中
戦
現代 史 資 料 ⑧
日
争
一
み す ず 書 房
梅 津 ・何 應 欽 協 定 成 立 に 関 す る海 軍 電(84頁参照)
北 海(支 那)事 件 経 過 概 要(220頁 参照)
梅 津 ・何 應 欽...
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中
戦
現代 史 資 料 ⑧
日
争
一
み す ず 書 房
梅 津 ・何 應 欽 協 定 成 立 に 関 す る海 軍 電(84頁参照)
北 海(支 那)事 件 経 過 概 要(220頁 参照)
梅 津 ・何 應 欽 協 定 成 立 に 関 す る外 務 電(77頁参照)
梅 津 ・何 應 欽 協 定 成 立 に関 す る外 務 電(98頁 参照)
青 島 事 件 処 理 及 現 地 視 察 報 告(273頁 参照) 文中訂正 は原文判読 し難 き箇所 を編者 が原文のままを書 きあらためたもの
日満財政 経済研 究会業務報告書 表紙(695頁参照)
北 海(支 那)事 件 経 過 概 要(216頁 参照)
満 洲 産 業 開 発五 年 計 画 綱 要 表 紙(719頁 参照)
蒙 古 国 建 設 に関 す る意 見 表 紙 及 び本 文(449頁 参照)
燕秘情報 第一 六号表 紙(593頁参照)
対 『 満 洲国外、内蒙古 』 策意 見具 申 表 紙(486頁 参照)
綏遠事変情報 海軍電 (624頁 参 照)
綏 遠 事 変 情 報 外 務 電(648頁 参照)
綏 遠 事 変 情 報 陸 軍電(616頁 参照)
綏 遠 事 変 情 報 海 軍電(626頁 参照)
軍事 上 よ り見 た る皇 国 の 国 策 竝 国 防 計 画
日支 国交 調 整 要 領(376頁参照)石 原莞爾 自筆
要 綱 表 紙(655頁 参照)石 原莞爾 自筆
戦 争 之 研 究 「石原資料」綴 りの石原莞爾自罐表紙
戦 争 準 備 計 画 方 針(682頁参照)
襲 撃 直 後 の大 川 飯 店(191頁参照)
左上 海毎 日記者深川経 二,右 大 阪毎 日記者 渡辺 洸 三郎 の遺体(181頁参照)
東 方 台地 上 よ り見 た る シ ラム レン廟 全 景 と記 念碑 (右端の塔)昭和14年7月(内 蒙工作の章参照)
句頭飛行 場 (欧亜航空公 司の建物) (内蒙工作の章参照)
定 遠営南側高地 よ り望 む定 遠営の全景(内蒙工作の章参照)
定 遠 営 に 着 陸 せ る ス ー パ ー勤 務 員(内 蒙工作 の章参照)
凡
例
一 本 巻 には 、 ほ ゞ塘 沽 停 戦 協 定 以 後 か ら蘆 溝 橋 事 件 直 前 に至 る期 間 に つ いて、 未 刊 の基 本 資 料 を収 録 した 。 そ の際 撰 択 の
重 点 を 置 いた のは、 日中 関 係 に つ いて は 日本 側 の華北 、内 蒙 の 二 つ の工作 と 日中 交 渉 、 日本 自 体 に つ い ては 対華 政 策 上 の
本 巻 に収 録 し た 資 料 は防 衛 庁 戦 史 室 、 島 田俊 彦 氏 、 石 原 六郎 氏、 須 磨 彌 吉 郎 氏 、松 室 孝 良 氏 、 片倉 衷 氏 、 松 井忠 雄氏 の
諸策 案 と り わけ 国 防 国 策 の策 定 で あ つた 。 二
所 蔵 に か か るも ので あ り、 それ ら の本 巻 への収 録 を許 可 さ れた 防 衛 庁 戦史 室 長 西浦 進 氏 及 び芳 名 上記 の方 々 の御 好 意 に深
い感 謝 の念 を申 し 述 べた い。 な お こ の間 にあ つて終 始 斡 旋 の労 を 払 わ れ た防 衛 庁 戦 史編 纂 官 稲 葉 正 夫 氏 に も厚 く 御 礼 を 申 上 げ た い。
原 文 は殆 んど 片 仮 名 を使 用 し て い るが 、所 収 に あた つて は ﹁軍 命 令 ﹂ ﹁電 報 ﹂ は 原 文 の ま ま と し、 そ の他 は 平 仮名 に改
人 名 、 地名 は当 時 の漢 字 を用 い、 そ の他 は 現 行漢 字 に よ った 。
三
四
原文 中 の不 整 合 、 誤字 、誤 植 は明 白 な 誤 り の場 合 に限 つ て訂 正 し た が、 他 は横 に ︹マ マ︺ を 付 し て原 文 を尊 重 し た 。
め た。 そ のさ い 一部 を除 い て適 宜 に句 読 点 、 濁 点 を 加 え た。
五
﹁電 報 ﹂ だけ は 改頁 扱 いと せず 印 刷 さ れ て いる が、 これ ら と そ の他 の資 料 と のあ いだ には 資 料 的価 値 にお い て勿 論 甲 乙
は 編 者 の註 記 し た も の で あ る 。
本 巻 は角 田順 が監 修 の責 任 に当 り、 編 集 と資 料 解 説 は 島 田 俊彦 と稲 葉 正 夫 と が担 当 し た。
本文中 の ︹ ︺
の区 別 は な く 、 こ の扱 いは 全 く 編 纂 上 の便 宜 に よ るも の であ る。
六
七 八
〕
〔
凡例 資料解説
目
次
国 策 の樹 立 と そ の批 判
廣 田外交 の発 足
一 蘆 溝 橋事 件 ま で の 日中 関係 と対 華 政策 の変 遷 第 一節 1
五
四
三
二
対内 国 策 樹 立 に関 す る国 防 上 の要 望 (陸 軍省 軍 事 課 )
昭 和 八年 十 月 二 十 日 五相 会 議 に於 け る陸 軍 側提 示
帝 国 国策 (陸 軍 案 )
海 軍 の対 支 時 局 処 理方 針
国際 関係 よ り見 た る時局 処 理 方針 案 (閣 議 決 定 )
三
西
二
三
六
対支 静 観 主 義 放棄 論 (須 磨 彌吉 郎 )
一 満 洲 問 題 処 理方 針 要 綱 (閣 議 決 定 )
七
対 支 政 策 に関 す る 件 (陸 ・海 ・外 三 省 関 係 課 長 間 決 定 )
二二
一六
九
四
八
九
2
天 羽 声 明
天 羽英 二情 報 部 長 の非 公 式声 明 (東 京 朝 日新 聞 )
二五
毛
昭和 九 年 四 月 二十 日 の外 人記 者 団 に対 す る声 明
五
廣田外相↓有吉公使 (暗第
三 有吉駐支公使↓廣
中山書記官
五 須磨南京総 領 事↓廣 田外 相 ( 第三七二
八
松平駐英大使↓廣
三四
三〇
一〇
三 廣 田外相↓齋藤
二九
天 羽声 明 に関連 す る外 務 電
有吉駐支公使↓廣 田外相 ( 第 三四二号)
二 有吉駐支公使↓廣田外相 ( 第 三二六号)
四 廣 田外相↓須磨南京総領事 (暗第三六号)
一 廣 田外相↓在外公館長 (暗合第 三〇 二号) 一〇九号)
大使い松平大使 ( 暗合三〇四号)
国
声 明 の列 国 にお け る反 響 中 四
一 有 吉駐支公使↓廣田外相 ( 第 三〇八号)
三
栗原天津 総領事↓廣 田外相 (第 一〇
二 松平駐英大使↓廣 田外相 (第二 一四号)
一〇
七 中山書記官 ↓廣 田外相 (第 一七三号) 九 中山書記官↓廣田外相 ( 第 一七四号)
六 須磨南京総領事↓廣 田外相 ( 第三七三号)
田外相 ( 第 三三 一号) 号)
国
一一 堀内書記官↓廣田外相 ( 第 三五二号)
↓廣 田外相 ( 第 一七五号) 七号) 英
五 松平駐英大使↓廣 田外相 (第 二 一八号)
二 澤 田 ニュー ヨーク総領事↓廣田外相 ( 第 五八号)
四 松平駐英大使↓廣 田外相 (第二 一七号)
一 松平駐英大使↓ 廣田外相 (第 二〇九号) 田外相 (第 二 一六号) 国 一 齋藤駐米大使↓廣 田外相 (第二二四号)
米
二 廣 田外相↓在外公館長 ( 暗合 三〇三号)
一 一 昭和 九 年 四 月 二十 六 日英米 大使 に手交 の声 明 一二
一三 A
B
C
D
E
F
G
一四
フ ラ
ン ス
ツ
四
二
二 佐藤駐仏大使↓廣 田外相 (第二三六号)
三 佐藤駐仏大使↓廣
横 山 ジ ュネ ーブ 総 領 事 ↓廣 田外 相 (第 八 六 号)
須 磨 南 京 総 領 事 ↓ 廣 田外 相 (第 四 一 一号 )
二 永 井駐独大使↓廣田外相 (第八三号)
佐藤駐仏大使↓廣田外相 ( 第 二四八号)
一 佐藤駐仏大使↓広 田外相 ( 第 二三四号)
イ
田外相 (第 二四 一号) ド
連
一 永井駐独大使↓廣 田外相 ( 第 七九号) ソ 一 太 田大 使 ↓ 廣 田外 相 (第 一九 二号 ) ジ ュネ ー ブ
二
二 中原廣東海軍武官↓海軍次官、軍令部次長 ( 機密第 一七 三番)
一 横 山 ジ ュネ ーブ総 領 事 ↓ 廣 田 外 相 ( 第 八四 号 )
米 国航 空 勢 力 の対華 進 出 一塚 本厘門領事↓廣田外相 (第五 二 ・五三号)
六 須磨総領事↓廣 田外相 (第
四 廣 田外相↓有吉駐 支 公使 ( 暗第三九号)、廣 田外 五 有吉駐支公使↓廣 田外相 ( 第 一一二号)
三 中原廣東海軍武官↓軍令部第三部長 ( 機密第 一七五番)
八 上海
一〇 海軍省軍務
其の 一 (軍 令 部 )
九 臺湾軍参謀長↓参謀次長 (臺第 一八二号)
七 米 国航空勢力 の対支進出阻止と我が勢力扶植 に就 ての方策 (軍令部第 一部 田結甲部員)
相↓守屋福州総領事 ( 暗第 一五号) 一四八号)
公使館附陸軍武官↓参謀次長 (支第 一六五号) 局長 ↓馬公要港部参謀 長 ( 軍務機密第五九電)
北 支 に於 け る 反 満 抗 日 策 動 に基 く 日 支 両 軍 の交 渉
梅津 ・何應欽協定と土肥原 ・秦徳純協 定
一五
﹁ 北 支 交渉 問題 処 理要 綱 ﹂ に関 す る外 務 陸 軍 間
第 二節
一六
折 衝 (﹁昭 和 十 年 度 外 務 省 執 務 報 告 ﹂ よ り )
五四
六〇
六五
北 支 に於 け る 反 満 抗 日 策 動 に基 く 日支 両 軍 の交 渉
七三
一四 堀
一一 天津軍参謀長
二八 天津軍
天津 軍 参 謀 長↓参 謀 次 長
二二 北平沖野輔佐官
一九 南京雨宮中佐↓参謀次長
一六 天津軍参謀
天津軍参謀長↓参謀次長
二四
一〇二
六八
一七
察 哈 爾省 張 北 問 題 (軍 令 部 )
其の二 (軍 令 部 )
一八
七七
六 川越総領事↓
北平輔佐官↓参謀次長 ( 北第三八三
両 協 定 成 立 に関 す る陸 ・海 ・外 務 電 三
一三
上海大使館附武官↓参謀次長
八 天津米国領事↓国務長官、南京領事 (特
五 若杉参事官↓廣 田外相 (第 一五六号)
二 天津軍参謀長↓参謀次長
一〇
川越総領事↓廣田外相 ( 第 一三九号)
四 北平輔佐官↓参謀次長 (北第 三八四号) 七
九 上海大使館附武官↓参謀 次長
一二 北平沖野海軍輔 佐官↓次長、次官 ( 機密第七 一番)
一八 北平陸軍輔佐官↓参謀次長
一五 北平沖野海軍輔佐官↓次長、次官 (機密第七三番)
一七 天津軍参謀長↓参謀次長
二三 若杉参事官↓廣 田外相 (第 一七七号)
二 一 若杉参事官↓廣田外相 ( 第 一七四号) 二六 北平陸軍輔佐官↓参謀次長
二七 天津軍参謀長↓参謀次長
↓次長 、次官 (機密第 七六番)
三四 関東軍参
三〇 若杉参事官↓廣 田外相 (第 一八七号)
三三 天津軍参謀長↓参謀 次長
四四
四一
三七 天津軍参謀長↓参謀次
北平陸軍輔佐官↓参謀次長
四三 北平輔佐官↓参謀次長
四〇 四二 天津軍参謀長↓参謀次長
北平陸軍輔佐官↓参謀次長
三六 北平陸軍輔佐官 ↓参謀次長
三二 天津軍参謀長↓参謀次長
二九 藤原部員参謀本部 ニテ聴取 セル事項其 ノ二
三九
三五 関東軍参謀長↓参謀 次長
三八 北平陸軍輔佐官↓参謀次長
廣田三原則 の決定
対 支 政策 決 定 の経緯 (外 務省 東 亜 局 一課 調書 )
第 三節
天津軍参謀長↓参謀次長
北平陸軍輔佐官↓参謀 次長 ( 第五 二二号)
長
謀長↓参謀次長
三 一 南京雨宮中佐↓参謀次長
司令官↓参謀総長
二五 天津軍参謀長↓参謀次長
二〇 須磨総領事↓廣 田外相 (第五五八号)
長 ↓参謀 次長
内書記官↓廣 田外相 ( 第 四六〇号)
↓参謀次長
種情報第 一四八号)
廣 田外相 (第 一三八号)
号)
一 川越総領事↓廣田外相 (第 一〇七号)
十九
二〇
二 一 唐 有 壬之 死 (須 磨 彌 吉 郎 )
幣 制 改革 (対 英 借 款 ) 問題 と支 那 の情 勢 (参謀 本 部 )
幣制 改革
二二
支 那幣 制 改 革 問 題 に関 す る大蔵 省 湯 本 国庫 課 長 談 話 要領
第 四節
二三 第五節 華 北自治運動と冀東特殊貿易
二五
二四
天 津 鎖 聞 (久保 田久晴 海 軍 大 佐 )
北 支 自 治 運 動 の推 移 ( 参謀本部)
南 北 支 那 独 立 問題 を中 心 と す る出 先 関係 機 関 の情 勢 判 断 要旨 (参 謀 本部 )
翼東 ・冀 察 両 政 権 の成 立
二六
冀 東 防 共自 治 政 府 組織 宣 言 お よび組 織 大 綱
1
二七
陸 軍 次官 ↓ 支 那 駐 屯 軍 参謀 長 ( 陸 満 二三 )
陸 軍 次官 ↓
陸 軍 次官 ↓ 関 東 軍 参 謀 長 、 支 那 駐 屯 軍 参謀 長 、 南 京 北 平 、上海 、 武官 ( 陸満六
陸 軍 次官 ↓ 関 東 軍参 謀 長 、 支 那 駐 屯 軍参 謀 長 、
華 北自 治 運 動 に関 す る陸 軍 電
冀 東 政 府 の特殊 貿 易
支 那 の密 輸 問題 に就 て (参 謀 本 部 )
2
関 東 軍 参謀 長 、 天 津 軍 参 謀 長 、北平 、 濟 南 、上 海 、南京 武 官 (陸 満 七 〇 八) 六
八 四 ) 四 (陸 軍 次官 ↓ 関東 軍参 謀 長 、支 那 駐 屯 軍参 謀 長 、 北 平 、濟 南 、上海 、 南 京武 官 ( 陸 満 七〇 〇 ) 五
北平、 上海 、 南 京 、武 官 ( 陸 満 六 八〇 ) 三
一 陸 軍 次 官 ↓ 関東 軍参 謀 長 、支 那 駐 屯 軍参 謀 長 (陸 満 六 七 四) 二
二八
二九
一 〇九
一一六
一二〇
一二五
一二八
一三七
一四四
一四七
一五一
三〇
最 近 北支 の 一般情 勢 に就 て (参 謀 本 部 )
物 に対 す る特 種 徴 税 に関 す る意 見 (曾 禰 益 )
一六四
一六〇
一五七
北 支 密 輸 入 問題 の経 緯 (外 務 省 東 亜局 第 一課 )
三 一 北 支 に於 け る 不正 規貿 易 就 中冀 東 政 府 の輸 入貨
三二
一六六
冀 東 沿 海 よ り の密 輸 入 に関 す る調査 竝 其 及 ぼ す 影 響 に就 て の考 察 (青 島 日本 商 工会 議 所 )
一 七六
三三
北 支 特 殊 貿 易 の現 状 ( 曾 禰益 )
三五
成 都 其 他 排 日 不 祥 事 件 (﹁昭 和 十 一年 度 外 務 省 執 務 報 告 ﹂よ り )
成都 総 領 事 館 再 開 問題 (軍艦 保 津 )
一九四
一九〇
一八〇
三四
三六
北海 事 件 報 告 (南 遣 部 隊 司令 部 )
二〇七
第六節 成都 ・北海両事件
三七
北 海 (支 那 ) 事 件 経過 概 要 (軍令 部 第 二 課) 川越 ・張羣会談
九 月 二十 三 日川 越 ・張羣 会 談 に於 て張 羣 が 読 上げ た書 物
第 二 二 二 ・二 二 四 ・二 二 五 号 電 (第 一次 訓 令 )
二九〇
二八七
昭 和十 一年 九 月 五 日付 有 田外 相↓ 川 越 大使 暗
第七節
三八
三九
四〇
四四
四三
四二
川越 ・張羣 会談 に関 す る帝 国 政 府 の発 表
口上 書 お よび に交 渉 結末 覚 書 に関 す る 日本 と中 国側 往復 書 翰
十 二月 三 日 川越 大 使 口上書 及 交 渉結 末 覚 書
十 月 二 日四 相会 議 に於 て決 定 の川越 大 使 宛 訓令 (第 二 次訓 令 )
三〇八
三〇六
三〇四
二九九
二九七
二九三
四五
川 越 ・張 羣 会 談 に関 す る 国 民 政 府 の発 表
四 一 第 一次 訓 令 に よ る 日支 交 渉 状 況 一覧 表
四六
交 渉 ( ﹁昭 和 十 一年 度 外 務 省 執 務 報 告 ﹂ よ り )
三一四
三一〇
, 三〇九
第 二次 訓 令 によ る会 談 関係 の外 務 電
成 都 事 件 自 体 の解 決 交 渉 及北 海 漢 口両事 件 解 決
二 月 七 日 の各 紙 に左 の 通 掲 載 せ し め た 記 事
﹁ 信 ず べ き 筋 よ り の聞 込 ﹂ と し て 国 民 政 府 が 十
三 須磨南京総領
四七
四八
四九
二 須磨南京総領事↓有 田外相 ( 第 八〇 四号)
八
五 須磨南京総領事↓有 田外相 (第
七 須磨南京総領事↓有 田外相 (第八二二号)
一〇 須磨南京総領
須磨南京総 領 事↓有 田外 相 ( 第八五九
一二 有 田外相↓須磨南京総領事
九 有 田外相↓須磨南京総領事 (暗第 一九 三号)
六 須磨南京総領事↓有 田外相 (第八 一九号)
四 須磨南京総領事↓有 田外相 ( 第 八〇九号)
一 須磨南京総領事↓有 田外相 ( 第 八〇 三号) 八 一〇号)
事↓有 田外相 ( 第 八〇六号)
須磨南京総領事↓有 田外相 ( 第 八二三号)
一四
一一 須磨南京総領事↓有 田外相 ( 第 八三〇号) 一三 須磨南京総領事↓有田外相 ( 第 八五〇号)
一九
須磨南
一六 松村南京総領事 代理↓有 田外相 ( 第 八八四号)
一八 須磨南京総領事↓有田外相 ( 第九 一二号)
松村南京総領事代理↓有 田外相 (第八八三号)
( 第 一九四号)
事↓有 田外相 ( 第 八二九号) 一五
一七 須磨南京総領事↓有 田外相 ( 第九〇三号)
号)
五〇
京総領事↓有 田外相 (第九 一六号)
二〇
二 一 須磨南京総領事↓有
二三 須磨南京総領事↓有 田外相 (第九
須磨南京総領事↓有 田外相 ( 第九 二三号)
五六
五五
五四
五三
五二
帝 国 外 交方 針 (四 相決 定 )
国策 の基 準 (五相 決 定 )
国策 大綱 決 定 の経 緯 (上村 伸 一記 )
国 防 国策 大 綱 (参 謀 本 部 )
帝 国 国 防方 針 ・用兵 綱 領 第 三次 改 訂
国策 要 綱 (海 軍 中央 部 )
須磨南
三〇 須磨南京総領事↓有
二八
二五 須磨南京 総領 事↓有 田外 相 ( 第 九四 一号)
二二 須磨南京総領事↓有田外相 (第九二九号)
五七
対 支 実行 策
三二 有 田外相↓須磨南京総領事 ( 第二
須磨南京総領事↓有田外相 (第九五四号)
二七 須磨南京総領事↓有 田外相 ( 第九四八号)
二四 須磨南京総領事↓有田外相 (第九三三号)
田外相 ( 第九 二四号) 三二号) 二九
二六 須磨南京総領事↓有 田外相 (第九四四号) 京総領事↓有田外相 ( 第九五〇号)
三 一 須磨南京総領事↓有 田外相 (第九六八号)
三三 須磨南京総領事↓有 田外相 ( 第 九七六号)
田外相 (第九六 一号) 五 一号)
第八節 対華政策 の変遷
第 一次 北支 処 理要 綱
五八
第 二次北 支 処 理 要綱 (関 係諸 省 間 決 定 )
五 一 海 軍 政 策 及制 度 研究 調査 委 員 会組 織 の仰 裁
五九
三四九
三 五 一
三五四
三五六
三五七
三五九
三六一
三六三
三六六
三六八
六三
六二
六 一
六〇
冀 東 の指導 開発 に関 す る私見
日支 国交 調 整 要領 (石 原 莞 爾 大佐 )
対支 政 策 の検討 (案 ) (参謀 本 部 第 二課 )
時 局 委 員 会 設 立 に関 す る 件 ( ﹁ 昭 和 十 一年 外 務 省 度 執 務 報 告 ﹂ よ り )
三七八
三七七
三七六
三七四
三七二
, 三八二
帝 国外 交 方針 改 正意 見 ( 参 謀 本 部 第 二課 )
由 竝 支 那 観察 の 一端 (参謀 本 部 第 二課 )
三八四
六四
陸 軍 省 に対 し対 支 政 策 に関 す る意 見 表 示 (参 謀 本 部 )
三八五
三八〇
六七
対 支 方 策 再検 討 に関 す る意 見 (横 井忠 雄 海 軍 大佐 )
三八八
対支 実 行 策改 正意 見 (参謀 本 部 第 二課 )
六八
対 支 政 策 (軍 令 部 次 長案 )
三八九
六五
六九
楠 本 ︹實 隆 ︺大佐 の対 支 政策 意 見
三九一
帝 国 外 交 方針 及対 支 実 行策 改 正 に関 す る 理
七〇
対 支 実 行策 に就 て (横井 忠 雄 海 軍 大佐 )
六六
七 一
︹ 第二 二次 次北 北支 支処 処理 理要 要綱 綱﹂ Lの の ﹁ 第
三九四
三九二
第 三艦 隊参 謀 長 の華 北巡 視 所 見 (三月 八 日 ・第 三艦 隊 参謀 ﹁ 対 支実 実行 行策 策L及 ︹ 対支 ﹂及
長 ↓ 軍 務 局 長 、 軍 令 部 第 一部 ・第 三 部 長 機 密 第 五 四 八 番 電 )
七二
七三
調 整 に関 す る件 (外務 省 太 田事務 官 私 案 )
七六
七五
七四
北 支 指導 方 策 (四 相 決定 )
対 支 実 行策 (四 相 決 定 )
海 軍 の対支 実 行 策 案 (海 軍 省 部 )
四〇二
四〇〇
三九七
八 一
八〇
七九
七八
七七
税 警 団 山東 入経 緯 側 面 観 (田尻穣 )
税 警 団 山東 移 駐 に就 て (田尻 穣 )
児玉 ︹ 謙 次︺訪 支 使節 談
情 報 綜 合 附所見 (軍 令 部 第 三 部 長 )
須 磨 南京 総 領 事 帰 朝談 要 旨
日支 関係 の現 状 及 将 来 (須 磨 彌吉 郎 )
四三三
四二九
四二三
四二一
四 一九
四一七
四〇四
中国側 の高姿勢
八二
海 軍 の山東 問 題 対 策意 見 (横 井忠 雄 海 軍 大 佐)
四三六
第 九節
八三
税警 団 問題 に関 す る 大鷹 ︹正 次 郎︺総 領 事 の第 一六五 号電 内 蒙 工作 発 端 、李 守 信 ・徳 王 の起 用
四四三
八四 二
第 一節
一 熱 河作 戦 機 密 作 戦 日誌 抄 (森 赳少 佐 )
二
一月 二十 一日徳 王 起 用
五月 五 日
二 日 一日崔 興武 帰 順 問題
二月 三 日開 魯 軍 に就 て
軍 参 謀 長↓ 次官 ・次 長 ( 関 電 第 五 四 五号 )
二
五月十日
四四四
四
蒙 古 国建 設 に 関 す る 意 見 (松 室 孝 良 大 佐 )
暫 行 蒙 古 人指 導 方針 要 綱案 (関 東軍 参謀 部 )
四六五
四四九
四四七
四四五
五
蒙 古 人 有 力者 名簿 (承 徳特 務 機 関長 松室 孝 良 )
四六八
次官 ↓ 軍 参 謀 長 (陸 満第 五〇 三号 )
︹熱 河 作戦 ︺機密 作 戦 日誌 抜 萃 (関 東 軍 参謀 部 第 二課 ) 一
﹁ 熱 河北 北支 支作 作戦 戦の の経 経験 験﹂ ﹁ 熱河 ﹂抜 抜萃 葦 ( (秋 秋山 山紋 紋次 次郎 郎大 大尉 尉) )
六
対察 施 策 (関 東 軍参 謀 部 )
四七二
三
七
満 洲 国 隣接 地方占 領 地統 治案 (斉 々哈爾 特 務 機関 長 松室 孝 良 )
第 二節 初期内蒙 工作 の推移
八
一〇
土 肥 原 ・秦 徳 純 協 定 (察 哈 爾 協 定 )
宋 哲 元 軍 の熱 河侵 入問 題 (外 務省 東 亜 局第 一課 )
対 ﹃ 満 洲 国 外 、 内 蒙 古 ﹄ 策 意 見 具 申 (盤 井 文 雄 少 佐 )
四九二
四九一
四八九
四八六
内蒙 工作 の進展 ・察東事件
一 一
対内 蒙 施策 要 領 (関 東 軍参 謀 部 )
五〇一
第 三節
一二
北支 及 内蒙 に対 す る中 央部 の指導
九
一三
一六
一五
一四
対 内蒙 施 策 実施 要 領 ( 陸 軍 省 部決 定 )
対蒙 (西北 )施 策 要 領 (関 東 軍参 謀 部)
察 東 事 変 (松 井忠 雄 大 尉 手記 )
綏遠 蒙 政 会暫 行 組 織 大綱 (関東 軍 参謀 部 )
第 四節 綏 遠 事 件
一七
内蒙 古 工作 の現 状 に就 て (関東 軍 参謀 部 )
上 海 武官 ↓ 関 東 軍 参謀 長
五
三
六
二四
二三
関東 軍 当 局談 (関東 軍 司令 部 第 二課 高 級参 謀 )
綏 遠 問 題 の 重 要 性 (昭 和 十 一年 十 一月 十 九 日 東 京 朝 日 新 聞 )
内蒙 古 軍 ノ綏 遠武 力 行動 (関東 軍 参謀 長 ↓ 次官 、 次 長宛 電 )
綏
武 藤 書 記官 ↓ 有 田
武藤 書 記 官↓ 有 田外 相 ( 第 一四 一号)
中 根 領 事代 理↓ 有 田 外相 (第 一七 三号 )
一八
七
武 藤 書 記官 ↓ 有 田外 相 (一三九 号)
二
綏遠 戦 備強 化 、 梅 力更 廟 事件 四
察 哈 爾方 面 視 察 報告 (駐満 海 軍 部)
遠 機 関 ↓ 関 東軍 参 謀 長
外相 (第 一三 二号 )
一 中 根 領 事代 理↓ 有 田 外 相 ( 第 一七 一号 )
一九
二〇
綏 二 二 一 一 ﹁ ︹ 綬遠 遠事 事件 件始 始末 末記 記﹂ ﹂抜 抜萃 葦 ( (松 松井 井忠 忠雄 雄大 大尉 尉手 手記 記) ) 綏 遠 時局 に関 す る蒙 古 、綏 遠 当局 の宣伝 戦 (桑 原 重遠 海 軍 武官 輔 佐 官 )
二五
綏 東 問 題 に対 す る中 国 側 の反 響 (憲 兵 司令 官 中島 今 朝 吾 )
二二
二六
五〇二
五四〇
五四七
五四八
五五一
五五五
五五八
五六二
五七九
五八二
五八三
五八五
五 八六
綏遠 事 件 に関 す る海軍 情 報記 録
五八八
二八
綏 遠事 件 参 加飛 行 機 の行 動 に関 す る件 通 報 (旅順 要 港 部参 謀 長 )
綏遠 問題 ( 軍令部)
六〇七
六〇五
五九七
二七
五八八
二九 内蒙 時 局 対策 案
六〇八
五九三
三〇 西 安事 変 対 策要 綱 (陸 軍 省)
六〇九
五九三
三 一
内 蒙軍 整 備 要 領案 (陸 軍 省 部決 定 )
六一一
西北辺防軍委会組織と対蒙作戦 ( 在北平桑原海軍武官輔佐官)
一 綏遠問題 に就 て (在上海佐藤海軍武官) 二 イ
三二
事 件 収 拾 ニ関 ス ル徳 王 通 電
六一二
支那側 の入手 せる内蒙軍 の情況 ( 北平桑原海軍武官輔佐官)
三三
蒙 古 工作 の過 古 の経緯 及 将 来 に於 け る軍 の方 針 (関 東 軍 参謀 部 )
ロ
南 京雨 宮 中 佐
三四
四
一一
上 海 大使 館 附 武 官 ↓ 次官 、
漢 口渡
南 京 雨 宮 中 佐↓ 次 官 、
一四
南 京 雨宮 中 佐 ↓ 次官 、次 長
七
北 機松 室 少 将 ↓ 次官 、次 長
六一 四
三
一〇
上 海 大 使 館附 武 官 ↓ 次官 、 次長
一七
北 平 輔 佐 官 ↓次 官 、 次長
南京 雨宮 中 佐↓ 次官 、 次 長
一三
南 京 雨宮 中 佐 ↓ 次 官 、次 長
六
北 平松 室 少 将 ↓ 次官 、次 長
綏 遠事 件 情 報陸 軍 電 二
九
関東 軍 参 謀長 ↓ 次 官 、 次長
一六
北 平松 室 少 将↓ 次官 、 次 長 北平 輔 佐 官 ↓ 次官 、 次 長
一二
南 京 雨宮 中 佐 ↓ 次官 、次 長
五
一 太 原 河野 中 佐 ↓参 謀 次 長
八
↓ 参 謀 次長 次長
一五
上 海 大使 館 附 武 官 ↓ 次官 、 次 長
海軍電
中 佐 ↓ 次官 、次 長 次長
同
六二〇
三五
三六
三七
一 南 京 中 原 武官 ↓ 次 官 、 次長 (機 密第 一五 八番 電 )
八 一〇
二 四
不詳
七
一四
一六
三
北
北 平桑 原 輔 佐
一 一 北 平輔 佐 官
二〇
天津久保田
駐 満 海 参謀 長 ↓ 軍 務 局長 、軍 令 部
一八 ノ 一
上 海 特務 機 関 首
南東 中 原 武 官 ↓ 次官 、 次
北 平 輔 佐官 ↓ 軍 務 局 長 、軍 令 部 三部 長 ( 機
一八 ノ二
大使 館 附 武 官 ↓ 次官 、次 長 ( 機 密 第 三 五 七番 電 )
北 平 桑 原輔 佐官 ↓ 次 官 、 次長 (機 密 第 二 三九 番電 )
南京中
駐満海参謀
二四
二二
二 一ノ 一 旅要 参 謀 長 ↓ 軍 務局 長 、軍 令部 三部 長 ( 機密第五 一
南 京 中 原 武官 ↓ 次官 、 次 長 ( 京 第 八 二 番電 )
旅要 参 謀 長 ↓軍 務 局 長 、 軍令 部 三部 長 ( 機 密 第 五 一番 電 其 ノ三) 二三
九
上海 特 務 機関 首 席 武官 ↓ 次官 、
北 平 桑原 輔 佐 官↓ 次官 、次 長 ( 機 密 第 二二 五番 電 )
北 平 桑 原輔 佐官 ↓ 次 官 、 次長 (燕 第 六 二番 電 )
六
一二
北 平桑 原 輔 佐 官↓ 次 官 、 次 長 ( 機 密 第 二 三 五番 電 )
上海 特 務 機 関首 席 武 官 ↓ 次官 、次 長 ( 機 密 第 二 一三番 電 親 展 )
北 平 桑 原 輔佐 官 ↓ 次 官 、次 長 (機密 第 二三 二 番電 其 ノ 一、 二)
平 桑 原輔 佐 官 ↓ 次官 、次 長 ( 機 密 第 二 二 四番 電 其 ノ 一、 二) 五 次長 ( 機 密 第 一 一二番電 ) 官 ↓ 次 官 、 次長 ( 燕 普 第 六 六番 電 )
↓ 軍 務 局 長 、軍 令 部 三 部長 ( 機 密 第 二 三 四番電 其 ノ 一極 秘 親展 )
一五
南京 中 原 武官 ↓ 次官 、 次 長 ( 機 密 第 一七 一番 電 )
一七
北 平 桑原 輔 佐 官 ↓ 次官 、次 長 ( 機 密 第 二三 六番 電 )
密 第 二三 四 番電 其 ノ 二)
一三
長 ( 京 第 七 六番 電 其 ノ 一、 二) 席 武 官 ↓ 次官 、次 長 ( 機 密 第 一 一六番 電 親 展 )
一九
駐 満 海 参謀 長 ↓ 軍 務 局長 、軍 令 部 三部 長 (機密 第 三 二七番 電 其 ノ 一) 三部 長 ( 機 密 第 三 二 七番 電 其 ノ二)
二 一ノ 二
武 官 ↓ 次官 、次 長 ( 機 密 第 一六 七番 電 其 ノ 一、 二) 番 電 其 ノ 一、 二)
長 ↓ 軍 令部 三部 長 、 軍務 局 長 ( 機 密 第 五 番電 )
南 京 中原 武 官 ↓ 次官 、次 長 (京第 八四 番 電 )
駐 満 海 軍部 参 謀 長 ↓ 軍令 部 三部 長 、軍 務 局 長 ( 機 密 第 六 番電 其 ノ 一、 二七
二五
二六
北 平 桑 原輔 佐 官 ↓ 次 長 (機 密 第 二 四 〇 番
駐 満海 軍 部 参 謀 長↓ 次 官 、 次 長 ( 機 密 第 一〇 番 電 )
二)
二九
原 武 官 ↓ 次官 、次 長 ( 京 第 八 三番 電 )
上海 特 務 機 関首 席 武 官 ↓ 次官 、次 長 ( 機 密 第 一二 一番 電 )
南 京 中 原武 官 ↓ 次官 、 次長 ( 京 第 四 番電 )
三三
三五
南 京 外 交 部↓ 駐 日支 那
駐満 海 参 謀 長 ↓ 軍務 局 長 、 軍
三 一 北 平桑 原 輔 佐 官↓ 次官 、 次長 ( 機 密 第 二 四 四番 電 )
天津 久 保 田 武
二八
三〇 ノ 一 天津 久 保 田武官 ↓ 次 官 、 次長 、参 謀 長 ( 機 密 第 一七 一番 電 其 ノ 一、 二)
三〇 ノ 二
電)
三四
駐 満 海 軍部 参 謀 長 ↓ 軍務 局 長 、軍 令 部 第 三 部 長 ( 機 密 第 一五番 電 親 展 )
官 ↓ 次官 、 次 長 、参 謀 長 (機密 第 一七 一番 電 其 ノ三 ) 三二
外務電
令部 三部 長 (機密 第 二十 五 番電 ) 大使
同
六三五
四
五 加藤書記官↓
二 中根領事代理↓有 田外務大臣 (第 二六七号 ノ 一、二)
須磨総領事↓有 田外務大臣 ( 第九 二七号)
一 中根領事代 理↓有 田外務大臣 ( 第 二三七号 ノ 一、二)
七 加藤書記官↓有 田外務大臣 (第
一二 中根領
中根領事代 理↓有 田外務大臣 ( 第 二八〇号)
加藤書記官↓有 田外務大臣 ( 第 六 一三号)
三 中村総領事↓有 田外務大臣 (第五三六号) 六 九
一一 中村総領事↓有 田外務大臣 ( 第 五四五号)
一四 須磨総領事↓有田
一六 内 田総領事↓有 田外務大臣 (第
三浦総領事↓有 田外務大臣 (第四二〇号)
二一
川越 大 使↓有 田外 務 大 臣 ( 第 八二五号)
若杉 総領事↓有 田外務大
中根領事代 理↓有 田外務大
加藤書記官↓有 田外務大臣 ( 第六四〇号)
二七
二三 加藤書記官
中根領事代理↓有 田外務大臣 (第二九三号)
一八
中村総領事↓有 田外務大臣 ( 第 五四八号)
一三
須磨総領事↓有 田外務大臣 ( 第 九三 一号)
八 中根領事代理↓有田外務大臣 (第 二七八号)
有 田外務大臣 (第六 一一号) 一〇
六 一五号)
一五
事代 理↓有 田外務大臣 ( 第 二八 二号)
二〇
二九
二五
二二 加藤書記官↓有田外務大臣 ( 第 六二六号)
若杉総領事↓有 田外務大臣 (第五三九号 ノ 一、二)
一七 若杉総領事↓有田外務大臣 (第五四〇号)
外務大臣 (第九三七号) 一九
二 一一号) 中根領事代理↓有田外務大臣 (第二九二号)
二四 須磨総領事↓有 田外務大臣 (第九五〇号)
吉田大使↓有 田外務大臣 (第六五七号)
二六 中根領事代理↓ 有田外務大臣 (第三〇四号)
↓有 田外務大臣 ( 第六三三号) 二八
臣 (第五五四号 ノ 一、 二) 臣 (第三〇七)
三六
川越 大使
三八 中根領事代理↓有田外務
加藤書 記官↓有 田外務大臣 (第六
三浦総領事↓有 田外務大臣 (第四二六号)
三五 中根領事代理↓有田外務大臣 (第三 一四号)
三〇 三浦総領事↓有 田外務大臣 ( 第 四 一九号) 三 一 中根領事代理↓ 有田外務大臣 (第三 一一号) 三 二 若杉 総領事↓有 田外務大臣 (第五六六号 ノ 一、二) 三三 須磨総領事↓有田外務大臣 ( 第九七八号 ノ 一、 二) 三四 三七
中根領事代理↓有 田外務大臣 ( 第 三 一二号) ↓有 田外務大臣 ( 第九五四号)
四〇
四二 川越大使 ↓有 田 外務 大 臣 (第 九 七〇
三九 中根領事代理↓有田外務大臣 (第三二〇号)
四五
四七 加藤書記
四四 加藤書記官↓有 田外務大臣 ( 第六七 二号)
四 一 加藤書記官↓有 田外務大臣 ( 第六六九号)
大臣 (第三 一九号)
四三 中根領事代理↓有 田外務大臣 (第三二四号)
六四号 ノ 一、二) 号)
四九 川越大使↓有田外務大
四六 中根領事代理↓有 田外務大臣 (第三二八号) 四八 若杉総領事↓有 田外務大臣 ( 第 五八六号)
中根領事代 理↓有 田外務大臣 ( 第 三二三号)
五四
五 一 須磨総領事↓有 田外務大臣 (第 一〇 二
五三 加藤書記官↓有 田外務 大臣 (第六八〇号)
堀内総領事↓有田外務大臣 (第五四七号)
官↓有田外務大臣 (第六七五号) 五〇
五二 加藤書記官 ↓有 田外務大臣 ( 第 六七九号)
臣 (第九九六号) 四号)
三八
加藤書記官↓有 田外務大臣 (第六八 一号)
五六
中根領事代
五八 中根領事代理↓林外務大臣
五五 中根領事代理↓有田外務大臣 (第三三六号)
五七 中根領事代 理↓林外務大臣 (第四〇号)
六六一
( 第 四 一号)
理↓有 田外務大臣 ( 第 二二号)
錫 拉 穆 林廟 殉 難 烈 士 芳 名 (昭 和 十 一年 十 二月 九 日)
六六一
国防国策
錫 拉穆 林廟 殉 難 烈 士 碑 文 (昭 和 十 四年 七月 吉 日)盛 島 角 房撰
三
六
五
四
三
二
新 関 東 軍 司令 官 植 田大将 に対 す る参謀 次 長 口演 要旨
新 関 東 軍 司令 官 植 田大将 に対 す る参 謀 総 長 口演 要旨
無 題 (為今 村 参 謀 副 長 )(石原 第 二課 長)
無 題 (為参 謀 次 長 ) (石 原第 二課 長 )
無題 ( 皇 国 現下 の国 策 )(石原 第 二 課 長)
無 題 (満洲 国育 成 構 想 )(石原 莞 爾 大佐 )
軍 事 上 より見 た る皇 国 の国策 竝 国 防 計画 要 綱 (石原 莞 爾 大 佐 )
六七六
六七五
六七四
六七二
六七〇
六六八
六穴七
六六五
石原構想 の展開 ・戦争準備計画
七
戦 争 発 展史 要 綱 (石 原戦 争 指 導 課 長 )
六七七
第 一節
八
第 二課 業務 進 捗 計 画 (参謀 本部 第 二課 )
一
九
総 動 員第 三次 期 間 計 画 設定 の為 資 源取 得 (輸 入 を含 む)
一二
一 一
戦 争 準 備 計 画方 針 (参謀 本部 第 二課 )
戦 争 準 備 の為 産業 開 発 に関 す る要 望 (参 謀 本 部 )
満洲 国 に関 す る要望 (参 謀 本部 )
一〇
一三
戦 争 準 備 の為 帝 国 の飛行 機 及 兵 器 工業 を速 に
を 胸算 し得 べき範 囲決 定 に関 す る要 望 ( 参 謀 本 部 第 二課 )
一四
一五
満 洲 (朝 鮮 を含 む ) に陸 軍 用飛 行 機 製作 力 の
内 閣 更 迭 の場 合 陸軍 大臣 の入閣 条 件 と し て要 求 す べき事 項 (参 謀 本部 )
満 洲 へ進 出 せ し む る為 の要 望 (参 謀 本 部 )
一六
対 ソ戦 争 指導 計 画大 綱 (参 謀 本 部 第 二課 )
主 力 を 施 設 す る の 必 要 に就 て (参 謀 本 部 第 一部 ) 一七
自昭和十 二年度 至昭和十 六年度満洲 国 戦 争 準備 指 導 計 画
国力造成 ・産業五 ケ年 計画
一八
第 二節
日満財 政 経 済 調査 会 (石 原莞 爾 )
日満 財 政経 済 研 究 会業 務 報 告 書 ・同 目録 ( 宮 崎 正義 )
二〇
満 洲開 発 方 策綱 要 (陸 満密 第 二 八九 号 )
一九
二 一
六七九
六八〇
六八一
六八二
六八三
六八四
六八五
六八六
六九一
六九五
七〇三
七〇四
三〇
二九
二八
二七
二六
二五
二四
二三
二二
生 産 力拡 充 計 画 要綱 (閣 議 決 定 )
満 洲 重 工業 確 立 要綱 (閣 議 決定 )
軍 需 品 製造 工業 五 年 計 画 要 綱 (陸 軍省 )
重 要 産業 五 ケ年 計 画要 綱 実 施 に関 す る政策 大綱 (案 )(陸 軍 省 )
重 要 産 業 五 年 計 画 要 綱 (陸 軍 省 )
満 洲 産 業 開発 五 年 計 画 綱 要 (関 東 軍 司令 部 )
満 洲 産業 五 ケ年 計 画取 扱 要 領
満 洲 開 発 五年 計 画 に対 す る目 標案 (陸 軍 省 軍務 課 )
満 洲 国第 二期 経済 建 設 要 綱 (関東 軍 司令 部 )
七七三
七七一
七五二
七三三
七三〇
七一九
七一七
七一一
七〇八
三四
三三
三二
三 一
林 陸 軍 大 臣 よ り松 岡満 鉄 新 総裁 に対 す る懇談 要 旨 (陸 軍 省 軍 務 局 )
林 陸 軍 大 臣満 洲 視察 に関 す る重 要案 件 (案 )(陸 軍 省 軍務 局 )
軍 務局 長 と板 垣 参謀 副 長 と の連 絡 事 項 (陸 軍 省 軍 務 局 )
陸 軍 大 臣 よ り 竹 内 ・荒 川 両 顧 問 に対 す る 談 話 要 旨 (陸 軍 省 軍 務 局 )
満 洲 国 指 導 に関連 す る軍 顧 問組 成 に対 す る研 究 意 見 (陸 軍 省 軍 事 課 )
七八八
七八五
七八三
七八二
七八一
七七八
日満共同建設方策
三五
満洲 国陸 軍 指導 要 綱 (改 正案 )(陸 軍省 軍 事 課 )
第 三節
三六
三八
三七
満 洲 国 に於 け る帝 国 の治 外 法 権 の撤 廃 及 南 満 洲鉄 道
治 外 法 権 撤廃 要 綱 案 (陸 軍 省 軍 務 局 )
日満 経 済 共同 委 員 設置 に関 す る協 定
同 盟 国 軍 隊 ノ駐 屯 ニ伴 フ軍 事 法 規 適 用 等 ニ関 ス ル件
附 属 地行 政 権 の調 整 乃 至 移譲 に関 す る閣 議 決定
三九
四〇
四 一 満 洲 国 に お け る 帝 国 の治 外 法 権 の 撤 廃 及 南 満 洲 鉄 道
四四
四三
四二
今 井 軍務 局 長 よ り東條 関東 憲 兵 隊 司令 官
満 洲 国 概 観 (陸 軍 省 軍 務 局 )
軍 務 局 長 よ り 板 垣 参 謀 副 長 への懇 談 事 項 (満 蒙 政 、経 関 係 )(陸 軍 省 軍 務 局 )
満 洲 に駐 屯 す る 日本 国 軍 の軍 事 関係 法 規 適 用 に関 す る公換 公 文
附 属 地行 政 権 の調整 乃 至 移 譲 に関 す る実 行方 針 の件 ( 閣議決定)
四五
四八
四七
四六
対 満 重 要 国策 の確 立 に関 す る件 (陸軍 省 部 戦 争 指導 課 研 究案 )
川島 陸 軍 大 臣 の松 岡満 鉄 総裁 と の対 談 要綱 案 (陸 軍省 軍 務 局 )
同右 席 上 ﹁ 満 洲 関 係 の質 問 応 答 ﹂
満 洲 経済 建 設 に関 す る陸 軍 次 官 の懇 談 要 旨
に対 す る懇 談 事 項 (満 蒙 関 係 )(陸 軍 省軍 務 局 )
四九
七九〇
七九二
七九四
七九六
七九七
七九九
八〇一
八〇三
八一二
八一四
八一六
八一八
八二〇
資 料 解 説
一 蘆 溝 橋 事 件 ま で の日中関 係 と対華 政 策 の変 遷
一 廣 田外交 の登 場
一九 三 二年 (昭和 七年 ) の 五 ・ 一五事 件 は 犬 養 毅 の政 友 会 内 閣 を倒 し た 。 そ し て これ に代 った のは 五月 二十 六 日 に成
立 し た海 軍 大将 齋藤 實 の挙 国 一致内 閣 で あ った。 一九 二 四年 (大 正十 三年 ) の護 憲 運 動 以来 、漸 く軌 道 に乗 った か に見
え た 日本 の政党 政 治 は、 こ こに 軍部 を 中 核 とす る右 翼 拾頭 の嵐 の前 に、 脆 く も崩 れ去 って、 そ の根 底 の浅 さ を暴 露 し た。
新 内 閣 の外 相 に は、 軍 部 の受 け の よ い外 交界 の長 老 内 田康 哉 が は じ めか ら 予定 さ れ て いた が、 彼 は当 時満 鉄総 裁 の要 職
に いた の で、 そ の帰 国 ま でを齋 藤 首 相 の兼 摂 で つな ぎ 、 七 月 六 日 に内 田外 相 の就 任 を迎 え た。
内 田は 明治 末 年 か らす でに 三代 の内 閣 で外 相 の経 験 を も ち、 そ の間 原 敬内 閣 では シベ リ ア出 兵 問題 を処 理 し た 。 そ の
他 ロシ ア大 使 と し ては 同 地 の革 命 を 目撃 す る機 会 に恵 ま れ、 一九 二 八年 に は ケ ロ ッグ不戦 条 約 に 日本 を代 表 し て調 印 し、
三 一年 には大 連 で満 洲 事変 を迎 えた 。 し か し彼 は こ の豊 富 か つ貴 重 な体 験 の中 から彼 独特 の外 交 理念 を生 み出 す こと を
知 らな か った。 彼 は いつで も時 流 の同 調者 で あ った ば かり か、 そ の外見 に由 来 す る アダ名 の ﹁ゴ ム人 形 ﹂ のよ う に、 一
っと も端 的 に暴 露 し た。 事 変 勃 発 当時 満 鉄 総 裁 であ った彼 は、 た ち まち 関 東 軍 に 同 調 し、 し かも そ の依 頼 を受 け て、 老
度 あ る方向 に はず み出 し た ら、 そ のま ま ど こま で行 く か分 ら ぬ危 さ が あ った 。 そ の こと を彼 は満 洲事 変 以 後 にお い ても
躯 を ひ っさげ 上 京 し 、西 園 寺 元 老 そ の他 の政 界有 力者 に関 東 軍 の主 張 を 代 弁 し て、彼 らを あ き れ さ せ た の であ る。
そ も そ も こ のよう な人 物 を 外 相 に迎 え ねば な ら な か った齋藤 内閣 自 体 に問 題 が あ る の だ が、 と も か く外 相 就 任後 の内
田 は いよ いよ ゴ ム人 形 ぶり を 発揮 し 、同 年 八月 二十 五 日 の彼 の議 会 での ﹁国 を 焦 土 にし ても ⋮ ⋮﹂ と いう 答 弁 か ら、 彼 の外 交 に ﹁焦 土 外交 ﹂ の異 名 が贈 ら れ た。
そ れ か ら 二日後 の八月 二十 七 日 に斎 藤 内 閣 は ﹁国際関係よリ見たる時 局処理方針案 ﹂( 本書四頁以下)を 閣議 決 定 し た ° こ れ
は満 蒙 経略 を、 これよ り 先 三月 十 二 日 に前 内 閣 が閣議 決 定 し た ﹁満蒙問題処理方針要綱﹂(本書三頁)に委 ね つ つ、 そ れ 以 外
の中 国 本 部 、国 際 聯 盟 お よび 列 国 に 対す る方 針 を規 定 し たも の であ つた。 し かし そ の内 容 は、 ﹁要 綱 ﹂ の部 分 で は 武 力
政 策 の放棄 と列 国 と の協 調 を謳 いな がら 、 ﹁別 紙 ﹂ の中 では中 国 の分 治策 を標 榜 し てお り 、要 す る に矛盾 に 満 ち た 一片 の作 文 に過 ぎ な い。
や が て こ の内 閣 は九 月 に満洲 国 を承 認 し 、 翌年 三月 には 国際 聯 盟 を脱 退 し た。 一方 、 関 東 軍 は 三 三年 二月 に熱 河作 戦
って、 関内 であ る河北 省 東 北 隅 を準 満 洲 国化 す る素 地 を築 いた。 こ れら の行動 は前 記 閣 議 決 定 の武 力 放棄 と 列国 と の協
を 実 施 し て満 洲 国 の南 方 領 域 を確 保 し 、 さ ら に〓 東作 戦 と関 内 作 戦 を 続行 し た結 果 、 中 国 軍 か ら塘 沽 停 戦 協 定 を奪 いと
調 に は 明 ら か に背 反す る のだ が、 関東 軍 には こ れを顧 る いとま がな く 、協 調主 義 と 矛盾 す る政 策 を 一方 でみ と め て いる よう な政 府 にも これ を阻 止 す る力 のあ る はず がな か った。
や が て内 田外 相 は老 齢 を理 由 に退陣 し、 三十 三 年 (昭和 八年 ) 九 月 十 四 日、 代 って廣 田弘 毅 が外 相 に迎 え ら れ た。 廣
田 は就 任 早 々、 と く に米 ・中 ・ソ三国 と親 善 を は か る こと を宣 言 し 、焦 土 外 交 に代 る和 協 外 交 を 標 榜 し た。 当 時 、 日本
は 一九 三五年 開 催 予定 の ロンド ン軍 縮 会 議 を間 近 に控 え て、 対 米 事 前 工作 を対 日感 情悪 化 のさ な か に即刻 開 始 す る必 要
が あ り 、 ソ連 と は 北 鉄 (東 支 鉄 道 ) 買 収 問 題 を は じ め 、 山 積 す る 懸 案 を 解 決 し て、 ソ 満 国 境 の兵 備 緩 和 を は か ら ね ば な
ら な か った 。 ま し て や 満 洲 事 変 以 来 、 全 く デ ッド ロ ッ ク 状 態 の中 国 と の 関 係 を 少 し で も 緩 和 す る 必 要 は いう も さ ら な り
で あ った 。 そ の点 、 さ す が に 、 同 じ は え ぬ き の外 務 官 僚 の 中 で も 、 内 田 な ど と 違 って 能 吏 廣 田 の 外 交 感 覚 は 、 こ れ ら 三 国 と の協 調 の重 要 性 を と ら え て誤 ら な か った 。
廣 田 は 齋 藤 内 閣 の 外 相 就 任 を は じ め と し て 、 一九 三 四 年 七 月 八 日 成 立 の 岡 田 啓 介 内 閣 に も 外 相 と し て留 任 し 、 三 六 年
三 月 九 日 に は 二 ・二 六 事 件 の後 を 承 け て 自 ら 組 閣 し 、外 相 に は 有 田 八 郎 を 迎 え た 。 (四 月 二 日 就 任 ) し か し 有 田 に は 、と
り た て て い う ほ ど の経 綸 は な か った か ら 、 こ の 八 カ 月 の外 交 は や は り 廣 田 首 相 が 主 宰 し た と 考 え な け れ ば な ら な い。 廣
田 内 閣 に 次 い で 三 七 年 二 月 二 日 成 立 の 林 銑 十 郎 内 閣 で は 、 佐 藤 尚 武 外 相 (三 月 三 日 就 任 ) が 登 場 し て 、 対 華 再 認 識 論 な
ど を 唱 え た が 、 わ ず か 三 カ 月 の在 任 で 、 こ れ と い って 実 績 を あ げ る いと ま も な く 、 六 月 四 日 第 一次 近 衛 (文 麿 ) 内 閣 成
立 と 共 に 、 又 も や 外 相 の バ ト ン を 廣 田 に渡 さ な け れ ば な ら な か った 。 そ の後 廣 田 は 翌 年 五 月 二 十 六 日 ま で 外 相 の座 を 占
め た の だ か ら 、 一九 三 三 年 か ら 数 え て 約 六 年 間 の 日 本 外 交 は 、 ほ と ん ど 全 く 廣 田 の 掌 握 下 に あ った と い って よ い。
か く て 一九 三 五 ・六 年 の危 機 と 盛 ん に 呼 号 さ れ た こ の 重 大 時 期 に 日 本 外 交 を 担 当 し た 廣 田 で あ った が 、 果 し て彼 は ど
こま で 和 協 外 交 と いう 彼 の 最 初 の ス ロ ー ガ ン を 具 体 化 す る こ と が で き た か 。 彼 は 一九 三 五 年 三 月 二十 三 日 、 一年 九 ヵ月
に お よ ぶ 難 交 渉 の あ げ く 、 ソ連 か ら 北 鉄 を 買 収 す る こ と に 成 功 し た 。 恐 ら く こ れ は 廣 田 外 交 が あ げ 得 た 唯 一の具 体 的 成
果 で あ った 。 し か も こ の 成 果 も 、 た し か に 一方 で は 険 悪 な 日 ソ関 係 に 点 じ ら れ た か す か な 光 明 で あ り 得 た に し て も 、 他
方 、 皮 肉 に も こ の年 は ソ 満 国 境 で の 紛 争 発 生 件 数 が ひ と つ の ピ ー ク を 形 成 し た と いう 事 実 が あ り 、 決 し て 日 ソ交 渉 史 上
に お け る こ の成 果 を 過 大 評 価 し て は な ら な い の で あ る 。 ア メ リ カ に 対 し て 廣 田 は 、 一九 三 三 年 十 二 月 に 齋 藤 博 を 大 使 と
し て 送 った 。 齋 藤 は た し か に 単 な る 外 務 官 僚 で あ る 以 上 に 、 な に も の か を 持 った 人 物 で あ り 、 後 年 彼 が 任 地 で客 死 し た
と き 、 ア メ リ カ 政 府 が わ ざ わ ざ 軍 艦 を 仕 立 て て遺 体 を 送 還 し て く る ほ ど 、 ア メ リ カ 人 の 間 に も 信 用 が あ つ た 。 廣 田 は こ
の 齋 藤 を 介 し て 、 翌 三 四 年 の は じ め ハ ル国 務 長 官 と の間 に メ ッセ ー ジ を 交 換 し た 。 し か し こ れ は 内 容 (外 務 省 編 ﹁日 本
外 交 年 表 並主 要 文 書
下 巻 ﹂ 二 七 八 頁 ) を 一見 す れ ば 明 ら か な よ う に 、 互 に相 手 国 に 対 す る 善 意 を 表 明 す る た め の 通 り
一遍 の挨 拶 に 過 ぎ な か った 。 し か も 廣 田 が 、 次 第 に悪 化 す る 日 米 関 係 の打 開 に つ い て、 こ れ 以 上 に積 極 的 で あ った こ と を 知 ら な い。
と こ ろ で 廣 田 和 協 外 交 の主 た る 対 象 は 中 国 で あ った 。 そ こ で こ こ に し ば ら く 彼 の 対 中 国 外 交 の 足 跡 を た ど る こ と に す る。
廣 田 を 迎 え て か ら のち の 齋 藤 内 閣 が 、 は じ め て そ の外 交 政 策 を 打 出 し た の は 、 十 月 二 十 日 の 総 理 ・外 ・蔵 ・陸 ・海 の
五 相 会 議 に お い て で あ った よ う で あ る。 こ の 五 相 会 議 決 定 の 内 容 は 、 前 掲 の ﹁日 本 外 交 年 表 並 主 要 文 書 ﹂ (下 巻 二 七 五
頁 頁 ) に 採 録 さ れ て い る の で 、 幸 い わ れ わ れ は こ れ を 知 る こ と が で き る し 、 ま た そ の決 定 が 翌 二 十 一日 の 閣 議 で 、 廣 田
外 相 の報 告 に 基 い て決 定 さ れ た こ と も 同 書 が 伝 え て い る 。 と こ ろ で 、 こ の 決 定 に 到 達 す る に は 、 恐 ら く 何 回 か の 五 相 会
議 の反 復 が 必 要 だ った に 違 いな い し 、 ま た そ の席 へ早 く か ら 外 務 は も と よ り 、 陸 海 両 軍 か ら も そ れ ぞ れ 各 自 の主 張 や 方
針 を 織 込 ん だ 案 を 持 ち こ ん だ こ と も 、 疑 い の な い と こ ろ で あ る。 九 月 二 十 五 日 決 定 の ﹁海 軍 の対 支 時 局 処 理 方 針 ﹂ ( 本書九
頁。以下括弧内の頁 は本書 の頁)十 月 二 日 の 陸 軍 の ﹁ 帝 国 国 策 ﹂ 案 (同 一一頁) ﹁昭 和 八 年 十 月 二十 日五 相 会 議 に 於 け る陸 軍 側 提 示 ﹂(同
一四頁 )な ど は す べ て そ う い った 意 味 で の作 文 だ と 見 る べ き だ ろ う 。 そ の中 で海 軍 の そ れ は 、 排 日 運 動 の 結 果 次 第 で は 中
国 に 対 し 実 力 行 使 も 敢 て辞 す る と こ ろ で な いと 強 気 を 見 せ て い る 点 が や や 注 目 を ひ く 程 度 で 、 そ れ 以 外 に と り た て て い
う ほ ど の こと は な い。 と ころ が陸 軍 の ﹁帝 国 国 策 ﹂案 に な る と、 これ は どう し てな かな か の代 物 で あ る。 こと に 九月 二
十 二日 の案 は、 米 ソ両国 に対 し て 一戦 を辞 せず 、 英 国 は 対米 開 戦 初 期 に、米 国 側 に立 た せず 、 中国 も 少 く と も そ の時
期 に は 一定 期 間 中 立 を守 ら せ ると 真 っ向 か ら頗 る強 気 で あ る。 十 月 二日 の案 も 、 語 句 は や や曖 昧 化 され て いる が、趣 旨
は少 しも 変 らず 、 こと に 一九 三 六年 前 後 に対 米 ソ戦 備 の完 璧 を期 し、 国 内 諸 施 策 を そ の 一点 に凝集 す る と いう 点 は 、 二
十 二 日案 そ のま ま であ る。 さら に陸 軍 側 は ﹁昭和 八年 十 月 二十 日 五相 会 議 に於 け る陸 軍側 提 示 ﹂ の中 で ﹁国 家 の憂 は 此
に存 す ﹂ ると ころ の未 確 立 の対国 内 策 を 確 立す る 必要 を も 五 相会 議 に提 示 す る決 意 を し めし 、 さら に そ れ は 五相 会議 後
の十 月 三十 日 に ﹁対内国策樹立に関する国防上の要望 ﹂(本書 一五頁)と し て陸 軍 省 軍 事 課 に よ り 具体 化 さ れ、 ﹁皇 国 精 神 に立 脚す る思 想 の純 化 に依 り、 全 国 民 の団 結﹂ を強 化 す べき こと が強 調 され た。
さ て、 十 月 二十 日 に至 るま で の何 回 か の五相 会 議 と 、 翌 二十 一日 の閣議 にお いて、 廣 田は 以 上 の よう な陸 軍側 攻 勢 と
の対決 を迫 ら れた ので あ る が、 廣 田 は 一応 国 際 関 係 は世界 平 和 を 念 と し 、外 交 手 段 で日 本 の主 張 を 貫 徹 す べき こと、 国
防 は 外 国 か ら の脅 威 と 外侮 を受 け な い範 囲 で国 力 と調和 す べ き こと、 の 二項 を申 合 させ る こと に成 功 し た 。 こ の申 合 せ
おお も の
と 前掲 の陸 軍 側 提 案 と が相 反 す るも の であ る ことは 一目 瞭然 だ が、 そ れは 廣 田 が老 財 政 家高 橋 (是 清 ) 蔵 相 と結 び、 ま
だ大 物 化 し て いな か った荒 木 (貞 夫 ) 陸 相 を 土俵 の外 に押 切 ってあげ た勝 星 だ と いわ れ て いる。 し か し こ の 二項 目 の具
体 策 、 こと に 対中 国 方 策 の段 に な ると 、 廣 田和 協 外 交 内 部 に含 ま れ る決 定 的 な矛 盾 が指 摘 さ れな け れば な ら な い。 そ の
中 で彼 は た し か に中 ・ソ ・米 三国 と の親 善 関 係樹 立 をと な え て いる のだ が、 一方 で は ﹁帝 国 の指導 の下 に、 日満 支 三国
の提 携 共 助 を 実現 す る こと ﹂ (傍 点 筆者 )が表 明 され た。 ま た中 国側 が現 実 に誠 意 を し め せば 、日 本側 も こ れ に応ず る好
意 的 態 度 を と るべ き こと だと い いな が ら、 他 方 で は ﹁一般 的 には彼 を し て反 日 政策 を放 棄 し 、 排 日 運動 を根 絶 せし む る
た め 、常 に厳 粛 な る熊 度 を も って これ に臨 ﹂(傍 点 筆 者 ) む こと が必 要 だと し 、﹁苟 も わ れ にお いて両 国関 係 の改 善 を焦
る が ご と き印 象 を 与 ふ る は こ れを避 く る を要 す ﹂ と 結論 し た。 駆 け出 し の荒 木 陸 相 を圧 倒 し た のは 、少 く と も中 国 に関
す る 限り 、 真 の和 協 外 交 で はな く 、 こ のよう に対 華優 越 感 に満 ち 満 ち た ﹁和 協 ﹂ 外交 で あ った のだ 。
さ ら に、 こ の年 の六月 以 来 、 陸 ・海 ・外 三省 の関 係課 長 の間 で協 議 が続 けら れ、 十 二月 七 日 に、 前記 五相 会 議 決 定方
針 の具体 案 と し て ﹁対支政策に関する件﹂(本書二二頁)が つく ら れ た。 こ れは ひと つの対 華 覚 書 であ り、そ の中 で当 然 の こと
な がら 、 五相 会 議 決 定 の包 蔵 す る矛 盾 は遺 憾 な く 再 現 さ れ た。 そ の ﹁趣 意 ﹂ の部 の最 初 に 対華 政 策 の根 本義 とし て ﹁イ
支 那 を し て帝 国 を中 心 と す る日満 支 三国 の提 携 共 助 によ り東 亜 に於 け る平 和 を確 保 せん とす る帝 国 の方 針 に追 随 せし む
ると 共 にロ 支 那 に対す る我 商 権 の伸 張 を期 す ﹂ と謳 い、 そ の実行 に つ いては 、 こ の際 、 中 国 政 局 の自 然 の推 移 に 逆 行
す る無 理 な措 置 を避 け 、漸 進 主 義 を と るべ き こと が主張 さ れ た。 これ は ま だ し もな のだ が、 ﹁方策 要 綱 ﹂ の部 の中 で、と
た ん に 態 度 を 硬 化 し 、 数 々 の具 体 的 強 硬 方 針 が そ こ に 盛 ら れ た 。 こ と に の ち の天 羽 声 明 や 華 北 分 治 に つな が る 構 想 が打
天
羽 声
明
出 さ れ て い る (一の、ハ 、三 、 四 ) こ と を 注 目 す べ き だ ろ う 。
二
一九 三 四 年 四 月 十 七 日 、 ﹁天 羽 声 明 ﹂ が 発 表 さ れ た 。 こ れ は 外 務 省 情 報 部 長 天 羽 英 二 の 名 に よ る 、 中 国 問 題 に つ い て
の 外 務 省 非 公 式 声 明 で あ り 、 内 容 が 日 本 の ア ジ ア モ ン ロ ー主 義 類 似 の も の で あ った た め に 、 国 の 内 外 に 意 外 に大 き な 波 紋 を広 げ た。
一口 に天 羽 声 明 と い っ て も 、 事 実 は 四 月 十 七 日 に記 者 団 定 期 会 見 の席 上 で 、 天 羽 情 報 部 長 が 最 初 の 声 明 を 発 表 し て か
ら (﹁天 羽 英 二情 報部 長 の非 公 式 声 明 ﹂)( 二五頁 )そ の の ち 二 回 の 改 訂 が あ った の で あ る 。第 一回 の そ れ は 同 月 二十 日 天 羽 が 外
人 記 者 団 と の定 期 会 見 で 、 今 回 の 声 明 は 一日 の議 会 に お け る外 相 演 説 の 内 容 を 敷 術 し た に 過 ぎ な い と いう 註 釈 付 き で 、
提示したも の ( ﹁昭 和 九 年 四 月 二十 日 の外 人 記 者団 に対 す る 声 明﹂ ( 二七頁)で あ り 、 第 二 回 の そ れ は 廣 田 外 相 か ら ﹁昭和 九 年 四
月 二十 六 日英 米 大 使 に 手交 の声 明 ﹂(二九頁 ) で あ った 。 こ れ ら の改 訂 版 が 、 海 外 、 こ と に 英 米 に お け る 思 わ ぬ 大 き な 反 響
に 鑑 み て、 あ わ て て 次 第 に内 容 を 緩 和 し た も の で あ る こ と は 、 グ ル ー 米 国 大 使 が 鮮 か に 指 摘 し た 通 り で あ った 。 (グ ル ー ﹃滞 日 十 年 ﹄ 上 巻 一七 三 頁 以 下 )
天 羽 声 明 の 内 容 は 、 実 際 に は 廣 田 の議 会 演 説 に 基 づ く も の で な く 、 四 月 十 三 日付 、 廣 田 外相 発 、有 吉 (明 )駐 支 公 使 あ て の
暗 第 一〇 九 号 電 (三二頁) か ら 第 五項 だ け を 除 いた も の の焼 直 し で あ り 、 要 す る に 当 時 行 な わ れ つ つ あ っ た 列 国 の 対 華 援
助 、 と り わ け 国 際 聯 盟 の 対 華 国 際 合 作 に 対 す る 日 本 の 反 撥 を し め す も の で あ った 。 国 際 聯 盟 と 中 国 と の間 に 、 建 設 に関
す る協 力 関 係 、 つま り 国 際 合 作 が 成 立 し た の は 、 一九 三 一年 の 六 、 七 月 ご ろ 、 す な わ ち 満 洲 事 変 の前 夜 で あ った ° そ し
て 同 年 十 月 に は 衛 生 部 長 ラ イ ヒ マ ンを 、 つ づ い て 前 財 政 部 長 ソ ル タ ー や 元 事 務 局 次 長 モ ネ ー ら を 聯 盟 か ら 中 国 に 送 り 、
中 国 側 の 受 入 れ機 関 で あ る ﹁全 国 経 済 委 員 会 ﹂ (宋 子 文 が そ の 中 心 ) と 合 作 し て 、 具 体 的 に 中 国 の 再 建 に と り か か った 。
し か し こ の 合 作 は 、 最 初 の触 れ こ み に も か か わ ら ず 、 思 った ほ ど の 成 果 は あ げ ら れ な か った よ う で あ る 。 例 え ば 技 術 合
は か り 、 外 国 の有 力 財 団 を 加 え て 、 中 国 に 国 際 的 一大 コ ー ポ レ ー シ ョ ン を 設 立 す る つも り だ った と いう が 、 現 実 に は 一
作 な ど も 、 主 と し て資 金 難 か ら 、 道 路 建 設 以 外 に は ほ と ん ど 見 る べ き も の が な か った 。 モ ネ ー な ど も 、 最 初 は 宋 子 文 と
九 三 四 年 六 月 に 、 中 国 資 本 と の合 作 を 目 的 と す る 外 資 導 入 機 関 と し て 、 ﹁中 国 建 設 銀 公 司 ﹂ を 設 立 す る こと し か で き な
か った 。 そ し て こ の銀 公 司 は 、 国 民 政 府 財 政 部 や 宋 子 文 ・蒋 介 石 な ど を 背 景 に 、 お よ そ 中 国 の 有 力 な 投 資 事 業 と あ れ ば 、
こ と ご と く そ の手 中 に お さ め る と いう 触 れ こ み だ った が 、 こ れ も 実 際 に は 滬 杭 甬 (上 海 ∼ 杭 州 ∼ 寧 波 ) 鉄 道 続 借 款 割 込 み に 成 功 し た だ け だ った 。
聯 盟 と 中 国 と の合 作 の動 き に 、 日 本 の外 務 省 が 神 経 を 尖 ら せ は じ め た の は 、 モ ネ ー構 想 が 練 ら れ つ つ あ った 一九 三 四
(彌 吉 郎 ) 南 京 総 領 事 を 来 訪 し て、 日 本 の 郵 便 貯 金 総 額 四 億 円 中 か ら 、 二 億 円 を
年 三 月 ご ろ で あ った 。 そ し て そ の 対 策 に頭 を 悩 ま せ て い た と き 、 モ ネ ー の案 は 必 ず し も 日 本 を 排 除 す る も の で な いと い う 情 報 が 入 った 。 例 え ば モ ネ ー は 須 磨
対 華 借 款 に 充 当 す る こ と を 勧 告 し た の で あ る (須 磨 氏 の筆 者 への 談 話 )。 し か し 、当 時 の 日 本 の財 界 は 、内 地 と 満 洲 に 対
す る 投 資 で 手 い っぱ い の あ り さ ま だ った し 、 た と え 余 裕 が あ って も 、 当 時 の 日 中 間 に た だ よ う 険 悪 な 空 気 の中 で の 対 華
投 資 は 至 難 で あ った 。 須 磨 は 前 記 の モ ネ ー 提 案 を 携 え て 帰 国 し 、 廣 田 外 相 と も 協 議 の 上 、 高 橋 蔵 相 に 面 接 し て 、 こ れ を
受 入 れ る よ う 進 言 し た が 、 高 橋 は た だ ひ と こ と ﹁無 い袖 は 振 れ な い ﹂ と 答 え た だ け だ った と いう 。 老 財 政 家 の 一壮 年 外
交 官 に 対 す る 、 こ の 一言 の中 に 、 当 時 の投 資 難 の あ り さ ま が 、 ま さ に集 約 的 に 表 現 さ れ て い る と い え る だ ろ う 。 結 局 、
外 務 省 が と り あ げ た 対 策 は 、 中 国 側 と 第 三 国 側 に 対 し て 虚 勢 を 張 る と いう こ と で あ った 。 こ の よ う な 虚 勢 は 、 当 時 の 日
本 の政 治 家 、 官 僚 軍 人 等 々 に 共 通 の も の で あ った が 、 そ の 背 後 に は 満 洲 事 変 、 国 際 聯 盟 脱 退 以 来 彼 ら を 襲 った 、 極 端 な
焦 燥 感 、 孤 立 感 と 、 そ れ と ほ と ん ど 同 量 の 優 越 感 と が 複 雑 に 交 錯 し て い た 。 三 月 十 七 日付 、 廣 田 か ら須 磨 への暗 第 三六号 電
(三 一頁 )十 九 日 付 、 廣 田 か ら 英 ・米 ・中 ・満 駐 在 の大 公 使 と 、須 磨 を 除 く 中 国 在 勤 の 総 領 事 全 員 に 対 す る 、暗 第 三 〇 二 号 、
三 〇 三号 、 三 〇 四 号 の各 電 (三〇頁以下) は 、 いず れ も こ の よ う な 虚 勢 の 表 示 だ った の で あ る。
そ の ほ か に 、 当 時 の 日 本 を 刺 戟 し た の が 、 米 国 の 中 国 航 空 界 進 出 で あ った 。 日 本 は 以 前 か ら 中 国 航 空 路 が 米 国 系 の中
国 航 空 公 司 の支 配 下 に あ る こ と を 快 く 思 っ て い な か った が 、 一九 三 四 年 二 月 に な り 、 中 国 側 が 福 州 と 厦 門 に大 飛 行 場 建
設 を 計 画 し 、 こ れ が 日本 を 対 象 と す る も の だ と か 、 建 設 費 は 棉 麦 借 款 ( 一九 三 三 年 五 月 二 十 九 日 、 欧 米 派 の宋 子 文 が 米
国 と の間 に 成 立 さ せ た 五 千 万 ド ル の 借 款 ) に よ り 支 弁 さ れ る の だ と か 、 米 海 軍 が 関 与 し て い る の だ と か 、 種 々 の情 報 が 流 れ た の で 、 日 本 側 が神 経 質 に な った の で あ った 。 (﹁米 国航 空 勢 力 の対 華 進 出﹂ 五四頁)
このよ う な国 際 合 作 に対 す る モネ ー ら の動 向 と 、中 国 航 空 界 に対す る米 国 の進出 と に 対し 、 日 本 が と ろう と す る虚勢
的 姿 勢 に つき 、 改 め て 廣 田 外 相 か ら 有 吉 公 使 に指 示 し た の が、 天 羽 声 明 の 母 胎 と な った 暗 第 一〇 九 号 電 で あ った 。
天 羽 声 明 が 中 ・英 ・米 ・仏 ・独 ・ソ ・ジ ュネ ー ヴ に 、 そ れ ぞ れ ど の よ う な 反 響 を 与 え た か に つ い て は 、 本 書 の ﹁声 明
の列 国 にお け る 反 響 ﹂(三四頁 以下) が 明 ら か に し て く れ る 。 国 に よ り 、 そ の受 取 り 方 に 多 少 の ニ ュ ア ン ス の違 い は あ る が 、
要 す る に こ の 声 明 が ア ジ ア モ ン ロ ー主 義 だ と いう 印 象 を 与 え た こ と と 、 そ れ が 廣 田 ・ ハ ル交 歓 の 直 後 に為 さ れ た 点 に 問 題 が絞 ら れそ う で あ る。
天 羽 声 明 に 関 し て今 ま で 天 羽 情 報 部 長 が 適 当 に 非 難 さ れ て い る き ら い が あ る 。 天 羽 の よ く な い点 は 、 あ の と き 、 あ の
よ う な 形 で 、 し か も 大 臣 ・次 官 は も と よ り 、 東 亜 局 に も 事 前 連 絡 な し に 機 密 事 項 を 洩 し た こ と で あ る 。 し か し 、 そ の こ
と と 、 こ れ が 列 国 の 鋭 い 批 判 を 受 け た り 、 そ の後 二 度 も こ れ を 改 訂 し て 、 醜 態 を さ ら し た り し た こ と の責 任 を 混 同 し て
は な ら な い。 そ の 方 の責 任 は 、 表 に ﹁和 協 ﹂ を 掲 げ な が ら 、 底 に 幾 多 の 矛 盾 を 含 む 廣 田 外 交 が、 当 然 負 わ な け れ ば な ら な いの であ る。
そ の 後 、 七 月 三 日 に 齋 藤 内 閣 は 、 い わ ゆ る 帝 人 事 件 の 大 蔵 省 内 波 及 に伴 な う 綱 紀 問 題 を 理 由 に 辞 表 を 提 出 し て 、 瓦 解
し た 。 そ し て 同 月 八 日 、 同 じ く 海 軍 大 将 岡 田 啓 介 の 内 閣 が 成 立 し 、 廣 田 は 外 相 と し て留 任 し た 。 (陸 相 に は す で に 同 年
一月 二 十 三 日 以 来 、 荒 木 に 代 っ て陸 相 の 座 に い た 満 洲 事 変 の ﹁越 境 将 軍 ﹂林 銑 十 郎 が留 任 し た 。)従 って 内 閣 の 交 代 に も
か か わ らず 、 廣 田外 交 の路 線 は 不 変 であ った。
か く て 一九 三 四年 は 、思 いの ほ か平 静 の中 に暮 れた 。 そ れ は 、中 国 側 が同 年 八 月 の廬 山 会 議 以来 、 採 用 に踏 切 った と
いわ れる 対 日親 善 の方 針 を 依然 持 続 し、 日本側 も満 洲 国 の育 成 と 、塘 沽 停 戦 協 定 の善 後 処 置 に忙 殺 さ れ て、 関 東 軍 が暴
走 を さし ひ か え た か ら であ った。 し かし 、 だ か ら と い って、 こ の年 の平 静 が手 放 し の平 静 であ ると いう わ け には いか な
か った 。 中 国側 の態 度 は別 と し て、 日本 側 の関東 軍 と、 そ れ への対抗 意 識 に燃 え る支 那駐 屯 軍 の野 望 が根 絶 さ れな い限 り 、 そ れ が内 部 に幾 多 の危機 を は らむ 平 静 であ る こと はや む を得 な か った 。
そ の上 、廣 田 は ﹁和 協 ﹂ の看 板 を 掲 げ た も の の、 そ の後 何 ら 具体 的 な措 置 を 講 じ な か った。須 磨 南 京 総 領 事 は こ れに
つ いて ﹁問 題 は着 眼 や対 策 の出 来 不 出 来 にあ る のでな く、 こ れら を 如何 に し て速 に実行 に移 し ゆ く か に存 す る。 然 るに
非 常 時 対 策 決 定後 既 に 二 ケ月余 を経 過 す る今 日、 依然 何 等 具 体 的 措置 の講 ぜ ら れあ るを見 な いのは 、如 何 にも 物 足 ら ぬ
感 じ がす る次 第 であ る。﹂(﹁対支静観主義放棄論﹂(一六頁) 。 この 一文 は 一九 三 三年 末 の起 草 と 推 定 ) と述 べ た が、 こ の状
態 は少 く と も 三 四年 い っぱ いは 続 け ら れ た。 これ は、 日中 関 係 のガ ンで あ る満 洲 国 問 題 のた め に冷却 期 間 を設 けた こと
を意 味 し 、 そ れ ゆ え に 三 四年 の平 静 もあ った のだ と いえば いえな い こと は な いが、 冷却 期間 には 当 然 次 の躍 進 が準 備 さ
れ て いな け れば な ら な い。 ま た 当時 の中 国 に、果 し て須 磨 の いう よ う な列 国共 管 や赤 化 の危 機 が迫 って いた かど う かは
別問 題 と し て、 と に か く い つま でも これ を放 置 でき な い条 件 が、 そ こに いく つかあ った こと は前 述 の通 り であ る。 そ の
日中 両 国 の大使 交 換
意 味 で 一九 三四 年 の平 静 は、 無為 無 策 の平 静 だ った と いえ る だ ろう 。
三
翌 一九 三 五年 (昭 和 十 年 ) の 一月 か ら 四月 ま で の日中 関 係 は 、互 いに相 手 の腹 の中 を 探 り あう 時 期 だ った 。 まず 一月
二十 二日 の議 会 演 説 で廣 田外 相 が日 中親 善 を呼 び かけ た のには じま り 、 そ の後 二月 一日 に蒋 介 石 が ﹁日本 の真 意 を信 ず
る﹂ と いう 声 明発 表 を 行 な い、 同月 二十 日 には 汪 兆銘 が中 央 政 治会 議 に おけ る演 説 と 対外 声 明 で、 日 中互 助 提 携 の必要
を 説 き 、 一方 同 日廣 田が衆 議 院 公 債 委員 会 で ﹁蒋 介 石 氏 の真 意 を少 し も疑 わ な い﹂ と声 明 し 、 三 月 一日 にも 廣 田は衆 議
院 決 算 委員 会 で、 中 国 の対 日態 度 転 向 は天 佑 であ るな ど と 述 べた。 こう し て両 国政 府 は、 こと さ ら声 を大 にし て、 相手
国 と自 国 民 に対 す る呼 び か けを 反 復 し 、 お も む ろ に国 交 調整 への瀬 踏 みを 行 な った の であ る が、 そ れ に つ いては 次 の三
こ の応 酬 が 一月 二十 二 日 の廣 田 の議 会 演 説 によ って口火 が切 ら れた こと は事 実 であ る。 し か しそ れよ り 先 の 一
点 に注 目す る必要 があ る。 一
月 十 五 日、 蒋 介 石 は有 吉 公 使 と 鈴 木 (美 通) 公 使 館附 武 官 に会 見 を申 入 れ た。 今 ま で に、武 官 は もと よ り公 使 に対
し てさ え、 蒋 の発 意 によ る会 見 が行 な わ れ た こと は な か った。 従 って これ は蒋 の対 日態 度 に、 画 期 的 変 化 を来 した
も のと 一般 に受 取 ら れ た。 ま た 一月 二十 一 ・二十 二日 の両 日、 汪 兆銘 と須 磨 南 京 総 領事 の会 見 が行 な わ れ た とき 、
須 磨 が一 排 日、 排 日貨 の根 絶 、 二 ﹁不 逞 ﹂鮮 人 の引 渡 し と そ の策 動 防 止 、 三 第 三国 か ら の顧 問 ・教 官 の招 聘 、 武
器 購 入、 資 本 輸 入 な ど を や め、 日本 と こ の種 の合 作 を行 なう こと の三 点 を要 求 し た のに 対 し、 汪 は 満 洲問 題 が 日中
親 善 の ガ ン であ る と前 提 し な がら も 、 これら の要 求 を頭 か ら拒 否 す る こと はし な か った 、と いう 事 実 があ る。 これ
双 方 のか け声 は勇 ま し か った が、 具 体 的 な折 衝 の段 にな って、 果 し て事 がそ れ ほど 簡 単 に運 ぶ と は思 わ れな か
ら か ら推 し て、本 当 の意 味 のイ ニ シ アチ ーブ は果 し て どち ら がと った と い ってよ いか分 らな い。 二
った。 一月 二十 九 日 の蒋 と 鈴木 武 官 、汪 と有 吉公 使 、 翌 三十 日 の蒋 と有 吉 公 使 と の会 談 にお いて、 チ ャ ハル省 境 で
の 日本 軍 の行動 ︱︱ 第 一次 熱 西 事件 ︱︱ に対 す る抗 議 が提 起 さ れ て いる し、 王 寵 恵 も 二月 二十 六 日 の廣 田外 相 と の
会 見 で、 日 中国 交 に関 す る三原 則 と し て、 一 平 和 的 方法 に よ る 日中 関 係 の処 理 、 二 対 等 の交際 (た と えば 不 平等
条 約 の撤 廃 ) 三 友情 に基 づく 交 際 (例 えば 中 国 側 の排 日取 締 り に対 し て、 日本 側 も 地 方 政 権 支 持 を や め、 華 北 で
衛 生 上有 害 な業 務 に従 事す る朝 鮮 人 の取 締 り を行 な う ) の三項 目 を提 示 し た が 、 これら は いず れ も 日本 側 によ って 容 易 に受 諾 さ れ る見込 み はな か った 。
三
廣 田外 相 は 単 に か け声 だけ で、何 ら有 効 な 手 は打 た な か った 。 これ に反 し、 中 国側 は 二月 に排 日取 締 り を発 令
し、 国 民 党 中 央 部 も 同月 末 に、 従来 排 日 世論 の指 導 に当 ってき た 宣 伝 部長 の邵元 冲 を 罷免 し て、 葉 楚 〓 を これ に代
え、 葉 か ら全 国 党 部 あ てに、 排 日行動 の停 止 を 命 じ た。 ま た中 国 側 は 四 月 二十 二 日 に郵 伝部 公 債 元 利 金 の支 払 い再
開 を受 諾 した のを手 は じ め に、 三 井 関 係財 政 部 印刷 局借 款 、 福 建省 に 対す る各 種 借 款 (臺 湾 銀 行 、 林熊 祥 、 王啓 澤
関係 借 款 およ び 中華 〓業 銀 行 関 係 借 款) 臺 湾 銀 行 対 江西 省 財 政 庁 竝 に同 省 中 国 銀 行 借 款、 日本 興業 ・臺 湾 ・朝 鮮 三
銀行 の対 交 通 部 二千 万 円借 款 、 東 亜 興業 の武 昌 竟 成電 燈 公 司 お よ び 鄭 州 明遠 電 燈 公 司 に対す る借 款 等 の整 理 を、 い
ず れ も年 内 に逐 次受 諾 し た。 これ ら は いず れも 日本 民間 か ら の債 務 で、 些末 な問 題 であ る と は いえ、 従 来 に見 ら れ な い中 国 側 の協 力 ぶ り がそ の間 に認 め ら れ た。
こ のよ う な 中 国 の態 度 が、 果 し て本 物 だ った のか 、 あ る いは擬 態 に 過 ぎ な か った の か は 分 ら な い が、 と に かく
蒋 ・汪 の ﹁親善 ﹂ に は、 廣 田 の ﹁和 協 ﹂ と 違 って、 絵 に か いた餅 以 上 の も の が確 か に あ った の であ る。
こう し て 日中 親善 は複 雑 な 様 相 を 呈 し つ つ、 た が い の腹 の探 り あ い の程 度 で推 移 し 、 五 月 に 入 って両 国 の大使 交 換 を
決 定 し た。 そ し て こ の こと に関 し ては 日本 が イ ニシ ア チ ーブ をと った 。 五 月 七 日 の閣 議 で在華 公 使 館 の大使 館昇 格 と 、
有 吉 公 使 の中 国 在 勤 大使 任 命 とを 決 定 し、 これを 中 国側 に通 報 す ると と も に、 国 民政 府 も 同時 に昇 格 を 実行 さ れ た いと
申 入 れ た。 中 国 側 は 異議 なく こ れ に応 じ て、 蒋 作 賓 を大 使 に任 命 し 、英 米 仏 独 四 カ国 も 日本 の勧 誘 を 容 れ て、 同 時 に中 国 と大 使 交 換 を 行 な った。 (イ タ リ ヤは す でに前 年 大 使 交 換 を実 施 )
中 国 側 が こ の措 置 を通 じ て、 日 本側 の好 意 を 感 じ と った こと は 事 実 であ ろう 。 し かし彼 ら はそ の当 局 談 の中 で ﹁今 次
の使 節昇 格 は 、 す な わ ち相 互 尊 重 の最 も 明瞭 な 表 示 であ って、 今 後 日 中 両国 一切 の問 題 は 、等 しく この種 の精 神 に基 き 、
相 互 利 益 の目的 達 成 を期 し て解 決 す べ き であ る。﹂ と つけ 加 え る こと を 忘 れな か った。 つま り彼 ら は、 今 回 の こ と を単
に偶 発 的 な 相 互 尊 重 の意 志 表 示 に終 ら せ る こと な く、 これを そ の後 の日本 の中 国 に対す る基 本 的 態度 のひ と つと し て諸
問 題 の解 決 に当 る べ き だと 一本釘 を さし た の であ る。 た し か に大 使 交 換 と いう こと は、 ど こか ら も あ まり 文 句 の出 そう
も な い無難 な形 式 的 ・儀 礼 的 措 置 であ り (陸 軍 側 から 時期 尚早 と いう 文 句 が出 た にし ても ) そ れ だ け に これ が、山 積 す
る 日中 間 の諸 問 題 解 決 に直 結 す ると は 限 ら な か った。 従 って、 これ に イ ニシ アチ ーブ を と った か ら と い って、 廣 田 外交
梅 津 ・何 應 欽 協 定 と 土 肥 原 ・秦 徳 純 協 定
の評点 を 上 げ る こと に は、 に わ か に賛 成 で き な いの であ る。
四
日 中両 国 の大 使 交 換 に象 徴 さ れ るよ う な外 務 側 の親 善 工作 に対 し 、 陸 軍側 、 こと に関 東 軍 側 は断 然 反 対 の態 度 に出 た。
彼 ら は これを 評 し て ﹁支 那 政 府 の今 次 対 日態 度 の変 更 は 、支 那 経 済 界 の衰微 特 に浙 江 財 閥 の窮 乏其 の極 に達 し た る に基
く こと 明 にし て、将 来 英 米 等 の徹 底 的援 助を 受 け 得 るか 、或 は西 南 派 を屈 服 せし む るを 得 た る場 合 に至 り ても 、尚 旧態
度 に復 帰 す る こと な き や は支 那 民 族 性国 民党 の歴 史 に徴 し甚 疑 な き能 はず 。﹂(三月 三十 日、 ﹁関東 軍 対支 政 策 ﹂) と 述 べ
た。 彼 ら の主 張 は 、中 国 側 の ﹁欺 瞞 ﹂ を ま っこう から粉 砕 し、 こ れを従 属 化 しよ う と いう ので あ った 。 一九 三 五年 一月
四 日、 関 東 軍 は首 脳 部 を 大 連 に会 同 し て ﹁大 連 会 議 ﹂ を開 き、 華 北 進出 を協 議 し たと 伝 え ら れ、 内 外 の注 目 を あ び た。
ま た同 じ日 に、 チ ャ ハル省 では 宋哲 元部 隊 の 一部 が、熱 河 省 の 一部 に進 入 し て、 いわ ゆ る 第 一次 熱 西 事 件 (七六頁参照)
が発 生 し 、 内蒙 古 に暗 雲 が低 迷 し た。 二月 に入 ると 、 奉天 特 務 機 関長 土肥 原 賢 二少 将 が中国 を視 察 し 、 三 月 四 日、 新 京
に帰 った 。 関東 軍 で は土 肥 原 の報告 を は じ め、 諸 種 の情 報 に基 づ き 、 三 月 三十 日 に ﹁関東 軍 対支 政 策 ﹂ を 決 定 し た。 そ
こ では まず 外務 側 の親 善 工作 に 対す る徹 底 的 批 判 を行 な い、 そ れ に続 け て、 華 北 と 華 南 の経済 支 配 を 目的 とす る 一貿 易
公 司 (大連 に本 社、 廣 東 に支 社 を お く) 設 立 の構 想 を 示 し、 実 質 的 に これ に活 動 を 行 な わ せ て、 必要 の場 合 に は、 本 社
に華 北 工作 の支 援 を 行 な わ せ れば、 国 民 政 府 は 親 日政 策 を とら な け れば な ら な いよ う に な る と説 く。 そ し てそ の結 論 と し て華 北 に 対 し、
一 停 戦 協 定 及 附 属 取極 事 項 等 に依 り 、 我既 得 権 を 公 正 に主 張 し、 以 て北 支 那 政権 を絶 対服 従 に導 く (傍 点 筆 者 )
二
将 来 民 衆 を 対象 とし て経 済 的 関係 を 密 接 不 可 分 な ら しむ る為 め、 綿 ・鉄礦 等 に対 し 、 産 業 の開 発 及 取 引 を 急 速
に促 進 す
の 二項 目 を施 策 す る こと を主 張 し、 西 南 に対 し て も、 中 央 側 に 対抗 し得 る ため 物質 的 援 助 を 極 秘 裡 に 与 え る こと 、 お よ
び将 来 、 南 方 の中 国 経済 を、 日本 の掌 中 に把 握 す る第 一歩 と し て、 必 要 な 経済 的施 設 を す る こと の 二 つを 目標 と す る こ
と に 決 め た。 さき の大 連 会 議 の内 容 は 今 日 不 明な の であ るが 、 そ こ で打 ち 出 さ れ た結 論 と、 こ の政 策 に盛 ら れた 方 針 と の間 に は 、両 者 決 定 の時 間的 関 係 か ら い って、大 差 がな いはず であ る。
こ のよう な 強 硬 方針 を ふま え て、出 先陸 軍 は こ の年 五 月 、 矢継 早 に 二 つの協 定 を中 国 側 に押 し つけ、 ま たも や華 北 に
塘 沽 停 戦 協 定 (一九 三 三年 五月 三十 一日成 立 ) と 同 一系 列 の既 成 事 実 を積 上げ た。 前者 が十 四 日成 立 の梅 津 ・何 應 欽 協 定 であ り 、後 者 が 二十 七 日 成立 の土 肥 原 ・秦 徳純 協 定 であ った。
梅 津 ・何應 欽 協 定 と いう のは 、孫 匪 問 題 、 親 日新 聞 社長 暗 殺 事 件 を 理由 に、 中 央 軍 、 排 日機 関 、 于學 忠 と そ の軍 隊 を
す べ て河 北省 外 に駆 逐 し、 ま た 同省 の重要 ポ スト から反 日満 人 物 を 一掃 す る こと が、 そ の内容 で あ った。 だ か ら これは 、
河 北 省 東 北隅 の 一定 区域 から の中国 軍 撤 退 を 規 定 し た塘 沽 停 戦 協 定 を 、河 北 省 全 域 に拡 大す る と いう 意 味 を も って いた 。
ま た、 こ の協 定成 立 の主 役 は 、支 那 駐 屯 軍 (通 称 ﹁天 津 軍 ﹂) の酒 井 隆 参 謀長 であ って、 彼 は 梅 津 (美 治 郎 ) 軍 司 令 官
の留 守 中 に、 ほ と ん ど 独断 で事 を 処 理 し た と いわ れ て いる (た だし 中 央 部 は これを 諒 承 )。 し かも 酒 井 の態 度 は 高 圧 的
で あり 、 五月 二十 九 日 、何 應 欽 ら に要 求 を提 出 し たと き に は、 ﹁今 日 は相 談 に来 た の では な い。 わ が軍 の決意 を 通 告 し
に来 た のだ ﹂ ( 北第 三八四号電参照 。七九頁)と述 べた り し た。 中 国 側 が、 これ にど れ ほど 憤 激 し た か は 、戦 後 、 彼 ら が酒
井 を戦 犯 と し て、 文句 な し に処 刑 し た事 実 が何 よ り も 雄弁 に物 語 ってく れ る だ ろう 。 そ こ で、 こ の協 定 のも つもう ひと
つ の意 味 は、 元 来 北 向 き の軍 隊 であ るはず の関 東 軍 が、 三 三年 以来 南 下 を開 始 し、 長 城 を越 え て天 津 軍 の領域 を次 第 に
蚕 食 し つ つあ る 現実 に対 し 、 天 津 軍 の存 在 を 天 下 に知 らし め よ う と いう意 識 が かな り強 か った、 と いう こ と で あ る。
(﹁北支 に於ける反満抗日策動 に基く 日支両軍の交渉其 の 一﹂( 六〇頁)﹁北支交渉問題処理要綱﹂に関する外務陸軍間 折 衝 ( 六五頁)﹁北
支に於ける反満抗 日策動に基く日支 両軍 の交渉其の 二﹂(六八頁)
土 肥 原 ・秦徳 純 協 定 は、 張 北事 件 ・熱 西 事 件 (いず れ も第 一次 と 第 二次 と あ る) と呼 ば れ る 日本出 先陸 軍 と 宋 哲 元軍
と の紛 争 事 件 を理 由 に、 内蒙 チ ャ ハル省 か ら 宋哲 元軍 を 駆 逐 す る ことを 内 容 と し た。 こう し て、 こ の協 定 の主 役 であ る
関 東 軍 は、 チ ャ ハル省 を 自 己 の勢 力 圏 にお さめ た の で あ る が、 そ のほ か に こ の協 定 に は、 表 に出 な い陰 のね ら い があ っ
た 。 そ れを 知 るに は、 チ ャ ハル省 を追 わ れ た宋哲 元軍 の行 方 を 見 定 め な け れば な ら な い。 こ の軍 隊 は特 に関 東 軍 の要 望
に より 河北 省 に移 駐 を 命 じ ら れ た。 つま り 日 本側 は、 宋 哲 元 と いう 名 の、 果 し て本 当 に 日本 側 にな び く気 があ るか どう
か分 ら な い男 に 対し て思 惑買 いを やり 、 梅 津 ・何 應 欽 協 定 によ り 、 于學 忠 軍 の不 在 と な った河 北 省 に、 この男 と そ の軍
隊 を す え た の で あ る。 ( ﹁察哈爾省張北問 題﹂(七三頁)﹁両協定成立に関する陸 ・海 ・外務電﹂( 七七頁以下)(後 者 に は 当 然 梅 津 ・
廣 田 三原 則
何 應欽 協 定 に関 す る電 報 を も含 む )。
五
日中 両 国 の大 使 公 換 に次 ぐ 廣 田外 相 の対華 施 策 は、 国 交 に関 す る ﹁廣 田三原 則 ﹂ の提 示 であ った。 し かし これ に関 し
ても廣 田 は受 け て立 った と いう 感 が深 い。 六 月十 四日 、 あ た か も関 東 軍 ・天 津 軍 当 局 がそ れぞ れ 河北 ・チ ャ ハル両 事 件
に つき華 北 軍 官 憲 と 国 民政 府 を 鋭 く 追 及 し て いる さな か に、 唐 有 壬外 交 部 次長 か ら有 吉 大 使 に対 し ﹁支 那 側 と し ては北
支 事件 に拘 らず 、 日支 親 善 の方 針 は 従 来 と変 りな く、 提携 に必要 な る協 調 の輪 郭 を具 体 的 に決 定 し置 き度 き 意 向 に て、
そ の方 法 と し ては 、 対象 を華 北 及 び支 那 全 般 に分 ち 、 華北 に付 き ては 、 先 づ 日本 側 の希 望す る総 て の事 項 を主 要 点 とし 、
又支 那 全 般 に付 き ては、 主 と し て経 済的 方 面 の提 携 を基 礎 とし 、 政 治的 方 面 に付 き ても 協 調す る こと と致度 ﹂ (﹁昭和 十
年 度 外 務 省 執務 報 告 ﹂)と いう 、願 っても な い申 入 れ があ つた 。 これ が廣 田 に国 交 調整 に対 し て、何 ら か の希 望 を抱 か せ
る最 初 の契 機 と な つた。 つま り 、廣 田 に は河 北 と チ ャ ハルにお け る陸軍 の動 きを 抑 え る能 力 も意 志 もな か った。 そ し て、
そ のよ う な 日中 関 係 にも かか わ らず 、 国 民 政府 が対 日親 善 の方 針 を変 えな いと 知 った と き、 は じ め て御 輿 を 上げ た の で
あ る。 まず 同 月 二十 二 日、 駐 日初 代 大 使 蒋 作 賓 が信 任 状 捧 呈 終 了 の挨 拶 か た がた 廣 田 外相 を来 訪 し た と き、 廣 田 から 日
中 国 交 調 整 に関す る中 国 側 の意 向打 診 が行 な わ れた。 つ いで七 月 一日 、蒋 大 使 が帰 国 挨拶 のた め廣 田外 相 を訪 れ、 両 者
の間 に最 難 関 の満 洲 問 題 に関 す る 、意 見 の応 酬 があ った。 蒋 大 使 は 、 民論 の手 前 も あ り、 満 洲 国 承 認 は まず 不可 能 と い
い、 廣 田 はも し そ れ が不 可 能 な ら 、少 く と も満 洲 国 不承 認 より 生 ず る諸 般 の矛 盾 紛 糾 を避 け る た め、 何 ら か の実 際 的 処
置 を取 る こと が必要 だ と 、かな り含 み のあ る返 答 を し た (この返 答内 容 は や が て廣 田 三原 則 の第 二項 と し て、 再 現 す る)
八 月 三十 日、 蒋 大 使 は帰 任 し、 九 月 七 日 に廣 田外 相 を来 訪 し た。 そ し て 二月 二十 六 日 に王寵 恵 が廣 田 に提 出 し た 三原 則
(既 述) を、 蒋 介 石 、 汪 兆銘 とも 相 談 の結 果 で あ ると 前提 し て、 ふた た び提 示 し た。 そし て こ のよう な 抽象 的 な 三原 則 の基 盤 に、 ど のよ う な 現 実的 要 望 があ るか を、 次 のよ う に説 明し た。
蒋 介 石 は 又 、 三原 則 の実 現 に依 り、 日支 両 国 が真 の朋 友 と な れ ば 、 上海 及 塘 沽停 戦 協 定 竝 北 支 事 件取 極 は必 要 な
き に至 る訳 な るを 以 て、 此等 協 定等 の取消 をも 希 望 し居 れり 。 次 に満 洲 国 に付 て は、 蒋介 石 は同 国 の独 立 は承 認 し
得 ざ る も、今 日 は 之 を不 問 に附 す と の意 見 な り 。 (右 は 日本 に対 し、日 本 の満 洲国 承 認 の取 消 を要 求 せず と 云 ふ意 な
り と 説 明 せ り)。 若 し 日本 が前 記 三原 則 の実 現 に加 ふ る に 上海 協 定等 の取 消 に同 意 せ ら る る に於 ては 、支 那 と し て
も経 済 提 携 の相談 をな し 易 く な る べく 、 蒋介 石 は支 那 の主 権 を損 せざ る限 り 、右 相談 に応 ず る の準 備 を 有 す る のみ
な らず 、 日支 親 善 工作 の進行 振 如 何 に依 り ては、 更 に ﹁共 同 の目的 ﹂ の為 、 軍事 上 の相談 を なす 決 意 を も有 す る次 第 な り 。 (﹁昭和 十 年 度 外 務 省 執務 報 告 ﹂)
こ のと き、 す で に 一方 では 廣 田 三原 則 が起案 され つ つあ った 。 十 月 四 日 にそ れ が決 定す るま で の経 過 は ﹁対支政策 ︹ 廣
田三原則︺決定の経緯﹂(一〇二頁)に かな り 詳 し く 述 べ ら れ て い る の で、 ここ では 次 の 二 つの こと を指 摘 す る に止 め る。
一 廣 田 三原 則 の名 が示 す よ う に 、 この決 定 は 廣 田 の発 意 によ る も の であ ろ う し 、 ま たそ の提 示 は 、事 実 そ う であ
った よう に、 は じ め か ら外 交 チ ャネ ルを通 じ て行 なう つもり であ った に違 いな い。 し か しそ の内容 に つ いては 、 最
初 の東 亜 局 試案 作 製 当 初 から陸 軍側 の意 向 が十 分 に盛 り こま れ てお り 、 そ の後 の 三省審 議 の過 程 にお いて、 いよ い
当 時 の陸 軍 中 央部 が関 東 軍 の焦 慮 と独 善 を かな り警 戒 し て いた こと は、 この年 の夏 ご ろ の中 央 部 のも ので あ る
よ陸 軍 色 濃 厚 と な った こと は 、本 書 の ﹁決 定 の経 緯 ﹂ に よ って明 らか であ る。 二
と いう ﹁対 支 方 策 ﹂ (堀 場 一雄 ﹃支 那 事 変戦 争 指 導 史 ﹄ 五 五頁 ) に 明記 さ れ て いる 通 り で あ る。 七月 三十 一日 か ら
の三省 当 局 の協議 会 で、中 国 の統 一ま た は分 立 を援 助 、 も し く は阻 止 す べき か と いう 、 関東 軍 の暴 走 に つな が る問
題 が論 議 の中 心 と な った。 そ の結 果 、 そ のよう な こと は や ら な いと いう こと に完 全 な 意 見 の 一致 を みた が、 そ の表
現方 法 に つ いて意 見 が分 れ、 海 軍 と 外務 は これを 三原 則 中 に記 載 す べき だ と主 張 し、 陸 軍側 は 一応 これ に反 対 し た
が、 結 局 附 属 書 の中 に これを 掲 げ る こと に落 着 いた 。 一度 そ のよ う な 記載 に反 対 し な がら (本 書 一〇 六 頁 の陸 軍案
に は 、 そ の記 載 がな い) 決 定 案 にお いてそ れを 認 めた陸 軍側 の気 持 には 、彼 ら の持 つ関 東 軍 への警 戒 心 と 一脈 通ず る も のが あ った の では な か ろう か。
こう し て、 ほ とん ど 陸 軍 のも の であ る廣 田 三原 則 は 、 一排 日取 締 り 、 二 満 洲 国 の事 実 上 の承 認 三 共 同防 共 と いう 形 に
と り ま と め ら れ、 十 月 七 日 に廣 田 か ら蒋 大使 に提 示 さ れ て具体 的 折 衝 に入 った 。当 初 か ら難 航 を 予想 さ れ た 三原 則 論議
では あ った が、 果 し て中国 側 は 対抗 的 に、彼 ら の三原 則 を 、 租借 地返 還 等 の具 体的 問題 を 添 え て、 ま た も や提 出 し 、 そ
の ほか 日本 軍 人 の華 北 ﹁自 治 ﹂ 工作 を 持出 す な ど、 早 く も 十 月末 に交 渉 は デ ッド ロ ック に陥 った 。 そう こう す るう ち に
汪 兆 銘 外交 部 長 反 対 派 の策 動 が中 国 側 に盛 ん と な り、 汪 の辞 表 呈出 、 蒋 の慰 留 、 汪 の復 職 等 の経 緯 があ って、 十 一月 一
日 の六 中全 会 開 会 式 場 で、 汪 は狙 撃 さ れ負傷 し て下 野 し た 。 さ ら に十 二月 二十 五日 には 汪 と コ ンビに な って、 対 日親 善
に努 力 し た外 交 部 次 長 唐有 壬 が暗 殺 さ れた 。 そ し て廣 田 三原 則 交渉 も棚 上 げと な った。 本 書 の ﹁唐有壬の死﹂と 題 す る須
磨 彌 吉 郎 の ﹁手 記 ﹂、(一〇九頁)は、唐 の死 の当 日 に徹 夜 し て綴 った も の であ り、 そ こに須磨 の唐 に対す る 切 々 た る 哀 惜
の念 と 、 当時 の雰 囲 気 がう か が え て興 味 が深 い。 須 磨 の数 あ る ﹁手記 ﹂ の中 で、 こ れは秀 作 のひと つであ る と い っては ば から な い であ ろう 。
六
華 北 ﹁自 治 ﹂ 運 動 と 幣 制 改 革
華 北 ﹁自 治 ﹂ 運動 は、 日本 軍 の使 嗾 下 に極 め て緩 慢 な テ ンポ で進 行 し つ つあ った が、 一九 三 五年 六月 の梅 津 ・何 應 欽
協 定 の成 立 とと も に豊 臺事 件 と香 河 事 件 が 発生 し て、 こ の運動 は 一段 の前進 を 示 し た。 豊 臺 兵 変 と いう のは 、 白 堅武 と
いう いか が わし い軍 人 が、 日本 浪 人 の団体 で あ る北 支 青 年 同盟 会 と連 絡 し て挙 兵 し、 六 月 二十 七 日 、豊 臺 で 于學 忠部 に
兵 変 を起 さ せ (も っと も あ まり 成 功 し な か った) さら に北 平 に迫 った が敗 退 し た事 件 であ る。 ま た塘 沽 停 戦 協 定 線 上 の
香 河 縣 で、 日本 人 の指 導 下 に農 民 の 一団 が、 地方 自 治 の獲 得 と 、 地租 附 加 税 の軽 減 等 を 要 求 し て、 十月 二十 日暴 動 を起
し、 一時 彼 ら は香 河 縣 城 を 占領 し た が、 間 も な く商 震 等 と 妥 協 し て落 着 し た 。 これ を香 河 事 件 と いう。 こ の両 事 件 の背 後 には天 津 の大 迫 (通 貞 )機 関 が あ ると いう 風 評 が専 ら であ った。
一方 国 民政 府 は十 一月 四日、 英 国 政 府 財 政顧 問 リ ー ス= ロス の指 導 下 に、 突 然幣 制 改 革 を 断 行 し た。 そ の要 旨 は次 の 通 り であ る。
一 中央 ・中 国 ・交 通 三政 府 銀 行 の発 行 す る銀 行 券 だけ を 法幣 (法 貨 ) と し、 そ れ 以外 の銀 行 の発券 は もち ろん 、
一部 の銀 行 、 会 社 、商 店 、公 私 機 関 そ の他 の所 有 す る銀 貨 、銀 塊 な ど を 回収 し て、 発 行 準 備 に あ て、 三銀 行 に
現 銀 の行 使 を も禁 止 す る。 二
銀 を 離 れ て不換 紙 幣 と な った法 幣 の価 値 を 、外 国 為 替 の無制 限 売 買 によ り、対外 的 に安 定 さ せ る。 (そ の相 場 は
移 管 す る。 三
対英 一シ リ ング ニペ ン ス半 )
こ の措 置 は 、 一九 三 四年 夏 以 来 の米国 の銀 買 上 げ 政策 に より 、 中 国 現 銀 の巨 額 に上 る海外 流 失 現 象 を も た ら し、 そ の
た め中 国 の金 融 も 産業 も未 曾有 の恐慌 状 態 に陥 った の で、 そ れを 防 止 す る た め に採 られ た も のであ った 。 そ し て英 国 が
こ れを援 助 した のは 、 ひ と つに は前 述 のよう な 日本 の華北
﹁自 治 ﹂ 工 作 の 進 展 が 、 中 国 に 多 大 の権 益 を も つ英 国 を 次 第
に 脅 し つ つ あ った か ら で あ つ た 。 ま た 第 一次 世 界 大 戦 後 の新 現 象 と し て 、 中 国 市 場 を め ぐ る 日 英 の競 争 が 、 激 化 の 一路 を た ど り つ つあ る か ら で も あ った 。
リ ー ス = ロ ス は 、 実 は 中 国 に 入 る 前 に 来 日 し て 、 廣 田 外 相 と 重 光 (葵 ) 次 官 に 対 し 、 中 国 側 の満 洲 国 承 認 と 引 換 え に 、
満 洲 国 の 関 税 収 入 の約 三 割 年 額 約 百 万 ポ ンド を 国 民 政 府 に 支 払 う こ と と し 、 こ れ を 幣 制 改 革 資 金 に 加 え た い、 と 提 案 し
た が 、 日 本 側 は こ れ に 耳 を 傾 け な か った 。 そ う し な が ら 日 本 側 は 一方 で は 、 国 民 政 府 に よ る幣 制 の統 一は 、 同 政 府 に よ
る 政 治 的 統 一を 意 味 す る と いう 点 で 、 そ の成 功 を 恐 れ た 。 そ し て 多 分 そ れ は 失 敗 す る で あ ろ う と いう 希 望 的 観 測 を 持 ち
つ つ、 宋 哲 元 ら の華 北 将 領 に 現 銀 南 送 の 徹 底 的 防 止 を 承 諾 さ せ て 、 幣 制 改 革 を 阻 止 す る態 度 に出 た 。 し か し 幣 制 改 革 は
日 本 側 の 期 待 に 反 し て 、 着 々 成 功 の 一路 を た ど った 。 そ し て 発 足 後 約 一カ 月 の 十 二 月 十 日 に は 、 早 く も 強 気 の天 津 軍 に
し て ﹁支 那 今 次 ノ 幣 制 改 革 ハ政 治 的 ニ ハ国 内 及 国 際 的 ニ大 ナ ル危 機 ヲ招 来 シ ツ ツ ア リ ト 雖 、 技 術 的 ニ ハ相 当 成 功 ノ歩 ヲ
進 メ ツ ツ ア リ ト 認 メ サ ル ヲ 得 ス﹂ ( 参 謀 次 長 あ て天 津 軍 参 謀 長 発電 ) と 完 全 に か ぶ と を ぬ ぎ 、 ﹁此 儘 成 功 ノ歩 ヲ固 ム ル ニ至
﹁自 治 ﹂ 工
ラ ン カ 、 日 本 ノ朝 野 ノ 対 支 認 識 ノ 根 本 的 誤 謬 ヲ表 明 シ ⋮ ⋮ ﹂ ( 同 前 )と 自 己 反 省 を 行 な わ な け れ ば な ら な い ハメ と な った 。
(﹁ 幣 制 改 革 (対英 借 款 ) 問 題 と支 那 の情 勢 ﹂ (一一六頁)﹁支 那 幣 制改 革 問 題 に 関 す る 湯本 国 庫 課 長 談 話 要 領 ﹂ 一二〇以下)
陸 軍 側 は 前 述 の よ う に 、 幣 制 改 革 を 英 国 側 の反 撃 と し て と ら え 、 さ ら に そ の 再 反 撃 と し て 、 こ の際 、 華 北
作 を 急 速 に 進 展 さ せ る こ と を 決 意 し た 。 そ の主 役 は 奉 天 特 務 機 関 長 土 肥 原 賢 二少 将 で あ り 、 そ れ に花 谷 正 関 東 軍 参 謀 を
(石 野 ) 南 京
(雨 宮 ) 廣 東 (臼
は じ め 、 華 北 の 各 陸 軍 特 務 機 関 が 協 力 し た 。 そ し て 彼 ら の策 動 の 対 象 と し て 選 ば れ た の が 、 山 東 の韓 復榘 、 河 北 の商 震 、 萬 福 麟 そ し て宋 哲 元 で あ った 。 十 一月 十 二 日 ご ろ 、 関 東 軍 、 天 津 軍 、 北 平 (高 橋 ) 濟 南
田 ) の各 陸 軍 出 先 機 関 が 、 自 治 工 作 の 現 状 と 将 来 に 関 す る情 況 判 断 を 中 央 に送 り 、 ( ﹁南 北 支 那 独 立 問題 を中 心 と す る出 先関
係機 関 の情 勢 判 断 要 旨 ﹂ 一二五頁) いず れ も 楽 観 的 見 解 を 述 べ た が 、 華 北 将 領 の 心 中 は 、 彼 ら の観 測 を は る か に 越 え て複 雑
で あ った 。 関 東 軍 は 宋 哲 元 ら へ の 圧 力 と し て 、 十 一月 末 に 独 立 混 成 第 一旅 団 か ら 若 干 の 兵 力 を 山 海 關 方 面 に 送 った が 、
そ れ で も彼 らは 起 た な か った。 (これ は中 国 側 の山 東 、 河 北 に対 す る兵 力集 中 への対 抗 手段 で あ った 。)
一方 、 有 吉 大 使 は、 廣 田外 相 の訓 令 を体 し て十 一月 二十 日 に蒋 介 石 と 会 見 し て、 速 か に華 北 の現 状 に即 応 す る処置 を
と る こと を 求 めた 。 ま た 二十 一日 には 唐有 壬外 交 部 次長 と も会 談 し た。 当 初 、中 国 側 は華 北 ﹁自治 ﹂ に強 く 反 対 し た が、
や が てそ の態 度 を緩 和 し、 華 北 に十 分 の権 限 を与 え られ た大 官 を派 遣 し て、廣 田 三原 則 に示 され る 日本 側 要 求 を 含 め て
華北 懸案 の円満 解 決 を は か り、 関 東 軍 の主 張す る華 北 の財 政 独立 に つ いても 妥協 を図 る であ ろ う と提 案 した 。有 吉 は こ
れら の会 談 を 通 じ て、 華 北 特 殊 事 態 に 対す る蒋 介 石 の認 識 に信 頼 を お き 、 しば らく 自 治 工 作 を控 え て、 彼 の華北 収 拾 策
を 静観 し た方 がよ い、 と廣 田 に具 申 し た。 し か し廣 田は これ を却 下 し 、 中 央部 は大 官 派 遣 ︱︱ つま り南 京 と の折 衝 ︱︱
よ り も華 北 実 力 者 に︱︱ 例 えば 宋 哲 元 ︱︱ 権 限 が与 えら れ る こと を好 む も の であ り、 ま た三 原 則 の話 合 いは 、 華 北収 拾
策 に 関す る折 衝 に利用 さ れ る危 険 があ る か ら、 両 者 を 分離 す る 必要 があ ると訓 令 し た (十 一月 二十 二 日付 、 暗 第 三 一三
号 )。 そ の後 も有 吉 は かな り執 拗 に廣 田 に喰 い下 った が、 遂 に廣 田 は これ を容 れな か った。 ここ でも 廣 田 は軍 と と も に 躍 った のであ る。
一方 蒋 介 石 は 宋哲 元 ら に対 し て必 死 の切崩 し を 行 な い、 そ れ が あ る程度 効 を奏 し て、 十 一月十 八 日 に宋 は 国 民政 府 に
対 し ﹁日本 側 の圧 迫 に より 、 十 一月 二十 日 よ り 二十 二目 の間 にお いて、 自 治 を宜 言 せざ る べ から ざ る苦 境 にあ り ﹂ と打
電 し た と伝 え ら れた。 こう し て 日本 の出 先陸 軍 の企 図 す る華 北 自 治 運 動 は 頓坐 し た が、 こ の際 何 と し ても 、 何 ら か の形
で ﹁華北 自 治 ﹂ の実 を あ げ よう と いう 陸 軍 は、 窮 余 の策 とし 、殷 汝 耕 と いう 人物 を引 出 し た 。 こ の男 は、 い つでも 日本
の傀 儡 であ る こと に甘 ん じ ており 、 ま た あ ら ゆ る意 味 で不 評 判 な人 間 であ った 。十 一月 二十 五日夜 、 日本 側 は こ の殷 汝
耕 に通州 で自 治 宣 言 を 発表 さ せ ると 同 時 に、冀 東 (冀 ‖河北 省 ) 防 共 自 治 委員 会 を設 立 さ せた 。
殷 の旗 上げ は、 は な は だ しく 国 民 政 府 を刺 戟 し、 同 政府 は殷 を 国 賊 と し て逮 捕 令 を出 す と と も に、 ﹁中央 派 遣 の大 官 ﹂
と し て何 應 欽 を 、 十 二月 三 日北 平 に送 った。 そ し て何 應欽 ・宋 哲 元 の会 談 が行 な わ れた が、 宋 は、 北 平 大 学 生 の猛 烈 な
﹁自 治﹂ 反 対 の動 き (一二 ・九 運 動 ) を よ そ に、 何 應 欽 に対 し て自 治 を要 求 し た。 日本 側 の圧 力 が こ こに や や効 を奏 し
た と いえ る だ ろう 。 そ こ で何 應 欽 も十 二月 七 日、 や む なく 中 央 に対 し て、 中 央 の体 面 を 保 ち得 る範 囲 で の自治 の実 行 を
具 申 し た。 国 民 政 府 も これ を容 れ、 十 八 日 、宋 哲 元を 委 員 長 に、 萬福 麟 ら十 六 名 を 委員 とす る冀 察 (察 ‖ チ ャ ハル省 )
政務 委 員 会 を北 平 に設 立 さ せ た。 中 国 側 は 日本 側 に先 ん じ て、国 民政 府 の 一機 関 と し て の華 北 自 治 機構 を つく る の が得
策 だ と判 断 し た の であ る。 こう し て華 北 に は、 河 北 省 内 の戦 区 (塘 沽 停 戦 協 定 の結 果 と し て設 け ら れた河 北 省 東 北 隅 の
非 武 装 地帯 ) を 中 心 とす る 二十 二縣 を管 轄 区域 と し て、 国 民 政府 か ら分 離 し た 冀東 防 共 自 治 委 員 会 (十 二月 二十 五日 改
組 し て冀 東 防 共自 治政 府 と な る) が 一方 にあり 、 ほ か に梅 津 ・何 應 欽 、 土 肥原 ・秦 徳 純 両 協 定 を基 盤 に、 河 北 ・チ ャ ハ
ル両 省 と 、北 平 ・天 津 両 市 の国 民政 府 側 政 務 処 理機 関 と し て、 冀 察 政務 委 員 会 が存 在 す る こと とな り 、 事 態 を複 雑 化 し
た。 ( ﹁北支自治運動の推 移﹂(一二八頁)﹁天津鎖聞﹂(一三七頁)﹁冀東防共自治政府組織宣 言 および組織大綱﹂(一四六頁)﹁華北 自 治 運
冀東特殊貿易
動に関する陸軍電﹂ 一二八頁)
七
冀 東 特 殊 貿 易 と いう のは、 山 海 關 特 務機 関長 竹 下 義 晴 少佐 が冀 東 政 府 を 指導 し て行 な わ せ た、 一種 の密 輸 であ った 。
冀 東 海 面 には 以 前 か ら密 輸 船 が横 行 し て いる こ とと 、 中 国 関税 が高 率 であ る こと に着 眼 し 、 冀 東 政府 は 一九 三六 年 二月
十 二 日付 で、 密輸 品 に対 し 、 正規 関 税 の約 四分 の 一に当 る 一種 の輸 入 税 (査 験 料 と呼 ん だ) を 徴集 し て、 そ の陸 揚 げ を
許 可 し た の であ る。 そ の名 目 は 沿 海密 輸 取 締 り と いう こと で あ った が、冀 東 政 府 の政 費増 収 と 日本 商 品 の進 出 が目的 で
あ る こと は 明 ら か であ った 。 か く て人 絹 、 砂 糖 、 毛 織物 、加 工綿 布等 の高 関 税 商 品 は 、 これ に より 大 連 の日 本 の滞 貨 が
たち ま ち 一掃 さ れ たと いわ れる ほ ど の勢 いで、 冀東 海 岸 に殺 到 し た 。 そ し て こ の密 輸 品 は華 北 ば かり でな く 、揚 子江 以
南 にも次 第 に進 出 し て中 国 市場 を攪 乱 した 。後 に四 川省 成 都 で発 生 し た ﹁成 都 事 件 ﹂ の際 の排 日運 動 は 、 日本 密 輸 品 の 進 出 を ひ と つの原因 とす る も の であ った。
一方 冀 東 特 殊 貿 易 は 、 当 然 中 国 関 税 収 入 の 激 減 を 来 し た 。 関 税 収 入 は 英 米 そ の 他 列 強 の 対 華 借 款 に お い て担 保 と な っ
て い る 分 が 多 か った の で 、 こ れ ら の国 々 ︱︱ こと に 以 前 か ら 関 税 の 管 理 に 当 って い る 英 国 の 関 心 を 強 く ひ いた 。 そ れ に
英 国 と し て は 、 す で に 中 国 市 場 を め ぐ る 争 い に お い て 日 本 に 対 す る 敗 色 濃 厚 で あ る と き 、 日 本 の密 輸 品 の 氾 濫 を 放 置 す
る こ と は で き な か った 。 そ こ で 英 国 は 現 地 で も 、 東 京 で も 密 輸 の取 締 り を 日 本 側 に 要 請 す る の で あ った 。 出 先 陸 軍 の企
図 す る 英 国 へ の再 反 撃 は 、 あ る 程 度 目 的 を 達 成 し た と いう わ け で あ る 。 し か し こ の特 殊 貿 易 は 一方 で 日 本 の 正 規 輸 出 業
者 を 圧 迫 す る 結 果 に な った の で 、 英 国 側 ば か り で な く 、 や が て こ の 方 面 か ら の反 対 の 声 も あ が った 。 そ れ に 中 国 側 も 次
第 に 取 締 り を 強 化 し た と いう こ と も こ れ に 加 え ら れ て 、 こ の特 殊 貿 易 は 、 三 六 年 五 月 と 十 一月 を ピ ー ク と し て 、 次 第 に
落 潮 の 一路 を た ど った 。 ( ﹁支 那 の 密輸 問 題に 就 て﹂ ﹁最 近北 支 の 一般 情 勢 に就 て ﹂ ﹁北支 に於 け る 不 正 規 貿 易 就中 冀 東 政 府 の輸 入 貨
物 に対 す る 特 殊徴 税 に関 す る 意 見 ﹂﹁北 支 密 輸 問 題 の経緯 ﹂ ﹁ 冀 東 沿 海 よ り の密 輸 入 に関 す る調 査 竝 其 及 ぼ す影 響 に就 て の考 察 ﹂ ﹁北 支
成 都 ・北 海 両 事 件 と 川越 張 羣 会談
特 殊 貿 易 の現 状 ﹂ 以上 一五 一頁以下)
八
満 洲 事 変 以 来 、 次 第 に か き立 て ら れた 中国 人 の排 日感情 は、 一九 三 五年 の秋 を迎 え て、 各 地 に対 日 テ ロ事 件 を頻 発 さ
せ る よう にな った 。 そ し て、 そ の中 で最 も激 烈 な 様 相 を 呈 し た のが、 一九 三 六年 (昭和 十 一年 ) 八 月 二十 三日 、 四 川省
成都 で、 四人 の日 本 人 を、 排 日デ モ の嵐 の中 で 殺 傷 し た ﹁成都 事 件 ﹂ であ った。 ( ﹁成都総領事館 再開問題﹂﹁成都其他排 日
不祥事件﹂ 一八〇頁以下)九 月 三 日、 廣 東 省 北 海 で起 った事 件 は 、半 ば中 国 人 化 し た 一人 の 日 本 人 薬 品 ・雑 貨 商 の殺 害 事
件 であり 、 こ れ が同 地 に進 駐 し た反 日第 十 九路 軍 の醸 し出 す 排 日風 潮 の中 で演 じ ら れ た点 は 、 成 都事 件 と同 様 であ った。 (﹁ 北海事件報告﹂ 一九四頁)
日本 政 府 は成 都 事件 の発 生 に鑑 み、 これ を単 な る局 地事 件 と し て処 理 す る こと な く、 こ の際 国 民政 府 を相 手 に、 真向
か ら 彼 ら の 対 日 態 度 の 是 正 を 要 求 し 、 そ の 上 で 、 事 件 の細 目 に わ た って 交 渉 を 行 な う と いう 方 針 を 決 定 し た 。 そ こ で 九
月 五 日 、 川 越 茂 駐 華 大 使 に 対 し 、 張 羣 外 交 部 長 へ の交 渉 内 容 と し て、 い わ ゆ る 第 一次 訓 令 が 発 せ ら れ た 。 ( ﹁昭 和 十 一年
九 月 五 日付 有 田外 相 ↓ 川 越大 使 暗 第 二 二 二 ・二二 四 ・二二 五 電 ﹂ (二八七頁) こ の 訓 令 に つ い て は 、そ れ が 八 月 十 一 日 四 省 決 定 の
﹁対支 実行 策 ﹂ (三六六頁) と ﹁第 二次北 支 処 理 要 綱 ﹂ (三六八頁) に 準 拠 し て い る 点 が 注 目 さ れ る 。
そ こ に 九 月 三 日 、 北 海 事 件 が 勃 発 し た 。 そ の処 理 に 関 す る 今 度 の主 役 は 、 華 中 ・華 南 の警 備 を 担 当 す る 海 軍 で あ った 。
海 軍 は事 件 の発 生 と と も に、 か なり 強 硬 な態 度 に出 で、 南 遣 部 隊 を組 織 し て こ れを 北海 方 面 に行 動 さ せる と と も に九 月
十 五 日 決 定 の ﹁北 海事 件 処 理 方 針 ﹂ (二 一一頁)に 端 的 に 示 さ れ て い る よ う に 、 兵 力 を 行 使 し て も 北 海 の 現 地 調 査 を 強 行 す る
決 意 を 示 し た 。 ま た 情 況 に よ って は 海 南 島 ま た は 青 島 の 保 障 占 領 を も 考 慮 す る こ と も 、 そ こ に 表 明 さ れ た 。 中 で も 海 南
島 占 領 乃 至 進 出 論 は 同 島 を 臺 湾 と と も に 、 か ね て か ら 海 軍 の主 張 す る 南 進 の 基 地 と し た いと いう 野 望 と 関 連 す る も の で
あ った。 し かし 現 地 調査 は中 国 側 の協 力 に より 、 二十 三 日 に無 事 終 了 し た 。 い ささ か海 軍 と し ては拍 子 ぬ け だ った の で あ る。
と ころ が、 現 地調 査 の行 な わ れ た 二十 三 日 の夜 、上海 でま た 三 人 の水 兵 が殺 傷 さ れ る事件 が勃 発 し た (田港 水 兵 事 件 )。
これ は、 そ の背 景 か ら み て、 成 都 ・北 海 事 件 と は 比較 に な らな い偶 発 事件 であ った が、 海 軍 は これを 契 機 に さら に 硬 化
し、 直 ち に聯 合 艦隊 に対 し て、 若干 兵 力 の派 遣 準 備 と待 機 を命 ず ると と も に、 二十 四 日軍 令 部 は ﹁対支時局処理方針﹂(二
一七頁)を 決 定 し た。 こ の処 理方 針 の決 定 は か な り 重要 な意 味 をも つ。 そ れ は こ の中 で海 軍側 が華 北 への兵 力 行 使 と 、華
中 ・華 南 か ら の居 留 民 引揚 げ お よ び 上海 に対 す る現 地保 護 の方 針 を打 出 し、 か なり 大 規模 な 対華 作 戦 (極 力 局 限 す る と
は い って いる も の の) を 決 意 し て いる か ら であ る。 従 って今 ま で の海 南 島 占 領 論 は ﹁情 況 に依 り ⋮⋮ 保 障 占 領す ﹂ と い
う 条 件 付 で、 一応 棚 上 げ と な った 。 な ぜ 海 軍 が こ の よ う な 重 大 な 転 換 を 行 な った の であ ろう か。 恐 ら く上 海 の現 地保 護
には、 ど う し ても 陸 兵 派遣 を 必要 と す る の で、 そ れ と交 換 条 件 に、 か ね てか ら陸 軍 の蚕食 し つ つあ る華 北 を そ の フリ ー ハンド に委 ね る こと に し て陸 軍 の気 を ひ いた のであ ろ う 。
し か し こ の と き の陸 軍 は 、 中 国 に 対 し て 新 た に 一兵 を 用 い る こ と す ら惜 む の で あ った 。 陸 軍 で は す で に 石 原 莞 爾 ・参
謀 本 部 作 戦 課 長 を 中 心 に 、 従 来 の短 兵 急 な 対 華 進 出 方 針 を 改 め て、 対 ソ 戦 備 の た め の長 期 計 画 が 樹 立 さ れ 、 実 行 さ れ つ
つあ った の で あ る。 従 って 海 軍 は 陸 軍 の意 外 な 消 極 的 態 度 に よ り 、 ま た も や そ の 強 硬 方 針 を 放 棄 し な け れ ば な ら な か っ た。
一方 南 京 で の 川 越 ・張 羣 会 談 は 、 九 月 八 日 に 行 な わ れ た 須 磨 ・張 羣 間 の 予 備 折 衝 に よ って 口 火 が 切 ら れ た 。 そ の 後 、
三十 三 日 に至 る 折 衝 の 経 過 は ﹁第 一次 訓 令 に よ る 日支 交 渉 情 況 一覧 表 ﹂ ( 二九三頁 ) の示 す 通 り で あ る 。 要 す る に 日 本 側 の要
求 は 、 あ ま り に も 広 範 か つ深 刻 で あ った 。 し か も こ れ に 対 す る 回 答 を 二 十 二 日 ま で の期 限 付 と し た の で 中 国 側 は 態 度 を
硬 化 し 、 二十 三 日 の 川 越 ・張 羣 会 談 の 席 上 、 張 羣 は わ ざ わ ざ 回 答 を 書 物 (﹁九 月 二十 三 日川 越 張 羣会 談 に 於 て張 羣が 読 上 げ た
る書 物 ﹂ 二九〇頁) に し て持 参 し 、 読 み 上 げ た 。 そ の内 容 に お い て 日 本 側 要 求 は ほ と ん ど 全 面 的 に 否 定 さ れ た ば か り か 、 中国 側 は逆 襲 的 に 五項 目 の要 求 を 提出 し て、 日本 側 を 驚 か せ た。
こ れ を 知 っ て軍 令 部 は ま た も や 硬 化 し 、 二 十 六 日 、 川 越 大 使 の 交 渉 相 手 を 張 羣 か ら 蒋 介 石 に 切 換 え 、 日 本 側 の要 請 に
も 拘 ら ず 廬 山 に滞 在 中 の 蒋 介 石 が 帰 京 を 遷 延 す れ ば 最 後 通 牒 で こ れ を 強 要 し 、 尚 も し 肯 じ な け れ ば 実 力 行 使 の 手 段 に 出
る こ と を 決 め た 。 (二 一九頁)同 日 海 軍 は こ の 案 を 陸 ・外 両 者 に 大 体 承 認 さ せ た が 、 相 変 ら ず 陸 軍 は 煮 え 切 ら な い態 度 を 示 し た と いう 。
三 十 八 日 に 、 海 軍 は 政 府 と 陸 軍 の 尻 を た た い て、 一挙 に 海 軍 の 方 針 を 閣 議 決 定 に ま で 持 ち 込 も う と 試 み た。 ま た 永 野
一
日 支 関 係 の是 正 は 我 方 の北 支 に 対 す る 態 度 が 解 決 の 鍵 な り 。 茲 に 於 て 次 の 二案 を 考 慮 す る こ と を 得 。
此 の際 、 国 家 的 決 意 の確 立 を 要 す 。
(修 身 ) 海 相 は 、 こ の 日 の朝 廣 田 (弘 毅 ) 首 相 、 有 田 (八 郎 ) 外 相 と 会 見 し て次 の通 り の申 入 れ を 行 な った 。 (二二二頁 )
二
(甲 案 ) 我 方 の要 求 の み を 遮 二 無 二貫 徹 し 、 彼 肯 ぜ ざ れ ば 武 力 行 使 に 訴 ふ 。 但 し 本 案 は 諸 外 国 を 刺 戟 す る こ と 大 な り。
(乙 案 ) 北支 に対 す る我 方 要 求 に無 理 の点 を反 省 し 、 公 正 な る態度 を以 て対支 折 衝 に当 る。
な お この件 に関 し海 相 は 、首 相 から陸 軍 に同 日午 後 、 陸 軍 の態 度 に関 す る回答 を要 求 し 、 な お 回答 不能 の場 合 は、 寺
右 に対 す る廟議 決 定 を要 求 す 。
内 (壽 一) 陸 相 の北 海 道 の出 張 先 から の帰 京 を要 請 す るよ う、 首 相 に申 入 れた。 一方 、 海 軍省 軍 務 局 か ら は外務 省 に対 し、
二 蒋 、 帰 京 せざ る場 合 の対策 確 立
川 越 ・蒋直 接 交 渉 に於 け る我方 要 求 事項 の確 立
一 蒋 介 石 の帰 京 促 進
三
の実行 を 促 す など 、 ま さに海 軍と し ては大 童 の活躍 ぶり であ った。 ( 二二二頁)
ま た海 軍 部 内 で も、 こ の日 の午 前 十 一時 から の非 公 式 軍 事参 議 官 会議 で、 当 局 は末 次 信 正 、野 村 吉 三郎 両 大将 か ら激
励 を受 け、 軍 令部 第 一課 は関 係 各 方面 に対 し て ﹁時局に対する出師準備に関す る覚 (案)﹂(二二三頁)を 配布 し 、 簡単 で は あ る が ﹁対 支作 戦 方 針 概要 ﹂ を立 案 す る など 、 そ こに はか な り真 剣 な空 気 が流 れた。
以 上 の海 軍側 必死 の努 力 は、 あ る程 度 効 を奏 し た。 政府 は 九月 二十 九 日 か ら、 対華 最 後要 求 の具 体 的審 議 に入 る こと
と な り、 同 日 まず 陸 ・海 ・外 三省 主務 者 会 議 が開 か れ て、 ﹁川越 大 使 ・蒋介 石間 交渉 に関 す る方針 ﹂ の第 一案 が 作 ら れ
た。 そ の後 こ の案 は、 翌 三十 日 の同様 三省 主務 者 会 議 の結果 と し て の第 二案 、 十 月 一日 に は 四相 会議 (首 ・海 ・外 三相
と 、北 海 道出 張中 の寺 内 陸相 に代 り 、梅 津 美 治郎 次 官 、 そ れ に桑 島 [ 主 計 ] 外務 省 東 亜 局長 陪 席 ) の手 に移 さ れ て第 三
案 、 さ ら に翌 二日 に 四相 会議 を反 復 し て決 定 案 (﹁十月二日四相会議に於て決定 の川越大使宛訓令﹂(二九七頁)に到達 し た。
こ の交 渉方 針 は、 いう ま でも な く単 な る対華 最 終 要 求 の羅 列 であ り、 これ らを中 国 側 に拒 否 さ れた場 合 の措 置 に つ い
ては、 ノ ータ ッチ であ る。 も っと も第 一案 を み ると 、 そ のと き は交渉 を打 切 ると同 時 に、 日本 側 独 自 の立 場 に帰 り、 自
力 で目 的 を達 成 す ると いう 曖 昧 な 一項 があ る。 し かし 、 そ れす ら第 二案 以下 では姿 を 消 し た。 (二三六頁以下)要 す る に こ
れ は 、 当 時 の 三 省 が ど の よ う な 点 に妥 協 点 を 見 出 す こ と が で き た か を 示 す 、 ひ と つ の サ ン プ ル に 過 ぎ な か った の だ 。
と こ ろ で 、 以 上 の よ う な 結 末 に な っ て、 海 軍 側 に 完 敗 を も た ら し た 最 大 の 理 由 は 、 や は り 陸 軍 の 消 極 的 態 度 で あ った 。
海 軍 の記 録 に よ れ ば 、 二 十 九 日 の主 務 者 会 議 で 中 国 側 拒 否 の場 合 は 、 最 後 通 牒 を 突 き つ け る こ と と し 、 所 要 の 実 力 行 使
は や む を 得 ず と いう 、 意 見 に 一致 し な が ら 、 各 上 司 の 承 認 を 得 る と いう 段 に な って 、 陸 軍 側 は 大 臣 不 在 を 理 由 に 態 度 を
保 留 し た 。 (二三五頁 ) ま た 三 十 日 の主 務 者 会 議 で は 、 要 求 事 項 と し て 、 華 北 五 省 共 同 防 共 と 華 北 五 省 分 治 の原 則 確 認 だ
け に 限 定 し よ う と いう 陸 軍 と 、 航 空 連 絡 や 関 税 引 下 げ も 含 め よ う と す る 海 軍 が 対 立 し た が 、 そ の 際 も 陸 軍 は 少 し も 自 説
を 固 執 せ ず 、 海 軍 が 反 対 な ら 華 北 問 題 を 全 部 ド ロ ップ し て も よ いな ど と 、無 気 味 な 発 言 を 敢 て し て 、(陸 軍 に は 例 の既 成
事 実 積 上 げ の 手 が あ る こ と を ほ の め か し た も の ) か え って 海 軍 を あ わ て さ せ る の で あ った 。 (二三六頁)さ ら に 一日 の 四 相
会 議 で も 、 最 後 の腹 の 決 定 に際 し て 、 梅 津 陸 軍 だ け が ﹁や ら ね ば な ら ぬ が 、 痛 い手 な し に 困 る 次 第 な り ﹂ (二三九頁)と 述 べ て 、 消 極 的 で あ った 。
﹁川 越 大 使 ・蒋 介 石 間 交 渉 に関 す る 方 策 ﹂ は 十 月 二 日 に 、 いわ ゆ る 川 越 ・張 羣 会 談 に 関 す る 第 二 次 訓 令 と し て 川 越 大
使 に 打 電 さ れ た (第 一八 二 号 電 )。 同 時 に 桑 島 外 務 省 東 亜 局 長 を 南 京 に 急 派 し て、 政 府 の意 向 伝 達 を 行 な わ せ る と い う 慎 重な 措 置 が とら れた。
南 京 の 日 本 総 領 事 館 は 第 二 次 訓 令 受 領 と と も に 、 そ の中 に 盛 ら れ た 要 求 を 中 国 側 に提 示 し 、 同 時 に 蒋 介 石 の帰 京 を 促 し た と ころ 、 蒋 は 五 日 の午 後 、 夫 人 同 伴 で 廬 山 か ら 南 京 に帰 着 し た 。
七 日 か ら 開 始 さ れ た 須 磨 総 領 事 と 、 高 宗 武 ・張 公 権 ら と の下 交 渉 、 八 日 の 川 越 ・蒋 介 石 会 談 に は じ ま る 第 二次 訓 令 に
基 く 交 渉 の 情 況 は ﹁第 二次 訓令 に よる 会 談関 係 の外務 電﹂ (三一 四頁) に ょ り 詳 細 に こ れ を 知 る こと が で き る 。 要 す る に 交 渉
は 依 然 難 航 を 極 め 、 容 易 に 妥 結 の見 込 み は 立 た な か った 。 そ の間 海 軍 は シ ビ レを 切 ら せ て 、 し き り に 速 か な 国 家 的 決 意
の 確 立 を 主 張 す る の だ が 、 相 変 ら ず 陸 軍 は 消 極 的 態 度 に 終 始 し 、 十 三 日 ご ろ に は 海 軍 も 漸 く あ き ら め の境 地 に 到 達 す る
の で あ った 。 そ う こう す る う ち 、 十 一月 十 五 日 に綏 遠 事 変 が 勃 発 し 、 こ れ を 契 機 に 中 国 側 は 俄 に 反 日感 情 を 高 め る と と
も に 、 日 本 与 し 易 し と いう 観 測 が 盛 ん と な り 、 十 八 日 国 民 政 府 か ら 日 本 の 綏 東 工 作 の 続 く 限 り 南 京 交 渉 の成 立 は 困 難 だ
と いう 申 入 れ が あ った 。 そ の後 も 日 本 側 は 交 渉 継 続 の説 得 に つ と め た が 、 彼 ら は こ れ を き き い れ な か った の で 、 日 本 側
も 断 念 し 、 十 二 月 三 日 川 越 は 従 来 の 折 衝 の 間 に 双 方 の意 見 が 明 ら か に さ れ た 諸 点 を 書 物 に し た も の (﹁十 二月 三 日 川越 大
使 口上 書及 交 渉結 末覚 書 ﹂ ﹁口上書 お よ び交 渉 結 末 覚書 に関 す る 日本 と 中 国側 往 復 書 翰﹂ (二九九頁以下)を 読 み 上 げ た 上 で、 そ の 写
し と 成 都 ・北 海 そ の 他 の事 件 に 対 す る 日 本 側 の 正 式 要 求 と を 改 め て張 羣 に 手 交 し て 、 会 談 を 打 切 った 。
か く て 、 成 都 ・北 海 事 件 の発 生 を 契 機 に 海 南 島 占 領 を 企 て 、 田 港 水 兵 事 件 発 生 以 後 は 華 北 ・華 中 への 兵 力 行 使 に 転 換
し た 海 軍 で あ った が 、 笛 吹 け ど 躍 ら ず で 、 意 外 に 冷 静 な 陸 軍 に 阻 ま れ て 、 彼 ら は 川 越 ・張 羣 会 談 と いう 一幕 の筋 書 書 換
え さ え 果 す こ と な く 、 いた ず ら に そ の舞 台 裏 を 駈 け 廻 った だ け に 終 った 。 そ し て 廣 田 首 相 も 有 田 外 首 も こ の会 談 に 関 し 、
何 ら積 極 的 な 役割 を演 じ た形 跡 が認 め ら れ な い。 ( ﹁川 越 ・張 羣 会 談 に関 する 帝 国政 府 の発表 ﹂ 川 越 張 羣会 談 に 関 す る国 民政 府
の 発 表﹂ ﹁﹃信 ず べ き筋 よ り の聞 込 ﹄ と し て国 民 政 府が 十 二月 七 日 の各 紙 に左 の通 掲 載 せ しめ た 記事 ﹂﹁成 都 事件 自 体 の 解 決交 渉 及 北 海
対華 政 策 の変 遷
漢 口両事 件 解 決交 渉 ﹂ (三〇六頁以下)
九
一九 三 六 年 (昭 和 十 一年 ) 一月 十 三 日 、 日 本 政 府 は ﹁北 支 処 理 要綱 ﹂ (第 一次 ) ( 三四九頁) を 決 定 し た 。 こ れ は 三 四 年 十
二 月 七 日 付 の ﹁外 務 、 陸 海 軍 主 管 当 局 意 見 一致 の覚 書 ﹂ (前 述 ) の 決 定 以 来 、 一年 余 の 空 白 を へ て 、 久 々 に 打 ち 出 さ れ
た 新 し い対 華 政 策 で あ った (そ の 間 に 三 五 年 十 月 四 日 決 定 の廣 田 三 原 則 が あ った が 、 ﹁覚 書 ﹂ は こ れ と 並 行 的 に 有 効 で
あ った )。 そ し て こ の政 策 に つ い て 、 ま ず な に よ り も 注 目 さ れ な け れ ば な ら な い こ と は 、 そ れ が 純 然 た る 華 北 五 省 (河 北 ・山 東 ・山 西 ・綏 遠 ・ チ ャ ハル 各 省 ) 分 治 策 で あ った 点 で あ る 。
陸 軍 年 来 の 宿 願 で あ る こ の対 華 政 策 が 、 こ こ に 国 策 の ラ イ ン に 登 場 し た こと は 、 陸 軍 が い ま ま で の 単 な る 現 地 の 暴 れ
者 で あ る立 場 を離 脱 し て、 国 策 決 定 の主 役 に転 じ た こと を あ らわ す も の であ る と同 時 に、 実態 は とも あ れ 、 国 民政 府 を
相手 とす る 日中親 善 を、 一枚 看 板 と し た廣 田対 華 外 交 の、 よ って立 つ基 盤 のも ろ さを遺 憾 な く暴 露 し た も ので あ った。
し か し、 そ れ によ って廣 田と 国 民 政府 外 交 部 と の間 の ﹁親 善 ﹂ 工作 が完 封 さ れた わ け では な か った 。 た と え ば 一月 二
十 二日 の第 六 十 八議 会 に お け る廣 田外 相 の演 説 や、 これ に た いし て発 表 さ れ た国 民 政府 外交 部 の当 局 談 、 そ れ か ら 二月
に 入 って国 民 政府 側 か ら行 なわ れた 日華 南 京 会 議 の提 案 など はそ の こと を立 証 す るも のと いえ る。 し かしす で に この時
点 に お いては 、 上 記 の南 京 会 議 が不 成立 に終 った こと が し めす よ う に、 な ん のき っかけ も な し に、 従 来 の ﹁親 善 ﹂ の ラ イ ンを復 活 す る こと は困 難 だ った の であ る。
や が て 日本 の国 内 では、 一部 の青 年将 校 に よ る 二 ・二六事 件 が勃 発 し、 岡 田啓 介 内 閣 は崩 壊 し た。 そ し て近衛 文 麿 へ
の大 命 降 下 、 近 衛 の拝 辞 と いう 経緯 の のち 、 三月 九 日 、前 内 閣 の外 相 ・廣 田弘 毅 が新 内閣 を組 織 し た 。 廣 田 内閣 の外 相
には最 初 か ら駐 華 大使 有 田 八郎 が予 定 さ れ て いた が、彼 の着 任 ま でを 廣 田首 相 の兼 摂 で つな いだ。 (廣 田内 閣 の 陸 相 は 寺 内 壽 一大 将 、 海 相 は永 野 修 身 大 将 、蔵 相 は馬 場鍈 一)
有 田 八郎 の駐 華 大 使 任命 は 二月 八日 の こと で あ った が、彼 は 三月 六日 、南 京 で国 民 政府 主 席 に 対す る信 任 状捧 呈 を 終
った直 後 の十 三日 に、 廣 田首 相 から 外 相 予定 者 と し て の帰朝 命 令 を 受 け た。 そ れ か ら の有 田 は、 十 六 日か ら 十 九 日ま で、
連 日 、張 羣外 交 部 長 と会 談 し、 二十 二日 には廣 東 ・福 州 ・南 京 ・漢 口 ・青島 ・濟 南 の各 総 領 事 を 上海 に集 め て、 対華 方
針 を 協議 し、 二十 五 日 には天 津 で華 北総 領事 の会 議 を開 き、 さ ら に 二十 八 日 に は板 垣 征 四郎 関東 軍 参 謀 長 から 対華 ・対
ソ問 題 に 関す る関 東 軍側 の意 見 を聞 く な ど 、 対華 認 識 の向 上 に つと め た。 し か し張 羣 と の会 談 の結 果 は十 九 日 発表 の コ
ミ ュニケ を見 ても わ か るよう に、 双 方 の意志 疏 通 が唯 一の成果 で あ った し 、総 領 事 会 議 の方 も、 そ れ がそ の後 の対華 政 策 の屈折 点を 形 成 す るよう な も の では な か った。 (有 田 の外 相 就任 は 四月 二 日)
こ れ に反 し、 注 目す べき は板 垣参 謀長 によ って表 明 され た関 東 軍 の意 見 であ った。 こ のと き板 垣 は、 外 相 就 任 の予定
者 を 前 にし て、 国 民 政 府 を 否定 し、 日 ・中親 善 工作 を 不 可 能 視 し 、廣 田 三原 則 を紙 上 の空 文 だと断 定 し て、 中 国 の分治
合 作 を 説 い た の だ が 、 そ れ ら は 陸 軍 年 来 の主 張 で あ っ て 、 な に も 目 新 し い も の で は な い。 た だ こ の と き 、 以 上 の主 張 の
い っさ い が 、 ﹁日 本 の 対 外 方 針 の 重 点 は 、日 ・満 不 可 分 の 原 則 に も と づ く 満 洲 国 の健 全 な 発 達 に あ る の だ が 、現 状 の ま ま
で 推 移 す れ ば 、 日 本 は ソ連 と 早 晩 衝 突 す る運 命 に あ る の で 、 そ の 際 の 中 国 の向 背 は 作 戦 遂 行 上 、 至 大 な 影 響 が あ る。﹂
と いう 観 点 ︱ ︱ 一言 で い え ば 、 早 晩 発 生 す べ き 日 ・ソ戦 と いう 前 提 の 下 に 説 か れ て い る こ と は 、 十 分 注 意 を 必 要 と す る こと な のであ る。 ( ﹁日本外交年表竝主要文書﹂ 下巻 三 三〇頁)
と ころ で 、 こ の よ う な 対 ソ 危 機 感 は す で に 一九 三 五 年 の 後 半 か ら 発 生 し て い た 。 ソ連 は こ の年 の 七 、 八 月 の第 七 回 コ
ミ ン テ ル ン 大 会 で 従 来 の 態 度 を 変 え て、 日 本 を ド イ ツ 、 ポ ー ラ ンド と と も に 、 コ ミ ン テ ル ン活 動 の 主 目 標 と す る よ う に
な り 、 こ れ と 前 後 し て、 ト ハ チ ェ フ ス キ ー 元 帥 が 二 正 面 作 戦 の 可 能 を 豪 語 す る ほ ど 、 軍 備 を 強 化 し た 。 ま た 三 三 年 か ら
発 足 し た 国 防 重 視 の第 二 次 五 カ 年 計 画 も 完 成 さ れ よ う と し て い た 。 そ し て こ れ を 裏 書 き す る か の よ う に 、 こ の こ ろ ソ 連 と 日 満 の 間 に い く つ か の国 境 紛 争 が 発 生 し た の で あ る 。
中 国 で は こ の 年 の 八 月 一日 に 中 国 共 産 党 の いわ ゆ る 八 ・ 一宣 言 が 行 な わ れ て 、 国 民 政 府 に 内 戦 停 止 を 要 求 し 、 十 一月
に 中 国 共 産 党 は 大 西 遷 の結 果 、 陜 西 省 北 部 延 安 に 新 根 拠 地 を 構 え る よ う に な り 、 十 二月 に は 中 国 共 産 党 の 中 央 委 員 会 政
治 局 会 議 に よ り 広 範 な 抗 日 民 族 統 一戦 線 結 成 の提 唱 が 行 な わ れ た (﹁十 二 月 決 議 ﹂)。 そ し て 一方 で は 、 こ れ ら の 中 共 側 の
動 き と平 行 し て、 教 育 ・文 化 ・労 働 各 界 の抗 日運 動 が北 平 を 中 心 に展 開 され た。 ま た 三六 年 二月末 に中 共 軍 が、突 然 陜
西 省 か ら 山 西 省 に出 撃 し て 、 国 民 政 府 は も ち ろ ん 、 日 本 の陸 軍 を も 一時 的 に 緊 張 さ せ た こ と も 見 の が し て は な る ま い。
こ のよ う な ソ 連 と 中 共 の 動 向 が 、 当 時 の 日 本 の 外 交 政 策 に 反 映 し な い は ず が な か った 。 そ の こ と は 次 の よ う に 具 体 的 に表 示 さ れた 。
一 廣 田三 原則 中 の共 同 防 共 と いう項 目 は、 一九 三 四年 十 二 月七 日付 、 三省 関係 課 長 の決 定 の覚 書 に も と り あげ ら れ て いな い新
項 目 であ り 、 し か も そ れ が後 の川越 ・張 羣 会 談 に いた るま で 、し つこく 日 本 の対華 要 求 とし て残 存 し て い る。 (中 国 と の ﹁共 同
防 共 ﹂ は廣 田外 交 を つら ぬく唯 一の バ ックボ ー ンだ った よう であ る。 ︹ 須 磨 彌 吉 郎 氏 の筆 者 への談 話 ︺)
二
前 述 の三月 二十 八 日 の板 垣関 東 軍 参 謀 長 から有 田駐 華 大 使 への談 話 の中 で 、対 ソ戦 は必 至 に近 い こと が述 べら れ て いる が 、
当時 、 及川 古 志 郎 第 三 艦 隊 司令 長 官 は軍 参 謀 から 対 ソ作 戦 に関 し て、 次 のよ う な説 明 を聞 い て いる 。す な わち 当 時 す でに関 東 軍
は 、 ソ満 東 部 国 境 付 近 に主力 を集 中 し て、 ウ ラジ オ スト ック の急 速 攻略 に つと め 、 一方 、 外蒙 庫倫 に通 ず る線 に機 械 化部 隊 を機
の通 り で なく ては な ら な いと し た。 ソ連 が 不 毛 の東 部 シ ベ リ ァに集 中 で き る兵 力 の限度 を 二十 五万 と見 て、 これ に 対抗 し て勝 利
動 し て、 バ イ カ ル付 近 で シベ リ ア鉄 道 を 脅威 す る と いう 対 ソ作 戦 方 針 を持 って い た。 そ し て 、 これ に対 処 す る日本 側 の準 備 は次
を え る た め には そ の三分 の二 の兵 力 で足 り る (た だし 装 備 と航 空 兵 力 に お い て、 日 本 軍 は甚 し く劣 勢 であ るか ら 、 そ の充 実 は 焦
た だし 兵 力 の満 洲駐 屯 に は、 内 地 に お け る よ りも 二倍 の経 費 を 必要 とす る。 そ の財 源 に つい て、 関 東 軍 の 一参 謀 は ﹁満 洲 に おけ
眉 の急 務 であ る )。 そ し て そ のた め には 日本 国 内 の在 駐 兵 力 は治 安 維 持 に必 要 な 程度 にと ど め 、 そ の他 の全 兵力 を満 洲 に 送 る。
ま た ウ ラ ジ オ スト ック港 の潜 水 艦 と 、 そ の付 近 の飛 行場 が 日満 交 通 線 の重 大脅 威 で あ る ば かり でな く 、海 軍 作 戦 上 の重 大 問題
る官 吏 の加俸 を全 廃 す べ き だ﹂ と い い、 他 の参 謀 は ﹁日本 の経 済 機 構 を改 革 す れ ば撚 出 可 能 だ﹂ と唱 え た 。
の諸 工作 と戦 備 の充 実 は 一九 四 一年 (昭和 十 六 年) ご ろ を 目標 とし て、 次 第 に完 成 し つつあ り 、戦 備 完 成 の期 日即 対 ソ戦開 始 の
な の で、 こ の両 者 を目 標 に大 挙 空 襲 を行 なう 必 要 が あ る 。 つ いて は海 軍 航 空 兵 力 の協 力 が えら れな け れ ば な ら な い。 な お これ ら
期 日 とす る の であ った 。 (三 月 二十 七 日付 、 第 三艦 隊 機 密 第 八 五 号電 (朝日新聞社刊 ﹁ 太平洋戦争 への道﹂﹃資料編﹄ 二 一六頁 。 )(こ の観
一九 三 六年 (昭 和 十 一年 ) 八月 七 日 四相 決 定 の ﹁帝 国 外 交 方針 ﹂ に は 、明 瞭 に ﹁ 差 当 り外 交 政 策 の重 点 を ソ連 の東 亜 に対 す
測 と 計 画 に いく ら か の改 変 を加 え て 四 一年 に実 施 さ れ た の が 、﹁関 特 演 ﹂ と いう 名 の対 ソ戦 略 態勢 であ った。) 三
四
ソ連 の二次 にわ た る 五 カ年 計 画 の業 績 と 極東 軍 備 の増 強 に鑑 み 、戦 争 指 導 当 局 は 、 満 洲防 衛 を主 体 とす る国 防 に新 検 討 を加
一九 三 六年 十 一月 二 十 五 日 に 日独 防 共協 定 が調 印 さ れ た。
る侵 寇 的企 図 の挫 折 特 に軍 事 的脅 威 の解 消 、 赤 化進 出 の阻 止 に置 く ﹂ と 記 さ れ て いる。
五
こ の研究 会 が起 案 し た ﹁重要 産 業 五 ヵ年 計 画 ﹂ (一九 三七 年 か ら 四 一年 ま で を第 一次 計 画 と し 、 日満 を 綜 合 し 、 一部 不 足 資 源 を
え る と と も に、 一九 三 六年 以来 これ に伴 う 重要 産 業 の拡 充 に関 し 、満 鉄 の宮 崎 正 義 を長 と す る 日満 財 政 経 済 研 究 会 を特 設 し た。
華 北 に求 め ると いう 内容 ) は 、対 ソ戦 備 の完 成 を目 標 とす るも ので あ った。 な お 、 こ の計 画 は直 ち に日 満 両国 政 府 に提 示 さ れ 、
に も とづ い て ﹁ 陸 軍省 案 重要 産 業 五年 計 画要 綱 ﹂ が で き、 内 閣 に提 出 さ れ 、 そ の実 行 法 に関 す る参 考 と し て 研 究 会 が つく った
満 洲 国 の分 は 直 ち に取上 げ ら れ て、 三 七年 度 か ら発 足 し た が 、 日本 の分 は省 部 の間 で種 々論 議 の末 、 三 七 年 五 月 二十 九 日、 これ
﹁重 要 産 業 五 ケ年 計 画 要 綱 実 施 に関す る政 策 大 綱 ︹ 案 ︺﹂ も 六月 十 日 に提 出 さ れ た 。 これら は開 店 早 々 の企 画 庁 で論 議 され た が 、
内容 が広 範 な ため 、 同 庁 で は こなし 切 れず 、 そ のた め企 画 庁 と資 源 局 を合 体 し て企 画 院 を 設立 し 、 そ こ で の審 議 の末 、四 九 年 一
以 上 と も関 連 し て参 謀 本 部作 戦 課 長 ・石 原 莞 爾 大 佐 は 三 六年 七 月 二十 三 日 ﹁戦 争 準 備 のた め産 業 開 発 に関 す る要 望 ﹂ を起 案 し
月 に漸 く企 画 院 案 の ﹁生 産力 拡 充 計 画 要 綱 ﹂ が で き あ が った。
て陸 軍省 に対 し 、 ﹁対 ソ戦 争 準 備 の ため 、戦 争持 久 に 必要 な る産 業 は 昭和 十 六年 ま でを 期間 と し 、 日 、満 、 北支 (河北 省 北 部 お
よ び 、 チ ャ ハル省 東 南 部 ) を範 囲 とし て、 之 を 完成 し 、特 に満 洲 国 に於 て これ が急 速 な るを開 発 を断 行 す る こと を要 望 ﹂ し 、 さ ら に同 月 二十 九 日 には ﹁対 ソ戦 争 準 備 計 画 方 針 ﹂ を立 案 し た。
そ の中 で は、 対 ソ戦 備 (た だ し石 原 の対 ソ戦 備 は前 述 の関 東 軍 参謀 の放 言 と異 り 、 そ れ を完 成 す る こと に よ り 、対 ソ戦 を回 避
い、あわせて以後 に於け る根本革新 の準備をなす。しかれども情勢経済界 の大混乱 を来すが如 きに至 らば、機を逸 せず、根本的
す ることができるという のであ った)充実 のため ﹁現経済力 の最大的発揚 を目途 とし、政治および経済機構 に所要 の改革 を行な 革新を強行する の覚悟 を必要とす﹂ とあるのが注目される。
一九 三 五年 八月 、 石原 莞 爾 大 佐 は参 謀 本 部 作 戦 課長 に着 任 し た。 そ し て彼 は、 ソ連 の極東 軍備 の急 速 な 充 実 と、 満 洲
国建 設 によ る日 ソ勢 力 の直 接 接 触 と いう 現実 の事 態 にも か か わ らず 、 日本 の対 ソ軍 備 が極 め て不備 であ る こと を発 見 し
た。 そ こ で海 軍 と の間 に国 防 国策 に関 す る思 想 統 一を行 な い、 対 ソ軍 備 を固 め て北 方 の脅威 を除 き、 中 国 と は提 携 し て
東 亜 聯 盟 を 組 織 し、 そ の上 で近 い将 来 に予 想 され る ア ング ロサ ク ソ ンと の世界 最 終 戦 に臨 む と いう 彼 独 特 の構想 を具 体
的 に推 進 し よ う と し た。 昭 和 十年 末 か ら翌 十 一年 初頭 に かけ 、 そ のよう な意 図 の下 に石原 は、 岡 本 清福 作 戦 班 長 を伴 な
って、福 留 繁 軍令 部 作 戦 課長 、中 澤 佑 先 任 課 員 と国 防 に関 す る討 議 を行 な った 。 そ のと き石 原 が提 示 し た ﹁国 防 国 策 大 綱 案 ﹂ に対 し て、 福 留 は国 策 の骨子 を ﹁北 守南 進 ﹂ に お く こと を 主張 し た。
福 留 の意 図 は、 北 に対 し ては 現状 以上 に出ず 、 日 本 の将 来 の発 展 を南 方 に方 向 づ け 、 そ れ によ って陸 軍 を牽 制 し 、 無
条 約 時 代 の海 軍軍 備 を 充 実 し よう と いう の であ った。 そ の ほ か、 当時 の海 軍 では 、 軍務 局 第 一課 の任務 が次 第 に ふく れ
あ がり 、 円 滑 事務 な処 理 が不 可能 に な ったた め 、国 策 の検 討 立案 に多 く の メン バ ーを も つ陸 軍 に対 抗 できず 、省 部 の機
構 と 定員 に再 検 討 を行 な う 必要 に迫 ら れ て いた 。北 守 南 進 の具体 化、 陸 軍 の牽 制 お よ び省 部 機 構 の改 革 ︱ ︱これ らを 目
的 と し て、 一九 三 六年 三月 中 旬 軍務 局 第 一課 の高 田利 種 A局 員 は 、﹁海軍政策及制度研究調査委員会組 織の仰裁﹂(三五 一頁)を
起 案 し た。 かく て三 月 十 九 日海 軍次 官 長 谷 川 清委 員 長 以下 海 軍 制度 調 査会 の各 委員 が任 命 さ れた 。 第 一・第 二委員 会 の
委 員 長 には いず れ も軍 務 局 長 豊 田副 武 中 将 が当 り 、 第 一委 員 会 は委 員 長 以下 九 名 、 第 二委 員 会 は 二十 四 名、 第 三委員 会 は委 員 長 村 山 春 一主 計 中 将 (経 理 局長 ) 以 下 十 六名 で、 そ れ ぞ れ構 成 さ れた。
﹁国策要綱﹂( 昭和十 一年四月 ごろ作製三五四頁以下)は以 上 の第 一委 員 会 の所 産 であ った。 海 軍 制度 調査 会 の意 向 が ﹁国 策 要
綱 ﹂ の内 容 のよう な も の であ る限 り 、﹁国防 国 策 大 綱 ﹂ の承 認 を求 め る参謀 本部 と軍 令 部 と の間 に意 見 一致 を 見 る は ず
が な か った 。 や が て両 者 の折 衝 は停 頓 し 、 軍 令部 は こ の際 む し ろ国 防 方 針 、 用 兵綱 領 の改 訂 を行 なう べき だ と提 議 した 。
軍 令 部 の主 張 は 、 こ の両 者 が 一九 一 三年 の改 定 以 来 す でに十 三年 も経 過 し てお り、 そ の間 ロンド ン軍 縮会 議 、 満 洲 事 変 、
国 際 聯 盟 脱 退 と いう 重大 な 事 実 が相 次 いで起 り 、 し か も こ の年 の末 には海 軍軍 備 は 無条 約 状 態 に 入 る の で、 これ ら の事
態 に適 応 し た 改訂 を加 え る べき だ と いう ので あ った 。 これ に対 し 参謀 本 部 は、 す で に時 代 も の にな った国 防 方 針 に代 え
て、 当 時 の情 勢 に対 応 す る国防 国 策 大 綱 の制 定 を主 張 し、 こ の点 で も双 方 の意 見 の調 整 は困 難 であ った。 そ の あげ く 、
参 謀 本部 が軍 令 部 に譲歩 し て、国 策 大 綱 は政 府 で決 定 す る こと と し、 そ れ に基 づ く軍 部 の狭 義国 防 と し て の国 防 方針 を
改 定 す る こと で両 者 の妥協 が成 立 し た 。 し か し こ の改 訂 の審 議 に当 っても の主 要 想 定 敵 国 を ソ連 一国 に限 定 し よう とす
る参 謀本 部 主 張 と、 こ れに米 国 を加 え、 し か も米 ソ の順 序 とす る こと に固執 す る軍 令 部 の意 向 が 対立 し た 。 これ に関 し
ても つ いに参 謀 本 部 が折 れ 、 六月 八 日裁 可 の ﹁帝国国防方針 ・用兵綱領第三次改訂﹂(三五六頁)と な った。
そ の後 も参 謀 本 部 では ﹁国防国策大綱﹂(三五七頁)を軍 令 部 に認 め さ せ る こと を断 念 せず 、六 月 三十 日 に改 定案 を つく り 、
閑 院宮 参 謀 總 長 の決裁 を得 て、これ を最 終 案 とし た 。 そ こに は今 ま で の折 衝 を通 じ て知 り 得 た 軍令 部 の意 向 をと り いれ
る こと と なり 、 ソ連 屈 服後 南 方 進 出 を は かり 、米 国 の参 戦 も覚 悟 す る、と いう 項 目 が書 き加 え ら れた 。 そ し て こ れを 軍
令 部 に提 示 し た が、 軍 令 部 は こ の案 の重 点 が第 三項 ︱︱ つま り ﹁先 づ蘇 国 の屈 伏 に全 力 を傾 注 す ﹂ と いう と ころ にあ る
こと から 、 これを も受 け い れな か った。 そ し て逆 に軍 令 部 か ら海 軍 案 であ る ﹁国策 要 綱 ﹂ に陸 軍 の意 向 を加 え て修 正 し、
これ を ﹁国 策 大綱 ﹂ と し て、 陸 海 軍大 臣 に お いて協 議 決 定す べ き こと が提 案 さ れた 。 陸 軍 側 は ま た も や譲 歩 し 、 六 月 三
十 日 陸海 軍間 に ﹁国策 大綱 ﹂ の成 立 を 見 た。 同 日永 野 修身 海 相 は閣 議 後 、廣 田首 相 、 有 田首 相 、馬 場 蔵 相 に対 し て ﹁国
策 大 綱 ﹂ を 示 し て諒 承 を求 め た が、 陸 海 外 三相 は、 大 体 にお い て趣 旨 に異 存 がな い旨 を 述 べた と いう。
﹁国策 大綱 ﹂ の成 立 後 、 陸 海 軍側 は外 務 省 に対 し 、外 交 方 針 を樹 立 す べ き こと を申 出 で、 そ の後 一カ 月余 にわ た って、
陸 海 外 三 省 で協 議 の末 、 そ れ が でき あ が った。 そ し て 八月 七 日 の四相 間 の協 議 で こ れ を ﹁帝国外交方針 ﹂(三六 三 貢 )と 銘
う って承 認 し 、 ま た同 日 の五 相間 の協 議 で ﹁国策 大 綱 ﹂ の確 認 が永野 海 相 から 持 ち出 さ れ た らし く 、席 上 ﹁国 策 大 綱 ﹂
は ﹁国策の基準﹂(三六 一頁)の名 の下 に成 立 し た 。 以 上 の経 過 と 、 ﹁帝 国 外 交方 針 ﹂ の中 に、 海 軍 側 の意 向 が か なり と り い
れ ら れ て いる こと に つ いては 、 外務 省 東 亜 局 第 一課長 上村 伸 一の手 記 ﹁国策大綱決定の経緯﹂(三五九頁)に詳 細 に述 べ ら れ て いる。
さ ら に 八月 十 一日、 関 係 諸 省 間 で、 ﹁帝 国 外 交 方 針 ﹂ に準 拠 し て、 ﹁対支実行策﹂( 三六六頁)と ﹁第 二次北支処理要綱﹂( 三六
八頁)を決 定 し た。 こ の新 し い対華 政 策 が華 北 分 治 を 目標 とす るも の で あ る こ と は ﹁第 一次 北 支 処 理 要 綱 ﹂ と 同様 で あ
る が 、た だ そ の分 治 が ソ連 に備 え るた め のも の であ り 、 ま た南 京授 権 の下 に こ れを行 な おう と し て い る 点 は 、﹁第 二次北
支処 理要綱﹂附 録 の中 で華 北 経 済 開 発 の具 体 的 内 容 が示 さ れ て いる こと と と も に、 新 政 策 の特 色 であ る。
これよ り 先 、 六月 十 九 日、 陸 海 外蔵 四省 の間 で ﹁時 局 委 員 会 設 立要 綱 ﹂ を決 定 し た。 これ によ れば 、時 局 委 員 会 は 外
務 次 官 を 委員 長 と し、 四省 より 派出 さ れ る委 員 によ り構 成 さ れ、 統 帥 事項 を除 く 華 北 に関 す る 一切 の事項 を審 議 決 定 す
る機 関 であ る と いう のだ から 、 そ の設置 は外 務 側 の対華 問 題 に関 す る主 導 権 が、 形 式的 に は 一応 認 め ら れ た ことを 意 味 す ると考 え て よ いだろ う。 ( ﹁時局委員会 設立に関する件 ﹂三七二頁)
﹁対支政策の検討 ( 案) ﹂(三七四頁)以 下 ﹁陸軍省 に対し対支政策 に関する意志表示﹂(三八四頁)に至 る各 資 料 には 、 いず れ も石
原 莞 爾個 人 ま た は石 原 を課 長 に いた だく 参謀 本 部 第 二課 の対 華政 策 に関 す る意 見 が盛 ら れ て いる。 これ ら を通 じ て知 り
得 る こと は、 石 原 には 理想 主 義 者 と し て の 一面 が あ った と いう こと で あ る。 か つ て彼 は漢 民 族 によ る主 権 の確 立 は 困難
だ と 断 定 し た ので あ る が (﹁現 在 及将 来 に於 け る日 本 の国 防 ﹂ 朝日 ﹃ 資料編﹄七八頁)一九 三 六年 十 二月 の西 安 事変 を契 機 と
し て、 彼 の中 国 人観 は 一変 した 。 こと に党 力 、 そ し て青 年 の結 成 す る抗 日 民族 戦 線 に着 眼 し、 こ れを 日本 の帝 国 主 義 的
侵 略 政 策 の放 棄 によ り 、新 中 国 建 設 、統 一運 動 に向 わ せ る こと が でき ると み る よう にな り 、 か な り純 粋 な 理 想主 義 に昇
華 し た。 た だし 日 中提 携 の 目標 を 中 国 の東 亜 聯 盟 加 入 に置 くと ころ に、彼 一流 の信 仰 に発す る強 制 があ り 、 そ の点、 客
観 的 には 自 ら 否 定す る と ころ の帝 国 主 義 に陥 って いる と評 され ても や む を得 な いだ ろ う 。
廣 田内 閣 は 、 一九 三 七年 (昭和 十 二年 ) 一月 二十 三 日、 軍 部 の攻勢 に屈 し て総 辞 職 し た。 翌 二十 四 日、 組閣 の大 命 は
宇 垣 一成 予 備 役 陸 軍 大将 に下 った が、陸 軍側 の強 硬 な 反 対 を受 け て陸 軍大 臣 を取 る こと がで きず 、 つ いに組 閣 を断 念 し て、大 命 を 拝 辞 し た。
こう し て大 命 は 一転 し て、 か つて の越 境将 軍 ・林 銑 十 郎 大将 に降 下 し 、 二月 二日 に林 内 閣 が成立 し た (陸 相 は中 村 孝
太 郎 中将 、 海 相 は米 内 光 政 中将 、蔵 相 は 結 城豊 太 郎 )。 この内 閣 は 、 と り あ えず 外 相 を林 首 相 の兼 任 と し、 三 月 三 日 に 駐 仏 大使 ・佐 藤 尚 武 が外 相 と し て迎 えら れ た。
一九 三 七年 を迎 え て日 本側 で は、 期 せず し て各 方 面 から 対 華 政策 の再 検 討 が要 望 さ れ る よう にな った。 こと に前 年 の
末 に発 生 し た西 安 事 件 の結 果 、蒋 介 石 の共 産党 に 対す る接 近 が 予想 さ れ ると 同時 に 、蒋 によ る国 家 の統 一が意 外 に強 固
で あ る こと を 明 ら か にし た 。 ま た これ と前後 し て勃 発 し た綏遠 事変 は、 中 国 人 の民族 意 識 を高 揚 し、 日本 軍 に対 す る劣
等 感 を解 消 し た 。 これ ら の新 事 態 と 、陸 軍 側 が採 用 し つ つあ った 対 ソ戦 備 充 実 方針 は 、 必然 的 に従来 の対華 政 策 の改 訂
を求 め る こと に な った。 陸 軍 側 のそ れ は ﹁帝国外交方針改正意見﹂( 三七八頁)と ﹁対支実 行策改正意見﹂( 三八〇頁)そ の他 であ
り 、 海 軍 側 のは 横井 忠 雄 軍 令 部 甲 (政策 担 当 ) 部 員 の ﹁ 対支方策再検討に関する意見﹂(三八五頁)と ﹁海軍の対支実行策案﹂
(三九七頁)等 の中 に認 め ら れ、 外務 側 のは ﹁﹃対支実行策 ﹄及 ﹃第 二次北支処理要綱﹄ の調整 に関す る件﹂(三九四頁) の中 で、新
し い ﹁対 支 実 行策 ﹂ と ﹁第 三次 北支 処 理要 綱 ﹂ と いう形 式 の下 に立案 さ れ た。 こう し た気 運 の動 く中 で 四月 十 六 日 の四
相会 議 は、 新 し い ﹁対支実行策﹂(四〇〇頁)と ﹁北支指導 方策﹂( 四〇二頁)と を 決 定 し た。 こ の新 政策 に つ いて何 よ り も 注 目
す べき こと は 、﹁対支実行策﹂ に お いて ﹁北支 の分治 を 図 り 若 く は支 那 の内 政 を 紊 す 虞 あ る が如 き 政 治 工 作 は 之 を は 行
ず ﹂ と 明 記 さ れ た こと であ る。 こ こに至 って、 ﹁第 一次 北支 処 理 要 綱 ﹂ 以来 の華 北 分 治方 針 は放 棄 さ れた と い ってよ い。
この こと は 一月 二十 五 日 の参 謀本 部 の ﹁陸軍省に対し北支政策に対する意志表示﹂(三八四頁)の中 に もす で に掲 げ ら れ て いる
ので あ る が、 そ れ が ここ で国 策 の線 にま で登 場 す るよ う に な った の であ る。 かく て華 北 工作 は行 な わ な いと いう 石 原 の
中 国 側 の高姿 勢 と破 局 の到来
主 張 は陸 軍 部 内 ば か り で なく 、 対 華国 策 を も リ ード す る こと にな った 。
一〇
日本 側 が次 第 に従 来 の対華 政 策 に反省 を加 え つ つあ った と き、 中 国側 は前 述 の よう に俄 然 態 度 を 硬 化 し 、両 者 の間 に
完 全 な ズ レが認 め ら れ る よう にな った。 須 磨 南 京 総 領 事 は 一九 三 七年 のは じ め に帰 朝 し て、各 所 で中 国 の新動 向 に関 す
る講 演 を行 な った 。 そ の中 で本 書 には 三 月十 五 日 の 工業 倶 楽 部 第 三 回定 例 会員 茶 話 会 席 上 にお け る ﹁日支関係の現状及び
将来﹂(四〇四頁)と 題 す る講 演 と、 一月 二十 九 日 の軍 令 部 第 三部 長 室 で の 帰 朝 談 (﹁須磨南京総領事帰朝談要旨﹂四 一七頁)軍
令 部 第 三部 長 の ﹁情報綜合﹂(四 一九頁)と を 掲 げ た 。 いず れ も内 容 は大 体 同 じ であ る が、 当時 の、 目を 見 は ら せ る よう な 中国 側 の高 姿 勢 ぶ り が鮮 か に分 析 され て いる。
ま た中 国 の対 日反 攻 の事 実 をし めす も のと し て、 山 東 省 に た いす る税 警 団 (塩 田 の監 視 、 塩 税 と密 輸 の取 締 り を 目的
とす る混 合 部 隊 ) の進 出 が あ る。 従来 、山 東 省 の中 国 軍 隊 は、 韓 復榘 軍 と沈 鴻 烈 指 揮 の旧 東北 海 軍 陸 戦 隊 だけ で、 中央
系 軍隊 は 一兵 も 駐 屯 し な か った。 と ころ が 四月 下 旬 にな り 、突 然 、 税 警 団 が海州 方 面 から 青島 に前 進 し た。
そ の動 機 は 三中 全 会 で沈 鴻 烈 が国 民 政府 に、 日本 軍 の上 陸 阻 止 を理 由 と し て陸 兵 派 遣 を 求 め た こと か らは じま り 、華
北 の中央 化 を は か る国 民政 府 は 二 つ返 事 で これ に応 じ、 折 か ら 海州 ・徐 洲 付 近 に駐 屯 中 の第 二師 と 第 五十 七 師 の 一部 を 基幹 とす る中 央 軍 、 約 四、 五 千名 を 税 警 団 と改 名 し て出動 さ せ た のであ った 。
国 民政 府 は こ の進駐 を 通 じ て、
三
二
抗 救 日国 を 宜伝 さ せ る。
日本 の密 輸 入 を防 止 さ せ る。
綏 遠 事 変 の発 展 に策 応 さ せ る (当時 、綏 遠 省 は 平 静 で あ った が、中 国側 は し き り に綏 遠 の急 を宜 伝 し た)。
一 韓 復榘 、沈 鴻 烈 の警 防 部 隊 と協 力 し て 日 本軍 の山 東 省 侵 入 を撃 退 さ せ る。
四 の を ね ら った の だ と か 、 あ る い は
江 蘇 ・山東 両省 の沿 岸 地 方 を占 拠 し て 、 日本 に 傾 斜 し が ちな 韓 復榘 と 日本 と の連 絡 を遮 断 す る。
一 中 央 軍 の勢 力 を華 北 に発 展 さ せ 、冀 察 政 権 を 没 落 さ せ る。 二
の を 目 的 と す る と か い わ れ た が 、 いず れ に し て も 対 日 目 的 の 進 駐 で あ る こ と は 明 ら か で あ った 。 そ の た め に 青 島 方 面 の
(﹁税 警 団 問 題 に関 す る大 鷹 総 領 事 の第 一六 五 号 電 ﹂(四三六頁) が 明 ら か に し て く れ る 。 こ の ほ か こ の 問 題 に
排 日 気 勢 は 急 激 に高 ま り 、 そ の方 面 に 居 留 す る 日 本 人 に は 、 か な り の被 害 が あ った よ う で あ る 。 そ の実 情 は 大 鷹 正 次 郎
青島総領事 の電報
つ いては 三種 の海軍側資料 (四二 三頁以下)を 掲 げ た 。
さ ら にもう ひと つ児 玉 経 済 使節 団 の訪 中 に 注 目 す る必 要 が あ る ( ﹁児玉 (謙次)訪支使節談﹂四二 一頁)。 児 玉 謙 次 (日 華
貿 易 協 会 会長 ) ら の使 節 団 を 中 国 に派 遣 す る計 画 は 、経 済 人 によ る日中 交 渉 再 開 の打 診 を目 的 と し て、 国 防 資 源 の開 発
に関 心 を も つ寺 内 陸 相 の首 唱 に より 、 す でに 一九 三 六年 の秋 に抬 頭 し た が、 翌 三 七年 にな り 、 中国 側 が中 日 貿 易協 会 の 総 会 に児 玉 を ま ねく と いう 形式 で これ が実 現 し た。
三 華 北 一帯 を特 殊 化 し よ う と いう 日本 の工作
四 軍用機
一行 十 六名 は 三月 十 二日 に神 戸 を 出 帆 し て中 国 に渡 り 、 中国 側 経 済 人 と幾 度 か会 合 し て、 日 中経 済 提 携 を 協議 し た が、 二 そ の特 殊 貿 易
五 特務 機 関 など の政 治 的障 害 を除 去 す る こと を要 望 し、 そ の た め に具 体 的 成 果 を あげ る こ と が でき
中 国 側 は そ の前 提 とし て、 一 冀東 政 府 に よ る自 由 飛 行 な か った。
日本 国 内 では 五 月 ご ろ にな ると 、 一部 に中 国 統 一事業 の進 捗 、 民 族 意 識 の高 ま り、 抗 日態度 の激 化 と いう 現状 にた い
す る再認 識 論 が抬 頭 し 、 さ ら に そ れは 川越 駐 華 大 使 の現 地報 告 に もと づ い て対華 根 本 方 針 を 再 検討 す る た め に五 月 十 五
日 に開 か れ た陸 ・海 ・外 三省 会 議 に反 映 し て、 そ こ で の結論 さ え、 ゆ る がす よう にな った 。
一方 、 林 内 閣 は議 会 に多 数 を占 め る政党 側 の倒 閣 運 動 に対抗 し き れず 、 五 月 三 十 一日 に倒 れた。 そ し て六 月 一日 近衛
文 麿 内閣 (第 一次 ) が 成 立 し て、 廣 田弘毅 が再 び外 相 と し て迎 え ら れ た (陸 相 は こ の年 の 二月 九 日 か ら林 内 閣 の陸 相 と
な った杉 山 元 大 将 が留 任 。 海 相 は 米 内 光政 大 将 の留 任 。蔵 相 は馬 場鍈 一)。 こ の時 期 に入 ると 、 国 内 では 対華 再 認 識 論
の再 認 識 が 一部 でと な え ら れ るよ う にな り 、 ま こと に日 本側 の不見 識 を 遺 憾 な く暴 露 す る感 があ った。
日本 の 対華 方 針 が こ のよう に混 沌 と し た形 で推 移 し つ つあ った とき 、 一方 、華 北 の 日中 関係 は悪 化 の 一路 を た どり 、
一触 即発 の形 勢 に追 い こま れ た。 六 月 下旬 、陸 軍 省 軍 事課 高 級 課 員 岡 本 清福 中佐 が石 原 莞 爾参 謀 本 部 作 戦 部長 と協 議 し
て、華 北 を視 察 し た が 、 そ の報 告 のな か でも華 北 は い つな に が お こる かわ か ら ぬ ほ ど の異 常 な緊 張 ぶり であ ると いう 観 察 が行 な わ れた 。
そ し て いく つか の日中 間 の小 ぜ り あ いが華 北 で反 復 さ れた あげ く 、 つ いに七 月 七 日、 北 平 郊 外 の蘆 溝 橋 付 近 にひ び き わ た る 一発 の銃 声 が、 日中 両 国 を 不幸 な全 面 戦 争 に追 いや った の であ る。
な お本 書 に収 め た 軍令 部 第 二課 の ﹁ 北海 ( 支那)事件概要﹂(二〇九頁)は 体裁 は不 統 一だ が 、 一九 三 六年 九 月 の北 海 事 件
勃 発 か ら 、翌 三七 年 一月 の青 島 日本 人 経営 紡 績 工場 にお け る中 国 人 工員 の スト ラ イ キ、 そ れ に 対す る海 軍 陸 戦 隊 の上陸
問 題 に至 るま で の機 密作 戦 風 の 日誌 であ り、 そ の間 の海 軍 の動 き が詳 細 に述 べ ら れ て い て、極 め て資 料 的 価 値 が 高 い。
(島 田 俊 彦 )
二
内蒙 工作
内蒙 工作 は、 前 章 収録 の華 北 工作 と 元来 表 裏 一体 た る べき も ので あ った 。 し か る に、 華 北 工 作 の方 は、 関 東 軍 の手 か
ら逐 次 国 策 と し て中 央 の手 に移 って、 いわ ゆ る表 街 道 の施策 と な って い った に拘 わ らず 、 内 蒙 工作 の方 は、 工作 進 展 に
伴 い、 む し ろ漸 次 秘密 のヴ ェー ル の中 に没 し去 り 、 遂 には 現 地機 関 と主 任参 謀 以外 は そ の実 相 を 把握 し得 な いよ う な極
端 な事 態 に立 ち いた った。 いわば 文 字 通 り の裏 街 道 秘 密 工作 と な った。 本章 収録 の諸 資 料 は 、 こ の間 の事 情 を 詳 細 に解
明 し てく れ る こと で あろ う。 特 に内 蒙 工作 中 の主 な事 件 であ った察 東 お よ び綏 遠 両 事件 を直 接 指 導 し た 松 井 元 中 佐 の
﹁手記﹂(五〇二頁、五六二頁) は、 す で に年 月 を 経 た、 遠 い蒙 古 の風 雲 を今 な お 眼 のあ た り に み るご と く 活 写 し て余 り あ り、
かず かず の基 礎 資 料 理 解 のた め好 箇 の記 事 であ る の みな らず 、蒙 古 風 雲 録 そ のも ので もあ る。 綏遠 事件 など は 、 当時 か
ら 諸 説紛 々、 いず れも真 相 を伝 え得 な か った も のであ る が、 こ こに は じ め てそ の全 貌 を明 ら か にし得 た こと は、 編 者 の
よ ろ こび で もあ り 、 ま た 今 日 にお いては 、 これ 以 上 の軍 関 係資 料 を他 にも と め得 な いとも 信 じ て い る。
日本 陸 軍 が蒙 古 に関 心 を持 ち、 将 来 のた め逐 次 布 石 を打 って い った歴 史 は 古 い。 日清 戦 争 前 に、時 の参 謀 次 長 川 上 操
六 中将 が実 行 し た施 策 は 別 と し ても 、 日露 戦 争 を経 て辛 亥 革命 の頃 に いたり 、 内 外蒙 古 に対 す る関 心 が急 激 にた かま っ
た 。 こ の頃 福 島 安 正 将 軍 の内 外 蒙 古 経 略 論 があ った と いわ れ るし、 第 三次 日露 協商 に より 秘 密 に協 約 し た内 蒙 勢 力 圏 の
分 割 設 定 に始 ま って、大 正 四年 (一九 一五 年) に は、 例 の 二 一カ条 要 求 にも と づ く 日支 条 約 によ り 、東 部 内 蒙 古 いわ ゆ
る満 洲 蒙古 に 対す る わ が特殊 権 益 が設 定 さ れた ので あ った 。 そ し て この間 には 、 袁 世凱 打 倒 を めぐ って第 一次 お よ び 第
二次 の満 蒙 挙 事 事件 が あ って、 わ が朝野 の視 聴 を あ つめ た。
く だ って シ ベ リ ア出 兵 時 にな ると 、 日本 は、 ロシ ア革命 のた め反 故 と な った 日露 協 商 の線 以 上 に、 ロシ ア に代 って北
満 お よ び蒙 古 に進 出 を企 図 し た の であ った が、 これ は見 事 に失 敗 に帰 し た。 第 二次 満 蒙 挙 事 (大 正 五年 ) に清 朝復 辟 、
満 蒙 独 立 を めざ し て活躍 し た蒙 古 の英 雄 巴布 札 布 将 軍 の残 党 も 、 バ ロン ・ウ ンゲ ル ンと 共 に大 庫 倫 の決 戦 に敗 れ て遂 に
雲 散 霧 消 し てし ま った。 爾 来 蒙 古 は 、 対 ソ作 戦 の ため の兵要 地誌 調 査 の対象 とし て、 多 く そ の存 在 が注 目 され た の であ った。
し かし 昭 和 四年 七 月以 来 満 蒙 領有 論 を も って、 着 々そ の構 想 を 推 進 し た石 原 参 謀 時 代 に 入 ると 、 俄 然 満蒙 は新 し く 脚
光 を あ び る こと に な り、 満 洲 事 変 の結 果 、 満 蒙 の様 相 は 一変 し た 。す な わち 満 洲 国 独 立 し、 東 部 内 蒙 古 、す な わち いわ
ゆ る満 洲 蒙 古 は 、 そ の新 領 土 の 一部 と な った。 この間 の資 料 は、﹃満 洲 事 変 ﹄の巻 に載 録 さ れ、 す で に読者 各 位 の目 にと ま った こと と思 う 。
本 章 収 録 の内蒙 工作 は、 満 洲 建 国 以後 主 と し て熱 河 作 戦 を 起 点 と す る西 部 内 蒙 古 に 対す る 工作 資 料 であ る。 これら の
諸 工作 を 経 て日中 戦 争 と な り 、 遂 に蒙 彊 自 治 政府 にま で発 展 し た。 し かし 日本 の敗 戦 と とも に、徳 王 ・李 守 信 ・卓 特 巴
札 普等 によ る蒙 彊政 府 は 解 消 し た が、 そ の蒙 古 民族 に よ る蒙 彊自 治 連 盟 は、 依 然 中 共治 下 に厳 と し て存在 し て いる。本
章 にお い ては、 時 期 的 に昭 和 十 二年 初 頭 にわ た る綏 遠 事 件 善後 処 理 ま でと し 、 蘆溝 橋以 後 の分 は 、 次 の ﹁日中 戦争 二﹂ の巻 に譲 った。
一 工作 の発 端 と松 室 大 佐
前 述 のよ う に、 満 洲 事 変後 の内 蒙 工作 は 、熱 河作 戦 が起 点 であ った。 松 室 (孝 良) 元 少 将 によ れば 、 昭 和 七 年 八 月末 、
当 時 騎 兵 第 一聯 隊 長 であ った 同大 佐 は、 参 謀 本部 第 五課 長 酒 井 (隆 )大 佐 か ら ﹁関 東軍 側 と協 議 の上 、貴 官 は いず れ蒙
古 関 係 の仕 事 に 従 事 せ し め ら れ る こと に略 々内 定 し て い る か ら 、 そ の心 組 で ⋮ ⋮ ﹂ と の 内 報 を う け た 。 次 い で同 年 十 二
月 下 旬 、 あ ら た め て 同 課 長 か ら ﹁明 年 早 々 関 東 軍 は 、 熱 河 作 戦 を 開 始 す る。 貴 官 は 、 近 く 関 東 軍 司 令 部 附 に転 任 を 命 ぜ
ら れ 、 主 と し て 蒙 古 工 作 に 従 事 せ し め ら れ る こと に 決 定 し た﹂、 と 内 命 さ れ た と い う 。 中 央 、 関 東 軍 と も 熱 河 作 戦 を 契
機 と し て、 真 面 目 に蒙 古 工作 を 開 始 す る 意 図 で あ った こ と は 明 瞭 で あ り 、 そ の た め に 、 当 時 陸 軍 に お け る蒙 古 通 の 第 一 人 者 と 目 さ れた 松室 大 佐 をわ ざ わざ 起 用 し た も の であ ろう 。
松 室 大尉 (間 も な く 八月 には少 佐 ) は、大 正 十 二年 四月 、 はじ め ての研究 員 とし て張 家 口 に赴 任駐 在 し た。 研 究 期 間
は 二年 であ った が、 そ の与 えら れ た研 究 項 目 は、 一 蒙 古 事情 、 二 西 北 に お け る 共産 党 の赤 化 工作 、 三 庫倫 方 面 に対
す る陰 山 山脈 の戦 略 価 値 ︱︱ 西 北 方面 の経 済等 の調 査 竝資 料 収集 であ ったと いう 。 こ の間大 正 十 三年 十 月 、 第 二次 奉 直
戦 争 にお け る馮玉 祥 のク ー ・デ タ ーに は、直 接 作 戦指 導 (土 肥原 中 佐 は計 画 に参 画 し た)に あ た った 。由 来 馮 と の因 縁 は
深 く、 研 究期 間 終 了 と と も に、 懇 望 さ れ て馮 玉祥 顧 問 と なり 、彼 と の関 係 は な がく 昭 和 四年 八月 ま で続 いた のであ った。
し た が っ て、 研 究 員 お よ び 顧 問 時 代 を 通 じ て、 そ の 足 跡 は 、 察 哈 爾 、 綏 遠 両 省 は も と よ り 、 外 蒙 お よ び 寧 夏 に お よ び 、
雲 王 、 徳 王 を は じ め 、 帰 化 城 の 馬 福 祥 の 一党 と も 親 交 を 結 び 、 そ の 子 弟 等 の教 育 を も 依 嘱 さ れ て い る 。 ま た 外 蒙 の タ ン
バ ト ル ヂ と も 互 に 相 許 し た 。 馮 玉 祥 の た ど った 波 瀾 に み ち た 運 命 と と も に 、 彼 の 事 実 上 の参 謀 格 だ った 松 室 中 佐 も 種 々
苦 難 を 重 ね た が 、 そ の 内 蒙 お よ び 西 北 に 印 し た 足 跡 と 事 績 に は 異 彩 を 放 つも の が あ った の で あ る 。 そ し て 時 ふ た た び め ぐ り 来 って 、 昭 和 八 年 一月 蒙 古 工作 の た め 関 東 軍 に 転 任 し た の で あ った 。
さ て関 東 軍 の初 期 の内蒙 工作 に タ ッチし た 人 々は、 誰 々で あ った のか。 小 磯 (國 昭 )参 謀 長 が統轄 者 であ った こと は
も ち ろ ん であ るが、 齋 藤 (彌 平 太 ) 第 一課 長 お よ び喜 多 (誠 一) 第 二課 長 が直接 指 導 し 、 現 地 にお け る実 行 の主 任 者 は 、
松室 大 佐 、 松井 (源 之 助 )中 佐 お よ び 田中 (久) 少 佐 の三 人 で あ った。 松 室 大佐 は、 一月下 旬 着任 し た が、熱 河作 戦 開
始 に若 干 の時 日 が あ った た め、 取 敢 えず 当 時 林 (義 秀 ) 少佐 が省 顧 問兼 特 務機 関 長 と し て駐 在 し て いた斉 々哈爾 に行 き 、 省 政府 (省 長 韓雲 階 ) 内 紛 の内 面 指 導 に任 じた。
次 いで 二月 十 四 日新 京 で開 催 さ れた情 報 主 任 者会 議 に、 松室 大 佐 の外 通遼 機 関長 田中 少 佐 、錦 州機 関長 松 井 中佐 等 が
招集 をう けた 。同 会 議 の席 上齋 藤 第 一課 長 から 、﹁松 室 大 佐 は、第 六師 団 と 同行 し て熱 河 に 入り 、 そ の作 戦 を容 易 な らし
め る﹂ と の指 示 あり 、 特 に湯 玉 鱗 軍 (主 体 は 崔興 武 騎 兵 旅) の切 り崩 し 、 劉桂 堂 軍 の懐 柔 お よび省 外 誘 導 を慫 慂 さ れた。 さ ら に喜 多 第 二課 長 か ら は、 次 のよう に指 示 さ れた ので あ った 。 一、 先ず 通 遼 に行 き、 田中機 関長 を そ の区 處 下 に 入 れ る こと
二、軍 が承 徳 を占 領 す るや、 同 地 に特 務 機 関 を開 設 し 、熱 河 省 政府 の内 面 指導 に任 ず ると と も に蒙 古 民族 の懐 柔 に 努 め る こと。 田中 少佐 を そ の補 佐官 とす る 松 井 中 佐 は赤 峰 機 関長 とな り 、松 室 承 徳 機 関長 の区 處 を受 け る
情 報 会 議 後間 もな く松 室 大 佐 は 通遼 入り し 、 田中 少 佐 を掌 握 し 、騎 兵 第 四旅 団 と連 絡 し、 つづ いて集 結 し た 第 六師 団
を迎 えた 。 そ の頃 す でに徳 王 を 起用 し 、 崔 興武 帰 順 問題 が進 展 し て いた こと は、 ﹁熱河作戦機密作戦 日誌抄﹂(四四三頁)の示
す 通 り であ る。 ま た懐 柔 と省 外誘 導 を 指 示 さ れ た劉 桂堂 も、 二月 二十 一日 に は親 満 通電 を発 し 、爾 後 松 室 大 佐 の指 導 に 従 い、 魯北 から 天 山 を経 て林 西、 多 倫方 面 に行動 し た の であ った。
団長 李守 信 の属 し た崔 興武 旅 いわゆ る開 魯 軍 は 、騎 兵 第 二十 六聯 隊 第 二中 隊 を も って編 成 し た小 柳 津 支隊 を誘 導 し、
三月 十 四 日頃 林 西 に到 達 し た。 さ らに 一隊 、 正規 の満 洲国 軍隊 であ る張 海 鵬 軍 に属 す る王英 清 軍 が、武 田 (丈 夫 )大 尉
に指 導 さ れ て、 概 ね開魯 軍 の進 路 を 前進 した ので あ る。 そ し て林 酉 に お いて、崔 興 武 は 旅長 を辞 任 し 、爾 後 季守 信 (満
洲 蒙 古 人 ) これ に代 り、 松 室 大 佐 の指 揮 す る準 満 洲 国軍 とな った。 松 室 大 佐 は、 林 西 に飛 び、 同 軍 に兵 器 、被 服 、 軍 費
等 を支 給 し て激 励 し た と いう こと で あ る。 そ の後 の行 動 は、 相当 に苦 難 を伴 ったよ う であ る が、 実際 には武 田大 尉 が指
導 し た 。多 倫 に進出 し た のは ﹁熱河作戦機密作戦日誌抜萃︱軍参謀長電﹂( 四四四頁)の通 り、 前 記 三部 隊 概 ね同時 す な わち 四 月 二十 八 日 であ った 。
か く て四、 五 月頃 には 、多 倫 周 辺 に前 記 三部隊 が屯 し て いた。 そ のう ち 劉 桂堂 軍 はも ち ろ ん、 満 軍 であ る 王英 清 軍 も、
さ ら に張 家 口方 面 に押 出 され る こと によ って、 自 然 消滅 に導 く 意 図 で あ った の であ る。熱 河作 戦 に満 軍 を使 用 し た こと
自 体 が、 そ の整 理 収 編 が真 の目 的 で あ った。 し かし 李 守信 軍 ひと り 、満 軍 に収 編す る こと こそ許 され な か った が、李 守
信 には 満 軍 中将 の階 級 が 与 え られ 、 そ の部 隊 は察 東 警 備 軍 と称 せら れ 、承 徳 機 関長 の指 揮 を受 け た。 松室 大 佐 の配慮 と
し か し て六 月 には 、 予 定 の通り 劉 桂堂 軍 南 方 に去 り、 王 英清 軍 は 、 武 田大 尉 の強 硬 な意 見 具申 が顧 問 佐 久 間 (亮 三 )
小磯 参 謀長 の決 断 によ るも のであ った。
少佐 の容 れ ると ころ とな り、 赤 峰 に帰 還 せし めら れた のであ る。 この頃 には、 烏 古 廷 (熱 河 蒙古 人 ) の 一隊 が察 東警 備
軍 に加 え ら れ、 四支 隊 編 成 と な って いた 。若 し松室 大 佐 遭 難 事件 がな か ったな ら、 不安 動 揺 も な く、 し た が って撤 退 、 再 進 出 な ど の 苦 難 を な め る こ と も な か った か も 知 れ な い。
松 室 大 佐 は 、 十 万 円 携 行 し て 、 五 月 二 十 二 日 、 多 倫 に向 って 飛 ん だ が 、 不 幸 不 時 着 し た 。 こ の こ と は ﹁熱 河 北支 作 戦 の
経 験 抜 萃 ﹂(四四五頁) の 通 り で あ る 。 ま た 七 月 李 守 信 軍 が 、 西 北 軍 吉 鴻 昌 の た め に 苦 杯 を 喫 し た 事 情 も 、 同 記 事 に 明 記 さ
れ て い る 。 松 室 大 佐 に よ れ ば 、 李 軍 多 倫 進 出 の と き 、 か ね て 旧 知 の 馮 軍 に諒 解 (多 倫 以 南 に進 出 せず 、 し た が って攻 撃
関 東 軍 の意 図 と布 石
せ ざ る こ と ) を 求 め る 書 状 を 持 参 せ し め た と の こ と で あ った が ⋮ ⋮ 。
二
そ も そ も熱 河作 戦 の頃 、 関東 軍 の満 洲国 外 に対 す る情 報 収集 お よ び諜 報 の態 勢 は、 土 肥原 少 将 を 哈爾 賓 に配 し て、 シ
ベ リ ア方 面 に対 せ し め、 板 垣少 将 を奉 天本 拠 に、 華北 方 面 に対 せ し め た。 そ し て さら に 、松 室 大 佐 を承 徳 にお いて、 内
え るよ う であ る。
蒙 、 外蒙 方 面 を担 任 せ し め る 三本 立 の態 勢 と な った 。 こ の態 勢 は 、爾 後 の華 北 お よ び内 蒙 工作 の推移 に多 く の示唆 を 与
し かし て、 内 蒙 方 面 に 対す る陸 軍 の意 図 は、 前 節 ﹁機密作戦日誌抜萃﹂ にお け る軍 参 謀長 電 の示 す 通 り で あり 、 中央 ま
た こ れ を 確 認 し て 、 こ れ が 工 作 経 費 使 用 を 認 可 し て い る 。 関 東 軍 の 昭 和 七 年 八 月 ﹁暫定 蒙 古 人 指導 方 針 要 綱案 ﹂(四四七頁)
も 、 さ ら に 翌 年 一月 ﹁対 察 施策 ﹂ (四六八頁) も ほ ぼ 同 様 で あ った 。 そ し て そ の主 な る 対 象 は 、 察 哈 爾 東 境 お よ び 錫 盟 ウ ヂ
ム チ ン方 面 で あ り 、 こ の 地 帯 に先 ず 親 日 満 空 気 の 醸 成 、 つ い で自 治 政 権 へ の発 展 を 期 し た も の で あ った と 思 わ れ る 。 も と よ り 対 ソ 作 戦 上 の顧 慮 を 目 的 と す る も の で あ った 。
し かし 、 松室 大佐 が東 京出 発 の際 、参 謀 本 部 酒 井 第 五課 長 か ら ﹁満 洲 国 に おけ る貴宮 の行 動 任務 は、 関東 軍 の指 示 に
よ る のであ る が、中 央 と し ては、 内 外蒙 古 、 寧夏 、甘 蕭 、新 疆 の情 報 収集 を も望 む 。 し た が って これ ら の情 報 は、 関 東
軍 司令 部 に報告 す る とと も に、 次 官 、 次長 宛 にも提 出 す るよ う ﹂ にと いわ れ て、 中 央 と直 結 の暗 号書 二冊 手渡 さ れた と
いう こと であ る。本 節 収 録 の松室 大 佐 作 成書 類 は 、直 接 中 央省 部 に も提出 さ れた こと も ち ろ ん であ った。
こ こに内 蒙 工作 が、 本 来 の目的 から幾 分 はず れ て、 綏 遠 、寧 夏 方 面 に のび、 内蒙 古 国 建 設 、 や が て対 ソ戦 争 を経 た後
に は大 蒙 古 国建 設 構 想 (昭和 十 一年 石原 将 軍 の対 ソ戦 争 目 的 に もあ る) に発 展 す る危 険 性 、 可能 性 あ る いは 必然 性 の因
子 が含 ま れ て いた の では な か った か。 松 室 大 佐 構想 意 見 も 、多 分 に こ の傾 向 あり 、 ま た綏 遠 事件 の当 面 の責 任 者 であ っ
た 田中 隆 吉参 謀 が、 当時 北 京 特 務 機 関長 の松 室少 将 に対 し 、﹁ 貴 方 の構 想 実 現 を企 図 し て いる のだ﹂ とも 、揚 言 し た と い う。
松 室 大佐 は、 王 侯 会議 指 導 のた め行 って いた多 倫 か ら帰 任し な いうち に、 斉 々哈爾 機 関長 に転 任 を命 ぜ ら れ た。す な
わち 昭 和 八年 十 月 十 九 日発 令 であ った。 あ ま り蒙 古 にば か り熱 中 し た た めと いわ れ る が、 資 料 が示 す 通 り、 初 期 関東 軍
の企 図 し た 以 上 に深 入 り し た でも あ ろう し 、 進展 し た面 があ った こと も事 実 で あ った で あ ろ う 。 端 的 に は、 同 大佐 の
﹁蒙古国建に関する設意見﹂(四四九頁)と関 東 軍 の ﹁対察施策﹂(四六八頁)と が示 す 相 違 であ った の では な いか。 と も あ れ、 同
大 佐 が通 遼時 代 から 徳 王 ・雲 王 と連 絡 をと り 、 そ の自 治宣 言発 表 ま で工作 を 進 め た こと 、 李守 信 軍 の察東 特 別 自 治 区建
設 、 金 永 昌等 を し て綏遠 に使 いせ し め、 蒙 人 の糾 合 に力 を尽 し た こと、 烏 古 廷 を し て察 哈爾 保安 長官 卓特 巴札 普 に工作
の第 一石 を打 たし め た こと、 興 安 総署 を蒙 政 部 に改 革 せ し め た こと 、多 倫 、 西 ウ ヂ ム チ ンに特 務 機 関進 出 など 、 そ の功
績 は 、 没 す べ か ら ざ る も の が あ った 。 す な わ ち 内 蒙 工 作 の布 陣 は 、 同 大 佐 に よ って概 成 さ れ た と い っ て、 過 言 で は な い であ ろう 。
三 察東事件
本 節収 録 の資 料 は 、爾 後 の内 蒙 工作 の進 展 状 況 を 仔細 に説 明 し てあ ま りあ り 、 敢 え て解 説 を 加 え る要 を認 めな い。 工
作 の対策 を徳 王 (錫 盟 副 盟長 、 西 蘇 尼特 旗 長 )、李 守 信 (察 東特 別自 治 区 長官 ) お よ び卓 特 巴 札 普 (察 哈爾 保 安長 官 )
に絞 って、 錫 盟 お よ び察 哈爾 東 部 の自 治政 権 樹 立 にま で進 展 を図 った ので あ る。 し か し中 央 は 、資 料 の示す よ う に、性 急 な 自治 工作 より も 、 む し ろ文 化 経済 政策 をと 批 判 的 だ った。
こ の頃 の 工 作 進 展 に 重 要 な 役 割 を 果 し た の が 、 昭 和 十 年 五 月 末 の板 垣 副 長 ・石 本 第 二課 長 ・田 中 参 謀 等 の 西 ウ ヂ ム チ
ン に お け る 徳 王 等 と の会 談 で あ り 、 ﹁土 肥 原 ・秦徳 純協 定 ﹂ ( 四九 一頁 ) で あ った 。 こ れ ら の経 緯 を 経 て 、﹁対 内 蒙施 策要 領 ﹂ (四
九二頁) が 策 定 さ れ て、 い よ いよ 内 蒙 工 作 は 本 格 化 さ れ た の で あ った 。 そ し て ま た 、 こ れ が 施 策 の 一環 と し て、 八 月 松 井 大 尉 の多 倫 入 り と な った の で あ る 。
し か し て十 一月 には これ ら 工作 の頂 点 を なす 察 東 事件 に発 展 す る の であ る が、これ が詳 細 は 松 井手 記 ﹁察東事変﹂(五〇
二頁以下) が何 より も 雄 弁 に解 明 し てく れ る。華 北 工作 と の関 聯 にお い て、如 何 に進 展 し た か。 朔 北 の雪原 に展 開 され た
三国 誌 のよ う な絵 巻 物 を み るよう に、 ま こと に興 趣 深 いも のが あ る。 さり な が ら、 こ のと き の松 井 (太 久郎 ) 支 隊 の多 倫 進 出 は 、独 断 出 兵 の問 題 を惹 起 し 、 宸襟 を煩 わし た。
果 し て 、こ の 頃 か ら 関 東 軍 独 自 の施 策 、強 行 の 色 が濃 く な っ て い っ た 。 ﹁対 蒙 (西北 )施 策 要 領 ﹂(五四〇頁以下) に 対 し て 、
中 央 は ﹁対 内 蒙 施 策 実施 要 領﹂ (五四七頁)を も って 、 厳 に拘 制 を 加 え た の で あ った が 、 関 東 軍 は 、 頬 頗 り し て そ の施 策 を 推
進 し た 。 そ の こ と は 、 次 節 の ﹁内 蒙 工作 の現 状 に就 て﹂ ( 五五 一頁) に 明 ら か で あ る 。 し た が って 綏 遠 事 件 は 、 す で に 昭 和 十
〓 遠事 件
一年 一月 に 発 想 を み 、 同 年 四 月 実 行 計 画 に 移 行 し た と し て 差 支 え な か ろ う 。
四
綏 遠 事 件 に い た って は 、 そ の 実 施 要 領 に つ い て いう な ら ば 、 全 く 田 中 (久 ) 機 関 長 を 排 除 し て 自 身 兼 務 し た 田 中 (隆
吉 ) 参 謀 の 謀 略 工 作 で あ った 。 そ の実 相 は 、 例 の ﹁〓 遠 事 件 始 末 記 、抜 萃 ﹂ (五六二頁以下) に 明 ら か で あ る が 、 先 ず 、 こ の
内 情 を 偵 知 し た 中 国 側 の対 策 資 料 を 掲 げ た 。 綏 遠 蒙 政 会 を つく っ て、 察 哈 爾 蒙 政 会 を 峻 別 し て 百 霊 廟 か ら そ の 撒 退 を 求
め た こ と 、 戦 備 強 化 、 梅 力 更 〓 事 件 等 に こ れ を み る こ と が で き る 。 す な わ ち 田 中 参 謀 の集 め た 烏 合 の謀 略 部 隊 は 、 敵 味
方 何 れ と も わ か ら ぬ 代 物 で あ った か ら 、 日 本 軍 が出 動 し な い以 上 成 功 の見 込 み な い 工 作 で あ った 。
わ れ わ れ は 、 当 時 内 外 の視 聴 を そ ば だ て、 日 中 戦 争 の 近 因 と も い わ れ た 同 事 件 が 、 極 め て未 熟 な 謀 略 工 作 で あ った こ
と に 一驚 を 喫 す る と と も に 、 秘 密 の ヴ ェ ー ル に 蔽 わ れ て い た が た め に 、 誰 も が ︱︱ 関 東 軍 首 脳 す ら ︱ ︱ そ の真 相 を 知 り
得 ず 、 苦 悩 し た こ と に さ ら に 一段 の 悲 憤 す ら 覚 え る の で あ る 。 こ の 間 の 事 情 は 、 ﹁〓 遠 事件 始 末 記﹂ の 語 る 真 実 と 、 こ れ
﹁蒙古 工作 の過 去 の経 緯 及 将 来 に 於 け る軍 の方 針 ﹂( 六 一二、三頁 ) 、﹁ 内 蒙 時 局 対 策 案﹂(六〇七頁) お よ び ﹁内蒙 軍 整 備 要 領 案 ﹂(六〇
に 関 す る 陸 ・海 軍 お よ び 外 務 当 局 の 情 報 資 料 と を 比 較 対 照 す る と き 痛 切 に 感 得 せ ら れ る こ と で あ ろ う 。
九、 六 一〇頁 ) は 、 陸 軍 中 央 部 に お け る 綏 遠 事 件 始 末 記 録 で あ る。 最 後 に 、 綏 遠 進 出 後 の 特 務 機 関 要 員 と し て、 ア パ カ 機
関 等 か ら 抽 出 さ れ て シ ラ ム レ ン に集 結 さ れ 、 は し な く も 金 甲 山 部 隊 兵 変 の側 杖 に よ っ て、 雄 図 空 し く シ ラ ム レ ン河 畔 に 散 った 二 十 九 烈 士 の霊 に 合 掌 し て 解 説 を 了 る 。
な お本 章 収 録 資 料 は 、片 倉 衷 氏 、 松 室 孝 良 氏、 島 田俊彦 氏 お よ び戦 史 室所 蔵 のも の であ る。
三 三
国 国 防 防 国 国 策 策
本 章 載 録 の諸 資 料 は 、石 原 構 想 の展開 が国 内 にお け る戦 争 計 画 と産 業 計 画 に如 何 に反 映 され 、施 策 さ れ て い った か。
ま た 満 洲国 育 成 強 化 に 、如 何 な る方策 が採 ら れた か を中 心 に編集 し た つも り であ る。 もち ろ ん これ ら の施策 が、 石 原 構
想 の核 心 であ る ﹁国 防 国策 ﹂ や外 交 方策 特 に ﹁対 支 諸方 策 ﹂ と表 裏 一体 、 不 即 不離 の も の であ る こと は言 を 俟 た な い。
し かし 、 これ ら はす べ て第 一章 に収 録 し た の で、 こ の章 に は重 複 を さ け た が、彼 此相 関 聯 併 行 し て検 討 さ れ るよう 期 待 す るも の であ る。
満 洲 事 変 を 決行 し て、 王道 満 洲 国 を 建 設 し た石 原 大 佐 は、 松 岡 (洋右 ) 全 権 の随員 とし て国 際聯 盟 脱 退 に会 し た。 帰
朝 後 ま も な く仙 台 歩 兵 第 四聯 隊 長 と な り 、 昭和 十 年 八月衆 望 を負 う て、参 謀 本 部 第 二課 長 にな った。 いよ いよ 中央 の檜
舞 台 に立 った ので あ る。 翌 十 一年 の 二 ・二六事 件 にあ た って も、 そ の拾収 の主 役 者 であ った。 そ し て、 同 事 件後 新 設 さ
れ た戦 争 指導 課 長 とな り 、 さ ら に少 将 に累進 す ると と も に作 戦 部 長 に就任 した 。 蘆溝 橋事 件 勃 発 に いた るま で、文 字 通 り参 謀 本 部 の中 心的 存 在 と し て注 目を集 め た の であ る。
し かし て、 そ の抱 懐 し た 構想 、 あ る いは ﹁石 原 イズ ム﹂ な るも のは 、逐 次 軍 内 外 に大 き な影 響 を 与 え、 国 策 にも強 く
滲透 し て い った ことは 否 め な い事 実 であ った。 こ れ ら の関係 は、 第 一章 収 録 諸 資 料 と 相俟 って討 研 さ れ て然 る べき も の
と思 考 さ れる が、 ここ に敢 え て 一言 解 説 を加 え るな ら ば 、第 一章 所載 の ﹁国 防 国 策﹂ が中 心 であ り 、 これ に伴 う ﹁戦 争
計 画 ﹂ であ り 、﹁産業 計 画 ﹂ であ り、 ま た ﹁日満 共同 建 設 方 策 ﹂ で あ った。 し た が って、 そ の過 程 にお い ては 、不 戦 、国
力戦 力 造 成 であ り 、取 敢 えず の目標 は、 不 戦 ソ連 屈 服 方策 と なり 、 日 満華 によ る東 亜 聯盟 の結 成念 願 で あり 、 そ し てそ
れ がた め の国 内 革 新 であ った。 少 く と も 第 一段 、 す な わ ち 昭和 十 六 年 末頃 ま で の方策 に は、 具 体 性 が認 め ら れ る。 石原
将 軍 の所信 であ る ﹁国 防 は 国策 を推 進 す るも の﹂ と いう 見 地よ り せ ば 、当 然 の推移 と いう べき であ ろう 。
如 上 のよ う な見 地 にお いて、本 巻 資 料 は も と より 、 前巻 ﹃満 洲 事 変﹄ に収 録 さ れた資 料 お よ び次 巻 ﹁日中 戦 争 二 ﹂ に
載 録 さ れ るも のも、 併 せ て貴 重 な石 原 研 究資 料 と 信ず る。 今 日ま で、 基礎 資 料 に拠 る石原 研 究 は、 殆 んど な さ れ て いな
戦 争 計 画 と産 業 計 画
か った よう であ る。 これ ら諸 資 料 が、 江 湖 諸 賢 の真 面 目な 研究 対象 資 料 とな り得 る な らば 、幸 甚 の至 り であ る。
一
第 一節 では 、 先ず 参 謀 本 部 課長 就任 以 前 の石原 構 想 を の ぞ いた。 し かし て同大 佐 が、作 戦 課 長 とな って、 対 ソ軍 備 の
劣 弱 を意 識 す る こと に よ って国 力造 成 の要 を 痛感 す る に いた った経 緯 を 知 ると と も に、 さら に戦 争 指 導 課長 と し て、 無
意 味、 形 式 的 な 作戦 計 画 より ﹁戦争指導計画大綱﹂(六八六頁以下)を具 体 的 に立 案 す べ し とす る所 信 具 現 の展開 を 諸 資 料 に よ って示 し た つも り であ る。
前述 のよう に、 国 力造 成 の 必要 を 痛感 し た石 原 大佐 は、 満 鉄 の宮 崎 正義 に依 嘱 し て、 広 く 財 政 経済 全 般 にわ た っての
研究 を実 施 した 。 そ の経 緯 は 、 将 軍自 身 の回 想 手 記 に よ る ﹁日満財政経済調査会﹂(七〇三頁)で明 ら か で あり 、 さら に宮 崎
主 事 の﹂日満財政経済研究会業務報告書﹂( 六九五頁以下)が、 そ の詳 細 を刻 明 に伝 え て いる。 こと に こ の報 告 書 によ って、国
策 の面 に大 きく浮 び あ が った 産 業 計 画 、 す な わ ち ﹁満洲産業開発五ケ年計画綱要﹂( 七 一九頁以下) 、﹁重要産業 五年計画要綱﹂
(七三〇頁以下)お よ び ﹁重要産業五ケ年計画要綱実施 に関する政策大綱 ( 案)﹂、( 七三三頁 以下)の立 案 作 成 の経 緯 がは じ め て 明 ら った 。
こ の記 録 文 書 は 、戦 時中 石 原 将 軍 に よ って、 米 沢 市郊 外 に保 管 を委 托 さ れた ま ま に な って いた も のを、 昨 昭 和 三 十 八
年 春 実 弟 石原 六郎 氏 から提 供 をう け た 。 こ の研 究 会 には、 当 時 各 界 の著 名 な人 々 が動員 さ れ て参 画 し た の であ る が、 現
在 では稍 々伝 説 化 さ れ て いて、 そ の実態 把 握 が至 難 な状 態 であ った 。蓋 し、 こ れ が発掘 に より 、 解 明 さ れ た こと す こぶ る大 で あ る。
第 二節 では、 産業 計 画 の全 貌 を 明ら か にす る こと を 主 眼 と し た。 これ だ け の決 定 的 な 産業 計 画 基 礎 資 料列 挙 収 録 は 、
は じめ て の こと と編 者 これ を誇 示 す るに憚 ら な い。 そ れも大 部 は、 石原 六郎 氏 の好 意 によ る も の で あ る。 な お ﹁満洲重
日満 共 同建 設
工業確立要綱﹂(七七 一、二頁)は 、幾 多 の問 題 を醸 し た末 決 行 され た鮎 川義 介 の日産 が、 満 洲移 転 に関 す る閣 議 決 定 であ る。
二
第 三章 第 三節収 録 の 日満 共 同建 設 方 策 資 料 は 、 第 一、 第 二節所 載 以外 の諸 方策 とし た た め 、 や や落 穂集 のよう な感 じ
が な いでも な いが、 一般 的 な 高等 政策 を丹 念 に拾 った つもり であ る。前 巻 に は、 在満 機 構 改 革 ま で を収 録 し た の で、 本 節 は 、機 構 改 革 後 の諸 施 策 お よ び 軍 の意 図 を 示 す会 懇 談 記 録 を 主 と した 。
満 洲 国 の育 成 およ び 日満 共 同 建 設方 策 に つ いては 、 在満 機 構 改 革 (満 鉄改 組 含 む) 以来 多 難 であ った。 満 洲 建 国 当初
の精神 も逐 次 丕 曲 され つ つあ る懸 念 も少 くな か った 。 収録 諸 資 料 にも 、 これ らを 窺 知 せ し め るも の があ る。 し かも 石原
将 軍 が、在 満 当 時 から 主張 し て いた治 外法 権 撤 廃 お よ び附 属 地行 政 権 の移譲 が、 蘆溝 橋 以前 に実 行 され つ つあ った こと
を 示 し ては いる も の の、 さ ら に高 次 の主 張 で あ った 関東 州 返還 ま では 程遠 いだけ では な く、 そ の気 配 す ら窺 え得 な い。
本 章 収録 資 料 は、 石 原 六郎 氏 、 片倉 衷氏 お よ び戦 史 室所 蔵 のも の であ る。
(稲 葉 正 夫 )
活 字 印 刷 。 五 頁 。 (一頁 二
活 字 印 刷 。 二頁 。 (一頁 十 四行 、 二 九字 )
左 に本 書 に使 用 し た資 料 の原 型 を掲 げ て おく 。
満 蒙 問 題処 理 方 針 要 綱 国 際 関係 よ り見 た る時 局 処 理方 針 案
謄 写版 刷 。
タ イ プ印 刷 。 第 二復 員 省 用 箋 、 四 頁 。
段 組 み 、 一段 、 二 三行 、 二 九字 ) 海 軍 の 対支 時 局 処 理 方 針
謄 写版 刷 。
(一頁 一三行 、 三 二字 ) 帝国国策 昭 和 八 年 十 月 二 十 日五 相 会議 に 於け る陸 軍 側 提 示 謄写版刷。
タ イプ 印 刷 。第 二復 員 省 用 箋 、 六頁 。 (一
タ イプ 印刷 。 二 二頁 。 (一頁 十 一行 、 三 〇
対 内 国 策 樹 立 に 関 す る国 防 上 の 要望 対 支 静 観 主 義放 棄 論 字) 対 支 政 策 に 関 す る件 頁 一三 行 、 三 二字 )
タ イプ
タ イプ
タイ プ
タイプ
タ イ プ印 刷 。 表 紙 と も
タイ プ 印刷 。外 務 省 用 箋 、表 紙 と も 二 二 頁 。 (一頁
一四 行 、 三〇 字 )
唐 有 壬之 死
幣 制 改革 ( 対 英 借 款 ) 問 題 と支 那 の情 勢
一三 頁 。 (一頁 一四行 、 二九 字)
支 那 幣制 改 革 問 題 に 関 す る大 蔵 省 湯 本 国 庫 課 長談 話 要 領
印 刷 。 外 務省 用 箋 、 一九 頁 。 (一頁 一 一行 、 二 九字 )
タイ プ 印 刷 。 二 四 頁 。 (一頁 一四行 、 三 〇
北 支 独 立 問題 を 中 心 と す る出 先 関係 機 関 の 情 勢判 断 要 旨 印刷。六頁。
墨 書 及 び カ ー ボ ン紙
カ ーボ ン紙 複 写 。 海 軍用 箋 、 二三 頁 。 (一三行 )
北 支 自 治 運 動 の推 移 字) 天津 鎖 聞
タイ プ 印刷 。表 紙 と も 七 頁 。 (一頁
タ イプ 印 刷 。表 紙 と も 一九 頁 。 (一頁 一
冀 東 防 共 自 治 政府 組 織 宣 言 お よび 組 織 大 綱 複 写。 一 一頁 。 支 那 の密 輸 問 題 に就 て 四 行 、 三 一字 ) 最 近北 支 の 一般 情勢 に就 て 一四行 、 三 二字 )
タ イ プ印 刷 。 外 務 省 用 箋 、 一〇 頁 。 (一頁 一三
タ イ プ印 刷 。 外 務 省 用 箋 、六 頁 。 (一頁 一
タ イ プ 印刷 。 外 務省 用 箋 、表 紙 と も 三 二 頁 。 (一頁 一四 行 、 二 九
冀 東沿 強 より の密 輸 入 に関 す る調 査 竝 其 及 ぼ す影 響 に 就 て の考 察
一行 、 二 九字 )
北 支密 輸 問 題 の経 緯
行 、 三 一字 )
税 に関 す る意 見
タ イ プ印 刷 。 北 支 に於 け る 不 正 規貿 易就 中 冀 東 政府 の輸 入貨 物 に 対 す る 特種 徴
北 支 に 於 け る 反満 抗 日策 動 に 基 く 日支 両 軍 の交 渉 其 の 一
﹁北 支 交 渉 問 題処 理要 綱 ﹂ に 関 す る外 務 陸 軍 間 折 衝
印 刷 。 表 紙 と も 一四頁 。 (一頁 十 二行 、 三 二字 )
海 軍 用 箋 、 一〇頁 。 (一頁 十 行 、 三 〇字 ) 北 支 に 於 け る 反満 抗 日策 動 に 基 く 日支 両 軍 の交 渉 其 の 二 印 刷 。 表 紙 と も 一四頁 。 (一頁 十 二 行 、 三 二字 )
タ イ プ印 刷 。 二 七頁 。 (一頁 一四 行 、 三〇
タ イ プ印 刷 。 一三頁 。 (一頁 一三 行 、 三 二字 )
対支 政 策 決 定 の 経 緯
察 哈爾 省 北 問 題
字)
字) 北 支 特 殊 貿 易 の現 状
第 一次 北 支 処 理 要 綱
一三 頁 。
ペ ン字 。 四 頁 。
タ イ プ印 刷 。 海 軍 用 箋 、 五 頁 。 (一頁 一〇
成 都事 件 自 体 の解 決交 渉 及 び 北 海 漢 口両事 件 解決 交 渉
海 軍 政 策 及制 度 研 究 調 査 委 員会 組 織 の仰 裁
タイ プ 印刷 。外 務 省 用 箋 、 一四頁 。 (一頁
国策要綱
行 、 三 二字 ) 謄 写 版 刷 。 二 〇頁 。
一四行 、 二九字 ) 成 都 総 領 事 館 再 開 問題 タ イ プ印 刷 。海 軍 用 箋 、 一 三頁 。 (一頁
(一段 三 〇字 )
帝 国 国 防 方針 ・用 兵 綱 領 第 三 次 改 訂
活 字 印 刷 。 二段 組 み 一頁 。
タ イ プ印 刷 。 四頁 。 (一頁 一五 行 、 三 三字 )
成 都 其 他 排 日不 詳事 件
謄 写 版刷 。表 紙 とも 五 〇 頁 。
一 三行 、 三一 字 ) 北 海事 件 報 告
活 字 印 刷 。 二段 組 み 二頁 。 (一段 三〇 字 )
謄 写版 刷 。 五 頁 。
国防国策大綱
タ イ プ印 刷 、謄 写 版 刷 、 ペ ン字 の三 種 類 の書
北 海 事件 経 過 概 要
タイ プ 印刷 。 海 軍 省 用 箋 、表 紙 と も 一一頁 。 (一
活 字印 刷 。 二段 組 み 一頁 。 (一段 三〇 字 )
国 策 大 網 決 定 の 経緯
対 支実 行策
タ イ プ印 刷 。 一三 頁 。 (一頁 一四 行 、 二 九
右 用 箋 で八頁 。
頁 一〇 行 、 三〇 字 )
帝 国外 交 方 策
国 策 の基 準
タイプ
タ イ プ印 刷 。 海 軍 用 箋 、九 頁 。(一頁 一三 行 、 三 〇字 )
類 より な って いる。 総 頁 四 八 五頁 。
二五 電
昭 和 十 一年 九月 五 日有 田 外 相← 川越 大 使 暗 第 二 二二 ・二 二 四 ・二
九 月 二十 三 日 川 越 張羣 会 談 に 於 て 張羣 が 読 上 け た る 書 物
字)
タ イ プ印 刷 。 タ テ 七 二糎 、 第 二次 北支 処 理 要 綱
印 刷 。 海 軍 用 箋 、 九頁 (一頁 一三行 、 三〇 字 )
ヨ コ四 三糎 の 一枚 の紙 。
第 一次 訓 令 に よ る 日支 交 渉 情 況 一覧 表
タ イ プ印 刷 。 海 軍 用 箋 、 六 頁 。 (一
騰 写版 刷 。 一六 頁 。
時 局 委 員 会 設立 に関 す る件 頁 一 三行 、 三 一字 )
謄 写版 刷 。 四頁 。
ペ ン字 。 一 一行 罫 紙 、 二枚 。
対 支 政 策 の 検討 ( 案) 日支 国 交 調整 要 領
謄 写版 刷 。表 紙 と も 一三 頁 。
謄 写版 刷 。表 紙 と も 八頁 。
謄 写版 刷 。 表 紙 とも 一 一頁 。
帝国 外 交 方 針 及 対支 実 行策 改 正 に 関 す る理 由 竝 支 那 観察 の 一端
対支 実 行策 改 正 意 見
帝 国 外 交 方 針 改 正意 見
三 頁 。 冀 東 の指 導 開 発 に関 す る私 見
以下 七点 の資 料 は いず れ も 、 タ イ プ 印 刷 。 海 軍 用 箋 、 (一頁 一
四頁 。
三 行 、 三〇 字 ) のも の であ る 。 そ の頁 数 のみ を掲 げ る。
一四頁 。
十 月 二日 四相 会 議 に 於 て 決定 の川 越 大 使 宛 訓 令 十 二月 三 日川 越 大 使 口上 書 及 交渉 結 末 覚 書
四頁。
口上 書 お よび 交 渉 結 末 覚 書 に 関 す る 日本 と 中 国側 往 復 書 翰 川 越 ・張 羣 会 談 に関 す る帝 国 政 府 の 発表
二頁 。
二頁 。
︹信 ず べき 筋 よ り の聞 込﹂ と し て 国 民政 府 が 十 二月 七 日 の各 紙 に
川 越 ・張 羣 会 談 に関 す る国 民 政 府 の 発 表
左 の通 掲 載 せ し め た 記事
熱 河 作 戦機 密 作 戦 日誌 抄
ペ ン字 。 四枚 。
ペ ン字 。 三 枚 。
タ イ プ印 刷 。海
税 警 団 問 題 に 関す る大 鷹 総 領事 の第 一六 五 号 電
ペ ン字 。 海 軍 用 箋 、 二
陸 軍 省 に対 し対 支 政 策 に 関 す る意 志 表 示
熱 河 作 戦機 密 日誌 、 抜萃
謄 写版 刷 。表 紙 とも 三 五枚 。
タ イ プ 印 刷 。 五頁 。 (一頁 一六行 、
騰 写版 刷 。 二枚 。
一行 三 一字 )
暫 行 蒙古 人 指 導 方 針 要綱 案
﹁熱 河 作戦 の経 験 ﹂ 抜萃
二
﹁電 報 ﹂ と あ る の み。
軍 用 箋 、 十 二頁 。 (一頁 一〇行 、 三 一字 ) た だ し本 資 料 は 表 題 は
ペ ン字 。海 軍用 箋 、十 枚 。
枚 。 カ ーボ ン紙 の複 写 で、陸 軍 用 箋 、 四 枚 。
墨 書 。 海 軍 用箋 、 二枚 。
対 支 方 策 再検 討 に 関 す る意 見 対支政策 ペ ン字 。 海 軍 用箋 、 四枚 。
タ
ペ ン字 。海 軍 用 箋 、 四枚 。 た だ
ペ ン字 。 海 軍 用 箋 、 二枚 。
楠本 大 佐 の対 支 政 策 意 見 対支 実 行策 に 就 て 第 三艦 隊 参 謀 長 の 華 北 巡視 所 見 し本 資 料 の表 題 は ﹁対支 政 策 ニ関 シ﹂ 。 ﹁対 支 実 行 策 ﹂ 及 ﹁ 第 二次 北 支 処 理 要綱 ﹂ の調 整 に 関 す る件 イ プ印 刷 。 二頁 。 (一頁 一 一行 、 三 二字 )
蒙古 国 建 設 に 関 す る 意見
謄 写版 刷 。 表 紙 と も 五枚 。
蒙古 人有 力 者 名 簿
タ イ プ印 刷 。 海 軍用 箋 、 一 一頁 。 (一頁 九 行 、
謄 写 版 刷 。陸 軍 用 箋 (二 六行 )、
タ イ プ 印 刷 。 一三 頁 。 ( 一頁 一五 行 、 二 七 字 )
謄 写版 刷 。 表 紙 と も 二〇 枚 。
タイ プ 印 刷 。 五頁 。 (一頁 十 四 行 、 三
タ イ プ印 刷 。 表 紙 と も 一六 頁 。 (一頁 一五行 、
タ イ プ 印 刷 。 二頁 。 (一頁 一
ペ ン字 。 四〇 〇 字 ヅ メ原稿 用 紙 。 表 紙 と も 一 一八枚 。 ( 松 井 忠 雄 自 筆)
察東事変
五行 、 二九 字 )
北 支 及 内 蒙 に 対 す る中 央 部 の指 導
一行 三〇 字 ) 及 び附 表 。
対内 蒙 施 策 要 領
〇字 )
宋哲 元 軍 の熱 河 侵 入 問題
対 ﹃満 洲 国 外 、 内 蒙 古﹄ 策 意 見 具 申
表紙 と も 三 四枚 。
満 洲国 隣 接 地 方 占 領地 統 治 案
対察施策
海 軍 の対 支 実 行 策
タ イ プ 印 刷 。 六 頁 。 (一頁 一〇 行 、
活 字 印 刷 。 三 九 頁 。 (一頁 一三行 、 三
タ イ プ印 刷 。 六 頁 。 (一頁 一 一行 、 二 九字 )
タ イ プ印 刷 。 五頁 。 (一頁 一 一行 、 二 九字 )
三 一字 )。 ただ し 本 資料 の表 題 は ﹁対支 実 行 策 案 ﹂ 。 対支実行策 北支指導方策 日支 関 係 の現 状 及び 将 来 七字 ) 須 磨 南 京 総 領 事 帰朝 談 要 旨 三 一字 )
ペ ン字 。海 軍 用 箋 、 一一枚 。 た だし 本
謄 写版 刷 。十 四枚 。
謄 写 版刷 。 一七枚 。
ペ ン字 。 海 軍 用箋 、 四枚 。
ペ ン字 。海 軍 軍 令 部第 三班 原 稿 紙 、 六枚 。
児玉 対 支 使 節 談
情報綜合
税 警 団 山 東 移 駐 に就 て 税 警 団 山 東 入 経緯 側 面 観 海 軍 の山 東 問 題対 策 意 見
資 料 の表 題 は ﹁山東 問 題 対 策意 見﹂。
対 蒙 (西 北 )施 策 要 領 七字)
タ イ プ 印 刷 。 五 八 頁 。 (一頁 一 二 行、二
三
軍事 よ り見 た る皇 国 の国 策 竝国 防 計 画 要 綱
ペ ン書 。 十 行 罫 紙 、
無題 ( 満洲国育成構想)
タ イプ 印刷 。 二頁 。 (一頁 一七行 、 三〇 字 )
無 題 (皇国 現下 の国 策 ) ﹁石原 資 料 ﹂ にあ る 。
対 内 蒙 施 策 実施 要領
タ イプ 印刷 。在 中 華 民 国 日 本 大使 館 用
謄 写版 刷 。十 枚 。
謄 写印 刷 。 二枚 。
〓 遠 蒙 政 会 暫 行 組織 大 綱
一二枚 。 ( 石 原 莞 爾 自筆 )
内 蒙 古 工 作 の 現 状 に就 て
無 題 (為今 村 参 謀 副 長 )
ペ ン書 。 (鉛 筆 と も 思 わ れ る)
謄 写版 刷 、 カ ーボ ン紙複 写 。六 枚 。
無題 ( 為参謀次長)
タ イ プ印 刷 。海 軍 用 箋 、 表 紙 と も 一三頁 。
箋 、 表 紙 と も 十 九頁 。 (一頁 一 一行 、 二 九字 )
カ ーボ ン紙 複 写 。 八 枚 。
ペ ン書 。 陸 軍 用 箋 (九行 ) 三枚 。 (石 原莞 爾 自
いず れも 陸
右 四 つ の資 料 の ﹁無題 ﹂ の表 題 の み編 者 の附 し た も の。
十 一行 罫紙 五枚 。 (石 原 莞爾 自 筆 )
新 関 東 軍 司令 官 植 田大 将 に 対 す る参 謀 総 長 口演 要 旨
新 関 東 軍 司令 官 植 田大 将 に 対 す る参 謀 次 長 口演 要 旨
戦 争 発 達史 要 綱
謄 写版 刷 。 表 紙 と も
四 〇〇 字 ヅ メ原 稿 用紙 に書 れ て い る 。 ( 松
(一頁 一三 行 、 三〇 字 )
察 哈爾 方 面 視 察 報告
井忠 雄 自 筆 )
〓遠事件始末記抜萃
〓遠 時 局に 関 す る 蒙 古 、〓 遠 当 局 の宣 伝 戦
謄 写版 刷 。 六枚 。
軍 用 箋 に鉄 筆 で書 か れ て いる 。
謄 写版 刷 。表 紙 とも 十 八 枚 。
一四頁 。 〓東 問 題 に関 する 中 国 側 の 反響
第 二課 業務 進 捗 計 画
〓遠 事 件 に関 す る 海 軍 情報 記録
タ イ プ印 刷 。 四 頁 。
タ イプ 印 刷 。表 紙 と も 二五 頁 。 (一頁 一三行 、 三 一字 )
筆)
〓遠問題
〓 遠 事 件参 加 飛 行 機 の行 動 に 関 す る件 通 報
活字 印 刷 。 一枚 。
総 動 員 第 三 次期 間 計 画 の為 資 源 取得 ( 輸 入 を 含 む ) を胸 算 し 得 べ
カ ーボ ン紙 複 写 。 一枚 。
カ ーボ ン紙 複 写。 二枚 。
き 範 囲 決 定 に 関 す る要 望
戦 争 準 備 の為 産 業 開 発 に 関 す る 要望
満 洲 国 に 関 す る要 望
戦 争 準 備 計 画方 針
ペ ン書 。 三枚 。
(一頁 一三行 、 三 〇 字 )
カ ーボ ン紙 複 写。 陸 軍 用箋 、 五枚 。 (二 六行 )
活 字印 刷 。 一枚 。
内 蒙 時 局対 策 案 西安 事 変 対 策 要 綱
カ ーボ ン紙 複 写。 五 枚 。
内 蒙 軍整 備 要 領 案
戦 争 準 備 の為 帝 国 の飛 行 機 及兵 器 工業 を 速 に満 洲 へ推 進 せ し む る
タ イ プ印 刷 。海 軍 用 箋 、 三 頁 。 (一
カー
濤件 収 拾 ニ関 ス ル徳 王 通 電
内 閣 更 迭 の場 合 陸 軍 大 臣 の 入閣 条 件 と し て要求 す べき 事 項
カー ボ ン紙 複 写 。 四枚 。
為 の要 望 謄 写 印 刷 。表 紙
三 行 、 三 二字 ) た だし 本資 料 の表 題 は ﹁ 電 報 写﹂。 蒙 古 工 作 の過 去 の経 経 及 将 来 に於 け る 軍 の 方針 とも 九枚 。
生 産 力 拡 充 計 画 要綱
満 洲 重 工 業確 立 要綱
タイ プ 印刷 。表 紙 とも 一八 頁 。
謄 写 版 刷 。 三枚 。
満 洲 国 指 導 に 関連 す る軍 顧 問 組成 に関 す る 研 究 意 見
ボ ン紙 複 写 。 二枚 。
カ ー ボ ン紙 複 写 。 二枚 。
陸 軍 用 箋 、 一〇頁 。 (一頁 一 一行 、 二 八字 )
タ イ プ印 刷 。
タ イ プ印 刷 。
満洲 ( 朝 鮮 を含 む ) に 陸 軍 用 飛 行機 製 作 力 の主 力 を施 設 す る の 必 要に就て 活 字 印刷 。 三段 組 み四 頁 。
陸 軍 大 臣 よ り 竹内 、荒 川 両 顧 問 に対 す る談 話 要 旨
対 ソ 戦 指 導計 画大 綱 タ イ プ印 刷 。 タ テ 二 十糎 、 ヨ コ五 五糎
タ イ プ印 刷 。 四頁 。 (一頁 一 一行 、 二 九字 )
タ イ プ印 刷 。 五枚 。
タ イ プ印 刷 。 陸 軍 用 箋 、 三頁 。 (一頁 一一
タ イ プ印 刷 。
タ イ プ印 刷 。 陸 軍 用箋 、 七
タ イプ 印 刷 。陸 軍 用 箋 、
満 洲 国戦 争準 備 指 導 計 画
頁 一五行 、 三 一字 )
タ イ プ印 刷 。
タ イ プ 印 刷 。 六 頁 。 (一頁 一 一
の調 整 乃至 移 譲 に 関 す る実 行 方 針 の件
タ イ プ 印 刷 。 五 頁 。 (一
満 洲 国 に 於 け る 帝国 の治 外 法 権 の 撤 廃及 南 満 洲 鉄 道 附 属 地 行政 権
陸 軍 用 箋 、 二枚 。 (一頁 一 一行 、 三 〇字 )
同 盟 国 軍 隊 ノ 駐 屯 ニ伴 フ軍 事 法 規 適 用等 ニ関 ス ル件
行 、 三 一字 )
調 整 乃至 移 譲 に 関 す る閣 議 決 定
満 洲 国 に 於 け る 帝国 の治 外 法 権 の 撤 廃及 南 満 洲 鉄 道 附 属 行 政権 の
治 外 法 権 撤 廃 要 綱案
日満 経 済 共 同 委 員会 設置 に 関 す る 協 定
行 、 三 一字 )
満 洲国 陸 軍 指 導 要 綱
一 一頁 。 (一頁 一 一行 、 三〇 字 )
林 陸 軍 大 臣 よ り松 岡 満 鉄 新 総 裁 に 関 す る懇 談 要 旨
枚 。 (一頁 九 行 、 三 二字 )
陸 軍 大 臣 満 洲 視 察 に関 する 重 要 案件
二枚 。
軍 務 局 長 と板 垣 参謀 副 長 と の 連絡 事 項
陸 軍 用 箋 、 二枚 。 タイ プ 印刷 。表 紙 とも 二五 頁 。
の 一枚 の紙 要印 刷 され て いる 。 日 満財 政 経 済 研 究 会 業 務 報告 書
タ イ プ印 刷 。 陸 軍 用 箋 、 四 枚 。
タ イ プ印 刷。陸 軍用 箋、五 枚。
タ イ プ印 刷 。
タ イ プ 印刷 。表 紙 とも 一七頁 。 (一頁 一 一行 、
ペ ン書 。 二 三 行 罫 紙 、 一枚 。 (石 原 莞 爾自
(一頁 一五行 、 三一 字 ) 日 満 財政 経 済 調 査 会 筆) 満 洲 開 発 方策 綱 要 三一 字 ) 満 洲 国第 二期 経 済 建 設 要 綱 満 洲 五年 計画 に関 す る 目 標案 (一枚 一四行 、 二九 字 ) 満 洲 産 業 五 ケ年 計 画 取 扱 要 領 (一頁 一 一行 、 二九 字 ) タ イ プ印 刷 。 表 紙 と も 五 二 頁 。 (一
右用紙、
タ イ プ 印刷 。 表 紙 と も 五 頁 。 (一頁 一四
満 洲産 業 開 発 五年 計 画 綱 要 頁 一四行 、 三〇 字 ) 重 要 産 業 五年 計 画 要 綱 行 、 三 一字 )
謄 写印 刷 。 表 紙 と も 二九 頁 。
重 要産 業 五ケ 年 計 画 要 綱 実施 に関 す る 政 策 大 綱 ( 案) 表 紙 と も 二 六頁 。 軍 需 品 製 造 工業 五年 計 画 要 綱
満 洲 に 駐 屯 ス ル 日本 国 軍 ノ 軍 事関 係 法 規 適 用 ニ関 スル件
タイ プ
タイ プ 印刷 。陸 軍 用 箋 、
印 刷 。 陸 軍 用 箋 、 五枚 。 (一頁 一 一行 、 三〇 字 ) 軍 務 局 長 よ り板 垣参 謀 副 長 への 懇 談事 項
タ イ プ印 刷 。 陸 軍 用箋 、表 紙 と も 三 九 頁 。 (一頁 一
表 紙 と も八 頁 。 (一頁 一 一行 、 二八字 )
一行 、 二八 字 )
満洲国概観
タ イ プ印 刷 。 陸 軍
謄 写 版刷 。 九枚 。
タイ プ 印刷 。陸 軍 用 箋 、 六 頁 。 (一頁 一 一行 、 二 八字 )
今 井 軍 務 局 長 より 東 条 関 東 憲 兵 司令 官 に対 する 懇 談事 項 ( 満蒙関 係)
謄 写 版刷 。 一 二 枚。
満 洲 経 済 建 設 に関 す る陸 軍 次 官 の 懇談 要 旨 満 洲 国 関係 の質 問 応 答 川 島 陸 軍 大 臣 の松 岡 満 鉄 総 裁 と の対 談 要 綱 案
タ イ プ印 刷 。陸 軍用 箋 、 五 枚 。
用 箋 、 七枚 。 (一頁 一 一行 、 二七字 )
(一頁 一 一行 、 二八 字 )
対 満 重 要 国策 の確 立 に 関 す る件
電 報 は 口絵 写真 を参 照 さ れ た い。 ほ ぼ 一定 の形 式 で あ る の で省 略した。
一 蘆 溝 橋 事 件 ま で の 日中 関 係 と 対 華 政 策 の変 遷
閣議決定)
を避け就中満蒙政権問題 に関す る施措は九国条約等 の関係 上出来得
(昭和 七 年 三 月 十 二 日
る限 り新国家 側 の自主的発意 に基くが如 き形式に依 るを可とす
満 蒙 問 題処 理 方針 要 綱
一、満 蒙 に付 て は帝 国 の支援 の下 に該 地を 政 治 、 経済 、 国 防 、 交 通 、
七、満蒙 に関す る帝国 の政策遂行 の為 め速 に統制機関 の設置 を要す
一
も のた ら し め む こと を 期 す
但 し差当 り現状を維持す
通 信 等 諸 般 の関係 に於 て帝 国 存 立 の重 要 要 素 た る の性能 を顕 現 す る
二、満 蒙 は支 那 本 部 政 権 より 分 離独 立 せ る 一政権 の統 治 支 配 地 域 と な れ る現 状 に 鑑 み逐 次 一国 家 た る の実質 を具 有 す る様之 を誘 導 す
三、現下 に於ける満蒙 の治安維 持は主 として帝国之 に任ず 将来 に於ける満蒙 の治安維持及満鉄 以外 の鉄道保護は主とし て新 国家 の警察乃至警察的軍隊をし て之 に当 らしむ右目的 の為之等新国 家側治安維持機関 の建設刷新を図らしめ特 に邦人を之が指導的骨幹 四、満蒙 の地を以て帝国 の対露対支国防 の第 一線とし外部 よりの撹
たらしむ
く増加し又必要なる海軍施設をなすべし新国家正規 陸軍 は之 が存在
乱 は之を許さず右目的 の為め駐満帝国陸軍 の兵力を之に適応す る如 を許さず 五、満 蒙に於 ける我権益 の回復拡充 は新国家を相手として之を行ふ 六、以上各般 の施措実行に当りては努 めて国際法乃至国際条約抵触
国 際関 係 より見 た る時 局処 理 方針 案
な る用意 を以て今後 の事態を処理す べく国際関係より見た る対策は
時経済及国家総動員 に付 ても充分に考慮を加 へ断乎たる決意と周到
二
帝国 の国際的関係 は満洲事変 を契機とし て 一大変転を示せり従 て
左記方針 に依 ることと致度
閣議決定)
〓に帝国政府とし ては益 々自主的外交 の真諦を発揮 し以 て国運 の打
一
(昭和 七年 八 月 二十 七 日
開竝に国家的使命 の遂行 の為 め堅忍不抜 の努力 を要す べき こと論を
だしく悪化し或は勢 の赴 く所聯盟側より又は列国共同して帝国 に対
曩 に満洲事変に相次で上海事件 の発生を見 るや我が国際 関係 は甚
上 の根基を確立す るに努むる こと
に於 ける対米兵力関係及蘇聯 の産業計画等に鑑 み速 かに我満蒙経略
事態 に処す べき帝国外交 の枢軸 たらしむ ること而して昭和九年以後
帝国独自 の立場に於 て満蒙経略 の実行に邁進す るを以 て前記 の
俟たず
し重大な る現 実 の圧迫を加 ふるが如き事態を誘致する ことな きを保
二
支那 本部
帝国 の満蒙経略 を容易 且有利 ならしむ ると共に将来万 々 一発生
形勢 は次第 に緩和し来れる現状 なり然れ共我が対支関係 の将来は種
す ることあるべき前記 の如 き困難 に善処せんが為 めに支那本部 、聯
(右満蒙経略 の実行は三月十 二日閣議決定に立脚す ること)
種なる波瀾 あるべく殊に満洲 問題 は今 後共幾多 の難関を包蔵せ るも
盟及列国に対する関係に於 ては概 ね左記要綱に則り措置す ること
せざ る形勢 なりし が其 の後上海 方面 に於け る状況 の変化等 に伴 ひ右
のと思考 せら れ旁 々我が国際関係 の前途は未 だ俄 かに楽観を許 さざ るも のあり て将来 形勢 の推移如何に依り ては再 び前記 の如き極端 に 而し て前 記 の如 く万々 一聯盟等が帝国 に対し重大なる現実 の圧迫
満蒙 経略 に支障 を及ぼさざ る限 り列 国と協力 して支那本部殊 に経
易 及企業市場た る性能を発揮せしむ るを以て主とす べく従 て我 が
帝国 の対支那本 部策 は帝国 の対満蒙策と切離 し主とし て其 の貿
イ
を加 へ来るに於ては我方亦実力を以て之を排除す べき こと勿論 にし
済 上列国と重要 関係を有す る地域 の和 平を保持し つつ其 の門戸を
険悪 なる事態発生 の絶無を期し難き次第 なり
て政府は斯 の如き場合に備ふる為 め早きに及んで軍備 の充実、非常
開 放 せ し む る に努 む べし 尚 ほ帝 国 の対 満 蒙 政 策 と 対 支 那 本 部 策 と
別紙甲号 (対支那本部策) 一
最近支那本部に於 ける地方政権 の分立状態 は益 々顕著となる傾
華 民国 を 含 む ) を し て帝 国 の支 那 本 部 に 対 す る政 策 に付 無 用 の危
向 ある処我方に於 ては右政局 の推移を注視し つつ比較的穏健なる態
に本 質 的 区 別 あ る こと を 機 会 あ る毎 に 如実 に示 し関 係 各 国 側 (中
惧 を抱 かし め ざ るに努 む べ く差 当 り別 紙甲 号 ( 対支那本部策)に
各種案件 は事情 の許 す限り各 地方政権と の間に実際的解決を計 り
で好意的態度に出 で我方 に有利 に誘導する こと
度を執 る政権に対 しては成 る可く其 の立場及面目を尊重し或は進 ん
盟
依 り処 理す る こと 聯
以 て事端 の発生を避く るに努 むること
ロ
関 し充 分 認 識 せ し む る如 く誘 導 す る 一方我 方 よ り挑 発 的 態 度 を示
二 前記両項 の実行に当りては努 めて列国 に対する抜駆的行動を避
此 の上 と も帝 国 の満 蒙 に対 す る多 大 の関 心 と我 公 正 な る態 度 に
す こと を避 く べき も 聯 盟 側 よ り進 ん で帝 国 満 蒙 経 略 の根 本 に触 る
け列国をして帝国と協力せしむる様誘導す ること
上海 方面 の平静確立及安全保障 に関 しては専ら外交手段 に依
措置する こと
叙上 の見 地に基 き上海方面及其 の他各地 に於 ては左記要領 に依 り
る干 渉 を敢 て せ むと す るが 如 き 場 合 に は差 当 り 三月 二十 五 日閣 議 決 定 の方 針 に基 き処 理 す べく 而 し て聯 盟 側 が右 に拘 らず 依 然 と し て反 省 す る所 な き のみ なら ず 更 に 進 ん で帝 国満 蒙 経 略 の根 本 を覆
りて之が解決 を図 ることとし円卓会 議 の開催 に依 り若くは現地在
イ
留外人及支那側有力者間 の機運を助成して可及的速 に右目的達成
し我 が国 運 の将 来 を脅 威 す る の虞 あ る現実 的 圧迫 を加 へむ と す る
に努む ること
が如 き 情 勢 に立 至 る場 合 に於 て は帝 国 は 最 早聯 盟 に留 る こと を 得 ざ る次 第 な る が如 斯 場合 に も我 方 と し ては 聯盟 側 の不当 な る行 動
ロ
口以外 の沿岸各地に於 ては適宜居留民 の引揚を行 ふこと
危殆 に瀕す るが如き重大 なる事態発生 の場合 には上海、青島及漢
支那本部 の沿岸及長江沿岸に於 て今後 万 一居留民 の生命財 産
に依 り已 む を 得 ず 右 態度 に出 づ る の余 儀 な き も のな る こと を 世 論
国
世 界各 国 中 米 蘇 等 聯 盟 に 加 入 し居 らざ るも のは 勿 論英 仏 其 の他
列
を し て充 分 に諒 解 せ し む る様 措 置 す る こと ハ
有 す る次 第 な る に顧 み前 記 対 聯盟 策 の如 何 に拘 ら ず 各国 側 の特 殊
りも尠 しと認 めら るるを以て出来得 る限り平静を保持す るに努む
ハ 山東 地方及北支に於 ては差当 り前記 の如き危険イロ の地方 よ
なき場合亦同じ
尚漢 口に於 て事態重大化 し海軍を以 て現地保護 を行 ひ得 る見込
事 情 を も 利 用 し て列 国 と の間 の友 好 関係 を 増 進 し 帝 国 の国 際 的 地
べく右 に付 ては外務及陸海 軍出先官憲 に於 て特に協調努力す るこ
の聯 盟 国 と 雖 も其 の聯 盟 国 と し て の立場 以 外 に 夫 々固有 の立 場 を
る こと
位 の向 上 に努 力 す べく 差 当 り 別紙 乙号 (対 列 国 策 ) に依 り処 理 す
困難 を加 へた る次第 な る が最 近 に至 り該 新 方針 に多 少 と も変 動 の
支方 針 を 採 用 し た る結 果支 那 問 題 に関 す る 日英 協 調 の回 復 は 益 々
傾 向 あ る や に認 め ら るる に顧 み (前 記 治 外 法 権問 題 に 関す る協 調
と 尤 も叙上努力に拘 らず万 一該方面 の治安 が著しく乱れ帝国 臣民
長 す る は 日英 協 調 回 復 の前 途 に 一歩 を進 む るも のと 云 ふ べく 殊 に
の生命財産其他重要権益 の保護上 絶対的 必要 ある場合には派兵 を
英 国 側 の重点 を置 く 所 が 支 那 本部 就 中上 海 、廣 東 其 他 長 江沿 岸 及
方申 入 も新 方 針 変 動 の傾 向 を 示す も の の如 し) 此 の際 右 傾 向 を 助
ニ
支那本部に於ける我が商権 の進展及同方面居留帝国臣民 の生
活安定 の為め政府に於て適当 に之を指導 すると共 に必要 の財政的
今 次 の日支 紛 争 事件 に付 て も我 方 に 対 し 比較 的有 利 な る態 度 を 示 し
由 来 仏 国政 府 は我 方 に近 似 せ る対 支政 策 を執 り居 る の みな らず
な る影 響 を 招 来す る所 以 と 思 考 せ ら る
し つ つ協 調 の歩 武 を 進 む る は満 洲 問 題 に対 す る我 方 の地 歩 に良 好
南 支 方 面 に存 す る に鑑 み該 地 方 に於 け る英 国 の立 場 を 適 当 に尊 重
行 ふことあ るべし
二
援 助 の途を講ずる こと 居留 民中好 んで事端 の惹起 を計 るが如き徒に対しては外務出先 官憲に於て陸海軍側と協力 して厳重取締を加ふる こと 別紙 乙号 (対列国策)
け る 日仏 両 国 の政 治 的 接 近 を求 め んと す る空気 あ る も の の如 き に 付
来 れ る 一方 仏 国 側 と し ては其 の欧 洲 制 覇政 策 遂 行 の関 係 上 極 東 に 於
支那問題に関す る日英協調 の回復 は永年 の歴史的背景に加 ふる
に支那に於け る英国 の利益及勢力が今 日尚 ほ相当牢固たるも のにあ
最 近 の機 会 を 捉 へて極 東 に於 け る 日仏 間 の 一般的 諒 解 に関 す る話 合
一
るにも顧み甚 だ望まし き儀 にし て従来我方 に於 ては適当 の機会を捉
を促 進 す る こと
も徴 し相 当 困 難 な るべ き や に認 め ら る る次 第 な る 処極 東 に於 け る
前 項 に所 述 せ る 日英 提 携 を 急 速 に実 現 す る こと は従 来 の経 緯 に
へ右協調 回復方 に付種 々劃策する所 ありた るが容易に其 の実現を見
日仏 の接 近 は 対 支 日英 協 調 に対 す る英国 側 の熱 心 を増 す に与 て力
ざりし次第 なり然 るに本年 一月突然英国政府 より我 方に対 し支那治 外法権問 題に関す る協調に付 交渉方申出 あり我方は直に之 に応じ将
あ る べし と 認 め ら る
尚 右 日仏 間 の 一般 的 諒 解 を 促 進 す る為 め に は 明治 四十 年 調 印 の
に必要 の交渉を開始せむとした る折柄偶 々上海事件 の勃発を見た る
現 存 日 仏協 約 を最 近 の事 態 に応 じ て日仏 両 国当 局 者 の間 に読 み 直
為め其 の儘とな り居れ る次第 なる処英国側に於 て引続 き右交渉 に対 上海事件善後問題を利用す ると か適当 の端緒 を辿 り日英協調 の回復
す る熱 心を有す るや疑問 なるも兎 に角該交渉 の開始 を計 るとか又は
す こと と し て 話 を進 む るも 一策 な るべ く 又 本邦 に於 け る安 南 革 命
件 に 関 す る 交渉 を 糸 口と し て話 を 進 む る も 一策 な る べし
派 取 締 問題 、 上海 仏 国 租 界 に於 け る 不逞 鮮 人取 締 問 題 等 具 体 的案
に努むる こと 東洋 に於け る日英協調 は世界大戦後 の国 際情勢 上破綻に帰し次 で昭和元年末英国政府 が支那側に対し極端 に迎合的な る所謂新 対
こと比較的尠 きに顧み英米 資本 よりも歓迎すべきも のと認 めらる
たるや の兆候 もある処仏国側 の対満投資 は其 の政治的色彩を伴ふ
将又近時仏国財界 にては満蒙 方面 に対す る借款 の機 運動 き初め
の如 きに付右等 の点に関 し出来得 る限り蘇聯側を安神 せしむ る様措
する野 心又 は我方 の白系露 人と の関係 に付疑惑 の念 を抱 き居 るもの
殊 に蘇聯側 にては我 方 の蘇領又 は東支鉄道 に於ける蘇聯側権益 に対
我方より進 んで蘇聯を刺戟 するが如き措置に出 でざる様留意す べく
置す ること但し蘇聯 が進 んで帝国 の満蒙経略を阻 止妨害す る等積極
三 目 下 の形勢 にては米国側を我が対満政策 の実 行に有利 に誘導す
的態度 に出 で来るが如き場合 には断乎とし て之を排除す ること
予 て蘇聯 より我方に対し不可侵条約締結方を申出 で居 る次第な
ること最も困難 と認 めら るるも前記一、二等 の実行を計 ると共 に累
る処満洲国 の安定を計 ると共 に帝国 の立場を拘束 せざ る見地 より
次我方に於 て之 が尊重を宣明する門戸開放機会均等主義 を適当 に運 用し以 て米国側態度 の牽制 乃至緩和 を計 ると共に我満蒙経営 に対す
し て同国 と蘇聯又 は帝国 と蘇聯 と の間 に条約 の形式 に依らず何と
か不可侵的意図を相互 に表明す る等 の方法に依 り成 るべく 日蘇関
る極め て強力 なる障碍 の原因が米国側 に存す るの事実に顧 み同国に 前 記一 、二 等 の実 行 に依 り帝 国 と英 仏 等 と の接 近成 り従 て帝 国
改善及確保を促進する こと
係 の緩和を見 る 一方極東蘇領 に於け る我方 の権益に関 し速 に之が
対し内外諸般 の準備を速 に進め置 くこと の国 際 的孤 立状 態 の緩和 を見 る に 於 て は米 国 側 を牽 制 す る に与 て
て は門 戸 開 放機 会 均 等 主 義 にし て現実 に維 持 せ ら るれ ば其 の他 の
長 官 の方針 に関 し相 当 有 力 な る反 対論 存 す る 一方 同 国 実業 界 等 に
始せられた る仲裁裁判及調停条約締結方に関す る交渉 を促進す べく
商 の円滑を期す べく殊に蘭国と の間 には曩に同国側 の希望 に基き開
五 其 他 の各国 に対しても出来得 る限 り友好関係 の増進 を計 り且通
るが如き場合 に備 ふる為 の外交的準備 とし ても肝要 と認む
尚ほ前記一、二、三等 の措置 は万 一蘇聯が積 極的態度 に出 で来
力 あ るべ き のみな らず 其 の態 度 の緩 和 に も資 す べし 又 満洲 問 題 に関 し米 国 民 間 に ては 不戦 条 約 、 九 国条 約等 に抵 触
問 題 は成 行 に委 せ差 支 な し と の空気 も徐 ろ に擡 頭 し 居 る も のと 認
又若し此 の際同国と の間に前記条約締結交渉を急速 に促進せしめ難
し て成 立 せ る 一切 の既 成 事 実 を 承 認 せず と の建 前 を 執 り居 る国 務
め ら る るに付 右 門戸 開 放 機 会 均 等 主義 の運用 宜 しき を 得 米 国側 を
き事 情あるに於 ては太平洋 に於け る領土的現状 維持 に関 す る取極
( 華府 四国条約 の趣旨を日蘭間 に拡充す る結果となる) の交渉を同
し て満洲 国 に於 け る経 済 的 利 益 に 相 当 に均 霑 せし め 得 るに於 ては 自 然 に 同 国 の態 度 も緩 和 を 来 す べ し と思 考 せ ら る
国と の間 に開始す ること尚 ほ状況 に応じ其他 の欧米諸国と の間にも
近 時 北満 方 面 の形 勢 に関 し 日蘇 間 は 相 当 の危 機 を 蔵 し 居 る も の
四
逐次仲裁裁判及調停条約締結 に関す る交渉を進 むること
四年蘭国側 の希望 に基き開始 せられ昭和六年四月頃迄継続せられ
前 記蘭国側と の仲裁裁判及調停条約締結に関する交渉 は大正十
と 認 め ら る る を 以 て我 方 と し ては 万 一の場 合 に応 ず る為 め速 か に軍 事 外 交 其 他 内外 諸 般 の準 備 確 立 に努 む る と共 に現 下 の国 際 関 係 に顧 み少 く と も 此際 は蘇 聯 と の衝 突 を避 く る こと極 め て肝 要 な る を 以 て
た るも 我 方 に 於 て余 り乗 気 にな ら ざ り し 関係 も あ り成 立 に至 ら ざ ︹マ マ ︺
りし 次 第 な る が蘭 国 側 に て前 記 交 渉 開始 を 申出 で来 れ る は蘭 領 印 度 に対 す る帝 国 の意 図 に 付危 虞 し た る 結 果 な る が如 く 而 し て今 次 日支 紛 争 事 件 殊 に 上海 事 件 の発 生 は右蘭 国 側 の危 虞 を 一層 増 進 せ し め た るや に 認 め ら る る のみな ら ず 蘭 国 以外 の欧 米 諸 国 の政 治 家 等 にし て南洋 方面 に於 け る此 等 諸 国 の植 民 地 に対 す る帝 国 の領 土 的 野 心を 云 々す る も のさ へあ るに 至 り し に顧 み此 の際 蘭 国 と の交
の啓 発 に資 し 且満 蒙 問 題 に対 す る帝 国 の純 正 な る立 場 を諒 解 せ し
渉 を 促 進す る と共 に其 の進 行 振 等 を 可然 宣 伝 す る こと は斯 種 誤解
む る為 め にも 与 て力 あ る べし
三
海 軍 の対 支 時 局 処 理 方 針
(昭 和 八年 九月 二十 五 日決 定 )
運動 の根絶党部勢力 の解 消等を実行せし め北支風潮を親日的に転 向せしむ
帝国 の対支政策 に関し ては昨年閣議承認 を経た る時 局処理方針中
二
常に厳正なる態度を以て臨 み其 の非を糺弾して之 が反省を促
害す る重大原因 なるを以 て我方は右運動 が如何 なる形を以て行 は
二
し従来 の抗日政策 の転向 に努む
一
国民政府に対 しては寛厳竝行 の方策 を以 て我に有利 に誘導す
三、対中支方策
三 右情勢を漸次中南支に波及拡大せしむ るに努 む
日満両国と の依存関係を復活せしむ
導 し北支を合作して漸次事実上中央政権 の政令 外に立 ち且北支と
山東山西方面 に於ける実権者に対しても右方針 の下 に之を指
に示す所 なるも其 の後情勢 の変化 に鑑み且将来 の推移 を考慮し差当
一、 一 般 方 針
り左記方針 に依り可然処理相成度 帝 国 の対支 政策 の基 調 は支那 をし て穏 健 中正 な る独 立国 家 た ら し め 日満 支 三国 相 提携 し て東 洋平 和 の基 礎 を 確立 す るに在 り、 之 が 為 支 那側 を し て速 に従 来 ︹の︺ 誤 りた る政 策 を是 正し我 国 と相 協 調 せ し む る如 く 指 導 す る を要 す ︹マ マ︺
さ れば 支 那 全般 と し て は固 よ り仮 令 一地 方政 権 た り と も其 の非 を
し 依 然帝 国 と 抗 争 せ んと す るも のに対 し ては厳 正 なる態 度 を 以 て臨
改 め 帝国 と 提 携 せ ん とす る態 度 を採 る に於 て は帝 国 は之 を誘 擁 支 援
み 聯盟 及 列 国 の外援 を抑 制 す ると 共 に 支 那 自体 の国内 問 題 よ り 来 る
るるを問はず 支那側 の峻厳 なる取締 を要求するも のなると共に該
支那に於ける排 日運動 が日支国交 の改善極東 平和 の確立を阻
圧力 を利 用 し漸 次其 の対 日 政策 を 転 向 せ し む
運動 の結果在留邦人乃至権益に及ぼす侵害に対 しては必要なる場
合 は実力行使 も敢 て辞せざ る所にして日支間 の実力衝突を未然 に
北 支 (北平 ) 政 権 に 対 し て は相 当積 極 的 に 之 を援 助 し速 に北
一
防止し国交 の改善を図るには先づ排 日の取締が最重要要件 なるこ
二、対 北 支 方 策
支 方 面 の事態 を安 定 せ し め停 戦 協 定 の履 行 、 抗 日排 貨 其 の他 反 日
右 の如 き態 度 を執 る 一方 親 日倚 日的 色 彩 を有 す るも のに対 し
と を徹 底 せし む
ては裏 面的 指 導 其 の他 の方 法 に依 り之 を 援助 し其 の勢力 の増 大 を
三
図 り 反 目欧 米 親 近派 勢 力 を 減 殺 し、 前 記排 日政 策 の放棄 と共 に漸 次 党 部 の色 彩 を 脱 せ し め以 て日 支提 携 の常 道 に復 帰 せ し む 四、 対南 支方 策
西南 方 面 に 於 け る反 蒋 運 動 は国 民 政府 の排 日政策 を 緩和 す る
対 中 支 方策 と 同 一趣 旨 を 以 て進 む但 し 一
効果 あ る べき に鑑 み抗 日を 趣 旨と す るも のを除 き ては之 を放 任 し
南 支 に於 け る列 国 の軍事 的進 出 に 対 し て は極 力 警 戒 防 止 に努
機宜 之 を利 用 す 二
む 之 が為 同 方 面 に対 し ては追 て積 極 的 方途 を 講ず る こと あ るべし
四
(陸 軍提 出 の陸 軍 案
昭和 八年 十 月 二 日)
対 皇 国脅 威 を除 き 並 に第 三 ﹁イ ンタ ー﹂ の思 想 的 攪 乱 を 解消 す る
帝 国 国 策
︹( )内 は昭和八年 九月 二十二日の案︺
為 め全 幅 の努 力 を 為す ( 其 結 果 対蘇 国 交 悪 化 し開 戦 の已 む な き に
懸 案 の解決 を促 進 し殊 に極 東 方面 に於 け る蘇 国兵 備 の増 強 に依 る
東洋平和確保 の伝統的国是 に鑑 み満洲国 の哺育発達 に関す る既定
針
国策を堅持し つつ昭和十 一年前後 に於ける国際的危機 を未然 に防 止
方
し且 つ万 一の危機到来 に際し安全 を保障し得 るに必要 なる国家内外
策
至 ら ば機 を失 せず 蘇国 の極 東 兵備 を覆 滅 し 国交 の安 全 を確 立 す )
害 を明徴 な らし め 帝国 国 策 に理 解 を与 へ直 に平 等 的 立 場 に於 て両
政 治 経 済両 方 面 に亘 り国 際 関 係殊 に極 東 問題 に関 す る日米 の利
米
3、 対
綱
の態勢 を整備するを以 て帝国現下 の国策根本方針と為す 要
帝国 の安全並 に対満国策遂行 を目標として列国と の間 に多辺的親
一、対 外 政 策
く迄 帝 国 の対満 国 策 を否 定 し (日蘇 開 戦 の機 に乗 じ武 力 を 以 て我
国 国 交 の親 善 を策 す但 米 国 にし て極 東 に対 す る制 覇 慾 に駆 ら れ飽
満 策
英
策
ざ る も対 米 開戦 初 期 直 に米国 側 に立 た し めざ る こと を以 て対英 外
る べ き危 機 に際 し力 め て英 国 をし て之 が圏 外 に立 たし (已 む を得
を阻 止 妨 害 せ ん とす る が如 き企 図 を防 遏 し帝 国 の直 面 す る こと あ
英 国 の世界 制 覇 慾 と其 国際 的 立場 を洞 察 善 用 し帝 国 の対満 国 策
4 、対
のとす ) 我 に干 渉 す る に於 ては 対抗 の策 を取 る
に迫 ら ん とす る が如 き形 勢 と な る に於 ては 之 と 一戦 を辞 せざ る も
善関係 の確立を図ると共 に万 一の危機 に際し努 めて戦争 の範囲を局 1、対
限する如く施策す之が為対主要列国策を大要左 の如 く定む 曩 に閣議決定 の満洲国指導方針要綱 に拠 るべきも特 に指導 の統 一強化 を図り速 に建国 の精華を内外 に顕揚す るに努 むると共に国 防施設並国防上緊要 なる交通及産業 の開発 を促進 するものとす 策 帝国 の対満国策遂行 に伴 ふ実力 を活用し日蘇間 に存在す る各種
2、対 蘇
皇 国 精神 に立 脚 す る全 国 民 の自 覚 的 団 結 力 を強 化 し 現下 の外 交 政
の下 に諸般 の準 備 に遺 憾 な から し む る ことを期 す 之 が為 主要 政 策 を
策 並 に万 一の場 合 に於 け る国防 力 の根 基 を強 固 なら し め 且此 団 結 力
交 の基 調 たら しむ ) む る を 以 て対英 外交 の基 調 た らし む従 て対 英 経 済 問 題 其 他各 種 問 題亦 之 に立脚 し て調 整 せ ら る べき も のとす
帝 国 の対外 政 策遂 行 に遺 憾 な か らし む る如 く人 事 の上 に将 た亦
1、 外 交機 能 の刷 新
定 む る こと 左 の如 し
5 、対 仏 独伊 策 欧 洲 政 局 上 に於 け る仏 国 の安 全要 望 独 逸 の勃 興 並 此 間 に介 在 す る伊 国 の地位 等 に基 く欧 洲 方 面 国際 政 局 の動 向 を し て ( 英 国 を牽
組 織 の上 に外 交 機能 の 一大 刷 新 を断 行 し外交 動 員 を行 ふ を要 す
制 し其 対 米接 近 を抑 制 し 以 て帝 国 の対英 策 遂行 の資 た ら し む るも のとす 殊 に仏 国 の孤 立的 動 向 の利 用 を策 す )我 国 策 遂 行 を容 易 な
於 て此 等 に対 し安 全 な る兵 備 を保有 す ると 共 に支 那 に対 し て は単
対 蘇 米脅 威 国 に対 す る兵 備 の完璧 を期 す即 ち 昭和 十 一年 前 後 に
2、 兵 備 の増 強 及 改善
策
ら しむ る如 く施 策 す 支
に威 力 を 保持 し得 る に足 る兵 力 を準 備 す る に努 む
対 日政策 の実 質 的 転 向 を助 長 強 化 し以 て日支 経 済 関 係 の調整 を
6、対
期 し帝 国 の (対第 三 国戦 に於 て少 く とも 開 戦初 期 一定 期 間中 立 を
3、 思 想 浄化 調 整
之 が為 には思 想 其 のも の の浄 化 策 の外之 と牽 聯 す る経 済 社 会 問題
人 の和 の重 要 性 に鑑 み之 が根 基 を為 す 思 想 の浄 化 調 整 を促 進 す
保 持 せし め 万 已む を 得 ざ る場 合 に於 て も北 支 方面 に 一緩 衝 地域 を
も 努 めて広 く親 日 地 域 を設 定 せし む る ことを 以 て 対支 政 策 の基 調
の対 策 を実 行す るも のとす
設 定 せし む る こと を以 て 対支 政 策 の基調 たら し む) 危 機 に際 し て
たら し む之 が為 特 に支那 の分 立 的傾 向 に即 応 し親 日分 子 の養 成 及
4、 教 育 の刷 新
思 想 浄 化 と 併行 し て徹底 せ る社 会 政 策 を実 行 す るを要 す 而 し て
5 、社 会 政 策殊 に農 村 振 興
り 一大 刷 新 を断 行 す 特 に教 育 の営 利 化 を断 滅 す
思 想 浄 化策 と併 行 し て教 育 機 能 並 教育 の指 導 等教 育 の全 般 に亘
之 が組 織化 を促 進 す るを要 す 7、対 軍 縮 策 帝 国 の地 理的 特 殊性 に立 脚 す る 国防 の安 全性 を毀 損 せ ざ る範 囲
華 府 及 ﹁ロンド ン﹂ 条 約 改 定 に就 て は予 め関 係 諸 国 と 諒 解 を遂
此種 政 策 は国 民 の自 律 的 な る勤労 的 創 造 力 を強 化 す る こと を主 眼
に於 て軍縮 問 題 解 決 に協 力 す
げ 以 て有利 な る解 決 を期 す るも 已 む を得 ざ れ ば ( 該 条 約 よ り離 脱
と し て実 行 せら る る も の とす
途 と し 兼 て都 市 勢 力 の農 村 浸 潤 力 を適 宜 抑 制 す る如 く施 設 す
農 村 振 興 の為 には農 産 品 の価格 維 持 及 農 民 の金 銭 支 出 縮 小 を目
す るも 国防 安 全 率 ( ( 統帥 部 の自 信 兵 力) )の確 保 を期 す ) 会 議 の決 裂 を意 と す る ことな く 国防 の安 全 を 確保 す 二、 対 内 政 策
6、戦時所要資源 の貯蔵 ( 戦 時二年間 を目途とし て重要資源戦時 の急需 に応ず る為)重 要資源就中 不足原料燃料 の貯蔵 を為す而 して此 の種貯蔵 に於 ても 亦社会政策 的対策 と相調和する如 く実行するも のとす 戦時経済を基調とす る金融統制 に関 する諸般 の準備を促進す
7、金融統制準備 8 、財政計画 の基 調 ① 戦時 (二年間 に応ず る所要経費約 二百億 円と予定し⋮⋮) ②
昭和十 一年 に到る三年間 の財政は暫行的 に外交国防 に主 点
所要 の経費を予定し之 に基 き戦時財政計画 を予定立案 す
③ 昭和十 一年前後 の危機 を突破 せば茲に民力休養期 に入る
を置き之 を立案予定す ④ 地方財政亦前各項 の趣旨 により之 が指導監督 を為す
五
昭 和 八 年 十 月 二十 日 五 相 会 議 に 於 け る 陸軍側提示
一、 国 策 は各 省 業 務 実 行 の指針 と し て国 務 大 臣 の審議 に よ り決 定 す 二、 対 外 国策 の大 綱 は既 に昨 年 八 月閣 議 の決 定 を 経 た る も のあ り根 本 的 に之 を改 む べ き情 勢 の変 化 な し唯 だ皇 国 の聯 盟離 脱 及欧 米 諸 国 の国 勢 に多 少 の変 化 あり た るも 当時 既 に予 察 せら れ た る処 た り故 に 之 に基 き 多 少 の修 正 を加 ふ れば 足 れ り 三 、 対 外 国 策 に使 ふ 対内 国 策 は未 だ確 立 せら れ あらず 国 家 の憂 は此 に存 す 四 、 対 外 国策 の修 正 案 及 理 由書 は 茲 に提 出 す る処 の如 し 此大 方 針 を 審 議 決 定 し た る後 過 般 来 提 示 せ ら れ た る等 の案 は 夫 れ 夫 れ事 務 当 局 に於 て研究 審 議 す る こと と せば可 な る べ し 五 、 対 外国 策 に併 行 す る対 内 国策 に就 て は過 般 口頭 を 以 て其 大 綱 を 述 べ たる も 重 ね て関 係 各 閣 僚 と 共 に研 究 審 議 す べ き時 機 に於 て更 に 要 望 を 縷述 す る事 とす
六
対 内 国 策 樹 立 に 関 す る 国 防 上 の要 望
④ 国際情勢最悪 の場合 に応ず る基本的準備を完成する為今後数
陸軍省軍事課)
対内国策樹立 に関 する国防上 の要望は皇 国精神 に立脚す る思想 の
年間 に要すべき経費並 一朝有事 の日必要 とす る戦費を予測し之 が
(昭和 八年 十 月 三 十 日
純 化に依 り全国民 の団結 を強化 し以 て挙国 一致難局打開 の根基を確
⑤ 農村現下 の実情 に鑑 み速 に徹底 したる対策を講ず
調達 の為金融財政上 の対策 を予定確立 す
防空、治安維持 、重要資源 の防護 並諜報謀略 の取締等戦 時国内 の
三、国内警備 に関す る準備
⑥ 人 口問 題 の解決失業 の防止救済 に努力す
立 すると共 に万 一の場 合に応ず る諸般 の準備 に違算 なから しむ るを 一、皇国精神 の発露 に依る挙国 一致 の実現
主 眼とす之 が為陸軍 の要望 する事項左 の如し 国民 の精神威力は国運進展上第 一の要件 たるに鑑 み大日本精神 に
せしむ以上 の事項 は現下内外 の情 勢 に照 し最も迅速 に実現する の要
警備 に関し関係当局間 の連繋 を緊密ならしめ其 の準備計画を具体化
立脚す る国民教育 の徹底及政治経済制度 の活用 に依 りて国民思想 の 純 正堅実 を図 り以 て国勢躍進 の基礎 を鞏固 にし有事 の日能く挙国 一
行 を望 む
のに就 ては整 理検討 を加 へて之 が利用に努 め情実因縁を排 し決意断
あり調査審議 の為荏苒機 を失す ることなく既 に研究結果 の存するも
致 の威力 を発揮する に遺憾 なからしむ 二、経済財政 に関す る事項 ① 平戦両時 に通ず る組織的経済 の確立を期し国 民生活上及国防 日満両国 に亘 る経済 の調節 を図 る
上重要 なる産業 の合理的振 興策 を講ず ②
③ 戦時不足すべき資源 を適時充足す る為北樺太 ・支那 ・南洋等 我 が予想勢力範囲内 に在 る外国資源 の取得利用を企画する の外不 足資源 の貯蔵並代用品 の研究実 用化 を促進す
(須 磨 彌 吉 郎 )
実行 に移 し ゆ く か に存 す る。 然 る に非常 時 対 支政 策 決 定 後 既 に 二ケ
対支 静 観 主義 放 棄 論
月余 を経 過 す る今 日 、依 然 何 等 具 体 的 措 置 の講 ぜ ら れあ るを 見 な い
七
一九 三 六年 の所 謂 帝 国 危 険 線 は愈 々目 睫 の間 に 迫 つて来 た 。 これ
あ る は、 そ の下準 備 と見 ら れ ぬ では な いが ︱ ︱如 何 に も物 足 ら ぬ感
着 眼 や対 策 の出 来 不 出 来 に あ る の でな く 、 これ ら を如 何 にし て速 に
が た め我 朝 野 は挙 げ て対策 講 究 に腐 心し 、 内 政 に 外 交 に軍 事 に全 力
じ がす る次第 で あ る。
一
以 つ て之 が準 備 に忙 殺 さ れ て ゐ る。 いま非 常時 切抜 のわ が外 交 工作 ︹ 弘毅︺ に つ い て見 るに 、廣 田 外相 就 任 直 後 開 かれ た 五省 会 議 の決 定 と し て
のは︱ ︱尤 も昨 今頻 り に在 支 出 先 官 憲 の陣 容 充 実 建 直 を 実 行 し つ つ
伝 へら る ると ころ に依 れば 、 対 米 対 露 関 係 の調整 と 対 支 親 善 政策 を
現 在 の如 き国 際 環 境 に対 処 す る た め、 日支 関 係 改 善 の目的 を 以 つ
二
体 的 方策 と し て、 日満 支 の協 調 促進 を 目標 に、 差 当 り諸 懸案 の解 決
て、出 来 得 る な らば 所 謂 静観 主義 よ り 一歩 前 進 の要 あ る こと は、 心
基 調 と し 、 就 中後 者 に特 に重 点 を 置 く こと と な つた 如 く 、 これ が具
を 計 ると同 時 に、 文 化 援 助 政 策 等 を も併 せ実 行 す る こと に な つた 趣
あ る も の の夙 に痛 感 し つ つあ ると こ ろ であ るが 、 いざ実 行 の場 合 を
国 交 の癌 的 存 在 と な つて を り、 こ れあ る が故 に、 さ きに 皇 軍 の平 津
思 ふ に 一九 三六 年 の危 険線 と言 ふ も、 謂 はば満 洲問 題 を中 心 と す
で あ る。
地 方進 兵 に依 り 城 下 の盟 を な し た に 等 し い北 支停 戦 協 定 が成 立 し て
言 ふ迄 も なく 満 洲 国 の存 在 で あ る。 今 や 満 洲 国 の存 在 は、 日支 両 国
つた 両 国 関 係 の打 開 には 、満 洲 問 題 の解 決 不 可能 な る現 状 に於 い て、
も、 そ の当座 は と も かく 、 又 中 に は真 に 日支 大 局 に目 覚 め 、 心 か ら
考 へて見 ると 、 問 題 は決 し て簡 単 では な い ので あ る。 第 一の難 関 は、
結 局 は、 差 当 り の諸懸 案 を個 々に解 決 し てゆ く こと に依 つ て全 面 的
こ の協 定 の精 神 を拡 充 し日 支 全 局 の好 転 に資 せん と 真 面 目 に努 力 し
る 日支 関 係 の紛 糾 に そ の多 く の原 因 の存 す る点 、 及今 日 の如 く 行 詰
寔に事 宜 に 適 し た も のと 言 は ねば な ら ぬ ので あ る が、 併 し 問 題 は 、
好 転 を 招 来 す る外 な い実 情 に あ る関 係 か ら、 新 外 相 の着 眼 及 対策 は
た 具 合 で、 支 那側 の対 日悪 感 は非常 に 深刻 で あ り、 如 何 に も 始末 に
認 す る にも 等 し い決議 が、 立 法 院 や 中央 政 治 会 議 で為 さ れ る と言 つ
上 の勢 力 抗 争 に 因 を発 し て ゐ ると は 言 へ、 こ の停 戦 協 定 の精 神 を否
つつあ る人 士 も あ る に 不拘 、 僅 に 数 ケ 月を 出 でざ る今 日 、 仮令 内 政
べき で 、 これと りも な ほさず 又 目前 の対 支 政 策 の要 諦 で なけ れ ば な
与 し得 べ き建 設 的 方 策 を 用意 し て臨 ん で こそ 、打 開 の途 あ りと 言 ふ
共 栄 の大 局的 見 地か ら 、 そ の崩 潰 を 防 止 し 進 ん で そ の再 建 復 興 に寄
あ る が、 これ と 同 時 に 、 支那 に対 し て、寧 ろ そ れ 以上 に、 日 支 共存
理 想 通 り に王 道 楽 土 た ら しむ べく 努 力 す る の必要 あ る こと 固 よ り で
ら ぬ と私 は確 信 し て ゐ る。
わ る いも のと な つて ゐ る。 従 つ て事 情 かく の如 く な る今 日 に於 いて は 、仮 令 個 々 の懸 案解 決 にし て から が 、満 洲 問 題 を ﹁セ ツト アサ イ
三
然 し乍 ら、 翻 つ て思 ふ に 、 日支 両 国 の地 理 的歴 史 的 文 化 的 経 済 的
で あら う 。 そ の時期 を も俟 た ず し て、 此 方 か ら そ んな 甘 い態 度 を示
態 度 を 持 し 静 観 し て居 れば 、 結 局 は 支那 側 か ら折 れ て来 る 日 も あ る
打 開 を 急 ぐ 必 要 は な い で はな い か、我 国と し ては 、 厳粛 且断 乎 た る
かく 言 へば 、中 に は、 そ れ 程 に親 切 の押 売 を し てま で 、 日支 関 係
ド﹂ し て、 果 し てよ く所 期 の目 的 を 達 し う る か、 こ の点 固 より 私 も
等 々に於 け る密 接 な 自然 的関 係 は、 かう し た 支那 側 の対 日悪 感 存 在
世 人 と 共 に深 き疑 惧 の念 は も つて ゐ る。
す る に も拘 ら ず 、 彼 等 の間 に は 一時 満 洲 問 題 には 触 れず 、 実 際 的 に
勿 論 かう し た 考 へ方 は 、支 那 の国 民 性 に顧 み 、 一面 の真 理 を 道 破 せ
の舞 を 演 ぜ ん こと 火 を睹 る よ り明 かな り と な す論 者 もあ る であ ら う。
る も の で、 曾 ては私 も 、 さう した 考 へ方 を も つて最 も時 宜 に適 す る
す に於 て は、 す ぐ に附 上 る は必 定 、 そ の結 果 は往 年 の幣 原 外交 の二
る こと も事 実 で あ つ て、 それ は寧 ろ政 治 に無 関 係 な 一般 民衆 の間 に
も のと した と き も あ る。 然 し乍 ら 所 謂 対策 な る も のは、 常 に 一定 不
両 国 関係 改 善 の必要 あ り と な し 、ま た 日本 の援 助 な く し て は支 那 は
多 く 見 受 け ら る る ので あ る。 こ の こと は依 然 た る排 日貨 の嵐 の中 に、
変 のも のを 良 し と す る も ので なく 、 寧 ろ 客 観情 勢 の変 化 に伴 ひ 自 然
立 ち行 か ぬ こと を 、 お 世 辞 でな く真 実 真 面 目 に考 へてゐ る も のの あ
か に看 取 せ ら る ると ころ であ る。 だ か ら従 つて、 満 洲 問 題 の存 在 が、
支 那 市場 に於 け るわ が商 品 の実 需 が 如何 に旺 盛 な る かに徴 し て も 明
で従 来 の支 那 側 の へこた れ る を傍 観 す ると い つた態 度 も、 もと も と
変 化 あ る べ き道 理 のも ので あ る。 況 んや 日 支 の関係 は、 兄 弟 の間 柄
支 那 を愛 す れば こそ で、 そ の覚 醒 を 俟 た ん と す る大 慈 大 悲 の態 度 に
が、 これ を 以 つ て直 に、 日支 関 係 の将 来 を絶 望 視 す る こと は、 余 り
外 な らず 、決 し て支 那 を悪 し と し て そ の滅 亡 を俟 つと い つた 気 持 か
両 国 関 係 打 開 を 至難 な らし む るも のと し て 一応 の悲 観 は差 支 へな い
に取 越 苦 労 に 過 ぎ は しま い かと 思 は れ る。 要 す る に 日支 関 係打 開 の
ら で は全 然 な い。 従 つ て仮 り に支 那 にし て危 機 に瀕 せ ん か、 袖 手 傍
観 出来 る やう な水 臭 い仲 で は な い の であ る。 他 方幣 原外 交 の 二 の舞
る にあ らず し て、 我 国 が満 洲 国 を援 助 し て ゐ る こと が、 決 し て利 己
に対 す る〓 憂 も さる こと乍 ら、 我 国 は 、敢 て幣 原外 交 当 時 ならず と
可 能 性 の有 無 を 決定 す る も のは支 那 側 を し て満 洲 奪 回 を 断 念 せ し む
こと を事 実 の上 に証 明 し 得 る か否 か に存 す る。 即 ち満 洲 国 を建 国 の
的 な領 土 的野 心 に出 発 せず 、 真 に東 洋 永 遠 の平 和 維 持 の外 他意 な い
支 那側 を し て際 限 も な く増 長 せ しむ ると 言 つた 遣 方 は 、少 くと も現
も 随 分 支那 側 か ら は〓 え湯 を飲 ま さ れた 苦 い経 験 を も つて ゐ る か ら、
謂 静 観 主 義 の殻 に のみ閉 ぢ 籠 り得 な いも のが あ る 。
取 越 苦 労 に日 を暮 し 、或 は又 間 接 手 段 に のみ頼 つて袖 手 傍 観 即 ち 所
に直 面 し て、 我 々と し て は最 早 や 、 目 前 の困難 に遅 疑 逡 巡 し 、或 は
第 一に従 来 我 々は 、 支那 の共 管 と か分割 に対 し て は極 力 反 対 し て
在 に於 いて は、 す つか り 清算 さ れ て ゐ る筈 で、 満 洲 、 上海 乃至 は平
も のが、 段 々近 付 い て来 る やう な気 がし てな ら な い ので あ る。 私 は
来 た も のであ る が、現 在 の情 勢 から 観 測 す る と、 我 々 の恐 れ て ゐた
津 附 近 への進 兵 は、 決 し てみ え や伊 達 で は な い の であ る。 余 り増 長 す ると 承 知 し な いぞ と 言 つた 我 儼 然 た る決 意 は、 色 々 の反 日策 動 は
今 次 の福 建 独 立 の裏 面 に英 米 の策 動 があ り 、 新 し い支 那 分 割 又 は共
あ るに は あ つて も、 支 那 側 に と つて は相 当 身 に こた へて ゐ る筈 で あ る。身 に沁 み て居 れば こそ 、 仮 令表 面 だ け に せ よ、 親 日政 策 の標 榜
な つて ゐ な いし 、 又 共 管 な り分 割 な り の問 題 が 、 いや し く も我 帝 国
管 の端 開 かれ ん と す と い つた 説 を 事 実 と し て信ず る程 神 経 過 敏 には
の健 在 す る限 り我 国 を除 外 し て、 列 国 の間 に 真 面 目 に考 慮 せら れ 又
を 余儀 な く さ れ て ゐ る のだ と 、私 は 了解 し て ゐ る。 だ か ら我 々は 、
こと が あ ると し ても 、 決 し て幣 原 外 交 の轍 を踏 む を 恐 る る必要 は毛
べ しと は思 つ て ゐな い ので あ る が、 然 し 乍 ら 、 西 藏 新疆 内 外 蒙 古 等
論 議 せ ら る る が如 き こと 、現 在 は勿 論 将 来 に於 いて も絶 対 に あり 得
今 後 の対 支交 渉 に於 い て、 大 局 的 見 地 か ら 、相 当 妥 協 的 手 段 を と る
頭 な い の であ つて、 我 々は 、満 洲事 変 以来 払 ひ来 つた 努 力 と犠 牲 に
は抗 日 に利 用 のた め に 或 は政 府 の命 脈 維 持 の目 的 か ら、 或 は聯 盟 と
諸 辺疆 地方 の分 離 的 傾 向 は暫 く措 く とす るも 、 現 に 国 民 政 府 が、 或
対 し て、 も つと 自 信 と 信 頼 と を も つ ても い いと 思 ふ の であ る。 四
鉱 山 の開 発 に重 工業 の創 〓に其 他 各 種 の建 設 的 事 業 に 、種 々経 済 的
技 術 合 作 し或 は英 米 其 の他 諸 国 か ら航 空 路 鉄 道 及 自 働車 路 の建 設 に、
だ が然 し 、畢 竟 支 那 の こと は 急 い でも仲 々思 ふや う に な る も ので な く 、 漫 々的 を も つ て対 支 政 策 の要 諦 とす る こと 今 も 昔 も変 り は な
た め に制 せ ら る る は不 可 避 で名 こそ共 管 又 は分 割 と こそ 言 はざ れ、
援 助 を仰 ぎ つ つ あ る結 果 は ︱ ︱ 勿 論 支那 側 では 、 列 国 の共管 を 招 来
い の であ つて、 従 つ て単 に 一九 三 六年 の危 険 線 突 破 のた め のみ な ら
事 実 は 何等 これと 択 ぶな き 窮 状 に陥 る こと 明 か であ る。 仮 令 百歩 を
ば 、何 に も かく ま で急 い で静 観 主 義 放 棄 を力 説 せ なく と も 、 比較 的
ら し め 、惹 いて そ の対 日態 度 の緩 和 を 余儀 な く せ し む る こと も 出 来
譲 つ て然 らず と す るも 、 列 国 と 支 那 と の経 済 関 係 が日 一日 と増 進 し
であ らう が ︱︱ そ の好 む と 好 まざ る に論 なく 、 実 際 上 に 外国 の力 の
る ので あ る が、 奈 何 せ ん、 我 々の前 に 展 開 さ れた 支 那 の新 情 勢 は 、
て行 く のを、 我 国 独 り指 喰 へて見 て ゐる と いつた 法 は な く 、況 ん や
せ よ う と は考 へても ゐな か ら うし 、 寧 ろ外 資 の利 用位 に考 へて ゐ る
我 々が か ね て よ り抱 懐 し て ゐ る東 洋 平 和 の確 保 と か、 亜 細 亜 人 の亜
満 洲 が我 国防 の生命 線 なら 、 差 詰 め 支那 は我 経 済 の栄 養 線 と も 云 ふ
理 詰 め でゆ け る対 米 対 露 工作 を 進 行 さ せ れ ば よく 、 そ の成 功 の暁 に
細 亜 と か い つた 、 謂 は ば我 国 民 的 の夢 ︱ ︱否夢 で は な い信 念 ︱︱ 、
は、 これ に よ つ て支 那 をし てそ の得 意 の以夷 制 夷 策 を 施 す 余 地 な か
を 根 こそ ぎ破 壊 し去 ら ん危 機 を はら ん で ゐる ので あ つ て、 こ の情 勢
日 の在 支 地位 を 築 き 上 げ る迄 に、 何 れ程 惨 憺 苦 心 し た かを 、 今 こ こ
か 一工夫 す るに あ らざ れ ば、 悔 を 千 載 に 貽 す 結果 と なら う 。 我 々は
こと は如 何 に も 我 国 の忍 び得 な いと ころ であ つて 、今 にし て、 何 と
べ き重 要 な関 係 にあ る 土 地柄 と て、 これ を 列 国 の跳 梁 独 占 に委 す る
関係 のみ に つ い て見 る も、 幾 十 倍 す るも のあ る を 見 る ので あ つ て、
国 のそ れ と 到 底 同 日 の論 で は なく 、 そ の関 係 の密 接 な る単 に地 理 的
国 と の関 係 を か く 一概 に律 し去 るは 危 険 で、 支那 の日本 に対 す る露
る程 の こと も な か る べ しと の説 を 為 す も のも あ る が、 露 支 両 国 と 我
やう に 、 さま で直接 的影 響 は あ るま い、 従 つて し か く神 経 過 敏 と な
ら招 いた も のと し て已 む を得 ず と なし 、 且 我 国 と し て も左 程 留 意 に
仮 り に百 歩 を 譲 つ て、支 那 の赤 化 や分 割 の危 機 も 、所 詮 は彼 等 自
ので あ る。
断 じ て対 岸 の火 災 視 し て枕 を 高 う し て安 眠 を 貪 る こと は許 され な い
徳 川 三 百年 の鎖 国 主義 に累 ひ さ れ て、 列 国 よ り 立遅 れた た め に 、 今
に 切実 に回 想 す る必 要 が あ る。 五
険 で あ る。 蒋 介 石 累 次 の江西 赤 軍 討 伐 が常 に 事 実 失 敗 に終 は り、 又
支 那 四 千年 の光 輝 燦 然 た る固 有 の文 化 が逐 次 破 壊 し 去 ら れ て ゆ く の
値 ひ し な いも のと 考 へよう。 然 し乍 ら我 々 は現 在 の如 き混 乱 の中 に、
更 に我 々 の断 じ て無 関 心 な る能 はざ るは 、 支 那 の赤 化 に 対す る危
四 川 の共 匪 が如 何 に猖 獗 を極 め たと ころ で、 ま さ か に支 那 の全 土 が、
を 黙 過 し 得 る か。 更 に 又塗 炭 の苦 み に呻 く友 邦 四 億 の無 辜 の同胞 を
し か く簡 単 且急 速 に赤 化 す べ き こと は、 先 づ先 づ あ り得 な いで あ ら
放 任 す る こと果 し て情 と し て忍 び得 る で あ らう か。 実 際 これ が 忍 び
る。 冒 頭 私 は 一九 三 六年 に備 ふ る為 めに 日 支関 係 の打 開 を 口 に し た
の如 く 一般 民 衆 の窮 乏 甚 し く 殊 に農 村 の疲 弊 極 度 に達 し た る時 代 に
が、 勿 論 そ れ も目 的 の 一つ で はあ る が 、然 し今 は そん な 打 算 的 な目
う 。 け れ ど も亦 、 現 在 の如 き 乱 脈極 ま る政 情 の下 に 於 い て、 又今 日
す べき こと これ亦 疑 ふ べく も な い。 支 那赤 化 の懸 念 に対 し 、共 産 軍
的 の ため でな く崇 高 な東 洋 平 和 維 持 の我 等 国 民 的 天 職 遂 行 のた め に、
得 る位 な ら 、我 々 は今 日迄 、 支 那問 題 のた め に、 こん な に迄 苦 し む
も そ の発 展 過 程 に於 い てこ そ、 共 産 主 義 的 な看 板 を掲 げ て居 る が 、
従 つ て支 那 を 赤 化と 分 割 共 管 から 救 ふた め に、 又人 類 の文 化 擁 護 の
必 要 は な か つた ので あ る。 支 那 問 題 解決 の途 は他 にも あ つた筈 であ
結 局 は 従 来 の 一般 軍閥 と何 等 択 ぶな き も のと化 す べし と て、 そ の拡
た め に将 又 人 道 のた め に、 何 を 措 い ても 取 敢 へず 、 日支 関 係 行 詰 の
こ の見 地 よ り し て、 赤 化 の傾 向 は漸 進的 で は あ る が、 常 に 拡大 強化
大 強 化 の さま で重要 視 す る要 なき を 説 く も のも あ る。 右 は 相 当 支 那
打 開 から 着 手 し て、危 機 に瀕 せ る支 那 救 援 に乗 出 す 必 要 あ る こと を
於 いて は 、 そ れ自 体 が赤 化 の進 展 に好 個 の条 件 を 提 供 す る も ので 、
の共 産 党 及 軍 が 第 三 イ ンタ ー ナ シ ョナ ル の環 の 一部 分と し て の存 在
の躊 躇 もな く 静 観 主義 を放 棄 す べき であ り 、 これ 又 我国 固 有 の精 神
私 は痛 感 す るも の であ る。 思 う て こ ゝに 至 ると 、我 々は最 早 や 少 し
人 の民 族 性 を 理 解 せ る も の の言 と し て 一応 傾 聴 に値 ひす る が、 支 那
を否 定 し 得 な い以 上 、 本問 題 をし かく 軽 視 す る こと果 し て当 を 得 た
に合 致す る も のと 確 信 す る も ので あ る。
りと 言 ひ得 べき であ ら う か。 又支 那 の赤 化 は 懸念 に堪 へな い が、 何 と い つ ても 他 処 の国 の こと で あ るか ら 露国 の先例 に徴 し ても わ か る
私 は以 上 数 項 に 亘 つ て、多 少 前 後 顛 倒 の嫌 は あ る が、 兎 にも 角 に
て も内 部 は仲 々複 雑 で あ る。 虚 位 を擁 し実 行 力 な き当 局 と の交 渉 は
く は感 ず るが ま た已 むを 得 な い であ ら う。 又 一概 に南 京 政 府 と 云 つ
も 承 認 し た政 府 で あ る。 順 序 と し て これを 相 手 にす る甚 だ物足 り な
も 、静 観 主 義 を 放 棄 す る こと 今 日 の急 務 な る を 一通 り説 き 来 つた 積
き か又 そ の具 体 方策 如 何 の問 題 は余 り に デ リ ケ ー ト であ るか ら こ ゝ
過 去 の経 験 に徴 し こり ご り で あ る。 然 ら ば果 し て何 人 を 相 手 と す べ
六
り であ る。 然 し 乍 ら説 い て こ ゝに至 ると 又 し ても 困難 な る問 題 に逢
七
に言 及 す るを 差 扣 へた い。
着 す る (静 観 主 義 放 棄 も 蓋 し厄 介 な も のか な ) 。 そ れ は他 でも な い。 一歩 前 進 の場 合 政 策 遂 行 の相 手 方 の問 題 であ る。 勿 論 列 国 の承 認 し た 南 京 政 府 は、 今 も 中 央 政府 と し て存 在 はす る。 け れ ど も没 落 の危
之 を 要 す る に、 支 那 の現 状 は 、我 々が 今 日 迄 東洋 平和 維 持 のた め
つあ る。 固 よ り我 国 内 の情 勢 亦 必ず し も 楽 観 は出 来 な い が、 ま た崩
払 ひ来 つた 努 力 と犠 牲 と を水 泡 に帰 せ し め ん 危険 が著 し く 増 大 し つ
機 に立 つて、 果 し てよ く我 方 と共 に責 任 を 以 つ て、 両国 関 係 改 善 の 相 談 に応 じ得 る力 量 を有 す る であ ら う か、 これ は 確 か に問 題 で あ る。
壊 に瀕 せ る友 邦 の救 援 に 一臂 の力 を かす 態 の積極 政 策 を 行 ひ得 な い
国 民政 府 の現 状 は果 し て如 何 であ らう か。 事 実 そ の依 つて立 つ国 民 党 自 身 既 に腐 敗 分 裂 の極 に達 し昔 日 の団 結 勢 威 な く 、政 府 部 内 内 訌
ら う。 南 京 政 府 は今 や 運命 の岐 路 に立 つ て ゐる。 我 が これ に対 す る
こそ は、 我 現 下 情 勢 に 活気 を 与 ふ る起 死 回 生 の妙 薬 と も言 へる であ
態 度如 何 は、 次 第 に よ り て は 、 そ の興 廃 を も 決 し よ う。 時 機 は彼 等
程 悪 く は な い筈 だ。 否寧 ろ か ゝる対 支 積 極 策 に 一歩 を踏 み出 す こと
完 全 に 及 ばず 、 殊 に今 次 の福 建 独 立 に よ つ て そ の衰頽 の状 更 に顕 著
にと つ て将 に重 大 であ る 。 我 方 に於 て友 邦 の危機 救 援 の俯 仰 天 地 に
は絶 えず 、加 之 未 曾 有 の強 敵 共 産軍 に対 す る累 次 の討 伐 は悉 く失 敗
な るも のあ つ て、 そ の命 や 全 く 文字 通 り旦 夕 に迫 つ てゐ ると い ふも
に 帰 し 財 政 は極 度 の窮 乏 を 現 出 し そ の威 力 は今 や お 膝 元数 省 にす ら
過 言 で な い。 国 民 党 政 権 が か く ま で悲 惨 な 地 位 に顛 落 した 原 因 は他
法 も あ る であ ら う。 南 京政 府 のみを 尊 重 せず 親 日 を標 榜 す るな ら ば 、
恥 ぢざ る政 策 を 樹 て ゝ日支 現状 打 開 のた め 彼 等 に呼 掛 く る とき 、 よ
何 れ の政 権 でも 友好 関係 を結 ん で必 要 あ ら ば 之 を援 け ると 言 ふ が如
に も種 々あら う が、 充 分 の諒 解 と協 力 を 求 む べき筈 の我 国 に楯 突 い
性 も な く表 面 は兎 も 角 、 裏 面 では、 排 日抗 日を断 念 し得 な い徒 輩 多
き行 き方 も、 勿 論 一つ の見 識 で あ り、 実 際 問 題 と し て こ の外 に途 が
の成 敗 は固 よ り天 であ る。 彼 等 の頑 迷 救 ひ得 ざ る と き 又自 ら 別 に 方
く 、種 々反 日策 動 を 続 く る と 言 つた 始 末 で、 かく の如 き悪 質 の政 府
な い か も知 れ ぬ が、 既 に中 央 政 府 の存 在 す る以 上 原則 と し ては 面 白
も や彼 等 と ても 無 下 に我 方 好 意 を 退 く る こと は な いで あら う が 、 事
相 手 はま こと に有 難 く な い話 であ る。 然 し 乍 ら 既 に 静観 主 義 を 一歩
く な い。 か ゝる行 き 方 は 中央 政府 と の最 後 的 折衝 に断 念 を 余 儀 なく
へた こと は争 はれ ぬ 。 そ の今 日 あ る謂 は ゞ自 業 自 得 であ る。 而 も懲
踏 み出 す 必要 を 認 め て ゐる 此際 、相 手 方 の良 否 な ど問 題 で はな く 、
て、満 洲 事 変 を惹 起 し た こと が 、何 と い つ て もそ の崩壊 に拍 車 を 加
悪 け れ ば之 を 善 導 す れ ば い ゝ ので あ る。 況 や 南 京政 府 は列 国 も 我 国
の打 開 は、 先 づ我 方 に於 いて静 観 主 義 を 一歩 踏 出 す こと が 必要 で こ
さ る ゝとき を 俟 つ ても決 し て遅 し と し な い。 何 れ にし ても 日支 関 係
れ に よ つて最 後 的 成 果 ま で所 期 す るは 困難 で あ る が、 而 も 一九 三 六 年 の危 険 線 突 破 も 支 那 の救 援 も、 大亜 細 亜 の確 立 も 東 洋 平和 の確 保
こと を私 は力 強 く 主 張 せ ん とす るも の であ る。
も 、静 観 主 義 の殻 を 破 つて前 進 す ると ころ に のみそ の希 望 の生 れ る
対 支政 策 に 関 す る件
な る措 置 を 避 け 、寧 ろ右 自 然 の推移 を我 方 に有 利 に 誘導 す る如 く 支
四、 仍 て我 方 と し て は 此 の際 支 那 政 局 の自 然 の推移 に逆 行す る無 理
八
(昭和 九 年 十 二 月 七 日陸 ・海 ・外 三省 関 係 課 長 間 で決 定 )
一、 我 対 支政 策 はイ 支 那 を し て帝 国 を 中 心 と す る 日満 支 三国 の提携
那 の実 情 に応 じ我 方 の必 要 と 認 む る 方策 を 熱 心且 執 拗 に 実施 し、 以
なり
共 助 に依 り東亜 に於 け る平 和 を 確保 せ んと す る帝 国 の方針 に追 随 せ
意
し む る と 共 にロ 支 那 に 対 す る我 商 権 の伸 張 を 期 す る を 以 て根 本 義 と
て支 那 政 局 推 移 上 当然 の帰 結 と 認 め ら る る同 国 内 政 の極 端 な る行 詰
第 一 趣
す
余 儀 な き が如 き 境 地 に 立た し む るを 期 せざ る べ から ず 方 策 要 綱
強 固 な る経 済 上 の地歩 を築 く こと は 其 れ自 体 我 対 支 策 の根 本 義 を 成
開 に付 現実 に誠 意 を 示 す に於 て は我 方 亦 好意 を 以 て之 を 迎 ふ べき
我 方 の決 意 を 支 那 官 民 に 一層 印 象 せし め 、 支那 側 が 日支 関 係 の打
政策 を継 続 す る に於 ては飽 く迄 之 が是 正 を 要求 し て已 ま ざ る堅 き
支 那 側 が東 亜 の大 局 に覚 醒 せず 依 然 東 亜 の平 和 を 破 壊 す べ き
す のみ な ら ず 、他 面我 方 の勢 力 を 以 て支 那 を 控 制 し 同 国 を し て我 方
イ
一、 一 般 方 策
第二
と 相俟 ち 、 結 局 支 那 を し て大 勢 の赴 く 所遂 に 我方 に接 近 を 求 む る の
二、 然 れ 共 支 那 の現状 に顧 み 同 国政 局 に対 す る施策 に依 り急 速 に第 ︹ 火?︺ 一項 イ の目 的 を 達成 す る こと 至 難 な る に止 ら ず 我 方 に 於 て過 急 に斯 種 の施 策 を 行 ふ こと は却 て反 対 の結 果 を招 来 す る の虞 も あ り漸 を 追 つ て右 目 的 の達 成 を期 す るを 要 す
と の接 近 を 求 む る の余 儀 なき に 至 ら し む る べ き有 力 な る 手段 な り而
を侵 害 す る場 合 には 我 方独 自 の立 場 に基 き 必 要 の措 置 を執 る べし
も 、我 が方 よ り進 ん で和親 を 求 めず 、 且 支 那側 に於 て我 方 の権 益
三、 一方 支 那 に対 す る我 商 権 の伸張 、換 言 す れば 我 方 が支 那 に於 て
し て右 商 権 伸張 の為 に は中 央 及 各 地政 権 の排 日的 態 度 を厳 に是 正 す
と の厳粛 公 正 な る態 度 を 以 て之 に臨 む こと
ると 共 に支 那各 地 就中 経 済 上 我 方 と 関係 深 き 地方 に於 け る 治安 の維 持 に留 意 し 一般 官 民 の間 に対 日依存 の空 気 を 醸 成 せ し む る こと肝 要
尚 彼 等 の内 部 抗 争 を 利用 し其 の抗 日政 策 を 更改 せ しむ る こと に
ロ
に付 、 差 当 り北 支 地 方 に於 て は南 京 政 権 の政令 が北 支 に付 ては同 地
こと は我 方 に於 て巨大 な る実 力 を 用 ふ る の決 意 なき 限 り 困 難 と な る
勢 とな ら ん こと を希 望 す る も此 の際 急 速 に右 の如 き 情 勢 を招 来 す る
我 方 と し ては北 支 地方 に対 し 南 京 政 権 の政 令 の及 ば ざ る が 如 き情
三、 対 北 支 政権 方策
揺 を 生ず る こと あ りと す る も 右 は止 むを 得 ざ る所 な る が、 然 ら ざ
方 の現 実 の事 態 に 応 じ て去 勢 せ ら る る情勢 を 次第 に濃 厚 なら し む べ
も 亦留 意 す る の要 あ り
る限 り 我 方 に於 て殊 更 支 那 の事 態 を紛 乱 せし む るが 如 き措 置 に出
き こと を 目 標 と し 漸 を追 つて之 が実 現 を 期 す る こと 従 て我 方 と し て
前 記 の如 く 権 益 擁 護 上 必要 な る我 方 措 置 の結 果 支 那 政 局 に動
でざ る こと 又支 那 各 地 、 就 中 経済 上 我方 と の関 係 深 き 地 方 に於 け
は北 支 政 権 に 対 し ても大 体前 記 南 京 側 に対 す る 方針 を準 用 し 且 該 政
臨 み 以 て懸 案 の解 決 及 我 方権 益 の維 持 伸 張 に 努 む る と共 に尠 く と も
る 治 安 の維 持 に留 意 し 一般 官 民 の間 に 対 日依 存 の空 気 を醸 成 せし
党 部 の活 動 を 事 実 上 封 ぜ し め 且北 支 政 権 下 の官職 等 を し て我 政 策 遂
権 が有 力 な るも のに し て誠 意 を示 す に於 ては我 方 亦 好 意 を 以 て之 に
ハ
行 に便 な る人 物 に置 き 替 へし む る様 仕 向 け 以 て北 支 地 方 の官 民 が同
む る と 共 に排 日策 動 に対 し ては之 を阻 止終 熄 せ し む る様 厳 に要 求
が右 心 裡 に基 く各 般 の行 動 並 に之 に 策応 す る外 国 側 の対 支 援 助 を
地 方 に 於 ては排 日 は行 はぬ も のな り と の先 入 的 の観 念 を持 つに至 る
日 支接 近 の最 大 の障碍 た る支 那 の遠 交 近 攻 的 心 理 、 即 ち同 国
極 力 排 撃 す る こと是 が為 には 主 と し て外 交 上及 経 済 上 の方 策 を積
し 以 て我 商 権 の伸 張 を 期 す る こと
極 的 に 実 施 す る こと
のあ る を 以 て南 京 政 権 に 対 す る 方策 の基 調 は同 政権 の存 亡 は同 政 権
国 民 政 府 の指 導 原 理 は 帝国 の対 支 政 策 と 根 本 に 於 て相 容 れざ るも
四 、西 南 派 其 の他 の局 地的 政 権 に 対 す る 方策
に努 む る こと
満 支 の特 殊 の関係 を 無 視 す る こと 不可 能 な る が如 き 状 況 を招 来 す る
空 気 の醸 成 と に依 り、 北 支 政 権 の主 班 が何 人 な るも 北 支 に於 け る 日
様 の空 気 を醸 成 し行 き、 結 局 我 方権 益 の伸 張 と 排 日に 眤 ま ざ る 一般
に 於 て 日 支関 係 の打 開 に誠意 を 示す か否 か に懸 る と 云 ふ が如 き 境 地
二、 対 南 京 政 権 方 策
に 窮極 に於 て同 政 権 を 追 込 む こと に存 す る次 第 に し て右 目 的 の為 に
西 南 派 其 の他 の局 地的 政 権 に対 し ても前 記 一般 方 策 並 之 に基 く対
閻 錫山 等 が南 京 政 府 と 対 立 し 又 は不 即 不 離 の態 度 を執 り居 る状態 を
南 京 及 北 支 政 権 方策 を準 用 す べき こと 勿論 な る が西 南 派 及 韓 復榘 、
は前 記 一般 イ 及 ハ の施 策 を 執 拗 に行 ひ殊 に 同政 権 に対 し て排 日 停 止就 中 党
維持 せ し む る こと は南 京 政 権 の対 日態 度 を牽 制す る上 に於 ては 我 方
部 の策 動 を控 制 せ ん こと を 要 求 し同 時 に懸 案 の解 決 及我 方権 益 の 伸 張 に付 ては従 来 よ り も 一層 積 極 的 の努 力 を なし 且 同 政 権 と の官
亦之 に相 応 ず る好 意 を 示 し適 宜 連 絡 を 維 持 す る こと
但 し斯 種 地方 政 権 の新 な る発 生 は支 那 政 局 の自 然 の推 移 に委 す べ
職 等 に 我政 策 遂 行 に便 な る人 物 を任 命 せ し む る様 仕 向 け 以 て同 政 権 の態 度 を我 方 に有 利 に 誘 導 す る を期 す る こと
く 我 方と し て は南 京 政 権 擁 護 に 偏 す る が如 き 結 果 と な らざ る様 留 意
を避 く る こと
す る と共 に積 極 的 に 新 に 地 方政 権 の発 生 を 助 成 す る が 如 き措 置 は之
前 記各 方策 の実 施 間 之 に適 応 し て我 対支 商 権 の伸 張 に努 む 、是 が
五 、 商権 伸 張 に関 す る方 策
為 各 政 権 を 利導 し其 の目 的 達 成 を 計 る と 共 に広 く 対 象 を実 業 界 其 の 他 一般 民 間 に求 め 国 民経 済 提 携 を 促進 し 、尚 排 日 に眤 ま ざ る 一般 的
に依 り如 何 と も し難 き が如 き 事 態 の招 来 を期 す る こと
空 気 の醸 成 を計 り 以 て 日満 支 間 の経済 的 特殊 関 係 は政 治 的 等 の理 由
天 羽 英 二情 報 部 長 の非 公 式 声 明 ︹ 昭和九年四月十七日︺
日本 は支 那 問 題 に つい て は、 日本 の立場 お よ び主 張 が 、 列国 と 一
将 来 に お いて も 又然 り であ る。 こ の見 地よ り 、 支那 側 が もし 日 本 を
力 に ま つ外 な き は、 過 去 の歴史 の示 す と ころ で、 現在 にお い ても 、
し かし て支 那 の保 全 統 一及 び秩 序 の回 復 は 、 支 那自 身 の自 覚 又 は努
九
致 せざ る も の があ る か も知 れ ぬ が、 日 本 は東 亜 に おけ る使 命 を果 し、
他 国 を 利 用 し て排 斥 し 、 東亜 平 和 に反 す る如 き 手段 に出 ると か 、或
(四月 十 八 日付 、 東 京 朝 日 新 聞)
き に 日本 が聯 盟 の脱 退 を余 儀 な く され た のは 、 そ の東 亜 に お け る 日
は 以 夷 制夷 の対外 策 に出 づ る が 如 き こと あ ら ば 、 日 本と し ても 、 や
責 任 を遂 行 す る為 に は 、全 力 を 尽 さな け れ ば なら ぬ立 場 に あ る。 さ
む な く これ を排 撃 し な く ては な ら ぬ。 ま た 列 国側 に あ つ ても 、 満洲
事 変 ・上海 事 件 に より 形 成 せ ら れた 状 勢 を 顧 慮 し て 、支 那 に対 し て
て、 日本 の支 那 に対 す る態 度 も 又外 国 と は 必ず し も 一致 せ ざ る と こ
共 同 動作 を執 ら んと す るが 如 き あ りと せば 、 た と へそ の名 目 は 財 政
本 の地位 に対 す る見 解 が 、聯 盟 と 相 違 を来 し た結 果 によ る ので あ つ
ろ が あ る か も知 れ ぬが 、 これ は 日本 の東 亜 に お け る 地位 使 命 よ り来
的 援 助 と いひ、 技 術 的 援 助 であ る に せ よ、 つま り これ は支 那 に お い
て は、 政 治的 意 味 を 帯 ぶる こと は必 然 にし て、 そ の形 勢 が助 長 せ ら
の維持 増 進 に つと め て ゐる は、 い ふま でも な いが 、東 亜 に於 け る 平
る ゝと き は 、遂 に支 那 にお け る勢 力 範 囲 の設 定 、 国際 管 理 ま た は 分
る や む を得 ざ る事 であ る。 日 本 は諸 外 国 に 対 し て は 、常 に友 好 関係
和 及 び 秩序 を維 持 す るた め に は 、 日本 の責 任 にお いて単 独 に な す こ
割 の端 緒 を 開 く ので、 た だ 〓
し か し て右 の使 命 を 遂 行 す るた め に は、 日 本 は 支那 と 共 に、 東 亜
るを 得 ぬ 。
べ きお そ れ あ り。 従 つ て日 本 と し て は、 主 義 と し て これ に反 対 せ ざ
らず 、 東 亜 の保 全 、 惹 い ては 日 本 のた めに も 重 大 な る結 果 を 及 ぼ す
支那 に対 し て、 大 不 幸を 来 す のみ な
で 日本 は これを 決 行 す る決意 を有 す る。
と は 、当 然 の帰 結 と 考 へる。 又 これを 遂 行 す る こと が、 日本 の使 命
に お け る平 和 維 持 の責 任 を分 た ざ るを 得 ざ る 次第 で、 又 支 那 以 外 に
し か し 各国 が各 々別 々に 支 那 と の経 済 貿 易 上 か ら交 渉 す るが 如 き
責 任 を分 つも の はな い。 従 つて 支那 の保 全 統 一乃至 国 内 秩 序 の回復 は 、東 亜 平 和 の見 地 か ら 見 る も、 日本 の最 も 切望 す ると ころ であ る。
は、 事 実 上 にお いて は支 那 に 対 す る援 助 とな るも 、 東亜 の平 和 維 持 に 支障 を来 さざ る限 り 、 こ れ に干 渉 す る の必要 がな い。 然 し、 も し
に反 対 せ ざ る を 得 な い。 例 へば 最 近 外 国 が支 那 に 軍 用 飛行 機 、 飛 行
右 の如 き処 置 が 東亜 の平 和 維 持 を 紛乱 す る が如 き こと あ ら ば、 これ
き は、 結 局 支 那 と 日 本 そ の他 の国 と の関係 を 離 間 し 、東 亜 の平 和 維
術 、軍 事 教 育 顧 問 、軍 事 顧 問 等 を 派 遣 し、 又 は政 治 借 款 を起 す が如
持 に反 す る結 果 を 生ず る こと が明 白 であ る か ら、 日本 と し て は こ れ
右 の方 針 は、 日 本 の従 来 の方 針 よ り 当然 演 繹 せ ら るべ き も ので あ
に反 対 せざ る を得 な い。
で積極 的 に動 い て ゐる か ら、 この際 我 が 立場 を明 かに す る も徒 じ な
る が、 最 近、 外 国 が支 那 に お い て、 共 同動 作 援 助 の如 き種 々 の名 目
ら ざ る べ しと 信 ず る。
Owing
一
○
in her relations
be
realized that Japan
is
which
it.At
the
same
resposibility and
but
the respon
country
it is our duty
is no
with Japan
time,there
than
even
and
Shanghai
Incidents
of her terri
the
these
awaken
to
joint
China ,
in order
by
are bound
to
in the name
another.Any
action taken
other country
on the part of China
herself.
other means
attempt
shows
of order in that coun
of China,preservation
of peace in East Asia.
is in a position to share
Accordingly,unification
sibility for the maintenance
China
to perform
even act alone on our own
昭 和九年 四 月 二十 六 日 英米大使 に 手交 の声 明
it must
not agree in every point with those of
views and attitude respecting matters that
to the special position of Japan
with China,her concern China,may foreign nations:but
called upon to exert the utmost effortin carrying out her mis
no
desired by Japan.History
well as restoration
ardently
torial integrity,as
through
any
efforts of China
therefore
voluntary oppose
any
powers
against
by foreign
power
also oppose
avail herself of the influence of any
We
ing and
most
sion and in fulfillingher specialresponsibilitiesin East Asia.
can be attained
be
try,are
Japan has been compelled to withdraw from the League of Nations because of their failure to agree in their opinions principles of preserving peace in East Asia. difference cannot
Japan's attitude towards China may at times differ
on fundamental Although
from that of foreign countries,such
after the Manchurian
of technical or financial assistance at this particular moment
one
to play
to resist Japan:We calculated
to Japan's position and mission.
It goes without saying that Japan at all times is endeav
undertaken
evaded,owing
operations
must
consider it only
ouring to maintain and promote her friendly relations with time we
natural that,to keep peace and order in East Asia,we
foreign nations,but at the same
acquire
or
even
of such
nature,
control or
like
give rise to complications
international
and
time East
would Asia.
have
the
be the greatest possible mis
Japan
a matter
with
to inter
aerodromes
to the main China
or con
and detailing
supplyng in China
Asia.However
are not detrimental
long as such nego
individually
object to such undertakings,as
negotiating
she will not find it necessary
upon
at the same
would
influence
necessitate discussion of problems
to the end,must
political significance.Undertakings
of
eventually
if carried through that might fixing spheres
and
division of China,which for China
therefore must
serious respercussion
fortune most Japan
country
in East
and
of finance or trade,as
foreign
of principle,although any
on questions
fere with China
peace
to China
ob
advisers
and
instructors or military
planes,building
of
tiations benefit China
war
tenance with military
Japan
funds for political uses,would
order
peace
to
by for
of the
be clear from
projects.
to disturb such should
account in China
reported
to reiterate her
are
the
and
and
to alienate friendly relations between
tracting a loan to provide viously tend
countries
other
and
will oppose
or another
for joint action
in the past.But,on
attitude of Japan
China
foregoing
Asia.Japan
The
in Eastern
policies she has pursued
one pretext
fact that positive moments
deemed
not inappropriate
eign powers
under be on foot,it was
policy
at
this
time.
一一
of nparing
China's
upon any and com
that China
Asia, Japan
of Nations
to
in hat
wishes
to the
by the self-inter
in relation
attitude of for
with China and other Powers
concerned.
which is often motivated
or the League question est of the Powers
Chinese
eign Powers
region and she cannot tolerate the judgelike
share responsibility
nance of peace and order in Eastern
nance of peace and order in East Asia. As to the mainte
昭 和 九 年 四 月 二十 日 の外 人記 者 団に 対 す る 声 明
whatever
How
wishes that the
be secured.
to infringe
by China's own awak
of China are things
of China
or her interests but sincerely
1. Japan has no intention independence unity and prosperity
whatever
about principally
ever, the integrity, unity and prosperity
integrity,
that can be brought ening and natural development. 2. Japan has no intention
is not only desirous
promotion
of a third party with China can be of
interest of a third party in China. The economic transactions
Japan
benefit to that country and Japan welcomes
mercial much of such contact.
any joint action on the part
relating to China.
but she will fully observe herself all
should not act in violation of the principle of the Open Door
opposes
agreements
and equal opportunity the international
that tends to militate against the mainte
3. Japan, however, of foreign Powers
一二
廣 田外 務 大 臣
本 電 及 別 電 A ノ ミ在 支 公 使 ヨリ南京 及漢 口 ヘ、 北 平 ヨリ 天津 ヘ、
厦門、廣東
本 電 及 別 電 A ノ ミノ宛 先 在 満 大 使 、在 支 公使 、 北 平 、 青 島 、福 州 、
使 ヨリ在 伯 大 使 ニ転電 シ加 奈 陀 及 紐 育 ニ暗 送 ア リ度
本 電及 別 電 A及 B 在英 大 使 ヨリ在 欧 各 大使 及 壽 府 ヘ暗 送 シ在 米大
本 電竝 ニ別 電 A 及 B宛 先 、在 米 大 使 及 在英 大 使
御 配慮 相 成 度
前 記第 一項 イ 及 ロ ノ趣 旨 ヲ随 時 各 方 面 ニ徹 底 セ シ ム ル様 此 ノ上 共
要 ア ル コト申 迄 モナ キ義 ナ ル ニ付 テ ハ別 電 A 及 別電 B御 参 照 ノ上
二、 而 シテ右 方針 遂 行 ノ為 ニ ハ本省 及 出 先 相 呼 応 シ努 力 精 進 スル ノ
ノ大 目的 ノ貫 徹 ヲ期 セ サ ル ヘカ ラサ ル義 ト為 ス
如 キ コト アリ ト ス ル モ飽 迄 東 亜 永遠 ノ大 局 ニ主 眼 ヲ置 キ帝 国 外 交
或 ハ支 那 ニ於 ケ ル利 権 ノ獲 得 其 ノ他 ニ付 目 前 多 少 不 利 ヲ受 ク ルカ
ク処 理 シ行 ク コト肝 要 ニシ テ我 方 ト シテ ハ右 方針 ヲ堅持 ス ル結 果
問 題 ニ関 聯 ス ル各 種 ノ具 体 的 案 件 ヲ前 記 ﹁ラ イ ン﹂ ニ基 キ根 気 強
カ将 来 共 叙 上 ノ趣旨 ニ基 キ世 界 各 方 面 ノ啓 発 ニ努 ム ルト共 ニ支 那
天 羽声 明 に関 連 す る外 務 電
︹一 昭和 九 年 三月 十 九 日︺ ︹ 博︺ ︹ 恒雄︺ 在米齋 藤大 使 在 英松 平大 使 ︹ 明︺ ︹ 隆︺ 在 支有 吉公使 在満 菱刈 大 使 ︹ 詳 一︺ ︹ 準三︺ 在 北 平 中 山 書記 官 在 青 島 坂根 総 領 事 ︹ 珍彦︺ ︹ 毅︺ 在 福 州 宇 佐 美 総領 事 在 厦 門塚 本領 事 ︹ 茂︺ 在 廣 東 川 越 総領 事
対 支 国際 合 作 等 ニ関 ス ル件 暗 合 第 三 〇 二号 一、 イ 支那 ノ状 況 カ極 メテ異 常 ノ モノ ニシテ従 テ 普通 ノ国 際 法 規 及 慣 例 ヲ以 テ律 シ得 ヘカ ラ サ ル コト 又同 国 ノ改 善 ハ 一般 、欧 米 人 等 ノ考 フ ルカ如 キ生優 シキ モノ ニ非 ル コト ロ 右事 態 ニ モ顧 ミ東 亜 ニ 於 ケ ル日本 ノ権 威 ト実 力 ト カ同 方 面 平 和 維 持 ノ唯 一ノ基 礎 タ ル ヘ ク従 テ支 那 ニ関 ス ル国 際 問 題 ニ付 テ ハ当 然 日本 ヲ主 ト ス ヘキ モノ ナ ル コト ハ従 来 我 方 ニ於 テ累 次 表 明 シ来 リ殊 ニ右 ロ ノ点 ハ 一月 二 十 三日帝 国 議 会 ニ於 ケ ル本 大臣 演 説 中 ニ強 調 シ置 キ タ ル次 第 ナ ル
別 電 B (本大 臣 発 南 京 宛 電 報第 三 六号 ) 在 支 公 使 ヨリ天 津 、 青 島 、
青 島 ヨリ濟 南 ヘ、 廣東 ヨリ香 港 ヘ暗 送 アリ度
濟 南 、 漢 口、福 州 、厦 門 、廣 東 及 香港 ヘ暗 送 ア リ度 在 満大 使 ヘハ本 省 ヨリ暗 送 セリ
︹三
在 英松 平大 使
沼和 九 年 三 月 十 九 日 ︺
在 米齋 藤大 使
須 磨 総領 事
廣 田外 務大臣
﹁モネ ー﹂ 等 ト ノ応 酬 振 ニ関 スル件 (別 電)
支 那 ニ於 ケ ル建 設事 業 カ有 効 ニ行 ハル ルカ為 ニ ハ同 国 ノ統
暗第 三六号 一、 イ
廣 田外 務 大 臣
﹁モネ ー﹂ 等 ト ノ応酬 振 ニ関 ス ル件 (別 電)
別電B
暗合第 三〇四号
昭 和 九年 三月 十九 日︺
全文 (別添 ノ通 )
本大臣発南京宛電報第三六号
︹二
廣 田外 務 大 臣
宛 先 (前 電 ニ同 シ)
︹須磨彌吉郎︺
﹁モネ ー﹂ 指 導 方 ニ関 ス ル在 支
︹四
公使 及在南京総領事宛訓令 ノ件 暗合第三〇三号
在南京
昭和 九年 三月 十 七 日 ︺
別電A 曩 ニ宋 子 文 ノ招 請 ニ応 シ渡 支 セ ル ﹁モネ ー﹂(同 人 ハ支那 建 設事 業 ニ対 ス ル国際 協 力 ノ可 能 性 等 ニ関聯 シ最 近 ノ 日支 関 係 及 支那 ノ実 状 ヲ視察 報告 方 ﹁ラ モ ント ﹂ ﹁アデ ィ ス﹂及 ﹁キ ンタ ー スリ ー﹂ 等 ヨリ 内 密 依頼 ヲ受 ケ居 ル由 ) ハ十 一月 下旬 上海 著 爾 来 支 那 側 関係 要 人 ト
ミ残 存 ス) 又 支 那 内 部 ノ混 乱 ヲ増 スノ結 果 トナ ル ニ過 キ ス (此 ノ
一及各 地 方 ノ治 安維 持 ヲ必要 ト ス然 ラ サ ス ハ総 テ ノ努 力 ハ単 ニ精
点 ニ於テ 例 ヘハ支 那 ニ於 ケ ル鉄 道 ノ発 達 ハ大 軍 ノ輸 送 ヲ容 易 ナ ラ
意 見 ヲ交換 シ又北 平 等 ヘ旅 行 シタ ル上 目下 対 支 国 際 協 力等 ノ結 論 ニ
等 ハ日本 ヲ除 外 シテ ノ国 際 協 力 ノ無駄 ナ ル コト ニ関 シ テ ハ多 少 悟 リ
ン メ同 国 ノ内 乱 ヲ助 長 セリ ト ノ学 者 ノ議 論 ハ首肯 ス ル ニ足 ル又 近
加 ヘ ( 例 ヘ ハ斯 ク ン テ浪費 セ ラノ タ ル借款 ハ国民 ノ負 担 ト ン テ ノ
来 レ ル模 様 ナ ル モ支 那 ノ事 態 及 日 本 ノ立 場 ニ関 ス ル認 識未 タ 充分 ナ
代 式武 器 カ軍 閥 闘 争 ヲ激 化 ス ルノ 一原 因 タ ル コト 周 知 ノ 事 実 ナ
力 ト金 銭 ト ヲ浪 費 ス ル ニ終 ル ヘキ ニ止 ラ ス却 テ支 那 国 民 ノ負 担 ヲ
ラ サ ル モ ノ アリ ト認 メ ラ ルル ヲ以 テ 更 ニ同 人 等 ニ対 スル応 酬振 ト シ
リ)
テ絶 エス ﹁モ﹂等 ト接 触 セ シメ其 ノ指導 ニ努 メ シ メ来 レ ル結 果 ﹁モ﹂
テ別 電 合第 三〇 四 号 (本 大 臣 発 在 南京 総 領 事 宛 電 報 第 三 六 号在 支 各
付 考 ヲ練 リ居 ル趣 ナ ル処 我 方 ニテ ハ在 支 公 使 及 在南 京 総領 事 等 ヲ シ
公 館 ニ対 シ テ ハ在 支 公 使 等 ヨリ 郵 送 セ シ ム) ノ通 リ訓 令 セリ
ニ鑑 ミ右 合 作 ノ立案 モ実 行 モ共 ニ日 本 ヲ主 ト ス ヘキ モノ ナ ル コト
力 及権 威 ニ顧 ミ又 日 本 カ何 国 ニ モ勝 リ支 那 ノ実 情 ニ通 シ居 ル事 実
勿論 ナリ
然 ル ニ支 那 カ近 キ将 来 ニ於 テ右 イ 要件 ヲ充 シ得 ヘキ状 態 ニ達
ロ
ス ルノ望 ハ極 メテ薄 キ ノ ミ ナ ラ ス事態 ハ何 等 改 善 ノ見 込 ナ キ ヤ ニ 認 メ ラ ル (例 ヘ ハ最 近 ニ於 ケ ル国 民政 府 ノ財 政 行 詰 リ ハ支 那政 局
何 等 カ ノ国 際 合 作 ヲ有 効 ニ行 ヒ得 ヘシト セ ハ其 ノ唯 一ノ方法 ハ右
ロ
ノ前 途 ニ対 ス ル大 ナ ル悲 観 材 料 ナリ 又支 那 政 局 ノ 一時 的好 転 ヲ以
一方 前 記 第 一項 及 第 二項 ノ要 件 カ 完 全 ニ充 タ サ レ サ ル以前 ニ
テ前 途 ヲ楽観 ス ルカ如 キ ハ全 然素 人 ノ見 解 ナ リ)
日本 ノ権 威 ト 実 力 ト ヲ ﹁バ ック﹂ ト ス ル コト ナ リ蓋 シ支 那政 局 ノ
動 向 カ前 記 第 一項 ロ ノ如 ク ナ ル ニ対 シ日 本 ノ威 力 カ有 力 ナ ル ﹁ス
又右 建設 事 業 ニ対 スル国 際 合作 ヲ効 果 ア ラ シ メ ムカ為 ニ ハ
第 一項イ ノ要 件 ニ加 フ ル ニ支 那 カ善 意 ヲ以 テ外 国 ノ協 力 ヲ求 ム ル
二、 イ
タ ビ ライ ジ ング
塘 沽 停 戦協 定 以後 ニ於 ケ ル北 支 ノ状況 及 上 海 事 件後 ニ於 ケ ル同 地
人 モ認 ム ル所 ナ ル ヘシ (山 東 地 方 カ 比較 的 平 静 ヲ保 チ居 ルノ事 実 、
パ ワ ー﹂ ナ ル コト公 平 ナ ル見 地 ニ立 ツ モノ ノ何
気 持 ト ナ ル コト ヲ要 ス ロ
然 ル ニ従 来 支 那 カ外 国 ノ援 助 ヲ求 ム ル ハ外 国 ノ協 力 ニ依 リ改
ヘ ハ政治 的 ニ ハ所 謂 以 夷 制 夷策 ト シテ現 レ 又金 銭 的 ニ ハ外 国 借 款
善 ヲ計 ラ ムト ス ル誠 意 ニ出 ツ ル ニ非 ス シテ外 国 ノ援 助 ヲ悪 用 (例
ノ 日本 ノ力 ハ極 東 ニ於 テ ハ聯 盟 モ英 米 モ其 ノ他 何人 モ有 セ サ ル所
ミ カ利 キ居 ラ サ レ ハ支 那 自 身 ノ破壊 力 ハ 一層 顕 著 ニ作 用 ス ヘク此
方 ノ状 況 等 ヲ見 ハ思 半 ニ過 ク ル モノ ア ル ヘシ) 之 ニ反 シ日本 ノ睨
ハア ル ヘキ モ支 那 ノ官 吏 及 民 間 カ右 様 ノ態 度 ヲ以 テ外 国 ヲ悪 用 セ
ノ踏倒 シト シテ現 ハル) セ ムト ス ル ニ過 キ ス固 ヨリ 一、 二 ノ例 外
ナリ ︹不詳 ︺
公
使
昭 和 九年 四月 十 三 日︺
吉
廣 田外務 大 臣
ント シ居 ル コト ハ過 去幾 多 ノ事 実 ノ証 明 ス ル所 ニテ今 日 ト雖 何 等
︹五
ノ変 化 ナ シ (二月 九 日 附 上海 商 務 官 発 本 大臣 宛 公信 商 機 第 四 三号 ノ事 実 ハ此 ノ際 ﹁モネ ー﹂ 等 ノ注 意 ヲ惹 ク ヘシト存 ス ル ニ付 右 公
有
対支国際協力 ニ対 スル我方 ノ態度等 ノ件
信 写貴 方 ニ取 寄 セ ラ レ度 ) 支 那 側 カ善 意 ヲ以 テ 外 国 ノ協 力 ヲ求 ム ル気 持 ト ナ ラサ ル以 前
在支
ハ
暗第 一〇 九号
生仲 外 国 カ世 話 ヲ焼 ケ ハ支那 ハ外 国 ノ真 意 ヲ解 セ ス却 テ外 国 ヲ悪 用 セ ムト ノ ミ心 掛 ク ヘク結 局外 国 ヨリ 支 那 ニ対 シ好 意 ト金銭 ト ヲ
我 方 ニ於 テ ハ此上 共 従 来 ノ方針 ヲ 一貫 遂 行 ス ル コト ト 致度 シ尚 本 件
ナリ 来 リ結 局彼 等 ノ期 待 ニ反 シ不成 功 ニ終 ル ヘキ ヤ ニ認 メラ ル ル モ
﹁モネ ー﹂ 等 ノ計 画 ハ貴 官 等 ノ御 努 力 ニ依 リ漸 次小 規 模 ノ モノト
本大臣発南京宛往電第三六号 ニ関シ
ノ混 乱 ヲ増 シ他 方 同 国 ニ関係 ア ル列 国 間 ノ紛 糾 ノ種 ヲ播 ク ニ過 キ
唯 呉 レテ ヤ ル コト ニ終 ル ヘキ ノ ミ ナ ラ ス 一方前 記 ノ如 ク支 那 内部
支 那 ノ建 設 事 業 ニ対 ス ル国 際 合 作 ハ東 亜 ニ於 ケ ル日 本 ノ実
サ ル ヘシ (棉 麦 借 款 ノ如 キ ハ最 近 ノ適 例 ナ リ) 三 、イ
五 、 以 上 ノ見 地 ニ基 キ現 下支 那 ニ対 スル外 国 側 ノ策 動 ハ共 同 動 作 ハ
ニ於 テ ハ帝 国 ハ之 ニ反 対 セ サ ル ヲ得 ス
勿論 各 別 ノ モノ ト雖 (支 那 カ依 然 ト シ テ外 国 ノ勢 力 ニ依 リ我 方 ヲ牽
行 機 ノ供 給 又 ハ飛 行 場 ノ設置 、 軍 事 顧 問 ノ供 給 、政 治 借 款 等 ) ナ ル
聯盟 脱 退 ヲ余 儀 ナ ク セ ラ レ茲 ニ帝 国 ハ他 国 カ認 ム ルト否 ト ニ拘 ラ ス
制 セ ム コト ヲ夢 見 ツ ツ ア ル事 情 ニ モ顧 ミ) 一応 之 ヲ破 壊 スル建 前 ニ
一、 支 那問 題 ニ関 聯 シ帝国 ハ列 国 ト ハ其 ノ主 張 及 立場 ヲ異 ニシ遂 ニ
自 己 ノ東亜 ニ於 ケ ル使命 ヲ守 ル為 メ全 力 ヲ尽 サ サ ルヲ得 サ ル ニ至 レ
処 置 ノ指針 ト シテ当 方 ノ意 見左 ノ通 リ
リ固 ヨリ諸 列 強 ニ対 シテ ハ極 メ テ謙 遜 的 ノ態度 ヲ以 テ利 害 ノ調 節 ヲ
テ進 ム コト肝 要 ナ リ
支 ヨリ漢 口 ヘ、 北 平 ヨリ天 津 ヘ、青 島 ヨリ濟 南 ヘ、 廣 東 ヨリ香 港
満 、 北平 、 青 島 、 南 京 、福 州 、 厦 門 、 廣 東 及英 米 ニ転 電 セ リ
就 テ ハ叙 上 御 含 ノ上我 方 ノ目 的 達 成 方 此 ノ上共 精 々御 努 力 相 成度
計 リ 親善 ヲ是 求 ム ト雖 モ東亜 ニ於 ケ ル平 和 秩序 ノ維 持 ハ自 己 ノ責 任 ニ於 テ単 独 ニ之 ヲ遂 行 ス ル コト当 然 ノ帰 結 ト ナ リ タ ル次 第 ニシテ帝
ヘ、英 ヨリ土 ヲ除 ク在欧 各 大使 及 壽 府 ヘ、 米 ヨリ紐 育 ニ暗 送 アリ度
国 ハ此 ノ使 命 を 全 ウ ス ル ノ決 意 ヲ有 ス ル モノナ リ 二 、該 使 命 ヲ果 ス為 メ帝 国 ハ支 那 ト共 ニ東 亜 ニ於 ケ ル平 和 維 持 ノ責
ノ最 モ希 望 スル所 ナリ而 シテ之 カ為 ニ ハ支 那 自身 ノ自 覚 及 努 力 ニ俟
任 ヲ分 チ度 意 嚮 ニシ テ従 ツテ支 那 ノ保 全 、 統 一及秩 序 ノ恢 復 ハ帝国
ツノ外 ニ方 法 ナ キ コト歴 史 ノ説 明 スル所 ニシテ帝 国 ハ右 見 地 ニ基 キ 支那 側 ノ 日本 排 斥 運 動 ハ勿 論 以夷 制 夷 的 ノ他国 利 用策 ハ終 始 一貫 之 ヲ打 破 ス ル ニ努 メ サ ル ヘカ ラ ス 三 、満 洲 上 海 事件 後 ノ情 勢 ニ顧 ミ若 シ此 ノ際 列 強 カ支 那 ニ対 シテ共 同 動 作 ヲ執 ル コト アラ ハ右 ハ其 ノ形 カ財 政 的 、 技 術 的其 ノ他 如 何 ナ ル名 目 ヲ以 テ ス ル ニ拘 ラ ス必 ス政 治 的意 味 ヲ包 含 ス ル コト ト ナ ル ヘ ク其 ノ結果 ハ直接 支 那国 際 管 理 ノ端 ヲ啓 キ 又 ハ分 割 若 ハ勢力 範 囲 設 定 ノ緒 ト ナ ル コト ナ シト ス ル モ支 那 ノ覚 醒 及 保 全 ノ為 メ不幸 ナ ル結
四 、尤 モ各 国 カ経済 貿 易 上 ノ見 地 ヨリ各 別 ニ支 那 ト交渉 シテ行 フ行
果 ヲ招 ク ノ虞 アリ帝 国 ハ主 義 ト シ テ之 ニ反対 ヲ表 セ サ ル ヲ得 ス
動 カ支 那 ニ対 ス ル事 実 上 ノ援 助 ト ナ ル モ之 カ東 亜 ノ平和 又 ハ秩 序 ノ
カ苟 モ東 亜 ノ平和 又 ハ秩 序 ヲ紊 ル カ如 キ性 質 ノ モノ ( 例 ヘハ軍 用 飛
維 持 ニ反 セ サ ル限 リ其 ノ任 意 ノ措置 タ ル ヘキ ハ素 ヨリ ナ リ然 レ共 右
一
四月 二 十 日 ﹁チ ャイ ナ
一三
中
第 三〇 八 号
︹ 昭和九年︺
日 本 外務 省 ノ非 公 式 声 明 ハ東 京 ニ於 テ ハ之 ヲ以 テ廣 田外 相 平 和 協
上 海 ﹁タ イ ム ス﹂
斯 ノ如 キ外交 ヲ批 評 スル言 葉 ナ キ ニ苦 シ ム
中 国 ト 提携 セ ント スル努 力 ヲ日本 外 務 省 自 身 カ破 ラ ント シ居 レ リ
ア ラ ンヤ
発 表 セリ斯 カ ル状 況 ニ於 テ不 可侵 条 約 其 ノ他 ノ条 約 ヲ結 フ モ何 ノ益
メ シメ ント シテ 全力 ヲ尽 シ居 ル此 ノ際 ニ条 約 ニ拘 束 セラ レサ ル旨 ヲ
テ 日本 ハ極東 ノ平和 ヲ確 立 スル ノ信 念 ノ ミ ニ依 リ 行 動 シ居 ル旨 ヲ認
日本 ノ傲 慢 ニ劣 ラ サ ル ハ日本 外交 ノ愚 劣 サ ニシテ 日本 ハ外 国 ヲ シ
ル コト ヲ了解 セ ス
声 明 の列 国 に お け る 反 響
国
有 吉 駐 支公 使 ← 廣 田外 相 プ レ ス﹂
日 本 外務 省 ノ非 公 式 声 明 ハ日本 カ極 東 ニ於 ケ ル此 ノ使 命 ヲ遂 行 ス ル為全 力 ヲ尽 ス ヘキ旨 述 ヘ居 ル処 右 使 命 ノ何 タ ル ヤ ニ付 テ ハ何 等提
シ亜 細 亜 ヨリ西 洋 人 及其 ノ事 業 ヲ駆 逐 セ ント ス ル ニア ル モノノ如 シ
議 ス ル所 ナ キ モ日本 ノ指導 者 ノ謂 フ所 ニ依 レ ハ亜 細 亜 ノ覇 権 ヲ獲 得
テ警察 ノ役 割 ヲ演 セ ント ス ル政 策 ノ延 長 ナリ ト見 居 レ リ聯 盟 ニ於 テ
ハ右声 明 ハ日本 ノ極東 ニ於 ケ ル覇 権 獲 得 ニ対 ス ル努 力 ノ必 然 的 結果
調 政 策 ヲ明瞭 ナ ラ シ ム ル モ ノト セ ルカ上 海 ニ於 テ ハ日本 カ支 那 ニ於
ヲ判 断 スル ハ日 本 ノ ミナ リ ト為 シ居 ルカ如 ク 日本 ハ支 那 ノ意 思 及 権
ニシテ支 那 ノ門 戸閉 鎖 政 策 ナ リ ト ナ シ居 レ ル モ吾 人 ノ観 ル処 ヲ以 テ
ノ平 和 ヲ乱 ス カ如 キ措 置 ニ反 対 スト 言 ヒ、極 東 ノ平 和 ヲ乱 ス ヤ否 ヤ
利 ヲ無 視 シ支 那 ノ内 政 及 外 交 ヲ恣 ニセ ント シ居 レ リ外国 人 ノ 心理 ヲ
其 ノ第 一歩 ト シ テ支 那 ヲ征 服 セ サ ル ヘカ ラ スト為 スナリ 日 本 ハ極 東
了 解 セ サ ル ハ日 本外 交 ノ弱 点 ノ 一ナ ルカ 日本 外 務 省 ヨリ条 約 無 視 政
ス レ ハ右 ハ日本 ノ困 難 ナ ル地位 ヲ看 過 セ ル誤 解 ナリ ︹ 二字不明︺ 日 本 ノ立 場 ニ立 タ ハ□ □ ナ ル批 評 家 ハ何 人 モ日 本 外務 省 ノ声 明 ト 策 継 続 ヲ高言 ス ル結 果 日本 カ既 ニ発 生 セ シ メタ ル疑 惑 ヲ強 カ ラ シ ム
一、 一般 識 者 間 ニテ ハ支那 ノ現 状 ニ於 テ聯 盟其 ノ他 列 国 ト ノ経済 合
進 メ居 レ ルカ大 体 ニ於 テ
作 等言 フ ヘク シ テ容 易 ニ行 ハレ難 キ ニ拘 ラ ス日 本外 務 省 カ突 如 此 ノ
同 様 ノ言 ヲ ナ ス ヘシ極 東 ノ平 和 ハ日本 ノ重 大 ノ関 心事 ナ リ極 東 ニ於
問 題 ナリ 支那 ニ ハ各 種 ノ外 国 ノ ﹁イ ンフ ルー エン ス﹂ 行 ハル ル処 其
二、当 地各 界 有 識 者 ヲ以 テ組 織 セ ラ レ居 ル国際 問 題 研究 会 ニ於 テ モ
挙 ニ出 テ タ ル ハ効 果 ノ問題 ハ別 ト シ其 ノ時 機 ニ非 スト 云 フ意 見 多 シ
ケ ル戦 争 ハ他 国 ニ ハ対 岸 ノ火 災 視 シ得 ヘキ モ日本 ニト リ テ ハ生 死 ノ
ハ聯盟 ノ理論 家 連 中 ナ リ日 本 カ支那 ノ社 会 経 済 回復 ニ対 ス ル聯 盟 ノ
ニ於 テ ハ今 次 ノ声 明 ヲ以 テ直 接 ニ ハ ﹁ライ ヒ マン﹂ ノ帰 壽 及 中 国 建
連 日対 策 協 議 ノ為 会 合 ヲ催 シ居 リ今 日自 分 モ之 ニ参 加 シタ ル カ同 会
ノ多 ク ハ反 日 ニシテ支 那 カ日 本 ニ反 抗 ス ル背 後 ノ力 ノ主 要 ナ ル モノ
援 助 ニ反 対 スト ナ ス ハ誤 リ ナ リ ト考 ヘ ル モ支 那 カ反 日 ニシテ武 器 航
シ居 レリ
支 那側 及 国 際 方 面 ノ反 響 ヲ試 探 セ ン魂 胆 ニ出 タ ル モノ ト ノ見 解 ヲ有
誤 ニシ テ唯 一ノ解決 方 法 ハ日支 ノ友好 関係 ノ復 活 及 共 存 共栄 ノ精 神
平 洋 問 題 ヲ研 究 スレ ハ研 究 スル程其 解 決 ノ途 ナ キ ヲ悟 ルト言 ヘト モ
言 説 ハ支 那 カ反 日 ナ ル此 ノ際 日 本 ニ及 ホ ス影 響 大 ナ ル ヘシ同 人 ハ太
ニ赴 カ シ ム ヘキ旨 並 ニ英 仏 ハ米 国 ニ味 方 ス ヘキ旨 ヲ述 ヘ居 ル処 斯 ル
エズ﹂ 運 河経 由 仏 領 印 度 支 那 ニ送 リ夫 レ ヨリ支 那 ヲ陸路 通 過 シ前 線
ハレナ リ ト観 測 シ居 レリ
単 独 ニ廣 東 投 資 ニ傾 注 シ ツ ツ ア ル最 近 ノ賢 明 ナ ル英 国側 ノ政 策 ノ現
状 維 持 ヲ希 望 シ来 レ ル真 理 ヲ能 ク了 解 シ 日本 側 ト ノ争覇 ヲ避 ケ 専 ラ
合 作 ニ依 ル支 那 ノ開 発 ニ反 対 ス ルト共 ニ他 面 間 接 ニ西南 側 分 立 ノ現
ヲ与 ヘント ス ル用 意 ニ出 テ タ ル モノ ナ ル ト同 時 ニ 一面 日本 側 カ国 際
サ ル ハ態 ト本 件 ヲ重 視 セ サ ル コト ニ依 リ 日本 政府 ニ対 シ釈 明 ノ余 地
三 、尚 同 会 ニ於 テ ハ本 件 ニ対 シ英 国 側 カ未 タ ニ何 等意 思 表 示 ヲ為 サ
設 銀 公 司 ノ組 織 ニ刺 戟 セ ラ レタ ル結 果 ト看 做 シ居 ルト共 ニ之 ニ依 リ
ト リテ ハ明 ニ不快 ナ ル コト ナ ル ヘシ ︹ ?︺ 右 ニ関 シ Revue desDe uxM on des掲 載H enryCa rs evi l l eノ
空 機 売 リ 込 ミ借 款 ノ持 チ込 ミ ヲナ ス連 中 ノ活 動場 所 ト ナ ル ハ日本 ニ
論 文 ハ日 米衝 突 ハ免 レ難 ク戦 争 ノ際 米 国 ハ其 軍 隊 ヲ大 西洋 ヨリ ﹁ス
ノ下 ニ極 東 ノ 政治 的 発 展 ヲ是 正 ス ル為 右 両 国 カ協 力 ス ル コト ニ シテ
三
サ ン コト ヲ熱 望 シ ツ ツ アリ
府 当 局 カ最 近 ノ機 会 ニ今 一応 国 民 ノ得 心 ノ行 ク カ如 キ意 思 表 示 ヲ為
シテ モ可 ナ ル ヘシ ト余 リ ニモ日本 ヲ恐 ル ル弱 キ態 度 ニ憤 慨 シ居 リ政
モ弱国 ト シテ ノ外 交 ハア ル筈 ナリ即 チ理 正 シ ク気 壮 ナ ル言 葉 位 ハ発
西 洋 諸 国 カ極 東 ニ分 レ相 争 ハシ ム ル ハ大 ナ ル害 ナリ 日 本 ノ ﹁支 那 ヨ
第 三 二六号
四 、十 九 日外 交 部 ノ表 明 ニ対 シテ ハ当 地 一般 ニ不満 ノ声 高 ク弱 国 ニ
有 吉 駐 支 公使 ← 廣 田外 相
リ 手 ヲ引 ケ﹂ ト ノ主 張 ハ此 ノ意 味 ニ於 テ ハ充 分 ニ正 当 ナ リ
二 四 月 二十 一日 二十 日 A D情 報 十 七 日 ノ外 務 省 声 明 ハ上 海 各界 ニ異 常 ナ ル ﹁セ ンセイ シ ョン﹂ ヲ 捲 起 シ ツ ツア リ各 団 体 ニ於 テ モ寄 々反 対 ノ意 志 表 示 ヲ為 ス為 協 議 ヲ
本 ノ行 動 ニ依 リ 危 ク セラ レ更 ニ若 シ日 本 ノ政 策 カ継 続 セ ラ レ得 ル場
第 三 三 一号
四月 二十 二日
合 ニ ハ全 ク排除 セラ ル ル ニ至 ル ヘシ ﹁列 強 ノ対 支 援 助 ニ依 リ治 安 カ
有 吉駐 支 公 使 ← 廣 田外 相
﹁ノー ス、 チ ャイ ナ 、デ ー リ ー 、 ニ ュー ス ﹂
ハ日 本 モ亦武 力 ニ訴 フ ヘシ﹂ ト ノ追 加声 明 ハ軍 部 カ日 本 ノ政 策 ニ再
乱 ル ル場 合 日 本 ハ積 極 的 行 動 ニ出 ツ ヘシ﹂ ﹁他 国 カ武 力 ヲ 用 フ ル時
ヒ ﹁イ ン フ ル エ ン ス﹂ ヲ及 ホ シ ツ ツ ア ルヲ示 ス モ ノナ リ支 那 全 土 カ
日本 外 務 省 ノ非 公式 声 明 ハ全 世 界 ヲ ( 脱 ) セ シ メ タ ル カ如 キ 処右
使 命 ヲ有 スト ノ信 念 カ 日本 近 年 ノ政 策 ノ核 心 ヲ成 シ来 レ ル モ ノ ニシ
カ指 摘 セ ルカ如 ク 日本 ノ計 画 ニ抵 抗 ス ル場 合 日 本 カ果 シテ武 力 ニ訴
未 曾有 ノ憤 懣 ヲ示 シ ツ ツ ア ル ハ当 然 ナ ルカ 一支 那 ﹁スポ ー ク ス マ ン﹂
ハ必 ス シ モ予期 セラ レサ リ シ所 ニ非 ス日本 ノミ カ極 東 ニ於 テ特殊 ノ
ハ日支 関 係 改善 ニ関 ス ル努 力 カ行 ハレ居 ル時 ニ当 リ テ支 那 ノ態 度 ヲ
モ之 ヲ怪 マサ ル ヘシ 日本 ハ恰 モ本件 声 明 ヲ発 シ テ支 那 側 ヲ シテ其 要
ラ ン日 本 ノ声 明 ハ支 那 ニ対 シテ ノ ミ ナ ラ ス世 界 ニ対 シテ 重大 ナ ル影
サポ ー ト ﹂ ヲ与 ヘタ ル人 々 ノ利益 ヲ明 カ ニ脅 威 シ居 ル コト ヲ悟 ルナ
益 ヲ害 スルノ ミ ナ ラ ス九 、 一八事 件 以来 日本 ノ行 動 ニ ﹁モー ラ ル、
過 去 三年 間 ノ日本 ノ行 動 ヲ是 認 シ来 レ ル者 ハ今 ヤ日 本 ハ支 那 ノ利
フ ル ヤ否 ヤ ヲ疑 フ ハ愚 ナリ
テ右 声 明 ハ過 去 三年 間 ノ事 件 ノ論 理 的 結果 ニ過 キ ス唯 不 可 思議 ナ ル
硬 化 セ シ ム ルカ如 キ声 明 ヲ発 セ ル コト ナ リ若 シ通 車 通 郵 ニ関 ス ル日
求 ヲ拒 絶 セ シ メ以 テ北 支 ニ於 テ更 ニ行 動 ヲ起 サ ント ス ル カ如 ク見 ユ
響 ヲ与 フ ル モノ ナ リ
支 交渉 ヲ決裂 セ シメ ント スル為 右声 明 カ為 サ レ タ ル モ ノト セ ハ何 人
ニ於 テ 右 平和 ノ破 壊 ヲ誘 発 スル カ如 キ行 動 ヲ取 リ ツ ツ在 リ 日本 ニ ハ
日本 ハ 一方 ニ於 テ支 那 ト極東 平和 維 持 ノ責 ヲ分 ツ ヘキ旨 声 明 シ他 方
ル ニ他 国 ヲ排 除 シ日本 ノ ミ カ支 那 ヲ独 占 ス ルカ如 キ勢 力 範囲 ヲ設 定
ノ覇 権 ノ確立 ヲ欲 シ支 那 ヲ奴 隷 ノ地位 ニ置 キ往 時 ノ勢 力 範 囲 ニ代 フ
対 シ支 那 ノ秩 序 回 復 ヲ阻 止 セ ント ス ルナ リ、 日本 ハ極 東 ニ於 ケ ル其
国 ノ権 益 ヲ覆 ヘシ其 ノ支 那 ニ対 ス ル宗 主 権 ヲ宣 言 セ ント計 リ右 ハ何
日 本 ハ 一九 一五年 聯 盟 国 カ戦 争 ニ苦 シミ居 ル最 中 支 那 ニ於 ケ ル聯 盟
シテ 全 世界 ノ疑 惑 ヲ招 キ殊 ニ九国 条 約 加 盟 国 ヨリ反 対 ヲ受 ケ居 レリ
日 本 ハ精 神 ノ ミ ナ ラ ス実 質 ニ於 テ モ二十 一箇 条 ノ最悪 ノ点 ヲ復 活
プ レ ス﹂
セ ント ス日本 ハ支 那 ノ外 交 ノ ミナ ラ ス内 政 ヲ モ支 配 セ ント シ居 レ ル
等 干渉 ヲ他 ヨリ受 ク ル コト ナ ク成 就 シ得 ヘシト 考 ヘ居 タ ルカ 一度 計
﹁チ ャイ ナ
カ右 日 本 ノ新 勢 力 ニ対 スル列 強 ノ態 度 ハ未 タ 明 カ ナ ラ サ ル モ支 那 ニ
ル requestニ過 キ スト弁 明 セ ル カ右 ニ顧 ミ今 日外 務 省 ノ声 明 カ ﹁非
画 ノ暴 露 セ ラ ルル ヤ今 日ト 同様 ノ反 対 ヲ受 ケ 二十 一箇条 要 求 ハ単 ナ
支 那 ハ危 険 ナ ル国 ニ見 ユル ナ リ故 ニ他 国 ノ対 支 武 器 供 給 、借 款 ニ反
於 ケ ル権 益 ヲ (脱 ) ス ル ニ 一々日 本 ノ承 諾 ヲ 必要 ト ス ル カ如 キ ﹁ド
スル コト カ 不利 ナ リ ト考 フ ル場合 ノ退却 ノ途 ト ナ リ居 ル ナリ
公 式 ﹂ ト 言 フ ハ意 義 ア ル コト ナ ル次第 ニシテ 日本 ハ其 ノ態 度 ヲ持 続
ク トリ ン﹂ ニ ハ世 界 ハ反 対 ス ヘシ而 カ モ若 シ東 京 朝 日 ノ社 説 カ 日本
日本 ノ利 益 ニ副 フ様 最 善 ナ ル政 策 ヲ行 ハント スル モノト 認 メラ ル
日 本 ノ行動 ニ対 ス ル唯 一ノ可能 ナ ル説 明 ハ今 日 ノ世界 ノ形勢 ニ依
国 民 ノ心 理 ヲ反映 ス ル モノ ト セ ハ日 本 ハ最 早 他 国 民 ノ意 向 ヲ顧 ミ ス
右 ノ結 果事 態 ハ疑 ナ ク重 大 ト ナ ル ヘシ支那 ニ於 テ他 国 ノ利 益 ハ日
コト等 カ 日本 ヲ シ テ他 国 ヨリ何 等 圧 迫 ヲ受 ク ル コト無 カ ル ヘシト ノ
軍縮 ニ関 ス ル会 商 ハ失 敗 シ仏 米 関 係 ハ緊 張 シ居 リ欧 洲 カ危 機 ニ入 ル
ス米 国 ハ未 曾 有 ノ社会 的 ﹁エキ スペ リ メ ント﹂ ニ注 意 ヲ集 中 シ居 リ
ル モノ ナ リ ト為 ス事 ニシテ即 チ支 那 ハ何 等有 効 ナ ル抵 抗 ヲ為 ス ヲ得
之 ニ依 リ 世界 各 国 ヲ恫 〓 シ旁 欧米 ノ態 度 ヲ探 ラ ント ス ル モノ ナ ル モ
条 約 等 ヲ破 レ ル日本 コソ東 洋 平 和 ノ破 壊 者 ト 云 フ ヘシ日本 ノ声 明 ハ
壊 ス ル モノ ナ リ ト ナ ス モ右 ハ荒 唐 極 マ ル謬 論 ニシテ 九国 条 約 、 不 戦
日 本 ノ声 明 ハ欧 米 各 国 ノ支 那建 設 ニ対 スル援 助 ハ東 亜 ノ平 和 ヲ破
二、 日露 間 ノ風 雲 急 ニシテ其 ノ衝 突 ハ免 レ サ ル ヘキ モ戦 争 ヲ仕 掛 ク
スル ニ至 ラ ン
ル ハ日 本 ニシテ露 側 ヨリ 手 ヲ出 ス コト無 カ ル ヘシ日 本内 部 ノ主 戦 派
極 東 ニ大 ナ ル利 益 ヲ有 ス ル英 、米 ハ日本 ノ独 占 ニ対 シ共 同 シ テ反 対
他 国 ハ同 情 ス ルノ ミ ニテ何 等 実 際 行 動 ニ出 テ サ ル カ自 ラ ノ利 益 カ脅
リ而 シテ吾 人 ハ日本 ハ再 ヒ誤算 セ リ ト信 ス 一弱 国 カ侵 略 ヲ蒙 ム ル モ
威 セ ラ ル ル時 ハ然 ラ ス満洲 事 件 中 列 国 ハ日本 ノ行 動 ニ反 対 セ ル モ何
ハ軍閥 ニシテ外 交 界 、 財 閥 、 元老 等 は漸 進 主 義 ナリ 何 レノ派 ノ主 張
信 念 ニ導 キ タ ル モノ ニシテ恰 モ二十 一箇 条 当 時 ノ 日本 ノ考 ト同 様 ナ
等 実際 的 方法 ニ出 テ サ リ シ モ日 本 カ支那 ノ門 戸 ヲ閉 鎖 セ ント ス ル ニ
カ通 ル カ予測 シ難 キ モ、 軍 事 、 交通 等 ノ現 状 ヨリ 見 テ 日 本 ハ即 時 開
三、 北 支 ノ通 車 、通 郵 問 題 ハ目 下何 等 新 発 展 無 キ モ税 関 設置 ハ国 境
戦 ヲ利 ト シ露 ハ準 備 ノ関 係 上 開戦 ノ時 機 カ遅 ル ル程 有利 ト ス
ヲ確 定 スル事 ト ナ リ満 洲 国 承 認 ニ外 ナ ラ ス将 来 本 件 ヲ如 何 ニ取 扱 フ
ニ重 要 ナ ル経済 上 ノ利 益 関 係 ヲ樹 立 セ ルヲ 以 テ 日本 カ強 硬 ナ ル反 対 ヲ受 ク ル コト無 ク シテ他 国 ノ対 支 交易 ヲ阻 止 シ得 ヘシト ハ殆 ント認
カ 不明 ナリ 通 車 問 題 ニ付 〓 法 ア ラ ハ中央 政 治 会 議 ニ懸 ケ タ ル後 実 行
当 リ テ ハ其態 度 自 ラ別 ナ ル ヘシ過 去 十数 年 間 ニ亘 リ 欧米 諸 国 ハ支 那
ニ積 極 的 行 動 ニ出 ツ ヘシト ノ脅 シ ヲ為 サ ハ其 政 策 ヲ行 フ ヲ得 ヘシト
セラ ル ヘキ モ立 法問 題 ニア ラ サ レ ハ立法 手 続 ヲ経 ル必要 ナ シ日本 カ
メ ラ レ ス日本 ハ他国 ニ於 テ ハ戦 争 ハ無益 ナ リ ト ノ考 ヘ強 キヲ 以 テ単
本件 ヲ地 方 事件 ナ リ ト宣 伝 スル ハ支 那 ヲ分 化 セ ント ス ル モノ ナ リ
第 三七 二号
相互 了 解 ノ真 摯 ナ ル精神 ヲ促 進 シ紛 争 ノ根 本原 因 ヲ除 去 スル ヲ要 ス
ヲ信 シ居 タ ルカ苟 ク モ国家 間 ニ恒 久 ノ平和 ヲ維 持 セ ント欲 セ ハ須 ク
支 那 ハ国 際 平 和 カ世界 各 国 ノ協 力 ニ依 リ維 持 セ ラ ル ヘキ モ ノタ ル
ク ス マ ン﹂ ハ次 ノ如 キ非 公 式 声 明 ヲ発表 セ リ
四月 十 七 日 ノ所謂 天 羽声 明 ニ対 シ十九 日南 京 政 府 外 交部 ﹁スポ ー
四 月 二十 一日
︹ 彌吉郎︺ 須磨総領事←廣田外相
ヲ排 ス ル声 明 ヲ為 セ ル理 由 ヲ説 明 ス ル ハ何 等 効 果 無 キ コト ナ ル ヤ モ
第 三 四二 号
五
考 ヘ居 ルカ如 キ処果 シテ然 ラ ハ日本 ハ幻滅 ヲ感 ス ヘシ日 本 カ他 列 強
知 レ サ ルモ日 本 ノ軍 部 ハ軍 事 費 ノ支出 ヲ得 タ ルヲ以 テ 日 本 ハ世 界 ヲ
有 吉 駐 支 公 使 ← 廣 田外 相
無 視 シ得 ト謂 フ事 ヲ納 税 者 ニ示 サ ント ス ル モノ ナ ル ヘシ
四 四月 二十 四 日
一、 日本 外 務 省 ノ非 公式 声 明 ハ日本 ノ東洋 ニ対 ス ル野 心 ヲ遺憾 ナ ク
二 十 三 日孫 科 ノ当 地新 聞 記 者 ニ対 ス ル談 話要 領 次 ノ如 シ
暴 露 セ ル モノ ニシテ世 界 ニ重 大 ナ ル反響 ヲ与 ヘタ ル ハ当 然 ナ リ
何 国 ト雖 モ世 界 ノ如 何 ナ ル地 方 ニ於 テ モ自 国 ノ ミ独 リ国 際 平 和 維 持
タ ル上
三
二
日 本 ノ無 理 主 張 ニ対 シ倫 敦 憂 慮 ス
米 紙 日本 ノ侵 略 野 心 ヲ排 撃 ス
一 日 本 ハ支 那 ノ門 戸 閉鎖 ヲ企 図 ス
支 那 ハ聯 盟 ノ 一員 ナ レ ハ国際 合 作 ヲ提 唱 シ国際 ノ平和 ト安 全 ト ヲ
ノ責任 ア ル旨 ヲ主 張 シ得 ル モ ノ ニ非 ス
促 進 ス ル ヲ以 テ其 ノ当 然 ノ義 務 ト 認 メ居 レ リ而 シ テ此 ノ目 的 達 成 ノ
当 然 ノ関 係 タ ル ニ過 キ サ ル ナリ
ム為 他 国 ト ノ間 ニ生 シタ ル関 係 ハ其 ノ性 質 ニ於 テ独 立主 権 国 家 間 ノ
開発 ハ世 界 経 済 発展 ノ前 提 ナ ルヲ以 テ支 那 カ外交 上 、 経 済 上善 意 ニ
ー﹂ 主 義 ノ冥 想 ヲ声 明 ス ル ニ至 リ タ ル カ元来 支那 ノ豊 富 ナ ル資 源 ノ
リ
ヲ独 占 支 配 セ ント ス ル日本 ノ企 図 ハ結 局徒 労 ニ終 ル可 キ旨 論 シ居 レ
レ ル カ更 ニ中国 日報 カ大 要 左 ノ如 キ論 説 ヲ掲 ケタ ル外 民聲 報 モ東 亜
特 ニ指 摘 セ サ ル ヘカ ラ サ ル ハ支 那 ト 他国 ト ノ合 作 問 題 ニシテ借 款 ︹ 重︺ タ ルト技 術 的援 助 タ ルト ヲ問 ハス其 ノ協 力 ハ厳 ︱ ニ政 治的 性質 ヲ有
欧 米 各 国 ト協 調 シ国 家 民族 ノ復 興 独 立 ニ努 力 ス ル コト ハ各 国 ノ同情
等 ノ見 出 ヲ以 テ夫 々本 件 ニ関 スル壽 府 、華 府 、 倫 敦 電報 ヲ掲 載 シ居
セ サ ル事 項 ニ限 ラ レ居 リ軍 用 品 例 ヘ ハ軍 用 飛行 機 ノ購 売 及 軍事 教 育
ヲ得 ヘク支 那 ヲ無 視 ス ル日本 ノ東 亜 ﹁モ ン ロー﹂ 主 義 ノ迷 夢 ハ必 ス
為 努 力 ス ル ニ当 リ テ ハ何 等 他 国 ノ利 益 ヲ侵 害 ス ル ノ意志 ナ ク又 東 亜
或 ハ専 門 家 傭 聘 ノ如 キ ハ国 防 即 チ主 ト シテ 本国 ノ秩 序 及 安寧 維 持 ノ
ヤ打 破 ス ルヲ得 ヘシ
ノ平和 ヲ攪乱 セ ムト ス ルカ如 キ念更 ニナ シ支 那 カ叙 上目 的 ヲ達 成 セ
目 的 ニ出 テ タ ル モノ ニテ他 意 アラ ス他 国 ニシテ苟 モ野 心 ナケ レ ハ支
顧 ミ強 調 セ サ ル ヲ得 サ ル ハ他 国 家 間 に於 ケ ルト同 様 両 国 間 ニ於 テ モ
ニシテ 一切 ノ不 合 理 ナ ル企 図 及 之 ニ依 リ造 成 セラ レタ ル不合 理 ナ ル
依 リ列 国 ト対 等 ノ地位 ヲ獲 得 シ共 存 共 栄 ヲ計 ラ ント ス ル ニァリ 日 本
依 ツテ吾 人 ハ此 ノ際 日 本 ニ対 シ支 那 ノ現 段 階 ハ内 部 ノ生 産 建 設 ニ
︹マ マ ︺
日本 ハ環 境 ノ危 機 ニ迫 ラ レ騎 虎 ノ勢 公然 世 界 ニ対 シ東 亜 ﹁モ ン ロ
那 ノ建 設 及 安 全 保障 政 策 ニ対 シ何 等 憂 慮 ノ要 無 シ日支 関 係 ノ現 状 ニ
真 正 且 ツ恒 久 ナ ル平和 ハ須 ク善 意 ト相 互 了 解 ト ヲ基 礎 ト ス ヘキ モノ
第 一七 三号
事 実 ヲ抛 棄 ス ル ニ於 テ ハ支 那 ハ日本 ト ノ合 作 ヲ拒 絶 ス ル モノ ニア ラ
ニテ現 在 ノ不 幸 ナ ル事 態 カ是 正 セ ラ レ又 両 国 関係 カ両 国 相 互 ノ願 望
中 山 北 平 駐在 書 記 官 ← 廣 田外 相
サ ル コト ヲ警 告 ス云 々
平
二 十 日 北 平晨 報 、 ﹁日本 ノ対 支 侵 略 分 析 ﹂ ト 題 シ下記 要 旨 ノ 社 論
北
四 月 二 十 一日
七
ヲ ヨク考 慮 シタ ル新 基 礎 ニ立 脚 セ シ メ ラ ル ル ニ於 テ ハ (一語 脱 ) ノ
六 京
四月 二十 一日 須磨南京総領事←廣田外 相 第 三七三号 南
四月 二十日各 新聞 ハ往電第 三七 二号外交部 ノ非公式声明 ヲ掲載 シ
○
和 平 基 礎 モ鮮 カ ラ ス固 メラ ル ヘシト 云 フ点 ナリ
○
︹ハ ル ︺
︹リ ン ゼ ー ︺
依 レ ハ米 国 国 務 卿 及駐 米 英 国 大 使 商 議 ノ結 果 対 日態 度 ニ就 キ意 見 一
セラ レ テ対 日親 善 局面 ヲ展 開 セ ント ス ル ヤ ニ見 ラ レ シ モ倫 敦 電報 ニ
︹ 明︺ 外 交界 消 息 ニ依 レ ハ日 本 ハ有 吉公 使 ノ建 議 ニ依 リ ①駐 支 各 領 事 ノ
致 セ ルヤ ニテ 右 ハ明 カ ニ日米 決 裂 ノ因 ト ナ ル コト疑 ナ ク今 次 日 本 ノ
ヲ掲 載 セ リ
職 権 ヲ拡 大 シ 日支 間各 種 懸案 ノ地方 的 解 決 ヲ図 ル コト ②小 譲 大 不譲
報
日本 ハ今 ヤ世界 列 国 ニ対 シ東 亜 ﹁モ ン ロー﹂ 主 義 ヲ宣 布 シ中国 ノ
京
一宣 言 ハ或 ハ世界 局面 ニ 一大 変 化 ヲ齎 ス ヤ モ量 ラ レ ス
決 定 セ ル由 ナ ルカ前 者 ハ塘沽 協 定 成 立 当 時 ヨリ唱 道 セラ レ居 ル対 支
レ ハ武 力 ヲ以 テ モ之 ト応 酬 セ ント ス之 ヲ要 ス ル ニ日本 ノ新 外 交政 策
門 戸 ヲ閉 鎖 シ大亜 細 亜 主 義 ノ確 立 ヲ期 シ列 国 ノ之 ニ反 対 ス ル モノ ア
ム ル コト等 又廣 田外 相 モ南昌 会 議 ノ結 果 ニ基 キ四項 ノ新 外 交 政 策 ヲ
主義 ヲ採 用 ス ル コト ③駐 支軍 事 長 官 ヲ シ テ各 種 実際 権 利 ヲ確 守 セ シ
多 元外 交 策 ヲ根 幹 ト セ ル モノ ニシテ又 後 者 ハ我 国 ノ対 日態 度 試 探 ノ
ハ世 界 大 戦 ノ促 進 剤 ト言 フ ヲ得 ヘシ
煙 幕 弾 タ ルト同 時 ニ日本 カ我 国 ニ対 シテ有 スル最 低 限度 ノ野 心 ヲ表 現 セ ル モノ ト看 ル ヘク之 ヲ要 ス ル ニ目 下 日 本 ハ対米 及国 際 聯 盟 ニ対
第 二歩 工作 タ ル中 国 ヲ征 服 シテ之 ヲ保 護 国 ト為 シ更 ニ進 ンテ 極東 ノ
日本 ハ満 洲 占 領 ニ依 リ其 ノ対 支 第 一歩 工作 ニ成 功 セ ル ヲ以 テ今 ヤ
覇 権 ヲ掌 握 セ ント ス今 回 ノ声 明 モ要 ス ル ニ右 第 二 工作 着 手 ノ為中 国
北 平 晨 報
済 的 ニ ハ我 国 ト欧 米 ト ノ合 作 ヲ阻 止 シ政 治 的 ニ ハ直 接 交渉 ニ依 リ懸
ニ 一歩 ヲ進 メ タ ル策 略 及 方針 ヲ採 用 セ サ ル ヲ得 サ ル時 機 ニ立 至 リ経
案 ノ解 決 ニ努 ム ルト共 ニ併 セテ満 支 両 国 関 係 ヲ モ調 整 シ白 人 ノ所 謂
ヨリ欧 米 諸 国 ノ勢 力 ヲ駆 逐 シ更 ニ亜 細 亜 ﹁モ ン ロー﹂ 主 義 ノ確 立 ヲ
シ テ モ最 後 方針 ヲ決 定 セ サ ル ヘカ ラ サ ルト 同 時 ニ我 国 ニ対 シテ モ更
大亜 細亜 結 成 運 動 ニ進 マント ス ル モノ ニテ是 レ日本 ノ対 支 外 交 カ益
所 謂 日本 ノ新 対 支政 策 ニ対 シ テ ハ各 国殊 ニ米 国 ノ反 対気 配著 シク
世 界 日 報
完 成 セ ント ス ル ノ底 意 ニ出 テタ ル モ ノ ニ外 ナ ラ ス
第 一七 五号
具 体 的 ニ辛 辣 ヲ加 フ ル ノ前 兆 ト謂 フ ヘシ
中 山 北 平 駐 在書 記 官 ← 廣 田外 相
結 局 ハ日本 ヲ存亡 ノ淵 ニ追 込 ム結果 ト ナ ラ ン モ吾 人 ノ憂慮 ス ル所 ハ
八 四 月 二 十 一日
日本 カ支 那 独 占 ノ企 図 ヲ抛 棄 シ実 利 ヲ以 テ各 国 ヲ誘 ヒ遂 ニ ハ支那 分
中山 北 平 駐 在 書 記 官 ←廣 田外 相
割 或 ハ共 同 管 理 ヘ導 ク ニ非 サ ルヤ ニ在 リ
九 四月 二十 一日
北 京 ﹁ク ロ ニク ル ﹂
第 一七 四 号
十 七 日 本 省 ヨリ発 表 ノ声 明 ハ十 八 日電 通 ニ依 リ 逸 早 ク 当 地 ニ モ伝 ヘ ラ レ昨 日来 意 外 ノ反 響 ヲ惹 起 シ居 ル処 右 ニ関 シ二 十 一日各 漢 字 紙 論 評 次 ノ如 シ 華 北 日 報 廣 田 ノ協 和 及 善 隣 外 交 モ畢竟 之 ニ依 リ テ国 際 空 気 ヲ緩 和 シ我 国 侵 略 ノ煙幕 タ ラ シメ ント ス ル ニ過 キサ リ キ最 近 米 国 ハ之 カ煙 幕 ニ包 囲
ト スルト 共 ニ爾 余 ノ世 界 ニ対 シ テ ハ列 国 カ国 防 上 ノ点 ニ関 シ其 ノ種
対 シ テ ハ支 那 カ国 防 ノ為 ニ準 備 セ ムト試 ム ル コト ヲ直 接 ニ制 止 セ ム
ル種 子 カ今 ヤ充 分 ニ実 ヲ結 ヒ タ ル モノ ナ リ同 声 明 ハ要 ス ル ニ支那 ニ
ニ対 シ宗 主 権 ヲ主 張 セ ム ト スル モノ ニシテ大 隈 侯 カ三 十年 前 ニ蒔 ケ
日 本外 務 省 ノ為 セ ル声 明 ハ取 リ モ直 サ ス日 本 カ赤 裸 々 ニ東 洋 全般
テ 日 本 ノ憂 慮 ハ無 用 ニ属 シ若 シ支 那 ノ此 ノ立場 ヲ理 解 セ サ レ ハ支 那
ハ満 洲 問 題 等 ニ関 シ武 力 ヲ以 テ 日本 ニ抵 抗 セ ント ス ル意 思 無 キ ヲ以
際 軍事 援 助 ニ至 リ テ ハ日 本 ノ干 渉 ヲ受 ク ル理 由 ナ シ而 モ支 那 ト シテ
ス ル国 際 借 款 ハ支 那 ノ現 状 ニ於 テ元 来 希 望少 ナ キ モノ ニシ テ夫 レ国
的 ニ合 作 セ ント セ ハ満 洲 ノ主 権 還 付 ヲ先 決問 題 ト シ更 ニ日本 ノ反対
ノ決 死 的 反 抗 ノ態 度 ヲ挑 発 セ シ ムル コトト ナ ル ヘシ
東 亜 ノ平 和 ハ日 支 両国 ノ共 同 責 任 ナ ル ハ勿 論 ナ ル処 日本 カ途 ヲ好
類 ノ如 何 ヲ問 ハス援 助 ヲ与 ヘムト ス ル コト ニ対 スル挑 戦 ナ リ 今 ヤ日 本 ハ世 界 ニ恐 ル ル モノ ナキ ヲ知 レリ外 観 上 日 本 ハ支 那 ヨリ
ス ルノ ミ ナ リ今 回 ノ声 明 ハ支 那 ヲ高 圧 シ世界 ヲ威嚇 ス ル モノ ニテ和
反 対 等 ハ何 レ モ右 障 碍 除 去 ノ魂 胆 ニ他 ナ ラ ス今 回 ノ声 明亦 軌 ヲ 一ニ
支 那 ヲ事 実 上満 洲 国 承 認 ニ導 カ ント ス ル各 種 交 渉 及 聯 盟 ノ対 支 援 助
感 ノ 二障 碍 ア ル ヲ深 ク考 慮 ニ入 レサ ル可 カ ラ ス日 本 ノ対 英 米 接 近 策 、
シ ナ ル可 キ モ日本 ノ右 政 策 ニ ハ 一方 ニ於 テ国 際 形勢 及 支那 民 族 ノ反
取 得 シ北 支 数 省 ヲ勢 力 範 囲 ニ収 メ日本 ト シ テ ハ何 等困 難 ヲ感 セ サリ
ヒ或 ハ協 和 ト 云 フ モ実 質 ニ於 テ常 ニ武 力 政 策 ニァリ既 ニ東 北 四省 ヲ
二 、 益世 報 ハ日本 ノ威嚇 政 策 ト題 シ日本 ノ対 支 政策 ハ或 ハ焦 土 ト 云
平 ハ日本 ノ期 待 ニ反 シテ 破壊 セ ラ ル可 シ 云 々
意 的 了解 ニ求 メ ス シテ 威嚇 、侵 略 ニ執 ラ ン カ全 ク東 亜 ノ平 和 ヲ破 壊
第 一〇 七 号
手 ヲ引 ク ヘシト ノ運 動 ヲ指 導 シ ツ ツ ア ル モ次 ニ来 ル モ ノ ハ支 那 ニ手
︹ 正︺ 栗 原天 津 総 領 事 ← 廣 田 外 相
ヲ着 ク ヘシ ト ノ運 動 ニシテ今 次 声 明 ハ右 目的 ノ為 ノ準 備 ニ外 ナラ ス 云々
十
津
四月 二十 日 天
シ
大 々的 ニ掲 載 セ ラ レタ ル カ右 ニ対 スル 二十 日 主 ナ ル新 聞 論 調 左 ノ如
ニ酬 ユ ル所 無 カ ル可 カ ラ スト論 セ リ
セ リ支 那 外 交 当 局 ハ日本 及 世界 ニ対 シ 一大 決 心 ヲ表 明 シ日 本 ノ声 明
○
一、 大 公 報 ハ日本 外 務 省 声 明 ト 題 シ日本 ハ聯 盟 ノ対 支技 術 合 作 及 各
対 支 国 際 合 作 ニ関 ス ル外 務 省 声 明 東 京 通信 ト シテ当 地支 那 新聞 ニ
国 就 中米 国 ノ支 那 ニ対 スル飛 行 機供 給 ニ反 対 シ殊 ニ ﹁ラ イ ヒ マ ン﹂
十七 日 ノ我 カ非 公式 声 明 ニ対 スル南 京 ノ 一般 空 気 就 中 日蘇 戦争 ノ
四月 二十 六 日
十 一
帰 国 ト 共 ニ来 月初 旬 技 術 合 作 委 員会 ノ開 カ レ ント ス ル其 機 先 ヲ制 シ
日本 ノ東 亜 ﹁モ ン ロー﹂ 主 義 ノ支配 下 ニ置 カ ント シ消 極的 ニ ハ各 国
此 ノ声 明 ヲ為 セ ル モノ ナ リ元 来 日 本 ハ積 極 的 ニ ハ政 治 経済 上支 那 ヲ
危険 及 之 ニ対 ス ル支 那 ノ態度 ニ関 シ 二十 四 日 南京 発 路 透 ハ大 要 次 ノ
︹ロ イ タ ー ︺
第 三五 二 号
カ支 那 ノ軍 備充 実 ヲ援 助 ス ル コト ニ脅 威 ヲ感 シ今 回 ノ声 明 ハ此 ノ消
︹ 干城︺ 堀 内 公使 館 書 記 官 ← 廣 田外 相
極 的 表 示 ナリ尚 支那 方 面 ヨリ之 ヲ見 ル ニ日本 若 シ支 那 ト政 治的 経 済
︱
我 方本 件 声 明 ニ関 シ十 九 日英 国 下 院 ニ於 テ労 働 党 ﹁ジ ョ ンスト ン﹂
第 二〇 九 号
ヨリ質 問 ア リ タ ル ニ対 シ ﹁サ イ モ ン﹂ ハ右 声 明 ハ日本 外 務 省 情 報 主
松平駐英大使←廣田外相
リ外 交 部 及政 府 ノ指 導 者 ハ日 々非 公式 声 明 ヲ発 シ又東 京 其 他 ヨリ ノ
任 官 カ口頭 ニテ述 ヘタ ル ニ止 マルカ如 ク其 ノ内容 多 少 区 々 ニシ テ果
四月 二十 一日
報 道 ヲ打 消 シ居 レ リ 一般 ニ showdown ァ ル ヘシト信 セ ラ レ居 リ消
南 京 ハ十 七 日 ノ 日本 ノ非 公式 声 明 ノ為 依 然 昂 奮 ヲ続 ケ動 揺 シ居 レ
如 ク報 シタ リ
息 通 ハ其 形式 並 ニ之 ニ対 シ支 那政 府 カ採 ル ヘキ態 度 如何 ヲ突 止 メ ン
シテ権 威 ア ル宣 言 ナ リ ヤ否 ヤ明白 ナ ラ ス更 ニ詳 細 ノ報 道 ニ接 スル迄
ハ何 等 意 見 ヲ述 フ ル事 ヲ得 スト答 ヘ東 京 ヨリ公 電 ニ接 シタ リ ヤト ノ
トシツツアリ
再 質 問 ニ対 シ右 ハ昨 日伝 ヘラ レタ ル許 リ ニテ自 分 ハ声 明 ヲ為 ス ニ適
南 京 ニ於 テ ハ日 蘇 戦 争 ハ不可 避 ナ リト 確信 セラ レ居 ル処 右戦 争 ノ 勃 発 ハ支那 ニ取 リ災 禍 ニシテ 孰 レノ国 カ勝 利 ヲ得 ルト モ支 那 ハ災 害
当 ナ ル報 道 ニ接 ス ル迄 ハ何 モ言 ハサ ル方宜 シ ト考 フ ル旨 答 弁 セリ
尚 二十 日 ノ当 地新 聞 モ本 声 明 カ米 国 ニ対 シ鮮 カ ラ サ ル衝動 ヲ与 ヘ
ヲ蒙 ル可 シト 一般 ニ認 メ ラ レ居 レリ 一度 戦 争 ヲ経 験 ス ル ニ於 テ ハ日
支 側 那 ハ反 感 ヲ示 シ居 ル旨 ノ米 紙 電 報 ヲ中 心 ト シ相 当 大 袈裟 ニ報 シ
本 ハ北 支 ヲ占 領 シ之 ヲ満 洲 及 蒙古 ニ対 ス ル物資 及 労働 者 ノ供 給 地 ト ス ヘク貿易 ハ撹 乱 セ ラ ル可 シト ノ見 解 強 ク ナリ ツ ツア リ 日本 ト或 国
居 レリ
例 ヘハ ﹁タ イ ム ス ﹂ ハJ apanes e ai m scha ll enget oth ePowe rs
ト ノ戦 争 ノ際 支那 カ 日本 ニ味 方 ス ヘシト考 フ ル丈 ニテ モ馬 鹿 ラ シ キ カ戦 争 ヲ予 見 ス ル連 中 ハ支 那 ノ露 西亜 援 助 モ同 様 ニ疑 問 ナリ ト述 へ
ニ比較 シ或 ハ門 戸 開 放 、独 立保 全 主 義 ニ対 ス ル挑 戦 ナ リ ト考 ヘ居 ル
ト 題 シ国 務 省 ハ沈黙 ヲ守 リ居 ル モ米 国 ニ ハ右声 明 ヲ 以 テ 二十 一箇 条
向有 リ 日本 ハ欧 米 ヲ向 フ ニ廻 シテ争 フ モノナ リ 云 々ノ華 府 特 電 並 ニ
居 レ リ其 ノ理由 ト シテ挙 ク ル所数 多 ア リ支 那 ノ露 西亜 ニ対 ス ル如 何
Bi t te r fee l i ngi n Pe ki ng ト 題 シ支 那 側 ハ列 国 カ右 声 明 ヲ 黙 殺
ナ ル友 誼 的 ﹁ゼ スチ ュウ ア﹂ モ日 本 ハ之 ヲ敵 意 アル行 動 ト解 ス ヘシ 而 シテ之 ニ対 シ日 本 ハ支那 ヲシ テ高 価 ナ ル支払 ヲ為 サ シ ム可 シト信
セ ン事 ヲ期 待 シ居 レ リト ノ北 平 特 電 ヲ 掲 ケ 又 ﹁ガ ーデ ィア ン﹂ ハ
Japan' sMonr oeDoct ri nef or t heEas tbi df ore as t ernoverl or d
ス ヘキ理 由 アリ露 西 亜 カ 支那 ニ対 シ物 質 的 援 助 ヲ与 ヘ ント ス ル モ地
更 ニ南 京 政 府 ハ剿 共 ノ為 年 々数 百 万 弗 ヲ費 シ ツツ ア リ テ之 ノ ミ ニ
ノ特 電 ト シテ掲 ケ居 レリ
s hi p 等 ノ見出 ノ下 ニ大 体 ﹁タ イ ム ス﹂ ト同 趣 旨 ノ紐 育 及 支 那 ヨリ
理 的条 件 ノ為 之 ヲ為 スノ途 無 カ ル可 シ
テ 手 一杯 ナ リ露 西 亜 カ共産 主 義 ノ脅 威 ノ根 拠 地 タ ル コト明 ナ ル今 日
報 シ社 説 ヲ以 テ 日本 ハ外 国 ノ困難 ニ乗 シ支 那 ニ対 ス ル経 済 的 支 配 ノ
陸 軍 省 ﹁スポ ー ク ス マン﹂ ハ九国 条 約 ハ既 ニ死滅 セリ ト述 ヘタ リト
又 ﹁ヘラ ルド 」 ハ Japan br eak s pl edg et o Chi na ト題 シ 日本
極 東 ノ覇権 獲 得 ノ為 ノ戦 争 ニ於 テ南 京 政 府 カ露 西 亜 ヲ援 助 ス ヘシト
国
信 ス ルカ如 キ ハ無 理 ナ ル想 像 ナ リ ト権 威者 ハ言 ヒ居 レリ 云 々
英
意 志 ヲ表 明 セリ右 ハ支 那 ノ独 立尊 重 ニ反 スル モノ ナ ル ニ拘 ラ ス ﹁サ
ノ相 談 ナ ク シテ ハ何 等 措 置 ヲ執 ラ サ ル モノ ト考 へ差 支 ナキ ヤト問 ヒ
ル﹂ 氏 ノ言 ハレタ ル通 ナリ ト 答 へ更 ニ ﹁ウ ェ ッジ ウ ッド﹂ ハ米 国 ト
リ ャト問 ヒ ﹁サイ モ ン﹂ ハ本 日 ハ前 述 ノ コト以 外 ニ述 フ ル ヲ得 サ ル
ヤト述 ヘ Si r Cayzen (保 守 ) ハ九 国条 約 国 ト打 合 ヲ為 ス ノ意 志 ア
ハ米 国 ヲ通 ス ル ヨリ モ日本 ニ直接 友 誼的 陳 述 ヲ為 ス コト 適当 ナ ラ ス
外 相 ハ 一切 ノ措 置 ハ下 院 ニ発 表 ス ヘシト答 フ Knox少 将 ( 保 守)
第 二 一四号
イ モ ン﹂ ハ支那 侵 略 カ日 本 ノ使 命 ナ ルヲ信 シ居 ル カ如 キ答 弁 ヲ為 セ
松 平 駐 英 大 使 ←廣 田外 相
リ ト論 シ居 レリ
二
カ余 ノ只 今 披 露 シタ ル措 置 ハ日本 政 府 ニ対 ス ル ﹁フ レ ンドリ ー ・コ
四 月 二十 五 日 対 支 政 策 ﹁ステ ー ト メ ント﹂ ニ関 シ
松 平 駐 英 大使 ←廣 田外 相
ニ同 意 セラ ル ル モノ ト考 フ ル旨 答 弁 シタ リ
ム ミ ュニケ ー シ ョン﹂ ナ リ 日本 ハ恐 ラ ク右 カ適 当 ナ ル手 段 ナ ル コト
三 四月二十五日
二十 四 日諸 新聞 ハ往 電 第 二一 四 号本 件 質 問 応 答 ヲ主 ト シ更 ニ壽 府 、
第 二 一六号
二十 三 日 下 院 ニ於 テ保 守 自 由 両 党 及無 所 属 議 員 計 七 名 ヨリ質 問 ア リ タ ル ニ対 シ ﹁サイ モ ン﹂ ハ日本 政 府 ヨリ ハ何 等 通 告 ニ接 セ サ ル モ ︹ クライブ︺ 在 東 京大 使 ヨリ外 務 省 ﹁スポ ー ク ス マン﹂ ノ 日 本新 聞 ニ与 ヘタ ル口 頭 ニ依 ル非 公 式 声 明 ノ訳 文 ナ ル モノ ノ ﹁テキ スト﹂ ヲ受 取 リ タ リ右 ﹁テ キ スト﹂ ハ公 報 ト シ テ廻付 ス ヘシ本 件 声 明 ハ平和 、 日支 間 ノ友
華 府 、 莫 斯 科 等 ヨリ ノ通 信 ヲ附 加 シ重要 欄 ニ大 ナ ル見出 ノ下 ニ報 道
好 又 ハ支那 ノ保 全 カ他 国 ノ支 那 ニ於 ケ ル或 行 動 ニ依 リ危 険 ト ナ ル コ ト ヲ惧 レタ ル ニ基 キ テ為 サ レタ ル モノ ノ如 シ東 京 政府 ハ実 際 ニ於 テ
記 事 ヲ掲 ケ 居 ル処 諸 新 聞 論 調 要 旨 左 ノ通
ハ当 国 政府 ノ立場 ヲ明 ニ スル為 日 本政 府 ニ対 シ申 入 ヲ為 スヲ必 要 ト
ヘ ハ支 那 ニ対 ス ル技 術 的 及 財政 的 援 助 ヲ 云 々 ス ル カ如 キ点 ニ鑑 ミ余
ヲ招 来 シツ ツ ア ル実 状 ハ隣 国 ト シ テ日 本 ノ之 ヲ傍 観 スル コト ヲ得 サ
於 ケ ル乱 脈 及 西 洋 ヨリ ノ粗 雑 ナ ル新 思 想 並 ニ武 器 ヲ輸 入 シ益 々分裂
主 義 ニ傾 カ ント ス ルノ嫌 アル ハ事 実 ナ ル モ支 那 ノ共 和 政 体採 用後 ニ
日英 同 盟 ノ廃棄 、聯 盟 ノ満 洲 事 変干 渉 等 ノ結 果 現 下 ノ日本 カ孤 立
﹁ポ スト ﹂
斯 ル危 険 ヲ避 ケ ント シ ツ ツ ア ル ヲ以 テ英 国 政 府 ノ政策 ニシ テ斯 カ ル
認 メタ リ ト述 へ次 テ W edgwood大 佐 (無 所 属) ヨリ米 国 政 府 ト ノ
危 険 ヲ生 セ シ ム ル モノ無 シ然 レト モ右 声 明 ノ全 体 ノ措 辞 並 ニ其 ノ例
連 絡 ニ関 シ外 相 ノ答 弁 ヲ促 シ又 Si r Herbe rtSamm uel( 自由)ヨ
ン ヤ之 ニ依 リ テ日 本 ニ対 ス ル直 接 ノ敵 対 行為 ヲ誘 発 ス ヘキ ニ於 テ オ
ヤ左 レ ハ支 那 国 内 ニ於 テ抗 争 ス ル各 派 ニ武 器 ノ供給 ヲ防 止 セ ント ス
リ シナ ル可 ク日 本 ノ言 フ所 ニ ハ無 理 カ ラ ヌ モ ノ アリ ト言 ヒ得 ヘシ況
ル主 張 ニ ハ道 理 ア リ只 日 本 カ支 那 ヲ経 済 的 ニ束 縛 ス ル ニ至 ル惧 ア ル
リ在 米 日 本大 使 ノ説 明 カ本 日 ノ新 聞 ニ現 ハレ居 ル処 本件 ニ関 シ テ ハ
ノ事 ハ前 記申 入 ノ結 果 ヲ待 ツ ニ非 サ レ ハ申 シ得 ス尤 モ本 件 ニ関 シ多
何 レ更 メテ声 明 ヲ為 サ サ ル意 向 ナ リ ヤト質 シ ﹁サイ モ ン﹂ ハ此 ノ上
分 重 ネ テ陳 述 ヲ為 ス コト適 当 ナ ル ヤ モ計 ラレ サ ル コト ハ ﹁サ ミ ュエ
事 ヲ日 本 カ希 望 スト ハ想像 シ得 ス外 相 ハ英 国 ハ日 本 ニ危 険 ヲ及 ホ ス
商 上 ノ利 害 ヲ有 スル外 国 人 ヲ シテ挙 ケ テ日 本 ニ恨 ヲ抱 カ シ ム ル如 キ
モ日本 ハ斯 カ ル意 図 ナキ コト ヲ断 言 シ居 レリ 且支 那 人 並 ニ支 那 ニ通
ル ニ外 ナ ラ サ ル処 外 相 ハ日 本 ノ満 洲 ニ対 ス ル行 動 ト同 シク之 ヲ モ平
認可 権 ヲ承 認 スル コト ハ事 実 上 日本 ノ支 那 ニ対 ス ル保 護 権 ヲ保 障 ス
示 ス ル モ日本 自身 ノ行動 ニ就 テ 云為 セ ス又 対支 借 款 ニ対 ス ル日 本 ノ
会 答 弁 ハ要 点 回避 ノ標 本 ナ リ外 相 ハ列国 ノ行 動 ヨリ生 ス ル危 険 ヲ暗
﹁サ イ モ ン﹂外 相 ノ本 件 ニ対 ス ル態 度 ハ頗 ル曖 昧 ニシテ昨 日 ノ議
二十 四 日及 二十 五 日朝 刊 ハ益 々大 袈 裟 ノ報 道 ヲナ シ例 ヘ ハ ﹁タイ
松 平 駐 英 大使 ← 廣 田外 相
然 ト受 入 レ ツ ツ ア ル ノ感 アリ
惧 ア ル行動 ハ努 メ テ之 ヲ避 ケ 居 ル旨 言 明 セ ル カ英 国政 府 カ武 器 ノ輸
ル ハ右 ノ趣 旨 ニ外 ナ ラ ス日英 両国 ハ此 ノ共 同 ノ目 的 ノ下 ニ完 全 ナ ル
四
ム ス﹂ハ重要 記 事 欄 劈 頭 同 社 東 京特 電 ヲ掲 ケ其 ノ他 各紙 ハJa panes e
四 月 二十 六 日
テ事 情 糺 明 ノ為 友 好 的 書 翰 ヲ日 本 ニ送 ル コト ト ナ リタ ル カ其 ノ書 翰
Cabi net Warns t he Powers (Tel e gra ph).Japan not t o gi ve
第 二 一七 号
出 ヲ厳 重 ニ監 視 シ英 国 海 軍 カ支那 海 方面 ノ安 全 維 持 ニ貢 献 シ ツ ツ ア
了 解 ヲ保 持 ス ル コト可 能 ナ ル ヘシ ﹁ガ ー デ ィア ン﹂
ニ ハ九 国条 約 第 一条 ノ二 ノ規 定 ヲ指 摘 ス ル コト適 当 ナリ 列 国 ハ単 独
way (Her al d)等 ノ セ ンセイ シ ョナ ル ノ見出 ヲ附 シ甚 タ シ キ ハ ﹁エ
英 国 政府 ハ日本 ノ声 明 ニ依 リ等 閑 ニ附 シ得 サ ル新 事 態 発 生 セ リ ト
タ ルト共 同 タ ルト ヲ問 ハス支 那 ト 通 常 ノ商 業 上 財 政 上 関 係 ヲ結 フ権
ル表 題 ヲ掲 ケ タ ル後 東 京 電 報 ト シテ聯 合 ヨリ 二十 三 日閣 議 ト前 後 シ
キ スプ レ ス ﹂ ニシテ第一 面 ニ大 キ ク J apan agai ns tt heworl dナ
テ先 般 ノ声 明 ハ変 更 ノ要 ナ ク日 本 ハ最 近支 那 ニ対 ス ル財 政 的及 技 術
マ ン﹂ ノ所 言 ハ諸 方 面 ニ対 スル威 嚇 ヲ含 ミ居 リ結 局 日本 ハ支那 自身 ニ対 シ行 動 ヲ起 ス以外 ニ列 国 ノ対 支 援 助 ヲ防止 シ得 サ ル ヘク他 方支
的 援 助 ハ政 治 的臭 味 ア ル ヲ以 テ 之 ニ反 対 ナ リ且 東 洋 平和 ノ 支柱 タ ル
利 ヲ有 ス ル モノナ ル ニ日本 ハ之 ヲ否 定 ス ル モノ ノ如 シ ﹁スポ ー ク ス
那 ハ日本 ノ属 国 タ ラ サ ル ニ於 テ ハ自 ラ危 険 ヲ招 来 ス ル コトト ナ ル ヘ
﹁ク ロ ニク ル﹂
シ
テ ー ト メ ント ﹂ ヲ確 認 セ リ ト報 シ (﹁タ イ ム ス﹂ 特 電 ノ ミ ハ右 ﹁ス
以 テ右 ハ内 閣 ノ ﹁ステ ー ト メ ント﹂ ナ リ ト カ 又 ハ閣 議 ハ先般 ノ ﹁ス
ニ抗 議 セ サ ル ヲ得 スト ノ主 旨 ノ ﹁ステ ー ト メ ント﹂ ヲ出 シタ ル事 ヲ
地 位 ニ鑑 ミ支那 ノ和 平 ヲ乱 ス基 ト ナ ル可 キ軍 用 航 空 機 及 武器 ノ輸 入
本 以外 ノ国 ノ主 張 ハ未 タ明 カ ナ ラ サ ル事 ハ之 ヲ留 意 セ サ ル ヘカ ラ ス
テ ー ト メ ント ﹂ カ全然 unauthori zed ノ モ ノナ ル事 判 明 セ リ ト 附
本 件 ニ関 シ親 日 紙 ハ ﹃日 本 ニ干 渉 ス ヘカ ラ ス﹄ ト書 立 テ居 ル モ日
且 ツ齋 藤 大 使 ノ対 支 諸事 業 開 始 ニ先 チ列 国 ハ日本 ト協 議 ス ヘシト為
記 ス) 更 ニ日本 カ ﹁ステ ー ト メ ント﹂ ヲ発 ス ル ニ至 リ シ動 機 ノ 一 ハ
﹁ラ イ ヒ マ ン﹂ カ近 ク理 事 会 ニ報 告 ヲ出 ス事 ト ナ リ居 ル事 ニア ル モ
ス主 張 ハ列 国 ニ対 シ日 本 ト係 リ合 フ ヘカ ラ スト慫 慂 ス ル前 述 ノ意 見
﹁ヘラ ル ド﹂
ト齟 齬 ス
ト論 シ ﹁イ ブ ニ ング スタ ンダ ー ド﹂ ハ日 本 ト 題 シ日本 ハ財 政 難 中 ニ
盟強 化 ノ如 キ有 害 ナ ル モノ ハ其 勢 力 ヲ失 ヒ ツ ツ アリ ト考 ヘテ可 ナリ
口 ヲ出 ス平 和 主 義 者 ア ル モ斯 カ ル気 紛 レ者 ハ少 数 ナ リ 又 日本 人 ハ聯
ノ ノ如 シト ノ壽府 電 報 、 日本 ハ空 軍 ヲ今 後 三年 間 ニ殆 ント 二倍 ニ増 ︹ 松三︺ 加 ス ル事 ト ナ レリ ト ノ東 京 発 ﹁ル ー ター ﹂ 電 報 及 永井 大 使 カ独 逸 新
アリ歳 出 ハ四 年前 ニ比 シ五割 ヲ増 シ国 債 ハ十 五年 前 ニ比 シ三 倍 ト ナ
ハ豊 作 ノ為 却 テ借 財 ヲ重 ネ ツ ツ ア リ加 フ ル ニ 一年 ノ増 加 人 口百 万 ヲ
聞 記 者 ニ対 ス ル ﹁イ ンタ ービ ュー﹂ ニ於 テ海 軍 問 題 ヲ論 シ次 期 会 議
収 容 ス ル道 ハ既 ニ破 綻 セ ル農 業 モ世 界 ヨリ 期待 ヲ受 ク ル工業 モ不可
リ 又軍 事 費 ハ三年 間 ニ四億 ヨリ九 億 以 上 ニ増 加 セ リ 一方 輸出 ニ就 テ
﹁テ レグ ラ フ﹂ ハ二十 五 日 論説 ヲ掲 ケ今 日 ノ ﹁ニ ュー ス﹂ ニ依 レ
能 ニシテ只 移 民 ア ル ノミ茲 ニ於 テ日 本 ハ 一方支 那 ト提 携 シテ市 場 ヲ
ニ於 テ日 本 ハ海 軍 力 ノ均 等 ヲ主張 ス ヘシ ト ノ印 象 ヲ与 ヘタ リ ト ナ セ
ハ日 本 ハ閣 議 ヲ以 テ先 般 ノ反 感的 ﹁ステ ー ト メ ント﹂ ヲ確認 シ更 ニ
恢 復 セ ント シ従 ツテ 支那 カ外 国 ヨリ武 器 ヲ買 フヲ好 マ ス他 方亜 細 亜
ル伯 林 電報 ヲ夫 々 ソノ見 ル処 ヨリ大 キ ク見 出 ヲ附 シテ併 記 ス ル等 如
説 明 ヲ附加 セ ルカ ﹁サ イ モ ン﹂ ノ口頭 ニ依 ル質 問 ハ是 カ為 別 段 不要
大 陸 併 呑 主 義 ニ依 リ 外蒙 古 及 沿 海 州 ヲ窺 ヒ茲 ニ露 軍 ノ極 東集 中 ト ナ
ハ円 価 ノ下 落 ハ外 国側 ノ制 限 ヲ招 来 シ問 題 ノ解 決 ト ナ ラ ス他 方 農 民
ト ハナ ラサ ルカ如 シ極 東 ニ於 テ列 国 ハ条 約 上 定 メ ラ レタ ル地 位 ヲ有
リ タ ル モノ ナ リト 論 シタ リ
何 ニ モ大形 ナ ル書 方 ヲ ナ シ居 タ リ
ス ル モノ ニシテ右 ハ日本 ノ声 明 ニ依 リ左 右 セ ラ レ得 ヘキ モノ ニ非 ス
ノ反対 ス ル借 款 ハ日 本 モ加 入 シ居 ル借 款 国 以 外 ノ モノ ナ ル ヘキ処 声
日 本 カ 此 ノ際 新 政 策 ヲ声 明 ス ル理 由 ヲ発 見 ス ル事 ハ困難 ニ シテ 日本
必要 ト ナ ル ヘ シ廣 田 大 臣 ハ 一月 二十 三 日満 洲 国 以 外 ノ 一切 ノ実 権 ニ
ニ対 シ監 督 者 タ ル事 ヲ要 求 ス ル モノ ナ ラ ハ 一般 ノ考及 現 状 ノ変 更 カ
接 ス ル迄 ハ此 ノ前 述 ヘタ ル コト以 外 言 明 シ得 スト答 ヘ次 テ ﹁ア ット
本 日英 国 大 使 ハ廣 田 大臣 ト会 見 シ居 レ リ日 本政 府 ノ見 解 ニ付 報 告 ニ
四月 二十 五 日下 院 ニ於 テ 又復 質 問 アリ タ ル ニ対 シ ﹁サ イ モ ン﹂ ハ
四月 二十 七 日
第 二 一八 号
関 シテ ハ他 国 ト協 力 スル ノ用意 アリ ト述 ヘ今 回 ノ声 明 ハ右 演 説 ノ演
松 平駐 英 大 使 ← 廣 田 外 相
繹 ナ リ ト セ ラ ルル以 上 日 本 ハ将 来 ノ誤 解 ヲ避 ケ其 目標 ヲ明 カ ニ スル
リ ー﹂ ヨリ 日本 ノ内 閣 カ声 明 ヲ確 認 シタ リ ト ノ報 道 ヲ指 摘 シタ ル ニ
五
為 ノ提 案 ヲ歓 迎 ス ル ヲ要 ス他 方 ﹁サ イ モ ン﹂ カ英 国 ノ政 策 ハ日支 両
ナ リ ヤヲ知 ル コト 甚 タ困難 ナ リ問 合 ハ其 ノ点 ニ付 テ モ及 ヒ居 レリ ト
対 シ外 相 ハ今 回 ノ声 明 ナ ル モノ ハ多 数 アリ其 ノ何 レ カ権 威 ア ル モノ
明書 ハ簡 単 ニシ テ ソ ノ点 ハ明 ナ ラ ス若 シ日 本 カ支那 ト外 国 ト ノ関 係
国 ト ノ友 好 関 係 ヲ何 等 危 ク ス ル コト ヲ行 ヒ居 ラ スト述 ヘタ ル事 ハ正
外相 ト ノ会 談 ニ関 スル東 京 電 報 及 米 国 政 府 ハ更 ニ情 報 ヲ待 チ居 ル モ
答 弁 セリ 二十 五日 ノ ﹁タ イ ム ス﹂ 其 ノ他 主 要 新 聞 ハ英 国 大 使 ト廣 田
︹ク ライ ブ ︺
当 ナ リ 日本 ノ将 来 ノ政 策 ト吾 人 ノ支 那 ニ有 ス ル重 大 ナ ル利 益 ト ノ関 係 ヲ 明確 ナ ラ シ ム ル事 ハ日英 双方 ノ利 益 ナ リト 述 ヘ又 二 十 四 日 ノ
ノ ノ如 シ ト ノ華府 電 報等 ヲ掲 ケ居 ル モ記 事 ノ記載 振 ハ稍落 着 キ来 レ
﹁イブ ニング ニ ュー ス﹂ ハ ﹁サ イ モ ン﹂ ノ答弁 ヲ歓 迎 シ日本 側 ノ諒 解 ヲ希 望 シ且 英 国 民 ハ日 本 ニ対 シ最 友 好 的 ナリ英 国 ニモ外 国 ノ事 ニ
ノ政 策 ヲ執 ルノ意 思 ナ キ コト ヲ言 明 シ且 日 本新 聞 ニ与 ヘタ ル声 明 ハ
会 見 ニ於 テ廣 田大 臣 ハ九 国条 約 ヲ破 リ又 ハ英 国 ノ対 支 利 益 ヲ害 ス ル
之 ヲ攻 撃 又 ハ喝 采 スル コト ハ尚 早 ナ ル ニ似 タ リ昨 日 ノ英 国 大 使 ト ノ
タ ル コト ハ今 回 ノ如 キ大 ナ ル不安 ノ原 因 ヲ為 シタ ル モノ ナリ 日本 政
回 ノ声 明 カ幕 府 及 鎖 国時 代 ヲ思 ハシ ム ル カ如 キ尊 大 サ ヲ以 テ為 サ レ
カ与 ヘラ ル ルナ リ然 リ ト雖 モ右 ハ独 占 権 ノ要 求 ノ理 由 ト ハナ ラ ス今
テ爾 ルカ故 ニ日本 ニ対 シ支 那 問 題 ニ関 ス ル国 際 会 議 ニ於 テ最 高 ノ席
済 的意 義 ヲ有 ス ルカ及 日 本 ト 地 理上 ノ必要 ハ広 ク認 メラ ル ル所 ニシ
関係 ヲ有 シ居 レ ル支那 問 題 カ 日本 ニ対 シテ 如何 ニ大 ナ ル政 治 的及 経
多 ク ノ利 益 ト関 係 ト ヲ有 シ其 ノ他 ノ国 モ支那 ニ対 シ少 カ ラ サ ル通 商
政 府 ノ宣 言 ニ非 スト述 ヘタ ル由 ナリ 日本 カ何 ヲ恐 レ居 ル ヤ ハ齋 藤 大
東 京 ニ於 ケ ル最 近 ノ情 勢 ニ依 レ ハ日 本 ノ対 支政 策 ヲ突 留 メ ス シテ
リ尚 ﹁タ イ ム ス﹂ ハ日 本 ノ態 度 ト題 シ左 ノ如 キ論 説 ヲ掲 ケ居 レリ
使 及廣 田大 臣 ノ説 明 等 ニ依 リ相 当 明 瞭 トナ リ タ ルカ支 那 ノ事 情 ニ通
モ ノノ 如 ク右 ハ其 ノ目的 ヲ達 ス可 キ カ他 ノ文 明国 ト争 フ ヨリ モ之 ト
府 ハ ﹁スポ ー ク ス マン﹂ ノ惹 起 シタ ル不 安 ヲ鎮 静 セ ント シ ツ ツ ア ル
協 力 シテ コソ支 那 問 題 ニ関 シ日本 ノ言 フ所 ハ傾 聴 セ ラ ル ヘ シ齋 藤 大
スル者 及 日本 ノ支 那 ニ於 ケ ル軍 事 行 動 ヲ研 究 シ居 ル者 ハ日 本 ノ恐 ル
倍 加 ス ル ニ於 テ オ ヤ在 米 及在 独 日本 大 使 等 ノ言 ノ 一部 ニ ハ日 本 カ欧
キ スパ ー ト﹂ ノ持 合 ハ有 リ物 質 的 考 慮 以 上 ニ支那 ノ発 達 、 安 定 及 独
使 ノ言 明 モ然 ル コト ナ カ ラ外 国 ト雖 モ支 那 問 題 ニ関 ス ル多 少 ノ ﹁エ
ル カ如 キ状 態 カ近 ク起 ル モノ ト ハ考 ヘ得 ス況 ン ヤ日本 カ近 ク空 軍 ヲ
米 ノ困難 ナ ル事 態 ニ乗 セ ント ス ル モノ ノ如 キ疑惑 ヲ与 ヘタ ル モ ノア
国
ニ平和 ト秩 序 ト ヲ齎 ス コト ニ資 セ ント ス ル ニ在 リ テ平 和 的 ナリ欧 米
シ吾 人 ハ日本 ノ責 任 ア ル政 治 家 ノ言 説 ヲ直 接 聞 ク ヲ得 ル ニ至 リ タ ル
満洲 事 変後 活 躍 セ ル外 務省 ﹁スポ ー ク ス マン﹂ ナ ル者 近 来 姿 ヲ隠
紐 育 ﹁タイ ム ス﹂
齋 藤 駐 米大 使 ← 廣 田外 相
米
立 ヲ願 ヒ居 ル モノ ナ リ
鴫
ヨリ支 那 ヘノ兵 器 、弾 薬 ノ売 込 ヲ制 限 スル ノ望 マ シキ ハ明 カ ニシテ
カ今 回再 ヒ誰 ト モ解 ラ ス ﹁スポ ー ク ス マ ン﹂ ノ現 レタ ル コト ハ最 近
一四 月 二 十 一日
米 国 人 ノ武器 取 引 ハ米 国 政府 ノ調 査 ス ヘキ事項 ナ ル処 一般 的 制 限 ナ
ノ廣 田 ﹁ハル﹂ 間 ノ個 人 的 ﹁メ ッセ ー ジ﹂ 交 換 ニ照 シ特 別 ノ意 義 ア
第 二 二 四号
ル カ二十 一箇 条 、 最 近 ノ満 洲 事 変 等 ノ歴 史 ヲ知 ル者 ハ又 モヤ日 本 カ 欧 洲 カ軍 縮 問 題 ニ又 米 国 カ国 内 問 題 ニ没頭 シ居 ル ニ乗 シ支 那 ニ対 シ 独 占的 支 配 権 ヲ要 求 セ ルカ如 ク考 ヘタ ル ハ当 然 ナ リ然 レ ト モ支 那 ノ 現 状 ハ以前 ニ比 シ改 善 セ ラ レ居 レリ而 モ其 ノ軍隊 カ 近 キ将 来 ニ於 テ 支 那 以外 ノ国 ノ脅 威 ト ナ ル コト ハ信 シ難 ク 一方米 国 ハ露 国 又 ハ支那 ヲ シテ 日本 ト戦 ハシ ム ルカ如 キ政 策 ヲ行 ヒ居 ル モノ ト ハ認 メ ラ レ ス
ル モ ノ ハ列 国 ノ共 同 動 作 ニ依 リ テ ノ ミ為 サ ル ヘク支 那 官 憲 ノ国内 秩
ル如 シ此 ノ 日本 ノ政 策 ノ匿 名 ノ註 釈 者 ノ言 動 ハ真 ノ責 任 者 ニ依 リ 否
他 方英 国 ノ極 東 政 策亦 旧 同盟 国 ニ対 シ最 親善 ナ ル コト ヲ旨 ト シ支 那
ク為 サ レタ ル宣 言 ニ依 リ 促進 セラ ル ヘキ モノ ニ非 ス英 米 仏 ハ支 那 ニ
序 ヲ恢 復 セ ント ス ルノ努 力 乃 至 ハ各 国 ノ大 ナ ル正 当 ノ利 益 ニ関 係 ナ
認 セ ラ レタ ル コト ア ル モ今 回 ハ日本 政 府 カ右 ニ依 リ其 ノ極 東 ﹁モ ン
法 ニ依 リ 支那 ノ外 交 政 策 ヲ独裁 シ其 ノ内 政 ニ対 シテ モ絶 大 ノ勢 力 ヲ
ノ責任 者 ナ リ ト主 張 シ此 ノ平和 保 障 ノ為 各 種 ノ手段 ヲ採 ラ サ ル ヘカ
振 ハ ント ス斯 カ ル露 骨 ナ ル保護 領 ノ宣 言 ハ最 近 日 本 カ支 那 ニ対 シ採
ラ スト為 ス而 シテ其 ノ最 モ確実 ナ ル保 障 ト シテ 日 本 ノ考 フ ル ハ支 那
リ タ ル立場 ヨリ ス ル論 理 的 帰結 ナ リ 日本 ハ自 己 ノミ カ極 東 平 和 維持
日 本 ハ極 東 平 和 ノ保 護 者 ト ナ リ支 那 ニ於 テ国 際 法 ノ ミ ナ ラ ス条 約
ノ 征服 ニ在 リ右 カ日 本 ノ年 来 ノ目 的 ナ ル ハ疑 フ ヘカ ラ サ ル所 ニシテ
ロー﹂ 主義 ニ対 ス ル各 国 ノ意 見 又 ハ行 動 ニ付探 リ ヲ 入 レ ント スルノ
ニモ明 カ ニ反 スル権 利 又 ハ義 務 ヲ執 ラ ン ト ス右 ハ ﹁スポ ーク ス マ
意 ニ出 テ タ ル モノ ナ ル コト疑 ヲ容 レ ス
ン﹂ モ暗 ニ認 ム ル所 ナ ル ノ ミナ ラ ス彼 ハ日 本 ハ条 約 ノ解 釈権 ヲ有 ス
朝鮮 半 島 ノ占 拠 、 二十 一箇 条 要 求 、 満 洲 占 領 、 上海 北 平 戦 略 等 総 テ
事 ニ依 リ利 益 ヲ得 ヘシト為 ス モ彼 等 ハ本 件 報 道 ヲ慎 重 ニ研 究 ス ヘキ
之 カ現 レナ リ華 府 当 局 ハ最 近吾 人 カ ﹁ステ ィ ム ソ ン﹂ 主 義 ヲ捨 ツ ル
ナ リ吾 人 ノ望 ミ得 ヘキ最 大 ハ日本 カ渋 々乍 ラ仍 八年 乃至 十 年 間 現 行
ル カ故 ニ或 ル事 変 カ軍事 行動 ヲ必 要 ト ス ル ヤ否 ヤ ニ付 テ モ最 終 ノ判
若 シ斯 カ ル要 求 カ正式 ニ日本 政 府 ヨリ提 出 セ ラ ル レ ハ九 国条 約 締
海軍 比率 ノ継 続 ニ同 意 ス ル コト ナ ル ヘキ カ其 ノ代 償 ト シ テ米 国 ハ其
定者 ナ リ ト主 張 ス
約国 乃至 支 那 ニ重 大 利益 ヲ有 スル凡 ユル国 ニ依 リ拒 否 セ ラ ル ル ハ明
若 シ日本 カ列 国 ノ道 徳 的 態 度 及 物 質 的 利 益 ニ顧 慮 セ ス其 ノ対 支政
ス コト ト ナ ル
ノ歴史 的 政 策 ヲ捨 テ日 本 ノ欲 ス ル時 ニ支 那 ノ門 戸 ヲ鎖 サ シ ム ル ヲ許
カナリ 最 モ極 端 ナ ル主 張 ハ日本 ハ列 国 カ支那 ニ対 シ軍 事 用 ニ供 セ ラ レ得 ヘキ物 品 ノ売 込 ニ反対 ス ル権 利 アリ ト為 ス点 ニテ右 ハ特 ニ飛 行 機 技
ニ依 ラ サ ル限 リ徳 義 ニ訴 フ ル説 得 即 チ ﹁ステ ィ ム ソ ン﹂ 主義 ノ固 執
策 ヲ遂 行 セ ント セ ハ結 局 門 戸 開 放 ハ維 持 ス ル ニ由 ナ カ ル ヘキ モ武 力
術 者 及 飛 行 教 官 ノ供 給 ヲ指 ス従 テ日 本 カ是 等 ヲ戦 争 ノ脅 威 ト ナ ルト 認 メタ ル場 合 ハ武 力 ヲ背 後 ニシタ ル厳粛 ナ ル抗 議 カ売 込 国 ニ対 シ為
以外 ニ日本 ヲ シテ 門戸 開 放 其 ノ他 ノ国際 約束 ヲ尊 重 セ シ ム ル方策 無
サ ル ル訳 ナリ乍 然 右 カ条 約 上 ノ権 利 及国 際 法 ノ範 囲 ニテ為 サ レタ ル 以 上 其 ノ国 ノ回答 ノ如 何 ナ ル ヘキ ヤ ハ想 像 ニ難 カ ラ ス日本 政 府 モ右
サ ー スト ン﹂)
国 務 省 当 局 ハ本 件 文 書 発 表 ノ動 機 ヲ知 ル ニ苦 シミ居 レリ彼 等 ハ公
華 府 ノ ﹁ポ ス ト﹂ (﹁エリ オ ット
キ コト ハ強 調 ス ル ヲ要 ス
サ ン﹂
ト ーキ ング﹂ ヲ止 メ サ セサ ル ヘカ ラ ス
ハ十 分 知 ル所 ナ ル ヘキ ニ付 ﹁スポ ー ク ス マ ン﹂ ヲ戒 メテ ﹁ナ ン セン ス ﹁ボ ル テ ィモ ア
﹁ハル﹂交 換 文書 ニ依 リ 作 ラ レタ ル協 調 的 関係 ハ日本 カ太平 洋 問 題
ニ ハ沈 黙 シ居 ル モ其 ノ非 公 式 ニ表 明 シ居 ル意 見 ノ要 点 ハ最 近 ノ廣 田
ニ関 ス ル条 約 ニ反 シ支 那 ニ於 ケ ル覇 権 ヲ主 張 セ ント ス ル コト ニ依 リ
日 本 ハ今 回 ノ宣 言 ニ依 リ 支 那全 土 ニ対 ス ル保 護 者 ノ 地位 ヲ引受 ケ
軍 事 的 援 助 又 ハ政 治 的 借 款 ニ反 対 シ唯 外 国 ノ援 助 カ経済 通商 ノ範 囲
著 シク損 傷 セ ラ レ タ ル コト 日 本 カ対 支 飛 行 機 供 給 、飛 行 場 建 設 、 軍
タ ル コト ヲ世 界 ニ知 ラ シ メ ント ス ルカ如 シ即 チ外 国 ノ支 那 ニ対 ス ル
ニテ極 東 ノ平和 秩 序 ヲ紊 サ サ ル限 リ 差支 ナ シト 為 ス日 本 ハ斯 カ ル方
事 顧 問 等 ノ派 遣 及政 治借 款 供 与 ニ反 対 スト 云 フ ハ門 戸 開 放 主 義 ト 相 距 ル コト遠 ク恰 モ日 本 ハ米 国 製 造 家 カ支 那 ニ飛 行 機 ヲ売 リ米 国 カ棉
二
澤 田 ニ ュー ヨ ーク 総領 事 ←廣 田外 相
プ レ ス﹂
第 五 八号
ノ年 次 大会 ニ招 待 セ ラ レ演 説 セ ル処時 節 柄 日本 ノ対 支政 策 ニ関 ス ル
﹁ハル﹂ 国 務長 官 ハ二十 三日 当 地 ﹁ア ソ シ エイ テ ッド
四 月 二十 五 日
コト斯 ク ノ如 キ ハ不遜 ニシテ忍 ヒ難 キ コト斯 カ ル文 書 カ外 交 上 ノ経
レ ス米 国 政 府 ノ復 興 策 ニ就 キ述 ヘタ ルノ ミ其 ノ後 当 方 面 新 聞 ハ日本
声 明 ニ言 及 セ ン コト ヲ期 待 シ居 リタ ル向 アリ タ ル モ何 等 此 ノ点 ニ触
麦 借 款 ノ如 キ ヲ与 フ ル ノ可否 ヲ決 定 スル ノ権利 アリ ト為 ス ニ同 シ キ
路 ヲ通 ス ル前 ニ新 聞 ニ発表 セラ レ タ ル ハ少 ク共 異 常 ナ ル コト 等 ナリ
ノ声 明 ニ関 シ本邦 側 ノ説 明 ト外 国 側 ノ反 対 振 リ ヲ詳 細 ニ報道 セ ル電
日本 ハ廣 田 ﹁ハ ル﹂ ノ交驩 カ支那 ニ於 ケ ル 日本 ノ勢 力 範 囲 ノ再 述 ニ
レ ハ支那 ニ対 スル 日本 ノ特殊 関係 ニ就 キ華 府 東 京 間 ニ良 好 ノ了 解 成
至 ラ ン コト ヲ切 望 シ廣 田大 臣 モ其 ノ実 現 ヲ望 ミタ ルナ ル ヘシ何 ト ナ
スト ン
報 ヲ連 日掲 載 シ居 ル処 新 聞 論 評 ヲ見 ル ニ十 八 日 及 二 十 一日 ノ ﹁ボ
従 来 ﹁ルー ズ ベ ルト﹂ 政府 ハ内 政 ニ没 頭 シ極 東 ヲ顧 ミルノ遑 無 ク
日本 カ欧 米 ノ反対 ヲ押 切 ツ テ之 ヲ実 行 セ ンカ世 界 ハ如 何 ナ ル対抗 手
結 局 右 政 策 ノ実 行 ハ支那 ノ門 戸 閉 鎖 ヲ意 味 ス ル コト ト ナ ル可 ク若 シ
義 ト呼 フ可 キ モノ ナ ル モ実 ハ ﹁モ ン ロー﹂ 主義 以上 ノ モノ ヲ包 含 ス
ト ラ ンス ク リプ ト﹂ ハ日 本 ノ声 明 ハ日本 ノ ﹁モ ン ロー﹂主
ラサ ル限 リ 両国 間 ノ総 テ ノ問 題 ハ解 決 セ ラ レ サ ル ヘキ ヲ以 テ ナリ
日本 ハ ﹁フー バ ー﹂ ﹁スチ ム ソ ン﹂ ノ政 策 ニ憤 リタ ル モ其 ノ 後 ﹁ル
段 ヲ執 ル可 キ カ ノ問 題 ニ直 面 ス ヘシト論 シ十 九 日 ノ ﹁モ ニタ ー ﹂ ハ
ーズ ベ ルト﹂ ﹁ハル﹂ ノ無 関 心 ト モ謂 フ ヘキ沈 黙 ニ依 リ鎮 静 セ ラ レ 茲 ニ其 ノ面 目 ヲ回 復 セ ント シ ツ ツ アリ タ リ従 ツ テ 日本 ノ第 一着 手 ハ
ノ ニシテ列 国 ハ勿 論 同意 ス ヘキ筈 無 ク 日本 カ廣 田 ﹁ハル﹂ 交 驩 直 後
斯 カ ル声 明 ヲ為 セ ル ハ最 近 日本 ノ外 交 カ如 何 ニ拙 劣 ナ ルカ ヲ示 ス好
日本 ノ声 明 ハ二十 一箇 条 ノ要 求 同 様 支 那 ヲ其 ノ属 領 ノ 地位 ニ落 ス モ
例 ナリ ト シ又 二十 三 日 ノ ﹁ブ ル ックリ ン
明確 ナ ラ ス シテ常 ニ紛 議 ノ種 ト ナリ其 ノ度 ニ戦 争 説 ヲ生 セリ総 テ ノ 文書 平 和 条 約 聯盟 ノ努 力 等 ハ日本 ノ支 那 ニ於 ケ ル特 殊 権 利 又 ハ利益
上 ニ於 テ ﹁パ ウ ル
華 府 ニ向 ケ ラ ル ヘク其 ノ根 幹 ハ支 那問 題 ナ リ従 来 日本 ノ対 支 政 策 ハ
ト称 スル モノ ニ対 ス ル列 強 ト日 本 トノ観 方 ニ多 大 ノ相 違 アリ シ為 何
マ ロ ン﹂ ハ米 国 政 府 ハ日 本 ニ対 シ米 国 ノ対 支 貿
イ ーグ ル ﹂紙
等 効 果 ヲ挙 ケ ス来 年 ノ海 軍 会 議 ノ成 功 ハ極 東問 題 ノ為 見 込 薄 ト ナ リ
キ筋 合 ニ非 サ ル コト米 国政 府 ハ米 国 民 間 飛 行 家 カ支那 人 ニ教 練 スル
易 借款 カ如 何 ナ ル種 類 ノ モ ノタ ル ヘキ カ ニ関 シ日 本 ノ指 図 ヲ仰 ク ヘ
デーリー
一ノ事 実 丈 ケ ハ明 カ トナ レリ即 チ軍 縮 世界 ノ条 約 関 係 及 太 平洋 ノ平
ツ ツ ア ル処 今 回 ノ日 本 ノ文書 ハ 一段 ト 事態 ヲ悪 化 セ シメ タ ル カ茲 ニ
ハ明 白 ナ ル九国 条 約 違 反 ナ ル コト ヲ何 等 カ ノ形 ニ於 テ通 告 ス ル ニ至
ヲ阻 止 ス ル ノ権 限 無 キ コト 又 支 那 ノ門 番 タ ラ ント ス ル日 本 ノ新 政 策
ル ヘシ米国 政 府 ハ廣 田外 相 ノ ﹁メ ッセー ジ﹂ ヲ以 テ 日本 カ 茲暫 ク其
和 ハ日 本 カ其 ノ特 殊 利益 ト考 フ ル所 ト米 国 ノ容 認 ス ル所 ト ハ真 ニ了
ナリ
解 ス ル コト並 ニ武 力 使 用 ノ制 限 ヲ明 カ ニ定 ム ル コト ニ懸 レリ ト ノ点
ノ極 東 征服 ノ運動 ヲ中止 ス ヘキ コト ヲ意 味 ス ル モノ ト思 惟 セ ル モ欧
第 二三 六 号
四月 二十 二日
佐藤 駐 仏 大 使 ← 廣 田 外相
洲 諸 国 カ 軍縮 問 題 ニテ争 ヒ又米 国 艦 隊 カ太 平 洋 ヲ去 ルト 共 ニ日本 ハ
二十 一日 附 ﹁ジ ュル ナ ル﹂ ハ ﹃日本 ノ要 求 ス ル所 ハ亜 細 亜 ノ支 配
モノ ナリ﹄ ト題 シ大 要 左 ノ如 キ論 評 ヲ掲 ケタ リ
ニ非 スシテ無 秩 序 ヲ激 発 セ シ メ ント ス ル陰 謀 ノ終 局 ヲ計 ラ ント スル
再 ヒ其 ノ征 服 運動 ヲ初 メタ リ ト論 シタ リ
フ ラ ン ス
日 本 ノ今 回 ノ声 明 ヲ以 テ亜細 亜 ﹁モ ン ロー﹂ 主 義 ヲ樹 立 ス ル者 ナ
リ ト 謂 フ者 ア リ成 程 其 ノ文 体 ハ ﹁モ ン ロー﹂ 主 義 初期 ノ欧 洲 諸 国 ニ
対 ス ル新 大 陸 擁 護 ノ文 体 ニ相似 シ居 ル モ最 近 米 国 帝国 主 義 ノ玉 章 タ
一
四 月 二十 一日
ニ対 抗 ス ヘク努 力 シ居 ル ニ対 シテ立 チタ ル モノ ニテ吾 人 ハ此 ノ非 難
ル ﹁モン ロー﹂ 主 義 ノ意 味 ト ハ異 レリ 日本 ハ支 那 ニ於 テ数 国 カ 日本
第二三四号
列 国 ノ支 那援 助 ニ関 スル 日本側 見解 ニ付 テ ノ十 八 日当 局 談 ニ関 シ
︹ 尚武︺ 佐 藤駐 仏 大 使 ← 廣 田外 相
二 十 日 附 ﹁エ コー ド パ リ ﹂ 紙 ﹁ペ ル チ ナ ック ス﹂ ハ大要 次 ノ如 キ論
日 本 ハ右 声 明 ニ依 リ支 那 ニ於 ケ ル政 治 的 及 経 済 的利 益 ノ強 化 ヲ計
ト 秩 序 ノ代 衷 者 ト シ テ他国 カ支 那 ニ於 テ合 法 的 発展 ヲ為 ス コト ニ ハ
ハ支 那 国 民主 義 者 ヲ教 唆 シ居 レリ依 ツ テ 日本 ハ亜細 亜 ニ於 ケ ル文 化
ニ対 シ不 正呼 ハリ ヲ為 シ得 ヘキ ヤ米 国 ハ支 那 ニ飛 行場 ヲ建設 シ聯 盟
ラ ント ス ル総 テ ノ策 略 ニ結 末 ヲ着 ケ ント決 心 シタ ル モノ ノ如 シ右 声
評 ヲ掲 ケ タ リ
明 ハ米 露 ヲ狙 ヒ居 ル ハ勿 論 ナ ル ヘキ モ更 ニ聯 盟 ノ支那 再 建事 業 ヲ非
ハスト宣 言 シタ ル モノ ニテ英 米 ト雖 モ合 法 的 発展 ト帝 国 主 義 ト ノ差
主義 ナ リ ト 云 フ モ実際 日 本 カ爾 ク 一般 的 考 慮 ヲ為 シ居 ルヤ不 明 ナ ル
今 回 ノ 日本 ノ声 明 方法 ハ各 国 ヲ驚 愕 セ シ メタ ルカ右 声 明 ニ依 リ 日
二十 二 日附 ﹁タ ン﹂ ハ ﹃極 東 ﹄ ト題 シ左 記趣 旨 ノ社 説 ヲ掲 ク
四月 二十 七 日
三
異 ニ就 テ ハ右 日本 ノ主張 ト異 ル観 念 ヲ有 シタ ル コト無 キ筈 ナリ
異論 無 キ モ日本 ノ政 治的 乃 至 地理 的 特 殊 権 益 ヲ無 視 ス ルヲ認 ムル能
ヲ執 リ 支那 ヲ煽 動 シ テ日本 政 府 ニ対 抗 セ シ メ ント シ居 ル モノ ニテ他
難 セ ント シ タ ル モノ ナリ事 実 聯 盟 ハ 一九 三 〇年 以来 事 毎 ニ反 日 政策
方 日 本 ハ外 国 将 校 カ支 那軍 隊 ヲ 日本 ニ反 抗 ノ為 教 育 ス ルヲ寛容 シ得
カ右 声 明 ト 日本 カ屡 唱 ヘ居 ル門 戸 開 放 主 義 ト ヲ調和 ス ル コト ハ可成
サ ル コト勿 論 ナリ 英 米 ノ 諸新 聞 ハ本 声 明 ヲ以 テ亜 細 亜 ﹁モン ロー﹂
リ微 妙 ナ ル問 題 ナ ル ヘシ兎 モ角 右 ハ日 支 事件 ニ対 スル聯 盟 ノ暴 挙 ノ
本 ハ支 那 ニ関 ス ル ﹁モ ン ロー﹂ 主 義 ヲ宣 言 シタ ル モノ ノ如 ク 一般 ニ
第 二 四 一号
不幸 ナ ル結 果 ニシテ斯 カ ル事 態 ヲ矯 正 ス ル為 ニ ハ日米 ノ直接 交渉 ニ
解 釈 セラ レ居 リ日 本 当 局 ノ右 声 明 ニ対 ス ル ﹁コ マンテ ー ル﹂ ハ上述
シテ極 東 ノ平 和 維 持 ニ関 ス ル日本 ノ特 殊 地 位 ニ依 ル モノ ナ ル事 ヲ大
ノ解 釈 ヲ裏 書 ス ルト同 時 ニ日本 ノ政 策 ハ条約 ニ準 拠 ス ルモ ノ ニ非 ス
佐 藤駐 仏 大 使 ← 廣 田外 相
依 ル外 ナ キ処 今 日迄 米 国 政 府 ハ全 然 其 ノ意 思 ナ キ カ如 シ
二
シ居 ル際 ヲ利 用 シ支 那 ニ於 ケ ル無 政 府 状 態 ヲ理由 ト ス ル 一種 ノ行 動
胆 ニ説 キ居 レリ 日本 ハ欧 洲政 局 ノ険 悪 、 米 国 ノ恐慌 等 全 世 界 ノ混 乱
ト シ 日本 ニ対 シ脅威 タ ル ヘキ支 那 ノ軍 備 ヲ監督 セ ント ス ルモ ノ ニテ
日本 ヲ指 ス) ニ対抗 シテ軍 備 ヲ為 ス ニ至 ラ シ ム ルヲ欲 セ サ ル ヲ理 由
ノ援 助 カ支 那 国 内 ノ各 勢 力 間 ニ於 テ互 ニ軍 備 ヲ為 ス カ 他 国 (結 局
ニ対 ス ル真 ノ保 護権 樹 立 ヲ主 張 ス ル モノト ハ言 フ能 ハサ ル ヘキ モ米
(Droi tde regard) ヲ有 スト主 張 ス ル モ ノナ リ右 ハ必 ス シ モ支 那
右 監 督 権 ヲ十 分 ニ行 使 ス ル為 ニ支 那 ト他国 ト ノ 交 渉 ニ対 シ 監 督 権
権 ヲ獲 得 セ ント ス ル モノ ナ リ 尚 二 十 三 日附 ﹁ジ ュー ナ ル 、デ 、 デ バ ﹂ ハ ﹁ラ シ ャ ン﹂ ノ大 勢 左
日 本当 局 ノ宣 言 ハ必 ス シ モ ﹁モ ン ロー﹂ 主義 乃至 ハ支 那 保 護 領 ノ
国 人 ハ右 ニ依 リ日本 ハ支 那 ノ外 交 権 ヲ支配 シ遂 ニ ハ南 京 政 府 カ 国 内
ノ如 キ論 説 ヲ掲 ク
宣 言 ヲ意 味 ス ル モノ ニ非 ス日 本 ハ支 那 擁 護 ヲ条件 ト シ南 京 政 府 ノ支
十 八 日午 後 発 表 セラ レタ ル日本 ノ補 足 的説 明 ヲ見 ル モ同 声 明 ノ与
ナリ
ヘタ ル印 象 ヲ改善 シタ ル モノ ト ハ思 ハレ ス右 補 足 的 説 明 中 ニ於 テ支
問 題 ニ就 テ モ予 メ日本 ニ計 ラ サ ル ヘカ ラサ ル ニ至 ル ヘシ ト言 フ次第
リ婉 曲 ニ拒 絶 セラ レ タ リ廣 田 外 相 ハ今 回 ノ声 明 ニ依 リ 日本 カ何 ヲ考
寄 セテ米 国 ヲ支 那 ヨリ離 サ ント シ両 国 ノ交 渉 ヲ提 案 シタ ルカ米 国 ヨ
那 ト他 国 ト ノ交渉 カ極 東 ノ平 和 ニ有 害 ナ リ ヤ否 ヤ ヲ判断 スル モノ ハ
那 統 一ヲ助力 ス ル為 南 京 ト接 近 ヲ計 ラ ン ト シ タ ル モ支 那 ハ米 露 ニ依
ヘ居 ル カ ヲ明瞭 ニシ タ リ吾 人 ハ廣 田外 相 ﹁ハル﹂ 長 官間 ノ ﹁メ ッセ
ル具 体 的 措 置 ノ形式 ヲ執 ル コト有 リ得 ヘシト為 シ居 ル処 問 題 ハ実 ニ
日本 ノ ミ ナリ ト シ必要 ニ応 シ テ ハ日本 ノ抗 議 ハ条 約 ノ範 囲 内 ニ於 ケ
存 シテ 日 本 ノ申 出 ニ応 セサ リ シ為 廣 田外 相 ハ ﹁ハル﹂ 長 官 ニ書 翰 ヲ
スル最 後 ノ試 ノ 一ナ リ ト述 ヘタ ルカ右 努 力 ハ失 敗 セ ント シツ ツ ア ル
ー ジ﹂ 交換 ノ際 庚 田外 相 ︹ハ︺ 現在 ノ努 力 ハ極 東 ノ紛 争 ヲ避 ケ ン ト
ハ先 ツ九 国条 約 ト右 声 明 ト ノ関 係 ニ関 ス ル日本 ノ意 向 ヲ明 ニセ ン コ
イ
セ ント欲 シ ツ ツ ア ル モノ ノ如 シ
ド
ツ
ニ日本 ノ支 那 ニ於 ケ ル及 極 東 平 和 維 持者 ト シテ ノ任 務 ノ限 度 ヲ明 ニ
米 国 ト ノ共 同 行 為 ニ出 ツ ルカ如 キ コト ア ル ニ先 チ 日本 ノ真 ノ意 図 竝
ト ヲ望 ミ居 ル モノノ如 ク英 国 ト シテ ハ細 心 ノ注 意 ヲ以 テ 本件 ニ対 シ
今 回 ノ 日本 ノ声 明 カ現 存 条 約 ト如 何 ニ調 和 セラ ル ル ヤ ノ点 ナリ英 国
第 二 四八 号
ヤ ニ見 受 ケ ラ ル日本 ハ其 ノ意 向 ヲ明 ニ シタ ルカ目 下 ノ所 之 ニ応 ス ル
佐 藤 駐 仏 大 使 ← 廣 田 外相
モノ ナ キ カ如 シ
四 四月 二十 七 日
二十 六 日附 ﹁タ ン﹂ ハ ﹃日 本 ト支 那 ﹄ト題 シ左 ノ趣 旨 ノ社説 ヲ掲 ク 十 八 日 ノ日本 政 府 声 明 ハ極 東 ニ利 害 関 係 ア ル各 国 ト予 メ打 合 セタ ル処 無 キ ヲ以 テ 政府 ト シテ ノ責 任 ヲ執 ラサ ル 一声 明 ニ過 キ サ ル ヘ シ
ニ至 リ タ リ要 ス ル ニ今 回 ノ 日本 政府 声 明 ノ趣 旨 ハ支 那 ニ対 ス ル他 国
ト考 ヘタ ル向 アリ タ ルカ如 キ モ二 十 三 日 ノ閣 議 ニ於 テ確 認 セラ ル ル
英 蘇 及 支 那 ニ於 ケ ル反 響 ヲ詳 細 報道 シ日本 ハ極 東 ノ平 和 維 持 ノ責 任
ニ対 ス ル保 護権 ノ主 張 ニ外 ナ ラ スト テ之 ニ日本 ﹁モ ン ロー ﹂主 義 又
第七九号
ハ廣 田 ﹁ド ク ト リ ン﹂ ノ 名 ヲ 与 フ ルト共 ニ右 政 策 ノ表 明 ハ軍縮 問
永 井 駐 独 大使 ← 廣 田外 相
自 身 ニ係 ル所 ナ ル ニ鑑 ミ 日本 ハ極東 ノ平 和 ニ反 ス ル支 那政 府 ノ 一切
題 ノ為 欧 洲 ノ困難 カ増 大 シ タ ル時 ニ当 リ為 サ レタ ル事 ヲ指摘 シ日本
四月 十 九 日
ノ行 動 ニ反 対 ス ルト共 ニ他 国 ノ措置 ニ就 テ モ例 ヘ ハ支 那 ニ対 シ軍 用
ノ本声 明 ハ米 国 ニ向 ケ ラ レタ ル モノト 云 フ可 キ処 曩 ニ日 本 ハ英 国 ニ
ニ属 スル モノ ト シ欧 米 ノ対 支 援 助 ヲ排 斥 セ ント ス ル モノ ニ シテ支 那
飛 行機 、 軍 事 教 官 又 ハ非 経 済 的 目的 ノ借 款 ヲ供 給 スル等極 東 ノ平 和
依 寄 セ ント シ次 テ仏国 ノ援 助 ヲ求 メ ント シ ツ ツア リ タ リ然 ル ニ在 米
ヲ有 スト ノ主張 ノ下 ニ何 カ極 東 ノ平 和 ヲ害 スル ヤ ノ認 定 ヲ 一ニ自 国
ヲ害 ス ル措 置 ニ対 シテ ハ抗 議 セ サ ル ヘカ ラ サ ル旨 声 明 シタ リ ト ノ東
十 八 日 当 地夕 刊 ハ対 支 国際 援 助 問 題 ト関 聯 シ同 日 日本 外 務 省 カ日
京 発電 報 ヲ掲 ケ各 新 聞 共 日本 ノ極 東 ニ於 ケ ル覇 権 樹 立 又 ハ支 那 ニ対
ル カ如 ク今 ヤ 日本 ハ単 独 ニテ総 テ ノ国 ニ対 シ警 告 的 声 明 ヲ為 ス ノ力
日 本大 使 ノ言 明 ニ依 レ ハ本件 声 明 ハ仏 国 側 ノ対 支 援 助 計 画 カ動 機 ナ
本 ハ極 東 ノ平和 維 持 ニ対 シ当然 ノ責 任 ヲ有 ス支 那 ノ秩 序 恢 復 ハ支 那
ス ル第 三国 ノ干 与 ニ対 ス ル日本 ノ反 対 等 ノ見出 ヲ附 シ大 ナ ル注意 ヲ
東 ノ平和 維持 ノ責 任 ハ日 本 及 支那 ノ負 フ所 ナリ ト ノ 日本 ノ言 明 ハ日
十 一日 ﹁フ ラ ン ク フ ル テ ル
ヲ自信 ス ル ニ至 リタ ル モノ ト 云 フ可 シ ト ノ評 ヲ 一般 ニ為 シ居 ル処 二
タ ゲ ブ ラ ット﹂ ハ支 那 ニ於 ケ ル門
ト シテ 本件 宣 言 ニ依 レ ハ日 本 ハ仮令 他 国 ト紛 争 ヲ惹 起 ス ル モ極 東 ニ
戸 開放 主 義 ニ反 スル斯 カ ル宣言 ヲ 日本 政 府 カ為 シタ ル動 機 不 明 ナ リ ︹ Ber l i nerZe i t u ngMi t t ag︺ ト 述 ヘタ ルカ尚 BZ M i ttag ハ同 紙 通信 員 Schul ze ノ東 京 発 電報
ニ ハ猶 ホ幾 多 ノ困 難 ア ル ヘシ日本 今 回 ノ声 明 ニ対 シテ ハ各 国 政 府 ハ
支 同盟 ノ提 議 ト見 ル コト ヲ得 ヘキ モ支 那 カ満 洲 国 ヲ既 成 事 実 ト見 ル
注 キ居 レリ而 シ テ ﹁ベル リ ナ ー
於 ケ ル其 ノ特 別 ノ使 命 ヲ遂 行 セ ント スル モノ ナリ 日本 ハ共 同 ノ技 術
本 件 宣 言 ハ支 那 ノ政 治 的 事 態 カ日本 ノ欲 ス ルカ如 キ発展 ヲ為 サ サ ル
ト述 ヘタ リ ト ノ通 信 ヲ掲 ケ 日 本 ハ武 力 ヲ以 テ脅 威 スト ノ表 題 ノ下 ニ
ノ平和 ノ脅 威 サ ルル ニ対 シテ ハ積 極 的 行 動 ヲ執 ラ ント ス ル モノ ナリ
大 ナ ル結 果 ヲ齎 ス モノ ナリ ト為 ス モノ ニシ テ外務 当 局 ハ日本 ハ極 東
告 ヲ 不快 ト ス ヘク又蘇 聯 邦 新 聞 ハ之 ヲ日 本 ノ帝 国 主 義 ト シ テ激 昂 シ
坡 問 題 ニ付 日 本 新聞 ノ反 英 的 論 調 ニ神 経 ヲ尖 ラ シ居 リ日 本 今 回 ノ警
快 ヲ感 ス ヘク 又英 国 ハ満 洲 問 題 ニ関 シ妥 協 的 態 度 ニアリ タ ル モ新 嘉
換 ニ次 テ日本 カ突 然 米 国 ノ利 益 ニ反 ス ル態 度 ヲ声 明 シタ ル コト ニ不
其 ノ態 度 ノ表 明 ヲ差 控 ヘ居 ル モ米国 ハ日米 両 国 ノ友 好 的意 思 表 示 交
ツ ア イ ツ ン グ ﹂ ハ其 ノ論 説 ニ於 テ極
及 財政 的対 支 援 助 モ結 局 政治 的 性 質 ヲ有 シ支 那極 東 及 日本 ニ取 リ 重
場 合 ニ対 シ戦 争 ノ威 嚇 ヲ意 味 スト 評 シタ リ
ル ノ措 置 ニ出 ツ ル モノト ハ見 エ スト ノ趣旨 ヲ論 シタ ルカ次 テ 二十 三
居 レリ然 レ共 是 等 利 害 関係 国 カ極 東 問 題 ニ関 シ既 成 ノ実 力 ニ反抗 ス
日外 交政 治 ﹁コレ スポ ンデ ン ツ﹂ ハ本 省 ニ於 テ今 回 ノ声 明 ハ大 臣 ノ
二
議 会 演説 ノ趣 旨 ニ外 ナ ラ ス ト言 明 セ ラレ タ ル事 ヲ指 摘 シタ ル後 日本
第 八 三号
四月二十四日
永 井 駐独 大 使 ← 廣 田 外 相
其 ノ後 当 国 新 聞 ハ本件 声 明 ニ関 スル本 省 ノ説 明 ヲ報 ス ルト共 ニ米
公式 外 務 省 発 表 ナ ル モノ現 ハレタリ
右 発表 ハ要 スル ニ日 本 カ次 ヨリ次 へト 支 那各 省 ヲ掠 取 シタ リト テ
ハ 一九 一五年 二 十 一箇 条 要 求 ノ時 ニ至 ル迄 ノ対 支政 策 ヲ再 ヒ継 続 セ
支 那 ハ敢 テ抵 抗 ス ヘカ ラ ス支那 ハ極 メ テ柔順 ニ日本 ノ打 撃 ヲ甘受 セ
ナリ ト声 明 セ ル ニ等 シ キ モノ ナ リ之 カ目 的 ヲ具 体 的 ニ述 フ レ ハ日本
ント ス ル モノナ リ ト シ 日本 ハ大戦 後極 東 ニ於 ケ ル既 得 ノ強 キ 地位 ヲ
ハ先 ツ南 京 政 府 ヲ圧 迫 シテ其 ノ行 ヒツ ツ ァ ル国 際 銀 行団 ト ノ交 渉 ヲ
縮 メ ラ レタ ル モ日本 ハ満 洲 事 件 ニ当 リ米 国 カ九 箇 国条 約 ヲ援 用 シタ
率 ヰ ラ レタ ル国 際 聯 盟 並 ニ米 国 及 蘇聯 邦 ニ反 抗 シ テ満 洲国 ヲ建設 シ
決 裂 セ シ メ ント ス蓋 シ日 本 ハ右 交 渉 ヲ目 シテ 米 国 及 欧洲 ノ列 強 カ日
ニ陶酔 シ総 ユ ル大 資 本 国 ヲ相 手 ト シ テ事 実 上 支 那 ヲ自 国 ノ勢 力 範 囲
タ ル後 此 ノ事実 上 ノ事 態 ヲ合 法 化 セ シ メ ント シ ツ ツ アリ 日 本 ハ従 来
本 ノ大亜 細 亜 主 義 ニ対 抗 シテ統 一戦 線 ヲ張 ル モノト為 シ居 レ ハナリ
サ ル ヘカ ラ スト為 ス モノ ニシテ 又 日本 カ満 洲 ニ於 ケ ル軍 事 上 ノ成 功
既 ニ久 シ ク抱 ケ ル政 策 ヲ今 回 形 式 ニ表 ハセ ル モノ ニシ テ対 支 武器 供
ル ニ対 シ当 時既 ニ其 ノ極 東 ニ於 ケ ル特 別 ノ責 任 及 利 害 関係 乃至 支 那
給 ノ排 斥 ハ支 那 ノ武力 増 大 カ対 日戦争 ヲ誘 導 スト ノ考 慮 ニ基 ケ リ極
ル事 実 上 ノ保 護 ヲ認 メ シ メ ント ス ル策 略 ニシ テ更 ニ米 支間 ニ行 ハル
又 右 発 表 ハ南 京 ヲ シ テ正 式 ニ満 洲 国 ヲ承 認 セ シ メ日 本 ノ北 支 ニ対 ス
ノ混 乱 ヲ 云 々 シ満洲 ニ対 スル行 動 ヲ弁 護 シタ リ 日本 ハ英国 ニ依 ツ テ
東 ノ事 態 ハ其 ノ 特殊 性 ニ基 キ テ判 断 セ ラ レサ ル可 カ ラ ス極 東 ニ直 接
ル飛 行場 ノ開設 、 顧 問 教 官 招聘 等 ノ交 渉 ヲ中 止 セ シ メ ント ス ル ニア
政 治 的 利 害 関係 ヲ有 ス ル国 カ 日本 ニ依 ツテ其 ノ権 利 ヲ侵害 セ ラ レタ
リ近 来 日 本 ハ盛 ニ親 善 使 節 ヲ米 国 ニ派 シ齋 藤 大 使 ヲ シテ 日米 親 善 ヲ
国 側 ノ不満 ヲ惹 起 シ タ リ ト為 シ又 ハ折 角 好 転 セ ント セ シ日米 国 交 ノ
国 新 聞 中 ニ ハ右 発 表 就 中 武 力 使 用 ノ決 心 ヲ示 セ ル点 ヲ以 テ甚 シク米
交 渉 セ シ メ多 辺的 不侵 略 条 約 ヲ提 議 シ居 レ ルカ今 回 ノ発表 ア ル ヤ米
リ ト ス ル理 由 ヲ有 ス ルヤ否 ヤ ハ今 後 ノ実 際 ニ徴 セ サ ル可 カ ラ スト述
連
ヘタ リ
ソ
悪 化 ス ヘキ ハ明 カ ナ ル事 実 ナリ ト述 フ ル モノ ア ル ニ至 レリ 日英 関 係
亦 各 種 ノ問 題 ニ関聯 シテ悪 化 シ居 リ更 ニ又仏 伊 両 国 モ日 本 ノ態 度 ヲ
嗣
第 一九 二号
快 シト セ サ ル始 末 ニシテ事 態 斯 クノ如 ク ン ハ今 回 ノ如 キ 日本 ノ態 度
︹ 爲吉︺ 太 田大 使 ← 廣 田外 相
須 磨 南 京 総 領 事 ← 廣 田外 相
ハ危 険 極 マル暗 中 ヘノ飛 込 ミ ニ非 ス ヤ云 々
四 月 二十 二日
イ ンダ ス ト リ ア リ ザ ー チ ャ﹂ ( 重 工業 委 員 部 機 関
二 四月 二十 六 日
四月 二十 六 日 蘇 聯 大使 ﹁ボ ゴ モ ロフ﹂ ト会 見 ノ際
第 四 一 一号
十 八 日本 邦 各 紙 掲載 ノ対支 方 針 ニ関 ス ル外務 省 非 公 式 声 明 ニ関 シ 二 十 一日 ノ ﹁ラ
紙 ) ハ ﹃試 験 的 爆 裂 弾﹄ ト題 ス ル匿 名 者 N ・N ノ論 評 ヲ掲 載 シタ ル カ其 ノ要 旨 左 ノ如 シ (他 ノ新 聞 ハ未 タ論 評 セ ス) 日 本 ノ平和 的 態 度 ニ関 シ廣 田外 相 カ ﹁ハル﹂ 氏 ニ言 明 ヲ為 シタ ル 足 許 ヨリ早 ク モ実 質 ニ於 テ公然 支那 ヲ保 護 国 タ ラ シ ム ル ニ等 シ キ非
一、 先 方 ヨリ声 明 書 発 表 ニ就 キ伺 ヒ度 シト前 置 シ対 支国 際 合 作 ニ関
(﹁ボ﹂ ノ此 ノ点 ニ関 ス ル説 明 ノ ミ ニ印 象 付 ケ ラ レ居 ル外 国 人 例 ヘ
根 本 ト シ居 ル モ日 本 ニシテ侵 略 シ来 ラ バ何時 ニテ モ相 手 ト ナ ル ヘク
ハ ﹁ト ラ ウ ト マ ン﹂ 及 支 那 人 ノ数 少 カ ラ サ ル ハ本官 常 ニ気 付 キ居 レ
ス ル ﹁タ ス﹂ 電 報 ニ付 テ ハ ﹁チ ェルノ フ﹂ ヨリ 報告 アリ支 那 側 ニ於 ケ ル所 謂 銀 公司 ノ設 立 計 画 ヲ嗅付 ケ莫 斯 科 発 ト シテ 上 海 ニテ報 道 セ
ユルノ覚 悟 ア レ ハ和戦 ト モ ニ日 本 ノ出 方 一ツ ニアリ ト 言 フ ヘシ ト答
リ ) 又 日本 ニシ テ平和 ノ為 一歩 ヲ乗 出 セ ハ蘇 聯 ハ二歩 ヲ以 テ之 ニ酬
へ居 ル処 今 次 ノ声 明 ヲ種 ト シ支 那 要 人 中 ニ日 本 ノ次 ノ ﹁プ ロボ ケ ー
ル モノ ニテ 日本 ハ其 ノ際 上 海 及 東京 ニテ銀 公 司 設 立 等 ノ国 際 合 作 ニ
シ ョン﹂ ハ蘇 聯 ニ対 シ向 ケ ラ ル ヘシト述 へ居 ル モ ノ ア ル ハ注 意 ニ価
反 対 セサ ルカ ノ如 キ打 消 ヲ発 表 シタ ルカ今 回 ノ声 明 ハ矢張 リ 日本 ノ 態 度 ニ関 ス ル ﹁チ ェルノ フ﹂ ノ報 道 カ誤 ラ サ リ シ ヲ証 明 ス ル モノ ナ
ト得 策 ナ リ ト信 セ ラ ルト述 へ
ス此 ノ形 勢 ヨリ スル モ大 局 上 一日 モ早 ク北 鉄 買 収 問 題 ヲ解 決 スル コ
リ 右 声 明 ニ依 リ 直接 日蘇 関 係 ニ ハ影響 無 カ ル ヘキ モ既 ニ支 那側 ト相
テ ハ通 商 協 定迄 モ 一気 ニ片 付 ケ 得 ル空 気 ア リ シ ニ拘 ラ ス汪院 長 ノ如
三 、 支 那 人 ハ何 事 ニ関 シ テ モ信 義 ノ観 念 ニ乏 シ ク実 ハ不 可侵 条 約 延
当 深 キ関 係 ア ル諸 国 ト ノ関係 ニ ハ多 少 ノ暗影 ヲ投 スル モノト 観察 セ ラ ルト テ声 明 ノ面白 カ ラ サ ル次 第 ヲ述 へ公式 ナ ラ サリ シ コト カ切 メ
一々説 明 シ公 式 、 非 公式 ニ関 係 ナ ク右 声 明 ハ我 方態 度 ヲ ﹁エラ シデ
キ ハサ ツ パリ煮 切 ラ ス自 分 等 ハ政 治 モ ﹁ビ ヂ ネ ス ライ ク ﹂ ニ取 リ運
︹汪 兆 銘 ︺
テ モノ気 休 メ ナリ ト迄 言 ヘリ依 ツ テ本 官 ヨリ我 方 ノ確 乎 タ ル態度 ヲ
ル ル実 状 ナ レ ハ愛 想 ヲ ツ カ シ居 レリ ト述 へ
フ方 針 ナ ル ニ拘 ラ ス支 那 テ ハ通 商協 定 ノ如 キ サ へ政 治 ト 関 係 付 ケ ラ
四 、又 ﹁ボ﹂ ハ蘇 聯 内 ノ輿 論 ハ大 体聯 盟 加 入 ニ反 対 ナ ル モ最 近 ノ蘇
ー ト﹂ セ ル モノ ニ外 ナ ラサ ル所 以 ヲ高 調 シタ ル モ ﹁ボ﹂ ハ仲 々納 得
ヲ採 ル ハ矛 盾 シ居 ル ノ ミ ナラ ス対 支 国 際 援 助 ニ抗議 シ得 ル根 拠 ヲ解
行 上 ノ都 合 ヨリ聯 盟 加 入 モ実 現 ノ可 能 性鮮 カ ラ スト思 考 スト 語 レリ
聯 外 交 政 策 ハ極 メテ実 際 的 ト ナ リタ レ ハ右 空 気 ニ拘 ラ ス平和 政 策 遂
セ ス門戸 開放 ヲ主 張 シ乍 ラ日 本 ノ ミ独 リ占 メ セ ント ス ルカ如 キ態 度
シ難 シト繰 返 シタ ル ニ付 本 官 ヨリ更 ニ我 方 ノ厳 然 タ ル態 度 ヲ敷 衍 説
ジ ュネ ー ブ
明 シ日本 ハ徒 ニ他 国 ノ援 助 ヲ排 斥 ス ルカ如 キ ﹁チ ャー リ ッシ ュ﹂ ナ 根 性 ヲ有 ス ル モノ ニ非 ス支 那 ノ誠 意 ヨリ出 テ サ ル此 ノ種 合 作 カ支 那 ノ混 乱 ヲ来 ス ハ支 那 ノ為 ナ ラサ ルト同 時 ニ接 壌 国 日 本 ト シテ ノ関 心
四 月 二 十 一日
一
四 月 A P通 信 員 ﹁シ ャ ーキ ー﹂ 本 官 ヲ来 訪 今 回 ノ対支 政 策 ニ関 ス
シ居 レリ ト答 へ
事 タ ル ハ当 然 ナ リ ト述 ヘタ ル処 ﹁ボ﹂ ハ貴 方 立 場 ハ自 分 モ能 ク了 解
二、 更 ニ打 明 ケ テ申 上 度 ハ本件 声 明 ニ依 リ 日蘇 関 係 愈 々険 悪 化 セ ン
ル声 明 ノ趣 旨 ニ就 キ説 明 ヲ求 ム ルト共 ニ聯 盟 側 ニ対 シ何 等 ノ措 置 ニ
第 八 四号
ト ノ観測 当 方面 ニ再 燃 セ ル点 ナリ外 支 人 ヨリ 日蘇戦 争 ニ就 キ意 見 ヲ
︹ 正幸︺ 横 山 ジ ュネ ーブ 総 領 事 ← 廣 田外 相
問 ハル ル毎 ニ自 分 ハ蘇 国 ハ国 内 開 発 ニ専 念 シ居 リ 平和 ヲ 以 テ外 交 ノ
ヲ取 ルヤ決 心付 カ ス従 ツ テ斯 カ ル状勢 ノ下 ニ於 ケ ル第 三 国 ノ支 那 ニ
等 ノ援 助 ヲ得 ント ス ル者 有 リ蒋介 石 ハ此 ノ間 ニ在 リ テ未 タ何 レノ途
ル ニ拘 ラ ス南 方派 ニ ハ政 権 ノ争奪 上 若 ハ嫉 妬 ヨリ之 ニ反 抗 シ第 三国
係 ヲ維 持 ス ル コト東 亜 ノ平 和 維持 及 支那 統 一ニ緊 切 ナ ル ヲ認 識 シ居
襲 セ ル ニ過 キ ス此 ノ両 政 策 ニ ハ幾 多 ノ類 似 点 アリ従 テ米 国 人 ハ之 ヲ
然 ナリ 然 ル ニ日本 ノ斯 カ ル政 策 ハ畢 竟 米 国 ノ ﹁モ ン ロー﹂ 主 義 ヲ踏
意 セ ル次第 モアリ 米 国 カ右 声 明 ノ目 標 ト サ レタ リ ト テ憤 慨 スル ハ当
支 那 ニ商 用 飛 行 機 及 操 縦 士 ヲ送 リ飛 行 場 ヲ建 設 シ五 千 万弗 借 款 ニ同
本 ニ外 ナ ラ サ ル ニ鑑 ミ稍厚 顔 ニ過 ク ト 云 フ ヘク殊 ニ米 国 商 社 ハ最 近
持 ヲ妨 ク ヘカ ラ ス ト確 言 セ ル ハ満 洲 事 件 ヲ発 生 セ シメ タ ル モノ カ日
モノナ ルカ東 亜 カ 日本 ノ排 他的 勢 力 範 囲 ニシテ 他国 ハ日 本 ノ平 和 維
対 ス ル物 的 援 助 ハ徒 ラ ニ政 争 ノ具 ニ供 セラ ル ルノ ミ ニシ テ東 亜 ノ平
非難 ス ル ニ最 都 合 悪 シ キ立場 ニ在 リ加 之 今 次声 明 ハ米 国 ノ ミ ナ ラ ス
護領 視 ス ル ニ ハ非 ス単 ニ亜 細亜 大 陸 ニ於 ケ ル特 権 的 地位 ヲ要 求 スル
和 ヲ攪 乱 スル ニ至 ル危 険 ア ル ニ鑑 ミ東亜 平 和 ノ責 任 者 タ ル日 本 ト シ
蘇 聯 ヲ窺 ヒ居 ル コト議論 ノ余 地 ナ ク近 来 欧 洲 ノ或 ル国 々並 ニ米 国 ト
出 ツ ルヤト尋 ネ タ ル ニ付 本 官 ハ右声 明 ノ趣 旨 ハ支 那 ノ現 状 カ内 政 不
テ之 ヲ未 然 ニ阻 止 セ ント ス ルノ外 他 意無 シ素 ヨリ支 那 ニ対 ス ル第 三
統 一ニシテ 北 方政 権 ハ満 洲 国 ト速 ニ平 常 関係 ヲ回 復 シ日 本 ト友 好 関
国 ノ平 和 的 通 商的 活 動 ヲ阻 止 セ ント ス ル モノ ニ非 ス日 本 カ依 然 支 那
ハ因 果 聯係 ス即 チ第 一 ニ米 国 ハ聯 盟 ヲ否 認 シテ其 ノ発 展 ヲ阻 害 シ従
蘇 聯 ト ノ協 調 策 動 ニ対 ス ル応酬 ナ リ ト モ考 へ得 ヘシ凡 ソ政 治 的 過失
テ第 二 ニ独 逸 及 日本 ノ脱 退 ト ナ リ更 ニ第 三 ニ親蘇 的傾 向 着 々増 大 シ
ニ対 スル門 戸 開 放機 会 均 等 主 義 ヲ尊 重 ス ル ハ当 然 ナリ ト説 明 シ尚 聯
第 四 ニ日本 ノ東 亜 ニ於 ケ ル優 越 権 ノ声 明 ト ナ リ タ ル モノ ナリ
盟 ニ対 シ テ ハ必要 ト認 メラ ルル場 合 適 当 ナ ル機 会 ニ於 テ非 公式 ニ我 方態 度 ヲ説 明 シ日 本 ヲ除 外 スル聯 盟 ノ対 支技 術 援 助 カ右 ノ如 キ危 険
第 八 六号
ナ ル事 態 ヲ生 ス ル ノ惧 ア ル コト ニ付 注意 ヲ喚 起 スル コト 有 リ得 ヘシ ト答 ヘタリ
横 山 ジ ュネ ーブ 総 領事 ←廣 田外 相
二 四 月 二十 二 日 ド
ジ ュネ ー ヴ ﹂ 二 十 日夕 刊 ハ我 カ方 声 明 ニ関 シ
﹁ジ ュルナ ル
﹃日本 ノ脅 威 ﹄ ト 題 シ大 要 次 ノ如 キ論説 ヲ掲 ケ タ リ
デ ッセイ﹂ ニ非 ス シテ 日 本政
先頃 英 国 ノ 不安 ヲ醸 成 セ ル日米 接 近説 ハ今 次 声 明 ニ依 リ影 ヲ失 セ リ英 米 ニ於 テ モ右 ハ単 ナ ル ﹁バ ロ ン
府 ノ見 解 ノ忠 実 ナ ル表 明 ト認 メ居 リ日 本 カ全世 界 ニ対 シ其 ノ亜 細 亜 政 策 ヲ確 言 セ ル最 大 政治 事 件 ニ外 ナ ラ ス尤 モ日本 ノ主 張 ハ支那 ヲ保
︹昭 和 九 年
一
一四
第 五 二 、 五 三号
二
︹ 三郎︺ ︹ 藤田尚徳︺ ︹ 加藤隆義︺ 中 原廣 東 海 軍 武 官 ← 海 軍 次官 、 軍 令 部 次 長
一、空 軍 司 令 部 ハ米 国合 衆 航 空 機 器 公 司 ト ノ間 ニ空 軍 三年 計 画 ニ
機 密 第 一七三 番
二月 十 七 日
米 国 航 空 勢 力 の対 華 進 出
以下 同 様 ︺ ︹ 毅︺ 塚 本 厦 門 領事 ← 廣 田外 相
依 リ飛行 機 製 造 廠 建 設 ニ関 ス ル契 約 ヲ立 案 シ既 ニ総 司 令 部 ニ提 出 其
二月 九 、 十 日
八 日当 地 ニ大 飛行 場 開 設 ノ新 聞 記事 ヲ発 見 シ タ ル ニ付 内 査 ヲ遂 ケ ︹ 不詳︺ タ ル処 往 電 第 四 六 号多 数 ノ爆 弾 ヲ携 へ来 厦 セル航 空 技 師 六名 ハ蒋 介
ノ認 可 ヲ経 テ詳 細 契 約 ヲ締 結調 印 セ ント シ ツ ツ アリ タ リ
ヒタ リ右 調 査 ニ ハ飛行 機 売 込 ノ為 来厦 セ ル香 港 遠 東 航 空 公 司英 人技
ノ ト称 シ居 リ昨 八 日右 用 地 ト シ テ島 内烏 〓埔 ヲ選 定 シ実 地調 査 ヲ行
四 、 製 作能 力 年 六〇 基
三 、 工場 地 面建 物 ハ空 軍 ヨリ提 供 ス
二 、 所要 器具 、 工具 及 儀 器 等 ハ公司 代 購 シ代 価 空 軍 ニテ支 弁 ス
一 、 製造 廠 建設 費 約 米 金 二五 万弗
契 約草 案 要 点 次 ノ如 シ
石 ノ姻 戚 ニ当 ル航 空 署 主 任 毛 綿 飛 ノ 一行 ニシ テ同 人 等 ハ蒋 ノ命 ニ依
師 及 当 館 諜 報 者 モ同 行 セ ルカ予 定 地 ハ約 六○ ○ 米 突 平 方 ニ達 ス ル由
五 、 米国 公司 ヨリ派 遣 スル技 師 、 工人 等 二四 名 之 ニ対 ス ル俸 給 旅 費
リ現 海 軍 航 空 場 ノ外 ニ当 地 ニ於 テ大 飛行 場 ヲ開 設 ス ル為 来夏 セ ル モ
具 体 的 計 画 ハ更 ニ中央 ノ命 ヲ待 ツ要 ア ル モ建 設 スル コト 自体 ハ殆 ト
工作 ハ公司 監 督 ス
六 、 建築 及 飛行 機 設 計 図 竝 ニ器 具 、見 本 等 ハ公 司 ヨリ 原価 ニテ供 給
空 軍 支弁
確 定 シ居 ル趣 ナ リ尚 飛行 機 売 込 ニ就 テ ハ米 国 側 モ策 動 中 ナ ル模 様 ナ ル モ未 タ判 明 セ ス毛 ノ当 領 館 諜 者 ニ内話 ス ル処 ニ依 レ ハ右 ハ表 面上
フ ル モノ ニシテ福 州 ノ現 飛 行場 モ拡張 ス ル由 ナ リ不 取 敢
剿 匪 ノ為 根 拠 地 ヲ急 造 スト為 シ居 ル モ内実 ハ極 東 変 乱 ノ際 日 本 ニ備
七 、空 軍 ハ製 造 飛 行 機 原 価 ト購 入 飛行 機 資 額 ト ノ差額 ノ四割 ヲ公 司
ニ提 供 ス 八 、 空 軍 ハ調 印 ノ 日 ヨリ 五 ケ年 間 公 司 ヨリ ロHorn et及 W as p
発動
二、 廣 東 方 面米 勢 力 ノ進 展 ニ対 応 ス ル為 福 建 ニ対 シ積 極 的 ニ我勢 力
指導 ス
ヲ扶 植 ス之 カ為 ニ ハ現 在 ハ最 好 ノ機 会 ナ ル ヘシ即 チ我 方 ト シテ ハ福
建 政 府 首 脳 者 ノ口 先親 善 ニ有 頂 天 ト ナ ル コト ナ ク彼 ニ対 シ具 体 的 誠
機 鋼 質 ﹁プ ロペ ラー ﹂其 ノ他 材 料 ヲ購 売 ス
意 ヲ示 ス様 相 当強 固 ニ提 議 シ此 ノ際 臺福 間航 空 路 ノ締 立 其 ノ他経 済
︹ママ︺
九 、 可 塞 ﹁V 六 五﹂ 飛行 機 設 計 図 ヲ米 金 一万 二 千弗 ニテ 購 入 ス
設 計 図 ヲ高 価 ニテ 供給 ス但 シ米 国 政 府 ノ許 可 ス ル モノ ニ限 ル
利 用 シ得 ヘキ ハ周知 ノ事 実 ナ リ) ハ米 国 製軍 用 飛行 機 ノ大 量 輸 入及
ス ル所 ト ナリ居 ルノ事 実 (商 業 飛 行 ノ 諸 設備 ト雖 モ容 易 ニ軍 事用 ニ
実 上全 部 米 国 資 本 ナ ル コト殆 ト疑 ナ シト 存 ス) 中 国 航 空 公 司 ノ支配
一、 支 那 ニ於 ケ ル殆 ト総 テ ノ航空 路 カ米 国 系 ノ (米 支 合〓 ナ ル モ事
暗第三九号
福 建 ニ於 ケ ル飛 行 場 等 ニ関 ス ル件
廣 田外 相 ←有 吉 駐支 公 使
四
メ テ疑 ハシ
三、 本 件 ニ直 接 関係 シ居 ル参 謀 長 等買 収 策 ナ キ ニア ラ サ ル モ成 否 極
提 携 等 一石 基石 ヲ投 ス ル要 ア ル ヘシ
十 、契 約 期 間 内 ニ於 テ 別種 飛行 機 ヲ製 作 セ ント ス ル時 ハ公 司 ハ所 要
十一 、 技 師 ハ最 短 期 間 内 ニ各 華 人 助手 ヲ訓 練 シ該 廠 ヲ接 管 セ シ ム 十二、公 司 ハ空 軍 ヨリ 派遣 ス ル留 米 研 究 員 一五名 ニ対 シ公 司 所 属 各 工 廠 ニ於 テ 二箇 年 間 無料 練 習 セ シム 十三、契 約 期 間 五 ケ年 二 、右 ハ連 絡 者 ヲ シテ 司令 部 内 保 管 ノ契 約 草 案 ( 漢文) ヲ写サシ メ タ ル モノ ニシ テ尚 不備 ノ 点 アリ目 下 原 文英 文 入手 ニ努 メ ツ ツ ア リ 書類後送 ス
三
多 数 米 国 予 備 飛 行 将校 ノ傭 聘 等 ト相 俟 チ尠 カ ラ ス日本 国 民 ヲ刺戟 シ
︹ 津田静枝︺ 中 原 廣東 海 軍 武 官 ← 軍 令 部第 三部 長
上記 契 約 ハ廣 東 空 軍 カ趙 行超 方 案 ニ基 キ着 々ト シテ概 ネ予 定 通 リ
機 密 第 一七 五番
居 ル コト ハ御 承知 ノ通 ナ リ殊 ニ中 国 航空 公 司 ノ 上海 廣 東 線 カ福 州 厦
二月 二十 日
推 進 セ シメ ツ ツ ア ル情 況 ニ鑑 ミ本 計 画 ニ依 ル右 製造 廠 ノ建 設 モ必 ス
門 ヲ経 由 スル結 果 右 ハ大 正 四年 五 月 福 建 省 ニ関 ス ル交 換 公 文 ニ少 ク
共 精 神 上 牴 触 ス ル モノ ト ナ ス議 論 モア ル次第 ナ リ (現 ニ二月 六 日貴
二 、更 ニ支 那 側 ニテ ハ冒 頭 電 報 ノ如 ク福 州及 厦 門 ニ大 飛 行 場 ヲ増 設
族 院 ニテ右 趣旨 ノ質 問 アリ タ リ)
在 廣 東 中 原 海 軍 武 官 ハ出 来得 レ ハ契 約 締 結 前 之 ヲ阻 止 ス ル要 アリ
ヤ実 現 ス ル ニ至 ル ヘシト信 セラ レタ リ
ト認 メ之 カ為 ニ ハ左 記対 策 ヲ講 スル ノ要 アリ ト 認 メタ リ
セ ム ト シ居 ル次第 ナ ル処 右 ノ如 ク大 規 模 ノ モ ノヲ而 モ二個 所 迄 モ設
一、英 文 内 容 ヲ米 国 情 報 ト シテ (出 所 ヲ廣 東 ト ス ル ハ不可 ) 上 海 方 面 英 字 新 聞 等 ニ素 破 抜 ク ト 共 ニ南 京 政 府 方 面 ヨリ阻 止 セシ ム ル如 ク
二月 二十 三 日
有 吉駐 支 公 使 ← 廣 田外 相
本 使 二十 一日赴 寧 同 日汪 兆 銘 ト会 見 セリ要 領 左 ノ通 ︹ 註2︺ 有 吉 ﹃福 建事 変 一段 落 シ四 中全 会 モ無 事 終 了 ニテ祝着 至 極 ナ リ﹄
第 一 一二号
汪 ﹃前 回貴 公 使 ヨリ福 建事 変 ニ対 ス ル日本 政 府 ノ公 正 ナ ル態 度 ニ付
ク ル実 際 ノ必 要 支 那 側 ニ存 ス ルヤ甚 タ疑 ハシ ク現 ニ此等 飛 行 場 ハ日
(即 チ大 正四 年 交 換 公文 ニ所 謂 外 資 ニ当 ル) ヨリ支 弁 セ ラ ル ヘシト ︹ 不詳︺ モ伝 ヘラ レ且 又 厦 門 発本 大 臣 宛 電 報 第 五 六 号 ニ依 レ ハ米 国 海 軍 関係
本 ヲ目 的 ト スル モノ ナ ル ヤ ノ情 報 モァ ル 一方其 ノ建設 費 ハ棉 麦 借款
ノ モノ カ参 与 シ居 ル ノ事 実 モア ル次 第 ニテ前 記 一ト相 俟 チ我 方 ノ関 心 ヲ益 々大 ナ ラ シ ム ル モノ ナ リ
モ無 事 解 決 シ真 ニ感佩 ニ堪 ヘス﹄ ( 尚 陳 儀 赴 任 ノ事 情 及 同 地 方 ノ
有 吉 (福 建 ノ話 ノ序 ヲ以 テ) ﹃特 ニ貴 下 ノ注 意 ヲ喚 起 シ度 キ 点 ア リ
御 話 ヲ受 ケ タ ル カ 日本側 ノ態 度 ハ御 意 見 ノ通 ニテ御 蔭 ヲ以 テ事 変
面 ヨリ抗 議 スル コト ハ如 何 カ ト存 スル モ此 ノ際 早 キ ニ及 ンテ我 方 カ ︹ 註1︺ 福 建 省 ニ関 スル明 治 三十 一年 及 大 正 四年 交 換 公 文 ノ遵 守 ヲ最 モ重要
ト ノ関 係 、 棉麦 借 款 ノ流 用説 等 ニ関 スル情 報 ニ接 シ タ ル次第 ナ ル
即 チ最 近 福 州 及 厦 門 ニ於 ケ ル大 規 模 ノ飛 行場 建 設、 中 国 航 空 公司
三、 尤 モ目 下 ノ程 度 ニ於 テ我 方 カ大 正 四 年 ノ交 換 公文 ヲ盾 ニ取 リ 正
視 シ居 ル コト従 テ前 記 一、 中 国 航 空 公司 ノ 上海 廣 東 線 及 前 記 二 、大
善 後 策 等 相 当 困 難 ノ事 情 ア ル次 第 ヲ語 ル)
飛 行 場 増 設 ノ事 実 ニ付 多 大 ノ関 心 ヲ有 ス ル コト等 ヲ支 那 側 ニ ﹁イ ム
カ福 建 ト日 本 ト ノ間 ノ特 殊 関 係 ニ鑑 ミ右 飛行 場 ノ建 設 其 ノ他 附帯
的 施 設 カ我 カ方 ノ神 経 ヲ刺 戟 シ関 心 ヲ益 々大 ナ ラ シ ム ル モ ノ ア ル
プ レ ス﹂ シ将来 万 一ニ モ面 白 カ ラ サ ル結 果 ヲ招 来 セ シ メ サ ル様 指 導 ス ル コト肝 要 ト存 ス就 テ ハ叙 上 ノ 次第 御 含 ノ上 適 当 ノ機 会 ニ支 那 側
ニ付 注意 アリ タ シ﹄
対 外的 目 的 等 ハ全 然 考 へ居 ラ ス今 回 ノ拡 張 ハ主 ト シテ江 西 共 匪 ノ
転 ス ル程 度 ニテ別 段 取 立 テ テ言 フ程 ノ施 設 ヲ為 ス モノ ニ非 ス況 ヤ
厦 門 ノ分 ハ従 来 鼓 浪 嶼 ノ台 地 ニアリ実 用 上 不 便 ナリ シ ヲ平 地 ニ移
リ 小 規模 ニテ実 用 ニ適 セ サ ル ニ付 敷 地 ヲ少 シ拡 張 ス ル程度 ニテ又
汪 ﹃右 二飛 行場 ノ施 設 ヲ改 良 シ居 ル ハ事 実 ナ ル モ福 州 ノ分 ハ従 来 余
ニ対 シ可然 申 入方 御 配 慮 相 成 度 北 平 、南 京 、 福 州 、 厦 門 、 廣東 ニ転 電 セリ ︹ 和郎︺ 廣 田外 相 ← 守 屋福 州 総 領 事
暗 第 一五号
ヘキ モ同 公 司 ハ全 然 支那 ノ主 権 下 ニ支 配 セラ レ居 ル モノ ナ ル ヲ以
包 囲 攻 撃 ニ資 セ ント ス ル ニ過 キ ス又中 国 航空 公司 ニテ之 ヲ利 用 ス
福 建 飛 行 場 等 ノ件
二月十六日
在 支 公 使 宛 往 電 第 三 九号 ニ関 シ
国 資 金 ノ利 用 ノ事 実 ハ全 然 無 之 ニ付 御安 心 ア リ度 シ (ト 種 々陳弁 ︹ 朱家〓︺ ニ努 メ) 尚 本件 ハ本 日 ノ当 地 各 新 聞 ニ朱 交 通 部 長 ノ声 明 発 表 セラ
テ米 国 ノ背 景 等 ニ付 疑念 ヲ挾 マル ル ハ当 ラ ス尚 又棉 麦 借 款 或 ハ米
陳 儀 等 ニ対 シテ モ可然 其 ノ注 意 ヲ喚起 シ指 導 方 御 配 慮 相成 度 支 、北 平 、南 京 、厦 門、 廣 東 ニ転 電 セ リ
五
レ居 ル ニ付 御 一覧 ヲ乞 フ﹄
須 磨 南 京 総 領 事 ←廣 田 外相
有 吉 (重 ネ テ我 カ方 ノ関 心 ノ大 ナ ル次 第 ヲ述 へ将 来 ノ注 意 ヲ促 シタ リ)
六 二月 二十 五 日
モ ノ ト 思 考 セ ラ ル ル 処 昨 年 春 来 支 セ ル同 社 ノ 寓 M a jor D olittle カ
偵 察 機 ノ ﹁デ モ ン スト レイ シ ョ ン﹂ ヲ行 ヘル序 ニ杭 州 ニ於 ケ ル飛
︹ 穣︺ 軍 令 部 第 一部 田結 甲 部 員
︹これ に電 報ではないが便宜上 ここに掲 げた︺
ス﹂ ノ来 支 ハ注 目 ニ価 スト内 話 シ居 リタ リ
行 製 作 所 機 設 立 契 約 ノ瀬 踏 ヲ為 シ タ ル経緯 ア ル ニ モ顧 ミ ﹁ホ ーク
七
米 国 航 空 勢 力 の対 支進 出 阻 止
第 一四八 号 本 官 発 支 宛電 報
と我 が勢 力 扶 植 に就 て の方策
米 国 の対 支航 空 進 出 計 画 は 近時 頗 る活 溌 と なり 来 れ る処 之 が実 現
(昭和 九年 二月 二 十 二 日)
地航 空 司 令 部 ト 米 国航 空 機 器 公 司 ト ノ間 ニ米 貨 二 十 五 万弗 ヲ以 テ廣
を図 り以 て直接 の不利 を除 く と共 に米 国 が帝 国 を除 外 し て随 意 の行
第 一三 七号 ︹ 不詳︺ 閣 下 発 大 臣 宛 電 報第 七 四〇 号 ニ関 シ ︹ 俊吉、南京海軍武官︺ ︹ 中原三郎︺ 一、 二十 四 日岡 野 武 官 本 官 ヲ来 訪 シ廣 東 駐在 海 軍 武 官 ヨリ 最 近同
東 ニ飛 行 機 製 作 工場 設 置 ノ契 約 成 立 シタ ルカ右 ハ Paw le y ナ ル米 国 ︹ 廣東︺ 人 カ 一月 赴 粤 ノ上 廣 東 側 ト交 渉 ヲ重 ネ タ ル結 果 ニ依 ル旨 ノ情 報 ニ接
に扶 植 す る を肝 要 と す殊 に現 在 に於 て は南 京 政府 に於 ても 福 建 に於
動 を企 て得 ざ るを 米支 両 国 に自 覚 せ し め同 時 に帝 国 航 空勢 力 を 支 那
ても親 日 の必 要 を提 唱 す る者 多 し速 に此 の好 機 を利 用 し て我 が目 的
は帝 国 々防 上 に障 害 を齎 す 虞 大 な る を 以 て帝 国 とし て之 が阻 止排 除
ヨリ 支 那側 ニ対 スル牽 制 上 得策 ナ ル ヘシト述 へ居 タ リ就 テ ハ右 ] P a
シタ ル処 右 条 約 ヲ素 破 抜 ク コト ハ契 約 打 毀 シ ト迄 ハ行 カ スト モ当 方
wl ey ハ冒頭 電報 中 ノ Pawl ey ト同 一人 ニア ラ ス ヤ ト 思考 セ ラ ル
を貫 徹 せざ る べ からず 之 が方 策 と し て実 施 す べ き 諸件 左記 の如 し
右 上 海 紙 に次 で東 京 各 新 聞 を し て米 国 の南 支 進 出 を 攻 撃 せ し
掲 載 せし め 支那 の輿 論 を喚 起 し南 京 政 府 を し て之 が成 立 を阻 害 せ
一、 廣 東 政権 の米 支 航 空 契 約 排 除 ︹ 本書五五頁︺ イ 中 原機 密 第 一七五 番 電 の通 り 上 海新 聞 に米 支 航空 契 約草 案 を
記
ルヲ以 テ本 情 報 ニ ﹁パブ リ シ テ ィ﹂ ヲ与 フ ル ニ ハ之 ヲ ﹁ア ー ベ ン ド﹂ ニ特 種 ト シテ供 給 シ ﹁紐 育 タイ ム ス﹂ ニ発 表 セ シ ム ル コト最 有 ︹ 脩︺ 効 ナ リ ト思 考 セ ラ ル ル ニ付 貴 地 佐藤 武 官 ト モ御打 合 ノ上 可 然 御 取計 相成度 ライ
しむ
二、 尚本 日 ﹁マクダ ニ エル﹂ ハ本 官 ニ対 シ ﹁カ ー テ ィ ス
ロ
aptai nHw k a s ハ 一二週 間 内 ニ当方 面 へ来 ル由
ナ ルカ右 ハ爆撃 機 飛 行 ノ ﹁デ モ ン スト レイ シ ョ ン﹂ ヲ目的 ト スル
ト﹂ ノ 退役 将 校 C
外 交 経 路 を通 じ友 交 に害 あ る の 理由 を以 て支那 政 府 の注 意 を
め之 が実 現 を阻 止 す ハ 喚起す
臺 湾 福 建 航 空 路 の開 設 を速 に実 現 す
(右 は目 下順 当 に進 み つ つあ り)
現 に進 行 中 の九州 、 上 海 航 空路 の開 設 を促 進 す
二 、 日支 航 空 路 の開 設 イ
ロ
本件 は経 営 上 の困難 あ る べ き を以 て間隔 長 き定 期 航 空 連 絡 已 む
北 支竝 に中 支 沿 岸 航 空路 の獲 得 も漸 を 追 て実 現 す
を 得 ざ れ ば 不定 期 連 絡 とす るも可 な り ハ
米 国 ハ唯 杭 州 飛 行 学校 ニ教 官 ヲ入 レ ア ル ノミ是 ト テ将 来 ハ兎 モ角
現 在 ハ何 等 政 治的 意 味 ヲ含 ミ居 ラ ス
又目 下 英米 伊等 互 ニ飛 行 機 売 込 ノ競 争 中 ナ ル ハ事 実 ニシテ 且 廣東
ニ於 テ ハ中 央 ノ諒 解 モ無 ク独 逸 ト飛 行 機製 造 会 社 設 立 ノ計 画 ヲ進 メ
ラ レ ツ ツア リ ト 云 フ (本件 極 秘 )
尚 米 国 ノ上 海 、 香 港 、馬 尼刺 線 航 空 問 題 ハ香 港 飛 行 場 ノ利 用 ニ関
シ英 国 ノ反 対 ア リ テ目 下 全然 行 悩 ノ状 態 ナリ ト 参 考迄
關 、北 、 天、 臺 、 濟 、 奉 、廣 、漢 、 南 ス ミ
︹ 桑木崇明︺ 臺 湾 軍 参 謀 長 ← 参謀 次長 二月 二十 七 日
九
支 那 に於 け る共 匪 討 伐 に助 力 す る の名 義 を以 て飛 行 学 生 の本 邦 留
三、 航 空勢 力 の扶 植
︹マ マ︺
憤 慨 ノ気 色 ヲ以 テ福 建 不 割 譲 ノ条約 ニ結 ヒ付 ケ テ論 議 シア ル モ汪 精
二 十 一日李 擇 一ヲ訪 レ偶 〓福 州 飛 行 場 問 題 ニ関 シタ ルカ彼 ハ頗 ル
学 、 我 が飛 行教 官 の支 那 派 遣 、 邦 製 飛行 機 の輸 出 等 を 逐 次実 現 す る
米国 の対 支 進 出 阻 止 及 日 支航 空 路 開 設 に関 し ては外 務
臺 第 一八 二号 ︹ 四郎︺ 福 州大 本 少 佐 報
如 く誘 致す ( 註) 一
衛 ノ声 明 ノ如 ク掃 匪 ノ必 要 上 従 来 ノ飛 行場 ニテ ハ手 狭 ナ ルヲ以 テ拡
張 セ ル ニ過 キ ス シテ之 ヲ対 日 脅 威 ト ナ ス ハ吾 人 ノ真 意 ヲ誤 解 ス ル モ
ノ ナリ 目 下 ノ支 那 ノ実 力 カ対 日 脅威 ト ナ ラ サ ル コト ハ既 ニ北 支 ニ於
ノ ミ ナ ラ ス英 米 ニ於 テ モ亦 疑 惑 ヲ生 セ シ メ益 々吾 人 ノ計 画 ノ妨 ケ ト
ヲ騒 キ立 テ テ支 那 民衆 ヲ刺 戟 スル ハ日 支航 空 路 開 設 ニ支 障 ヲ来 セ ル
自 分 ハ折 角 日 支 航空 路 開 設 ニ努 力 セ ント ス ル矢 先 ニ於 テ斯 ル問 題
テ試 験 済 ミ ナ ラ ス ヤ
唐 有 壬 ノ言 ニ依 ルト米 、 支 密 約説 ニ就 キ 日本 ハ頗 ル神 経 ヲ尖 ラ シ
︹ 鈴木美通︺ 上海 公 使 館 附 陸 軍武 官← 参 謀 次 長
本件 決 裁 を得 ば 軍令 部 方針 と し て今 後 各部 を指 導 折 衝 す
陸軍 ( 参 本 ) 及 海 軍 省 の各 主務 者 何 れも 意 見 を同 じ くす 二
八 二月 二十 七 日
ア ルカ 如 ク 又英 伊 国 モ亦 多 大 ノ関 心 ヲ有 ス ルカ如 キ モ之 ニ関 ス ル何
ナ ル モノ ト考 フ 日本 ノ人 ハ吾 人 ニ仕 事 ヲ ヤ レト 云 フ モ直 ク ニ中途 ヨ
支 第 一六五 号
等 ノ事 実 ナ キ コト ヲ確 言 ス
リ打 壊 シ居 ルヲ 以 テ頗 ル遺 憾 ニ堪 ヘス吾 人 カ日 本 ニ対 シ他 意 ナ キ ハ
求第五号第六項 に関連 し同年 五月 二十五日 に交換された福建省 に関す る公
交年表並主要文書 上﹂ 一八五∼ 一八六頁︺ 大正四年交換 公文とは同年 五月八日中国側が応諾した対華 二十 一箇条要
︹註1︺ 明治三十 一年交換 公文とは同年四月林董日本公使と清国総 理衙門 との問 に交換された福建 不割譲 に関す る公文 を さす 。︹外務省編 ﹁日本外
努 力 シ目 下福 州 ノ空 気 ハ著 シ ク変 化 シ ツツ ア ル ニ非 ス ヤ拡 張 費 ニ棉
陳儀 ヲ省 主席 ト ナ シ自 分 モ此 ノ片 田舎 ニ出 張 ツ テ日 支関 係 ノ改 善 ニ
ニ過 キ スト李 擇 一ハ軍事 常識 ニ乏 シキ ヲ以 テ 之 レカ臺 湾 ニ対 スル脅
麦 借 款 利 用説 ノ如 キ ハ全 ク虚構 ノ説 ニシ テ拡 張 費 ハ僅 ニ 一 万 二千 元
シ之 ヲ非 友 誼 的 行 為 ト シテ警 告 セ シ メタ ル処南 京 政 府 当 局 ハ共 匪討 伐 ノ目 的 ニテ飛 行 場 ヲ若 干 拡 張 セ ント ス ル モノ ニシ テ他 意 ナキ旨 弁 明 セリ 二 、海 軍 ト シ テ ハ福 建 方面 ノ ミ ナ ラ ス支 那 ニ外 国 勢 力 浸 潤 シ或 ハ帝 国 ノ 不利 ト ス ル施 設 ヲ行 フ コト ハ各 種 ノ手段 ヲ以 テ之 ヲ排 除 セ サ ル ヘカラ サ ルノ ミ ナ ラ ス帝 国 ノ勢 力 ヲ支 那航 空 ニモ発 展 セ シ ム ヘキヲ 緊 要 ト 認 メ対 策 ヲ講 シ ツ ツア リ (終 )
脆くも同年内 に この政府 は崩壊した。
府 ﹂は、中共 のそれ に似た政綱を発表 した。し かし蒋介石軍 の攻撃を受 け、
心に福 州で ﹁ 中華全国人民臨時代表大会﹂ を開 き、それを母胎 とし て中華 民国とは別 に ﹁ 中華共和国﹂を つくり、そ の中央政府 である ﹁人民革命 政
︹ 註2︺ 昭和八年十 一月福建省 で起 った反蒋運動 。廣西派 の李濟深らを中
志なき ことを茲 に致声明候﹂とあ る。( 前掲書四 一五∼四 一六頁 )
が如き こと決 して無之又外資 を借入れ前記施設を為さむと欲す るが如き意
文をさす。中国側 からの来翰 には ﹁ 支那国政府は福建省 沿岸 地方 に於 て外 国 に造船所軍 用貯炭所海軍根拠地其 の他 一切の軍事上 の施設 を為すを許す
威 ヲ解 セサ ルカ如 キ モ 一面 彼 ノ面 子 ヲ立 テ之 レ ヲ利用 ス ル事 ヲ考 慮
旅要参謀長)宛
ニ置カ サ ル ヘカ ラ ス然 レト モ条 約 尊 重 ノ観 念 ハ何 処 迄 モ要 求 ス ル要 アリ ト思 考 ス 上、 廣 スミ
十
=第 三 艦 隊 ︺
︹ 吉田善吾︺ ︹ 鈴木新治︺ 海 軍 省 軍務 局長 ← 馬 要 参 謀 長
︹馬要 =馬 公要 港 部 、 旅 要 = 旅 順要 港 部 、
三月 二 日
軍務機密第 五九番電 貴機密第九九番電ニ 関 シ
3F
一、厦 門 及 福 州 飛 行場 拡 張 問 題 ニ関 シ外務 大臣 ヨリ在 支 公使 ニ訓 令
3F
支那特報第七号
北 支 に於 け る反満 抗 日策動 に基 く
居 る の嫌 疑 極 め て濃 厚 な る も のあ り我 が 北支 駐 屯 軍 に て厳 探 せ る結
夫暗 殺 せ ら れ た る が 而 も其 の兇 行 の裏 面 に は支 那 官 憲 が之 に 関与 し
一五
︹ 塘沽︺ 華 北 に於 け る日 、満 、支 の関 係 は北 支停 戦 協 定 の成 立 を 転 機 と し
果 に よれ ば 之 が直 接指 導 の中 枢 は実 に 在 北 平軍 事 委 員 分 会 、 藍 衣 社 、
(昭和十年六月十二日 軍令部)
て逐 次調 整 緩 和 せ ら るる情 勢 を 呈 し居 た るも 其 の内情 は 必ず し も 然
国 民 党、 憲 兵 (中 央系 ) に あ る にと 略 確 実 と認 め ら る るに 至 れ り
其の一
らず 支 那 側 の態 度 に は兎 角 誠 意 を 欠 く こと 多 く概 ね表 面 を糊 塗 し て
三
日 日支 支軍 軍 の の交 交渉 渉
責 任 を 回避 せ んと す る のみ な らず 表 に は 親 日 を粧 ひ つつ陰 に潜 行 的
満 的 行 動 を敢 行す る に至 れ り今 最 近 に於 け る之 が実 例 に し て 且 今次
に活 動 し 来 り し が最 近 に至 り て は遂 に其 の鋒鋩 を露 はし 露 骨 に 反 日
静 謐 を 保 ち 関 東 軍 竝 に天 津 軍 等 の注 意 を 惹 く こと少 き に乗 じ 潜 行的
直 系 軍 隊 其 の他 藍 衣 社等 に し て之 等 は 北 支 方面 が過 去 一年 余 比 較的
のは 旧東 北 系 首 領 た る河北 省 主 席 干 學 忠 及 国 民党 部 関 係 者 竝 に 中央
援 助 を 与 へた る形 跡 あ り拠 て関 東 軍 は 五 月十 七 日 に至 り愈 長 城 を越 ︹ 高橋坦︺ え て其 の禍 根 を芟 除 す る に決 し 此 の旨 北 平 陸 軍 武 官 を し て同 地軍 事
方 遵 化 附 近 の支那 官 憲 は我 軍 の討伐 を援 助 せざ る の み か却 て匪 軍 に
を 行 ひた るも 巧 に戦 区内 遵 化 附 近 に遁 走 し討 伐 の実 績 を 挙 げ 得ず 一
を 出 入し つ つ熱 河 省南 部 地 方を 擾 乱 せ し を 以 て 関東 軍 は屡 之 が 掃蕩
孫 永 勤 の匪 軍 は昨 年 末 以来 北 支 停戦 区域 を根 拠 と し て屡 長 城 の線
停 戦 区 域 を 根 拠 とす る孫 永 勤 匪 の満 洲国 擾 乱
反 日満 策 動 を絶 た ず 而 し て之 等 反 日満 運 動 の原動 力 と 認 めら る るも
問 題 の発端 を な せ る事 件 を 挙 ぐ れ ば 左 の如 し
居 た る こと 確実 な る も のの如 し
其 の後我 陸 軍 の調 査 に よれ ば 孫 匪 に対 し于 學 忠 は直 接 之 を操 縦 し
り
分 会 に通 告 す る と共 に杉 原 混 成 旅 団 を し て同 月 二十 日朝 来 行 動 を開
始 し 二十 四 日 中 に徹 底 的 討 伐 を敢 行 し た る上 月 末 長 城 外 に 引揚 げた
天 津 日 本租 界 に於 け る親 日満 系 支 那 新 聞 社 長 の暗 殺 事 件
一 戦 区内 保 安 隊 入 換 問 題 に 対 す る 于學 忠 の不 誠 意 ︹ 註︺ 昭和 十 年 支 那 時 局 月報 第 四号 参 照 二
去 る五 月 二日 夜天 津 に於 け る親 日満竝 に 反蒋 介 石 系 有 力 者 た る 天 津 最 報 社 長白 逾 桓、 国 権 社 長 胡 恩 溥 の両名 は同 地 日本 租 界 に於 て夫
軍援 助 、対 日 ﹁テ ロ﹂ 等 は停 戦 協 定 の破 壊 行為 に し て而 も 其 の発
動 の根 拠 地 は北 平 、天 津 に あ り斯 く の如 く んば 日本 軍 は遂 に再 び
中央系 の反日満義勇軍支持と中央軍官学校鮮人学生収容
長 城 線 を 越 え て進 出 す る の必 要 を 生 ず る のみ な らず 北 平 、 天 津 の
四 長城附近より満洲国内 に亙り各地に反満義勇軍なるも のありて陰
両 地を 実 質 的 に停 戦 地 区 に包 含 せ し む る の必要 を惹 起 す べし
天 津 還 附 に関 す る 交換 公文 を 蹂 躪 す るも のに し て歴 然 た る排 外行
に反満抗 日 の策謀 を続け治安 の攪乱に努 め つつあ るは周知 のことな
動 た る の みな らず 実 に 我 が 日本 に対 す る挑戦 な り排 外 的 行 為 を実
るが最近関東 軍にては北支軍事分会委員長何應欽 より蒋 何連名 にて 又南京政府 は中央軍官学校洛陽 分校 に特別班を設け鮮 人学生を収
2 、胡 、 白 の暗 殺 は白 等 が 日本 軍 の使 用 人 た る に鑑 み北 清 事 変 、
容し之を将来 反満抗 日の具 に用ゆる目的 を以て教育中にて昨年及本
今 後 斯 か る行 為 が 行 は れ或 は行 は る る こと を 予知 す るに 於 ては
行 す る結 果 の重 大 な る こと は北 清 事 変 及満 洲 事 変 に照 し 明 白 な り
右義勇軍に対 し発給 せる委任状を押収 した りと 云ふ
るも のの如し、拠 て帝国出先官憲 は本年 五月中旬南京 政府当局 に抗
年春多数 の卒業 生を出し更 に本年度 も新 入生を入れ教育 を継続 しあ 議し之 が廃 止を慫慂 した るも支那側 は言を左右に托して之 に応ぜず
日本 軍 は条 約 の権 限 に基 き自 衛 上 必要 と信 ず る行 動 を 執 る こと あ
2 、最 小 限 右 実 行機 関 た る憲兵 第 三 団及 類 似 の団 体 、 軍 事 委 員会
1 、蒋 介 石 の対 日 二重政 策 の放 棄
要 望 条 項 (要 点 )
はず
る べ し尚 之 に関 し て発 生 す べき 事 態 に就 て は 日本 軍 は其 の責 を負
ロ
右 の如く最 近支那側 の態度は表面 は兎も角内心に於 ては依然反日 満的雰囲気 の瀰漫 し居 るを窺ふに足 る 一方関東 軍及支那駐屯軍に於ては予てより斯 かる支那側上下 の二 重政策が従来続行 され つつあるに憤慨 し之 が是 正 の必要 を痛感し居
政 治 訓 練 処 、国 民党 部 及 藍 衣 社 の北 支 撤 退
長 ) の罷 免
4 、 事件 の直 接 間 接 の関 係 者 た る 蒋 孝 先 (憲 兵 第 三 団 長 ) 丁 正
3 、右 諸 機 関 の ﹁バ ック﹂ た る第 二師 第 二十 五師 の撤 退
駐在 公使館附武官輔佐官と共に関東軍及支那駐屯 軍を代表し て北平 ︹ 兪家驥︺ 政務整 理委員会代理者兪秘書長及軍事委員会北平分会委員長何應欽
5 、 予 學 忠 (河 北 省 政 府 主 席) の罷 免
たりしに偶 々前記白、胡両名 の暗殺事件あ り時 恰も参謀長会議 の為 ︹ 酒井隆︺ 上京 中なりしを以 て参謀長は中央部 と諒解を遂 げ帰任 の上調査を進 ︹ 坦︺ め之 が確証 を掴ん で五月二十九日酒井支那駐屯軍参謀長 は高橋北平
と会見 し反満抗日暗殺等対 日軍挑戦行為 に関し何人 が指導しありゃ
右 に対 し 愈 秘書 長 は早 速 黄 郛 に 電 報 し 其 の結 果 を報 告 す べし と答
其 の他 は調 査 の上是 非 日支 関 係 の改 善 を 期 し度 し と述 べた り次 で五
へ何 應 欽 は 関 係者 の罷 免 等 は自 己 の権 限 に て可 能 の処 置 を 執 る べく
(同 副 団 長 )曾 擴 情 (政 治 訓 練 処 長) 何 一飛 (藍 衣 社 平 津 〓 事 処
何人が責任を負ふやを糾弾 した る上左 の如き警 告 竝 に要 求 を 行 へ 告
り イ 警
1、支那側官憲 の主動に依 る対満陰謀 の実行、長城附近支那義勇
の厳 重 抗 議 を 提 出 せ り
致 し て善 後問 題 を議 し 又各 官 憲 を し て厳 重 に新 聞 報 道 を 取締 ら し め
に努 む る と共 に 一方 対 内 的 に は 六 月 三 日張 學 良 を 漢 口よ り成 都 に招
壬 は 汪精 衛 の意 を 受 け て我 が上 海 、 南 京武 官 等 に対 し支 那 側 の内部
共 に窮 余 の策 とし て日 本側 に対 し諸 種 の内交 渉 を試 みた り 即 ち唐 有
何 は自 ら 誠意 を 以 て時 局 の収 拾 に当 り つ つあ る苦 心 を 述 べ已 に 処 理
再 び北 平 に至 り高 橋 武 官 と 共 に 何應 欽 と会 見 せ り此 の会 見 に於 て も
対 し我 が 方態 度 を徹 底 し解 決 を 促進 せ し む るを 有 利 と 認 め 六 月 四 日
状 況 斯 の如 く な るを 以 て酒 井 駐屯 軍参 謀 長 は此 の際 一層 支那 側 に
以 て事 態 の悪 化 を防 止 す る に努 め た り
︹ 茂︺ 月 三十 一日川 越 天 津総 領 事 亦 干 學 忠 に対 し軍 側 抗 議 を支 援 す る意 味
右 交 渉 開 始 せ ら る る や 支那 側 は極 度 に狼 狽 し蒋 介 石 、 張 學 良 、 汪
的 事 情 の困難 と 彼 等 の苦 衷 と を述 べ て要 求 の緩 和 を哀 訴 し 黄 郛 、 殷
1、 河 北 省政 府 及 天 津 市 政 府 に 対 し 犯 人逮 捕 命 令 発 出 (当 方要 求 に
せ る事 項 と し て左 記 を 挙 げ 極 力 軍側 の要求 緩 和 を 懇 請 せ り
精 衛 、 黄 郛 、 何 應 欽 等 は 本問 題 を繞 つ て盛 ん に内 部 的 交 渉 を 行 ふ と
同 、李 擇 一等 は我 が 軍 側 と南 京 政 府 及 蒋 介 石 の間 に 立ち て奔 走 し 何
求 に なし )
2 、干 學 忠 に対 し県 長 民団 等 の匪 賊 援 助 に 関 し調 査 を命 ず (当 方要
なし )
應 欽亦 自 ら在 北 支 日 本 側 と の妥 協 交 渉 に当 れ り更 に 五月 三十 一日 中
于 學忠 の罷 免 の件 は 内政 問題 とし て近 く解 決 を計 る こと に決
国 公使 蒋 作 賓 は 南 京政 府 の訓 令 に基 き 廣 田外 相を 訪 問 日本 側 要望 条
一
項中
3 、蒋 孝 先 、 丁 正 、曾 擴 情 三名 を 六 月 一日 附罷 免 せ り
4 、憲 兵 第 三 団 特務 処 (処 員 二十 数 名 ) を解 消す
党部 及 藍 衣 社 の北 支撤 退 に つき ては 党 部 は省 政 府 と 共 に保 定
二
5 、干 學 忠 及 張 廷諤 の罷 免 を要 請 す
定 し あ る こと
に移 転 す べ き も藍 衣 社 な る も のは支 那 側 に ては其 の存 在 を認 め居
等 を 述 べ陸 軍 側 の条 件 緩 和 方 斡 旋 を 懇 請 し た る も外 務 大 臣 は 陸軍 側
徒 らに 時 局 を尖 鋭 化 す る虞 あ り茲 に 於 て我 が陸 軍 中 央 部 に於 ては 速
き や 何 等 正式 回答 に接 せ ず 一方 時 日 の遷 延 は流 言 蜚 語 の簇 出 を 生 じ
た るも のに し て蒋 介 石 乃至 南 京 政府 に於 て は 如何 な る処 置 を と るべ
然 れ ど も右 は何 應 欽 が北 平 軍 事 分 会 委員 長 た る権 限 内 に て処 理 し
7 、 第 廿 五師 学 生訓 練 班 を 解 散 す (当 方要 求 に な し)
し建 議 す
6 、天 津 市 党部 の解 散 及 省 党 部 の対 外 活動 停 止及 特 務 人 員 罷免 に 関
平 津 地 方 の停戦 地 区編 入 (支 那 側 は帝 国 が直 に平 津 地 方 を停
らざ る こと 三
戦 地 区 に入 れ ん とす る も のと 誤 解 し 居た る が如 し ) に つき ては 到
と 協 議 の結 果 本 件 は外 交 交 渉 に よ る こと な く軍 部 出 先 と 交 渉 し 局 地
北 支 交渉 問 題 処理 要 綱 を 策 定 し 、海 軍 、外 務 両当 局 の同 意 を 経 て夫
底 承 服 し 難 き こと
的 解 決 を計 る を可 と す る旨 回答 せ り ︹ 百武源吾︺ 又 蒋介 石 は偶 々重 慶 溯 江 の途 にあ る我 が第 三艦 隊 司 令 長 官 に対 し
か に事 件 の解 決 を計 り以 て局 面 の悪 化 を防 止す る見 地 よ り六 月 五 日
会見を申込む ( 会 見 は実 行 さ れず ) 等極 力 本 交 渉 を 穏 便 に解 決 す る
専 ら支 那 駐 屯 軍 竝 に 関 東軍 を し て北 支 政権 を 対象 と し て 地方 的 に 交
本 問 題 は北 支停 戦 協 定 竝 に天 津 還 附 に 関 す る 日清 交 換 公 文 に基 き
其 の要 旨 を 概 説 す れ ば ︹ 全文は本書六五ぺージにある︺
を し て即 刻 北 平 に 進 出 し得 る の姿 勢 にあ ら し め し が九 日楊 村 附 近 に
とと な り支 那 側 に 対 し 相当 脅 威 を 及 ぼす ) 且右 両大 隊 中 各 一ケ中 隊
る様 準 備 を 整 へし め (其 の結 果 は分 散 せ る兵 力 を 両所 に集 結 す る こ
一の場 合 を 考 慮 し 天 津 、唐 山 各 一ケ大 隊 は新部 隊 到着 次第 交 代 し 得
に よ り て は停 戦 地 区 内 に進 出 の準 備 を 整 へし め 天 津軍 に あ り て も万
丈多 数 古 北 口 に飛 行 隊 二 ケ 中隊 を錦 州 に夫 々集 結 を命 じ情 況 の変 化
渉 を進 め 且 つ出 来 る丈 け速 に解 決 を計 ら し む る と 同時 に 此 の機 会 を
於 け る于 學 忠 軍 の我 軍 用 電柱 焼 却 事 件 あ り 天津 軍 は之 に対 し 厳 重 に
々出 先 へ訓電 せ り
利 用 し外 務 当 局 を通 じ 全 支 に 亙 る排 日 の禁 絶 を要 望 せ ん とす る に あ
は之 を希 望 と し て右 要 求 と 同時 に回 答 を 求 む る こと を 立前 と し 其 の
実 行 容 易 な るも のは 之 を時 限要 求 事 項 と し 比 較 的 困 難視 さ る る も の
府 当 局 に於 ては 愈 々意 を決 し 何 應 欽 に訓 電 し て 六 月十 日午 後 六 時高
な る事 態 発 生 す る や 予 測 し難 き情 勢 な るを 観 取 し 蒋介 石 以下 南 京 政
速 か に要 望 事 項 を 全 面 的 に容 認 し本 件 解 決 を計 る に あ らざ れ ば 如 何
一方 支那 側 は今 回 の事件 に対 す る 日本 側 の態 度 極 め て強 硬 にし て
抗議 す ると 共 に天 津 待 機中 の 一ケ中 隊 を 十 一日 北 平 に増 派 せ り
細 目 に関 し ては 現 地 交渉 の状 況 に よ り適 宜 変更 し得 る如 く し又 期 限
橋 武 官 へ左 記 要 旨 を 正式 回 答 せし め た り
之 がた め先 づ 従 来 出 先軍 部 よ り支 那 側 に 要 求 し つ つあ り し条 項 中
り
に就 ては 概 ね 北 支駐 屯 軍 交 代 兵 上 陸 期 を 利 用 す る ことと し出 先 軍 部
2 、第 五十 一軍 は 明 十 一日 よ り鉄 路 輸 送 を 開始 し 二十 五 日完 了 予定
1 、十 日附 命 令 を 以 て河北 省 内 党 部 の即 日撤 退 を開 始 せ し む
の裁 景担 に委ねたり 右 に基 き出 先陸 軍 は (天 津 軍 を 主 体 と し 関 東 軍参 謀 及 北 上 中 の公 使 館 附 陸 軍 武 官 以 下山 海 關 、北 平 等 の各 地 駐 在武 官 参 加 す ) 概 ね 別
を 以 て河 北 省 外 に撤 退 せ し む べし
3 、第 二師 第 二十 五 師 を河 北 省 外 に移駐 せ し む る に決 定 せ り
表 の如 き 要 求 (要 求希 望 に分 つこと 無 く 一括 要 求事 項 と し て) を な
4 、国 民 政 府 は 近 く 全国 に対 し排 外 排 日 を禁 止 す べく 命 令 を 発 す る こと に決 定 せ り
す に決 し 六 月 九 日酒 井 天津 軍 参 謀 長 及 高 橋 北 平武 官 は何 應 欽 と 会 見
右 に関 し 何 應 欽 は更 に次 の如 く 附 言 せ り
相 談 的 に逐 条 先 方実 行 の能 否 を 糺 し た る 上 支 那側 の事 情 を 斟 酌 し つ つ而 も特 に期 限 を 付す る こと 無 く 之 が実 行 を迫 りた るた め 何 應 欽 も
外 に移 駐 せ し む
2 、中 央 軍 は数 日 中 に北 平 を 去 り先 づ長 辛 店 に移 動 約 一ケ 月 に て省
な き様 厳 に訓戒 す
1 、 五十 一軍 は概 ね 三 日 以内 に北 寧 沿線 を去 ら し め又 対 日 不法 行為
自 己権 限 の範 囲 に属 す る こと は全 部 容 認 す べき も他 は中 央 に請 訓 の 上 十 二 日迄 に回 答 す べ く申 出 でた り 尚 本 件 解 決 に は当 初 よ り兵 力 の使 用 は 絶 対 避 く る を立 前 と せ るも 関 東軍 に於 て は本 交 渉 背後 の支援 と なす 意 昧 に 於 て六月 七 日歩 兵 一 ケ大隊 及 騎 兵 旅 団 (人 員 約 五 〇〇 ) を 山 海 關 に 川 岸部 隊 は出 来 得 る
右 の如 く支 那 側 は金 面 的 に 我 が要 求 を 容 れた るを 以 て本事 件 も愈
3 、従 来 約束 せ る爾 他 の事 項 も確 実 に実 行 せ し む
︹ 註︺ 支那時局月報第四号中 の ﹁ 戦 区内保安隊入換問題に対する于學忠 の
愈 解決 に向 ひた るも の の如 し
(五八二∼五八四頁 )と全く同 一内容 である。
不誠意 ﹂を叙述した部分は本 ﹁ 現代史資料﹂第 七 巻 ﹃満 洲 事 変﹄中 の ﹁停戦協定を中 心とす る北支諸懸案 の現況﹂﹁第六、保安隊問題 に就 て﹂
一六
領
﹁北 支 交 渉 問 題 処 理 要 綱 ﹂ に 関 す る 外
其二、本交渉 の機会を利用し外務 当局は全支 に亘る排日的行為 に関
軍に於 て随時適宜 の処置 を講ず ることあるを承認す
的 一切 の策動を禁絶す 今後策動 の事実を認むると きは 日本
二、平津 地方 に於 て国 民党部及藍衣社共他秘密団体 の反満抗日
す
一、平津地方駐屯 の第 五十 一軍竝中央直系軍 は保定以南に移 駐
第三、左記事項を支那側 に希望し右要求 回答と同時回答を促す
を定 む
右回答期限に就 ては北支駐屯軍交代兵 上陸期 日を考慮 して之
要求す
第 二、右要求事項貫徹 の為め支那側 に期限を附し て諾否 の回答を
二、于學忠 の河北省主席罷免
一、憲兵第 三団、軍事委員分会政治訓練所、事件関係国民党部、 ︹ 責?︺ 及排日団体 の平津撤退竝之等団体専任者 の罷免
第 一、要 求 事 項
と必要 なる場合あ ることを予期す
務 陸 軍 間折 衝 ( ﹁ 昭和十年度外務省執務報告﹂中より)
五月二十九 日出先軍代表 の要望は大要前記三 ︹五月二十九日、 六 月四日および九 日の軍 の折衝内容を さす。前項参照︺ の通なる処其
記 昭和 一〇年六月五日
の後軍中央部 より外務側 に対 し左記 の如き六月五日附 ﹁北支交渉問 左
題処理要綱﹂を提出し来れり 北 支交渉問題処理要綱 方 針 ︹ 塘沽︺ 北支交渉問 題処理 に方り ては北 支停戦協定竝天津還附 に関す る日 清交換公文に基 き専ら支那駐屯軍竝 関東軍をし て北支政権を対象と
要
本交渉 の機会を利用 し政府 は全支に亘る排 日の禁絶に力 む
して地方的に交渉を促進せしめ成るべく迅速 なる解決を期す
しむ
其 一、支那駐屯軍竝北 平武官をし て北支政権 に対し左 の如く処理せ 但現 地 の情勢 に応じ之 に即応せしむる如く更 に対策 を講ず るこ
し支那側 の反省を促し排 日諸団体 の解決を促進 し其実質的転 向を 助長し て日支懸案解決 の為め有利 なる情勢を展 開す る如く至急左 記処置を行ふ 一、全支に亘る排 日的行為に関し南京政府に警告す 二、南京政府 をして国民党部及藍衣社 に対し反満抗 日運動 の弾圧 を命令 すべきを要求す 其 三、在支各地武官 は前記交渉 に対し協力す 右軍側原案に付打合 の結果下記 の如く修 正 の上六月 七日外務及陸 軍側出先 に対し右 に依 り措置す べき旨訓電 せり 針
北支交渉問題処理要綱 方
北支交渉問題処理 に方 りては北支停戦協定 に基き専 ら関東軍及其 の友軍た る支那駐屯軍を して北支政権 を対象 とし て地方的に交渉を
一、憲兵第三団、軍事委員分会政治訓練所、事件関係国 民党部、
第 一、要 求 事 項
及排 日団体 の平津撤退竝之等団体責任者 の罷免
二、于學忠 の河北省主席罷免
第 二、右要求事項貫徹 の為め支那側 に期限を附し て諾否 の回答を
右回答期限 に就ては北支駐屯軍交代兵士上陸期 日を考慮して
要求す 之を定 む
一、平津 地方駐屯 の第 五十 一軍竝中央直系 軍は保定以南 に移駐
第 三、左記事項を支那側 に希望し右要求回答 と同時回答を促す す
的 一切の策動を禁絶 す今後策動 の事実を認 むるときは日本軍
二、平津地方 に於 て国民党部及藍衣社其他秘密団体 の反満抗日
に於 て随時適宜 の処置を講ず ることあ るを承認 す
向を助長 して日支懸案解決 の為 め有利 なる情勢を展 開す る如く適
に関し支那側 の反省を促 し排 日諸団体 の解散を促進 し其実質的転
其 二、本交渉 の機会を利用し外務当局 に於て金支に亘 る排 日的行為
当 の処置 を行 ふことを外 務省側 に対し希望す
︹ 川越茂︺ 尚我租界内 に於け る胡白 二氏 の暗殺事件に関する天津総領事 の抗
促進 せしめ成るべく迅速な る解決を期す
議を側面より援 助す る為支那駐屯軍は関係排 日団体 の厳 重取締を要 本交渉 の機会を利用し外務当局に於て全支 に亘 る排日 の禁絶 に努
一、軍側 原案方針第 一項は ﹁⋮⋮北支停戦協 定竝 天津還附 に関す
原案改 訂 の要点其 の理由は大要左 の通りなり
其三、在 支各 地武官 は前記交渉 に対 し協力す
求す
領
る日清交換公文に基き専ら支那駐屯軍竝関東軍 をして⋮⋮解決
要
めむ ことを外務省側 に対し希望す
しむ但現地 の情勢 に応 じ之 に即応せしむる如く更 に対策を講ず る
其 一、支那駐屯軍竝北平武官をし て北支政権 に対し左 の如く処理 せ
を期す﹂と ある処明治三十五年七月十 二日附往翰第九項軍 の使 ︹ 註︺ 用人に対す る処罰権及所謂弾 圧治罪権 (同往翰第 四項等)が軍 こと必要 なる場合ある ことを予期す
指 揮 官 の権 限 事 項 な る こと 明 か な る も斯 か る権 限 の行 使 が 日支 間 の取極 に依 り認 め られ た る関 係 上支 那 側 の右取 極 違 反 に関 す る交 渉 は専 ら外 務 省 側 に 於 てな す べ き も のに し て前 記 ﹁日清 交 換 公 文 に基 き﹂ 云 々は此 の点 に付 誤解 を生 ず る虞 あ る こと を考 慮 し 之 を削 除 す ると 共 に念 の為 ﹁尚我 方租 界 内 に於 け る ⋮⋮ 要 求す﹂を追加せり 二 、軍 側 原 案 方 針 第 二項 ﹁本 交渉 の機 会 を 利 用 し政 府 は全 支 に 亘 る排 日 の禁 絶 に力 む ﹂ を ﹁本 交 渉 の機 会 を 利 用 し外 務 当 局 に於 て全 支 に亘 る排 日 の禁絶 に努 めむ こと を 外 務 省 側 に 対 し 希 望 す ﹂ と修 正 せ り 三 、軍 側 原 案 要 領 其 二、末 尾 ﹁⋮ ⋮す る如 く至 急 左 記 処置 を行 ふ﹂ を ﹁⋮ ⋮ す る如 く左 記 処 置 を 行 ふ こと を外 務 省 側 に 対 し 希 望 す﹂と修正せり
に警 告 す 及 二、 南京 政 府 を し て国 民 党部 及藍 衣 社 に対 し 反満 抗
四、 軍 側 原案 に は 左記 と し て 一、 全 支 に 亘 る排 日 に関 し 南京 政府
日運 動 の弾 圧 を 命 令 す べ きを 要 求 す の 二項 目掲 記 し あ りた る が 右 二項 目 に付 ては 今般 に 於 け る事 態 の推 移 等 を も考 慮 し適 当 修 正 又 は追 加 の必 要 を 生ず る こと あ る べし と の こと に 軍側 と の意 見合 致 し差 当 り要 領第 二 の末 尾 を ﹁⋮ ⋮ 展 開 す る 如 く適 当 の処 置 を行 ふ こと を 外 務 省 側 に対 し希 望 す ﹂ と せ り 尚 右 全 般 的排 日取 締 の点 に 関聯 し 六 月七 日出 先 外 務 官 憲宛 支 那 側 関 係 筋 に対 し 此 の上共 排 日策 動 の取 締 を なす 様 要 求 方訓 電 せ り
﹁交通線 (註、北平 ・山海關間) に沿 ひて設べき哨所指揮官 の裁判権 (通
︹ 註 ︺ 一九〇二年 ( 明治 三十五年)天津還附 に関す る日清交換公文中
常 之 を弾 圧治 罪 権 と 称 し 他 の公 文 に よ り鉄 道 線 路 、 電 信 線 、 駐 紮 外 国 人 及
こと を規 定 せ るも の であ る 。) に及 ぶべ き 旨 を 双 方 承認 し た り ﹂ と 規 定 さ
所有 物 品 に対 す る支 那 側 の犯 罪 の捜 査 、逮 捕 、裁 判 の諸 権 は 外 国 軍 に在 る れている。
一七
支 那 特 報 第 一一号
其の二
其 の実行概要左 の如し
理
概
六 月 二 日附 に て罷 免 す
項
処
約 せる処 は同人貴任を以て実行す る旨誓言する所 あり
事
蒋孝先 (憲兵第 三団長) の罷免
六 月 一日附 にて罷 免 す
于學忠 の罷免
丁正 (憲兵第 三団附 )の
も六月二十 五日更め て商震を河北省 政府委員兼主席 に任命す
イ 六月六 日国民政府命令 を以 て于 學忠 を河北省政府主席 より川陜甘辺 区剿 匪総司令 に転ず ロ 一時張厚 〓を主席 代理 に任ぜ る
要
橋 武官 を訪問し何應欽 の南下 を通報す ると共に華北問題 に付何 の口
之 が為翌十四日鮑文〓 は軍事委員会北平分会委員長代理として高
如北平発津浦線 にて南 下せり
( 昭和十年七月三日 軍令部)
北 支 に 於 け る 反 満 抗 日策 動 に 基 く 日 支 両 軍 の交 渉
共 の二
北 支 に於 け る反満 抗 日策 動 に 基 く 日支 両 軍 の交 渉
六 月 五 日北 支 交 渉 問 題 処 理要 綱 決 定 せら る るや 我海 軍 に於 ても 万 一の場 合 警 備 上遺 憾 な き を 期 す べ く夫 々関 係 の向 に於 て厳 重 警 戒 す
旅 順 要 港 部 司令 官 は 六月 九 日第 十 五駆 逐 隊 の二 艦 ( 藤、蔦)を
る処 あ り 即ち 一
旅 順 よ り天 津 に派 遣 し 同 方 面 の警 備 に服 せし む (六 月 二十 二 日天 津 ︹ 及川古志郎︺ 第 三艦 隊 長 官 は六 月 十 日麾 下艦 船 部 隊 に対 し 此 の際特 に情 勢 の
発 帰投 ) 二
其 の後 支 那 側 は 六月 十 日 我 要望 を全 部 容 認 した るが 猶 ほ第 五十 一
推 移 に留 意 し任 務 達 成 に遺 憾 な き を期 す べき 旨 示 達 す
軍 、中 央 直 系 軍 (第 二師 第 二 十 五師 及 憲 兵 第 三団 ) の下級 幹 部 及 党 部 、 藍衣 社関 係 員 中 に は北 支 撤 退 に 対 し 不平 を 抱 く も のあ り何 應 欽 は 之等 周 囲 の状 況 に依 り 自 己身 辺 の危 険 を感 じ た ると 容 認事 項 を文 書 を 以 て 回答 す べ しと の我 陸軍 側 要求 に 対 し中 央 政 府 側 に難 色 あ る を看 取 し て自 己 の立 場 を 失 ふを顧 慮 せ る も の の如 く 六 月十 三 日夜 突
六月 一日 附 にて罷 免 す
罷免 曾擴情 (軍委分会訓練処 処長) の罷免 六月 三 日 中央 よ り の指 令 に より 移 転
天津公安局長は六月十 日于學忠
系 の李俊襄辞職し劉嗣栄 (日本士官 学校出身)新 に就任す
ハ
イ 六月四日行政院会議 にて天津 を 行政院直轄 の特別市 とし天津市長張 廷諤を免じ王克敏を天津特別市長 に 任じ王就任迄商震をして代理 せしむ ロ 其 の後王克敏政務整理委員長代 理 に就任す ることとなり六月 二十五 日附を以 て王克敏 の天津特別市長を 取消 し程克を新 に任命 七月 一日就任 す
す
河北省政府 の保定移転 天津市政府首脳部 の交迭
第五十 一軍 (于學忠部) 中央系軍 (第 二師第 二十 五師憲 兵第 三団) の河北 省外撤退
イ 六月 八日臨時中央政治会議 の結 果第 五十 一軍及中央系軍 の河北省外 移駐を決定す ロ 六月九 日第百十 一師(于學忠部) 憲兵第 三団河北省外撤退を開始す ハ 六月十 日商震部 ( 第百三十九師 、 第 百四十 一師、第百四十二師)于學 忠部と接防 の為平津 一帯 に移駐し来
河北省 内国 民党部 の河北 省外撤退
る ニ 商震天津警備司令 に就 任す (六 月十三日津沽保安司令と改称)
(註) 明治 三十 五年 七月十 二日 の天津 還 附 に闘す る日清交換公文を以て支 那軍隊は天津各国軍隊駐屯地より 二十支里以内 に駐屯を許 され居ら ず 天津警備司令 の名称 は妥当なら ざ るを以 てなり
ホ 憲兵第 三団漢 口に移駐を了す ヘ 六月十 一日中央系軍 (第 二師第 二十 五師)第 百十八師 (于學忠部) 河北省外移駐を開始 す
ト 六月十八日北平軍委分会直属 の 自動車隊鄭州 (河南 省) に移駐を了 す
チ 于學忠部中央系軍 (第 二師第 二 十 五師 )河北省外撤退を了す
河北 省 党 部 は六 月 三 日 省政 府 と
リ 六月二十五日北平軍委分会 より 天津軍宛 ﹁第 五十 一軍第 二師第 二十 五師憲兵第 三団及其 の他中央系軍 は 本 日迄 に全部省外撤退﹂ の旨通報 し 来る
イ
共 に保 定 に移 転 を 開 始 し 六 月 七 日完
藍衣社 の河北省外撤退
河 北省 党 部 北 平 天 津 の両市 党 部
了 す 六 月 十 日更 に漢 口 に移 転す ロ 一日 よ り 一切 の 工作 を 中 止す (事 実
は 中 央 執行 委 員 会 の命 によ り 六月 十 上 の省 外撤 退 )
一、憲 兵第 三 団特 務 処 ( 処 員 三十 名 )
情報 によれば省外撤退方を発令藍 衣 社河北〓事処処長何 一飛以下幹 部は 南京 に去りたりと 云ふ但し支那側 は 当初より藍衣社な るも のの存在 を認 め居らず
排 日機 関 と 目 せ ら る る各
は 我 態 度 に鑑 み何 應 欽 の命 に依 り 支
我態度 に鑑 み支那側は自発的に何應 欽 より河北省政府及天津市政府 に捜 索逮捕を令す (犯人は未 だ逮捕 に至 らず )
誼令﹂ ( 後 述 ) な る も のを 発 布 す
天津 日本租界 に於ける親 日満系支那新聞記者暗殺 犯 人 の捜索逮捕
我態度 に鑑 み支那側は自発的 に何應 欽 より河北省政府 に援助事 実 の有無 の調 査を命 ぜり 考)
戦 区内県長及民団等 の抗 日満 匪賊 に対す る援助
(備
六月 十 一日国 民 政 府 公 報第 一七 六 四号 発令
一、 友邦 務敦 睦 誼 令 (所 謂 排 日禁 止 令 )
我 国自 立 の道 は対 内 的 には 明朗 な る政 治 を 行 ひ 文 化 を促 進 し
以 て国力 の充実 を求 む る にあ り 対外 的 に は国 際 信 義 を 確守 し 国
こと は中 央 よ り屡 々言 明 せし 処 な り、 凡 そ我 国 民 は友 邦 に対 し
際 和 平 を 共 同維 持 す る に あり 而 し て隣 邦 と の親 善 の最 肝 要 な る
て は努 め て親 睦 を敦 く し 排 外 及悪 感 を 挑発 す べき 言 論 行 為 ある
又 特 に此 の目 的 を 以 て如 何 な る団 体 を も組 織 し 国 交 を 妨 碍 す
べか らず
茲 に特 に重 ね て禁 令 を 公 布 す 、各 自 は厳 に之 を 遵 守 す べ し、
べか ら ず
若 し違 反 す る も のは厳 罰 に処 す
六月八日何應欽 は河北省各級官 署 に日支国交を害 する秘密機関 は之 を厳重取締り存在 を許 さざ る旨達示
ね誓 約 通 り 実施 さ れた る を確 認 せ り
社 機 三 機 ) を 以 て支那 側 の我 要 望 に対 す る実 行 を監 視 せ る処 概
二、 北 支 駐 屯 軍 に在 り て は密 偵 及 飛 行 機 ( 満 洲航 空 運 輸 株 式 会
す
イ
らる
六 月 八 日何 應 欽 の命 に依 り 撤 廃 せ
三、 軍 委 分会 政治 訓 練 処
那 側 自 発 的 に解散 す
我 態 度 に鑑 み何 應 欽 の命 によ り 支
二、 第 二 十 五師 学 生 訓練 班
那 側 自 発 的 に解 散 す
種 訓 練 処 等 の撤廃
排 日団体 の解散及排 日策 動 の禁止
ロ 六月十日附を以て国民政府は排 外言論行為を禁止す る ﹁友邦務敦 睦
方 面 に て陸 軍 外 務 両官 憲 より 屡 次 督 促 の結 果 不 日支 那 側 は北 平 軍 委
其 の後 我 要 望 に対す る 回答 を覚 書 と す る件 に つき て は現 地 及南 京
衛 を全 うす べく 将 又 接満 地域 に於 け る治 安 の維持 に 重大 な る関 心 を
を冀 ふ特 に帝 国 に於 て既 に其 の独 立 を 承 認支 持 せ る満 洲 国 と 共 同 防
を進 めた るも のと し て慶 す べく 其 の 一時 的便 法 に 止 まら ざ ら ん こと
有吉大使声 明
今 次 支 那駐 屯軍 司令 官 の声 明 に於 ても期 待 せら れあ るが 如 く支 那
事 態 好 転 を 見 つ つあ る は同 慶 の至 な り
軍 憲 に対 し公 正 な る要 望 を 提 出 せ る処 支 那 軍 憲 に於 て該 要望 を容 れ
一、這 回 北支 及 察 哈 爾 事件 に関 し帝 国 軍 憲 は停 戦 協 定 等 に基 き 支 那
二
右 声 明す
切 に亘 り抗 日反 満 行 為 の絶 滅 せ ら れむ こと を 庶幾 し て已 まざ るな り
有 す る 日本 国 軍 の立 場 と し て は尠 く も 同 地 方 の各 方面 に於 て爾 今 一
分 会 委 員 長 の名 を 以 て簡単 に ﹁今 次 の北 支 問 題 に関 し 日本 軍 の申 出 に掛 る要 望 事 項 は全 部 承 諾実 行す べ し﹂ と の 一札 を 入 る る運 びと な れり ︹ 梅津美治郎︺
於茲六月 二十 八日北支及察 哈爾省問題 (支那 特 報第 十 三 号参 照 ︹七三 頁 以下 ︺) の 一段 落 を 機 と し 支那 駐 屯 軍 司 令 官 及 有 吉 大 使 は
支 那 駐 屯 軍 司令 官 声 明
各 左 記 の如 き声 明を 発 せり 一
北 支 及 察 哈爾 に続 発 せ る 一部 支 那 官 民 の不法 行 為 に対 す る交 渉 に 関 し幸 にも 支 那 軍 憲 我 公 明 な る要 求 を受 諾 し 将 に其 の履 行 を 見 ん と
へず
側 に於 て此 の上 共当 該 方 面 の和平 維 持 に努 力 せら れ む こと 希望 に堪
二、 尚 日支 両 国 国交 の円満 を期 せ ん が為 には単 に 地方 的 に止 ま らず
し あ る は同 慶 の至 にし て其 の誠 意 を 認 め 暫 く 確約 実 行 の推 移 を 注 視
抑今 次交 渉 に際 し 我 軍 要望 の主 眼 と せ る は炳 乎 た る停 戦 協 定 の条
の域 に達 せず 吾 人 は 此 の機 会 に改 め て支 那 側 に於 て今 回発 布 の邦 交
全支 に亘 り 排 日 風潮 の 一掃 を期 す る の要 あ る処 今 日未 だ 該 風 潮 絶 滅
し 局面 の好 転 を 期 待 せ ん とす
章 と 儼 乎 た る彼 我軍 憲 の誓 約 と に 照鑑 し之 が違 犯 の責任 を糺 弾 し撹
敦 睦 令 等 を 充 分 に活 用 し排 日風 潮 の禁 絶 に今 一段 の努 力 を払 わ れ む
乱 の禍 痕 を芟 除 し互 に信 義 を 重 ん じ和 平 に努 め以 て北 支 に於 け る事 態 の康 寧 を 期 し惹 て満 洲 に対 す る脅 威 と 日支 親 善 の障 碍 と の除 去 に
こと を 切実 に要 望 す るも のな り
惟 ふ に 日支 真 の親善 提 携 は帝 国 文 武 官 民 の斉 し く希 望 す る所 な る
兆銘 等 を し て当 ら し め つ つあり 一方 南 京 政府 は極 度 に言 論 を 取 締 り
る蒋 介 石 は 剿 共督 戦 に籍 口し 成都 を動 かず 交 渉 の衝 には何 應 欽 、汪
尚 支 那側 に在 り て は本 交渉 開始 時 よ り国 民政 府 の実質 的主 権 者 た
資 せ んと す る に在 り苟 く も 徒 に事 態 を拡 大 し若 く は妄 に内 政 に干 与
も此 事 た る単 な る 表 面 的形 式 的 辞 令 のみ を 以 て は到 底 庶 幾 し 得 べ き
あ り 従 つて本 年 初頭 以来 盛 に唱 道 せら れ あ る 日支 親 善 に対 す る影 響
本 交 渉 に基 く 排 日 思 潮 の瀰 漫 を 阻 止 し 以 て事 態 の拡 大 化 を 戒 め つ つ
せ んと す るが 如 き は断 じ て考 慮 し あ ら ざ り し所 な りと す
所 以 に非 ず し て這 次 表 面化 せ る 不祥 事 件 の如 き其 の淵 源 す る所 深 き
は 今 の処少 き も の の如 し
も のあ るを 想 見 せし む る は遺 憾 に堪 へざ る次 第 な り然 る に過 日国 府 更 め て全支 排 外 排 日禁 絶 の布 告 を 発 し た る は叙 上 禍 痕 の排 除 に 一歩
又 事 毎 に中 央 の処 置 に対 し 非 難 の声 を挙 ぐ る西 南 側 は 本 問 題 に 対 し ても 亦 国 民 党 西南 執 行部 の名 を 以 て六 月 二十 二 日中 央 党 部 国 民 政 府 宛 左 記 の通 電 を 発 し 次 で廣 東 省 及 廣州 市 党 部 も 之 に響 応 し略 同 様
右 に対 し中 央 側 は ﹁西 南 こそ 日本 軍 部 と 勾 結 劃 策 し 居 る に 非 ず
﹁中 央 は嘗 て委 曲 求 全 の策 を採 り た る こと あ るも隠 忍自 重 犠 牲 を
や ﹂ と 反 駁 せ る処 西 南 は 再 び
動 を禁 止 す る等 事 異 常 に出 で挙 国 惶 惑 す 同 人等 遙 か南 彊 に在 り 消
北 両 省 彊 吏 を 罷 免 し 河北 駐 屯 軍 全 部 を 撤 退省 党 部 を 取 消 し 愛 国 運
む る方 策 を樹 つべく 若 し毅 然抵 抗 を決 意 す る に於 て は我 等 は勿 論
き や 中央 と し て は再 び 同 志 国 民 を欺 く こと な く速 か に死 中 活 を 求
し 駐 防 軍 を 撤退 し剰 へ当 部 を取 消尚 主 権 を維 持 す る も のと 云 ふべ
四 省 ) を抛 棄 し 領 土 保 全 の言 ふ べ きな く 察 哈爾 平津 の官 吏 を 更 迭
最 少 限度 に止 め んと 応 付 に苦 心 尽力 し 居 る次第 にし て領 土 主 権 維 ︹ 遼寧︺ ︹ 吉林︺ ︹ 黒龍江︺ ︹ 熱河︺ 持 一貫 政 策 は須 臾 も変 る所 な し と の由 な る が遼 、吉 、黒 、 熱 (東
息 遅滞 し当 初 之 を 疑 ふ と 共 に政 府 に は必 ず や 禦侮 救 乏 の定 計 あ る
全 国 必ず や 一致 奮 起 す べ し ﹂
近来 日偽 大 軍 紛 々入関 の際 我 政 府 は日 本側 要 求 に従 ひ 察 哈爾 河
趣 旨 の通 電 を 発 せ り
も事 外交 に関 す るを 以 て明 示 に便 なら ざ るも のと思 惟 し 居 た り 然
と逆 襲 電 を 発 せ り
る に 近 日 に至 り 国 家 主権 の毀 損 抛 棄 民 族 人 格 の切断 喪 失 の事 実 化 せ る を伝 へ聞 き 憂 慮 の余 り沈 黙 す るを 得 ざ る に 至 れ り惟 ふ に 一切
通車 を行 ひ我 方 は着 々譲歩 し 先方 は寸 を 得 て尺 を進 み遂 に今 日 に
無 抵 抗 の下 に東 北 四省 を喪 失し 塘 沽 協 定 を 成 立 し自 繩 自 縛 の通 郵
が斯 て限 あ る我 領 土 を 以 て日本 人 の飽 く な き 誅求 を満 すを 得 んや
於 ては黄 河 以北 は我 領 土 に非 ざ る が如 き 形 勢 に迄 馴致 せし めた る
同 人等 愚 昧 にし て華 北事 変 が塘 沽 協 定 を根 拠 と し て発 生 せ るも の な り や否 や知 ら ざ るも曩 に政 府 は塘 沽 協 定 には断 じ て附 帯 的 秘 密
日 本 は藍 衣 社 が租 界 の秩 序 擾 乱 す る こと を 口実 に遂 に横 暴 にも 無
条 件 及政 治 問 題 なき 旨声 明 し居 る次 第 も あ り 旁 々聞 く 処 に よ れば
を 解 散 し社 会 の安 寧 を 保 た ん こと を当 局 に要 請 せ る に拘 らず 今 日
理 な る要 求 を為 し た る由 な る処 曩 に胡 漢 民 が王寵 惠 を 通 じ藍 衣 社
迄 之 を 実 行 せざ りし 為 遂 に日本 人 に 口実 を 与 ふ るに至 れり 今 や危 急 存 亡 の秋 に際 し中 央 に果 し て 対策 あ り や否 や速 に国 民 に対 し 明 白 に宣示 せ られ ん こと を望 む
一八
支那特報第 一三号
察 哈 爾省 張北 問 題
(昭和 十 年 七 月 三 日
軍 令部 )
軍 にし て第三十七師、第三十八師 、第百 三十 二師より成 る) は従来
張家 口を根拠 とし察哈爾 省内 一帯 に駐屯せる宋哲 元軍 (第二十九
昧 な る下 級兵 卒 の軽 卒 誤 解 の行為 な り と解 す る こと 能 はず 加之 宋 哲
午 前 十 一時 に至 り漸 く釈 放 し た り ︹ 張〓亭︺ 右 監 禁 は 宋哲 元部 隊 参 謀 長 の命 令 に より た るも のに し て訊 問 其 他
刀 、 銃 剣 を擬 す る等 の脅 迫 を 加 へ剰 へ食 事 、 寝 具 を も与 へず 翌 六 日
はず 同 司 令部 に連 行 不法 監 禁 し監 視 の歩 哨 は相 互 の談話 を禁 じ青 竜
抗 日反満的態度 を持し昨年 十月には我が北支駐屯軍参謀 一行 に対す
元 は昨 年 十 月 支 那駐 屯 軍 幕 僚 に対 す る侮 辱 事 件 当 時 ﹁ 多 倫 張家 口間
第 一、察哈爾省張北問題
る侮辱事件 ( 附 記) を起し更 に昨年末 より本年初頭 に掛 けて熱河侵 ︹ 註︺ 入事件 (昭和 十年支那時局月報第 一号及第 二号参照)を惹起 せるが
五月 三十 一日貨物自動車 に搭乗多倫 を出発 し張家 口に向 ひたるが予
阿巴〓 (察 哈爾省多倫 の北 々西約百五十哩)特務機関属員四名 は
く言 語 道 断 と 謂 は ざ る べか ら ず ︹ 源之助︺ 本件 に関 し張 家 口特 務機 関 長 松 井 中 佐 は六月 十 一日取 敢 へず 察 哈
迫 、 断 食 等 恰 も敵 国 人 に対 す る が如 き暴 行 侮 辱 を 加 ふ るが 如 き は全
の侮 辱 行 為 は 軍 法所 長 自 ら 之 に当 り た る事 実 よ り 之 を単 な る無 智 蒙
其後も依然として反満抗日的態度 を改めず又復本年 六月初頭所謂張
の日本 人 の旅 行 及物 資 の流 通 の自由 ﹂ を承 認 し あ り 監 禁 、 訊問 、脅
定 の如く到着せず 一時消息不明となり六月 六日午後 に至り漸く張家
提出 す べき も 先 づ 陳 謝 、責 任 者 の処 罰 及 将来 の保 証 を 要 求 す ると こ
爾 省 軍 憲 に対 し 其 の不法 な るを 指 摘 し追 て 我 よ り解 決 のた め要 求 を
︹ア パ カ︺
北問題 を発生せしむるに至 れり其 の概況次 の如し
口に到着し途中張北 に於 て 一日間 宋哲元軍 のため不法監禁 せら れた
ては本 事 件 を 北 支 交 渉 に包 含 せし む べし と の意 見 あ りし も 斯 く ては
ろ あ り時 恰 も 北 支 事件 交 渉 の最 中 な り し を 以 て出 先 陸 軍 の 一部 に於
る こと判明せり 即ち右 一行は六月 五日午後四時頃 張北南門 に於 て宋哲 元部第百 三
大義 名分 に添 はざ るべ き を 以 て結 局 陸 軍 中 央 部 の意 見 に従 ひ 北 支 問
十二師哨兵 のため停車 せしめられ 一行が多倫特務機関発行の身分証 明書 を示した るにも拘 らず支那兵 は斯 の如 きは無効なりとて取 り合
︹ 南次郎︺ 題 とは別個 に局地的解決を計 るに方針 一決 したり茲 に於 て関東軍司
部隊約 十五六名 の所為 なる こと判明す
銃射撃 を受け止むを得ず引返 したり調査 の結 果獨石 口駐屯 の宋哲 元
十名 なること及獨石口には元来宋哲元部隊 二ケ連 ( 中隊)駐屯するも
調査 の結果獨石 口駐屯 の宋哲 元部隊 の行為 にして其 の勢力約百二三
戦死 の個所)附近 に達 した る時同高地より百余発 の射撃を受けたり
内)に在 る国境警察隊員 は同 地南方約六粁齋藤 山( 第 七師団齋藤少尉
六月十 二日小廠 (獨石 口北方十五粁 の三叉路 附 近 にし て満 洲 国
国境警察隊員第 一回被射撃事件
二
針
令官 は六月十七日酒井天津軍参謀長松 井張家 口特務機関長 を新京 に
方
招致し現地 の状況を詳細聴取 の上左記要領 により当時平津方面 に滞 ︹ 賢二︺ 留中 の土肥原少将をして宋哲元 に交渉 せしむ ることとなれり 一 宋哲元軍をし て爾今絶対 に察哈爾省内 に於 て不法行為 をなさしめ ざ る如くす 要求 事項
数 十名 を残置 せるのみ にて大部 は満洲国内 に侵入し居 る こと判明す
二
三 国境警察隊員第 二回被射 撃事件
塘沽停戦協 定線延長部分 の東側 地域及北長城線北側 地区に於
ける宋軍部隊は之 を其 の西南方地区に移駐 せしめ其 の撤退区域 に
イ
六月 二十四日獨石 口北側 に於 て宋哲元部隊約六百は満洲国国境警
察 隊に対し攻勢を取り射撃 を加 へたり同警察隊は其 の勢力 百五十 に
は再 び支那軍 を侵 入せしめず
過 ぎざるを以 て危険 に瀕した るため多倫特務機関 に救援を求め来れ
一切の排 日機関 (東北憲兵、藍 衣社、国民党部等 )を悉く解
り由 つて同機関長は独断 を以て翌 二十五日早朝李守信をし て騎兵五
ロ
ケ中隊歩兵 一ケ大隊を基幹 とす る部隊を率 ゐ現場 に急行 せしめた る
散 せしむ 宋哲元 の謝罪及責任者 の処罰を即時実行せしむ
論 を国内 に宣伝し つつありし宋哲元を処分す るに決 し六月十八日行
るを以て迅速解決 の必要を痛感し先づ事件 の責任 者にして対日強硬
とする矢先察哈爾省 に於ける右新事態 の発生は最 も苦痛とす る処な
斯く て支那側 に於 ては北支 に於 ける日支軍 の交渉 も漸く解決 せん
す るに至らず彼我相対峙の情況となり漸次鎮 静せり
が同部隊現地到着す るや支那軍 は撤退し射撃を止 めたるを以て衝突
ハ 渉
前記イロ項は要求提出 日より 二週間 以内 に完了せしむ 交
ニ 三
土肥原少将をして支那駐屯軍等と密接なる連絡を保持 し宋哲元 に 対 し直接交渉 せしむ ると共 に本交渉背後 の支援竝 に支那側実行を確 認す る目的を以 て関東軍 の 一部を熱 河省内 に行動 せしむ 一方張北方面 に於 ては本事件後左記の如き対日不詳事故頻発し関 東軍を刺戟せしため支那側 は益 々不利 なる情勢 に陥れり
秦徳純 をし て主席を代 理せし め長城外宋哲 元部隊 の長城内撤退を決
政院会議 を以 て宋 の察 哈爾省主席を免じ同省政府委員兼民政庁 々長
議 せり爾後我方は察 哈爾問題 に対す る交渉 を新責任者た る秦徳純を
縣参事官 一行 の被射撃事件 六月十 一日満洲国豊寧縣参事官 一行東柵子 (獨石 口北方約 八粁満
一
洲国内) に入らんと せし時同地東方 六六米 の高地より二三十発 の小
張 家 口特 務 機 関 長 高橋 北平 駐 在 武 官 と 共 に北平 秦 徳 純 宅 に て正式 交
対象 と し て進 む る こと と な り 六月 二 十 三 日夜 十 時 土 肥 原 少将 は松 井
爾後我方としては支那側 の実行如何 を厳重監視中なり
純より高橋北平駐在陸軍武官 に手交 せりこれを以 て本交渉 は終了し
文書 回答 に関し ては其 の後中央 より回訓到着し六月 二十 七日秦徳
昌平延慶 を結ぶ延長線 の東側 竝 に獨石 口北側よ
他 は軍服)小銃、手榴弾等 を携行し満洲国熱 河省内 に侵入石頭 城
七月 三日察哈爾省軍 (旧宋哲元部)約 百名 (内八名 は便衣其 の
たり即ち
頗 る困難 なるも のの如く過日も満洲国警察分駐署襲撃事件を惹起 し
ら るるに至らず 加ふるに土匪と大差 なき不良素質兵 のことと て統制
然 るに爾後 に於 ても旧宋哲 元部 の反満抗 日策動は猶ほ充 分革 正せ
渉 を 行 へる結 果 支 那 側 は 左記 我要 望 を 容 れ て之 が実 行 を 誓 約 し 本件 一応 解決 す 尚 回答 を 文 書 を 以 てす る件 は中 央 よ り の回訓 を 俟 つ て送
撤退地域 の件
要 望 事項 (附 図 参 照 ) (未 発表 に付取 扱 ひ に特 に注 意 を要 す )
︹ 添付 せず︺
違 す る こと に諒 解 成 れ り
一
子 (獨石 口北方約二十粁 ) の満洲国警察 分駐署 を襲撃し之を焼 打
り龍門西北側 及張家 口北側を経 て張 北南側 に亘 る線以北 の宋部隊 は 之 を其 の西南 方 の地域 に移駐する こと
に到り自 発的に誠意を以 て我方に遺憾 の意を表すると共 に犯人 の処
本件 の発生 に驚きた る秦徳純は善後処置 のため急遽北平発張家 口
名重傷 を受 けたり
したる後馬 五頭を奪ひ支那領内 に引上ぐ この際満洲国側署長外 一
排 日機関 の解散 を行 ふこと
二 六月 二十三日より二週間 以内 に右を完 了すること
三 遺憾 の意を表す る こと竝 に責任 者 の処罰をなす こと 四 五 山東移民 の察哈爾省通過を中止する こと 尚要望事項解釈として
あり
罰、損害 の賠償 及将来 の保証を約す る等只管事態 の緩和 を計 り つつ
日、満 の対蒙工作 を承認し特務機関 の活動 を援助し且移民を中
四
三
日本軍事諸 設備 (飛行場 の設備 、無線電台 の設置等 )を援助す
軍事及政治顧問 を招聘す
日本 人の旅行 に便 宜を与 へ各種調査を援助す るを要す
小銃等 を擬 し理不尽 にも 一行 の通過を阻止し我方 の説 明にも拘 はら
北南門 に達す るや宋軍第 百三十 二師 の衛兵 及保安隊員 は青竜刀自動
処置 を完了し十月二十七日張家 口を出発し多倫 に向 ひた るが途 中張
内蒙地方旅行を企図し護照、旅行先各地支那官憲 への予報等万般 の
( 附 記) 支那駐屯軍参謀 一行 に対す る侮辱事件 ︹ 清健︺ ︹ 克巳︺ 支那駐屯軍川口参謀 、池 田外務書記生等 一行八名は昭和九年十月
一
日、満 の経済発展及交 通開発 工作 に協 力す例 へば張家 口、多倫
止し蒙古 人圧迫を停止するを要す 二
五
間其他満 洲国北支那間 の自動車鉄道交通等 の援助 の如 し
るを要す
欲し数歩前進す るや衛兵司令 は同書記生を殴打 し衛兵全員も頗 る殺
ず遂 に要領 を得ず為 に池田書 記生 は単身公安局 に到 りて解決 せんと
撤退地域 の治安維持 は停戦地区 に準ず る方法 に拠 るべし
と申 入れた る処是亦 全部承認 せり
六
気 を 帯 び発 砲す べ し等 の暴 言 を 吐 き 不穏 の言 動 を 弄 す る こと 四十 分 一行 の認 め て送 りた る公 安 局 宛 の手紙 に よ り現 場 に来 れ る 一将 校 の 鎮 撫 によ り て漸 く 一行 の通 過 を許 容 す る に至 れ り 右 の行 為 は 明 か に我 皇 軍 将 校 竝 に外交 官 を侮 辱 せる 行為 な る に依 ︹ 正康︺ り 十 月 二 十 九 日橋 本 張 家 口領 事 代理 よ り同 師 参 謀 長 張 維 藩 に 対 し抗
り厳 重 抗 議 す る 処 あ り之 がた め 宋 は 十 一月 二十 五 日 に 至 り 趙 登 禹
議 す ると 共 に十 月 三十 日在 平 中 の宋哲 元 に対 し 北 平 駐 在陸 軍 武官 よ
(第 一三 二師 師 長 ) を し て正 式 陳 謝 せ し め同 二十 九 日 責任 者連 長 張 書 林 を 免 職 し 更 に十 二月 七 日将 来 の保障 (日本 人 の察 哈爾 省 旅 行 の 自 由 如 何 な る携 帯 品 も之 を 検 査 せ ざ る こと長 城 は満 洲 国 国 境 な る を 以 て之 以 西 に撤退 す る こと 等 ) を 容 認 せ し を 以 て事 件 一先 解決 す
熱 河省豊 寧縣大灘 ( 沽源東方約二十粁)附 近に昨年後半期 より宋哲元部
︹ 註 ︺ 宋哲元部隊熱河侵 入事件 ( 支那時局月報第 一号) 隊歩騎兵 の相当大部隊侵入該地方 の要所を占領 し更 に其 の前方 に多数 の保 衛 団を出 し之に行政機関 を随行 せしめ以て満 洲国側 の豊寧県行政 を全然不 可能ならしむるに至 れり依 て関東軍側は数次に亘り其 の撤退方 を要求せ る 処支那側は十二月 三十 一日限り其 の部隊保衛団行政機関等 一切を撤退す る 旨公約するに至 れり 然 るに支那側 は 一月 に入 るも公約を実行せず却 て 一月十 二、三日に至 て 兵力を増 加し十 五日には其 の騎兵 一箇中隊は鳥泥 河に進出 し来 り同 地の満 洲国自衛 団を襲撃 して約 四十名を拉致するに至れり (右に対 し宋哲元 は賞 金大洋三百元を与 へ且押収せ る武器は沽源縣 の備 品とすと指令す) 依て関東 軍側 は大灘 に兵力を集中す ると共 に 一月十九日前記公約実行方 の強硬態度 に狼狽し極力事件 の拡大を防止するに決し恰 も在燕中 なりし宋
を強 硬に交渉 せり茲 に於 て南京政府北平政務整 理委員会及同軍事分会は其 哲 元と協議 の上入熱 せる軍隊其 の他諸機関を即時長城線内 に撤退 を発令せ しむると共 に二十 日北平軍事分会より其 の旨 我陸軍武官 に通報し来 れり
一方大灘 に集合せ る永見支隊 は宋 軍は既 に撤退 せるも のと認め 一月二十 二日大灘 を発し長城線 に向け進 出中 のと ころ翌 二十 三日図らずも紅泥灘に
て宋軍 と衝突之を撃退 の上二十四日迄 に悉く長城線外 に宋軍を撃退せり この事件解決 に関し ては当初 日支双方 に意見 の相異あり即ち支那側にて は宋哲元 は大灘は交通通信不便なるを以て北平 を会議地と せん ことを希望 し政務整 理委員会側は単 に紛擾 現地 の解決 のみに止 めず広く察東方面全 地
域 に亘 る協定 を結 び将来 の禍根を 一掃 すると共 に日支関係 の向上 に 一歩 を 進 むるの第 一階梯とし て停戦協 定 に関する諸懸案 を此 の際明確 に議定せん ことを欲 せり
然 れども我方 とし ては事件本来 の性質 に鑑 み迅速 に局地的解決を図るを 妥 当と認 め種 々交渉 の結果遂 に支那当局も局 地的解決 に同意し 二月二日よ
り大灘に於 て七師団 と宋軍代表と の間に善後会議 を開催 のこととなれり 宋哲元部隊熱河侵 入事件続報 (支那時局月報第 二号) 前 号所載 の如く 二月 二日善後会議は大灘南方南 圍子に於 て開催 され支那
一支那側は将来誓 て兵 を満洲国 に入 れ関東軍を脅威し若 は関東軍 の神経 を
側代表張〓亭 ( 第 三十 七師参謀)郭〓〓 ( 沽源県長 )等 は第 七師 団 代 表 ( 谷 ︹壽夫︺少将 を主班とし豊寧縣長を加ふ) の提出 せる左記事項を承認 し事件を解決 す
刺戟するが如 き ことは勿論密偵其 の他を満 洲国内に侵 入せしめざ ること 二支那側にして右誓約 に反し たる行為ある場合 に於ては関東軍 は断乎 とし て自主的行動 を執 ることあるべし其 の際 の責任は全部 支那側 に在 ること 尚支那側が陣 地を増強 し若 は兵力を増加す るが如き行為 あるに於 ては
関東軍は軍 に対する挑戦的行為 なりと見做す こと 三支那側が曩 に押収せる満洲国 民団 の兵器は全部沽源縣長携 帯 の上二月七
日迄 に会議場 に於 て日本軍 に返納 すべき こと 四本会議場 に於ける結果 の発表 は二月四 日を期し相互 に之を発表の こと特 に支那側は故ら に内容を引延 し或 は逆宣伝 をなすが如き ことなき様注意 す ること
其 の後支那側は 一切 の防禦 工事 を中止し 二月七 日公約 の如く嚮に押収 せ る満洲国自衛団 の武器 (三八式 小銃 三八挺同弾薬包 一五〇〇発)を沽源縣 長 より大灘 に於 て関東軍側に引渡 せり
秘
昭和 10
廣 田外務大 臣
一九
五月四日後着
亜
電 報 ︹ 杉山元︺ 謀 次 長
宛
昭和 一〇年 五 月 二 五 日
二
支 、北 平 、南 京 、 満 ヘ転 電 セリ
参
秘
敢
ラ ル ル次 第 ニテ当 館 ニ於 テ ハ引続 キ犯 人 ニ対 ス ル手 配中 ナ ル モ不 取
ル ヲ以 テ本 件 犯 行 ノ裏 面 ニ ハ何 等 政 治 的 事 情 存 在 ス ル事 直 ニ想 像 セ
セ ラ レ居 タ ル関 係 ア リ彼 等 ハ 一夜 ニ相 前 後 シ テ暗 殺 セラ レ シ モノナ
シ テ右 両 名 ト ノ間 ニ ハ特 ニ連係 無 キ モ等 シク 支 那側 ヨリ極 度 ニ警 戒
係 ア リ) ヲ主宰 シ居 リ同 報 ノ態 度 及 白 自 身 ノ行 動 ハ全 然 胡 ト同 様 ニ
両 協 定 成 立 に 関 す る 陸 ・海 ・外 務 電
暗
天津 本省
川 越 総 領事 二 日午 後 十 一時 頃 日本 租 界 壽 街 北 洋 飯 店 ニ宿 泊 中 ノ胡 恩 溥 ナ ル者
第 一〇 七号
就 寝 中 ﹁ピ スト ル﹂ 四 発 ノ狙撃 ヲ受 ケ 病 院 ニ於 テ間 モ無 ク絶 命 シ又
﹁ピ スト ル﹂ 三 発 ノ狙撃 ヲ受 ケ即 死 添 寝 中 ノ子供 負 傷 セ ル事 件 発 生
同 夜 午 前 四時 頃 租界 内須 磨 街 ノ自 宅 ニ於 テ白 楡 桓 ナ ル者 之亦 就 寝 中
セリ 犯 人 ハ何 レ モ逃走 シ何 等 手掛 リ ヲ残 サ ス当館 警 察 ニ於 テ極 力 手配 中 ナ ル処 胡 ハ租界 ニ於 テ支 那 新 聞 国 権 報 ヲ経 営 シ極 力 反 蒋 (反 国 民
天 津 日 本租 界 ニ於 ケ ル白 楡 桓 、胡 恩 溥 暗 殺 事件 ニ関 シテ ハ捜 査 ノ
︹ 酒井隆︺ 天 津軍参 謀 長
結 果 蒋介 石 系 統 ノ策 動 シ ア ル コト愈 々明 瞭 ト ナ リ タ ルト孫 永 勤 匪問
党 ) 援 満 ノ空 気 ヲ鼓 吹 ス ル 一方 胡 自身 常 ニ北 支 政 変 ヲ画 策 シ居 リ最
モノ ニテ 又 白 ハ租 界 内 ニ於 テ振 報 (満 洲 国 特 務 機 関 ト ノ間 ニ補 助関
近 ハ満 洲 国 重 要 方 面 ニ聯 絡 シ来 タ レリ ト テ帰 津 シ此 ノ災 厄 ニ遭 ヒシ
一、白 楡 桓 ハ我 軍 ノ機 関 新 聞 社 長 タ リ シ ヲ以 テ軍 関係 使 用 人 ナ ル カ
︹ 誠也︺ 題 ノ件 モ支那 官 辺 ノ使 嗾 ニ原 因 セ ル コト ヲ確 認 シタ ルヲ 以 テ儀 我 、 ︹ 坦︺ 高 橋 両 武官 共 篤 ト協 議 ノ上 軍 ハ此 一件 ヲ左 ノ如 ク 処 理 ス ル ニ決 セ リ
故 ニ条 約 ニ依 リ保 護 セ ラ ル ヘキ ニ拘 ラ ス之 ニ対 シ支 那 官 憲 指 導 ノ下 ニ斯 ク ノ如 キ ﹁テ ロ﹂ 事 件 ノ続 発 ヲ見 ル ハ心 外 ノ至 リ ナ ル コト 及孫 永 勤 匪 ハ東 北 義 勇 軍 ト 称 シ テ南 京 政 府 統制 ノ下 ニ停 戦 地 域 ヲ擾乱 セ ル モノ ニシ テ停 戦協 定 ヲ蹂躪 スル此 種 行為 ハ断 シテ黙 過 ス ル コト ヲ 得 サ ル コト ヲ支 那 側 ニ声 明 ス 二 、南 京 政 権 ハ累 次 ノ親 日声 明 ニ悖 リ停戦 協 定 ノ精 神 ニ背 キ且 団 匪 事 件 解 決 交 換 公 文 書 ニ違 反 ス ル行 為 ヲ敢 行 ス是 実 ニ我 方 殊 ニ我軍 部
至急
三
報 長
宛
二九 日後 一〇時二〇分発 五月三〇 日前 ○時五九分着
關、 臺 、 北 、 奉 、濟 、 上 、南 、 漢 、 廣 、山 機 スミ
秘
電 次
昭 和 一〇 年 五月 三〇 日
参 謀
︹ 高橋坦︺ 北 平 輔 佐 官
酒 井参 謀長 ( 高 橋 少 佐 同 行 ス) ハ本 二十 九 日北 平 政 務整 理 委 員 会 ︹ 兪家驥︺ 代 理 者 兪 秘書 長 、及 軍 委 分 会 主任 何 應 欽 ト会 見 シ反 満 抗 日暗 殺 等 対
北第 三 八 三号
シ自 衛 ノ為 将 来 無 警 告 ニテ任 意 ニ適 当 ト信 ス ル行 動 ヲ執 リ且 之 カ為
糺 弾 シ タ ル上 左 ノ如 ク通 告 及 要 求 セリ
ニ対 スル挑 戦 的 行為 ナ リ故 ニ厳 重 ニ支 那側 ノ責 任 ヲ問 ヒ且 必 要 ニ応
発 生 ス ル不祥 事 ニ関 シ責任 ヲ負 ハサ ル コト ヲ宣言 ス ︹ 酒井隆︺ 三、 当 軍 参 謀 長 及 在 北 平 高橋 少 佐 ハ北 支 政 務整 理委 員 会 及 北 平 軍 委
1 、支 那 側 官 憲 ノ主 動 ニ依 ル対満 陰 謀 ノ実 行 、 長 城附 近 支那 義 勇
告
日軍 挑 戦 行為 ニ関 シ何 人 カ指 導 シ ア リヤ何 人 カ責 任 ヲ負 フ ヘキ ヤ ヲ
分 会 当 局 ニ対 シ適 当 ナ ル機 会 (成 ル ヘク 王克 敏 、 何 應 欽 ノ帰 平 ヲ待
一、 通
テ) ヲ求 メ重 ネ テ右 ノ趣 旨 ヲ厳 達 ス ルト共 ニ少 ク モ中 央憲 兵第 三団 類 似 機 関 ノ撤退 同 団長 蒋 孝 先 、 団附 丁 ( 樺 山 ) 及 河 北 省主 席 于學 忠
ノ根 拠 地 ハ北 平 、 天 津 ニア リ斯 ク ノ如 ク ン ハ日 本 軍 ハ遂 ニ再 ヒ長
軍援 助 、 対 日 ﹁テ ロ﹂ 等 ハ停 戦 協 定 ノ破 壊 行為 ニシテ而 モ其 発 動
城線 ヲ越 エテ進 出 ス ルノ 必要 ヲ生 スル ノ ミ ナ ラ ス北 平 、 天 津 ノ両
ノ罷 免 ヲ要 求 シ 且国 民 党 部 、藍 衣社 、 軍 委 分 会 、 政治 訓練 処 等 一切
2、 胡 、 白 ノ暗 殺 ハ白 等 カ 日本 軍 ノ使 用 人 タ ル ニ鑑 ミ北 清 事 変 、
地 ヲ実 質 的 ニ停 戦 地 区 ニ包 含 セ シ ム ル ノ必 要 ヲ生起 ス ヘシ
天 津 還 附 ニ関 ス ル交 換 公文 ヲ蹂 躪 スル モノ ニ シテ歴 然 タ ル排 外 行
排 日 団体 ノ工作 ヲ禁 止 シ尚施 策 途 中 ニ於 テ要 路 ノ衝 ニ在 ル者 ノ責 任
以 上 ノ各 項 ヲ断 行 ス ル場合 支 那 側 ノ出 様 如 何 ニ依 リ テ ハ我 モ相 当
上 失 脚 ス ル コト ア ル モ更 ニ意 ニ介 セ ス
ノ決 意 ヲ以 テ之 ニ対 応 ス ルノ 必要 ア ル ヘク 此 点 万遺 漏 ナ キ ヲ期 シア
行 ス ル結 果 ノ重 大 ナ ル コト ハ北 清 事 変 及満 洲 事 変 ニ照 シ明 白 ナ リ
動 タ ル ノミ ナ ラ ス実 ニ我 カ 日本 ニ対 ス ル挑 戦 ナ リ排 外 的 行 為 ヲ実
ル モ関係 方 面 特 ニ南 京 上海 ノ御 協 力 ヲ希 望 ス ︹ 要︺ (若 杉 参 事 官 及 川越 総 領 事 ニ ハ右 ノ要 旨 ヲ通告 シア リ念 ノ為)
ノ罷 免 ヲ必 要 ト ス (我軍 カ内 政 干 渉 ヲ為 スト ノ ロ実 ハ与 ヘア ラ ス)
ヲ無 視 シ前 記諸 機関 ト通 謀 シ北 支 ニ於 テ 日本 軍 ト 両 立 セサ ル于 學 忠
右 ニ対 シ兪 秘 書 長 ハ早 速 黄 郛 ニ電 報 シ其 結 果 ヲ報 告 ス ヘシト 答 ヘ
間 接 ノ関 係 者 タ ル蒋 孝 先 、丁 正 、曾 擴 情 、何 一飛 等 及停 戦 協 定 ノ精 神
ヘシ尚 之 ニ関 シテ派 生 ス ヘキ事 態 ニ就 テ ハ日本 軍 ハ其責 ヲ負 ハス
又何 應 欽 ハ関係 者 ノ罷 免 等 自 己 ノ権 限 ニテ 可能 ノ処 置 ヲ執 ル ヘシ其
今 後 斯 カ ル行為 カ行 ハレ或 ハ行 ハル ル コト ヲ予 知 ス ル ニ於 テ ハ日
尚 右 ハ既 ニ約 一ケ月 ヲ費 シ調査 セ シ確 実 ナ ル根 拠 ニ基 キ 通告 ス ル
他 調 査 ノ上是 非 日支 関 係 ノ改 善 ヲ期 シ度 ト述 ヘタ ルヲ以 テ単 ニ何 應
本軍 ハ条約 ノ権 限 ニ基 キ 自 衛 上 必要 ト信 スル行 動 ヲ執 ル コト ア ル
モノ ニシ テ証拠 ニ関 シ論 争 シ或 ハ威 嚇 ヲ行 ハント ス ル ニア ラ ス事
四
報 長 宛
一時四〇分着
二九 日後 一 一時 三 〇 分 発
三〇日前
現 ス ル ノ必要 ヲ述 ヘ且今 日 ハ此 等 ノ相談 ニ来 リ タ ル ニア ラ ス我 カ軍
ノ決 意 ヲ通 告 ス ル モノ ナ ル旨 ヲ附 言 シ置 キ タ リ (本 電 第 二項 要 求事
五月 卅日後着
亜
項 ハ外 部 発 表 ヲ控 ヘラ レ度 又 上 海 、 南京 ニテ ハ裏 面 的 ニ之 カ促 進 方 配 慮 ア リ度 )
五 昭 和 10
北平 本省
二 十 九 日支 那 駐 屯 軍 参 謀 長 酒 井 大 佐 ハ当 地高 橋 武 官 同 伴 政 務 整 理
︹ 要︺ 若 杉 参 事 官
委 員 会 委 員長 代 理 兪 秘 書 長 竝 ニ軍 事 分会 委 員 長 何 應 欽 ヲ訪 問 シ最 近
暗
關 、 臺 、 天 、 上 、奉 、濟 、 漢 、 南 、 廣 、 山、 承 、 混 旅 スミ
極秘
廣 田外務大 臣
北 支 ニ於 ケ ル右行 動 ヲ根 絶 スル為 日本軍 ニ於 テ ハ蒋 介 石 ノ対 同 二
北 平 輔 佐官
欽 ノ権 限 内 ニ止 ラ ス北 支 ニ於 ケ ル蒋 介 石 ノ 二重 政 策 ノ廃棄 ヲ速 ニ実
態 ヲ重 視 シ軍 ノ採 ラ ント スル態 度 ヲ予 告 ス ル モノ ナリ (以 下 北 第 三八 四 号 ヘ)
至急
次
昭和 一〇 年 五月 三〇 日
電 謀
五月
關 、 臺 、 天 、 上 、 奉 、濟 、 漢 、 南 、 廣 、 山 機、 承 機 、 混 旅 スミ
秘
参 北第 三八四号 北第 三八三号電続
重 政 策 ノ放 棄 ヲ必要 ト シ最 小 限 右 政 策 ノ実 行 機 関 タ ル憲 兵第 三団 及
満 洲 国 内 ニ於 ケ ル支 那 側 ノ陰 謀 、 長 城附 近支 那 義 勇 軍 ニ対 ス ル援 助
第 一五 六号 (極 秘 扱 )
類 似 ノ団 体 、 軍 事委 員 分 会 政 治 訓 練 所 、国 民党 部 及 藍 衣 社 ノ北 支 ヨ
ニシテ 蒋介 石 ノ 反 日 工作 ノ反 映 ト認 ム ヘク 日本 軍 ハ已 ム ヲ得 ス ン ハ
及 天津 ニ於 ケ ル新 聞 記 者暗 殺 ノ如 キ ﹁テ ロ﹂ 行 為 ハ停 戦 協 定 ノ破 壊
求
リ ノ撤 退 ヲ必要 ト認 メ ア リ又 此 等 ノ ﹁バ ック﹂ タ ル第 二師 、第 二 十
二、要
五 師 等有 害 無 益 ノ中 央 軍 ノ 一律 撤 退 ヲ希 望 シ ア リ尚 今 回事 件 ノ直 接
執 ラ ス支 那 側 不履 行 ノ場 合 ニ於 ケ ル我方 独 自 ノ裁 量 ニ依 ル措 置 ヲ便
再 ヒ長 城 線 ヲ超 エテ進 出 セサ ル ヘカ ラ サ ル ニ至 ル ヘク而 モ是 等 策 動
宜 ナ ラ シ ム ル為 一方 的 通 告 ノ形式 ニテ 我方 ノ要 望 ト シテ申 入 レタ ル
ル カ右 要 求 事項 ハ実 質 上 ハ要 求 ナ ル モ特 ニ最 後 通 牒 的 要 求 ノ形 式 ヲ
ルノ必 要 ヲ生 ス ヘク 又天 津 ニ於 ケ ル胡 、白 両新 聞 記 者 ノ暗 殺 ハ彼 等
由 ナ ル カ万 一支 那 側 ニ於 テ右 要求 事 項 ヲ実 行 セ サ ル場合 ニ ハ特 ニ最
合 ノ上 ニテ酒 井 ハ関東 軍 及 支 那 駐 屯 軍 ヲ代 表 シテ申 入 レタ ル次第 ナ
カ日 本 軍 ノ使 用 人 ナ ル事 実 ニ鑑 ミ明 カ ニ北 清 事 変 ノ天 津 還 附 ニ関 ス
後 通 牒 ノ如 ク期 限 ヲ定 メ居 ラサ ル ヲ以 テ逐 次 其 ノ情勢 ニ従 ヒ適 宜 之
ノ根 拠 地 ハ平 津 ニア ル ヲ以 テ天 津 、 北 平 ヲ モ停 戦 区域 ニ包 含 セ シ ム
ル公 文 ヲ蹂躪 セ ル モノ ニシ テ斯 ノ如 キ条 約 違 反 ニ対 シ テ ハ日 本軍 ハ
亜
自 衛 行 動 ヲ執 ルノ必 要 ヲ生 ス ヘク 日本 軍 ハ北 清 事 変 及満 洲事 変 ノ如
支 、南 京 、 天 津 ニ転 電 セリ
六 昭 和 10
天津 本省 五月卅 一日後着
ヲ強 制 ス ルノ措 置 ヲ講 ス ル考 ナ ル趣 ナ リ
秘
廣 田外務大 臣
川 越 総 領事
一、 其 ノ後 当館 警 察 ヲ シ テ鋭 意 内査 ニ努 メ シ メ居 ル 一方 当 地帝 国 憲
暗
ク事 態 ヲ重大 視 シ居 リ之 ヨリ 生 ス ル責 任 ハ支 那 側 ニア リテ 日本 軍 ノ
蒋 介 石 ハ日本 ヲ敵 国 ト認 ム ルヤ 又 ハ友 邦 ト 認 ム ルヤ ヲ 明 カ ニシ
関知 ス ル所 ニ非 サ ル旨 ヲ通 告 シ右 ニ対 ス ル要 求 ト シテ 一
憲 兵 第 三 団 、藍 衣 社 、 政 治 訓 練 所 及 国 民 党部 ヲ北 支 ヨリ撤 退 セ
其 ノ 対 日 二重 政 策 ヲ放 棄 セ ン コト ヲ要 求 ス 二
是 等 背景 ヲナ ス第 二師 及 第 二 十 五 師等 ノ中 央 軍 ノ撤 退 ︹ 正?︺ 是 等 ノ責 任 者 蒋 孝 先 、 丁 昌 、曾 擴 情 、 何 一飛 竝 ニ停 戦 協 定 ノ精
シメ 三 四
シト答 ヘ何 應 欽 ハ組 織 ノ変 更 ハ自 分 ノ権 限 外 ナ ル モ関係 者 ノ罷 免 等
ス ル最 有 力 ナ ル物 的 証 拠 ハ当 夜胡 ヲ殺 害 セ ル犯 人 ノ自動 車 番 号 ﹁一
兵 隊側 ニ於 テ モ同 隊 自 身 ノ見 地 ヨリ捜 索 ノ歩 ヲ進 メ居 ルカ 犯行 ニ関
第 一 三八 号 ︹ 前掲︺ 往 電 第 一〇 七 号 ニ関 シ
自 分 ノ権 限内 ニ於 テ可 能 ナ ル処 置 ヲ執 ル ヘシ ト答 ヘタ ルカ酒 井 参 謀
兪 秘 書 長 ハ右 ハ重 大 ナ ル ヲ以 テ黄 郛 ニ電 報 シ テ其 ノ訓 令 ヲ仰 ク ヘ
神 ヲ蹂 躪 セ ル于 學忠 ノ罷 免 方 ヲ申 入 レタ ルカ
長 ハ今 日 ハ是 等 ノ事 項 ヲ相 談 ニ来 レ ル次第 ニ非 ス シ テ日 本 軍 ノ断 乎 タ ル決 意 ヲ通告 スル モノナ ル旨 ヲ言 明 シ暗 ニ支 那 側 ニ於 テ是 等 ヲ実
コト 判 明 セ リ然 ル ニ沈 ハ元来 所謂 反動 分 子 ナ リ シ カ近来 転 向 ヲ看 板
〇 六 三 ﹂ ニシ テ右 ハ調 査 ノ結 果 当租 界 居 住 沈 燭 昌 ノ所有 車 番 号 ナ ル
ニ掲 ケ反 動 分 子排 撃 工作 ヲ名 ニ中 央 ノ歓 心 ヲ買 ハント シ当 地支 那 側
行 セ サ ル場 合 ニ ハ日 本 軍 ハ逐 次 適当 ノ行 動 ヲ執 ル ヘキ旨 ヲ仄 メ カ シ 置 キ タ ル趣 ナ リ (右 要 求 事項 ハ絶 対極 秘 ト シ テ 一切 発表 セラ レ サ ル
セ ル コト ア リ シ ニ顧 ミ此 ノ筋 ヲ辿 ツ テ容 疑 支 那 人 数 名 ヲ留 置 取 調 ノ
某 高官 ニ話 ヲ持 チ掛 ケ タ ル コト ニ付 偶 然 当 館 警 察 ニ於 テ確 証 ヲ入手 右 ニ関 シ本 官 カ酒 井 ニ確 カ メ タ ル所 ニ依 レ ハ本 件 ハ関 東 軍 ト モ打
様 御注 意 ヲ請 フ)
ル者 ナ リ ト目 指 サ レ右楊 虎 ハ四月 廿 五 日 上海 ヨリ来 平 シ在 平 中 央憲
第 三団 並 ニ藍 衣 社等 ノ秘 密 結 社 乃 至暴 力 分 子 ヲ当 方 面 ヨリ 一掃 セ シ
北 支 方 面 ニ於 ケ ル内 面 的 政 治 工作 機 関 タc ル在 北 平 政 治訓 練 所 、 憲 兵
的 ﹁テ ロ﹂ ヲ行 フ カ如 キ事 ハ極力 之 ヲ避 ケ寧 ロ本 事 件 ヲ契 機 ト シ テ
﹁テ ロ﹂ 行為 ニ対抗 シ テ我 方 モ亦 浪 人或 ハ支 那 人 等 ヲ使 役 シテ報 復
兵 第 三団 長 ニシ テ藍 衣 社 華 北 区総 部 執 行 部 長 蒋孝 先其 ノ他 ト種 々聯
ムル様 利 用 ス ル事 最 モ時 宜 ニ適 ス ル モノ ト認 メ軍 側 ト モ右趣 旨 ニテ
四、 本 事 件 ニ対 ス ル我 方 ノ方 策 ト シテ ハ本 官 ハ当 初 ヨリ 支 那 側 ノ
絡 接洽 ヲ遂 ケ 五月 三 日 (犯行 ノ翌 日) 再 ヒ南 下 セ ル コト 殆 ト 確 実 ト
ア リ) 犯 行 指 揮 者 ハ上海 保 安 処 長兼 藍 衣社 中 央 総 部 執 行 部 長楊 虎 ナ
ナ リ其 ノ間 楊 ハ自 己 及 蒋 ノ部 下 数 名 ヲ来 津 セ シメ テ犯 行 関 係 容 疑 者
ノ要 望 ニ拘 ハラ ス依 然 ト シ テ暴 力 分 子排 除 ノ実 挙 ラ サ ル場 合 ニ ハ我
充分 聯 絡 ヲ執 リツ ツ ア ル次 第 ニテ本件 公 文 モ此 ノ点 ヲ主 眼 ト シ我方
結 果 (沈 ハ犯 行後 姿 ヲ晦 シ タ ル カ南 京 ニテ監 禁 セ ラ レ居 ル ヤノ聞 込
ト 打合 ヲ為 サ シ メ タ ル模 様 ニテ (楊 及 蒋 自 身 モ来 津 セ ルヤ ノ聞 込 モ
サ ルノ覚 悟 ヲ有 ス ル モノ ナ ル事 ヲ支 那側 ニ強 ク印 象 セ シ ム ル ヲ目 的
方 ハ正 々堂 々正 規 ノ実 力 ヲ用 ヒ テ是 等 分 子 ノ掃 滅 ヲ計 ル モ已 ム ヲ得
アリ ) 犯罪 下 手 人 及 幇 助 者等 モ略 々見 当 ヲ附 ケ得 ル ニ至 レリ 二、軍 側 ニ於 テ ハ本 件 発 生後 高 橋 武 官 、 儀 我 大 佐 、 酒井 参 謀 等 ニ於
亜
耶 ニ葬 リ去 ラ ント ス ル惧 ス ラ ア ル情 勢 ニ至 レ ル今 日 ト シテ ハ最 早 充
シ ツ ツ ア ル ヤ ニ認 メ ラ レ或 ハ任 意 犯 人 ヲ製 造 処 罰 シテ本 件 ヲ有 耶 無
移 転 又 ハ首 脳 者 更 迭 等 ニ依 リ本件 ノ 鳧 ヲ付 ケ軍側 ノ鋭 鋒 ヲ避 ケ ント
手 ロ犯 罪 現 場 ノ情 況等 ニ顧 ミ世 上 之 ヲ尋 常 ノ刑 事 々件 視 ス ル者 無 ク
発 生 ノ次第 ハ御 承 知 ノ通 ナ ル処本 件 ハ被 害 者 平 素 ノ志 業 身 分 犯 行 ノ
営 者 白 楡 桓 相 次 テ当 日本 租 界 ニ於 テ拳 銃 ヲ 以 テ暗 殺 セラ レタ ル事 件
本 月 二日深 更 ヨリ同 三 日 払暁 ニ亘 リ国 権 報 経営 者胡 恩 溥 及 振 報 経
第 一 三九 号 (別 電 )
川 越 総 領 事
発 五月卅 一日後着
︹次 の電 報 は五 月 三十 一日 川越 天 津 総 領 事 か ら 干學 忠 ・河 北 省 主
七
本電 別電 ト共 ニ支 、 北平 、 南 京 、 満 ヘ転 電 セ リ
ト シテ起 章 セ ル次第 ナ リ
テ数 次 ニ亘リ省 政 府 、 北 平 政 務整 理 委 員 会 及 軍事 分会 当 路 者 ニ対 シ
並 ニ我 方 ノ操 縦 シ居 ル漢 字 新 聞 等 ヲ利 用 シテ強 硬 宣 伝 ヲ為 サ シ メ最
頗 ル強 硬 ナ ル態 度 ヲ以 テ抗 議 詰 問 ヲ重 ヌ ルト共 ニ邦 字新 聞 及 通信 社
近 ニ至 リ テ ハ屡 武 装 部 隊 ヲ シテ支 那 街 ヲ巡 行 セ シメ テ示 威 ヲ行 ヒ居 リ 一方 憲 兵 隊 ニ於 テ ハ容疑 者 及 其 ノ知 人等 ヲ片 ツ端 ヨリ拘 禁 糺 問 ヲ
席 に対 し て提 出 さ れた 抗 議 文 であ る︺ 略 天津 本省
為 シ居 ル為 党 部 其 ノ他 各筋 ハ戦 々兢 々 タ ル モ ノア リ官 憲 側 ニ於 テ モ
三、 本官 ト シテ ハ尚 早 ニ抗議 ヲ為 ス モ支 那 側 カ軍 側 ノ強 硬 ナ ル態 度
廣 田外務大 臣
軍側 ノ強 圧予 想 以 上 ナ ル為 相 当狼 狽 ノ模 様 ナリ
ヲ如 実 に感 得 ス ル ニ至 ラ サ ル限 リ徒 ニ空 砲 ヲ放 ツ ノ結 果 ニ終 ル ヘキ
分 ト認 メ軍 側 ト モ打 合 セ ノ上 三 十 一日 于主 席 ニ対 シ別電 第 一 三九 号
ヲ慮 リ抗議 提出 ノ時 機 ニ付 慎 重 考慮 中 ナ リ シ処 一方支 那 側 ハ省 政 府
公文 ヲ交 付 セリ
而 モ右 巷 間 ノ疑惑 ハ時 日 ノ推 移 ト 共 ニ愈 濃 厚 ト ナ リ ツツ ア リ当 館 ニ 於 テ ハ事件 ノ性 質 ニ顧 ミ事件 発 生 以来 我 方 関 係 方 面 ト協 力 鋭 意 之 力 内 査 ヲ進 メ来 リ タ ルカ今 日迄 ニ蒐 集 セ ル諸 般 ノ材 料 ヲ冷 静 ニ綜 合 検 覈 ノ結 果 本 件 ハ 一定 ノ政 治 的 目 標 ヲ有 ス ル貴 国 側 暴 力 団 体 乃至 秘 密 結社 ノ所 業 ナ リト推 断 ス ルノ外 無 キ ニ至 レリ
極秘
八
参謀本部第 五課
発
五月三十 一日午後 三、二〇分受信
特種情報 ︹暗号読解︺第 一四八号
宛
天 津米 領 事
天津 ニ於ケ ル日本軍隊 ハ対支挑戦 的態度 ニ出 ツ 華府国 務長 官
由 来 当 北 支 地 方 ニ特 殊 ノ政 治 的 使命 ヲ有 スル各 般 ノ貴 国側 暴 力 団 体 及秘 密 結 社 存 在 シ極 メ テ巧 妙 ナ ル方法 ヲ以 テ奸 悪 残 虐 ナ ル直 接 行
事
南
電 謀
次
報 長
宛
昭和 一〇 年 六月 一日
九
ハ彼 等 ニ開 戦 ノ理 由 ヲ与 フ ル コト ヲ避 ケ居 レリ
秘
参
告 セ ル所 左 ノ如 ク 回答 セ リ
一、 三十 日 黄 郛 ト会 見 シ北 平電 第 三 八 三、 同 第 三八 四 号 ノ趣 旨 ヲ通
︹ 磯谷廉介︺ 上海 大 使 館 附 武 官
日 本 軍 ハ故 意 ニ挑 戦 的 態 度 ニ出 テ居 ル ハ明 カ ナ ル モ只 今 迄 支 那側
伴 ヒ省 主席 官 邸前 ノ街 路 ニ展 開 セリ
昨 日 午前 中 日本 軍 ノ 一隊 ハ武 装 ヲ厳 ニシ装 甲車 、軽 砲 機 関 銃 等 ヲ
シ撮 影 ヲナ ス等 概 シ テ暴 慢 ナリ
天 津 日本 駐 屯 軍 ハ過去 三 日間 異 常 ノ活 気 ヲ呈 シ各 支 那 官 衙 ニ派兵
京 領
動 ヲ敢 行 ス ルヲ憚 ラ サ ル ハ顕 然 タ ル事 実 ニ属 シ右 ハ予 テ当 方 面 ノ和 平 安 康 ヲ顧 念 シ テ已 マサ ル我方 ノ怪 訝 ニ堪 ヘサ ル所 ニシ テ北 支 社会 人 心 不安 ノ根 源 実 ニ茲 ニ存 スト断 セ サ ル ヲ得 ス而 モ今 回 彼 等 カ前陳 ノ如 ク 日本 租 界 行 政 権 ヲ干 犯 シ其 ノ治 安 ヲ撹乱 ス ル ニ至 レ ル ハ我 方 ノ断 シテ看 過 シ能 ハサ ル所 ナリ依 テ本 官 ハ茲 ニ貴 主席 ニ対 シ此 ノ際 遠 ニ是 等暴 力 団体 及 秘 密 結 社 ヲ当 地方 ヨリ芟 除 一掃 ス ル為 有 効 適 切 ナ ル手 段 ヲ採 ラ レ 以 テ租 界 ノ安 全 保 障 及 北 支 社 会 人 心 ノ安 定 ヲ計 ラ レ ン コト ヲ要 望 シ テ已 マサ ル モノ ナ リ 素 ヨリ 本官 ハ貴 主 席 力其 ノ責 務 ヲ痛 感 セ ラ レ直 ニ右 我方 ノ要 望 ス ル措 置 ヲ採 ラ ル ヘキ ヲ信 シテ疑 ハサ ル モノナ ル モ万 一貴 主 席 ノ措 置
リ 日本 租界 ノ治 安 ニ脅 威 ヲ感 ス ル カ如 キ コト ア リ自 衛 上緊 急 ノ必要
徹 底 ヲ欠 キ今 後 依 然 ト シ テ此 ノ種 暴 力 団 体 又 ハ秘 密結 社 ノ策 謀 ニ依
ア リ ト認 ム ルト キ ハ右 団 体 、結 社 ノ種 類 如 何 ニ拘 バラ ス将 又事 実 上 其 ノ何 人 ノ配 下 ニ属 ス ルヲ問 ハス我方 ト シテ ハ自 ラ適 当 ト信 スル行 動 ニ出 ツ ル コト ア ル ヘク右 ノ場合 依 テ生 スル 一切 ノ結 果 ニ付 テ ハ挙 ケ テ貴 方 ニ於 テ之 カ責 ニ任 ス ヘキ モノ ナ ル コト ヲ茲 ニ通告 ス
イ 、 ﹁魚 兪 ﹂ 秘 書 長 ヨリ ノ 通報 二 ニ依 レ ハ酒 井参 謀 長 蚊 高 橋 少 佐 ハ各
關 、 北 、 天 、濟 、漢 、 南 、 廣 ス ミ
蓄 セ ル モノ ナ リ ト老 考 フト 附 言 シ置 ケ リ
ノ ミ依 リテ 之 ヲ実 現 セン コト ヲ期 待 シ居 ル モノ ニア ラ サ ル コト ヲ倉 含
謀
電 次
長
報 宛
昭和 一〇 年 六 月 一目 日
一O 闇 〇
各 天津 軍 及 関 東 軍 ヲ代 表 シテ 三項 目 ノ質 問 ( 平津地方 二 ニ肩 日満支 ノ
秘
参
確 実 ニシ テ黄 郭 郛 モ之 ヲ肯 定 シ且 目 下 ノ行 方 不明 ナ リト 言 ヘリ
﹁マ マ 一
憲兵 兵第 第三 三団 団長 長蒋 蒋孝 孝先 先ハ ハニ 二十十 九日 日上 上海 海二 ニ到 到着 着シ シ黄 黄 郛郭ト ト会 会見 見セ セル ルコ コト ト 憲 九
上 上海 海大 大使 使館 館附 附武 武官 官
国 交 ヲ阻 害 スル モノ ノ存 在 ス ル コト、 暗 殺 事 件 二 ニ排 日官 憲 ノ存 在 ス ル コト及 官 憲 力 カ孫 匪 二 ニ糧 食 ヲ供 給 シ退 路 ヲ指 示 セ ルノ事 実 ア ル コト ヲ確 認 ス ル カ如 キ) 三項 目 ノ警 告 ( 停 戦 協 定 ハ支 那 側 ノ不 法 行為 二 ニ対 ス ル関 東 軍 ノ関 内進 出 ヲ妨 ケ サ ル コト平 津 力 カ反 日満 行 為 ノ策 源 地 ナ ル ニ於 テ ハ該 地方 二 ニ非 武 装 地 帯 ノ拡 大 ヲ 必要 ト ス ヘキ コト及 北 清 事 変 条 約 二 ニ基 キ軍 ハ不法 行 為 者 二 ニ対 シ有 効 適 切 ナ ル行 動 ヲ執 ルノ自 由 ヲ有 ス ル コト) 及 一項 目 ノ希 望 ヲ提 出 セ リ右希 望 条 件 ハ要 求 ニ ニア ラ ス シテ 河北 党 部 、 軍 委 分 会 二 ニ附 属 ス ル政 治 訓 練
(干學 忠 ノ罷 免 ハ保 定移 駐 ノ ミ ニテ ハ不 十 分 ナ リ) 等 北 支 二 ニ存 在
処 、 憲 兵第 三 団 ノ北支 撤 退 及 蒋 孝 先等 事件 関 係 者 、 干 于 學 忠 ノ罷 免
黄郭 郛 二 ニ対 シ テ ハ蒋 孝 先 力 カ上 海 二 ニ逃 亡 セ ル コト ハ憲 兵 団 力 カ直 接 間接
暗殺事件 二 ニ関 係 ア ル コト並 又中 央 軍 力 カ背後 ニア ル コト ノ証拠 ナ リ ト
ス ル両国 関 係 調 整 上 ノ障 碍 全部 ヲ撤 退 ス ル コト ヲ希 望 スル モノ ナ
ロ、叙 上 諸 条 件 ノ解決 ハ蒋 介 石 ノカ 力 ニ倹 俟 タサ レ ハ克 ク ス ル所 ニア
リ但 藍 衣 社 及 第 二師 、第 二十 五師 等 中 央 軍 ノ撤 退 ニ ハ触 レ ス
説 明 シ南 京 政 府 ニシテ誠 意 ア ラ バ之 力 カ逮 捕 ノ策 ヲ講 ス ル コト コ ソ至 ︹ 雨宮巽︺ 当 ト ナ ス ヘシト注 意 シ置 ケ ルカ南 京 武官 ヲ シテ南 京 政 府 二 ニ対 シテ ハ
一 一
厳 重警 告 ヲ発 セ シ ム ル コト ト セ リ (南 、北 、天 、 漢 、 濟 、南 スミ)
電 謀
次
長 宛
報
昭和 一〇年六 ハ月 一日
至急
ルヲ 以 テ多 岐 ニシテ 困難 ナ ル本 問 題 ノ処 理 ヲ短 時 日 二 ニ期 待 ス ル ヲ
秘
参
天津 軍参謀 長
ラ サ ルヲ 以 テ蒋 介 石 二 ニ之 ヲ報 告 シ置 ケ ル カ彼 ハ遠 ク南 京 ヲ隔 リ ア
得 サ ル ヘシ蒋 介石 力 カ速 二 ニ南 京 二 ニ帰 来 ス ル カ或 ハ江 汪精 衛 力 カ 四川 二 ニ到 リ テ蒋 介 石 ト 協議 ス ルノ外 ナ カ ル ヘシ又 予個 人 ノ意 見 ト シ テ ハ 一 条 件 宛 逐 次 解 決 ス ル ヲ寧 ロ実 際 的 ナ リト 考 フ
ル カ如 キ モ右 ハ小 官 ノ得 タ ル報 告 ト符 号 セ ス ﹁ 兪﹂秘書長 力 禽 カ故 意 二 ニ
三、 右 二 ニ対 シ小 官 ハ希 望 条 件 中 二 ニ藍 衣 社 及 中央 軍 ノ件 ヲ含 ミ ア ラ サ
省略 セ ル モノ ナ リト 確 信 スト述 へ ヘ又所 謂 ﹁希 望 ﹂ ト ハ独 自 ノ立 揚 場 二 ニ 於 テ処 理 セ ント ス ル我 軍 ノ ﹁希 望 ﹂ ノ意 ニシテ敢 テ支 那 側 ノ処 理 二 ニ
当 地 各部 隊 近 ク交 代 帰 還 スル ニ先 チ支 那 街 ノ情 況 ヲ実 見 シ置 ク ハ
今 次 ノ要 望 事 項 中 于學 忠 ノ被 免 、 憲 兵第 三団 藍 衣 社 党 部 ノ首
ル条 件 位 ニテ差 支 ナク 北平 、 天 津 ヲ停 戦 区域 ニ包 括 セ シ ム ル ノ件
脳 者 撤退 ハ之 カ実 行 ヲ促 シ其 ノ他 中 央 軍 ノ南 下 等 ハ将 来 増 勢 セサ
イ
二 、高 橋 武 官 談
実 施 セ シ メア リ シカ偶 〓省 政 府附 近 ニ休 憩 セ ル等 ノ コト ニ依 リ時 節
新 ニ到 着 ス ル部 隊 ヘ申 送 ノ為 ニモ必要 ニ付 日 ヲ別 チ同 方 面 ヘ行 軍 ヲ
柄 支 那 側 ノ神 経 ヲ刺 戟 セリト 見 エ各 種 ノ逆 宣 伝 ヲ始 メ タ ル模 様 ナ リ
テ モナ ク回 答 ヲ要 求 セ ル モノ ニ モア ラ ス
ハ今 後 ノ支 那 側 ノ態度 如 何 ニ依 ル モ ノ ニ シテ最 後 通 牒 様 ノ モノ ニ
ロ
右 逆 宣伝 ニ関 聯 シ外 字 新 聞 ハ往 年 ノ 二十 一箇 条 条約 ノ如 ク見 做 シ 又 右行 軍 ヲ以 テ挑 戦 的 ナ リ ト謂 ヒア ル モ日 本軍 ハ単 ナ ル警 告 ノ趣 旨
ロ
従来 ノ方針 通 リ誠 心 誠 意 ヲ以 テ反 日分 子 取 締 ニ努 力 シ事 態 ヲ
此 ノ程 度 ノ要 求 ハ穏 便 ニ忠 告 セ ラ ル レ ハ実 行 可 能 日本 側 ノ取
絶 対 ニ拡 大 セシ メ サル事 ヲ誓 フ
イ
三、 何 應 欽 談
モ海 軍 ニ於 テ此 ノ程 度 ノ意 思 表 示 ハ必要 ナ ル ヘシ
万 一于 學忠 カ頑 張 ル時 ハ其 ノ背景 ナ ル張 學 良 又 ハ宋 子文 ニ対
ナ ル コト ヲ述 ヘ且 行軍 ニ付 テ ハ天 津 市 内 ニ ハ条 約 上 三百 人 ノ衛 隊 ノ
シ南 方 ニテ実力 ア ル我 海 軍 カ示 威 セラ ルル ナ ラ バ効 果 大 ナ ル可 ク
︹マ マ ︺
外支 那 軍 隊 ノ存 在 セ サ ル筈 ナ ル ヲ以 テ日 支 両軍 ハ衝 突 セサ ル筈 ナ リ
線
関 内 出兵 ヲ見 ス シテ終 ル事 ヲ得 ン陸 外 ノ中 央 一致 ノ態 度 ニ鑑 ミ ル
無
北平発 (一 二四 )支 二 着 ︹亦 男 一
沖 野 ︹海軍︺輔 佐 官
安 心 セ ヨト 申 シ置 キ タ リ右 念 ノ為
一二
○八 三〇
昭 和 一〇 年 六 八月 二 日
在北平
ル態 度 ハ全 国 民 ヲ刺 激 シ実 行 却 テ因難 ト ナ ル
一〇 五 四
ハ
外 ノ行動 ヲ採 ラ シ メ サ ル様 取締 ル可 ク其 ノ他 モ逐 次 実 行 ス ヘシ
義 及 反 日満 行動 取 締 ヲ任 務 ト ス)速 ニ交 代 セ シ メ党 部 ハ絶 対 ニ党
于 學忠 ハ中 央 ノ命 ニ依 リ被 免 セ シ ム可 ク憲 兵 団長 ハ ( 共産主
次 官 、 駐満 海 、旅 要 、 三艦 隊参 謀長
其 ノ 一、 二 、
次 長 、 十 一戦 隊、 五水 戦 司 令 官 、在 支 各 地武 官
(部 外 厳秘 )
機 密第 七 一番 電
マ︺
一︱ 一九 〇 〇
︹マ
右 ハ借 ス ニ時 日 ヲ以 テ セ サ レ ハ早 急 ニ実 行 困難 ナ リ 日本 側 ニ
ニ
︹マ マ︺
テ 我 方 ノ誠 意 ヲ飽 ク迄 認 メ ス感 情 ニ走 リ事 態 重 大 セ シ ム ルナ ラ バ
ニ ヨリ 日支 双方 共 事 態 拡大 セ シ ム ル
今 次陸 軍 ノ対 支 警 告
一三
如 何 ト モ致 シ難 シ
意志 ナ シ (本 日何 應 欽 及 高橋 武 官 ニ夫 々会 見 セ ル所 ニ依 レ ハ) 一、高 橋 武官 ト会 談 中 計 ラ ス モ参 謀 次長 発 電 ヲ見 タ ルカ 二十 九 日 ノ 対 支 通告 ハ主 ト シテ 酒 井参 謀 長 ノ意 見 ニ依 レ ル モ ノ ニ シテ事 前 中 央 卜 充 分打 合 セ ナ カ リ シ モ ノ ノ如 ク中 央 ハ大 体 ニ於 テ同 意 ナ ル モ軍 事 行動 ノ意 図 ナ キ モ ノト 認 メ ラ レタ リ
秘
参
電 次
報 長
宛
昭和 一〇 年 六月 三 日
謀 ︹ 酒井隆︺ 天津軍参 謀 長
于 學 忠 昨 三十 一日 人 ヲ介 シ テ于 カ華北 独 立 ヲ企 図 ス ル場 合 日本 軍
背 後 ニ張 學 良 ア ル為 辞 職 ヲ肯 セ ス強 ヒテ免 職 シタ ル場 合 ニ于 及 部 下
ハサ ル ヘカ ラ サ ル カ為 躊 躇 シ居 ル次 第 ナ ル カ (二 日夜 来 訪 セ ル彭 學
ノ軍隊 カ反 抗 シ テ国 際 的問 題 テ モ惹 起 シタ ルト キ ハ汪院 長 責任 ヲ負
沛 モ本 官 ニ対 シ之 ト同 様 ノ話 ヲ為 シ居 タ リ) 斯 ル場 合 ニ日本 軍 ハ如
六 月 十 二 日迄 ニ要 求 実 行 セ ラ レ サ ルト キ ハ日 本 軍 ハ自 由 行 動 ヲ
何 ナ ル態 度 ヲ採 ラ ル ヘキ カ 二
モ無 駄 ナ レ ハ寧 ロ初 メ ヨリ何 等措 置 セサ ル方 優 レ ル次第 ナ ルカ右 風
執 ル ヘシト ノ風 説 ア ル処 斯 テ ハ自 己 ノ重 大 ナ ル責 任 ノ上 ニ処 置 スル
六 月 三日後 着
亜 ︹ 干城︺ 堀 内 書 記 官
于 及 軍隊 ノ反抗 ア ラ ハ何 應 欽 ノ中央 軍 ハ之 ヲ解 決 ス ル コト然 ル
支 那 側 カ遷 延 策 ヲ執 ル場 合 ニ ハ軍 ハ必要 ノ行 動 ニ出 ツ ルヤ モ計
処 置 スル様 激 励 シタ ル ニ唐 ハ実 ハ対 内 関係 ニ苦 シ ミ居 レ リト デ蒋 介
応 対 シ且于 カ 日本軍 ニ反抗 スル カ如 キ惧 ハ無 キ ニ付 勇 ヲ鼓 シテ速 ニ
ラ レ サ ル モ時 ヲ限 リ テ自 由 行 動 ヲ執 ル ヘシト ハ根 拠 ナキ 風説 ナ リ等
二
カ如 キ コト 無 カ ル ヘシ
ヨリ自 衛 手 段 ヲ執 ル ヘキ モ然 ラ サ ル限 リ進 ンテ我 方 ヨリ攻 勢 ヲ取 ル
ヘク我 方 ト シテ ハ是 等 軍 隊 ノ行 動 カ我権 益 ヲ害 ス ル様 ナ場 合 ニ ハ素
一
説 ハ果 シ テ真 ナ リ ヤ ノ 二点 ヲ武 官 ニ質 ス ニア リ之 ニ対 シ武官 ハ
ノ援 助 ヲ願 ヒ得 ルヤ ト伺 ヒ来 タリ シ ヲ以 テ斯 カ ル回 答 ハ為 ス ヘキ限
上海 本省
于學 忠 ハ目 下 頻 ニ楊 村 附 近 ニ部 下 ヲ集 メ ア リ場 合 ニ依 リ テ ハ五十
リ ニア ラ スト 答 ヘ置 キ タ リ
機
一軍 内 ニ多 少 ノ兵 乱 ア ル ヤ モ知 レ ス
一四
關 、北 、 濟 、 上 、南 、 山 スミ
昭 和 10
廣 田外務 大 臣
独断 ニテ処 置 シタ ル後 蒋 カ學 良 ヲ支 持 シ汪 ノ責 任 ヲ問 フ ヘキ コト ヲ
テ南 京 ヨリ ノ 二十数 回 ノ電 信 ニ対 シ テ 一回 ノ回電 モ無 ク汪 ト シテ ハ
石 ヨリ ハ張 學 良 ト 共 ニ北 支 問 題 ヲ処 理 ス ヘキ旨 電 報 ア リタ ルノ ミ ニ
惧 レ容 易 ニ決 シ兼 ヌ ル次第 ナ リト テ汪 一派 ノ苦 衷 ヲ述 ヘ居 タ ル趣 ナ
北 平 、天 津 、南 京 ヘ転電 セリ
リ尚 唐 ハ同 日黄 郛 及 王克 敏 ノ意 見 ヲ質 シ帰寧 セ ル由 南 京 発 貴 大 臣 宛 ︹ 不詳︺ 第 五 四七 号 ノ (一) ハ其 ノ結 果 ナ リト 思 ハル右 為 念
(委 細 武 官 ヨリ電 報済 ノ由 )
今 回 ノ 日本 軍 ノ要求 ニ関 シ何 應 欽 王克 敏 黄 郛 及 汪 兆 銘 ノ間 ニ大
二 日夕 刻 唐 有 壬 ハ武官 ヲ来 訪 セ ル カ其 ノ目 的 ハ
第 四 六〇 号 (大 至 急 極 秘 ) ︹ 簾介︺ 三日本 官 カ磯 谷 武 官 ヨリ聞 キ タ ル所 左 ノ通
一
体意 見 一致 シ之 ヲ容 ル ル コト ヲ可 ト ス ル ニ決 シ先 ツ行 政 院 長 ノ権 限 ヲ以 テ為 シ得 ル于 學 忠 ノ省 主 席 罷 免 ヨリ始 メ ムト ノ意 嚮 ナ ル カ于 ノ
一五 昭和 一〇 年 六月 四 日 一八 一五 二 一四 七
無
線
北平発 着 (三 二三 ) 支 一
沖 野︹ 海軍︺輔 佐 官
秘
参
電
次 長
報 宛
昭和 一〇 年六月 四日 謀
︹張 廷 鍔 ︺
天津軍 参謀 長
一、 于 學忠 ハ本 三 日突 然 保 定 ニ移 駐 シ今 後 天 津 ノ治安 維 持 ハ張 市 長
在北平 次官 、駐 満 海 、 旅要 、 三艦 隊 各 参 謀 長
二、 省 政府 移 転 ノ為 ノ第 三 次 列車 ハ衛 兵 其 他 約 四 百名 ヲ載 セ テ午 後
之 ニ当 ル ヘキ旨 ヲ同 人 ニ命 令 シ来 レリ
電 謀
次
報 長
宛
昭和 一〇 年 六 月 四 日
一七
關 、 北、 上 、 南 、 廣 、漢 、 濟、 奉 ス ミ
ニ出 発 ス ルヤ モ知 レ ス
秘
参
于學 忠 ハ窮 余 ノ 一策 ト シテ其 後 モ屡 々使 ヲ派 遣 シテ ﹁河 北 省 ノ独
天津 軍参 謀 長
九時 発車 セリ此 外 ニ尚 二 ケ 列 車準 備 シ テ第 五 十 一軍 ノ 一部 モ今 夜 中
次長 、漢 口、 南 京 、 上海 各 武 官
︹ 梅 津 美 治 郎 ︺ ︹酒 井 隆 ︺
︹ 通貞︺
機 密第 七 三番 電 ︹ 市 次︺
肥後 武官来談要旨 一、 駐 屯 軍 司 令 官参 謀 長大 迫 中 佐 等 ト 会 談 ノ空 気 ヨリ推 シ事 態 ヲ更 ︹マ
ニ拡 大 武 力 行使 ニ迄 及 ハント ス ル意 志 ナ キ コト確 実 ナ ル モ参 謀 長 ハ マ︺
更 ニ第 二第 三 ノ追 及 ヲ行 ハント ス ル相 当強 硬 ナ ル意 図 ヲ有 シ相 当 梢 梢 意 見 ノ隔 離 ア ルヤ ニ看 取 セ ラ ル 二、 支 那 側 ハ単 ニ華 北 問 題 ト シ テ取 扱 ヒ相 当程 度 ノ要 求 ニ応 ス ルノ
心動 揺 ヲ制 シ ツツ ア リ
用 意 ト実 行 ニ着 手 シ 一方 新 聞 報 道 ヲ抑制 シ極 力 其 ノ拡 大 ノ防 止 ト民
三、 天 津 憲兵 隊 ニ依 ル謀 殺 事件 容 疑 者 ノ捜 索 逮 捕 ハ尚峻 厳 ニ継 続 セ
立 ヲ企 図 ス ルト セ ハ日本 側 ハ援 助 シ呉 レ サ ルヤ﹂ と 思 ハセ振 リ ニ我
ラ レ 一部 怨 嗟 ノ声 ナ キ ニシ モアラ ス 四、 陸 軍 提 示事 項 正 当 ナ ル要 求 ニ付此 際 陸 海 外 一致事 件 拡 大 防 止 ト
方 ノ態 度 緩 和 ヲ哀 願 シ来 レ ル ニ対 シ ﹁当 方 ニ於 テ ハ従 来 南 京 政 府 ニ
斯 ノ如 キ 見 賺 シタ ル術 策 ハ些 細 ナ ル情 勢 ノ変 化 ニ依 リ忽 チ排 日 ニ
ナ リ テ右 ノ如 キ 言 ヲナ ス ハ噴 飯 ニ堪 ヘス
忠 実 ニ犬 馬 ノ労 ヲ取 リ 北支 ノ排 日 ニ多 大 ノ努 力 ヲ為 セ ル者 カ今 頃 ニ
ニ乗 ス ル利 権 屋 ノ跳 梁 阻 止 ノ要 ア リ ト認 ム 四︱ 一六〇 〇
支 那 側誠 意 ノ示現 ニ対 シ側 面的 ニ有 効 手 段 ヲ講 ス ル要 ア ルト共 ニ之
一六
ヘ、 天津 市 党 部 ノ解 散 及 省 党部 ノ対外 活 動 停 止 及特 務 人員 罷 免 ニ
ホ、 于 學忠 及張 廷諤ノ 罷 免 ヲ要 請 ス
関 シ建議 ス
転 向 シ易 ク今 仮 リ ニ彼 カ独 立 ヲ企 図 シ為 ニ北 支 ノ平 和 ヲ紊 ス如 キ事
ト 、第二 十 五師 ノ学 生 訓 練 班 ヲ解 散 ス
態 ヲ生 セ ハ北 支 ノ治 安 ニ重 大 ナ ル関 心 ヲ有 ス ル日本 軍 自 ラ之 ヲ強 圧 スル コト モ ア リ得 ヘシ﹂ ト揶 揄 シ置 ケ リ 北支 工作 ニ関 シ テ ハ旧東 北
報 長
宛
三、 何 應 欽 ノ述 フ ル所 概 ネ以 上 ノ如 ク ニ シテ我 カ方 ノ重 視 セ ル対 日
バ、 中央 軍 ノ撤 退 ハ最 モ苦 痛 ト ス ル所 ニシ テ如 何 ト モ致 シ難 シ
権 限 ニ於 テ ハ之 力実 現 ヲ期 シ得 サ ル モ努 力 ス ヘシ
ロ、憲 兵 第 三団 、 政 治 訓練 処 及党 部 ノ撤 退 ハ頗 ル困難 ニ シテ予 ノ
ニ関 ス ル モノ以 外 ノ具 体 的解 決 ニ就 テ ハ未 タ示 シ来 ラ ス
事 件 ヲ生 起 シタ ル コト ハ頗 ル遺 憾 ト スト ノ来 電 アリ タ ル モ第 一項
イ 、 蒋介 石 ヨリ従 来 日 支親 善 ニ努 力 シ ツ ツ ア リ シ ニ拘 ラ ス今 回 ノ
リ
シ如 何 ニ処 理 セ ント ナ シ アリ ヤト 詰問 シタ ル ニ対 シ左 ノ如 ク答 ヘタ
ル態 度 ヲ以 テ支 那 側 ノ処 置 ヲ監視 中 ナ ルカ此等 根 本問 題 ノ解 決 ニ対
機 関 ノ撤 退 ヲ必要 ト シ東 京 ヨリ強 硬 ナ ル訓 電デ リ又関 東 軍 ハ厳 重 ナ
二、 我 カ方 ニ於 テ ハ蒋 介 石 ノ抗 日政 策 ノ放 棄 及 北 支 ニ於 ケ ル其 実 行
系 及 中 央 系 勢 力 ヲ逐 次根 本 的 ニ駆 逐 ス ル ノ既定 方 針 ヲ着 々実行 ス ル ヲ要 ス ヘシ 于 學 忠 ノ右 ノ如 キ怪 ケ ナ ル言 動 ニ対 シ仏 心 ヲ現 ス ハ禁物 ト思 考 シ アリ
電 謀
次
昭和 一〇 年 六 月 五 日
一八
關 、 北 、 上 、南 、漢 、濟 スミ
秘
参
北 平 輔 佐 官
ク命 令 ス
イ 、河 北 省 政 府 及 天 津市 政 府 ニ対 シ共 同 シテ 犯 人 ヲ逮 捕 セ シ ム ヘ
又于 學 忠 ハ天 津附 近 ニ於 ケ ル行 政 、警 備 等 ニ関 シ責任 ア ル引継 ヲ実
四、第 五 十 一軍 ハ天 津 北 平 聞 ノ我 軍 用電 線 ヲ 切断 シ妨 害 工作 ヲ行 ヒ
決 スル様 引 続 キ 尽力 スル旨 答 ヘタ リ
京 政 府 ニ之 カ実 現 ヲ督 促 ス ル様努 力 ヲ押 シタ ル処 努 メテ和 平 裡 ニ解
根 本 方 針 ノ更改 及 北 支 ニ於 ケ ル抗 日諸 機 関 、 諸 部 隊 ノ撤 退等 未 タ解
ロ、 于學 忠 ニ対 シ県 長 民団 等 ノ匪 賊 ニ対 ス ル援 助 ニ関 シ調 査 ヲ命
決 ノ曙 光 ナ キ ヲ以 テ今 後 単 ニ其権 限 内 ノ事 項 ニ止 マラ ス蒋介 石 及 南
ス
チ ニ適 当 ノ処 置 ヲ講 ス ヘ シト応 ヘタ リ之 ヲ要 スル ニ何 應 欽 ノ努 力 ハ
現 セ ス シ テ保 定 ニ去 リ タ ル等 不穏 ノ行動 ア ル ニ対 シ警 告 シタ ル処 直
支 那 側 ニ対 シ我 方 ノ態度 ヲ徹 底 シ解決 ヲ促進 ス ル為 酒 井 参 謀 長 本 ︹ 北平︺ 四 日来 燕 シ高 橋 少 佐 ト 共 ニ何 應 欽 卜 会 見 セリ其 結 果 左 ノ如 シ
ハ、 蒋 孝 先 、丁 正 、 曾鑛 情 三名 ヲ 六月 一日附 命 令 ヲ 以 テ罷 免 ス
一、何 應 欽 ノ既 ニ処 理 セ ル モノ ト シテ述 フ ル所 左 ノ如 シ
二、 憲兵 第 三団 特 務 処 (処 員 二 十数 名 ) ヲ解 消 ス
テ モ十 分 ナ ル御 協 力 ヲ乞 フ
相 当 認 ム ヘキ モ ノア リ当 方 ニ於 テ 之 ヲ利 用 シ使 用 ス ル考 ナ ルカ蒋 介
難 ニテ詮 議 セ ラ レ ス商 震 ハ現 ニ天 津 警 備 司令 ノ有 力 ナ ル侯 補 者 タ ル
陳 儀、 商 震 等 ヲ候 補 者 ト シテ選 定 セ シ モ張 羣 ハ受 諾 セ ス陳 儀 ハ後任
ヲ シテ省 内 ノ全 責任 ヲ負 ハシ ムル方 針 ノ下 ニ人選 中 ニシ テ既 ニ張 羣、
一九
雨
︹ 巽︺ 宮 中
佐
暗 雲 ヲ 一掃 ス ル コト ヲ希 望 ス
ト ト致 シ度 之 カ為 ニ ハ段階 ヲ設 ケ テ逐 次 且 絶 エス努 力 シ終 ニ現在 ノ
五 、今 回 ノ北 支 問 題 ヲ契機 ト シ将 来 日支 両 国 ハ 一切相 抗 争 セ サ ル コ
ノ成都 行 モ此 辺 ノ消 息 ヲ語 ル モノ ニア ラ サ ル カ
セ シメ タ ル モノ ナ リト テ大 ニ學 良 ノ非 ヲ攻 撃 シ居 ルヲ以 テ今 回 學良
予 防 シ得 タ ル ニ張 學 良 ノ妨 害 ニテ之 ヲ延 期 シタ ル為 遂 ニ時 局 ヲ紛糾
四 、蒋 介 石 ハ今 回 ノ北 支問 題 ハ昨年 省 政 府 保 定移 駐 ヲ実 施 セ ハ之 ヲ
モ未 タ決 定 スル ニ至 ラ ス
石 及 国 民 党部 ノ態 度 ニ対 シ頗 ル不徹 底 ナ ルヲ 以 テ関 係 方面 ニ於 カ レ
至急
宛
昭和 一〇 年 六月 六 日 報 長 南京
關 、 臺 、 上 、天 、 奉 、 濟 、 南 、漢 、廣 、 山 、 承 機 、 混旅 スミ
秘
電 次
六 、 以 上之 ヲ要 スル ニ南京 政府 ハ誠 意 ヲ以 テ北 支問 題 ノ処 理 ニ従 事
謀
本 五 日午 前 十 一時 ヨリ唐 有 壬ト 外 交 部 ニ於 テ北 支 問 題 ニ就 キ懇 談
自 ラ其 責 ニ当 リ速 ニ之 ヲ解 決 ス ヘク努 力 中 ニシテ決 シテ故 意 ニ其 解
参
シ我 カ方 ノ希 望 ヲ述 ヘシカ席 上 彼 ノ語 リ シ要 旨 ︹ 四川︺ ︹ 甘粛︺︹ 陜西︺ 一、 于學 忠 ヲ川 、 甘 、 陜剿 匪総 司 令 ニ任 ス ル件 ハ蒋 介 石 ヨリ ノ来 電
決 ヲ遷 延 セ ント スル意 志 ナ シ云 々
右 ニ対 シ小官 ハ概 要 左 ノ如 ク応 酬 シ置 ケ リ
シ アリ其 政 治 ニ関 シ テ ハ汪精 衛 院 長 、 軍 事 ニ関 シテ ハ蒋 介 石 委 員 長
ニ依 リ本 日午 前 ノ中 政会 議 に於 テ内 定 シ明 六 日 ノ臨 時 行 政 院会 議 ニ 提 出 シ決 議 ヲ見 ル コト ト ナ レリ追 テ于 學 忠 ノ軍隊 ハ近 ク陜 西 省 方 面
究 極 ニ於 ケ ル日支 根 本 問 題 ヲ打 開 ス ル如 ク之 ヲ導 ク ヲ要 ス之 カ為
ハ解 決 セ サ ル モノ ナ ル ニ付 中途 ニ於 テ挫 折 セ サ ル如 ク勇 気 ヲ出 シ
テ 南京 政 府 ヨリ勧 誘 セ シ モ彼 ハ華 北 ノ同 僚 タ ル于學 忠 ヲ逐 出 シ自 ラ
ニ ハ蒋 介 石 、 汪精 衛 等 カ責 任 ヲ回避 セ ス進 ン テ自 ラ難 局 ニ当 リ以
イ 、 北 支問 題 ニ関 シ唐 次 長等 ノ努 力 ハ認 ム ル モ行 ク所 迄 行 カ サ レ
其席 ニ座 ル ハ情 ニ於 テ忍 ヒ スト号 シ容 易 ニ受 諾 セ サ ル ヲ以 テ己 ム ヲ
テ局 面 ノ打 開 ニ任 ス ル コト 極 メテ 必要 ナ リ
ニ移 駐 ス ル コトト ナ ル ヘシ
得 ス民政 庁長 張 厚 〓 ヲ シテ臨 時 代 理 セシ ム ル コト ト セリ張 厚 〓 ハ日 ︹ 張燕卿︺ 本 出 身 ニシテ満 洲 国 ﹁張 ﹂ 外 交部 長 ノ甥 ニ当 リ張 之 洞 ト モ親 戚 関 係
シタ リ (唐 次 長 ハ本 件 ニ関 シ特 ニ時 間 ト仕 事 ノ分 量 ト ノ調和 ニ就
拡 張 、完 全 ナ ル責任 者 ノ出 場 等 ヲ必要 ト ス ル旨 従 来 ノ説 明 ヲ繰 返
二 、何 應 欽 ノ省 主 席 兼 任就 任 ニ就 キ テ ハ再 三 、再 四電 報 竝 書 信 ヲ以
アリ
ロ、 北 支問 題 解決 ニ当 リ テ ハ迅速 ナ ル処 置 禍 根 ノ芟 除 及其 区域 ノ
三、 河 北 省 政 府 主席 ノ後 任 ハ将 来 該 省 ヲ実 質 的 自 治 省 ト ナ シ省 主 席
キ 考慮 セ ラ レ度 ト 申 入 レタ リ)
本 七 日唐 有 壬 本官 ヲ来 訪 シ軍 側 ノ要 求 ト 認 メ ラ ル ル点 ハ殆 ト 全 部
蒋 介 石 ヨリ ノ伝 言 ニ依 レ ハ蒋 モ軍 側 真 意 那 辺 ニア ルヤ捕 捉 スル ニ苦
ニ帰 寧 ノ由 ) ハ特 ニ貴 官 ニ就 キ右 事 情 ヲ確 カ メ旁 廣 田大 臣 ノ考 慮 ヲ ︹ 丁紹〓︺ 得 度 シ ト思 ヒ居 レリ 又 丁参 事 官 (廿 八 日成 都 発本 日着 寧 ) ノ齎 セ ル
ラ ル ル処 汪 院 長 (学 生軍 事 教 練 ニ関 連 シ蘇 州 ニ赴 ケ ルカ 二、 三 日 中
ニシテ教 科 書 ハ勿 論 新 聞 、雑 誌 等 ノ教 材 論 調 ノ取 締 ヲ徹 底 的 ニ実
難 キ ヲ忍 ンテ実 行 セ ル ニ モ拘 ラ ス日本 側 ハ尚 釈然 タ ラ サ ル様 見受 ケ
施 ス ル外 所有 手段 ヲ以 テ民 衆 ニ対 シ日本 ヲ正当 ニ理 解 セ シ ム ル コ
ミ居 ル由 ニテ 一部 ニ ハ日 本側 要 求 ヲ中 央 軍 ノ四 川剿 匪 一向 ニ進 捗 セ
ハ、此 機 会 二於 テ将 来 両国 カ永 久 ニ抗 争 セ サ ル如 ク善 処 スル ハ至
ト ヲ希 望 ス本 日 ノ救 国 日報 ノ論 説 (日本 ノ平 和 交 渉 ノ後 ニ ハ必 ス
ヘタ ル ヲ以 テ本 官 ヨリ北 支 ヲ現 在 ノ情 勢 ニ立 至 ラ シ メタ ル責 任 ハ支
極 同意 ナ ル モ之 力為 ニ ハ単 ニ (イ) 項 ノ実 現 ノ ミナ ラ ス終 始 絶 大
侵 略 手 段 ヲ伴 フ云 々) ノ如 キ 又 ハ上 海 ﹁チヤ イ ナ、 ウ イ クリ 、 レ ︹ 不詳︺ ヴ ユ﹂ ( 週 刊 ) ノ日 本中 傷 記 事 (天津 電 報第 五〇 九 号 参 照 ) ノ如
ス禍根 ヲ芟除 ス ル コト 必 要 ナ リ軍 側 申 入 ニ付 不 明 ノ点 アラ ハ早 速 何
那 側 ニ存 ス ル次 第 ナ レ ハ (此 ノ点 唐 モ否 定 セ ス) 姑 息療 治 ニ満 足 セ
ナ ル努 力 ヲ 以 テ民 衆 ノ認 ム ル対 日観 念 ノ是 正 ニ邁 進 ス ル コト必 要
キ共 ニ遺 憾 ナ ル ヲ以 テ速 ニ適 当 ノ手 段 ヲ講 セラ レ度 (唐 有 壬 ハ新
應 欽 ニ照 会 スル コト 然 ル ヘシト応 酬 セ ル処 唐 ハ何 ニ於 テ処 断 シ難 ク
ス蒋 カ剿 匪 ニ追 ハレ居 ル時節 柄 ニ モ結 着 ケ 憂 慮 シ居 ル モノ ア リト 述
聞 ニ対 シ テ ハ速 ニ処 理 ス ル旨 回答 セリ)
又 全然 停 戦 協 定 ノ範 (囲 ) ヲ逸 脱 セ ル事 項 例 ヘ ハ日支 経 済合 作 及 一
六月 七日後着
亜
須 磨 総 領 事
モ充分 御 了解 ノ上本 件 ノ和 平 解 決 ヲ見 ル様 御 尽力 ア リタ シト述 ヘタ
ト思 ヒ聯 盟等 ヲ モ全 然 相 手 ニシ居 ラ サ ル次 第 ナ レ ハ此 ノ点 ハ日本 側
現 在 ノ日 支関 係 ニ モ顧 ミ又 復 以 夷制 夷 ノ非 難 ヲ受 ク ル ハ面 白 カ ラ ス
リト述 ヘ更 ニ支 那 ハ過 激 分 子 ヲ抑 ヘ付 ケ新 聞 ヲ完 全 ニ統 制 ス ル 一方
ニ何 ヨリ軍 ニ命 令 ス ル モ事 ヲ起 サ スシ テ之 ニ応 ス ヘキヤ否 ヤ疑 問 ナ
次 第 ナ リ中 央 軍 ヲ撤 退 セ ハ河 北 省 ノ独 立 ヲ モ誘 致 スル ニ至 ル ヘク仮
ナキ 地帯 ニ駐 屯 スル中 央 軍 ノ 一律 撤 退 ヲ要 求 セ ラ ル ル ハ了解 ニ苦 ム
カ御満 足 ノ行 ク様 致 ス ヘキ モ支那 領 土内 ニシ テ而 モ停 戦 協 定 ト関 係
第 二師 、 第 二十 五師 ノ駐 屯 ニ御 不満 ナ ラ バ交 替 等 ノ措 置 ヲ講 シ何 ト
テ研 究 セラ ル ル コト 筋 道 ナ ルヤ ニ存 セ ラ ルト 述 ヘタ ル上 日本 側 ニテ
般 両国 間 政 治 問 題 ノ如 キ ハ当然 貴 方 外 交 官 憲 ト南 京 政府 ト ノ間 ニ於
本 会 見 ノ結 果 竝 従 来 ノ態度 ニ鑑 ミ小 官 ハ ﹁ 今 次 ノ北 支 交 渉 ヲ機 ト ︹マ マ︺
シ日支 根 本 問 題 解 決 ノ為 蒋介 石 ヲ引 出 ス コト ハ必 スシ モ不 可能 ニア
ヘシ﹂ ト判 断 シタ リ
南京 本省
ラ ス又 少 ク モ河 北 省 ヲ停 戦 地域 ノ如 キ文 字 ノ自 治 省 ト為 ス コト ヲ得
二〇 暗
關、 北 、 天 、 濟 、 上 、漢 、 廣 スミ
昭和10
廣 田外務大 臣
第 五 五 八号 (極 秘 ) ︹ 不詳︺ 往 電 第 五五 〇 号 二関 シ
︹ 黄 郛︺
リ彼 等 ハ 一時 失脚 シ孫 、 宋 之 ニ代 ル ヘキ ハ致 方 無 シ (尤 モ彼 等 ハ時
︹ 孫 科 ︺︹ 宋子文︺
五、 尚 要 求 貫 徹 ノ結果 蒋 カ失 脚 セ サ ル時 反動 ハ必 ス汪 、 黄 一派 ニ来
ハ武 力 行使 ハ天津 軍 ニテ可 ナ ル ヘキ趣 ナ リ)
カラス ( 今 ナ ラ ハ大 軍 ヲ動 カサ スシ テ可 能 ニシ テ武 官 ノ観 測 ニ依 レ
全 部 貫 徹 ス ル ヲ要 シ之 カ実 現 ニ ハ武 力 ヲ行 使 スト迄 腹 ヲ極 メ サ ル ヘ
四 、 従 来 ハ大 ヲ要 求 シ小 ヲ得 ント シ タ ル傾 向 ア ル モ今 回 ハ我要 求 ヲ
央 ノ問 題 即 チ蒋 及 南 京 政 府 ノ政 策 ノ是 正 ヲ目 的 ト ス ヘシ
三、 支 那側 ハ極 力 本 問 題 ノ地 方 的 局限 ヲ欲 シ居 ル モ (例 ヘ ハ于 學 忠
亜
ノ更 迭 等 ニ依 リ之 ヲ解 決 セ ント シ居 レリ) 吾 人 ハ断 然 之 ヲ排 撃 シ中
六月七日後着
ル ヲ以 テ本 官 ヨリ ハ累 次申 入 レ居 ル我 方 主張 ヲ強 調 シ支 那側 英 断 以
支 、北 平 、 天 津 、 満 ヘ転 電 セリ
二一
機
北平 本省
外 本件 解 決 ノ途 ナ シト 応 酬 シ置 ケ リ
昭和 10
廣 田外務大 臣
勢 変 リ テ後 日 一層 鞏固 ナ ル地 位 ヲ得 テ再 ヒ政 権 ヲ握 ル ニ至 ル ヘシト 附 言 セ リ)
若 杉 参 事 官
本 官 発支 宛 電 報
第 一七 四号 (極 秘 )
中 央 ヨリ許 可越 セ ルヲ 以 テ自 分 ノ意 見 ニ異 議 無 カ ル ヘシト述 ヘ居 タ
在北平
無
リ大 臣 、 南 京 、 天津 ニ転 電 セ リ
二二 昭和 一〇 年 六 月 九 日
一五 二 〇 二 一 三五
線
(六八九)支 二
沖 野︹ 海 軍︺輔 佐 官
北平発 着
六、 武 官 ハ前 記 ノ意 見 ヲ具 申 シ今 回 ノ出 張 許 可 ヲ禀 請 セ ル趣 ナ ル カ
第 一 二一号 ︹ 盛 一、公使館二等書記官︺ 本 野 ヨリ ︹ 正︺ 本 官 北 上 ノ途 次 同 車 セ ル磯 谷 武官 ノ花 谷 武 官 等 ニ対 ス ル談 話 要 領 左 ノ如 シ 一、 満 洲 事 変後 既 ニ 三年 以 上 経 過 シ居 ル モ蒋介 石 ハ自 己 ノ野 望 達 成 ノ為 依 然 ト シテ 対 日満 裏 面 工 作 ヲ改 メ サ ル処 内 外 ノ情勢 ニ鑑 ミ今 日 ハ彼 ノ政 策 ヲ是 正 シ其 ノ具 タ ル政 治団 体 ヲ少 クト モ華 北 ヨリ駆 逐 ス
次官 、 三艦 隊 参 謀長 、 在支 各 地武 官 、
ル好 時 機 ナ リト モ認 ム尤 モ吾 人 ハ蒋自 身 ヲ倒 ス コト カ直 接 目 的 ニ非
次長 、 駐 満 海 、 十 一戦 隊 、 各 司 令 官 、
旅要 、五水戦各司令官
ス シテ蒋 ノ行 ヘル政策 ヲ不可 ト ス ル モノ ナ リ然 シ蒋 ニシテ 我要 求 ヲ
機 密第 七 六番 電
(其 ノ 一、 二)
二 、華 北 ニ対 ス ル今 回 ノ要 求 貫 徹 ハ満 洲 国 承認 工作 ノ第 一段 ニ外 ナ
容 レ ンカ必 ス失脚 ス ヘシ
北支時 局重大化
一、 六 日附 陸 軍 中 央 ヨリ ノ訓 電 ヲ中 心 ト シ天 津 ニ於 テ磯 谷 武 官 ヲ交
ラ ス (蒋 ノ圧 迫 ニ依 リ今 日支 那 人 カ表現 シ得 サ ル満 洲 問 題解 決 ノ要 望 ヲ可 能 ナ ラ シ ム ヘシ)
へ協 議 ノ結 果 竝 ニ関東 軍 ノ 七 日附 出 動 準 備 決意 ト ニ依 リ本 九 日午 前 何 應欽 ニ対 シ テ相 当強 硬 ナ ル要 求 ヲ提 出 ス ル モノ ト見 ラ ル 二、吾 等 二十 年 来 ノ宿 望達 成 ノ好 機 来 レ リト テ磯 谷武 官 ノ語 ル所 ニ
関 東 軍 ハ二旅 団 一騎 兵 旅 団 二飛 行 中 隊 ニ対 シ古 北 口及 錦 州 ニ
依レハ イ
昭 和 10
廣 田外務 大 臣
第 一七 七 号 (至 急 、極 秘 扱 )
暗
北平
本省
六月十 日前着
亜
若 杉 参事 官
九 日酒 井参 謀 長及 高 橋 輔 佐 官 ハ何 應 欽 ヲ訪 問 シ酒 井 ヨリ前 回申 入
ノ趣 旨 ヲ繰 返 シ本件 交 渉 ノ根 本 義 ハ蒋介 石 ノ誤 マレ ル政 策 ニ基 ク弊
北 支駐 屯 軍 交 代 兵 ハ約 二倍 ノ勢 力 ア リ帰 還部 隊 ノ出 発 時 機 モ
集 中 ヲ命 令 セ リ ロ
害 ヲ 一掃 シ其 ノ根本 政 策 ヲ是 正 セ ント ス ル ニア ル ヲ以 テ 其 ノ政 策 ヲ
変 更 セ サ ル限 リ今 回 ノ如 キ交 渉 ハ際 限 ナク続 発 ス ル ニ至 ル ヘキ旨 ヲ
延 期 サ ル ヘシ ハ
中 央 訓 令 ノ要 求 ト希 望 ト ニ ハ何 等 区 別 ヲ附 セ ス 一括 要 求 シ事
項 ノ性 質 ニ依 リ実 行 期 限 ニ長 短 ヲ附 ス恐 ラク 戦 ハス シテ目 的 ヲ達
力 説 シ タ ル上 既 ニ提 出 セ ル申 入事 項 ノ実 行 状況 ヲ逐 一点 検 シ往 電 第 ︹ 註︺ 一七 〇 号 処 分 ノ外憲 兵 第 三団 及 政 治 訓 練 所 ノ撤 退 ヲ命 シ タ ル コト 両
シ得 ヘキ モ戦 ノ決 意 ト 準 備 アリ
国 国 交 ヲ害 ス ル惧 ア ル秘 密 機 関 ニ付 テ ハ関 係筋 ニ対 シ取 締 ヲ厳 ニシ
河 北省 ヲ停 戦 区 域 内 ノ 一自 治 省 ト ナ ス僅 ノ事 ハ可 能 ナ リト 判
ニ
│ 第 二及 第 二十 五 師 ノ撤退 ニ付 テ ハ中 央 ノ所管 ニ属 ス ル故 ヲ以 テ何
第 五十 一軍 ノ移 駐 ヲ開 始 セ ル コト ヲ確 メ残 ル事 項 即 チ党 部 及 中 央 軍
存 在 セ シ メ サ ル様 既 ニ訓 令 セル コト 並 ニ予 學忠 ノ罷 免 及 其 ノ部 下 ノ
三 省 一致 対支 方 針 ノ如 キ ハ意 ニ介 セ ス此 ノ際 強行 スル ニ如 カ
断 シ アリ
ス
ホ
三、 宋 哲 元等 ハ従 来 ノ我 強 圧 ニ憤 慨 シ破 ル ルト モ戦 ハント スル決 意
シテ十 二日 ニ ハ天津 ニ於 テ軍 関 係 者 会 合 ノ筈 ニ モア リ右 ハ撤 退 ノ能
應欽 ニ於 テ頗 ル難 色 アリ タ ル モ酒 井 ハ我 方 ノ要 求 ハ絶 対 的 ノ モノ ニ
否 ヲ論 スル ニ非 ス シテ其 ノ実 行 期 日 ノ問 題 ナリ ト迫 リ何 應 欽 ハ兎 ニ
ア ル旨 ノ情報 ア リ河 北 各 軍 ニ於 テ モ感 情 上 衝 突 ハ免 レサ ル ヘシト ノ 意 ヲ漏 ラ ス モ ノア リ
角 中 央 ニ請 訓 シタ ル上 十 二 日迄 ニ回 答 ス ヘシト答 へ尚 五十 一軍 ノ移
以 上 ノ次第 ナ ルヲ以 テ我 方 ヨリ ハ要 求 ニ回答 期 限 ヲ附 ス ル必要 ナ
何 ヨリ 鉄道 輸 送力 等 ヲ調 査 シタ ル上 通報 ス ヘシト 答 ヘタ ル趣 ナ リ
ル処 酒 井 ハ斯 テ ハ長 過 キ ル故 其 ノ期 間 ヲ短 縮 セ ン コト ヲ主 張 シ結 局
ル コト ニ定 メ 一箇 月 内 ニ ハ河 北省 外 ニ撤 退 ス ヘシト何 ヨリ申 出 テタ
駐 ハ十 一日迄 ニ天津 東 部 ヨリ撤 退 更 ニ七 日 内 ニ北 寧 沿 線 ヨリ撤 退 ス
四、 平 津 方 面 人 心再 ヒ動 揺 シ謡 言 盛 ナ リ 反 中 央 分 子 ノ暗 躍 益 々盛 ト ナ リ前 途 予測 シ難 キ ニ鑑 ミ外務 官 憲 ニ
九︱ 一 一 三〇
於 テ モ居 留 民 保 護 ニ関 シ 万全 ヲ期 ス ヘク着 々準 備 中 ナ リ
二三
キ ニ至 レ ル趣 ナ リ
謀
電 次
長
報 宛
昭 和 一〇 年 六月 一 一日
二四
︹ 註︺ 六月五日付北平輔佐官電 (八七頁 )に見 える何應欽 の処置 をさす
支 、天 津 、 南 京 、 濟 南 、青 島 、漢 口、 廣 東 、福 州 へ転 電 セ リ
秘
参
天津軍 参謀 長 九 日 小官何 應 欽 ト会 見 ノ際 何 應 欽 ハ中央 軍 ノ撤 退 ヲ何 故 ニ強 硬 ニ 要 求 ス ルヤ ト反 問 シタ ル ヲ以 テ ﹃熱 河 作 戦 ニ於 テ関 東 軍 ニ挑 戦 シタ ル原 動 力 実 ニ中 央 軍 ナ リ今 回 ノ事 件 ニモ主要 ナ ル ﹁バ ック ﹂ ト為 リ 策動 シ現 ニ藍 衣 社 、 勵志 社 ノ母 体 ト ナリ 又 政治 訓 練 処 其 他 排 日 的 策 源 ヲ統 制 シ ア ル等 動 カ ス ヘカ ラ サ ル証 拠 ア リ﹄ ト説 明 シ タ ル所何 應 欽 ハ唖 然 ト シ テ何等 反 駁 ス ル所 ナ カ リキ 支 那 側 ハ勿 論 日本 人 ニテ モ 此 辺 ノ理 由 ヲ承知 セ サ ル モノ ア ル ニ付御 参 考 迄
謀
電
二五
次
長
報 宛
昭 和 一〇 年 六月 一 一日
至急
関 、 上 、 南 、 漢 、 濟 、廣 、 台 ス ミ
秘
参
天津軍 参謀 長
九 日夜 小 官 帰 津 ノ車 中 ニ於 テ楊 村 東 側 地 区 ニア ル我 カ軍 用電 柱 ヲ
ル処 楊 村 附 近 ノ于 學忠 軍 隊 ノ所 為 ト認 定 セ ラ ル仍 テ北 平 武 官 ヨリ何
焼 却中 ナ ル ヲ目 撃 シタ ルヲ 以 テ本 十 日 将校 以 下 ヲ シ テ実 査 セ シメ タ
應 欽 ニ対 シ斯 ク ノ如 キ 不届 ナ ル第 五 十 一軍 ハ今 ヤ 一刻 モ平 津 地方 ニ
モ二週 間 以内 ニ河 北省 ヨリ撤 退 ヲ強 行 ス ル様 厳 重要 求 セ ラ レ且 我 カ
存 在 ス ル コト ヲ許 サ レ ス最 短 期 間 (三 日位 ) ニ北 寧 沿 線 ヨリ又 遅 ク
二六
關 、 北 、 上 、 南 、漢 、廣 、 臺 スミ
至急
電 次
報 長
宛
昭和 一〇 年 六月 一 一日
謀
北 平 輔 佐 官
軍 ハ右 撤 退 ノ実 況 ヲ監 視 ス ル手 配 ヲ完 了 シ ア ル旨 通告 セ ラ レ度
秘
参
本 十 日午 後 六 時何 應 欽 ヨリ左 ノ通 リ回答 ア リ
1、 十 日 附 命 令 ヲ以 テ河 北 省 内 党 部 ノ即 日撤 退 ヲ開 始 セ シ ム
一、 中 央 ヨリ 次 ノ訓 令 ヲ受 領 セ リ
2 、 第 五 十 一軍 ハ明 十 一日 ヨリ鉄 道 輸 送 ヲ開 始 シ二十 五 日 完 了 ノ
ル時 ハ撤 退 ノ完 了数 日遅 延 スル コト ナ キ ヲ保 シ難 シ
予 定 ヲ以 テ河 北省 外 ニ撤 退 セ シ ム ヘシ但車 輛 ノ 不足 又 ハ其 故 障 ア
3、 第 二師 、 第 二 十 五師 ヲ河 北 省 外 ニ移 駐 セ シ ム ル ニ決 定 セ リ
4、 国 民 政 府 ハ近 ク 全国 ニ対 シ排 外 排 日 ヲ禁 止 ス ヘク命 令 ヲ発 ス
ル コト ニ決 定 セ リ
1 、第 五 十 一軍 ハ概 ネ 三 日内 ニ北 寧 沿 線 ヲ去 ラシ メ 又対 日 不 法 行
二 、 右 ニ就 キ何 應 欽 ハ左 ノ如 ク附 言 セ リ
︹ 前電︺ 今 次 ノ事 件 ハ既 ニ北 平 電 第 四 六〇 号 ノ如 ク支 那側 ニ於 テ軍 ノ要 求
ヲ悉 ク承 諾 シタ ルヲ以 テ交 渉 茲 ニ 一 段 落 ヲ告 ケ 今後 其 実 行 ヲ監 視 ス
ニ鑑 ミ中 央 策 定交 渉 処 理 要 綱 其 一、第 一ノ要 求 事 項 ハ其大 部 ヲ既 ニ
尚 軍参 謀 長 ノ談 ニ依 レ ハ九 日 北 平 ニ於 ケ ル交 渉 ニ際 シ現 地 ノ情 勢
ル ノ ミト ナ レリ
2 、 中央 軍 ハ数 日中 ニ北 平附 近 ヲ去 リ先 ツ長 辛店 附 近 ニ移 動 シ爾
ルヲ 以 テ併 セテ 一気 ニ解 決 ス ヘク要 求 シ且其 際 ﹁全 支 那 ニ 亘 ル排 日
承 諾 シ ァ ル ノミ ナ ラ ス更 ニ第 三希 望事 項 モ応 諾 ス ヘキ見極 メ 立 チ タ
為 ナキ様 厳 ニ訓 戒 ス
一ケ 月 ヲ要 ス ル予定 ナ ル ヲ諒 承 セラ レ度
宛
謀
電 総
長
報 宛
昭和 一〇年 六月 一二日
二八
書 ヲ以 テ 回答 ヲ取 附 ク ル ノ件 ハ既 ニ処 置 済
秘
参
今 次 ノ北支 問 題 ニ就 テ ハ既報 ノ如 ク支 那 側 ニ於 テ ハ我 カ方 ノ要 求
天 津軍 司令 官
シテ本 件 ハ今 後 ノ外 交交 渉 ニ好 都 合 ナ リト 思料 セラ ル参 考 ノ為 尚 文
右 ノ結 果 北 平 電第 四 六〇 号 第 一項 ノ四 ノ如 キ 回答 ヲ見 タ ル次第 ニ
附 言 シ置 キ タ ル由
ト緊 要 ナ リ本 件 ハ孰 レ南 京 ニ於 テ政 府 ヨリ交 渉 セ ラ ル ヘシ云 々﹂ ト
ハ事 極 メ テ重大 ナ ル ヲ以 テ至 急 中 央 政府 ニ取 締 方 厳 ニ注 意 ヲ促 ス コ
後 成 ル ヘク速 ニ移 駐 セ シ ム ヘキ モ第 五十 一軍 輸 送 ノ関 係 モア リ約
3 、 従来 約束 シタ ル爾 他 ノ事 項 モ確 実 ニ実 行 セ シ ム ︹ 本書七八頁︺ 以 上 ノ通 リ支 那側 ニ於 テ ハ北 平電 第 三 八三 号 要 求事 項 ヲ悉 ク実 行 ス ル コト ト ナリ タ ル モ実 行 未 タ 完 了 セサ ル ヲ以 テ当 方 ニ於 テ ハ左 ノ 如 ク之 ヲ発 表 セリ ﹁支 那 側 ハ我 カ方全 要 求 ヲ容 レ今 回 ノ問 題 ヲ和 平裡 ニ解 決 スル コ ト ニシ度 旨 本 日 何應 欽 ヨリ回 答 シ来 レリ﹂
二七
報 長
天津 軍参謀 長
關 、 臺 、 天 、奉 、濟 、 漢 、南 、廣 、 上、 山 、 承機 、混 旅 スミ
秘
電 次
昭和 一〇 年 六 月 一 二日
謀
ヲ悉 ク 承 認 シ兵 力 ノ使 用 ヲ見 ス シテ茲 ニ 一 段 落 ヲ告 ク ル ニ至 リ シ ハ
参
︹ 誠 一︺ 喜 多 大 佐 ヨリ、 第 一号 電 返
慶 幸 ト ス ル所 ナ リ当 軍 ハ今 後 引 続 キ之 カ確 実 ナ ル実 行 ヲ厳 重 ニ監 視
シテ十 分 ナ ル実 績 ヲ収 メ ン コト ヲ期 ス今 次 事 件 交 渉 間 ニ於 テ各 方 面
本 十 一日天 津 ニ到着 シ東 京 ニ於 ケ ル空 気 ノ 一般 竝 要 件等 ヲ伝 達 セ リ
令
部
一致 ノ歩 調 ヲ以 テ懇 切強 力 ナ ル御 指導 ト御 援 助 ト ヲ賜 ハリ タ ル ニ対
關 、 北 、 上 、南 、 廣 、 混 旅 スミ
シ茲 ニ深 甚 ナ ル謝 意 ヲ表 ス
二九 昭和 十 年 六月 十 四 日 軍 ︹ 喜代間︺ 藤 原 部 員参 謀 本 部 ニテ聴 取 セ ル事 項 其 ノ 二 ︹ 芳太郎︺ (主 とし て支 那班 川本 少 佐 より )
一、 右 によ り (前 に 回覧 せ るも の)関 東 軍 は遽 か に原案 によ り交 渉 を開 始 す る が如 き こと は な か る べし (川本 少 佐 意 見 ) 二、 本 件 に関 し 参謀 本部 支 那 班 員 の意 見 左 の如 し
昭和10
廣 田外 務 大 臣
第 一八七 号 張 家 口発 本 官 宛 電 報 第 八号 大 臣 へ転 電 ア リタ シ 第 一 一号
暗
北平 本省
六月十 四日前着
亜
若 杉 参 事 官
華 北事 件 以来 宋 哲 元 下 野 要 求説 等 ニテ当 地 人 心 動揺 ノ徴 ア リ タ ル
内 ニ回 答無 キ時 ハ我 軍 ニ於 テ自 由 行動 ヲ執 ル ヘシト 通告 シタ ル趣 ノ
一日 宋 ノ代表 ト シ テ秦 徳 純 ヲ呼寄 セ要 求 条 件 ヲ提 示 シタ ル上 五 日以
折 柄 六 月 六 日張 北 縣 ニ於 テ第 百 三十 二師 ノ兵 ノ為 ニ我特 務 機 関 員 抑 ︹ 本書七三頁以下︺ ︹ 源之助︺ 留 訊 問 セ ラ レタ ル事 件 ア リ之 ニ対 シ当地 松 井 中 佐 ヨリ厳 重抗 議 シ十
の際 黄 河 以南 に撤 退 を 要求 す る如 き は同意 出来 ず 寧 ろ軍 事 分 会 を し
テ北 平 ニ赴 キ タ ル由 尚 当 時 秦 ハ極 メ テ憔 悴 シ居 タ ル点 ヨリ見 テ支 那
処 翌 十 二日朝 ニ至 リ秦 ハ省 政府 幹 部 ノ家 族 殆 ト 全 部 ヲ同 伴 専 用 車 ニ
﹃陸 軍 中 央 とし ては 宋哲 元軍 の察 哈 爾 省 外撤 退 は希 望 し居 るも 此
て容 易 に実 行 せ し む る た め黄 河 以 北 平漢 線 沿線 等 の比 較 的 収 入豊 な
側 内 部 ハ相 当動 揺 シ居 ル モノト察 セラ ル又 両 三 日 来 当 地軍 隊 カ盛 ニ
る地 に移 駐 せし む る様 指導 す る を得 策 と す﹄
ツ ツ ア ル モノナ リ ト テ市 中 ニ謡 言蜚 語盛 ナ リ
東 北 方 ニ移 動 シツ ツ ア ル事 実 モ アリ右 ハ密 カ ニ日満 軍 ノ進 撃 ニ備 ヘ
電
報
昭和 一〇 年 六月 一四 日
三一
四、 今 後 北 支 に中 央系 勢力 の再 出 現 問 題 に関 し て は参 謀 本 部 と し て
秘
は ﹃中 央 軍 ( 第 二 師 、第 二十 五師 に限 らず )当 部 其 の他 排 日機 関 の 再 出 現 は許 さざ るも 内政 に関 し中 央 系機 関 の出 現 は何 等 拒 否 せ ん と
か政 権 を握 る も厭 ふと ころ に あら ず ﹄
す る も のに非 ず 要 は 日満 支 の関 係 を調 整 し 行 き得 るも のな ら ば何 人
三〇
参
謀
次
長
宛 南京
雨
宮
中
佐
昨 十 二日 午 後唐 有 壬 ノ申 込 ニ応 シ之 ト 会 セ シカ其 際 彼 ハ去 十 日何 應欽 カ 口頭 ヲ以 テ為 セ ル回答 ニ依 リ北 支 問 題 一段 落 ト観 度 キ旨 申 出 テ タ ルヲ以 テ小 官 ハ ﹁我 方 ノ要 求 ヲ完 全 ニ実 行 シ終 リ タ ル時 ヲ以 テ 一段 落 ト観 ル ヘク 全 支 ニ亘 ル排 日行 動 ノ停 止 、排 日団 体 ノ解 散 等 ハ 即時 之 ニ着 手 セ サ レ ハ容 易 ニ之 ヲ完了 シ得 サ ル ヘク単 ナ ル口頭 ノ回 答 ヤ 一片 ノ命 令 ヲ 以 テ 一段 落 ト ナ スト キ ハ実 行 ヲ渋滞 シ却 テ 不慮 ノ 事件 ヲ惹 起 シ従 来 ノ苦 心 ヲ水 泡 ニ帰 スル ニ至 ル虞 ア ル ヲ以 テ此 際 益 益 緊 張 シ要 求事 項 ノ実 行 ニ邁進 シ且将 釆再 ヒ之 ヲ繰 返 サ サ ル如 ク処 置 ス ヘキ旨 ﹂ 説 明 シ置 ケ リ尚 本 会議 中 唐 次 長 ハ ﹁此 上 更 ニ天 津 軍 ヨ リ新 要 求 ヲ追 加 サ レ而 モ夫 カ何 應 欽 ノ権 限 外 ニ亘 ルト キ ハ何 應 欽 ノ 立 場 カ無 クナ ル﹂ ト テ泣 言 ヲ竝 ヘタ ル ヲ以 テ新 事 件 発 生 セ ハ新 要 求
天津軍 参謀 長
之 ニ伴 フ ハ当然 ナ リ ト圧 へ置 ケ リ因 ニ宋 哲 元 軍 ノ邦 人 監 禁事 件 ニ ハ
報 長
宛
昭 和 一〇 年 六月 一七 日
三二
未 タ言 及 シア ラ ス (關 、 北 、 天 、 濟、 上 、 スミ)
秘
電 次
ル カ日 本側 ハ之 ヲ援 助 スル ヤト 質 シタ ル ヲ以 テ小 官 ハ目 下 ノ情 勢 ニ
因 ニ彼等 ハ學良 系 ト関 係 ア ル コト 上海 電 第 五 二 二号 ノ如 ク ニ シテ
於 テ北 支 ノ治 安 ヲ紊 スカ如 キ行 動 ハ 一切許 サ スト応 酬 シ置 ケ リ
参考迄
報 長
宛
天津軍 参謀 長
此 際 北 支 ニ學 良 ノ勢 力 ヲ保 持 セ ント ス ル肚 ナ ルカ如 ク観 察 セ ラ ル
電 謀
次
昭和 一〇 年 六 月 一八 日
三三
關 、 上 、 北 、南 、 廣 、 山 スミ
秘
参
劉 燧 昌 来 訪 シ察 哈爾 問 題 ニ関 シ ﹁宋 哲 元 ハ免 職 セ ラ ル ヘキ ヤ ﹂ ト
質 問 シタ ル ヲ以 テ ﹁宋哲 元 ヲ免 職 ス ル ヤ否 ヤ察 哈 爾 ヲ如 何 ニ ス ルヤ
否 ヤ ハ単 ナ ル枝葉 ノ末 節 ナ リ今 回 ノ張 北 事 件 ノ ミナ ラ ス由 来 支 那 各
地 ニ ハ色 々 ノ事 件 ア リ例 ヘハ本年 三 月青 島 商 業 視 察 団 カ河南 方 面見
ル不法 行為 ハ其根 本 ヲナ ス中 央 政 府 ノ指導 精 神 カ各 下 級 官 吏 ニ如何
学 ノ際 官 憲 ノ妨害 ヲ受 ケ タ ル例 モアリ 要 ス ル ニ此 等 ノ 日本 人 ニ対 ス
ニ理解 セ ラ レ ア ルカ ヲ如 実 ニ証 明 シ ツ ツア ル モノ ニシ テ中 央 政 権自
ラ其 指 導 精 神 ヲ根 本 的 ニ革 新 シ 日支 合 作 ニ醒 メ サ ル限 リ 一、 二地 方
長 官 ノ免 職 等 ヲ以 テ 日支 関 係 ヲ根 本 的 ニ是 正 シ得 ヘキ モノ ニアラ ス
サ ル于學 忠 ヤ宋 哲 元 ノ勢 力 ヲ減 殺 スル為 免 職 セ ント ス ル モノナ ル ヤ
若 シ夫 レ蒋 介 石 政 府 カ此際 日本 ノ強 圧 ヲ ロ実 ト シテ自 分 ノ気 ニ入 ラ
謀
鮑文 〓 、 王 樹 常 、萬 福 麟 等 ハ昨 夜 小 官 ノ許 ニ密 使 ヲ寄 セテ 何應 欽
参
ハ南 下 シ北 上 セ サ ル ヲ以 テ我 等 七人 ノ委 員 ニテ河 北 独 立 ヲ企 画 シ ア
根 本 ニア ラ スシ テ実 ニ中 央 政府 ノ責 任 ア ル政策 ノ改 善 カ大 切 ナ ル コ
モ知 レサ ル モ先 日 来 ノ事件 ノ如 キ モ若 干 ノ関係 長 官 ノ謝 罪 ヤ罷 免 ハ
在 満 洲 国 内 ニ侵 入 シア リ テ獨 石 口 ニ ハ数 十 名 ヲ残 置 セ ル ニ過 キ スト
三、 密 偵 報 ニ依 レ ハ獨 石 口宋 軍 ハ元来 二中 隊 ナ ル モ目 下 其大 部 ハ現
ニシ テ兵力 ハ約 百 二、 三十 名 ナ リ
宛
至急
三五
次
長
報 宛
昭 和 一〇 年 六月 一九 日 電 謀
宋 哲 元 ニ対 ス ル交 渉 要 領 針
十 五 、 六名 ナ リ シト
ケ止 ム ヲ得 ス引 返 シ タリ射 撃 セ シ ハ獨 石 口駐在 宋 哲 元 部 隊 ニシテ 約
入 ラ ント セ シ ト キ東 方 六 六米 ノ高 地 ヨリ二 、 三十 発 ノ小 銃 射 撃 ヲ受
那 軍 ヲ侵 入 セ シ メ ス
宋軍 部 隊 ハ之 ヲ其 西 南 方 地域 ニ移 駐 セ シ ム其 撤 退 地 域 ニ ハ再 ヒ支
一
要 求 事 項
ル能 ハサ ラ シ ム ル コト ヲ期 ス
方
土 肥 原少 将 ハ本 要 領 ニ基 キ 交渉 ヲ進 メ ラ レ度
ニ詳 細 ニ検 討 ノ結 果 宋 哲 元 ニ対 ス ル交 渉 要 領 ヲ左 ノ如 ク改 訂 セ リ
関東 軍参 謀 長 ︹ 隆︺ 一、昨 十七 日夜 酒 井 大 佐 、松 井 中 佐 等 ノ来 京 ヲ求 メ現 地 ノ情 況 ヲ更
参
秘
上 、 南 、朝 スミ
ト ヲ要 望 シタ ル モノ ナ ル コト ハ明敏 ナ ル君 ノ熟 知 ス ル所 ニア ラ スヤ
三四
報 長
︹ 西尾壽造︺ 関東 軍参 謀長
ト答 ヘタ ル処 劉 燧 昌 ハ ﹁ 然 ラ ハ此 問 題 モ亦 中央 政 府 カ目 標 テ スネ﹂ ト答 ヘテ倉 皇 辞 シ去 レリ 御参考迄
電 謀
次
昭和 一〇 年 六 月 一八 日
至急
上 、南 、 關 、 漢 、 濟 、廣 ス︹ミ︺
秘
参
承 徳 機 関 通報 本 十 六 日豊 寧 縣 長 ヨリ受 領 セ シ通 報 左 ノ如 シ
二、 十 二 日 小廠 (五 十 万 分 一獨石 口北 方 十 五粁 ノ 三叉 路 附 近 ニシテ
宋哲 元軍 ヲ シ テ爾 今絶 対 ニ察 省 内 ニ於 テ 我 カ行 動 ニ支 障 ヲ与 フ
満洲 国 内 ナ ル ハ明 ナ リ ) ニ在 ル国 境 警察 隊員 同 地南 方 約 六 粁 齋藤 山
二
一、 十 一日縣 参 事 官 一行東 柵 子 (獨 石 口 ノ北 方約 八粁 満 洲 国 内 ) ニ
(第 七師 団 齋 藤 少 尉 ノ戦 死 ノ所 ) 附 近 ニ達 シタ ルト キ同 高 地 ヨリ 百
散 セ シム ル コト
一切 ノ排 日機 関 (東 北 憲 兵 、 藍 衣 社 、国 民党 部 等 ) ヲ悉 ク解
停 戦 協 定 線 延 長 部分 ノ東 側 地 域 及 北 長城 線 北 側 地 域 ニ於 ケ ル
余 発 ノ射 撃 ヲ受 ケ タ リ調 査 ノ結 果 右 ハ獨 石 口駐 屯 宋 哲 元 部 隊 ノ行 為
三 前 記第 一、 第 二項 ハ要 求 提出 日 ヨリ 二週間 以 内 ニ完 了 セ シ ム
宋 哲 元 ノ謝 罪 及 責任 者 ノ処 罰 ヲ即時 実 行 セシ ム
土 肥 原少 将 ヲ シ テ支 那 駐 屯軍 等 ト密 ニ連 絡 ノ上宋 哲 元 ニ対 シ
渉
四 交 一
秘
参
電 次
報 長
宛
昭和 一〇 年 六月 二 四日
謀
天津軍 参謀 長
二十 二 日王 克 敏 ト会 見 セ リ
交 渉 ノ迅速 ヲ期 シ且 支 那 側 ノ実 行 ヲ確 認 ス ル目的 ヲ以 テ軍 ノ
直接交渉 セシム 二
モア ル ヘキ カ其 際 戦 区保 安 隊 モ 一律 ニ自 由 ニ為 シ得 ルヤ 又外 国 租 界
﹁北 支 ニ於 ケ ル軍 事 勢 力 ヲ除 去 シ逐 次保 安 隊 等 ヲ以 テ取 換 ヘル必 要
ス ル所 大 ナ ル ヲ以 テ種 々困難 ヲ伴 フ次 第 ナ リ﹂ ト 色 々 卜 弁 明 シ 且
ルカ 支那 ニ ハ目 下 政 府 以 外 ニ他 ノ隠 レタ ル大 キ ナ勢 力 ア リ テ此 作 用
不 可能 ナ ル ヘキ コト ハ南京 ニ於 ケ ル汪 精 衛 以 下大 部 ノ人 々 モ同 感 ナ
リ特 ニ北 支 ニ於 テ ハ日本 ト密 ニ連 絡 妥 協 シテ事 ニ当 ラサ レ ハ何 事 モ
ル ル ニア ラ サ レ ハ到 底其 実 績 ヲ挙 ケ得 サ ル ヘシ﹂ ト説 キタ ル所 ﹁然
﹁北 支 ノ政 務 ハ軍 事 、政 治 、 財 政 、 外交 等 広 汎 ノ権 限 ヲ委任 セラ
尚 直 接 排 日行為 ニア ラ サ ル モ山 東移 民等 ノ如 キ ハ実質 的 ニ之
一部 ヲ熱 河 省 方 面 ニ行 動 セ シ ム 三
天 、 北 、 上 、南 、 山 スミ
三六
宛
駆 タ ル コト ニ過 キ ス此 点 ハ十 分 重 視 ス ル ノ必要 ア リ尚 君 ノ述 ヘラ レ
政府 ト シテ猛 省 ヲ促 シタ ル モノ ニシ テ軍 部 ノ投 シタ ル石 ハ単 ニ其 先
ノ謬 レ ル対 日政 策 ヲ根 本的 ニ是 正 スル ノ必要 ナ ル コト ニ関 シ日 本 国
本 ノ支 那 ニ要 望 セ シ モノ ハ単 ナ ル日本 軍 部 ノ要 求 ニア ラ スシテ 支 那
不安 ト斯 様 ナ ル認 識 不足 ト ヲ以 テ臨 ム コト ハ大 ナ ル危 険 ナリ 今 次 日
ハ南 京政 権 ノ手 先 タ ル君 ノ考 へ相 ナ コト ナ ル ヘキ モ日本 側 ニ対 ス ル
雷 、劉 佐 周 ノ如 キ 日 本租 界 ノ亡 命 者 等 迄 モ不逞 カ マシ ク考 フ ル コト
ヲ急 速 ニ撃 退 セ ント ス ル コト ハ空 想 ニ近 カ ル ヘク又 之 ニ関 聯 シテ趙
等 ニ根 拠 ヲ置 ク 不逞 ノ輩 ニ対 ス ル日 本側 ノ協 定 ヲ期 待 シ得 ヘキ ヤ﹂
長
昭和 一〇 年 六 月 二 六 日
次
ト暗 ニ日本 ノ野 望 ヲ疑 フヤ ノ 口吻 アリ シ ヲ以 テ ﹁北 支 ノ軍 事 的 勢 力
謀
電
報
北 平 輔 佐 官
ヲ中 止 セ シ ム ル様 努 ム ル モノト ス ︹ 不詳︺ 二、 関 電 第 七 九 三号 酒 井 大 佐 ノ意 見 ハ当 方 ニ於 テ モ同 意 ナリ
秘
参
土 肥 原少 将 ヨリ 宋 哲 元 ハ中 央 ノ罷 免 ニ依 リ極 度 ニ気 ヲ腐 ラ シ自 暴 自 棄 ニ陥 リ本 日 午 後 三時 半 北 平出 発 自 動 車 ニテ天 津 ニ向 ヘリ 關 、 天 、 上 、奉 、 南 ス ミ
三七
二 、張 家 口機 関 ヨリ ノ来 電 ニ依 レ ハ張 北附 近軍 隊 ノ移動 ヲ見 ル モ張
正式 会 見 ハ今 明 日中
家 口市 内 ハ極 メ テ平 静 ナ リ
タ ル如 キ 政府 以外 ノ隠 レタ ル勢 力 カ政 治 ヲ左右 ス ル様 テ ハ河 北 一省 スラ其 統 治 不可 能 ナ ル ヘシ此際 声 丈 ノ親 日 転 向 ヤ排 日中 止 ノ空 証 文
電 謀
次
報 長
宛
昭和 一〇 年 六 月 二 五 日
参
秘
謀
電
四〇
次
長
報 宛
昭和 一〇 年 六 月 二 五 日
至急
關 、 天、 上 、 奉 、南 スミ
ク約 シタ リ
ヲ発 スル様 処 置 方申 出 テ タ ル処 直 ニ快諾 シ即時 電 報 ヲ以 テ督 促 ス ヘ
シ得 サ ル実 情 ヲ告 ケ速 ニ中 央 ヲ シテ 地方 的 ニ迅 速 ニ解 決 ス ヘク指 令
求 承 認 ノ意 ヲ示 シ タ ルカ中 央 ヨリ未 タ何 等 回訓 ナ キ為 正式 回答 ヲナ
今 朝 王 克 敏 ニ会 見 セ ル際 察 哈爾 問 題 ハ秦 徳 純 既 ニ口頭 ヲ以 テ我 要
土 肥 原 少 将 ヨリ
参
三九
關 、 天 、上 、 奉 スミ
宛
秘
﹁漸 ク 日本 ノ決 意 ノ程 ヲ理 解 セリ﹂ ト テ稍 〓安 堵 ノ色 ヲ為 シ ﹁軍 事
報 長
北 平 輔 佐 官
ハ軈 テ又 日 本 カ ラ面 皮 ヲ剥 カ ル ル コトト ナ ル ヘ シ﹂ ト 述 ヘ タ ル ニ
委 員 分 会 、 政 務 整 理委 員会 等 ハ逐 次 之 ヲ廃 止 シ テ先 ツ河 北省 丈 ヲ党 部 ノ力 ナ キ、 軍 隊 ノ干 渉 ナ キ平 和 ナ ル活 動 根 拠 地 ニ作 リ 上 ケ度 ﹂ ト 語 レリ
三八
次
北 平 輔 佐 官
十分 ノ ﹁ツ ツ カ ヒ﹂ 棒 ヲ必 要 ト ス ル コ
彼 ト ノ会 談 ノ感 想 ヲ述 フ レ ハ彼 ノ北 支 及 日本 ニ対 スル認 識 竝 内政 改革 ニ対 ス ル決 意 ハ マタ〓 ト明 ナ リ参 考迄 (以 上 全 文 発表 禁 止 )
謀
電
昭和 一〇 年 六 月 二四 日
至急
關 、 上、 北 、南 、廣 スミ
秘
参
土肥 原 少 将 ヨリ 一、未 タ会 見 セ サ ル モ秦 徳 純 側 ニテ ハ内 示 セ ル要 求 事 項 ニ対 シ研 究 中 ニシテ南 京 政 府 ノ指令 ヲ仰 ク ヘキ件 ヲ処理 シツ ツ ア リ但 シ撤 退 地 域 (爾後 停 戦 地域 ニ対 シ此 ノ名 称 ヲ用 フ) ヨリ軍 隊 ノ撤 退 ハ既 ニ着 手 中 ニテ 張 家 口 ノ党 部 ノ活 動 ハ中 止 セ シ メ ア リ
土 肥 原 少将 ヨリ
北 平 輔 佐 官
昨 二 十 三 日夜 十 時 松 井中 佐 、高 橋 少 佐 ト 共 ニ秦 徳 純宅 ニテ (秘 密 保 持 上 ) 正式 交渉 ヲ開 始 セ リ
動 ニ対 シ支障 ヲ与 フ ル コト ナ カラ シ ム ル為 察 哈爾 当 局 ニ対 シ左 ノ要
一
撤 退 地 域 ノ件 、但 昌 平 、 延 慶 延長 線 ノ東 側 及 獨 石 口北側 ヨリ
求 ヲナス
龍 門 西 北 側 又 張 家 口北 側 ヲ経 テ張 北南 側 ニ亘 ル線 以 北 ノ ﹁ 宋﹂軍
行 ノ手 配 ヲ為 シ着 々実 行 中 ナ リト述 へ且要 求 セ シ諸件 ハ口頭 ニテ承
四
三
二
六月 二十 三 日 ヨリ 二 週間 以 内 ニ完 了
遺 憾 ノ意 ヲ表 ス ル コト並 責 任 者 ノ処 罰 ノ件
排 日機 関 解 散 ノ件
部 隊 ハ之 ヲ其 ノ西南 方 ノ 地域 ニ移 駐 シ云 々
認 セ シ モ文書 ハ南 京 政 府 ノ訓 電 ヲ待 ツノ 已 ムヲ得 サ ル ヲ告 ケ諒 解 ヲ
秦 徳 純 ハ先 ツ遺 憾 ノ意 ヲ 表 シ要求 第 一、 第 二項 ハ既 ニ自 発 的 ニ実
求 メタ ル ヲ以 テ 回訓 ア リ次第 提出 セ シム ル コト ト セリ尚 当 方 ニ於 テ
五
宛
日満 ノ対 蒙 工作 ヲ承認 シ特 務 機 関 ノ活動 ヲ援 助 シ且移 民 等 ヲ
日満 ノ経 済 発 展 及 交 通 開 発 工作 ニ協 力 ス例 ヘ ハ張 家 口、 多 倫
四
三
日 本軍 事 諸 施 設 (飛 行 場 ノ設 備 、無 線 ノ設 置 等 ) ヲ援 助 スル
軍事 及 政 治 顧 問 ヲ招 聘 ス
日 本 人 ノ旅 行 ニ便 宜 ヲ与 へ各 種 調 査 ヲ援 助 ス ル ヲ要 ス
撤 退 地 域 ノ治 安 維 持 ハ停 戦 地域 ニ準 ス ル方 法 ニ拠 ル ヘシ
発 表 ヲ差 控 ヘラ レ度 )
關 、 臺 、 天 、 上 、奉 、 濟 、 漢 、 南 、廣 、 山 スミ
(本 電
ヲ聴 カ セタ ル処是 亦 全 部 ヲ承 認 シ斯 ク テ善 後 交 渉 ノ 一階 梯 ヲ終 レリ
六
ヲ要 ス
五
間 其 他満 洲 国 北 支 那 間 ノ自 動車 鉄道 交 通 等 ノ援 助 ノ如 シ
二
中 止 シ蒙 古 人圧 迫 ヲ停 止 ス ル ヲ要 ス
一
二、 尚要 求 事 項 解 釈 ト シテ
以 上 ノ各 項 ハ文書 ヲ以 テ承 認 ノ旨 速 カ ニ回答 ヲ要 ス
山 東 移 民 等 中 止 ノ件
ハ文 書 回 答 ヲ促 進 ス ル為 南 京 方 面 ニ対 シテ モ工作 中 ナ リ (交 渉 内容 別 電第 五 二 二号 ノ如 シ) 尚 今 朝 左 ノ如 ク新 聞 ニ発 表 セ リ ﹁土 肥 原 少 将 (松 井 中 佐 、 高橋 少 佐同 行 ) ハ二十 三 日夜 秦 徳 純 公
報 長
北 平 輔 佐 官
館 ニテ察 哈爾 当 局 ト会 見 察 哈 爾 事 件 ニ関 ス ル交 渉 ヲ開 始 セリ﹂
電 謀
次
昭和 一〇 年 六 月 二 五 日
四 一
關 、 臺 、 天 、 上 、奉 、濟 、 漢 、 廣 、山 スミ
秘
参
第五二二号 交 渉 内 容 一、 日 支親 善 ノ見 地 ヨリ将 来察 哈爾 省 内 ニ於 ケ ル日本 側 ノ合 法 的 行
秘
参
四二
次
長
報 宛
昭和 一〇 年 六 月 二 五 日 電 謀
天津 軍参謀 長 ︹ 梅津美治郎︺ 王克 敏 ハ二十 三日 軍 司令 官 ヲ訪 問 シ既 ニ中 央軍 等 ハ期 限 附着 々撤
四三
報
昭和 一〇 年 六月 二七 日
至急
關、 北 、 上 、 南 スミ
秘
電
宛
北 平 輔 佐 官 土 肥 原 少 将 ヨリ
長
本 二 十 七 日午 前 十 一時 十 五 分察 哈 爾 省 代 理 主席 秦 徳純 (雷 壽 榮 随
次
約 束実 行 ニ努 力 ス ル ヲ要 ス ルカ君 ノ説 ノ如 ク排 日的 軍 隊 ハ逐 次 撤 退
行 ス) 北 平陸 軍 武官 室 ニ来 タ リ厳 粛 ニ遺 憾 ノ意 ヲ表 シ且 我 カ要 求 ニ
謀
中 ナ ル モ其 以外 ニ国 民 党員 、藍 衣 社 、﹁C C﹂団等 ノ秘 密 団 体 ヲ徹 底
参
的 ニ排 除 セサ レ ハ効 果 ナ カ ル ヘシト反 駁 セ ル ニ ﹁王 ﹂ ハ国 民党 員 カ
対 シ正 式 文書 回答 ヲ小 官 ニ提 出 シ茲 ニ交 渉 ハ円満 ナ ル解 決 ヲ告 ケ タ
退 中 ナ ル モ北 支 今 後 ノ問 題 ハ如何 ニ処 置 ス ルヤ ト問 ヒタ ル ヲ以 テ唯
北 支 ニ何 人居 ルカ数 へ得 ス又秘 密 団 体 モ発 見 セ ル モノ ハ大 抵 出 発 ヲ
リ
極秘
電
四四
次
報 長
宛
昭和 一〇 年 七 月 一〇 日
謀
天 津軍参 謀長
關 、 臺 、 天 、 北 、奉 、濟 、 漢 、南 、廣 、山 、 混 旅 スミ
命 シタ ル モ未 発 見 ノ モノカ幾 何 ア ルヤ知 リ難 シト答 ヘタ ルヲ以 テ尓 後 党部 ノ活 動 ヲ封 シ秘 密 団 体 ノ取 締 ニ モ熱 意 ヲ以 テ努 力 スレ ハ此 等 類 似 ノ モノ ハ自 然 居 タタ マラ ナ ク ナ リ得 ヘシト応 酬 シ且抑 〓北 支 ノ 日 支関 係 ヲ改 善 セ ラ ル ル コト ハ予 ノ昨 年 天 津 着任 以 来深 ク之 ヲ痛 感 シ居 タ ル モノ ニシ テ黄 郛 ト モ屡 〓之 ヲ談 シ居 タ ル コト ナ ルカ偶 〓今
シメ ント シ テ根 本 的 是 正 ヲ希 望 シタ ル次 第 ナリ 若 シ夫 レ今 回 ノ処 理
回 ノ機 会 ニ北 支 ヲ シ テ 一般 民衆 及 各 国 居 留 民 ノ為 安 住 ノ平 和 郷 タ ラ
徹 底 ヲ欠 キ彼 等 排 外 機 関 団 体 等再 ヒ活動 ヲ起 シ或 ハ不 祥事 ヲ繰 返 ス
参
北支 問 題 交 渉 ニ関 シ何 應 欽 ノ 回答 文 書 北 平 武官 経由 本 九 日受 領 ス
ニ於 テ ハ事 態 ハ今 回 ヨリ 一層 悪 化 シ要 求 ハ更 ニ累 加 セラ レ解 決 ハ益 益 困 難 ト ナ ル惧 ア ル故 此 際 断 乎 タ ル決 意 ヲ以 テ今 回 限禍 根 ヲ徹 底 的
南 京 、北 平 両武 官 ニ謝意 ヲ表 ス原 文 全 部 ﹁タイ プ ラ イ タ ア﹂ 刷 ニ
シ テ何 應 欽 ノ認印 ヲ捺 シ ア リ原文 左 ノ如 シ
ニ削 除 シ為 シ得 レ ハ其 余 慶 ヲ全 支 ニ及 シタ キ モノ ナリ ト述 ヘラ レタ ル ニ ﹁王 ﹂ ハ御 教 示 ニ基 キ誠 意努 力 ス ヘシ ト テ辞 去 セリ
何
應
欽 印
逕啓者 六月九日 ︹ 均?︺ 酒井参謀長所提各事項坏承諾之竝自 主的期其遂行特此通知 此致 梅津司令官閣下 二十四年 七月 六日
対 支 政策 ︹ 廣 田 三 原 則 ︺決 定 の経 緯
一、 対 支 政 策 に関 し て は従 来 昭和 七年 八 月 二十 七 日閣 議 決 定 ﹁時 局 ︹ 本書四頁以下︺ ︹ 本書二二頁以下︺ 処 理方 針 ﹂ 及 昭和 九年 十 二月 七 日 外務 陸 海 軍 主 管 当 局意 見 一致 の覚
種 議 論 あ り 又斯 か る当 然 の事 項 を 特 に記載 す る の要 あり や 否 や に 付
重 ね た る結 果 完 全 に意 見 の 一致 を 見 た り。 唯 だ其 の表 現 方 法 に 付種
二〇
書 あ る処 其 の後 に於 け る事 態 の推移 及其 の他 各 般 の状 況 に顧 み此 の
(因 に別 紙第 四号 附 属 書 一、 の末 尾 帝 国 以 外 の外国 云 々 の点 は自 明
議 論 あ り た る が結 局 別 紙第 七号 附 属 書 一、 の通記 録 せ る次 第 な り 。
(外務 省 東 亜 局 一課 調書 )
際 対支 政 策 に付 再検 討 を行 ひ 其 の結 果 に基 き 一定 の方 針 を 確 立 し て
て研 究 を 進 む る こと と せ り。
足 揃 を整 調 統 制す る の肝 要 な るを 思 ひ 外務 陸 海 三省 事 務 当 局協 力 し
三、斯 く て 三省 間 意 見 の 一致 点 も略 々明瞭 と な り外 務 側 は前 記 陸海
の こと な り と の意 味 合 に て削 除 せ るも のな り )
点 を見 ず 、 殊 に支 那 の統 一若 は分 立 の援 助 又 は阻 止 の点 に付討 議 を
政 府 各 機 関 及 出 先各 官 憲 の指 針 と し 因 て 以 て支 那 側 に対 す る 我方 の
二、 右 趣 旨 に基 き協 議 の基 礎 と し て外 務側 よ り提 案 せ る試 案 は 別紙
て主 と し て表 現 方法 及 条 項 の按排 等 に関 す るも のな る が協 議 を 重 ね
た る が此 等 対案 は右 試 案 に対 し根 本 的 に異 見 を 挿 む も の に あら ず し
右 試案 に 対 し陸 海 軍 側 よ り 別紙 第 五号 及 第 六 号 の対案 の提 出 あ り
軍 側 の対案 を も参 酌 し た る 上 別紙 第 四号 の試案 を 作製 せ り。
一 号 の通 り な るが右 試 案 に対 し 陸海 軍 側 よ り夫 々別 紙 二 号 及三 号 の
右 対 案 と 原案 と の相 違 点 は別 紙一 二 及 三 号 に依 り明 瞭 な るべ し。
の通 修 正 せ る主 な る点 に付 左 に簡単 に説 明 す べし 。
た る結 果 別 紙第 七号 の成 案 を 得 る に至 れ り。 今 別 紙第 四号 を第 七号
意 見 の提 出 あ り た り。
に 付意 見 の交 換 を な し 以 て意 見 の疎 通 を 図 る こと と せら れ 度﹂ 旨 の
尚 陸 軍 側 (別 紙 二号 第 一項 二、 ) に於 て ﹁先 づ 対支 方 策 の根本 観 念
は実 際 上 大 体 此等 方面 よ り着 手 す る こと とな る べき も 特 に該 方 面
イ
別 紙第 四 号一 の (経 済 的 文 化的 方 面 よ り着 手 す ) を 削除 せ る
希 望 あ り。 仍 て七月 三 十 一日第 一回協 議会 に於 て は主 と し て根 本観
のみ に限 定 す る の要 な しと の意 見 あ り し に因 る。
念 に付 意 見 交 換 を 行 ひ 次 で其 の後 の協 議 会 に於 ても再 三根 本観 念 に 関 す る意 見 の交 換 あ り た る が外 務 陸海 三省 間 に特 に意 見 の懸隔 あ る
の要点にして此の趣旨 に於 て三国和親し且必要 の協力 を行 ふこと肝
日満支 三国 の提携共助 に依 り東亜 の安定を確保す るは我対外政策
要なり、我対支政策 の根本も実 に茲 に存す、仍て我方は左記要綱 に
同 二 の ﹁正式 承 認 を与 へし む る に努 む る も﹂ を ﹁窮 局 に於 て
は 正式 承認 を 与 へし む る こと 必 要 な る も ﹂ と改 め た る は正式 承 認
基き緩 急時宜 に適す る方法を以て右 目的 の達成を期する こととす
ロ
の実 現 は我 方 窮 局 の目的 な るも 此 の際右 実現 の為 我 方 が 一心 不乱
亜 の安 定を 期 し難 し と 云 ふ が如 き説 示 を な す こと は妨 げ ず ) と の
し て支 那 側 に対 し 同 国 に於 て満 洲 国 を 正 式 に 承認 す る に非 れ ば東
より着手す) 且更 に進む で満支関係 の進展 を計 ること
助 の原則 に依 る和親協力関係 の設定増進 に努め (経済的文 化的方面
一 支那側に於 て排 日言動 の徹底 的取締を行 ふと共に日支 両国 は東 亜平和 の確保に関す る其 の特殊 の責任 に基き相互独立尊 重及提携共
﹁ 差 当 り満 洲 国 の独 立 を ⋮ ⋮﹂ 等 の目 的達 成 の為 の外 交 上 の手 と
に邁 進 す る は時 期 尚 早 な り (但 し 右 趣旨 を含 み つ つ同 項 後 半 即 ち
趣 旨 に出 でた るも のな り。
ると共 に之と雁行し相互独立尊重及提携 共助の原則 に依り日満支 三
二
右満支関係 の進 展は支那側 に於 て満洲国 に対し正式 承認を与 ふ
ハ
別紙 第 四号 の三 も第 五 号 の三 も第 六 号 の四 も 大体 同 趣 旨 な る
が 別 紙第 七号 の三 は此 等 の意 味合 を 一括 包 含 せ し め た る も のな り 。
国 の新関係を規律す ベき必要 なる取極をなす ことを以 て結局 の目標
別 紙第 四 号附 属 書 二、 を第 七 号 の本 文 の末 文 と し た る は其 の
ニ
て満洲国存在 の事実を否認 する ことなく反満政策を罷む ると共 に進
とす るも差当り支那側 は少く共接満地域た る北支及察哈爾地方 に於
んで満洲国と の間 に事実上経済的及文化的 の融 通提携を行 ふこと
る に依 る、 尚相 互 独 立尊 重 提 携 共 助 云 々 の辞 句 を 削 除 し た る は 三
三
内 容 の性質 上 本文 の末 尾 に附 す る こと可 然 と 云 ふ に意 見 一致 し た
省 間 意 見 相 違 の結 果 に非 ず し て専 ら辞 句 調整 上 の理 由 に依 る も の
哈爾其 の他外蒙 の接壌方面 に於 て少く共日支間 に特 に右脅威排 除 の
外蒙等 より来 る赤化脅威 が日満支 三国共通 の脅威た るに顧 み察
なり。
見地 に基く合作を行ふ こと
別 紙 第 四号附 属書 一、 が別 紙第 七号 附属 書 一、 と 改 ま り た る
ホ
別 紙 第 四 号 附 属書 二、 の後 段 国 際情 勢 云 々を削 除 せ るは 当然
別紙第 二号
二、本件審議 のため先づ対支方策 の根本観念 に付相互意見 の交換 を
一、貴案 に対する当方 の対案別紙 の通り
対支政策に関す る件 (東亜局試案) に対す る意 見
陸軍 省軍 務局
一〇年 七月二〇 日
は前 記 の通 。 ヘ
自 明 の こと な る に依 る。 日関 係 各 大臣 諒 解 事 項 と し て決
東 亜 局試 案 )
日 関係 各 局長 諒 解 事 項 と し て決 定 せり 。
五、 斯 く て別 紙 第 七 号 本 文 は 十月 定 し同 附 属 書 は同 月
対支 政 策 に関 す る件 (一〇 年 七月 二 日
別紙 第 一号
な し 以 て意 志 の疏 通 を図 る こと と せ ら れ たし 三 、 昨年 十 二 月 三省 協 定 の対支 政 策 は 主 と し て実 行 の方 策 を 示 せ る
一〇 年 七月 二〇 日
も のな る 処 今 次 の研 究 に よ り之 に代 るべ き具 体 的 方 策 の決 定 を 見 る 迄 依 然 存続 せ ら る る も のと 解 す
対 支 政 策 に関 す る件 (陸 軍 省 軍 務 局 対 策 )
対支 政 策 に関 す る件
別 紙第 三号
一〇 年 八月 三日 (海 軍 省軍 務 局 )
我 対 支 政策 の根 本 方 針 は日 本 を中 心と す る日 満 支 三国 の提 携 共 助
に依 り東 亜 の安 定 を確 保 し 其 の発 展 を計 る に在 り之 が為 帝 国 は左 記
一、 帝 国 は 支那 の統 一又 は分 立 を援 助 若 は阻 止 せ ざ る こと を 立 前 と
要 綱 に基 き其 の政 策 を 実 施 す る を要 す
す るも 支 那 が帝 国 以外 の強 国 の助 力 に拠 り て其 の統 一又 は 分 立 を遂
日本 を 盟 主 と す る日満 支 三国 の提 携 共 助 に依 り東 亜 の安 定 を 確 保 す る は 我 対外 政 策 の要 点 にし て此 の趣 旨 を実 現 し得 る如 く 先 づ支 那
二、 支 那 領 中 央 乃 至所 在 の政 権 を し て排 日 言動 の徹 底 的 取 締 り を行
ひ 且欧 米 依 存 よ り脱 却 し対 日親 善 政 策 の採 用 竝 に之 が忠 実 な る実 行
行 せ んと す る場 合 あら ば 之 を 阻 止 す る に努 む る こと
一、 支 那 側 中 央 乃至 所 在 の政 権 にし て排 日並 に排 日貨 言動 の徹 底 的
に努 めし む る こと
を し て 日満 両国 と 真 の和親 を結 び得 る状 態 に導 く こと肝 要 な り仍 て
取 締 り を行 はし め欧 米 依 存 よ り脱 却 し 日支 経 済 提 携 を 図 り依 て 以 て
に基 き経 済 的 及 文 化的 和 親 協 力 関 係 の設 定 増 進 竝 に我軍 事 的 勢力 の
三、 右 と 雁 行 し 日支 両 国 は東 亜 平 和 の確 保 に関 す る其 の特 殊 の責 任
我 方 は左 記 要 綱 に基 き 右 目 的 の達 成 を期 す る こと とす
二、 支 那側 を し て満 洲 国 に対 し 正式 承 認 を与 へしむ る こと に努 む る
対 日親 善 政 策 の採 用 竝 に之 が 誠 実 な る実 行 に努 め し む る こと
四 、満 支 関 係 の進 展 は支那 側 を し て満 洲 国 に対 し正 式 承認 を 与 へし
む る こと に努 む るも差 当 り之 をし て満 洲 国 存在 の事 実 を否 認 す る こ
扶 植 に努 め 且満 支 関係 の進 展 を計 る こと
と な く反 満 政 策 を 罷 め し め 且少 く と も 接 満 地 域 た る北 支 及 察 哈爾 地
も 差 当 り 之 を し て満 洲 国 存 在 の事 実 を 認 め反 満 政 策 を 罷 め し め 且少
経 済 的 及文 化的 融 通提 携 を行 な はし む る こと
方 に於 て は満 洲 国 と の間 に事 実 上経 済 的 文 化 的 融 通提 携 を行 はし む
く 共接 満 地帯 た る北 支 及 察 哈 爾 地 方 に於 て は満 洲 国 と の間 に事 実 上
み該 方 面 に対 し右 脅 威 排 除 の見 地 に基 く 日本 側 の希 望 を 容 れ 合作 せ
三 、 外 蒙 等 より 来 る赤 化脅 威 が 日、 満 、 支 三国 共 通 の脅威 た る に鑑
叙 上 の諸 点 が着 々実 行 に移 さ れ 我 方 に於 て支 那 が真 に日 満 と親 善
哈 爾 其 の他 外蒙 の接 壌 方 面 に於 て少 く 共 日 支 聞 に特 に右 脅 威 排 除 の
五 、 外蒙 等 より 来 る赤 化 脅威 が 日満 支 三国 共 通 の脅 威 た る に鑑 み察
る こと
提 携 す る の態 度 を 確認 し得 る迄 は日 支 間 に相 互 独 立 尊 重 提 携 共 助 の
六、 我 方 に於 て支 那 が 日満 両 国 と親 善 提 携 す る の態 度 を確 認 し 且支
見 地 に基 く 合作 を行 ふ こと
し む る こと
のと す
原 則 によ る和親 協 力 関 係 の設 定 に関 す る 一般 的 取 極 めを 行 はざ る も
則 に依 る和 親 協 力 の設 定 に関 す る 取極 めを 行 ふ も のとす
那 側 が満 洲国 を承 認 し た る後 日満 支 間 に相 互 独 立尊 重提 携 共助 の原
二 支那側をし て満洲国 に対し正式承認を与 へしむるに努む るも右
提携 せしむ ること
実行し殊 に具体的問題 に付 (経済的文化的方面より着手す)帝国と
の事実 を否認す ることなく反満政策を罷むると共 に少く共接満地域
正式承認 の実現当分困難なりとせば差当 り支那側 をして満洲国存在
七 、叙 上 政策 の実 行 に当 り て は深 く 国 際 情 勢 の動 向 を観 察 し大 義 名 分 に則 り 故 な く し て国 際 関 係 の悪 化 を招 く如 き こと な か ら しむ る こ
方策中
三 外蒙等より来 る赤化勢力 の脅威 が日満 支三国共通 の脅威た るに
の融 通提携 を行 はしむる こと
たる北支及察哈爾地方に於 て満洲国と の間 に事実上経済的及文化的
と
(備 考 ) 三省 協 定 第 二、 四 、西 南 派
顧 み支那側をし て察 哈爾其 の他外蒙接壌方面に於 て少く共帝国と の
上 に於 て
附属 文書
間に特 に右脅威排除 の見地に基く合作を行はしむること
局 の状況を利用す ることあるべく又交渉 の相手方 も時宜 に依り中央
上 に於
又は地方政権 たるべく若くは中央及地方政権たるべきも之 に反し支
(と 訂 正希 望 )
(と あ る を)
居 る状 態 を維 持 せし む る こと は南 京 政 権 の 望ましきに付 居 る現 状 は南 京 政権
別紙第四号 ︹ 伍郎︺ 対 支政 策 に関 す る件 ( 十年 八 月 五 日守 島 提 案 )
て有 効 な る場 合 あ る に付
一、本件施策 に当り我方 の目的とす る所 は支那 の統 一又 は分立 の助
成若 は阻止 に非ずし て要綱所載 の諸点 の実現 に存す、従 て右見地に
帝 国 を中 心 と す る 日満 支 三国 の提 携 共 助 に依 り東 亜 の安 定 を 確 保
那 の統 一又は分立を助成若 は阻止 せむとす る見 地に立脚し て該施策
基 き例 へば支那 に於ける中央 及地方政権を相牽制 せし むる等同国政
し其 の発 展 を 計 るは 我 対 外政 策 の要 諦 にし て我 対支 政 策 の根本 も実
の統 一又は分立 の助成若 は阻止す るの策動 をなす が如き場合 には我
方は必要 に応じ之 が排 撃 の為適当 の対抗策を執 るものとす
を行ふが如 きは其 の趣旨とす る所 に非ず但し帝 国以外 の外国 が支那
二、要綱所載 の諸点が着 々実行 に移され我方が日満両国と の親善 提
に茲 に存 す 、 而 し て右 趣旨 に依 り 日満 支 三 国間 の根 本 関 係 を 確 立 せ
す る関 係 を 調 整 せ し め 以 て右 根 本 関係 の確 立 に至 り 得 べ き 状態 に誘
携 に関す る支那側 の誠意 を確認せ る際 に於 て殊 に支那側 の満洲国に
む が為 に は先 づ以 て支那 側 を し て左 記要 綱 に基 き 帝 国 及 満 洲国 に 対
く こと 肝 要 な り 、仍 て我 方 は大義 名 分 に即 し 且 緩 急 宜 し き を得 る方
に依 る親善協力関係 の設定に関す る包括的取極 をなし得 べき状態 に
対す る正式承認を俟 ち日満支 三国間 に相 互独立尊重提携共助 の原則
法 を 以 て叙 上 の趣 旨 に基 く 必 要 の施 策を 行 ふも のと す 一
支 那 側 を し て排 日言 動 の徹 底的 取締 を行 ひ 且 欧 米依 存 政 策 より
脱 却 す ると 共 に更 に進 ん で対 日親 善 政策 を採 用 し て該政 策 を誠 実 に
く国際情勢を観察し濫りに国際関係 の悪化 を招く が如き ことなから
三、本件施策に当りては外務陸 海軍 は常 に密接な る連繋 を保ち て深
達す るも のとす
しめ少く共日支間に特 に右脅威排除 の見地に基く合作を行ふ こと
鑑 み外蒙接壌方面に於 て我方 の国防上必要 とす る諸般 の施 設を認 め
三
に経済的及文化的 の融通提携を行はしむること
に関す る支那側 の誠意 を確認す るに於 ては先づ日支間 に相互独立尊
以上所載 の諸点が着 々実行 に移され我方 が日満両国と の親善提携
外蒙等より来 る赤化勢力 の脅威 が日満支 三国共通 の脅威 たるに
しむるに努むるも のとす
重提携共助 の原則 に依 る親善協力関係 の設定 に関す る包括的取極を
四、 昭和 九年十二月七日附外務陸海 軍主管 当局意見 一致 の覚書 は今 後 の研究 に依 り之 に代 るべきものの決定を見る迄本決定と併 行し引
附 属文 書
昭和十年 八月
続 き有効なるも のとす
軍
軍
外 務
次 官
次 官
次 官
某
某
某
印
印
印
日
後 の研究 に依 り之 に代 るべきも のの決定を見 る迄 本決定と併行し引
二、昭和九年 十二月七 日附外務陸海軍主管当局意見 一致 の覚書 は今
も のとす
一、本件 施策 に当りては外務陸海軍 は常 に密接なる連繋を保持す る
す
なし次 で日満支間 の新関係を規律す るに必要なる取極を行 ふも のと
続き有効 なるも のとす 別紙第 五号 ( 十年 八月五日守島提案 に対する陸軍対策)
対支政策 に関す る件 帝国を中心とす る日満支三国 の提携共助 に依り東 亜 の安定を確保 し其発展を図 るは我が対外政策 の根基 にして我 が対支政策 も亦此 に 右国策を実現す る為先づ左記要綱 に基き大義名分 に即 し且緩急宜
存す しきを制する方法を以 て支那側 をして日満支 三国 の根本関係を確立
陸
し得べき状態 に誘 くを要す
海
支那側中央 乃至所在 の政権をし て排 日言動 の徹底的取締を行ひ
且欧米依存政策より脱却す ると共 に更 に進 んで対日親善政策を採用
別紙第 六号 十年 八月五日守 島 提案 ) 対支政策 に関す る件(同 八月十日海軍修 正案 帝国 を中心とする日満支 三国 の提携共助 に依 り東亜 の安定を確保 し其 の発展を計 るは我対外政策 の要点 にして我対支政策 の目的亦実
一
こと
して該政策を誠実 に実行し殊 に具体 的問題 に付帝国と提携 せしむ る 二 支那側をし て満 洲国に対し窮極 に於ては正式承認を与 へしむ る こと必要 なるも差当り支那側をし て満 洲国 の独立を事実上承認 し反 満 政策 を罷む ると共 に少く共接満地域たる北支 に於 て満 洲国と の間
に茲 に存す 、 而 し て右 趣 旨 に基 く 日満 支 三 国 間 の根 本関 係 を確 立 せ
の為 適 当 の対 抗 策 を執 る こと あ るべ し
は阻 止 す る の策動 を なす が如 き 場 合 には 我方 は必 要 に応 じ 之 が排 撃
二 、要 綱 所 載 の諸 点 が着 々実 行 に移 さ れ 日満 両国 と の親 善 提携 に 関
む が為 には先 づ 以 て左 記 要 綱 に基 き 三国 間 の関係 を整 調 す るを 要 す
す る支 那 側 の誠 意 を 我 方 が確 認 し 且 支 那側 が満 洲 国 を正 式 に承 認 を
支 那側 中 央 乃至 所 在 の政権 を し て排 日 言 動 の徹 底 的 取 締 りを 行
一
し た る際 を以 て日満 支 三国 間 に相 互 提 携 共 助 の原 則 に依 る親善 協 力
関 係 の設定 に関 す る包 括的 取 極 を な し得 べ き 状 態 に達 す るも のと す
ひ 且欧 米 依 存 よ り脱 却 し対 日親 善 政 策 の採 用 竝 に之 が忠 実 な る実 行
三 、本 政 策実 施 に当 り ては 外務 陸 海 軍 は常 に密接 な る連 繋 を保 つべ
に努 め し む る こと 二
く 且深 く 国際 情 勢 を 観 察 し 、 大義 名 分 に則 り、緩 急 宜 し き を計 り 、
右 と 雁 行 し 日支 両国 は東 亜 平 和 の確 保 に関 す る其 の特 殊 の責 任
に基 き 経 済 的 及 文化 的和 親 協 力 関 係 の設 定増 進 に努 め且 我 軍事 的勢
濫 り に国 際 関係 の悪 化 を 招 く が如 き こと な か ら し む る に努 む るも の
力 の扶 植 を 計 る こと
とす
支 那 側 を し て満 洲 国存 在 の事 実 を 否 認 す る こと なく 反 満 政 策 を
省
三
省
四、 昭 和 九年 十 二月 七 日附 外 務陸 海 軍 主 管 当 局 意 見 一致 の覚 書 は今
務
省
罷 む ると 共 に少 く 共 接 満 地 域 た る北 支 及 察 哈爾 地 方 に於 て満 洲 国 と
外
軍
後 の研 究 に依 り之 に代 る べき も の の決 定 を見 る迄 本決 定 と併 行 し引 続 き 有 効 な るも のとす
日
軍
の間 に事 実 上 経 済 的 及 文 化 的 の融 通 提 携 を 行 は し め 且満 洲 国 に対 し
外蒙 等 よ り来 る赤 化 勢 力 の脅 威 が 日満 支 三国 共 通 の脅 威 た る に
昭和 十年 八 月
陸
帝 国 を中 心と す る日 満支 三国 の提 携 共 助 に依 り東 亜 の安 定 を 確 保
対支 政 策 に関 す る件
し其 の発展 を計 る は我 対 外 政 策 の根 基 にし て我 対 支政 策 の目 的 も 亦
海
正 式 承 認 を与 へしむ る に努 む る こと 四
鑑 み察 哈爾 其 の他 外 蒙 接 壌 方 面 に於 て少 く 共 日支 間 に特 に右 脅 威 排 除 の見 地 に基 く 合 作 を 行 ふ こと 附 属 文 書 一、 本 政 策 実 施 に 当 り て は状 況 に依 り 我 方 が故 ら に支 那 の統 一又 は
実 現 を 期 す る を 以 て主 眼 と す 、 従 て情 況 に依 り支 那 に於 け る中 央 及
分 立 を 助 成 し 若 は阻 止 す る は其 の本旨 に非 ず し て要 綱 所 載 の諸 点 の
地方 政 権 を 相 牽 制 せ し む る等 同 国 政 局 の関係 を利 用 す る こと あ る べ
実 に茲 に存 す 。
及 満 洲 国 に対す る関 係 を 整 調 せ し め 以 て 日満 支 三国 間 の根本 関 係 を
急 宜 し き を制 す る方 法 に依 り 支 那側 (中 央 及 地 方 政 権 ) を し て帝 国
右 目 的 を達 成す る為 に は先 づ 左 記要 綱 に基 き 大義 名 分 に即 し 且緩
く 又交 渉 の相 手 方 も時 宜 に依 り中 央 又 は地 方政 権 た る べく 若 く は 中
成若 は阻 止 せむ と す る 見 地 に立 脚 し て施 策 を行 ふ が如 き は其 の趣 旨
央 及 地方 政 権 た るべ き こと あ る べし と 雖 も 支那 の統 一又 は分 立 を 助
とす る所 に非 ず 但 し 帝 国 以 外 の外 国 が支 那 の統 一又 は分 立 の助 成若
るも のと す。
三、 昭和 九年 十 二 月 七 日附 外 務 陸 海軍 主管 当局 意 見 一致 の覚 書 は今
確 立 し得 べき 状 態 に至 ら しむ るを要 す。
後 の研 究 に依 り之 に代 る べき も の の決 定 を見 る迄 昭 和 十年 十 月 四 日
支 那 側 を し て排 日言 動 の徹 底 的 取 締 を 行 ひ 且欧 米 依 存 政 策 よ り
一
関 係 大 臣 諒 解 と併 行 し引 続 き有 効 な る も のとす
印
印
印
脱 却 す ると 共 に対 日親 善 政 策 を 採 用 し て該 政策 を現 実 に実 行 し 更 に
昭和 十年 十 月 四 日
︹ 桑島主計︺ 外務省東亜局長 ︹ 今井清︺ 陸軍省軍務局長 ︹ 吉田善吾︺ 海軍省軍務局長
具 体 的 問 題 に付帝 国 と提 携 せ しむ る こと。 支 那 側 を し て満 洲国 に 対 し窮 極 に於 ては 正式 承認 を与 へし む る
こと 必 要 な るも差 当 り満 洲 国 の独 立 を事 実 上黙 認 し反 満 政 策 を罷 め
二
しむ る のみ な らず 少 く 共 接 満 地 域 た る 北支 方面 に於 て は満 洲 国 と の
外 蒙等 よ り来 る赤 化 勢 力 の脅 威 が 日満 支 三国 共 通 の脅 威 た る に
間 に経 済 的 及 文化 的 の融 通 提 携 を 行 は し む る こと 。 三
る諸 般 の施 設 に協 力 せし む る こと。
鑑 み 支 那側 を し て外 蒙 接 壌 方 面 に於 て右 脅 威 排 除 の為 我 方 の希 望 す
以 上要 綱所 載 の諸 点 が着 々実 行 に移 さ れ 我方 が 日満 両 国 と の親 善 提 携 に関 す る支那 側 の誠 意 を 確 認 す る に於 て は先 づ日 支 間 に親 善 協 力 関 係 の設 定 に関 す る包 括 的 取 極 を な し 次 で 日満 支 間 の新 関係 を規
昭 和 十年 十月 四 日
律 す る に必要 な る取 極 を 行 ふも のとす 。
昭和 十 年 十 月 四日 関 係 大 臣諒 解 に 対す る附 属 文 書 一、 本 政 策 実 施 に当 り て は状 況 に依 り支 那 に於 け る中 央 及 地 方 政権
が殊 更 に支 那 の統 一又 は分 立 を助 成 し 若 は阻 止す る目 的 を 以 て之 を
を 相 牽 制 せ し む る等 同 国 政 局 の関 係 を利 用す る こと あ るべ き も 我方
行 ふ は其 の本 旨 に非 ず し て要 綱 所 載 の諸 点 の実 現 を期 す るを 以 て主
二、 本 政 策 実 施 に当 り て は外 務 陸 海 軍 は 常 に密 接 な る連 繋 を 保 持す
眼 とす 。
序
二 一
唐有壬之死 昭和十年十二月廿五日十 二時 (夜)
この 一小 文 は前 外交 部 次 長 現 交 通 部次 長 中 央 執 行 委員 唐 有 壬 君 の 兇手 に斃 れた る急 報 に接 し、 且 つ唖 然 且 つ茫 然 と し て、 そ の為 人と そ の日支 関 係 の為 勇 往 邁 進 せ る跡 を 、専 ら 過去 二年有 半南 京 第 一線 に て接 触 し来 れ る実 想 を基 とし て、 辿 り見 た るも の にし て、今 は唯 唯 撫 然 、 此 の 一小文 の外 に想 な し 。 徹宵 唯 だ、 だ ら 々 々と書 き流 し
(須 磨 彌 吉 郎 )
た。 今 日 五時 半頃 外出 先 か ら帰 宅 し 途中 上海 法 租 界 甘 世東 路 の自 宅
前 で突 如 三名 の兇 漢 に拳 銃 で狙 撃 され 五 六 発命 中 し て即 死 し た のだ と いふ。
○
世 の中 は全 く 五里 霧中 で あ る。
午 後 五時 半 と い へば、 丁度 外 交 部 長 室 で張 羣部 長 と 陳 介 次 長 に対
つ て変 り懸 案 など は出来 得 る限 り未 解決 の儘 に胡 魔 化 す 所 謂 敷 衍 延
し 思 ふ存分 新 政 府 の対 日似 而 非 親 善 政 策 を 痛撃 し 汪精 衛 時 代 と は打
な り と いふ言 明 と 相 反す る事 実 を明 示 し て詰 め寄 つて る最 中 か、 少
○
た る に過 ぎ ず 。 他 日筆 を改 む る の時 迄 の覚 に過 ぎ ざ るな り。
唐 有 壬 が上 海 の自 宅 で学 生 に射 殺 さ れ た と新 聞 記 者 が矢 継 早 や に ︹ 基樹、領事︺ 電 話 し て来 た のが夜 八時 前 、 松 村 君 と今 日 の張 羣 と の会 談電 報 を相
く と も 学 生 運動 を ここ迄 投 げ や り に し て交 通 機 関 迄 左右 さ せ る に至
宕 政 策 を執 る なら ば 蒋介 石 及張 羣等 が対 日外 交 は 汪院 長 時 代 の通 り
談 し て ると き であ つた。
あ つた のだ、 そ の頃 唐有 壬 君 が兇 手 に斃 れか か つて居 た のだ 。
け で、 ど こ に誠 意 が あ るも のか と 口に こそ出 し て言 は ぬ が、 自 分 の
部 長 で御 座 いな んと 威 張 つても唐 有 壬を 次 長 にも 据 ゑ て置 け ぬ腰 抜
恐 ろ し い程 の偶 然 であ る 、張 羣 が漢 口 の 田舎 か ら出 て来 て、 外 交
つ ては そ の結 果 憂 慮 す べ き も のあ る次 第 を 強 く警 告 し て居 る最 中 で
松 村 君 はそ れ は謡 言 さと 片 付 け てゐ た。 九時 に は中 央 通信 が兇 手 ︹ 浩 一郎、副領事︺ に即 死 し た と報 じ た。 朝 海 君 も 来 合 せ てデ マだら う と 話 し 合 つて は 居 た も の の次 々と来 る電 話 は愈 々事 実 で あ る こと を 思 は せ た、 到 頭
﹁唐 有 壬 氏 兇弾 に斃 る﹂ と 題 し た 赤 紙 の至急 報 を出 し た ので あ つ
十 一時 に至 つて電 報 通信 は
だ。
詰 問 し 且肉 迫 し た こ の午 後 の語 合 に夫 れ が 漲 つて ゐた に相 違 無 い の
朝海 君 は言 ふ の であ つた 、 ﹁ 春 秋 の論 法 を 以 て せ ば須 磨 唐 有 壬 を
殺 す です ね﹂ 彼 が勇 敢 に好意 を 示す 丈 け 日本 の為 にな つた。 約 二年
も の間 面白 い程 懸 案 が解 決 さ れ て行 つた のも 彼 が 外交 部 の みな らず 、
各 部 に万遍 なく 助 力 の手 を 延 べ た から でも あ つた 、 日支 間 の問 題 で
然 し死 なな く ても い いぢ やな いか 、 東亜 を、 日支 関 係 を 護 る神 が あ る の なら 無 惨 にも殺 し て了 はな く と も い いぢ やな いか 。 足 も なく
彼 の頭 にな いも の はな か つた。
そ の筈 であ る。 彼 は汪 院 長 の股 肱 の臣 であ る許 り でな く、 中 央 政
な つて い い、 手 位 折 れ ても い い、 眼 が つぶ れ ても い い、 生 か し て丈 け 置 け な か つた のか 、 で も彼 の精 神 は生 き てる のだ。 少 く と も自 分
迫 さ へし た 。 汪 精衛 の威 光 を藉 り て同 じ く 汪氏 の秘 書 長 格 であ る 鉄
み得 な い情 報 は な か つた 。 而 か も時 には恐 ろ し い程 太 つ肚 に他 を 圧
治 会 議 の秘書 長 と し て あら ゆ る機密 に参 与 し て居 た 。彼 の小耳 に挾
彼 は優 し い男 であ つた 、 手首 の蒼 白 か つた こと 、謂 はば 女 性 的 に
づ けた り し た 。
道 部 次 長 曾 仲鳴 を も相 当押 し つけ て正 金 銀 行 の郵 伝 部 公 債 問 題 を片
○
の中 に生 き て る のを覚 え る。
の こと で あ る、 曹 操 の将 周 諭 が年 三 十 七 にし て顔 少 女 の如 しと い つ
う に喜 ん で ゐた 、彼 は 日支 問 題 を片 付 け る 以 外 に支 那 の生 き る路 の
日支 懸 案 が 一つ 々 々片 付 い て行 く 毎 に彼 は自 分 の家 でも 出 来 た や
も 見 え た。 支 那 の英 雄 豪 傑 には斯 う し た女 形 の多 い のは 三国 志 以 来
た 。 そ し てし か も孫権 の将 に し て勇 猛 の聞 え 高 い蒋 澣 を や つ つけ て
な い事 を信 じ て ゐた。 自 分 が殆 ど 毎 日 のやう に抗 議 か注 文 を 持 つて
了 ふ ので あ つた 。 唐有 壬 はそ の師 事 し た 汪精 衛 同様 フ ェミ ニスト で あ つた 、 然 し 古
小 さ な 日記 帳 を 出 し ては丹 念 に書 き 取 つて夫 れ 々 々処 分 し て行 く の
で あ つた 、 四 十 二歳 の若 さ に は見 え ぬ程 沈 着 と度 胸 と を持 つて居 た。
行 く に拘 らず 遂 ぞ嫌 な顔 をし た こと も な く 、 毎度 のやう に懐 中 か ら
そ れ だ か ら何 時 でも 大 局 上 の考 慮 は失 は な か つた 、彼 と会 つた 後 は
来 のそ の型 を 辱 し めず 、 そ の目 的 の為 に は勇 猛 邁 進 し た。 目 前 の利
信 じ て ゐた、 汪 氏 の為 には 一身 を抛 つて居 た 、 到頭 汪氏 の為 に斃 れ
自 分 は常 に思 つた 。
害 は棄 て て居 た 、 結 局 は東 亜 が自 分 達 の思 ふ通 り にな る こと を 固 く
た と も 云 へよう 。 彼 は隠 忍 し た 、 もう 駄 目 だ らう 、 今度 こそ は投 げ
キ ャビ ュラリ ーに窮 す る こと はあ つ ても意 を尽 す に は充 分 であ つた。
彼 は 早言 で吃 つて ゐた 、 然 し 日本 語 は充 分 役 に立 つた 、 時 々ヴ ォ
○
到 頭 淡 泊 に彼 は死 に就 いた のだ 、彼 は飽 く 迄 気 持 が良 い。
﹁ 友 如作 盡 須 為 淡 ﹂
出 す だ らう と 思 は れ る こと が幾 度 あ つたか 、 脅 迫 状 は 飛 ん で来 た 、 某 々部 長等 は彼 を公 開 の席 で (行政 院 会 議 等 ) 彼 を 売 国 奴 だ と面 罵 さ へし た 、何 遍 斯 う した 苦 衷 を 自 分 に打 明 けた か 、 泣 き乍 ら物 語 つ た こと も 数多 い。 然 し常 に笑 つて言 ふ の で あ つた 。
○
﹁私 は何処 ま で も や りま す ﹂ 到 頭 命 を と ら れた のだ 。
早 い頭 で あ つた 、 聡 明 さ は光 つて居 た 。 然 し何 に も増 す 彼 の ア セ ッ
の反 対 に気兼 ね し て これを 実 現 し得 な い のなら ば 自 分 等 は日 支 関係
十 月 廿 三 日 の夜 で あ つた 、 日 支航 空聯 絡 問 題 で自 分 が汪 兆銘 と の
の前 途 を 悲 観 せね ば な ら ぬ、 北 支 問 題 も決 し て良 い方 に は向 はな い
数 次 の会 談 を打 切 つて、 ﹁或 る人 (当時 から 蒋 介 石 と 分 つ て ゐ た )
で あら う し 、 南 の方 に も そ の中 に は自由 飛 行 が 行 は れ るか も 知 れな
トは率 直 な 正直 者 であ る こと で あ つた 。 嘘 は言 へな い男 で あ つた 、
つた 、自 分 の宴 会 な ど に来 て日本 から 来 た 柿 や 梨 でも あ らう も のな
そ れ は彼 の ナ イ ヰヴ ヰ テか ら来 る の だ。 恐 ろ し く 子供 ら し い処 があ
ら 、 上海 に居 る娘 に喰 はし 度 いから と 三 つも四 つも ポ ケ ット へ入れ
唐 君 は汪 院 長 官 邸 の出 口 で自 分 を引 留 め 北 上 さ れ る前 に是 非 申 上
い﹂ と いふ趣 旨 の随 分 き つ い捨 台 詞 を 置 い て帰 つて来 る時 であ つた 。
げ た い こと があ る のです と愬 え る やう に気 兼 ね し た あ の恪 好 は今 で
て帰 つた りす る 、頓 智 にも 富 んで ゐた、 食 卓 で の笑 話 は 大体 自 分 で
も見 え る やう であ る、 そ の夜 、 案 の条 、 悄 然 と自 分 を訪 ね言 葉 簡 単
持 つて居 た。 他 人 の悪 口を た た く こと が 一番 嫌 ひ であ つた 、最 近北
を能 く 言 ひ出 す のだ が何 時 も 控 目 で あ つた 。
﹁ 今 度 の 不成 功 に つ い ては自 分 達 の無 力 が原 因 であ りま す か ら 、
遣 はし た 汪 兆銘 等 が 日本 と の懸案 解 決 に如 何 に心 を砕 いて る かを 如
ら 恐 ろ し い不満 の意 を 洩 ら し た のだ が、 彼 及 彼 を こ の夜 自 分 の許 へ
であ つた。 そ の態 度 と 語 調 の純真 は自 分 が連 絡 を 出来 し度 い気 持 か
と い つた。 彼 が余 程 恐 縮 し た 時 に は何 時 も こ の ﹁訳 です ﹂ を 使 ふ の
充分 責 任 を 感 じ る訳 です﹂
に
支 で自 治 宣言 を し た殷 汝 耕 はそ の親友 で あ つた が そ の素 行修 ら ぬ点
在 支 十年 で支 那 人 の友 人 は数 多 く出 来 た が彼 程 の親 し み を覚 え る 者 はな い。 人 間 と し て の情 味 に溢 れ てゐ た。 惜 し い人 間 を 殺 し た も の であ る。
○ 彼 の父 君 は先 烈 と いは れ る程 の偉 い人 で あ つた。 矢 張 兇 刃 に斃 れ
今 の支 那 は 日本 に対 し て未 だ敵 愾 心 に燃 え て る支 那 で は彼 を 売 国
に
実 に看 取 し ホ ロリと す る の であ つた 、自 分 はそ の気 持 を慰 め る代 り
た。 彼 は父 君 を 辱 し め な い。 彼 は英 雄 的 の死 を死 んだ のだ 。
奴 だ と いふ、 漢 奸 だ と いふ 、 あら ゆ る悪 名 漫 罵 の裡 に 、彼 は大 樹 の
と自 分 に 云 つた 。
﹁ 各 関 係 当 局 全 部 賛成 し た が自 分 が之 に反 対 し た のだ ﹂
と答 へた、 十 一月 廿 日蒋 介 石 と の会 見 の際 蒋 は進 ん で
﹁私 の 口か ら は 言 は れ ま せ ん﹂
と直 接 法 に突 込 ん だ ら、 そ こは以 心伝 心 、彼 は静 か に
﹁反 対 は蒋 介 石 さ ん でせ う ﹂
樫 の木 が折 れ るや う にぽ つき り折 れた 。 荷 も 政治 外 交 を 志 す も のは誰 で も死 に度 いと 思 ふ往 生 を辿 つた の だ 、 今 は の際 に彼 の唇 から 言葉 が洩 れ得 な い程 の急激 の死方 であ つ た か ら 、 ﹁男 子 の本 懐 だ ﹂ と 言 ひ得 な か つた にし ろ 、彼 は 確 か に さ
幾 度 か彼 は言 ふ ので あ つた 、 総 ては覚 悟 の前 です 、 矢 でも鉄 砲 で
う 思 つて死 に就 いた のであ ら う 。
も構 は な い の です 、自 分 は何 時 も 深 い感 動 を覚 え る の であ つた。
ら 、今 な ら原 案 の通 り で定 め て頂 け ま せう か ﹂ と いふ ので あ つた 。 ︹ 南京︺ 是 は張 羣 が漢 口 で の主 席 事 務 引継 を終 つて帰 寧 し た 日 で 、唐 君 も 張
航 空 問 題 を片 付 け て 日支 間 の空 気 を良 く す る こと が 最 も 大 切 です か
が出来 上 つて か ら直 ち に唐 君 は ﹁ 北 支 の問 題 も 一段 落 の際 に、 例 の
こ こま で心 に懸 け て ゐ れば こそ 、 十 二月 十 三 日即 ち 蒋介 石新 政 府
の自 分 と の会 見 で唐 君 は新 部 長 は 徐 謨 と私 に対 し 外 交 部 丈 け は 全然
対 日方 針 で行 く こと を 示す 上 か ら も是 非 留 任 必要 だと い はれ そ の日
陳 介 ま で内 定 し てる ので あ つた 、 十 三日唐 君 は張 羣か ら 従 来 通 り の
又党 部 方 面 にも 非 常 な 唐反 対 の気 運 があ る こと故 、唐 を 交 通 部 次 長
に置 い ては張 が行 ふ今 後 の対 日外 交 方 針 にも累 を 及 ぼす だら う か ら
十 二 月十 三 日 の夜 張 羣 が 蒋介 石 に会 ふと 突 如 と し て、 唐 を 外 交 部
に移 さう と い ふ話 が あ り、 同 時 に後 任 と し て呉鼎 昌 の推 薦 にか か る
に こ の懸案 の解 決 を 考 へて居 た か を知 る に足 る ので あ つた。
羣 と は 一寸 こ の話 を し て来 た 風 で あ つた が、 兎 も角 彼 は如 何 に熱 心
元 の通 り の陣 容 で行 く と 云 つて呉 れま し た と、 前 に述 べた 航空 連 絡
いふ突 然 で あ らう 、 翌 朝 張 羣 か ら 陳 介 の話 を さ れた 彼 は 確 か に 人 生
問 題 ま で持 ち 出 し て、 隠 し 得 な い喜 悦 の色 を見 せ て居 た のに 、何 と
の苦 味 を 感ず る ので あ つた 。 而 か も そ の日 から 今 ま で永 年 彼 が寓 居
○
彼 は誠 意 の人間 であ つた のだ、 生 かし て置 き度 か つた 。
斯う し た熱 が あれ ば こそ 十 二月 十 一日 、 十 二 日 の両 日 に亘 つて、
し て ゐた 中央 政治 会 議 の 一室 が取 上 げ ら れ、 首 都 飯 店 に 一夜 を過 し
て南 京 を去 り 、 上海 で病 床 にあ る 汪 兆銘 に何 を 語 つた で あ らう か 。
は多 少 張 部 長 と ダ ブ ル嫌 も あ る から 、 他 の方 面 に変 る かも 知 れ な い と 言 ひ乍 ら、 而 かも 今 迄 外交 の第 一線 に立 つてや つて来 た 対 日 方 針
今 と な つて は総 て悲 し い想 出 であ らう 。
蒋介 石 新 政 府 に なり 、 張 羣 が 外交 部 長 にな つた後 唐 君 の外 交 部 次 長
を 真 向 か ら つぶ され る のが惜 し いと いふ 口吻 で 、今 後 の支 那 は日 本
も あ り 、蒋 介 石 新 政 府 も 日本 と の関 係 に ついて は最 後 の幕 であ り も
儀 な く せ ら れ るか の岐 路 に 立 つて謂 はば 最 後 の努 力 をし て居 る の で
其 他財 政金 融 問 題 に つい て支 那 に現 状 維 持 が出来 る か 又 は退 却 を 余
る ので あ る から 、 そ の下 に 次長 に を さま る気 遣 ひ も な い のだ け れ ど
餘 は そ の部 長 に断 じ て就任 せず 蒋 介 石 の腹 心 で あ る兪 飛 鵬 が采 配 す
最 も 反 汪 派 の標 的 と す る所 であ つた 唐 君 が孤 影 を交 通部 而 かも 顧 孟
と でも あ り、 全 面 的 に汪 派 の勢 力 が行 政 院 か ら去 つた今 日、 而 か も
交 通 部 次長 に移 され た のは 、勿 論 就 任 はす ま いと 見込 ま れ て の こ
〇
す る か ら 、 この際 日 本 は英 国 と直 接 話 を つけ て は 呉 れま いか と 言 ひ
か英 国 か 、 そ の 一つを 選 ば ね ば なら ぬ のだ が 、英 国 とし ても 新 幣 制
出 す の で あ つた 。 彼 は 飽 く迄 日支 関 係 を 調 整 す る為 に孔 祥 煕等 欧米
も 、 汪 兆銘 は将 来 汪 派 進 出 の素 地と し て、 又 汪 蒋 間 の連 絡 と し て是
て ゐた。 一方 又張 羣 は従来 の関 係 を も 考 慮 し て彼 を 外交 部 顧 問 に任
非 共 唐 が南 京 に居 残 る こと を説 いて ゐた の で、唐 君自 身 は余 程 迷 つ
派 の劃 策 を如 何 に調 節 し行 く べき か に心 を砕 いて ゐ た。 又駐 日新 大 使 の選 任 に つ いても この点 に非 常 に 心 を痛 め 唐 君自 身
命 も し た のだ から 、 そ の内南 京 に本 式 に乗 込 み出 来 得 る限 り素 志 の
が 出 ろ と も言 は れた るが と 内証 話 ま でし て色 々打 合 せも 打 明 け 話 も す る ので あ つた 。
〇
貫 徹 にも 尽す 決 心 で ゐた、 そ の矢 先 にぽ つき り打 た れた のだ。
人間 は使 命 を 持 つ事 程 愉 快 な こと はな いで あ らう 。 そ し てそ の使 命 を着 々実 行 し て行 け た ら何 と い ふ痛 快 であ らう 。
○
唐 君 は 死 ん だ、 唐 君 は兇 手 に斃 れ た。
こ こま で彼 を顧 み、 彼 の人 格と 業 績 を 考 へて来 る と彼 は良 い死 方
を し た と も思 へる、 自 然 の死 を死 ぬ より はど れ だ け 意義 が あ つた こ
般 的 関 係 が総 決 算 さ れ ると き に彼 は 日本 側 の みな らず 支 那 人 から も 、
と か 知 れ な い。 今 に又 必ず 余 り遠 から ぬ将 来 に於 いて、 日支 間 の全
東 亜 を現 出 さ せ る にあ る のだ。 是 が為 には 日 本 と の間 に持 つて ゐ る
な輝 か し い モ ニ ュメ ントと し て彼 の遺 蹟 が立 つであ らう 。
否 な 世 界 か ら惜 ま れ、 表 彰 さ れ る に違 ひ な い、 東 亜 の地 平線 に大 き
唐 君 の使 命 は汪 兆銘 の夫 れ であ り 、 結 局 日支 は提 携 し て東 亜 人 の
と 勇 気 に彼 は燃 え て ゐた 。 今 の時 節柄 支 那 には 全然 受 け の悪 い態 度
こと に何 の興 味 も な い。 否 な寧 ろ そ の詳 細 を尋 ねず し て全 貌 が 解 る
何 れ 明 る み に出 る日 も あ りも し よう が 、今 吾 人 はそ の詳 細 を知 る
彼 の兇 手 は 何 者 か、 如 何 な る背景 が あ る のか 。
〇
雑 多 な難 問 題 を 出 来 得 る限 り解 決 し て行 か ね ば な ら な い、 そ の信 念
であ り 、 方針 で なけ れば な ら ぬ。 是 が達 成 に勇 敢 に乗 り出 す も のは
彼 は酒 量 も 相 当 で あ つた 、 幾 ら 飲 んで も酔 つ払 ふ こと は 勿論 言 動
やう に 思 ふ。
確 か に勇 者 で な け れば なら ぬ のだ。
を荒 げ る こと も な く、 大 体 何 の変 化 も な か つた 、 酒 の吟 味 は有 名 な
と勾 結 し 日 本 に親 善 す る者 に対 す る天 の鉄 槌 で あ ると 思 はれ て居 る
孰 れ にせ よ 、唐 君 に対 す る 一撃 は 即 ち支 那 人 の眼 か ら 見 れ ば 日本
ら の 一切 は吾 人 の問 ふ処 でな い。
唐 君 の場 合 も 恐ら く それ と 余 り遠 く な いか も知 れ な い。 然 し 今 そ れ
党 の残 党 た る郭 春 濤 一派 の者 で あ る こと は略 々疑 な い処 で、 今 回 の
汪 兆銘 が院 長 時 代 狙 撃 さ れ た、 そ の黒 幕 は陳銘 樞派 で あり 又 第 三
も ので、 自 分 では 五 十年 程 の古 い京 酒 を 用 ひて ゐ た、 自 分 の宴会 に 使 ふ紹 興酒 は彼 の 口 には どう も満 足 出 来 な い ので、 よく 日本 酒 を や つて居 た。 彼 は酒 は相 当飲 め る が実 は別段 之 を嗜 む と いふ 方 で は なか つた 。
つた 、 尤 も 囲 碁 な ど も相 当 や る方 であ つた。 琵 琶 を弾 ず る こと は得
謂 はば 酒道 楽 で は なか つた 、 さ り と て麻 雀 な ん ど も や る方 で はな か
意 であ り 、殊 に麗 人 の夫 人 と 共 に且 つ唄 ひ 且 つ弾ず る のは御 自 慢 で
偉 人 は嗤 は れ るも ので あ る。
ん で るも のも多 い こと は想 像 が出 来 る。
判 が支 那 人 間 に夥 し く悪 か つた と 同 じ 理 由 で彼 の兇 変 に今 快 哉 を叫
彼 の外交 部 次長 と し て自 分 等 と 種 々案 件 を取 扱 つて居 る頃 彼 の評
点 丈 け で充 分 であ る。
夫 人 は支 那現 代 随 一の劇 作 家欧 陽 予倩 君 の令 妹 で、 そ の間 に は利
あ つた 。
巧 な九 つの娘 を頭 に 四人 の子 供 が あ る。 彼 の洒 々た る外交 振 も彼 の明 朗 な 家庭 及 周 囲 か ら 来 て ゐる点 も あ る こと を 常 に感 じ さ せら れた 。
交 部 長 に据 ゑた のか 。 口で は何 と い はう と 彼等 が 日本 に 対し て如 何
蒋 介 石 は果 し て何 を 目途 し て前 面 に出 た のか 、何 が故 に張 羣 を 外
○
北 支 自 治 反 対 を振 り翳 し て勃 発 し 出 し た学 生 運 動 は 一体何 者 の仕
○ 業 か、 そ れ は 学 生等 自 身 のイ ニシ ヤ チブ で も あ る だら う 、 然 し支 那
な る政 策 を執 ら んと す る の か。
蒋介 石 は結 局英 雄 であ るか 如何 か は之 を他 日 に問 は ね ばな ら ぬが 、
が重 要 であ る、 今 茲 に之 を理 論的 に述 べ よう と は せ ぬ。
此等 凡 百 の疑 問 が唐 君 の兇変 に よ つて 一目瞭 然 に答 へら れた こと
学 生 運 動 の背 後 には常 に或 る力 があ り金 が あ る。 孔 祥 煕 等 が唐 君 の従来 の活 動 に対 し 一々苦 々しく 思 つて ゐた のは 公知 の事 実 であ り 、 又孔 部 長 が新 幣 制問 題 に関 連 し唐 君 に対 し て直 接 辞 職 し て は如 何 と 啖 呵 を 切 つた 事 す ら あ る (唐 君 の実 話 ) のだ か
み れば 少 く と も オ ポ チ ュ ニスト で あ る、 今 度 の学 生 運動 を蒋 介 石 等
は北 叟 笑 み つつ之 を理 由 と し て対 日 政策 を加 減 せ んと 企 図 し つ つあ
兎 も 角 も 従来 のそ の遣 り 口は 殊 に最 近彼 が執 り つつあ る方 策 等 を 顧
る。
ら汪 、 唐 の総 退 却 は孔 等 が 心竊 か に狙 つ て居 た こと も 真 の事 実 で あ
にあ る処 から 十 月 末 同 大 学 々生 に 対 し孔 の方 面 か ら 一種 の話 が電 報
る 。茲 に見 逃 す べ か ら ざ る は孔 祥 煕 が名義 上燕 京 大 学 々長 の名 誉 職
され 俄 然 学 生 運動 が擡 頭 し た こと で あ る、 い い加 減 の処 で熄 むと 思
に居 る間 に 一方 こ の機 を 狙 つて ゐた 上海 の呉 醒 亜 、 呉 開 元、 潘 公 展
理 を分 け て解 け ば 必ず 罷 む と 早 合 点 し た のも愚 であ る。 力 を須 ひず
ぬ と詰 め寄 ると 、 張 羣 は大 いに窮 し 成 る程 航空 問 題 は 日本 側 には大
絡問 題 を何 故 片 付 け な い のだと 迫 りそ の 口頭 禅 な んか に 日本 は 乗 ら
益 あ り 且 つ政 治 的 に両国 間 の空 気 を 一新 す る に効 果 あ る日 支航 空 連
通 り従 来 の対 日 方針 が本 当 に変 ら な いと いふ のな ら 、 日 支 双方 に利
自 分 が張 羣 に丁 度今 日、 開 き 直 つて蒋 介 石 新 政 府 が 既 に言 明 した
等 が乗 り 出 し来 り、 遂 に交 通 機 関殊 に京 滬 鉄 道 の不 通 を結 果 す る に
つて ゐた のが非 常 な浅 見 であ る 、何 れ度 を越 す や う な こと があ ら ば 、
至 つた。 そ し て学 生 達 が自 ら汽 車 を運 行 し て、 昆 山、 蘇 州 に至 り 、
いに利 益 あ る でせう が支 那 で は却 つて大 き な波 紋 を捲 き 起 す か ら今
︹マ マ︺
十 二 月 廿 五 日 に は常 州 に進 ん だ ので常 州 無 錫 間 の レ ー ルを政 府 が取
は手 を つけ 兼 ね る と本 音 を吐 い て仕 舞 つた。
に醜 態 を曝 露 した も の であ る。
な ん ぞを 絶 対 に喜 び居 ら ぬ が、 もう 既 に学 生 運動 に藉 口 しか け た か
張 羣 は日 本 出身 者 間 で は 一番 喰 へな い人 間 で、 そ の外 交 部 長 就任
外 し て隠 か に学 生 達 の来 寧 を喰 止 め て る に至 つ ては、 新 政 府 は極 度
今 之 を草 し て る間 に京滬 、 武漢 は愈 々戒 厳令 を 布 く と いふ決 定 を
る で あ らう 、 そ の兇変 の当 晩 に張 羣 の態 度 が斯 う で あ つた のだ 。
乗 り出 す も の は 一寸 姿 を消 す だら う と は唐 君 の兇変 か ら 当然 想 はれ
今 後 暫 く 日本 出 身 者 はす く み上 が つて了 つて 日 本 と の関 係 改 善 に
と思 ふと 余 り にも 浅 墓 で は な いか 。
君 の不 慮 の死 は政 府 のこ の無 力 と 且 は対 日抵 抗 の意味 を表 明し て余
この無 力 は 即 ち 対 日抵 抗 を 簡 単 に示 さう と した に外 な ら ぬ、 即 ち 唐
聞 いた が もう 遅 い でな いか 、蒋 介 石 新 政 府 の無 力 を完 全 に曝 露 し た。
りあ る。
蒋介 石 も もう 少 し ど つし り せ ねば 駄 目 で あ る、 この 一年 も の間 、 や れ蒋 汪合 作 だ、 や れ 対 日親 善 だ な ん と 大 き な 口を 敲 い て置 き乍 ら、 ︹ 汪カ︺ 自 分 は何 もす る積 り はな い ので は な いか 、 そ し て表 面 に蒋 、 唐等 を
に招 か れ大 いにそ の献 身 の努 力 を犒 はれ 且 つ将 来 一層 奮 闘 を 乞 は れ
立 て て犠 牲 に し て了 つた ので あ る、 十 一月 十 一日唐 は蒋 介 石 に単 独
た と 二 十 四 日唐 君 は直 接 自 分 に喜 び乍 ら 話 し て ゐた のだ が、是 も そ れ も 、 オ ポ チ ュ ニスト の嘘 で は な い か、 事 実 は何 も かも 雄 弁 に説 明 し て る のを 覚え る。
○ 唐 有 壬 君 の死 は決 し て 一個 人 の死 で はな い、 否 これ を精 神 的 にも 死 な し た ら 、 日支 関 係 は勿 論 、支 那自 体 の破 滅 であ ら ねば な ら ぬ。 即 ち 支 那 は滔 々た る欧 米熱 に浮 か さ れ、 日本 と の隔 隙 を益 々大 き く
唐 君 の死 は 支那 に 対す る警 鐘 であ る。 支 那 国 民 も、 政治 家 も 、 外
し て怖 るべ き 危機 に 立 つこと で あ らう 。
又唐 君 の死 は 日支 関 係 の大 き な モ ニ ュメ ント であ る。 指針 で あ る。
交 家 も 、 茲 に大 いに醒 め て考 へ直 さ ぬ な らば 大 変 な こと にな る のだ 。
唐 有 壬 は結 局 大 な る死 に方 を し た ので あ る、 彼 を 死 な し て は お互
彼 の心 と 彼 の魂 を 以 て せ ねば 日 支 関係 は危 殆 に陥 る であ らう 。
日支 も 東 亜 も 真暗 に な る のだ 。 我 等 は彼 の精 神 を 永 劫 に生 か し て行 か ねば なら ぬ、自 分 は そ れを 畢 生 の事業 と し度 く 思 ふ。 昭和 十年 十 二月 廿 五 日夜 半 起 草 廿 六 日朝 五時 半 稿 了。
二二
支 那時局報第三十七号
之 を 〓 理 し て信 用 を図 る
(参
謀
幣制改革 ( 対 英 借 款 )問 題 と 支 那 の情 勢
昭和 十 年 十 一月 廿 一日
本
部)
五、 従 来 銀 幣 単 位 を 以 て締 結 せ る契 約 は 限 定数 額 に基 き 満 期 と 共 に
す
四、 銀 本 位 幣 は額 面 通 り其 他 の銀 は実際 含 有 量 に応 じ て法 貨 と兌 換
一、幣制改革案 の要旨
六、 法 貨 の対 外為 替 価 格 を自 前 の価 格 に安 定 せ し む る為 中 央 、 中国 、
法 貨 を 以 て決 済 す
二、右と関聯す る英支借款問題 に関する情報 三、外国側 の態度及我陸軍 の意向
一、海 関 金 を 二元 二五 乃至 二 元 五〇 の間 に引 上 ぐ
尚 逐 次 左 記 方 法 に依 り変 革 を遂 行 せり
交 通 三銀 行 は無 制 限 に外国 為 替 を 売 買 す
四、本改革令 実施後 の支那情勢 一 幣制改革案 の要旨
二、 支 那 人 に は 一切 兌換 せず
南京政府 は本位貨危機 に直面し遂 に銀国有並通貨改革 を断行す る に決 し十 一月 三日夜半之を布告し四日より実行す ることとせるが右
方引 上げ 実 質 的 に禁 輸 とす
三、 外 国 と の取 引 は 全 部中 央 銀行 の みを 以 て行 ふ
二
四、 小洋 、 銅 幣 は補 助 貨 を 以 て逐 次 回 収 す 銀輸 出 平 衡 税 を五 割 七 分
す
1 、最 近 ﹁レイ ス ・ロス﹂ は 政治 的 活 動 を 為 し 支 那側 は勿 論 米 、 仏 、
一、十 一月 四日より中央、中国、交 通の三銀行 の紙幣を以て法貨と 二、現在流通 せる紙幣は差 当り其儘行使し得るも逐 次中央銀行紙幣
幣制統 一案 の大要左 の如し
を以て回収す
白 等 外 交関 係 者 と 頻 り に交 通 し あ り し が去 る十 月 二十 八 日蒋 介 石 上
右 と関 聯 す る英 支 借款 問 題 に関 す る情 報
三、法定紙幣準備金 の保管及其発行検査事項は発行準備管理委員会
く る為 早 朝 孔 祥 煕 邸 に入 り蒋 介 石 を 待 受 け 最 初 蒋 、孔 、 ﹁リ﹂、﹁カ﹂
海 飛来 の節 ﹁レイ ス ・ ロス﹂ は ﹁カド ガ ン﹂ 英 大 使 と 共 に人 目 を避
にし て英 、 支 両 当局 側 の調 査 に依 れ ば既 に之 が為 の利 益 は宋 子 文
ロ
千 磅 の ﹁ク レ ヂ ット ﹂ 制 定
本 件 に関 す る支 那側 某 要 人 の内 話 左 の如 く 以 て参 考 とす る に足 る
側 並 〓 豊 銀 行 にて収 得 済 みな るも の の如 し
関 税 剰余 を担 保 と し 三 十 五箇 年 満 期 の 一千 万 磅 対英 銀 行 借 款
の四 名 に て約 一時 間 半 、 後 宋 子文 を加 へ更 に約 三 十分 面 談 を 為 し た
るも の の如 く確 か な る筋 の情 報 に依 れば ﹁幣 制 改革 基 金 と し て差 し
り 同 席 上 に於 て は幣 制 改 革 に要 す る基 金 其 他 の借款 に就 き協 議 し た
英 、支 経 済 合 作 は 厳然 た る事 実 な るも契 約 は中 国 側 に於 ては
ものあり
ロ
及 〓 豊 銀 行 の主 任 者 のみ知 り て秘 密 を厳 守 せら れ あ り
蒋介 石 、宋 子文 、 孔 祥 煕 の三名 、 英 国 側 は大使 、 ﹁リ ー ス ロス﹂
イ
当 り (約 六 ケ月 間 の決 済 用 と し ) 一千 万磅 の ﹁ク レ ヂ ット﹂ を倫 敦 に設 定 し 其 担 保 は 関税 剰 余 金 を 振 り 当 て之 が運 用 は〓 豊 銀 行 が任 ず
は 五 千 万磅 以 上 にし て幣 制 改 革 及 其 他 急 用 に応ず る為 之 を 〓 理す る
る こと と なれ り ﹂ と謂 ひ 、或 は又 ﹁右 会見 にて商 談 せら れ し 借款 額
英 支 聯合 委員 会 の如 き も のを 設 け之 が認 可 に依 り其 都 度 所 要 額 を 支
保 と な りあ る関係 上、 困 難 な るも 国 民政 府 は中 央 系 銀 行 よ り の借
入金 を返 済 す る の形式 に て鉄 道 収 入 を 中央 系 銀 行 に返 し 更 に之 を
鉄 道 収 入 を直 接 担 保 と す る こと は既 に他 国 と の間 に借 款 の担
那 側 に渡 す こと
能 にあ らず 云 々
英 国銀 行 に移 す 等 間 接 手段 を 以 て担 保 た ら し む る は必ず し も 不 可
右 借 款 担 保 は最 後 に は統 合 せ る全 支 鉄道 と せ るも 差 当 り其 都 度 決 定 す 此 間 別 に英 国 は 日、 米 、 仏 、 白 等 の鉄 道 権 利 所 有 国 に対 し支 那
外 国 側 の態 度 及 我 陸 軍 の意 向
本 改 革 令 に 対 し英 国 側 は挙 て之 を支 援 す る の態 度 に出 で在 上 海 外
国 銀 行 に対 す る南 京 政 府 の銀 引渡 要 求 に 対 し ても 亦 之 に同意 せ る も
三
全 鉄 道 の統 合 を 斡 旋 し 各国 所 有 の株 券 は英 国 側 に於 て逐 次 回 収 す右 借 款金 使 用検 査 の為 に は別 に委員 会 を設 く る か又 は英 国 よ り財 政顧
し 公 的 のも のと為 さざ る こと ﹂ に決 定 せ り と伝 へら る
日、 伊 、 独 、 白 等 は概 し て反 対を 表 明 し仏 、米 は大 勢 に順 応す る の
問 を 必 要 の箇 所 に配 置 せし め 以 上 は総 て ﹁プ ライ ベ イ ト﹂ の取 引 と
2 、 右 英 支 借 款 問 題 に関 し て は其 後 英 、支 両外 交 当 局 よ り 未 だ借 款
神 に 対す る認 識 を 欠 き 或 は東 亜 永 遠 の和 平 に関 す る深 き省 察 を 廻 ら
我 が帝 国 の内 部 に於 て も南 京 政 府 の実 体就 中 其 抗 日反 満 的 指 導 精
態度 を執 れり
さ ざ る 一部 短 見 者 流 に於 ては本 改 革 の成 功 に依 り 為替 安 定 を 招 来 し
は事 実 な るが 如 き も、 暗 黙 の間 相 当 突 き進 みた る諒 解 に達 し 且 今 次
成 立 の事 実 全 然 無 之旨 の確 言 あ る に鑑 み 公式 に成 立 し あ ら ざ る こと
の幣 制 改 革 と 密 接 の関 係 あり し こと は諸 般 の情 勢 に照 し 否 定 し得 ざ
軍 側 の見 る所 概 ね左 の如 し
る所 と 見 ら れ あ り就 中 該 幣 制 改革 に対す る英 国 の援 助 中 最 も確 実 な
全 国 鉄 道 収 入余 款 を担 保 と し 〓 豊 銀 行 を通 じ て行 はれ た る 一
延 い て日支 貿 易 を 促 進 す べ し と の皮 相 の観 察 を為 す も のあり 我 が陸
イ
りと 伝 へら る るも のは
出 と退蔵 とを助長する結果となり早晩南京 政府 の発行す る法定紙幣
あらざ る現況 に鑑み結局失敗 に終 るべきは明白 にし て其 は銀 の密輸
1、幣制改革 に依る銀国有令 の強制 は南京政府 が国 民に信用せられ す るを 要 す
惹 い ては東 洋 平 和 を 攪 乱 せ ん と す る も のに 対 し て は帝 国 は断 乎 排 撃
ら んとす る も の なり 此 の如 く 実 情 を無 視 し て民 衆 の幸福 を犠 牲 と し
の下落 を見 る べき は当 然 に し て或 は 一片 の紙 幣 と 化す る やも 知 れず
局 借款 其 物 は軍 費 に流 用 せ ら る る か 一部 要 人 を利 す る に過 ぎず 而 か
将 来 民 衆 の負 担 と な る が如 き債 務 を 外 国 に負 ふ に至 るも の にし て結
6 、 伝 へら る る英 支 借 款 に し て真 な り とす れ ば此 く の如 き は支 那 は
︹マ マ ︺
2 、 従来 支 那 の金 融 界 が比較 的強 味 を 有 せし 所 以 は 中央 に金 融 権 力
も 僅 か 一千 万磅 を以 て支 那現 在 の窮 境 を 救 済 し得 るも のに あら ず 将
の集 中 せら れ ざ り し こと是 な り 之 が為 一地方 の経 済 破 綻 がよ く 他 地 方 に波 及 せざ り し な り然 る に今 次 改革 遂 行 の結果 は中 央 が 一歩 を 誤
の国 際 管 理 に発 展す る は必 然 と 謂 はざ る べ から ず
来 第 二 、第 三 の借 款 を 要 し 其都 度 支 那 の富 は外 国 に流 出 し結 局 支 那
若 し 夫 れ伝 へら る る借 款 担 保 と し て の総 税 務 司 英 人 永 久 専任 制 、
ら ば支 那 全 土 を 挙 げ て収拾 す べか ら ざ る惨 状 に陥 る の虞 十 分 な り
関 税 及 全 支 鉄 道 収 入説 等 に し て真 な り と せ ば南 京 政 府 は自 己 の急 場
3 、殊 に 日満 両 国 と 密 接 不 離 の関 係 に在 る北 支 に対 し銀 の現 送 を 強 要 す る は 北支 の経 済 を 混 乱 に陥 れ、 さな き だ に困 窮 せ る 民衆 を し て
他 方 満 洲事 変 以来 東 洋 問 題 に関 し 苦境 に立 て る英 国 が従 来 の半 植
を 救 はん と し て却 つて支 那 を 外 国 に売 るも のと 謂 ふも 過 言 にあ らず
民地 支 那 を 愈 々決 定 的 に英 資 本 の隷 属 下 に置 か ん とし て執 り つ つあ
更 に社 会 的経 済 的 混 乱 に陥 れ る結 果 と な り帝 国 の黙 視 し得 ざ る所 な
4 、之 に反 し宋 子 文 、 孔 祥 煕 一派 が蒋 介 石 を 中 心 と し て 三、 四 億 の
る今 次 の逆 襲 的 態度 に関 し て は厳 に監 視 を要 す る も のと 認 め ら る
り
富 を私 有 し而 か も之 を 英 、 米 の銀 行 に外 貨 を 以 て預 金 し あ り若 し 支
四
本 改 革 令 実 施 後 の支那 情 勢
る訳 にし て今 回 銀 の輸 出 に対 し 五割 七分 の輸 出 税 を 課 す る こと と な
那 の為 替 下落 し た る場 合 彼 等 の支 那貨 に依 る財 産 は夫 れ丈 け増 加 す
部 は既 に倫 敦 に輸 送 せ ら れ あ る事 実 に鑑 み 今 次 の改 革 に依 り 莫 大 の
又 英 米 銀 行 は従来 支那 人 の預 金 とし て現 銀十 数 億 元 を 保 有 し 其 大
態 度 を 示 し事 実 上 銀 の省 有 を断 行す る等 漸 次 中 央 よ り離 脱 す る の形
し 北 支 及南 支 諸 省 に於 ては其 政権 者 は各 〓現 銀 の中央 移 管 に反 対 の
那 国 内 の情 勢 は 日を 逐 う て悪 化 の傾 向 を 辿 り 既 に 一般 の民 心 は動 揺
南 京 政 府 の幣 制 改革 案 は各 方面 に多 大 の衝 動 を 与 へた る が就 中 支
利 益 を 収 め た る こと も亦 明白 なり (預金 の支払 ひ に は換 算 価 値 半 減
る北 支 に於 ては宋 哲 元、 韓 復榘 、 商 震 等各 実力 者 の間 に此 際 民 衆 の
勢 を 馴 致 し つ つあ り殊 に国 民 党 の秕 政 に 対す る多 年 の反 感鬱 積 し あ
れ るを 以 て五割 七 分 の換 算 価 値 丈 け 増 加 せ し は当 然 な り
せ る法 定 紙 幣 を 以 てす る こと を得 れ ばな り )
とす る の機 運 頓 に濃 厚 を加 へ来 れ り
輿 望 に副 ふべ く 一挙 に政 治 的 、 経 済 的 独 立 乃 至自 治 の完 成 を 図 ら ん
5 、要 す る に銀 国 有 は旧張 學 良 政 権 が奉 天 票 を 以 て人 民 の膏 血 を 搾
(及 英 国銀 行 ) の懐 を 肥 す か或 は軍 備 充 実 乃至 中 央集 権 の強 化 を図
取 せ し と同 様 の手 段 を 以 て国 民 を塗 炭 の苦 に陥 れ 南京 政府 一部 要 人
之 に対 し 南 京 政 府 は 凡 ゆ る手 段 を 講 じ て之 が妨 害 を 試 み殊 に北 支 実 力 者 に対 し ては威 嚇 と懐 柔 と に依 り 極力 之 が 切崩 し を 策 し あ り 又 最 近南 京 政 府 部 内 に於 け る欧 米 派 の策 動 に依 り 六中 全 会 、 五全 大 会 等 の機 会 を 利 用 し英 、米 、 蘇 等 と 聯 合 す る対 日強 硬 策 を 標 榜 し て全 国 将 領 の 一致 協 力 を強 制 せ んと す る の暗躍 行 は れ隴 海 沿 線 及 上 海 附 近 に於 け る大 軍 集 中 と 相 俟 て 日支 開 戦 説 さ へ流 布 せ ら る る に至 れり
るも勢 の趨 く 所 不慮 の事 態 を惹 起す る こと な き を 保 し難 し 又其 結 果
是 れ固 よ り 一片 の虚 勢 乃 至 対内 的 駈 引 に出 づ るも のと は判 断 せら る
と 思 し く長 江沿 岸 特 に上 海 地 方 に 対 日 不祥 事 件 勃 発 し動 も す れば 全 面 的排 日 に転 向 せ んと す る の虞 あ り 他 方北 支 各 実 力 者 は 北 支事 件 以 来 対 日 倚 存観 念 を逐 次 強 化 せら れ あ り と雖 一面 前 記 の空 気 就中 南 京
以上 の情 勢 に鑑 み南 京政 府 をし て武 力 行使 を断 念 せし め北 支 自 治
政 府 の武 力 圧 迫 を 恐 れ 独 立決 行 に逡 巡 の色 な き に あら ず
の円満 な る遂 行 を 図 り 以 て事 態 の迅 速 且 円 満 な る収 拾 を期 す る は 一 に繋 つて帝 国 の決 意 如 何 に在 りと 見 ら れ あ り
二三
︹武 比 古 ︺
(昭和 十 年 十 二 月 二 十 日於 外 務 省 東 亜 局長 室 )
支 那幣 制 改 革 問 題 に関 す る 大蔵 省 湯本 国
庫 課長 談 話 要領
対 し て は効力 な しと 言 ひ得 べき も現 に上海 不動 産 金融 会 社 の社 債 所
銀 約 款 の廃 棄 と等 しく 之 が成 行 は相 当注 目 に値 す 、 素 よ り外 国 人 に
持 人 が之 を問 題 と し居 り正 金 銀 行 にも此 の種 問 題 あ る次第 な る が支
一、 新 幣 制 の要 点及 実 施 状 況 新 幣 制 の要 点 は左 の六項 に要 約 し 得 べ し
け 中央 に 銀 の現 送 を な さ ざ る こと を容 認 せり 、 尚 本件 発 行 準 備 委 員
り 、現 在 の遣 口は 形式 的 に は必ず し も 磅為 替 本 位 と 迄 は言 ひ難 く米
に於 て は売 惜 みせ る こと も あ るも 大 体 に於 て無 制 限 売 買 を 行 ひ居 れ
六 政 府 系 銀 行 を し て為 替 の無 制 限 売 買 に応 ぜ し めた る こと (実 際
成 り喧 まし く な る に非 ざ る かと 思 は る)
収 に等 しく 旁 私 人 間 の問 題 と し ても 銀 約 款 を如 何 にす るか は今 後 可
る処 之 を 紙 幣 と 平価 に て引 上 ぐ る こと は 即 ち其 の差 額 丈 の財産 の没
於 て は銀 は通 貨 と いふ よ りも 寧 ろ資 産蓄 積 の手 段 と 見 るべ き も のな
那 人 側 に於 ても 本件 を問 題 にす る こと な き を保 し 難 し 、 蓋 し支 那 に
一 政 府 系 三銀 行 の紙 幣 を 以 て法 幣 と し 及 現 銀 の流 通を 禁 止 せ る こ と 二 今 後 銀 行 券 の発 行 は政府 系 三銀 行 の独 占 と し 旧紙 幣 は漸 次 回 収 す る こと 三発 行 準 備 委 員 会 を 設 立 し同 委 員 会 を し て準 備 銀 の保 管 、 紙 幣 の
会 の組 織 の機 能 、活 動 振 如 何 は新 幣 制 重要 点 の 一な るが未 だ 明 かな
発 行 回収 等 に当 ら し め た る こと ( 尤 も天 津 、 漢 口等 に準 備 分 庫 を 設
ら ず 今 日 迄 の所 に て は各 地 銀 行 内準 備銀 の封 存 、海 外 に 対す る銀 売
な る 次第 な る が︱︱ 例 へば 英 米 為 替 変 動 の場 合 は為 替 裁 定 の現 象 起
弗 に も 円 にも 一定 相 場 に釘 付 せむ と す る建 前 に て右 は技 術 的 に困難
四 所 謂 銀 の国 有 を企 図 せ る こと (実 際 に於 ては 銀 行所 有 銀 を 除 き
るべ し ︱︱ 実 際 の取 扱 振 を見 る に磅 に ﹁リ ン ク﹂ し居 るも のと 言 ふ
出 の監 督 等 を 行 ひ居 れ る如 し )
市 中在 銀 又 は退 職 銀 の平 価 買 上 は 進 捗 し 居 ら ず 、 又 ﹁ホー ルバ ッ
管 理 上 の困難 なき こと 銀 の相場 は倫 敦 市 場 に て決 す る こと等 尤 も な
を得 べ し、 然 れど も 磅 に ﹁リ ンク﹂ せ る こと に付 ては円 の如 く為 替 五 公私 一切 の支払 に法 幣 を 以 てす る こと を命 じ た る こと (本 件 は
チ﹂ は支 那 側 も右 強 行 は断 念 し居 る旨 述 べ た り )
せり|
此等 の関係 より見 れば今次 の支那幣制改革 には相 当香港 の
る理 由 も あ り 一方 日本 よ り見 る も支 那 の通 貨 が 磅 に ﹁リ ン ク﹂す る
が或 程 度 迄 予知 し 得 る状 態 に在 りし こと と 思 は る
立 場 が加 味 せ ら れ居 る や に感 ぜ ら れ 少 くと も 其 の意 味 に於 て英 国 側
今 後 の支 那 幣 制 の動 向 に付 ても 右 の次第 な る を以 て香 港 の態 度 は
こと は 必ず しも 不利 な らず )
一 日 本 を出 し抜 き た り と の議 論 の当 否
二 、 幣制 改 革 と 日本 側 及 英 国側 と の関 係
日 本側 の意 見 あ る如 き も 香 上銀 行 側 に ては 一志 六片 位 に て適 当 な り
ス﹂ は自 分 に対 し 支那 弗 相場 が 一志 二片 半 に て は高 き に過 ぐ る や の
相場 を 如何 に見 つつあ り や は相 当 興 味 あ る 問 題 な る 処 ﹁リ ー ス ロ
来 れ る事 実等 に鑑 み必 ず し も 出 抜 た し りと 言 ひ 得 ざ るべ し尤 もロ 外
と の意 見 な る旨 述 べ た る こと あ り、 英 国 側 に斯 か る意 見 が行 は るる
注 目 に値 す るも のと思 は る、 尚 香 港側 が支 那 新 幣 制 に基 く 支 那為 替
銀 側 の ﹁モー ラ ル、 サポ ート﹂ の反 面 に於 て は銀輸 出 平衡 税 の据 置
理 由 と し て考 へら る る所 は 一志 六片 は印 度 の留 比 と平 価 な る点 よ り
幣 制 改 革 は 日本 を出 し 抜 き て行 ひ た るも のと 言 ひ得 べ き や に付 て
を 口約 せ る次第 に 付右 口約 乃 至 は紳 士 協 定 に鑑 み れ ば今 次突 如 新 幣
見 て或 は印 度 と の平 価 を 考 へた る や にも 推 測 せ ら れざ る に非 ざ るも
はイ 形 式 的 に は実 施 直 前 (十 一月 二 日) に張 公 権 よ り 我方 に相 談 し
も言 ひ得 べし 、然 れ ど も純 然 た る財 政 的 立場 より 見 れ ば本 件 の如 き
る必要 あ るも香 港 弗 が余 り 低 く て は困 る為 に非ず や と思 は る (例 へ
右 の外 、 上海 弗 が 一志 二片 に ては香 港 弗 も 之 に対 応 し て相 当 低 く す
制 に依 り平 衡税 を 大幅 に引 上 げ た る こと は出 抜 論 を 肯 定 せ し む ると
財 政上 の措 置 を執 る場 合 に於 て は利 害 関係 者 に は予 知 せ し め ざ る こ
二 英 国 側 と 如何 な る諒 解 あ り た る や の問 題
と 等 を 捉 へて支 那 側 を 攻 撃 す る こと は差 支 なか るべ き も単 に事 前 に
認 めら る る こと 竝一 の如 く 支 那要 人 の 一部 が不 当 利 得 を 為 した る こ
前 記 二 の如 く 新 幣 制 実 施 に際 し英 国 側 が或 程度 迄 予知 し居 た り と
三 新 幣 制 に 対す る 日本 側 反 対 の論 拠
如 き 不便 あ り)
ば 香港 弗 下落 の結 果 は弗 資 本 の評価 が下 り 磅 債 務 の負 担 が 重く な る
と 当然 の次 第 なり 、 尤 も 支那 側 財 務 当 局 が 今 回 の措 置 を 執 るに 当 り 日 本側 のみ なら ず 支 那側 及 外国 側 にも 全 然 洩 ら さざ りし やと 言 ふ に ︹ 宋靄齢︺ 必ず し も然 ら ず 、 孔財 政 部長 の妻 君 吐 月 笙等 が大 規 模 の投 機 に依 り 利 得 せ る こと は 公然 の秘 密 にし て 又 上海 財 界 に ても 予知 し 居 た るも
今 回 の幣制 改 革 に当 り英 国 側 と如 何 な る諒 解 あ り た る や は詳 か な
我方 に協 議 な し と の理 由 に依 り 反 対す る こと は財 政 的 立場 よ り見 れ
の の如 し
ら ざ るも 香 上 銀 行等 英 国 銀 行 が 幣制 改 革 前 に銀 を 輸 出 し て儲 け た る
三、 幣 制 改 革 今 後 の見 透 し 竝 対 外 ﹁ク レヂ ット﹂ の問 題
ば 根 拠 薄 弱 の嫌 あ り
一 新 幣 制 の見 透
こと 及香 港 に於 て支 那 幣 制改 革 後 間 も な く新 紙幣 ( 英 国 に て準 備 せ
前 記 一、 の新 幣制 要 点 中 民 間 在 銀 の国有 は殆 んど 実 行 不 可能 に て
る由 ) を 発 行 せ る こと等 の事 実 あ り 、更 に根 本 的 の問 題 と し て は香 港 の幣 制 が 支 那 幣制 と離 るべ か ら ざ る関 係 に在 る こと な り |
一九
三〇年香港政庁 の通貨委員会 は支那幣制と の聯繋を保 つ必要を力説
く (右 の中 五百 万 磅 は乗 換 にし て 一時 的 に手 に 入り た るも のな る が
為 替 相 場 の安 定 は如 何 と 言 ふ に外貨 の手 持 高 は八 百 万 磅位 な る べ
我 方 よ り 攻 撃す る理 由 乏 し か る べ き を懸 念 す る次第 な り (我方 と し
然 た る事 業 資 金 た る性 質 のも のな る を 以 て右 の如 き借 款 に対 し て は
直 中 は赤 字 補 填 の為 流 用 す る 計 画 な る旨 を 告 げ た り) 場 合 に異 り 純
使 用 せ し む ると 共 に売 上金 た る弗 資金 は十 八 ケ月 の間 政 府 の財 政建
一千 万磅 借 款 の手 取 り は中 央 銀 行 に売 り 之 を為 替 資 金 と し て同 行 に
三 百 万磅 は逃 避 資 本 が 復 帰 せ る為 決 定 的 に手 に 入 りた るも のな り)
又外 国 銀 行 側 所有 銀 の平 価 引 取 も望 な し
当 分 の為 替 資 金 に困 る程 度 に は非 ず 、 然 れ ど も通 貨 安 定 の為 の外債
く こと 必 要 な るべ く 一方 我 方 が後 手 に廻 らざ る様 今 少 し英 国側 及 支
国 側 が右 の如 き事 業 借 款 を為 す場 合 を 考慮 し予 め我 が 対 策 を練 り置
て は為 替 安 定夫 れ自 体 が怪 し か ら ぬと は主 張 し 難 か る べ し) 仍 て英
の所 に ては 判断 し難 き も 支 那 の主要 輸 出 品 た る農 産物 食 料 品 の如 き
然 ら ば 低為 替 政 策 に依 る国 際貸 借 の改 善 の見 込 は如何 と言 ふ に目 下
るか
那 側 の内 部 に喰 入 つて其 の出 方 を 探索 監視 す る こと 必 要 な る に非 ざ
(﹁リ ー ス ロス﹂ 借 款 ) は 日 本側 の反 対 も あ り大 体 成 立 の見 込 な し 、
は 一般 に単 な る 低 為替 のみ に因 り 輸出 の促 進 を見 る訳 に行 か ざ る外
状
し とす るも 茲 に注 意す べ き は英 国 側 に於 ても 他 の形 式 に依 る借款 を
右 の如 く 為 替 相 場維 持 の為 に は既 に ﹁リ ー ス ロ ス﹂ 借 款 は 見込 な
支 なき旨 申 し居 る外 何 国 の銀 行 も ﹁パ ー﹂ に て引渡 を肯 ぜず 、 之 に
国 銀 行側 が他行 も同 じく 引渡 に応ず る なら ば ﹁パ ー﹂ に て引 渡 し 差
側 銀 行 に 一千 万弗 、 外 国 銀 行全 体 に 四千 万 弗 存在 す る処 外 銀 側 は英
極 め て大 雑 把 に言 へば現 在 上海 在 銀 高 は 支那 銀行 に 三億 弗 、 日本
一現
四 、 日本 側 銀 行 所 有銀 処 分 問 題
原 料 品 の如 き は輸 出 余 力 に乏 し か るべ き 一方 生 活 必 需 品 の輸 入 は必 ず し も減 少 せざ るべ しと 認 め ら る結 局 低為 替 政 策 に依 る国際 収 支 の 改 善 も左 し て期 待出 来 ざ る や に見 受 け ら る
案 出 す る こと な き を 保 せ ざ る こと な り (﹁リ ー ス ロ ス﹂ は十 月 十 八
対 し 支 那 政府 筋 は最 近 六 の銀 及 四 の確 実 な る証 券 と 十 の紙 幣 と を 引
二 不動 産 金融 の為 の外 債 募 集 問 題
日 正金 支 店 長 に対 し 国際 不動 産 金 融 銀 行 設 立 の意 見 を洩 せ り ) 目 下
に対 し 六 の紙幣 を 与 へら る る外 更 に 四 の紙 幣 (即 ち 銀 の三 分 の 二 に
換 ふ る こと を最 後 的 譲 歩 な り と て提 案 し来 れ る処 同案 は 一見 六 の銀
相 当 す る紙 幣) を余 分 に貰 ふ仕 組 の如 きも 右 四 の紙 幣 獲得 の為 に は
﹁ホ ー ルバ ッチ﹂ 主 宰 の下 に 切 り に銀 行 、 金融 の改 善 殊 に上 海 不動
要 な る ﹁イ ンタ レ スト ﹂ を有 す る次 第 な る 一方 支那 新 幣 制 改 革 の 一
の紙 幣 に対 し 六 (即ち 平 価 ) の紙幣 を 与 へら る る に外 な らず 旁外 銀
銀 以外 の財 産 た る証 券 を提 供 す る次第 な れば 実 際 に於 ては 矢張 り 六
産 金 融 の復 活 を策 し居 れ るが (不動 産 金 融 改 善 は英 国 側 と し ては 重
綱 目 にも挙 げら れ居 れ り (十 一月 四 日財 政 部 長 布 告 末 尾 )) 此 の種
二 外 銀 則 及 支 那則 の立 場
側 は右 提 案 に喰 付 かざ る次第 な り
外 債 の募 集 に依 り為 替 資 金 を獲 得 す る こと は多 く の国 に於 て屡 々実
に依 り得 た る資 金 は之 を 政府 の赤 字 公債 補 填 に 利 用 す る (﹁リ﹂ は
行 す る所 にし て而 も ﹁リ ー ス ロス﹂ 一千 万 磅 幣 制借 款 案 の如 く 借 款
言 ふ に資 金 の調 達 に困難 を感 じ 止む を 得 ず 外 国為 替 を売 つて之 を 調
右 所 有 銀 処 分 不 可能 な る為 日本 側 銀 行 は如 何 な る立 場 に在 るか と
く発 行 準 備 に非 ず 従 て之 が性 質 を異 にす
し A 日本側銀行所有銀 は其 の大部分は支那側 銀行の所有銀 の如
然しと認めらる、而し て我方が右主張 をなす の根拠は充分なり蓋
みな らず 銀 を寝 か し為 替 は早 く 手放 す こと と な る等 の諸般 の不便 、
十 万 弗 の銀 に て可 能 な り し営 業 は 四十 万弗 の為 替 を要 す る由 な る の
買 上 ぐ る積 り なら ば 別 に外貨 評価 委 員 会 等 を 設 立 す る筈 なき 次 第
会 に委 ね居 る処 ( 為 替 管 理法 第 四条 ) 若 し 法 定価 格 た る 五円 に て
等 を強 制 買 上 ぐ る こと を 予想 し之 が買 上 値 段決 定 を外 貨 評 価 委 員
B 日 本 に於 て も金 地 金
達 し 居 る状 態 な り、 然 る に外 国為 替 に て遣 り 繰 りす る場 合 は従 来 二
損 失 を 忍 ば ざ る可 から ざ るな り 、 従 て少 く と も各 銀 行 支店 に於 て は
な るを 以 て立法 の趣 旨 は五 円 以 上 に て買 上 ぐ る こと に在 る こと は
て而 も 外 国 銀 行 よ り買 上 げ む と せ るが如 き は常 識 上 も 考 へら れざ
言 を 侯 たざ る べ し従 て兌 換停 止 の場 合 紙 幣 と 金 又 は銀 と を平 価 に
何 と か 早 く 銀 を 処 分 し て資 金 化 す る必要 を感 じ つ つあり 之 に反 し 支 那 政府 系 銀 行 側 の立 場 は 外 銀側 が為 替 を売 る結 果 為 替
る所 にし て支 那側 と難 も 時 価 を 標 準 と し て買 上 ぐ べき こと 当然 な
操 作 に必要 な る外 国為 替 は自 然 懐 に 入 り来 る訳 な る を 以 て外 銀 側 が
りと 言 ふべ し
置 き 銀 紙 交 換 価値 の終 局 的 決 定 は追 て政府 間 の交 渉 に委 ぬ る案 も
口 差 当 り ﹁パ ー﹂ 相 当 の紙 幣 と 交 換 し 銀 は 日本 側 銀 行 に封存 し
準 備 制 度 を 明 か にし 居 る こと等 な り
平 衡 資金 の設 定 、適 当 と 認 む る相 場 に て為 替 を 売 買 す る こと 、 発 行
唆 を 与 ふ るも のと 認 め ら る香港 の新 幣 制 の特 色 は 兌換 の停 止 、 為 替
な る や は軽 々に論 断 し 難 き も香 港 の幣 制 は此 の点 に関 し有 益 な る示
支那 新 幣 制 が将 来 如何 に落 着 く や又 如 何 に落 着 か しむ る こと 適 当
五 、支 那 新 幣 制 の修 正 に関 す る考 察
銀 を ﹁パ ー﹂ に て引 渡 さ ざ る こと に依 り別 段 困 惑 し 居 らざ る の みな
策
らず 寧 ろ 好都 合 と な り居 る次第 な り
三対
あ り之 に対 し 支 那側 は銀 の封 存 は支 那側 銀 行内 に於 て行 ふべ き こ
イ ﹁パ ー﹂ にて引 渡 す こと が 不 合理 不 公 正な る こと は勿 論 な り
とを 主 張 し居 る処 一旦支 那 側 に引 渡 し た る以上 は将 来 の決 算 懸 引
六、 支 那 側 に依 る銀 の対 外 売 出 問 題 ︹ 光次郎︺ 過 般 張 公権 よ り岩 井 商 務 官 に持 出 し た る銀 売 出 問 題 は 恐 らく 為 替
従 て本 件 は結 局 如何 な る程 度 及 額 迄 売 出 す か の問 題 な るが特 に巨
に思 は る
よ り見 るも 其 の準 備 銀 の大 部 分 を海 外 に売 出 す こと は な か る べ き や
於 て は新 幣 制 は 銀本 位 離 脱 に非 ざ る建前 を持 し 居 る関 係 上 対内 政 策
資 金 獲 得 の為 支 那側 の実 行 す る所 と な る べ し、 然 れど も支 那政 府 に
上 我方 に不 利 な る こと は言 を俟 た ず ハ 日本 政 府 に於 て買 上 げ ら る る案 も あ る処右 は 予算 にも 絡 み相 当 困難 あ る外 必ず し も良 策 と は言 ひ難 し ニ 軍 艦 に て積 出 す こと (即 ち支 那 側 は話 を 附 けず し て税 金 を払 はず に積 出 す こと ) も 面 白 か らず ホ 結 局本 件 に付 て は正 々堂 々と支 那 側 に対 し 銀 行側 の自 由 処 分 を 認 む べ き ことを 主 張 し 支 那側 納 得 の上 に て適 当 処 置 す る こと 可
額 にも 非 ざ る以 上 は余 り之 を 攻 撃 す る こと も考 物 な るべ し 尚 支 那 側 は 約 四千 万弗 位 売 出 の意 向 な り と の こと に て又 日本 側 に 対 し て は 一千 万 弗売 出 を提 議 し 来 れ る こと は恰 も 外 銀 及 日 本銀 行 の 所 有 銀 在 高 と 合 致す る 次第 にも あ り 此 の際 本 件 銀 売 出 問 題 と 日本 側 銀 行 所 有 銀 処 分 問 題 と を牽 連 せし め て後者 の解 決 に前 者 を 利 用す る ことも 一案 な るべ し 七、 北 支 幣 制 問 題 北 支 に特 殊 幣制 を施 行す る の案 に付 て は一 金 票 案 二 満 洲 国幣 案 三
ント ロー ル﹂ を 行 ふ為 に は必 ず し も金 円 の流 通を 必 要 と せ ざ る の み
北 支 統 一銀 行 券案 等 伝 へら る る処 一 我 方 が北 支 に財 政金 融 上 の ﹁コ
なら ば 右 は為 替 管理 上 も面 白 か らず 又 二満 洲国 幣 流 通 案 に付 て も右 と同 様 な り 三 北 支 を中 南 支 と 別 箇 の幣 制 に置 く こと は北 支 と中 南 支 と の地 理 的 経 済 的接 近関 係 よ り見 ても 困難 な る べし 、 而 し て此 の点 に関 し 従 来 支 那 の紙 幣 が同 一銀 行 の発 行 に係 るも の に ても 上海 票 、 天 津 票 の如 く流 通 区域 を異 に せ る こと は好 箇 の示 唆 な るべ し要 す る に差 当 り は地 方 的準 備 を有 し 右 地 方 に限 り流 通 す る紙 幣 位 にて満 足 し 中 南 支 の幣 制 と連 繋 を保 つ こと 可然 し尚 新 銀 行 券 の発 行 の如 き は 余 程 慎 重 考 慮 を 要す べ く 又 一般 に理 論 に走 る こと な く 徐 々 に無 理 な く 行 ふ こと に留 意 を要 す (北 支 と 中 南 支 と の政 治 関 係 如何 に依 り米 国 の聯 邦 準 備 制度 に 近く な るか 或 は ﹁ラ テ ン﹂ 同 盟 に近 く な る か が 決 せら る る次第 に て右 政 治 関 係 と併 行 せざ る幣 制 は面白 か らず )
二四
南 北 支 那 独 立 問 題 を 中 心 と す る出 先 関 係
て待 つべ く南 京政 府 も亦 武 力 弾 圧 を断 念 し て消 極 的 妨害 策 に出 づ る
く 迄 南 京 側 の実 力干 与 を排 撃 す る の決 意 を示 さ ん か北 支 の独 立 期 し
機 関 の情 勢 判 断 要 旨 ( 於昭和十年十一月十二日頃)( 参謀本部)
昭和十年十 一月十八日 南 京政府 の幣制改 革 に伴 ふ北支独立問 題 の動 向に対す る出先関係
打 開 の鍵 を 握 れ る帝 国 の断 乎 た る決 意 を要 望 す る点 に於 て殆 ん ど其
我 方 は最 小 の犠 牲 に依 り て最 大 の効 果 を収 め得 べし と 為 し 此際 局 面
の外 なき に至 り其 結 果 は却 て憂 慮 す べ き事 態 の発 生 を 未 然 に防 止 し
而 して其内容 は概 ね大 同小異 にし て之を要す るに従来逐次〓醸せ
軌 を 一にし あ る も の と認 む
機関 の情勢判断 を要約整 理すれば別項 の如し られ来 りし北支 の独立機運 は今次 の幣制改革を契機 として急速 に激
宋 哲 元 、韓 復 〓 、 商 震 の態 度 は 尚 曖 昧 な る点 あ るも 勢 の趨
く 其 中 支 に於 け る大 軍 集 中 は畢 竟 山東 に対 す る恐 喝 に過 ぎ ざ
日既 存 協 定 乃 至 我山 東 出 兵 の前 例 に鑑 み到 底 実 行 し 得 ざ るべ
南 京 政 府 の態 度 は 予断 を許 さざ るも 河北 山東 への出 兵 は対
右独 立進展 の場合、之 に対する中央側 の態度判断
る故 に之 に対 す る 日本 の強 力 な る支 援 に し て終 始 一貫 渝 ら ざ
あ らざ る を 以 て帝 国 は今 よ り所 要 の対 応策 を講 ず る の要 大 な
自 棄 的 に河北 、 山 東 に向 ひ武 力 行 使 の挙 に出 づ る こと絶 無 に
但 し 山 西 への進 入 は実 現 性 な き にあ らず 又最 悪 の場 合自 暴
る べし
互 依 存 の根拠 た らし む べき 親 日政権 の樹 立 を見 る に至 る も の
る に於 て は察 哈爾 、 山 西 、綏 遠 を も包 含 す る北 支 に日満 支 相
く 所 結 局 近 く南 京 よ り離 脱 を 敢 行 す る に あ らず やと 観 測 せ ら
幣制問題に伴 ひ南北支那独立運動 の進捗程度 に対す る見込
成せられたるの感 あり、今我方 にし て依然儼乎たる態度 を堅持 し飽
関東軍
と観測せらる
りと 認 む
平
天津軍
北
濟 南
右 に対 し南 京 政 府 は既 に英 、米 、蘇 と結 合 し あ るを 以 て対
日 開戦 を も辞 せざ る勢 を 以 て鎮 圧 す べし と為 し 各 実 力 者 を威
嚇 し あ る も右 は 一片 の虚 勢 に過 ぎ ず 、 我 帝 国 の決意 だ に鞏 固
な らば 対 日正 面 衝 突 惹起 の虞 あ る北 伐 行 動 は 到 底 敢行 し得 ざ
る べ し況 ん や此 の如 き は 一面自 ら の財 政 破 壊 を 意 味 す る も の
要 す る に北 支 実 力 者 の蹶 起 問 題 並南 京 政 府今 後 の態 度 を 左
な る に於 て を や
右 す べ き因 子 は畢 竟 彼 に在 らず し て 一に帝 国 の決 意如 何 に〓
局 、 金 融 機 関 、 一般 民衆 悉 く 反 対 な り故 に南 京 にし て本 政策
南 京 政 府 の幣 制改 革 に対 し ては北 平 方 面 に 於 け る 軍 政 当
依 り 且対 外 関 係 を利 用 し つ つ徐 々に之 が 回復 を 図 る も のと予
く結 局 先 づ 山 西 方 面 よ り 圧迫 を加 へつ つ主 と し て政 治 工作 に
我 が現 地保 護 の方 針 確 乎 た る に於 て は猥 り に出 兵 し得 ざ る べ
南 京 政 府 の河 北 出 兵 は北 支 協 定 違 犯 な り、 山東 に対 し ても
北支各実力者は従来各自 の立場 上対中 央態 度 に差 異 あ る も大体 に於 て其武力圧迫 を恐 れ独立決行 に逡 巡 の色 なきに非 ず、然 れども北支事 件以来彼等 の対 日倚 存観念 は逐 日強化せ られ殊 に今次幣制問題 の突発 は之 に対し共通 の利害を有す る 彼等 の結束と其反中央決意 とを促進せし こと大 なるに鑑 み今 や北支 の独立 は単 に時機 の問題と判断せらる尚其影響 は西南 其他各 地雑軍 に波及すべく将来全支 に 一大変化 を予測 せら る
を強 行 す るか 或 は 我 方 に於 て之 が 打 破 の為 適 切 な る対 策 を講
る も の と信 ず
ず る に於 ては 之 を契 機 とし て北 支 の中央 に対 す る反 抗 を 急速
想 せらる
本改革を契機とし て南北独立を惹起する場合、南京政府は
に限定せらる
防ぐを要す 此際南京側 の兵 力使用方面 は黄河水災 の関係 上、徐州以東
敢 へてせば我国は現 地保護 の為出兵し併 せて山東軍 の動揺を
隊、保衛団 の切崩 し等 に努む るならん、若 し彼 が兵力行使を
北支独立 の場合南京政府 は地理的関係上、山東 への出兵最 も容易な るも恐らく儼然た る拒否 的態度と示威等 に依 る威嚇 以上 には出 で得 ざるべく寧 ろ義勇軍に依 る省内撹乱及省内軍
に陥 らし む べし
此 際 帝 国 の儼 然 た る態 度 と西 南 の蹶 起 と は益 々南京 を苦 境
に激 成 し 遂 に其 独 立 を促 進 す る の公 算少 し と せず
今次幣制改革 に関し南京当局は外国 の援助なき揚合は上海
南
京
廣 東
の 二億 元と 各 省 に退 蔵 せ る約 二 十 億 の現 銀 と を集 中 し 得 ば当
し消 極 的 抵 抗 を 為 す に至 る も のと 判 断 せら る
武 力 弾 圧 を 用 ふ る こと なく 全 面 的 抗 日 に転 向 し英 、 蘇 と 提 携
イ 蒋介石 は武力を以て西南 を討 つこと万 々不可能な るも大 会決議を通じ て其 反中央行動を封ず るならん ロ 蒋 は五全大会終 了後直 に西北 に転 じ華北問題処理 に乗出
分 信 用 を維 持 し得 べ く若 し 貿 易 統 制 を行 は ば更 に安 全 の度 を 増 す と て強 ひ て楽 観 説 を称 ふ るも 其 前途 は暗 雲 に閉 さ れあ り 銀 国 有 令 に基 く南 京 政 権 の強 化 は 一ケ 月 を出 でず し て相当 (天 津 の対 上 海為 替 を大 連 に て中 継 す る と共 に日 本側 銀 行 を
程 度 に向 上 せ ら るる な ら ん何 と な れ ば我 方 にし て特 殊 の方法 強 化 す る等 ) を講 ぜざ る限 り 現銀 の上海 倫 敦 への流 出 を防 止 西 南 に於 ては廣 西 は既 に数 年前 よ り省 貨 を紙 幣 制度 と し廣
し得 ざ れば な り 東 は 今 回毫 銀 省 有 を励 行 し あ り て南 京 の権 力 に依 り銀 流 出 の 虞 な し 但 し香 港 銀 行 の現 銀 密 買 に依 る逃 避 は最 も 警戒 を要 す
すならん 其工作重点 は宋哲 元に指向せられ凡ゆる政略 を弄し て北 支 将領 の分裂買収 を企図す べし ハ 中支に於 ては内面的用兵準備 完了と共 に実質的 に対 日強 硬策 に歩武 を進め以 て全支 の動 向を満洲事変発生前 の姿 に還 元せしむるならん ニ 以上に基 き帝国は速 に北支 に対す る兵力、金 力の援助を 断行 し中支 に対し ては要点 に増兵 (陸軍を含む) を行ふを要 す
一、 緒
目
次
二 五
言
言
(昭和十 一年 一月九日 参謀本部)
附 表 第 二 附 表 第 三
一、 緒
五、 南 京 政 府 の北 支 自 治 切崩 し 工作
四 、 十 一月 中旬 に於 け る情 勢
に流 布 せら れ た る北 支 運 動 の印象 を 以 てす れば所 謂 大山 鳴 動 し て鼠
を発 表 し北 支 自 治 運動 も茲 に兎 も角 一段 階 を劃 せり
長宋 哲 元 は談 話 の形 式 を以 て今 後 二省 二市 の政 務 一般 を処 理す べき
去 る十 二月 十 八 日北 平外 交 大 楼 に於 て冀 察 政 務 委 員会 成 立 し委 員
六 、自 治 運動 の軟 化
一匹 の感 な き に あ らざ るも 混 然 た る政 情 の渦 中 に於 て朧 気 な がら も
北 支 自 治 運 動 の 推 移
支 那 時 局報 第 一号
二、 北 支 自 治 運 動 の発 展
七 、帝 国 の態 度 と有 吉 大 使 の南 京 訪 問
を表 す るに吝 か な らず
其 明 朗 化 に 一歩 を進 めた る右 委員 会 の成 立 に対 し ては 一応 満 足 の意
三、 北 支各 将領 の態 度
八、 翼 東 自 治 委 員 会 の成 立
真 相 を 究 めざ る我 国 一部 の徒 輩 が巧 妙 な る南 京 政 府 の宣 伝 と 為 に せ
唯 茲 に吾人 の最 も 遺 憾 と す る所 は北 支 運 動 の表 面化 以 来 我 北 支 の
新 聞或 は巷 間
九、 南 京 政 府 の北 支 問 題対 策 一〇 、何 應 欽 の北 上
言
一 一、冀 察政 権 の今 後 一 二 、結
﹁北 支 は経 済 的 に 一顧 の価 値 なし ﹂ 等 の実 に心 な き放 送 を敢 てし輿
論 の帰 趨 を妨 害 し た る こと言 語 道 断 驚 く べき も のあ る点 な りと す
ん と す る外 国 通 信 等 を盲 信 し ﹁自 治 運 動 は我 軍部 のみ の 工作 な り ﹂
一
考 附 表 第
参
純乎厳正な る国策は斯 かる不純 の策動 に左右 せら るるにあらざ る
軽挙盲動す る時 は忽ち中央政府の圧迫 を受け徒ら に地盤崩壊 を招 く
運動 に苦 き経験を嘗 めた るを以て実 力ある日満 援助 の約束 なくし て
関係 を異 にす るのみならず独立独行 の実力毅魂 を欠 き殊 に従来反蒋
︹マ マ ︺
も之等 の放送 は忽ち南 京政府 の逆用する所 となり北支将領 の決意 を
商震 及萬福麟 と本年 六月北支事件に際 し中央軍 の撤退 の後を享 けて
北支実力者 の主なる者 には山西 の閻錫山、山東 の韓復〓竝河北 の
三、各北支将領 の態度
着す べきを覚り各実力者は何等 か対策を講ぜざるを得ざ るに至 れり
は経済的延 ては政治的に南京屈伏 を余儀 なくせしめらるる運命 に逢
るも のなかりしが適 々十 一月 四日南京政府 の突 如発表 せる幣制改革
虞 ありとなし率先洞 ケ峠 を下 りて難局 に当らんとす るの英断 に出づ
鈍化せしむ るに効果極め て大 なりし ことは否定すべからず 吾人は茲 に北 支自治運動 の本質を検討 し冀察委員会成立 の経過を 概述し以 て将来 の参考 たらしめんとす 二、北支自治 運動 の発展 十月 二十日河北省香河縣 に勃発 せる民衆 運動 を導火線として既 に たる北支自治 の政治思想は各 方面 に於 て 一路表 面化 の動向を辿 るに
停戦協定成立後より擡頭し来 り更 に陜西省共産 匪 の猖獗 に脅かされ 至れり 抑 々北支自治運動 の根底 は 一朝 一夕に醸成 せられた るも の
の反蒋軍 に従 ひて河南に進出 して敗 れ 一度陜西 に退きし が 一九 三〇
彼 は嘗 て馮 玉祥 の腹 心にして国民軍 の中堅たりし が 一九二九年馮
察哈爾省より逐次河北省 に乗出せる宋哲 元あり
策 は支那軍閥 の常套手段 にして敢 て奇とす るに足らざ るも苟も満 洲
の憂 目に遭 ひ後張學良 の東北第三軍長、中央軍 の第 二十九軍長、察
年再 び閻 の反蒋戦 に策応し馮に代 りて西北軍を指揮せしが再 び敗戦
斯かる搾取政
国 の駸 々た る発展を目前 に直視し蒋介石政権逐次後退 の傾向 にある
一語 に尽き (附 表参照)住民 の困窮疲弊 其極に達す
にあらず南京政府過去 十年 に於け る対北支政策 は実質 に於 て搾取 の
北 支に於 て識者 の心底に北 支自治 の念願切な るも のを生ず るは寧ろ
事者として反 日系 の尤 なるものな りし が帝国 の正 々堂 々たる主張と
即ち彼 は 一面反蒋 系なると共に熱河抗日戦竝本年察哈爾事件 の当
哈爾 省主席 に歴任す
す ることなく今次 の如き熾 烈なる運動 を開始 せるは其根底極め て深
提携し て局面打開 の方策 を樹立せざるを得ざ る立場 にありしが北支
満洲国 の駸 々た る発展 に伴 ひ自己 の背後 に寂寞 を感 じ将来 は日満と
由来官憲 の威力に対 し羊 の如く従順な る支那 民衆 が其弾圧を意 と
当然 の推移 と謂 はざ るべからず
く多 年 の批政 に対す る深刻なる反抗意識と日満 依存 に拠 りて其窮境
情勢 の変転 を察知し機を失せず平津衛戍司令 に就任す ると共 に北支
を打 開 せんとする強烈な る欲求 の作用 に基 く所 以を察 せざ るべから
其 他 の各将領亦内 心将来 の立場擁護 の為 めには帝国と の提携親善
民衆 の人心を収攬し て自 己勢 力 の拡大強化 を企図す る所 あり
を期す るの必要を十分 に熟知しあるも之 に対す る南京系 の圧迫牽制
ず此間帝国 の態度 は飽く迄厳正不動 にし て本自治運動 に対し ては好 ことなく不純 なる 一部 の策動 に対 しては監視抑制する こと に努めた
意と同情とを表 明した るも未 だ嘗 て実質的 に何等 の援助 を与 へたる り北支各実力者 は前述 の如き情勢 に直面せるも従来其立場竝 に利害
合 流 完成 を待 て徐 ろ に出 馬 す るを賢 明 な り と し所 謂 機会 主義 を採 り
らか にせ ば各 個 に撃 破 せら る る虞 大 な るも のあ り故 に各 将 領 は他 の
治分会 の首領 たらしめ本工作 の為 め必要な る経費 は中央之を負担し
閻にして北支将領を説き之 を結束 せしめ得 るならば閻 を以 て北支政
に先ち蒋介石自ら山西省太原 に飛行し閻錫 山を説得し て曰く ﹁ 若し
之 より先南京政府 は北支離反 の形勢を察知す るや六中全会 の開催
五、南京 政府 の切崩し工作
つつあ り し が独 り宋 哲 元 は 比較 的 南 京 の直 接 的 圧 力 を免 る る の立 場
亘 つ閻 の首領実現 せば更 に外交財政 の両権 を附 与せん﹂ と述 べ閻亦
も 亦強 烈 にし て万 一提 携完 か らざ る に乗 じ軽 挙 南 京 離 反 の旗 幟 を 明
四 、 十 一月中 旬 に於 け る情 勢
にあ り し を 以 て其 工作 は逐 次 に進 展 せ り
らず となし 六中全会 出席 を決意す るに至 れり
又参謀次長熊斌 は蒋
介石 の旨 を受 けて北上し宋哲 元、韓復〓 に対し ﹁中央政府 の対北支
現在山西 の不況 に当り取 り敢 へず 中央 の扶閻政策 を容 るるは不利な
放 人 材 集 中 に対 す る建 言 を 呈出 し 十 三日韓 復〓 も亦 更 に同 主旨 の通
具体案 は既 に決定 せるを以 て局地的 に自治 乃至独立運動 に狂奔す る
十 一月 十 一日宋哲 元 は南 京 に開 催 中 な り し 五全 大 会 に対 し政 権 開
電 を発 し 爾 後 殷 汝 耕 以 下停 戦 地域 内 各 機 関 北支 新 聞公 会 各 大 学 有 志
しめ又多数 の軍用列車 を準備す る等万 一中央 の命 を奉 ぜざらん か即
大演習 に籍 口して数 ケ師を集 中し且 つ 一部 を隴海沿線 を北上陽 動せ
電報を以 て之が懐柔 に努む ると共に他面部隊 の移 動、南 京附 近特別
は極め て不利 なり﹂と説き其他政府要人 は頻繁 に北支実 力者 に対し
之 に呼 応 し 北 支 情 勢 の進 展見 るべ き も の あ り 当 時宋 哲 元 一派 の樹 立 せ る 計画 の要 旨 左 の如 し 一、北 支 に親 日反 蘇 の政 権 を 樹立 す 而 し て南 京 政府 の政 策 は反 日 な
時武力 を以 て弾 圧す べき を暗示し之を脅 威す るの手段を忘れざ りき
る に鑑 み其 拘 束 よ り脱 す る為 自 治 (半 独 立) の形 態 を採 る 二、 地 域 は北 支 に於 け る 五省 三 市 と す
に対 しては秘 かに ﹁余は日本 の圧迫強迫 を受け つつあり如何 に処置
通電 及抽象的政策を発表して内外 の意嚮を打診す ると共 に 一方南京
注目を集 めた るも以上の工作は事 実に於 て未 だ半途を出 でず彼 れは
当時 日本 内地諸新 聞は 一斉 に北支 自治政権 の樹立を報道 し内外 の
に対 し暗 に対 日強硬政策 の存在 を誇示す ると共 に聯蘇政策 を採用し
により国富 を増加し外侮 の復讐 を企図す る旨組織的宣伝 を試 み国民
の努 力を尽し つつあり今次 の幣制改革 は自力更生 の第 一歩 にし て之
幅的支援 を獲得し政府は国 民貧富 の差を適当に調節す ること に全幅
共に間接的 には公私 の宣伝機関 を動員し現南京政府 は数多友邦 の全
南京政府は前述北支将領 に対す る直接的懐柔脅 威の手段を尽すと
三、 南 京 政府 の宗 主 権 を認 む るも 外 交、 内 政 、 経 済等 に関 し高 度 の
すべきや﹂等 の電報を発 し表面 の糊塗 に努め攻撃 の矢面 に立 つるを
自由 を保持す
避 け他面宋哲 元の配下たる瀟振瀛等 は帝国 の援助懇請 に狂奔す る所
て我 れに挑戦す るの傲慢な る態度 に出 で斯 かる結果は十 一月九 日上 ︹ 註1︺ 海 日本海軍陸戦隊水兵に対す る狙撃事件となり引続き十 一日は同地 ︹ 註2︺ 南京路 日比節洋行に対す る暴行事件となり当時散布 せる宣伝ビラに あり之 に対 し我 は依然飽く迄内面的政治干渉を避 け其成行を注目せ り
坐 し て亡 国 の民 た ら ん よ り敢 然 起 つ て日本 帝 国 主 義 に挑 戦
は堂 々 (? )﹁支 那 は 日本 の連 続 的 圧迫 に依 り 愈 々危 機 の最 高 潮 に 達せり
七 、 帝 国 の態度 と 有吉 大 使 の南 京 訪 問
著 し く 軟 化 す る に至 れ り
各関 係各 省 密 接 な る協 調 を 遂 げ北 支 の情 勢 に対 し多 大 の関 心 を 以 て
帝 国 は規 定 方 針 に基 き飽 く迄 厳 然 た る態 度 を 堅 持 す る と共 に 一方
以 上 は 当然 南 京 政 府 の指 導 す る内 面 工作 に基 く も のな れ ども 我 官
注意 怠 る所 な か りし が此 際 局 地 の事 態 に眩 惑 せら るる を戒 め大 局 を
す べし ﹂ と掲 げ たり
実 質 的 には何 等 の誠 意 を示 さず
合 日本 が現 下 の情 勢 に於 て果 し て武 力 解 決 に乗 出 す べ き や否 や疑 問
ざ る に於 て は国 民政 府 は最 後 の手 段 とし て決 戦 を辞 せざ る べく 此 場
如 く 之 が成 立 の暁 は全 く 自 己 の立 場 を失 ふや も知 れず 又妥 協 成 立 せ
北 支 将 領 に対 し南 京 政 府 が何 等 か 日本 と妥 協 の方 策 を有 す るも の の
親 善 を旨 とす ﹂ と嘯 き 以 上 直接 間 接 、 表 裏 二面 の北 支 切崩 し 工作 は
蒋介 石 は 五全 大 会 の席 上 に於 て ﹁国 民 政 府 の対 日 外交 方 針 は依 然
機 に応 じ前 記 の目 的 を達 成 す る為 め 必要 な る部 隊 の移 動 を実 施 し又
め 十 一月 十九 日約 一旅 団 の兵 力 を満 支 国 境 に集 結 し支 那 駐 屯 軍 も 亦
知 す る や 万 一の場 合 機 を逸 せず 北 支 我 居 留 民保 護 の目 的 を達 す る為
先 き に支那 中 央 軍 の移 動頻 繁 にし て北 伐 の気 運 濃 厚 な る の情 勢 を察
り 漸 を 追 う て之 に 必要 な る措 置 を講 ず べく 庶 幾 す る所 あ り関 東 軍 は
国 内 的 の影 響 を考 察 し 政 府 輿 論 一体 と な り統 制 あ る国 策 の運 営 によ
洞察 し て事 を処 理 す るを 必 要 と な し今 次 の自 治 運動 に対 し ても 国 際
憲 の抗 議 に対 し て は陳 弁 是 れ努 め
な り と の印 象 を与 へた るも の の如 し
宋哲 元 一派 の自 治 運 動 は 兎 も角 十 一月 中 旬 以来 漸 次高 調 を呈 し 二
出 でざ れ ば事 態 は益 〓悪 化 す る の虞 あ る こと 及支 那 側 は山 東 河 北 省
せ し め 此際 支 那 中 央 政 府 にし て速 か に北 支 の事 態 に適 応 す る態 度 に
南 京 中 央政 府 に対 し ては 十 一月 二十 日有 吉 大 使 を し て蒋 介 石 に会 見
十 日前 後 に は自 治 宣 言 発 表 の気 運 に あ りし も韓 復榘 以下 其 他 の将 領
を以 て事 態 の解決 を図 る が如 き こと あ ら ん か由 々し き大 事 を惹 起 す
南 境 に中央 軍 の 一部 を集 中 し あ る も該 兵 力 を北 支 に進 出 せし め 武 力
六 、 自 治 運 動 の軟 化
は 宋哲 元 一派 の専 断 を 疑 ひ て之 に合 流 す る を潔 と せず 殊 に情 勢 完 全
運動 に対 す る南 京 政 府 の認 識 是 正 を 重 ね て要 望 せり
則 の実 行 と は自 ら 別 個 の問 題 な る を以 て有 吉 大 使 は飽 く迄 北 支 自 治
実 行 を 承認 せ んと す る意 志 を表 示 せし も 素 よ り 北 支自 治 運動 と 三原
反満 政策 の根 絶 と 北 支 に於 け る文 化 的 提 携 、 三 、 赤化 共 同 防 止 ) の
て外 務 省側 よ り申 入 れあ る 三 原則 (一、 親 日政 策 の具 体 的 実 現 、 二 、
蒋 介 石 は之 れ に対 し北 支 自 治 運 動 の抑 止 を懇 請 し之 と交 換 的 に予
べき を 警告 せ り
に 熟 す る以前 に軽 挙 す るを 危 険 な り と し殊 に南 京 側 の切崩 し 工作 一 層 甚 し か りし を以 て容 易 に動 かず 遂 に宋 哲 元 も 亦 独 り渾 沌 た る情 勢 に処 し て敢 然 之 を乗 切 る の困 難 を感 ず る に至 り 十 一月十 八 日 に は南 京 政府 に対 し 日本 側 の圧 迫 によ り十 一月 二十 日 よ り 二 十 二 日 の間 に於 て
と電 報 し 一方 帝 国 出 先官 憲 に対 し て は五全 大 会 閉 会 後 即十 一月 二十
自 治 を 宣 言せざ るべ か らざ る苦 境 にあ り
五 日以 後 に於 て自 治 独 立宣 言 を発 表 す と 称 し て遷 延 策 を講 じ 其 態 度
当時北支 切崩し に狂奔 しありし南京政府は有 吉大使 の南京政府訪
前 記 冀 東 の自 治 宣言 は痛 く南 京 政 府 を刺 戟 し該 政府 は殷 汝 耕 を以
九 、 南 京 政 府 の対 策
問 を利用し宋哲元、韓復榘等 に対 し ﹁中央政府 の華北問題 に対す る
日本 側 と 全責 任 を 以 て交 渉 し 得 る高 級者 を派 遣 した し ﹂ と 提 議 し 又
て国 賊 と な し逮 捕 命 令 を 発す ると 共 に十 一月 二十 四 日陳 儀 は 南 京 駐 ︹ 雨宮巽︺ 屯 陸 軍 武 官 に会 見 を申 込 み ﹁北 平 軍事 委 員 分 会 の撤 廃 を 発令 し 且 つ
八、冀東自治委員会 の成立
行を見るに至 るべし﹂と の虚電 を発し 又他面 ﹁リ ースロス﹂ の幣制
処 理法 は日本中央政府と協 議 の結果円満解決を得たるを以 て近く実
二、 何 應 欽 を行 政 院 駐 平 〓 事 処 長 官 に任 命 す
一、 北 平 軍委 分 会 を廃 止 し 其 業 務 は南 京 軍事 委 員会 に於 て〓 理 す
三 、 宋哲 元 を冀 察 綏 靖 主 任 に任 命 す
十 一月 二 十 六 日 に は行 政 院 に於 て左記 事 項 を決 議 せ り
めて著大なりし が如くさしもの自治運動も全 く形勢混沌た るに至 る
四 、 殷 汝 耕 を免 職 し之 を逮 捕 す
改革 を以 て ﹁英国は対支援 助を約束 せり﹂と放送 し其他聯蘇工作成
情勢斯く の如きに当り十 一月 二十三日夜戦区督察専員殷汝耕 (前上
立 を流布し て北 支将領 の決意 を益 〓鈍化す るに努め此宣伝効果は極
海市政府参事 にし て上海事変当時 上海市長呉鐡城を代表 して日本側 業し 日本人 を妻とし日本事情 に精通すと称せら る) は突如天津 に各
二、 北 支 に於 て は幣 制改 革 に関 し適 当 の修 正 を 加 ふ
一、 協 同 防 共 を 実行 す る こと
あ り ︹いわゆる北支自治〓法︺
越 え て十 月 三十 日支 那 側 よ り更 に北 支 処 理 に関 し 左 記 要 旨 の提 議
停戦 区域保安総隊長 を集 め宋哲元諒解 の下に停戦地域 の自治 を宣言
三 、 関内 外 に於 け る人 民 の関 係 密 接 な る点 を顧 慮 し両 者 間 の経 済 関
との折衝 に任じ蒋介 石系 に属す るも元来早稲田大学政治経済科を卒
す るに決 し次 で二十 五日夕通州に於て宣言 を発表す ると共 に冀東防
右 に関 し 近 く何 應欽 、 陳 儀 、 熊 式 輝 、 殷 同 の四 名 を北 上 せ しめ 多 ︹ 駿︺ 田支 那 駐 屯 軍 司 令 官 と 協 議 の上 現 地 の情 勢 に即 す る日本 側 の希 望 を
六、 民意 に基 き 人 材 を 登 用 し 理想 的 政 治 を 行 ふ
す
五 、右 政 権 に は対 外 懸案 に関 し合 理 的 に現 地 解 決 を為 す 権 限 を附 与
万 元 の公 債 発行 の権 )
四 、北 支 政 権 に は財 政 に対す る相 当 な る支 配 権 を附 与 す (一億 数 千
係 を 円滑 にす
共自 治委員会 を設置 せり其組織 の大綱 左の如し 一、自治実施区域 は停戦地域 の外延慶 、龍門、赤城 の三縣とす て組織し殷汝耕 を以 て委 員長 とす
二、委員会 は委員九名 ( 保安総隊長 五名及殷汝耕及其秘書 三)を以 三、外交及軍事 は委員長之 に任ず 四、 一切 の行政は支 那現行 の法令 に従 ふも必要 に応 じ単独法令を発 布す 六、法院を設置す
容 れ北 支 問 題 に乗 出す こと とな れ る旨 附 言 せ り 要す る に南 京 政 府 は
五、 一切 の国家収 入を管理す 七、建設委員会 を設く
要す るに南京政府 の制定 せしも のにして将来諸法規 の草定も亦国 民
︹マ マ︺
今 や北 支問 題 を 此儘 放 置 す べ か らざ る を覚 り自 ら の手 に よ り て具 体
政府 の容認 を必要とする如 く規定 せられあり
宋哲 元をし て謂 はしむれば ﹁如何 なる名義 を以 てす るも兎 に角冀
的 手段 を講 じ依 然 南 京 政 府 の威 令下 に あ る北 支 政 権 を樹 立 し て往 年
ら断 じて実行し実質 に於て南京政府 より離 脱すべし﹂と揚言しある
察政務委員会成立し南京側及余 の面子 さ へ立たば今後 の処置は余自
所 なるも既往 に於け る彼 れ の弱腰 を知 る者は今後 の情勢 に処し て如
に於 け る黄 郛 政権 の亜 流 を 企 図 せ る も の の如 し 一〇 、 何 應 欽 等 の北 上 ︹ 須磨彌吉郎︺ 前 記 提議 に対 し我 南 京 総領 事 は既 定 の方 針 に基 き 拒否 の態 度 を示
何 様にも変転す る可能性あ るを認めざ るを得ず
然れども事茲 に到 れる今 日新政権及宋哲元 の本質 に関す る穿鑿論
し あ り し も十 二月 一日 に至 り天 津市 長 程 克 は南 京 行 政院 宛 ﹁天 津 附
議は其時機にあらず帝国とし ては飽 く迄静観監視 の地位 に立ち当面
近 は今 や 一触 即発 の危 機 に臨 み自 ら市 政 を掌 り対 策 な き に苦 しむ 大
と困 難 な り衷 心 を陳 情 し て命 を待 つ﹂ 旨 電 報 を発 し宋哲 元 亦独 力自
勢 の赴 く所 を 観 る に輿 論 に従 ふ にあ ら ざ れ ば 狂瀾 を既 倒 に支 ふ る こ
の局部 的現状 に眩惑 せらるることなく敢然自主的意識を堅持し新政
若 し夫 れ宋哲元にして依然旧軍閥 の常套 手段 を発揮し徒らに自己
治 の危 険 を敢 行 せ ん よ り飽 く 迄 穏 便 に某 程 度 南 京 政 府 と 妥 協 の裡 に
の勢力扶植 にのみ専念 し北支 民衆 の幸 福を無視 し北支自治運動 の本
権 の機構及工作 の強化促進を希望し不撓 不屈帝国既定 の方針 に邁進
月 三 日北 平 に入 り宋 哲 元 一派 と協 議 を重 ね っ つあ り し が十 二月 五 日
す るあ るのみ
に至り宋哲 元は辞表 を何應欽 に呈出 して其綜跡を晦まし蕭振瀛亦宋
質 に離反す るが如き ことあらば其盛衰亦知 るべきものにし て先きに
工作 を進 む るを賢 明 な りと し ﹁何 應 欽 の北 上 を待 つ﹂ 旨再 三電 報 せ
哲元代 表として自治案を作 製して若 し容 れられざれば総辞職 を行 ふ
亦茲 に存す るならん
成 立せし冀東自治政府が未 だに冀察政権と の合流 を欲 せざ る所 以も
り茲 に於 て南 京 政府 は急 遽 何 應 欽 等 を北 上 せし む る に決 し 何 は 十 二
旨応酬し何應 欽亦現地 の情勢 は到底自ら之 を処理す る能はざるを察 の環境 に適合 すべき政治組織 を認め て之 を中央 に請 訓し南 京も亦十
の実現 に邁進し北支 の明朗化 を現実す るに至らば是 れ啻 に北支民衆
べきも のあるは極め て欣幸 とす る所 にし て更 に緊 褌 一番 理想的政治
現在宋哲元 は逐次帝国の真意を諒解し其後 に於け る施策逐次見る
︹マ マ︺
知した るにや十二月 七日遂 に中央 の体面を保持す る範 囲に於 て地方 二月十二日遂 に商震 を河南省 に移 し宋哲 元を河北省主席 に任命 する
の幸福 のみならず閻韓亦之 れに合流し所謂北支五省の政治的分離独
旨発表せり 一方蕭振瀛等 は速 かに何 應欽等 の動向を察知し冀察政務 委員会 の結成 に邁進 し委員 の詮衡 に着手し遂 に十 二月十八日其成 立
言
立 の楷梯たるに至 るべし
以上は北支自治運動 の推移 を概述 せるに止まるも之 を要す るに帝
一二 、結
を見た ること は既述 の如し 一一、冀察政権 の今後 冀察政権 の内容 に関 しては今尚漠然たるものあるも其組織大綱は
︹ 徴︺ 徹 税
費
一七〇 〇 万元
三 一五〇 万元
一 二 八〇 万 元
︹マ マ )
国 の態度 は飽 く迄正然不動にして局部的情勢 に眩惑 せられ て姑息な
費
る金額なり
塩 税
(
三〇〇 万元
)
易
三三 、 八 〇 〇
三
密輸入 に関しては陸海路密輸 出入 の綜合判決は概ね二〇、 〇〇〇、〇〇〇元と推定 す
最 近 二 ケ年 の平 均 に し て移 入 平 均 一、 九 四〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 元 、移 出 平 均 一、六 一〇 、 〇 〇 〇 、 〇 〇〇 元 な り
最 近九 ケ年 の平 均 にし て輸 入 平 均 二 、 二 四〇 、○ ○ ○ 、 ○ ○○ 元 、輸 出 平 均 一、八 七 〇 、 ○ ○ ○ 、 ○ ○○ 元 な り
摘
国 貿
易
二〇 、 〇 〇 〇
金額( 単位 千元)
内 貿
入
目
外
出
六、 五 〇 〇
国
輸
外、内蒙及新彊、青海等に対 す る分 に し て推 定 な り
在北支外国商社 の利益金其他 の国外送金は五、〇〇〇、〇 〇〇元と推定す
五 、〇 〇 〇
五、 〇 〇 〇
易
外国商社利益金
貿
九 五 、 三〇 〇
小 辺
境
計
密
項
貿易其他より見 たる北支 (五省) 独立可能性調
附表 其二
区分
支
払
要
即 ち右 五千六百五十万元は中央政府が毎年北支 より純粋 に搾取せ
五六五〇 万元
一四〇〇 万元
事
七〇〇〇 万元
税
軍
税
三三五〇 万元
関
外 債負 担 額
税
一五 一〇万元
引
一喜 一憂揣摩臆測を逞うし ﹁日本軍部 の北支工作は失敗 に終 れり﹂
北支 より徴達する中央税及税 外収入
関 税
三六〇 万元
一四〇〇〇 万元
塩 税
差
る術策 を弄 せし ことなし彼 の内外諸新 聞記事 に於 て北支問題を廻り
勢 の赴 く力を察 せざ るも のは未 だ倶 に語 るに足らざ るなり
等 の ﹁デ マ﹂飛 びしは寧ろ噴飯に堪 へざ るも のあり正義 の真理と大
本表は比較的 正確な る統計を基礎とし従来南京政府が財 政的に如
附表 其 一
計
何 に北支より搾 取し つつありや の参 考に供す るものなり 外
統 酒
訳
〓
三九〇 万元 一〇〇 万元
二〇〇 万元
税 税
花
鉱
印 交易所税其他
一〇〇〇 万元
二二二〇 万元
北支 に於け る中央支出額
税 外 収 入 八三五〇 万元 一般 行 政 費
訳
計
内
総 内
受
取
差
純
対満陸 地貿易
消
生 消
人 四〇、〇〇〇
一〇 、 〇 〇 〇
一、 〇 〇 〇
旅 客 、伝 導 、外 国 公 館 、 駐 屯 軍 隊 、外 国 船 舶 の消 費 全 支 二 〇 〇 、〇 〇 〇 、 〇 〇 〇 元 と し そ の五分 の 一と見 做 す
在 満 苦 力 の山 東 、山 西 の持 帰 り 金 に し て概 ね 一人 二 五元 ︱ 三 五 元 と称 せら れ三 年 以 上 の 在 満 者 に は 一〇 〇 元 以 上 のも のあ り年 々二 、 三十 万人 と し 更 に 一般 送金 等 を含 む
対満 は概ね海路貿易 なれども 一部陸地の分 を出超 とす
五七、五〇〇
貿 易内外収支 ( 中央徴税を除 く)総計入超額
平津 地方 の大学専門学校 の中 南支 よりの留学生 の消費 にし て約 三千人とし 一人 五〇〇元 とす
計 三七、八〇〇
一、 五 〇 〇
残
一五六、五〇〇
国税 一四 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 元 中 関税 、塩 税 、外 債 担 保 一 七 、 〇 〇 〇 、〇 〇 〇 元 及 従 来 中 央 負 担 たり し 地 方 行 政 費 七 六 、 五 〇 〇、 〇 〇 〇 元 を 控 除 せ る も のとす
費
費
山東 、河北苦力 の送金
外
学
小 引
剰
余
中央搾 取截除 に よる剰余
一八 、 七 〇 〇
貿易収支内外 の総純計 に基く 剰余額 にして財政上 の財源 に 充当 し得 る分
一、 現 銀 の密 輸 出 は 一時 的 現象 な る を以 て除 外 す せ ら る る も の及 中 支 資 本 に依 る北 支 よ り搾 取 せら る るも のあ
二、 本 表 外 数 字 的 に不 明瞭 な るも 地 方 税 にし て 中央 に直 接 納 入 り 三、 貿 易 外 収 支 は特 に顕 著 な る も の のみ を計 上 し た り
第三
摘 国
貿 易
貿 易
八 、〇 〇 〇
四 二、 八 〇 〇
一三 、 五〇 〇
密輸出入陸海路 経由 の綜合 に し て北支 (五省 )より類推 し て算定す
同右最近三ケ年 平均 にして北 支 (五省)に比して入超 なる 青島 の出超 関係に依る
金額 ( 単位千元)
外
内
入
目
国
輸 出
旅客、伝導、外国公館、駐屯 軍軍隊、外国船舶 の消費 の推 定額
他 の糧等 への両省 在住者 の投 資 利息
︹マ マ︺
河北省より満 洲出稼人 の送金 其他南洋各 国及船員 又は料 理 人特種技術者 の送金、満 洲其
対満蒙陸地貿易 の推定にして 海上 と異なり出超なり
七〇〇元、輸出平均 一〇六、 二〇〇元なり
密
在北支各国商社 の利益其他 の 外国送金 にして山東特に青島 方面を控除したる分
六 六 ハ 七七 、 三 〇 〇
三 、〇 〇 〇
計
三 、〇 〇 〇
三 五 、〇 〇 〇
対外陸 地貿 易
小
外国商社利益金
平 均 にし て輸 入 平 均 一 一九 、
秦皇島及天津 二港最近十 ケ年
要
四、関税 等に関 しては北支駐屯軍司令部 の調査 に拠 る 五、 一般貿易 上の計数 は北支海 関統 計年報 に拠 りその他 の資料 は出先報告及満鉄 の調査等 によ る 附表
項
貿易其他 より見 た る冀察 両省収 支表 区分
支
払
受
消 費
六 、〇 〇 〇
人
在外出稼 人送金
外
取
差
学
小 引
生
計
消 費
一 二 一、 八 〇 〇
四 五、 五 〇 〇
一、 五 〇 〇
八、三九五
三 〇 、 一九 五
額
残
余
平 津 地 方 大 学 々生或 は ﹁ミ ッ シ ョン﹂ 等 の学 生 の全 支 よ り 集 ま り て消 費 す る分 に し て 上 記 額 の三 、 四 倍 に推 定 す る 向 もあり
貿易外収支( 中央徴税を除く) 総計入超額 中 央 税 (国 税 ) 七 一、 一四 五 千 元 (冀 六 九 、 五 〇 〇 千 元 、 察 一、 六 四 五 千 元 ) 及 国 有 事 業 収 入 等 一、 二 〇 〇 千 元 合 計 七 二、 三 四 五 千 元其 中 関 税 、 二、 五% 八 、 五 〇 〇 千 元 及 塩
塩税等 の外 債 担 保 全 支 の 一 負 担 たり し 地 方 行 政 費 三 二 、
税 一、六五〇千元及従来中央 〇 〇 千 元 を含 む ) を 控 除 し た る額
〇〇〇千元 (軍事費 一八、〇
貿易収支内外 の外純計 に基く 剰余額 にし て財政上 の財源に 充当 し得 る分
一、 冀 察 両省 を分 離 した る統 計 資 料 少 き た め推 定 多 し
剰
中 央 搾 取 載 除 に よ る 剰 余
純 備考
依 り て は更 に楽 観 せ る 向 あ り
二 、貿 易 外 収 支 は特 に顕 著 な るも の のみ を計 上し 観 察 に 三、 関 税 及 財 政 上 の数 字 は北 支 那 駐 屯 軍 の調 査 に依 る 射殺 された事件
︹ 註1) 上海特別陸戦 隊員 一等 水兵中山秀雄 がダラツ チ路 で中国人 のため ︹ 註2︺ 上海南京路にある邦 人陶器店 日比節洋行 に対し中国人が小石 や煉 瓦片 を投 じ、 ショーウ ィンドーや器物 を破損した事件
一、 政 情 概 観
二 六
天 津 特 報 第 一号
天天 天 津 津 鎖 鎖 聞 聞
(昭和十 一年 二月 二十三日 在天津
︹久晴 ︺
久保田海軍大佐)
分 は例 へ軟弱 の評 あ りと も 現 在 の行方 が 一番 最 良 と 信 じ居 り今 少 し
言 辞 に惑 は さ る るも のあ ら ば 一大事 な る を 以 て特 に此 点 には留 意 し
の下 に 一元的 了 解 を遂 げ居 るを 以 て別 に意 に介 せざ るも若 し彼 等 の
気 永 き目 を以 て視 て行 く 必要 あり と考 へ居 り軍 主 脳 部間 亦 同 一趣 旨
を看 視 す ると 共 に機 宜 好 意 的 指 導 を与 へて速 か に 日満 支 協 調 の実 を
一度 冀 察 政 務委 員 会 な るも の生 れ出 でた る以 上 兎 も角 も之 が動 向
挙 げし め所 謂 華 北 を 明朗 化 せ しめ んと す る は今 や我 対 北 支 政策 と し
実 現 を期 し 得 ら れざ る も のと し て何 と かし て軍 側 に近付 か んと 齷 齪
拗 な るも 元 々何 れも 日本 軍部 側 の了 解 な く し て は自 己 の希 望 工 作 の
は飽 迄 国 民党 排 撃 主 張 等 各 々従来 よ り の関 係 を 辿 り 夫 々自 己 的 立 場 ︹ 踊?︺ に於 て所 謂 同 床 異 夢 的 暗躍 に蹈 る群 像 少 な からず 且 つ之 等 は相 当 執
に軍閥 の再 出 現 と な し 高 速自 治 の出 現 或 は 中 央 よ り完 全 の離 脱 、 又
浪 人 乃 至 失意 の支 那 政 客 者流 中 現 状 に慊 焉 た らず 冀 察政 権 を 目 す る
民衆 に対 す る自 治 の何 た る を か自 覚 せし む る良 手 段 な り と 思 考 せ ら
換 を計 る 一方 例 へ小 な りと も 民衆 福 祉増 進 を如 実 に示 す こと は 即 ち
速 に捨 て産 業 経 済 発 展 に資 す べき 具 体 的 工作 の実 現 によ り 人 心 の転
速 か に地 方 人 心 の安 定 を計 る は目 下 の要 素 にし て政 治 運動 的色 彩 を
るを 以 て所謂 反動 派 側 よ り見 れば兎 角 に誠 意 を 云為 さ れ易 く従 て各
な ら ず 各 種 関 係 よ りし て各 方 面 に亘 り急 激 な る積 極 化 を見 せ居 ら ざ
事 実 政 務委 員 会 の動 向 は成 立後 日猶 浅 く 陣 容 亦未 だ整 はざ る のみ
あ る旨 洩 ら し居 れり
︹ママ︺
て 一兀化 を見 た るも のと謂 ふ べく 現 地 方面 に於 ても ﹁華 北 を気 永 く
し あ るも の の如 し、 土 肥 原 少 将 の如 き も之 等 の空 気 に対 し て決 し て
る之 が為 め に は所謂 経 済 独 立化 等 の要 素 の伴 ふ べ き は当 然 な る処 先 ︹ 博︺ 般 過 津 せ る根 本 歩 兵 大 佐 の南 京政 府 に対 す る視 察 談 とし て同 政 府 要
見 る べ し﹂ と の空 気 は漸 次 拡 認 さ れ つ つあ る処 な る が他 面 には支 那
好 意 を有 し 居 ら ず斯 か る輩 が自 己 本意 の仮 に然 らず と す る も極 め て
人 は既 に北 支 の特 種 性 は 十 分 之 を認 め居 り 日本 に し て真 に支 那 の主
︹マ マ︺
種 の形 に於 て当 分 は潜 行 的 自 治促 進 運動 は其 跡 を 絶 た ざ るべ し要 之
あ ら ば 之全 く国 策 に反 す る のみな ら ず 百害 あ り て 一利 な し と評 し自
大 局 を考 へざ る短見 よ りし て徒 に勢 にか ら れ不 軌 な る行動 に出 つ る
て を決 行 処 理 付 け た き意 向 あ り 云 々と 語 ら れし が 果 し て真 な りと せ
に非 ず 蒋 は自 己 が現 職 に在 る間 に (憲 法 等 の制 定 を見 ざ る間 に) 凡
権 を云 為 せ ざ る に於 て は提 携 上或 程 度 のこと は決 し て躊 躇 す るも の
正を計 り漸を追うて日支提携 による各種事業 の計画及実施並 に之 が
開し尚審計院式機関 を新設し て日系専 門顧 問 によりて財政収支 の公
聞 き善処す る旨又将来委員会公報を発行して出来得 る限り財 政を公
方 民心安定上治安 の維持 に全力を尽し併せて参議会 により て民意 を
みなりと云ふ財源 に就 て陳覺生 の言とし て信ずべき筋 よりの聞込み
翼察政務委員会が旧軍事 分会 の引継 の分とし て中央政府と了解済
完成に進 み度 く企図しありと の抱負 を語れ る趣 なり
ば (華 北 に対 し て宋 に は南 京 政 府 は大 な る信 頼 を 有 せざ る趣 は外 務 電 が別 に之 を 伝 へ居 る あ り) 支 那 中 央 よ り今 少 し積 極 的 に誠意 と認
によれば (出所 の関係上部 外極秘)
め 易 き様 の許 容 を 自 発 的 に出 し 我 が 先 手 を打 つあ らば 少 く も 現地 的
るも の に非 ず やと も 愚 考 せ ら る
〃
〃
一七、 五万 元 (統 税 其 他 よ り)
一五〇 万元 (担 保 一六 、 八 万 元及 其 他 の経 費 を除 く額 一〇 〇 万元 (中 央 よ り発 給 の軍 費 )
三 八 七、 五万 元 (年 四 六 五〇 万 元 )
に し て従 来張 學 良 の東 北 系 軍 には 月 二 五○ 万 元 商 震 軍 には 五 万 元 を
)
に は好 結 果 超生 み所謂 不満 に基 因す る派 生 的事 端 発 生 の因 を 少 くす
成 立 以来 の動 向 を見 る に平 津 両 市 長 、北 〓 、平 綏 両 鉄 路 局 長 平 津
月額
一〇〇 万元 (財政部 が関税 の内 より特 に分与す る分) 河北省 塩税収 入月 一八〇万元 の内 はり外債
の各 電 政 収 税 諸 機 関 主 脳 部等 を皆 宋 派 超以 て固 め次 で衛 戌 司 令部 組
〃
月額
織 を改 め平 津 二処 に分 ち 之 又自 派 を配 し之 等 によ り て先 づ自 派 活 動
以 上合 計 月額
二、冀 察 政 務 委 員 会 に就 て
部 の陣 容 を固 め次 に 一月 十 一日 に経 済 委 員 会 を 更 に二十 日 に は外 交
五万 元 (平 綏鉄 路 収 入 よ り)
委 員会 を組 織 した る外 目 下 民意 暢 達 並 に諮 詢 機 関 た ら しむ べ く地 方 参 議 会 を 籌 備 中 (河 北 自 治 協 会 な る名 の下 に之 等 手 盛 の官 製 民 意 暢
五 千万 元 と 称 さ れ あ り大 体 近 似額 と な る べ く東 北 軍 への送 金中 止 を
し たし 云 々と 右 にし て事 実 と せば従 来 河 北 省 より 中 央 へ送 附 額 年 約
断 行し 得 て財 政 の公 正 な る運 用 を見 ば将 来 相 当 の余 裕 を生 ず べ く之
与 え居 り之 を 継 続す る こと にな り居 る も之 等 是 非 中 央 発 給 の こと に
識 階 級 は勿 論 一般 民衆 中真 に自 治 の何 た る か を解 す るも の少 な き現
等 を以 て真 の華 北 開発 に資 さば 所謂 明 朗 化 も 望 み な き に非 ざ るべ し
上 超目 し て宋 派 の地 盤 獲 得 乃 至 自 治 の擬 体 と な す も のあ る も事 実 智
状 に於 て は政 務 委員 会 存 立 の過 渡 的産 物 と し ては 蓋 し止 む を得 ざ る
然 れ ど も現 地支 那 側 当局 が自 己 本 位 の人気 取的 乃 至 糊 塗 的 小策 を弄
達 機 関 に は反 対 の旨 の声 明 早 く も新 聞紙 上 に表 は れ た り) に在 り以
べ く要 は今 後之 等 の運 用 並 に実 績 の如何 に よ るも の にし て永 き目 で
し功 を急 ぐ に至 ら ん か自 ら統 制 を 失 し 浪費 多 く し て効 少 き に終 る べ ︹ 蕭振瀛︺ く彼 の大 策 士 の定 評 あ る蕭 天 津市 長 の如 き 就 任 早 々矢 継 ぎ 早 に公 安 土 肥 原 少 将 は宋 に対 し て屡 々所謂 軍閥 政 治 た る の悪 評 を受 けざ る
局 員 を以 てす る鉄 道 旅客 の荷 物 検 査 撤 廃 、 登 録者 に 限 る阿 片 の公売 、
見 んと せば暫 く は之 等 の推 移 を 注視 す る の寛 度 を必 要 と す べし
政 治 の実 現 に努 力す べ き旨 注 意 を 与 へ居 れ りと 右 に対 し宋 は先 づ地
様 且 つ其 結 果 が派 生 的 事 端 惹 起 の因 を なす も のな るを以 て所 謂 明 朗
て の幾 分 の動 き と視 ら れざ る に非 ら ざ る も今 後 の要 は 一貫 せ る主 義
行計 画 、 工業 塩 の対 日輸出 問 題等 の擡 頭 あ り所 謂 経 済 開 発問 題 と し
は又北 〓 鉄 路 改 善 策 、 塘 沽 天 津 間 自 動車 道 路 の建 設 乃 至 軽 油 動 車 運
地 方 的小 雑 税 八種 の撤 廃 等 の如 き を実 施 せる は之 に属 す べく 他 面 に
にし て冀察 の動 向 にし て冀 東 の ﹁レベ ル﹂ に達 す るを待 て後 合 流 せ
し あ り従 て今 遽 か に冀 東 を冀 察 に合流 せ しむ る には 賛 せざ る は 明 か
系 財 政 顧 問 、外 交 、交 通 等 の諸 専 門家 を し て直 接 間 接 に指 導 し あ り)
之 と 同 一方 針 に出 で しむ る の指 南 車 た ら しむ べ く指 導 (大蔵 省 系 日
し 好 果 実 現 に努 め つつ あ る以 上 寧 ろ冀 察 をし て冀 東 を 手 本 と し漸 次
し む るも 遅 き に非 ず と な す も の の如 く宋 側 の合 流 希望 の折 衝 は今 遽
︹マ マ ︺
の下 に大 局 に即す る 且 つ統 制 あ る発 展 開 発 に動 かざ る べ からず 之 が 為 には 真 摯 周 密 な る諸 調 査 に立脚 し機 宜 の指 導 に俟 つを可 とす 之 が
か に実 効 を 収 めざ る べし
現 政 府 は 通州 (北 平 よ り自 動 車 に て約 一時 間 ) 孔 子 廟 内 に在 り、
四、 冀 東自 治 政府 の状 況 概 要
し あ り て右 撰 択 は軍 部 に 一任 し あ り と聞 く (註 、 現 に 逓信 省 よ りも
外 交 、 保 安 、 秘書 の 三処 及 ︹民 政 ︺財 政 、教 育 、建 設 の四 庁 を有 し冀
道 程 と し ては 速 か に委 員 会 に公 平 且 優秀 な る邦 人 の専 門 的顧 問 の採
勅 任 官 級顧 問 派 遣 の下 話 し も あ りと 尚 満 鉄 方 面鉄 道 関 係 の専 門家 も
用 にあ るべ し宋 自 身 も之 が 必要 を 認 む る と共 に希 望 し 且 つ採 用 を約
既 に来 津 中 な り)
東 二十 二県 ( 大 体 戦 区 協 定 地 区 な れ ど も若 干 ハミ出 し あ り)を統 轄 す ︹ 重遠︺ (小 官 一月 十 二 日桑 原 北 平 武 官 と 共 に現 地 を視 察 せり) 将来 重要 一
希 望 せ る に外 な らざ りし が 如 し然 れ ど も軍 部 側 と し ては冀 東 が地 の
保 安 隊 を置 く こと を 認 め た るが 如 き は之 と交 換 に冀東 政府 の合 流 を
論 な り 従 て昨 今 頻 り に宋 派 は 天津 軍 乃至 土 肥 原 少 将 を介 し之 が合 流 ︹ 註1︺ を 慫慂 希望 し居 り彼 の冀 北 六 縣 (現 に満 洲 国 李 守 信 軍 駐在 ) に蒙 古
関 係 上 実 際 問 題 と し て冀 察 と し ては冀 東 を自 家 に合流 せし め度 は勿
置 を占 む (長 蘆 塩 の産 出 地 の大部 を 占 め 且 つ海 岸 線 を有 す る等 ) る
者 は 地 域狭 少 僅 か に廿 二縣 を統轄 す る に 不拘 地 の利 並 に財 源 上好 位
中 央 離 脱 、 一は 不鮮 明態 度 に甘 ん じ 現在 の存 在 と な り し も のな り前
り ては 両 者 主 脳部 立場 、 地 の利 其 他 の状 況 よ りし て 一は旗 色 鮮 明 に
元 両 者 誕 生前 に は 一脉 の相 通 ず るも のあ り し にも 不 拘 愈 々出 現 に当
冀 東 自 治 政 府 の存 在 は冀 察 政 務 委 員会 の好ま ざ る処 な るべ き も元
り 又 先 般冀 察 政 権 と の諒 解 な り て北 寧 鉄 路 収 入 中 冀東 区域 通 過 の分
今 直 ち に困 難 な り と 其 他関 塩 税 を除 く 旧 国 税 は年 約 五〇 〇 万 以 上 あ
来 よ り の収 税 機 関 た る冀 察 綏統 税 局 が北 平 に在 る関 係 上之 が接 収 は
るも 現在 に て は既 に旧 省 政府 よ り 三月 末 の分 は前 取 り さ れあ り今 直 ︹ 控︺ ち に収 税 を扣 へあ り と) 開〓 礦 産 税 は開 〓 本 社 が 天津 に在 り且 つ従
を 取得 す る こと に両 者諒 解 な れ りと 、 旧 省 税 は年 約 三〇 〇 万元 (あ
冀東 二 十 二県 の塩 消 費税 の全 部 即 月 額 二十 五 万 元 (年 三〇 〇 万 元 )
割 に就 て両 者 折 衝 中 なり し が信ず べ き筋 よ り の聞 込 み によ れば 最 近
税 は大 な る収 入な るも冀 察 政 権 と の関 係 至 大 にし て 先般 来 之 が取 得
現在 関 税 は対 外 関 係 等 複 雑 な る為 め暫 く之 に は手 を付 け居 らず 塩
税 、 開〓 の礦 産 税 、北 寧 鉄 路 収 入 の 一部 等 其 主 要 な るも のな る べし
点 た る同政 府 の財 源 と見 るべ き も のは 関 税 、 塩税 等 の旧 国税 及 旧省
三、 冀 祭 、 冀 東 両機 関 の関 係 に就 て
利 に拠 り 現 実 的 に中 央 より離 脱 し 自 治 を実 施 し 其 施 政 上 に改 善 努 力
と し て月 額 十 万 元 の分与 を受 けあ るを 以 て 現在 同 政 府 政 費 月額 約 三
五、 当 方 面各 部 の動 向 に就 て
安隊 改 善費 、各 県 経 費 の増 加等 を 額 き約 六 〇〇 万 元 を以 て産 業 経 済
軍
開発 に資 す べし と
津
十 万 元 は将 来 以 上 収 入 に て十 分 支 出 し得 べ し尤 も 同 政 府 設 立後 直 ち
天
に徴 税 機 関 を設 け 徴税 を画 した るも 前述 の如 く 旧国 省 税 は 多 く 三 月
め て少 く 十 二月 末 に は政 費 約 二十 万 元 の不足 を みた り と従 て差 当 り
領 ﹄(一月 二十 二 日司令 官 の承 認 を経 て案 と し て中 央 に提 示 せ し 極
官間 数 次 の折 衝 協 議 の結 果 現在 に於 て は中 央 方針 通 り 一元化 せ る こ ︹ 俊徳︺ と確 実 な りと 観 測 す 現 に永 見 参 謀 長 が特 に小官 に ﹃北 支 時 局指 導 要
るも のあ りと の評 あ り し も其 後 両 軍 首 脳部 乃至 陸 軍 中 央 部 派 遣 の諸
小 官 来 津 頃 迄 は兎 角 に関 東 軍、 天 津 軍 の意 図 一な らず 二途 に出 づ
イ
の財 源 捻 出 の 一手段 と し て先 般 来 の密 輸 取締 り等 に染 手 し 延 ては既 ︹ 註2︺ 電 の如 き 暴 行事 件等 を惹 起 せ るも のな る が 元来 条 約 国 間 に於 てす ら
秘案 にし て内 容 要 点 は小 官 よ り随 時 観 測 と し て電 報 せ し所 と 一致 し
方 民心 に悪 影 響 あ る を 以 て之 を差 扣 へた る為 め目 下 諸税 実 収 入 は極
迄 の前 取 りさ れ あ る関 係 上 更 に徴 収 を なす は結 局 二重 課税 と な り 地
税 関 官 吏 に の み合 法 的 徴 税 乃 至 検 査 臨 検 が 認 め ら れ居 る次 第 な る に
居 り要 す る に中 央 の意 志 を 体 し自 重 静 観 と 共 に冀 東 冀 察 両 政 権 に対
生 れた て の 一機 関 の保 安 隊 の如 き何 等 之 等 公認 の権 限 な き も のが領
は豊 富 とな る と) は挙 げ て産 業 開 発 に振 向 け保 安 隊 の改 良 と 相 俟 つ
殷 汝 耕 談 に よ れば 政費 以 外 の豊 富 な る剰 余金 (少 く も 半 年 以後 に
る不 法 手 段 (例 へ知 らざ ると も) に出 づ る こと な き 様 善 く 当事 者 に ︹ 竹下義晴陸軍大佐︺ 教 示 注 意 を与 ふる様 山 海 關 特 務 機 関 長 にも申 入 れ置 け り
も のな り) を本 稿 執 筆 中 (二 十 四 日) 極 め て ﹁フ ラ ンク リ ー﹂ に内
問 網 の慎 重 な る調 査 に俟 つ等 極 め て合 理 的 穏 健 妥 当 と思 惟 せら る る
向推 移 に俟 ち無 理 をな さず 経 済 産 業 工作 は 各種 専 門 家 を網 羅 す る顧
し 且 つ自 治 精 神 の 五省 へ拡大 化等 に対 し て は急 ぐ こと な く自 然 の動
民 の福 利 に重 点 を置 く 、 又 部 外策 謀 家 の不 軌 な る行動 超厳 重 に排 撃
し合 理 的 の指 導 を 与 へ所謂 自 治 の本 体 を 自 然 に自 覚 せし む ると 共 に ︹一 字不明︺ 人 民福 祉 増 進 の産 業 経 済 開 発 に導 く に在 り 軍閥 □ 慾 に終 ら し めず 人
て農 業 に重 き を 置 き 次 に水 利 を図 り交 通 を改 善 し住 民 福 祉 実 現 の手
海 外 に迄 出 で て臨 検 押 収 等 を行 ふが 如 き は公 正 の立 場 よ り し て看 過 ︹ 註3︺ し得 ざ る処 に し て彼 の厦 門 事 件 の次第 も あ り同 政 権 将来 の為 め斯 か
本 た ら しめ ん と し之 等 に関 す る具 体 的諸 調 査 は天 津 軍 司 令部 に依 頼
示 さ れ た る に て其 誤 りな ら ざ り し を裏 書 き せり
謀 長 は洩 し 居 れり
川 に元 の大 迫 機 関 ) 両 機 関 も 天津 軍 司 令 官 統 制 下 に 一元的 に動 く こ ︹ 處︺ と と な り司 令 官 に於 て之 を 区署 す る こと と な る に至 る べ き旨 永 見 参
な る 工作 に出 づ る の弊 は 漸 次改 善 さ れ行 く も のと 認む 尚 土 肥 原 、 茂
右 の次 第 な るを 以 て従来 の如 く兎 角 に其 立場 立 場 に よ り個 々勝 手
中 にし て鉄 道 に就 ては 古北 口 よ り通 州 を 経 て唐 山 に到 るも の に つき
べ居 れ り
既 に満 鉄 専 門 家 の実 地 調査 を終 れ りと て将 来 に対 す る意 気 込 みを述
尚 坊 間 伝 ふ る処 に よ れば 新 年 度 よ りは年 約 一千 二百 万 元 (註 、前 述 の塩 省 税 、 関 塩税 以 外 の国 税 、北 寧鉄 路 収 入 の合 計 は 約 以 上 と符 ︹ 控︺ 合 す) の諸収 入中 政 費 約 四 〇 〇 万 を 扣除 し剰 余 八 〇 〇 万 元 中 よ り保
し て実施せしめ居た るは周知 の事実 なるも昨 年八、 九月以来は特 に
天津軍が旧くより各種 の (兵要 は勿論なり)諸調査 を其調査班を
こと とし 日本 側 と し て は右 に要 す る諸材 料 売 込 み乃 至 現 物 投資 を 以
主 と し て畜産 及棉 花 の改 良 に五〇 〇 万残 り を港 湾 諸 施 設 に振 向 く る
元 を地 方 開 発 の資 と し鉄 道 に約 一五〇 〇 万 礦 山 に約 一〇 〇 万、 産 業
逓信省よりは自発的 に昨年十 一月より長岡外電課長、白井技師外 三
士を又交通通信関係 には満鉄、電 々会社等 の専門家を配しあり 一方
軍方面より差遣兼務 せしめ居 るが如 し)産業調査 には満鉄方面 の人
省系有数 の専門家 を又外交関係には外務省系専門家を (多 くは関東
合 を其 儘 華 北 よ り搾 取 す るは 不合 理 な りと 応 酬 し 孫 も 一言な か りし
た る に対 し総 領 事 は当 方 面 に現存 せざ る東 北 軍 の軍費 を従 来 の義 理
ん ど東 北 軍 の共 匪 討 伐 費 に当 てあ り之 を 中 止す るは 困難 な りと 述 べ
様 の意 見 を述 べた る に対 し 孫 は中 央 に納 入 さ る る四、 五千 万 元 は殆
る際 同部 長 よ り対 華北 政策 如 何 に つき 質 問 あ り し時 総 領 事 は前 述 同
去 る 一月 九 日 南京 政 府 よ り差 遣 の孫鉄 道 部 長 来 津 総 領 事 を訪 問 せ
て之 に臨 む を可 とす と の意 見 な り
華北 の経済、外 交、交通、産業等 に対す る専門的諸調査 に着手す る
名依命来津目下軍 の嘱託 の形式 にて参加 しあり夫 々各部門 に亘 り真
為め各 種専門的嘱託 をし て之 に当 らしめあり現に経済方 面には大蔵
摯 なる調査を継続中 にして将来地方開発 工作上 必ずや資 する処大 な
大 迫 機 関 に就 て
模 様 な り し と聞 け り
従来 兎角 の評 あ りし は陸 軍部 内者 も之 を認 め あ り現 に土肥 原 も亦
ハ
永見天津軍新参謀長 は赴任以来三ケ月間は自己 の意見を発表 せ
( 参考)
るものあるべきを思 はしむ
ず と云ひ連 日各方面専門家 より の意見を徴 し或 は自ら の研究 を加
酒 井 前 参 謀 長 (之 は種 々な る関 係 も あ る べ し) も 之 を 口にし 過 去 の ︹ 通貞︺ 動 向 に つき評 を下 し 居 れり 十 二 月下 旬 大 迫 大 佐 は旅 行 の名目 に て何
時 と はな し に当 地 を 去 り 之 を 機 とし て同 機 関 は大 体 天 津 軍 の統 制下 ︹ 秀和︺ に行 動 す る こと と な り現 在 は主 任 者 と し て茂 川 歩 兵 大 尉 (奉 天事 件
︹マ マ︺
へ居 るも表面黙 々として厳重 に時局推 移看視 の態度 を持しあり策 へあ り軍 の厳 正 な る態度 保 持 表 示 上 には 大 に効 あ る も の の如 し
にし て 又頗 る公 平 な り) 之 に当 り居 れ り従 来同 機 関 に出 入 せ し各 方
年 半 迄 陸 軍 省 官 房 に在 り相 当 中 央 の空 気 も 了解 し居 り誠 に善 き 人物
には 経 済 工作 の実 現 化 にあ り と なし 其 の実 行 に は 先第 一に華 北 財 政
総 領 事 の対 華 北 意 見 と し ては速 に之 を明 朗 化 す る要 あ り之 が為 め
判 を受 く る行 動 に は出 でざ る べし と観 測 す
云 ふ に照 らす も将 又 軍 の動 向 の項 に叙 述 の次 第 も あ り在 来 の如 き 批
き も新 参謀 長 の意 見 とし 従 来 よ り の関 係 者 は全 部 一新 の方 針 な りと
面部 外者 に対 し 行 懸 り 上遽 か に凡 てを 解 消 す る こと に は困 難あ るべ
士 を 以 て鳴 る蕭 天津 市長 の如 き も取 付 き な く て困 り 居 ると の評 さ
ロ 天津 総 領 事 館 ︹ 川越茂︺ 軍 と の連 絡 は良 し総 領 事 自身 も時 々軍 司 令 官 に所 信 を披 瀝 さ れ居
権 独 立 を 必要 とし 関 税 は暫 く 之 を措 き塩 税 其 他 の国 税 にし て中 央 に
当 時 情 報 の担 任関 東 軍司 令 部 に勤 務 し居 り 小 官 も熟 知 の間 柄 な り昨
り 司令 部 幹 部 の所 謂 評 判 な るも の亦 大 に良 し
納 入す る分 (河北 丈 に て年 約 五 千 万 元) の内 よ り少 く も 三、 四千 万
か に之 を 喜 ばざ りし も の幾 分 あ りし が如 し 奉 天事 件 当 時 満 洲 に於 け
は 云 へ所 謂 従 来 よ り の陸 対 海 軍 の気 持 よ り天 津 軍 に於 ても 当初 は確
海 軍 の天津 進 出 に就 て は元 々中央 陸 海 外 各 部 に於 け る 了 解 の上 と
は 天津 軍 嘱 託 と し て華北 各 地 に亘 る調 査 に当 り居 れ り ︹ 憲治︺ 石 本 理 事 の談 に、 将 来 開 〓 炭 鉱 に対 す る対策 の 一と し て少 く も 同
特 に地 質 、 礦 産 方 面 調 査 に は専 門 員 二十 八、 九名 来 洋 し 居 り其 一部
来 に資 す べく 産 業、 経 済 、 交 通 等 諸 般 に亘 る 調査 を続 行 し つ つあ り
を整 へ注 目 を ひ き あ り然 れど も 未 だ 具 体的 事 業 に は着 手 し居 らず 将
ング) の五階 全部 を借 切 り事 務 所 に充 て職 員 の増 員 と 共 に大 に陣 容
る経 験 も あ り 両 者提 携 の完 璧 を期 す る為 め に は相 当 の苦 心 と努 力 を
炭 の華 北 方 面 地 売 販 路 に抗 す る要 あ り所謂 ﹁ロー カ ル﹂ 炭 の利 用 を
海 軍 の天 津 進 出 と 天 津 軍 の態度
要 す るも のあ るべ き を思 ひ小 官 と し ては凡 て を超 越 し誠 意 を披 瀝 し
ニ
何 事 も淡 白 率 直 を旨 と し自 然 の間 に疎 通 を計 る様 応 酬 し あ り当 初 は
に着 目 且 つ具 体 的 調 査 を進 め つ つあ りと 、 尚 同 理事 は意 見 とし て将
来 少 く も北 支 海 面 航 運 界 よ り英 国 の勢 力 を減 殺 す る為 め本 邦 就 航 汽
考 へざ る べか ら ず と な し目 下 北 平 西 方 の齊 堂 炭 鉱 (無 、 有 両煙 炭 )
船 の合 同 強化 を計 り (大連 汽 船、 日清 汽 船 の名 を洩 せ り) 当 分 損 益
駐 天 海 軍部 で も出 来 る に非 ず や な ど半 分 冗談 とし ても之 等 の言 を洩
関 係 も あ り小 官 は当 初 よ り殊 更 に海 軍 進 出 を 広告 す るが 如 き挙 を避
を 度 外視 し英 と 猛 競 争 を行 ひ 彼 に勝 つ こと は対 華 北 策 の 一とも 考 ふ
せ しも のあ りし が現在 に於 て は相 当 了 解 し あ り勿 論 土 地 柄 機微 な る
け 只海 軍 とし て立 場 を 明 か な らし む る に必 要 あ る 以外 は可 成 扣 目 勝
ヘ 大 阪商 船 に就 て ︹ 悌二郎︺ 杉坂 天 津 支 店 長 (杉 坂海 軍少 将 の令 第 ) は将 来 の対華 北 策 の 一と
に行 動 し漸 を追 て完 全 提携 完成 を目 途 し て善 処 し つ つあ り但 し 満 洲
し て白 河 に於 け る邦 人 独 自 の ﹁ラ イ タ ー﹂ 会 社 確 立 の要 を認 め 之 が
と 本 件 に関 し て は更 に研 究 せ し め度 しと 語 り居 れ り
現 に各 方 面 に便 宜 を 心 よ く供 与 し 呉 れ居 る のみな ら ず協 調 的観 念 も
邦 人専 用 的 の も のを 存 置 せ し め ん とす る に在 り 但 し 徒 に資 本 の大 は
寧 ろ 日 に増 し 親 和 を加 へあ り 又小 生 の立場 を よ く 了解 し 呉 れ あ り
漸 加 し来 り現 に去 る十 六 日 軍縮 会 議 脱 退 に関 し在 郷 軍 人 会 主催 の民
の発 展 上 に も将 又有 事 に際 し ても 困難 あ るを 以 て或 必要 程 度 に於 て
と す る処 は従 来 の如 く 外 、 支 人側 の ﹁ライ タ ー﹂ を 当 にす る は将 来
に於 け る が如 き 不 快 を 認 めず
団 公 会 堂 の講 演 会 には軍 人 会 希 望 によ り小 官 よ り ﹁脱 退 に伴 ふ国 民 ︹ 純久︺ の覚 悟 ﹂ な る講 演 を行 ひ陸 軍 側 よ り も 特 に 池 田中 佐 参 謀 を 派 し ﹁世
必 ず し も利 あ らず 研 究 の結 果 先 づ資 金 五〇 万 円 程 度 に止 む と即 従 来
実 現 方 に つき 研 究 画 策 中 (本社 も相 当 気 乗 し あ り と) に し て其 要 旨
界 の動 き﹂ と 題 し 助 演 せ し め大 に気 勢 を 添 へし め た る如 き 又 近 く は 既 叙 の通 り永 見 参 謀 長 の極 め て率 直 ﹁フ ラ ンク リ ー﹂ な る態 度 の如
邦 人側 に て専 ら 利 用 し あ る ﹁ラ イ タ ー﹂ 会 社 (支 那) た る天 津 航 業
者 塘 沽 の北 島 與 多 郎 (持 船 二) 三者 の持 船 計 二 二隻 中 よ り両 社 よ り
(持 船 八) 義 興 公 司 (持 船 一 二 ) 及 邦 人 只 一人 の ﹁ライ タ ー﹂ 所 有
き其 一半 を物 語 り得 るも のと 信 ず 真 の海 陸 協 同 の実 を挙 ぐ る為 め今
天 津 仏 蘭 西租 界 の最 大 新 式 建 築 た る新 華 大 楼 (支 那 人 所有 ビ ルデ
満 鉄 (在 天津 機 関 ) に就 て
後 共益 々善 処 せん と す ホ
約 二〇 万 円 に相 当 す る現 物 (優 秀 船 ライ タ ー四) 出 資 をな さ し め大
円 を以 て操 業 せ ん とす る に あ り日 本 側 三〇 万 円支 那 側 二〇 万 円 の割
阪 商 船 よ り 一五 万 円 を前 記 北 島 よ り現 物 と合 し て 一五万 円 計 五〇 万
合 と せる は 例 へ合 〓 と 云 ふも 凡 て出 資 高 の関 係 上 日本 側 に て ﹁リ ー ド﹂ し 得 る立 場 を採 ら ん と せん が 為 な り と 以 上 に対 し 支 那 側 よ り は 各 持 船 全 部 加 入 を希 望 し あ り 上述 の次 第 も あ り目 下 尚 研 究 中 な り と
北 支 海 岸 測量 並 に諸 調 査 問 題 に就 て
云ふ ト
将 来 の対 華北 産 業 開 発 は勿 論 一般 的 明朗 化 実 現 に対 し ても将 又人
の精 確 且 つ信頼 す べ き海 図 及 水 路 図誌 の必要 欠 くべ か ら ざ る 点 に就
文 福 祉 増 進 の点 よ り見 る も諸 調 査 の重 要 基調 た る べ き北 支 沿 岸 一帯
ては小 官 旅 要在 勤 当 時 よく 痛 感 卑 見 具陳 せ し次 第 な るが幸 に も中 央 ︹ 喜代間︺ に於 ても同 感 の趣 に て近 く 実 現 の内 意 な る旨 小 官 赴 津 に当 り藤 原 中 佐 来 旅 の際 承知 せ る処 な るが 当 方 面 に於 て も漸 次 各 方 面 共其 必要 を 認 め 来 り 天津 軍側 に於 ても 同感 にし て将 来 支 那 側 よ りも 其 必要 を自 発 的 に発唱 せ しむ る様 軍 側 にも 土 肥原 少 将 等 と も話 合 ひあ り 海 軍 独自 の立場 よ り又 他 の追 従 を許 さざ る本 測 量 事 業 の如 き は対 華 北 の動 向 に徴 す るも 一日 も早 く染 手 す る方 有 利 な り と認 め ら る本 年 四 月 よ り戦 区協 定 地区 海 面 丈 に ても先 づ着 手 の由 な る に就 て は可
( 終)
の交 渉 状 況等 当 方 へも 通 報 を得 度 尚 同 地 区 に就 ては新 に冀 東 自 治 政
成 早 目 に駐 満 海 軍 部 或 は 旅 要対 関 東 軍 (山 海 關 特 務機 関 を含 む) 間
府 な るも のを考 慮 に 入 る る要 あ り と被 存 念 の為 め
送 附 先 、海 軍 省 、 三 F
写送 附 先 、 旅 要 、 駐 満 、北 平
ャ ハ ル省 内 の漢 人 地 帯 であ る ﹁察南 ﹂ と の間 に は 昭和 十 年 の八 月 五 日 に
︹註 1 ︺ チ ャ ハ ル (察 哈 爾 ) 省 内 張家 口 以北 の 六県 を いう 。 こ の六 県 と チ
れ より 以 北 は 蒙 人 保 安 隊 が 、 以南 は漢 人 保 安 隊 が 治 安 維 持 に当 る こと に
張 家 口 で結 ば れ た松 井 ︹源 之 助 ︺張 允 榮 協 定 に よ って 一線 が 画 さ れ 、 そ
一九 三 六 年 一月 冀 東 沿 海 の留 守 營 で発 生 し た日 本 人 密 輸 業 者 と 保
な った 。 ︹註 2 ︺
一九 三五 年 五 月 十 日発 生 の厦 門 税 関 監 視 船 ﹁専 条 ﹂ の日 本船 臨 検
安 隊 と の衝 突 事 件
問題
︹註 3 ︺
北平
照由
公凾字第
二七
年
月
日
附
時到
件
公凾
日本大使館桑原武官 附 宣言 一〓 組織大 綱 一〓
發照爲荷此致
外字第
一 号
就任嗣後 対於管轄境域 之治安 行政仍負全責保護外僑安全尊重國 際信義 除分凾外相應検 同改組宣言及政府組織大綱凾請
殷汝耕爲冀東 防共自 治政府政務長官総撹全區軍政事宜業於即 日
十 二月二十五日改組本會爲冀東防共自 治政府並公推本會委員長
査照在案成 立以来時己匝月深獲民衆熱烈歓迎 一切施政倶臻順 利惟是爲増進施政効 力堅固人 民信仰起見茲経集議 一致表決即於
自治曾経凾達
逕啓者案 査冀東防 共自治委員會於上月 二十五日組織成立宣布
冀東防 共自治政府
冀 東防 共 自 治政 府 組 織宣 言 およ び組 織 大綱
二十四年十 二月 二十 五
号
爲改 組冀東防共自治委員會爲冀東防共自 治政府 並公推殷委員長爲政務長官凾請査
中華 民国
事 由 擬 備 法〓定決 〓 考
中華民国
二十四年十 二月二十五日
冀東防共自治委員會改組冀東防 共自治政府宣言
第四條
第 三條
第二條
本政府設参政八人参贊政務長官施行政務
政務長官統 率本區域 内各保安總隊
本政府設政務長官 一人總撹本區域内軍政 一切事宜
本政府設治通縣
三河
昌黎
二十四年十二月二十 五日公布
本政府以左列各県境爲管轄區域
中華民国
冀東防 共自治政府組織大綱 第 一條
昌平 香河
豊潤
通縣 〓縣
寧河
遷安 密雲
遵化 寳〓
興隆
第五條
本政府設秘書長 一人輔 佐政務長官處理政務
臨楡 撫寧
平谷
本會前以人民苦 於黨 治國勢瀕於危亡爰徇冀東 民衆 之〓求 擧國同胞 之〓望於本年十 一月二十 五日在通縣組織冀東防共自 治委員會倡爲先
蘆龍
懐柔
玉田 樂亭
導樹之風聲窃冀燕趙憂国之士必將投袂興起共同組織俾 救〓 危乃宣布
順義
薊縣
以来時已匝月雖民情 日益沸騰而賢豪猶多膽願 汝耕等爲貫徹 防共自治
自治政府政務 長官總撹全區軍政事 宜以前 次宣言爲圭〓以冀東福祉爲
第 六條
初衷確立人民信仰自 不容長 此延佇影響視聴茲経集議詢謀僉同決於本
依歸修明庶政〓惕自強庶以内奠冀東自治於磐石外啓全國興復之新 機 汝耕 等雖材識庸 下憂国之忱不後於人願本 心不抜之信念與海内明道共
日改組本會爲冀東防共自治 政府並公推本會委員長殷汝耕爲冀東防 共
勉之時此宣言
本政府置左列三處各 設處長 一人分司秘書保安 外交事宜
委 員
委
委
委
委
委
員
員
員
員
員
員
委員長
殷
李
趙
李
張
張
王
池
殷
體
允
海
硯
慶
厦
宗
汝
新
聲
雷
天
田
餘
材
墨
耕
四、建 設
三、教 育
二、財
一、 民 政
三、外
二、保
二、秘
政
交
廳
廳
廳
廳
安 處
書 處
冀東防共自治委員會
委
員
第十條
第九條
本政府参政由政務長官聘任之
本政府設参事 二人審擬本政府法令章制
建設事 宜
本政府置左列四廳各設廳長 一人分掌本區域内 民政財政教育
處
委 二十四年十 二月二十五日
第八條
第 七條
中華民国
第十 一條 本政府秘書長各處處長各廳廳長参事由政務長官 任命之 第十 三條 本組織大 綱自公布之 日施行
本政府所属各保安隊之編制〓定之
第十 二條 本 政府各處及各廳之組織〓定之 第 十四條
二八
陸 軍 次官 ヨリ関 東軍 、 支 那 駐 屯 軍 参 謀 長 、北 平 、 上海 、 南 京 武
電 (暗 号 、 極 秘 ) 陸満 六 八○ 号
官宛
二
リ度
華 北 自 治運 動 に関す る陸 軍電
︹ 古荘幹部︺ ︹ 西尾壽造) ︹ 酒井隆︺ 一 陸 軍 次官 ヨリ関 東 軍 参 謀 長 、支 那駐 屯 軍 参 謀 長 宛 電 報 (暗 号 、 極秘 ) 陸 満 六七 四 昭 和 十年 十 一月 二十 二 日 天 電 八 二九 ニ関 シ 一、 北 支 問 題 ニ関 シ有 吉 大 使 ヲ シ テ南 京政 府 ニ対 シ勧 告 及警 告 ヲ発
ル ヘク 又自 治 ノ範 囲 ニ関 ス ル貴 電 八 五 一 ハ異 存 ナ シ
ト ナ ス貴見 尤 ナ ルヲ以 テ貴 方 ノ実情 ニ即 スル如 ク適 宜 之 ヲ決 定 セラ
二、自 治宣 言 ノ発 出 時 期 カ現 地 ノ実 情 ニ鑑 ミ機微 ニ属 ス ル問 題 ナ リ
大 臣 ヨリ同 大 使宛 訓 令 セリ
上深 入 リ シ南 京政 府 ノ術 策 ニ陥 ル コト ナ カ ラ シ ム ル為 本 日再 ヒ外務
側 ニ之 カ実行 ヲ要 求 セル モノナ リ但 シ有 吉 大 使 ヲ シテ勧 告及 警 告 以
大 原 則 ト交 換 ニ北 支 自 治 ヲ取 消 サ シム ル カ如 キ筋 合 ニア ラ ス又北 支
題 ト三大 原則 ノ実 行 ト ハ別 個 ノ問 題 ト シテ取 扱 フ ヘキ モノ ニ シテ三
要 ノ訓 令 ヲ発 セ ル次 第 ハ陸 満 電 第 六七 四号 ノ如 シ当 方 ハ北 支 自 治 問
ト ス ル魂胆 ア リ ト認 メ ラ ル ルヲ 以 テ既 ニ外 務 大 臣 ヨリ有 吉大 使 宛 所
答 シ来 リ之 ヲ逆 用 シ テ之 ト 交換 条 件 ニ北 支 自 治 宣 言 ヲ取 消 サ シメ ン
ァ ラ ス蒋介 石 ハ曩 ニ廣 田 外 務大 臣 ヨリ提 議 セル 三大 原 則 ノ承 認 ヲ回
支 問 題 ニ対 スル警 告 及 勧 告 (交 渉 ニア ラ ス) ノ範 囲 ヲ出 ツ ル モノ ニ
有 吉 大使 ノ南 京 政 府 ニ対 ス ル申 入 レ ハ陸 満 第 六 五 五号 電 ノ如 ク北
昭 和十 年 十 一月 二十 五 日
三 、 土 肥原 少 将 等 ノ北 支 ニ於 ケ ル行動 ハ北 支 諸 軍 閥 ヲ通 シ南 京 政 府
自 治 問 題 ヲ南京 政 府 ト交 渉 シ之 ヲ解 決 ス ヘキ モノ ニア ラ ス寧 ロ此 際
セ シ メ ラ レ タ ル件 (陸 満 六 五 五) ハ過 般 大 連 会 同 ノ話 合 ニ基 キ 外務
ラ此際 特 ニ進 退 ヲ慎 重 ニシ国 策遂 行 ニ障 害 ヲ貽 サ サ ル如 ク御 注 意 ア
側 及 外 国 方 面 ニ筒 抜 ケ ナ ル カ如 キ現情 ニ鑑 ミ申 ス迄 モナキ コト ナ カ
尚 将来 蒋 介 石 ニシ テ 三大 原 則 ヲ提 ケ北 支 自 治 運動 ノ緩 和 ヲ要 請 シ
助 ト モナ ル ヘ シト考 察 シ ア ル次第 ナ リ (以 上 、外 務海 軍 ト モ協 定 済 )
京 政 府 ノ北 支 ニ対 スル認 識 ヲ深 カ ラ シメ其 対 日態 度 ヲ是 正 ス ルノ 一
出 先 機 関 ノ適 切 ナ ル指 導 ニ依 リ自 治 運動 ヲ促 進 スル コト ハ兼 ネ テ南
シ之 ニ対 ス ル軍 ノ態 度 ハ飽 ク迄 内 面 的 指導 ヲ主 旨 ト セ サ ル ヘカ ラ ス
三、 北 支 ノ自 治 ハ表 面支 那 側 ノ自 発 的 且自 由 意 志 ヲ基 調 ト ス ルヲ要
ス ル モノ ト ス
地 ノ実 勢 ニ即 応 シ功 ヲ急 カ ス漸 ヲ追 フテ 以 テ前 記 目 的 達 成 ニ迄 到 達
シメ サ ル ヲ要 ス
是 カ為 常 ニ支 那 側 ヲ掌 握 シ彼 等 ヲ シ テ努 メ テ我 方 ノ意 図 外 ニ脱逸 セ
陸 軍 次官 ヨリ関 東 軍 参 謀 長 、 支 那 駐屯 軍 参 謀 長 、 濟 南 、 上海 、
一、 有 吉 大 使 ト南 京 政 府 ト ノ接 触 ハ北 支 自 治 運 動 ニ影 響 ス ル所 少 ナ
天 電 六 、 支電 九 四九 及 南 京 電 五 七 七 ニ関 シ
昭和 十年 十 二月 三 日
陸満 七 〇 〇
電 報 (極 秘 、暗 号 )
南 京 武 官宛
四
ト連 絡 協 力 ス
六 、 北 支 処 理 ノ為 関 東 軍及 上 海 南 京 其 他 ノ各 武官 ハ密 ニ支 那 駐屯 軍
ハ通 報 シ以 テ中 央 並 出 先 ノ対 策 ヲ シ テ錯 誤 ナ カ ラ シ ム ル ヲ要 ス
ハ密 ニ中 央 ト連 絡 シ常 ニ情 勢 ノ推移 ヲ明 ニ シ適 時 軍 ノ企 図 ヲ請 訓 若
五、 現 地 ニ於 ケ ル北 支 処 理 ノ主 宰者 ハ実 質 的 ニ モ支 那 駐 屯 軍 ト ス軍
又特 ニ外 債 担 保 ト ナ リ ア ル財 源 ノ処 理 ニ関 シテ ハ慎 重 ナ ル ヲ要 ス
間 ノ事 情 ヲ洞 察 シテ秘 密 ヲ旨 ト シ努 メテ内 容 ノ暴 露 ヲ避 ク
支 那 側 ヨリ漏 洩 シ南 京 政 権 及 諸 外 国 ニ放 送 セラ レア ル ヲ以 テ諸 事 此
四、 北 支 ノ処 理 ハ内 外 聳 目 ノ中 心 タ リ 又既 往 ノ例 ニ徴 シ秘 密 工作 カ
来 ル場 合 ニ於 テ ハ之 ヲ捉 ヘテ 三大 原 則 ノ実 質 的 実 行 ヲ要 求 スル ヲ可
陸 軍 次 官 ヨリ 関東 軍 、支 那 駐 屯 軍 参 謀 長 、 南 京 、北 平 、 上海 武
ナリ ト スト考 ヘア リ
三 官宛 電 報 (暗 号 、 極 秘 )
昭和 十 年 十 一月 二十 六 日
陸 満 六八 四
針
北 支 時局 ニ関 シテ ハ今 後 左 記要 領 ニ依 リ処 理 セ ラ ル ヘ シ 方
北 支 処 理 ニ関 ス ル今 後 ノ指 導 ハ現 ニ進 展 セ ル情 勢 竝其 成 果 ヲ利 導
領
拡 充 シ且内 外 諸 般 ノ実 情 ニ即 応 セ シメ ツ ツ漸 ヲ追 フテ自 治 ノ完 成 ヲ 期 ス 要
一、 北 支 自 治 政 権 樹 立 運 動 ヲ推 進 シ所 期 ノ目 的達 成 ヲ期 シ北 支 時 局 紛 糾 セ ル場 合 ニ ハ必 要 ニ臨 ミ派 兵 ヲ奏 請 ス 二、 北 支 自 治 政 権 樹 立 ハ先 ツ在 北 支 実 力 者 ヲ中 心 ト シ逐 次 民 衆 中 心
テ南 京 政 府 ノ宗 主 権 バ之 ヲ認 ム ル モ政 治 、 外 交 、財 政 ハ之 ヲ南 京 政
カ ラ サ ル ヲ以 テ適 宜 之 ヲ控 制 シア ル モ何 應 欽 等 ノ北 上 ニ対 シテ ハ宋
ノ政 治 機 構 ノ確 立 ニ至 ル モノ ト ス而 シテ究 局 ノ目的 ハ北 支 五省 ヲ シ
府 ヨリ離 脱 セシ ムル ニ在 リ ト雖 モ之 カ 工作 ノ過 程 ニ於 テ ハ適 切 ニ現
哲 元及 蕭 振 海 ハ数 回 ニ亘 リ南 京 側 ニ之 ヲ要請 セ ル形 跡 ア リ 又宋 哲 元 ハ二十 九 日夜 発 出 セ リ ト称 ス ル公開 通 電 ハ三十 日 ニ到 ル モ尚 実 行 シ ア ラ サ ルカ如 キ情 報 ア ル等 宋 哲 元 ハ痛 ク南 京 側 ニ気 兼 ネ シ其 態 度 煮 エ切 ラ サ ル モノ ノ如 ク観 察 セ ラ ルル ヲ以 テ或 ル程 度 南 京 側 ヲ押 シ テ北 方 実 力者 ニ依 ル自 治 ヲ認 メ シ ムル如 ク指 導 ス ル コト ハ 又宋 哲 元等 ノ態 度 ヲ決 定 セ シム ル上 ニ モ効 果 ア リ ト思 料 セ ラ ル依 テ
五
陸 軍次 官 ヨリ関 東 軍参 謀 長 、 天 津 軍 参 謀 長 、北 平 、 濟南 、 上海 、
電 報 (暗 号 、 極 秘)
南 京 武官 宛
陸 満 七〇 八
北 支 自 治 政 権 ニ関 ス ル件
昭和 十 年 十 二 月 九 日
一、各 出 先 機 関 ノ協 力 ニ依 リ宋 哲 元 ヲ中 心 ト ス ル自 治 政 権 ノ樹 立 ト
電 報 (暗 号 、 極 秘)
之 ニ対 ス ル南 京 政 府 ノ承 認 ト ヲ見 ント シ概 ネ陸 満 第 七 〇 〇 号 ノ軌 道
左 ノ如 キ方 針 ヲ以 テ処 理 スル コト ト セリ
ロ、 南 京 側 ニ対 シ テ ハ三原 則 ノ実 行 ヲ強 要 ス ル外 其 北 支 ニ関 ス ル
イ、 宋 哲 元 等 ヲ指 導 シ自 治 運 動 ノ進 展 ヲ策 ス ル コト 従 前 ノ通 リ
ニ乗 リ来 レ ル ハ同 慶 ノ至 リ ナ リ此 上 ト モ北 支中 支諸 機 関 相 呼 応 シ該
二 、 陸 満第 七〇 〇 号 第 一項 ロ ニ関 シ関 電 四 六 三 及 四 六 四 ヲ以 テ意見
電 ニ示 ス措 置 ヲ続 ケ漸 ヲ追 ウ テ陸 満 第 六 八 四 ノ目 的 ヲ達 成 セ ラ レ ン
電 報 アリ タ ル モ右 陸 満 電 ノ主旨 ハ宋 哲 元 等 ヲ シ テ南 京 側 ノ申 出 条 項
シ現 北 支 実 力者 ヲ シテ右 条 項 内 容 ヲ実 行 セ シメ南 京 側 ヲ シ テ之 ヲ承認 セ シ ム ル如 ク指 導 ス ︹ 須磨彌吉郎︺ ︹ 雨宮巽︺ 右 ハ差 当 リ南 京総 領 事 (南 京 武 官 協 力) ヲ シテ之 ニ当 ラ シメ
申 出 条 項 (支 電 九 四 九、 南 京 電 五七 七) ヲ捉 ヘテ之 ニ同意 ヲ表
有 吉 大 使 ノ赴 寧 ハ茲 暫 ラ ク北 方 ノ動 キ ヲ見 極 メ得 ル迄之 ヲ延 期
内容 ヲ自 主 的 ニ実 行 セ シ メ其 既 存 事 実 ヲ南 京 政 府 ヲ シテ認 メ シ メ ン
三 、尚 北 支 ニ新 設 セ ラ ル ル委 員 会 ハ之 ヲ行 政院 外 ニ置 ク ヤ或 ハ行政
ト ス ル ニア リ テ此 主 旨 ハ変 更 スル ノ要 ヲ認 メ ス
コト ヲ希 望 ス
ス
之 ヲ排 撃 ス ル ヲ要 シ日本 官 憲 ハ此等 要 人 ト ノ会 見 ヲ避 ク ル ハ勿
モ徒 ニ難 キ ヲ要 望 シ テ折 角 軌 道 ニ乗 リ来 レル現 勢 ヲ破 綻 ニ導 カ サ ル
院 ノ隷 属 下 ニ置 ク ヘキ ヤ ニ関 シテ ハ前 者 ヲ希 望 スル コト固 ヨリ ナ ル
ハ、 何 應 欽 等 南 京 要 人 ヲ シテ北 支 時 局 ヲ処 理 セシ ム ル コト ハ極 力
シテ北 支 滞 在 ノ意 志 ヲ放 擲 セ シ ム ル如 ク指 導 ス
ヲ要 シ漸 ヲ追 ウ テ所 期 ノ目 的 ヲ完 成 ス ル コト ニ着 意 シ現 地 ノ実 情 ニ
論 現 北 支 軍 政権 ヲ シテ右 同 様 ノ態度 ヲ採 ラ シ ム ル等 彼 等 要 人 ヲ
二、 宋 哲 元等 ノ行 動 ニ関 シ事 前 ニ日本 側 ノ通 信 ニ依 リ暴 露 セ ラ ル ル
即応 スル如 ク適宜 処 置 セ ラ ル ルヲ可 ト ス
電 報 (暗 号 、 極秘 )
陸 軍 次 官 ヨリ 支 那駐 屯 軍 参 謀 長 宛
コト多 ク右 ハ諸 種 ノ関 係 上面 白 カ ラサ ルヲ以 テ過 早 ノ 発表 ハ之 ヲ差
以 上 外 務 、 海軍 協 定 スミ
控 フ ル様特 ニ北 支 諸 機 関 ニ於 テ言 論 機 関 ニ対 スル指導 ヲ希 望 ス 六
昭 和 十 一年 一月 二 十 日
陸満 二三
貴 電 第 一〇 九 号 第 七 冀察 政 権 ノ顧 問 ニ関 シテ ハ陸 満 第 一六号 第 三
ハ右 ノ内 貴 地 ニ於 テ已 ニ準 備 シア ル モノ及東 京 ニテ準 備 ス ヘキ モノ
項 ニ拠 リ処 理 ス ヘク 差 当 リ速 急 ヲ要 ス ル モノ ニ限 リ詮 議 中 ナリ就 テ
︹以上の各電報 に引用されている諸電 は目下 のと ころ発見す ること ができ
ニ区 分 シ特 ニ担 当 業 務 、官 等 俸給 等 ヲ明 示 シ至 急 具 申 セラ レ度 シ ない。 ︺
秘
二九
次
(昭和 十 一年 五 月 二 七 日
参 謀 本 部)
余 儀なきに至 り却 つて密輸 の旺盛を見 るに至 れり
幅 の関税引 上断行 の結 果支那 の民衆 は益 々高価 の商品を購 入す るの
上げられ殊 に 一九三三年国内産業 の保護助成を標榜して実施 せる大
抑 々南京政府 の輸入関税は 一九二九年 の自主関税 設定以来逐年引
第 一は経済的環境 なり
支 那 の密 輸 問 題 に 就 て
支那時 局報第九号
支 那 の密 輸 問 題 に就 て 目 一、 密 輸 の不 可 避 的 原 因
一九二九年税率
百瓩 一 二〇、 〇〇〇
百瓩 四八、 〇〇〇
一九三三年税率
目
一組 一 二、 〇〇〇 (百瓩 一 九、八〇〇)
一部 品種 の新 旧税率 を比較 せば次 の如し 品
柱
二、 密 輸 の実 情 三、 冀 東 の低 関 税 問 題
貝
〃
二〇、 〇〇〇
四、 南 京政 府 の態 度
百瓩
従 価 八〇%
〃
一組 五 八、 〇〇〇 (百瓩 九五、 七〇 〇)
一 六、 〇〇〇)
従 価四 五% 〃
九、七〇〇 (〃
一組 二、九〇〇 (百瓩 四、 七八〇)
一 三、 〇〇〇
布
〃
〃
絹
糖
九、 五七〇)
人 造 絹 糸
糖
人絹 混 織物
人
砂
五、 八〇〇 (〃
五、 列 国 と 密 輸 と の関 係
砂
〃
九、 六〇〇
八〇%
角
糖
九 三三年 八 月満 洲 国 独 立 に伴 ひ 大連 税 関 予納 金 制 度 を廃 止 せ る為 支
以 上 の如 く之 れ等 の品 種 は 殆 ん ど 二 乃至 四倍 の高 率 と な り 偶 々 一
四五%
支 那 の密 輸 は最 近 に於 け る北 支 の政 治 的 情 勢 の齎 ら せ る特 種 の現
砂
一、 密 輸 の 不可 避 的 原 因
象 に非ず 昔 より殆 んど 公 々然 と 行 は れ来 り し不 可避 的 普遍 的 現 象 な
氷
今 密 輸 を 不可 避 的 な ら し め た る支 那 の環 境 に就 て若 干 の観 察 を試
る こと は少 しく 支 那 の環 境 を 知 る者 の悉 く首 肯 し 得 る所 な り
む べし
従 て支 那 にし て高 率 の関 税 の低 下 を行 はざ る限 り 密 輸 の防 止 は絶
那 の密 輸 入 に拍 車 を か く る に至 れり
対 不 可 避 的 の因果 関係 に在 るも のと言 ふを得 べ し 第 二は 地 理 的 環 境 な り 延 々七 千 哩以 上 に亘 る支 那 の海 岸線 に於 て頻 々と 行 は る る組 織 的
第 二義 的 のも のと す従 て密 輸 の道 徳 的 罪 悪 の如 き は彼 れ等 の利 益 の
前 に は 一顧 の値 も な く 又 之 を取 締 るべ き 立場 に あ る官 吏 も 国 家 的見
によ つ て其 行 ひ を左 右 す ると いふ状 態 な るを 以 て仮 令 課 す る に如 何
地 に 於 て其 責 任 を 遂 行 せ ん とす る が如 き 高 邁 な 理想 を持 合 せず 只 利
も境 界 線 茫 漠 と し て頗 る不 明瞭 な る のみな ら ず 辺境 に於 て は国境 の
前 提 と せ ざ る密 輸 取 締 の如 き 人為 的 の姑 息 手 段 によ り て之 を防 止 せ
的 人 的欠 陥 に 抜本 的 是 正 を加 ふ るを 先決 条 件 とす べ く 民衆 の幸 福 を
言 ふべ く従 て支 那 の密 輸 を防 止 せん と せば 之 れ等 自 然 的経 済 的 政 治
以 上 支那 の客 観 的 環 境 を見 る に支 那 の密 輸 は誠 に不可 避 的 現 象 と
な る厳 罰 を 以 てす るも 之 が根 絶 は絶 対 に不 可 能 な り
観 念 さ へ明白 にあ ら ざ る を以 て之 亦 密 輸 の防 止 の困難 な事 は敢 て贅
計 画 的 密 輸 を防 止 す る こと は決 し て容 易 な る事 に あ らず 又 陸 地 方 面
言 を要 せず 尤 も 支 那 自 体 の国 家 的 施 設 が更 に完 備 せ ら る る こと あ ら
んと す る が如 き は結 局 徒 労 に終 る こと を断 言 し て憚 らず
密輸入 の大宗 は人絹 と砂糖と にし て昭和八年 に於ける大連戎克貿
二 、密 輸 の実 情
ば之 れ等 の悪 弊 も 逐 次 是 正 せ ら る る こと 敢 て困 難 に は あ らざ るべ き も少 く も今 日 の支 那 の国 家 的 状 態 に於 て は密 輸 の行 は る る亦 当 然 と
絹
糖
糸
三 一〇 万 円
五五〇万円
易統計 によれば 人
第 三は 政 治的 環 境 な り
言 は ざ るを得 ず
蒋介 石 が 武力 と財 力 と の統 一に よ り企 図 せ る制覇 工作 は 必然 的 に
砂
が高 率 な るも の にし て而 も荷 捌 の便 な るも のに選 定 せら る るは当 然
元来 密 輸 入 の対象 と な る品 種 は各 地 の需 要大 な る に拘 は らず 関 税
にして大連税関予納金 制度廃止前 の密輸入と合す れば約 一千万円以
地 方 軍閥 の財 政 収 入 に打 撃 を 与 へ内 面的 に益 々中央 政府 と の抗 争 激
は当 然 の事 に し て密 輸 の如 き も 各 省 の利 益 とな る限 り黙 認 の態 度 を
に し て砂 糖 人 絹 の如 き が其 大 宗 とな る は必 然 な り其 他 雑 貨 類 は 此等
上と推定 せら る
と り つ つあ る 実状 に し て所 詮 は支 那 の国 家 的 組 織 の欠 陥 に帰 一す べ
と 一緒 に積 合 せと し て密 輸 せ ら る るも の にし て其 数 量 は大 な らず
化 を 助成 せ る事 は争 は れず 従 て地 方軍 閥 と し ては 中 央 政府 よ り財 政
く徒 ら に他 を 責 め て顧 みざ ると き遂 に は地 方 政 権 自 ら 財 政 の独 立 を
的 援 助 のな い限 り何 等 か の方 法 によ つて自 己 財 源 の増加 を 図 る こと
企 図 し所 謂 低 関 税 政 策 によ り て自 己 財 源 の増 強 を図 る に至 る べ く既
品
糖
種
二十 二割
従価換算 率
砂 糖 人絹 が如 何 に高 率 な る か を示 せば 次 の如 し
砂
に冀 察 、 山 東 、 西 南等 こ の機 運 に向 ひ つ つあ り
元来 支那人 の観念 は自己 の利益 を第 一義 的基調 とし国家 の利益 は
第 四は人的環境なり
二十二割
八 割
の激増 を見昨年十 一月頃 には毎 日二十噸 乃至六十噸 の発動機 船が十
立により沿岸 に於 ける中国海関 の監視船遊弋 を禁止 せる為海路密輸
元来冀東 は昔より密輸 の旺んな る地域なりしも偶 々冀東政権 の独
因す
二十 割
二十五割
糖
人 絹 糸 人 絹 布 人絹 混織 角 砂 糖
る困難を感 じ加之屡 々密輸業者と保安隊間 に紛糾事件を惹起 す る等
数隻 を下 らざ る盛況 にして冀東政府としても之 が取締 に少なからざ
}
氷 砂 十二 割
事態漸 く滋 からんとした る為冀東政府は之 れ等 の弊害を根本的 に改
柱
むるには合理化 せる政策 の樹立遂行を必要とする見地より本年 二月
貝
さ へ誤 間 化 し得 れ ば揚 陸 後 は仮令 発 見 せ ら る ると も当 該 官 憲 の保 護
謀 し 所 要 の地点 よ り積 出 し 仕 向 地 に て揚 陸 せら るる も のにし て途 中
入品 は昌黎、留守營 、北戴河、南大寺 の四ケ所 の陸揚地 に陸揚 すべ
冀東沿岸輸入貨物陸揚査験暫行規則及同 査験料徴収細則を制定し輸
而 し て之 等 の密 輸 入品 は支 那各 地 の港 務 局 、 警 査、 税 関 吏 等 と 通
によ り 大 な る危 険 な き を慣 習 と す而 し て主 な る積 出 地 は大 連 、 香 港 、
一〇〇 斤 入 一箱
一 三五斤 入 一俵
六元
四元
(〃
(〃
約 二五元 )
約 四〇元 )
約一 〇元 )
(百瓩 約 五元 )
〃
〃
〃
百瓩
四〇、 〇〇
一 二〇、 〇〇
二〇、 〇〇
九、 八〇
中国関税
本 査 験 料 は即 ち関 税 に相 当 す るも のに し て其 率 概 ね左 の如 し
く指 定し別 に査験 料を規定 せり
高 雄 等 にし て揚 陸 地 は天 津 、 山東 沿岸 、芝 罘 、 龍 口、青 島 、福 建 諸 港 、 廣 東等 な る も就 中 大 連 及 香 港 を 其 中 心 地 とす
殊 に 一九三四年秋以降米国 の銀政策 に伴 ひ銀価 の暴 騰を見 るや果
砂
(〃
特別関税 角砂糖
一 五元
二〇元
然支那 の銀密輸出旺んとな り其返り荷 として人絹 砂糖等 の密輸 入亦 激増し更 に北 支 の政情変化 は愈 々密輸 の増加 を見 るに至れり其結果
一〇〇 斤 入 一俵
百 封度 入 一俵
糖
支那側 の海関収入は著し く減少す るに至 り海関 の報告 によれば昨年
人絹糸
其 他 の品 種 は大 体中 国 関 税 の四 分 の 一に当 る
柱
八月 より本年四月迄 に於 ける欠損 二千五百 五十万六千元三月迄 の毎
貝
此 等 特 別 関 税 によ る輸 入品 は従 来 高率 関 税 の桎 梏 下 に在 り し人 絹
現 に本 月 十 四 日 大 公報 の論 説 は ﹁海 関 の税 収 損 失 は 一日約 五十 万
月平 均百七十五万元四月 一ケ月 の収入減 八百万元 に達すと いふ
糸 、 砂 糖 等 を主 と し総 て 天津 に輸 送 せら れ之 れ が為 天 津 の入荷 数 量
五、 六 万俵
元 に し て 一ケ 月 千 五 百万 元 な り﹂ と報 じ この状 態 を 以 て推 移 せば 一
六、 七 万 俵
ケ年 の減 収 少 く も 一億 元 と な る べく 南 京 政府 の死 活 問 題 た る に至 れ
糖
は驚 く べき額 に上 り人 絹 、 砂 糖 の洪 水 と な り 三月 下 半 月 の入荷 推 定
絹
糸
り
人
砂
数量 は
密 輸が支那 の普遍的現象 なるに拘はらず特 に之 を日本政府 の計画
三、冀東 の低関税問題 的支持 なりと騒ぎ出 せる原因 は正 にこの冀東政府 の低関税問 題 に基
にし て之れ等優良 にし て廉価なる日本品 は冀東 の関税堰 を破り て怒 濤 の如く支 那各地 に迸出し今 や遠 く上海方面迄南下し支那市場 に 一 大衝動を与 ふるに至 り遂 に最近 の喧 しい問題となりしな り 然し冀東 政府 の低関税率は冀東政府自体 の必要 より実施 せられた
ニ
ホ
米 、英 及 其 他 の諸 国 と密 輸 に関 し 日本 圧迫 の為 絹 糸 不 買等 の協
議 を 進 め つ つあ る が如 く
二 十 二 日輸 入貨 物 運輸 検 査条 例 二十 ケ条 を 公布 し て海 関 証 明 の
主 要 駅 に稽 査所 を設 置 す ると 同時 に海 関 員 は列車 内 に乗 り込 み密
財 政 、鉄 道 両 部 では 密 輸 貨物 の運 送 防 止 と 称 し て各 鉄 路 沿 線 の
な き も のは 一切 運 輸 を拒 否 没収 す る こと と し
輸 品 の発 見 没収 に つとめ 必 要 と認 む る時 は旅 客 の手 荷 物 をも 検 査
ヘ
又輸入業者が貨物輸送 の安全迅速 を期す る為冀東 政府 と随意契約を
す る等 の〓 法 を決 定 す
る政策 にし て支那自体 の内政 に属 し日本帝国とし て与 り知 らざ る所
べき筋合 にあらず殊 に冀東政府は固より支那 一般大衆 が大 いに歓迎
る等 其 方 法 は全 く場 当 り式 の防 止策 のみ にし て自 国 の悪 制 を根 本 的
結 び其 の結果廉価品 の進出す る事 は自然 の大勢之れ亦帝国 の干渉す し歓喜しあ るに於 て益 々然りとす
に改 革 せん とす る 反省 と 熱 意 と を欠 き殊 に之 等 の対策 が 明 か に密 輸
取 締 の名 目 の下 に 日本 品 を目 標 と す る排 日貨 政 策 と見 ら る る こと は
四、南京政府 の態度 今 や支那 の密輸は対外的 にも対内的にも南京政府 にと って致命的
近 に於 け る密 輸 の激 増 を以 て 日本 政 府殊 に軍 部 の計 画 的支 援 に基 く
も のな りと妄 断抗 議 せ る が如 き 明 か に帝 国 陸 軍 を 誣妄 せ る狂 気 の沙
帝 国 の特 に注 意 し あ る所 にし て更 に 甚し き は本 月 十 五 日支 那 側 が最
汰 にし て帝 国 と し て断 じ て黙 視 し能 はざ る所 にし て支那 が若 し依 然
重大問題となり つつあることは事 実なるも之 を防止す る為 には抜本 然るに最近 に於ける南京政府 の密輸対策 を見 るに
と し て斯 く の如 き 以夷 制 夷 政 策 に甘 ん じ て自 ら の反 省 を怠 ら ん か遂
的反省 によ る合理的政策 の採用以外 に断 じて途なし イ 蒋介石、孔祥煕 は ﹁リ ース ロス﹂ を加 へて密輸問 題を論議 し 員とす る密輸防止委員会 なるものを組織 して
列 国 殊 に英 米 が支 那 の密 輸 防 止 に積 極 的関 心 を有 す る は其 利 益 的
五 、列 国 と密 輸 と の関 係
に は由 々敷 一大事 を招 来 す る に至 る こと な き ︹や︺を虞 る るな り
ロ 孔祥煕 を委員長とし財政部及実業部等 より選出 せる若干名 を委 漢字紙 に密輸 に関す る記事 を掲げて輿論を喚起す
乙 駐支諸外国 公館及政府代表 に密輸 に関す る材料を提供す
甲
関 係 に於 て密 接 な るも のが あ る故 な り其 一は海 関 収 入 が 中国 外債 の
北支 に調査班 を派し て諸情報 を蒐集す
丙
来す 虞 あ る こと な り
担 保 と なり あ る関 係 上関 税 収 入 の減 少 が直 ち に外 債 の支 払 に影 響 を
今 一九 三五 年 一月 現在 の海 関 税 担 保 外 債 を見 る に次 の如 し
丁 欧米新 聞に密輸記事を送付掲載す 中央政治委員会 は二十 日密輸懲治条例 を施行し て密輸入者 を極
等 の宣伝を実行し 刑 に処す る件を決 議し
ハ
償
還
額
完
満
期
三 九、 六九 五、 一八 四 馬克
英、独
一九 四三年
未 六 、〇 七 一、 一 二 五磅
日
英 、 独 、 仏 、 白、 露
額
一九 六〇 年
行
一 六○ ○ 万 磅
一九 三八 年
発 一八 九 八年 四分 五厘 続 英 独 借 款
一 三、 ○○ 万 円
庫
{
一九 四八 年
二 一、 五〇 五、 三 二 〇 磅
物
二割 二分 八割八分 三割 五分 十七割 乃至廿 二割 {
せ ん とす る真 意 は単 に右 の理 由 にあ らず し て結 局 日本 政 府 が密 輸 を
然 れど も 列 国 が躍 起 と な り て密 輸防 止 の名 の下 に帝 国 圧迫 に協 力
り
く所 遂 に は河 北海 関 の南 京 政 府 よ り独 立 せ ん ことを も 恐 る る に至 れ
支 の低 関 税 問 題 を続 り 天 津 及青 島 海 関 は四苦 八苦 の状 態 にし て其 趨
伴 ひ其 基 礎 は決 定 的 と な り海 関 行 政 の全権 を支 配 し来 り し も最 近北
﹁ロバ ート ・ ハート﹂ の就 任 以来 にし て其 後 英 国 の対 支 貿易 隆 盛 に
元来 英 国 が 支 那海 関 の 支 配権 を把 握 す る に 至 り し は 一八 六 三年
三 三、 五九 八 、 三四 二弗
{
二 一、 三六 四 、 九 四 三磅
一四〇 〇 万 磅
庫
六七 五〇万磅
二 五〇 〇 万 磅
公
償
金
券
島
匪
賠
一九 一 三年 五 分 利 善 後 公 債 青
団
其 二は関 税 引下 は独 り 日 本 に の み利 益 を独占 せら れ んと す る憂 あ るを 以 て列国 は之 を喜 ば ざ るな り 元 来 国 民政 府 の輸 入 税 率 の引 上 は全 然 日貨 の輸 入阻 止 に重 点 を指
毛 織 ﹁ワ ミ セ リ ー ﹂
﹁マカ ロ ニ ー﹂ 及
一割
欧米製品 日本製品 欧米製 日本製
向 せら れ あ る も の にし て其 数 例 を 引け ば 左 の如 く
イ ロ
米国 産
支 援 し あ りと す る感 情 的 反動 に基 くも の にし て斯 く の如 き錯 覚 は畢
﹁オ レ ンジ ﹂
十二割
竟 帝 国 の公 正 な る態 度 を知 らず に只 支 那 の以夷 制 夷 宣 伝 政策 に乗 ぜ
{
其 他 全 然 日本 よ り輸 入 せざ る品 物 は悉 く低 率 にし て日本 の みよ り
ハ
日本産
輸 入 す る品 物 に対 し ては 特 に高 率 な る こと は 支 那 関税 現行 税 率 表 を
ら れ た る結 果 に発 す る も のな り
事 実 帝 国 と し て は常 に支 那 大 衆 の為 誠 意 を 以 て之 に対 し あ る次第
見 れば 極 め て 明白 にし て結 局税 率 の低 下 は列 国 と し て自 国 商 品 の擁
に し て列 国 にし て真 に 支那 自 体 の経 済 的 更 生 を冀 求 す るな ら ば 寧 ろ
護 上反 対 せ ざ る を得 ず 殊 に税 率 の低 下 に より 日本 品 が 支那 市 場 を独 占 す る こと は彼 等 の最 も 恐 る る所 な る を以 て極 力 反 対 の立場 を と る
も の にし て却 て帝 国 よ り 言 はし む れば 列 国 が香 港 を中 心と し て盛 ん
是 正 す る如 く猛 省 を促 す べ き指 導 的 態 度 に出 づ る べ きな り と 信ず る
帝国 と共 に南 京 政 府 に対 し其 経 済 的 人 的等 凡有 支 那 の内 在 的 欠 陥 を
其 三 は英 国 の海 関 支配 権 喪 失 に対 す る〓憂 よ りす る英 国 の策 動 な
な るべ し
り
︹め︺
に西 南 方 面 に密 輸 を 実施 し あ る が如 き こと こそ咎 む ら るべ き も のな
殊 に帝 国 の立場 よ り言 へば 之等 密 輸 に対 し政 治 的 干 渉 を 行 ひ得 る
りと す るも のな り
筋 合 のも の にも あ らず 一方 在 支 日 本 商人 も之 に より て相 場 の下 落 を 生 じ尠 なか ら ぬ損 失 を受 け あ るも のに し て何 等 の利 益 をも 享受 し あ
更 に 又帝 国 軍部 が 密輸 を保 護 支 援 し あ りと す る が如 き は断 じ てあ
らざ る なり
り得 べ から ざ る こと にし て軍 の威 信 を 誣妄 す るも 甚 し く 此種 錯 覚 は
之 を要 す る に支 那 の密 輸 は決 し て帝 国 の支 援 によ り て行 はれ あ る
断 乎 と し て排 撃 是 正 せら るべ き も のな り と 確 信 す
も のに あ らず 支 那 の内在 的 欠 陥 の産 め る不 可避 的 現象 にし て こ の欠 陥 を根 本 的 に是 正 せざ る 限 り独 り密 輸 の防 止 し得 ざ る の みな らず 支 那 民衆 は永 久 に幸 福 にな り得 ざ る こと を 痛 感 す る も の なり
三〇
支 那 時 局報 第 十 一号
(昭和 十 一年 六 月 五 日
最 近 北 支 の 一般 情 勢 に 就 て
の の如 し
参謀本部)
益 々滋 き も の あ る を思 はし む る も未 だ差 し 当 り大 局 に は影 響 な き も
一、冀 東 の低 関税 問 題
の陸揚 げを合法的ならしめた り之 に依り従来高関税 の桎梏下にあり し優良にして廉価な る日本よりの輸 入品は冀東 を通 じて天津 に殺到
秘 最 近北支 の 一般情勢 に就 て
支那 に於け る密 輸入は南京政府 の民衆 の利益を犠牲 とせる不合理
なる高率関税必然 の所産 とし て従来 南北支 一帯 に亘り殆 んど公 々然
次
一、冀東 の低関税問 題
る地域 なりしが偶 々冀東政権 の独立 により其沿岸 に於ける支那海関
と行 はれ来りし不可避普遍的現象 なり殊 に冀東 は昔 より密輸 の旺な
目 二、平津 に於ける排 日学生運動 の再発
が取締 りに困難を感じたる結果合理化 せる関税政策 の樹立を必要と
の監視船 の遊弋 を禁止せる為海路密輸 の激増 を見冀東側としても之
三、我軍用列車爆 破事件 四、英国兵 による邦人殺傷事件
し次 で支那各 地に進出し今 や遠 く中支方面迄 に及 び為 に 一般大衆 の
す るに至 り本年 二月其〓法 を制定し低廉なる手数料 を徴集 し て貨物
により て 一貫 せられあり然 るに最近 の北支 政情 は冀東低率関税設定
最近北支 の 一般情勢 に就 て
に伴 ふ特種貿易 の影響、支那駐屯軍 の増強等 の為国 民政府当局及其
北支 に対す る帝国 の態度 は北支 の明朗化 と日満支関係 の緊 密化 と
使嗾 に躍 る 一部民衆 の神経を刺激した るも のの如 く五月下旬に至り
入の大宗たる関税収入 は巨額 の減収 を告げ支那財政 の基礎 を脅 かす
生活 は安易になれりと雖も支那市場 は 一大衝撃を受 け且国民政府収 に至れり
平津に於 ける学生 の排日示威運動、我軍用列車爆破事件等相継 いで 勃 発し且概ね時を同うして英国兵 の邦 人殺害事件 あり て北支 の事 端
の要 望 に従 ひ実 施 せ ら れた るも の に過 ぎ ず 固 よ り帝 国 の与 り 知 ら ざ
薬 を以 て其 第 二 次列 車 の顛 覆 を企 図 せ るも のあ り幸 にし て大 な る被
着 し 夫 々駐 屯 地 に向 へる が 二十 九 日午 後 八時 十 分 天 津 郊 外 に於 て爆
天津 軍 増 強 に伴 ふ第 二 次派 遣 部 隊 は 五月 二 十八 日未 明秦 皇 島 に到
三、 我 軍用 列 車 爆 破 事 件
る所 な り然 る に南 京 政 府等 が之 を以 て帝 国就 中 皇 軍 の計 画 的 支持 の
害 な く貨 車 一輛 破 損 し 馬匹 に若 干 の損 傷 を受 け た るも 列 車 は 其儘 天
思 ふに冀 東 政 権 の低 関税 設定 は該 政 権 自 体 の必要 と 民衆 生 活安 定
ら ず 皇軍 の栄 誉 を傷 く る の甚 だし き も のに し て斯 く の如 く歪 曲 せ ら
結 果 と す る は省 み て敢 て他 を謂 ふも の にし て啻 に当 を得 ざ る の み な
津 に到 着 せり仍 り て軍 は直 ち に夜 間 の軍 事 輸 送 を中 止 し 現 地 に 一部
方 千 米 の地 点 にし て予 め軌 道 下 に ﹁ダ イ ナ マイ ト﹂ を 埋 設 し機 関 車
隊 を派 遣 し 実 状 を 捜索 せし めた る所爆 破 地点 は天 津 旧 露 西 亜 租界 北
れ 且為 に せ ん が為 の放 言 は断 じ て看 過 を許 す べ か らざ る所 な り
北 支 に於 け る排 日学 生 運 動 は昨 年 末 の弾圧 後 表 面 鳴 を静 め あ りし
﹁レー ル﹂ に大 な る損 傷 を及 ぼさ ざ り し為 列 車 は僥 倖 にも顛 覆 を免
の衝 動 に依 り 爆 破 す る如 く装 置 し た る極 め て巧 妙 な るも のな り しも
二、 平 津 に於 け る排 日学 生 運 動 の再 発
が本 年 五月 初 頭 以 来今 次軍 の増 強 を 契 機 と し て再 び表 面 化 し 其成 行
四 、 英 国兵 に よ る邦 人 殺傷 事 件
不祥 事 件 の絶 滅 を 期す べ く其 対 策 に関 し 目下 慎 重 考 慮 中 な り
を以 て軍 は六 月 二 日当 面 の責 任 者 た る宋 哲 元 に抗 議 す ると 共 に此 種
排 日運 動 に関 連 し北 支 を擾 乱 せ んと す る策 謀 な る こ と概 ね 明白 な る
尚 事 件 の真 相 に就 て は捜 索 を 続 行 中 な る が 五 月 二十 八日来 の学 生
れ た るも のな り
に関 し注 目 せ ら れあ り し処 遂 に五 月 二十 八 日 天津 に於 て数 百名 よ り な る大 、 中 学 生 の排 日 示威 運 動 勃 発 し 当 局 に対 し 日本 の増 兵 反対 、 密 輸 防止 等 の陳 情 を為 し排 日 ﹁ビ ラ﹂ を撒 布 約 五時 間 に亘 り市 中 を 遊 行せり 之 に対 し 支 那 当 局 は我 方 の厳 重 な る抗 議 に よ り該 運 動 の鎮 圧阻 止 の手 段 を講 じ且 今 後 の取締 り に関 し 誓 ふ所 あ り 又北 平 に於 ても 二十
公務 によ り北 平 に出 張 中 な り し満 洲 国 日系 官 吏 二名 は五 月 二十 七
九 日大 学 生 会 合 し 駐屯 軍 の増 兵 、 宋哲 元 の施 政 等 に反 対 し 且 三十 日
日夜 半 同 市 目 抜 き の街 上 に於 て外 国 兵 士 に襲 撃 せ ら れ内 一名 は殺 害
あ り捜 査 の結 果 犯 人 は同 夜 同 所附 近 に於 て数 回 に亘 り内 鮮 人 六名 を
よ り 三 日間 の同盟 休 校 を決 議 し た る が如 き も支 那 側 当 局 は厳 重な る
殴打 負 傷 せし め た る二名 の英 国 憲 兵 な り と の推 定 概 ね確 実 と な れ り
せ ら れた り 尚 現場 に は英 国 兵 の服 装 の 一部 を なす 布 製 紐遺 棄 せ ら れ
然 れど も 本 次運 動 は平 津 各 大学 及基 督 教 青 年 会 が 中 心と な り其 背
本 件 は目 下 の処 無頼 な る英 国 兵 士 の単 な る暴 行 沙 汰 な るや に解 せ
警 戒 を行 ひ つ つあ るを 以 て今 の所 は拡 大 の懼 な く漸 次 平静 に帰 す べ
後 に は南 京 政府 及英 米 並 共 産 党 方 面 の支 援 あ る や に伝 へら れ資 金 亦
ら れ あり と 雖 も我 北 支 工作 の進 展 に対 し従 来 好 感 を有 せざ り し英 国
し と称 し あ り
以 て北 支 支 那 当 局 の措 置 如 何 に依 り ては更 に重 大 化 す る の虞 なし と
側 の感 情 の発露 と も思 考 せら る る節 亦無 き にあ らず 仍 り て在 北 平 帝
豊 富 にし て従来 の運 動 に比 し 一層 根 強 き も の の如 く 観察 せ ら る る を
せざ るな り
共 に交渉 の推移 を厳重 に監視 しあり
国大使館 は五月 三十日取敢 へず本件 に関し英 国大使館 に抗議すると
一
北 支 に 於 け る 不 正 規 貿 易 就 中 冀 東 政 府 の輸 入 貨 物 に
三、 惟 ふ に支 那 に於 け る密 輸 の現 象 は経 済 的 原 因 即 其 の高 率 な る関
然 冀 東 側 今 次 の措 置 に影 響 せ る所 あ り と 認め ら る
三
一、 最 近冀 東 政府 に於 て は沿岸 密 輸 取 締 の趣 旨 よ り角 砂 糖 、 人 絹 、
対 す る 特 種 徴 税 に 関 す る意 見 ( 未定稿)( 十一、三、四 曾禰 ︹ 益︺ )
砂糖 、 貝柱 に対 し正 規 関 税 四 分 の 一の税 率 を 定 め 、留 守 營 、 昌 黎 、 北 戴 河 の三処 を陸 揚 地 と指 定 し、 輸 入 貨 物 査験 所 を 設 け徴 税 及 取締
係 上人 為 的 に阻止 を試 み る こと 極 め て 困難 な るは 明 か に し て特 に地
こと 竝 政 治 的 原因 即関 税 収 入 に対 す る中 央 及 地 方 政 権 の抗 争 等 の関
理的 及 経 済 的 に断 然 優 越 な る地位 を有 す る本 邦 よ り多 量 密 輸 入 せら
税 、 自 然 的 原 因 即其 の海 岸 線 の長大 に し て陸 境 の境 界 線 亦 茫 漠 た る
定 請 負 は し む る こと と な れ る趣 な り
る る は之 亦 自 然 の現象 な り
に当 ら し む る 一方 、 大 連 方 面 よ り の運 輸 を旭 組 運 輸 公司 其 の他 に指
二 、 冀東 側 本 件 措 置 の由 来 に付 て考 ふ る に曩 に本年 一月 留 守 營 に於
然 れど も 此 の種 議 論 に は直 に賛 意 を表 す る能 はず 蓋 し密 輸 は啻 に
布 す べし と 言 ふ如 き議 論 を聴 く こと屡 な り
自 治 独 立 問 題 の進 展 に伴 ひ北 支 を足 場 とし て本 邦 密輸 品 を全 支 に販
茲 に於 て密 輸 奨 励論 の発 生 を見 るは故 なき に非 ず し て又最 近 北 支
け る密 輸業 者 と保 安 隊 と の衝 突事 件 に際 し冀 東 側 と荷 主 と の間 に 一 種 の不 正規 徴 税 を以 て貨 物 引渡 の妥 協 成 りた るを 切掛 と し冀 東 側 と し ては海 関 を完 全 に接 収 す る迄 の〓 法 と し て右 の如 き 不 正規 低 率 徴 税 に依 り密 輸 を統 制 し 財源 を捻 出 せむ と 欲 す る に至 り既 に殷 汝 耕 よ ︹ 元 一︺ り岸 領 事 に対 し 右 に協 力方 申 出 た り ( 之 に対 し同 領 事 建 前 上 之 を容
輪 入国 及第 三国 の商 品 に対 し打 撃 を与 ふ る に止 ま らず 同 一商 品 を取
一方 山 海 關 軍 特 務 機 関 に於 て も冀 東 地 域 に於 け る邦 人 の非 行 取締
認 し難 き旨 答 へ置 け る由 な り)
へば 北 支密 輸 問題 に関 し 天 津青 島 本 邦 商 工会 議 所 よ り の屡 次 の陳 情
扱 ふ輸 出 国 正規 貿 易 業 者 にも 同様 の打 撃 を与 ふ るも のな る こと は例
り冀 東 側 と 密 接 当 業 者 と の間 の約 束 に基 き 低率 な る課 金 を納 付 す る
主 張 も 存在 す る訳 な るが 密 輸 に限 り国 営 乃 至 は公 営 とす る如 き こと
あ り た る に徴 す るも 明 か な り従 て 又密 輸 国 営論 乃 至 は 公営 論 の如 き
︹マ マ ︺
方 考 慮 中 な りし が、 密輸 に関 し て は北 支 政 権 が海 関 を接 収 せざ る限
の方 法 に依 り 調整 す る こと 可 然 と の意見 な る如 く 右 軍 側 の意 見 が自
に足 らず
は 我 国 現下 の経 済 、 政 治 機構 に鑑 み到 底 実 行 性 な き を 以 て取 上ぐ る
而 し て北 支 政 権 側 の海 関 接 収 、 接 収 後 の北 支 特 別 関 税 乃 至 は接 収
前 の不 正 規 課 税 設 定 に対 し て は今 後 列 国 側特 に英 国 側 等 は 一層 態度
財 政 上 の問 題 即 ち外 債 負 担部 分 の中 央 送 金 問 題 及 一般 中央 税 収 の減
五、 右 列 国 側 の態 度 硬 化 の場 合 問 題 と な るべ く 予 想 せ ら る る点 はイ
を 硬 化 し来 り我 方 の責 任 を問 ひ来 る こと あ るべ し と称 せ ら る
亦 遽 か に首 肯 し難 し蓋 し 北支 に於 て密 輸 せ ら れた る貨 物 に対 し中 支
又 北支 を足 場 と し て全 支 に密 輸貨 物 を氾 濫 せし む べ し と の議 論 も
南 支 側 は正規 の課 税 を為 す は勿 論 報 復 的 に没 収 を為 し為 め に密 輸 品
俟 た ざ る のみ な らず 満 洲 国 竝 に自 主 的積 立 を声 明 す る こと も列 国 側
右 イ の中 外 債 負 担 部 分 を も接 収 す る こと が 甚 だ拙 策 な る こと論 を
少 竝ロ 条 約 上 の問 題 な りと す
南 支 に於 け る 我 が既 得 商 権 就 中 正 規 貿 易商 の地位 を根 底 よ り覆 す に
は中 央 に送 金 す る こと と な る べ く 又中 央 政 府 税 収 の 一般 的減 少 に対
を 安 心 せ しむ る に足 ら ざ る べ く旁 北 支 政 権 側 と し ても外 債 負 担 部 分
せら る る貨 物 に対 し て は捨鉢 的 高 関税 を設 定 し 来 り 両 々相 俟 て中 支
取 扱 者 と の間 に事 端 を 繁 から し む る は勿 論 更 に中 支 南 支 に直 接 輸 入
至 る虞 あ れば な り
国 的 均 一の原 則 竝b 華 府 九 国 条 約 の第 一条 第 一号 支 那 の行 政的 保 全
次 にロ の条 約 問 題 と し ては a華 府 関 税 条 約 第 六条 支 那 関税 率 の全
し ては列 国 よ り問 題 を 提 起 す る根 拠 薄弱 な る べし
四 、 北 支 密 輸問 題 を論 ず る に当 り更 に考慮 を要 す る点 は 対 列 国関 係 な り と す 列 国側 就 中 英 国 側 夙 に北 支 に於 け る密 輸 問 題 に重 大 な る関
の意 見 を 天 津 領 事 団 に提出 し其 の決 議 を経 て北 京 外 交 団 より 支 那 政
心 を持 し 来 り客 年 十 一月 同 問 題 に関 し支 那 側 の注 意 を 喚 起 す べ し と
る 日本 の責 任 問 題 を 提 起 し来 る こと な し と せ ざ る の みな らず c若 し
尊 重 の原 則 に藉 口し て該 条 約 締 約 国 側 よ り北 支 政 権 側 の措 置 に関 す
北 支 政 権 側 が 日本国 又 は 日本 人 に対 し て のみ特 別 の取 扱 を 為 す に 於
府 に対 し 本 件 取 締 方申 入 る る こと に取 運 ば む と せ る が我 方 は之 に迂
認 め右 外交 団 よ り の共 同 申 入 に反対 せ る経 緯 あ り た る が其 の後 冀 東
ては九 国 条 約 第 一条 第 三号 機 会 均等 の原 則及 華府 関 税 条 約 第 五条 の
濶 に賛 成 す るは 将来 北 支 密 輸 問 題 に対 す る我 方 の立場 上危 険 な りと
冀 察 政権 側 の海 関 接 収 ( 特 に 外債 負 担 部 分 の帰 属) 及 同 政権 の関 税
し
尚直 接 日本 の責 任 を 追及 し来 ら ざ る場 合 に於 て も尚 列 国 側 は 支 那
関 税 に関 す る待 遇 及 機 会 の現実 の均 等 の主義 に反す ると の論 あ るべ
側 に対 し右 の如 き条 約 の規 定 遵 守 方 申 入 を為 さ む と し 日本 に対 し て
独 立 に対 す る 日本 の関 与 問 題 に対 し ては特 に英 国 側 は警 戒 を怠 らざ
あ りた る が二 月 二十 四 日 ﹁カ ド ガ ン﹂ 大 使 より も須 磨 総 領 事 に対 し
るも の の如 く本 年 二月 十 日 英 国 下院 に於 て右 等 問 題 に関 し質 疑 応 答
北 支海 関 の機 能 が事 実 上停 止 し 居 る こと を指 摘 し 支 那海 関 制 度 の維
も 右 申 入 に加 は る こと を勧 誘 す る等 の間 接 的 方 法 に依 り 日本 側 を苦
六 、 従 て我 方 と し て は北 支 政 権 側 の海 関 接 収 、 接 収前 の不 正規 課 税
し め む と策 す る こと な し と せ ざ る べし
持 に付 日本 の協 力 を得 度 旨 申 出 あ り た り (右 に対 し同 総 領 事 は本 件 は専 ら 支 那 内政 上 の問 題 な る旨 応酬 し 置 け り)
て均 霑 せ し む る建 前 を持 せ しむ る如 く 側 面 よ り誘 導 す る の用 意 あ り
側 を し て 日本 人 又 は日本 品 に対 す る特 別 な る取 扱 に非 ず し て他 を し
り と 説 明 し 得 る様 注 意 を怠 らざ る こと 必 要 な る が尚 進 む で北 支 政権
政 権 側 と税 率 を協 定す る場 合 に於 ても 右 は専 ら彼 等 の自 発 的行 動 な
と 共 同 に抗 議 す る筋 合 に非 ず と の建前 を持 す ると 共 に本 邦人 が北 支
様 注意 し飽 く迄 支 那 側 の内 政問 題 と し て取 扱 ひ 支 那 側 に対 し て列 国
苟 も 我 方 が之 等 北 支 政 権 側 の措 置 に関 与 し居 る如 き 印象 を与 へざ る
と は之 を避 く べ き は勿 論 (尤 も北 支 独 立完 成 の暁 には 別 問 題 な り)
乃 至 は接 収 後 の北 支 特 別 関 税 設 定 に対 し ては 正式 に承 認 を与 ふ る こ
貿易関係 上支障少なき方面に導 く ことを要す
得 る限り対支 (北支政権及中央政府)対列国関係上及対本邦側正規
三
利益 に合致せざ るか乃至 は実行不可能 の議論なり
二
済的現象 なり
一
輸入品特殊 課税問題 に付 ては左 の如 く考 ふるも のなり
七、結論 として北支 に於ける不正規貿易 及北支政権側 の海関接収、
政問題﹂なりと応酬し置け る次第なり
イ 海 関 を 接 収 し特 別 関税 制度 を設 く る場 合 と ロ 海関 の機 能 は存 置 す
関 係上我方 の立場 は都合良し
四 而し て海関 の接収 及特別関税制度 を設定す るよりも海関 は存置 し別に密輸品 に対し通過税手数料等 の名目 にて徴税す る方が対列国
従 て北 支不正規 貿易 は原則 とし て禁遏も せず奨励もせず唯出来
然れども不 正規貿易積極化論乃至は国営論 の如 きは我方 の真 の
此 の種 不正規貿易 は根本 に於て人為 的に阻 止し得ざ る自然的経
て可然
る の建 前 の下 に通 過 税 手 数 料 等 の名 目 を 用 ひ て徴 税 す る場 合 と は我
しも悪 からず
五
将 又等 し く 北 支 政 権 側 が 輸 入品 特 別 課 税 制 度 を設 く る に当 つて も
方 の条 約 上 の立 場 は同 じ か らず 即 イ の場 合 に於 て は前 記 の如 く 華 府
六 併 し乍 ら我方とし ては左記諸点を眼中 に置き冀東 側を側 面指導
此の見地よりすれば冀東政権側今次 の不正規課税 の方法 は必ず
関 税 条 約 第 六条 の関 税 率 均 一の原 則 に反 す る こと と な り対 列 国 関 係 上我 方 の責 任 問 題 生ず る虞 あ る べき も ロ の場 合 に於 ては単 に支 那 と
す ること必要な り
別 関 税率 と看 倣 す べき も のな る べ し) 依 て我 方 と し ては冀 東 側 をし
なり
ハ 本件措置 は我方 の関知 せざるも のにして専ら支那 の内政問 題
ロ 当業者 の自発的納付なれば強制力なし
イ 我方 とし ては之を正式 に承認し得ず
日本 と の間 の不 当 課 税 の問 題 生ず る の みな り (尤 も 右 は形 式 論 にし
て出来 得 る限 り右 ロ の方 法 に依 ら しむ る こと 可 然 之 を 従来 北 支政 権
てロ の場 合 に於 ても 例 へば今 次 冀 東 側 の課 税 の如 き は実 質 的 に は特
側 及我 方 外 務官 憲 の説 明 応 酬 振 に徴す る に例 へば 一月 通 州 に於 て殷
れにす るも特 別関税 には非ざ る建前を執 る こと必要なり
ニ
本件取扱は日本人 又は日本品 のみに対するも のに非ざ るの建
課税 の性質 は 一種 の手数料乃至 は通過税位 とす るを可 とし執
二月 二十 四 日在 支 ﹁カ ドガ ン﹂ 英 大使 が須 磨 総 領 事 に対 し 北 支 政 権
ホ
汝 耕 は岸 領 事 に対 し ﹁通 過 料 ﹂ を徴 収 す るも のな る旨 説 明 し 居 り 又
側 の措 置 に関 聯 し質 問 竝申 入 を為 し た る に対 し 同総 領 事 は右 は ﹁内
前 を要 す従 て例 へば 大 連 よ り の輸 送 を 統 制 す る に当 つても 日本 商
を要 す
社 又 は日本 人 を独 占 的 に指 定 す る如 き こと は成 る べ く之 を避 く る
三 二
一、 北 支 密 輸 の由来
北 支 密 輸 問 題 の経 緯
北 支密 輸 入 は当 初 客 年 銀 の密 輸 出 旺 盛 な りし 当 時 之 に従事 せ る密 輸 者 が密 輸 銀 を処 分 せ る資 金 を 以 て人絹 、 砂 糖 、 毛織 物 、 雑 貨 類 等
(昭和十 一年四月 外務省亜細亜局第 一課)
き 徴税 及 取 締 に当 ら し む る ことと し ニ 陸揚 品 の散 逸 を防 ぐ 趣旨 よ り
る こと と せ る趣 な り
旭 組 運輸 公 司 其 の他 を指 定 し陸 揚 地 よ り 駅 に至 る運 搬 を請 負 は しむ
のを組 織 し 海 上 運搬 を も統 制 せし む る話 あ り と 云 ふも 詳 な らず
尚 冀 東 政 府 と し て は直 接 関 係 な き も 大連 に発 動 機 船 組 合 の如 き も
二
を 購 入 持 帰 り 密 輸 入 し居 りた るも のな る が銀 価 下落 に伴 ひ銀 密 輸 出 殆 ど終 息 せ る後 も引 続 き行 は れ 冀東 政 権 の出 現 後 は特 に甚 だし き を
の衝 突 事 件 に際 し荷 主 と の間 に 一種 の不 正規 徴 税 を以 て貨 物 引渡 の
右 冀 東 側 の措 置 は本 年 一月 留守 營 に於 け る密 輸 業 者 と 保安 隊 と
加 ふる に至 れ るも のな り 之 に対 し 天 津 青 島 本 邦 商 工会 議所 より 防 止 方陳 情 も あ り た る が密
妥 協 成 りた るを 切掛 け と し冀 東 側 と し て は海 関 を完 全 に接 収す る迄
る
の〓 法 と し て右 の如 き措 置 に出 でた る も のと 思 考 せ ら る る処 右 は山
る に至 れ り (之 に先 ち英 仏 側 よ り同 政 府 外 交部 宛 申 入 れを 為 し た る
輸 品 が中 支 方 面 に輸 送 せ ら る る に及 び 、支 那 側 官 憲 と の問 題 を も惹 ︹ 要︺ 起 せ る こと も あ り 南京 政 府 は 二月 下 旬 若杉 代 理大 使 宛 抗 議 を提 出す
海 關 軍特 務機 関 の密 輸 統 制 に関 す る意 見 が影 響 せ る所 あ り と認 め ら
こと 後 に述 ぶ る通 な り) 二、 冀東 政府 の措 置
協 定 を遂 げ 三月 二十 一日 以後 外国 貨 物 を同鉄 路 に て輸 送 す る場 合 に
天津 海 関 は 三 月十 七 日附 布 告 を以 て同 海 関 は北 寧鉄 路 局 と の間 に
三 、 天 津海 関 の取 締
絹 等 に対 し大 略 正 規 輸 入税 の四分 の 一に該 当 す る特 別税 を定 めロ 輸
は海 関 の捺 印 せ る運 送 許 可 証 tra nsp ort ati on permi t(鉄 路 局 発
本 年 二 月冀 東 政 府 に於 ては沿 岸 密 輸 取 締 の趣 旨 よ りイ 砂 糖 、 人
入貨 物 の陸 揚 を 統 制 せん が為 留 守 營 、 昌 黎 、 北 戴 河 の三所 を貨 物 指
行) を要 す る こと と せ る旨 を告 示 せり 理論 上 よ り言 へば 邦 人 に対す
一
定 陸 揚 地 とし ハ 輸 入貨 物 検 査総 所 を唐 山 に、 分 所 を前 記 三 ケ所 に置
る右布告 の適用は之 を排除し得べき筋合 と認められたるも我方とし
に対 し 日本 側 に実 状 を訴 へ協 力 方 を依頼 す る こと肝 要 な るべ き旨 提
四
り然 るに三月廿七日附軍側電報 に依れば北寧鉄路局陳 覺生 に対 し天
擁 護 が 主因 な りと 力 説 し た る趣 な り
入税 の高 率 な る こと が右 密 輸 の原 因 な る点 を認 め居 るも 日本 官 憲 の
言 ぜ る趣 な る が ﹁カド ガ ン﹂ の言 に依 れば ﹁リ ース ロス﹂ は支 那 輸
﹁リ ース ロス﹂ は北 支 旅 行 の際密 輸 熾 烈 な る情 態 を 見 、孔 祥煕
ては直 に抗議するを止め問題発生 の際 之を否認す るの方針に出 でた 津軍 より右取締 に反対 の内意を通じたる結果陳 は其 の手違ひを謝し る趣 なり
従前通り貨物 の運 送を引受 くべき旨を述 べ現在 は其 の通り実行 し居
客年十月末天津 首席領事 は同 地聯合商業会 議所 よりの請願 に基
四、本問題 に対す る外国側動 向 一
き領事 団会議 の議 を経 て首席大使 に対し密輸取締 に付 外交団 より中 央 政府 に対 し交渉 あり度旨申送 りたるが右書翰 は十 一月外交団回章 に附 せられ之 に対し仏国代理公使 は各大公使より共 同通牒 を以 て外 交部 の注意 を喚起す ること然るべき旨 の意見 を附 し英米等之 に賛成 し居りたり 二 我方 は右外国側動向 に対し天津領事会議 に於 ては別段反対 せざ りしも同会議 の席 上英国総領事 が在支英国人を密輸 の廉 を以て領事 裁判 に依り処罰 し得 べき旨述べ (他の治外法権国領事 之に賛成す) とあり又十 一月 の外交団 回章 に対す る我 方 の意見とし ては各国 に於
た るに対し岸領事 より日本 には斯 る法的根拠な き旨述べ置 きたるこ て必要と認むる場合 には各別 に適 当 の措置 を執 ること可然旨 を提出 ︹ カドガン︺ ︹ 張 羣︺ 然 るに英国大使 は 一月九日附 外交部長宛公文を以て天津地方に
し置きたり 三
にて右公文 写は外交団回覧 に附 せられたり尚仏国大使館も同様措置
於け る密輸禁遏 の為速 に適当 の手段を講 ぜられ度旨を申 入れた る趣 せ る趣 なり
目
三 三
次
一、 山海 關 密 輸 入状 況
冀 東 沿 海 よ り の密 輸 入 に 関 す る 調 査 竝 其 及 ぼ す
冊 ︹現存しな い︺
北寧線自右各駅至天津東 站
四、冀東政府 輸入税率表
附
天津日租界迄運賃諸掛 り
三、砂 糖及人絹糸 の昌黎、北戴河、留守營各 駅より
冀東 沿海輸 入貨物陸揚検査申請 及検査費納付規則
二、冀東沿海輸 入貨物陸揚検査暫行規 則
一、昌黎地方密 輸入状況
別
影 響 に 就 て の考 察 ( 昭和十 一 年三月十六日 青島日本商工会議所)
一、荷 役 よ り貨 物 積 取 駅 迄 の運 搬 一、旭 組 に就 て 一、大 連 よ り天 津 日租 界 迄 運賃 諸 掛 り
五、冀察及冀東各政府収 入概算
各等貨物 運賃表
津浦 線自天津外站至濟南
一、 天津 商 工業 者 に及 ぼせ る 影響
性
一、冀 東 自 治 政 府 通 過 税 実施 に 対す る我 当 局 の態 度 と其 の将 来
一、 冀東 沿 海 輸 入貨 物 査 験所 一、 通 過税 率 ( 査 験 費 又は 輸 入税 率 )
満洲国 を経由す る高率関税品 の陸路密輸 入は主とし て北寧鉄道 に
一、山海関密輸入状 況
よるもの最 も多 かりしが、 この場合 は先づ山海關東隣 の 一小 駅満洲
一、海 関 及冀 察 政 府 の密 輸 入 品 南 下阻 止当 面 の対 策 一、 濟南 市場 の動 向
国領萬家屯 に 一旦荷卸した る後東 羅城を経 て国境天下第 一關を突破
一、 青 島 の蒙 る影 響
一〇 三
四五五
五、 一〇 五
四 一五
蔘
八七
人
五
一五 四
し山 海 關 に入 り 、 山海 關 駅 に て旅 客 手 荷 物 と し て再 び北 寧 線 に積 込
一
五 、〇 七 八
二三
四
茸
莨
一 一七
椎
子
ゴ ム製 品 巻
貨
干
菓
み南 送 し 、 天 津 東 站 に下 車 、 日租 界 に搬 入 し て処 分換 金 す る を例 と
以 て規 定 さ れ てあ り 、 且 つ又 こ の方 面 の中国 海 関 監 視 員 の取 締 り は
雑
せり 、 元 々満 洲 国 と中 国 の国 境 は長 城線 外 側 即 ち中 国 側 長 城 壁 境 を
殆 ど 無 力 に等 し き も の あ り、 た め に国境 突破 は頗 る容 易 にし て こ の
一三三
方 法 によ る人 絹 、綿 布 等 の密 輸 入 は頗 る旺 盛 な り しと 云 ふ。
一八 四
干
二 陶
六
然 し 如 上 の密 輸 入 は銀 の携 帯 密 輸 出 の返 り荷 とし て の み密 輸 的採
右 表 に掲 げ た る商 品 は大 部 分 は東 羅 城 よ り天 下 第 一關 を経 て山 海
器
算 利 潤 あ り た る も のな れば 昨 年 十 一月以 後 銀 密 輸 杜 絶 せし と海 路 密
關 に入 る所謂 密輸 に 供 せ ら れ るも のと 見 て大 差 な きも の の如 き も 山
参
輸 入 の激 成 によ つて此 の種 陸 路 密 輸 入が 殆 ど影 を 没す る に至 つた こ
海 關 方 面 に て消費 せ ら る るも のも 相 当数 量 に 上 る見 込 み にし て 山海
海
と は 当 然 の帰 結 に し て 現在 で は同 方 面 の密 輸 入 は 殆ど 称 す べ き も の
關 よ り 更 に天 津 へ南 送 せら れ た るも のは人 絹 糸 の十 割 、 綿 布、 絹 布 、
が な い。 只 、 本 年 二 月 以後 渤 海 沿 岸 の結 氷 によ り海 路 密 輸 入 不可 能 と な つ
には 比 す べ き も な いが人絹 、 綿 布 、絹 布 等 相等 数 量 に上 り 居 る こと
ば 二 哩 近 く の沖 合 に沖 懸 り せ ね ば な ら ぬ程 であ り 、従 て荷 役 は総 て
ば 約 半 哩 、 一、○ ○ ○ 噸 汽 船 な ら ば 一哩 強、 二、 ○ ○ ○ 噸 汽船 な れ
冀 東 区荷 揚 沿 岸 は各 地方 共 頗 る遠 浅 に し て 一○ ○ 噸 発 動 機 船 な れ
一、荷 役 よ り貨 物 積 取 駅 迄 の運 搬
毛 織 物 の五 割 乃 至 七割 見 当 と推 定 され る。
は注 目 す べ き で あ る 、但 し 、斯 る 現象 は要 す る に渤 海 結 氷 中 の 一時
二月 下 旬 萬家 屯 駅 に卸 さ れた る貨 物 数 量 は左 の如 きも の にし て従 来
た 結 果 二月 中 以後 同 方 面 よ り の密 輸 入 を 稍 再 現 せ し めた 形 跡 あ り 、
的 現 象 と 言 ひ 得 べ く解 氷 後 は再 び 激 減す る も のと 見 ら れ る。
数
一、七 六 三
重 量 (瓩 )
度 で あ る、然 し こ れ等 の漁 船 は風 波 に対 す る抵 抗 力極 め て弱 く、 従
も ので積 載 能 力 は約 一噸 、 即 ち砂 糖 一 二 俵 、 麻 袋 詰 入絹 糸 一六 袋 程
附 近 の漁船 を利 用 し 来 れ り、 漁 船 は 両端 を削 ぎ た る吃 水 浅 き楕 型 の
三八
件 布
二月 末 迄 十 日間 萬 家 屯 駅荷 卸 数 量
絹
当 初 密 輸 入時 代 は七 、 八 十 噸 の発 動 機 船 多 く 利 用 せ ら れ、 投 錨 地
こと も多 か りし と 云 ふ。
も余 程 海 岸 に接 近 し て四 、 五 丁程 度 に過 ぎ ざ り し た め荷 役 漁 船 も 一
来 往 々転 覆 し て貨 物 の流 失 或 ひ は人 命 を 失 ふ等 の悲 惨 事 に遭 遇 せ る
一、 三 六 七
三九 、 八 七 三
一、 一七 一
三八 、 〇 四 七 一九
一九 三
一三
三五二 物
布 絹
酒
糸
人 織
綿
毛 清
へて岸 迄 五間 乃至 十 間 以 内 に接 近 し得 ざ るた め 、 馬 車 を海 中 に乗 り
日 五乃 至 六往 復 をな し 得 た るが 、 これ等 漁 船 も満 載 時 に は船 底 つ か
約 十 五支 里 の間 ト ラ ック道 路 と な り て道 路 幅 約 二間 半 あ るも 道 路 面
空 馬 車 を畑 に引 込 みす れ違 ひ た る由 な り、 後 者 は留 守 營 より 圍 裡 迄
八 支 里 にし て前 者 は道 路 の幅 約 四 尺 馬 車 行違 ひ不 可 能 な るも 従 来 は
入時 代 に入 つた と 称 し 得 べ き状 勢 を招 致 し た 結 果、 渤 海 航 行 の安 全
而 し て海 岸 よ り駅迄 一日 二往 復 又 は 二往復 半 を なす 、今 後 旭 組 に て
若 く は人 造 絹 十 五袋 、 平均 砂 糖 八俵 若 く は 人 絹 十 二袋 を積 載 し 得 る、
馬車 は 一頭 引 き 及 二頭 引 き の両 種 あ り て 一頭 引 き な れば 砂糖 六俵
の破 損 甚 し く 現 在 ト ラ ック を通 ず る こと は 不 可能 で あ る。
入 れ、 貨 物 を 積 取 る等 荷 役 頗 る不便 を免 れざ りき 。 今 回 冀 東 自 治 政 府 に て前 述 の如 き低 率 な る輸 入 税 を 課 し、 これ等
を 図 る と共 に大 量 貨 物 の積 送 を 企 図 す る傾 向 を生 じ た 、 これ が為 め
の密 輸 入 を内 々認 め る こと と な り、 既 に純 密 輸 入 時 代去 つ て正式 輸
運搬 用 発 動 機 船 も 中 型 船 よ り漸 次大 型 船 採 用 に向 つ て来 た と は容 易
て居 る が 一日運 搬 能 力 は 二往 復 と し て両 駅 にて約 六百 噸 、 高 々三往
は 両 駅 に は約 三百 台 の馬 車 を集 め て運 搬 に従 事 せし む る計 画 を樹 て
尚 ほ昌 黎 管 轄 内 の大 蒲 口揚 げ は同 方 面海 岸 が東 西 南 の強 風 を し ば
復 とし ても 九 百 噸 を 出 でな いと見 ら る。
に 了解 し 得 ら る る であ らう 、更 に 又進 ん で は 一千 噸 以 上 の汽 船 を使 用 す る も のも 増 加 の機 運 に あ り と言 は れ、斯 く ては これ等 運 搬 船 は 益 々遠 く 沖 懸 り せ ね ば な ら ぬ、 従 て海 上荷 役 の困難 愈 々加 重 さ れ る
この点 に着 眼 し て北 戴 河 、 留 守 營 管 轄 政 府 指 定 の専属 運搬 業 者 旭
と な り、 従 て今 後 は 同 方面 揚 げ は従 来 に比 し可 成 り減 少 を 来す も の
あ る を以 て北 戴 河、 留 守 營 附 近 荷 揚 げ 運搬 費 に 比す れば 二割 強割 高
し ぼ受 け て海 上 荷役 に危 険 多 く、 且 つ海 岸 よ り昌 黎 迄 約 二十 八 支 里
組 で は水 上 荷 役 の安 全 迅 速 を図 る べ く解 氷 を 待 つ て約 一 三〇 噸 積 ハ
と 予想 さ れ て ゐる が、 従 来 の例 に徴 せ ば 一日 二百 噸 程 度 の荷揚 げ は
こと にな らう と 思 は れ る。
シケ四 隻 ライ タ ー二隻 (何 れ も満 載 時 喫 水 三 呎) を 取寄 せ る計 画 を
可 能 な る見 込 であ る。
最 近 昌 黎管 轄 の指 定 運 搬 業 者 は元 満 洲 国官 吏 た りし 齋 蒋 某 に内 定
︹マ マ︺
有 し て ゐ る。 而 し て 一日 最 少 五 百 噸 、最 高 七 百 噸 の荷 揚 げ を 行 ふ 予定 な る が、
要 之 、 大 連 よ り の貨 物 運搬 船 が急 激 に増 加 し 、 且 つ大 型 化 す る傾
せ る や に聞 きた るも 明 確 に し得 ざ り き。
ひ は裸 人 足 を 使 用 し て陸 揚 げ を行 は ね ばな ら ぬ、斯 る不便 を免 か る
て は北 戴 河 、留 守 營 、 昌 黎 三査 験 分所 管 轄 内 に於 て 一日最 高 一千 噸、
向 にあ るも荷 役 竝陸 上運 搬 能 力 増 大 が之 に伴 はず 、 従 つて現 在 に於
これ亦 惟 ふに岸 よ り十 五間 乃 至 二十 間 は当 然 馬 車 を 乗 り 入 れ る か或
るた め長 さ 三四 十 間 の板 橋 を海 上 に架 設 す べ く 計 画 を樹 て当 局 の意
略 述 せ ん。
次 に北 戴河 、 留 守 營 両 管 轄 内 の指 定 運 搬 業 者旭 組 運輸 公司 に就 て
常 時 七 八 百 噸 の荷 揚 げ能 力 し かな き も のと 推 定 さ れ る。
向 を訊 し た るに 不許 可 とな つた趣 であ り、 今 後 尚 ほ斯 様 な る不 便 な 荷 役 を忍 ば ねば な ら ぬ状 勢 にあ り と 云 ふ。 次 に ︹駅 ︺ 迄 の陸 上 運搬 に就 て記 せ ば北 戴 河 駅 よ り河 東 海 岸 迄 こ の間 約 十 五支 里 、 留守 營 駅 よ り洋 河 口圍 裡東 方海 岸 ま で こ の間 約 十
を俟 つて大 連 より 一三〇 噸 積 ハシケ 四隻 、 ライ タ ー二隻 を 取寄 せ河
は総 て洋 河 口に移 し て 一日 五百 噸 乃至 七 百 噸 の荷 揚 を行 ふ予 定 であ
東 寨 及 洋河 口 の両 荷 揚 地 に配 置 し 、 四月 一日以後 河 東 寨 荷 揚 禁 止後
一、 旭 組 に就 て 旭 組 運 輸 公 司主 三宅 富 一氏 は 元上海 に居 住 、 輸出 入貿 易 を営 み居
ると。
た る由 な るが 旧臘 冀 東 防 共自 治 政 府組 織 さ れ密 輸 入品 に対 し中 国 海 関 と 別 個 の徴税 機 関 即 ち 冀東 沿 海 輸 入貨 物 査 験 処設 立 の議 成 り、 法
昨 秋 来 本年 一月 にか け て の密 輸 入 時代 は運 搬 用 発動 機 船 に比較 的
一、大 連 よ り天 津 日租 界 迄 運 賃 諸 掛 り
小 型 のも のを使 用 し た た め海 難 の危 険少 から ざ り しと 陸 上 運搬 の途
政大 学 出 身 の査 南 強 氏 其 の総 処 長 に就 任 す るや 、氏 と 旧知 の関 係 か
の運 搬 を 指 定請 負 ひ、 輸 入貨 物 の統 制 に従 事 す る こと と な つた も の
ら招 か れ て北 戴 河、 留守 營 両 駅 附 近 に於 け る輸 入貨 物 の荷役 竝 駅迄
次 支 那 側官 憲 に発 見 没 収 さ れ る憂 ひも多 く、 従 て これ等 の危 険 を考
を獲 て居 た た め途 中 運搬 業 者 の 口銭 に対 し ても言 ひ な り次 第 に支 払
慮 に 入 れ置 く 必要 あり 、 又 一方 に於 て密 輸 入 業 者 は相 当 巨 額 の利 益
で あ る。 而 し て現 在天 津 日租 界 淡路 街 二十 二 の 一に事 務所 を北 戴 河 駅 に運
つて来 た 関 係 上 こ の間 の諸 掛 り は相 当過 大 な るも のあ りし を 免 れ な
搬 部 を設 け て既 に店 員 四 名 (主 任 大 上省 逸 氏 ) を 常 置 し沿 岸 の解氷 を待 つ て居 り尚 そ れ迄 に は留 守 營 駅 に も同 様 運 輸 部 を 設置 す る予定
即 ち密 輸 入 時代 当 初 に於 ては大 連 よ り天 津 日租 界迄 の運 賃 諸 掛 り
か つた 。
は人 絹 百 封 度 に付 二十 五 元 内外 、 砂糖 一俵 に付 九 元内 外 (何 れ も 危
同 店 の仕 事 は 大連 より 貨物 を輸 送 し 河 東寨 或 ひ は洋 河 口附 近 に沖
で あ ると 云 ふ。
懸 り せ る発 動 機船 及汽 船 よ り、 政 府 指 定 の苦 力 、 ハシ ケを使 用 し て
考慮 に入 れ る必要 な き こと明 ら か と な り従 て密 輸 入業 者 増 加 し 、 運
険 率 を含 む) を要 し た る が其 後 運 搬 途 中 の危険 は海 難 を除 く外 殆 ど
搬 船 も大 型 化 し、 密 輸 入 的利 益 も減退 す る に至 つ て運搬 其 他 諸 掛 り
荷 役 し、 海 岸 に てイ ンボ イ スを受 取 り、所 定 の査 験 申 告書 に摘 要 記
書 を受 取 りた る後 更 に指 定 の荷 馬車 を 以 て北 戴 河 駅 若 く は留守 營 駅
一月下 旬 には人 絹 六 元内 外、 砂 糖 四 元内 外 に低 下 せ しむ るを 得 た る
に も手 心 が加 へら れ、人 絹 百封 度 七 元内 外 、 砂 糖 一俵 五 元内 外 か ら
載 の上査 験 分所 の検査 を求 め、 検 査 費 即 ち輸 入税 を 支払 ひ、 納 費 証
迄 の運搬 を行 ふ範 囲 に限 定 され居 れ り、 其 の間 頗 る煩 雑 な る手 数を
数 料 と し て砂糖 一俵 、 人 絹 一麻 袋 共 各 五仙、 其 他 も大 体 これ に準 じ
な り、 一方 大 連 に於 ても大 連 海 運 、渤 海 運 輸 其 他 一の三 つの発動 機
よ り ︹貨 ︺車 積 込 駅 迄 の運搬 を政 府 指 定 運輸 業 者 に行 は せ る こと に
今 回冀 東 政 府 に於 て沿 海 輸 入貨 物陸 揚 査 験 条 例 を設 け て海 上荷 役
模 様 な り。
要 す る も のの如 き も実 際 的 には旭 組 に て便宜 取 計 ふも のの如 し。
て徴 収す る こと に内 定 し た由 な る が取 扱貨 物 の水 濡 れ、 紛 失 、 破損
船組 合 組 織 され、 船 運 賃 も非 常 に低 減 さ る る に至 つた結 果 、 解 氷後
而 し て申 告 手 数 料と し てイ ンボイ ス 一枚 に付 銀 一元、 貨物 運 搬手
ことと な り 居 れ り 、前 述 の如 く海 上荷 役 の安 全 迅 速 を計 るた め 解氷
等 に対 し ては 不可 抗 力 によ らざ るも の の外 総 て旭 組 に て責 任 を負 ふ
の運搬 費 は人 絹 四 元 三〇 仙 余 、砂 糖 三元 一八仙 余 に軽 減 し これ に通
た る 外国 品 は 輸 入税 を納 入し た るも のと否 と に拘 らず 之 を正 式 輸
一、 且 つ又 一旦中 国 海 関 取締 区域 を 通 過 し て中 国領 土内 に輸 入 さ れ
と の意 向 を聞 く を得 た が軍 当局 に於 ても大 体同 様 の意見 にし て結 局
り 我 当局 の関 知 す る と ころ に非 らず
密 輸 入 の行 はる る は取 締 不徹 底 の中 国海 関 の負 ふべ き責 任 であ
と言 ふ にあ り 、密 輸 入問 題 に付 て は
める
き こと あ る場 合 は自 主 権 を発 動 し 、 飽迄 没 収 貨 物 の返 換 をな さ し
︹マ マ ︺
一、 尚 ほ冀東 政 府 が納 税 せ ざ るを理 由 と し て輸 入 品 を没 収 す るが如
る分 は何等 之 れ を妨 げず
一、 但 し 、輸 入業 者 が貨 物 運 搬 の迅 速 を計 るた め冀 東 政 府 と妥 協 す
て尚 更 冀東 政 府 の輸 入貨 物 に対す る課 税 を 認容 す る こと は出 来 ぬ
国 関税 自 主 承 認 の交 換 条 件 た る釐 金 税 撤 廃 の主 旨 と 違 反 す る を以
以 外 の税 金 を 賦 課徴 収 す る は 正し く 釐 金 の復 活 であ り 、 この点 中
入 さ れた るも のと 見 倣 す を 以 て斯 る商 品 に対 し 一地 方政 権 が関税
過 税 を加 算 し て人絹 二 四元 三〇 仙 、 砂 糖 七 元 一八 仙 見 当 と な る予 想
註 、 二 月 二十 八 日 報告 北 支 密 輸 入状 況 及 本 報告 第 三 表 参 照 ︹ 現存
であ る。
しな い︺ 尚 ほ又渤 海 の運 搬 発 動 機 船 の大 型 化 竝 に組 合 の結成 に よ つ て組 合 の責 任 を 以 て保険 業 者 に対 し運 搬 貨 物 の保険 が交 渉 せ ら れた が保険 業 者 側 で は百 円 に付 七 十銭 程度 な れば 之 に応ず べ き意 向 に あり と言 は れ、 組 合 側 で は 三○銭 を至 当 な りと し て更 に交渉 を進 め 居 る由 な るが 、 そ の成 行 には非 常 に注目 さ れ て居 る 。
る 我当 局 の態度 と其 の将来 性
一、冀 東 自 治 政 府通 過 税 実 施 に対す
今 回北 支 視 察 の主 眼 と せ るは 密 輸 入経 路 の調査 をな す と共 に冀 東
を実 施 す る に対 す る我 当局 の態 度打 診 竝其 の将来 性 に就 て各 方 面 の
冀東 政府 の購 入貨 物 に対 す る課税 は之 を 公 に承認 せざ るも実 際 的 に
防 共 自 治政 府 が通 過税 (現 地 に ては査 験 費 或 は輸 入税 と 称す ) 徴 収
観 測 を 聴 く こと が最 も 主 要任 務 な りし は茲 に言 ふ迄 も な い、以 下 各
は黙 認 の方 針 な るも のの如 く 察 知す るを 得 た り。
先 づ 冀東 を し て冀 察 に合 併 せし め海 関 を接 収 し て河 北 、 察 哈爾 の
当初 天 津 駐 屯 軍 当 局 に於 ては 五省 聯 盟 結 成 失 敗 の今 日 に於 て は
の意 向 と し て伝 へら るる と ころ に 依 れば
次 に冀 東 をし て斯 か る政 策 を採 ら しむ る に至 つた 事 情 竝 に軍 部 側
当 局 を訪 問 し、 或 は有 力邦 人 よ り聴 き得 た る観 測 に つき 記述 した い と 思 ふが 極秘 に亘 る部 分 も あり 外 間 に漏 れざ る様 こ の点 特 に念 の為 め附 記 し た い。
完 全 な る自 治 を 実 現 す る こと に努 力 す べ き で あ ると な し 、冀 東 の
冀 東 政 府 の通 過 税 に対す る天 津 総領 事 館 当 局 の意向 とし て述 べら れた る所 によ れば
通 過 税徴 収 の如 き は将 来 関 税 其 他 の収 入を 撹乱 す る こと な るを憂
慮 し、 斯 る政 策 に は反対 的 意 向 にあ つた やう で あ る、 然 乍 ら、 関
一、 我 国 は冀東 政 府 の独 立 を未 だ正式 承 認 せず
む る訳 にゆ か ぬ
一、 従 て中 国 の 一地方 政 権 が独 自 の輸 入税 を 制 定す る こと も之 を認
あ り て明 確 を 欠 いて居 るた め漸 次 対 冀 察態 度 を硬 化 し、 冀 察 を財
東軍 当局 に於 ては、 宋 哲 元 の態度 が尚 ほ 中央 に牽 制 され居 る嫌 ひ
の査南 強氏 を、 顧 問 には宮 田 天 童氏 を任 命 し た、 而 し て諸 般 の準
設 立準 備 に取 り か か り十 二月中 旬 には総 処長 に東 京 法 政大 学 出 身
を具陳 し 其 の承 認 の下 に愈 々徴 税 機 関 冀東 沿 海 輸 入貨 物 査 験 所 の
あ るが 、図 らず も 之 を公 表 実 施す る こと に非 常 な障 害 を来 した た
備 を終 了 し、 三 月 一日 よ り之 を 公表 実 施 す る段 取 りと な つた の で
政 的 に苦 し む ると同 時 に冀 東 を し て通 過 税 徴収 に よ る資 源 を以 て 懸案 の産 業 或 は社 会 方面 に対 す る諸 施 設 の完 備 を期 し、 模範 的 な
よ つ て 一ケ年 二千 万 元程 度 の収 入 を挙 ぐ べ く予 定 し 居 るやう であ
す る こと は確 定 的 と な つた 。而 し て冀 東 政府 に於 て は こ の方 法 に
め遂 に公表 す る こと を避 け た る も結 局 無 公 表 のま ま 内 々之 を実 施
楽 土 を建 設 せ し め 、斯 く し て将来 冀 察 を し て止 む な く冀 東 に合 流
然 し 、冀 東 政 府 が意 図 せ る如 く之 を公 表 実 施す る こと は 対外 的
る。
せし め ん とす る意 向 の下 に冀 東 の現政 策 を 承 認す る に至 つた。
影 響 至 大 な る も のあ る に鑑 み、之 を避 け て依 然冀 東 沿 岸 よ り の密
註 、 冀東 政府 に ては早 く も棉 花改 良 増 産 計 画 を 樹立 し、 通 州 には
然 し 昨年 十 一月 二十 四 日冀 東 区 二十 二県 の独 立宣 言 が 発 せら れ
勢 は宋 氏 をし て未 だ決 断 せし む る迄 に至 つ てゐな い、 内 々宋 氏 は
込 み が樹 たな い、要 は宋 哲 元 氏 の肚 一つに俟 つ外 な き も周 囲 の情
て居 る が海 関 接 収 は頗 る難事 にし て現在 で は平 和 的 接 収 は其 の見
其 の解 決 策 と し て天 津 海 関 の接 収 が 最 も妥 当 であ ると称 せら れ
加 し得 るか が当 面 の重 要 問 題 と な つ て居 る。
す る こと は殆 ど不 可 能 な る現 状 であ り 、如 何 にし て財 政 収 入 を増
巨額 を要 す るた め兎 角 不 如意 勝 ち にし て人 民 向 上 の諸 施 設 に着 手
冀 察 自 治 政府 一ケ 年 の収 入予 算 は約 六千 万 元 で あ る が軍 事 費 に
これ が冀 察 に及 ぼす 影 響 と し て は
註 、 冀 東 政府 収 入予 算 概算 は別 表 第 五表 参 照 ︹現存しない︺
冀 東 中 央銀 行 の設 立準 備 中 なり と伝 へら れた。
輸 入 と 見 る こと にな つた と 云 ふ。
せ るも のあ る を窺 ひ得 た り。
尚 ほ又 通 過税 の将 来 性 に就 て は各 方 面 の観 測 は大 体 次 の如 く 一致
本 問 題 の発 生 は財 政 問 題 に端 を 発 し 、更 に冀 東 、冀 察 両 自 治政 権 の合 流 を促 進 実 現 せし む る の企 図 に出 でた るも のな る こと は疑 ひな き と ころ で あ り、 従 て冀 東 冀 察 の合 併 に よ つ て本 問 題 は 一応 解決 す べき も のと思 惟 す 。 即 ち冀 東 政 府財 政 関係 に就 て は、 現 在 冀東 防 共 自 治政 府 の 一ケ 年財 政 収 入 予 算約 一千 五百 万 元 と推 定 せ ら れ居 る が軍事 費 を要 せ
て以後 区内 の農 業開 発 、 社会 的施 設 竝 金融 統 制 等 の諸案 件 が重 要
中 央 に対 し海 関 接収 の交 換 条 件 と し て復 興 公債 三億 四千 万 元 の内
ざ る冀 東 政 府 の行政 費 と し ては殆 ど これ で充 分 と 見 受 け ら れ る。
が研 究 せ ら れた 結 果 、当 時 最 も 旺 盛 を極 め 居 り た る密 輸 入品 に対
問 題 と し て考 究 せら るる に至 り 、 必然 的 に これ等 の資金 調 達 方 法
然 し中 央 が これ に 承諾 を与 へる こと は期 待 出 来 な いか ら結 局 は
五千 万 元 を冀 察 に提 供 せ よと 談 じ 込 ん で ゐ るやう でも あ る。 ︹マ マ︺
し低 率 の課税 を なし 、 これを 以 てそ れ等 の資 金 に充 当 す る こと が 最 も 名 案 と せ ら れた 、 さ れば 冀東 政 府 では 直 に○ ○ ○ に其 の意 見
天津 海 関 の強 制 接収 をな す 外 は あ るま いと思 は れる。
︹マ マ ︺
こ の間 天 津 市場 に於け る前 記商 品 の正 当 取 引 は殆 ど中 絶 し、 殊 に
く 種 々密 輸 に対 す る 考究 す るに 至 つた の であ る 。
然 る に最 近 冀東 政府 の通 過税 実 施 によ つて冀 東 、 冀 察 両自 治政 府
砂 糖 取引 の如 き は最 も甚 大 な る打 撃 を蒙 り、銀 行 方 面 でも輸 入 ビ ル
斯 る場 合 冀 東 にて低 率 輸 入税 を設 け て居 れば 天 津海 関 収 入に多
の合 併機 運 を促 進 せ し む る に至 れ りと の観 測 竝 に天 津 駐 屯軍 拡 充 を
激 減 し て片 為 替 に可成 り悩 みた る模様 な り。
尚 ほ 又既 に十 二月 以 降 の冀 察 政 府 収 入 は冀 東 よ り の密 輸 入 によ
機 に愈 々両 者 合流 が実 現 し 、海 関 を接 収 し て名 実 共 に完 全 な る自 治
こと に な る の では あ るま いか。
つて、 塩 税 、 統 税 と も に非 常 に減 少 の傾 向 を示 す に至 つた た め こ
大 の脅 威 を与 へる こと にな る ので こ の点 か ら両 者 の合 流 を早 め る
の点 か ら見 ても 冀察 、 冀 東 合 流 は益 々早 め ら れ、 遅 く も 六月 頃迄
形 体 を備 ふ る に至 る も のと の観 測 が実 力 化 し、 前 記 の如 き特 殊 輸 入
八
七
六
月
月
月
月
月
七、〇〇〇
六、〇〇〇
四、八〇〇
三、六〇〇
三、〇〇〇
密輸 入推定量 二百封度入箱
九七、〇〇
一〇八、〇〇
二 四、五〇
八四、二五
九六、七五
一〇八、二五
一三〇、〇〇
平均市価 百封度
二〇五、〇〇
二一八、〇〇
二二〇、〇〇
一六七、五〇
一六一、九〇
一五八、一〇
一六一、一〇
正式輸入 採算値
一 〇八、〇〇
二〇、〇〇
一 〇六、五〇
八三、二五
六五、一五
四九、八五
三一、一〇
不出合 の 差
天津搬 入人絹糸事情 一覧表
竝 市価 は左 の如 し。
註 、 天津 某 洋 行 調 査 に係 る昨 年 六月 以 降 の人絹 糸 密 輸 入推 定 数量
気 分 を醸 し出 す に至 つた こと は 特 に重視 す る要 があ ら う。
品 に悩 む 時 期 も非 常 に短 縮 され た と いふ見 解 の下 に、 可 成 り楽 観 的
には実 現す る ので は な いか と 思 は れ る。 斯 く なれ ば 当 然海 関 の接 収 も実 現す るで あ らう し 、更 に 又進 ん で は 中国 現 行 高 率関 税 も北 支 独自 の見 解 によ つて是 正 せ ら れ る に 至 る であら う。
一、 天 津 商 工 業者 に及 ぼ せ る影 響
と頗 る楽 観 的 な 観 測 が下 さ れ てゐ る。
九
六、〇〇〇
昨 年 春 か ら秋 にか け て銀 携 帯 密 輸 出 の返 り荷 と し て始 ま れる満 洲
方 の消費 量少 く人 絹糸 取 引 の中 心市 場 に非 ら ざ り し ため本 品密 輸 入
十
七、〇〇〇
密 輸 商 品 も 人絹 糸 、 砂糖 、絹 布 、 綿 布 、 ゴ ム靴 、自 転 車 タイ ヤ ー、
然 るに十 一月 以 降海 路 冀 東 区 沿岸 揚 げ密 輸 入 品 が激 増 し て以来 、
た る為 め 一般 的 影 響 は 極 め て微 弱 な り き、 殊 に人絹 糸 の如 き は同 地
国 経 由北 寧 鉄 路 によ る密 輸 入時 代 は商 品 が人 絹 糸 又 は綿 布 に限 ら れ
増 加 し ても殆 ど 痛 痒 を感 ぜざ りし模 様 で あ る。
十 一月
昨年十 二月中旬冀東防共自治政府 は冀東沿海 より行 はるる密 輸入
一、冀東沿海輸入貨物査験所
十 三月
海 産 物等 可成 り多 種 多 様 に亘 り、 其 の総 価 格 一ケ 月 三 百 万元 を 下 ら ず と 見 ら れ、 これ 等 の密 輸 入 が将来 益 々増 加 の傾 向 を示 す に至 つた た め 、 一般 商 工業 者 も漸 く狼 狽 し 始 め た、 其 の結果 、 天 津 商 工会 議 所 よ り も官 憲 当 局 に対 し密 輪 取 締 り の請 願 書 を提 出す ると 云 ふが如
こと にな り 、査 南 強 氏 を総 処長 に任命 し 、 宮 田 天童 氏 を顧 問 とし て
品 に対 し 通 過税 (冀 東 で は査 験 費若 く は輸 入税 と称 す) を徴 収 す る
本 側 当局 の協 力 を 俟 つ外 対策 の施 し や う な き現 状 な れ ば結 局 冀東 よ
対 策 樹立 に腐 心 し つ つあ る が冀 察 政 府 に於 て は何 分 周 囲 の情 勢 が 日
を等 し く多 大 に痛 感 し居 れ る天 津 海 関 当 局及 冀 察 政 府 に於 ては之 が
念 を 一掃 す る た め細 分 割 し て納 税 証 を 下附 す る こと は 手数 煩 雑 を極
引 をも 阻 止 す る結 果 を来 し は し な いか とも 懸 念 せ ら れ、 尚 ほ斯 る懸
後 小 口販 売 さ れ た るも のが南 送 さ れた 場 合 を 考 慮 す れ ば 一般 正 常 取
然 し な が ら納 税 証 に よ る取締 り は大 口 の場 合 は宜 し きも 一旦 輸 入
考 究 し つ つあ る由 なり 。
積 込 駅 の保 安隊 を 充実 し 、 駅員 を協 力 せし め て監視 せ しめ る こと を
しき も のは之 を抑 留 す べ く天 津 総 站 其 他 冀 察 政 府取 締 可 能 範 囲 の各
き も のは鉄 路 南 送 の場 合 積 込 駅 にて没 収 す る、或 ひ は 又密 輸 入 と覚
其 の方 法 と し て正 当輸 入品 に対 し 関 税 納税 証 を下 附 し 、 納 税 証 な
の協 力 を求 め つ つ あり。
す る こと に努 力 し 斯 く し て密 輸 入 の増 加 を 極 力抑 圧 す べく 冀 察 政府
は 現 在何 等 対策 な きも のと自 覚 し、 冀 察 より 密 輸 入品 の南 下 を防 止
一方海 関 当 局 に於 ても冀 東 よ り冀 察 に密 輸 入 さ れ る も の に対 し て
り の密輸 入 を阻 止 し 得 る力 な き も のと推 測 さ れ る 。
設 立 準 備 を な せ り。 而 し て唐 山 に総 所 が置 か れ 二月 十 五 日 に は北 戴 河 に査 験分 所 が開 設 さ れ北 戴 河分 所 に は主 任 、 朱非 白 氏 、顧 問 青 柳 俊 介 氏 其 他 二名 の 所 員 及検 査 員 数 名 を 配置 せ り。 査 験 分 所 は北 戴 河 の外 昌 黎 、 留 守 營 にも置 か る る が両 所 は 解氷 期 迄 に 設置 さ る る予 定 であ り、 尚 ほ来 る五 月 一日 よ り満 洲 国 間 と の貨 車 通 車 実 現 を見 越 し て山海 關 及 秦 皇 島 に査 験 分 遣所 を設 置 す る筈 で あ る。 一、 冀 東 沿 海 輸 入貨 物 登 陸 査 験 暫 行 規 則 ︹ママ︺
別 紙第 二 ︹ 現存 せず︺ に示 す如 く稍 煩 雑 た るを 免 れ な いが 実 際 的 に は指 定 運搬 業 者 に よ って適 宜 便誼 の処 置 を 取 り傍 ら脱 税 を防 ぐ べ く 統 制 を採 ら し む るも の の如 し。
別表第四表 ︹ 現存 せず︺ に示 す如 く特 別 税 率 と 一般 税 率 に 分 類 せ
一、 通 過 税 率 (査 験 費 又 は輸 入 税 率 )
ら れ、 一般 税 率 は中 国 現 行 関 税 率 の四分 の 一を正税 と し そ れ にそ の
め 、技 術 的 に不 可能 で あ らう 。
一、 濟 南 市 場 の動 向
阻 止 は実 際 問 題 と し て頗 る至難 かと 観 測 さ れ居 れ り。
右 の如 き事 情 にあ る た め結 局 海 関 当 局 の意 図 す る密 輸 入品 の南 下
疑 問 と せ ねば な ら ぬ。
の任 に当 る保 安 隊 な り 、 駅員 な りが果 し て これ を鑑 別 し 得 る か否 か
更 に 又納 税 証 の偽 造 も 現 は れ る こと を 一度 念 頭 に置 く場 合 取 締 り
一割 を附 加 税 と し た るも のな るが金 単 位 は 一率 に 二元 二〇 仙 の率 を 以 て換算 せら れ税 率 表 は重 量 は斤 又 は 百斤 、 長 さ は主 と し て碼 に換 算 し て記 載 さ れ居 れ り。 尚 ほ 日本 品 に非 らざ る外 国 品 に対 す る通 過 税 は現 行 中国 関 税 率 の 八割 を徴 収 す る こと にな つて ゐ る。 一、 海 関 及 冀 察 政 府 の密輸 入品 南 下 阻 止 当 面 の対策 ︹ 滔々︺ 冀 東 区 より 濤 々と し て 入荷 され る密 輸 入品 のた め税 収激 減 の脅 威
北 支 に於 け る密 輸 入 が半 正 式 化 せ ら れ左 に就 て の濟 南 商 人 の意 向 は 密 輸 入 にし ても 危 険 な くし て安 価 商 品 の取 引 可 能 と な る は歓 迎 す べ き であ る。
乍 然 、今 回冀 東 政 府 に 於 ては冀 東 沿 岸 よ り の密 輸 入品 に対 し 現 行
響 は極 め て軽 微 であ った と解 せ ら れ る。
中 国 関 税率 の 四分 の 一以 下 の低率 な る課 税 をな し、 以 て之 を正 常 輸
入 品 と し て冀 東 沿 岸 よ り の輸 入増 加 を歓 迎 す る の策 に出 で た。 尚 ほ
のみ な らず 、 一般 的商 品 に亘 つて激 増 す るも のと思 量 せら れ る ので
の現 状 な るた め 冀 東 よ り天 津 市 場 に搬 入 さ れ る密 輸 品 は人 絹 、砂 糖
又冀 東 よ り冀 察 に これ 等冀 東 輸 入商 品 を搬 出 す る場 合 殆 ど無 取 締 り
然 し現 在 濟 南 商人 の懸 念 し つ つあ る所 は冀 東 区 を 経 由 す る密 輸 入
あ る。
と 云 ふ にあ り 、 邦商 側 大多 数 も斯 る意 向 な る や に感 得 せら れ た。
品 が山 東 省 に搬 入 せ ら れ る場 合 省 政 府 に て何 等 か の対 策 が講 ぜ ら れ
其 の半 面 従 来 の密 輸 入 で は天 津 市 価 に密 輸採 算 を置 き て結構 利 益
はし な いか、 例 へば関 税 納 税 証 のな き も のを差 押 へ或 ひ は没収 す る
を挙 げ得 た の であ るが 同方 面 の密 輸 入 が正常 化 せ ら れた 結 果 、 天津
市価 に ては密 輸 的 利 益 を挙 げ る こと が至 難 と な り 、従 て更 に中 支 に
こ れ に関 し て濟 南 総 領 事 館 で は
と言 ふ が如 き がそ れ であ る。
省 政 府 が 邦 人 所有 物 件 を濫 り に差押 へ、没 収 す る が如 き こと あ
向 つて密 輸 出 を企 図 す る も の簇 出 す る に至 る は これ亦 想 像 に難 く な いで あ らう 。
る場 合 は自 衛 権 を 発動 し 、差 押 物 件 の返 還 又 は弁 済 を な さし め る 。 と の意 向 を有 し て居 り 、従 来 に於 ても昨 年 七月 以降 濟 南 駅 荷 卸 し の
例 へて言 ふな ら ば 、従 来 対 北 支 密 輸 出 の根 拠 を なし た る大 連 自 由
吾 人 とし て は正 常 な る取 引 を擁 護 す るた め に斯 く の如 き 密 輸 入品
港 が 天津 に移 動 し 来 れる も のと極 言 し 得 る ので あ る。
( 価 格 約 五千 元 ) は 総領事 館 の交 渉 によ り 返還 せ ら れ、 其 他 五件 の
の侵 入 を飽 迄 も 阻 止 せね ば な ら ぬ の であ るが、 これ に対 す る海 関 当
の人 絹 二件 (価 格 約 三 万 七千 六百 余 元 )、 ﹁ラ イ ス ペ ー パ ー﹂ 三 件
際 邦 人関 係 貨 物 が 密 輸 入品 の疑 ひ を以 て省 政府 に差 押 へら れ た るも
関係 す る限 り省 政 府 取締 り は不 可 能 か と 思惟 せら れ る次 第 で あ る 、
差 押 事 件 も 省 政 府及 邦 人 民 間 と の内 交 渉 で解決 した 例 あ り て邦 人 の
局 竝 に 地方 政 権 の取 締 り は多 く は期 待 し 得 ざ る実 情 に あ り、斯 く し ︹ 傍︺ て吾 人 の開 拓 せ る山東 市 場 は今 や濤 々た る密 輸 入品 の侵 略 を 拱 手 望
従 て濟 南 邦 商 の中 に は既 に冀 東 区 経 由商 品 の大 々的 取 引 を なす べ く
る、如 何 にし て斯 る窮境 を打 開す べ き か、 吾 人 当 面 の最 重 大 問 題 と
観放 置 す る 外 なき 頗 る寒 心 に耐 へな い情 勢 を迎 ふる に至 つた の であ
変遷 に俟 つ外 策 な き 現 状 で あ る 、只 、 時 局 の動 き を細 か に眺 む る時
為 す 所 な る が、 如 上 述 べ来 つた諸 情 勢 よ り 思 ふに解 決 は 一に時 局 の
一、 青島 の蒙 る影 響
具 体的 方 法 に就 て研 究 し つ つあ るも の多 き模 様 で あ る。
山 東 省 沿 岸 より の密 輸 入 は昨 春 来 殆 ど 其 の称 す べき も のな く 、更
其 の機 の到 る の遠 から ざ るを覚 え、 些 か 慰 め に足 るも の あ る が、 同
に北 支 よ り の密 輸 入 品搬 入も 是 迄 は 殆 ど 人 絹 、砂 糖 、 ﹁ライ ス、 ペ ーパ ー﹂ の類 に限 ら れ居 た る観 あり 。従 て これ等 を除 く 外 一般 的 影
︹マ マ︺
時 に吾等 在留 民 は 一致 団 結 し て斯 る機 運 の到 るを促 進 す べ く協 力 励 進 す る こと の 必要 を感 ず る次 第 で あ る。
三四
北 支 特 殊 貿 易 の現 状 ( 訂正稿)
(昭 和 十 一年 五 月十 二 日
曾 禰 ︹益 ︺)
如 く 四月 に入 り てよ り大 連 方 面 に於 て輸 出 手控 の模 様 な り 、之 が原
因 は 不 正規 貿 易 品 を 平 津 地方 よ り南 送 す る こと に対 し 海 関 側 が 鉄 道
言
今 般 の北 支 視察 に当 り冀 東 政 府 の特殊 貿 易 に関 し 実 地 見 聞 を試 み
り て海 岸 より 北 寧 鉄 道 駅迄 の輸 送 が困 難 と な り た る こと 等 に在 る や
序
た る が時 日 の余裕 な か りし 為 山海 關 、昌 黎 に於 け る領事 館 側 よ り の ︹ 義晴︺ 説 明 、 昌 黎 に於 け る視 察 、 天 津 に於 け る竹 下 特 務 機 関 長 と の会 談 、
に見 受 けら る
如 き遣 方 は慎 し み居 る如 く 輸 入貨 物 査験 分 所 は秦 皇 島 に設 けず 留 守
一般 に冀 東 政 府 側 と し ても 海 関 の存在 を 正面 よ り無 視 し て掛 か る
(北 寧 を除 く) と連 絡 し て相 当 の障 碍 を 設 け た る こと 、 解 氷 期 に入
濟 南 及 周 村 に於 け る見 聞 の範 囲 を出 でず 特 に残 念 な るは大 連 を訪 問
北支 視 察 に先 ん じ軍 側 に対 す る説 明 の資 料 と し て三 月 四 日附 を 以
の避 暑 客 多 く 余 り 外 聞良 う し から ざ るべ き を以 て留 守 營 、 昌 黎 地 方
營 、 北 戴 河 、 昌 黎 に於 て陸 揚 せし む る こと と し北 戴 河 は 夏 期 外 国 人
し 得 ざ り し ことな り
て ﹁ 北 支 に於 け る不 正 規 貿易 就 中 冀 東 政 府 の輸 入 貨 物 に 対 す る特 殊
此 等 の貨 物 は 一旦停 車 場 前 の倉 庫 に収 容 せ ら れ (邦 人 の倉庫 相当
況な りし 由 な り
のな る が三 月 の最 盛 期 に於 て は連 日 且終 日大 八車 の往来 絶 え ざ る景
昌 黎 に於 け る海 岸 船 着 場 よ り停 車 場迄 の輸 送 は大 八 車 に て行 ふも
困 難 な る欠 点 あ り)
黎 は海 岸 遠 く︱ 二十 八 支 里︱ 夏 期 道 路 は泥 濘 と化 し停 車 場 迄 の輸 送
を主 な る陸 揚 地 と なす 方針 な るや に聞 及 べ り、 ( 但し前記 の如 く 昌
徴 税 に 関 す る意 見 ﹂ な る未 定 稿 を起 草 し単 純 な る密 輸 礼 讃 論 を駁 し 且 条約 関 係 を説 明 し 、 併 せ て英 国 側 が我 方 に抗議 的 申 入 を為 し 来 る べ き こと を警 告 し置 き た る が今 次 視 察 の機 に於 て 充分 右 の趣 旨 を 出 先 軍 側 に説 明 す る の暇 な か り し は遺 憾 なり 本 稿 に於 て は主 と し て現 地視 察 の要 点 を 記 す る と共 に結 言 に於 て
一、 山 海 關 昌 黎 方面 の情 況
聊 か対 策 にも触 れ む と欲 す
昌 黎 、秦 皇 島 、北 戴 河方 面 の密 輸 情 況 は 三 月 に於 て最 も 旺 な り し
は本 件 貨 物 の輸送 に関 し 平 漢 、 津 浦 鉄 道 の如 く南 京側 の命 令 に服 し
数 あ り) 大 部 分 は北 寧 鉄 道 に依 り 平 津 地方 に輸 送 せら る、北 寧 鉄道
む と す るは従 属 的 目的 にし て両者 の関 係 に付 て は充 分 明 確 な る見 透
て は冀 東 財 政援 助 が 主 な る目 的 にし て南 京政 府 の高 関 税 引 下 に資 せ
種 々説 明 せ ら れ た る が要 す る に本 官 の見 る所 に依 れば 竹 下大 佐 と し
策 し 居 り領 事 館 側 と し て は民 会 側 を ﹁モ ヒ﹂ 屋 商 売 よ りも少 く と も
の利 権 を与 へた る趣 な る処 昌 黎在 留 邦 人 民 会 側 は之 に反 対 し割 込 を
一ケ月三十万 乃至 五十万元は確 実と思 はる (右数字 に付ては何等根
み にて三百万 元に達 せり四月に入りて減少 の傾向を示し居 るも今後
官 は 元来 一ケ年 百 万 元 位 の予 定 に て始 め た るも 三月 の成績 は 同 月 の
依 て本 官 は特 殊 貿 易 に対 す る徴税 の収 入 に付 説 明 を求 め た る処 同
し を な し居 ら ざ る模 様 な り き
上 等 な る本 件 輸 送 業 に転 向 せし め度 意 嚮 の下 に両 者 間 に側 面 よ り斡
拠を示さず) る旨を述べられたり
陸 揚 場 より 停車 場 迄 の輸 送 に付 ては 冀 東 政府 側 は旭 組 に 一手 引受
居らず
旋 し居 れり、 唯 領 事 館 側 と し ては本 件 に関 し 支 那 側 と 話 合 ふ こと竝
べし と 述 べ 置 け り)
は差 支 な く 又営 業 許 可 の方 は単 な る運送 業 許 可 とし て やれ ば可 な る
り (依 て本 官 よ り支 那 側 と 正 式 取 極 む る こと は別 と し 側 面 よ り援 助
な るべ し (現在 旭 組 は査 験 料 を 立替 居 れ り) と て躊 躇 し居 る模 様 な
べたるを以 て本官は前 記調書私見 を基礎 とし て単純 なる密輸 奨励論
は当然なりとの口吻 を洩 せり (右 は竹下大佐及関東軍 の考としては ︹ 義秀︺ 当然なるべきも之 に対し列席 の天津軍林参謀も別段反対 せざりき) ︹ 新七郎︺ 尚列席 の天津軍林参謀 及同軍経済顧問吉 田博士 は密輸礼讃論を述
分な る分前 に与り居 る次第 なれば関税方面 に於 て冀東が利益を得 る
考 へらるるや訊した る処 同官 は冀察側 は鉄道益金、塩税等 に関 し充
次 で本官 より冀東 の特殊貿易 に対す る冀察側 の不満 に対し如何 に
︹マ マ ︺
邦 人 側 に対 し営 業 許 可 を与 ふる こと は何 れも 条 約 上 の建 前 よ り 困難
天 津 に於 て竹 下 大 佐 と 面 談 の機 を得 た る を以 て本 官 よ り 先 づ 三月
二、竹 下 山海 關 特 務 機 関 長 と の会 談 要領
四日 稿 ﹁ 北 支 に於 け る不 正 規 貿 易就 中冀 東 政 府 の輸 入 貨物 に 対す る
に賛成 し難 き所以を敷衍説明し置 けり
体、其 の帰趨等 に付未 だ以 て充分なる認識 なき様見受 られ外務側と
要するに竹下機関長及天津軍参謀部 に於ても北支不正規貿易 の実
特 殊 徴 税 に関 す る意 見 ﹂ の結 論 の趣 旨 を述 べた る 上同 官 に対 し如 何
し て説明連 絡 の余 地多 きを感ぜり
な る動 機 及 目 的 を以 て冀 東 特 殊 貿 易 を指 導 し居 ら るる や、 殊 に冀 東
く右 両 目的 を有 す るも のと思 は る るも 両者 は或 る程 度 迄 は併 行 し て
政 府 財 政 改 善 が 主 な るか将 又南 京 政 府 の高 関税 是 正 が主 な るか 恐 ら
三、冀東特殊貿易 の山東方面 に対する影 響
に対し報告提出方勧 め置け るが (濟南来電 第 六 八 号 ︹不詳︺参照)
濟南青島 及膠濟鉄道沿線 に於け る影 響 に付 ては先 づ在濟南領事館
充足 し得 べき も何 処 迄 も矛 盾 な く 進 め得 る も の と は思 は れず 、両 者
要す るに津浦線 に依り濟南方面 に流 れ出づる特殊貿易品 は相当量多
が乖 離 す る場 合 あ る を御 承 知 な り や 、将 又冀 東 を足 場 と し て全 支 に
の制 限 あ るを 承 知 し居 ら る るや と 訊 問 し た る 処竹 下 大 佐 は之 に対 し
不 正規 輸 入品 を氾 濫 せ し めむ と の考 は 幼稚 に し て右 に対 し ては各 種
く 而 も韓 復榘 は領 事 館 側 の態 度 に も鑑 み徴 税 、押 収 等 を 手控 へ居 る
(二百 封 度 に付 二十 元 乃至 三十 五 元) は 到底 正規 輸 入税 と 不 正規 輸
費 ) 等 の名 義 を以 て不 正規 輸 入人 絹 糸 に対 し 徴 税 し 居 る も 右 税 額
斯 くし て周 村 に於 け る不 正規 輸 入 人絹 糸 を原 料 とす る絹 織 物 工業
支 那 官 憲 及 周 村 織 布 業 者 の三 方 が利 益 を 獲 得 し得 る訳 な り
程 度 ) を ﹁カヴ ァー﹂せ ざ る を以 て茲 に不 正規 輸 入品 取 扱 人 (邦 人 )
入税 に周 村 迄 の輸 送 費 を加 へた るも のと の差額 (百封 度 に付 八 十 元
結 果 此等 貨 物 は濟 南 、 青 島 市 場 を 攪 乱 し同 地方 の正 規 貿易 商 、 其 の
青 島 方 面 の本 邦 商 社 側 よ り 屡次 密 輸 取 締 方 に付 領 事 館 側 に陳 情 し
他 関 係 商 民 を 困却 せ し め居 る模 様 な り
来 るは尤 も の次 第 な る が二 三 の代 表 者 と の会 談 の結 果本 官 の得 た る
は 目下 殷 盛 を 極 め居 り 既 に自 動 織 機 三十台 を有 す る新 式 工場 の設 立
印 象 に依 れ ば彼 等 は若 し 冀 東 方 面 の不 正規 貿 易 品 が南流 す る こと に 対 し 有 効 な る阻 止方 法 を講 じ 得 ら れ ざ る に於 て は寧 ろ 山東 青島 に於
を見 た る が本 邦 人 側 に於 て も周 村 に新 式 工場 設 置 方 計 画 中 のも のあ ︹ 千嘉太︺ る由 に て (張 店 池 田 出 張所 主 任談 ) 領 事 館 側 に於 ても同 地邦 人 側 指
度 意 向 の由 な り
て直 接 冀 東 並 の低 率税 金 を以 て貨 物 の輸 入 を為 し 得 る様 劃 策 し度 と の意 向 の如 く見 受 け ら れ た り ︹ 長康︺ 右 の状 態 な るを 以 て四 月下 旬 韓 復榘 よ り西 田総 領 事 に対 し 山 東 に ︹ 度︺ 於 ても冀 東 を真 似 た る不 正規 貿 易 を実 行 し 為 し と て相 談 を持 掛 け 来
四 、 在 華紡 績 其 の他 支 那 に於 け る製 造 工業 と 不 正規 貿 易 と の関 係
パ ー﹂ 等 な る今 日 に於 ては在 華 紡 績 は勿 論 支 那 に於け る 日本 側 製 造
不 正規 貿 易 の主 な る取 扱品 が砂 糖 、 人 絹 糸 、 海 産物 ﹁ライ スペ ー
導 (大 部 分 は ﹁モヒ﹂ 屋 な り) の見 地よ り 右計 画 に対 し 援 助 を 与 へ
れる は 蓋 し偶 然 に非 ず ( 本 件 対策 に付 て は後 述す べし )
業 は 直 接 の打 撃 を蒙 ら ざ るも ( 目 下 の所 は邦品 輸 入業 者 が最 も打 撃
韓 の考 案 は要 す る に 一方 徳 州 、 濟 南等 に於 て津 浦 線 経 由 南 下 の貨 物 に 対 し 正規 関 税 と の差額 を徴 収 す る こと に依 り貨 物 の南 流 を防 ぐ
支那 に於 て製 造 す るも のに対 し痛 撃 を加 ふ る こと と な る は明 かな る
を蒙 り つ つあ り) 元来 北 支 不 正規 貿 易 の発 展 は 必 然的 に当 該 品 目 を
処在 華紡 績 同業 会 平 岡 理事 は 夙 に此 の点 に着 眼 し北 支 不 正規 貿 易 が
と 共 に他 方 山 東 省 内 の適 当 な る地 点 (下 窪 、利 津 ) に於 て直接 不 正
山東 に於 け る冀東 特殊 貿 易 の影 響 に関 聯 し相 当 興 味 あ る問 題 は周
綿 糸 布 に進 展 し来 る に於 ては在 華 紡 とし て は死命 を制 せ ら る る こと
規 輸 入 を為 さむ と す るに在 る な り
村 に於 け る不 正 規 輸 入 人絹 糸 と絹 糸 と の交 織 工業 の殷 盛 な る こと な
右 は在華 紡 の問 題 た る に止 ま らず 人 絹 に付 ても 其 の他 の製 造 工業
な る べき趣 今 般 北 支 駐 屯 軍 方 面 に陳 請 し来 れ る由 な り
り (濟 南 来 電 第 六 八 号 ︹不詳 ︺末 段 参 照 ) 周 村 は言 ふ迄 も な く支 那 有 数 の絹 織 物 工業 (手 織 機 械 に依 る家 内
に付 ても北 支 不正 規 貿 易 が続 行 せ ら る る限 り当該 生産 品 を支 那 に於
工業 ) 都市 な る が不 正 規 輸 入 人絹 糸 に し て濟 南 方 面 に移 送 さ る るも のは 周 村 に於 て絹 糸 と 交 織 り の絹 布 と変 形 せら れ爾 後 は南 京 側 の追
技 術 に依 る工業 の勃 興 の如 き は 想像 し得 ざ る次 第 な り
て製 造 す る こと は思 ひも 寄 ら ざ る所 にし て北 支 に於 け る 我 が資 本 及 而 し て周 村 に於 て は韓復榘 配下 の軍 隊 は支 那 人 よ り営 業 税 (稽 査
及 を惧 るる要 な き国 産 品 と し て各 地 に販 布 せら る るな り
次第 にし て軍 側 は不 正 規 貿 易 を奨 励す る 一方 北 支 経 済 開発 の 一端 と
天津 軍 側 に於 て は果 し て右 の点 に思 ひ を致 し 居 るや 明 か な らざ る
に代 は る税 金 の如 き は其 の幾 分 か を 地方 に分 譲 し て可然 き に非 ざ る
因 は南 京 政 府 の地方 政 権 に対 す る搾 取 政 策 に存 す 、統 税 の如 き釐 金
一地方 政 権 を 使嗾 せ る結 果 と し て発生 せ るも の に非 ず 其 の根 本 的 原
然 ら ば対 策 は如 何 と 言 ふ に対 策 に付 ては稿 を 更 め て攻 究 し 度 所存
る こと は 既述 の通 な り
の関 係 等 に関す る天 津 軍 方 面 の認識 不徹 底 な る こと を憂 ふ るも のな
に非 ず 又北 支 特 殊 貿 易 の目 的 其 の限界 将 来 及 支 那 に於 け る商 工業 と
斯 く言 へぼと て余 は決 し て無 制 限 な る密 輸 礼 讃 論 に 賛同 す るも の
か
し て製 造 工業 の促 進 を 策 し 居 る模 様 な るも 両 者 の関 聯 に付 て は考 慮
語
し居 ら ざ る の嫌 あ るは 遺 憾 な り (北 支 に人 絹 工場 を 設 立す る計 画等 参照) 結 北 支 不 正規 貿 易 は内 地 製 造 工業 方面 及 支 那 に於 て射 倖的 商 売 を常 業 とす る邦 人 よ り の絶 賛 に 浴し 密 輸 国 策 論 者 より も奨 励 を与 へら れ つ つあ るも 他 面 支 那 に於 け る邦 人 関 係 既 存 商 工業 に対 し大 な る破 壊
を肯 ぜざ る限 り 南 京 側 を し て反 省 せし む る天 の配剤 とし て暫 く 放 任
府 の高 率 関 税 の続 く 限 り 且南 京 側 が北 支 民衆 及政 権 に対 し 財 政 援助
来 る場合 に於 て は我 も 亦無 制 限 に北 支 に低 率輸 入税 を施 行 せざ る様
あ る こと を示 唆 す る等 の工作 を進 め置 き 南 京側 が我 方 の要 求 に副 ひ
要 を説 明 し且 地 方 政 権 に対 す る中 央 の搾 取 匡 正 に は関 税 以 外 にも 途
ると 共 に他面 軍 側 及 関 係 各 方面 に対 し我 が在 支商 工業 保 護 進 展 の必
な る が茲 に概 説 せば 一面南 京 政 府 に対 し て引続 き税 率 引 下 方 要 求す
す る こと差 支 な か るべ し 、 其 の間 不正 規 貿 易 地 区 (現 在 に於 ては 冀
と 必 要 と認 めら る而 し て南 京 側 が容 易 に我 方 の要 求 に応 じ来 ら ざ る
我 方 とし ても 北 支 に於 け る 不 正規 貿 易 を ﹁コ ント ロ ール﹂ し得 る こ
純 然 た る密 輸 た ると 冀東 政府 流 の特 殊 貿 易 た ると を問 はず 南 京 政
力 を 振 ひ つ つあ る は喋 々の要 な か る べ し
東 区) に近 接 す る地 方 (河北 、 山 東 ) の我 が商 工業 者 が損 失 を 蒙 る
場 合 に於 て は我 が山東 商 工業 者 の立 場 を も充 分 考 慮 の上 は韓 復榘 を
こと は或 程 度 迄 止 む を得 ざ る べ きも 之 が 救済 方法 と し ては 南 京 側 に 対 し て税 率 引 下 を求 む る こと可 然 は勿論 な る と共 に仮 り に放 任 し置
を冀 察 側 に引 き寄 す る 一方 法 と し て政 治 的 にも 相 当妙 味 あ りと 思 惟
し て山東 に特 殊 貿 易 を実 行 せし む る こと何 等 差 支 な き のみ な らず 韓
くと も 自 ら 途 が 開 か る るも のと 認 め ら る、 既 に韓 復榘 が山東 に於 て ︹ 般︺ 不 正規 貿易 を実 施 せむ と の考 を抱 く に至 れ る こと を想 起 せば 這 間 の
す
惟 ふ に支 那 の関 税 制 度 は今 や 重大 な る転 換 期 に到 達 せる如 し 、冀
事 情 は自 ら 明 か な る べし
東 の不 正規 貿易 と言 ひ韓 復榘 の考案 と言 ひ将 又西 南 側 近年 の遣 口と 言 ひ孰 れ も 支 那関 税 統 一の原 則 に対す る 反動 に非 ず し て何 ぞ或 は 一 種 の釐 金復 活 に非 ず し て何 ぞ斯 く の如 き現 象 は必 ず し も単 に 日本 が
目
三五
次
(昭 和 十 一年 九 月 十 日
軍艦 保 津 )
に、総 督 は 適 意 の地 な れ ば 、御 滞 在 可然 と の事 に て遂 に仏 蘭西 は此
成 都 総 領 事館 再 開問 題
一、駐 蓉 日 本総 領 事 館 沿 革
五、 重 慶 日本領 事 館 及 在 留 邦 人 の態度 と之 が検 討
四 、支 那 側 設領 反 対 の理由 及 其 の考察
三、 支 那 側 の総 領 事 館 復 活 反 対 の経 過 及 之 に 対す る考 察
し め た り 、然 る に当 時 の四 川 政権 の頭 首 た る熊 克 武 は 重慶 領事 館 出
七 年 当 時 出張 中 の書 記 生 草 政 雄 を し て正 式 に成 都 総 領事 館 を開 館 せ
張 員 を 派 遣 せ し が 、後 重 慶 領 事 館 の出 張 員 を常 駐 せし め 次 いで大 正
の意 味 に て事 実 上之 を承 認 せ り、 我 外務 省 は最 初 時 々状 況 視察 に出
次 い で英米 之 に慣 ひ然 も 総 領事 館 を開 設 し民 国 成 立 後 も 既得 権 益
地 に領 事 館 を 設 置 し た り
六 、 警 泊 艦 と し て の処 置
二 、駐 蓉 日本総 領 事 館 再 開 の利 害
七 、 設領 反 対運 動 に関 す る本 艦 発 受 の電 報
認したり
て、 天長 節其 他 公式 会 合 の招 待 に絶 対 に出 席 せず 、 徹 頭徹 尾之 を否
張 員 な れ ば承 認 す るも 成 都 総 領事 館 と し て は絶 対 に之 を 認 めず と し
︹ 成都︺ 一、駐 蓉 日本 総 領 事 館 の沿 革
其 の後 四川 政 権 は屡 々変 動 し遂 に省 内 群 雄 各 地 に割拠 す る に至 り、
之 を 承 認 す る に至 り た り、 其 後総 領 事 代 理 副 領 事 榑 松宇 平 治 の就 任
成 都 政 権 が吾 方 と情 報 其 の他 の連 絡 を執 り得 る を利 益 と 認 む る に至
支 那 に於 け る領 事 館 の設 置 は 開港 場 即 ち所 謂 通 商 口岸 又 は条 約 に
す る に至 り氏 の高 潔 な る人 格 と能 く財 を惜 まず 当 局 と の接 近 に努 め
依 る地 点 への設 置 を原 則 と す るも慣 例 上右 に依 らず し て支 那政 府 の
成 都 も開 港 場 にあ ら ざ れ ど既 往 に於 て各 国 領 事 館 設置 せ ら れ し処
り し こと 、 日支 関 係 の其 の間 融合 し た る こと等 に依 り 何時 と は無 く
な り 、其 の由 来 を按 ず る に清 朝 時 代 仏 蘭 西 領 事 重慶 よ り成 都 に出 張 、
た る こと と相 俟 ち て 四川 当 局 の実 質 的 承 認 を得 る に至 り た る のみ な
承 認 す る も のあ り、 例 へば 雲 南 省城 の如 き其 の 一例 な り
時 の四川 総 督 と宴 会 の席 上 、 同領 事 が頻 に成 都 の風 光 を賞 揚 し た る
げ た るも 、 右榑 松領 事 は間 も無 く 復 帰 、何 等 問 題 を惹 起 す る事 な く
らず 、 極 て親 善 の関 係 を持 續 す る に至 り た り。 ︹ 註1︺ 昭和 二年 ﹁四 三事 件 ﹂ 当 時 重 慶 同様 成 都 総 領 事 館 も 一時 閉鎖 引 揚
国 の対 日長期抵抗作戦 に於 て陪都西安放 棄後 の後方収容陣地をなす
所在地 とし ての政治軍事 の枢要地をなし特 に剿匪作戦 の根拠地及中
下三分 の計 を図りしを始 とし巴蜀 の天地 に国 を建 つる者は必ず 此 の
に依 り同 年 十 月 閉鎖 引揚 げ て以 来 今 日 に至 り た る も の にし て昭和 八
次 いで昭 和 六 年成 都 領 事 代 理 阿 部 又 重郎 氏 の時 代 ﹁九 一八事 件 ﹂
最後 の抵抗戦略要点 にして又其 の施設を着 々として施 されつつある
地を首都と せし政治的 中心地なり現在省政府 の所在地、督 〓公署 の
し て 、極 て平 和 裡 に領 事 館 を再 開 せり
年 十 二月 重 慶 領 事館 復 旧 以来 重 慶 領 事 は屡 々至 急 成 都 領 事館 開 館 方
は成都 は政治軍事 の要 点たるのみならず 経済的発展飛躍 を期し得べ
事等 を想起す る時は此 の地は我 が国家 の機関 を設置 し各種情報 の獲 ︹ 成都∼重慶︺ 得 に努む るは極め て肝要 なることなり、将来更 に成渝鉄道完成 の暁
き土 地なるを以 て 一層総領館再開 の必要を認めらるるなり
重慶 に比 し有力な る各種情報獲得 に便 なる具体的実例
英 米 領 事 館 は 昭 和 二 年排 外 運 動 当 時自 発的 に引 揚 げ た る儘復 旧 せ
を本 省 に上 申 した るも の の如 し。
イ
らざ るも、以上 の次第 にて多年公認 せられて今 日に至 りたるも のな
以 上 の如く成都 の各 国領事館 は確立た る条約 に根拠す るも のにあ
央 化工作 に対し ては彼 も四川人 なれば心宜 からざる ことあるべし
表面 は絶対的 に蒋介石支持 の態度 なれど蒋介石 の極端 なる四川中
劉 湘は現在 の位置を占むるに至 りし は蒋介石 の力 に依 るを以 て
省政府首席兼善後督〓劉湘に関 し
が領 事 事 務 を執 行 し つ つあ り
ず 、仏 国 の み は現 在 依然 開 館 し同 国 の文 化事 業 た る同 地 仏 国病 院長
り、吾領事館 の如きは譬 へば鄧錫侯政権時代排 日 の為 め成都総領事
は蒋介石 に心服 せるも のにあらざ ることを証すべく譬 へ劉湘 の真
先般 の西南時局緊張 せる時永川 に麾下兵力を集中 せし企図 の如き
︹マ マ︺
館は民衆 に襲撃せられたる事 あり て当時 支那当局 は領事館として 一
面 より獲得す る情報以外 に成都 に我 が公的機関 を設置 し之 に依り
意 を捕促 し得ずとも彼 の態度心中 を打診 せんためには重慶行営方
際しても日本領事館として其家屋及家具 の留守中 の管理を承認 した ︹ 廉二︺ るも のなり、今春糟谷重慶領事 が外交特派員呉澤湘 と成都領事 館閉
明 にして湖南 に於 て何鍵 に対す る長沙領事館 の如き関係 に髣髴 た
彼 と の公的接触連絡を行ふは情報獲収上大な る便宜 を得 ることは
切 の交渉 を為した るなり、又四三事件及九 一八事件 に依 る引揚 げに
館 の設置 を確然否定する等 の言無 かりき。 点
剿匪状況 に関 し
重慶 に於 ける新聞 に依る剿匪 の情報 は行営 に依り完全統制 せら
れ剿 匪軍 に有利 なる報道以外は得 られざ れど成都は現在 に於 て剿
ロ
るも のあり
鎖中 の事変 に依 る被害 に就 き立会検査を為したる当時も何等我領事
利
二、駐蓉 日本総領事 館再開 の利害 有力 なる各種情報獲得 の便多し 成都 は古来巴蜀 の重鎮 にして蜀漢昭烈 帝劉備 の此処 に都を置 き天
一
出 先官 民 は 一致 し て支 那側 の反 対 工作 を打 破 し着 任 新 領 事 代 理 一行
現在 の中 日関係 に於 ては之 を望 み得べからざ れど成都附近 の開 発
末 年英 独 の駐 渝 領 事 等 四 川 総督 と折 衝 す るを 理由 と し駐 渝 領 事 の名
成 都 は商 埠 地 に非 る が故 に領 事 館 を設 るを 得 ざ る に拘 らず 前 清 光 緒
﹁ 各 国 が我 国 (中 国 ) に領 事 館 を設 る は通 商 口岸 に限 る も のな り 、
七 月 二 十 四 日新 蜀 報 は南 京 二十 三 日電 とし て次 の記 事 を掲 載 せり
三 、支 那 側 の総 領 事 館 復活 反 対 の経 過 及 之 に対 す る考 察
き あ る可 から ず
き時 に非 ず 既 に議会 の協 賛 を経 て復 活 と決 定 せ る国 家 の方 針 な れ ば
匪 の地理的関係上重慶 に比し剿匪軍に関す る有力なる情報 を入手 し得 且新聞は当地 の行営 にて行はるるが如 き厳密なる検 閲なきを
を極 力 支 援 し内 部 的 不 一致 を曝 露 し苟 く も 国家 の体面 を傷 く る が如
対日長期抵抗 そ の他諸軍事施設 に関 し
以て之 の報ず る剿 匪情報 は情報資料価値大 なるものあ るべし ハ 百聞 は 一見 に如 かず の理 にて成都は現地なれば重慶 に比し此 の 方面 の有力な る情 報は入手 し得 るは言を俟 たざ るなり
は今後 の活動 に俟 つ処多 々あり特 に ︹一字 不明︺産資源開発 に於 て
ぎ て退去 せ し も仏 国 は其 の代表 尚 継 続 し て駐 蓉 せ し め し が 一般 人 民
義 を 以 て成 都 に駐 在 せし め し こと あ り其 の後 英 独 両 国駐 蓉 人 員 相 継
二 邦 人将来 の経済発展 の基礎 となり得る こと
は松藩 、天全、峩眉山西方山嶽地 は頗 る有望 にして成渝鉄路 の完成
る る こと な き も仏 領 事 名 義 変 更 云 々は将 に成 都 総 領 事 館 再 開 せ ん と
右電 報 記事 の中 に は 一言も駐 蓉 日本 総 領 事 館 復 活 反 対 に直 接 に触
改 む べ く 命 ぜ り﹂
を 撤 せ ん こと を請 ひし が仏 国大 使 館 は之 を承 諾 し 該 員 に其 の名 義 を
る目 的 を 以 て最 近 仏 国 大 使 館 と交 渉 し該 駐 蓉 員 の用 ふ る領 事 の名 義
は 多 く 誤 り て之 を駐 蓉 仏 国領 事 と な せり 外 交 部 は 各 方 面 の誤解 を避
と相俟 ちて成都 は此 の方面 の発展 の根拠地たらざ る可 からず 我が国 民国外発展進出 の有力 なる国家的支援機関 とし て成都 に総 領事館を再開す るは将来大 いに意義 あることなるべし 不利 なる点 満洲事変以来中日両国国交 は円滑 を欠き何事 も摩擦状態 にし て支
一 排 日運動再燃 の懸念多分 にある事 那側は全国的極度 に我国 の対支政策 を排撃する の傾向 あり、今回 の
す る日 本 に対 す る合 法 的 排 斥 予 備 工 作 な る こと明 かな り
るを 知 り 嘗 て重慶 糟 谷 領 事 に成 都 には 一名 の民留 民も な く 又商 埠 地
外 交 部 川康 駐 在 特 派 員 呉 澤 湘 は 日 本 の成 都 総 領 事 館 再 開 の計 画 あ
駐蓉駐 日総領事館復活も多分 に排 日運動を誘 発する危険 を蔵し且我
な る にも 非 れ ば 重慶 領 事 館 の出 張 員 の如 き も の に て可 な る に非 ず や
方出先 に於け る官憲 の消極的態度及事勿れ主義 と重慶邦人 の排日運 動 に対す る恐怖及自 己事業 の排 日運動 に依り蒙 る損害 の危懼とは事
と の意 見 を 洩 せ し こと あ り し が同 領 事 は斯 の如 き は中 央 、 外 交 部 に
然 れ ど も糟 谷領 事 は邦 人 に対 す る私的 談 話 に今 回成 都 駐 在 を 命 ぜ
於 て処 理 す べ き問 題 に あら ず ︹や ︺ と 回答 せ り
態 の悪化 を 一層大ならしむ べく延 いては重慶 に於 ける邦人 の権益を 駐蓉 日本領事館復活 の可否 は以上述べし利害 に対す る各人 の見解
喪失す るやも保し難 し の相違 に依り論ぜらるるものなれど、現在 は既 に其 の可否を論ず 可
措き難し﹂
以上 の如く 七月中 は支那側 新聞紙 上に成都総領事館再開反 対には
渉 を提出 せら れたるを聞かず故 に日本領事館設置 の風聞 は恐 く信を
直接激越 なる反対記事も見受 けられざり しが合 法的排斥 予備 工作 と
︹ 英一︺ ら れ た る岩 井 書 記 生 を 極 め て軽 侮 せ る模 様 を 示 し 総 領事 館 は須 く 重
せ る 方針 を誹 議 し且 自 侮 す る態度 の支 那 側 に反 映 せ る結 果 、呉 澤 湘
宣伝 に力 を注ぎし如く忖度 せられるなり、此 の際我が出先官憲 は新
慶 に設 く べ く成 都 は分 館 に て可 な り と語 れ り斯 く の如 き国 家 の決 定
よ り中 央 に意 見 具 申 せら れ成 る可 く閉 鎖 方 針 を 取 ら ん と す る彼 等 は
聞方面 に設置反対打破工作 をなすべきに徒ら に傍観消極的態度 を持
し つつありしを以 て、俄然八月 一日商務 日報 には ﹁ 在滬 四川 人成都
之 を奇 貨 と し前 電 報 記 事 の如 き排 斥 準 備 工作 を 取 る に至 り た る に非
七 月 二 十 五 日新 蜀 報 は上 海 二 十 四 日専 電 とし て次 の記事 を掲 載 す
ざ る や の疑 な き能 はざ るな り
日本領事館設置 に反対、各 方面 に通電 して誓死反対﹂な る題 目 の下
の反 対表示 云 々の昨 日の記事 に就 き記者 は特 に本市 (上海) の ﹃四
﹁上海通信 四川省成都 に日本領事館設置 の件 に関し在 上海 四川人
に次 の記事及 ﹁四川同郷会﹂ の駐蓉 日領事館 反対通電 を掲載 せり
﹁日本 大 使 館 発 言 者 の談 に依 れ ば新 任 駐 蓉 日 領 事 岩井 英 一は 二十 七 日来 滬し 成 都 に赴 任 せ ん と す成 都 は開 港 場 にあ らざ れば 領 事 館 を
交 部 よ り何 等 の通 知 を 受 け 居 らず と﹂
川旅滬同郷会﹄及 ﹃蜀商公益会﹄等 を訪 ひ其 の実情 を 明 にせ し処 ﹃四川旅滬同郷会﹄責任者 の談 に依 れば本会 は日本領事館成都設立
設 く る を得 ず と新 聞 紙 には登 載 せら れあ るも 大使 館 方 面 に は未 だ 外
七 月 二 十 七 日 人民 日報 及 商 務 日 報
﹁各 国 の我国 ( 中 国 ) にあ り て各 領 事 館 を設 置 す る は彼 は客 に し
省政府 に其 の制止法を申請し居るも未 だ之 を外部 に公表 せざ るを以
の案 に就 きては所志 の 一端 を新聞 に掲載後、国民政府外交部及 四川
川康 外 交特 派 員 呉 澤 湘 談
て我 は 主 な り故 に領 事 館 を 設 置 せ ん と せ ば事 前 に必 ず 先 づ之 を通 知
て、外界尚其 の内容 を詳知 せず然 れど必要 に際 しては在滬各界 の川
川省 政府重慶関税監督署 に電請し尚 其 の取扱好商 の所罰をも申請 せ
尚 曰く四川 に輸送 の私貨 の厳重取締方 に就 きては前 日財政部及四
人を召集し有効適 切 の方法 を討論する の意 ありと
ん とす るも 我 は 之 を応 諾 す る能 はず 若 し 日本 側 に し て既 成 の事 実 な
領 事 館 の設置 の地方 は已 に制 限 あ り条 約 外 の地 区 に領 事 を設 置 せ
し 然 る後 、 中 央 よ り 地 方政 府 に通 報 す る も のとす
りと し て設置 せ ん と せば 正 規 の手 続 に準 拠 し て之 と交 渉 す べ き のみ
りと。
決定し已 に成都 に岩井総領事を派すと の事 は我全国各界 の至 大 の注
﹁啓者前 日新聞紙報道 に拠れば日本は近日成都 に総領事館設置 を
﹃同郷会﹄領事館設置反 対の通電
但 し 余 は 特 派員 にし て中 外 商 民 の事 務紛 糾 等 の折 衝 を な す べ き も の にし て、 本件 の如 き外 交 問 題 は外 交 部自 ら適 当 の処 置 あ るべ し﹂
﹁日本 が成 都 に領 事 館 を設 置 せ んと す る の報 道 あ るも 関 係 方 面 の
意を惹起する処 にして、我政府亦成都は通商 口岸 に非ざ るを以 て当
七 月 三十 日 商 務 日報 は中 央 社 南 京 電 と し て次 の記 事 を掲 載 す
消 息 に拠 れば 成 都 は 通商 口岸 にあ らず 外交 駐 剳 の例 も 無 く 又 其 の交
戸 を 出発 既 に来 支 し成 都 総領 事 の職 に就 く も のな れ ど 此 の件 に関 し
日 本 大使 館 情 報 処 発 言 人泉 水 が該 社 記 者 への談 に依 れ ば岩 井 氏 は神
通 知 無 く 依 つて暫 く喊 黙 せし 所 本 月 二 十 四 日 ﹃大 美 晩 報 ﹄ の記事 中
然 領 事 館 の設置 を 認可 す る能 はず 、 且 つ日本 政 府 よ りも 何 等 正式 の
蓋 し成 都 は開 港 場 にあ らず 如 斯 省 城 に領 事 を 設 置 す る事 は誤 解 を招
蘭 西大 使 館 は外 交 部 の提 議 に依 り既 に成 都 領 事 館 の撤退 を決 定 せ り
都 駐剳 日本 総 領 事 館 の撤 退 の目 的 を期 す と大 陸 報 に依 れ ば 一年 前 仏
ら ざ る を 以 て、 在 上 海 川 人 の入 京代 表 者 と共 に外 交 部 に請 願 以 て成
汽 船 の洛 陽丸 に乗 じ て成 都 に赴 け り在 京 川 人 は成 都 は 通商 口岸 に あ
任 命 を重 視 し つ つあ り 、中 央 社 の報 に依 れば 一般 人 民 は中 国 政 府 が
き 易 し最 近南 京 外 交 界 は在 支 日本 大 使 館 書 記 生岩 井英 一の成 都 領 事
ては 未 だ中 国成 府 より 何 等 の通知 に接 せず 外 務 省 の命 に遵 ひ赴 任 す
現 に岩 井 は 八月 二 日洛 陽 丸 に乗 船 上 江す 、 本 会 同 人等 は 以 上各 事
れ ば開 港 場 に非 ざ る 地 に日本 は領 事 を 駐 剳 す る権 な き が故 なり 、 東
成 都 日本 領 事 館 を 絶 対 に承認 せざ る事 を信ず るも のな り、 如 何 と な
るも のな り と
口岸 に限 る も のに し て成 都 は商 埠 地 に あら ず 条 約 上 当然 領 事 館 を 設
情 を 審 にし て惑 う も の なり 按ず る に各 国 が領 事 館 を設 置 す る は通 商
も のな り抑 々成 都 に外 交 代 表 の駐 剳 は 清朝 末 年 以来 よ り の事 にし て
あ ら ん か、 こは 一種 の非 友誼 的 表 示 にし て且 外交 の歴 史 を知 ら ざ る
重慶 各 国 領 事 館 へ成都 に〓 事 処 を設 け たり と 蓋 し当 時 四川 総 督 は 成
京 よ り の消 息 に依 る に中 国 政 府 が若 し岩 井 を 承認 せざ る が如 き こと
﹃九 一八事 件 ﹄ 以 来 日本 の対 支侵 略 は愈 々進 み愈 々烈 し く東 北 よ
都 に在 り諸 交 渉 に便利 の為 め なり し も 其 の後 環 境 変 化 し て英 独 已 に
置 し 得 ざ る も のに し て此 の地 に領 事 館 を設 置 す る は 即 ち治 外 法 権 の
り漸 進 し て南 支 、 中 支 に及 び増 兵 、密 輸 相 次 ぐ 、 吾 四 川 は西 陲僻 遠
初 歩 にし て此 の法 権 の特 許 は民 の蓄 禍 を意 味 す るも のな り
の地 と 雖 も 亦侵 略 者 の覬 覦 す る処 と な り設 領 以 後 人 民 の紛 糾 日 々 に
之 を撤 退 す 仏蘭 西 は領 事 名 の下 に外 交 官 あ る も今 亦 已 に撤 銷 せ り
の他 の人 員 を 成 都領 事 と し て承 認 せ ざ るは大 に理 由 あ るな り 仏蘭 西
条 約 は有 効 な れ ば 即 ち成 都 は開 港 場 にあ らず 中 国 政 府 の岩 井 或 は其
上述 の事 実 を視 る時 は東 京 発 言 人 の理由 は毫 も根 拠 な く 中 日 間 の
多 から ん事 は国 家 の主 権 に関 し 四川 同 胞 の利 害 至 大 な り宜 しく 大 声
は積 極 的 に在滬 川 人各 界 は聯 絡 集議 し て設 領 に反 対 す る外 特 に茲 に
英 国 独 逸 の撤銷 後 日本 独 り執 拗 の態 度 を執 る事 、 真 に憤 慨 に堪 へざ
疾 呼 し て同胞 の注 意 を喚 起 し 死 を誓 ひ て此 の非 法 設 領 に反 対す 本 会
﹂
四 川旅 滬 同 郷会 叩
電 し て公 鑒 を祈 る
る なり 成 都 は 重慶 よ り 二時 間 にし て飛 行 し得 る地 、 然 る に此 の地 に
は他 に何 等 か の目 的 を有 す るも のと疑 し む る も のな り ﹂
再 び領 事 館 を 設 置 せ ん とす る事 は 公 正 な る観 察 者 を し て日 本 の態 度
八 月 五 日濟 川 公 報 に上 海 通信 と し ﹁日本 再 び設領 の要 無 し成 都 は 通 商 口岸 にあ らず ﹂ と題 し 次 の如 き記 事 を掲 ぐ
設 置 す ﹂ と題 し 次 の記事 を掲 載 す
八月 六 日濟 川 公 報 は成 都 通 信 と し て ﹁日本 成 都 に非 法 的 領 事館 を
﹁日 本 は条 約 に違 反 し成 都 に領 事 岩 井 英 一を 駐在 せ し め ん とす 岩 ︹ 茂︺ 井 は前 日 上 海着 、 川越 大 使 より 訓令 を受 け た る が、 外交 界 の消 息 に 依 れば 岩 井英 一は 已 に 八月 一日 上海 よ り汽 車 に て南 京 着 、 二 日 日清
成 都 は 通商 口岸 にあ ら ざ る故 に条 約 上 当 然 設 置 し得 ざ る も の にし て
﹁日 本 外務 省 は成 都 に領 事 館 の設 立 を計 画 す るも のな る が、 元 来
運動 より排日運動 に転ぜんとす るに至れり
の面会 を忌避し又連 日新聞紙 にて煽 れる設領反 対は漸次民衆 の実 行
館に入り糟谷重慶領事と入蓉 を謀議 せるも重慶 支那側官憲は岩井と
けとの命令 にて岩井 一行 は来渝 せるも のにして重慶 に於 て外交専員
ては南京外交部より大使館 に不承認 の通知 あり大使 よりは兎 に角 行
十 八日艦長 への領事 より の談 に拠 れば成都領事館再開問題 に関し
既 に正式 に 日本 に其 制 止 方 を電 報 せ し が、 探 聞 す る に外 交 部 駐 川 康
の常道 に依 らず 強 ひ て入 川領 事 館 を設 置 せ んと す る も の故 、 辞 を 藉
と交渉 工作す ることとなるも事態此 の如 くなれば領事館 の名義 は支
特 派員 、 呉澤 湘 は四 川 善 後督 〓 公署 に、 日 本 の派 遣 せ る岩 井 は外 交
の口 実 の材 料 を与 へら れざ る様 致 さ れ度 と 電 請 せ り﹂
我 が企 図 を放 棄 せし め ん と せ り斯 く の如 く 重慶 に於 け る最 近 の新 聞
党部 の指令 に基き設領 反対の決議をなせり其 の後益 々新聞紙は設領
未 だ平穏 にし て示威遊 行 の如 きも行 はれず ただ巴縣国民党部は中央
八月十九日新聞 に於 ては民衆極度 に激 昂せる如 く報ず れど市内 は
敢 へず成都 に行く事 となるべしと
那側 にて承認 せざるべく結局差当り成都視察 の名 目の下 に岩井は取
り て面 会 を避 け 一切 の公 文書 類 の受 付 をも 為 ざ る や う 又将 来 何 等 か
其 の後 当重 慶 各 新 聞 紙 は殆 ん ど連 日前 記 と 大同 小異 の記 事 を 掲 載
の論 調 は 七月 中 は設 領 問 題 に対す る合 法 的 反 対 の準 備 宣 伝 を行 ひ八
し盛 に民 心 を煽 動 し て排 日風 潮 を誘 発 せし め 我 が 設領 に反 対 し以 て
月 に入 り て俄 然 露 骨 な る反 対論 を唱 ふ る に至 れ り 、 八月 十 六 日 岩 井
対を請願次 いで各界 設領反 対大会 を開催 し宣伝隊、糾査隊を組織し
に反 対運動 を起す に至れり先ず民衆 より代表を選出 し当局 に設領反
宣伝隊 は街頭宣伝伝単 の粘布 を行 ひ反対運動 の拡大 に糾査隊は各種
反対 の毒筆 を揮ひ国民党 の活溌 なる煽動 活躍と相俟ち て民衆表面的
﹁日本 の成 都 に領 事 館 を設 置 す る の消 息 あ り て よ り後 全 国 の輿 論
交通運輸機関をし て岩井 一行 の使用を拒 否せしめ成都赴任阻止 に全
領 事 代 理 一行 の着 渝 近 づ く や濟 川 公 報 は ﹁全 川 民衆 反 対 の声 の中 に
は囂 々た り就 中 四川 省 内 外 の人士 は最 も激 烈 に反 対 せ り吾 人 は過 去
岩 井 明 後 日着 渝 の予 定 ﹂ と 題 し 次 の如 き意 の記 事 を掲 載 せ り
不平等 条 約 の束 縛 を 受 け 凡 ゆ る忍 辱 をな せ り 然 れ ど 現在 忍 ぶ能 は ざ
力を注 ぐに至 れり
日激越 なる文字を以 て反対煽動 をなしつつあり支那側中央 にては設
設領反対運動は岩井領事代 理の滞渝と共 に熾烈 を極 め新聞紙は連
八月二十 四日領事乗艦 の時 の談次 の如し
る処 のも のあ らば 応 に力 を 尽 し国 家 の主 権 を維持 せ ざ る可 から ず 故
記 者 昨 日外 交 特 派 員 呉澤 湘 氏 を訪 ひ設 領 の事 を 尋 ぬ る に呉 氏 は民
領絶 対不承認 にて日支 の本問題 に関す る交渉は停頓状態 にあり又支
に各 方 面 は斉 し く大 声 疾 呼 し 設領 反 対 を通 電 せり
衆 の反対表示 を是 と認め且又我外交部 は日大使川越 と接渉中なりと
︹マ マ ︺
述べたり若 し岩井 にし て友邦 の気持 を顧 みず条約 を蔑視 し成都 に赴
那側出先 は中央反対支援的態度 に依 り 一層強硬反 対をなすも のの如
斯 て岩井領事 代理 一行 は八月十八日長陽丸 にて来渝し岩井 は領事
し
任 せば我 にももとより定れ る手段 あり 一致 して之 に対応 せんのみ﹂
工 せ しめ 之 の陸 揚 を 不能 なら し め た り領 事 館 に於 て自 動車 格 納 所 を
商 船 萬 縣 号 に て運 送 し来 れ る岩 井 一行 用 の自 動 車 も 工 人会 を し て罷
令 に依 るも のか空 席 あ る に拘 らず 切符 を発 売 せず 又 太 古輸 船 公司 の
岩 井 の入蓉 に 飛行 機 を利 用 せ ん と せ し も中 国 航 空 公 司 は官 憲 の指
一般民衆 の排 日若 は恐日思想 を巧に利用し て現地 に於 る事態 の悪化
失踪し華北 の二の舞を演ず る虞 ありと頗 る荒唐無稽 の説 を吐き支那
殖 せしめ浪 人は地 に満ち遂 には新聞記者は逮捕 せられ愛国 の志士は
び付け成都 に日本 の特務機関 を設置す るは密 輸を助長 し売国奴を繁
の如 きは社論 に ﹁四川空前之外患﹂ と題し設領 と走私 ︹ 密輸︺を結
せ る も の の如 く 二 十 六 日 よ り設 領 反 対 記事 は新 聞 紙 上 より 影 を潜 め
至 れ り当 重 慶 市 に於 ては成 都 事 件 の真 相 は要 人間 に は 二十 五 日判 明
る而し て実際 の処反対原因は南 京政府 の最も苦痛とする華北 の走私 ︹ 註2︺ 問題と朝鮮清津 に於け る我が官憲 の中国清津領事逮捕追放問題 に対
設領を断念 せしめんとす る彼等 の陰険極れ る常套手段 なりと認めら
と我が権益伸長 を好まざ る現れにして、中央 に於 て外交交渉 を遷 延 し 一方裏面 より中央 は地方民衆 を新聞機関を通じ煽動 して我 をし て
之を要 するに今 回支那側 の設領反 対は国府中央 の対日感情 の不良
り
拡大を企 図し以て領事館復活を阻止 せんとす る魂胆なる こと明 かな
支 那 人 自 動 車 業者 よ り借 用 を契 約 せ し処 該自 動 車 業 者 は糾 査隊 よ り 漢 奸 と し て糾 弾 せ ら れ た め に領 事 館 と の契約 解 消 を通 知 し 来 れ り 如 此 の不穏 化 せ る情 勢 は 八 月 二十 四、 五 日 を 以 て最 高 頂 に達 し排
市 内 に粘 布 せら れ し伝 単 は悉 く剥 ぎ 取 ら れ市 内 は 二十 四日 午 後 九時
す る報復手段 にして前項は我が成都事件調査員 の成都 に於 て均しく
日運 動 の危 機 を兆 す に至 る処 、 偶 々岩 井 領事 代 理 一行 と同 行 せ る新
よ り当 局 の手 に依 り戒 厳 密 布 せら れ 日 本 人及 日本 人 に関 係 の支 那 人
支那側 より聞知 せし事実なり
聞 記 者満 鉄 社 員 商 人 計 四 名 の成 都 に於 け る殺傷 事 件 の勃 発 を見 る に
の監 視 保 護 に任 じ つ つあ り今 の処 表 面 は情 勢 一変 し支 那 側 は 成都 事
り推測 し得 るなり
に於 て高 が成都総領事館問題 より先 に清津問題 に就 き抗議 せし点 よ
又後項 は南京 に於 て須磨、高宗武 の成都総領事館再開交渉 の応酬
件 解 決 を 有 利 に導 か ん とす る対 策 に狂奔 し つ つあり 四、 支 那 側 設領 反 対 の理由 及 其 の考察
五、重慶 日本領事館及在留邦人 の態度と之が検討
支 那側 の設 領 の反 対 の法 的根 拠 と す る処 は ﹁成 都 は 開港 場 に非 ず 且 国 際 公 法 及 我国 ( 支 那 ) の締結 せ る条 約 に按 ず れ ば均 し く設 領 の
成都領事館再開、岩井書記生派遣 に就き ては支那中央方面より四
理 無 し﹂ と言 ふ に あり て 日本 で強 ひ て設 領 を 断 行 す る は 我 国 (支 那 ) の主 権 の侵 害 な り と呼 号 す
つつあるは前三、四項 に述 べし如 し重慶糟谷領 事 の言 に依 れば南京
須磨総領事 が交渉し来 れるも外交部 の態度曖昧なるを以て其 の儘岩
川 に対し宣伝し来り之 が為 め四川言論機関 に於 ても反 対宣伝 をなし
井 氏を派遣 し現地 に於 て工作 せしむ る予定なるが如 しといふ南京政
更 に日 本 は九 ・ 一八事 変 以来 日 本 の対華 侵 略 日と 共 に激 烈 とな り
は密 輸 入 と な り遂 に成 都 に設領 し 僻遠 西 陲 の 四川省 も 覬覦 す るも の
東 北 より そ の魔 手 は漸 進 し華南 華 中 に及 び そ の手段 は華 北 の増 兵 或
な る を以 て絶 対 に反 対 せざ る可 からず と称 す 八 月 十 日成 都 新 新 新 聞
き 口吻 を 洩 せり即 ち領 事 館 は中 央 に て行 悩 の問 題 を推 し 附 け ら れ之
召 還 す る の 一札 を支 那 側 に入 れざ れ ば成 都 行 を 許可 せず と頗 る傲 頑
が解 決 は出 先 と し て は 一層 の難 関 な り と 、而 し て今 迄 の請 訓 を無 視
府 と し て は自 己 の責 任 を 回避 し先 づ 在 滬 在 京 四川 同 郷 人 に呼 び 掛 け
て は我 方 に於 ても 亦臨 機 応 酬 す るを 要 し 中央 及出 先 は 一致 し て彼 の
さ れし 不平 を徒 に述 べ 又 岩 井 の困 却 せ る を同 情 す る の みか其 の滞 渝
な る態 度 な り 之 に対 し糟 谷 領 事 は岩井 を 私人 と し入 蓉 せし め 且支 那
術 策 を粉 砕 す る の工 作 を な さざ る可 からず 然 る に当 地糟 谷 領 事 は 其
を 迷 惑視 す る も の の如 く 依 然 と し て積 極 的 打 開 工作 は講 じ ら れず 支
側 に 一札 入 れ て も可 な り やと 本 省 に請 訓 せ り と の事 な り斯 く の如 く
の態 度 消 極 的 にし て万事 は中 央 的 に処 理 せ ら る可 き問 題 な れ ば 地 方
那 新 聞 よ り は其 の毎 回 請 訓 す る長 文電 報 を皮 肉 ら れ所 謂請 訓 外 交 即
之 を し て更 に 四川 に向 つ て反 対 宣 伝 を な さし め 地方 的 反 対 に より領
的 に ﹁騒 ぐ ﹂ は 却 て事 態 を悪 化 せし む る の虞 あ り と称 し岩 井 氏 来渝
糟 谷 領 事 は 終始 支 那 側 に対 し 軟 弱 態度 を脱 す る能 はず 又常 に次 の如
迄 は何 等 の処 理 を講 じ居 らず 例 へば 支 那 新聞 の反 対 記 事 に対 し て は
ち 対 内外 交 と酷 評 を 一部 日 本 人有 志 者 よ り浴 せら る る に至 れ り在 留
つ つあ る こ とも 又 前項 に記 述 せ し が如 し彼 の為 す所 斯 く の如 き に於
一喜 一憂 の み にし て新聞 記 事 内 容 中 荒 唐 無稽 日本 を誣 ふ る が如 き も
の政 策 よ り自 己 の生 活 若 は商利 を第 一と考 ふ る は止 む を得 ざ れ ど本
邦 人 は多 く は自 己 の事 業 商 売 を基 調 と し て行 動 す る人 々な れ ば国 家
事 館 の再 開 を阻 止 又 は防 碍 せ ん とす る頗 る陰 険卑 劣 な る策 略 を 採 り
のは仮 借 せず 抗 議 を 行 ひ 又彼 等 の反 対 には 力 を尽 し て反 駁 す べ き に
︹マ マ︺
拘 は らず 我 に有 利 な る の情 勢 を導 く の手 段 を講 ぜず 一方 成 都 の現 地
に自 己生 活 権 迄 を 脅 威 せ ら る る ことを 危 懼 し つ つあ り さ れ ば出 先 官
問 題 に関 し て は全 然 無 関 心 な る か或 は本 問 題 よ り排 日 運動 再 燃 し 為
憲 と は 五十 歩 百 歩 の態 度 にし て岩 井 成 都 赴 任 は此 の内 部 的 退 嬰 空 気
情 況 等 は手 を 尽 し 真 相 を把 握 す べき 処 支 那新 聞 の威 嚇 に慄 ゆ 慨 歎 に
中 央 の決 定 せ る方針 に 対 し て支 那 側 には法 的 理由 あ り て本 問 題 は出
よ り し て 一層 困 難 な る状 態 な り き考 ふ る に出 先 官 民 は 一致 団 結 し て
耐 へざ る態 度 な り そ の領 事 の消 極 的 態度 は領 事 館 の下 僚 にも 反 映 し
先 官 憲 とし て困 却極 れ る問 題 な り と自 侮 し反 つて支 那 側 の反 対説 を
我 が正 当 な る要 求 に対 し ても断 然 強 硬 な る態 度 に て拒 絶 し岩 井 領 事
の出 先 支 那側 官憲 と の交 渉 も積 極 的 と な り し も時 既 に遅 く支 那 側 は
る も のな り強 ひ て喧 嘩腰 に て支 那 側 と交 渉 を望 む に は あらず 正 々堂
著 し き退 嬰 卑 屈 に堕 入 る は益 々彼 等 に内 兜 を 見透 さ れ て増 長 せし む
り支 那側 の鼻 息 の みを窺 ひ彼 を刺 戟 せし めざ る如 く せ ん ため 却 つ て
ると共 に大 い に 一行 を激 励 し 一行 に多 大 の精 神 的援 助 を与 ふ べき な
岩 井 一行 を歓 迎 し 敵 地 にも等 し き土 地 に乗 り 込 む 一行 の行 を 壮 にす
代 理 一行 入蓉 赴 在 を肯 せず 。岩 井 が領 事 代 理 と し て赴 任 す る時 は護
六 、警 泊 艦 とし て の処置
堂 積 極 的 男 性 的 外 交 を出 先 外 務 官 憲 に て執 る の必要 を痛 感 せ り
岩 井 領 事 代 理着 渝 後 は岩 井 の積 極的 態 度 と艦 長 の鞭 撻 に よ り領 事
弁 護 す る が如 き態 度 あ る者 さ へ見 受 け ら る
照 に査 証 せず と岩 井 私 人 とし て入蓉 す る は差 支 無 き も然 も 口頭 に て
今 回 の設 領 問 題 は 外交 問 題 な れば 外 務 官憲 が支 那 側 に交 渉 す べ き
入 蓉 す る の通 知 に て は満足 せず 私 人 資 格 に て入 蓉後 成 都 に領 事 館 を 開 設 し そ の事 務 を執 る が如 き こと あら ば糟 谷 領事 は責 任 を以 て之 を
性 質 のも のな る こと は 言 を俟 たず 本 問 題 の為 に事 態 悪 化 し排 日運 動
事 代 理 ノ名義 ニテ 入蓉 ス ルノ通 告 ア ラ ン コト ヲ電 請 セ リ ( 終)
重 慶 領 事 ハ中央 ヨリ南 京 外 交 部 ニ支 那側 ノ反 対 如 何 ニ拘 ラ ス岩 井 領
シ処 成 都領 事 派 遣 ニ関 ス ル何 等 正 式 通知 ニ接 セ サ ル ヲ以 テ 切符 ハ売
購 入 セ ント セ シ モ会 社 ニテ発 売 セ ス糟 谷 領 事 ヨリ外 交 専 員 ニ交 渉 セ
岩 井 本 二 十 一日飛 行 機 ニテ成都 ニ赴 任 ノ 予定 ナ リ シ処 昨 日 切符 ヲ
保 津 機密 二 三番 電 二 一日、 一五 三 〇 (タ ナ 二 五)
発 保 津艦 長
︹ 岩村清 一︺ ︹ 脩︺ 宛 十 一戦 隊 司令 官 、 三艦 隊 参 謀 長 ( 佐藤武官通報)
の誘 発 せら る るや も 保 し難 け れば 、 本 艦 下 江後 当 地 に警 備 艦 無 き は 在 留 邦 人 の不 安 を 益 々大 にす る を以 て、 第 十 一戦 隊 司 令 官 宛 警 備 艦 交 代 に付 き 考 慮 せ ら れ ん事 を意 見 具 申 せ り 本 艦 に於 ては 其 の後 新 聞 記 事 内 市 内 の情 勢 を注 視 し 又 一方 腰弱 の 領 事 を鞭 撻 側 面 よ り支 援 を行 ひ国 家 決 定 の方針 貫 徹 に努 め た り 七、 設 領 反 対 運動 に関 す る本 艦 発 受 の電 報 ︹ 日比野正治︺ 宛 十 一戦隊 司令 官 (三艦 隊 参 謀 長 通報 )
ル コト能 ハス成 都 視 察 ノ名 義 ナ ラ ハ差 支 ナ シ ト ノ返 答 アリ岩 井 ハ出
発 保 津 艦長 保 津 機 密 一八番 電 一五 日 一〇 二 〇 (タ ナ 六九 )
発 ヲ見合 セ外 務 省 ニ請 訓 中 尚 重慶 ニ於 テ ハ十 九 日 巴 県党 部 主 催 ノ設
発保津艦長
宛 十 一戦 隊 司 令 官 、 三 艦 隊参 謀 長 ( 佐藤武官通報)
(終 )
領反 対大 会 ヲ開 催 シ次 イ テ 各 所 ニ於 テ反 対 街 頭 演 説 ヲナ セリ
今 回 成 都 日本 領 事 館 開 館 ニ対 シテ ハ重慶 ニ於 テ支 那 側 ニ相 当反 対 ノ気 勢 アリ然 ル ニ明 後 十 七 日 入港 予定 ノ長 陽 丸 ニテ岩 井領 事 一行 着
(終 )
発 生 ス ルヤ モ計 ラ レ ス此際 重 慶 警 備 艦 交 代 ニ就 イ テ ハ考
渝 ノ コトト ナ リ居 ル処 愈 々成 都 ニ赴 任 ス ル コト ト モナ レ ハ或 ハ多 少 ノゴ タ 〓 慮 ヲ要 ス ル ア リ ト 認 ム 。
保 津 機 密 二十 五 番 電 二 四 日 二〇 〇 〇 (タ ナ六 三 )
ニナ リ ツ ツ ア リ新 聞 ニ ハ毎 日大 々的 ニ之 カ反 対記 事 ヲ掲 載 宣 伝 ニ努
成 都 設 領 問 題 ニ関 シテ ハ重慶 ニ於 テ ハ其 ノ後 反 対気 勢 次 第 ニ濃 厚
発保 津 艦 長
メ昨 二十 三 日 ハ党部 指 導 ノ下 ニ商 会 工会 学 生等 各 種 団 体 ノ大 会 ヲ催
宛 十 一戦 隊 司 令 官 、 三 艦 隊参 謀 長 (比 良 艦 長 通報 )
保 津 機 密 二〇 番 雷一 八 日 二 〇 一〇 (タ ナ九 七 )
﹁反 対 日本 在 蓉 設領 ﹂ ﹁阻 止岩 井 西 上 ﹂ 等 ノ伝 単 ヲ街 頭 ニ貼 布 セ リ
尚 糾 査 隊 ハ工会 ヲ シテ英 国 汽 船 ニテ 搭載 シ来 レ ル岩 井 用 自 動 車 ノ運
シ糾 査 隊 宣 伝 隊 ヲ組 織 ス継 イ テ宣 伝 隊 数 十組 ハ街 頭 演 説 ヲ ナ シ 且
搬 ヲ拒 否 セ シ メ且既 ニ該 自 動 車 ノ保管 格 納 ヲ契 約 セ シ自動 車業 者 ニ
岩 井 領 事 代 理 一行 昨 十 七 日長 陽 丸 ニテ 着 渝 本 日岩 井 来 艦 次 ノ意 ノ
ニ ハ何 等 不 穏 ノ行動 ハ認 メ ラ レサ ル ヲ以 テ 二 十 一日飛 行 機 ニテ部 下
談 アリ現 在 ノ処 新 聞 ノ論 調 ハ設 領 反 対 ノ強 硬 意見 ナ レト 一般 ノ民 衆
警 察 官 二名 ヲ率 ヰ成都 総領 事 代 理 ノ名 義 ニテ乗 込 ミ設 領 ヲ既 成 事 実
対 シテ ハ漢 好 ナ リ ト糾 弾 シ ソ ノ契 約 ヲ解 除 セ シ メ タリ
( 終)
タ ラ シ メ今後 成都 地方 官 憲 ト交 渉 セ ント ス ル決 心 ナ リ ト尚 今 日 糟 谷
宛 十 一戦 隊 司令 官 、三 艦 隊参 謀 長 、 保 津 艦 長 、 上海 武 官 発南京武官 京 機 密 七 四番 電 二 五 日 一一〇 〇 (タ ナ九 六 〇 ) 一八 一五受 信 ︹ 陳介︺ 保 津 機密 二 十 三番 電 ニ関 シ昨 二十 四 日総 領事 ハ陳 外 交 部 次 長 ト会 見 支 那 側 ノ不 合法 ニ対 シ厳 重 ナ ル反 省 ヲ促 シ岩 井 ノ赴 任及 総 領 事 館 ︹ 張羣︺ 右 ニ対 シ陳 次長 ハ明 二十 六 日外 交 部 長 帰 寧 ノ筈 ニ付 キ其 ノ上 何 分
再 開 即 時 認 ? 方訓 令 ヲ申 入 レタ リ
一九 二七 年 四 月 三 日 、漢 口 の 日本 租 界 が中 国 民衆 に襲 撃 さ れ、 暴
( 終)
ノ処 置 ヲ致 ス可 キ旨 回答 セ ル趣 キ ナ リ (詳 細 外 務 省電 ニテ御 承 知 相 成度) ︹註 1 ︺
行 、 掠 奪 を受 け た事 件 。 前 年 九 月 漢 口 は武 昌 、漢 陽 と共 に、 蒋 介 石 を総 司 令 に いた だ く北 伐 軍 の手 に落 ち た 。 た だ し そ の北 伐 軍 は 国 民 党 左 派 を中 心 と し 、 中共 党 員 を多 数 含 む 軍 隊 で、 蒋総 司 令 と はし だ い に分 裂 ・対立 的 傾 向 を 深 め て い つた。 彼 ら は 国 共 合 作 を継 続 し つ つ労 働 者 農 民 を 武 装 さ せ て 反 帝 運 動 を推 進 し、 一九 二 七 年 一月 一日 に は蒋 介 石 に武 漢 遷 都 を 余儀 なく 認 め さ せ る ほ ど の勢 い にな つた 。 四 三事 件 は そ の よう な 情 勢 下 に発 生 し た 排 日 事 件 で あ つた が 、 それ がす ぐ に楊 子 江 上流 に波 及 し、 日本 の重 慶 ・成
一九 三 六年 七月 十 六 日 、 朝 鮮 ・清 津 の旧 ロシ ア領 事 館 内 に 居 住 す
都 両 領 事館 を閉 鎖 し なけ れば な ら な か つた こと は い さ さ か注 目 す べ き だ ろ う。 る孫 乗 乾 ら 六 名 を軍 機 保 護 法 違 反 と し て 、 日 本 の朝 鮮 憲 兵 隊 が検 挙 し た事
︹註 2︺
件 。 一九 三 一年 以来 、中 国 側 は ソ連 か ら帝 政 ロ シア時 代 の在 清 津 領事 館 庁 舎 の貸 与 を う け 、随 習 領 事 と いう も のを 居 住 さ せ て諜 報 蒐 集 の中 心 と し た 。 日 本 側 は な ん の特 権 も持 たな い 一私 人 が 軍 事 諜 報 を実 施 す る ことは 日 本 の 独 立 権 を お か す も の で あ ると いう 理 由 のも と に 、 これ を検 挙 し た の であ る 。 結 局 、日 本 側 は 八 月 五 日 に至 り 、孫 ら を 起 訴 猶 予 処 分 に し 、 一行 は十 一日
清 津 を去 り 、 上 海 にむ か つた。
第 一項
三 六
( 昭和十 一 年度外務省執務報告より)
求め以 て外交部 の本件領事館開設反対 の態度を表 明せり尚同月十八
成 都 其 他排 日不 祥 事件
成都総領事館再開問題
一、日支事変 以来閉鎖中 の成都総領事館再開方本年五月決 定を見右 月十九日東京 発赴任 の途 に就けり然 るに右開館 に付 ては南京政府 に
本総領事館開設 の経緯 を説 明し我方既得権 を尊重方説示し併せ て新
運動膨湃 とし て起り来 れるが我方 より屡次南京側及地方官憲 に対し
他方 地元 たる成都 、重慶 は元 より長江筋 全般 に亙 り猛烈なる反 対
日行政院 は成都総領事館再開拒否方密令を発せる趣 なり
於 て反 対ありたるのみならず 四川省 一般民衆間 にも反 対気勢熾烈 と
る次第なり
聞報道竝 に民衆反 日運動 の取締方厳 重支那側 の注意 を喚起し置 きた
目的 の為同月二十二日岩井書記生は同地総領事館在勤を命 ぜられ七
に先立 ち赴蓉 せる大阪毎日記者渡邊外 三名は右開館 に反対 せる反日
是 が為 支 那 側 と の関 係 上 何等 支 障 を生 ず る虞 な き や外 務 大 臣 より 在 ︹ 小幡酉吉︺ 支 公 使 宛 照 会 せ る処在 支 公使 よ り英 仏 に対 し ても嘗 て支 那 側 よ り 累
月十三日外務省告示とし て官報 に掲載 せら れたり右開館告示 に先ち ︹ 内田康哉︺
在成都帝国総領事館 は大正七年 六月十四日開館せられ右 は同年八
三、因 に本件開館 に関する日支交渉従来 の経緯を述 ふれば左 の如し
なり次第 に悪性 の反日運動化し来 りたる処右岩井書記生 の成都着任 暴 民 の為 八月 二十四日成都 に於 て虐殺 され (二名死亡、 一名重傷 ) 茲 に所謂成都事変 の発 生を見 たる次第なり 二、暴動勃発 の誘因 たる支那側官民 の本件開館竝 に岩井 の赴 任に対 七月二十 七日南京外交部国際 司長呉頌〓は往訪 の同 地日本総領事
次 抗 議 し 来 れ る 由 な れ ば今 回我 方 に て官報 に告 示 す ると き は 更 に同
す る反日的阻碍運動 の経緯を見 るに 館員 に対し ﹁日本 が成都 に領事 を派遣 せる旨 承知し居 るも支那側と
様 の抗 議 を 提出 し来 れ る を免 れざ る べ き も既 に英 仏 の前 例 も あ り職
務 執 行 上 別 段支 障 な か る べき に付 支 那側 の抗 議 は不 問 に附 す る も差
しては条約上各国領事 の成都駐在は絶 対 に承認 し難 し﹂と述べ更 に 同月三十日 に至 り外交部駐滬〓事 処長 周珪 は外交部発高宗武宛成都
支 な かる べ し と の返 事 あ り
︹干 城 ︺
開館不承認 に関す る電報 を上海 堀内書記官 に示し川越 大使 に伝達方
し た る処 同 交 渉 員 は右 に対 し外 交 部 よ り何 等 訓令 に接 せざ る趣 を以
依 て在 成 都 我 事 務 代 理 よ り同 地 支 那 交 渉員 に対 し開 館 の通 知 を な
大事 に関し ては省長 に報告しそ の指示を俟たざ るべ からず と て突然
北京政府 の命を聴 く ことを得ざ る事情 ある のみならず本件 の如き重
交渉員は目下南北対立し政局不安定なる関係 上和平会議 の結 了迄 は
省長 を持ち出せる に依 り同事務代理より直接省長 に交渉せ るも埒 明
て回答 せず
加印すべき旨を約 せり尤 も右会議終了迄 は正式公文 を使用せざる様
かず唯南北会議 の結了迄 一時 の〓 法として護照 に限 り英仏領事 と同
照 に加印 す る は其 の設 置 に関 し外 交 部 よ り指 令 あり し為 な る べき 処
との申出あり我方之 に承諾 を与 へたり次 で昭和 四年在成都支那側交 ︹ 廃止の意︺ 渉員 は裁撤 のこととなれるが裁撤前交渉員は我総領事代理 に対し同
又 我 が事 務 代 理 よ り支 那 側 に対 し其 の発 給 せ る護 照 に加 印 方 照 会
該 指 令 の日附 を承 知 し 度 旨 重 ね て照会 せ る に支 那 側 よ り英 仏 領 事 の
地政権 が南京政府 の治下 に移 りたる後も南京 政府 に於 て北京政府と
様 ﹁大日本欽命駐 川総領事官﹂なる名義 を以て発給し差支なく右 に
成 都 居住 ( 原 文 に は暫 居 省 城 ) に付 て は光 緒 二十 八 九 年頃 通 達 あ り
外国 との条約協定諒解を原則 として承認し居 る以上成都 日本総領事
るを 得ず と返 事 越 せ る に付 同事 務 代 理 よ り英 仏 領事 館 の発 給 せ る護
た る趣 回答 し来 れ り (当 時 英 国領 事 は宜 昌 よ り 又仏 国領 事 は本 国 よ
館 の存在 は英仏両領事館 と同様之 を認むべきも のなりとの見解を持
せ る 処 日本 総 領 事 館 設 置 に付 ては外 交 部 より 指 令 な き を 以 て加 印 す
り 直 接成 都 に来 れ るも の の如 く 両領 事 館 共 堂 々駐 川 総 領事 署 な る大
成都 事件
門 標 を掲 げ 支那 側 も之 を総 領 事 館 と し て認 め居 り た る模 様 に て英 仏
第 二項
する旨言明 せる趣 なり
も の に非ず 将 又支 那 政 府 は英 仏 両領 事 の成 都 駐 在 を認 め た れ ば こそ
両 領 事 共 成 都 が本 任 地 にし て決 し て他 の開 港 場 よ り来 り て暫 駐 せ る
於 て内地知照手続を済まし支那官憲承知 の上 にて二十 一日成都 に赴
員 田中武夫漢 口商人瀬戸 尚 の四名 は重慶迄岩井書記生 と同行同地 に
一、大阪毎 日記者渡邊洗 三郎上海毎 日記者深川経 二満鉄上海事務所
依 て我 方 は英 仏 領 事 が成 都 に 一時 的出 張 の形 式 を採 る に於 ては 我
きたり ( 反対気勢熾烈なりし為岩井 は重慶 に止りたり)然 るに同地
同 地 に特 派 員 を置 き た る も のな るべ し)
総 領 事 館 に付 ても支 那 側 をし て全 然英 仏 同様 の も のと 解 釈 せ し め我
反対気勢 は深刻 にて二十四日同 地小城公園 に於 て反日設領大会開催
襲撃暴行 の限を尽 し其 の結果 一行中渡邊、深川 の二名は死亡他 の二
方 の関 す る 限 り 正当 な る総 領 事 館 と し て取 扱 ひ 一先 づ 之 に満 足 し本
日本 領 事 が全 然 英 仏領 事 の振 合 に準 じ 重 慶 よ り暫 時 移 駐 す るも のな
名は負傷 し所持品 は悉く掠奪せられたり ︹ 嘉六︺ 二、我方 に於 ては不取敢重慶領 事館警察志波署長 に署員 一名及 医師
せられ閉会後示威游行 に移りたる群衆 は 一行 の宿 舎たる大川飯店 を
る に於 て は支 那 側 に ても英 仏 領 事 に対 す る と同 様 の待 遇 を 与 へ然 る
を附 し現地に急行 せしめ次 いで二十 八日在重慶糟谷領 事及在支大使
へ交 渉 の結 果 同 部 よ り大 正 七年 十 二 月 三 十 一日附 公 文 を以 て在成 都
べ く措 置 す べ き 旨 竝右 の趣 旨 を在 成 都 交 渉員 に訓 令 せ る旨 申 越 せ り
件 は 一応 解 決 し た る も の と看 做 す こと と決 定 し駐 支 公 使 よ り 外交 部
我事 務 代 理 は直 に支那 側 交 渉 員 に対 し 右 の通 り措 置 方 要 求 せ る処 同
三、前記 の通 我方 とし ては本件暴行事件発生 に先じ支那側 の領事館
のなり等陳弁 し予 め官憲側 の責任 回避 を策したり
的解決 に止めんとし本件は共産党 乃至反政府系分子 の煽動 に基くも
る旨及省主席 に於 ては誠意解決 に当 るべき旨を述 べたるも極力地方
に既 に首魁 を逮捕 二十六日二名 ( 劉成光、蘇得勝)を銃殺 に処した
側は相当狼狽 の色 あり地方官憲 に於 ては早速遺憾 の意 を表す ると共
置を講ぜず却 つて証拠湮滅を計 れる こと明となれり事件発生後支那
に中央より反 日運動取締方 の訓令 を受け居た るに拘はらず何等 の措
交部も部員 二名を特派 せる由)右調査 の結果支那側地方官憲 は事前
︹ 基樹︺ ︹ 左近︺ 館松村書記官 を急派 し現地調査を行 はしめたるが ( 在漢 口渡陸軍中 ︹ 成基︺ 佐及中津海軍中佐 も夫 々中央部 の命 により現地 へ赴きたり又南京外
に送 ら れ 次 で午 後 十 一時 頃 督〓 公 署 に収 容 せ ら れ た り負 傷 の程 度 は
昏 倒 し 居 た る を公 安 局員 に救 出 せ ら れ先 づ 加奈 陀 人経 営 の 四聖 病院
ら れ 軍 医 の手 当 を受 け 一方 田中 も棍 棒 に て右 耳 を強 打 せ ら れ路 上 に
中 公 安 局員 に救 出 せら れ 午 後 九時 頃 公 安 局 を経 て善 後 督 〓 公 署 に送
無 頼漢 等 よ り蹴 る殴 る等 の暴行 を受 け つ つ市 中 を 引 廻 さ れ瀬 戸 は途
街 上 に引出 さ れ (田中 は電 線 に て後 手 に縛 せ ら る )途 中 絶 え ず 学 生 、
何 等 の用 を為 さず ) 遂 に瀬 戸 及 田中 は離 れ離 れ に暴 民 の為 旅 館 より
行 を 加 へ (当時 公 安 局 員 四 五名 一行 の周 囲 にあ り た る も無 力 に し て
侵 入 殴 打 、 器物 の投 擲 、 家 具 の破 壊 、 一行 の所 持 品掠 奪 等 凡 ゆ る暴
路 に充 満 し 其 の数 一万 を算 す る に至 り午 後 七 時 頃 再 び 一行 の室 内 に
も其 の間 階 下 及外 部 に於 け る暴 民 は刻 々増 加 し て旅舘 及其 の附 近街
共に不取敢我方調査員 に対し充分 の保護と便宜 を与ふる様申入れた
明を俟 ち改 めて提出する旨断 わりたる上強く支 那側 の責任を問 ふと
領事 は二十 六日張羣 と会見し我方 の解決要求 に付ては実情及経緯判
意を喚起し取締 を要求し置きたる次第な るが事件発生後早速須磨総
旅館 よ り数 町 を距 つる 正府 街 の両 端 に於 て離 れ離 れ に裸 体 の儘 街上
な く支 那側 の情 報 を 綜合 す る に両 名 の屍 体 は 翌 二 十 五 日午 前 五 時頃
二
中 には中 学 生 、小 学 生等 多 数混 入 し居 た る模 様 な り
幸 ひ案 外軽 く瀬 戸 は全治 迄 二 週間 、 田中 は 一箇 月 の見 込 な り尚 暴徒
を破 壊 し て器 物等 を投 擲 暴 行 し 同 四 十分 頃 一時 三 階 よ り 引揚 げ た る
開設、岩井成都入 に対す る反対昂 るや屡次南京政府及 地方官憲 の注
る処張 は遺憾 の意を表し申 入の次第は早速手配 すべき旨述べたる趣
に横 は れ る を発 見 せ ら れ た る趣 に て附 近 の小寺 院 に搬 入 安 置 せ ら れ
成 都 市 長 及 呉 澤 湘答 弁 中 重 な る点
金 品 直 接 被害 渡 邊 約 千 八百 弗 、 深 川約 八百 弗 、 田中 約 八 百 弗 、
三
他 面午 後 七時 以 後 に於 け る渡 邊 、 深 川 に付 ては何 等 的 確 の消 息
なり
居 たり
一
四
瀬 戸 約 六千 五 百 弗 ( 商 取 引 其 の他 の間接 損 害 多 額 の見 込 )
二十四日午後三時頃 より学生、市民等 十四名旅館 に入込み岩井
四、糟谷領事松村書記官 調査報告概要左 の通 入蓉反 対等 の伝単、宜伝文等 を貼付撒布し漸 次其 の数 を増し演説等
共 産 党 の背 景 あ り と主 張 し 居 る も単 に推 測 に止 ま り支 那側 に
於 て も何 等 の確証 な し
イ
を行 ひ気勢 を揚げ居たるが午後 五時 に至り同館階下 の破壊を開始 し ( 当時公安局員等 に於 て制 止せしも少人数且武器 を携帯 せざる為何 等効果 なかりし が如し) 六時過遂 に 一行 の宿泊 せる三階 に押寄 せ扉
平穏 にして特 に警戒 の要 を認めず 一行に対しては宿舎 に護衛とし
き 何等 の ﹁ウ イ ツ トネ ス﹂ な き を奇 貨 とし 極 力事 実 の隠 匿 に努 め 単
を保 護 に籍 り て軟 禁 状 態 に置 き 我方 負 傷 者 二名 の狭 範 囲 の経 験 を除
五
本官 等 着 蓉 以来 陽 に各 般 の便 宜 を供 与 す る体 を 示 し つ つ陰 に名
て公安局員約 十五名、警備司令部兵士約 十名 を派遣し事件 発生直
な る偶 発 的 暴 動 にし て予 見 し得 ざ りし も の の如 く装 ひ毫 も誠 意 な き
漸 く 全 部 を取 去 り た る趣 な り )
後公安局員約 四十名 を増加し ( 何 れも銃器 を携帯 せず)公安局長
は 支 那側 当 局 の答 弁 振 に観 る も 明 か な り
支那側 の警戒振 に関し ては二十三日及 二十 四日午前とも市 中
及警備 司令 は現場 に赴 き暴徒 の弾 圧、邦人援出 に努め更 に事件 の
ロ
拡大 に伴ひ現場 及其 の附近 に公安局員約百 五十名 (武装せず)警 たりと称す尚何故 に発砲 せざ りしやと の質 問に対 しては 一般民衆 、
備司令部兵士約二百名 ( 武装す)全市を通じ約千名を出動せしめ 軍警及邦人を傷害せん ことを惧 れたりと て 一発 も発砲 せる事実な 加害者は 一十五 日二名逮捕取調 の上銃 殺し尚目下六名逮捕 取
き にと を確認せり ハ
暴 徒 の数 は弥 次 馬 を含 め 約 一万 但 し其 の種 類 は 天候 の関 係 に
調 中 と称 す ニ
て識 別 不 可能 な りき と称 す (遭難 者 は多 数 の中 、 小 学 生 を 現認 せ
国 民 政府 の民衆 運 動 取 締 方 訓令 に付 て は呉 澤 湘 は 二 十 一日接
り と) ホ
事 件 前 反 日 会 、排 日運 動 等 の有無 に関 し質 し たる に何 等 斯 る
ては 何 等 承 知 せず 唯 二十 四 日劉 湘 よ り 民衆 取 締 方 訓 令 あ り た り と
受 即 時 省 及 地 方 政府 に伝 達 せ りと 言 明 し公 安 局 長 等 は右 訓令 に付
称す
も のな く 領 事 館 再開 、岩 井 入 蓉 阻 止反 対 ﹁ビ ラ﹂ の貼 付等 も極 力
ヘ
(二十 六 日 赴 蓉 の重慶 館 員 の現 認 せ る所 に依 れば 二十 七 日 迄 は全
取 締 れ りと 言 ひ且標 語 中 に は私 貨 取 締 に関 す る標 語 最 多 し と称 す
市 ﹁ビ ラ﹂ 充 満 し 私 貨 の標 語 の如 き 殆 ど 見 当 らず 二十 八 日 に至 り
三七
第五水雷戦隊機密第八三号
北 海事 件 報 告
(南 遣 部 隊 司 令 部 )
出 来 次第 之 ヲ便 乗 セ シ メ北海 ニ回航 ﹄ の命 あ り 又当 時 上 海 在 泊 中 の
︹ 及川古志郎︺ 嵯 峨 の具 申 電 に対 し第 三艦 隊 司 令 長 官 よ り ﹃嵯 峨 ハ領 事 館 員 準備
第 三艦 隊 司 令 部 、臨 時 調 査 班 、 大使 館 附 武 官 、 第 五 水雷 戦 隊 、
本件報告 ( 送 付先 )
馬 要 、 四 駆 、 洲崎 、嵯 峨 、 第 十 一戦隊 司 令 部 、 福 州 、廣 東 、 臺
北 海 の情 況 を聴 取 し 尚 同 人 を 便 乗 せ し め十 二 日 一九 四 〇北 海 着 、 第
第 十 三駆 逐 隊 の 一艦 を北 海 に 一艦 を廣 東 に派 遣 せ し め ら る、 嵯 峨 は ︹ 善作︺ 一〇 日 ○ 八 三〇 香 港 発 十 一日 正午 海 口仮 泊 海 口 に て勝間 田氏 に つき
北各武官
日 一九 〇 〇青 島 発 揚 子 江 に て出 雲 飛 行機 を移 載 馬 公 寄 港 の上 十 五 日
同 夜 北 海 発十 三 日 二 一三 〇 海 口着 、早 苗 は十 二日 廣 東着
十三駆逐隊 ( 呉 竹 欠 ) は香 港 寄 港 の上若 竹 は十 二日 二 〇 三〇 北 海 着 、
一、事 件 発 生 ︹ 北浦豊男︺ 九月 八 日廣 東 武 官 発 ﹁北海 中 野 殺 害 サ ル詳 細 取 調 中 ﹂ な る電受 領
北 海 事 件
す 、 次 で九 日廣 東 武 官 よ り総 領 事 代 理 と廣 東 省政 府 主 席 黄 慕 松 と の
一四三 〇 海 口着
中 は北 海 竝 に香 港 に相 当 の兵 力 を集 中 す る の要 あ り と の意 見 具 申 あ
日 一 一三〇 海 口着
に関 し指 示 を受 け 馬 公 に寄 港 、燃 料 、 需 品 、応 急 兵 器 搭 載 の上 十 八
整 へ同 日 一七 〇 〇旅 順 発途 中 呉 淞 仮 泊 、 長 官 よ り北 海 事 件 処 理 方針
夕張 は当 時 旅 順 に於 て入渠 中 なり し が十 二 日出 渠 直 に出 港 準備 を
〇海 口着
第 十 六 駆 逐 隊 は 十 一日 一八○ ○ 青 島 発馬 公寄 港 の上 十 五 日 一四 三
次 で青島 在 泊 中 の球 磨 及 第 十 六駆 逐 隊 海 口 回航 の命 あ り球 磨 は十
会 見 の際 彼 よ り申 出 の件 竝 に各 部 よ り得 た る情 報 に就 き 来 電 あ り 又 、 嵯 峨 よ り は総 領 事 館 調 査 員 二 名 を便 乗 せし め 現 地 に急 行 同 調 査 員 の 保 護 竝 に通信 連 絡 に任 ず る の要 あ り と認 め 回 航準 備 完 整 せ る旨 及 北
り
海 附 近 は 十 九路 軍占 拠 し不羈 の行動 を採 り つつあ るを 以 て事 件 調 査
二、 艦 船 の行 動
又十四日第 三艦隊司令長 官より馬公要港部司令 官宛 四駆 の 一艦 を
港 外 約 十 浬 に て出 港 し来 る福 安 ( 廣 東 調 査 員 乗 艦 す ) に会 し嵯 峨 よ
は 北 海 回 航 の命 の み に て陸 上 と の連 絡 に関 し何 等 の命 な し と て要 領
本側調査員 の上陸 も拒絶せしめられたき旨申入あり各界 民衆 も十九
るも中央 より軍 事的要務を以 て来 れりと疑 ひ調査 を拒絶 せられ且 日
路軍より支那側調査員凌士芬 一行漸 く上陸丘参謀長と約 十分会見 せ
り 調 査員 及連 絡 将 校 を同 艦 に派 し情 況 を聴 取 す る に北海 には尚 十 九 ︹ あり?︺
を得ず 、 嵯 峨 は海 口陸 上調 査 を済 し 北海 に向 う 十 二日 一七 〇〇 北 海
海口派遣の協議 あり太刀風は十五日馬公発十七日海 口着 ︹ 豊田副武︺ 十 一日軍務局長より九月十二日より当分洲崎を第 三艦隊 に附属せ しめらるる旨通報あり洲崎 は十三 日横須賀発二十三日○ 八○○北海 着 及海 口方面 に特派せられたる艦船 は之を 一括 して第 三艦隊南遣部隊
りと云 ふ而 して福安 は在泊す るも上陸 不能 なるを以 て 一旦廣東 に引
路軍と日本軍 との衝突 は迷惑 を蒙 るを以て阻止 せられたき旨申出 あ
十 五日第三艦隊司令 長官 より電令 にて今 次 の北海事件 に関し北海 と呼称 し第五水雷戦 隊 司令 官 之 を指 揮 す る こと に定 めら る之 に依 り
︹ 細萱戊子郎︺
南 遣 部 隊 に入 り た る艦 船 は第 五水 雷 戦 隊 (呉 竹 欠 )嵯 峨 、 球 磨 、 太
返すと のことなりき
を以 て陸上 の状況調査 を行 はしむ
第十三駆逐 隊司令 、嵯峨艦長と共 に應瑞艦長 と交渉 ﹁ジ ャンク﹂
刀風 、 洲 崎 と な れり依 つて之 が編 成 竝 に運動 に関 す る内 規 等 を 別 紙
二
南遣 部 隊 は十 八日 正 午嵯 峨 、洲 崎 以外 は 海 口 に集 中 を了 し待 機 姿
第 一の如 く 定 む
三
十五日應瑞 より将校嵯峨 に来 り二日後中央軍北海到着 の旨 通知
勢 に在 り嵯 峨 は北 海 に於 て現 地交 渉 に当 り 洲 崎 は海 口 に向 け航 海 中
第十三駆逐 隊司令海 口に於 て勝間田と協議 の上支那人使用人二
報告概要別紙 第二 の通
名 を商船便 にて北海 に潜 入状況調査 をなさしむ 十四日出発、二十 日海 口帰着
四
あり、当地陸 上と軍艦 との連絡未 だとれざ る旨通知あり
二十 日爾 後 の交 渉 進 捗情 況 調査 竝 に連 絡 の為芙 蓉 を北 海 嵯 峨 錨 地
なり
に往 復 せ し め 二十 一日 に は 飛行 訓 練 竝 に水 路 調 査 を兼 ね嵯 峨 の交 渉
し む 二十 一日 夜 嵯 峨 よ り ﹃二十 二 日○ 八 ○ ○ ヨリ嵯 峨 調 査 開 始 ﹄ の
事 態 の変 化 に即 応 せ し む る為 、球 磨 、 若 竹 、 太 刀風 を〓 洲 に進 出 せ
蒋介石 は余漢謀 に対し軍隊北海に至 り十九路軍と交代す る様
十八日再 び應瑞 より将校嵯峨 へ来り左 の件 を伝 ふ イ
五
命 ぜり
三〇 嵯 峨 錨 地 附 近 に投 錨 せ り 二十 三 、 二 十 四 目 両 日 を以 て現 地 調 査
電 を得 て 二十 二日 ○ ○ ○○ 南 遣 部 隊 一遽 にし て北 海 に進 出 同 日 〇 七
を終 了 二十 四 日 に二 二 〇〇 北 海 を引 上 げ海 口 に帰 港 二十 五 日 太 刀 風 、
ロ
福安は近日再び支那側調査員を乗 せ来北 日本側と協力し調査
昨日及本日中央軍飛行機十九路軍撤 退の状況視察 の為北海 に 来 れり ハ
三 、交 渉 経 過 概 要 九 月 十 一日 、嵯 峨 は海 口 に於 て支 艦 應 瑞 と会 合 折 衝 せ しも 應 瑞
球 磨 は何 れも 南 遣 部 隊 よ り除 か れ海 口発
一
十九日通濟 、福安北海入港、應瑞出港
を開始す る筈 六 二十 一日第 三艦 隊 参 謀 長 よ り 、 外交 部 あ り南 京 武 官 に対 し余 漢
︹て︺
七
一 五 嵯峨 入港と同時 に 一五九師参謀長許譲玄、福安 の調査員 と共 に
位 置に転錨 し 一触即発 の姿勢 をとり警戒を厳 にす
同師 は昨夕遅く化縣より到着 せしば かり にて未だ市中 の保安十分
同艦 に来 り調査 に関す る打合 せを行 ふ
ならず調査 を明日迄延期されたき旨申出あり且当日は日没迄約 一時
右 通 報 に依 り嵯 峨 艦 長 は直 に通 濟 、福 安 に就 き確 め た る に余 漢
八
一 六 同夜は全部特別警戒 を行ひ三直哨戒 を以 て警戒し陸戦隊 は装備
間 に過ぎざりしを以 て陸上調査を延期 す
謀 軍 北 海 に入 り た り と の通 知 あり
謀 よ り ﹁二 箇営 ヲ派遣 合 浦 北 海 ヲ接 収 ス ヘシ﹂ と の電 本 日 一六〇 〇
側 に通 告 し た る処 先 方 の照 会 に対 す る返電 遅 く も明 朝 ○ 八 ○ ○迄 に
一 〇 嵯 峨 は右電 に依 り 二十 五 日早 朝 内 港 に転 錨 調 査 開 始 に決 し 支 那
一
四、南遣 部隊 の作 業概要
引揚ぐ
一 八 二十四日夕刻 にて調査完了し南遣部隊 は二二〇〇北海 発海 口に
調査 の経過別紙第 三の如し
一 七 ○八三〇調査員 上陸調査 を開始 す
支那側も海岸及 ﹁チ コツク﹂冠頭角高 地に占拠し警戒厳 なり
の儘各艦 に待機 せしむ
接 受 せり 本 夜 は時 刻 も晩 く水 路 も 熟 知 せ ざ る を 以 て明 朝 調 査 員 を派 遣 す べし と の返 あ り ︹ 中村豊︺ 次 で廣 東 総領 事 よ り ﹁二十 一日 午 後 五時 〓 作 謙 ヨリ電 話 ヲ以 テ 九
本 日廣 東 軍 譚邃 ノ部 隊 北 海 ニ入 城 シ市 民 ハ譚 及 翁 照 垣 ノ歓 送 迎会 ヲ
あ る べき を 以 て之 を確 め た る上 福 安 、 通濟 同 道 に て内 港 に転 錨 方 承
南遣部隊 (嵯峨欠) の北海進出計画を定む
開 催 シ ツ ツ ア リト ノ入電 アリ﹂ と の通 報 あ り
認 せり
二
糧食補給計 画竝に実施 ( 共同漁業会社 ﹁トー ロール﹂船利用)
陸戦隊 の編成竝に教練
別紙第 五
三
別紙第四
燃料補給計 画竝に実施 ( 洲崎より)
夕張十八日海 口到着 の上各級指 揮官集合事件処理方針を指 示し
一 一 右 の状 況 によ り南 遣 部 隊 は全 部 戦 備 を整 へ二十 一日正 子 至 急 出
二十 二 日 ○ 八 三〇 福 安 先 づ 内 港 に入 り状 況 を視 察 同 艦 は通濟 と
港 二十 二 日 〇 七 三 〇迄 に北 海 に入 港 調 査 を支 援 す る ことと せ り 一 二
無 線 連 絡 の こと と し嵯 峨 よ り通 濟 に連 絡 員 を 派 し南 遣 部 隊 は通 濟 附 近 に あり て即 時待 機 に あ り
四
二十 一日午前南遣部隊 日令第 一号 に依る教練施行
編制別紙第六
一 三 福 安 、 通濟 の無 線 連 絡 と れざ る為 福 安 は 一 一〇 〇 通 濟 附 近 に帰 着 支 那 側 調 査員 は直 に嵯 峨 を来 訪 し て陸 上 十九 路 軍 は撤 退 し あ り て
一二 〇 〇嵯 峨 、福 安 に続 き 内 港 に 入 る南 遣 部 隊 は全 部陸 上射 撃
福 安 より 兵員 を揚 陸 警 戒 しあ り 上 陸 調 査 可能 と通 知 せ り 一 四
別紙第 一
艦
細 萱 戊子 郎
名
夕
第 十 六駆 逐 隊 (芙 蓉 、刈 萱 、朝 顔 )
五
戦
第 十 三駆 逐 隊 (若 竹 、早 苗 )
張
南遣部隊指揮官
昭和十 一年 九月十 八日海 口旗艦夕張
機密南遣部隊命令第 一号
南遣部隊命令
揮 官
五水戦 司今官 太刀風
嵯峨艦長 洲
嵯 崎
峨
球磨艦長 球 磨
洲崎特 務艦長
Ⅰ番隊編隊中太刀風 ハ第十三駆逐隊 三番艦 トシテ 五 水 戦内 ノ隊 番 号 ハ従 前 通 ト ス
行動 ス
指
五 水 戦 司 令 官
一 二
第 一航行序列
一通常航行序列
二、運動内規 ハ左記 ノ外第三艦隊竝 ニ第 五水雷戦隊運動内規 ニ依 ル
備考
水
一、軍隊区分 ヲ左 ノ如 ク定 ム 部隊 番号
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ Ⅳ
第 二航行序列
第 三航行序列
第 四航行序列
六節
一二節
二通 常 速 力 微速力
原速 力
強 速力
一四 節 (嵯 峨 居 ラ サ ルト キ ハ 一八 節)
夕 張 ノ 二○ 度
夕 張 ノ 一五 度
夕 張 ノ 二五 度
夕 張 ノ 二○ 度
但 シ洲 崎 編 隊 航 行 中 ハ特 令 ス 三基 準 舵 角
常用舵角 通常速力 (二〇 節未満 ) 緊急舵角 常 用舵角 高 速 力 (二〇節以上) 緊急 舵角
三、 太 刀 風 編 隊 航 行 中 ノ機 関 繰 縦 ニ関 シテ ハ昭和 十 一年機 密 第 五水 雷 戦 隊 法 令 第 四号 ニ依 ル 四 、燃 料 ニ関 ス ル報 告 ヲ左 ノ 通 定 ム 一 燃料 搭 載 報 告 (搭 載 ノ都 度) 二 毎 月 月額 報 告 三 毎 月 十 五 日 正午 燃 料 在 庫 額 報 告
一 、 四 項 ハ分離 行 動 中 ナ ルトキ ハ電報 ス ル モノ ト ス
様 式 ハ従 来 ノ所 属 ニ於 テ定 メ ルタ ル処 ニ依 ル
四 行 動 シタ ル場 合 ノ消 費 額 及 在 庫 額 報告
ロ
但 シイ
聯 合 陸 戦 隊 ハ各 所轄 ノ第 三編 制 陸 戦 隊 ヲ合併 シ之 ニ聯 合 陸 戦 隊
五、 聯 合 陸 戦 隊 ノ編 成 ヲ左 ノ如 ク定 ム 一
聯 合 陸 戦 隊 本 部 ニ ハ指 揮官 一、 参 謀 兼 副 官 一、 旗 手 一、 指 揮 小
本 部 ヲ置 ク 二
隊 一ヲ置 ク之 ガ編 制 左 ノ如 シ
兵
種
員
数
官 階
一
名
職
中
尉
一
派出 艦
曹 兵
六( 内 信 二)
六( 内 信 二)
球
旗
小隊長
兵 水
曹 兵
六( 内 信 二) 駆逐隊
一一
聯合陸戦隊 指 揮官
大
曹 指
一分 隊
兵 水
曹 兵
一
夕
長
一
一
夕
球
張
張
磨
第十 六
長
夕
大 ( 中)尉
一
一
磨 揮
二分隊
兵 水
佐
聯 合陸戦隊 参謀兼 副官
兵
一
小
三分隊
曹
中 手
特 務 兵曹長 中 少尉
隊
機
曹
一
工作 隊 長
兵
張
通信隊長
医
医
長
軍
四医 務 隊 ニ乗 組 軍 医 官 ヲ派 出 ス ル ハ球 磨 ノ ミト ス
三 主 計 隊 ハ必 要 ノ際 編成 ス
五 右 ノ他 聯 合 陸 戦 隊 指 揮 官 ノ定 ム ル処 ニ依 ル
別紙第二
備
考
(終 )
勝間 田使 用 人報 告 要 旨 一、 警 戒厳 にし て中 野 宅 に 入 り得 ざ り し も 遺族 は 旧宅 に居 るも の の 如 し中 野 氏 の遺 骸 は 十 九路 軍 他 に搬 出 し 居 り同 氏 の死 因 を病 死 な り と宜 伝 し つ つあ り 二、 在 北 海 十 九 路 軍 兵 数 約 一、 五〇 〇 海 岸 要 所 に土嚢 陣 地 を築 き 高 地 に機 銃 等 備 へあ り 三 、中 央 軍 飛行 機 十 八 日北 海 上 空 を 飛行 し ﹁十 九 路 軍 は 三 日 以 内 に 撤 退 せよ ﹂ と の ﹁ビ ラ﹂ を撒 け り十 九 路 軍 は之 に対 し何 等 射 撃 を 実 施 せざ り き 四 、 十 九 路 軍 は 反蒋 反 日 の気 勢 を示 し 絶 対 撤退 せず と 放 言 し 居 り 一 般 人 の北 海 入市 に対 す る警戒 は極 め て厳 重 な り 一般 市 民 は商 売 不 能
﹁ 殺 絶 日本 偵 探 ﹂ ﹁打 倒 日 本帝 国主 義 ﹂等 の排 日伝単 多 数 貼 付 し あ
な る為 十 九 路 軍 に対 し て は 相当 反 感 を有 せ る模 様 な る も 市 内 に は
り 五 、 九 月 三 日 の状 況
査
支
陸軍 那
︹ 太郎八︺ 篠 田 五水 戦 参 謀
濱 崎嵯 峨軍 医 長
側
通 訳 一名 ︹ 芳政︺ 岡 田陸 軍 武官
一八○ ○
一六 〇 〇
一七〇 〇
凌 士 芬 、 揚 乗 離 外 一名 二 、調 査 経 過
i 調査 に関す る打合 せ
九 月 二 十 二 日 一四〇 〇
中野宅実地調査
九 月 二十 三 日○ 八○ ○︱ ︱
墓地死体検視
1
遺族 により情況聴取 中野死体火葬 遺族遺 骨収容
九 月 二 十 四 日○ 八 ○ ○
家宅封印公安 局に保管委托
市内は戒厳令施行 され調査員 は廣東軍及憲 兵護衛 の下 に調査を施
三、調査実施 の状況
岸 に近づくを厳禁し対 日感情極 めて不良 なりしも調査 に関してはよ
行す
側 ︹ 張之助︺ 戸 根 木 廣東 総 領事 館 書 記 生 ︹ 弘人︺ 松 浦 廣 東 総 領 事 館警 察 署 長
艦通濟は廣東海 軍と の連絡不良 にし て二十二日嵯峨と共 に内港 に進
く協力し特に支那側調査員凌秘書 の努 力は顕著 なるものありしも軍
海岸全部見張 を配し調査員 一行 以外絶対 上陸を許さず 又舟艇 の海
通 訳 一名 ︹ 彦次郎︺ 須 賀 福 州 駐 在 武官
員
( 内容 現場 調 査 と略 同 様 )
本
別紙第三 一、 調 日 外務
海軍
入 す べく 交 渉 せ し際 は吃 水 一九 呎 あ り炭 水欠 乏 せ る為 内 港 進 入 困 難
り猿 轡 をあ て逃げ んと す る を引戻 し て壁 に押 つけ 短 刀 を以 て右 胸
階 に上 りし が 二階 居 室 に て食 事 中 の中野 を発 見 直 に之 に飛 び か か
拳 銃 音 を 聴 き門 口 に て待 機 せ し 兇 漢 四、 五名 も亦 侵 入 し来 り 二
部 、 腹 部 、 頸 部等 を刺 し其 の場 に殺 害 せ り 清 は 二階 の裏 窓 よ り飛
な り と 称 し 遂 に動 かざ り し に拘 らず 二十 三 日 調査 員 上陸 し 安 全 な る
下 り逃 走 し 夫 人 は 二 階 に 上 ら んと し て兇 漢 に突 き落 さ れ長 女 ︹千 ︺
見 極 め 附 き た る後 単 独 内 港 に進 入 せ り 通濟 の不信 行 為 言 語 道 断 な り と云ふべし
視 せ り遺 骸 は丈 夫 な る寝 棺 に収 め あ り 已 に腐 爛 し あ るも 尚 人 別出 来
九 月 十 七 日 公安 局 の手 にょ り墓 地 に埋葬 さ れ あ り た るを 以 て発掘 検
護 の名 目 に て家 族 を公 安 局 に連 行 監禁 せ し が十 四 日夜 に至 り遺 骸
後家 族 は遺 骸 を入 棺 し 弔 ひ 居 た る 処十 一日公 安 局 員 再 び 来店 し保
南 人 と の混 血 児 な る が如 し ) を同 行 し て来 店 し 検 視 を な せ り其 の
に届出 た る も同 夜 は誰 も 来 らず 翌 四 日公 安 局 員 、 仏 人 医 師桂 (安
斯 く て兇 漢 は二一 ○○ 頃 表 口 よ り立 去 りた るを 以 て直 に 公安 局
鶴 子 は辛 う じ て二 階 に駆 け 上 り現 状 を目 撃 せり と 云 ふ
四 、現 場 調 査 中 野 住 宅 は丸 一洋 行 と称 し北 海 市 第 七 区泰 華鎮 珠 海 路 九 十 号 にあ
曩 に刺 殺 せ ら れ しと き 検 視 を な せ る 仏 人 医師 も立 会 ひ 且遺 骸 発 掘中
り家 内 は よく整 頓 さ れ あ り商 品等 略 奪 の跡 は認 め ら れず 遺 骸 は去 る
中 野 夫 人 及 長 女 現 場 に馳 せ付 け た る を 以 て 正 しく 確 む るを 得 た り遺
を 始末 す べ き を命 じ帰 宅 せし め た り
は 大 いに恐 惶 を来 し 四散 し て避 難 せし が帝 国 軍 艦 の来 航 を 聞 き 皆
然 れ ど も市 内 に は中 野 家 族 鏖 殺 等 の流 言 盛 な りし を 以 て遺 族等
骸 は噂 に あ りた る如 く 数 個 には 切 断 さ れ居 らず 中 野 遺 族 は皆 遭 難 後
馳 せ付 け た る も のな り
何 れか に 逃走 避 難 し行 衛 不明 な りし 処 本 日 日 本軍 艦 来 航 を 聞 き 保 護 を受 く る為 調 査 中 に第 一夫 人 、第 二夫 人 、 長 男 、 長 女、 外 男児 三名
を強 要 し た る こと あ り中 野 も承 諾 し て立 退 準備 中 な り し と 云 ふ
十 九路 軍 入市 後 翁 照 垣 は商 務 局 を 通 じ て中 野 に対 し数 回 立 退
ハ
ロ
更 迭 等 に因 り調 査 上 幾 多 困 難 を 来 す べく 予想 さ れ し も計 ら ず も 何等
今 回 の現 地 調 査 は 犯 行 よ り の経 過時 日長 か り し と責 任 あ る当 局 者
出 現 せり
支 那 側 官 憲 の拘 束 を受 け ざ る遺 族 を 発 見 せ る 為予 想 外 順 調 な る調 査
を持 ち 居 た るも 他 は何 れ も 十七 、 八歳 の青年 にし て拳 銃 を有 せず ︹ 廣東省︺ ﹁ジ ャ ック ナイ フ﹂様 のも のを持 ち 言 語 は北 海 又 は 化縣 語 を使 用
ニ
せりと云ふ
兇 漢 中 最初 入店 した る も のは 三 十歳 前 後 の者 に て 二人 共 拳 銃
を進 め得 実 情 を 極 め 得 た り
イ
学 生 、 義 勇 軍 と し て約 三〇 〇 名 の学 生 が北 海 に入 り来 た り 以来 打
五、 中 野 遺 族 其 の他 近 隣 者 等 よ り 得 た る情 況
り来 り当 時 店 頭 に あ り し長 男 清 に対 し 日 本 人 の店 な る べ しと 詰 問
十 九 路 軍 の北 海 に入 り た る は 八月 二十 四 日 にし て同時 に抗 日
し拳 銃 を清 に突 付 け し か ば 清 は 大 い に驚 き 二階 に逃 げ 上 りし が兇
倒 日 本賊 、打 倒 蒋 介 石 漢 好等 の宣 伝 標 語 を散 布 し た る も 九 月 三 日
九 月 三 日 二○ ○ ○ 頃 兇 漢 二 名 買 物 を 為 す が如 く し て店 内 に入
漢 は発 放 し て 二階 に追 及 せ り
続 き 三 日間 遊 行 ﹁デ モ﹂ 行 は れ ﹁打 倒 日本 偵 探 ﹂、 ﹁殲 滅 日 人﹂ 等
兇 行 の日迄 は市 内 に於 て別 段 ﹁デ モ﹂ を行 はざ りし も 四 日 よ り引
們底血和肉築成 一道鋼鉄似的防堤,不譲如潮的 日本兵湧 上我們底國
自從 ﹁北海事件 ﹂発生 以来,我們便誓 死守住南路。我們決 心用我
我們悲壮地抱定與 〓們死別離的決心來遂行軍 人守土底天職,我們
土。
中没有 一個 人不以此自誓。同時我們私自慶幸能〓和志同道合 的〓們
示 威 遊行 は抗 日学 生 義 勇 軍 約 三 〇 〇名 十 九 路 軍 兵 約 一〇 〇 名 北
の標 語 を 配布 せ り
海 学 生約 一、〇 〇 〇 商 人等 一般 民衆 約 五〇 名 計 約 二 、〇 〇 〇 名 と
親近・能〓以上海華北抗 日未死之身再爲 民族闘争肩起 一部〓責任,
可是做夢也料不到在志來成身未死的現在,偏偏會與可敬 可愛的〓們
十 九路 軍 撤 退 に先 ち 九 、 一八記 念 日 には翁 照 垣自 ら烈 し き抗
云ふ ホ
別離,
得萬布慚愧, 一方面熱血部要由我們底胸膈噴出來在逐 日本兵要來残
回憶本軍初 抵此間之到處湧起熱 烈的歓迎聲底時候,我們 一方面覺
日 的演 説 を行 ひ中 野 の殺 害 は当 然 な る如 き 口吻 を漏 し 又撤 退 に際
(別紙 第 三 の 二)
し ては激 烈 な る抗 日 ﹁ビ ラ﹂ を市 内 に散 布 せり
義者搏 闘,空負了〓們當時熱 烈歓迎我們底初哀。我們甘願爲民族而
別底悲運。 我們不能〓伴着〓們同赴 國難,大家正排着肩兒和帝國主
殺〓們 底當兒作爲〓底親明底 我們,恰巧遭逢這不潯不含涙和〓們道
中 野 の店 舗 は家 族 四散 せ し 為公 安 局 管 理 し 居 り 店内 は良 く 整 頓 さ
五、 犯 人 の推 定
れ 犯行 の跡 を始 末 し た る も のの如 く 尚 北 海 官憲 は 十九 路 軍 引 上 げ と
死伹現在都連 死的機會都不容 許我們
的禮物可以留下來給〓們存念。我們有的,只受 一生打倒 日本帝國主
現在 我們是 不能不離開這裏 了,在臨別的當兒,我們没有什麼特別
共 に更 迭 さ れた るを 以 て遺 族 の取 調 に依 る の外殆 んど 背 後 調 査 の手
務 司 は 日本 人 を妻 と せ り) は 犯人 は北 海 以 外 の者 な るべ し と述 べ 又
〓!
義掃除漢奸群的熱誠 以及 一個 不怕犠牲的死膽 而已就留下這些給 〓們
掛 な き状 態 な りし が 北 海 海関 税 務 司 及 港 務 部 長 ( 共 に米 人 にし て税
中 野 の近住 者 は 官憲 に て手 を廻 せ る為 か 何事 も語 らず 只 中 野 は頗 る
然 地伸出手來和我們 合作,因此我們知道自己過去抗 日除奸底實際 行
我們初到時候受〓們熱誠的歓迎,我們 滞留在這裡時〓們又能〓欣
的。
這 一點看這花 一點看,去好像太過酸氣的遺 贈在意義 上却是非常珍貴
義者反其先鋒漢奸群〓命,把〓們自己,把整個中華民族解救出來 從
希望〓們會欣然毅然 地接受〓們可以用這熱誠和這死朋與日帝國 主
好 人物 に て近 隣 と の関 係 は良 好 な りし旨 申 立居 れ り 其 の他 各 種 状 況 よ り綜 合 す る に兇 徒 は十 九 路 軍 の軍 人 を 主導 者 と す る学 生 団 な る が如 く推 定 せら る
別紙第三の二 留 別南 路 民衆 書 可 敬 可 愛的 民 衆 ⋮ ⋮
﹁北 海 事 件 ﹂ 発 生 以来 我 々は誓 死 を以 て南 路 に守 住 した 、 我 々 の
て潮 の如 き 日本 兵 が我 国 領 土 に湧 き 上 ると も 断 じ て譲 らざ る意 気 で
決 心 は我 々の血 と 肉 を 以 て築 きた る 一道 の鋼 鉄 にも似 た る防 堤 にし
動已経能〓深深 地打動了。 係們底心取得係們底共鳴。切望〓們在我們底部隊離開〓裡後,仍
に我 々は志 を 一にす る 諸 君 と親 交 す る こと を 得 又 華 北、 上海 の抗 日
職 を遂 行 し 一人 と し て此 の自 誓 を以 て せざ る も のは な か つた 、 同 時
我 々は諸 君 と 死 別 す る悲 壮 な決 心 を抱 き 軍 人 の本 分 た る守 土 の天
あ った
然堅持〓們底信念,持續 対於我們底 共鳴 ・勇往直前,勿負初衷,勿 使○中視線在 ﹁北海事件 ﹂底全國群衆失望 ・這様,在實際 上我們便 不遇来接防廉北各地底軍隊是軍隊是我們底將友,這 一件 都使我們
が未 だ終 焉 せざ るを 以 て民族 闘 争 の為 再 び 一部 分 の責 任 を荷 な つて
是永遠結合在 一定了。 走後亦安心。來接防底譚師長羅旅長以及陳旅長等,都是志抱抗日除
起 つ こと の出 来 得 るを 私 か に祝 福 した 、 然 し な が ら夢 にも思 わ ざ り
も の ︹が ︺ あ る、 日本 兵 正 に来 た り諸 君 を残 殺 せ んと す る 此 の時 に
時 を回憶 し 我 々は 一方 に万 分 の慚愧 を覚 え 一方 に熱 血 胸間 よ り迸 る
本軍 初 め て当 地 に到 着 し 到 る処熱 烈 な る歓 迎 の声 湧 き起 り た る当
於 て生 憎 立到 った
き 敬愛 す べき 諸 君 と の別 離 が 志 未 だ成 らず 、 身 未 だ 死 せ ざ る現 在 に
奸的勇士,熱誠地同情 民衆運動的同志。所 以我們希望〓們會接受各 在我們底滞留時間内,深恐有心存破壊本軍名誉的人。假 借本軍部
長官底指導,聴從他們底指示。 屬底名義,作爲悪非,或者我們自己察覺不到,顧〓不週,致使〓們 也會有吃虧的地方,切望〓們會從本軍不干渉 地方行政,凡事 一以民 我們 〓望着有重與〓們 相見的 一天,而且相信那 日子竝不遙遠。
当 り諸 君 の親 友 た る我 々が 恰 も 此 処 に諸 君 に別 離 の辞 を 述 べざ る べ
蒐爲依歸底光明行動上着想而加 以原諒。 未了,我們謹在此由衷 地視〓們闘争勝利。 十九路軍全体將士同具
出 来 ぬ大 衆 が 正 に帝 国 主 義 と の搏 闘 を 双肩 に荷 な ふ時 我 々は空 し く
の為 死 を 願 ふ も然 し乍 ら現在 では共 の死 の機 会 さ へも 凡 て我 に許容
諸 君 が 当 時熱 烈 に歓 迎 し て呉 れ た初 志 に背 え た 、 我 々は甘 じ て 民族
︹マ マ︺
か らざ る悲 運 に遭 遇 し た、 我 々は 諸 君 と同 道 国 難 に赴 く こと は最 早
( 註) 右文章は昭和十 一年 九月 二十 日北海 に於 て十九路軍退去 の際 民
の胆 力 の み にし て之 が諸 君 に残 す 礼物 の換 り であ る、 希 く ば 諸 君 が
日本 帝 国 主義 打 倒と 漢 奸 群 を 掃 滅 す る の熱 誠 及 犠 牲 を怕 れ ざ る決 死
特 別 の礼 物と て無 いが只 諸 君 に或 る 信念 を残 す こと が出 来 る、即 ち
現 在 我 々は即 刻 此 処 を離 れ ねば な ら ぬ今 別 離 に臨 ん で我 々は何 等
しな い
衆 に散布せ るも のなり ○2 は脱字 ︹右の中国文にはかなりの誤があるものと思われる︺ 訳文 (別紙第三 の二) 南路民衆 に訣別 の辞 を述 ぶる書 敬愛す べき諸君よ
欣然 毅 然 と し て受 け 入 ら る る こと を望 む 諸 君 が 此 の熱 誠 と此 の決 死 的胆 力と を以 て 日本 帝 国 主 義 に其 の鋒 先 を向 け 漢 奸 群 の命 を断 ち諸 君 自 身 を将 又整 個 な中 華 民 族 を 救 ひ出
る が意 義 上 よ り看 る なら 非 常 に珍 貴 な る も のな り
し 得 るな ら 此 の 一点 よ り看 るも 一看 ま る で傷 ま しき 花 の贈 物 様 で あ
我 々が初 め て到 着 せし 時 は諸 君 の熱 誠 な る歓 迎 を 受 け 当 地 滞 在中 は 又 諸 君 が欣 然 と し て手 を差 し 伸 べ我 々と合 作 し てく れ た 、 此 れ に
我 々は 再 び諸 君 と 相 見 ゆ る日 を待 望 し且 其 の時 日 は決 し て遠 き
十 九 路 軍 全 体将 士 同 具
も のに非 らざ る こと を相 信 ず 、 終 に臨 み謹 ん で衷 心 より 諸 君 の闘 争 勝利 を 祈 る
中華民國 二十 五年九月十六目 (水曜日)
店,日人中野被殺案,各報經有記載,茲復探得此案 發生後 ,当地軍
(特約 通訊)九月三日下午七時許,合浦縣北海市海珠中路丸 一商
以○ 代 抗
根 ざ し て動 き つ つあ るを 知 った 、 諸君 の心 は諸 君 の共 鳴 を取 得 し 切
政長官處 置之辮法並各方來文去 電,統録於後,以爲 關心此案昔告也
載
に我 々部 隊 が 当 地 を離 れた る後 も 依然 諸 君 の信 念 を 堅 持 し 我 々に対
翁師長 電此案発生於抗 日救國軍第 一師防地内,是晩 九時翁師長即
所
す る共 鳴 を 持 続 し勇 往 邁 進 初 志 を曲 ぐ る こと 無 く ﹁北 海 事 件 ﹂ に視
電告南寧李白総副司令事件發生之情形,與其前因後果。茲録其原電
北 海 日人 被 殺 案 詳 情
合浦半週報 (三頁)
線 を注 ぐ 全 国 群衆 を し て失 望 な から し め ん こと を望 む 、 斯 の如 く せ
於下 : ﹁ 南寧総司令李副総 司令白主席黄 玉林総指揮蔡鈞鑒,據此北
因 って我 々は 自身 の過 去 に於 け る 抗 日 、 除奸 の実 際 行 動 が 已 に深 く
る廉 北 各 地 の軍 隊 は 我 々の将 友 にし て 此 の点 我 々の退 去 後亦 安 心 せ
ば 実 際 上 我 々が永 遠 に結 合 す るは 必 定 な り、 図 らず も今 後 を 接防 す
該 接 防 軍 隊 の譚 師 長 、 羅 旅 長 及 陳 旅長 等 は 凡 て抗 日除 奸 の志 を抱
丸偸運軍 火,無悪不作,早爲北海 民衆所痛恨,近以抗 日救國軍南來
在拳足交 加下,當郎斃命,査該 日人平時恃勢横行,包庇走私販賣毒
緊張恐遭 不測,於本日下午七時 ,閉門逃走,途中爲 羣衆偵悉拘獲,
海三日下午 八時電話,本市丸 一商號店 日人中野,因 見本市抗 日空気
く 勇 士 にし て熱 誠 な る民 衆 運 動 に同 情 を寄 せ る同 志 な り、 そ れ 故 我
民氣騰沸,當事發生時,軍警陋 止無効,該日人遂不免 於 難 云。﹂査
し む るも のな り
我 は 切 に諸 君 が各 長 官 の指 導 を 接受 し彼 等 の指 導 に従 は れ ん こと を
我 々が 当 地在 留 中 本 軍 の名 誉 を 破壊 す る目 的 から 本 軍 部属 の名 義
府禁 止抗 日運動,故敢怒而 不敢言也。
逃來北海經商,平 日行爲 ,確如電 中所述○民衆 恨之 入骨○因以前政
該日人中野,原爲 日本之重要殺 人犯,因爲其本國政府緝拿甚急,始
︹マ マ ︺
希望す
を 偽 称 し非 行 を為 し或 は 我 々自 身 発覚 し得 ず 又顧 慮 不 行 届 に依 り諸
於日致電翁師長,文 曰 ; ﹁急北海探送翁師長照垣兄鑒,北海發生日
黄 余來 電廣東當局得悉此案後,驚惶無措。大有大難來臨之勢,當
君 にも亦 損 失 す る所 あ ら し め た る を深 く 恐 縮 す 然 し 諸 君 は本 軍 の 地 方行 政 に干 渉 せず 百 般皆 民意 を 以 て依 頼 した る光 明 な る 行動 に着 想 し 何 分 の諒 解 を加 へら れん こと を 切望 す
僑 斃 命 交 渉 案 ,現 由 粤 外交 特 派 員 公 署 派 張秘 書會 同 日領 前 〓 北 海 勘
的。 将来豫想
此案 各 方 的 観 點 不 同 ,在 ○ 日救 國 軍 方 面 以 爲 民衆 ○ 日
廣 州 方 面 ,則 以 此案 在 邦 交 上 , 恐其 問 題 擴 大 , 成 爲 國 際 重 大之 糾 紛
運 動 , 係 爲自 動 的, 合 理 的 , 必要 的 ,自 然 不應 加 以 干 渉 ,而 保 民族
験 , 到 時 務 請 貴 部 妥爲 保 護 , 以重 邦 諠 ,行 期 及艦 名 , 候 決 定後 續 告
, 但 此案 發 生 地點 , 又不 屬 其 勢力 範 圍, 無 能 爲 力 。 記者 意 以將 来 必
精 神 , 均 認中 野 案 之 発 生 , 純 出 民衆 愛國 之 行 動 , 表 示 不 負責 任 , 而
外 交 特 署 派 張 秘書 會 同 日領 前 來 勘 験 ,經 〓 電知 翁 師 長 到 時妥 爲 保
以 不 了 不 了之 , 因 在 外 交 不得 要 領 , 用 其 又非 其 也 , 目 亦 不須 此 小事
(二) 分 送 當 地 軍警 主 官 ' 北 海 此 次 發 生 日 僑斃 命 一案 , 現 由
護 , 以 重 邦 諠 , 務希 慎 重保 存 死 身 , 以 憑 勘験 ,并 分 飭 各 軍 警協 同 保
,除電達徳 ( 宗 仁) 健 (崇 禧 ) 両 兄 外 ,専 此奉 托 , 仍 希 見 復 爲 〓。
護 爲 要 。﹂ 按 中 日問 題, 至 今 尚 有 何 邦 諠 可 言, 至 於 保 存 屍 体 , 更 可
( 終)
件 而 至戦 争 也 。
北 海 日本 人 殺 害 事件 詳情
中 華 民 国 二十 五年 九 月 十 六 日合 浦 半 週 報 所 載
○ は脱 字 ︹ 右 の中国文にはかなりの誤 あるも のと思われる︺
不必 , 我 國 人在 東北 以及 各 地 受 日軍 惨 殺者 , 何 可 勝 數 , 何 不 見 其留 死體待験也 翁 師 長 覆 ,翁 師長 接 電 後 , 以 北 海 民 氣激 昂 ,〓 日領 到 来 調 査 , 恐 發 生 出 其 他問 題 ,當 即 去 電 拒 絶 , 文 曰 : ﹁ 廣 州 黄 主 席 , 余 総司 令 齊
(特約 通信 ) 九月 三 日午 後 七時 前 後 合 浦 縣 北 海 市 海 珠 (珠海 が真
電 敬 悉 , 北海 民衆 連 日巡 行 示 威 , 抗 日 情緒 緊 張 , 如 日領 來 ,難 免 節
実 な り )中 路 丸 一商 店 の 日本 人 中 野 を殺 害 した る事 件 は各 新聞 已 に
報 道 し てあ る が 茲 に此 の事 件 発 生後 当 地軍 政 長 官 の処 置方 法 及 各 方
外 生 枝 , 問 題 反 致擴 大 , 弟 不 能 負責 保 護 , 應 請 拒 絶 前 来 , 如強 乗 日
( 宗 仁) 健 ( 崇 禧 ) 両 公 指 示 〓 理 , 謹覆 ﹂
艦 来 , 則 本 軍守 土 有 責 , 必 實 行 焦 土 ○ 戦 ,至 該案 應 如 處 置 ,請 候 徳
す
に来 往 せ る電 文 を綜 合 摘録 し 此 の事 件 に関 心 を 有 す る も のの為 に資
負 保 護 。 至 日領 乗 日艦 來 , 實 以 武 力威 迫, 而 熱 血 英 雄 的 翁 師長 , 當
實 在 此 抗 日 高 潮中 , 日領 來 調 査 , 確有 危 険 之 可 能 , 自 然 誰亦 不敢
起 與 敵 週 旋, 必 不堪 於 屈 服 也 。
行 , 到 的 民 衆 四 千 餘 人 ノ情 形 異 常 熱 烈 , 沿途 高呼 打 倒 日帝 國 主 義 ,
, 開 始 指 導 民 衆 ○ 日 運動 工作 , 北 海 且 於 五 日 擧行 民衆 ○ 日大 示 威 巡
本 市 抗 日空気 緊張 せ る に因 り不 慮 に遭 ふ を 恐 れ本 日午 後 七時 店 を
北 海 三 日午 後 八時 の電 話 に拠 ると 本 市 丸 一商 店 主 の 日本 人 中 野 は
南 寧 総 司 令 李 、副 司 令 白 、 主 席 黄 玉 林 、 総指 揮 蔡 、 各 位 御 中
の状況 及 其 の前 因 後 果 を報 告 した 其 の電 左 の如 し
翁 師長 電 此 の事 件 は抗 日救 国 軍 第 一師 の防備 区 内 に発 生 し 当 夜 ︹ 李宗仁︺ ︹ 白崇禧︺ 九 時翁 師 長 は直 ち に電 報 を 以 て南 寧 の李 、 白 、総 副 司 令 に事 件 発 生
民衆 情 感 , 自 ○ 日救 國 軍抵 達 南路 後 , 民 衆 ○ 日 的 運動 發 展 得 非 常
推 翻漢 奸 軍 閥 政 権 , 収復 東 北 失 地 擁 護 ○ 日 救 國軍 焦 土 ○戦 等 口號 ,
閉 め て逃走 し た所 途 中 に於 て群 衆 の為 発 見 さ れ て捕 へら れ 打 つ蹴
猛 烈, 故 有 中 野 案 之 發 生 ,合 浦 廉 江 両 縣 的 ○ 日救 國 会經 已 組 織 成 立
其 一種 昂 激 的 態 度 。 實 在 除 了○ 日救 國 軍 旗 幟 下的 地方 , 不 能 〓 多 見
行 し、 密 輸 を 庇 護 し毒 丸 を販 売 し又 窃 か に兵 器 を運 ぶ等 悪 行 為 さ
る の暴 行 に直 ち に絶 命 し た査 す る に該 被害 者 は平 時 勢 に恃 ん で横
た の も見 な い ので あ る
を受 け た る 者幾 何 か数 知 れざ る に何 ぞ 其 の屍 体 を留 め て験 証 を待 つ
事 を恐 れ直 ち に拒絶 の電 を発 し た即 ち ﹁廣 州黄 主 席 、 余 総 司 令 の
て若 し 日本 領 事 調 査 に到 来 す れば 必 ず 其 他 問 題発 生 す る であ ら う
翁師 長 は電 に接 し てか ら 北海 の民 気 激 昂 せ るを 以
国 軍南 来 せ るを 以 て 民気 沸騰 し事 件 発 生 の時 は軍 警 之 を 制 止 せ る
八 日附 電 報 敬 しく 拝 見 せり北 海 の民 衆 は 連 日 示 威 を 巡行 し抗 日 の
翁師長復電
も効 無 く該 日本 人 は 遂 に難 を免 れ得 な か つた と の こと であ る。
ざ る無 く早 く よ り北海 民衆 の痛 恨 と す る所 であ つた 、 最 近 抗 日 救
査 す る に 該 日 本 人中 野 は元 来 日 本 の重要 殺 人犯 にし て本国 政 府 の
つて問 題 は拡 大 し 小 生 保護 の責 を負 ふ能 はず 故 に来 北 を拒 絶 さ れ
情 緒 は非 常 に緊 張 し 若 し 日 本領 事 来 着 せば 枝 節 の発 生免 れ難 く 反
度 請 ふ 次第 な り若 し 強 ひ て日 本軍 艦 に乗 じ 来 る な ら 本軍 は守 土 の
捜 索 甚 だ 急 な る為 北 海 に逃 げ 来 り仲 買 人 と な つた も の で平 常 の行 為
責 を有 す る故 必 ず 焦 土 ○ 戦 を 実行 す べし 該 事 件 の処 理 に 至 つては
は確 に電 文 の如 く で民 衆 の恨 みは 骨 髄 に徹 す る も以 前 政 府 が 抗 日運 動 を禁 止 せ る に依 り敢 て之 を 口 にし よう と は し な か つた の であ る。
李 、 白 、 両公 に請 う て指 示 を待 ち処 理 す る も のな り﹂
廣 東 当 局 は此 の事 件 の報 に接 し非 常 に狼 狽 全 く大
黄 ・余 の来 電
難 将 に来 ら ん とす る に臨 む 勢 にあ つた 直 ち に翁 師 長宛 来 電 あ つた が
日本 領
事 実 此 の抗 日高 潮 中 に 日本 領 事 調査 に来 る なら 確 に危 険 の可能 あ
り誰 と し ても保 護 の責 任 を負 は う と し な いの は自 然 であ る
事 の軍 艦 にて来 ると 云 ふ こと は 実 は 武力 を以 て威 圧 す る も のに し て
北 海 に発 生 せ る 日本 居 留 民絶 命 交 渉 事 件 は
現 在粤 外交 特 派 員 公 署 よ り秘 書 張 を派 し 日本 領事 と会 同 実 地 験 証
る に堪 へざ る で あ ろう
熱 血 英 勇 の翁師 長 と し て は直 ち に起 つて敵 と 応 酬 す べ く 必ず 屈 服 す
北 海 翁 照 垣 師 長殿
其 の電 文 は即 ち
の為 北海 に向 う こと とな つた 到着 の節 は 良 ろ し く保 護 を致 され 度
非 常 に猛 烈 な 発 展 を来 した 故 に中 野 事件 の発 生 があ つた の であ る
民 衆 の感 情 は○ 日救 国 軍 が南 路 に 到 着 し て よ り民 衆○ 日 の運動 は
く 以 て邦 諠 を 重 ねら れ ん こと を請 う 行 期 及 艦 名 は決 定 次 第 御 知 ら せ申 す べ く茲 に李 、白 、 両兄 に電 し た 外 取 敢 ず御 依 頼 ま で 北 海 に於 て此 の度 発 生 せ る 日本居
合 浦 廉 江 両 県 の○ 日救 国 会 は 已 に組 織 を成 立 し民 衆 の○ 日 運 動 工作
当 地軍 警 主 官各 位
留 民絶 命 事 件 は現 在 外 交 特派 員 公 署 よ り張 秘 書 を派 し 日本 領 事 と
る民 衆 四 千 余 人情 形 異 常 な熱 烈 さを 以 て沿途 打 倒 日本 帝 国 主 義推 翻
指 導 を 開 始 し 北海 は 五 日 に民 衆 ○ 日 大 示威 巡行 を 挙 行 し た が参 会 せ
電文 二
会 同 験 証 に赴 く件 に就 ては其 の時 の保 護 万 端 翁師 長 に依 頼 し置 き
漢 奸 軍 閥 政 権 、 収復 東 北 失 地 擁 護 ○ 日 救国 軍焦 土 ○ 戦 等 の ス ロー ガ
た る も 尚屍 体 保 存 に就 ては慎 重 を期 し以 て実 地験 証 の証 拠 だ ら し め ると 同 時 に各 軍 警 に夫 々命 じ て協 同 保 護 され ん こと を希 ふ
将 来 の予 想
ンを高 唱 し其 の激 昂 せ る態 度 は全 く ○ 日 救国 軍旗 幟 下 の所 に非 れ ば
多 く見 る こと の出 来 な い光 景 であ つた
按 ず る に中 日問 題 は今 に至 る も尚 何 を以 て邦 諠 と 云 ふ可 き か更 に 屍 体保 存 に至 つては我 国 人 が東 北 及 其 の他 各 地 に於 て日 本軍 の惨 殺
此 の事 件 は各 方 面 の観 点 同 じ から ず ○ 日救国 軍方 面 に在 つ ては 民 衆 の○ 日運 動 は自 動 的 であ り合 理 的 且 つ必 要 的 であ る か ら自 然 干 渉 を 加 へる も応 ぜず し て民 族 精神 を保 つも のな り と思 惟 し中 野 事 件 の
廣 州 方 面 では則 ち此 の事 件 は 邦 交 上其 の問 題 拡 大
発 生 は 純然 た る民 衆 の愛 国 行動 よ り出 た も のと 認 め責 任 を負 はざ る 旨 表 示 し て居 る
記 者 は思 ふ に将 来 必
し 国 際 間 の重大 紛 糾 とな るを 恐 れ て居 る が但 し 事 件 発 生 の地点 は其 の勢 力 範 囲 に属 さず 尽 力 に由 な し と し て居 る
ず 之 に終 らず 即 ち外 交 上 要 領 を 得 ざ れ ば 又非 合 法 を用 ひ 且 つは小 事
︹ 別紙第四 ・第 五 ・第六省略︺
件 に治 らず し て戦 争 に至 る であ ら う こと が予 想 さ れ る
三八
北海 ( 支 那 )事 件 経 過 概 要
( 軍令部第二課)
︹ 駆逐隊︺ 此 の間 球 磨 、 夕 張 、 一六駆 を海 口 に集 中 せ し む
此 の間 南 京 及廣 東 に於 て支 那側 に対 し我 現 地 調 査 に協 力 せ し む る為 事 前 工作 を な す
二
待たしむ
(昭和 十 一年 八 月 ∼ 昭和 十 二年 一月 )
一 一、 九 、 一 一
支 那側 の協 力 を 得 ざ る場 合 は 必要 程 度 の兵 力 を分 遣 調 査 に従
其 の 一 (九 、 九 ︱ 一 一)
三
北海 事 件 経 過 概 要
〇 九 、 三 、 北海 邦 人中 野 ( 在 留 三 十年 北 海 唯 一の邦 人 )殺 害 さ る
四
支 那側 の協 力 を得 ざ る場 合 は右 の全 兵 力 を 以 て北 海 に進 出 実
〇 九 、 八 、 廣東 にて初 め て右 の事 実 を知 る
一
支 那側 の協 力 を得 る こ とと な れ る を 以 て嵯 峨 を北 海 に先 行 せ
球 磨 、 一六駆 夫 々青 島 発 南 下 せし む ︹ 須賀彦次郎︺ 福 州 武 官 を夕 張 に乗 艦 せし む る こと に手配 す
本 件 は成 都 事 件 と 一括 既 定方 針 の対 支 折 衝 に有利 に利 用 せ ん
○ 中央 の処 置 ︹ 有田八郎︺ 一、 九 日午 後 四時 外 務 大 臣 の意 〓 な りと て外 務 省 よ り 左 記申 来 る
三
二
しむ
一
〇 3F の 第 二段 処置
地 調 査 せし む
五
事せしむ
北海 に派遣 を命ず
}
〇 九、 九 、 中 央 に於 て右 の情 報 接 受 ︹ 第三艦隊︺ 〇 3F の第 一段 処 置
嵯峨
1 g d (若竹 ) X3 d 1
1 g ×d ( 廣東 に派遣 早苗) 3 d 1 ︹ 芳政︺ (註) 嵯 峨 には 外 務 調 査員 二名 の外 廣 西 省陸 軍 武官 岡 田大 尉 便
乗 ︹ dg =駆逐隊、d =駆逐艦︺
十 九 路 軍 の行動 竝 に北 海 の地 勢 に鑑 み充 分 の準 備 と慎 重 な る態 度
〇 3F の処 理 方針
不 取 敢 嵯 峨 、 若 竹 を海 口 (海 南 島 の北端 ) 附 近 に待 機後 命 を
を以 て臨 む 方 針 の下 に 一
とす 二
現 地 調 査 員 の上陸 又 は軍 艦 の北海 入港 に当 り十 九 路 軍 は之 を
十 九 路 軍 の事端 発 生 は却 て彼 の思 ふ壺 には ま る事 とな り 対 支 全
阻 止 せん と し 延 て無 用 の事 端 発 生 の虞 な しと せず
以 上 に基 き海 軍 艦 船 は派 遣 せら れ ざ る を可 とせず や
面的交渉上不利なり 三
十 九路 軍 の態 度 に鑑 み無 用 の事端 発 生 は 不利 な る も既 に3F に
右 に関 し 省 部協 議 の結 果 一
形 勢 悪 化 の兆 を 予見 せば 機 を 失 せず 兵 力 待 機 方 処 理 す
針
一
成 る べく 大 演 習 に支 障 な から し む る こと を考 慮 す る も情 勢 に
一、 方
二
兵 力 待 機 を 要 す る場 合 主 脳 部 出 張 中 な る とき は 必 要 な る 人員
依 り 之 に捉 はれず 三
は速 に帰 庁 す
二、各 種 の状 況 に応ず る待 機 兵 力 腹 案
警 備 の見 地 よ り も北 海 派 兵 は 取 止 む るを 得 ず
二
於 て兵 力 配 備 を 発令 し既 に 回航 中 な る のみ な らず 二
北 海 回 航各 艦 に於 て警 戒 を厳 にし つ つ事 態 拡 大 に導 か ざ る様
常 磐 (佐 )
一駆 ( 大湊)
春 日 (横)
一 一掃 ( 呉)
白鷹 ( 呉)
厳島 (横) ︹ 鎮海︺ 二六 駆 (鎮 )
一 兵 力 増 派 を 要 す る も事 態 軽 微 なる 場 合 ︹ 横須賀︺ ︹ 特別陸戦隊 一大隊︺ 春 日 (横 ) 一駆 ( 大 湊 ) 特 陸 一大 (横 又 は呉 ) ︹ 佐世保︺ 情 況 に依 り常 盤 ︽特陸 一大 (佐 )︾ を加 ふ ︹ 特別大演習︺ 相 当 兵 力 の増 派 を要 す る場 合 にし て第 一特 演 参 加 兵 力 の派 遣
三
に支障 なき 場 合 ︹ 舞鶴︺ 多 磨 (舞 ) 八 重山 ( 佐) ︹ 掃海隊︺ 一掃 (横 )
常磐
相 当 兵 力 の増 派 を要 す る場 合 にし て第 一特 演 を 予 定 通実 施 す
特 陸 三大
春日
一航 戦 及 二航 戦 は急 速 派 遣 に備 ふ る為 予 め爆 弾 を搭 載 し 置 く
件
四 有 力 な る兵 力 を 増派 す るを 要 す る場 合 ︹ 聯合艦隊︺ F よ り必 要 な る 兵 力
八戦 隊
るを可 とす る場 合 ︹ 水雷戦隊︺ 一水 戦 特 陸 三大
三
慎 重 な る 態 度 を 以 て臨 み 且現 地 調 査 に は成 る べく 支 那 軍 艦 を 同 行 す るを 可 と す る旨 出 先 に指 示 す る こと に決 し 九 日 夜 発電 す 二、 待 機 兵 力 に関 し て は大 演 習 実 施 に支 障 な か ら しむ る こと を 考慮
(終 )
す るも情 勢 に依 り之 に捉 は れざ る 方針 の下 に腹 案 を定 め 差 し 当 り 一、 ︹ 航空戦隊︺ 二航 戦 に爆 弾 を 搭載 す る こと に処 理 す
一 一、 九 、 一〇
一
三、 雑
対支 待 機 兵 力 等 に関 す る方針 の件 覚 最 近 の日 支 関係 は何 時 事 態 悪 化 す るや も 測 ら れざ る処 一方 大演 習
も のとす
の実 施 竝 に之 が 為 近 く軍 令 部 主 脳 部 の出 張 等 に鑑 み待 機 兵 力 等 に関 す る腹 案 を 定 め 置 く ことと す
二
待 機 地 点 を佐 世 保 と す
一一日午後発令す
す九〇式 二号水偵二機 予備機とし て洲崎 に搭載運搬 の儀 ありしも揚
○洲崎 には八糎高角 砲二門 七 ・七粍機銃 二門装備 のことに至急手配
収装置 の関係上取止むる こととす
(但 し陸 戦 隊 輸 送 を要 す る も のは当 該 軍港 )
一方 面 に増 派 せ ら る る部 隊 は 出来 得 る限 り戦 隊 と し て之 を編
艦
秘
峨
名
北海事件兵力移 動 一覧表
(一九00)
在
泊
(0八三0)
香 港-
島
(一 九三0)
青
順 (入渠 中 )
(三 00)
廣 東←香 港
旅
(0八三0)
上 海 上 海
一〇 日
嵯
磨
日
球
張
九
夕
若竹 呉竹
(0八三0)
上 海
港
(一 三三0)
香
(一 三 三 0)
香 港
一 一日
一 一
事
廣東 に向ふ筈
北海 に向 ふ筈
一八 日迄 に海 合着 の予 定
一六 日迄 に海 口着 の予 定
記
一 一、 九 、
北海方面 の情況竝 に今後 に対す る軍令部腹案説明
○午後 一航戦司令官幕僚来部
増派 地点 は差 し 当 り北 海 方 面 竝 に長 江方 面 に予 定 す
( 終)
三
︹ 註 1︺
昭 和 十 一年 九 月 九 日
一 一︱ 九 ︱ 一二 (九 、 一一、 一 二 )
早苗
(終 )
四
海軍省副官談
〇3F艦船南下 の状況別紙 の通
新聞発表
成 し 3F長 官 の指 揮 下 に 入 ら しむ
︹註2 ︺
海 軍 当 局 は 上海 に於 け る陸 戦隊 員 中 山 兵 曹 暗殺 事 件 居 留 民 萱 生 殺
害事件 に次 で成都 に於け る残虐事件 を見更 に又今 次北海 に於ける中 野惨殺事件 の発生を見た る今日、底止す る所 無き悪辣な る排日侮 日 行為 に対し堅 き決意 を以て徹底的解決を要 望して居 るが出先第 三艦 べく警戒 配備 を厳 にし今次北海事件 に対しては先づ軍艦嵯峨に所在
隊 に於 ては不取敢現 地 に於け る我権益及居留 民 の保護 に万全を期す 外務官憲 を便乗現地 に急航 せしむ ると共に更 に第十三駆逐隊 の駆逐
其の二
艦を夫 々北海及廣東 に急派 し異常 の緊張裡 に事態 の推移 を厳重注視 して居 る
北海事件経過概要
〇 一 一日 午前 洲 崎 を 3F 附 属 と す る こと に省 部協 議 一二 日 発令 す 〇 一 一日 一航 戦 二航 戦 に爆弾 搭 載 の こと に省 部 協 議
一 三 駆
朝顔 芙蓉 刈萱
(一 八00)
青 島 ←
一六日迄 に海 口着 の予定
(別紙 )
一一、 九、 一 三 (日) 二 一〇 〇
◎嵯 峨 機 密 第 一 一 一番 電 ニ関 ス ル情 況 判 断
(3F ノ右 ニ対 スル処 置 、 嵯 峨其 ノ後 ノ行 動 共 ニ未 着 )
一、此 ノ際 時 期 ノ遅 延 ハ兎 ニ角 既 定 方針 ニ基 ク我 方 ノ北 海 実 地 調査
及 帝 国 軍艦 ノ同 方 面 廻 航 ヲ取 止 ム ル ハ不 可 ナリ
二、 之 カ為 ニ ハ支那 当局 者 ニ改 メ テ我 方 ノ断 乎 タ ル決意 ヲ示 シ障 碍
ハ十 三
︹杭 空 戦 隊 ︺
置
長来部
︹三竝 貞 三︺
ハ十 四 日朝 迄 ニ補 給 了)
(一四〇〇頃)
( 一 一 三〇 )
( 終)
三、 内 地 ノ兵 力 待機 等 ハ3F ノ処 置 ヲ見、 今 後 ノ模 様 ニ依 リ 決 シ可 然
排 除 竝 ニ実 地 調 査 ニ対 ス ル援 助 ヲ急 速 実 行 スル如 ク外 交 措 置 ヲ要 ス
処
︹堀 江 六郎 ︺
△航空図及
︹ 註3︺
︹註 4 ︺
図を示す (官房機密第 五七〇番電参照)
(一 一︱ 九 ︱ 一四 )
(終 )
七 一番 電 に依 る の処理方針 に同意省部協議 の上出先 に中央 の意
機 密 第 七 一 ・七 二番 電 受 領
其の五
陸図は十四日中 に送付 の予定
△海図は仏 版もなく結局海軍海図が最良と のことになる
北海方面 の情 況処理方針竝 に今 後 に対す る軍令部 の腹案説明済
◎
外務了承早速発令 を約す
◎第 二号外交措置を軍務 より外務 に申 入る
2Sf
一︱ 九︱ 一二
(終 )
ニ 、
北 海 事 件 経 過概 要 其 の三 (一 一︱ 九 ︱ 一 二 ) ︹ 桑木崇明︺ ︹ 近藤信竹︺ 九 月 十 二 日午 後 参 謀 本部 第 一部 長 来訪 軍 令 部 第 一部長 に 左 の通 申 入る
(一 一︱ 九 ︱ 一三 )
北 海 方 面 の地 勢 上作 戦 効 果 期 待 薄 き を 以 て陸 兵 派 遣 は之 を行 はざ る方 針 な り
北海事件経過概 要 其の四
(終)
1Sf 司 令 官、
北海事件経過概要
1 10,000
正午 嵯 峨 機 密 第 一 一 一番電受領北海方面 の情勢明となり別紙 の通
処理す (嵯 峨機 密 一 一 一番 電 要領 現 地 ニ ハ尚 モ十九 路 軍 跋 扈 監視 ヲ厳 ニシ アリ、 差 当 リ正 面 ヨリ ノ
日 朝 迄
加 賀 艦 長 来部
3F
調 査 頗 ル困 難 ナ ル状 況 ニアリ ト認 メ ラ ル ル モ先方 ノ言 ノ ミ ナ ルヲ 以 テ本 艦 ト シテ ハ先 着 ノ第 十 三駆 逐 隊 司 令 ト モ協 議 ノ 上更 ニ應瑞 附 近 ニ転 錨 陸 上 ノ情 況 ヲ偵 知 セ ント ス)
2Sf
3F
一 六 駆
北海事件経過概要
其 の六
(一 一︱ 九︱ 一五)
北 海事 件 の推 移 に鑑 み午 前午 後 に互 り左 記 諸 官 会同 の上別 紙 の通
一部 長 ︹ 近藤信竹︺
北 海 事 件 処 理 方針 を策 定 し夕 刻 軍 務 局 に示 す
令
部
中原 ︹ 義 正︺部 員
軍
中 澤 ︹佑 ︺、 小 野 田 ︹ 捨 二郎 ︺ 部 員 ︹ 圓平︺ 鹿岡部員
一、 二課 長 ︹福 留繁 ・金澤 正夫 ︺ 一課 二課
昭和 十 一年 九 月 十 五 日
合 には期限 を附し抵抗排除に関 する実行を強要 すると共 に兵力を
増派し実力行使 に伴 ふ支那並 に各国 に対する外交的措置を講じ且 一
増派 兵 力
第 一航空戦隊
大攻 四、 中攻 一二、戦闘機
一二
第 二航空戦隊 第 八戦隊情況
現地 に於け る非戦闘員 の撤退を要求す イ 北海方面 台湾方面
に依 り特陸 一ケ大隊
二四
二四
第 一水雷戦隊 、特陸三ケ大隊 ( 内 一個大隊は上海 に急派
待機兵力 (情況 に依 り中支及北 支方面 に配備す)
ロ 二
艦戦
す) 艦攻
四 右 に依 るも解決 せざ る場合は北海方面 に対し所要 の兵力行使
綱
北海事件処理方針
を行ふ
一、 大
一
北海 に於け る現地調査は既定の方針 に拠 る
北海方面 に於ける兵力行使終了せば所要 の兵力を海 口方面 に
六 右と併行し て外交交渉 を促進し成都事件と併せ之が解決 を強
駐 め爾余 の兵力 は所要 の方面 に集結す
五
右 兵力役使 は我武威を示し現 地調査を実行す るを限度とす
絶及国交根本的調整 に利 導し此 が解決を促進 す
二項 に関聯 し抗 日事態 の全支 に波及する ことあるべき に備ふ
行す
七 其 の際彼 に誠意 の認 むべき ものなく或は却 つて排 日を助長す
当面実施 し つつあ る国民政府 に対する要 求 の貫徹 を促 進し速
尚 ほ諸外国 に対す る宣伝並に施策 に遺憾なきを期す
三、本件処 理に関し ては陸軍外務と密接なる連絡 を保持す
一
国民政府が責任を以 て解決 に当らん ことを約束す るに於 ては
るが如き場合は情況 に依 り海南島若くは青島 の保障占領を行 ふ
二
国民政府 が責任を回避し、 又は徒 に解決を遷延 せんとする場
暫 く之 が実行を厳 重監視す 三
( 終)
に彼をして北海 に於け る抵抗排 除に関する決意 を表 明せしむ
二、処 理 方 針
三
持 に必要なる程度 に止む
事態已む を得ず同方面 に於 て兵力を行 使す る場合は我威信 の保
二
本事件 は成都事件と併 せ国民政府を相手と し全面的排日 の禁
2F
一
北海 事 件 経 過 概 要 (総長 上奏 資 料 )
一 一| 九 | 一五
嵯 峨 は 十 二 日海 口 を経 て同 日 一九 四〇 北 海着 現 地 に留 つ て居
一、 兵 力 移 動 の状 況
十 三駆 逐 隊 の若 竹 は嵯 峨 に引 続 き海 口 を経 て十 二 日 二〇 二〇
り ます 二
右 の外 球 磨 及 十 六駆 逐 隊 は十 六 日迄 に、夕 張 は十 八 日迄 に現
従 て現 在 北 海 在 泊 艦 は 嵯 峨 一隻 で あ りま す
北海 着 次 で十 三 日 一三〇 〇 北 海 発 同 日 二 一二〇 海 口着
三
峨
一
(一六四〇
揚子江
港
一
一 一、 九 、 一三 日
其 の二
二
一
(一九四〇)
北 海
(一 七〇〇)
(一四〇〇)
海 口
(二〇二〇)
北海
旅. 順 呉 淞 へ
(一 六四〇)
海 口
日
(一 八四〇)
(一 三三〇) (一八〇〇)
香
一
三
(一三〇〇)
洲 崎 を第 三 艦 隊 に附 属 せし め ら れ、 同 艦 は十 三 日 高 雄 に向 け 横 須 賀 を出 港 致 し ま し た 二、 兵 力 待 機
(一 一| 九| 一六)
( 終)
情 勢 悪 化 の場 合 に処 し急 速 航 空 兵 力 を現 地 に集 中 し 得 る 様第 一、
其の七
第 二航 空 戦 隊 は夫 々所 要 の爆 弾 を搭 載 済 み であ り ます
北海事件経過概要
3F参 謀 長 よ り航 空 兵 力 増 派 に関す る希 望 表 示 (3F 機密 第 一〇 一番
四
日
海
(一 〇四五)
口
一
海
五
口
(一四三〇)
海
北
口
海
日
海
日
北
口
海
口
(〇五三〇) (一二一九)
馬 公 海口へ
海
一
を 次長 よ り明 示 す (軍 令 部 機 密 第 二 五 二番 電 )
一
北
(〇六三〇)
呉 淞
海
六
電 ) 之 に対 し昨 十 五 日所 定 の処 理方 針 に基 き 兵 力 使 用 に関 す る腹 案
日
海
(一 四三〇)
(二一 二〇)
北 海←海 口
(〇六四〇)
馬 公
北
兵 力南 下 に伴 ひ補 給 艦 を 必要 と 致 しま す る為 十 二 日附 を 以 て
尚 馬 公要 港 部 の 一艦 が現 地 に向 ふ こと にな つ て居 り ます
地 着 予 定 に て南 下 中 であ り ま す
四
嵯 磨
北海事件兵力移動表
球
張 若竹
夕
一
三 駆
一
六 駆
四
駆
洲
呉 竹 早 苗
朝 顔 〓 芙蓉 刈 萱 〓 羽風 秋 風 太刀風 帆 風 崎
上 港
(一三 三 〇δ )
香
海
公
青島 発
一 〇 ︱〇 八〇〇
馬
北海事件経過概 要 其 の八
上
(〇五〇〇)
香 港
門
海
(三〇〇)
廣 東
(一 七四六)
厦
公
公 汕頭 に
(一 八〇〇)
馬
馬
公 福州 へ (一 五〇〇)
馬
上
海 廣
上
東
海
廣
上
東
海
廣
上
東
海
門
汕
厦
頭
門
汕
厦
海
頭
門
口
口
厦
頭
公
(一 八三〇)
馬祖島
(一〇〇〇)
馬
(一四 三 〇 )
汕
公
州
(〇八三〇 ︺
福
(〇六〇〇)
尾
(〇八四五)
馬
(一三一 三 )
口
一七 日
馬
海
東
(一 四〇〇)
門
公
州
馬祖島 福
海
廣
(〇五一 五)
馬 公
厦
(〇九〇〇)
汕 頭
馬
(〇九〇〇)
福 州
(一 三〇〇)
の外 交 常 套 を 脱 し居 らず 此 の際 速 に事 態 の解 決 を促 進 す る に非 れば
北 海 方 面 の事 態 は 稍 好 転 す る が如 く 新 聞 紙 等 に伝 は る も何 等 旧 来
一 一、 九、 一七 、 一課 長
に申 入れ た る 処、 軍 務 同 意 外 務 省 に申 入 る
横須賀 高雄 へ
(一一︱九︱ 一七)
せる処、更 に支那側を追及 して支那側責 任当局 の決意手段並 に現 地
支那側 に於 て十九路軍北海撤退方処理し つつある楽観的情 報 に接 調査可能 の時機 に関する明 確なる回答を取附く る必要を認め軍 務局
九
江
蕪 湖
南 京
勢
保
蓮
梅
多
津
海軍 の威信 を内外 に失墜し士気 にも係 る 支那飛行機が嵯峨艦 上を
大 冶
故 に此 の際我が決意 を 一段と強く表明し支那側 にして現 に浮足立
開なる能 はず
低空旋回飛行 するが如きは示威運動と見 る外なく拱 手無策荏苒無展
ちあるならば益之 を追及 して追撃戦 の効果 を収め若し依然と して面
長 沙
二
鳥
良
見
羽、
宅、
宜 昌
比
州
厦 門
汕 頭
廣 東
北 海
帆
羽
秋
早
嵯
葵
風
風
風
苗
峨
堅
熱
田
海
︹ 註5︺
(一 一︱ 九 ︱ 一九 )
夕 張 、 球磨 、 若 竹、 刈 萱 、 芙 蓉 、 朝 顔 、 太 刀 風
福
菊、
口
青 島
萩
其 の 一○
〇 一昨 日決 定 の3F に申 入 れ の件 発 電 (官 房 機 密 五 八 五番 電 )
北 海 事 件経 過概 要
芝 罘
海
重 慶
安
漢
呉
口
従腹背 の常套手段を持 しあるに於ては右 の強要手段 は 一層必要なり 仍 て既定方針 に従ひ 一、北海当面 の処 理を我 が要求通実行するや否や即時明確 なる最後 的 意 志 表 示 を求 む (余 計 な こと は入 ら ぬ之 れ丈 け 聞 け ば よ し)
(一 一︱ 九 ︱ 一八 )
二、 右要 求 通 や ると 明 言 せば暫 く実 行 を監 視 す 然 ら ざ れば 次 段 の
たる期限付実行を迫 る
其の九
三 、 兵 力 増派 発 動 は一 の成 行 を 待 つ
北海事件経過概要
艦
鷹
雲、
九 月 十 八 日在 支 兵 力 配 備
点 出
小
竹
○2 fs よ り機 銃 弾 に つき照 会 電 あ り ︹ 航空本部︺ 佐 世 保 軍 需 部 に於 て準 備 方 航 本 よ り電 報 す
地
江
上 海 鎮
名
〇 発 動 艇 搭 載 の件 研究 鳴 戸 又は 鶴 見 に 搭載 先行 せし む べ き案 あり し ︹ 第八戦隊︺ も 所 要 の際 8S に搭 載 す る こと に腹案 決 定
step
︹ 註6︺ ○ 3F よ り処 理 方針 来 示 す (3F 機 密 一四〇 番 電) ︹ 註7︺ ○漢 口 巡査 射 殺 事 件 の情 報 に接 す
其 の 一 一 (一 一、 九 、 二〇 ︹日 ︺)
五
抗 日事態 の全支に波及す ること あるべきに備 ふ
事実調査特 に背後関係 の探査を促 進すると共 に国民政府をし
二、 当面 の処理要領
て犯人 の探査 を厳 に要 求し之 が実行を厳重監視す
一 二
差し当り中支方面 に対し左記兵力を増派 し警備兵力を補 充し
万 一に備 へ事態悪化 の兆候 あるに於 ては機 を失 せず更 に内地より
北海 漢 口事 件 経 過 概 要 漢 口進 事件処理
駆逐隊
一隊
一隊
差し当り増派 する兵力
兵力を増派す
佐 鎮 待 陸 一大 (四 五〇 標 準) 及 二 三駆 を上海 に派 遣 3F に編 入 の こ と に部 協議 を了 し軍 務 に申 入 れ し処 二 三駆 は 暫 く 情勢 を観 て処 理 す る こと と し差 当 り特 陸 (四〇 〇 名 標 準 ) を補 充 す る こと に協 議 成 り
特 陸
其 の 一二
( 終)
(一 一、 九 、 二 一 ︹ 月 ︺)
聞 に発 表 す ︹ 伏見宮博恭王︺ 次 で軍令 部 総 長 よ り右 特 陸派 遣 の件 を伝 達 す ( 電 案 大 臣供 覧 に手
二、 次 で右 特陸 派 遣 の件 仰 允 裁 の上海 軍 当局 談 と し て午 後 二時 頃 新
一、 佐 鎮 特陸 一大 (四〇 〇 名 標 準) 待 機 の件 午 前 中 に処 理 発電
北海 漢 口 事件 経 過 概 要
三、本事件を端緒と し或 は対支全面的交渉 の推移 に依り事態拡大 の
人事 局 に於 て該 特 陸 を 何 れ よ り派 出 す るを 最適 と す る か に付 き 研究 ︹ 佐世保鎮守府︺ の結 果 佐鎮 を最 適 と す る こと と なり 明 二 一日待 機 発令 方 処 理 す る こ
部
虞あ る場合 の処理 は北海事件処理方針 に準ず
令
と と し て本 日 の処 理 を終 る (漸 く 午 後 八時 に至 り 議纏 ま りし 次 第 に
軍
一 一︱ 九 ︱ 二 〇
本 事 件 は 成 都 事件 と 一括 外 交 交 渉 に依 り処 理 す る を方 針 と し
綱
漢 口事件処理方針
し て 本 日中 に処 理 予 定 の腹 案 な り しと ころ 明 日 発 令 のこ と に処 理 せ り)
一、 大 一
間 取 り 一九 五 〇 発 電 せ り)
漢 口 に於 て は居 留 民保 護 を主 眼 と し 必要 な る兵 力 を 集 中 す る
事 実 闡 明 を 急 速 進 捗 せ し め外 交 交 渉 を促 進 す 二
四 、 長 江筋 に駆 逐 隊 増 派 に関 し ては北 海 事 件 の拡 大 に伴 ふ全 般 的作
三 、 北 海事 件 拡大 の場 合 に対 す る 処 理方 針 に関 し 軍 令 一、 二 課長 、 ︹ 保科善四郎︺ ︹ 嶋田繁太郎︺ ︹ 永野修身︺ 軍 務 一課 長 と協 議 の 上次 長 、 大 臣 に了 解 済 ( 別紙)
戦 準 備 の考 慮 竝 に腹 案 に依 る 二三駆 の配 員 竝 に練 度 の現 状 に鑑 み今
も 武力 威 圧 の為 抜 き差 な ら ぬ事 態 に誘 導 せざ ら ん こと を 期 す ︹ 原文では 一の三は赤線で抹消されている。 ︺ 三 事 態 悪 化 す る場 合 は居 留 民引 揚 を 為 す も のと す 四
漢 口事 件 の為 北 海 事 件 の処 理 方針 を変 更 す る こと な く之 を機
会 に 一層 之 が解 決 を強 要 促 進 す
す る我 挙 国 一致 の強 硬 な る態 度 を 支 那 側 に 明 示す る様 申 入 れ東 亜 局
硬 態 度 に強 要 せ ら る る に出 でた る が 如 き印 象 を支 那 側 に示 す点 あ る ︹ 豊田副武︺ ︹ 桑島主計︺ に鑑 み 軍 務 局長 よ り東 亜 局 長 に注意 を喚 起 す ると 共 に今 次事 件 に対
大 な る兵 力 を同 時 に派 遣 す る こと に方 針 を確 立 す ︹ 暗号事務︺ 五 、 十 課 情報 に依 れ ば 日支 外交 折 衝 中 外 務 省 の態 度 が恰 も海 軍 の強
後 の情 勢 に依 り処 理 す る こと と し 且艦 船 増 派 は 小 出 しす る こと な く
つて或 は自 衛 上 必 要 の処 置 に出 づ る の已 む な き に至 る場 合 を考 慮 し
以 上荏 苒 支 那 当 局 の善 処 のみ に信 頼 待 望 す るを許 さ れな い情 況 であ
へ之 れ迄 極 力 自 重 的 態 度 を持 し来 つた の であ る が事 態 既 に斯 く な る
却 て次 ぎ 次 ぎ と 残 虐 な る新 事 件 の勃 発 を 見 つ つあ る情 況 であ る
査 援 助 に関 し 有 効適 切 な る処 置 を 遷 延 し つ つあ る のみな ら ず 被害 者
其 の 一三
( 一 一、 九 、 二 二 ) ︹中原三郎︺
警 備 兵 力 を増 大 す る の手 配 を進 む る こと と な つた 次第 であ る
不 取 敢特 別 陸 戦 隊 を 編 成 し内 地 よ り海 軍 兵 力 を派 遣 以 て第 三艦 隊 の
在 支 権 益 及 居 留 民 の保護 に任 ず る帝 国 海 軍 と し て は 日支 国 交 に稽
の遺 骸 及 遺 族 の安否 の如 き既 に 二旬 に亘 り 尚 不 明 の裡 に放 任 せ ら れ
長 之 を応 諾 せり 六、 午 後 一課 主 催 に て関 係 局 部 主 務 局 員会 同 主 と し て航 空 兵 力派 遣 の場 合 に対 す る 準備 に付 き協 議 す ︹ 有田八郎︺ ︹ 茂︺ 七、 四 項 に伴 ひ 外務 大 臣 よ り川 越 大 使 に北 海 事 件 に対 す る 支那 側 の
北海 漢 口事件経過概要
一、 二 十 一日十 九 路 軍 撤 退余 漢 課 軍 接 防 せ る旨南 京 武官 の情 報 竝 に
既 往 の具 体 的 処 理振 竝 に調 査 可 能 の時 機 に関 し支 那 側 の明 確 な る 回
北 海 に於 て 二十 二 日○ 八 ○ ○ よ り 現 地調 査 開 始 の予 定 竝 に之 に備 へ
其 の 一三 の 二
(一 一、 九、 二 二)
特陸 一大 、 中 攻 六、 大 攻 四 ︹ 莞爾︺ 二、 午 前 石原 参 謀 本 部 課 長 来 部 軍令 一課 長 に 対 し陸 軍 は 全 支作 戦 の
す る こと に 軍令 一、 二課 長 腹 案 を 定 む (午 前 )
一、 本 日 の現 地 調査 不可 能 な る場 合 速 に左 記 兵 力 を北 海 方 面 に急 派
北 海事 件 経 過 概 要 漢口
○ 八 ○ ○ 上 海 着 予定 の旨 室 戸 特 務 艦 長 の報 告 に接 す
二、 佐 鎮 特陸 (四八 三名 ) 室 戸 に て 二二 日〇 七 〇 〇 佐世 保 発 二 四 日
南 遣 部 隊同 時 刻 迄 に北 海 集 中 の旨 3F参 謀 長 の情 報 に接 す
答 を取 付 く る様 訓 電 す る旨 外 務 省 よ り来 示 す
昭和 十 一年 九月 二十 一日
八、 軍 令 部 第 一課 長参 謀本 部と 連 絡 す
海軍省当局談
昨年 十 一月 上海 に於 け る中 山兵 曹 暗 殺 事 件 以来 既 に 一歳 に及 ば ん と し而 も事 件 解 決 に対 す る 支 那側 当 局 の態 度 は 故意 に公 判 の遅 延 を 策 し或 は 犯人 を偽 造 し て真 相 の糊 塗 を図 る や の陰 謀 も観 取 せら れ 其 の誠 意 の認 む べき も のな く引 続 き 頻 発 せ る 暴 虐事 件 は汕 頭 に於 け る ︹一月二十 一日発生、進︺ 角 田巡 査 殺 害 事 件 、 上 海 に於 け る萱 生 暗 殺 事 件 、長 沙 に於 け る爆 弾 ︹ 註8︺ 事 件 、 成 都 に於 け る虐 殺傷 害 事 件 、 北 海 に於 け る中 野 虐 殺 事 件 、 汕 ︹ 註9︺ ︹ 九月十九日発生、庭二郎︺ 頭 に於 け る爆 弾 事 件 更 に漢 口 に於 け る吉 岡 巡 査暗 殺 事 件 等 悪 性 の排 日 テ ロ事 件 は 殆 んど 支 那全 土 に亘 り而 も 最 近 に至 り加 速 度 的 に増 大 す る の傾 向 を辿 り北 海 事件 に於 て は我 方 屡 次 の要 求 に拘 らず 現 地 調
意 志 なき こと を意 志 表 示す ︹ 百武源吾︺ 三、 正 午 佐 鎮 長 官 よ り 特陸 派 遣 の報 告 に接 す
1Sf 8S
情 報 に接 す
四 、 北 海 方 面 の情 報 を待 望 し つ つあ り し 処漸 く 一六 三〇 に至 り逐 次
す る こと と し 差 当 り我 断 乎 た る決 意 を 表 示 し 且 今後 の波 及 に備 ふ る
此 を契 機 に断 乎 た る国 家 的決 意 を堅 め 強 硬 な る態 度 を 以 て善 後 処 置
長 以 下 一部 課 長 部 員参 集 徹夜 協 議 の上 排 日侮 日 の屡 次 の暴 虐 に鑑 み
指 示す (軍令部機密 二六 一番電)
一
︹d g=駆 逐 隊 ︺ を佐 世 保 に急航 上海 方 面 回航 の準備 を
那 側 の処 置協 力 に待 つは 軍 の威 信 に関 す るを 以 て自 主 的 に調 査 任 務
こと に軍 令 部 方 針 を定 む 次 で省 部 協 議 の上 左 記 事項 を処 理 す
右 の情 報 に依 れば 支 那 軍 艦 は中 央 政 府 より 調 査 開始 の命 に接 せず ︹ 及川古志郎︺ 為 に調 査 に関す る交 渉 遅 々と し て進 まず 茲 に於 て3F 長官 より 徒 に支
遂 行 の手段 を講 じ差 支 へな き旨 訓 電す (3F 機 密 一八 五番 電 )
令部機密 二六 二番電)
呉鎮特陸 一大 (四〇〇名標準) 二十四時間待機 を指示す (軍 三
二
課 に於 て準 備 を 進 む
湾方面派遣準備方を指 示す ( 軍令部機密二六三番電)
二、午前 七時右一二三 に関する仰 允裁御裁可あり ︹ 中国情報担当︺ 三、午前 一部長室 に於 て 一部課長中原部員を中心に六課長其 の他課
上海 公大飛行場準備方指 示す (軍務電)
大攻四、中攻六、戦闘機 一 二 を以て第 十 一航空隊を特設し臺
五、 一八○ ○頃 ﹁我 調 査 員 支 那 側 調査 員 と 同 行 陸 戦 隊 と共 に 上陸 せ
四
(一 一、 九、 二 三)
( 終)
る﹂ 旨 の同 盟 電 に接 す
其 の 一四
四、 一 二三〇呉鎮特陸派遣 の件 を伝達す (軍令部機密 二六四番電)
長 若干協議 の上時局処理方針 を決定す ( 其 の要 領別紙 の通)
佐世保に於 て相当時間待 機するものと予想しあるも のの如く判断せ
五、 八戦隊機密 三八番 電 に依 れば上海 に増派せらるべき艦船部隊は
二 二 日は 市 中 の保安 充 分 な ら ざ り し 為 二 三 日調 査 の こと に支 那 側
一四四〇電報す (軍令 部機密第 二七〇番電)
られたるを以 て急速佐世 保発 上海方面 に回航 の儀と承知 せられ度旨
(別 紙 )
二 、G F は不 取 敢 佐 世 保 方 面 に行 動 せし む
一、 対支 膺 懲 の国 家 的決 意 を確 立 す る を要 す
針
の申 入あ り 二三 日 午前 八時 より 開 始 し 実 力行 使 の機 会 少 き こと を 報
其 の 一五
三、 爾 後 特 に現 地 の情 況変 化 な き を 以 て 特 に処 理 事 項 な し
支 那 事 件経 過概 要
(一 一、 九 、 二三 日夜 ︱ 二 四 日) ︹一等水兵田港朝光︺ 一、 二 三 日 二三〇 〇 上海 に於 け る出 雲 水 兵射 殺 事 件 の報 に接 し 一部
方
じ来 れ り
二、 一 三五〇 以 後 漸 く 現 地 の情 報 に接 す
一、 午 前 中 北 海 事 件 調査 に関 す る報 告 な く次 長 より督 促 電 を発 す
支 那事 件 経 過 概 要
六、 一九 五〇 調 査 開始 の公 電 に接 し現 地 特 に 不安 な き も のと 判 断 す
右 の情 報 に基 き事 態 急 変 の公算 大 な りと 判 断 し 増 派兵 力 に付 第 一
8S 3dg 22dg
謀
長
次
官、次
長
宛
参
三艦 隊 機密 第 二〇 五、 二 二六 、 二 二 七番 ニ関 シ
3F
四、新聞 は当分 ﹁サイ レント﹂輿論喚起に努 む
目 下 ノ事 態 ニ対 シテ ハ断 乎 タ ル国家 的 決 意 ノ下 ニ今後 ノ処 理 ニ当
三、対支作戦諸準備を促進 す 五、諸 外国 を我 に有利 に利導 し且之 に対し備 ふ
ル必 要 ヲ認 メ陸 軍 外 務 ト協 議 ヲ促 進 シツ ツ ア ル処 尚 決 定 ニ時 日 ヲ要
六、現在続行中 の対支交渉を促 進し且適時期限付回答 を要求す 七、前項 に対する支那側 の態 度に依 つては河北山東及青島 の保障占
対 シテ ハ差 当 リ既 発 令 ノ兵 力 ヲ急 速 進 出 シテ警 備 力 ヲ充実 シ之 ニ依
スル ヲ以 テ諸般 ノ準 備 ヲ進 メ事 態悪 化 ニ備 フ ルト共 ニ当 面 ノ事 態 ニ
情況 に依り海南島 も保障占領 す
領 を行 ふ 八、対支作 戦は極力局限し且持 久戦 を予期す之が為中支及南支居留
意 ナ リ尚海 南 島 保 障 占 領 ノ件 ハ考慮 シ非 スト雖 北 海 事 件 ヲ契 機 ト シ
第 八 戦隊 亦右 ノ趣 旨 ニ依 リ上 海其 ノ他 所 要 方 面 ニ配 備 セラ レ度 内
ル反 響 ヲ見 テ事 態 収 拾 ノ前 途 ヲ見極 メ ント ス
機 を失 せず 撤退せしむ
民 は情況 に応じ
今 後 我 方 勢 力 ノ扶 植 ヲ希 望 シ ア ル ヲ以 テ差 当 リ 官 房 機 密第 五 九 七番
対 支 交 渉 ヲ有 利 ナ ラ シ ムル見 地 ニ於 テ当 分 ノ間 所 要 ノ兵 力 ヲ配 備 セ
房 機 密 第 五 九 七号 電 ﹁貴 機 密 第 二〇 一番 電 返 、 海 口方 面 ニ ハ警 備 及
︹九 月 二 十 四 日付 、 海 軍 次官 、 軍 令 部 次 長 ∼第 三 艦 隊参 謀 長 、 官
電 ニ依 リ 処 理 セ ラ レ度
但し上海は現 地保護す 其の 一六 (一一、 九、 二五)
一、 正 子
ラ レ、 又 馬要 駆 逐 艦 ハ依 然 南 支 方面 警 備 ニ任 セ シ メ ラ レ度 内 意 ナ
支那事件経過概要
二、午 前 一部 長 、 一、 二課長 、 中 原 部 員 、 鹿 岡部 員 参 集 別 紙 案 の通
リ﹂︺
派遣伝達 の件 発電す
対 支 処 理 案 を決 定軍 務 局 に提 示 す
一課 長 意 見 一 一、 九 、 二 五 ︹ 註10︺ 一、貴 機密 第 二〇 五電 末 段 の点 は海 軍 と し ては 当 然之 を考 慮 し内 々
︹ 福留繁︺
本 件 軍 務 に て研 究 、 本 日協 議決 定 に至 ら ず ︹ 脩︺ 三 、夜 佐藤 武 官 の意見 具申 (滬 機 密 二三 八番 電) 接 受 す
最 後 の腹 を きめ て新 し い交 渉 に乗 出 す 必 要 が あ ると いふ内容 ︺
番 の増 援 兵力 を兼 ね旁 々彼 に
︹ マ マ︺
威 迫 的反 響 を与 へ事 態 収 拾 の前 途 を見 極 め ん と す る も のな り従 って
状 態 を つづけ 取 り 敢 へず 貴 機 密 第
諸 般 の準 備 を進 め つ つ あ るも未 だ国 家 とし て の総決 意 を決 定 す る に
は 至 ら ざ る事 情 もあ り 今 直 に最 後 的 発 動 の時 機 に到 らず 今 暫 く警 備
( 別紙)
四、 二十 三 日 の川越 張 会 談 決 裂 の情 報 に接 す (外 務 電 ) ︹ 不詳︺ ︹南 京 発 第 七 三 八 ・七 三九 号 電 参 照 ︺
︹テ ロ事 件 の頻 発 に鑑 み、 川 越 大 使 は従 来 の対 華 交 渉 を 打 切 り、
8S 3dg 22dg
軍令 二課長別紙其 の 一を説明
二、 一〇〇〇大臣室 に於 て省部首脳者会談
三部長六課長諸外国 の態度 に就き情況判断 を述 ぶ (別紙其 の二)
軍令 一課長陸軍 の態度 に就 き説明す
海 南 島 の保 障 占 領 は今 の処 之 を考 慮 し あ らず 若 干 兵 力 を残 留 せ し
8S を も 上海 に派 遣 せ ら れ度 内 意 と 承 知 あり度
に関 し て は目 下 の処 保障 占 領 の企 図 な き も兼 ね て我 勢 力 の扶植 を希
大臣別紙其 の三 の通説 明す
む る は差 当 り威迫 的反 響 を与 ふ るを 主 眼 と せ ら る る も のな り海 南 島
本会談 に於 て午後 三省局長会議を開く こと に決定、最後通牒 の要
( 終)
(一 一、 九 、 二 六)
一
国交調整上左の諸件 の実行
排日 の禁絶
其 の要点左 の通 二
輸入税 の低 下
イ 福岡 上海間航空路 ロ
ニ 防 共 協定 事件 に対す る責任
ホ 北 支経済 開発 三
A
此は三局長会議 の議題 に非ず
今後最後的要求として省部関
係課長研究せる 一案 なり
︹ 許世英︺ 外 交 折 衝 を進 め蒋 介 石 の帰 京 を促 進 す (駐 日 支 那 大使 に申 入
左 記 の点 に関 し 三者 意 見 一致 す
二
若 し蒋 介 石 帰 京 を遷 延 せ ば最 後 通 牒 に依 り之 を強 要 す
のと 判 断 す
( 註 ) 川 、 蒋 両 者膝 を交 へて談 合 せ ば割 合 よく 議 纏 ま り 行 く も
れ 且外 務 大 臣 よ り 川越 大使 に促 進 方 訓電 す)
一
四、 午 後 三 省 局長 会議 開 催
案 (3F 宛 電 ) を多 少修 正 し午 後 軍 務 に示す (別 紙 其 の四)
三、 本 朝 入 電 、 川越 、張 羣 会 談 の模 様 に依 り昨 日軍 務 に示 せ る処 理
}
求内容 に関し海軍 の腹案 を示す こととす
望 し居 た る に付 此 次 事件 を契 機 と し て爾 今 な る べく 当 方 面 に警 備 兵
海軍 省 副 官
( 終)
力 を配 備 し我 勢 力 の進出 を擁 護 推 進 せ ん とす る方 針 な り
官房機密第 二五 一六号
御中
昭和 十 一年 九 月 二 十 五 日
構 内 各 部 局
対支処置 に関 し部外発表 に関 する件通知 当分 の間海軍 の対支 処置 に関し ては特 別の必要生起 の場合 の外部 外発表を行 はず緘黙 を守 ること に定められ候
其 の 一七
追 て右特別 の場合 の発表 は海軍省 に於 て之 を行 ふこと 従来 の通 に 候
支 那 事件 経過 概 要 ︹ 伏見宮︺ (次長 よ り殿 下 へ説 明済 )
一、 川 越 、 張 羣 の折 衝 ﹁デ ッド ロ ック ﹂ に乗 り 上げ 愈 々中央 の最 後
の上軍 令 部 の方針 を 定 め (別紙 其 の 一) 一〇 〇 〇 省 部 会 議 に臨 む
的 態 度 を決 定 す る の必要 を認 め ら れ〇 九〇 〇 よ り軍 令 部 首脳 者会 合
三
尚若し肯ぜざれば実力行使 の手段 に出 づ
︹ 副武︺ 豊 田軍 務 局 長 問
B 参 考事 項
﹁北 支 五省 を 満 洲 国 の延 長 と す る が如 き 極 端 な る事 を考 へ居 る も
﹁ 北 支 事 態 が重 大 な る が陸 軍 の腹 如 何 ﹂ ︹ 廉介︺ 磯谷軍務局長答
五、 別 紙 其 の四 に依 る3F 参 謀 長 宛電 案 に付 き 多 少 修 正 の上省 部 意 見
一致 発 電 す ( 官 房機 密 六 三 八番 電)
別紙其 の 一
一、 海 軍 案 を 基 礎 と す る国 家 的 決 意 の決 定 促 進
二、 外 交 的 措 置 と し て最 後 的 要 求 の前提 要 求 の提 出 (例) 蒋 の帰 京 、 我方 要 求 の整 備 提 出
三、 既 発 令 の対 支進 出 兵 力 及 GF の行 動 を第 二号 に伴 は し む (速 に措
のな し
置 を要 す )
海 軍 兵 力 の配 備
主 と し て冀 察 冀東 の授 権 の形式 に依 る ﹁ステ ータ ス﹂ を考 慮 す ﹂
長 江 上 流 廣東 居 留 民 引揚
豊 田軍 務 局 長 問
イ
兵 力 を 以 てす る 示威
四、 最 後 通 牒 に先 ち 措 置
ロ
陸 軍 の態 度 如 何
対 蘇 対 英 対米 考 慮
北 支 な ら ば 充 分協 力す べ し
一、 英 は 外交 的 に何 かや ら う が 兵 力 を動 かす こと な し
別 紙其 の二 ︹ 高須四郎︺ 三部 長 説 明
六、 言 論 指 導 に根 本 的 実施 を要 す
ロ
イ
五、 最 後 通 牒 提 出 前後 の考 慮
ハ
﹁蒋介 石 帰 京 せざ る場 合 如 何 にす る か﹂ 磯 谷 軍 務 局長 答 ﹁一月 で も 二月 でも 待 つ其 の際 は国 論 も喧 し く な る故 、 北 支 に対
事 件 不拡 大 を 根 本 方 針 とす る も外 交 停 頓 せば 実力 行 使 の外 な
以 上 の外磯 谷 軍務 局 長 の説 明 左 の通
し 既 定 方 針 に て進 む ﹂
イ し 之 に対 す る 用 意 は有 す
用 兵 方 面 に関 し ては参 謀 本 部 陸 軍 省 意 見 一致 せず
兎 も角 出 来 る丈 一兵 も 使 用 し た く な し ロ
参 謀 本部 は北 支 を選 ぶも 陸 軍省 は 上海 南 京 を 選 ぶ
北 支 は支 那 にと り急 所 に非ず 蒋 は之 に対 し 大 な る 関 心 を有 せず
よ り仕 掛 く る こと な かる べ し 但 し内 面 の工 作 は行 ふ べく 且全 支 作 戦
二、 蘇 は目 下関 東 軍 を抑 へあ る も 我 よ り積 極 的 に仕掛 けざ る限 り彼 漢 口 の現 地保 護 を要 求 す
然 る に蒋 を南 京 よ り追 へば党 部 は解 消 し浙 江 財 閥 は 離 反す
(理 由 )
ハ
而 テ外 交 的 措 置 ト シテ ハ最 後 的 決意 ニ依 ル発 動 ニ先 チ今 一応 蒋介
ヨリ 出 先 ニ訓 令 セ リ
石 ノ帰 京 並 ニ我 方 要 求 ニ対 ス ル彼 ノ決 意 ヲ促 ス コト ニ決 シ外 務 大臣
と も な ら ば別 の考 慮 を要 す 三 、米 は遠 大 目 標 の軍 備 充 実 に努 力 中 な る も今 次 事 件 に積極 的 に出
但 し北 支 に関 係 す れ ば 九 カ国 条 約 等 の問 題 惹 起 す べし
二 、 既発 令 兵 力 ノ派 遣 ハ出 雲 兵 員 射 殺 事 件 直後 ノ処置 ト シ テ警 備 力
づ る こと な か る べし
目 的 ヲ以 テ急 速 派 遣 セ ラ レタ ル モノ ニシ テ更 ニ前 号 外 交 措 置 支 援 ノ
ラ レ度
目 的 ヲ モ考 慮 シ成 ル ヘク8S d g特 陸 ヲ同 時 ニ上 海 其 ノ他要 地 ニ配 備 セ
ヲ拡 充 シ且 我兵 力 顕 示 ニ依 ル反 響 ヲ見 テ今 後事 態収 拾 ノ目 途 ヲ得 ル 別 紙 其 の三 大 臣 説 明 一、 先 づ国 論 を 一致 せ し む る こと 肝要 に し て陸 軍 を 説 き付 く る こと 結 局 内 を堅 む る こと第 一な り
ニ依 ラ レ度
其 の 一九
(一 一、 九、 二八 )
(一 一、 九 、 二 七 )
三、 海 南 島 保 障占 領 ノ件 ハ其 ノ企 図 ヲ有 セ スト雖 対 支 交 渉 並 ニ我方 ︹ 本書二 一八頁︺ 勢 力 ノ扶 植 ヲ有 利 ナラ シ ムル為 差 シ当 リ官 房 機 密 五九 七番 電 ノ趣 旨
に申 入 る
策 と相 容 れざ る も のあ る を以 て之 を 行 は ざ る こと に 二課 長 より官 房
二 、第 一特 別 演 習 新 聞 発表 の件 は今 日 迄採 り来 り し我 決意 顕 示 の方
中 央 方 針 に変 化 な く差 し当 り 之 に対 す る処 置 を な さず
一、 3F 参 謀 長意 見 具申 (三〇 六 、 三 〇 七番 電 ) 接 受
支 那事 件 経 過 概 要
情 況 特 に変 化 な く処 理 せ る事 項 な し
其 の 一八
二、 上 海 は之 を確 保 す
長
経 過概 要
三 、 保 障 占領 は青 島 の外 無 し 四 、 海 軍 作戦 の主 体 は南 方 の封 鎖 及 航 空 戦 にし て北 は主 と し て陸 軍 に委 す 五、 支 那 に対 し て は覇 道 を避 け 我 方 に於 て も反 省 す べ き こと あ り
官、次
現 在 の対 支 問 題 は 従来 の行 懸 り で解 決 し然 る後 国交 調整 を図 る べ きなり
官 房 機 密 第 六 三 八番 電 案
別紙 其 の四
次
三 、 総長 宮殿 下 の御 日程 に関 し て は今 日 の情 勢 に於 て極 め て機微 な
一、 屡 次 ノ事 件 発 生 並 ニ日支 交 渉 ノ推 移 ニ鑑 ミ此 ノ際 断 乎 タ ル国 家
東京発
的 決 意 ノ下 に今 後 ノ処 理 ニ当 ル必要 ヲ認 メ之 カ確 立 ニ関 シ目 下努 力
十月三日
る も のあ る処 左 の通 決 定 せ ら る
アリ
中 ニシテ海軍 ト シテ ハ最 悪 ノ事 態 ニ応 ス ル為 着 々諸 準備 ヲ進 メ ツ ツ
御 巡視
ざ る 様戒 心 を要 す
蒋 帰 京 の促 進
福岡着
川越 、 蒋直 接 交 渉 に於 け る我 方 要 求 事 項 の確立
四日
一
五、 軍 務 ︹局長 ︺ よ り外 務 省 に対 し左 記 の諸 件 実 行方 を促 進 す
二
講 評 終 つ て御 帰庁
軍 務 局長 、 第 一部 長 よ り諸 情 報 並 に諸 準 備 に関 し 説明 あ り
五日
一
蒋 帰 京 せざ る場 合 の対 策 確 立
四、 一一〇 〇 大臣 官 邸 に於 て非 公式 軍 事 参 議 会 開 催
三
此 の際 国 家 的決 意 の確 立 を 要 す
来 り合 す ) 海 軍 大 臣 よ り首 相外 相 に申 入 れ た る廟 議 決 定 促 進 に関 し
第 一課 よ り所要 の向 へ配 布 す ︹ 主計︺ 七、 午 後 豊 田軍 務 局長 は磯 谷 陸 軍 省 軍 務 局 長 を訪 問 (桑 島東 亜 局長
六、 時 局 に対 す る出 動 準 備 に関 す る 覚 (案 ) 軍 令 部
大 臣 よ り左 の通 説 明 あ り
イ
日支 関係 の是 正 は我 方 の北 支 に対 す る態 度 が解 決 の鍵 な り
本 朝 外 相 、総 理 に会 見 し左 記 諸 点 を申 入 れた り
二
茲 に於 て次 の二案 を考 慮 す る こと を 得
陸 軍 省 と し て所 信 を訊 す
ロ
(甲案 ) 我 方 の要 求 のみ を遮 二無 二貫 徹 し彼 肯 ぜざ れば 武 力行
磯谷
り
が如し
す れば 交 渉 も 有 利 な ら ん然 し露 骨 に云 へば 陸 軍 の意 見 は 区 々な る
豊田
北 支 処 理要 綱 は中 央 一致 の方針 な る故 文 字 通 其 の内容 を 以 て
陸 軍 と し て は、 既 定 の北 支 処 理要 綱 より 下 る こと は絶 対 反 対 な
支 那 人 は 一歩下 れ ば 一歩 つけ 上 るを常 と す
海 軍大 臣 の要 求 は 至 急陸 相 に取 次 ぐ べ き も自 分 の考 と し ては
使 に訴 ふ但 し 本 案 は 諸 外 国 を刺 戟 す る こと 大 な り (乙案 ) 北 支 に対 す る 我方 要 求 に無 理 の点 を反 省 自 省 し 公 正 な る 態 度 を 以 て対 支 折 衝 に当 る 右 に対 す る廟 議 決 定 を要 求 す ︹ 廣田弘毅︺ ( 註 ) 右 の件 に関 し 首 相 よ り陸 軍 に本 日午 後 陸軍 の態 度 に付 回 ︹ 寺内壽 一︺ 答 を 要 求 し 尚 回 答 不可 能 な る に於 ては陸 相 の帰 京 を 要請 す る様
文 字 通 り の解 釈 な る こと は太 鼓 判 を押 す
真意 如何 磯谷
最 悪 の場 合 の準 備 と し て航 空 機 に重 点 を置 か れ度
申 入 れた り ︹ 信正︺ 末 次 大 将 の希 望要 項 左 の通 イ
三
豊 田 然 ら ば安 心 な り ︹ 彌吉郎︺ 川 越 、 須磨 の交 渉 は 稍 中 央 訓令 を逸 脱 し あ り適 宜 是 正す る こと
磯谷
同意
蒋 川 越 の直 接 交渉 は本 筋 に戻 す こと とす べし
桑島
と し 支 那 にも幾 分 面 子 を立 てる 様 に せ ば可 な ら ん
ロ 戦 時 編 制 に近 き 状 態 に充 員 し 置 く要 あ り ︹ 吉三郎︺ 野村大将談
四
北 支 事 態 に関 し ては 大 臣 に同意 す 欧 洲 は 近 き将 来 如 何 に進展 す べ き か 不明 な るも 此 の際 最 後 の手 段 に出 づ る も差 支 な き も のと 判 断 せら る但 し 此 の際 蘇 等 を 引 込 ま
之 を 要 す る に陸 軍 は海 軍 の意 見 を全 面 的 に認 む る迄 には至 らざ り し も北 支 処 理 要 綱 に関 し て は予 想 外 の見 当違 ひ なか り き 尚 磯 谷 局 長 は 二十 九 日発 北海 道 に至 り陸 軍 の意 向 を 確 む る こと を 約す
針
軍 令 部 第 一課
時 局 に対 す る 出 師 準備 に関 す る覚 (案 )
一、 方
対 支派 遣部 隊 に対 す る も のを第 一段 、 対 米 (英) 作戦 初 期 使 用 兵 力中 特 に早 期戦 備 着 手 を要 す るも のに 対 す る も の を 第 二 段 、 対 米 ( 英 ) 作 戦 応 急 出 師 準 備 を第 三段 と し て各出 師 準 備 を行 ふ 二、 対 支派 遣 部 隊 の出 師 準 備 対 支 派 遣 部 隊 を 1F (主 力 艦 を除 く ) 2F 、 3F 、 4F (主 力 艦 及 一万噸
日
(待機 発 令 よ り待 機 地 点出 発 迄 の期 間 にし て情況 更 に進 展 せる 場
船 体 兵 器 機 関 の整 備 充 当期 間
級 を 除 く) とす 一
搭 載 兵 器軍 需 品
合 に決 定 す ) 二
①
特 減 装 弾 薬 (軽 巡及 駆 )
左 の各 項 の外 は平 時 搭 載 数 ( 額)
海
具 (一、 二駆 )
一組
二組
戦 時 定 数 と 平時 定 数 と の差 額 (数 )但 し平 戦 同 額 のも のは各 砲
探
三十 発 ②
右)
機 雷 処 分 具 (同
1、爆
弾
③ 陸 上作戦兵器
目下製作中 の二五〇瓩 一、〇〇〇、六〇瓩二、〇〇〇 の外左
二、〇〇〇
五〇〇
の数 の擬爆弾 を陸 用爆弾 に改装す 三〇瓩
二五〇瓩
三、五〇〇
一、四〇〇
情況 に依 り更 に左 の数を準備す ることあり 三〇瓩
二五〇瓩 2、陸戦隊関係
(但し九月 二十五日現在 に於ける上海漢口駐屯 のも のを含
〇六個大隊 (約三千名) の装備 む)
各大隊 に対 し上海事変 に使 用せるものの二倍宛
○右に対す る兵器調達額 ○陸図 の準備
艦隊待機下令後 処理す べき航空 関係 は別紙 に依る
石垣島 不時着陸場 の補 修
に拡張)
濟州島不時着陸 場 の拡張 (現四〇〇 米平方 を 一〇〇〇米平方
二、其 の他 の方面
公大、太康飛行場 新設
一、 上 海 方 面
④ 飛行基地準備
三
二、対米 (英)作戦初期使用兵力中特 に早期戦 備着手 艦船 の出師準備 左表 に示す艦船 に対し主とし て工事促 進及戦時 使用 の為保有中 の
艦
に長 期 を要 す る原 因 と な る 兵 器、 艤 装 品 、 船 体
*秩 父丸 、 *浅 間 丸 、 *龍 田丸 、 *永 川 丸 の整 備
伊 号 第 四潜 水 艦
十 三潜 、十 七潜 、 ◎二十 六 潜 、◎六潜
峯 風 、矢 風 、 沖 風
二駆 、 十 五駆 、 二十 七 駆 、 三十 二駆 、 暁 、 漣
多 摩 、 由 良 、 龍 田 、 加 古 、北 上 ◎平 戸 、◎矢 矧
も のの 一部 に対す るも の 軍 駆逐艦
潜水艦
部 外 艦 船 の 一部
一、 ◎を 附 し あ る も の は戦 時 使 用 の目的 を 以 て保 有 中 の もの は内 地 近 く に引 止 む る程 度 に止 め 急速 改 装 可 能 の準 備
二、 * を附 し あ る も のは行 動 、 所在 を 予 め可 及 的 内 地 又 を為 す も の
三、対米 (英)作戦応急出師準備 我対支交渉 又は対支実力行使中米 ( 英) の我に対する関係悪化 の 兆を認めたる場合着手す るも のにして其 の要領左 の如 し 一 整 備に長期 を要する艦 船 の出征前必施工事 の着手所要艦船別表 の如し
二
三 四
左記人員 の急速養成開始 ① 各学校 生徒
戦時自給 困難 なる軍需品其 の他必要なるも のの調達 に着手す
② 航空、無線及信号関係員
主として南洋群島方面 の主 要水陸施設 の着手 ① 航空 基 地 ② 砲台 関係
赤 城 、 比 叡 、金 剛 、 伊 勢 、 大鯨 、 三隈 、
最 上 、 淺 間 、 攝 津 、 朝 日 、 △對 馬 、 △浦 風
二十 五 駆 、 二 十 八駆
艦 駆逐艦
◎四 潜 、 ◎十 一潜 、 ◎二十 五潜
*第 五、 *第 六、 *第 七 航 空 戦 隊
秩 父 丸 、 龍 田 丸 、淺 間 丸 の内 二隻 、氷 川丸
三、 ◎ を附 し あ る も のは戦 時 使 用 の為 め保 有 中 のも の
船 体 一部 の準 備 を なす も の
二、 *を附 し あ るも のは長 期 を要 す る兵 器 、 艤 装 品 又 は
を以 て特 設 巡 洋 艦 及 特 設 砲 艦 に使 用す るも の
一、 △を附 し ある も のは戦 時 使 用 に当 つ て簡 単 な る 工事
部 外船 舶
潜水艦
軍
応急出師準備 に於て出 征前 必施工事着手艦 船
③ 通信 関係 別表
海 軍 船 艦 記 事
軍 海 船 艦 記 事
別紙 軍機 第 十二、第十三航空 隊 の編制 ( 以上艦
艦隊待機下令後処理すべき航空関係事項
(陸) 上機)
一、第十 一航空隊 の増勢 二、第 二十 一、第 二十 二、第二十 三、第 二十四、第 二十 五、第 二十 第十 一航空隊 の増勢は主と して飛行艇搭乗 員 の転換 により充
六、第 二十七航空隊 の編成 註 第十 二航空隊は現編制航空隊より直ち に之を編成す
実す 第十三航空 隊及第 二十 一乃至第 二十 七航空隊は情勢急 を要する 場合 は霞 ケ浦、横 須賀 の教官教員を以て充実し約二ケ月の余裕あ
隊
一
一
隊
隊
隊
3/ 4
一隊 半
一
二 ケ月 後
種
一
隊
3/ 4
艦隊待機 下 令 時
機 戦
半
隊
第十 一航 空隊増勢計画 名
艦
攻
半
隊
隊
中
攻
現 隊 数
る場合 は現航空隊 の急速術力向上 に依 り之 に応ず
隊
第十 一航空隊
大
第十二航空隊編制 (艦隊待機下令時)
隊
名
名
数
派
出
元
大 村 一隊 、 佐伯 半 隊
隊
一隊 半
大村、佐伯 各半隊
種
艦 上戦闘機
一 隊
機
艦 上爆撃機
館山、大村
派
出
元
四二機
各 半隊
一 隊
計
艦上攻撃機
数
館 山(一隊 )、大 湊 ( 半隊)
隊
一隊 半
呉 、 佐 伯 、大 村 各 半 隊
種
艦 上戦闘機
一隊 半
三六機
艦上攻撃機
機
第 十三航空隊編制 (艦 隊待機 下令後速 かに)
第十二航空隊
隊
第十三航空 隊
計
第 二十 一航空 隊
隊
水 上偵察機
水 上偵察機
水 上偵察機
機
一
一
一
一
隊
隊
隊
隊
隊
数
鎮
佐
舞
呉
大
館
派
湊
山
航 空隊 (水 上機)編制 (艦隊待機下令後速か に)
第 二十 二航空隊
水 上偵察機
一
隊
佐世保
世
横濱
海
保
鶴
元
第 二十 三航空 隊
水上偵察機
一
隊
出
第 二十四航空隊
水上偵察隊
一
隊
第 二十 五航空隊
艇
種
第 二十六航空隊
中
名
第二十七航空隊
計
五 二機
一 一、 九 、 二 七 九 月 二十 八 日第 一部 長 軍 事 参 議 官 に説 明覚
三
大 攻 四、 中 攻 六 、戦 闘機 一二機 を 以 て第 十 一航 空 隊 を 特 設 し
上 海 公大 飛行 場 の準備 に着 手 せし む
臺 湾 方 面派 遣 の準 備 を なさ し む 四
派 遣 の件 を伝 達 せら れ 、 一方 第
二 十 四 日〇 七〇 〇 右 一二 三 に関 し 御 允 裁 を仰 ぎ 一二 三〇 呉鎮 特陸
一、 九 月 十九 日漢 口巡 査射 殺 事 件 の報 に接 し 佐鎮 特 陸 一箇 大 隊 (四
派 遣 の件 を 二十 五日 〇 〇〇 〇
附 属 の件 を伝 達 せら る
〇 〇名 標 準) を 上海 特 陸 に増 派 す る こと に決 し 二十 一日 一一〇 〇 右
十 一航 空 隊 の編 成 並 に
特 陸 の十 二時 間 待 機 準 備 方 発 電 し次 で之 が 派 遣 方御 允 裁 を仰 ぎ た る 長 官 の指 揮 を受 け しめ ら る の件 を伝 達 せら る
は夫 々艦 隊 よ り分 離 二十 五 日 早 朝佐 世 保 着 の上
八 〇 〇 知 床 に乗 艦 呉 発 (二十 八 日 一四〇 〇 上 海着 の予定 )
(
は夫 々二十六 日早朝出動準備完成同 日〇 六〇〇佐世保発二十
命 令 に依 る) 着 の予 定
十六日午前中 に出動準備完成午後佐世保出港二十七日午後馬鞍群島
一方
は二
右 に基 き 呉鎮 守 府 に於 て は 二 十 四 日 一六 三〇 準備 完 成 二十 五 日 一
3F
三、 北 海 事 件 に関 し て十 九 路 軍 撤 退 せず 我実 力 行 使 の必 要 あ る場 合
定
に於 て は差 し当 り嵯 峨 を現 地 に
の要 請 に依 り馬 公 よ り派 遣 せら
球磨 、 夕 張 を 逐 次 派 遣 十 五 日迄 に夕 張 を 除 き之 等 南
れた る 太 刀 風 は十 七 日海 口 に達 す
其 の後夕張 は十 八日海 口着尚
遣 部 隊 海 口 に集中 せ り
海 に次 で、
一方 十 三駆 逐隊 の 一艦 (芙 蓉) を 廣東 に他 の 一艦 ( 若 竹 ) を北
派遣 す ( 十 二 日北 海 着)
中野殺害事件 の報 に接す るや
尚北海事件当時警備艦船 の移動概況を附言せば左 の通
〇名と なる
特 陸 一大 、中 攻 六、 大 攻 四 を腹 案 と し て予 定
を佐世保 に急航上海方面 回航 の準備 をなさしむ
3F
の増 援 兵 力 と し て
し置け る処同事 件順調 に経過し兵力使 用の必要なく 一先 づ終了 せり 四、二十三日 二三〇〇頃出雲水兵射殺事件 の報に接 し、我断乎た る 決意を表 示し且今後 の波 及 に備 ふることに軍令部方針を定め省部協 一
呉鎮特陸 一箇大隊 (四〇〇名標準)を上海方 面派遣 の目的を
議 の上左記事 項を処理す 二
8S
後上海 に派遣し
以上に基き佐世保鎮守府 に於 ては二十二日〇 三〇〇準備完成特務 の上同隊 は上海特陸司令官 の指揮下 に入れ り
艦室戸 に乗艦 を了し同日〇 七〇〇佐世保発二十四日〇七〇〇上海着
に於 て は 上海 特 陸 よ り 一箇 中 隊
(一〇 四名 ) を 二十 日 一〇 三〇 上 海 発 漢 口残留 隊 に増 派 (呉竹 、 蓮
二、漢 口巡査射殺事件突発す るや
8S 3dg 22dg
七日〇 九〇〇 上海 ( 命 令 に依 る) 着 の予 定 第十 一航空隊 に関し ては其 の後着 々準備進捗十月 三日臺北着 の予
3dg 3F
五、今 日迄 の兵力使用 に関する経過概要以上 の如 し
3F
3F
に分乗 ) 二十 二 日 一八 〇〇 漢 口着 之 に依 り漢 口 の陸 戦 隊 兵 力 は 二〇
22dg
3F
8S 3dg 22dg
3F
16dg
1Sf 8S
以 て二十四時間待機となさしむ
8S 3dg 22dg
斯 く て嵯 峨 を北 海 に、 其 の他 の兵 力 を 海 口 に待 機 せ しめ 着 々現 地調 査 の準備 工作 を進 め つ つあ り し処 二十 二 日〇 八 〇 〇 調 査 開 始
然 る処 同 日北 海 の治 安未 だ収 ま らず 明 二十 三 日迄 延 期 せら れ 度
の こと と な り南 遣 部 隊 は 同 時刻 迄 に北 海 に集中 す
陸軍側は ﹁北支出兵は課長間 の連絡 の通参謀本部に於 ては異議
会談す
なし但し陸軍 省は之 を容認せず、中支出兵 は可及的之 を避け度﹂ 五
︹ 恭次︺ 九月二十 五日参 謀本部第 三課長富永大佐来部 ﹁ 対支時局対策﹂
と の意 を通ず
旨 支 那側 の要 望 あ りし を 以 て之 を応 諾 二十 三、 四 日 の両 日 に亘 り
なる刷物を第 一課長 に手交す
一
上海地方 ( 停戦協定区域 の範囲内) の確保
河北山東方面 の占領 (海陸協同) ( 海陸協同)
二
一、作 戦 要 領
対支作戦方針概要
を取付くる迄 に到らざる﹂旨 を伝 ふ
兵 のことに決意し具体案成 立せるも未だ陸 軍省側 の完全なる諒解
此 の際参謀本部第 三課長は ﹁参謀本部も万 一の場合対北中支出
現 地調 査 の 上南 遣部 隊 は 二 十 四 日夜 北 海 を 引揚 げ 翌 二十 五 日海 口 着 、 爾 後 球 磨 、 太 刀 風 を除 き 引続 き 海 口 に配備 中 尚 北 海 事 件 に依 る 3F 兵力 の南 下 に伴 ひ福 州、 厦 門 、汕 頭 の警 備
き今 日 に及 ぶ
兵 力 絶 無 と な り し を 以 て馬 要 より 十 三 日駆 逐 艦 各 一隻 を 配 し 引続
海 南 島 警 備 兵 力 の配 備 に関 し ては 対 支交 渉並 に同 島 に対 す る我 方 の勢 力扶 植 を有 利 な ら し む る目 的 を以 て差 し 当 り所 要 の兵 力 を 海 口方 面 に存 置 せ ら れ度 旨 中 央 よ り3F に内 意 を伝 へた り 六 、陸 軍 と の連 絡 概 況 第 一部 長 来 訪 ﹁北海 方 面 の地 勢 上
航空機 を以てす る敵兵力、要点 の攻撃
九月 十 二 日午 後 参 謀本 部
三
一
作戦効 果期待薄きを以 て陸 兵派遣 は之 を行 はざる方針 なる﹂旨意
支那沿岸 の封鎖
ふ
(終)
聯合艦隊、第 三艦隊及第四艦隊所要 の航空兵力 の特設、増勢を行
二、使 用 兵 力
敵艦船我 に敵対す るときは直 に之 を攻撃撃滅 す
(第 一撃 より連続持久す)
志表 示す 二 九月 二十 二日石原参謀本部第 二課長第 一課長 を来訪 ﹁陸軍は
四
九月 二十四日軍令 部第 一課長参謀本部第三課長を訪問し対支
対支全面作戦 の企図なき﹂旨意志表 示す 三
時局 に対す る軍令部 の方針 を説明し陸軍 の之に対す る協力を求む ﹁参謀本部 に於 ても中支出兵 を要する場合 は徹底的 に実施するを ︹匡武]
九 月 二 十 五 日第 一課 中 澤 部員 と 参 謀 本 部 楠 本 中 佐 公 平 少佐 と
︹ 實 隆︺
要 す と 思 ふ尚 至 急 研究 の上何 分 回 答 す べ き ﹂旨 回答 す 四
九月 二十 八 日 〇 八〇 〇 ニ於 ケ ル在 支 兵 力 配備
支那陸軍各省別配備概要表 (11-9省
別
指
揮
者
兵
山
東
韓
復
〓
5師 1旅
57,000
宋
哲
元
4師
41,000
河
北
33,000
馮玉祥系 山西系
(察 哈 爾)
力
概
要
記
震
馮
占
海
1師
16,000
東北系
萬
福
麟
3師
19,000
同 上 留 日士出身
山
西
閻
錫
山
8師 3旅 3騎 旅
81,000
緩
遠
傅
作
義
2師
14,000
河
南
駐豫皖綏 靖主任 劉 峙
9師
61,000
72,000
西
西安綏 靖主任 楊 虎 城 西北剿匪副司令 張 學 良
4師
陜
20師 其他
152,000
一 部 陜西 方 面
蒋介石直系
旧東北 軍 を主 とす
甘
粛
駐甘綏靖 主任 朱 紹 良
4師 騎 1旅
38,000
寧
夏
馬
路 軍 達
6師 騎 1師
45,000
江
蘇
中 央
直 轄
6師 1旅
67,000
浙
江
中 央
直
轄
2師
11,000
安
徽
第 劉 第 衛
路 軍 鎮 華 14 車 立 煌
3師 1旅
43,000
旧馮玉祥系
江
西
駐 〓綏靖主任 顧 祝 同
8師
95,000
蒋介石直系
湖
北
武漢綏靖主 任 何 成 濬 宜 昌 行 営 陳 誠
第15 15
11
鴻
事
旧馮 玉 祥軍
4師 騎 1師
商
27)
旧陸士 出身 湖北土着派 18師 4旅
187,600
蒋介石直系
湖
南
第 28 軍 長 陶 廣 湖 南清郷督 〓 何 鍵 劉
四
湘
川
剿 匪第 薛
貴
州
2
路軍 岳
第 18 路 軍 毛 光 翔 剿 匪第 4 路 軍 劉 建 緒
雲
南
龍
福
建
駐〓綏 靖主 任 蒋 鼎 文
廣
東
第 余 中 蒋
廣
西
李
青
海
第 馬
新
彊
盛
雲
漢 央 介
路
軍 謀 軍 石
宋
仁
4
路 軍 麟
24
世
才
湖北土着派
5師
37,000
其他蒋介石直系軍 あ り 23 師 11旅
325,000
四川土着軍
5師
59,000
中央入川軍
8師 2旅
80,000
貴州軍
8師
96,000
中央軍
6師
16,000
土着軍
5師 1旅
40,000
蒋介石直系
11師 3旅
120,000
陳濟棠の失脚後整理 中
17師
175,000
続々入省 中
5師 5団
39,300
3師 騎 1旅
30,000
6師
95,000
支那陸軍総計
約
201
師
騎
39
旅
騎
211 8
11
万 師 旅
反蒋戦に失敗妥協交渉中
蘇露 の勢力多分 に侵入す
次 で質 疑 応 答 の後 次長 よ り最 悪 の場 合 に備 へ各 部 準備 に万 全 を期
三 、昨 日豊 田軍 務 局 長 の陸 軍 に対 す る申 入 れ は 曲 解 せ ら れ海 軍 は陸
す る 様指 示 せら れ た り
軍 の出兵 を要 請 し 乍 ら北 支 に関 し ては丸 きり 反 対 の態 度 を持 す と の
支 那 陸 軍 最 近 の動 静 ( 昭 和 一 一年 九 月末 )
参 本 は釈 然 諒 解 す
午 後参 本 三課 長 当 部 一課 長 を訪 問 せ る に付 海 軍 の意 志 を明 か にし
印 象 を 与 へた るも の の如 し
蒋 介 石 麾 下 の中 央 軍 は 客年 以来 国 内 共 産軍 の剿 滅 に努 力 し 、 其移 動 に伴 ひ て四 川、 貴 州 、 陜西 方面 に中 央 軍 を集 結 せし め し が、 昭 和
や、 四 川 、貴 州 方 面 に在 り し中 央 軍 の 一部 を湖 南 、 江 西方 面 に移 動
一 一年 六 月 廣東 、 廣 西 両 派 が抗 日 を名 目 と す る反 中 央態 度 に出 づ る
し、 尚 江 西 、福 建 に在 りし 部隊 を動 員 し、 両廣 包 囲 の態 勢 を採 ら し
(一 一、 九 、 二九)
申入れたり
経 過 概 要 (説 明案 )
二課 長
一、 曩 に成 都 事 件 あ り屡 次 の排 日 ﹁テ ロ﹂ 事 件 に鑑 み帝 国 は 此 の際
一 一、 九 、 二九
措 置 す 尚豊 田軍 務 局 長 よ り磯 谷 軍 務 局長 に対 し 電 話 にて 誤解 な き様
陸 軍省 に於 ては 大 に議 論 あ る模 様 な る に付 本 日海 相 代 理と し て北 ︹ 岑生︺ 海 道 に赴 く大 角 大将 に依 頼 し海 軍 の真 意 を陸 軍 側 に誤 らず 伝 ふる様
めたり 七月 十 八日 陳 濟 棠 の失 脚 す るや中 央 軍 は漸 次 省内 に入 り て 旧第 一
其 の 二〇
集 団軍 の整 理 に着 手す る こと と な り現 在 省境 並 に省 内 に於 け る中 央 軍 は十 七 箇 師 に及 ぶ が如 し
支 那 事件 経 過 概 要
日支 国 交 の根 本 的 調 整 及排 日 の禁 絶 を主 眼と す る外交 交 渉 を開 始 す
る方 針 を決 定川 越 大 使 は 九、 一八 以来 南 京 に入 り 張羣 を相 手 と す る
二、 此 よ り 先九 、 三北海 に於 て中 野殺 害 事 件 あ り同 九 日中 央 に於 て
交 渉 を開 始 せり
(此 の種 電 報 は 機密 保 持 上 最 も 警戒 を要 す るも のに し て斯 く の如 ︹ 仁︺ ︹ 米国情報担当︺ き は特 に電 報 し来 らざ る様 小 林 第 五課 長 上 海 行 き の際 注 意 を促 す こ
こと と な る
之 を知 り 現 地 に於 ては速 に調査 員 を進 出 し て現 地 調 査 を な さし む る
一、 3 F参 謀 長 よ り平 戦 転 換 期 に於け る作 戦 計 画 に関 し 意 見 を参 考 と ︹ 註11︺ し て表 示 し 来 る
と に総 部 会 の席 上 次 長 よ り指 示 せら れた り)
二課 長
成 都事 件 より 今 日 に至 る迄 の経 過概 要 説 明 処理 方 針 説 明
当 時 旅順 、 青 島 及 上海 方 面 に在 る5S球 磨 等 を同 方 面 に集 中 す る こと
備 の見 地 に於 て軍 艦 の派 遣 及 調 査 は敢 行 す るを 要 した るを 以 て 3 Fは
調 査 並 に軍 艦 の派 遣 を 取 止 め ん こと を要 求 した るも海 軍 と し ては警
然 る に支 那側 は 同 地 が 十 九路 軍 占 拠 し危 険 な る の故 を以 て我 方 の
二 、 一三〇 〇 次 長 室 に於 て総 部 会 開催
一
一課 長
中原部員
左 記 の順 序 に依 り課長 部 員 の説 明 あ り
二
参 謀 本 部 と の連 絡情 況 並 に作 戦 方針 の腹 案 説 明
三
南 遣部 隊 は其 の後 海 口 に集 中海 口方 面 には警 備 及 対 支交 渉 を有 利
な ら し む る為 当 分 所要 の兵 力 を配 備 し馬 要 も亦 南 支
に決 し中 央 部 と し ては 北海 現地 調 査 に当 り十 九 路 軍 と の関 係 に鑑 み 現 地 調査 は極 め て慎 重 にし 且無 用 の事 端 発生 を 極 力 避 け支 那 側 を利
二 十 六 日大 臣 室 協 議
中 央 の方 針
七 、 二 十 三 日、 川越 、張 羣 の交渉 ﹁デ ッド ロ ック﹂ 少 し く情 況 不 明
三 局長 会 議
三、 然 る に北 海 の十 九路 軍 撤 退 に関 す る支 那 側 工 作進 捗 せず 我 方 現 地調 査 に対 す る援 助 亦 不誠 意 な る も のあ り嵯 峨 は調 査員 を乗 せ北海
方針 発電
二十 八 日朝 上 海 着
二十七日午後馬鞍群島着
其の 二 一
(一一、 九、 三〇 )
用 し 要 す れ ば適 当 な る時機 を待 ち 之 を 行 ふ こと 等 を指 示 せ り
の上 現 地 調査 行 は れ ざ る が如 き は 我海 軍 の威 武 にも関 し情 況 に依 り
二 十 八 日大 臣 の推 進 、
着 、 其 の他 の南 遣 部 隊亦 十 八 日を 以 て全 部 海 口方 面 に集 中 を 了 し 此
何 時 強 行 調査 延 て事 端 発 生 の已む を得 ざ る に至 る実情 に在 り此 に対
軍務局長、磯谷
特陸
二十 七 日朝
す る 作戦 諸 般 の準 備 を進 む ると 共 に3 Fに対 し ては ﹁目 下 努 力 中 の支 那 側 を し て抵 抗 排 除 せ し む る こと が効 果 な か りし場 合 已む を 得ず 実
る る腹案 ﹂ な る旨 次 長 よ り指 示 せら る
力 行 使 の情 勢 に立 至 る場 合 には有 力 な る航 空 兵 力 其 の他 を派 遣 せ ら
陸
外
海 海軍 省 側
陸 陸軍 省 側 )
変 りな し 但 し居 留 民 保 護 には出 兵 を 拒否 す る訳 に非ず
陸 軍 に ては 政略 出 兵 は 反 対 な りと の事 な る が今 以 て然 る か
対 支 最後 要 求 の具 体案 に関 す る審 議
会 議 の目 的
の通 説 明 あ り (外 外 務省 側
一、 第 十 一航 空 隊 派 遣 の件 伝達 ︹ 保科善四郎︺ 二、昨 二 十九 日 の三省 課 長 主 務 者 会 議 の模 様 に付軍 務 一課 長 よ り左
支 那事 件 経 過概 要
殿 下 三 日御 発23
﹁一特 ﹂ 予 定 通
大演習
8S 3dg 22dg
四、九 月 十九 日漢 口事件 あ り、 陸 戦 隊 上陸 又上 海 よ り も増 援 を 見 た り此 よ り先 上 海 特 陸 の兵 員 不足 を 痛感 し海 軍 省 を強要 し つ つあ り し も 実現 せざ りし が右 の情 況 及 今 後 の日支 関 係 に鑑 み差 当 り特 陸増 援 を要 す と認 め ら れ 二十 一日佐 特陸 四〇 〇 名 増 遣 待機 右 は 室 戸便 に て
編制、 11fg
二十 四 日朝 上 海着 (四 八〇 名 )、尚 右 便 に て上陸 の防 空 其 の他 の 諸 兵 器 を増 強 せら る
待 機、 呉特 陸 ( 四 〇 〇名 ) ︱ 知 床便 、
五、 二十 三 日夕 出 雲 水 兵 射 殺事 件
処置
此 の間 の戦 勢甚 だまず し
六、 北 海 現 地 は 二十 三、 二 十 四 日敵 の抵抗 なく 終 了
二十 四 日 八時 陛 下 御 出 発 に付 急 速 御 允 裁 を了 す
(中 6 ・大 4 ・戦 十 二臺 湾 着)
8S 3dg 22dg
外
張 羣 川越 の最 後 の談 合 の情 況 を説 明 す要 旨 左 の如 し 要 す る に我 方 七 項目 は大 体 認 め 居 る も北 支 に関す る件 の みは具 体 的と な り居 らず
主権 及 外 交 権 を強 要 せず
追 而 外 務 意 見 た る北 支 五省 とし 支 那側 の任 命 す る人物 を配 し 防 共
経 済 提携 を附 帯 せ し む る案 は五 省 の範 囲 に地域 を拡 大 す る な らば 情
況 に依 り差 支 な か るべ しと の意 見 に 一致 す
四、 前 日 (二十 九 日) 三省 事 務 会議 に依 り研 究 の結 果 を 纒 め た る別
福 岡 上 海航 空 連 絡 其 の他 の提 出 を 必 要と せ ん尚 北 支 は 五省 と し
異存 な し
(海 ) 北 支 を我 方 独自 に促 進 す る に於 ては 明朗 化 は期 待 出来 ず 国 交
だ け出 来 れ ば満 足 な り防 共 の要 求 は絶 対 必要 な り
陸 軍 と し ては北 支 は南 京 に 承知 さ せな く て も自 力 で促 進 す 防 共
於 ては当 然 変 る べ きな り
( 陸 ) 現 在 の北 支 処理 要 綱 は成 都事 件 な かり し前 のも のな り今 日 に
れ ば非 常 な 譲歩 と な る
引 き 入 れ る気 分 だけ に ても 現 地 の指 導 は 甚 だ困 難 と な る 二省 と す
は 現 地 が決 し て 承服 せざ るべ し現 地 絶 縁 せ し め あ る南 京 を北 支 に
に南 京 授 権 を 認 む る こと に対 し て は現 地 に強 硬 反 対 あ り 二省 に て
先 般 対 支 実行 策 説 明 に出張 した る際 にも 明 かな る如 く今 日北 支
は南 京 と 無 関係 に やら せ て居 る
ら る然 る に二省 のこと な れば 既 に内面 指 導 に て実施 し宋 に対 し て
(外) 海 軍 の意味 は何 應 欽 の六項 目 を宋 哲 元 に やら せ る意 味 と解 せ
北 支 の件 は 五省 と せず 冀 察 二省 と し度
( 海 ) イ ロ も 出す を可 と す
( 陸 ) 要 求事 項 はイ ロ を除 きハ ニ を 出 し て は如 何
川越 大 使 蒋 介 石同 交 渉 に関 す る方 針
内 容 に於 て彼 の疑 惑 す る諸 件 に関 し ても触 る る こと と し主 と し て
外
結 局 意 見 一致 す
議題
紙 第 一に基 き 再 び協 議 せ る模 様 次 の如 し ︹ 伸一 ︺ ︹一郎︺ ︹ 寅三︺︹ 晟之助︺ ︹ 善四郎︺ ︹ 勝平︺ 出席者 ( 外 ) 上 村 ・太 田 (陸) 石 本 ・園 田 (海) 保 科 ・中村
対支 権 益擁 護 の見 地と 屡 次事 件 の実 情 に鑑 み最 後 案 と し て 具体
知 す る も陸 軍 の方針 如 何
何 れ にす る も 最後 の腹 が決 せざ れ ば 何事 も出 来ず 海 軍 の腹 は承
経 済 提 携 、 防 共 に限定 す るを 可と せ ん
海
外
案 提出 の要 あ りと な し 予 め省 部 意 見 一致 の最 後 要求 を提 唱 す
陸
支 那側 が 我方 要 求 を肯 かざ る場 合 の処置 に関 し て は最 後 通 牒 を突
尚 支 那側 提 出 の 五項 目 は交 換 条 件 と せず 希 望 事項 な らば 考 慮 し差
き 付 く る こと と し 所 要 の実 力 行 使 も 已 む を得 ず と の意 見 に 一致 す
支 なき態 度 と な す こと に意見 一致 す 以 上 の程度 の意 見 一致 の上 各 上 司 に伺 ひた る後 実 行 に移 す ことと
陸 軍 は 尚 大臣 不在 の理 由 に て態 度 を 保留 す
なる
之 を 要 す る に北 支 に関 す る細 目 は 尚 審 議 を要 す る も の多 く あ り 三、 次 長 以 下右 の説 明 聴取 後 軍令 部 と し ては 大 体右 保 科 課 長 の ﹁ラ イ ン﹂ にて異 存 なく 外 陸 を速 に推 進 せ ん こと を要望 す 尚 北 支 に関す る最後 要 求 と し ては冀 察 冀 東 を 特殊 地域 と し て徹 底 的 に我 方 に有 利 な る政 権 下 に置 き防 共 及経 済 提 携 を附 帯 せし む 但 し
の根 本 調 整 亦 期 待出 来 ず イ ロ も要 求 す べ し とす る こと 昨 日 の通 (外) ハ防 共 ニ北 支 イ 福 岡 ︱ 上 海航 空 の順 と す ロ 関 税 は 日本 独力 に て出 来 る こと に非ず 一方 支 那 は や る こ とを 確 め あ りロ の部 に移 し ては 如何 (海 ) ロ は出 来 る望 あ る以 上 出来 る も のを も要 求 と し て差支 なし と 思ふ 右 順 序 の変 更 異 存 な し (外 ) 防 共 の原 則 ﹁北支 五省 ﹂ の冠 辞 は削 る 防 共 は其 の原 則 を反 蘇 依 日 の国交 転 換 意 志表 示と 解 す べく 此 の 際 出来 る限 度 に ても確 認 せし む る を得 策 と す 即 山海 關 包 頭 線 以北 な る支 那案 の辺 に て纏 む る こと 然 る べ し
以 上 にて至 急 各 上 司 の承認 を取 付 け至 急 訓 電 の こと に取 計 ふ こと
(海) 排 日取 締問 題 に付 明 確 に要 求 す る こと必 要 な り
に申 合 す 整 理 し た る案 別 紙 第 二 の通 り (尚 陸軍 は北 支 に関す る件 に付 海 軍 が 不同 意 な ら ば全 然 要 求 事 項 より dr op す る も可 な る旨 申出 せ り本 件 は取 り入 れず ) 以 上 の模 様 、 軍 務 一課長 よ り軍 令 部 に説 明 あ り、軍 令 部 と し ては、
川越大使蒋介石間交渉に関す る方針
別紙第 一
関係省係官会議 の結果意 見の 一
致 を 見 た る案 十 一、 九 、 二十 九
(
.)
川越 大使 及 須磨 総領 事 と張 羣 、 高宗 武 等 と の間 に行 はれ た る従
一、 根 本 方 針 ①
来 の話 合 は之 を予 備 的折 衝 と見 做 し 、蒋 介 石 の帰 寧 を俟 つて始 め て
②
従 来 須磨 総 領 事 等 を 通 じ支 那 側 の意 向 を探 査 し来 れ る所 に基 き
川 越 大 使 と蒋 介 石 と の間 に正 式 交 渉 を 開始 す と の建 前 を と る こと
③
右 川 越 蒋 間交 渉 は左 記 要綱 に依 り今 次 不祥 事 件 に対 す る我 方提
川 越 蒋 会 談 に於 ては 我 方提 案 の内 容 に多 少 の調 整 を 加 ふ る こと
案 の根 本 要 件 た る国 交 調整 問 題並 に排 日 取締 問 題 の大 綱 に付 蒋 介 石
の決 意 を取 付 く る を以 て根 幹 と し従 つて前 記 両問 題 に関 す る大 局 的
話合 成 立 の上 は具 体 的 問 題 に関 し ては 之 を別 途 交 渉 (例 へば 須 磨 張
二、 要
綱
羣 間 の折 衝 等 ) に譲 る も差 支 な し
︹本書二八七頁︺
往電第 二二四号甲一 の趣旨 に依 り今次事件に対す る南京政府 の責
一 国交調整問題
イ 福岡、上海間航空聯絡 の即時調印並 に実行 ( 但し北支自由飛
① 具体的誠意表 示の実証として左記実行を要求す
任を確認 せしむると共 に国交調整 に対し具体的に誠意を表 示せしむ
行其 の他と の牽聯を許さず)
右 の ﹁ラ イ ン﹂ に同 意 な る も北 支 ﹁分治 ﹂ の語 は 極力 之 を避 け 適 当 に表 現 す る様 申 入 る る こと と せり 、 ( 鹿 岡註 、 陸 軍 が交 渉 の情 況 に
ロ
こと
関税引下は我方希望案 に則 り遅くも二、三ケ月以内 に実現 の に明言 す べし と の明確 な る意志 表 示を な せ る は劃 期 的 進 展と 云 ふべ
依 り ては 北 支 五省 に対 し支 那 主 権 侵 害 の意 図全 然 な き こと を 支 那 側
し)
ハ
北 支 五省 共 同防 共 の原 則 を承 認 し 実行 細 目 に関 し委 員 会 を 設
( 我 方希 望 案 取 入 程 度 に関 し ては 支 那側 の誠 意 に期待 す )
ハ
す べき ﹂ 旨 釘 を さ し置 く 程度 に 止め ら れ差 支 なし
の点 に就 ては追 て支 那 側 事務 当 局 と の間 に打 合 は せし む る ことと
二
排 日取 締 問 題
方 独 自 の立場 に帰 り 自 力 に て右 目 的 を達 成 す ﹂ と の意 味な り
合 には ﹁我方 は蒋 に誠 意 な き も のと 見 做 し交 渉 を 打 切 る と共 に我
﹁要 求事 項 ﹂ と は 万 一蒋 に於 て前 記イ ロ ハ ニ を 承諾 せざ る場
け て攻 究 す
﹁五省 特 政 会 設 置 に関 す る 日支 合意 附 属 覚 書 案 ﹂ の趣旨 に依 り尠
(防 共 の範 囲 は山 海 關 包 頭 を連 ぬ る線 以 北 に限 定 せず 北 支 五 省 ︹ 駿︺ を含 ま し む るを 要 す 又防 共 の内容 に 関 し ては多 田司 令 官 、 宋 哲 元 ︹ 註12︺ 防 共協 定 の如 く 必 し も 日本 軍 に依 る直 接弾 圧 行 動 を 予想 せざ る も
①
教 科 書 、 雑 誌 の取締
蒋 介 石 の声 明
党 部 常 務 委 員 会 副 主 席 の命 令
く も情 報 の交 換 、相 互 の連 絡 、 及第 三国 の行 動 に対 す る共 同防 衛 の原 則 は之 を 承 認 せ し む るを 要 す)
②
党 部 の排 日行 動禁 絶 、 党 部 の排 日行 動 に関 す る政 府 の責 任
排 日取 締 に関 し ては 十 九 日高 宗 武 の須 磨 に対 す る談 話 (南 京 来電 ︹ 不詳︺ 第 七 一六 号) の趣 旨 に依 り 左記 に関 す る原 則 を 確 認 せ し む
ニ 北 支 五省 ﹁分治 ﹂ の原 則 確 認 ︹ 註13︺ (北 支 自 治 〓 法 六項 目 に掲 記 せ ら る る が如 き 具 体 的権 限 を 五省
③
邦 人旅 行 の自 由並 に安 全 保 障
︹ 本書三六八頁︺
④
張 羣 は支 那側 五項 目 は日 本側 提 案 と 同 時 に協 議 す る こと を要
﹁国 交 調 整 に関 す る支 那側 の希 望 ﹂ に対 す る 対策
⑤
①
に拡 大 せ しむ る こと は此 の際 別 とす る も尠 く も第 二次 北 支 処 理要
に関 す る 日支 合 意 案 ﹂ の原 則 を 承認 せ しむ ﹁支那 側 に於 て南 京 政
三
綱 、 ﹁分 治 の内容 ﹂ に規 定 せら る る趣 旨 に 基 き ﹁五省 特 政 会 設置
府 特 権 下 に五 省 分治 の原 則 を 承 認 す る に於 ては我 方 と し て 北支 に 南 京 政 権 よ り離 脱 せ る独 立国 家 を育 成 し 或 は満 洲 国 の延長 を具 現 す るが如 き意 向 な き ﹂旨 言 明 せ られ 差 支 な し)
求 す と 云 ひ居 る処 右 は固 より容 認 の限 りに非 る に付 南 京来 電 第 七 ︹ 不詳︺ 六 二号 の趣 旨 に依 り主 義 の問 題 と し て断乎 は ね付 け る こと ︹ 本書二九〇頁︺ 右 五 項 目以 外 南 京 来 電第 七 三八 号 支 那側 提 出 の書 物 に列 記 せ
③
(例 へば一 九 年 度議 会 調 書 第 一七 二頁 三 客 年 支宛 第 二〇 九 号 二 ︹ 以上不詳︺ 及 四 ﹁リ ー ス ロス﹂ に対 す る応 酬 資料 等 )
支 那 側 を し て前 記 五項 目 を 撤 回 せ し む ると 共 に更 に進 ん で前
ら れ居 る支 那側 の見 解 、 申出 、 条 件 等 は 之 を黙 殺 す る こと
②
② 前 記 ﹁要 求 事 項 ﹂ に関す る説 明 ︹ 不詳︺ ︹ 註14︺ イ 右 イ 乃 至 ニ は南 京 来 電 第 七 一五 号須 磨 の提示 せ る 六項 目 並 に ︹ 不詳︺ 右 に対 す る支 那 側 回答 (南 京 来 電第 七 三九 号 ) を斟 酌 し作 成 せる
記我 方 要 求 を容 認 せし む る為 必要 の場 合 に は左 記 に依 り応 酬 す
︹ 不詳︺ 前 記 六 項 目 中 の二 及 四 並 に前 記 第 七 三九 号 三 の一 北 支 問 題中
も のな り ロ
経 済 合 作 の点 に関 し て は南 京来 電第 七 三九 号 支 那側 回 答 の程 度 に て 一応 満 足 す る こと と し蒋介 石 に対 し ては 要 求事 項 と せず ﹁詳 細
別紙第 二
致 を 見 た る案 十 一、 九 、 三 十
関 係省係官会議 の結果意見の 一 ) (
川越 大使蒋介石間交渉に関 する方針 一、 根 本 方 針
に情 報 の交 換 乃至 は赤 化 宣伝 防 止 に関 す る措 置 の協 議 等 の程 度 に
す るも 差 支 な し) 別 個 の防共 協 定 の締 結 を希 望 す 尤 も 其 の際 は単
止 め差 支 な き意 嚮 な り
北 支 五省 ﹁分 治 ﹂ の原 則確 認
(北 支 自 治 〓法 六項 目 に掲 記 せ ら る る が如 き具 体 的 権 限 を 五省 に
ロ
拡 大 せし む る こと は此 の際 之 を見 合 せ 第 二 次北 支 処 理 要 綱 、 ﹁分
我 方 に於 ては 支那 側 の意 嚮 を 探 る為 須 磨 総 領事 等 を通 じ 各 種 の
試案 を提 出 し 来 れ る処 右 折 衝 の結 果 を斟 酌 し 今 次 川越 蒋 会 談 に於 て
①
は右 我 方 提 案 の内容 に多 少 の調 整 を加 ふ る こと
日支 合 意案 ﹂ の原 則 を 承 認 せ し む (尤 も イ の五省 防 共 を応 諾 せ る
治 の内 容 ﹂ に規 定 せら る る趣 旨 に基 き ﹁五省 特 政 会 設 置 に 関す る
に 五省 分 治 の原 則 を 承 認 す る に於 て は我 方と し て北 支 に南 京 政 権
場 合 に は防 共 に関 す る点 を除 く) ﹁支 那側 に 於 て 南 京 政府 授 権 下
右 川越 蒋 間 交 渉 は 左 記要 綱 に依 り蒋 介 石 を し て今 次不 詳 事件 に
対す る我 方 提案 の根本 要 件 た る国 交 調整 問 題 並 に排 日取 締 問 題 の大
②
綱 を確 認 せし む るを以 て根 幹 と す 従 って前 記 両問 題 に関 す る大 局的
よ り離 脱 せ る独 立 国 家 を 育成 し 或 は 満 洲 国 の延 長 を 具 現す る が如
福岡 、 上 海 間 航空 聯 絡 の即 時 調印 竝 に実 行 (但 し北 支 自 由 飛
話 合 成 立 の上 は 具 体的 問 題 に関 し て は右 話 合 を基 礎 とし 更 に張 羣 と
ニ
支 那側 書 物 に あ る が如 く ﹁国策 の 一大 転 換 を 計 り 且対 日誠 意 の 一
す (防 共 の範囲 を山 海 關 包頭 を連 ぬ る線 以 北 に 限定 す る場 合 に は
イ
①
共 同 防 共 の原 則 を承 認 し実 行細 目 に関 し 委 員会 を 設 け て攻 究
具 体 的 誠 意 表 示 の実 証 と し て左 記実 行 を 要 求す
ロ
も のなり
右 に対 す る支那 側 回答 (南 京来 電 第 七 三九 号) を斟 酌 し 作成 せ る
イ
②
関税 引 下 は 我 方希 望 案 に則 り 遅 く も 二、 三 ケ 月 以内 に 実 現 の
行其 の他 と の牽 聯 を許 さず )
ハ
き 意 嚮 な き﹂ 旨 言 明 せ ら れ差 支 な し)
綱
の細 目 交 渉 に入 る も の とす
往 電第 二二 四 号 甲 一 の趣 旨 に依 り今 次 事件 に対 す る南 京政 府 の責
国 交 調 整問 題
二、 要 一
大 表 示 と し て協 議 す る こと に決 意﹂ す るに 止 らず 同 線 以北 に 於 て
回答 の程 度 に て 一応 満 足 す る こと と し 蒋 介 石 に対 し て は要 求事 項
こと
は成 る べく ﹁日支 軍 事 同 盟﹂ の前 提 と し て之 を為 す も のな る こと
任 を 確認 せ しむ ると 共 に国 交 調 整 に対 し 具体 的 に誠 意 を表 示 せし む
を 承 認 せ し む る様 誘 導 す る こと と 致 度 し 尚 我 方と し ては出 来 得 れ
と せず ﹁詳 細 の点 に就 て は追 て支 那側 事 務 当 局 と の間 に打合 は せ
前 記 六 項目 中 の二 及 四 に 関 し て は南 京 来電 第七 三九 号 支 那側
右 イ 乃至 ニ は南 京 来 電 第 七 一五号 須 磨 の提 示 せ る 六項 目 竝 に
前 記 ﹁要 求事 項 ﹂ に関 す る説 明
( 我 方 希 望 案 取 入 の程 度 に関 し て は支 那 側 の誠意 に期 待 す)
ば 右 防 共協 定 以 外 に支 那 全土 を包 含 す る (已 む なく ば 北 支 五省 と
しむ る こと と す べ き﹂ 旨 釘 を さ し置 く程 度 に止 めら れ 差 支 な し 二 排 日取 締 問 題 ︹ 本書二八七頁︺ 往 電 第 二 二四 号 甲二 の二項 目 を 要 求 す 尚 十 九 日高 宗 武 の須 磨 に対 す る談 話 (南 京 来電 第 七 一六 号) の次 ︹ 本書二八八頁︺ 第 も有 り往 電 第 二 二五 号二 のロ の細 目 に付 蒋 と交 渉 す る の要 な き も
(例 へば一 九年度議会調書第 一七 二頁三客年支宛第 二〇九号二
及四 ﹁リー スロス﹂に対す る応酬資料等)
五省特政会設置に関す る日支合意案
日支両国間 の善隣 の関係を鞏固 にし東亜 の安定 を確保 せむが為華
党 部 常 務 委員 会 副主 席 の命 令
国民政 府は天津 に五省特政会を置 き之に第二条 乃至第 四条 の趣旨
河北、山西、察哈爾 、綏遠及山東五省 の庶政を処理する為
北五省に付 左 の通 り合意す
① 蒋 介 石 の声 明
第 一条
②
に従ひ特殊事態 に適応する施政 の権限を附与す
五省特政会は共産主義を排除す る為日本側 と共同し て 一切
教 科 書 、 雑誌 の取 締
幣制、税制、路政等金融財政 、産業 、交通 一切に関し (日
日( 満 )支提携 の為須 要なる諸般 の施措特 に経済的及文化
五省特政会設置に関す る日支合意附属覚書案
的 の融通聯 絡を行 ふ
第四条
本側と の諒 解を経た る)特別 の施設を行 ふ
第 三条
事項は 日支軍務当 局相互 に別に協 定す
共同軍事行動 に関し指揮 の統 一、協同 の円満 を期す る為必要 なる
の共産主義的行為 の防遏 に従事 し且 つ之が為要す ること あるべき
第 二条
③
党 部 の排 日行動 禁 絶 、党 部 の排 日 行動 に関 す る政 府 の責 任
張 羣 は 支 那側 五項 目 は 日 本側 提 案 と 同 時 に 協 議す る こと を 要
﹁国 交 調 整 に関 す る支 那 側 の希 望 ﹂ に対 す る対 策
邦 人 旅 行 の自 由 竝 に安 全 保 障 ︹ 本書二八八頁︺ (尚 往 電 第 二 二四号 二 のホ の 一方 的声 明 の実 行 は 勿論 とす )
①
⑤
④
我 方 と し て は南 京 政 府 に於 て も少 く も左 記 を 実行 す る こと を 期待 す
三
求 す と 云 ひ居 る処 右 は固 より容 認 の限 り に非 る に付 南 京 来 電 第 七 六 二号 の趣 旨 に依 り主 義 の問 題 と し て断 固 はね付 け る こと 但 し 支 那 側 に於 て五項 目 の同 時 協 議 方飽 迄 主 張 す る場 合 に は 二月 二十 二 ︹不詳︺ 日附 亜 、 一機 密 第 二十 四 号 接触 振 案 三 の趣 旨 に依 り可 然 く 応酬 す る こと 右 五項 目 以外 南 京 来 電第 七 三九 号 支 那 側提 出 の書 物 に列 記 せ
本日調印せられた る五省特政会設置 に関す る日支合意第 二条 に関 し左 の通り約定す
②
しては相互 に緊密 なる聯絡を保持す
相互 に交換 し且防共行為竝 に防共 の為 にす る兵 器及軍需品等 に関
日本側及五省特政会 は共産主義運動 に関する 一切 の情報を
ら れ 居 る支 那 側 の見 解 、 申 出 、条 件 等 は 成 るべ く之 を 黙 殺 す る 方
支 那側 を し て前 記 五項 目 を撤 回 せし む ると共 に更 に進 ん で前
第 一条
③
針 の下 に可 然 く応 酬 す る こと
記 我 方 要 求 を容 認 せし む る為 の応 酬 資 料 は 左 の通 り
第 二条
共 産主 義 運 動 に関 聯 す る第 三国 の 一切 の行動 は 日支 両 国 共
同 し て之 を排 除 防 衛 す
︹一郎︺ (十 一、 六、 十 二、太 田試 案 )
北 支 五省 特政 会 設 置 に 関 す る件
一、 設 立 の趣 旨
の歴史 あ り、 尚 前 記 合 意 案 に基 き国 民 政 府 よ り特 政 会 に賦 与 せ ら
るべ き権 限 は客 年 南 京 側 に於 て何 應 欽 に与 へんと した る 六項 目 と
同 趣 旨 にし て又 附属 覚 書 案 の内容 は 所 謂防 共協 定 の趣 旨 を 斟 酌 せ
特 政 会 の前 記 権 限遂 行を し て遺 憾 な から し め ん が為 国 民政 府
るも のな り) ②
しむ る は我 北 支政 策 の根 本 方 針 にし て我 方 に於 て は右 方針 に基 き先
せし む ると 共 に 日満 両国 と の関 係 を 調整 せ し め相 互 の福 祉 を増 進 せ
指 導 長 官 に 与 へら る るも のに非 ず 又 前 記指 導 長 官 を 承 認 せ る結 果 、
と 認 む但 し 特政 会 の権 限 は特 政 会 自体 に 賦与 せ ら る るも のに し て
立 場 を有 利 な ら し む る点 より 云ふ も 本 項 承 認 は 已 む を得 ざ るも の
( 国 民 政 府 に 面 子 を与 ふ る点 より 云 ふ も将 又対 外 関 係 上 我 方 の
は特 政 会 指 導 長 官 と し て適 当 の人 物 を 特 派 す
づ冀 察 二省 に於 け る自治 の完 成 を 期 す る と共 に山 東 、山 西、 綏 遠 の
北 支 民 衆 を 中 心 とす る自 治 の完 成 を援 助 し以 て其 の安居 楽 業 を得
三省 を し て自 ら進 ん で之 に合 流 せ し む る が如 く 指 導 し来 れ る次 第 な
の こと 、追 て右 指 導 長 官 と し て は諸 般 の関係 上 閻 錫 山 を 以 て最 も
に必 要 な る 予防 的 措 置 を 施 す の要 あ る 処 右 に 関 し て は下 記 二参 照
に反 す る所 尠 な か らず 、 延 い て北 支 五省 の自 治 完 成 の如 き も前 途 甚
好 都 合 な り と認 む るも 南 京 側 の面 子 上南 京 側 よ り派 員 方固 執 す る
特 政 会 が 黄 郛政 権 と同 様 な る鵺 的 存在 と な ら ざ る様 特 政 会 の構成
だ遼 遠 な るを 思 は し む る も のあ り 右 は対 支 政 策 上 より 云 ふ も将 又対
①
特政 会 の構 成
場 合 に は右 派 員 の人 物 如 何 に依 り て は之 を 認 め 可然 し)
り、 然 るに宋 哲 元 を首 班 と す る冀 察 政務 委 員 会 の現 状 は 我方 の期 待
二
蘇 作 戦 上 よ り 見 る も甚 だ面 白 から ざ る に付 此 の際 左 記 要 綱 に依 り速
を対 蘇 作 戦 上 の背 後 地 と し て我 方 の把 握 下 に確 保 す る こと 緊 要 の こ
遠 (傅 作 義 ) 察 哈爾 (宋 哲 元 兼 任 委員 とす るを 可 と す 、 然 らざ る
に北 支 の現 状 を 打 開 し北 支 五省聯 盟 の結 成 を 誘 導 す る と共 に同 地 域
と な りと 認 む 。
時 は張 自忠 と す) 山 東 (韓 復榘 ) の五省 実 権 者 各 一名 よ り成 る委
員 会 制 と し 別 に委 員 長 を 設 けざ る こと (委 員 は形 式 上南 京 政 府 之
特 政 会 は河 北 (宋哲 元)、 山 西 ( 閻 錫 山 又 は省 主 席 徐 永 昌 )綏
綱
南 京 政 権 に 対す る交 渉
二、 要 一
を 任 命 す)
在 支 大 使 を し て南 京 政 府 と の間 に別 紙 甲 号 ﹁五省 特 政 会 設 置
①
②
特 政 会 は 天津 に之 を 設 け 毎 月 少 く も 一回委 員 会 を 召 集 す る こ
特政 会 に秘 書 長 を 置 き 一切 の庶 務 を 掌 ら し む る こと ( 王克敏
に関 す る 日 支合 意 案 ﹂ 竝 に乙 号 ﹁附属 覚 書 案 ﹂ の調 印 方 交 渉 せ し
を最 適 任 と 認 む) ③
む (特 政会 な る字 句 に 関 し ては曩 に東 三省 特政 会 及 蒙 藏 特政 会 等
と (以 上構 成 の主 旨 と す る所 は要 す るに 南 京政 府 を し て必要 の権
儘 存 置 せ し む る建 前 な るも 五省 聯 盟 内 に 一分 派 を 存置 す る こと に
其 の二二
(一 一、 一〇 、 一)
反 対 あ りた る場 合 は之 を 解 消す る も差 支 な かる べ し
支 那事 件 経 過 概 要
一、外 務 大 臣 の要 請 に依 り蒋 川越 交 渉 最 後 案 を事 重大 な りと し 本 一 ︹ 廣田弘毅︺︹ 永野修身︺ ︹ 有田八郎︺ ︹ 梅津美治郎︺ 日午前 首 相 、海 相 、 外 相 、陸 軍次 官 会 合 の上昨 三十 日決 定 の案 を基
のも のた ら し む ると 共 に同 会 を 五 省 主 席 に対 す る我 方 申 入 の単 な
限 を特 政会 に賦 与 せし め た る上 は特 政 会 は成 る べ く形 式 的 名義 上
礎 と し閣 議 と し て審 議 す ( 桑島東亜局長陪席)
る取 次機 関 た るに 止 め し め 以 て北 支 五 省 に対 す る実 際 上 の工作 は 我 方出 先 機 関 と 各 省 省主 席 と の直 接 的 取 引 に委 ぬ る 一方 特 政会 委
一
( 陸 軍 次 官 ) 防 共 範 囲 を為 し 得 れ ば 北 支 五省 已 む を得 ざ れ ば山
五省 の聯 繋 に誘 導 せ ん とす る にあ り)
員 会 の名 義 に依 り 五 省主 席 を成 る べく頻 繁 に会 合 せし め 以 て北 支
二
一同 右 を容 認 す
海 關 包頭 線 と 致 度
も の にあ らず 、 今 次 要 求案 に包 含 せし め ざ る こと と し北 支 に関 す る
南 京 側 と の交 渉 に際 し我 方 の為 す べ き 説 明振 りと 北 支 五省 に
対 す る実 際 上 の指導 振と の間 に は相 当 の懸 隔 あ り、 南 京 に 於 け る
要 求 は 第 二次 北 支 処 理 要 綱 に基 き具 体 的 に 記述 す る こと と す
①
三 、本 件 施 策 に 当 り注 意 す べ き事 項
我 方 出 先と 北 支 に於 け る出 先 と の間 に 密 接 な る聯 絡 を 要 す
( 鹿岡 注
北 支 五 省 に 関す る要 求 の具 体 的 内容 に関 し ては幾 多 疑
﹁五省 特 政 会 設 置 に 関 す る 日支 合 意 案 ﹂ は未 だ 三省 意 見 一致 の
尚 本 件 目 的 達 成 の為 に は多 少 の名 目 を与 ふ る こと に依 り 南 京側 を 誘 ふと 共 に 北 支 現 地 に於 け る 工作 を 進 む る こと に依 り南 京側 に或
三
( 海 相) 若 し支 那 側 が 肯 ぜざ れば 如 何 す る か海 軍と し て は極 め
( 東 亜 局 長 ) 右 の案 な ら ば支 那 側 は 承 知 す べ し
以 上 に基 き更 に 修 正 の上外 務 よ り案 を 回 示す る こと と す 四
問 の点 あ る も のの如 く 之 が決 定 ま で には 慎 重 検討 の要 あ る べし )
②
五
五 省 特 政 会 に於 け る冀 察 政権 の役 割 は現 在 の冀 察 政 権 に対 す
る冀 東 政 府 の役割 と異 なら ず 、 仍 つ て冀 察 政 権 が過 早 の措置 に出
程 度 の威 圧 を 加 ふ る を要 す る こと 勿 論 の儀 な り
で為 に爾 他 三 省 を し て五省 聯 繋 に足 踏 せ し む る が如 き こと な き様
(海 相) 要 す る に此 の案 を聴 かざ れ ば 最 後 の強 力手 段 よ り策 な
(海 相 の言 を強 て否 定 せ る に非 ず )
( 陸 軍 次官 ) やら ねば な ら ぬ が痛 い手 なし に 困 る次 第 な り
右 に 対 し 一同 異 存 な し
此 を 聴 か ねば 最 後 の腹 を決 め て短 時 日に 徹 底的 に遣 る考 な り
厳 重 注 意 を 加 ふ る の要 あ り 五省 特 政 会 は省 を 以 て単 位 と し 宋哲 元 は河 北 省 代 表 と し て委
七
六
て困難 な る局 面 に際 会 す る ことと な る
③
員 会 に参 加 す るも の に付 本 会 成 立 の上 は 冀 東政 府 は成 る べく 速 に 之 を解 消 せ し め 、 冀 察政 権 下 の 一特 別 区 と し て宋 哲 元 の統 制 に服
冀 察 政 務 委員 会 は 五省 特 政会 管 下 に 於 け る 一組 織 と し て其 の
せ しむ るを 要 す ④
一同 異 議 な し
し従 て今 次 の要求 は天 地 神 明 に恥 ぢ ざ る も のな る こと を望 む
イ
米国 は目下朝野を挙げて選挙戦 に集中従 て帝国と して事件 の
解決 を遷延す るは不利 なり
帝国 の正当な る要求 にし て容れられざれば過度 に米国 の輿論
二、 夜外 務 案 (別 紙 ) 回 示 し 来 り 先 づ軍 令 部 の腹 を決 す るた め 三部
を顧慮す ることなく断乎とし て所信に邁 進せられ可然
ロ
)
往 電 第 二 二 四 号甲 一 の趣 旨 に依 り 今 次事 件 に対 す る南 京政 府 の責
一、 国 交 調 整 問 題
註 、 別 紙 括 弧 内 は 川越 大 使 の含 迄 通 報 す る も のなり
結 果 意 見 の 一致 を 見 た る 案 、 十 一、 十 、 一、
(
九 月 三十 日 関 係 省係 官 会 議 、竝 に四 相 会 議 の
川越大使より蒋介石 に対し要 求すべき事項
(以上機密 一四三番電参 照)
長 、 一、 二、 六課 長 、 中 原 、 小野 田、 鹿 岡 、 藤 原 部員 参 集 協 議 の結 果 ﹁支那 側 要 求 五項 目 に 関 し て は主 義 と し ては は ね つけ るも 、 我 方 要求 を容 認 せば 之 等 は 自 ら解 決 す る に至 る べき﹂ を支 那 側 に言 ひ含
原 案 中北 支 特 殊 性 に関 し 具 体的 の説 明 なき は 最 後
む る様 修 正す る外 原 案 に同 意 す る こと と し 軍務 に申 入 る (鹿 岡 私 見 、
案 た る要 点 を 欠 く も のに し て結 局 我 最 後 的 態度 を決 す るた め に は更 に事 務 的折 衝 の情 況 に 依 らざ る べ から ざ る ことと な る是 外 交 折 衝 の
任 を 確 認 す る と共 に国 交 調 整 に 対 す る具 体 的誠 意 表 示 の実 証 と し て
の際 、 原 案 と 竝 行 し て北 支 特 殊 性 の具 体 案 を確 立 し川 越 蒋 会 談 に 竝
方策 と し ては 拙 劣 徒 に 二十 一ケ条 の轍 を 覆 む こと と な る べし 従 て此
る こと イ
前項 の如 く軍 事 同 盟 に至 る前 提 と し て の防 共 協 定 に は非 ず し
尚 口頭 を 以 て本 協 定 の内 容 に 関 し て は詳 細 委 員 会 に於 て協
議 す る こと と し 差支 無 き も本 協 定 は赤 化 思想 に対 す るも のに し て
(ハ
を 支 那 全 般 に付 き締 結 す る こと
関 す る協 議 竝 に共 産 主 義 に関 す る情 報 の交 換 等 を 内 容 とす る協 定
て赤 化思 想 の侵 攻 防 止 を 目 的 と し 右目 的達 成 の為 執 る べき措 置 に
ロ
く も 北 支 五省 に及 ぼす こと
端 ﹂ と し て の防 共協 定 の範 囲 を 山 海關 包 頭 を 連 ぬ る線 以 北 の外 尠
二十 三 日支 那 側 書 物 にあ る が 如 く ﹁日支 軍 事 同 盟 に至 る 一発
共 同防 共 の原 則 を承 認 し実 行 細 目 に 関 し委 員 会 を 設 け て攻 究 す
①
左 記 を 実 行 せ む こと を要 求 す rno
行 し て事 務 的 に日 支 間 に追 行 せし め以 て蒋 に対 し ye s oの資料を提 供 す る こと 肝 要 な り) 三、 本 日得 た る主 な る情 報 左 の如 し
)
其 の他航空機 の移動集中漸次顕著なる
支 那 側 は着 々対 日戦 備 を進 め八 八師 、 八 九師 は京 滬 沿 線 に 移 動
を命 ぜら れ
一
外務南京発七六六号 ( 滬 機密二五六番電
支 那 側 は漸 く聯 盟 英 米 等 に呼 び 掛 け ん とす る気 勢 顕 著 な り (特
も のあ り (特情 ) 二 情) 南 京 に於 け る外 交 事 務 的 折衝 依 然継 続 せ ら れ あ る処 支 那側 は歩
在米武官 より の情報竝 に意見具申 の要点
︹小林謙吾︺
一歩譲 歩 差支 な き気 配 を示 し つ つあ り (外 務 電 南 京 発 七 七 一号 )
三
四
川 越 大 使 限 り の含 、我 方 と し ては最 近 の国 際 情 勢 に鑑 み防
を 予想 す る も のに非 ざ る旨 説 明 のこと )
既 存 の北 支 防 共 協 定 の如 く共 匪 等 に 対 す る 日 本 軍 の直 接 弾 圧 行動
(ニ 共 協 定 は出 来得 る 限 り速 に之 を 締 結 し 度 き意 向 にし て之 が 為 には 交 渉 の如 何 に依 り ては協 定 の範 囲 を 山海 關 の線 以北 に限 るイ の防
北 支 五 省 特殊 制度 の原 則 確 認 即 ち南 京 政府 は北 支 の特 殊 性 を認
共 協 定 の み に て妥 結す る も已 む なし と 考 へ居 れ り)
し む る こと とす べ き﹂ 旨 釘 を さ し置 く程 度 に止 め ら れ差 支 な し
往 電 第 二 二 四号(甲 )二 の二項 目 を要 求 す
二、 排 日取 締 問 題
(尚 口頭 を 以 て左 記 を 附 言 せ ら れ度 し )
我 方 に於 て曩 に 張 羣 其 の他 に対 し往 電 第 二 二 五 号二 のロ の各 項目
実 行 方要 求 せ る処 支 那側 は右 に関 聯 し ①党 部常 務 委員 会 副 主 席 の命
②
党部 の排 日行 動 に 関 す る政 府 の責 任 ⑤邦 人 旅行 の自 由 竝 に安 全 保障
令 ②蒋 介 石 の声 明 ③教 科 書 新 聞 雑 誌 の取 締 ④ 党部 の排 日行 動 禁 絶 、
(尚 往 電 第 二二 四 号二 のホ の 一方 的 声明 の実 行 は勿 論 とす )
目 に付 て は論 議 せず
等 を確 言 せ るに鑑 み我 方 と し て は前 記 確 言 の実 行 を 期 待 し 此 の際細
め北 支 五省 に特 別 の政治 組 織 を 創 設 す る と共 に右 新 組 織 に対 し 財政 、 産 業 、 交 通 等 に 関す る特 殊 の権 限 を 賦与 す る こと (尚 支 那 側 に 於 て前 記 北 支 五 省 特 殊制 度 を承 認 す るに 於 て は 我方 と し て北 支 に南 京 政 府 よ り 離 脱 せ る独 立 国 家 を 育 成 し或 は満 洲 国 の 延 長 を具 現 す る が如 き 意 向 な き旨 言 明せ ら れ 差 支 なし )
張 羣 は 支 那側 五項 目 は 日 本側 提 案 と同 時 に協 議 す る こと を要 求
①
(﹁国 交 調整 に 関す る支 那 側 の希望 ﹂ に対 す る対 策 )
③
福岡 、 上 海 間 航 空 聯 絡 を 即時 調 印 、 実 行 す る こと 、 但 し 北 支 自
由 飛 行其 の他 と の牽 聯 を許 さず
二号 の趣旨 に依 り主 義 の問 題 と し ては断 乎 は ね つけ る こと但 し 支那
側 に 於 て五項 目 の同 時 協 議 方 飽迄 主 張 す る場 合 には 二 月 二十 二 日附 (我 方 希 望 案 取 入 の程度 に関 し て は支 那 側 の誠 意 に期 待 す)
関 税 引 下 は我 方 希 望案 に 則 り遅 くも 二、 三 ケ 月 以内 に実 現 の こ
す と 云 ひ居 る処 右 は固 よ り容 認 の限 り に非 ざ る に付 南 京 来 電 第 七 六
④ と
右 五項 目 以外 南 京 来 電第 七 三九 号支 那 側 提 出 の書 物 に列 記 せら
②
亜 、 一機密 第 二十 四 号 接 触 振 案三 の趣 旨 に依 り 可 然 く応 酬 す る こと
れ 居 る支 那 側 の見 解 、 申 出 、条 件 等 は成 る べく 之 を黙 殺 す る方 針 の
右 ①乃 至 ④ は南 京来 電 第 七 一五 号須 磨 の提 示 せ る六 項 目竝 に
(前 記 ﹁要 求 事項 ﹂ に関 す る説 明 ) イ
下 に可 然 く応 酬 す る こと
も のな り
(一 一、 一〇 、 二)
右 に対 す る支 那側 回答 (南 京 来 電 第 七 三 九号 ) を斟 酌 し 作成 せ る
其 の 二五
一、廣 田首 相 、有 田 外 相 、永 野 海 相 、 梅 津 陸 軍 次官 会 議 に於 て別 紙
支 那 事 件 経 過概 要
案 を決 定
前 記 六 項 目 中 の二 及四 に関 し ては南 京来 電 第 七 三 九 号 支 那側
回 答 の程 度 に て 一応 満足 す る こと と し 蒋 介石 に対 し ては 要 求 事 項
ロ
と せず ﹁詳 細 の点 に就 ては追 て支 那 側 事 務当 局 と の間 に打合 は せ
一、外 務 よ り訓 電す ると 共 に桑 島東 亜 局長 を 現 地 に 派遣 、 川 越 大 使
な る こと を 説 明 す べ し而 し て本 項 の協定 は之 を 秘 密 と す る こと
北 支 問 題 に付 て は第 二次 北 支 処 理 要 綱 に依 り交 渉 す るも のと す
福 岡 、上 海 間航 空 聯絡 は北 支 自 由 飛 行 其 の他 と牽 聯 せ しむ る こ
関税 引下 は我 方 希 望案 に則 り遅 く も 二、 三 ケ 月 以内 に実 現 の こ
は南 京 来 電 第 七 三九 号 支那 側 回 答 の程 度 に て 一応 満 足 す る こと と し
⑤
と
④
と な く 此際 調 印 、 実 行 す る こと
③
を具 現 す る が如 き 意 向 な き旨 言 明 せ られ 差 支 な し)
て北 支 に南 京政 府 よ り離 脱 せ る独 立 国 家 を育 成 し或 は満 洲 国 の延 長
(尚 支 那 側 に於 て前 記北 支 特 殊 制 度 を 承 認 す る に於 て は我 方 と し
産 業 、 交 通 等 に関す る特 殊 の権 限 を 賦 与 す る こと
治 組 織 例 へば 特 政会 の如 きを 創 設 す ると 共 に右 新 組 織 に対 し財 政 、
之 が為 先 づ南 京 政府 に対 し北 支 の特 殊 性 を認 め北 支 五省 に特 別 の政
②
発 表 す る こと
右 協 定 は 直 に川 越 、張 間 に締 結 方 交渉 す る こ と とし 妥 結 の上 は
す る協 定 を 支 那全 般 に付 き締 結 す る こと
置 に関 す る協 議 竝 に共 産 党 の活 動 に 関す る情 報 の交 換 等 を内 容 と
一般 的 赤 化防 止 を目 的 と す る協 定 即 ち右 目 的 達 成 の為 執 るべ き措
前 項 の如 く軍 事 同 盟 に至 る前 提 と し て の防 共 協 定 に あ らざ る
ロ
同 局 長 本 日午 後 東 京 発 五 日 上 海着 の予定
に中 央 の意 図 を詳 細 伝 達 せ し む る こと に決 定
二、 特 記 す べ き情 報 と し ては 佐 藤 武 官 よ り中 山 事 件 判 決 の内 容 (二人 死 刑 、 一人 無 罪 ) に つき
三、 3F 所 属船 舶 防 空 施 設 増 備 の件 準 備 方 手 配 す ( 航 本機 密 第 四 三 九
情報 あり
番電)
( 別紙)
(十月 二 日四 相会 議 に於 て決 定 )
川 越 大使 蒋 介 石 間 交渉 に関 す る方 策
(十 月 二 日発 電 の筈 )
註 、 別 紙括 弧 内 は川 越 大 使 の含 迄 通 報 す るも のな り
一、 国 交 調整 問 題 往 電 第 二 二 四号( 甲 )一 の趣 旨 に 依 り 国 交調 整 に対 す る具 体 的誠 意 表
共同 防 共 に付 て は
示 の実 証 と し て左記 を実 行 せ む こと を要 求 す ①
端 ﹂ と し て の防 共 協 定 の範 囲 は北 支 五省 とす る こと但 し已 む を 得
蒋 介石 に対 し て は要 求 事項 と せず ﹁詳 細 の点 に就 ては追 て支 那 側 事
南 京 来 電 第 七 一五 号須 磨 の提 示 せ る六 項 目 中 の二 及 四 に関 し て
ざ れば 差 当 り支 那 北 辺 に 限定 す る も差 支 な し細 目 は委 員 会 を 設 け
務 当 局 と の間 に 打合 は せ し む る こと と す べ き ﹂旨 釘 を さ し置 く 程 度
(我 方希 望 案 取 入 の程 度 に関 し て は支 那 側 の誠 意 に期 待 す )
て考 究 せ し む る こと 若 し 内容 の大 体 に付 て説 明納 得 せ し む る の必
に 止 む る こと
二 十 三 日支 那 側 書 物 に あ る が如 き ﹁日支 軍事 同 盟 に至 る 一発
要 あ る場 合 に は対 蘇 関 係 を 主眼 とし 例 へば 日 本側 の飛 行 場 及 無 電
イ
台 の建 設、 道 路 の築 造 、 特務 機 関 の設 置 等 を容 認 す る が如 き も の
二、 排 日取 締 問 題
認 めし む る意 な る こと に意 見 一致
一
( 別紙)
五省 特 政 会 設 置 に 関 す る 日支 合 意 案
(須磨 総 領事 発 七八 二号 の 一)
日支 関係 に処 し 英 側 の機 微 な る 動 き の 一端 を 伺 ひ得 る も のあ り
中 山 事件 の処 理 に関 し 我 要 求 は暫 く 之 を留 保 す る旨 支 那側 に 申
同 意 を 表 し 居 る ① 党部 常 務 委 員 会 副 主 席 の命 令 ②蒋 介 石 の声 明 ③教
入る ( 南 京武 官 機密 一 二 八番電)
三、 情 報 の主 な も の左 の如 し
科 書 新 聞 雑 誌 の取締 ④党 部 の排 日行 動禁 絶 、党 部 の排 日 行 動 に 関す 二
往 電 第 二 二四 号( 甲) 二 の二項 目 を 要 求 す る と共 に曩 に張 羣 其 の他 が
る政 府 の責 任 ⑤邦 人 旅 行 の自 由 竝 に安 全 保 障 等 は 即 時 之 を実 行 に移
張 羣 は支 那側 五項 目 は日 本 側提 案 と同 時 に協 議 す る こと を要 求
(﹁国 交 調 整 に 関す る支 那 側 の希 望 ﹂ に対 す る対 策)
(尚 往 電 第 二 二 四号 二 のホ の 一方 的声 明 の実 行 は勿 論 とす )
す 様 申 入 るる こと
①
北 五省 に付 左 の通 り合 意 す
日支 両国 間 の善 隣 の関 係 を 鞏固 に し東 亜 の安定 を確 保 せ む が為 華
第 一条
す と 云 ひ居 る 処右 五項 目 の同 時 協議 方主 張 す る場 合 に は 二 月 二十 二 日附 亜 、 一機密 第 二十 四号 接 触 振案 三 の趣 旨 に依 り 可 然 く応 酬 す る
河 北 、 山 西 、 察 哈爾 、綏 遠 及 山 東 五 省 の庶政 を処 理 す る為
こと
に従 ひ特 殊 事 態 に 適 応 す る施 政 の権 限 を 附 与す
五省 特 政 会 は 共 産主 義 を排 除 す る 為 日 本側 と共 同 し て 一切
幣 制、 税 制 、 路 政等 金融 財 政 、 産 業 、 交 通 一切 に関 し (日
( 金 融 財 政 、 産 業 、 交 通 等 に関 し特 別 の施 設 を行 ふ)
本 側 と の諒解 を 経 た る) 特 別 の施 設 を 行 ふ
第三条
事 項 は 日 支委 員 会 を し て別 に協 定 せ しむ )
と共 同 し て 一切 の共 産 主 義 的 行 為 の防 遏 に従 事 す 之 が 為 必要 な る
(五 省 特政 会 は北 支 五省 に 於 け る共 産 主 義 を 排 除 す る 為 日本 側
事 項 は 日支 軍 務 当 局相 互 に別 に協 定 す
共同 軍 事 行 動 に 関 し指 揮 の統 一、 協 同 の円満 を期 す る為 必 要 な る
の共 産 主 義 的 行 為 の防 遏 に従 事 し 且 つ之 が 為要 す る こと あ る べ き
第 二条
国 民政 府 は天 津 に 五省 特政 会 を置 き之 に 第 二条 乃 至第 四条 の趣 旨
右 五 項 目 以 外南 京 来 電 第 七 三九 号 支那 側 提 出 の書 物 に 列記 せ ら
(一一、 一〇 、 三)
②
其の二四
れ 居 る支 那 側 の見 解 、 申 出 、 条 件 等 は成 る べく 之 に触 れ ざ る 方針 の 下 に 可 然 く応 酬 す る こと
支 那事 件 経 過 概 要
一、 午前 省 部 関 係 課 長 審 議 の上 五省 特 政 会 案 に 関 し別 紙 鉛 筆 附 記 の 通 修 正 の こと に意 見 一致 ︹本書 で は鉛 筆 書 入 れ によ り修 正 さ れた も のを ( ) に いれ 、後
二 、 三省 事 務 会 議 に於 て川 越 大 使 蒋 介 石 間交 渉 に関 す る方 策 (二 日
記 し た。︺
決 定 のも の) 中 ② の特 政 会 の如 き 云 々は 特殊 性 の程 度 を 特 政会 案 の 如 き も の の意 とす る に非 ず 、 単 に 一例 に 過ぎ ず 要 は 特 殊性 の原 則 を
第 四条
日 (満 ) 支提 携 の為 須 要 な る諸 般 の施 措 特 に経 済 的 及文 化
(日支 提 携 の為 ⋮⋮ )
的 の融 通 聯 絡 を 行 ふ
五省 特 政会 設置 に関 す る 日 支合 意 附 属 覚 書 案 本 日調 印 せら れ た る 五省 特 政 会 設 置 に 関す る 日支 合 意 第 二条 に関
日本 側 及 五省 特政 会 は共 産 主 義 運動 に関 す る 一切 の情 報 を
し左 の通 り約 定 す 第 一条
相互 に交 換 し 且 防共 行 為 竝 に防 共 の為 にす る兵 器 及 軍 需 品 等 に 関
共 産 主 義 運 動 に 関聯 す る第 三国 の 一切 の行 動 は 日支 両国 共
し て は相 互 に緊 密 な る聯 絡 を 保 持 す 第 二条 同 し て之 を排 除 防 衛 す
(十 一、 六、 十 二、 太 田 試案 )
北 支 五省 特 政会 設置 に関 す る件
一、設 立 の趣 旨
蘇 作 戦 上 よ り 見 る も甚 だ 面 白 か らざ る に付 此 の際 左 記 要 綱 に依 り速
に 北 支 の現 状 を打 開 し 北 支 五 省 聯盟 の結 成 を 誘 導 す ると共 に同 地 域
を 対 蘇 作 戦 上 の背 後 地 と し て我 方 の把 握 下 に確 保 す る こと緊 要 の こ
二、 要
綱
となりと認む
在 支大 使 を し て南 京政 府 と の間 に別 紙 甲 号 ﹁五省 特 政 会 設 置
南 京政 権 に対 す る交 渉 ①
と 認 む 但 し特 政 会 の権 限 は 特 政会 自 体 に賦 与 せ ら るる も のに し て
立 場 を 有 利 な ら しむ る点 よ り 云 ふ も本 項 承 認 は已 む を得 ざ る も の
一
( 特政 会 な る字 句 に 関 し ては曩 に東 三省 特 政 会 及蒙 藏 特 政 会 等
に 関す る 日支 合 意 案 ﹂ 竝 に 乙 号 ﹁附 属 覚 書案 ﹂ の調印 方 交 渉 せ し む
の歴 史 あ り 、尚 前 記 合 意案 に基 き国 民 政 府 より 特政 会 に賦 与 せ ら
るべ き権 限 は客 年 南 京 側 に 於 て何 應 欽 に与 へん と した る 六項 目 と
同 趣 旨 に し て 又 附属 覚 書 案 の内容 は所 謂 防 共 協 定 の趣 旨 を 斜 酌 せ
特政 会 の前 記 権 限 遂 行 を し て遺 憾 な から し め ん が為 国 民 政 府
るも のな り) ②
せ し む る と共 に 日満 両 国 と の関係 を 調 整 せ し め 相互 の福 祉 を 増進 せ
指 導 長 官 に与 へら る るも のに 非ず 又前 記 指 導 長 官 を 承認 せ る結 果 、
(国 民 政府 に面 子 を 与 ふ る 点 よ り 云 ふ も将 又 対 外 関係 上我 方 の
は特 政 会 指導 長 官 と し て適 当 の人物 を特 派 す
し む る は我 北 支 政 策 の根 本 方針 に し て我 方 に 於 ては右 方 針 に基 き 先
北 支 民衆 を中 心 と す る 自治 の完 成 を 援 助 し 以 て其 の安 居 楽 業 を 得
づ 冀 察 二省 に於 け る自 治 の完 成 を期 す ると 共 に 山東 、山 西 、 綏 遠 の
に必 要 な る 予防 的措 置 を 施 す の要 あ る処 右 に関 し ては 下 記二 参 照
特 政 会 が 黄郛 政 権 と 同 様 な る鵺的 存 在 と な らざ る様 特政 会 の構 成
の こと 、追 て右 指 導 長 官 とし ては諸 般 の関 係 上 閻 錫 山 を 以 て最 も
三省 を し て自 ら 進 ん で之 に合 流 せし む るが 如 く指 導 し来 れ る次第 な
に 反 す る所 尠 な から ず 、 延 い て北 支 五省 の自 治 完成 の如 きも 前途 甚
好 都 合 な り と 認 む る も南 京 側 の面 子 上南 京 側 よ り派 員 方固 執 す る
り 、 然 る に宋 哲 元 を 首班 とす る冀 察 政 務 委 員会 の現 状 は我 方 の期待
だ 遼 遠 な る を思 は しむ るも のあ り右 は対 支 政 策 上 よ り 云 ふも 将 又 対
二
場 合 には右 派員 の人 物 如 何 に依 り て は之 を 認 め 可 然 し)
五省 特 政 会 内 に 於 け る冀 察 政 権 の役 割 は 現 在 の冀 察 政 権 に対
す る 冀東 政 府 の役 割 と異 な らず 、 仍 つ て冀 察政 権 が過 早 の措 置 に
②
或 程 度 の威 圧 を 加 ふ るを 要 す る こと勿 論 の儀 な り
①
出 で為 に爾 他 三省 を し て五省 聯 繋 に足 踏 せ し む る が如 き こと な き
特 政 会 は 河北 ( 宋 哲 元 )、 山 西 (閻錫 山 又 は省 主 席 徐 永 昌) 綏
遠 (傅 作 義 )察 哈爾 (宋 哲 元 兼 任 委員 と す る を可 と す 、 然 らざ る
③
様 厳 重注 意 を加 ふ る の要 あり。
特 政 会 の構 成
時 は張 自 忠 と す ) 山 東 ( 韓 復榘 ) の五 省 実権 者各 一名 より 成 る委
五省 特政 会 は省 を 以 て単位 と し宋 哲 元 は 河 北省 代 表 と し て委
員 会 制 と し別 に委 員 長 を 設 けざ る こと ( 委 員 は形 式 上 南 京 政 府 之
員 会 に参 加す るも のに 付 本 会 成 立 の上 は冀 東 政府 は成 る べく 速 に
之 を 解 消 せ し め、 冀 察 政 権 下 の 一特別 区 とし て宋哲 元 の統 制 に服
特 政 会 に秘 書 長 を 置 き 一切 の庶 務 を 掌 ら しむ る こと (王 克 敏
を任 命 す ) ②
冀 察政 務 委 員 会 は 五省 特政 会管 下 に於 け る 一組 織 と し て其 の
二、 情 報 の主 な る も の左 の如 し
一、 処 理事 項 な し
其 の 二五
(一 一、 一〇 、 四)
反 対 あり た る場合 は之 を 解 消 す るも差 支 な か る べし
儘 存 置 せ し む る 建前 な るも 五 省聯 盟内 に 一分 派 を 存 置 す る こと に
④
せ し む る を要 す
特政 会 は天 津 に之 を 設 け毎 月少 く も 一回 委員 会 を召 集 す る こ
を 最 適任 と認 む) ③ と (以 上構 成 の主 旨 と す る所 は要 す る に南 京 政府 を し て必 要 の権
る取 次 機 関 た る に 止 めし め 以 て北 支 五省 に対 す る実 際 上 の工作 は
一
支 那事 件 経 過 概 要
我 方 出 先 機 関 と各 省 省 主 席 と の直 接 的取 引 に委 ぬる 一方特 政 会 委
二
のも のた ら し む ると 共 に 同 会 を 五省 主 席 に対 す る我 方申 入 の単 な
限 を 特政 会 に賦 与 せし め た る上 は 特政 会 は成 るべ く形 式 的 名 義 上
員 会 の名 議 に依 り 五省 主 席 を 成 る べ く頻 繁 に会 合 せ し め 以 て北 支
( 南 京 機 密 一二九 番電 ) ︹ 要︺ ︹ 呉鐵城︺ 若 杉 総 領 事 二 日午 後 呉上 海 市 長 に対 し 中山 事 件 要 求 保留 の申 入
れ を なす (滬 機 密 二六 二番 電)
三
出 あ り し も、 今 朝 都 下各 新 聞 に は概 ね 本 件 を大 々的 に報 道 す )
(本 件 支 那 側 に ては種 々妨 碍 運 動 を避 く る為 絶 対 極 秘 に願 度 旨 申
旨申 出 で大 使 応諾 す
上 海 漢 字 紙 共 同 声 明 の報 に接 す ( 滬 第 六〇 番 電 ) ︹ 亜洲司長︺ 三 日高 宗 武 、 川 越大 使 を来 訪 蒋 は 七 日 又 は 八 日大 使 と 会 見 し度
五省 の聯 繋 に誘 導 せ ん とす る にあ り )
南 京 側 と の交渉 に際 し我 方 の為 す べ き説 明振 りと 北支 五省 に
三、 本 件 施 策 に当 り注 意 す べき 事 項 ①
対 す る実 際 上 の指 導振 と の間 に は相 当 の懸隔 あ り、 南 京 に 於 け る 我 方出 先 と 北 支 に 於 け る出 先 と の間 に密 接 な る聯 絡 を 要 す 尚 本 件 目 的 達 成 の為 に は多 少 の名 目 を 与 ふ る こと に依 り南 京 側 を誘 ふ と共 に北 支 現 地 に於 け る 工作 を 進 む る こと に依 り南 京側 に
四
る が、 上 海 方 面 の有 力 筋 で は蒋 介 石 氏 と し て は事 態 の重 大 性 は 十分
認 識 し、 国 交 調 整 の熱 意 を有 し て ゐ るが 、 緊迫 せ る対 内 関 係 のた め
本日 11f g移動 実 施 、大 、 中 攻木 更 津 発 鹿 屋 着 戦 闘 機 ホ ッカー偵 察 機 鹿 屋 発 小禄 着
彼 の対 日決 断 を に ぶ ら せ 不透 明な る態 度 に終 始 せざ るを 得 ま い、従
ふ に 一致 し て ゐ る、 即 ち 次 の如 き複 雑 な る国内 事 情 を押 し切 つ て交
つて交 渉 絶 望 と 見 るは 早計 に し ても 前 途 決 し て 楽観 を 許 さな いと い
木 更 津 発 の大攻 一伊 豆 稲 取 崎 東 方海 面 に於 て遭難 、 五名 救 助 危 篤
三、 蒋 介 石 の執 ら ん と す る方 策 に 関 す る読 売 新 聞 の判 断 別 紙 の通
絶 望 、 三名 行 方 不 明
渉 を ま と め あげ るだ け の決 断 が蒋 介 石 氏 に あ るか 否 か 、押 し 切 ると
等 の如 き 要求 を持 ち出 し 、 所謂 面 子を 保 持 せ ん こと に主 力 を そ そ ぐ
条 件 と し て冀 東 政 権 の解 消 、北 支 停 戦 協 定 、 海 津 ・河 應 欽協 定 解 消
内策 と し て 日本 に は 平 等 互譲 を 要求 例 へば 日 本側 の対 支 要求 の交 換
大犠 牲 を払 ふも のと は思 は れな い。 結 局 は 内部 の強 硬 論 を 抑 へる対
介 石 氏 が統 一漸 く成 ら んと す る 今 日 、対 日問 題 のた め に 全国 混 乱 の
ねば なら ぬ が 、 日 支国 交 調 整 よ り 先 づ全 国 統 一を 第 一目 的 とす る蒋
す れ ば そ の反 動と し て、 或 は支離 滅 裂 の混 乱 動 揺 の起 る事 を 予期 せ
右 は 極 め て公 正な る判断 と認 む)
( 鹿岡所見
(別紙 ) 読 売 新 聞 朝 刊 (昭和 十 一年 十 月 四日 ) 日支 交 渉 に 響 く蒋 脚 下 の情 勢 国 交 整 調 か 国 内統 一か
であ ら う が 、 か ゝる右 顧 左 眄 的態 度 で交 渉 の急 速 な展 開 は望 ま れ な
正 に死 活 の重 大 岐路 ! 親 ソ親 英 派 の 猛策 動 に鑑 み
い。
飛 躍 的 決 断 期待 さ れず
る階 級 職業 に 亙 つ て拡 大 さ れた 全 国 的 抗 日人 民 戦 線 は そ の後 の 不祥
抗 日救 国 会 の名 の下 に凡 ゆ
事 件 の頻 発と これ に よ る日 本 の態 度 強 化 に刺 戟 さ れ て反 撥 的 に益 々
一、 抗 日 人 民戦 線 の全 国 的 拡 大 強 化
き 、 いよ いよ 日支 交 渉 は 川 越大 使 と 蒋 介 石 氏会 見 の段 取 りと な つた
︹上海 本社 特 電 ︺ ( 中 村 特 派員 三 日発 )蒋 介 石 氏 の南 京 入り も 近 づ
が 、 日 本政 府 よ り特 派 さ れ た桑 島 外 務 省 東 亜 局長 も 五 日午 後 上 海 に
つ ゝあ る 、彼 等 は目 下 南 京 政 府 の対 日態 度 に峻 厳 な る 監 視 の 眼 を注
そ の勢 力 を拡 大 強 化 し 、 今 や隠 然 た る政 治 的 勢 力 と さ へなら ん と し
ぎ 日支 交 渉 成 立 の 日 は蒋 介 石 政 権 が 民衆 の敵 とな る 日で あ る と い ふ
到着 、 日本 の最 後 的 決 意 を 川越 大 使 に伝 達 す る こと に な り 日支 交 渉
お け る川 越 、 高 宗 武 両 氏 の会 談 で は廬 山 に 於 て蒋 介 石 氏 の訓令 を受
のゲ リ ラ戦 に よ つて南 京 政 府 の立場 を窮 地 に追 ひ込 ま ん と準 備 を進
新 し い ス ロー ガ ン の 下に 全 国 救 国 会 に密 令 し 一斉 擾 乱 或 は抗 日 テ ロ
は異 常 の国 際 的 緊 張 裡 に最 後 の幕 を 揚 げ ん と し て ゐ る。 三日南 京 に
け 、帰 来 行 政 院 首 脳会 議 で十 分 案 を 練 つた高 宗 武 氏 よ り 相 当突 込 ん
め て ゐ る、特 に 日支 交 渉 の最 大 眼 目 と さ れ て ゐ る北 支 問 題 を 重視 し
だ蒋 介 石 氏 の意 向 が 披瀝 さ れた 模 様 で、 こ の予備 会 談 の結 果 川越 ・ 蒋両 氏 の正 式 交渉 が 如何 な る方 面 に展 開 す る か頗 る重 大 視 さ れ てゐ
ね ば なら ぬ に 反 し 、孔 祥 煕 氏 なれ ば 批 判 の自 由 は勿 論 交 渉 攪乱 さ へ
派 の主 張 は蒋 介 石氏 を行 政 院 長 の職 よ り退 か しめ 後 任 に孔 祥煕 氏 を
可 能 で あ る こと を 狙 つた も の ゝ如 く であ る 。孔 祥 煕 氏 が こ の意 図 を
冀 察 政 権 及 び第 廿九 軍 、 学 生 急 進分 子 に働 き かけ巧 み な抗 日宣 伝 に
二、 地 方 軍閥 の 反蒋 的 蠢 動 の急 台 頭
看 破 し て 予防 線 を 張 つた ゝめ強 硬 派 の策謀 は も のに はな ら な か つた
蒋介 石 氏 が自 ら 乗 り出 せば 交 渉 に対 す る批 判 と牽 制 は或 程 度差 控 へ
あ る が南 京 政 府 と廣 西 派 と の妥 協 成 立 は南 京 政 府 が廣 西 派 の抗 日戦
が 、交 渉 攪 乱 のた め 尚 凡 ゆ る策 謀 を 弄 し つ ゝあ るた め張 羣 一派 の立
祭 り上 げ これ を対 日交 渉 の矢 面 に 立 てんと す るも の で、 そ の意 図 は
線 に合 流 す ると いふ の が根 本 条 件 と な つ て ゐ る の で こ ゝで 日支 の南
よ つ て人 民戦 線 参 加 を 煽 動 、 暗 躍 し つ ゝあ る事 実 が あ り、 ま か り間
京 交 渉 が成 立 す れ ば廣 西 派 は これ を 以 て南 京 政 府 の対 日 屈服 と看 做
る、蒋 介 石氏 が南 京 交 渉 を成 立せ し め ん と す る に は先 づ強 硬 派 を説
場 は交 渉 開 始 と ゝも に 早 く も攻 撃 の的 と な り非 常 な危 機 に立 つ て ゐ
違 へば 南 京政 府 にと つて恐 る べき敵 国 と な る危 機 に あ る。
し全 国 救 国会 の武 装 蜂 起 と相 呼応 し 再 び 反蒋 行 動 に 出 づ る で あ ら う
廣 西 問 題 は 一応 落 着 の形 に
こ とは 動 かせ な い 、 寧 ろ今 回 の廣 西 派 の妥 協 は こ の機 会 あ る こと を
五 、 日 支 交渉 への英 ソ の監 視 的態 度
懐 柔 は容 易 で は な い。
得 せ ね ば なら ぬ が、 全 国 の対 日強 硬 輿 論 を バ ック とす る こ の 一派 の
三 、抗 日親 ソ派 頭 目 馮 玉 祥 等 の暗 躍
見 越 し て の妥 協 であ つた と さ へ云は れ てゐ る程 で あ る。
る抗 日人 民 戦 線 の最 先 登 に立 た ん と す る野 心 と実 力を 有 し 、 殊 に最
ソ両国 が 目下 の日支 関 係 と 南 京交 渉 に重 大 関 心 を持 ち つ ゝあ る こと
も積 極 的活 動 を な し つ ゝあ る のは英 、 ソ両 大 使 であ る が、 これ は英 、
追 は れ て將 介 石 氏 に 対 し 不平 満 々た る張 學 良 軍 と合 流 し て西 北 軍 の
れ ば蒋 介 石 氏 が漫 然 日 本と 握 手 せば 馮 の隠 然 た る勢 力 と 最 近 山 西 に
の左冀 急 進 派 にお け る声望 は往 年 のそ れ に数 倍 す る も のが あ る 。 さ
内 の欧 米 派 や対 日強 硬 派 に可 成 り 大 き な 心理 的 影 響 を 与 へて ゐ る こ
す る牽 制 を な し た こと も伝 へら れ て ゐる、 か ゝ る事 実 は南 京 政 府 部
と し ては 重大 関 心を 有 す る旨 を表 明 、又 支 那 側 に対 し て も交 渉 に対
訪 問 、 交 渉経 過 を打 診 す ると ころ あ り特 に北 支 問 題 に つい て は英 国
の証 左 で英 大 使 館 ハウ参事 官 は 日支 交 渉 開 始 以 来屡 ば須 磨 総 領 事 を
最 近 在 支各 国大 使 のう ち 最
近国 民 党 部 内 に於 て 勢力 下 り坂 に 向 は んと し つ ゝあ る陳 立 夫 、 陣 果
再 組 織 と な り蒋 氏 の 一大敵 国 を形 成 する は 必 然 で あ る と見 られ てゐ
と は否 み難 い、 一方 先 の廣 東 にお け る蒋 介 石 氏 と 香 港 総督 の会 見 に
馮 玉 祥 は ソ連 を バ ック と す
夫 の両 抗 日巨 頭 が馮 玉 祥 に頼 つて勢 力 を 挽 回 せ んと し つ ゝ あり 、 馮
日だ と 信 ず べ き 理由 が あ る 。
る 、 し か も馮 玉 祥 が 蹶 起 す る 日 は南 京 交 渉 に お い て 日支 妥 協 成 立 の
暴 露 さ れた 即 ち 馮 玉 祥 、孫 科 、 干右 壬等 の対 日 玉 砕論 は会 議 を 断 然
内 の硬軟 両論 の対 立 激 化 は 先 の行 政 院 会 議 及 び 中 央 政治 会 議 の席 上
四 、 南 京 政府 内 部 の攪 乱 分 裂 の傾 向
又 ソ連 は 日支 交 渉 に お け る 日支 共 同 防 共 問 題 及び 北支 問 題 を 特 に 重
の際 蒋 氏 は 或 種 の言 質 に近 いも のを 総督 よ り得 た と 伝 へら れ て ゐ る
は突 込 んだ 意 見 の交 換 が行 は れた 模 様 で 、信 ず べき 筋 の情 報 では そ
お い ては 両 者 間 支那 統 一問 題 、南 支 に お け る英 支 合 作問 題 に つ いて
日支 交渉 を 繞 る南 京 政 府 部
リ ード し穏 健 漸 進 主 義 の何應 欽 、 張 羣 等 を 顔 色 な か ら し めた が強 硬
視 し ボゴ モ ロ フ大 使 は 上 海南 京 側 の往 来 に 忙 し い有 様 であ る 。 川 越 ・蒋 の会 見 は 七 ・八 日頃 (南 京 本 社特 電 ) (三 日発 )外 交 部亜 洲 司 長 高 宗 武 氏 は 三 日午 前 十 一時 川 越 大 使 を訪 問、 四 十分 にわ た り会 談 、 更 に午 後 須磨 総領 事 を 訪 問 し た 、 会 談 内容 に つい て は 一切 秘密 に さ れ内 容 の発 表 は な か つ た が、 前 後 の事 情 よ りす れば 一両 日 中 に蒋 介 石 氏 は 南 京 に帰 り、 国 民 政 府 と し て の対 日根 本 方針 を 決 定 の上 、川 越 大 使 に会 見 を 申込 む 意 向 であ る旨 を 伝 へた も のと 解 さ れ る。 尚 蒋 介 石 氏 は 恐 ら く 三 日 乃 至 四 日 に は帰 京 す る模 様 で あ る が確 聞 す る 所 に よ れば 蒋 介 石 氏 は 六 日 の行 政 院 会 議 に臨 み 日 支会 談 並 び に対 日 根 本態 度 につ き最 後 的 協
(一 一、 一〇 、 五 )
議 を な し た上 、 愈 よ 交渉 に乗 り出 す と いは れ 、川 越 、 蒋 両 氏 会 見 は
其 の二六
七 日或 は 八 日 に行 は れ る 模様 であ る。
支那事件経過概要
一、 蒋 介 石 川 越 大使 の会 談 に依 り 対 支兵 力 発 動 に至 ら ざ る も予 定 の
( 鹿岡所見
情 況悪 し き場 合 と 雖 陸 軍 は 武力 行 使 を 避 け 内 面 工作
束 朝 朝 刊 に 別紙 記 事 あ り
に集 中 を了 す 三
にて北 支 に乗 出 す に非 ざ る か を疑 はし む るも のあ り陸 軍 の態 度 に 関
東 京 朝 日新 聞 朝刊 (昭和 十 一年 十 月 五 日)
し て は尚 厳 に 監 視 を要 す )
(別 紙 )
わ が 要 望 を容 れ ず ば
陸 軍 ・強 硬主 張 を 堅 持
南 京 政 府 の地 位 否認
( 札 幌 電 話 ) 廣 田首 相 は 五 日 中 に は御 都 合 を 伺 ひ対 支 外 交 経 過 に
つき 委 曲 奏 上 の後 先 月 廿 二日 以 来 直 接対 支 関 係 に つき意 見 交 換 を 遂
三省 会 議 の経 過 等詳 細 報 告 、 今 後 に 処 す る
げ て ゐな い寺 内陸 相 と 懇 談 、 南 京政 府 そ の後 の動 向 、 外務 、陸 海 軍
帝 国 政 府 の対 支 方針 に つき隔 意 な き 意 見 交換 を重 ね るも のと見 ら
れ る。 寺 内 陸 相 と し ては そ の後 の対 支 問 題 の経過 に つ い ては 先 月 三
大 演 習 実 演 及 観 艦式 施 行を 不利 と す る場合 の対 策 に付 一、 二課 長 協
か ら も逐 一重 要 事 項 の報 告 を得 て ゐ る の で 一応去 る 一日 二 日 の両 日
十 日来 札 した 磯 谷 軍 務 局長 よ り 一応 の報告 を受 け て を り、 梅津 次官
に お け る 三省 会 議 の経 過 並 に そ の結 果 を も た ら し て南 京 に赴 いた桑
議 の上別 紙 案 の通 定 む
一
二、 情 報 の主 な る も の左 の通
依 れば 支 那 側 対 策 は大 体 決 定 しあ り 日 本側 六項 目 の内 防 共 及北 支 二
の成 行 を静 観 す る態 度 をと る意 向 で あ る、 し か し陸 軍 に達 した 諸 情
島 東亜 局長 と 川 越 大使 に対 す る重 要 訓 令 に 基 く 川越 、蒋 介 石 氏 会 談
高 宗 武 川 越 大 使 と 会談 後 須 磨 総 領 事 を訪 問 の際 に於 け る談 話 に
問 題 の外 は大 体 日 本側 希 望 に副 ふ こと と な る べく 唯 支 那 側 五項 目 を
はむ し ろ こ の際 日支 国 交 の根 本的 調 整 成 否 の分 れ る重 大 局面 に移 行
報 に よ れば 南 京 にお け る外 交交 渉 に多 大 の期 待 を か け得 ら れず 事 態
如 何 に処 理 す べき や の点 決 定 の上 な ら で は如 何 と も 申 上 げ 難 し と
fg 1 1中 攻 六 、 大攻 三 、戦 闘 機 一八 、 フ ォ ッカ ー 一、 一四 一五 臺 北
(三 日発 須 磨 七 八 五 号 電) 二
し つ ゝあ る ので陸 相 と し ては右 外交 交 渉 の破 局 に対 応 し我 既 得 権 益
二 、 大演 習 編 制 は 其 の儘 と す
き す (遅 く も十 月 十 日迄 に決 定 )
日 以後 に対 す る処 置 )
但 し第 三編 制 に 於 け る赤 軍 4F は青 軍G F の麾 下 に編 入す (十 月 十 五
並 に 居 留 民 の生命 財 産 の保 護 に つき必 要 な る 自 衛的 措 置 に つ い ても ︹ 壽造︺ 十 分 の準 備 を整 へお く 必 要 を認 め既 に西 尾 参謀 次 長と 磯 谷 軍務 局長
氏 が従 来 の伝 統的 対 日方 針 を持 続 し 、我 方 の公 正 妥 当 な る要 望 を 容
ハ
ロ
イ
機宜 呉及 佐 世 保 軍港 に於 て所 要 の戦 備 を 完 成 せ しむ
対支作戦計画内示 ( 作戦課)
三 、G F 、 4F を左 の通 り指 導 す
認 せざ る場 合 は 南 京政 府 を以 て支 那 を代 表 す る唯 一無 二 の正当 政 府
首 相 に も 報 告す る も のと 察 せ ら れ る、 し かも陸 軍 と し ては 蒋 介 石
と の間 に は 十 分 な る打 合 せ 聯 絡 完 了 し あ る旨 を
と し て の地 位 承認 を取 消 し 川 越 大使 の南 京 引 揚 を 断 行 し新 に支 那 の
せし む
長官指導 の下 に第 二特別演習 に準じ夜戦訓練 を実施せしむ
右終 り て 以後 主 と し て九州 沿 岸 に行 動 待 機 せ し め訓 練 を 続行
各 方 面 に おけ る実 力 者 と政 治 的 経 済 的提 携 に つ き全 面 的折 衝 を開 始
の諸 懸 案 に つ い ても あ ら か じめ 首 相 の諒 解 を 求 め お く も のと 見 ら れ
す べ しと の主 張 を 堅持 し寺 内 陸 相 は南 京 交渉 決 裂 の場 合 に は これら
る。
別 案 に て決 裁 す)
対 支 時 局 対策 案 (回 覧 せず
蒋 介 石 、川 越 大 使 の会 談 に依 り 対支 兵 力 発動 に至 らざ るも 予定 の
二、準第 二特演実施用としてGF 、4F は同二昼夜使用 のこと
(註) 一、行動用とし てGF 一昼夜 の燃料増額 とす
四、適時上記演習及観艦式取止 の件 手続を執 る イ
大演習取止 の件仰允裁し新 対支戦時編制発令
五、対支兵 力発動 を要す る場合 は左記 に依 る
対支兵 力発動後大演習取止 の件発表す
(企図秘匿 の為 大演習変更とするを可 とす)
六、前記各号 の処置 は対支交渉 の推移 に応ず る如く言 論機関 の指導
ロ
を適 切にす
針
一、対 抗 演 習 第 二特 別演 習 及 観 艦 式 を 取 止 めGF 及 4F を し て 対支 作 戦
七、昭和十 二年度海軍特別大演習実施 のこととす
二、対抗演習用燃料 の処分
( 註 ) 一、明年度予算対策
準 備 を 完成 せし め主 と し て九州 沿 岸 に行 動待 機 せ し め兼 て艦 隊訓 練
置
二、 右 の処 断 及 艦 隊 の姿 勢 を 外交 上有 利 に利 用す 第 二 、処
一、 差 当 り対 抗 演 習 、 第 二 特 別演 習 及 観 艦式 を当 分 延 期 す る件 手続
( 終)
を促進す
第 一、 方
大 演 習実 演 及観 艦 式 施 行 を 不利 と す る場 合 の対策 な り
GF
長
四
上 海 に於 て は 一日午 後 よ り閘 北 一帯 よ り避難 す る者 多 数 あり し
三 日 上海 南 京 全 新 聞 社 十 八社 連 名 に て ﹁中 日 関係 に関 す る共 同
処 三 日 よ り漸 次 減 少 す 五
意 見 と信 念 ﹂ と題 し 中 国 民 の自 重 を促 す と 共 に 日 本 の朝 野 へ対 し 寛
課
大 な る態 度 を示 せら れ ん こと を望 み 且特 に 日本 新 聞 に注 意 を喚 起 す
一 一、演習編制は其 の儘 とし差当り対抗演習延期 のことに手続す
る旨 声 明 を発 せ り
大演習取止め内決意遅くも八日迄 とす 二、演習部隊 には対支作戦計画其 の他の準備方内示す
六
佐 藤 武官 の三 日 に於 け る情 況判 断 別 紙 の通
三、演習部隊は第 二特別演習を目標 として訓練を継続す
居 留 民 の引 揚 に関 し ては 出 先 に於 て準 備 に遺 憾 な き を期 し つ つ
尚現 銀 移出 は漢 口 に於 ても 行 は れ つつ あ り
イ
長 沙 に於 て は九 日四 三名 引揚 残留 者 已む を 得 ざ る商 人 一八 名
長 沙領 事 館 の御 真 影 は 四 日午 後 堅 田 に奉 移 せ り
重 慶 の居 留 民引 揚 に関 し ては減 水 期 の関 係 上 時 期 を 失 せざ る
様 出 先 海 軍側 に於 て 日清 汽 船 と密 接 な る連 絡 を と り慎 重 手配 中 な
ハ
及 領 事 館 員陸 軍武 官 二四 名 は十 七 日引 揚 の予 定
ロ
あり
七
四、対支兵力発動を決定した る場合 大演習取止め仰允裁 の上新編制
(終)
を発令す(企図秘匿 の為演習編制変更 とす るを有利とす る場合 あり) 五、対支兵力発動後大演習取止発動
定 のこと 一一、 一〇、六
(備考) 観艦式 は事務上差支なき時機を限度とし単行取 止め御決
次長総長 に説明資料
二、 中 山 事 件 に 対 す る我 方 要 求 に 関 し ては他 の諸 事 件 と 関 連要 求 の
り
必要 あ る為 要 求 保留 の旨 南 京 及 上 海 各当 局者 に 対 し出 先 外 務側 よ り
一、支那 一般情 況 一
特情に依 れば支那側 に於 ては着 々戦備 を進め つつある こと依然
たり
三、 一 一航 空 隊 移 動 に 関 し て は颱 風 のた め 延期 中 の処 四 日五 日 の両
大攻
三
戦闘機
一八
フ ォ ッカ ー
一
申 入済
三 日高宗武 川越大使を来訪蒋は七日又は八日に大使 と会見 し度
六
四、 新 式 陸 軍兵 器 を陸 軍 よ り融 通 を 受 け 上 海特 陸 に増 配 の こと に 手
右 移 動 中 大 攻 一四 日 朝伊 豆 稲 取 崎 東 方 海 面 に て遭 難 す
中攻
日 に亙 り実 施 五 日 一四 一五左 の通 臺 北 集 中 を完 了 す
二
右会談後高宗武須磨総領事訪問彼 の語 る処 に依れば支那側対策
旨申出大使応諾 す 三
は大体決定しあり日本側 六項目 の内防共及北支 二問題 の外は概 ね日 本側希望に副 ふ こと となるべきも唯支那側要求 五項目を如何に処理 す べきや の点決定 の上 なら では如何 とも申 上げ難 しと
一ケ大 隊 (二箇 中 隊 基 幹 )
押 ノ所 緊 要 ナリ ト思 考 ス
其の二七
三日
支 那事 件 経 過 概 要
る 処 、外 務 大 臣 よ り 婦 人 子供 は兎 も角 一般 的 引揚 げ は南 京 に 於 け る
海 軍 の責 任 に於 て引 揚 げ し む る が如 き気 勢 を 認 め ら れ、 注 意 を 要 す
二、 長 沙 に於 て は居 留 民 引揚 の準 備 急 速 進 行 中 の処 外 務 電 に依 れ ば
意 見 一致仰 允 裁 の手 続 を と る
通 実 施 す る に於 て は万 事 不 如意 な る を以 て之 を 取 止 む る こと に省 部
一、陸 上攻 撃 機 塔 乗 員 の訓 練 を 必要 と す る処 GF 横 鎮 基 本演 習 を 予 定
(一一、 一〇、 六 )
恐 ラ ク 上海 一般 市 民 ノ希 望 ニ依 ル ノ ミ ナ ラ ス政府 ノ指 導 ア ル モ ノト
一ケ中隊
配 中 之 に伴 ひ 横鎮 よ り 一七 〇 余 名 上海 特 陸 に臨 増 近 く 上海 に向 ふ予
横須 賀
三、 彼 ノ戦 備 注意 ヲ要 ス ル コト勿 論 ナ ル モ南 京 ニ於 ケ ル交渉 ハ今 一
呉
推察 ス
一
一ケ大隊 (二 二中 隊基 幹 )
定 内 若 干名 目 下陸 軍 諸 学 校 に て右 兵 器 に つき 講 習 を受 け つつ あ り
二 佐世 保 ( 終)
五 、 現 に 上海 に派 遣 中 の特 陸 の外 左記 に依 り特 陸準 備 方 各 鎮 に内 報 済
三
在支館附武官
(別紙) 機密二六三番電
海 軍 に申 入 あ り海 軍之 を応 諾 し別 に海 軍 よ り も右 外 務 電 の趣 旨 を出
交渉 の模 様 等 暫 く 情 勢 の推 移 を見 た る上 取 計 ふ べ き旨 訓 電 し た き旨
一、 従 来 支 那 政 府 ハ宣 伝 及 言 論 統 制等 ニ依 リ実 情 ヲ知 ラ シメ ス全 支
時 局観 測 就 中 其 ノ心 臓 タ ル上海 ノ財 界 ノ平 静 ヲ謀 リ来 レ ル モ最 近 ニ至 リ兵 力
ノ不 言 実 行強 硬 ナ ル態 度 ニ対 シテ ハ戦 争 ヲ懸 念 ス ル モノ カ多 ク ナ リ
ハ非 常 ニ動揺 ス ル ニ至 レ リ中 央政 府 内 ニ ハ硬 派 モア レト モ日本 海 軍
二
一
日支 時 局 に 関す る在 南 京 英米 人側 の代 表 的 意 見
蒋 介 石 夫 人同 伴 昨 五 日午 后 南京 着
四、 本 日得 た る情 報 の主 な るも の左 の通
三、 岡 田部 員 中 央出 先 連 絡 のた め 本 日出 発 上海 に向 ふ
之 に依 り海 軍 側 が貴 任 を と るが 如 き 誤 解 は解 消 す る筈
先 に電 報 す
ツ ツ アリ テ急 ニ周 章 シ英 国 ニ調 停 ヲ依 頼 スル等 手 段 ヲ尽 シ居 ル モノ
ノ移 動 銀 ノ移 動 其 ノ他 戦 備 (屡 々報 告 ノ通 リ) 表 面 化 シ上海 ノ人 心
ト 察 セ ラ ル上海 ニ於 ケ ル外 人 方面 ノ消 息 ニ依 レ ハ米 国 ノ態 度 ハ今 ノ
が 広 汎 な る要 求 を 此 の機 会 に提 出 す る には 同 情 し 得ず と なす 者 多
﹁今 次 事件 は 日本 の満 洲 事件 以来 の策 動 の当 然 の結果 に し て 日本
し
処 ( 戦 争 ニナ ラ サ ル限 リ) 冷 淡 ナ ルカ如 シ 二 、滬 普 第 六 〇 番 電 報 ハ新 聞報 (商 総 会 系 ) 記者 ニシ テ復 旦 大 学 教
英 人側 に は権 益 擁 護 の必要 上 日本 の要 求 達成 を妨 害 す る方 針 に
授 ナ ル郭 陶 歩 ノ主 動 ス ルト コ ロ ニシテ 平和 論 ノ第 一声 ト 観 ラ レ日 本 ︹マ マ︺
側 ノ応 手 ヲ見 タ ル上之 ニ応 シ続 々平 和 運動 起 ル モノ ト観 測 ス尚 本 件
米 人側 は満 洲 事 件 に 対 す る 米 の失敗 の経 験 もあ り 又 特 に英 の如
て進 む べ し と な し中 に は 支 那側 に実 力 援 助 も辞 せず と な す者 あり
く 大 な る利害 関 係 なき を 以 て進 ん で 日本 反 対 の態度 を表 す る が如
(川 越 大使 八 三 五号 )
き こ とな か る べ しと な す 」
五、 軍 令 部 総 長 、 一部 長 第 一特 演 よ り帰 庁
(一 一、 一〇 、 七 )
六、 長 沙 居留 民 は 重慶 邦 人 引 揚 げ の報 あ る と共 に引揚 げ る こと に出
先 に於 て決 定 の旨 通 報 に接 す (3F 機 密 二 九 一番 電 )
七 、 情 報 の主 な る も の左 の通 ︹ 許世英︺ 駐 日支 那 大使 は 五 日 の朝 日 の記 事 に就 き我 新 聞 記 者 談 を報 じた
る後 交 渉 に際 し て は其 の内 容 は 努 め て具 体 的 にし 他 日 詞 を藉 り て干
一
尚 右 記 者 談 中 に 日本 軍 人 は絶 対 に戦 意 な し の 一項 あ り (支特 情 極
渉 の具 た ら し めざ る様 注 意 せら れ 度 旨意 見具 申 す
秘 四四 四) 二
其の二八
密 令 す (支 特 情 極 秘 四 四 三)
支 那事 件 経 過 概 要
一、 3F 参 謀 長 よ り居 留 民 引 揚 に 関 し 自身 の ﹁リ スク﹂ に 依 り残 留 を
(別紙 )
中 山事 件 要 求 に関 す る件
同
意
同意
一 一、 一〇 、 七
蒋 は七 日 ﹁ 空 軍 将 校 は許 可 な く し て職 務 を離 る べ から ざ る﹂ を
希 望 す る者 あ るも 外務 省 令 に て引 揚 を強 要 せ し む る様 機 宜 取計 ら ひ 方 承 認 を 得度 旨意 見具 申 あ り (3F 機 密 四 七 二番 電 ) 二、 昨 六 日 3F に於 て は海 口警 泊 艦 の引揚 及 5Sd の 一艦 基 隆 派遣 の件 を 電 令 せり (3F 機密 四 八〇 番 電 ) 三、 GF 横 鎮 聯 合基 演 取 止 め の件 允 裁 済 み の旨侍 従 武 官 より 電 報 あ り
3Sf は 小 笠 原 に集 中
一二
軍 令 部 案 左 の通 ︹ 不詳︺ 若 杉 総 領 事 電第 四 五 八号 の現 地案 中
一
1fg は木 更 津 に あ り て中 攻 塔 乗 員 特 別訓 練 に協 力
三
直 に之 が伝 達 竝 に 左 記申 進 の件 電 報 す
二
第 一通 信 隊 は 現 配備 の儘 訓 練 に従 事
但し
三
ス コー﹂ を 認 め し む る こと を 附 加 す
イ
︹ 射太郎︺ 石 射 案 に依 る 地域 内 に於 ても 我 軍隊 の行 動 自 由 の ﹁ステ ー タ
ら る るも 差 し 当 り 3F の処 置 に委 し 今後 暫 く 3F の処 置 を 観 、要 す れば
四、 二項 海 口警 泊 艦 引揚 に関 し て は少 く と も 一隻 在 置 を 適 当 と 認 め
中央 よ り海 口警 泊 艦 派遣 の こと に申 進 す る こと とす
て は総 領 事 電第 四 五 八号 の四 ( ) 内 の意味 不 明 な る処 同 地 域 に
ロ
拡 大 地域 に 於 け る ﹁ステ ー タ ス コー﹂ を 認 めし む る件 に 関 し
五、 午 前 一、 三部 長 一、 二 、 六課 長 、 中 原 、藤 原 、 鹿 岡 部 員 参 集中
於 け る我 軍 隊 の行 動自 由 の現 状 を 公 文 書 に依 り 認 め し む る意 味 と
山事 件 要 求 に関 す る軍令 部案 を 協 議 別 紙 の通決 定 の上 軍 務 局 に申 入 る
解 し同 意 す (滬 六八 番 電) 四
六
一 案
昭和 十 一年 十 月 八 日
対 支 実力 行使 の為 大演 習 取 止 め を要 す る場 合
第
対 支 情 勢 の変 化 に応 ず る為 大 演 習等 の処 理 腹 案覚
︹ 本書三 一四頁以下参照︺
七 日 の日支 交 渉 状況 (外 務 電 八〇 三 、 八〇 四号 )
(南 京 機 密 一三 一番電 )
最 も避 く る を要 す べしと 述 べた る由 な り
各国 に影 響 す る所 大 な る を以 て ﹁メ ス﹂ を 下す が如 き 事 態 の招 来 は
容 認 し難 か る べく 且 日支 交 渉 の現 状 は 重 大危 機 に在 り利 害 関係 多 き
る る も 日本 の或種 の行動 を再 考 せ ざ る限 り支 那 の如 何 な る政 府 と雖
英 国 大 使 六 日 川越 大 使 来 訪 の際 日本 側 は排 日 の根絶 を要 求 せら
英 武 官 報 (機密 七 七番 電 )
英 国 に 於 け る対 日感 情 は満 洲 上海 事 変 当 時 よ り も悪 化 し居 り帝
ハ
あ る も のと 観 測 さ る
国 が断 乎 た る手段 に出 づ る時 は 相当 な る干 渉 と 峻 烈 な る輿 論 の攻 撃
右 の地域 に 於 け る警 察 制 度 大 綱 (総領 事 電 四 五 八 号 の 四 の
ロ) に於 て は総 監副 総 監 の外 巡 査 の件 も越 界 路 警察 に準 ず る も の
(一 一、 一〇 、 八 )
( 終)
電話 問 題 中 央 解決 の案 は外 務 省 と折 衝 の上機 宜 決 定す る こと
同意
其 の 二九
五
と解す ニ とす 四五六七八
支 那事 件 経 過 概 要
一、 対 支 情勢 の変 化 に応 ず る為 大演 習 等 の処 理 腹 案覚 別 紙 の通 作案 二、 1fg の大攻 不具 合 の点 あ り同 隊 に於 て制 限 飛 行時 間 五時 間 と 判定 の旨 報 告 あ り 右 に 対 し同 隊 大 攻 の使 用 を取 止 め 中 攻 二を 内 地 よ り補 充す る こと に手配す 三 、 得た る情 報 の主 な る も の左 の通 川 越 大 使 本 八 日 一〇 〇 〇 蒋 介 石 と会 談 の筈 (南 京 機 密 一三 二番 電 )
一、 ﹁昭和 十 一年 特 別 大 演 習を 終 結 せ し め ら る﹂ 旨 仰 允 裁 及 伝達
一
二、対支戦時編制仰允裁及伝達
昨 七 日上 海 に於 て 又 々支那 民 衆避 難 を始 む 原 因 は 人 心安 定 治 安
戦 課 の案 に依 る
二
艦隊及所要各部 に作戦計画内示
維 持 のた め江 蘇 省 各 県 に戒 厳 を 布 告 せ ら れ た るた め 却 て人 心 を動 揺
作戦諸準 備を進む
三、大演習及同経費 の処理
作戦行動開始
せ し めた ると 、 中 国 軍隊 の移 動 一般 に知 れ渡 り謡 言 盛 んと な りた る
上 海米 価 暴 騰 す (工 部 局報 )
為なり ( 支 館 附武 官 滬 六 七 番 電 ) 三
原 因 は時 局 に備 へ買蓄 行 はれ た る為 な り
作 作
イ
昭和 十二年度特別大演習を実施す る こととし所要 経費を追加 本年度 大演習費残額 (約 三百万円) は明年度に流 用又は燃料
要求す ロ 第
二 案
蓄積等省側と協議処理す 大演習編制は其 の儘 とし ﹁対抗演習、第 二特別演習及観艦式取止 其 の後 の情勢 に依 り
め﹂を要す る場合 ( 甲) 艦隊 の待 機又は作戦行動開始を要 する場合 (乙) 大演習部隊は引続 き訓練続行を可 とす る場合 一、 ﹁第 三期演習 主要実施事項を取止めらる﹂
( 註) 本号 の為 の所要 日数七日乃至十 日の見込 三、情況 ( 甲 ) の場合
処置 は第 一案 に同じ
艦隊 の待機又は作戦行動開始 四、情況 (乙) の場合
此 の場合GF長官指導 の下に第 二特別演習に準ず る夜戦 の演練 を行
第 二号 の戦備完了後大演習部隊 は九州沿岸及豊後水道方面 に行動 し諸訓練を続行す る如く指導す
(註) 一、所要燃料 の配付 を要す
はしむ
準 二特演 は二昼夜以内と予定す
二、赤軍4Fを青軍GFに編 入方手続を執 る
五、大演習及同経費 の処理
但し第四号 の回航、訓練及準 二特演演練 の為大演習費残額 は約二
第 一案 に同 じ
﹁第 三期演習を当分 の間続行 し軍令部総長 をして之を統裁 せしめ らる ﹂ 右仰 允裁及伝達
三 案
二、 対支情勢 の変化に応 じ機を失せず 第 一案 又は第 二案に転ず
判官は処理済なり
( 註) 赤軍審判官 十月十 日 青軍審判官同十四日東京発 赤軍審
統監艦 (比叡) と海軍省と の通信 連絡 を密 にす
す
一、差当り対支時局 に必要なる中央要員 は審判官を免 じ予定通続行
予定通大演習続行 の場合
第
百 二十万円程度と なるべし
×大演習第 三期 は十月 二十九日迄な るに付延期 を要す る場合
作戦課 の案 に依 る
◎演習部隊 に訓練続行等 の方針指示を要す 二、艦 隊及所要各部 に対支戦時編制及 作戦計画等内示 必要 なる作戦諸準備を進 む ( 註) 右内示及打合 の為 4F をGFと合同 (内海) せしめ中央 より派
大演習部隊爾後 の行動 作業等指示 員処置す 右 内示及打合せ終了後大演習部隊 は呉及佐世保 に回航所要 の戦 備 を完成 せしむる こととす
支 那事 件 経 過 概 要
其 の 三〇
( 終)
(一一、 一〇 、 九 )
一、昨 日 の夕 刊 、 七 時 、 九時 半 の放 送 に依 り 、 川越 蒋 会 談 の事 実 を
の下 に且 武 装 兵 の進 出 の現状 は停 戦 協 定 の除 外例 と し て認 めし め 已
会 を減 少 せし む る為 に は是 非 特 別 警 察 制 度 の確 立を 必要 と す る理 由
む を得 ざ れ ば 日 本 人 墓 地 、練 兵 場 、 女 学 校等 への通 行 を 認 め し む る
右 方 針 に て外務 陸 軍 に折 衝 す る こと と す
方 針 の下 に原 案 に て進 む こと に決 定
四 、 日支 交 渉 の前 途 遽 に逆 賭 す べ からざ る処 楽 観 的 態 度 に陥 る な き
知 る も 、其 の内 容 不 明 今 朝 の新 聞 に於 ても 、各 紙 夫 々推 察 記 事 を掲 載 す る に過 ぎ ず
を 保 せ ず 特 に 外務 当 局 の傾 向 と し て易 き に就 き有 耶 無 耶 の裡 に本 交
す るを 以 て省 部 意 見 一致 の上 、内 閣 各 方 面 は 勿 論 、参 謀 本 部 に対 し
渉 を終 ら ん とす るを 懼 れ 、 此 の際 更 め て国 家 的 決 意 の確 立 を必 要 と
今 朝 南 京 電 に接 し 会 談 の内 容 の梗 概 を 知 れ る も詳 細 に関 し ては 不 明 ( 南 京 機 密 一三三 番電 ) ( 鹿 岡 所 見 と し ては蒋 は共 同 防 共 に関 し て明確 な る意 志 表 示 を せ
海 軍 側 よ り強 く申 入 る る こと とす
五 、 得 た る情 報 の主 な る も の左 の通
ず 又北 支 の特 殊 性 に 関 し ては、 主 権 尊 重 、 行 政統 一の原 則 な る語 に 隠 れ て之 を 認 め 居 ら ず之 を要 す る に蒋 と し て は早 急 の解 決 は極 力 之
一
八 日英 外務 大 臣 代 理 は駐 日英 大 使 に支 那 に於 け る英 国 の利 権 の
十月 九 日
一九 四号 )
危惧 を 特 に強 調 し て日 本政 府 に通 告 す べき 旨訓 電 せ り (英 特 情 極秘
二
日 午 後 蒋介 石 と 会 談 す るも の の如 し (米 特 情 極 秘 五 三七 番 電 )
南 京 米 参 事 館 八 日発 電 に依 れば 英 大 使 は 八 日午 後 川 越 大 使 と 九
を避 け んと す るも の の如 し) 二、 午 前 川 越 蒋会 談 に関 す る外 務 電 ︹ 第 八 一〇 号 電 、 本 書 三 一七頁
︹マ マ ︺
参 照 ︺ に接 し 、 一部 長 一、 六 課 長 中 原 、中 澤 、 藤 原 、鹿 岡 部 員 参 集 (二課 長 横 須賀 出 張 のた め欠 席) 当 面 の処 理 と し て は大 演 習 問 題 な り し も決 論 に至 らず ︹ 保科善四郎︺ ︹ 勝平︺ 三、 午 後 軍務 一課 長 中 村 局 員 、 軍 令部 一、 六課 長 中 原 、 藤 原 、鹿 岡
中 村 局 員 の説 明 に依 れば 昨 日 行 は れた る 三省 事 務 会 議 に於 て は陸
測 を許 さず 一方英 国等 の対 支 援 助 の趨 勢漸 次散 見 せら る る情 況 な る
移 に稽 へ支 那 側 は我 方要 求 に対 し 或 程 度容 認 の態 度 な るも猶 前 途 予
八 日 の蒋 介 石 川 越 会 談 の外 務 電 等 着 、同 会 談 及 其 の予 備 交渉 の推
軍 外 務 共 に我 海軍 案 中、 拡 大 区 域 に於 け る特 別 警 察 制 度 及武 装 兵 進
に鑑 み支 那 側 は 一応 我 方 の要 求 に対 す る鉾 先 を受 け 流 し つ つ国 内 的
部 員 参 集 、 中 山事 件 の要 求 事 項 に 付協 議 す
出 の現 状 承 認 の件 は停 戦 協 定 と の関連 も あ り支 那 側 に対 し無 理 な る
事 情 等 に藉 口し て解 決 遷 延を 策 す るも のと判 断 せ ら る
一方 対 支 交 渉 は 今 次 の機 会 に更 に促進 解 決を 期 せざ るに 於 ては百
要 求 と な る べ しと の理 由 に て不賛 意 な る処 右 協 議 に於 ては、 上 海 に ︹ 限︺ 於 け る頻 々た る 不祥 事 件 に鑑 み警 察 権 の混 淆 を極 減 し事 件 生 起 の機
年 河 清 を待 つに等 し く特 に 既 定 方針 の速 な る促 進 を要 す る の結 論 に
此 の際 外 交官 等 が当 面 の交渉 に満 足 し て挫 折 す るは最 不可 、 此
一
同 日午後 陸 軍省 の態 度 促 進 の為 左 の処 置 を 執 る ︹ 清福︺ 保 科 軍 務第 一課 長 は陸 軍 軍事 課 岡 本 中 佐 を 往 訪
要 経 費 の取得 竝 に右 方 針 に基 く 外 交 の促 進 を 期 す る こと と な り海 軍
達 し 近 々閣僚 等 も帰 京 に 付 此 の際 第 一に国 家 的 決意 の確 立、 戦 備 所
省 宛申 入 る 、省 側 亦 同意 也
の予 定 に 付 、 陸軍 と し ても 態 度 を 決 し協 力 を 得 度
二
右 に対 し 岡 本 中 佐 は全 然 同 意 し 海 軍省 の申 入 は 今晩 陸 相迎 の為 次 ︹ 梅津美治郎︺ 官 出 発 に付 直 接 次官 に申 入 れ陸 相 に伝 達 す べし
尚 対 支 用兵 に就 ては参 謀 本 部 と 共 に研 究 中 の如 く前 掲 参謀 本 部 案
但 し北 支 の兵 力 は合 計 四 ヶ師 位 の腹 案 な り
と 略 同 様 の腹 案 を述 ぶ
同 日南 京 より の外務 電 に依 り予 て支 那側 が我 方 要 求 に対 し 九 日回
は 上 海 に 戦 編 二 ヶ師 を 送 り て居留 民 の現 地保 護 を 行 ひ北 に て は青
止 め可 能 な る海 軍 の態 度 を 示 す を 要 すと な し 一部 長 より 次長 に進 言
大 演 習 に変 動 を要 す る こと 必 要 と 認 め政 府 を 動 かす 為 要 す れ ば右 取
以 上 の如 く し て支那 側 の態 度 に 鑑 み 又国 内 的 に廟 議 一決 の為 には
二 三 日? ) に 延期 方申 入 れ来 れ る の報 あ り
答 す る由 約 せ し も のに対 し 双 十 節 及休 暇 の関 係 上 回答 を 来週 初 (十
島 に 一ヶ師 、北 支 に は天 津 、 北 平成 し得 れば 大 同 (山 西 にし て由
得 た る情 報 の主 な る も の左 の通
( 次 長 よ り大 臣 へ) す る こと に 一部 の意 見 一致 す
南 京 武 官 電 に依 れば 八 日川 蒋 会談 の内 容 に関 し 我 方 要求 に対 す
保 す る如 く 五 ヶ師 位 の出 兵 を 要 す べ く 、韓 復榘 に 対 し て は彼 を反
斯 く な る以 上堂 々腹 を す へ特 別議 会 を要 求 し動 員 も 正式 に行 ふ
致 度 旨 申 入 りあ り た り (南 京 機 密 第 一三 五番 電 )
る回 答 は八 日 中 に 回 答 の筈 な りし 処支 那側 の都 合 に依 り 来週 初 め に
只 支 那 に最痛 い所 を 押 へる手 段 な き やと 極 力 研 究 中 な り
二番 電 )
上海 に於 け る避難 民 は依 然 と し て多 数 に 上 る (九 日 ) (滬 第 七
二 決 意 の確 立 に努 力 され 度
大 体 の事務 当 局折 衝 中 の案 に同意 を得 感 謝 す 此 の上 と も国 家 的
腹案なり
一
噬 せし め ざ る 如 く施 策 す るを 可 と信 ず
来 支 那 の戦 争 は山 西 の去 就 に て其 の決 を得 る事 例 と す) の線 を確
同 感 に し て 目下 主 務 部 に ても 折角 研 究 中 な り自 分 の所 見 と し て
とす
挙 に出 で彼 を屈 服 す る の方 針 を 国家 的決 意 と し て確 立 す る を急 務
後 要 求 を 提 出 し之 を し も聞 かざ れ ば 已 む な く海 陸 協 同 実力 行 使 の
就 ては 予 て内 協 議 中 な る如 く 当 面 の交 渉 が停 頓 す るに於 て は最
は 今 日 を 措 て他 な し
るも のあ ら ん も思 はざ るも 甚 だ し対 支 国 交 の根 本 対策 を確 立 す る
日 支事 態 は最 近蒋 川 越 会 談 の為或 は其 の儘 の推移 に委 せ んと す
十月十日 ︹ 繁太郎︺ ︹ 壽造︺ 嶋 田 次長 西尾 参 謀 次 長 往 訪要 談
の際 大 に 外 交促 進 を要 す ︹ 寺内壽 一︺ ︹ 永野修身︺ 陸 相 帰 庁 せ ら る れば 海 相 よ り 国家 的 決 意 の確 立 に 関 し閣 議 請 議
嶋
西
嶋
努 めた るも の の如 く其 の際 英 大 使 は 防 共 は ﹁ソ﹂ を 以 て防禦 同 盟 の
四 、内 地新 聞 の茲 数 日 の趨勢 は極 め て冷 静 に し て 日支 交 渉 に関 し 記
三 、情 報 の特 記 す べき も のな し
心組みあり
出 先 と し て は戦 備 を 整 へつ つ支那 側 の出 方 に 依 つて之 に応 ず る様
対 象 と す るも のな る こと を 注 意 し 又英 米 は支 に対 し 精 神的 援 助 はす
事 を掲 載 す る も の尠 し
︹ 許世英︺ ︹ クライブ︺ ︹ユレネフ︺ 駐 日 支 那 大使 は 九 日英 大 使 と 八 日蘇 大使 を訪 問 英 蘇 の動 向探 査 に
る も欧 洲 の情 勢 に 鑑 み実 力 を 以 て日 本 に干 渉 す る こと な か ら んと 語
奏上
奏 上致 しま す
逐 艦 五隻 を同 十 八 日迄 に 海南 島 の海 口 に集 中 し是 等 を 以 て第 五 水 雷
乗 艦 せ し めた る嵯 峨 の九 月 十 二 日北 海 著 を最 初 と し巡 洋 艦 二隻 、 駆
一、北 海 事 件 に対 し ま し て は第 三艦 隊 に於 て措置 を講 じ 我 調 査 員 を
り ま した 在 支警 備 兵 力 の増 遣 及 其 の行 動 等 に付
謹 み て北 海 事 件 以 後 支 那 の事 態 愈 平 静 を 失 し た る為 海 軍 と し て執
行 動 等 に関 し
北 海 事 件 以 後 に 於 け る在 支 警 備兵 力 の派遣
れり 一方 ﹁ソ﹂ 大使 は他 の項 目 に 付 て譲 歩 す るも 、 防 共 は堅 拒 す べし と語れり 而 て支 大 使 は 最 後 に、 防 共 に関 し ﹁時期 を限 つ て の察 哈 爾綏 遠 の 共 匪 を 粛 清 す るを 目的 と し第 三国 を攻 撃 の対 象 と せ ず 該 区内 の共 匪 平 静 の 日を 以 て其 の効 力 を失 ふ﹂ 如 く す べ き旨 意 見 具 申 せ り (支 特 情 極 秘 四 五五 号 ) ︹ヒ ュ ー ゲ ッ セ ン︺
(米 特 情 極秘 五 四 三号 )
決 意 を示 す と 共 に北 海 の現 地調 査 に備 へて居 り ま した 処 支 那 側 に於
戦 隊司 令 官 の指 揮 下 に 南 遣部 隊 を編 成 し同 方 面 に兵 力 を 顕 示 し て我
駐 支 米 大 使 は 日 本 の察 綏 に於 け る策 謀 を報 ず 、
十 月 十 一日 (日曜 )
北 海 の現 地 調 査 に際 し まし て は同 地 に占 拠 せ る第 十 九 路 軍 の態 度
し 次 で十 月 初 旬 固 有 の警 備配 備 に復 帰 致 し ま した
無 事 現 地調 査 を 終 了 す るを得 ま した 依 て同 部 隊 は 一先 づ海 口に 帰 投
部 隊 は 九月 二十 二日 朝北 海 に移 動 し次 で 二十 三 、 四 日 の両 日に 亘 り
ても我 方 の現 地 調 査 に協 力 す る為 種 々 の手 段 を講 じま し た ので南 遣
特 記 す べき 処置 並 に情 報 な し 十 月 十 二日 一、 陛 下 陸 軍 特 別大 演 習 より 御 還幸 午 後 二時 別紙 の通 ﹁北 海 事 件 以後 に於 け る在 支警 備兵 力 の派 遣 行
二、 岡 田 部 員 上 海出 張 よ り帰 庁 、其 の報 告 に依 れ ば出 先海 軍 の所 見
動 等 ﹂ に 関 し奏 上 す
日支 交 渉 は屡 次 の ﹁テ ロ﹂ 行為 に対 す る自 衛 を基 調 と せざ る べか
央 と致 しま し ても 予 め 必要 な る準 備 に 着 手 致 しま した が第 三 艦 隊及
に依 り或 は実 力 行 使 の己 むを 得 ざ る情 況 と な る こと あ るを 顧 慮 し 中
ら ざ る に国 交調 整 を根 本 義 と す るは自 衛 戦 の名 目 を 立 て る に著 し き
れ も支 那 沿 岸 及揚 子 江 の要 地 に配 備 せ ら れ警 戒 を 厳 に致 し ま した
馬 公、 旅 順 要 港 部 艦船 は 益悪 化 せ んと す る各 地 の情 況 に応 ず る為 何
と し ては
困難あり
二、北海事件 の現地調査未だ終了せざ るに先ち九月十九日漢 口に於
隊 旗 艦 出 雲 の外 巡 洋艦 五隻 、 駆 逐 艦 二十 四隻 、 砲艦 十 隻 、 特 務 艦 二
況 に鑑 みまし て特別陸戦隊増勢 の必要を痛感 しました ので差当り佐
りました が中央とし ては屡 次不祥事件 の発生及各 地に之 が波及 の情
特別陸戦隊を増援 し て同 地居留民 の保護に万全を期す るの処置を執
何 に 依 り ま し て は最 悪 の場 合 対 支実 力 発 動 の已 む を得 ざ る情 況 に 立
空 軍 を漸 次兵 要 地点 に 集 中 致 し て居 りま す る関 係 上今 後 其 の態 度 如
上 重 大 な る 分岐 点 と な るも ので 御座 りま し て支 那側 に於 て も陸 軍 及
三 、 目 下南 京 に於 て行 は れ つ つあ る 日支 交 渉 の結 果 如 何 は 両 国 国 交
期 す る為 鋭 意 努 力 致 し て居 りま す
各 重 要 地点 に配 備 し 不 安定 な る各 地 の情 勢 に 対 し警 備 上 遺 憾 な き を
隻 、 上海 特 別 陸 戦 隊約 二千 二百 名 、 漢 口同約 三 百名 で御 座 り ま し て
世保鎮守府特別陸戦隊 一箇大隊を上海特別陸戦隊 に派遣せしめらる
ち 到 るや も保 し難 い の であ り ま す る故 此 の際 陸 軍 と も連 絡 を密 にし
第 三艦隊 に於きましては機を失 せず 漢口に所要 の艦船を集中し又
て我領事館巡査射殺事件 が突発致しました
る様 手続を執 り同陸戦隊は特務艦室戸 にて九月二十 四日上海 に到 着
夫 々防 空施 設其 の他 新 式 兵 器 の増備 を急 ぐ と 共 に 横 須賀 、 呉及 佐 世
予 め 最悪 の場合 に対 す る諸準 備 を促 進 し今 後 の情 勢 に 即応 し得 る様 ︹ 違?︺ 遺 算 な き を期 し居 る次 第 で御座 りま し て之 が為 在 支警 備 艦 船 部 隊 に
致 しました 然るに同 二十 三日又もや上海 に於 て出雲水兵 射殺事件 が生起致し
保 鎮 守 府 に 於 け る特 別 陸 戦 隊 の派遣 準 備 竝 に艦 船 及航 空 部 隊 等 の作
ま した 情勢斯 の如く殊 に際 限なき支那各地 の排日的暴虐行為 の頻発は日
以 上 の如 く目 下 の情 勢 は 一に 対支 交 渉 の推 移 如 何 に懸 つて居 りま
戦 諸 準 備 を進 捗 中 で御 座 りま す
す るが 若 し 不幸 に し て対 支 実力 行使 を要 す る が如 き場 合 は当 面 の特
支国 交 の将来 に稽 へ又支那警 備 の見地 に於きましても速 に適切有効 続行 中 の対支外交折衝 を此 の際国家的決意 の下に促進す べき ことを
別 大 演習 に も変 動 を及 ぼす の已 む を得 ざ る こと と存 じ ます る が其 の
なる根本的措置を講ずる の必要 を痛感致しました ので成都事件以来 政府 に要求致しますると共 に海軍とし ては断 乎た る我決意を表示し
奏上を終ります
王
且今後 の波及 に備 ふる為差当り警 備兵力 の拡充を図 る目的 を以て第
右 を以て
恭
一 一、 一〇 、 一二
博
場 合 は 別 に奏 請 致 す 所 存 で御 座 りま す
昭和 十 一年 十 月
在 支 陸 戦隊 の現状
軍令部総長
八戦隊、第三駆逐隊及第 二十 二駆逐隊竝 に呉鎮守府特別陸戦隊 一箇 大隊を派遣 せしめらるる様手続 を執 り是等艦船部隊は何 れも九月 二 十七日乃至 二十 八日上海方面に到着致しました尚最 近支那空軍 の拡 充 の実状に稽 へまし て之に備ふる為別 に陸上攻撃機 十機、戦闘機十 二機を以 て第十 一航空隊を編成 せられ同隊 の大部は十 月五日臺北に 集中を終 りました 以上に依 り目下支那方面に対 し派遣せられある海 軍兵力は第三艦
一五 〇 三
九六
一五七 九
部
数
四〇〇
陸戦隊
一八〇 名
一三
計
二 二七 一
三〇 〇
事
一 一、 一○ 、 一二
機 械 化部 隊 増 勢 のた め 増 員 せ ら る る も のにし て十 四 日佐 世 保 発 野 島 便 に て上海 に向 ふ
上海海 軍特 別陸戦隊 に
大隊 は約 三〇○名
大隊 は約 五四〇名
一、 二個 中 隊 基幹 一個
記
一 一、 一〇 、 一二
四八三
陸戦隊
一個 大 隊 (二個 中 隊 基 幹 )
一個 大 隊 (一個 中 隊基 幹 ) 二、 一個 中 隊 基 幹 一個
(二個 中 隊基 幹 )
一個大隊
隊
増 派 兵 力 上海海軍 海事件 佐世保鎮 合 場所 特別陸戦 北 呉 鎮 守 府 前 の現 員 臨時 隊 の定 員 第 一特 別 守府 第 一特 別 増置 上海 九六
隊
準 備 中 の陸 戦 隊
漢口
部 横須賀 鎮 守府 府
第 一特 別陸 戦 隊
鎮 守
第 二特 別陸 戦 隊
呉
第 二特 別 陸戦 隊
佐世 保鎮 守府
す るも の
上海海軍特別陸 戦隊 に臨時増置
主 要航 空 兵 力 の現 状
艦上攻撃機
機
闘
二 四機
戦
二 一機
四四機
隊
第 一航空戦 隊
一二機
部
第 二航空戦隊
機
陸上攻撃機
九
本表 の外各機種 約三分 の 一の補用機を有す
一二機
事
第十 一航空隊 記
十月十 三日
新 聞 に あ る行政 機 構 の件 は陸 相 より は何 等 提 言 なし
一、 本 日 の閣 議 の模 様 左 の通 一
海 相 よ り対 支時 局 に関 し提 案
現在 日支 交 渉 の推移 よ り観 て最 後 の腹 を閣 議 と し て決 定 を 請
二
ふ
イ
近来 長 足 の発 達 を な せ る 支那 の空 軍 並 に諸 般 の軍 備 の現 情 に鑑
海 軍 と し ては 大演 習 も 近 く な り速 に 方 針 確 立 を希 望 す
み海 軍 兵 力 のみ を 以 てす る時 局 解 決 は 至難 な り等 海 軍 警 備 上 の苦
首 相 外 相 共 に煮 え 切 らず 其 の曰く
心 を述 ぶ ロ
対 支 四項 目 は支 那 は容 認 す る な ら ん但 し 防 共 は何 と か な ら んも
北 支 の問 題 は仲 々困 難 な り と観 測 す尚 外 相 曰く 此 の調 子 なら ば 在
陸 軍 の北 支 に於 け る在 来 の不 明朗 な る遣 り方 が今 回因 を為 し海
海相より
来 通陸 軍 の実 力 に てじ り じ り北 支 を や る より 外 な か ら んと ニ
軍 の困却 し居 る処 な り
ホ
対 支交 渉 に於 て我 方 の最 後案 は北 支 に関 し 冀 察 二省 に止 ま る も其 れ を す ら聴 かざ る時 は 如何 にす る か 各相 ﹁ 其 の時 は実 力 行 使 よ り 外 な か ら ん﹂ と の意 見 に微 温 的
イ
﹁第 一期 及 第 二期演 習﹂ を ﹁第 一期 、第 二期 及第 三期 演 習 ﹂
一、第 一統 監 部 の編制 及 編 制 期 日中
﹁第 三期 演 習 の欄 ﹂ を削 る ︹ 第 三期審判官を廃 する件︺
に改 む ︹ 中央統監部員を第三期 にも延長す る件︺
二、第 二 を削 る ︹ 比叡、白露、時雨 を削 る件︺
ロ
陸 相 曰 く ﹁漢 口 は充 分 頑 張 つ て貰 ひ度 し﹂
の演習 及訓 練 二、 講 評 」 に改 む ︹ 主要実施事項を改むる件︺
特 別演 習 三、 観 艦 式 四 、講 評 ﹂ を ﹁一、 参 加 演習 部 隊 各 個 又 は 聯 合
三 、第 十 二中 第 三期 演 習 の欄 主要 実 施 事 項 ﹁一対 抗演 習 、 二、 第 二
海 相 曰 く ﹁陸 軍 は今 次 の日支 交 渉 に 関 し本 当 の腹 を決 あ り居
能 な り﹂
海 相答 へて曰く ﹁其 は 海 軍兵 力 に て は今 日 の情勢 に 於 て 不可
乍 ら決 定 す ヘ
ト
四 、第 十 三中 ﹁第 一期 及第 二期演 習 ﹂ を ﹁本 演 習 ﹂ に 改 む ︹ 全期を
五、 第 七 章 を削 る ︹ 観艦式 の件を削 る件︺
通 じ勅命 により総長統裁 の件 ︺
六、 第 三以 下 を 順 次繰 り 上ぐ
陸 相答 へて曰 く ﹁ 陸 軍部 内 に種 々意 見 あ る も今 日 の処最 後 に
るや ﹂
致 方 なけ れ ば実 力 行使 に出 づ るも 已 む を得 ず と の こと に 大体 決
隊 の下 欄 ﹁第 二艦 隊 の次﹂ に挿 入 す
七、別表第三中 ﹁ 赤 軍 第 四艦 隊 ﹂ を ﹁ 第 四艦 隊 ﹂ に改 め 青 軍聯 合 艦
定 せ り﹂
◎伝
右 の如 き情 勢 にし て首 、 外 、 陸 相 共 に 熱 な く 一に外 交 折 衝 のみ に
一、仰 允裁 事 項 の文 書 伝 達
第 二 、演 習 部 隊 の指 導
三 、第 三期 演 習 、 軍 令 部総 長 ヲ シ テ統 裁 セ シ メ ラ ル
隊 ニ編 入 セラ ル
二、 別 表 第 三 中 ﹁赤 軍第 四艦 隊 ﹂ ヲ ﹁第 四艦 隊 ﹂ ニ改 メ青軍 聯 合 艦
ヲ ﹁参 加 演 習部 隊 各 個 又 ハ聯 合 ノ演習 及訓 練 ﹂ ニ改 ム
一、 第 三期 演 習 主 要 実 施 事 項 中 ﹁対 抗 演 習 、第 二特 別演 習 、観 艦 式 ﹂
昭和 十 一年 特 別 大 演 習 計 画 書 中 左 ノ通 改 正 セ ラ ル
達
二、右 の状況 な るを 以 て大 演習 は 予定 通 実 行 す る ことと し進 め ら れ
委 し早 急 に武 力 行使 等 へ気 運動 かざ る状 況 な り
二、 電
裁
報
三、 軍 令 部 と し て は差 し 当 り 大演 習 実 行 の こと に 進 め尚 南 京 交 渉 の
度 旨 次官 を通 じ次 長 宛 申 入 あ りた り
模 様 に て更 に 其 の態 度 を決 す る こと とな る
第 二案 の際 の実 行 案 (一 一︱ 一〇 ︱ 一三)
四、 得 た る情 報 の特 記 す べき も のな し
允
第 一、仰 允 裁 及 伝 達 ◎仰
〇 昭和 十 一年 特 別 大 演 習計 画 書 中 左 の通 改 正 せ ら る
宛G F 長官 ( 各 鎮 、 2F 4F 長官 )
特 別 大 演 習 中央 主 席 審 判 官
対 抗 演 習 、第 二特 別 演 習 及 観 艦 式 を取 止 めら れ た る に付 て は青 軍
日着予定を以て近藤審判官を派遣 せらる
︹ママ︺
聯 合 艦 隊 の演習 訓 練 に関 し差 当 り左 記 に依 り御 取 計 ら ひ を得 度
記
追 て詳細説明 の為 一、第 四艦隊は青軍聯合艦隊司令長官 の定 むる所 に依 り第 一、第 二
ホ
所要 燃料増額 の件
大演習燃料 }
力 行 使 せ ざ る べ から ざ る場 合 に のみ に限 り度
り何 等 か の事 件 に依 り大 義 名 分 上実 力 行 使 に出 でざ る べ から ざ る場
二、対支時局諸対策 の打合 せ (近藤審判官着後) の後主とし て呉及 三、第 二号 の準備済次第 主として九州西岸方面に行動 し各個又は聯
合 を 除 き南 京 交 渉 の為 に 最悪 の場 合 に立 至 る こと は絶 対 に避 けん と
す るも のな る こと 明白 と な れ り
尚 対 支 交渉 に於 て防 共 及北 支 問題 に対 し ても 陸 軍 と し て は飽 迄 強
硬 に突 張 る熱 意 な く要 す れ ば之 を ﹁ド ロ ップ ﹂ し て従 来 の施 策 を 続
行 す る を可 とす る意 見 の如 し
而 て将 来 ﹁テ ロ﹂ 行 為 頻 発 す る場 合 陸 軍 は如 何 な る態 度 に出 づ る
や 不 明 な るも 以 上主 と し て陸 軍 の態 度 に鑑 み海 軍 の主 張す る が如 き
主と して九州西岸に行動す ること
三、 参 謀 次 長 退去 後 課 長 以上 次長 室 に参 集 右 陸 軍 の態 度 に基 き協 議
達 し 得 ざ り し次 第 な り
対 支 交 渉 に対 す る 国家 的 決意 の確立 は現 状 に於 ては遂 に其 の目 的 を
必要 の場合即応す るの姿勢に在 る こと
三、第 二号 に伴 ひ呉及佐世保軍港に於 て準備事項
各個 又は聯合 の演習及訓練続行 のこと
イ ロ
観 艦 式 は御 祭 気 分 に堕 す る こと なき 様 従 て部 外 よ り の招 待 等 は之 を
但 し緊 張 せ る気 分 の下 に現 地 に活 躍 す る第 三 艦隊 の実 状 に も鑑 み
の結 果 大演 習 は 予定 通 実 施 す る こと に決 定 す
ハ
第 二特別演習 に準ず る演習をGF長官指導下 に行ふ こと 之 が為 必 要 な る審 判 官 を 以 す こと
︹ママ︺
ニ
四、爾後 の演習及訓練 に関し
二、対支戦時編制及対支作戦計画 の内示
一、対支時局及之に対 する廟議及海軍 の方針
近藤審判官携行
青軍GF長官宛
︹ 文書覚︺
合 の演習及訓練を続行す
陸 軍 の態 度 は今 日迄 兎 角 明 確 な らざ りし 処 右 参 謀 次長 の言 明 に依
陸 軍 軍 備 の現 状 に鑑 み兵 力行 使 は極 力 之 を 避 け 、大 義 名 分 上兵
に 決 意 な き も のと 見 縊 り強気 に出 で居 るも の の如 し ︹ 西尾壽造︺ 二、 午 前参 謀 次長 当 部 次 長 を 来 訪陸 軍 の態 度 に付 左 の通 言 明 す
一、 新聞 報 に依 れ ば昨 十 三 日須 磨 高 宗 武 会 談 に 於 て支 那 側 は 日本 側
十月十四日
五昼夜
四 昼 夜
佐世保軍港 に回航補給及諸準備を行 ふ
艦隊 に合同
GF 4F
辞 退す る こと と す 尚 大演 習 後 の艦 隊 の行動 補 充 交 代 及 航 空隊 の編 制 換 等 に 関 し て は 具 体 的結 論 に達 せず ︹ 第八三〇号電本書三二五頁︺ ︹ 義正︺ 四 、夕 刻 川 越 請 訓 電 着 (電中 原 大 佐 保 管 )
二
役務変更予定 の艦船 も時局 の状況 に依 りては役務変更期を延期
(第十 一航空隊 も当分 の間臺湾前進 の儘とす)
又服役延期 を考慮し置 くものとす
艦隊士官 の異 動及補充交代 は最小限度 に止む るものとす
す ることとす 三
四 重慶及長沙警備艦は下江可能 の限度迄警 泊せしむ べきも居留 民
一部 長 、 一、 二課 長 、 中 原 、岡 田、 藤 原 、 小 野 田 、鹿 岡 部 員参 集
一
満 期 兵 の服 役 及補 充交 代 期 の延 期 (但 し練 習 生 の入 校 は予定 通
役 務 変 更 (並 航空 隊 編 制 替 も ) 期 の延期
置 く も の とす
と雖 も情 勢 悪 化 の場 合 に応 ず る為 左 の場 合 に 対す る準 備 を 為 さ し め
演 習 終 了後 の艦隊 行 動 等 に関 し ては時 の状 況 に応 じ之 を定 む 可 し
五、 艦 隊 の行動 其 の他
らし む る如 く 日清 汽 船 の準 備 をな さ し む
但 し 同時 引 揚 をな さし め ざ る場 合 に は必 要 の時 機 に引 揚 を可 能 な
も のと す
を し て同 時 引 揚 を為 さ し む べ き や否 や は時 の状 況 に よ り之 を定 む る
省 部
協 議 の上 、 支 那 側 の条 件 は協 定 成 文中 に入 れざ る こと と し て請 訓 電
(一 一、 一〇 、 一四 ) 海 軍 軍 令
の内 容 に同 意 す る ことと し中 原 部員 を通 じ軍 務 に申 入 る る ことと す
時 局 処 理 に 関 す る件 覚
一、演 習 及 観 艦 式 南京 交渉 急 速 解 決 の見 込 な き を以 て演 習 及 観艦 式 は予 定 通 実施 の こと とす
二
但 し 何 時事 態 悪 化 す るや も 測 ら れざ る に付 悪 化 の場 合 に は演 習 を
二、 時 局 関係 主 要 職 員
中 止 し 所 要 の準 備 を 行 ふ の心 構 を な し置 く も のと す
三
艦 船 の大 修 理 延 期
休 暇 延 期
り とす )
四
士 官 の大 異 動 延 期 (但 し学 生 の入 校 は 予 定通 り実 施 す )
右 関 係 軍 令 部 職員 (次 長 、 一課 長 、 中原 大 佐 ) の演習 参 加を 止 め 又演 習 中 の大 臣扈 従 を 止 む
五
る様 適 当 の公表 を行 ふ
( 終)
演 習 の実 施 に 関連 し 時 局 に 対す る海 軍 の態 度 に 関 し誤 解 せし め ざ
六 、演 習 の公 表 振
三、 外 交 交 渉 川 越 大 使 請 訓 に基 き関 係 者 間 に 於 て外交 交 渉 の遣 方 に 関す る再 討 議 を 行 ひ将 来 に 障碍 を貽 さざ る限 り 個 々 の事 項 に付 支 那側 の諾 否 、 即決 を 要 求 し 片 附 きた る も のより 速 に 調印 実 行 に移 す 方針 に て進 む
第 三艦 隊 兵 力 は 当 分 の間 現 状 の儘 とす
四、 第 三艦 隊 兵 力 一
十月十五日 一、 川 越請 訓 に依 る我 要 求 案 に 関 し て は陸 軍 側 が 部 内 に於 て審 議 未
外 務 省 と し ては昨 日 の電 報 に依 る 川 越張 の会 談 の結 果 に基 き最 後 案 を出 す を 可 と す
陸 軍 も略 同 様 の態 度 な り
︹マ マ︺
了 未 だ 成 案 を得 ざ り しを 以 て三 省事 務 会 議 に て結 論 に 至 らず
海 軍 と し ては 緊 張 よ り現 地 の情況 及 其 の他 諸 般 の事 情 よ り速 き を
一
北 支 は冀察 二省 の実 情 を 黙 認 せ し め他 の三省 に付 て は経 済 合 作
防 共 は主旨 を 認 め細 目 は委 員 会 に て決 せ しむ
本 交 渉 は速 に妥 結 に導 く べく南 京 交 渉 を 促 進 す
結 局 一致 せ る処 左 の通
可 とす る旨 申 入 る
二、 川 越 請 訓 は高 宗 武 須 磨 間 の会 談 を基 礎 と す るも のに し て権 威 乏 し き を 以 て 川越 自 身 支 那 側責 任 者 と交 渉 の上 請 訓 す べ きを 外 相 よ り
二
出 先 に注 意 を喚 起 せ り
三
十月十六日
高宗 武 は蒋 の懐 刀 な り
一、 三 省 事務 当 局会 議 開 催 外
言 論 を 指導 し陸 軍 も大 に関 心 を有 す る旨 を 知 ら し む 、 (一方 陸
を進む
北 支 五 省及 防 共 は ﹁ド ロ ップ﹂ し て は如 何
一、 昨 日 の三省 事 務 当 局 会 議 の模 様 に関 し 中 原 部員 よ り総 長 に報 告
二、 特 記 す べ き情 報 な し
之 を 要 す る に陸 軍 は外 務 省 よ り鞭 撻 せら れ つ つあ る態 度 な り
促 進 の為 出兵 は 困難 な る もイ ザ と な れば 避 く るも のに非 ず と 述 ぶ
更 に 海 軍 よ り陸 軍 の態 度 促 進 を痛 切 に要 求 せ る に 対 し陸 軍 は外 交
軍 の最 後 案 を 促進 す る こと と す )
四
現 地 大 使始 め本 心 は積 極 的 な る も陸 軍 が動 かぬ ことを 知 りた る 以後 は 消極 的 と なれ り 従 て請 訓 の ﹁ラ イ ン﹂ に て中央 に助 け 船 を 乞 ふ の形 の如 し昨 日 川 越 に 対 し張 羣 と積 極 的 に や る様 訓 電 せり 其 の結 果 に依 り正式 の 請 訓 あ る も のと 予 想 す 海軍 の成 案 (請 訓 に 対す る) 説 明
海 軍 は 不同 意 海 軍 の見 地 を 切言 す
大 体 の見越 し つき居 る に付 相 当 の処 に て速 に妥 結 を 希 望 す 外
防 共 は 北支 五省 とし 主義 を主 と し細 目 は委 員会 に てや る こと と
海
海
北支 五省 は高 の言 の程度 に て も取 り決 め る を有 利 と す
若 干 帰宅 す る も の現 は る るに至 れ り
十月十七日
陸
但 し現 地 工作 を後 戻 り せ し めざ るを 可 とす
す る を可 と す
す ︹ 脩︺ 二、 佐藤 武 官 報 に依 れ ば昨 十 六 日ま で に上 海避 難 民 の現 象 止 み既 に
外
る由 、尚 蒋 主 催 の杭 州会 議 は事 実 な り 但 し其 の内 容 は不 明
十 月十 八 日 ︹ 中原三郎︺ 一、南 京 武 官 報 に依 れ ば 十九 日午 後 三時 川 越張 羣会 談 の こと と な れ
海 軍 の要 望 は 当然 乍 ら支 那 の事 は 急 ぐと 損 をす る 以 上 に依 り
二、支 那 時 局 の推移 に鑑 み、 軍 令 部 一課 長審 判 官 行 き の件 保留 中 の
遜 侮 日 の行為 あ りし 旨 電報 に接 す
二、去 る 十月 十 三日 九 江 に於 て保 津 艦 長 に対 し九 江 飛 行場 番兵 の不
十月二十四日
特 記 す べ き事 項 な し
十 月 二十 三 日
に し て中央 政 府 の責 任 を問 ふ 必要 あ りと 認 む
飛 行場 に 入場 を 許 可 せざ り し件 は 断 乎 と し て許 す べ から ざ る も の
(3F 機密 六 一八 番 電 )
処 、本 月 一五 〇 〇東 京 発 扶 桑 乗 艦 の途 に就 く ︹ 金澤正夫︺ 三 、軍 令 部 二課 長 以 下 中央 審 判 官 比 叡 に乗 艦 十月十九 日 一、颱 風 の為 第 三期 対 抗演 習 一日繰 下 げ ら れ同 時 に陛 下 の御発 輦 一 日繰 下げ ら る ︹ 許世英︺ 二 、特 情 に依 れ ば 駐 日支 那 大 使 は 南 京 外交 部 に日 本 は出 兵 の意 図 な
十 月 二十 日
き を情 報 す
以北 に 限 り 一般 防共 に関 し ては協 定 す る こと な き を前 提 と し て話 し
外 務 川 越 電 に依 れば 右 の訪 問 は北 支 防 共 に関 し ては山 海 關 包頭 線
一、 駐 日 支那 大 使 有 田 外 相訪 問 、我 意 向 を 探 る
談 に 於 ては防 共 及 北 支 問 題 を議 題 と し て論 議 せ る も 、何 等 の歩 み 寄
一、午 前 中原 南 京 武 官 電午 後 川越 大 使 電 受 領昨 十 九 日川 越 張 羣 の会
り な く 一向 に進 展 せ ず
外 務 、 海 軍側 と懇 談 、 出 先 の実 情 を披 露 す る 処 あ り海 軍 側 よ り海
込 み我 意 を探 ら んと せ るも のな り ︹ 彌吉郎︺ 二、 須 磨 南京 総 領 事 着 京
十 月 二十 一日
二、 総 長 、 次長 、 一部 長 東 京 発 比叡 に乗 艦 す
一、 本 日午 後 川 越 張 羣 会 談 す
三、 中 原 大 佐右 会 談 終 つ て軍 令部 首 脳 部 に報 告 の為 神 戸 に向 け 東京
軍 の所 信 を披 瀝 す
十 月 二十 二 日
十 月 二十 五 日
一、 来 る十 一月 一日 予定 の補 充交 代 は航 空 関 係 者 及 第 三艦 隊 を 除 く
覚
二、 神 戸 に於 て補 充 交 代 其 の他 に 関 し協 議 した る事 項 別 紙 の通
一、 中 原 大 佐神 戸着 比 叡 に於 て総 長 以下 軍 令 部 首 脳 部 に報 告 す
発
二、 新 聞 紙 は漸 く支 那 側 の硬 化 を報 道 す
昨 二十 日午 後 三時 川 越 張 羣 会談 した る所 、 防 共 問 題 に終 始 し 何 等
一、 午 前 中原 武 官 電 、 川 越 大 使 電接 受
得 る処 な く 近 日 中再 び会 談 す る こと に申 合 す 右 会 談 中張 は 一般 防 共 に付 ては協 定 の形 式 を 執 らず 事 実 上情 報 を
外 予 定 通 実施 す
(昭和 十 一年 十 月 二十 五 日於 神戸 省 部 協 議 済 )
の上 返答 す べ しと 約 し 尚 北 支防 共 に付 て は委 員 会 に て協 定 す べき 大
交 換 す る程度 な らば 出 来 る べし と て容 易 に納 得 せず 兎 に角 蒋 に相 談
綱 丈 に ても 予 め承 知 し 度 旨 申 入 れ 川越 大 使 次 回 に返 答 を約 す
二 、海 軍 軍 人 の休 暇 は 十 二 月 一日以 後 行 ふ こと と す 三 、艦 船 修 理 は航 空 母艦 (鳳 翔 を 除 く) 以 外 は 予定 通 実施 す
二 十七 日
南 京 交渉 の状 況
︹ 磯谷廉介︺ 陸 軍 軍 務 局長 昼食 に招 待
(三省 事 務会 談 の運 に至 らず )
離京
本 交 渉 は幾 多 の困難 あ り
一
北 に落付 か ざ る を得 ざ る べし
( 終)
一般 防 共 は 困難 な り
十月 二十 六 日 一、 中 原 大 佐 帰 庁 、 中原 大 佐 の語 る処 に依 れば 昨 日 の話 合 に ては、
北 支問 題 に関 し ては 経済 合 作 を 考 慮 し 必 要 の都 度 南 京 政 府 よ
北 支防 共 に関 す る地 域 冀察 綏 三省 に関 し ては山 海 關 包 頭 線 以
補 充 交 代 、艦 隊 行 動 等 に 関 し首 脳 部 の意 見 未 だ確 定 せず ︹ 長谷川清︺ 二 、海 軍 次 官 須 磨 総 領事 を水 交 社 に て昼 餐 に招 待 す
ロ
海 軍案 に付 海 軍 の フ ラ ンク な る意 見 を 聴 き 且 外 務側 の之 に同
困 難 な る 交渉 状況 を 中 央 に 明確 に認 識 せ し め た る こと
唯 須 磨 総 領事 の得 た る点 は
四 相 会 議 に依 る従 前 通 の訓令 に て押 せと 云 ふ結 論 に な る
離 京 に際 し何 等 新 訓 令 に接 せず
り訓 令 を 出 す のが関 の山 なら ん
イ
三 、 軍務 一課 長 よ り の電 話 に依 れ ば神 戸 に於 け る省 部 協 議 の結 果 に
ハ
補 充交 代 は予 定 通 但 し 3F及 航 空 隊 関 係 は 止 む を得 ざ る最 小 限度
修 理 は 予定 通 但 し 加賀 龍驤 を除 く (鳳 翔 は 行 ふ こと ) 三
二
依 る補 充交 代 艦 隊 行 動 等 に 関す る処 理 方 針 左 の通 一
二
艦 隊 の休 暇 は十 一月 中 行 へず 十 二月 以 後 に行 ふ
に止む
三
イ ロ
十 月 二十 七 日 一、 中 原南 京 武 官 電 に依 れ ば川 越 大 使 は昨 二十 六 日午 後 四時 より約
︹ 桑島主計︺ ︹ 上村伸 一︺ ︹一郎︺ 陸 軍 と の会 談後 東 亜 局 長 、 東亜 一課 長 、 太 田を 加 へ四 人 に て協 議
る も の の如 し
な るも 恐 ら く陸 軍 は面 倒 な れば 止 め て終 へと 云 ふ腹 な る如 く 観 測 せ
二十 七 日陸 軍 と の会 談 に於 て は如 何 な る印象 を受 け た る や不 明
意 な る点 を 明 に し今 後 折 衝 上 の最 後 線 を胸 算 に置 き得 た る こと 四
二時 間 張 羣 と第 六次 会 談 を 行 ふ共 同 防 共 及 一般 赤 化防 止問 題 に関 し
十 月 二 十 八 日︱ 三 十 一日
討 議 せ る も未 だ前 回 程 度 以 上進 展 を見 るに 至 らず
一、 特 記す べ き変 化 な し 二 、 須磨 総 領 事 上 京 中 得 た る事 項 左 の通
外務 側 のみ に て研 究
海 軍 側 と会 談
録 と し て而 も之 に調 印 す る形 式 をと る
定 困 難 と な れば 公 文 交 換 の形 式 をと り更 に 万 已 む を得 ざ れ ば 議 事
極 力纏 め る こと に努 力 す る唯 防 共 問 題 及 北 支 問題 に 関 し ては協
二十 四 日
海 軍 次官 昼 食 に招 待
の結 果
二十 五 日
( 註 ) 上 京 中 の行 動
二十六日
須磨 総 領 事 の帰 京 報 告 に伴 ふ陸 軍 側 の態 度 等 に依 り十 一月 中 には
ては交 渉 妥 結 後 尚 先 方 の誠 意 実行 を見 る迄 は従 来 の態 度 を余 り に緩
外 交 交渉 に ょ る解 決 を 見 る こと困 難 の状 況 に立 至 り た る も海 軍 と し
こと に決 定 せ る由 な り 三 、磯 谷 軍 務 局 長 は交 渉 面 倒 なれ ば 交 渉 は 一先 づ打 切 り、 日 本 は独
和 す る は 不適 当 と認 め ら る る のみ な らず 他 方 近 く 艦 隊航 空 隊 の編 制
自 の立 場 に て是 と信 ず る こと を や れ ば 良 ろ し と の旨 、 駐 日 支那 陸 軍 武 官 に語 れ る由 (特情 に依 る)
る こと と す
替 士 官 以 下 の大 異 動 等 も あ るを 以 て 以上 を考 慮 し 左 記 に拠 り処 理 す
日
一
川
内
神
通 は十 一月 二十 日頃 ﹁龍 田﹂ 現 地 着 の上交 代 帰
十 一月下 旬 帰 還 せ し む
第 八 戦 隊
二、 第 三艦 隊兵 力
別 紙 最 後線 を 以 て速 に妥 結 す る 如 く折 衝 促 進 の こと と す
一、 外 交 交 渉
記
十 一月 一日︱ 八 日
時 局 処理 に関 し 別 紙 の通 決 定
一、 二 一
第 十 一航 空 隊 攻 撃 機隊 木 更 津 戦 闘 機 隊 鹿 屋移 動 の件 次 長 よ り 予
日
二 報す 二、 三 須 磨 高 宗武 会 談特 に進 展 を 見ず 日
イ
三、 五
還 (龍 田 は当 分 の間第 三艦 隊 に増 勢)
第 二十 六 駆 逐隊 を支 那 沿 岸 ( 主 と し て長 江 方 面 ) に派 遣 せし め
ら れ之 と 交 代 し て第 三駆 逐 隊 を 内 地 に帰 還 せし め ら る る件 次長 よ り
イ
川内、神通帰還 の場合第 五水雷戦隊旗艦夕張を中支に配
長良 は十 一月末に帰還情況之 を要すれば多摩 を代艦として派
一
註
遣
ロ
日
福 留 一課 長 中 央 の意 向 を伝 ふ る為 上海 に向 け東 京 発
予報 す 二 四、六
備するを可 とす
第三駆逐隊
干期間を意味す
﹁当分 の間﹂は交渉妥結後尚支那側 の誠意実行 を見可き若
ロ
十 月十 二 日以 後 に 於 け る対 支 時 局 関係 警 備 兵 力 の行 動 等 に 関 し
三
第 二十二駆逐隊
(第二十六駆逐隊 は当分 の間第 三艦隊 に増勢)
十 一月十日頃第 二十六駆 逐隊現 地着 の上交代帰還
二
一
省 部
第 十 一航 空 隊 攻撃 機隊 木 更 津 戦 闘 機隊 鹿 屋 移 動 の件 御 允裁 の上
総 長 上聞 書 を 奉 呈 す 二 伝達 す
時 局 処 理 に関す る件 覚
(一一、 一 一、 二) 海 軍 軍 令
馬公警備隊を南 支に五水戦 の 一隊を中支に配備す るを可とす
十二月十 日頃帰還情 況之 を要す れば第二十三駆逐隊派遣 註 埼
第 十 一航空隊
十 一月十 日頃第三艦隊附属 を解く
四 洲 五 十 一月六日附帰還十 一月十 六日解隊 但 し臺北 の基地施 設は当分其 の儘となし爆弾燃料等 は馬公要港部 十 一月十六日航空隊編制替後第十 一第十 二第十三航空隊 の
に保管 せしむ 尚イ 派遣準備をなし置 き急派 に応じ得 る如くす 濟州島 の飛行基 地整備 を続行し之を完成 し置くも のとす 上海海軍特別陸戦隊
ロ 六
当分 の間現状 の儘 とす (但し所要 に応 じ急速 に内地より陸戦隊派 遣 の準 備をなし置く ものとす) 3F の上特陸増員上申 に関しては実情調査 の上追 て之 を定む る こととす ︹ 三予︺ 磨
士官以下 の異動及下士官兵 の補充交代 は之 を最小限度 に止む又
十二月 一日頃 ﹁天龍﹂と交代 帰還
球
註 七 八
下士官兵 の服役 を事件 解決迄 延期す
二
一
艦隊 の修理 は予定通之 を行 ふ
乗員 の休暇は四十八時間 ﹁ノーテ ス﹂ に て規定通実施 す
乗員 の異動補充交代 は予定通之を実施 す
三、聯 合 艦 隊
三
但 し加賀龍驤は受命後 五日以内 に行動 を起 し得 る条件 の下に修理 を行 ふものとす
(終)
以上 に関連 し第 三艦隊 と連絡 の為速 に福留軍令部第 一課長 を現地
四、第 三艦隊と の連絡 に派遣す
(十月十六日海陸外三省主務者会議 の結果修正)
◎ 対支要求 の最 後線 の件
支那北 辺 (冀、察 、綏 三省) に対する共同防共 の主義を承認 せし
一、防 共 問 題
む而 て更 に日支間に共同防共委員会を設置 し実行方法及地域等 に付 研究 のこととす
冀察 の現状を黙 認せしむ
二、北支 五省問題 一
他 の三省に対しては経済合作を承認せしむ
(但 し陸軍に対 しては出先をし て中央 の統制を離れたる工作 を
二
しむ)
絶対的 に止めしめ専 ら第 二次北支処理要綱 の示す処に拠 り処理 せ
三、航空連絡 (福岡上海間)問題
即時調印実行期を 三ケ月以内とす 四、関税 低下問 題
即時調印実行期を 二ケ月後 とす 五、事件 自体 の解決
南 京 政 府 と 交 渉す る を建 前 と す
打 開 は前 途 尚 相 当 の時 日を 要 し現 状 に於 て は右 の無 理 を 忍 び て ま で
為 に は幾 多 の無 理 を忍 ば ざ る べ から ざ る実 情 に在 り 一方 日支 時 局 の
奏上
但 し 上海 事 件 に 限 り具 体的 条 項 は現 地 解 決 と し差 支 なし
允裁方
同 隊 を 前進 せ し め置 く必 要 な き に 至 り ま した も のと 認 め ら れ ます る
ので差 当 り同 隊 を 内 地 に移 動 せ し め ら る る こと に仰
猶 支 那 側 五項 目 は交 換条 件 と は せず 紳 士 協約 と なす
致 す 次 第 で御 座 りま す 尚 情 勢 変 化 な け れ ば同 隊 は 十 一月 十 六 日解 除
右 以 外 の在 支警 備 兵 力 に関 し ま し て は現 下 の情勢 に於 て急 速 な る
の こと に 別 に 手続 致 す 考 で御 座 り ま す
関 係 に も鑑 み第 三艦 隊 に増 勢 中 の在 支 陸 戦 隊兵 力 は当 分 現 状 通 と し
( 終)
(実 際 問 題 と し て密 輸 、北 支自 由 飛 行 は 自発 的 に考 慮 を 約 束 し 然 る可 し ) 以 上成 る可 く 速 に妥 結 せ し む る の方針 を執 る も のと す
一〇︱ 三 一外 務 省 より 陸 軍 に於 て は凡 て dr op し 本件 自 体 の
本 件 外 務 、陸 軍 上司 に於 て同意 な り と (一〇 ︱ 二 二)
変更 は之 を避 け るを 必 要 と 致 しま す る 一方 明 年度 艦船 役 務 の準 備 の
一
( 註)
二
博
恭
王
上奏 致 す 所 存 で御
第 八戦 隊第 三駆 逐 隊 及 第 二十 二駆 逐 隊 は適 当 な る艦 船 を派 遣 の上 交
軍 令 部総 長
第 二十 六駆 逐 隊 支 那 沿 岸 派遣 並 に第 三駆 逐 隊 内 地帰 還 の
件 御 允 裁 を仰 ぎ前 者 の件 即 日伝 達 す
一、 九 日
十 一月 九 日︱ 十 八 日
昭和 十 一年 十 一月 六 日
座 り ます (一〇 ︱ 三 一)
代 せ し む る こと と 致 度腹 案 に て其 の場 合 は 別 に
書
解 決 のみ 行 ふ こと を外 務 省 に申 入 る る旨 情 報 あ りた る に付 海 軍 は
聞
之 に絶 対反 対 の旨 外 務 省 に申 入 る
上
十 月十 二 日以 後 に 於 け る対 支 時 局 関 係 整 備兵 力 の行 動 等 に 関 し 一、曩 に 上聞 に達 し ま し た る 十 月十 二 日当 時 の情 勢 に於 きま し て は
川 越 張会 談
第 十 一航 空 隊移 動 開 始 二、 十 日
従 前 通 の在 支 兵 力 を 以 て依 然 警 備 に任 じ つ つ特 別大 演 習 を予 定 通 実 施 の こと と せ ら れ其 の後 同 演 習 は順 調 に終 了 せ ら れた の で御 座 り ま
郵 船笠 置 丸 船 員 上 海 に 於 て射 殺 さ る
第 十 一航 空 隊 移 動終 了
本 移 動 中戦 闘 機故 障 状 況 左 の通
四、 十 二日
須 磨 高 宗 武会 談
三、 十 一日
で御 座 りま す
す る が其 の間 対 支 局 面 に特 記 す べき 変 動 な く今 日 に及 びま し た 次第
二、 対 支 時 局 関係 警 備 兵 力 中 臺 灣 方 面 派遣 の第 十 一航 空 隊 に 関 し ま し ては 臺 灣 に 於 け る諸 般 の事 情 に依 り 同隊 を同 方 面 に存 置 せ し む る
鹿 屋高浜海岸不時着
小禄 より分解輸送
石垣島 不時着破損
行 方 不明
一機
一機
一機
一機
二機
る べ しと の軍 令 部 方針 決定
四、 二十 七 日
三、 二十 三 日
日支 交 渉 其 の後 の状 況 よ り見 て交 渉 打 切 り の こと 然
川越 張 会 談
十
日
青 島 の情 勢 愈 々悪 化 せん と す る 一方長 良 (十 二年 二 予 )球 磨 (十
五、 三
の情 勢 漸 次 悪化 せ る に鑑 み予 報 せ ざ る こと に変 更 す
本 日、 長 良 月 末 内 地 帰還 のこと に 予報 す る 予定 な り し 処 青島 方面
申 入る
のにし て、 一切 白紙 に し て打 切 然 るべ し と の方 針 に決 定 、 軍務 局 に
書 (一方 的 のも の) を支 那 側 に交 附 せ んと す るも 、 何 等意 味 な き も
川 越 大 使 請 訓 案 に 依 れば 打 切 りと す る も 、 そ の際 、 交 渉 経過 の覚
鬼界島 不時着 五、十三日 第 三駆逐隊内地帰還 の件伝達 須磨高宗武会談 第十 一航空隊解隊
六、十六日 第八戦隊 (長良欠)内 地帰還 の件予報 七、十八日 第八戦隊 (長良欠)内 地帰還 の件御允裁 を仰ぐ
二年 三予 ) を 内 地 に帰 還 せ しめ ざ るべ か らざ る状 況 な る を 以 て舞 鶴
加賀、龍驤 工事制限 の件解除す 川越高宗武会談
警 備 艦 多 摩 を青 島 方 面 に派 遣 同艦 現 地着 の上長 良 、 球磨 を帰 還 せし
一
b
a
球 磨 多 摩 現 地 着 迄 残 留警 備 に関 し 3F 長 官 の指揮 を受 く る件
多 摩 支 那 沿 岸 派遣 、警 備 に関 し3F 長 官 の指 揮 を受 く る件
多 摩 二 十 四時 間 待 機 の件 申進
球 磨 、 長 良 内 地帰 還 (多 摩 現 地 着 後 ) の件
二、二十 一日 川越大使請訓 に接し纏め得る範囲 にて纏め、纏 め得
決定す
力 を続 く る も止 む を 得 ざ れば 出 先 の判 断 に て打 切 り 可然 と の方 針 を
日 支交 渉 に関 す る 三 省事 務 当 局 協 議 の結 果 、極 力 纏 め る こと に 努
多摩 派遣 球 磨 残 留 の件 伝達 す
六 、 十 二月 一日
御 允裁 を仰 ぐ
c
二
む る方 針 に決 定 、左 の通 処 理 す
第十 一航空隊司令報告 (総長室) 十 一月十 九日︱十 二月五日 一、 二十日 須磨高宗武会談 川内、神通 明十二年度艦 隊役務 の関係上内地帰 還 のこと に伝達せ らる 長良は明十 二年度第 二予備 となる関係上、特に急ぎ帰還 の必要な きを以て引続き月末迄 警備 に任ず ることとす 二十日迄 に天龍、龍田支那沿岸着、本日附を以て両艦とも第 十戦
ざる点 (北支問題、防共問題) は将来交渉 を続 くる形式を執る こと
隊 に編 入せらる
に軍令部方針決定軍務 に申入る
七、二
日
多摩舞鶴発 (四日青島着 の予定) 青島 の情勢益 々悪 化、暴動化せんとする情勢と なれ るを以て午後 五時邦 人紡績 工場 一斉に閉鎖す 日
本早朝青島先任 指揮官天龍艦長 は青島 の情勢 に備 へ機先を制 して
八、三
しむ
暴 動化を未然 に防止する意 図を以 て七六二名 の聯合陸戦隊を揚陸 せ
尚航 空 部 隊 の準 備 竝 に 特陸 (各 鎮 に 一大 、 内 横 呉 特 陸 二 八 砲 隊
(山 砲 四 、曲 射 歩 兵 砲 四 ) を加 ふ る こと ) の準 備 に 関 し 、次 官 次 長 連 名 に て申 進 す
金 澤 第 二課 長 、 青 島 問 題 に関 し 中央 出 先 と 連 絡 の為 出 京 ( 大連経
聞
書
由 十 日 早朝 青 島 着 の予 定 )
上
青島 に 於 け る警 備 兵 力 の行 動 に 関 し
一、 曩 に 上海 方面 の邦 人 紡 績会 社 に於 け る労 働 争 議 は 十 一月 中 旬 以
来 青 島 に 飛 火 す る に至 り 二三 の紡 績 会 社 に於 て紛 争 を続 け て参 りま
当時在泊艦船左 の通
し た が 漸 次 不穏 化 せ んと す る情 勢 が御 座 りま し た 故第 三艦 隊 に於 き
葵
天 龍 、龍 田、 長 良 、球 磨
球 磨 、 長良 、 第 二十 二駆 逐 隊及 旅 順 要 港 部 よ り 派 遣 せ ら れた る第 十
ま し ては警 備 上万 全 を 期 し 逐 次兵 力 を 青 島 に 集 中 し 現 に天 龍 、 龍 田 、
日 支 交渉 は外 務 出 先案 の如 く打 切 りと な る (口述 覚 写 支 那側 に交
青 島 に於 け る警 備 兵力 の行 動 に関 し 文 書 上奏 す (総 長 よ り)
て舞鶴 要港 部 警 備 艦 多 摩 を 同 地 に増 派 せ ら る る こと に既 に手 続 致 し
ま し て同艦 は昨 二 日舞鶴 発 明 四 日青 島 着 の予 定 で御座 り ます る 一方
多摩青島着
が其 の効 果 なく 昨 二日 に至 り各 紡 績 工場 は 遂 に 一斉 に休 業 閉 鎖 致 し
二 、青 島 に於 ては 支 那側 当 局 も極 力 事 態 鎮 静 に努 力 し て参 りま し た
第 三艦 隊旗 艦 出 雲 は 三日 上海 発 青 島 に 回 航 中 で御座 り ます
球 磨 長 良 は 多摩 着 後 内 地 帰 還 の こと に伝 達 予 定 な り し処 青 島 の情
ま した 為 形 勢 益 悪 化 し或 は暴 動 化 せ ん と す る虞 あ る に至 りま し た故
日
勢 (我 陸 戦 隊 揚陸 後 の情 勢 は多 少 流言 蜚 語 あ るも 平穏 ) に即 応 せし
日
現 地 の先 任 指 揮官 天 龍艦 長 は機 先 を 制 し て今 早 朝 七百 六十余 名 よ り
一〇 、 五
支 那 の情 勢殊 に青 島 問 題 自 体 並 に之 が全 支 に 波 及す る こと あ るべ き場 合 に 備 へん が為 神 威 四 十 八時 間 待 機 方 申 進 す
三、 今 後 の警 備 方針 に関 しま し て は従来 通 我武 威 の顕 示 に依 り極 力
居 り ます
成 る聯 合 陸 戦 隊 を揚 陸 し て在 留 帝 国 臣 民 の生命 財 産 の保 護 に 任 じ て
め るた め帰 還 の伝達 を暫 く見 合 す こと と な る
九、四
予 想通 支 那 側 より の主 権 侵 害 に関 す る抗 議 あ り
附 の件 は海 軍 側 の意 志 に 反 し、 之 を 実行 せ り)
四 駆 逐 隊 の葵 が同 地 に警 泊 中 で御 座 りま す 尚 球磨 及長 良 の交 代 と し
書 類 押 収 の処 置 に出 でた り
陸 戦 隊 は邦 人 紡 績 工場 の警 衛 に当 れ る外 、党 部 機 関 数 個所 の検 索 、
22dg
支 那側 当 局 を鞭 撻 し て以 て事 態 を収 拾 す る を第 一と し 已む を 得 ず執
三、右 の確報を得 て全支 に於ける動乱 に備 へ警備兵力 を強化す べく
博
恭
王
書
︹註 16 ︺
奏上致します
を来す虞 れが御座 ります ので必要 に応 じ速 に在支警備兵力 の増勢強
一、今 次 の西安兵変 の結果我在 支権益及在留邦人 の生命財産 に不安
謹み て対支警備兵力 の行動待機等 に関し
上 聞
青島陸戦隊全部撤収 (二十三日)及支那 一般状勢に付文書上奏
十 二月二十 四日
対支警 備兵力 の行動待機等 に関し総長奏上す (別紙参照)
球磨長良 の陸戦隊撤収 の件報告 に接 し両艦内地帰還 の件伝達す
十 二月十 六日
予定通球磨長良 の陸戦 隊撤収す
十 二月十五 日
青島 に於 ける邦人 工場 一斉 に開 工、情勢依然平穏 なり
項なし
西安兵変 に関す る情報多数 あるも、蒋 の生死不明特 に処置 せる事
十 二月十 四日
四、本事件処 理方針別紙 の通 (第 一部甲部員綴)
木 曾常磐
兵力待機 発令
左 の通処置す
︹枕鴻烈︺
四十八時間待機
る こと あ る べき 自 衛 手 段 も極 力 必要 な る最 小 限度 に 止 めん と す る 方 針 を 既 に出 先 に示 し て居 り ま し て 目下 の処 支 那 側 正規 兵 の移 動 等 も 無 く 事態 大 な る変 化 は 御 座 り ま せ ぬ が尚 逆 賭 し 難 き支 那 側 の態 度 等
軍 令 部 総長
に稽 へ又之 が各 地 に波及 す る こと あ る べき に 対 し警 戒 を 厳 に致 し て 居 り ます 昭和 十 一年 十 二昭 三 日
十 二月 六 日 ︱十 二月 十 三 日 ︹清 ︺
五日3F長官青島着直接青島問題 の処 理に当 り着 々解決 の運びに向 ひ其 の間長谷川新 長官長崎 より第 二十 二駆逐隊駆逐艦便に て八日青 島着新旧長官交代 を了す 其 の後十 四日早朝より 一斉開 工の見透 付き3F長官 は十 一日青島発 ︹ 春彦︺
十 三日上海着 西 総 領 事 沈市 長 間 の外 交 々渉 に関 し て は紡 績 工場 再 開 に 関す る事 項 と 、 外 部 に発 表 せざ る両 者 間 の了解 事 項 に 二分 し 概 ね我 方 要 求 通 沈 の容 る ると ころ と な る (西 二八 七 号 二八九 号 二九 〇 号 二九 一号参 照 )
化を図り得る如 く差 し当 り神威 ( 第 十二戦隊所属)木曾 ( 横須賀警
及第 二十三駆逐 隊 (佐世保警備駆逐隊) に四十八時間待機 を命じ て
一 一、 一 二 、 一三
一、 新聞 報 に依 り首 題 の事 件 を知 る
御座 ります
備艦)常磐 (佐世保所属第 一予備)第 十 一駆逐隊 (呉警備駆逐隊)
二 、南 京 武 官 電 一二五 五接 受 、新 聞 報 を 確認 す
︹ 註15︺ 張 學 良 ク ーデ ー タ ー事 件 経 過 概要
11dg 23dg
十 二月 十 八 、 十 九 、 二十 日
其 の後 青 島 方 面 異 状 な く平 穏 な り
尚陸戦隊及航空兵力派遣 の場合に応 じ得 る如 く前者 は各鎮守府 に 於 て五百名より成 る特別陸戦隊各 一個大隊計三箇大隊後 者は館山、
西 安 兵 変 に関 し ては既 に 一週 間 を経 過 し、 蒋 の生 死 に関 し情 報 区
上
聞
書
幟鮮明なるものなし
な り 、 尚學 良 と協 同 し て反 国 民政 府 の挙 に出 でん と す る も の未 だ 旗
廣 西 側 が抗 日通 電 を発 せ るも 、學 良 と 何 の程 度 の諒 解 あ り や 不明
静なり
国 民 政府 の宣伝 工作 宜 しき を 得 た る も のか、 支 那 財界 は意 外 に平
区 に し て確 定 的 のも のな し
木更津等 の各航空隊 に於 て所要 の機種機数 に付必要 の準 備を進 めて 御座 ります ので第 三艦隊司令長官は現 地 の指揮を首席指揮官 天龍艦長 に委し去
二、青島事件其 の後 の情況は着 々解決 の運びに向ひ つつ御座 ります る十 一日旗艦出雲を率 ゐ青島発十 三日上海に到着 致しま した 其 の後十四日朝邦 人紡績 工場 は 一斉に就業す るに至 り情勢大に緩 和致しました ので先づ十 五日球磨、長良 の陸戦隊 を撤収、両艦は右 撤収 の上内地に向け青島を引揚げました 明 日現地指揮官 は多摩、第 二十 二駆逐隊及葵 の陸戦隊を撤収す る
在 支 警 備 兵 力 の行 動 に関 し
一、 十 二昭 三 日青島 に揚 陸 致 しま した 第 三 艦隊 陸 戦 隊 は其 の後 同 地
予定 で御座ります るが第 二十 二駆逐隊は十二年度第 二航空戦隊所属 の関係上各種 準備 の為出来得 る限速に内地に帰還 せしむ る必要 が御
に於 け る邦 人 紡 績 工場 も 十 四 日 よ り 一斉 に 操業 を開 始 し事 態 漸 次緩
其 の間 支 那 側 不逞 分 子 の多 く は 青 島 特 別市 外 に追 放 せ ら れ治 安 亦 良
和 す る に至 り ま し た故 十 五 目以 来 逐 次 に兵 力 の撤 収 を 行 ひま し た が
好 に維 持 せ ら れま し て最 近 の情 勢 に 於 て は最 早 邦 人 の生 命財 産 に危
座ります ので同隊 は明 日陸戦隊撤収 次第内 地に帰還方茲に奏請致す 以上に依 り目下支那沿岸 に臨時派遣 の上警備に関し第 三艦隊司令
険 を 感 ぜ ざ る に至 りま し た 故 昨 二十 三 日最 後 の撤 収 を 行 ひ茲 に陸 戦
次第 で御座 ります 長官 の指揮を受けしめられ て居ります る艦船部隊は多摩 ( 舞鶴警備
す
以 上 に依 り現 在 青 島 在 泊艦 は天 龍 、 龍 田 及多 摩 の三艦 で御 座 りま
十 四 駆 逐隊 の葵 は十 七 日青島 発旅 順 に帰 港 致 し ま した
青 島 発 内 地 に帰 還 致 し又 旅 順 要港 部 よ り派 遣 せ ら れ て居 りま し た 第
此 の間 巡洋 艦 球 磨 、 長 良 は 十 六 日 、第 二十 二駆 逐 隊 は 十八 日夫 々
現下支那 の情勢に鑑 み当分引続 き支那沿岸警備 に任 ぜし め之 が内地
王
艦)及第 二十 六駆逐隊 ( 鎮海警備駆逐隊) で御座 ります るが是等は
博
恭
隊 全 部 の撤 退 を終 りま し た
軍 令部総長
帰還 に関し ては更め て奏請致す所存 で御座ります 昭和十 一年 十二昭十六日 十二月十 七日 金澤課長帰庁 、青島 の情勢に関し報告 あり (別紙参照)
二、 西 安 兵 変 の突 発 に伴 ひ第 三艦 隊 に於 きま し ては特 に警 戒 を 厳 に す ると 共 に 十 二 月 十七 日漢 口特 別陸 戦 隊 を増 勢 致 し ま し た従 て現 在 在 支 特 別陸 戦 隊 の員 数 は上 海 に約 二、 四 〇 〇 名 漢 口 に約 三〇 〇 名 駐 屯 致 し て居 り ます 三 、 支 那 の情 勢 に応 ず る為 の内 地待 機 兵 力 に関 し ま し て は十 二昭十
博
澤
正
恭
夫)
王
六 日奏 上 致 し まし た 通 で御座 りま し て其 の後変 動 御 座 りま せ ぬ 昭和 十 一年 十 二昭 二十 四日 軍令 部 総 長
青 島事 件 処理 及 現 地 視察 報 告 ( 金
○
球 磨 は 其 の間 に処 し 警 備 諸 方策 の研 究 を 尽 し 、総 領 事 館 警 察
十 一昭 十七 日 以来 の紡績 工場 罷 業 、 怠 業 竝 に其 の計 画 が組 織
と相 協 力 し て何 時 に ても 事 に応 ず る準 備 を 為 せ り 〇
的 に し て単 な る労 資争 議 のみ な らず 、 多 分 に政 治的 意 味 を 含 み殊
に 市政 府 当 局 よ り其 の主謀 者 を出 し た るに依 り前 記 の信 念 は益 堅
沈 鴻 烈 は優 柔 不断 其 の統 制 力 な く 、 外面 我 に よき も 内 心 は決
くなれり ○
し て同 じ から ず 将 来青 島 の明 朗 化 の為 に は彼 を追 ひ出 す を要 す、
支 那 側 要求 の現 地案
以上 の思 想 に基 く現 地外 海陸 の合 作 、陸 軍 武 官 の意 見 重 きを 為
△
今 回 事 件 の責任 重 大 に付 絶 好 の機 会 な り
す
沈 の謝 罪 ︱︱ 追 ひ出 し 策
動
党部 の解 消 ︱ ︱前 記 目 的 の達 成 及 陸 戦 隊揚 陸 の合 理化
行
△
◎ △
△
十 二 昭 五 日3F 長 谷 川 長官 と 同 車 発 、 車 中 、 小官 使 命 を 伝 へ長
官 全 然同 意 便 船 の都 合 に て大連 経 由 、 十 日朝 青 島着 、長 官 は途 中駆 逐艦
り 此 の際
3F □ 来 青 (六 日)す る や 3F 司 令 部 と し ては 現 地 の思 想 と異 な
︹ 第 三艦隊司令長官︺
△
△
結 局陸 戦 隊 の威 力 下 に 一挙 解 決 を期 せ ん と す
事件処理経過
便 に変 更 八 日着 青 ◎
事 件 処 理 に 関 し 3F幕 僚 と 現 地 陸 海 外 と の論 争
交 代 を 上海 に於 て行 は ん とす る こと も 手 伝 ひ居 りし や に認 め ら る
急 速 解 決 、陸 戦 隊 の速 な る撤 退 を急 が る ︱︱ 公 平 な る処長 官
○
○
○
此 の趨 勢 は支 那 側 に反 映 し 七 日 、 八 日交 渉 ﹁デ ッド ロ ック﹂
△
逞 分 子 の反 日工作 着 々進 み加 ふ る に支 那 当 局 の取 締 誠意 の認 む べ
八 日午 後 長 谷 川長 官 着 任 後 小 官携 行 の方 針 に て進 ま る
陸 戦 隊 上 陸迄 の現 地実 況 ︹ 註17︺ 今 春 の茂 益丸 、税 関 事 件 当 時 以後 支 那 側 党 部 、 国術 館 、及 不
き も のな く 斯 の如 く せば 支 那 一般 の排 日抗 日気 運 と 相俟 て特 殊 地
▲
○
右 に依 り処 理方 針 確 立 、 交 渉 常道 に 入 る
一方 外 務 省 よ り も処 理 訓 電 来 る
帯 た る青 島 に 一大 脅 威 を 誘 致 す る虞 あ り中 南 支 は 別 と し青 島 は彼 の為 す が 儘 に 放任 す る能 はず 、 要 す れば 現 地 県 障 占領 等 避 く べ か ︹ママ︺
らず と の外 、 海、 陸 の信 念 と も 云 ふ べ き堅 き 決 心 な り き
従来強硬に支那側 に要求せし要求を相当緩和 せる為支那側 も乗 △
十 四 日各 紡 績 工場 一斉 開 業 ( 十 四日 開 場 は主 と し て不 逞 分 子 の
○
不逞 の徒 は多 く遁 亡 又 は逐 放 に会 ひ且 我 今 次 の威 力 に おそ れ 、
工人 出 勤 率 、 操 業率 平 均 8 0%
支 那 側 と 密 接 な る連 絡 の下 に取 締 り に 当 り何 等 事 故 なし
追 ひ出 し善 良 工人 の復 帰 の為 に暇 取 れり )
争 議 関 係 ︱︱ 公文 書 ( 往 復) ○
り来 る ○
政事事項を了解事項とす (不公表)
○
現 地 の実 情 以 上 の如 く推 移 し遂 に支 那 側 の取 締 不徹 底 な る為
北 支警 備 指 揮 官 の処 置
今後 治安 は大 に改 善 せ ら る べ し
○
よ り陸 戦 隊 、艦 船 の撤 退 方 針 を 決 し て電 報 す ( 年 内 の撤 退 を 二
十 日夜 遅 く迄 か か り解 決 、 十 四 日 工場 開 場 (工人多 く帰 郷 中 の
○
△ 為)
陸 戦 隊 は目 的 達 成後 成 べく 速 に 一斉 撤 退 を期 した る も急 速 撤
3F □ は十 一日夜 南 下 、 二十 日過 再 び来青 、終 末 処 理 の予 定
○
と と な り し を却 て支 那 側 に 漏洩 を虞 れ 二 日各 社 共 閉場
工 人 に反省 を与 ふ る為 一斉閉 場 を総 領 事 よ り命 じ 三 日 之 を行 ふ こ
△
研 究 なり 即 ち
宛 3F 長 官 ( 長良艦長)
︹ 纏︺
発 3F参 謀 長
十 一月 十 九 日
十 一月 二十 日
先任指揮官宇 垣大佐は十二昭 一日事態容易 ならずとし て陸戦
然 れども揚陸は統帥事項 に属し自己 の判断 に依 り決す るの譏を
隊 の編制及諸準備を行ひ 更 に二日総領事及武官 の要請あり
○
分 連 絡 ヲ ト リ慎 重 ナ ル処 置 ヲ セラ レ度
実 施 ニ際 シ テ ハ申 ス迄 モナ キ事 乍 ラ貴 地総 領 事 及 田尻 武 官 ハ充
球 磨 機 密 第 三 五〇 番電 ノ件 了 承 セ ラ ル
宛球磨艦長
ケ ント シ又 受 ケ タ ル場 合 ニ ハ陸 戦 隊 ヲ揚 陸 シ警 備 ニ任 セ ン ト ス
青 島 ニ於 ケ ル工場 騒乱 ノ為 日 本 人 及其 ノ財 産 ニ著 シ キ毀 害 ヲ受
発 球磨 艦 長
此 の件 は 予 め の研 究 に依 り陸 戦 隊 の揚 陸 已 むを 得 ず と の現 地 の
閉場 せば 二 万 五千 の職 工、 十 万余 の家 族 ま で或 は 爆 発暴 動 化
△
支 那側 は 三 日朝 突 然 の揚 陸 に度 肝 を 抜 かれ 、戦 慄 す (我 方 に 武
︹ 穣︺
不充分乍 ら我威力下に極力 治安維持 に努め
白 沙 河 以北 に移 駐 し た る韓 復榘 軍 も不 進 入 を 連絡 し来 る
支 那 側陸 戦 隊 の如 きも 田 尻 武官 の命 の儘 に進 退 せ し む ○
不 逞 の徒 手 入 の際 の間 違 ひ は 支那 税 関 吏 邸 を お そ ひ 、窓 硝 子
海 軍陸 戦 隊 の分 駐 警 備 、市 中 巡邏 、 軍 紀 厳 正 、邦 人 の尊 敬 と
小 事件 と し て は鮮 人 の密 輸 に端 を発 し税 関 と 格 闘 あ り し も大
(青島 に於 け る密 輸 の 一例 )
事 に 至 らず
○
感 謝 を 受 く 、大 に好 遇 を 受 く
○
を 壊 し た る こと 一件 あ る のみ
○
○
器 を 取 上 げた る噂 あ るも実 は放 棄 遁 走 )
△
す る こと な き を保 せず
◎
陸 戦 隊 の進 退 を交 渉 の為 拘 束 せ ら る る こと なき に 至 る
Separate
退 は 不 安 な る に付 逐 次撤 退 の こと とな る、 情 況 に依 り早 ま る べし
十 日頃 に早 む )
3F
明 に し飽 く迄 慎 重 を期 し た るも 遂 に揚 陸 に決 定 せ
事 態 以 上 の如 く 工場閉 鎖 は暴 動
化 せ ん とす る傾 向 大 な りし を 以 て 機 先 を制 し る次第 な り ︹マ マ ︺
最 近着任し申継を了したる乍 り の天龍艦長 が右 の情勢 にて
従て ◎ ◎
此 に 至 る情 勢 と し て 工場閉 鎖 を飽 く迄 必 要 と せ し や否 や に
揚陸 に決せしも已 むを得ざ る所
︹不明 ︺
総 領 事 の次席 □ □ 領 事 亦 強硬 論 者 、︱︱ 現 地 空 気 は 3F と は大 に
居 留 民 中
異なれり △
紡績は各 社 の利害 一致 せず あ の時 に同時閉鎖 には態度 一決定
︹マ マ ︺
①
結局総領事 より強請し たる形 となれり
せず
事件処理は陸戦隊威力 に依 り有利解決 に付 一同大に感謝 す
︹ママ︺
一般 市 民 中識 者 は稍 時 機 尚 早 な り し なら んと 云 ふも のあ る も
②
現 地 当 事者 は必 要 已 む を得 ざ り し と確 信 し ある も 当
一部 事 を構 へん とす る強 硬 論 者 も処 理迅 速 なり し 為 殆 ん ど論
今次事件 の効果
議 を起 さず 、陸 軍 武 官 も大 に助 力 せ り
③
問題生ず
即 ち現 地 の空 気 に 左 右 せ ら れ し こと 大
経 過 及 海 軍 の処 理迅 速 な り し為 却 て雨 降 て地塊 ると な し あ り
◎
時 前 述 の観 念 に 一致 せ る現 地諸 員 と し ては当 然 の処 置 と為 す も
なり
已 む を得 ざ りし な ら ん
3F 司 令 部 の意 向 は尚 早 な り し為 長 官 より 一言 あ り し模 様 な る
△
揚 陸 し た る 以 上其 の最 善 の効 果 発 揮 の為 処理 せら れ た る処
○
も 以 上 の如 き現 地 空 気 は 茲 に 予 め允 許 を 得 あ り し こと は 入港 後 承
挙げた り
支 那 側 に 及 ぼ せ し影 響 重 大 、 支 那当 局 も禍 根 一掃 に 大 に実 効 を
昭和 七 年 党 部焼 打 以来 の こと
知 した るも の の如 し 陸 戦 隊揚 陸 の判 断 処 置 は 以 上 の如 く研 究 問 題 に は あ る も あげ た
今 後 大 に改 善 を 見 る べ し
る以 上 の処理 、我 武 威 を 発 揮 す る こと に極 め て適 切 に 行 は れ た り
◎
極 め て適 切 な り し も のと し て現 地官 民 一同 大 に敬 意 を表 し感 謝
︹マ マ︺
武 官 は大 に 自 重 し殊 に海 陸 の 一致 には真 剣 に努 力 し あ る も陸
陸 軍 の存 在 を顕 示す る に最 大 の努力 を な し つ つあ り
接 待 費 の裕 福 、 公館 の大 、 人 員 の充 実
△
軍 色 が大 に濃 厚 な り つ つあ り殊 に
△
陸軍特務機関
しあり
◎ 党部及 不逞分子 の手入亦前述 の空気 にて侮日的根本原因を諸事
◎
◎
解消す る既定方針に拠り総領事 に相談せ るに敢て非 認せず、実は総
自然 影 響 を受 けた る こと あ る も のと 認 む
球 磨 内 地帰 還 は 警 備 上 重 大 な る こと に し て当事 者 は之 に捕 は れ
領事館警察及球磨 に於 て事前充分研究を尽 されありたり ◎
︹マ マ ︺
総 領 事 、 武 官 (海陸 ) 共 に強 硬 に て本 国 の こと は 一致 実 行 せ
現 地の諸情況
居 らず と確 言 す るも
◎ △ り
◎
◎ 何事 に て も陸 軍 特 務 機 関 が率 先 スピ ー カと な る 総領 事 及 海 軍 武
新聞 記者 の操 縦
◎ 居留 民 中識 者 は本 春 の事 件 以来 、中 央 国 策 の強 化 を要 望 し つ つ
陸 軍 の使 用 連 絡 者 に 相当 警 戒 を 要 す る も のあ り
官 を代 表 す る観 あ り
◎
○ 余程注意 せざれば陸軍 に引ず らるるに至らん
◎
青 島 武 官 の地位 ︱︱ 海 陸 政 策 の衝突 点
見
①
陸 軍 特 務 機 関 に は 現 に押 され つ つあ る実 情
所
△
の創 設
マ
者
波
長官 球磨 信 艦長 長良艦長
指
電
無線
定
信
通 報 先
丙極
者
発
今 次 事件 も海 軍 現 地 が海 軍 中央 、 3F よ り 一貫 せ る方 針 に て現
此 の点 今 後 警 備 上 重要 視 す るを 要 す △
又は
三
ク
青 島 支 那政 府顧 問 の改 善
発信艦所
六三〇 号
番
一七 五 〇
( 暗号)
発 信 艦 受付時刻 受信時刻 文
着
武 官 を 少将 大 佐級 と す 、 機 関 の拡 張
地 を指 導 し 得 ざ り し に属 す
②
着信 艦所 受信 艦所
信
一九 日 一七 時 四 〇 分
青 島 ニ於 ケ ル工場 騒 動 ノ為 メ日本 人 及 ソノ財 産 ニ著 シキ毀 害 ヲ
球磨 機密 第 三 五〇 番 電
通
十 一昭 一九 日 送信艦所
③
lO S
あり
大に恐縮 し不逞分子 の手入等不平 はあ るべきも現地にては最早
沈鴻烈及市政府要人
今次 の事件迄 の動向にも其 の影響 を見逸す能はず ◎
6 S D
( 終)
受 ケ ント シ又受 ケ タ ル場合 ニ ハ陸 戦 隊 ヲ揚 陸 シ警 備 ニ任 セ ント ス
K.C
◎
然 し 更 に注 意 を要 す)
是根本的
西 総 領 事 陸 軍 は 共 に適 当 な る時 に 交代 を策 す る も の の如 し (よく 海 軍 の主 張 は言 ひ置 け り
西 、 陸 軍 、 田尻 ︱︱ 共 に余 晉 〓 を推 賞 し つ つあり
3F は 中南 支 のイデ オ ロシ ーを北 支 に及 ぼさ ん と す
3F に 対 す る 関東 軍 、 天 津 軍 ︱ 北支 武 官 ︱ の態 度 △
青 島 武力 の不足 を 訴 ふ
何 事 に依 ら ず快 か らず
△
青 島 滄 口 飛行 場 の改 修 拡 張 中
間 違 ひな りと為 し
△
3 F
問題 とし非ず 比 の最 も オ ソ ル ルは追 ひ出 さ る る こと ︹周 家 彦 ︺
◎
沈 の部 下 、 謝 程 元 、 周参 事 共 に 日本 側 に は よ し 即 ち 公 平 に見 て沈及 其 の重 な る
は 日 本 人 に よき 様 (此 の コンビ
◎
◎
専 ら海 軍 と の連 絡依 存 に努 む )
は中 々得 ら れず )思 考 す る も陸 軍 は 嫌 ひ な り (沈 も陸 軍 に は 下 らず
staf
十 一月 二〇 日 送信艦所 着信 番
発信艦所
出
雲
三二八
受信
着 信 者
艦長
球磨
無線
通 報 長良艦長 先 甲極
二十 日 ○ 八 四〇
( 暗 号)
受信時刻 〇九 二〇 文
発 信 艦 受 付時刻 〇 九〇五
信
艦所
号
艦所
通 3F 機 密第 八 七 一番 電
球磨機密第三五〇番電 ノ件了承 セラ ル
3F 参 謀 長
至急信
実 施 ニ際 シテ ハ申 ス迄 モナ キ コト乍 ラ貴 地 総 領 事 及 田尻 武 官 ト
ひ速 に再開 の希望なりし処爾今貴市政府に於 て左記各項を誠実 に履
行せら れ再 び以前 の如 き事態を発生せしめざ る様御措置相成 に於 て
一、 解 雇 せら れ た る 不良 工人 中 罪 重 き も の の処 罰
は近く開 工の運に至 るべき趣 に有之候
二、 右 不良 工人 の青 島 市 外 への追 放
工場 側 より既 に追 放 を 要 求 せ る も の及 今 後 追 放 を要 求 す るも のに
三 、追 放 せら る るも の以外 の被 解 雇 工人 の取締 は特 に留 意 し て厳 重
付同様 なり
之 を行 ひ事 件 発 生 に 関 し て は責 任 を 執 る べき こと
四 、罷 業 背 後 の煽 動 者 の青 島 市 外 への追 放 (其 の ﹁リ スト﹂ は提 出 済)
五 、中 国 側 に於 て工 人 の復 職 を 阻 止 す るが如 き行 動 を 許 さ ざ る のみ
六、 解 雇 せ ら れた る 不良 工人 を 市政 府 の勤 務 員 た ら し めざ る こと
充 分 連 絡 ヲ取 リ慎 重 ナ ル処 理 ヲ セラ レ度
な らず 積 極 的 に (官憲 の告 示 其 の他 の方法 を以 て) 復 職 方鞭 撻 、督
七 、 将 来 公 安 局 は 独自 の見 解 を 以 て治安 維 持 の為 不 良 工 人取 締 の徹
励 すること
第九〇号 中 旬 以 来 工人 の怠 業 又 は罷 業 に依 り操 業 甚 し く 困難 と な りた る為 百
切 を 容 認 し 事態 の平常 に復 せ ん こと を希 求 し た る に拘 らず 工人 側態
支 給 す る こと に決 定 せ る趣 に付 貴 市 政 府 に於 ても右 御 含 み の上 工 人
者 に 対 し ては減 額 す る こと あ る べし ) を 以 て 一時 的 の出 勤 奨 励金 を
開 の際復業 工人に対し ては休業 中 一日 一定金額 の割合 (復業遅延 の
尚紡績 工場に於 ては解雇工人に対しては解雇手当を支給 せず又再
工場 側 に 於 ては之 れ以 上 継続 し て操 業 す る こと 不可 能 な る状 態 に 立
等 に於て此上不穏なる行動其 の他 の策動を為 さざ る様厳重御取締 相
敬具
至 り た る為 本月 二 日 一斉 に 工場 を閉 鎖 し 未然 に危 険 を 避 止 す ると 共
就而右 に対し何分 の御回答相成度此段照会得貴意候
成 度候
無 き も のに し て 工場 側 に於 ても 閉 鎖 に依 り善 良 工人 の蒙 る困 難 を惟
に 工 人 の反省 を 促 す こと と致 候 素 より 今 回 の挙 は右 目 的 の外 に他 意
度 は沈 静 に至 らざ る の みな らず 却 て悪 化 の傾 向 あ りた るを 以 て紡 績
方 之 が鎮 撫 に力 め殊 に貴 市 長 よ り提 示 せら れ た る 工 人側 要 求 事 項 一
底 強 化 を 期 す べ き こと
拝啓陳者青島 市西方滄 口所在 の邦 人経営紡績工場に於 ては十 一月
( 終)
K.C
波 電
発 者 信 指 定
沈
鴻
昭和十 一年十二月十日
青島 市長
総領事
在青島 烈 殿
西
昭和 十 一年 ( 民国二十五年)十 二月十日 西総領事沈青島市長間 の了解事項 一、党部関係 (市 党部及鉄路党部)
春
彦
邦人経営工場方面 には党部を 一切活動 せしめず且 一般的 に外国関 係事項 には党部を 一切関与 せしめざ ることを市長 が国民党中央委員 た る の個人 の資格を以 て中央党部に進言し以て将来 一切 の排日活動 を為さしめざ ること イ 市 政府 は将来国術館員 が国術本来 の使命を守 り決し て排 日其
二、国術館関係
(
信
用
紙) 十 二月 十 日
発信者 3F参謀長 着信者 次官次長
上陸司令 官
大 使 館 附 、南 京 、北 支 武 官 、 天 龍
通報 (旅要参謀長
(3F ) 機 密 八 四番 電
艦長)
発令 時 刻 十 日〇 二時 ○○ 分
一、 3F 機 密 第 七 八 番 電 ニ関 シ九 日交 渉 ノ結 果 操業 開 始 ニ関 ス ル諸 条
処 理 ス ル コト ニ了 解 成 リ案 文 整 理 中
詳細 外務 電 参 照 アリ 度
件 ハ往 復 文 書 ト シテ其 ノ他 一般 条 件 ニ関 シテ ハ了 解 事 項 ト シテ夫 々
追 テ操 業 開 始 ハ十 四 日頃 ノ 予定
信
用
紙) 十 二月 十 一日
(終 )
二、 不良 工人 ノ処 理 等 順調 ニ進 捗 シツ ツ ァリ テ 工場 及 市 内 平 穏 ナリ
(
発信者 3F 参謀 長
の他軌 道外 の行動 に出 でざる様厳重取締 ること
着信者 次 官 次長
市政府 は国術館をし て四方、滄 口に於 て国術練習所を設立又
発令時刻十 一日〇 二時三〇分
二、 紡 績 会 社 ハ予定 通 十 四 日朝 一斉 開 工 ノ運 ト ナ リタ ル ニ付其 ノ状
及 了 解 事 項 ノ取 極 ヲ了 セ リ詳 細 外 務 電参 照 アリ度
一、 十 日夜 総 領 事沈 市 長 間 ニ3F 機 密 第 八 四 番電 通 リ往 復 文 書 ノ交換
(3F ) 機密 八 七番 電
﹁宛 通 報末 尾﹂
ロ
の入所練習 を許 さざ らしむ ること
は経営 する こと を禁止せしめ且日本紡績 工場職 工 の国術練習所 へ 三、市政府所属機関 の日本人職員 市政府 は現在青島市政府 の附属機関 に招聘中 の日本人職員辞職 の 四、新聞記事取締
際は新に日本人職員を招聘 する こと 市政府は国交 を妨害する新聞記事 の厳重なる取締 を為す こと
11S 5Sd
受発
受発
二十 二駆 逐隊 葵 多 摩 陸 戦 隊 ヲ撤収 シ更 ニ爾 後 ノ情 勢 ヲ見 極 メ タ ル上
況 ヲ見 テ第 一次 (十 五 日)球 磨 長 良陸 戦 隊 ヲ第 二次 (十七 日頃 ) 第
残 リ全部 ヲ撤 収 セ シ メ ラ ル ル予定 三 、従 ツテ今 後 ノ情 勢 順 調 ナ ラ ハ球 磨 長 良 ハ十 六 、 七 日頃 第 二十 二 駆 逐 隊 ハ十 八 、 九 日頃 発 内 地 帰 還 ノ コト ニ取 計 ハレ差支 ナ キ見 込
)
宇
(了 )
垣
︹纏 ︺
、
14dgg
但 シ多 摩 及 第 二十 六 駆 逐 隊 ハ引続 キ支 那 沿 岸 警 備任 務 ニ服 セ シ メ
一、 西 安 事 件 ニ伴 フ兵 力 問 題
一、 不良 分 子 ノ手 入 ( 弾 圧) ニ関 スル件
一、 青 島 ニ於 ケ ル支 那 軍隊 ノ駐 屯 ニ関 ス ル件
一、 青 島 水 交 支 社 ノ件 (有 事 ノ場 合 ノ司令 部 )
一、武 官 ニ機 密 費 増額 ノ件
一、青 島 処 理 方 針 ノ件
一、残 留 隊 ノ件
一、天 龍 砲 術 長 大 原 又 十郎 ノ件
一、 連 絡 隊 ノ整 備 ニ関 ス ル件 (予 算 獲 得 ノ コト機 密 保 持 、 武 官室 S 一 、 0司令官新設 ノ件 ( 出雲 ハ独立旗艦) 1 一、 天 龍 ニ警 備 主 任 ヲ臨 増 ノ件
天龍多磨球磨長良龍田各艦長葵駆艦長)
支那大使館附各武官
G
上 陸 各 司 令 官 、各 鎮 、GF 2F 舞 要 、 鎮 要 、旅 要 各 参 謀 長 、
ラ レ度希 望 ナ リ
11S
宛通報 (
5Sd
司 令 、 北 支 、南京
22dg
昭和 十 一年 十 二 昭 十 日
青島
北支警備 に関する意見 の件送付
第 三艦隊参謀長殿
多
摩
艦 長
今次青島紡績 工場 罷業事件 に直面し て北支警備上是非とも必要と に候
( 終)
す る最小限度 の要望事項とし て現地に於て感得した る意見別紙 の通
務
局 長
別紙添
軍
写送付先 軍令部第 一課長 旅順要港部参謀長 舞鶴要港 部参謀長
現状より見 て北支警備上是非と も必要とする
最 小限度 の要望事項 ( 多摩艦長意見)
一、 青 島 駐在 海軍 武 官 室 に電 信 員 二名 及 支 那 当 局 の暗 号 通 信 解 読 及
諜 報 員 と し て少 く も 一、 二名 を 配員 し 以 て駐 在 武 官 の活 動 力 を強 化
し 最 近 設 置 せ ら れた る陸 軍 特務 機 関 に 対し 遜 色 な き も のた らし む る
由)
電信員 の要求 は駐在武官より既 に再 三意見具申せられた る通 に
( 理
を要す
一
( 理
由)
今次事件 に於 て警 備先任指揮官として天龍艦長 が最も痛 切に感じ
き場合 には到底実効 を期 し得ず事件発生せざ る常時 に於 ては本配置
言ふべく して行ひ難 き所 にして殊に聯 合陸戦隊を揚陸せしむるが如
航海長砲術長等他 に常務 あるも のをして輔 佐せしむる ことは実 は
たるは適当な る輔佐官 を手許 に扣置し度き件 なり
し て又 確実 な る情 報 を 獲 得 す るた め青 島 に て発受 す る支 那 官 憲 の暗
最 近 (十 一年 十 一月 中 旬 ) 青島 に 設置 せ られ た る陸 軍 特務 機 関
号 通信 を解 読 す る こと 最 必要 な り 二
之 を青 島 に設 け た る も のにし て其 の編 制 左 の如 く 海 軍 駐在 武 官 が僅
者は部内部外各部と の連絡士官或 は諜報士官 として勤務せしむるを
は廣 西 に特 設 せ ん と した る機 関 が 同 地 に 設置 困 難 と な り た る関 係 上
に 一名 の書 記 を 使 用 せ る も のと 比 較 し て雲 泥 の差 あ り海 軍武 官 室 の
麾下に第 十戦隊司令部 を独立 して設け北支警 備艦 に之を置 かるるを
四、右 は已むを得ざる 一応 の姑息手段にして寧 ろ望む所は第 三艦隊
可 とす
強 化 を 必要 とす 青 島 駐在 日本 陸 軍 特 務 機 関 の編 制 一、 (特務 機 関長 谷 萩 那 華 雄)
得ば此 の上もなき所なり
佐
少
一、
二、
員 二、
一、 ( 外 交 員 の如 く 常 に外 廻 りを な し 居 る由 )
七五四
一二 一 一
在籍 工人数
五七七
六九三
一四九六
五六六
九六九
出勤 工人数
八五%
七 一%
八○ %
七八%
七六%
八○%
出勤率
由)
二 、北 支 警 備 の軽 巡 に は 飛行 機 搭 載 艦 を 充 つる を可 と す
( 終)
訳 報 員 一、
織機
紡績
八五〇
一九 一七
八三 一
七九%
昭和十 一年十 二月十四日開 工当日各社出勤状況
書 記 及筆 生
諜 信
二、
通
タ イ ピ スト
電
仕
内外綿
八 一六
八○ %
給
日清 紡
九七七
三三〇七
八○ %
日本紡
豊 田紡
六四〇
)
上海紡
四 一八五
六九〇
青 島 に於 け る唯 一の日 本 人 運 転 手 な りと 云 ふ
一、
(理
大
八〇 一
(
手
飛 行 機 搭載 が無 言 の威 圧 と も な り 又実 際 飛 行 機 の活 用 を期 す る場
公
八六八
転
合 尠 か らず 事 件 発 生 毎 に必ず 航 空 母艦 の待 機 を 発令 せ ら る る事 例 に
長崎紡
運
鑑 み て も 明 かな り
富士紡
十 一名
三 、北 支警 備 艦 船 が現 状 の如 き も のとす る なら ば 先任 艦 長 の幕 僚 と
計
な る べ き適 当 な る少 佐 級 一名 を臨 時 乗 組 と し て配員 す る を要 す
各 種 の好意 に対 し て茲 に深 く 感謝 の意 を表 す
本 職 は 今 後支 那 官 憲 の誠 意 に信 頼 し青 島 が速 に 名 実 共 に 平和 郷 と
八六%
昭和十 一年 十二月十 四日開 工当日操業状態
ど も万 一将 来再 び在 留 帝 国 臣 民 の生命 財 産 を 危 殆 な ら し む る が如 き
し て 日支 共 存 共栄 の実 を 挙 ぐ る に至 る可 きを 切望 す るも のな り然 れ
七七九
八○%
八八〇
九〇%
同興紡 紡績
内外綿 八○%
八○%
七〇 % ( 〃
)
(紡績織 機とも)
十 二月 二十 一日︱三十 一日
を執 る べ き こと を 此 に声 明す
九〇%
七〇%
和す るに至りました故十 五日以来逐 次に兵力 の撤収を行ひま した が 其 の間支那側不逞分子 の多くは青島特 別市外 に追放せられ治安亦良
に於ける邦 人紡績 工場 も十四日より 一斉 に操業を開始 し事態漸次緩
一、十二月 三日青島 に上陸致しました第三艦隊陸戦隊 は其 の後同地
( 終)
事 態 を 生 ず るに於 ては警 備 本 来 の任務 に鑑 み直 に適 当 と信 ず る処 置
織機 日清紡 )
日本紡
豊田紡 ( 〃
十二月 二十四 日文書 上奏す ( 青島陸戦隊撤 退に関す る件)
在支警備兵力 の行動 に関 し 上聞書
紡績 九三%
謹みて在支警備兵力 の行動 に関し 上聞に達します
織機 七三% 八五%
此の間巡洋艦 球磨 、長良 は十六日、第 二十二駆逐隊は十八日夫 々
隊全部 の撤退を終 りま した
険 を感ぜざるに至りま した故昨 二十三日最後 の撤収を行ひ茲に陸戦
好 に維持せられまして最近 の情 勢に於 ては最早邦人 の生命財産 に危
紡績 織機
時停 台す
り又運転始 にてもあり 一部分時
但 し各 工場とも乾燥 の関係も あ
は九三%運転、紡績 工場全運転
織布 工場第 一、第 三全 運転第 二
九〇%
大
上海紡 公
富士紡
長崎紡
同興紡
陸戦隊撤収 に際し声明
十四駆逐隊 の葵 は十七日青島発旅順 に帰港 致しま した
青島発内 地に帰還致し又旅順要港部 より派遣 せられて居りました第
帝国海軍陸戦 隊 の揚陸と其 の後 の日支両国官憲 の協力 に依 り青島 の治安 は逐次回復し本 日を以 て陸戦隊を撤収 し得 るの情勢に到達 し
以上に依 り現在青島在 泊艦 は天龍、龍田及多摩 の三艦 で御座りま
得 たるは誠 に同慶に堪 へざ る所 なり 此 の間 に於 て在留邦 人各位 が冷静事 に処 し陸戦隊 に供与 された る
す 二 、西 安 兵 変 の突 発 に伴 ひ第 三艦 隊 に於 き まし て は特 に警 戒 を厳 に す ると 共 に十 二月 十 七 日漢 口特 別 陸 戦 隊 を増 勢 致 しま し た従 て 現在 在 支 特 別陸 戦 隊 の員 数 は 上 海 に約 二、 四 〇 〇 名漢 口 に約 三〇 〇 名駐
左記 方針 に拠 り処理 す る こと と す 記
而 て3F長 官 の軍 隊 区 分 に 依 り出 雲 は之 を 長官 直率 と し自 由 に 行動
一、第 十戦 隊 に司 令 官 を置 く
に当 るを 得 し む
し 得 し め 天 龍 龍 田 は之 を 第 十戦 隊 司 令 官 直 率 と し 主 と し て北 支 警 備
博
恭
王
及各鎮特陸各 一ケ大隊 の準備 は当分 の間其 の儘 とす
には爆弾及所要兵器を搭載 の儘と し急速派遣に応 じ得 しむ
には 対 支 応急 派 遣 に応 じ 得 る如 く 必要 な る準 備 を な し置 か
南 京政 府 が如 何 な る形 態 を採 り如 何 な る政 策 を採 る べき や に就 て は
五 、 飛行 基 地 の整 備
しむ
三
二
一
四 、 内 地待 機兵 力 は左 記 の外之 を解 く (一月 中 旬)
三 、多 摩 及第 二十 六駆 逐 隊 を内 地 に帰 還 せ し む (一月 中 旬 )
士 官 下士 官 兵 の外 之 を帰 還 せし む (一月 中旬 )
現 に派 遣 中 の呉 佐世 保 特 別 陸 戦 隊 は之 を解 散 し所 要 の特務 士官 準
﹁二〇 〇 ﹂ 漢 口 に ﹁一〇 〇 ﹂ 増 強 す
基 本兵 力 上海 ﹁二〇 〇 〇 ﹂漢 口 ﹁二〇 〇 ﹂ と し 当 分 の間 上 海 に
二、 特 別陸 戦 隊
佐 と し属 員 を増 す )
尚 之 に関 連 し適 当 の時 機 青島 駐 在 武 官 室 を強 化 す (駐 在 武 官 を大
を期 す る為 特 に北 支 警 備兵 力 増 強 を 必 要 とす )
( 将 来 に於 け る北 支時 局 の発 展 性 に稽 へ対支 政 策 の円 滑 な る実 現
由
屯 致 し て居 り ます
内地帰還 の件伝達せらる
理
三、 支 那 の情 勢 に応 ず る為 の内 地待 機 兵 力 に 関 し ま し て は十 二月 十
軍 令部 総 長
六 日奏 上致 し ま し た 通 で御 座 りま し て其 の後 変 動 御座 り ま せ ぬ 昭和 十 一年 十 二月 二十 四日
呉鎮 佐 鎮 特 陸 廃 止 、 上海 特 陸 基 準兵 力 二 二〇 〇 名
対支 時 局 処 理 に 関 し別 紙 の通決 定 す
昭 和 十 二年 一月 一日︱ 一月 二十 一日 一月 八 日 一月 二十 日
(内 約 二〇 〇 名漢 口分 遣 ) と し 更 に臨 増 三〇 〇 名 (内約 一〇 〇 名
多摩
漢 口分 遣 ) の こと に処 理 す
一月十八日 上奏 ( 警 備兵力 の派遣解除等 に関し) (別 紙 )
対支時局処理に関す る件覚 ( 海 軍 省 軍 令 部 一二、 一、 八 )
尚 明 か な らず 前 途 楽 観 を許 さざ るも の ある に付 時 局 の安 定 を 見 る迄
西安 事 変 は 蒋 張 の妥 協 に依 り 一先 づ落 着 を見 た るが 如 し と雖 将 来
11fg 12fg 13fg 1Sf 2Sf
8S 1Sd
26dg
ならしむ
二
一 上海公大飛行基地 の急速整地準備 を完成し置 き応急使用を可能
臺北及濟州島飛行基地は之 を整備 し応急使用可能 の状態 に保 つ
と し第 三 艦 隊 に附 属 せし め ら れ た る 処右 上 海 特 別陸 戦 隊強 化 と 共 に
隊 は既 に夫 々呉鎮 守 府 第 一特 別 陸戦 隊 佐世 保 鎮 守 府 第 一特 別陸 戦 隊
軍令部総長
し 以 て対 支警 備 上 万 遺 憾 な き を期 し て居 り ま す
昭和 十 二年 一月 十 八 日
恭
王
斯 クノ如 キ ハ我方 ニ於テ モ決 シテ好 ム所 ニアラス南京政府 ニ於 テ モ北海 ノ 十九路軍 スラ如何ト モ為 シ得サ ルニ於 テ ハ其 ノ不名誉 ナル ハ勿論信 ヲ中外
我艦隊 ニシテ 一度北海 ニ進 マハ其 ノ後 ノ成行 ハ寔 ニ憂 フヘキ モノアリテ
第 三艦隊 ノ有力ナ ル部隊 ハ海口 ニ集結 ヲ了 シ待機 シツツアリ
第 ナル モ若 シ貴方 ニ於テ全ク処理 ノ能力 ナキ コト明 ラカトナ ルニ於 テ ハ事 端 ノ発生 ヲ覚悟 シ我方自 ラ之 カ解決 ヲ為 ササル ヘカラサ ルヲ以テ既 ニ帝国
ル事端 ノ発生 ヲ悦 ハス日支国交 ノ大局 ヲ思 ヒ慎重ノ態度 ヲ持 チツツア ル次
ラレタル福安 モ無為 ニシテ帰リ應瑞 モ何等為 ス所ナ ク我方 ハ真 ニ不必要 ナ
ヘシト信 スル所貴方ノ処置 ハ頗 ル緩慢 ニシテ未タ ニ要領 ヲ得 ス曩 ニ派遣 セ
ハ蒋介石或 ハ之 ニ代 ルヘキ有力者 ニ面会 セラレ帝国第三艦隊司令長官 ヨリ 蒋委員長 ニ対 スル伝言ナ ル旨ヲ述 ヘ北海事件 ハ当然南京政府ノ責任 ニ属 ス
十四 日以後成可 ク早キ時機 ニ於 テ北浦武官 ハ外務側ト モ連繋 シ出来得 レ
九月十 三日第 三艦隊参謀長↓次官 ・次長
鑛作 が上海其美路 で、子供を連 れて散策中 に拳銃 で打たれて死 んだ事件。 ︹ 註3︺ 第三艦隊機密第七 一番電
進) が上海 で中国人 のために拳銃 で狙撃 され、死亡した事 件。 ︹ 註2︺ 一九三六年 七月十日、三菱商事上海支店出 入り のブ ローカー萱生
︹ 註1︺ 一九 三五年十 一月九日、 一等水兵、中山秀雄 (死亡 後 兵 曹 に昇
博
備 を進 め て居 り まし て之 に依 り今 後 生起 す る事 態 に 即応 す る こと と
第 で御座 りま す る が尚 内 地 に 於 て鎮 守 府 特 別 陸戦 隊航 空 隊 等 の諸 準
以 上 に依 り対 支 警 備 兵 力 は 平時 編 制 に於 て夫 々強 化 せ ら れた る次
第 三艦 隊 附属 を解 き同 時 に 廃 止 せ ら れ ます る次第 で御座 り ます
備 考
( 終)
第十戦隊司令官を置く の件 に関連 し旅順要港部駐満海軍部等 の関
聞 書 上聞 に達します
係制度 に関し ては更に実情考慮 の上研究処理することとす 上 謹 みて対支警備兵力 の派遣解除等 に関し
西安事件以後 の支那情勢 は目下海軍 の警 備各 地に於 ては稍平穏 の 情況 に在 りまするが同事件 に伴 ふ複雑 なる国内事情と依然 たる対 日 態度 に鑑 み今後 の動向 は大 に警戒を要 する情態 に御座りまする故海 るの要ありと認 めます
軍 の警備と致しましては尚昨年来 の緊張 せる態度と諸準 備を持続す 然 るに昨年来臨時派遣 の艦船部隊 は内 地に於け る固有任務 の関係 等 に鑑み此際 機宜整理 の必要がありまする故概要次 の如く処理せら れ度手続を進 むる次第 で御座ります 一月下旬第 十戦隊 (出雲、天龍、龍 田) に新に司令 官を置 かれ主 とし て北 支警備 に関す る指揮統 制を強化せら れ且上海特別陸戦隊基 準兵力を二千二百名 (内漢 口に約二百名分遣)に制定 し更 に当分 の 間臨時に三百名 (内漢 口に約百名分遣) を増置し在 支陸戦隊平時兵 力 を強化せらるる予定 で御座りまする故来 る二十日多摩及第 二十六 駆逐隊 の内地帰 還を命 ぜら るることと致度尚昨秋上海に派遣 し第 三 艦隊司令長官 の指揮を受けしめられたる呉及佐世保鎮守府特別陸戦
ニ失 フヘキ ニヨリ口頭 ニテ蒋委員 長 ハ速 ニ大 ナ ル決心 ヲ以テ十九路軍 ヲシ テ貴 下ノ命 ニ服 セシムルカ或 ハ之 ヲ北海 外 ニ駆逐 シ以 テ我方 ノ極 メテ当然 ノ要望 タ ル中野虐殺事件顛末ノ調査中野遺族 ノ始末北海 ニアリト思 ハルル 中野遺族 ノ始末北海 ニアリト思 ハルル中野遺族 ノ消息取調及保護 ヲ直 ニ実 現 シ得 ル様尽力 セラレ度旨強ク申 入 レラ レ度尚我第 三艦隊 ハ既述 ノ主旨 ニ 依 リ蒋委員長 ノ誠意ト実力 ニ望 ヲ嘱 シ未 タ海 口 ニ待機 シ居 ル次第 ニシテ 一 度北海 に進出 セ ハ以後 ノ成行 ハ測 ルヘカラサ ルモノア ルヲ重ネテ附言 シ置 カ レ度南京 ニ於 テ中原武官 モ右 ニ準 シ何應欽等然 ルヘキ有力者 ニ申入 レラ レ度
)
第三艦隊参謀長
付テ ハ各所在外務側 トモ連絡 ノ上成 ルヘク早 キ時機 ニ右趣旨 ニ依 ル申入 方可然取計 ハレ度 本件外務省 ト協議済
︹ 註6︺ 第 三艦隊機密第 一四〇番電
廣東 ・南京各武官
(
一一、九、 一九 次官 五水戦 司令官 、馬要参謀長
現 下 ノ情 勢 ニ於 テ当 艦 隊 司 令 長 官 ノ執 ラ レ ント ス ル方 策 次 ノ如 シ
次長
一、 南 遣 部 隊 ハ其 ノ主 力 ヲ概 ネ 海 口附 近 ニ又 其 ノ 一部 (現 在 ハ嵯 峨 ) ヲ北
二 、 十 九 路 軍撤 退 等 ニ依 リ陸 上 ト ノ交 通 可能 ナ ル ニ至 ラ ハ機 ヲ失 セ ス調 査
撤 退 ノ実 施 ヲ厳 重 監 視 ス
海 沖 ニ置 キ戦 備 ヲ厳 ニシ万 一 ニ対 ス ル諸 方策 準 備 ヲ確 立 シ ツ ツ十 九 路 軍 ノ
第三艦隊機密第七 二番電第 二緊急信九月十三日第 三艦隊参謀長↓次官
本件申 入 レノ発動 ハ中央 ト打合 セノ上改メテ電報 ス右命 ニ依リ 第三艦 隊機密第 七 一番電 ハ内容外交交渉 ニ亘 ル点多 キヲ以テ之 カ支那 ヘ申
員 ヲ陸 上 ニ派遣 シ調査 任 務 ヲ遂 行 セ シ ム
直 接援 護 ニ任 ス調 査 員 ノ上 陸 ニ際 シテ ハ支 那 軍艦 官 憲 ト ノ連 絡 ヲ緊 密 ニシ
三 、前 項 ノ 時機 ニ達 セ ハ南 遣 部 隊 ハ機 ヲ失 セ ス全 力 ヲ以 テ北 海 ニ進 出 之 カ
入 レニ関 シ何分 ノ御意見 アラ ハ至急折返 シ電 アリ度 ︹ 註4︺ 官房機密第五七〇番電次官↓第三艦隊参謀長 貴機密 第七二番電返
我 調 査員 ノ 安全 保 護 ノ万 全 ヲ期 ス ル モ尚 今 日 迄 ノ事 態 ニ鑑 ミ状 況 之 ヲ要 ス レ ハ我陸 戦 隊 ヲ揚 陸 直 接 援 護 ニ任 セ シ ム此 ノ 際 事前 支 那官 憲 ノ諒 解 ヲ得 ル ニ努 ム
貴機密第 七 一番電 ノ通取計 ハルル コト ニ同意 ナリ但 シ ﹁ 事端 ノ発生 ヲ覚悟 シ﹂ ノ語句 ハ露骨 ニ過 ク ルニ付削除サ レ度 ( 外務省 ト協議済) 尚外務大臣 ヨリ昨十 三日南京廣東宛支那側 ニ対 シ厳 重申入方訓電 シ本日
次
官
︹註 8 ︺
一九 三 六年 八 月 二十 日 夜 、 長 沙 に お け る 日 本 人経 営 の旅 館 に弾 爆
庭 次 郎 が 立 番中 、 一中 国 人 の ため 拳 銃 で狙 撃 さ れ 即 死 し た事 件 。
︹註 7︺ 九 月 十 九 日午 前 十 一時 三十 分 頃 漢 口 日 本租 界 で総 領 事 館 巡 査 吉 岡
四 、 今 後 支 那中 央 政 府 カ荏 苒 瀰 久 十 九 路 軍 撤 退 ノ 実 ヲ挙 ケ得 サ ル ニ於 テ ハ
今 日 迄 ノ 経 過 ト帝 国 海 軍 ノ威 信 ニ鑑 ミ南 遣 部 隊 ヲ以 テ之 カ解 決 ニ当 ル ノ不
軍
得 已 ニ至 ル ヘキ ヲ覚 悟 ス其 ノ際取 ル ヘキ方 途 ニ就 テ ハ事 前 更 メ テ電 報 ス
海
更 ニ本電 ニ関 ス ル措置方同様訓電 セリ (外務電合第 七〇 八号、第七 一一号 参照) 一一、九 、 一九
︹ 註5︺ 官房機密第五八五番電 三艦隊参謀 長
︹註 9︺
大臣、総長
一 一、 九 、 二 四
第 三艦隊長 官
一九 三 六年 九月 十 七 日夜 、 汕 頭 の日 本 人 経 営料 理店 に対 す る弾 爆
投 入 事 件 。 但 し 不発 、損 害 は な か った。
が投 げ こま れ た事 件 。若 干 破 損 、 死 傷 者 は な か った 。
一流 ノ其 ノ場遁 レノ遷延策 ニ乗 セラ ルルコト ヲ厳戒 シ此 ノ際益支那側 ヲ追
軍ノ北海撤退 、現地妨害排除等 ニ関 シ楽観的情報 ア ル処我方 トシテ ハ支那
︹註 10) 第 三艦 隊 機 密 第 二〇 五番 電
在支館附武官、在南京 ・廣東武官 (五水戦司令官) 十 五日在支大使 ニ対 スル張外交部 長応酬ノ外昨今南京政府 ニ於 テ十九路
及 シ有効適 切ナル処置 ノ即時実行 ヲ要求 シ其ノ決意 ト手段竝 ニ現地調査可 能ノ時機 ト ニ付速 ニ明確 ナル回答 ヲ取附ケ且其 ノ実施 ヲ厳重監視 スルコト 特 ニ必要 ナリ
事態 此処 ニ立 至 テ ハ此 際 断 乎 タ ル処 置 ニ出 ツ ルノ 已 ムヲ得 サ ル モ ノ アリ ト 認 ム帝 国 ト シ テ先 ツ取 ル ヘキ手 段 ハ 一、第 三艦 隊 ニ増 派 部 隊 ノ派 遣 内航 空 母 艦 ヲ含 ム有 力 ナ ル艦 隊 ノ馬 鞍 群 島 附 近 ヘノ 派 遣 待 機 二、海 南島 ノ 保障 占 領 (現 部 隊 ニテ 不 取 敢 一部実 施 可 能 ) 三、 青 島 、 濟 南 居留 民 現 地保 護 ノ タ メ出 兵 四、 北 支 駐 屯 軍 ノ 発動 ヲ以 テ圧 力 ヲ加 フ
終
五、 中 支 出 兵 準 備 ︹脱 カ︺ 右 態 勢 略 整 ヒタ ル時 時 限 付 ヲ以 テ対 支 要 求 ヲ提 出 短 期 間 ニ効 果 甚 大 ナ ル 解 決 ヲ期 ス尚 此 等準 備 ハ極 メテ隠 密 裡 ニ行 ヒ 一斉 ニ発 動 ス ルヲ要 ス
︹註 11 ︺ これ は 恐 ら く 左 の第 三艦 隊 腹 案 を内 容 と す る 九 月 二十 八 日付 、第 中 央 訓 令 ノ本 旨 ニ依 ル モノ ト仮 定 シ今 後 ノ推 移 ヲ予 想 之 カ 対策 ヲ左 ノ如
三艦 隊 機 密 第 三 二 五 番 電 を指 す の で あ ろう 。 ク予 定 ス 一、 大 使 蒋 ト ノ第 一回 会 見 ニ依 リ将 来 ノ見 通 シ ヲ判 断 ス 二、 其 ノ際 情 況 悪 ト 判 断 ス レ ハ上流 ノ在 留 民及 軍 艦 ヲ漢 口 ニ引揚 ク 三、 尚 モ爾 後 ノ経 過 不 良 ナ レ ハ逐 次漢 口 下流 ノ居 留 民 ヲ上 海 ニ引揚 ク 四、 交 渉 全 ク行 詰 リ 我 方 ノ最 後要 求 ヲ提 出 ス ル場 合 ニ ハ適 時 左 記 事 項 ヲ実
に出撃し たので この情勢 に対応す るため急遽結ばれたもの、全文左 の通り。 防共協 定
日本軍及 び冀察 中国軍 は絶対 に共産主義を排除する の情神 に基 き相協同 し て 一切 の共産主義的行為の防遏 に従事す ることを協定す
冀 察綏 靖 主 任
支那駐屯軍司令官
宋
多
哲
田
元
駿
本協定 の細目に関し ては別に之 を協定す 本協定は日本文を以 て正文と為す
昭和十 一年三月三十日
防共協定細目
防共協定 に基き細目を協定する こと次 の如し 一、冀察側 は左記事項 を実行す
① 閻錫山 と協同し て共匪 の掃蕩 に従事 す之 が為閻 と防共協定を結ぶ こと
に努 む閻 にして之を肯ぜざるときは適時防共独自 の立場 に於 て山西に兵 を
進 め共匪 を消滅す ② 共産運動 に関す る情報は絶 へず 日本軍部 と交換 し且防共行為に関して
は日本軍部 と緊密 なる連絡を保持す
③ 防共 を貫徹す る為山東側と協同し必要 に応 じ之 と防共協定を結ぶ こと に努む
一
上 海 ノ陸 上兵 力 ヲ充 実 ス ル コト
航 空 母艦 ヲ基 幹 ト ス ル部 隊 ヲ馬鞍 群島 近海 ニ集 中 ス ル コト
第 十 一戦 隊 各 艦 及 漢 口残 留 隊 ヲ江 陰 ヨリ下 流 ニ下 ケ置 ク コト
しめず
対之を排撃 するの態度 を天下 に宣示す ⑥ 共産党藍衣社等及之 に類する団体結社を弾圧解消 し党部は之を存在せ
従来 の西南と の協定 を益 々強化拡充す 共産主義 は人類共同 の敵 にし て東洋平和 を攪乱す るも のな るを以て絶
二
⑦
④ ⑤
三
出 来 得 ル限 リ 陸 軍 部 隊 ヲ上 海 附 近 ニ進 出 セシ メ置 ク コト
施 シ大 使 南 京 引 揚 ノ時 機 ニ之 ヲ完 了 シ ア ルヲ要 ス
四
北 支 南 支 方 面 ニ於 テ モ右 諸 項 ニ準 ス ル姿 勢 ヲ執 リ置 ク コト
こ の協 定 は 昭和 十 一年 二月 末 、 中 共 軍 が突 如 、陜 西 省 から 山 西 省
際 ハ其 ノ 一部 ヲ犠 牲 ニス ル モ已 ム ヲ得 サ ル場合 ア ル コト ヲ附 言 ス ル コト ト
込 ナ ル モ我作 戦 上 ノ要 求 ニ依 リ 先 手 ヲ打 ツ必要 ヲ生 シ或 ハ突 発 事 件 生 ス ル
尚 右 ハ理想 的 ノ推 移 ニシテ 第 二 項 発 動 ヨリ少 ク ト モ約 一箇 月 ヲ要 ス ル見
① 日本側は冀察側 の防共 の為必要な る兵力 の増加を認め且各種兵器弾薬
二、日本側は左記事項 を実行す
日的教材を 一掃 し且軍隊及官民 に対し ては日支提携親善 の主旨 を以 て訓導 す
鑑 み此 の際日本 との提携親善的行為 に徹底し排 日的団体及言論を弾圧し排
日本との防共協同動作を取 る為 には日本と の精神的融合 の必要なるに
五
セリ ︹註 12︺
及飛行機 を廉価 にて譲渡す但し飛行機は必要に応 じ之 を貸与す ︹註 16 ︺
を容 れ た から だ と いわ れ て い る。
② 共産運動 に関す る情報 は絶 へず冀察側と交換 し且冀察側 の防共行為 に 関する資料 を提 供す
軍 務 機 密 第 六 七 五 番電
在支館附武官
第三艦隊参謀長
針
軍
務
局
長
︹ 註 13︺ 昭和十年十 一月 二十 五日、日本出先陸軍 の華北自治 工作 の結果と して冀東防 共自治委員会 が成立し たとき、国民政府が華 北におけ る連鎖反
二
一
共 産 党 ノ陰謀 不 信 ヲ挙 ケ 不自 然 ニ陥 ラ サ ル様 適 当 ニ宣 伝 ス
支 那 特 ニ其 ノ 民衆 ニ対 シ同 情 的 態 度 ヲ以 テ臨 ム
居 留 民 ノ保 護 権 益 ノ 擁護 ニ付 必要 ノ処 置 ヲ取 ル
正 確 ナ ル情 報 ノ 速 得
ト ス然 レト モ本 兵変 ヲ適 当 ニ利 用 シ対 支 政 策 ノ推 進 ヲ図 ル コト勿 論 ナ リ
其 ノ出 処 進 退 ヲ公 明 正 大 ニシ苟 モ其 ノ信 用 ヲ傷 ク ル カ如 キ所 為 ヲ慎 ム コト
西 安 兵 変 ニ伴 ヒ在 支 邦 人 ノ生 命 財 産 ニ相 当 ノ不 安 ヲ与 フ ル ニ至 ル ヘキ ヲ
一、 方
西 安 兵 変 ニ対 ス ル我方 対策 要 綱 左 ノ通 含 ミノ 上 可 然 処 置 セラ レ度
一 一、 一二 、 一三
④ 晋綏 、山東及西南と の提携協同 に対し ては日本側 は之 を賛助し且北支
﹁別 紙 ﹂ は 現存 し な い が、 内 容 は次 の電 報 に よ り判 明す る。
② 冀察側 の防共 に関す る行為は絶 対に之を支持す
に対する中央軍 の進出 を防遏す る冀察側 の行為に対しても絶対 に支持す 三、本協定 は双方之 を発表 せず 四、本協定 は日本文 を以 て正文とす
応 の発 生を恐 れて急遽決定し た対日妥協案。そ の内容 は 一華北共同防共
三
居 留 民 ノ保護 攻策 ノ統 制 ニ関 シ外 務 陸 軍 ト ノ連 絡 ヲ 一層密 接 ニ ス
一、共同防共を原則的 に承認 し、委員会 を作 つて考 究する こと。 二、財 政 ・実業 ・交 通 ・鉄道 ・内政各部 に、遅くも十二月までに日本人顧
疑 い で、 中 国 側 の税 関 監 視 船 に よ り射 撃 さ れ、 捕 えら れた 事 件 。 当 時冀 東
︹註 17 ︺
置
問を招聘 のこと。
特 殊 貿 易 と 税 関 監 視 船 の行 動 に 対 す る 日中 双方 の見 解 が完 全 に対 立 し つ つ
二、 処
以 テ 取 敢 ヘス在支 警 備 兵 力 ノ強 化 ニ対 ス ル準 備 ヲ行 フト 共 ニ此 ノ際 帝 国 ハ
二 新幣制 の華北 限り の修正 三関内外 の経済的交流 四華 北実力者 に対す る華北財 政権 の附与 五 対外諸懸案 の現地解決 六 人材登 用、理想的政治
四
昭和十 一年 三月 三十 一日
の実現 である。
五
三、福 岡 ・上海間 の航 空路 開設を即時調印実行 のこと。
あ つた にも か かわ ら ず 、 税 関側 が 回航 中 同船 の国 旗 を海 中 に棄 て、 射 撃 に
事 件 と と も に事 態 を 紛 糾 さ せ た 。 日 本側 は茂 益 丸 が砂 糖 と 人 絹 の密 輸 船 で
︹ 註 14︺ 九月十九日の須磨 ・高宗武会談 で須磨が提出 した六項 目の要求。 内容は次 の通りで、第 六項 を除 いては、回答を二十二日までの期限付 きと した。
四、 ﹁不逞﹂鮮人の即時引渡 し。 五、関税協定締結と輸入税 引下げを、遅 くも三カ月以内 に実現 のこと。
当 つて無 被 覆 鉛 弾 を 使 用 し た と い つ て税 関側 に抗 議 し た。 税 関 側 の態 度 も
あ つ た の で、 こ の事 件 は あ た か も同 じ 日 に岐 口沖 で発 生 し た 同 種 の大榮 丸
一九 三 六年 六 月 二 十 日 、 日本 の発 動 機 船 茂 益 丸 が 青島 沖 で密 輸 の
本 電 趣 旨 ニ ハ外 務 、 陸 軍 同意
六、前 年十 一月に国 民政 府が決定 し、日本側 にも内示した (唐有 壬 ・外交 部次長より須磨に)華 北五省六項 目案 ( 華北自治辨法案)に対する確定的
件 が完 全 に落 着 し た のは同 年 十 月 一日 の こと であ つた 。
関 を襲 撃 す る と いう 一幕 もあ つた 。 税 関 側 が 日 本側 の要 求 を い れ て こ の事
ね て か ら中 国 側 の高 関 税 政 策 に 反 感 を 抱 く青 島 の 日本 居 留 民 が激 昂 し て税
大 榮 丸 事 件 の場 合 と 同 様 に、 国 旗 問 題 以 外 はす こぶ る強 硬 だ つた の で、 か
安滞在中 の蒋介石を突然逮捕監禁し 、容共抗目 の実行を迫 つた事件。結 局
意見を提出 する こと。 ︹註15︺ いわゆる西安事件。昭和十 一年十 二月十 二日、張學良が陜 西省西 蒋介石 は同月 二十五日釈放され、無事南 京に帰還 したが、それは張 の要求
三九
昭 和 十 一年 九 月 五 日 付 有 田 外 相 ↓ 川 越 大 使
暗 第 二 二 二 ・二 二 四 ・ 二二 五 号 電 ( 第一 次訓令)
方 排 日運 動 依 然 ト シテ熾 ナ ル コト ヲ実 証 スル モノナ ル ニ依 リ根 本 的
国 民 政 府 ハ国 民党 部 其 ノ他 如何 ナ ル団 体 タ ル ヲ問 ハス其 ノ 一
国 民 政 府 ハ 一切 ノ排 日 ヲ根 絶 セ シ ム ヘシ
解 決 方 法 ノ 一ト シテ 茲 ニ左 記 ヲ要 求 ス ①
在 成都 帝 国総 領 事 館 ニ就 テ ハ従来 何 等 問 題 ナ カリ シ次第 ナ ル処
②
一
甲 七月 下旬 南 京 中 央 社電 ハ突 如 再 開 反 対 ノ報 道 ヲ為 シ次 テ 外交 部 ヨリ
事 件 自 体 ノ解 決
切 ノ排 日的 策 動 ノ禁 絶方 ニ付 其 ノ責 ニ任 ス ヘシ
陳
ノ気 勢 ヲ挙 ケ右 宣伝 ハ漸 次 現 地 タ ル四川 方面 ニ波 及 シ今 回 ノ 不祥 事 乙
反 対 ノ意 向 ヲ表 示 シ其 ノ結 果 南 京 上海 ノ各 新 聞 紙 ハ 一斉 ニ再 開 反 対
一 イ
四 川省 政 府
国 民 政 府
謝
ニ在 リ タ ル ハ蔽 フ ヘカ ラ サ ル事 実 ナリ
件 ノ発 生 ヲ見 ル ニ至 レ ル次 第 ニシテ今 次 事 件 ノ直 接 ノ導 火線 カ南 京
国 民政 府 ハ曩 ニ邦 交敦 睦 令 ヲ公 布 シ排 日取 締 方 屡 次 言 明 ス ル所 ア
責任 者 ノ処 罰
ロ
公 安 局長 及 警 備 司令
二
リ タ ル ニ拘 ラ ス今 次自 ラ排 日運 動 ヲ使嗾 シ遂 ニ稀 有 ノ不 祥事 件 ヲ惹
其 ノ他 ノ責 任 者
起 ス ル ニ至 ル此 レ邦 交敦 睦 令 等 ノ精 神 ヲ政府 自 ラ蹂 躪 シ屡 次 ノ言 明
イ
賠
負傷 者 ニ対 スル治 療 費 、 見 舞金
死 亡 者 ニ対 スル弔 慰 金
償
犯 人 及連 累 者 竝 ニ煽 動 者 ノ厳 罰
ニ対 ス ル不誠 意 ヲ暴 露 シタ ル次 第 ニシテ 両 国 国交 調 整 ノ将 来 ニ重大
三
ロ
依 テ国 民 政 府 ハ国 民政 府 自 ラ本 件 ニ関 ス ル重大 ナ ル責 任 ヲ反省 シ
ロ
イ
ナ ル暗 翳 ヲ投 セ ル モノナ リ
四
ス
今 次事 件 ハ其 ノ導 火線 カ南 京 ニ在 リタ ル ハ前 項 ノ通 リナ ル モ他
誠 意 ヲ披 瀝 シテ自 ラ前 記暗 翳 ヲ 一掃 ス ル ノ措 置 ニ出 テ ン コト ヲ要 求
二
丙 国 民政府 ハ其 ノ責任 ヲ以テ在成都帝国総領事館 ノ再開 ニ対 スル 一切 ノ支障 ヲ最 モ速 ニ排 除 ス ヘシ
前 記 甲 一 ノ趣 旨 ハ成 都 事 件 ノ発 生 カ全然 南 京 政 府 ノ責任 ナ ル
右 ニ関 ス ル補 足 事 項 一イ コト ヲ強 ク印 象 セ シ ム ルト共 ニ自 ラ投 シタ ル暗 翳 ヲ除 去 ス ル為 メ ニ ハ重大 ナ ル決 意 ヲ為 シ具 体的 事 項 ヲ実 行 ス ル コト ニ依 リ誠 意 ヲ
ヲ以 テ之 ヲ第 一ニ掲 ケ タ ル モ直 チ ニ右 抽 象 的要 求 ニ附 属 シ前 記 ロ
ヲ後 廻 シト シ甲 一 ニ次 キ 直 ニ甲二 乃至 乙丙 ノ交 渉 ニ入 リ其 間 適 当
具 体 的問 題 ニ関 ス ル交 渉 ニ入 ル要 ハナ ク具 体 的 問 題 ニ関 ス ル交 渉
ノ機 会 ヲ選 ヒ前 記 ロ 具 体 的 事項 ノ交 渉 ニ入 ル モ差 支 ナキ次 第 ナ リ
今 次事 件 ノ責 任 カ南 京 政 府 ニア ル ハ前 記 甲 一 ノ通 リ ニシ テ事
件 ノ根 本解 決 乃至 将 来 ノ保 障 ヲ得 ンカ為 メ ニ ハ排 日 ノ根 絶 ヲ期 ス
二イ
示 シ自 ラ与 ヘタ ル疑 惑 ヲ氷 解 スル ノ必 要 ア ル コト ヲ力 説 シ右 趣 旨
ル コト最 モ肝 要 ナ リ依 テ甲 二 ノ要 求 ヲナ ス次 第 ナ リ
甲 二 ノ①具 体 的 手 段 ハ支 那側 自 ラ考 究 ス ヘシト ノ建 前 ナ ルモ
ロ
結 局 イ 排 日禁 止命 令 ノ徹 底 ロ 排 日 団体 ノ解 散 ハ 一切 ノ排 日教 科 書
本 項 ハ支 那 側 ヲ シ テ誠 意 披 瀝 ノ具 体 的 方法 ヲ自 ラ攻 究 申 出 テ
ヲ先 ツ原 則的 ニ承 認 セ シ メ ント スル モノ ナリ ロ
ノ改 訂 ニ 排 日言 論 ノ取 締 (単 ニ消 極的 取 締 ニ満 足 セ ス進 テ 日支 関
係 調 整 ノ見 地 ニ立 チ国 民 政 府 ニ於 テ積 極 的 ニ言 論 ヲ指 導 ス ル コト
シ ム ル建 前 ナ ル モ我 方 ト シテ ハ右 誠 意 披 瀝 ノ具 体的 方 法 ト シテ
最 モ肝 要 ナ リ) 等 具 体 的 事 項 ニ亘 リ支 那 側 ヲ シ テ実 行 方約 束 セ シ
重要 懸 案 (例 ヘ ハ上海 福 岡 間 航 空 連 絡 、 臺湾 福 州 廣 東 間 航
ム ル腹 案 ナ リ
A
ハ
空 連絡 、輸 入税 引 下 ケ等 ) ノ 即時 解 決
ノ話合 ニ入 ラ シ ム ルヤ ウ支 那 側 ヲ誘 導 ス ル腹 案 ナ リ
B
際 特 ニ言及 アリ タ シ (本 項 ヲ要 求条 件 ト セ サ リ シ ハ条 件 ヲ余 リ ニ
言 及 シ得 ヘシ) 等 ハ要 求 条 件 ト シテ 明 記 セ サ リ シ モ甲 二 ノ交 渉 ノ
尚 邦 人 旅行 ノ自 由 及 安 全保 障 (保 護 ニ名 ヲ藉 リ行 動 ノ自 由 ヲ
尚 誠意 披 瀝 ノ具 体 的 方 法 ハ必 スシ モ前 記 A B ニ限 ラ サ ル モ要 ハ
人逮 捕 引 渡 シ其 ノ他中 山 、 萱 生 事 件 即時 解 決 (右 ハ甲 一 ノ際 ニ モ
束 縛 スル カ如 キ コト ナ ク寧 ロ民 衆 取締 ニ遺 憾 ナ キ ヲ期 ス) 不逞 鮮
或 ハ更 ニ進 ンテ 北 支問 題 ノ解 決 (対 支 実 行 策 ニ準 拠 ス) 等
本 件 成都 事 件 ヲ以 テ 日支 国 交 調 整 ノ方 向 ニ利 用 セ ント ス ル コト本
ハ
以 テ ナリ )
多 岐 ニ亘 リ羅 列 ス ル コト ハ結 局 要 求条 件 ノ迫 力 ヲ弱 ム ル惧 ア ルヲ
項 ノ趣旨 ト ス ル所 ナ リ
ニ遷 延 ス ルノ虞 ア ル ヲ以 テ 特 ニ要 求 条 件 ト ハセ ス事 実 上 ノ交 渉 ニ
前 記誠 意 披 瀝 ノ具 体 的 方法 ヲ要 求 条 項 ト ス ル ニ於 テ ハ交 渉 徒
於 テ前 記 甲 一 ニ依 ル抽象 的 原則 ヲ実 証 ス ル為 メ ニ ハ具 体 的 ニ誠 意
国 民党 部 ハ従来 排 日策 動 ノ根 源 ニ シテ最 近 ニ於 テ モ各 地党 部
ノ排 日策 動 顕 著 ナ ル モノ ア リ従 テ党部 解 消 ヲ要 求 ス ル モ敢 テ失 当
ニ
キ モノナ ル点 ヲ確 認 セ シ メ党 部 ノ排 日策 動 ヲ政 府 ノ責 任 ト シ飽 迄
ナ ラ スト 思 惟 セ ル モ 一先 ツ党 部 ノ策動 ハ政府 ニ於 テ 責 任 ヲ負 フ ヘ
ヲ表 示 ス ルノ必 要 アリ ト ノ建前 ヨリ本 項 具 体問 題 ニ入 リ交 渉 ノ状
甲一 ノ抽 象 的 要 求 ハ成 都 事 件 解 決 交 渉 ノ中 枢 ヲナ スモ ノナ ル
ル様 配慮 セ ル次第 ナリ
況 其 ノ他 ニ顧 ミ適 当 ノ処 ニテ具 体 的問 題 ニ関 ス ル交 渉 ヲ打 切 リ得
ニ
ニ於 テ 常 設的 機 関 ヲ設 ケ徹 底 的 調 査監 視 ニ当 リ必 要 ニ応 シ警 告 ス
通 リ 口頭 声 明 ス ル コトト セ ル ニ付 右御 含 ノ上 善 処 セ ラ レ度 ﹁我 方
調 査監 視 委 員 会 ノ設 立 方要 求 ス ヘシト ノ議 出 テ タ ル モ結 局左 記 ノ
ホ
甲二 及 ①実 行 振 監 視 及 我方 ノ決 意 表 示 ノ為 日支 共 同 排 日行 為
之 ヲ追 究 スル ノ素 地 ヲ作 ル見 地 ヨリ本項 要 求 ヲ提 出 ス ル次第 ナ リ
支 ナ シ)
離 ス モ速 ニ解 決 ス ル要 ア ル次 第 ニ付 右 可能 ノ場 合 ニ ハ単 独 解決 方 差
除 セ ン コト ヲ要 求 ス ル コト ト セ リ (尤 モ本 項 ハ成 都 事件 ノ解 決 ト 切
支那 側 カ再 開 ニ対 ス ル事 実 上 ノ 一切 ノ支 障 ヲ責 任 ヲ以 テ 最 モ速 ニ排
シ此 ノ際 改 メ テ承 認 ヲ求 ム ル要 ナキ 次第 ナ リ依 テ本 件 要 求 ニ於 テ ハ
ヘク 若 シ支 那 側 ニ於 テ右 我 方 調 査 ノ結 果 ニ基 ク警 告 ヲ顧 ミ ス前 記 約束 ニ依 ル責 任 ヲ回 避 ス ルカ如 キ場 合 ニ ハ我 方 ト シテ ハ自 衛 ノ為
本件 交 渉 ニ当 リ テ ハ根 本 的解 決 甲 ニ重 キ ヲ置 キ、 事 件 自 体 乙
メ必要 ナ ル手 段 ヲ講 ス ヘシ
陳 謝 ハ文書 ニ依 リイ 外 交 部 長 ロ ハ四 川省 政 府 主席 ヲ予想 ス
責任 者 ノ処 罰 中 公 安 局 長及 警 備 司 令 ニ付 テ ハ其 ノ罷 免 ヲ予 想
其 他 ノ責 任 者 ト ハ大 体 公安 局長 及 警 備 司令 ノ部 下及 之 ニ類 ス
犯 人等 ノ処罰 ニ付 テ モ我方 ト シテ調 査 困 難 ナ ル ヲ以 テ大 体 支
賠 償 額 ハ未 タ決 定 セ サ ル モ死 亡者 一人 大 体 三 、 四 万 元程 度 又
在 成 都 帝 国 総領 事 館 ノ再 開 ハ我 方当 然 ノ権 利 ニシテ支 那 側 ニ対
ニ ヨル休 業 、 掠奪 等 ニ依 ル損害 額 ハ別 ト ス) ノ心 組 ナ リ
負 傷 者 一人 宛 見舞 金 ハ死 亡 者 弔慰 問 金 ノ 一割 程 度 (治 療 費 、 負 傷
ヘ
那 側 ノ誠意 ヲ認定 シ得 ル程 度 ニテ可 ナ リ
ホ
ル当 面 ノ責任 者 ヲ意 味 ス其 ノ認 定 ハ大 体 支 那 側 ニ委 セ差 支 ナ シ
ニ
ス
ハ
経 由 スル モ差支 ナ シ
帝 国 領 事 宛 ト ス尤 モ省 政 府 主席 ヨリ直 接 重 慶 宛 送 付 ス ル モ南 京 ヲ
同 省 政府 ノ陳 謝 内 容 ハ中 央 ニ於 テ協 定 シ省 政 府 主席 ヨリ在 重 慶
ロ
ノ解決 条 件 ハ酷 ニ失 セサ ル ヤウ 考慮 セ リ
三イ
四
四〇
九 月 二 十 三 日 川 越 張 羣会 談 に 於 て張 羣 が 読 上 げ た 書 物
す る こと を 表 示 す べく 斯 く し て始 め て根 本 的 友 好 関 係 に戻 り対 日悪
こと 必 要 な り 即 ち 日本 側 に於 ては支 那 の主 権 竝 に行 政 の統 一を尊 重
べき に付
感 を除 き 好 感 を 招来 し得 べし
貴 大 使 が来 寧 せら れた るは 国交 調 整 の外 成 都 事 件 解決 の為 も あ る
一、 先 づ我 方 の成都 事 件 其 の も のに 付 一切 の国 際 法 に 照 ら し国 民 政
にあ り元 来 国 歩 艱難 の際 に は之 を 利 用 し て国 家 に危 害 を加 へ又 は政
三
排 日問 題 に関聯 し て認 識 を 要 す る点 は反 動 派 の奸 計 に陥 ら ざ る
に対 す る医薬 救 恤 金 の支 出 等 を 為 し 以 て本 事 件 が両 国 国交 関 係 に障
府 と し て責任 を 以 て陳 謝 、 犯 人 の逮 捕 処 罰 、 責 任 者 の処 分及 死 傷 者
の如 き は国 際 戦 争 さ へ惹 起 せ しめ んと 策動 し居 る次 第 に付斯 る陰 謀
へ政 府 を窮 地 に陥 れ ん とす る陰 謀 行 はれ ざ る を保 し 難 く 殊 に 共産 党
於 て も秩 序 、 治 安 の全 から ざ る に乗 じ反 動 分 子 が外 国 人 に危害 を加
一
を 過大 視 す る こと は其 の奸 計 に陥 り 益 々事 態 を紛 糾 せし む る に過 ぎ
府 を打 倒 せ んと 試 み る 者 あ る は何 れ の国 に もあ る こと な る が支 那 に
る の故 を 以 て 日本 人 を 恨 む にあ らず 最 近 数 年 来 支 那 国 民 の受 け つ つ
ず 此 の点 は 日本 側 に於 て も特 に考 慮 せら れ た し
二、 排 日 取 締問 題 に付 て我 方 の見 解 竝 に其 の実 際 に付申 上 ぐ れば
あ る苦 痛 が 日本 の為 負 はせ ら れ た る も の な りと 思 惟 し悲 憤 の余 り反
四
害 を 与 へざ る様 致 度 し
抗 心起 り た るも のに て現 在 の両 国 関係 に て進 む と き は 此 の感 情 は益
消 極 的 に は排 日感 情 の除 去 を 必要 とす 元 来 支 那 国 民 は 日本 人 な
益 深 刻 と な る べ く政 府 当 局 は表 面 に現 は る る行 動 を 制 止す る こと は
過 去 に於 て は昨年 邦 交 敦 睦 令 を 発 し 最 近再 び之 を 通 令 し た る
奉 じ其 の内 容 を 審 査 し 他国 を侮 辱 若 は非 難 又 は悪 感 を 挑 発 す る が
外所 謂 排 日教 育 に付 て は既 に教 科 書 審 査委 員 会 を設 け政 府 の命 を
イ
排 日取 締 に付 国 民 政府 の既 に執 り た る処 置 及 今 後 の取 締 方針 を
出 来 得 るも 人 の感 情 迄 制 止 す る こと は 不可 能 な り依 て此 の種 悪 感 を
述ぶれば
積 極 的 に 対 日感 情 を 好 転 せ し む る に は平 等 な る国交 を樹 立 す る
こと を 避 く る を要 す
除 く為 には 日本 側 に於 て武力 干渉 又 は高 圧的 手 段 を 以 て支 那 に臨 む
二
口、 綏 遠 、 包頭 を連 ぬ る線 以 北 に 限 る ことと し 且 其 の方法 は防 禦 を
主 と し 攻 撃 を 目 的と せず 支 那 の主 権 及 領 土 を 尊 重 す る建 前 と致 度 し ︹ 個︺ 本 件 は支 那 と し ては 重大 問 題 にし て自 分 一己 の考 と し ても 右 は嘗 て
協 議 す る こと を決 意 せ り但 し 防 共 の範 囲 は山 海 關 より古 北 口、 張 家
須 磨 総 領 事 の主 張 せ ら れた る 日支 軍 事同 盟 に至 る 一発端 な り と も考
如 き 記事 を禁 止 し 事 実 のみ を記 載 せし む る こと と なり 居 れり 他 方
ロ
へ居 り経 済 合 作 は苟 も政 治 的 侵 略 を伴 はず 互 恵 平 等 の立場 に於 てす
教 育 部 当局 が 日本 の教 科書 を研 究 せ る に支 那 を侮 辱 せ る記 事 も 少
れ るが実 は然 らず 若 し 希望 と あ らば 中 央 党 部 よ り 地方 党 部 に対 し
る 以上 素 よ り 歓 迎す る所 な る が先 づ
か ら ざ る趣 に て此 の点 は 日本 側 に於 ても 取 締 ら れ度 し
右 遵 奉 方命 令 す るも 差 支 な し 又党 部 の排 日 行 動 に付政 府 に於 て責
の資 格 に於 て為 し た る行 動 に付 て は政 府 に於 て責 に任 じ難 し更 に
し 其 の行動 を慎 む様 警 告 を 与 ふ る こと は差 支 な し但 し党 員 が個 人
を設 け 日本 側 の出 す べき 資 本 は 団 匪賠 償 金 を以 てす る ことと し
ロ
イ
其 の方 法 は 行政 機 関 以外 に 一つ の共 同 機 関 ( ﹁シ ンジ ケ ー ト﹂)
其 の範 囲 は冀 察 両省 と し
日 本側 は邦 交 敦 睦令 等 は国 民党 部 等 には利 目 なし と言 ひ 居 ら
任 を 取 る べ し と の要 求 な る が中 央 党 部 を し て各 級 党 部 及 党 員 に対
政 府 当 局 が演 説 其 の他 の方 法 にて 日支 親 善 の必 要 な る旨 国 民 に発
ハ
之 が実 施 方案 は 双方 よ り専 門 家 を選 び て作 成 せ し む る こと と
表 す る こと は 今後 国 交 調 整 に関 す る協 議 相 当 程 度 進 行 し た る際 之
関 税 引 下 問 題 は 我 方 が現 に輸 入税 率 改 正方 研 究 立案 中 に て 三、
致度 し 二
を 行 ふ こと は差支 なし 三、 国 交 調 整 に関す る具 体 問 題 に対 し て は次 の如 き 意見 な り
当 に之 を織 込 ま し む る こと と す べ し 但 し本 件 改 正 に付 ては支 那 の財
四箇 月 以内 に は実 行 の見 込 な る が 日本側 の希 望 は関 係 方 面 に伝 へ適
北 支 問 題 は元 来 日本 側 が特 殊 事 態 を作 り出 し た る為 に発 生 せ る問
政 、 他 国 と の関係 及 国 内 産 業 問 題 を 考慮 す る必 要 あ る点 は 日本 側 に
北 支 問 題
題 な る が日 本 側 の希 望 は要 す る に防 共 及経 済 合 作 の二 点 な る べし 日
三
於 て了 解 せ ら れ 度 し
一
本 側 に ては 其 の他 に政 治 問 題 を要 求 せら る べき も 政治 問 題 は内 政 問
日本 大使 館 よ り外 交 部 宛 公 文 を 以 て 日支 両 国 は 相 互 に領 空 権
を尊 重 し 一国 は相 手国 の許 可 な く し て其 の領 空 を 飛 行 せ ざ る こと
イ
上 海 、 福 岡 間 航空 聯 絡 は曩 に交 通 部及 逓 信 省 間 に於 て協 議 せ る合 ︹ 本書三〇二頁参照︺ 約草 案 に基 き 此 の際 協 定 す る こと に 同意 す但 し 其 の際 は
航空聯絡問題
題 にし て国 家 の主権 及 行政 権 の統 一に関 係 す るを 以 て之 を 日本 側 と 協 議 す る こと 困難 な り特 に北 支問 題 解決 策 と し て北 支 の政権 又 は半 独 立 政 権 の樹 立 を要 求 せら る るが 如 き は支 那 の主 権 、領 土権 及 行 政
を声 明し 我 方 よ り同 様 の 回答 を為 す こと とし
権 の完 成 を破 壊 す る も の に て到底 容 認し 難 し 但 し 防 共問 題 と経 済 提
に於 て提 示 せ ら れ当 時 支 那 側 にて反 対し た るも のな る が今 回 は国 策
携 に付 ては適 宜 協 議 を進 む る こと に異 議 なし 防 共 問 題 は廣 田 三原 則
ロ
右 実 施 期 は今 回 の交 渉 が相 当 程度 迄 進 みた ると き に更 め て決
の 一大 転 換 を 計 り 且 対 日誠 意 の 一大 表 示と し て両 国 間 の共 同防 共 を
四
定 し度 し現 在 の空 気 に て は実施 困難 な り 顧 問招 聘 問 題 我 方 は今 回 の交 渉 円 満 に進 む を見 計 ひ交 渉 一段 落 の 三、 四 箇 月 後
右 は説 明 す る迄 も なき が 日本側 にて自 発 的 に之 を停 止す る こと 最
望 まし く 若 し 北支 に於 て日 支 の民 間航 空 聯 絡 を希 望す る なら ば 前 述
上海 、 福 岡 間航 空 聯 絡 の方 法 に照 ら し協 議 を遂 げ 現在 の事 態 を合 理
に は我 方自 動 的 に先 づ日 本 の技 術 家 及 科 学 者 を招 聘 す る こと は差 支 四
化 す る こと は考慮 す る を妨 げ ず
る が我 方 に於 て関 税 率 引 下 を 考慮 す る以 上 日本 に於 ても 公 正 な る精
密 輸 が正 当 な る通 商 を 阻害 す る こと は日 本 の商 人 も認 め居 る所 な
密 輸 停 止 及 支那 側 取 締 の自由 恢 復
な く軍 事 顧 問 は之 を 後 廻 し と し度 し本 件顧 問招 聘 は 日本 側 の要求 に
朝 鮮 人取 締 問 題
依 る形 を取 る こと は之 を避 け度 し 五
神 を 以 て之 が停 止 方 考 慮 せ ら れ度 く 又 支 那 側 の取 締 に際 し て妨 害 す
る こと を 止 め其 の自 由 を恢 復 せら る る様 致度 し
不逞 の朝 鮮 人 及 臺湾 人 に付 て は (張 は 茲 に臺 湾 人を 持 出 し た り) 日本 側 より 其 の事実 を 明示 せら るれ ば 我 方 は之 が逮 捕 に協 力す る こ
五
察 哈爾 及 綏 遠 の 一部 を攪 乱 し居 る偽 軍 を解 散 す る こと を希 望 す
察 東 及 綏 遠 北部 に於 け る偽 軍 の解散
と ︹に︺ 吝 な らず 尤 も右 は何 等条 約 又 は国 際 法 若 は国際 慣 習 に基 く も のに あらず し て全 然 友 好 的 精 神 に出 づ る も のな るに 付之 を協 定 又 は永 久 の了 解事 項 と す る形 を 取 る能 はず 又 日本 側 に於 て も我 方 と 同 様 此 の種 支 那 人 の逮 捕 取 締 に協 力 せ ら れ度 し 又 支 那 に於 け る鮮 人 、 臺 湾 人 等 の行 動 を厳 重 に取 締 ら れ度 し
四、国交 調整 に関し支那側 より日本 に対す る希望 を次 に述 ぶべし 是等協定は 一時 的 のも のにし て今 日既 に存続 の必要なく殊 に今回
一 塘沽協定及上海停 戦協定 の取消 北支防共を協議 せんとす る際斯 る軍事的束縛を支那に加 ふる必要な か るべく又之 が廃止 に依 り日本 の侵略及脅威 に対す る支那国民 の疑 惑を解 消し得 べし 冀東組織 は日支両国 に取 り有害無益なる こと言 ふ迄もなく之を取
二 冀東政府 の解消 消す こと国交調整上必要 なり 三 北支自由飛行 の停止
第 一 次 訓 令 に よ る 日支 交 渉 情 況 一 覧 表
〔 〕 内 は 中国側 の 申 出事 項
外 務 省 第 一次 訓 令 に よ る 交 渉 事 項
国交調整 に対する 誠意 の披瀝
一 a重要懸案 の解決
(例 示 )
(上海︱福岡飛行連絡 蚕湾︱福州飛行連絡) (輸 入 税 の引 下 げ )
b北支問題 の解決
甲
イ排 日禁止命令 の徹底
1
一切の排日根 絶
、
二
ロ排 日団体 の解散 ハ排 日言論 の取締 ニ排 日教科書の改訂
四一
2
党部其他 の排 日策動 の禁絶
、
( 邦 人旅行 の自由及安全保障 ) 不逞鮮人の引渡 中山、萱 生事件 の即時解決
党部 の行為は全部国民政府 に於 て責 任 を 負ふ べき こと
イ国民政府(外 交 部長 、文書) 謝 ロ 四川省政府( 主席、文書)
一 陳
イ公安局長、警備司令( 罷免) ロ其 の他 の責任者
犯人、連累者、煽 動者 の厳罰
三
責任者 の処罰
二 乙
四 賠 丙
とは せ ず)
(要求項 目
償
大体支那側に委す イ 弔慰 金 (一人 に つき 三、 四 万 元 ) ロ 治 療 費 見 舞[ 金 (右 の 一割 )
成都総領事館再開
九︱ 八
須磨、張羣に申 入事項
九 ︱ 一〇須 磨 、 張 羣 に申 入 事項
九︱ 一三須磨、徐謨会見
①日本と防共協 定 の締 結 ②政、軍各機関 へ日本 顧問 の招聘 ③福岡︱ 上海︱ (四川) 航空連絡 ④日支関税協定 の締結 及税率引下
⑤北支に特種 制度 の設 定
排 日禁止命令の徹底
イ行政院長より各部各省 主席 へ命令 ロ 軍委 員 長 よ り海 、 陸 、 空 各機 関 へ命 令
︹ 十 二日行政院訓令 にて発布︺ (但 し軍 、 党 部 に は効 果 な き 旨 須 磨 よ り申 入 る )
連日新聞公表 蒋より全国 に 放送
ハ中常委副主席より党部 各機関 へ命令
⑥不逞鮮人の引渡
⑦成都開埠、四川経済 開発 の日支合作
九 ︱ 一四川 越 、張 羣 会 見
越 九 ︱ 一五川 張羣 会見
川越 会見 九 ︱ 一六張 羣
須 磨
九︱ 一七高宗武 会見
︹原 則 と し ては反 対 せず ︺
︹ 財政部 にて立案中︺
︹交渉 一段落後蒋 より
︹ 軍委長より各軍務当局 に 厳 重密命 せり ︺
日 支関孫の指針を声 明 す
︹ 現に教育部に審査委員会 を 設 け 是 正 し つ つあ り
︺
︹ 新聞雑誌による日本 事 情 の紹介 ︺
︺
党部 の排日行為 の責 任は国 民政府にて負 ふべし
総領事館再開は原則上 差支なし
︹ 成都開埠には応じ難 し︺
九︱ 一九須磨、高宗武会見
九︱ 二三
川越 、張羣
会
見
武力干渉又は高圧 手 段 を止 め る こと 主 権 と行 政 の統 一を尊重し平等 の国交を樹立す ること 反政府派乃至共産分子 の策 動 に考 慮 す る こと 日本 に対 す る希 望
イ塘沽及上海協定 の取消 ロ 冀東政府 の取消 ハ北支自由飛行 の停止 ニ密輸停止及支那側 の取締 の自由恢復 ホ察東綏北 に於ける偽軍 の解散
二十二 日迄 に回答 を要求せ り
原則上承認 の上委員会を作 り考究す ること 財、実、交、鉄 、内五部に 遅 く も十 二月 招聘 の こと
福岡︱上海即時調印実行 遅 く も 三 ケ月 以 内 に実 現 の こと
北支五省 六項目案に対す る 確定意見 の提出
﹁ 北支問題 に就 て﹂ の部参照 ︹ 交渉 一段落後三、四ケ月 して自動的に実現す ( 技術家及科学者)︺ ︹福 岡︱ 上 海 飛 行 連絡 合約草案 に基 く協定に同意す 実施期 は本交渉進捗 の上更 め て決定し度 ︺ ︹関税 引 下 立案 中 (三 、 四 ケ 月 以内 には 実 行) ︺
北支問題 に就 て イ政治問題 には触れず ロ防 共 ( 山海關︱古北 口︱張家口︱綏遠︱包頭以北 に限り防禦 を 主 とす)及経済提携 につき ては協議 し差支なし ハ経済合作 A 範囲は冀察両省 とす B 日支 ﹁シ ンヂ ー ケ ト﹂ を作り日本出資は団匪賠償金を以てす 国民政府の已 に措置した事項 イ邦交敦睦令 ロ睦 隣 令 ハ教科書審査委員会 (日本も支那侮辱記事 を取締る こと) 今後取り得 る事項 イ敦睦令を中央党部より各地方党部 へ遵奉方命令す るも可 ロ党部より党員 に警告するも可 ハ政府は党員個人 の行動に対す る責 に任じ難し ニ交渉進捗せば政府 より日支親善 の必要を国民に発表差支なし
︹ 各部 と協力実行方策を承諾せ し め た り︺
即 時 実 行 の こと
︹承
諾
︹ 鮮人 ( 臺湾人)取締 に協力す、協 定又は永久了解事項とせず︺
す︺
四二
右 協 定 は直 に川越 、張 間 に締 結 方交 渉 す る こと と し妥 結 の上 は
北 支 問 題 に付 て は第 二次 北 支 処理 要 綱 に依 り交 渉 す る も のと す
発表 す る こと
之 が為 先 づ南 京 政府 に対 し 北 支 の特 殊 性 を 認 め北 支 五省 に特 別 の政
②
す る協 定 を 支 那全 般 に付 締 結 す る こと
( 第 二 次 訓 令)
十 月 二 日 四 相 会 議 に 於 て 決 定 の川 越 大 使 宛 訓 令
前 記 第 一、 の交 渉 開 始 に関 す る訓 令 甲一 の趣旨 に依 り国 交 調 整 に
一、 国 交 調整 問 題
共 同 防 共 に付 て は
対 す る具 体 的誠 意 表 示 の実 証 と し て左 記 を実 行 せ し む る ことを 要 求
①
す
治 組 織 例 へば 特 政会 の如 き を 創 設す る と共 に右 新 組 織 に対 し財 政 、
九 月 二 十 三 日支 那 側 書 物 にあ る が如 き ﹁日 支軍 事 同 盟 に至 る
イ
産 業 、 交 通 等 に関す る特 殊 の権 限 を 賦 与す る こと
設 け て考 究 せ しむ る こと 若 し 内容 の大 体 に付 て説 明納 得 せし む る
③
を具 現 す る が如 き意 向 なき 旨 言 明 せ ら れ差 支 なし )
て北 支 に南 京 政府 よ り離 脱 せ る独 立国 家 を育 成 し 或 は満 洲国 の延 長
(尚 支 那側 に於 て前 記 北 支 特 殊制 度 を承 認 す る に於 て は 我方 と し
一発 端 ﹂ と し て の防 共 協 定 の範 囲 は 北支 五省 と す る こと但 し 已 む
の必 要 あ る場 合 に は 対蘇 関 係 を 主 眼 と し例 へば 日 本側 の飛行 場 及
と なく 此 際 調 印 、実 行 す る こと
を得 ざ れ ば差 当 り支 那 北 辺 に限定 す るも 差 支 な し細 目 は委 員 会 を
無 電 台 の建 設 、道 路 の築 造 、 特務 機 関 の設 置等 を容 認 す る が如 き
④
⑤
と (我 方 希 望 案 取 入 の程 度 に関 し ては 支那 側 の誠 意 に期 待 す)
関 税 引 下 は 我方 希 望 案 に則 り 遅 く も 二、 三ケ 月 以 内 に実 現 の こ
福 岡 、 上海 間 航 空 聯 絡 は北 支 自 由 飛行 其 の他 と 牽 聯 せ しむ る こ
も のな る こと を説 明す べ し 而 し て本 項 の協 定 は之 を秘 密 と す る こ
ロ
引渡 、 関 税 引 下 、顧 問 傭 聘 、 共 同 防 共 、北 支 六項 目案 に関 す る支 那
前項 の如 く軍 事 同 盟 に至 る前 提 とし て の防 共協 定 に あら ざ る
と
一般 的赤 化 防 止 を 目 的 と す る協 定 即 ち 右 目 的達 成 の為 執 るべ き措
九 月 十 九 日須 磨 の提 示 せ る六項 目 (日支 航 空 連 絡 、鮮 人 の逮 捕
置 に関 す る協 議 竝 に共 産党 の活動 に関 す る情 報 の交換 等 を内 容 と
二十 三日 支 那側 回答 の程 度 に て 一応 満 足 す る こと と し蒋 介 石 に対 し
側 意 見 提 出 ) 中 の鮮 人逮 捕 引 渡 即 時実 行及 顧 問 傭 聘 に関 し て は 九月
て は要 求 事項 と せず ﹁詳 細 の点 に就 て は追 て支 那 側事 務 当 局 と の間 に打 合 はせ し む る こと と す べ き ﹂旨 釘 を さし 置 く程 度 に止 む る こと
前記第 一次訓令 甲二 の二項目を要求す ると共 に曩 に張 羣其 の他 が
二、 排 日取締 問 題
同意を表 し居る①党部常務委員会副主席 の命令 ②蒋介石 の声 明③教 科書新聞雑誌 の取締 ④党部 の排日行動禁絶、党部 の排日行動 に関す る政府 の責任 ⑤邦人旅行 の自由竝 に安全保障等 は即時之 を実行 に移
張 羣 は支 那 側 五項 目 は日 本 側提 案 と同 時 に協 議 す る こと を 要 求
(﹁国 交 調 整 に関 す る支 那 側 の希 望﹂ に 対す る対 策 )
(尚 前 記第 一次訓 令 二 のホ の 一方的 声 明 の実 行 は勿論 とす )
す様申 入るること
①
右 五項 目 以 外 九 月 二十 三 日張 羣 提 出 の書 物 に列 記 せ ら れ居 る支
る こと
す と 云 ひ 居 る処 右 五項 目 の同 時 協議 方主 張 す る場 合 には 二月 決 定 の ︹ 不詳︺ 趣旨 ( 第 六十 九 議会 用 亜 一、 調 書第 一章 参 照 ) に依 り 可然 く応 酬 す
②
那 側 の見 解 、 申 出 い条 件 等 は成 るべ く 之 に触 れざ る方針 の下 に可 然 く 応 酬 す る こと ︹ 註 ︺ この訓令 は十月 二日有田外相から川越大使 に打電 さ れ た。( 第 一八 二号電 ) この中 で ﹁ ﹂ にかこまれた部分は川越大使 の含 みま での通報で なお、本書 二三二頁 より 二四三頁 まで の間 にこの訓令成立 の経過が明ら
ある。 か にされて いる。 また ﹁五省特政会﹂ の実体に ついても本書 二三九頁以下 を参照されたい。
四三
書
十 二 月 三 日 川 越 大 使 口上 書 及 交 渉 結 末 覚 書
尚 又 成 都事 件 の発 生 に依 り中 国 側 に於 て折 角 国 交 調 整 の要 望 を裏 切
ら る る の結 果 にな つた 点 か ら大 局 的 に考 へて国 民政 府自 ら 具体 的 事
上
一、 成 都事 件 を中 心 と す る今 回 の 日支 交 渉 は 九月 八 日貴 部 長 と須 磨
項 を 挙 げ国 交 調 整 の実 効 を 示 さ る る こと を期 待 し て会 談 を進 め て来
口
総 領 事 と の間 に内 交 渉 を始 め て から 今 日 迄貴 部 長 と本 使 と の間 に既 ︹ 高宗武︺ に七 回 の会談 を重 ね 又高 亜 洲 司長 と須 磨 総 領事 と の間 にも 十 数 回 会
れた る所 で あら う と 信 じ ます
調 整 上 是非 と も必 要 な るも ので あ る こと は貴 方 に於 て充 分 諒 解 せ ら
とり 極 め て不 祥 な事 件 であ り ます か ら此 の責任 は 国 民政 府 に於 て当
面 目 な期 待 を 懐 いて居 る際 に突 如 と し て発 生 し た も の で 日支 雙 方 に
国 交 の調 整 に乗出 さ んと 考 へて居 り 日支 両国 民 も 其 の成 果 に付 て真
る次 第 であ り ます 即ち 日本 側 と し て は成 都 事件 は 我 々が お互 に日 支
言 ひ尽 し て殆 ん ど余 す 所 な く 又 お 互 の考 も 判 明 し て来 たも のと 考 ふ
し て之 以 上 に 此等 の希 望 を繰 返 し て見 ても 早急 に は如 何 と も 致 し難
は実 を 言 へば お互 が個 々 の問 題 に付 て懐 い て居 る希 望 な ので あ り ま
た事 柄 を繰 返 す に止 ま る も のと考 へま す 而 も夫 等 繰 返 す 話 と 云 ふ の
であ り ま し て之 れ以 上 は 別 に変 つた意 見 も な く唯 今 日迄 に述 べ 合 つ
当 初 よ り見 れば 相 当 の接 近 を見 今 日 に於 ては既 に大 体 合 致 を見 た の
一、 右 会談 の対象 と な つた各 事 項 に付 て見 るに隻 方 の意 見 は会 談 の
た次 第 であ り ます が右 日 本側 の要 望 が極 め て妥 当 であ つて而 も国 交
下 に行 はれ た ので あ りま す が 此等 の会 談 を 重 ね た結 果 お互 に意 見 を
談 を 遂 げ た ので あ りま し て之 は何 れ も貴 部 長 な り本 使 な り の了 解 の
然 負 担 さ る べき も ので あ つて貴 方 に於 て速 か に日 本側 の要 求 を 容 れ
い状 態 にあ る と考 へる の であ り ます
し て政 府 に於 て は自 重 し て国 論 の指 導 に努 め 専 ら貴 方 の誠 意 に信 頼
本 の国 論 は 甚 だ し く硬 化 し ま し た こと は篤 と 御 承 知 の通 り であ り ま
尚 交渉 開 始 以来 北 海 、 上海 、漢 口等 に於 て邦 人被 害 事 件 続 発 し 日
円満 な る解 決 を計 ら る べき は勿論 で あ る の みな らず 斯 る事 件 発 生 の
民政 府 に於 て深く 反 省 自 覚 せ ら れ排 日禁 絶 方 に付根 本 的 而 も 具 体 的
重大 な る根 源 は排 日 が根 絶 せ ぬ点 に在 る訳 であ り ます か ら 此 の点 国
に誠 意 を 以 て善 後 措 置 を 講 ぜ ら る る こと を 要望 し来 つた 次 第 であ り
し 一日 も速 か に議 題 全 般 に 付貴 方 に於 て自 発的 解 決 を な さ る る こと
に於 て実 行 せ ら る べ きも の であ り ます から 本 使 は 国 民政 府 に於 て誠
論 あ る べき筋 では な いと 確 信 致 し ま す尚 結 末 せ る 諸事 項 は大 体 貴 方
意 を 以 て之 が 実 行 に当 ら る る こと を期 待 し 之 に依 り 日支 国 交 調 整 に
を 期 待 し来 つた の であ り ます が最 近 の如 く貴 方 に於 て本件 交 渉 と は 無 関係 な る事 項 を 持 出 し会 談 進 行 せざ るが 如 き状 態 に立 到 り た る 以
一、 排 日取 締 に付 て は屡 々申 述 べ ま した 通 り要 は其 の実 績 を挙 げ る
こと が主 眼 であ り ま し て我 方 も 最 も 此 の点 を 重 視 す る も のであ り ま
現 実 に 一歩 を 進 む べ き こと を 確信 す る も の であ り ま す
す が そ れ に は貴 国側 に於 て前 記 各項 に付 不断 に注 意 を払 ひ適 切有 効
上 先 程述 べ た 通り 愈 々今 日 以 上 に話 合 を 進 む る こと 望 み難 き こと と
渉停 頓 に陥 つた か の様 な感 触 を外 部 に与 ふ る こと は国 交 調 整 を念 願
な る措 置 を 執 る こと を期 待 す るも ので あ り ます 我 方 に於 て も此 等 措
な り され ばと て此 の儘 荏苒 日 を過 し恰 か も 日支 雙 方 が 相 対 峙 し て交
め此 の間為 にす る者 を し て面 白 から ざ る策動 を な さし む る余 地 を与
す る両 国政 府 当 局 の意 図 に反 し 又両 国 国 民 を し て種 々誤 解 を抱 か し
ふ る虞 が あ る こと を 懸 念 す る 次第 であ り ま す か ら本 日 は是 迄 の会 談
に当 り 必要 あ れ ば貴 国側 に警 告 を為 し若 し貴 国 側 に於 て我 方調 査 に
基 く警 告 を 顧 みず 其 の貴 任 を 回避 す るが如 き場 合 には 我 方 と し て は
置 に関 す る実 績 を監 視 す る為 特 に常 設 的機 関 を 設 け 徹 底的 調査 監 視
総 領 事 と の間 に於 て意 見 の合 致 を見 た点 を 取 纏 め て判 然 た るも のに
已 む を得 ず 自 衛 の為 必要 な る手 段 を 講ず る こと あ るべ き旨 茲 に声 明
に於 て貴 部 長 と本 使 と の間 に於 て及 我 々 の了解 の下 に高 司 長 と須 磨
し併 せ て之 に 対す る本 使 の態度 を 明 か にし 度 い考 に て本 日 の会 談 を
一、次 に成 都 事 件 以来 北海 事 件 、 上海 事 件 、漢 口事 件 等 不詳 事 件 発
す る 次第 であ り ま す
生 し之 に付 て は其 の都 度 貴 方 に申 入 を為 し尚 過 日須 磨 よ り高 司 長 に
一、 今 日迄 話 合 ひた る結 果 を各 議 題 に分 ち 逐 次申 上げ ま す れ ば之 よ
対 し 夫 々解 決 条件 を提 出 さ せ て置 き ま し た が本 日 は茲 に貴 部長 に 対
申 入れ た 次第 で あり ま す
り読 上 げ ま す通 り であ り ます が之 は書 物 と し 写 を用 意 致 し て置 き ま
し 此等 事 件 の至 急解 決 方 を更 に申 入 れ置 く次 第 で あり ま す 尚此 等 事
件急 速 解 決 に付 ては 引続 き交 渉 を 進 め た いと思 ひま す か ら 右 に御 承
(以 下別 紙 交 渉 結 末 覚書 を読 上ぐ )
し た か ら外 交 上 の慣 例 に依 り茲 に 写を 差 上 げ ます
一、 以 上 の様 な次第 であ り ます か ら 本 使 と し て は曩 に申 上 げ ま し た
知 を願 ひま す
る事 務 的手 続 を 完 了す る こと と 致 度 考 であ りま し て若 し 必要 の際 に
貴国 に於 け る排 日 に根 源 を有 す る次 第 に付 帝国 政 府 に於 ては 此 の点
一、 今 次 事 件 発 生 の如 き極 め て不 祥 な る結 果 を招 く に至 れ る は全 く
昭和 十 一年 十 二 月 三 日
通 り の理 由 に依 り 之 を 以 て本 日迄 の正式 会 談 は結 末 せ る ことと し会 談 開始 当初 に於 て予 期 し た る が如 き 具体 的結 末 に至 ら な か つた も の
は本 使 自 ら 又 出 向 き ます が大 体 須磨 総 領 事 を し て貴 方 と の間 に な る
に関 し国 民 政 府 の反 省 自 覚 を 促 す の要 あ る を認 め 本 使 よ り貴 部 長 に
に付 て は之 を 将 来 の交 渉 に残 し其 の他 のも のに付 ては今 後 は必 要 な
べく 速 に手 続 を 結 了 せ し め度 考 であ り ます が右 は貴 方 に於 て何 等 異
対し排 日根絶 に付適 切有効 なる手段を講じ根本的 に両国国交を阻害 べく
層 の注 意 を加 ふ ると 共 に日華 関 係 の増 進 を旨 と せ しむ る如 く指 導 す
日 本 人 の旅 行 の自 由 及安 全 の保 障
する原因 の排除 に努 めらるる こと肝要なるべき旨注意を喚起し置き
従 来 日 本 人 の中 国 国 内 旅 行 に付安 全 保 護 の為 行 動 の自 由 を束 縛 す
る嫌 あ り た る を 以 て爾 今 寧 ろ 中国 民衆 取 締 に遺 憾 な き を期 し 以 て日
四
本 人 の旅 行 の自 由 と安 全 と を 確 保す べき 旨 申 出 あ り た る に付 本 使 は
の努力 を竭 し 一切の排 日を根絶 せしむべく従てロ国 民政府 は国民党
たる処右 に関し国民政府 の自発的措置として今後イ国民政府は最善 部其 の他如何 なる団体たるとを問 はず其 の 一切 の排 日的策動 の禁絶
一、成 都 事 件 に関 し ては曩 に解 決 案 を交 付 し置 き た るが 貴 方 に於 て
方 に付其 の責 に任ず べく又ハ 国民政府 は此後充分 に中国民衆を指導
は大 体 異 存 な きも唯 四 川省 主 席 の謝 罪 は 困 難 な る場 合 あ るを 以 て之
こと を期 待 す るも のな り
又九月十日右徹底方 に関す る行政院長 の命令を夫 々発出 し尚 又九月
に代 へ同 主 席 の処 罰 及 将来 の保 障 を 為 す こと に改 変 方 提 議 あ り 本使
之 を諒 承 し 国 民 政府 に於 て誠 意 を披 瀝 し 以上 各 項 の実 行 に当ら る る
十四日軍事委員会委員長 の各軍事当局に対す る排日禁止方命令 を発
は之 に異 議 な し尚 賠 償 金額 も大 体 異 議 な き 由 な る を 以 て至 急 本件 解
し日支両国関係 の積極的改善 に努力 すべき方針なるが尚 以上 に関聯
出し又教科書審査委員 会を設 けて教科書 の検閲を実行せる外進 んで
決 に関 し 必要 な る手 続 を進 め ら れ度 (為 念 解決 案 更 に調 整 の上 茲 に
す る具体的措置とし て国民政府 に於 ては既 に八月 二十九日睦隣令を
近き将来 に於 て執 るべき措置 とし て
交 付 す )貴 方 の右 手 続 完 了 の上 は貴 方 に於 て承 諾 方数 次 言 明 あ り た
一 排 日禁絶命令 の徹底
る通 り 直 ち に在 成 都 総 領 事館 の再 開 方取 計 ふべ き に付 必要 な る準 備
中央党部常務委員会副主席 は近く各級党部 (各地方党部 、各
イ
を進 め ら れ度
昭 和 十 一年 十 二月 三 日
海 外党部、各職業別特別党部及各軍隊特別党 部 其 の他 各 党部 機 蒋介石氏 は近く全国民に対し排日禁絶方声 明すべく
関)及党員 に対し、排日禁絶方命令を発すべく 排日教科書 の改訂
ロ 二
播 は単 に中 国 のみ な らず 東 亜 全 般 の安 定 に対 す る脅 威 な る に鑑 み日
一、 共 同 防 共 に関 し本 使 よ り 外蒙 及陝 西 方 面 よ り来 る赤 化 勢 力 の侵
交渉 結末 覚 書
て各学校 に於 て使用 せら るる教材中排 日的色彩あるも のは最短期間
教育部当局 に於 て委員会を設けて教科書 の改訂を促進中な るを以 内 に 一切之 を除去す べく
華 両国 政 府 は之 が防 遏 に協 力 し 共 同 の方 策 を決 定 す る の要 あ るを 以
面 に於 け る具 体的 取 極 を 協 議 せ し む る為 日華 共 同 委員 会 を任 命 す る
て行 く 行 く は日華 軍 事 同 盟 に迄 発 展す る の期 待 の下 に不 取敢 華 北 方
排 日言論 の取締
三
新聞 (小報を含 む)雑誌 (児童 用のものを含 む)其 の他出版物、 意匠、絵画、映画、演劇等 に於ける 一切 の排日的色彩 の取締 に付 一
合 は未 だ結 論 に は達 し 居 ら ざ る に付 今 後 引続 き熟 議 す る こと と 致す
ら れざ る こと を断 言 し 得 る旨 言 明 あり た るが本 件 に関 す る雙 方 の話
ても 絶 対 に共産 主 義 を排 撃 し蘇 聯 と 提 携 す るが如 き は毫 も 考 慮 し居
と 共 同 し て防 共 の措 置 を執 る の原 則 を決 定 せ る旨 及蒋 行 政 院 長 に於
つる の必要 な るを 認 め国 民 政府 は従 来 の国 策 に 一大 転 換 を為 し 日本
赤 化 勢 力 の侵 播 を防 遏 す る為 日華 両国 に於 て協 力 し共 同 の方 策 を樹
こと と し度 き意 向 を 表 明 し た る に対 し貴 外交 部 長 より 中 国 に対 す る
な る授 権 を な し又 該 方 面 に於 け る財 政 、 金融 を調 整 す る等 の措 置 を
達 成 せ しむ る に必 要 な る 諸般 の処 置 例 へば 当 該 地方 当 局 に対 し 必要
敢 の措 置と し て現 存 当 該 地 方当 局 を し て日 本 と 共同 し て前 記 目 的 を
る こと 必要 な る が万 一中 国側 に於 て困 難 な る事 情 あ る に於 ては 不取
特 政会 の如 き を 創 設 し右 組 織 に対 し 広 汎 な る権 限 を包 括 的 に賦 与す
民 政 府 に於 て は速 か に華 北 五省 に於 て徹 底 せ る特 殊 行 政 機構 例 へば
す る に因 り 日本 政 府 は之 が達 成 の為 出 来 得 る限 り援 助 を 与 ふ べ く国
展 を 図 り相 互 に其 の福 利 を増 進 し 以 て両 国 関係 の改 善 に資 せ ん と欲
執 ら る る こと と 致 し 度 き希 望 を 表 明 し た る に対 し貴 方 より 国 民 政府
を遂 げ しむ る こと と し冀 察 の隣 省 に付 ては同 地方 の経 済 開 発 に関 し
赤 化 思想 防 止 に関 し 本 使 よ り共 産 ﹁イ ンタ ー ナ シ ョナ ル﹂ の活 動
べし
日華 協 力す る建 前 に て具 体 的 事 項 に付 今 後 国 民政 府 よ り関 係 地 方当
に必要 な る措 置 を 講 ず べ く冀 察 両 省 に付 ては此 の上 共 順 当 な る 発達
産 ﹁イ ンタ ー ナ シ ョナ ル﹂ の活 動 に関 す る情報 を相 互 に提 供 し 且之
局 に対 し随 時 訓 令 を 発出 す る こと と す べ き 趣旨 の応 答 あ り 本使 に於
に於 て は華 北 方 面 が 日本 と 緊 密 な る関係 にあ る に鑑 み右 に即応 す る
に対 す る啓 発及 防 遏 措 置 に付随 時 隔 意 な き意 見 の交 換 を 為 す こと と
て 先 づ 当分 此 の趣 旨 にて同 方 面 の 日華緊 密関 係 を助 成 し 行 く の熱 意
は現 存 国家 組 織 及 社 会 制度 を破 壊 及 攪 乱 す る も のな る に鑑 み 日華 両
し 度 く 右要 旨 に よ り此 の際 全く 互 恵 平 等 の協 定 を締 結 す ると 共 に之
国 は右 に 対す る防 衛 の為 緊 密 に協 力 す る こと肝 要 な る が之 には右 共
を 公 表 し 日華 両国 国 民 に対 し共 通 の利 益 及 共同 の目 標 を 示 し 以 て両
一、 航 空 聯 絡 に関 し 本使 よ り 日華 交 通 関係 の緊 密 な る に鑑 み中 国 、
を茲 に改 め て表 明す
欧 亜 両航 空 公 司 に 做 ひ 日華 合 辨 航空 会社 を 設立 し 中 国 側 は該 会 社 に
国 関係 の増 進 に資 す る こと と致 し 度 意 向 を表 明 した る に対 し貴 外交
対 し 日華 航 空 聯絡 に従事 す る こと は 勿論 中 国 全 土 に亘 り航 空 路 の開
部 長 よ り右 本 使 の提 議 の趣 旨 は篤 と 諒解 せ るも 反 共 産 主義 協 定 の即 時締 結 方 に付 ては 差 当 り中 国 側 内 政 上機 微 な る事 情 あ るを 以 て此 の
発 に当 る こと を許 可 せら る る こと と 致 し度 き意 向 を述 べ た る に 対し 、
施期 を 明年 五月 一日 と定 む る旨 を 明 記 し て即 時 之 に調印 し前 記 期 日
際直 に本 使 の提 議 を受 諾 し難 く 何 れ右 事 情 消滅 の上 改 め て協 議 に応
に無 条 件 に実 施 す る こと と す べ く 唯 右 調印 と同 時 に貴 方 よ り右 合 約
貴 方 に於 て は不 取敢 客 年十 月 二十 二日決 定 せ る合 約 草 案 中 に本 件 実
一、華 北問 題 に関 し 本使 よ り華 北 五省 に於 け る 日華 間 の特殊 関 係 を
り 又協 議 を遂 げ度 き 所存 な り
一層 緊 密 なら し む る こと 必要 な る に鑑 み 日華 両 国 相 協 力 し て 右実 現
に協 定 なき 航 空 に関 し 日本 側 に対 し 公文 を 以 て何 等 か申 入 を な し度
ず る こと と 致 し 度 き旨 応 答 あり た るに 付 本使 に於 て は其 の時 機 に至
に努 む る こと と 致 し度 く 就 中 同 方 面 の交 通 及資 源 の開 発 等 経済 的発
府 は 日本 品 の負 担軽 減 の為 輸 入税 率 を 引 下 げ互 恵 協 定 を 締 結す る こ
日本 よ り輸 入せ ら る る品 目 に付 過 重 な る負 担 を 課 し 居 る に付中 国 政
増 進 す る こと 両 国 の為 に極 め て緊 要 な る処 中 国 輸 入税 率 は主 と し て
一、 日華 両 国 経 済関 係 の改 善 方 に関 し本 使 より 日 華 通商 経済 関 係 を
本 使 は右 申 入 は貴 方 内 部 関 係 上 の必要 上 に基 く も のな る べき を 考 慮 ﹁ 脱?︺ ︹ 明?︺ し特 に公 文 の受 領 は し置 く べ き こと を茲 に声 言 す
く 尤 も 我 方 よ り之 に対 す る回答 は期 待 せ ら れ ざ る旨 申 出 あ り た る が
切望 す
来得 る限 り速 に諸般 の御希 望 と共 に日本 側 に申 出 あら ん こと を茲 に
政府 に於 て傭 聘 を希 望 せら る る部 及 人数 に付 て は前 記 三月 以前 に出
な く 明年 三月 迄 には実 行す べき 意 向 な る旨 言 明 あ り し が本 使 は国 民
及 現 に外 国 人顧 問 を招 聘 し 居 る各 機 関 に 日本 人顧 問 の傭 聘 方 に異 存
度 き 旨 希 望 を 表 明 した る に対 し貴 外交 部 長 よ り 国 民 政府 行 政 院 各 部
民政 府 傭 聘 外 国 人顧 問 中 の相 当多 数 は 日本 人 た ら し む る こと と 致 し
す
一、 日 本 人顧 問 に関 し 本使 よ り 日華 両 国 間 の密接 な る関 係 に鑑 み 国
ヂケ ート﹂ を組 織 す る こと と 致 し度 き 意 向 を表 明 した る に対 し貴 外
と に同 意 せら れ度 く 尚 中国 全 土 の 日華 経 済 合作 を目 的 と す る ﹁シ ン
交 部 長 よ り国 民政 府 に於 ては 九月 二十 一日 日本 側 よ り提 示 し た る輸 入税 率 引 下案 を参 照 し 出 来 得 る 限 り 日本 側 の希 望 に副 ふ べき 引 下 を 三、 四 月 内 に実 施 す べき 旨 回 答 あ り し が 日本 側 と し て は 一日も 速 か に其 の希 望 を達 成 す る こと が日華 両 国 の経 済 関 係 上極 め て須 要 な る
一、 不 逞 朝 鮮 人 に関 し本 使 より 従 来 国 民政 府 に於 て不逞 朝 鮮 人 を 庇
こと に付 茲 に再 応国 民政 府 の注意 を 喚起 す るも のな り
護 し来 れ る は日華 国交 上 重 大 な る障 碍 な る を以 て速 か に是 正方 を 要
き何 等 条 約 上 の義 務 な き も 日本 に対 す る好 意 の表 示 と し て不逞 の行
望 した る に対 し貴 外交 部 長 より 国 民 政府 に於 て は本件 要 望 に応 ず べ
居住 し居 る も のは爾 今国 民政 府 に於 て之 を庇 護 せざ るは 勿論 日本 官
為 あ り 又 は 不穏 の計 画 を有 す る朝 鮮 人 に し て現 に中 国管 轄 区域 内 に
憲 よ り右 事 実 を 明 示 せ ら る る場 合 は之 が逮 捕 引 渡 を為 す べ き趣 旨 言 明 あ り た り仍 て本使 は右 言 明 に信 頼 す る と 共 に茲 に再 応 本件 不逞 朝 鮮 人 中 に は皇 室 に関 す る罪 の犯 人を も含 み居 り国 民 的 感 情 上 よ りす るも 本項 の実 行 に は帝 国 政府 が最 も 重 き を置 く も のな る こと を声 言
四四
口上 書 お よ び 交 渉 結 末 覚 書 に
部長諭特向
高
宗
武 殿
貴方従来未提出之事項反有列 入核與歴次會談情形頗多出 入茲奉
我方向未談及之記載且對我方重要意見漏記甚多而
台函備悉査閲關於 三日晩川越 大使留置之 ﹁備忘録﹂其中不特有爲
逕啓者接准本月 四日
第 三号
亜 洲司長
外交部
関 す る 日本 と中 国 側往 復 書翰
外交部亜洲司啓
逕啓者本晩川越大使與張部長會晤後留置之件 茲奉
第 一号
部長輸 送回 貴大使館其理由 已經部長當面説明矣此致 須磨秘書 民国二十 五年十二月三日 第 二号
印
十 二月 四日
貴方鄭重聲明此件既非過去 雙方談話之正確記載 不能作為参證之根 査證爲荷此致
據相應函達即希
拝啓陳者昨三日夜川越大使 より張部長 に差上げたる口上書本日早 朝御返送越相成 たる処右 は外交 上 の慣例 に基き同大使 の陳述を貴 方
外交部亜洲司啓
対し本月三日夜川越大使 の張 部長に残 し置 かれたる備忘録 は過去 に
拝啓陳者十二月四日附貴部亜洲司書翰を以 て駐京帝国総領事館 に
第 四号
駐京日本總領事館
の記憶 に便す る為其儘書物として残 された るも のに有之外交上 の儀
須 磨 彌吉 郎
礼よりす るも之 が返送を受く べき筋合 に無之 に付右茲 に返却致候 敬具 昭和 十 一年 十 二月 四 日
総 領事
在南京
於ける雙方話合 の正確なる記録 にあらざ るを以て何等証拠と為 し能 はざる旨声 明相成た る処右備忘録 は同夜川越大使 の張部長 に対す る 談話を備忘 の為文書 に作成残 し置 かれた るも のにして右文書 の性質
部
御中
駐京 日本大使 館〓事処
敬具
等に付ては既 に前記会談 の際大使 より部長に対し篤と説明済 の次第
交
に付右 に御了知相成度 此段得貴意候 外
二月 三 日在 支 大使 館 に於 て声 明 す る所 が あ つた が茲 に今 次交 渉 に当
成 都 其 の他今 次 排 日不 祥 事 件 に関 す る 日支 交 渉 の経緯 に就 て は十
空連 絡 、顧 問 の傭 聘 、 不 逞 鮮人 の取 締 、 関 税 の引 下 等 日支 間多 年 の
防 共 問 題及 北 支 問 題 等 両国 国 交 の調 整 に直 接 関 係 あ る問 題 の外 、航
策動 の取 締 に関 し て南京 政府 が誠 意 実 行 に当 る ことを 要 求 す る 一方
川 越 ・張 羣 会 談 に 関 す る 帝 国 政 府 の 発 表 ( 十二月十日)
り帝 国 政 府 の執 り来 つた 方 針 竝 に右 交 渉 に対 す る政 府 の見解 等 を明
て排 日 策動 の原 因 た る南 京 政府 の対 日態 度 を 是 正 す る と共 に日 支 国
懸 案事 項 を も解 決 し 、 仍 て以 て消 極 的 な る排 日取 締 より 一歩 を 進 め
四五
白 にし た い の であ る
交 改善 に関 す る同 政 府 の誠 意 を具 体 的 の問 題 に付表 示 す る こと を 慫
一、 八 月 二十 四 日成 都 に発 生 し た 邦 人 記者 虐 殺 事 件 は多年 南 京 政府 に於 て執 り 来 つた排 日教 育 及 排 日的 政 策 の当然 の帰 結 と 云ふ も 過言
二、 右 の如 き政 府 の方針 に基 き、 九 月 八 日 須磨 総 領 事 と 張 外 交 部 長
慂 し 来 つた 次第 であ る
の間 に七 回 、須 磨 総 領 事 と張 外交 部 長 或 は高 亜 州 司長 と の間 に 二十
と の間 に 予備 的会 談 が開始 せ ら れ て以 来 、 川 越 大使 と張 外交 部 長 と
でな い こと は 本事 件 発 生 の経 緯 竝 に事件 の内容 を知 悉 す る者 の尽く
の睦 隣 令 を 以 て能 く同 種 事 件 の再 発 を 防 止 し得 ざ る こと は成都 事 件
首 肯 す ると ころ であ る従 つて其 の源 を清 む る に あ らざ れ ば 、 只 一片
と 踵 を 接 し て 九月 三 日北 海 事 件 、 同 十 七 日漢 口事 件 、 更 に二 十 三 日 上 海 事 件等 が連 続 発生 した 事 実 に徴 す る も 明か で あ る、 仍 て帝 国 政
の意 嚮 であ る こと が判 明 し 交渉 の将 来 に対 し て大 体 の見透 し を着 け
得 る に至 つた の であ る、 即 ち排 日取 締 問 題 に関 し て は 、国 民 政 府 に
数 回 の折衝 が 重 ねら れた 結 果概 略 左記 が我 方 の提案 に 対す る南 京 側
於 け る殺 人 傷 害事 件 と し て取 扱 ひ 単 に事 件 自 体 の解 決 を 計 る こと の
を問 はず 其 の 一切 の排 日 的 策動 に付国 民政 府 に於 て責任 を負 ふ と共
於 て自 発 的 に 一切 の排 日を 根 絶 し 、 且党 部 其 の他 如 何 な る団 体 た る
府 に於 て は此 等排 日 不祥 事 件 に関 す る交渉 に当 つて は通 常 の支 那 に
み を 以 て満 足 せず 更 に進 で南 京 政 府 を し て此等 不祥 事 件 の再 発 を防
に、 排 日 取 締命 令 の徹 底 、 排 日教 科 書 の改 訂 、 排 日 言 論 の取 締 等 に
止 せし む る為 の将 来 の保 障 とし て此 の際 根 本的 方 策 を講 ぜし む る こ と が肝 要 であ ると思 考 し、 之 が為 先 づ 事件 発生 の根 本 原 因 た る 排 日
付進 む で 必要 の措 置 を執 る べ き旨 を 言 明 し 又国 交 調 整 問 題 中防 共 問 題 に関 し て は全 般 的 には遂 に話 合 が成 立 す る に至 らな か つた が或 る 部 分 に関 し て は意 見 の 一致 を 見た 点 があ り 又北 支 の問 題 に関 し ても 日支 協 力 し て 不取敢 経 済 の開 発 を 計 るべ き 原則 に 付話 合 が 纏 つた。 其 の他 の懸 案 事 項 に関 し て は 日支 間 航 空 聯絡 問 題 に就 き 多 少 の問 題 が あ つた のを 除 け ば 顧 問 の傭 聘 、 不 逞 鮮 人 の取 締 、 関 税 の引 下 等 に
ても南 京 政 府 は大 体 我 方 の要 望 を 容 れ 成都 総 領 事 館 も 亦 近 く再 開 を
付 いて既 に意 見 の 一致 を見 た る の みな らず 、事 件 自 体 の解 決 に関 し
然 る に其 後 南 京 政府 に於 て は時 偶 々綏 東 問 題 の起 つた のを 口実 と
見 る べ き形 勢 と な つた
し同 問 題 の解 決 せ ざ る 限 り南 京 交 渉 を 成 立 せ しむ る こと は 困難 で あ ると 申 出 で既 往 の話 合 をも 否 認 せ ん とす る が如 き 態 度 を 示 し、 川 越 大使 の屡 次 の申 入 に 対 し て も張 部 長 は殊 更 に会 見 を 忌避 せ むと す る
の為 め に此 上 交 渉 を 遷 延 せ し む る こと は事 態 を紛 糾 せ し む る に過 ぎ
が如 き有 様 であ つた か ら同 大 使 に於 ては南 京 交 渉 と 関係 のな い事 件
を見 た る点 を 覚 書 に認 め之 を手 交 す ると 共 に南 京 側 が 右話 合 の結 果
ず と思 考 し 、 十 二 月 三 日張 部 長 に面 会 の際 同 日迄 に双 方意 見 の 一致
を速 に実 行 に移 さ ん こと を要 求 し た
に対す る南 京 政 府 側 の出 方 を厳 重 見 守 る と 共 に、 今 後 同 政府 の措 置
三 、交 渉 の現 状 は概 略 右 の通 り であ るか ら帝 国 政 府 と し ては右 申 入
特 に排 日取 締 に見 るべ き も の なく 万 一在 支 居 留 民 の生命 財 産 の安 全
には支 那 現 下 の状勢 に鑑 み臨 機 必 要 な る措 置 を 執 る方針 で あ る
を脅 か し或 は帝 国 の在 支権 益 を侵 害 す る が如 き 事 態 が 発 生す る場 合
川 越 ・張 羣 会 談 に 関 す る 国 民 政 府 の 発 表 ( 十二月六日)
府 側 に於 ても同 様 の原 則 よ り最 少 限度 の事 項 を提 出 し 合 理 的 解決 を
四六
国 民 政府 は東 亜 の平和 維 持 の見 地 よ り 平 等互 恵 、 領 土主 権 の相 互
外 交 の進 行 を障 害 す る に至 り討 論 中 の各 問 題 が結 果 を見 る に至 ら な
が 不幸 にし て会 談 中張 羣氏 より 屡 々注 意 を喚 起 し た綏 遠 事 件 発 生 し
か つた のは遺 憾 であ る吾 人 は最 短 期 間中 に川 越 大 使 の努 力 に依 り 外
要 求 した 、 交 渉 二箇 月 余 各 種 の問 題 の内 数 点 に付 て は意 見 接 近 し た
た が有 田前 大 使 は満 洲問 題 の解 決 は尚 時 機 にあ らず と し た ので張 羣
尊 重 の原 則 下 に日支 関 係 の調 整 を希 望 し た、 張 羣 氏 は 本年 三月 有 田
氏 は冀 察 内 蒙 古 の行 政権 の完整 回復 より 交渉 を開 始 す る こと と し た、
交 の進 行 を妨 げ る事 態 の消滅 され る こと を希 望 す る
前 大 使 と 会 談 の際 日支 国 交 調 整 は満 洲問 題解 決 より 始 む べ く主 張 し
其 の後 日本 側 に国 交 調 整 の準 備 なく 支 那 国 民 の感 情 も亦 日 に激 し て 来 た 、測 ら ず も 八 月 に至 り成 都 事 件突 如 起 り国 民 政 府 は 国際 慣 例 に 依 り之 を解 決 せ んと した が 其 の交 渉 開 始 に当 り 日 本側 は或 種 の問 題 を 提 出 し 先 づ 夫 れ よ り解決 せ ん ことを 要 求 し た 、 其 の内 一部 は其 の 性 質 非 常 に重要 な るも のが あ つた、 各 地 に発 生 し た在 留 日本 人 に関 す る不 幸 な る事 件 に付 て は当 局 は極 め て之 を遺 憾 と し た が事 態 の根
せざ る限 り 修 交睦 隣 せ んと し ても得 ず 且却 て之 を 機 会 に悪 用 さ れ る
本 解 決 は 支 那 人 の日本 に対 し て懐 く悪 感 情 の消 滅 にあ る 、之 を 消 滅
虞 が あ る、 国 民政 府 の此 の見解 は飽 迄 も 不変 であ る 、 日本 側 提 出 の
の相 互 尊 重 を 以 て折 衝 の出 発 点 と為 さ んと し た 而 し て同 時 に国 民 政
問 題 に付 て は支 那側 は公 正 な態 度 を 以 て当 り 平 等 、 互 恵 、領 土主 権
一、 航 空 問 題
四七
﹁ 信 ず べ き 筋 よ り の聞 込 ﹂ と し て 国 民 政 府 が
十 二月 七 日 の各 紙 に 左 の通 掲 載 せ し め た 記 事
議 し 昨年 殆 ど契 約 の締 結 を見 んと し た る も客 冬 以 来 日 本 が 北支 に於
外国 政 府 よ り 要 求 を受 く べき 事 柄 に はあ らず
家 を専 門 家 と し て傭 聘 す る こと も 出 来 ざ る こと に はあ ら ざ る が但 し
素 よ り国 籍 の別 な し若 し 日支 国 交 好 転 せ ば支 那 が自 発 的 に日本 技 術
顧 問 の招 聘 は支 那 政府 の需 要 と 被 傭聘 者 の伎 倆 と に依 り て定 ま り
四 、 日本 顧 問 招 聘
て自 由 飛 行 を 開始 し領 空 主 権 を 侵 略す る に至 り た れ ば 支 那 と し て は
五 、排 日 取 締
福 岡 上海 間 の航 空 連 絡 を 指 す も の にし て 九、 一八以 前 日 本 よ り提
に至 れ り政 府 の此 の態 度 は今 も 不変 な り
此 の事 態 の止 む迄 は前 記 上海 、福 岡 連 絡 問 題 の進 行 は 困難 と認 む る
を 斟酌 し 随 時 適 宜 の調整 を加 へ得 べき が唯 支 那 政府 が関 税 調 整 を 研
本件 は支 那 の内 政 事 項 にし て所 定 の関 税 は国 家 の財 政 及 商 業 状 況
策 を 改 変 し真 に支 那 と 手 を 握 ら ん か 一切 の反 日行 動 は自 ら 完 全 に消
べき が唯 人 民感 情 の発 生 には 必ず 其 の原 因 あ り 苟 も 日本 側 が対 支 政
以 て之 を 執 行 し今 後 共 人民 に越 軌 行動 あら ば 引 続 き法 に依 り取 締 る
支 那 は国 交 敦 睦令 を発 し て人 民 を 戒告 し 地方 官 吏 亦誠 摯 の態 度 を
究 の際 に は密 輸 の停 止 と 密 輸 取 締 の自 由 と に先 づ 考慮 を 加 ふ る の要
滅 し 誠 摯 の友 誼 は常 に両 国 民 の間 に存 す べ し
二、 輸 入 税 の改 訂
あり
支 那 政 府 は素 よ り其 の何 国 人 た る を 論 ぜず 其 の領 土 内 に於 て非 法
三、 鮮 人 非 法 行 為 取 締
行動 あ るを 願 は ざ る が同 時 に朝 鮮 、 臺湾 及 其 の他 日 本国 籍 人民 が 日
べ き も のと 認 む
本 勢 力 庇 護 の下 に非 法 行為 を為 す 場 合 は 日本 当局 も 必 然 之 を取 締 る
四八
戸
舞
( 外務省 ﹁昭和十 一年度執務報告﹂ より)
成 都 事 件 自 体 の解 決 交 渉 及 北 海 漢 口両 事 件 解 決 交 渉
瀬
金
四、 〇 〇 〇 元
ハ
見
一、 成 都事 件 自 体 の解 決 交 渉
一七 六 ・ 一元
一、 二〇 〇 元
費
七、六〇四元
療
休業 に依 る損 害
治
一、 八 五 二元
一、 一五 五元
四、 〇 〇 〇 元
費
三〇 、〇 〇 〇 元
金
療
金
舞
治
慰
見
弔
掠 奪 に依 る損 害
掠 奪 に依 る損 害
中
野
月収 三〇 〇 元年 齢 五十 一歳 を基 礎 と す る時 は 二 二 、 三 四 五元 と な る も遺 ) 族数 に鑑 み増 額 せ り
(
四、 〇 〇 〇 元
二〇 、 〇 〇 〇 元
二 七 、〇 〇 〇 元
弔慰 金 夫 々
(海 軍 側 意 見 に依 る)
見舞 金 夫 々
生
中 山 及 田港
萱
八 幡 及出 利 葉
三、上 海 事 件
中
二、 北 海 事 件
田
成 都 事 件 自 体 の解 決 交渉 即 ち第 五項 第 一、 の訓 令 中 乙 に関 す る事
八○○元
三六、〇〇〇 元
邊
金
弔 慰 金 四〇 、 〇〇 〇 元 先例 、 他 と の振合 、 遺 族 の生活 程 度︶) ( を考 慮 し決 定 せ り 掠 奪 に よ る損害 一、 八○ ○ 元
慰
弔
掠奪 に依 る損害
ニ
項 に付 て は右 を 過 早 に支那 側 に提 出 し開 談 す る時 は支 那 側 は甲 の話 合 を遷 延 せ し め先 づ 乙 に付誠 意 を見 せ之 が解決 を 口実 と し て事件 は 全 般 的 に解決 せ りと なす の惧 あ り た る を 以 て乙 に関す る要 求 は出 来 得 る限 り後 廻 しと し 十 月 十 三 日 に至 り我 方 より 右 に関 す る交 換 公 文 案 を 提 示 し開 談 せ る が十 二月 三 日 の川越 大 使 張 羣 会談 に よ り甲 の話 合 一時 中 止後 も須 磨 高 宗 武 間 に協 議 を続 け居 れ り 尚 諸 事 件 によ る被 害 に関 し支 那側 に要 求 す べ き 賠償 金 額 は 一併 考
渡
深
川
一、 成 都 事 件
慮 し 左 の通決 定 せ り
イ
ロ
吉
岡
四、 漢 口 事 件 弔
慰
金
一 〇 、〇 〇 〇 元
汕頭 に於 ける角 田巡査 の場合要求額 に準ぜり (
二、 北海 及漢 口 両事 件 解決 交 渉
)
右 両事 件 は成都 事 件 と同 様 兇 暴 な る排 日直 接 行 動 た るは議 論 の余
ロ
湖北省主席
公安局長 の罷免
二、責任者 の処罰
償 (二万元)
三、犯人及連累者 の迅速逮捕竝 に厳罰
十 二月 三日の会談以後川越大使 は 一旦帰滬 せるが其 の後は須磨総
四、賠
な る を 以 て政 府 に於 て は成 都 事 件 に関 す る根 本 的 要 求 は即 ち右 両事
領事 と外交部亜洲司長高宗武と の間 に成都事件 乙及北海事件 の解決
三、成都 及北海 両事件 自体 の解決
件 の解 決 条 件 な り と の建 前 の下 に 一層 強 く支 那 側 の責 任 を追 求 す る
の通結末 を着く るに至れり
交渉 を続 け種 々の経緯 を経 たるが大体我方要求 を認 めしむ るを得 左
地 な く其 の性 質 上 成都 事 件 と同 じ く南 京 政府 の責 任 に帰 す べ き も の
こと と せり 而 し て此等 事 件 自 体 の解決 条 件 に 付 て は左 記 の通決 定 し
逕啓者關於本年八月二十四日日本人 四名在成都遭遇攣故其中二
イ 成都事件 に関す る十二月 三十 日附張羣書 翰
(後述ロ 及ニ)を須磨総 領事外交部 に於 て高 に手交 せり
大使 宛張部長書翰 (後述イ及ハ) を手交し右 に対す る大使 の復翰
十二月 三十 日高宗武須磨総領事 を来訪成都 北海事件 に関す る川越
一、公文 の交換
十 二 月 二 日国 民 政 府 に申 入 を なし 折 衝 を 開始 せ り
国 民 政 府 (外 交 部 長 よ り川 越 大 使 )
謝 (文 書 に依 る)
(北海 事 件 解 決 条 件 )
イ
廣 東 省 政 府 (主 席 黄 慕松 よ り中 村 総 領事 )
一、 陳
ロ 二、 責任 者 の処 罰
翁 照 垣 (旧抗 日救 国 軍 独立 第 一師 長 )、兵 國 珍 (同 参 謀 長 )
名受傷 二名身死 一事本部長茲代表政府以誠懇 態度對貴国政府深致
イ
歉意
定宅劉子雲等亦 已分別處以徒刑
本事件 之首 犯劉成先蘇得勝業 已處 以死刑其他兇犯岑群 王述清彭
分別予以處分
午〓連長堯劉古公安局科長鄭介 雄隊長孫岳軍分局長康振等亦均已
范崇實究屬疏於防衛中國政府已將該 二員免職又警備司令部營長曹
當事變時地方當局曾弾壓救護但省會警備司令蒋尚樸及公安局長
両 名 の 一切 の官 職 を 剥奪 し将 来 も之 が再任 用 を為 さざ る こと 及 北
其 の他 の責 任 者 の処 罰 (認定 は支 那側 に 一任 す )
海 公 安 局 長 の罷 免 ロ
償 (三万 元 )
三、 犯 人 及連 累 者 竝 に煽 動 者 厳 罰 四、賠
国 民 政 府
謝
(漢 口事 件 解決 条 件 ) 一、 陳 イ
央国政府對於死者渡邊洸 三郎 及深川經 二之遺族擬各給 予實在損 失費及相當撫恤金對 于受傷者 田中武夫及瀬戸尚 二人擬各 給予實在 醫葯費及實在損失費其数目〓文通知 本事件既照上開辨法予以處理 中國政府當認爲業 已解決相應照達 本部長順向
貴大使査照見復爲荷 貴大使重表敬意 此致
中国政府は前顕辨法 に照らし処理 した る上 は本事件 は既 に解決
尚死者 の遺 族及負傷者 に対する各費合計中国貨幣九万八千八百
せるも のと致度候
八十 七元 一角 也正に受領致候
敬具
仍 て本使 は本事件自体 は解決 を告げた るも のと認定致候
此段回答旁本使 は茲 に重 ねて閣下に向 て敬意を表し候
北海事件 に関す る十 二月三十日附張羣書翰
逕啓者關于本年九月 三日日本商人中野順 三在廣東北海遭遇變故
ハ
一事本部長茲代表政府 以誠懇態度對貴国政府深致歉意
當時北海 地方情 形特殊 又因事起倉卒關使當局雖有相當措置保護
同 日附川越大使 復翰 以書翰啓上致候陳者本 日附貴翰を以 て左の通 り御照会相成了承
公安 局長陳鎮亦已去趣致無 従〓予處分
究有未周惟當時實際 上警備該地人員翁照垣丘國珍等早經遣散北海
ロ
致候 本年 八月 二十四日日本 人四名成都 に於て変故 に遭ひ其 の内 二
本事件既照上開〓法予處理中國政府當 認爲業已解決 相應照達
中國政府對于該日商中野順 三之遺族給予撫〓費参萬元
本事件之兇犯業已視情節之輕重分別予以處分矣
名負傷 し二名死亡 せる事件 に関 しては本部長 は茲 に政府を代表 し 誠懇 の態度 を以 て貴国政府 に対し深く歉意を表 し候 及公安 局長范崇實 は防衛 上行届 かざ る点ありたるに付中国政府 は
本部長順向
事変 に際 し地方当局は弾圧、救護したるも省会警備司令蒋尚樸 既 に該両名を免職 し又警備司令 部営長曹午〓、連長劉堯古、公安 ︹ 鄭?︺ 局科長鄧介雄、隊長孫岳軍、分局長康振等 も亦等しく既に夫 々処
此致
同 日附川越大使 復翰
以書翰啓上致候陳者本 日附貴翰を以 て左の通 り御照会相成 了承
ニ
貴大使査照見復爲荷
分致候
貴大使重表敬意
本事件 の首犯者劉成先、蘇得 勝 は既 に死刑 に処し其 の他 の犯人 中国政府は死者渡邊洸 三郎及深川經 二 の遺族 に対し ては夫 々実
せる件 に関し ては本部長 は茲 に政府を代表 し誠懇 の態度を以て貴
致候本年九月三日日本商 人中野順 三が廣東北海 に於 て変故に遭遇
岑群、王述 清、彰 定宅、劉子雲等も亦既 に夫 々処罰致候 際 の損害額及相当 の弔慰金を給与し負傷 者田中武夫及瀬戸尚 の両
国政府 に対し歉意を表し候
名 に対し ては夫 々医薬実費、実際 の損害額等を給与致す べく其 の 金額 は別信 を以て通知 の通りに有之候
て は十 二 月 三 日在 支 帝 国 大使 館声 明書 の趣 旨 に依 り 主 と し て在 南 京
当 局 談 の通 で あ るが 成都 、 北海 等 個 々 の事 件 に関 す る善 後 措 置 に就
須 磨 総 領 事 と高 亜 洲 司 長 と の間 に事 務 的 折 衝 を 続 け て来 た結 果 成 都
当時北海地方 の状態特殊 にし て又事件怱卒 の間 に起りし為関係 際上該 地方警備 の責を負 ひたる人員翁照垣、丘國珍等 は早くも既
及 北海 の両事 件 に関 し て は十 二月 三十 日附 を 以 て川 越大 使 と張 外 交
当局は相当措置を講 じたるも保護周到ならざりしものあり当時実 に放逐 し公安局長陳鎮も亦既 に職 を去りたる為処 分の由 なき に立
尚 支 那 側 に於 て も須 磨 高 宗 武打 合 の趣 旨 に依 り 同 日発 表 をな し た
部 長 と の間 に 左 記 の如 き 文 書 の交 換 を了 した ﹂ (以 下 略 )
中国政府 は該日商中野順 三の遺族 に対し弔慰金 三万元を給与致
ち近 く 再 開 の予 定 で あ る﹂
﹁尚 在 成都 帝 国 総 領 事 館 は支那 側 に於 て諸 般 の準 備 完 了す るを 待
に於 て左 記 の通 公表 せ り
豫 を 懇請 せ るを 以 て 我方 限 に て発 表 を なす こと と し前 記 三、 の末 尾
みな らず 現 地 の都 合 に付 劉 湘 よ り 返 電 なし と て外 交部 に於 て切 に猶
居 るも 今 次 の文 書 交 換 と 共 に実行 す る こと は対 内関 係 上 困 難 な る の
本 問 題 に付 ては成 都 事 件 交 渉 中支 那 側 に於 て既 に原則 的 に同 意 し
四、 成 都 総領 事 館再 開 問 題
り
至り候 本事件 の犯人 は既に情状 の軽重 に応じ夫 々処分致候
中 国政府 は前顕〓法 に照し処理 した る上 は本事件 は既 に解決 せ
すべく候 るも のと致度右御了承相成度候尚被害者遺族 に対する弔慰金中国
敬具
依 て本使 は本事件自体は解決 を告げた るも のと認定致候
貨幣三万元也 正に受領致候 此段回答 旁本使 は重 ねて閣下 に向て敬意を表し候 償 金
賠償金 内訳 は右公文 の交換 と同時 に節略を以 て申越 せるも先方 の
二、賠
(但直接損害額 に付査定後追加申請 あり深川 の分を三〇〇弗増額 せ
希望 に依り内訳は発表 を差控 へたり尚金額 は当 方 要 求 通 と な れり り) 表
右文書交換 に付ては即日南京及東京 に於 て発表を行ひたるが東京
三、発
に於 ては外務 当局談とし て左記 の如 き説明を附したる上張羣来翰内 容を述 べ右を川越大使 に於 て了承し尚弔慰金を受 領せる旨 回答 せる ﹁成都其 の他今次排 日不祥事件 に関す る日支交渉 に当 り帝国政府
次第を公表せり の執り来 つた方針竝 に交渉 に対す る政府 の見解等 は十二月 十日外務
昭和 11
一
四九
一九 六九 九
有 田外務大 臣
七 日後 発 十 月 七 日夜 着
亜
数 日来 英 、 米 、仏 、 露 各 方 面 ヨリ同 情 ア ル ﹁ジ エスチ ユア ー﹂ ア リ
ニ付 篤 ト 相 談 ノ上 ナ ラ テ ハ元 ノ儘 ノ話 ヲ続 ク ル訳 ニ行 カ スト頑 張 リ
形 ニ於 テ (往電 第 七七 一号 )新 ニ会 談 ヲ始 ム ル コト ニ略 打 合 中 ナ ル
︹不詳 ︺
要 幹 部 会 ヲ開 キ大 体 支 那 側 五項 目 ヲ日本 側 六 項 目 ニ牽 聯 セ シ メタ ル
為 サ サ ル ハ不届 千 万 ナ リ ト詰 問 セ ル ニ高 ハ実 ハ本朝 蒋介 石 ノ許 ニ重
フ ニ於 テ ハ支那 側 カ決 裂 ヲ宜 言 ス ル ニ モ等 シ ク又 予 テ約 束 ノ回 答 ヲ
第 二 次 訓 令 に よ る 会 談 関 係 の外 務 電
暗
南京 本省
須 磨 総 領 事
支 那 側 ハ例 ノ山 気 ヲ出 シ 一流 ノ宣 伝 ニテ 日本 ヲ悪体 ニ言 触 ラ シ居 ル
第 八○ 三 号 (交 渉 、 極 秘 )
会 談 ヲ遷 延 セ シ メ ント スト解 ス ルノ 外 ナ キ カ如 何 ト問 詰 メ若 シ然 ラ
空 気 ニ乗 シ テカ高 モ自 ラ ハ理 不 尽 ト知 リ乍 ラ前 記 遣直 シ論 ヲ固 執 シ
昨 六 日約 ニ依 リ高 宗 武 ニ対 シ我方 ヘノ回 答 ヲ督 促 シタ ル処 高 ハ許 ︹ 許世英︺ ︹ 主計︺ 大 使 ヨリ ノ来 電 ニ依 リ桑 島 局長 ヨリ我 方 提 案 ノ内容 ニ関 シ未 タ意 ヲ
ス ハ素 直 ニ従来 ノ経緯 ヲ辿 リ会 談 ノ誠 意 ヲ示 ス ヘシト迫 リ タ ル結 果
往 電第 七 八 五号 末 段 ニ関 シ
尽 サ サ ル点 ニ付 説 明 ア ル ヘク其 ノ結 果 日 本側 ヨリ新 ニ申 出 ア ル ヘキ
ル張 公 権 ノ同席 ヲ求 メ タ ル上 御 趣 旨 に応 ス ル コトト ス ヘシト折 レ結
高 ハ事 重 要 故 予 テ 蒋介 石 ヨリ自 分 ト 共 ニ日支 問 題 研 究 ヲ命 セ ラ レ居
川 越 大使 ヨリ
コト ニ了解 シ結 局 本 使 蒋介 石 ト ノ会 見 (明 八 日 午前 十 時 ) ノ後 本使
寧 ニ依 リ 我 方提 案 ヲ何 等 増 減 ス ル必要 ナ ク唯 日 本政 府 ノ重 大 ナ ル決
日 須磨 ヨリ高 ニ対 シ許 大使 来 電 ノ趣 意 ハ如何 ニ モア レ桑 島 局 長 ノ来
右 ﹁ライ ン﹂ ニテ蒋 介 石 説 得 方 約 セ シメ置 キ タ リ
電 第 八〇 五号 ノ通 リ) 高 ト別 電 第 八〇 四号 ノ通 リ会 談 ノ上張 ト協 力
局 張 ハ蒋 ノ許 ニテ会 談 中 ニテ間 ニ合 ハス (後 刻 別 ニ会 談 セ ル コト往
テ降 ラサ リ シカ須 磨 ヨリ蒋 介 石 ハ日本 ト 一戦 スル ノ覚 悟 ナ ク無 理 ニ
ト 張 羣 ト ノ間 ニ話 ノ遣 直 シト ナ ル ヘシト 頑 張 リ居 タ ル次第 ア リ本 七
意 ノ程 ハ同 局 長 ヨリ委 曲 説 明 ア リ タ ル ニモ鑑 ミ此 ノ際 遣 直 シ等 ト 言
ハ
顧 問 ハ三、 四箇 月 内 ニ ハ招 聘 ノ コト
コト
一派 カ懸 命 ノ反対 ヲ為 シ為 ニ蒋 カ帰 寧 後 先 ツ高 ニ対 シ少 ク モ此 ノ問
三 、防 共 ハ蒋 介 石 ニ於 テ最 困難 ト スル問 題 ニテ現 ニ馮 玉 祥 、 于 右任
ト ノ四 項 目 ノ処 理 ヲ決 定 セ リ
ノ際 ハ問 題 ト セ サ ル コト 必 要 ナ リ
様 引 渡 方 ニ関 ス ル支 那 側 ノ希 望 ハ全 然 将 来 ノ事 態 ニ関 シ居 レ ハ此
支 、在 支 各 総領 事 、北 平 、厦 門 へ転 電 セリ
七 日後 発 十 月 八 日前 着
支 ヨリ上海 へ転 電 ア リタ シ
一九 七〇 〇 南京 本省
朝 鮮 人 ハ予 テ ノ約 ニ従 ヒ逮 捕 引 渡 ヲ実 行 シ在 日本 支 那 人 ノ同
二 暗
ニ
昭和 11
有 田外務大 臣 須 磨 総 領 事
カ支 那 側 ニ於 テ綺 麗 ニ撤 去 ス ル ニ於 テ ハ正式 ニ ハ出 来 サ ル モ例 ヘ ハ
一、 須 磨 ヨリ支那 側 五項 目 ハ此 ノ際 問 題 ト セ サ ル コト絶 対必 要 ナ ル
蒋 介 石 ノ肚 ナ レ ハ先 ツ前 記 ノ貴 電 一 ノロ ノ如 キ 一般 的赤 化 防 止 ヲ目
包 頭 ノ線 ヲ冀 東 政 府 ノ解 消 並 ニ塘 沽 協 定 取 消 ヲ条 件 ト シテ行 フ コト
明 シ百 方説 得 セ ル モ高 ハ支 那側 ハ往 電 第 七 三 九号 ノ 三 ノ一 山海 關 、
項 会 談 ヲ躊 躇 セ ル モ須 磨 ヨリ貴 電 第 一八 二号 一 イ 及ロ ニ付 詳 シ ク説
︹本 駐 二九 七 頁 ︺
題 ハ他 日 ニ廻 ス コト必 要 ナ リト言 明 セ ル次第 モア リ ト テ高 ニ於 テ本
高 宗 武 ニ自 分 (須 磨 ) ヨリ事 務 的 ニ ﹁五項 目 ニ ハ自 ラ出 来 ル モノト
的 ト ス ル協 定 ハ後 日 ハ兎 モ角 此 ノ際 ハ絶 対 考慮 ノ余 地 ナ ク又 日支軍
第 八 ○ 四 号 (別電 、極 秘 、館 長 符 号 扱 、 交渉 )
出 来 サ ル モノト ア ル ヘキ カ今 次 交渉 ノ結 了 後 将 来 日本 側 ハ支 那 側 ノ
ケ居 ル始 末 ナ レ ハ問 題 ト ナ ラ スト押 問 答 ヲ繰 返 シタ ル結 果 高 ハ宋 哲
要 望 ニ対 シ考 慮 ヲ払 ヒ得 ヘシ﹂ 位 ノ謂 ハハ紳 士 協 約 ヲ為 ス コト 関 ノ
元 カ既 ニ防 共協 定 ヲ締 結 セ ル ニ鑑 ミ冀 察 並 ニ綏 遠 ノ 三省 ニ付 テ ノ防
ニ最 近 ハ五省 ト言 フ丈 ケ ニテ軍 部 及 党 部 方 面 ヨリ非 常 ナ ル反 対 ヲ受
二、 高 ヨリ六 日 ノ 行政 院 会 議 ニテ支 那 側 最 大 限 度 案 ト シテ防 共 及 北
共 施 設 ハ出 来得 ヘキ ヤ相 談 シ見 ル コト ト ス ヘシト 言 ヘリ
事 同 盟 ニ至 ル ヘキ防 共 協 定 ノ範 囲 モ北 支 五省 ニテ ハ問 題 ト ナ ラ ス殊
支 両問 題 ハ後 日 ニ廻 シ此 ノ際 ハ他 ノ四項 ニ関 シ 二十 三 日 ノ張 羣 申 入
山 ナ リト 覆 被 セ高 ヲシ テ 五項 目 ハ六項 目 ニ牽 聯 セ シ ムト ノ蒋 介 石 ノ
ノ条 件 ニテ解決 方申 出 テ ンカト ノ仮決 定 ヲ見 居 ル旨 ヲ披 露 シ両 問 題
ハ成 程 面白 キ モ之 亦 五省 ト シテ ハ問 題 ト ナ ラ ス支 那 側 ノ北支 問 題討
四 、 須 磨 ヨリ特 政 会 案 ヲ詳 説 シタ ル ニ高 ハ将来 実 施 ス ヘキ案 ト シテ
意 嚮 ナ ル モノ ヲ撤 回 セ シ メ タリ
此 ノ際 ノ除 外 ヲ固 執 セ ル モ須 磨 ヨリ 両問 題 コソ今 次交 渉 ノ骨 子 ナ ル
議 ノ根 底 ハ冀 察 ノ半 独 立 性 ヲ改 造 シ中 央 軍 ノ駐在 ヲ復 活 ス ル ニア ル
︹ 本書二八六頁︺
旨 ヲ主 張 シ結 局
コト 最 近蒋 介 石 ト ノ会 談 ニ依 リ 明白 ト ナ レリ ト テ 五省 問 題 ニ ハ乗 リ
福 岡 、 上海 航 空 聯 絡 ハ無条 件 ニテ 即時 調 印 、 但 シ実 施 期 ハ三 、
来 ラ ス結 局 須 磨 ヨリ
イ
関 税 引 下 ハ我 方希 望 案 ニ依 リ遅 ク モ二、 三箇 月 内 ニ ハ実 施 ノ
四箇 月 若 ハ支那 側 ノ希 望 ニ依 リテ ハ今 少 シ ク遅 ラ ス コト可 能 ナリ ロ
イ
ナク 又 対露 軍 事 同 盟 ノ前提 ト モナ ル ヘキ 話 合 モ此 ノ辺 ノ程 度 ニ シ度
一
語 レリ
翼 、 察 、綏 三省 ヲ防 共 区 域 ト ス ル コトト ス ヘキ カ綏 遠 ニ付 テ ハ地 方
キ カ日 本側 ノ要 望 ニ此 ノ上 考慮 ヲ求 ム ル コト 困難 ナ ル ヘキ ニ付 大体
赤 化防 止 協 定 ハ支 那全 般 的 ノ モノ ハ此 ノ際 ハ何 ト モ考慮 ノ余 地
並 ニ経済 合 作 ニ関 ス ル約 定 ハ勿 論 今 後 翼察 側 カ為 ス コト ア ル ヘキ
ロ
軍 事 当 局 ノ考 モア ル ヘキ ニ付 早速 傅 作 義 、 閻錫 山 ニ 一 応電照 スル コ
翼 察 ノ現 状 ニ ハ触 レサ ル ヘキ コト 即 チ宋 哲 元 カ締 結 セ ル防 共
一切 ノ約 定 ハ中 央 ヨリ承 認 セラ ル ヘキ コト
源 開 発 ニ付 日支 合 作 ヲ実 現 ス ル為 中 央 政 府 ハ各 省主 席 ニ対 シ必 要
綏遠 、山 西 、山 東 ニ付 テ ハ財 政 、 金 融 、 交 通等 ニ関 シ経 済 資
ナ ル包 括 的 訓令 ヲ発 シ授 権 ス ル コト ヲ提 議 シ高 ニ於 テ考 慮 ヲ約 セ
ト ト ス ヘシ
自 由 飛 行 ハ客 年 春 地 域 ニ関 ス ル条 件 ニテ決 裂 セ ルカ支 那 側 ハ何
リ
ト カ シ テ日 本軍 側 ノ希 望 ヲ容 レ合 法 化 セ シメ度 キ希 望 ナ ル ニ付 之 ヲ
二
五
又翼 東 政 府 ハ国 民政 府 ノ立 場 上 困 リ抜 キ居 ル所 ナ レ ハ関 東 軍 側
最 近数 日間 李守 信 軍 等 ノ活 動 著 シキ旨 入電 ア リ蒋 介 石 ニ於 テ特
本 日 ノ本 使 蒋 介 石会 見 ノ結 果 ニ付 テ ハ内 外 共非 常 ノ注意 ヲ払 ヒ
ニ心 配 シ居 ル ニ付 テ ハ之 亦 手加 減 ア ル様 致度 シ
四
シメ得 ル様 配 慮 方 之亦 同 様 約 束 ア リ度 シ
等 ノ都 合 モア リ今 直 ニ ハ出 来 サ ル ヘキ カ成 ル ヘク早 キ機 会 ニ解 消 セ
三
達 成 セ シ ム ル様 配 慮 方 紳 士 協 約 的 ニ約束 ア リ度 シ
五 、前 述 ノ打 合 ニ従 ヒ高 ハ本 日 外 交 部幹 部 会 ヲ開 キ 一応 附 議 ノ上 蒋
亜
介 石 ニ考 慮 ヲ求 メ明 日本 使 蒋 ト ノ会 談後 開 催 ノ筈 ナ ル緊 急行 政 院 会
支 、在 支 各 総 領 事 、北 平 、厦 門 ヘ転電 セリ
南京 本省
シ メ日 本側 ノ 一気 呵 成的 解 決 希 望 ニ応 ス ル コト 困難 ト モナ ル ヘク 又
居 リ何 等 カ大 体 ノ方 向 ヲ与 ヘサ ル ニ於 テ ハ日支 会 談 ノ決 裂 ヲ モ思 ハ
ク コト モア ル ヘク旁 本 会 見後 支 那 側 ト シ テ ハ ﹁蒋介 石 ハ川 越 大使 ニ
外 国 側 ニ於 テ ハ支 那 ハ日 本 ニ屈 服 シ密 約 テ モ出 来 タ ル如 キ感 想 ヲ抱
対 シ成都 事 件 ノ発 生 ニ関 シ深 厚 ナ ル遺 憾 ノ意 ヲ表 シ且今 後 此 ノ種事
須 磨 総 領 事
八 日前 発 十月 八 日後 着
議 ニ附 議 シ明 夜 遅 ク モ九 日朝 迄 ニ確 答 方 ヲ約 セ リ
三 一九 七四 四 暗
支 ヨリ上 海 ヘ転 報 アリ タ シ
昭和 11
有 田外務大 臣
第 八 〇 六号 (大 至 急 、 極秘 、 交 渉 )
甲 、 本 八 日求 ニ依 リ其 所 ニ於 テ須 磨 張 公 権 ト 会 見 セ ル処 張 ハ昨 夜深
テ公 正 ナ ル外交 ノ途 ヲ辿 リ度 キ意 嚮 ヲ述 ヘタ リ﹂ ト 言 フカ如 キ趣 旨
件 ノ発 生 セサ ル ヘキ コト ヲ希 望 シ又 日支 両 国 ハ今 後 平等 ノ立 場 ニ於
川 越 大使 ヨリ
更 迄 蒋 介 石 、張 羣 ト鼎 坐 相 談 セ ル処 蒋 ハ日本 側 ノ誠意 ニ対 シ テ ハ不
ヲ 入 レタ ル 「コ ムミ ユ ニケ ﹂ ヲ出 シ度 キ希 望 ナ リ
誠 意ヲ以 テ酬 ユル能 ハス須 磨 ヨリ話 シタ ル諸 点 ヲ認 メ サ ルヲ得 スト 述 へ支 那 側 ヨリ 此 ノ際 申 シ度 キ 点 ト シテ左 ノ通 ノ結果 ニ到 達 セ リト
乙、 右 ニ対 シ須 磨 ヨリ一 ニ関 シテ ハ軍務 当局 ニ命 令 ス ル コト 必要 ナ
ハ入 リ得 サ ル立 場 ニ在 リ ト述 へ之 カ為 数 日 来張 公権 ハ蒋 ト打 合 ノ上
于右 任 ニ対 スル機 微 ナ ル関 係 モア リ直 接 本使 ト ノ間 ニ具 体 的 ノ話 ニ
下交 渉 ニ奔 走 シ大 体 本使 ト ノ会 見 迄 ニ ハ本使 ヨリ蒋 ニ対 シ具 体 的 折
ル旨 二 、 三 及 四 ハ御希 望 ト シテ聞 キ 置 ク ニ ハ異 存 ナ シ五 ノ趣 旨 ハ尤 モナ ルカ何 レ会 見後 打 合 ス ヘシト 応 酬 シタ ル ニ張 ハ本 日 午 後 更 ニ蒋
ナリ 他 方交 渉 ヲ終 ル迄 張 羣 ヲ相 手 ト ス ル ヲ建前 ト セサ ル ニ於 テ ハ張
羣 ハ勿論 張 公 権 等 ノ蒋 介 石 ヲ取 巻 ク連 中 ヲ モ失望 セシ メ却 テ反 対 ノ
衝 ヲ要 セサ ル情 勢 ヲ作 ル ニ努 メ来 リ タ ル ハ往 電 第 八〇 五号 等 ノ通 リ
結 果 モア ル ヘキ懸 念 濃 厚 ナ ル モノ ア リ シ ニ付 本 使 ハ蒋 ト ノ会 見 ノ冒
介 石 其 ノ他 幹 部 ニ於 テ討 議 ノ筈 故 其 ノ結 果 ヲ張 又 ハ高 宗 武 ヨリ須 磨
ニ依 リ本 国 政 府 ヲ説得 シ見 ル ヘシト ノ建 前 故 ア ノ 「ライ ン﹂ ヲ潜 ル
頭 ニ於 テ 我方 六項 目 ニ関 シ貴 電 ノ御 趣 旨ニ依 リ 一々 念ヲ押 シ蒋介 石
ニ聯 絡 ス ヘシト 述 へ須磨 ヨリ昨 日 ノ話 ハ日 本側 ノ最 後 的 限 度 ニテ之
ヘキ カ大 体 安 心サ レ度 シト述 ヘタ リ
ニ於 テ ハ問 題 ニナ ラ スト念 ヲ押 シ タ ル ニ張 ハ 一、 二割 ノ出 入 ハア ル
亜 五
一九 七 七 三
暗
南京 本省
須 磨 総 領 事
八 日後 発 十月八目夜着
支 及 在 支各 総 領 事 、 北 平 、 厦 門 、満 ヘ転 電 セ リ
支 ヨリ上海 へ転 報 アリ タ シ
ニ面 談 シ度 キ旨 述 へ居 タ リ
ノ了 解 ヲ求 メ置 ク ニ止 メ往 電第 八 一〇 号 ノ会 談 ニ入 リ タ ル次第 ナ ル
暗
カ今 後 交渉 ノ経 過 ニ依 リテ ハ勿論 重 ネ テ蒋 ト 会 見 ノ積 リ ニテ蒋 モ更
八 日後 発 十 月 八 日夜 着
昭和 11
有 田外 務 大 臣
川越 大使 ヨリ
第 八 一〇 号 (大 至 急 、極 秘 、交 渉 )
亜
支 ヨリ上 海 へ転 報 アリ タ シ
四 一九七 六七 南京 本省
須 磨 総 領 事
支 、在 支 各 総 領 事 、 北平 、厦 門 へ転 電 セリ
昭和 11
有 田外務大 臣
第 八 〇 九 号 (大 至急 、 極 秘 、 交渉 ) 貴 電 第 一八 一号 ニ関 シ 川 越 大 使 ヨリ 蒋 介 石 ト ノ会 見 ニ際 シ本 使 ヨリ申 出 方 御訓 令 ノ次 第 モアリ タ ル モ、 累 次往 電 ニ依 リ御 承 知 ノ通 リ蒋 ヲ 正面 相 手 ト ス ルノ形 式 ト為 サ ハ蒋
一、 先 ツ本使 ヨリ前 回会 見 ノ際 日支 国 交 調 整 ニ付 テ ハ機 会 ヲ見 テ充
ノ遍 リ ( 清 水 、高 宗 武 同 席 )
︹董 三 ︺
本 八 日午 前 十 時 ヨリ本使 蒋介 石 ト約 二時 間 ニ亘 リ会 談 セ ル要旨 左
公 権 ハ数 回須 磨 ニ対 シ蒋 ハ有 田大 臣 ヨリ御 申 出 ナ ク ト モ両 廣 ノ事 態
ハ周 囲 ノ手前 上思 ハサ ル強 気 ニ出 ツ ル ノ已 ムナ キ事 情 モアリ現 ニ張
結 着 次第 来寧 ノ手 筈 ナ リ シ処 元来 蒋 ハ軍 人 ニ モアリ 且時 節 柄 馮 玉 祥 、
測 ラ ス モ成 都 事件 其 ノ他 ノ 不祥 事 件 発 生 シ両国 関 係 容 易 ナ ラサ ル事
分 意 見 ヲ交 換 シ之 カ 達成 ニ付相 互 ニ努力 ス ヘキ旨 述 ヘタ ルカ其 ノ後
カ頻 リ ニ英 国 ト ノ提 携 ヲ主 張 シ居 ル ヲ見 テ驚 キ タ ル次第 ナ リ顧 ミ ル
カ廣 東 ニ到 リタ ル日 北伐 当時 ノ反 英 ノ空 気 ハ全 ク 一掃 セ ラ レ同 地方
ア リ 又最 近 知 識 階 級 ノ間 ニ ハ英 国 ト ノ提 携 論 盛 ト ナ リ現 ニ今 回自 分
コト尚 遠 ク 一般 国 民 ハ前 述 ノ如 ク蘇聯 ニ信 頼 シ共 産 党 ヲ謳歌 ス ル風
リ見 ル モ遣 方 如 何 ニ依 リ テ ハ更 ニ短 日 月 ノ間 ニ且自 然 的 ニ友 好親 善
態 ト ナ リタ ル今 日 茲 ニ貴 院 長 ト再 会 ス ル コト ハ感 慨 無 量 ナ リ今 日 ニ
ナ ル関 係 ニ入 ル コト極 メ テ容 易 ナ ル ヲ確信 スト述 ヘタ リ
至 リ テ ハ速 ニ国交 ヲ調整 シ事 件 ニ依 リ テ 生 シタ ル暗 影 ヲ 一掃 スル ノ
ラ ス而 シ テ国 際共 産 主 義 ハ日支 両 国孰 レ ニ対 シテ モ其 ノ社会 制 度 及
二、 次 テ本 使 ヨリ今 次 ノ事 件 ニ関 聯 ス ル交 渉 ニ付 テ ハ既 ニ帝 国 政府
ニ蘇 聯 ト国 交 回 復 シテ僅 ニ 三年 英 国 カ対 支政 策 ヲ転 換 セ シメ テ ヨリ
国 家 組 織 ヲ破壊 セ ント スル モノナ ル ヲ以 テ之 カ共 同 防 衛 ハ正 ニ右 共
ノ訓 令 ニ基 キ張 部 長 ト話 合 ヒ居 ル次第 ニテ右 ノ経 過 ニ付 テ ハ報 告 ア
必要 ニ迫 ラ レタ ル次第 ナ ルカ惟 フ ニ国 交 ノ調 整 ニ ハ両 国 政府 当 局 ハ
通 ノ目 標 ト シテ 此 ノ際 最 意 義 ア ル途 ナ リ之 カ具 体 的 実 行 ニ付 テ ハ素
リ タ ル モノト察 セラ ル ル処 此 ノ際 貴院 長 ニ対 シ テ モ帝 国 政府 ノ意 嚮
ニ在 リ ヤ ハ極 メテ注 目 ス ヘキ次 第 ナリ 日支 両国 ノ如 キ ハ其 ノ関 係 ヨ
ヨリ専 門 家 ノ協 議 ニ俟 ツ 必要 ア ル ヘキ モ要 ハ共 産 党 ニ関 ス ル情 報 ヲ
漸 ク 五年 ニシ テ斯 ノ如 ク深 ク支 那 国 民 ノ心裡 ニ喰 込 ミタ ル原 因那 辺
交 換 シ之 カ防 止 ニ関 ス ル施 設 ニ付 相協 力 スル モノト シ其 ノ協 力 ノ下
ヲ述 へ深 甚 ナ ル考慮 ヲ促 シ其 ノ円 満 解決 ヲ希 望 スル次 第 ナ リ右 ノ交
単 ニ口頭 ニテ親善 提 携 ヲ説 ク ノ ミ テ ハ実効 ヲ期 シ難 ク宜 シク 両国 共
ニ両国 夫 々防 共 ノ手段 ヲ講 スル モノナ リ右 ハ国 交 調 整 ノ根本 義 ト思
渉 ニ当 リ懸 案 解決 ノ各 項 目 ニ付 テ ハ張 部 長 ト ノ間 ニ略 意 見 ノ 一致 ヲ
通 ノ 一大 目 標 ヲ掲 ケ 以 テ国 民 ヲ シ テ其 ノ向 フ所 ヲ知 ラ シメ サ ル ヘカ
惟 ス ル処 貴 院 長 ノ意 見如 何 ト質 シタ ル処 蒋 ハ防 共 問 題 カ両国 共 通 ノ
見 タ ル モノ モア リ 又未 タ結 論 ニ到 違 セサ ル モノ ア ル モ我 方 ノ希 望 シ
其 ノ特 殊 ナ ル事 情 ニ鑑 ミ所 謂 北 支 五省 ノ 地域 ニ亘 リ特 殊 ノ施 設 ヲ行
ル上 此 ノ内 最 重要 ナ ル ハ防 共 問 題 ト北 支 問 題 ト ナ ル カ北 支 ニ於 テ ハ
︹二 ?︺
リ異 議 ナ キ次第 ナ ル モ現 在 我 国 民 ノ間 ニ ハ蘇 聯 ニ反 対 ス ル コト ヲ好
利 害 ニ関 係 シ之 カ共 同防 衛 ニ付 テ ハ政治 、外 交 、 軍 事 各 当 局共 素 ヨ
居 ル ハ六項 目 ナ リ ト テ大 体 貴 電 第 一八 一号 各 項 目 ノ内 容 ヲ説 明 シ タ
ル者 スラ ア リ左 レ ハ先 ツ斯 ル空 気 ヲ転 換 セシ ム ル コト 先決 問 題 ナ リ
ヒ財 政 、 交 通 、経 済 等 ノ各 方 面 ニ於 ケ ル日本 ト ノ協 力 ヲ約 シ之 カ実
マサ ル者 少 カ ラ ス甚 タ シ キ ハ共 産 党 ト聯 合 シテ進 マン コト ヲ主 張 ス
自 分 ハ素 ヨリ国 民 ヲ指 導 シテ蘇 聯 カ我 国 ノ敵 ナ ルヤ味 方 ナ ルヤ ヲ認
外 交 ノ責 任 者 ハ張 部長 ナ ルヲ以 テ具 体 的 ノ話 合 ハ同 部 長 ト ノ間 ニ継
必要 ナ リト 述 ヘタ ル ニ蒋 ハ交 渉 ノ経 過 ハ張 部 長 ヨリ詳 細 聴取 セ ルカ
続 シテ進 行 セ ラ レ度 ク自 分 モ充 分 誠意 ヲ以 テ話 合 ヲ為 ス様 張部 長 ニ
行 ヲ容 易 ナ ラ シ ム ル為 必要 ナ ル権 限 ヲ是 等 地方 当 局 ニ賦 与 ス ル コト
相 協 力 シ テ進 マサ ル ヘカ ラ サ ル ハ単 ニ防 共 ノ ミ ニ限 ラ ス軍事 行政 財
識 セ シ ム ル コト ニ努 力 ス ヘク此 ノ空気 ノ転 換 ニ ハ貴 国 側 ニ於 テ モ充
政 経 済 等 有 ラ ユル方 面 ニ於 テ同 様 ニシテ斯 シテ コソ始 メテ 両 国 ノ共
申 聞 ケ置 ク ヘキ カ自 分個 人 ノ考 ト シテ ハ両国 力互 助 互 利 平等 ノ原 則
分 ナ ル援 助 ヲ与 ヘラ レ ン コト ヲ希 望 ス元来 両 国 カ共 通 ノ目標 ニ向 テ
存 共 栄 ヲ実 現 シ得 ヘシ然 ル ニ両 国 ノ関係 ノ現 状 ハ此 ノ理 想 ヲ離 ル ル
特 有 ナ ル事 情 モア ル ヘキ カ将来 好 意 ヲ以 テ之 カ処理 方希 望 ス ル次 第
自 分 ト シテ モ今 直 ニ之 力改 変 ヲ要 求 ス ル訳 ニア ラ ス其 ノ間 ニ ハ種 々
モノ ナ レ ハ今 直 ニ之 カ改 変 ヲ期 スル モ不 可能 ナ リ ト述 ヘタ ル処 蒋 ハ
唯 北 支問 題 ニ関 スル大使 ノ提 案 ニ ハ俄 ニ賛 成 シ難 シ支 那 ハ北 支 ノ
ヲ以 テ相 談 スレ ハ何 事 モ話 纏 マラ サ ル コト ナ シト信 ス
ミ ニ限 ラ ス全 国 ニ亘 リテ 日本 ノ協 力 ヲ希 望 ス ル モノ ナ ル モ右 ハ主権
ク外 交 交 渉 ニ依 リ解 決 シ且 将 来 此 ノ種 事 件 ノ絶 滅 ヲ期 シ以 テ両 国 間
ハ貴 国 ニ対 シ深 甚 ナ ル遺 憾 ノ意 ヲ表 ス ルト共 ニ是等 事 件 ヲ 一日 モ早
ノ暗 影 ヲ除去 ス ル コト 切望 ニ堪 ヘス尚 自 分 ハ当 分南 京 附 近 ニ滞 在 ノ
ナ リト答 ヘタ リ最 後 ニ蒋 ハ成都 事 件 及 其 ノ他 ノ不祥 事 件 ニ付 テ自 分
キ居 リ事 実 両国 ノ関 係 ヲ悪 化 シ居 ル ニ付 右 猜 疑 心 ヲ除 去 ス ル コト 必
筈 ニ付機 会 ヲ見 テ再 会 ノ 上更 ニ意 見 ヲ交 換 シ度 キ カ幸 ヒ張 部 長 モ日
ノ保 持 竝 ニ行政 ノ統 一ヲ妨 ケ サ ル前 提 ノ下 ニ於 テ之 ヲ行 フ ヲ要 ス現
要 ナ ルト 共 ニ同 地方 ニ於 ケ ル日支 ノ協 力 モ主 権 ノ保持 行政 ノ統 一ヲ
本 ニ対 シ理 解 ト 同情 ヲ有 シ居 ル次第 ニ付貴 大 使 ノ御 努 力 ニ依 リ 又自
在 支 那 国 民 ハ北 支 ニ於 ケ ル日 本 ノ施 設 ニ対 シ少 カラ ス危 惧 ノ念 ヲ抱
三、 蒋 ハ両 国 国 民 ノ感 情 ヲ融 和 セ シメ 両国 関 係 ヲ転換 セ シ ム ル コト
害 セ サ ル範 囲 内 ニ於 テ行 ハサ ル ヘカ ラ スト答 ヘタ リ
カ両 国国 交 調 整 ノ発端 ヲ為 ス モノ ナ ル コト ヲ期 待 スル モノナ リ ト述
亜
須 磨 総 領 事
十 日後 発 十 月 十 日夜 着
分 モ協 力 シ テ国 交 調整 ノ実 現 ヲ図 リ度 ク自 分 ハ本 日 貴 大使 ト ノ会 見
南京 本省
ハ支 那 当 局 ト シテ熱 望 ス ル所 ニシテ之 ニ対 シ テ貴 国 側 ノ援 助 ヲ希 望
六 一九 九 八 八
へ会 談 ヲ終 レ リ (了 )
昭和 11
有 田外務大 臣
第 八 一九号 (交 渉 ) ︹ 不詳︺ 貴 電第 一八 七号 ニ関 シ
冒 頭 貴 電 ノ如 キ 一般 的 協 定 ノ締 結 方 ニ付 テ ハ折 角 努 力 中 ナ ル モ右
暗
ス ル次 第 ナ ルカ之 力為 ニ ハ両 国 国 交 調整 ヲ外 交 ノ常 道 ニ依 リ解 決 ス ル コト第 一要件 ナ リ又 両国 民 ハ等 シク東 亜 民族 ト シ テ感 情 ト道 理 ト ヲ重 ン ス ル性 質 ヲ有 シ仮 令 国 内 ニ如 何 ナ ル困難 ナ ル事 情 ア リト雖 道 理 ト感 情 ト ニ基 キ処理 セ ハ解 決 決 シテ 困 難 ナ ラ ス現 在 日支 両 国関 係 ノ面 白 カ ラ サ ル感 情 ニ基 因 ス ル点 極 メ テ多 シト察 セラ ル ル カ今後 ハ
ヲ好 転 セ シ ム ル コト ヲ切 望 ス
相 互 ノ利 益 及面 子 ヲ尊 重 シ両国 間 竝 ニ両 国 民間 ノ信 用 ヲ回 復 シ感 情
条 理 ヲ外 レ サ ル範 囲内 ニ於 テ且
今 次 ノ交 渉 ニ於 テ モ イ
互譲 平等 ノ精 神 ヲ以 テ之 ニ当 ル コト ヲ希 望 ス ル次 第 ナ ルカ殊
ニ
口
ハ支 那側 ニ対 シ テ ハ全 然 新 タ ナ ル要 求 ナ ル ノ ミナ ラ ス累 次 往 電 ノ通
北 支 問題 ニ付 テ ハ同 地 方 ノ事 態 ヲ改 善 シ国 民政 府 ヲ シ テ 一般
ハ
リ国 内 親 蘇 派 ノ策 動 相 当 有力 ナ ル次 第 ニ モア リ面 子 上 モ対 内 問 題 上
モオイ 夫 レト 我方 提 案 ニ応 シ難 キ情 況 ニア ル ノ ミナ ラ ス内 心 ハ単 ナ
国 民 ノ信 頼 ヲ繋 キ得 シ ム ル様 考慮 セラ レ度 シ ト 述 ヘタ ル ニ付 本 使 ハ北 支 ノ事 態 ハ特 殊 ノ情 勢 上 必然 的 ニ生 シ タ ル
面 的 防 共 協 定 ヲ実現 セ ント ス ル足 掛 リト為 サ ント ス ル意 図 ナ ルヤ ニ
措 イ テ他 ニナキ 次第 ナ ル ニ鑑 ミ 日本側 ニ於 テ漸 次 之 ヲ切 懸 ト シテ全
ル 一般 的 赤 化 防 止 (協 定 ) ト云 フ モ実 ハ赤 化 ノ根 源 ハ素 ヨリ蘇 聯 ヲ
ニ集 マ レ ル外 国 新 聞 記 者等 ニ対 シ テ ハ中 央党 部 宣 伝 部 ヲ シテ 支那 側
ト ノ会見 後 英 国 大 使 ト 会 見 又 九 日来 寧 ノ米国 大 使 ハ蒋 ノ方 ヨリ 会見
双 十節 ヲ機 会 ニ蒋介 石 ハ主 ナ ル外 国使 臣等 ニ モ会 見 シ (八 日 本使
川 越 大使 ヨリ
ノ 立場 ヲ説 明 セ シメ何 ト ナ ク成 都 事 件 発 生当 時 ニ ハ我 方 ノ苦 境 ニ同
希 望 ナ ラ スヤト 申 入 レタ ル モ結 果 ヲ見 サ リ シ事 実 ア リ) 又恰 モ当 地
ハンド ﹂ ヲ保 持 シ置 カ ント ス ル底意 ア ル次 第 ナ リ就 テ ハ桑 島 局 長 ヨ
ト モナ ク漏 洩 ス ル所 謂 我 方 要 求 六 項 目等 ヲ夫 レ ト ナ ク外 国側 ニ漏 ラ
情 シ来 リ タ ル外 国側 一般 輿 論 カ漸 次 消 エ行 ク ヲ見 計 ヒ最 近何 レ ヨリ
ニ気 兼 シ対 日 政 策 上 ノ手 ト シテ 表 面 ハ砂 ク ト モ蘇 聯 ニ対 シ ﹁フ リ、
リ篤 ト御 説 明 ノ 次第 ア リ尚 一層 ノ努力 ヲ 以 テ先 方 ノ説 得 ニ努 メ度 キ
解 シ深 キ疑 ヲ有 シ居 リ 又蒋 介 石 ハ馮 玉 祥 等軍 人派 及 陳 立 夫 等 ノ党 部
所 存 ナ ル処為 念 左記 ノ点 ニ関 シ御意 嚮 回電 ア リ度 ク 尚 日 独間 ノ協 定
シ特 ニ防 共 、 北 支 ノ 両問 題 ニ関 聯 シ如何 ニ モ日本 カ無 理要 求 ヲ強 ヒ
ツ ッ ア ル カ如 キ空 気 ヲ作 ル ニ努 メ居 タ ル処 果 然 十 日 ノ双 十節 祝 賀 会
本 件協 定 ノ地域 範 囲 ハ支 那 全 土 ノ ミ ナ リ ヤ或 ハ日 本 全 土 ヲ含 ム
ニ関 スル材 料 至急 参 考 迄 御 送 付 アリ度 シ 一
及 張 羣 ノ晩 餐等 ノ機 会 ニ於 テ各 国 大使 等 須 磨 ニ対 シ質 問 ノ傍 別電 第
八 二 三号 ノ如 キ意 嚮 ヲ述 ヘタ ル カ折 柄 九 日帰 寧 セ ル戴 天 仇 モ俄 然 日
相 互 的 ノ モノナ リ ヤ
本 要 求 拒 絶 論 ヲ唱 へ馮 玉 祥 一派 ノ連 露 論 ト相 俟 テ 一応決 定 セ ルカ如
本件 ノ実質 的範 囲 ハ中 国 共 産党 、 共 産 軍 ノ ミナ ラ ス日本 ニ於 ケ
ル共 産 運 動 ヲ モ含 ム モノ ナ リヤ 従 テ赤 化 防 止 達 成 ノ為 取 ル ヘキ措 置
支 ヨリ上 海 へ転 報 アリ タ シ
八 二〇 〇 五八
支 、 北 平 、 天津 へ転 電 セ リ
昭和 11
暗
南京 本省
須 磨 総 領 事
十 一日後 発 十 月 十 一日夜 着
約 ヲ取 消 サ シメ タ ル事 実 ア リ前 途 楽 観 ヲ許 サ ス
二
亜
キ蒋 介 石 ノ意 嚮 モ仲 々最 後 ノ階 段 ニ入 ラ ス十 日 須 磨 ト会 談 ヲ約 セ ル
十 一日 後 発 十 月 十 一日 夜 着
高 宗武 ニ対 シ張 羣 ハ形 勢 更 ニ纏 マル迄 会 談 ス ル コト 不得 策 ナ リ トテ
南京 本省
モ唯 ニ支 那側 又 ハ支 那 ニ限 定 セ ス日本 側 及 日 本 ヲ モ含 ム相 互 的 ノ モ
二○ 〇 六○
支 へ転電 セリ
七 暗
須 磨 総 領 事 有 田外 務 大 臣
亜
ノ ナ リヤ
昭和 11
有 田外 務 大 臣
第 八 二 二号 へ 館長符号扱?) ︹ 不詳︺ 往 電 第 三二一 号 ニ関 シ
第 八 二 三号 (別 電 、館 長 符 号 扱 ? )
気 ニ将 来 大 イ ニ希 望 ア ル旨 述 ヘタ ル所 ヨリ ス ル モ日本 ハ支 那 ニ対 ス
会 談 ノ結 果 日本 ハ領 土 不 可侵 、行 政 統 一ノ原則 ヲ認 メ タ リト テ 満 足
テ而 モ日本 ヨリ尚支 那 ニ要 求 ヲ続 ク ルカ如 キ状 況 ニテ ハ支 那 ハ旧 態
ノ如 ク或 機 会 ニ ハサ ラリ ト方 向 転 換 ス ル コト必 要 ナ ル ヘク今 ノ儘 ニ
係 全 ク 回復 サ レタ ル コト ニ驚 キ居 ル次第 ナ ルカ要 スル ニ日 本 モ英 国
ル コト (須 磨 ヨリ浅 薄 ナ ル謬 見 ナ リト批 評 セリ) 及 英 支 間 ノ親 善 関
ラ ス又自 分 ハ八年 後 再 ヒ支 那 ニ来 リ支 那 カ 工業 ノ発 達 ヲ遂 ケ ツ ツア
如 キ モ右 ノ如 キ ハ東 亜 ノ為 又支 那 ノ為 ニ モ決 シテ欣 フ ヘキ コト ニア
ル要 求 中 困 難 ナ ル数 点 (防 共 、北 支 二問 題 ヲ指 ス モノ ナ ル ヘシ) ヲ
英 国大 使 、 同 大使 ハ九 日夜 蒋 介 石 ノ招 宴 ニ於 テ蒋 ハ前 日 本 使 ト
思 ヒ止 マリ シ訳 ナ リ ヤト言 ヘル ニ対 シ須 磨 ヨリ蒋 ノ印 象 ハ兎 モ角 日
依 然 タ リ ト見 ク ヒ ル ニ モ等 シ ク前 途 幾多 ノ不祥 事 件 ナキ ヲ保 セ スト
一
本 ト シテ ハ今 迄 ノ所 形 勢 一向進 展 セ スト 見 ル ノ外 ナ ク 日本 ハ支 那 ノ
他国 ノ出 様 ヲ其 ノ儘 取 入 ルル能 ハス又英 国 ノ出 方 モ左 ル コト乍 ラ根
述 ヘタ ル ニ対 シ須磨 ヨリ 日本 ノ東 亜 ニ於 ケ ル安 定 力 タ ル地 位 ハ自 ラ
︹マ マ ︺
念 上 モ誤 ナ リ ト応 酬 シ置 キ タ リ
断 然 タ ル ﹁イ ニシ アテ イ ーヴ ﹂ ヲ望 ム モノ ニ シテ要 求 ノ撤 回等 ハ観
ニ依 ル点 ハ仏 国 ト雖 忘 ル ヘカ ラ ス日 本 ノ現 ニ執 リ ツ ツ ア ル態 度 ヲ認
本 ハ支 那 力以 夷 制 夷 ノ政策 ヨリ時 ニ応 シテ第 三国 ヲ利 用 セ ント スル
ム ル コト以 外 ニ支那 ノ活 路 ナ シト 確信 スト答 ヘ置 キ タ リ
蘇 聯 大 使 、 同 大 使 ハ新 聞 紙 上 ニ依 レ ハ日支 間 ニ防 共 協 定 ヲ作 成
ト ス レ ハ予 テ貴 官 ニ質 問 セ ルカ如 ク 日支 間 ニ対蘇 同 盟 様 ノ モノ ヲ作
四
二
ル訳 ナ リ ヤ実 ハ綏 東 方 面 ノ偽 軍 等 ニ関 ス ル問 題 カ ト思 ヒ居 タ ル モ最
ニ ﹁ア ルー フ﹂ ノ見 解 ヲ強 メ来 リタ ル由 )同 大 使 ハ日 本 ハ事 実 上 ハ
話 ニ依 ル モ ﹁ジ ョンソ ン﹂ ハ本 国 政 府 ノ東 亜 不 干 渉 的 傾 向 ニ基 キ特
シト ア ル処 右 ハ客年 来 ノ三 原則 中 ニア リ シ赤 化防 止 ヲ意 味 ス ル モノ
近 ノ確 報 ニ依 レ ハ対 蘇 問 題 タ ルカ如 キ懸 念 ア ル ニ付 ﹁イ ンデ イ スク
米 国 大 使 (過般 須 磨 ヲ来 訪 セ ル ﹁フ レデ リ ック、 モーア﹂ ノ内
リ ート﹂ 乍 ラ伺 フ次 第 ナ リ ト言 ヘル ニ対 シ須 磨 ヨリ日 本 ハ支那 カ 日
極東 ニ全 然 関 係 ナ キ ニ拘 ラ ス如 何 ニ モ右協 定 ニ関 聯 シ仏 国 ハ支 那 ニ
三
ヲ悟 ラ サ ル ヘカラ ス即 チ支 那 ハ日 本 ヨリ援 助 ヲ仰 ク ヘキ限 度 及 必 要
嫌 乍 ラ北 支 ニ迄 進出 シ幾 多 ノ ナク モカナ ノ問 題 ヲ起 シ ツツ ア ル事 実
政 治 家 ナク 徒 ニ国権 恢 復 ト 言 フ カ如 キ強 カ リ ニ終 始 ス ル為 日本 ハ嫌
依 ル処 支 那 ハ先 ツ之 ヲ理 解 ス ル ノ要 ア ル ニ拘 ラ ス遺 憾乍 ラ支 那 ニ ハ
テ国 民 発 展 ノ為 飽迄 内 外 ニ対 シ進 展 ノ活 路 ヲ見 出 シ居 ルト ノ信 念 ニ
対 シ今 回 ノ時 局 ニ関 聯 シ何 等 カ ノ措 置 ニ出 ツ ヘシト観 測 ス ル者 ア ル
ヲ見 極 メ テ掛 ル ヘキ モノ ナ ル ニ徒 ニ他力 本 願 ノ為 事 態 ヲ紛糾 セ シ メ
今 ヤ軍 人 ノ率 ヰ ル所 ト ナ リ シ カ結 局軍 人 ハ大 衆 タ ル農 民 ノ味 方 ト シ
モ ( 須 磨 ヨリ顧 維 鈞 カ仏 国 政府 ニ右 趣 旨 ヲ申出 テ タ リト ノ消 息 ハ事
ツ ツ ァ リ支 那 ハ言 ハ ハ沙 漠 ニシテ 日 本 ノ如 キ カ水 ヲ灌 ク間 ハ固 マリ
支 関係 ノ改 善 ノ為 執 ル ヘキ自 発 的 措 置 ヲ俟 チ居 ル ニ過 キ スト応 酬 シ
実 ナ リ ヤ ト問 ヘル ニ全 然 関知 セ スト答 ヘタ リ )東 亜 ニ於 ケ ル唯 一ノ
仏 国大 使 、 仏 蘇 相 互援 助協 定 ハ欧 洲 ニ於 ケ ル政 治 的 約 束 ニ シテ
平 和 的措 置 ハ日蘇 間 ニ仏蘇 間 ノ如 キ了 解 ナ リト モ遂 ク ル ノ外 ナ カ ル
水 ヲ除 カ ハ砂 塵 ニ帰 ルカ如 ク所 謂統 一ト言 フ モ忌 憚 ナ ク言 ヘ ハ日本
置キタリ
ヘキ処 新 聞 報 道 ニ依 レ ハ今 回 日支 間 ニ所 謂防 共 施 設 ト言 フ企 ア ルカ
ハ統 一ヲ阻 マスト ノ消 極 的援 助 ニ依 リ繋 キ行 キ得 ル ﹁ペ ー パ ー、 ユ ニティ ー﹂ ナ リ之 ヲ今 回 ノ事 件 ニ照 ラ セ ハ支 那 カ今 日本 ノ示 シ ツ ツ
在南京
須 磨 総 領 事
貴 電 第 八 一九 号 ニ関 シ
暗 第 一九 三号 (極 秘 )
有 田外務大 臣
御 問 合 ノ協 定 ニ関 シ テ ハ機 微 ナ ル関係 ア リ此 ノ際 詳細 ノ点 ハ説 明
支 那 全般 ニ関 スル 一般 的 反共 協 定 ノ件
ス コト カ前述 ノ如 キ国 民 進 展 力 ノ為 ニ ハ最 善 ノ策 ナ ル ヲ信 スル大 政
セサ ル カ為 ニ交 渉 ハ難 渋 ヲ極 ム ヘク他 面 日本 モ日 支 関係 ヲ軌 道 ニ帰
ヲ差 控 ヘ度 キ処 同協 定 中 本 件 日支 間 ノ 一般 的 反 共 協 定締 結 ニ関 シ参
ァ ル忍 耐 ニ甘 ヘテ強 カ リ ヲ出 サ ハ統 一モ滅 茶 苦茶 ト ナ ル ヘキ ヲ観 念
カ財 政 問 題 ニ絡 ム内 政 上 ノ紛 糾 竝 ニ南 米 問 題 ノ為 東 亜 ヲ顧 ミ ル余 裕
考 ト ナ ル ヘキ モノ ハ曩 ニ桑 島 局 長 ヲ シテ携 行 セ シ メタ ル反 共産 協 定
治 家 的 態 度 ア ル コト ヲ要 ス最 近米 国輿 論 カ極 メテ 静 ナ ル ハ米 国 自 体
ナ キ ニ モ因 ル モ要 ハ右 ノ如 キ 日本 ノ意 図 ヲ漸 次 理 解 シ来 リ タ ル カ為
案 ノ趣 旨 ヲ出 テ ス即 チ 両国 ハ ﹃共 産 ﹁イ ンタ ー ナ シ ョナ ル﹂ ( ﹁コミ
ンテ ル ン﹂ ) ノ目的 カ 凡 ユル手段 ニ依 リ現 存 国 家 ヲ破壊 セ ント スル
ナ リト 述 ヘタ ル ニ対 シ須 磨 ヨリ支 那 ノ事 態 ヲ改善 ス ル コト ハ日米 共
ニア ル ニ鑑 ミ ﹁コミ ンテ ル ン﹂ ノ活 動 ニ付 相 互 ニ通 報 シ必要 ナ ル措
ミ ンテ ルン﹂ ノ活動 ニ関 ス ル情 報 ヲ交換 ス ル外 、 国 内 又 ハ国 外 ニ於
置 ニ付協 議 ス ヘキ コト 竝 ニ右 目 的 達 成 ノ為 締 約 国 ノ当 該 官 庁 ハ ﹁コ
同 ノ利 益 ニシテ 此 ノ見 地 ヨリ支那 ヲ シテ乗 セ シ ム ルカ如 キ ﹁ゼ スチ ︹ 米?︺ ュァ ー﹂ ニ出 テ ラ レサ ル コト 当然 ノ措 置 ナ ル カ出来 得 レ ハ日英 両 国 ノ如 キ ハ是 等 ノ見解 全 然 一致 シ居 ル旨 ヲ何 等 カ ノ形 式 ニ依 リ表 示 シ
テ直 接 又 ハ間 接 ニ ﹁コ﹂ ノ 工作 ヲ助 長 ス ル国 民 ニ対 シ各 国 内法 ノ範
得 ル カ如 キ 時 ノ近 カ ラ ン コト ヲ望 ムト答 ヘ置 キ タ リ
囲内 ニ於 テ適 当 ノ防 圧措 置 ヲ講 ス ル コト﹄ 等 ヲ骨 子 ト ス ル モノ ニシ
独 逸 代 理 大 使 、﹁フィ ッシ ャ ー﹂ ハ日支 会 談 中 ニ ハ日 本 顧 問 ノ
五
テ全 然 相 互 的 ナリ 、換 言 ス レ ハ右 ハ全 ク ﹁コミ ンテ ル ン﹂ ヲ対象 ト
ス ル モノ ニシ テ協 定 ノ地域 等 ニ関 シ テ ハ何 等規 定 シ居 ラ ス日 支 反 共
モア ル ニ付 日 本 側顧 問 ト ハ其 ノ部 門 及数 等 ニ付 テ モ決 定 ヲ見 タ リ ヤ
協 定 ニ関 シ我 方 ノ狙 ヒ居 ル所 モ右 ト 全 然 同 様 ﹁コ﹂ ノ活 動 ニ関 ス ル
問 題 ア ル趣 ノ処 目 下 当 地 ニ在 ル独 逸 軍事 顧 問 等 ヨリ種 々問 合 ノ次 第
シテ支 那 ハ進 ンテ之 カ実 施 ニ至 ル ヘキ ヲ期 待 シ居 ル モノナ ル モ日本
ト問 ヘル ニ付 須 磨 ヨリ 日支 関 係 改 善 ノ為 ニ ハ顧 問 ニ依 ル コト捷 径 ニ
情報 ヲ相 互 ニ提 供 ス ルト共 ニ右 ニ関 ス ル啓 発及 防 遏 ノ措 置 ニ付 キ隔
題 ハ本 協 定 ト ハ直 接 ノ関係 ナ キ次 第 ナ ル ニ付 テ ハ右 御 含 ノ上 支 那 側
意 ナ キ意 見 ヲ交 換 ス ル以外 他 意 ナ ク従 ツテ 冒頭 貴 電 一 及 二 ノ如 キ問
ハ勿 論 他 国 ノ顧 問 ヲ廃 セ ント ス ル積 リナ シト答 ヘ置 キ タ リ 支 、 北 平 、 天 津 ヘ転 電 セ リ
本協 定 ハ ﹁コミ ン テ ル ン﹂ ヲ直 接 ノ対 象 ト ス ル モノ ニシ テ中 国 共 産
ル ニ於 テ ハ一 ニ関 シテ ハ勿 論 日本 全 土 ヲ モ含 ム ヘク又 二 ニ関 シテ ハ
説 得 方 此 ノ上 共 御 尽力 相成 度 シ尤 モ右 説 明 ニ拘 ラ ス支 那 側 ニ懸念 ア
支 ヨリ上 海 ヘ転報 ア リ タ シ
九 発 電 昭和 十 一年 十月 十 四 日
自 然 是等 ノ空 気 政 府 部 内 ニ反 映 シ初 メ ハ対 日妥 協 論 ニ傾 キ居 タ ル王 ︹ 教育部長︺ 世 杰 モ遣 直 論 ニ転 向 ス ルア リ 一般 空 気 モ極 メテ険 悪 ト ナ リ高自 身 モ
イ テ ハ満 洲 問 題 ヲ モ支 那 ニ有 利 ニ解 決 ス ル方法 ナ リ ト主 張 ス ル アリ
ナ ル旨 説 明 セ ラ レ差 支 ナ ク 又内 容 ハ必 ス シ モ前 記 ノ如 キ各条 項 ヲ含
﹁コ﹂ ト関 係 ア ル モ ノ ニ関 シテ ハ勿 論 日本 ノ共 産 運 動 ヲ モ含 ム モノ
党 共産 軍 又 ハ日本 共 産党 等 ハ間 接 ノ問 題 タ ル ニ過 キ サ ル 訳 ナ ル カ
ム ヲ要 セ ス如 何 様 ト モ相談 ノ余 地 ア ル次第 ナ リ
十 四日 前 発 十月 十 四 日前 着
亜
防 共 問 題
防 共 其 ノ モノ ニ絶 対反 対 ノ向 増 加 シ蒋介 石 モ実 ハ政 策 ノ大 転
向 ハ日本 側 カ上海 、 塘沽 両協 定 ヲ解 消 ス ル コト ヲ条 件 ト シ居 タ ル
イ
一
サ ル程 ニ付 絶 対 極 秘 ト セラ レ度 シト 繰 返 シ居 タ リ)
大 体 左 記 ノ通 リ方 針 一決 セリ (此 ノ決 定 ハ他 ノ院 長 ニ モ知 ラ セ居 ラ
ル方 針 ニテ進 ム コト ニ決 心 シ十 一日以 来 ハ極 少 数 ノ幹 部 ニテ協 議 シ
二、 以 上 ノ空 気 ニ拘 ラ ス蒋 介 石 、 張 羣 ハ兎 モ角 此 ノ際 交渉 ヲ取 纏 ム
身 辺 ノ危険 ノ為 毎 夜 居 所 ヲ変 ヘ居 ル程 ナ リ
暗
南京 本省
追 テ 右御 問 合 セ ノ協 定 ニ関 シ テ ハ絶 対極 秘 ト セ ラ レ度 御 如才 ナ キ
二〇 二 二六
一〇
コト ト ハ存 ス ル モ念 ノ為
昭和 11
有 田外務大 臣
往 電 第 八 二 二号 ニ関 シ
実 現 ス ル コト ヲ期待 シテ (此 ノ 二 ツ丈 ケ ハ少 ク モ条件 ト ス ヘシト
東 政府 ノ解 消 、 綏東 偽 軍 ノ解 消 丈 ケ ハ日 本側 ニ於 テ近 ク自 動 的 ニ
ス日本 側 カ紳 士 協 約 的 ニ聞 キ置 ク コト ニ改 ム ル コト ト ス ル モ唯 冀
程 ナ ルカ支 那 側 五項 目 ニ付 テ ハ須 磨 ヨリ申 出 ノ此 ノ際 ハ問題 ト セ
川 越 大使 ヨリ
ノ 主張 未 タ ニ強 シ) 九月 二十 三 日 張 羣 ヨリ言 明 ノ防 共 原 則 ヲ認 ム
須 磨 総領 事
本 十 三 日高 宗 武 須 磨 ヲ来 訪 シ七 日須 磨 ト ノ会 談 ニ関 シ殆 ト毎 日幹
ナ ル モ未 タ回 答 ナ キ カ政 府 部 内 殊 ニ軍 務 当局 ノ強 キ 主 張 ニ依 リ幾
第 八 二九号 (至 急 、 交渉 、極 秘 )
部 協 議 ノ経 過 竝 ニ結 果 ナ リト テ 左 ノ通 リ述 ヘタ リ ︹ 駐米大使︺ 一、 九 日戴 天 仇 帰 来 シ王 正 廷等 ノ欧 米 派 意 見 モ加 バリ俄 然 日 支交 渉 ︹ ヒューゲッセン︺ 遣 直 論 擡頭 シ之 ニ例 ヘ ハ六 日英 国 大 使 張 羣 ヲ訪 問 シ英 国 ト シテ ハ日
言 ヲ為 シ (此 ノ点 例 ノ情 報 ト符 合 ス) 其 ノ他 ノ大 使 ヨリ モ大体 同 様
且防 共 施 設 討 議 ノ為 日支 共 同 委 員 会 ヲ南 京 ニ置 ク コト ノ絶 対 必要
ニ三省 ト スル モ山 西 省雁 門 道 ヲ含 ム コト絶 対 必 要 ナ ル旨 ヲ繰 返 シ
右 ニ対 シ須 磨 ヨリ 山西 省 ヲ加 ヘタ ル四省 ト スル コト 然 ル ヘク仮
三省 ヲ防 共 区 域 ト ス ル コト ニ関 シ 一応 ハ傅 作 義 、 閻 錫 山 ニ電 照 中
ル コト ト シ地 域 ハ山海 關 、 包 頭 ノ線 以 北 ト ス ル コト 最 大 限 ナ レ ハ
支 交渉 ハ勿 論 支 那 ノ為 助力 ス ル コト 不可能 ナ ル モ支 那 ハ此 ノ際 娩 曲
度 カ 四省 又 ハ三省 説 ヲ訴 ヘタ ル モ効 果 ナ カ リ キ
若 ク ハ夫 レ以上 支 那 ヲ嗾 ケ ルカ如 キ申 出 モアリ殊 ニ燕 京 大 学教 授 中
ナ ル趣 旨 ヲ強 調 シタ ル処 高 ハ地 域 ノ点 ハ遺 憾 乍 ラ何 ト モ考慮 シ難
ニ日 本 ノ要 求 中 困 難 ナ ル部 分 ヲ断 ル コト 大 局 上得 策 ナ ル ヘシト ノ進
米 人 ﹁スチ ユア ート ﹂ ノ如 キ ハ支 那 ハ此 ノ際 対 日宣 戦 ヲ為 ス コト延
カ明 示 シタ ル通 リ現 在 政府 内 ニ聯 蘇 論 ヲ主 張 ス ル者 多 ク 又実 ハ外 ︹ 駐華大使︺ 国 側 (明 カ ニ ﹁ボ ゴ ロモ フ﹂ ヲ意 味 セリ) カ早 ク モ此 ノ種 ノ話 ア
ハ然 ラ バ内情 ヲ申 上 ク ヘシト テ 八 日本 使 ト ノ会 見 ニ於 テ モ蒋 介 石
支 那 側 ニ於 テ欣 然 之 ニ応 諾 シテ 可 ナ ル ヘキ ヲ力 説 シタ ル ニ対 シ高
国 民 政 府 カ死力 ヲ尽 シ来 レ ル反 共 政 策 ト カ全然 合 致 ス ル点 ヨリ モ
対 スル ﹁ゼ スチ ュア﹂ ト シ テ モ亦 日支 共 同 ノ目 標 ヲ此 処 ニ置 ク ハ
側 等 カ日 支 間 ニ蘇 聯 ニ関 スル密 約 テ モナ キ ヤ ヲ猜疑 ス ヘキ処 之 ニ
ニ須 磨 ヨリ本件 ハ日本 政 府 ノ最 重 要視 ス ル所 ナ ルノ ミ ナ ラ ス外 国
(締 ) 結 発 表 ス ル コト ハ今 ノ処 全然 見 込 ナ シト答 ヘタ ル ニ対 シ更
シテ力 説 シ タ ル処高 ハ本 件 ニ付 テ モ数 回論 議 済 ナ ルカ此 ノ種 協 定
ロ
輸 取 締 ニ協 力 アリ度 シト述 ヘタ ル ニ対 シ須 磨 ヨリ関 税協 定 ノ復 活 出
四箇 月 内 ニ引 下 ヲ実 行 スル用 意 アリ 但 シ之 ニ伴 ヒ日 本側 ニ於 テ モ密
祥 煕 ニ対 シ申 入 レタ ル次 第 ハア ル モ (往 電 第 七四 五 号 )結 局此 ノ際
組 織 セ シ ム ル コト ハ賛 成 ナ リ又 日支 関 税協 定 ノ復 活 ニ付須 磨 ヨリ孔
三
第 ナ ルカ御 話 ニ モ依 リ此 ノ際 ハ是 等 ヲ問 題 ト セ スト 述 ヘタ リ
省 ニ対 シ軍 人 ノ手 ニ依 ラサ ル施 政 ヲ実 行 ス ヘシ ト主 張 ス ル者多 キ次
津 地 方 ニ簡派 シ新 ナ ル行政 ヲ行 ハシ メ必 要 ナ ラ ハ綏 遠 ヲ モ加 ヘテ 三
側 ト シテ ハ冀 察 ノ現 状 ニ慊 ラ ス例 ヘ ハ張 公権 ヲ多 少 ノ軍 隊 ト共 ニ平
ク日 本 側 ノ意 嚮 ト遠 サ カ ル次第 ヲ述 ヘ再 考 ヲ促 セ ル ニ高 ハ実 ハ支 那
令 ヲ発 ス ル コト ニ異 存 ナ シト述 ヘタ ル ニ対 シ須 磨 ヨリ右 決 定 ハ恐 シ
為 ス コト ハ出 来 サ ル モ御趣 旨 ニ従 ヒ具 体 問 題 ノ ア ル毎 ニ必 要 ナ ル訓
如 キ 承 認 ニ依 リ冀 東 政 府 、自 由 飛 行 、 密 輸 ノ現状 等 ヲ モ是 認 ス ル結
ル ヘキ ヲ予 想 シ テ カ于右 任 、 王 陸 一、 馮 玉祥 一派 ヲ通 シ猛 烈 ナ ル
来 サ ル ニ於 テ ハ少 ク モ日本 側 希 望 ヲ容 レ タ ル改 訂 関 税率 ヲ例 ヘ ハ三
ク 日本 側 カ飽 迄之 ヲ主 張 セ ラ ル ル ニ於 テ ハ防 共 問 題 ヲ後 廻 シト ス
策動 ヲ開始 シ居 リ今 ノ処 何 ト モ考慮 ノ余 地 ナ ク唯 今 次交 渉 ノ結 果
年 位 据 置 ク コト ニ協 定 若 ク ハ了 解出 来 間 敷 キ ヤト迫 レ ル ニ高 ハ右 ノ
ト致 度 シ他 ノ 三省 ニ関 シ須 磨 ヨリ ノ提 示 セ ル包 括 的 訓 令 即 チ授 権 ヲ
日 支 ノ関 係 ヲ好 転 セ シメ得 ル ニ於 テ ハ最 近 ノ機 会 ニ於 テ蒋 介 石 ヲ
如 キ了 解 ハ支 那 ト シテ関 税 自 主 権 ノ建 前 ヲ壊 ス コト ト ナ リ考 慮 ノ余
果 ト モナ ル訳 ナ レ ハ此 ノ際無 言 ノ間 ニ冀察 ノ現状 ヲ維 持 シ行 ク コト
シテ或 一地 点 ニ於 テ廣 田総 理 ニ会 見 ヲ為 サ シ メ日 支関 係 ニ付 根 本
地 ナ シト 答 ヘタ リ
ル (何 應 欽 等 ノ主張 ) ノ外 ナ シト 答 ヘ共 同 委 員 会 ノ件 ハ更 ニ考 慮
的 ノ了 解 ヲ遂 ク ルト 共 ニ反 共 ニ関 シ共同 声 明 ヲ為 サ シ ム ルカ如 キ
四
ス ヘシト 言 ヘリ
案 ヲ内 々考 ヘ居 リ実 ハ蒋 介 石 ニ自 分 ヨリ 一寸 之 ニ触 レ置 キ タ ル程
招 聘 遂 行 方 ヲ モ念 ヲ押 シ置 キ タ リ)
須 磨 ヨリ共産 主 義 防 止 ノ 一般 的相 互 協 定 締 結 方 ニ付 委 曲 ヲ尽
ニテ何 レ ニセ ヨ今 次交 渉 ヲ纏 メ ラ ル ル趣 旨 ナ ラ バ本問 題 ハ他 日 ニ
六
五
航 空 聯絡 ニ付 テ ハ即 時 調 印 シ実 行 期 ヲ半年 後 ト シ其 ノ間 ニ北 支
不 逞 鮮 人 ハ逮 捕 引 渡 ニ異 存 ナ シト述 ヘタ リ
顧 問 ハ三、 四箇 月 内 ニ招 聘 ス ( 須 磨 ヨリ軍事 顧 問 及 軍 事 教 官 ノ
ハ考慮 シ難 キ コト ニ決 定 シ唯 関税 ハ主 ト シ テ 日本 側 ノ希 望 ニ基 キ 三、
日 支 通商 関 係 ヲ促 進 ス ル為 ﹁シ ンジ ケ ー ト﹂ ヲ日 支 有力 者 間 ニ
延 ハサ レ度 シト繰 返 セリ 北 支 五省 問 題 冀 察 二省 ノ現 状維 持 ハ支 那 側 ヨリ原 則 ト シテ ハ認 メ難 シ蓋 シ右 ノ
二
モ同 案 ヲ最 後 的 ニ整 理 シ度 キ ニ付 早速 交 通 部 ヲ シ テ李景 縦 ニ須 磨 ト
揉 合 ヒ タ ル結 果 高 ハ無 条件 実 施 ノ コト ニ更 ニ努 力 ス ヘシト 答 ヘタ ル
ニ於 テ ハ又 ゾ ロ九月 廿 三 日 ノ話 ニ戻 ル次第 ニシ テ絶 対 不 可能 ナ リ ト
ヘタ ル ニ対 シ須 磨 ヨリ実 行 期 ハ兎 モ角 今 猶 北 支 飛 行 問 題 ト 引懸 ク ル
ノ合 約 中 ニ極 メテ 小 キ技 術 的 変 更 ヲ 二、 三申 出 テ度 キ意 嚮 ナ リ ト述
飛行 問 題 解 決 方 ヲ条 文中 ノ末 尾 ニ附 加 シ度 ク 又客年 十 月 廿 三 日決 定
ノナ リ ト シ殊 ニ最 近 行政 機 構 改 革 問 題 ニ関 シ政 府 ト軍 部 ト 正面 衝 突
ト判 断 シ居 リ桑 島 局 長 ノ来 支 ハ主 ト シ テ日 本側 ノ譲 歩 ヲ意 味 ス ル モ
テ ハ格 別支 那 側 ハ既 ニ日本 ハ決 シ テ最後 ノ決 意 ヲ為 ス モノ ニア ラ ス
二 、右 情 勢 ニ (対 シ) 我方 ニ於 テ武 力 ニ訴 フ ル程 ノ決 意 ヲ為 ス ニ於
交渉 ノ遷延 ニ伴 ヒ益 々此 ノ傾 向 ヲ増 ス ヘキ ヤ ニ観 測 セ ラ ル
那側 ノ態度 ヲ硬 化 セ シ メ其 ノ消息 ヲ発 キ ツ ツア ル次第 ニ モア リ今 後
ト ス ル下 心 ア ル者 サ ヘアリ 又 外国 新 聞 記 者 等 モ此 ノ間 ヲ縫 ヒ 一層 支
ノ結 果 内 閣 ノ更 迭 モ遠 カ ラ スト ノ観 測東 京 方 面 ヨリ支 那側 ニ打 電 セ
処 須 磨 ヨリ合 約 案 ニ関 ス ル交 通 部 ノ研究 モ左 ル コト乍 ラ我 方 ト シテ
折 衝 方 取 計 ハシ ム ル様 手 配 方 申 入 レタ ル ニ高 ハ之 ヲ承諾 セリ
支 那 側 カ最 困難 ナ ル ヘキ軍 事 同盟 ノ発端 ト シ テ ノ施 設 ヲ何 カ故 ニ承
リ之 ヲ固 執 ス ル ニ於 テ ハ全 体 ノ交 渉 ヲ頓 挫 セ シ ム ルノ惧 ア リ然 ラ ハ
止 ハ我 方 ノ国 辺防 共 施 設 ヨリ モ余程 容 易 ナ ル モ高 宗 武 ノ述 ヘ居 ル通
テ蒋 介 石 、張 公権 、 高 宗 武 等 ニ力 説 ヲ続 ケ ツ ツ ア ル モ 一般 的 赤 化 防
三、 我 方 六 項 目 中防 共 問 題 ハ最 重 キ ヲ置 ク点 ト シ テ本 使 及須 磨 ニ於
ラ レ居 リ (例 ノ内報 )南 京 政 府 部 内 ノ大 多 数 及 民 衆 ハヨ モヤ蒋 介 石
亜
三、 尚 成 都総 領 事 館 ノ再 開 ハ今 次交 渉 纏 マリ次 第 実 施 シ差 支 ナ キ旨
十 四日前発 十月十 四日前着
カ冒 頭 往 電 ノ如 キ決 定 ヲ為 サ サ ル ヘシト サ ヘ考 ヘ居 ル情 勢 ナ リ
二〇 二 五 一
一 一
暗 南京 本省
七日高 ヨリ言 明 ア リ タ リ (了 )
昭和 11
有 田外 務 大 臣
諾 セリ ャノ疑 問 生 ス ル所右 ハ今 春 蘇 蒙 協 定 発 表 ニ関 聯 シ呉 震 修 ヲ了
解 指導 ノ為 日本 ニ派 遣 セ ル頃 ヨリ支 那 側 カ日 本 ヲ シテ内 蒙 及 北 支 ニ
対 ス ル進 出 ヲ緩 和 セ シ ム ル ニ ハ対 蘇 軍 事 協 定 ヲ持 出 ス ニ限 ルト 見 込
須 磨 総領 事 往 電 第 八 二九 号 ニ関 シ
ミタ ル モノ ナ ル ヘク現 ニ今 回 ノ塘 沽 、 上 海 両停 戦 協 定 、 山 東 、綏 東
第 八 三〇 号 ( 至 急 、交 渉 、 極 秘 )
川越 大 使 ヨリ
シテ見 タ ル言 質 ヲ我 方 ニ捉 ヘラ レ而 モ条 件 ト ス ル所 謂 支 那 側 五項 目
ハ有耶 無 耶 ト サ レ余 儀 ナ ク山 海 關 、 包 頭 ノ線 ニ依 ル防 共 ヲ取消 サ ス
偽 軍 ノ解 散 、 冀 東 政 府 ノ解 消等 ノ問 題 ヲ吹 キ 掛 ク ル為 ニウ ツ カリ籍
困難 ヲ加 ヘ来 リタ ル事 情 ハ累 次 往 電 ニ依 リ テ モ御 高 察 ノ通 リ ニシ テ
ニ居 ル程 度 ナ リト観 ルノ外 ナ シ
一、 高 宗 武 ノ須 磨 ニ対 スル内 情 ノ打 明 話 ハ勿 論 多 少 駈 引 ノ意 味 モア
殊 ニ外 国 大 使 等 ノ見 解 モ往 電 第 八 二 二号 ノ通 リ概 ネ 支那 ノ強 硬 態 度
四 、北 支 問 題 ハ元来 須 磨 ヲ シテ五 省 六項 目 ヲ持 出 シ次 テ 特 政会 話 モ
ル ヘキ モ他 方 我 方 ノ 入手 シ居 ル例 ノ内 報其 ノ 他 ノ情 報 ニ依 ル モ大 体
ヲ慫 慂 シ 日支 関 係 ノ決 裂 ニ依 リ却 テ各 自国 ノ 立場 ヲ有利 ナ ラ シメ ン
一、往 電第 一八 二号 ノ方 策 ハ四相 会 議 ニ於 テ数 次考 究 ノ結 果決 定 ヲ
為 サ シ メタ ル ハ実 ハ将 来機 会 ア ル毎 ニ是 等 ノ目標 ニ支 那 側 ヲ指導 ス ︹ 本書三六八頁︺ ル心 組 ニ外 ナ ラ ス要 ハ第 二 次北 支 処 理 要 綱 ノ実 施 ヲ手 始 メ居 タ ル訳
ニ十 二 分 ノ折 衝 ア ル コト ヲ期 待 シ居 ル次 第 ナ ル処 右 訓 電 発 出後 貴電
見 タ ル モノ ニシ テ此 ノ意 味 ニ於 テ モ貴 大 使 ト支 那 側 最 高 当 局 ト ノ間
第 八 一〇号 ノ次 第 ア リタ ル ノミ ニテ然 モ右 会 見 ニ於 テ ハ蒋 ハ国 交 調
ニテ少 ク ト モ今 回 ノ交 渉 ニ依 リ支 那 側 ヲ シ テ北支 ニ対 ス ル我 方 ノ意
整 ニ関 ス ル大 局 論 ニ付 支那 側 ノ希 望 ヲ開 陳 ス ル ニ留 マリ我 方提 案 ニ
衝 ハア ル モ此 際 蒋 又 ハ張 ト貴 大 使 ト ノ間 ニ話 合 ヲ開 始 セ ラ レ往 電 第
嚮 ニ付漸 次観 念 セ シ メ延 イ テ ハ今 後 我 方 カ執 ル コト ア ル ヘキ 行動 ヲ
一八 二号 我方 提 案 ノ精 神内 容 ヲ此 ノ上 共 充 分蒋 、 張 ニ徹 底 セ シメ ラ
根拠 附 ケ ル効 果 ハア リ シ モ ノト言 フ ヘク此 ノ際 ト シテ ハ先 ツ冒頭 往
処 防 共 ニ付 テ ハ共 同 委 員会 ヲ設置 セ シ メ山 海關 、 包 頭 線 ニテ 我 慢 ス
ル ルト 共 ニ責 任 ア ル当 局 者 ノ確 タ ル意 向 ヲ突止 メ ラ ル ル コト 当方 各
ニ継 続進 行 ア リ度 旨 述 ヘ居 ル現 状 ナ リ就 テ ハ須 磨 高 宗武 間 数 次 ノ折
ル カ左 モナ ク ハ寧 ロ支 那 カ政 策 ニ 一大 転 向 ヲ加 ヘ日本 ト共 同防 共 ヲ
対 シテ ハ何 等 確 タ ル意 向 ヲ表 示 セ ス、 具 体 的 ノ話 合 ハ張 部 長 ト ノ間
実 行 ス ル ニ決 定 セ ル趣 旨 ヲ明 確 ニ シ右 実 行 ノ方法 及地 域 等 ニ付 右 委
方 面 ノ状況 ヨリ見 ル モ必要 ナ ル ニ付 右 御 含 ノ上 至 急 可 然 御 措置 ア リ
電 先 方 申出 ノ程 度 ニテ我 慢 シ置 ク コト然 ル ヘシト存 セ ラ ル
員 会 ヲ シテ研 究 セ シ ム ルノ ﹁ライ ン﹂ ニテ纏 メ今 後 機 ヲ逸 サ ス 一般
二、追 テ冒 頭 貴 電 御 請 訓 ハ貴 電 第 八 二九 号 高宗 武 ノ須 磨 ニ対 ス ル談
度
五、 爾余 ノ 四項 ニ付 テ ハ大体 御 訓 令 ノ趣 旨 ニ依 ル解 決 ヲ遂 ケ 得 ヘキ
シ ム ル様指 導 スル コト 然 ル ヘシト存 セ ラ ル
話 ヲ基 礎 ト シ居 ラ ル ル処右 ハ嚢 ニ高 ニ於 テ 考慮 方 約 束 セ ル貴電 第 八
赤 化 防 止協 定 ヲ モ促 進 ス ルト 共 ニ北 方 防 共 施 設 ヲ漸 次 広 汎 ニ確 立 セ
六 、 桑島 局長 ヨリ段 々説 明 ノ次第 ハア リ (脱 )居 ル モ右 諸 点篤 ト御
〇 四号 ノ実 行 カ内 政 上 其 ノ他 ノ理 由 ニテ実 行 不可 能 ト ナ レリ ト テ釈
︹マ マ ︺
勘 考 ノ上折 返 シ御 回電 ヲ請 フ (了 )
明 ニ之 努 ム ルト共 ニ泡 ヨ ク ハ我方 要 求 ヲ値 切 リ倒 サ ント シ居 ル モノ
ナ ルノ ミ ナ ラ ス其 ノ内容 ニ付 テ モ例 ヘ ハ防 共 問 題 ニ関 シ テ ハ廣 田総
理 ト蒋 介 石 ト ノ会 見 ヲ云 々 シ北 支 問 題 ニ関 シテ ハ ﹁無 言 ノ間 ニ冀 察
一二 発 電 昭和 十 一年 十 月 十 五 日
作 成 セ ムト スル モ案 ノ立 テ方 ニ窮 ス ル次第 ナ リ (高 宗 武 ノ当 ニナ リ ︹ 不詳︺ 難 キ ハ往 電 第 一六 七号 ノ 三 ヲ以 テ申 進 ノ通 リ ナ リ)
交 渉 ノ急 速 妥 結 ヲ計 ル為 我方 限 リ ノ肚 ト シテ右 ニ基 キ最 小 限度 案 ヲ
等全 ク捕 捉 ニ苦 シ ム カ如 キ コト ヲ申 シ居 ル次第 ニテ仮令 此 ノ際 本 件
ノ現 状 ヲ維 持 シ﹂ 或 ハ ﹁具 体 問 題 ノ ア ル毎 ニ必要 ナ ル訓 令 ヲ発 ス﹂ 有 田外務大 臣
須 磨 総 領 事
在南 京
成 都 事 件 ニ関 ス ル我方 方 針 徹 底 方 ノ件 第 一九 四号 極 秘 貴 電 第 八 三〇 号 ニ関 シ 川越大使 へ
昭 和 11
二〇 六七 一
一三
暗
南京 本省
廿日前 発 十月廿日前着 亜
須磨 総 領 事
問 題 ハ防 共 ト ハ全 ク関係 ナ キ モノ ニテ到 底 問 題 ト シ難 ク綏 東 問 題 ハ
将 来 防 共委 員 会 ニ於 テ話 合 フ コト モ出 来 得 ヘキ ニ付今 茲 ニ問 題 ト ス
ル必 要 ナ シト 告 ケ タ ル ニ張 ハ更 ニ塘沽 協 定 ノ解 消 ヲ持 出 シタ ル ニ依
リ本使 ハ本 件 協定 カ曩 ニ貴 部 長 ノ述 ヘラ レタ ル通 リ将 来 漸 次 発展 シ
テ 日支 軍 事 同盟 ニテ モ出 来 ル コト ト ナ レ ハ其 ノ時 コソ此 ノ種 停 戦 協
シタ ル ニ張 ハ然 ラ ハ防 共 協 定 ハ如 何 ナ ル地方 ニ於 テ如 何 ナ ル コト ヲ
定 問 題 ヲ議 ス ル モ差 支 ナ カ ル ヘキ モ今 ノ所全 然 問 題 ト ナ ラ スト 一蹴
有 田外務 大臣 第 八 五〇 号 (大 至 急 、交 渉 、 極 秘 )
為 ス モノ ナ リ ャト 問 ヒタ ル ニ付本 使 ハ協 定 ノ地域 ニ付 テ ハ双 方 主 張
於 テ協 議 シテ可 ナ ル ヘシト 述 ヘ種 々説 得 ニ努 メタ ルカ張 ハ無 条 件 ニ
川 越 大 使 ヨリ
往 電第 八 二九 号 ニ関 シ
テ本 件 ヲ受 諾 ス ル コト ハ政 府 ノ立 場 ト シテ極 メ テ苦 シク 日本 側 ニ於
同 シ カラ ス此 ノ点 ニ付 テ モ亦其 ノ実 施 ノ内 容 ニ付 テ モ専 門 委 員 会 ニ
ニ亘 リ張 羣 ト会 談 シタ ル カ (双 方 同席 者 ナ シ) 其 ノ要 旨 左 ノ通
テ支 那 側 希望 ノ事 項 中 切 メテ 一ツ位 聞 人 レ ラ レ ス ハ之 ヲ纏 ム ル コト
貴 電 第 一九 四号 ノ次 第 モア リ本 使 十 九 日午 後 三時 ヨリ約 三 時 間 半
一、先 ツ本 使 ヨリ張 ニ対 シ今 次 ノ交渉 ニ関 シ テ ハ去 ル十 三 日須 磨 、
困難 ニテ或 ハ交 渉 全体 ヲ破 局 ニ導 ク 惧 アリ ト テ種 々苦 衷 ヲ訴 ヘタ リ
︹セ︺
ス ル モ此 ノ際 我 方 提 案 ノ内 容 ニ付 充 分 説 明 ヲ加 ヘ国 民 政 府 ノ速 ナ ル
高 宗 武 間 ノ話 合 モアリ支 那 側 ニ於 テ モ充 分考 慮 セ ラ レタ ル コトト 察
三 、 北支 問 題 ニ付 テ ハ張 ハ依 然 須 磨 、 高宗 武 会 談 ノ筋 ヲ繰返 シ冀 、
テ ハ任意 ニ必要 ノ手 段 ヲ執 ルノ外 ナ シト 念 ヲ押 セリ
ヘカ ラ サ ル所 ニシ テ支 那 側 ニ於 テ飽 迄協 力 ヲ拒 ム ニ於 テ ハ我 方 ト シ
件 提 案 ハ元 来 交渉 ノ途 中 ヨリ加 ハリ タ ル モノ ナ ル カ支那 側 ト シ テ ハ
察 二省 ノ現 状維 持 ヲ承 認 ス ル コト ハ自 然 冀 東 政府 ヲ認 ム ル コト ヲ モ
依 テ本 使 ハ北 支 ニ於 ケ ル防 共 ハ日満 両 国 ノ自 衛 上是 非 共 実 行 セサ ル
此 ノ種 協 定 ハ到 底 締 結 シ難 シト答 ヘタ ル ニ付 本 使 ハ本 件 ハ全 然 相 互
含 ミ到底 不 可能 ナ ル旨 ヲ述 ヘタ ル ニ付 本 使 ハ然 ラ バ冀 察 ニ ハ触 レ ス
決 断 ヲ望 ム モノ ナ リト 冒頭 シタ ル上 先 ツ防 共問 題 ヲ持 出 シ貴 電第 一
的有 利 ノ約 束 ニテ国交 調整 上 極 メテ有 意 義 ナ ル旨 御 来 示 ノ趣 旨 ニ依
八 二号 ノ 一一 ノロ ノ防 共 協定 ヲ説 明 シ其 ノ受 諾 ヲ求 メ タ ル処 張 ハ本
リ条 理 ヲ尽 シ テ説 明 シ支 那 側 ニテ之 ニ危惧 ノ念 ヲ抱 ク コト ハ甚 タ解
シ難 シ要 ス ル ニ北 支 ニ於 ケ ル日本 ノ特 殊 ナ ル関係 ニ鑑 ミ経 済 合 作 ヲ
日本 カ冀 察 ニ於 テ勝 手 ニ振舞 フ コト ト ナ リ支 那 側 ニ於 テ ハ到 底 容 認
為 ス コト ヲ認 ム ル モ右 実 施 ハ国 民政 府 ト日 本 ト ノ話 合 ニ依 ル コト 支
他 ノ三省ニ 対 シ我方 ノ要求 ヲ認 ム ヘシ ト告 ケ タ ル ニ張 ハ夫 レ ハ結 局
二 、北 支 防 共協 定 ニ関 シテ ハ張 ハ須 磨 、高 宗 武 会 談 ノ際 ト同 様 本 協
那 側 ノ要 望 ナ リ ト述 ヘタ リ
モ猶 一応 政 府 部 内 ニ モ諮 リ 回答 ス ヘシト答 ヘタ リ
定 締結 ノ条 件 ト シテ冀 東 政 府 ノ解 消 及 綏東 偽 軍 ノ解 散 ヲ持 出 シ種 々
シ難 シト告 ケ タ ル モ張 ハ依 然 難 色 ヲ示 シ本 件 協 定 ハ極 メテ 困難 ナ ル
国 民政 府 ノ立 場 ヲ訴 ヘ何 ト カ考 慮願 度 シト述 ヘタ ル ニ付本 使 ハ冀 東
四 、関 税引 下 問 題 ニ関 シテ ハ張 ハ支 那側 自 発的 ニ之 ヲ行 フ ニ異 存 ナ シト 述 ヘタ ル ニ付 本使 ヨリ 日本 側 ノ希 望 ヲ充分 容 ルル決 心 ナ リ ヤ ト
南京 本省
廿 一日後 発 十月 廿 二日 前 着
亜
第 八五 九号 (大 至 急 、 交渉 、極 秘)
暗
往 電 第 八 五 〇号 ニ関 シ
有 田外務大 臣
ル後 之 ト交換 的 ニ密 輸 取 締 問 題 ヲ持 出 シ タ ル ニ依 リ本 使 ハ本 件 取 締
川 越 大 使 ヨリ
須 磨 総 領事
共 助問 題 ハ今 次 ノ交 渉 ニ関 聯 セ シメ ス別途 ニ考 慮 ス ヘキ旨 ヲ説 示 セ
本 使 本 二十 一日午 後 三時 ヨリ張 羣 ト会 見 (同 席 者 ナ シ) 約 二時 間
念 ヲ押 シタ ル ニ張 ハ出 来得 ル限 リ 日本 ノ希望 ニ副 フ ヘキ旨 日ヲ答 ヘタ
リ
一、 先 ツ 一般 的 赤 化防 止 ヲ目 的 ト スル協 定 ヲ話 題 ト シ本 使 ヨリ桑 島
半 ニ亘 リ会 談 シタ ル処其 ノ要 旨 左 ノ如 シ
五、 顧 問 ノ問 題 ニ ハ言 及 セ ス不 逞 鮮 人逮 捕 引渡 問 題 ニ付 テ ハ何 等 議 論 ス ル所 ナ ク張 ハ承 認 セリ
局 長 持参 ノ案 ノ趣 旨 ニ依 リ詳 細 説 明 ヲ与 ヘ張 モ繰 返 シ質 問 シ其 ノ内
六 、航 空 聯絡 ニ付 テ ハ張 ハ須 磨 、 高 宗 武 会 談 ノ際 ト同 様 北 支 飛 行問 題 解 決 方 ヲ引懸 ケ来 リタ ル ニ付之 亦 本 使 ヨリ 斯 ル条件 ヲ附 シ難 キ旨
コトト ナ レ ハ一 支 那 国 民 一般 ニ疑 惑 ヲ生 シ二 之 ヲ利 用 シテ政 府 反 対
ノ策 動 ヲ為 ス者出 テ来 ル惧 アリ 今 日到 底 之 ヲ受 諾 シ難 ク何 レ 日支 間
容 ニ付 テ ハ先 ツ認 識 シタ ル模 様 ナ ルカ張 ハ之 ヲ協 定 ト シ テ発 表 ス ル
ノ空 気 好 転 シタ ル上更 メ テ相 談 ス ル コト ト致 度 シト 述 ヘタ ル ニ付 本
七、 以上 ノ通 リ種 々折 衝 シ タ ル カ防 共 協 定 ハ張 ニ於 テ最 難 色 ヲ示 シ 本 件 協 定 ニ ハ政 府 部 内 ニ モ反 対 ノ声 相 当 強 ク甚 タ シキ ハ日本 側 カ飽
使 ハ空 気 ヲ好 転 セ シ ム ル ニ ハ積 極的 ノ努 力 ヲ為 ササ ル ヘカ ラ ス現 在
答 ヘタ リ
シト主 張 スル者 サ ヘアリ蒋 介 石 モ閉 ロ シ居 ル次 第 ナ リト 種 々陳 弁 ス
迄 之 ヲ迫 ル ニ於 テ ハ交 渉 全 部 ヲ打 切 リ 日支 ノ国 交 悪 化 ス ル モ已 ム ナ
ニ於 テ此 ノ悪 化 セ ル関係 ヲ放 置 シ テ顧 ミサ ル態 度 ナ ラ ハ日 本側 ハ其
ノ儘 放任 シ テ空 気 ノ好転 ヲ倹 ツ カ如 キ ハ無 責 任 モ亦 甚 タ シ若 シ支 那
ノ覚 悟 ニテ対 応 セサ ル ヘカ ラ ス又 若 シ過 日蒋 介 石 カ言 明 セ ラ レタ ル
ル所 ア リ本 使 ヨリ蒋介 石 ニシ テ 日支 国交 調整 ノ決 心 ア ラ ハ斯 ル反 対
右 ノ如 ク簡 単 ニ片 付 ケ難 シト テ容 易 ニ応 ス ル色 ナ ク結 局 蒋介 石 ニ モ
通 リ 両 国国 交 調 整 ニ努力 ス ル決 心 ナ ラ ハ此 ノ際 積 極 的 ノ工 作 ヲ施 シ
ヲ弾 圧 ス ル コト ハ決 シテ 不可 能 ナ ラサ ル ヘシ ト告 ケ タ ル モ張 ハ到 底
請 訓 ノ必要 ア リト テ (蒋 ハ本 十 九 日杭 州 ヨリ帰 寧 セ リ) 明 二 十 日 又
国 昆 ヲ率 ヰ テ 日支 親 善 ノ途 ニ向 ハシ ム ヘシ
抱 ク者 ア ラ バ政 府 当局 ハ宜 シ ク言 論機 関 ヲ利 用 ス ル方 法等 ニ依 リ進
定 ニ対 シ国 民 一般 カ疑 惑 ヲ抱 ク ヘシト ハ信 セ ラ レ ス万 一何 等 誤 解 ヲ
ル コト ハ日支 間 ノ空 気 ヲ好 転 セ シム ル絶 好 ノ材 料 ニア ラ スヤ斯 ル協
本件 協 定 ノ如 ク両 国 共 通 ニ シテ 且極 メ テ簡 単 明瞭 ナ ル目 標 ヲ掲 ク
ハ明後 二十 一日 再 会 ヲ約 シ本 日 ノ会 談 ニ引続 キ討 議 スル コト ト セ リ
二〇 八 三四
一四
支 、天 津 ヘ転 電 セリ
昭和 11
カ如 ク見 ラ レ其 ノ立場 極 メ テ困 難 ナ リト附 加 ヘタ ル ニ付
依 然 難 色 ヲ示 シ国 民 政 府 ト シ テ モ日本 側 ノ新 ナ ル要求 ニ屈 服 シ タ ル
報 ヲ交 換 ス ルカ如 キ コト ナ ラ ハ出来 得 ヘシ ト述 ヘ協 定締 結 ニ付 テ ハ
之 ヲ行 フ コト ト シ例 ヘ ハ上海 ニ於 テ 日 本官 憲 ト支 那 官憲 ト ノ間 ニ情
リ ト言 葉 ヲ尽 シテ説 服 ニ努 メ タ ル処 張 ハ協 定 ノ形 式 ヲ執 ラ ス事 実 上
躇 ス ル様 ニテ ハ支 那 ノ国 交 調 整 ニ対 ス ル決 心 ノ程 モ疑 ハシキ 次第 ナ
ンテ国 民 ヲ啓 発指 導 ス ル ニ努 ム ヘシ要 ス ル ニ斯 ル明 朗 ナ ル協 定 ヲ躊
レ次 回 ニ返 答 ス ヘシト 告 ケ置 キ タ リ
レ ハ切 メ テ其 ノ大 綱丈 ケ ニテ モ承 知 シ度 シト述 ヘタ ル ニ付 本使 ハ何
ノ目的 ノ範 囲 内 ニ於 テ行 フ次 第 ナ ル ニ付 取越 苦 労 ヲ ス ル必 要 ナ カ ル ︹巽︺ ヘシト説 明 シ タ ル ニ張 ハ納 得 セ ス当 地 ニ ハ雨 宮輔 佐 官 モ居 ル コト ナ
其 ノ内 容 ニ付 テ ハ委 員 会 ノ協 議 ニ委 ス ル方 可 ナ ル ヘク要 ハ共同 防 衛
容 ヲ明 カ ニセ サ レ ハ漫然 ト之 ヲ承 諾 シ難 シト述 ヘタ ル ニ依 リ本使 ハ
ル必要 ア リト 告 ケ タ ル処 張 ハ更 ニ本 件協 定 ニ於 テ為 ス ヘキ 仕事 ノ内
三 、 以上 本 日 ノ会 談 ハ殆 ト防 共 問 題 ノミ ニテ 終始 シタ ル カ更 ニ近 日
亜
︹ 基樹︺ 松 村総 領 事 代 理
廿 九日後発 十月 三十 日前着
一、 本 使 ヨリ若 シ本 件 協 定 カ 日本 側 ノ要 求 ニ出 テタ ル コト 不便 ト ス
支、 天 津 ヘ転 電 セリ
一五
二一 四 二 三
南京 本省
中 再 ヒ会 談 ス ル コト ヲ申 合 セタ リ
昭和 11
有 田外 務 大 臣
暗
ル ニ於 テ ハ支 那 側 ノ提 案 ト シ テ之 ヲ妥結 ス ル コト ト ス ル モ差 支 ナ シ ト告 ヶタ ル モ張 ハ容 易 ニ納 得 セ ス更 ニ本 使 ヨリ種 々説 得 シタ ル結 果
二、 次 テ北 支防 共問 題 ニ移 リ本 使 ヨリ 本件 協 定 ハ前 回 張 カ希 望 シタ
張 ハ兎 モ角更 ニ蒋 介 石 ト相 談 ノ上返 答 ス ヘシ ト答 ヘタ リ
ル カ如 キ綏 東 問 題 ト関 聯 セ シ メ ス無 条 件 ニテ締 結 方 ヲ要 求 ス ル モノ ナ ル旨 念 ヲ押 シタ ル処 張 ハ最 近 綏 東 方 面 ノ形 勢 逼 迫 セル旨 種 々情 報 ア リ且 冀察 ニ於 テ モ日本 側 カ勝 手 ニ種 々ノ 工作 ヲ進 メ居 ル模 様 ニテ 国 民 政府 ト シテ ハ甚 タ其 ノ立 場 ニ窮 シ延イ テ今 回 ノ交渉 ニ モ面 白 カ
ヘ立 テ タ ル後 日本 側 ノ希望 ス ル共同 委 員 会 ノ設 置 ハ先 ツ本 件 協 定 ノ
ラ サ ル影 響 ヲ与 ヘツ ツ アリ 政府 ノ 立場 上 極 メ テ困難 ナリ ト泣 言 ヲ竝
川越 大 使 ヨリ
北 支 防 共 協 定 ニ付説 明 ノ為 本 二 十 九 日午 後 二時 雨 宮 武官 高 宗 武 ト
第 八 八 三号 (大 至急 、交 渉 、 極 秘 ) ︹ 不詳︺ 往 電 第 八八 ○ 号 ニ関 シ
日 本側 ニ於 テ ハ冀 察 、 綏遠 ヲ其 ノ地 域 ト ス ル コト ヲ主 張 セ ラ ル ル
実 施 区 域ハ ヲ定 ム ル ニア ラサ レ ハ承諾 シ難 シ
一、 先 ツ武 官 ヨリ防 共 協 定 ノ内 容 ノ大綱 ニ付 説 明 ス ル前 ニ支 那 側 ニ
会 談 ノ要 旨 左 ノ通
於 テ ハ如 何 ナ ル具 体 案 ヲ有 ス ル次 第 ナ リ ヤ承 知 シ度 シト質 シタ ル処
モ支 那側 ハ山 海 關 、 包 頭 ヲ連 ヌ ル線 以北 ニ限 定 シ度 キ次 第 ナ リト 述
威 ニ対 ス ル防 遏 ヲ目 的 ト ス ル モノ ナ ルヲ以 テ此 ノ精 神 ヨリ推 シ テ考
高 ハ支 那 側 ト シテ ハ山 海 関 、 包 頭 ノ線 以北 ヲ以 テ防 共 地 域 ト為 シ外
ヘタ ル ニ付 本使 ハ右 地 域 ニ付 テ ハ本 件 カ外 蒙 方 面 ヨリ ス ル赤 化 ノ脅
フ レ ハ自 ラ 一定 ノ地 域 ア ル ヘシ山西 省 雁 門 道 ノ如 キ モ右 地域 ニ加 フ
蒙 方面 ヨリ来 ル共 産勢 力 ニ対 シ防 衛 セ ント ス ル モノ ナ リト答 ヘタ ル ニ付武 官 ハ右 ノ如 キ共 産 勢 力 ハ庫 倫 ヨリ張 家 口 ヲ経 テ来 ル コト ハ稀
南京 本省
廿九日後発 十月 三十日前着
亜
第 八 八 四号 (大 至急 、 交 渉 、 極 秘 )
暗
往 電 第 八 八三 号 ニ関 シ
松 村総領事代理
ナ ラ ス殊 ニ新 疆 方 面 ヨリ甘 粛 ヲ経 テ来 ル モノ ハ最 モ憂慮 サ ル ヘキ性
川越 大 使 ヨリ
有 田外務 大臣
質 ノ モノ ナ リ果 シ テ然 ラ ハ山 海 關 、 包 頭 ノ線 以北 ニ於 テ何 レ ノ方 面
右 会 談 ニ於 テ ハ予 メ当 方 ト ノ打 合 ニ基 キ先 ツ高 宗 武 ヲ シテ 山海 關 、
ニ シテ寧 ロ庫 倫 ヨリ包 頭 又 ハ其 ノ以 西 ニ向 フ コト自 然 ノ勢 ナ ルノ ミ
ニ対 シテ防 衛 セ ント ス ル モノ ナ リ ヤト問 ヒ質 シタ ル処 高 ハ斯 ル委 シ
包 頭線 ヲ固 執 スル コト ハ専 門 家 ヨリ見 レ ハ不合 理 ニシ テ交 通 及 通信
キ コト ハ考 ヘ居 ラ ス之 ハ専 門 家 ニア ラサ レ ハ判 ラ スト 答 ヘタ リ 二 、 次 テ高 ヨリ日 本側 ノ具体 案 ヲ承 リ度 シト申 出 テ タ ル ニ付 武官 ハ
ヲ悟 ラ シ ム ル点 ニ主 眼 ヲ置 キ タ ル次 第 ナリ 為念
亜
須 磨 総 領 事
七 日後 発 十 一月 八 日前 着
聯 絡 ノ便 利 ナ ル地 方 ヲ モ含 マシ ム ル ニアラ サ レ ハ全 ク意 義 ナ キ コト
南京 本省
具 体 案 ハ方 針 サ ヘ明 確 ニナ レ ハ直 ニ出 テ来 ル ヘキ モ支 那 側 ノ言 フ カ
二 二〇 九 〇
一七
支 、 天津 ヘ転 電 セ リ
昭 和 11
有 田外務大 臣
暗
如 キ 地域 ニ限 定 スル ト セ ハ我 々専 門 家 ト シ テ案 ヲ立 ツ ル ニ極 メテ 困 難 ナ リ孫 子 ノ兵 法 ニ依 ル モ防 禦 ヲ為 ス ニ ハ交 通 ノ便 利 ナ ル地 域 ニ依 リ テ通信 聯 絡 ヲ密 接 ニシ置 ク ヲ要 スル次 第 ニテ支那 側 ノ言 フ カ如 キ 沙 漠 ノ真 中 ニテ ハ何 事 モ出来 難 キ ニ付 此 ノ際 右 ノ如 キ 不合 理 ナ ル線 ヲ固執 ス ル コト ヲ撤 回 シ地 域 ノ範 囲 ハ委 員 会 ニ委 セテ ハ如 何 ト告 ケ タ ル ニ高 ハ自 分 ト シ テ ハ右 地 域 ニ関 ス ル御 話 ノ趣 旨 ハ了解 シ タ ル カ 既 ニ張 羣 ヨリ川 越 大使 ニ対 シ再 三話 シ居 ル次 第 ニテ モア リ遽 ニ之 カ
三、 最後 ニ高 ハ防 共 協 定 ノ内 容 ト シテ交 通 及 通 信 聯絡 カ 重要 ナ ル コ
第九〇三号 ( 大 至 急 、 交 渉 、極 秘 ) ︹ 不詳︺ 往 電 第 八 九〇 号 ニ関 シ
変 更 方 ヲ張 ニ進 言 スル コト ハ出 来 難 キ モ報 告 ハス ヘシト答 ヘタ リ
川 越 大使 ヨリ
キ タ ル処 張 ノ伝 言 ト シ テ
一、 高 ハ去 ル三 日須 磨 ヨリ受 取 リタ ル書 物 ヲ張 部 長 ニ示 シ裁 断 ヲ仰
ノ通
高 宗武 ノ希 望 ニ依 リ七 日午 後 四時 須 磨 ヲ シ テ会 見 セ シメ タ ル処 左
ト モ略 了解 シ得 タ ル ニ付 之亦 張 ニ報 告 ノ上 必 要 ア ラ ハ再 ヒ会 談 シ度
二一 四 二四
一六
支 、 天 津 ヘ転 電 セ リ
シ ト述 ヘタ リ
昭和 11
一
発 生 後 ハ張 公 権 、呉 鼎 昌 等 自 分 ヲ力 付 ケ呉 レタ ル連 中 モ段 々尻 込 シ
ンテ難 局 ヲ打 開 シ責 任 ヲ取 ラ ント ス ル勇気 ナ ク殊 ニ楊 永 泰 暗殺 事 件
排 日 取締 及 国 交 調 整 ニ関 ス ル各 項 目 ハ何 レ モ支 那側 自 発 的 ニ実
ル コト ヲ協 議 シ居 ラ サ ル次 第 ニテ モア リ文 書 ノ形 式 ヲ執 ル コト ハ絶
行 ス ル建 前 ヲ取 ル モノ ナ ルト 共 ニ本 交 渉 ノ初 ヨリ是 等 ヲ文 書 ニ認 ム
ニテ漸 ク交渉 ノ綱 ヲ 切 ラ ス ニ維 持 シ居 ル様 ノ始 末 ニテ ホト ホト困 惑
テ (呉 震 脩 スラ 近 ク 四川 ヘノ旅 行 ニ出 ツ ル次第 ナ リ)結 局 自分 一人
一般 反 共 協 定 ハ到底 受 諾 シ得 ス
返 スカ如 キ ハ外 交 礼儀 ヲ欠 ク コト甚 シ ク第 二 ニ文書 ノ形 式 ヲ 一切 避
三 、依 テ須 磨 ハ第 一当 方 ヨリ話 ノ基 礎 ヲ作 ル為提 示 シタ ル書 類 ヲ突
述 ヘタ リ
シ居 ル モ何 ト カ妥 結 点 ニ達 シ度 ク依 然 強 キ熱 意 ヲ有 ス ル次第 ナ ル旨
イ 北 支 協 定 ハ其 ノ実 施 地 域 及 実 施 事項 ニ付意 見 ノ合 致 ヲ見 且冀
国 交 調整 ニ関 ス ル項 目 ノ内
対 ニ不同 意 ナ ル コト
ロ
二
東 政 府 及 綏 東 偽 軍 問題 解 決 シ タ ル上 ニアラ サ レ ハ話 合 ヲ進 メ難 ク
ハ成 都 其 ノ他 事 件 ノ将 来 ノ保 障 ニ関 ス ル モ ノ ニテ当 然 公 文 ヲ以 テ 交
ク ルト言 フ ハ如 何 ナ ル理由 ナ ルヤ排 日取 締 ニ関 ス ル事 項 ノ如 キ ハ実
換 セラ ル ヘキ性 質 ノ モ ノナ リ
上 海 、 福 岡 間航 空聯 絡 ハ即 時 調 印 ス ヘキ モ 日本 側 ヨリ此 ノ際
ハ
北 支 問 題 其 ノ他 ノ各 項 目 ニ付 テ ハ内 容 ノ字 句 ニ相 当修 正 ス ヘ
北支 ノ自 由 飛 行 停 止 方約 束 ヲ得 且 現 実停 止 ア リ タ ル後 実行 ス ヘク ニ
ト言 フ ハ最 初 ヨリ交渉 ナ カ リ シ ト同 様 ニテ 承認 ス ルヲ得 ス第 三航 空
其 ノ他 国 交 調 整 ニ関 ス ル事 項 ニ付 テ モ何 等 ノ記 録 ヲ モ留 メ置 カ ス
三
聯 絡 ニ北 支 航 空 問 題 ヲ引 懸 ケ北 支 防 共 協定 ニ冀 東 及 綏 東 問 題 ヲ条 件
成 都 事 件 ニ関 シ国 民 政 府 ノ名 ニ於 テ陳 謝 スル以 上 劉 湘 ノ総 領 事
ニ対 ス ル陳 謝 ハ之 ヲ取 止 メ度 キ コト ヲ ハツ キ リ日 本 側 へ伝 達 ス ヘシ
シ張 カ逡 巡 シテ決 ス ル能 ハサ ル コト ハアリ ト スル モ蒋 介 石 ニ於 テ ハ
ト ス ルカ如 キ コト ニテ ハ到 底 支 那 側 ニ交渉 解 決 ノ意 思 ア リト 認 メ難
キ点 ア ル モ大 体 従来 ノ話 合 ノ通 リ実 行差 支 ナ キ コト
ハ之 ヲ返 却 ス ヘキ旨 命 シ タ リト 語 レリ ( 高 ハ右 趣 旨 ヲ事 前 ニ清 水 ニ
ト ノ コト ナ ル ニ付右 承 知 ア リ度 ク尚 其 ノ際 張 ハ須 磨 ヨリ提 示 ノ書 物
ナ ルカ若 シ張部 長 ニ之 以上 話 ヲ進 メ ル肚 モ腕 モナ シ ト言 フナ ラ バ高
自 ラ早 速 蒋 ノ許 ニ赴 キ最 後 ノ点 ヲ纏 メ来 ル方 宜 シ カ ラ ス ヤ高 カ折 角
交 渉 ノ円 満 解決 ヲ図 リ度 キ意 嚮 ナ ル ヘシト我 方 ハ今 尚 信 シ居 ル次第
ク話 ハ全 ク逆 転 シ之 ニテ ハ当然 決 裂 ノ外 ナ キ次 第 ナ ルカ支 那 側 ニテ
ハ大 胆 率 直 ニ自 分 ( 須 磨 ) 限 リ ノ試案 ヲ示 シ相 談 ス ル モ差 支 ナ シ ト
此 処 迄 努 力 シ来 リ今 ヤ後 一歩 ノ所 ナ ルカ若 シ更 ニ奮 発 ス ル決 心 ア ラ
二、 右 ニ対 シ須 磨 ハ張 ノ回 答 ハ会 談 ヲ全 体 ト シテ拒 絶 ス ル ニ モ等 シ
ハ 一体 其 ノ積 リ ナ リ ヤ ト質 シタ ル処 高 ハ只 今 ノ話 ハ張 部 長 ノ指 示 セ
内 話 セ リ)
ル所 ヲ其 ノ儘 述 ヘタ ル モノナ ルカ自 分 (高 ) ト シテ モ之 ニテ ハ日 本 側 ニ於 テ憤 慨 ス ル コト 察 ス ル ニ難 カ ラ ス左 レト モ内 部 ノ事 情 ヲ打 チ
四、 高 ハ右 須磨 ノ説 得 ニ依 リ尽 力 ス ヘキ決 意 ヲ披 瀝 シタ ル ニ依 リ須
告 ケタリ
磨 ハ今仮 ニ試案 ト シ テ
マケ 御話 ス レ ハ張 ハ汪 兆銘 等 ト全 ク異 リ事 務 的 ニ処 理 ス ル以 外交 渉 ノ取纏 ニ努 力 ス ル程 ノ 人物 ニア ラ ス其 ノ上行 政 院 各 部 長 ハ何 レ モ進
ケタ ルニ ( 本 使 ハ九 日張 羣 ニ会 見 ノ見 込 )高 ハ前 記 須 磨 ノ試案 ヲ以
一八
明 八 日 回 答 ス ヘキ旨 ヲ約 セ リ ( 了)
テ 一応 張 部 長 ニ当 リ其 ノ結 果 直 ニ洛 陽 ニ赴 ク コト ト ナ ル ヘク兎 モ角 劉 湘 ノ陳 謝 ヲ免 除 スル コト ハ承 諾 シ難 キ コト
航空聯絡及北支防共協定 ニ引懸 ケ居 ル支那側 ノ条件 ヲ撤廃 スル
少 ク モ排 日 取締 ニ付 テ ハ文 書 ヲ以 テ支 那 側 ヨリ通報 越 ス コト
南京 本省
劉 湘 陳 謝 ノ点 ハ最 困難 ナ ル ニ付排 日 取締 ニ関 ス ル事項 ハ成 都 事 件 ノ
輝 ト 共 ニ七 日洛 陽 ニ赴 キ 蒋 ニ面 会 シ其 ノ指 示 ヲ受 ケ九 日帰 寧 セ ル モ
本使 張 羣 ト ノ会 談 ハ張 不在 ナ リ シ為 ( 例 ノ内 報 ニ依 レ ハ張 ハ熊 式
須 磨 総 領 事
亜
一 二
国 交 調 整 ニ関 ス ル事 項 ニ付 テ ハ正式 ノ ﹁ミ ニツ﹂ ヲ作 ル コト ヲ 昭 和 11
二 二二 七 七 暗
第 九 一二号 (大 至 急 、交 渉 、 極 秘 )
有 田外務大 臣
往 電 第 九 〇 三号 ニ関 シ
十 一日前 発 十 一月 十 一日前 着
コト
四
三
取 止 ト ス ル モ話 合 ノ結 果 ヲ各 自 覚 書 ト シ読 合 ノ上 写 ヲ交換 ス ル コト
一般 反 共 協 定 ハ後 日更 ニ話 合 ヲ為 ス コトト シ此 ノ際 ハ之 ニ触 レ
ト ス ルナ ラ ハ 五
ト ス ル モ已 ム ヲ得 サ ル ヘキ カ此 ノ程 度 ナ ラ ハ取 極 メ得 ルノ見 込 ア リ
サ ル コト
ヤ ト切 出 シタ ル ニ
附 属 ノ如 キ体裁 ト シ且之 ヲ公 表 セサ ル コト ト シ其 ノ他 ノ国 交 調 整 ニ
ノナ ルカ張 自 身 及 外 交 部 当 局 ハ右 旅 行 ノ事 実 ヲ秘 シ居 レリ) 本 十 日
川越 大 使 ヨリ
関 スル項 目 ハ文書 ニ認 ム ル コト ヲ取 止 ム ル コトト 願度 シト答 へ更 ニ
一、 先 ツ本 使 ヨリ支 那 側 ニ於 テ依 然 交 渉 ヲ纏 ム ル ノ決 心 ナ リ ヤト 質
午 後 三時 ヨリ 二時 半 ニ亘 リ 行 ヒタ ルカ其 ノ要旨 左 ノ通 リ
高 ハ稍 愁 眉 ヲ開 キ此 ノ程 度 ナ ラ ハ何 ト カ尽 力 シ見 ル ヘキ モ文 書 及
シ出 来 得 レ ハ今 日 ノ如 キ話 ヲ川越 大 使 ヨリ張 ニ持 出 スト 共 ニ東 京 ニ
シタ ル処張 ハ速 ニ交 渉 ノ解 決 ヲ計 ラ ント スル方 針 ニ ハ変 更 ナ キ次 第
此 ノ程 度 ノ最 後案 ニテ纏 ム ル コト モ自 分 独 リ ニテ ハ仲 々困難 ニテ若
於 テ モ大 臣 ヨリ許 大使 ニ告 ケ両 方 面 ヨリ押 サ ル レ ハ自 分 ( 高) ノ工
遷 延 セシ ム ル コト ニ依 リ何 等 得 ル所 ナ キ 次第 ヲ充 分 覚 リ 居 リ決 シテ
モア ル由 日 本 ノ新 聞 等 ニ モ見 エ居 ル モ国 民 政府 ト シテ ハ本件 交 渉 ヲ
斯 ル不得 策 ナ ル手段 ヲ弄 ス ル意 思 ナ シト弁 明 セリ依 テ本使 ハ果 シテ
ナ リト 答 へ日本 側 ニテ ハ支 那 カ遷 延策 ヲ執 リ ツ ツア リ ト観 測 スル向
然 ラ ハ議 論 ハ既 ニ之 ヲ尽 シ日本 側 ノ要望 ニ付 テ モ徹 底 シ タ ル モ ノト
作 モ余 程 遣 リ易 クナ ル次第 ナ リ ト述 ヘタ リ
ス ル公文 ト同 時 ニ受 理 ス ル コト差 支 ナ ク其 ノ他 ノ事 項 ハ前 述 ノ通 リ
テ何 レ ニ ス ル モ同 時 ニ取 扱 フ ヘキ問 題 ナ ル ニ付 其 ノ文 書 ヲ事件 ニ関
察 セラ ル ル ニ付 此 ノ際 明確 ニ支 那 側 ノ態 度 ヲ表 示 シ本 件 交渉 ヲ速 ニ
五 、右 ニ対 シ須磨 ハ排 日取 締 事 項 ハ素 々成都 事 件 ニ関 聯 ス ル モノ ニ
ル モ差 支 ナ ク大 使 、 張羣 並 ニ大 臣 、 許 大使 ノ会 談 モ考 慮 ス ヘシト告
正 式 ノ外 交 文 書 ノ形 式 ニ依 ラ ス各 自 覚 書 程 度 ノ モノ ヲ交 換 シ我 慢 ス
キ カ要 ス ル ニ 一般 反 共 協 定 問 題 ハ我 方 ニ於 テ ハ屡 々説 明 ノ通 リ両 国
渉 ノ妥結 ヲ図 ル決 心 ナ ル コト ハ既 ニ高 ヨリ モ報 告 アリ タ ル所 ナ ル ヘ
宗 武 ト 会 見 セ シメ極 メ テ大 胆 ナ ル試 案 ヲ提 示 シ本使 ノ責 任 ニ於 テ交
纏 ム ル コト然 ル ヘシ本使 ニ於 テ モ此 ノ希 望 ニ基 キ 過 日須 磨 ヲ シ テ高
ニ譲 ラ ス今 若 シ冀東 問 題 ヲ解 決 スル コト 不 可能 ナ ラ ハ本 件 協 定 モ或
求 メ タ ル処 張 ハ飽迄 冀 東 政 府 ノ解 消 問 題 ヲ固執 シ此 ノ点 ハ蒋 モ絶 対
等 ノ条 件 ヲ附 シ居 ラ サ リ シ モノ ニ アラ スヤ ト告 ケ 共 同 委 員 会 設 置 ヲ
ル九 月 二十 三 日 会見 ノ際 本 件 協 定 ヲ論議 シタ ル際 モ支 那 側 ニ於 テ何
ノ自 衛 並 ニ生 存 ノ必 要 ヨリ適 宜 ノ措 置 ヲ執 ラサ ル ヘカ ラ ス即 チ日 本
キ状 況 ニア リ蘇 聯 ノ赤 化 勢力 カ此 ノ方 面 ヨリ侵 犯 ス ル以上 日本 ハ其
ノ対内 蒙 政 策 ハ此 ノ点 ニ出 発 スル モノ ニシ テ本協 定 ヲ締 結 ス ル コト
時 期 迄 延 ハ スノ外 ナ シト答 ヘタ ル ニ依 リ 本使 ハ抑 々外 蒙 カ現 在 ノ如
キ モ今 直 ニ協 定 ヲ締 結 シ実 行 ス ル コト 対内 関 係 上 到 底 不 可 能 ナ リ ト
ハ支 那 側 ニ取 リ テ モ極 メテ 有 益 ナ ル モノ ナ ル旨 ヲ説 キ タ ル ニ張 ハ其
国 民 ノ共 同 目 標 ヲ示 シ両 国 関 係 ヲ改善 セ シ ムル絶 好 ノ問 題 ト シテ其
固執 ス ル以 上 前述 須 磨 試 案 ノ如 ク 他 ノ事 項 ニ付 日本 側 ノ要 望 ヲ容 ル
ノ点 ハ蒋 モ良 ク承 知 シ居 ル所 ナ リ ト答 ヘタ ル ニ付本 使 ハ九 月 二十 三
ノ受 諾 ヲ要求 シタ ル次 第 ナ ル処 国 民政 府 ニ於 テ ハ其 ノ趣 旨 ニ異 存 ナ
ル決 心 ナ ル ニ於 テ ハ同 協 定 ハ暫 ク之 ヲ他 日 ニ譲 リ時 機 ヲ見 テ実 行 ス
日 ノ張 ノ国 策 転 換 ノ言 明 ヲ繰 返 シ支 那 側 ニ於 テ ハ既 ニ我 方 提 議 ニ賛
ト提 携 ス ルカ如 キ コト ハ毫 モ考 慮 シ居 ラ サ ル コト ハ鼓 ニ断 言 シ得 ル
ル コト ト ス ル モ或 ハ已 ム ナ キ カト 考 慮 シ居 ル次 第 ナ ル カ是非 共 右 試
所 ナ ル ヲ以 テ 日本 側 ニ於 テ モ右 蒋 ノ態 度 ニ信頼 シ其 ノ実 行 ノ時 期 ヲ
案 ノ通 リ承 諾 ス ル コト ヲ希 望 ス ル モノナ リ ト告 ケ タ リ
ト シテ 斯 ノ如 キ決 心 ヲ為 ス以 上 日本 側 ニ於 テ モ蒋 及国 民 政 府 ノ対 内
ヲ変 更 ス ル訳 ニア ラ ス蒋 モ同 様 ニ シテ絶 対 ニ共 産 主義 ヲ排 撃 シ蘇 聯
的 立 場 ヲ考 慮 シ冀 東 政 府 ノ解 消 及 綏 東 偽 軍 ノ解 散 ヲ実 行 セ ラ レ度 シ
後 日 ニ延 ハス雅 量 ヲ示 サ レ度 シ本 件 協 定 ニ関 ス ル支那 側 内 部 ノ困 難 ︹ ?︺ ナ ル実 状 ハ到底 御 話 ニ モナ ラサ ル程 度 ナ リト 零 セ ル モ本 使 ヨリ種 々
成 シタ ル モノ ト認 ム ル カ如何 ト念 ヲ押 シ タ ル ニ張 ハ素 ヨリ其 ノ趣 旨
元 来 北 支防 共協 定 問 題 ニ関 シテ ハ嘗 テ有 田大 臣 ト会 談 シタ ル コトア
二、右 ニ対 シ張 ハ先 ツ北支 防 共 問 題 ヲ持 出 シ国 民政 府 カ国 策 ノ 一大
ル カ其 ノ当時 支 那 側 ハ満 洲 問 題 ノ解 決 ヲ条 件 ト シタ ル程 ナ ル カ今 回
ラ シ ム ル コト ヲ提 議 シ張 モ之 ヲ賛 成 セリ
説 得 シ タ ル結 果本 件 協 定 問 題 ニ付須 磨 ト高 宗 武 ト ノ間 ニ於 テ案 ヲ練
転換 ヲ為 シ テ右 協 定 ノ趣旨 ニ賛 成 シ タ ル点 ハ依 然 変 ル所 ナキ モ支那
ハ之 ヲ変更 シ日本 ト シ テ寧 ロ遣 リ易 キ冀 東 及 綏東 問 題 ノミ ヲ之 カ条
察 ニ触 レス シ テ其 ノ他 ノ 三省 ニ於 テ ハ日本 ト協 力 シテ 経済 開 発 ヲ促
東 政 府 ヲ承 認 ス ル意 味 ヲ モ含 ム コト ト ナ ルヲ以 テ之 ヲ承 諾 シ難 ク冀
北 支 問 題 ニ付張 ハ冀 察 ノ現 状 ヲ黙認 セ ヨト ノ目本 側 ノ主 張 ハ冀
条 件 ト ス ル ニ至 リ シ モノ ナ リト述 ヘタ ル ニ付 本使 ハ冀 東 政 府 問 題 ハ
進 シ中 央 竝 ニ地方 当局 ニ於 テ融 通提 携 ヲ図 ル コト ハ差 支 ナ ク唯 須 磨
一
三、 其 ノ 他ノ 項目 ニ関 シ テ ハ
件 ト為 シタ ル点 ニ充 分 同 情 セラ レ度 シ実 ハ今 回 ノ交渉 ノ初 ニ於 テ ハ 塘 沽 協 定 ノ廃 止 モ本 件 協 定 問 題 ノ条件 ト ナ リ居 リ シ次 第 ナ ルカ自 分
之 迄 屡 々説 明 セ ル通 リ防 共 問 題 ト ハ全 ク関 聯 性 ナ キ問 題 ニ シテ之 ト
(張 ) ノ努 力 ニ依 リ之 丈 ケ ハ引 込 メ結 局 冀 東 及 綏 東 ノ二問 題 ノ ミ ヲ
結 ヒ付 ケ テ 解 消 又 ハ変 更 ス ル カ如 キ ハ事 実 上 不 可 能 ノ コト ニ属 シ去
往 電 第 九 一二号 ニ関 シ
︹? ︺
試案 中 ニ掲 ケ タ ル字 句 ニ ハ多 少 修 正 シ度 キ箇 所 ア リト述 ヘタ ルカ結
冒 頭 往 電 本 使 張 羣 ト ノ会 談 ノ結 果 本十 一日午 後 須 磨 ヲ シテ高 ト会
川 越 大 使 ヨリ
航 空 連 絡 ハ張 ハ又復 北 支 自 由 飛 行 ノ解 決 ヲ持 出 シタ ルカ本 使 ヨ
局須 磨 ト高 ト ノ間 ニ於 テ之 ヲ調 整 ス ル コト ト ナ レ リ 二
関 税 引 下 ハ日本 側 ノ希 望 ヲ容 レ之 ヲ調 整 スル ニ異存 ナ ク
合 フ ヘカ ラサ ル旨 厳 重 訓 令 ア リタ リ ト前 提 シ ﹁十 日張 部 長 カ川 越 大
一、 先 ツ高 ハ張 部長 ヨリ次 ノ如 ク 伝達 方 並 ニ右 以 外 ニ付 テ ハ 一切 話
顧 問 問 題 ニ付 張 ハ両国 間 ノ空 気良 ク ナ リ タ ル上 之 ヲ実 行 ス ヘシ
談 ヲ続 ケ シ メタ ルカ右 要 領 左 ノ如 シ
四
三
使 ニ述 ヘタ ル所 ハ最 後 的 意 見 ニ シテ之 ヲ変 更 ス ル コト ハ内 政 上 殊 ニ
リ之 ヲ撥 付 ケ 置 キ タ リ
ト述 ヘタ ル カ本使 ハ右 ハ期 限 ヲ附 シテ実 行 ス ヘキ 旨 ヲ告 ケ張 モ之 ヲ
不 可 能 ナ リ而 シテ交 渉 ノ難 点 ハ四項 目 ア ル処
最 近 ノ綏 東 方面 情 勢 ノ発 展 ニ依 リ生 セ ル対 日疑 惑 及 不安 ヨリ絶 対 ニ
不 逞 鮮 人 引渡 問 題 ハ従 来 ノ話 通 リ実 行 ヲ約 セリ
了承 セ リ 五
四、 最 後 ニ本 件 交 渉 ノ文 書 作 成問 題 ニ入 リ張 ハ今 回 ノ交 渉 ハ最 初 ヨ
ヲ為 ス ヘク
イ
ロ
劉 湘 ノ陳 謝 ハ受 諾 シ難 シ但 シ支 那 側 ニテ自 発的 ニ軽 度 ノ処 罰
リ 口頭 ニテ之 ヲ為 シ文 書 作 成 ヲ考慮 シ居 ラ ス国 民 政府 ノ立 場 ヨリ ス ル モ全 ク 不可 能 ノ コト ニ属 スト強 硬 ニ反 対 シタ ル モ本 使 ヨリ会 談 ノ
日 ヲ記載 セ ス且 外 交 部 ヨリ ﹁今 回 調 印 ノ協 定 ハ六箇 月 後 ニ実 施 ス
但 シ右 期間 内 ニ本 件 協 定 ニ関 聯 ス ル問 題 ヲ解 決 セラ レ度 シ若 シ解
航 空 聯 絡 ニ付 テ ハ此 ノ際 調 印 ニ異 議 ナ キ モ協 定 文 面 ニ実施 期
記 録 ヲ留 メ置 カ サ レ ハ他 日 話 ノ内 容 スラ判 明 セサ ル コト ト ナリ 種 々 不 都 合 ヲ生 ス ヘキ点 ヲ説 明 シ冒頭 電 須 磨 試 案 ト シテ提 議 シ タ ル覚 書
決 ヲ見 サ ル ニ於 テ ハ之 カ解 決 迄 実 施 ヲ延期 スル趣 旨 ﹂ ノ公文 ヲ提
交 渉 ニ関 ス ル文 書 作 成 ノ問 題 ハA 六項 目 ニ付 テ各 自 覚 書 ヲ読
北 支 ノ防 共 ハ冀 東 及 綏東 問 題 ノ解 決 後 実 行 ス ル コト ト致 度 ク
若 シ以 上 ノ建 前 ヲ変 更 セ ント スル話 出 ル場 合 ハ張 ニ於 テ須 磨 ト 直
ノ字 句 通 リ ニテ差 支 ナキ 由 )
従 テ右 解決 迄 ハ本 件 ヲ延 期 ス ル ノ外 ナ シ (北 支問 題 ハ日本 側 提 案
ニ
第 九 〇 三号 一、一 ノ理 由 ニ基 ク)
クB 排 日取 締 ニ付 テ ハ文 書 ト為 ス コト ハ絶 対 ニ受 諾 シ得 ス (往 電
合 セ写 ヲ渡 ス コト ハ差 支 ナキ モ字 句 及 書 振 ニ付 テ ハ予 メ協 議 致 度
ハ
交 換 ノ必要 ヲ力 説 シ之 亦須 磨 、高 宗 武 ヲ シテ打 合 セ決 定 セ シ ム ル コ
亜
須 磨 総 領 事
十 一日後 発 十 一月 十 二 日前 着
出 ス ル コト ト 致度 ク (必 スシ モ日 本側 ヨリ ノ回 答 ハ期待 セ ス)
支 、北 平 へ転 電 セリ
二二三五四
一九 暗
南京 本省
ト ヲ 承 諾 セ シメ タ リ
昭和 11
有 田外務大 臣
第 九 一六 号 (交 渉 、 極 秘 )
接 話 合 フ ヘキ﹂旨 述 ヘタ リ 二 、依 テ須 磨 ヨリ 此 ノ際 一事 務 官 ニ過 キ サ ル高 司長 ヲ責 メ テ モ致 方 ナ キ カ右 ノ如 ク ン ハ当 初支 那側 ノ主 張 ト殆 ト 異 ナ ル所 ナ キ ヲ以 テ七 日須 磨 ヨリ提 示 セ ル試案 ハ (往 電 第 九 〇 三号 ノ四 ) 此 ノ際 全部 撤 回 ス依 テ右 試 案 ハ当 初 ヨリ存 在 ナ カ リ シ モノト 心得 ラ レ度 シト 芯 酬 シ 且 張 部長 ハ川越 大 使 ニ対 シ支那 側 ハ交 渉 ヲ取 纏 メ ント ノ意 嚮 ナ ル旨
二〇 二 二 五五 二
十 四 日後 発 十 一月 十 四 日夜 着
ヲ突 止 ム ル コト ト ス ヘシト 軽 ク受 流 シ置 ケ リ (了)
昭和 11
南京 本省
亜
第 九 二三 号 (至 急 、 交 渉 、 極 秘 )
暗
往 電 第 九 一六号 ニ関 シ
須 磨 総 領 事
ヤ ヲ疑 ハサ ルヲ得 スト 攻 メ掛 ケ タ ル処 高 ハ極 々 ノ打 明 話 ニテ川 越 大
川越 大 使 ヨリ
有 田外務大 臣
使 ニ モ御 知 セナ キ様 致 サ レ度 キ モ張 部長 ハ自 分 (高 ) ニ ス ラ相 談 ナ
須 磨 ヲ シ テ張 羣 ニ更 ニ詳 細 説 明 セ シ ム ル筈 ナ リ シ カ張 ハ高 宗 武 ヨ
言 明 セ ル ニ拘 ハラ ス前 記 一ノ如 キ態度 ニ出 テ タ ル ハ誠 意 那 辺 ニア ル
ク洛 陽 ニ飛 行 シ今 日猶 之 ヲ秘 シ居 ル事 実 ア リ従 テ昨 日 ノ張 部 長 ト大
取 シタ ル上 実 ハ十 日 本使 ト ノ会 見 ニ於 テ得 タ ル印 象 ニ依 レ ハ北 支 防
リ 冒頭 往 電 ノ如 ク所謂 須 磨 試 案 ヲ撤 回 スト言 フカ如 キ話 ノ経緯 ヲ聴
共 延 期方 ニ付 体 裁 ヲ整 フ ル為 須 磨 高 宗 武 間 ニ話 合 シ ム ル以 外 大体 意
シテ蒋 ノ意 嚮 通 ナ リ ヤ ニ付 テ ハ部 長 カ平 素 極 メ テ 小 心而 モ駈 引多 キ コト ヨリ見 テ疑 問 ナ シト セ ス実 ハ張 公 権 及 自 分 ヨリ部 長 ト ハ別 ニ七
見 ノ合致 ヲ見 タ リ ト考 へ居 タ ル ニ拘 ラ ス須 磨 ノ高 ニ対 ス ル話 ニテ ハ
使 ト ノ会 見 ハ部 長 カ蒋介 石 ト話 合 ノ上 ナ ル モ部長 ノ述 ヘタ ル所 カ果
アリ タ ル ニ鑑 ミ貴 官 ハ直接 張 部 長 ト会 見 シ交渉 ヲ続 ケ ラ ル ル 一方張
日貴 方 ヨリ提 示 ノ試 案ラ 蒋 ニ電 報 セ ル処 ﹁更 ニ勢 力 セ ヨ﹂ ト ノ回電
ニ付 更 ニ詳 細 折 衝 方 訓令 シ置 ケ ル ニ付 高 卜会 談 ア リ度 シト申 入 レ須
未 タ余 程 ノ開 キ ア レ ハ此 ノ儘 須 磨 ト 直接 会 談 ス ル モ物 別 レ ノ外 ナ キ
磨 ニ於 テ十 三 日夜 高 ト会 談 ノ次第 左 ノ通 ︹ 許世英︺ 一、 須磨 ヨリ許 大 使 カ有 田大 臣 ニ申 入 ノ次第 ヨリ ス ル モ張 羣 ハ如 何
シ メ側 面 ヨリ交 渉 ノ進 展 ヲ計 ラ ル ル コト ト 致度 シト述 ヘタ リ
ニ モ北支 防 共 以外 ハ全然 纏 リ タ ルカ如 キ 体 ヲ装 ヒ居 ル ノ観 アリ シ カ
公権 及翁 文 〓 ト モ会 見 セ ラ レ同 人等 ヲシ テ直 接 蒋介 石 ノ意 見 ヲ求 メ
ノト 認 メ唯 本 交 渉 ノ前 途 ニ対 ス ル高 ノ見 込 ヲ引懸 ケ見 タ ル処 高 ハ航
更 ニ詳 細 ノ事 情 説 明 ニ依 リ張 ハ我 方 ニ於 テ赤 化 防 止 協 定締 結 延期 ヲ
三 、右 様 ノ次第 ニ付須 磨 ハ之 以上 高 ト 細 目 ノ話合 ヲ為 ス モ詮 ナ キ モ
空 問 題 ヲ日本 ノ言 分 通 リ無条 件 ニ調 印 スルト セ ハ北 支 防 共 ノ実 行 ヲ
已 ムナ ク承 認 スル ハ他 ノ各 点 ニ関 ス ル困 難 ヲ支 那 側 ニ於 テ 全部 取 除
キ我 方 ノ主張 ニ合 ス ヘキ 含 ミ ノ下 ニ大 使 限 リ ニ於 テ大 胆 ニ提 案 シ見
ナ リト ノ見 透 ニテ爾 余 ノ文書 等 ノ問 題 ハ左 シテ 重要 ナ ラ スト 思 フ故 日本 側 ニ於 テ モ固 執 セ サ ル コト然 ル ヘシト 認 ム ル処 右 ニ関 ス ル貴官
タ ル迄 ナ ルヲ我 方 ノ譲 歩 ハ其 ノ儘 ト シ他 ノ点 ノ困 難 ヲ今 以 テ固 執 シ
当 分 延 期 ス ル コト ト シ妥 結 シ得 サ ル ヘキ ヤ自 分 (高 ) ハ其 ノ辺 カ落
ノ御 意 見 如 何 ト反 問 シ来 レ ルカ須 磨 ハ兎 モ角 モ張部 長 ト会 談 シ真 意
ヲ代 表 シ改 メ テ話 シ度 シ ト答 ヘタ リ
ル ハ事 実 ナ ル カ日 本側 ノ言 分 ハ良 ク了解 シ居 ル ニ付 本 日 ハ自 分 ハ張
以 外大 体 支 那 側 ノ言 フ通 リ ニナ レ リト 行政 院 方 面 ニ モ内 々報 告 済 ナ
ト述 ヘタ ル ニ高 ハ張 部 長 ハ兎 モ角 今 以 テ 十 日 ノ会 見 ニ於 テ北 支 防 共
居 ル ノ不誠 意 ナ ル態 度 ナ ル ヲ知 リ大使 ニ於 テ モ驚 ク ノ外 ナカ ル ヘシ
二
リ ト撥 付 ケ置 キ タ リ)
カ部 長 カ数 次 言 明 セ ル所 ヲ今 ト ナ リ テ修 正 セ ント ス ル ハ卑 怯 不届 ナ
リ 又高 ハ ﹁国 策 転 換 ヲ為 シ 云 々﹂ ハ省 カ レ マシ キ ヤト繰 返 シ居 タ ル
ル カ高 ハ右 熟 議 ト ハ支那 語 ニテ ハ ﹁従長 計 議 ﹂ ナ ル ヘシト述 へ居 タ
最 小 限度 案 一、防 共 ノ要 領 ニ ﹁引 続 キ熟 議 ﹂ ノ点 ヲ加 ヘタ ル モノナ
航 空 聯 絡 ハ合 約 中 ニ実 施 期 ヲ昭和 十 二年 五 月 一日 ト定 メ調 印 ス
二、 高 ハ十 二 、十 三 ノ両 日 ニ亘 リ蒋 作 賓 、 呉 鼎 昌 、何 應 欽 、 張 公 権
但 シ支 那側 ハ 一方 的 公 文 ヲ以 テ本 合 約 実 施 前 ニ自 由 飛 行 停 止 ヲ期 待
三
ル ニ四 部 長 ト モ張 羣 以上 ノ消極 ニテ 又不 在 中 ノ孫 科 以外 ノ各 院 長 ハ
等 日本 関係 各 部長 ヲ歴 訪 シ張 羣 ハ消極 ニ過 ク ル ニ付激 励 方 当 リ見 タ
大 体 聯 俄 論 ヲ主張 シ居 リ且 十 三 日朝 上 海官 民十 万 人連 署 ノ交渉 反 対
得 ヘシト確 信 スル処何 ト カ各 項 ニ付 支那 側 ノ主 張 ヲ モ包 含 セラ ルル
中 ナ ル ハ事 実 ナ レ ハ速 急 雙 方 歩 ミ寄 リ案 ヲ作 成 ス ル ニ於 テ ハ解 決 シ
ノ国 民 政 府 ト ノ関係 ハ今 回 ト全 然 異 リ又事 件 解 決 カ遅 レタ ル事 情 モ
件 ニ モ此 ノ事 ナ シト主 張 シタ ル カ須 磨 ヨリ右 両 事 件 当 時 ノ各 省 政 府
四
ト ニ 一応 押 付 ケ来 レ リ
会 談 ノ要 領 ヲ読 合 セ ハス ヘキ モ排 日 取締 ニ付 テ ハ文 書 ニ依 ル コ
請 願 行 政 院 ニ達 ス ルア リ形勢 楽 観 ヲ許 ササ ル モ蒋 介 石 ト シテ ハ何 ト
ルカ結 局成 都 事 件 関 係 文書 ノ附 属 ト シ テ通報 ノ書 翰 ヲ送 ラ シ ム ル コ
ト絶 対 不可 能 ナ リト ノ支那 側 (外 交 部 及 党 部 ノ主 張 ) 意 嚮 ヲ固 執 セ
ス ル旨 ヲ申 入 ル ヘキ カ我 方 ノ回答 ヲ要 セ ス
カ片 附 ケ置 キ度 ク自 然 最 近旨 ヲ受 ケ タ ル張 羣 モ同 様 ノ気 持 ニテ苦 慮
ト同 時 ニ冀 東 解 消位 ニ ハ多 少 色良 キ 言質 ヲ与 ヘラ レ マシキ ヤ ト述 ヘ
ト述 へ 一応其 ノ コト ト シ置 キタ リ
ア リ先 例 ト ハナ ラ スト主 張 セ ル モ自 発的 処 罰 ニテ打 合 ハセラ レ度 シ
劉 湘 陳 謝 ノ点 ニ付支 那 側 ハ飽 迄 難 色 ヲ示 シ殊 ニ南 京 、 濟南 両事
タリ 三、 須 磨 ヨリ是 迄 随 分 話 シタ ル モ張 羣 ハ貴 下 (高 ) ノ言 分 ヲ潜 リ依
五
ト述 ヘタ ル ニ賛 成 セ ル ニ付 長 時 間協 議 ノ結 果 左 ノ通 リ共同 試 案 ヲ得
カ之 ニ依 ツ テ飽 迄 夫 々 ノ政 府 ヲ納 得 セ シ ム ヘキ基 礎 ヲ作 リ テ ハ如 何
償金 額 ニ付 テ ハ張 羣 ノ癖 ト シテ余 程 値 切 ル様 子見 エ透 キ居 ル ニ付爾
又 ハ司長 ノ手 許 金 ヨリ非 公式 ニ出 ス コト ト サ レ度 シト述 ヘタ ル カ賠
成 都 事件 負 傷 者 ニ対 ス ル見舞 金 ニ ハ先 例 ナキ カ小額 ナ ラ ハ部 長
ト認 メ 一方 的 ノ コト ハ止 メ言 ハ ハ須 磨 高宗 武試 案 ト モ言 フ ヘキ 雙 方
然 ト シ テ当初 ノ主 張 ヲ盲押 ニ固執 シ居 ル処 本 日 ハ貴 下 ヲ張 羣 ノ代表
タリ
高 ハ右 一 乃 至 四 ノ案 ヲ場 合 ニ依 リ テ ハ高 限 リ ノ試案 ト シ テ報 告 シ
余 ノ重要 点 決 定 迄 申 入 ヲ留 保 シ居 レ リ
或 ハ自 身 洛 陽 ニ赴 ク ヤ モ知 レ スト 言 ヘル ニ対 シ須 磨 ヨリ名 目 ハ何 レ
北 支 防 共 ニ関 シ支 那 側 ハ従 来 ノ国 策 ニ転 換 ヲ為 シ日本 ト共 同 シ
テ防 共 ノ措置 ヲ取 ルノ原 則 ヲ決 定 セ ル旨 ヲ言 明 シタ ル上 右 共 同 措 置
ニセ ヨ右 ノ ﹁ライ ン﹂ ニテ速 急 纏 マル見 込 付 ク ニ於 テ ハ大 使 ニ政 府
一
ノ実 行 振 ニ付 テ ハ引 続 キ両国 間 ニ於 テ熟 議 ス ル コト (須 磨 持 帰 リ ノ
川 越 大使 ヨリ
往 電 第 九 二 四号 ニ関 シ
二三 二 二 八 一二
暗
南京 本省
須 磨 総 領 事
十 八 日後 発 十 一月 十 八 日夜 着
交 渉 ノ最 後 案 ヲ蒋 介 石 ニ提 示 シ訓 令 ヲ仰 ク為 ト察 セ ラ ル (了 )
昭 和 11
有 田外務大 臣
第 九 三 二号 (至 急 、 交 渉 、 極 秘 ) 往 電 第 九 二 九号 ニ関 シ
亜
シ処 高宗 武 ハ昨 十 五 日密 ニ洛 陽 ニ飛 ヒ明 十 七 日帰 寧 ノ予 定 ナ ルカ右
支那 側 ハ往 電 第 九 二三号 ノ 三 ノ共 同 試 案 ニ付十 四 日来 協 議 中 ナ リ
ヲ動 カ ス様 依 頼 ス ル コト ト ス ヘキ カ早速 明十 四 日朝 中 ニ張 羣 ト話 合
十 四 日後 発 十 一月 十 四 日夜 着 須 磨 総 領 事
亜
ヒ午 後 位 ニ ハ本 使 ニ於 テ張 羣 ト面 会 右 試 案 ニ関 聯 シ正式 ニ話 シ置 ク
二一 二 二 五四 八 暗
南京 本省
コト ト ス ル様 申 聞 ケ タ ル ニ高 ハ快 諾 シ居 タリ (了)
昭 和 11
有 田外務大 臣
第 九 二 四号 (至 急 、 交渉 、極 秘 ) 往 電第 九 二 三号 ニ関 シ 川 越 大 使 ヨリ
川 越 大 使 ヨリ
本 十 四 日高 ヨリ須 磨 ニ対 シ今 朝 早速 委 細 張 部 長 ニ相談 シタ ル ニ張 ハ昨 夜 ノ話 ハ須 磨 カ本使 ヲ、高 ハ張 ヲ夫 々代 表 シタ ル話 ト シ早 速之
本 十 八 日 午 後高 宗 武 ヨリ昨 夕 帰 来 セ ル趣 ヲ 以 テ本使 ニ面会 ヲ求 メ
十六日後 発 十 一月十六日夜着
亜
須 磨総 領 事
綏 東 工作 ノ存 続 ス ル限 リ交渉 ヲ成 立 セシ ム ル コト 困 難 ナ ル点 ニ
防 共 問 題 ハ支 那 ノ内 政 上 極 メ テ機微 ナ ル モノ ア ル ヲ以 テ此 ノ際
支 那 国 民 ノ 日本 ニ対 スル不 安 猜疑 ノ念 慮 ハ前 記 一 ノ関係 モア リ
益 々昂 スル 一方 ニ付 日本 政 府 ニ於 カ レ テ ハ大 局 上 ノ見 地 ヨリ右 念 慮
三
ハ 一切之 ニ触 レ ス今後 適 当 ノ機 会 迄 延 期 セラ レ度 シ
二
付特 ニ本 使 ノ考 慮 ヲ求 メ度 シ
一
語 リ タ ル上 蒋 ノ伝 言 ナ リ ト テ
一、 先 ツ高 ヨリ洛 陽 ニ赴 キ本 件 交渉 ニ付 蒋介 石 等 ト 相 談 セ ル次第 ヲ
来 レ ルヲ以 テ同 人 ト 概要 左 ノ如 ク会 談 セリ
ニ依 リ テ妥 結 方 政府 ノ訓 令 ヲ仰 ク コト ト シ本 日 予 定 ノ会 見 ハ不要 ニ
(了 )
二二
南京 本省
付 十 六 、 七 日迄 ニ ハ確 答 ヲ申 上 ケ 得 ル会 談 ヲ為 シ度 シト 通報 越 セ リ
昭和11
二二六四八 暗
有 田外務 大臣 第 九二九号 (交 渉、極秘)
本 使 ハ特 ニ支那 側 内 部 ノ事 情 ヲ斟 酌 シ実 ハ有 田大 臣 ノ承 認 ヲ モ取 付
得 サ ル次 第 ハ屡 次 張 羣 ニ話 シ置 ケ ル通 リ ニシ テ又 防 共 問 題 ニ付 テ ハ
二、 右 ニ対 シ本使 ハ綏 東 問 題 ノ如 キ ハ今 次 ノ交 渉 ニ関聯 シテ考 慮 シ
セリ
ノ ナ ル如 ク認 メ ラ レタ リ) ヲ公 布 スル コト最 望 マシ キ旨 本使 ニ伝 達
日本 政 府 ト シ テ ハ綏 東 工作 ヲ支 援 セ サ ル コト ヲ明 カ ニス ル趣 旨 ノ モ
ヲ 一掃 ス ル カ如 キ措 置 ヲ執 ラ レ度 ク 特 ニ例 ヘ ハ適 当 ナ ル声 明 (右 ハ
ニ ハ 一切触 レサ ル コト ニ取 計 フヲ得 ハ更 ニ好 都合 ナ リ尚 傅 作 義 ヨリ
リ 両国 間 ノ空 気 ヲ好 転 セ シメ ン カ為 難 キ ヲ忍 ンテ何 ト カ纏 メ度 キ決
償 ヲ モ与 へ居 ラ サ ル モ自 分 ト シ テ ハ日 支 ノ大局 ニ鑑 ミ本 件 交 渉 ニ依
ノ困難 ア ル モ廣 田内 閣 ニ信頼 シ且 今 次 交 渉 ハ日本 側 ヨリ ハ何 等 ノ代
内容 ヲ詳 細 蒋 ニ説 明 セ ル結 果 蒋 ハ今 次 ノ交渉 ニ付 テ ハ対 内 的 ニ多 大
同 試案 ノ ﹁ライ ン﹂ ヲ率直 ニ報 告 シ更 ニ十 六 目 二 回 ニ亘 リ右 試 案 ノ
使 ノ今 次交 渉 ノ取 纏 ニ対 ス ル熱 意 ヲ強 調 シ十 三 日 ノ須 磨 、 高 宗 武 共
ノ来 電 ニ依 レ ハ綏 東 偽 軍 ノ活 動 ノ背後 ニ ハ関 東 軍 ノ支 持 アリ現 ニ十
心 ナ ルカ 日本 側 ニテ折角 此 処迄 折 合 ハレタ ル訳 ニ付此 ノ際 防 共 問 題
ヲ披 瀝 シ来 ル ニ於 テ ハ赤 化 防 止 協 定 ノミ ハ直 ニ之 ヲ実 行 セサ ル モ我
ク ル コト ナ ク 全 ク本 使 一己 ノ私 案 ト シテ他 ノ問 題 ニ付 支 那側 カ誠 意
慢 ス ヘキ旨 提 案 セ ル事 情 ナ ル ニ拘 ラ ス支 那 側 ニ於 テ右 ノ経緯 ヲ モ無
ハ明白 ニ関 東 軍 所 属 ノ飛 行 機 ナ ル由 ニテ之 カ為 抗 日 輿 論 及運 動 自 然
四 、 五 ノ 両 日 三台 及 七台 ノ飛 行機 綏 遠 ニ飛 来 シ爆 弾 ヲ投 下 セ ルカ右
一
綏 遠 ノ実 状 ト今 次交 渉 ト ノ牽 聯 関 係 ハ絶 対 ニ成 立 セサ ル モノ ニ
二、 右 ニ対 シ須 磨 ハ
ル上 交 渉 ニ対 ス ル最 後 ノ結 末 ヲ着 ケ度 シト 語 リ タ ル旨 述 ヘタ リ
趣 旨 ヲ大 使 ニ伝 へ何 分 ノ尽力 方 ヲ希 望 ス尚 右綏 遠 方 面 ノ実 状 ヲ見 タ
種 行動 ヲ停 止 セ ラ ル レ ハ交 渉 ヲ成 立 セ シ ム ル コト容 易 ナ ル ニ付 此 ノ
京 政 府 ノ承 認 セ ル モノ ト モ思 ハレ サ ル ニ付大 使 等 ノ斡 旋 ニ依 リ此 ノ
ル モ大 体 関 東 軍 ノ支持 ア ル コト ハ疑 ナ キ モノ ト察 セ ラ ル尤 モ右 ハ東
激 化 シ来 レ ル ニ付 先 ツ自 ラ太 原 及出 来 得 レ ハ綏 遠 ニ赴 キ果 シテ傅 ノ
視 シ今 又 華 北 防 共問 題 ヲ モ赤 化 防 止 協 定 ニ倣 ヒ延 期 セ ント試 ミ ルカ
亜
如 キ ハ到 底 本 使 ニ於 テ承 諾 シ難 キ旨 申 聞 ケ タ ル上 委 細 ハ須磨 ト話 合
十 九 日前 発 十 一月 十 九 日前 着
報 告 通 リ ナ リ ヤ否 ヤ ヲ実 見 シ度 ク其 ノ上 ナラ テ ハ的 確 ニ ハ判 明 セサ
二四 暗
二二 八 一三 南京 本省
ハシ ムル コト ト セリ (別 電 第 九 三 三号 ノ通 ) (了)
昭和 11
有 田外 務 大 臣 須 磨 総 領 事
シテ若 シ支 那 側 ニシテ之 ヲ口実 ト シ テ交渉 ヲ決 裂 セ シ ム ル積 リナ ラ
第 九 三 三号 (大 至 急 、交 渉 、 極 秘 )
ハ全 面 的 ノ日支 衝 突 ヲ惹 起 ス ル惧 アリ此 ノ点 ヲ考 慮 セ ハ結 局速 ニ交
渉 ヲ纏 ム ル コト 然 ル ヘシ
川 越 大 使 ヨリ
二
高 宗 武 ハ本使 ニ会 見 後 直 ニ須 磨 ト 会談 シタ ルカ要 領 左 ノ通 一、 先 ツ高 ヨリ自 分 ハ十 五日 午後 二時 飛行 機 ニテ洛 陽 ニ赴 キ (陳 立
防 共 問 題 ニ付 此 ノ際 一切触 レ ス ト言 フナ ラ ハ日本 ハ却 テ 交渉 ヲ
夫同 行 ス)同 日 七時 ヨリ蒋介 石 ニ面会 (立 夫 及 陳 夫 雷 同席 ) 川越 大
得 ル訳 ナ ル カ今 回 ノ共 同 試案 (往 電第 九 二 三号 須 磨 、高 宗 武会 談 ノ
打 切 リ度 ク打 切 ノ上 ハ外交 部 長 ノ既 ニ表 明 セ ル意 思 ヲ其 ノ儘発 表 シ
張 羣 モ大 体其 ノ気 持 ナ ル ヲ以 テ茲 一週間 乃 至 十 日間 位 ノ内 ニ ハ目 鼻
早 ク交渉 ヲ取纏 ム ルノ要 ア ル旨 繰 返 シ申 聞 ケ タ ル処 高 モ之 ヲ納 得 シ
益 々困難 ナ ル情 勢 ニ立 到 ル ヘク 両国 ノ為 懸 念 ニ堪 ヘサ ル ニ付 一日 モ
亜
際 北支 防 共 ニ関 シ既 報 ノ通 リ ノ試 案 ヲ提 出 シ (居 ) ル外赤 化防 止 協
二五
二 三〇 〇 四
廿 日後 発 十 一月 廿 日夜 着
着 ク様 努 力 ス ヘシト答 ヘタ リ (了)
昭和 11
南京 本省
第 九 四 一号 (大 至 急 、交 渉 、極 秘 )
有 田外務大 臣
往 電 第 九 三 九号 ニ関 シ
暗
定 ニ付 テ ハ ﹁ 趣 旨 ハ了解 シ実 行 ハ内 政 上 ノ困 難 ア ル ヲ以 テ暫 ク延 期 スル モ右 困難 消滅 セ ハ直 ニ実 行 ス ル﹂ 旨 ノ試 案 ヲ提 議 シ置 ケ ル次 第 ︹ 不詳︺ ア リ貴 電 第 二 三 六号 ノ御 趣 旨 モアリ為 念 ) ハ右 部 長 ノ言 明 ヲ秘 密 ニ シ置 キ得 ル様 ニ作 成 セ ル モノナ レ ハ試 案 ヲ承 認 ス ル コト支 那 側 ニ モ
支 那 側 ニ於 テ綏 遠 問 題 ヲ 口実 ト シテ交 渉 ヲ引 延 ハス積 リ ナ ラ ハ
却 テ有 利 ナ ル ヘシ 三
ル模 様 ナ ル カ今 回 ノ洛 陽 行 ニ依 リテ得 タ ル印 象 ヲザ ツク バ ラ ン ニ聴
須 磨 総 領 事
キ度 シ ト前提 シタ ル上 綏 遠 問 題 カ仮 ニ傅 作 義 ノ報 告 ノ如 キ状 態 ニテ
川 越 大使 ヨリ
大 使 ニ於 テ モ前 記 ノ理 由 ニ依 リ寧 ロ決 裂 ヲ賭 ス ル コト ヲ モ考 慮 中 ナ
進 展 シ居 ル ト セ ハ蒋 ハ交 渉 ヲ決 裂 セ シム ル覚 悟 ナ リヤ ト問 ヒ詰 メタ
支 那側 ト ノ折 衝 ニ付 テ ハ此 ノ上 ト モ突 張 リ 少 ク ト モ須 磨 高 宗武 試
三、最 後 ニ須 磨 ヨリ今 次 ノ交 渉 ハ何 時 迄待 テ ハト テ大 使 ヨリ綏 遠 問
ナ リ ト内 話 セ ル旨 ヲ語 レ リ
基 キ解決 案 ヲ提 出 シ委 員 等 ヲ説 伏 ノ上 一気 ニ交渉 ヲ解 決 シ度 キ 覚 悟
達 ス ル ニ於 テ ハ蒋 自 身 中 央 政 治 会議 ニ対 シ共 同 試案 ノ ﹁ラ イ ン﹂ ニ
直 接 帰 寧 ス ル心組 ニ付 夫 レ迄 ノ間 ニ高 等 ノ対 日折 衝 カ最 後 ノ段 階 ニ
ニ帰 リ直 ニ帰 寧 ス ルカ夫 レト モ場 合 ニ依 リ テ ハ右 日 取 ニテ太 原 ヨリ
語 レ ル ニ対 シ蒋 ハ三、 四日 内 ニ華北 視 察 ヲ了 ヘタ ル上 ハ 一先 ツ洛 陽
余 ノ問 題 ノ妥 結 ニモ応 シ難 シ ト迄 言 出 シタ ル次第 ニテ右 ハ張 羣 及 之
ム ル様 更 ニ進 ンテ往 電 第 九 三 三号 ノ通 リ綏 遠 ノ事 情 判 明 ス ル迄 ハ爾
ヲ シテ綏 遠 工作 ノ停 止 カ夫 レ ト モ防 共 問 題 ノ拗 棄 カ敦 レ カ ヲ選 ハシ
先 綏遠 方面 ノ時 局 カ測 ラサ ル急 転 回 ヲ示 シタ ル為 之 ヲ口実 ト シ我 方
東 及 冀東 問 題等 ヲ之 ニ引 懸 ケ何 ト カ取 繕 ノ方 法 ト時 機 ヲ求 メ居 ル矢
転 換 云 々 ヲ表 明 シ タ ル為 今 更 取 消 モ出 来 ス已 ムナ ク内 政 事 情 或 ハ綏
ル ヲ欲 セサ ル モ張 羣 カ九 月 二 十 三 日会 談 ニ於 テ無 条 件 ニ国 策 ノ 一大
一、屡 次電 報 ノ通 リ支 那 側 ト シテ ハ当 初 ヨリ防 共 問 題 ニ ハ 一切 触 レ
案 ノ程 度 迄 ハ漕 着 ケ度 キ考 ニテ鋭 意 促 進 中 ナ ルカ
ル処 高 ハ絶 対極 秘 ナ ル カ十 六 日 蒋 ト別 ル ル ニ臨 ミ高 ヨリ蒋 ニ対 シ共
題 ニ付 何等 ノ措 置 ヲ モ執 ラ ル ヘキ筋 合 ノ モノ ニ モア ラ サ ル 一方 日本
ヲ取 捲 ク連 中 ノ無 力 、防 共問 題 ニ対 スル親 蘇 反蒋 派 等 ノ反 対及 綏 遠
同 試 案 ニテ解 決 出 来 サ レ ハ自 分 ハ辞 職 スル ノ外 ナ シト覚 悟 シ居 ル旨
内 地 ニ於 テ ハ交 渉 打 切 ノ輿論 モ擡 頭 シ来 リ支 那側 ニ於 テ モ対 内 的 ニ
張 等 ハ交渉 ヲ何 ト カ シ テ纏 メ置 キ度 キ ハ事 実 ナ ル モ何 シ ロ張 羣 カ元
コト ト シ其 ノ他 ノ事 項 ノミ ニテ 一応 ノ 鳧 ヲ着 ケ ント シ居 ル次 第 ナ ル
問 題 カ国 民 ニ対 シ全 般 的 ニ意 外 ニ深 刻 ナ ル反 響 ヲ与 へ居 ル点 等 ヨリ
処 我 方 ト シテ ハ張 羣 カ九 月 二十 三 日為 シタ ル言 明 ハ他 日利 用 シ得 ル
来 塘 沽 協 定 、 冀東 政 府 、 綏 東 問 題等 ニ引 懸 ケ テ為 ス ヘカ リ シ華 北 協
ノ援 助 ア ル コト 的確 ト ナ ラ ハ日支 交 渉 ハ総 テ承 認 ス ルヲ得 ス唯 綏遠
機 会 モア ル ヘキ ニ付 此 ノ際 ハ 一応 之 ニ触 レサ ル コト ト シ爾 余 ノ問 題
考 へ蒋 介 石 乃 至 ハ高 宗 武 等 ニ於 テ何 ト カ此 ノ際 交渉 ヲ取 纏 ムル コト
ノ対 策 順 調 ニ進 メ ハ交 渉 ヲ継続 シテ可 ナ ル モ其 ノ場 合 モ防 共 問 題 ハ
ニ付 既定 方 針 ニ依 ル解 決 ヲ遂 ケ置 ク コト モ諸般 ノ情 勢 上 已 ム ヲ得 サ
シ且 ハ 一般 ノ防 共 反 対 気 勢 ヲ抑 制 ス ル為 防 共 問 顯ニ ハ 一切触 レサ ル
北 支 ナ ルト全 般 的 ノ モノナ ルト ヲ問 ハス不 承 認 ノ意 嚮 ナ ル由 ナ ル 一
ル ヘシト モ思 考 セ ラ ル
同 防 共 方 ニ関 ス ル言 明 ヲ迂 闊 ニ単 独 ニ決 定 的 ニ為 シタ ル経 緯 ヲ抹 消
方 軍部 及 掌生 間 ノ交 渉 反 対 運動 モ最 近 相 当有 力 者 ノ煽 動 ニ依 リ熾 烈
有 利 ナ ル ヲ知 悉 シ乍 ラ モ遽 ニ手 ヲ下 シ兼 ヌ ル事 態 ニ陥 レ ル次 第 ト 観
ト ナ リツ ツ ア ル旨 ノ情 報 モア リ勢 ノ趨 ク所或 ハ我方 ニ於 テ交 渉 ヲ継
測 セ ラ レ例 ノ情 報 ニ依 ル モ蒋介 石 ハ綏 遠 現 地 調査 ノ結 果 背 後 ニ日 本
続 セ ント ス ル モ能 ハサ ル事 態 ニ立 到 ル ナキ ヲ保 セ ス又斯 ル情 勢 ニ於
ヘキ ヤ冒 頭 往 電 末 段 ノ正式 会 談 迄 ニ間 ニ合 フ様 本 使 限 リ ノ含 迄 ニ本
須 磨 総 領 事
亜
三 、就 テ ハ大 勢 篤 ト御 考慮 ノ上 以上 二項 執 レ ニ依 ラ ルル御 意 嚮 ナ ル
二六
南京 本省
省 ノ御 意 嚮 至 急 御 回 電 相煩 度 シ (了 )
昭和 11
二三 〇 八 一 暗 有 田外務 大 臣
第九四四号 ( 大 至 急 、 交 渉 、 極秘 )
廿 一日 後 発 十 一月 廿 一日 夜着
テ ハ交 渉 ヲ継 続 スル モ効 果 ナ ク寧 ロ交 渉 開始 以来 ノ経 過 ヲ公 表 シテ 思 切 リ良 ク我 方 ヨリ決 裂 セ シ ムル ニ如 カサ ル情 勢 ト モナ ル ヘク苦 心
モ内蒙 工作 ノ遂 行 カ我 方既 定 方 針 ナ ル以 上 一旦遣 リ掛 ケ タ ル此 ノ際
惨 憺 シテ 今 日迄 折 衝 ヲ重 ネ来 リ タ ル出 先 ト シテ ハ寔 ニ遺憾 千 万 ナ ル
﹁ソヴ イ エツト ﹂ 側 ヲ シテ乗 セ シ ム ル余 地 ア ルカ如 キ措 置 ハ断 シ テ 執 リ得 ス自 然 全 局 ノ大 勢 上 交 渉 打 切 方 ニ付 テ モ充 分 考 慮 ヲ加 ヘラ レ 其 ノ際 ノ発 表 振 ニ付 テ ハ当 方 ヨリ モ何 レ電 禀 致 度 キ 所存 ナ ル モ予 メ
二、 他 面 又 打 切 又 ハ決 裂 ト ナ ル際 ニ ハ当 分 日 支 間睨 合 ノ状 態 トナ リ
往 電 第 九 三 九号 ニ関 シ
御 考究 置 キ ヲ 請フ
再 度 日支 関 係打 開 ノ機 会 ヲ捉 ヘル コト相 当 困 難 ト ナ ル ヘク或 ハ綏東
冒 頭 往電 会 談後 高 ヨリ須 磨 ト ノ話合 ヲ変 更 シ程 沿 波 ( 中 央 日報 社 長 )
川 越 大 使 ヨリ
ト ト モナ ル ヘク右 ノ如 キ情勢 ニ付 テ ハ帝 国 外交 ノ大 局 ヨリ篤 ト 考慮
ニテ調 査 ス ル コト ト ナ レ ル旨 通報 越 セ ル ニ依 リ二 十 日夜 須 磨 ヲ シ テ
及 段 茂 瀾 ヲ伴 ヒ二十 一日早朝 飛行 機 ニテ綏 遠 ニ向 ヒ三 、 四 日 ノ予 定
問 題 ノ展 開 如何 ニ依 リ テ ハ之 カ為 日支 間 ノ全 面 的衝 突 ヲ結 果 ス ル コ
ニ夫 レ トナ ク打 明 ケ タ ル所 ニ依 ル モ支 那 側 一般 ハ兎 モ角 少 クト モ蒋 、
ヲ要 ス ル コト タ ル ヘシ而 シテ支 那側 ノ真 意 ハ本 二十 日高 宗 武 ノ須 磨
拘 束 セ ラ レサ ル約 束 ニテ話 合 ノ結 果 左 ノ通 リ 一応 ノ案 ヲ作 成 セ シメ
大 使 ヨリ政 府 ニ請 訓 方 取 計 フ ヘシト述 ヘ結 局 高 ト ノ間 ニ全 然 雙 方共
タリ
更 ニ高 ト会 談 セシ メ タ ル結 果 左 ノ通
綏 遠 問題 ニ対 ス ル輿 論 ノ手 前 上 外交 部 ト シ テ ハ日 本関 係 者 ヲ現 地 ニ 一
一、高 ヨリ冒 頭 往 電 会 談 後 更 ニ張 羣 ニ於 テ各 部 長 ヲ招 集協 議 ノ結 果
送 リ調査 ヲ為 シ置 ク コト職 責 上当 然 ナ リ ト ノ結 論 ニ達 シ再 応 高 ニ赴
ス ル雙 方 ノ話 合 ハ結 論 ニ達 シ得 サ リ シ ニ付 今 後 引 続 キ熟議 ス ル コト
従 テ記録 ニ留 メ サ ル コト ヲ主張 シタ ル モ揉 合 ヒ タ ル結 果 ﹁ 防 共 ニ関
張 羣 ノ意 嚮 ト思 ハ ルル処 右 ハ従来 話 合 ノ経 緯 及 高自 身 ノ将 来 ヨリ見
モ ノ ニセ ヨ之 ヲ 口実 ト シ テ交渉 ノ進 行 ヲ拒 マ ント ス ル コト蒋 介 石 、
モ含 ム) ニ於 ケ ル経 済 的 開発 ニ関 シ 日支 協 力 ス ルノ建 前 ニテ今 後 具
察 両省 ハ今 後 共 順 当 ナ ル発 達 ヲ遂 ケ シ ムル コトト シ其 ノ隣 省 (河 南
二
ト ス﹂ ト シ
防 共 問 題 ニ付 テ ハ高 ニ於 テ初 メ ヨリ言 及 ナ カ リ シ コト ニ取計 ヒ
交渉 ヲ停 頓 ニ導 カ ンカ為 ト シカ考 ヘラ レス帰 来 後 ノ報 告 カ如 何 ナ ル
綏 方命 セラ レタ リ ト述 ヘタ ル ニ依 リ須 磨 ヨリ高 カ今 離 寧 ス ル コト ハ
ル モ甚 タ シク不 得 策 ナ リト テ再 考 方 ヲ促 シ更 ニ蒋 介 石 ニ共 同 試 案 ニ
ハ表 面 ハ兎 モ角 内 心 ハ綏 東 問 題 ヲ 口実 ト シ テ少 クト モ交 渉 ヲ遷 延 セ
二 、依 テ須 磨 ヨリ 一体 洛 陽 ヲ中 心 ト ス ル蒋 介 石 ノ言 動 ニ徴 ス ル ニ蒋
ヘシト答 ヘタ リ
説 得 シタ ル ニ高 ハ高 個 人 ト シテ ハ同 感 ナ レ ハ今 夜中 篤 ト考 慮 シ見 ル
ル ヘキ会 議 ノ為 ニ モ高 ノ在 寧 ハ絶 対必 要 ナ リ ト テ赴 綏 取 止方 繰 返 シ
タ ル ニ付 然 ラ ハ蒋 ノ回 答 如 何 ニ依 リ テ ハ直 ニ開 始 セ ラ ル ル コト ト ナ
全 然 自 発 的 タ ル ヘシト ノ主 張 党 部 ニ強 ク実 ハ張 羣 モ共 同 試 案 通 リ本
最 小限 度 案 ) 申 出 テタ ル ニ考 慮 シ見 ル ヘシト答 ヘタ リ ( 排 日取 締 ハ
項 目 ニ関 スル モノト同 様 覚 書 ト シテ交 換 方 ( 須 磨 ノ本 省 ニ持 帰 レ ル
要 ナ リ ト主 張 シ テ譲 ラ ス最後 ニ須 磨 ヨリ文 書 ト 同 一内 容 ノ話 合 ヲ六
排 日問 題 ニ付 テ ハ文 書 ハ素 ヨリ何 等 ノ記 録 ヲ モ存 セサ ル コト絶 対 必
四
三
前 記 六 項 目 ノ話合 ニ付 テ ハ覚 書 ヲ作 成 シ互 ニ写 ヲ取 交 ス ヘキ モ
関 税 引 下 、 鮮 人 引 渡 、顧 問 、航 空 聯 絡 ニ付 テ ハ従来 ノ話 合 通 リ
体的 問 題 ニ付 中 央 ヨリ随 時訓 令 ヲ発 出 ス ヘシ﹂ ト シ
北 支 問 題 ニ付 テ ハ ﹁北支 カ 日本 ト緊 密 ナ ル関 係 ニア ル ニ鑑 ミ冀
テ 取極 方 ニ関 スル回 答 ヲ求 メタ リ ヤ ト問 ヘル ニ早 速電 照 セリ ト答 ヘ
ハ率 直 ニ申 上 ク レ ハ将来 ハ兎 モ角 目 下 ノ処蒋 ニ ハ斯 ル意 思 ナ ク防 共
ント ス ル底 意 ニテ張 羣 モ之 ニ和 シツ ツ ア リト 見 ラ ルト述 ヘタ ル ニ高
提 出 ノ上 ハ考 慮 ノ上 請 訓 モス ヘキ ニ付 高 ノ綏 遠 行 ハ絶 対 取 止 ム ル様
三、 結 局 須 磨 ヨリ前記 二 ノ ﹁ラ イ ン﹂ ノ如 キ支 那側 ノ確 定 的 対案 ヲ
等 ニ関 ス ル内 政 上 ノ困難 ヲ避 ケ得 ル如 キ解決 ナ ラ ハ之 ヲ遂 ケ度 シト
来 居 ラ ス ト詳 シ ク 一応 尤 モラ シ キ理 由 ヲ列 へ立 テ タ ル ニ付 須 磨 ヨリ
力 説 ノ結 果高 自 身 ハ張 部 長 竝 ニ緊 急 行 政 委 員会 議 ノ承 認 ヲ条 件 ト シ
シ モ上述 ノ如 ク党 部 等 ヨリ撥 付 ケ ラ レ タ ル次 第 ナ リ)
然 ラ ハ此 ノ現 地 ノミ ニテ ハ何 ト モナ ラサ ル ニ付 之 ナ ラ ハ即時 解決 差
件 文 書 ヲ成 都事 件 関 係 文 書 ノ附 属 タ ラ シ ム ル コト ニ内 々異 存 ナ カ リ
支 ナ キ ﹁ライ ン﹂ ヲ当 方 ヨリ提 出 シ ア ル覚 書 案 等 ノ対 案 ト シテ 書物
テ出 発 延 期 ヲ承 諾 セル カ更 ニ深 夜 ニ至 リ張 ト 相 談 ノ結 果 一先 ツ赴 綏
ノ意 嚮 ニテ実 ノ処 全 面的 ノ 日支 衝 突 ニ堪 エ得 ルカ如 キ準 備 ハ未 タ出
ニテ 二十 一日 中 ニ提 出 シ得 ル ニ於 テ ハ右 ﹁ラ イ ン﹂ 如 何 ニ依 リテ ハ
二七
暗
二 三 一九 〇 本省
南京 十 一月 廿 四 日 前着
廿四日前発
ヲ延 期 ス ル旨 通 知 越 シ タ リ (了)
昭 和 11
有 田外務大 臣
亜
ヨリ発 セ ル空気 ニシ テ実 ハ張 羣 カ八 日 、九 日、 高 宗 武 カ十 五 、十 六
ノ両 日 ニ亘 リ蒋 介 石 ヨリ大 体須 磨 、高 宗 武 共 同 試 案 ヨリ防 共問 題 ヲ
除 キ タ ル モノ位 ニテ交 渉 ヲ成 立 セ シ メテ可 ナ リ ト ノ了 解 ヲ得 居 リ唯
ル ニア ラ スヤト 察 セラ レ自 然 張 羣 カ従 来 ノ会 談 ニ於 テ モ問 題 視 シ来
最 後 的 決 定 ハ綏東 問 題 ノ停 止 ヲ見 タ ル上 ト ス ヘキ旨 ノ意 図 ヲ受 ケ居
リ タ ル綏 東 工 作 カ愈 表 面 化 セ ル今 日 張 程 ノ駈 引屋 カ之 ヲ 口実 ト シテ
交 渉 ノ遷 延 ヲ来 スノ作 戦 ニ出 ツ ヘキ ハ当然 ニ シテ若 シ今 後 ノ会 見 ニ
於 テ先 方 ヨリ綏 遠 問 題 ニ関 ス ル先 手 ヲ打 タ レナ ハ我方 ト シ テ実 ノ処
須 磨 総 領 事
打 ツ手 ヲ失 ヒ而 モ交渉 ノ成果 ハ漸 次 薄 ラク ニ至 ル ヘキ ヲ懸 念 セ ラ ル
三 、 上述 ノ情 勢 ニ鑑 ミ何 ト カ 従来 ノ話 合 ヲ活 カ シ得 ル対策 ニ付 慎 重
第 九 四 八号 (至急 、 交 渉 、 極 秘 )
考慮 ヲ尽 シタ ル結 果 今 後 共累 次貴 電 ノ趣 旨 ニ依 リ交 渉 ノ円 満 成 立 ニ
川 越 大 使 ヨリ 一、其 ノ後 モ高 宗 武 ニ督 促 ヲ続 ケ居 ル処蒋 介 石 ヨリ回 電 ナ キ 趣 ヲ以
現 地諸 般 ノ情 勢 ヨリ判 断 シ篤 ト考 慮 ヲ尽 シタ ル結 果 外 ニ方 法 モナキ
飽 迄努 力 ノ覚 悟 ナ ル モ若 シ此 ノ 次張 羣 ト ノ会 見 ニ於 テ先 方 ノ出 方 カ
次 第 ニ付実 ニ已 ム ヲ得 サ ルノ処 置 ト シ テ右 予 メ御 承 知 置 ヲ請 フ
テ猶 暫 ク待 タ レ度 シト ノミ ニテ 一方 本使 ヨリ張 羣 ニ会 見 方 夫 レト ナ
ハ 一層 強 硬 論 ヲ掲 ケ為 ニ 一般 ノ 対日 空 気 モ予想 外 ニ悪 化 シ ツツ ア ル
四 、本 使 ヨリ今 次 交 渉 ニ依 リ成 都 事 件 以来 支 那側 ノ投 シ タ ル暗 影 ヲ
ク申 入 レ居 ル モ張 ハ 一向気 乗 セ ス他 面 日 独間 ノ話 合 ア リ テ ヨリ蘇 聯
情 勢 ナ ル処 二十 二 日陳 樹 人 カ須 磨 ニ対 シ綏 東問 題 以来 行 政 院 竝 ニ中
除 キ 両国 国 交 ヲ常 道 ニ引 戻 サ ン コト ヲ期 待 シ六項 目 、排 日禁 遏 問 題 、
ヨリ 左 記 四及 五 ノ如 キ 措 置 ヲ執 ルノ外 ナ キ場 合 ト モ相成 ル ヘク右 ハ
央 政治 両 会 議 ニ於 テ 日 支交 渉 ハ自 然 消 滅 ト 心得 居 ル旨 ヲ内 話 ノ次第
録 セ ル モノ (予 テ送 付 済 ノ会 談 覚 書 ノ我 方 書物 案 ノ ﹁ライ ン﹂ ニ依
前 記 ノ観 測 ヲ愈 々強 カ ラ シ ム ル様 ノ場 合 ニ ハ同会 見 ニ於 テ直 ニ本使
アリ 二十 一日綏 東 問 題 ニ関 ス ル帝 国 政 府声 明 ニ拘 ラ ス内蒙 軍 ノ背 後
リ認 メ タ ル モノ) ヲ読 上 ケ (其 ノ写 ハ先 方 ニ手交 )牽 連 性 ナキ 綏遠
ハ日露 漁 業 条 約 ノ調 印 延 期方 ヲ日本 ニ通 告 セ リト ノ報 道 等 ヲ基 礎 ト
ニ ハ日本 ア リト ノ説 常 識 化 シ自 然 交 渉 ノ成 立 ニ最 熱 ヲ出 シ居 ル高 宗 ︹ 董三︺ 武 ニ至 ル迄 本 二十 三 日清 水 ニ対 シ綏 東 問 題 ニ関 ス ル日本 援 助 証拠 続
シ左 ナ キ タ ニ綏遠 問 題 ニ依 リ、 対 日強 硬論 ヲ弄 ヒ来 リタ ル新 聞論 調
続 挙 リ ツ ツ アル ヲ零 シ又 恵 通 公司 成 立 ノ今 日 ニ於 テ モ猶 北 支 ニ軍 事
ル ヘキ ニ モ鑑 ミ 以上 ノ如 ク纏 リ タ ル点 ヲ記 録 シ 一応 之 ニテ 日支 会 談
問 題 等 ニ引懸 ケ ラ レ交渉 ノ結 末 ヲ遷 延 シ置 ク ハ両国 国 交 ノ障 碍 ト ナ
ヲ区 切 付 ケ本 使 ハ、 上海 ニ戻 リ成 都 事 件 、 排 日問 題 、航 空 聯 絡 合 約
成 都事 件 等 ニ付会 談 ヲ重 ネ タ ル旨 ヲ述 ヘ其 ノ内 既 ニ纏 リ タ ル点 ヲ要
自由 飛 行 ノ行 ハレツ ツ ア ル旨 ヲ述 ヘ此 ノ分 ニテ ハ福 岡 上 海 問 題 モ実
二、 上 記 ノ実 状 ヨリ セ ハ交渉 ノ成 立 ニ最 障 碍 ト ナ リ居 ル ハ綏 東 問 題
施覚 束 ナ シト述 ヘタ ル程 ナ リ
ヘシ元来 交 渉 ノ内 容 ヲ実効 ア ラ シ ム ル ヤ否 ヤ ハ何 ウ セ綏 東 問 題 ノ推
ハ当 地 ニ於 テ稍 遅 レ テ貴 地 ニ於 テ発 表 シ得 ル如 ク予 メ手 配 シ置 ク コ ︹ 不詳︺ トト ス) 別電 ( 第 九 四 九 号返 電 ヲ待 チ電 報 ス) ノ如 キ趣 旨 ヲ公 表 シ
衝 ス ル コト モア ル ヘキ旨 ヲ告 ケ テ会 談 ヲ打 切 リ同 時 ニ (其 ノ時 刻 ニ
シテ須 磨 等 ヲシ テ協 議 決 定 ニ当 ラ シメ必 要 ニ応 シ本使 ニ於 テ直接 折
ノ調 印 其 ノ他 本 会 談 中 其 ノ実 行 カ今 後 ニ懸 リ居 ル モノ ニ付 テ ハ主 ト
表 シ世界 人士 ノ ﹁疑 惑 ﹂ ヲ 一掃 シタ ル ヲ欣 フ モノ ナ リ
ル ヲ痛 感 シ之 ヲ憂 フ ルト 共 ニ 一方 日本 カ其 ノ侵 略 的野 心 ヲ世 界 ニ公
リト 言 フ ヘシ吾 人 ハ之 ニ依 リ綏 東 問 題 カ全 ク国 家存 亡 ノ重 大 問 題 ナ
官 ノ談 話 ハ之 ニ断 定 的 結 論 ヲ与 ヘタ ル モノト言 フ ヘク其 ノ効 ヤ大 ナ
一方 関 東軍 ハ断 然 援 助 ヲ声 明 セリ ト ノ説 伝 ヘラ レ矛 盾 ノ折 柄喜 多 武
シ論 説 ヲ掲 ケ 日本 外 務 省 ハ綏 東 問 題 ニ ハ日 本 ハ関係 ナ シト声 明 ス ル
ト ノ記 事 ヲ大 文 字 ニテ掲載 シ居 レ ルカ新 民 報 及中 国 日報 等 ハ之 ニ関
日 独同 盟 等 ニ モ顧 ミ綏東 問 題 ハ実 ニ支 那 民族 生 存 ノ為 ノ血 戦 ノ序
テ 一面 我方 ノ 立場 ヲ傷 ケ ス他 方話 合 ノ実 質 丈 ケ ハ残 シ置 ク様始 末 ス
移 並 ニ支那 側 誠 意 ノ実 体 ニ依 ル コト ニシ テ仮 ニ円 満 妥 結 ヲ見 タ ル暁
ス云 々ト論 シ居 レリ
幕 ナ リ交 渉 ノ如 キ断 然 之 ヲ打 切 リ綏 東 問 題 ノ解決 ニ当 ラ サ ル ヘカ ラ
二九
二三 二 六 四
暗
本省
十 一月 廿 四日 夜 着
廿 四日後発
綏 東 問 題 ニ依 ル空 気 ノ悪 化 募 リ ツ ツア ル モ何 ト カ交 渉 ヲ冒頭 往 電
須 磨 総領 事
南京
支 、北 平 、 天 津 、 張 家 口 ヘ転 電 セ リ
昭和 11
有 田外 務 大 臣
第 九 五 四号 (至 急 、交 渉 、 極 秘 )
亜
ニ モ所 詮幾 曲 折 ア ル コト ヲ免 レ サ ル次第 ナ リ
廿 四 日後 発 十 一月 廿四 日後 着
須 磨総 領 事
情、 亜
五 、右 申 入 ノ 日 ニ直 ニ成都 事 件 以外 ノ諸事 件 ニ関 シ御 訓 令 ノ趣 旨 ニ
南京 本省
テ速 急 解決 方 外 交 部 長 ニ申 入 ル ヘシ
二三 二 三 一 略
二八
支 、天 津 ヘ転 電 セリ
昭和 11
有 田外 務 大 臣
往 電 第 九 四八 号 ニ関 シ
ノ如 キ 一方 的 押 付案 ニ依 ラ サ ル円満 結末 ヲ達 成 シ度 ク更 ニ支那 側 ノ
川 越 大 使 ヨリ
問 題 ニ関 係 セ ル ハ事 実 ニシ テ日 本軍 人 カ蒙 古 軍 ニ対 シ援 助 ヲ与 へ察
猛 省 ヲ促 ス為 最 後 ノ努 力 ヲ為 シ居 リ本 廿 四 日須 磨 ヲ シ テ呉 鼎昌 ニ対
第 九 五〇 号 ︹ 誠 一︺ ︹ニユーヨークタイムス特派員︺ 本 二十 四 日 ノ各紙 ハ喜 多 武 官 カ ﹁アー ベ ンド﹂ ニ対 シ日本 カ綏 東
ンク﹂、 鉄 甲 車及 軍 需 品 等 ヲ売渡 セ ル事 実 ア ル ヲ語 リ要 ス ル ニ日 本
シ支 那 側 態 度 ノ煮 切 ラ サ ル ハ心 外 ニシテ却 テ両 国 間 ノ全 面 的 衝突 ヲ
北 ニ於 テ大規 模 ノ軍 事 学 校 ヲ設 立 シテ蒙 古 軍 ヲ訓 練 シ 飛 行 機 、 ﹁タ
ハ蒙 古 ヲ其 ノ統 治 下 ニ置 カ ント ス ル モノ ナ ル コト ヲ率直 ニ認 メタ リ
モ来 ス ヘキ惧 ア ル処 之 ヲ自 覚 シテ ノ遷 延 ナ リ ヤト 突 込 マシ メタ ル処 呉 ハ本 使 並 ニ日 本側 ノ努 力 ニ依 リ支 那 側内 部 ノ困 難 ニ モ同 情 ノ上 勇
暗
本省
十 一月 廿 五 日夜 着
廿 五日後 発
亜
須 磨総 領 事
南京
第 九 六 一号 (大至 急 、 交 渉 、 極 秘 )
有 田外 務大臣
於 テ大 イ ニ感 謝 シ居 リ自 然 大 体 往 電 第 九 四 四号 須 磨 、 高宗 武 ノ話 合
貴 電 第 二四 五 号 ニ関 シ
気 ヲ以 テ妥 結 ニ努 メ ラ レタ ル誠 意 ハ外交 当 局 ハ勿 論 行 政院 側全 部 ニ
程 度 ナ ラ ハ何 ト カ纏 マリ着 ク コト ト ナ リ シ ニ気 遣 ハレタ ル綏 東 問 題
川越 大使 ヨリ
一、往 電 第 九 四 八 号 ノ四 ノ趣 旨 ハ今 次 ノ交 渉 事項 ニ関 シ テ ハ御 承知
俄 然 進 展 シ傅 作 義 ノ報 告 ニ依 レ ハ武 器 及 人 ニ於 テ全 部 日 本 側 ノ支 援 ニ依 ル趣 ノ処 廿 一日 ノ東 京 政 府 ノ声 明 ニ依 リ 日本 ハ何 等 関 知 セサ ル
有 利 ナ ラ サ ル ハ往 電 第 九 五 六号 高 宗 武 ノ談 話 ニ依 ル モ明 カ ナ ル ニ鑑
ノ通 リ 双方 ノ意 見 大体 一致 シ居 ル ニ拘 ラ ス支那 側 ニ於 テ綏 遠 問 題 ニ
ミ之 カ対 抗 策 ト シテ 我 方 ヨリ進 ンテ 一応 ノ結 末 ヲ着 ケ且 之 ニ依 リ 正
旨 ノ誓 言 ア リ少 クト モ此 ノ上 ノ展 開 ハナ キ モノ ト安 心 ハシ見 タ ル ニ
実 刻 々到 達 スル華 北 ヨリ ノ情 報 ニ依 ル モ背 後 関 係 ニ付 益 々疑惑 ヲ濃
式 会 議 ヲ打 切 リ我方 カ綏 遠 工作 ノ傍 交渉 ヲ続 行 セ ント ス ル カ如 キ矛
喜 多 武 官 ノ右 政 府声 明 ト ハ相 反 スル談 話 モア リ (往 電 第 九 五〇 号 ノ
厚 ナ ラ シ ム ル モノ ア リ結 局 張 羣 ニ於 テ モ事 実 上 綏 東 問 題 消滅 ス ル コ
盾 セ ル態 度 ヲ執 リ ツ ツ ア リト ノ支 那側 全般 ノ観 測 及 重 苦 シキ空 気 ヲ
ント ス ヘキ ヲ見 越 シ且 ハ日独 協 定 発 表 後 当 分 ノ情 勢 ハ決 シ テ我 方 ニ
ト ヲ見極 メサ ル ニ於 テ ハ交渉 ノ結末 ハ為 シ難 カ ル ヘク従 テ右 結 末 ノ
引 懸 ケ之 カ締 結 ヲ為 ス ヲ肯 セ ス却 テ先 手 ヲ打 ツ テ交 渉 ヲ決 裂 セ シメ
時 期 ハ日 本側 ニ於 テ決 定 シ得 ラ ル ル訳 ナ リト 述 ヘ須 磨 ヨリ繰 返 シ牽
一掃 ス ル 一方 情 勢 次 第 ニ依 リ テ ハ之 ヲ以 テ支 那 側 ノ反省 ヲ促 シ往 電
コト ナ ルカ須 磨 ヨリ恐 ラク事 実 ニア ラサ ル ヘシ ト説 明 シ置 ケ リ )事
聯 関係 ノナ キ問 題 ニ口実 ヲ求 ム ル コト ノ不 合 理 ナ ル ヲ説 キ交 渉 結 末
心 惨澹 ノ結 果 漸 ク茲 迄 漕 付 ケ猶 凡 ユ ル努 力 ヲ為 ス ニ拘 ラ ス如 何 ト モ
第 九 四 四 号 ノ二程 度 ノ成 果 ヲ得 ント スル モノ ニシテ 本使 等 ニ於 テ苦
為 シ難 キ場 合 已 ム ヲ得 ス執 ル ヘキ手 段 ト シ テ悲 壮 ナ ル覚 悟 ヲ以 テ熟
ノ促進 ニ努 メ見 タ ル モ中 央 政府 ト シテ 日支 関 係 ノ悪 化 ヲ防 ク為 重 大
系 ノ有 力 者 ヲ逮 捕 シタ ル ニ依 リ テ モ知 ラ ル ヘシト応 酬 シ居 タ ルカ尚
慮 ノ上得 タ ル結 論 ナ ル コト ハ御 賢 察 ノ通 リ ナ リ
決 意 ヲ為 シ居 ル コト ハ例 ヘ ハ上海 ニ於 テ紡 績 罷業 ヲ煽 動 セ ル救 国 会
須 磨 ヲ シテ張 公 権 ニ モ会 見申 込 マシ メ見 タ ル ニ張 ハ何 レ呉 ヨリ須 磨
二 、綏 遠 問 題 ニ対 ス ル支 那側 空 気 ハ予 想 外 日 ニ激 化 シ来 リ ツ ツ ア リ
ナ リ自 然 交 渉 ヲ決 裂 ニ導 ク惧 ア ル カ為 ナ ル由 ニテ (右 ハ宣 伝 ト ノ ミ
渋 リ居 ル ハ会 見 ノ上 ハ張 ヨリ綏 遠 問 題 ニ言 及 セサ ル ヲ得 サ ル コト ト
五 日須 磨 ヲ来 訪 ノ際 高宗 武 ノ談 ニ依 ル ニ高 カ本使 ト張 羣 ト ノ会 見 ヲ
又 中央 要 人 ノ態 度 ハ往 電 第 九 五 四号 呉 鼎 昌 ノ談 話 ノ通 リ ナ ル処 二十
ノ話 ヲ承 ル ヘシト 逃 ケ居 ル状 態 ナ リ
二 三 三 四九
三〇
支、 天 津 ヘ転 電 セリ
昭和 11
リ我 方 ヨリ冒頭 貴 電 ノ御 訓 示 ニ基 キ 支那 側 ニ当 リ見 ル モ所 詮 承 諾 ヲ
五、 就 テ ハ御 訓電 ニ基 キ此 ノ上 共努 力 ヲ重 ヌ ヘキ モ万 策 尽 キ タ ル場
ハ思 ハレ ス)支 那 側 ト シテ ハ綏 遠 工作 一段 落後 ナ ラ テ ハ交 渉 ヲ取 纏
メ ン カ為 ノ 本省 ニ於 ケ ル御 苦 心 ノ程 ハ充 分 推 察 ス ル モ元来 内 蒙 工作
合 ハ当 方 ノ見 透 ニ依 リ往 電 第 九 四 八号 ノ案 ニテ進 ム外 ナ カ ル ヘク右 ︹ 不掲載︺ ハ決 シテ 交渉 ノ打 切 ニア ラ サ ル コト ハ往 電 第 九 五七号 等 ニテ モ明 カ
メ得 サ ル立 場 ト ナ ル ヲ以 テ 此 ノ際 之 ヲ 切離 ス コト ハ我 方 不断 ノ努 力
カ帝 国 ノ既 定 方 針 ナ ル以 上今 次 ノ如 キ時 機 及 方 法 ニ付 テ ハ意 見 モア
ニシ テ或程 度 交 渉 ノ成 果 ヲ収 メ ント スル ト共 ニ帝 国 ノ威 信 ヲ保 チ ツ
シ
ル ヘキ モ既 ニ始 ツ タ以 上 ハ之 ヲ中 止 スル ヲ得 サ ル ヘク 万 一不 用 意 ニ
得 ラ レ サ ル ヘク却 テ 帝国 ノ威信 ヲ失墜 ス ル ニ止 マル結 果 ト モナ ル ヘ
中止 ス ルカ如 キ場 合 ハ当然 結 果 ス ヘキ支 那 ノ侮 日 的態 度 ハ暫 ク措 ク
ツ 一応 ノ引 込 ヲ付 ケ 且後 日交渉 再 開 ノ余 地 ヲ残 シ置 ク 次第 ナ ル ニ付
ニ拘 ラ ス到 底 望 ナ ク又中 央 軍 部 ノ態 度 及 交 渉 ト綏 遠 問 題 ヲ切 離 サ シ
ト ス ル モ内 蒙 工作 ハ根 本 的 ニ打 撃 ヲ受 ク ヘキ ハ勿 論 満 洲 国 ノ統 治 ニ
モ前 記 諸 点 篤 ト御 考慮 ノ上 再 応 御 詮議 相 煩 度 シ (了 )
テ ハ内 政 上 ノ関係 等 機 微 ナ ル モノ ア ル ヘキ ハ感 慨 ニ堪 ヘサ ル所 ナ ル
亜
モ重 大 ナ ル影 響 ヲ及 ホ シ帝 国 国 策 ノ核 心 ニ触 レ来 ル ヘク 此 ノ観 点 ヨ
廿 六 日後 発
ル コト御 承 知 ノ通 リ ナ ル処 此 ノ際 成 都 事 件或 ハ排 日問 題 ヲ切 離 シ解
テ 一体 不可 分 ノ モノ ナ ル コト ヲ断 エス支 那 側 ニ強 調 シ来 レ ル結 果 ナ
﹁チ エンバ ーリ ン﹂ノ須 磨 ヘノ来 談 ニ依 レ ハ二十 五日 張 羣 ハ﹁チ エ﹂
二十 六 日 ﹁ク リ スチ ヤ ン、 サ イ エン ス、 モ ニタ ー﹂ 東 京 特 派 員
川 越 大使 ヨリ
須磨 総 領 事
十 一月廿六日夜着
リ セ ハ綏遠 工作 一段 落 後 交渉 ヲ纏 メ ント スル カ如 キ ハ言 フ ヘク シテ 行 ハレ スト認 メ ラ ル
三一 昭和 11
三、 政府 ニ於 テ或 ハ現在 ノ交渉 状 態 ヲ継 続 ス ル コト ニ依 リ内 蒙 情勢 ノ激 化 ヲ幾 分 ナ リ ト モ阻 止 シ得 ヘシト ノ御 内 意 モア ル ヘキ モ右 ハ 一
有 田外務大 臣
決 ヲ急 ク態 度 ヲ示 ス ニ於 テ ハ本 使ノ立 場 ハ暫 ク措 ク ト ス ル モ帝 国 政
ニ対 シ日支 交 渉 ハ綏 遠 問 題 終 熄 ス ル迄 ハ中 止 ス ル考 ナ ルカ 万 一同 方
南山 尽
応尤 モノ コト乍 ラ前 記 二 ノ事 情 ヨリ考 フ ル ニ果 シテ幾 何 ノ期待 ヲ持 ︹ 忠 一、満 チ得 ヘキ ヤ余 程 考 慮 ヲ要 シ又 先般 綏 遠 視 察 後 当 地 ニ立 寄 レ ル大 橋 次 洲国外交部次長︺ 長 ノ実 状談 ニ依 ル モ形 勢決 シテ楽 観 ヲ許 ササ ル モノ ア ルヤ ニ存 セ ラ
往 電 第 九 六 一号 ニ関 シ
第 九 六 八号 (大 至 急 、 交渉 、極 秘 )
府 ノ綏 遠 問 題 ニ対 スル弱 味 ヲ暴 露 スル結 果 ト モナ ル ヘク 又前 記 会談
テ当 初 ヨリ話 ナ カ リ シ モノ ト ス ル ノ他 ナ キ意 嚮 ニテ 折角 研究 中 ナ ル
面 調 査 ノ結 果 背後 ニ日本 カ関 係 シ居 ル コト判 明 セ ハ是 迄 ノ話 合 ハ総
本省
ル
ニ於 テ高 ハ須 磨 ニ対 シ交 渉 ノ成 否 ハ今 ヤ内 容 ノ大 小如 何 ニア ラ ス シ
二三四二六 暗
四 、本 件 交 渉 ヲ茲 迄 漕 付 ケ得 タ ル ハ従 来 ノ御 訓達 ニ基 キ本 使 等 ニ於
テ綏 遠 工作 ヨリ生 スル 一般 的 空気 如何 ニ懸 ル次 第 ナ ル旨 ヲ 明言 シ居
慮 ニ加 ヘラ レ冒 頭 往 電 御 詮議 ノ結 果 明 二十 七 日中 ニ到 達 スル様 御 回
方 ニ不利 ニ展 開 シ此 ノ分 ニテ ハ支 那 側 ヨリ先 手 ヲ打 チ来 ル コト モア ︹ 不詳︺ リ 得 ヘシト思 考 セ ラ ル ル ニ付 右 情 勢 及 往電 第 九 六 六号 ノ次 第 モ御 考
ニ関 聯 シ昨 今 ハ殆 ト戦 勝 気 分 ニ酔 ヘル カ如 キ実 状 ニテ事 態 ハ益 々我
ト考 フ ル旨 述 ヘタ ル趣 ナ ル カ新 聞 並 ニ支 那 側 ハ百 霊 廟 占領 ノ報 道 等
由 ニテ ﹁チ エ﹂ ハ斯 ノ如 キ状 況 ナリ ト セ ハ日支 交渉 ハ決 裂 ノ他 ナ シ
那 カ立 タ シメ ラ ル ル コト ハ真 向 ヨリ反 対 セ サ ル ヲ得 サ ル旨 語 リ タ ル
リ ト認 メ ラ ル ル処 北 支 及 内蒙 方 面 ニ於 テ 日本 ノ軍事 的強 制 ノ下 ニ支
綏 遠 工作 ヲ為 シ居 リ結 局 支 那 ヲ自 分 ノ方 ニ引 摺 リ込 マント スル腹 ナ
ル カ日 本側 今 日迄 ノ遣 方 ヨリ 考 フ ル ニ日本 ハ蘇 聯 ニ対抗 セ ンカ為 ニ
旨 語 リ 又 同 日翁 文 〓 ハ日支 ノ話 合 ハ 一切中 止 ス ル コト ニ決 定 シ居 レ
二、 然 ル ニ今 次交 渉 中 排 日 取 締 問 題 ニ就 テ ハ (綏遠 問題 ノ発 生 ニ依
像 セ ラ レサ ル ニ非 ス
張 羣 ト雖 モ ヨ モヤ成 都 事 件 及排 日取 締 等 直 接 事件 ニ関 係 ア ル問 題 迄
項 目 ヲ遷 延 セ シ メ ント ス ルノ態 度 ニ出 ツ ル コト ア リ ト スル モ如何 ニ
纏 マレリ ト ノ見 解 ヲ持 シ居 タ ル次 第 ニテ此 ノ際 綏 遠 問 題 ニ引 懸 ケ 六
(一般 及 北 支 ) ヲ後 廻 シト スル ニ於 テ ハ其 ノ他 ノ点 ニ関 シテ ハ話 合
ルノ外 ナ キ次第 ナ ル モ従 来 許 大 使等 ニ於 テ ハ六項 目 中 大 体防 共 問 題
ス ル モ所 詮 妥結 ノ途 ナ キ次第 ニシテ其 ノ際 ハ交 渉 ハ事 実 上決 裂 ト ナ
ヲ要 望 シ居 ル成都 事 件 、 排 日取 締問 題等 ニ付 此 ノ上 話 合 ヲ進 メ ムト
ニ出 テ来 タ ル場 合 ニ於 テ ハ我 方 ニ於 テ今 後 幾 多 支 那側 ノ具 体 的 実 行
一致 ヲ見 タ ル点 ヲ モ否 認 ス ル外更 ニ進 ンテ全 面 的 ニ交 渉 打 切 ノ態 度
令 以後 何 等 具 体 的命 令 発 出 ノ運 ト ナ リ居 ラ サ ル ノ ミ ナ ラ ス成 都 事 件
リ困 難 ヲ加 ヘタ ル ハ事 実 ナ ル モ) 九月 十 四 日軍 事 委 員会 委 員 長 ノ命
ヲ モ ブイ ニ セ ント ス ル カ如 キ 不敵 ノ覚 悟 ハ決 メキ ラサ ル モノト モ想
電 相煩 シ度 シ (了 )
三二
張 羣 ト ノ間 ニ於 テ ハ責 任 者 ノ処 罰 、 賠 償金 等 ノ問 題 ニ関 シ何等 具 体
極秘
其 ノ間 交 渉 ノ成 果 ヲ出 来 得 ル限 リ多 ク取 纏 メ行 キ 以 テ万 一冒頭 貴 電
ヲ得 ル為 ニモ此 ノ際 公 式 会 談 ヲ打 切 ルト 云 フカ如 キ印象 ヲ支 那 側 ニ ︹ 不詳︺ 与 フ ル形 ト セ ス往 電 第 二 四 五号 ノ趣 旨 ニ依 リ飽 迄 執 拗 ニ交 渉 ヲ続 ケ
ヲ強 ム ルノ惧 ナ キ ヤ ヲ懸念 シ居 ル 一方 貴 電 第 九 四 四 号 二 ノ如 キ成 果
排 日 取締 問 題 、 成 都 事 件 其 ノ他 ニ付前 記 一、 末 尾 ノ如 キ支 那 側 態 度
シテ旁 々当方 ト シ テ ハ御来 示 ノ如 キ措 置 ヲ執 ル コト ニ依 リ却 テ此 等
的 確約 ナ ク尚 上 海 事件 、北 海 事 件 等 ニ関 シ テ ハ更 ニ話 合 ナ キ次第 ニ
自 体 ニ関 シ テ モ高宗 武 ニ於 テ大 体 差 支 ナ キ旨 述 ヘ居 ル外 ハ貴 大 使 ト
大至 急
須 磨 総 領 事
発 電 昭和 十 一年 十 一月 二 十 七 日
有 田外務大 臣
南 京 交渉 打 切 ニ対 ス ル回 訓 在南京
第 二 五 一号
一、貴 電 第 九 五 七号 別 電 及貴 電 第 九七 〇 号 ノ内容 詳 細検 討 シ タ ル カ
貴 電 第 九 六 八 号 ニ関 シ
貴 方御 苦 心 ノ存 ス ル所 ハ本 大臣 ノ深 ク諒 ト ス ル所 ナ リ、 万 一貴 電 第
ノ如 キ措 置 ヲ執 ル ノ已 ムナ キ ニ至 レ ル (最後 ノ手 段 ト シ テ本件 措 置
川越 大 使 ヘ
九六 一号 御観 測 ノ如 ク張 羣 ニ於 テ綏 遠 問 題 ニ引 懸 ケ 既 ニ大 体 意 見 ノ
果 仮令 交渉 行 悩 ト ナ ルト モ今 次交 渉 ノ成 果 ト シテ残 ル事 柄 ヲ成 ル ヘ
ヲ執 ル場 合 ト雖 モ其 ノ時期 ニ関 シ テ ハ当 方 ト打 合 ハセ ラ レ度 シ) 結 川越 大使 ヨリ
貴 電第 二 五 一号 ニ関 シ
置 ヲ執 ルノ已 ムナキ ニ至 ル場 合 ア リ ト ス ル モ其 レ迄 ニ ハ往 電第 二 四
換 言 ス レ ハ今 後 支 那 側 ノ態 度 如 何 ニ依 リ貴電 第 九 六 一号 ノ如 キ措
リ ノ試 案 ト シ テ未 タ自 信 ハナ キ モ段 茂 瀾 帰寧 ノ上 ハ綏 遠 工作 ノ背 後
ノ成 果 ヲ現 実 ニ収 メ ル為 総 ユル努 力 ヲ続 ケ 居 ル次 第 ナ ル カ其 ノ後 モ
場合 ニ処 ス ヘキ方 法 ニ付禀 請 ヲ為 シ タ ル傍 ラ何 ト カ シ テ出 来 ル丈 ケ
一、 当方 ニ於 テ ハ往 電第 九 四 八号 中 ニ述 ヘタ ル通 リ 万已 ム ヲ得 サ ル
五号 ノ趣 旨 ニ依 リ貴 大使 ニ於 テ十 二分 ニ手 ヲ尽 サ ルル コト 絶 対 必要 ︹ 本書二八七頁︺ ナ リ ト存 ス (其 ノ結 果 支宛 往 電 第 二 二四 号 ノ交 渉 ヲ先 ツ乙 ヨリ取 纏
日本 カ全 ク無 関 係 ナ ル コト ヲ発 表 スル コト ト シ交 渉 自 体 ハ大 体往 電
関 係 ヲ極 メ テ軽 ク取扱 フ様 指 導 スル ニ付其 ノ際 ハ日本 側 ヨリ今 一度
ク多 ク シ置 ク コト 諸 般 ノ関 係 上極 メ テ肝 要 ナリ ト思 考 シ居 レリ
メ行 キ更 ニ機 ヲ見 テ 甲 ニ移 ル建 前 ト ナ ル処 成都 事 件 自 体 及 其 ノ他 ノ
必要 ナ ルノ ミ ナ ラ ス ﹁ 南 京 政 権 ハ国 交 調 整 ニ関 ス ル全 面 的 問 題 ヲ討
第 九 四 四号 ノ ﹁ライ ン﹂ ニテ極 秘 裡 ニ取纏 メ之 カ発 表 ハ現 在 ノ如 キ
引続 キ須 磨 ヨリ高宗 武 ニ当 リ見 タ ル結 果 高 ハ二十 五 日来 訪 ノ際 高 限
事 件 ニ付 キ今 少 シク交 渉 ノ結 末 ヲ着 ケ 置 ク ハ対内 関 係 上 ヨリ 云 フ モ
ヲ須 磨 ノ許 ニ派 シ右 案 ノ修 正 方 全 然 望 ナ キ ニア ラ ス此 ノ関 係 ニテ 二、
シタ ル コト アリ タ ルカ高 ハ本 二十 八 日周 隆 庠 (亜 洲 司 研 究 室専 員 )
三 日南 京 ヲ留 守 ニ ス ヘキ ニ付 了 解 ヲ請 フ旨 ヲ伝 ヘ (高 ハ本 日洛 陽 ニ
重苦 シ キ空 気 ノ緩和 ス ルヲ待 チ考 慮 ス ル コト ト シ度 キ内 意 ヲ モ洩 ラ
リ尽 シタ ル上 ノ コト ト ス ル モ決 シ テ遅 カ ラサ ル ヘシ)懸 案 解 決 ニ関
飛 行 セ ル モノト察 セラ ル) シ タ ル カ (尤 モ右 高 ノ試案 ハ高 カ交 渉 ハ
議 ス ルノ資 格 ナ シ﹂ ト ノ捨 セ リ フ ハ成都 事 件 自 体 、 排 日 取 締問 題 、
ス ル原 則 ヲ支 那 側 ニ押 シツ ケ タ ル ノ ミ ニテ事 件 ニ対 ス ル賠償 金 モ取
何 ト カ取 纏 メ ント ス ル熱 心 ノ余 リ立案 セ ル全 然 私 的 ノ モノナ ル ヘク
顧 問 、 不逞 鮮 人 、 関税 、航 空 等 南 京 側 ヨリ 取 リ得 ル限 リ ノ モノ ヲ取
レ スト 云 フ カ如 キ 結 果 ト ナ リ テ ハ当 方立 場 ハ極 メ テ困難 ト ナ ル次 第
一、 冒 頭 貴 電 本 省御 苦 心 ノ程 充 分察 シ居 ル所 ニシ テ本使 等 ト シテ モ
侮 日的 調 子 ヲ示 シ ツ ツ ア リ
報 モア リ情勢 ハ殆 ト何 等 緩 和 ヲ見 ス新 聞 記 事 漫 画 ノ如 キ モ前例 ナ キ
ク軟 弱 ナリ ト テ非 難 セラ レ遂 ニ黙 リ込 ムノ已 ム ナキ ニ至 レ ル由 ノ情
論 盛 ニシテ張 羣 、呉 鼎 昌 、 張 公権 ノ如 キ ハ翁 文 〓 、 兪 飛鵬 等 ヨリ痛
昨 二十 七 日 行 政院 会 議 ヲ開 キ長時 間 討議 ヲ重 ネ タ ル カ交 渉 至急 打 切
気 ハ依 然 ト シテ相 当 険 悪 ニシ テ本使 ヨリ張 羣 ニ会 見 ヲ申 入 レタ ル為
︹マ マ ︺
ニ付 以上 諸 点 充 分 御含 ノ上 我 方 目 的 達 成 方 此 ノ上 ト モ御 尽力 相 成 度
亜
須磨 総 領 事
廿八日後 発 十 一月廿八日夜着
又元 来 ノ空 気 ヨリ見 テ殆 ト望 ヲ懸 ケ得 サ ル ヘシ) 一方 政府 部 内 ノ空
三三
二三六五五 暗
南京 本省
シ
昭和 11 有 田外 務 大 臣
第 九七 六 号 (至急 、交 渉 、 極 秘 )
此 ノ際 切 メ テ排 日及 成都 事件 ナ リ ト モ ハツキ リ シタ解 決 ヲ計 リ度 キ 気 持 ハ肚 一杯 ナ ル カ支那 側 ヨリ進 ンテ 全 面 的交 渉 打 切 ノ態 度 ニ出 テ
シ今 日 ニ至 リ急 ニ是等 ノ ミ ノ妥 結 ヲ求 ム ル態 度 ヲ示 スト キ ハ支 那 側
何 モ彼 モ否 認 スル カ如 キ コト ハ万 ナ カ ル ヘシト ハ考 フ ル モサ リ ト テ ︹ 本書二九七頁︺ 御来 示 ノ如 ク貴 電第 一八 二号 当 初 ノ訓令 ニ立帰 リ成 都 事 件等 ヲ切離
︹? ︺
ハ今 日迄 ノ話 合 ハ仮 ニ真 向 ヨリ否 定 ハセ スト スル モ特 ニ張 羣 カ防 共 問題 ニ付政 策 ノ 一大転 向 ニ出 テ過 キ タ ル失 態 ヲ何 ト カ取繕 ヒ度 キ事 情 モア リ其 処 ハ支 那 式 ニ巧 ク全 部 ノ話合 ヲ有 耶 無 耶 ニス ルノ態 度 ヲ 示 スノ余 儀 ナキ環 境 ニア ル コト ハ屡 次 ノ往 電 ニ依 リ御推 定相 成 ル通 リ ニ シテ当 方 ト シテ ハ右 危 険 ニ直 面 シタ ル際 先 ツ ﹁ス マート﹂ ニ立 廻 リ テ従 来 ノ成 果丈 ケ ハ待 ツタ ナ シ ニ抑 ヘ込 ミ タ ル上而 モ油 断 ナク 冒頭 貴 電 二 ノ通 リ 一ツ宛 片 付 ケ 行 カ ント スル苦 衷 ニ出 テ タ ル モノ即 チ冒 頭 往 電 ノ方策 ニ有 之 何 ト カ我 方 全面 的 地 歩 ヲ害 セ ス而 モ成 果 ヲ
ナ ク本 省 ニテ或 ハ想 像 相 成 ルカ如 ク徒 ニ交 渉打 切 ヲ為 サ ント ス ル モ
収 メ ン為 ノ苦 心 ハ閣 下 御諒 察 ノ 通 リ ニテ最 後 ノ場 合 ニ ハ右 以 外 方 法
ノ ニア ラサ ル コト ヲ篤 ト御 考慮 ヲ仰 キ万 已 ム ヲ得 サ ル最 後 ノ手段 ト シ テ右 様措 置 ヲ執 ル コト枉 ケ テ御 諒 承 置 ヲ請 フ而 シテ右 措 置 ノ時 機 ニ付 テ ハ御 訓 達 ノ通 リ予 メ御 打 合 ノ積 リナ ル モ先 方 ノ出 方 ニ依 リ テ ハ或 ハ其 ノ遑 ナ キ コト モ ア ル ヘキ ニ付 右 予 メ御 含 置 ヲ請 フ (了)
五〇
針
︹︿ ﹀内 は陸軍省軍事課案︺
第 一次 北 支 処 理 要 綱
昭和 十 一年 一月十 三 日 方
冀 東 自治 政 府 に対 し ては 冀察 政 務 委 員 会 の自 治機 能 未 だ充 分 な ら
質 的 自 治 を具 現 せし め北 支 五 省 の自 治 の基 礎 を確 立す
ざ る 間其 独立 性 を支 持 し ︿其 強 化 を図 り﹀ 冀 察 の自 治 概 ね信 頼 す る
に至 ら ば成 る べく 速 に之 に合 流 せ し む るも のとす
二、自 治 の程 度 は成 る べく 広 汎 な る自 由 を獲 得 せし む る を可 と す る
北支 処 理 の主 眼 は北 支 民 衆 を 中 心 と す る自 治 の完 成 を援 助 し 以 て 其 安 居 楽 業 を得 せ し め 且 日満 両 国 と の関 係 を調 整 し 相 互 の福 祉 を 増
も 差 当 り南 京 政 権 を し て反 日満 的 政 策 を 遂 行 す る の余 地 な から し む
三 、自 治 機 能 強 化 に関 す る指 導 は財 政 経 済 特 に金 融 、軍 事 及 一般 民
とす
度 ﹀ に独 立 ︿国 ﹀ 的 権 限 の獲 得 を庶 幾 す る が如 き は之 を避 く るも の
る状 態 を 目途 と し て之 を促 進 し其 他 は漸進 的 に之 を行 ひ急 激 ︿且 過
進 せし む るに在 り 之 が為 新政 治 機 構 を 支 持 し 之 を指 導 誘 掖 し て其 の機 能 の強 化 拡 充 を 期 す ︿るも のとす ﹀
衆 指導 ︿の 三点 ﹀ に重 点 を指 向 し 且 大 局 を 把 握 し細 部 は努 め て之 を
綱
一、自 治 の区域 は北 支 五 省 を 目途 と す る ︿を 要 す る ﹀ も徒 ら に地 域
要
の拡 大 に焦 慮 す る こと な く第 二項 以下 の要 領 に則 り徐 に先 づ冀 察 二
支 那側 に委 し自 ら実 行 の責 に任 ぜ し む
内 に限 り且 少 数 限度 に止 め之 等 顧 問 ︿﹁之 等顧 問 ﹂ は軍 事 課 の増補 ﹀
従 て 日本 人 顧 問 ︿の数 ﹀ は政 務委 員 会 の各 委 員 会 内 及 第 二十 九軍
長 を顕 現 す るも のと 認 め ら る る が如 き 施 策 は実施 せ ざ るも のと す
特 に指 導 に当 り満 洲 国 と同 様 の独 立 国家 を 育成 し或 は満 洲 国 の延
省 及 平 津 二市 の自 治 の完 成 を 期 し爾 他 三省 を し て自 ら進 ん で之 に合 流 せ し む る如 く す るも のと す 冀察 政 務委 員 会 に対 す る指導 は当 分 宋 哲 元 を 通 じ て之 を行 ひ民衆 の自治 運 動 に し て公 正 妥 当 な る も の は之 を抱 容 せ し め つ つ ︿﹁民衆 の自治 運 動 ⋮ ⋮ 之 を 抱 容 せ し め つ つ﹂ は軍 事 課 の増 補 ﹀ 逐 次 其 の実
其他 公共 事 業 産 業 開 発等 に要 す る人 的 財 的 融 通 は 已 む を得 ざ るも の
六 、本 処理 要 綱 の実 施 に当 り て は前 項 各 機 関 は適 宜 外務 海 軍 各 出 先
策 動 を 禁遏 せ し む るも のと す
官憲 と 密 に連 絡 す るも のと す ︿こ の項 目 は原案 にな い。﹀
の外 成 るべ く 日本 内 地 に之 を求 む 経済進出 は ︿ 統 制経 済 に依 らず ﹀ 民 間資 本 の自 由 進 出 に拠 るを本 旨 と し 且 ︿本旨 とす るも ﹀ 共 存 共 栄 の主 義 を如 実 に具 現 す る如 く指
四、 対 内蒙 工作 は ︿関 東 軍 に於 て﹀ 依 然 従来 の趣 旨 ︿方 針﹀ に基 き
導 す るも のとす
継続 す べ き こと固 よ りな るも冀 察 政務 委 員 会 の自 治強 化 及山 西 綏 遠 両省 に対す る自 治 拡 大 の為 の工作 の進 展 を阻 害 す る の虞 あ る施 策 は
之 が為 対 内 蒙 工作 は其範 囲 を概 し て外 長 城 線 以 北 に限 定 し且 東 部
当分 之 を差 控 へ蒙 人 勢 力 の南 漸 は適 宜 之 に制 限 を加 ふ る も のと す
五、 北 支 処 理 は支 那 駐 屯軍 司令 官 の任 ず る所 にし て直 接 冀 察 冀 東 両
綏 遠 四蒙 旗 の地 域 に波 及 せ し め ざ るも のと す
当局 を 対 象 と し て実 施 す るを 本 則 と し 且 飽 く迄 内 面 的 指 導 を主 旨 と す 又 経 済 進 出 に対 し て は軍 は主 動 の地位 に立 つ こと な く 側 面的 に之 を 指 導 す る も のとす ︿﹁し 且 飽 く 迄 ⋮ ⋮指 導 す るも のと ﹂は 軍事 課 の
但当 分 の間 冀 察 政 務 委員 会 指導 の為 一機 関 を 北 平 に置 き ︿専 ら ﹀
増補﹀
支 那 駐屯 軍 司 令 官 の区 処 ︿ 自 治 機 構 の指 導 竝 顧 問 の統 制 等 ﹀ を 受 け
関 東 軍 及 在 北 支各 機 関 は右 工作 に協 力 す るも のとす
しむ
其 他 在 支 各 武官 は右 工作 に策 応 し 特 に ︿﹁其他 在 支 各 武 官 は ⋮⋮ 特 に﹂ は軍事 課 の増 補 ﹀ 大 使 館 附 武 官 及南 京 駐在 武 官 は ︿右 工作 に 策 応 し ﹀ 適 時 南 京 政権 に対 し 北 支 自 治 の必然 性 を理 解 せし む る と共 に ︿自 治 権 限 六項 目 の承 認 を 強 要 し ﹀ 少 く も自 治 を 妨 害 す るが如 き
す。
一、 組
織
第 二、 委員 会 の構 成
計 画 及 海 軍 予算 に関 す る研 究 調査 を行 ふ べき委 員 会 の設 置 を 必要 と
討 に伴 ふ内容 充実 の諸 方 策 特 に諸 制 度 及 定 員 の研 究改 正 、 並 に財 政
速 に研 究 し、 必勝 の海 軍 を整 備 す る の必 要 あ り。 仍 て、 海軍 政 策 検
五 一 海 軍 政 策 及 制 度 研 究 調 査 委 員 会 組 織 の仰 裁
左記 に依 り海軍 政策及制度研究調査委員会を組織すること に取計 ひ可然哉。 記 第 一 委 員 会 設置 の趣 旨 現 下内 外 の緊 迫 せ る新 事 態 に即 し、 殊 に軍 縮 条 約 失効 後 に於 け る 国 際情 勢 の変 化 を 考 慮 し、 又東 亜 の安 定 勢 力 た る帝 国 の重大 使 命 に
海 軍 制 度 調 査会 ( 事 務 に便ず る為 特 に名 称 を簡略 にす )
長
官
稽 へ、 先 づ速 に確 乎 た る国 策 を確 立 し 、 国家 の総 意 を 之 に帰 一し、
軍
次
軍 務 局 第 一課長
局
委
軍 令 部 第 一部長
務
第 一委 員 会 委 員長 第 一委 員 会 委 員
同
長
之 を 枢軸 と し て国 家 百年 の大 計 に 一意 邁 進 す る は帝 国刻 下 の急 務 な
同
員
り。
同
而 し て帝 国 国 策 の要 綱 は、 内 は庶 政 に更張 し、 外 は大 陸 に於 け る 帝 国 の地歩 を確 保 す る と 共 に、 南 方 に発 展 を 策 す る を根 本 方針 と し、
海 軍 省 出 仕 二 ︹ 敬純︺ ︹ 貫璽︺ (岡 大 佐 、 小 川 中 佐)
第 一課 長
国 力 の充実 国 権 の伸 張 を 図 り、 以 て東 洋 の平 和 を確 立 し 人 類 の福 祉
軍 令 部 第 一部 甲 部員 ︹ 義正︺ (中原 大 佐 ) (幹 事 )
同
之 が為 取 敢 へず 研 究 実 現 に要 す る事 項 は、 三 月十 日新 内 閣 の政 策 同
を増 進 し て、 東 亜 の安 定 勢 力た る の実 を完 う す る に在 り。
に対 す る海 軍 の要 望 と し て申 入 れ た る所 な る が、 海 軍 自 体 と し て右 国 策 の要 綱 に基 き 執 る べ き国 家 の諸 方策 並 に海 軍 政 策 を 具 体 的 に且
同
(同 )
一
同 (部署標準) ( 兼幹事)
同
局
員
経
軍 務 局 局 員 ︹ 利種︺ (高 田中 佐)
軍務局第 一課長
長
第 三委員会委員長
経理局第 一課長
局
第 三委員会委 員
軍令部第 三課長
航空本部総務部長
会計部長
同
理
軍
同
艦政本部総務部長
同
同
ハ
第 三委員会
一
一
一
(一流 財政家 (未定) )
軍 務 局局 員 ︹ 柳作︺ (柳本中佐) 海軍 省嘱 託
(岡大 佐、大佐 一、主計大中佐 一 (未定))
(幹事)
体案 を研 究調査立案す。
帝国海軍 の内容充実及能率化 に必要なる諸制度及定員改正 の具
ロ 第 二委員会
査立案 す。
帝国 の国策並 に之が実現 に必要な る海軍政策 の具体案を研究調
二、研究調査目的 イ 第 一委員会
三
(中少佐) (神少 佐)
軍 務 局 第 一課 長
同
同
長
人
同
局
第 一課 長
第 一課 長
同
海 軍 省出 仕
三
第 二課長
同
第三委 員会委員 (幹事)
員
同
第 二課 長
艦 政本 部 第 一課 長
同
航空本部総務部長
艦 政本 部 総 務 部 長
第 二委 員会 委 員
同
育
局
人 事 局 第 一課 長
同
務
第 二委 員 会委 員
長
第 二委 員 会委 員 長
同
教
長
同
同
局
同
軍 令部 第 一部 長
事
同
同
同
一
一
同
同
(高 田 中 佐)
軍 務 局 局 員
(岡 大 佐 )
海 軍 省 出 仕
第 一課 長
同
(幹 事 )
(幹 事 )
同 同
同
局
同 (制 度 及 之 に伴 ふ定 員 ) ( 幹事) 同 局 員 三 ︹ 重徳︺ (中 少 佐 ) (神 少 佐 、 二名 未 定 ) 同 (艦 船 定 員 及 艦 内 編 制) ( 幹事) 同
(中 少 佐 二、 機 中 少 佐 一) ︹ 博︺ ︹ 静夫︺ ︹ 乾吉︺ ( 松 原中 佐 、貞 方 少 佐 、今 田機 少 佐 )
告
財 政 計画 を検 討 し 、 且海 軍 予算 の経 済 に対 す る 具体 案 を研 究 調 査 立案 す。 三 、報 委員 長 は研 究 調 査 終 了 せ ば 、其 の成 果 を 報 告す る も のと す。 但 し、 全 研 究調 査 終 了 に先 立 ち直 に実 行 を要 す と 認 む る事 項 あ る と き は、
四、 期
間
之 を其 の都 度 報 告 す る も のと す 。
昭和 十 一年 十 一月 三十 日迄 に 一応 の研究 調 査 を 終 了 す る も のと す 。
(昭 和十 一年 四月 ご ろ 、海 軍 中 央 部 )
て之 を育 成 助 長 し 成 る べく 速 に経済 的自 営 の域 に達 せ し む ると 共 に
国 策 要 綱
軍備 、 経 済 の両方 面 に於 け る帝 国 の実 勢 力 を扶 植 し共 同防 衛 共 同 存
五二
帝 国 国 策 の要 綱 は内 は庶 政 を更 張 し 外 は大 陸 に於 け る帝 国 の地歩
栄 の実 を 挙 ぐ る に努 む 那
を確 保 す ると共 に南 方 に発 展 す るを根 本 方針 と し国 力 の充 実 国 権 の
支
に必 要 な る諸 方 策 を樹 立 し内 外 の情 勢 に稽 へ漸 進 的 に堅 実 な る国 運
前 記 国 策要 綱 に則 り且 現 下 の国 防 方 策 の遂 行 を基 調 と し て自 主 的
我勢 力 の扶 植 拡 大 を図 り究 極 に於 て完 全 な る対 日依 存 の友 邦 た ら し
し機 宜 経 済 的並 に技 術 的 援 助 を 与 へ其 の自 力 更 生 を 助 成 す ると 共 に
実行 に移 し専 ら 共 存 共 栄 を旨 と し恩 威 併 行 し て彼 の実 行 を監 視 誘 導
右 目 的 達 成 の為 に は先 支 那 を し て我 対 支 三原 則 を 承 認 せ し め之 を
確保 し 其 の発展 を図 るを 以 て基 調と す
帝 国 を 中 心と す る 日、 満 、 支 三国 の提 携 共 助 に依 り東 亜 の安 定 を
対
伸 張 を図 り以 て東 洋 の平 和 を確 立 し 人 類 の福 祉 を増 進 し て東 亜 の安
策
定 勢 力 た る の実 を 完 う す る に在 り 外
二
対
の伸 張 を図 る を 以 て帝 国 対 外 政 策 の本 旨と せ ざ る べか らず 而 し て之
むる を要 す
一、 対 外 国 策 の確 立及 之 が遂 行 の 一元 化
こと 肝要 な ると 共 に徒 ら に列 国 を刺 戟 し て過 早 に実 力 の行 使 を余 儀
が 実 行 に 当 り て は国 家 の施 策 を 一途 に出 で しめ 且之 を 一貫 せ し む る
北 支 五省 及 内 蒙 は 日満 両国 の対 蘇 防 衛 強 化 と 経 済 発 展と に便 な る
支那 主 権下 の特 殊 区 域 た ら し む る を目 途 と し 支 那中 央 並 に現 地 政 権
な く し或 は列 国 一致 結 束 我 に対 抗 す る の情 勢 を誘 致 す る が如 き は之
を指 導 し適 宜 自 治 政 権 を 完 成 せ しむ る等 実 情 に即 す る 措置 を取 ら し
平和 的 手 段 を 以 て漸 進 す るを要 す
むる も のと す 但 し 之 が 実行 に当 り ては 実 力 を 以 て強 制 す る こと な く
を厳 に戒 め ざ る べ から ず
満 洲 国 は 独 立 国 家 た る の形 態 に於 て帝 国 と 不 可分 関 係 の実 質 を以
対 満 洲 国
二、 主 要 関 係 国 に対 す る基 本方 策 一
支 那伝統 の以夷制夷政策は帝国 の大陸政策 に対する列国 の猜疑と 相俟 つて我対支政策 の実施 に障碍 を来 し或は欧米諸国 の対 日共同戦
力 の進出 を図 り又英国属領 に対 しては経済的、文化的聯繋を密 にし
の政情とを利用し東亜 に於け る英国権益推移 の間隙 に乗じ極力我勢
の策動 に対 し慎重警戒す ると共 に欧洲 の機微なる政局と彼 の植民地
線を助長す る の虞あ るに鑑 み我政策 は飽く迄大義名分 に即 し第 三国
彼 の対 日政策 に対す る牽制 に努 む
調として親善関係 の確立 に努 む
の東亜 に於け る地位を是 認せしむ ると共に経済的相互依存関係 を基
米国 の伝統的極東政策 に対抗す る為益軍備 に遺 憾なきを期し帝国
国
干渉 の口実 を与 へざ るに留意し列国 をして帝国存立上必須且正当な 六 対
邦
国
米
る既得 権益 の確保及経済的発展を求むる我方 の真意を正解せしむる の手段を取るを要す 対南方諸邦 南方諸邦 は帝国 の国防強化、人 口問題解決、経済発展上最重要視
三 すべき方面 にして之 が経綸2 は又対満 、対支、対蘇政策大成上 にも必 し地方民福を増進 し共存共栄 の実現を期するは帝国 必然 の使命なり
須 のも のなり即ち南方諸邦 に於て皇道精 神に基 き我勢力を扶 植伸 張 之 が為帝国は内 には 一元的方途を審議確 立し必要 なる機関を整 備し 済 の両方面 に於 て漸進 的進 出を図 り他方当然覚悟 すべき英、米、蘭
臺湾及委任統治領 の内容 を強化す ると共 に外 には差当 り移植民及経 等 の圧迫阻碍 に対し常 に慎重 の用意 を以 て臨 み且万 一に対す る実力 蘇
の準備 完成を要 す 四 対
蘇邦 の極東進出 を抑制す る為 に必要 なる軍備を整ふると共 に我大 陸経営 には正当なる限度を定め我より積極的 に進攻政策 を執 らざ る を本旨 とす之 が為彼 の赤化政策 に対しては厳 に警戒し必要なる防止 の方途 を講ず ると共 に諸懸案 の平和的解決 を促進し進んで親善関係 英
の確立を図 るも のとす 対
英国 の執 ること あるべき列国殊 に米、蘇、支を利用する対 日抑圧
五
五三
帝 国 国 防 方針
航空 兵力
六五隊
逐艦 九六隻)潜水戦隊若 干 (潜水艦七〇隻)
艦艇 主力艦 一二 航 空母艦 一二 巡洋艦 二八 水雷戦隊六 (駆
海軍 兵 力
五〇師団及航空 一四 二中隊を基幹とす。
陸軍 兵力
帝国 の戦時 に於け る国防所要 兵力左 の如し。
(昭 和 十 一年 六月 八 日裁 可 )
帝 国 国 防 方 針 ・用 兵 綱 領 第 三次 改 訂
一、帝 国 国 防 の本 義 は 、建 国 以来 の皇 謨 に基 き常 に大 義 を 本 と し、 倍 々国 威 を顕 彰 し国 利 民福 の増 進 を保 障 す る に在 り。 二、帝 国 国 防 の方 針 は 、 帝国 国 防 の本 義 に基 き、 名 実 共 に東 亜 の安 定 勢 力 た るべ き 国 力殊 に武 備 を整 へ、 且外 交 之 に適 ひ、 以 て国 家 の 発 展 を確 保 し 、 一朝有 時 に際 し ては 機 先 を制 し て速 に戦争 の目 的 を
而 し て帝 国 は 其 の国 情 に鑑 み、 勉 め て作 戦 初 動 の威 力 を強 大 な ら
達 成す る に在 り。
し む る こと 特 に緊要 な り。 尚 将 来 の戦 争 は長 期 に亘 るお そ れ大 な る も のあ るを 以 て 、之 に堪 ふ る の覚 悟 と 準備 と を必 要 と す 。 三、 帝 国 の国防 は 、帝 国 国 防 の本義 に鑑 み、 我 と 衝 突 の可能 性 大 に し て且 強 大 な る 国力 殊 に武 備 を有 す る米 国 、 露 国 を目 標 と し 、併 せ て支 那 、 英 国 に 備 ふ。 之 が為 、 帝 国 の国 防 に要 す る兵 力 は、 東 亜 大 陸 並 西 太 平 洋 を制 し、 帝 国 国 防 の方 針 に基 く要 求 を 充 足 し得 る も の
用 兵 綱 領
な るを 要 す 。
五四
国 防 国策 大 綱
(昭 和 十 一年 六月 三 十 日
参 謀 本 部 第 二課 )
好 機 を捉 へ実力 を以 て東 亜 に於 る其 根 拠 地 を 奪 取 し 一挙 被 圧 迫 東
ド﹂ を 我領 土 とす 此 際 米 国 の参 戦 を覚 悟 す と 雖 も 成 し得 る限 り其 中
亜 諸 民 族 を 独 立 せ しめ 且 ﹁ニ ューギ ニア﹂ 濠 洲 及 ﹁ニ ュージ ー ラ ン
一、 皇 国 の国 策 は先 づ 東 亜 の保護 指 導 者 た る地位 を確 立 す る にあ り
二、 蘇 国 及 英 米 の圧迫 に対 抗 す る為 には所 要 の兵 備 特 に航 空 兵 力 を
六、 日支親 善 は東 亜 経 営 の核 心 に し て支 那 の新 建 設 は我 国 の天 職 な
立 を 維 持 せ し む る こと に努 力 す
之 が為 東 亜 に加 は る べ き白 人 の圧 迫 を排 除 す る実 力 を要 す
充実 す ると 共 に日満 及 北支 を範 囲 と し戦 争 を持 久 し得 る万 般 の準 備
り然 れ ど も白 人 の圧 迫 に対 し 十分 な る実 力 無 く し て其 実 現 は 至難 な
を完 了 す る こと 肝 要 な り 三、 先 づ蘇 国 の屈 伏 に全 力 を傾 注 す 、而 し て戦 争 持 久 の準 備 に 就 て
支 那 建 設 の根 本 的 準 備 に力 を 払 ふ
米 殊 に米国 と の親 善 関 係 を 保 持 し得 る範 囲 に制 限 す る を要 す 此 間 新
対蘇 戦 争 の為 現 下 の対 支 政 治的 工作 は南 洋 方 面 の諸 工作 と 共 に英
り
対蘇 戦 争 の実 行 は至 難 な り
欠 く る所 多 き 今 日英 米 少 く も米 国 と の親 善 関係 を保 持 す るに 非 れ ば
又我 兵 備 充 実 に当 り て は外 交 的 手 段 に依 り蘇 国 の対 抗 手段 の緩 和 に努 む
七 、蘇 英 を屈 せば 日支 親 善 の基 礎 始 め て堅 し 即 ち東 亜 諸 国 を指 導 し
極的工作を開始す
日満 北支 を範 囲 とす る戦 争 持 久 の準 備 成 り蘇 国 を屈 伏 せば 堂 々積
策 を 断 念 せ し む る為 積 極 的 工作 を 開 始 し迅 速 に其 目 的 の達 成 を期 す
之 と協 同 し て実 力 の飛 躍 的 進 展 を策 し次 で来 るべ き米 国 と の大 決 勝
四、 兵 備 充 実 成 り 且戦 争 持 久 の準 備 概 ね完 了 せ ば蘇 国 の極東 攻勢 政
り
戦 に備 ふ
而 し て戦 争 に 至 らず し て我 目 的 を 達 成 す る こと は最 も 希 望 す る所 な
五、 蘇 国 屈 服 せば 適 時 之と 親 善 関 係 を 結 び進 で英 国 の東 亜 に 於 る勢 力 を駆 逐 す
界
全 圖
一
五五
国 策 大 綱 決 定 の経 緯
上村 伸 一記 )
︹外務省東亜局第 一課長︺
(昭和 十 一年 八月 十 二日
国 策 大綱 に準 拠 し て成 立 せ る も の な る旨 明 記 せ ん こと を主 張 せ り
依 て外 務 側 は右 国 策 大 綱 は陸 海 両 当 局 限 り の文 書 にし て外 務 側 は
国 防 問 題 を中 心 と し 陸 海軍 当局 の間 に極 め て秘 密裡 に協 議 を
イ
の決 定 を も経 ん とす る な ら ば外 務 側 と し ては 相 当意 見 あ り研 究 の
協 議 に与 か り居 らざ る所 な る を 以 て若 し 右 を 真 に国 策 と し て閣 議
上 修 正意 見 を提 出 す べ き旨 を述 べ其 結 果 種 々修 正意 見 を提 出 せ る
重 ね居 た る が本 年 六 月 三 十 日 両省 間 に国 策 大 綱 な るも の成 立 せ り
所 本大 綱 に付 て は陸 軍 内部 に も相 当 異 論 あ り 旁 々外務 側 よ り斯 る
右 陸 海 間 の協 議 は当 初 国 防 を 主 と し た る も のな る が結 局狭 義 の 国 防 よ り出 発 し遂 に広 義 の国 防 則 ち外 交 、 財 政 、 内 政等 諸 般 の事
修 正意 見 提 出 せら るる に於 ては或 は本 大 綱 を 根本 的 に修 正 せざ る
を 得 ざ る事 態 と な る虞 大 な り し に鑑 み海 軍 側 は国 策 大綱 に 準拠 し
羅 し た る右 国策 大 綱 の成 立 を 見 た る 次第 な り
の序 文 には単 に ﹁国 策 に準 拠 し﹂ と 記 載 す る に止 め 国策 大 綱 な る
項 に関 し て も協 議 を 進 め 其 結 果 所 謂 る 庶政 一新 に関 す る事 項 を網
ロ 右 国 策 大 綱 成 立 す るや陸 海 側 よ り外 務 側 に対 し 外交 方 針 樹 立 ︹ 謙介︺ 方 申出 で の次 第 あ り依 て外務 は堀 内 次 官 及 び政 務 関係 局 長 指 導 の
具 体的 事 項 を引 用 せ ざ る こと と せ る次 第 な り ニ
国 策 大 綱 は六 月 三 十 日成 立直 後 閣 議 の後 海 軍 大 臣 よ り総 理 ・
て外交 方 針 成 立 せ る旨 明 記 す べ しと の意 見 を 撤 回 し結 局外 交 方 針
一ケ 月余 に亘 り協 議 を 遂 げ た る結 果 外 交 方 針 の成 立 を 見 た る次 第
下 に欧 亜 、東 亜 第 一課 長 及 安東 秘書 官 の 三名 を幹 事 と し陸 海 側 と
なり
を 求 め た る に依 り陸 、 海 、外 の三大 臣 は 大 体 趣旨 に於 て異 存 な き
陸 軍 ・外務 ・大 蔵 五大 臣 の居 残 り を求 め た る上右 大 綱 を示 し諒 解
元 来 国 策 大 綱 は海 軍 々備 充実 拡 張 の基 礎 を 得 ん が た め に海 軍
五省決 定 若く は 閣議 決 定 と な す為 に は字 句 に付 ては 相当 修 正 を要
旨 を述 べ た る趣 な り (但 し単 に趣 旨 に於 て異 存 な し と の意 味 に て
ハ
議 の上成 立 せし め た る も のな る を以 て海 軍 と し て は右 大 綱 を確 乎
側 よ り働 き かけ 陸 軍 の政 務関 係 を除 外 し主 と し て作 戦 関 係 者 と 協
た る形 式 と せ ん こと を企 図 し右 外 交 方 針 の前 文 に於 て外 交 方 針 は
二
す る意 味 な る こと 勿 論 な りと す) 外 交方 針 は 八月 七 日 の閣議 後 総
て速 に実 現 す る 必要 あ り従 つ て従 来 の遣 方 に或 程 度 変 更 を 加 へる
域 とす る こと 及 び 支 那全 般 を反 蘇 依 日 と す る こと の 二項 目 を極 め
必 要 あ る こと を 示唆 せ る次 第 な り (陸 軍 の対 蘇 軍 備 充 実 は 昭和 十
理 、 外 、陸 、海 四大 臣 の間 に正 式 に確 認 せ ら れた るが 、其 際 海 相 よ り再 び国策 大 綱 を も確 認 す る こと と な り た る 趣 な り (﹁ 国策大
を今 後 五年 以 内 に完 成 せ し む る こと 緊 要 な る旨 陸 軍 側 よ り屡 々意
つこと を 得 ず 従 て軍 備 の充 実 と 相 俟 ち国 際 関 係 其 他 の情 勢 の改 善
六年 を以 て完 了 す る 予定 な る が単 に軍 備 の競 争 なら ば ソ聯 には勝
尚 其 際右 国 策大 綱 の中 末 段 に記 載 せ る 政 治、 経 済 問 題 に関 す る
綱 ﹂ ﹁国 策 の基 準 ﹂と な れり)
部 分 を 削 除 し たる 上閣 議 に提 出 す る こと と な りた る趣 な り
米 国 と の関 係 は 公 平 に見 て稍 々進 みす ぎ た る書 き振 りな るが
見 の開 陳 あ りた り) ニ
だけ とな り 従 て指 導 精神 な る題 目 を 削 除 し 単 な る前 文 と した る 次
見 繰 返 し提 出 せ ら れた る結 果 結 局 最 後 に残 り た る も のは 本件 前 文
一に掲 げ る こと と せ り然 る に其後 累 次討 議 の際 陸 軍 側 よ り削 除意
もあ ら ざ り し に付 是 等 倫 理 的 条 項 を 一括 し之 を指 導 精 神 と し て第
な るも の に付 此際 直 に実 行 方 を 希 望す
問 題 の み に て後害 な く而 も 日英 関 係 改 善 の第 一歩 と し て相 当有 効
し或 程度 の材 料 を 英 国 よ り購 入 す る こと は単 に年 額 幾 許 か の損 益
満 洲 国 に於 ても同 様 従来 の経 緯 に拘 は らず 此 際 英 国 と の関 係 改 善 ︹ 註︺ に 一歩 を進 む る必 要 あ り就 中 ﹁バ ー ンビ ー ・ミ ッショ ン﹂ に関聯
前 文 、国 策大 綱及 び海 軍 側 提 案 の外 交 方 針 案 中 には 本件 前 文
是 亦 海 軍 側 の強 硬 な 要 求 に基 きた るも のな り
帝国外交方針 イ
ホ
第 な り既 に本 件 前 文 だけ と なり た る以 上 外 務側 と し て は是 だ け を
︹ 註︺ 一九三四年 Lor d Ba rn byを団長として対満貿 易調査 のため満洲 に
ヘ
支 那 に於 け る 日英 関 係 調 整 具 体案 に付 て は目 下 研 究 中 な る が
を目 的 と し た るも のに し て外 務 側 とし ては 敢 て排 斥 す べき も のに
類 似 の原 則 的 若 く は 倫 理的 条 項 極 め て多 く 而 も右 条 項 は陸 軍 牽 制
存 す る こと も 如 何 と 考 へ是 だけ な ら ば 寧 ろ 削 除 す る を可 と す る旨
︹略 ︺
来 た F.B.I .( 英国産業聯盟派遣) の使節団。
日独 提 携 の問 題 は既 に相 当 程 度具 体化 せり
主 張 し 陸 軍 も同 意 見 な り し が海 軍 側 強 て の希 望 に依 り存 置 す る こ
ロ
対 支 政 策 に付 て は 三省 協 定 及 三 原 則 存 す る 以 上特 に繰 返 し 記
と と な り た る 次第 な り
ハ
載 す る必要 な しと 認 めた る が海 軍 側 強 て の要 求 に依 り本 項 の通 り 記 載 せ り但 し 三原 則 及 び 三省 協 定 は右 に依 り 廃棄 せ ら れた るも の にあ ら ざ る こと を 明 にす る為 特 に十 月 四 日付 決 定 参 照 と 明 記 せ り 末 段 ﹁現 下 の施 策 ﹂ の意 味 は対 蘇 関 係 の急迫 に顧 み北 支 を特殊 地
四
五相 会 議 決 定)
出 を計 り以 て満 洲国 の完成と相俟 つて国力 の充実強化を期 す
(昭和 十 一年 八 月 七 日
一九三六年八月七日 (五相会議) 一、国家経綸 の基本は大義 名分 に即 して内、国 礎を鞏固 にし外、国
二、右根本国策を枢軸と して内外各般 の政策 を統 一調整し現下 の情
国 策 の基 準
運 の発展 を遂げ帝国が名実共 に東亜 の安定勢力となりて東洋 の平和
勢 に照応す る庶政 一新 を期す要綱左 の如 し
五六
を確保し世界人類 の安寧福祉 に貢献 して茲 に肇国 の理想 を顕現す る
一
南方海洋殊 に外南洋方面 に対し我民族的経済的発展を策 し努め
にあり帝国内外 の情勢 に鑑み当 に帝国と して確立すべき根本国策 は
国防軍備 の整備は
て他国 に対する刺戟 を避け つつ漸進的和平的手段 により我勢力 の進
外交 国防相侯 つて東亜大陸に於 ける帝国 の地歩を確 保すると共 に南
イ 陸軍軍備は蘇国 の極東 に使用し得 る兵力 に対抗するを目途と し特 に其在極東 兵力 に対し開戦初頭 一撃 を加 へ得 る如 く在満鮮兵
東亜 に於ける列強 の覇道政策を排除し真個 共存共栄主義 により
一
力 を充実す
方海 洋に進出発展す るに在りて其 の基準大綱は左記 に拠 る 互 に慶福を頒たんとす るは即ち皇道精神 の具現にし て我対外発展政
ロ
国家 の安泰 を期 し其 の発展 を擁護 し以て名実共 に東亜 の安定勢
我外交方策 は 一に根本国策 の円満な る遂行 を本義と して之 を
る兵力を整備充実す
海軍軍備 は米国海軍 に対し西太平洋 の制海権 を確保す るに足
策上常 に 一貫せしむべき指導精神 なり 二
ニ
綜合刷新し軍部 は外交機関 の活動 を有利且円満 に進捗 せしむる為
力た るべき帝国 の地位 を確保す るに要 する国防軍備 を充実す
内面的援助に勉 め表面的工作 を避 く
満洲国 の健 全なる発達と 日満国防 の安固 を期 し北方蘇 国 の脅威
三、政治行政機構 の刷新改善及財政経済政策 の確立其 の他各般 の施
を除去すると共 に英米 に備 へ日満支三国 の緊密 なる提携を具現 して 我 が経済的発展 を策す るを以 て大陸 に対する政策 の基調とす而 して
設運営をして右根本国策 に適応せしむ るが為 左記事項 に関し ては適
三
之 が遂行 に方 りては列国と の友好関係 に留意す
イ
国内輿論 を指導統 一し非常時局打開 に関す る国民 の覚悟 を鞏
当 の措置を講ず
国策 の遂行 上必要な る産業竝 に重要 なる貿易 の振 興を期す る
固ならしむ ロ 為行政機構 竝に経済組織 に適切なる改善 を加 ふ ハ 国 民生活 の安定、国民体力 の増強、国民思想 の健 全化に就き 適切なる措 置を講ず ニ 航空 竝に海運事業躍進 の為適当なる方策を講ず ホ 国防及産業 に要す る重要なる資源竝 に原料 に対す る自給自足 外交機関 の刷新と共 に情報宣伝組織を充備し外交機 能竝に対
方策 の確立を促進 す ヘ 外文化発揚を活溌 にす
力 を増 大 し、各 方 面 に対 し赤 化 進 出 を 企図 し、 益 々帝 国 を し て不 利
(昭 和 十 一年 八 月 七 日総 理 、 外務 、陸 軍 、 海軍 四大 臣 決 定 )
ると 共 に、我 東 亜 政 策 の遂 行 上 重 大障 碍 を為 す を以 て、差 当 り外 交
帝 国外 交 方 針
極秘
政 策 の重 点 を蘇 聯 の東 亜 に対 す る侵 寇 的 企 図 の挫折 特 に軍 備 的 脅 威
五七
国策 に遵 由し之 が達成を期 する為外交方針 を確立し施策 を之 に順
一、 現 下 内 外 の情 勢 に鑑 み蘇 聯 に対 し て は我 よ り進 ん で事 端 を滋 か
方 策 要 綱
ら しむ る こと を厳 に戒 め 、専 ら平 和 的 手 段 に依 り 従 来 の懸 案 解 決 に
第二
機 能 を全 面 的 に活 動 せ し む る を要 す 。
係 を調 整 し 、国 際的 に我 に有 利 な る情 勢 を誘 致 す る如 く 帝国 外交 の
依 て帝 国 は現 下 の国 際 情 勢 に綜合 的考 察 を加 へ、 主 要列 国 と の関
り之 が達 成 を期 す べ し。
の地位 に至 ら し め つ つあ り。右 は帝 国 の国 防 に対 す る直 接 の脅 威 な
応せしむ可く出先文武官憲 の連絡 を緊密 にし且国民 の指導を積極 適
の解 消 、赤 化進 出 の阻 止 に置 き 、国 防 の充 実 と 相俟 ち 外交 手 段 に依
(外務省最高機密)
切 にし以 て外交 の完全な る統制 を期す 而 して我 公正妥当なる権益 の擁護推進 に対しては自屈嬰退を戒 め 常 に積極的態度 を持すると共 に列国 の帝国 に対する猜疑心若くは危 一般 方 針
惧心を解 消せしむ るに力む。 第一
国を育成 し同国と の特殊 不可分関係 を益 々鞏固ならしめ、世界的見
努 む ると 共 に
東 亜 の恒久的平和を確立し帝国 の存立発展を完うす るが為、満 洲 地 に於て蘇支両国と の関係を自主的 に調整すると共 に、南洋方面に
興 凱 湖 よ り圖 們 江 に至 る国 境 劃 定 及 国 境 紛 争 処 理 両 委員 会 の
機 構 の設 置 を図 り、
設 置 を 図 り 、 更 に其 の他 の満 、蘇 国 境 及 満 蒙 国 境 に付 ても 此 の種
イ
平 和的発展進出 を計 り、依 て以て東亜 に於ける安定勢力た るの実 を 而 して近時蘇聯邦は其 の国防 上及国際上 の地位頓 に強化す るに伴
挙 ぐるを帝国外交 の中枢方針と為す。 ひ、極東 に過大 の軍備 を配 して東亜方面に対す る其 の武力革命的迫
て は彼 我 均 衡 を 得 る如 き極 東 兵 備 整 理 を も含 めた る 日、 蘇間 重要
ロ 蘇 聯 側 より 更 に 不侵 略 条 約締 結 の希 望 を表 明 し 来 る場合 に於
適 当 の時 期 に至 らば 非 武装 地 帯 設 置 を提 議 し、
不利 な る事 態 を 生ず る 懸念 無 き に非 ず 、依 て帝 国 とし ては 差 当 り米
依 存 の政 策 に出 でし む る虞 あ る のみ な らず 、我 が対 蘇 聯 対 策 上頗 る
て我 方 今 後 の対 支態 度 如 何 に依 り支 那 を援 助 し益 々支 那 を し て 欧米
国 の対 支 通 商 上 の利 益 を尊 重 し同 国 を し て我 が公 正 な る 態 度 を諒 解
ハ
諸 懸案 を解 決 せ ば 寧 ろ之 が締 結 を希 望 す る旨 を明 示 し 、
の増 進 を期 し 同 国 を し て帝 国 の東 亜 政 策遂 行 を妨 害 せ し め ざ る様 力 む べ し。
せ しむ ると 共 に日米 間 の経 済 的 相 互 依存 関係 を基 調 と し て親善 関 係
四、 欧 洲 政 局 の推移 は東 亜 に重 大 な る影 響 あ る を以 て之 を 我方 に有
尚 蘇 聯 の日、 満 、 支 に対 す る思 想侵 寇 を防 遏 す べき 適 当 の措
二、支 那 中 央 及 地 方 政 権 に対 し ては 常 に厳 然 た る態 度 と 公 正 な る施
利 に誘 導 し 特 に蘇 聯 を控 制 す る に力 む べ し。
置 を講 ず べ し
策 と を 以 て臨 み、 対 民衆 経 済 工作 と 相俟 ち其 の対 日態 度 を 是 正 せ ざ
ニ
る を得 ざ ら し む る如 く誘 導 し共 存 共 栄 を基 調 と す る 日支提 携 の実 現
一
るも 東 亜 に於 て欧 米 列 強 中 最 大 の権 益 を有 し、 且 又 欧 洲諸 国 の向 背
英 国 は各 方 面 に於 て帝 国 と利 害 関 係 相 容 れ ざ る も の尠 な から ざ
を期 す 。
が英 国 の態 度 に依 る処 多 き に顧 み、 此 の際 姑 く 帝 国 は自 主 積 極 的 に
北 支 方 面 に於 て は 日満 両 国 と の経 済 的 、 文 化 的融 合 提 携 を策 す る と 共 に蘇 聯 の赤 化 進 出 に対 し 日満 支 共 同 し て防 衛 に当 る べき 特 殊 地
同 国 と の親 善 関 係 を 増 進 し 、 以 て帝 国 の対 蘇 関係 に於 て我 に好 意 あ
外 発展 の障 碍 を緩 和 除 去 す る こと 特 に必 要 な り。 而 し て支 那 に於 て
る態 度 を執 ら し め、 蘇 聯 の我 に対 す る態 度 を牽制 す ると 共 に、 我 海
域 た ら し む る に力 む 。 爾 他 の地方 政 権 に対 し て は殊 更 に支 那 の統 一又 は分 立 を助 成 し 若 く は 阻 止 す る が如 き 施 策 は之 を行 はざ る も のと す。
て帝 国 が 特 に支 那 に於 て特殊 且緊 要 な る利 害 関係 を有 す る こと を 尊
両 国 関係 を調 整 す る こと極 め て効 果 的 な るが 故 に 、差 当 り英 国 を し
重 せ し め 又同 国 の在 支 権 益 を 尊 重 し、 支 那 に於 け る 日英 関 係 の局 面
以 上 は対 支 政 策 の根 本方 針 (昭和 十年 十 月 四 日附 対 支 政 策 に関 す
現 下 の施 策 に当 りて は 日蘇 関 係 の現 状 に鑑 み 先 づ速 に北 支 を し て防
に努 む べ し。
打 開 方 に付 適 切 な る方 策 を講 ず ると 共 に両 国 間 の全 般的 関 係 の調 整
る決 定 参 照 ) にし て諸般 の施 策 皆 之 に遵 拠 す べ き も の な り。 然 し て
る と共 に支 那 全 般 を し て反蘇 依 日た らし む る こと を 以 て対 支 実行 策
共 親 日満 の特 殊 地域 た ら し め 且国 防 資 源 を獲 得 し交 通 施 設 を拡 充 す
べき 虞 あ る を 以 て 此 の点 特 に警 戒 す る を要 す 。
然 れ ど も英 国 は列 国 殊 に米 、蘇 、支 を利 用 し 対 日 抑 圧政 策 を執 る
三 、 日米 親 善 関 係 の増 進 は英 、蘇 を牽 制 す る に与 て力大 な る も のあ
二
の重点 と す 。 (差 当 り実 行 す べ き方 策 は別 に之 を定 む)
る 処、 米 国 は鋭 意 軍 備 を 拡 充 し其 の伝 統 的 極 東 政 策 を基 調と し て帝
関 係 に鑑 み、 国 防 上 竝 に赤 化 対 策 上 我 と の協 調 を便 と す べ き を 以 て、
独 逸 は 対蘇 関係 に於 て概 ね帝 国 と利 害 を斉 しく し 、仏 蘇 の特 殊 国 の政 策 の推 移 に多 大 の関 心 を有 し我 に対 す る警 戒 を怠 ら ざ る を以
同国と の友好 関係 を増進す ると共 に必要 に応じ 日独提携 の実 を挙 ぐ る の手段 を講 じ又其 の関係を拡充して波蘭等 の親善関係を増進 し以 其 の他蘇 聯に隣接す る欧洲及亜 細亜諸国竝 に爾余 の回教諸民族と
て蘇聯を牽 制すべし。 の友好関係増進に留意 し其 の啓発 に力むべし。 五、南洋方 面は世界通商上 の要衝 に当 ると共 に帝国 の産 業及国防 上 必要欠くべからざる地域と して将又我 民族発展 の自然的地域として 進出 の地歩を固むべきも関係諸国を刺戟 する ことを慎 み帝国に対す 比島 に付 ては我方 は其 の完全なる独立 の実現 を期待し要すれば比
る危惧 の念 を除去 するに努め平和且漸進 的に発展進出 に力むべし。 島 の中立を保障するを辞 せず。 蘭領印度 に対する我方 の発展進出 に付 ては蘭印側 をし て我方に対 す る危 惧 の念 を 去 ら し め、 親 日 に転 向 せ し む る こと 極 め て必要 な る に付 、 之 が為 適 切 な る方 策 を講 じ 、要 す れ ば和 蘭 と の間 に不 侵 略条
暹 羅 及 其 の他 後 進 民 族 に対 し て は共 存 共 栄 を 基 調と し て適 当 に指
約 の締 結 を辞 せず 。
六 、海 外 貿 易 は国 民 経 済 生 活 の維 持 向 上 に欠 く べ か ら ざ る の みな ら
導誘掖す。
み殊 に其 の伸 暢 に力 を 致 さ ざ る べ か らざ るを 以 て、我 が対 外 通 商 の
ず 財 政及 国 際 貸 借 の改 善 に資 し 、帝 国 と し ては 現時 の内 外 情 勢 に鑑
合 理 的 伸 展 を計 ると 共 に成 る べ く列 国 と の利 害 を調節 し、 重要 資 源 を 確 保 及獲 得 し 、延 て経 済 力 の涵 養 に努 む る を要 す 。
五八
対 支 実 行策
昭和 十 一年 八 月 七 日決 定 の ﹁帝 国 外 交方 針 ﹂ に遵 拠 し 対 支政 策 に
一、対 北 支 施 策
関 し差 当 り執 る べき施 策 左 の通 。
(昭和 十 一年 八 月十 一日関 係 諸 省間 決 定 )
の効 果 を収 め ん とす る も のな るを 以 て、 之 が処 理 に当 り ては中 央 及
す る政 治 上 の手 と し て利 用 し 之 に 依 り南 京 側 と の懸 引 に付 最大 限 度
出 先 は 一体 と な り緩 急 機 宜 の措 置 に出 で飽 迄 厳 正 な る態 度 を持 し仮
る こと 肝 要 な り 。
に も支 那 側 を し て之 に乗 じ 所 謂 二重 政策 等 を弄 す る余 地 な か ら しむ
二、 南 京 政 権 に対 す る 施策
北支 処 理 の主 眼 は 該 地 域 を防 共 親 日満 の特 殊 地帯 た ら し め併 せ て 国 防 資 源 の獲 得 竝 に交 通 施 設 の拡 充 に資 し 一は 以 て蘇 聯 の侵 寇 に備
南 京 政 権 に対 し て は漸 次反 蘇 的 態 度 を執 り帝 国 と 近 接 す る 如 く 具
へ他 は 以 て 日満 支 三国 提携 共 助実 現 の基 礎 た ら し む る に在 り。
体的 に促 進 を計 り 特 に北支 事 態 の改 善 に対 し て は同 政 権 を し て自 ら
ては南 京 政 権 の面 子 を 考慮 し同 政 権 を し て国 民 の手 前 抗 日標 榜 の已
右 親 日満 的 地帯 は北 支 五 省 を 以 て目 途 と す べ き も徒 に 地域 の拡 大
む な き に至 ら し む る が如 き措 置 を避 く る と共 に支 那 民衆 を対象 と し
進 む で努 力 せざ るべ か ら ざ る如 く 施 策 す る も のと す 。 右 施 策 に当 り
考 慮 に 反 す る の結 果 と な る虞 あ る を 以 て、 先 づ 徐 に冀察 二省 の分 治
す る所 以 に非 る の みな らず 、速 に対 蘇 態 勢 を有 利 な ら し め んと す る
完 成 に専 念 し爾 他 三省 殊 に山東 に対 し て は防 共 親 日及 日満 支 経 済 提
対北 支施 策 の急 速 実 現 を終 始 念 頭 に置 き 必 要 に依 り て は与 ふ る に利
如 実 に共 存 共 栄 を 具 現 す る が如 き 経 済 工 作 に力 を注 ぐ 一方 、前 記 一、
若 は理 想 的 分 治 の 一挙 完 成 に焦 慮 す るは 却 て紛糾 を増 し目 的 を 達 成
携 を主 眼と す る諸 般 の 工作 に努 む。 分 治 の形 式 に就 ては名 目 の如 何
益 を 以 てし仍 つて以 て南 京 政 権 を し て我 方 に依 存 す る の已 む な き に
に拘 泥 す る こと なく 、 実質 を 取 る こと に着 眼し 南 京 政権 の面子 を も 考 慮 し同 政 権 を し て其 の授 権 の形 式下 に実 際 上 北 支 聯 省 分 治 を承 認
正 せ し む る こと な く し て 、之 が基 礎 を強 化 せ し む る が如 き措 置 は執
至 ら し む る が如 く す る こと 必要 な りと す 。 但 し南 京政 権 の政 策 を 是 尚 我 方 と し ては前 記 南 京 の授 権 を 認 む る こと は右 を 南 京 政権 に対
せし む る こと得 策 なり と す 。 ( 別 紙第 二 次北 支 処 理 要 綱 参照 )
らざるものとす。 一 防共軍事協定 の締結 イ 本協定締結 の為両国軍事専門家 より成る秘密専門委員会を組 織す
支那 民衆 を対 象 と し て 日支 共 存 共 栄 を 如実 に具 現 す る が如 き経
日支 不 可 分関 係 の構 成 を期 す 。
済 提 携 工作 を進 め 以 て支 那 政 局 の動 向 如 何 に依 り影 響 せら れざ る
本 項 南 京 政 権 に対 す る施 策 は必 し も前 項 対 北 支 施 策 と併 行 し同 時
の機 構、 人 的 要 素 等 に付 必要 の調 整 を加 へし む。
解 決 を期 す るを要 す。 尚 右 施 策 に当 りて は要 す れば 南 京 政 権 及党 部
解 決 を期 せ んと す る も のに非 ず 、 緩急 時宜 に 応 じ て 工作 し 以 て之 が
為 の手段等 に付協議す
を執 ら ざ るも のとす 。
長 し 又 は 分 立 を計 る目 的 を 以 て 地方 政 権 を 援 助 す る が如 き政 策 は 之
日態 度 を 更 改 せし む るを 以 て主 た る目 的 と す 。 従 つて特 に統 一を 助
る こと に依 り我 方 権 益 の伸 張 を期 す ると 共 に右 に依 り南 京 政 権 の対
地 方的 政 権 に対 す る我 方 施 策 は此 等 局 地的 政 権 を親 日的 な ら し む
三 、其 の他 の地 方 政 権 に対す る施 策
日支軍事同盟 の締結
ロ 専 門委員会 は防共協定 の施行範囲、協定 の内容 、目的達成 の 二 第 三国 よりの侵寇 に対す る攻守同盟締結 の目的を以 て日支両国同
国 民政府 に最高 の邦 人政治顧問 を傭聘せしめ国 民政府 の内治
最高政治顧 問 の傭聘
日支懸案 の解決促 進
数 の専門委員より成る秘密専門委員会を組織 す 三 イ 外交等 の枢機 に参劃 せしむ
開 発 。 廣汕 鉄道 、 日暹 航 空 聯 絡 、 福 州臺 北 間 航 空 聯 絡 等)
一
南 支 に対 す る経 済 的 進 出 (例 へば福 建 、 廣 東 、 廣 西 省等 の資 源
軍事顧問及軍事教官を傭聘せ しむ
二
前 記 方 針 の下 に局 地的 政 権 に対 し執 る べ き実 行 策 左 の如 し。
日支航空聯絡 の開始
辺 境 に対 す る 調査 (四川 、 甘粛 、新 疆 、 青 海 等 に対 す る資 源 調
日支航空聯絡 の急速実現を期 す。右目的達成 の為 には北支航
ロ 軍事顧問 の傭聘 ハ
四、 内 蒙 方 面 に対 し て は親 日満 を 基 調 とす る蒙 古 人 の蒙 古 建 設 を指
査 隊 の派 遺 等)
導 し 以 て対 蘇 態 勢 を調整 す。 而 し て之 が工 作 に方 り て は成 るべ く 内
空会 社を設立す るの外臺湾福建間 飛行、上海福岡 間試験 飛行等 日支互恵関税協 定 の締結
密 且 内 面的 に行 ひ対蘇 及 対支 政 策 と の協 調 に留意 す。
の方法を利 用し南京側をし て応諾 に導く ものとす 冀東特殊貿易 の廃止及排 日的高関税 の低下 に関する関係 省打
日支経済提携 の促進
す れば 日支共同 の専門委員会 の組織方提議す
合 の方針 に基き日支互恵税率協定 の急速 実現 を期す。之が為要
ニ
四
五九
第 二次 北 支 処理 要 綱
(昭和 十 一年 八 月十 一日関 係 諸省 間 決 定 )
す る を 以 て帝 国 の目 的 た る が如 く解 せら る る行 動 は厳 に之 を避 く る
は 南 京政 権 よ り離 脱 せ る 独 立国 家 を育 成 し或 は満 洲 国 の延 長 を 具現
一、 北 支 処 理 の主 眼 は北 支 民 衆 を本 位 と す る分 治 政 治 の完 成 を援 助
を要 す
針
し 該 地 域 に確 固 た る防 共 親 日満 の地帯 を建 設 せ しめ併 せ て国 防 資 源
二 、 分治 の地域
方
の獲 得 竝 に交 通 施 設 の拡 充 に資 し 以 て 一は蘇 国 の侵 寇 に備 へ 一は 日
に焦 慮 す るは 却 て我 方 所 期 の目 的 を 達 す る所 以 に非 ざ るを 以 て先 づ
分 治 の地 域 は 窮 極 に於 て北 支 五省 を目 途と す る も徒 に地域 の拡大
二 、 右 目 的達 成 の為 に は該 地 政権 に対 す る内 面 指 導 に依 ると 共 に之
冀 察 二省 の明 朗化 (経 済 の開 発 及 民 心 の安 定 ) と 分 治 の完 成 と に主
満 支 三国 提 携 共 助 実現 の基 礎 た ら し む る に在 り
と併 行 し南 京 政 権 を し て北 支 の特 殊 性 を確 認 し 北 支 の分 治 を牽 制 す
力 を 傾 倒 す 。 尚爾 他 三省 に対 し ては第 五項 に基 き 施 策 す る も のと す 。
支三国 の提携共助 を目的とする政治 上及経済上各般 の施措 に関 し南
の対 北 支 政 策 に協 力 せ しむ る如 く 施 策 す る等 南 京 政 権 利 用 策 を も併
右 内 面 指 導 と 共 に南京 政 権 に対 す る 工作 に依 り同 政 権 を し て帝 国
把握 に努 め しむ るを 要 す
等 百般 の事 総 て軍 閥 的 〓 政 を清 算 し て明 朗 な る地 域 を構 成 し 民心 の
機 構 を 改善 し其 の人 的 浄 化 刷 新 を計 ると 共 に特 に財 政 、経 済 、 軍 事
冀察 政権 の指 導 に当 り ては最 も公 明 な る態 度 を 以 て 臨 み該 政 権 の
る が如 き施 措 をな さず 進 む で北 支 政 権 に対 し特 殊 且包 括 的 な る 分治
綱
三 、 冀 察 政 権 の指 導
要
の権 限 を賦 与 せし む る様 施 策す る も のと す
一、分治 の内容 分治 の内容 は前記方針 に基き北支政権 をして財政産業交通等諸般
京政権其 の他 の排 日的工作 により影響 を受けざるが如 き状態 に在ら
用 し両 々相 俟 つ て成 果 の向 上 に努 む るを 要 す
の事項 に付実質 上の権限を行使 せしめ北支民衆 の安居 楽業 竝に日満
しむ るを以 て目途と す。特 に該地域 に於け る支那領土権 を否認し又
四、 冀 東 自 治 政 府 の指 導
尚経 済 開発 に当 り て は第 三 国 を し て北 支 に於 け る我 特 殊 地位 竝 に
に之 が 実 現 を図 る も のと す
権 益 を 尊 重 せ し む ると 共 に第 三 国 の既 得 権 益 は之 を 尊 重 し要 す れば
冀 東 自 治 政府 の指導 に 当 り て は特 に共 の内 政 の向 上 に努 め し め同 政 権 を し て冀察 政 権 に対 す る範 た ら し む る に着 意 す るを 要 す る も同
三国 特 に英米 と の提 携 共 助 に留 意 す る も のと す
此 等 諸 国 の施 設と 合 同 経 営 し 又 は其 の資 本 材 料 等 を も利 用 す る等 第
録 (昭 和 十 一年 八月 十 一日関 係 諸 省 間決 定 )
時 に冀東 自 治 政 府 は結 局 単 独 に存 立 し 得 ざ る も のな る点 を も 考慮 に
附
容 れ北 支 五 省分 治 結 成 の障 害 と な るが如 き施 策 は之 をな さ ざ る を要 す
一、別 紙 第 一は ﹁第 二次 北支 処理 要 綱 ﹂ の趣 旨 に基 き差 当 り冀 察 政
冀 察政 権 の分 治 機 能 信 頼 す る に足 る に至 らば 冀 東 地 域 は之 を冀 察 政 権 下 の特 別 区 と し て同 政 権 に合 流 せ し む る も のと す
権 側 (冀 東 政 権 亦 之 に準 ず ) を し て執 ら しむ べき 措 置 の限 度 を 例 示
必要 と す るも のあ る べ く 又之 が実 現 に当 り て は所 要 資 金 の調 達 の関
例 示 せ る も のな り従 て其 の具 体 的事 項 に付 ては今 後 調査 の 上改 案 を
一、別 紙 第 二 は北 支 に於 け る国 防 資 源 中 速 に開 発 を 計 る べ き も のを
せ る も のな り
五、 山東 、 山西 及 綏 遠 諸 政 権 の指 導 山東 に対 し強 ひ て之 を冀 察 側 に合 流 せ し む る が如 き 工 作 を行 ふ は
き を 以 て之 を慎 み防 共 親 日及 日満 支 経 済提 携 を主 眼と す る諸 般 の工
係 を考 慮 す るも のと す
却 て其 の対 日依 存 を困 難 なら し め 延 て其 の存 在 を も危 く す る の惧 多
作 に依 り帝 国と の聯 帯 関 係 を 一層 密 接 な ら し む る こと 竝 に成 る べく
一、関 税 の処理
別紙 第 一
南 京 政権 其 の他 の妨 害 を排 除 し て将 来 の分 治 を容 易 なら し む る こと に着 意 し て之 を 指 導 す る も の とす 。 山西 及 綏 遠 に関 し ては 右 に 準ず 。 而 し て此 等 両 政 権 に 対 す る指 導 は 内 蒙 工作 と の調 和 を 必 要 と す る こと 勿 論 な るも 同 時 に 対 支政 策 の
態 を構 成 し、 平 戦 両時 に於 け る北 支 の親 日態 度 保 持 に資 せ し む る を
暢 に依 り 日支 人 の 一致 せ る経 済 的 利 益 を基 礎 と す る 日 支 不可 分 の事
六、 北 支 経 済 開 発 は民 間 資 本 の自由 進 出 を本 旨 と す る我 方 権 益 の伸
し む る が如 き施 策 は之 を 行 は ざ る も のとす
海 関 の実 力 的 接 収、 海 関 人 事 に関 す る実 力 干 渉 、 海 関組 織 の分 離 又
握 し 依 て以 て関 余 の収 得 を 図 るも のと す 但 し如 何 な る場 合 に於 て も
場 合 に於 て は窮 極 の処 置 と し て海 関 監 督 を 通 じ 海 関 行政 の実 質 を掌
む る を原 則 と す 若 し 南 京 政権 が飽 く 迄 右 話 合 に依 る接収 を拒 否 す る
るを目 的と し冀 察 政 権 を し て南 京 政 権 と の話 合 に 依 り之 を実 現 せ し
入 (已 む を得 ざ れば 内 債 負 担 部 分 を も控 除 す る こと を得 ) を収 得 す
関税 の処理 は外 債 負 担 部 分 及海 関 維 持 費 を除 き た る河 北 省 関 税 収
以 て目 的 と す特 に国 防 上 必要 な る軍 需 資 源 (鉄 、 石 炭 、 塩等 ) の開
円満 な る遂 行 に留 意 し 該 省 政 権 を駆 逐 し 又 は之 を内 蒙 政 権 に隷 属 せ
発 竝 に之 に関 聯 す る交 通 電力 等 の施 設 は要 す れ ば 特殊 資 本 に依 り速
は統 一破 壊 、 特 殊 関 税 制 度 及 地 帯 の設 定 竝 に外 債 負 担 部 分 の抑 留 積 立等 は之 を為 さざ る も のと す
礦
先 づ龍 烟 鉄 坑 及 河 北 省 に 於 け る有 望 な る諸 鉄 坑 を 開発 す
一、鉄
礦 石 と し て輸 出 す べき や或 は製 銑 の上輸 出 す べ き やは本 邦 内 地 外 地
右 は差 当 り興 中 公 司 を し て実 施 せ しめ 満 鉄 を し て之 に協 力 せ しむ
窮 極 の目 標 は南 京側 金 融 支 配 よ り脱 却 せ る北 支 の中 央 金 庫 を設 立
山東 省金 嶺 鎮 鉄 坑 は既 に我 が利 権 関係 あ るを 以 て前 記冀 察 両省 に
満 洲等 に於 け る斯 業 と の調 整 竝 企業 者 の採 算 関 係 其 他 に依 り決 定 す
二、 金 融 対 策
す る に在 りと 雖 も 北 支金 融 の現 情 、 南 京 政 権 の通 貨 金融 政 策、 其 の
於 け る鉄 坑 開発 の進 度 を見 た る上 之 が 開発 を決 定 す る こと と す
他 の諸 情 勢 は 直 に右 目 的 を達 成 し難 き も のあ る に鑑 み河 北 省銀 行 の 如 き北 支 既 存 金 融 機 関 に付 其 の内容 を調 査 の上適 当 と 認 め ら れ た る
二、 ﹁コー ク ス﹂ 用 炭 礦
山東 省 黒 山炭 坑 を中 心 と し 附 近 小炭 坑 の統 合 経 営 を誘 導 す
を注 入 し 日支 合 辨 と し其 の増 産 を期 す
津 石 鉄 道建 設 に も関 聯 し 対 日輸 出 を目 的 と し 井 〓 炭 坑 に日本 資 本
も のを漸 を追 て育 成 強 化 し 以 て名実 兼 備 せ る冀 察 の中 央 金 庫 の基 礎 を 構 成 す る こと を差 当 り の目 途 と す
塩 税 統 税 其 の他 中 央 税 権 に付 て は概 ね第 一項 関 税 処 理 の原則 的 接
三 、関 税 以外 の中 央 税 権 の処 理
慮 し窮 極 に於 て 日英 支 合 辨 事 業 た ら し む る如 く 指 導 に努 む 之 が為 前
開〓 炭 坑 に関 し て は龍 姻 鉄 坑 の開 発及 北 支 製 鉄 事 業 の便 宜 を も 考
記井 〓 炭 及博 山炭 の増 産 を も適 宜 利 用 す る も のと す
収 方 法 に傚 ひ以 て中央 税 権 統 一の破 壊 及 二重 課 税 の発 生 を 避け 収 入 の接収 を旨 と す る 一方 外 債負 担 部分 に触 れざ る こと と す
花
りも 所 要 の資 金 及技 術 的 援 助 を 与 ふ る を要 す
改 良 増 産 は農 民 の自 覚 と 北 支 当 局 の指導 奨 励 に俟 つべき も我 方 よ
他 の地 方 に及 ぼす も のと す
先 づ河 北 山 東 両 省 に 於け る棉 花 の改 良 増 産 を 図 り逐 次 之 を 山 西 其
四、 棉
長 蘆 塩 の改 良 増 産 及 対 日 輸 出 は 既定 の方 針 に依 り急 速 実 現 を期 す
技 術的 援 助 を与 ふ るも のと す
製 塩 事 業 は 支 那 人 に依 る 民営 に委 す るも 我 方 よ り 所要 の資金 竝 に
長 蘆 塩 竝 に山 東 塩 の改 良 増 産 を 図 る
三、塩
四 、交 通 通 信 等 交 通 通 信 等 に関 し ては差 当 り既 存 施 設 の統 合 改 善 を図 る を主 旨 と し分 治 の限 度 に付 ては 具 体 的問 題 の進 展 に伴 ひ考 慮 す べ き も概 ね 地 方 的 行 政 に関 す るも のと 全国 的 行 政 に関 す るも のと に分 ち 前 者 に付 て は出 来 得 る限 り広 汎 な る権 限 を要 求 せし む るも後 者 に付 ては 南 京
を避 く る も のと す ( 鉄 道 に関 し て は支 那 に於 け る 鉄道 統 一に関 す る
政 権 側 の交 通 通 信 機 関 と の連 絡 上 の便 宜 を も考 慮 に容 れ統 一の破 壊
華府会議決議参照)
第 一、 国 防 資 源
別紙第 二
尚既定方針 に従ひ興中 公司 の設立す べき棉 花倉庫 公司及運輸公司 をして棉花 の取引輸送等 に関 し産棉事業 の発達 の為協力 せしむ 北支就中山西省 に於ける石炭 を利用 し我方 の技 術及資本 の援助 に
五、液 体 燃 料
毛
依 り石炭液化事業 を促進す 緬羊 の改良増殖 に依 り羊毛 の増産 を図 る
六、羊 先づ察哈爾、河北、山東省 に於 て実施し逐 次綏遠其 の他西北地方
第 二、其 の他 の国防施設
緬羊 の改良増殖は功を急ぐ ことなく差当 り技術 的指導 に重点を置
に及 ぼす ものとす く 前記国防資源 の開発を促進し併 せて戦時之 が確保を遺 憾なからし むる為北支 に於け る交通機関 の整備拡充 を策 し就中龍烟鉄坑及井〓 炭坑 の開発 に伴 ふ鉄道 の建設及改良 竝に必要 に応じ関係港湾 の改良 尚国防的経済的見地よりす れば夫 々平綏 線 の改良及西部延長竝山
等 の急速 なる実現 を期す 東鉄道 の延長を重要とす るを以て之等 に付 ても逐次実現を期す
六〇
時 局 委 員 会 設 立 に 関 す る件
(外務 省 ﹁昭和 十 一年度 執 務 報 告 ﹂ より)
す る諮 問 機 関 と す る こと 可 然 き旨 述 べ 置 きた る処 其 の後 審 議 会 の名
を 以 て大 蔵 省 及 海軍 省側 と も相 談 の上 其 の同 意 を得 て六 月 十 九 日別
称 、 権 限 、 構 成等 に付 両 省 間 に数 次 折 衝 の結 果 大 体 の成 案 を得 た る
一、設立の経緯 外交交渉及内面指導 に関 する外務及陸軍側権限 に関しては北支那
紙 の如 き設 立 要 綱 の決 定 を 見 た り
駐 屯軍増強問題及冀察政務委員会外交顧問 の問題等 に関聯 し両省間 に話合 の次第 ありたる処五月十 五日陸軍省係官来省 の上北支 に於 て
二、 ﹁時 局 委 員 会 設 立要 綱 ﹂ に関 し注 意 す べ き事 項 左 の通 り
的 なる問題発生し居る に就 ては北支 に於ける経済 工作等 の指導を 一
儀 な り) 竝 に発 動 の形 式 (交 渉 た る と内 面指 導 た ると を 問 はず ) 如
き政 策 施 設 は 事 の性 質 (但 し統 帥 権 に関 す る事 項 を除 く こと勿 論 の
北 支 政 権 に対 す る我 方 の施 策 竝 に北 支 政 権自 体 をし て執 ら し む べ
一
①
元化す る為曩 に満蒙 実行策案審議会 を設立せる例 に傚 ひ北支経済政
綱
は同 地方 の特殊 なる事態に鑑 み冀察政権等 の指導其 の他 に関聯し 一
策審議会と 云ふが如 きものを設立し北支に於 ける経済財政等 に関す
何 を 問 は ず 一切 外務 省 の権 限 なり と の建 前 に依 り本 委 員 会 は飽 く迄
要
般 対支政策 の外財政、経済 、交通等各般 の事項 に付種 々複雑且専門
る 一切の事項は右審 議会に於 て決定 し、出先に訓令 することと致度
時 局 委 員 会 に於 て 研 究 、審 議 、立案 、上申 の上外 務 大 臣 の決 定 ( 事
二
の性 質 に依 り て は更 に閣 議 決 定 を経 る こと あ る べし ) を 経 た る事 項
綱
設 立す る以上、問題 を単 に経済指導と云ふが如く に局限 せず北支に
に関 し ては 外務 大 臣 の訓 令 と し て出 先 外 務 機 関 に通 達 の上 、同 機 関
要
関す る 一切 の事項 (統帥事項は別問 題なり) を本審議会 に於て研究
②
外 務 省 内 の機 関 と せ る こと
審議す ることと し、出先は 一切右決定 に基 き行動す ること竝に事 の
を し て 関 係 省 出 先機 関 に通 報 せし む るを 原 則と す る こと 従 つて委 員
仍 て当方係 官より本審議会設立 の趣 旨は誠 に結構 なるも審議会を
旨述 べたり
性質上右審議会 は満蒙実行策案 審議会と異 なり外務大臣 の監督 に属
会 の審 議 を 経 て 外務 大 臣 の決 定 を 得 た る事 項 に関 し て は軍 中 央部 よ り は別 に詳 細 を 訓令 せず 単 に委 員 会 の決 定 通 り の方 針 に 依 り (﹁ 委
③
要 綱 三及 四
細 外 務 電 参 照 ﹂ の形 式 と す) 措 置す べき 旨 指 示 す る に止 む る こと
委 員会 及 幹 事 会 には 参 謀本 部 及軍 令 部 よ り も委 員 及 幹 事 を参 加 せ し む る こと と な り居 た る 処本 委 員 会 の性 質 上 之 を 取 止 め本 件 に関 す る両 部 と の聯 絡 は主 と し て軍 務 局側 に於 て夫 々内 部 的 に之 に当 る こ
紙
ととなれり
別 時 局 委 員 会 設 立要 綱
内閣及関係各 省
各一
臨時委員は研 究審議事項 の性質 に応じ委員長 の召集 に依 り委員会 の会議 に出席す
一
外務省東亜局長
一
長
省
一
事
四、委員会 に附議すべき議案 の準備及決議 の整 理等 を行 ふ為左 の幹 幹
事 を置 く
務
省
一 蔵
省
( 課長級) 外
軍
省 大
軍
事
陸
幹
海
右 各官庁 より必要 の課員若干
臨時委員 の出席 を要 する会談 の準備 の為 必要 と認 められたる場 合
一、 時 局 委 員 会 は 外 務 大 臣 の監 督 に属 す る秘 密 委 員 会と す 二、 時 局 委 員 会 (以 下 単 に委 員会 と 称 す ) は 我 が対 北 支 政 策 竝 に経
に於 ては当該臨 時委員所属官庁 の課長級をし て幹事会 の審議 に参与 せしむ ることを得
済 、 財 政 、 交 通 等 に関 し我 方 よ り北 支 諸 政 権 に対 し て為 す べき 施 策
五、委員会及幹事会 に関する庶務 は外務省東亜局 に於て処理す
一
一
備考
るも のとす
本委 員会 の設置は総理及関係大臣間 の機密諒解事項 に止む
て会議 を開催 す
(北 支 政 権 側 を し て執 ら しむ べき 政 策 施 設 を含 む) に付 研 究 、 審 議 、
務
省
一
( 局長級)
外務次官
立案 、 上 申 す
長
六、委員会及幹事会 は各 々其 の長 の召集 に依り随時適当 の場所 に於
員 員 外 蔵
省
省
三、 委 員 会 の構 成 は 左 の如 く す 委 委
大
軍
(局 長 級 )
一
陸
員
省 委
軍 時
海 臨
(昭和 十 一年 九月 一日
参 謀本 部第 二課 )
︹ 呼︺ 前 者 に於 け る 日本 朝野 の 一大 覚 醒 な く んば東 亜聯 盟 の如 き 一口号 に
対 支 政 策 の検 討 ( 案)
一、皇 国 の対 外 政 策 は 国 防国 策大 綱 に於 て已 に明 示 せ ら れ あ り即 ち
了 ら ん のみ換 言 す れ ば 欧米 の恐 る ると ころ は 日本 の所 謂 対 支 仁 愛 政
六 一
近 き将 来 に於 て皇 国 は 名 実伴 ふ東 亜 の盟 主 た ら ざ る べ から ず 之 が為
り
三 、若 し夫 れ皇 国 が 不 断 の圧迫 政 策 に よ り て対 支政 策 を進 捗 せし め
策 に し て彼 ら の最 も希 望 す る所 は民 族 相 鬩 ぐ 日本 の感 情 圧 迫 政 策 な
んとせば
の真 の姿 を知 ら し め 皇 国 を賛 仰 せ しむ る に足 る仁愛 侠義 の政 策 を 実 行 せ ざ る べ から ず
①
国内 革 新 と 相 俟 ち て真 に弱 小諸 民族 を抱 擁 し 幇 助 し 彼等 を し て皇 国
二 、今 対 支 政 策 を此 見 地 よ り考 察 す る に
強 制 す べき 理 想 を有 せ ざ る べ から ず
1 、支 那 国 民性 と 四 億 を擁 す る 民族 社 会 、換 言 す れ ば半 法 治 た る支
決 勝 戦 を 準 備 す べ き こと 恰 も現 満 洲 国 に於 て満 軍 を凡 有 手 段 に よ り
情 的 国 民性 論 の介 入 を 許 さず 凡有 方 面 よ り之 を扶 け 以 て皇 国 の 一大
此理 想 は冒 頭 論 ぜ るが 如 く道 義 に立 脚 せ る民族 扶 助 に し て此 間 感
2、 現 代 軍 政 権 の分析 に急 に し て裏 面 に於 て軍 政権 を支 持 し徐 ろ に
那 国 と の分 別 を 不 知 不 識 の間 に 混淆 し て政 策 を 行 ふ こと な き や
東 亜 民族 の分 裂 を 策 す る欧 米 の野 望 を考 察 す る こと の足 らざ る こと
関 東 軍 の友 軍 と す る が如 く 不撓 不屈 の自 省 心 と侠 義 仁愛 の道 徳 的 政
更 に具 体 的 に論 ず れば 我 対 支 政 策 は 日本 的 独我 心 を排 除 し 日 本 的
策 なら ざ るべ か らず
利 益 のみ に終始 す る小 乗 的 諸 工作 を 一掃 す べ きな り 是 を 以 て皇 国 々
なき や前 者 は其 国 民性 が 日本 国 民性 と 相 容 れ ざ る点 よ り理 非 を 超 越
如 く 論 ず るも のあ り之 を直 ち に政 治的 日支 国 家 間 の諸 問 題 に移 す が
内 満 洲 北 支 に於 け る理 想 実 現 こそ 対 支 政策 の根 源 な るべ く 此 理想 実
し て軽侮 し 極端 な る も のに至 り ては動 物 的観 察 が支 那 知 識 の窮 極 の
に追 ひ込 む 奇現 象 を招 徠 す る如 き 結 果 と な り誠 に自 省 分 別 の足 ら ざ
現 な く し て強 制 圧迫 政 策 の如 き 意義 な き を知 る べし
故 帝 国 が 其 欧米 依 存 主 義 の是 正 を要 求 し つ つ我 れ自 ら 彼 を 欧 米依 存
るも のと謂 ふ べ し、 後 者 は 前者 と関 連 し て民 族 相 鬩 ぐ の謀 計 に陥 り
四 、支 那 を繞 る欧 米 勢 力 の撃 滅 準備 是 れ也 而 し て出 先軍 部 は常 に 一
此 圧 迫 政 策 を 強行 せ んと せば 強 制 す る に足 る実 力 を有 せ ざ る べ
②
当 然 な ら ざ る べ から ず
旦 緩急 の場 合 に即 応 す る純作 戦 的 調 査 偵 諜 業 務 を 主任 務 と す る こと
結 局 に於 て南 京 政 府 を撃 破 屈 伏 せし む る の覚 悟 を要 す
か らず
イ 、今 対 支 戦 争 を開 始 す る と せば 彼 我 の形 勢頗 る 不利 と 謂 は ざ る
(詳 細略 す)
べか ら ず
(奈 翁 を亡 ぼ せ る も のは 西 班牙 な る を反 省 せ よ) ロ、 対 蘇戦 争 は英 米 の好 意 を有 せざ れ ば 不可 能 に近 し ハ、英 米 と の関 係 良 好 な る場 合 対蘇 戦 争 行 は る る も支 那 の向 背 は 我 に対 し決 定 的 な らず 四 、 国 防 国策 大 綱 に基 く 皇 国 の維新 は 全国 力 の合 理 的 運 用 を要 求 す 従 て軍 は 独我 小 乗 の見 を 棄 て全 国力 の総 動 員 に俟 つべ く 外交 の如 き 須 く 外交 官 に 一任 し 軍 は 軍自 体 の職 分 に邁 進 し 若 し 対支 観 察 に於 て
て外 交 を 援 助 す べ き 也
研 究 に於 て外交 官 よ り優 れ た るも のあ れ ば之 を外 交 官 に 教 へ与 へ以
試 み に支 那側 よ り対 日観 察 せん か軍 あ り軍 の中 に陸 海 あ り而 し て
る反 間 苦 肉 の計 に陥 る こと あ る べく 由 来 外 交 は 一元 な り然 る に外 務
外 交宮 あ り何 れ に従 ふ べき か其 去就 に迷 ふ反 面 彼 等 の最 も得 意 と す
ては自 省 し て外 務 使 臣 を 助 け其 職分 を奪 ふ が如 き こと な き様 深 く 謹
軍 務 に岐 る る其 因 由 固 よ り已 む を得 ざ る も の あり し が軍 も今 日 に於
ま ざ る べ か らず 論
対 支政 策 の根 源 は 一、満 洲国 の王 道 楽 土 的 建 設 、 二、 日本 民 族 の
五、 結
仁 愛侠 義 の道 徳 的 政 策 、 三 、 報 復 を要 求 す るが 如 き打 算 政 策 の打 破
六二
日支国 交 調整 要 領
︹マ マ ︺
支那 をして東亜聯盟 の理想 と満洲建国 の意義を諒 解せしむるを以 て日支 国 交 調 整 の根 本 方 針 と し其 間 北 支 に於 け る無 益 の紛 糾 を廻 避
之 が為
す
1 、豊 臺 の兵 力 を 通 州 に移 転 し 通州 天 津 を 確 保 し て冀 東 防 衛 の態 勢 を 明 にす 2 、冀 東 は支 那 が満 洲 国 を 承 認 す る迄 の抵当 な り 我 勢 力 下 にあ る間 速 に其大 改 革 を断 行 し新 支 那 建 設 の模 範 た ら し む るを 要 す 3 、 天 津 軍 の政 治経 済 指 導 権 を 廃 止 し (北 支 は満 洲 と 異 る) 北 京 に 外 交 機 関 (要 す れ ば大 使 館 附 武官 を中 心 と す) を置 き冀察 政権 と の 交 渉 に当 ら し む 冀 察 政 権 と の交 渉 は融 和 諒 解 を主 と し強 て我 権 益 を 獲 得 せ ん と す る行 動 を避 く
(石
原
莞
爾)
六三
(昭和 十 二年 一月 十 八 日)
6、 右 経 済 合 作 を実 行 す る為 先 づ 最 も有 能 な る産 業 家 を選 定 し之 を
ふ
5 、 冀 東 及南 熱 河省 の間 を 無 税 地 域 とす る特 別 関税 協 定 の締 結 を行
冀 東 の指 導 開 発 に関 す る 私 見
軍閥 な き冀 東 を し て模 範 的 行政 に よ り新 支 那 建 設 の試 験 場 た ら し
し て経 営 の見 地 よ り速 に現 地 調査 を行 はし む
む る と共 に 日満 支 経 済 合 作 の核 心 た らし む 一、 行
政
1 、速 に冀 東 に於 て我 が治 外法 権 を撤 廃 す 但 し 日 本 人 は 日本 領 事 裁
7、 真 に 日支 平等 、共 存 共 助 の具 体 的経 済 開発 を行 ふ
業
(以 上)
判 に上 告 し 得 る権 利 を保 留 す 2 、 天 津 軍 の直 接的 干 渉 を止 め 且 現 に冀 東 に あ る 日本 人顧 問 を引 き 上 げ 要 す れ ば真 に気 慨 あ る 一、 二 の顧 問 を選 定 す
済
有 為 熱 誠 な る支 那 官吏 を発 見 し之 によ り行 政 を行 ふ
速 に左 の事 業 を 建 設 拡大 す
二、 経
1、 〓 河 水 力 電 気 事 業
塩
2、 熱 河 鉄 礦 (冀東 のも のを も用 ひ て差 支 な し) と 開 〓 炭 によ る製 鉄事 業
次で
3、 製
4、 右 の綜 合 によ り重 工業 及 化 学 工 業 を開 発 す
六四
改 正要旨
昭 和 十 一年 八月 四 大 臣決 定
(昭和 十 二年 一月 六 日調 製
参 謀本 部 第 二課 )
り名 実 共 に東 亜 盟 主 た る の国 格 を備 ふる に至 る べく 軈 て支 那 を東 亜
右 は方 策 の根 本 に し て帝 国 は之 によ り て支 那 命 脈 保 持 の支 柱 と な
ふ る も の とす
以 上 の方 策 実 行 に際 し 日満 支 経 済 関 係 の緊 密 化 は益 々重大 性 を加
北 支 は此 統 一運 動 に包 含 せ ら る べき も のと す
一運動 を援 助 す
む べ き方 向 を 察 し其 進 展 を妨 げ つつあ る病 痕 削 除 に助 力 し其 建 設 統
興 を促 し 以 て漢 民族 が 目下 の苦 境 と す る所 を 認識 し之 を 打 開 し て進
那 建 設 の源 泉 た る其 固 有 文 化 、 思 想 、 宗 教等 凡有 部 門 を発 見 し 其 勃
一、 日支 親 善 は 東 亜経 営 の核 心 な り 之 が為 帝 国 は鋭 意 隠 忍 し て新 支
第 二、方 策 要 綱
外 交 機 能 の全 面的 活 動 を要 す
主 要 列 国 と の関 係 は 主 と し て蘇 支 両 国 に対 す る方 針 を中 軸 と し て
調整 し 以 て帝 国 の対 支 政 策 実 行 に対 す る容 喙 妨 碍 を封ず
蘇 国 に対 し ては国 防 の充 実 と 相 俟 ち 自屈 退 嬰 を戒 め積 極 自 主 的 に
を 以 て臨 み彼 我 の尖 鋭 深刻 化 の関 係 を調 整 す る を要 す
帝 国外 交 方針 改 正意 見
本外交方針は帝国 の国力増強特に国防充実過程 に於け る方策 を示 す ものにして充実完了時 に於ける積極方針転化 に即応せしむるもの とす 従 て改正 の基本条理 は之を参謀本部国防国策大綱 に遵拠 せしめ此 大綱を以 て外交方針 を律する にあり 帝 国外交方針 帝国は東亜 の保護指導者た るの地位 を永久 に確立するを以て対世 界外交方 針 の根基とす ︹マ マ︺
之 が為 常 に大 義 名 分 に立脚 し接 渉 の間 に於 ても東 洋道 義 を認 識 せ し む る こと に努 め 之 が 必然 的 結 果 を し て列 国 の帝 国 に対 す る猜 疑 心 若 く は危 惧 心 を 解 消 せ しむ る に至 ら し む る を要 す 第 一、 一 般 方 針 帝 国 が東 亜 に於 け る安 定勢 力 た る の実 を 挙 ぐ る は満 洲 国 を真 の王 道 楽 土 た ら しむ るを 以 て第 一義 とす 右 満 洲 国 の王 道 建 設 工 作と 連 関 し支 那 に対 し て は互 譲 扶 助 的 手 段
連 盟 の 一員 た ら しむ るも のと す 二、 対蘇 外交 方 策 の要 諦 は 差 当 り 日独 防 共 協 定 を 最 も有 効 に発 揮 せ し む る に あ り之 が 為 本 協定 を満 蘇 関 係 に拡 大 普遍 せ し め其 効 用 を 最 大 限 に利 用 す る こと に努 む 要 す れ ば満 独 経 済 関 係 の強 化進 展 に伴 ひ機 を 見 て満 独防 共 協 定 を ︹ 締カ︺ 訂結す ︹ 締︺ 満 蘇 国境 問 題 の調 整 に関 し 非武 装 地帯 の設 置 不 侵略 条 約 の訂 結 等 は蘇 国 側 よ り 表 明 の場 合 に於 て 考慮 し現 下 の状 勢 に於 て は満 洲 国 側 ︹ 克カ︺ 蘇 国 の 日満 支 に対 す る思 想 侵 寇 を 剋 服 す る の第 一義 は 日満 の不可
よ り敢 て提 議 せ し む る こと なし
三、 原 文 通 り
分 鞏 化 特 に満 洲 国 の王道 楽 土的 工作 の急 速 な る実 現 を要 す る に在 り
四、 二 ﹁必 要 に応 じ ⋮ ⋮拡 充 し て以 下﹂ を削 除 し て ﹁最 近訂 結 せら れた る 日独防 共協 定 を対 独 外 交 の中 枢 と し て逐 次 満 独 関係 及 波 独関 係 に及 ぼ し以 て蘇 聯 を牽 制 す べ し 五、 六、 原 文 通 り
昭和 十 二年 八 月 十 一日 四省 調 製
参 謀 本部 第 二課 )
苛 烈 なる 圧迫 下 に あ る現 状 に対 す る模 範 的 楽 土 た る の 一試 験 場 と し
(昭和 十 二年 一月 六 日調 製
て帝 国 竝 満 洲 国 によ り て支 援 し後 述 新 支 那建 設 と 相 俟 ち適 時 支 那 に
対 支 実行 策 改 正意 見
本実行策は昭和十 一年 八月十 一日四省調製対支実行策 を改訂し昭
六五
和十年十月四日外陸海 三大臣間 に諒解成立 せる対支政策に関す る件
復 帰 す べ き も のと す
1、帝国 の対支強圧的 又は優位 的態度 を更改し真 に友情的 対等的た
に導き軈 て日満支提携 に至らしむるにあり之 が為
を正確に認識し其病痕を帝国 の力 に依 りて救 済し以 て真 の善隣関係
6 、綏 東 問 題 は内 蒙 軍 政 府 が蒙 古 民族 復 興 を方 針 と し て 対 外侵 寇 を
新 支 那建 設 の指 導 層 た ら し む る を要 す
苦 悩 の 一表 現 な り 之 を 正当 な る民 衆 運 動 に転 向 せ し め 以 て支 那 統 一
5 、 抗 日 人 民戦 線 は其 発 生 関 係 を 不問 に附す る に於 て は支 那 現代 の
捕 捉 し て 日支 従来 の尖 鋭 関 係 を正 道 に入 ら し む る を要 す
混 迷 を 正 確 に認 識 し大 義 名 分 に立脚 せ る行 蔵 に終 始 し 具体 的問 題 を
4 、 施策 の対 象 は 軍 、 政 、党 に偏 す る こと な し 特 に列 強 角 逐 の複 雑
冀 東 政 権 に対 す る誘 導 は右 に準 拠 す
及 昭和十 二年 一月改訂帝国外交方針 に準拠す る新実行策を示す もの とす 対 支実行策 一、対 支 政 策
らしむ
せ しむ 支 那 側 に対 し て も亦 対 蒙 圧 制 政 策 の非 を悟 り 民族 善 隣 の誼 に
中 止 し終 始 蒙 古 国 建 設 に傾 注 す る こと によ り支 那 側 と の確 執 を解 消
対支政策 の目的 は漢民族伝統 の精神を復活 せしめ彼等 の悩める所
2、北支特殊地域 なる観念 を清算し之を五省独立 の気〓に誘致す る
則 るが 如 く 逐 次和 解指 導 す る に至 ら しむ
が如き方策 を是 正し現冀察政権 の管掌す る地域は当然中華 民国の領 土 にして主権亦其中央政府 に在 る所以を明確 にす
前 項 対 支 政 策 の実 行 特 に新 支 那 建 設 に向 て之 を哺 育援 助 せ ん が為
二、 対 支 経 済施 策 (特 に 一般 対 支 政 策 と 分 離 す)
に実現せしむる為暫く現状を維持 せしむると共 に支那が軍閥 誅求 の
3、冀東 地区は満支経済提携 の楔子と し該地域内 の経済開発 を急速
には漢 民族 の現 下 最 も 苦悩 す る所 の経 済 状 態 を 良 好 な ら しむ る こと 最 も肝 要 に し て経 済 向 上 は 固 よ り其 財政 政 策 に負 ふ所 大 な りと 雖 帝 国 は国 家 間 の経 済 関 係 を 増 強 す る 手段 の外 直 接 支 那 民 衆 の康 寧 福 祉 を齎 す が如 き 凡有 方 途 に よ りて其 苦 悩 を救 ふ を要 す 之 が 為
即 ち支 那 人 の対 満 投 資 を 許 し冀 東 政 府 竝 北 支 方 面 の農 鉱 業 と 満 洲
1、 満 洲 国 と 支 那 と の経済 関係 を依 存 状 態 に導 く を要 す
国 の農 産 重 工業 に連 関 あ ら し む る手 段 を講 じ 以 て満 支提 携 の基 礎 的 紐 帯 た る に至 ら し む 2 、帝 国 は対 外列 強 よ り輸 入 す る原 料中 為 し得 る も のは 成 る べく 支 那 に求 め以 て僅 か な る採算 関係 よ り し て 日支 経 済 関係 を断 絶 す るが 如 き こと なき を要 す 特 に北 、中 支 に於 け る紡 績 企 業等 は其 棉 花 、 羊 毛 の産 出 を促 進 せ し む る を 以 て互 譲 紳 士 的 態 度 を 以 て企 業 を行 ひ不 平等 的 独占 的 経 済 進 出 を是 正 す
ては帝 国 は寧 ろ之 と 協 力 す べ き も のと す
3、 列 強 の対 支 経 済進 出 が結 果 に於 て其 統 一竝 に建 設 に資 す る に於
三、 防 共 協 定 は希 望 す る 所 な る も対 支 政 策 の根 幹 と せず 、 又之 を 強
日支 軍 事 同 盟 の訂 結 、国 民政 府 に於 け る帝国 最 高政 治 顧 問 の傭 聘 、
制 す る こと な し
軍事 顧 問 の傭 聘 、 其 他 地 方政 権 に対 す る施 策等 は暫 く 帝 国 よ り 提 議 す る こと を中 止 す
六六
帝 国外 交 方針 及対 支実 行 策改 正 に関 す る理由
帝 国主 義 的 侵 寇 政 策 を 放棄 し純 正大 和 民 族 と し て の誠 心 を同 策 に反
之 を新 支 那 建 設 運 動 に転 化 せ しむ る 一大 動 因 は実 に帝 国 が従来 の
参 謀 本 部 第 二課 )
一、 西 安 事 件 を楔 機 と し て隣邦 支那 は次 の 二個 の観 点 に要 約 せら る
映 せ し む る こと に依 り て決 す
(昭和 十 二年 一月 六 日
一は 内戦 反対 の空 気 の〓 醸 せ る こと 二 は国 内 統 一の気 温 の醸 製 せら
四 、如 此 き事 態 に立 到 り 日支 現 下 の尖 鋭 深刻 状 態 を 正道 に入 ら し め
竝 支 那 観 察 の 一端
れ た る こと 而 し て 二者 は 共 に自 然発 生 的 傾 向 を有 す
︹マ マ︺
二、 右 二個 の事 態 は互 に表 裏 を形 成 し満 洲 事 変 及 北 支 問題 に よ り て
な ば 必然 帝 国 々是 た る 日支提 携 特 に 日支 経 済 提携 の実 手 段 を要 望 せ
と し て ﹁対支 政 策 の検 討 ﹂ を 提案 せ る所 以 茲 にあ り
支 政策 は実 に叙 上 外 交 方 策 と 吻合 す る も の に し て曩 に当 課 よ り 一案
五、之 を 国防 国 策 大 綱 に照 応 せ し め ん か対 外 一大 決 戦 前 に於 け る対
ざ るを得 ざ る に至 るべ し
拍 車 づ け ら れ逐 次軍 閥 争 覇 時 代 を経由 せ る が如 し 更 に之 を分 析 す れ ば 現 代 支 那 の上部 機 構 は衆 知 の如 く軍 政 党 の 三
引 を禦 ぎ あ り政 力 最 も活 溌 な ると き は必 ず 列 強角 逐 の事 態 を従 伴 し
六 、惟 ふ に帝 国 々策 は国 策大 綱 に 示 さ れあ るが如 く東 亜 聯邦 を成 形
部 門 に分 れ軍 は封 建 割 拠 の姿 勢 を持 すと 雖 政 及 党 力 は 克 く大 乱 の導
党 に至 り て は其 力 の緩 急 に よ り或 は 軍 に抑 へら れ或 は 軍 政 を抑 ゆ る
し支 那 を東 亜 聯 盟 の 一員 た ら し む る にあ り
建 設 運動 竝統 一運 動 に は援 助 の労 を 吝 む べ か らざ る は勿 論 侵略 的 独
心 を奉 戴 す る大 義 公 正 に則 ら ざ るべ か らず 此見 地 よ りす れ ば 必然 新
支 那 を右 聯 邦 の 一員 た ら し む る為 に は先 づ 帝 国 の政策 を し て大 御
こと あ りと 雖 最 近 の党 力 の普 遍 浸透 性 は啻 に藍 衣 社 系 C C団 系 励 志 ︹マ マ︺
社等 手製 傍 系 組 織 以外 に民 衆 特 に青 年 層 を風 靡 し 最 も 注目 す べ き横
三、 帝 国 は何 を 以 て右 党 力 を 重視 す べ き か他 な し其 発 生因 由 及 過 程
占 的優 位 的 態 度 の是 正 を要 望 せざ るを 得 ざ る な り
断 層 を成 形 す る に至 れ り
に於 て第 三国特 に共 産 党 の連 関 あ り と雖 党 の 一変 体 と も称 す べ き抗
右 方針 に立脚 す る皇 国 の真 諦 根 幹 は 悠久 に し て欧 洲 流 外 交 国 策 は
日 人 民戦 線 派 の実 体 は 正 当 な る新 支 那 建 設 運 動 に転 化 せ ら る べ き多 大 の期待 を有 す る にあ り
一時 的 成果 を追 ふ非 道 義 的 な る こと を判 別 せ ざ るべ か らず 七、 本 改 正意 見固 よ り帝 国 外 交官 憲 の管 掌 す る所 な る も 既往 軍 部 の 意 志 が対 支 外 交 に於 て骨 幹 を為 せ る見 地 よ りし て 一大 転 向 を軍 自 ら
八 、 主要 列 強 に対 す る 外交 は帝 国 の東 亜 経綸 を以 て中 枢 と し て調 整
行 ふ の責 を有 す
す べ き が故 本 理 由 は主 と し て対 支 外 交 政 策 に就 て述 べ た り
六七
参 謀本 部 )
三 、 内蒙 に対 し て は親 日満 を基 調 と す る蒙 古 人 の蒙 古 建 設 を 目標 と
北 支 特 に冀 東 に於 て然 り
(昭和 十 二年 一月 二十 五 日
陸 軍 省 に対 し 対支 政 策 に関 す る意志 表 示
帝 国 は庶 政 一新 の断 行 に依 り 日満 を範 囲 とす る自 給 自 足 経済 を確 立 し 戦争 準 備 の完 了 を期 す
し 自 治強 化 に専 念 せし む る こと
四 、 以 上 工作 の実 行 に方 り て尚 日支 関 係 調整 せ られ ず 更 に悪 化 し真
之 を 一転 機 と し て対 支 政 策 を変 更 す 即 互助 共 栄 を目 的 とす る経 済
に 已 む を得 ざ る に立 到 る が如 き 場 合 は十 分隠 忍 した る後 徹底 的 痛 撃
を与 ふ る の準 備 にあ る こと
的 文 化的 工作 に主 力 を 濺 ぎ其 の統 一運 動 に対 し て は公 正 な る態 度 を
針
以 て臨 み北 支 分 治 工作 は 行 はず
方
帝 国 々内 の庶 政 一新 を 貫 徹 す る こと を前 提 と し て日 支国 交 上 に於
旨
け る 一転 機 を 策 す る こと
要
北 支 分治 工作 は行 はざ る こと
一、 支 那 の統 一運 動 に対 し帝 国 は飽 迄 公 正 な る態 度 を以 て臨 む
二、 日 支経 済 諸 工作 は 一大 奮起 を要 し 凡 有 手 段 を 尽 し て真 に互 助 共 栄 を目 的 と す る工作 に邁 進 す
六八
対 支 方 策 再 検 討 に関 す る 意 見 (昭和 十 二年 二月 三日
軍令 部 第 一部 横 井 忠 雄 大佐 )
を東 洋 人 の天 地た ら し む る を急 務 とす る の意 味 に於 て 日支 共 存 共 栄
な ら ん と し つ ゝあり 、 吾人 は先 づ 此 形 勢 を打 破 し 日支 提 携 真 に東 洋
を念 とす るも のな り 、 而 し て吾 人 の此 希 望 に対す る最 大 障 碍 は 今 日
﹁日支 共 存 共 栄﹂ は現 時 対 支 方 策 を論 ず る者 が多 く 口 にす る所 な
一、 対 支 観 念 の根 本 的検 討
り然 れど も 其 の包 含 す る本 質 内 容 に就 て は観 念 的 に幾 多異 るも の あ
支那 民衆 の抗 日意 識 は勿 論 欧 米 各 国 の策 動 、支 那 各 種 政 権 策 士 の
支 那 全 国 に弥 漫 す る抗 日意 識 な りと す 、
為 にす る宣 伝 等 に依 り 醸成 せ ら れた る処 尠 か らず と雖 も 一面 に於 て
惟 ふ に 二強 国境 を接 す る場 合 其利 害 多 く は等 し き を得 ず 永 年 に亘
る を感 ぜ ざ る を得 ず
り相 争 ひ相角 逐 敵視 す る は歴 史 の示 す所 にし て此 の見 地 よ り我 国 が
圧 政策 が遂 に独 国 民 の憤起 と な り ﹁ナ チ ス﹂ の擡 頭 を生 じ 今 日 の強
も 否 定 し得 ざ る処 な り 、世 界 大 戦 後 に於 け る仏 国 の露 骨 な る対 独 強
力 な る統 一国 家 生成 を来 せ る は顕 著 な る事 実 な り勿 論 そ の根拠 には
我 国従 来 の対 支 方策 に於 て余 り に強 圧 的 覇 道 的 のも の多 か りし 事 実
を失 はず 、吾 人 の大 理想 た る東 洋 人 の東 洋 が実 現 し 欧米 勢 力 を駆 逐
ゲ ル マ ン民族 の強 烈 な る 民族 意 識 国 民 的 素 質 の優 秀 存 し た ら ん も仏
支 那 の統 一強 大 を喜 ば ず 国 内 数 勢 力 の分 立 対峙 状 勢 馴 致 を有 利 と し
し 去 れ る暁強 力 な る支 那 統 一国 家残 存 せ るも のと せ ば 日支 関 係 は如
斯 く の如 き施 策 を対 支 方 策 の上 乗 と な す者 有 る は慥 に 一面 の理 あ る
何 にす べ き や の問 題 は実 に帝 国 百年 の大 計 上重大 な る事 項 た る は疑
姑 息 の交 渉 を緯 と せ る外 交 方策 は我 をし て遂 に仏 の顰 に倣 は し む る
我国 が今 日 迄 支 那 に対 し て執 り来 れ る強 圧 と謀 略 と を 経 と し優 柔
日 欧洲 に於 け る常 識 的観 察 な り、
の興隆 は尠 くも 数 年 後 に至 らざ れば 招 来 せ ら れざ り しな ら む と は今
国 に し て緩 急 硬 軟 時宜 に適 した る政 策 を執 り た ら ん には ナ チ ス独 乙
然 れ ど も吾 人 の当 面 す る 現実 の事 態 は右 の状 況 に立到 る迄 に解決
を容 れ ざ る所 な り、
し我 国 の存 立 発 展 を 図 るべ き幾 多 重 要 な る問 題 の山積 し つゝあ る状 況 にし て駸 々とし て圧 力 を 加 重 し来 る欧 米 列 強 の対 日策 の前 に隣 邦 支 那 も 亦鉾 を逆 にし て我 に向 は んと す る最 も 危 険 な る形 勢 日 に顕 著
断 に於 て欠 く る処 多 大 な る も のあ る を自 認 す る所 な り唯 前 年 任 を 伯
一部 を暼 見 した る に過 ぎ ざ る観 察 と あ る の み、従 て深 刻 な る観 察 判
僅 に曾 て日清 日露 の戦 史 を講 ず る に際 し て得 た る書 籍 の上 の智 識 と
小 官 の支那 に対 す る智 識 は従来 の経 歴 上極 て乏 し きも の にし て只
し て之 を 果す の途 は単 な る 口頭 禅、 外交 文 書 の能 く す る処 に非 ず 、
国 共 存 共 栄 の道 に進 む の大 義 を 知 ら し む る を今 日 の急 務 と信 ず 、 而
る ﹁日 本 人 の所 謂 日支 共 存 共 栄 に対 す る猜 疑 ﹂ を打 破 し 真 に日支 両
も のが 最 後 の勝 利 た る は吾 人 の信 念 にし て大 多 数 の支 那 人 の抱 懐 す
ど も覇 道 は 一時 の勝 利 にし て結 局天 地 の公 道 を履 み正 義 に立脚 す る
さ れ て我 国 存立 発 展 に 必要 な る国 策 の遂 行 に怯 懦 な る の要 無 し 然 れ
林 に受 けし 時 当 時 の駐 独 支 那 公使 劉 崇 傑 氏 と 柴 山 陸 軍 輜 重 兵 中 佐
我 国 の将 に為 さ んと す る処 現 実 に行 ふ所 を 以 て如 実 に之 を示 し て初
に至 ら ざ るな き や を虞 る
(兼 四郎 ) と 共 に日支 関 係 に就 て胸 襟 を披 い て語 れ る事 あ り当 時 劉
﹁外交 方 針 ﹂ 一般 方 針 変 更 の要 な し方 策 要 綱 中 に明 記 し あ る如
﹁国 策 の基 準 ﹂ 変 更 の要 な し、
二、 既 定 方針 の再 検 討 一
め て期 待 し得 る所 な り
二
に感 ず 、 日本 に ては欧 米 派 云 々と 若 き 支 那 人 を非 難 す るも 欧 米 を見 た る者 の中 にも 日 支 相争 ふ こと が両 国 の為 め 決 し て利 益 な ら ざ る を
氏 の言 へる所 に ﹁日支 共 存 共 栄 ﹂ は吾 人 も 世界 を見 れば 見 る程 痛 切
に支 那 を 使 ひ結 局 支那 を朝 鮮 の如 く 又 最 近 に於 け る満 洲 の如 く せ ん
痛 感 す る者 尠 し と せず 、 唯 御 国 の今迄 為 せ し所 は 日本 の発 展 のた め
べ く 又防 共 の字 句 も 解 釈 に よ り強 弱 二様 の意 味 を生 じ結 局 現 在 の防
て変 改 す る の要 な き が如 き も北 支 の意 味 は人 によ り て解 釈 を異 にす
き ﹁北 支 をし て防 共親 日満 の特 殊 地域 たら し む ﹂ る こと は趣 旨 に於
せ ざ ら ん とす るな り、 所謂 欧米 依存 派 と雖 も 支 那 を 欧 米 の支 配下 に
と す る 如 く感 ぜ ら る ゝ が故 に young Chin es e は 決 し て日本 に接 近
置 く を喜 ぶ も の に非 ず 唯 日本 に 対す る警 戒 の余 先 づ 相牽 制 し つ ゝあ
ん とす る者 は種 々施 策 す る に至 ら ん該 地 域 が真 に親 日満 と な ら ば防
共 の如 き は自 ら達 成 せ ら る べ きが 故 に ﹁日満 両国 と の経 済 的 、文 化
共 協 定 の如 きも のを北 支 全般 に対 し ても 結 ば ん とす る意 図 強 く 解 せ
支 那 を見 ん と せば 老 政 治 家 相 手 に て は観 察 を誤 る、 尠 く も 三 十代 以
的 融 合 提 携 ﹂ を主 眼 とす る如 くな す を 適 当 と 認 む、
る欧 米 の力 に依 り支 那 の統 一強 大 を図 ら んと す るも のな り、 現 在 の
下 の青 年 の意 図 を能 く 観 察 せ ざ れば 今 日以 後 の支 那 は 了解 し 得 ざ る
三 ﹁第 二次北 支 処 理 要 綱﹂ ①
べ し、 日本 の出 先 外交 官 軍 人 等 が利 慾 に動 く 所 謂 要 人 の巧 言 に誤 ら れ て何 事 も 自 分 に都 合 よ き様 判 断 し て方 針 を 定 め行 か る れば 大 変 な
て寧 ろ 日満 と の経 済 提 携 、 国 防資 源 の獲 得 竝 に交 通 施 設 の拡 充 を
政 権 と 独 立 し 日本 の傀 儡 政 権 の樹 立 を策 す る如 く 解 せら る ゝを以
②
本 要 綱 は永 久 不 変 のも のに非 ず 時 局 に応 じ 改変 す べ き も のな
当 面 の目的 とす る を可 と す 、
本 要 綱 は北 支 の分 治 を 主 眼 と し あ る も分 治 の強 調 は 結 局中 央
間 違 を生 ず るに至 る べし ﹂ 云 々 の意 味 あ り し を 記憶 す 、 (一昨 年 秋
爾 後会 談 せ る 二 三 の所 謂 ﹁若 き 支 那 人﹂ の言 皆 そ の軌 を 一にす 、
頃)
支 那 人 の特 性 に稽 へ従 来 の言 動 に鑑 み吾 人 は彼 等 の言 の 一々に動 か
北 支 五省 分 治 の点 も ① に関 連 し現 在 に於 ては之 に触 れざ る如
る が故 に余 り に先 走 りた る事 項 は掲 記 せざ るを得 策 とす べし ③
右 は現 在 の冀東 冀察 政権 の解 消 を 意 味 せ ず 今 日 以 上 に所 謂
くす る 方得 策 なり 内 蒙 工作 は内 面 指 導 に止 む、 ④ ﹁我勢 力範 囲 を拡 大 せん と す る施 策 ﹂ を見 合 はす の意 味 なり
本
策
二
実 ①
行
策
既 得権 益 を地 域 的 に拡 充す る よ りも そ の内 部 に て内 容 の豊 富
な る建 設 に努 力 す
北 支 の勢 力 範 囲 を拡 張 せん と焦 慮 す る より も 速 に経 済 開 発 に着
平 等 の立 場 に立 た ん とす る彼 の面 目 は維 持 し苟 も 彼 の主 権 を
手を要す、 ②
侵す が如 き形 式 を執 らず 専 ら実 効 を収 む るを主 眼 とす べし 懸案 の
日 支国 交 調 整 事 項 も 右 の趣 旨 に て徒 に声 を 大 にす る事 無 く着 々と
根
三 、対 支方 策 の実 行 一
し て実 行 す べし
我 国 内 の融合 協 力国 策 実 現 に邁 進 し 得 る強 力 な る政 府 の樹 立
①
③
を先 決 問 題 と す ②
拡 充 を図 り 経 済的 関 係 を密 接 不 離 のも のた らし む る に努 む
南 支 に於 け る経 済 開 発 は 既得 の権 益 に属 す るも の ゝ外 は臺 湾
中 支 に於 ては 我既 得 権 益 を維 持 し そ の業 務 の繁 栄 に従 て勢 力
会 議 な り外 務 省 が 現 在 の儘 に て は已 む を得 ざ る次 第 な ら ん も之 に
④
外 交 の 一元 化 は屡 〓口 に せら る ゝも 現在 は事 あれ ば 則 ち 三省
て は強 力 な る 外交 は望 み得 ず 、方 針 決 定 に は熟 議 を 要 す る も爾 後
拓殖 をし て之 に当 らし め 南 支 及 臺湾 の経 済 関 係 を 深 密 な らし む
要 す る に我 国 が支 那 と共 存 共 栄 の上 に於 て求 め つ ゝあ る事 の概 略
の限 界 を 知 ら し め所 謂 知 日 派 を し て立 ち 易 か ら し め両 国 間 の摩 擦 を
現 在 の状 態 は対 支外 交 一新 の好 機 と は言 ひ難 し 是 れ彼 が我 の
の処 置 は果 断 即行 を許 す を可 と す 、之 が為 外務 に人材 を 要す 、
為 す な きを 蔑 視 し居 る時 な るを 以 て 一見 既 定 方 針 の退 却 と見 ら る
最 小 限 に限定 す る を当 面 の急 務 とす 、
③
る方 針 は愈 々彼 の増 長 を 招 来 の虞 あ り故 に本 方 針 改変 の際 は我 国 の勢 望 あ る士 を特 派 し 蒋 又 は汪 と 真 剣 な る懇 談 を なし 真 に東 洋 平
支 那 人 の事 大 思想 は相 当 根 柢 深 し軽 んず れば 愈 々乗 ず る の虞
和 の大 局 上 に立 てた る大 乗 的 国 家 方 策 な る所 以 を認 識 せし む る を 要す ④
あ り、 も し 我 国為 す 所 な し と し て愈 々求 め て愈 々已 ま ざ る に於 て は大 鉄 槌 を 下 す 最後 手 段 も 已 む を得 ず 然 れ ども 徒 に威 圧脅 迫 せん とす る の意 に非 ず 、 寧 ろ黙 々と し て備 ふ る当 局 心構 へを要 す る の み、
六九
対 支 政 策
帝国 の政 変 及 支 那 の西 安事 変 を契 機 とし 大 局 上 の見 地 に基 き 日支 ︹ 不明︺ 国 交 を改 善 し 公 正な る国 交 を計 り支 那 をし て 一意 □ □ 蘇 に走 ら し め
之 が為 先 づ速 に
ず 我 に親 ま し め我 と経 済 関 係 を増 進 し 共 栄 以 て東 洋 平 和 を 図 ら し む
一、 北 支 を明朗 と し密 輸 の如 き 不 正事 は厳 に之 を取 締 る 一、 冀 東 政権 解 消 の第 一歩 と し て支那 人 本 位 の明朗 善政 を行 はし め 不良 日本 人 を 駆 逐す 一、 冀 察 には 一層 有 力 有 為 の顧 問 を 入 れ内 面 指 導 を 適良 とす 一、 北 支 に経 済 投資 を 行 はし め政府 其 の投 資 を保 証 す 一、 中 央 政 権 と 有 力者 を介 し て衷 心 了 解 を計 る 一、 所 要 人 事 の刷 新 を行 ふ
(昭和 十 二年 二月 五 日
︹ 嶋田繁太郎︺ 軍 令 部 次長 案 )
るを 要 す
(昭和 十 二年 二月 十 八 日)
三 、 中国 の現 状 を看 る に反中 央 各 派 尚 存 す と 雖 も何 れ も現 中 央 政府
楠 本 大 佐 の対 支 政 策 意 見
︹ 實隆︺ 関東 軍 及 天 津 軍幕 僚 と共 に 上京 を 命 ぜ ら れた る楠 本陸 軍 大 佐 ︹ 忠雄︺ 二 月十 九 日上海 発 に先 だち 二月 十 八 日本 田海 軍 武 官 と会 見首 題
を 根本 的 に転 覆 せ んと す るも の に非 ず し て現 政府 の組 織 内 に自 派 勢
七〇
の件 に関 し意 見 交換 の結 果 凡 そ 左 記 の如 き意 見 を中 央 に進 言す
る こと は之 迄 の経験 の明示 す る所 な り速 に後 者 の観 念 を棄 て全 国 一
不可 能 な る の みな らず 最終 の目的 た る東 亜 の安定 に逆 行 す るも のな
四、北 支自 由 飛 行 及 密 輸 問 題 等 の如 き も之 を停 止 せし む る方 針 を確
を知 ら ざ るも のな り
を善 導 し得 と なす は 日清 、 日露 時 代 の支 那 の み を知 り て中国 の現 状
南 京 政 府 を 相手 と せず し て地 方 政 権 の利 用脅 嚇 に依 り 日 支 の国 交
を改 め堂 々と 中央 政 府 を相 手 と し て進 む べ き も のな り と 信ず
緊 む こと は却 て反結 果 を招 来 す る こと 必 然 な り速 に斯 の種 旧式 観 念
打 倒 蒋 介 石 、打 倒 国 民党 或 は北 支 五省 中央 離 脱 等 の旧 式 観 念 を 以 て
力 を割 込ま し めん と す るも のな りと 判 断 せら る依 て我 方 に於 て徒 に
んと す る企 図 手段 を詳 報 せし め其 の情 況 を知 悉 し て之 を駕 御 統 制 す
る旨 話 合 ひた るも の 記
満 洲事 変 の指 導 精 神 を 尚 継 続 し て強 硬 政 策 を以 て臨 ま んと す るも
一、 真 に日 支 の国 交 を調 整 せん とす るも のな る や或 は
のな るや何 れ か明 確 に決 定 す る こと肝 要 な り
致国 交 調 整 に邁 進 す るを 要す
中 国 の現 状 を観 察 し 帝 国 の実 情 を考 量 す ると き は後 者 は到 底 実 行
二、 陸 軍 出 先 官 憲 の誤 れ る独 断 専 行 は陸 軍 の通 弊 な るを 以 て之 を改
国 交 調整 問 題 亦 然 り 南 京 交渉 復 活 の如 き は 我 方 よ り発 動 せず 中国
ば ず徐 々に解 決 す る こと 必 要 な り
但 し 其 の実 行 は自 ら其 の時 機 あ り過 早 に其 の意 志 を発 表 す る に及
立 す るを 要す
るも のと 確 信 す出 先 に此 の種 人 物 を 配 し特 殊 工作 に従事 せしむ る こ
む る こと 必 要 な り綏 遠 工作 の失 敗 は出先 を統 制 し 得 ざ り し に原 因す
と は敢 て排 せず 然 れど も 苟 も 此 の如 き こと を許 す 上 は常 に其 の為 さ
側 よ り働 き掛 く る迄 静 観 す べ し 五 、北 支 五省 聯 盟 の如 き は其 の目 標 を対 蘇 戦 備防 共及 満 洲 国 の育 成 に置 く べ き も のな りと 雖 も古 き歴 史 を有 す る漢 族 の駆 逐 の如 き は我 大 軍 を 動 かす 決 心な りし て到底 出 来 得 べき も のに非 ず 大 軍 を動 かす 決 心 な け れば 其 の範 囲 も 之 に応 ず る如 く限 定 し て 工作 す るを要 す 六 、 支 那 に対 し 恫 〓 に依 り 我意 を押 付 け ん とす る時 機 は已 に去 れ り 又 外 圧 は却 て支 那 の抗 日意 識 を強 め政 府 は 之 を利 用 し 益 団 結 力 を強 固 にす 実力 行 使 の決 心 な き威 圧 は百 害 あ り て 一利 な し 七 、 之 を要 す る に現 在 は大 義 名 分 に即 せ ざ る 工作 又 は 無 理 な る外 交 交渉 を な さず 政 府 は慎 重 な る静 観 態 度 を持 し努 め て沈 黙 を守 り外 交 官 軍 人 民間 ︹人 ︺ は 相 互 他方 の同 職 と接 触 交際 し て逐 次 空気 の緩 和
て刻 下 の対 支 政 策 の根 本 と なす べき も のな り勿 論 其 の間 に於 て利 用
を 図 り つ つ中 国 側 よ り我 方 に対 し 交 渉 再 開 を希 望 し来 るを 待 つを以
す べ き も の あ らば 之 を利 用 し て国 交 の調整 経 済 提 携 に努 力 す べ き は 言 ふ迄 も なし
七 一 対支 実 行 策 に就 て (昭和 十 二年 二 月 二十 六 日
一、 二月 二十 五日 午 後 左 記諸 官 会 合 し 対 支実 行 策 に就 て海 軍 側意 見 起 草 に関 し協 議 す ︹ 善四郎︺ ︹ 嘉輔︺ ︹ 茂︺ 海 軍省 側 保 科 軍 務 一課 長 阿 部 臨 調 課 長 藤 井 軍務 局 員 ︹ 賢三︺ ︹ 忠雄︺ ︹ 喜代間︺ ︹一登︺ 伊藤六課長 横井甲部員 藤原中佐 扇少佐 軍 令部 側
一、 協 議 は便 宜 上別 紙 軍 令 部 第 三 部起 草 に よ る ﹁対 支 実 行 策 ﹂ (先 般 小 官起 草 の ﹁対 支 実 行 策 ﹂ を基 礎 とす ) を討 議 主 題 と した るが 大 綱 に就 ては列 席 者 何 れも 異 議 な く唯 之 が表 現 に就 て若 干 修 正 の要 を
一、 右協 議 の結 果 を取 纒 め 概 ね 現在 の ﹁北 支 処 理要 綱 ﹂ を廃 止 し之
認めたり
に代 ら しむ べ き ﹁実 行 方 策 ﹂ の体裁 と な る如 く 書 き直 す 事 と す 幹事 藤 原 中 佐 、藤 井 少 佐、 扇 少 佐 、 一、 右起 草 は時 機 を失 す れ ば価 値 小 と な るを 以 て成 る可 く 之 を促 進
て進 む こと に申 し合 す
し 遅 くも 三 月十 日頃 迄 には 三省 会 議 の 上 の成 案 を得 る事 を目 途 とし
一、 右 ﹁対 策 案 ﹂ 成 文 と し た る 上改 め て各 上 司 の決 裁 を経 る事 勿論 なり
軍令 部 第 一部 横井 忠 雄 大 佐 )
参謀 長↓
七二
(昭和 十 二年 三月 八日 )
コト緊 要 ナリ ト認 メ ラ ル)
第 三 艦 隊 参 謀 長 の華 北 巡 視 所 見
軍務局長、軍令部第 一部 ・第 三部長
二、 北 支 処 理 ハ漸 ヲ逐 ウ テ其 ノ実 効 ヲ収 ム ル コト肝 要 ナ リ支 那駐 屯
遠 工作 ノ如 キ ハ現 情 勢 ニ於 テ慎 ム ヘキ ハ勿 論 ニシテ宜 シ ク 一元 的指
工作 等 ノ観 点 ヨリ依 然 相 当 ノ急 進的 強 硬 意 見 アリ武 力 ヲ以 テ ス ル綏
ア ル ヤ ニ認 メ ラ ル ル モ関 東 軍幹 部 ニ ハ其 ノ対 蘇 準備 (一符 字 不 明)
軍 幹 部 ノ方 針 ハ穏 健 ニシ テ陸 軍 ノ対 支 思 想 次第 ニ海 軍 ニ 一 致 シ ツツ
人 ト会 談 各 地 ヲ視 察 シ感 得 シ タ ル所 左 ノ如 シ
導 方 針 ヲ基 ニ経 済 的 文 化 的 工作 ヲ推 進 シ実 績 ヲ挙 ク ル ニ努 メ以 テ我
真 意 ノ侵 略 的 ナ ラ サ ル ヲ了 解 セ シム ル ハ延 イ テ ハ日支 国 交 調 整 ニ寄
与 スル所 以 ナ リ ト認 メ ラ ル
閣 ノ下 ニ政 府 ノ陣 容 ヲ 一新 シタ ル此 際 帝 国 ハ須 ラ ク既 往 ノ対 支 方 針
中 全 会 モ既 ニ終 了 シ国 民 政府 ノ 一部 改 組 モ終 レ ル ニ対 シ帝 国 ハ新 内
整 ニ乗 シ英 独米 等 ノ経済 的進 出 ハ逆 睹 ス ヘカ ラサ ル モノ ア リ 一方 三
軍 主 脳 部 及 現 地陸 軍武 官 モ良 ク海 軍 側 ト協 議 シ左 ノ方 針 ヲ確 立 シ出
三、 青 島 市 長 問 題 ︹ 註︺ ︹ 不詳︺ 情 況 概 ネ 魯 機密 一二九 番 電 及 天 機 密 一六番 電 ノ通 ニシテ支 那 駐 屯
ナ ル関 係 アリ慎 重 ナ ル研 究 ノ要 アリ ト認 メ ラ ル
冀 察 政 府 解消 問 題 ハ対 冀察 政 権関 係 及 関 東 軍 支那 駐 屯軍 間 ニ機 微
政 策 ヲ再 検 討 シ速 ニ我 方 策 ヲ確 立 シ以 テ 局 面 打 開 ノ 要 ア リト信 ス
一
先 ヲ シテ厳 ニ其 ノ軌 ヲ 一途 ナ ラ シ ム ル ヲ可 ト認 メ ラ ル ︹ 青島市長︺ ︹ 沈鴻烈︺ 市 長 更 迭 問 題 ニ関 シテ ハ沈 市 長 カ内部 的事 情 ニ依 リ失脚 ス ルカ 中 央 ノ具 体 的方 策 決 定 ノ上 ハ出 先 ヲ シテ徹 底 的 ニ之 ヲ遵 奉 セ シ ム ル
(其 ノ際 我 出 先主 要 官 憲 ヲ召集 シ現 地 ノ情 況 及意 見 ヲ聴 取 セ ラ レ又
ル事 実 ニ シテ抗 日救 国 ハ之 カ最 大 ノ促 進 剤 タ リ而 シテ 日支 ノ国交 未
現 下 ノ支 那 カ急 速 ニ統 一ノ軌 道 ニ向 ヒ ツ ツ ア ル ハ動 カ ス ヘカラ サ
其 ノ具 体的 実 行 策 再 検 討 ノ必要 ナ ルヲ痛 感 ス
先 般 ノ南 支 巡 航 及 今 次 ノ北 支方 面 巡 視 ヲ終 リ 帝国 ノ対 支 政 策 並 ニ
一、 対 支 政 策 ニ関 シ
今 次 青 島 、濟 南 、 天 津 、北 平 、旅 順 、 新 京等 ノ日支 満 各 方 面 ノ要
北支巡視所見
機 密 第 五 四 八番 電 其 ノ 一、 二 、 三
3F
市 長 更 迭 ノ已 ム ヲ得 サ ル場合 新 市長 ノ推 薦 工 作 ハ三省 協 議 ノ上
又 ハ沈 ニ重 大 ナ ル不都 合 ナ キ限 リ我 方 ヨリ策 動 セ ス 二 ニテ之 ヲ行 フ其 ノ人物 ハ支 那 第 三 艦 隊 ト ノ関 係 ニ良 ク且 力量 識 見 優
差 当 リ沈 ニ対 シテ好 意 的 且 積 極 的 ニ内 面指 導 シ善 政 ヲ実行 セ シ
秀 ナ ル ヲ要 ス 三 ム尚 青 島 濟 南 等 ニ ハ依 然 ト シテ殷 同 、余 晉 〓 等 策 動 シ政 客 ノ往 来 盛
︹ 田尻穣︺ 青島駐在海軍武官
ニ シテ冀 東 自 治 政 府 問 題 モ アリ此 ノ際 厳 重 ナ ル監 視 ヲ必 要 ト 思 考 ス ︹ 註︺ 魯機密第 一二九番電 昭和十 一年十二月 一日発 次官、軍務局長 次長 、三艦隊参謀長 一、沈市長 カ十七日夜急 遽濟南経由南下 セル ハ天津 ニ陸海軍武官合同 スト ノ報 ニ脅 エタル結果 モアラ ンカ大体 ニ於 テ予定 ノ行動 ニシテ南京方面 ノ空 気打診 ヲ主目的ト シアハヨク ハ宋子文等 ニ取入例ノ六百万元 ( 手取 七割)
二十 一日奉化着 月末又 ハ来 月初 メ帰青 ノ予定 ナリト
ヲ有利 ニ解決 シ第 一埠頭 改修水道拡張問題 ヲ即行 シ内外人ノ人気 ヲ恢復 シ 命脈 ヲ保 タント スルニアリ
ヲ推 ス考 ヘナルカ如 シ
二、韓復榘 ノ青島 ニ対 スル執着 ハ猛烈 ニシテ小官十七日訪問ノ際 ハ濟南市 ︹ 任居建︺ 長特 ニ自動車 ニ同乗 シ東道ノ役 ヲ勤 メタル程度 ナリ彼 ハ任市長 又 ハ孫桐萱 三、青島 ニ於 テ ハ前公安局長余晉〓 及現膠濟鉄路管理局委員長 葛光廷 ノ呼 声高 ク其 ノ他自称候補雲ノ如 ク夫 々運動中 ニテ沈市長ノ地位安固 ト ハ言 ヒ 難シ ハサレルノミナラ ス後 任者 モ当然各方面 ノ反対ト制肘 ヲ受 ケ何事 ヲモナシ
四、天津軍側 ノ意見 ハ徒ラ ニ後任者 ヲ云々スル ハ日本 カ要ラサ ル責任 ヲ負 能 ハサルヘキ ヲ以テ単 ニ南京 カ或種 ノ意志表示 ヲナ ス場合之 ニ即応 シ得 ル 程度 日本側 ノ 一致 セシ見解 ヲ確 立シ先方 ノ出様 ヲ見 ルヲ賢明トナシ当方 ノ
意 見 ト 同 様 至 ツ テ穏 健 ナ リ
五 、 要 之 青 島市 長 ノ 一職 ハ南 京 政 府 ト ノ了解 ハ勿論 ノ コト乍 ラ青 島 市 民 及
ノ連 絡 ヲ要 シ且 ハ外 国 側 殊 ニ日本 ヲ (一符 字 不 明 ) シテ ハ (一符 字 不 明 )
警 備 実 力 者 タ ル支 那第 三艦 隊 ト モ宜 シ ク山 東 冀 察 ・膠 濟鉄 路 当 局 ト モ 一脈
実 情 ニア ル ヲ以 テ南 京 モ迂 闊 ナ真 似 ハ出 来 サ ル ヘシ日 本側 ニテ早 急 ニ騒 キ
出 ス ハ策 ノ得 タ ル モノ ニ非 スト信 ス
六 、 市 政 府 顧問 ノ件 ハ勿 論 速 ニ (一符 字 不 明 ) 置 ノ 必要 ア ル モ杉 坂 中 将 ノ
如 キ大 物 ヲ入 ル ルナ ラ ハ寧 ロ山 東 省 政 府 顧 問 ト ナ シ青 島市 顧 問 ヲ兼 ネ無 給 ヲ有 効 ト考 フ詳 細 文
無 任 処 ニテ海 港 ト 山 東 開 発 ノ問 題 ニ関 シ存 分 ノ指 導 力 ヲ発 揮 ス ル如 ク ナ ス
説
七三
明
(昭和 十 二年 二 月 廿 日
外 務 省主 務 者 (太 田 一郎 事 務 官 ) 私案 )
﹁ 対支 実 行 策﹂ 及 ﹁ 第 二次 北 支 処 理 要 綱 ﹂ の調
整 に関 す る件
て は此 の種 政 治 的 工作 は成 るべ く之 を差 控 へ先 づ 両 国 間 政 治 関係 の
日支 関 係 を紛 糾 せ し め た る点 尠 な か らず 仍 て今 後 の対 支施 策 に当 り
る こと 困 難 にし て為 に支 那側 をし て我 方真 意 を誤 解 せし め 不 必要 に
北 支 五省 分 治 の如 き政 治 的 工作 は其 の遂 行 に当 り緩 急 宜 し き を制 す
政 策 の実 績 竝 に最 近 に於 け る支 那 国 内情 勢 の趨 向 に徴 す る に例 へば
策 ﹂ 及 ﹁第 二 次北 支 処 理要 綱 ﹂ の次第 あ る処 其 の後 に於 け る前 記 諸
前 抗 日 標榜 の已 むな き に至 ら し む る が如 き 措 置 を 避 く る と共 に特 に
対 す る施 策 に当 り て は同 政 権 の面 子 を考 慮 し 同 政 権 を し て国 民 の手
自 ら進 ん で努 力 せざ るべ か らざ る如 く施 策す る も の とす 南 京 政 権 に
く 具 体 的 に促 進 を計 り 特 に北 支 事 態 の改 善 に対 し て は同 政 権 を し て
去 に努 め 以 て同 政 権 を し て漸 次 反 蘇 的 態度 を執 り帝 国 と 近 接 す る 如
度 を以 て之 に臨 む と共 に支 那 側 が 侮 日態度 を採 る に至 り し根 因 の除
南 京 政 権 竝 同 政 権 の指 導 す る支 那 統 一運 動 に対 し ては 公 正 な る態
一、南 京 政 権 に対 す る施 策
向 と に鑑 み対 支 政策 に関 し差 当 り採 る可 き施 策 左 の通
如 何 に依 り影響 を受 けざ るが 如 き 日支 不可 分 の経済 的 依 存 関 係 を樹
工作 に力 を注 ぎ 以 て 日支 両 国 国 交 の調 整 に資 す 。
支 那 民 衆 を 対象 とし 如 実 に共 存 共栄 を具 現 す るが 如 き文 化 的 経 済 的
対 支 及 対 北 支 政策 に関 し ては 昭和 十 一年 八 月 十 一日附 ﹁対 支 実 行
立 せし む る こと を 目標 と し て支 那 民 衆 を対 象 とす る経 済 工作 の推 進
右 目 的 の達 成 は主 と し て経 済諸 工作 の促 進 に依 る こと とし 此 の際
以 て日満 支 三国 提 携 共 助 実 現 の基 礎 た らし む る に在 り
資 源 の獲 得 竝 交 通 施 設 の拡 充 に資 し 一は以 て蘇 聯 の侵 寇 に備 へ他 は
北 支 処 理 の主 眼 は該 地域 を防 共 親 日満 の地帯 たら し め 併 せ て国防
二、 対 北 支 施 策
に主 力 を集 結 す る こと 肝 要 な り と認 む 。
(十 二、 二、 二十 )
右 見 地 よ り前 記 ﹁ 対 支 実 行 策 ﹂ 及 ﹁第 二 次北 支 処 理 要 綱 ﹂ を 別 紙 の通 り調 整 す 。 対支実行策
昭和 十 一年 八 月 七 日決 定 の ﹁帝 国 外 交 方 針 ﹂ に遵 拠 し且 昭和 十 一 年 八月 十 一日関 係 諸 省 間 決定 対 支実 行 策 の実 績 と 支 那国 内 情 勢 の趨
急速 に北 支 の分 治 を 図 り若 く は支 那 の内 政 を紊 す虞 あ る が如 き 政治 工 作 は厳 に之 を戒 め 以 て内 外 の疑 惑 竝 支 那 の対 日不 安 感 の解 消 に努 む
要
綱
一、 北 支 処 理 に対 す る態 度
北 支 に対 す る我 方 の施 策 は同 地 域 の地 理的 特 殊 性 にも鑑 み従 来 動
に統 一を助 長 し又 は 分立 を計 る目 的 を 以 て地 方政 権 を援 助 す る が如
る綜 合 的親 日傾 向 を醸 成 せ しむ る を以 て主 た る目 的 と す 、従 つ て特
こと に 依 り我 方 権 益 の伸 張 を期 す ると 共 に右 に依 り支 那 全般 に於 け
地 方 政権 に対 す る我 方施 策 は 此等 局 地 的 政権 を親 日的 な ら し む る
方所 期 の目 的 達 成 に資 す る こと 肝 要 な り。
衆 の安 居 楽 業 を本 旨 とす る文 化 的 経 済 的 工作 の遂 行 に専 念 し 以 て我
種 無 用 の誤 解 を 与 ふる が如 き行 動 は 厳 に 之 を慎 む と 共 に先 づ北 支 民
を与 へた る こと な き に非 ず 。 仍 て今 後 の対 北 支 施 策 に当 り て は 此 の
洲国 の国 境 推 進 乃 至 は北 支 の独 立 企 図等 の野 望 を有 す るが如 き 誤解
もす れ ば支 那 竝 に列 国 に対 し て恰 も 帝 国 に於 て停 戦 地 域 の拡 張 、 満
き 政 策 は之 を執 らざ るも のとす
て其 の至 当 な るも の又 は 面 子上 尤 な り と 認 め ら る るも のに対 し て は
資 本 の自 由 な る進 出 を計 る と共 に冀察 政 権 又 は南 京 政 権 の要 望 にし
三 、 其 の他 の地方 政 権 に対 す る施 策
四 、 内蒙 方 面 に対 し ては親 日満 を基 調 と す る蒙 古 人 の蒙 古 建 設 を指 ︹ シリンゴール盟︺ ︹ チヤハル盟︺ 導 し 以 て対 蘇 態 勢 を調 整 す。 但 差 当 り錫 盟 察 盟 を範 域 とす る内蒙 政
常 に 理解 あ る態 度 を 以 て臨 む こと 必 要 な り。 冀 東 地 区 に於 け る特 殊
北 支 の文 化 的経 済 的開 発 に当 り ては努 め て解 放 的 態度 を採 り 民間
︹ マ マ︺
権 の内部 強 化 に専 念 す るも のとす 、 而 し て右 工 作 は成 る可 く 内 密 且
冀 察 政 権 成 立 の根 本 義 に鑑 み同 政 権 に 対す る指 導 に当 り て は最 も
二 、冀 察 政 権 の指 導
之 が解 決 を計 るも のとす
貿易 及 北 支 自 由 飛 行等 の問 題 に関 し ては 概 ね既 定 の方 針 に基 き速 に (十 二、 二、 二 十)
内 面 的 に之 を行 ふと 共 に支 那側 と の紛 争 は 平和 的方 法 に依 り 処 理 し
針
第 三次 北 支 処 理要 綱
以 て対蘇 及 対 支 政 策 と の協 調 に留 意 す
方
公 明 な る態 度 を 以 て臨 み特 に財 政 経 済軍 事 等 百 般 の事 総 て軍 閥 的 秕
一、 北 支 処 理 の主 眼 は該 地域 を確 固 た る防 共親 日満 の地 帯 た ら し め 併 せ て国 防 資 源 の獲 得 竝 に交 通 施 設 の拡 充 に資 し 以 て 一は蘇 国 の侵
政 を清 算 し て明朗 な る地域 を構 成 し 民 心 の把 握 に努 め し む る を要 す
冀 東 自 治 政 府 の指 導 に当 り ては 特 に其 の内 政 の向 上 に努 め産 業 の
三、 冀 東 自 治 政 府 の指 導
遂行 に主 力 を注 ぐ も のとす 。 然 し て右 工作 の遂 行 に当 り ては北 支政
徹 底 的 開 発 を 行 は しむ ると 共 に真 に軍 閥 的 搾 取 秕 政 な き安 居 楽 業 の
二、 右 目的 達 成 の為 め差 当 り先 づ北 支 民衆 を対 象 とす る経済 工作 の
権 に対 す る内 面 指 導 の外 南 京 政 権 に対 す る施策 に依 り同 政 権 を し て
し む る こと に努 む
模 範 地域 た ら し め 以 て帝 国 の北 支 に対す る真 意 を事 実 の上 に具 現 せ
寇 に備 へ 一は 日満 支 三国 提 携 共 助 実 現 の基 礎 た ら しむ る に在 り
る様 指 導 す るも のと す
北 支 の特 殊 性 を確 認 し進 む で 日満 支 提 携共 助 の諸 施 策 に協 力 せ しむ
前 記施 策 に当 り て は冀 東 政権 は結 局 単 独 に存 立 し得 ざ るも のな る 点 を も 考慮 に容 れ冀 察 政権 指導 上 の障 害 と な るが 如 き施 措 は之 を為 さ ざ る を要 す
此等 諸 政 権 に対 す る施 策 は 日満 支 の融 通 提携 を目 的 と す る文 化的
四、 山東 、 山 西 、 綏 遠諸 政権 の指 導
経 済 的 工作 の漸 進 的 遂行 に依 り帝 国 と の聯 帯 関 係 を 一層 密接 な らし
防 共 親 日満 等 を 目的 と す る政 治 的 工作 の急 激 な る遂 行 は却 て 民衆
む る こと を 以 て主 眼 とす 。
の感 情 を激 発 し 支那 側 に排 抗 日 の 口実 を 与 ふ る の結 果 と な る の惧 あ るを 以 て厳 に注意 す る を要 す
北 支 経済 開 発 は民 間 資 本 の自由 進 出 を本 旨 と す る我 方権 益 の伸 暢
五 、 経 済 開 発 に関 す る方 針
に依 り 日支 人 の 一致 せ る経 済 的利 益 を基 礎 と す る 日 支 不可 分 の事 態 を構 成 し平 戦 両 時 に於 け る北 支 の親 日態 度 保 持 に資 せ しむ る を以 て 目的 とす 特 に国 防 上 必 要 な る軍 需 資 源 (鉄 、 石炭 、 塩 等 ) の開 発 竝 之 れ に関 聯 す る交 通 、 電 力等 の施 設 は要 す れ ば特 殊 資 本 に依 り速 に
尚 経 済 開 発 に当 り ては第 三国 を し て北 支 に於 け る我 が 特 殊 地位 竝
之 が実 現 を図 るも のと す
権 益 を尊 重 せ し む る と共 に第 三国 の既 得 権 益 は之 れを尊 重 し要 す れ
三国 特 に英米 と の提 携 共 助 にも留 意 す る も のと す
ば 此 等 諸 国 の施 設 と合 同 経 営 し 又 は其 資 本 材 料 等 を も利 用す る等 第
針
七四
海 軍 の対 支 実 行 策 案
(昭 和 十 二年 三月 五 日)
共 栄 を 図 り東 亜 の安 定 に協 力 す る の誠 意 あ らば 我 方進 ん で同 政 権 及
態 度 を 執 る の趣 旨 に於 て現 南 京政 権 に応 酬 す る こと と (し 日支 共 存
中 央 政 権構 成 の実 体 に就 ては其 の派 閥 の如 何 を問 はず 是 々非 々 の
二、 南 京 政 権 に対 す る施 策
範 を 示 し 以 て之 が促 進 を 図 る を要 す )
に尠 く も満 洲 国 接 壌 地 域 に於 て は実 質 的 共 同 防共 の実 を挙 げ安 居 の
( 防 共 を以 て両 国 共 通 の目標 とし 之 に依 て思想 的 提 携 を 計 る と共
ては実 質 的共 同 防 空 の実 を挙 ぐ る を要 す
︹( )内 は海 軍 省 軍務 局案 。 そ れを省 部主 務 課 長 と 主 務者 が修 正 し た。︺
昭和 十 一年 八 月 七 日決 定 の ﹁帝 国外 交方 針 ﹂ に遵 拠 し 差 当 り帝 国
一、 方
の執 る べ き対 支 実 行 策 左 の通
日支 共 存 共 栄 を 目標 とす る経 済 的 及 文化 的 融 和 提 携 の実 現 によ り 両 国関 係 の調 整 を図 り以 て相 率 ゐ て東 亜 の安 定 に協 力 せし め ん とす
し 支那 官 民 の対 日猜 疑 心 を除 去 す る に努 む る と共 に彼 等 の所謂 面 子
其 の施 策 を尊 重す る の底 意 を 示 す ことと し 日支 徒 ら に相 鬩 ぐ は窮 極
各 種 の施 策 は合 法 公 正 を旨 と し 且 完 全 な る統 制 の下 に之 を実 施
を 充 分 考慮 す る を要 す
を要 す ) す
一
二 経 済 提 携 は支 那 民衆 の幸 福 を も対 象 と し (﹁を も対 象 と し ﹂ を ︹ 米内光政︺ 一旦 ﹁に置 き ﹂ と修 正 した が 、海 軍 大 臣 の意 見 で復 旧) ﹁名 を 捨 て
而 し て苟 も 我 と提 携 し得 べし と 認 め ら る る分 子 (修 正 の際 ﹁者 ﹂
に於 て欧 米 列 強 に漁 夫 の利 を奪 は る るに過 ぎ ざ る所 以 を悟 らし む る
実 に就 く ﹂趣 旨 の下 に実質 的 効果 を収 む る (を要 す ) 如 く 努 力 す
を ﹁分 子 ﹂ に変 更 ) に対 し ては極 力之 が利 導 を 計 るべ き も常 に彼 等
我 が 公正 妥 当 な る権益 は飽 迄 之 が維 持 増 進 に努 む、 然 れ共 既 成
事 実 にし て大 局 上之 が調整 を有 利 とす るも のは全 般 的 対 支 政 策 と の
の対 内 的 立場 を 考慮 し其 の政 策 実 行 を容 易 な ら しむ ると 共 に国 内 に
三
調 和 を 考慮 し適 当 に之 を処 理 す る の用 意 あ るを要 す
緊 密 を図 り 対 日 依存 の情 勢 を馴 致 せし む る如 くす ) 漸 次彼 我 の提 携
於 け る彼 等 の勢 力 を安 固 な らし め 仍 て以 て (対 人 的 にも彼 我 提 携 の
四 ﹁両国 共 通 の目 標 と し て防 共 を強 調 し ﹂ (﹁ ﹂ は海 軍 側 よ り 申 ︹ 嶋田繁太郎︺ 出 さ ざ る を可 とす 。 ︹軍 令 部 次長 意 見 ︺) 尠 く も満 洲 国 接 壌 地 域 に於
を促進する如 く誘導す 日支重要 (﹁重要﹂ の二字 は修 正の際加筆) 諸懸案 の解 決 は経 済 工作促進 の趣旨 に於 ても必要 なるべきを以 て速 に好機を捕捉し之が
諸 懸 案 解 決 (の為 支 那 側 に対 す る手 とし て考慮 を払 ふ こと と す) に
三、 対 北 支 施 策
関 聯 し 南 京 政 権 と の間 に速 に合 法 的 解 決 を 図 る の用 意 あ るを要 す
要 あ り之 が 為 北 支 五省 の分 治 を目 的 と す る 工作 を止 む ると 共 に支 那
情 勢 に鑑 み差 当 り 地方 自 治 的 現 状 を 動揺 せ し めざ る如 く 施 策 す る の
北 支 は日 、 満 、支 三国 関 係 調 整 上 最 も 重 要 な る 地域 な る処 当 面 の
右交渉再開 に際し ては左記各項 の実行処理を以て帝国要求 の当面
交渉再開 の用意 あるを要す の限度 とし支那 の態度如何 に依 りては彼 の要 求に対 し好意的考慮を
冀 察 政 権 の指 導
(軍政各 機関 に対す る)邦人顧問 の招聘
項 の実 現 を 計 り軍 事 、 経 済 及 政治 的 に 日、 満 、 支 三箇 国 の友 好 的特
す) 共 同防 共、 経 済 提 携 其 の他 帝 国 と の間 に諒 解 を遂 げ あ る各 種 事
な ら し む る に努 め (﹁す る と共 に⋮ ⋮努 め﹂ を 入れ て外 務 案 を 修 正
一
側 に対 し 既 成 の現状 を黙 認 せし め 進 ん で経 済 資 源 の開 発 交 通 の発達
文 化 的 関 係 の向 上等 に協 力 せし む る如 く 施策 す
昭和十 一年九月乃至十 二月南京 に於 て行はれた る日支交渉 に て
加 ふるものとす 一 排 日言動 の (厳重) 取締 実行 二 イ 日支航空聯絡 の開始
殊 地 域 た ら し む る こと に重 点 を 置 く
最 も 公 正 な る態 度 を以 て之 が存 続 に協 力す る と共 に該 地 域 を 明朗
ロ 支那 の排 日的関税率 の是正
概 ね諒解済な る左記各項を実 現せしむ
ハ
(⋮ ⋮ 之 が存 続 に協 力 し 共 同防 共 、経 済 提 携 其 の他 ⋮ ⋮ 日 、満 、
ニ 在支不逞鮮人 の逮捕 引渡 の実行 ︹ 本書二八三頁註1︺ 上海中山事 件以下未解決 の対 日各 不祥事 件 の解決
三
支 三 箇 国 不可 分関 係 を確 立 す る こと に重 点 を置 く )
北 支停 戦 協 定 の儼存 と相 俟 つ て満 洲 国 に対 す る緩 衝 地帯 た る の実 を
而 し て冀 東 政 権 と 合 体 す る場 合 尠 くと も 之 を実 質 上 の特 別 区 と し
づ る こと とす
を 改変 し実 質 は変 更 せず ) を 行 ひ 支 那側 に面 子 を 与 ふる の手段 に出
但 し 其 の間 状 況 に依 り 適 時 ﹁看板 の塗 り換 へ﹂ (名 称 機 構 の 一部 等
冀 察 政 権 が我 方 所 望 の域 に達 せる場 合之 に合 体 せし む べ き も のとす
冀 東 政 権 の存 続 は究 極 に於 て 日支 の友 好 関係 を阻 碍 す べき を 以 て
冀 東 政 権 の指 導
二
我対支文化関係各機関、団体等を統制動 員し積極的 に日支 両国
の文化的提携を計らしむ
四
(日支両国 の文化的技術的提携を計り東亜文化 の復興と民族 の融 日支 経済 提携 の促進
和 に貢献 せしむ) 五
日支経済提携促進機関 の設立に努 め該提携実行 に当り ては必ず し も第三国 の資本 を排除 せず寧ろ之が利用 を策す ると共 に、 支那資本 の善用に関しても考慮 を払 ふ (を要す) の要 あり 北支自由飛行問題、冀東特殊貿易問 題、 ( 上海現銀 問題)等 は右
(本 政権 の整 頓 と其 の発 達 と は冀 察 政 権 と の関 係 向 上 に利 用 し 得
は阻 止 す る が如 き 施策 は之 を行 はず 、 重 点 を之 等 と の実 質 的 提 携 に
( 各 局 地 的 政 権 に対 し て は殊 更 に支 那 の統 一又 は分 立 を 助 成 し 若
権 益 の伸 張 を 図 る
る のみ な らず 南 京 政 権 と の交 渉 にも善 用 し 得 る場 合 あ り と雖 も之 が
置 き 一は 以 て我 権 益 の伸 張 を図 り他 は以 て南 京政 権 の対 日態 度 好 転
具 備 せ しむ る を要 す
存 続 は究 極 に於 て日支 の友 好 関 係 を 阻 碍す べ き を以 て状 況 に依 り て
に資 せ ん こと を庶 幾 す )
右 に基 き実 行 す べき 事 項 左 の如 し
は ﹁看 板 の塗 り換 へ﹂ ( 名 称 機 構 の 一部 等 を改 変 し実質 は 変更 せず ) に より て支 那側 に面 子 を与 ふ る の手段 に出 づ る こと あ り 状 況之 が解
地 方 政 権 の限 り に於 て行 ひ得 る資 源 の開 発 、 通 商 関 係 の増 進 、
各 地 方 の資 源 調 査 に対す る 協 力
一
二
文 化 的技 術 的 提 携 の促 進 等
消 を可 と す る に立至 る場 合 に於 ても尠 く と も ⋮ ⋮具 備 せ し む る を要
三
地 方産 業 、 交 通 、 金融 、 借 款 、 企業 等 各 種 事 業 に関 す る提 携 の促 進
山東 に は我 が 権 益 極 め て大 な るも のあ る を以 て 日支 関 係 に特 別 の
山 東 、 山 西 、 綏遠 政 権 の指 導
す) 三
考 慮 を払 はし め之 等 権 益 を確 保 す る に止 らず 進 ん で 地方 的 にも 日 支
山 西 及綏 遠 に対 し ては 公 正妥 当 な る態 度 を 以 て臨 み徒 ら に無 益 な
提 携 の実 現 に努 めし む る (を要 す ) 如 く 施 策 す
る刺戟 を与 ふ る を避 け 極 力 対 日猜 疑 心 の解 消 に努 め順 を逐 ひ実 質 的
四、 対 蒙 施 策
提 携 を計 る (を 要す ) こと と す
満 洲 国 治 安維 持 上 の見 地 よ り内蒙 に於 け る防 共 親 日満 を基 調 と す る蒙 古 人 の蒙 古建 設 に対 し て は常 に同 情 的 態 度 を 以 て臨 (むも ) み 内 部 強 化 に努 力す るも 其 の地 域 は (厳 に) 察 哈 爾 省 (中 華 民国 分 省 区 劃 に依 る察 哈 爾 省 、北 長 城 線 以 北 ) 境内 に 限定 す 爾 余 の内 外蒙 古各 地 に対 し ては (特 に) 当 分 施 策 を 行 は ず ( ﹁当 ︹ 近藤信竹︺ 分 ﹂ の挿 入 を 要 す ︹一部 長 ︺)
各 局 地 的 政 権 に対 し て は之 等 と の実 質 的提 携 に 重点 を置 き以 て我
五、 其 の他 の地 方政 権 に対 す る施 策
七五
対 支 実 行策
(昭 和 十 二年 四月 十 六 日外 務 、 大蔵 、 陸 軍 、海 軍 四大 臣 決 定 )
二邦人顧 問 の招聘
一排 日言動 の取締
左記諸懸案 の解決 を期す。
年八月十 一日関係諸省間決定対支実行策 の実績 と支那国内情勢 の趨
三上海福岡間航空連絡 の開始
昭和十 一年八月七日決定 の ﹁帝国外交方針﹂ に遵拠し且昭和十 一
一、 南 京 政 権 に対 す る施 策
向 と に鑑 み対 支 政策 に関 し差 当 り採 る可 き施 策 左 の通
五 不逞鮮人 の逮捕引渡
四関税 の引下
六 上海其 の他 に於ける不祥事件 の解決
南 京 政 権 竝 に同政 権 の指 導 す る支 那統 一運 動 に対 し ては 公 正 な る 態 度 を 以 て之 に臨 む と 共 に支 那側 が侮 日的 態 度 を 採 る に 至 りし 根 因
右目的 の達成 は主とし て経 済諸 工作 の促進 に依 ることとし北支 の
るに在 り。
勢力 の脅 威に備 へ他 は以 て日満支 三国提携共助実現 の基礎 たらしむ
しめ併 せて国防資源 の獲得竝 に交通施設 の拡充 に資し 一は以て赤化
対北支施策 の主眼は該 地域 をし て実質 的に防共親 日満 の地帯たら
二、対北支施策
の除去 に努 め以 て同政権をし て漸次容共及欧米依 存的政策 を抛棄し 帝 国 と 近接 し来 るが 如 く 具 体的 に促 進 を 計 り 特 に北 支 に於 ては 自 ら 進 む で 日満 支 提 携 共 助 に関 す る諸 施 設 の実 現 に協 力 せし む る様 指 導
南 京 政 権 に対 す る施 策 に当 り ては同 政権 の 面子 を 考慮 し 同政 権 を
す るも のと す 。
し て国 民 の手前 抗 日標 榜 の已 む な き に至 ら し む る が如 き 措 置 を避 く ると共 に特 に支 那 民 衆 を 対象 と し如 実 に共 存 共 栄 を 具 現す る が如 き
はず以 て内外 の疑惑 竝に支那 の対 日不安感 の解消に努む ると共 に支
分治 を図 り若く は支那 の内政 を紊す虞 あるが如き政治 工作 は之を行
尚 客 年 南 京 に於 て行 はれ た る 日支 交 渉 の経 緯 を辿 り 且 は其 の後 に
那側 をし て進 む で経済資源 の開発、交通 の発達、文化的関係 の向上
文 化的 経 済 的 工作 に力 を 注ぎ 以 て 日支 両 国 国 交 の調 整 に資 す 。
於 け る支 那 政 局 の動 向 をも 老 慮 に容 れ た る 上成 る べく 速 な る機 会 に
等 に協 力 せし む る如 く指 導 す るも のとす 。
地 方 政権 に対 す る施 策 は此等 局 地的 政 権 と の実 質 的提 携 を図 り以
三 、 其 の他 の地方 政 権 に対 す る施 策
て我 方 権益 の伸 張 を期 す ると 共 に右 に依 り支 那 全 般 に 於 け る綜 合 的
助長 し 又 は分 立 を 計 る目的 を以 て地 方 政 権 を援 助 す る が如 き 政 策 は
親 日傾 向 を醸 成 せし む る を 以 て主 た る目 的 と す。 従 つて特 に統 一を
之 を執 らざ るも のと す。
蒙 古 人 心 の把握 を 以 て対 内 蒙 政 策 の主 眼 とす 。 然 し て之 が施 策 に
四、 対 内 蒙 施 策
当 り て は親 日満 を基 調 と す る蒙 古 人 の蒙 古 建 設 を 指導 し対 蘇 態 勢 を 調 整 す るを以 て窮 極 の目 的 と す る も差 当 り錫 盟 及 察 盟 を範 域 とす る 内蒙 政 権 の内 部 強 化 に専 念 す る も のとす 。 尚 右 工 作 は内 面 的 に之 を 行 ふと 共 に支 那 側 と の紛争 は為 し得 る限 り 平 和 的 方法 に依 り 処 理 し 以 て対 蘇 及 対支 政 策 と の協 調 に留 意 す るも のとす 。
七六
北 支 指導 方 策
(昭和 十 二年 四 月十 六 日外 務 、 大蔵 、陸 軍 、 海 軍 四大 臣 決 定 )
安 居 楽 業 を 本旨 とす る文 化 的 経 済 的 工作 の遂 行 に専念 し 以 て我 方 所
用 の誤 解 を与 ふ る が如 き 行 動 は厳 に之 を慎 む と 共 に先 づ北 支 民衆 の
一、 北 支 指 導 の主 眼 は該 地 域 をし て実質 上 確固 た る防 共 親 日満 の地
針
帯 た ら し め併 せ て国 防 資 源 の獲 得 竝 に交 通 施 設 の拡充 に資 し 以 て 一
期 の目 的達 成 に資 す る こと 肝 要 な り。 ︹ママ 北 支 の文 化 的経 済 的 開 発 に当 り ては努 め て解 放 的態 度 を採 り民 間
方
は赤 化 勢 力 の脅 威 に備 へ 一は 日満 支 三 国 提携 共 助 実 現 の基 礎 た ら し
て其 の至 当 な る も の 又 は面 子 上尤 も な り と認 め ら る るも のに対 し て
資 本 の自由 な る進 出 を計 ると 共 に冀 察 政 権 又 は南 京 政 権 の要 望 にし
は常 に理 解 あ る態 度 を以 て臨 む こと 必 要 な り。 冀 東 地 区 に於 け る特
む る に在 り。
遂 行 に主 力 を注 ぐ も のとす 。 然 し て右 工作 の遂 行 に当 り ては北 支 政
殊 貿 易 竝 に北 支自 由 飛 行 の問 題 に関 し て は速 に之 が解決 を計 る も の
二、 右 目 的 達 成 の為 め 差当 り先 づ 北 支 民衆 を 対象 とす る経 済 工作 の
権 に対 す る内 画 指導 の外南 京 政 権 に対 す る施 策 に依 り同 政 権 を し て
二、 冀 察政 権田 の指 導
とす。
徹 底 的 開発 を行 はし む ると 共 に真 に軍 閥 的 搾 取 秕 政 な き安 居 楽 業 の
冀 東 自治 政府 の指 導 に当 り ては 特 に共 の内 政 の向 上 に努 め産 業 の
三、 冀 東自 治 政府 の指 導
を構 成 し 民 心 の把 握 に努 め し む る を要 す 。
に財 政 経済 軍 事等 百般 の事 総 て軍 閥 的 秕 政 を清 算 し て明朗 な る 地域
冀 察 政 権 に対す る指 導 に当 り て は最 も 公 明 な る態 度 を 以 て臨 み特
実 質 上 北 支 の特 殊 的 地 位 を確 認 し 進 む で日満 支 提 携 共 助 の諸 施 策 に
綱
協 力 せ しむ る様 指 導 す るも のとす 。 要
一、 北 支 指 導 に対 す る態 度 北 支 に対 す る我 方 の施 策 は同 地 域 の地 理 的特 殊 性 にも 鑑 み従 来 動 もす れば 支 那 竝 に列 国 に対 し て恰 も 帝 国 に於 て停 戦 地 域 の拡張 、 満 洲国 の国 境 推 進 乃 至 は北 支 の独 立 等 の企 図 を有 す るが 如 き 誤解 を与 へた る こと な き に非 ず 。 仍 て今 後 の対北 支 施 策 に当 り ては 此 の種 無
模 範 地 域 た ら し め以 て北 支 に対す る帝 国 の公 正 な る真 意 を事 実 の上
前 記 施 策 に 当 り て は冀 東 自 治 政府 は結 局 単 独 に存立 し得 ざ るも の
に具 現 せし む る こと に努 む。
な る点 を も 考慮 に容 れ北 支 諸 政権 指 導 上 の障 害 と な る が如 き施 措 は
四、 山 東 、 山西 、 綏 遠 諸 政 権 の指 導
之 を 為 さざ る を 要す 。
此等 諸 政権 特 に山 東 に対 す る施 策 は 日満 支 の融 通 提携 を目 的 と す る文 化 的 経済 的 工作 の漸 進 的 遂行 に依 り帝 国 と の連 帯 関 係 を 一層 密
右 施 策 に当 り て は最 も 公 正 な る態 度 を以 て臨 み徒 に 民衆 の感 情 を
接 な ら し む る を 以 て主 眼 と す。
激 発 し 支 那側 に排 抗 日 の 口実 を与 ふ る の惧 あ るが 如 き政 治 工作 は之 を避 く るを要 す 。 五 、 経 済 開 発 に関 す る方 針 北 支 経 済開 発 は 民間 資 本 の自由 進 出 を本 旨 と す る我 方権 益 の伸 暢 を図 ると 共 に支 那 資 本 を も誘 致 し 以 て 日支 人 の 一致 せ る経 済 的 利 益 を基 礎 と す る 日 支不 可 分 の事 態 を構 成 し 平 戦 両 時 に於 け る北 支 の親 日態 度 保 持 に資 せ しむ るを 以 て目 的 とす 。 特 に国 防 上 必要 な る軍 需 資 源 (鉄 、石 炭 、 塩 等 ) の開発 竝 に之 に関 聯 す る 交 通、 電 力 等 の施 設 は 要 す れ ば特 殊 資 本 に依 り速 に之 が実 現 を図 るも のとす 。 尚 経 済 開 発 に 当 り て は第 三 国 を し て北 支 に於 け る 我 が特 殊 地 位 竝 に権 益 を 尊 重 せ しむ ると 共 に第 三国 の既 得 権 益 は之 を尊 重 し 要 す れ ば 此 等 諸 国 の施 設と 合 同 経 営 し 又 は其 資 本 材 料等 を も利 用 す る等 第 三国 特 に英米 と の提 携 共 助 にも留 意 す る も のと す。
七七
日 支 関 係 の現 状 及 び 将 来
(南 京駐 在 総 領 事
須 磨 彌 吉 郎)
は精 し い数 字 であ り ます と か出 来 事 を皆 様 の前 で申 上げ よ う と は思
︹昭和 十 二年 三 月 十 五 日 工業倶 楽部 第 三 回定 例 茶 話 会 に於 け る講 演︺
只 今 御 紹介 を いた ゞ きま し た須 磨 でご ざ います 。 私 は十 一年 と 申
一日 の夜 から 十 二 日 の未 明 に かけ て起 り まし た、 所 謂 西 安事 件 、 こ
し ま す が 、 昭和 二年 か ら最 近 ま で 支 那 に居 つた 者 でござ います 。 其
れ が如 何 に支 那 が統 一が出 来 て来 た か と いふ こと を証 明 す るも のだ
ふも の は幾 多 挙 げ る こと が出 来 る の であ り ます 。 就 中 昨 年 十 二 月 十
ば 、 支 那 の北 京 政 府 即 ち 張 作震 の采 配 致 し て居 り ま し た昔 の軍 閥 政
ら う と思 ひま す。 これ を申 上 げ る前 に先 づ申 上げ た い こと は、 この
ひ ま せ ぬ が、 こ の統 一の方 向 に向 ひ ま し た極 め て顕 著 な る実例 と 云
府 が倒 れ て、 三民 主議 によ る革 命 政 府 が出 来 て、 そ の政 府 が悪 戦 苦
間 に支 那 は非 常 な変 革 を致 し ま し た。 これ を突 き 詰 め て申 しま す れ
て以来 今 日ま で非 常 な 努 力 を 致 し ま した 。 極 く率 直 に申 しま す れば
闘 を続 け た時 代 と 申 さな け れ ば な ら ぬ。 此革 命 政府 が南 京 に飛 躍 し
ます 。 目 標 と申 し ます か︱︱ つま り 二 つ の事 情 が あ った。 一つは 日
統 一が出 来 ま す こと に は 二 つの目 標 が あ つた と思 は れ る こと で あ り
ま た支 那 の国 力 が豊 か にな り ま し た原 因 は 二 つあ る。 一つは 日本 の
す 。 現 に支 那 人 の間 でも 蒋介 石 の政 権 が今 日 の如 く基 礎 鞏 固 と な り、
向 ひ得 る 一つ の機 会 に な つた 、 これ は 私 は争 へな い事 態 だ と思 ひ ま
本 より 来 り た る圧迫 で あり ま す 。寧 ろ この圧 迫 が 支 那 を し て統 一に
二 つ の目 的 に対 し ま し て努力 を し て来 た と 存 じ ます 。 一つは統 一で ご ざ います 。 即 ち 従 来 各 地 方 に在 りま し た 軍 閥 並 び に地 方 に在 り ま し た色 々な政 権 を 纏 め ま し て、 一つ の統 一的 政府 を造 ると 云 ふ こと が第 一であ つた と 存 じ ます 。 第 二 は世 界 に対 し て表 明 致 し ま し た が 如 く、 所 謂 失 権 回復 ︱︱ 支 那 の今 日 ま で失 ひ た る権 利 を 何 と か し て
は安 内 、 攘 外 ︱︱ 内 を安 ん じ外 を 攘 ふと申 し ます 。 こ の二 つの目 的
面 白 いと 思 ひ ます から 名 前 を申 しま す が、 監 察 院 長 を 致 し て居 りま
侵 略 であ り、 いま 一つは共産 党 の討 伐 で あ る。 斯 う申 し て居 りま す 。
に向 ひ ま し て出 て参 つた の であ り ま す が この数 年 間 に於 き ま し て第
の中 で は 汪精 衛 と並 ん で元 老 の 一人 で あ りま す 。 こ の于 右 任 並 び に
す 于 右 任 、 これ は御 承 知 の国 民 党 の老 闘 士 で あり ま す。 今 の国 民党
回 復 し よ う 、 こ の二 つの目 的 であ つた と思 ひ ます 。 之 を 支 那 の方 で
一の安 内 の方面 に対 し て は相 当 な効 果 を挙 げ て参 つた ︱︱ 今 日 は私
蒋 介 石 は 楊虎 城 及張 學 良 のた め に監 禁 さ れた こと は 事 実 で あ る。 併
通 信 機 関 の杜 絶 のた め にな いけ れ ども 、 洛 陽 か ら来 た情 報 に依 れば 、
直 接 電 話 を 受 け ま し た。 そ れ に依 り ます と 、 西 安 か ら の直 接 情 報 は
月 十 一日 の夜 十 一時 半 でご ざ いま し た。 私 は国 民 政 府 の 一要 人 から
安 内 の作 用 と いふも の が段 々進 歩 致 し て参 つた の であ りま す 。 十 二
かう いふ こと を根 拠 と致 し ま し て、 所 謂 統 一と 申 し ます か 、彼 等 の
蒋 介 石 の政 権 と いふも のを 堅 く 致 し た重 大 な事 情 であ る と思 ひま す 。
る討 伐 並 び に排 撃 、 この 二 つが国 民 政府 の︱︱ も つと露 骨 に申 せば
日本 の圧 迫 と申 し ます か、 日本 よ り来 る圧 力 及 び共 産党 に対 し ます
彼 を取 巻 く 一派 の人 々が自 ら私 にさ う申 し た こと があ り ます 。 即 ち
が、 十 一日 の夜 起 つた事 件 に先 だち ます る 二 日、 即 ち 十 二 月 九 日 に
に張 學 良 若 し く は楊 虎 城 等 の将 領 が 一時 的 の発 作 に依 つ て行 つた事
と 云 ふ のは 詳 し く申 し ます と 面 白 い点 が あ りま す け れ ど も 、要 す る
ら統 一をし て居 る と いふ こと では な いの であ り ま す。 こ の西 安 事 件
も これが 単 に国 民政 府 が、 政 府 と し て強 制 的 の措 置 を 取 つて居 る か
業 が少 く と も緒 に着 いた験 し であ ると申 さ なけ れば な り ま せ ぬ。 而
実 は如 実 に私 の先程 申 上げ まし た ︱︱ 何 と申 し ま す か即 ち 統 一の事
微 動 だも し な か つた。 こ の何 等 の動 揺 のな か つたと い ふ儼 然 た る事
相 当 な反 動 的 行 動 に出 た か も知 れな か つた ので あ りま す が 、今 回 は
ます と李 宗 仁 、 白崇 禧 と いふ やう な 連 中 が 、叛 旗 を飜 さな いま で も
れ こ そ相 当 な 影 響 を与 へ、 或 ひは 韓 復榘 で あ りま す と か 、 南 で申 し
は、 学 生 運 動 の総主 領 で あ りま し て、 先 づ支 那 を率 ゐます る最 も大
件 で はな い の でござ いま す 。 こ の事 は世 の中 に余 り出 て居 りま せ ぬ
き な雄 弁 家 であ り 智 嚢 で あ りま す 所 の張 語 還 ︱︱ この張 語 還 と 云 ふ
し な が ら この事 件 と は何 等 関 聯 な く、 国 民政 府 は従 来 通 り総 て の政
ら直 ち に中 央 政 治会 議 、 これ は御 承 知 で あ りま せう が 、 日本 の閣 議
う い ふ電 話 を受 取 りま した のが夜 十 一時 半 でご ざ いま し た。 そ れ か
務 を処 理 し て行 く か ら、 そ の意 味 を 日本 政 府 に伝 へて貰 ひ た い。 か
の様 に、 そ れ に党 部 の最 高 幹 部 が 加 は り ま し て、 支 那 の所 謂 政 治 即
そ の示 威 運 動 の根 拠 は 、即 ち 学 生 を集 めま し て今 や吾 々青 年 の起 つ
男 は十 二月 九 日 西安 に赴 いて大 示 威 運動 を組 織 致 し た の であ りま す 。
の重 大 にし て有 効 な措 置 を取 る こと を提 議 した に関 らず 、 一向 効 き
時 で あ る、 国 民 政 府 に対 し て は手 を 尽 し て 日本 の圧 迫 に対 し何 等 か
ち 党 政 両部 の最 高 会 議 であ り ます 。 其 会 議 が開 かれ ま し て其 会 議 で 決 議 さ れま し た の が十 三 日 の朝 七 時頃 に発表 さ れた ので あ り ます 。
て張 語 還 は 最 後 に叫 ん で居 りま す 。 吾 々は政 府 に対 し て対 日宣 戦 即
目 が な いから 、 吾 々学 生団 体 が今 茲 に起 た な け れば な ら ぬ。 さ う し
そ れ に依 り ま す と蒋 介 石 は斯 様 な 監 禁 の目 に遭 つた の であ る け れ ど
これ は常 務委 員 に於 て之 を 行 ふ、軍 隊 の統 率 は軍 政 部長 何 應 欽 に於
も、 蒋 介 石 の二 つ の職 務 、 即 ち 一つは 軍事 委 員 会 の委 員 長 た る職 務 、
いふ ことを 提 議 し よ う ぢ やな いか 、 かう いふ空 気 を造 つ て運動 を や
時実 行 ︱︱ 日本 に対 し て宜 戦 を布 告 す る こと を直 に実 行 し て貰 ふ と
つて居 つた の であ り ます 。 この事 は も う 一っ遡 つて考 へな け れば い
て之 を行 ふ、 行 政 院 長 と し て の職 務 は孔 祥 煕 に於 て之 を行 ふ 、 かう
る こと な く国 民政 府 諸 般 の仕 事 を 行 つて行 く、 かう い ふ こと を発 表
けま せ ぬ の は、 こ の十 二月 九 日と い ふ のは、 そ れ に先 だ ち ます る 一
いふ やう な命 令 を出 す と同 時 に、今 度 の事 件 に依 つ て何 等 妨 げ ら れ
致 しま し た の であ り ます 。 こ れが 四 五年 前 で あ りま し た な らば 、 そ
重 大 請願 を し な け れば な らぬ と意 気 込 みま し た 。南 京政 府 は驚 き ま
全 国 学 生 運 動代 表 者 が上 海 に集 り ま し て、 南 京 に赴 いて何 か政 府 に
す 。 一昨 年 の十 二 月九 日 は丁 度 雪 の降 る 日 であ り ま し た。 三千 名 の
︹ 冀察政権樹立決定の翌日︺ 年 、 即 ち 一昨 年 の十 二月 九 日、 これ に源 を 発 し て居 る の でご ざ いま
居 ると い ふ こと が 証 せ ら れ る の であ り ます 。
生 運 動 等 が象 徴 致 し ます る浸 潤 せ る国 民的 一致 の運 動 と し て出来 て
は、 単 に軍 閥若 く は政 府 の措 置 に依 って出 来 て居 る の みな らず 、 学
と、 つま り こ の統 一と申 し ま す か、 さ う いふ やう な 気 運 と いふも の
茲 に事 端 を発 し た ので あ りま す 。 かう いふ こと を考 へて参 り ます る
また こ の西 安事 件 は もう 一つ の証 拠 を出 す の で あ りま す 。 丁度 蒋
し て、滬 寧 鉄 道 と申 し ま す が南 京 上海 間 の鉄 道 の運転 停 止 を命 じた 。 然 るに この 三千 名 の学 生 が直 ち に北 停 車 場 を 占 領 し た ので あ りま す。
海 区 域 に は支 那 の軍 隊 は出動 す る こと が出 来 な か つた か ら、 今 迄 な
十 二月 十 七 日 で ござ いま し た。 丁度 張 學 良 に対す る討 伐 令 が 出 た の
軍 事 行 動 を取 り た く な いと いふ こと を 主張 し て居 つた の であ り ます 。
に戻 し た い。 そ のた め に は張 學 良等 所 謂 西 安 の方 面 に対 し て過激 な
介 石 が さう い ふ目 に遭 ひま す と 同 時 に 、蒋 介 石 の親 戚 で あ り ます 御
か つた醜 態 でご ざ いま す が、 政 府 は遂 に滬 寧鉄 道 の軌 道 を 三四 箇 所
で あ りま す が 、 こ の討 伐 令 を出 す に至 つた経 緯 と 云 ふも の は、 私 は
而 し て そ の中 に居 りま し た 工科 の学 生 と 云ひ ま す か、 機 関 の 心得 あ
に亘 つて 外 し た の であ り ます 。 さう いふや う な 強 力 の手段 に基 き ま
本 日茲 に聊 か 述 べ な け れば な りま せ ぬ。 と 云 ひま す のは こ の討伐 令
夫人 で あ る宋美 齢 、 そ れ ら の人 々は 何 と か し て蒋 介 石 の身 柄 を安 全
し て、学 生 が南 京 に来 る こと を辛 う じ て停 めた の であ りま す 。 そ の
承 知 の孔 祥 熈 でご ざ います と か宋 子 文 でござ いま す と か 、 蒋介 石 の
十 二月 九 日 に学 生 が為 さん と 致 しま し た る請 願 の目 的 は、 只今 の張
を行 政 院 会 議 及 中央 政 治会 議 に於 て事 実 言 出 す者 が な か つた。 そ れ
る者 は自 ら 機関 車 を操 縦 し て南 京 に赴 かう と 企 てた た め に、 遂 に軍
語 還 の口 か ら叫 ば れた 言 葉 と 同 じ で あ りま す。 即 ち対 日宣 戦 即 時 実
ーと云 つて居 り ます が、 蒋 介 石 を取 巻 き ます 宋 子文 、 孔 祥 煕 、 宋 美
は 矢張 私 の知 つ て居 り ます 外 国 人 が悪 口交 り に ローヤ ル ・フ ア ミ リ
隊 を出動 し よ う と致 し ま し た が 、御 承 知 の通 り停 戦 協 定 のた め に上
の事 件 が 起 り ま し た九 月十 八 日 の九 ・ 一八記 念 日、 或 ひ は 上海 事 件
行 であ り ます 。 この空 気 ︱ ︱ 即 ち今 の学 生 と い ふ者 の頭 で は北 大 營
も この張 學 良 及 西 安 に対 す る強 硬 政 策 は取 れな いと いふ やう な 気 運
齢 の 一家 から 誰 し も憎 ま れ て は い か ぬ の であ り ま す か ら、 ど う し て
で あ りま し た。 大 体斯 う 云 ふと き に 一番 強 硬論 を唱 へる者 が四 人 居
の起 り ま し た 一 ・二八 記 念 日 と 云 ふ も の は大 体 頭 か ら 脱 け て居 る の
り ます 。 そ の四 人 は取 り も直 さず 日本 に対 す る︱︱ 私 は これを 対 日
であ り ます 。 事 実 こ の十 二月 九 日︱ ︱ 彼 等 は 一 二・九 の記 念 日と 申 し て居 り ます が、 こ の記念 日 の方 が最 も 彼 等 を刺 戟 し最 も 彼 等 を激
主 戦 論 者 と 申 し て居 り ます が、 そ の四 人 は戴 天仇 、 張 繼 、唐 生 智 及
び 楊杰 で あ りま す 。 こ の四人 は非 常 な 有 力 な 人 物 であ りま す 故 に、
の 三日前 に行 は れ た。 そ の直 後 に於 て彼 の西 安 事 件 を 企 てま した 一
彼 等 の言 ひま す こと は非 常 な 影響 は あ りま す け れ ど も、 こ の時 は こ
成 致 す 記念 日 と な つた の であ り ます 。 そ の 一周 年 の記 念 が西 安 事 件
あ りま す。 これ が命 令 を発 し てそ の部 下 を し て蒋介 石 を襲 撃 せし め、
人 は、張 學 良 の幕 下 で最 も 血 の気 の多 い白 鳳 翔 、 これ は騎 兵 隊 長 で
日 本 の中 堅 将 校 に当 ります る 一隊 が軍 官 学 校 に寄 り まし て、 一つ の
て青 年 将校
︱ ︱ 支 那 に は青 年 将校 と いふ言 葉 は ご ざ いま せ ぬ が所 謂
の四 人 も どう し て も 口 を開 け な い。 と ころ が十 七 日 の朝 に至 り ま し
現 実 に西 安 の方 に向 つた の であ り ま す 。 こ の事 態 を見 ま し ても 今 や
た の であ り ます 。 飛 行 機 が ︱ ︱弾 は撃 た な か つた さう であ り ま す が、
果 、 何 事 な く そ の案 が 中央 政 治 委 員 会 を 通 過 し て、 遂 に討 伐 令 が 出
は正 常 な処 置 を 執 ら な け れ ば いか ぬと 云 ふ こと を主 張 致 しま し た 結
はな い、 国 民 の国 家 であ る。 こ の国 民的 意 識 と云 ふも のが 勃然 とし
軍 人 と 云は ず 学 生 と言 はず 、 軍 閥 の国家 では な い、 蒋介 石 の国 家 で
て出 て参 つた事 が 一面 に於 い て統 一に向 つて ゐ る 一つ の証拠 で あ る
は国 家 であ る。 既 に数 年 前 よ り国 民 的 の意 識 と いう も の は 一致 し て 居 る。 蒋 介 石 の身 柄 は どう な らう と も 、 吾 々は 国 民 の政 府 のた め に
大 な る決 議 を致 しま し た 。 そ れ は蒋 介 石 は蒋 介 石 では な いか。 国 家
国 家 を 救 はな け れば な ら ぬ。 そ のた め に は大 逆 を 犯 し た 張 學 良 及 び
いま 一つ の外 的 の原 因 は 先程 も 一寸 触 れま し た る如 く、 日本 の圧
と 思 ひ ま す。 これ に依 つ て大 体私 は最 近 の支 那 と い ふも のは今 申 上
迫 が支 那 の統 一を来 し たと いふ点 を申 上げ な け れ ば な りま せ ぬ。 元
楊 虎 城 に対 し ては 、断 然 た る討 伐 の挙 に出 な け れば なら ぬ、 と い ふ
長 ︱ ︱ 向 ふの軍 部 と し ても無 論 最 も大 切 な役 目 でご ざ います 。 兵 器
来 満 洲 事 変 が 起 り ま し て以 来 、 日支 関 係 と いふ も のは当 然 踏 む べき
いふ こと を申 し ても 差 支 な いと 思 ひ ます 。
の売 買若 し く は兵 器 の製 造 を や つて居 りま す る廠 長 であ り ます 銭 昌
げ ま し た と ころ で、 内 的 にも安 内 事 業 と いふも のが 出来 て参 つた と
照 、 こ の人 は独 逸 の出 身 であ り まし て、今 の青年 将 校 の問 に渇 仰 さ
で は、 一方 に 於 て満 洲 国 の成 立 と い ふ事 実 を其 儘 で は認 め 難 い。 又
緊 張 の途 を 通 つ て来 た と思 ひま す。 そ の緊 張 はど う し ても 支 那 の方
決 議 を致 し ま し た。 こ の決 議 の因 を 為 し て居 りま す 人 間 が 二人 あ り
れ て居 る。 併 し な がら 彼 の唱 へる こと は、 国 家 は国 民 の国 家 であ る。
ま す。 一人 は 日本 の砲 兵 工廠 の長官 に当 る の であ り ま せう が兵 器 廠
今 迄 の支 那 と いふも の は聊 か間 違 つて居 る。 軍閥 の国象 、 或 る人 間
合 作 と い ふ こと を致 し ま し て、 行 政 院 長 を し て居 り ま し た汪 精 衛 氏
他 方 に於 て日本 とし ま し ては 、 こ の満 洲 国 の成 立 と い ふも のは飽 迄
が 共事 を 如実 に述 べま し た。 ど う も この満 洲 問 題 と いふ も のは 日支
の国家 のやう に考 へら れ て居 つた け れ ども 、 吾 々は どう に かし て国
開 先 と いふ のが あ り ます 。 之 は譚 延 〓 氏 の甥 に当 る の であ り ます 。
間 に横 は る 一つの癌 であ る け れ ども 、 これ を 今問 題 にす る と支 那 の
であ り ます 。 二年 前 の正 月 で あ り ます 。 蒋 介 石 と 汪 精 衛 、所 謂 蒋 汪
この 二人 が中 堅 と な りま し て、 軍事 委 員会 の資 源 委 員 会 、 これ は 最
方 が危 く な る から 斯 う し て頂 き た い ︱ ︱
も 主 張 し て行 か なけ れば な ら ぬ。 此処 に大 き な 一つめ 開 き が あ る の
も 作 戦 に関 係 のあ り ます 軍 部 中 の中 堅 、 こ の委 員 会 に居 り ま す る若
如 く非 常 な能 弁 であ り ま す る のみ な らず 、 言 葉 遣 ひ の巧 い人 で あり
民 的意 識 に依 つて国 家 の統 制 を や つて行 かな け れ ば な ら ぬと い ふ こ
い将 校 を使 つ て、確 乎 た る革 進 機 運 を作 っ て居 り ます 。 即 ち 軍 の中
と の主 張 者 で あり ま す。 これ と軌 を 同 じ く し て居 り ます 有 力 者 に 課
堅 階級 の結 果 が出 来 て居 る。 そ の結 果 が今 申 上 げ ま し た やう に、 吾
ま し て、中 々時 に即 妙 の言 葉 を出 す の でご ざ いま す が、 一月 の確 か
汪 精 衛 と い ふ人 は御 承 知 の
吾 は蒋介 石 の政 府 で はな い、 国 民 の政 府 であ るが故 に、 吾 々と し て
招 か れ て話 を致 し ま し た折 に、 彼 は斯 う申 し て居 りま し た。 満 洲 問
二十 二 日 でご ざ いま し た。 私 が東 京 から 帰 り まし た 翌 日汪 精 衛 氏 に
日本 の北 支 に対 しま す る取 扱者 が変 つた 。 も つと 具 体的 に申 し ま す
が 起 つ て来 た、 而 も そ の北支 の問 題 の際 に、 丁度 十 一月 の宋 頃 には 、
て起 つた と いふ の が事 実 であ り ます 。 か やう に北 支 問題 と い ふも の
な ら ば、 従 来 は関 東 軍 に於 て北 支 問 題 を扱 つ て来 た の を、 関 東 軍 は
題 は謂 は ゞ 日支 間 に横 は る 一つの暗 礁 であ り ます 。 暗 礁 には 支 那 の 船 も 日本 の船 も打 突 か つて は毀 れま す 。当 分 の間 両 国 の船 は こ の暗
し て は マイ ナ スにし た ので あ りま す 。 現 に先 程 申 し ま し た 于 右 任 の
これ が支 那 の方 と 致 し ま し て は先 づ 排 日問 題 に関 聯 す る 日本打 算 と
悪 いに は極 つ て居 るけ れ ど も、 二年 前 の其 時頃 は兎 も 角 も抑 へて居
如 き は、 日本 は今 や 恐露 病 に罹 つて居 る 丁 度 個人 が猖 紅 熱 に罹 つ て
北 満 の方 に引 上 げ て、 天津 軍 が これ を承 け ると いふ こと にな つた 。
つた、 少 くと も 満 洲問 題 を ﹁セ ツト アサ イ ド﹂ す ると 言 つ てゐた 。
間 は支 那 の方 は安 全 で あ る、 と い ふ こと を言 つて現 に叫 ん で居 る。
居 る間 は他 に手 出 し が出 来 な いが 如 く、 日 本 が恐 露 病 に罹 つ て居 る
礁 を避 け て参 りま せ う。 かう いふ言 葉 を使 つて居 つた の であ り ます 。
忍 ん で居 ると いふだ け の気 持 は あ つた の であ り ます 。 そ れ が最 近 の
即 ち この満 洲 問 題 に因 つて生 起 せら れ た る支 那 の感 情 と い ふも のは
形 勢 はど う であ るか と 云 ひま す と其 後 引続 いて起 り ま し た北 支 事 件
のでご ざ いま す け れ ど も、 天 津 駐 屯 軍 は支 那 の眼 から見 ま す と是 は
昨 年 春 日本 の方 から 天津 に増 遣 隊 が参 り ま し て、 兵 隊 の数 は 増 し た
国 際 軍 隊 で あ る。 英 国 で も仏 蘭 西 でも 米 国 で も伊 太 利 でも 皆 兵隊 を
と いふも のが 三 回 ご ざ います 。 続 い て昨年 十 月頃 から 起 り ま し た綏
ます る 日本 の圧迫 ︱︱ この圧 迫 か ら 致 し まし て支 那 の方 で は段 々結
遠 事 件 がご ざ いま す。 これ は大 影 響 を 与 へま した 。 斯 様 な 、引 続 き
証 す る国 際 軍 隊 であ る か ら、 こ れが 増 し た と ころ で北 支 に対す る圧
迫 はな い訳 であ る。 満 洲 事 変 以 来 支 那 が 日本 から の脅威 を 最 も 現実
出 し て居 る。 これ は 団 匪事 件 の条 約 に基 いて關 津 間 の交 通 安全 を保
を今 少 し く 御説 明申 上 げ ます るな ら ば 、 一昨 年 の暮 でご ざ いま し た 。
のが彼 等 の気 分 であ つた の であ り ます 。 同 時 に こ の機 会 に於 て時 を
に感 じ て居 つた関 東 軍 が居 な く な つた のは兎 も角 喜 ば し い、 と いふ
束 が強 く な つて参 りま し た。 この結 果 と致 し ま し て 日本 に対 しま す
北 支 に於 て自 治 運動 と いふ も のが起 つた。 其 際 は私 も命 令 に依 りま
る感 情 と い ふも のは自 然相 当 強 く な つ て参 つた の であ り ます 。 これ
し て北 支 の現 場 に行 つて居 り ま し た が、 この北 支 の自 治 問 題 は 日本
る 日本 の こ の上 の進 出 と申 し ま す るか 圧迫 と申 し ま す る か 、 そ れ を
移 さず 支 那 は結 束 を し なけ れ ばな ら ぬ。結 束 をし て支 那 に対 し ます
停 め な け れば いか ぬ と いふ やう な声 が 段 々出 て参 つた の であ りま す 。
側 の言 つ て居 つた如 く に は出 来 な か つた。 只 今 冒 頭 に於 て申 し ま し
申 上 げ て置 き た いの で あり ます が、 財 政 部 長 であ り ま す孔 祥 熈 が北
た の で あ りま す。 日本 は もう こ の上何 も出 来 な い のだ 、何 もし な い
同 時 に其 頃 か ら し て支那 は 日本 の方 を 、平 た く申 せば嘗 め てか か つ
た 学 生 運動 の最 近 の勃 興 と いふも のは 此時 か ら始 つた。 此場 限 り に
京 大 学 の名誉 学 長 をし て居 り ます 。 其 関 係 から 孔 祥熈 が自 ら金 を出
ぞ と い ふや う な気 持 を持 つた ので あ り ます 。 それ が 不幸 で あ り ます
し て学 生 を煽 った のが 一昨年 の十 一月 の末 であ り ます 。 之 が抑 々学 生 運動 の起 り であ り ます 。 学 生 運 動 と いふ も の は北 支 問 題 に関 聯 し
そ れ は即 ち 日本 の内 部 に は色 々な 議論 が出 て来 て甲 論 乙 駁 で あ る。
け れ ど も 、 もう 一つ大 き な 事 項 を 支 那 とし て は知 つた ので あ り ます 。
ばな り ま せ ぬが 、去 年 の十 一月 頃 でご ざ いま す 。 いはゆ る成 都 事件 、
来 ま せ ぬと 斯 う 申 し ま し た 。 この事 は今 少 し く詳 し く申 上 げ な け れ
望 に手 伝 つて 呉 れ る お積 りが な け れ ば、 日本 と は今 の処 お 話 し は 出
得 る こと は極 め て容 易 い。 そ れ は情 報 で は な い。 或 る有 力 な 社会 的
根 本 を聞 い て見 ます る と斯 う 申 し て居 り ます 。 今 日本 に於 て情 報 を
の状 態 が説 明 さ れ て居 る の であ り ま す。 現 に其 情 報 の出 て来 ま す る
ら 、 現状 不破 壊 ︱︱ 現 状 不 破壊 に し て欲 し いと い ふや う な こと ま で
が 、 現 状維 持 は 困 る 、 さう す ると何 時 迄 も持 って行 か れる やう だ か
と は これ を認 め る原 則 にし よう ぢ やな いか、 斯 う 言 ひま し た と ころ
就 い て面白 い事 がご ざ いま す が 、 そ れ で は冀 察 の現 状 維 持 と い ふ こ
こ の両 省 に於 きま す る事 態 は大 体 に於 て現状 を認 め る︱︱ こ の事 に
北 海 事 件 に就 き ま し て話 を致 し て居 り ま す る際 には、 支 那 の方 と し
日本 は国 策 と いふ も のが 立 つ て居 ら ぬ。 即 ち 日本 内部 の抗争 状 態 を
若 く は政 治的 の大 立 者 の所 へ行 つ て、其 人 の反 対 の側 に立 つ て居 る
言 つ て居 り ま した 。 そ れか ら何 と申 し ま す か北 支 の現 状 と いふ も の
明 示 す ると い ふやう な事 態 が刻 々 に報道 さ れ た の であ りま す。 此点
人 の悪 口を 言 は せ る と、 口を 突 い て千言 万言 を費 す。 ま たそ の反 対
は 大 体 黙 認 し て行 かう と いふ肚 であ つた に拘 らず 、 今 申 し ま し た 一
いは ゆ る冀 察 政務 委 員 会 の現 状 と 申 し ます る か、 河 北 省 及 び 察 哈爾 、
の側 の人 の所 へ行 つ て、 同 じ やう に水 を 向 け ると そ の人 が ま た 反対
月 十 八 日 に私 が立 ち ます と き の言 葉 の如 きは 全 く 違 ふと申 し ます の
ま し ては 冀東 政府 の こと は非 常 に困 ると いふ こと は申 しま し た が、
側 の人 の悪 口を 言 ふ。 この両 方 を 合 せ る と 立派 な 議 論 の対 立状 態 の
は 完 金 な る行 政 権 の統 一と いふ も のを妨 げ る あら ゆ るも のを排 撃 し
に就 い ては私 は相 当 に憤 慨 の気 持 を持 つて申 さ な け れば な り ま せ ぬ
筋 が 解 る。 斯 う いふ こと を支 那 の要 人 が申 し て居 り ま し た。 そ の情
た い。 いは ゆ る冀 察 委 員 会 に於 て行 は れ て居 りま す る日 本 の北 支 に
が、 支 那 人 の得 て居 る情 報 を見 ま す と 、如 実 に 日本 の分 立 ︱︱ 対 立
を察 し て支 那 の方 で は先 程 申 し ま し た如 く嘗 め て かか ると申 し ます
報 が 手 に取 るやう に 日 々伝 へら れ て参 つた の で あ りま す。 こ の状 況
の関 係 と いふ も の を好 く す る た め に は、 満 洲 問 題 を あ の儘 では い か
於 け る経 済 合 作 と い ふや う な こと に対 しま す る非 常 な 不満 の表 示 で
ぬ。満 洲問 題 を ﹁セ ツト ・アサ イ ド﹂ す る こと とは 全 く 反対 に な つ
か、 も う 日 本 の方 は力 がな いぞ 、今 は出 て来 ぬぞ と いふ やう に見 て
十 八 日 でご ざ いまし た 、 最 後 に今 は 辞 め ま した の であ り ます が、 外
の行 政院 長 でご ざ います が 、 そ れ が私 に申 し ま す に は、 一体 日支 間
交 部 長 の張 羣 に会 ひま す と 、 張 羣 は斯 う 申 し ま し た 。 あ なた が帰 つ
て来 た の で あ りま す 。 こ の満 洲問 題 に就 いて或 る種 の解 決 を 与 へな
あ り まし た 。 そ れ ば か り で は あ りま せ ぬ。 孔 祥 熈 ︱︱ これ は事 実 上
た な ら ば 日本 の総 理大 臣 及 び 外務 大 臣 にかう いふ伝 言 を願 ひ た い。
し然 らば 借 問 す る。 君 は ど う 云 ふ解 決 法 を夢 み て居 る のか 、 斯 う申
け れば 、日 支 間 の円満 な る話 し 合 ひ は出来 な い。そ こで私 は これ に 対
参 つた こと は誤 り で はな い、嘘 で は な いと い ふ こと に 大体 結 論 を致
そ れは 今 支 那 が最 も企 図 し て居 ると ころ の も の は完 全 な る行 政 権 の
し た の であ り ます 。 最 近 の情 勢 を申 しま す なら ば 、 私 は 丁度 一月 の
統 一であ る。 之 に反 す る事項 は総 て排 撃 を致 し た い。 日 本 が こ の希
す が、投 資 は これ を認 め る、 け れ ど も満 洲 国 の いは ゆ る主 権 と い ふ
と 申 し て居 り まし た︱︱ 投資 は単 な る投 資 と見 て居 る やう であ り ま
し ま し た と ころ、 日本 の満 洲 に対 す る︱︱ 彼 は イ ンヴ エ スト メ ント
り ま せう が、鶏 鳴 寺 のあ りま す る北 極 閣 の山 の上 に も高 射 砲 を 据 ゑ
ま し て は、 一昨 年 の暮 頃 から 日本 に対 す る色 々の防 備 を や つて居 り
つて導 いて参 り ま し た軍 人思 想 であ ると 思 ひ ます 。 そ の証 拠 と 致 し
これが 蒋介 石 及 び これ を取 巻 き ます る軍 事 委 員会 が、 過 去 数 年 に亘
て居 る。 其 他 色 々 の山 ︱︱ 殊 に紫 金 山 の頂 上 にも ︱︱ こ れは 私 も 瞥
ま す 。 詳 し く 申 上 げ る迄 も あ りま せ ぬが 、南 京 の例 へば 御 承 知 であ
見致 し ま した が 皆 砲 台 を 造 つて居 る。 西 洋 人 は これ は皆 日本 人 に対
も のは支 那 の方 へ還 し て貰 は な け れば いけ ぬ。 還 し た後 で支 那 の方
テ ート ﹂ にす る か、 或 は加 奈 陀 のグ レ ート ・ブ リ テ ンに対 す る如 く
で は自 発 的 に愛 蘭 のグ レ ート ・ブ リ テ ンに対 す る如 く ﹁フリ ー ・ス
す るか 、何 れ か の方 法 に依 るか も 知 れ ぬが 、 これ は 支 那 が自 発 的 に
現 に この ゼ ー クト 将 軍 は 確 か昨 年 の暮 に死 にま し た け れど も 、 そ の
た 原因 は総 て ゼ ーク ト の与 へた 軍 人 指 導 精 神 に在 る ので あ りま す 。
以前 か ら これ に代 つ て今 独 逸 の顧 問 の総 大 将 を し て居 りま す フ ラ ン
す る ﹁ア ーム ド ・キ ヤ ンプ﹂ だ と申 し て居 り ます 。 斯 様 の事 に至 つ
満 洲 問 題 ま で夢 み て参 つた の であ り ま す。 これが 先 程 申 上 げ まし た
ケ ン ・ ハウ ゼ ンが私 に申 し た こと が あ りま す。 ゼ ーク ト の ア ドヴ ア
す る。 兎 も 角 も満 洲 国 と い ふも のは 一遍 支 那 に還 し て貰 は な い こと
安 内 が 出 来 て︱︱ 所 謂 統 一が出 来 て参 つて段 々日本 の方 の弱 い所 を
に は話 し は出来 ぬ。 斯 う 申 し た ので あ りま す 。 も う 支 那 は ソ ロ〓
見 て嘗 め てか か つた証 拠 と申 さな け れ ば な りま せ ぬ。
イ スが 利 き過 ぎ て、 最 近︱ ︱ と いふ のは 一昨 年 の暮 から で あ りま す
と、 独 逸 は何 時 日本 と同 盟 国 にな る かも知 れ ぬ か ら、 独 逸 の顧 問 に
そ こ で私 は 次 の問 題 に移 りた いと 思 ひま す 。 攘 外 と 申 し ます か、
相 談 を し て置 く と折 角 の防 備 は値打 が な く な る、 かう い ふ見 解 で独
に つい て独逸 の顧 問 に は何 の相 談 も し な い。 そ の 理由 を 聞 いて見 る
ます 。 千 九 百 三 十 一年 、今 か ら六 年 前 にゲ ネ ラ ル ・フ オ ン ・ゼ ーク
逸 の顧 問 には 一切相 談 をし な い、余 程 支 那 も 真 剣 だよ 、 と フラ ンケ
が 、 対 日 防備 施 設 を や る こと にな つた に拘 らず 、 其 の防 備 の実 行 方
ト を独 逸 から 招 聘 致 し ま し た。 其 際 蒋 介 石 が ゼ ー ク ト に対 し て二 つ
ン ・ ハウ ゼ ン自 身 が私 に申 し て居 り ま した 。 第 二 の問 、 即 ち 日本 に
いはゆ る国 権 の回復 ︱︱ 今 申 し ま し た満 洲 問 題 の如 きは そ の 一つに
の質 問 を発 し た 。 一つは 支那 の軍 隊 はど うす れば 強 くな り ま せう か。
対 し ては 如何 にす べき かと い ふ問 に対 し て ゼ ーク ト の答 は 、支 那 一
な りま す けれ ど も 、 この攘 外 に就 い ては聊 か申 し 上げ た い事 が あ り
一の問 に対 す る ゼ ーク ト の答 は、 日本 に対 し て支 那 が強 く な る た め
もう 一つは日 本 に対す る政 策 はど う す れ ば宜 いで あ りま せ う か。 第
日本 に当 ら れ な いの で あ るか ら 、 コレク テイ ヴ
ヰ テ ーと いふ言 葉 を使 つ て居 り ます が、 衆 合 団 隊 の力 を 以 て日本 に
当 るが 宜 いと いふ こ と を申 し た さう で あ りま す。 私 は色 々な方 面 か
国 だ け で は な か〓
ら 観 測 を 致 し ま し て、 無 論 こ のア ドヴ アイ スのみ に依 つた も の で は
に は武 器 も 必 要 であ らう し飛 行 機 も 必 要 で あ らう 。 け れ ど も 自分 が
す な らば 、 今 最 も 支 那 が や らな け れ ば いか ぬ こと は、 支 那 の軍 隊 に
独逸 に於 け る国 防 軍 を編 成 し 、 国 防 軍 を動 か し た経 験 、 体 験 か ら致
対 し て 日本 に対す る敵 愾 心 を養 ふ こと だ、 斯 う 申 し た ので あ りま す 。
な いであ り ま せ う が、 蒋 介 石 及 び首 脳 者 の頭 には 、普 通 、 夷 を以 て
る 一方 であ り ます 。 実 例 を 申 し ます 。 政 治 上 の問 題 と 致 し ま し て色
ゲ ツ セ ン大 使 にな つて か らと い ふも の は 、そ の傾 向 は 益 々熾 烈 にな
に英 吉 利 の方 は避 け て居 る。 兎 に角 政 治 上 の コンプ リケ ー シ ヨ ンは
色 な事 も あ つた や う でご ざ いま す け れ ど も、 そ の紛 糾 に就 いて は常
夷 を制 す ると申 し て居 りま す け れ ど も、 出 来 得 れば何 と かし て他 国 の力 に依 つ て日本 を制 す るや う にし た い。 第 二 の ワ シ ント ン会 議 を
は 私 は チ ヤイ ナ ・プ レ スの主 筆 を 致 し て 居 る 董 顯 光 (ホリ ング ト
夢 み て居 る。是 は支那 の念 願 であ らう と思 ひま す 。 こ の事 に就 いて
います 。 去 年 の十 月末 か十 一月 の始 め頃 で ござ いま し た が 、 雲南 に
飽 く迄 回避 す ると いふ こと で あ つた ので あ り ます 。 面 白 い例 がご ざ
居 り ます 英 国 の総 領事 の ハーデ イ ング 、 これ は私 の友 達 であ り ます 。
ン ・ト ン)、 有 名 の文 士 で あ り 又排 日家 であ りま す が、 こ の男 の 話
花 を 踏躪 つた と 云 ふ の で、 堪 忍袋 の緒 が切 れた か ハーデ イ ング 総 領
し に依 つて私 は現 実 にさ う いふ感 じ を 受 け て居 る次 第 であ り ます 。
事 が そ の 一人 を捕 へて殴 つた と いふ事 件 であ り ます 。 些 々た る事 で
へ或 る支 那 のボ ーイ スカ ウ ト が や つて来 て、 そ こ の垣根 を 越 え て草
何 な る国 であ り ま し ても 弱 い者 は第 三者 若 し く は他 の集 団 の力 を藉
あ り ま し た が 、雲 南 政 府 から 中 央政 府 に対 し て斯 の如 き乱 暴 を働 く
三 十 七八 年 支 那 に居 る 老紳 士 であ り ま す。 こ の英 国 の雲 南 総 領事 館
り て、自 分 を圧 迫 す る者 に対 抗 し よう と す る のは当 り前 の事 と 存 じ
総 領 事 は速 に本 国 政 府 に召 還 す る やう に交 渉 し て貰 ひ た いと いふ こ
これ は即 ち攘 外 ︱︱ 外 を攘 ふた め のリ ーデ イ ング ・プ リ ン シプ ル で
ま す。 そ こで こ の政 策 が だ いぶ稔 つて参 つた ので あ りま す 。 稔 つ て
あ る。 併 し こ れ は私 は支 那 特 有 のも ので も な か らう と 思 ひ ます 。 如
参 つた第 一の例 証 は いは ゆ る幣 制 改 革 であ り ま す。 この幣 制 改 革 に
へら れ ま し て、 余 程 問 題 にな り かけ よう と し て居 つた ので あ りま す 。
然 る に其事 件 が あ りま し て五 日目 に は ︱︱ 実 に機 敏 な も のと思 ひま
と を 言 つ て参 つた の であ り ます 。 忽 ち其 報 道 が 中央 通 信 に依 つ て伝
す が、 英 国 政府 は何 気 な いや う な態 を装 ひま し て、 そ の ハーデ イ ン
就 いて申 上 げま す る前 に、私 は英 吉 利 の支 那 に対 し ます る観 念 乃 至
し た 。 彼 は御 承知 の如 く排 英 運動 の中 心地 であ り ま し た廣 東 に自 ら
グ 総 領 事 に帰 朝命 令 を出 し て、 新 し い領 事 を直 に任 命 し た のであ り
態 度 を 一瞥 致 した いと 思 ひ ます 。 ラ ンプ ソ ンと いふ 公使 がご ざ いま
に排 英 問 題 を 解決 し、 英 支 間 の親 交 を 回復 した 、 左 様 な手 腕 を持 つ
乗 込 ん で、 当 時彼 の 地 に居 り ま し た李 濟 〓 と膝 を 交 へて、 談 笑 の間
ふ こと に、 もう 肚 を決 め て居 る。 私 は実 例 だけ を 列 べ て御 参 考 に供
し た の であ り ます 。 例 へば リ ー ス ・ロ スが 乗 込 ん で参 つた と き は、
ま す 。 斯 様 な些 か の事 件 に就 い ても支 那 の方 の感 情 を害 さ な いと い
そ れ は私 も 悪 口を申 し た の であ り ます が、 リ ース ・ロスは 外 交官 で
た 外 交 家 であ り ます が、 こ の ラ ンプ ソ ンが来 た 頃 か ら英 吉 利 は肚 を
と 、 如 何 な る事 が あ つ ても支 那 と政 治 上 の問 題 を惹 起 さ せ な い。 さ
は な い、 寧 ろ 財 界 上 の 一人 の大 立 者 と し て参 つた の であ り ます が、
決 め て居 つた と私 は思 ひま す。 何 と肚 を決 め て居 つた か と申 しま す
に依 つ て日 本 を牽 制 し よう と い ふ のが英 国 の肚 であ つた ので あ りま
来 ます と き の触 れ 込 み は カド ガ ン大 使 が自 ら私 に申 し ま し た。 今 度
う し て財 政 的 に も経 済 的 に も支 那 の ﹁グ ツ ド ・フ レ ンド﹂ な る こ と
す 。 殊 に ラ ンプ ソ ンに代 つ て カド ガ ン大 使 が来 任 し 更 に今 のヒ ユー
に於 け る チ ー フ ・フア イ ナ ン シ ヤ ル ・エク スパ ート と し て来 る のだ 。
リ ー ス ・ ロス の来 る の は大 使館 の スタ ツ フと し て来 る の だ。 大 使 館
この 二人 の合 作 で ご ざ いま す 。 こ れが皆 支那 にば ら 撒 か れ て居 る猶
参 りま し た こと も、 実 は ト ーネ ー ・ケ ズ ウ ヰ ツ クと 商 務 官 のビ ー ル
場 合 に支 那 側 に突 入 つて非 常 に進 出 し て居 りま す 。 リ ー ス ・ロ スの
太 人 系 統 を 通 じ てど ん〓
其 リ ー ス ・ ロスが初 め て南 京 に着 き ま し たと き には 、南 京 の英 国 大 使 館 には 這 入 らず し て孔 祥 熈 の別邸 に這 入 つた 。 即 ち 支 那国 民 政 府
此 リ ー ス ・ ロスが参 つて やら う と し ま し た の は、 も う 一つ遡 つて申
ンズ 少 将 は或 は印 度 に於 て、或 は 阿 弗 利 加 に於 て、 立 派 な 手腕 を発
さな け れば な り ま せ ぬ が、 そ の前 に ハモ ンズ少 将 が 来 た 。 こ の ハモ
喰 入 つて参 つた の で あり ま す。 さ う し て
の国 賓 を 待 つた め に備 へて あ る孔 祥熈 の官 邸 に這 入 つた の で あ りま す 。 其 処 で 二晩 か 三晩 泊 つた。 こ の事 は随 分 外 交 官 の間 でも 問 題 に な つた の で あ りま す 。 理窟 か ら 申 せ ば 一大 使 館 の ス タ ツ フと し て参
へて、 一年 半 支那 内 地 を旅 行 さ せ た、 そ の結 果 の報 告 が来 て居 る の
揮 し た 鉄 道 の専 門 家 で あり ま す が 、 これ を財 政 部 長 の顧 問 と し て迎
長 の官 邸 に泊 ま ると い ふ こと は を かし い。 と い ふ こと を申 す 者 もあ
で あ りま す 。 これ は極 秘 に な つ て居 つ て解 ら ぬ の で あ りま す け れ ど
つた者 が 国賓 待 遇 を受 け て先 づ大 使 館 に泊 ら な いで 相 手国 の財 政 部
り ま し た が、 これ は妬 け 根 性 で あ りま せう 。 そ れ程深 く咎 め る にも
も 、 吾 々 の探 知 し て居 る と ころ では 二 つ の結 論 に達 し た 。 支 那 に鉄
二 つあ る。 一つは 今 の鉄 道 は修 繕 ︱︱ オ ーヴ ア ー ・ホ ー ルし なけ れ
及 ば ぬ で あ り ま せう が、 こ の事 に就 いて は 一つ のも と を申 さな け れ
ば な ら ぬ。 この オ ーヴ ア ー ・ホ ー ル に金 が 八 億 磅 か か る。 これ を か
道 を 架 け て儲 か ら な い所 はな い。 面白 い言葉 を使 つて居 るや う で あ
に調 べ て見 ま す と大 体 これ ら は皆 ﹁サ ス ー ン﹂ に属 し 自 然通 常 ﹁サ
け る な らば 全 部 の収 益 が 六倍 にも な る と 云 ふや う な数 字 を出 し て居
ば な ら ぬ と思 ひま す 。 元 来 英国 に於 きま す る政 策 と いふ も の は、 無
ス ー ン﹂ ビ ルと称 さ れ て居 りま す が 、 これ ら の手 先 に使 はれ て居 る
る さう であ り ます 。 今 一つの方 法 は先程 申 し ま し た任 意 な︱ ︱ 何処
り ます が 、支 那 の地 点 を何 処 で も 任意 に撰 ん で、 任 意 の二点 を 結 び
色 々 の手 下 と 云 ふも のは 概 ね 猶太 人 で あ りま す 。 今 一つ茲 に御 参 考
でも と 云 ふ訳 で も な いけ れど も 、 兎 に角 新 設鉄 道 をど ん〓
論 英 人 が や つ て居 る の であ り ま す が 、其 手先 と な つ て居 り ます のは
迄 に実 情 を 申 し ます と最 近 は ラ ンプ ソ ン以 来 肚 を 決 め て掛 か つた こ
行 く。 こ の二 つの 必要 が あ ると 云 ふ こと を孔 祥 熈 に報 告 し た 。 こ の
皆 猶 太 人 で あ りま す 。 例 へば 上 海 のバ ンド に櫛 比 し て居 り ます 大 英
と が夫 々稔 つ て参 つた。 今 これを 運 行 し てを る状 態 即 ち財 政 的 に経
報 告 の結 果 を リ ー ス ・ ロスは 余程 眺 め て、 何 か出 来 さう だ と 云 ふ の
て支 那 の鉄 道 は最 も有 望 で あ る。 而 し て彼 の与 へた 具体 的 の忠 告 は
済 的 に進 出 し て居 り ます 道 程 と な つ て居 る も の に就 い て申 上 げ ます
で、 そ の時 から 信 用 保 障部 の人間 を寄 越 せと 云 ふも と が 出来 て居 る。
付 け れ ば、 何 処 でも ペ ーヤ ブ ルな 鉄 道 が 出 来 る。 こ の見 地 か ら 云 つ
と 、 ジ ヤ ーデ ン ・マヂ ソ ンと 云 ふ大 き な会 社 が あ りま す。 此処 に御
過 去 五年 に亘 り ま し て、英 国 は先 程 申 し ま し た や う に、 肚 が決 つて
銀 行 のビ ルデ イ ング を始 めと し てカ セ ー ・ホ テ ル等 の大 伽藍 を仔 細
承 知 の方 も あ り ま せう が、今 こ の会 社 の上 海 の マネ ヂ ヤ ーた る ト ー
増し て
ネ ー ・ケ ズ ウ ヰ ツ クは 三 十 四歳 の若 僧 でご ざ いま す が、 之 が総 て の
ら申 上げ る迄 も な く御 承 知 の こと と思 ひま す が 、 一昨 年 十 一月 三 日
助 を与 へるや う な仕 組 を拵 へた ので あ りま す 。 こ の時 の事 情 は私 か
れ は チ ヤ ー タ ーと香 上、 こ の二 つ のバ ンク に対 し て或 る為 替 上 の援
の成 功 に はト ーネ ー ・ケズ ウ ヰ ツク が非 常 な 活 躍 を 致 し ま した 。 こ
ア イ スを 致 し た ので あ りま せう け れ ど も、 兎 に角 彼 は成 功 した 。 こ
の計 画 を し た ︱︱ ま た この計 画 に依 つて リ ー ス ・ ロスも無 論 ア ドヴ
と も思 はれ て居 る位 で あり ま す 。 これ も猶 太 人 であ ります 。 彼 が あ
西 人 であ り ます が英 語 は亜 米 利 加 人 よ りも 巧 い。 本 物 の亜 米 加 人 か
ヤ ン ・モネ ーは国 際 聯 盟 事 務 局 の財 政部 長 も致 し ま し た。 出 は仏 蘭
は誰 がや つた か と いふ と、 御 承 知 のジ ヤ ン ・モネ ー であ り ます 。 ジ
本 で あり 、 支那 の金 融 の新 施 設 であ り ます ニ ユー ・カ レ ン シー の方
英 吉 利 は進出 し て来 て居 る の であ り ます 。 そ こ でそ の財 政計 画 の根
居 ると 云 ふ所 以 は こ こであ り ます 。 継 続 的 に シ ス テ マテ イ ツ ク に、
りま せん 。彼 が 支那 へ参 りま し てど う 致 した かと 申 し ま す と、 支 那
来 しま し た 信 用 保障 部 の カ ー クパ ト リ ツク に つ い て 一寸 触 れ ねば な
国 が最 も 顕 著 であ り ます 。 而 し て最 近 リ ー ス ・ロス の後 を 承 け て渡
ん〓
や う な感 じ を致 し ま し た。 勿 論 独 逸 でも亜 米 利 加 で も仏 蘭 西 で も ど
り ま し た とき に、恰 も是 は英 吉 利 の対 支経 済 参 謀 本 部 であ ると いふ
の如 く英 吉 利 は翕 然 一体 を成 し て居 る。 私 は この ビ ルデ イ ング に参
て、 今 の発 券 、 金融 、 保障 の如 き事 務 を皆 此所 で や つ て居 る。 か く
囲 に 只今 申 し ま し た ホ ー ル パツ チと か ロヂ ヤ ー スと か いふ人 が居 つ
屋 を拵 へま し て、 そ の真 中 に英 国 の商 務 官 が居 り、 そ の商 務 官 の周
ン﹂ のビ ルデ イ ング は 六階 建 であ り ま す。 其 処 に大 きな 新 七階 の部
最 近 の情 勢 と致 し ま し て今 申 した ケ ズ ウ ヰ ツ ク の 居 る ﹁ヂ ヤ ーデ
が 致 す ので あり ま す 。 そ の証 拠 をも う 一つ申 上 げた いと 思 ひます 。
と いふ も の は支 那 金融 の心臓 の 一部 に這 入 り 込 ん で居 ると い ふ感 じ
直 に布 告 を出 し て、 さう し て英 国 の方 か ら これを 確 保 し て 一つ の制
ス ・ベ ー シ ス の上 に 立 つな ら ば 不 安 は な いか ら、 投 下資 本 に対 し て
斯 う 申 し ま し た。 如 何 な るプ ロヂ エク ト (企 業 ) で も 或 る ビ ズ ネ
へ参 りま し た 翌 々日、 私 は外 国 人 と し て最 初 に会 ひま し た が、 彼 は
支 那 に進 出 し て居 りま す 。 け れ ど も 只今 申 上げ ま し た様 に英
に新 弊 制 が行 は れ て、 そ れか ら 二 日経 つて 五 日 には カドガ ン大 使 が
かや う に英国 と いふも のは 先 づ金 融 計 画 の根 本施 設 を定 め て、 さう
度 を作 つた。 か やう な こと は 元 々皆 ト ーネ ーが や つた事 で あ りま す 。
し て こ のリ ー ス ・ ロス の帰 つた後 でど う な つた か と申 しま す と 、 一
男 でご ざ いま す が、非 常 な有 能 な銀 行 家 だ さ う で あ りま す 。 これ を
時 に其 償 還 は十 年 延払 ひ で宜 し い。 これ は 実 に驚 く べき 事 であ り ま
もう 一つそ のプ ロヂ エク ト は如 何 な る プ ロヂ エク ト でも 宜 し い。 同
信 用 保 障 を 与 へる。 そ の保 障 を 与 へる ア マウ ント は何等 制 限 は な い。
中 央 銀 行 に顧 問 と し て入 れ て、 御 承 知 であ り ま せう が今 発 券 部 の改
ふだ け で は売 れな い。 英吉 利 の如 き は逸 早 く 信用 保 障 条 件 を附 け て
す 。 今 支 那 で は廉 価良 質 と申 し ま す が 、 た だ安 いた だ物 が 良 いと い
緒 に参 り ま し た ホ ー ルパ ツチ 、 これ も猶 太 人 系 と いは れ て居 る若 い
は中 央 銀 行 の改 組 の役 目 を
界 で最 も延 払 ひ を好 む 国 民 だ さう であ り ます 。 恰 も其 急 所 を狙 つて
参 る 延払 ひ制 を やり 出 し て る のであ りま す。 露 西 亜 人 と 支 那 人 は 世
組 に当 つ て居 りま す 。 さう し て ゆ く〓
の改 組 を や るた め に残 し て居 る。 斯 う し て見 ます る と、 も う 英 吉 利
勤 め る訳 に な つて居 り ま す。 もう 一人 は ロヂ ヤ ー ス これも 央 央 銀 行
ま し た。 これ は満 鉄 が 入 れ た の で あ りま す が 、 これ の如 き は全 く 話
私 が お 手 伝 ひ を致 しま し た が 、隴 海 線 の機 関車 を売 る取 引 がご ざ い
る。 これ で は 日本 も今 の儘 で は 到底 太刀 打 が 出来 ぬ の であ り ま す。
が防 共 同 盟 国 で あ ると 云 つて居 る独逸 です ら 五年 延 払 ひ で や つて居
参 つた の であ りま す 。 而 も 十 年 払 ひ と いふ の であ り ます 。 今 日吾 々
と思 ひま す 。
し ても 、 自 国 の産 業 を調 整 致 す 上 に も余 程 これ は利 い て居 る だ らう
に適 用 出 来 ま す か どう か知 りま せ ぬが 、多 少 さう い ふ こと が あ り ま
過 剰 生 産 を防 ぐ 為 め の支 那 進 出 も 多 い ので あ り ます 。 これ は 英吉 利
他 面 に は安 く 売 る と同 時 に信 用 を増 す こと が出 来 る。 即 ち自 国内 の
支 那 が国 権 を 回復 致 し ます 為 に最 も暖 き ウオ ー ム ・ベ ツト が 出 来 て
で あ りま す が、 支 那 は茲 に更 に大 き な 一つの問 題 に打 突 か り まし た 。
きま し て、 支那 と 云 ふも のは 余 程 好 い条 件 ば か りを 持 つ て参 つた の
の であ り ま す。 かう い ふ やう に致 し ます ると 、 安 収 攘 外 の両 面 に於
か やう に見 て参 りま す ると 、 攘 外 と申 しま す か先 程 のゼ ーク ト将
来 た ので あ りま す 。 即 ち 支 那 と 致 しま し ては こう いふ やう な 情 勢 を
私 先 程 一寸 触 れ ま した が、 昨 年 十 一月頃 いはゆ る綏 遠事 件 が ござ い
が 出 来 な い。 ま た 三井 の鉄 橋 のお手 伝 ひも 致 し ま した が、 こ れな ど
ウ ンと利 用 し て行 く。 もう 一つ申 上 げ た いと 思 ひま す の は独 逸 であ
ま し た 。 こ の事 件 は新 聞 掲 載 禁 止事 項 にな つて居 り ま した が、 兎 も
に当 る地 位 ︱︱ 地 歩 と 云 ふも のは 余程 巧 く出 来 さう にな つて参 つた
り ます 。 独 逸 の如 き は 御 承 知 で あ りま せう が 、最 近 の報 告 に依 り ま
角 一行 も出 て居 りま せ ぬと 思 ひ ます 。 内 蒙 古 の軍隊 と綏 遠 の軍 隊 が
軍 の申 し た 言葉 に依 りま す と 、 コレク テ イヴ ヰ テ ーを 利 用 し て 日本
す と 独逸 の対 支 輸 入 は 既 に英 国 を凌 い で居 り ます 。 前 年 に比 べ て四
も 十 年若 く は 五年 な ど と いふ こと は到 底 お話 にな ら な い。 こん な 次
割 五 分 の輸 入増 加 であ り ま す。 今 では 日本 の投 資 の次 に は独 逸 と い
衝 突 を 致 し まし て、 色 々 こん が ら か つた 関 係 を 来 し た ので あ りま す
第 で先程 申 しま し た 排 外 と申 し ま す か、夷 を制 す る と申 し ま す か 、
ふ順 序 であ り ま す。 さう いふ偉 大 な進 出 を し て居 りま す が 、 最 近 一
でも 四川 と か雲 南 と か い ふやう な山 の中 に参 り ます と、 現 実 日本 と
る熱 誠 ぶ り と 云 ふも のは 甚 し いも の で あ りま し た。 日清 戦 争 の当 時
戦 争 を致 し て居 りな が ら 、 支那 がま だ 戦 争 を 致 し て居 ると い ふ こと
が 、 こ の時 の支 那 の熱 誠 ぶり と申 しま す か、 綏 遠 の軍 隊 を援 け ま す
亜 米 利 加 の事 も申 さ な け れば な ら ぬ であ りま せう が、 今 日 は 省 き ま
を 知 ら な か つた 。 交 通 機 関 の関 係 もあ り ま せ う け れど も、 さう 云 ふ
上 つて居 り ま す。 か やう に申 し て参 り ます と 其 他 仏 蘭 西 、 伊 太利 、
す が、 大 体 さう い ふ状 況 にな つて来 て居 り ます 。 併 し な が ら是 は実
や う な呑 気 の支 那 であ り ま し た にも 拘 ら ず 、 こ の綏 遠 事 件 に当 つ て
年 間 に 上海 を 中 心 と 致し ま す 独 逸 の対支 商 売 が 一躍 一億 六 千 万 元 に
は英 国 でも さう だ と 思 ひま す が 、 独 逸 の関 係 者 が面 白 い事 を 言 つて
は津 々浦 々に至 るま で所 謂 綏 遠 の軍 隊 を援 け る 運動 が出 ま し て、 三
日間 歌 舞 音 曲 を 停 止 す る と か或 は踊 り 場 の如 き も切 符 の 二割 を 徴収
が支 那 に進 出 し て居 りま す が、 是 は支 那 が可 愛 いから では な い、実 は最 近 の傾 向 と し て は独 逸 本 国 の重 工業 が衰 へた 。 之 を 救 ふ為 に は
し て軍 隊 に後 援 す る と いふ やう な 熱 誠 振 り でご ざ いま し た。 も つと
居 り ま す。 オ ツト ・ウ オ ル フや シ ーメ ン スや、 其 他 色 々 の独 逸会 社
支 那 に対 し て余 程 好 条 件 を 以 て進 出 し て行 つ ても 全 局 上 得 で あ る。
た め に牢 に居 りま し た 囚 人 が 金 を出 した と い ふや う な例 す ら あ る の
驚 く べき こと は嘗 て世 界 にも 先 例 のな い事 であ り ま せう が、 援 綏 の
かと 思 ふ ので あ りま す 。 私 は 一日 も 早 く この新 情 勢 を 明 か に認 識 す
肚 と 云 ふも のが出 来 て居 ら ぬ。 これ が私 か ら申 し ます る な ら ば、 ど
と いふ点 が あ りま す る のと 同 時 に、 そ の新 情 勢 に処 し ま す る 日本 の
ると 同 時 に、 この新 情 勢 に処 し ます る肚 を︱︱ 対 策 を早 く定 めな け
う も こ の塹壕 戦 に居 つても 撃 つべ き弾 が な か つた と 申 し ても宜 し い
れば な ら ぬと 思 ふ の であ り ま す。 これ が最 も早 急 の問 題 で あ りま し
であ り ます 。 この熱 誠 ぶ り は何 処 か ら来 る かと 申 し ます と、 先 程 両
云 ふ も のが支 那 に於 て随 分悪 く な つて参 つた と いふ こと の尺 度 であ
方面 か ら申 上 げま し た 日本 に対 しま す る感 情 ︱︱ 一般 の排 日感 情 と
ら う と 思 ひ ます 。 時 恰 も 日 本 で は言 はな か つた で あ りま せう け れど
て、 吾 々が 対 支問 題 と申 し ま す か、 この東 亜 の問 題 を 考 へま す る上
更 に本 日 お集 り の皆 様 は 工業 と申 しま す か、 産 業 と申 し ます か、
に は、 色 々な点 を考 へな け れば な ら ぬ と思 ひま す が 、何 よ りも この
いは ゆ る経 済 の方 面 にも 非 常 に御 関 心 が あ ら れ ると 思 ひ ます か ら、
も 、 百靈 廟 と 云 ふ地 点 が あ り ます が、 こ の枢要 な る百 靈 廟 を綏 遠 軍
てそ の下 へ持 つて行 つて ︹敵 国遂 に敗 れた り﹂ ︱︱ 敵 国 と い ふも の
特 に 一言附 け加 へさ せ て頂 き た いと 思 ひ ます 。 私 の卑 見 に依 れば 最
問 題 を先 づ 考 へな け れば な ら ぬ と 思 ふ ので あり ま す。
は無 論 日本 の事 であ り ます 。 これ が約 一箇 月 に亘 つて毎 日連 載 を致
と思 ひます が、 第 一頁 の非 常 に 目 に着 く 所 に﹁百靈 廟 萬 歳 ﹂と 大 書 し
しま し て敵 愾 心 を煽 ると 同 時 に戦 勝 気 分 で居 り ま す。 勿 論 支 那 軍部
が 奪 回 し た、 此 時 の支 那 新 聞 の記 事 は皆 様 御覧 にな つた 方 も あ ら う
の幹 部 と か政 治家 と か い ふ者 は 、 そ んな 事 は歯 牙 に掛 け ぬ であ りま
政 治 ば かり を 見 る ので はあ り ま せ ぬ。 亜 米 利加 に於 け る ニ ユー ・デ
つた と思 は れ る ので あり ま す 。 ム ツ ソリ ー ニの政 治 や ヒ ツト ラ ーの
ても 勝 てる と 云 ふ やう な 気 持 が或 は出 来 て居 るか も知 れ な いの であ
イ ー ルの経 過 を見 ま し て も、 政 治 と 経 済 と いふも の は極 め て微 妙 な 、
近 の世 界 の情 勢 と 云 ふも の は、 政 治 と経 済 と の分 界 が 極 め て薄 くな
り ます 。 これ が先 程 申 し ま し た支 那 が 日本 を嘗 め てか か り、 日本 に
は そ れ でな く ても 政 治 と経 済 の区 分 と いふ も の は余 程 困 難 の国 で あ
密 接 な る関 係 が出 来 て参 つた こと が 最 近 の情 勢 であ り ます 。 支 那 で
せう け れ ど も、 これ が大 衆 の意識 と し て 日本 与 し 易 し、 日本 と 戦 つ
対 し ま す る感 情 を益 々昂 ぶ らせ た ので あ りま す 。 ま た攘 外 の方 面 か
つた の であ り ま す。 も つと 申 せ ば 支 那 と いふ国 は極 め て簡 単 な る社
ら 見 ま し て、 外国 か ら提 供 す る ウ オ ーム ・ベ ツト が益 々進 展 し て参 る所 の 一つ の機 会 にな つた ので あ り ます 。 かや う に申 し て見 ます る
は れ て居 り ま す が 、果 し て然 ら ば 単 細胞 式 の中 に経 済 と か政 治 と か
さう 云 ふや う な 分 科 し た制 度 を作 る こと は余 程 六 かし い。 政 治 も経
会 情 勢 ︱ ︱ 謂 はば単 細 胞 式 と 云 つ て い いや う な国 家 であ ると よ く言
済 も 一つ の両 面 を為 し て居 ると い ふや う な こ と が如 実 に出 て居 る国
一兵 卒 であ り ます が、 そ の 一兵卒 か ら見 ま す ると 、 どう し ても 申 さ なけ れば な ら ぬ事 が 一つ起 つ て参 り まし た 。 そ れ は か やう な 支 那 の
家 であ ら う と 思 ひま す 。 日支 経済 合 作 が叫 ば れ てか ら 五 六年 に なり
と 、 私 の如 き は南 京 の第 一線 の いは ゆ る塹 壕 戦 のやう な所 で働 いた
か やう な現 勢 に在 る と ころ の認識 が 日本 に於 て明 か に な つて ゐな い
情 勢 ︱︱ 極 め て簡 単 であ り ま す け れ ども 、 統 一の現 勢、 攘 外 の現 勢 、
てか ら で も 二 三年 にな り ます け れど も 、 ま だ 思 はし き実 績 は挙 つて
事 実 で あ つた こと であ り ます 。 大 阪 に参 り ま し て或 る方 面 か ら伺 ひ
私 の最 も 深 く印 象 さ れ ま し た こと は、遺 憾 な が ら 日本 の対 立 状態 は
る。 更 に東 北 に参 り ま す と これま た 全 く 相 反 す る 二 つの空 気 が あ る。
ま す 。 現 に北 支 で は経 済 合作 の組 織 そ のも のが出 来 上 つた と 言 は れ
こ れは事 実 でご ざ いま す。 か やう な 無 統 制 は何 に依 つて生 じ た か。
に於 て承 りま し た 空 気 を見 ま し ても 、 全 く 相 反す る 二 つ の空 気 が あ
事 が 出来 上 つた と か い ふやう な色 々な 話 が あ り まし た が、 御 承知 の
私 は 今 日 の日本 国 民 は ︱︱ 殊 に 地方 に行 つて見 ます と能 く解 る ので
ま し た空 気 と 云 ふも のを見 ま し ても 、 九 州 に参 りま し て熊 本 、博 多
如 く 旅行 の結 果 とし て は 日華 貿 易 協 会 が出来 た だ け の事 であ り ます 。
あ り ま す が、 目 標 を失 つ て居 る と思 ひま す。 こ の点 は何 も のよ り も
居 り ま せ ぬ。 二年 前 だ と思 ひま す が 、 今 の実 業 部 長 で あ る呉鼎 昌 が
斯 様 な事 実 から 申 しま し ても、 ただ 経 済 合作 、 た だ経 済 提 携 と いふ
大 切 な 点 で あ らう と思 ひます 。 私 は対 支 問 題 を 申 上 げ ます る度 毎 に
団 長 と な つて、 日本 に実 業視 察 に参 り ま し た。 そ の当 時 何 か棉 花 の
やう な 口実 を与 へる に過 ぎ な いと い ふ こ の際 に於 て、 最 も 強 調 致 し
や う な事 を申 し ま し ても 、徒 に支 那 に対 し て経 済 侵 略 であ ると い ふ
ま し た通 り率 直 に申 せ ば対 立 し て居 り ま す 現在 の 日本 の内部 の状 況
を 用 ひ なけ れば な ら ぬ と思 ひま す 。 同 時 に そ の打 開 はた だ いま申 し
に 、 吾 々は寧 ろ 進 ん で こ の日支 関 係 の政 治 的 の打 開 と いふ こと に意
気 息 め の経 済 合 作 、 経 済 提携 と いふ やう な 標 語 に囚 は れ る こと な し
ひ ます 。 さ やう に私 は 考 へる の であ り ま す。 さう 致 しま す れ ば単 に
最 近 の情 勢 から 申 し ま す れ ば、 益 々困 難 な る情 況 が あ るだ ら う と思
て不 便 な実 情 で あ る。 現 に私 か らた だ いま 御説 明申 上げ ま し た如 く 、
と 致 し ま し ても 、 経 済 若 し く は財 政 的 に日本 と結 び付 く こと は極 め
の如 き情 勢 を自 ら作 る こと は 大 に慎 ま なけ れ ば な ら ぬ と思 ひま す 。
官 僚 独善 と 云 ふ やう な 事 を唱 へて、 支 那 方 面 に対 し て外 交 マイ ナ ス
ヤ ー ナリ ズ ムと申 しま す か、 各新 聞 雑 誌 が外 交 一元化 を唱 へ、 或 は
であ る と思 ひま す 。 方 法 の問 題 で あ りま す 。 こ の時 に当 つて或 はジ
そ の方法 には色 々あ り ま す。 方 法 に色 々あ る こと は対 支 外 交 の本 質
外 交 は 昔 か ら 一元であ る、昔 か ら陛 下 の外 交 であ つた と思 ひま す。
す 。 こ の時 に当 つて外 交 一元化 を叫 ぶ人 が あ り ま す け れど も 、 私 は
只 今 申 し ま した 政 治 的 打 開 の道 は相 当 困 難 で はな か らう かと 思 ひま
先 づ以 て こ の内 政 上 に低 迷 致 し ます 暗 雲 を 一掃 致 し ま せ ん け れば 、
内 問 題 、 内 政問 題 にな り つ つあ る と私 は考 へて居 り ます 。 さす れ ば
ひま す か 対東 亜 問 題 と 云 ひます か、 是 は今 や 国 際問 題 に非 ず し て国
を 先 づ以 て改 め る こと が先 決 問 題 であ ら う と思 ひま す 。私 は 日本 に
甚 だ 蛇 足 で ござ いま す け れ ど も私 の卑 見 を 加 へま し て支那 事 情 を 申
各 方 面 で 此事 を申 し て居 る ので ござ いま す け れ ど も、 対 支 問 題 と 云
帰 つて参 りま し て、本 日 は六 十 九 回 目 のお話 を致 す の であ り ます が、
た い こと は、 こ の 日本 と いふ も のが 矢 張 り 政治 的 に何 か の空 気 を造
各 方 面、 特 に各 地 方 で率 直 に ︱︱ 無 論 本 日 の如 く精 し い事 情 を打 開
上 げ た 次第 でご ざ いま す。 ( 拍手)
つ てや ら な け れ ば、 支 那 と いふ も の は個 人 と 致 しま し ても 或 は団 体
け は 致し ま せ ぬけ れ ど も、 私 の感 じ て居 りま す こと を 極 め て率 直 に 吐露 致し ま し て、各 方面 の教 を乞 う た ので あ りま す け れ ど も、 先 づ
一
二
因)
七八
於 軍 令部 第 三部 長 室 )
②
①
今 後 斯 か る こと を な さず の保 障 を 与 へ
過去 に於 て不 当 に作為 せ る既 成 事 実 を 解 消 し
之 を防 止 せ ん が ため には 日 本側 に於 て
る惧 れ 大 な り
従 て 現状 維 持 派 も 勢 の趨 く と ころ容 共 派 を容 れざ る能 は ざ る に至
用 も 亦 止 む を得 ず と の論 盛 ん な り﹂
が 信 念 と な り、 之 がた め には 武力 抵 抗 は云 ふ迄 も な く容 共 政 策 の採
(昭和 十 二年 一月 二十 九 日
須磨 南 京総 領 事 帰朝 談 要 旨
即
日本 は従 来 特 に北 支 自 治 運 動 以後 単 に脅 喝 を以 て支 那 に臨 む
( 原
支 那 は最 近 著 し く 日本 の圧 力 を 惧 れ ざ る に至 れ る こと
支 那 最 近 の動 向 に関 し最 も 痛 烈 に感 じ た る も の 二 つあ り
イ
二 ・二六事 件 以来 日本 の内 部 情 勢 は混 沌 とし て外 敵 と事 を構
のみ にし て決 し て実 力発 動 の意 志 な き を観 破 せ る こと ロ
ら る る に あ らざ れば 国 交 の調 整 は困 難 な ら ん
ふ る が如 き こと は 不可 能 な る べし と 想像 し あ る こと
之 を具 体 的 に云 へば
綏 東 事 件 に於 て実 力 を以 て百靈 廟 、大 廟 等 を 奪 回し満 洲 事 変
ハ
従 来 完 全 に ﹁セ ット ・アサ イ ド﹂ さ れ て 一切 触 れざ り し満 洲
角 一応 之 を支 那 に返 還 し 然 る後 に ﹁アイ ル ラ ン ド﹂ ﹁カ ナ ダ﹂ 等
問 題 を持 ち出 し ﹁之 に対す る 日本 の既 成 施 設 は之 を認 む るも 兎 も
①
又 孔祥 熈 は須 磨 に対 し
一切 口 に出 さざ り し が今 回 は 公然 之 を 口 にす る に至 れ り)
得 ず 冀察 は其 の 一例 な り ﹂ ( 註 、 従 来 の交渉 には冀 察 取 消 の如 き は
﹁ 統 一せ る行 政 権 の完 成 を妨 ぐ る行 為 には飽 くま で抵 抗 せ ざ る を
以来 彼 等 の願 望 た る失 地回 復 に対す る 一部 の希 望 を 達 し た る が如
の考 へを起 さし め た る こと
き観 念 を与 へ彼 等 を し て実 際 に や れば 日 本 も大 した こと は な いと
日本 以 外 の外 国特 に英 、 米 が支 那 に寄 せ つ つあ る同 情 は 相当 大
之 に 対す る 一例 と し て須 磨 帰 朝 前 張 羣 は 我首 相竝 に外 務 大 臣 に伝
な る も の あ るを 認 識 せ る こと
﹁現在 支那 で は 一般 に飽 く迄 日本 に抵 抗 せざ る可 らず と 云 ふ こと
へら れ た し と て左 の如 き 談話 を な せ り
日本 は 支 那 に対 し何 等 援 助 を な し呉 れざ る に他国 が之 を やら
の如 き 自 治領 と な さ ん﹂ こと を持 出 す に至 れり ② んと す れ ば 必ず 文 句 を 云 ふを 例 とす (孔 よ り已 に六 回 も借 款 を申 し 込 みた る も 一回も 応 ぜ ざ り し を詰 る) 之 は余 り に非 道 な る遣 方 な るを 以 て今後 は 日本 と し ても実 際 援 助 を遣 る か遣 ら ぬ か を決 定 し 遣 るな ら ば遣 る遣 ら ぬな ら ば遣 ら ぬ で他 国 の援 助 を阻 害 せざ る 様 致 さ れ度
右 二例 によ つて見 るも 明 かな る 如 く 要 は 日本 の圧 力 (単 に武 力 を
と 申出 た り
指 す も の に非 ず ) に欠 陥 あ り 且 つ他 国 の援 助 強 き 結 果支 那 の態 度 を 現 状 の如 く変 化 せ し め た るも のと 認 め ざ る能 はず
対支 抵 抗 を少 し 宛 に ても 柔 らげ 行 く こと ︹ 本書二九二頁︺ (註) 例 へば 日支 交 渉 に支 那側 よ り提 出 の五項 目 の如 きも 容 易
り
機 関商 社 は互 に密 接 連 絡 し 一元的 国 策 の遂 行 に努 力 し つ つあ
(註 ) 英 国其 他 の対 支 活 動 は非 常 な るも のな り 、英 の在 上 海 各
在 上海 帝 国 各 機 関 の斉 整 統 一を要 す
へあ り
(註 ) 外人 は 一般 に 日本 は 支 那 の統 一を妨 害 す る も の なり と 考
一致 せ る気 構 へを作 る こと
圧 力 を 如何 に し て恢 復 す るか
之 が対 策 と し て は 一 イ
ロ
ハ
な るも のに つき て は多 少 共考 慮 しや る こと 一法 な ら ん 之 を要 す る に先 づ帝 国 は内 に於 て人 の和 を作 り 上 げ 相 一致 せ る気
構 へを 以 て支 那 に臨 む こと を第 一の要 諦 と 信 ず
﹁支 那 は時 々刻 々強 くな り つ つあ る﹂
猶 ほ附 書 し 度 き は
こと は深 く 心底 ︹に︺ 蔵 し て対 支政 策 を実 行 す る 必要 あ り
七九
軍 令 部 第 一部 長 殿
見
情 報 綜 合 所
(昭 和 十 二年 二月 一日
︹野村直邦︺
軍 令 部 第 三 部長 )
を買 は ざ る こと に力 む) を決 定 し着 々と し て該 方 針 に基 く収 穫 を収
附
一、 過 般 来南 京 政 府 は西 安事 変 の善 後 処 置 に大 体 の目 鼻 つき 共産 軍
め つ つあ り
三、 支 那 は我 国 に対 し即 時 宣 戦 は固 執 せざ るも対 日武 力 抗 争 を旗 標
よ り支 那 は最 近漸 次 強 腰 にな り つ つあ る こと 確実 な り
二 、現 下 我 国 情 の不 安 並 に支 那 に対 す る英 米 等 の有 形 無 形 の援 助 に
三 、 支 那 は事 実 上 漸 次 統 一に向 ひ つ つあ り
なり
機 関 を置 き遠 大 の計 画 を 以 て着 々と 其歩 度 を進 め つ つあ る こと これ
協 力 一致 の対 支 経 済 参謀 本 部 (鉄 道 、鉱 山 、 船 舶 を 主 とす ) の如 き
英 の対 支 進 出 の実 情 中帝 国 の最 も 学 ぶ べ き こと は 上海 に官 民 合 同
と相 当 関 係深 き東 北 軍 及 楊虎 城軍 の軍 費 及移 駐 地等 に関 し 妥 協成 立
と し て抗 日戦線 を強 化 せん と し つ つあ り 二月 十 五 日開 催 予 定 の三中
四 、 支那 青 年 の覚 醒就 中 国権 回復 、 国家 統 一を目 途 と せ る青 年 将 校
し つつ あ るも の の如 し
全 会 議 に は注意 を要 す
以 上 の実 情 に対 し 支那 現下 の対 日動 向 を支 配す る勢 力 と し て張 外
の強 烈 な る 一致 団 結 気 運増 進 し つ つあ り
一、楊 虎 城 一派 の人 民戦 線 を結 成 し 抗 日戦 線 の強 化 を 主張 す る も の
交 部 長 の須 磨 総 領 事 への直 談 に よれ ば
尚 ほ最 近帰 朝 せ る須 磨 南 京 総 領事 の来 部 報 告 に依 れば
附
一、帝 国 が従 来 支那 に対 し 所 有 し あ りた る威 圧 力 は最 近著 し く衰 へ
に訴 へる も 又容 共 も敢 へて辞 せざ るべ し と なす も の
つ つあ り
三、蒋 、汪 等 の如 く謂 ゆ る知 日派 にし て出 来 得 る限 り日本 と の衝 突
二、 要す る に抗 日 の目 的 を達 す る為 には 日本 の出 様 によ り て は武 力
而 て其 の主 要 な る原 因 は内 地 に於 け る帝 国 の不統 一を以 て最 とす ︹ 覚︺ 二、 南 京 に於 け る英 国 の対 支 親 善 並経 済 工作 の進 展 は真 に目 醒 し き
を 避 け平 等 の立 場 に於 て和平 の目 的 を達 せ ん こと を 主 張す る も の
ものあり 英 は数 年前 既 に対支 親 善 方 針 (如 何 な る場 合 と雖 も 支 那 人 の反感
の三なる処目下 の情 勢に於 ては日本に於 て左記 二項に関 し特別 の考 慮を払 はれざ る限り第 三派 の主張 は結 局葬 り去ら るるに至 る必然 の 趨勢 にあり就 ては本 件貴官帰朝 の上は可成速 かに貴総 理大臣及外務
将来如斯行動 を絶対 に行はざるべき保証
過去 に於 て不当に作為せ る既成事実 の解消
大臣に伝達方取り計はれ度 云々 一 ( 註) 一項は北支 工作を意味す
二
従来我対支 外交 の幾多 の苦 き経験並上述 の如 き諸情報 に鑑 み此際
所見 既定 の対支政策 に再検討を加 へ和戦両様 の備 へに万遺憾 なきを期す るは蓋し現下 の緊要事 なりと認む
八 八〇 〇
( ( 三 一 一 二 二= ︱ =四 四⊥ ︱ ー一 一 七 七 於 於海 海軍 軍大 大臣 臣室 室) )
仕 事 を や る事 は出 来 る
の状 況 に髣髴 た り
現 代 の支 那 は 日露 戦 争 後 日本 が 外資 を 入れ て産業 復 興 を や つた時
癌 は北 支 問 題 だ と 云 ふ事 は事 実 な り
新 聞 で伝 へら れ た る如 き権 幕 だ と は思 はな か つた然 し何 と し ても
ゆく は委 員会 で も作 つて行 き度 事
日支 間 の銀 行 は之 を話 合 なし た るも幣 制 改 革 以 来疎 隔 し あ りゆ く
日支 紡 績 の協 同委 員 会 (日本 の現 地 の側 で反 対 あ り し)
児 児玉 玉 [ [ 謙 謙次 次︺ ︺訪 訪支 支使 使節 節談 談
一昨 年 来 の問 題、 二、 二六 、成 都 事 件 等 に て延 々と な れ り
一、 訪 問 の目 的 経 緯
西 安 事 件 後 外 、陸 より 慫 慂 あ り、 日華 貿 易協 会 を開 く 事 が 根 本 、 意 見 の交 換 を 行 ひ つ つあ りき 、 中央 、 出 先 も 一致 を 先決 条 件 と す 行 く時 の気 分 は ﹁何 等 か良 い気 分 で話 合 を す る や う に な ら な い か﹂ 問
意 想 外 の歓 待 を受 けた り
一、 訪
団 匪 事 件 の賠償 金 英 国 は活 用 し あ り
日本 は日 本 で押 へて仕 事 を し てゐ る
事 業 に使 つて そ の収 益 を 文化 事 業 に投 じ あ り
北 支 問 題 が 重要 問 題 国 交 の改 善
国 民感 情 融 和 せず し て は何 も出 来 ぬ、
攻 撃 の やう に 取 れず 衷 情 を訴 ふ る如 く見 受 け た り
京 政 府 の存 立 を認 め て貰 ひ度 、 北 支 に てな さん とす る事 は よく 諒 解
支 を特 殊 化 さ せ ん とす る意 図 あ る が如 きも 之 だ け は止 め て貰 ひ度 南
紙 幣 発 行 十 四億 中準 備 が八 億 (国 の内 外 1 / 2 宛)
貿 易 昨年 は取 勘 定 の如 し
農 産 物 の収 入 は十 億 、 華 僑 のが昨 年 三億 、
幣 制 改革 は 想像 以 上 に良 い
財 政 上 か く れ た悩 み は見 ら れ、 毎 年 三億 の一 が あ る ら し い
す る を以 て中央 に相 談 さ れれ ば之 に応 ず る の用意 あ り、 北 支 のみ を
冀 東 特 殊 貿 易、 軍 用 機 自 由 飛行 、特 務 機 関 の越軌 行 動 軍 部 に て北
相 手 にし て は物 に な らず 、 北 支 も宋 哲 元 の みを 相 手 と さ れ度 し
北 支 六 マント ン
国 内 銀各 地 に分 布 し あ り 日本 の侵 略 に備 ふ る為
九分 九 厘 迄 抗 日 な り、
欧 米 派 の勢 力 強 し
国家 意 識 は熾 烈 な り、 日本 派 の支 那 人 は 華 北 問 題 に就 て希 望 多 し 浪 人 、 特務 、 英 派 の支 那人 は 冀 東 の問題 を 八釜 し く 云 ふ 、 主 権 の侵 害 を問 題 と す る 密輸入
関 の 一 二 残 五 七 マ ント ンは 正 式
砂 糖 、 二〇 〇 〇 万 ピク ル ( 八 〇 万 ト ン)
税
八 一
青駐秘情報第 四十 二号
其 一
)
)
)
尻
右 に同 じ
右 に同 じ
第 二連 第 三連 第四連
穣
第 一連 (百 二十 六名 )
田
一
穣)
砲
軽 機 関 銃
四門
一 二 〇梃
( 田 尻
兵
砲
一八梃
歩
撃
刀
二門
一、 二〇 〇 本
四〇 〇梃
一、 一四〇 梃
一 二 門
迫
銃 (三 八式 )
竜
銃 (モ ーゼ ル及 ローヤ ル)
兵
青
砲
匹
嶺
一、 五〇 〇個
二 〇頭
一輛 (団 長 用 )
五輛 (三〇 人 乗 )
射
馬
兜
天
第 五団 司 令部 の所 在 地 にし て第 一営 の 一部 二〇 〇 名駐 屯 す
摩
三、 兵 力 配 備 状 態 (附 図 参 照 )
鉄
乗用自動車
軍 用 ト ラ ック
高
拳
歩
重 機 関 銃 (水圧 式 )
二 、兵 器 種 類 及 数量
税 警 団 山 東 移 駐 に就 て
昭和十二年 五月 二十四日 税警 団 山 東 移 駐 に就 て
第 一営
第二営 営長 ( 李 高崙
営長 ( 朱 仁執
青島駐在海軍武官 一、 歩 兵第 五団 編 成 組織
澳区財政部税 財政部税 膠団 歩兵第 五団 警総 団総 警 (団長 丘之純) 団長黄杰 兵 力約千五百名
第 三営 営長 ( 羅 玉華
本部
の周囲約五〇〇米 の地点 に約八〇名 の兵 を使用し深 さ五呎幅 一二呎 の堅固 なる塹壕を建設中なり携帯 用無線機 を有し海州本隊と の連絡 に任 じ且青島塩場公署各営本部税警瞭望所 (見張所) との間 に直通 南
萬 村
電話架設せられあり 二 第 一営本部 の所在 地にし て南萬村︱摩天嶺︱海西 (西方)︱女姑 口を連 ぬる線 に分屯 しありて海西 (西方)︱女姑 口間に塩場見張所 女
姑
口
二ケ所を設置しあり 女姑 口西方約 二、〇〇〇米 の地点より膠州 に至 る間 に於ける塩 田
三
三〇︱四〇) あり何 れも堅固な る土屏を以て囲 み銃眼を有し高 さ約
内 に約 二粁 の距離を置 き税警瞭望所 (見張所)大小二十 一ケ (兵力
八
九
日
東
照
衛
同
)一
税 警 団 歩 兵 第 一団 来 駐 せり と 云 ふ (諜 者 を派 遣 調査 の上報 告) 安
州
税 警 団 歩兵 第 三団 来 駐 せり と 云 ふ ( 海
税 警 団 第 二 団 は海 州 にあ り
〇
州
第 七 四師 第 二二 〇旅 の 一ケ旅 (約 三 千) 駐 屯 し毎 日猛訓 練 を実
膠
一一 其 他 附 近 駐 屯軍 隊 及 教 導 隊 の配 備 イ
第
陽
三 艦 隊 海 軍 教導 隊 第 一大 隊 の 一ケ 中隊 (一 三〇 名) 駐屯 し約
城
施 し あ り城 外 約 二千米 の地点 に堅 固 な る塹 壕 を築 造 中 な り ロ
務
各 駐 屯 地 は全 く 戦 時 の状 態 と同 様 にし て軍機 の漏 洩 に は極 度 に神
五、 現 地 状 況
4 、 塩税 引 上後 の塩 田 警 戒 塩 民 の暴 動 防 止
3 、 沈鴻 烈 韓 復榘 に対 す る無言 の圧 迫
2 、綏 遠 戦 に声 援 し 日本 軍 の侵 入 を予 防 す
1 、青 島 附 近沿 海 の日 本 漁 船侵 入並 に密 輸 船 の警 戒
税 警 団 の任 務 左 の如 し
四、任
会 軍事 訓 練 民団 軍 約 五〇 〇 名 あ り (即墨 県下 に は 二千 名 あ り)
第 三艦 隊 海 軍 教 導 隊第 一大 隊 の 二ケ 中隊 約 二〇 〇 名 駐 屯 す聯 荘
墨
三 〇名 程 を以 て城 陽 河附 近 に塹 壕 を構築 し つ つあり
哥 荘
即
五間幅 二間 の望 棲上には重機関銃を据付 け見張 の兵士は総て鉄兜 を 洪 灘
ハ
棘
被 り軽機関銃 (ベ ルグ マン) を携行す 四
鮮人を暴力を以 て駆逐 し占拠せ る家屋 に第 二営本部を設置しあり 馬
部隊 は棘洪灘︱ 上崖︱下崖︱李哥荘 に分屯す 五 塔埠頭西方
第三営本部 を置 き 一部 を程哥荘 に分駐 せしめあり 六
山 衛
塩務緝私隊 二〇〇名分駐す 隊 長馬筱裕 靈
税警団歩兵第四団 (第 五七師第 一七〇旅 なりとも云ふ)来駐 せり
七
と云ふ (諜者 を派遣調査 の上報告)
経 を 尖 ら せ あ り兵 舎 に充 当 せ し各 住 家 に は鉄 兜 、 歩 兵銃 、 有 線 無 線
り大 し た反 響 なき 時 は 大部 隊 の中 央 軍 を 山 東 に入 れ て韓 を威 圧 し 山
匪的 暴 行 を以 て駆 逐 し た る は 日本 側 の態 度 打 診 に あり 此 の瀬 踏 に依
鴻
烈
見
所 謂 税 警 団 の編 制 は 一ケ団 歩 兵 三ケ営 及 特務 連 六 ケ連 と の情 報 各
八 、所
然 し 日本 は黙 視 せざ る べ く 不測 の事 件 発 生 を憂 慮 し居 れり
備 の 一石 二鳥 式 筆 法 な る べ し
東 を し て完 全 に中央 の威令 統 制 下 に置 く 企 図 の具 な る べく 又 対 日戦
電 信 電 話 機 を見 受 け之 が ︹カ ム フラ ージ ユ﹂ に遑 な き有 様 な り 路
昭 和 十 年 以来 財 政 部 に て建 設中 な り し青 島 ︱ 海 州間 の自 動 車 専 用
六 、道
道 路 に幅 三間 ) は 工事 完 成 し 女 姑 口︱ 海 州 間 は 一日に て到着 し得
沈
七 、 税 警 団 山東 移 駐 に関 す る中 国 側 の態 度
る点 よ り見 るも 砲 、騎 、 工等 他 兵 種 在 る べ し と想 像 せら る、膠 東 駅
方 面 よ り報 告 あ り現 に摩 天嶺 団 本 部 に は歩 兵第 五 団 と明 記 せら れ あ
一 曩 に第 三 中 全 会議 に赴 京 せ る際 中 央政 府 よ り税 警 団 青 島附 近派 駐
と 当惑 顔 な りき 要 之 雑 軍整 理 の為 生 じた る過剰 軍 隊 を原 来 の税 警 団
安事 変 以後 の整 理 によ る雑 軍 兵 士 多 量 に混 入 し居 る は明 か にし て素 ︹ 龍長興︺ 質 不良 は免 れず 龍 副官 長 も兵 は各 地 出身 のも の あ り極 め て複雑 な り
西南 方 に天 幕 露 営 中 の部 隊 に疑 惑 あ り ︹ 註︺ 魯 機 密 第 一七 七 番電 に て報 告 の如 く服 装 不整 一な る点 より見 て西
に関 し 内 話 あ り沈 は ﹁バ ツ ク﹂ た る張 學 良 の勢 力 失 墜 せ る 現今 自 己 擁 護 のた め 中央 に媚 び る意 味 に於 て快 諾 し青 島 に税 警 団司 令 部 設 置 せら る る予 定 な り し が税 警 団 の鮮 人 暴 力 駆逐 に よ り日 本側 の輿 論 沸 騰 し た る に鑑 み税 警 団 の青 島 不 入 市 を表 明 し司 令 部 設 置 も見 合 せ と
復榘 築
曩 に赴 京 せ る際 中 央 政 府 よ り山 東 塩 区 に税 警 団 派 遣 の承諾 を強 要
韓
な る に至 れ り 二
十 一月開 催 せら るべ き国 民大 会 以 前 に北 支 の特 種 性 を消 滅 せし め ん ︹ 魂?︺ と す る根 胆 な りと 察 せら る
に編 入組 織 を拡 大 せ る上 山東 の地 盤 に之 を押 入 れ韓 復榘 を 圧迫 す る ︹ 宋哲元︺ と 同時 に 日本 の態 度 を ﹁テ スト﹂ 泡 好 く ば韓 宋 の浮 腰 を 突 いて 此 の
外な く斯 か る中 央 の圧 力 に対 し同 一状 態 にあ る宋 哲 元 と 五 月 二十 三
せら れ止 む な く少 数 な らば と 承諾 し た る手 前 今 更 意 外 の兵 力派 遣 に ︹ 境?︺ 苦 情 も 云 へず満 腹 の 不満 を蔵 し な が ら環 況 の情 勢 によ り 泣寝 入 り の
此 の際 日本 が袖 手傍 観 先 に大 言 壮 語 せ し 北支 五省 聯 盟 を忘 れ た る
が 如 き 弱腰 な らば 宋韓 は中 央 屈 服 の外 な く殷 汝 耕 は別 府 に逃 る る の
日商 河 縣 境 毛 家 寺 に於 て会 見 し 対 中央 策 を協 議 せ るも のと 思惟 さ れ
政 府 に取 り て は秋 の国 民大 会 は 重大 転 換 期 を劃 す べ きも の日 本 と し
支 那 は今 一石 を 水 中 に投 じ波 紋 を見 つ つあ り而 し て国 民 党 及 国 民
醜 を 演ず る に至 ら ん
従 来 中 央 の対 韓 方針 は対 日本 特 殊 関 係 を顧 慮 し微 温 的 圧 迫 を加 へ
諜 者 に対 し 余晉 〓 談話 要 旨
韓 今 後 の態 度 は注 目 に値 す
来 り た る が西 南 西北 の解決 に意 を強 くし 税 警団 の名 目 に て完 全戦 時
ても 目 下 の時 局 を正 し く 認 識 し彼 の 一投 石 に対 し慎 重 に し て力 強 き
三
武 装 せ る中 央 軍 を 山東 に 入駐 せし め 青 島 包囲 の態 勢 を執 り 鮮 人 を 土
(終)
(備 考 )
各紅 楼 に鉄 兜 の衛 兵 一あ るは前 回 に異 な らず 最 南 端 な る女 姑 口 の
紅 楼前 道路 上 に鉄 条 網 張 り の門 を仮 設 し 門 戸 を 半開 し自 動 車 の自 由
表 示 を 必 要 と な さん
︹ 註︺ 魯機密第 一七七番電 五月 二十 一日発、(田尻青島駐在海 軍 武 官←次
通 行 を許 さず
沿 岸 各村 落 にも 同 様 相当 数 の兵 舎 営 し居 る も の と判 断 せら る税 警
ありと云ふ
馬 哥荘 内 民家 に多 数 の兵 を見 た り 土 民 の言 に依 れば 約 五〇 〇 の兵
の構 造 な り
馬哥 荘 紅 楼 は陰 島 への要 衝 な る為 め摩 天嶺 団 部 に劣 らざ る大 規 模
の印 象 を得 た り
の な る が今 や 殆 ん ど 通行 者 を見 ず 軈 て塩 務専 用 路 と 化す に非 ず やと
の交 通 に開 放 せら れ あ り陰 島 への捷 路 とし て盛 に利 用 せ ら れた るも
州 湾 環 海 汽 車 路 の名称 の如 く 自動 車専 用 路 とし て自動 車 、 自 転 車 等
の門 も なく 又 尋問 等 行 はず ) 五 月 新税 警 団 来 着 以 前 は 此 の道 路 は膠
等 を執 拗 に問 ひ警 戒 甚 だ 厳 重 な り (五月 二十 日 視察 せ る際 は鉄 条 網
次 の紅 楼 に於 て は標 旗 を 示 し停 車 を求 め両 処 共 姓名 、 用 向 、 行 先
官 ・次長 )の関係部分 の内容 は左の通 りであ る。 所属兵 ノ服装 ハ中央軍及東 北軍等雑軍 ノ軍衣 ヲ着 スルモノ多 ク西安事変 後改編 セラ レタ ル雑軍多数混入 シ居 ルモノト察 セラル団本部訪問 ノ際新募
其 二
兵 ラシキ モノ約 五十 ヲ見 タリ兵力増勢中 ト判断 ス
昭和 十 二 年 六 月 八 日
青 駐 秘情 報 第 四 十 二 号 ノ 一
税 警 団 山 東 移 駐 に就 て
穣
外 団 歩 兵第 五団 は最 初第 一第 二第 三歩 兵 営 兵数 計 一、 五〇〇 と 発表
尻
六 月 六 日謬 州湾 沿 岸 税 警 団 配置 竝 に靈 山 衛 に至 る道 路 視 察 の目的 ︹ 芳男︺ ︹ 那華雄︺ を以 て石野 、 谷萩 両陸 軍 特 務 機 関 長 と同 行 現 地 調 査 に赴 きた るが大
兵 は第 六営 の ︹マー ク﹂ を附 し居 りた り ︹ 謝剛哲︺ 要 之 税警 団侵 入 に関 し 日本 の反 対予 想 外 に強 く韓 、 沈 、謝 等 各 方
田
沽 河橋 梁 掛 替 工事 漸 く着 手 の緒 に就 きた る程 度 にて渡 河す る能 はず
面 の反 感 も 日 と共 に露 骨 と な り来 れ るた め 表 面青 島 附 近 は第 五団 の
青島 駐在 海 軍 武 官
せ るも 自 動 車 を通 ず る程 の路 な く 不得 已 膠 州 経 由靈 山衛 行 を も 断念
膠 州 大 路 への迂廻 路 もな き 為 め 一度 馬哥 荘 ま で 引 返 し膠 州 に出 ん と
み駐 防 と 云 ふ形 を採 り内 容 拡大 中 のも のと 察 せ ら る。
動 せし も の の如 し
尚 ほ靈 山衛 附 近 に あり し 約 一ケ団 は世 評 を避 く る為 王臺 附 近 に移
さ れた る も其 後 著 し く 兵 数 を増 し た るも の の如 く 現 に女 姑 口紅 楼 の
帰 青 せり 道 路 及 び紅 楼 (見 張 所 の屋 根 赤 き を以 て斯 く 呼 称 す) の位 置 別 図 の如 し
八二
青 駐 秘 情 報第 四十 二号 ノ 二
田
尻
穣)
沈 市 長連 日郷区 視 察 を 継続 し つ つあ り、 薜 家 島靈 山
沈 鴻 烈、 李 公 安 局長 、保 安 副処 長 王時 澤 、 雷 教育 局
韓 復榘 赴 京
葛 光 廷 、宋 若 愚
赴京
海 軍 教導 隊 総 隊 長 張 楚 材 離 青威 海 衛 に帰任
三月 二十 七 日
〃
何其鞏等
韓 復榘 一行海 路 来 青 全 中 会議 帰 路 蒋 伯 誠 、省 委 員 張 鉞 、
黄 杰 (税 警 団 総 団長 ) 飛 行 機 にて海 州 より 来 青中 国 旅 行
居 正 (司 法 院 長 ) 飛 行 機 に て北 平 よ り来 青 、 福 山路 二十
一号投 宿 、 劉哲 (冀 察 政 務委 員 ) 家 族 同 伴 陸 路 来青
四月七日
社 投宿
四月六日
葛 光 廷 、 聞 承烈 (省顧 問 )姚 以价 (省 顧 問 日本 留 学 )
四月五日
〃
三月 二十 九 日
長 及 要 人帯 同夏 莊 区 の視 察 に赴 く 後 五時 帰 青
三月 二十 六 日
を命 ず 、 月未 より 一大 改 革 を行 ふ旨附 記 し あり
島 、 陰島 を視 察 、 各 郷 区〓 事 処 長 に命 じ月 末 迄 凡 て の報 告 書 提出
三月 二十 四 日
て陰 島 視 察 に赴 く引続 き管 収 島 嶼 の情 況視 察 を なす
沈 鴻 烈 、李 公 安 局 長 を帯 同 港 務局 汽 船 ﹁趙 村号 ﹂ に
青島 駐 在 海 軍武 官
税 警 団山 東 入経緯 側 面観
沈 市 長 市政 府 要 人 を 招集 三中 全 会 議経 過 報 告 を なす
三 月 二十 二 日
(昭和 十 二年 六月 二十 三 日
税 警 団 山東 入 に関 し種 々の説 あ る処 三中 全会 以後 諸 要 人 の動 静 よ り之 を 覗 ふは興 味 あ る看 点 かと 考 へ拾 ひた る事 実下 記 の如 し 彼 方 の計 画的 方 針 は 依之 可 知 、 新 税 警 団 は塩 税 加 重 によ る密 売 防 止 の為 の増 勢 な りな ぞ と申 す 沈 鴻 烈 等 の甘 口 に乗 ぜら れ ざ る を要 す
沈 鴻 烈 三中 全会 出 席 のた め濟 南 経 由赴 京
沈 鴻 烈 及 要 人動 静 二月 十 日
沈 市 長 三中 全会 議 を終 へ濟 南 に て韓 、葛 と会 見 の上葛 光
元第 三路 軍総 指 揮 部 軍 法処 長 、 山 東 省政 府 参 議 史景 州 即
廷 と 帰青 す
三月 五 日
三月 八 日
三月 十 三 日
沈 鴻 烈、 塩 務 警 核 処 長 呉祖 耀 、 保 安副 処 長 王 時澤 、公
墨 縣 長 に任命 せ ら る
三月十八日
安 局 長李 毓 成 、 工務 局 長〓 契 〓 帯 同 自 動車 を連 ね て滄 口 より 趙村
沈 塩 場 公 路 視察 に赴 く 前 日 に同 じ
︱ 太沽 河 一帯 の塩場 公路 視 察 に赴 く、 ( 税 警 団 問 題 の具 体 化) 三 月十 九 日
せを なす
四月 八 日
四月九日
沈 鴻 烈 は韓 復榘 、 居 正 、 黄杰 を勞 山 に案 内会 宴 重 要打 合
滄 口よ り乗 車 途 中 藍 村 に 一泊
沈 鴻 烈 迎賓 館 に於 て韓復榘 、 居 正 、 黄杰 等 要 人 及 随員 正
韓 復榘 (午後 九時 二十 分) 離青
式招 宴 、
す ︹ 謝剛哲︺ 謝 司令 順 天 号 にて威 海 衛 よ り来青
葛 光 廷 、濟 南 経 由 、 宋 若愚 帯 同 赴 京 す 濟南 に於 て韓 会 見す
四 月十 日
謝 司 令 濟 南 に於 て韓 と会 見 の上赴 京 す 居 正 大連 丸 に て離 青 上 海 経由 帰 京
四 月十 一日 四月 十 二 日
韓 と 要 務打 合 せ のた め来 濟 中 の冀 察 政 務委 員 李 沂 、魯
黄 河 水利 委 員 会 長 孔 祥榕 開 封 よ り来濟 、 韓 主 席 と 要務
打 合 せ をな す
〃
省 政 府 顧 問 聞承 烈 と 同 行帰 平 す
四月 十 六 日
〃
黄 河 水利 委 員 会 長 孔 祥榕 、 葛 光 廷 の案 内 に て濟南 よ り
謝 司 令 飛 行 機 に て南 京 よ り帰青
来 青す に新 々公 寓投 宿 )
四 月 二十 日
四 月 二十 三 日
黄 杰 、 沈 の送 別 宴 に臨 み膠 海 関監 督 袁 思 源 と同 行 濟
南 に赴 く (黄 杰 の青 島 滞 在 二十 三 日間 に及 ぶ)
四 月 二十 六 日
韓 復榘 、黄 杰 、 第 二 十 師長 孫 桐 萱 、第 七 十 四 師 長李 漢 章 、 第 八
︹ ?︺ 四 月 二十 八 日 韓 復榘 省 政 府内 西 花 庁 に於 て黄 杰 の歓迎 会 を開 き午 ︹ 天?︺ 後 太明 湖 に清遊 す
税 警 第 五 団長 丘 之 紀濟 南 よ り来 青 新 民飯 店 に投宿 す
十 一師 長 展書 堂 、 第 三 路 軍参 謀 長 劉 書香 、 副 官 長 雷太 平
沈 市 長、 南 方 視察 中 の第 三艦 隊 幹 部視 察 団 に帰青 電
韓 復榘 上官 雲 相 、就 任 祝賀 及 歓 迎 会 を 省立 劇 場 に於 て開
〃
四月 二十 九 日 〃 を発 す
上官 雲 相 、 馬良 、黄 杰 、韓 復榘 、 葛 光 廷 、 二十 師 長 孫桐 萱 、 七
軍政要人
五月二日 く
十 四師 長 李 漢章 、 二十 二師 長 谷良 民 、八 十 一師 長 展 書 堂 、 二十 九
師長 曹 福 林 (五 師長 ) 参 謀 長 劉 書香 、 副 官 長 雷 太平 、 秘 書長 張 書
税 警 第 五団 は突 然南 泉 駅附 近 に移駐 し来 る中 日開 戦 準 備
堂 、高 等 法 院 長 省 党部 李 文 齊 、 張竹 溪 、 其 他 要 人、 五月 三 日
膠 海関 監 督 、 塩 務 管 理局 長 等 の要人 連 清 遊
南 泉 に突 然 税 警 団侵 入 し来 れ る日濟 南 に於 ては韓 復榘 黄
と称 し 戦 時 武装 七〇 〇 名 〃
杰 及 沈 の代 表 方 聯 璧
〃
と称 し 一日長 清 靈 巌 寺 に於 て重 要 会 談 を なす
矩
韓
復榘
山 東 省 政 府 主 席
榕
長清 靈 巌 寺 会 合 者
藩
謝 司 令 宋哲 元 と打 合 せ のた め飛 行 機 に て赴 平 す
祥
源
〃
黄
樹
〃
孔
思
杰
税 警 団 総 団 長
李
黄 杰 、 膠 海 関監 督 袁 思 源 濟 南着
黄 河 水 利 委 員 長
衰
四月 二十 七 日
韓 、省 顧 問 過 之 綱 、 山東 塩 務 管 理 局 長李 樹 藩 税 警 局 長 王毓 璋 等
督
山東 塩 務 管 理局 長
監
膠
関
要 人 出迎 直 に省 政 府 に於 て密 輸 取 締 及 塩税 増 税 に付 打 合 せ をな す
海
韓 は増 税 反対
葛 宋 之
聯
光 若 綱
璧
廷 愚 〃
五月 二十 日
〃
謝 剛 哲 は 冀察 委員 李 沂 と 同行 北 平 より濟 南 着
青 島 各 警備 司 令 部所 在 地 と長 途 電 話 開通 す
膠 海 関 監督 袁 思 源 済 南 よ り帰 青
(新 浦 、 海 州 、 運 河、 徐 州 、 蚌埠 、 開 封 、 鄭 州)
〃
団長 丘 之 紀 列席 す
膠 濟 鉄 路 局 長 同委員 警察 署長 方
〃
過 章
青 島市 政府専 員 金
山東省政府高等顧問 葛
韓 復榘 、 東 北大 学 請 願 団 南 下 に際 し銀 一千 元 を贈 る
同 五月四日 軍事委員会委員林雅融濟南 より来青
五 月 二 十 一日
内 政部 長 蒋 作 賓 離 青濟 南 経 由 赴 平
五月六日 葛光廷、膠海関監督袁思源濟南より帰青
宋 哲 元、 韓 復榘 、 商 河 縣境 毛家 寺 に於 て五時 間 に亘
山東 塩 務 管 理局 長 李 樹 藩 濟南 よ り来青 す
り 会 談す
〃
〃
韓と何應欽通話成績良好
五 月 二十 二 日
五月六日 濟南︱南京間長途電話完成
黄杰 八日徐州より海州に赴 き新浦 に隴海線東段警備司令
五月八日 海州と全国主要地と長途電話開通す 〃 〃
馮 玉祥 泰 安 に来 る
謝 剛 哲 濟 南 よ り帰 青
〃
〃
〃
〃
山 東 塩 務 管 理処 長 及 青島 塩場 長 の市 要人 招 待
五 月 二十 三 日
五月九 日 中央顧 問 ステ フア ニ一行来青夜北 平に向 ふ
〃
部 を設立す 五月十 日 軍事 参議院参事白寳 山、中央委員 丁維汾南京より徐州経
十八 日鄒平 郷村建
〃
天津 市 長 張 自 忠 一行 訪 日視 察 団来 青 同夜 一行 は匇 々
沈 市 長 、 葛 委 員長 、 崔 士 傑 、韓 の招 電 に依 り夜 行 に
泰 安 抗 日誓 師 四週 記 念 祭 挙 行、 馮 玉 祥抗 日演 説 を な
と し て離 青 北 上 す
す 五 月 二 十八 日
〃
五月 二十 六 日
方 法 院長 、李 市党 部 首 席 委 員 、 及支 那 側 銀行 首 脳 者 、
軍 〓 公処 長 、王商 品 検 験 局 長 、袁 膠 海 関 監督 、柴 統税 局 長 、麥 地
参 事 、郭 財 政 局 長 、 王保 安 副 処 長 、王 工務 局長 、胡 秘 書 長、 汪 海
学 校 長 、 周社 会 局 長 、李 警 察 局 長 、雷 教 育 局 長 、袁 港 務 局長 、 楊
之 紀 、 葛 委員 長 、 崔 膠路 委 員 銭 委 員 、許 委 員 、宋 委 員 、 林山 東 大
塩務 管 理 局長 李 樹 藩 、青 島 塩 場 長 呉租 耀 、 沈市 長 、 税 警 団長 丘
〃
永翔 は海州連雲港 に碇泊し居 たり (漁業保 護のためと称
由海州 に向 ふ、白 は海州自宅 へ丁 は日照濤〓 の自宅 へ 〃 〃 す海 州より の通信新聞記載)
殷同 上海より帰青す
八 日より引続 き魯北視察中章邱、齊東、鄒平、長山縣を経て青
五月十 三目 韓復榘青 州着
〃
州に到着 〃
五月十六日 蒋作賓午前十時濟南着韓 と会見 設研究院視察 の上冀察 に向 ふ 五月十九日 蒋作賓 (内政部長) 一行来青
魯省 民政庁長李樹春 の東道 にて来青沈 の歓迎宴 あり税警団第五
て赴 濟 す赴 濟 直 前 米 艦 長 ベ ネ ツ ト夫妻 を迎 賓 館 に招 待 す 馮 玉 祥 、韓 復榘 と会 見 (午 後 三時濟 南 着 )
黄 杰 、 五 月 二十 九 日開封 よ り西 安 に赴 き顧 祝 同 と要
馮 玉 祥 杰南 発 午 後 六 時南 京 に向 ふ馮、 韓 会 見 には沈 、 葛 も馮 と
五 月 二十 九 日
会見 せり 五 月 二十 九 日
沈 市 長 税 警 団 に対 す る 記事 発 表 (市 政府 検 閲 済 の記
務 打 合 の上 海 州 に帰 る、 五 月 三十 一日
国軍 隊 の防 駐 は 我国 の勝 手 に し て他 人 の啄 容 の余 地 なし 某 方 の新
事 な り) ﹁税警 団 の防 駐 は密輸 取 締 の充 実 に し て 自 国領 土 内 に自
聞記 事 は事 実 にあ らず 移 駐 の税 警 は 一千 名 に過 ぎず 従前 の駐屯 人
第 七 十 四 師李 漢 章 部 隊 長 、 一日よ り 全員 中 央 軍 と 同 一服
員 と同 数 な り﹂
六月八日
六月六日
謝 司 令 永 翔 に て青 島 発 威海 衛 に向 ふ
魯 省 建 設庁 長 張 鴻 烈盧 山 に赴 き省 内 現状 報 告 を なす
参 謀 総 長 程 潜津 浦 線 徐 州 経由 海 州 に赴 け り
装 に更 衣、 南 京 軍 需 処 よ り発 給 す
六月 一日
六月九日
張 参議 紀 念 品 及 現金 携 帯 し 来
韓 復榘 第 三艦 隊将 兵 に対 し 沿岸 防 務 慰 問 の為 幹 部 に紀
税 警 団 馬 哥 荘附 近蕭 家 荘 、 汗家 荘 に兵舎 建 設 開 始
財 政部 国 定 税 則委 員 会 主 任 王棟 濟 南 よ り来 青 新 亜 飯 店
第 三十 二軍 参議 周 敬 孚 は連 雲港 よ り海 路 来 青 新 民 飯 店
念 品 、下 士 官 兵 に銀 一万元 を贈 る
六 月 十 一日
青す
に投 宿
〃
投宿
六 月十 二 日
〃
六 月十 三 日
なす
六月十三日 中央党部民衆訓練部総幹事汪磊来青党部建直し工作 を
六月十 五日 沈市長郷区視察 の為管内視察を開始す李村区夏荘 区。
八三
山 東 問 題 対 策意 見 一、 我 国 と し て執 る可 き処 置
横井 忠 雄 大 佐
(昭和 十 二年 五 月十 日)
ハ、 無 益 の摩 擦 を避 く る た め陸 戦 隊 揚陸 等 に就 て は極 め て慎 重 の
ロ、 必要 に応 じ増 派 す べ き警 備 艦 を準 備 す
イ、 青 島 在 泊 艦 は事 態見 極 め つく 迄 巡航 を行 はず
2 、海 軍 とし て警 備 上 の決 意
を要 す
海 軍 の山 東 問 題 対 策 意 見
昭 和 十 二 年 五月 十 日
左 記要 旨 の警 告 を 南 京 政府 に発 す 、
1、外 交 手 段
﹁日支 両国 々交 を 調整 し両 国 関 係 を 明朗 化 せ んと す る気 運動 き つ
防 止 す ると共 に 一々の小 事 故 に対 し神 経 質 的 行 動 を執 らず 適 時 必要
日支国 交 上 の大 局 的 見 地 よ り南 京 政 府 を対 手 と し 極力 事 端 発 生 を
態度 を執 る を要 す 、
は帝 国 が最 重視 す る青島 地 方 に於 て此 種 事 態 発 生 の虞 頗 る濃 厚 にし
な る警 告 及警 備 上 の処 置 に遺 憾 な き を 期 す若 し夫 れ税 警 団 及 び支 那
3 、帝 国 とし て の決 意
て帝 国 政 府 と し て は両 国 々交 上 憂慮 に耐 へざ る処 な り、 殊 に山東 地
つあ る今 日両 国 々民 の感 情 を刺 戟 し事 端 を 滋 か ら しむ る の虞 あ る措
方 各 所 に於 て税 警 団 が 帝 国 臣 民 の 一部 た る鮮 人 に加 へ つつあ る迫 害
づ る に於 ては 全 面的 戦 争 の危 険 を 冒 す も断 乎 膺 懲 の師 を起 す べ く帝
官 憲 が 増 長 し暴 慢 の極 我在 支 権 益 の根 本 を動 揺 せし む べ き行 動 に出
置 へ両国 に於 て厳 に之 を 戒 む べ きも のと信 ず 今 次 税 警 団 の山 東進 出
は極 め て遺 憾 に し て南 京 政 府 に於 て は山 東 縣 案 解決 の精 神 竝 に前 述
国 内 部 の決意 を 一致 せ しめ 予 め之 が準 備 を なす の心 構 を要 す
の趣 旨 に鑑 み速 に税 警 団 の行動 に関 し適 当 な る是 正 を行 ひ (青 島 入 市 の如 き は中 止 を要 す ) 此 種 事 件絶 滅 を期 せ ん事 を希 望 す ﹂ 尚 出 先
二、 理
と は速 断 し得 ざ るも同 団 の素 質 及 内部 分 子 の対 日歴 史 的 因 縁 に鑑 み
税 警 団 の山東 進 出 就 中 青 島 進 駐 が 直 ち に 日支 紛 争 を惹 起 す る も の
由
官 憲 を し て山 東 青 島 実 権 者 に右 趣旨 を通 告 せし む る事 勿 論 なり 之 等 警 告 は 一時 の通 告 に止 め ず事 態 に応 じ適 宜 之 を反覆 す る と共 に之 に 傾 聴 せず し て事 態 発 生 せば そ の責 一に支 那 政 府 にあ る旨 を宣 明 す る
各 種 の事 端 発 生 の懸念 濃 厚 にし て勢 の赴 く処 全 支 の排 日抗 日気 勢 を
罷 業 の際 の陸 戦隊 揚 陸 と は性 質 を異 にす
軍 令 部 第 二課 長 意 見
金
澤
正
夫
一、 差 当 り南 京 政 府 に対 す る警 告 を発 し 反省 を促 す 同 時 に10S 司 令 よ
一層 煽 り収 拾 す べ か らざ る事 態 に陥 る の虞 なし と せず 従 て先 づ大 局
し む る を第 一と す 、 而 し て彼 が依 然 そ の方針 を持 続 し 来 る は略 〓推
的 見 地 よ り南 京 政 府 の反 省 を促 し 彼 を し て自 ら事 件 発 生 防止 に努 め
の根 拠 が あ り
理 由 は条 約 文 に捕 は れず と も同 地 方 の現 実的 情 勢 よ り我 方 に主張
り沈 に対 し強 硬 警 告 要 す れ ば陸 軍 武 官 よ り韓 に対 し同 右
共 に所要 警 備 兵 力 を必要 に際 し増 派 す る の準 備 を調 ふ るを緊 要 と す、
二、 今後 問 題 の紛 糾 に備 へ且 一致 の強 力 方 針 実 行 の為 特 に陸 軍 外 務
察 し 得 る処 な るを 以 て局 地的 にも 可 成事 端 発 生 防 止 の方 策 を と る と
遂 に彼 に対 し武 力 行 動 に出 づ る の已む な き場 合 は往 年 の濟 南 事 変 上
澤
正
夫
(昭和 十 二年 五 月 十九 日)
と の連 絡 を密 にす る を要 す
金
一、 現 下 の南 京 政 府 は国 内 統 一と 対 外 的 国権 恢 復 の具 体 的実 現 に邁
情 勢 判 断
税 警 団事 件 処 理 方 針 意見
海 事 変 の程 度 に終 らし む る こと は現 状 に於 ては 予期 し難 く全 面 的 戦 争 も 敢 て辞 せざ る の決意 を 必 要 とす るも のと 認 む、 右 は帝 国 と し て 極 力 之 を避 く べ き事 態 な るも 若 し 右 の決 意 な くし て小 兵力 を以 て武
第 三国 に対 す る悪 影 響 及 支 那 侮 蔑 観 増長 以外 遂 に得 る処 な く し て終
進 し 帝国 が内 外 の難局 重畳 し対 支 政策 亦 昔 日 の迫 力 な き も のと盲 信
力 解決 に期 待 す る に於 て は単 に そ の目 的 を達 し 難 き のみな らず 結 局
ら ん事 を虞 る、
二 、今 次事 件 は正 に其 の 一証 左 に過 ぎ ず と雖 之 を放 任 せん か大 に膨
ふべ し
宋 哲 元、 韓 復榘 及沈 鴻 烈 の態 度 転 向 を見 つ つあ る は当 然 な り と謂
し最 近 は北 支 及 青 島 に迄 右 方 針 を露 骨 化 す る に至 れ り
在 留 邦 人殊 に浪 人 一派 の策 動 及 之等 を煽 動 せ んと す る策 謀 を監 視
三、注 意 事 項
繁
興北 進 の気 運 に在 る膠 濟 鉄路 沿 線 の我 権 益 及経 済的 発 展 を脅 威 し国
留
一、 本 意 見 の l i ne に て差 当 り外 交 措 置 に依 る ことと し 静 観 的 態 度
にし て得 隴 望 蜀 の彼 の気 勢 に拍 車 を かく る に等 し く今 事 件 に対す る
家 的 不利 な る は勿 論 彼 と し て は北 支 に対 す る 日本 迫 力 制 圧 の第 一歩
福
を持 す る こと
︹ 別 紙 ︺ 右 に対 す る軍 令 部 第 一課 長 の意 見
抑 圧 し不 測 の変 を 生 ぜざ らし む る事 殊 に必 要 な り
二、 支 那 浪 人 の厳 重 な る取 締 り と 同時 に市 長 更 迭 問 題 等 に て不 一致
す
我 態 度 は今 後 に於 け る対 支政 策 全 局 の帰 趨 を 左 右す る の重 大 性 を有
三 、今 次事 件 の解 決 を 韓 、沈 を相 手 と す る局 地的 解 決 に期 待 す る は
を来 す が 如 き策 動 を戒 め る こと
の要 あ るは 勿論 な る が之 が発 動 時 機 は最 慎 重 な るべ き こと
誤れり
三、 警 備 上 の諸準 備 に関 し て は現 地 保 護 の建 前 に て腹 案 を 定 め置 く
四 、 差 向 き 中央 の意 〓 を定 め 出 先 に 対 し指 針 を与 ふ る こと 前 回紡 績
対南京政府交渉 に於 ても、我にして最後 の国家的決意 を伴 はざる に於 ては再 び既往 の覆轍を踏むに至 らん 好んで事 を構 ふるに非ず と雖 日支関係最近 の大局 と過去 の経験 に 稽 へ厳 に国家的歩調を整 へ以て新対支政策実行 の第 一歩とし て海軍 方針及処置
自ら主動 的立場 を持し発足すべきなり 一、本事 件を南京政府 の北支統 一強化 の具体的実行策 と認 め全局 に 及ぼす影響 を重大視し先づ外交 々渉 に依 り速 に解決 を図 るを根本方 針とすと雖本解決 が対支政策実行上の大局 に稽 へ最悪 の場合実力行 使 の已むを得ざ る場合あ るを覚悟 し之 に対す る国家的方針及決意を 堅持し所要 の準備 を完成す 置
外交 交渉
二、処 イ 南京政府 に対す る警告
一 ロ 沈鴻 烈に対し
同右
同右
第十戦隊司令官 の厳 重警告 在青 ︹島︺総領事 ハ 韓復榘 に対し 陸軍武官 の厳重警告 在濟 ︹南︺総領事
警告 の理由 は徒 に条約 の末節 に捕 はれず 日支国交 の大乗的見 地竝 に膠濟鉄路沿線 に於ける我伝統的歴史、権益、経済 上、邦人治安上 等 に及ぼす重大関心を強調するを可とす 二 交渉 の推移 に依りては局地的実力行使の必要あ るを予期 し所要
第十戦 隊司令官をし て在青島邦人 の統制竝 に盲動 乃至 不羈行動
の準備 を為す 三
の絶対防止 に遺憾 なきを期 せしむ
昭 和 12
八四
一〇 六五 四
廣 田外務大 臣
六 日後 発 六月 六 日夜 着
︹學 、在 濟 南 ︺
央 軍 カ税 警 団 ノ名 ノ下 ニ膠 州湾 芝 罘 羊角 溝 方 面 ニ配 備 セ ラ レ タ ル ヲ
同 道 韓 復榘 ヲ往 訪 セ ル際 韓 ノ言 明 シタ ル所 ナ ル カ右 ハ韓 ト シ テ ハ中
秩 警 団 ノ引 入 ハ沈 鴻烈 ノ仕 業 ナ ル コト ハ客 月 十 四 日 有 野 総領 事 ト
税 警 団 問 題 に 関 す る 大 鷹 総 領 事 の第 一六 五 号 電
暗
青島 本省
キ コト ハ陸 海 軍 側 ノ見 解 一致 ス) 成 ル ヘク 日本 側 ノ威 力 ヲ以 テ之 ヲ
極 メ テ不快 視 シ (武 装 、 兵 力配 備 ニ鑑 ミ韓 ハ之 ニ対抗 スル ノ実 力 ナ
山東 ヨリ駆 逐 セ シ メ ント ノ魂 胆 ナ ル ヤ モ計 リ難 ク他 方 沈 市 長 ノ税 警 ︹ 本書二七〇頁以下︺ 団 引 入 ハ客 年 十 二月 当 地 ニ於 ケ ル陸 戦 隊 上陸 事 件 ニ関 聯 スル モノ ト
︹ 正次郎︺ 大 鷹 総 領 事
在 留 日本 人 側 ヨリ不 用意 に事 ヲ起 サ シ メ サ ル様 当 地 陸 海 軍 側 ト密
海 軍 側 ハ睨 ミ居 ル次 第 ナ ル モ中 央 ト シ テ ハ沈 ノ提 議 ヲ奇 貨 ト シ北 支
第 一六 五号 ︹ 不詳︺ 往 電第 一四 四号 ニ関 シ
接 ナ ル聯 絡 ヲ持 続 シ且新 聞 記者 ニ モ充 分 慎 重 ヲ期 セ シメ居 ル為 今 日
テ翼察 政 権 ノ没 落 ヲ計 画 シツ ツ ア ル モノ ナ ル コト モ明 白 ニ シ テ支 那
ニ成 功 セ ル支 那 ハ今 ヤ全 力 ヲ挙 ケ テ山 東 ノ中 央化 ニ取 掛 リ依 ツテ 以
側 ノ立場 ヨリ ス レ ハ今 秋 ノ国 民大 会 ヲ控 ヘ北 支 ノ中 央 化 ヲ賛 成 シ憲
中 央 化 ノ工作 ヲ進 メ タ ル モノ ナ ル コト ハ疑 ナ カ ル ヘク山 西 ノ中 央 化
見 ヲ綜 合 スル ニ税 警 団到 着 以来 当 地 ト シテ ハ曾 テ見 サ ル程 支 那 人 ノ
法 ヲ北 支 ニ適 用 シ支 那統 一ノ実 現 ヲ期 ス ル モノ ナ ル ヘク従 テ税 警 団
コト ア リ結 局 有 耶 無 耶 ニ散 会 セ ル由) 次 第 ナ ル モ居 留 民 有 力 者 ノ意
侮 日態 度 顕 著 ニ シテ 日本 人 ニ対 ス ル軽 微 ナ ル侮 辱 行 為 ハ頻発 シ居 ル
迄 大 体 事 ナ キ ヲ得 タ ル (只 一回 民団 事 務 所 ニ有志 ノ会 合 行 ハレタ ル
趣 ニテ又各 所 ニ抗 日的 ﹁ポ スタ ー﹂ ヲ発 見 スル コト頻 々タ リ尤 モ取
問 題 ハ青 島 ノ局 地 問 題 ニアラ ス シテ山 東 乃 至北 支 全 面 ニ影 響 ア ル大
例 ヲ異 ニ シ恐 ラ ク北 支全 部 又 ハ日支 全 面 衝 突 ヲ招 来 ス ル惧 ア ル コト
問 題 ナ ルカ故 ニ 一度 当 地 ニ武 力 衝 突 発 生 ス ル ニ於 テ ハ上 海 事 変 ト ハ
︹完 ? ︺
引 関 係 ハ紡 績 ヲ始 メ如 何 ナ ル部 門 ニ於 テ モ未 タ妨 害 ヲ受 ケ居 ラ サ ル モ今 日 ノ事 態 ニ シ テ此 ノ儘 推 移 ス ル ニ於 テ ハ日本 側 ハ山 東 ニ於 テ 日 一日ト 萎縮 ス ルノ ミ ナ リト 言 フ ニ 一致 セリ
ニ付 テ モ陸 海 軍 皆 一致 ス ル所 ナ リ 出 先 陸 軍 側 ニ ハ税 警 団 一度 青 島 ニ入 市 ス ル コト ア ラ ハ軍 隊 ヲ出 動 セ シム ル内 議 ア ル由 ニ テ右 ハ既 ニ中 央 ニ伝 達 済 ノ コトト 想 像 セラ ル 次 ニ海 軍 側 ニ於 テ ハ丘之 紀 ノ指 揮 スル兵 力 (沈 市 長 ハ千 五百 ト確 言 シ丘 ハ約 二千 ト 答 ヘ又 丘 ヨリ護 護 足 袋 ノ注 文 ヲ受 ケ タ ル商 人 ハ二千 五 百足 ヲ供 給 セ ル由) 及 武装 、 支 那 第 三艦 隊 陸 戦 隊 竝 ニ支 那 民衆 ノ 軍 隊 教 練 其 ノ他 ノ抗 日 的事 情 ニ照 ラ シ現在 ノ日本 側 警 備 兵 力 ニテ ハ
ニ駐 屯 セ シ ム ル ノ案 ヲ上申 スル意 〓 ア リ
到 底 責 任 ヲ果 シ得 サ ル ヲ痛 感 シ旅 順 方 面 ニ軍 隊 又 ハ陸 戦 隊 ヲ極 秘 裡
陸 海 軍 側 ノ意 〓 ヲ綜 合 ス ル ニ愈 々当 地 ニ於 テ日支 民 カ衝 突 ヲ見 ン カ杭 州 其 ノ他 ノ飛 行場 ノ爆 撃 及 揚 子 江 下 江 ノ 一点迄 軍 ヲ進 ム ルノ 必 要 ア ル模 様 ナ ル ニ対 シ本 官 ハ山 東 ナ ラ ハ兎 モ角 英 米 ノ権 益 ノ見 ル ヘ キ モノ ナ ク然 ル ニ我 権 益 ハ五億 円 余 ニ評 価 セ ラ レ居 リ 且山 東 還 附 ノ 歴 史因 縁 モア ル ニ付 世界 大戦 誘 発 ノ危 険 モ少 シト ノ理 由 ヲ以 テ 万 一 ノ場 合 ニ モ山 東 以 南 及 黄 河 以 西 ノ出 兵 ニ ハ強 ク反 対 を 表 示 シ来 レ ル 次第 ナ ルカ最 近 ニ至 リ支 那中 央 要 人 ノ宋哲 元 、韓 復榘 ト ノ往 来 頻 繁 ナ ルト 日本 側 権 益 ノ進 展 カ 日 一日 ト阻 止 セラ ル ル情 勢 ニ鑑 ミ (山東 奥 地 ノ要 塞 構 築 及 鮮 人 圧 迫 ハ軈 テ奥 地 ヨリ全 面 的 ニ日本 人追 出 ノ肚 ︹ 正助︺
ナ ル ヘ シト ノ コト ニ日 本側 見 解 略 一致 ス) 下村 司 令 官 ハ二 日当 地 陸 、
ニァ ラ ス先 ツ何 等 カ ノ警 告 ヲ支 那側 ニ与 フ ル ノ要 ア ル ヘキ コト ヲ提
海 、 外 務出 先 官 憲 打 合 会 ニ於 テ此 ノ際 日本 ト シ テ荏 苒 日 ヲ過 ス ヘキ
問 題 ノ性質 上警 告 ハ沈 市 長 ヲ相 手 ト ス ル モ効 果 少 カ ル ヘシ蓋 シ
本官 ハ
議 セル ニ依 リ
一
税 警団 カ青 島 ニ入 ラ スト モ青 島 以 外 ノ各 地 ニ充実 セラ ル ル ニ於 テ ハ
結 局 日本 側 ト シテ ハ間 断 ナキ脅 威 ヲ受 ク ヘク山東 、北 支 ノ中 央 化 ハ
条 約 上中 央 軍 正 規 兵 ノ 山東 配 備 ヲ拒 否 スルノ根 拠 ナ キ ヲ以 テ警
之 ヲ阻 止 シ得 サ ル ヘケ レ ハナリ 二
依 テ山東 ノ特 殊 性 ニ鑑 ミ南 京 ニ於 テ山 東 ヨリ中 央 軍 正 規 兵 ノ引
告 ハ飽 迄 政 治 的 ノ モノ ナ ラ サ ル ヘカ ラ ス 三
揚 方 ヲ求 メ事 態 ノ危 険 性 ニ関 シ支 那 側 ニ警 告 ヲ与 フ ル コト穏 当 ト 思
考 セ ラ ル ル モ警 告 ニシ テ毫 モ聴 カ レサ ル場 合 政府 ニ於 テ飽 迄 警 告 ヲ
ヲ傷 ケ 支 那側 ノ 此 ノ上 ノ増 長 ヲ招 ク ノ惧 ア ル ヘキ コト
聴 カ シ ム ルノ断 乎 タ ル決 意 ナ キ限 リ徒 ニ日本 側 ノ ﹁プ レ ステ ージ ﹂
ヲ指 摘 シタ ル処 陸 海 軍 側 モ賛意 ヲ表 シ結 局 当 地陸 、海 、 外 務 出 先 官
支 那側 ヘ不 祥 事 勃 発 ノ危 険 ヲ防 止 ス ル為 税警 団組 織 復 旧方 (丘
憲 ヨリ夫 々中 央 ニ対 シ 一
之 紀 ノ説 明 ニ依 ル モ従 前 ノ税 警 団 ハ約 千 名 ニシ テ且 正規 兵 ニァ ラ サ
リ シ モノナ リ) ヲ申 入 レ シ メ万 一事 件 発 生 ノ場 合 ニ於 ケ ル支 那 側 ノ
日本 内 地 及 欧 米 各 国 ニ於 テ山 東 ニ於 ケ ル支 那側 ノ挑 戦 的 態 度 ヲ
責 任 ニ付 注意 ヲ喚起 シ置 ク コト 二
ヲ上申 シ政 府 ノ慎 重 ナ ル考 量 ト決 意 ヲ促 ス コト ニ申 合 セタ リ
徹 底 的 ニ宣 伝 シ世 界 輿 論 ノ注意 ヲ喚起 シ置 ク コト
申 ス迄 モナ ク北 支 ニ於 ケ ル情 勢 竝 ニ対 策 ニ関 シテ ハ政 府 ニ於 カ レ
ハ重 大 ナ ル事 由 ナキ 限 リ今 日 ニ於 テ ハ最 早 実 行 不可 能 ノ域 ニ達 シ居
各 出 先 機 関 ノ意 見 ヲ徴 シ慎 重 御 考 量 中 ト ハ存 ス ル モ冀 東 冀 察 ノ 還 元
ル モノト見 ル ノ外 ナ ク 然 ル ニ支 那 側 ノ実 力 的 威 圧 ニ依 リ之 力解 消 ヲ
見 ル ニ至 ラ ハ日本 ニ対 スル北 支 住 民 ノ信 用 ハ地 ヲ払 ヒ支 那 ノ傲 慢 益
ル能 ハサ ル ヘク 他方 左 レ ハト テ国 際 関係 ノ現 情 ニ於 テ 日支 全面 ノ衝
ス山 東 ニ於 テ条 約 上有 スル我 カ権 益 モ到 底 之 レカ保 護 ノ全 キ ヲ期 ス
益 募 リ延 テ満 洲国 存 立 ノ基 礎 ヲ危 ク スル ニ至 ル ハ明白 ナ ルノ ミ ナ ラ
ヲ篤 ト御 諒 察 ノ 上山 東 現状 維 持方 策 ニ関 シ然 ル ヘク御 措 置 御 配 慮 相
シ ム ル コト到 底 困 難 ト 存 セ ラ ル ルヲ以 テ前 記陸 、海 、 外 務 出 先 申 合
追 テ税 警 団 組 織 復 旧 ノ代 リ ニ税 警 団 ノ指 揮 監 督 ヲ韓 復榘 ノ手 ニ移
仰度 シ
突 ハ能 フ限 リ之 ヲ避 ケ サ ル ヘカ ラ ス殊 ニ山東 以南 及 黄 河 以 西 ニ迄 兵
サ シ ム ル要 求 モ 一案 ナ ラ ス ヤト存 セラ ル既 ニ南 京 発閣 下 宛 電 報 第 三 ︹不詳 ︺
力 ヲ進 ムル カ如 キ ハ我方 ニ極 メ テ不 利 ナ ル国 際 情 勢 ヲ捲 起 シ世界 大
ニ敏 活 ヲ欠 ク カ 又 ハ殊 更 ニ実状 ニ疎 キ ヲ装 ヒ居 リ従 テ今 後 税 警 団 ニ
三四 号 及第 三 六 五号 ニ依 リ御 承知 ノ通 リ中 央要 人 ハ兎 角 地方 ノ実 状
︹註 ︺
ノ執 拗 ナ ル排 日 ﹁ボ イ コツ ト﹂ ハ勿 論揚 子 江 一帯 ノ邦 人 ノ生 命 ノ危
戦 ニ至 ラ スト モ先 ツ 我 外国 貿 易 ノ上 ニ打 撃 ヲ蒙 ル ヘク次 ニ南 支 一帯
リ 日本 ノ北 支 ニ対 ス ル野 心 ニ対 シ大 々的 運 動 ヲ起 ス コト ア リト スル
発 セラ ルル コト ト相 成 ル場 合 或 ハ支 那 側 ニ於 テ得 意 ノ宣 伝 方法 ニ依
ト思 考 セラ ル尚 愈 々政 府 ニ於 カ レ税 警 団問 題 ニ関 シ支 那 側 ニ警 告 ヲ
ハ及 ハサ ル様 出 来 得 ル限 リ 限局 セ ラ ル ル コト ハ第 一ノ条 件 ナ ラ ス ヤ
ル ル ニ先 タ チ我 方 ヨリ 一方的 ニ親 善 ヲ唱 ヘ又 ハ実 力 ニ訴 ヘサ ル カ如
ノミ ナ ラ ス支 那 側 ヨリ我 ニ対 シ友 好 的 態度 ヲ示 シ互 譲 妥 協 ノ道 開 カ
ハ相 当 ノ決 意 ヲ固 メ ラ ル ル コト 必要 欠 ク ヘカ ラ サ ル所 ト存 セ ラ ル ル
支 那 側 ニ対 シロ先 ノ談 判 丈 ケ ニテ ハ応 諾 セ サ ル ヘク政 府 ニ於 カ レテ
護 ノ上 ヨリ モ此 ノ方 好 都合 ナ ル ヘシ唯 何 レ ノ警 告 乃至 要 求 タ リト モ
付 ク ル ニ便 ナ ル ヘク山 東 ノ特 殊性 ヲ強 調 スル上 ヨリ モ又韓 ノ立 場 擁
険 ヲ モ充 分 覚 悟 セ サ ル ヘカ ラ サ ル ニ付 政 府 ニ於 カ レテ ハ如 何 ナ ル出
モ我 方 ニ於 テ毅 然 ト シテ北 支 ノ安 定 ヲ策 シ冀 察 冀 東 ヲ救 ヒ山東 ノ権
キ意 味 合 ノ声 明 ヲ為 ス コト アラ ハ遂 ニ ハ収拾 シ難 キ事 態 ニ導 ク ノ惧
ケ得 サ ル ヘク之 ニ反 シ地 方 政 権相 手 ニ厳 重 交渉 ス ル方 実 際 的 解 決 ヲ
益 ヲ擁 護 シ満 洲 国 ノ基 礎 ヲ固 メ得 ル ニ於 テ ハ支 那 ノ其 ノ他 ノ部 分 ニ
関 聯 ア ル突 発 事 件 ノ為 一々中央 相 手 ニ交 渉 ス ル モ期待 スル効 果 ハ挙
於 ケ ル我 方 発 展 ヲ暫 ク犠 牲 ニ供 ス ル モ亦真 ニ余 儀 ナ キ所 ナ ルノ ミ ナ
ア ル ニ付 充 分 此 ノ上 共 御警 戒 ヲ仰 度 ク以 上 僣越 乍 ラ当 方 面 ノ実状 ニ
先機 関 ノ意 見 ア リト モ亦 如何 ナ ル場 合 ニ モ兵 力 ノ発 動 ハ北 支 以 外 ニ
ラ ス現 在 ノ儘 ノ情 勢 ニテ ハ 一歩 一歩後 退 ヲ余 儀 ナ ク セ ラ レ支 那側 抗
鑑 ミ卑 見 申 進 ス (了)
税警団青島入市 ニ関 シ注意喚起 ノ件
︹註︺ 関係電報左 の通り
在青島大鷹総領事 第六七号 ( 極秘 )至急
︹ 尚武︺
佐藤外務大臣
一、今次税警団 ノ北上 ニ関聯 シ十二日貴 地谷萩武官 ヨリ陸軍本省 ニ対シ山
貴 電第 一三八号 ニ関 シ
昭和十二年五月十四日
日 ノ気 勢 ヲ 日 一日 ト強 ム ルノ ミ ナ ラ スト存 セラ ル ルヲ以 テ支那 側 宣 伝 ヲ惧 ルル ヨリ モ寧 ロ我方 ヨリ支 那 側 ノ脅 迫 的 態 度 ニ関 シ進 テ内 外 ニ之 ヲ宣 伝 ス ル コト得 策 ナ ラ ス ヤト 思 考 セラ ル 日本 ニ取 リ テ ハ茲 五年 、 十 年 ト平 和 時 代 ノ続 ク 限 リ国 力 一層 充 実 セ ラ ル ヘク其 ノ間 国 際 環 境 ノ我 ニ取 リ 一層 有 利 ナ ル時機 モア ル ヘク 隠 忍 自 重 ノ最 良 策 ナ ル コト ハ問 題 ナ キ モ当 方 面 ノ実情 ハ上述 ノ通 リ 漸 次危 険性 ノ増 シ来 リ居 留 民 ノ静 観 的 態 度 ハ此 ノ儘 長 ク之 ヲ持 続 セ
東 協 定 ニ依 リ 抗議 方 意 見 具 申 ノ次 第 アリ 、 軍側 ヨリ右 ニ関 ス ル当 方 意 見 ヲ
一切 ノ要 求 ヲ留 保 ス ヘキ旨 竝 ニ二 本 件 ニ依 リ 生 ス ヘキ 一切 ノ事 態 ニ対 シ国
シ国 民 政 府 ノ注 意 ヲ喚 起 セ ラ ル ルト 共 ニ前記 税 警 団 ノ暴 行 ニ対 シ不 取 敢一
北 平 、在 支 各 総 領 事 ヘ転 電 セリ
民 政府 ニ於 テ責 任 ヲ負 フ ヘキ 旨 厳 重 申 入 相成 度 シ
南 京 ヘ転 報 ア リ度
昭和 十 二年 五月 十 九 日 佐 藤 外 務 大臣 第三三四号
日 高 代 理 大使
求来 レ ル ヲ以 テ係 官 ヨリ 一応 ノ意 見 ト シテ ①山 東 鉄 道 沿線 撤 兵 ニ関 ス ル協 定 ハ本 件 ト ハ直 接 関 係 ナ カ ル ヘク ② 支 那側 ニ対 ス ル関 係 ハ別 ト ス ル モ山 東 縣案 細 目協 定第 一委 員 会 ニ於 ケ ル王 正 廷 ノ言 明 モ条 約 論 ト シ テ ハ将 来 ノ コ ト迄 約 束 セ ル モノ ト ハ遽 ニ断 シ難 シ③仍 テ税 警 団 ノ行 動 ニ付 支 那 側 ノ注 意 ヲ喚 起 ス ルト セ ハ目 下 ノ措 置 ト シテ ハ条 約 論 ヲ離 レ南 京 ニ於 テ北 支 殊 ニ山 東 ニ対 ス ル我 方 ノ重 大 ナ ル関 心 ニ付 国 民 政 府 ノ注 意 ヲ喚 起 ス ルカ如 キ コト
本 十 九 日 王外 交 部 長 不在 ニ付 本 官 高 司 長 ト会 見 ロ頭 ヲ以 テ冒 頭 電 御 訓令
貴 電 第 七 二号 ニ関 シ
ナ キ様 政治 的 見 地 ヨリ警 告 ヲ発 ス ル ノ程 度 ニ止 ム ル コト可 然 キ旨 (尤 右 警 告 モ実 ハサ シテ実 効 ヲ期 待 シ難 キ ノ ミナ ラ ス右 政 治 論 ニ依 ル時 ハ自 然 山 東
ノ趣 旨 ヲ篤 ト申 入 レ タ ル処 高 ハ本 件 ニ付 テ ハ最 近 日本 ノ新 聞 ニ報 道 セラ レ
ル ニ付 早遠 軍政 部 及 財 政 部 ニ問 合 セ改 メテ其 ノ結 果 ヲ通 報 ス ヘ シト答 ヘタ
居 ル ヲ散 見 セ ルノ ミ ニテ他 ヨリ何 等 報 告 ニ接 シ居 ラ ス全 然 実 情 ヲ承 知 セサ
ル既 往 ノ経 緯 ヲ軽 視 シ居 ルカ如 キ印 象 ヲ支 那 側 ニ与 フ ルノ惧 ア リ) 説 明 シ
全 体 ヲ目 標 ト ス ル コト ト ナ リ従 テ ③ ノ ミ ニテ ハ恰 モ我 方 ニ於 テ青 島 ニ関 ス 置 キ タ ル経緯 ア リ
リ 依 テ 税警 団暴 行 ノ事 実 竝 ニ冒 頭 電 後段 我方 ノ要 求 ハ之 ヲ ﹁メ モ﹂ ト シ テ
二 、 右 ③ 括 弧 内 ト ノ関 係 モアリ 、 冒 頭 貴 電 ノ措 置 ハ青 島 総 領 事 ノ申 入 ト シ テ 機 宜 ニ適 セ ル モノ ト思 考 セ ラ ル ル処 今 後 万 一税 稽 団 ノ 入市 ヲ見 ルカ如 キ
直 ニ外 交 部 宛 送 付 ス ヘキ旨 ヲ約 シ テ 一先 ツ 引取 リ タ リ
北 平 、 在 支各 総 領 事 ヘ転 電 セリ
コト ア ラ ンカ (冒 頭 貴 電 末 段 沈 市 長 ノ条 約 論 ハ暫 ク措 キ中 段 同 市 長 ノ談 ニ 依 レ ハ税 警 団 ハ女 姑 口駅 以 東 ニ ハ入 リ 来 ラサ ル様 ニ モ見 受 ケ ラ ル ル処 一方 セラ ル ル モノ ト モ観 測 セラ ル) 不 測 ノ事 態 発 生 セサ ル ヲ保 シ難 キ次 第 ナ ル
濟南 来 電 第 五 二号 及 第 八 五号 等 ニ依 レ ハ同 団 ハ結 局青 島 市 政 府 管 内 ニ配 置 ニ就 テ ハ此 ノ 上 ト モ各 方 面 ト連 絡 監 視 セ ラ レ尚 税 警 団 入市 ノ虞 ア リ ト認 メ ラ ル ル時 ハ更 ニ沈 市 長 ニ対 シ青 島 ノ土 地 柄 ニモ鑑 ミ 此 ノ種 徒 ニ日本 側 ノ感 ﹁ラ イ ン﹂ ニ依 リ厳 重警 告 方御 取 計 相 成 度 シ
佐藤外務大臣
昭和十二年 五月十八 日
情 ヲ刺 戟 シ無 用 ノ 誤解 ヲ発 生 セ シ ムル カ如 キ措 置 ニ出 テ サ ル様 冒 頭 貴 電 ノ
税 警 団 ノ暴 行 ニ対 シ抗 議 ノ件
支 、北 平 、在 支 各 総 領 事 ニ転 電 セリ
︹信 六 郎 ︺
日高 代理大使 暗第七二号 青島発本大臣宛電報第 一四四号 ニ関 シ
青島来電第 一四三号、第 一四○号、第 一四四号等税警 団ノ行為 ハ甚 タ不 都合 ノ次第 ニ付青島宛往電第六七号御含 ミノ上税警団 ノ山東方面進出 ニ対
二 内 蒙 工 作
森
赳
少
佐)
開 魯 崔 興 武 は 予 て よ り湯 玉 麟 軍 の最 前 線 に在 る旅 長 に し て 日本 軍
開魯軍に就 て
二月三日
認 め生 命財 産 を保 証 す
2 、 崔 が投 誠 の証 を 示 す に於 て は帰 順 を 許 し当 分 の間 現 在 の地盤 を
1 、崔 興 武 投 誠 の証 と し て草 野 機 乗 組 員 を護 送 す べ し
多 少 の論 議 あ り し が遂 に左 の如 く決 定 す
(関 東 軍参 謀 部 第 二課
一 熱 河 作 戦 機密 作 戦 日 誌 抄
一月 二十 一日 ︹ 美通︺ 山 海 関 事件 以来 山 海 関 に在 り し鈴 木 旅 団 は 一部 を同 地に 残置 し て 原 駐 地に 帰 還 せ り
喜 多 課 長 蒙 古 人徳 王 一行 ら使 用 せ んと す 徳 王 は復 辟 論者 に し て 昭和 七年 一月頃 よ り代 表 を北 平 方面 に派 し 策 動 し あ りし も のに し て之 れ に 日 本 人伊 藤 虎 喜 朝 鮮 人 王子 明 附 き あ
中少 佐 の許 に致 し 次 で 二 月 一日新 京 軍司 令 部 に出頭 せ り爾 来 交 渉 進
振 華 団長 李 守 信 開 魯 商務 会 長 姜 明 達 を し て信 書 を通 遼 特 務機 関長 田
の攻 撃 を警 戒 し あ り し が 一月 下 旬弥 々帰 順 に決 心 し 二十 七 日参 謀 王 王 子 明 は予 が 昭和 六年 十 一月 北 平 海 軍武 官 室 爆 撃 事 件 の際 利 用 せ
り
ん と し て金 員 を 瞞 着 せ ら れた るも のな り依 て予 は之 れ を 利 用す る の
展しあり
の存 す る 所 を認 めた り
李 守信 は蒙 古 人 にし て 好 々爺 の風 采 あ り其 の言 動 よ り推 し て誠 意
不 可 な る を具 申 せ し が遂 に月 額 千 円 を 給 し通 遼 に弁 公 所 を 開 き蒙 古
若 干 の諜 報 上 の効 果 あ りた る も謀 略 上 何 等 の効 果 な かり き
王 族 宣撫 熱 河情 報 を 収 集 す る の任 に当 ら し め た る な り
二月 一日 崔 興 武 帰順 の意 あ り団 長李 守信 参 謀 王 振 華 開 魯商 務 会 長 姜 明達 崔 ︹ 久︺ の意 を奉 し 通 遼 機 関長 田中 少 佐 に伴 は れ軍 司 令 部 に出 頭 す
五月 五 日
二
機 密 作 戦 日誌 抜萃
軍参 謀 長 ↓ 次 長 次官
関 電 第 五四 五号
(関東 軍 参 謀 部 第 二課 )
劉 桂 堂 及李 守 信 軍 操 縦 費 四 、 五、 六月 ノ三 ケ 月 分 ト シ テ 四 五 万
ヲ撃 退 シ四 月 二十 八 日同 地 一帯 ヲ占 領 スル ニ至 レリ軍 ハ爾 後 同 軍 ヲ
ト シ ア ル ニ依 リ本経 費 モ亦 之 ニ順 応 セ シ メ ア リ爾 後続 イ テ支 出 スル
北 支 方 面 応 急処 理方 案 参 謀 次長 発第 三 四〇 号 ノ如 ク 六 月中 ヲ目 途
但 シ差 当 リ四 月 四 日陸 満 三七 〇 配 当 ノ中 ヨリ支 出 セラ レ度
(四 五〇 、 〇 〇〇 ) 円 ノ使 用 認 許 セラ ル
指 導 シ既 定 ノ方針 ニ基 キ察 哈 爾 東境 一帯 ニ親 日 親満 勢 力 ヲ扶 植 シ以
ヤ否 ヤ ハ追 テ研究 セ ラ ル ヘシ
劉 桂 堂 軍 及李 守 信 軍 ハ我 方 ノ指 導 ニ ヨリ多 倫 附 近 ニ在 リ シ山 西 軍
テ反 動 勢力 ニ対 ス ル緩 衝 地 帯 タ ラ シム ル ト共 ニ逐 次其 勢 力 ヲ烏 珠 穆 沁 方 面 ニ拡 張 セシ メ将 来 戦 ヲ考慮 シ積 極 的 ニ対 外 蒙 諸調 査 ヲ開 始 シ
一、 曩 ニ提 出 セ ル ﹁熱 河 経 略 ト今 後 ノ対 策 ﹂ 中熱 河西 境 施 策 所 要 経
度 キ意 見 ナ リ就 テ ハ此 際 至 急 左 ノ件 詮 議 セ ラ レタ シ
費 一五 〇 万 円 ノ支 出 二、 多 倫特 務 機 関 要 員 将 校 (佐官 ) 一名 増 加
次官 ↓ 軍 参 謀長
軍 ハ差 当 リ現 人 員 ノ融 通 ニヨリ多 倫 ニ諜 報機 関 ヲ設 置 スル予定 ナ リ 五月十日 陸 満 五〇 三 関電五四五返
三
(昭和 八年 八 月
﹁ 熱 河 北 支 作 戦 の経 験 ﹂抜 萃
附 一、松 室 騎 兵 大 佐 機い の不時 着 陸 五月 二十 二日 ﹁プ ス モ ス﹂ 機 (白 川 軍曹 、 松 室 大 佐搭 乗 ) は機 関 の故 障 の為 郭 家 屯 に 不時 着 陸 す 白 川 軍曹 は戦 死 し松 室大 佐 は劉 鳳 鳴 (匪 号鳴 字 児 ) に 拉 致 せ ら れた り大 佐 は爾 後 千 辛 万 苦 の後 多 数 の土
︹ 編 者註 ・承 徳 帰 還 は 七 月 二 日 であ つた ︺
匪 を懐 柔 し 六月 二十 八 日豊 寧 に帰 還 せ り
附 二、 停 戦 協 定 五 月 二 十 五 日 支那 軍 使 密 雲 に来 り停 戦 を提 議 す 翌 二十 六 日河 野 参
6 、李 守 信 軍 の多 倫 攻 略
謀 を密 雲 よ り新 京 に空 輸 す午 前 八 時 密 雲 を出 発 し午 後 二時 新京 に着 す
李 守 信 軍 は多 倫 を占 領 し あ り し が 七月 十 三日馮 玉祥 軍 の為多 倫 を
一東 亜 大 陸 図 、 小 河 子) に向 ひ し が低 気 圧 の為 朝陽 に流 さ る
奪 取 せ ら る同 日 敵 の本 拠 を 爆撃 す る目 的 を 以 て沽源 (二百 五 十 万分
八 月 二 日多倫 攻略 に関 し 松 室大 佐 と協 定 し 左 の如 き攻 撃 計 画 を示 さる
航空兵大尉
秋 山 紋 次 郎)
六 日行 動 を 開始 し十 三 日多 倫 を占 領 す 敵 な け れ ば前 進 し敵 あ れ ば停 止す 七 日 、 八 日 、沽 源 を 爆 撃 す 軍 需 品 集積 し あ り 所見 1、 満洲 国 軍と の協 同 に は忍 耐 力 を 必 要 とす
方
四
針
関 東軍 参 謀 部 )
を以 て到 底 民族 的 に競 争 す るを 得 ざ る状 態 に在 り 故 に感 情 的 に民族
蒙 古 人 は 其政 治 、経 済 、 文 化 等 の程 度 に於 て満 漢 民族 に劣 りあ る
二、 民 族 拮 抗 の観 念 を激 化 せ し め ざ る如 く す
内 面 的 指 導 に任 ぜ しむ
(昭和 八 年 七 月十 六 日
暫 行 蒙 古 人指 導 方 針要 綱 案
蒙古 人に対す る指導は先 づ満 洲国内 にある蒙 古人を して満洲国内 の生活 の安定向上竝個人及種族 の康寧を得しめ之 に依 り西部内蒙古
に於 て民族協和 の精神に基 き其 の本然 の発展を遂げしむると共 に其 及外蒙 古に於け る同族 の自覚憧憬 を促し自然的に彼等 をして親満親
の衰 運 を 促 進 す る に過 ぎ ざ るを 以 て蒙 古 人 に 対 し て は所 要 の保 護 を
加 へ其 の生 存 を確 保 す べ き も苟 く も 民族 闘 争 の意 識 を激 化 せ し む る
拮 抗 心 を 発 揮 せ し め他 民 族 と 対 抗競 争 せし む ると き は却 て蒙 古 民 族
之が為西部 内蒙古 に於 ては蘇 支両国勢力 の波及を排撃 する自治政
日 に転向 せしむ
が如 き は常 に之 を避 く ると 共 に漸 次自 己 民族 文 化 の向 上 を図 り其 発
三、 統 治 は 旧慣 を利 用 し王 侯 中 心 の現 制 を保 持 せ し む
権 の樹立を促進 し又外蒙古に在 りては逐次蘇聯 の羈絆 を脱し て親日 綱
展 を 期 せ し む る を要 す
要
満 の趨 向に転 ぜしむる如く指導 す
る是 等 王 侯 政 治 を排 し庶 民 政 治 に 転移 せ しむ べき や は研 究 を要 す る
蒙 古 民 族 の政 治 中 心 を依 然 王 侯 に求 む べ き や或 は堕 落 、腐 敗 しあ
蒙古人 の民族的感情、満洲建国運動 の経緯竝対日本信頼心 の濃厚
も先 づ彼 等 の把握 を容 易 に し比 較 的迅 速 に指 導 の成 果 を揚 ぐ る為 旧
一、対 日信頼 の念を増強 せしむ なる実 情 に鑑み満洲国内 に於け る他民族 と の協和 の精神 に反 せざ る
を 除去 す る こと 肝 要 な り
着 意 を必 要 とす 但 し 王侯 の土 地任 意売 却 よ り生 ず る庶 民 の生活 脅 威
慣 を利 用 し 当 分 王 侯 政治 の現 制 を 保持 せ し め巧 み に之 を 操縦 す る の
之 が為行政機関には適任 の日人指導官 を配置 し又林西、東烏珠穆
限 り 一層此傾向を助長強化 せしむ る如く指導す るを要す 沁、 三河等 の要地には陸軍特務機関を配置し諜報 の外対蒙人施設 の
察 哈 爾 蒙 古 人 は満 洲 建国 及 王 道 政 治 の実 現 に至 大 の関 心 を有 し あ
要す
思 想 を布 及 し医 療 の方 法 を講 じ 所 要 の地 点 に衛 生機 関 を 設置 す るを
3 、蒙 古 人 の衛 生 状態 極 て不 良 に し て逐 次衰 滅 の兆 あ るに鑑 み衛 生
ひ之 に関 聯 し無 制 限 な る耕 地 の拡 大 を 制す る方 法 を 講 ず る を要 す
る実 情 に鑑 み主 と し て平 和 的 文 化 工作 特 に経 済 的 関 係 の連鎖 に依 り
四 、察 哈 爾 蒙 人 に対す る指 導
自 発 的 に親 満 に導 き遂 に 不可 分 の関 係 を 生 ぜ し む る如 く指 導 す るを
4 、教 育 は 一般 に 広 く普 及 す る より も 先 づ指 導 的 立 場 に あ る 少数 者
間 の接 触 を図 り之 と 交渉 の道 を開 き平 和 的 文 化 工作 を施 し 進 で相 互
利 用 し有 ゆ る機 会 を 利 用 し 且特 に之 を 作 為 し て満 洲 国 対 外蒙 共和 国
外 蒙 蒙 古 人 に対 し ては其 反 蘇 意 識 の漸 く濃 厚 な ら んと す る現情 を
6 、牧 畜 よ り農 業 に移 行 せ んと す る地 方 に 対 し ては 漸 進 的 に之 を 助
心 を喚 起 せ し む る 如 く指 導 す るを 要 す
庶 民 に 対す る搾 取 的態 度 を改 善 せ し め 蒙 民 に 対 し活 気 あ る 文化 生 活
握 を便 なら し む る 如 く注 意 す るも そ の宗 教 に所 要 の改 良 を行 ひ 一般
5 、 ラ マ教 の布 及 せ る実 情 に鑑 み之 を 利 用 し て民 族 的 自 覚 竝之 が把
施 設 を行 ふを 要 す
に対 し必 要 の教 育 を行 ひ以 て其 素 質 の向 上 を図 り之 が 為所 要 の教 育
要す 之 が為 対 支 排 撃 の色彩 を有 す る自 治 政 権 の樹 立 を 促 進 す
の修 好 関 係 を 樹 立 し蘇 邦 の羈 絆 を脱 せし む る と共 に親 日満 の傾 向 に
五 、 外蒙 蒙 人 に対 す る指 導
転 ぜ し む る如 く 指 導 す るを要 す
を避 く るを 要 す
長 し逐 次 半 農 半 牧 の程度 に到 ら しむ る を 目途 と し急 激 な る改 革 は 之
る叙 上諸 般 の施 設 の徹 底 を図 るを 要 す
行 政 機 構 の確 立 を 期 し 啻 に興 安 省 内 に止 らず 他 省 内 の蒙 古 人 に対 す
満 洲 国 地方 制 度 の改 善 刷 新 と 共 に興 安 総署 の改 造 を 行 ひ対 蒙 古 人
七 、興 安 総 署 の改 造 を 行 ふ
六 、 生活 様 式 も亦 概 ね 現在 のも のを 踏 襲 せ し め漸 進 的 に文 化 の施 設
蒙 古 民族 に対 し ては 現 に漢 民族 よ り受 け あ る圧迫 よ り解 放 し急 激
を行 ふ
の改 変 を加 ふ る こと な く 概 ね 現在 の生 活 様式 を踏 襲 せ しむ ると共 に 文 化 的施 設 は漸 を追 て之 を 行 ひ急 激 の変 化 を 生 ぜ し めざ るを 要 す 之 が為 左 の条 件 に留 意 す る こと肝 要 な り
り再 検 討 せ ん とす る が如 きは徒 に民族 闘 争 心を 新 にす る に過 ぎ ざ る
1 、 漢 民族 よ り受 け あ る圧 迫 よ り解 放 せし め ん と し て遠 く既 往 に遡
を 以 て極 力 之 を避 け現 に繋 争 中 の事 項 を合 理 的 に解決 す る と共 に新 に之 が発 生 を 予防 す る の注 意 を 要 す 2 、 蒙 古 人 の大 部 が牧 畜 を生 命 と す る の実 情 に鑑 み 放 牧 地 の保 存 、 模 範 牧 場 の建 設 、牧 草 の改 良 、 貯 蔵 防疫 等 に関 し必 要 な る施 設 を行
五
蒙 古 国 建設 に関 す る意見
(騎 兵大 佐
松
室
孝
良)
蒙古国建設 の時機及準備期間並準備施設
第六章
秘
第 三〇号
緒
蒙古国領域要図
図
第 七章 蒙 古国建設準備に要する経費 附
第 一章
あり。 日本 は満洲国創設 の為数師団 の兵力 を用 ゐて巨額 の国帑を費
際状勢 は日 々危機を孕み動 もすれば吾帝国 は孤立に陥らんとし つつ
らず して其治安維持す ら完全ならず而 も支那 は抗 日を持続 し、且国
人或 は言 はん。満洲国創設以来 二年 に満たず 、其 国礎未だ鞏固な
言
錫林郭勒盟王公及察哈爾 八旗総管 並に代表を招集 し蒙古会議指導 の用務 を帯 びて昭和八年 十月四 日多倫 に出張同月 二十三日迄同地 に 滞在 し此 の間西部内蒙古 の状態を観察 して之等蒙旗 の操縦を策 せん よりは寧 ろ進ん で蒙古国 建設 の必要と其可能性 に想到し本文を草す ることと せり。然れども怱卒 の間に起案 せしを以 て文意足 らず観察
良
共 に満洲国 の建設 に専 ら力を致 して其国基を固 むるを要すと。然 り
室 孝
し幾多 の犠牲 を払 ひ而 も世は所謂非常時にして国民は不景気 に悩 み
失業群夥 しく国家 の財 政は行詰 らんとし つつあり。
非常時 に於 る日本並に満洲国 は今後成すべき幾多 の事業ありて他 を
松
亦正鵠 を得ざ る点多 々ある可き も読者叱正を賜らば幸甚 なり。
言
次
昭和 八年十月於多倫起案
緒
目 第 一章
第三章 蒙古国建設 の必要
故 に暫 く矛を収め て先づ帝国内部を整頓 して国力 の充実を図 ると
第四章 蒙古国建設は可能 なりや
顧 るの遑無 き の状態にあるは言 を俟たず。
第 二 章 蒙古国 の領域
第五章 蒙古国家組織 の大綱
て蒙 古 国建 設 の必要 な く或 は時 期 尚 早 な りと 言 ふ も のあ らば 之 に首
然 れ共 帝 国 の国力 を充 実 し 満 洲国 の基 礎 を 鞏 固 に す る の必 要 を 以
とす るも今 よ りそ の準 備施 設 を な し其 気 運 を 一層 促 進 し 置 き 時 期 到
等 為 す べき準 備 事 業 頗 る多 し故 に蒙 古 国 の建設 は茲 数 年 の後 に譲 る
ん に は之 に当 る べき 人材 を糾 合 し 或 は養 成 し軍 隊 の編 成 訓 練 を行 ふ
第 二章
蒙 古 国 の領 域
長 城外 城 以北 の西 部 内蒙 古 地方 を 領域 とす 。
制 に依 る も のにし て日 本 は之 が為 多 大 の犠 牲を 払 ふも 敢 て辞 せざ り
伊克 昭盟
烏蘭札布盟
察哈爾 八旗 (内務部牧場を含 む)
錫林郭勒盟
第 一案
来 せ ば 一挙蒙 古 国 建 設 に着 手 し得 る如 き 状 態 に置 き あ るを 要 す 。
肯 す る能 はず 。 凡 そ 一国 の興 ら ん とす る や自 ら 其 気運 あ り。 今 や蒙 古 民族 は満 洲 国 の出 現 に刺 戟 せ ら れ て蒙 古 復 活 の自覚 を起 し西 蘇 尼 特 王 の如 きは 既 に蒙 古 自 治 を 唱 へて独 立 を 宣 言 せ り。 満 洲 国 の建 設 は 三千 万民 衆
き。 蒙 古 国 の建 設 は蒙 古全 民族 の希 望 企 図 す る所 にし て満 洲国 建設
帰化城土黙特部
の輿 望 に拠 ると は 曰 へ実 は帝 国 の生 命線 確 保 の必 要 に基 き帝 国 の強
当 時 の事 情 と 大 に趣 を異 にす る のみな らず 然 も蒙 古 国 は 満 洲国 の姉
第 一案 の領域 に長城内城以北 の左記地方を加 ふ 察哈爾省 口北道
第二案
妹 国 と し て建 設 せ ん と す る も のにし て、満 洲 国 の基 礎 を 鞏固 に し其 人 心 を 安定 せ しめ 且 蒙 古 国 の成 立 は却 つ て日本 の大 亜 細 亜政 策 施 行
山西省雁門道
を容 易 に し て国 際 的 地位 を益 々向 上 せ し め列 国 の満 洲 国 承 認 の気 運
一、蒙 古 国 の建 設 は帝 国 の対 蘇 及 対 支軍 事 行 動 並 に政 策 実 施 を 容 易
を促 進 せ しむ る の利 益 あ り。 況 んや 帝国 は何 時 蘇 国 と 戦 端 を開 く べ
にす 。 満 洲 国 の西 疆 に蒙 古 国 の存在 す る こと は 満 洲 国 の人心 を 一層
蒙 古 国 建 設 の必 要
対 支 軍事 行 動 及 政 策 実施 に寄 与 す べき こと 大 な る に想 到 せ ば蒙 古 国
第 三章
建 設 を時 期 尚 早 と し て之 を等 閑 視 す る こと を得 ん や、 多 少 の犠 牲 を
のみ な らず 外 蒙 を 通 じ て蘇 国 を牽 制 す る の役 割 を 担任 し蘇 国 の東 方
安定 せし め 其 政 治 に経 済 に幾 多 の利便 を与 ふ る こと は 自 明 の理 なる
き や端 倪 す べ から ざ る現 時 の状 勢 に於 て蒙 古国 の存 在 は 帝国 の対 蘇
払 ふ も其 建 設 を 図 るを要 す 。 而 も蒙 古 国 の建 設 は本 文 第 四章 に述 ぶ
政策 を断 念 せ し む る と共 に支 那 の北 辺 に 一大 脅 威 を 与 へて支 那 を し
る が如 く頗 る可 能 性 に富 み満 洲 国 建 設 に要 せ し が如 く 日 本 は多 く の 兵 力 を動 かす の必 要 な く従 つて大 なる犠 牲 を要 せず し て帝国 は其 建
満洲 国 の奪 回を 企 図 す べ く之 が為 蘇 軍 の 一部 は外 蒙 古 を 経 て熱 河 に
若 し 日蘇 開 戦 と な らば 蘇 国 は支 那 を 使嗾 し支 那 は此 の機 に乗 じ て
益 々確 立 す る の利 あ り。
て 日本 と 提 携 す る の止む を得 ざ るに到 ら し め茲 に東 洋 平和 の基 礎 を
然 れ共 一国 の建 設 に は幾 多 の準 備 と時 日 を要 す るは 言 を俟 たず 。
設 を援 助 し得 る状 態 に あ り。
筆 者 も亦 今 直 に之 を決 行す べ しと 称 す るも のに非 ざ るな り。 蒙 古民 族 は復 活 建 国 の気 運 に向 ひ つ つあ り と雖 も其 目 的 を達 成 せ
境 地形 の嶮 岨 と勃 海湾 よ りす る我 陸 海 軍 の攻 撃 を顧 慮 し て其 主 力 を
攻 撃 し 来 るべ し。 而 し て支 那 軍 は蘇 軍 と の策 応 を 容易 に し 且熱 河 南
侵 入 す べく 支 那軍 亦 之 に策 応 し て河 北 及 察 哈 爾 方 面 よ り熱 河 に向 ひ
以 て満 洲国 と 相 俟 つ て帝 国 の産 業 経 済 に 寄 与す る こと蓋 し 至 大 な る
爾 綏 遠 地方 には 良 質 の石 炭 (無 煙 炭 多 し) 鉄 等 の鉱 産 に富 み あ る を
済 圏 は之 等 地方 並 に 中央 亜 細 亜 にも 拡 大す る に至 る べし 。 更 に察 哈
甘粛 、青 海 、 新 疆 地 方 に対 す る交 易 の要 衝 に当 り あ るを 以 て帝 国経
而 も蒙 古 国 地 方 は古 来 よ り外 蒙 並 に 平綏 鉄 道 及 黄 河 の水 運 に由 り
べ し。
察 哈 爾 方 面 より 用 ゆ べ く此 の際 皇 軍 は其 一部 を 河 北 及 熱 河 方面 に行
相当 の兵 力 を 用 ゐざ る べ か らず 。 此 の際 若 し蒙 古 国 存 在 し て皇 軍 に
動 せ し め て之 を阻 止 し蘇 支 両 国 軍 の行 動 を妨 圧 す べし と雖 之 が為 に
三 、蒙 古国 の建 設 は帝 国 の大 亜 細 亜 政 策 を 容易 にす 。
面 に行 動 せ んと す る に当 り蒙 古 国 は皇 軍 の行動 を容 易 にす る のみ な
殊 に皇 軍 の 一部 は 進 ん で熱 河 方 面 より 外蒙 古 を経 て蘇 軍 主 力 の側
疑 ふ の素 地を 与 へた るは 否 む べ から ず 。 素 よ り 日 本 は支 那 が 如 何 に
支 那 の抗 日運 動 を 一層 強度 化 し他 の亜 細 亜 民 族 を し て 日本 の真意 を
満 洲 国 の創 設 は帝 国 の此 の使 命 に 一階 程 を与 へた りと 難 も 之 が為
帝 国 は亜 細 亜 の盟 主 と し て亜 細 亜 復 興 の使命 を有 す 。
策 応 せ ば支 作 戦 方 面 た る熱 河 方 面 の皇 軍兵 力 を減 少 し 得 て北 満 国境
らず 其 軍隊 亦 皇 軍 に策 応 し て支 那 軍 を 牽 制 す る と共 に皇 軍 と 行 動 を
方 面 に於 る皇 軍 主 作 戦 の兵 力 を 強 大 に す る の利 あ り。
共 に し蘇 軍 に 一大 脅 威 を与 ふ る等 幾 多 の利 便 を与 ふ べく 帝 国 の対蘇
の生 命 線 と し て其 発 達 を 援 助 し之 を 確 実 に把 握 す べ き も のな るも蒙
古 国 の建 設 に依 り他 の亜 細亜 民 族 に対 し 帝 国 の使 命 を諒 解 せし め 帝
抗 日 し他 の亜 細 亜 民 族 が 如何 に疑 惑 の眼 を 以 て見 る も満 洲 国 は 日 本
而 し て蒙 古 国 は 其 民族 的意 識 と 歴 史 的 関 係 上 よ り し て帝 国 の有事
及 対 支 軍事 行 動 並 に政 策 実施 を容 易 にす べし。
せ し む る の気 運を 助 成 し 、 茲 に支 那 本 土 の外 側 を 繞 り て 日本 を 中 心
国 に 対 す る疑 惑 を 一掃 し て帝国 を亜 細 亜 の盟 主 と し て仰 がし む るに
と す る満洲 国 、蒙 古 国 、 回 々国 、西 蔵 国 の環 状 聯 盟 を 形成 し支 那 を
に際 し蘇 支 両 国 に附 和 せ ざ る こと は断 言 し 得 べ き を 以 て上 述 の利便
蒙 古 国 の地 は由 来 牧 畜 農業 を主 と し 見 る べき 工 業 な く其 畜 産 は 天
し て 日本 と提 携 せざ る の止 む を 得 ざ る境 地 に導 き 、 且該 環 状 聯 盟 を
至 ら し め蒙 古国 の成 立 は 甘 粛 、新 彊 等 に あ る回 々族 の興 起 を 促 し 必
津 を 経 て海 外 に其 農 産 は 支 那本 部 北 部 地 方 に 輸 出 し あ る の状 態 に し
通 じ て外蒙 、 中央 亜 細 亜 、 波 斯 、 印度 、安 南 地方 に 与 ふ る政 治 的 民
然 的 に回 々国 の建 設 と な り 、 又 西蔵 を し て蒙 古 国 を通 じ 日本 と 提 携
て特 に蒙 古 国 に産 す る獣 毛 (羊 毛 、駝 毛 を 主 と す) 獣 皮 は帝 国 の製
族 的 影 響 は至 大 な る も のと 謂 ふ べく、 遂 に は全 亜 細 亜 民族 の興 起 を
二、蒙 古国 の建 設 は 日本 の経済 圏 を更 に拡 大 す
絨 製革 工業 に自 給 自 足 の途 を与 へ之 等 地方 に要 す る生 活 必 需 品 た る
促 し茲 に 帝 国 は真 に亜 細 亜 の盟 主 と し て亜 細 亜 復 興 の使 命 を達 成 し
は 絶 対的 のも のと 謂 ふを 得 べ し。
るを 以 て蒙 古 国建 設 によ り 之 等輸 入品 市 場 は 帝 国 工業 製 産 品 の独 占
得 世 界 雄 飛 の境 地 に到 達 し得 る こと 蓋 し夢 想 に非 ざ る べし。
粗 綿 布 其他 の雑 貨 は主 と し て支 那 本 部 並 に天 津 を経 て輸 入し つ つあ
場 た ら し む る を得 べ し。
第 四章
蒙 古 国 の建 設 は可 能 な り や
蒙 古 国 建 設 は満 洲 国建 設 に比 し 遙 に容 易 な り。
し こと あ る も当 時 は未 だ 民族 的 自 覚 充 分 起 らず 各 蒙 旗 の団 結 亦 容易
機 至 る度 に之 等 漢 民 族 の圧迫 よ り脱 せ ん と幾 度 か反 抗 の狼 火 を挙 げ
の悲 運 に遭 遇 し た り。 然 る に今 や満洲 国 の創 設 を見 彼 等 蒙 古 民 族 に
輝 け る民 族 的 意 識 を 与 へた る こと 多 大 に し て既 往 に顧 み各 蒙旗 団結
な ら ざ り し為 全 内 蒙 古 の民族 的運 動 と な るに至 らず し て其 都 度 失敗
し 支那 よ り分 離 し て蒙 古 独 立 を策 せ んと す る 気 運勃 然 とし て興 り 帝
一、蒙 古 民 族 意 識 の復活 と漢 民 族 に対 す る反 感 よ り見 た る蒙 古 国 建
満 洲国 の建 設 に 当 り て は帝 国 の絶 大 な る援 助 を要 し 之 が為 帝 国 は
設 の可 能 性
多 大 の犠 牲 を 払 ひ た り。 其 原 因 は満 洲国 三千 万 民 衆 の大 部 分 は漢 民
後 援 に よ り蒙 古 独 立 の完 成 は容 易 にし て而 も蒙 古国 建 設 は満 洲 国 建
国 の助力 を希 ふ叫 びは 全 内蒙 古 に横 溢 し つ つあ る現 状 な れば 帝 国 の
設 に於 る が如 く 漢 民 族 の抗 日 を抑 圧 す る の必 要 尠 きを 以 て之 が為帝
族 に し て 一部 の蒙 古 民族 居 住 す るも漢 人 と雑 居 し 既 に 漢 化 し て何 等
あ りし 支 那 国 民党 の排 日教 育 を 受 け 利権 回収 熱 に煽 ら れ 抗 日意 識 強
二、 清 朝 に対 す る歴 史 的 関 係 と執 政 溥 儀 氏 に対 す る敬 慕 の情 より 見
国 の負担 を 重 か ら しめ ず 蒙 古国 建 国 は可 能 性 大 な り と謂 ふを 得 べし。
の実 力 な く 漢 人 大衆 は軍 閥 張 学 良 及 其 背 後 に あ り て之 を 使 嗾 し つ つ
烈 と な り て帝 国在 留 民 に対 抗 し 殊 に ﹁ワ シ ント ン﹂ 条 約 以 後 に 於 る
而 も爾 後 地 方 治 安 の回復 反 日分 子 の掃 蕩 等 帝国 は已 む を 得 ず 長期
三 五 年 清 の睿 親 王 は林 丹 汗 の子 額爾 克 孔果 爾 汗 を降 し て其 部 民 を収
ら れ 、 一六 三四年 内 蒙 古 の盟 主 た る察 哈 爾 林 丹 汗 の死 せ る後 翌 一六
間 の融 和 に 俟 つ こと大 な り 。 即 ち清 朝 興 る に及 び蒙 古 は之 に征 服 せ
め た る嫌 あ る も克 く清 朝 三 百 年 の国基 を持 続 せ し は 一に満 蒙 両 民 族
る為 に蒙 古 に 対 し巧 妙 な る懐柔 政 策 を施 し 一面 蒙古 民族 を衰 微 せ し
満 洲 より起 れ る清 朝 歴 代 の帝 王 は強 大 な る当 時 の漢 民族 を抑 圧 す
た る蒙 古国 建設 の可 能 性
帝 国 の退 嬰 外 交 は 日 本伍 し易 しと の誤 想 を 与 へ張 学 良 政 権 は 益 々軍 備 を整 へて帝 国 の満 洲 に於 る既 得 権 益 を 回収 妨 害 せん と 試 み 満 洲 は 支那 に於 る最 も 根 強 き排 日 、抗 日 の地 方 な り き。 此 の如 き 現 状 に あ り し漢 民 族 の抗 日 勢力 を 一掃 し て満 洲 国 を 建 設
の軍 事 行 動 を 必 要 と し多 数 の犠 牲 者 を 出 し莫 大 な る財 政 的 負 担 を余
す る は既 に容 易 な ら ざ る事 業た り し為 な り。
儀 な く せ ら れた る も 之 な か り せ ば満 洲 国 の創 設 は絶 対 に不 可 能 な り
服 せ り。 茲 に於 て翌年 一六 三 六年 内 蒙 古 十 六旗 四十 九 貝 勒 は 王 公大
会 議 を 開 き 満洲 皇 帝 は蒙 古 可 汗 の大統 を継 承 せ るも のと し て博克 達
と 謂 ふ べ し。 然 るに蒙 古国 は蒙 古 民 族 の最 も集 団 し あ る察 哈爾 、綏 遠 地方 に於 て建 設 せ ん とす る も のに し て之 等蒙 古 民 族 は 多 年漢 民族 よ り圧 迫 を
従 し林 丹 汗 の為 に失 ひ 或 は失 は ん とせ し 領 土 を其 封 地 と し て受 け 清
斯 の如 く 内 蒙 古 は清 朝 の未 だ 明 を 攻略 せざ る 以前 よ り既 に 清 に服
徹 辰 汗 の尊 号 を 勧進 せ り。
り現 状 の儘 推 移 せ ん が蒙 古 民 族 は滅 亡 に帰 す る の外 な き を自 覚 し漢
兵 と 共 に明 征伐 に従事 せ る の みな ら ず 其 王 公 は競 う て清 室 と 婚 を結
受 け 牧 場 は 奪取 せ ら れ酷 税 に悩 ま さ れ其 財 政 的 基礎 は 日 々窮 迫 に陥
民 族 に対 す る民 族 的 反 感 は予想 以 上大 にし て心 あ る蒙 古 人 にし て好
し 其風 俗 は互 に混 融 し て密 接 な る関 係 にあ り て蒙 古 人 の清 朝 に対 す
る関 係 に あ り而 し て満 洲 民族 と蒙 古 民 族 は古 来 生 活 状 態 を殆 ど 同 う
びし を 以 て現 在 の各王 公 は殆 ど清 室 と 姻 戚 関係 に あ るが 如 き特 殊 な
る蒙 古兵 は其 敵 愾 心 に於 て国家 観 念 に乏 し き漢 人 兵 と 同 一に論 ず べ
得 べし然 も漢 民 族 に対 す る怨恨 の念 熾 烈 に し て祖 国 建 設 の熱 に燃 ゆ
な ら し め良 指 揮 官 を得 て冬 期 作戦 を利 用 せ ば更 に戦 闘能 力 を 発 揮 し
も 尚其 の戦 闘 力 は 概 ね漢 人 兵 の二 に対 し 一の比 にし て其 装備 を良 好
た り 。現 今 の蒙 古兵 は諸 種 の歴 史 的 関 係 に依 り昔 日 の俤 を存 せざ る
からず 。 而 し て蒙 古 国建 設 の軍 事 行 動 を 起 す に当 り先 づ之 を 妨 害 す
る思慕 の情 は頗 る大 にし て彼 等 は清 朝 の君主 が 支那 に 君臨 す る間 は
るも のは察 哈 爾 省政 府 主 席 (現在 は宗 哲 元) 及 綏 遠 省 政 府主 席 (現
清 朝 の君主 を 通 じ て支那 と 一致 す べ き も蒙 古 の可 汗 た る清 朝 の君 主 が退 位 せば 即 其 瞬 間 よ り支 那 と 蒙古 と の関 係 は断 絶 せ るも のと 考 へ
び満 洲 国 の封 を受 く べき も のと 思 惟 し之 を 喜 び執 政 に対 す る尊崇 の
の出 動 を 見 る こと を覚 悟 せざ る べから ざ るも 機 先 を制 し て察 哈爾 及
素 よ り蒙 古 国軍 挙兵 に当 り ては 河北 及 山 西 方面 よ りす る支那 本部 兵
在 は傅 作義 ) の率 ゐる漢 人 兵 に し て前 者 は約 三 万後 者 は約 二 万な り 。
あり。
念 は絶 大 に し て依 然 之 を蒙 古 の可 汗 と見 做 し 錫 林郭 勒 盟 、 烏蘭 札 布
平綏 鉄 道 を利 用 し得 る のみ にし て行 軍 に依 れば 恒 山 、陰 山 両 山 脈 の
綏 遠 にあ る漢 人 兵 を 撃 破 せば 支 那 本部 よ り来 る漢 人軍 隊 は唯 一条 の
従 つ て満 洲国 成 立 し宣 統 溥 儀 氏 の執 政 に就 任 す る や蒙 古 王 公 は再
盟 の各 蒙 古 王 公等 は常 に清朝 の制 服 を纏 ひ執 政 の写真 を拝 し ては臣
平 原 地帯 に し て蒙 古 騎 兵 の活動 に最 も 適 し若 し南 口及 雁 門 の嶮 要 を
嶮 を突 破 せ ざ る べ から ざ るに反 し蒙 古 兵 の活 動 地 域 は所 謂 広 漠 た る
礼 をと り つ つあ り 。就 中 西蘇 尼特 王 の如 き は執 政 の写真 の前 に自 己 の跪坐 し之 を 拝 し つ つあ る 写真 を撮 り 之 を執 政 の許 に贈 り て忠誠 を
故 に作 戦 当初 に於 て は先 づ察 哈 爾 、 綏遠 の漢 人 兵 を 撃退 す る こと
扼 し得 ば 克 く少 数 を以 て大敵 に当 るに足 る。
誓 ひた りと 。 以 上 の如 キ 状 態 な るを 以 て執 政 の令 一度 蒙 古 に下 ら ん か内 蒙 古各
来 る支那 本 部兵 に対 し幾 何 の予備 兵 を 準 備す べ きや は軍 事 上 主 要 な
最 も 必要 な りとす 。 之 に対 し当 初 幾 何 の蒙 古 兵 を 動 員 し 次 で増 派 し
地 の王 公 は之 に応 じ て奮 起 し 漢 民族 の圧 迫 よ り脱 せ ん とす る 心と 相
て頗 る可能 性 に 富 み彼 の満 洲 国 内 に あ る漢 民族 の溥 儀 氏 を真 に敬慕
察 哈爾 地方
る蒙 騎 兵 は前清 末 期 に於 け る調 査 に依 れ ば
を 有 す) あ り。 又 蒙古 国 軍 に編 入 し得 べき察 哈 爾 、 綏遠 地方 に於 け
(総 人員 七 千 五 百 にし て六 千 五 百 は執 銃兵 な り、 野 砲 二門 山 砲 三 門
目 下多 倫 に は淮 蒙 古軍 と し て利 用 し得 べき李 守 信 軍 六 千 五 百 人
る研 究事 項 と す。
俟 ち て蒙 古国 建 設 に努 力 す べき を 以 て其 建 設た る や執 政 を中 心 と し
し 非 ざ る に比 し 同 日 に論 ず べ からざ る なり。
蒙 古 人 は由 来 騎術 射 撃 に巧 に し て天 性 の良 騎 兵 た り。
三、 軍 事 上 よ り見 た る蒙 古 国 建 設 の可 能 性
且 勇 敢 に し て服 従 心 に富 み困苦 欠 乏 に堪 へ殊 に冬 期 作戦 に最 も 適 す 。彼 の欧 亜 両 大陸 に跨 る大 蒙 古国 を 建 設 せ し成 吉 思 汗 は主 と し て 他 民 族 の作 戦 行 動 を厭 ふ冬 期 厳 寒 の時 期 を 選 び て作 戦 し大 功 を 収 め
而 し て宋 哲 元 軍 を撃 退 せば 察 哈爾 は完 全 に蒙 古 軍 の手 に帰 し各 地
の蒙 古兵 の興起 を 促 せ ば綏 遠 傅 作義 軍 二万 の駆逐 は容 易 な り と惟 は
勝 算 あり。
一 一、 〇〇 〇
役
一二、 〇〇 〇
備
六 、 五〇 ○
予
七、 〇 〇 〇
役
錫林 郭 勒 盟 十 旗
る。 此際 何 等 か の名 目 を 以 て 日本 軍 一部 の参 加 を見、 平 綏鉄 道 を遮
現
察 哈爾 部 八旗 二 三、 〇〇 〇
軍 は山 西 方 面 よ りす る漢 人兵 に対 す る のみ に て足 り軍 事 上 比較 的容
断 し て南 口 方面 よ りす る 支那 本 部 軍 の前 進 を阻 止 し得 ら るれ ば蒙 古
一三、 五〇 〇
予
易 に蒙 古 国建 設 の目 的 を達 成 し 得 べ し。
役
現 五、 〇 〇 〇
備
三、〇 〇 〇
五、 〇 〇 〇
二 七、 〇 〇 〇
二 二、 〇〇 〇
六 〇 、〇 〇 〇
三 七 、〇 〇 〇
為 殆 ど兵 力 を要 せざ るを 以 て蒙 古 軍 は専 ら対 支 那 軍 に のみ用 ゐる こ
方 の治 安 を 乱 せし 反 動 分 子及 匪 賊 存在 せざ るを 以 て 地方 治 安 維 持 の
部 分 及 伊克 昭盟 は純 然 た る蒙 古 地 帯 にし て彼 の満 洲国 建 設 に当 り 地
を 以 て帰 化 城 を占 領 す る こと容 易 と な り 茲 に第 一案 に 示す 蒙 古 国 を
大 同 と の交 通 を遮 断 し 得 るを以 て烏 蘭 札布 盟 、 伊 克 昭盟 各 旗 の兵 力
北 の土 地 は蒙 古 国 の領 土 と な る べく 次 で平 地泉 を 攻略 せば 帰 化 城 と
爾 左翼 四 旗 を独 立 せし め 得た るも のに し て察 哈 爾 省内 の長 城 外 城 以
と を得 る のみ なら ず 独 石 口、張 北 を占 領 せば 既 に錫 林 郭 勒 盟 、 察 哈
三 五、 五〇 〇
殊 に是 等 蒙古 国 と な る べ き地 方 の内 錫 林 郭 勒 盟 、烏 蘭 札 布盟 の大
三、〇 〇 〇
一六 、〇 〇 〇
役
計 綏 遠 地方
烏 蘭 札布 盟 六旗 伊 克 昭 盟七 旗
計 計
帰 化 城 土黙 特 部 二旗
総
に し て今 尚 概 ね 旧制 を 踏 襲 し略 右 に近 き兵 力 を有 し 現役 兵 は之 を直 に動 員 し 得 る 状態 に あ り。 察 哈 爾 八旗 の最 有 力 者 卓 特 巴札 普 は察 哈爾 八 旗 のみ に て約 一万 を
素 よ り之 等 の現役 兵 は装 備 不完 全 に し て野 山 砲 、 重軽 機 関銃 、迫
動 員 し 得 と 語 れ り。
家 口、 大 同 を攻 略 す るを 要 し相 当 支 那 軍 の抵 抗 を 得 く る こ とを 覚 悟
而 し て第 二案 の蒙 古 国 を建 設 せん と せ ば南 口を 阨 止 す ると 共 に張
建設 し得 べし。
兵 (宋 哲 元 軍) 約 三 万 に、綏 遠 地方 蒙 旗兵 現 役 二 万 二千 は綏 遠省 内
て難 事 と せず。
せざ る可 ら ざ る も作 戦 指 導 宜 し きを 得 謀 略行 為 の成 功 に 努力 せば 敢
六 千と 察 哈爾 地方 蒙 旗 現役 兵 一万 三 千 五百 計 約 二 万 は察 哈 省 内漢 人
撃 砲 等 の重兵 器 を支 給 し 装 備 を良 好 な ら しむ る必要 あ る も李 守信 軍
漢 人 兵 (傅 作義 軍 ) 約 二 万 並山 西 方 面 よ り侵 入 し来 る漢 人 兵 に 対抗
蘭 札布 盟 、 伊 克 昭盟 、 帰 化 城 土黙 特部 ) の蒙 古 人 は海 拉 爾 地方 蒙 古
蒙 古国 を建 設 せ んと す る西部 内蒙 古 (錫林 郭 勒 盟 、 察 哈爾 部 、 烏
四、 蒙 族 の現 状 よ り見 た る蒙 古国 建設 の可能 性
(但 し武 器 を供 給 す るを 要す ) を用 ゐ得 る の外 熱 河 地 方蒙 旗 兵 を も
の兵 力 侵 入 し非 ざ るを 以 て絶 対 に安 全 にし て其 の 予 備 役 一万 一千
し得 べく 殊 に蒙 古 国 建 設 の中 心 地と な る べ き錫 林郭 勒 盟 は今 尚漢 人
利 用し 得 べき を 以 て張 家 口を中 心 と す る宋 哲 元 軍約 三 万 に対 し ては
又 東 部内 蒙 古 ( 哲 里木 盟 、 昭烏 達 盟 、 卓索 図 盟 ) 各 旗 が或 は清朝 成
蒙古 種 (ブ リ ヤー ド、 エルト) に分 れ あ り て民 族 的 結合 な きと異 り、
各 旗 が ﹁ツ ング ー ス﹂ 種 (索倫 、 達 呼爾 、 オ ロチ ョン、 チ ブ チ ン)
阿 巴〓部
蘇 尼 特部
浩 済特 部
烏珠穆沁部
二 旗
二 旗
二 旗
二 旗
二 旗
二 旗
一 旗
八 旗
}
成 吉 思汗 の子 孫 な り
︸
成吉思汗 の嫡系なり
異 母弟 ︸成ベ吉ル思ク汗タの イ の子 孫 な り
︸成 吉 思 汗 の子孫 な り
立 以前 よ り満 洲族 と混 融 し或 は漢 民 族 の侵 入 に依 り 漢蒙 雑 居 し て漢
阿巴哈那爾部 察 哈爾 部
化 し純 然 た る蒙 古 の現 状 を留 めざ ると異 な り未 だ 漢化 を受 けず 克 く
四子部落部
哈爾 哈部
一 旗
即 ち錫 林 郭 勒盟 の各 旗 は全 然 蒙 古 民族 のみ の居 住 地 にし て漢 人 の
元来 の蒙 古 部落 を持 続 せ るも の多 し 。
川縣 あ り又烏 喇 特 前 中 旗 の南 部 地 方 (所 謂 黄 河外 套 の地 ) は漢 人 の
勢 力 は全 く侵 入し 非ず 。 鳥 蘭 札 布 盟 の各 旗 の内 四 子部 落 に 漢 人 の武
茂 明安部
三 旗
烏蘭札布盟
為 に侵 略 せ ら れた る も烏 撻 山 及 狼 山 以北 に は未 だ漢 人 の足 跡 を見 ず 、
烏 喇特部 伊 克 昭盟
二 旗
七 旗
}
}
成 吉思 汗 の子孫 な り
成 吉思 汗 の子 孫 な り
帰化城土黙特部
︸成 吉思 汗 の弟 哈 薩爾 の子 孫 な り
其 三分 の二 は蒙 古 民 族 の地域 た り 。伊 克 昭盟 各旗 の内 黄 河 北岸 の地 は漢 人 の占 む る所 と な りた るも 黄 河南 岸 (所 謂内 套 の地 ) は之 亦 純
り。 唯 察 哈爾 部 は清 朝 の末 期 より 漢 人続 々侵 入 し来 り て開墾 を始 め
然 た る 蒙古 民 族 のみ の居 住 地 域 に し て、 約 四 分 の三 の地 を保 有 し あ
右 の如 く察 哈 爾 、綏 遠 地方 の蒙 古 旗 民 は成 吉思 汗 の直系 及 傍 系 子
に成 吉 思 汗 の遺 骨を 守 衛 し あ る地 な り
(註) 伊 克 昭盟 の伊 克 昭は蒙 古 原 語 に依 れば 大 廟 の意 に し て今
期 より 漢 人侵 入し 来 り て悉 く 其 同 化す る所 と な りた るも 、之 等 旗 民
孫 に し て其 血 液 を 同う し漢 人 の血液 混 入 し あ らざ るも の多 く其 大部
既 に其 地 の十 分 の七 は漢 人 の為 に奪 は れ、 帰 化城 土 黙 特部 は明 朝 末
の内 近 時北 平 南 京 方面 に留 学 す る も の多 く 、殊 に漢 人 の圧 迫 強 き 地
分 は純 然 た る蒙 古部 落 を な す 。殊 に察 哈 爾部 は 明朝 に対 し 一敵 国 を
後清 朝 の懐 柔 政策 に依 り収服 せ られ た る と其 居 住 地 は支 那 本 部 に近
な し清 朝 に対 し ても林 丹 汗 に至 る迄 之 に 抵抗 し来 りた る歴 史 あり爾
き を以 て直 に漢 人軍 隊 の圧迫 を受 く る虞 あ りし 為閉 息 しあ る のみ。
以 上 を大 観 す る に西 部 内 蒙 古 の漢 人 に 侵略 せら れ あ る は 三十 三旗 中約 十 旗 に過 ぎず 而 も之 等 の蒙 古 旗 民 は悉 く成 吉 思 汗 の直 系 又 は傍
外蒙 古 既 に独立 し満 洲 国 建設 せら れ た る今 日依 然 と し て迷 夢 を 貪 り
方 の出 身者 な れば 更 に 民族 意 識 を喚 起 し 漢 人 に対 す る反感 一層 強 し。
之 を 血統 的 に述 ぶ れば 左 の如 し 。
甘 ん じ て支 那 の羈 絆 を受 く る こと を 豈望 まん や 。而 も其 旗 制 は 大部
系 の子孫 にし て其 血統 を 同 う し あ り。
錫林郭勒盟
分 今 尚 厳 然 と し て持 続 せ ら れ相 互 の血族 的 関 係 は各 盟 各 旗 の 一致団
の王 公 及 代表 召 集 会 議 に も錫 林 郭 勒 盟各 旗 は会 盟 の結 果 に依 り応 招
る こと を 重 要視 し西 蘇 尼 特徳 王 の蒙 古 自治 宣 言 も会 盟 の結 果 に依 り
盟 は今 も尚 持続 し あ り て錫林 郭 勒 盟 の如 き事 の大 小 を問 はず 会盟 す
し 蒙古 国 を建 設 せ し む る の可能 性 大 な り。 而 し て清 朝 の遺 制 た る会
結 を なす に適 し 其指 導 適 切 な ら ば之 を 奮起 せ しめ て支那 の羈 絆 を 脱
此 の外 蒙 古 独立 の影 響 を受 けざ ら ん や、 唯 彼 等 は支那 の実 力強 大 に
立 を宣 言 し て外 蒙 古 革命 政 府 を設 立 せ り 。内 蒙 古 に於 ても 如 何 で か
の後 援 を 有 す る外 蒙 古 革 命 党 の勢 力 漸時 強 大 と な り 民国 十年遂 に独
ず 一時 ﹁ウ ンゲ ル﹂ 軍 の侵 入す る所 と な りた るも 民国 八年 以 来蘇 国
錚 将軍 の庫 倫侵 入 に依 り之 を取 消 した る も爾 後 支 那政 府 の命 を 奉 ぜ
先 づ独 立 を 宣言 せ り、 即 ち 民国 四年自 治 政 府 を 組 織 し 民国 八 年 除樹
し て其 居 住 地 は漢 民 族 の本土 た る支那 本部 と 張 作霖 、 張 学良 等 漢 民
た るも のな り。 今 回 承 徳 特務 機 関 の多 倫 に於 る錫林 郭 勒 盟 察 哈爾 部
を 承 認 し 来 れ る 次第 な るを 以 て蒙 古 国建 設 に方 り該 会 盟 を 利 用 せば
族 出 身 軍 閥 の跋 扈 する 東 三省 と に依 り 地理 的 に包 囲 せら れあ り た る
彼 等 は満 洲 国 及 日 本 の後 援 に依 り、 自 立 せ ん こと を望 む に至 り た
与 の好機 を与 へ其 東 方満 洲 より す る漢 民族 の圧 迫 は除 か れた り。
を な さ ん や溥 儀 氏 の元首 た る満 洲国 の創 設 は前 述 の如 く 内蒙 古 に天
斯 る蒙 古 民 族 は日 々加 は り行 く漢 民 族 の圧迫 を徒 に坐 視す る こと
血 を 保有 し あ り。
し て克 く 今 日迄 其 旧 態 を保 持 し 其 血管 に は成 吉 思汗 以 下 幾多 英 傑 の
尚 且祖 国復 活 を 思 ふ况 ん や蒙 古 は 元朝 滅 亡 せ る後 と雖 自 治的 民 族 と
が故 に止 む を得 ず 独 立自 治 の声 を 潜 め あ りた る のみ。 亡 国 の民す ら
彼 等 を し て共 同 一致 の運 動 を執 らし む る こと 難 か らず 。 ( 註) 盟 とは数旗 より成 る集合団体にして盟としては直接旗内 の行政 に 干与 せざ るも盟内 の重要事件に関 しては各旗 の札薩克会同して之 を処 理す 部 とは同族 の集合名 にして何部と云ふは 一族 の集合 を示す 会盟とは盟を同 じうす る各族 が 一定 の盟地に集合 して清朝特派大臣 の閲兵を受くると称 して三年毎に行 ふ制度なり 乾隆元年内蒙古 を二斑 に分ち錫林郭勒、烏蘭札布 、伊克昭 の三盟 を 一盟地 に会盟 せしむ ることとしたるを以 て現在 に於 ても該三盟 は之 を 踏襲しあり
大 元 国 を 建 設 せ し蒙 古 民族 の偉 大 な るは暫 く之 を 置 き元 滅 びた る
明国 征 服 事 業 に従 事 した るが如 く 今 日 の西 部 内 蒙 古 も亦 東 に 満洲 国
国 あ り て 一時 其去 就 に迷 ひ た る こと あ る も結 局 は満 洲 朝と 一致 し て
る こと は当 然 な り 、清 朝 興 隆時 に於 る蒙 古 は東 に満洲 族 あ り南 に 明
後 も蒙 古 人 は朔 北 の天 地 に割 拠 し て常 に 支那 本 部 に対 し 一敵 国 を形
を控 へ南 に 中華 民 国 あり而 も東 方 満 洲国 は彼 等 と 歴史 的 関係最 も深
五 、 歴史 的 地 理 的 関係 よ り見 た る蒙 古 国 建 設 の可 能 性
成 し清 朝 に 至 り て懐 柔 せ ら れた るも 内 外蒙 古 は屡 々反乱 を 企 て決 し
満 洲 国 の援 助 に依 り中華 民国 よ り離 脱 し て独 立 を 企図 せん と す る は
蒙 古 が蘇 国 の後 援 に より て支 那 より 独立 せし 如 く 内蒙 古 も亦 日 本 及
主 た る強 国 我帝 国 の支持 と後 援 を 受 け て成 立 せ し こと を 熟 知 せ ば外
き清 室 の廃 帝溥 儀 氏 元首 と し て就 任 し あ る のみ な らず 、 亜 細 亜 の盟
清 朝 の皇 帝 は蒙 古 の可 汗 にし て蒙 古 民族 と 漢 民族 と を連 合 せ し め
て漢 民 族 に併 呑 せら るる が如 き こと な か りき 。
た る に過 ぎ ず 。故 に宣 統帝 退 位 の瞬 間 を 以 て蒙 古 は支 那 と 分 離 関係 に あ る こと は前 述 の如 し。 故 に外 蒙古 は清 朝滅 亡 し て民 国 と な るや
蓋 し自 然 の勢 にし て誰 か 此 の歴 史 的 帰趨 と 地 理的 関 係 を 無視 し て蒙
て其 権勢 は反 つ て王 公 を凌 ぎ人 民 も 亦之 に絶 対 的 の信頼 を置 き活 仏
神界 の統 御 は 一に喇 嘛教 の最 高 僧 呼 図 克 図 (活 仏 ) の統 ぶる処 に し
然 れ共 清 朝 滅 亡 以来 其 教 勢 は次 第 に衰 へ宗 教 に冷 淡 な る漢 人 は北
の為 に は財 産 は愚 か生命 迄 も投 ず るが投 き盲 目 的 信 仰 振 を見 せ あ り。
古 国 建 設 の可 能性 な しと せ んや 。 現 に満 洲 国 に近 き錫 林 郭 勒 盟 及 察 哈爾 各 旗 の内 或 も のは既 に其 代
支 、満 洲 の動 乱 起 る 度 に喇 嘛 を 圧 迫 し北 京 、奉 天 、 承徳 、多 倫 等 の
表 を派 遣 し て帝 国 の後 援 を願 ひ つ つあ る は特 に注 目 す べき 現象 な り
る反 宗 教 政 策 に準 ひ信 仰 の自 由 は 認 め あ る も喇 嘛 の特権 を剥 奪 し て
とす。
蒙 古 人 の信仰 心 を奪 ふ等 深 く 喇嘛 教 に帰 依 す る蒙 古 人 を し て幻 滅 を
寺廟 は全 く 荒 廃 し て顧 る も のも な く 又 外蒙 古共 和 国 は蘇 国 の極 端 な
喇 嘛 教 は仏 教 の 一派 に し て其 始 め て蒙 古 に 入 りた るは 成 吉思 汗勃
六、 宗 教 上 よ り見 た る蒙 古 国 建 設 の可能 性
興 の前 後 に あ りと 伝 へら る るも 当 時 未 だ微 々と し て振 はざ り し が天
感 ぜし めあ る こと多 大 な り。
と り ては 日常 生活 の苦 悩 の慰 安所 を来 世 に求 む る は 必然 にし て其 迷
抑 も 気候 風 土 の頗 る単 調 に し て其 生活 亦 頗 る原 始 的 な る蒙 古 人 に
下 を統 一し て大 元 国 を建 設 せし 忽 必 烈 即 元 の世 祖 の時 に 及 び西 蔵 の
なく 世 祖 以降 歴代 の帝 王 亦 深 く 喇嘛 教 を崇 信 し た り。 然 れ ど も当 時
聖 僧 発 思 巴 を 招請 し て之 に師 事 し 国 師 の尊 号 を 与 へて優 遇至 らざ る
しあ るを 以 て蒙 古 国 建 設 は 喇嘛 教 を保 護 す る最 良 策た る こと を 知 ら
信 的 に 迄 凝固 さ れた る宗 教 的 意識 は依 然 と し て彼 等 の間 に深 く 潜 在
し め護 法 の精神 を高 潮 せ し め な ば蒙 古民 族 を駆 つ て建 国 に邁 進 せし
の宗 教 は所 謂紅 教 に属 す る も のに し て元 朝 廷 の宗 教 と し て信 仰 せ ら
図 克 台 、徹 辰 鴻 台 吉 は西 蔵 地 方遠 征 の際 深 く 喇嘛 教 に帰 依 し 第 五 世
に蘇 国 の圧 迫 を受 く る こと 尠 き 内 蒙 古 の喇 嘛 は蒙 古 人 の尊 信 を依 然
む る こと 蓋 し 難事 と せず 。 殊 に前 述 の諸 地方 に比 し 比較 的 漢 民 族 並
れ し に 過ぎ ざ りき 。 降 つ て明 の初 葉 一五 六 六年 蒙 古鄂 爾 多 斯 部 の庫
達頼 喇 嘛 の戒 飾 を 受 く る や部 下を 戒 め て殺 戮 を禁 じ只 管 現 世 の苦悩
の宗 教 的 心 理 を利 用 せば 政 治 的 に蒙 古 を 結 合 せ し む る こと 容 易 にし
と し て保持 し達 頼 班 禅 等 を 宗 教 上 の絶 対 者 と し て仰 ぎ あ るを 以 て此
を脱 し て来 世 の福 祉 を希 ふ を教 へ自 ら も 亦 身 を 以 て之 を奉 じ た る為 喇嘛 教 は広 く 蒙 古 の部 落 に伝 播 し 民 衆 は靡 然 と し て之 に趨 き 渇 仰 随
て蒙 古 国 建 設 に当 り最 も 困難 を感 ず る各 盟 各旗 の団 結 を 図 るに絶 対
喜 の標 的 は 一に喇 嘛 教 に集 中 す る に至 れ り。 之 即 現在 蒙 古 に普 及 さ れ あ る 黄教 の始 な り。 次 で清 天下 を平 定 す るに 及 び蒙 古 懐 柔 の 一策
不可 欠 の条 件 な りと 謂 ふ べし。
然 も 斯 し て蒙 古 国 建 設 に喇 嘛 教 を 利 用 し其 保 護 を加 ふ れば 必然 的
とし て喇嘛 教 を利 用 し厚 く 高 僧 を 遇 し 地を ト し て幾多 の大 伽 藍 を 建
に 外蒙 古人 にも 影 響 を 及 ぼ し彼 等 を し て血 族的 関 係 と 相 俟 つ て宗 教
立 す る 等専 心優 待 之 努 め た る為 喇 嘛 教 の勢 力 は翕 然 と し て蒙 古 全 土 を 風 靡 し現 在 に至 る も蒙 古 人 の喇 嘛 に対 す る信 頼 は吾 人 の想像 外 に
向 は し む る素 地を 作 る に至 る べし 。
的 に蒙 古 国 に投 入 せ ん こと を 思 ふ に 至 ら し め内 外 蒙 古結 合 の気 運 に
蒙 古 は政 治 的 に は 札 薩克 、王 公 の治 む る処 な る も之 を 横 に貫 く精
あ り。
第 五章
蒙 古 国 々家 組 織 の大 綱
聯 盟 の盟 は蒙 古 各 盟 の ﹁盟 ﹂ に し て建 設 の当 初 は錫 林 郭 勒 盟 、察
一、 蒙 古 国 の国 号 を蒙 古 聯 盟 国 と 称す 。
哈 爾 部 (総 管制 )、 烏 蘭 札 布 盟 、伊 克 昭盟 、 帰 化 城 土 黙 特 部 (総管
さず 。
六 、 可 汗 の選挙 に参 加 す る蒙 古王 公、 及 総管 は 国政 に参 与 す るを許
七 、 蒙 古聯 盟 国 軍 を編 成 し 軍管 区 を左 の如 く 定 む。
錫林 郭 勒軍 管 区
領 域 を第 一案 と す る場 合
察哈 爾軍管 区
制 ) を 以 て組 織 す る も将 来 外蒙 其 他阿 拉 善 地 方 等 の蒙 古 参 加 の素 地
烏 蘭 札 布 軍管 区 (帰 化 城 土 黙 特部 を含 む )
口 北 軍 管 区
領 域 を第 二案 と す る場 合 に は更 に 左 の二軍 管 区を 増 加 す。
伊 克 昭軍管 区
を も 作 る も のと す。
蒙 古 国 内 に あ る蒙 古 王 公 、 総 管 を 以 て可 汗 会 議 を 開 き王
可 汗 の就 任 は左 記 案 の 一を撰 ぶ。
二 、蒙 古 聯 盟 国 の元首 を可 汗 と 称 す。
第 一案
雁 門 軍 管 区
に 可 汗親 衛 軍 一を 置 く。
八 、 各 軍管 区 に蒙 古 兵 を 以 て編 成 せ る警 備 軍 一を配 置 す る の外首 都
九 、 各警 備軍 、 親 衛 軍 の兵 力 は 地方 の状 勢 に応 じ 五千 乃至 一万 人 と
満 洲国 の元 首 た る執 政 を 以 て蒙 古聯 盟 国 の可 汗 を 兼 ね し
公 総 管 中 よ り互 選 し て之 を定 め任 期 を 五年 とす 。 第 二案
三 、蒙 古聯 盟 国 政 府 は当 初多 倫 に組 織 す るも首 都 は其 領 域 を 、前 記
し蒙 古聯 盟 国 軍 の総兵 力 は 三 万 乃至 五 万 と す。
む。
第 一案 と す る場 合 は平 地 泉 又 は商 都 に第 二案 と す る場 合 に は張家 口
但 し蒙 古 国 建 設 当初 は支 那 軍 に対 す る関係 上 必要 あ る兵 力 を保 持
又 は 大同 に置 く
す。
四 、蒙 古 聯 盟 国 政 府 は国 務 院 を置 き 其 下 に内 務 、 外 交 、司 法 、財 政 、 軍政 、宗 政 の六 部 を 設 け て国 務 総 理 を し て之 を統 轄 せ し め各 部 に総
漢 人居 住 地に は保 安 隊 を置 く の外 漢 人兵 を採 用 せず 。
に減 少 す ) と し 警 備 軍 は徴 兵 制 に拠 るも のとす 。
十 、 旧来 の蒙 古 旗 制 に依 る旗 兵 は地 方 保 安隊 (其 兵 力 は従 前 よ り大
各 部 の官 制 は満 洲国 々務 院 の官 制 に準 ず る も、 一層之 を単 簡 にす 。
長 一名 を置 く。
五 、蒙 古 聯 盟 国 の行政 は暫 く 蒙 古 の旧 制 を踏 襲 し て旗 及縣 制 を布 き
一廟 と し 地 方 の経 済 状 況 に鑑 み喇 嘛 の数 を 減 少 し て純 然 た る宗 教 団 体 と す。
十 一、喇 嘛 教 を 国 教 と し国 家 よ り適 当 の保護 を 加 ふ る も寺 廟 は各 旗
十 二、蒙 古 地方 に居 住 す る漢 人其 他 の民 族 に対 し ては保 護 を加 へ、
政 府 よ り任 命 す る盟 長 (錫 林 郭 勒 盟 、烏 蘭 札 布 盟 、 伊 克 昭盟 ) 総 々
る場 合 に し て口北 道 、 雁 門 道 のみ に用 う ) を 置 き盟 、準 旗 制 地方 及
管 、( 察 哈 爾 部 、 帰 化 城土 黙 特 部 ) 及 道 尹 (領 域 を 前 記第 二 案 と す
漢 人 居 住 地 方 の行 政 を統 轄 せし め 各旗 及 各 縣 は自 治 と す。
十 三、 王 公 及 貴族 の称号 は之 を 存 し 国家 よ り優 遇 の途 を 講ず る も旗
平等 の権 利 義 務 を 附 与す 。 但 し 兵 役 の義 務 を除 く。
に劣 ら ざ る な り。 見 よ外 蒙 古独 立 に当 り蘇 国 に 於 て教 育 せ られ た る
の血管 に流 れ つ つ あ り て教 育 あ る蒙 古 人 は其 知 能 に於 て決 し て漢 人
し野 蛮 視 す る は誤 れ る観 察 に し て過 去 の英 傑 の血 は依 然 とし て彼 等
蒙 古 青 年 の如何 に勇 敢 に活 躍し 蒙 古 共 和 国 の建 設 に着 々と し て成 功
旗 民 中 に は 現在 少 数 と は云 へ人材 を有 す 。 彼 等 は 王 公 の横 暴 と 旗 内
蒙 古 国 建 設 の時 期 及準 備 期 間
に於 る 生活 困 難 の為 に蒙 古 の地 を去 り て北 京 、南 京 等 に至 り内 心 不
第 六章
内 の土 地人 民 は 私有 す る こと を 禁 ず 。
一、 蒙 古 国 建 設 の準 備期 間 は三 年 と す。
満 を抱 き つ つも生 活 の為 或 は南 京 政 府 下 の役 人 と し て或 い は国 民 党
し つ つあ る こと を 。 内 蒙 古 人 中 に も喀 爾 沁 、 察 哈 爾 、伊 克 昭盟 等 の
二、 蒙 古 国建 設行 動 開 始 時 機 は準 備 期間 を終 りた る其年 の冬 季 よ り
員 と し て其 職 に就 き 或 者 は 悶 々 の情 に堪 へ兼 ね て逃避 的 生 活 を な し
並 に準 備 施 設
三、 準 備期 間 に左 記 準 備 施 設 を 行 ふ。
満 洲国 建 設 に当 り幾多 の日本 人 は之 に参 加 せ り 。蒙 古 国 建 設 に 当
第 三 、優 良 な る 日本 人 指 導 官 を 養 成す る こと に あ り。
養成 に努 む るを 必要 とす 。
とす 。 故 に之 が養 成 機 関 と し て蒙 古 軍 官 学 校 を 設 立 し蒙 古 人 軍 官 の
蒙 古 に は既 に各 旗 に兵 を有 す と 雖 も 之 を 指揮 す る将 校 なき を 遺憾
第 二 、蒙 古 人 将 校 を養 成 す る に あり 。
服 せ し む るを 必 要 と す。
つ つあ り。 故 に先 づ 之 等 の人材 を招 致 収 容 し て蒙 古 国 建設 の事 業 に
とす。
既 に第 一章 に於 て蒙 古 国 の領 域 を 示 し第 二章 に於 て蒙 古国 建設 の 必 要 を 説 き第 三章 に於 て蒙 古 国 建 設 の可 能 性 を述 べ蒙 古 国 建 設 の夢
然 れ共 凡 そ 一国 の建設 に は幾多 の困難 を伴 ふを 以 て周到 な る用 意
想 に 非 ず し て今 や 現実 の問 題 た る こと を 明 にせ り。
第 一、蒙 古 人 の人 材 を集 む る に あ り。
と 準 備 と を 以 て之 に当 るを 要 す。 即 ち之 が為 必 要 な る は
蒙 古 国 建 設 に当 り最 も必 要 と す る は蒙 古 人 の人 材 を集 む る にあ り
蒙 古 民族 は嘗 て欧 亜 二大陸 に跨 れ る空 前 絶 後 の大国 を 建設 せし 民
満洲 事 変 に於 て各 地 の蒙 古 人 に接 触 せ る 日本 人 の常 に経 験 せ し 処 な
こと を欲 せ ざ るも 日 本人 の指 導 に は喜 ん で之 に従 ふ の風 あ る こと は
蒙 古 人 は民 族 的 に 日本 人 に対 し親 愛 の念 を 有 し 漢人 の命 を 受 く る
り ても亦 所 要 の 日本 人 指導 官 を 要 す る は言 を 俟 た ず 。
族 に し て古 来 幾 多 の偉 人 を 出 せ し も清 朝 の懐 柔 政 策 と喇 嘛 教 の感 化
然 るに蒙 古 民族 に 不足 せ るも のは実 に此 の人材 な り。
とす 。
と に よ り殆 ど 去勢 せ ら れ て昔 日 の英気 無 く 又蒙 古 王 公 自 己 の地位 保
り。
には 必ず 適 当 な る 日本 人 指 導官 を要 す 。 然 るに 蒙 古事 情 特 に察 哈爾
此 の傾 向 は察 哈 爾 綏 遠 地 方 の蒙 古 人 も同 一にし て蒙 古 人を 動 かす
持 に 汲 々と し て殊 更 に愚 民 政 策 を執 り蒙 古 民 族 を し て数 世 紀 に亘 り 無 数 育 状態 に置 きた る為 今 日 の如 き 人材 と し て見 るべ き者 殆 ど なき 憐 れ む べ き状 態 と な れ り。 然 れ共 蒙 古 人 を 以 て蒙 昧 暗 愚 な る民 族 と
綏 遠 地方 の蒙 古 に通 じ且 蒙 古 語 を解 す る 日本 人 は 実 に寥 寥 た る星 の 如 き 状 態 な る を 以 て先 づ 蒙 古 語 を語 る こと を 得 て蒙古 事 情 に精 通 し 適 切 に 蒙古 人指 導 に任 じ 得 る 日 本人 指 導 官 を 養 成 す る こと 絶 対 に 必 要 な り。 第 四、 各 蒙 旗 を 指 導 し て其 奮 起 を 促 し 各 旗 の連 絡 を 密 接 な ら し む
二、蒙古情報処 ( 実 は蒙古国建設辨公処 備考第 二参照)
盟七旗 、帰化城土黙特部二旗合計 三十三旗 の各旗中よ り二名乃至 四
学生は錫林郭勒盟十旗、察 哈爾部八旗、烏蘭札布盟六旗、伊克 昭
定員 一〇〇名
蒙古事情を調査 し宣伝連絡に任 じ蒙古国 建設事務を司ると共 に併 (備考第 一)
せて蒙古人人材 の調査収集 に任ず。
蒙古軍官並 に日本人指 導官養成所
蒙 古 人 は 今 や 日 満 両国 の後 援 を 得 て支 那 よ り独 立 せ ん と す る気 運
名を召集収容す。
一、蒙 古人軍官学生
濃 厚 に し て既 に 西蘇 尼 特徳 王 の如 き は前 述 の如 く内 蒙 古 の自 治 を宣
る機 関 の設 置 之 な り。
言 せり 。 然 れ 共 蒙古 に内 在 せ る 一大 困難 は清 朝 時 代 の旗 制 に よ り小
採用資格 は中等学校 卒業程度以上 の者 にして将来蒙古国建設指導
五〇 名
二、蒙 古 指 導 の日 本 人学 生
定員
区 轄 に分 た れ彼 等 は其 区 分 を 厳 守 し て各 旗 間 連 絡 す る こと を許 さず 、
に任 ぜんとす る熱意 あるも のを収容す。
各 旗 は 独 自 の自 治 を甘 受 し て各旗 の安 全 のみを 願 う の風 を 馴致 せし め ら れた る を 以 て全 蒙 旗 の 一致団 結 は頗 る困 難 に し て殊 に察 哈 爾 綏
三、修業年限は共に 一年とす。
蒙古情報 処 ( 実 は蒙古国建設辨公処)
( 備考第 二)
遠 地 方 の蒙 旗 中支 那 本 土 に 隣 接 し あ るも のは支 那 の圧迫 を 恐 れ自 己 の利害 打 算 よ り行 動 す る も の多 し、 此 故 に全 蒙旗 を打 つて 一丸 と な し 、醒 め んと し つ つあ る蒙 古 人 を し て 一層 活 眼 を開 か し め て蒙 古 国
長
日 本
人
一名
其 の組織及編成 は次 の如くす。
の蒙 古 事 情 を調 査蒐 集 す ると 共 に各 蒙 旗 を連 絡 せし め て之 を指 導 し
建 設 の事 業 に 活 躍 せ し め ん に は先 づ 潜 行 的 に彼 等 の旗 内 に 入 り各 種
情報蒐集係
係
古
日 本
人
人
四名
二名
る事務 を担任す。
所内 にありて蒙古調査 、情報資料 の収集収録其他蒙古建設に関す
又 は宣 伝 の任 に 当 る機 関を 設 置 す るを 必要 と す 。 以 上 第 一、第 二 の目 的 を 達 成 せ し む る為 林 西 に 左 記 機 関 を設 置 す 。
蒙
林 西 は満洲 国 内 に あ り て支 那 側 の圧迫 に対 し 安 全 な る のみな ら ず 蒙 古 国 建 設 の中 心勢 力 と な るべ き錫 林 郭 勒 盟 と 近 接 し察 哈爾 綏 遠 地
宣 伝 一、 蒙 古 軍 官 並 日本 人 指 導 官 養 成所 (備考 第 一参 照 )
宣伝及連絡事務を担任す。
方 蒙旗 と の連 絡 に便 な る地位 に あ る を 以 てな り。
蒙 古 人軍 官 並 日本 人 指 導 官 を 養成 す 。
連
絡
蒙
日
係
古
本 人
人 二名
一名
千 人 の純 蒙 古 軍 を編 成 訓練 す るを 要 す。
次 で第 二年 度 卒 業 学 生 を各 旗 に帰 還 せ し め各 旗 兵 を訓 練 し第 三年
度 末 に於 て蒙 古 国 建 設 の為 め挙 兵 す るに方 り之 に 呼応 せ しむ る の準
約
七千
六千
備を な さし む 。其 の兵 員 左 の如 し 。 錫林 郭 勒 盟
五千
四 ケ班 を編 成 し て各班 を 三名 と し常 に錫 林 郭 勒盟 、 察 哈爾 部 、 烏 蘭 札布 盟 (帰 化 城 土黙 特 を含 む )、伊 克 昭盟 の四 地区 に潜 入 し て
約
約 一万 五千
察 東 警備 軍
興 安 西分 省 警 備軍
蒙 古 兵 一千 乃至 一千 五 百漢 人兵 二千 乃至 三 千
蒙 古 兵 一千 名
一、 昭 和 八年 度 末 (既 に次 の如 く改 編 を 命令 し あ り)
其 の改編 実 施 要 領 左 の如 し。
を以 て之 を純 然 た る蒙 古 軍 に 改 編 す る こと 必 要 な り。
前 述 の如 く 一般 蒙 古 人 は李 守 信軍 に対 し 信頼 の念 を有 し あ らざ る
第 六、李 守 信 軍 を 改編 し て純然 た る蒙 古 軍 た ら しむ るに あ り。
伊 克 昭 盟
約
一二名
察 哈 爾 部
人
烏 蘭 札 布盟 (土 黙 特部 を 含 む)
古
蒙 古 人 の自 覚 を 促 す と共 に現 地 の調 査 宣 伝 及連 絡 等 を 担任 す 。 蒙
第 五、 蒙 古 国 建 設 の原 動 力 た るべ き蒙 古 基 本軍 隊 の編 成訓 練 之 れ な り。 多 倫 に は現 在 李 守信 軍 (李 守 信 は蒙 古 人 に し て其 軍 隊 は蒙 漢 人 混 合 ) あ り て之 を 蒙 古 国 建設 に使 用 し得 べし と雖 純 然 た る蒙古 軍 に 非 ざ ると成 立 の事 情 上蒙 古 人 は之 に絶 対 の信 頼 を置 き非 ず 。 察 哈爾 蒙 古 人 の或 者 は秘 に
察 東 警備 軍 は之 を 三 支隊 に分 ち各 支 隊 は 三団 よ り成 り其 内 蒙 人 一
﹃察 哈爾 蒙 古 は満 洲国 に帰 服 し 之 に呼 応 せ ん とす る考 へあ る も張
り撃 た れん こと を 恐 る る が故 に 躊躇 しあ り﹄
察 東警 備 軍 の各 支 隊 の内 二団 を蒙 人 兵 と し他 の 一団 を漢 人 兵 に改
二、 昭和 九年 度 末
団 漢 人 二団 と す。
家 口に駐 屯 せ る宋 哲 元 の圧迫 を 受 く る のみ な らず 或 は 李守 信 軍 よ
と 語 れ り。 以 て李 守 信 軍 に 対 す る察 哈 爾 蒙 古 人 の意 嚮 を察 知 す るに足 る。
編す。
察 哈爾 綏 遠 地方 の蒙 古 人 は蒙 古復 活 を自 覚 す る の気 運 に向 ひ つゝ あ り と雖 前 記 同 様 の心理 状 態 を 有 し恐 怖 逡 巡 せ るを以 て之等 蒙 古 人
三、 昭和 十年 度 末
第七章
蒙 古 国 建 設準 備 に要 す る経 費
但 し特 別 の技 能 を有 す る漢 人将 兵 の残留 は之 を 認 む。
察 東警 備 軍 各 支隊 の三団 全部 を蒙 人部 隊 に改 編 す。
を 奮 起 せ し め各 地 の蒙旗 民を し て蒙古 国 建 設 事 業 に呼 応 せ し め んに は 蒙 古人 の真 に信 頼 し得 る純 然 た る蒙 古 軍 を 編成 す るを 要 す。 即 ち 蒙 古 国建 設 準 備 期 の第 二年 度 に於 て第 一次 蒙古 軍 官 養 成所 を卒 業 し た る も のと 錫 林郭 勒 盟 、 熱 河各 旗 の旗 兵 を 召集 し て林 西 に於 て約 五
第 一年 度 経 費 (月額 を示 す ) 第 一項 、蒙 古 軍 官 並 に 日本 軍 指導 官 養 成所 初 度 設 備 費 (一時 限 り ) 校 舎 は林 西 に あ る兵 舎 の 一を利 用す 。
五、 〇 ○○ 円
三、 ○ ○○ 円
蒙
旅
機
古
人
費
十 八名 分
一人 平 均 一〇 〇 円 乃至 一五〇 円 とす
密
初度 設備 費
費
主 と し て各 旗 に 派遣 す る連 絡員 の旅費
計 (月額 )
蒙 古 軍 官養 成費 1 、学 生 一人 (手 当 人 馬食 糧 被 服費 等 ) 当 三〇 円と し て百 人 に
総
計
対す るも のと す 2 、馬 は 各自 携 行 せ し む るも のとす
第 二年 度 経 費
第一 項 ・第 二項 の経 費
蒙 古 軍 官 並 日本 人 指導 官 養 成所 費
五、 ○ ○○ 円
蒙 古情 報 処 費
日本 人 指 導 官養 成 費
学 生 一人 (手当 被 服糧 食 費 等 ) 当 一〇 〇 円 と し て五 十 人 に対 す
第 一項 一、○ ○ ○ 円
も のと す
2、 兵 舎 は林 西 経 棚 の廟 等 を 利 用す
計
3 、 所 要 の兵 器 は別 に支 給 す る も のと す 総
1 、第 二年度 に同 じ 。
第 三年度 経 費
る も のと す。
二、○ ○ ○ 円
一、 五〇 〇 円
一、 五〇 〇 円
六 、○ ○ ○ 円
五 、○ ○ ○ 円
一六 、○ ○ ○ 円
六、 ○ ○○ 円
一〇 、○ ○○ 円
五〇 、 ○○ ○ 円
之 が手 当 と し て各 人 月額 五〇 円 と し別 に五 、○ ○ ○ 円 を計 上す
旗兵 を訓 練 せ し む。
2 、第 二年 度 蒙 古軍 官 養 成所 卒 業 者 を各 旗 に帰 還 せ し め、 原 旗 の
六 六 、○ ○ ○ 円
1、 日本 人指 導 官 た る 五〇 名 及 蒙 古将 兵 の手 当、 衣 糧 費等 を含 む
蒙 古 軍 々費
一、○ ○ ○ 円
二、 ○○ ○ 円
一〇、 ○ ○ ○ 円
一、 ○ ○ ○ 円
三〇 〇 円
七 〇〇 円
第 二項
三 名分 二名分
第 三項
るも の 教 官 手 当 日本 人教 官 蒙 古 人教 官 消 耗 品其 他 雑 費 計 (月額 )
一、軍 事 教 官 は 関東 軍 よ り派 遣 す る も のと す
備考
二、 教 練 用 所要 兵 器 は 別 に支 給 す る も のと す
四名 分
蒙 古 情 報処 経 費
初 度 設 備
第 二項
人
一人 平均 二〇 〇 円 乃至 三〇〇 円と す
本
処 員 手 当 日
3 、第 二年度 卒 業 の日 本人 指 導 官 は月 手 当 一〇 〇 円 を給 し 、 蒙古
其 経 費 は 別 に計 上 す。
軍 並各 旗 の指 導 に任 ぜ し む るも のと す 。
六
職
以
上
承徳 特 務 機 関 長
松
室
孝
良)
察 哈 爾 国 民 委 員 喀 喇 沁 右 旗 軍事委員会諮議 喀 喇 沁 左 旗 中央党 部科 長 喀喇沁右旗 執 行 委 員 綏 遠 土黙 特 立 法 委 員 〃 国民政 府参 事 東 黙特蒙古鎮 蒙 蔵 委 員 科 長 喀喇沁右旗 日 本 留 学 生
備
察 哈 爾 在 住 蒙 古 人有 力 、有 識 者 名
北 平 在 住 蒙 古 人有 力 、有 識 者
福 隆 恒 亘
考
徳 王 西 蘇 尼 特 旗 錫盟副盟長、察哈爾省政府委員 卓 特 巴札 普 察 哈爾保安長官、察哈爾政府委員 尼瑪鄂特索尓 察哈爾牛羊牧 総 管 場旗
氏
思 克 巴 円 見 和 阿 穆爾 李 永 新 克 興 額 巴 支 峻 庫 仲 英 載 錫 泉 汪 印 候
(昭和 八年 十 月 調
蒙古 人 有力 者 名簿
△在南京 蒙 古人有力者 △在察哈爾蒙 古人有力、有識者 △在北平蒙古人有力、有識者 △在地方蒙古人有識者
官
蒙蔵委員会参事 蒙蔵委員会委員 監 察 委 員 日本留学生南京軍事参議院諮議 蒙蔵委員会秘書
△蒙古人機関 (北平 ・張家 口) △察哈爾部十二旗総管名簿
南京在住蒙古人有力者
齢 喀 喇 沁右 旗 梯 喀喇 沁中 旗 濤 克 什 克騰 旗
旗
欽 喀 喇 沁 右旗
身
鶴 雲 景
出
徳
名
呉 白 楽 番
氏
伊
効
〃
陳
錦 円
名
寿 山
学
旗
出
〃
卒 〃
業
警 官学 校卒 業 中 学 卒 業 不 明 中 学 卒 業
〃
〃
〃
〃
〃
中 学
身
元察 哈尓省政府委員 元蒙 蔵 委 員
平 峰 平 倫 里 里 〃 〃
〃
〃
〃
〃
京 里 平
〃
奈 曼 旗 喀喇沁中旗 喀 喇 沁 左旗
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
歴
中央政治学校修学中 高 等学校 卒 業 中 学 卒 業
〃
〃
平 里 〃
平 里
〃
喇 嘛 旗 多 倫章嘉仏倉 察哈爾正白旗 察哈爾廂黄旗 -
〃
〃
〃
〃
〃
現 住 所 北 赤 北 多 在 在 南 在 北 北 在
北 在
喀喇沁右旗
地方在住蒙古人有識者
坑 李
氏 呉 熙 憲 汪 文 林 銭 金 城 王 沢 〓 干 蘭 沢 石 翰 章 干 世 明 金 自 銘 金 自 強 梁 玉 蘭 高 逸 民 李 永 槙 陶 継 藩 崔 俊 陶 継 新 白 玉 琢 趙 文 如 王 世 昌 趙 成 璧 郭勒 民色 粛 良 五
其他喀 喇沁右旗 には左記 の如き相当学識あ る者あり 汪寿光 、汪竜 田、白文華、海 雲楼、汪継昌、閻廉伯
在 北 平 蒙 古 人機 関 処長
李
芳
春
一、蒙蔵委員会駐平辨事処
一〇〇 円
二〇〇 円
総
善 済 爾 図 普 色 鄂那木 済 勒 尼瑪 鄂特索 爾 特穆 爾博羅 特 図魯 巴達爾 胡 巴 彦 孟 克
名
二、北平蒙 古救済委員会 (八月設置、経費 不明)
員 (手当)
旗
管
昌 (四川人)
一二〇名
四、〇〇〇円
于
主任委員 (手当) 委
易 収容学生数 他
毎月 経費
校長
三、北平蒙蔵学校
其
蒙蔵委員会駐張辨事処
在張家口 (最近設置に係る)
名
察哈爾部十 二旗総管名簿 旗
黄
左 翼 牧 場旗 右 翼 牧 場旗 牛 羊群牧 場旗 商 都 牧 場旗 廂 黄 旗 ( 東 )正
備
考
(実 )
( 西 )廂
( 東 )正
( 西 )廂
( 東)正
( 東 )廂
(西)正
藍
藍
紅
紅
白
白
旗
旗
旗
旗
旗
旗
図魯 巴達爾 胡 貢楚 克 拉 什 富 齢 阿 巴勒 凌 札 普 音 法 賀 富 齢 阿 ( 兼) ( 実)
( 暫兼)
針
七 対 察 施 策 関参諜第 一号
第 一、 方
(昭 九 、 一、 二 四
参謀 部 )
従 て本 要領 中 の施 策 は 満洲 国 内蒙 古 人 に も徹 底受 恵 せし む るを
に導 き 或 は蒙 古 独 立 の気 運 を醸 成 す る が如 き は 厳 に戒 めざ る べ から ず
基 調 と し 之 が 実施 に当 り て は特 に熱 河 省 及 興 安 省 当 局 と密 接 に連 絡
察 哈 爾省 に 対 し て は 昭和 八 年 七 月十 六 日決 定 せ し 軍 の既 定 方 針 ︹編 者 註 ・前 掲 四 ︺ に基 き 工作 を進 む る の外 将来 先づ 察 東 及 錫 林郭
す る も のと す
戒 む るを 要 す
骨 な る 工作 に 走 り内 外 の視 聴 を 惹 く が 如 き 急進 的 施 策 の実施 は厳 に
5、教
4 、 喇嘛 教 徒 及 回 教 徒 の懐柔 利 用並 に喇 嘛 教 に 対す る将 来 の改 善
3、産 業 開 発
2 、 通商 交易 に関 す る件
1 、 交 通路 の開 設
其 一、 経済 、 文化 に属 す るも の
施 策 の種 別 左 の如 し
とす
情 勢 の変 化 に 即応 し得 る如 く所 要 の軍 政 工作 を 穏 密裡 に進 む るも の
四、 本 施 策 は 経済 的 、 文 化 的 事項 を主 眼 と す べき も 一面 に於 て将 来
又 将 来 情 勢 の推 移 に よ り ては施 策 範 囲 を 更 に西 方 に拡 張 す
勒盟 を し て自 発 的 に満 洲 国 と 経 済 的 に密 接 不 可 分 の関係 に在 る行 政 地域 た ら し め以 て満 洲 国 統 治及 国 防 を 容 易 な ら し む ると 同 時 に北 支
領
及 外 蒙 に 対 す る諸 施 策 の根 拠 地 た ら し む る如 く 準 備指 導 す 第 二、 要
一、 本 施 策 は 完全 な る統 制 の下 に 実施 す るを 要 す 是 が為 差当 り軍 に於 て所 有実 行 機 関 を 統 制 指導 す る も のと す 二、 本 施 策 は 日蘇 関係 の現 況 に鑑 み速 か に 実行 に着 手 す る こと 緊要
三 、 本 施策 の目 標 は錫 林 郭 勒 盟及 察 東 に在 り而 し て其 主 眼 は主 とし
6 、 病院 の開設 及 診 療
な り然 れど も 速 効 を獲 る に焦 慮 す る の余 り国 際 の情 勢 を 無 視 し て露
て経 済 、 文 化 的施 策 に よ り同 地 方蒙 民 をし て不 知 不識 の間附 満 親 日
育 た ら し む る にあ る も 過度 の恩 恵 を 附 与 し為 め に在 満 蒙 民 を離 満 赴 察
8、 宣
伝
7 、 善 隣会 館 の設 置 、 経 営
其 二、 軍 政 方 面 に属 す るも の (隠密 工作 )
差 し当 り従来 の牧畜業 を改良奨励す其実施方法 は別途調査研究
3、産 業 開 発
而 して将来林、農業等 の智識 を漸次普及すべきや否 やに関して
決定 す
は蒙 古民族 に対す る根本 方針確定 の上更 に研究決定す
1、 蒙 古 軍 の建 設 2、 蒙 古 自 衛 軍 の鞏 化
より之が懐柔 利用 の準備をなす
回教徒 の懐柔利用は綏遠以西 の住民 に影響を及ぼすを以 て今日
重要とす
対蒙諸施策実施 のためには差 し当 り喇嘛教徒 の懐柔利用を最も
4、喇嘛教徒及回教徒 の懐柔利用及喇嘛教に対す る将来 の改善
報
3、 通 信 機 関 の設置 4、 諜 五、 前 項 の内 其 一、 は軍 指 導 の下 に 満洲 国及 民間 団 体 を し て実 施 に
第 三、 施 策 の種 別 に関 す る説 明
当 ら し め其 二、 は軍 に 於 て実 施 す るも のと す
右 に基く懐 柔利用 の方法は別途調査研究決定す而 して喇嘛教 に に研究決定す
対す る将来 の改善 に関し ては蒙 古民族 に対す る根本方針確定後更
其 一、 経 済 、 文 化 に 属 す る も の
の修 繕 のみに 止 ま らず 更 に沿 匪 を掃 蕩 し 以 て交 通 の安 全 を期 す る
育
尚詳細 は別途調査研究決定す
本施療は満洲国内蒙古人にも及 ぼすも のとす
病院 の開設予定位置は経費 の関係上差し当 り林西及多倫として
蒙古人 の懐柔、保健 のため病院を開設し且巡回診療を行ふ
6、病院 の開設及診療
右に基 く教育 の方針及実施に関 しては別途調査研究決定す
実施 に順応せしむるも のとす
るを主眼とす而し て本実施 は満洲国に於ける教育制度確立及之が
決定す べきも のなるも差 し当 り先づ小学校教育 を逐次普及せしむ
蒙古人 に対する教育は蒙古民族に対 する根本方針確定 の上研究
5、教
1、 交 通 路 の開 設 は諸 施 策実 施 の根 幹 た り而 し て之 が為 単 に道 路
も のと す
突 泉 | 東 ウ ヂ ム チ ン道
本実施 は満洲国 の事 業に属す }
主 なる交通路 の開設左 の如し 林 西| 西 ウ ヂ ム チ ン道
道
林西|経棚|多倫 道 承徳|多倫
蒙古人 の現況 は尚物 々交換 の時代 に過 ぎざ るを以 て漸次経済的
2、通商交易 に関す る件 思想 を扶植し以 て満洲国と の経済団結を結成せしめ且蒙古人 の生 通商交易 に関す る調査並に之 が実施方法 は別途調査研究決定す
活安定 を計 るを第 一義 とし過大不当なる利得を計らざるも のとす
7 、善 隣 会 館 の設 置 新 京 に来 往 す る満 洲 国 内 、外 蒙 古 人 の無 料 宿 泊 及 留 学 生 等 の無
伝
其 実 施 方 法 は別 途 研 究決 定 す
料 収 容 並 に 監 督 を行 ふ
8、 宣 主 と し て蒙 古 人 を 利 用 し 日満 両 国 に関 す る宣 伝 を行 ふも 蒙 古 人 の性 質 に鑑 み誤 解 を 生 ぜざ る 如く 注 意 し 且 他 の工作 と 平 行 実施 す
るも の
一、 ○ 〇 〇 円
一、 ○ ○ ○ 円
学 生 一人 宛 (手 当 、 人馬 食 糧 、 被 服費 等) 五〇 円 と し て 二十 人
2 、蒙 古 軍 官 養 成費 (月額 )
分 に対 す る も の
但 し 馬 は各 自 携 行 の こと
3 、 消耗 費 其 他 雑 費 (月額 )
4 、 日 本人 指 導 官 及 蒙 古軍 官 養 成 は軍 政 部 に依 頼 す る も のと す
五 一六 、○ ○ ○ 円
四 〇 、○ ○ ○ 円
之 等 人員 の養 成 は差 当 り 向後 三 ケ年 を 目 途 と し爾 後 は情 況 に応 じ 更 に決定 す
其 方 法 は別 途 研 究 決 定す 其 二 、軍 政 方 面 に属 す るも の (隠 密 工作 )
5 、蒙 古 軍隊 所 要 費 (月額 )
所 要 に応 じ 軍 政 府 に依 頼 養 成 せ る蒙 古 人軍 官 を其 幹 部 と し て入 ら
な す 外経 費 を支 給 せず
各 旗 平 均 概 ね 二百 人内 外 な るを 以 て之 が所 要 弾 薬 等 は軍 よ り補 給 を
錫 林 郭 勒 盟 各 旗固 有 の護 衛 兵 を 改 善 精鋭 のも のと な さ し む 人員 は
二、 蒙 古 自衛 軍 の鞏 化
一ケ年 経 常 費 合計
一、蒙 古 軍 の建 設 熱 河省 外 廓 の防 衛 、 対 察 工作 、北 支 及 外 蒙 に対 す る押 への為 現 在 の李 守 信 軍 を保 育 訓 練 す るを 要 す而 し て現 在 の李 守 信軍 は殆 ど漢 人 種 な る を 以 て逐 次蒙 古 人 を 以 て入 れ替 へ編 成 す 之 が為 め特 に同 軍 内 部 の動 揺 を生 ぜざ る如 く 注意 す 其 所 要 経費 は 一ケ年 五十 二万 円余 な る も多 倫 に て 昭和 九年 度 一ケ
しむ
年 約 二十 五 万 円 の収 入 あ るも のと 予 想 し得 る を以 て軍 は 約 三十 万円 を 補 助 す れ ば 可 な り (本 経 費 は軍 政 部 よ り李 守 信 軍 に給 与 し あ る月
三 、通 信 機 関 の設 置
報
外 蒙 の諜報 の為 には ソ ニト に基 点 を置 き此 方 面 より外 蒙 の諜 報 を
察 内 及 外蒙 の諜 報 に任ず
四 、諜
初 度 設備 費 約 一千 円 を 要 す
西 ワ ヂ ムチ ンは既 に開 設 し あ る を以 て ソ ニト のみ に新 た に開 設 す
西 ワ ヂ ムチ ン及 ソ ニト の二 ケ所 に開 設 す
額 二万 元 は算 入 し あ らざ るも のと す) 而 し て明 年 昭和 十年 以後 に於 ては 多 倫 に 於 け る収 入も 従 来 のも の に復 活 す べく も 一ケ月 約 五万 元 を収 受 す べ き に よ り同 年 以 後 は経 費
経 費 の内 訳 左 の如 し
の補 助 を 要 せ ざ る見 込 な り
一、 五〇 〇 円 学 生 一人 (手 当被 服 、食 糧 費 等 ) 宛 一五 〇 円と し十 人 分 に対 す
1、 日本 人 指 導 官 養 成費 (月額 )
行 ふ を 以 て現 況 に適 す るも のと す
第 四 、 対察 施 策 の為 め満 洲 国 、満 鉄 、
経 費 一ケ年 約 三万 円
東亜 産 業 協 会 及 善 隣協 会 の事 業 軍 は満 洲 国 、 東亜 産業 協 会 及 善 隣協 会 に対 し 概 ね 左 記範 囲 の事 業 を 担任 実 行 せ しむ
左
記
而 し て其 詳 細 は 更 に関 係 委 員 に て協 議決 定 す る も のと す
1 、交 要 路 の開 設 に 関 す る件
一、 満 洲 国 、 東亜 産 業協 会 の担 任 実 施 す る も の
2 、通 商 交 易 に関 す る件 3 、産 業 の開 発 に関 す る件 4 、 宣 伝 に 関す る件
1 、喇 嘛 教 徒 及 回教 徒 の懐 柔利 用及 喇 嘛 数 に対 す る将 来 の改 善 に
二、善 隣 協 会 の担 任 実 施 す る も の
関 す る件 2 、教 育 に関 す る件 3 、 病 院 の開 設及 診 療 4 、 善 隣 会館 の設 置 、 経 営
八
齊 々哈 爾持 務 機 関 長 騎兵 大 佐
満洲 国 隣接 地方 占領 地 統治 案 (昭和 九 年 二月 起案
松
室
第十四 宗教 の保護及利用方法 旨
孝
良)
本 案 は察 哈爾 省 北 部 及 外 蒙 古 の占 領 地統 治 に 関 す る意 義 を 日蘇 開
要
戦 に当 り帝国 軍 の作 戦 行 動 に必 要 な る 地域 た る前 記 地 方 を軍 事 占 領
次
第一 統 治 方針
す る に当 り 之 れ を統 治 す る為 必 要 な る政 治 工作 を な す こと を意 味 す
旨
第二 統 治 区域
目
第 三 政治機構 (中央 より地方機関に至 る)
要
第四 行 政 区 域 第 六 警備軍 の編成、兵力、位置、補 給、給養等 の策案
地域 た ら し む る如 く 努 む ) を 日蘇 作戦 地域 と し て黙 認 せ し む る こと
作 に依 り) し察 哈爾 省 北 部 地 方 (万 里 の長 城 以 北 の蒙 古 地帯 を 作 戦
此 の際 中 華 民 国 は中 立 を 宣 言 ( 帝 国 の強 請 若 く は巧 妙 な る外 交 工
るも のと 解 釈 し起 案 した るも のな り。
第七 財政経済 の安定策
﹁タ ン ツ ン﹂ と ﹁ソビ ィ エート ﹂共 和 国 代 表 ﹁ド ホ フ スキ ー﹂ と の
を考 慮 し 、 外蒙 古 地方 は 一九 二一 年 十 一昭 五 日 蒙 古 人 民 政 府 代 表
第五 治安維持方法
第 八 産業 の統制及開発方法
間 に締 結 せ る露 蒙 条 約 に依 り 一種 の蘇 国 の保 護 国 と看 徹 し中 華 民 国
第 九 交通、通信 、航空路 の設置案 第 十 教育 に関す る方針及施設案
の宗 主 権 を 認 め ざ る も のと す
をも 含 む ) に統 治区 域 を 拡 張 し 且 つ中華 民 国 を し て万 里 の長 城 以 北
又 皇 軍 の作 戦 発 展 に伴 ひ 外蒙 古 全 地域 (唐 努 烏 梁海 、 科 布 多 地 方
第 十 一 衛生医療 の方法 第 十二 諜報 の施 設及謀略 の施 策 第 十三 宜伝及懐 柔 の方策
地域を 一自治区とし、次 いで帝国軍 の西部 満蘇国境進出と共に車臣
右 二自治区 の政権確立するや之 れを合し て蒙古自治聯合区となし
汗 の地域 を 一自治区とす。
針
に於ける蒙古 地帯に政 治的干渉を許さず 、以て全蒙古を独立 せしむ 第一 方
る如くする場合をも考慮す。
二、第 二期統治 区域
将来蒙古自治 区域 の増大 に伴ひ之 れに聯合せしむる の準備をなす。
帝国軍 の ﹁ボ ルヂヤ﹂河附近に於ける蘇軍 の陣地を奪 取した る時
一、察哈爾省北部及外蒙古 の占領地統治 は占領当初は軍政 の下 に旧 す るも爾後 の発展 に伴 ひ蒙古独立自治政権 を確立し得る如 く準備す
古自治聯合区 に加入せしむ。
期 に至 らば外蒙古土謝図汗 の地域を更 に 一自治区とし之 れを前記蒙
制に依 る各盟 の地域 に逐次夫 々 一自治政権を組織せしめ之 れを統治 二、前項自治政 権 の機構 は察哈爾省北部は今尚封建政治を持続 し、
帝国軍 の蘇軍を ﹁バイカ ル﹂湖以西 に駆逐した る時期 に於て逐 次
三、第 三期統治区域
外蒙古 は労農専 制政治 を行 ひ、然も両地方蒙 古人 は民主政治 の観念 浸 潤しつつあ る現況に鑑 み封建政治と民主政治とを調和 せしめた る
左記地域 に各自治区を設く。 此の時期 に至らば聯合自治区を改 めて
組織とす。之れが為察哈爾省北部 に於 ては各旗原有 の封建政治 に多 少 の修 正を加 へ外蒙古 にありては各旗 の実状に照し王族 又は旗長政
三音 諾顔汗 の地域
蒙 古
蒙古自治国とし国家 の体形を具備 せしむ る如くす。
札薩克図汗 の地域
外
治を復活す ると共 に蒙古 の慣習た る会盟制度を襲 用せしむ る如くす。 族 内各部族及各旗対立 の観念 旺盛 なるを以 て蒙古金民族 の発展康寧
唐努烏梁海 の地域
三、現在 の蒙古人は清朝時代 に於 ける蒙古抑圧政策 の影響を受 け民 を主眼として其 の大同団結 を図 らしむ る如く指導す。
古
万里長城以北 の蒙 古地帯
多 の地域
四、蒙 古人は文化低く素朴 にして慣習を尊ぶ の風習 あるに鑑 み政治
蒙
布
科
伊克 昭盟 の地域
帰化城 土黙特 二旗 の地域
烏蘭察布盟 の地域
山西省雁門道
察 哈爾省 口北道
察哈爾八旗 の地域
内
機構及統治手続 は努 めて之れを単簡 にす。 五、蒙古人は喇嘛教 に心酔 しある現 状に鑑 み喇嘛教を国教 とす るも 政教 の分離を確立 し僧侶 の政治に対する干渉を禁ず。 第二 統 治 区 域 統治区域は占領地 の発展 に伴 ひ概 ね左 の各期 に分け て之れを拡 張 す。 日蘇開戦と同時若くは其 の以前 に先づ察 哈爾省北部錫林郭勒盟 の
一、第 一期統治区域
以 上 に依 り将 来 の蒙 古 自治 国 は十 四箇 の自 治 区 よ り な る聯
套 蒙 古 と 言 う)
寧夏省 ( 阿 拉善 額 魯 特 部 、 額 済納 部 の所 在 に し て通称 之 れを 西
備考
政 治 機 構
合 国 と な るも のと す 。 第三 占 領 当 初 は 軍 司令 官 爾 後 は軍 司 令 官 の下 に民政 官 を置 き統 治 に当 ら しむ る も蒙 古 自 体 の政 治機 構 は中 央 政 治 機構 ︱ ︱ 自 治 区 政 治 機構
一、中 央 政 治 機 構
︱︱ 旗 (又 は縣 ) 政治 機 構 の三段 階 と す
{
す 。 之 れ に 委 員長 一、副 委 員 長 二を設 く
乃至 三名 の委 員 (委 員 の年 限 は別 に定 む) を出 し て組 織
各 自 治 区 (当 初 は有 力 者 又 は人 望 者 よ り選 定 す ) よ り二
△中 央 自 治 政 府委 員 ︱︱ 政 策 を 定 む る機 関 とす
蒙 古 自 治聯 合 政 府
可汗
委 員 長 を 可 汗 と し 元 首 とす 。
概 ね現満洲国国務院 の現制 に準ず るも其 の組織 を単簡と
△中央自治行政院
概 ね現 満 洲 国 省 政 府 の組 織 に準 ず るも 其 の組織 は努 め て 単 簡 とす 。 2 、旗 (又 は 縣 ) 公署
旗 (又 は縣 は ﹁察 哈爾 、綏 遠 両 省 の南部 地方 の如 く 現 に縣 制 の実
察 哈爾 、 綏 遠 両 省 北 部蒙 古 の如 く 現 に封 建 的旗 制 を 持 続 し 王 公 に
施 し あ る 地方 に限 る﹂ ) 公署 に依 り 地方 行政 を行 はし む 。
外蒙 古 地方 の如 く 王 公 制 を廃 止 せら れ た る 地 方 の旗 は自 治 制 と し
依 り旗 の行 政 を 行 ひ つ つあ る 地方 の旗 は原 制 を保 持 す 。
状 況 に 依 り 王 公 の行 政 を 復活 す 。
察 哈 爾 、綏 遠 両 省 南 部 地 方 の如 く 漢 人 居 住 地域 に し て現 に縣 制 を
縣 長 は自 治 区 政府 よ り之 れ を任 命 す。
以 て旗 長 と し 自 治 区政 府 より 之 れ を任 命 す 。
長 と し 其 の他 の地 方 に あり ては 民望 あ る蒙 民 を
△旗 長 は 王 公制 を実 施 しあ る地 方 は王 公 を以 て旗
実 施 し あ る 地方 の行 政 は県 制 を踏 襲 せ しむ るも其 の組 織 は満 洲 国 の 現 制 に 準ず
旗( 又は縣) 長 {
△旗 (又 は県 ) 公署
旗 公署 の制 度 は地 方 の特 色 に依 り原 有 公署 を踏
襲 す るも 其 の組織 に多 少 の改 変 を加 ふ。
し外交部、軍政部を除き宗 政部 を加 ふ。
各政治機構には極 めて少数 の日本人指導官 を配す るも のと
単 簡 にす 。
縣 公署 は満 洲 国 の現 制 を準 用 す るも 一層之 れ を
備考
二、 地 方 政 治 機 構
委 員 は各 旗 よ り 一名 (当 初 は 王 公 又 は有 力 者 より 選 定す )
△自治区政府委員 {
状況 の進展 に伴 ひ蒙古自治 国建設 の時期 に至らば蒙古自治聯合政
す
1、 自 治 区 政府
盟長
を 選 び委 員 長 一名 を置 き 之 れ を盟 長 と称 す 。 △自 治 区 行 政 庁
府 を改 めて蒙古自治国政府とし元首を大可汗と称せしめ蒙古王公 よ
元来 蒙 古 地帯 は殆 ん ど 土 匪 を有 せず 、 又 蒙 古 人 は 犯罪 者 極 め て少
於 ては南 方 地帯 よ り土 匪侵 入 し来 る べく 、 中 華 民 国 は蒙 古 撹 乱 策 を
は 大 な る考 慮 を要 せ ざ るも占 領 当 初 其 の混 乱 に乗 じ察 哈 爾 省 北 部 に
く 純朴 な る美 風 を有 す るを 以 て蒙 古 人 自 体 に対す る 地方 治 安 維 持 に
中央政府に国務院 (満洲国 の現制に準ず るも其 の組織 は努 めて単
講 じ種 々 の政 治 的 策 動 を 行 ふ の虞 大 な り。 又 外蒙 古 に於 て は親 蘇 分
り之 れを公選し其 の任期を八年とす。
縣制を布 きある地方) は其 の儘とす。
簡 とす)を置き、各自治区政府は盟 庁と改 め、旗制又は縣 制 (現 に
子 、共 産 党 員 等 の活 動 を 見 る のみ なら ず 蘇 国 の操 縦 す る ﹃バ ル チザ
三、 日 本憲 兵 の指 導 に依 り各 自治 区 に政 治 警 察 隊 (又 は 蒙 古 憲 兵
右 旗兵 は旗 の大 小 に依 り 百 騎 乃至 百 五十 騎 とす 。
せ し を 以 て之 を復 活 せ し む。
但 し 外蒙 古 各 旗 は ﹁ソビ エ ート﹂ 政 権 樹 立 以来 各 旗 の旗 兵 を 解 散
二 、各 旗 に有 す る旗 兵 を し て地方 治 安 維 持 に任 ぜ し む。
一、各 旗 王府 に 日本 軍 憲兵 を 配置 す 。
之等 の策動を防圧す るため左記方法を講 じ治安を維持す
ン﹄ の策 動 を見 る べき を 予 期 せざ る可 か らず 。
第四 行 政 区 域 行政 区域 は現在 の盟、旗 の区域を襲用し改変を加 へず 左 の各期 に 分ち て之 を拡張す 第 一期 現錫林郭勒盟 の所轄 区域 第 一期 の区域 に左 の区域を加ふ
現車臣汗 の所轄 区域 第 二期 現 土謝図汗 の所轄 区 域 第 二期 の区域 に左 の地域を逐次左記 の順序 に拡張す
現 三音諾顔部 の所轄 区域
第 三期
に概 ね 二百 名 乃至 三百 名 と す 。
隊 ) を 編 成 し政 治 犯 罪 者 の取 締 に任 ぜ しむ 。 其 の人員 は各 自 治 区 毎
警 備 軍 の編 成、 兵 力 、 位 置 、
補 給 、給 養 等 の策 案
依 り徴 兵 に依 る も のと す。
は十 万 内 外 な る を以 て警 備 軍 の兵 力 は約 千 五百 名 と し蒙 古 の旧 制 に
察 哈爾 省北 部 (錫 林 郭 勒 盟 )及 外 蒙 古 四盟 (四 汗 部) 各 盟 の人 口
占 領 地 の警 備 は 日本 軍 を 主 とす る も各 自 治 区 に 一警 備 軍 を編 成 す。
第六
警 察 隊 を 置 く 、其 の配 置 は 第 六 に依 る。
四 、 中華 民国 竝 に蘇 国 と の接 壌 地帯 には 警 備 軍 を 配 置 す る の外 国 境
現札薩克図汗 の所轄 区域 現伊克 昭盟 の所轄区域
現烏蘭察布盟 の所轄 区域 現寧夏省西套蒙古各部 の所轄区域 現唐努烏梁海 の所轄 区域 現 科布多 の所轄区 域 備考 情況 に依 り察哈爾 八旗、帰化土黙特部 、察哈爾省 口北道 、 山西省雁門道 の所轄区域 を加 ふるも のとす 第 五 治安 維持 の方法
各 警 備 軍 に 日本 将 校 を 配 属 し指 導 に任 ぜ し む。
車 臣汗自治 区警備軍 は 一部 を以て自治区内 の警 備に任 ぜしめ主力
民 国 軍 に対 せ しむ るも のとす
臣
汗 府
臣
汗 府
王 府
ボ ル チ ユ ン廟
車
車
臣
隊
桑
庫
貝
倫
子
隊
一 中
車 一 中
東
車 臣 台 吉府
隊
聯隊 (一中 隊 欠)
{
一 中
{
聯 隊 (一中 隊 欠)
{
聯 隊 (一中 隊 欠)
を以 て北 方及西方 よりする外敵 の侵 入防止に任 ぜしめ左 の如く配置
蒙 古 自治 聯 合 政府 樹 立 せ ら る る に至 ら ば 各警 備軍 は可 汗 の隷 下 に
部
置 く も のとす 。
司 令
隊
隊
土謝 図 汗等 の外 蒙 古 自 治 区 成立 に伴 ひ各 一警 備 軍 を編 成 せ
も のとす 。
給
兵 器 、 弾薬 、 被 服其 の他 の軍 需 資 材 は 日 本及 満 洲 国 よ り補 給 す る
が為 め海 拉 爾 、 林 西 、多 倫 に兵 站 部 を 設 く 。
補 給 は当 初 其 の大部 分 を 日本 及 満 洲 国 よ り補 助 す る も のと す之 れ
四、 補
面 よ りす る外 敵 に対 す る如 く南 境 近 く 之 を 配置 す 。
又 烏 蘭 察 布 等 の内 蒙 古 自 治 区 の警 備 軍 は主 と し て南 方 中 華 民 国 方
北 方 よ り す る 外敵 に対 す る如 く 配 置 す 。
し め 一部 を 以 て区 内 の治 安 に任 ぜ し む ると 共 に主 力 を 以 て西 方、
備考
一 聯
一 聯
隊
す。
力
阿巴〓大 王 府
ル
江
イ
ホ
オ ル ト タ ー ラ
ー
ス タ
隊
ル
隊
滂 ハ コ イ ゴ
一 聯
一、 警 備 軍 の編 成 警 備 軍 は騎 兵 と し 司令 部 一、 三聯 隊 より 成 り、 聯 隊 は本 部 、 三 中 隊 及 機 関 銃隊 よ り成 り、 中 隊 は 百 二 十騎 を 以 て編 成 し之 を四 小 隊 に
二、兵
分 ち 機 関 銃隊 は 四銃 よ り成 り之 を 二小 隊 に分 つ。
置
一警 備 軍 の兵 力 は騎 兵 九 中 隊、 機 関銃 三隊 に し て其 の人 員 は約 千 五百 名 と す 三、 位
令 部 一 中 一 中
{
聯隊 (二中 隊 欠) 隊
アイ ル スチ ョルテ ー ラ マ スー ム
隊
西蘇尼特 王 府
一 中 一 中
ア ン グ ル ハイ ル ス
ン
隊
ヂ
隊
ロ リ
ポ
一 中 {
聯隊 (二中 隊 欠)
{
阿 巴〓大 王府
錫林郭勒自治区警備軍 は主とし て南方中華民国境上に配置し左 の 司 隊
隊
隊
聯隊 (二中隊欠)
如 く位 置 せ し む 、
一 聯
一 聯
一 聯
一 中
多倫に駐屯 する李守信軍は張家 口獨石 口方面 より策動す る中華
五、給
養
糧食 は蒙 古 人 の慣 習 に 依 り麺 粉 、粟 、牛 製 品 、肉 類 と し 兵 一人 一
第七
公債 発行収 入
の財 源 収 入 を 自 ら徴 収 す るも 中 央 政 府 成立 せば 之 れを 中央 に委 譲 し
2 、自 治 区 政 府 の財 源 は中 央 政 府 成 立 以前 に あ り て は前 記 中央 政 府
其 の経 費 は中 央 より支 給 を 受 け る 如 く す。
租
税
(但 し 出 塩 地 方)
(但 し 農 耕 地 方)
(但 し 牧 畜 地 方)
財 政 経 済 の安 定策
ヶ月 の給養 額 は 五円 と す 。
税
畜
塩
家 地
3 、 地方 ( 各 旗 又 は県 ) の財 源 左 の如 し
採
一、 財 政 の安 定 策
のも のを 踏襲 し 急速 な る経 費 の膨 脹 を避 け歳 出 入 の均 衡 を得 る如 く
税
行 政 及 諸 施 設 は占 領 当 初 著 し き 変革 を 加 ふ る こと な く努 め て従 前
す
業
二 、経 済 の安 定 策
工業 許 可税
営
又 地 方 人 民 の実 質 的 負 担 を 増 加 せ し めず 漸 次 に 租 税 制度 の整 理 を
1 、速 に幣 制 の統 一を図 り 日本 軍 の行動 地方 は軍 票 、金 票 及満 洲 国
行 ひ外 蒙 古 地帯 に あ り ては ﹁ソビ エー ト﹂ 制 度 に依 る苛 酷 税 を廃 止 し 、察 哈 爾 省 北 部 地 方 の如 く封 建 制 を 行 ひ あ る 地方 にあ り ては税 法
の慣習 極 め て少 な き を 以 て兌 換 を 励 行 す る如 く す 之 れ が 為 め 硬 貨
幣 を通 用 せし む るも蒙 古 人 は硬 貨 を 喜 ぶ も紙 幣 を 厭 ひ且 つ為 替 取 引
に 依 ら ざ る放 恣 な る賦 課 を禁 止す 財政 は中 央 費 と 地 方 費 と に分 ち 其 の財 源 は蒙 古 の旧 慣 を 重 ん じ間 接 税 を主 と す 。
(銀貨 ・銅 貨 ) を紙 幣 発行 額 の約 二 分 の 一額 準 備 す 。
2 、中 央 銀 行 を 努 め て早 く 設 立 し 国庫 の機 能 を遂 行 せし め 且 つ地 方
徴 税 法 は貨 幣 又 は羊 、馬 等 の現 物 を 以 て納 入 せし む る の外賦 役 を
日本 よ り貸 付 け、満 洲 国 中央 銀 行 、 在 満 日 本 各銀 行 と の取 引 を確 立
其 の基 本 は当 初 一千 万 円 と し鉱 山 (金鉱 及炭 鉱 等 ) を 担 保 と し て
と し紙 幣 は最 少 限 度 に 止 め し む。
官 有 土地収 入
し 其 の信 用 を高 む る如 く す。
)
財 政 の指 導 に任 ぜし む 。 又通 貨 の発 行権 利 を有 せし む る も 硬貨 を主
輸 出 入品 に課 す るも のに し て中 央 財 源 の主要 入 (部 分 を占 む るも のと す
課 す る こと あ り。
攻
1 、中 央 政 府 の財 源 左 の如 し
関 税
官 有森 林収 入
旧政 権 竝 に蘇 国 の通 貨 の中 硬貨 (銀 貨 、 銅 貨 ) の流 通 は当 分 之 れ を
3 、察 哈 爾省 北部 に於 け る 中華 民国 の通 貨 外蒙 古 地 方 に於 け る蒙 古
官 有 財産収 入
官有鉱 山収 入
認 む るも 紙 幣 は流 通 せ しめ ず 、但 し人 民 の損 失 を防 ぎ 且 つ人 心 の安
官 有牧場 貸下料 官営事業収 入 (塩及阿片専売 、郵便、電信、電気事業等)
4、自由商業を許し速 に日本、満洲国と の通商取引関係 を結ばしむ
定を図 る為 め人民の保有する紙幣 は速 に時価を以て買上げを行ふ。 農
牧
るも密輸入を防 止し、不正商 人、利権屋 の暗躍を取締 り特 に中華民 国及蘇国 よりす る金融撹乱策を予防す る如くす。
畜
業 (其 の畜 種 の改 良 を 行 ひ益 々之 を奨 励 す)
逐 次 之 れ を奨 励 し て蒙 古 人 の穀 食品 は自 給 の路 を講
業 (蒙 古 地 帯 は 河 川 に沿 ひ比較 的肥 沃 地 に富 む を 以 て
ず る如 く す )
察 哈 爾 省 北 部 及 外蒙 古 に於 け る交 通 、通 信 、 航空 路 の設 置 は満 洲
交 通 、 通 信 、航 空 路 の設 置 案
国 内 に連 絡 せ し む る を主 眼 と し 、 多倫 、林 西 、 〓 南 、 海拉 爾 、 満 洲
第九
一、蒙古 地方 の産業は牧畜を主とし今尚原始状態 にありて未 だ資本
第八 産業 の統制竝に開発 方法 主義経済 の殆 んど発達 せざ る現状 に鑑 み之 れに統制を加 へず、但 し
路
蒙 古 地帯 は 地形 概 ね平 易 に し て殆 ん ど 工事 を要 せざ るを 以 て左 の
一、道
里 を基 点 と し て左 の如 く設 置 す
阿片 の専売
左 の諸事業 は国営とす。 塩 の専 売
多 倫 ︱滂 江 ︱ 烏 得 ︱ 庫 倫 ︱ 売 買城 道
如 く自 動 車 道 路 を建 設 す 。
多 倫 ︱西 烏 珠 穆 沁 王府 ︱ サ ツパ貝 子府 ︱ 海 拉 爾 道
業
林 西 ︱ 西烏 珠穆 沁 王 府 ︱ 桑 貝 子道
業
通 信事業
〓 南 ︱ 醴 泉 ︱ 東 鳥珠 穆 沁 王 府 道
林 鉄 道事業
鉱
自動車営業
海 拉 南 ︱ 甘珠 児 廟 ︱ 桑 貝 子 ︱ 車 臣 汗 王府 ︱ 庫 倫 道
絨
革 業
業
三 、通
道
信
満 洲 里︱ 桑 貝 子 (克 魯倫 )︱ 車 臣 汗 王 府 ︱ 庫 倫
林 西 ︱西 烏 珠 穆 沁 王 府︱ ユク ヂ ル廟 ︱ 桑 貝 子 (克 魯 倫 )
左 の二鉄道 を建設す
三 、鉄
庫 倫 ︱庫 林 図 道
満 洲 里︱ 桑 貝 子 道
将 来 烏 里 雅蘇 台 を経 て科 布 多 に延伸 す
電 気事 業 二、産業 の開発方法 製
蒙古 地帯 の資源状態 に鑑 みて左記 の諸産業 を指導開発す 製
達 業
業 (鉄 ・金 ・石炭)
材 業
乳 製 品業 製 鉱 曹
1、 有線 電 信
左 の如 く有 線 電信 線 を設 置 す 。 在 来 の既設 線 は努 め
て之 れを 利 用す る も のと す 。 林 西 ︱ 西鳥 珠 穆 沁 王 府 ︱ 桑 貝 子︱ 車 臣汗 王府 ︱ 庫 倫 間
第十
針
教育 に関す る方針及施設案 方
一、 知識 教 育 は 一般 に広 く普 及 せし む るよ り も 先 づ蒙 古 指 導 者 た る
二、 一般 教 育 は蒙 古 人 は古来 無 教 育 の状 態 に 置 か れ 文字 を解 す る者
べき 少数 者 に対 し必要 な る教 育 を行 ひ其 の素 質 の向 上 を図 る。
は貴 族 及 喇嘛 僧 の 一部 に限 ら れ あ る実 状 に鑑 み 一般 民 に対 し て は蒙
将 来 之 れ を烏 里 雅 蘇 台 、 科 布多 に 延伸 す 海 拉 爾 ︱ 甘 珠児 廟 ︱桑 貝 子間
古 文 字 を 読 解 し得 るを 主 眼 と し 教授 内 容 は文 化 教 育 を避 け蒙 古 人 の
売 買城 ︱ 庫 倫 ︱鳥 得 ︱ 滂 江 ︱ 張 家 口︱多 倫 間 (既 設 線 )
生活 に必 要 な る牧 畜、 農 業 、 地 理 、歴 史 、 衛 生 等 に関 す る実 務 教 育
設
前 記 方 針 に合 せ しむ る如 く 改 正 を行 ふ
一、 内 外蒙 古 に あ る在 来 の学 校 は之 れを 復 旧 す る も其 の教 授 内 容 を
施
民国 の三民 主 義 教 育 を排 除 し 王道 主 義 の教 育 を普 及 せ し む る如 くす 。
三 、外 蒙 古 に あ り ては蘇 国 の社 会 主 義 教 育 を 内蒙 古 にあ り ては 中華
尚 日語教育を奨励す
を 主 とす
但 し中 華 民 国 と の関係 上張 家 口を 経由 す る能 はざ ると き は 滂
左 の地 点 に無 線 電信 所 を 開 設 す
江 ︱多 倫 間 の電 線 は新 設す るも のと す 2 、 無 線 電信 察 哈 爾 省 北部
要 す れ ば錫 林 郭 勒 盟 内 他 の王 府 に も設 置 し 情 況 に依 り 烏蘭 札
西 烏 珠 穆 沁 王府 、阿 巴 〓 大 王 府 、 西蘇 尼 特 王 府
古
布 盟 内 百 霊 廟 、 巴 音呼 都 克 に も 設置 す 蒙
桑 貝 子、 車 臣 汗 王 府 、 ユク ヂ ル廟 、 庫倫 、烏 得 、 売 買 城
外
二、 各 旗 に有 す る私 塾 は之 れ に 補助 を 加 へ 一般 民 に解放 せ しむ る如
通遼 ︱林 西︱西鳥珠穆沁王府︱ ユクヂ ル廟︱桑貝子間
活 動 写真 、演 戯 等 に依 り主 と し て蒙 古 民 族 の自覚 に 必要 な る精 神 教
四 、蒙 古 巡回 教 育 班 を 数 個 編成 し て各 旗 、 各 廟 を 巡回 教 育 し講 演 、
せ し む。
三、 各 喇 嘛 廟 に国民 教 育 部 を 設 け し め教 民 に対 す る 一般 教 育を 担 任
くす 。
路
情 況之 れを 許 す に 至 ら ば西 庫 倫 、 庫 倫 図 、烏 里雅 蘇 台 、 科布
空
多 、穆 林 、加 達 、 承 化 寺 等 の地点 にも 設 置 す 四、 航
林西︱多倫︱西蘇尼特王府間
五、 指 導 者 教 育 に於 て優 秀 な る者 は満 洲 国 及 日本 に留 単 せ し む。
育 竝 に衛 生教 育 を実 施 す。
左 の航 空路 を設 く
西蘇尼特王府︱烏得︱庫倫︱売買城間
六、 各 自 治 区 毎 に 日語 学 校 を 設 け て日語 の普 及 を 図 る。
海拉爾︱桑貝子︱車臣汗王府︱庫倫間 将来西庫倫、烏里雅蘇台科布多 に延伸す
第 十 一 衛 生、 医療 の方 法 一、衛 生思 想 の普 及 蒙 古 人 は 衛 生 思 想絶 無 に し て病 魔 に対 す る迷 信 深 き に鑑 み衛 生思
内 外蒙古 の情勢竝 に中華 民国及蘇国 の策動 を諜知 し地理資源等 の
調査 の為 左 の如く諜報網 を配置す 林 西機 関 ( 既設)
内蒙古 方面
及錫林郭勒盟東部地方 の諜報 に任ず
林西 に位置し西烏珠穆沁機関 ( 既設) を指導 し興安西分省
想宜 伝 班 を組 織 し て之 れ が普 及 を 図 ると 共 に喇 嘛 僧 に衛 生 知識 を与 へて教 民 の衛 生思 想 の向 上 を図 ら し め迷 信 を 打 破 す る如 くす 。
西烏珠穆沁王府に位置し林西機関 の指 揮を受 け錫林郭勒盟東
西烏珠穆沁機関 (既設)
二 、 医療 方法 に関 し ては多 倫 、 桑 貝 子 、庫 倫 等 主 要 都 市 に施 療 病院
部 地方竝 に車臣汗東部地方 の諜報 に任ず
を 設置 し施 療 を 行 は し む 三 、各 自 治 区 に数 個 の地 方 巡回 会 施療 班 を 組織 し て各 旗 を 巡 回施 療 せ
多倫 機関 ( 既設)
方、錫林郭勒盟及帰化城蒙 古 の諜報 に任ず
多倫 に位置し西蘇尼特機 関 (新設)を指 揮し察哈爾省南部地
各地喇嘛廟 の廟会を調査し廟会 には前記地方巡回施療班は必ず出
しむ
張し、集合 し来れ る蒙古人に対 し施療を行はしむると共に衛 生思想
西蘇 尼特機 関 (新設)
の普及を図る如くす
西蘇尼特王府 に位置し多倫機 関 の指導を受け錫林郭勒盟西部
四 、各 自 治 区 に獣 疫 研 究 所 を設 け獣 疫 の研 究 を行 はし む る と 共 に獣 疫 流 行 の際 に は直 に防 疫 員 を 派遣 し得 る如 く す
地方、烏蘭察布盟、車臣 汗西南部 地方及土謝 図汗東南部地方
諜 報 の 施設、 謀 略 の 施策
百霊廟に位置し烏蘭察布 盟、伊克 昭盟、阿拉善地方 の諜報 に 任ず
古
る るも のとす
備 考 、 張家 口、 帰 化 城 に は 中央 部 よ り別 に諜報 機 関 を配 置 せ ら
蒙
任 ぜしむ るも占領地 の進展に伴ひ左 の如く逐次諜 報機関を配置す
当初は海拉爾、満洲里、西烏 珠穆沁機関を以 て外蒙古 の諜報に
外
百霊廟 機関 (新設)
の諜報に任ず
五 、 蒙古 地方 に於 け る蒙 古 人 の主 要 な る疾 病 は 左 の如 し 眼疾 (ト ラ ホ ー ム)、疥 癬 ( 頑 質 多 く 稍 もす れ は梅 毒 と 誤 ま ら る)、梅 毒 、呼 吸 器 病 、 腰 筋 リ ユマチ ス
病
獣疫 の主要 なる疾病 は左 の如し 伝 染
ペ スト、 炭 疽 、 流 行 性感 冒 、流 行 性 胸 膜肺 炎
寄 生虫病 第十 二
牛 虻 、馬 虻 、 羊 の腸 虫 、疥 癬
一、 諜 報 の施 設
桑貝子機関 (新設) 桑 貝子に位置し車臣汗機関、烏 得機関 を指揮 し外蒙 古東部 地 方及 チタ管 区南部地方 の諜報に任ず
二、謀
方
針
新 彊 東 部 地方 、 甘粛 北部 地方 及 寧 夏 省 北 部 地 方 の諜 報 に任 ず 略
内 蒙 古 を し て中 華 民国 の、 外蒙 古 を し て蘇 国 の羈 絆 よ り脱 し親 日
き施 策 は、 内蒙 古 に あ り て は中 華 民 国 の干 渉 を 、 外 蒙 古 に あ り て は
満 に 転 向 せ し め 自治 独 立 の気 運 を促 進す る如 く す 。 之 れ が為 行 ふ べ
車臣汗機関 (新設) 車臣汗王府に位置し桑貝子機関 の指揮 を受け車臣 汗部西部 地
を置 く も のとす
内 蒙 古 方面
策
1、 錫 林 郭勒 盟 に対 し ては 現 在 の施策 を逐 次 発 展 せ し め 自 治獲 得 を
施
蘇 国 の圧 力 を 除 き現 政 権 の転 覆 を 図 る と共 に自 治 政 権 の樹立 に重 点
方、土謝圖汗部東部 地方及 チタ管 区西南部 地方の諜報に任ず 烏得 に位置し桑貝子機関 の指揮を受 け車臣汗部西南部地方、
烏得機関 (新設) 土謝圖汗部東 南部 地方及鳥蘭察布盟北 部地方 の諜報に任ず 庫倫 に位置し売買城機関、西庫倫 機関、庫林図機関を指揮し
庫倫機関 ( 新設)
2、 烏 蘭 察 布 盟 、伊 克 昭盟 の盟 長 、 各 王 公 を懐 柔 し前 記 自 治政 権 に
暗 助 す る如 く し 占領 と 同 時 、若 く は以前 に自 治 政 権 を 樹 立 す
し む る如 く す
際 察 哈 爾 省 に 於 け る 土 匪を 懐 柔 し 前 記 買収 中華 民 国 軍 を 監 視牽 制 せ
状 況 止 む を 得 ざ る も内 蒙 古 自 治 運 動 に 妨害 を 加 へざ ら し む 。 此 の
て中 華 民国 軍 に対 し蒙 古 の外 廓 兵 力 た ら し む る如 くす
3、 察 哈 爾 、 綏遠 両省 地方 に駐 屯 す る中華 民国 軍 を買 収 又 は懐 柔 し
合 流 せ し む る 如 くす
外蒙古西部地方、唐努烏梁海 、科布多 、新疆甘粛北部地方、 に任ず
寧夏省及ブリ ヤート、 モンゴール自 治共和国南部地方 の諜報
売買城に位置 し庫倫機 関 の指揮を受け土謝 圖汗部北部地方、
売買城機関 (新設) 三音諾顔部北部 地方 、唐努烏梁海東部 地方及ブリ ヤート、 モ ンゴール自治共和国南部地方 の諜報 に任ず
4、 李 守 信 軍 を し て錫 林 郭 勒 盟 に於 け る自 治 政 権 樹 立 に対 し察 哈爾
西庫倫機関 (新設) 西庫倫 に位置し庫倫機関 の指揮を受 け三音諾顔部、札薩克図
省 に駐 屯 す る中 華 民 国 軍 の弾 圧 を 防 止 せ し む
を糾 合 せ し め て李守 信 軍 に協 力 せ し む る如 くす
哈爾 省 保 安 長 官 卓 特 巴 札普 を し て察 哈爾 八旗 の各 旗 に有 す る 自 衛 団
5、 錫 林 郭 勒 盟 各 王旗 の兵 力 を糾 合 し て警 備軍 を 編 成 す ると 共 に察
汗部、科布多地方 の諜報 に任ず 状況 に依 り烏里雅蘇臺 に 一機関を設く 庫林圖 に位置 し庫倫機 関の指揮を受 け三音諾顔部南部地方、
庫林 圖機関 ( 新設)
6 、 中 華 民国 政 府 の役 人 と な り或 は北 京 、南 京 に居 住 し あ る有 力 な
二 、内 外 蒙 古 は清国 に 帰服 し、 外蒙 古 は蘇 国 の掣 肘 を受 け た る も 元
す る も のと し て世界 平和 に貢 献 す るも のた る こと を 強 調 す
朝 以来 蒙 古 は厳 然 と し て民 族 的 独 立 を 保持 し得 た る は歴 史 上 の事 実
る蒙 古 人 を懐 柔 掌 握 し蒙 古 自 治 運動 に利 用 す る如 く す
な る こと を闡 明す。
三 、蒙 古 民族 は 日本 民族 、 満 洲 民 族 等 と 共 に北 方 亜 細 亜 民 族系 に属
外蒙 古 方 面
す る も のにし て民族 的 に は同 一種 族 な る のみ なら ず 宗 教 及 言語 の組
車 臣 汗 方 面 に対 し て は呼 倫 貝 爾 地 方 及錫 林 郭 勒 盟 地 方 よ り、 土謝 図 汗 、 三 音 諾顔 汗 に対 し て は烏 蘭察 布 盟 方面 よ り施 設 を施 し反 蘇 空
を 外 蒙 古 に潜 入 せ し め反 蘇 空 気 を煽 ら し む る如 く す
3、 親 日、満 分 子 ( 外 蒙 古 蒙 民 、 状 況 止 む を得 ざ れ ば 内蒙 古蒙 民 )
2、 現 政 権 の要 人 を買 収 懐 柔 し 現政 権 と離 反 せし む る如 く す
1、 外蒙 古赤 衛 軍 の買収 兵 変 化 を 図 る
族 の蒙 古 民 族 に加 へた る圧迫 と搾 取 と の事 実 を挙 げ蒙 古 は今 に し て
五 、労 農 社会 主 義 政 治 の欠 点 竝 に苛 酷 な る弾 圧政 治 を糾 弾 し、 漢 民
的 に暴 露 実 証 し 日本 の皇道 精 神 に基 く 大 亜 細 亜 主義 を鼓 吹 す 。
四 、赤 化 に依 る蘇 国 の侵 略 政 策 と 中 華 民 国 の五族 共 和 の欺 瞞 を 徹 底
び つけ親 日的 感 情 の強 化を 図 る如 く す 。
し む る如 くす 。 特 に蒙 古 民 族 の太 陽 崇 拝 思想 を 日本 国 名 及 国旗 に結
織 も亦 同 一な る こと を 充分 意 識 せ し め 以 て 親 日、 親 満 の思 想 を 抱 か
気 を煽 り外 蒙 古 共和 国 現 政 権 転 覆 の暴 動を 起 さし む る如 くす
4 、外 蒙 古 内 に あ る 王公 、 活 仏 等 と 秘 か に連 絡 を 図 り蒙 民 を使 嗾 し
起 たず ん ば自 滅 の外無 き こと を 強 調 し蒙 古 自 治 に依 る王 道 主 義 政 治
之 れ が為 左 の施設 を 施 す
て各 地 に反 蘇 及 反 現政 権 の暴 動 を 行 は し む る如 く す
家 口 の各 機 関 と 密 に連 繋 し て之 れ を 実 施す
1、 内 蒙 古 に対 し て は多 倫 機 関 主 と し て之 れ に任 じ北 京 、 天津 、張
七 、 日本 の対 蒙 古 策 は 満洲 国 を 独 立 国 と し て発展 せ し め満 洲 国 民衆
解 せ し む。
蘇 、米 、支 聯 合 抗 日思 想 の弥 漫 に 対 し之 を 屈 服 せ し め得 る こと を 理
六 、 日 本 の強 大 と 日本 軍 の精 鋭 無 比 な る こと を 認識 せし む ると 共 に
を 理想 とす る如 く 指 導 す。
三、 施 策 機 関
2、 外 蒙 古 に 於 ては車 臣 汗 東 部 地 方 に 対 し て は海 拉 爾 機 関 之 れ に任
状 況 に応 じ 謀 略機 関 を派 遣 す るも 当 初 に於 け る機 関 は 左 の如 し 、
じ、 其 の他 の地 方 に 対 し て は東 烏 珠 穆 沁、 西 蘇 尼 特 の両 機 関之 れ に
の幸福 を念 願 と す ると同 じ く蒙 古 に対 し ても亦 蒙 古 国と し て独 立 せ
し め蒙 古 民族 の発 展 向 上 を図 る の外 他 念 無 き こと を知 ら し む。
任 ず るも のと す
古 の喇嘛 教 は仏 教 の 一派 に し て日満 両 国 と 握 手 す る は喇 嘛 教 を 発 展
八 、 日満 両 国 は宗 教 の自由 を 認 め之 を保 護 し あ る現 状 を教 へ且 つ蒙
せ し む る所 以 な る こと を 知 ら し む。
針
宣伝 及 懐 柔 の方策
一、 日本 軍 の蒙 古進 入 は蘇 国 の勢 力 を 蒙 古 よ り駆 逐 し て其 の赤 化 を
方
第十 三
防 止 し蒙 古 民 族 の解 放 を 図 る為 め 蒙 古 自 治政 権 の樹 立 を 援 助 せ ん と
九、清朝時 代に於 ける蒙古民族 と清室及満洲民族と の親善関係を想
宣伝及懐柔 の対象
起 せしめ満蒙 両国 の提携 は蒙古民族発展 の最善策なる ことを知 らし む。 一、内蒙古 の保安隊 、外蒙古 の赤衛軍及各旗 の旗兵
ず 宣 伝 員 の派 遣
蒙 古 人 は漢 人 に対 し て極 度 に反 感 を 抱 き あ る を 以
蒙 古 に は医 療 設 備無 き を以 て其 効 果 大 な り
て宣 伝 員 は日 本 人 又 は蒙 古 人 に限 る 施 療 班 の派 遣
宣 伝 懐柔 上 の注 意 事 項
蒙 古 人 は 左 の特性 を有 す るを 以 て宣伝 懐 柔 上其 の特 性 を 理 解 し置 く こと 必要 な り
二、蒙古王族及喇嘛僧
故 に談 話 動 作 に ユー モアを 含 ま し む る 必要 あ るも軽 率 を慎 むを 要
故 に之 を 拒 絶 す るは蒙 古 人 に対 す る 礼儀 に悖 るを 以 て必ず 之 を 受
7 、客 人 に対 し て嗅 煙 草 を供 す る風 習 あ り
か らず
故 に其 の親 切 心 竝 に饗 応 を 心 持 良 く受 く る こと 必 要 なる も貪 る べ
6 、親 切 心に 富 み好 ん で饗 応 を 惜 まず
故 に不 潔 を気 に かけ ざ る こと 必 要 な り
5 、 不潔 な るも純 情 な り
す
4、 諧 謔 及滑 稽 を好 み奇 談 、 珍 談 、妖 怪 談 を 好 ん で聞 く
故 に児 童 に対 す る心 持 を 以 て温情 と 忍 耐 と を 要 す
3 、 直 情 に し て忽 ち怒 り忽 ち和 ら ぐ
故 に当初 は知 人 の紹 介 を 得 る こと は蒙 古 人 に 近接 す る要 件 なり
2 、 面識 浅 き 中 は決 し て真 実 を語 らず
故 に最 初 の応 待 に注意 し眼 前 の虚 偽 的 言 動 を慎 む を 要 す
条 件 に之 を信 ず
三、蒙古 一般人民 宜伝 の手段
1 、未 開 人 の特 質 と し て容 易 に信 ぜざ るも 一度 信 用 す れば 殆 ん ど無
告
蒙古人は文字を解す る者少 なきを 以て之を重用す
蒙 文 及 漢 字 を併 用 す る も のと す。
}
四、外蒙古各政治機関 布 標語 貼布 伝単撒布 絵画ポ スター
蒙古人は珍奇を好 み遠きを厭 はず集合 し又各地廟会
蒙 古人は飲酒歓楽する の風 あるを以 て要人に対 し之を利用
には多数 の蒙古人参詣 するを以て此 の機を利用して行 ふ
講演、演説 饗宴
蒙古人 は競 馬 ・相撲等勇敢なる競技 を好 み老幼
蒙古人 は新聞を得ば隣保相通ず るの風習 あるを以 て謡
せば其 の効果大 なり 謡 言放送 言 の効 果大なり 競技歌謡 の利用
男女を通 じて歌謡 を愛好す るを以 て之等 の競技を奨励し又歌謡 を 通 じて行ふ宣伝は其 の効果大なり 蒙古人は喇嘛僧及巫女 の言を信ず る こと篤 く
時とし て絶対的なる こと あるを以 て之 らの利用は必要欠くべから
喇嘛僧及巫女利 用
く るを 要 す 8、 迷 信 に強 し 故 に迷信 を傷 く る が如 き 言 動 を慎 しみ 寧 ろ 之 れ を利 用 す る必要 あ り 9 、 好 奇 心 に富 む 故 に 其 の好 奇 心を満 足 せ し む る こと 必 要 な り 10 、 外 国 人 に対 し ては 種 々奇 問 を 発 す 故 に 之 れ を煩 累 視 せ ざ る を要 す
故 に 急 がざ るを 要 す
11 、時 間 的 観 念 乏 し
降 毒
り
17 、 オボ を尊 崇 す
第 十四
宗 教 の保 護 及利 用 法
故 に之 れ を穢 す べ からず
清 朝 の蒙古 に 対す る喇嘛 教 に依 る宗 教 政 策 は 一面蒙 古 民 族 を し て
保 守 退 嬰 の民族 た らし めた る も 他 方其 の保 護 は蒙 古 民族 間 に根 強 き
宗 教 的 団 結 心 を植 付 け 荒 寥 た る原 野 に原 始 生 活 を営 め る彼 等 に 絶 大
現 在南 方支 那 と の接 壌 地域 に於 け る喇 嘛教 は宗 教 に冷 淡 なる 漢 民
の宗教 的 慰 安 を与 へた り。
族 の圧迫 を受 け 、 又 外 蒙 古 共和 国 に於 け る同 教 は蘇 国 の極 端 な る 反
宗 教 政策 に依 り弾 圧 を 受 け つ つあ り と雖 も 尚蒙 民 の有 す る宗教 的 意
識 は 一部 青 年 者 流 を 除 く の外 依 然 と し て熾 烈 に し て喇 嘛 教 に対 す る
信 仰 心篤 く活 仏 に対す る渇 仰 随 喜 の念 は 王 公 を凌 ぎ 絶 対 的 なる を 以
故 に蒙 古 人 に対 す る質 問 、 訊 問 等 は 単 一に し手 を 換 へ品 を換 へ反
12 、思 想 単 純 にし て連 鎖 的観 念 乏 し
覆 す る 必要 あ り
対 し経 済 的 補 助 を与 ふ
1 、信 仰 の自 由 を 与 ふ る も喇 嘛 教 を蒙 古 に於 け る国 教 と し 喇嘛 廟 に
一、喇 嘛 教 の保 護
て蒙 古 に於 け る喇嘛 教 の保 護 及 之 れ が利 用 は最 も必 要 な り
宗 教 心 を傷 つけ ざ るを 要す
2 、寺 廟 は各 地 に散 在 す る も のを整 理 し概 ね各 旗 一廟 と す るも其 の
故 に活 仏 、 喇 嘛 僧 を尊 崇 し包 に 入 ら ば仏 壇 に対 し て叩頭 し彼 等 の
13 、活 仏 、喇 嘛 僧 に 対 す る尊 崇 心 篤 く 各包 には仏 壇 を有 す
14 、新 聞 を 耳 にす れ ば馬 を飛 ば し て直 ち に親 威 知 己 に報 ず る の風 習
る宗 教 団 体 と す
輪 奐 の美 を整 へし め 且 つ喇 嘛 の数 を 減 少 し て其 の質 を 向 上 し純 然 た
あり 故 に宣 伝 の伝 播力 大 な り 15 、 贈 物 を な す場 合 に は哈 達 ( 絹 布 地) を 貼 布 す る を礼 と す
人 民 の経 済 的 負 担 を 重 から し む る行為 を禁 止す
3 、喇 嘛 僧 の宗 教 の美 名 を 藉 り て民衆 を惑 し或 ひ は喜 捨 を強 要 し て
二 、喇 嘛 教 の利 用法
故 に 贈 答 に は 必ず 哈 達 を貼 布 し且 つ貴 賤 に依 り大 小 の別 あ るを 以 て其 の用 法 に注 意 す るを 要 す
1 、喇 嘛 教 に対 す る信 仰 心 を 利 用 し蒙 古 の精 神 的 結 合 を 強 化す
16 、 漢 人 を敵 視 し且 之 れを軽 蔑 す 故 に蒙 古 人 と の接 触 応 接 に は漢 人 を 介 し 又 は交 へざ る こと 必要 な
2 、 喇嘛 教 は仏 教 の 一派 な る こと を闡 明 し 日 本及 満 洲 国 は 仏教 を尊 信 す る の実状 を 明 ら か に し 日本 及 満 洲 国 に対 す る信 頼 の念 を高 む る 如くす
日本 人 喇嘛 僧 を 巡錫 せ し む
之 れ が為 め有 力 な る活仏 に対 し 日本 及満 洲国 の僧 位 を 与 ふ
3 、満 洲 国 内 に山 西 省 、 五台 山 、 西 蔵 拉薩 の如 き喇 嘛 教 の聖 地 を造 営 し之 れと 蒙 古 地 域 に在 る各 喇 嘛 廟 と の連 繋 を図 り教 民 の聖 地参 拝 を 奨 励 し 以 て両 者 の宗 教 的 結合 を図 ると 共 に満 洲 国 の実 状 を知 ら し む る如 くす 4 、 喇嘛 廟 の祭 典 を 利 用 し或 ひ は喇嘛 僧 を し て蒙 古 民 族 の自 覚 を 促 し 諸 工作 及宣 伝 を 実 施 す る如 くす
の援 助 に依 り復 活 す べき 仏 の告 あ りし こと を宣 伝 せし む
5 、 内 外蒙 古 に於 け る有 力 な る活 仏 を し て蒙 古 民族 は 日本及 満 洲 国
九
対 ﹃ 満 洲 国外 、 内 蒙古﹄ 策 意見 具 申
盤 井 ︹文 雄 ︺少 佐 )
往来を監視し無電を設置し て逐 一情況 の推移 を後送す る等凡ゆる手
(昭和 十 年 二月
在 百霊 廟 内 蒙 自治 委 員 会 と 南 京 政 府 と の関 係 は 表 面小 康 を保 ち あ
板 垣副 長 に提出 せ るも の御参 考 に
り昨 秋蒋 介 石 の西 北 視察 等 に よ り愈 々円滑 に結 合 せ ら れ あ る が如 き
へ暗雲随所に低迷す るの状を示しあ り加ふるに赤色青年 のこの間隙
段を盡し て圧迫的行動 に出 であり斯 くて不安 動揺 の気漸次濃 厚を加
に対 す るあ り 一見危 機 の包 蔵 す る も のな き が如 く に見 ゆ然 るに内 面
を得 る に努 め あ り 一方 蒙 古 側 亦 自 ら出 で て之 を迎 へ儀 礼 を 整 へて之
を用 ひ十 、 十 一、十 二 月分 経 常費 計 九 万円 を 交 付 す る等 彼 等 の歓 心
し或 は蒋 介 石 来 遊 の際 の如 き 言 を巧 に し雲 大 親 王 、徳 大 親 王 等 の語
一、有事 の際 (此処に ては南京政府と蒙古側葛藤 の表面化 を指す)
なり
現 の準 備も亦整備せられざるべからず ︹ 許︺ 以下開陳す る愚見 の幾 何か上司対蒙策立案 の参考 になり得 れば幸
り境土を接す る満洲国 の取るべき対蒙策は当然具体化せられ之 が発
茲に於 て東亜 の盟主を以て自認す る日本竝に西境約二千満 里に亘
を窺ふも のありて事態漸く複雑多岐 ならんとす
も 両者 の間 溝 渠 漸 や く深 ま り つ つあ る は見 逃 す べ か らざ る事 実 な り
的 には 彼 の韓 鳳 林 事 件 す ら蒙 古 側再 三 の督 促 に 不拘 言 を 左 右 に し て
に於ける日満両国 の対蒙積極的武力 竝に経済的援助 の方針を確立せ
と す 即 ち烏 滂 守 備 隊 に対 し て は宋 哲 元 軍 よ り毎 月 四 千 元 の補 助 を な
確 た る返答 を与 へざ る のみ な らず 自 治 委 員 会唯 一の財 源 と も 称す べ
らるると共 に早晩之 が現前を予期し逐次準備を整頓し且他面内蒙 古
側 に対 し絶 えず精神的声援 を高調し裏面的連絡 ( 満 洲国内蒙古人を
き 阿 片通 過税 (年 額 百 万 元余 ) に対 し て大 な る裏 面 的 圧迫 を 加 へあ
加之 百霊 廟 南 方 〓 盆 には 一ケ営 を 駐 屯 せ し め暗 に武 力 的 示 威 を行
使 用す るを可とす) を密 にし以 て不則 不離 の関係を保持 しあるを要
り
ひ 又綏 遠 には李 方桂 あ り て監 視 穿 索 的策 動 を なし 白 海 峯 (懐 逢 ? )
現下 の国際関係及国内 の財政 の関係上今直ちに積極的包容
朱 式 富 の如 き は そ の手 先と な り て潜 航 的活 動 を 続 け あ り或 は察 哈 爾
理由
す 省 政 府 よ り黄維 城 、黄 昭煦 等 を 西蘇 〓特 王府 附 近 に 派 し て日満 人 の
的 な る十 二 分 の援 助 は恐 ら く期 待 し 得 べか ら ざ る処 な るべ し而 し て
之 を援 助 活 用 し て信 仰 方面 よ り住 民 を誘 導 し て 日満 信頼 心 の助 成
に努 む ( 普 通 人 の百言 は喇 嘛 の 一言 に若 かざ る は当 該 方面 住 民 の心
め
に南 京政 府 方 面 の神 経 を 刺激 昂 奮 せし め 親 日 満 派 を窮 地 に陥 ら し む
4、 年 少 者 を誘 致収 容 し て 一般 常 識 の養 成 と 軍 事常 識 附 与 訓練 と を
情 な り)
是 の故 を 以 て思 は せ振 り的 小出 し的 な る小 援 助 を行 ふ と せば 其 は単
る に過 ぎ ざ る のみ なら ず 蒙 古 側 の 一部 を ﹃ブ ロー カ ー﹄ 的 悪 風 に 染
(由 来 漢 書 は 十 中 の九 迄 蒙 人 を誹 謗 し あ るに 対 し我 が書 籍 には 過
対 し 日本 見 学 及 内 地 日 本 人 に対 す る接 触 は頗 る有意 義 な り但 し観 光
て漢 人有 司 が非 人 語 を 用 ふ べ からず 等 の侮 辱 を 加 ふ る を常 と す るに
古 の彼 等 を賞 揚 す る も の多 き の みな らず 現 在 に於 てす ら訴 訟 等 に於
む
し 日本 の威 力 を 知 得 せし む ると 共 に 日本 の対蒙 好意 の実 際 に触 れ し
5 、毎 年 行 は る る 内 地特 別 大 演習 見 学 将 校 団 に準ず る 見学 団 を組 織
面 よ りす る対 日満 接 近 の必要 を 会得 せ しむ
行ひ ( 現 興 安軍 官 学 校 に収容 し あ る の規 模 を 拡 大す ) 政 治 及 軍事 方
ま し め且 つ有 識者 階 級 を し て 日満 の対 蒙 援 助 の真精 神 に疑 念 を生 ぜ し む る恐 あ るに 過ず 故 に寧 ろ 小 出 し 的援 助 を中 止 し之 を控 置 し て有事 の際 の徹 底 的援 助 に資 す る為 保 留 集積 し置 くを 可 と す 而 し て有 事 の際 の援 助 を平 素 よ り暗 示 し彼 等 を し て安 ん じ て自 発
之 が為
的 に所 信 を敢 行 し 得 し む る如 く 指 導 す るを要 す
1 、戦 用 品 の名 の下 に接 境蒙 古 軍 隊 に
ロ、快 速 輸 送 車 及 燃 料 の 一部 を格 納 す
団 的渡 日を 推 賞 す る も のにし て決 し て長期 滞 留 す る日 本留 学 生を 派
イ 、兵 器 弾 薬 特 に重 火 器 自動 火 器 を 集積 す
ハ、被 服 の若 干 を準 備 す (約 三千 )
此処 に 工作 上 特 に 重要 な りと 思 惟 せ ら れ る は直 接 日本機 関を 以 て
6 、満 洲 国 内 蒙 古 人 中 の人材 を 慫 慂 し て百 霊 廟 に送 り援 助 せ しむ
す る工作 と満 洲 国蒙 古 人機 関 をし て同族 な る国 外 蒙 古 人 に 対 し呼 び
遣 す る の意 に非 ざ る こと を特 記 した し)
1 、烏 珠 穆 沁 特 務 機 関 を 速 に西蘇 〓特 に進 出 せ し む ると 共 に在蒙 特
懸 け し む る 工作 とを併 行 せし め儀 礼 的 公式 的 応 待 は 日本 機 関 に於 て
二、 対 日満 信 頼 の情 を 開 発 し繋 持 す る為 左 記 の如 く指 導 す
務 機 関 の機構 を 大 に し設 備 そ の他 を優 良 にし 無言 の内 に威 容 を 示 し
2 、蒙 古 人機 関 よ り同 族 の名 に於 て連 絡 を 密 接 な ら しむ
信 頼 す べ き背 後 の威 力 を 感 得 せ し む
直接処置し
結
言
し て之 に 当 らし む るを 有 効能 率 的 な りと の事 な りと す
内 面 的実 際 的 接 渉 は蒙 古 人機 関 に意 図 を 示 し て彼 等 同族 の発 意 と
2、 接 境 地 方 に駐 屯 す る蒙 古 軍 の装 備 を 優 良 に し兵 備 を 強 大 に し 以 て有 事 の際 の援 力 に対 す る 安 心 を ︹以下二十数字不明︺ 3 、 各 地喇嘛 廟 の中 年 喇 嘛 僧 中 の優 秀 者 を 満 洲 国 内機 関 に収 容 し て 西 洋 医 術 の速 成教 育 、 宗 教 信 仰 心 の是 正教 育 を 行 ひた る後 復 帰 せし
僅 々二万円 の発給躊躇 が多倫 の復興力を壊滅せる のみならず李守 信軍 の多倫撤退を誘致 して新満洲 国 の信を国境外住民に失 ひ内蒙古 全般 に波及するに至 らしめ又特務機関烏珠穆沁進出期 一ケ月遅延が 爾後 の工作 に順逆 の転倒を来し今日尚之 が悪影響を解消 し能 はざる 機 は白駒 の隙を過 ぐる の間に存 す
の錯誤を なせしは極 めて最近 の過去 (一昨年) の事実 に属す 時機到来は近きにありと信ぜらるるにつき御勘考を賜 らば幸甚な り
一〇
宋 哲 元 軍 の熱 河 侵 入 問 題
(昭和 十 年 十 二 月
東 亜 局 第 一課 )
日紅 泥 灘 (獨 石 口 の東 北 国 境 上 東 柵 子 よ り満 洲 国領 土内 へ四粁 の部
て は支 那 兵 撤 退 の実 行 監 視 のた め徐 々に部 隊 を進 め居 た る が二 十 三
熱河省 豊寧縣大灘 (沽源東方約 二十粁)附 近に昨年中頃 より宋哲
出 す に至 れ り、 茲 に於 て関 東 軍 は右 支那 側 の背 信 的 挑戦 に 対 し徹 底
落 ) の北 側 に差 懸 る や突 如 宋 軍 部隊 は射 撃 を開 始 し 我軍 に死 傷 者 を
一、事件 の経緯 元部 の歩騎兵相当部隊侵 入し来り該地方 の要所を占領し更に其 の先
の東 側 に在 り満 洲 国 領 内) の宋軍 を撃 退 す ると 共 に獨 石 口に集 中 せ
的 殲滅 を図 る べく 二十 三 日及 二十 四 日に亘 り紅 泥 灘 及 東 柵 子 (長 城
鋒に多数 の保衛団を出し之 に行政機関を随行 せしめ満洲国側 の豊寧 縣行政を全然 不可能 ならしむるに至 れり、従て関東軍 は出先部隊 を
西南約十粁) 附近に騎兵及迫撃砲隊 を増加す ると共に保衛団を増加
間 に 地 方的 交 渉 を 進 む る こと と な り 、支 那側 は 一月 二 十 五 日獨 石 口
る 単 な る局 地 的 事 件 と し て之 を 取 扱 ふ の主 旨 な りし を 以 て両 当 事 者
模様 な る が関 東 軍 と し ても 本 件 は停 戦協 定 所 定 の国 境線 確 保 に止 む
る宋 軍 に攻撃 を 加 へた り、 支 那側 は形 勢 不 利 と 見 る や狼 狽 し 急拠 宋
し て数 次に亘 り其 の撤退方を支那側 に交渉せしめた る結果支那側は
し十 四日には烏泥河に進 み来 り該地方 の満洲国警察隊、自衛団を襲
東 方 大灘 附 近 に於 て関 東 軍 側代 表 と 会 見 し 、交 渉 に着 手 す べ き原 則
十 二月 三十 一日限り其 の部隊 、保衛団、行政 機関等 一切を撤退する
撃し約四十名を拉致せり、茲 に於 て十七日承徳駐屯関東 軍第七師団
を決 定 し、 其 の期 日、 場所 等 に関 し何 應 欽 、宋 哲 元 両 者 間 に協 議 中
を懇 請 し 且 本 問 題 を 局 地問 題 と し て 地方 的 に解決 せ んと 焦 慮 し た る
の 一部は同方向 に出動する ことと なり、 一方関東軍は北 平高橋駐在
な りし が、 張 家 口特 務 機 関 長 松井 中佐 に於 て斡 旋 の結 果 関 東 軍 と し
軍 撤 退 を 開始 す る と共 に北 平 駐在 高 橋 武 官 を 通 じ 関東 軍 討 伐 中 止 方
武官 を通 じ十九 日北平軍事分会及宋哲元に対し両 三日中を期し宋 軍
て は今 後 支 那 側 が再 び 不法 行為 に出 でざ る こと を条 件 と し て交 渉 に
旨支那駐屯軍松井 中佐 を介し て誓 約するに至れ る趣なるが、支那側
の討 伐を開始 する旨通告せ る趣 の処 翌二十 日宋哲 元部隊撤退 の命令
は右誓約を実行せざ るのみならず本年 一月中旬に至り長梁 (大灘 の
を発した る旨軍事分会 より同武官 に通知 し来れ るを以て関東軍 に於
なれり
井
見 中
大 佐
佐
少 将
永
谷 松 佐 亭
中
〓
仲
〓
〓
岩 張
第 三十 七 師 参謀 長 郭
沽源縣長
張 家 口特務 機 関長
第 七師団
応 ず る方 針 を 決 定 二 月 二 日大 灘 に於 て日支 代 表 の交 渉 開始 の運 びと
日本側
支那 側
徳
張
祖
察 哈 爾省 政 府
二 月 二 日 の本 会 商 に 於 て関 東 軍 代 表 谷 少 将 は今 次 事 件 発 生 の経 緯
二、 大 灘 会 議
一、支 那側 は将 来 誓 つ て兵 を満 洲 国 内 に入 れ 若 は満 洲 国 に脅 威 を与
と 其 の非 支那 側 に あ る こと を述 べた る後
へ日本 軍 を刺 戟 す る等 の行為 を厳 禁 す る こと 現 に支 那 側 が密 偵 等 を し て関東 軍 の行 為 を 偵 察 せ し め あ る が如 き は 一切中 止 せし む る こと 二 、支 那 側 にし て将来 右誓 約 に 反 し た る場 合 には 日 本軍 は断 乎 と し て自主 的 行動 を執 る こと あ る も其 の責 任 は 支 那側 の負 ふ べき も のな り 日本 軍 は支 那 側 が兵 力 を増 加 し 又 は或 は陣 地 の増 張 を 企 図 す る が 如 き は 日 本軍 に対 す る挑 戦 的 行為 と 認 定 す 三 、 支 那 側 が曩 に押 収 せ し満 洲 国 民団 の武 器 全部 は沽 源 縣 長 携 行 の
の要 求 を為 した る に対 し宋哲 元代 表 張 〓 亭 は谷 少 将 の述 べた る事 件
上 二月 七 日迄 に南 囲 子 に於 て日 本軍 に返 還 す る こと
の経 緯 を 承 認 し て陳 謝 の意 を 表 し 将来 不法 行 為 を 繰 返 さざ る こと を 口頭 を 以 て誓 約 し即 日無 会 議 終 了 し た る趣 な り
一 一
2 、 日満 の経済 発 展 及 交 通 開発 工作 に協 力す 例 へば 張 家 口︱多 倫 間 、
し 蒙 古 人 圧迫 を停 止 す るを要 す
1 、 日満 の対 蒙 工作 を承 認 し特 務 機 関 の活 動 を 援 助 し 且移 民を 中 止
土 肥 原 ・秦 徳 純 協 定 ( 察 哈 爾協 定)
︺
編 者 註 ・昭 和 十年 六月 二十 三 日要 求 、 同 年 同 月 二十 七 日 正 式 一章 第
其 他 満 洲 国 ︱北 支 那 間 の自 動車 及 鉄 道 交 通 の援 助 の如 し
二節 参 照 の こと 一、 日支 親 善 の見 地 よ り 将来 察 哈 爾 省内 に於 け る日 本側 の合 法 的 行
4 、軍 事 及政 治顧 問 を 招 聘 す
3 、 日本 人 の旅 行 に便 宜 を 与 へ各 種 調 査 を援 助 す るを要 す
︹文 書 回 答 を 以 て承認 。 こ れ に関 す る交 渉 内 容 は本 書 第
動 に対 し支 障 を与 ふ る こと な から し む る為 察 哈 爾 当 局 に左 の要 求 を
5 、 日本 軍 事 諸 設 備 (飛 行 場 の設 備、 無 線 電 台 の設 置 等 ) を 援 助す
なす 要望事項
6 、撤 退 地域 の治 安維 持 は停 戦 地 区 に準 ず る方 法 に拠 るべ し
る を要 す
昌 平 、 延 慶 を結 ぶ延 長 線 の東側 竝 獨 石 口北側 、龍 門 西 北 側 及張 家
1、 撤 退 地 域 の件
口北 側 を 経 て張 北南 側 に亘 る線 以北 の宋 部 隊 は 之 を其 の西 南 方 の地
2 、排 日機 関 の解 散 を 行 ふ こと
域 に移 駐 す る こと
3 、遺 憾 の意 を 表 す る こと竝 責 任 者 の処罰 を なす こと 4 、 六 月 二十 三 日よ り 二週 間 以内 に 右 を完 了 す る こと
二、 尚 要望 事 項 解 釈 と し て
5 、山 東 移 民 の察 哈爾 省 通 過 を 中 止 す る こと
一 二
第 一 方
針
対 内蒙 施 策 要領 極秘
一、軍は対蘇 作戦並之 が準備 の為 必要 とす る平時諸 工作 を有利 なら しめ且満洲国 の国防及統治 を安全容易 ならしむ る目的 を以 て先づ内 蒙 に於け る親 日満 区域 の拡大強化を図 り北支工作進展 に伴 ひ内蒙 を し て中央 より自立するに至らしむ 第二 実 施 要 領
施策 の重点 は多倫及西蘇 尼特方面 に指 向す
を強化す
二、軍は前項方針 の実現を期し軍事、政治 工作及文化、経済的施策 政治的竝軍事的施策 は軍に於 て之を行ひ文化、経済的施策 は軍 の 統制指導 の下に満洲国機関、満鉄其他をし て組織 せしむ る機 関等 を して之 に任ぜしむ
35 部 の内 第 5号 (昭和 十 年 七 月 二十 五 日
関東軍参謀部)
行し以て対 日満依存 の必要 を自覚せしめ遂 に進 で満洲国と協同動作
又各 種施策 の実行 に方り ては蒙古人 の 一般文化 の著しく低度 なる
せんとするの気運を醸成 せしむ
に留意し過早 に先進民族 と の生存競争 の渦 中に投 ぜし めざる如く厳
に注意すると共 に満洲国辺境蒙古人と の振合を適度 ならしむる如く 考慮す るも のとす
察哈爾協定 に基 く保安隊問題 の履行 を厳 に要求し又対傅作義 工作
四、政 治 工 作
を進展 せし め漢人 の蒙古圧迫を除くと共 に蒙古自治政府 を支援し内
実力を培養 せしむ る如く所要 の施策を行 ふ
部 の改造 を断行せしめ逐次之を対中央離反 に導く為首脳者 に対し其
工作進 捗 の予定左 の如し
に鑑 み徒 に内外 の視聴 を牽くが如 き実施 は之を戒むるものとす
且三者密 に連合 して漢人種 の勢力を除去す る如く指導す即ち
② 察哈爾 方面 に就 ては先づ徳 王、卓 長官及李守信 の実力を培 養し
多倫、張 家 口、西蘇尼特各機関 に於 て厳 に之が実行 を監督強要す
① 察哈爾協定就中保安隊 の編成、教育、配置等 に関し ては引続 き
三、内蒙人心収攬 の為 には王侯、人民の把握 に努め特 に有力喇嘛を
政治的竝軍事的施策 は極秘と為 し其他 の施策 も亦 一般国際 の情勢
通 じて日満両国政策 の本旨 を徹底せしむることを期 し各種 工作を施
り 彼 の地位 を向 上 せし む 又 徳 王及 卓 長 官 の辨 事処 を多 倫 に開 設 せ
イ 、 李 守信 に対 し ては 多倫 に於 け る軍 事 及 経 済諸 施 設 の充 実 に依
於 て之 を 実 施す る も のと す
期 に之 を選 定す る も原 則 的 に は 河北 、 山東 、 山西 自 立 の時 期 前後 に
人 的 勢 力 培 養 の目 的 を以 て若 干 の援 助 を与 ふる こと あ る べし 雲 王
ハ、 徳 王 に 対 し て は事 実 上 自 治政 府 代 表 者 と し て 待遇 す る の外 個
校 を 入 る る如 く努 む るも のとす ) を配 属 し 又 必 要 に際 し 兵 器 、弾 薬 、
は我 方 の訓練 を経 た る蒙 古 人将 校 を配 属 す る こと と し将 来 は 日本 将
に 日本将 校 を配 属 し其 他 の軍 に対 し ても 差 向蒙 古 軍 官 学 校 卒 業者 又
現 役 将 校 及所 要 軍 官 を 配 属 せ ら れ た り尚卓 長 官 部隊 に対 し 努 め て速
各 軍 に 対 し て は適 時 所 要 の指 導 官 (李 守 信 軍 に対 し て は既 に日本
の企 図 に 合 す る如 く完 成 せ しむ る も のと す
軍 事 工作 は 左 記各 軍 に対 し 其特 質 に応 ず る指 導援 助 を与 へ以 て軍
五、 軍 事 工 作
ロ、蒙 古 自治 政 府 に対 し て は同政 府 内 の赤系 及親 支 的 官 吏 の駆 逐
し め相 互 の連 繋 を緊 密 な ら しむ
竝 将来 自 治政 府 内 に所 要 の指 導官 を配 属 し て逐 次 に 我方 の希望 す
及 索 王 に対 し て も其 態 度 良 好 な る に於 て は個 人的 に若 干 の援 助 を
る如 く 行 政 を布 かし む る こと等 の著 意 を 以 て物 的 援 助 を 与 ふ
与 ふ る こと あ る べ し
被 服 及 金 銭 を 以 てす る援 助 を 与 ふ
別 に ﹁チ ャプ サ ル﹂ 附 近 に於 て純 蒙 古 人 部 隊 を編 成 し自 治 政 府 強
ニ、 卓 特 巴 札布 に対 し て は益 々徳 王 と の合 作 を 強 化 し 且察 哈 爾 盟
化 に資 し 且 漢 人種 に対 す る威 圧 に任 ぜ しむ
長 就 任 を具 体 化 せ し め治 安 維 持 及 行 政 に任 ぜし む
①
甲 自動 車 を附 す) に編 成 せし む
本 軍 の平 時 兵 力 は 二千 五百 と し騎 兵 旅 (若 干 の機 関 銃 、野 砲 及 装
装 備 に在 ら し む る も経 費 之 を 許 す 限 り其 内 容 を充 実 せ しむ
李 守 信 軍 は満 洲国 軍 政 部 顧 問 の指 導 を受 け し め 概 ね現 在 の編 成 、
③
綏 遠 に対 し ては特 務 機 関 の新 設 に伴 ひ先 づ 傅 作 義 の態 度 、真 意
を 明徴 にし 若 し彼 にし て誠 意 な き に於 て は之 を打 倒 す 即 ち イ、 機 を見 て綏 遠 、 其 他 の地 方 に在 る排 日諸 機 関 の撤 去 、 解 散 を
ロ、 航 空 路 を綏 遠 、 包 頭 に延 伸 す る に努 め 日本 の威 力 を如 実 に感
②
要 求 し 親 日派 の擡 頭 を図 る
得 せし む
任 ぜし む
所 要 の物 的 援 助 を 与 へ且其 内 容 に改善 を加 へ察 哈 爾 盟 の治安 維 持 に
察 哈爾 盟 内部 の治 安 を維 持 し 且 辺境 防 衛 力 を増 大 せし め 為 し 得 れ ば
尚 同軍 保 安 隊 、 馬 巡 隊 に対 し ても 要 す れ ば若 干 の援 助 を 与 へ以 て
多 倫特 務 機関 長 をし て之 を指 導 せし む
遊撃 軍 の兵 力 は二千 を標 準 と し 其 編 成、 訓 練 、 装 備 等 に関 し て は
卓 特 巴 札 布 軍 は其 遊 撃 部 隊 をし て軍 の謀 略 に適 応 せ し め得 る為
ハ、 傅 作 義 と 共 産系 分 子と の連 絡 を 明 に し或 は偶 発 的事 件 を捉 へ
迪 魯 瓦 呼 圖 克 圖 に対 し て は平 時 よ り密 に徳 王 と 連 繋 を保 持 し 且
て 一挙 に彼 の打 倒 を図 る ④
其 の基 本 勢 力 を確 立す る如 く 指 導 し東 部 外 蒙 古 方 面 に於 け る軍 の工
内蒙 自 立 の時 期 は 状 況有 利 な る場 合 に在 り て は 河北 省 自 立 の時
作 に策 応 す る如 く 行 動 せ し め ん こと を期 す ⑤
自衛 を安全ならしむると共 に努め て大 なる兵力を以 て遊 動部隊 と為
遊撃軍を増援 せしむ ③ 自治政府軍は西部錫林郭勒 盟及烏蘭察布盟附近 に於ける各旗 の
し て山 西省 内 に駆 逐 す
と に努 む る も到 底 其 実 現 の期 し 難 きを 認 む れば 好 機 を 捉 へ之 を打 倒
て為 し得 れ ば之 を 買 収 し 以 て軍 の企 図 に合 す る如 く 行 動 せ し め ん こ
綏 遠 省 に於 け る傅 作義 軍 は北 支 工 作 の進 展 に伴 ひ或 は之 に先 ち
し之 を以 て軍 の謀略 に適応 せしむ るも のとす各旗部隊に対す る兵器
⑥
弾薬等 を以 てする援助は自治政府を通じ て行 ふを本則とす
文 化 工作 は差 向 き 宗 教 、教 育 及 衛 生 に関す る 工作 を 実 施 す る も の
六、文 化 工 作
と し 其 の範 囲 は主 と し て錫 林 郭 勒 及察 哈 爾部 とす るも 所 要 に 応 じ之
従来 の自治政府軍遊動兵力 は五百を標準とし其編成等 の細部 は西
宗 教 工 作
蘇尼特機関長をして満洲国騎兵 に準じ之 を指導せしめ特 に指揮官及
①
を綏 遠 に 拡張 す
喇 嘛 教 尊 重 の習 慣 を 重視 し之 に依 り て人 心 の収 攬 に努 む之 が為 所
﹁チャプサ ル﹂附 近に編成し自治政府支持 に任ず る純蒙古軍 は五
特種兵器操縦者 の技能 を向 上す る為適時所要 の教育を施すものとす 百 を目途とし之を騎兵と為し西蘇 尼特機関長 の指導を以て遊撃隊た
要 の喇嘛 廟 を改 修 し 或 は有 力喇 嘛 の生 活 を安 定 せし む る等 の工作 を
喇 嘛 教 及 喇 嘛 に対 す る改 良 は逐 次 に之 を行 ひ以 て人 心 に急 激 な る
実 施す
衝動 を与 ふ る こと な く而 も逐 次 喇 嘛 を減 少 せし め多 数 壮 年者 をし て
らしむ、初期部隊 の編成 は約二百とし之 が為多 倫機関長及李守信軍
④ 廸魯瓦呼 圖克 圖をして西蘇尼特附 近に部隊 を集結屯田せしめ之
産 業 に従 事 せし む る こと を図 り以 て民 利 を完 く せし む るも のとす
顧問 をし て協力せしむ、本部隊 に要する経費 は当分軍 の負担 とす を遊動部隊とし て軍の企図す る謀略 に任じ得しむ ると共に分散 せる
内 蒙 に於 て施 策 に任ず る各 機 関 は総 て前 記 方 針 の実 現 に 任ず るも
用 し得 る如 く 努 む るも のとす
の援 助 を与 へ遂 に満 蒙 回教 徒 の団 結 を促 進 し以 て其 団 体 的 勢 力 を利
回教 徒 懐 柔 の為 其 習俗 を審 か にし 先 づ彼 等 の好 感 を 求 め 更 に所 要
残部 をして烏蘭察 布盟、寧夏省方面等 に於 ける地盤を強化し所要 に 遊動軍 の兵力は当初先づ 三百とし其編成、装備及訓練 に関し ては
応 じ全力を挙げ て外蒙方面 に行動せしむ 西蘇尼特機関長をして満洲国軍騎兵隊 に準じ之 を指導せしむ るも の
のと し特 殊 の喇嘛 廟 改 修 、 有 力 喇 嘛 の待遇 等 特 に経 費 を要 す る が如
とす初度 の装 備に要す る経費 は軍に於 て負担す ⑤ 東部錫林郭勒盟軍 は主とし て東、西烏珠穆沁附近に於 て各旗よ
くものとし将来満洲国に於 ける教育制度 の確立 に伴ひ之に順 応せし
蒙 民教育 は差向き小学校教育 の程度 に止め且職業教育に重点 を置
② 教 育 工作
き工作 に関し ては軍 に於 て其実施要領を定む
本部隊 の兵 力は当初 三百とし之 を漢人種部隊と合同 せしむ るを避
り徴集編成 せしめ主とし て外蒙方面 に対す る辺境防衛 に任ぜしむ け興安省警備軍と密接な る連繋 を維持 せしむ 又 一般指導 は西烏珠穆沁機関長 をして之 に任ぜしむ
むるも特 に優秀な る所要人員に対す る外妄 に高等 なる教育 は之を施
速 に完成す るを要す
熱河 に於ける鉄道 は先 づ赤峰より多倫 に延長 せしめ更 に平 地泉 に
との連絡 を保持し得る に至 るを要し尚将来多倫 より滂江方面 に延長
於 て平綏線 に連絡 し平綏線 に対する工作 と相待ち て中央亜細亜方面
さざ るを本 旨とす 而して対蒙古人教育 は之を満蒙境界線附近 に於て行 ふを本則とし
将来北支 工作進 展 の状 況に依 り承徳、北平鉄道 の敷設を企図す対
して対外蒙 工作に資せしむるを必要と認む
満洲国内地特に日本内地 に於 て教育す るは特殊 の者 に限 るも のとす 以上教育 工作 は差向き善隣協会 をし て之 に担任せしむ
③ 道路及自動車
しむ
蒙貿 易 の根拠地として胡蘆島 を速 に完成し熱河鉄道と完全に連絡 せ
り人 心の収欖を図り行政施設、教育 の進 歩に伴 ひて逐次に之 を改善
衛 生思想を根本的に更改せしむる の要 あるも差向き無料診療 に依
③ 衛 生 工作
せしむるも のとす
鉄道未完成 の期間又 は鉄道敷 設を企図せざ る地方に対し ては其幹
線た るも のに就 き速 に難路 の改修 を完成し之 に自動車 を活動せしめ
診療 は主とし て善隣協会 をして之 に当らしめ交通網其他 に就 き有
以 て地上連絡を確保す航空を実施 せんとす る地方に対 し特 に然りと
速 に完成するの外多倫|西蘇 尼特| 百靈廟道、多倫| 平地泉道 の建
前目的達成 の為 先づ多倫、阿 巴〓 、東西烏珠穆沁に到る主要道を
す
七、交 通 政 策 空
利 なる条件 を具備する地点 に駐留し て実施せしむ るも のとす ① 航
設、綏遠| 百霊廟道及更 に新綏 自動車線路 に於ける自動車 営業権 を
航 空は対内蒙 工作 の基 礎を為 し各方面を適時に連絡 して我趣旨 の 徹底、各 部有力者 の団結、在蒙支那軍隊威圧、蒙古 部隊威服 に利用
接 収し又張庫街道上に於 ける徳華洋行 の交通営業を排撃し以て軍将 信
前項各道路 の完成に伴 ひ速 に満洲電信電話会社をし て有線 無線電
④ 通
来 の工作 に有利 ならしむるを要す
せらるるのみならず当該地域 に対す る帝国制空権確立の基礎たらし 軍 は主とし て満 洲航空会社を指導 し西蘇尼特飛行場及張家 口飛行
むるも のとす 場 を基礎とし外蒙 方面 、百靈廟、綏遠 、包頭為し得れば新 疆及青海
信及電話 を設備 せしむ
方面 に到 る航空路 を開拓 し外国経営欧亜連絡航空 を排撃し て之 に代 り対外蒙 工作 に資せん ことを期す
しむると共に蒙 民の文化程度 を逐次 に向上せしめ産業を助長し且通
経済 工作 の為先づ満蒙間 の交通 を整備し経済資源 の流通 を便なら
八、経 済 工 作
常時確実な る連絡を保持 し且軍事輸送竝平時 に於ける経 済開発 に
② 鉄道及港湾 資す る為速 に満蒙 を連絡す る鉄道及之 に有利 に作用 し得 る港湾 を迅
商 を促進し遂に満蒙 間に絶対不可分 の経済的関係を完成せしむ ① 産 業助 長 産業 は蒙民 の現状 に即応 し且逐次に之 を向上 せしむ るの主義 に依 之 が為先づ牧畜業 の改良発達 を図り獣疫防止、牧草 の貯蔵等 を慫
りて之 を助長す 慂し次 いで他 の産業 に及 ぶものとす特 に農耕、林業 の如きは漢人種 の圧迫を受 け易 きを以 て蒙 古青少年教育 の結果自営 の能力を得た る 後 に於 て実行せしむ る如く指導 す
物産収買 と同時 に低廉 なる日本製雑貨 を蒙 古人に販売す之 が為満
洲国をして速 に保税制度を確立せしむ る如く要 望す
売買は当初 に於 ては物 々交換 の要領 に依 るも成るべく速 に国幣を
以てする取引 に慣 れしめ延 いて蒙古地帯内に完 全に国幣を流通せし
むるに努 め又庶民 の金融 に資す る為中央銀行 の支店 を設けしむ るの
対 内蒙貿易 の進捗 に伴 ひ対外蒙及対中央亜 細亜貿易促進 の為所要
外大興公司 をし て所要 の地点に当舗を開設せしむ の工作 を実行す
張庫街道 上及其他 に於ける徳華洋行 の営業を排撃 し外蒙と支那と
の連絡 を遮断し て之を満洲国に結ばしめ且該洋行の蘇聯邦 の為にす
本 工作指導 の為 には満洲国側其他をして特 に機関を設け之 に当ら しむ るも のとす
蒙 施 施
策
進
度 事
概 見
企図別表 の如 し
将
の
図
昭和十年 七月二十 五日
企
将来卓長官 をして張北 に位置 せしむ るに至れば当機関 をし て之 が監督指導に任 ぜしむ
履行 の景況を監視 せしむ
に必要な る諜報等 に服 せしむ ると共 に特 に宋哲元側 の察哈爾協定
二、張家 口機関は七月中旬関東軍兼勤となりしを以て関東軍 の作戦
一、西烏機関は王府側 をして自己 の非 を理解せしめ其態度 を転向 せ しむ るに努め工作 の進展 を図 ると共 に比隣機関をも協 力せしむ
来
九、以上各 工作中既に実行に着 手しあるも のの成果竝将来 に対する
る各種 工作 を中絶 せしむ
表
② 通商貿易促進 前記産業助長 に伴 ひ満蒙 境界附近に於て若干 地点を選定し対蒙貿
実
対 内
ては若 干 の損 失を予期す るも収買 に努 むるも のとす
事項
一、西烏珠穆沁機関は昭和八年 八月開設以来主とし て錫盟盟長索 王 と連絡 し各種工作 に任じ つつあるも王府役人 の理解 が十分 ならざ
項
易公司に依 り蒙古出産物を収買す其価格 は妥当 に之を定め当初 に於
区分
特
二、阿巴〓機関は昭和九年 五月開設 せしも王府側 の理解良好 にして 各種 工作順調 に進捗し つつあり
る為尚各種手段を以て之が啓蒙指導 を努めあり
務
三、多倫機関は李守信 軍 の指導 に任 じありしも七月以来之 を軍政部 顧問 に委し専ら多倫 県行政の監督指導 に任じ又該地附近の喇嘛 を
機
政
関
通じ て各種文化工作に従事 せり 最近 に於ては多倫 に於ける日満側 より の経済工作卓長官 の指導 宋哲元軍 の察哈爾 協定履行 の監視竝 に之 が強要等 の業務 に任 じあ
三、西蘇尼特機関 より先 づ鄂呼倫都克及四子部落 に機関員 の 一部 を
派遣し外蒙及自治 政府 方面 に対す る諜報及工作 に任ぜしめ将来 一 機関を百霊廟 に進出 せしめんとす
五、別 に 一特務機関 を綏遠 に派遣し綏遠省及外蒙 に対する諜報及其
四、阿巴〓機関等 をして密貿易 に依 る対外蒙 工作 の進展 を企図す
四、西蘇尼特機 関は昭和十年 三月進出 し五月より公然たる執務 を開
他 の工作特に傅作義軍 の監視指導 に任ぜしむ 六、将 来在察機関 は多倫機関を拡大して之に依 り統 一せしめ んこと
り 始 せり時局 の影響を受 け徳王 の親 日態度も益堅確となり航空其他 の交渉逐次円滑 に行はるるに至 れり
一、概ね合同の調査 を以 て打切り将来部分的に補 修訂 正を行 ふも の とす
調地兵 査誌要
定成立し七月末松井中佐秦徳純間 に細部協 定 の成立 を見 んとす る
安維持に任ぜしめん ことを期す 二、徳 、卓 、李 三者 の完全なる団結を慫 慂し之 が実現 を援助指導す
一、宋哲元に冀察綏靖主任 の職名を与 ふる場 合に於 ても卓長官 に対 し察 哈爾 盟長 の職 を与 へ以 て蒙 古人に依りて長城 以北 の行政、治
一、察哈爾より宋哲 元 の勢力 を駆逐す ることを企図し六月察哈爾協 に至れり 二、徳王卓長官 の連繋 は既 に某程度 に成立しあり但 し之等 と李守信
全を図 らしむるを要す
三、李守信 の許 に適任者を配置し財政税制を研立 し経済的施設 の完
四、自治 政府側 に対し ては逐次軍事方面より着手 して政府内邦人顧
問 を採用 せしめ自立 に要する諸準備を完全 ならしむ るを要す状況 有利 にして速 に自立 を為さしめ得 る場合を顧慮 し軍 に於 て所要 の
の建築等を承認 せり 徳王は宋哲元 に対す る関東軍 の態度に刺戟 せられ自立を企図す
又自治政府 は西 ﹁ソ ニト﹂特務機関 の公然 たる執務家屋及無電
任者と意志の疏通 を図 らしめん ことを期す
信頼 心を向上 せしめん ことを期す特 に徳王 に対 し適当 の機会 に満 洲国内少 くも多倫又は貝子〓 に来 り関東軍 に敬意 を表し軍最高責
六、内蒙有力者 を努め て満洲 に招致し日満側 の実状 に親炙せしめ其
に合 せしむる如く努む
準備を行はんとす 五、卓長官 に対し ても速 に邦人指導官 を附 し其施設 をし て軍 の意図
るの念強盛なり
飛行場及格納庫 の建設 に関し同意を得たり
四、自治政府に対しては徳王を通じ交渉し つつある のみなるも七月 上旬飛行機 一機 を関東軍 の名 に於 て贈与し西 ﹁ソ ニト﹂ に於け る
て積 立 つると共 に特 に減税免税を奨励しあり
三、李守信軍経費 は七月 以降軍政部 の担当とし地方税 収に依 ること なく給養を維持 し得 る如く税収 の 一部を地方行政費 の準備金とし
を多倫 に駐在せしむるに至 れり
間は十分ならざ りしを以 て軍参謀此間を斡旋 し徳王卓両者 の代表
を期す 一、軍 に於て満鉄 、蒙 政部等 の人員 をも加 へ調査班二箇 を編成 し察 哈爾 一帯 の兵要地誌資源 の調査 を企図し五月以来実行に入り七月
政 工
概 ね之を完了せり 二、別 に 一班を以て張家 口に於 て資源調査を行はしめたり
工
の 作
治 治
及 軍
事
工
作
交
作
軍
事
工
作
航
空
五、卓長官は宋軍撤退に伴ひ其機 関を以て撤退 地域を接収す べく準 備中 にし て 一部 の物的支援 を与ふる こととし あるが関東軍 に対す る感謝 の念特 に深きも のあり 六、廸魯瓦呼図克図に対しては其政治 工作を容易 にし綏遠省、寧夏 省各北部 に於ける彼 の地位勢力 を確保 せしむ る為物質 的援 助を与 へ綏遠省、寧夏省 各北部 に於け る避難外蒙人 の糾合に努 めしめ且 特 に徳王と の連繋 を確保 せしめたり
り
一、李守信部隊 には四月以降軍政部より顧問並軍官 を配置 せら れた 又四月中旬装甲自動車隊 一隊 (装甲自動車 九、貨車 二) を配属 せしも自動車 の大部は大破せしを以て七月更 に自動貨車 二を補充 せり 二、自治政府軍 に対し ては未だ直接指導 し得 る域 に達 せず
る支〓 たらしむ但し其配置区域を蒙古 地帯 に拡張 せず
一、李 守信部隊 の訓練を完全ならしめ以て他 の各軍指導上 の有力な
二、卓長官部隊 に対し ては前記指導官をして指導 を行はしめ速 に察 哈爾 盟の治安 を確保 せしむ
三、従来 の自治政府部隊 の外 ﹁チヤプサル﹂ に新 に純蒙古人部隊を
編成 せしむ其長は寶貴廷とし兵員 は李守信部隊中 の蒙古人百八十 を基幹とし之 に所要 の指 導官 を配 属す
四、廸魯瓦部隊は将来軍 の東部外蒙 に対し 工作す る場合之に策 応し
三、卓長官部隊 に対しては既に多倫 特務機関 に於 て 一部 の指導を与 へ特 に宋軍撤退地域に於ける治安 の維持 に任 ぜしむ る如く準備中 なり
五、将来蒙古軍官学校学生に優秀者 を選抜派遣 せしむると共に或 は 内蒙各軍より所要 の人員 を李守信部隊 ( 又は将来 ﹁チヤプサ ル﹂
期す
二、外国 の蒙古 に於け る航空を排撃し帝国 として外蒙 工作 の進展を
を企図す
靈廟 、綏遠、包頭、為し得れば新彊及青海方面 に到 る航空 の実施
開始 すると共 に更 に西蘇尼特及張家口飛行場 を中 心とし外蒙、百
一、赤峯、西烏 珠穆沁 、阿巴〓間、多倫、西蘇尼特間の定期航空 を
部隊)に送り特殊兵 器の取扱等 に関し教育するを有利 とす べし
得 しめん ことを期す
四、廸魯瓦呼圖克 圖 の部隊中 二百 は容易 に綏遠省東部に集 め得 る見 込 にし て尚其勢力は綏遠省北部 より西方 に分散しあり
生として従来 より若干良質 の者 を派遣せり
五、在察各旗 の部隊は未だ直接指導 し得 るに至らず其勢 力微弱 なり 六、蒙古軍官 学校 第 一次派遣者 は 一年 にて帰郷せしめたり第 二次学
一、 従 来察 哈 爾 に於 て は多 倫 、 西 烏 珠 穆 沁 のみ 飛 行場 完 成 し時 時 我 飛 行機 の乗 入 れ を行 ひた り て乗 入 を為 せ り
二 、 五 月 以来 西 蘇 尼 特 、 阿 巴 〓 飛 行 場 を整 備 し ﹁スー パ ー﹂ 機 を 以
り
三 、 七 月張 家 口飛 行 場 完 成 し ﹁ス ーパ ー﹂ 級 の使 用 に適 す る に至 れ
四 、偵 察 の結 果 包 頭 に は欧 亜 連 絡 用 飛 行場 設 備 せ ら れあ り
通
政
策
経
済
鉄 道 港 湾
道 路 及 自 動 車
通 信
飛 行 を 実 施 せり
五 、外 蒙 に対 し ては ﹁タ ム スタ スー ム﹂ ﹁ユク ヂ ル﹂ 〓 方 面 に 偵 察
一、熱河鉄道は本線は平泉 まで営業中 にし て工事は承徳 に向ひ大 に 進捗しあり赤峯支線 は赤峯 まで開通し近く仮営業 を開始 し得 べし 二、平綏線 の営業状態は良好なり 三、胡蘆島 の工事は尚未完成 にて工事中なり
一、道路 に関し ては赤峯︱ 囲場 、承徳︱園場、園場︱ 多倫 間は概 ね 其他 の道路 に至りては頗る不良 なり
加修 せられた るも尚天候気象 の交感大なり 二、察哈爾省内 の道路は 一般に良好 なり 三、加修 せら れたる道路は自動車 の運行 を奨励しあり 四、新綏自動車張庫街道上 の交 通は外国勢力 に属するも のなり 車開通 せり
五、多倫︱張家 口道上には六月以降文林洋行及国際運輸会社 の自動
一、 一般 に新 設 道 路 に沿 ふ通 信 施 設 は 十 分 な らず 二 、多 倫 に て は最 近 和 文 電 報 を 取扱 ふ に至 れ り
一、赤峯支線を多倫平 地泉方面 に延伸せしめ経済的軍事的 に有利 な
外蒙 と の関係恢復 に伴 ひ多倫 より先づ滂江 に延線せしむる こと
らしむ
亦緊要なりと認む 二、平綏線入手工作及同方面 の貨物 を熱河鉄道 に吸収するを要 す
三、胡蘆島築港 の完成 を促進 す
一、道路作業 の形式化するを排し緊要 なる道路 の不良部分を徹底的 に改築 せしむ るを要 す特に赤 峯︱圍場︱多倫道をし て四季完全に
自動車 の運行を許す に至らしむるを必要 とす
基点 とし て先づ西蘇尼特、平地泉 、張家 口方面 に進出し将来 に於
二、満鉄 に対し自動車営 業を督励 し多倫 に営業所工場を設置し之 を
ては綏遠、百霊廟道及其以西新綏自動車及張庫街道上 に於ける自 動車営業権 を接収せしむ るを要す
之 が為先づ赤峯 ( 承徳)︱ 圍場︱多倫線 及び多倫︱張家 口線 の
一、電 々会社 をして速 に沿線 の電信電話 設備 を完成 せしむ るを要す 補修 を行 はしむ
不完全 にし て未だ紛糾しあり実際 の民情 に即し善処 せしむる の要
二、蒙塩中青塩 に関し ては概ね解決 を告 げたるも白塩 に関する規定
一、獣疫防止 は善隣協会 の事業として実行 せしむ るを適当とす
局 に於 て 一部経費を捻出し馬匹調査に兼 ねて防疫 を実施中なり
一、獣疫防止 の為関係方面 に於て資金 調達中 なるが先づ軍政部馬政 二、蒙塩 は満洲国政府 に於 て収買するも のとし実行中な るが価格其
る日本商 品を内蒙民 に提供 せしめ多倫 貿易を以 て張家 口に於け る
四、前項 を有利 に解決す る 一手段として速 に大蒙公司 をして廉価な
に関 し更 に深刻な る研究を要す
三、蒙古出産物 を有利 に購買し又蒙 民 の財政 を潤沢ならしむる こと
あり尚塩 の取扱 に関し研究 の余地あり
産
他 に関 し不便な る事情あり更に研究中 なり多倫 に於 ては買価 の引 上げと卓長官 の努力と に依り収買量を急増 せり
べく実施中 なり
頭 を購買 し又鉄路総局も多倫附近に於 て羊 六、○○○頭を購買 す
三、蒙 政部 に於 ては七月中旬ま でに阿 巴〓附 近に於 て羊 二、五〇〇
業 助
工
作
其
他
善 隣 協 会 指 導
宣 伝 其 他
長
四、馬 の購買は未だ実施するに至 らず
六、多倫 には満 鉄より駐在員 を常置 せらるる こととなれり 七、蒙古方面より の輸 入品 に対し ては未だ課税 せず 又多倫 に対す る
以 て更 に之を九月まで延長 せしむ る如く要望せり
五、多倫 に七月中旬鉄路総局 より見本市を開催し好結果 を得 たるを
八、大蒙公司は近く成立 の見込 なり
も のよりも有利 なりとの観念を扶植するを要す
細亜方面に対す る貿易 に著意研究する こと緊要 なり
五、対外蒙貿易 を促進 し且徳華洋行 の営業 を排撃す ること、中央亜
勤 務 員 の人 選 、 其 統 制 に留 意 指 導 す る を要 す
一、協 会 の基 礎 を堅 固 な ら し む る と 共 に其 事 業 を着 実 な ら し め殊 に
一、各種宣伝用 の印刷物 、ポ スター等 は蒙古人 の文化 の著 く低 く理
し特 務 機 関 を し て指 導 せ し む
二 、特 に土 民 の信 頼 を 十 分 な ら し め得 る如 く 作 業 せ し む る こと に関
一、有識階級 に対す る宣伝啓発 の目的 を以 て蒙政部発行 の月刊雑誌
行す るを要す
四、 一般蒙人 の対日満 理解尚十分 ならざ るに鑑 み入蒙制限は当分続
三、喇嘛教利用するも喇嘛僧 は逐次減少せしむるを要し壮年者 を軍 事竝製産方面に活動 せしむ る如く指導す るも のとす
要 にし て妄に他に依頼 せず自力発展 を期せしむるを要す
解十分ならざるに鑑 み其作製 を過度 に高尚ならしめざるを要す 二、関東軍 の対支政策 に伴 ひ蒙人治蒙 の観念を喚起する こと特 に緊
四、入蒙者に関し所要 の制限 を加 へあり
めあり 三、有力者をして満 洲国を見学 せしめつつあり
尚有力喇嘛を通じて日満 の事情 を蒙人 に宣伝せしめん ことを努
多倫、阿巴〓、西蘇尼特に於 ては〓 の修理を実施せり
六百部 を各特務機関 に分配 しあり 二、喇嘛教を利用する宣伝は喇嘛会 の機関 に於 て各種 の施 設を為 し
を為 す こと と な れり
三 、基 金 の補 充 に関 し ては 研 究 中 な る が軍 及 満 鉄 より も 一部 の支 出
完 了せり
馬 衛 生 に関 す る事 業 を 実 施 し あ り 又 阿巴 〓 に於 け る学 校 の建 設 を
二 、 目 下多 倫 、 阿 巴 〓 、 西 蘇 尼 特 に機 関 を分 派 し あり て主 と し て人
しめあり
し て は直 接 人 民 の福 祉 を 増 進 し 得 べ き簡 単 な る事 項 に限 り 実 行 せ
一、 本協 会 の事 業 は教 育 、 宗 教 、 衛 生 に力 を用 ひ し め経 済 方 面 に関
めたり
十、山東移民の察哈爾侵入を阻止す る為支那側 をして之 を誓約 せし
の金融機関として十分利用 せら れあり
九、中央銀行支店 は多倫 に開設 せられたる為多倫市 内は今 や国幣 の 完全なる流 通を見 つつあり又七月大興公司 の当舗開設 せら れ庶民
日本商品 の保税制度 は認 められ たり
貿
竝 易 促 進
十三
軍 務 局長 よ り関 東軍 に開 示)
内 地側 の企 業 家 投 資 者 に対 し ては表 向 き
勿 論 当 方 と し て も現 地 の情 勢 上軍 に於 て各 機 関 と協 力 し某 程 度 の
軍 が乗 出す と き は却 つて効 果 を期 待 し得 ざ る状 態 なり
成 す る こと得 策 な る べし
乗 出 す は之 を避 け 興 中 公 司 の運営 其 他 各 機 関 の協 力 に依 り目 的 を 達
(昭 和 十年 八 月 二十 八 日
北 支 及 内 蒙 に 対 す る 中 央 部 の指 導
一、 対 北 支 、 対 内蒙 政 策 に就 て 日満 両 国 共 同防 衛 竝満 洲 国 開 発 助 成 の見 地 よ り将 又 対 蘇諜 報 上北 支 及 蒙 古 に対 す る貴 軍 の関 心と 熱 意 と は 大 に諒 とす る所 なる も 左 の 点 に関 し て は特 に深 甚 な る考 慮 を 煩 し 度 し
は叙 上 の趣 意 に於 て適 当 と 認 め ら れず 国 防 上 の見 地 に基 き 必要 な る
統 制 を 加 ふ る の要 あ るは 之 を 認 め あ る も軍 に此 種 統制 機 関 を設 く る
対 北 支 一般 政策 に 関す る中 央 の方針 は過 般 関 係 方 面 に電 報 せ る
一
併 せ し めら れ度 し
興 発 祥 は過 般 屡 次 指 示 せ し通 り 一応 解 消 せ し む る か興 中 公 司 に合
は当 然 な る べき も 其範 囲 に関 し て は充 分 考慮 相 成 度 し
関 東 軍 と し ては 天津 軍 に協 力 し 又 は其 立場 よ り之 に援 助 を 求 む る
も の以 外 は 側 面 よ り指 導 す る こと 必 要 な り
通 り にし て之 が具 現 に関 し て は夫 々其 立場 に於 て公 明 適 正 に律 せ ら る べく 天 津 軍 の立場 も充 分 尊 重 す る の要 あ る も のと 認 む 又 大 乗 的 見
対 内 蒙 施 策 に 関 し て は依 然従 来 の方針 を 堅持 し独 立 政 権 の樹 立
地 に立 ち外 務 側 を も 充 分 活動 せ しむ る如 く留 意 を 望 む 二
の如 き は寧 ろ 之 を 急 ぐ の要 な か る べく 現 下 の情 勢 に於 て は主 と し て 文 化 経 済 工作 に重 点 を 指 向 し其 目 的 を 達 成 す る こと可 な りと 認 め あ り
北 支経 済 開 発 の 一般 要領 に就 て は目 下 省 部 間 に於 て も研 究 中 にし
二、 北 支 経 済 開 発 に就 て
特 に 一言 し た き は北 支 に於 ては 天 津 軍 と雖 も 主 動 的 に経 済 開 発 に
て 不 日意 見 を 開 示 し 得 べ し
目
一四
次
昭和十年内蒙 の形勢
察 東 事 変
李守信軍南下準備を令 せらる
(元多倫特務機関輔 佐官
馬 鹿 はそ こに も いる 註 ・李 守 信 軍
松
昭 和 十 年 内 蒙 の形 勢
井
忠 雄)
現 地の決心
戦雲 チヤ ハル台地を掩う
行 した が直 ち に 百靈 廟 を囲 繞 す る丘 稜 に 布 陣 、 そ の銃 砲 口を あ だ か
省 主 席 兼 第 三五 軍長 傅 作義 は 三百 の精兵 機 関銃 迫 撃 砲各 四を 以 て同
丕廉 以下 を 従 え 数多 の贈 物 を持 つ て百霊 廟 に到 著 、 護 衛 とし て綏 遠
昭和 八 年 夏 中 国政 府 代 表 内 政 部 長 黄 紹 雄 は蒙 蔵 委 員 会 副 委 員 長 趙
宝昌縣城を奇襲占領す
の会 議 が高 度 自 治 を目 指 し 丁 度 英 帝国 内 の自治 領 に も似 た 要 求決 議
も開 かれ て いた内 蒙 王 公代 表 会 議 の式 場 に 向 けた 。 これ は 七 月末 こ
中国学生 の抗日運動は民族意識 の発動だ
吹雪を ついて沽源 に転進す
を 請 願 書 の形 ではあ つた が爾 後 承 諾 を 求 め て 、た たき つけ た こと に
城壁 に対す る乗馬襲撃 意外な砲撃参謀長戦死す
対 す る懐 柔 と 威 嚇 な のだ。
従 来 内 蒙 王 公 の結 束 は 不可 能 と南 京 で は判 断 し て いた 。 だ が今 回
十 二日午後 二時 三十分 情勢 変化軍事行動停止
ま つた 。 これ は政 府 代 表 に は誠 に意 外 だ つた 。 そ こ で 一歩 譲 り特 別
南 京 か ら携 行 した 蒙 古 政 務 委 員会 案 は 王公 代 表 に より 一蹴 さ れ てし
大境 門 への進撃は待 て
区 政府 案 を持 ち 出 し て漸 く 妥 協 す る こと を 得 た 。
﹁ 喧 嘩到 一﹂ の怒 り 口北 六縣平和進駐
今 回 王公 代 表 の結 束 が思 い の外 に 強 か つた のは王 公 の間 を周 旋 し た徳 王 の若 さと熱 だ つた こと を中 国 政府 は悟 り 、徳 王 に注 目す る に
への道 を辿 る こと に なる。
所 で綏遠 蒙 古 で は歴 史 も 古 く蒙 漢 の妥 協 ︱ そ れ は 王 公と 漢 人 ︱ が
公 への不満 と な り、 や が てそ れ は共 産 主 義 に拍 車 を か け ら れ ト クイ
成 立 し て いた 。部 民 は漢 人 と の接 触 に よ り少 し 宛 だ が自 覚 を生 じ 王
徳 王 に し て見 れ ば 、 こ の妥 協 案 でも満 足 出 来 な か つた のだ が 、懐
ル ン運 動 つま り 王公 打 倒 と な つ て現 わ れ て来 た 。 これ に 対 し南 京 の
至 つた 。
中 国 政 府 は 王 公 を支 持 保 護 す る態 度 に出 た のだ 。 従 つ て綏 遠 蒙 古 の
これ に つ いて は 歴 史 を語 らね ば な ら ぬ。
民 出 の総 管 が これ に代 つて い る。 ﹁歸 化城 ト ムトも 同 じ ﹂
チ ャ ハル蒙 古 はと いう と 、 こ こは盟 を構 成 せず 王 公 は いな い、 平
王 公 にし て見 れ ば政 府 に楯 つく徳 王 に は組 し難 い。
柔 と 威嚇 の前 に は これ を も押 返 す ま で の内 部統 制 に自 信 が な く 不承
と ころ が 昭和 十 年 一月南 京 の中 央 会 議 は さ き の百靈 廟 自 治法 案 を
不 承受 入 れた のだ つた。
全 く無 視 した ﹁内 蒙 自 治法 案 ﹂ を通 過 抜 打 に内蒙 側 に押 付 け た 。 こ
﹁蒙 古 自治 区 は未 だ 県 を 設 け ぬ 地域 に限 る。縣 を 設 け て いな い地
れ に よ ると自 治 と いう こと は全 く認 めら れ ず
と いう のだ 、 こ の内 容 は 徳 王 が蒙 古 人 明 日 の生 死 に 関す るも のと し
し清 朝 と対 立 し て いた。 清 の太 宗 は三 度 これ を親 征 し林 丹 汗 の死後
ド スに勢 を 張 り 元 の嫡 裔 の故 を 以 て可 汗 を称 し蒙 古 統 轄 の権 を 主張
清 朝 興 起 のころ チ ヤ ハル部 は林 丹 汗 の支配 下 に今 の熱 河 か ら オ ル
て極 力 反対 し て来 た 所 であ つた が、 悲 し いか な これ が 必ず し も 王 公
朝 の天 子 が同 時 に蒙 古 可汗 (ボ ク ト セ チ ェン ハン) た る こと を 認 め
漸 く そ の子 を 降 し 内 蒙 十 六部 のク リ ル タイ ( 国 民大 会 ) に よ つ て清
域 でも 一年 以 上居 住 し て いる も のに は開 墾 を 認 む﹂
全 部 の頭 に ピ ンと 来 ぬ所 が あ り 、 中国 政 府 は 常 に また 巧 にそ の間 隙
とし 平 民 出 の総 管 をも って旗 長 の職 に充 てた が 一方 では よ く これを
その 自 治 権 を奪 い部 民 を 収 編 し て八旗 と し現 在 の地 区 に移 し て直 轄
林 丹 汗 の仇 を報 ず と 号 し て背 く に 及 び帝 は討 つ て これ を殺 す と 共 に
の優 位 は 認 めた 。 し かし 康 熈 帝 の時 呉 三桂 の乱 に乗 じ ブ ル ニ親 王 が
させ 、後 他 の内 蒙 諸 部 外 蒙 も これ に做 った 。勿 論 大宗 は チ ヤ ハル部
を 衝 い て いた ので徳 王と し ては悲 憤 や る方 な いも のが あ る。 さ て何故 王 公全 部 の頭 が 一致 し な い のか、 蒙 地 の開 拓 は綏 遠 省 歸 化 城 、 満 洲 では カ ラチ ン附 近 が既 に 明代 初期 か ら行 わ れ て いた 。 清 朝 と な ると 王 公 は漢 人を 招 致 し 開墾 に当 ら せ税 金 を と る よ う に
元来 蒙 古 の土 地 は 王 公 の所 領 で はな く 共同 の土 地 な のだ か ら 王 公
懐 柔 す る こと も忘 れな か つた 。 国 民政 府 は これ を 踏 襲 し今 日 に及 ん
な り 、清 朝 は屡 〓 これ を制 止 した が 仲 々徹 底 し な か つた。
の処 置 は専 権 であ り 横領 だ が、 これ に対 し あま り にも 無 智 な 部 民 は
だ。
け 、土 地 は平津 に 近 く文 化 の風 に 当 る 機 会 も多 い。 漢 人 と の交易 も
昔 北京 に 、今 南 京 に こ の平 民 総 管 は 王 公と 伍 し て政 府 の眷 顧 を う
反 抗 もせ ず 、 漢 人 を真 似 て農 耕 に従 い或 は遊 牧 をす て切 れず 奥 地 へ
ら れ た 土 地 で の逃 避 で必然 窮 乏 と貧 困 が大 手 を 拡 げ て い る から 自 滅
逃 避 す る のだ が、 盟 旗 の越 境 は清 朝 の厳 に止 め る所 だ から そ れ は 限
大 きく 蒙 人 の農 耕 も進 ん で い る。 毎年 一定 数 の軍 馬 を 中央 に 引渡 す る。
蒙 古 人 の生活 区 域 へ植 民 し て蒙 古 人を 追 い出 す に あ ると 指 摘 し て い
し か し 現実 は どう な のだ ろ う か 。中 国 商 人 が蒙 古 人 を搾 取 し て い
し か も 彼 の考 は飛 躍 し て い て開 拓 す る な ら蒙 人 の手 でと いう のだ。
ぬ王 公 総管 達 が歯 が ゆく てな ら ぬ のだ。
全 般 的 に見 れば 確 か にそ の通 り だ。 若 い徳 王 に は こ の事 実 を 悟 ら
条 件 で委 托 され て いる官 馬 牧 場 の利 益 も少 く は な い。 漢 人化 した 蒙 古 人 、 文化 の高 い蒙 古 人 と ロシ ア の蒙 古 研 究者 は そ
こ のチ ヤ ハルを代 表 す る総 管 は徳 王 の意 見 と必 ず し も 一致 し な い。
の旅 行 記 に チ ヤ ハル蒙 古人 を 書 い て いる。
徳 王 の旗 の所 在 す る シリ ンゴ ル盟 は土 地北 方 に偏 在 し 寒 冷 地帯 で
年 の売 掛 を今 年 と ると は いわ ぬ 。来 年 羊 と牛 の繁 殖 が 思 わ し く な い
る のは 事 実 だ 。 し かし 彼 等 は気 永 に利 潤 の上 る のを 待 つて い る。 今
そ の中 東 北 部 は水系 も あ り牧 草 豊 で いわ ゆ る ア パ カ馬 、 ウ ヂ ム チ
と は な い のだ 。
搾 取 さ れる こと に よ り そ の生 活 が毎年 低 下 す る な ら困 るが そ ん な こ
農 耕 に適 し な い。 だ から漢 人 の入 植 に脅 か さ れ る 心配 はな い。
ン馬 の名 を誇 り得 る 。 これ は対 中 国 中 央 と の交易 に よ つて弗 箱 と な ︹ 大布蘇諾︺ る。 ダ ブ スノ ー ル の塩 は これ また 対 中 国 交易 の莫 大 な利 益 をあ げ る。 ︹ 錫林郭勒盟︺ だ か ら同 じ シリ ンゴ ル盟 の王 公 で も徳 王 は何 を いう と る か位 の所 に
徳 王 が いく ら 目 を覚 ま せと いう ても仲 々ピ ンと こな い。 開 拓 は 困
に翌 年 ま わ し に す る。 だ から 蒙 古 人 は中 国 商 人 を怨 ん では いな い。
と き は 再 来年 でも い い、 いや 来 年 の影 響 で再 来 年 も 悪 い筈 だ か ら更
な る のは 致 し 方 な い。
る 、 だ が人 数 の少 い蒙 古 人 はま だ 今 が今 開 拓 に よ り困 つ ては いな い、
徳 王 の旗 はど う かと いう と 、 チ ヤ ハルに接 し た所 は可 耕 地 も あ る が 一般 に は 地味 瘠 せ牧 草 も よ く育 た ぬ。 ﹁俺 の旗 の羊 は 夏 でも 美 味
徳王 が 心配 し て いる 部 民 は寝 て い るし 王 公 は寧 ろ中 国 と 結 ん で いる
こと に よ つて利 が あ る 、と 考 え る。 こ こに 徳王 の号 令 の徹 底 せ ぬ 理
い﹂ と徳 王 が威 張 る のは、 夏 でも草 丈 が のびず 肉 が青臭 く な る程 食
ま た蒙 古 尚 老 の風 は 徳 王 の若 さを マイ ナ スと さ せ、 封 建 の余 習 は
由 が あ る のだ 。
郡 王 た る徳 王 が親 王 の位 を有 す る王 への働 き か け にブ レー キを か け
漢 人が入植
し て来 る。 こ こ の盟 長 が雲 王 な の で ﹁蒙 地還 蒙 ﹂ を 叫 ぶ徳 王を 子 の
え ぬ か ら だ。 ︹ 烏蘭察布︺ ウ ラ ンチ ヤ ップ盟 と いう と 南部 の可 耕 地 帯 は ド ン〓
如 く 可 愛 が り 、 また 徳 王 が そ の勢 望 を利 用 し て全 内 蒙 に推 戴 さ せ よ
る のだ。
ろう 。 尤 も こ の連 中 に は 中国 政 府 が自 治 運 動 阻 止 のた め内 蒙 王 公 説
外蒙 満 洲 国 の変 貌 は こ の王 公連 の頭 を も 切 り か え さ せ て来 た のだ
だ 。自 然 に芽 生 え て次 第 に 大 き く な り何 も のも押 え ら れ ぬ。
し か し民 族 の団 結 独 立 企 求 と いう こと は 、 人 間 の慾 望 であ り知 恵
う と す る のは これ また 自 然 だ が、 こ の盟 で も東 部 と 西部 と は状 況 が
も のは認 め ら れ な い。
違 う し 経 済 的 ば か り か政 治 的 見 解 も違 つて い て 一致 し た意 見と いう
オ ー エン ・ラチ モア は、 中 国 人 の内蒙 開 拓 は蒙 古 人 と の経 済 的 提 携 乃至 は共 通 の利 益 増 進 平 等 条件 下 の経 済 的 利 益 の交換 を意 味 せず 、
が強 く響 いて いる かも 知 れ ぬ。 何 故 な ら班 禅 の言葉 は蒙 古 民族 に は
得 を命 じた 班 禅 ラ マが ﹁御 経 を よむ 丈 が能 では な い、部 族 が 一つ に
の実 行 如何 を 疑 の目 で見 守 つた 。
治 を 設 け ぬ こと が 約 され た が、 徳 王 は これ にも ま だ満 足 せず 中 国 側
土 地問 題 は各盟 旗 と も漢 人 の新 開 墾 を 許 さず 、 今 後 現在 以上 の縣
李守 信 軍 南 下準 備 を 令 せら る
か かる時 関 東 軍 の手 は さし 出 さ れた のだ。
く傍 江 に兵 を派 し 威 圧 を加 え て いた 。
一方 チ ヤ ハル省 主席 宋 哲 元 は 、張 庫 街道 警 備 を名 と し徳 王 府 に近
こ の二 つの こと は若 い徳 王 の憤 慨 の種 だ つた 。
﹁徳 王 を化 す ﹂ の謂 だと い われ る。
がお かれた のだ が 、蒙 古 名 は チ ャプ サ ルだ 。そ れ を化 徳 とし た のは
徳 王旗 の南 隣 り チャ ハル県 治化 徳 は 昭和 九年 設 治 局 、 十年 縣 政 府
令 に任 命 さ れ中 国政 府 と 国 民党 に忠 誠 を誓 つた 。
蒙 政 会 成 立 直後 徳 王と 旗 を隣 す る四 子部 落 の潘 王 は 、蒙 旗 剿 匪 司
帰 す る こそ仏 の御 心 に かな う も の﹂ と 、 口を 滑 ら せた そ の言葉 の方
絶 対 で あ る から だ。 以 上 で蒙 古 王 公代 表 と 徳 王 と の関 係 を 明 にし た か ら本 題 に戻 る。 徳 王 は 百靈 廟 に 王公 代 表 を集 め中 央 の内 蒙 自 治法 案 反 対 を議 決 せ ん とし た 。 内蒙 国 民党 の古 い志 士 金永 昌 干 蘭 沢 は徳 王 を 支持 し蒙蔵 委 員 会 常 務 委員 白 雲 梯 は 王公 打 倒 の立 場 から 尼総 管 と 一脈通 ず るも のあり て 反徳 王 の色 が濃 い。 機 会 主義 者 蒙 古 王 公代 表 駐 京弁 事 処 長蒙 蔵 委 員 会 委 員 の肩 書 を 振 廻す 呉 鶴 令 は白 雲 梯 と個 人 的 に 相容 れぬ が 、 なお 首 鼠 両端 を持 し バ ス の行 手 を見 守 る。
日本 軍 は 一気 に華 北 を押 し切 る腹 を き め、 関東 軍 は再 びそ の 一部
﹁察 東 特 別 自治 区 李 守信 軍 は随 時 長 城線 に向 い南 下す る の準 備 にあ
を長 城 線 に集 結 す る こと と な つた。
正 に会 議 は踊 るか、 遂 に 徳 王派 は勝 を制 した 。 王 公代 表 の痛烈 な
蒙 古 の マタ ハリ 、﹁黄 金 の花 ﹂ は包 と廟 の宿 舎 を 夜毎 悩 ま す 。
抗 議 は南 京 を驚 かす に十 分 だ つた 。 そ こで 一月 二十 八 日蒙 古 自治 弁
と 間 う大 尉 に
﹁兵 器 弾 薬 は どう です か ﹂
か し て くれ と いう のだ ﹂
が 無責 任 極 ま る。 李 守信 は 何時 でも出 動 す るが防 寒 具 丈 は至 急 何 と
﹁防 寒 外 套 は 三分 の 一も な い、 顧問 は十 二月 に は到 着 す る と いう
帰 つて来 た 彼 は 不興 そ のも のだ つた。
機 関 長 は こ の電 報 命令 を自 ら 顧 問部 司 令 部 に 伝達 し た が 、機 関 に
る べし ﹂
法 八 原則 を以 て南京 駐 さ つ蒙 古代 表 に相談 し そ の同意 を得 て三 月七 日 八原 則 に基 き蒙 古 自 治 政務 委 員 会 組織 大 綱 十 一条 蒙 古 自 治 指導 長
組 織 大 綱 は委 員長 委 員 を蒙 人 と し、 そ の内容 は含 み あ るも ので蒙
官 公署 暫 行 条 令 九条 を 公 布 した 。
こ こに略 称蒙 政会 は誕 生 した 。従 来 盟 は各 別 に 中央 政 府 に つい て
人 に力 が あれ ば そ の活 動 は高 度 自 治 に 持 つて いけ る も のだ つた 。
いた のが 、蒙 政会 と いう 最高 行 政 機 関 に よ り内蒙 を打 つ て 一丸と す る統 一自 治 体 が 生 れた のだ 。 これ は元 朝覆 滅 以来 ま さ に劃 期 的 のも の で誠 に時 の動 き の偉 大 さ を 考 え さ せ る。
﹁特 設 隊 の装 甲 車 は 一台 も動 かぬ。 野 山 砲 は貰 つ てか ら 一度 も分 解 手 入 し てな い から輔 佐官 に見 てく れと いう と る。 君 す ぐ行 け ﹂ と いう 返事 、外 蒙 諜 報所 じ や な い戦争 だ。 砲 兵 隊 には教 官 と し て日本 の砲兵 特 務 曹 長 で満 洲 国 砲 兵 上尉 のも
途 中特 設 隊 の傍 を通 ると バ レ ーボ ー ルを し て いる 。車 廠 の扉 は ピ
ッタリ閉 ざ され て いた 。
機 関 長 に報 告 す る と、 長 大 息 した 。
大 尉 がま だ 幼年 学 校 生 徒 のと き、 丁 度 パプ チ ヤ ップ の義 軍 に参 加
す る為 上司 に無 断 で砲 工学校 の学 生 のま ま蒙 古 に飛 び出 しそ の砲兵
隊 長 と し て活 躍 し た 西岡 士 朗 少尉 が免 官 と な り兵 役 義務 を果 す 為 一
年 志願 兵と し て野 砲 四聯 隊 に入隊 し て いた。 昼 は真妙 に後 輩 の影 佐 ︹ 太郎︺ 少 尉 (禎 昭 中将 ) を 教官 殿 と いう て いた が 、夜 は豪 傑 宇都 宮 師 団 長
所 で分 解 に立 会 す ると 全く 出 鱈 目 だ。 大 尉 は 自分 の運 転 手 を助 手
のが配 属 さ れ て いた が 特 設隊 の若 い者 と は反 目 し て いた。
最 初 の 一門 は 四本 あ る べき 復 坐 発条 が 三本 し か なく し か も 一本 は
そ の人 の書 いた 従 軍 回想 記 は若 い幼 年 生 徒 、大 尉 の耽読 書 の 一つだ
官 舎 の賓客 と し て万 丈 の気 炎 を あげ て い ると噂 さ れ て いた 。 そし て
に分 解 し て見 せ手 順 を教 官 に通 訳 さ せ て行 つた。
の用 に立 た ぬ。
き る﹂
﹁余 り に も 旧式 の大 砲 で吃 驚 し た が、 兵 器 は死 物 、 人 に よ つて生
つた 。
折 れ て い て、駐 退 液 は 三 分 の 二位 し か な い。 パ ッキ ング は腐 れ て物
二門 目 から 兵 に手 伝 わ せ、 三門 目 は兵 丈 でや ら せた が完 全 に出 来 た 。幸 いグ リ セリ ンも ア ル コー ルも あ つた の で、何 と か撃 てる丈 に
を担 任 す る位置 に あ つた ら 一週 間 でパプ チ ヤ ップ を狂 喜 させ た西 岡
と いう 書 中 の文句 が ハ ッキ リ思 い出 さ れた 。自 分 が李 守 信 軍 の教 育
は な つた 。
﹁表 尺 は三 本 し かな く 眼鏡 は 二 つ です ﹂
の任 務 分 担 は厳 と し て存 す る。 機 関 と 顧 問部 と の何 と な く面白 く な
さ ん のよう に 李守 信 を 嬉 し がら せ てや る んだ が と思 つた 。 し か し軍
照準 具 を 持 つて こ させ 点検 し よう と す ると ま た吃 驚 、
と いう 始 末 、 調 べて見 ると 眼鏡 の 一つは どう やら 見 え るが 一つは全
そ れ にし ても 日本 軍 と いう奴 は謀 略部 隊 を何 と 考 え て い る のだ ろ
欲 は冷 却 す る、 人 の和 の方 が大 事 だ 。
い空 気 を 考 え ると 、 進 ん で教 育 指 導 を 買 つて出 よ う とす る大 尉 の意
く曇 つて いる 。 山 砲 は使 え そ う な のが三 門、 歩 兵 砲 は 四門 と も表 尺 がな いし そ の
野山 砲 弾 はと いうと 、 東 北 軍 のも の で製作 年 月 日 は全 く 判 ら ぬ 。
のた めそ の関 門 を守 つて い る ので はな いか 。最 新 式 の装 備を 与 え て
う 。李 守 信 軍 は 万 一のと き熱 河 から チ ヤ ハル台 地 へ進 出す る 日本 軍
弾 丸も な い。
不発 、遅 発 、 過 早 発 、 腔発 を 予 期 さ れ る物 騒 な代 物 、 う つか り砲兵
にと り つく ま でど れ 丈犠 牲 が出 る こと か。
も 少 し も高 価 す ぎ る と いう こと は な い。 敵 の抵 抗 を排 除 し つ つ台 端
陣 地 に近 よ つた ら御 陀 仏 も のと大 尉 は寒 気 が した 。 早速 奉 天 の兵 工廠 に部 品 の注 文 をす る様教 官 に指 示 し て帰 途 に つ いた。
先 日侍 従 武 官 を迎 えた と き端麗 宝 塚 ヂ ェン ヌが軍 服着 た よう な そ
大衆 は何 時 の世代 で も愚 のよ う で い て賢 明 だ。 指 導 階 級 は停 滞 し
若 者 は そ の先 駆 だ 、彼 等 は安 居楽 業 丈 には 酔 わ ぬ、 彼 等 は理 想 を
て進 歩 し な い。 し かし 大衆 は常 に進 歩 す る。
持 つ、 鐘 を鳴 らす のは自 分 等 の責任 だと いう 自負 が あ る。 いか に文
﹁こん な 匪賊 集 め て﹂
の人 が眉 を ひそ め て
と いう た こと も思 い合 せ て 、顧 問 教官 を 責 める前 に 日本 軍 そ のも の
南 京 では 十 二 日蒋 院長 が 五全 大 会 に提 議 した ﹁対 日外 交 を統 一し
中 にし つか り と根 を 張 り、 清 朝 が営 々と し て対 異 民 族 敵 視観 念 を 抹
ま し て彼 ら は中 華 の民だ 。 中 華 と いう 民 族 意識 は今 や 中 国 大衆 の
に は い かな い。
化 が進 ん で も青 年 心 理 を抹 殺 し て少 年 心理 から壮 年 心理 に 飛 ばす 訳
南 京外 交 部 の 一元 的 交渉 に統 制 す る﹂件 が可 決 され、 熊 斌 は これを
異 民族 清 朝 の下 に あ つ ては租 界 の民 租 借 地 の民 と な つて も それ は た
殺 す る に努 め た努 力 の結晶 は今 に し て全 く 地を 払 う に至 つた のだ 。
中 国 学 生 の抗 日運 動 は 民族 意 識 の発動 だ
に抗 議 す る のが本 当 だ と考 えら れ る 。
も つ て宋 哲 元 に せ ま つた が 、宋 は磐 石 の如 く のし か か つてく る 関 東
だ統 治者 の目 の色毛 の色 が違 う 丈 異 民 族 と いう 点 では同 じ だ。 し か
軍 の重 圧を 説 き 、 両者 は夜 を徹 し て も意 見 一決 せず 、加 え て戦 区 に 於 け る最 も好 ま し か ら ぬ重 大 情報 も あ り、 熊斌 は十 三 日 急遽 情 況 報
し今 日 は違 う 。 南京 政 府 が陽 わ に抗 日を 叫 べ ぬと いう のな ら中 共 の
十 九 日蒋 院 長 は
と申 入れ た 。 これ が ﹁華北 拠 棄 ﹂ と 解 され た こと は 不幸 であ る。
考 え ら れた い﹂
に無 用 の犠 牲 を払 わ ねば な ら ぬ こと が あ つた ら、 こ の点 日 本 も十 分
感 情 が暴 発 し 南京 政 府 が最 後 の暗 礁 に乗 り上 げ 、 ついに は 日 中関 係
に働 き かけ は せ ぬ。 だ が そ れ が急激 な変 化 を 起す と 共 に中 国 の輿 論
﹁北 方 に お いて発 展 し つ つ ある新 情 勢 は必 然的 発 展 と 見 て積 極 的
十 八 日南 京 に於 て唐 外交 部 次 長 は磯 谷 武 官 を訪 い
の徒 と いう 短 見 も甚 し い。
彼 等 の底 流 は熾 烈 な民 族 意 識 だ 。 それ を 考 えず 表 面丈 を見 て中 共
う な ら彼 等 は逆 に 中共 は我 等 の仮 面 だと いう だ ろう 。
口を か り て大 呼 し よう と いう のだ 。 彼 等 を 中共 の手 に躍 る も のと い
告 の為南 山 京に帰 つた 。 果 然〓 楡 区督 察 専 員殷 汝 耕 は 十 五 日宋 哲 元、 商 震 、 秦 徳純 及 全 国 公使 団 体宛 華 北 自 治 の通 電 を発 し ﹁中 央 より 離 脱 あ る のみ﹂ と 呼 号 す る のだ つた。 日 本 の工 作 は勝 つた 、政 府 の任 命 した 殷 専 員 は浮 浪 の徒 で も、 時 勢 の廃者 でも な い、堂 々た る中 国 の高 級官 吏 であ る 。飼 犬 に 手を か ま れ た南 京 の悲 憤 こそ思 いや ら れ る。 し か も戦 区 に よ る が故 に そ の 人 に は 一指 も染 め 得 ぬと は 。 こ の声 明 に華 北 の学 生 は 火 の如 く に激 し、 二九 軍 の青 年 将校 また
し か る に こ の動 き に対 し 日 本 は極 め て簡単 に考 え て いた 。 これ は
これ に同 調 した。
コミ ンタ ー ンの工作 だ 。従 つて防 共 の旗 幟 さえ 掲 げ れ ば彼 等 が騒 ぐ 丈 中 国指 導 階 級 は 我 に提 携 を求 め てく る と判 断 し てい る のだ つた。
運航 部 長 の椅 子 に坐 つ て いる が 、今 度 の訓 練 隊 長 と し て こ の地 に爆
満 洲 事 変 に活 躍 し た河 井 田義 匡 少 佐 は今 満 洲 航空 会 社 入 り をし て
に於 て耐 寒 試 験 を か ね て行 う よう 関東 軍 から 命 令 さ れた 。
う ﹂件 を 五全 大 会第 四次 正 式 会議 で可 決 さ せた が、 これ は 一方 では
音 を轟 かす こと と な つた 。
﹁中国 の外 交 は党 部 の制 限 をう け ず国 民政 府 に 外 交 の全 権 を 与
感 情 に走 る党 の強 硬 派を 封 じ 、同 時 正面 切 つて彼 が 直接 日本 と 交渉
ぜら れた 縣 政 府 は転 手古 舞 、 日 本軍 は贅 沢 だ から 所 命 の燃 料 用 柴 、
歩 兵 一聯 隊 、 砲兵 一中 隊 を基 幹 と す る日本 軍 支 隊 の宿 営 準 備 を命
燃 料部 品 を 運 ぶト ラ ック群 は 承徳 ド ロ ン道 を盛 に往 復 す る。
飛行 場 には 十 二機 分 の機首 保 温 設 備 が組 立 てら れ 、爆 弾 、 機銃 弾、
す る腹 を決 めた も のと見 ら れ る。 二十 日有 吉 大 使 は 、 日中 関 係 を悪 化 さ せ ぬ弁 法 があ る から 安 心 さ れた いと南 京 側 の意 志 表 示を う け て ホ ットした が、 こ の日華 北 自 治
然 公 務 多忙 を名 と し て出 発 を 見合 せ、 商 震 は病 と 称 し て北 平 病 院 に
ロ ンの街 は牛 糞 と ガ ソリ ンの排 気 で異 様 な空 気 を醸 し 出 し た。
馬 匹 用枯 草 の量 は莫 大 で奥 地 か ら こ れを 運 ぶ 牛車 群 は大変 な数 、 ド
運 動 に 参 加北 平 に赴 き自 治 宣 言 に連 署 す ると いわ れた 韓復 〓 は、 突
入院 し た。 華 北 の情 勢 は 五 日に し てド ンデ ン返 しと な つた のだ。 張
る。
内蒙 自 治政 府 の基 盤 た ら し む﹂
北) に李 守 信 軍 を進 駐 せし め 中国 保 安 隊 と交 代 、 こ の地 区を も つて
﹁軍 は 一挙 内蒙 工作 の進 展 を期 し 口北 六縣 (チ ヤ ハル省 長 城 線 以
有難 い。
参 謀 と 機 関 長 は同 郷 、 大尉 と は同 期 、腹 を 割 つ て話 せ る のは誠 に
た。
新 京 から第 一課 (作 戦) の武居参謀 が重 要 命 令 を持 つ てや つて来
︹清 太 郎 ︺
古 北 口、山 海 關 で はも つと 大 きな 武力 示 威 が平津 地区 を 圧 し て い
十 二月 に 入 り李 守 信 軍 は防 寒 具 を 除 き準 備 を 了 つた 。
に も狸 囃 子 のよう に 怪 し く響 い てく る。
夜 嬌 声 と 蛮声 に 四辺 の静 け さを 無遠 慮 に かき 乱 し、 遠 く 離 れ た機 関
夜 と も な ると 特 別 警戒 で寂 と す る が、 た だ 一軒 の日本 料 理 屋 は連
羣 や馮 玉 祥 の元参 謀 長石 敬 亭 の必死 の働 だ つた ろう 。 こ の局 面 の転換 に激 怒 し た 日本 軍 は、 二十 二日 ﹁自治 政 策 の確 定を 阻 止 し 乃至 遷 延 せ んと す るは 日本 軍 ︹ 梅津 ・何應欽︺ の認 め難 き所 梅 何 協 定 を 破 る に於 ては独 自 の軍 事 外交 に邁 進 す る外 な し﹂ と 天 津 軍 は声 明し た。
関東 軍 は動 い て いる。
独 自 の軍 事 外 交 と は何 を 意味 す る。
﹁戦 区 民 衆 の総 意 に従 う﹂ と 号 し 、殷 汝 耕 は冀 東防 共 自 治委 員会
北 平綏 靖 主 任 宋 は どう し た ら いい のか 。
の組 織 を宣 言 し 内政 外交 軍 事 に 関し 南京 政 府 と の絶縁 を声 明 した 。
朝 の巷 説 は、宋 自治 に決 す と いい、 夕 の堵話 は、宋 日本 と 絶 つと
の説 客謀 士 は東 奔 し 西走 す る。
伝 え る。 旬 日 の間華 北 の情 勢 混沌 と し て帰 一す る所 を知 らず 、 大 小
戦 雲 チ チ ハル台 地 を 掩 う 満 洲航 空 会 社 は例年 の義 勇 飛 行隊 の訓 練 を 十 二月 始 め か ら ド ロン
﹁勿 論 表 面 は華 北 の自 治 を 促 進 す る為 宋 哲 元 の尻 を ヒ ッパ タ クと
と いう のが軍 の意 図 。
いう 訳 です ﹂
て くれ た 。
統 帥 の神 聖 は 李 守 信軍 に於 て確 乎 護 ら れ て い る こと を ハッキリ見 せ
﹁参 謀 長 は頭 も い いが腹 も出 来 て るな 。抑 え る所 は チ ャンと抑 え
そ の後 武 居参 謀 と打 合 せを 行 つた。
機 関 に帰 つ てか ら参 謀 は 心 から 参 謀 長 を褒 め る のだ つた 。
押 す べき 所 は キ チ ンと 押 す 。 満 軍 の将 軍 と段 違 いだ ﹂
関 東 軍 の武 力 が も のを い い出 し宋 哲 元 は東 偏 し そう だ 。
﹁何 し ろ 李守 信 軍 は参 謀 長 以 下 全員 漢 人 だ から な 。 蒙古 独 立 の為
と 参 謀 も あ けす け に いう 。
なん て いえ ん よ﹂ ︹ 喜久雄︺ ﹁そ の辺 のと ころ を浅 海 さん が 一つ上手 に や つ て下 さ い。私 は戦
そ こ で行 動 開始 か ら長 城 線 に取 り つくま で の腹 案 を 相 談 し た 。 こ
赴 平 の途 済 南 に於 て韓 復 渠 に 睨 みを き かせ た 後 二 日保 定 の河 北 省 主
宋 を抑 え華 北 処 理 に 当 る華 北 駐 在 弁 事 長 官 に擬 せら れ た 何 應欽 は
十 二月 に入 ると 華北 の情 勢 は また 変 つた 。
争 指 導 丈 です よ ﹂
れ は李 守 信 と 作戦 を協 定 す る基 礎 に な る も ので武 居 参 謀 が 関 東軍 を
席 商震 の邸 に入 つた 。
を 迎 え激 越 な 口調 で情 況 報 告 を行 う 。
召致 さ れ て いた 萬福 麟 、傅 作 義 、 門 致 中 、 何競 武等 華 北 将 領 は彼
代 表 し て話 す る関 係 上勢 い話 は李 守信 軍 建軍 の昔 にま で遡 る に至 つ
﹁へえ そん な 軍 隊 です か、 そ い つは頼 母 し い﹂ 参 謀 は よく 理解 し
た。
一方何 に先 行 し て平 津 入 した 殷 同 、陳 儀 は、天 津 に多 田軍 司 令 官
を 訪 ね泣 落 し に か か つた が 一蹴 さ れた 。
三 日 何應 欽 は北 平 着 出 迎 え の殷 陳 と人 を 退 け て密 談 した 後 悲 愴 な
た。
軍 の意 図 を 伝 え る参 謀 の言 葉 は留 日 将校 対 作戦 主 任 参 謀 に通 訳 さ
反 対 の声 明 を出 す こ と に同意 し た 。何 應 欽 は北 平 入 す る と自 ら情 報
東 軍 だ と いう こと を 知 つた 。 し かも これ は表 面 に出 て こな い のだ か
彼 は交 渉 の対 手 は天 津 軍 だ が、実 際 は天 下 に恐 る るも の のな い関
止 む な き を進 言 す る腹 を き めた 。
何 は よく 日 本 を識 る。 宋 一派 を押 え ると 共 に南 京 には 一応 譲 歩 の
ら宋 の い い分 に も理 由 のあ る こと を 認 めざ るを 得 な い。
決 心 で宋哲 元 に会 つた 。 会 談 は 夜 を徹 し、 グズ宋 は や つと華 北 自 治
れた 。 白 皙 紅 顔 の美 青年 の彼 は緊 張 に頬 を 一層 紅 潮 させ て いる。 ︹ 程允山︺ 司令 は何 時 も の温顔 そ のま ま 、 参 謀 長 は 一語 一語 にじ つと 聞 き 入
蒐 集 を し た が 、 そ の得 た 報 告 と た だ な らず 身 に感 ず る現 地 の空 気 か
伝 え了 ると
る。
﹁好 ﹂
参 謀 長 は卓 上 の地 図 に つ い て進 駐 要 領 の細部 を述 べ 司令 の決裁 を
と 司令 は ハッキ リ力 強 く いう た 。
求 め た 。 そ の態 度 は 傍 に 日 本 軍将 校 のい る のを 全 く無 視 した も の で
ら始 末 に悪 い。 華 北 の東 偏 は 感情 的 に米 の、 実 利 的 には英 の好 ま ぬ所 、 五 日 米国 務 長 官 は ﹁こ の情 勢 を看 過 し得 ず ﹂ と 強 硬態 度 を見 せ 、英 外 相 ボ ー アは議 会 の報 告 演 説 で米 と歩 調 を 合 せ た 。 英 米 の態 度 硬 化 は頻 々た る在 外 使 臣 電 と し て日本 中 央 を し て 一応
し た 。申 合 せ事 項 と し て定 め た のは
イ 、 明 九 日中 に停 止 命 令 が来 た 場 合 そ れ が 日没前 であ つた ら 戦 闘
一、 沽源 寶 昌 は是 が非 でも と る
ロ、 日 没 以後 停 止 命 令 が来 た場 合 は沽 源 方 面 と の連 絡 が つか ぬ か
行 動 は中 止謀 略 行動 に よ る
ら強 行 し てと に角 寶 昌 沽 源 丈 はと る
これ が為 日没 と共 に大 尉 と 機 関 と は連 絡 を断 つ
反 省 す る機 会 を与 え た ろう が新 京 では 転 電 の時 間 的 ズ レ で感 じ 方 が
有 線 電 話 は ド ロンに近 く 機 関 員 で切断 、無 線 は寶 昌 沽 源占 領 ま で使 用 せ ぬ。
違 う 。何 度 も長 城 線 に兵 力 を集 結 す る こと は 関東 軍 本 来 の任 務 対 北
そ れ が いう こと を 聞 か ぬ な ら雁 首 をま た 変 え れ ば い い。 と に角 早 い
方 作 戦 の為 の教 育 訓 練 を阻 害 す る こと 甚 し い。宋 哲 元を 拾 い上 げ て
の認 む る所 だ から 万難 を排 し て行 う
二 、 飛行 隊 の協 力 は或 は行 われ ぬ こと を胸 算 す る が空 中 偵 察 は協 定
線
へ
央 に あた る黄 旗 大 営 子 を 通 りす ぎ ると 吹 雪 は止 ん だ。
飛 行場 を横 切 る ころ から 吹雪 が去 来 し出 し た が 、今 日 の行 程 の中
九 日朝 大 尉 は ト ラ ック単 車 で出 発 し た 。
前
の三項 を定 めた 。
三 、 重要 な連 絡 は大尉 宛 の通 信 筒 連 絡 によ る
こと埒 を明 け る こと と いう のが新 京 の腹 だ。 これ は謀 略 で は な い。
現地 の決 意
軍 に 於 て事 の決 定 権 を 有 す る第 一課 の考 だ か ら 強 い。
武 居参 謀 は中 央 が関 東 軍 制 止 の動 き に出 る公 算多 分 に あ る こと を 承 知 し て いた 。 機 関 長 、参 謀 と大 尉 は行 動 開 始 に伴 い予想 され るあ ら ゆ る情 勢 に
八 日行 動 開始 の命 令 は下 達 し 終 つた 。 し かし 新 京 か ら中 止 の命 令
つ い て検 討 し 、次 の様 な 想 定 を した 。
白 凱 々満 目荒 涼 と は こ の辺 り の謂 だ ろう 、 一本 の木 も 一軒 の家 も
一色 の平 面 が目 のと ど く 限 り続 き そ の果 は空 と 融 け合 つて い る。
な い、山 も 丘 も目 に入 ら ぬ 、 生 と し生 け るも の の姿 は な い、 た だ白
が来 ぬ と は いえ ぬ 。 一、 行 動 を 起 した が成 果 希 望 の如 く に いかず 、 日本 軍 の進 出 が後 れ
か か つ て いる 。
李 守 信 軍 の後 方輜 重 が難 行 し て いる のだ 。 渡 河 点 では砲 兵 隊 が引
とそ れ が 雪 溜 り に突 き 込 ん だ 牛車 ト ラ ック で あ る こと が判 つた 。
閃 電 河 の渡 河 点 近く 、 点 々前 方 に黒 いも のが見 え 、 や が て近 づく
る場 合 二、 行 動 を 起 し た が途 中 で停 止 命 令 が 下 つた場 合 大 尉 は関 東 軍 か ら李 守 信 軍 司 令 部 に 配 属 さ れた 形 式 を と り 、 九 日 ︹ 多倫︺ 朝 ド ロ ン出 発 、 既 に 国境 線 近 く集 結 中 の李 軍 に追 及 す る こと に な つ て いた の で、 ハ ッキリ機 関 長 参 謀 の腹 を 確 め て置 く為 一番 多 く 発 言
漸 く 日没 直前 胡 盧 峪 の司 令 部 に追 付 いた 。 小 さな 部落 は兵 と 馬 で 一杯 、 幹 部 が し き りと 整 理 し て いる 中 を分 け て いく と 通 信 所 の旗 が 立 つ家 の門 口 に劉 参謀 が 立 つて い て大 尉 の姿 を見 ると ﹁明朝 の賓 昌 攻 撃 は 砲 撃 を行 う こと な く 払暁 前 奇 襲 に よ るべ し﹂ と 、 ド ロンから いう て来 て いま す がと 聞 いた 。 大 尉 は新 京 の空気 は
﹁そ の方 が いい。 砲 兵 隊 はま だ閃 電 河 で引 か か つ てい る﹂
悪 いな と 突嗟 に感 じ た 。
﹁こま りま した ね﹂ 参 謀 は何 か気 にな るら し い。 ︹ 下永憲次中佐︺ 司令 、参 謀 長 、顧 問 は 狭 い〓 に竝 ん で腰 を かけ て いた が、 顧 問 は 何 か腑 にお ち ぬと いう 面 持 ち を 大 尉 の方 に向 けた 。 ﹁劉 さ ん か ら開 いた ろう 。 武 居参 謀 から 奇 襲 や れ と いう て来 て い るん だ ﹂ ﹁今 朝 ド ロンで い わ れ て来 ま した 。 砲兵 隊 は後 れ て いま す し 、 寶
﹁そ う かね 実 施部 隊 が どう いう か﹂
昌 の城 壁 は高 く な いか ら こ の方 が い いで し よう ﹂
﹁寒 い でし よ う
御 苦 労 様 です ﹂
顧 問 は参 謀 長 に話 し か けた 。 大 尉 が司令 に挨 拶 す ると
と自 分 で煙 草 をす す め てく れた 。 ﹁ね君 、命 令 は七 時 砲 撃 開 始 と し てあ る のさ 。 で命 令 を 変 更 す る ︹ 賓山︺ と な ると 尹 旅 団 へ命 令 を伝 達 す る の が問 題 だ と いう のだ が ね﹂
﹁そう です か、 何 に 、 私 が伝 達 に行 き ま し よう ﹂
顧 問 は 予定 通 りに し た いら し い。 併 し 大尉 は強 行 した い のだ 。
と わざ と 軽 く受 けた 。顧 問 も 大 人 、 そ れ 以 上 は押 さな か つた。
尹 旅 団 司令 部 へ命 令 伝 達 の往 路 は自 動 車 を 三度 も 雪 の中 に つ き込
ん だ が帰 路 は ス ラリと 帰 れた 。 こ の辺 に は深 い 地隙 があ る 。途 中 二
﹁尹 旅 団 は今 晩 中 大 変 です よ 。 でも輔 佐 官 に伝 達 し て頂 いて助 か
度 稜 綿 を 超 え た 。参 謀 は 頻 りと 話 し か け る 。
﹁旅 団 長 は怖 いか い﹂
り まし た ﹂
﹁私 等 何時 も 怒鳴 り 付 け ら れ て いま す よ﹂
こ の部 落 に つ いた と き 、参 謀 が何 か困 つた 様 子 を し て いた 理由 が
判 つた 。 大 尉 はそ う だ つた のかと 一寸 お か し か つた 。 司令 部 のあ る
﹁ 輔 佐官 殿
ド ロ ンから電 話 です ﹂
部落 に戻 り車 を 捨 てた 二人 が通 信 所 の前 ま で来 る と
と 係 の下 士官 か ら呼 びと め ら れた 。
もう 暗 い 、線 は切 つ てあ る筈 、 ど う し た のかと 電 話 機 を と る と今
﹁間 違 つ て切 つた のです 。 今 か らま た や り直 し し ます ﹂
岡 雇 員 の声
﹁よし 判 つた情 勢 変 化 な し だ な 。軍 は命 令 通 り 奇 襲 す 。集 結 は 一
部 後 れあ る も 明朝 ま で には 主力 を 掌握 し得 べし 。寶 昌周 辺 の交 通 は
日没 前 遮 断 し あ り、 これ 丈 報 告 し てお け﹂
﹁承 知 し ま した 。 今 度 は大 丈夫 です ﹂
傍 で劉 参謀 が聞 い て い る の で寒 い のに冷 汗 を か いた。
﹁い いな 切 るぞ、 切 るぞ ﹂
停 止 命 令 は こな か つた 。 明 日は いよ いよ戦 闘 だ と 思 う と寒 さ計 り でな く 身 ぶ る いが出 た 。
寶 昌 縣城 を奇 襲 占 領 す 五時 司令 部 は動 か ぬ。 一足 先 に第 一線 に向 う 。 あ た りは雪 あ か り で明 る い。 昨 夜 尹 司 令 部 のあ つた 部 落 は 部 隊 の影 も な い。 道 路 上 に散 乱 す る 馬 糞 を 調 べ ると凍 つて い る。 大 分 前 に出 発 し た らし い。 ず つと上 り 坂 、 や が て向 う に ポ ッカ リ寶 昌 の城壁 の見 え る斜 坂 の上 り 口 に出 た 。 四 辺 は寂 と し て、 た だ 一本 馬 蹄 に踏 み に じら れ た 道路 が黒 く雪 原
攻 略 は 失 敗 した のだろ う か、 一発 の銃 声 も し な い、 一瞬 不安 が頭
の中 に延 び て いる だ け。
を かす め る 。 思 い切 つ て車 を進 ま せ ると 、 城 門 は開 かれ 二 三人 の人影 が塊 ま つ
奪 わ れた のだ 、 運 転 手 は命 令 も しな い のに スピ ー ドを かけ た 。
て い る のが 見 え る。
﹁ 輔 佐官 殿 よ か つた です ね ﹂ そ の声 は弾 ん で いた 。 城 門歩 哨 は捧 銃 で迎 え た 。 道路 は 恐 ろ しく 広 い。 町 の中 程 の左 側 ア ンテ ナを 張 つた柱 が高 く、 少 し 明 る く な つた空 に聳 え てい る。 こ こは 国 民政 府 極 北 の無 電 局 な のだ 。 そ の向 側 が縣政 府 。 縣 長 室 に納 つた旅 団長 は上 機 嫌 で昨 日 の晩 のそ の人 と は ま る で別 人 のよ う 。 ﹁西 側 の城壁 を隠 密 に超 え た挺 進 隊 は保 安 隊 と 縣政 府 の中 間 で丁 度 縣 長 の所 へ急 ぐ 保 安 大 隊長 以 下数 名 を 捕虜 に し 、 そ れを 利 用 し て
簡 単 に保 安 隊 全 員 の武装 解 除 を 了 つた﹂
と ポ ツ リポ ツリ と 語 る そ の面 には 無 血占 領 の喜 び が溢 れ て いた 。
今 日 は上 天 気 、昨 日 の陰 惨 は去 つた 。
司 令 も 到 着 し 、 宣撫 班 も続 いた 。
街 で は人 通 り が初 ま り、 女 子 供 も混 じ る。
大 尉 が参 加 し た満 洲 国 で の討 伐 で見 た景 色 と 比 べ何 と いう 相 違 だ
ろう ︱ ︱ 日 の丸 を 立 て て迎 え る 部落 で も女 子 供 は仲 々姿 は見 せ ぬ、
つて い る男 の眼 に は敵 意 は なく ても恐 怖 の色 が浮 ん で いる のだ つた
女 と いえ ば婆 さ ん丈 魔 法 使 のそ れ のよう に ウ サ ン気 に 人 を見 る。 残
宣 撫 班長 のド ロン縣 参 事 官 は 、極 め て簡 単 に 大 尉 の疑 問 を と い て
李 守 信 軍 の軍紀 は厳 粛 で、少 く と も 口北 六 縣 は 一日 も早 く 進 駐 し
くれた。
大 尉 は目 のあた り に 見 た李 守 信 の声 望 に感 心す ると 共 に砲 撃 し な
てく る のを待 つて いま す と いう のだ。
い で済 ん だ無 血占 領 を 心 か ら嬉 し く思 い、 他 の県 へ の進 駐 も ど う か
吹 雪 を つ いて 沽 源 に転 進 す
寶 昌 のよう に行 く よ う に と祈 つた 。
十 時 過 ぎ ると 天 候 は急 に悪 化 し、 太 陽 は 鉛 色 の雲 に かく れ た 。 そ
︹ 濟廣︺ 十 二時 、 沽 源 攻略 を担 当 し て い る劉旅 団将 校 斥 候 のもた ら し た
れ は前 兆 で も あ つた か 。
﹁沽 源 の敵 は頑 強 に し て朝 来 の攻 撃 未 だ成功 せず 、 東 方 台 上 に点
点中 国 保 安 隊 ら し き も のを 認 む ﹂
し かし 司令 の決 心 は迅速 であ り部 隊 の動 作 は 敏 活 だ つた 。
と いう報 告 は憂 慮 に堪 え ぬ も のが あ つた 。
不意 に爆 音 が聞 え た 、確 か に飛 行機 だ。
だ が この天 候 でそ ん な こと が あ り得 よう か、空 耳 じ や な い か。 大
雲 は低 く機 体 は見 え ぬ 。
近 づ いた 、 空 耳 では な か つた のだ 。雪 の止ん だ そ の断 れ目 に チ ラリ
尉 が時 計 を 見 ると 二時 半 。
と機 体 が見 え た 。 三 本 の通 信 筒 が赤 白 の尾 を ひ い て飛 ぶ 、 そ の赤 い
命令 下達 後 三十 分 、 尹 旅 団 の主 力 はそ の先 頭 を も つて南 門 を 通 過
に入 つた 。 ︹ 振若︺ 寶 昌 は 王旅 団 が守 備 に残 り 軍 司令 部 、 顧 問 部 、 軍 直部 隊 の大 部 は
近 い 、突 然 頭 の上 に 墜落 す る ので はな い かと思 う位 物 凄 い爆 音 が
明 朝 沽 源 に転 進 、尹 旅 団 は砲 兵隊 を配 属 さ れ尹 旅 団 に協 力 す る為 即
し 、 これ と同 行 す る参 謀 長 劉 参謀 及 大 尉 の乗 用 車 は そ こで行 軍 序 列
刻 出発 を命 ぜ ら れた のだ 。
いる 、と 飛 行 機 は窓 か ら 手 を振 る河 井 田隊 長 の顔 も ハ ッキリ 判 る位
いだ ろう と は 思 つた が、 ﹁通 信 筒 受領 ﹂ の表 示 を出 し 暫 ら く 待 つ て
通 信 筒 を 拾 い上 げ た 伝令 が駈 け 戻 つ て来 た 。 よ も や戻 つて は来 な
風 速 は 十 五米 を 超 え るだ ろう 。
大 尉 は車 か ら 下 りた とた ん 扉 にた たき つけ ら れた 凄 い風 だ 。 瞬 間
り を食 つて布 の端 を持 つた 兵 が転 ぶ。
伝 騎 が追 かけ る、部 隊 は停 止 し対 空 布 板 が拡 げ られ た 。 風 のあ ふ
色 が目 にし み る位 美 し い。
前 途 四 十粁 に あま り 、 日没 迄 四時 間 何 と かし てそ れま でにと 思 う 一方 、 これ は 日本 軍 で も最 大 限 の行 程 だ がと 大 尉 は心 ひ そ か に心 配 し た。 城 門 を出 ると 真 白 な大 平 原 の中 に唯 一本 、 黒 い線 が 南 に 向 い てぐ
﹁ 何 と いう 壮 観 だ ろ う﹂
ん ぐ ん 延 び て いく。
一時 を 過ぎ る頃 鉛 色 の空 は 急 に頭 上 に お いか ぶ さ つて来 た 。
超 低 空 で頭 上を 通 過 し た。
一通 は命令 一通 は 河井 田隊 長 の通 報 だ つた 劉参 謀 は直 ぐ 参謀 長 に
西 南 方異 状 なし 、 成功 を 祈 る﹂
﹁沽 源 東 方 山 地 に点 々人 影 を 見 るも対 空 射 撃 す る模 様 なし 。 南 方 、
﹁寶 昌 の攻 略 を 多 と す 、沽 源 に急 進 せ よ ﹂
通 信 筒 三本 は皆 同 文
を吹 きと ば し 飛 行 機 は また 近 づ い て来 た 吹 雪 の壁 の中 に姿 を 消 し た 。
と怒 鳴 り乍 ら 夢 中 で手 を振 り返 した が、 風 は大 尉 の口許 から そ の声
﹁河 井 田 さ ん有 難 う ござ いま し た ﹂
風 が出 て来 た らし い。 前 駆 す る部 隊 の馬 の脚 が も つれ隊 列 が 乱 れ る 、猛 烈 な風 に な つた のだ 。 や が て 吹雪 に な つた 、 周 期 をう つて は雪 が 吹 き つけ る。 ひど いと き は直 前 の部 隊 の姿 が白 い壁 で隠 さ れ、車 は ま る で雪 だま りに 突 入 す る よう だ。 さ つと雪 が止 む と 一騎 二騎 と薄 紙 を はが す 様 に だ ん だん 視 野 に浮
こん な こと を 何 度 何 十度 く り返 した こと か 。
んでくる。
嫌 な顔 を し て坐 って いた 。 ロー ソ ク の光 り に浮 ぶそ の姿 は 何 か 不 吉
と 案 内 す る、 家 は小 さ く汚 な い。 室 に 入 る と〓 の上 に参 謀 長 が 不機
﹁さ あ どう ぞ ﹂
参 謀 長 は静 か にう な ず いた 丈 だ つた が、 こ の天 候 にも 飛 ん で来 た
報 告 した 。
友 軍 飛行 機 に対 し 部 隊 は 百 万 の援 軍 を 得 た 思 いし て士 気 と みに 上 つ
な も の さえ感 じ さ せ る 。
解 け ぬ 謎 を 抱 いた ま ま大 尉 は参 謀 長 と 竝 ん で寝 た 。 程 よ い温 み が
た。
柔 か く身 体 に 伝 わ つて く ると 昼 の緊 張 と疲 労 は い つと な く も み ほ ご
行進 は再 開 され る、 吹 雪 は いよ い よ強 く 吹 き つけ る。 薄暮 沽 源 の北 二粁 の寒 村 に到 着 、 劉旅 団 と 連絡 成 り休 宿 に移 る。
城 壁 に対 す る乗 馬 襲 撃
さ れ深 い眠 り に落 ちた 。
十 一日 は奇 麗 に晴 れた 。 風 は 北 に 廻 つた のか銃 声 も 聞 え ぬ。
﹁劉旅 団 は依 然 北 方 か ら、 ま た 尹 旅 団 は 西南 方 か ら攻 撃 、攻 撃 開
参 謀 長 は劉 旅 団 連 絡 将 校 の報 告 を 時 々反 問 し な が ら聞 いて いた が 、
始 は午 前 六時 ﹂
を う き 立 た せ、 大 手 を 拡 げ て行 手 を阻 ん で い る。 U ボ ート の潜 望 鏡
外 へ出 て見 る と真 白 な平 原 の真 中 に黒 々と 沽 源 の城壁 が鋭 い輪 郭
尹旅 長 は不 敵 な 顔 に微 笑 さえ 浮 べ て復唱 し た。
と 要 旨 命 令 を 下 達 し 本 夜 の捜 索 警 戒 に つ い て細部 の指 示 を 与 え た 。
雪 は漸 く 止 み 、 風 も衰 えた 。 東 方 の山 々 の頂 き が ボ ンや り明 る く
﹁ 第 一線 か ら はま だ 何 も いう て きま せ ん﹂
で見 た 航空 母艦 は こ ん なだ ろ う 等 と思 つて いた 大 尉 に
な つて来 た空 に 浮 ん で来 た 。 月 の出 か 。大 尉 は今 宵 の宿舎 と案 内 さ
と 思 う と ﹁どう 砲 兵 を 使 つ てや ろう か﹂ と いう こと が大 尉 の頭 の中
﹁失 敗 した んだ ﹂
と 劉参 謀 が声 を かけ て家 の中 に姿 を 消 した 。
つた が成 程 北 方 の人間 に は月 は女 性 と は映 ら ぬ。 今 日 の こ の月 の何
で反射 的 に閃 め いた 。 大 体騎 兵 が城 壁 攻 撃 す ると い う こと は無 理 な
子 供 の時 習 つた独 乙語 で月 の性 が男 性 な のに納 得 出 来 ぬ も のが あ
れ た 家 の前 に 立 止 つて こ の景 色 に見 入 つた 。
と 冷 厳 な こと よ 、刺 々し く 肌 を つき 通す よう な光 り 、 澄 み 切 つて輝
のだ。
は 集結 し て戦 闘 加 入 を 待 つよ う 伝令 を派 遣 し た 。部 隊 と の間 に凹 地
途 中 行 進 の後 れ て いた 砲兵 隊 の到 着 す る のに会 つた の で、 参 謀 長
三 人 は 尹旅 団 正 面 に急 いだ 。
く そ の面 に 温 か さと いう も のは 一寸 も な い。 蒙 古 高 原 の冬 の月、 新 戦 場 を 照 す 冷 い月、 あす は自 分 の屍 の上を と 思 う と 大 尉 は無 限 の感
突 然 家 の中 で怒 鳴 る声 がし た か と思 う と 一足 先 に 家 に 入 つた 参 謀
慨 に耽 らず に いら れ な か つた。
て来 る 、 ﹁ど う した ﹂ と 聞 く ま も な い、 二人 は隣 り の家 へ入 つた 。
長 が飛 び出 し て来 た 。 そ の後 か ら今 に も泣 き そ う な 劉参 謀 が追 駈 け
沽 源 西 方 の 二、三 十 軒 の部 落 が目 標 だ つた が あ と 五 百 米 位 と いう
が あ つて車 を や る訳 に いか な か つた から だ。 訳 が判 ら ぬま ま そ の方 へ歩 き出 す と 内 か ら 劉 参謀 が
頃 猛 烈 な銃 声 を聞 いた 。 運 転 手 は猛 スピ ー ド で車 を 部落 の蔭 に つき 込 ん だ 。 そ こに いた 伝 騎 の馬 が 二三頭 吃 驚 し て騒 ぐ 。 急 いで車 を 降
手 榴 弾 のバ ー ンバ ー ンと いう 爆音 が重 苦 しく 響 い てく る。
り ると 、凍 つた 屋 根 に跳 ね る弾 丸 が いや な唸 を た て て飛 ぶ。
大 尉 と 参謀 は旅 長 を 求 め て部落 の東 端 へと 走 つた 、 カ ッカ ッ、 ピ シャ ピ シ ャと いう 直 射 弾 の弾着 音 が頭 上 を かす め出 した 。 城壁 は近 い。 二人 が 一寸 大 き な 囲壁 を廻 ると 急 に視 界 が開 けと た ん 、 ピ シ ッピ シ ッと 引 パ タ ク様 な 弾 着音 に囲 まれ た 。 五〇 米 計 り前 に低 い菜 園 の土囲 が あ りそ こが第 一線 で 、城 壁 ま で
城 壁 の五、六 〇 米 手前 の窪 地 に 五、 六 名塊 ま つた 兵 が 見 え、 城 壁
二〇 〇 米 あ る なし だ。
城 壁 の西 南 角 の望 楼 に 火力 を集 め て い る のか 、 立 つた ま ま の将 校
か ら落 す手 榴 弾 がそ の直 前 で炸 裂 し て い る。
が 二名 鞭 で兵 の銃 口 の向 を 直 し て いる のが目 に映 つた。 参 謀 は 右 が旅 長 で左 が 聯 隊 長 だ と つげ る。 ﹁旅 長 があ ん な所 じや 危 い、退 つ て貰 い情 況 を 聞 こう﹂ ﹁駄 目 です 。旅 長 は絶 対 に退 りま せ ん よ﹂ ﹁いや 俺 が つれ てく る、 参 謀 は参 謀 長 を 安 全 な 所 へ案 内 し て く れ﹂ 大 尉 が走 りよ つて旅 長 の手 を 握 り後 退 をす す め ると 不機 嫌 な顔 を し て頭 を横 に 振 る 。参 謀 も駈 け 付 け て ﹁参 謀 長 命 令 ﹂ と いう と 不承 不 承 う なず いた 。 聯 隊長 に も同 行 を 命 じ最 前 の大 きな 家 で参 謀 長 と 落 ち あ つた 。
﹁旅 長 の判 断 では攻 撃 を再 興 し ても 兵 は疲 れ切 つて い るか ら 、 よ
し砲 兵 を 協 力 させ ても昼 間 攻 撃 は 望 みが な い﹂ と いう の です と参 謀
旅 長 の判 決 を 深 刻 な 顔付 で聞 い て いた参 謀 長 は即 決 し な い。
は説 明 した 。
城 壁 を毀 し て突撃 路 を作 る 以外 手 はな いと 考 え ていた 大 尉 は こ の
﹁ 戦 闘を 中 止し 、 戦 線 を整 理 し て部 隊 に休 養 を 与 えま しよ う 。 温
判 決 か ら 劉旅 団 はよ り 以 上参 つて い ると 判 断 し た ので 口を 切 つた 。
いも のを食 わ さ んと いけ ま せ ん 。攻 撃 再 興 は劉 旅 団 の情 況 も見 てそ
の上 で砲兵 の用法 も考 え る こと に し て は﹂
﹁そう し ま す ﹂
参 謀 が通 訳 す る と参 謀 長 等 三 人 は 一々う なず い て いた が ヤオ ラ、
﹁城 壁 下 の突撃 兵 の収 容 はど う し ます ﹂
と参 謀 長 は 重 い 口を開 いた 。
大 尉 に は これ が 一番気 が か りだ つた 。 夜 を待 つて では 恐 ら く凍 傷
で参 る だろ う 。 砲兵 を協 力 させ るに は彼 等 は あま り にも 城壁 に 近 く
﹁有 法 子 ﹂
位 置 し 過ぎ る。
方 法 が あ ると 旅 長 は何 か聯 隊 長 に命 じ た。
参 謀 は 、見 て い て御覧 な さ い 、大 丈 夫 ですと 自 信 あ りげ だ。
暫 くす ると 部 落 の中 が騒 然 と し て来 た 。 馬 の嘶 き、 凍 て つ いた 土
突撃 譜 が気 狂 のよう に 起 り 、第 一線 は猛 烈 に撃 ち出 した 。
地 に高 く反 響 す る入 り乱 れた 蹄 の音 。
部落 の後 方 に部 隊 の動 き が感 じ ら れ た か と思 う と南 側 を 廻 つた 一
個 中隊 計 り の乗 馬 部隊 が得 意 の馬 上射 撃 を し乍 ら 城 壁 に 向 つて突 進
大尉 は あ き れ て こ の成 行 を見 つ めた 。
す る で は な い か。
目 の前 の第 一線 か ら 、徒 手 の兵 が十 名 計 り 飛 び出 し てそ の後 を追
乗 馬 部 隊 は城 壁 直 下 で奇麗 に 方向 変 換 を し 、徒 手 の兵 は 突撃 兵 と
う。
一団 に な つて退 つてく る。戦 友 の肩 に助 け ら れた も のは 三 名 。
戦 況進 展 を 見 ず
これ が 一瞬 のこと だ った。
劉 旅 団 正 面 の戦 闘 は大 尉 が 行 つて 止 め させ る、参 謀 長 と 参 謀 は 猶 後 れ て到 着 す る部 隊 の掌 握 、 軍 司令 部 と の連 絡 、 戦 闘司 令 所 の設 置 と 任 務 を 分 けた 。 沽 源 北 門外 北 方 一粁 半 位 のと ころ に 一寸 し た部 落 が あ り、 こ こか ら 広 い道 路 が城 門 に通 じ城 壁 に 接 し て二、三十 軒 の民家 が あ つた 。 ︹ 正實︺ 部 落 の入 口に は焦 瘁 し切 つた 軍事 教 官 の高 木 中 佐 と蒙 古 服 のま ま
﹁顧 問 は来 ら れた か﹂
の 田古 里 少 佐 が 日向 ぼ つ こを し て いた が、 近 づ く 大 尉 を見 て、
と 声 を かけ た 。 いか に も疲 れ た 人 が肩 代 り を期 待 す る形 、 そ れ よ り
﹁第 一線 は ど う です か﹂
も戦 況 第 一と考 え る大 尉 と は 波 長 が 合 わ ぬ。
﹁と ても い かん 、 ろ く に飯 も食 つと ら ん 。兵 は雪 の中 に 伏 せた ま
大 尉 の言 葉 は 反射 的 に、
ま だ﹂ と いう 答 で反 撥 された 。
そ こ へ劉 旅 長 が駈 け つけ て来 た ので 、大 尉 は教 官 と の問答 は打 切
﹁御 苦 労 です。 戦 闘 は中 止 、兵 力 を集 結 休 養 さ せ る、 攻撃 再 興 は
り、 気 まず い思 いか ら逃 げ ら れ る 機 会 を握 つた 。
こ の大 尉 の伝達 命 令 は若 い中 尉 に 翻訳 さ れ て ゆく 、 そ の 一語 毎 に
別令 に よ ると 参謀 長 が き めら れ ま し た。﹂
﹁東 方 台 上 の情 況 は﹂
旅 長 の顔 には 安堵 の色 が浮 ん で来 た 。
﹁避 難 民 です ﹂
﹁一個 中 隊 出 し てあ る よ﹂
と 中 尉 は軽 く 答 え、
と 高 木 中 佐 が 補足 した 。 大 尉 は退 路 を遮 断 し て はまず いと考 えた が
﹁城 門 に接 した あ の部 落 はと つて あ りま す か﹂
第 一線 を 見 てか ら の こと と思 い、
と 誰 に いう と なく 聞 く と
︹ 程允山︺ 参 謀 長戦 死 す
﹁僕 等 は 今 あ そ こ か ら退 つて来 た 所 だ 一個 聯 隊 で占 領 しと る よ﹂ と 中 佐 が答 え た。 意外な砲撃
大 尉 は道 路 を さ け て畠 の真 中を 歩 き出 し た 。 十 分 た つ ても雪 が深 く 部落 ま で の半 分 も いけ ぬ 、 小銃 弾 が時 々 パ ッパ ッと黒 い土 を 跳 ね
前 から は敵 、後 から は味 方 が見 て い る と思 う と 、駈 け 出 す 訳 にも
飛 ば す 、 ねら わ れ て いる のか流 弾 か何 れ にす るも嬉 し く な い。
いか ぬ 。 突 然 ク ル ッと右 向 け 右 を さ せ ら れた 、 右 肩 を 何 か で ヒ ッパタ かれ た感 じ だ。
これ は大 尉 にと つ て同 時 の感 覚 であ り動 作 で も あ つた 。
キ ナ臭 い に お いが 鼻 を つ いた 。
﹁右肩 を やら れ た な 、肩 を砕 か れた と す ると 命 がな い﹂
同 時 、 い や何 分 の 一秒 か の後 だ ろう 。
大 尉 は スー ッと 死 の予 感 が全 身 を 通 り 過 ぎ頭 の血 が 一度 に下 つて
左 手 は無 意 識 に右 肩 に動 いた が意 識 は右 肩 を見 さ せ な い、 恐 怖 が
冷 汗 が脇 の下 を 流 れ て行 く のが目 に見 え る よう に感 ぜら れた 。
何 か 左手 に触 れ る 、 手触 り で肩 章 だ と 判 る。 右 手を あ げ て見 ろと
これ を 止 め る のだ 。
頭 の何 処 か で命 令 す る。
上 る ぞ 上 る、 これ な ら肩 は砕 け て いな いと思 う と顔 は ク ル ッと右
肩 章 が前 の坐 か ら 外 れ後 の坐 だ け でブ ラ下 り 、 それ を 左 手 が握 つ
肩 に 向 く。
目 は急 い で下 の方 手首 に注 が れた が 血 は流 れ て来 て いな い。 や つ
て いた 。
と 自 分 をと り戻 し た 。
思 い 切 つ て右 手 を振 つて見 る、 動 く 。痛 も な い、 何 の こと だ。
何 と いう 俺 は臆 病 者 だ ろう と 大 尉 は 急 に恥 か しく な つた 。誰 か見
﹁後 にな つ て承 徳 顧 問 部 で聞 いた のだ が丁 度 国 境 警 察 隊 に来 て い
て いた らど う だ。 ︱︱
た 雇 員 の 一人 が大 尉 の動 作 を 真 横 で見 て いて大 尉 が右 向 け右 を した
と き グ ッと 上 体 が崩 れた ので テ ッキリ や ら れた と 思 い駈 け 出 そ うと
した が大 尉 が直 ぐ歩 き出 した の で安 心 し た と いう こと だ つた 。 し て
見 ると 大 尉 が 相当 時 間 立 停 つて いた と考 えた 時 間 は ホ ンの瞬 間 だ つ
た 訳 だ﹂ ︱︱ 大 尉 は肩 章 を調 べ て見 た 。 尉 官 のは縁 に よ つた モ ー ルが あ る のだ
これ に張 自 忠 の部 隊 が噛 み付 いた と す る と も つと前 から 砲 声 が し
た。 し かし 参 謀 長 が、 戦 闘参 加 を待 てと 命 令 し て いた こ と から 考 え
こ のと き チ ラ ッと 大 尉 の頭 を かす め た も のは友 軍 砲兵 のこと だ つ
砲弾 は城 内 に落 下 し 出 し た。
た筈 、 機 関 銃 迫 撃 砲 の音 も聞 え る筈 と 疑 問 が 湧 く 。
弾 丸 は奇 麗 に モー ル の線条 を擦 つて行 つた のだ 。 もう 少 し左 に よ
る と あ り得 な い話 だ 。
が、 そ の右側 の分 が なく 地 の赤 い ラ シ ャが黒 ず ん で いた 。
れ ば頸 部 を 、 もう 少 し 下 れ ば肩 を砕 いて いた のだ と 思 う と ま た急 に
え さ せ主 力 と の連 絡 を す る ことだ と 判 決 し た 大尉 は徒 歩 で来 た のが
敵 にせ よ味 方 にせ よ 当 面 の急 は劉 旅 団 を 集 結北 門 から の出撃 に備
機 関 銃 の音 は聞 え て こな い。
恐 ろ し く な り歩 き 出 し た 。 急 ぐ が雪 は深 く 防寒 靴 は 重 い。漸 く の こと で部落 の蔭 に辿 り つき
第 一線 聯 隊 長 は取 付 き の大 き な家 の屋 根 に上 つ て いた ので大 尉 も
悔 ま れ た が仕 方 が な い。下 に降 り て連 隊 長 に兵 力 集 結 を 命 じ 城 門 に
ホ ット し た。
崩 れ た 土塀 から 上 り か け た 。 と た ん、 不意 にガ ンと物 凄 い爆 音 と 同
と 隊 長 に告 げ 、 また 自 分 にも そう い い聞 かせ た大 尉 が引 返 そう と す
﹁あ れ は友 軍 だ よ﹂
と 聞 く 、隊 長 の声 は ま だ 恐怖 に震 え て い る。
﹁砲撃 は ど う した の でし よ う﹂
火力 を集 中す る配 備 を と ら せ た。
ガ ラ ガ ラ と 三十 米 ほど 前 の家 の屋 根 が崩 れ土煙 が モク モク 上 る。
時 に紫 が か つた 黒 い煙 が視 界 を 遮 つた。
どう し た こと だ、 中 国 軍 は せ いぜ い迫 撃 砲 それ も 白 い煙 の黒 色 薬 位 と 見 く び つて いた の に これ は高 級 炸 薬 だ 。 引続 いて発 射 音 を 真 南 に聞 く 、数 弾 が ア チ コチと 不規 則 に炸 裂 す
﹁こ の砲声 は ﹂
﹁参 謀 長 も 旅 長 も来 られ ま し た ﹂
﹁ど う し た ん だ ﹂
ると 劉 参 謀 が 飛 ん で来 た。
尉 は 猛 然 と闘 志 をた ぎ ら し 発 射 音 の所 在 を求 めた 。 保 安 隊 では相 手
﹁ウ チ の砲 兵 隊 な のです ﹂
屋根 の上 の聯 隊 長 等 は転 が るよ う に降 りた 。 逆 に頂 上 に上 つた大
る。
にと って 不足 だ 、 二 九 軍 な ら面 白 か ろう 砲兵 将校 には砲 弾 の炸 裂 音
﹁本 当 だ な﹂
砲兵 隊 の馬鹿 め !
教官 は何 し と る。
弾 薬 浪 費 に対 す る憤 り が胸 に つき 上 つ て来 た。
思 わず 意 気 ば んだ 大 尉 は友 軍だ つた と いう 安 心感 よ り命 令 違 反 、
は 法悦 を感 じ さ せ る、 小 銃弾 に恐怖 を 感 じ た 大 尉 は 射撃 演 習 の監 的
発 射 音 か ら弾 着 ま で の秒 数 か ら計 算 す ると 二千 そ こそ こ、 発 射 の
勤務 でも し て いる位 の軽 い気 持 に な り切 つ て いた。
爆 煙 の下縁 は城 壁 と す れ す れ 、 とす る と そ こ には 小高 い丘 があ り 印 旅 団 の 一部 が張 家 口方 面 に対 し占 領 し て いた 筈 。
砲撃 は な お続 く 、 大 尉 は 地団 太 踏 んだ 。 大 尉 の権 幕 に吃 驚 し て いた参 謀 は 、 ﹁砲兵 隊 の教 官 は よ く軍 命 令 を聞 かぬ の です ﹂
﹁引 返 そ う﹂
と訴 え る よう に告 げ た 。
と大 尉 が参 謀 に いう て歩 き 出す と 、参 謀 長 が旅 長 と 一緒 に小 走 り に
道 路 は城 門 望楼 か ら縦 射 され て いる。
な か つた自 分 を恥 じ た。
劉参 謀 が 一番 に飛 び出 し た。
続 い て参 謀 長 が 、 しか し 彼 は 道 路 の真 中 で パ ッタリ倒 れ た。 三番
目 にと 身 構 え し て いた大 尉 は躓 づ いた のか な と思 つた が 仲 々起 き ぬ、
抱 き起 す と グ ッタ リ し た重 み が感 じ ら れ た。 そ れ から ど う 元 の位
助 け 起 そう と かけ よ つて見 ると 物 も いわず 動 きも せぬ 。
置 ま で参 謀 長 を 運 ん だ か自 身 にも 分 ら ぬ 。気 が つ い て見 る と 自 分 を
尉 の手許 を のぞ き 込 ん で いる のだ つた 。
囲 ん で旅 長 、聯 隊 長 、 何 時 戻 つた のか 劉参 謀 も膝 を つ い て、皆 が大
も う現 地 に は用 はな い、 早 く砲 兵 隊 を 掌 握 す る こと が先 決 問 題 だ 。
や つ て来 た。
北 の部落 で伝 騎 を す ぐ 出 す 、東 方台 地 に出 し てあ る 一個 中 隊 を 至 急
の袖 にベ ット リ血 が つ いて いた。
参 謀 長 の首 の下 にか つた腕 を 抜 き 地 面 に寝 さ せ よう と す ると 外套
引 上 げ 、代 り に便 衣 の斥候 を 配置 す る よう にと参 謀 長 に具 申 し た 。 ﹁沽 源 の保 安 隊 を 皆 殺 し にす る等 と いう こと は 必要 のな い こ と で す 。 要 は沽 源 を と れば い い の で保 安 隊 が張 北 な り 獨 石 口 に逃 げ てく
メ カミ し か も両 側 から黄 赤 混 ぜ た 血 が ド ロ ッと 流 れた 。 帽 子 の裏頬
頭 を やら れた ん だ 、 し ま つた と急 い でそ の防 寒 帽 を脱 がす と 、 コ
当 は 血 だ ら け だ。
れ れば 一番 希 望す る と ころ です 。 四 面包 囲 さ れ て は逃 げ よう に も逃
と説 明 す る大 尉 の言 葉 を 聞 き 乍 ら参 謀 長 は、 ド ロン以来 始 め て 明 る
即 死 だ。
げ ら れ ま せ ん から ね﹂
い顔 付 を し て何度 もう な ず いた 。大 尉 は参 謀 長 の本 心 が判 つた気 が
あ と がな い。 沽 源 に急 進 し た と き か ら の陰 惨 な影 も 消 え て穏 や か な、
大 尉 は ジ ッと参 謀 長 の死 に顔 を 見 つめた 。 そ の面 には何 等 苦 痛 の
劉 参 謀 が ワ ッと泣 き出 し た 。
劉 旅 長 は軍 事教 官 の命 令 だ つた と 弁解 し た。
し た。
﹁さあ 帰 り ま し よう ﹂
大 尉 は手 を合 掌 に組 ま せ て胸 の上 に お いた 。 大 き な犠 牲 だ。 李 司
そ れ は 大尉 が ド ロ ンに着 任 し た 日始 め て会 つた 時 のそ のまま の顔 に
令 が 知 つた ら ど んな 思 いを す る だ ろう か、 撫 然 と し て暫 し黙 〓 をさ
戻 つ て いた。
大 尉 は先 刻 の尹旅 長 と い い今 ま た参 謀 長 が敵 前 三〇 〇 の所 に自 動
つて い る。
車 を のり付 け る 、 こ の部 隊 の危 険 に対 し て無 神 経 にま で大胆 な のに
さげ た 大 尉 は 一時 に責 任 の重 大 さ を感 じ立 上 つた 。
と い い乍 ら ヒ ョイ と道 路 の方 を 見 る と 、参 謀 長 の乗 用車 が向 側 に停
あき れ ると 共 に 一方 で は砲 声 に心 を奪 わ れ て自 動 車 の音 に気 のつ か
﹁え え昨 晩 初 め に入 つた家 に あ つた の です。 参 謀 長 が顔 色 変 え て
﹁よ く棺 桶 がす ぐ 見 付 か つた な﹂
し た 劉参 謀 が迎 え て いた。
部 隊 の士 気 は よ く判 ら ぬが 参 謀 長 戦 死 の こと は極 め て悪 い交 感 を与
飛 び出 し た でし よう 。参 謀 長 が見 付 けま し てね 、 こん な縁 起 の悪 い
今 から 俺 は参 謀 長 に代 る 。 司令 は到 着 せず 沽 源 は落 ち て いな い。
﹁ 喪 は秘 す ﹂
﹁残 弾 何発 だ﹂
て来 る のに出 会 つた 。
尹 旅 司令 部 の部 落 の手 前 ま で く る と前 方 から砲 兵 隊 が陣 地 変 換 し
な﹂
﹁劉 さ ん元 気 だ せ よ 、今 か ら参 謀 長代 理 だ 。沽 源 を と ろ う 、 いい
と思 う と大 尉 は故 ら 明 る く語 調 を 変 え た 。
し か し心 を 鬼 にせ ね ば な ら ぬ今 、 俺 が滅 入 つたら 李 軍 は覆 滅 す る
﹁因 縁 だ ね ﹂
だ つた のか と初 め て昨夜 の疑問 が とけ た 。
尹 旅 長 に全 般 指 揮 を と ら せ る為 急 ぐ車 中 劉 参 謀 の説 明 で 成程 そ う
所 へ寝 れ る か と カ ンカ ンに怒 つた のです ﹂
え る であ ろう 。
大 尉 は直 ぐ 行 動 に移 つた。 対 空 布 板 を と り よせ 死 体 を 丁 寧 にく る み 、第 一線 表 示 の白 幕 で顔 面 から 頭 を 包 ん だ 。 荘 然 と し て黙 つて 大尉 のす る こと を 見 て いた、 旅 長 、 聯 隊長 、参
﹁ 旅 長 、参 謀 長 戦 死 の こと は第 一線 聯 隊 将 兵 の中 一部 のも のし か
謀 に向 い厳 と し た態 度 で命 令 し た。
知 りま せん 。 こ の こと は厳 秘 にし て下 さ い、 今 日唯 今 目撃 し た こ と を絶 対 に他 人 に語 ら ぬ こ と を厳 命 し て下 さ い﹂ と念 を押 し ﹁劉参 謀 は旅 司令 部 の部 落 で棺 桶 を探 し適 当 な家 を 決 め 衛兵 を 立
大 尉 は三 人 に これ丈 い い了 ると聯 隊長 に大 車 の車 輪 を 外 し たも の
て て待 つて い るん だ 、 い いか僕 は参 謀 長 の遺 骸 を護 つて退 る﹂
と 四人 の百 姓 を 呼 ん でく る よう 命 じ た 。
答 え るそ の顔 には 沽 源 砲撃 を褒 め ぬ大 尉 への不満 が溢 れ て いた 。
﹁山 砲 弾 三六発 ﹂
大 尉 は部 隊 の先頭 に立 つ教官 に噛 み付 く よ う に浴 せ た。
三 六 発 で城壁 破 壊 が出来 るか と暫 らく 無 言 のま ま大 尉 が頭 の中 で
四 人 で丁 寧 に遺 骸 を 枠 上 に のせ ると 直 ぐ 出発 し た。 雪 溜 り は膝 を こえ る深 さ 、 そ の都 度 百姓 は坐 り込 ん で哀 哉哀 哉 と
と教 官 は報 告 し た。
﹁司 令 も顧 問 も丁 度 今 さ き あ の部 落 に到 着 され ま し た ﹂
沽 源 の城 壁 の組 成 を 思 い返 し て いる と
と雪 にさ さ り土 と雪 を は ね上 げ る弾
号 ぶ 、 目標 は大 き い、 プ ス〓
着 に百 姓 の足 は停 る。 大 尉 は拳 銃 を出 し ては 急 が せ、 札 束 を 見 せ て は急 がせ 、遮 二無 二雪 原 を 突 破 し た。
砲 声 は止 ん だ 、思 え ば これ は弔 砲 でも あ つた 。部 落 の入 口 に先 行
人 払 いし て貰 い 、司令 と 顧問 に対 し 姿 勢 を 正 し て
十 二 日雲 は 低 く 寒気 は厳 し い。
張 北 に入 り 、ま た沽 源 張北 の中 間 燈 籠 樹 には 保 安隊 と違 う 服 装 ︱ 黒
張 家 口 方向 に出 した 斥候 の報 告 に よ れば 、昨 朝 数 台 の大 型 バ ス が
色 でな い︱ 武 装 兵 を 見 ると いう 。
﹁私 が 至 らず 、参 謀 長 は午後 二時 三十 分 沽 源 北 門外 で戦 死 され ま
と報 告 し た大 尉 は 劉参 謀 に
に収 む る如 く 工作 す べ し﹂
日本 軍 のド ロン進 出 を 掩 護 す る と 共 に成 べく 謀 略 によ り 沽 源を 手中
﹁李 守信 軍 は 暫 らく 沽 源 の攻 略 を 中 止 し兵 力 をそ の北 方 近 く集 結 、
を 投 下す ると 直 ぐ 引 返し て行 つた 。
午前 十時 爆 音 を聞 き 将 兵 は歓 呼 した が 、 そ れ はた だ 一機 、通 信 筒
と 打 つた 。
﹁午 後 二時 三 十 分突 撃 す そ の十 分 前 西南 角 に爆 撃 を切 望 す ﹂
昨 晩 打 つた爆 撃 要 求 の無 電 に は何 の返 事 も な い。 改 め ても う 一度
そ こで大 尉 は 二 時 砲撃 開 始 二時 三 十 分突 撃 させ よう と腹 を決 めた 。
時 乃 至 三時 には 到 着す ると考 え られ る 。
所 で寶 昌 か ら追 送 中 の砲 弾 は午 前 中 は 六ず か し い と して も 午後 二
今 夜以 後 にな るも の と判 定 さ れ る。
包 囲 中 の李 守信 軍を 更 に包 囲 す るだ ろ う 、 し かし 距 離 から 考 え ると
て ド ロン沽 源 間 を遮 断 し つ つ主 力 を 以 て獨 石 口保 安 隊 と協 力 し沽 源
若 し中国 側 が本 気 とな つた ら張 庫街 道を 北進 康 保 方 向 から 右 旋 回 し
れ ぬ筈 、 自 動車 で来 ると し ても そ れ は数 と し ては 多 く は な い。 だ が
昨 日 は ひ ど い北 風 だ つた か ら徒 歩 部 隊 は張 北 か ら そ う北 に は出 ら
ド ロン の機 関 か ら は何 も連 絡 な く 、飛 行 機 も 来 ぬ 。
郊 に出 没 す る と報 告 し て来 た 。
寶 昌 の王 旅 から は康 保 の敵 が活 溌 に動 き 出 し 、 そ の斥 候 は寶 昌 近
した﹂
﹁詳 し い こと は君 か ら報 告 し てく れ た ま え﹂
司 令 は参 謀 の報 告 を顔 色 も 変 えず 時 々何 か質 問 し な がら聞 き終 る
と いうた 。
と立 つて、 ﹁参 謀 長 は武 人 です 。屍 を戦 場 にさ ら し た こと は寧 ろ本 人 と し て は本 懐 です 。 輔 佐 官 ど う か気 を つかわ ん で下 さ い﹂ 少 し 間 を置 き、 ﹁ 輔 佐 官 貴 官 が参 謀 長 の遺 骸 を自 分 で運 び これ を守 つて退 つ て下
ドウ モア リ ガ ト ウ﹂
さ つた こと は 私 から遺 族 竝 び に全 軍 に代 り 厚 く御 礼 を申 しま す。
と い いさ あ どう ぞ 、 ど う ぞ とま だ 不 動 の姿 勢 の大 尉 の為 〓 の上 に席 を すす めた 。 顧 問 は 、 司令 が 日本 語 で礼 を いう た の は最 大 の謝 意 を表 わ した も の です と説 明 し 、 一座 の緊 張感 を緩 め る心 遣 い に ﹁さ あ美 味 い御 茶 を いれ ま し よう ﹂ と ボ ー イを呼 ん だ。 司 令 、 顧 問 、大 尉 は そ の晩 同 じ 〓 に枕 を竝 べ て寝 た が 、大 尉 は何 時 ま でも 何 時 ま で も寝 られ な か つた 。 そ し て自 分 が 反 側す る 毎 に司 令 もま た 目 を覚 ま し て い る よう な気 が し て なら な か つた。 十 二日 午後 二時 三十 分
︹ 伍郎︺
﹁飛行 隊 の協 力 は実 施 せら れず ﹂ また ﹁軍 よ り磯 矢 参 謀 来 多 情 勢 の変 化 を 伝 達 せ ら る﹂ と いう 武 居 参謀 の通報 、 これ が通 信 筒 の内容 だ つた 。 突 嗟 に大 尉 は こ の命 令 を握 り潰 す 腹 を き め た 。李 軍 は 包 囲 され る
﹁爆撃 は駄 目 だ そう です ﹂
顧 問 、高 木 中 佐 、田 古 里少 佐 は立 会 した のだ が 、 これ が後 に問 題
と つげ 、 丁度 集 つて来 た 旅長 以 下 に攻 撃 計 画 を説 明 し た。
と なり 、 大尉 は 三人 の佐 官 を前 に戦 場 で戦 術 を 講 義 し た と ひ どく 軍
劉旅 は助 攻部 隊 、北 門 に攻 撃 を 集 中 、突 撃 は別 令 によ る。
﹁方 針 は敵 を 追 い出 す に あ る。
政 部 顧 問 部 の非 難 を う け る こと とな つた。
尹旅 は西 南 角 に全力 を集 中 、 二個 の突撃 部 隊 を 準 備 、 そ の突撃 は
か も し れ ぬ、 今 退 却 し た ら敵 は猛 然 食 い付 い て来 る だ ろう 。 李 軍 の 士気 は逆 に阻 喪 し あ と 使 いも の に な ら ぬ。 沽 源 をと れ ば士 気 も上 り 、
対 し てす ら 戦術 教 育 に於 て師 団 長 の決 心 を問 題 と し て課 し て いた。
り の掩 護 射撃 下 に逐 次戦 果 を 拡 大 す る こと を厳 命 し、 砲兵 隊 には撃
益 の損害 を出 さ ぬ為 東 門 に殺 到 す る こと な く城 壁 を 確保 し 、 こ こよ
大尉 は 図 上 で説 明 し 、 特 に城 内掃 蕩 戦 に於 ても追 い出 し に徹 し無
以 上 が そ の要 領 だ つた 。
砲撃 は午 後 二時 開 始 と 予 定 す ﹂
但 し両 旅 と も 外 翼 に有力 な乗 馬 予 備 を 控 置 す
砲 撃 の結 果 を待 ち 軍 に於 て命 令 す 。
中国 軍 も手 を控 え 、 日 本軍 の進 出 援 護 も期 せず し て行 わ れ よう 。速 か に沽 源 を と る こと が第 一だ と い う のがそ の理 由 だ つた。 大 尉 のた た き込 まれ て い る日 本 軍 の戦 術 思 想 の 基 調 は ﹁独 断 専 行 ﹂であ り ﹁任 務 は 積 極 的 に解 決 す る﹂こと であ つた 。 独断 専 行 は も と より 上官 の意 図 外 に出 る こと を許 さ れ ぬ。 従 つて 日本 軍 では ﹁こ
だ から 大 尉 は 機 関長 は どう 考 え て い るか と いう 事 がまず 頭 に浮 ん
ど く発 条 が馬 鹿 にな つて弾 力 がな く 、折 れ 、 また 撃 茎 も撃 針 の所 か
発 発 条 及 び撃 茎 を今 か ら温 め てお く こと を注 意 し た 、 ︱ ︱寒気 が ひ
の際 上 官 とし ては か く考 え る﹂ と いう こと を知 ら す 為 士官 候 補 生 に
だ。 攻 囲 三 日、 参 謀長 戦 死恐 ら く前 線 は惨 憺 た る状 況 にあ ると 考 え
過 ぎ ても 来 ぬ 。
砲弾 の到 着 を鶴 首 し て待 つた が午 前 中 には遂 に到 着 せず 、 一時 を
し た のち そ の姿 は張 北 方 向 に消 えた 。
ラバ ラ落 さ れた 丈 だ つた が 、部 隊 の士 気 は と み にあ が つた 。 一旋 回
十 二時 ま た 一機 飛 ん で来 た が不 意 に爆弾 を落 し出 した 、 城 内 に バ
そ し て更 に現 地 を指 示 し念 を押 し た 。
ら割 け る のを 防 ぐ為 ︱ ︱
て いるだ ろう 。 し か も 新 京 か ら は目 付 役 の磯 矢参 謀 が来 て い る。 こ の命 令 は か か る空 気 の中 に書 か れ た に違 いな い。 だ が出 発 前 の申 合 せ では ﹁沽 源 寶 昌 は 必 ず と る ﹂ と いう にあ つた。 ﹁ 成 る べく﹂と い う 所 に含 みが あ る だ ろう 。 し か も情 況 は李 守 信 軍 自 身 が食 う か食 わ れ る か の境 目 にあ る と判 断 さ れ る。 責 任 は 自 分 一人 で負 う 、 顧 問 には 告 げま い。 告 げ た ら責 任 は高 級 先 任 の顧 問 に かか る と思 い定 め た 大 尉 は 、 さ りげ な い顔 で簡 単 に
部 隊 は予 定 位 置 に つ いた。
突 撃隊 は 一気 に斜 面 に飛 び つ い て いく 、拳 銃 を振 り上 げ た 先 頭 の
大 尉 は照 準 坐 に立 ち 上 つて 手 を振 つた 。
んだ。
指 示 し た通 り 城 壁 上 を旗 が動 い てや が て西 側 城壁 の半 ば にま で進
城 内 で は小 銃 声 も 爆音 も せ ぬ。
え る。
部 落 の南 側 を 通 り第 四聯 隊 の主 力 が 沽 源 南 側 の丘稜 に向 う のが 見
将校 は第 三連 隊 長 だ 。
二時 五 〇 〇 米 ま で陣 地 を進 め た 砲兵 隊 に射 撃 開 始 を 命 じ た が 、架 尾 は凍 つた 土 地 に食 い込 まず 、 第 一弾 は遠 く東 方山 地 に飛 ん だ。 一発 でも惜 し い、大 尉 は直 ぐ 射 撃 中 止 を命 じ、 部 落 の端 、敵 前 二 五 〇 米 に砲 車 を推 し出 さ せ自 分 で照準 坐 に坐 り 、発 射 手 の代 り に教 官を坐らせた。 城 壁 の上 から 三 分 の 一、 望 楼 から 三 十米 計 り離 れた 所 に少 し色 の
一発 毎 に砲 車 は躍 り 一米 位 退 る。 大 尉 は手 加 減 し つ つ 一発 一発 に
変 つた 所 を 認 め そ こに照 準 し た 。
心 魂 を こめ て打 ち 込 んだ 。
二十 発 目 上 三分 の 一が グ ラグ ラゆ れ幅 十 五米 計 り が 一度 に崩 れた 。
十 発 目 城 壁 の上部 が欠 け た 。
突 撃 準 備陣 地 で は弾 着 毎 に喚 声 が あ が り、 喇 叭 手 は足 踏 し つ つ狂
三 十発 目 正 面 三十 米 が ポ ッカ リ 口 を開 き 、 土 や石 塊 が 一気 に崩 れ
気 の よう に突 撃譜 を連 奏 す る。
も う 昇 れ そ うだ 。
落 ち て斜 面 を 作 つた。
尹 旅 長 が喜 色 を 浮 べ て飛 ん で来 ても う 突 撃 す る と いう 、大 尉 が時
﹁一寸 待 て ﹂
計 を 見 る と 二時 二十 五 分 、
と 止 め 、照 準 を望 楼 に つけ 一発 撃 ち込 んだ 。
城 壁 か ら の応 射 も今 は 止 んだ。
望 楼 の上 部 は吹 き 飛 び掩 蓋 用 の木 材 は斜 面 に転 げ落 ち た。
﹁突 撃 に前 進 ﹂
沽源 東 方 の山 地 雪 で掩 わ れ た斜 面 を黒 胡麻 の様 な黒 い服 装 の保 安隊
これ で よし 、 ホ ッと し た大 尉 は司 令部 に向 った。 途 中 振 か え る と
の顧 問部 に頼 ん だ から 空 輸 の 方 は 一つ機 関 でや つ てく れ給 え﹂
れ ぬ か ら ド ロンま で送 り あ と 空輸 す る手 筈 にし た い、 ベ ット は承 徳
の金 も治療 費 も私 費 で出 す から と いう のだ。 こ こは 飛 行 機 も降 りら
﹁も う 二時 間 沽源 占 領 が後 れ た ら奉 勅 命 令 違 反 よ﹂
機 嫌 が いい。
機 関 に帰 り つ いた のは 日 も ト ップ リ暮 れ て から だ つた 。 機 関長 は
た。 往 と違 い緊 張 を 欠 く ので帰 り の寒 さ は言 語 に絶 した 。
関 東 軍 命 令 を 伝達 し た参 謀 と 一緒 に大 尉 は ト ラ ック で帰 途 に つい
﹁占 拠 地 はそ のま ま だ、 貴 様 もド ロン に引 上げ る んだ ﹂
﹁フ ン、 ド ロン に引返 す 訳 で も あ るま いな ﹂
﹁情 勢 変 化 、 奉 勅 命 令 と いう所 だ﹂
﹁ど う した んだ ﹂
午 近 く武 居 参 諜 が到 着 し た。
語 る顧 問 も聞 く 大 尉 も今 更 に感 激 を新 にす る のだ つた。
の数 群 が上 つて行 く 。 ﹁早 く 獨 石 口に逃 げ 込 めよ ﹂ 情 勢 変化 、軍 事 行 動 停 止 午 後 四時 ﹁李 守 信軍 は爾 後 の行 動 を 中止 し厳 に現 占 拠 地 を確 保 す べし 。 張
﹁ 細 部 は明 日武 居 参 謀 現 地 に於 て指 示 す ﹂
北 方 向 に対す る警 戒 に遺 憾 な き を期 す るを 要 す ﹂
と いう電 報 をう け た 。 そ のと き大 尉 は、 丁 度 縣政 府 の大 広 間 机 の間
あ ち こち に塊 つ て いる のを感 概 深 く 眺 め て いた。
床 に散 乱 す る書 類 の上 に鐘 乳 洞 の乳 筍 のよ う に盛 り 上 つて凍 る血 が
十 三 日午 前 厳 粛 な慰 霊 祭 が行 わ れ、 参謀 長 の死 が発 表 さ れた 。列 座 の将 兵 は粛 然 と し て声 な く唯 深 く 頭 を 垂 れ た。
と いう 機 関 長 の言葉 は強 烈 な衝 撃 を 大 尉 に与 え た。
奉 勅 命 令 違 反 、擅 ま ま に戦 端 を 開 き た る も の、 軍 法 会 議 。
それ から間 も な く大 尉 が県 職 員 全部 逃亡 重要 書 類 また 焼 却 さ れ 手 の つけ よう も な い縣 政 再 建 に宣 撫 班 と 協 議 し て いる と、 突 然 二 回 小
頭 の中 に こん な こと が走 馬 燈 の如 く映 る。 十 二 日午 後 一時空 中偵
全 を 主張 し得 る と いえ ぬか 。
つた ら 問 題 な く悪 る い に決 つ て いる 。併 し 李 守信 軍 は そ れ 自身 の保
命 令 に違 反 し て攻 撃 し て よ か つた のか悪 か つた のか 、 日本 軍 で あ
これ がま た ダ ブ つて来 る。
﹁燈 籠 樹 附 近敵 の部 隊 ら しき も の北進 中 ﹂
察 の報 告 、
銃 斉 射 を 聞 いた 。何 事 か と司 令 部 に問 い合 せ た が ﹁何 でも な い﹂ と 返 事 し て来 た。 一応 商 務 会 長 に自治 会 を作 ら せ るよ う指 示 を与 え 顧 問 部 に顔 を出 す と、 ﹁ 李 守 信 軍 は軍 紀 厳 正だ よ。 腹 が痛 いと いう の で黙 つ て第 一線 を 退 つた少 尉小 隊 長 と 昨 晩 寒 いか ら と布 団 代 り に民 家 の入 口 の防 寒 垂 幕 を掠 奪 した 兵 が今 銃 殺 さ れ た所 だ。 そ れ か ら ね 、司 令 が 重傷 者 を承 徳 に送 り病 院 に入 れ て く れ、空 輸
だ が十 二日 午 後 の政 撃 も 失 敗 し 、 そ こ へ右 側背 か ら噛 み つか れた ら どう だ つた ろ う。 沽 源 の事 は 全 く僥 倖 だ つた 、 だ から や はり咎 め
方 の平定 堡 から 発 せ ら れた のだ 。
チ ヤ ハル当 局 も御 大 宋 哲 元 も最 初 は伏 せ て置 き た か つた ろ う 。 し
か し教 会 の情 報 網 は列 国 に通 じ る 、蒙 匪 の騒 擾 と済 ま そう にも 匪賊
﹁ 偵 察 飛行 中 射撃 を う け た るを 以 て爆撃 を 以 て これ に応 ぜ り﹂
が飛 行機 を持 つと は いえ ぬ 、 そ こ で天津 軍 への抗 議 と な つた が 、
ら る べ き であ る。 少 く と も自 分 自身 は こ れ を責 め ね ば なら ぬ 。 し か し上 司 から は 別 に沙 汰 はな か つた。 それ は 日本 陸 軍 が勝 つと
英 米 の態 度 は硬 化 し てく る 、天 津 軍 は情 勢 有利 に進 展 し つ つあ り
のだ つた 。
た以 上 李 守信 軍 の要 求 を 容 れ る訳 に は いか な いと いう 理 由 によ るも
も容 れ ら れ な か つた のは 、 飛 行隊 が ハ ッキリ 日本 軍 と 中 国側 に答 え
と協 定 に 示す 権 利 の行使 と し て突 放 さ れ た。 大 尉 が 爆撃 を要 求 し て
いう こと が第 一だ つた から と 、機 関 長参 謀 が十 二日 に於 け る大 尉 の
大 尉 は早 く休 めと いわ れ た床 の中 で電報 綴 りと 新 聞 と を読 み出 し
判 断 を是 認 し弁 護 し てく れ た から でも あ ろう 。
た が 、目 が 冴 え て容 易 に眠 れず 暁 に及 ん だ 。 沽 源 が爆 撃 された ニ ュー スは キ リ スト教 会 の情 報 網 で先ず 平 津 地 区 に伝 えら れ た。 沽 源 の南 崇 礼縣 の西湾 子 に は壮 大 な教 会 が あ り そ
と報 告 し てく る 、 日本 の中央 と し て は故 ら事 を繁 く はし た くな い°
拡 が つて い た。 国 民政 府 に な つ て政 治的 に はそ の租 界 的 存 在 は否 認
中 国 沿 岸 に築 かれ て いると き宗教 租界 は そ の内陸 に人 知 れ ぬ ま ま に
団 に よ る開 拓 は、 百年 の歴 史 を持 つ厳 た る租 界 であ る。 商 業租 界 が
應 欽 は こ の目 に見 え ぬ関 東 軍 に負 け 、遂 に冀 察政 権 編 成 の止 む な き
は当然 と判 断 され る が何 れ の線 を目 標 にす る のか全 く判 ら な い。 何
は李 守信 軍 に よ つ て全 く秘 匿 され て いて正 体 が つか め ぬ。 そ の南 下
の南 下 を重 視 し て いた 。熱 河 か ら チ ヤ ハル台 地 に向 う 日本 軍 の動 静
北 平 にあ つ て宋 哲 元 の監 視 説得 に任 じ て いた何 應 欽 は、 李 守信 軍
か くし て関東 軍 制扼 の手 が打 た れ出 した。
さ れた が実 質 的 に は何等 変 化 はな い。教 団 は資 本 を持 ち 入 植 民 を呼
陝 西 か ら綏 遠 チ ヤ ハル熱 河 と長 城線 に沿 う て断 続 す る キリ スト教
こは 口北布 教 の基 地 であ ると 共 に 開 拓 の総 本部 でも あ つた 。
び或 は集 め開 拓を 進 め る 。土 地 は教 団 のも の であ り 、開 拓 民 は そ の
七 日 一中全 会 に於 て胡漢 民 を 中央 常 務 委 員 主席 に、ま た 汪 精衛 を
な るを 進言 す る に至 つた も のだ ろ う。
中 央 政 治 委 員会 主 席 に推 し自 ら行 政 院長 と し て政 治 の正 面 に立 つた
を 南 京 に報 告 し意 図 不 明 の関 東 軍 を 一時 現 況 に釘付 け にす る の得 策
教 団 は自 衛 の武 力 を 持 つ。重 火 器 は も と よ り火 砲 す ら持 つも のも
小 作 だ。 独 立開 拓 民 も荘 園 に走 つ て公賦 の軽 減 を 期 し た農 民 の如 く
あ る。 兵 は宗 教 的 信 念 も あ つて極 め て勇 敢 だ。 従 つて匪 賊 が 手 が 出
蒋 介 石 は 、西 南 、 中 共 、華 北 と情 勢 を見 比 べ て いた が何 應 欽 の進 言
教 団 の庇 護 下 に入 つた 。
ぬ計 り か嘗 て共産 軍 も西 北 軍 も手 ひど く 反撃 され た苦 い経 験 を 持 つ
磯 矢 参謀 が ド ロ ンに 飛 ん だ のは こ の情 勢 変 化 に応ず る も の で、 現
を容 れ 十 一日翼 察 政 務 委員 会 の顔 触 を発 表 した 。 沽 源縣 の開 拓 も教 団 に よ るも の多 く 、 沽 源爆 撃 の第 一報 は そ の西
て いる。 そ の連 絡 は無 電 によ り、 大 き な所 は自 家 発 電 を や つて いた。
地 天津 軍 とし ては無 謀 な李 守信 軍 の行 動 によ り折 角 こ こま で も り立 て て来 た宋 哲 元 の足 を引 張 り 、 工作 を 御 破 算 にす る の愚 を痛 烈 に中
け れ ど このと き 、第 一線 は 遠 く機 関 長 の手裏 を脱 し、 そ の命 令 は
央 に具申 し た訳 だ ろ う。
配 属 憲兵 は こ のと き と計 り威 力 を 示 し 、立 入 禁 止 のラ マ廟 に坊 主
機 関 の事 務室 は軍 御 用 商 人 の詰 所 に成 り 下 り、 ジ ャ ンバ ー姿 の大
共 を驚 かせ 、縣 政 府 指 導 の為 庁 舎 内 に 一室 を提 供 せよ と いう 。
尉 ま で若 い日本 軍 下士 官 に荷物 を担 がさ れ る始 末 。
胸 一杯 つけ てか ら で な いと 日本 軍 将 兵 の前 に出 ぬ こと にした と笑 う
飛行 隊 長 は 、高 等 官 待遇 の金 色 の マーク丈 で は駄 目 だ から 略 綬 を
十 二 日大 尉 が断 乎 沽源 奪 取 と決 心 し た そ のと き 、北 平郊 外 頤和 園
大 尉 に握 り潰 さ れ て いた。
だ が これ ら の事 も話 す れ ば判 る ので助 か つた 。 支 隊長 は大 尉 に蒙
そ の晩 大 尉 が到 る所 に手榴 弾 が転 が り〓 の中 にも 装 置 され て いる
仁堂 に何 應 欽 を訪 い正 式 に冀 察 政 権 の承 認 を伝 え ら れ愁 眉 を 開 いた。
大 隊 から 派 遣 さ れ た大 阪 師 団 で編 成 した も の、 そ の中 隊 長 は 二期 下 ︹ 正英︺ の堀 田大 尉 だか ら ﹁ヤア、 ヤ ア﹂ で済 む。
古 入 をす す め た松 井 大 佐 。 砲兵 中 隊 は 元 来 の所 属 独 立 野 砲兵 第 十 一
︹ 太久郎︺
に引 込 んで い た宋 哲 元 は蕭 振 瀛 、 秦 徳純 に迎 え ら れ 一週 間 ぶり に居
ので火 の気 も起 し得 ぬ沽 源縣 政 府 庁 舎 で ヒ シ ヒシと迫 る寒 さ に転 々
歩 兵 は自 動 車 で輸 送 され た が 、砲 兵 は 承徳 か ら十 日 行 軍 し て来 た
は 事 の重 大 さ に直 接李 守 信 に ぶ つかり 、 な お裏 面 情 報 の蒐 集 を今 岡
﹁李 守 信 が下 野 を希 望 し部 下 に動 揺 の色 が あ る﹂ と いう。 機 関 長
こ のカ ラリ と せ ぬと き 、今 岡 機 関員 が 重大 な報 告 を持 ち出 し た。
人 で憤 慨 し て いた。
戻 し た が煮 え 切 ら ぬ こと は依 然 た るも のがあ り、熱 血漢 干 蘭 澤 は 一
田古 里少 佐を 通 ず る卓 工作 は捗 々し くな い。 や つと張 家 口 から引
中 隊 を 褒 め た が大 尉 は嬉 し く こ の言葉 を 聞 いた 。
兵 員 を も弱 卒 にし てし まう 、 こ の逆 もま た 真 だ ﹂ と、 支 隊 長 は砲 兵
いえ ぬ 。周 到 な 訓 練 と適 切 な指揮 が欠 け た と き は最 良 の素 質 を持 つ
のだ 、 し かも 一名 の凍 傷 患 者 も 出 さ な か つた 。 ﹁ 大阪 子 が弱 いとは
反側 し て いた午 後 八時 十 分何 應 欽 は北 平停 車 場 から南 京行 の列 車 に 乗 り込 んだ 。 南 京 で は外 交 部長 張 羣 、鉄 道 部 長 張 公 権 、実 業 部長 呉鼎 昌 、 内政
知 日 は親 日 でも な い 、売 国 奴 でもな い、我 を知 る が故 に 一層 手 硬
部 長蒋 作 賓 と知 日派 を ズ ラ リと竝 べ た新 閣僚 の発 表 を 見 た 。
い こと を覚 悟 せ ね ば な ら な い。 ﹁喧 嘩 到 一 ﹂の怒 り ド ロン の空 気 は沈 滞 し て終 つた。 飛行 隊 も 進 駐 日本 軍 も無 聊 に苦 み、 た だ寒 さ丈 が猛 威 を振 つ て いた。 寶 昌沽 源 の線 を 確保 し た後 李 軍 司令 部 は ド ロンに引 上 げ た が、 参
た だ顧 問 部 のみは 花 々し く凱 旋 し独 り戦 勝 を 誇 つて いた。
謀 長 を亡 く した 悲 し み は何 か精 気 を失 わせ て いる。
機 関 員 に命 じた 。
﹁司令 は た だ自 分 も旅 長 連 も年 を と つた か ら後 進 に道 を 開 き た い
特 務 機 関 は敵 地 へ進撃 し た気 分 の日 本軍 将 兵 の取 扱 い に手 を焼 く 日 が続 いた 。
員 が漢 人 で あり 乍 ら蒙 古 工作 に使 え ると いう のは彼 等 が李 守 信 に絶
いう も のが使 え る ので 、漢 人 であ つたら こん な こと は 夢 だ 。部 隊 全
と いう のだ 。 司令 が蒙 古 人 であ れば こ そ軍 の内 蒙 工作 に李 守 信 軍 と
で いた 大 尉 は新 京 に飛 ん だ。
て でも ﹂ と いう こと にな り 、感 冒 で熱 が高 く、 気 も く さ つ て寝 込 ん
に機 関 長 は 一切 を語 つた。 す ると ﹁ 何 だ そ んな こと な ら俺 が 操 縦 し
﹁ど ん な要 件 が あ る のだ ﹂ と 、 ブ ラ リ午過 ぎ や つて来 た 飛行 隊 長
つ のを祈 つた。
を 数 え る こと と思 う と憂 鬱 で、 た だ目 を つぶ つて ひた す ら時 間 のた
は堪 えら れぬ位 寒 く、 そ の上顧 問 更 迭 と いう こと がそ の人個 人 の非
ヒー タ ーを除 き爆 撃 照 準 孔 を あけ た 座席 は毛 布 を 持 ち込 んだ 丈 で
対 心服 して い れば こそ だ。 軍 と し て は李 守 信 を失 う こと は出 来 な い。 今岡 機 関員 は李 守 信 軍 の顧 問 部 に対 す る反 感 が爆 発 し た のだ と い う。 つま り 防寒 具 な し で戦争 に駆 り出 され、 軽 くは あ る が殆 ど全 員凍 傷 に やら れ た事 が直 接 の原 因 で、 従 来 か ら軍 費 の使 用 区分 に対 し 勘
人 心 地 もな い思 い で軍 司 令 部 に入 ると も う 退 庁時 刻 間 際 だ つた。
︹ 盛壽︺
河 邊 課長 、 田中 、専 田参 謀 に武 居参 謀 を 加 え た列 座 の前 で大 尉 は
︹ 隆吉︺
定高 い漢 人 の常 と し て か ね て抱 いて いた疑 問 が大 きく な つて来 た の
対 に熱 す ぎ る ホ テ ル の スチ ー ムに寝 苦 し い 一夜 を 明 し た。
し て 一敵 国 を な し て いた ので どう納 ま る かと 飛行 機 中 の寒 さと は 反
関 東 軍 が 軍中 央 に対 す る と同 様 、 顧 問部 は豪 傑 揃 いで軍 参 謀 部 に対
時 の軍政 部 最 高 顧 問 は ﹁喧 嘩 到 一﹂ で呼 ば れ る佐 々木 少 将 だ つた、
と 判決 し 、明 日中 には話 はき ま る 、今 晩 は ユ ック リ休 め と 犒 つた 。
﹁下永 さ ん に傷 が付 か ねば い い のだ ね﹂
ら ね ば な らぬ こと を悲 んだ が 、 中佐 は大 尉 に全部 を いわ さず
ま つ訳 だ が、 こ の人格 者 にか り に も上 官 を非 難 す る よう な ことを 語
課長 は穏 健 だ が 三人 の参謀 は強 硬 だ 。裁 断 は第 一課 長綾 部 中 佐 に
と結 んだ 。
個 人或 は顧 問部 をど う こう と いう ので はあ り ませ ん﹂
﹁現 状勢 にお け る李 守 信軍 と顧 問 と の重 量 の比較 であ つて、顧 問
一切を 語 り
︹虎 四 郎 ︺
だ と いう。 満 洲 国軍 式 のキ チ ンと し た経 理 事 務 は今 ま で隊長 の請 負 式 にな つて いた 李 守信 軍 にはま だ よ く理 解 され ぬ所 から 疑 問 が疑 問 を 産 ん だ訳 だ ろう 。 所 が も つと厄 介 な こと は李 守信 軍将 校 が顧 問部 の若 い者 に対 し反 感 を 募 ら せ て いる こと だ つた。 そ こ で司 令 や旅 長連 が立 場 に窮 し た
機 関 長 は 、 こ の急 場 を 切抜 け る には 機 関顧 問 部 の両頭 政 治 を 一本
訳だ。
にす る 以外 な いと判 決 し た 。所 が今 ま で ですら 顧 問部 と機 関 の対 立 は新 京 に聞 え で いた。 それ が 工作 中 途 でか か る意 見 を 具申 す る こと は誠 に非 常 のこと と な る。 機 関長 は そ の苦 衷 を大 尉 に諮 つた。 大 尉 は非 常 の時非 常 の処 置 ま
事 は 急 且密 な るを要 す る。
た 止 む を得 ず と し た 。
新 京 行 飛行 機 を 出 す こと を飛 行 隊 に頼 んだ が定 期 があ す出 ると い う ので断 わ ら れた 。
﹁上 手 く い つた 、直 ぐ帰 れ﹂
﹁下永 さ ん に傷 は つか ん でし よう ね﹂
田 中参 謀 は上 機 嫌
﹁心 配 す るな 、 軍政 部 の弘 報 部長 に栄 転 だ ﹂ 大尉 は急 に腹 が減 つた よう に感 じ た。 朝 飯 は 一杯 し か咽 喉 を通 ら な か つた こと を 思 い出 し た。 大 尉 の飛行 機 が承徳 で給 油 し て いると 、 そ こ へド ロ ンか ら の定 期
﹁君 新 京 へ行 つと つた か。 僕 は新 京 に呼 ば れ て ね 、何 だ か判 ら ぬ
が つき 下永 中 佐 が降 り て来 た 。
が 留守 中若 いも のを頼 むよ ﹂ と 何時 も のよう に愛想 よ く話 し かけ た 。大 尉 はどう 返 事 を し よう も なく ﹁新 京 も寒 い です よ﹂ と 取 つて つけ た よ う な返 事 を し た 、そ のと き い い具 合 に ﹁ 準 備 よし ﹂ と いう 地 上勤 務 員 の言 葉 に救 わ れ て別 れを 告 げ る こと が 出来 た。 大 尉 の報 告 は直 ち に機 関 長 か ら司 令 へ、 そ し て そ の部 下 に伝 え ら れ た。 顧 問 は帰 つ て こな い、荷 物 を直 ぐ 新 京 へ送 れ と いう 電報 に顧 問 部 は動 揺 し た 。
集 つた 。
﹁松 井 評判 が悪 いそ 。貴 様 や機 関長 が功 名 手 柄 を機 関 で 一人 占 め
新 京 軍 政部 顧 問 部 の同期 生 は、
した いた め 下永 さ んを蹴 落 し たと 、 ド ロン顧 問 部 か ら連 名 の建 白書
ヒ ッパタ イ てや ると いう と る﹂
が出 され ﹁ 到 一﹂ な ん か貴 様 が こ んど新 京 に来 た ら足 腰 た た ぬま で
と知 ら せ て来 た。 大 尉 は功 名 手柄 所 か 軍法 会 議 の呼 出 を ま つて いる
な に ﹁名 ﹂ に憧 が れ る のだ ろう か。
位 だと 苦 笑 せず に はお れ な か つた 。 日 本 人と いう 奴 は どう し て こん
十 二月 十 八 日朝 八 時 冀察 政 務 委 員 会 の成 立 式 が厳 重 な憲 兵 巡 警 の
警 戒 裡 に北 平外 交 大 楼 で行 わ れた 。
日時 を厳 秘 に し てあ る ので 、街 には国 旗 も出 て いな い、来 賓 は僅
華 北 民 衆 の為 の委 員 会 と いう のに これ はま た 何 と いう こと だ 。
か に六 〇 名 に満 た ぬ。
大 掛 児 に威儀 を正 し た 宋 委員 長 以 下 は ど ん な こと を 考 え て いた こ
た だ漸 く バ スに乗 れた所 謂 華 北 の長 老 と蕭 振 瀛 、 土 肥原 少 将 が ホ
と か。
こ の式 典 のこと が外部 に漏 れ ると 、 御膝 下 北 平 数 千 の学 生 は各 城
ク ソ笑 ん だ こと は事 実 だ ろう 。
門 に殺到 公 安局 員 や巡 警 と 混乱 の中 に対峙 し、 天 津 では 四百 の女学
機 関 長 が顧 問兼 任 と 発 令 さ れ 、几 帳 面 な彼 は就 任 の初 め書 類 を 点 検 し出 し た ° そ れ は当 然 の処置 で あ つた のに も拘 わ ら ず 血 の気 の多
生 を 混 じ え た三 千 も の学 生 が市 政 府 に押 かけ 、 や が て この学 生 運 動
二十 五 日学 生 運 動 は痛 ま し い犠 牲 を そ の祭 壇 に求 め 汪内 閣 外 交部
は燎 原 の火 の如 く 中 国 全 土 に拡 が つ て行 く のだ つた。
い顧 問 部 の連 中 は ﹁親 分 の非 を探 す ﹂ と 憤慨 し 、 着 任 以来 グ ズ と映 つ て いた大 尉 が戦 場 では顧 問 を 無 視 し て戦 闘 指 導 を 主宰 し 、新 京 に飛 ん では顧 問 を 追 つたと 彼 等 の憎 し み は大 尉 に
次長 と し て中 日間 の苦 悩 を 一人 で負 う て いた唐 有 壬 が兇 弾 に斃 され た。 冀 察 政 務 委 員 会 は誕 生 し ても ス ロモー に明 暮 し て いる と き 、冀 東 自 治 委 員会 は政 府 に改 組 独 立 を 宣言 し列 国 を瞠 目 さ せ 、第 二 の満 洲 国 の成 立 と し て中 国 全 土 は 沸 き 返 る のだ つた 。
午 過 ぎ 、 三 人 は張 家 口 の南 門 を 通 り 、 鉄 道 線路 沿 い の高 台 に あ る
張 北 の上空 から李 守信 軍 の進 駐 状 況 を視 察 し つ つ張 家 口に飛 ん だ。
防 寒 帽 フ エルト の長靴 毛 皮 裏 外 套 の三 人 が 軍 刀 の柄 を握 つて通 つ
張家 口機 関 に入 つた 。
た室 は 、春 の よう に温 か く 、絨 た ん の色 も華 か で卓 上 には花 さ え飾
ら れ て いた。 ︹ 四郎︺ 主 人大 本 少 佐 は短 躯 を 長 衫 に つ つみ、 血 色 の い い顔 で愛 想 よ く迎
冀 察 政 権 の陳 覚 生 は冀 東 政 府 に先 手 を打 た れ て はと 、 北寧 鉄 路 を 接 収 、 鉄 路 に関 す る限 り南 京 と 絶 縁 す る と声 明 し たが 、 筋 は南 京 に
えた。
神 威 台 も困 る、 一度 協 議 し て細 部 を 決 めた い。 長城 線 と いう ても 幾
﹁一寸 待 つて下 さ い° 今 朝 も張 自 忠 から大 境 門 は勘 弁 し てく れ 。
大 本 少 佐 はあ わ てた。
﹁いい か、 大境 門 に も赤 地白 丸 の旗 を 立 て る ぞ﹂
一々駄 目 を 押 す。
浅 海 機 関 長 が 図 上 で李 軍 の進 駐 計 画 を 説 明 し出 す と 、 田 中 参謀 が
通 ず る。 五十 日華 北 にあ つた 土肥 原少 将 は二 十 六 日午 後 三時 奉 天 に帰 つた が 、 そ の姿 は十 月 のそ れ と は別 人 のよう だ 。 口北 六縣 は停 戦 協 定 の延長 線 内 にあ る。 李 軍 の進 駐 は即 蒙 古 保 安 隊 の進 駐 に過 ぎ ぬ 。 蕭 は よ く働 いた から 、 かね て望 む天 津 市 長 にし て や ろ う、 張 自 忠
冀 察 政 権 は冀 東 政 府 に尻 を た た か せ れば い い、 冀察 が グ ズグ スし
重 も あ る ので最 北 方 の線 と 中国 側 は解 釈 し て い ると申 入 れ て来 た の
は 本 職 の主 席 にし て やれ ば 口北 六縣 に は目 を つ ぶる に違 い な い。
て いる なら 内 蒙 に新 政 府 を 立 て冀 東 と夾 撃 させ れ ば いや でも 冀 察 は
前 進 堡 、連 絡 堡 の線 が数 線 にあ る 。 チ ヤ ハル台 地 の縁端 が主 抵 抗
な く た だ稜 線 の頂 に望 楼 の跡 が 小高 く残 つて い る程 度 の所 も あ る。
は な い。 三角 断 面 に石 塊 が積 ま れ て いる程 度 の所 も あ り 、 そ れす ら
長 城 と いう が 、 こ の辺 は山 海 關 や古 北 口 のよ う な城 壁 が あ る訳 で
です ﹂
少 将 は愉 快 げ に こ んな 事 を考 え て いた だ ろ う 。
南 京 と 断 つ。
大 境 門 への進 撃 は待 て
こ の命 令 にド ロン機 関 二旬 の憂 鬱 は 一度 に吹 き 飛 び 、町 も 活 気 づ
こ の縁 端 と の交 点 に当 る要 点 で、 こ こか ら 万全 への進 出 は た だ下 り
線 で、神 威台 は張 庫 街 道 と は 別 に新 し く作 ら れた 張 家 口張 北街 道 と
﹁口北 六 縣 への進 駐 は年 内 と す ﹂
い た。 準 備 は 敏 速 に行 わ れ 、 二十 九 日寶 昌沽 源 の線 を 出 発 と 定 め ら
一方 であ る計 り か 、 そ の西 方 の谷 地 を 利 用 さ れ れば 直 接 平綏 線遮 断
れ た。 三十 日新 京 か ら 田 中参 謀 が飛 来 し 、 機 関 長 、 大尉 は同 行 、康 保 、
ま た 大 境 門 は張 家 口市 街 の北 門 で、 こ こに上 れば 省 政 府 以 下 の官
はど う にも 防 ぎ よ う が な い。
衙 は目 の下 に見 ら れ る。 ﹁馬 鹿 いえ 、協 議 は土 肥 原 さ ん と宋 の間 で終 つて い る。縣 境 は何
参 謀 は ケ ロリと し て こ の経済 合 作問 題 を論 じ 出 し て、 二度 と国 境
紡 の粗 毛 処 理 工場 の問 題 と 色 々あ るか ら な﹂
大 尉 は 自 分 に関 係 のな い こと と 別 の こと を 考 え て いた 。
線 の こと に は 触 れず 、 そ の経済 論 は 止 め度 な く発 展 し て行 く 。
機 関 に入 る踏 切 の手前 に は ソ連 の国旗 を立 てた 一構 え の家 が あ つ
た ので、 そ の こと を考 え て いた のだ 。 外蒙 貿 易 をや つ て いた徳 化 公
所 だ、 俺 が 張 家 口駐 在員 だ つた こと は知 つて る だ ろう ﹂
司 も あ る。 珍 ら し く 立 派 な張 家 飯 店 で は未 だ に ロシ ヤ料理 一点 張 り
﹂
﹁
は美 味 いぞ﹂
﹁う ん行 くぞ 、 話 は別 、 食 う 丈 食 う 。 あ い つ の所 の湯 (スープ )
と 大 本機 関 長 が いう と 、
﹁時 に今 晩 張 自 忠 から 招 待 が あ る のです が ﹂
一し き り参 謀 の御 談 議 は 了 つた らし い。
見 つか る のでは あ るま いか。
と も聞 く、 案 外 ポ スト を ここ張 家 口 に置 いた ら 外蒙 情 報 蒐 集 の鍵 が
﹁大 体 天 津 軍 の奴 等 は 、 生活 を 楽 んど るか ら そ ん な風 に中 国 側 か ら な め ら れ る んだ ﹂ 田 中参 謀 のこ の 一言 は 、 さ す が 温厚 な大 本 少 佐 を怒 ら せ た。 そ の
大 尉 は少 佐 が気 の毒 でた ま らず 、視 線 を外 し た。 三絃 と嬌 声 のサ
面 は朱 に染 ま つた 。
ンザ メク と ころ愛 妓 と称 し 、狎 妓 と 呼 ぶ化 粧 のも のを 近 づ け酒 盃 を
と 答 え た。
あげ て豪 傑 を 気取 る の は生 活 を 楽 む こと になら ぬ の か、 公然 妻 子携 行 を 許 さ れ て家庭 生 活を 営 ん で い る こと が どう し て攻 撃 さ れ る のか、
﹁いよ いよ 正式 の主 席 です な ﹂
一時 、話 は和 や か に弾 む 。
座 に招 ぜ ら れ る と 、型 のよ う に茶 や煙 草 がす す め ら れ 食 事 ま で の
かく 女 の様 に柔 か で滑 ら かだ 、 武 人 と いう 感 じは せ ぬ 。
つき当 り の 正庁 の入 口 で主 席 代 理 は迎 え て いた 。 握 手 し た 掌 は温
す る 、貴 賓 扱 いだ 。
政 府 の幾 重 の門 は、 中 央 の扉 を 明 け放 し 職 員 が 侍 立 し 丁 重 に挨 拶
夕 方 迎 え の車 で問 題 の大境 門 に近 い省 政 府 に案 内 さ れ た。
隆 吉 一流 の ハ ッタ リ だ。 大 尉 は実 に不愉 快 に な つた 。 幸 い浅 海 機 関 長 が いい具 合 にそ の場 の空 気 を救 つた 。 ﹁旗 を 立 て て睨 み合 う のが本 旨 では な い、 ト ラブ ルを さけ 相 互 に 侵 さず 侵 さ れず と いう現 実 問題 が解 決 さ れれ ば い い。大 灘 事 件 のよ う に チ ョ ッカ イを 出 さ ぬ と張 自 忠 が誓 約 し、 これ を忠 実 に履 行 す る
﹁そ う か 、現 地機 関 長 がそ う いう な ら、 そ れ で い い。 そ の辺 は馬
な ら兵 を線 上 に配 置 す るし な いは問 題 で はな い でし よ う﹂
﹁大 本 い いだ ろう ﹂
々虎 々 ( 適 当) にす る か、 大 本 の顔 も 立 つし な﹂
﹁そう し て貰 え ば、 これ から の工作 が楽 だ。 電 燈 会 社 の問 題 、鐘
等 と いう 御 世 辞 も 客側 か ら出 る。 そ のと き 一人 の職 員 が 一寸 あ わ てて 入 つて来 て、 紙 片 を主席 代 理
そ の顔 は 一瞬 厳 し い色 を見 せた が、 直 ぐ も と の柔 和 さ に帰 り 、王
に 渡 し た。
科長 を呼 んだ 、 ︱ 科 長 は留 日学 生 出 身 で接 待 に努 め て いた ︱︱ チ ャ ンペ イと かタ ー チ ンメ ンと か いう 言 葉 が 聞 え る。
﹁李 守信 軍 が張 北 に入 つた そう です 。 引 続 き 大 境門 、神 威 台 に進
王 科 長 は 田中 参 謀 に向 い、 そ の顔 色 を う かが う よう に 口を 切 つた 。
撃 す ると揚 言 し て いる の です が 何 と か し て止 め て頂 き た い﹂
﹁冗 談 じ や な い よ、僕 は関東 軍 の参 謀 だ 。進 軍 す る のは李 守 信 軍
田 中 参 謀 は椅 子 を キ シ マセ、 反 つく り かえ つて豪 傑 笑 を し た。
科 長 は 早 口で喋 る 。張 自 忠 は 一々う なず い て いた が 、 笑 いを 含 ん
だ と いう のじ やな いか ﹂
で参 謀 に向 つて 一語 一語 区 切 つて ユ ック リ話 し出 し た 。 ﹁大 関 東 軍 の威 力 を 以 てす れば ﹂ ﹁李 守 信 軍 は 無条 件 で し よう ﹂
張 自 忠 は 日 本語 が判 ら ぬ 筈 だ が参 謀 の答 は判 つ て いる 。科 長 の通
﹁張 北 と の電 話 線 は 切 れ て い る﹂
訳 の終 る のも 待 たず 、
と いう た。
関 東 軍 か ら大 尉 、 張家 口機 関 から 大 山 嘱 託 、 中国 側 から 王 科 長 と
の連 絡 を と る こと とな つた。
三 人 が指 名 され 、 主席 代 理 の握 手 を う け て張 北 に向 い、 李 守信 軍 と
張 家 口 から 長 城 線 ま で の自 動 車 道 は素 晴 し く いい道 、 鉄 輪 の車 を
万 全 の隘 路 を超 え 膳坊 堡 を過 ぎ ると 上 り坂 にな る。
乗 り上 げ た も のは 死 刑 にし た と いう 話 も あ る。
﹁じ き長 城 線 ﹂
小 銃声 でも聞 え ると 厄 介 だ な と 考 え て い ると 、 不意 に ヘッド ライ
い て いる 、胸 に は手 榴 弾 がズ ラリ と ぶ ら下 つ て い て銃 を片 手 に手 を
ト の中 に中国 兵 の姿 が 映 つた 。背 負 つた青 竜 刀 の柄 が背 中 か ら のぞ
あ げ 足 を踏 ん張 つた姿 は 仲 々頼 母 し い。
と 左側 の崖
から 十 数 人 の中 国 兵 が装 具 を ガ チ ャガ チ ャさ せ土 砂 を 崩 し て 飛 び降
運 転 手 は あ わ て てブ レ ー キを かけ た 、 とた ん バ ラ〓
り て来 て車 を囲 ん だ。
﹁お願 いし ま す 、 ど う ぞ ﹂ 主客 共 に芝 居 の セリ フを や りと りし て いる丈 。
ガ ラ ス窓 に つき つけ た 銃 剣 が ガ チ ガ チ音 をた て る物 騒 な御 出 迎 い
弱 つて い る筈 の張 は 、 や つて見 ろ 鎧袖 一触 と考 え て いる だ ろ う し、
﹁聞 く か聞 か ぬ か保 証 は出 来 な い、 だ が主 席 代 理 と 私 は 朋 友 だ、
館 の魚 でも 見 て いる よう に いき り ま く つて いる中 国 兵 の顔 を見 て い
こ んな と き の こと は 一切大 山 嘱 託 に委 し て あ る の で、大 尉 は水 族
だ。
我 々は同 志 です 。 冀 察政 権 も成 立 した 今 日私 も 一つや つ て見 ま し よ
た 。 真 中 の科長 は ブ ルブ ル震 え て いる。
参 謀 は真 面 目 な 顔 を し て重 々し く答 え た。
強 が り の参 謀 は、 沽 源 でも 四 日 か か つた と計 算 し て い る に違 いな い。
う﹂
嘱 託 は、 胸 の バ ッヂ 、 チ ヤ ハル省 特 別保 安 隊 の それ を 見 せ 、早 口
後 ろ の方 から 長 ら し い のが顔 を出 し た 。
で のぞ き こむ 兵 に何 か怒 鳴 つた 。
嘱 託 は 二言 三 言 怒鳴 る 、 そ の将 校 は兵 の方 を向 い て号 令 を かけ兵
﹁馬 鹿 にし て います ね 。省 政 府 と 師 司令 部 に電 話 です ぐ 聞 け と 叱
は 十米 計 り退 つた 。
つ てや り ま し た。 ハッタ リ で す よ﹂ 嘱 託 が笑 い乍 ら 話 し て いると 、 一寸年 配 の将 校 が前 の将 校 の案 内 でや つ て来 た。 嘱 託 は穏 や か に話 し 出 し た。 通 じ た ら し い、若 い方 の将 校 の号 令 で兵 は 道 を あ け た。 嘱 託 は 手 を あげ 運 転 手 に スタ ー トを 命 じ た 。車 が動 き 出 す と 張 家
﹁中 国 軍 は指 揮 系 統 が複 雑 でし て ね﹂
口以来 だ ま り こく つ て いた科 長 が
長 城 線 を超 え ると 一度 に道 が悪 く な る、 雪 溜 り に 二 回 も突 込 みそ
と 申 訳 見 た いに つぶや いた 。
の都 度 下 り て押 した 。 漸 く平 坦 地 に出 た ら し く動 揺 も減 つた 。 広 い道 路 の両 側 には 土 塀 が 城壁 のよう に連 なり ﹁駝 店 ﹂ ﹁馬店 ﹂ と 一米 四 方 も あ る 字 が 書 い
﹁これ は馬 や駱 駝 を と め る宿 屋 です ﹂
てあ る 。
と いう 嘱 託 の説 明 に ﹁な る程 こ の辺 は耕 作 地 帯 馬 の御 宿 が い るわ い﹂
張 北 の手前 で李 守 信 軍 の 一部 に会 う かと 思 つた が 、 と う とう 城 門
と 思 つた 。
扉 は ピ ッタ リ閉 つて いる 。
ま で来 て終 つた 。 騎 兵 ら し く 全部 を城 内 に いれ て いる のだ ろう 。
車 を と め科 長 丈 残 し、 二人 は ヘ ッド ラ イ ト の光 芒 の中 を ユ ック リ
無 気 味 な沈 黙 が 四 辺 を包 ん で いる 。 地 上 に長 く引 いた 二 人 の影 が
城 門 に近 づ いた 。
扉 の脚 で折 れ 、頭 が肩 が そし て殆 ど 全 身 が映 るま で近 よ つた 。
﹁誰 呀 ﹂
頭 の上 に城 門 の望 楼 が のし か か つ て いる 。
鋭 い声 だ 。
と喋 つた。
﹁ヤレ ヤ レ、 ず ど ん と や ら れ ん で済 ん だ な ﹂
嘱 託 は ペ ラ〓
﹁大 丈 夫 です 。 中隊 長 の名 前 を 聞 いた ら 私 の知 つて い る男 でし た か ら﹂
と いう て い ると 、 上 か ら別 の声 がし た 。
と いう 音 、 重 々し いギ ー ッと いう 響 を さ せ て扉 が開 かれ 、
そ れ は親 愛 感 の こも つた声 だ つた 。 ガ ラ〓
盛 にバ リ ケ ー ドを 片 付 け て いる兵 の姿 が見 え る 。
﹁ 風 呂 屋 と は考 え た な ﹂
﹁旅 長 は風 呂 屋 に陣 取 つ て いる そう です ﹂
二 人 は笑 つた 。 科 長 も つり 込 ま れ た。
本 道 か ら 一寸 入 つた 所 で車 が停 め ら れた 。 ガ ソリ ンラ ンプ が煌 々
案 内 さ れ た室 は ム ー ッと す る位 温 い。 旅 長 は風 呂 の最 中 だ か ら少
と し て いる。
し 待 つて く れと いう 副 官 の 口上 だ つた が、 待 つ間 も な く咽 喉 に布 を
合 は直 ち に爆 撃 さ れ る。 そ の責 任 は中 国 側 に あ る﹂
﹁一切 の戦 闘挑 発 行 動 を 行 わず 、単 独兵 と雖 も長 城線 を超 え た場
と 伝 え さ せ、 張 家 口に帰 り、省 政 府 で科 長 を下 ろし よ く主 席 代 理 に
ま いた 旅 長 が 恐縮 し 乍 ら 出 て来 た。 手 が 痛 く な る程 握 手 す る。
三 、税 制 は当 分 そ のま ま
二 、通 貨 は満 洲 国幣 に統 一
一、行 政 権 の接 収
参謀は、
翌 朝参 謀 と機 関 長 は新 京 に向 い、大 尉 は張北 に帰 つた 。別 れし な
口北 六 縣 平和 進 駐
時 刻 は夜 十 二時 をと つく に過 ぎ て いた 。
復命 す る よう つげ 、旅 館 に向 つた 。
早 口 でな ま り の強 い旅 長 の話 は サ ッパリ判 らぬ 。嘱 託 が要 領 よ く
﹁今 日 は迎 い風 で速 度 が出 ず 、予 定 通 り に大 境 門 ま で行 け な く て
通 訳 し てく れ る。
と いう のだ 。 ﹁ 咽 喉 の布 は ﹂ と聞 く と 、凍 傷 な の で殆 ん ど 全 員 だ と
申 訳 な い、 明朝 早 く には 出 る﹂
説 明す る、成 程副 官 も 当 番兵 も鼻 の頭 と咽 喉 仏 が色 が変 つて いる 。 ﹁大 辛 苦 、 大 辛苦 ﹂
四、 縣政 は旧 来 のま ま とし 状 況 に よ り変 更 を 加え る
と犒 う と ニャ ッと笑 つた 。
﹁境 界 線 上 に は兵 を配 置 せ ぬ 、そ の手前 適 宜 の地 線 を占 領 す る 。
王科 長 を 別室 に案 内 させ た後 、
﹁尹旅 は関 東 軍 の要 請 によ り 大境 門 神 威 台 へ の前 進 は 止 め る。但
の重 立 つた職 員 の逃亡 を伴 つた ので 、自 然 に行政 権 接 収 の形 と な つ
ら ぬ﹂ と いう た が、現 実 問 題 とし ては 中国 保 安 隊 の撤 収 は縣長 以下
土 肥 原少 将 は後 で ﹁どう し て行 政権 ま で接 収 さ れ た か自 分 には判
の火 口に投 げ ら れた。
し 中国 側 が 一歩 でも縣 境 を超 え たら 断 乎 攻撃 す る、 これ は先 遣兵 団
た のであ る。 し かも こ の上級 者 は省 政府 の連 中 と 個 人的 に繋 が り が
と 簡 単 な メ モを 大 尉 に見 せ、 ﹁判 つた か﹂ と念 を 押 し、紙 片 は 煖 炉
長 の独 断 であ つ て最 後 的 決 定 は保 留 され る﹂
あ り、 これ ら が い なく な つた後 には 現 地 の人 間 下 級者 を抜 擢 す る こ
こと を旅 長 に告 げ
とそ の口 から 王 科長 に伝 え さ せ た。
と に より 本 当 の民政 が 行 わ れた の であ る。
長 城線 を 超 え て の捜 索 は諜者 に よ るも のとし 極 力 衝突 を避 け る﹂
科長 は ﹁唯 々﹂ と し て聞 いた。
つた の であ る。
口 への避 難 民 で大 変 だ ろ うと 考 え て いた の が完 全 に馬 鹿 げ た空 想 だ
張 北 に到着 す ると 、 そ こに は寶 昌 以 上 の景 色 があ つた。 途 中 張家
用件 は終 つた のだ 。宿 つて いく よう にと の旅 長 のす す め も 、報 告 が 後 れ る と上 官 も 心 配 だし 、 ま た ど ん な不 測 の事 が起 る か も判 ら ぬ
帰 り に は長 城 線 の中国 兵 も 銃 剣 つき付 け る非 礼 はし な か つた 。 将
から と辞 した 。
校 を 呼 ん で科 長 から 、
﹁歓 迎 李 司令 ﹂ のビ ラ は到 る所 に貼 ら れ、 少 し前 に司 令 部 が 入 つた と いう縣 政 府 に 行 く と 、 町 の有 力者 が堵 を 為 し て司 令 への挨 拶 の順 を 待 つて い る。
大 尉 を 迎 え た劉 参謀 の顔 は明 るい。 ﹁輔 佐官 、昨 晩 は御苦 労様 でし た 。司 令 も 結 構 だ と いう てお ら れ
夕 方 に な ると 縣 政 府 にゾ ロ〓
け そ う だ と参 事 官 は報 告 した 。
ッポ を 脱 いだ。
民衆 が入 つて く る。 何 事 か と聞 い
て見 ると税 金 を納 め に来 た のだ と いう 、大 尉 は 全 く 中国 民 族 に シ ャ
三十 一日は暮 れ 、 昭和 十 一年 一月 一日 を迎 え た 。 口北 六縣 縣 政 府
間 の電 話 連 絡 も通 じ、 進 駐 し た諸 部 隊 から も今 の所 治 安 は よ いと 報
告 し てく る、 綏遠 省 境 を 根 拠 とす る匪 賊 蘇美 龍 も鳴 を 潜 め て い るら
ます﹂ ﹁そ う か い、 それ で安 心だ 。 ド ロンよ り張 北 の方 が 明 る いね ﹂
し い。
五日 機 関長 は参 謀 と ス ニ ット経 由 で張 北 に戻 つ て来 た。
大 尉 は転 手 古 舞 を し て いた 。
れ も 一寸 一人 では 決 め か ねる 。
負 わす か或 は合 弁 とす るか 、 そ れ とも 自 営 と し た方 が い い のか 、 こ
電 政 はど う し た ら い い か、 口北 六縣 内 の現 物 を提 供 し て満 電 に請
国 の間 で談 判 さ せ る べき だ 。
郵 政 は 問 題 で、 山 海 關 廻 り を固 執 す る だ ろう 。 これ は満 洲 国 と 中
央 銀 行 の出 張員 を張 家 口 にや り銭 舗 開 設 の準 備 をさ せ た 。
張 家 口に銭 舗 を作 り 、 た た かれ ぬ様 操作 せ ねば な る ま い。 満 洲 中
た。
政 府 で押 え た書 類 で計算 し たも のは進 駐 前 予 想 し た額 と 一致 し て い
新 京 か ら現 銀 輸 送 の打 合 せが来 る、 六 百万 円 あ れば い い。張 北縣
大 尉 は喜 び に満 ち た第 一報 を新 京 に送 つた。
﹁本 当 です。 で も尹 旅長 は南 へ来 る と 馬草 が高 い ので困 ると いう
﹁そ の代 り 人 の食 物 が安 く つく から い いさ﹂
て いま す よ ﹂
さ あど う ぞ と 、司 令 の室 に案 内 され ると 、司 令 は椅 子 から 立 つ て
﹁今 日中 には 一番 遠 い綏遠 境 の商 都 への進 駐 も終 ります 。 今 の所
大尉を迎え
中国 軍 と衝 突 し た と いう 報告 は あ りま せ ん ﹂ と 機関 長 代 理 への礼 を 尽 す のだ つた。 大尉 は参 謀 か ら 示 さ れた 四 ヵ条 に つい て司 令 の意 見 を た た いた が 一々 いいだ ろ う と 同意 し た。 そ こ へ安 斎 参 事官 が来 た の で四 ヵ条 に つ いて指 示 し 、 司 令 に は何 でも 気 のつ いた こと は ド シド シ直 接 参 事 官 に命 令 され るよ う に と頼 んだ 。 中国 の事 は 中 国 を識 る司 令 に聞 く のが 一番 だ 。 日本 人 には機 微 の こと は判 らぬ 。 張 北縣 政 府 の職 員 は長 以下 大 部 が逃 げ て いた が 、幸 い帳 簿 類 は残 さ れ て いた し 、商 務 会 長 が進 ん で協 力 を申 出 た の で何 と か や つて行
﹁内 蒙 工作 は飛 躍 す る のだ 、 チ ャ ハルは盟 に、 そし て卓 を据 え る、 機 関長 も変 る、 こ こに は承 徳 の田 中久 中 佐 が来 る 、 ド ロ ンは連 絡 所
﹁私 は ﹂
に縮 小 だ ﹂
﹁貴 様 は こ こだ﹂ ﹁機 関 長 はど う さ れ る の です ﹂ ﹁僕 は ス ニ ット行 さ﹂ ﹁じ や宍 浦 さ ん は ﹂ ﹁あ れ は休 養 させ る﹂ 蒙 古 工作 が進 展 し 、独 立 定 言 を 間 近 に控 え て徳 王 と いう 立役 者 を 躍 ら せ た ス ニ ット機 関長 は 一片 の辞令 で止 め さ せ ら れ る のか。 少 佐 は 予 備役 と な り顧 問 とし て現 地 に残 り た いと申 出 た が 、勿 論 軍 は これ を 却 下 し た。
内 蒙 は田 中参 謀 の独 壇場 で あ る べき だ 、宍 浦 少 佐 は漸 く参 謀 にと
内蒙 に あ るも のは何 れ の日 か少 佐 の轍 を踏 む 、 ﹁ 良狗 で あれ ば あ
つ てラ イ バ ル にな つて来 た のだ。
る程 ﹂
六 日大 尉 は参 謀 と同 行 天 津 軍 と 北平 武 官 室 に連 絡 を命 ぜ ら れ た。 乗 機 は 徳 王機 と呼 ば れ 、そ の 工作 に専 用 され た も ので、翼 機 体 は
馬鹿 は そ こに も い る
黄 色 に塗 ら れ 四銛 の マー クが つい て いた 。
長 城 線 一つで こう も景 色 が変 る も の か、 チ ヤ ハル台 地 は雪 だ が 、
内 長 城 線 を こえ ると 万 寿山 の緑 が目 玉 の中 に飛 び こむ 。
張家 口盆 地 には雪 を見 な い。宣 化 懐 来 平 地 に は青 いも のが 見え る。
北 平市 街 の上 空 は家 々 にた く煖 房 炊 事 の石炭 の煙 り で蔽 わ れ、 生
駒山 から 大 阪 市 を望 ん だ よう だ 。
近 づ くと 天 壇 、紫 金 城 の瓦 が ニブ ク反 射 し て い る。 王 城 の地、 そ
のた たず ま い は壮 大 の 一語 に つき る。
﹁い い眺 め だろ う ﹂
田 中参 謀 は旋 回 を命 じた 。
そ の顔 には 快 心 の笑 が溢 れ て いた 。
大 尉 は天津 で降 り、 飛 行機 はそ のま ま参 謀 を のせ て新 京 へ向 う。
初 め て見 る 天津 租 界 は雑 沓 を極 め て い て、 自 動 車 が 人 や車 や物 に
ぶ つか りそ う で腰 が落 付 か ぬ 。 凡 そ色 彩 と いう も の のな い内蒙 から
天津 軍 司 令 部 の四 辺 は静 かな所 だ つた 。 け れ ど そ こ で大 尉 を待 つ
原 色 の街 へ出 た のだ から 目 も 痛 い。
﹁ 徳 王機 で平 津 の空 を 飛 ぶ馬 鹿 が あ る か﹂
て いた も のは春 雷 だ つた 。 ︹ 永見俊徳︺ 参 謀 長 室 に通 さ れ るや否 や
﹁昨 日は昨 日 で古 北 口 の奴 等 が北 平 で 一悶看 起 し た 、遊 びた いな
と 一喝 さ れ 、
お まけ に鉄 砲 ブ ッパ ナし た あげ く の果 が 、抗 議 は天津 軍 でや れと
ら チ ヤ ンと 平服 で こ い。
いう 。誰 が聞 い ても横 車 だ 、 そ ん な事 が度 重 な る から 正 当 のい い分
ま で相手 にさ れ な く な る。
い いか 、 こ こは満 洲 や蒙 古 と は違 う そ 、 都 、国 際 都 市 な ん だ。 田
舎 侍 め﹂ 関東 軍 への怒 り が 一大 尉 にそ の はけ 口 を見 出 し た訳 、 約 一時 間 大
漸 く解 放 され ると 便 所 に飛 ん で行 つた。 出 る出 る実 に気 持 が い い。
尉 は 不動 の姿勢 で叱 ら れ た。
叱 言 を聞 か され て いる中 は腹 が立 たん でも な か つた が 、 そ れ丈 に今 は い い気 持 だ 、 参 謀長 も小 便 が つま つて いる のじや あ る ま い かと思 わ ず 笑 い出 し た 。 ︹ 駿︺ 多 田 司令 官 が新 京 に関 東 軍 を訪 ねた と き 、駅 へ出 迎 え の自 動 車 は 来 て いた が関 東 軍 幕僚 の姿 は な か つた 。 随 行 の天 津 軍 幕僚 が色 を な し て の申 入 れ は ア ッサ リ、
そ の晩 睦 子夫 人 の心 尽 し に大 尉 は 何時 も の こと乍 ら 母 の膝 下 に帰
と言 葉 丈 は相 不 変 ブ ッキ ラ棒 だ が 、温 い思 いや りを つげ た。
つた思 いが し 、渡 満 以 来始 め て ユ ッタ リ した 気 分 と温 か い家庭 的 フ
ン囲 気 に ひた り時 の立 つ のも忘 れた 。
︹ 武夫︺ 七 日北 平 武 官室 で今 井 武官 に報 告 し た が 、 そ の克 明 な質 問 に感 心
す ると 共 に何 も知 ら さ れ て いな い そ の人 を気 の毒 に思 つた 。 いや 出
先 軍 と大使 館 の間 が これ で い い のか と心 配 にな つた 。
そ の夜 は扶 桑 館 に宿 つた 、 古都 北 平 に相 応 し い静 か で気 分 の落 付
晩 一夜 が 自 分 のも のと 思 う と、 何 か寝 る のも 惜 し まれ 、 ま た新 聞 綴
一応 任 務 も終 った 。 明 日 から は ま た新 し い仕 事 が待 って いる。 今
く旅 館 だ つた。
り を と り上 げ た 。
﹁隷 下兵 団長 に対 し て は、 幕 僚 を も って送 迎 せ しむ る こと な き慣
と蹴 ら れ た 。軍 は軍 でも親 補 職 の兵 団長 を竝 べ て統 帥 し て いる大 軍
行 し た と思 う 沽 源 の戦 闘 は天津 で は道 化 師 の踊 り と笑 わ れ て い る、
立場 が違 う と こう も考 方 が変 る のか。 自 分 が最 も 忠実 に任 務 を遂
危 機 に導 か んと し て い る⋮ ⋮﹂
及 び 狂気 じ みた信 念 によ つて領 土 商 権 の拡 張 に つと め世 界 を 大戦 の
﹁国 際 的 には今 や あ る国 民 は専 制 者 に ひ き いら れ て昔 のま ま の剣
三 日全 米 に放送 さ れた ルー ズヴ ェルト の教 書 が 目 に つ いた。
例なり﹂
多 田 司 令 官 は大 人 だ った 。大 尉 は昔 の聯 隊 長 だ つた 関係 も あ り 、
司 令官 と 親 補職 で もな い少 将 の軍 司 令 官 で は勝 負 にな ら ぬ。
心易 く 話 も 出来 た。 ﹁関 東 軍 では天 津 軍 を隷 下兵 団 扱 し た そう じ やあ りま せ んか ﹂
大 尉 は教 書 の 一字 一字 を読 み返 し た。
﹁馬 鹿 な奴 が いる よ、 馬鹿 は そ こ にも いるぞ ﹂
﹁ 謀 略 部 隊 の指 導 に つ いて行 き、 敵 前 二 百米 で山 砲 の砲 手 を や る
そし て牧 地 の草 の根 を 一本 一本神 に感 謝 し て は抜 く 、 そ れ は平 和
の農 地 に天 国を 見 出 す。
家 郷 を食 いつめ裸 一貫 で長 城線 を超 え る華北 の窮 民 は 、教 団 経 営
﹁私 で あり ます か﹂
い い過 ぎた かな と 、 口許 に笑 を浮 べな が ら司 令 官 は
馬 鹿 が 関東 軍 には いる と この辺 では いう と る ぞ﹂
﹁あ ま り無 茶 し た ら いか んぞ 、 正月 の餅 も食 つと ら ん だ ろう 、 今 晩 官 邸 に こ い奥 も喜 ぶ ﹂
な 姿 で誰 も 文句 のつけ よう も あ るま い。 だ が蒙 古 民族 にす れ ば そ れ は恐 ろし い侵 略 な のだ。 こ の矛 盾 は どう 解 決 し た ら い いのだ 。
も のは遠 い国 日 本 の人間 ︱︱ 西 岡少 尉 以 下 ︱︱ だ と 聞 かさ れ た 。 日
蒙 古 人 な る が故 に 不当 に取 扱 わ れ 、昇 進 は遅 れ る。 胡 寶 山 は 一夜
本 と いう も のが彼 の頭 に コビ リ つ いた ま ま年 月 は 流 れた 。
や が て頭 目 と な り 、 そ の名 は泣 く 子 を黙 ら せ る に至 つた が 、李 守 信
逃 亡 し て蒙 匪 ︱︱ そ れ は漢 人 の血 に飢 え た悪 魔 だ ︱︱ の群 に投 じ 、
は よく これ を 忍 び 、天 性 の明 朗 性 と 将器 は つい に民 族 的 偏 見 を克 服
註 ・李 守 信 軍
夜 は更 け て い く。 だ が大 尉 の問 に応 え るも のは いな い。
李 守信 は南 満 ト ムト 蒙 古 の出 で、 王 公 でも な く 、 ま た賤 民 でも な
ル台 地 を ド ロ ンに向 つて退 却 し て いた 。
て関 外 に退 く と き 、 そ の部 隊 は奉 天 軍 の最 外翼 を掩 護 し つ つ チ ヤ ハ
は漢 人 種 と の雑 婚 で これま た 純 血 でな い。 中 流 の蒙 古 人 のみ が典 型
彼 の大 隊 が 退 却 の後 衛 と いう 困難 危 険 な任 務 に つき 、 よ く 主 力 の ︹ 允山︺ 安 全 地帯 へ の退 却 を 完 了 さ せ 終 つた と き、 併 行 し て退 つた程 大 隊 が
し 、第 二奉 直 戦 には 大隊 長 に な つ て いた。 張 作 霖 が大 元 帥 旗 を ま い
的蒙 古 人 と いえ よう 、 李 守信 は純 蒙 古 人だ 。
沽 源附 近 で馮 玉 祥 軍 に捕 捉 さ れ大 隊 長 負傷 、部 隊 は包 囲 さ れ て い る
い。 平民 だ、 そ の生家 には亭 々た る楡 の大木 が あ つて家 系 の古 く 正
彼 は蒙 古 の習 俗 によ り 少年 のとき ラ マ寺 に入 れ ら れ た が 、 そ の小
し い こと を 示 し て い る。 王 公 は 清朝 の結 婚 政 策 で純 血 で な い。 賤 民
坊 主 と し て の生活 は永 く なく 寺 を襲 撃 し た匪 賊 に拉 致 さ れ た 。 こ の
と いう 情 報 に接 し た。
息 つ いた と き は同 じ蒙 古 兵 胡 寶 山 の外 十余 名 し か残 つて いな か つた。
蒙 古 人 大 隊長 に限 り な き親 愛 感 と信 頼 を よ せ 、李 守 信 の声 望 は と み
が感 激 し て李 守 信 の手 を握 つた 計 り では な い、程 大 隊 の将兵 は こ の
李 大 隊 は馮 軍 包 囲 圏 の 一角 を 急襲 し程 大 隊 を救 出 した 。 程 大隊 長
し て の価 値 を 判 断出 来 る。
部 隊 と によ つ て のみ実 行 され るも の で、 こ の 一事 で李 守信 の武 人 と
いう のだ 。 こ のよう な こと は 高 邁 果敢 の主 将 と これ に絶 対 心服 す る
んと す る のだ。 し か も命 令 を う け た ので は な い、 独 断 敢 行 し よう と
ら ず 、李 守信 は敢 然 部 下 大 隊 に反転 を 命 じ た。 程 大 隊 の危 機 を救 わ
李 大 隊 は急 い で自 分 も 主 力 に追 及す れば よ い状 況 だ つた に も拘 わ
利 発 な 小 ラ マは匪 賊 に可 愛 が ら れ て そ の群 に止 め ら れ 、 マス コ ット にな つ て いた が 、 こ れも 永 続 せず 、 匪団 は 軍 隊 に収 編 さ れ 、 こ こ に 彼 は軍 人 とし て の第 一歩 を踏 み出 す こと と な つた 。 時 に パプ チ ャプ は清 朝 復 興蒙 古独 立 の大 旆 を か かげ 、奉 天 に迫 つ た が志 を 得 ず 、西 進 し て林 西 縣 城 を 攻撃 し た。 李 守信 は林 西城 外 拠 点 の守 備 に つ いて いた が、 物 凄 い砲 弾 の洗 礼
パプ チ ャプ は砲 弾 の威 力 に歓 喜 し 、自 ら馬 を 第 一線 に進 め た が 、
に戦 友 は殆 ど死 傷 し 、蒙 古 軍 砲 兵 が射 向 を城 壁 に変 え た 為 や つと 一
一発 の流 弾 は 彼 を 斃 し 、 そ の軍 は林 西 攻略 の企 図 を放 棄 し て後退 す
に 上 つた。
昭和 六 年満 洲 事変 が 起 るま で中 国 の将 校 士 官候 補 生 は 日本 の各兵
る のだ つた。 魔 神 のよう に荒 れ狂 う 砲 弾 か ら免 れた 守 備 兵 達 は ホ ッ ト し て 口 々 に身 の幸 を祝 福 し た。 そ し て李 守 信 は こ の魔 神 を 使 つた
学校 、陸 大 、 陸 士 に留 学 し て いた が、 当 時聯 隊 長 に な つ て いた李 守 信 は 、私 費 を割 い て部 下漢 人 青 年 将 校 を 目本 の騎 兵 学 校 に留 学 させ た。 少 年 兵 の頃 か ら頭 に コビ リ ツ イ て いた 日本 を 、自 分 に代 つ て研
そ の上蒙 古 名 門 の娘 を こ の将校 に め あ わせ た のだ 。
究 さ せ た訳 だ 。 そ し て帰国 した そ の将 校 から刻 明 に 日本 を開 いた 。
一方 で は特 務 機 関 長 田 中久 少 佐 が李 守 信 を マーク し て、 そ の部 隊
つて いた こと を 想 起 す れ ば 明 か で あろ う 。
旅 団 王 参謀 は爆 撃 機 の乗 員 を 護 送 し 日本 特 務 機 関 の指 定 地 点 に向
を 攻 撃 せ ぬ よう 工作 をす す め て い た先 見 を 称 え た い。
つた が、事 は 機 関 と飛 行 隊 地 上 部 隊 と の間 に行 違 い があ り 、 時 間 が
が 、 一大 佐 が自 分 の俸 給 の中 か ら留 学 費 を 出 し た と いう こと は異 数
北 京 の陸 大 教 官 と し て通 訳抜 で講 義 し 、 現 地 戦 術 の指 導 をま る で ︹ 久︺ 中国 人教 官 そ こ のけ で や つた 田中 機 関 長 は 、 水 入 らず に李 守 信 と 語
出 向 いて参 謀 に代 つた。
経 過 す る、 不 安 に駆 ら れ た 王参 謀 は李 守 信 に連 絡す る と彼 は気 軽 に
であ り 、李 守 信 が如 何 に着 眼 が大 き か つた かが 判 る で は な い か。 ま
国 民政 府 或 は地 方 軍閥 の長 が将 校 を 留 学 さ せ た のは怪 む に足 ら ぬ
た そ の俊 秀 な将 校 と蒙 古 娘 と の結 婚 に媒 酌 の労 を と つた こと は蒙 漢
り 、 自分 の眼 鏡 に狂 い のな か つた こと を 喜 ん だ 。
明 る い顔 で司 令 部 に帰 つて来 た李 守 信 に対 し 、旅 団 長 は そ の満 洲
本 が 期待 に背 か ぬ こと を 確 め た のだ つた。
李 守信 ま た深 く 少 佐 に傾 倒 し、 少 佐 を 通 じ て自分 の考 え て いた 日
一体 の実 践 で、 これ また 李 守 信 の偉 大 な抱 負 を 語 るも ので は な い か。 昭和 八 年 日 本 軍 は熱 河 に怒 濤 の進撃 を続 け て いた 。 崔 興 武騎 兵 旅 団 は こ の正 面 で は東 北 軍 の最 精鋭 で 、馬 上射 撃 し な が ら襲 撃 す る こ
に於 け る財 産 の保 証 を条 件 に下 野 す る から 日 本 軍 と 交渉 す る よう 哀
と の出 来 る のは中 央 軍 の最 精鋭 騎 兵 第 七師 と崔 旅 団 あ る のみ と いわ れ て いた の に、 不思 議 と 日本 軍 の攻撃 も 、 ま た最 も 恐 ろ し い爆 撃 も
た 。 正 に今 様 朱 元 璋 と いえ る か。
だ が旅 長 に は誰 がな る、李 守 信 は旅 団 全 員 に推 され て将 壇 に登 つ
妻 妾 を伴 つて去 つた 。
李 守信 は彼 の為 田中 少 佐 に連 絡 し、 少 佐 は これ を容 れた 。 旅 長 は
訴 し た。
と ころ が そ の戦 闘 地境 内 に日 本 の重 爆 が不 時 着 し た こと か ら旅 団
う けず 、 全 般 が 退却 す る のに引 ず ら れ て西 方 へとた だ行 軍 し てい た。
長 以 下 は さ てど う 処 置 し た も のか と協 議 せね ば な ら な か つた。 折 も 折 日本 の特 務 機関 から 乗 員 全 員 の引渡 し を条 件 に満洲 国 への収 編 を
か く し て李 守 信 軍 は 生 れ た 。 だ が そ の苦 難 は 続 き 、満 軍収 編 は実
申 入 れ て来 た 。 旅 団 長 は決 断 出 来 ぬ。 と ころ が平 素 は退 い て大 樹 に倚 る李 聯 隊 長
行 さ れず 、 現 在 ま で に収 編 さ れ た 丈 で も多 す ぎ ると いう のが 表面 的
そ の代 り国 境 外 の切 取 地 盤 は 認 め る と いう の で、 中 国軍 と 日本 軍
た こと が 忌 ま れ た のだ ろう 。
理由 だ つた が、 事 実 は そ の精 強 を東 北 軍 に謳 は れた 中 国 正 規 軍 だ つ
が 一番 に発言 し大 勢 をと き 日本側 の要 求 を容 れ る こと を提 議 し た。 程 参 謀 長 、 尹 、劉 両聯 隊 長 即 坐 に同意 し議 は 一決 し た 。 李 守 信 の態 度 は 日本 の武 力 の前 に屈 服 した ので はな い、 又 好餌 に 尾 を 振 つた ので も な い こと は留 日 将校 か ら よく ﹁日 本 ﹂ を聞 いて識
︹ 察哈爾︺ と の中 間 に挾 ま れ て熱 河省 外 に押 し出 さ れ、 チ ヤ ハル台 地 にと り つ ︹ 丈夫︺ 大 尉 の同 期 で当時 関東 軍 司令 部 附 と し て唯 一人 の中 尉 武 田 中 尉 は
いた 。
中国 軍 は ド ロ ンは 中 国 の第 一線 と いう ので猛 烈 に反撃 し 、 一度 は
こ の厄 介 な任 務 を負 わ さ れ て李 守 信 軍 指 導 に当 つた。
李 守信 軍 も こ れ をす て て退 ら ざ るを得 な か つた が、航 空 部 隊 の協 力 を得 て奪 回 、縣 境 ま で閃 電 河 を こえ て追 撃 、 こ こ に察 東 特別 自 治 区
程参 謀 長 は 、行 政 長 官 輔 佐 宮 と し て も よく 長 官 を助 け 、自 治 区 は
を作 り 上げ た 。
彼 は 河北 省 保 定 の人 、 保 定 の軍官 学 校 を優 秀 な 成績 で出 た 。 若 し
安 居 楽 業 の地 と な つた。
も あろ う し 、 反満 抗 日を 叫 ん で長 城線 以南 に走 つた ら 、栄 達 の道 は
華 南 華 中 の生 れ な ら省 主 席 ならず と も軍 司 令 官 は約 束 さ れ て いた で
開 かれ て いた のに 、 こ の辺 境 にし か も蒙 古 人 を 長 に戴 いて い る。 沽 源 の恩 に身 を許 す も の か、 話 は 三国 誌 時 代 を 思 わ せ て心 打 た れ る も のがあ る。
配布先
極秘
関参 謀 第 九号
多
張 家 口
北
山
天
機
津
第 一課長
(昭和 十 一年 一月
関東 軍 参 謀 部 )
三 、 諸 施策 は 日人 顧 問 の指 導 に依 り軍 政 府 をし て之 を行 は しむ るを
及蒙 古 人 の教育 普 及 に注 ぐ
を進 む る も初 期 に於 て は内 蒙 の環 境 竝 蒙 人 の特 性 に鑑 み主 力 を 軍 事
二、 軍 は内 蒙 軍 政 府 を 指 導 し 政治 、 軍 事 、 経 済 、 文化 各 方 面 の施 策
第 二、 一般 指 導 の要 領
で外 蒙 古 及 青 海 、 新 疆 、西 蔵 等 に拡 大 せ ん こと を期 す
に置 き其 成 果 挙 が る に従 ひ之 を根 拠 と し て其 勢 力 を綏 遠 に扶植 し 次
施 策 の重 点 は当 初 現 在 の軍 政府 の管 轄 区 域 内 重 要 部 門 の整 備 鞏 化
自 立 す るに至 ら しむ
参 拾 五部 ノ内 第 6 号
軍 政顧
対蒙 ( 西 北 )施 策 要 領
機
綏 遠 機
次
旅
一五
長 承
京
次 機 熱
参謀副長
官
哈 機 参 謀 長
交通監督部
ソ ニト
海
司令 官 第 二課長
機
上
奉
第 二班
る施策 の成果 に因る内蒙 の現状を基 礎と し向後 の施策及将来 の目標
本書 は昭和 十年 七月 二十 五日作製 対内蒙施策要領 に基 き軍 の行 へ 竝此目標 に到達せんが為 の諸般 の企図著想等 を蒐録す
大蒙 公 司等 を し て軍 の指 導 の下 に参 加 せ し め軍 政 府 の実 力 向 上 に伴
然 れ ど も同 政 府 当初 の実 力 に鑑 み満 洲 国 諸 機 関 、満 鉄 、善 隣 協 会 、
以 て本 則 と なす
一、軍 は帝国陸 軍 の情勢判断対策 に基き対蘇作戦準備 の為必要 とす
ひ逐 次 軍 政府 を し て実 施 せし む る如 く指 導 す
針
る外蒙古 の懐柔及反蘇 分離気運 の促進を図 ると共 に対支 工作 の進展
蘇 邦 及 支 那 側 の神 経 を刺 戟 せざ る こと に努 む
第 一、方
に資 し且満洲国 の統治及国防 の基礎 を鞏固ならしむる目的を以て徳 王 の独裁す る内蒙古軍政府 の実質 を強化すると共 に其勢力を逐 次支
五、 軍 政 府 の実力 充 実 し独 立 政 権 た る の実 質 を備 ふ る に至 ら ば 独 立
四、 一切 の施 策 は之 を極 秘 裡 に行 ひ 一般 の耳 目 を蔽 ひ 国 際情 勢 特 に
那西域 地方 に拡大し北 支工作 の進展 に伴ひ内蒙 をして中央より分離
(宗 主 権 に関 し て は之 に触 れ ざ る を主 旨 と す) を 宣布 せ しむ
五
西蔵族 に対し ては蒙 古人中 の有力喇嘛を通じて帝国 の実情竝帝
国 の対満蒙政策 の本義を知 らしむ ると共 に反英 反支 反蘇、 日満依存 に導 く
但 し政 略 上 の状 況 之 を 要 す る 時機 に於 て は右 に顧 慮 な く自 治 を宣
七、政治指導 の工作は左 の諸項 に拠 る イ
六、 蒙 古 独 立 疆域 内 の民 族 は日 、蒙 、漢 、 回 、 蔵 の五 民族 を包 含 す
福領域防衛 の善政を布 かしむ
言 せし む る こと あ り
る に至 るべ き に依 り之 等 の人 心収 攬 に関 し特 に左 の諸 点 に留 意 す る
ロ
軍政府中心主義を徹底 せしむ之が為特 に軍 政府 をして民利民
と 共 に反 共産 主義 を鼓 吹 し宗 教 の尊 重と 各 民族 固 有 の信 教 の自 由 を
蒙政会は対外的考慮 の下 に直 に撤消する ことなく主として対
認む
日人顧問 を置く
軍政府、各 地方庁及各公共機関 に軍 政府側 の招聘依嘱 による
支交渉機関た るの実質を以て所要 の時期迄之を残存 せしむ
在 蒙 日 本 人 を し て総 て 日本 民族 の先駆 者 た る自覚 の下 に 日満 両
一
ハ
顧問 は少数 にして軍 の厳選す る気魄 人格共 に前掲国策 の遂行 に
軍特務機関長 は最高顧問として軍 の方針 に則 り前項顧 問団を
適する人物 を以 て充当す ニ
来 究極 に於 て満洲国に準ず るも のたらしむるも のとす
王 侯 喇嘛 を 把握 し て之 を通 じ 人 心 の収攬 に努 む るも 究極 に於
イ
統轄指導す
蒙 古 民 族 に対 し て は
に関 し ては 特務 機 関 を通 じ厳 に監 視監 督 せ しむ
之 が 為 日 人顧 問 以下 の徳 操 竝 他 民 族特 に蒙 古 民 族 に対す る態 度等
帝 国 特 に 日本 の国 策 の徹 底 に努 め し む
二
ホ ヘ
政治 の形態は蒙古政権 の国防上 に及す影響 の重大性 に鑑 み将
て封 建 制 度 は之 を打 破 し喇 嘛 教 は 之 を 改革 す べ き も のな る を 以 て
ロ
政治及其他 の工作を行 はしめ確固たる地盤 の獲得 を策す
一般 民 衆 に対 し て は 王侯 喇嘛 を 通ず る外 教 育 制 度 の確 立と 経
反 面 に於 て彼等 の反省 と 自 覚 を促 し つ つ把握 に努 む
済 生 活 の改 善 に依 り人 心 を収 攬 す 、就 中 、教 育 には 最 も力 を注 ぐ
イ
政権 の実力向上に伴 ひ逐 次之 を拡充す
当初先 づ騎兵 四ケ師 の編成を整 へ之 が練成 に努む
八、軍事指導 の工作は左 の諸項 に拠 る
勢力範囲 の拡大に伴 ひ軍特務機関を推進して先 づ徳王中心 の
を要 す
ロ
漢 民族 に対 し て は同 民族 が 農 商 に従事 し 且先 天 的 個 人 主義 者 た
る の本 質 に鑑 み 生命 財 産 の擁 護 換 言 す れば 彼 等 を し て安 居 楽 業 せし
三
む るを 主 眼 と し て其 人心 収 攬 に努 む
当初軍隊 の充実に要す る兵器及経費は日満側 に於 て其大部を
ハ
回 教 族 に対 し て は満 洲 国 内 回 教 徒 及蒙 古 領 域 内 の有 力者 を把 握
軍隊 の編成、整備及訓練 のため日人顧問及同軍官 を介在 せし
四
ニ
負担す
要 す れ ば 内蒙 内 の漢 民 族 地 帯 に回 教寺 院 を建 設 す
し之 を通 じ て人 心 の収攬 に努 む
顧 問 の人数 及 選 定 の主 義 に関 し て は政 治 指 導 のも のに同 じ
め 之 を 特務 機 関 長 の統轄 指導 下 に置 く こと 政治 指導 に同 じ ホ
宗
教
九、 文 化 指 導 の工作 は左 の諸 項 に拠 る 一 反 宗 教 を 鼓 吹す る蘇 邦 の対 外蒙 政 策と 対抗 し て蒙 古 民族 、 回教 徒 等 の人 心 を 収攬 せ ん が為 宗 教 に関 す る 工作 に深 甚 な る考 慮 を払 ふ 対 喇 嘛 教
力す従 て教育は当初 主として蒙古人を対象と し二、三年 の課程 を以
て初等 の普通教育 の普及 を図 り将来序 を逐 て程度を向上し満洲国と
概ね同 一水準 に到らしむ素質優秀 にして将来指導階級たるも のは善 衛
生
隣協会 の小学校に学ばしめ次 で満 洲或は日本 に留学せしむ
人畜 の保育衛生を図 るは蒙古現時 の社会 を良化 し民利 を促進す る
三
と共 に人心を収攬 し蘇邦 の対蒙施 策 に対抗す る良手段なるに鑑 み当
分 の内善隣協会及軍隊 の衛生機関 を主体として之 に努力し政府 の実
力向 上に伴 ひ之をして各種 の施設を為 さしむ る如く指導す
イ
絶 た し め 之 を 近代 的 宗 教 の形 態 即 ち単 な る精 神 生 活 の糧 た ら しむ
十、交通通信等 の諸工作 は将来 に亘 り左 の諸方針 に拠 る
喇 嘛 教 従 来 の弊 害 に鑑 み究 極 に於 て 政治 及 経 済 と 直 接 的関 係 を
る こと を目 的 と す るも 当初 に在 り ては 之 を尊 重 し之 を 通 じ て 人心
一 航
拠とし、百霊廟、綏 遠、包頭、寧夏、阿拉善王府等 に其航空路を保
之 が為満洲航空会社をして多倫、西 ソニト、張北等 の飛行場 を根
努む
航空 に関 しては先づ対内蒙 工作上必要 なる基礎的航空路 の開拓に
空
の収 攬 に努 む 而 し て其 改 革 は政 治 工作 の進 展 と 相 俟 て徐 ろ に之 を 行 ひ人 心 に急 激 な る 衝動 を与 へざ る こと に注 意 す 喇 嘛 教 の改 革 に依 り職 を 失 ふ べ き喇嘛 は之 を軍 人 或 は 他 の生業 に転 職 せ しむ る 如 く 爾 他 の工作 を 進 む 教
有せしめ為 し得れば機を看 て之 を青海 に延伸せん ことを図る而 して
々
之が為 には欧亜連絡航空会社 の実権 を収得する の要 あるを以 て満航
回
回 々教 は 現 状 の儘 大 な る改 革 を加 ふ る こと なく し て之 を 利 用す
会社対欧亜会 社 の交渉を支援促進す
ロ
従 つて回 教 徒 の習 俗 を審 に し彼 等 の好 感 を 求 め 更 に所 要 の援 助 を
育
む
を促進す
有す る満蒙 連絡 の鉄道及之 に有利 に作用 し得 る港湾 の迅速 なる完備
当時的確な る連絡 を保持 し又経済開発 に資す るの外戦略的意義を
二
鉄道及港湾
航空路 の拡大延伸 に伴ひ新疆又は外蒙内部 に対 し合法的進出 に努
与 へ遂 に領 域 内 の回 教徒 の団 結 を 促進 し之 を蒙 古 政 権 内 に包 含 せ
団 結 促 進 のた め将 来綏 遠 (北 支 政 権 にし て真 に 日満 依 存 の実 を
しむ
教
具 現 す る場 合 には 北 平 に も) 等 に中 央 回 教寺 院 の建 設 を 考 慮 す
蒙 古 民族 が 永 く 愚 民 政策 の治 下 に置 か れ た る結 果 の現 状 に鑑 み軍
二
政 府 統 治 区内 に於 け る武 力 の養 成 に次 で 一般 教 育 に対 す る指 導 に努
之 が為葉赤線 の多 倫 への延長 を促進し更 に将来成 るべく速 に之を 蒙古自治勢力 の強化拡大 に伴 ひ鉄道敷設 の目標 は平綏線を甘粛、
平 地泉 に延伸し同 地 に於 て平綏線 に連絡せん こと を図 る 蘭州 を経 て新疆及西蔵 に又其支線 を庫倫方面に延長し以 て実質的強 力なる対蘇 工作上 の幹線 を築くにあり 北支 に於け る帝 国 の確乎た る勢力扶植 せられざ る場 合は勿論、 せ られた る場合 に於ても熱河及其近隣接壌 の蒙古 地帯 に対する海外貿 易 の根拠地と して胡 蘆島築港 の速なる完 成を促進 せん ことを図 る 叙 上当初 の諸工作は満鉄 の資力 に待 つ如く指導す 三 自動車交通 鉄道未完成 の期間又は鉄道敷設 を行はざる地方に在 りては自動車 交通 の為其幹線たるも のに つき速 に改修を加ふる如く指導す 即 ち先づ赤峰及承徳より多倫、阿巴〓、東、西烏珠穆沁 に至 る道 路を速 に完成す る外、多倫︱西 ソニト︱百霊廟︱阿拉善王府道及多 倫︱西 ソニト︱張北 の三角 運行道 を整備し更 に所 謂新綏自動車営業 権 の接収 工作 を促進し又張庫道 上に於け る徳華 洋行 の交通営業を実 質的 に奪 取して対外蒙及対蘇支進展 の自由 を獲得せん ことを期す 右 当初 の諸 工作は国際 運輸会 社、大蒙公司其他を利用 して之を実 郵便、通信
施す 四
源 の流通 に便ならしむると共 に逐次蒙 古 の産業 を助長せしむ
産業 は蒙民 の現状 に即応 し急激 の変化を避け逐次 に之を向 上せし
一 産 業助 長
初期蒙古民族側 に在 りては牧畜業 の改良発達 を図 り漢民族側 に在
む
りては農業 の改良 に力を注ぎ政権 の実力拡 大と交通 の発達 に伴 ひ石
本 工作 は当初 に在 りては大蒙公司及善隣協会 をして之 に任 ぜしめ
油、鉄 、石炭等 の開発 に努む
軍政府 の実力拡大 に伴 ひ逐次政府 に管掌 せしむ
貿 易は当初 に在 りては内蒙物資 の搬出日本品 の進出及対外蒙貿易
二 貿 易促 進
の復 活に重点 を置き軍政府 の勢力伸張 に伴ひ之 を西方 に拡大す
当初 に在 りては大蒙公司をして之 に当らしめ逐 次政府 の管 掌に移 す
第 三、当初 に於ける施策 の概要
外蒙貿易 に従事 しある徳華洋行は当初 に在 りては之 を利用す
十 二、前述 一般指導 の要領 に基き現下及 近き将来 に於 ける施策 の概
日人顧問は各部各庁各課 に配置す
軍政府 の組織概要左 の如し
要次 の如し 一
しむ
及阿拉善とし錫、伊 、阿拉善 の行 政組織 は漸を追 て察 哈爾盟 に準ぜ
軍政府 の管轄区域当初 に於ては錫林郭勒、察哈爾、伊克 昭 の各盟
をし て経営 せしむ るも将来軍政府 に移管 し政府直 営とす
当初 に於 ては満洲国政府 に委 托し同国交通部 及電信電話株式会社 十 一、経済指導 の工作 は次 の方針 に則 る 経済工作 の為 には先 づ満洲国 と蒙古政権間 の交通を整備 し経済資
二
一団
〃
〃
)
)
第 一連 ( 兵 一 二 ○ 軽 機 二) 第 二連 (
第
(
(
(六
〃
〃
)
)
銃 )
第 三連 ( 〃
(四 〃
第 一機 関 銃連 第 二 団
門 ) ) 第 二 連
輛 )
〃
(六 門 ) (四
〃 第
(
第 三 連
一 連
第 二 連
一連
追撃砲隊
第 三 団
第
内 蒙 軍政 府 の武 力 を 成 る べく 速 に次 の程 度 に至 ら しむ
一師
騎 砲兵隊
第 二 師
第
政 府 軍 内 蒙 第 一軍
第 一軍 ( 騎兵)
戦 車 隊
一 師・
第 二 師
第
内蒙第 二軍
( 騎兵)
第 二軍
騎砲兵隊
第
一団
第 二連 (
〃
〃
)
)
第 一連 ( 兵 一二〇 軽 機 二)
第 三連 (
〃
第 一機関銃連 (四 銃 )
(六 門 )
〃
第 二 団
第 三 団
〃
(四
)
門 )
追撃砲隊
(
〃
第
一連
第 二 連
外蒙独立軍司令官 ﹁テ ルワホト クト﹂
各 盟定員 二千名
軍 の編成は ︹テ ルワ﹂ の任意 とし当初約五百名 の騎兵部隊とす
盟長 の指揮 に属す予備軍 となり盟内 の治安 の維持 に任ず
保安隊
右 武力 の充実 に当りては政府管轄区域内特に察哈爾盟 の収入及満
兵器及弾薬 は為し得る限 り軍 より無償を以て交付す るものとす
洲国軍政部 よりの支出軍費 を以てし不足は軍より補 給す
三
外蒙古に対しては呼倫貝爾方面よりす る日満 の工作 に呼応 し先
阿拉善及青海 に特務機関を設置す (昭和十 一年度初頭)
右諸部隊 の経費は編成費 を除き年額 経常 費約四百万円とす 四
づ達里崗涯 の帰属問題 に関し蒙政会若 は軍政府 の名 に於 て交渉 を開
始 し内蒙政権と外蒙古 の間 に外交関係 を成立 せしむる こと に努む
軍政府成立 の後適 当なる時機 に臨 み蒙 政会 の名 に於 て綏遠傅 作
情況有利な るとき前 記外蒙 独立軍 を達里崗涯 に進 入せしむ 五
義 に対し左記事項 の実行 に関 し交渉を開始 せしむ ると共 に軍政府 の 1、蒙政会成立当初 に於 て南京政府蒙政会間 に締結 せられたる綏
強化と軍備充実を図 り交渉 の迫力を増援 す 遠省 の収入 の半部 を蒙政会 に交付す るの件 に関す る五項弁法 の実現 に関す る件
2、民国二十三年 八月何応欽蒙政会間 に締結 せられたる阿片 特税
ロ
小 学 校
阿巴〓 の外西蘇尼特、察哈爾 盟内 に 一ケ所、烏蘭
札布盟 (百靈廟) に設置 し機を見て阿拉善王府 に 推進す
右 に要す る経費は協 会基本金 の外外務省、満鉄 及軍 よりの補助金
に依 る協会本部 は新京若は多 倫 に推進す 十 一 大蒙 公司 の 一躍進を促進す之 が為 め左 の如く指導す イ ロ
将来 成立す べき蒙古各盟 の産業組合 を指導 し之と相提携 して 産業 の開発を図 る
支店 を多倫 の外、西烏 珠穆 沁、阿巴〓、張北、西蘇尼特 、百
3、開墾土 地税を過去 に溯り蒙政会 に交付す る件
霊廟、綏遠等 に推進 し対蒙貿易 の進展 を図 る
六
ハ
傅作義 にして反軍政府 の態度 を堅持する場合 には軍政府 の武力
4、民国十八年綏遠 省内 に包含 せられたる察哈爾 四旗 の帰属問題 充実 し自信を得るに至 れば好機 を捕 へ断乎として傅作義及其軍隊を
張北 に兵器修 理工場 を開設 せしむ
綏遠省外 に駆逐 せん ことを図 る
道
ニ 徳華洋行と の提携及実権 の奪取 十 二 近 き将来 に於 ける鉄道、自動車交通路、航空路、通信線施設
本施策 は支那駐屯軍 の北 支工作と密接 に連〓 す
鉄
七 蒙古政権確立す るに至れば満洲国と親交関係を結 ばしむ るは勿
イ
の企図左 の如 し
動 第 一次
自
車
赤峰︱多倫︱平地泉間 ロ
多倫︱西蘇尼特︱張北間 初期徳華 洋行をして当らしめ 張 北︱ 二連間 次 ( で国際運輸に於 て接収す 第 二次
交 通
路
西蘇 尼特︱ 百霊廟︱阿拉善 王府
多倫︱阿 巴〓︱西鳥 珠穆 沁間 ハ
)
論冀東政権 をして之を承認せしめ相互親善関係 に入らしむる如く指 導す 冀察政権 にして中央より実 質的完全 に南京政権より分離す るに至 れば蒙 古政権 と の間 に親善関係を保有 せしむ る如く指導す 八 蒙 古政権 の確立 に伴ひ日本と の軍事協定 (駐屯、軍 隊 の行動等 内外蒙 に使 用す べき帝国作戦兵団 の研究を進 む
概ね日満軍事協定 に準ず) の締結を考慮す 九
善隣協会 の拡 張を図 る其概要左 の如 し ケ所、百霊廟 に増 設し機 を見 て阿拉 善王府 に推進
診療所 は 阿 巴〓、西蘇尼特 の外西烏珠穆沁、察 哈爾盟内 一
十 イ
す
航 空
路
西烏珠穆沁︱阿 巴〓︱多 倫間 第 一次
ニ
通
信
線
西蘇尼特︱ 百霊廟︱阿拉善王府︱青海 の定期航空路 の開設 主要幹線
ホ ① 西烏珠穆沁︱阿 巴〓︱多 倫︱張北 ② 多倫︱西蘇尼特︱ 百靈廟 ③ 百靈廟︱阿拉善王府 ④ 張北︱滂江︱ 二連間 の接収 ⑤ 張北︱張家 口の連 絡 前記各地点 にして通信所 なき地点は先づ無線通信 に依 り連絡 す
一六
第 一 方
針
対内 蒙施 策 実施 要 領
︹編者 註 ・昭和 十 一年 一月関 東 軍 施 策 提 出 の際 の中 央 の指 示 ︺
関東 軍 の行 ふ対 内 蒙 施 策 の範 囲 は、 当 分 の間 錫盟 、察 盟 、 烏 盟 為
主 義 に則 り劃 一主義 を排 し軍 政 府 の強 化 のみ なら ず 、在 来 各 地方 盟
旗 等 地方 政 権 の改 善、 王侯 庶 民 の掌握 等 に留 意 し全 地 域 の指 導 権 を
封 建 制 の打 破 は漸 を追 て行 ふも のとす 又施 策 上 蒙 古 盟 旗 制 と共 産
把握 す る に努 む るも のと す
と し 一般 行 政 特 に 財政 と の調 節 、 文 化 施 設と の按 配 を 適 切 な ら し め
四、 軍 政 府 の武力 充実 に方 り ては 先 づ質 の向 上 を図 る を 以 て第 一義
社会 主 義 と は彼 此 混同 曲 解 せ し めざ るを 要 す
綏 遠 省南 部 (察 哈 爾 転 属 四旗 、 土黙 特 旗 及 伊 盟) 竝 寧夏 方 面 に対
軍 の強 化 に依 り徒 に挑 戦 的 た ら し め ざ る こと 必 要 な り
の及 ば ざ るも のた ら しむ るを 目 途 とす
し得 れ ば阿 拉善 の地域 と し 、之 等 地域 を し て支 那政 権 の実 質 的 政 令
す る 施策 は北 支 工作 と の関 係等 に鑑 み主 と し て支那 駐 屯 軍 之 に任ず
五、 交 通 政 策 上鉄 道 、 航 空 、 郵 便 、通 信 等 の諸 施 設 に関 し て は特 に
るも のとす 綱
予 め陸 軍 中 央 部 と 密 に連 絡 す る を要 す
要
一、 関東 軍 の行 ふ内 蒙 軍 政 府 の指 導 は穏 密 且 内 面 工作 に拠 り主 と し
六、 経 済 指 導 の中 心 は蒙 民 の牧 畜 助長 改 善 を主 眼と し 、漢 人 の搾 取
第二
て特 務 機 関 を通 じ実 施 し、 最少 限 の日人 顧 問 団 等 を し て之 を輔 佐 せ
を防 遏 し 又地 下 埋 蔵資 源 の開 拓 に著意 す る も のと す
を 以 て根 本 とす べ きも 、 漢 人雑 居 地帯 に在 り ては其 既 特 地位 竝 利 益
す
外蒙 古等 と の紛 争 処 理 に関 し て は陸 軍 中央 部 の指 示 を 受 く る も のと
七、 関 東 軍 の指 導す る軍 政 府 管轄 区域 と 冀 察 政 務 委 員 会 、綏 遠 省 、
食 糧 資 源 の運 営 は我 方 に其 実 権 を掌 握 す る こと 必 要 な り
しむ るも のとす
を尊 重す る も のと す
二、 軍 政府 管 轄 区域 に於 ては親 日満 を基 調 と す る蒙 古 人 の蒙 古 建 設
三、 政 治 の形 態 は盟 旗 中 心 の蒙 旗 治 を 以 て主 眼 と し 施 政 は適 地適 応
配布先
一七
関 常 報 第 一号
斎機
関 東 軍 参謀 部 )
尚委員中 より委員長 一名副 委員長 三名を指定す
選定し国民政府 に申請 し之 を任命す るものとす
本会 は毎月 一回開会するも のとす
第 六条
但 し必要あ る場合 には臨時会 を召集す ることを得
前項 の会議は
の盟長副盟長札薩克或は総管及其 他相当 の資格を有す る者 の中 より
本会 には委員九名乃至廿 四名 を置 き行政院 に於て綏省境内各盟旗
第五条
本 会 の所在 地を伊金霍洛とす
第四条
若し省 に関係す る事件ある場合は省政府 と会商処理す べし
本会 は行政院 に直属し中央主管機関及中央指導大員 の指導 を受く
第 三条
帰化土黙 特旗、綏東 五県右翼四旗
伊克昭盟所属各旗
鳥蘭察布 盟所属各旗
(昭和 十 一年 二月 一日
綏遠 蒙政 会 暫 行組 織 大綱 ( 新聞報)
朝鮮軍 台軍
海機
次官
海軍司 哈機
次長 奉機
第 一課 第 二課 一、 二、三班
蒙政部
蘇機
山機
熱機 騎 集 飛司 憲 司 軍政顧
参謀長 参謀 副長
阿機 烏機
吉機 綏機
承機 多機
張機 第三課
司令官 別班 ﹃綏遠蒙政会暫行組織大綱﹄
国 民政府は 一月二十五日の命令を以て綏境省内蒙古各盟 旗地方自 治政務委員会暫行組織大綱を公布 せり 其 の原文次 の如し 国民政府は綏省境内各盟旗 の地方事業 を促進 せしめんがため綏遠
第 一条 省境内蒙 古各盟旗 地方自治政務委員会以 下 本会 と 略 称 す を設立す 第 二条 本会 は左記各盟 の地方自治 事務 を処理す
委員長を以て主席と なし委員事故 の為出席す る能 はざる時は代表 を 秘 参
書 事
各処 の処長
四名 四名
各 一名
(高等官) (高等官)
(勅任官)
(委任官)
に申請して査定し中央 は国庫或は地方税 収中 より支出するも のとす
本会 の経費 は本会 に於 て会計年度編成予算書 に依 て中央主管 機関
第十 三条
本会は事実 上必要 ある場合は技 術員 及雇員 を採用す ることを得
第十 二条
本会 に常駐 せしめ各出身盟旗を代表して折衝 し 一切 の事務を処 理す
本会には参議 十八名 を置き委員長各盟旗佐治 の内 より之を任命 し
第十 一条
力を具有 する者 を選 み中央主管 機関に申請 して之を任命す
前条 の各職員 は科員を除く の外委員長 に於 て相当 の資 格と学識能
第十条
科員 四十名 乃至 六十名
各 処 の科長十 二名乃至十六名 ( 高等官)
列席 せしむる こと を得 第七条 本会委員 会は前条会議 の決議を執 行し且 つ会務を処理し所属職員 を監督す、各 副委員長 は順次 に毎年四ケ月駐会 し委員長 を輔 佐して 会務を処理するも のとす、委員長事故 の為 め職務 を執行する能はざ る時 は駐会 の副委員長 一名之 が代理をなす 本会 には左記 の各 処を設け各項 の事務を分掌す
第八条 秘書処=機要文 電、会議記録、文書繙訳、統計 、会計、庶務等 の 事項を掌管す 参事処=本会 の行 政計 画及法案、規 定、命令等 を起案審査す る事 項 を掌管す 民事処 =民治 に関する事項 を掌管す
第十四条
実業処 =実業及交 通に関す る事項を掌管す 教育処 =教育 に関する事項 を掌管す
以
関 に申請 し行政院 に送附し て其 の批准 を経た る後之を施行す 第十 五条
本大綱は公布 の日より之 を施行す
各盟旗地方自治政務委員会委員 を発表せり
国民政府 は 一月二十 五日の命令 をも つて左 の如く綏遠 省境内蒙古
上
本会 の会議規則及事務細則は本会に於 て草案 を作成し中央主管機
保安処=保安に関す る事項を掌管す 衛生処 =衛生 に関 する事項 を掌管す 前項 の各処は参事 処を除く の外均しく科に分 つて事務を処理す秘 書処 の科長は秘書を以て之 を兼任 せしむる事を得秘書、参事 の両処 以外 の其他 の各処も事情 を斟酌 し中央機関に之 が設置 に就き許可を 仰 ぐ こと を得 本会 の各 処に左 の如き職員を設く
第 九条
{
々
長
百 靈 廟 蒙政会副委員長 盟
百 靈 廟 蒙 政 会 委員 烏 盟 々 長
沙克 爾都 札布
綏遠蒙政会委員人名表 委 員 長 伊
巴 宝多 爾 済 伊 盟 副 盟長
{
阿拉 坦鄂奇 爾
副委員長 副委員長 潘 第 恭察 布 {
{
副委員長
百 靈 廟 蒙 政 会 委員 烏蘭察布副盟長
委
員 斎英特凌清 胡爾羅瓦
斎色特巴勒珠爾
烏 盟 烏拉特後 旗札薩 克
烏 茂 札
盟 明 安 旗 薩 克
同 額爾和色沁札木 巴拉
{
右 同
{
{
伊盟鄂爾多斯右翼中旗札 薩克伊盟〓弁盟務
盟
伊 盟 鄂爾多斯右翼前旗 札薩克
{
鄂爾多斯左翼中旗 札 薩 克
伊
鄂爾多斯左翼後 旗札薩克 百 靈 廟 蒙 敏 会 委 員 {
烏 盟 烏拉特前旗札薩克
{
右 凌
格
同 石 拉布多爾 済
僧
右 同
〓勒蔵羅勒瑪旺札勒札木蘇
慶
右 同
{
右
図布新済爾〓勒
康 達多 爾 済
同
時固斯阿木固朗
同
右
同
右
右
右
右
同
同
同
孟 克 鄂 奇 爾
沙拉布 多爾 済
栄
鄂済爾呼図克図
綏東右翼 正黄旗総管 百 靈 廟 蒙 政会 委 員
綏 東 右 翼 〓 藍旗 総 官
百 靈 民 事 処
帰化土黙特特別旗代理 総 管 百霊廟蒙政会委員
{
{
{
{
{
{
右
同
達 密 凌 蘇 竜
綏 東 右翼〓紅旗総管
伊 盟 鄂爾多斯右翼前旗 札 薩 克
右
同
巴拉 貢 札 布
祥
右
同
廟 長
右
一八
内蒙 工作 の現状 第 一、 緒
関 東軍 参 謀 部 )
尚本会議は蒙古人側 に於 ては蒙古建国会議と称 しあり
て会 議 を開 催 せり
拡 充 を 計 る に決 し 四月 二十 日 よ り 一週 間 に亘 り 西鳥 珠 穆 沁 王府 に於
(昭和 十 一年 四 月 二十 八日
内 蒙 古 工 作 の現 状 に 就 て 関 特 報 (蒙 ) 第 6号
言
目下当軍 に於 て行 ひつつある内蒙 工作 に関し更 に其内容 を強化充
一、 四 月 二十 日 徳 王 は李 守 信 、 卓 特 巴札 布 、呉 鶴 齢 及 田 中 (久) 特
一 建国 王公全体会議 の状況
務 機 関 長 と共 に西烏 珠穆 沁 に至 り 二十 一日 よ り会 議 を 開 催 せ り
実す るため三月中旬関係特務機関長を召集会議 の結果四月初旬 より 画たる二ケ軍 の編成 に着 手するに決せり
内蒙 (西北) 施策要 領に基 き軍政府 の内容 を強化す ると共に予定計
一、 内 蒙 古 軍 政 府 は 二 月 十 日成 立 以来 着 々其 の内 容 を強 化 し 内蒙 各
第 二、内蒙軍政府 の内容強化 に就て
特務機関 の報告を綜 合し内蒙 工作 の現況を述 ぶれば次 の如し
烏 蘭
特
札
善
旗
布
察哈爾 盟総 管
錫林郭勒盟王公
外蒙 古代 表
蒙 政会 代 表
一名
一名
六名
十 二名
十名
一名
一名
来 会 せ る 王 公総 管 及 代 表 次 の如 し
地 に散 在 せ る人材 を 糾合 し将 来 の進 展 に対 応 す る施 策 を実 施 中 な り
土 黙
四月中旬及四月下旬当軍幕僚 の現地視察 の結果及従来 に於ける各
し が 工作 漸 次 進 展 し 綏遠 、察 哈 爾 内 の各 旗 及 土黙 特 、阿 拉 善 、 額 済
阿
昭 盟
納
旗
三名
一名
拉
来 各 王 公及 総 管 に対 し 日本側 援 助 に関 し之 を 公 表 し来 らざ り し も前
額 済
納 部 、 青 海 等 に対 し 悉 く連 絡 を完 了 す る に至 れ り 茲 に於 て徳 王 は 従
記 の如 く各 方 面 の連 絡 完 了 し た る を 以 て既 に之 を 公表 す る機 会 に達
伊
克
せ る も のと 信 じ極 秘 裡 に 内蒙 古 王 公全 体 会 議 を 開催 し軍 政 府 の強 化
青
海
代 表
三十七名
随員 約二百名
盟長沙王 は参加せり)
一名
備考 (伊克 昭盟七旗中 四旗 は傅作義 の圧迫 に依 り参加し得ざるも 計 二、本会議 の目的とする所 は従来内蒙古軍総司令部と称 し蒙古側 に 対しても概 ね秘密となしありしを今回 の会議 に於 ては之を蒙古軍政
察哈爾盟 に於け る開墾 地を除く草地及荒地を各旗 に返還す る
原案 通 (別表及別紙第 一参照) ︹ 編者註 ・別表別紙 なし︺ 五
災民救恤案
案原案 通過、細部 は軍政府 に於 て調査 の上至急処理す べし
募兵及訓練案
軍政府に於 て調査 の上処置す
六
ず 経済統制案
軍政府 に於 て計画 し各盟、各旗 は軍政府 の計画に基 き募兵 に応
七
的 のも のとし内容を強化し名実共 に蒙古民族中央 政府 たらしめ同時
府 と改称 し蒙古側 に対しては 一切之 を公開して親 日満 の態度を決定 八
蒙古建 国案
借款案 (日本若くは満洲国)
満洲国と の相互援助協定案
軍政府 の実権 充実 と其内容
原案通過 雲王を主席と し索王及沙王を副主席と し徳王を軍政府総裁とす
十一 主席推挙案
軍政府 に於 て処理す
十
軍政府 に於て将来慎 重に処理す
九
全地域 の経済統制 は軍政府 の計画及命令 に従 ふ
に察哈爾、綏遠、阿拉善、額済納、青海蒙古を合 する領域 の結束を 鞏固にし之 を軍政府 の管轄 下に置 かんとす るに在 りて所謂建国会議 とも称すべきも のなり 会議は極 めて順調 に進捗 し二十六日を以 て無事終了せり 一
三、会議 に於ける議決事項 の概要 次 の如 し 原案 通過 ( 満 洲国内 の四盟は之を除く)
内、外、青海、蒙 古を 一丸とす る建国案
二
一、蒙 古軍政府 の組織及内容別表 の如く組織法別紙 の如 し
蒙古国体案 究極 に於 て君主制 を採用す るも当分 の内委員制とす
二
二、本組織 は雲王を主席とし沙王 (伊克昭盟長) 及索 王 (錫林郭勒
所 に依る
一切 の画策 は徳王及内蒙 古唯 一の実際政治家た る呉鶴齢 の定む る
質的 には徳王は独裁機関 なり
盟長) を副主席と し実権は総裁たる徳王之 を掌握するも のにして実
君主制 の内容 に関 しては相当機関に於 て妥当 の研究を遂げ たる 蒙古国会案
後慎 重に決定す 三
軍政府組織案
国体決定後併行 し て決定す 四
的には軍政府 の出張所となす
四、本年 二月下旬軍政府撹乱 の目的 を以 て綏遠 に成立せる綏遠蒙政
軍政 府 の出 張 所 と す
三、 百靈 廟 蒙 政会 の名 目 は 依 然 当 分 の内 之 を残 置 す るも 実 質 的 には
の行 政 費 に 百 二十 万 円 を軍 政府 の軍 費 に充 て得 る状態 と な れ り
あ り本 年 度 予 算 は 約 三百 二十 万 円 に し て内 二百 万 円 は察 哈 爾 盟 自 体
目 下治 安 完 全 に確 立 し 盟 長卓 特 巴札 布 以下 孜 々と し て政 務 に勉 励 し
記 通 訳 を含 む) の指 導 に依 り極 め て順 調 な る発 達 を 遂 げ つ つあ り て
一、察 哈爾 盟 は 一月 四 日成 立 し爾 後 日人 顧 問 二十 数名 (顧 問 以下 書
保安隊約 一千 二百名
二、 目 下 の注 目 す べき 施 設 次 の如 し
会 は百靈廟蒙政会 の指揮下に入り名目 は当分之を存 するも之亦実質 五、 軍 政 府 は 五月 一日 よ り徳 化 に移 転 し 日 本 人顧 問 の指 導 に依 り政
に 予 定 の二千 名 に充 実 す る筈
らず 有 事 の 日第 一線 に参 加 し得 る素 質 を備 ふる に至 れ り八 月 末 迄
日人 顧 問 の指 導 に依 り 既 に盟 内 の治 安 の維 持 に任 じ得 る の みな
察哈爾盟
族 間 には 公 開 せ ら れ た る も外 部 特 に支 那 側 に対 し て は依 然 秘 と し 縦
蒙 古青年 学校
六、 今 回 の会 議 の結 果 軍 政府 は其 内 容 を充 実 す る と共 に 一般 蒙 古 民
務 を開 始 す る予 定 な り
を利 用 し極 力 之 を否 認 せ し む る筈 な り
古青年 を収容し軍事及普通学を教授 し つつあ り其成績 予想外 に良
旧農業学校 を蒙古青年学校とし目 下察哈爾盟より約二百名 の蒙
令 其 内 容 暴 露 せら れ た る際 に於 て も従 来 の如 く 蒙 政 会及 綏 境 蒙 政 会
七、 本 会 議 は 清 朝滅 亡 後 最初 のも のな り
軍政府 日本人顧 問に就 て
好 にして近く錫林郭勒及綏遠 、阿拉善等よ り有為なる青年約 三百
三
一、軍政府 日人顧問 は通訳書 記等 を合し廿 二名にして政治部 は村谷
目 下収 容 中 の青 年 は何 れ も我 日本 帝 国 の国 力 を 理解 し衷 心 信 倚
名 、合計 五百名 を収容 す る筈
あり
彦治郎軍政部は山内源作 を主席とし西蘇 尼特特務機関長之 を区処し
亘 る軍閥 の搾取 より免れ税額 の低下と治安 の確立 に依り軍政府 の政
三、察哈爾盟内 の漢人約五十万は漢人出身 の縣長 の指導下に永年 に
の念 を抱 き つ つあ り て今 や 民族 回復 の熱 に燃 え つ つあ り
感 情 的 に疎 隔 あ り し も本 軍 政 府 の組 織 後 に於 て は 一切表 面 に立 た し
二、顧 問 は 当初 に於 て は熱 心 の余 り指 導厳 格 に過 ぎ蒙 古 人 と の間 に
め ず専 ら 内 面指 導 に任 ぜし む る こと と せ る を以 て将 来 漸 次 圓 満 な る
治 を謳歌 しつつあり
一、 内 蒙 施 策 要 領 に基 く蒙 古軍 二箇 の充 実 に関 し て は 三 月中 旬 満 洲
第 四、軍備充実 の現状
関 係 に入 る も のと判 断 せ ら る
を以 て先 決条 件 とす る を以 て其 徳 操 の保 持 に関 し ては 厳 格 な る 監 督
三 、 日 人顧 問 は道 義 的 民 族 た る蒙 古 民族 の絶 対 的 の信 頼 を得 る こと
す る こと と な り三 月 下旬 よ り募 兵 に着 手 し 六 月 下旬 迄 には 二 ケ軍 約
国 軍 政 部 及 当 軍 司 令 部間 に於 て協 議 の結 果 四月 上 旬 よ り 充実 に着 手 第 三 、察 哈 爾盟 に就 て
を 行 ひ つ つあ り
一万保安隊 (各盟約 二千) 四箇約 八千 ( 阿拉善、額済納及土黙特 は
政権 の経済的実力 を破壊すべく工作中 なり
尚将来外蒙古軍隊招撫 に着 手す る筈 にして徳王は其可能性あ るこ
内 蒙古 の経済的実力に鑑 み本 工作 は相当 の効果 を期待 し得べし とを確信 しあり
当分 の内旗自体 に於 て所要 の数 を充実 し将来盟政革新 に際 し軍政府 二、幹部 の教育機関としては西蘇尼特 に軍官学校ありしが昨年末来
四、 青 海 、 甘 粛 、 新 疆 に対 し て は在 住 蒙 古 人 を 利 用す る外 回 教 徒 の
の統制下に置く予定)とする筈 満 洲国出身 の蒙古人を教官 とし我顧問 の指導下 に初級士官としての
懐 柔 を 必要 と す るを 以 て将 来 回、 蒙 両 族 の合 作 に関 し て は軍 政 府 と
を 得 る も のと 信 じ あ り
五、西 蔵 に対 し て は軍 政府 は喇 嘛 教 を利 用 せば 容 易 に合 作 す る こと
し て大 に努 力 す べく 又 其 可 能 性 大 な る も のと 認 む
教育をなし つつあ り 目下在 学中 のものは約五十名 にして近く第 二期生約百名を募集す 尚将来特別班を設け各王公 の子弟 の教育 を開始す る筈
る筈
六、 領 域内 の漢 民族 に対 し ては之 に 圧迫 を加 ふ こと な く彼 等 の理 想
り招 撫 の目 的 を達 成 す
た る 安 居 楽 業 を容 易 な ら しめ 多 年 の虐政 よ り之 を救 済 す る こと によ
顧問 の報告其 他を綜合す るに軍官学校学生 の規律は厳正にして素 第 五、 徳 王 の抱 懐 す る 企 図
質亦良好な り
特務機関顧問及幕僚 の現 地視察等 の報告を綜 合するに西部内蒙古
言
民族間 には本年初頭察哈爾盟 の恢復及軍政府 の成立に依 り俄然親 日
第 六、結
蒙 随 一の才幹 を有 す る 呉鶴 齢 を智 謀 と し 先 づ察 哈爾 、 綏 遠 、 寧 夏 三
一、 徳 王 は 雲 王 、沙 王、 索 王 を ﹁ロボ ット﹂ と し て実 権 を 掌握 し 内
省 を包 含 す る蒙 古 独 立 政 権 を確 立 し次 で之 を 外蒙 古 、青 海 、 新 彊 、
喚起 し来れ り、若し将来帝国 の国力と東 洋平和確保 の大乗的見地 に
立ち て之を善導せば我西北施策 は予想外 に迅速 に健実な る進展 を見
満及民族自立 の気 運興隆 し心あ る王公及青年は溌剌た る復興精神を
んとす る気運 に在り て帝 国 のため誠 に喜 ぶべき現象 なりと確信す
裡 に連 絡 を開 始 し あ り 二、 綏 遠 を完 全 に蒙 古 政権 内 に包 含 す る こと は 蒙 古政 権 の基 礎 に重
西 蔵 に拡 大 す る の企 図 を有 し 既 に 必要 にし て可 能 な る方 面 に は秘 密
大 な る影 響 あ る に鑑 み最 も 慎 重 な る態 度 を 以 て臨 み つ つあ り て目 下 傅 作 義 に対 し各 種 の手 段 を 講 じ て合 作 に努 力 中 な り然 れ ど も 一面 に 於 て若 し傅 作 義 に し て合 作 を 肯 ぜ ざ ると き は武 力 を 以 て之 を省 外 に 放 逐 す る の決 意 の下 に着 々準 備 中 な り 三 、 外蒙 古 に対 し て は努 め て和 平 的 手 段 に依 り合 流 を策 し特 に先 づ 外 蒙 古 民族 の内 蒙 古 方 面 への移駐 を奨 励 し人 口 の激減 に依 り外 蒙 古
昭和 11
一
一九
一四 八 九八
有 田外務 大臣
第 一七 一号
暗
五 日前 発 八 月 五 日前 着
亜
︹ 廟︺
二
一四 九 六 二
張家 口 本 省
五 日後 発 八 月 五 日夜着
支 、南 京 、北 平 、 天 津 、 満、 承 徳 ヘ転 電 セ リ
ア ル趣 ナ リ
昭和 11
暗
中 根領 事代 理 第 一七 三号
有 田外務 大臣
亜
狼 狽 シ要 人 、 資 産 家 等 ノ家 族 ハ続 々平 津 又 ハ大 同 方 面 ヘ避 難 シ ツ ツ
他 ノ 重要 地点 ニ鹿 砦 、鉄 条 網 等 ノ防 禦 設 備 ヲ行 ヒ居 ル為 人 心極 度 ニ
綏 遠 戦 備 強 化 、 梅 力 更〓 事 件
張家 口 本 省
中根 領事代 理
平 地泉 及 綏 遠 派 駐 員 ヨリ ノ情 報 ヲ綜 合 ス ル ニ綏 東 地 区 綏 遠 軍 ノ前 哨 部 隊 ハ 一日夜 大 六 号附 近 ニ於 テ蒙 古 独 立軍 ノ別働 隊 タ ル土 匪 軍 ト 衝 突 シタ ル カ右 報 告 ニ接 シタ ル傅 作義 ハ二 日綏 (遠 ) ニ於 テ軍 首 脳
軍 騎 兵 司 令 趙 承 綬 ト 綏東 防 備方 針 ヲ協 議 シタ ル カ不取 敢 趙 ノ部 下 約
八 月 一日大 六 号 ニ於 ケ ル支 那 軍 ト蒙 古軍 別 働 隊 タ ル土 匪 軍 ト ノ衝
綏 東 地 区情 報
部 会議 ヲ開 キタ ル上 同 夜 親 シク 平 地泉 ニ急 行 大 同 ヨリ招 致 セ ル山 西
二 百騎 ヲ大 六 号 ニ増 援 セ シメタ リ之 ヨリ先 平 地 泉 ニ於 テ ハ興 和 ニ於
ル模 様 ナ ルカ交 戦 ノ結 果 ハ不 明 ナ ル モ支 那 側 ハ万 一同 地 ノ守 ヲ失 ス
突 ノ機 会 ニ乗 シ土 匪軍 ノ 一部 約 五百 名 土木 爾 台 ノ支 那 軍 ヲ攻 撃 シタ
︹ 平地泉︺
テ逮 捕 セ ル土匪 約 二十 名 ヲ二 十 六、 七 両 日 ニ亘 リ独 立軍 ト 通 謀 ノ故 ヲ以 テ銃 殺 シ続 イ テ集 寧縣 長 ハ両 軍 衝 突 ノ時 機 切迫 セ リト 称 シテ市
ルト キ ハ陶 林 ハ包 囲 セ ラ レ土 匪軍 ノ主 力 ハ卓 資 山 ニ進 出 シテ平綏 線
民 ニ爆 弾 除 ケ ノ穴 倉 設 備 方 通 令 軍 側 モ山西 ヨリ急 派 セ ラ レタ ル工程 隊 約 八 百 名 ヲ以 テ北 門 外 一支 里 ノ地点 ニ地 雷 約 五十 個 ヲ埋 設 シ其 ノ
ヲ遮 断 セ ラ ル ル ヘキ ヲ惧 レ四 日豊 鎮 ニア ル第 七十 三師 ノ四 百 三 十 六
張 家 口発 本官 宛 電 報
ノ 上弾 薬 ハ勿 論 所 持 金 品 全部 掠 奪 ヲ受 ケ テ同 日包 頭 保安 司令 部 ニ護
セ ラ レ同 廟 守 備 ノ大 喇嘛 部 隊 約 二千 人 ハ全 滅 シ中 島 以下 五名 ハ逮 捕
︹マ マ ︺
途 中 梅 力更 廟 ニ宿 泊 シタ ル処 十 三 日早 朝 支 那 軍 約 一千名 ニ包 囲 攻 撃
決 シ同 機 関員 中 島 万蔵 以 下 邦 人 五 名 ﹁ト ラ ック ﹂ 二台 ヲ以 テ輸 送 ノ
百靈 廟特 務 機 関 側 ニ於 テ ハ公廟 ノ大 喇 嘛 部 隊 ニ弾 薬 ヲ補 給 ス ル ニ
往 電 第 一三 八 号 ニ関 シ
第 一三 九 号
九 日後 発 八 月 九 日夜 着
武 藤 書 記 官
亜
団 ヲ卓 資 山 ニ移 動 セシ メタ リ
三 一五 二 三 九 暗
北平 本省
支 、 南 京 、 北 平 、 天津 、 満 、 承 徳 ヘ転 電 セリ
昭和 11
有 田外務 大臣
送 還 シ来 レ ルカ今 後 ハ同 地 域内 ニ立廻 ラ サ ル様 取 計 ハレ度 キ旨 通 告
ニ対 シ石 王対 喇 嘛 交 戦 地 域 内 ニ日本 人 五名 介在 シ居 タ ル ヲ以 テ保 護
送 セ ラ レタ ルカ同 司 令部 側 ハ直 ニ之 ヲ釈 放 ス ルト共 ニ我 包 頭 出 張 員
張 家 口発 本 官宛 電 報
ノ上 支 那側 ニ対 シ何 分 ノ対 策 ヲ執 ル コトト シ 一行 ト共 ニ引 揚 ケ タ ル
越 セ ル趣 ナ リ同 日包頭 ニ急 行 セ ル百 靈 廟 盛 島 機 関 長 ハ関 東 軍 ニ請 訓
第 三 九 三号
第 一三 二号
五
一六 〇 一八
暗
北平 本省
武 藤 書 記 官
廿 二 日後 発 八月 廿 二日 夜 着
大 臣 、支 、 南 京 、 天津 、満 、 承 徳 ヘ転 電 アリ タ シ
ル モ ノノ如 シ何 等 御 参 考 迄
昭和 11
有 田外 務大臣
第 四〇 七 号 張 家 口発 本 官宛 電報
亜
趣 ナ ルカ尚 公 廟 ノ大 喇嘛 部 隊 七、 八 十 名 ハ右支 那軍 ノ為 既 ニ全 滅 セ
本 官 発 大 臣 宛 電報 第 一七 一号 ニ関 シ 傅 作 義 ハ綏 東 地 区配 置 部 隊 ノ検 閲 ヲ終 ヘ六 日綏 遠 ニ帰 任 シタ ルカ
十 六 日前 発 八月 十 六 日後 着
武 藤 書 記 官
亜
趙 承 綬 ハ大同 ニ帰 ラ ス当 分 ノ間 平 地 泉 ニ留 マリ前 敵 総 指 揮 ノ任 ニ当
四 一五六 七 三 暗
北平 本省
大 臣 、支 、南 京 、 天 津 、 満 、 承 徳 ヘ転 電 ア リタ シ
ル趣 ナ リ
昭和 11
有 田外 務大 臣
第 四 一四 号 (部 外 極 秘)
第 一四 一号
山 西 省 モ将 来 傅 ニ与 フ ル如 キ 好餌 ヲ与 ヘ傅 ヲ釣 リタ ル ニア ラ サ ル
カ又傅 作 義 今 回 ノ山 西 省 南 部 ハ 一色 ニ塗 リ潰 セ ル人 事 ノ移 動 ノ如 ク
官
綏 東 方 面 ニ於 ケ ル事 態 ハ 一時 小康 ヲ得 タ ル模 様 ナ ル モ支那 軍 ハ平
武
スト 思考 セ ラ ル
海
思 ヒ切 リ タ ル工作 ハ蒋介 石 カ 十分 閻 錫 山 ノ頭 ヲ押 タ ル結 果 ニ外 ナ ラ
七
宛
昭和 十 一年 十 一月 十 六 日 関東 軍参 謀長
諜者報 ( 部 外 秘)
流 スル ニ決 セ リト 伝 ヘラ ル
王 ﹂ ハ今 回 徳 王 ト ノ了 解 成 立 シ伊盟 全 版 図 ヲ上 ケ内蒙 自治 政 権 ニ合
綏 遠 省 ノ大 部 ヲ占 メ且 ツ綏遠 蒙 政 会 ノ 主体 ヲナ ス伊 克 昭盟 長 ﹁沙
上
地 泉 、 豊鎮 、 陶 林 、 興 和 等 ノ各 県 ( 内 大 同 普 綏 騎 兵 司令 趙 承綬 騎 兵
形勢 相
関
発信者
集 団 軍 ノ大 部 及傅 作 義 第 七 十 三師 ノ主 力 ) 陽 高 、 天 鎮 方 面 (李 服 庸 第 六 十 八師 ノ主 力 ) ニ兵 力 約 二 万 五、 六千 ヲ集 中 シ防 備 ヲ固 メ居 ル
遠
号 御参 照) ニ モ関 聯 シ支 那 軍 ハ目 下 百靈 廟 包 囲 ノ陣 形 ヲ
綏
機
趣 ナ ルカ 一方 綏 西 方 面 ニ於 テ ハ過 般 ノ梅 力 更 廟 事 件 (往 電 第 一三 九
当 急 迫 シ居 ル趣 ナリ何 等 御 参 考 迄
発信者
大 臣 、 支 、 南京 、天 津 、 満 、 承 徳 ヘ転 電 アリ タ シ
六
宛
昭和 十 一年 十 一昭七 日 関東 軍参 謀長
既 報傅 作 義 ノ言 及 当 時 特 務 機 関 ノ諜 知 セ ル処 ニ基 キ所 見 ヲ述 フ、 西 安 東 西 ノ線 以南 ニ配 置 セ ル中 央 軍 第 一第 三軍 ハ主 ト シテ張 学 良 ニ 指 向 セ ラ レ ア ル モノ ナ ラ ン、蒋 介 石 ハ山 西 軍 共 産 匪 、 張 學 良 軍 ヲ以 テ 日本 ノ行 フ綏 遠 工作 ヲ破 砕 シ之 等 ノ綏 遠 進 入 ヲ待 テ其 ノ第 一第 三 軍 等 中 央 軍 ヲ山 西 、甘 粛 、 寧 夏 ニ進 メ之等 ノ 地方 軍 ヲ始 末 セ ント ス ル モノ ナ ル ヘシ、 万 一日本 カ腰 ヲ折 リ テ外 交 工作 ニテ 日本 カ綏 遠 ヨ リ手 ヲ引 ク時 ハ共 産 匪 討 伐 ニ名 ヲ藉 リ張 學 良 軍 ヲ叩 キ共 匪 ト 共 ニ之 ヲ新 疆 省 方 面 ニ叩 キ 込 ミ次 テ山 西 ト共 ニ之 等 地 方 ヲ中 央 軍 直轄 タ ラ シ メ ント ス ル モノ ナ ラ ン従 テ傅 作 義 カ今 回勇 躍 元気 ニテ綏遠 ニ帰還 セ ル ハ単 ニ多 額 ノ 軍費 ヲ接 受 シ来 レ ル丈 ニ ハアラ サ ル ヘシ
二〇
察 哈 爾 方 面視 察 報告
(昭 和 十 一年 八 月 二十 七 日
駐満海軍部)
も あ る に付 一度 視察 し度 旨 申 入 れ た る に其 機 を得 ず 漸 く 八 月案 内 す
べく 約 束 せ る処 小官 今 回転 職 に付 定 期 便 によ る 一周 飛 行 を 申 入 れ 七
月十 三 日承 徳 発多 倫 張 北 を経 て徳 化 に至 り 約 二時 間 視 察 の上往 路 を
次
一、 関東 軍 の内 蒙 工作 に対 す る所 見
逆 航 し て 承徳 に帰 着 せり
目
二 、察 哈 爾 の風 物
蒙 古 国 建 国 工作 は尚 謀 略 の道 程 にあ り完 全 なる建 国 実現 は前
一、 関 東 軍 の内 蒙 工作 に対 す る所 見 (結 論)
内 蒙 の地 は 工作 容 易 な る処 には富 な く富 あ る処 は 工作 容 易 な
ハ
ら ず 結 局蒙 古建 国 は金 のか かる 仕事 な り
ロ
途遼遠な り
イ
三 、 徳 化 の見 聞
︹乾 四郎 ︺
四 、現 地 機 関 の語 る指 導 方 針 及 実 施 状 況 五 、旅 行 中 の気 分 記
て長 城 外 平綏 線方 面 に圧 迫 を加 ふ る こと は準 備 し 居 る が如 し
( 註) 本視察 報告は当部参謀長大島 大佐 の七月上旬現地視察
六、雑
せる時 の報告なり陸軍 の該地方 の 一般視察 を禁止 せる関係
ニ
地帯 と 明 に区 別 せ ら る る が如 し
多 倫 沽 源附 近 上空 よ り見 れ ば熱 河 省 は山 岳 地 帯 、 察哈 爾 は高 草 原
二、察 哈 爾 の風 物
に て考 ふ る程 出 先 は徹 底 し 居 らず
謀 略 上中 央 の統 制 に服 す る こと 従 来 より は 良 好 な る も尚 中 央
我 陸 軍 を動 か し て工 作 を推 進 す る意 企 な き も蒙 古 軍 を指 導 し
をなすを要 す
及陸軍 に関する事項 を含め るを以て陸軍 には特 に秘 の取扱
察 哈爾方面 視察報告 関東軍は昨年来陰密裡 に内蒙方面 に工作中 の処今春来其 の進捗情 況良好 にして蒙 古国建 設も遠き に非ざるが如く吹聴する関東軍参謀
呼 倫 貝 爾 に類 似 し 徳 化東 西 線 以南 は全 く 漢 民族 の占 拠 す る処 にし て
而 し て多 倫 東 西線 以北 は純 然 た る蒙 古風 景 に し て起 臥 稍 大 な る も
を蒙古 王国 の首府と し (大島註、彼等 は満 洲国内 の蒙古民族も併合
今 も城塞存置する多倫 の西方湾河左岸 にある守蘇南北城又は四郎城
専 田少 佐 曰く ﹁ 蒙 古 王殊 に徳 王 の ア ン チ漢 民族 に も困 りも の にし
︹盛 壽 ︺
する意 に非ざ るか)徳 化は察哈爾省 の首都 とした き強き希 望あり
て徳 化 都 市 計 画 (最 近 特別 市 制 を 布 け り) の如 き も従 来 の計 画 は漢
満 鉄 沿線 の耕 地を 見 る と異 な らず 多 倫 附 近 の外 は殆 ん ど河 川 の形 跡 を 見 ざ る代 り に池 沼 は 普通 の地
徳 化 は 現在 軍 政府 兵 営 の外 百 五 十 乃至 二 百戸 の小 部落 (主 に漢 民
族 の作 れ るも のな る が故 に破 壊 し て新計 画 を立 てた り と ﹂
族 居 住 せ るが 如 し) な る も大 幅 の道 路 (道 路 と 云 ふ程 度 のも の にあ
図 に記 載 され た る 以 上遙 に多 数 にし て且 つ多 く は塩 湖 にし て水 際 に
標 高 張 北 千 百 米徳 化 千 五 百米 位 にし て夏 も 日中 の外冷 気 を覚 ゆ夜
塩 を採 取 せ る跡 を見 る
を作 る も収 穫 少 く 外観 の美 な る割 に富 の程度 遙 に低 しと 云 ふ
間 は ﹁ドテ ラ﹂ を要 す る こと 多 し従 て農 作 物 は燕 麦 を 主 と し大 小 麦
先 般 結 成 せ る軍 政府 は大 凡 二百 米 四 方 の障 壁 内 にあ り普 通 の平 家
らず ) を縦 横 に劃 し 将 来 の大 都 市 を夢 想 せ し め つ つあ る が如 し
支那 家 屋 にし て約 半 分 を軍 政 府 自 体 の事 務 室 及参 集 王族 の住 居 に充
又冬 季 は 気 温 零下 四十 度 を越 え 加 ふる に平 均 風 速 十 米 に及 び外 来 者 は 居 住 に困 難 す
て他 の半 分 を 日本 人顧 問 (十 余 人 ) 及 特 別 機 関 の執 務 及 居 住 に充 つ
軍 政 府 の組 織 は 軍 政 、財 政 、 民 政 、 外 交 、実 業 、 教 育 等 各 部 各 科
外観 閑 雅 に し て小 綺 麗 な る住 宅 と 田舎 の寺 廟 の間 を行 く が如 し
三、 徳 化 の見 聞 徳 化 は 元 来 人 家 も皆 無 の草 原 な り し 処数 年 前 宗 哲 元 が 化 徳 (徳 王
の系 統 よく 備 はれ ど 其 の人員 施設 之 に伴 はず 小室 の入 口 に 二、 三枚
を化 す 意 ) と 称 し蒙 古 征圧 主 と し て西 ソ ニ ット徳 王征 伐 の拠 点 と し て造 営 せる 部落 にし て此 処 を選 定 せ る理 由 は張 家 口 よ り庫 倫 、西 ソ
の看 板 を掲 げ あ る情 況 な り
出 発 の際 飛 行 場 迄 見 送 り 且 つ約 七十 名 の新 兵 (徒 歩 ) を整 列 し小
午 餐 の用 意 出 来 ざ るを 残念 が れ り
日本 の援 助 に よ り蒙 古 国 建 設 の進 み つ つあ るを 謝 し 突 然 の来 訪 に て
小 官 来 着 を 聞 き 軍 政府 よ り 呉鶴 齢 以下 数 名 の所在 委 員 挨拶 に来 り
の要 人 も同 様 な り
徳 王 は概 ね半 ケ 月 毎 に在 勤 し 当 日 は西 ソ ニ ット に帰 り 不在 な り他
歩 兵 と し て千 名 を越 え ざ る べし
兵 営 は外 観 の規 模 軍 政府 よ り稍 小 にし て内 観 不 詳 な る も収 容 力 は
ニ ット に通ず る 大道 に接 し漢 民族 勢 力 圏 の外端 に あ る に依 り 又 此 処 よ り少 し く北 方 が前 記 大 道 の最 高 地 点 に し て此 処 迄 は 四 季 交 通自 由 な る も此 より 北 方 は冬 は氷 雪 夏 は泥 濘 の為 屡 々交 通 杜 絶 す と 云 ふ 関 東 軍 は 宋哲 元 を追 ひ蒙 古 民族 (徳 王 を 立役 者 と す ) を 糾合 し て 漢 民 族 に対 抗 せ しむ る為 宋 哲 元 の意 企 を逆 用 し て其 の名 を 徳 化 (徳 ︱ 徳 王 を 以 て 漢 民族 を化 す 意 な り と) に改 め 軍 政 府 を 置 き第 二軍 団
然 れ ど も蒙 古 王族 は此 地 は 漢 民 族 によ り建 設 せら れ た る を 以 て蒙
主 力 の駐 屯 地 と 定 め た り
古 国 の首 府 と す る こと を喜 ば ず従 来 は 元時 代 の首 都 た りし こと あ り
官 の閲 兵 を乞 へり閲 す る に三 十歳 を越 えた る壮 年 兵 と 十 五歳 位 の少
速 に財 政 の確 立 を 要 す る も未 だ成 案 な し
外 蒙 の毛 皮 、 支 那 の茶 等 従 来 の貿 易 復 活 を 南 北 両 方 面 よ り熱 望
し あ り目 下 従 価 百 分 の十 一程度 の通 過 税 を以 て貿 易 を許 さ んと 交
ホ
と せず 父 母 の膝 下 を離 れ て応 募 し 来 れ るを 称 へ蒙 古 建国 の確 実 性 を
渉 中 な るが 前 途 不 明 な り若 之 が纒 れば 収 入 莫 大 な る も それ 迄 は 財
年 兵 と 混 淆 しあ り工 作 員 は之 等 少 年 が建 国 の意 気 に燃 え 千 里 を遠 し
説 明し 呉 れ た る も見 方 に よ り ては 規 格 にか ま はず 集 め ら れ るも のを
す
張家口徳華 洋行 は蒙古 民族搾取 の最も甚しきものなり撲滅を期
こと な れば 右 交 渉 の成 立 を急 ぎ居 らず
然 れ ど も貿 易 を邪 魔 す る こと も亦 対 北 支 、 対 外 蒙 工作 上 必 要 の
政 が最 も 困 難 な る問 題 な り
べし 相 当 の恰好 を整 へあ り
集 め 頭 数 を 揃 へた る も のな り 武 器 は 関 東 軍 にて世 話 した るも のな る
四、現地機関 の語る指導方針及実施状況 イ 蒙 古国 は蒙古盟旗 の王侯を極 力宣撫懐柔 して軍 の掌握下に 一 致団 結せしめんとす現在察哈爾は完 全に掌握 せるも右 以外は思 ふ
察 哈爾内 の農産畜産等 には多 く期待 し得ず
軍 政 府 指 導 の方 法 は 彼 等 に任 せ ら れ ぬ こと のみ握 る 方針 を 以
ヘ
内 蒙 の北 方 外 蒙 に対 し ては威 力 を 以 て圧 迫 す る こと なく 極 力
ロ
て 社会 施 設 の如 き は 彼等 に任 せ あ るが 余 り贅 沢 な こと を申 出 し て
様に行 かず 当方 に合 同 す る如 く 指 導 し あ る も外 蒙 側 は ﹁ソビ エ ット﹂ 指 導 の
時 々 困 る こと あ り
承徳 混 成旅 団 長鈴 木 少 将 に会 ひ察 哈 爾 の予 備知 識 を得 んと 試 みた
五、 旅 行 中 の気 分
洲 国 と 交 易 す れ ど 然 ら ざ る も のは 北 支 と 交 易 す る に躊 躇 せず
従 つ て貿 易 の如 き も満 洲国 と 交 易 す るを便 且利 と す る も のは 満
蒙 古 国 は 満 洲 国 よ り絶 大 な る援 助 を 期 待 す る も飽 く 迄 独 立 不
ト
南 方 漢 民 族 は 一応 懐 柔 に努 む るも 時 には兵 力 ( 蒙古兵)を使
ハ
下 に主 要 道 路 には 監 視 哨 を 設け 交 通 を遮 断 し あ り
用 し 圧 迫 す る こと も予 期 す 目 下 南 西 方 に対 し戦 備 の完 整 に多 忙 を
羈 に し て満 蒙 一体 と す る こと 絶 対 にな し
極 む 但 し開 戦 は 関東 軍 のみ に て も決 定 し 得 ざ る べ し何 れ中 央 の問
南方に於て鉄道沿線 は漢民族即ち南京政府 の鞏固なる地盤と勢
題 た るべ く現 地 限 り に て猥 に兵 を 動 か す こと な し
力あり之を破壊 する要 あるも工作 中 々容 易ならず ニ 速 に国軍 を編成 して国防 の充実を要す
ると 云 ふ は漸 く 察 哈 爾 省 内 に限 りそ の外 方 には及 ば ざ る も のと 認 む
る に ﹁軍参 謀 乃至 工作 員 が吹 聴 し 居 る 如 く 進展 し居 らず 軍 の掌 握 せ
らず ﹂ と 云 ふ旅 団 参 謀 と も 屡 会 ひ て話 を 引 き出 さ んと 試 みた る も 一
ら ず之 に触 る ると 特 務 機 関 が迷 惑 す べ し 従 つて実 は内 部 の真 相 は 知
る も自 分 の処 は本 然 の任 務 外 の政 策問 題政 事 的 工作 には 一切触 れ 居
目 下李 守信 の率 ゐ る第 一軍 の外第 二軍 と し て八 千 の壮 丁 を集 め た り 之 よ り編 制 に着 手 せ んと す 募 兵 に は相 当 困 難 を感 じ熱 河 省 内 蒙 旗 よ り も狩 り集 め 又満 洲 国 匪 賊 を改 変 せ る も のも 少数 あ りと 云 ふ
向 に内蒙 の様 子 を知 らず 却 つて ﹁実 は 簡単 な る打 合 用務 も あ り て大
族 と の感情 激 化 せ し む る の みな らず 我 儘 の通 ら ぬ時 は忽 ち 不 平 不
懐 柔 に過 ぎ ぬ か之 に過 ぐ れ ば 我儘 と な り徒 に排漢 熱 をあ ふり 漢 民
ロ
関 東 軍 は満 洲 にて も同 様 の評 あ る が蒙 古 人 に対 し て は余 り に
尉 参 謀 を徳 化 に海 軍 参 謀 長 と同 乗 派 遣 す之 が旅 団 幹 部 の最 初 の入 蒙
満 と な る即 ち 恩 を 売 つて却 つて怨 を 買 ふ こと と な る 、考 へも のな
なり 就 ては参 謀 長 も西 ソ ニ ット行 き を 止 め徳 化 に て同 地特 務 機 関 の 話 を 聞 き 又同 地方 を 視 察 さ れ度 ﹂ と 恰 も小 官 に便 乗 し て初 め て入 蒙
承徳 よ り察 哈爾 廻 り定 期 飛 行 機 は航 空 会 社 の旅 客 機 を軍 用 に
り と (同 前 ) ハ
す る が 如 き 口吻 な り
字 を崩 し た る が如 き 標 識 を附 し あ り承 徳 飛 行
供 せ る も のな るが
︹マ マ︺
期 待 し難 く却 て邪 魔 も の扱 ひ さ るる を 恐 れ 一般 風 物 の視 察 を主
(註 ) 小 生 は最初 徳 化 下 乗 の意 あ りた る も特 務 機 関 の談 に多 く を
場 にて は徳 王 の紋 な りと 云 ひ徳 化 に て は蒙 古 国 の紋 な りと 云 へり
標 榜 せ る も のな りと 云 ふ
何 れ にす る も彼等 に飛行 機 を提 供 し其 交 通 用 に充 てた る こと を
と し徳 化 に下 乗 せず 西 ソ ニ ット迄 飛 び直 に引 返 す 予 定 を以 て承 徳 に至 れ るな り 依 つて之 に同 意 し予 定変 更 の手 続 を依頼 し同 日 は参 謀 吉井 大 尉 及
張北 に て関 東 軍 参 謀 専 田少 佐 ( 特 務 機 関 長代 理 と し て五 月 よ り滞
尋 ぬ る に蒙 古 建 国 せ るに依 り制 定 せ る国 旗 な るが 関東 軍 より ﹁尚
ホ
ニ
張北 に専 用 飛行 機 一機 待 機 し あ り航 空 測 量 用 のも のなり と
在中 ) 徳化 に て特 務 機 関 補 佐官 松 井 大 尉 (機 関 長 不在 ) に遇 ふ共 に
早 ﹂ と 叱ら れ た る に依 り蒙 人 の任 意 作 製 せ るも のと 逃 げ た る も今
人 員 の外物 品 輸 送 に全輻 利 用 し あ り
小官 の来 れ る を見 て頗 る驚 き た る が如 く 連 絡 不良 を旅 団参 謀 に責 め
は 国 旗 と し て方 々 に使 用 し あ りと
兵要 地 誌係 と 共 に飛 行 せ り
た る も参 謀 の弁 明 及 通信 機関 の 不良 を 了解 し徳 化 に於 ては 叮寧 に取
徳 化兵 営 に満 洲 国 々旗 の黄 地 を 青 地 に代 へた る が如 き旗 あ り
扱 ひ 呉 れた り但 し 当 方 の質 問 には 時 々話 渋 ぶ る こと あ り 又話 の度 毎
︹マ マ ︺
四 月 の建 国 会 議 を関 東 軍 首 脳部 は 尚準 備 工作 と せ る に現 地機 関
は 早 や建 国 成 れる も のと す る、感 念 の差 異 も感 知 せら る
に旅 団参 謀 に対 し 本 件 は旅 団 限と 心 得 て 他 に情 報 と し て出 さざ る様
ヘ
工作 員 か調 査 員 か監 察 せら れ た る こと あ り と (旅 行 中 聞 込 み)
綏 遠 省 も鉄 道 よ り南 方 は 全 く関 東 軍 のイ ン フ ル エン ス及ば ず
しは遺 憾 な り
関 東 軍 が 内蒙 工作 に従 事 し 平綏 沿 線 よ り遠 く 寧夏 以西 に迄 着
記
念 を押 す 有 様 に て小 生 と し て も余 り 突 き込 みた る談 話 を交 へ得 ざ り
イ
六 、雑
目 す る所 以 は昨年 関 東 軍 が北 支 謀 略 を天 津 軍 に譲 り た る代 償 と し て獲 得 せ る も の にし て中 央 とし て は関 東 軍 支 那通 謀 略 家 の安 全 弁 と し て提 供 せ るも のな りと ( 旅行中聞込)
二 一
﹁綏 遠 事 件 始 末 記 ﹂ 抜 萃
( 徳化特務機関輔佐官
松井忠雄大尉手記)
隆 吉 限 り で握 り つぶ され て いる のだ。
覧 の欄 は 、 主任 参 謀 以 上 のと ころ は 棒 を ひ いてあ る。 私 の報 告 は 、
きず られ 、 綏 遠 工作 の方 針 を決 定 し て いる。 一大 尉 の力 でど う し た
私 は ﹁約 束 が違 う か ら新 京 に帰 る﹂ と いう と、 隆 吉 は ﹁命 令 違 反 だ ぞ ﹂と 威 嚇 し た が、 私 は軍 司 令 官 以下 の花 押 のあ る現 物 を 見 ぬ限
ら い いか。 ﹁ 参 謀 長 機 不時 着 目下 救 援 中 ﹂ の着 信 紙 が私 に つき 出 さ
と いう私 に、 ﹁電 報来 た。 怒 鳴 ら れ た ろう ﹂ と いうた 。 出 し て く れ
視察 中 ﹂ だ つた。 庶 務 将 校 の小 野 寺少 佐 は、 ﹁花押 見 に来 た ん です ﹂
庁 時刻 す れす れ に滑 り 込 ん だ が、 課長 ﹁東 京 行 ﹂、参 謀 長 ﹁ 東 辺道
し そ んな に今 度 の工作 は 心 配 か﹂ と 反 問 さ れ た 。 ﹁ 危 いです ね﹂ と
でし よう か﹂ と、 真 剣 で聞 くと 、 ﹁外 蒙 は動 か ぬ、 大 丈 夫 だ。 し か
れ た。 ︹ 道武︺ 山 岡 参 謀 に ﹁内 蒙 軍 が総 崩 れ にな つた ら、 外 蒙 は撹 乱動 作 に出 る
海 外 武 官 電 は、 日本 の八 方塞 りを 伝 え て い る の に、 軍 は隆 吉 にひ
し て貰 うと いう 必 死 の覚 悟 だ つた。 赤 峰 経 由 で直行 し、 司令 部 の退
り 信 用 せ ぬと い い切 り、 電 報 を 書 き、 隆 吉 の乗 つて来 た 飛行 機 で新 ︹ 橘樹︺ 京 に飛 ん だ。 も う 一度 課 長 、参 謀 長 に具 申 し 、 綾部 第 一課 長 に 助言
た 本 物 に は花 押 判 がな ら ん で いた 。隆 吉 の見 せた のと 枚 数 も 合 う、
いう のが 私 の答 だ つた。 私 はど う し た ら いいか 、 考え た。 参 謀 長 か
︹ 實︺
内 容 に も違 いは な い。 ﹁綾 部 さん が ど うし て同意 さ れた の でし よ う﹂
ら ﹁余 の帰 還 ま で松 井 大 尉 は新 京 にあ る べ し﹂ と 参謀 長 電 が来 た 。
東 條 さ ん の所 へ、 警 務 指 導 官 の人選 依 頼 に 出 か け た。 ﹁ 情勢判断
で なく と も 、事 情 を 知 らず 、 任 務 一点 張 り に邁 進 す る 男 が出 て来 て
レ ン スチベ ット の様 な 狂信 者 が輔 佐 官 に な つた ら ど うす る。 狂 信 者
自 分 は 蒙 古 に帰 る。自 分 が自 ら 清 く し て去 つた ら ど う な る。 ロー
1 、情 勢 判 断
と 、 いう の が私 の言 葉 だ つた 。
は ﹂ と聞 かれ 、 私 は ﹁謀 略 であ ります から 、 公算 は千 に 一 です 。﹂
板 垣 さ ん の帰 京 ま で の時 間 、 い つも のよ う に海 外 武官 電 から 始 め
と答 え ると 、 ﹁田中 は景 気 の いい こと を いう と つた が﹂ と い つた 。
て電報 綴 、 情報 綴 を ひ つく り かえ し て いた が 、徳 機 電 を 見 ると 、 廻
照鑒 す る。 参 謀 長 に直 言 す る必要 も な い。 自 分 の力 を信 じ 、最 善 を
も結 果 は同 じ だ。 よ し 人 あ つ て、如 何 にあ げ つろ うと も 皇 天后 土 は
新 京 に帰 ると き、 川 崎輔 佐 官 に渡 さ れ た のは 十 万少 し だ。
部 隊 費 には当 初 触 れ な か つた、 いや触 れ させ ら れ な か つた 。 隆吉 が
経 費 は 正規 輔 佐 官 たる私 が、 全部 収 支 し た こと は勿 論 だ が 、謀 略
これ ら の決 算 報 告 は 、東 條 新 参謀 長 に対 し 行 な つた が、受 領 証 を
尽 す のだ。 外 蒙 が動 かぬ とす れば 、満 洲国 と の国 境 の北 半 分 は安 全 だ。 も し
の貴 様 だ 、 よし 。 ﹂ と いう だけ で済 ん だ。
隆 吉 は 、謀 略 部 隊経 費 に つ い て文 句 を つけ て来 た の で、 ﹁ 受領証
大 ト ラ ツ ク 一杯 に つめ て携 行 し た私 に対 し 、 東 條 さ ん は ﹁ 篠塚 の甥
を製作 す べき や﹂ と公 電 を打 つた ら、 黙 つ て し ま つ た 。﹁使 徒 不 明
す ると 、 ド ロンを確 保 せ ねば なら な い。 コンチ ャンタ ック の砂 漠 を 背 に し て東 南 面 し て、 中 国 軍 が ド ロ ンに殺 到 す る左 側 背 を脅 威 し て
は不 明﹂ と、 私 は書 き 上げ た から だ。
中 国 軍 が協 定 線 を越 え たら 、 軍 は兵 を チ ャ ハル台 地 に出 す だ ろ う。
か ら、 最 悪 に至 ら しめ ぬ方策 は あ り得 る。 ︹ 傍 点 編 者 、 以下 同 じ︺
時 間 を 稼 ぐ。 し か も要 綱 は 、実 施 要 領 を 現 地 機関 長 に 一任 し て いる
兵器 弾 薬 は、 長 城戦 で押 え た東 北 軍 の も の で、 殆 ん ど 新 品 だ 。
第 二課 の謀 略 だ から 、 これ だ け の作 戦 に も第 一課 から は誰 も助 手
﹁総 てを計 上 す ると 六百 万 円 にな る。﹂ これ は隆 吉 の述懐 だ。
謀 略 軍 は蒙 古 軍 と分 離 し て使 う 。 併 列 さ せず 、 重 畳 さ せ る。 国 境 外 に謀 略 軍 を押 し出 す の が第 一段 。 事 成 れば よ し。 成 ら ね ば武 装 解
は来 な か つた。 (昭和 十 年 暮 の察 東 事 件 のと き は、 武 井 参 謀 と 自 動
除 だ。 中 国 軍 と 妥協 し て、共 同討 伐 を提議 し ても い い。 徳 王 にも ブ レー キ を かけ る 。雁 門 道 以 北 を光 復 し て独 立 など と い
車 隊 の中 尉 下 士官 が来 た) ︹ 支那吉︺ 兵 站 通 信 は桑 原 張 北 機 長 、作 戦 情 報 は 私 、管 理部 業 務 に は、 第 九
師 団 から 臨 時 軍 司令 部 勤 務 を 命 ぜら れ た川崎 祐 久 大 尉 が当 つた。
う夢 を棄 てさ せ る。 あ く ま で中 国 主 権 の下 に動 作 さ せ る。 ただ傅 作 義 の不信 を 責 め る の を第 一義 とす る。
私 は飛 行 隊 と の連 絡 もあ つて十 月 から 第 一戦 の商 都 に機 関 を開 設 、
の指 揮 と王 英 軍 、張 復 堂 軍 の監 視 に任 じ た。 武 力 工 作 開始 直 前 ま で
情 報 収 集 に当 り 、紅 格 爾 図 敗戦 後 は、 第 一線 蒙 古 軍 第 一乃至 第 六師
2 、綏 遠 工 作 の実 体 ・作 戦 計 画 本 工作 の性 格 は 、あ く ま で第 二課 の謀 略 で あ つ て、現 地機 関 長 の
に 得 た謀 略 部 隊 の状 況 は左 のよう な も のだ つた。
三〇 〇
判断 に よ る等 実施 要 領 はそ の独断 に委 せ ら れ て い た。
責 任 に於 て行 な わ れ る。 ま た そ の発 動 時機 の決 定 も 、現 地 機 関長 の
騎兵
一、王 英 部 隊
山 砲 隊 (三門 ) 二 〇 〇
王英 の腹 心 、 匪 族程 度
直轄 部隊
資 金 は、 軍 政 府関 係 協 力 部隊 の分 は軍 の機 密 費 、謀 略 部 隊 の分 は、 ︹ 征四郎︺ 板 垣参 謀 長 と隆 吉 の手 配 によ る も の で、 十 月隆 吉 は 六十 万 円 を携 行 、
た。
私 が更 に板 垣 さん か ら 五十 万 円 を受 領 し た が、 これ は隆 吉 に手交 し
金甲山部隊
歩 兵 四 、 〇〇 〇
歩 兵 三 、〇 〇 〇
(正規 中 央 軍 参 謀大 佐 )
孫 殿英 系 、中 国 政府 の 工作員 多数 を包 含 、首 領 は参謀 長 揚
二 、張 復 堂 部隊 殆 ん ど チ ャ ハル特 別保 安 隊 、省 主 席 劉 汝 明 の部 下 よ り成 る
二、 作 戦 開始 は十 一月 十 四 日 と予 定 す る。
第 一期
三、 各 軍 の行動 予 定 。
イ、 右第 一線 は王 英軍 ( 金 甲 山 部隊 を含 む) と し、 商 都 方向 よ り
塹 方 向 よ り興 和 に攻勢 を指 向 し 、 これを 攻略 後 右 施 回 し て平 地 泉
ロ、 左第 一線 は 李守 信 の指 揮 す る第 一軍 主 力 及張 復 堂 軍 と し南 〓
平 地 泉 に攻 勢 を 指 向す る。
部 隊 には 満 洲蒙 古 の匪首 とし て有 名 な胡 寶 山 (通遼 特 務 機 関 が よ い
ハ、蒙 古 軍 第 七 師 は厳 に百 靈廟 を守 備 し 包頭 以西 に対 す る第 二期
東 南 方 地区 に進 出 、王 英 軍 に協 力 す る。
右 に対 す る私 の と つた処 置 。 李 守信 を通 じ スパ イ を植 込 む 。王 英
機 会 と し て、帰 順 させ追 放 し たも の) を部 隊 長 と し て そ の部 下 を以
作戦 を準 備 す る 。
ニ、第 二師 ( 山 砲 一小 隊 を附 す ) は八 台 、商 都 を守備 、飛 行 隊 の
胡 は 、若 い とき 李守 信 と 一緒 に兵隊 だ つた男 で、 猛 烈 な反 漢 人種 、
て独 立 部隊 を編 成 させ て配 属 、 金 部隊 を監 視 さ す こ とと す 。
し かし李 守 信 には 心服 し て いた か ら、 情 を 明 し て こ の任 務 に つけ た 。
直 接 掩 護 に任ず る。
ス ニト徳 化 地 区
こ れら の部 隊 を、 機会 あ らば 武 装解 除 し 、或 は追 放 し よ う とし た の
警 衛 師 、第 八師
ホ 、第 二線 兵団
隆 吉 が 工作 の主軸 と考 え た謀 略 部 隊 は 、実 は使 用 期 限 の切 れ た黄
張北〓灘地区
転 用 、 五原 地区 を占 領 せ しむ
対 傅 作義 、 対趙 承 綏 工作 の進 展 状 況 に よ るも 王英 軍 は包 頭 以 西 に
力 を以 て綏 遠 、 大 同 何 れ に攻 勢 を 指 向す べき かは作 戦 と併 行 す る
チ ャ ハル西 四旗 (陶林 、平 地 泉 、豊 鎮 、 興 和) を確 保 せ る後 主
第 二期
第 四、 五 、 六師
は 、 以 上 の内 情 を 知 つて いた か ら で、 隆 吉 に もし ば し ば忠 告 し た 。
色 薬 み た い なも の で、 何 時 ど ん な エネ ルギ ー をう け て爆 発 す るか 、 判 ら ぬ危 険 極 ま り な いも の であ つた。
て、徳 王 、 田中 参 謀 、松 井輔 佐 官 の間 で激 論 が繰 返 さ れ た。 そ の結
蒙 古 軍 と謀 略 部隊 の使 用 法 、作 戦 計 画 お よ び出 師 の名 分 など に つい
計 画 は 正 に右 の通 り で あ つた が、 十 一月 二日夜 李 守 信 の訪問 をう
十 月末 から徳 王 をま じ え た軍 事 会 議 が しば し ば 開 か れ た。 そ し て
果決 定 さ れた作 戦 計 画 お よ び出 師 の名 分 は、 大 要 次 のよう な も ので
た。 結 局第 一線 部 隊 は謀 略 部 隊 だけ と いう こと に な つた。
を第 一線 と し 、直 轄 部 隊 ( 蒙 古 軍) は集 結 掌 握 し て おく よう依 頼 し
け た私 は 、自 分 の腹案 を述 べ、 且 情勢 判 断 を 伝 え て 、常 に張復 堂軍
あ つた。
十 日 迄 に戦 略 展 開 を了 る。
3 、作 戦 計 画 ( 插 図 第 一参 照 ) 一、 行 動 開 始 は十 一月 三 日
綏遠事件 当初 内蒙軍 中国軍 配置
当 面 の中国 軍 は、 三 五 軍 と 騎 兵軍 で あ つた。 山 西 省内 の綏 遠 軍 と
し ては 、趙 承 綏 騎 兵 軍 、 李 服庸 軍 と考 えら れ て いた が、中 央 の統 制
下 に傅 作 義 が第 一線 を統 一指 揮 し 、 そ の上 に陳 誠 が坐 り 、閻 錫 山 は
浮 上 つ て いた 。 こ の こと は私 が し ば し ば新 京 に報 告 し た こと で あ つ
あ つた第 一乃 至 第 三師 を のぞ いて は 、何 れ も 五月 に集 め た所 謂 新 募
中央軍が対中共戦を継続しつつ綏遠戦線に投入しうる兵力は山西南 部にある三十万中約十万と判断す。
た が、 一顧 も与 えら れな か つた よう で あ る。 ま た 各 地 の保 甲 自 衛 団
師 団 の編 制 、 装 備 、 訓 練 の度 も事 実 一部 を除 き 目 本軍 に匹 敵 す る
は 、縣 長 の指 揮 下 にあ つ て所 在 軍隊 の指 揮 を受 け て いた 。
も の であ つた。 ト ラ ック の徴 傭 力 も 一〇 〇 台 は楽 であ る と判 断 さ れ
新 編 のも ので問 題 に なら な か つた。 第 一乃至 第 三師 も銃 数 一、 二〇
これ に反 し 、蒙 古 軍 は九 ケ師 に な つて い た が、 在 来 の李 守信 軍 で
た。
11
4、出師の名分
一五〇 輌 が配 属 さ れ た。
であ り、 満 洲 電 々の在 内 蒙 有 無 線 は 全部 徴 傭 さ れ、 満 鉄 の自動 車 班
こと は 、戦 闘 隊 と し て は致 命 的 であ ろ う。 暗 号 解 読 班 は 非 常 に優 秀
で申 分 な か つた が、 機 種 の古 い こと 、 寄 せ集 め で 且 つ少 数 であ つた
長 河井 田義 匡 、 乗 員 は明 野 、 濱 松 、 下 志津 飛行 学 校 の助 教 出 身 が 主
九 一戦 闘 機 四、 八八 偵 察 機 二、 スー パー 六、 モス 一の計 十 三機 、隊
協 力部 隊 のう ち飛 行 隊 は 、 満 航 で編 成 さ れ た臨 時 独 立 飛 行隊 で、
は 徳 化 機 関 長 を し て代 理 せ し めた 。
た 。 これ ら蒙 古 軍 の指 揮 権 は 、 関東 軍 司令 官 に委 任 され 、 軍 司令 官
〇 か ら 一、 五〇 〇 程 度 で、 兵 力 特 に 火 力 の劣 勢 は甚 し いも のが あ つ
11.
昭
十 一月 十 四 日王 英 は次 のよ う な出 師 宣 言 を発 した 。 ﹁東 亜 に於 て 断 じ て容 れ得 ぬ も の中 共 と 国 民 党 ﹂と し、 ﹁国 家 の
導 を か ね て第 一線 に向 つた 。 飛行 場 は 万 一を 考 え 、対 空 機 関 銃 に も
ツ ンと 射撃 し て いる だけ で、 歩 兵 は戦 争 見物 だ。 爆 撃 は 正 確 で、 城
王 英 軍 は 、 二吉 位 離 れ て包 囲 し て いて 、山 砲 三門 だ け が ポ ツ ンポ
配 兵 し、 九 一戦 闘機 は何 時 でも 飛 出 せ る 準備 を さ せ てあ つた。
あた わ ず 、 国 民政 府 を覆 す にあ ら ざ れ ば 民衆 政 治 を起 す 能 わ ず 。 黄
か ぬ。
壁 を崩 し て行 く。 歩 兵 の攻 撃 前 進 に最 好 機 だ のに、 王 英 軍 は 全 く動
危 機 旦夕 にあ り こ こに蒋 族 を打 倒 す る にあ ら ざ れば こ の危 機 を 救 う
紀 四 六 三 二年 十 一月 十 四 日義 を商 都 に起 し 、 死 を誓 つて南 征 、 漢満
王英 軍 が だら し な く 引 か か つて い る の に業 を煮 や した 私 は、 隆 吉
た。
た のは流 石 だと 感 心 し た。 こ の機 に は軍 司令 官 か ら感 状 が授 与 さ れ
機 胴 の縦 桁 は折 れ る寸前 、 し か も爆 弾 一ケ を つけ た ま ま胴 体 着 陸 し
の助 手 は 火 傷 を う け た が、 遺 体 を守 つ て いた。 翼 の下 は 全 部 燃 え 、
弾 を投 下 さ せ帰 途 に つか せた 。 爆 撃 手 は 機 上戦 死、 方 向 指 導 のた め
スー パ ー 一機 が 高射 機 関 砲 に やら れ 、 白煙 を 吹 き出 した の で、 爆
の健 児 を 率 いて跳 梁 す る 好 漢 を殲 滅 せ んと す。 わ れ ら同 朋 この大 義 を 明察 し て起 て !﹂ さ ら に十 一月 十 七 日軍 政 府 は、 蒋 介 石 、 政府 各 部 長 、各 省 長 宛 次 のよ う な 通 電 を発 した 。 今 次綏 東 の紛 争 は、 一に傅 作 義 綏 遠 省 主 席 の不信 に端 を発 す る も のと し、 左 の事 項 をあ げ た 。 一、 チ ャ ハル右 翼 四 旗 の強 圧 によ る綏 遠 省 への帰 属
に戦 闘指 導 を やら せう と 具申 し た が、﹁勝 算 我 にあ り﹂と し て許 さ な
二、 百 靈 廟 の内蒙 政 府 の圧 迫 三 、蒙 政 会 の解 消
か つた。
十 六 日飛 行 隊 は、 大 同 、綏 遠 飛行 場 の写 真 偵 察 を や つた が、 中 国
四 、同 軍 隊 の解 消
機 の進出 は認 め ら れぬ 。 太 原 機 関 か ら の通 報 にも ま だ そ の徴 候 はな
五、 徳 王 以下 要 人 に対 す る加 害 企 図 六 、資 金 給与 の不履 行
十 七 日偵 察 飛 行 に行 つた私 は 、 王英 軍 が紅 格 爾 圖 周 辺 の部 落 に密
い。 一部 で紅 格 爾 圖 爆撃 、 王英 軍 戦 意 な しと 飛 行 隊 長大 いに怒 る。
集 し 、煙 突 から 煙 が出 て いる ば か り か、 屋 外 でも焚 火 し て いる のを
軍 の配 置 に つ いて は私 は負 け た 。 し か し ま だ策 はあ ると 考 えた 。
見 た 。戦 闘 は中 止 であ り、 警 戒 は雰 だ。 一部 を残 し て監視 し、 主 力
出 師 の目 的 を 両者 全 く別 にす る こと と 、徳 王 のそれ を あ く ま で局 地 のも のと す る こと だけ は成 功 し た 。 こ の こと は別 に西 安事 件 を予 期
左 翼 興和 正 面 は中 国 軍 の小 部 隊 を撃 破 し つ つ興 和 に向 つて いる が、
を具 申 し た が 、返 事 も こな い。
は 南 進 を続 け、 出 撃 した ら 平 地 でたた け ば い い。 再 度 王英 軍 の督 戦
した 訳 では な いが 、幕 を しめ ると き 本 当 に役 に 立 つた 。
5 、 紅格 爾圖 敗 戦 十 五 日本 格 的 攻撃 と いう の で、 飛 行 隊 長と 私 は、 モス で爆撃 行 指
紅格爾図、 百霊廟攻撃中国軍行動要図
張 軍 の進 撃 はす こ ぶる鈍 く、 爆撃 砲 撃 を し き り に要 求 し て い る。 李
金 甲 山 部 隊 内 に潜 入 さ せ て あ る密 偵 報 によ る と、 酒 ば か り飲 み、
守 信 から は 心 配 無 用 と 心強 い報 告 が あ る。
王英 を馬 鹿 野 郎 呼 ば わ り し て戦 う 意 志 は な いと いう。 商 都 平 地 泉 間
の交 通 は、 民 衆 動 員 のた め密 偵 の行 動 は 全 く 封 じ ら れ て手 も足 も出
空 中 偵 察 で も部 隊 ら し いも のは少 し も判 ら ぬ。 暗電 も大 き い動 き
ぬ。
は出 て も、 第 一線 は 薩 張 り判 らず 、 漸 く 焦 慮 を 感ず る。 徳 化 で は戦
午 後 四時 平 地泉 方 向 を偵 察 し た 一機 が 、 そ の東 方 三 十 粁 興 和 と 八
況有 利 と新 京 へ報 告 し て いた 。
し たが 、 天候 が激 変 し て来 た のと 高 射 砲 への顧 慮 から 絶 対 低 空 飛行
蘇 木 を 経 て商 都 に通 ず る十 字 路 を 先 頭 に、 数 十 台 のト ラ ックを 発見
を禁 止 し て いた の で、 爾 後 の行 進 方 向 を 確 め 得 な か つた。
王 英 司 令 部 、李 守 信司 令 部 に情 報 を 通 報 、警 戒 を至 厳 にす る よう
命 じ た 。 も し やる 気 な ら、 一気 に商 都 飛行 場 に突 入 す る 公算 もあ る。
第 二師 は全 力 で飛 行 場南 方 陣 地 に拠 り、 航 空 隊 は 終夜 全 機 出 動 準 備
を整 え さ せ た。 第 二師 長 は 私 と徹 夜 し て いた 。
﹁払 暁 八台 の第 二 師守 備 隊 か ら西 南 方 に猛 烈 な 銃 砲声 を聞 く と い
十 一月十 八 日
う電 話 が か か つた が 、細 部 を聞 き かえ す 間 も な く 不 通 と な つた ﹂ と 、
報告 し て来 た。 ﹁王英 軍 は本 未 明中 国 軍 の奇 襲 を う け 、東 北 方 に潰
害 続 出 し あ る も士 気 旺 盛 な り ﹂ と いう 将 校 斥 候 の報 告 を 、南 門 の戦
走 中 。 八台 は迫 撃 砲 八 を有 す る約 一連 隊 の中 国 軍 の攻撃 を うけ 、 損
闘 司 令 所 で聞 いた と き は雪 も止 ん で いた。
王英 に つけ てあ つた無 線 班 は、 ト ラ ック で脱 出 し て 来 た。 ﹁ 散 々
れ は本 当 に蒙 古 軍 政 府 と中 国 と の武 力 衝 突 だ。 し か も これを 守 り 抜
義 軍 だけ だ から 口を拭 いて い い。 し かし 百靈 廟 が攻 撃 をう け た ら こ
千年 来 の血 を湧 かし 、 中 国 人 た る意 識 を再 確 認 した の だ。
孤 立 主義 の山 西 人 も、 外 患 の前 には 中国 第 一線 の防 人 だ った 。 何
と いう のだ が 、 これ は本 当 の彼 の気 持 を 述 べ た も のだ と いえ る。
れば 、 如 何 な る 外患 と 雖 も恐 る る に足 ら ぬ。﹂
成 せ んと し、 近 代 国家 の基 礎 は漸 く 牢 固 と な つた。 今 後 奮 励努 力 す
で あ る。 わ が 国 は、 満 洲事 変 以来 一段 の進 歩 を 遂 げ 、全 国 統 一は完
ま 十分 の覚 悟 と 冷 静 な 態 度 と を 以 て、 沈 着 に こ の問 題を 処理 す べ き
べ て の計 画 は熟 し て、 わ れ わ れ に十 分 の成 算 があ る。 わ れ わ れ は い
係 極 め て重 大 であ る が 、 これ等 はす で に水 も 洩 ら さ ぬ準 備 整 い、 す
﹁綏 東 に於 け る蒙 古 匪 軍 の撹 乱 問 題 は、 そ の性 質 お よ び 対内 外 関
場 で、 三 千 の群 集 に 一席 ぶ つた 。
十 八 日蒋 は、 紅 格 爾 圖 の勝 報 に満 悦 し な がら 太 原綏 靖 公署 前 の広
から は ﹁し つか り や れ﹂ と 激 励 し た こと も想 像 され る。
信 た つぷ り だ。 恐ら く 閻 か ら は紅 格 爾 圖 反 撃 計 画 の報 告 が あ り、 蒋
十 七 日蒋介 石 は、 三機 に幕 僚 を 分 乗 さ せ て太 原 に飛 ん だ 。実 に自
6 、中 国 側 の状 況
﹁百 靈 廟 は 撤 兵 せ ぬ。 王 英 軍 には 手 を出 す な﹂ と いう のだ。
商都 集 結 は認 め た 。
し か し隆 吉 は ﹁百靈 廟 は天 険 だ ﹂ と いう。 だ が、 遂 に李 守信 軍 の
影 響 す る。
く こと は 六ケ 敷 い。 距 離 が あ ま り に遠 い。 も し奪 ら れた ら 士 気 にも
です ﹂ と いう 。 王英 軍 の敗 れ る のは 当 然 、 飛行 場 が やら れ な か つた こと は有 難 い。 王英 軍 の情 況 偵察 のた め の将 校 斥 候 の派 遣 、商 都 、 徳化 中 間 へ 一ケ 中 隊 の配置 を第 二師 長 に命 じ、 飛 行 場 へ行 く と 丁 度
に入 ら ぬ。 陶 林 、 平 地 泉間 ホイ ルの跡 は な い。 確 か に近 く に いる ら
偵察 か ら帰 つた 隊 長 は 、﹁王英 は逃 げ た 。 し か し中 国 軍 は 一つ も 目
し いが判 ら ぬ 。 王英 軍 は八 台 北 方 十 粁位 に 集結 し て いる ﹂ と いう。 これ を徳 化 に報告 し たと ころ 、 ﹁ 隆 吉 は、 王 英 が 敗 れ た。 貴 様 は 見 た のか、 王 英 は ラ ワ戦 法 の名 手 だ 、 退 つた の では な い。中 国 軍 に 大 打 撃 を与 え 一時 戦 場 を離 脱 した だ け だ。 そ れ が判 ら ん か ﹂
﹁ 金 甲 山部 隊 は 一発 も 射撃 せず 、 また 中 国 軍 の攻撃 を も うけ な か
と 怒 鳴 つた 。
つた ﹂と いう 密 偵 報 は 事実 だ ろう 。 しか し これ を今 徳 化 に報 告 す る 気 は出 な い。 ど う でる か判 ら ぬ敗 残 部 隊 を 、 徳 化 と商 都 と の中 間 に 近 く抱 く こと は 厄介 だ。 商 都 を攻 撃 し な か つた中 国 軍 の意 図 は ど こ に あ る の か。 次 の攻 撃 目 標 は百 霊 廟 だ。 一、 直 ち に左 第 一線 の行 動 停 止 二、 李 守 信 主 力 の商 都 集 結 三、 王 英 軍 の逐次 解 消 四 、 百靈 廟 部 隊 の撤 収
暗 電 では傅 作 義 が 山 西趙 承綬 の騎 兵 軍 を 統 一指 揮 し て いる。傅 と
と いう 件 を 具 申 し、 隆 吉 と 喧 嘩 にな つた。
趙 と を別 々に工 作 対象 に し た り、 包 頭 の王靖 國 は傅 と 仲 違 いだ な ど と いう こと は 問 題 では な い。 現 在 中 国 軍 と戦 闘 し て いる のは 、大 漢
王 英軍 は 、 そ の集 結 地 で点 名 整 編 す る こと と し、 蒙 古 軍 は 、商 都
二 十 日国 民党 中 央 党 部 宣 伝 部 は 、最 近 の国 内 及 国 際 間 の輿 論 は 、
中綏 境蒙 古 派平 同 郷会 ま で が動 き 出 し た のは 、中 国 側 の勝 利 だ 。
国 民 政府 が す で に そ の尽 す べ き最 大 の責 任 を果 した こと を 認 め て い
に李 守信 軍 司令 部 、第 二、 三、 五師 を 、 尚義 に第 六 師 、南 〓 塹 に第 一師 、〓 灘 に第 四師 を 配 置 し 、 張 復堂 軍 三千 は、 南 〓 塹 南 郊 に集 結
る ⋮ ⋮。 国 交調 整 の鍵 は、 正 に 日本側 に存 すと 、 声 明 し た 。
であ る。﹂ と声 明 し て、 これ に答 え た。 日本 外 務 省 は、 何 一 つ知 ら
政 府 は も と よ り、 軍 に於 ても 、 何等 援 助 を与 え て いな い こと は勿 論
帝 国 の干 与 す ると ころ では な い。 従 つて内 蒙 古 軍 の行 動 に関 し て は 、
二十 一日有 田 外相 は、 ﹁今 次綏 遠 の こと は、 内 蒙 古 側 と の紛争 で、
さ せ る等 夫 々十 九 日 に処 置 さ れ た 。航 空 隊 は、 中 国 側 のト ラ ック を 求 め て爆 撃 を加 え た が、 そ の効 果 は 確 実 と は いえ な か つた 。
7 、 百 靈廟 の失 陥
さ れ てお ら ず 、 知 ろう と し て も何 一つ手 掛 り は な か つた 。 ︹ 章︺ 軍 です ら 知 ら ぬ。 武 藤 課 長 は、 十 二年 正 月商 都 で私 から 敗 戦 を 報
紅 格 爾 図 敗 戦 の結 果 は 、折 角 設 置 し た ア ラ シ ャ ン (定 遠 営 ) 特 務
告 さ れ、 ﹁偽 を いえ ﹂と 怒 鳴 つた 位 だ。 徳 化 か ら は隆 吉 が 勝 手 な 報
機 関 の引 上げ と な り 、 次 いで百 靈 廟 守 備 の蒙 古 軍第 七師 が潰 走 し 、 同 地 が遂 に綏 遠 軍 の手 に落 ち る こと と な つた 。 以 下 は 百靈 廟 失 陥 の
報 告 は 、徳 化 電 を裏 書 す るか にと ら れ 、新 京 で は ﹁王英 は勝 つた ﹂
到 着 し あ り﹂ と いう 、 稲 森 少 佐 の指 揮 す る暗 号 解 読 班 か ら出 さ れた
退 を開 始 し、 二十 日全 兵 力 を 平 地泉 に集 結 す 。 師 長 は 十 九 日該 地 に
﹁紅 格 爾 圖 第 一線 にあ つた彭 毓 斌 騎 兵 師 団 は 、 十 八 日午 後 より 撤
告 を し て いた のだ 。隣 の張 家 口機 関 も 綏 遠 機 関 に も判 ら ぬ。
状 況 であ る。 傅 作義 は徳 王 に対 し 、 十 七 日 左 の如 く 通 牒 し て来 た 。 ﹁貴 下 は 速 か に軍 事 行 動 を中 止 す る と共 に 不法 に奪 取 せ る東 四旗
次 は 百靈 廟 だ。 川 崎 輔 佐 官 が王 英 軍 点名 に商 都 に来 た 。 初 め て の
と 、感 ぜ ら れた 。 そ の新 聞 班 の発 表 は景 気 よく 流 れた のだ 。 し か し
の地 を 返 還 し 、 一切 の公職 を去 つ て恭 順 の意 を表 す べし ﹂
対 面 だ 。 い い男 だ。 私 は ﹁百 靈 廟 が や ら れ たと き 徳 化 を バ タ バ タ さ
紅 格 爾 圖敗 戦 の反 響 は 大 き か つた 。 中 国 は 昭和 八年 長 城 戦 以 来 の
も つて これ に臨 む と 共 に、 そ の紛 争 が満 洲 国 境 線 を お か し、 そ の辺
んと し て自 衛 のた め起 つた ので、 日満 両 国 と し て は 、公 正 な態 度 を
そ こ で幕 僚 談 、 ﹁今 次内 蒙 は赤 化 の魔 手 と 、中 国 の強 圧 を は ね の け
隆 吉 は 、 も う 一押 し だ。 援 護 射 撃 は 通電 で結 構 と 、 新 京 に乞 う 。
これら の発表 は 、 日本 の不 信 と な つて中 国 側 は蔑 視 した 。
せ な いよ う に し てく れ ﹂と 頼 ん だ。 ﹁機 関 長 は、 第 七師 は チ ャ ハル蒙 古 の精 鋭 、師 長 は穆 総 管 、 参 謀 長 は中 央 軍 官 学 校 出 の秀 才 だ 。 と いう て ます が ﹂、 と 川崎 は 正 直 だ
敗 戦 感 を 一掃 した 。 無 名 の紅 格爾 圖 は 、中 国 の地 圖 に大 き く印 刷 さ
に、中 国 最 近 の抗 日事 実 に対 し て も 、飽 ま で これ を 排 撃 す る に 一致
境 に赤 化 の危 険 が感 ぜら る る に於 て は、 断 乎 適 当 な 措 置 を と ると 共
つた。 ﹁そ れ が 眉 睡 だ ﹂と いうと 、 ﹁へえ ﹂ と 感 心 し た。
﹁ 綏 遠 を援 助 し ろ﹂ と いう 声 は 全国 に拡 が つた 。 平 津 地 区 で の運 動
れ 、 民族 決 戦 の地と 宣 伝 さ れ た 。 上海 の地方 協 議 会 に端 を 発 し た
ま み れ た夏 服 で、 定 遠 營 に到 着 す る のだ つた。 こ れ は中 共 の西 北 へ
また 西 方 ア ラ シ ャ ンで は、 第 二 五 師 關驎 徴 が、 この寒 さ に戦塵 に
し か し中 共 撃 滅 を第 一義 と し て いる蒋 と し ては 、 これ は腹 に据 え
の交 通 路 を遮 断 す る の意 味 も あ る。 蒙 古 王 が 、 や つと 到 着 した ば か
し た ﹂と 、 凄 ん だ。
か ねる も のがあ つた ろ う し 、 怒 り虫 の傅 作 義 が、 カ ンカ ンに な つた
古 第 七師 は、 何 等 抵 抗 ぜ ず 逃 亡 し 、 百靈 廟 機 関 は 襲 撃 さ れ 、 丁度 収
二 十 三 日夜 、 装 甲車 を 先頭 に、綏 遠 軍 は百 靈 廟 に突 入 し た が、 蒙
十 三 日半 数 の も のを 飛 行 機 で収 容 、残 り は 二十 四 日と 定 め た。
機 関 長 は 、死 ん で も残 る気 だ つた が 、軍 は撤 退 止 む なし と し て 、 二
り の横 田 機関 長 に、 撤 退 を 要 請 し た のは、 中 国 側 の圧 迫 でも あ る。
隆 吉 は 、 王 英 の敗戦 を 王英 の口 から 聞 く と 、 暗 電 に出 て く る部 隊
こと は想 像 に余 りあ る。
本 部 の位 置 を片 端 か ら爆 撃 せ いと 命 じ た 。 飛 行 隊長 は 、 五 十 万分 の 地 図 に も な い地 名 な ん か探 し て も無 駄 だ。 ポ ツ ンポ ツ ンと 爆 撃 し て、 何 の足 し に な る。 隆 吉 は航 空 隊 用法 を知 つと る の かと 怒 る。
に着 陸 し よう と し た が 、機 関長 の判 断 で、 地 上 異 変 あ りと し て、 一
ンに脱 出 す る こと が 出 来 た 。 二十 四 日 ア ラ シ ャン引 上 機 は 、 百靈 廟
気 に徳 化 に飛 び 、 こと なき を 得 た。
容 さ れ た ア ラ シ ャン機 関 員 と 一緒 にト ラ ック で辛 う じ て シ ャラ ムリ
で、 脾 肉 の嘆 に堪 え ら れ な か つた のだろ う 。 隆 吉 か ら ﹁松 井 に活 を
百靈 廟 は 、攻 撃 が成 功 した のだ 。中 国 のイ ンテ リ には、 古 い スー パ
そ の最 中 小濱 氏 善大 佐 の督 戦 をう け た 。 大 佐 は 内 地 を出 ると き 、
入 れ てく れ ﹂ と いわ れ て来 た 、 と大 変 な意 気 込 だ つた 。 これ に は閉 ︹陸軍大学を卒業してないこと︺ 口 した 。 し かし 何 か の拍 子 で、 私 が無 天 であ る こと が 判 ると 、 ガ ラ
蒙 古 軍 の総 指 揮 官 と いう 話 で来 た ら し い。 現地 で は何 一つや れ ぬ の
リ態 度 が変 つた こと にも驚 いた 。
ー が ユンケ ル新 型 に、使 い古 した フ ォード や シボ レーが フ ィ ア ット
に思 わ れ、 更 に 一般 的 には紅 格 爾 圖 、 百 靈廟 に潰 走 した の は、 蒙 古
百靈 廟 の占 領 は、 中 国 全 土 を狂 喜 さ せた 。 紅格 爾 圖 は防 禦 だ が 、
﹁何 だ、 無 天 か よ貴 様 は ﹂ と いう のだ つた。 し か し北 満 で 日本 軍 を つれ て の匪 賊 討 伐 と 、 今 度
軍 の マー クを つけ た関 東 軍将 兵 と考 え ら れた のだ 。
連 合 戦 線 の巨 頭 章 乃 器 等 を 捕 え 、政 府 の意 図 外 にま で昂 ま る抗 日 の
二十 三 日上 海 に於 て、 中国 政 府 は突 如 租 界 当 局 援 助 の下 に、 抗 日
の事 件 と を 一緒 にし て いる こと に危 険 を感 じ た 。
た 。 暗 電 と 密 偵 報 は 一致 した 。 これ は 容 易 な ら ぬ こと だ。 梅 何 協 定
空 気 に沈 静 剤 を 投 じ た が 、 二 十 四 日第 八 次 川越 張 羣会 談 に対 し 、 行
二十 二 日 中央 軍 十 三軍 湯 恩 伯 、騎 兵 第 七 師 長 門〓 岳 が大 同 に入 つ
で、 目本 軍 は中 央 軍 と直 接 正面 す る こと は な く な つた 。 土 秦 協 定 線
政 会議 は中 日交 渉 打 切 り の主 張 が 圧倒 的 だ つた 。
列 車 が 入 つた 、と いう 情 報 が あ つた のに対 し、 李 守信 は 、龍 大 尉 参
を流 し て いた が 、 十 八 日 以来 地 上戦 闘 はな い。 十 九 日平 綏 線 に装 甲
日本 の新 聞 や、 中 国 の新聞 ラ ジ オ など 連 日 戦争 記事 を のせ、 電 波
で も そう だ つた。 し か し今 、 中 央 軍 は そ の線 に顔 を 出 そ う と し て い
う 。 そ のあ と に中 国 の精 鋭 騎 兵 第 七 師 が 入 る。 中 国 側 は、 関 東 軍 が
る。 趙 承綬 の騎 兵 軍 は ど こ へ行 く か 。 陰 山 山 脈 の北 へ使 わ れ るだ ろ
平 地泉 方 向 を さけ 、 更 に西 方 に出 る こと を察 知 し て いる のだ。
と 、中 国 側 は発 表 し た。 二 十 五 日龍 隊 は、 一群 未 帰 還 、 主力 は戦 死
た。 ﹁二 十 一日夜 大 同 北 方 孤 山 で貨 物 列車 と 装 甲 列 車 と 正 面 衝 突﹂
謀 に 三組 の群 から 成 る挺 進 騎 兵 を指 揮 さ せ、 装 甲 列 車 の破壊 を命 じ
た 。 中国 側 は、 最 精 鋭 の騎 兵 第 七 師 と十 三軍 を第 一線 に出 し、 更 に
地 上 部隊 は何 一つな い。 兵 器 は 旧東 北 軍 から 押 収 し た も のだけ だ つ
い つて も、 戦 闘 機 は九 一式 、偵 察 機 は八 八 式 、 爆撃 機 は スー パ ーだ 。
君等 は な ぜ綏 東 を侵 略 す る必要 が あ る
そ の目 的 と す ると ころ は 、 日満 両 国 の緊 密 な る 国策 と 一致 す るを 以
軍 閥 の圧 迫 よ り脱 せん と す る防 共 自 衛 の已 む を 得 ざ る手 段 であ り 、
二十 七 日関東 軍 は 、﹁内 蒙 軍 の行 動 は 、中 共 及 び これ と 提 携 せ る
に注 意 す ると 、 ﹁ 疑 え ば、 李 守 信 と 雖 も同 じ﹂ と 、 放 言 し て 相 手 に
は 連 日会 議 を開 き、 反 正 (寝 返 り) を論 じ て いると 報 告 し た。 徳 化
王 英 、金 甲 山部 隊 に入 れた 密 偵 報 は 、部 隊 の統 制 全 く な く 、幹 部
と い い、 一銃 、 一門 、 一機 に賞 を かけ 、 我 々の首 にも金 を か けた 。
胞 は 、 君等 を蛇 蝎 視 す る に至 る だ ろ う。 速 か に中 央 軍 隊 に来 れ !﹂
君 等 が、 こ のま ま ぐず ぐず し てお れ ば 、 中国 四億 の同
て、 軍 は内 蒙 軍 の成 功 を念 願 す る。︱ 情 況 によ つて は、 軍 は 適 当 と
し な い。 切崩 し は、 張 家 口か ら も 行わ れ、 張 勵 生 が 動 いて いた。 苦
にか え れ !
のか。 君 達中 国 人 が中 国 人 を打 ち 殺 す悲 惨 事 を やめ て、速 か に正義
﹁親愛 な る中 国 同 胞 よ !
は 閻 錫 山 と連 名 で ﹁内 蒙 軍 将 兵 に告 ぐ ﹂と し、
勝 負 は判 つて いる。 中 国 側 は 猛 烈 な 切崩 し を やり 出 し た。 蒋 介 石
十 万 は山 西南 部 から 抽 出 出 来 る 。
中 国 航空 部 隊 の情 報 に は、 一番 頭 を 悩 ま し た こと だ つた が 、 そ の
者 三 の死 体 を 馬 背 にくく り つけ て帰 つて来 た。
徴 候 は ま だ な い。 全 面 戦 に入 る のを避 け て いる のか 。 軍 も平 綏 沿線 の爆 撃 は 禁 じ て いた。 隆 吉 は 変 貌 し た。 百 靈 廟 失 陥 以 来流 石 に或 る程 度 真 実 を 報 告 し出
認 め る処 置 を講 ず る の已 む な き に至 る であ ろ う 。﹂と 声 明 し 、 満 洲
肉 反 間 を李 守信 と 我 々と の間 に行 つた。 隆 吉 は カ ン カ ンに 怒 つた が、
した 。 彼 は 自 信 を 失 い出 した 。
ん に哀 訴 し て行 わ れ た も ので、 危 険 な も のだ 。
8、 百靈 廟 奪 還 行 動 と 叛乱 ( 挿 図 第 三参 照 )
した。
事 実 は な か つた 。 し か し 上海 電 は 、デ カデ カと 李 守 信 の反 正 を宣 伝
国 も同 一歩 調 をと り、 外 交 部発 表 を行 つた 。 これ は、 隆 吉 が武 藤 さ
二 十 八 日中 国 政 府 外 交 部 は 、﹁如 何 な る第 三者 と 雖 も領 土 完 成 に 対 し 、如 何 な る 口実 を 以 て し て も、 侵 略 或 は 干渉 行 為 が発 生 す る な
十 一月 二十 九 日松 井 輔 佐 官 は 、 徳化 に招 致 さ れ、 田中 参 謀 から 意
ら ば 、全 力 をあ げ て これ が防 衛 に努 め る こと は 国家 の職 責 で あ る﹂
こ こに始 め て仮 面 を 脱 いだ 関東 軍 の姿 を見 た と 考 え た こと だ ろ う 。
は、 関 東 軍 と 南 京 と の対 立 にま で進 ん で いる。 南 京 に も人 な き に あ
﹁逐 次 に謀 略 部 隊 を解 散 す れ ば 現状 維 持 は可 能 であ る。 最 早段 階
見 を徴 せら れた。
と 反駁 し た。 中 国 側 も 、 列 強 も 、 そし て つん ぼ 桟敷 の日本 国 民 も 、
舞 台 は、 関 東 軍 と 中 国 政 府と の競 合 と な つた 。 し か し如 何 に強 い
限 り の謀 略 だ し、 現 役 将 校 は 僅 か に 四人 、 三人 は 無 天 だ。 飛 行 隊 と
電 報 戦 を展 開 し て も、 実 力 が も のを いう 。関 東 軍 のそ れ は、 第 二課
か る から 、 暫 く 静 観 す る を得 策 と す る 。 百靈 廟 奪 還 な ど 愚 の 骨 頂
らず 、中 共 撃 滅 は大 事 業 だ 。 そ れ を完 成 す る に は ま だ ま だ時 間 が か
国 中 央 軍 が 責 任 を持 つて第 一線 に立 つ こと を意 味 し 、 ま た 一面土 肥
煙 草 谷大 尉 (二七 期) の指 揮 す る最 後 の梯 団 の到着 と共 に全 力 を 展
に よ る中 国 軍 に対 し 、 攻撃 を 準備 さ せ、 逐 次 到 着 す る部 隊 を掌 握 、
二 日午 前 、 桑 原 少 佐 は第 一次 輸 送 部 隊 を指 揮 し、 百靈 廟 南 方 稜 線
と いう のが、 私 のは な む け の言 葉 だ つた 。
﹁ 何 時 も の道 路 は駄 目 です よ。 北 へ廻 ら ねば ﹂
つた 。 一日夜 最 後 のト ラ ック 群 と共 に桑 原 少 佐 は商 都 を出 発 した 。
三 十 日 ト ラ ック群 は 第 一次 輸 送 を行 い、 まず シ ャ ラ ムリ ン廟 に送
原 、 秦 徳 純 協 定 の遵 守 を 示す も のだ 。
だ。﹂ と ま で極 言 し た が 、﹁戦 は バ ク チだ。 丁と 張 つた ら 丁 で押 す ん だ﹂ と 、 言 下 に 一蹴 し た。
一、 百靈 廟 は金 甲 山部 隊 に奪 還 させ る。
田 中 参 謀 の奪 還 に関す る命 令 指 示 は 、 次 のよう であ つた。
頭 に挺 進 さ せ る。
二、 王英 軍 は乗 馬 隊 だけ と し 、紅 格 爾 圖を さけ 、 そ の北 方 から 包
三 、蒙 古 正規 軍 は厳 に国 境 線 を守 備 。
部 隊 は南 方 か ら 攻撃 し た。 百 靈 廟 守 備 隊 は 、 北方 に は逃 げ ら れ な
開 、午 後 一時 攻 撃 開 始 を 命 じ た 。
は ピ スト に つめ て いた が、 南 方 か ら 攻撃 し て いると の第 一報 で不 安
航 空 隊 は、 午 後 三回 の出 撃 は無 理 だ つた が 、 隊長 は強 行 した 。 私
い。 そ こ に は死 の砂 漠 が待 つて いる。
そ し てな お 田中 参 謀 は ﹁王英 、 金 甲 山 部 隊 は 俺 の直 轄 だ。 百 靈 廟
だ つた 。 極 力 南 方 か らす る中 国 軍 の支 援 を 偵知 阻止 す るよ う 要 求 し
山部 隊 に補 充 せ よ。
四 、商 都 機 関 は集 積 し てあ る弾 薬 糧 秣 を成 る べ く多 く王 英 、金 甲
奪 還 は、 桑 原 張 北 機 長 に や ら せ る。 貴 様 は 補給 だ け 心 配 す れ ば い
秘 中 の秘 であ る べ き こ の計 画 を、 日支 の ニ ュー スが連 日伝 え た の
二 十 九 日蒋 介 石 は 、 四 省 総 司令 陳 誠 及 び綏 遠 省 主 席傅 作義 に ﹁百
追 撃 もう けず 、収 容 出 来 た 。 し か し これ は、 喜 ん で い い のか 、 どう
翌 日は シ ャラ ムリ ン への撤 退 収 容掩 護 に飛 行 隊 を 協 力 さ せ た が、
事 了 る﹂ と 思 つた 。
﹁第 一線 は午 後 四時 依 然 前進 し て いま せ ん﹂ と い う 報 告 に、 ﹁万
つと 迎 え た。
飛 行 場 は も う真 暗 だ。 ま だ 二機 帰 ら ぬ。 着 陸 指 示 の点 火 を し 、 や
た。
い。﹂と 釘 を さす よう に 付言 し た。
は何 と いう こと だ。 金 甲 山 部 隊 を 百 靈廟 に 追出 す の は賛 成 だ が 、 こ れ は至 難 中 の至難 だ。 輸 送 は自 動 車 だ が 、 これ の離 脱 がむ つか し い。 不祥 事 が起 る。 桑 原 さ ん は胆 が太 いか ら や り 切 る だろ う が 、 と 思 つ
靈 廟 を 確保 す ると 否 と は 国 家 の安 危 に関 す る所 全 力 を 以 て 防 禦 せ
た。
よ ﹂ と命 じ 、 陳 誠 は 二十 九 、 三十 日傅 、 趙 、 湯 、 門 を 集 め、 ① 百靈
シ ャラ ムリ ンに は百靈 廟機 関 と 旧 ア パ カ機 関 が いた が 、 これ は金
か 、 判 ら ぬ。 廟 絶 対 確 保 ② 綏 遠 省 東 部 の攻勢 防 禦 の二方 針 を決 定 し た 。 これ は中
部 隊 の撤 退 に雑 居 し てし ま つた 。 両 機 関 は 、後 退 を希 望 した が、 隆
と 、車 中談 した と 報 道 さ れた 。
ぬ こと がな いと も限 るま いから ね﹂
があ つた ので、 司 令 部 に李 守 信 を 訪 ねると 、 知 つ て いた 。 二組 の斥
隆 吉 の命 令 で、 私 は 飛行 隊 長 に、 偵察 同 行 を 乞 う た。 準 備 に時 間
ト王 府 にまず 伝 え ら れ 、 王府 の無電 が徳 化 に伝 え た 。
わ て ゝ呼 び出 した が 、 応答 は なか つた。 シ ャラ ムリ ン兵 変 は、 ス ニ
の連 絡 通信 を行 わ ず 、 朝 ま で 二時 間 置 き の点 検 通 信 も忘 れ、 六 時 あ
十 二月 八 日夜 十 二時 、徳 化 機 関 の当直 無 線 手 は 、 シ ャラ ム リ ンと
吉 は許 さ ぬ。 金 部 隊 の不遜 な態 度 、 不穏 な様 子 も報告 さ れた が取 上 げ な い。自 動 車 の運 転 手 達 は、 自 動 車 を何 と か し て シ ャラ ム リ ンに
隆 吉 は 、 小濱 大 佐 に満 軍 の日系 中 尉 を つけ、 ト ラ ック 一台 に護 衛
残 し て お こう とす る金 部 隊 の態 度 に脅 え た 。
兵 を付 し 、 シ ャラ ム リ ン の総 指 揮 官 にし た。 だ が、 両機 関 の指 揮 権
候 を出 し た と ころ だ と いう。 第 一線 は 心配 な いと 告 げ た。
は 与 え な か つた の で、大 佐 はひ ど く不 満 だ つた。 従 つ てそ れ は、 両 機 関 と大 佐 の仲 を も妙 な も の にし た。 金 部 隊 は大 佐 の厳 重 な命 令 に
い。
金 の叛 乱 と 湯恩 伯 の攻撃 と が 一致 し た ら厄 介 だ が 、湯 軍 は動 かな
不 満 だ つた し、 〓 の ラ マは、 こ こ で工事 をす る こと に抗 議 し た。 大 佐 は、 衛 隊 と 本 堂 に、 金 司 令部 は東 部 入 口 に、両 機 関 は 西部 に
今 朝 モ ス で、 シ ャラ ムリ ンに金 を 送 る こと にな つ て いた の で、 こ
分 れ 分 れ だ つた 。 張鳴 (日本 留 学 生 上 り で、 南 京 政府 の要 人 居 正 の 娘 で日本 の支 那 浪 人萱 野 某 の養 女 と結 婚 し て いる果敢 な 反蒋 の闘士
一帯 は静 ま りか え つて、 人 つ子 一人 見 え ぬ。 無 気 味 な も のだ つた 。
れ も気 が か りだ つた。 し か し何 時 も の飛行 場 に は残 骸 も見 えず 、 廟
三 回旋 回 した が、 何 も判 ら ぬ 。 ス ニト街 道 に 沿 い、 徳 化 に 帰 つて報
と いう のが 隆吉 の紹 介 だ つた。 し かし 私 は何 か 不透 明 な も の を感 じ
告 し た 。 モ スは安 全 だ つた 。
警 戒 した 。 王英 軍 の政 治 部 長 に し た のだ が 、彼 の動 き は 、私 の スパ
いて いた が 、彼 が ど んな 役 割 を した か 疑 問 だ。
﹁大 月 が捕 え ら れ 、南 方 に連行 さ れた 。﹂ と低 い声 で い つ た と た
﹁全 滅 だ !﹂
と いう と 、
ば い いです。 今 から 私 は、 情 報 収 集 に ス ニト に先 行 し ます ﹂
﹁シ ャラ ムリ ンを奪 還 し ます。 李 守信 の 一ケ聯 隊、 山 砲 一門 あ れ
と 怒 鳴 つた。 全 く 狂 人 だ。 逆 手 に出 て や れと 、
ん
隆 吉 は阿 片 のき れ た いん者 のよ う な顔 色 だ つた。
イ網 に不 思 議 な行 動 を し る さ せ た) は 馬 に乗 れ ぬ の で、金 部 隊 に つ
三 日、第 三艦 隊 は青島 に陸 戦 隊 を上 げ た。 南 京 では 、川 越 大 使 が 不調 の責 を負 い、 引 退 を 表 明、 四 日陸 海 外 三相 会 議 は 、中 国 の諒 解 事 項 遅延 せば 、 断 乎打 切 り の方 針 を決 定 した。 六 日中 国 政府 は、 日中 交 渉停 頓 の責 は 綏遠 事 件 にあ りと し、 日本 の内 蒙 軍 事 援 助停 止 こそ交 渉再 開 の先 決 問 題 だと 、 ハ ッキ リ態 度 を 明 か に した 。 八 日寺 内 陸 相 は ﹁陸 相 と し て こ の際 あ まり刺 戟と な る こと は い い た く な いが、 弱 き を助 け 、 義 を 行 う 日本 刀 でも 嫌 で も抜 か ねば なら
百霊廟奪還攻撃要図
﹁奪 還 し て も保 持出 来 ぬ﹂
で、情 勢 判 断 を伝 え た。
と 、 かす れた声 で い い、 下 を 向 いて し ま つた。 私 は川 崎 大 尉 を呼 ん
﹁ 中 国 側 は、 これ 以 上実 力 行動 に は出 な い。 し か し反 間 苦 肉、 切
﹁小濱 大 佐 以下 の こと は、 ラ マ坊 主 の筋 以外 な い﹂、﹁もう 一つ大
崩 し 謀 略 は ひど く な る。 よく 気 を つけ てく れ ﹂
事 な こと は !﹂ と いうと 、川 崎 は ﹁機関 長 胆 大 な る こと かめ の如 し﹂
翌 十 日間 仁 田通 信 手 が 一人 だけ 生 還 し て来 た。 そ の報告 に よる と 、
と 笑 つた ので、 ﹁頼 む ぞ ﹂ と い い商 都 へ帰 つた 。
小濱 大 佐 は寝 台 の上 で腹 に短 刀 を さ さ れ、副 官 は人 口 で斃 れ、 大 月
一人 拉 致 され 、他 のも のは廟 の壁 にな ら ん で 立た さ れ 、片 端 から 銃
の所 で衣 類 を か り て ス ニト に た ど り つ いた、 と いう のだ つた。
殺、 本 人 は 隣 り の血 をあ び昏 倒 し、 夕 方寒 さ で目 が さめ 、 ラ マ坊 主
これ を伝 え る隆 吉 の声 は 、死 人 の様 だ つた。 ﹁どう し た ん です ﹂と
金 甲 山 は暫 編師 長 、 主 だ つた幹 部 三人 は暫 編旅 長 と し て中 国 正規
いうと 、 ﹁〓 の煙 で瓦 斯 中 毒 だ ﹂と 、 つ ぶやく 様 に答 え た 。
つた。 張 鳴 は拉 致 さ れた が 、 間 も なく 釈 放 さ れ た。 彼 ま た 支 那事 変
軍 に編 入 され た 。彼 等 は、 昭和 十 二年 内 長 城線 で本 物 の関東 軍と 戦
中 日 本軍 が福 建 工作 に使 つた が 、 ハッキ リし た ダブ ルスパ イ だ つた。
9 、 西 安事 件 と工 作 の終止 符
十 二 月 十 二 日、 こ のと き 突 如 西安 事 件 が お こ つた 。蒋 介 石 が 西 安
にお いて、 張 學 良 、楊 虎 城 に監 禁 さ れ た事 件 であ る。 内 外 の視 聴 は
ひと し く本 事 件 に集 中 さ れた 。 こ の事 件 は、 綏 遠 工 作 の行 詰 り に直
面 し て 、苦 慮 のあ ま り半 死 の病 人 だ つた 田 中参 謀 に は、 回 生 の薬 と な り 、 さ ら に徳 王 を喜 ば せた 。 し か し大 勢 は幕 のひ き ど き であ つて、 そ のた め の天与 の好 機 であ つた の であ る。 彼 がそ れ ( 西 安 事 件) を伝 え た声 は 、昨 日ま でと は全 く 違 つて い た 。 ﹁黒 木 の工作 が成 功 し た のです か﹂ と いう と 、 ﹁そ う と も いえ ぬ﹂ と 打 消 し た が、 ﹁蒋 介石 一人 殺 し ても国 民 政 府 は動 か ん で し よ
﹁な に議 論 のと き か。絶 好 のチ ャン スだ。 出 来 るだけ 宣 伝 ビ ラを
う﹂ と 、 彼 の殺害 説 を反 駁 す ると
印 刷 さ せろ 。 空 か ら撒 く のだ。 明 日 スー パー 一台 廻 せ﹂ ﹁ビ ラ の文 句 は 、思 ひ切 り蒋 を や つ つけ る ん だ﹂ と 附 加え た 。 隆 吉 の膝 下 徳 化 は どう か。 十 四 日始 め て記者 と し て徳 化 入 り を許
な い。 日本 の問 題 だ。
﹁殺 す でし よ う か﹂
李 守 信 は 平 静 そ のも のだ つた。
﹁わ か りま せ ん ね。 私 が 西安 に出 して あ る密 偵 の報 告 が あ るま で は﹂
﹁今 後 の見 透 し です が、 も し蒋 が殺 さ れ 、中 国 政 府 と 張 、楊 、 中
共連 合 勢力 と 衝 突 す る と した ら 、内 蒙 には 中 国政 府 は かま つて お ら
れ ま す ま い。 妥 協 出来 たと した ら、 対 日全 面 戦 です から 、 対軍 政 府
では な い ので、 矢 張 り内 蒙 は 一時 あず か り でし よ う。 中 国 は蒋 が殺
そ こ で、 こ の機 会 に雁 門關 ま でと いう 考え 方 も出 ま す が、 そ れ は
さ れ ても動 乱 に は な りま す ま い。
反共 を叫 ぶ手前 義 に戻 る でし よう 。 現実 に は湯 恩 伯 軍 と の決 戦 と な
不義 の名 は 免 か れず 、 中 国 民 衆 の怒 りを 一層 高 め、 蒙 漢協 力 の実 は
り、 成 功 し ても多 大 の損 害 が出 、 中 国 政 府 の危 機 に反逆 し たと いう
﹁全市 に は既 に独 立建 国 の気 漲 り 、市 中 に は蒋 政権 没 落 を 喜 び、
さ れ た 同盟 通信 記 者 は 、
望 む べ く も あ りま せ ん。 地 域 の占 領 は出 来 ても政 治 は 不 可能 です ﹂
﹁司 令 、 私 は 明 日徳 化 に行 き ます 。 司令 は王 公 に、軍 政 府 職 員 に
と 笑 つた 。 二人 は大 い に笑 つた 。
﹁田中参 謀 は ?﹂
﹁徳 王 は ? ﹂と いう と
と 問 う と 、 ﹁文 句 はあ り ま せ ん﹂ と いう 。
﹁だが 、 王公 は? ﹂
と 同 意 し た。
﹁松 井 の考え は、 私 の考 え です ﹂
司令は
赤 化 防 衛 の為 内 蒙 独 立 の秋 至 る を喜 ぶと いう 意 昧 のポ スタ ーが 各所 に貼 ら れ ⋮ ⋮委 員 長 徳 王 始 め各 盟 王公 は 、両 三 日中 に全 線 進 撃 の謀 議 を凝 ら す はず で、 内 蒙 義 軍 の意 気 す で に綏 遠 を呑 む 慨 が あ る﹂ と
だ が、 私 は全 く 別 な こと を 考 え て いた の で李 守 信 に相 談 し た。 隆
報 道 した 。
吉 の ハズ ンだ声 を 聞 き な がら 私 の頭 に浮 んだ のは土 木 の変 だ つた 。 也 〓汗 は、 英 宗 を 捕 え、 諸 公 を斃 し た。 そ のと き金 宝 文 綺 を 以 て命 乞 いを し た太 后 皇 后 と対 立 し て、 ﹁天 子 重 からず 社稷 重 し ﹂と し た 兵 部 干 謙 が いた 。 歴 史 は繰 返 す のだ。 何 れ が勝 を制 し ても 、東 洋 の 前 途 は 重 大 な転 機 に立 つ。 機 関 の問 題 ではな い。関 東 軍 のそ れ で も
と 突 如 調 子 を落 し て隆 吉 の瞳 を 見 入 ると 、 明 か に動 揺 し て いる。
あな た は中 国 関 係 主 任参 謀 です 。 こ の情 勢 に お いて、
働 き かけ て下 さ い﹂
軍 は刻 々 の判 決 を 求 め て います 。 あ なた は新 京 に 帰 ら る べき で す。
昭和 十 二年 元 日武 藤 章 第 二課長 が祝 賀 のた め徳 化 に来 た。 そ し て
10 、 田中 参 謀 退陣 と後 始 末
李 守 信 の私 を迎 え た 顔 は晴 々と し て いた 。
と、 吐 き出 す よ う に いつた。
﹁止 め る﹂
隆 吉 は、 つ いに
を ク ド クド い い出 し た が 、相 手 にな ら な か つた 。
これ は 死命 を制 し た。 勝 負 は了 つた。 隆 吉 は 、謀 略 部 隊 の後 始 末
軍 の指 示 を 待 つ こと は 許 さ れ ま せ ん。﹂
幕 を引 く か ひ かぬ か は 、現 地 の責 任 にお いて行 わ る べき であ つて、
元 来 こ の工作 は 、 現 地機 関 長 の貴任 に お いて行 わ れ て いる のです 。
﹁ 参 謀!
と い い辞 去 した 。 ︹ 植田謙吉 ・関東軍司令官︺ ﹁植 田 さ ん に直 接 訴 え よ う﹂
隆 吉 は 、 私 を見 ると ﹁来 た か。 こんな 機 会 は 二度 とな いぞ。 一気 に平 綏 線 へ、 そ し て 雁 門 關 に出 る ぞ﹂ と 浴 せた 。
﹁軍 から指 示来 まし た か。 止 め ま し よ う。 大 義 名分 です ﹂
私 は、 機 関 長室 で対 座 し た。
と 切 り出 し た。 隆 吉 もま け な い。 李 守 信 と語 つた と ころ を述 べた が、
﹁謀 略 は 機会 を つか む ﹂
聞 か ぬ。
﹁謀 略 と 雖 も 正義 は存 す る。 謀 略 と陰 謀 と は違 いま す﹂ 隆 吉 は、 小濱 大 佐以 下 の骨 は どう す る 。傅 作 義 に 一撃 を与 え ず し
新京 に召 喚 の手続 きを と り 、間 もな く自 ら 徳化 に来 て後 始 末 に乗 り
田中 参 謀 の病 気 (神 経 衰 弱 ) が ど う に も なら ぬ こと を認 め 、直 ち に
出 し た。 そ れ は、 謀 略 部 隊 の整 理、 蒙 古 軍 の原 態 勢 復 帰 であ つた 。
て、 どう し て止 め ら れ る、 と いう のだ 。
貴 様 は湯 恩 伯 軍 が 恐 ろ し いか ﹂
が う んと いわ ぬ。 そ の 一部 と し て、 興 安 軍 二聯 隊 だけ は出 発命 令 を
隆 吉 か ら再 度 進言 さ れ て い る ので、 新 京 で交渉 した が 、 仲 々第 一課
﹁日本 軍 の内蒙 進 出 によ り、 蒙 古 軍 の原 態勢 復 帰 を援 護 す る件 は、
傅 作 義 では な い。 前 面 の敵 は中 国 軍 だ 。綏 遠 軍 な ど と いう も のは 存在 しな い、 と いうと ﹁臆 病者 ! とわ め いた 。 ﹁湯 恩 伯 軍 は恐 れま せ ん 。中 国 軍 隊 の統 制 の見 事 さ を恐 れま す﹂ と 切 り かえ し た 。圧 倒 し て いる感 じを 持 つた。
る。﹂
引続 き 日本 軍 の交 渉 は、 隆 吉 が や つて いる。 俺 から も 電 報 で催 促 す
出 す のを確 認 し て き た。 今 日多 倫 へ着 く筈 だ。 これ で安 心 し た ろう 。
ら雁 門 關 に九旒 の白 旗 を立 て た の だ、 と いう 方 が余韻 が あ る では あ
﹁ど う です。 この辺 でサ ット 手 を 引 いたら 、 西安 事 件 が な か った
り ま せ ん か﹂
と いう のだ 。 ﹁日 の丸 を蒙 古 に 立 て る な ん てと ん でも な い こと 、 興安 軍 も いら ぬ。 出 てし ま つた ら仕 方 がな いが、 多 倫 止 りと し て 欲 し い﹂ と、 私 は 答 え た 。
﹁田中 参 謀 です ﹂と いう と 、 不 機 嫌 な顔 を した 。
﹁飛 行 場 は 砲 兵 の弾 著 距 離内 じ や な いか ﹂
﹁迫 撃 砲 でも 届 き ま し ょう ﹂
私 は 課 長 が 、第 一線 の危 険 を 一層 感 じ 、 日本 軍 進 出 の必 要 を よ り
と いう のが 、 二 人 の会 話 だ つた 。
一層 感 じ た のじ やな いか 、と 心 配 し た 。 私 は ﹁日本 軍 を 出 さ ん で下
課 長 は 、何 を いう か 、 と いう 顔 付 だ。 早 速 課 長 は 電 報 を打 た せた 。 私 は ﹁返 事 は き ま せ ん よ﹂ と 、 いう た 。 課 長 は ﹁日本 軍 を出 す 以 外
さ い﹂ と 、 ま た 課 長 に説 いた 。 そし て蒙 古 工作 の歴 史 を 語 つた。
な か つた 。 課長 は ﹁徳 化 電 第 X号再 考 あ りた く 重 ね て具 申 す ﹂と 打
課 長 は 、 新京 か ら の返 電 を 確 かめ さ せた が、 昼 の交 信 に も 入電 は
と答 え た。
﹁結 論 は そ う です ね﹂
と いう 課 長 に
﹁結 局 俺 は 、 田 中 の舌 三寸 に躍 つた 訳 か ﹂
土 肥 原 、 秦 徳 純協 定 を中 国 に守 ら せ る 手 は な い﹂ と いう 、隆 吉 の進 言 を く り かえ した 。 ﹁戦 に兵 力 が余 りす ぎ る こと は な い﹂ と いう のが課 長 の説 、 私 は ﹁戦 は 了 つた。 今 は バ ラ ン スが と れ て いる。 二十 八 日 の声 明 に脅 え て いる中 国 側 は 、 も し 日 の丸 や蘭 の花 を チ ャ ハル台 地 に立 て た ら、 このバ ラ ン スが 破 れ る から 、 ど う出 る か、 判 ら ぬ 。 よ し た が いい。
翌朝 、 新 京 か ら 返電 な し、 と 報 告 し て も課 長 は 案 外 機 嫌 よ く、 私
た せた 。
は 新京 に感 謝 した 。 そ の朝 は、 日本 軍 出 兵 に つ いて は語 ら ず 、謀 略
こ の夜 私 は 、課 長 に、 紅 格 爾 圖 の敗戦 を語 り、 中 国 軍 が追 撃 せず 、
中 国 側 には 協 定 線 を越 え る意 志 は絶 対 にな い﹂ と いう のだ。
協 定 線 で止 つた事 実 を語 つた 。 こ の敗 戦 は、 課 長 には初 耳 だ つた 。
部 隊 の処 置 に つ いて報 告 し た。
翌 日課 長 を案 内 し て第 一線 を 飛 び 、商 都 に降 りた 。 飛 行場 か ら第 一線 へと いう のに、 徒 歩 、 し か も 飛行 場 を出 るな り 、護 衛 兵 が散 開
1 、 王 英 の残 存 二〇 〇 は金 で処 置 す る。
﹁あ れ が 国境 線 です ﹂ と いう 稜線 に は、 湯 恩 伯 軍 が いる 、 と いう
し 、 これ ら の争奪 を や り出 した ら 、 き り が な く、 大 戦 に入 る。 し か
軍 顧 問 部 を通 じ て拾 え るよ う し て下 さ い。 留 守中 全 部 片 を つけ 万 一
課 長 に は 、平 津 地区 に出 張 し 、 小濱 大 佐 以 下 の骨 を北 平 機 関 、 二九
は 私 の算 盤 が あ つた。 し かし こ の処 置 は、 具 体 的 の こと は報 告 せず 、
大 佐 (第 一課 長 ) が 来 て、﹁何 だ 、買 上 れ ば い い﹂と いう た が 、私 に
2 、張 復 堂 三 、 ○ ○ ○ は 追 払 う 。 ︹一良︺ これ は兵 器 を買 収 し 、 手 当 を出 す だけ 工 作 費 が な いから だ 。 坂 西
し出 した の には 課 長 も ビ ック リ した ら し い。
と ﹁追 払 え 、 越 境 だ ﹂ と 、課 長 は怒 つた 。
も 地形 上 こち ら は 平 気 だ が 、中 国 側 は こ の線 をと ら れた ら 裸 に な る
し か し張 家 口正 面 で も、 国 境 線 を 中 国軍 に許 し て いる 事 実 を 説 明
か ら真 剣 に抵 抗 す る、 と 説 明 し た。 誰 が決 め た、 と いう の で
失 敗 し て も、 課 長 の責 任 に な ら ぬ よう し ま す。 と だけ 話 し た 。 課長 は ﹁王英 は殺 さ ん で呉 れ と、 田中 が繰 返 し て頼 ん ど つた から い いな。 で、時 機 は い つにす る﹂ と いう の で、﹁早 い方 が いい﹂ と いうた 。 ﹁貴 様 俺 を 追 出 す のか﹂
﹁君 子 は庖 厨 を遠 ざ く。 謀 略 なぞ ま と も の将 校 は見 ざ る 聞 か ざ る が
と 笑 う の で、
い いです ﹂
﹁汪 が帰 つて来 ま し た ね。 西 安 の東 北 軍 は ま だ燻 ぶ つて いま す か
と 進言 、諒 解 を得 た 。 課 長 に私 は、 更 に進 言 し た。
ら 、 当 分 は汪 さ ん、 十 二日香 港 声 明互 譲 の精 神 で行 く でし よう が、
﹁中 国 を 見直 す ん だ な﹂
対 中 国 策 は 一大 転換 を 必要 と しま す ね﹂
﹁そ の前 、 日 本 を見 直 す の です 。 内蒙 の こと な ど 一大 尉 に委 せ て
﹁政 党 政 治 の時 代 は 去 つた。 し か し軍 が肩 代 り す る のは好 ま しく
お いて可 な り です。 課長 殿 、何 と かし て 下 さ い﹂
日本 が 国際 的危 機 に追 いこま れ る のは 日本 の不 幸 だ。 し か し こ れは
な い。 これ は過 渡 的 便 法 だ。 俺 は そ う信 ず るよ 。 こ の過 渡 的 時 代 に
日本 の運命 だ ﹂ ﹁課 長 殿 の運命 でも あ り ま し よう 。﹂ と いつた 。 私 は 、 武藤 さ ん が好 き だ 。 一大尉 し か も無 天 の私 によ せ
翌 日課 長 は 出 張 し た。 私 は張 復 堂 軍 の処 置 の手 配 を し た。 知 つ て
てく れ た信 頼 だけ でな し に ⋮ ⋮。
いる のは 李守 信 だけ だ つた 。
そ の夜 張復 堂部 隊 は、 武 装 解 除 のデ マに躍 つ て自 ら叛 乱 を お こ し、
李 守 信 軍 に追 払 わ れ た。 王 英 等 には 、 予定 通 り金 と 便 服 を 与え て解
とす 。 情 勢 変 化 に処 し新 京 に向 う ﹂ と 電 報 し て、 新 京 にか え つた。
散 さ せた 。 武 藤 課長 は、 天 津 で こ の報 告 を受 取 つた が 、﹁努 力 を 多
飛行 隊 は、 張 北 飛行 場 の整 備 完 了 と と も に、 一度 張 北 に集 結 、 地 上
部 隊 に先 立ち 復 帰 せ し め た。 蒙 古 軍 は、 第 二線 か ら動 か し、 第 一線
し、 第 一線 の候 敵 に は、 私 が細部 に いた る ま で指 導 し た。
︹マ マ︺
は 最後 と し、 この間 密 偵 報 告 と暗 電 に注 意 し、 中 国軍 の動 きを 監 視
二二
燕普情報第七号
昭和 十 一年 十 一月 二十 九 日
桑
原
重
綏 遠 時 局 に 関 す る 蒙 古 、 綏 遠 当 局 の宣 伝 戦 ( 中華民国在 勤帝国大使舘附武官輔佐官
遠)
するも のにして蒙人 の最も不満とする所 なり
て蒙 政会並 に当該盟長は和平的処理 を企図 せるに貴省越権干渉石
ロ 前 年西 公旗事件発生せるか本件 は純然たる蒙 古内部問題 にし
徳王発傅作義宛 電
しめ んと せり今春蒙 政会 は中央 の命令 に服し西公旗駐屯部隊 を撤
貝子を操縦 事件 を紛糾拡大 せしめ盟旗を分解 せし め自治を解 消せ
容
一 傅作義発徳王宛 電
内 二
所 なリ
なし斯 の如く自治 を破壊 し蒙人を茶毒す之蒙人 の最 も遺憾とする
に拘 らず数ケ月にして兵 を派し大喇嘛 及其 の家族等を殺戮余 す所
退 せしめたるが貴省 は梅力更台及大喇嘛 を保護す可き約ありたる
三 大漢義軍宣言 十月 四日徳王発傅作義宛電要旨 年 自治を要望 し中央 は蒙古地方自治政務委員会 の設置を認 め蒙衆欣
は該隊少数不良分子を買収叛乱を起さしめ先月右叛乱兵をし て偽
ハ
蒙古 の地設省置縣以来盟旗勢権日に廃れ蒙人 の生活 日に窘な り前 感す而 るに貴省 は終始猜忌屡 々之を破壊 せんとす其 の顕 著なるを例
原則 に依れば貴省 は右税収 の 一部 を蒙古 に分与する責任 あり当時
イ
百人を殺害 せり
当時同 地駐在 の各 旗保安隊 は之を撃退せるも右叛兵 は善良 の民数
り百靈廟 に帰順復帰 せしめ我自治 の発祥地を毀滅 せんと せり幸 に
蒙政会保安隊は中央 の認許 に依 り編成せるものな り今春貴 省
示すれば次 の如 し
蒙攻会は地方和協 を尊重し僅 に百靈廟通過貨特税 のみを要 求せり
第二 の生命と做す所 のも のなり貴省屡 々陰謀を施 し、烏伊各盟旗
ニ
貴省税 収 の大部 は之を蒙地及蒙 民に取 る中央認許 の蒙古自治
而 るに貴省は武力 を以て貨物通過路線を変更 せしめ蒙 政会自治事
百靈廟蒙政会は我 全蒙 最高自治機関 にして全蒙古 民族が以 て
業遂行を不能 に陥 らしめたり之貴 省が消極的 に蒙古 の自治 を破壊
ても又察境蒙政会令発表後 に於ても右陰謀 は已まず 遂に我完整 せ
の名 を乱用し之を顛覆 せしめんと企図す綏境蒙政会成立以前 に於
蒙 地に求む るに由なし貴省 は速 に先づ蒙古 に分与す可き特税 二十
四
し
会計 を整理し以 て之を撤鎖せんとせり之貴省 に何等 の不利 を及 ぼ
盟長公署所在地 に察境蒙 政会 を組織 し又人を派 し百靈廟蒙政会 の
ホ
に対 し 一律 に賠償金 を発給す可 し
に法規 に照し之を厳 罰せん ことを要 求す尚右両事件被害者数百人
又梅力更 を襲 ひ大喇嘛等 を殺害 せる犯人亦貴 省 の保護下 に在 り速
五
万元を交付す可し
百靈廟蒙政会 の債務を清理せる に約三十 万元 の負債あり之 を
る蒙政会を完 全に毀滅 せり
す も のにあらず而る に貴 省は綏遠 一帯及百靈 廟以南 の地に戦壕を
今春百靈 廟兵変 の首謀者等は現在 貴省 に於 て重要 の職 にあり
掘 り砲台 を築き人民を騒擾 せしめ且 つ蒙古を経済封鎖 し糧食燃料
以上五項は蒙 古生存 の為已むを得ざる要 求なり若 し之を肯 ぜざる
前記蒙政会 の破壊 主謀者 は実 に貴省なるも中央 の命 に従ひ錫
等 の移入 を禁じ以 て錫察 両盟 及百靈廟 一帯無辜 の民をして生活 の
の責任貴省 に在 るは言ふ迄 も無 し
徳穆楚克棟魯普
に於 ては蒙古微弱なりと雖 も最後 の戦 を争はざ るを得ず而 し て戦争
卓 特 巴 札普
重大圧迫を受 けしむるに至 れり
副 委員長
十月八日傅作義発徳 王宛電要旨
察境蒙政会委員長
之貴省 が蒙古全体を死地 に置かんとす る策謀なり吾 人は退 かんと んと欲す但し吾人 は和平を冀 ふや切なるも のあり
欲 するも避退す る所なく、已む無く武力 に訴 へ最後 の生存 を図ら 特 に左記条件を提出 し貴省 の諒察 を求む
一
下各項 回答す可し
貴電拝読 せるも叙 ぶる所 の各項何れも事理 明白ならざるを惜む以
央頌行 の蒙古自治原則 に拠り已に盟と改めらる茲 に該盟を完整し
会 は優恵を特示し調査員 を派遣し五項 の弁法 を規定 せるも貴 会は之
察哈爾右翼四旗は原 と察哈爾部 の管轄 に属 せり現在該部は中
且 つ察錫両盟 の人民をして集寧 (平地泉)豊鎮等 に於 て自由 に糧
一
食燃料牛馬皮毛等を売 買せしむる為該右四旗を即時察哈爾省 に返
を実行 せず即貴会が中央 の規定を肯ぜざるが為 にして綏遠 より分与 も のなり
せざ るにあらず而 も貴会路を欄 して苛 徴し自 ら貨物通路を遮 断せし
綏省特税 の件 は自治原則 に接し地方税 収 の規定あ り北平軍事分
還し本会 の管轄 に歸 せしむる こと 二
百靈廟蒙政会解散事宜未 だ完了 せず原有 の職員 並に数百 の保
安隊及附 近人民 の生活を保護す る為即時百靈廟 以南 一帯 の軍事設
性 不明 の飛行機を飛ばし之を援けたるより中央 は撤兵を命 令せるも
西公旗事件 の第 一は貴会が叛逆者を援助 し王府 を包囲し且 つ素
二
三
のなり第 二は本年 大喇嘛等廟 に歸り石王等と共 に安 んぜるに王道 一
今春百靈廟 保安隊兵変時持ち去られたる小銃 重軽機関銃弾薬
施を撤去 し経済封鎖を解除す可し 等 は目下綏遠武川等 に於 て貴省之を保 管しあり即時之を返還す可
し て私 服 を肥 やし 、 賣 官 収 賄 を行 ふ これ蒋 大 罪 の五 な り
あく な し これ蒋 大 罪 の四 な り国 宝 を 盗 売 し鉄 道 を抵 当 に紙 幣 を 濫 発
膏 血 を し ぼ る も のな り これ蒋 大 罪 の七 な り以 上 の七大 罪 は清 朝 或 は
外債 を起 し て私 財 を豊 か にし身 は 一食 数 百金 一衣数 千 金 み な民 の
の裏 面 に彼 の使 嗾 あ ら ざ る な し これ蒋 大 罪 の六 な り
唐 有 壬 の死 楊永 泰 の暗 殺 寧 夏 に おけ る孫 殿英 馬 鴻復 の私 闘 など そ
綏 東 を擾 犯 せ る に乗 じ該 喇 嘛 は之 と 通 謀 本 国 人 に非ざ る も のと 勾 結
百靈 廟 の兵 変 は察 北 改 元 易幟 後 に於 て勃 発 せ り 当時 雲 王等 は察
は 外 国 人 あ り之 中 央 に背 叛 せる も のな り
募 兵 し 八月 八 日王 府 を 攻撃 し石 王 之 と 戦 ふ戦 争 終 れ る も本 件 内 幕 に
三 北 の行 動 に対 し頗 る不 満 の意 を表 せ り彼 等 は中 途 百靈 廟 を脱 れ るも
前 北 京 政 府 と 雖 も敢 てな さざ ると ころ 蒋 一人 これ を なす 而 し て更 に
のな り 他 を大 む る の理 な し
世 を挙 げ て仇 敵 視 す る ﹁ソ﹂ 聯 と 結 び 国 民 の敵 共 産 匪 と 妥 協 甘 ん じ
綏 蒙 の易 制 は 察 北 変 乱 の際 な り当 時 烏 伊 盟 等 は察 部 分 離 を請 願
し中 央 又之 を 認許 せ る も の なり
四
て彼 等 の走 狗 と な つ て走 り わ が 五千 年 来 の礼儀 廉 恥 の文 明古 国 を し
て禽 獣 野 蛮 の集 団 と 化 せ し む実 に国 家 の危 機 旦 夕 に あ り こ こに蒋 賊
分 治 の明 令 あ りた る に拘 らず 貴 会 は之 を遵 守 せず 六県 に易 幟 改
五
を打 倒 す る に非 ず んば こ の危 機 を救 ふ能 は ず 南 京 偽政 府 をく つ が へ
目 下同 地 区平 和 な る察 省 の比 にあ らず
元 し 軍 政府 を組 織 し偽 蒙 軍 を 入察 せ し め 百靈 廟 に大 兵 を 派す 遺 憾 千
す に 非ず んば 民衆 政 治 を 起 す能 はず
を 商都 に お こし死 を誓 つて 南征 し 五万 の健 児 を 率 ゐ 跳梁 す る好 漢 を
鳴 等 黙 視 す る に忽 びず こ こ に黄 紀 四千 六 百 三十 三年 十 一月 十 四 日義
貪 官 汚吏 軍 閥 を掃 蕩 す る に非 ず んば 民 の苦 痛 を 解 除 す る能 はず 英
万 な り 小官 素 よ り平 和 を愛 す るも国 土防 衛 の重責 あり 今 日察 北 の局 面 如 何 速 に前 非 を悔 い張 北 六縣 を察 省 に返 還 し人 民 塗 炭 の苦 を救 ふ 可 し 時 機 切 迫 す 切 に反省 善 処 を望 む
殲 滅 せん と す我 等 同 胞 こ の大 義 を 明察 し て立 て
英
義
鳴
作
王
傅
張
綏遠省主席
同総政治部 々長
大 漢義軍総司令
大漢義軍宣言 十 一月 二 十 一日、 夜 北 平 に於 て撒 布 せ ら れ た る も の な り 此 の外
大 漢 義 軍 の宣 言 文
﹃綏 遠 民衆 に告 ぐ る の書 ﹄ あ り蒋 介 石 及 傅 作義 の罪 過 を強 調 し あ り
蒋 介 石 政 権 を奪 つ て以来 す で に十 年 西 蔵 は英 国 に侵 さ れ新 彊 は ロ シ アに奪 は れ東 北 真 論 亡 す国 土 日 に衰 へ版 図 日 に縮少 す る これ蒋 の 大罪 の 一な り年 毎 に戦禍 を起 し共 匪 を入 れ藍 党 を組 織 し て志 士 を 惨 殺 す これ蒋 大 罪 の二な り 苛 劔 誅 求 民 を し て塗 炭 に苦 し め流 離 失所 せ し む る これ蒋 大罪 の三 な り 親族 閨閥 を 以 て権 力 を 聾 断 民 を搾 取 し て
一 三、
二三
宛
一 一、
長
報
一 一、
官、次
電
昭 和
極秘
次
ト シテ特 別 ノ情 況 ヲ観 サ ル限 リ現 地 ニ駐 在 セ シム ル予 定 ナリ
度 当 方 ニ於 テ モ綏 遠 包 頭 等 ノ機関 ハ内 蒙 古 軍 行 動 開始 後 ト雖 第 三者
現 容 共 政策 ノ放 棄 ヲ勧 告 シ支 那政 府 ノ積 極 的 行 動 ヲ遅 延 セ シメ ラ レ
内 蒙 古 軍 ノ綏 遠 武 力 行 動
関東軍参 謀 長
内 蒙 古 軍 政 府 ノ綏 遠 工作 ハ著 々進 行 シ軍 政府 ハ既 ニ綏 遠 省傅 作 義 ニ代 表 ヲ派 遣 シ防 共 合 作 ヲ勧 告 中 ナリ 此 際 支那 側 官 民 ハ勿 論 外 国側 ニ於 テ モ之 ヲ日本 ノ策動 ナ リト シ南 京 政 府 及 地方 政 権 ハ我 カ外 務 省
カ内蒙 古 ノ防 共 自 治 完 成 ニ関 シテ ハ関 東 軍 ハ其 軍 政府 ニ対 シ好 意 ヲ
出 先官 憲 等 ニ対 シ該 工作 ノ中 止方 ヲ懇 請 シ来 ル モノ ト 予想 セ ラ ル 、
以 テ指 導 ヲ与 へ来 レル モ今 次 ノ行 動 ハ真 ニ軍 政 府 ノ実 力 充実 ニ伴 フ
コト ハ対 蒙 政 策 上 適 当 ナ ラ サ ル ノ ミ ナ ラ ス事 実 不 可 能 ナ ル ノ状 態 ナ
自 発 的 工 作 ニ シテ帝 国 ノ関 知 ス ル所 ニア ラ ス其 行 動 ヲ中 止 セ シム ル
リ 就 テ ハ外 務 当 局 及 出 先機 関 ニ於 テ ハ山 西側 及列 国 ノ抗 議 等 ニ対 シ テ ハ飽 迄 第 三者 ノ態 度 ヲ以 テ 対 処 セ ラ レ寧 ロ支 那側 ノ防 共 政 策 ノ実
二四
綏 遠 問 題 の重 要 性
(昭和 十 一年 十 一月 十 九 日
東 京 朝 日新 聞)
十 数 門 を も つて陶 林 に進 撃 し来 り 、支 那 軍 と の間 に現 に激 戦 を展 開
去 る十 五 日 に至 る や蒙 古 軍 は 、俄 然 歩 騎 二千 、 飛行 機 八機 、山 野 砲
久 しく 暗 雲 を 孕 ん で低 迷 し てゐ た が 、本 月 三 日 以来 衝 突 を惹 起 し 、
一月 国 民政 府 が別 に綏 遠 省 境 内 蒙 古 各 盟 旗 地 方自 治 政 務 委 員 会 ( 綏
相 容 れ な い性 質 の も の であ る 。綏 遠 省 政 府 と 蒙 政会 の関 係 は、 本年
は徳 王 であ る が 、本 来 蒙 政会 の目ざ す 処 は 明 か に綏 遠 省 政 府 当局 と
の内 蒙 古 各 地 を打 つ て 一丸 と し た も の であ つた 。 この中 心 的 実力 者
廟 を政 府所 在 地 と し、 錫 林郭 勒 盟 、伊 克 昭盟 、寧 夏 蒙 族 、 察 哈爾 部
し つ つあ る こと が報 ぜ ら れ て いる。 支 那 側 は綏 遠 省 政 府 主 席 傅作 義
て以 来 、 一層 険 悪 の度 を 加 へた ので あ る。綏 遠蒙 政 会 は国 民 政 府 行
境 蒙 政会 ) な るも のを 作 つて、 蒙 政 会 を内部 か ら 切 り崩 さ んと試 み
綏 遠省 東 部 に おけ る 内蒙 政 務 委 員 会 と綏 遠省 政府 当 局 と の対峙 は 、
氏 を 始 め大 同 にあ る趙 承綬 騎 兵 司 令 等 が、平 地泉 に あ つ て戦 闘 の指
たけ れ ど 、事 実 上 は傅 作 義 氏 の指 揮 下 に置 かれ た ので あ る。 かく て
政 院 に直 属 す る も の で、 閻錫 山 氏 が地 方 自 治指 導長 官 に任 命 せら れ
揮 を行 つて ゐ る。 支 那 側 は綏 東 問 題 に対 し て極 度 に神 経 を尖 ら せ 、 恰 も 支 那 の北 辺 が蒙 古 軍 の鉄 蹄 下 に蹂 躙 せ ら れ ん とす る か の如 き緊
徳 王 等 の内 蒙 古 に おけ る運動 に つれ て、 綏遠 省 当局 と の間 に衝 突 の
張 ぶ り で あ る。 今 度 の戦 闘 の発 生 以 来 、 支 那 は各 方 面 で前 線 将士 の
茲 に最 も 吾 人 の注 意 を要 す べ き点 は傅 作 義 氏 の背 後 に あ る南 京 政
後 援 に狂 奔 し、 ま た各 地 で物 資 の募 集 を 行 ひ つ つあ る。 傅 作 義 氏 は
府 の最 近 の態 度 であ る。 日支 重 要会 議 の継 続 を 他 所 に蒋 介 石 氏 は十
生 ず る に至 つた こと は必 然 で、蒙 政 会 側 は 、 中 央 及 び傅 作 義 氏 が公
北支 に お け る難 問 題 の 一つが内 蒙 問 題 にあ る こと は識 者 の間 に夙
月 十 七 、 八 両 日浙 江省 杭 州 にお いて杭 州 会 議 を、 十 月 二十 四 日陝 西
約 に反 し て蒙 政 会 を顛 覆 せん と し た数 多 の事 例 を指 摘 し て ゐ る。
に識 ら れ て ゐ る と ころ であ る。 即 ち 綏 遠 省政 府 と蒙 古 地 方 自 治政 務
宛 と し て往 年 の馬 占 山 の如 く 、 一種 の国 民 的 英 雄 に ま で祭 り上 げ ら
委員会 ( 蒙 政 会 ) と の関 係 こそ は早 晩 破 綻 を免 れ な いお そ れ あり と
省 西 安 に お い て西 安軍 事 会 議 を、 更 に十月 三十 一日 には 河南 の洛 陽
れ かね ま じ き勢 ひ であ る 。
見 ら れ てゐ た の で あ る。蒙 政 会 は 昭和 九 年 三 月 正式 に成 立 し、 百 靈
てゐ る 。以 上 会 議 の重要 議 題 が総 て北 支 問 題 にあ つた こと は 周 知 の
にお いて洛 陽 会 議 を 召集 し て ゐ る。 尚 昨電 は蒋 氏 の太 原 入 り を 伝 へ
計 る の賢 明 な る を思 ふ の であ る。
な 日 支 関係 調 整 の急 を痛 感 す る と共 に、 地 方 的問 題 の現 地 的 解決 を
あ る こと は吾 人 の深 く遺 憾 とす る と ころ であ る。 吾 人 は 一層 全 面 的
傅作 義 氏 の如 き特 に両会 議 に出 席 し、 直 接 蒋 氏 の指 令 を受 け て ゐる
如 く で あ つ て、 西安 、洛 陽 両 会 議 には 北支 将 領 の殆 ど 全 部招 致 さ れ、
ので あ る。 以 上 の会 議 が共 産 軍 討 伐 を 主 眼 と す る も の であ る と の南 京 政府 側 の繰 り返 し の説 明 にも か かは らず 、寧 ろ 対 日抗 戦 の想 定 の 下 に北 方諸 勢 力 の結 合 を企 図 せ る か の印 象 を 一般 に与 へた こと は否
つた と伝 へて ゐる 。 これら の事 実 は 傅作 義 氏 の態 度 を 硬 化 せ し め た
定 し 得 な い事 実 であ ら う 。 一方 中 央 軍 は約 二 十個 師 を新 に北 支 に送
こと想 像 に難 くな い の であ る 。 綏 東 問 題 は い ふま で も なく 、 内 蒙 古 と 支 那 と の全 面 的 抗 争 の現 れ で あ る 。而 し て吾 人 の特 に これ を重 視 す る所 以 は 、満 洲 国 並 に北支 に重 大 な る利 害 関 係 を有 す る 我 が国 に こ の問題 が密 接 不 可 分 の関 係 を有 す る が故 であ る。内 蒙 戦 事 の拡 大 は 満 洲国 を直 接 そ の渦 中 に巻 き 込 む 恐 れ全 然 無 し とは 云 ひ難 い。 かく の如 き お そ れ な しと す るも 、 綏 東 問題 の発 生 は、 現 下 の日支 間 の重 大 交 渉 を 一時 的 に せよ 停 頓 せ し め 、 交渉 の前 途 に暗翳 を投 じ つ つあ る こと は事 実 で あら う 。 川越
の解決 に 一歩 と称 せら れ つ つも 、今 尚 未 解 決 のま ま遷 延 し つ つあ る 。
大使 張 外交 部 長 官 の第 七 次会 見 は去 る十 日 行 は れ て以 来 、 殆 ど 最後
而 も最 近支 那 側 の態 度 は却 て頓 に硬 化 し 、 単 に北 支 、 防 共 両 問 題 に つ い て我 が主 張 に聴 従 せざ る のみ ならず 、 既 に殆 ど意 見 一致 を 見 た 諸 問題 に つ いても 、 そ の具 体 案 の作 成 を 阻 ま ん と す る傾 き あ るは 、 綏 東 問題 の発 展 によ るも のと考 へら れ る の であ る 。 そ れ の み か綏 東 問題 を借 題 と し て、 再 び 全面 的 抗 日気 勢 の尖鋭 強 化 を見 る形 勢 す ら
次
ニ中 国 共 産党 及 之 ト 結 托 セ ル軍閥 ノ圧 迫 ヨリ脱 セ ント スル防 共 自 衛
関 東 軍 当 局談
昭 和 一 一、 一 一、 二 八 、
ノ已 ム ヲ得 サ ル手段 テ ア リ其 目 的 ト スル所 ハ両 国 ノ緊 切 ナ ル国 策 ト
二五
長
報
一致 ス ル ヲ以 テ関 東 軍 ハ内 蒙 軍 ノ行 動 ニ対 シ多 大 ノ関 心 ヲ有 シ其 成
電 宛
官 、次
功 ヲ念 願 ス ルト 共 ニ万 一満 洲 国 接 壌 地 方 ニ シテ本 戦 乱 ノ影 響 ニ依 リ
治 安 擾 乱 シテ累 ヲ満 洲国 ニ及 ホ シ若 ク ハ支 那全 土 赤 化 ノ危 殆 ニ瀕 ス
関東 軍 司令 部 第 二課高級参 謀 関東 軍当局談
ルカ如 キ事 態 発 生 ス ル ニ於 テ ハ関 東 軍 ハ適 当 ト 認 ム ル処 置 ヲ講 ス ル
ノ巳 ム ナキ ニ至 ル テ アラ ウ
共 産 主 義 ハ物 質 偏 重 、同 胞 闘 争 及 人間 本 性 ノ無 視 等 ニ依 リ理 論 的 ニモ実 質 的 ニ モ人類 生 活 ヲ幸 福 ナ ラ シ ム ル所 以 テ ナイ事 ハ既 ニ実 験 済 ミ テ ア ツテ現 代資 本 主 義 経 済 組 織 ノ欠陥 ヲ救 済 スル ノ途 ハ物 心 一
ル日満 両 国 ハ皇 道 国家 ニ シテ国 体 上 絶 対 ニ共産 主 義 ノ侵 入 ヲ許 サ ス
如 、 人 類 相愛 共 存共 栄 ヲ本 ト ス ル行 動 ニ俟 ツ ヨリ他 ハナイ ト確 信 ス
又 日本 ハ其 不 変 ノ国 策 タ ル東 洋 平 和 確 立 上東 洋 諸国 就 中 支 那 ニ向 ツ
ル ニ南 京 政 府 ハ其常 套 手段 タ ル遠 交 近 攻 政 策 ニ基 キ 近時 款 ヲ蘇 聯 ニ
テ行 ハル 、赤 化 工 作 ニ対 シテ ハ重 大 ナ ル関 心 ヲ有 ス ル モノ テ ア ル然
通 シ防 共 ニ関 スル 日本 ノ勧 告 ヲ退 ケ有 ユル容 共 政 策 ニ転 シタ結 果 中
著 シク脅 威 セ ラ レ ント シ ツ 、ア ル今 次内 蒙 軍 カ敢 然 蹶 起 シタ ノ ハ実
国 共 産 党 及 外 国 ヨリ ス ル赤 化 思想 ノ諸 勢 力 ヲ増 大 シ為 ニ東 洋 平 和 ハ
要
旨
1
二六
憲 高 第 一〇 八 二 号
外事情報
憲 兵 司 令官
綏 東 問 題 に 対 す る 中 国 側 の反 響
3
中 島 今 朝 吾)
蒋 介 石 は 事件 の拡 大 を欲 せず 為 に新 聞 を統 制 し綏 東 問 題 に日
駆逐 せ んと す る策 謀 な り
に於 け る事 件 を誘 致 し辺 境 攪 乱 を 口実 と し て綏 遠 よ り中 央勢 力 を
省 特 殊 地 域 化 への 一現 象 に し て日 本 が徳 王 を使 嗾 し満 洲冀 察 辺境
(昭和 十 一年 十 二 月 七 日
本 問 題 は 日本 の徳 王使 嗾 に依 る中 央 勢 力 駆 逐 並 北 支 五
一、 中 国 大 使 館 関 係 に於 ては 省 特 殊 地 域 化 への策 動 な り
本 の背 後 関 係 あ るが 如 き 記事 を 一切禁 止 し 単 な る 土 匪 の跳 梁 と し
然 共蒋 介 石 は事 件 の拡 大 を避 け ん がた め言 論 界 を 統 制 し 単 な る 土 匪と し て処 理 す る意 嚮 な るを 以 て事 件 の紛 糾
て事 件 を処 理 す べ き 意嚮 にあ る が如 き を 以 て 大 な る 紛糾 を見 る こ
綏 東 問 題 は 日本 が 日支 交 渉 に於 け る所 謂 北 支 問題 に関 す る中
綏 東 問 題 は中 央 の圧 迫 に対 す る喇嘛 教勢 力 の反 撥 に し て中 央 政 府
二、 在 京 親 日的 中 国 要 人 等 は次 の如 く観 察 し あ り
ならん
に依 り 日支 交 渉 の決 裂 を 見 るが 如 き こと なく 交 渉 は 早 晩 解決 す る
国側 の反対 に対 し之 を牽 制 せ ん と す る行 動 な りと 認 め ら る ゝも之
4
となかるべし
を 見 る こと な か る べ しと 観 察 し あり 二、 在 京 親 日的 中 国 人等 は 本 問 題 は 中央 政 府 の喇 嘛 教 徒 圧 迫 よ り発 せ る事 件 に し て満 洲 国 及 冀察 に影 響 あ る を以 て中 央 も強 圧 手 段 に出 づ る事 なく 近 く 徳 王 と の間 に何 等 か の形 式 によ る 妥協 を な し事 件 終 熄 す る に至 ら ん と な し あ り
綏 東問 題 は如 何 に 日本 が背後 関 係 な き こと を声 明 す るも戦 術
一、 駐 日中 国大 使 館 員 等 の観 察 を 綜 合 す れ ば 次 の如 し
の苛 斂 誅 求 を 中 止 せ ざ る限 り事 件 の解決 は 困難 な ら ん も中 央 政 府 が
徹 底 的 武 力 弾 圧 に出 でん か満 洲 国 及 冀 察 辺 境 の攪乱 を意 味 す る を以 日支 交渉 に於 て中 国 側 が北 支 問 題 に対 す る 日本 の要 求 を許 容
2
て 日本 よ り の抗 議 を 考慮 す る要 あ り為 に南 京政 府 に於 て も内 蒙 軍 の
兵 器 等 より 見 て援 助 し あ る は否 み得 ざ る も のな り
せず と 雖 も 日 本 が初 志 を放 棄 す る筈 な く今 回 の綏 東 事 件 も北 支 五
討 伐 に苦慮 し つ ゝあ る処 な るが内 蒙 軍 が綏 遠 省 内 の政 権 を確 保 せ ん と す るが 如 き行 動 無 き限 り何等 か の形 式 を以 て徳 王 の宗 教 的 勢 力 を
次
先 官
軍務 、整備、兵務局長
軍務、法務局長
第 二部 長
( 了)
認 む る こと ゝな り 近く 円 満 な る妥 協 成 立 し綏 東 問 題 は終 熄 す る も の
送
と認 めらる
発
参謀 次長
陸 軍 大臣
海軍 大 臣 第 三部 長
軍務、兵務課長
軍令部次長
1
二七
綏 遠 問 題 に就 て
滬情報機密第 二二号
一、内蒙族と傅作義 争執 の事情
京津方面にて見聞 せし綏遠問 題左 の如 し
綏遠問題 に就 て
西北方面共産軍と討伐軍図
内蒙軍及中国軍対峙図
内蒙討伐 の中国軍
綏 遠 事件 に 関す る海 軍情 報 記録
昭和十 一年十 二月六日上海 ︹ 脩︺ 佐藤 中華 民国在勤帝国大使館附 武官 本情報 は綏遠時局に鑑 み特 にA諜者を北平方 面に派遣報告せしめ
蒙古各旗と綏遠傅作義と の争執は今 日に初 まりし に非ず 山西軍 の 一
蒙族 の対南方交易が綏遠側 に阻碍 された るに因 る
何 れも他属 に侵略圧迫 された るに因 る
綏遠進出以来 のことにして由来する所 は
一、内蒙族と傅作義争執 の事情
二
次
二、両軍 の衝突と其 の発展性
山西軍 の綏遠進出 に因 りて五原包頭を通じてなされ つつある阿
目
たるも のなり
三、中央軍 の増援情 況
三
等 が数え られ之等 の争執 は宋哲 元の河北入り に伴 ふ察北 よりの撤退
八百万元に達し其 の収入を山西軍 に独占 され つつある こと
綏遠は熱河察 哈爾等と共 に内蒙 古 に属 し蒙古旗族 の地盤なるに
四、華北各軍 の態度
片 の取引を阻碍され亦寧夏方面 より同処を通過する阿片 は年約 二千 論
五、共産軍と の関係 六、結
附 内蒙各軍駐 地及番号
古 独 立 の形 勢 に ま で進 展 し た る為 国 民 政 府 は蒙 蔵 委 員 会 をし て極 力
と な り漸 次 綏 遠 省 境 に逼 り て傅 作 義 と の関係 悪 化 し昨 年 に至 り内 蒙
に悩 み つ つあ り て各 々 一長 一短 あ り積 極 的 策 戦 に困 難 な る如 き も蒙
る内 蒙 軍 の実 力 は増 強 中 な る如 く 先 づ 百靈 廟 の奪 回 企 図 し中 央 軍 は
参 加 の外 若 干 の特 務 工作 員 の指 導 あ る程 度 な る如 く 従 て現 在 に於 け
軍 の目 標 と す る所 は附 図 赤 線 の地点 に 達す る にあ り 中央 軍 亦熱 河 省
商 都 攻 略 を 揚言 し つ つあ り蒙 軍 の兵 力 単 弱 な る に比 し 中央 軍 も寒 気
境 に達 す る察 北 六縣 の奪 回 に あ りと 云 は れ 両者 が果 し て其 の目 的 達
慰 撫 の結 果 徳 王 を中 心 と す る蒙 政自 治 委 員 会 を組 織 せ し めた るが 事
り 方振 武 、 石 友 三、 孫 殿 英 、劉 桂 堂 等 の残 部 隊 を 聚 集 し て軍 隊 の拡
成 を強 行 せ んと す る に至 れば 戦 争 拡 大 し事 態 紛糾 免 れざ る べ しと 観
実 上 は吾 内 蒙 工作 の指 導 下 に本 年 五月 軍 政府 を組 織 し冀 察 山 東 等 よ
を示 し た る 為 一方 山 西 軍 に於 ても 興和 、 紅 格 爾 圖 、陶 林 を、 前 線 と
の砲 兵 師 を沿 線 各 地 に配 置 す る等 全 力 を該 方 面 の防 備 に充 当 せ し為
於 ては 趙 承 綏 の率 ゆ る騎 兵 師 を 二個 師 に拡 張 し て前 線 に配 置 し周 玳
軍 の救 援 に よ り又 囂 々と し て起 れる綏 遠 援 助 の輿 論 を 背 景 と し て蒋
は 中国 の領 土 な り領 土 内 の問 題 は中 国 に於 て解決 す ると 声 明 し 山 西
内蒙 軍 は今 回 の挙兵 は中 央 と 無 関 係 な り と声 明 せ しも 中央 は内 蒙
三 、 中 央 軍 の増援 情 況
張 に力 を注 ぎ徳 王 を擁 し て李 守 信 、 王 英 、 包 悦 郷 等 次第 に西 進 の勢
し て平 地 泉 、綏 遠 、 包 頭 間 に ﹁ト ー チ カ﹂ 式 防 禦 工 事 を施 し 一千 八
測 さる
従 来 の政 治 的争 執 は漸 次 軍 事 的 対 立 に化 し冬 季 に乗 じ て蒙 古各 軍 の
介 石親 ら洛 陽 に鎮 座 し て山 西 、 山東 に飛 び武 力 対 抗 の姿 勢 を示 し 中
百 万 元 を投 じ た りと 云は れ (山 西代 表 の在 滬 公 表 せ る も の) 最 近 に
西 進開 始 さ れ遂 に両 軍 決 裂 す るに至 れ り
央 軍 八個 師 及 空 軍 、 高 射 砲 隊 、 重砲 隊 、装 甲 列車 、 装甲 自 動 車 隊 等
な る如 し
四 、 華 北各 軍 の態 度
斯 か る大 仰 な る出 兵 は蒙 古 軍 の背後 に吾 日本 軍 あ りと 解 す る が故
々参 加 し つ つあ り尚 各 地 軍 隊 を も増 援 の情 勢 なり
二、 両 軍 の衝 突 と 其 の発 展 性 内 蒙 軍 は其 の軍 事 行 動 開始 に際 し徳 王 の名 を 以 て中 央 に抗 す る に 非ず 傅 作 義 の悪 政 と 圧 迫 に抗 し之 を打 倒 せ んと す る も の な る事 を 宣 言 し前 記交 易 に関 す る 問 題阿 片 特 税 の分 配 問 題保 安 隊 の不法 解 決 問 題 等 々を 数 え 十 一月 中 旬 頃 よ り 漸 次綏 遠 内 部 に進 出 す る と共 に飛 行
配 なく 彼 等 の 口吻 で は各 々其 の地盤 内 に波 及 せざ る限 り 動 く を欲 せ
宋 哲 元 、萬 福 麟 、 韓 復榘 等 の各 軍 は目 下 の処 該 戦 線 に参 加す る気
傅 作 義 は徳 王 の通 電 に反 駁 し て 応戦 し蒙 軍 の進 出 部 隊 を東 部 紅 格
機 八台 参 加 す る に至 れ り
は内 蒙 軍 中 央 軍 の中間 に立ち 進 退 両 難 の事 情 に介 在 し若 し 中央 軍 に
ず 地 方 保 衛 を 口実 に傍 観 せ んと す る にあ る如 く 察 哈 爾 劉汝 明 の立 場
にあ り劉 軍 の動 静 は 延 て冀 察 全 局 に波 及 す る懸 念 あ る如 し
し て察 北 進 出 の挙 に出 づ れ ば共 同 策 戦 を強 要 さ る べく 既 に其 の気 配
爾 圖 に撃 退 し 十 一月 二十 三 日 には西 部 百靈 廟 を占 領 し蒙 軍 に 一大 打
今 回 内蒙 軍 の行 動 に は我 天 津 軍 、関 東 軍 共 に直 接 的援 助 な く従 来
撃 を与 え 戦 闘 は 暫時 中 止と な れ り
内 蒙 工作 と し て扶 翼 し来 れ る結 果 と し て相 当 精 鋭 な る 武 器 と飛 行 機
武 振
百楽
升
〃
〃
〃
〃
凉 州 に竄 走 し張 學 良 の東 北軍 、 王 以哲 の部隊 及 中 央 軍 之 を圧 迫 中 な
団
儒
兵
騎
圖門
生
五、 共 産 軍 と の関 係
郭 彬
〃
駐商都
駐商都
蒙 古 特務 隊
陳
山
済 廣
騎 兵 第 一団
尹 寶
劉
騎 兵第 二団
第 一師 々長
る が 其 の他 の毛 澤 東 賀 龍等 の部 隊 は寧 夏 、 甘粛 、陜 西 三省 々境 に蟠
歩 兵 第 三団
共 産軍 は目 下 其 の朱 徳 等 の率 ゆ る 一部 は 甘粛 寧夏 省 境 を 西 北 沽浪 、
居 し 最 近東 南 部 方 向 に移 動 し つ つあ る如 く 、何 柱國 、 干 學 忠 の率 ゆ
第 二 師 々長
る東 北軍 及 陜 西 軍 、 中 央 軍 、寧 夏 軍 等 に て包 囲 中 な る が該 両 部 隊 の 存 在 は 向後 中 央 軍 の綏 遠 方 面策 戦 に尠 な から ざ る障 碍 な る べく 華北
門
〃
朱 恩
五
騎 兵第四団長
樹 槐
騎 兵第五団長
〃
に て伝 へら る る所 に依 れ ば 張學 良 と 新 疆 盛世 才 と の間 には 完 全 な る
徳 泉
〃
諒 解 成 立 せ りと 云 はれ 猶 疑 問 な る も少 く も過 去 の張 學 良 の態 度 は徹
玉 崑
康 宝
〃
國
駐寶 昌
崔
亜
井
劉
振 若
歩 兵第七団長
慕 新
王
歩兵第八団長
歩兵第 六団長 第 三 師 々長
歩 兵第九団長
底 的 討伐 を な さざ りし に徴 し共 産 軍 の、 殲滅 は期 し難 く 有 力 な る中
論
積 極 的 行 動 に支障 を来 す べし
央 軍 の集 中 も綏 遠 問 題 中 日問 題 の為 不可 能 な る現 状 にて は両 者共 に
六、 結
綏 遠 問 題 は内 蒙 軍 の黄 河線 進 出 中 央 軍 の熱 河線 進 出 が目 標 な る 以
李
呉
錦 章
忠 考
〃
〃
張 北
歩 兵 第十 団
上 紛 糾 は永 続 発 展 性 あ る事 勿 論 延 て華 北 各 省 よ り中 日全 面 的 衝 突 へ
歩兵第十 一団
月 庭
と悪 化す る恐 れな き に非 ざ る も目 下 の情 勢 よ り観 察 す る に内蒙 軍 は
包
有 力 な る満 洲 軍 或 は 皇 軍 の援 助 な き限 り所期 の目 的 達 成 不 可 能 な る
第 四 師 々長
如 く中 央 軍 亦 山 西 東 北 軍 間 の不和 共 産 軍 の跋 扈 、華 北 各 軍 の不 一致
〃
徳
呉 〓
先
五
王
庭
〃
駐徳化
胡
王
〃
某
王
第 十 三 団
第 二 軍 々長
尹 紹
第 十 四 団
五
某
〃
〃
〃
砲 兵 旅 々長
北
張
駐地張北
雲
第 五 師 々長
騎兵第 四師 々長
李
昌
勝
歩兵第十 二団
等 の為 陣容 の整 備 に は相 当 の時 日 を要 す るも の の如 く 加 ふ る に軍費
内蒙各軍駐地及番号
兵
守 信
各 軍 の編成 及 駐 地
李
団
砲
丁 其
問 題 、防 寒 具問 題 等 々猶 急 速 に積 極 的 策 戦 に移 り得 ざ る も の の如 し
一
直 轄 部 隊
第 一軍 々長
第 六 師 々長
第 七 師 々長
第 八 師 々長 第 三 軍 々長 第○○師 々長
騎 兵 一旅 長
騎兵第二旅長
振 瀛 〃
第 第
六
四 五
団
団 団
未
常 壽 王 鳳
詳
義 鈞
〃
〃 〃
〃
干
第
普 〃
恩 民 〃
第 十 五 団 化 駐徳化
包 陳 圖
第
一
張
家 驥
〃
団
済 才
白 國
柴 志
権
阜
〃
〃
〃
駐 尚義
駐張北
〃
王 子
修
団
団
三
団
団
龍
烈
〃
第 十 六 団 正
三
田
印
二 第
四
金 甲
第
馬 玉
宋 子
包
歩兵第 二旅長
歩兵第 一旅長
第 十 七 団 原駐 百靈廟
第 十 八 団 穆克 登宝 未 〃
〃
第 十 九団 長 〃
詳
第 二 十 団長
第
一
団
趙 維 第
団
独 立騎 兵 師 原駐商都
二
駐馬群
〃
郷
〃
悦
第 二十 一団長 包 王 英 (現改大漢義軍総長)
三
歩 兵 聯 隊
李
劉
玉
某
才
〃
〃
駐張北
第
騎 兵 聯 隊
三
第 芝 義
軍
原駐南壕 塹 常
亜
商 都
団
慶
務
張 宝 特
興
〃 〃
雲 如 萬
〃
白 生
団 趙
中
四
団
健
第
立
大
南壕 塹
独
李
甲 趙
蒙古保安隊
金
〃 第 二支隊
騎兵第 一支隊
〃
〃
世 海
美
卓
某
張
子
尚 義
林
隊
寳
朱
一
隊
隊
〃 第 三支隊
第
二 美
五
四
隊
隊
隊
沽
徳
康
源
化
徳
昌
北
〃
三
〃 第 四支隊
某
第
何
第
〃 第 五支隊
〃
駐南壕塹 蘇
第
六
竜
団
〃
第
第
山 子 経
〃
一
張
〃
玉
団
凱
石
二
曹
第 第
団 佑
三 楊 克
第
李 英
王
守 信 〃 六、○○ ○
二 各 軍兵 数 一 軍 王
徳
六、〇〇○
第 二 軍
約
第 〃 六、○○ ○ 〃 二、○○○ 〃二〇、○○○
第 三 軍 興亜軍其他 計 三 軍隊 の素質 李守信 の部隊は稍 々戦闘力 を有するも王英、包悦郷等 の部隊 は旧 方振武孫殿英劉桂堂等 の残部 にして所謂匪軍 に類す るも の大多数 な り、其他内蒙土着軍 の多く は訓練乏しく実戦 の経験なき為戦闘力 な しと 云はる 内蒙 軍討伐 の中国軍 包頭︱百靈 廟
王 靖 國
十 師
孫
七
第
傅 作
一、在綏遠山西軍 (総指揮傅作義) 一
山西騎兵第 二師
騎 兵 二個 師
第
仙
王 萬
第 八十九師 (一部) 王 仲
第七十九師 (一部) 焚 松
騎 兵第 七 師
周 祥
李
氷
麟
初
州
齢
廉
甫
岳
師
鉄甲車隊 一列車
四
門 炳
第 二 十 一師
鐘
山西省内 に在 るもの
綏遠到着部 隊
第 四 十 三師
朱 懐
郭
高射砲隊三個中隊
第 二十 八師
二、援綏中央軍 (総指揮陳誠) 一
二
第 九 十 四師
三個中隊
歩兵八個師
欧
高射砲隊
源
以上中央軍合計
澄
楊 効
義
長 勝
第 七 十 三師
楊
綏 遠 一帯
第六十 九 師
第 六十 六師
二
李
楚
一列車 李 服
玳
鉄甲車隊 第 七 十 二師
孫
芳
平地泉 一帯 、陶林、紅格爾圖、興和 を前線とす 第 六 十 八師
周
楊 耀
三、在山西、山西軍
四、翼察方面各軍 (以下目下 の処直接関係なし)
一旅
重砲隊参加 せりと の事 なるも内容不明 第 百 〇 一師
斌
膺 山 西 砲 兵 一師
彭 毓
生 達
山西騎 兵第 一師
独立旅団
第 七 十 一師 砲 兵 一個 師
歩 兵 五個 師
三
以上計山西軍
一 察
哈 爾
第 二十九軍 河北 方面 第二十九軍
二
第 五十五軍
第 三十 八師
第 三十 七 師
第百四十三師
張 登 禹 繆 徴 流
張 自
馮 治
劉 汝
忠
安
明
(京津)
(保定)
(張家 口)
第 百二十九師
孫
黄
堂
徳 〓
光 華
周 福
済
郷 一帯
順徳以南
正 定 一帯 よ
呉 剣
第 百三十九師
朱 肯
平
第 百三十 二師 第 百十 六 師
第 百十 九師 呂
成
第 四 十 一師
騎兵第四師 商 震 部
第 四十 二師
林 章
( り 河北南部
第百 二十 一師
築 民
桐 萱
孫
韓 復榘 谷 良
揮
第 二 十 師
曹 福
指
第 二十 三師
李 漢
総
第 二十 九 師
展
書 堂
第 七十 四 師 旅
第 八 十 一師 旅
兵 省 防
騎
復
第三十 三軍
五、山東 方面各軍 第 三路 軍
韓
)
隊
西北 辺 防 軍委 会 組 織 と対 蒙作 戦
手 槍
2 のイ
支 那 側 の入 手 せる 内蒙 軍 の情 況
桑 原
( 諜者報)
2 のロ
燕秘情報第 一六号
中華民国在勤帝国大使館附武官輔佐官
昭和十 一年 十二月六日
重 遠
陳誠は蒋介 石 の密令を受け て綏遠 に於 て西北各将領と西北辺防軍
一、西北辺防軍委会組織と対蒙作戦
事委員会組織 に関し協議中なりしが毎月中央 より三十万元山西より
誠
十万元計四十万元 の補助を仰ぎ綏遠省政府内 に
蘇龍
湯恩伯
阿
門炳岳
義
達密凌
趙 承綬
作
王靖國
傅
彭毓斌
陳
鈞
委員 長
義
副 委員長
曾延毅 大
閻錫山
作
第 二処 (参謀)
第 三処 (経 理)
王
委
傅
錢
員 秘書 長
兼任
参謀 長
第 一処 (秘書)
とする委員会を組織す ることに決定を見たり該委員会内 には
第四処 (政治)
第 五処 (軍務)
第六処 (医務)
蒙旗政治訓練会
化学兵器研究会
防空 設 計 会
民団 訓 練 会
自 衛 指 導 会
八 、蒙 旗 偽 匪 の潜 伏活 動 勢 力 を撲 滅 す
七 、商 都 嘉 卜 寺 を 回復 目 標 と す
六 、 百靈 廟 より帰 綏 平 地 泉 に至 る西 方 陣 地防 禦 工事 を厳 重 に守 備す
五 、平 綏 線 より嘉 卜 寺 (徳 化) に至 る交 通 を封 鎖 す
四 、商 都 張 北 よ り 百霊 廟 に至 る交 通 を 接 断 す
三 、蒙 旗 に政 治 訓練 工作 を 施 す
二 、平 綏 線 によ る 日商 の偽 匪軍 器 輸 送 を厳 重 に防 止 す
一、 察 哈 爾 劉汝 明軍 と 聯 合 し て偽 匪 防禦 に当 る
各 委 員 を召 集 し て第 一回 秘 密軍 事 会 議 を 開 き
防 共 指 導 会
九 、平 綏 線 列車 運行 の保 全 は察 軍 と 協 議協 力 す
を設け各処長 は晋綏将領及中央より派遣 に俟 つこととし別 に
交 通 委員 会
︹切 ︺
政 治宣 伝 会
作 綬
國
義
に移 る ことと せ り
進 め 商都 回復 問 題 に関 し ては察 主 席 劉 汝 明と 協 議 し た る後 実行 運動
等 に つき協 議 し陳 誠 は常 に綏 遠 に於 て指 揮 を と り嘉 卜 寺 進 攻 計 画 を
一〇 、防 空 設 備 充 実と 自 衛 団保 安 隊 改 善 を図 る
傅 承
靖
を設置し之 が 一切 の運用指導並 に機能行使 は暫時綏遠省政府に於 て
王
一 二 、防 共 設 備 及 清共 工作 の徹 底 を期 す
第 一路指揮部 趙
尚 辺防 軍 委 員 に無線 電 台 一台 を 設置 し て毎 日帰綏 よ り太 原 洛 腸南
一 一、陸 軍 野 戦病 院 を設 立 し 且防 毒 設 備 を完 備 す
第 二路指揮部
達 密凌 蘇 龍
京 に直 接軍 情 を報 告 せ しめ る と共 に各 地情 報 を 接 受 せ し め て軍事 工
号は在来 のも のとす るも別 に
第 三路指揮部
伯
代行する こととせり尚軍事委員会 の指揮下に属する各軍各師旅 の番
第 四路指揮部 湯
の各指揮部を設け軍事委員会の命令を受け各師各旅 を管轄 せしめ中
作 の完 壁 を期 す る こと と せる が中 央 よ り は已 に援綏 軍 事 費 と し て 二
恩
予備 指 揮 部
央 より四百三十名 の政治訓練員を密 に南京より綏遠 に軍事機密工作
輸送しあり
又洛 陽 鄭 州 よ り毎 日綏 遠 にむ け飛 行 機 にて軍 器 爆 弾 及文 書 宣伝 品 を
最 近 大同 帰綏 間 の自 動 車 路 も完 成 し 軍 器輸 送 活 溌 な る情 況 を 呈 し
十 七 日上海 にあ る孔祥 煕 より 十 五 万元 を 送付 せし め た り
一月二十八 日陳誠 は傅作義 、王靖國、趙承綬、湯恩伯、門炳岳、曾
補佐官と して派遣 し軍事指導工作 に当らしめる こととせるが去 る十
二、支 那 側 の入手 せる内 蒙 軍 情 況
のため派遣し洛陽軍官学校分校 よりは五百名を選抜 して各軍 の幹部
延毅、彭毓斌、達密凌、蘇龍 、閻錫山代表楊愛源 、阿王代表某等 の
嘉 卜 寺 (徳化 ) の内蒙 軍 は前 後 二 回 に亘 る犯綏 計 画 失敗 せ した め
せ る軍 器 糧秣 及 特 種 設 備額 約 四百 万 元計 約 一千 万元 の巨額 に達 し 関
内 訌 を生 ぜ り而 も百靈 廟 に遺 棄 せ る軍 器 約 六 百 万元 前 線 に於 て損 失
東 軍 よ り幹部 の責 任 問 題 を追 究 せら れた る為幹 部 内 に動揺 を来 し綏
田旅 団 の幹部 二 百名 を 指 導宮 と し て 入隊 せ し め軍 事 防 守 工作 の指 導
遠 軍 に投 降 せ んと す る 兆す ら 生 ぜ り目 下 関東 軍 よ りは 承徳 駐 屯 の伊
を な さし め つ つあ り 一方 満 洲 軍彭 康年 騎 兵 部隊 一千 五 百名 は已 に多 倫 よ り商 都 にむ け 集 結 を終 り野砲 兵 部 隊 約 六 百名 も商 都 に集 結 し て 一挙 綏遠 を衝 か ん と す るも の の如 く 平綏 線 の中 断 蒙 古保 安 隊 を 利 用 し て平 地泉 占 領 を
て十 二月 四 日 を期 し て攻 撃 に移 る こと に決 せ り嘉 卜 寺 にあ る李 守信
目 的 と す る平 綏 線 進出 商 都 嘉 卜 寺間 の交 通 封 鎖 の防 止 等 を目 的 と し
王英 の各部 隊 を再 編 成 し第 一路 は飛 行 機 騎 兵 集団 と の連合 作 戦 に依 る 百靈 廟 の奪 取第 二路 は 平 地泉 占 領 を目 的 と し て商 都 の前 進 部 隊 と 合同 し て平綏 西 部 攻 撃 に転 ぜ し め 王英 部 隊 は暫 時 将 来変 動 あ りし場 合 の防 止 予 備 部 隊と し て嘉卜 寺 に駐 屯 せし む る こと と せ り 蒙 古自 治 防 共 政府 は 二十 六 日嘉卜 寺 に復 活 し 徳王 の代 理と して 雲 王政 務 を主 持 し 徳 王 は目 下嘉 卜 寺 を去 る百 五 十 里 の哈 拉具 沁 旗 にあ り 日本 側 は徳 王 の態 度 を厳 重監 視 しあ り
二八
支那特報第 十七号
緩 遠 問 題
︹ 編 者 註 ・昭和 十 一年 十 二月 十 二 日在 北 平 桑 原 輔 佐官 の報 告 を そ
次
の儘 複 製 し て配 布 し た も ので あ る。︺
目 第 一、 王 英 軍 の綏 東 侵 入 開 始 迄 の経過
(昭和 十 一年 十 二月 二十 八 日
軍令部)
昭和 八年 関 東 軍熱 河 に入 る や新 に帰 順 せ る熱 河 土 着 軍 旅 長 李 守 信
は 関東 軍 の後 押 し に て支 那 軍 を圧 迫 省 境 線 を越 え多 倫 に進 出 、 察 東
義 勇軍 と称 せ り爾 来 多 倫 は察 哈爾 経 略 の前 進 根 拠 地 と な り茲 に綏 遠
二、長 城 以北 察 哈 爾 支 那 軍 撤 退 に関 す る 日支 軍 事 協 定
問 題 の 一種 子 は蒔 か れた り
張北 事 件 (列 国 軍 事 及 国 情 第 二巻 、 昭和 十 一年 三 月 刊行 三九 三頁
は れ支 那 軍 隊 は長 城 以 南 に撤 退 を開 始 した るが 更 に本件 に附 随 し保
参 照) の善 後 処 理 と し て所 謂察 哈 爾 交 渉 (土 肥 原 、 秦 徳純 協 定 ) 行
第 二、 王 英 軍 の綏 遠 侵 入 の蹉 鉄 第 三、 支 那 側 の援 綏 運 動 と 綏遠 問 題 を繞 る通 電 ( 声 明) 戦
三 、蒙 人 保安 隊 の縣 城 入 城 と 李守 信 軍 の西 進
る特殊 保 安隊 出 現 す る に至 れ り
同 察 北 の治 安 維 持 に任 ず る こと と な り同 時 に察 東 には 王 道 一の率 ゐ
家 口に於 て調 印 され 之 に基 き て蒙 人 保 安 隊 は 新 に支 那側 保 安 隊 と 協
安 隊 問 題 に関 す る所 謂 松 井 、 張 允 栄協 定 な るも の 一〇 、 八 、 五、 張
第 四 、綏 遠 問 題 に対 す る翼 察 政 権 の態 度 第 五、西 安 事変 の勃 発 と 綏 遠 問 題 の 一段 落
綏 遠 問 題 第 一、 王 英 軍 の綏 東 侵 入 開 始迄 の経 過 所 謂綏 遠 問 題 の真 相 把 握 は 極 め て 困 難 に し て其 の詳 細 は 不 明 な る
前項 協 定 に依 り熱 河 方 面 に於 て編 成 せら れ た る蒙 人保 安 隊 は漸 次
らむ と す る や察 省主 席 張 自 忠 は主 と し て左 の理 由 に依 り之 に反 対 せ
察 北 に進 入、 各 県 城 (沽 源 、賓 昌 、 康 保 、 徳 化 、 張 北 、商 都 ) に入
悉概 ね次 の如 き経 過 に依 る王 英 軍 の綏 東 侵 入 を以 て事 件 の導因 を造
一、 李 守 信 軍 の多 倫 進 出
れり
り 各縣城内 には蒙 人 一人 も居らざれば斯 る地域 に蒙人保安隊 を入 るるは却 て問題を紛糾せしむるに過ぎず 蒙人保安 隊は蒙 人居住 地域 (水草を追 うて転 々し定住 せず) に 駐すれば足 る 斯く て問題は重大化し 一〇、 一 二 、六予 て多倫 に待機 しありし李 守信軍 は関東 軍飛行 機 の協力 を得 て察北 に進出、寳昌、沽源等 に於 一方同年十 二月中 旬北平 に於 ては翼察政務委員会成立 せるが此 の
て支那側保安隊と戦 闘を交 へ之 を南方 に圧迫 せり
察哈爾盟
左翼 四旗
( 翼)
正藍旗 鑛白旗 正白旗 〓黄旗
(旗 名 )
{
右翼 四旗
正黄旗 正紅旗 〓紅旗 〓藍旗
(旗名県城)
張 北 、沽 源 、多 倫
部
寳 昌 、康 保
南
豊 鎮 、 集 寧 (平 地 泉 )、 陶 林 、 涼 城 、 興和
省区分
察哈爾省
察哈爾省
盟結成 に依 り蒙 人治蒙 の気勢昂 るや南京政府 は 一一、 一、 二五国民
而し て本蒙 政会 の実権 を握 れる徳王は漸 次日満依存 に傾き察 哈爾
綏遠 省
而 して李守信軍 に就 ては何等言及す る処なかりしも李軍 は蒙人保
政府令を以 て綏 省境内蒙政会組織条令を発布 し之 を行政院 に直 隷せ
従来百靈廟 には内蒙自治政府た る蒙政会あり
五、綏遠省境内蒙政会 の成立
安隊掩護推進 の為西進を続け 一二、 二 一無抵抗 にて張北 に入り支那
機 に於 て土肥原、秦 徳純 を通じ 日支間 に諒解成 立し支那側 は前記松 井、張允栄協定を確認し蒙 人保安隊 の各縣城入城を承認せり
保安隊 は李軍 に押 され て長 城以南 に撤退 せり
しめ日満倚存 の察 哈爾盟及 百靈廟蒙政会と対抗 し以て内蒙 に於ける
本蒙政会は二、二三綏遠 に於 て傅 作義、徐永昌 (閻錫山代表)等
其 の勢力 の存続 竝に日満勢力 の綏遠 波及を阻止 せんと企図せり
四、察哈爾盟 の結成 察哈爾 には北部 に錫 林郭勒盟 ありて五部十旗を統轄 し南部察哈爾 には所謂察哈爾八旗存在せるも盟 の組織なく且支那側は此 の地域 に
各代表張北 に集合し左記察哈爾盟 を結成、蒙人保安 隊長卓 圓巴札布
るや蒙人治蒙 の自治 的欲求高調 され 一二、 一、二三所謂察哈爾八旗
帰化 土黙特旗
伊克 昭盟所属各旗
烏蘭察布盟所属各旗
本蒙政会 に所属すべきは
参列 の下 に盛大なる成立式 を挙行 せり
盟長 に就任し大 いに気 勢を挙げ此 日徳王は特に百靈廟 より張北 に飛
綏東 五縣右翼 四旗
然 るに李守信軍 の進 出と共 に漢人保安隊撤退し蒙人保安隊之 に代
縣城 を築 き縣政を布 き蒙 人は何等政治的発言権なかりき
来卓盟長 に印綬を授与 せり
にして察哈爾盟下 に在 る綏遠 省内豊鎮、集寧 (平地泉)、陶林 、涼城
興和等 の各県 竝に察哈爾省内商都 を包含す、是 れ南京政府 の察哈爾
三以来徳 王は西蘇尼特 に内蒙軍政府 を樹立 し居たり) 徳王之 が主脳
内蒙軍 政府成 立以来長城以北 の察 省は完全 に支那側 の羈絆 を脱 し
一〇、内蒙自治軍 の拡 充
関東軍 の指導 に依 り日満倚存 に邁進し李 守信 の第 一軍 は張北方面に
となり李 守信軍 政長官と なる
一一、二、 二一 百靈廟蒙政会教導隊 約四〇〇名 は綏遠省側 の煽動
於 て漸次拡充され八月 に至 り兵力約六〇 〇〇余名 に達 し 一方予 て熱
盟結成阻止 の意図 あるを如実 に表明せしものと謂 ふべし
に依 り兵変 を起し兵 器を奪 ひ、我特務機関を襲撃 し無電台を破壊し
六、百靈廟教導隊 の兵変
綏遠 に逃走 せり傅 作義は右叛乱丘ハを庇護 し叛乱首謀者 を重用 せり
を以て武装編成 の上漸次察哈爾 省に送られ八月上旬概 ね徳化方面 に
河省内 に於 て公募中なりし第 二軍は七月末約五〇〇〇余名と なりし
集中 を了 し茲 に内蒙自治軍 の完成綏遠経略部隊 の集中を了 せり
四月八 日国民政府は政府令 を以て綏遠省境内蒙政会職員 の百靈廟
七、百靈廟蒙政会 の綏遠撤退 蒙 政会職員兼務 (註)を禁じ且百靈廟蒙政会綏遠内 に在 るは不合理
地区 に〓 踞中 なりし処其 の本隊は素 々劉桂堂石友三等雑匪軍残党 の
張允栄松井協定 に依 り創設せられたる王道 一の特殊警察隊 は察東
一一、王道 一部隊 の綏東侵入と王英 の蹶起
糾合なるを以て内紛絶 えず七月下旬 一部兵変 を起せ るが王道 一は 一
斯くて百靈廟蒙政会 は名実共 に消滅 し蒙政会 は日満僑存 の内蒙軍
となし其 の察哈爾移転 を命 ぜり 政府 (百靈廟蒙政会 の後 身と も見 るべく徳王を申心とす る機関にし
茲 に於 て同 方面に〓踞中 の豪族王英は新 に関東軍 の諒 解を得 て王
部下 の為 に暗殺せられたり
部隊と数次 の小衝突 を惹起せ るが王部敗退 し次 で兵変起 り王道 一は
斯くて王部 は八月中旬より行動 を起 し綏東方面に在 りし趙承綬 の
を以て王部 の綏遠進出考 を企図せしめた り
依 つて関東軍は統制を乱す を惧れ将来綏遠 工作 の素因を作る意 図
至 れり
部 を率 ゐて察西に移動南部方面 に蝟 集し李守信軍と確執を生ず るに
て徳化 にあ り) と支那倚存 の綏省境内蒙政会 に分裂 せり ( 註) 内蒙各旗盟長は何れも両蒙政会委員なりしも兼務 を禁 ぜる を以 て百靈 廟蒙政会 は単 に錫林郭勒副盟長たる徳王及察哈爾盟 関係者 のみとなれり 八、全内蒙 王公会議 一一、 四、二四関東軍 の指導 に依 る全内蒙 王公会議は西烏 珠穆沁 王府 に於 て開催 され 一致団結蒙人治蒙 の気勢を昂げ たり 本会議 には察哈爾綏遠 寧夏 の各盟旗長 (或は代 表者)何 れも出席
道 一の部隊を糾合し兵力約六〇〇〇名を得 て潜 に綏遠侵入 の機熟 す
せるが右 に依 る綏遠省内蒙 政会職員等 の参加は蒙 人が如何 に首鼠両 端なるかを示すと共 に 一方又戒心を要 する点なりとす
第 二、王英 軍綏遠侵入 の蹉跌
るを待 てり
一一、五、 一二正式 に徳化 に内蒙 軍政府組織 せられ (一一、全、
九、内蒙軍政府 の樹立
二、 一〇大廟 は遂 に支那軍 の手 に帰 せり此 の場合邦人多数 の戦 死者 を出せり
十月上旬以降綏遠侵入 の機 を窺 ひあ りし内蒙 自 治 軍 及 大 漢義 軍
せる中央空軍 は第 一線部 隊約 六十機以上 に達せり
題を繞 る通電 (由 戸明) 戦
第三、支那側 の援綏運動と綏遠問
十 一月上旬綏東 の風雲急 を告ぐるや支那 一般 の援綏運動翁然と起
漢人土匪軍約六、〇〇〇
王 (漢人二割、蒙人 八割)
尚綏遠作戦 の為十二月初頭迄 に北上 (主力洛陽、 一部太原方面)
当時 に於け る兵力概 ね左 の如 し 兵力約 一 二 、〇〇〇
(王英部) は十 一月中 旬愈 〓結氷期 に入ると共 に行動 を開始せり 総司令徳王
軍長徳
第 一軍 軍長李守信 (漢人八割 、蒙 人二割)
内蒙自治軍
十二月上旬 に於ける内蒙軍及支那軍 の兵力配備概 ね附図 の如し
イ 第 二軍
り各 地に綏遠剿 匪救護委員会等 の後援会続 々と して成立し言論機関
大漢義軍 (第三軍)軍長王英
斯く て王英軍 の 一部 は先づ百靈 廟 の前進根拠 地に進出し他 の 一部
は筆) を揃 へて輿論 の喚起 に異常 の努力を払ひ義捐金 の募集、赴綏 慰
ロ
々地歩を占め二十日頃 を期 し 一斉 に固 陽、武川、陶林 の線 に進出、
は鳥蘭花妾 の線 に出 で李守信は商都 より西進、紅格爾圖を占領、着
問使 の派遣等 に狂奔せるが国 民党中央宣伝部 は十八 日に至り左記要 各級党部 に発令 せり
旨 の ﹁国 民貢献 一日所得 運動推進弁法﹂を頒布し之 が実施方を全 国
包頭、綏遠、卓資山を占領 せんと企図 せるも のの如 し 然 るに支那側 の防備施設意外 に堅固 にし て其 の士気易れ るに反し
一、各 地党部及政府は本運動促進 の為同様名称 の委員会 を組織すべ
烏合 の衆団 たる蒙古軍は全く戦意無く支那軍 の反撃 を受け 二十四日 前進根拠 地たる百靈廟占領され多大 の軍需品を敵手に委 ぬるに至れ
二、個人は 一日 の所得、会社商店 は 一日の営業所得 を又機関、学校、
し
右 に関 し十 一月 二十七日 の南京方面漢字紙は 一斉 に百靈廟克服 の
り
三、民衆 及地方 の有力者 に義捐 を勧誘 し集金 は総て中央財政委員会
団体等は 一日 の事務経費 を献金 すべし に送付すべし
詳報 を掲げ某方 の大元帝国建 設計画 の大陰諜暴露せりと宣伝すると 無電 機数台 、自動車数台、﹁ガ ソリ ン﹂五〇〇余箱、麺粉 一万余袋其
共 に同地占領 の際大砲七、八門、機関銃十余挺、弾薬 一〇〇〇余箱、
日支交渉 の鍵 は確 に日本側 に在 り最 近偽匪軍大挙辺境 を侵す こ
更 に中央宣伝部は二十日に至 り
と日に滋く国民 の感情激発し綏察 軍事に対す る関心は日支交渉 よ
茲 に於 て内蒙軍 は作戦計画を 一変 し、王英軍は百靈 廟 の北方を迂
の他石炭糧食多数獲得 せる旨特筆大書 せり 廻し て五原に向 はんと し李守信軍は新 に大廟 (錫拉穆林廟) を根拠
りも遙 に大なり
今 日の綏東問題は侵犯者 が何者たるを問 はず国家民族 の仇敵 な
とし百靈 廟奪 回を企図 し飛行機は連 日百靈廟 に爆撃を加 へたるも王 英軍麾下 の寝返り等 に勢力を得たる支那軍 は却 て積極的に進軍 し 一
り
を 有す る を以 て内蒙 の防 共 自 衛 の聖 戦 に対 し て は多 大 の同 情 を寄
す る も のな り今後 綏 遠 問 題 の情 勢 如何 に依 り万 一満 洲 国 の利害 に
影響 す る に至 ら ば 必要 な る処 置 を 講ず べ し
前 線将 士 に対す る物 質 的 精 神 的支 援 は絶 対的 に し て国 家 の前 途 は楽 観 し得 る処 な り中 央 党 部 は 全 国人 民 が 募捐 運動 遂 行 弁 法 に則
右声 明 に対 し 国 民 政 府 外交 部 は
領 土 主 権 の維持 は国 家 生 存 の必 須条 件 にし て何 れ の第 三者 も 又
り 国 家 に貢 献 せむ こと を希 望 す
し て此 の種 非 法 の侵 犯或 は 干 渉発 生 せば 必ず 全 力 を尽 し て防 衛 し
如 何 な る 口実 を 以 てす る も 侵 犯或 は干 渉 す る を許 さず 万 一不幸 に
と の重 大声 明 を発 表 せ る が南 京 政府 当局 は此 頃 よ り極 度 に神経 を尖 らし 一般 の抗 日輿 論 は愈 〓硬 化 し て さ なき だ に行 悩 みあ り し 日支 交
宜 し く輿 論 の力 を集 め て之 を援 助 す るは熱 烈 な る協 和 会 精 神 の発
正義 の軍 を進 め つ つあ り吾 人 の大 理想 は全 蒙義 軍 の措 置 と 一致 す
内 蒙 義 勇 軍 は決 然 起 つて共 禍 の絶 滅 を期 し 凡 ゆ る苦 難 を顧 みず
談 話 を発 表 し て内蒙 軍 援 助 を 表 明 せ り
又満 洲 国 張 国 務総 理 は協 和 会 長 の資 格 を以 て十 月七 日左 記 要旨 の
以 て国 家 の職 責 を尽 さむ の み
渉 は其 の前 途 益 〓光 明 を失 ふ の情 勢 と な れ り 茲 に於 て帝 国 は 二 十 一日外 務 当 局 談 の形 式 を 以 て 左記 を 声 明 せ り 満 洲国 接 境 地 方 に於 け る事 態 に関 し て は帝国 の常 に関 心 を有 す る所 な る も今 次 綏東 方面 に於 け る 内蒙 軍 と 綏 遠 軍 と の衝 突 は 内蒙
軍 の行 動 に対 し て は政府 は固 よ り軍 に於 て も何 等 援 助 を与 へお ら
露 な り吾 人 は内蒙 軍 に対 し 義金 を募 り其 の聖業 の大 成 を 祈 る も の
古 側 と綏 遠 側 と の紛 争 に し て帝 国 の関 す る処 に非ず 従 つて内蒙 古
ざ る こと勿 論 な り
﹁ア ー ベ ント ﹂ に対 す る喜多 武官 談 と し て大 文 字 に記 載 さ れ
し 援 助 を与 へ察 北 に於 て大 規 模 の軍 事 学 校 を 設 立 し て蒙 古 軍 を訓
日本 が綏 東 問 題 に関連 せ るは事 実 にし て 日本 軍 人 が蒙 古 軍 に対
た る も の の要 旨
イ
左記 記 事 に依 り其 の片 麟 を 認知 す るを 得 べ し
飜 つて 支那 側 の言 論機 関 の動 向 は 十 一月 二十 四 日南 京 各 支 那紙 の
なり
然 る に 一方 我 が関 東 軍 当 局 に於 て は十 一月 二十 七 日 左 記要 旨 の声
内 蒙 軍 の蹶起 は防 共自 衛 の為 め已 む を得 ざ る手 段 にし て其 の目
明 を発 し てそ の立場 を闡 明 せり
的 と す る所 は 日支 両 国 の緊 切 な る国 策 と 一致 す るを 以 て関 東 軍 は 内 蒙 軍 の行 動 に関 し多 大 の関 心 を有 し 其 の成 功 を願 ふと共 に万 一 満 洲 国 接壌 地方 にし て 本戦 乱 の影 響 に依 り治 安 攪 乱 せ ら れ累 を 満
練 し 飛 行機 ﹁タ ンク ﹂鉄 甲 車 及 軍需 品等 を売 渡 せ る事 実 あ る を語
洲 国 に及 ぼ し若 く は 支 那 全土 赤 化 の危 機 に瀕 す るが如 き事 態 発 生
るべ し
す る に於 て は関 東 軍 は適 当と 認 む る処置 を講 ず る の已 む なき に至
り 要す る に 日本 は蒙 古 を其 の統治 下 に置 かん とす る も のな る こと
を率 直 に認 め た り 云 々
尚 満 洲 国 政府 外 交 部 も 左 記 要旨 の声 明 を発 表 せ り 満 洲 国 は赤 化 勢 力 の侵 略 に対 し ては 全 力 を挙 げ て 抗争 す る決 意
新 民報 及 中 国 日報 の右 に関す る論 説
イ
婉曲 に中央 の申出を拒否 し保境安民を標榜し て内蒙軍 が冀察
月 二十 九 日及 十 二月 一日 の両 回 に亙 り之 が対 策 を練 り た る結 果
軍 を攻 撃 せざ る限 り厳 正 中 立 を維 持 す るを根 本 方 針 と し
ロ
ロ
日本 外務 省 は綏 東 問 題 には 日本 は関 係 な し と声 明 す る 一方 関 東 軍 は 断然 援 助 を 声 明 せ りと の説 伝 へられ 矛 盾 の折 柄 喜多 武官 の談
尚 平 綏 鉄 路 局 は関 係 各 部 に対 し 十 一月 二十 六 日以 降 日本 人 の貨 物
概 ね意 見 の 一致 を見 た る も の の如 し
冀東問題 の処理は将来 の時機到来 を待 つて之 に着手す べき旨
若し中央軍 が商都 に入るが如き事態発生 せば同地は察省 に属
話 は 之 に断 定 的 結 論 を 与 へた るも のに し て其 の効 や大 な り と謂 ふ
す るを 以 て察 省 自 ら 之 が 防 止 に当 る こと に決 定 し
ふ ると 共 に 一方 日本 が其 の侵 略 的野 心 を世 界 に公表 し世 界 人 士 の
輸 送 を停 止 し 若 し該 貨 物 あ る場 合 は鉄 路 局 に報告 し其 の承 認 を経 た
ハ
べし
﹁疑 惑 ﹂ を 一掃 した るを欣 ぶ も のな り 日独 同 盟等 に も顧 み綏東 問
吾 人 は綏 東 問 題 が 全 く国 家 存 亡 の重大 問 題 な る を痛 感 し 之 を憂
題 は実 に支 那 民族 生 存 の為 の血 戦 の序 幕 な り 日支 交 渉 の如 き 断 然
る後 之 を輸 送 す べ しと の内 命 を 発 し た り
哈 爾 省 への進 出 を 企 図 せ る も の の如 く支 那 陸 、 空軍 の増 援 赴 綏 日 と
綏 遠軍 の大 廟 占 領 (十 二月 十 日) に勢 を得 た る支 那 側 は 進 ん で察
第 五、 西安 事 変 の勃 発 と綏 遠 問 題 の 一段 落
之 を打 切り綏 東 問 題 の解決 に当 ら ざ るべ か らず 云 々 第 四 、綏 遠 問 題 に対す る冀 察 政 権 の態 度
戈 定遠 (宋 哲 元 秘書 長 ) 等 北 支 将 領 以下 国 府 要 人 を集 め て対 日態 度
し が偶 々勃 発 せ し西 安 事変 は全 支 を挙 げ て其 の渦中 に投 じ内 外 の視
共 に滋 く な り之 に対 し 内蒙 軍 は潛 に雪 辱 の師 を 起す べ く準 備 中 な り
蒋介 石 は杭 州 に於 て 十月 十 六 日 よ り両 三 日 に亙 り韓 復榘 、徐 永 昌 、
を 協議 す ると 共 に綏 遠 問 題 対 策 を講 究 せ るが 更 に同 二十 二 日西安 に
対 し綏 遠 軍 撤 退 の勧 告 を発 し 次 で十 八 日附 に て国 民 政 府及 冀 察 政 権
徳 化 に副 司 令卓 王及 李 守 信 、 王英 等 を 招 集 対策 を練 り先 づ傅 作 義 に
茲 に於 て作戦 の行 悩 み に苦 慮 しあ り し 総 司令 徳 王 は 十 二月 十 五 日
聴 は斉 し く之 に集 中 せら る る に至 れ り
飛 行 し て 張學 良 、 閻 錫 山等 と 会 同 更 に熟 議 を 遂げ た る が之 等 に依 り 各 地将 領 を し て斉 し く中 央 擁 護 の態 度 を益 々強 固 な らし む ると共 に
尚 将 介 石 は 十 一月 十 七 日太 原 に於 て山西 省 側 要 人 と綏 遠 問 題 に関
民衆 の抗 日意 識 を煽 る ことと なれ り
し協 議 を行 ひ 十 八 日午 後 太 原発 洛 陽 に帰 れ り、 斯 く て支 那 側 の対綏
に対 し
図 らず も兇 変 を見 る に及 び中 央 を し て北 顧 の憂 な から し め討 逆 に
吾 人 の軍 事 行 動 は蒙 古 民 族 生存 の方 途 を 解決 す る にあ る も茲 に
救出 の 一日も 速 か な ら ん こと を期 待 す
張 學 良 の背 叛 は蒙 古 官 民 の斉 しく 痛 憤 す る と こ ろ にし て蒋 介 石
態度 は愈 〓積 極 化 し前 述 ( 附 図 参 照 ) の如 く中 央 軍 大兵 団 及 中 央 空 軍 の援 綏 北 上 と な りた るが 一方 蒋 介 石 は宋 哲 元 に対 し綏 遠 問 題 に対 す る宋 麾 下 第 二十 九軍 の協 力 竝 に冀 東 の武 力 回収 に関 す る密 令 を発
茲 に於 て宋 哲 元 は張 自 忠 、 馮治 安 、 劉 汝 明等 の幹 部 を 召 集 し十 一
した り
専 念 し 得 る如 く 暫 く 対綏 軍 事 行 動 を中 止 す べ し と の停 戦 通 電 を発 せ る が越 え て二 十 二 日 に至 り徳 化 蒙 古 軍 総司 令 部
共 産 主義 の排 撃 に関 し て は綏 遠 、山 西 両 当局 も吾 人 と同 一意 見
当局 は左 記 要旨 の内 蒙防 共 宣 言 を 発 し て其 の意 のあ る処 を表 明 せ り
な るべ し と 確信 す 、 従来 防 共 の熱 意 と其 の手 段 に於 て吾 人 と 一致 せざ るも のあ り遂 に兵 火 を交 へた る も今 や中 国 は西 安 事 変 を契 機 と し て容 共 と排 共 の 二大 分野 に分 る る に至 れ り故 に吾 人 は 暫 く 戈 を収 め て綏 遠 及 山 西 の自 覚 を 促 す と共 に排 共 工作 に協 力 す る覚 悟
の協 同 工 作 を拒 否 す る に於 ては 断 乎再 び矛 を 取 り て其 の猛 省 を促
な り若 し 両 当局 に し て依 然 と し て従来 の態 度 を持 続 し大 乗 的防 共
一方 支 那側 に於 て も対 西安 工作 の為 北 上援 綏 空 、陸 軍 の西 安 方 面
さ んと す
への移 動 集 中 を命 じ て続 々所 属 部 隊 を南 下 せし め た る が閻 錫 山 、傅
軍 進出 せざ る限 り現 状 維 持 の状 勢 を以 て暫 時 行 動 を停 止 す る こと に
作 義 は十 二 月 二十 五 日太 原 に於 て対内 蒙 戦 事 に関 し協 議 の結 果 内蒙
側 に於 て は綏 遠 及 山西 側 と 地 方的 政 治 解 決 を計 り つ つ百靈 廟 は政治
決 し た りと 伝 へら る斯 く て綏 遠 問 題 は 茲 に 一段 落 の情 勢 と な り 内蒙
的 手段 に依 り之 が奪 回を 企 図 し支 那 軍 隊 が察 哈 爾 省 内蒙 古 に侵 入 せ ざ る限 り我 方 も亦兵 を動 か さざ る の根 本 方 針 を以 て情 勢 の変 化 を 静 視 し つ つあ り
二九
殿
海軍省軍務局長 軍令部第 三部長
旅順 要港部機密第 四四号
旅 順 要 港部 参 謀 長 )
一機 墜落 一名 死 亡 (原 因 不明)
十 一月初 中 旬
二回出 動
一
綏 遠 事 件 に於 け る本 飛行 隊 行 動 は蒙 古軍 を支 援 し 主 と し て其 の
件
関 東 軍 は 満空 を し て満 洲 国国 防 の第 一線 の 一部 を担 当 せ し め つ
欧亜 航 空 連 絡 は 新彊 省 に入 る こと 不 可 能 の為 停 頓 の状 況 に在 り
今 次 の綏 遠 行 動 も 関東 軍 の指 令 によ る こと 勿 論 な り
の予定 な りと
満 空 国光 号 (ダ グ ラ ス) は目 下 包頭 に到 着 せ る も故 障 の為 近 く 還送
二
つあ り て平 時 の訓練 も之 に合 す る如 く実 施 し つ つあ り
一
四 、雑
絡 を実 現 せ んとす る に在 りた り
方 面 に航 空 路 を開 拓 し包 頭 よ り更 に哈 密 (新 彊 ) に至 る欧亜 航 空 連
威 嚇 によ り 赤 化勢 力 東 漸 を防 止 し綏 遠 軍 を避 退 せ しめ 且 つ綏 遠 包 頭
二
三、 行 動 概 要
残 り全部 も最 近山 撤退 の予定 な りと 謂 ふ
但 し 一月 二十 日頃 一部 (人 員 十 七名 飛 行 機 三 ?) 撤 退 帰 還 せ り
張 北 及 商都
(昭和 十 二年 二月 三 日
綏 遠 事 件 参 加 飛 行 機 の行 動 に 関 す る 件 通 報
首 題に関 し今回別紙 の如き情 報入手致候条御参考迄 別紙 綏遠事件参加飛行機其他 に関す る情報 (出所 の関係上特秘)
川井 田義匡 (予備陸軍航空兵少佐当時満洲航空株式会社
制
昭和十 一年十 一月綏遠事件蒙 古軍側飛行機 に関し獲得せる所 左の 一、編
如し 令
都築徳 三郎 (予備陸軍特務曹長当時満空大連支所長)
司 副 司令
約八十名 (内乗務員約半数)
(以下満空と略称す)運航部長) 隊 員
最初 は約十五機 を派遣せしも戦勢不利 の為更 に約八機を
増派す (﹁スーパ ー﹂ を主力とし戦闘機八八式偵察機 を加ふ)
飛行機
二、配 備 地 点
三 綏遠省 に於ける蒙古軍傅作義軍共 に現在 は事件前 の位 置に復帰 し休戦 状態 にありと
三〇
針
内蒙 時 局対 策案
︹ 編 者 註 ・昭和 十 一年 十 二 月 十三 日策定 ・軍 務 課中 間 案 ︺ 方
二 、支 那 軍 にし て進 で察 哈 爾協 定 を侵 犯 す る に於 ては 日満 両 軍 は所
但 其行 動 の範 囲 は右 目 的 達 成 の為 の最 小 限 に制 限 す
要 の兵力 を以 て該協 定 を擁 護 す
三、 第 一項 警 告 に係 らず 支 那 軍 に於 て撤 兵 に関 し何 等 の措 置 を行 は
一、成 る べく 速 に蒙 支 両 軍 の軍 事 行 動 を 停止 し努 め で事 件 前 の態勢
ざ ると き は内 蒙 軍 政 府 を し て錫 盟 察盟 を範 域 と す る自 治 政 府 樹 立 の
四、 内 蒙 軍 の百靈 廟 回 復 は敢 て干 渉 せず
但 其 量 は 別途 研 究 す
為 経 費 、 兵 器 を支 給 す
宣 言 を な さ しめ 日満 両軍 は其 支 柱 と し て崩 壊 を防 ぎ 、 且 之 が強 化 の
に復 せ し め錫 盟 察 盟 を範 域 と す る内 蒙 自 治 政府 の樹 立 を表 面化 し 、
領
右 に関連 し察 哈 爾協 定 は絶 対 に確 保す
日満 両 国 に於 て之 を 支援 す
要
五、 ( 参 本 と同 じ)
一、 帝 国 政府 よ り南 京 政府 に対 し ﹁支 那 軍 は 速 に軍 事 行 動 を停 止 し
を過ごす に於 ては日満共同防衛上其影響甚大 にし て黙視 し難く新 な
其部隊を原配置 に撤退せしめ内蒙 の事態を平静ならしむべく荏然 日
内蒙軍をして ﹁共匪討伐蒙 民開放以外他意 なく強 て軍隊 を以て威
る事態 の発生に対し其責貴方 にある﹂旨警告す 圧す る に於 ては適 法 の措 置 を執 らざ るを得 ざ る﹂ 旨 宣言 せ しむ
又天津軍を通じ冀察政権をして綏遠政権に対 し撤兵特に百靈廟 開 放 に付施策 せしむ
方
三 一
針
西安事 変 対策 要綱
帝 国 は 依 然 既定 の対 支 方策 を堅 持 し実 現 を 期 す ると 共 に特 に公正
(昭和 十 一年 十 二月 十 四日
陸 軍 省)
四、 内 蒙方 面 に対 し ては既 定 の方 針 に基 き 施策 す ると 共 に内 面政 治
工作 によ り綏 遠 政 権 を 反共 に導 き 蘇聯 の潜 在 策 動 を封 ず
五、 學 良 挙兵 の声 明 に照 し稍 もす れ ば対 日空 気 の悪 化 を来 し在 来 帝
国居 留 民 並 に権益 の侵 害 せ ら る る の懼 必ず しも な し と せざ るを 以 て
な る態 度 を 以 て本 事 件 に臨 み支 那 民 心 の把 握 に遺憾 な から し む 然 れど も 南京 政 権 其 他 各 地政 権 が 従来 の政 策 を是 正す る こと なく
六、 列 国 此 の機 に乗 じ売 恩 的行 動 によ り南 京 政 権 其 他各 地政 権 等 の
斯 る情 勢 に於 て は機 を失 せず 自 主 の手段 を取 り得 る如 く準 備 せ し む
領
更 に抗 日反 日 思潮 激 化 し 帝国 居 留 民 の安 全 又 は在 支権 益 を 侵 害 せ ら
要
て厳 に警 戒 し 此 の如 き場 合 は所 要 の警 告 を発 す
歓 心 を買 ひ以 て東 洋平 和 を 阻害 す るが 如 き 企図 な きを期 し難 きを 以
る る が如 き事 態 に到 れば自 衛 権 の発 動 を躊 躇 せず
一、今 次 事 変 に対 し て は従来 の方 針 を変 更す る の要 なく 既 定 の外交
内 外各 機 関 は 言 動 の公 明 に留意 す
方 針 竝 に対 支実 行 策 を 踏 襲推 進 し事 態 の推 移 を監 視す る を要 す 此間
二 、此 際 帝 国 の防 共 態 度 を 一層 明 か にし 且従 来 南 京 政 権 の対 内 外 政 策 が 一般 民 衆 の幸 福 を助 長 した る所 以 を鮮 明 に し以 て其 指 導 に遺 憾 な き を期 す 三 、北 支 各 政 権 に対 し て は厳 に其 動 向 を 監視 し第 二次 北支 処 理 要 綱 の実 現 を期 す る と共 に機 を見 て防 共 協 定 の範 囲 を五 省 に及 ぼす こと を 期す
方
三二
針
内 蒙 軍 整 備 要領 案
(昭 和 一
一、
一二 、 一九
中間案)
四、 内 蒙 軍 の編 成 に当 り て は錫 盟 、察 盟 在 住 の蒙 人 を 以 て之 に充 つ
図 る も のとす
る を原 則 と す従 て興 安 省 よ り募 兵 せし者 は為 し得 る限 り漸 を逐 て裁
昭和 十 一年 十 二月 十 三日 策 定内 蒙 時 局対 策 要 領 に基 き錫 盟 、察 盟
り 無償 交 付 す る も のと す
六 、編 成 の為 必要 な る特 種兵 器 はな し得 る限 り中 古品 を関東 軍 等 よ
別 に此 際 裁 兵 の為 四 十 万 円 以内 を臨時 支給 す
支 給す
五 、内 蒙 軍 強 化 の為 当 分 の内 日満 両 国 よ り年 額 合 計 三百 万 円 以内 を
兵復 帰 せし む る も のと す
領
(綏 東 四旗 を 除 く) を範 域 とす る内 蒙 の防 衛 並 治安 確保 の為 帝国 軍
要
指 導 の下 に特 に団 結鞏 固 な る内 蒙 軍 を 整備 す
一、現 有 兵 力 編 組 を速 に改 組 し 関東 軍 の指導 の許 に其 の強 化 を期 す
一隊
二、 内蒙 軍 の総 兵 力 は 約 八、 〇 〇〇 と し左 の如 く 区 分 す
三師
隊
親
衛
李 守 信 軍
七 、内 蒙 軍 現 下 の実 情 に鑑 み之 が指 導 は 差当 り其 重 点 を訓 練 に指向
む るも のを主 眼 と す
し内 蒙軍 を し て其 の防 衛 竝 治安 確 保 の為 の実 力 を 保有 す る に至 ら し
三師
王
軍
徳
自 動 車 隊 (若干 の戦 車 、 装甲 車 を含 む) 及 通 信
各 師 の兵 力 は 概 ね 一二〇 〇騎 とす
隊 別 に飛 行 機 若 干 を保 有 せし む
特 種 部 隊
右 の外 一般 政 務 費 支 辨 に よ る若 干 の保 安 隊 を保 有 せ しむ
に裁 兵 す る も のと す 又 日本 人顧 問 の数 を減 少 し特 に人件 費 の節 約 を
三、 内 蒙 軍 の改編 に当 り ては量 よ りも質 の向 上を期 し過 剰 人 馬 は速
内 蒙 軍 整備 要 領 案
昭和 一二、 一、 二 五
省部決定
( 綏 東 四旗 を除 く) を範 域 と す る内 蒙 の防衛 並治 安 確 保 竝 に 日蘇 戦
一、 昭和 十 一年 十 二月 十 三 日策 定 内 蒙 時 局対 策 要 領 に基 き錫 盟 察 盟
に団 結鞏 固 な る内蒙 軍 を整 備 す
争 の場 合 に処 す る謀 略 部 隊 の基 幹 た ら し む る為 帝 国 軍 指 導 の下 に特
二 、内 蒙 軍 の総 兵 力 は概 ね 一 一、 〇 〇 〇 を標 準と す 三 、内 蒙 軍 の編 成 に当 り ては成 る べく 錫 盟察 盟 在 住 の蒙 人 を 以 て之 に 充 つる こと に努 め興 安 省 よ り の募 兵 は 逐 次削 減 す るも のと す 四 、 内蒙 軍 の整 理 並強 化 の為 日満 側 よ りす る所 要 経 費 等 に関 し ては
内 蒙 軍 の整 理並 強 化 の為 日満 側 よ りす る所 要 経 費 に就 て
別 に示す
一、 来年 以降 の永 続的 経 費 と し て は 三百 五 十 万円 (満 洲 国 辺 防 費 共) を使 用 し得 る如 く中 央 に於 て了解 す 二 、兵 器 、 被 服 の現品 交 附 に関 し て は従 来 関東 軍 に於 て実施 し ある
備
考
範 囲 に於 て実 施 す
一、 今年 限 りと し て満 洲国 辺 防 費 中此 方 面 に対 す る割 当額 の外 百 二
二、 所 謂特 別 費 は 爾今 絶 対 に使 用 せず
十 万 円 以内 を中 央 部 に於 て考 慮 す
三三
昭和 十 二年 一月 二十 六 日
宛
徳
機
長
ニ中 央 ニ対 シ誠 意 ヲ表 ス ル意 味 ニ於 テ蒙 古 側 ハ前 線 部 隊 ヲ全部 後 退
公 平 ナ ル解 決 ヲ為 ス ニ就 テ ハ蒙 古側 ハ必 ラ スヤ其 ノ命 ニ従 ハン、 茲
ア ラ バ相 互 商 議 セ ン云 々﹂ ト ノ電 文 ニ接 シ感 激 ノ至 ニ堪 ヘス中 央 カ
事 件 収 拾 ニ関 ス ル徳 王 通 電
発信者
セ シメ ント ス、 仍 テ中央 ハ綏遠 軍 当局 ニ命 令 シ蒙 古 側 ト 同様 前 線 部
関東 軍 参 謀 長
二十 三 日徳 王 ノ支 那 側 ニ対 スル通 電 内容 次 ノ如 シ
隊 ヲキ ンガ イ 地点 迄 後 退 ス ル様 取 計 ラ ハレ ン コト ヲ望 ム
シ蒙 古 ヲ襲 撃 ス ルカ或 ハ共 産匪 ト結 託 シテ陰 ニ蒙 古 地 ヲ擾 乱 セ ハ蒙
ノ紛争 ヲ解 決 ス ル ニ難 カ ラ ス万 一綏遠 当局 カ蒙 古 側 ノ撤 兵 ノ際 ニ乗
然 ル後 今 回有 事 前 後 ノ意 見 ヲ提 出 シテ中 央 ノ裁決 ヲ得 ハ今 回 事件
︹マ マ︺
今 次 蒙 綏 ノ戦 事 タ ルヤ確 ニ綏 遠 省 カ蒙 古 ヲ圧 迫 シ苛 酷 ナ リ シカ為
大 局 的見 地 ヨリ自 ラ停 戦 シ此旨 十 二月 十 七 日中 央 ニ対 シ電 報 セ シ後
古側 ハ自 存 自衛 ノ為 ニ余 議 ナ ク相 当 ノ防 衛 ヲ加 ヘサ ル可 カ ラ ス此 ノ
ニ起 レ ルモ ノ ニシテ西 安 事件 発生 スル ヤ蒙 古 側 ハ国 家 ヲ擁 護 ス ルノ
ハ蒙 古軍 ハ其 旨 ヲ堅持 シテ戦 事 ニ従 事 セサ リ シ事 実 ハ十 二月 電 報 ニ
ヤ中央 ノ威 信 及 蒙 古 ノ前 途 ニ関係 スル コト大 ナ ルモ ノ アリ特 に注意
際 ニ於 テ戦 禍 ノ責任 ハ当 然綏 遠 当 局 ノ負 フ可 キ モノナ リ此 ノ事 タ ル
ヲ賜 ラ ン事 ヲ乞 フ尚南 京 ニ来 タ リ面 会 セ ヨト ノ事 ナ ル モ撤 兵 監 督 ノ
テ通 報 セ ル通 リ ニ シテ貴 方 ニ於 テ モ首 肯 シ得 ル事 ト信 ス、 此 処 ニ於
戦 線 ハ最早 戦 事 無 ク極 メ テ平 穏 ナ リ、 然 ル ニ綏 遠 側 ハ今 猶 全 線 極
際 ナ レ ハ南 京 ニ赴 キ難 シ了 承 ヲ乞 フ次 第 ナリ
テ綏遠 当局 ハ戦 時功 績 ノ美 名 ノ下 ニ将 士 ニ対 シ慰 労金 ヲ下 賜 セリ
メテ危 急 ヲ告 ケ ツ ツア リト ノ詭 辨 ヲ弄 シ中 央 及 国 民 ノ主張 ヲ惑 ハシ
( 終)
メ国 民 ハ遂 ニ之 ヲ真 実 ナリト ナ ス ニ至 レ リ此事 タ ル ヤ蒙 古 側 ノ誠 ニ 遺 憾 ト ス ル処 ナ リ
日 ク ﹁蒙綏 ノ戦 事 ハ確 ニ蒙 辺 ノ局部 的 問 題 ト認 ム若 シ善 後 ノ検 討
偶 々 ﹁何 ﹂部 長 十 八 日 ノ電 報 ヲ報 ス
三四
(昭和 十 二年 一月
関 東軍 参 謀部 )
蒙 古 工作 の過 去 の経 緯 及 将 来 に於 け る 軍 の方 針
古 民族 を 日満 側 に依 存 せし め 且支 那 共 産 軍と ﹁ソ﹂ 聯 の勢 力 圏 た る
関東 軍 蒙 古 工作 の目 的 は多 年 漢 民 族 の圧制 下 に呻 吟 せ る西 部 内蒙
手中 に掌 握 せ ん こと を 企図 し綏 遠 省 に於 け る王 英 の潜 勢 力 を 利 用 し
斯 種 障 碍 を排 除す ると共 に其 財 政 的根 拠 を確 立 せ ん が為 綏 遠 省 を其
せ んと し 屡 々百靈 廟 蒙政 会 根 拠 地 を脅 威 す 茲 に於 て内 蒙 古 軍政 府 は
右 に対 し綏 遠 側 は 綏境 蒙 政 会 を創 設 し て軍政 府 勢 力 の拡 大 を阻 止
外蒙 と の聯 結 を 阻 止 し満 洲国 の治 安 を 確保 す ると共 に進 ん で外蒙 を
第 一、蒙 古 工作 の過 去 の経緯
懐 柔 し以 て我 対 ﹁ソ﹂ 作 戦 準備 の完 了 に資 せ んと す る に在 り
原 に進 出 せ し む る に当 り 近 く前 面 に進出 し来 りあ り し傅 作 義 軍 の 一
成功 せず 遂 に十 一月 初 旬 に至 り謀 略部 隊 王英 軍 を し て其 旧根 拠 地 五
傅 作 義 政 権 に対 し脅 威 を 与 へ之 を 平和 裡 に合 流 せ し め んと 策 せ し も
の謀 略 部 隊 た る李 守 信 軍 を改 編 し て其 内 容 を充 実 し 一方 特 務 機 関 を
之 が為 昭和 十年 四月 頃 よ り逐 次 活溌 に工作 を進 め同 年 八 月在 多 倫
西蘇 尼 特 に派遣 し当 時 の蒙 政 会 の中 心 人物 た りし 徳 王 の把 握 に努 め
外 長城 以北 の察 哈爾 省 ヲ蒙政 会 の手 に収 めた り、而 し て十 一年 一月
線 以北 に約 十 三 万 の兵 力 を 集中 し約 一ケ 月 に亘 り各所 に戦 闘 を 交 へ
支 外 交 々渉 を 牽制 す る目 的 を併 せ て全 国的 に排 日気勢 を煽 り内 長 城
右 に対 し 支 那側 は内蒙 軍 の背 後 に日本 軍 あ りと し偶 々実 施 中 の日
部 と 不期 の遭 遇戦 を惹 起 し 茲 に軍 事 行動 を開 始 す るに至 れ り
に は察 哈 爾 盟 の成 立を同 年 二 月 には 西蘇 尼特 に蒙 古軍 政 府 の成 立 を
同 年 十 二月 冀察 政 務 委 員 会成 立す る や 土肥 原 、 秦徳 純 協 定 を締 結 し
見 たり
運動 の旗 幟 を 緩和 し 次 の如 き方 針 の下 に内 蒙 工作 を強 化 す る に決 せ
全 蒙 古 地 帯 の蒙 古 民 族 を 糾 合 し之 が大 同 団 結 を図 らん と せ る汎 蒙 古
軍 は西 安 事 変後 に於 け る中 央 の指 示 と今 次事 変 の実 績 に鑑 み従 来
第 二、 将 来 の方 針
一勝 一敗 の後 西安 事 件 の勃 発 に依 り茲 に停 戦 を見 るに 至 れ り
十 一年 四 月 よ り軍 は 積極 的 に内 蒙古 軍 の充 実 を図 る に決 し軍 政 府
へ約 一万 三 千名 の内蒙 軍 隊 を 編 成す る に決 し 八 月概 ね其 編成 を完 了
を徳 化 に移 転 す ると共 に軍 及 満 洲 国 よ り月 額 約 三十 万元 の補 助 を与
せり
り 方
針
関東軍と冀察政務委員会と の間 に締結せる土肥原秦徳純協定 の庇 て将来 に於け る対内蒙政策 の中心勢力 たら しむると共に日蘇戦争 に
掩 の下 に内蒙古軍を整理改編し専 ら訓練 を行 ひ其実力充実 を計 り以 際 し日本軍 の謀略部隊たらしむ 緊急 処理要領 一、内蒙 古軍 の停戦 は自主的 に行ひ綏遠、山西、南京其他 の支那側 政権 に対 し特別 の工作 を行 ふ ことなし 二、支那側 にし て察哈爾協定 を侵犯 せる場 合は之 が確保 のため関東 軍 は断乎実力 を行使 して之を排除す 本項は要すれば予め支那側 に軍 の態度を認識せしむ 三、王英、張復堂等 の謀略部隊 を概 ね二月上旬迄 に解散す 四、謀略部隊解散後内蒙軍政府をして要す れば平和宜言を行 はしめ 内蒙 古軍 の平時配置 に移駐 せしむ 五、此間内面指導 に依 り軍政府 の改組 を行 はしめ以上 の目 的に副 ふ 如 く内容 を強化 し完全 に日満側 に依存せしむ 第 三、平時状態復帰 の為 の解決 工作 特務機関等 の事変前 の現状復帰 に関しては急速 に之れが実現 を図 ること は困難なるも支那全般 の形勢 に即 応し つつ逐次綏遠及寧夏 地 方政権 に工作し つつ防 共 の見 地に基き日満 依存 を図 り之 れが実現を 期 せんとす
秘
次
一
三五
電
長
報
宛
昭和 一 一、 一 一、 一九 、
官、次
河
野
中
佐
綏 遠 事 件 情報 陸 軍 電
太原
太 原 出 発 洛 陽 ニ帰 レリ
一、 蒋 介 石 ハ昨 十 七 日 不意 ニ山 西 省 側要 人ト 綏 遠 問 題 ニ関 シ協 議 ヲ 行 ヒ十 八 日午 後 一時 半
二、 山 西 省 要 人 ハ飽 ク迄 綏 遠 ヲ固 守 セサ ル ヘカ ラ サ ル旨 ヲ 一般 ニ宣 伝 シ十 七 日 ﹁ 救 国捐 保管 委 員 会 ﹂ ヲ組 織 シ 一般 ノ献 金 ヲ募 集 シ各 学 校 等 ニ於 テ食 事 ヲ減 シ或 ハ其 ﹁スト ーブ ﹂ ヲ消 ス等 ノ手 段 ニ依 リ醵
昭 和 一 一、 一 一、 一九 、
二
金 シ ツ ツ アリ
秘
次
電 官 、次
報 長
宛
北平
松
室
少 将
綏 遠 事 件 ニ関 シ北 平 学 会 ハ活動 ヲ開 始 シ李 石 曾 、蒋 夢 麟 等 ノ教 授
連 モ援 綏 運動 ヲ発 起 シテ綏東 抗 敵後 援 会 ヲ組 織 シ各 学校 ハ積 極 運 動
報
長
北機
松
室
少
将
ヲ開 始 シ減 食 ﹁スチ ー ム﹂ ノ停 止 等 ヲ行 ヒ将 士激 励 ノ義 捐 金 ト 為 ス
電
官 、次
宛
昭和 一 一、 一 一、 一九 、
三
等 其 運 動 漸 次 拡大 シツ ツ ア リ
秘
次
西 田顧 問 ノ冀 察 側 ヨリ得 タ ル情 報
一、北 平師 範 燕 京 清 華 東 北 各 大 学 々生会 ハ綏 遠 ノ情 況 切迫 ニ鑑 ミ南
二 、曩 ニ南 京 政 府 カ綏 遠 、寧 夏 、 甘 粛 、青 海 、陝 西 ニ於 テ外 僑 ノ退
京 ニ電 報 シ速 ニ重 兵 ヲ派 遣 シ綏 遠 ヲ救 助 セ ン コト ヲ要 求 セ リト
次
官、次
電 長
報 宛
関東軍 参謀 長
イ 日本 人 ニ シテ退 出 ノ要 求 ニ応 セ サ ル者 ハ圧迫 又 ハ暗 殺 セ ラ ル
蒙 古 軍 側 ヲ援 助 シ抵 抗 セ ル日本 人 ハ滞 留 ス ル ヲ得 ス
送 シツ ツ ア リ又 武 川 ニ在 リ シ傅 作義 ノ騎 兵 ハ数 日来 撤 退 ヲ開始 シ現
七 十 粁 ) ニ向 ヒ自 動 車 ヲ以 テ省 政府 内 ノ諸 物 品 軍 需 品 及 揮 発油 ヲ輸
百 靈 廟 ヨリ ノ通 報 ニ依 レ ハ近 日来 綏 遠 ヨリ托 克 托 ( 綏 遠 ノ西 南 方
ロ
出 ヲ各 国 ニ通 告 シタ ル真 ノ目 的 ハ
ル モ支 那側 ニ於 テ 一切 其 責 ヲ負 ハスト ノ意 ニ他 ナ ラ ス
佐
秘
次
六
電
長
報
宛
昭和 一 一、 一 一、 二 七、
官 、次
上海 大 使 館 附 武官
ノ 集結 ヲ開 始 セ リ
中
在 二連 ヲ駐 屯 ス ルノ ミ ナ リ、 固 陽 五 原 地方 ノ 王靖 国 軍 モ包 頭 ニ兵 力
宮
海 市 党 部 方 面 ヨリ得 タ ル情 報 ニ依 レ ハ蒋 介 石 ハ中 央 党部 ニ対 シ ﹁綏
全 国 的援 綏 運 動 ハ南 京 政府 ノ指 導 ニ依 ルモ ノ ナ ル所 当 方 諜 者 カ上
遠 問 題 ハ其 解決 ノ如 何 ニ依 リ抗 日 ノ目 的 ヲ達 ス ヘキ絶 好 ノ機会 ナ リ
雨
三、 平綏 鉄 路 局 長 張 維 藩 ハ機 務 車務 両 処鉄 路 工場 及 警察 所 属 人 員 ヨ
四
報
長
宛
昭和 一 一、 一 一、 一九 、 電
官 、次
十 六 日夜 ヨリ十 七 日 ノ朝 ニ亘 リ興 和 商都 両 地 ニ激 戦 ア リ蒙 古 軍 飛
茲 ニ全 国 一致団 結全 力 ヲ挙 ケ テ同 方 面 ノ戦 闘 ニ援 助 ヲ与 ヘ蒙 古軍 ヲ
南京
リ壮 丁 ヲ選 抜 シ之 ニ軍 事 訓 練 ヲ施 シ中 央 ノ指 令 ヲ待 チツ 、アリ
秘
次
行 機 ハ焼 夷 弾 ヲ投 下 セ リ同 軍 ノ企 図 ハ王 英 軍 カ綏 北 ニ前 進 スル側 面
新 聞 報 (綏 遠 十 八 日電報 )
ヲ掩 護 ス ル為 我 方 ノ戦 略 ヲ擾 乱 ス ル ニア リ傅 作義 等 ハ之 ヲ重 視 シ対
二
一
﹁ス ローガ ン﹂ ハ ﹁抗 日剿 匪 ﹂ ヲ以 テ ス ヘク抗 日 ヲ貫 徹 セ ン
中 央 ノ訓 令 ニ依 リ援 綏 運動 ノ宣 伝 ニ努 力 ス ヘシ
日附 ヲ以 テ所 属 各 級党 部 ニ対 シ
ヲ期 セ シム ヘキ ナリ ﹂ ト ノ意 図 ヲ伝 達 セ リ ト、 又 上海 市 党 部 ハ十 八
潰 滅 セ シメ更 ニ長駆 熱 河 ヲ目 標 ト シテ追 撃年 来 ノ目 的 タ ル失 地 回 復
五
策 ヲ講 シ ツ 、アリ
秘 昭和 一 一、 一 一、 一九 、
ト セ ハ須 ク援 綏 運動 ヲ徹 底 セ シ ム ヘシ
七
ト訓 令 ヲ発 シタ リト
秘
報
長
宛
昭 和 一 一、 一 一、 二 七 、 電
官 、次
上海 大 使 館 附 武 官
至急
八
電
長
報
宛
昭和 一 一、 一 一、 二七 、
官、次
南京
ク行 動 ス ル者 ト ハ勇 怯 ノ度 ニ於 テ自 ラ大 差 ア リ﹂ 云々
秘
次
雨
宮
中
佐
佐
新 聞 報 (二 十 五 日洛 陽 竝 太 原 発 電 報)
次
中
陳 誠 ハ樊崧 甫 等 ト 共 ニ二十 五 日 飛行 機 ニテ洛 陽 ヲ発 シ同 日午 後 三
宮
新聞報
御 参 考迄
九
報
宛
昭和 一 一、 一 一、 二 七、 電
官、次 長
南京
時 太 原 ニ到 著 閻錫 山 ト会 見 後 次 テ綏 遠 ニ向 フ筈
秘
次
雨
当 地 支那 紙 ハ百 靈 廟 ノ占 領 ヲ大 々的 ニ報 シ ア ル カ右 ニ関 シ大 公 報
﹁百 靈 廟 ノ夜 襲 ニ ハ新 ニ増 加 セ ラ レタ ル中 央 軍 ハ参 加 セ ス綏 遠 駐
ハ其 論 説 ニテ 左 ノ如 ク述 ヘアリ
在 部 隊 ノ ミ ニ依 リ実 施 セ ラ レタ ルカ本 勝 利 ノ原 因 左 ノ如 シ 一、 満 蒙 人 民 ノ援 助 世 人 ハ本 戦 闘 ノ裏 ニ該 地 方 住 民 ア ル コト 就 中 蒙 旗 省 民 ノ軍 隊 援 助 ハ重 大 ナ ル意 義 ヲ有 スル コト ヲ知 ル国 民 一致 コソ国軍 勝利 ノ 一大 原 因タ リ 二、 蒋 氏 ノ決 心
二十四日朝支那軍 百靈廟占領 ノ際匪軍 ノ残留 セシ麦粉 一万余袋、
新聞報 (綏遠二十六日)電報
吾 人 ハ二 十 日 ノ夜 襲 部 隊 ト同 様 ニ今 日支 那 軍 隊 及 民 団 壮 丁 ハ皆 此 ノ如 ク国家 ノ為 ニ犠 牲 ト ナ リ抗 日 ヲ有 ス ル コト 竝 右 ハ支那 人 カ犠 牲
シ且某邦貯蔵 ニ係 ル火弾薬庫 ヲ獲得 セリ云々
自動車 五百余輛、 火砲数門、機関銃 十数挺、無線電信機数組 ヲ鹵獲
的 自 衛 ノ覚 悟 ヨリ来 ル コト ヲ明 言 ス
国 家 ノ為 ニ戦 ハント ス ル者 ト 人 ニ雇 傭 セ ラ レ脅 威 セ ラ レテ已 ムナ
三、 匪 賊 ニ闘 志 ナ キ コト
報
長
南京
雨
宮
中
佐
以 上 ノ如 ク 支 那 側 ハ昨 日来 盛 ニ戦 勝 ヲ報 道 シ真 偽 取 混 セ宣 伝 ニ努
電
官 、次
宛
昭和 一 一、 一 一、 二八 、
一〇
メ ツ ツ アリ為 参 考
秘
次
所 王 ハ外交 部 ヨリ派 遣 ノ段 茂 瀾 カ相 当 ノ材 料 ヲ持 チ 帰 リ タ ル ニ依 リ
真偽 不 明 ナ ル モ取 敢 ス
一二
報
宛
北平
松
室
少
将
其 報告 ヲ聴 取 後 聯 盟 ニ提 訴 ス ル段 取 リト ナ レリ ト語 レル モ ノ ノ如 シ
秘
電
長
昭和 一 一、 一二、 四 、
官、次
一、宋 哲 元 ハ綏 遠 問 題 及 冀 東 ノ武力 回収 ニ蒋 介 石 ノ密 令 ヲ受 ケ 張 自
次
忠 、 馮 治 安 、劉 汝 明 ノ幹 部 ヲ召 集 シ十 一月 二十 九 日夜 及 十 二月 一日
当 地各 新 聞 ハ二十 六 日綏遠 電 ト シテ百 靈 廟 収復 ノ結 果 知 リ得 タ ル
西 ノ方 新 彊 省 ニ到 ル内 蒙 古 全 域 ヲ包 含 シ其 経 費 ハ四億 円 ノ予 算 ニテ
所 ニ依 レ ハ某 邦 ハ年 来 秘 カ ニ ﹁大 元帝 国 ﹂ ノ組織 ヲ企 図 シ其 領 域 ハ
ス ル コト ヲ避 ク ル モ中 央 軍 カ商 都 ニ入 リタ ル後 ノ対 策 ト シテ概 ネ次
午 前 ノ 二回 ニ亙 リ之 カ対 策 ヲ討 論 シタ ル結 果 綏遠 問 題 ニ ハ直 接 関 係
商 都 問 題 ヲ如 何 ニ処 理 ス ヘキ ヤ ニ関 シテ ハ同 地 ハ察 哈 爾 省 ニ
冀東 問 題 ノ処 理 ハ将 来 時 機 ノ熟 ス ル ヲ待 テ著 手 ス ル コト (真
一三
シト ノ内 命 ヲ発 シタ リ
日本 人 ノ貨 物 ア ルト キ ハ鉄 路 局 ニ報 告 シ其 承認 ヲ経 タ ル後 輸送 ス ヘ
二、 平 綏 鉄路 局 ハ十 一月 二十 六 日 以降 日本 人 ノ貨 物 輸 送 ヲ停 止 シ若
偽 疑 ハシキ モ取 敢 ス)
ロ
属 ス ル所 ナ ル ヲ以 テ察 哈 爾 省 自 ラ之 カ防 止 ニ当 ル コト
イ
ノ如 キ態 度 ヲ決 定 セ リ
リ参 考 迄
宛
上海 大 使 館 附 武 官
既 ニ五 千 万 円 ヲ使 用 セ リ云 々ト 真 シヤ カ ニ大 々的宣 伝 ヲナ シツ 、ア
一 一
報
秘
電
長
昭和 一 一、 一二、 四
次 官 、次 諜者 報
駐支仏国大使館 ハ最近王寵恵 ニ対 シ綏遠問題 ハ可 及的速 ニ国際聯 盟 ニ提訴 ス ヘシ仏国側 ハ之 ニ対 シ十分支持 スル用意 アル旨洩 シタ ル
秘
次
電
報
長
宛
昭和 一 一、 一二 、 五
官、次
冀 察 綏 靖 公 署 ヨリ得 タ ル諜 者 報
北平
輔
佐
官
陳 誠 ハ蒋介 石 ノ命 ニ依 リ綏 遠 ノ各 将領 ト協 議 ノ結 果 毎 月 南京 ヨリ 三十 万 元 山西 省 ヨリ十 万 元 経 費 ノ支 給 ヲ受 ケ テ西 北 辺防 軍 事 委 員会 ヲ組 織 シ委員 長陳 誠 副 委 員 長 兼参 謀 長傅 作 義 委 員 王靖 國 、趙 承綬 、 湯 恩 伯 、 龍 王 、 阿 王等 ヲ定 メ第 一路 傅作 義 、第 二路 王 靖 國 、第 三路 趙 承綬 、 第 四路 龍 王、 予 備 軍 湯 恩伯 ノ各 指 揮 官 ヲ命 シ別 ニ中央 ヨリ 政 治 訓練 員 四 百 三十 名 洛 陽 軍 官 学 校 ヨリ各 軍 ノ幹 部 候 補 者 共 五 百名
﹁綏 遠 事 件 ニ対 ス ル学 生其 他 ノ民 衆 運 動 ノ記 事 ハ此 際 各 検 査 処 ニ
十 二月 二 日中央 新 聞 検査 処 ハ左 記命 令 ヲ発 セリ ト
於 テ厳 密 ナ ル検 査 ヲ加 ヘ中 央 ノ統 一ヲ破 リ或 ハ学 生 ヲ煽 動 シ又 ハ共
輔
佐
官
右 ハ昨 年 冬 以来 ノ学 生 運動 ニ手 ヲ焼 キタ ル中 央 政 府 カ此 際 共 産 党
産 党 ニ利 用 セ ラ ル 、カ如 キ 記事 ノ発 表 ヲ厳 禁 ス﹂
一五
報
北平
ニ利 用 セ ラ ル 、ヲ恐 レテ ノ用意 ナ ラ ント 思 考 セ ラ ル
秘
電
昭和 一 一、 一二、 一四 、
宛
次
長
北 平 市 各 大 学 生 及 一部中 学 生約 三千 名 ハ本 十 二 日朝 来 八個 区 隊 ニ
宮、次
ノ補 充 ヲ受 ケ政 治 軍 事 ノ指 導 工作 ニ当 ル コト 、ナ リタ リ 去 ル十 一月
ス ヘシト称 シタ リ
シ既 ニ首 謀 者 数 十 名 ヲ検 束 シテ弾 圧 ニ努 力 中 ナ ル モ今 後 共 十 分 注 意
リ シカ夜 ニ入 ルト 共 ニ漸 次 解散 シタ リ、 尚 当 方 ノ厳 重 ナ ル警 告 ニ対
力 シテ解 散 セ シ メ肯 セサ ル者 ハ之 ヲ景 山 ノ囲 壁 内 ニ逐 込 ミ監 視 中 ナ
等 排 日的 ノ モノ ナ リ公 安 局 ノ武 装 巡 警 ヲ派 遣 シ憲 兵 及 一部 軍 隊 ト協
那 新聞 報道 ノ錫 拉 穆 林 廟 占 領 ノ所 謂 戦 勝 祝 ニ シテ他 ハ対 日即時 開戦
文 ヲ撒 布 セ リ其 要 旨 ハ概 ネ 二大 別 ス ル ヲ得 、 一 ハ綏 遠 ノ百 靈 廟 及 支
他 ノ三 方 面 ノ者 モ別 ニ漸 次 集 合 シ テ 一度 示威 運動 ヲ行 ヒ各 種ノ 宣 伝
二十 八 目 ニ ハ第 一回 軍 事 会 議 ヲ開 キ陳 誠 等 各 委 員 出 席 シテ護 蒙 軍 事
佐
分 レ 二個 区 隊 宛東 西 南 北 ノ城 門 四ケ 所 ニ集 合 シ東 尚門 ニ集 合 シタ ル
中
者 先 ツ午 前 九時 頃 ヨリ 示威 運 動 ニ移 リ次 テ 一旦解 散 セ シメ ラ レタ リ
報
渡
及 政治 工作 ニ関 シ各 種 ノ協 議 ヲ行 ヒタ ル カ特 ニ商 都 及徳 化 ヲ以 テ其
一四
電
長 宛
昭 和 一 一、 一二 、 九 、
官 、次
漢口
攻 撃目 標 ト為 ス コト ニ決定 シタ リト
秘
次
諜者報
秘
次
至急
一六
電
長
報
宛
昭和 一 一、 一二、 三〇 、
官、次
南京
雨
宮
中
佐
当 地支 那 新 聞 ハ蒋 介 石 無 事 帰 京 ス ルヤ西 安 事 変 ノ記 事 ヲ停 止 スル ト共 ニ 一斉 ニ綏 遠 戦 争 ノ記 事 ヲ大 々的 ニ掲 ケ ﹁内蒙 軍 ハ今 ヤ其 大 部 隊 ヲ商 都 ニ集 結 シ飛行 三 十戦 車 二十 ヲ待 機 セ シメ再 ヒ来 リ侵 ス模 様
電
長
報
宛
南京
雨
宮
中
佐
ナリ﹂ ト 宣 伝 シ専 ラ人 心 ヲ此 方 面 ニ転 向 シ西 安 事 変 ニ依 ル不安 ヲ 一
官、次
昭和 一 一、 一一、 二 八、
一七
掃 セ ント努 力 シツ ツ アリ
秘
次 新 聞報 一、 二十 六 日北 平 電
中 央 空 軍 ハ二十 五 日 ヨリ綏 遠 剿 匪戦 ニ参 加 セ リ当 日先 ツ数 機 ヲ以 テ 百靈 廟 上空 ニ達 セリ 二 、 太原 二十 六 日発
蒋 介 石 ハ蒙 古 軍 ノ投 降 スル者 ニ対 ス ル賞与 規 定 ヲ発 表 セリ例 ヘ ハ
三 万元 、 団 長 ニ ハ 一万元 、 云 々、 又 飛行 機 ヲ操 縦 シ投 降 ス ル者 ニ ハ
部 下 ヲ率 ヰ 兵 器 ヲ携 ヘ投 降 ス ル者 ハ軍 師 長 ナ ラ ハ五万 元 、旅 長 ニ ハ
二 万 元、 戦 車 ニ ハ五 千 元、 徒 手 ノ兵 ニ ハ十 元 ヲ給 スト 言 フカ如 シ以 上参 考迄
一 一
一 一 一
三六
同 海 軍 電
九 二三四〇 夕風 発 一〇 〇 五五二 電信所受 ( 六 九 一 ) 支 在南 京 中 原 武
二
官
次官 、駐 満 海 、 旅 要 、 五水 戦 隊 、 上 陸 、 十 一戦 隊 各 司令 官 、青 島
一一
一一
一四
藤
二六〇八 二〇 三八
次官 、三 艦 隊 参 謀 長 、 佐
北平 発 電信所受 在 北平
支
一
桑 原輔 佐官
(一 一六 一)
次 長 、駐 満 海 、 旅 要参 謀 長 (天 津 駐 在 武 官 ) 燕 第 六 二番電
一、 当 地漢 字 紙 ハ連 日大 見 出 シ ヲ以 テ綏 東 形 勢 緊 張 スト報 ジ 十 二 日
駐在 武 官 次長 、 三艦 隊参 謀 長、 天 津 駐 在 武 官 、上 海 館 附 武 官 、 北平 輔 佐 官
ニ ハ商 都 西 南 方 ニ於 テ 趙
部 ト匪 軍 衝 突
シ某 邦 飛 行 機 七機 飛 来綏 軍 ノ陣 地 ヲ偵察 セリ ト報 ジ本 日北京 ク ロ ニ
緩
機 密 第 一五 八番 電
傅 作 義 、趙 承綏 ト 共 ニ平 地 泉 着 軍 情 ヲ視 察 シ新 任綏 東 保安 司令
二 、漢 字 紙 報 所 載 十 三 日
ク ル ハ十 三 日某邦 飛行 機 三機 飛 来 平 地泉 ヲ爆 撃 セリト 報 ジ居 レリ
承
最 近綏 北綏 東 方面 ノ形 勢 逼 迫 ノ状 況 日 々報 道 セ ラ レ南 京当 局 ノ神 経 ヲ尖 ラ シ ツ ツ ア ル ハ勿 論 一般 ノ抗 日輿 論 ヲ 一層 硬 化 シ ツツ ア リ 南 京 当 局 ハ処 決 工作 即 チ李 守信 王英 等 軍 ノ行 動 ハ裏 ノ裏 迄 之 ヲ知
ニ進 出 ス ル李 王 軍 ノ失敗 ハ概 ネ 想 像 ニ難 カ ラズ 而 シテ其 結 果 ト シ テ
悉 シ居 リ之 ガ排 撃 ニ関 ス ル対 策 ヲ講 ジ ツ ツ ア ル ヲ以 テ待 構 ヘ居 ル所
一四︱ 一六〇 〇
三 、平 津 各 大 学 生 ハ綏 遠 軍 激 励 慰 問 ヲ決 議 シ慰 問 人 募 集 ヲ開 始 セリ。 二 三 三〇
董 基 武 、豊 鎮 ヨリ平 地泉 ニ進 出 セリト
九 ︱
三
残 ル モノ ハ単 ニ全 般 的 排 日抗 日 空 気 ヲ 一層 激 化 スル ニ過 ギ ザ ルベ シ。
二
一 一
一 一
一四 一五
一六 三 八 北平 発 〇 九 一 三 電信所受 在北平
次 官 、 三艦 隊 、 駐満 海 、 旅 要 各 参謀 長 藤
(一 一八 九) 特 二七 桑 原 輔 佐 官 一 一
四 一 一
一四 一五
一六 二〇 〇 九 四七
在 北平
北平 発 電信所受
次官 、 三艦 隊 、 駐 満 海 、旅 要 各 参 謀 長
次 長 、 天 津 駐在 武 官 、 佐
次 長 、天 津 駐 在 武 官 、 佐 機 密第 二二 五番 電
桑 原 輔 佐 官
(一 一九 三) 特 二七
今 回 ノ内 蒙 経 略 ニ関 シ テ ハ陸 軍 部 内 ニ於 テ モ絶 対極 秘 ト シ当 地 陸
藤
機 密 第 二 二四 番 電
一
其 ノ 一、 二
張 家 口 ヨリ帰 来 者 談要 旨
人 ) 第 二軍 (軍 長 包 ﹁一語 不 明 ﹂ 悦 八割 蒙 人 二割 漢 人 ) 約 一万 二千
ロ吻 ニ ヨリ察 ス ル ニ且 諸情 報 ヲ綜 合 スル ニ前 電 ノ次第 ハ概 ネ真 ニ近
軍 武官 等 ニ モ事 実 何等 ノ通知 ナ シ然 レド モ陸 軍其 ノ他 軍 関 係 者 等 ノ
内蒙 自 治軍 (総 司 令 徳 王 )第 一軍 (軍 長 李 守信 八 割漢 人 二割 蒙
ハ概 ネ百靈 廟 及 其 南 方 地 帯 ニ進 出 シ王英 軍 (漢 人 土 匪 軍約 六 千名 )
キ モ ノ ア ルガ如 シ現 ニ内 蒙 経 略 ニ要 スル経費 ノ 一半 ハ冀 東 政 府 特殊
商都 飛行 機 格 納 庫 ハ既 ニ完 成 シタ ル由 綏 遠 工作 ニ参 加 ス ベキ 飛
ハ商 都 南 西 方 ニ進 出中 二
(部外 厳 秘 )。
五 一 一
八
二三二五 北平 発 電信所受 (一五 三六 ) 支 一 在 北平 桑 原輔 佐 官
一七 三七
以 北 ノ綏 遠 ニァ ル モ ノト推 測 サ ル、
一 一
九
一
一四︱ 一五 〇〇
入 ヲ押 エザ ルベ カ ラザ ル実 情 ニア リ労 々第 一段 ノ目 標 ハ長 城 線黄 河
ヲ進 捗 セ シ ム ル ニ ハ是 非 綏 遠 包 頭 方 面 ニ出 デ同 地方 ニ於 ケ ル阿片 収
貿 易 収 入中 ヨリ捻 出 サ レ ア ルガ内 蒙 ノ財 政難 ヲ緩 和 シ且将 来 本 工作
陰 山 山脈 北 方 地帯 ハ何 等 居 住 ノ設 備 ナ キ ガ故 ニ厳 冬 季 ヲ控 ヘ前
行 機 約 三 十 ノ予 定 三
十月 下旬 以来 平 綏 線 ニテ張 家 口経 由 商 都 ニ送 リ タ ル軍 需 品 ハ二
進 根 拠 地 ニバ ラ ツ ク ヲ急 造 スベ ク 目 下張 家 口 ヨリ建 築 材料 急 送 中 四
十 貨 車 ニ達 シ概 ネ銃 器 小 銃 弾 三 十 キ ロ爆 弾 ガ ソ リ ン燃 料 糧 食 建 築 材
内蒙 自 治 軍 ノ先 頭 部 隊 ハ既 ニ前 進 根 拠 地 タ ル叉 叉 (百 靈 廟 武 川
尚 重器 材 ハ多 倫 ヨリ自 動 車輸 送 中
料 ナリ
五
間 )鳥 蘭 花 (武 川 東 北 四子 部落 旗 南 方 ) ニ進 出 シ アリ概 ネ 二十 日 ヲ
藤
次 官 、 三 艦隊 参 謀 長 、 天 津 駐 在 武 官
期 シ 一斉 ニ進 出 王 英 部 ハ陶 林 ヲ奪 取卓 資 山 (平 地泉 西 方) ニ出 デ 大
其 ノ 一、 二
同 綏 遠 ノ連 絡 ヲ断 チ李守 信 部 ハ百 靈 廟 ヨリ武 川 固陽 ニ進 出 シ綏 遠 包
機 密 第 二 三 二番 電
次 長 、 駐 満海 、 旅要 参 謀 長 、 佐 一四︱ 一二三 〇
頭 ヲ突 カ ント スル モ ノ ノ如 シ。
綏 遠 時 局 進 展 ニ伴 ヒ当 地大 学 生 ハ綏 遠 軍 ニ援 助 ヲ決 議 シ義 捐 金 募
ノ危 険 ナ キ ヲ保 シ難 キ ヤ ニ認 メ ラ ル
面 ヨリ ノ諸 情 報 ヲ綜 合 ス ル ニ勢 ノ赴 ク所 或 ハ右 方 面 ニ於 テ実力 発 動
支援 ハ之 ヲ行 ハザ ル方 針 ナ リト イ ヒ居 ル処 最近 現 地 ノ情 勢 及 北 支 方
出 先 各 部 ニ於 テ ハ関 係 ノ向 ニ密 接 ナ ル連 絡 ヲ保 持 シ大 局 ニ不利 ナ
シ ム ル恐 ア リ 小官 斎 燮 元 ト 会 見 ノ際 学生 運 動 ヲ放 置 ス ルガ如 キ ハ折
ル策 謀 ヲ警 戒 ス ルト共 ニ機 微 ナ ル情 勢 ヲ探 査 シ機 ヲ逸 セズ報 告 ア リ
集 ヲ開 始 セ ル所本 運 動 ハ漸 次 支 那 各 地 ニ波 及 シ抗 日気 勢 ヲ熾 烈 ナ ラ
角 明 朗 化 セ ント ス ル冀 察 対 日本 ノ関係 ヲ悪 化 セ シ ム ル恐 ア ル ヲ以 テ
特務機関首席武官
(一七 八 二) 特 二 四
タシ
在 上海
特陸 発 電信所受
ナ ル関係 ア ル モノ多 数 ア リ常 ニ党 部 ト通 謀 シ抗 日 ヲ企 図 シ学 生 ヲ煽
七
一六 〇 五 一六 二 五
迅速 適 切 ナ ル取 締 ヲ要 望 セ ル所実 ハ現 北 平 各大 学 教 授 中 南 京 ト密 接
動 シ アリ其 ノ首 魁 ハ北 京 大学 校 長 蒋 夢 麟 ナ リ余 ハ近 ク河 北 出 身 ノ校
通諜 派 ヲ弾 圧 スル積 ナリ ト答 ヘタ リ次 デ 小 官 ヨリ現 在 北 平 各 大 学経
長 教 授 等 南 京 ト余 リ関 係 ナ キ モノ ト会 見 シ彼 等 ノ内幕 ヲ調 査 シ南 方
二三
次官 、 三艦 隊 参 謀 長 、 北 支 、南 支 、 漢 口南 京 、 上海 各 駐 在 武 官
一 一
次長 、十 一戦 隊 、 五 水戦 隊 、上 陸 、 旅 要 、 馬要 各司 令 官
一 一
ル統 制 不可 能 ノ最 大 原 因 ナ リ速 ニ南 京政 府 ト交 渉 ノ上 経 費 ハ 一先冀
機 密第 一 一二番 電
費 ハ南 京 教 育 部 ヨリ直 接送 付 セラ レ居 ル モ右 ハ冀 察 ノ各 大 学 ニ対 ス
察 ニ受 取 リ然 ル後 各学 校 ニ配 付 ス ベ シト述 ベ タ ル所 斎 燮 元 同感 ノ意
綏 遠作 戦 ノ為
二五
一七 五五
一九 一〇
(一九 三 六) 特 二 四
上海特務機関首席武官
上海 発 電信所受
二 、第 一隊 ハ既 ニ太 原 ニ向 ケ南 昌 発 二十 三 日。
八 一 一
二三
一、空 軍 第 一大 隊 (編制 不詳 ) 及 第 十 二隊 ニ北 上 ヲ命 ズ
ヲ表 シ年 額 三十 八 万 元 ナ ルヲ以 テ 将 来冀 察 ヨリ出 ス コト ニ致 シ度 ト
一八︱ 一九〇 〇
軍令部三部長 軍務局長 一 一
次官 、駐満海 、十 一戦隊、特陸 、旅要、馬要各司令官
親展
次長、三艦隊参謀長、支那各地駐在武官 機密第二 一三番電
︱一 三〇 〇
答 ヘタ リ。
六
発者信
昭和十 一年 十 一月 二十 三日午後 八時 三十分発電 済 受信 者 駐満海軍部参謀長 天津北平青島武官 ( 第 三艦隊旅要参謀長 上海武官) (暗号 )無線 最近 ノ関東軍 ノ積極的内蒙 工作 ニ関 シテ ハ陸軍 中央部 ニ於 テモ事 前諒解 ヲ与 ヘアラズ又事態悪 化ノ場合 ニ於 テモ日本軍隊 ヲ以テ スル
南 昌 駐在 空 軍 第 九大 隊 (二
十
五、 二
九機 (常 用 ) 十八機 (〃 )
在 北平
一八 ○ ○ 北平 発 〇 九 四 一 電信所受
十
六、 二
桑 原 輔 佐 官
(一九 五 九) 支
一
二 五︱ 一七 三〇
十 七 隊 ) ハ綏 遠 作 戦 ノ為 二 十 六 日頃 北 上 ノ予 定。 二十 五 日
カ ー チ ス ホ ー クⅢ (戦 )
綏 遠 作 戦 ノ為 北 上 ス ル中央 軍 ハ十 一月 二十 六 日 迄 ニ シ ユライ ク (偵 兼 爆 ) 九機 ( ″ )
〃 新 コル セ ヤ ー (偵 ) 十八機 (〃 ) 計 六 十 三機 以 上
九 又 ハ十 八 機 ( 〃 )
ノ ー ス ロツプ (爆 ) 機種不明
九 一 一
二五 二六
尚 此 ノ他 ニ西 安 蘭 州 方 面 ニダ ク ラ ス (偵 兼 爆 ) 三 十 六機 以上
一 一
藤
次 官 、 三艦 隊 、 駐 満 海 、 旅要 各 参 謀 長 次 長 、 天津 駐 在 武 官 、 佐
一 一
北平 発 電信所受
二十 五 日
)
在 北平 輔佐 官
(一九 六〇 )
二 五︱ 二 二〇 〇
二五 二二〇六 北平 発 二六 〇九三〇 電信所受 (一九 五 七) 特 二七 在北平 桑 原 輔 佐 官
一〇 一 一
次官、 三艦隊参謀長、在支館附武官
次長、駐満海 、旅要参謀長、在 天津武官 機密第 二三五番 電 諜者報 冀察 ヘノ入電 ニ依 レバ
二五 二六
一 一 一 一
其 ノ 一 極 秘親 展
( 在 支館附武官 、青島在勤武官
三 艦 隊 、旅 要 、 駐 満 海 、 各 参 謀 長
一九 〇 〇 一〇 〇 八
中央軍飛行機 三十二機綏遠 ニ入 レリト。
一 一
長
軍
務 局
燕 普 第六 六番 電
軍令 部 三部長 機 密 第 二 三四 番 電
漢字紙報 一、 傅 作義 軍 ハニ 十三 日来 武 川 ・固陽 方面 ニ於 テ攻勢 ヲ取 リ蒙 匪 軍
天津武官 ( 発 信 機 故 障 ノ為 北 平 ヲ介 ス) ヨリ軍務 機 密第 六 三 六番
一、 北 平 武 官累 次 電報 ノ通 綏 東 方 面状 況 ハ新 聞 報 程 度 以 外 天津 駐 屯
電 ニ関 シ、
ヲ圧 迫 二 十 四 日 百靈 廟 ヲ占 領 セ リ匪 軍 ノ死 者 三〇 〇 負傷 六〇 〇 ヲ越 エ三〇 〇 余 ヲ捕 虜 ト ス
二、 天 津 駐 屯軍 ノ関 ス ル限 リ ソ ノ態 度意 向概 要 左 ノ如 シ
軍 、 北 平 陸 軍武 官 ニ於 テ スラ詳 細 真 相 ヲ確 ム ル ニ苦 ム ノ実 情 ニア リ
二、 傅作 義 全綏 勦 匪 総 司 令 ニ任 ゼ ラ レ勦 匪 軍 ヲ指揮 ス已 ニ湯 恩 伯 部
日
及 騎 兵 師 門 炳岳 部 綏 遠 ニ到 着 尚 入綏 中 ノ中 央 軍 二ケ師 ア リ。 二十 五
イ
飽 ク迄 帝 国 ノ対 北 支 政策 ニ基 キ歩 々堅実 ニ経 済 提 携 及開 発 ニ
専 念 シ寧 ロ右 以 外 ノ他 事 ニ染 手 ス ル ヲ欲 セザ ル態 度 ニ変 リナ ク従
二〇 三〇 北平 発 電信所受
)
在 北平輔 佐 官
( 一九 六 一)
ニ就 キ善 ク諒 解 シ、困 リ タ ル モ ノト シテ常 ニ憂 慮 セ ラ レ居 リ屡 々
テ綏 東 現 状 ニ関 シテ ハ司 令 官 、参 謀 長 ト共 ニ陸 軍 中 央 部配 慮 ノ点
二六
二五
一二 一 一
局 長
三艦 隊 、 旅要 、駐 満 海 各 参謀 長 其 ノ二
( 在 支館附武官 、青島在勤武官
一 一〇 五
総 領 事 及 小官 ニモ漏 ラ シァ リ
務
一 一
軍 軍令 部三部 長 機 密 第 二 三 四番 電
二六
一三 一 一
南京 発 電信所受 (二〇 一六) 支 在 南京 中 原 武
官
二
︹ 莞爾︺ 演 ズ ル為 更 ニ石 原 大 佐 ノ渡 満 亦 同 意 味 ナ ル旨 ノ 口吻 ア リ タ リ
一 一
一九 三〇 二 一四〇
次官 、 三 艦 隊 参 謀 長 、支 那 各 地駐 在 武 官 、 上海 特 陸 司 令 官
次長 、 駐 満 海 、 十 一戦 隊 、 五水 戦 隊 、 旅要 各 司令 官 、 在支 館 附武 官 機 密 第 一七 一番 電
一、 最 近 ニ於 ケ ル綏 遠 ノ情 勢 ニ関 シ北 平 、天 津 等 日 本 側 新聞 情 報 ハ
匪 軍 ノ優 勢 ナ ル ヲ伝 ヘ当 地支 那 側 情 報 ハ匪 軍 ノ敗 退 百 靈廟 占 領 等 ヲ
伝 ヘツ ツ ア リ何 レカ真 ナ リ ヤ明 ラ カナ ラザ ル モ昨 年 北 支 事件 ノ際 日
ラズ ヤト察 セラ ル (京 機 密 第 一五八番 電参 照 )
本 側 情 報 ヨリ支 那側 情 報 確 実 ナ リ シ点 ヨリ観 テ概 ネ 後 者 ノ方確 実 ナ
十 一月 二十 三 日関東 軍第 二課 長 来 津 二十 四 日張 家 口 ニ向 ヒ関
ロ
二、 諸 情 報 ヲ綜 合 ス ル ニ
東 軍 参謀 長 亦 二十 五日 ノ冀東 政府 成 立 一周年 記念 式 参 列 ノ為 二十
蒋 介 石 ハ此 際陸 空 軍 有 力 部 隊 ヲ以 テ徹 底 的 ニ討 伐 ヲ行 ヒ綏 遠 ノ確
四 日 来津 セ ル際 天 津駐 屯 軍首 脳 部 ハ右 等 ト会 談 セ ル ヲ以 テ小 官 、 天 津 軍 参 謀 長 ニ面 接 率 直 ニ両者 間 ノ意 向 ヲ確 メタ ル ニ天 津 軍 ニ付
ルモ ノ ノ如 シ。
二七
官
一
二 六︱ 一八 三 三
保 ハ勿 論察 哈爾 省 ニ於 ケ ル根拠 地 ヲ モ撃 破 セ ント ス ル決 心 ヲ有 シ居
一 一
一四
テ ハイ 項 ノ趣 旨 ヲ重 ネ テ述 ベ更 ニ綏 東 問 題 ノ為 実 力 行 使 等 ノ意志
一 一
南京 発 電信所受 (二〇 七 一) 支 在南京 中 原 武
次官 、 三艦 隊 参謀 長 、旅 要 、 駐 満 海 両 司 令官
一 三四 五 一七 二四
絶 対之 ナ キ旨 ヲ明 言 サ レ ン コト ヲ又 関 東 軍 ト ノ対応 ニ付 テ ハ同官 ヨリ モ率 直 ニ同 問 題 ノ如 何 ハ対 北 支 方 針 実施 上多 大 ノ障 害 ヲ来 ス 旨 並 ニ関 東 軍在 来 ノ綏 遠 工作 ガ今 日 山西 ニ多 大 ノ悪 影 響 ヲ与 ヘタ ル事 実 ヲ指 摘 セ ル ニ対 シ関 東 軍 参 謀 長 モ之 ヲ肯 定 セ ル ノ ミナ ラズ 綏 東 問 題 ハ出先 ガ少 シ行 キ過 ギ ノ結 果 ニシ テ之 以上積 極的 支 持 ニ 出 デ ザ ル方針 ナ ル旨 ヲ述 ベタ リト 、 因 ニ関東 軍 二課 長 ノ張 家 口行 ハ現 地実 情 ニ即 シテ所 謂 引 留 役 ヲ
次 長 、 在 支 館 附 武 官 、北 平 輔 佐 官 、 天 津 駐在 武 官 其 ノ 一、 二
綏遠時局進展 ニ伴 ヒ綏遠側 ハ盛 ニ第 二十九軍 ノ共同作戦 ヲ要望 シ
アルガ如キ モ諜者 ノ報告 ニ依 レバ最 近宋哲元 ハ張自忠馮冶安劉汝 明
等 ト協議 ノ結 果第 二十九軍 ハ婉曲 ニ綏遠側 ノ要求 ヲ拒否 シ保境安 民
京第七六番電
二八
特務機関首席武官
(二 一五 〇 ) 特 二 四
二 八 ︱ 一 一〇 一
一、 本 日 ノ支 那 新 聞 ハ 一斉 ニ百 靈 廟 克 服 ノ詳報 ヲ掲 ゲ 其 ノ結 果 某 方
一 一
一六
ヲ標榜 シ現状維持 ノ方針 ニ決 セリ。
一 一
上海 発 電信所受 在上海
ノ大 元 帝 国 建 設 計 画 ノ大 陰 謀 暴 露 セ リト宣 伝 シ居 レ リ尚 同 地 占 領 ノ 際 大 砲 七、 八 門 機 関銃 一〇 余 挺 弾 薬 一〇 〇 〇余 箱 無 線 電 信 機 数 台 自 動 車 多 数 ガ ソ リ ン五〇 〇 余 箱 麺 粉 一万余 袋 其 ノ他 石炭 糧 食 多 数 獲得 セ ル旨 報 ジ居 レ リ 二、 軍 事 委 員 長蒋 介 石同 副 委 員 長 閻 錫 山 ノ連 名 ニテ 二十 六日 附 匪偽
一九 一〇 二 一 一三
次長 、 馬 要 、 旅要 、 五水 戦 、 十 一戦 隊 、駐 満 海 司 令 官
次 官 、 三艦 隊参 謀 長、 在 支 各 地 武官 、 上海 特 陸 司 令 官
軍兵 士 ニ告 グ ル ノ書 (速 ニ反 省 シ中 国 軍 隊 ニ帰 ル様勧 告 セ ル モ ノ) ヲ布 告 ス ルト共 ニ偽 蒙各 軍 投 誠 懸 賞 金 ヲ発 表 セリ其 ノ全 額 概 ネ 左 ノ
機 密 第 一 一六 番 電
親展
如シ
綏遠情報
軍師 長 ニシ テ全 軍 ヲ率 ヰ テ投 誠 スル モ ノ 五万 元旅 長 同 ジ ク 三
万 元 以 下順 次逓 減 シ徒 手 兵卒 一〇 元 ニ至 ル
イ
一、空 軍 第 十 隊 (サ ボ イ ア機 全 部 ) ハ近 ク南 昌 ヨリ洛 陽 ニ移 駐 ノ 予
飛行 機 一機 ヲ操 縦 投 誠 ス ル モノ 二 万元高 射 砲 一門 ト共 ニ投 誠
ロ
二 、第 二十 軍 々長 王靖 国 ハ兵 器 弾 薬 ヲ大 同 ヨリ包 頭 ニ輸 送 セ ンガ為
三
二十 四日午 後 四時 敵 ノ飛 行 機 十 機 百霊 廟 ヲ爆 撃 セ リ
商 都 ニ ハ廿 一日張 北 ヨリ到 着 セ ル匪 軍 ノ歩 兵 一団 騎 兵 千余 人
損害調査中
商 都 ノ東 北 約 三粁 ニ飛行 場 ア リ
目下 城 門 ヲ閉鎖 シ防 禦 工事 中
アリ
二
一
三 、閻 錫 山 ノ発 セ ル二 十 六 日 ノ綜 合情 報
貨 車 ヲ請 求 セ リ
定
二十 七 日
ス ル モ ノ 一万 元 以 下順 次 逓減 拳銃 一挺 ヲ携 帯 投 誠 ス ル モノ 二〇
一五 一 一
二八
元 ニ至 ル。
一 一
一 一〇 八 北平 発 一三四九 電信 所受 (二 一二〇) 支 一 在北平 桑 原輔 佐官
次官、 三艦 隊参謀長、天津駐在武官 次長、駐満海、旅要各参謀長、佐 藤 機密第 二三 六番電
大 同 ニ永 住 セ ル日本 人 ハ全 部 既 ニ省 外 ニ退 去 セリ。
紅 格爾 圖 ノ 四周 二十 粁 以内 ニ ハ敵 匪 ヲ認 メズ
機 密 第 三 二七 番 電
軍 令部 三部 長
ロ
二十 九 日 二九︱ 一〇 四 二
(二 二七 六)
其ノ一
内 蒙 工作 ハ中 央 及 三省 協 定 ノ精 神 対 支 方針 ニ従 ヒ現 状 以 上 ニ
要 ス ル ニ関 東 軍 ト シ テ ハ中 央 ノ意 志 ヲ奉 ジ現 状 以 上 ニ出 デ ザ
アリ
一 一
軍 務
三〇
一八ノ 二 一 一
局 長 軍 令 部 三部 長
一 六二○
新京 発 電信所受
三〇 ︱ 一五 三〇
(二二 七 五)
駐満海 参謀 長
二、以上 ニ鑑 ミ綏遠 工作不結果 ヲ来 シタ ル場合 ノ措置 ニ付テ ハ予メ
機密第三二七番 電 其 ノ二
一九 二五
ナ リ シ場 合 ハ積 極 的 ニ出 ザ ルベ カ ラズ ト 考 ヘツ ツ ア リ ( 未完 )
ル方 針 ナ ル モ内蒙 軍 ガ失 敗 シ東 方 ニ圧 迫 セラ レタ ルガ 如 キ 事態 ト
ハ
急 速 ナ ル発 展 ハ
綏 遠 工作 状 況 ハ内 蒙 側 不利 ノ状 況 ナ ル モ未 ダ 正規 軍間 ノ衝 突
準 備 等 ヲ進 メア ル モノ ニア ラズ
ハ相 当 困 却 セ ルガ如 シ防 共 ニ対 ス ル軍 ノ声 明 ハ之 ガ為 ニ何 等 特 ニ
積 極 的 ニ ハ出 サザ ル方 針 ナ ル モ之 ガ結 末 ヲ如 何 ニツ ケ ルヤ ニ付 テ
イ
一、綏 遠 工作 ニ対 ス ル関東 軍 側 ノ空 気 ( 第 一課 長 ト会 談 要 旨 )
四
二十 八 日 二 八︱ 一八○ ○
一 二 〇 〇 上海 発 電 信所受 (二 一八 五) 支 二 在支 館 附 武 官 一三 一九
五
二九
一七 一 一
ナ ク支 那側 宣伝 ノ如 ク逼 迫 進 捗 シア ル ニア ラズ
一 一
次 官 、 三艦 隊 参謀 長 、在 支 各 地 武 官 、在 台北 武 官 、 上 陸 司令 官
ナ キ モ ノト 認 ム
日本 ハ戦 争 ニ出 デ ズ
一六〇 〇 ︱九 一四
駐満海 参謀 長
蒋 介石 モ現 状 ニ於 テ ハ断 乎 タ ル決 意 ハ有 セ ザ ル モ ノト 認 メ ツツ
次長 、 駐 満 海 、 旅要 、馬 要 、 五 水 戦 、 十 一戦 隊 各 司 令 官 機密 第 三 五七 番 電 綏 遠 ノ時 局 ニモ拘 ラズ 上海 ニ於 ケ ル市 場 ハ景 気 付 キ公 債 ノ如 キ ハ
蒋 介 石 モ更 ニ強 ク ハ進 ミ得 ザ ルベ シト ノ観 察
支 那側 一般 ニ ハ
最 近 最 高 ノ昂 騰 ヲ示 シ時 局 ノ影響 ヲ余 所 ニシ居 ル所其 ノ原 因
一
三〇
︱八 ノ 一 一 一
局 長
新京 発 電信所受
結 局 日支 戦 争 ニ ハ進 マザ ルベ シト ノ見 方 ニ依 ル モ ノ ノ如 シ。
二
務
一 一
軍
正中 立 シ之 ガ渦 中 ニ捲 キ込 マレザ ル方 針 ナ ル旨 言 明 セ リト
十 九軍 幹 部 会 議 ニ於 テ第 二十 九軍 ハ内蒙 ガ冀 察 ヲ攻 撃 セザ ル限 リ厳
二 、賀 耀 組 来 平 、宋 哲 元 ト会 見 シ 一昨 日洛 陽 ニ赴 キ タ ルガ同 人 ハ蒋
中 央 部 ニ於 テ方 針 ヲ定 メ適 当 ナ ル指 導 工作 ヲナ スノ要 ア リ ト認 ム
ア ル モ ノト関 東 軍 側 ハ観 測 シ ツツ ア リ
ヲ慫 慂 シ銀 五十 万 元 ヲ宋 ニ交 付 セ リト 尚 賀 ハ対内 蒙 策 戦 軍 需 品 ヲ平
介 石 ノ命 ニ依 リ宋 ニ対 シテ第 二十 九 軍綏 遠 軍 ノ 共同 勦 匪 (内 蒙 軍 )
三 、支 那 外 交 部 宣 言 ニ就 テ ハ英 国 ガ直 接 又 ハ露 ヲ通 ジ働 キ カケ ツ ツ
ハ大 橋 外 交 次長 ノ満 洲 里会 議 ノ将来 ニ対 ス ル悲 観 的 観察 ノ外 ハ今 直
一一
二〇 〇 〇 ○九五八
二︱ 一七〇 〇
久保 田武 官
(五 一五) 特 二七
在天津
天津 発 電信所受
其 一、 二
九番 電 所 報 モア リタ ル所 本 日陳 覚 喫 ノ ナ セ ル時 局談 要 旨
第 二十 九 路 軍 ノ 対時 局 動 向 ニ就 テ ハ燕 機 密 第 二三 六 番電 及第 二 三
機 密 第 一六 七番 電
次 長 、天 竜 艦 長 、 北 平 輔 佐 官 、青 島 駐 在 武 官
次官 、 三艦 隊 参謀 長 、旅 要 、駐 満 海 各 参 謀 長 、 佐藤
二〇 六 一 二 七
漢 平綏 経 由綏 遠 方 面 ニ輸 送 ニ関 シ宋 ノ諒 解 ヲ求 メ タリ ト ノ事 ナ リ。
四、 日 独 協定 ニ関 シ蘇 国 ノ不 満 ヲ感 ズ ベ キ ハ当 然 ナ ル モ当 地 ニ於 テ
ニ満 洲 国 ニ対 シ従来 ト甚 シ ク異 ナ ル態 度 ニ出 ヅ ル事 ナ カ ルベ シト 一 般 ニ観 察 シ ツ ツ アリ 五 、当 部 先 任 参 謀 北支 方面 視 察 観 察 閻 錫 山宋 哲 元韓 復榘 等 蒋介 石 ノ 要望 ア ル モ日本 ガ内 蒙 軍 ニ対 シ好 意 ヲ有 ス ル コト ヲ標 榜 スル限 リ積
北平 輔 佐 官
(二 二 六) 特 二七
三 〇︱ 一六〇 〇
極 的 ニ ハ動 カ ザ ル ベ ク天津 軍 ハ冀 察 ニ影 響 来 ラ ザ ル限 リ静 観 ノ態 度 ヲト ル ベ シ
一九
北平 発 電 信 所受
一、綏 遠 時 局 ノ渦 中 ニ 二 十 九路 軍 ヲ巻 キ 込 マル ル コト ハ全 然蒋 介 石
一八 三〇 一〇 三 四
ノ術 中 ニ陥 ル モノ ニシテ厳 ニ戒 心 ヲ要 スルト コ ロ宋 哲 元 モ之 ヲ見 抜
二 三
次 官 、駐 満 海 、 三艦 隊参 謀 長 、 佐 藤
一二
次 長 、 旅 要参 謀 長 、天 津 駐 在武 官
キ ア ル モ巧 妙 ナ ル南 方 ノ魔 手絶 エザ ル ニ ヨリ自 分 ハ極 力 宋 ニ戒 心 ノ
一 一
機 密 第 二 三九 番電
進 言 ヲ怠 ラズ
二、 更 ニ第 二十 九 路 軍 各 師 長 ニ対 シテ ハ戸 別訪 問 ニ ヨリ利 害 ノ帰 ス
諜者報
ニ同 軍 関 係 其 ノ他 各 課長 級 ニ極 力 自 重 スベ キ旨 訓 告 ヲ与 ヘタ リ (以
ル所 ヲ説 キ 大 局 上厳 ニ自 重 ヲ強 調 シ皆之 ヲ了 セ リ現 ニ昨 五 日宋 ハ密
一、 陳 誠 並 ニ中 央綏 遠 各 将 領 ハ百 霊 廟 占領 ニ気 ヲ良 ク シ綏 遠 ニ於 テ 軍 事 会 議 ヲ開 キ蒋 介 石 ノ命 ニ依 ルト テ 北部 察 哈 爾 奪 回 ヲ決 議 シ第 二
上第 一、 第 二項 共松 室少 将 及在 津 宋 派要 人連 ノ言 ト符 合 ス)
十 九 軍 ヲシ テ其 第 一線 ニ立 タ シメ ント 計 画 セリ冀 察 ヨリ綏 遠 ニ派遣 中 ノ連絡 者 ハ右 計 画 ヲ携 行 急遽 帰 平 シ宋 哲 元 ニ報 告 セ ルガ宋 ハ第 二
ヨリ宋 哲 元 ヲ シテ 調停 ニ立 タ セ テ ハト ノ口吻 ヲ漏 セ ル ニヨ ル小 官 ハ
リト シ之 カ (一符字 不 明) 如 何 ニ依 ル宋 、 韓 ト連 絡 運 用 上 ノ 一手 段
三 、陳 ハ青 島 問 題 ニ関 シ テ我 方 ノ意 向 ヲ尋 ヌルト 共 ニ極 秘 ノ私 見 ナ
カ青 機 密 第 六 三六番 電 ノ如 ク事 前 公 然 ノ協 定 ナ ク独 自 ノ見 地 ヨリ本
全 面 的 交 渉 進 捗 シ極 メテ機 微 ナ ル状 勢 ニア ル ニモ拘 ラズ 関東 軍 当局
二、 而 シテ南 京 ニ於 テ ハ現 下 我海 軍 支援 下 ニ協 力 一致 シ日支 両国 ノ
ル モノ ト推 定 ス
局
一 二
長
七
二一 ノ 二
事 件 ヲ惹 起 シ右 交渉 ニ 一大 支 障 ヲ生 ゼ シ ム ル ニ至 ラ ント ス ル ハ誠 ニ
我 カ 当 局累 次 ノ声 明 ニ基 キ我 海 軍 ノ公 正 ナ ル立 場 ヲ詳説 シ冀 察 当 局
務
其 ノ三
旅 要 参謀 長
(五 六 一)
ト シテ ハ此 ノ際 飽 ク迄 現 時 局 外 ニ超 然 ト シテ自 体 ノ安 定 ニ専 念 スル
軍
軍令部第 三部長
結 果 ニ至 ラ ント ス
国策 遂 行 ニ 一大 汚 点 ヲ印 シ我 国 際 信 義 ニモ影響 スベ ク誠 ニ憂 フベ キ
将 来 右 ノ如 キ事 態 ヲ繰 返 ヘシ今 ニシ テ之 ガ是 正 ニ努 メザ ラ ン カ我
機 密 第 五 一番 電
一七二六 旅順 発 二八三七 電信所受
遺 憾 千 万 ニシ テ断 ジ テ容 認 シ得 ザ ル モノ ナ リ
六︱ 一八○ ○
(五 三 六)
旅 要参 謀 長
一一
カ目 下 ノ急 務 ニシ テ軽 々 ニ時 局 利 用 ノ策 ニ出 ズ ル ハ却 テ南 方側 ヨリ
ヲ確 ト申 入 レ置 ケ リ。
旅順 発 電 信 所受
逆 利 用 サ ル ル機 会 ヲ滋 ク ス ル ニ過 ギ ザ ル ヲ以 テ大 ニ戒 心 ヲ要 ス ル旨
七 長
一四 五 五 一五 一六
二 一ノ 一 一 二
務 局
一一
軍 軍令部第 三部長
三 、中 央 ニ於 テ モ既 ニ御留 意 ノ コト ト思 考 ス ル モ此 ノ機 会 ニ於 テ陸
其 ノ 一、其 ノ 二
軍 当事 者 ヲ猛 省 セ シ メ断 乎 斯 ノ如 キ独 自 専断 的 謀 略 ヲ芟 除 ス ル ノ要
機 密第 五 一番 電
一、 北支 武 官 其 ノ他 ノ情報 ヲ綜 合 スル ニ今 回 ノ綏 遠 事 件 ハ関東 軍 ノ
八
駐満 海参 謀 長
(六 四 六) 特 二七
七 ︱ 一四 〇 〇
内 面 的指 導 ニ依 ル モ ノ ニ シテ内 蒙 軍 ニ対 ス ル作 戦 指 導 並 ニ航 空 機 戦
一 二
二二
ア リト 認 ム
一一
一七三〇 新京 発 一八四五 電信所受
車等 提 供 ハ勿 論 其 ノ他 各種 ノ兵 器 、 軍 需 品 ニ於 テ モ今 年 初 頭 以 来 山 海 関豊 台 ヨリ平 綏 線 ヲ経 テ張 家 口 ニ至 リ 爾 後 百 数 十 台 ノ ﹁ト ラ ッ ク﹂ ニテ輸 送 セ ラ レ タ ル モ ノ約 二十 瓲 ニ達 ス ルガ如 ク尚 モ其規 模 相
シ暗黙 ノ内 ニ承 認 シ居 ル ニア ラ ザ ル ヤ ヲ推 定 サ ル ルモ ノ アリ
当 大 ナ ル関 係 上陸 軍 中 央 当 局 ニ於 テ モ本 計 画 ノ概 要 事 前 ニ之 ヲ了 知
又 軍需 品 ハ豊 台 ヲ通 過 ス ル関 係 上 支 那側 ニ於 テ モ全 部 之 ヲ諜知 シ居
局
長
次 官 、 駐満 海 、 三艦 隊 、 旅要 各 参謀 長
次 長 、 在支 館 附 、 天津 駐 在 各 武 官 、 北平 輔 佐 官
務
軍 令 部 三部 長 軍
九 日綏 遠 中 央 通信 社 電 ニ依 レ バ大廟 ハ九 日夜 占 領 セ ラ レ王英 部 隊 、
京 第 八 三番 電
二五 一 二
一〇
一 三三〇
一 三四 〇 一五 三 二 一五 四 六
新京
発
電信所受
其 ノ 一、 其 ノ 二
一 〇
駐満海軍部参謀長
(八〇 四、 八 一○ )
日
機 密 第 五番 電
一一
ハ潰 滅 シ又王 英 部 下 金 甲 三 ハ部 下 ヲ率 ヰ 帰順 セリ ト云 フ。
関 東 軍 ノ綏 遠 問題 ニ対 ス ル観察 ハ当 分 対峙 ノ情 況 ニテ大 ナ ル変 化
八︱ 一七 三〇
尚 本 問 題 ニ関 連 シ今 村 副 長 連 絡 ノ為 上京 セ ル趣 ナ リ。
ハナ カ ルベ シト
九
二三 一 二
軍令部第 三部長
一一
軍
一七 五 〇 南京 発 (七 五 一) 支 一 二 一三 一 電信所受 在南京 中 原 武 官
次官 、駐 満 海 、 旅要 各 司令 官
機 密 第 六番 電
局 長
次長 、 三艦 隊 参謀 長 、在 支 館 付 、 北支 駐在 各 武 官
ン モ寒 サ等 ノ関 係 上 大 体 ニ於 テ現 下 対峙 ノ形勢 ノ儘 二月 頃 迄 ハ大 ナ
一、綏 遠 ノ形勢 ハ蒋 ノ決 意 ノ如何 ニ依 リ或 ハ変 化 ヲ生 ズ ル コト ア ラ
務
京 第 八 二番 電 綏 遠 情 勢 ニ関 ス ル中央 通信 社 報 道 (八 日 )
ル進 展 ナカ ルベ シ (綏 遠 ヨリ歸 京 ノ武 藤 大 佐 談 )
一、国 軍 ハ七 日夜 大廟 附 近山 地 ヲ占 領 八 日朝 尚 交 戦 中 二、 王英 部 下 騎 兵 旅 長 石玉 山 ハ部 下 三 団 ヲ率 ヰ帰 順 セ リ其 ノ他綏 北
日
今 日迄 ノ処 内 蒙 側 ハ未 ダ従 来 ノ勢 力 範 囲 ニ支那 軍 側 ニ 一 歩モ
施 困難 ナ ルト共 ニ支 那 側 ニ対 シテ ハ徒 ラ ニ其増 長 ヲ招 来 シ 日支 間
侵 入 セラ レア ラザ ル モ此 儘 内蒙 軍 ノ鉾 ヲ収 メ シ ム ル コト ハ其 ノ実
二
針 ニ依 リ現 状 以上 積 極 的 ニ出 ラ レズ
リ内 蒙軍 ヲ通 ジ之 ヲ我 勢 力 ノ圏 内 ニ置 ク希 望 ヲ有 ス ル モ中 央 ノ方
関東 軍 ト シテ ハ内 蒙 ニ付 テ依 然 ト シ テ戦 略 上防 共 上 ノ見 地 ヨ
二、 今 日迄 ニ於 テ関 東 軍 側連 絡 ノ結 果 ヨリ判 ズ ル ニ
九
一 二五〇 南京 発 電 信所受 (七 九七 ) 支 一 在南京 中 原 武 官 一四 一 一
一
方面 匪 偽 軍 続 々帰順 既 ニ二〇 〇 〇 ニ達 ス
二四 一二
一〇
三 、 王英 ハ八 日参謀 長冠 子厳 ヲ綏 遠 城 ニ派 遣帰 順 ニ関 シ折 衝 セリ。
一一
ノ関 係 ヲ悪 化 シ其 ノ影響 ハ直 チ ニ北 支 ニ及 ブ ベ シ
二、 本件 ニ対 シ当 方 ト シテ ハ綏 遠 問 題 ヲ切 離 シ テ考 フ ル ハ適 当 ナ ラ
レ度
達 シ中 央 ニ於 ケ ル帝 国 ノ方 針 決定 ヲ速 ナ ラ シ ム ル様 然 ルベ ク取 計 ラ
ズ寧 ロ対支 問 題 ノ 一部 ト シテ 処理 ス ルヲ可 ト認 ム即 チ 日支 交 渉 行 悩
現 状 ニ於 テ ハ両軍 対抗 シ得 ベ キ状 況 ニア ル モ支 那 側 ノ 正規 軍
ハ数 ニ於 テ訓練 ニ於 テ優 レル ハ認 メ ラ ル ル所 而 シ テ 一方 支 那側 ガ
三
内 蒙 軍 ヲ圧迫 シ其 ノ機 ニ乗 ジ勢 力範 囲 ニ侵 入 シ来 ル如 キ コト ア ラ
メ ル現 状 ニ鑑 ミ武 力 行 使 ノ堅 確 ナ ル決 意 ノ下 ニ従 来 ノ交 渉 不調 ノ案
文
一 二 ︱ 一八 三〇
委細
件 等 ノ処 理 打 解 ヲ計 リ以 テ 対支 問 題 ノ全 面 的 解 決 ヲ計 ルト共 ニ之 ニ
一一
バ土 肥 原秦 徳順 協 定 (地 方 的 協 定 小官 モ始 メ テ承 知 ス) ニ牴 触 ス
一 二
二七
依 リ綏 遠 問 題 ノ解 決 ニ導 ク如 ク努 ム ルヲ要 スト 認 メ ツ ツア リ
一一
ル コト ト ナ リ関 東 軍 ト シ テ ハ出 兵 ノ理 由 ヲ見 出 ス コト ト ナ ル モ関
︱一 三 三〇
南京 発 一 電信所受 (九 一八) 支 在南京 中 原 武 官
次長、天津 駐在武官 、北平輔佐官、在 支館附武官
次官、駐満海、旅要、三艦隊各参謀長
一九〇 〇 二 三 四〇
外出 兵 ハ勅 裁 ヲ要 スル コト 勿論 ナ リ ト シ如 何 ニ結 果 ヲ導 ク ベ キ カ
一〇
(九 九 四)
御参考迄 ニ
ニ付 テ苦 慮 シツ ツ ア リ ︹ 均︺ 三、 今 村 副長 ノ上京 ハ右 ニ付 キ現 況 ニ対 ス ル処 理 方針 及将 来 ノ推 移
新京 発 電信所受
ニ応 ズ ル備等 ニ関 シ中 央 ト ノ打 合 セ ノ為 ナ リト 認 ム
二六 一 二 一八 三 〇 一 三 ○〇 五七
十日綏 遠中央通信 社電 ニ依 レバ
一 二
官
一一
長
京第八 四番電
次
駐満海軍部参謀長 次
八 日以後綏北方面 ニ於 テ帰順 セルモノ師長金奎斌、副師長王恵民、
動車 一○余輌 砲四門機関銃 二〇余挺 其他 馬匹無電機弾薬輜重文件等
蔭梧等 主要軍官二〇〇余人手兵 五〇〇〇余 人 ニ達 シ尚其携行 セル自
旅長石玉山、葛子厚、趙奎 閣、団長 張占山、祁鳳林、憲兵大隊 長張
機密第 一〇番電 綏 遠 ノ現 状 ハ事 態逼 迫 シ居 ルモ ノト ハ認 メ ザ ル モ此 際 先 般 ノ綏 遠
多数 ナリト謂 フ。
一、昨 日午 後 関 東 軍 参 謀長 ヨリ左 記 要 旨 ノ話 ア リ
ニ関 ス ル外 務 省 ノ声 明 ヲ変 更 シ必 要 ニ応 ジ武 力 (関 東 軍 ノ) ヲ行 使
十 一日
ス ル如 キ帝 国 ノ方針 ト ス ルノ要 ヲ認 メ ラ ル ル ヲ以 テ今 村 副 長 ヲ打 合 セ連 絡 ノ為 上 京 セ シメ タ リ何 レ陸 軍 中 央 又 ハ今 村 副 長 ヨリ直接 海 軍 中 央 部 ト打 合 セ ア ル ヘキ モ貴 方 ヨリ海 軍 中 央 部 ニ当方 面 ノ事 情 ヲ通
二八 一三 五〇 一五 一五
上海 発 電信 所受 (九 六〇 ) 特 二 四
一
山西 軍 ハ大 廟 ヲ攻 撃 有 利 ナ ル結果 ヲ得 タ ルモ未 ダ 勝利 ヲ得 ル ニ
偽軍 百靈 廟 ヲ反 攻 シ テ失 敗 セ ル ヲ以 テ熱 河 軍 ト 合同 興和 陶 林 ヲ
至 ラズ 二
侵 サ ント シア リ 又 一部 ハ南 濠塹 ヨリ察 省 辺境 ニ沿 ヒ陽高 天 鎮 ヲ攻 撃
一 二
セ ント企 図 シア リ
一 二
次 官 、 駐 満 海 、 五 水戦 隊 、 十 一戦 隊 、旅 要 、 上海 特 陸 各 司 令 官
三
一一
次 長 、 三艦 隊参 謀 長、 福 州 、 廣 東 、 北 支、 漢 口、 南 京 各 駐在 武官 、
上海特務機関首席武官
臺 北在 勤 武 官
千 到 着 商都 ニ日本 化 学 兵 聯 隊 到 着 セ リト。
イ
一四
三〇 ノ 一 一 二
五
天津
発
一三︱ 一 一〇 〇
三 電信所受 (一〇 七七 ) 在天津 久保 田武 官
一 三︱ 二 三 一五
一 二
其 ノ 一、 二
軍 ハ各 種 ノ状 況 (張 學良 ノ惨 忍性 ト今 回 ノ対 中央 声 明 ニ (一
就 イ テ ハ陸 軍中 央 へ電 報 済 ミ ナ リト)
幕 僚 ガ本 タ 帰 津 スル ヲ俟 チ参 謀 長 ト ノ会 談 ノ要 旨 (下 記軍 ノ態 度 ニ
一、 天津 駐屯 軍 ノ態 度 並 ニ観 察 ヲ糺 スベ ク検 閲 ノ為 赴 平 中 ノ司 令 官
西 安兵 変 ニ就 キ
機 密 第 一七 一番 電
駐 満 海 司 令官 、 上海 駐 在 武 官 、 北 平輔 佐 官
次 官 、 次 長 、 三艦 隊 参 謀 長
一一
熱 河軍 張海 鵬 部 隊 ハ既 ニ張 北 ニ到 着 セ リ尚 多倫 ニ ハ日 本軍 約 三
機 密 第 一二一 番 電 綏 遠 問 題 ニ関 ス ル北 平某 国 側 情 報 十 日附 支 那 紙 ハ綏 遠 軍 ノ大 廟 占 拠 ノ報 ヲ記 載 シ、居 所 信 頼 スル ニ 足 ル某 外 人 ノ綏遠 ヨリ ノ帰 来 談 ニ依 レバ 大廟 占 領 ハ綏 遠 軍 ノ北察 軍 反 撃 ノ第 一目 的 ニア リ タ ルガ現 在 ノ作 戦 計 画 ハ商 都 及 嘉 ト 寺 占 拠 ニ
一二︱ 一 一三〇
十 二 日
尚 右 外 人 ノ談 ニ依 レバ南 京 軍 三ケ 師 ハ大同 ヨリ平 地 泉 ニ配 備 サ レ
アサ
二九 一 二
一三
ア ル モ政 府 軍 飛 行 機 ハ戦 線 ニ参 加 シ ア ラズ 。
一一
後 策決 定振 リ快 速 ト積 極 的 、蒋 介 石 ガ 第 一回 西安 訪 問 ノ際 東 北 系
符 字 不 明 ) 対 日宣 戦 布 告 ノ難 題 ヲ吹 キ掛 ケ、 南 京 政 府 ノ事 件 、 善
青 年将 校 ヲ痛 罵 セル ニ因 ス ル反 感 激 成 等 、 以 上 ハ北平 支 那 要 人 連
一四三○ 北平 発 一九四五 電信所受 (一○ 二 三) 特 二三 在 北平 桑 原 輔 佐官
機 密第 二四〇番電
亦 似 タ ル観 測 シア リト ) ヨリ推 シ未 ダ 確 証 ナ キ モ蒋 介 石 ハ既 ニ殺
長
Y情報
次
十 二月十 一日劉汝 明発宋哲元宛密電 要旨
軍 ト シ テ ハ蒋 介 石 無 シ ト セバ華 北 ノ関 スル限 リ将 来 ノ情 勢 好
害 サ レタ リ ト想 像 ス ロ
シ ツ ツ モ憂色 ヲ認 メ ザ リ シト )其 ノ自 然
転 ヲ想 像 シ得 ラ レザ ル ニ非 ズト ナ シ ( 本 日参 謀 長 ノ観 取 セ ル冀 察 要 人 連 ノ態 度 ハソ ハ〓 情 勢 ヲ正 シ ク捕 へ帝 国 既 定 方 針 ニ基 キ北 支 分 治 完 成 ニ漸 進 ノ好 機
二 二〇 ○
一
三一
九 ニ急 落 ス。
一一
一五 一 二 一六
長
三二 一 二
局
二 二
二二 二 〇 一〇 二〇
在北平
北平 発 電 信所 受
一五 一五
一三三〇
電 信 所受
新京 発
一三 ︱ 二二〇 〇
(一 二 八 三)
桑 原輔 佐官
駐満 海軍部参謀長
(二 一 三〇 )
一五︱ 二 二〇 〇
公 主嶺 機 械 化兵 団 ノ 一部 綏 遠 出動 ノ命 下 リ既 ニ出動 セリ ト
務
一一
本件部外厳秘
ロ
(満 鉄 ヨリ派 遣 ) 等 約 二十 名 ノ邦 人 戦死 セリ ト
大 廟 占 領 セ ラ レシ際 特 務 機 関 員蒙 古 軍 輸 送 隊 ト ラ ツク運 転 手
某 方 面 ヨリ ノ確報 ニ依 レバ
次 官 、 駐 満 海 参謀 長 、 三艦 隊 参 謀 長
会 ナ リト 看 アリ但 シ我 方 ト シ テ従 来失 敗 ノ轍 ヲ踏 マザ ル様 飽 ク迄
一三︱
(一〇 九 七 )
久 保 田武 官
イ
次 長 、 旅 要 三 謀 長 、 本 田在 支 館 附 武官 、天 津 出 張 員
天津 発
火 事 ド ロ式 且無 用 ノ圧 迫 ヲ避 ケ主 ト シテ積 極 的 ニ経 済提 携 ヲ以 テ
電信所受
臨 ム ヲ必 要 ト ス尚 刻 々変 化 シ ツ ツ ア ル支 那 全 情 勢 ハ予 断 ヲ許 サ ザ
一五 四 二
機 密 第 二四 四 番 電
一四
三〇ノ二 一 二
在天津
〇〇 三〇
ル ニ依 リ以 上 ノ企 図 ノ下 ニ当 分 静 観 スト (本 電 未 完 )
一一
次 官 、 次 長 、 三艦 隊 参 謀 長
其 ノ三
駐 満 海 参 謀 長 、 上海 駐 在 武 官 、 北 平輔 佐官 機 密 第 一七 一番 電
軍 ハ此 際綏 東 問 題 ヲ是 以上 拡 大 セ シ メザ ル コト 及 上海 青 島 其
ノ他 ノ方 面 ニ於 テ モ亦 支 那 側 ニ刺 激 ヲ与 ヘザ ル ヲ希望 シ右中 央 ニ
ハ
軍
軍令部第三部長
モ進 言 セ リト
機密第 一五番電 親 展 イ
西安事変 ニ伴 ヒ内蒙軍中 ニハ殊 ニ王英 ノ如 キ ハ之 ヲ好機 トシ
一、綏遠情況昨日帰京 セル徳化特務機関長 (田中参謀)談要旨
二 、 以上 軍 ノ態 度観 察 ニ ハ小官 モ概 ネ 同感 ナ リ現 地 ト シ テ ハ走 馬 燈
︹八 カ︺
的 動 キ ニ誘 ハレ軽 挙 ス ル コト ナ ク暫 ラク 成行 キ注 視 ノ要 ア ル旨 私見 ヲ開 陳 シ置 ケ リ 三、 天津 方 面 特 ニ異 状 ヲ認 メ ズ本 十 三 日 銀 相場 九 十 五 ・五 ヨリ 九 十
二、同 大 佐 ハ状 況 報 告 旁 々明 十 六 日発 上京 ノ 予定 綏 遠 方 面 並 ニ当 方
在南京
一
中原武官
(八 六 九) 支
一五︱ 一九 三〇
積 極 的行 動 ニ移 ルヲ可 ト ス ル意 味 ノ モノ相 当 ア リ シ モ漸 ク之 ヲ説
南京 発 電信所受
面 ノ状 況 ニ就 テ ハ同 大 佐 ニ連 絡 ヲト ラ ル ル様 致 シ度
一六
三四 一 二 一
一三 一五 一五 三四
キ新 聞 報 ノ如 キ声 明 ヲ発 表 シ自 重 的 態度 ニ出 ヅ ル コト ニナ レリ 綏 遠 軍 ハ寒 気 ト事 変 ノ為 意 気 全 ク 沮喪 シ凍 傷 患 者 数 千 名 ニ昇 ル 由 ニテ傅 作義 軍 ノ如 キ ハ遠 カ ラズ 内 部 ヨリ崩 壊 スベ シト観 測 セラ ル 要 スル ニ綏遠 問 題 ハ差 当 リ格 好 良 キ結 末 ニ至 リ タ ルモ ノト 認 メ ラ
次官 、 駐 満 海 、 五水 戦 、 旅 要 、 十 一戦各 司令 官
ル
次長 、 三艦 隊参 謀 長 、 在 支 各 地 、在 支 館 附各 武 官
イ
義捐金総額
義 捐 金 送 付各 機 関 団 体数
一七 三六
軍 令 部 第 十 一課
十 六 日
(一 一〇 )
一、 二 四三 、 〇 六 六 元。
ロ
十 一月 二十 三 日以 降 十 二月 三十 一日迄 ニ受 領 セ ル モノ 左 ノ如 シ
来 国内 外 各 機 関 団 体 同 志同 胞 ヨリ勦 匪 軍慰 労義 捐 金 続 々送 付 シ来 リ
晋 綏 勦 匪 軍 総 指 揮 部 軍 民聯 合 委 員 会 発 表 ニ依 レバ綏 遠 問 題 発 生 以
京 第 四番 電
二 、西 安 事 変 ニ関 シ テ ハ情報 精 粗 区 々 ニシ テ当 方 面未 ダ 明確 ナ ル情
駐満海 参謀 長
(八 二一 )
二 二︱ 一 二三〇
況 判断 ニ到 達 シ得 サ ル状 況 ナ リ
一五 二〇〇〇 六 〇〇四八
三三 一
新京 発 電信 所受
(本電 作 成 ニ誤 リ ア リ判読 ノ為 遅 レタ リ)
一 二
軍 務 局 長 、 軍 令部 三部 長 機 密 第 二十 五番 電 三五
昭和 一 二 年 二月 一〇 日
内 蒙 側 ノ内 面指 導 ニ就 テ ハ停 戦 声 明 ノ方針 ニ依 リ今 日迄 進 ミ
イ
南 京 外交 部
︱、十 四 日徳 化 ヨリ帰 京 ノ武 藤 大 佐 談要 旨
発
二月 八 日二 三 五〇 発 信
来 リ同 方 面 ハ二月初 旬 ニ ハ全 ク平 和状 態 ニ復 スベ シ (復 セ シ メ得
駐 日支 那 大使
ト シ目 下移 動 補 充 中 ﹂
︹蒙 古 軍 ハ最 近 王英 等 ノ兵 権 ヲ漸 次 削 減 シテ徳 王 一身 ニ集 中 セ ン
(暗 号 )
宛
西 安 事 変 ノ綏 遠 ニ対 ス ル影 響 ハ共 匪 ノ十 二月 末 ヨリ河 曲 方 面
ル見 込 ナ リ) ロ
ヘノ侵 出 ト ナ リ旧 東 北軍 ノ移 動 ニ就 テ モ注 意 ヲ要 ス ル モノ アリ ト 予 想 セラ ル最 悪 ノ場 合 ニ当 面 シ行 ク ヤ ノ感 アリ
八 日 六三 二番 電 八 一八 番 電 拝 誦 ( 辜 顕 栄 赴 支 ノ件 ) 四 日本 部 電御 落 手 ノ事 ト思 料 ス (綏 東 情 勢 通 知 ノ件 )
︹偽 軍 側 ハ 一月 二三 日重 要 軍 事 計 画 ヲ決 定 シ最 近 王英 等 ノ兵 権 ヲ
綏 遠 省 政 府 電 ニ依 レバ
漸 次 削 減 シ テ徳 王 一身 ニ集 中 セ ント シ目 下積 極 的 ニ移 動 補 充 中 ナ
配 付先
三部
リ﹂ ト右 通 知 ス
昭和 11
一
三七
二 〇七三 一
二三七号 ノ 一
有 田外 務 大 臣 第
暗
廿日後発 亜 十 月 廿 日夜 着 中根 領事代 理
同 外 務 電
張家 口 本 省
暗
二〇 七 三 三
張家 口 本 省
二十 日後 発 亜 十 月 二十 日夜 着 中根 領 事代 理
八 月 以降 綏 遠 、包 頭 ニ集積 サ レタ ル約 一千 二百 万両 ノ阿 片 ハ税
第 二三 七 号 ノ 二
有 田外 務 大 臣
昭和 11
旨 発 令 セ ル趣 ナ リ (続 ク)
三
金 徴 収 、密 輸 防 止 等 ノ関 係 ニテ全 部山 西 銀 行 綏 遠平 市官 銭 局 禁 煙 善
時 局情 報 一
ニ運 搬 ス ヘク命 シ目下 続 々輸 送 中 ナ ル趣 ナ リ
後 稽 査 処 ニ保管 中 ノ処 閻 錫 山 ハ万 一ノ場 合 ヲ慮 リ右 阿 片 ヲ速 ニ大 同
当 地電 報 局 方 面 ヨ リ諜 知 ス ル所 ニ依 レ ハ第 三十 五軍 参 謀 長陳 炳
ル防 禦 陣 地構 築 ノ進 行状 態 ヲ視 察 ノ上 中 央 ニ対 シ同 方 面 ノ防 禦 陣 地
謙 及山 西 砲 兵 司 令 周 玳 ハ旗 下營 、 卓 資 山 、 平 地泉 等 綏 東 方 面 ニ於 ケ
ハ山 西 鈔 票 ノ使 用 ヲ嫌 ヒ同 方 面 ニ於 テ ハ右 鈔 票 ハ現洋 一元 ニ対 シ八
四
綏 東 方 面 ノ時 局険 悪 化 セ リト ノ謡 言 ニ依 リ雁 門 以 北各 縣 ノ住 民
ハ全 ク完 備 スルト 共 ニ食 料 弾 薬 ノ補 給 、輸 送 自 動 車 隊 ノ集 結 等 一切
十 仙 替 交 通 、 中央 、中 国 各 銀 行 票 ニ対 シ八十 五仙 替 ニ下落 ス ル ニ至
平 地泉 ヨリ ノ報 告 ニ依 レ ハ第 三十 五軍 司令 部 ハ包 頭 、 綏 遠 、平
ノ戦 闘準 備 ヲ了 セ ル旨 報 告 セ ル趣 ナ リ 二
リ尚 続 落 ノ傾 向 ナ リト
天津 へ転 電 ア リタ シ
支 、北 平 、南 京 、満 、承 徳 へ転電 セリ
地 泉 等 各 地駐 屯 部 隊 長 ニ対 シ最 近時 局 切 迫 シ避 難 民 ノ続 出 ニ伴 ヒ糧 桟 等 ノ在 庫 糧 穀 ヲ大 同 、天 津方 面 へ廻 送 スル者 多 ク軍 需 、 食 料 品 ノ 欠 乏 ヲ来 ス惧 ア ル為 各 地 ノ糧穀 類 ハ 一切外 部 ヘノ搬 出 ヲ禁 止 ス ヘキ
一
昭和 11
二 暗
二二 一 二 八
有 田外務 大臣 第 二 六七 号 ノ 一 綏遠時局情報
張家 口 本 省
綏 遠 平 地 泉 及 大 同 ヨリ ノ報 告 ニ依 レ ハ
八 日前 発 亜 十 一月 八 日前 着 中根 領事代 理
綏 遠 ノ省政 府 ハ三 日省 内 各県 政 府 ヲ通 シ各 地 糧 桟 ニ対 シ糧 穀 類
ノ在 庫 数量 ヲ速 ニ報 告 ス ルト共 ニ自 今糧 穀 類 ノ外 部 搬 出 ヲ禁 止 ス ヘ キ旨 ノ防 穀 令 ヲ発 出 スルト 同 時 ニ省 内運 搬 業 者 ニ対 シテ モ軍 需 輸 送 ノ万 全 ヲ期 ス ル為 当 分 ノ間 運 輸業 ヲ停 止 ス ヘキ旨 通達 セ ル趣 ナ ルカ 右 ニ刺 戟 セラ レ事 変 勃 発 近 キ ヲ予想 セ ル綏 遠 ノ各穀 物 商 ハ穀 類 ノ価
綏 東 地 区 ニ於 ケ ル内蒙 独立 軍 ト支 那 軍 ト ハ 一日興 和 東 方 、 三日
方 ノ暴 騰 ヲ示 シ居 レ ル趣 ナ リ
格 騰 貴 ヲ見 越 シ盛 ナ ル買 占 ヲ行 ヘル為 穀 類 ハ 一石 ニ付 一円 乃 至 二円
二
卓資 山 北 方 五十 支 里 ノ地点 及大 六号 等 ニ於 テ前 哨 戦 ヲ試 ミ居 レ ル カ 本 格 的 衝 突 ノ危 機 ヲ孕 ミ ツ ツ対 峙 ノ模 様 ナ ル趣 ナ ル処 一方 軍事 委 員 会 ハ省 委 員 長代 理 ト シテ黎 参 謀 ヲ特 派 シ陶 林 一帯 ノ支 那 軍防 禦 陣 地
綏 遠 ニ於 ケ ル支 那 側 ノ飛 行場 拡 張 、 防 空 宣 伝 、 塹壕 構 築 、 壮 丁
ヲ視察 セ シ ム ルト共 ニ第 一線 兵 士 ヲ督 励 シ居 レ ル趣 ナ リ 三
募 集 及食 糧 買 上等 ハ時 局 切 迫 セ ル ヲ思 ハシ メ綏遠 新 聞 検 査 所 カ軍 記 事 掲載 ヲ厳 重禁 止 セ ル ニモ拘 ラ ス人 心 ニ大 動 揺 ヲ来 シ居 リ徳 王、 李
守 信 及 王 英 ノ蒙古 人 部隊 及 満 洲 国 軍 ハ十 日 以内 ニ興 和 、 平 地泉 、陶
林 ヲ突 破 シ綏 遠 ヲ攻 略 ス ヘシ ト ノ謡言 盛 ニ流 布 セラ レ傅 作義 ハ既 ニ
暗
張家 口 本 省
八 日前 発 亜 十 一月 八 日 前 着 中根領 事代 理
西 安 ニ逃 亡 セリ等 伝 ヘラ レ省 政 府 当 局 ハ謡 言 鎮 撫 ニ狂 奔 シ ツ ツア ル
二二 一 二 九
模 様 ナ リ (続 ク) 昭和 11
有 田外務大 臣
大 同 ニ於 テ ハ曩 ニ結 成 セラ レタ ル大 原 ノ共産 同 盟 会 等 ヨリ派 遣
第 二 六七号 ノ二
セ ラ レタ ル者 ノ地 方 工作 漸 ク顕 著 ト ナ リ タ ル ニヤ最 近同 地派 遣 所 及
四
鮮 人 医師 李 東 弼 方 附 近 ニ ハ抗 日救 国 、 打 倒 日 本 帝 国主 義 、打 倒 日本
化 セ ルヤ ニ見 受 ケ ラ ル ル趣 ナ リ
領 事 館 、打 倒 日本 人 及 日貨 排 斥 等 ノ楽 書 無 数 ニ行 ハレ人 心相 当 ニ硬
尚 綏 遠 在 留 民 ハ四 日 ヲ以 テ残 留 セ ル満鉄 社員 ハ引揚 ヲ了 シ同 地包
支 、 北 平 、 南 京 、満 へ転 電 セ リ
十 四 日後 発 情 、亜 十 一月 十 四 日夜 着 中 村 総 領 事
頭 、 平 地泉 ニ ハ ︱般 在 留 民 ハ皆 無 ト ナ レ リ
三
二 二 五 五六 略
廣東 本省
北 平 ヨリ天 津 へ転 報 ア リ タ シ
昭 和 11
有 田外 務 大 臣
十 四 日 ノ越華 報 ハ綏 東 、陶 林 ニ大戦 発 生 スナ ル見出 シノ 下 ニ中 央
第 五 三 六号
当 局 ヲ シ テ此 ノ決 意 ヲ予 メ世 界 ニ闡 明 セ シ メ決 然 勦 匪 ヲ断 行 ス ヘシ
放 置 シ得 ス故 ニ之 カ解 決 ニ ハ断 然 武 力 ヲ用 フ ルア ル ノ ミ政 府 ハ外交
明 シ来 ル コト ア リト ス ル モ這 ハ某 国 ノ陰 謀 ヲ自 ラ完 全 ニ世 界 ニ暴 露
斯 ク 手 ヲ尽 ス以 上 其 ノ間 若 シ不逞 ノ他 国 人 之 ニ参 加 シ居 レ ル事 実 判
ス ル モノ ニシ テ正義 ト 法理 ノ許 ス所 ニア ラ ス支 那 ト シテ ハ毫 モ問 ハ
一、 陶 林 方 面 ニテ ハ十 二 日夜 激 戦発 生 シ某 国 飛行 機 ハ連 日 前線 ヲ 飛
ル ヘキ責 任 ナ シト 論 シ又同 日 ノ新 民 報 ハ綏 東将 士 ニ対 ス ル慰 問 運 動
社 及 南華 社 ノ左 記要 旨ノ電 報 ヲ掲 ケ タ リ
ヒ偽 軍 ノ進 撃 ヲ援 助 ス十 三日 朝 某国 飛行 機 三台 ハ平 地 泉 ヲ偵 察 シ且
ヲ拡 大 ス ヘシ ト ノ論説 ヲ掲 ケ目 下既 ニ各 地 ニ擡 頭 シ来 レ ル此 ノ種 運
動 ノ拡 大 ヲ熱 論 シ居 レ ルカ本 項 運 動 ハ過 般 保 定 ノ学 生 及 江蘇 江 都縣
二、 十 二 日綏 遠 ノ東 北 一帯 ニ亘 リ小衝 突 ア リ偽 軍 十 一日 以来 ノ戦 闘 振 ハ従 前 ノ如 ク散 漫 ナ ラ ス戦 車 十 余 輛 参 加 シ居 レリ某 国 ハ偽 軍 ノ軟
ニ各 地 ニ波 及 シ来 リ現 ニ当 地 ニ於 テ モ各 学 生間 ニ義 捐 金 募 集 行 ハレ
監獄 ノ囚 人 カ 一食 ヲ減 シ献金 セリ等 ノ極端 ナ ル事 例 ニ刺 戟 セラ レ既
爆 弾 数 個 ヲ投 下 セリ傅 作 義 同 地 ニテ督 戦 中 ナ リ
弱 ニ不満 ヲ抱 キ其 ノ指導 的 立 場 ヨリ主 演者 タ ラ ント シ居 ル カ百靈 廟
五
二 二六 二六
暗
北平 本省
支 、 北 平 、天 津 、 張 家 口 へ転 電 セリ
昭和 11
有 田外務大 臣
十 六 日後 発 亜 十 一月 十 六 日後 着 加 藤 書 記 官
来 レ ル模 様 ニ付 今 後 ハ全 国的 ニ拡 大 ノ可 能 性 ア ル モ ノト認 メ ラ ル
附 近 ニ ハ日 軍 六 百 名到 着 シ尚 熱 河 ヨリ偽 軍 ヲ商 都 一帯 ニ増 派 中 ナ リ 支 、 満 、 北平 、 在支 各 総 領 事 へ転 電 セリ
四 二 二六 三 七 略
支 ヨリ上 海 へ転 報 ア リタ シ
昭和 11 南京 本省
十 六 日後 発 情 、亜 十 一月 十 六 日夜 着 須 磨 総 領 事
第 六 一 一号
有 田 外務 大 臣
綏 東 ヨリ最 近 来 平 セ ル者其 ノ他 ヨリ得 タ ル情 報 要 旨 左 ノ通
一、綏 東 方面 ニ ハ傅 作義 ノ七 十 三師 に一万 二、 三千 )綏 遠 、 旗 下 營 、
第 九 二七 号
ト ノ論 説 ヲ掲 ケ綏 東匪 軍 ノ背 後 ニ某 国 ア ル ハ蔽 フ ヘカ ラ サ ル事 実 ナ
ル堅 固 ナ リ
卓 資 山 、平 地泉 等 ノ地 点 ヲ主 ト シ ﹁ト ー チ カ﹂壕 塁 等 ヲ設 ケ防 禦 頗
綏 東 問 題 ニ関 シ本 十 六 日 ノ新 京 日報 ハ察 綏 ノ匪 禍 速 ニ勦 滅 ス ヘシ
ルカ若 シ我 方 ヨリ外交 的 ニ之 ヲ指 摘 セ ンカ某 国 ハ必 ス支 那 ノ内 政問
二、初 メ綏 東 方 面 ノ防 禦 ニ専 念 シ居 リ シ カ最 近綏 西 方 面 モ防 禦 工 事
題 ナ レ ハ我 ノ関 知 ス ル所 ニア ラ スト ノ遁 辞 ヲ用 ヒ効 果 ナ カ ル ヘシ但 シ綏 東 問 題 ハ支 那 ト シテ ハ存 亡 ニ関 ス ル重 大 問 題 ナ レ ハ断 シテ之 ヲ
アリ
ヲ行 ヘリ、包 頭 、五 原 方面 ニ ハ王 靖 國 ノ七 十師 及 七十 二師 ( 約 二万 )
旨 回示 セ リ
警 察 官 ハ何 分 ノ指 示 ア ル迄 特務 機 関 ト行 動 ヲ共 ニス ル コト然 ル ヘキ
申 聞 ケ置 キ 四囲 ノ情 勢 ニ応 シ臨 機 ノ措 置 ヲ執 ル ヘキ旨 並 ニ西 及派 遣
七 二 二六 六 二 略
北平 本省
支 、南 京 、 天 津 へ転 電 セリ
昭和 11
有 田外務 大臣 第 六 一五 号
方 北 平 、南 京 、 上 海 方 面 ニ於 ケ ル教 育 界 其 ノ他 各種 団体 ノ傅 作 義 軍
大 見 出 ヲ掲 ケ テ綏 遠 、張 家 口地 方 ヨリ ノ ﹁ニ ュー ス﹂ ヲ報 道 ス ル 一
両 三日来 当 地各 支 那 紙 ハ綏遠 問 題 ニ関 シ ︹セ ンセ ー シ ヨナ ル﹂ ノ
十 六 日後 発 情 、亜 十 一月十 六 日夜 着 加 藤 書 記 官
意 ヲ怠 ラ ス必 要 ナ ル情 報 ハ随 時 電 報 ス ヘキ旨 指 示 シ置 キ タ リ
尚 又山 西 側 ノ対 綏 遠 工作 並 ニ中 央 軍 ノ動静 等 ニ付 テ ハ此 ノ上 共注
三、 大 同 ニ ハ趙 承綬 ノ騎兵 一師 ア リ 四、 前 衛 ハ固 陽 、武 川 、陶 林 、 興 和 ノ線 ニア リ テ蒙 古 軍 ト 相 対峙 ス 五、 以 上綏 東 、綏 西 ニ配 置 セ ル綏 遠 側 総 兵力 約 四 万 ト称 セ ラ ル 六、 最 近 中央 軍 モ入 リ来 レ ルカ大 集 団 ヲ成 サ ス肩 章 ヲ外 シテ各 地方 軍 ニ混 入 シ居 ル カ如 シ 七 、 傅 作 義 ハ中 央 ヨリ最 近 六百 五十 万 元 ヲ受 ケ殆 ト其 ノ全 部 ヲ防禦 工作 ニ使 用 セリ 八 、綏 遠 其 ノ他 ニ ハ高射 砲 ヲ備 へ市 民 ニ防空 心得 ヲ説 キ居 レ リ 支 、 在 支 各 総領 事 、張 家 口、 鄭 州 へ転 電 セリ
六 二 二六 五 〇
支 ヨリ上 海 へ転 報 ア リ タ シ
昭和 11
何 人 モ知 悉 ノ要 ア リ綏遠 カ攻 撃 ヲ受 ク レ ハ必 スヤ進 行 中 ノ国 交 調節
北平 本省
ノ談 判 ニ重 大 ナ ル不良 ノ影 響 ヲ与 フ ヘシ目 下 ノ綏 東 、綏 北 ノ戦 争 ハ
暗
第六
歴 史 上永 ク 記録 セラ ル ヘク国 家 興 亡 ノ分 岐 点 ト ナ ル ヘシ事 茲 ニ至 リ
ハ ﹁如何 ニシテ綏 遠 ヲ守 ル ヘキ ヤ﹂ ト題 シ綏 遠 ノ国 防 上 ノ重 要 性 ハ
ニ対 ス ル声 援 運 動 ノ状 況 ヲ詳 細 報 道 シ ツツ ア ル処 十 六 日 ノ華 北 日報
在 太 原 西 通 訳 生 ヨリ綏 遠 方 面 ノ形 勢 ニ鑑 ミ 太 原 ニ於 テ万 一対 日情
十 六 日後 発 亜 十 一月 十 六 日夜 着 加 藤 書 記 官
勢 悪 化 シ タ ル場 合 ノ居 留 民保 護 其 ノ他 ノ措 置 振 ニ付 指 示 ヲ仰 キ 来 レ
テ ハ唯守 土救 国 ノ有 効 ナ ル実 際 行 動 延 イ テ国 人 一致 奮 起 シ政 府 ヲ援
一 三号
ル ニ付 特 務 機 関 ト モ緊 密 ニ聯 絡 シ山 西 当 局 ニ対 シ本 邦 人 ノ切 実 ナ ル
ヲ実 践 セ シ ム ル ヲ要 スト テ挙 国 一致統 一セ ル方 策 ノ下 ニ奮 闘 ス ヘキ
助 シ テ所 謂 ﹁之 以 上再 ヒ領 土 ノ蹂 躙 ヲ受 ク ル コト能 ハス﹂ ト ノ主張
有 田外務 大臣
シ テ ハ何 時 タ リ ト モ特 務 機 関 内 又 ハ北平 ニ引 揚 ケ得 ル様 準 備 方 内 々
保 護 方 重 ネ テ申 入 ル ルト共 ニ居 留 民 (三 十 四名 内 婦 女 子 五 名 ) ニ対
及 満 鉄 派 遣 員 二 名 ノミ ナ ルカ朝 鮮 人 医 師 ハ日 本 ノ走 狗 ナ リ トテ患 者
等 ハ寄 付 カサ ル状 態 ニテ警 察 官 ハ目 ノ仇 ト セラ レ居 レリ満 鉄社 員 ハ
支 、 北 平 、 在 支各 総 領 事 へ転 電 セ リ
引 揚 ク ル意 思 ナ キ モ ノ ノ如 シ為 念
九
二 二七 三 三 暗
漢 口 ヨリ鄭 州 へ転 電 アリ タ シ
昭和 11
張家 口 本 省
十 七 日後 発 亜 十 一月 十 七 日夜 着 央根 領事 代理
キ タ リ尚 鮮 人 医 師 ハ妻 ノ名 義 ニテ土 地 建 物 ヲ所有 シ居 レ リ目 下 ノ処
者 ト モ緊 密 ニ聯 絡 シ適 当 ノ時 機 ニ引 揚 ク ヘキ旨 電 報 ヲ以 テ指 示 シ置
電 ヲ 以 テ承 認 ヲ経 タ リ) シ タ ル カ本 日更 ニ派 遣 所 長 宛 特 務 機 関 関係
ヲ与 フ ル為 十 六 日夜 古 川園 書 記 生 、 大脇 巡 査 ヲ同 地 ニ派 遣 (既 ニ貴
支 、 在支 各 総 領 事 、 張 家 口 へ転電 セリ
旨 論 シ居 レリ
十 七 日後 発 亜 十 ︱月 十 七 日夜 着 中根領 事代 理
十 七 日引 揚 ク ル予定 ナ ルヲ以 テ不 取敢 警 察 官 ノ家 族 収 容 旁 緊急 指 示
八 二 二七 二 四 暗 張家 口 本 省
支 ヨリ上海 へ転 報 ア リ タ シ
昭和 11
有 田外務 大臣 第 二七 八 号 大 同 方 面 ノ情 報 左 ノ通 一、蒙 古 側 王英 部 隊 ハ十 四 日 以 来主 力 ヲ以 テ興 和 附 近 ノ山 西 軍 ト交 戦 シ ツ ツ アリ趙 承綬 ハ万 一ノ場 合大 同 ノ防 備 薄 弱 ニシ テ支 フ ヘカ ラ サ ラ ン コト ヲ惧 レ同 地 平 地泉 間 及同 地陽 高 間 ニ於 テ平綏 線 ヲ切断 ス
有 田外務 大臣
ル計 画 ア リト 称 セ ラ ル 二、 王 英 側 ハ大 同方 面 ニ於 ケ ル中央 軍 ト山 西 軍 ト ノ軋 轢 ニ乗 シ李 服
興和 縣 ヨリ避 難 シ来 レ ル同 地郵 便 局 長 家 族 ノ談 左 ノ通
晋 綏 軍 ハ十 四 日午 後 興和 ノ西 方 六 十 支 里 ノ 地点 (地 名 不 詳 ) ニ於
第 二八 〇 号
テ 王英 部 隊 ト衝 突 、爾 来 同 方 面 ノ交 通 通信 ハ不通 ト ナリ 十 五 日蒙 古
庸 及 趙 承 綬 部隊 ノ 一部 旅 長 等 ヲ通 シ山西 軍 ヲ兵 変 ニ導 カ ント シ其 ノ
三 、 前 線 ヨリ大 同 ニ後 送 セ ラ レタ ル負 傷 兵 ハ五十 名 以 上 ニ達 シ蒙 古
軍 飛行 機 七 台 興 和 ノ上空 ニ現 レ爆 撃 ヲ行 フ コト ナ ク北 方 ニ飛 ヒ去 レ
工作 相 当 進 展 シ居 ル模 様 ナ リ
公道 団 ノ指 導 ニ依 ル排 日運 動 漸 ク露 骨 ト ナ リ十 五 日 大同 基 督 教 青 年
ルカ之 カ為 民 心動 揺 混 乱 ニ陥 レ リ目 下 同 地 ハ趙 承 綬 部 下 ノ騎兵 約 一
軍 ノ背 後 ニ日 本 アリ ト宣 伝 シ テ民衆 ノ 対 日反 感 ヲ煽 リツ ツ ア ル 一方
会 館 ニ於 テ抗 日具体 策 ニ関 スル協 議 開催 セラ レタ リ
支 、 北 平 、天 津 、南 京 へ転 電 セ リ
千 ト自 衛 団 一千 五百之 カ守 備 ニ当 リ居 レ リ云 々
(支 那 人 ヲ妻 ト ス) ノ外 当 館 派 遣警 察 官 四戸 、 特務 機 関 関 係 者 一戸
四 、現 在 同 地 ニア ル本 邦 人 ハ十年 以 上開 業 シ 来 レ ル朝 鮮 医 師 一戸
昭和11
一〇 二二七七三 略
有 田外務 大臣
南京 本省
十八日後発 亜 十 一月十八日後着 須 磨総 領 事
有 田外務 大 臣 第 五四 五号 往 電 第 五三 六 号 ニ関 シ
中 村 総 領 事
当 地各 漢 字 紙 ハ綏 東 方 面 ノ戦 況 ニ関 シ大 々的 見 出 ヲ附 シ中央 社、
華 南 社 等 各 地 ノ通信 ヲ掲 載 シ居 レ ルカ十 八 日廣 州 民 国 日 報 ハ ﹁偽 軍
ヲ併 呑 シ中 国 ノ支 配 権 ヲ獲 得 セ ント ス ル ニア リ之 カ目 的 達 成 ノ為 国
交 調整 ヲ説 キ外交 交渉 ニ入 レ ル モ ノナ ル カ防 共 、 北 支 ノ両 問 題 モ其
ノ綏 遠 侵 略 ハ日 本 ノ大陸 政 策 遂 行 ニアリ 先 ツ綏 東 ヲ窺 ヒ更 ニ内蒙 古
ノ重 心 ハ大 陸 政 策 遂行 ニア リ今 次 ノ積 極 的綏 遠 進 出 ハ外 交 上 偶 然 ノ
第 九三 一号 其 ノ後各新聞社 ニ於 テ モ慰問金品 ノ代理受付 ヲ開始 スル等本項運
副 作 用 ニア ラ ス﹂ ト 論 シ同 日 ノ国華 報 ハ ﹁某 国 ハ一蒙 古 占領 ニ依 リ
往電第九 二七号 ニ関 シ 動 ハ益 々拡大 ノ模 様 ニ見受 ケラルル処 中央宣伝部 ハ国防建設拡大ノ
大 陸 政 策 ヲ達 成 セ ント シ二 蘇 聯 ト中 国 辺疆 ト ノ連 絡 ヲ遮 断 セ ント シ
リ仍 テ中 央 政 府 ハ実 力 ヲ以 テ蒙 匪 ノ綏 遠 侵 入 ヲ阻 止 セ サ ル ヘカラ ス
ノ美 名 ニ依 リ国際 的 非 難 ヲ避 ケ得 ヘシト 思考 シテ茲 ニ綏遠 ヲ窺 ヒ タ
三 綏 東 地 方 ノ奥 地 ハ英 米 ノ注 意 ヲ惹 カ ス自 由 ニ蚕 食 シ得 四蒙 古 自 治
七箇条 ヲ頒布 シ之カ実施方 ヲ全国各級党 部 ニ命令 セル趣 ナ リ 記
為更 ニ昨十七日要領 左記 ノ如キ ︹国民貢献 一日所得運動推行〓法﹂ 左
シ
然 ラ サ レ ハ平綏 沿 線 及山 西 、 陝 西 ノ奥 地 モ河 北 ト同 一ノ運命 ニ陥 ル
一、各地党 部及政府 ハ本運動促進 ノ為同様名称 ノ委員会 ヲ組織 スヘ 二、個 人 ハ 一日 ノ所 得 、 会 社 商店 ハ 一日 ノ営 業 所 得 ヲ又機 関 学 校 団
昭和 11
一二 二 二二 七七二 暗
有 田外務 大臣
張家 口 本 省
十 八 日前 発 亜 十 一月 十八 日後 着 中根 領事代 理
支 、 北 平 、在 支各 総領 事 、 満 へ転 電 セリ
ヘシ﹂ ト論 シ居 レ リ
三、 民 衆 及 地 方 ノ有 力 者 ニ義捐 ヲ勧 誘 ス ヘシ
十 八 日後 発 十 一月 十 八 日 夜着
情 、亜
体 等 ハ 一日 ノ事務 経 費 ヲ献 金 ス ヘシ
一 一
廣東 本省
支 、 北 平 、 天津 、張 家 口、満 へ転電 セリ
四、 集 金 ハ総 テ 中央 財 政 委 員 会 ニ送 付 ス ヘシ
昭 和 11
二 二八 〇 四 略
第 二八 二号 南 京 政 府 ハ内蒙 古 、青 海 等 ノ王 侯 、 活仏 等 懐 柔 ノ為 其 ノ 一部約 三 十 名 ヲ十 二 月中 ニ南 京 ニ招 致 スル ニ決 シ既 ニ蒙 蔵 委 員 会 ヨリ電信 ヲ 以 テ当 該 王 侯 ニ通 知 シタ ル趣 ニテ綏 遠 省 内 ニテ此 ノ選 ニ入 レ ル者 烏
蘭札布盟長巴王、伊克 昭盟畏沙王等 王侯 十名活仏 四名 ナリ人名郵報
一三
支 、 北 平 、南 京 、 天津 へ転 電 セ リ
ス
昭和 11
二 二七 九 一 略 漢 口 本省
軍 慰 労 方 ニ付 賛 助方 ヲ促 シ タ ル趣 ナ リ
南京 本省
支 、 北 平 、在 支各 総 領 事 へ転 電 セ リ
一四 二 二八 七 七
略
支 ヨリ上海 へ転 報 ア リ タ シ
昭和 11
有 田外務大 臣
十 九 日後 発 亜 一月 十 九 日後 着 須 磨 総 領 事
最 近綏 遠 地 方 ノ講演 旅 行 ヨリ帰 来 セ ル中 央 大 学校 長 羅 家 倫 ハ支 那
第 九 三 七号
生 兵士 民衆 ニ講 演 セ ル外傅 作 義 、李 服 膺 、 趙 承 綬等 ニ モ会 見 シ十 四
今 回 ノ旅 行 ハ包 頭 、 綏 遠 、 十 八台 、 平 地 泉 等 ヲ含 ミ各 地 ニ於 テ学
新 聞記 者 ニ対 シ大 要 左 ノ如 キ 感想 談 ヲ為 シ タ ル趣 ナ リ
日 匪軍 ノ爆 撃 開 始 ノ時 ニモ尚 彼 ノ地 ニア リ親 シ ク実 状 ヲ見 聞 セ ルカ
十 八 日後 発 亜 、情 十 一月 十 八 日夜 着 三 浦 総 領 事
第 四 二〇 号
是 等 ヲ綜 合 シ テ自 分 ハ綏 遠 問 題 ニ対 シ テ ハ非 常 ニ興 奮 ヲ感 ス ルト共
有 田外 務 大 臣
綏 遠 問 題 ニ関 シ
宛 同 様 ノ電 報 ヲ発 シタ ルカ他 方 前 記 市 商 会 ニテ ハ同 日 ﹁漢 口市 民慰
始 ニ十 七 日 ニ ハ漢 合市 党 部 、 武 漢 大 学其 ノ他 小学 校 ニ於 テ モ夫 々傅
論 シ居 レ ル処 十 六 日漢 口市 商 会 力傅 作義 宛 激 励 電 報 ヲ発 シタ ル ヲ手
金 シ置 キ使 用 セ スト 語 リ居 ル ニ見 ル モ其 ノ自 信 ノ程 ヲ窺 知 シ得 ヘシ
リ各 地 ヨリ ノ義 捐 金 ノ如 キ モ将 来 大 規 模 ノ戦 争 発 生 ス ル迄 銀 行 ニ預
又 傅主 席 ハ匪 軍 勦 滅 ハ中 央 軍 ヲ煩 ハス迄 モナ ク山綏 両軍 ニテ充 分 ナ
ハ綏 遠 、 山 西 軍 ノ軍 備 充 実 ハ自 分自 身 モ想 到 シ得 サ ル程 ナ リ ト語 リ
ニ 一致 シ民衆 、 将 兵 共 自 信 ニ満 チ敵 愾 心 ニ燃 エ居 ル コト ナ リ李 軍 長
其 ノ理 由 ハ第 一地 方 民衆 ト 地 方政 府 竝 ニ地 方政 府 ト中 央 ト カ完 全
ニ楽観 し居 レリ
当 地 各 漢 字 紙 ハ数 日来 大 見 出 ヲ掲 ケ 北平 、綏 遠 等 ヨリ ノ通信 ヲ掲 載 ス ルト共 ニ主 要 紙 ハ夫 々社 説 ヲ掲 ケ 同方 面 土匪 軍 ノ行 動 ハ日本 側
労 綏 省 将 士 募掲 会 ﹂ ヲ組 織 シ寄 附 金 十 万 元 ヲ以 テ毛 被 服 五万 着 ノ寄
尚 其 ノ姓 名 ハ明 カ シ得 サ ル モ中 央 軍 ノ重 要 軍 官 カ自 分 ト同 宿 シ居 タ
ノ使 嗾 ニ依 ル モ ノト為 シ綏 遠 軍 将士 ノ激 励 竝 ニ之 カ慰 問 方 法等 ニ付
日所 得 貢 献 国 家 ﹂ 運動 ノ励行 方 ヲ命 シ両党 部 モ他 各 会 ヲ招 集 シ綏 遠
贈 方 ヲ決 定 シ又 市 党部 、省 教 育 会 ニ於 テ モ各 機 関 及 各 縣 ニ対 シ ﹁一
ル ニ見 ル モ中 央 軍 カ既 ニ前 線 ニ進 出 シ居 レ ル ハ事 実 ナ リ
一五 広東 本省
十 九 日後 情 、亜 十 一月 十 九 日夜 着 中 村 総 領 事
支 、北 平 、 天 津 、張 家 口、 満 へ転 電 セリ
昭和 1 1
二 二八 九 六 略
有 田外 務 大 臣 第 五 四八 号 往 電 第 五四 五号 ニ関 シ 引続 キ綏 東 問 題 ハ漢 字 紙 ニ大 々的 ニ報道 セラ レ居 ル処 余漢 謀 以 下 第 四路 軍 各 師 長 並 ニ第 十 八軍 長 羅 卓 英 ハ連 名 ヲ 以 テ 一昨 十 七 日傅 作
第 二 一 一号
最 近当 地各 新 聞 ハ連 日 大見 出 ヲ以 テ綏 遠 ノ情 勢 蒋 介 石 ノ行 動 、 各
地 献金 運 動 等 ヲ報 道 シ居 レリ本 十 九 日 南 方 日報 及 福 建 民 報 ハ何 レ モ
動 ヲ起 サ サ ル ヘカ ラサ ル旨 相 当 激 越 ナ ル論 評 ヲ掲 載 シ居 ル処 現在 当
綏 遠 ノ西 北 国 防 ニ対 ス ル重 要 性 ヲ説 キ速 ニ之 力援 助 ヲ為 ス為 献 金 運
地 方献 金 運 動 ハ省 党 部 中 心 ト ナ リ進 行 中 ナ リ其 ノ他 教 育 会 、 商 務 会
支 、北 平 、 在 支各 総 領 事
上海 本省
二十 日後 発 亜 十 一月 二十 日夜 着 若 杉 総 領 事
臺 湾 外 事 課 長 へ転 電 セリ
ニテ モ夫 々之 ニ響応 シ運 動 ニ着 手 セ ル モ市 中 一般 情 勢 ハ平静 ナ リ
一七
暗
二 三〇 二 二
有 田外 務 大 臣
昭和 11
報 ハ率 先 綏 遠勦 匪将 士 慰 労 金 ヲ電 送 シ本 十 九 日 ヨリ 一般 民 衆 ノ慰 労
第 五 四〇 号
義 ニ宛 テ国 土 ヲ死守 ス ヘキ旨 ノ激 励電 報 ヲ発 シ省 党 部機 関 紙 民国 日
金 募 集 ニ着 手 シ又市 省 党 部 ニ於 テ モ同 様激 励電 報 ヲ発 出 シ献 金 募 集
北 平 、 在支 各 総 領 事 へ転 電 シ支 へ転報 セリ
ル ニ至 ル ヘシト ノ コト ナ リ御 参 考迄
カ同 運 動 ノ結 果 ハ何 レ ニス ル モ相 当 広範 囲 ニ亘 リ対 日 反 感 ヲ激 成 ス
字 総 会 三 団 体聯 合 ノ委 員 会 ヲ組 織 ス ル コト ト ナ レ ル経緯 ア ル趣 ナ ル
ルヲ以 テ財界 有 力 者 協 議 ノ上 冒 頭電 ノ通 リ市 商 会 、 地 方協 会 及 赤 十
一派 ニ委 ヌ ルト キ ハ排 日気 勢 一層盛 ト ナ リ事 態 益 々悪 化 ス ル ノ惧 ア
動 ハ元 々抗 日救 国会 ノ主 宰 ニテ計 画 セラ レ居 タ ル処 同運 動 ヲ救 国 会
錢 永 銘 カ十 九 日船 津 ニ内 話 スル所 ニ依 レ ハ綏 遠 援 助 義捐 金 募 集 運
往 電 第 五 三九 号 ニ関 シ
支 、 北 平 、満 、在 支 各 総 領 事 へ転 電 セリ
ヲ計 画 中 ナリ
一六 福州 本省
十 九 日後 発 情、亜 十 一月 十 九 日後 着 内 田 総 領 事
支 ヨリ上海 へ、福 州 ヨリ臺湾 外事 課 長 へ転 報 ア リタ シ
昭和 11
二 二八 六 八 略
. 有 田外務大 臣
昭和 11
一八 二三〇 一六 暗
廿日後発 十 一月 廿 日 夜着 川 越 大
亜 使
有 田外 務 大 臣 第 五三九号 ノ 一
若 杉 総 領事
当 地支那側 ノ綏遠援 助運動 ニ付 テ ハ支発閣下宛屡次電報 ノ通 ナル 処其 ノ後右運動 ハ日 ヲ逐 ツテ益 々熾烈トナ リ十八日 ニ ハ上海市商会、
組織 シ杜 月 笙 、 虞 治 郷 、 王暁 頼 、銭 永 銘 、陳 光甫 、李 銘 、 林 康 侯 等
中国赤 十字総会、上海 地方協会聯合 シテ綏 遠勦匪慰労救護委員会 ヲ
上海 本省
有 田外 務大 臣
凡 ユル財 界 有 力 者 ヲ委 員 ニ挙 ケ大 々的 ニ義捐 金 募集 ノ広 告 ヲ新 聞 ニ
第 八 二 五号 綏 遠 事 件 ニ関 ス ル当 地支 那 人側 ノ観 測 ヲ綜 合 ス ル ニ同 事件 ハ日本
ル外市 民聯 合 会 、 市 工 会 、婦 女 団 体 、 文 (化 ) 団体 、 学 界 (大 、 中 、
成 立 シ各 方 面 ニ綏 遠 援 助 ノ通電 ヲ発 シ大 規 模 ノ寄 附 金 募 集 ヲ開 始 セ
小学 教 員聯 合 会 及 各 学 校 学 生 ) ヲ初 メ ト シ旅 館業 者 、娯 楽 場 、 大 商
掲 載 シ十 九 日 ニ ハ中 国 文化 建 設協 会 主 宰 ノ文 化綏 遠 勦 匪 後 援 委 員 会
義 軍 カ勝 利 ヲ得 ル場 合 ハ蒙 古 軍 ヲ支 持 シ ツ ツア ル日本 軍 ト シテ ハ其
店 ヨリ市 営 貧 民 住 宅 ニ至 ル迄 一斉 ニ各 自 後 援 会 ノ組織 乃至 ハ義 捐 金
軍部 カ全 然 外 務 省 ト 関 係 ナ ク起 シ タ ル モ ノ ニ シテ 明 カ ニ南 京交 渉 ヲ
ソ儘 戈 ヲ引 ク カ如 キ コト ナ カ ル ヘク 又若 シ傅 軍 カ敗 北 ス ル ニ於 テ ハ
ノ募 集 等 ヲ開 始 ス ル ニ至 レ ルカ各 漢 字 新 聞 ハ連 日 紙面 一面 ニ是 等 各
無視 池 ル遣 ロ ニ外 ナ ラサ ルカ同 事 件 ノ成行 ハ極 メ テ重 大 ニシテ傅 作
蒋 介 石 ト シ テ ハ輿 論 ノ手前 モア リ大 部 隊 ノ軍 隊 ヲ動 カ ス ニ至 ル ヘク
団 体 ノ宣言 、 通 電 等 ヲ大 々的 ニ書 立 テ居 ル外 当 局激 励 ノ社 説 、 投 稿
等 ヲ掲 ケ居 リ特 ニ上 海 市 社 会 局 ハ公然 本 件 運 動 ニ参 加 シ ﹁援 綏 捐 款
日本 カ仮 令 北 支 ノ或 地 域 ヲ手 ニ入 レ得 タ リト ス ル モ其 ノ将 来 ハ決 シ
統 一〓 法﹂ ヲ制 定 シ各 学校 、機 関 及 団 体 ニ通 達 ス ル等 運 動 ハ上 海 全
何 レ ニ ス ルモ 日本 軍 ト ノ 正面 衝 突 ノ危 険性 多 分 ニア リ ト見 ラ ル而 モ
テ日 本 ノ思 フ様 ニ行 カサ ル コト明 白 ナ ル ノ ミナ ラ ス右 ニ対 シ テ ハ中
市 ニ普 及 シ官 民 一致 之 ニ当 リ居 ル如 キ観 ア ル処 ( 続 ク) 二一 一 九九四 暗
廿 日後 発 亜、情 十 一月 廿 日夜 着 若 杉 総 領 事
, 南支 ニ於 テ従 来 ヨリ モ大規 模 ニシ テ 且悪 質 ナ ル排 日 ノ伴 フ コト ヲ覚
昭 和 11
有 田外務大 臣 第 五 三 九号 ノ 二
前 記 地方 有 力 者 、 新 聞 (新 聞検 査 所 カ政 府 ノ方 針 ニ基 キ厳 重 ナ ル
上海 本省
悟 セサ ル ヘカ ラ ス斯 ル場 合 支那 側 政 府 機 関 ハ日本 側 ヨリ排 日 取 締 ヲ
二十 日後 発 十 一月 二十 日夜 着
満 、北 平 、 在 支 各 総 領事 へ転 電 シ上 海 へ転報 セリ
一九 上海 本省
亜 、情
要 求 サ ルト モ之 ニ応 シ得 サ ル立場 ニ陥 ル ヘシト為 シ居 レ リ
昭和 11
二 二九 九 三 暗
命 ヲ帯 ヒ劉 主 席 ニ対 シ西 北 人 民 救 国 自 衛団 総 指 揮 ト シ テ張 勵 生 ノ綏
張 シ何 等 カ策 動 シ居 タ ル処 探 知 スル所 ニ依 レ ハ右 両 名 ハ馮 玉祥 ノ内
ニ依 リ張 ハ遂 ニ劉 ノ 了解 ヲ得 ル ニ至 リ タ ル モノ ノ如 ク察 哈爾 商 業 専
取締 ヲ為 シ居 ル コト御 承 知 ノ通 ) 並 ニ市社 会 局 ノ態 度 等 ハ何 レ モ中
局 ヨリ 三万 元 ノ軍費 ヲ調達 ス ルト共 ニ最 近赤 城 、 蔚 縣 方 面 ヨリ約 一
遠 入 リ (往 電 第 二六 八号 参 照 ) ヲ懲 慂 ス ル ニア リ タ ル趣 ニテ右策 動
又 之 カ為 当 地 方 ニ於 ケ ル 一般 民 衆 ノ対 日空 気 ヲ急 激 ニ悪 化 セシ メ
千 五百 ノ土 匪 駆集 メ ニ成 功 シ之 ヲ懐 安 及 天鎮 ニ集 結 シ綏 東 方 面 ノ支
注 目 ニ値 ス
若 ハ本 運 動 ニ特 ニ熱 心 ナ ル学 生 等 ノ間 ニ再 ヒ客 年 末 ノ如 キ過 激 ナ ル
央 乃至 市 政 府 側 ノ対綏 遠 問 題 ニ対 スル方針 ヲ反映 シ居 ル モ ノ ニ シテ
排 日運 動 ヲ醸 成 セシ ム ル危 険 ナ シト セ ス屡 次 往 電 ノ紡 績 罷 業 、 邦 人
暗
支 、 北 平 、 南 京 、天 津 、 満 へ転 電 セリ
二 一 二 二〇 〇
張家 口 本 省
中根領 事代 理
亜
那 軍 ニ呼 応 セ シ メ ント シ居 ルヤ ノ趣 ナリ御 参 考迄
昭和 11
有 田外務 大臣
ル為 傅 作義 ハ綏 遠 部 隊 ヲ率 ヰ十 六 日 早暁 平 地泉 ニ到 着 シ部 隊 ノ直 接
当 地 支 那側 入 電 ニ依 レ ハ興 和 及紅 格爾 圖 方面 ノ戦 況 激 烈 ト ナ リ タ
第 二九 二号
二十 日前 発 十 一月 二十 日夜 着
暗 殺 ﹁テ ロ﹂ 行 為 ノ続 発 等 ト モ関聯 シ当 地方 ノ形 勢 ハ甚 タ憂 慮 ニ堪
尚 右 ニ関 シ館 員 カ市 政 府 側 ヨリ得 タ ル情 報 ニ依 レ ハ呉市 長 ハ十 八
ヘサ ル モ ノア ルヤ ニ認 メ ラ ル
日本省 発言 人 カ 日本 ハ綏 遠 問 題 ニ無 関 係 ナ リ ト ノ発 表 ヲ為 シタ ル コ ト カ十 九 日 当 地各 漢 字 紙 ニ報 道 セ ラ レタ ル コト (支 発 閣 下宛 電 報 第 九 二四 号 )等 ヲ援 用 シ本 件 綏遠 援助 運 動 ハ支 那 国 内 ノ匪 賊 討 伐 ニシ テ全 然 対 内的 問 題 ナ レ ハ何 等 日 本 ニ気 兼 ス ル必 要 ナ シト称 シ居 ル趣 ナ リ (右 呉市 長 ノ態 度 ハ発 表 セサ ル様 セ ラ レ度 シ)
二○
伯 )所 属 二個 師 ハ共 ニ李 服膺 ノ指 揮 下 ニ入 リ陶 林 一帯 ノ防 備 ニ当 ル
指揮 ニ当 リ居 レル 一方達密陵蘇龍 ノ蒙古騎兵部隊及第十三軍 (湯恩
キ サ ル モ中 央 ノ中 日交 渉 ニ於 テ 日本 カ綏 東 問 題 ハ支 那 ノ内部 問 題 ニ
張家 口 本 省
支 へ転 報 シ在 支 各 総 領 事 、 北 平 へ転 電 セリ
昭和 11
二 三〇 〇 五 暗
シ テ毫 モ日本 ト関 係 ナ キ旨再 三声 明 セ ル ニ藉 口 シ蒋 介 石 ニ洛 陽 乃 至
尚 当 地 支那 人士 間 ニ ハ晋綏 軍 ノ積 極 的 防 禦 ハ唯 国 土防 守 ノ為 ニ過
コトト ナリ タ ル趣 ナ リ
第 二 九 三号
太 原 ニ各 将 領 ヲ招 集 シ中 央 ハ全力 ヲ挙 ケ テ晋 綏 軍 ヲ援 助 スト ノ決 心
二十 日前 発 亜 十 一月 二十 日夜 着 中根 領事代 理
旧察省党部民訓科主任馬享貞 ( 省党部解消後最後迄中央党部宣伝
有 田 外務 大 臣
員 ト ナ リ居 タ リ) 及 旧 綏 遠 省 党 部指 導 員 梁 樹 勉 ノ両 名 ハ秘 密裡 ニ来
ヲ示 ス ニ至 リ綏遠 方 面 ニ於 テ ハ国 土 防 禦 ノ見 地 ヲ 一変 シ察 北 六縣 ヨ
﹁ホ ンゴ ルト﹂ ヲ空 襲 爆 弾 百 六 十 余 ヲ投 シ続 イ テ蒙 匪 約 四 百同 地 ヲ
五 、 十 六 日早 朝 日本 飛 行 機 平 地泉 ヲ偵 察 ス午 前 九 時 飛 行 機 十 三台
攻 撃 シタ ル モ撃 退 ス
リ多 倫 ニ進 攻 セ ント ス ル気 勢 横 溢 シ居 レ ルカ右 ハ所 謂 宣 戦 セサ ル抗 日戦 ト モ称 ス ヘク綏 東 問 題 ハ実 ニ日支 衝 突 ノ導 火線 ナ リ云 々 ノ説 ヲ
六 、 以 上 ノ戦 闘 ニ於 ケ ル蒙 匪 軍 ノ死者 百 余 ( 其 ノ内 ニ騎 兵 団長 朱 思
暗
二 三 一七 五
二三
支 ヨリ上 海 へ転 報 ア リ タ シ
昭和 11
北平 本省
廿 三 日後 発 亜 十 一月 廿 三 日夜 着 加 藤 書 記 官
支 、 在 支 各 総領 事 、張 家 口、 満 へ転 電 セリ
ヲ企 図 シ ツ ツ ア ル カ如 シ
八 、 現 在 判 明 ノ匪 軍 勢 力 約 二万 ニシテ平 地泉 、 卓 資 山 間 平綏 線 遮 断
リ進 出 ヲ企 ツ
七 、 十 六 日 興和 方 面 ノ匪 軍 (張 万 慶 ノ部 下約 四千 ) ハ南 壕 塹 一帯 ヨ
ニシ テ綏 遠 軍 ハ死 者 二、 負 傷 者 十 一ナ リ
五及 営長 七 名、 連 長 数 名 ア リ)負 傷 百 四十 余 ( 商 都 日本 医 院 ニ収 容 )
為 ス者 多 シ御 参 考 迄
北平 本省
廿 一日後 発 亜 十 一月 廿 一日夜 着 加 藤 書 記 官
支 、 北 平 、 在 支各 総領 事 、満 へ転 電 セ リ
暗
二三〇九七
二二
支 ヨリ上 海 へ転 報 ア リ タ シ
昭和 11
有 田外 務 大 臣 第 六 二 六号 綏 遠 方 面 ノ戦 況 ニ関 シ冀 察 側 入手 ノ情 報 (劉汝 明、 傅 作 義 ノ通 電 及冀 察 特 派 ノ密 偵 報 告 ) 大要 左 ノ通 リ (西 田顧 問 ノ内 報 ) 何 等 御 参 考迄
有 田外務 大 臣
一、綏 東 方 面 ハ十 一月 十 一日 ヨリ前 哨 戦 ヲ開 始 シ漸 次 各 地 ニ波 及 ス
一、山 西 軍 六十 八 師 ( 陽 高 方 面 )、 七 十 三 師 (興和 方面 )、 騎 兵 三 個
第 六 三 三号
師 ( 趙 承 綬 麾 下 )、 七 十師 (包 頭 方 面 ) 及 砲 兵 団 (司令 部 大 同 ) ハ目
二 、浪 人 約 六十 名 大 同 附 近鉄 橋 破 壊 ヲ企 テタ ル モ失 敗 ニ帰 ス
戦 之 ヲ撃 退 ス
下蒙 古 軍 ト 対峙 中 ナ ル カ更 ニ七十 一師 及 七 十 二師 ハ太 原 経 由 大 同 方
太原 来 電 要 領 左 ノ通
四 、同 日夜 十 時 王英 軍金 甲 三旅 及 李 守 信 軍 尹宝 山師 合 計 約 四千 ハ砲
面 へ出 動 中 ナ リ尚 中 央 騎 兵 第 七 師潼 関 ヨリ 入晋 中 ノ模 様 ナ リ
三 、同 日匪 軍 約 三 千 ﹁ホ ンゴ ル ト﹂ ノ南 頭 山 ヲ攻 撃 飛 行 機 七 機 之 ヲ
二十 五、 六 門掩 護 ノ下 ニ ﹁ホ ン ゴ ルト﹂ ヲ 四 回 ニ亘 リ猛 襲 シタ ル モ
掩 護 爆弾 八十 個 ヲ投 下 シタ ル モ綏 遠 軍 彭 毓斌 師 ハ地方 民団 ト 協 力 防
撃退 ス
二 、閻 錫 山 ハ軍 事 費 カ中 央 ヨリ支 出 セラ ル ル旨 ヲ再 三声 明 シ山 西 要
ハ蒙 古 ヲ其 ノ統 治 下 ニ置 カ ント ス ル モノ ナ ル コト ヲ率直 ニ認 メ タ リ
ンク﹂、鉄 甲 車 及 軍 需品 等 ヲ売 渡 セ ル事 実 ア ル ヲ語 リ要 ス ル ニ 日 本
ト ノ記 事 ヲ大 文 字 ニテ掲 載 シ居 レ ルカ新 民 報 及 中 国 日報 等 ハ之 ニ関
人初 メ各 界 ノ綏遠 軍 ニ対 ス ル献 金 及 声 援 熱 狂 的 ニ行 ハレ抗 日気 勢 益 益 強 烈 ト ナ レリ
一方 関 東 軍 ハ断 然 援 助 ヲ声 明 セリ ト ノ説 伝 ヘラ レ矛 盾 ノ折 柄 喜 多 武
シ論 説 ヲ掲 ケ目 本 外務 省 ハ綏 東 問 題 ニ ハ日本 ハ関係 ナ シト声 明 スル
官 ノ談 話 ハ之 ニ断 定的 結 論 ヲ与 ヘタ ル モノト 言 フ ヘク其 ノ効 ヤ大 ナ
三、 蒋 介 石 カ過 日錢 大鈞 、 万燿 煌 同 伴 来 原 ノ際 山 西側 ト為 セ ル打 合
十 四師 長 )、 門 炳 岳 (騎 兵 七師 長 ) 及 掃 匪 総 指 揮 部 各将 官 等 ト 会 談
ルヲ痛 感 シ之 ヲ憂 フ ルト 共 ニ 一 方 日本 カ其 ノ侵 略 的 野 心 ヲ世 界 ニ公
リ ト言 フ ヘシ吾 人 ハ之 ニ代 リ綏 東 問 題 カ全 ク国 家存 亡 ノ 重大 問 題 ナ
ノ内 容 不 明 ナ ル モ蒋 ハ山 西 側 要 人 ノ外 湯 恩 伯 、 李仙 洲 、高 桂 滋 (八
セリ
幕 ナ リ交 渉 ノ如 キ断 然 之 ヲ打 切 リ綏 東 問 題 ノ解 決 ニ当 ラサ ル ヘカ ラ
日独 同 盟 等 ニモ顧 ミ綏 東 問 題 ハ実 ニ支 那 民 族 生存 ノ為 ノ血戦 ノ序
表 シ世 界 人士 ノ ﹁疑 惑 ﹂ ヲ 一掃 シタ ル ヲ欣 フ モノ ナリ
四、 陳 誠 ハ太 原 ニ常 駐 シテ掃 匪 指 揮 部 強 化 ニ当 ル趣 ナ リ 五、 山 西 省 紙 幣 暴 落 ノ危 機 ニ瀕 シ当 局 ハ紙 幣 五百 万 元 ヲ回収 スル 一
シ居 ル処 中 央 ハ此 ノ機 ニ乗 シテ山 西 金 融 ノ支 配 権 獲 得 ニ努 メ ツ ツ ア
方発 行 停 止 (一時 的 ナ ル ヤ否 ヤ ハ不詳 ) 等 ニ依 リ動 揺 ヲ辛 シテ防 止
昭和 11
二五 二三二五六 暗
上海 本省
廿 四 日後 発 亜情 十 一月 廿 四 日夜 着 若 杉 総 領 事
支 、 北 平 、 天 津 、張 家 口 へ転 電 セ リ
ス云 々 ト論 シ居 レ リ 支 、満 、 在 支 各 総 領 事 、 張 家 口 へ転 電 シ鄭 州 へ暗 送 セリ
リ
二 三 二三 一 略
二四
支 ヨリ 上海 へ転 報 ア リ タ シ
昭 和 11
有 田外務大 臣
往 電第 五 三 九 号 ニ関 シ
第 五 五 四号 ノ 一
廿 四 日後 発 情 、亜 十 一月 廿 四 日後 着 須 磨 総 領 事
有 田外務大 臣
南京 本省
第 九五〇号
前線 将 士 ヲ慰労 シ且綏 遠 方 面 ノ実状 ヲ視 察 セ シ ム ル コト ト ナ リ代 表
一、 冒頭 往 電 ノ綏 遠 勦 匪 慰 労 救 護委 員 会 ハ代 表 ヲ北 上 セ シ メ親 シク
其 ノ後 当 地 ニ於 ケ ル綏 遠 援 助 運 動状 況 左 ノ通
問 題 ニ関 聯 セ ル ハ事 実 ニ シテ日 本 軍 人 カ蒙 古 軍 ニ対 シ援 助 ヲ与 へ察
本 二十 四 日 ノ各 紙 ハ喜 多 武 官 力 ﹁ア ーベ ンド﹂ ニ対 シ日 本 力綏 東
北 ニ於 テ大 規 模 ノ軍 事 学 校 ヲ設 立 シテ蒙 古 軍 ヲ訓 練 シ 飛 行 機 、﹁タ
ニ選 ハレ タ ル王 暁頼 ( 市 商 会 会 頭 )、林 康侯 (銀 行家 代 表 )、陸 京 士 (市 党 部 及 警 備 司 令 部 代 表)、顔 福 慶 (赤 十 字 会 代表 )、黄 任 之 (地 方 協 会 ) 等 七 名 ハ本 二十 四 日朝 欧 亜 航 空 飛 行 機 ニテ太 原 向 ケ出 発 セ ルカ 一行 ノ北 上 ニ付 上海 市長 呉 鐵 城 ハ特 ニ閻 錫山 及傅 作 義 ニ電 報 シ 一行 ニ対 スル便 宜 供 与 方 ヲ依 頼 シ之 ニ対 シ閻 等 ヨリ歓 迎 電 報 接 到 シ
二 六
二 三 二九 九 暗
張家口 本 省
廿 四 日後 発 亜 十 一月 廿 五 日前 着 中 根領事 代 理
北 平 、 在支 各 総 領 事 へ転 電 シ、支 へ転 報 セ リ
昭和 11
有 田外務大 臣
ル計 画 ナ ルカ如 ク陜 北 地 区 ニ アリ シ第 二十 五師 ハ山西 北 部 ヲ迂 回 シ
下 ノ孫 長勝 師 、 田樹 梅 旅 ヲ主 力 ト シ必要 ノ場 合 ハ旧 東北 軍 ヲ増 派 ス
主力 ト シテ蒙 古 保 安 隊 人 民自 衛 団之 ヲ助 ケ綏 西 方 面 ハ当分 王靖 國 部
縣 ハ山 西 系 ノ軍 隊 ヲ主力 ト シテ中 央 軍 之 ヲ助 ケ綏 北 地 区 ハ中 央 軍 ヲ
綏遠 方面 ニ於 ケ ル支 那 軍 ノ配置 ニ関 シ諜 知 ス ル所 ニ依 レ ハ綏 東 五
ル認 識 ヲ深 カ ラ シ ム ル点 ニ於 テ重 大 ナ ル意 義 ア リ相 当 注 目 ニ値 ス ル
居 ル趣 ナ ル処 一行 ノ現 地視 察 ハ当 地 支 那 側有 力 者 ノ北 支 事 態 ニ対 ス
亜情
若 杉 総 領 事
廿 四 日後 発 十 一月 廿 四 日夜 着
第 三〇 四号
昭和 1 1 上海 本省
モ ノト認 メ ラ ル (続 ク) 二三 二 五七 暗
有 田外 務大臣 第 五 五 四号 ノ 二
ル中央 軍 ハ殺 虎 合、 和 林 格爾 、托 克 托 等 ノ各 地 ヲ経 テ続 々北 上 シ ツ
ツア リ最 近大 同 ニ派 遣 シタ ル当 館 諜 者 ノ報 告 ニ依 レ ハ同 地 趙 承 綬 ノ
テ 二十 日既 ニ武 川 ニ集 結 ヲ了 セ ルカ同 地 及 四 子 部 落 方面 ニ増 援 セ ラ
テ ハ該 運 動 ノ統 一ヲ図 ル為 統 一委 員 会 ヲ組 織 ス ヘク目 下 具 体案 作 成
五 個師 三個 独 立 旅 七 個 砲兵 団 ノ外 中 央 軍 十 一個師 四個 防 空 大 隊 ニ達
留 守 司令 部 員 ハ平 綏 西部 沿線 一帯 ニ配 置 セ ラ レタ ル支 那 軍 ハ晋 綏軍
二 、当 地 民衆 ノ義 捐金 応 募額 ハ総 額 既 ニ五 十 万 元 ニ達 シタ ルカ其 ノ
方協 議 中 ナ ル趣 ナリ
後 モ引続 キ各 種 新 団 体 ノ義 捐 金 募集 ハ行 レ居 リ市 政 府 及 市 党 部 ニ於
三 、国 民政 府 ニ於 テ ハ王 曉頼 、 杜 月 笙 等 カ今 回率 先綏 遠 援 助 運動 ニ
察 晋 省 境 ノ平 綏 沿線 ニア ル ハ李 服 膺 ノ第 六 十 八師 ノ 一部 ニ過 キ サ
スト豪 語 シ居 タ ル趣 ナ リ
ル モ陽 高 ノ南 約 百 二 十支 里 ノ東 井 集 ハ相 当大 部 隊 ノ根 拠 地 ト ナ リ居
ル趣 ナ リ
尽 瘁 シ居 ル功 ヲ多 ト シ廿 一日附 ヲ以 テ両 名宛 激 励 電 報 ヲ寄 セ来 リ タ
四 、新 聞 ハ連 日当 地 及 全 国 ノ義 捐 金 募 集 運動 状況 並 ニ綏遠 ニ於 ケ ル
リ 近 ク更 ニ 二 個 師 ノ来 駐 ヲ見 ル ヘシト 称 セラ レ居 ル由
進 出 ヲ防 止 ス ル ニア リト 伝 ヘラ ル
尚第 二十 九 軍 ノ察 省 内 ニ移 動 スル目 的 ハ平津 方 面 日本 軍 ノ平 綏 線
戦 況 ヲ大 々的 ニ報 道 シ戦 争 ハ綏 遠 軍 側優 勢 ナ ルカ如 ク宣 伝 ニ努 メ ツ ツ アリ 又 日本 カ蒙 古軍 ノ背 後 ニア リ之 ヲ操 縦 シ居 ルカ如 キ書振 ノ記 事 モ相 当多 数 見 受 ケラ レ居 レリ
支 、 北 平 、満 、在 支 総 領 事 へ転電 セ リ
二 三 三 三九 暗
二七
漢 ロ ヨリ鄭 州 へ、 支 ヨリ上 海 へ転 報 ア リタ シ
昭和 11
有 田外務大 臣 第六五七号
吉
田 大
使
内 蒙 各 省 ノ権 力 ハ大 体支 那 政 府 ノ設 定 セ ル蒙 古 自 治 地 方 政 権 ノ
廿三日下院 ニ於 テ内蒙 ノ事態 ニ関 スル保守党議員質 問 ニ対 シ外相 ハ
一
手 ニア ル モ目 下 事 態 ハ匪 賊 及 不 正規 軍 活 動 ノ為 錯 雑 シ居 リ如何 ナ ル
程度 迄 右 政 権 カ有 効 ニ権 力 ヲ行 使 シ居 ル ヤ断言 困難 ナ リ
廿 五日 後 発 亜 十 一月 廿 五日 夜 着 中根 領事代 理
有 田外務大臣
ヘラ ル ル処 右 侵 入 ハ同省 傅 作 義 軍 ニ依 リ防 止 セラ レ タ ル如 シ尚右 不
二
張家 口 本 省
第 三〇 七号
暗
二 三 四〇 八
二九
等 ナ シト答 ヘタリ (了)
昭和 11
有 田外 務 大 臣 第 六 四〇 号
亜
加 藤 書 記 官
廿 六 日後 発 十 一月 廿 六 日後 着
三、 孫 殿 英 ノ冀南 保 安 総 司 令 就 任 ニ付 予 テ宋 哲 元 ト ノ間 ニ話合 ア ル
二、 中 央 軍 飛 行 機 三十 二台 綏 遠 ニ帰 着待 機 中
一、 百 靈 廟 ハ二 十 四 日朝 綏 遠 軍 ノ手 ニ帰 シ李 守 信 軍 敗 退 ス
通 リ何 等 御 参 考 迄
二十 五 日西 田顧 問 カ冀 察 側 入手 ノ情報 ト シテ内 報 ス ル所 大要 左 ノ
北平 本省
正規 軍 ニ対 シ満 洲国 或 ハ日本 正規 軍 ノ積 極 的支 援 ア リト ス ル情 報 何
匪賊 頭 目 指 揮 ノ下 ニ蒙 古 軍 及 不 正 規軍 ノ綏 遠 省 侵 入説 様 々 ニ伝
晋綏騎兵司令部参議張 子新ノ大同及綏遠 方面 ニ於 ケル中央軍 ノ配 同
置状況 ニ付語 ル所左 ノ通 第 二十 五師関麟徴部歩兵 一個旅約八千 (尚太原 ヨリ陸続移動中)
一、大 及飛行機 二個隊 (一個隊十 二機) 地 泉
騎 兵 第 七 師 門炳 岳 部 及第 十 三軍 湯 恩伯 軍 歩 兵 一個師 (鉄 甲 車 百 二
二、平
十 輛 ヲ有 ス) 砲兵 一個 大 隊 (重 砲 二十 四門 ヲ有 ス)及 高 射 砲 四 門
廿 五 日前 発 十 一月 廿 五日 前 着
亜 、欧
右 ノ外綏 遠 、包 頭 ニ ハ湯 恩 伯 ノ歩 兵 各 一個旅 ア ル モ同 軍 ノ 一個 師
二八 倫敦 本省
支 、 北平 、 天 津 、 南 京 へ転電 セ リ
ハ陜 西 北部 ヨリ包 頭 ニ向 ケ移 動中 ナ リ
昭和 11
二三 二 九 二 平
処 種 々 ノ事 情 ノ為 未 タ発 表 ニ至 ラサ ルカ若 シ此 ノ上 遷 延 ス ルト キ ハ 孫 ハ王英 軍 援 助 ノ為 綏 遠 ニ赴 ク ト言 ハル
廿 七 日後 発 情 、亜 十 一月廿 七 日後 着 三 浦 総 領 事
支 、在 支 各 総 領 事 、 張 家 口、 満 へ転 電 セ リ
二 三 五〇 三 略
三〇
支 ヨリ上 海 へ転 報 アリ タ シ
昭和 11 漢口 本省
昭和 1 1
三
一
二三 五 七 五 暗
有 田外務大 臣 第 三 一 一号
張家 口 本 省
廿 七 日夜 発 亜 十 一月 廿 七 日夜 着 中根 領事 代理
宣 化 ヨリ ノ報 告 ニ依 レ ハ同 地 駐屯 ノ保 安 第 三団 及 第 四 団 ハ今般 石
友 三 ノ部 下 ニ改 編 セ ラ ル ル コト ト ナ リ既 ニ第 四団 約 五 百名 ハ昨 二十
ノ移 駐終 了直 後 突 如 同 地 駐 屯第 百 四十 三師 第 二旅 (李 曾志 ) ノ為 包
六 日 北平 へ向 ケ移 駐 ヲ開 始 セ ル趣 ナ ル処 第 三団 約 五 百 名 ハ右 第 四団
囲 セラ レ今 朝 胡 玉 田以 下 幹 部 ハ引致 セ ラ ル ルト 共 ニ 一 時間 余 ニ亘 ル
有 田外務 大臣
往 軍 第四 一〇 号 ニ関 シ
カ右 ハ第 三団 カ内 蒙 独 立 軍 ト聯 絡 ア ルヤ ノ発 覚 セ ル ニ起因 セ ル モノ
戦 闘 ニ依 リ保 安 隊 側 ニ死 者 百 余 名 、負 傷 者 三十 余 名 ヲ出 セ ル趣 ナ ル
第 四 一九 号
其 ノ後 引 続 キ 当 地漢 字 紙 ハ連 日綏遠 ニ於 ケ ル戦 況 ヲ大 々的 ニ報 道
三二
二三六三 一 暗
上海 本省
支 、 北平 、南 京 、 天 津 へ転電 セリ
ト 言 ハル真 偽 不 明 ナ ル モ御参 考迄
昭和 11
第 五 六 六号 ノ 一
有 田外 務 大 臣
往 電 第 五 六二 三号 ニ関 シ
廿 八 日後 発 亜 十 一月 廿 八 日後 着 若 杉 総 領 事
シ綏 遠 軍 側 有利 ナ ルカ如 ク宣 伝 ス ル 一方社 説 ヲ掲 ケ 宋 哲 元軍 ノ出 兵 竝 ニ人 民戦 線 ノ結 成 ヲ促 シ居 ル モノ ア ル処 二十 二 日漢 口童 子軍 一千 名 ハ綏遠 援 助 ノ為 街 頭 募 捐 ヲ行 ヒ約 四 千 元 ノ寄 附 ヲ得 タ ル カ越 エテ
ハ国 民 一日所 得 推 行 運 動 会 ヲ組 織 シ市 党 部 内 ニ事 務 所 ヲ置 キ同 運 動
二 十 六 日漢 ロ ニ於 ケ ル軍 政 党各 機 関、 商 工団 体 及 新 聞 社等 約 十 団 体
ヲ統 一化 シ今 後 綏 遠 ニ対 ス ル義 捐 金 ヲ 一切取 扱 フ コト ト ナ レ ル趣 ナ リ尚 各 学 校 団 体 等 ノ綏遠 激 励 ノ電 報 竝 ニ節 食 乃 至 一日 ノ所 得 ヲ以 テ ス ル寄 附 金 ハ連 日頻 リ ニ紙 上 ヲ賑 ハシ居 ル処 近 日迄 武 漢 、 掃 蕩 及 大
支 、 北 平 、 在 支 各 総領 事 へ転 電 セ リ
光 ノ 三社 ニテ募 集 セ ル金額 約 一万 二千 元 ニ達 シタ ル由 ナ リ
支 ヨリ上 海 へ転 報 アリ タ シ
二 十 七 日王 暁 頼 等 綏遠 慰 問 代表 ノ発 表 セル共 同 声 明書 大綱 左 ノ通 リ 一行 ハ張 學 良 ヨリ差 廻 ノ飛 行機 ニテ 二 十 三 日上 海 出 発 先 ツ西 安 ニ 赴 キ張 學 良 、 楊 虎 城 、 郡力 子等 ヨリ綏 遠 匪 軍 討 伐 ニ関 ス ル意 見 ヲ聴 取 シ更 ニ太 原 ニ飛 ヒ閻 錫 山 ヨリ同 様 匪 軍 討 伐 ノ詳 細 ナ ル計 画 並 ニ綏 遠 援 助 運動 ニ関 ス ル現 地 側 ノ希望 ヲ聴 キ次 テ綏 遠 ニ飛 ヒ傅 作 義 ヨリ 前 線 戦 況 ニ関 ス ル説 明 ヲ受 ケ タ ルカ特 ニ百 靈 廟 ノ戦 闘 ニ付傅 ヨリ同 地 ハ多 倫 、 張 北 、 商 都 ヨリ西 方 額 済 納 ニ達 スル匪 軍 戦 略 上 ノ中 心 ニ シ テ同 地 占 領 ハ重 大 ナ ル意 義 ア リ従 テ匪 軍 ハ必 ス大 挙 反 撃 シ来 ル ヘ
廿九日後発 情 十 一月 廿 九 目 後 着 須 磨 総 領 事
ノ真 意 ヲ確 ム ル コト カ実 際 ノ用務 ナ リ シ趣 ナ リ真 偽 確 カ ナ ラ サ ル モ
三三
二三七 一一 略
南京 本省
冒 頭 往 電 ノ通 リ転 電 、 転 報 セリ
為念
昭和 11
有 田外務 大 臣
ヘク這 ハ主 権 国 家 当 然 ノ行為 ニ シテ第 三者 ノ非 議 シ得 ヘキ所 ニア ラ
府 ハ其 ノ職 責 ニ従 ヒ其 ノ背 景 ト魂 胆 ノ如 何 ヲ問 ハス断 然 之 ヲ掃 蕩 ス
外 交 部 発 言 人 ハ昨 二十 八 日夜 ﹁今 次 蒙 匪 ノ綏 遠 侵 略 ニ対 シ テ ハ政
キ モ綏 遠 軍 側 ニ ハ既 ニ充 分 ノ用 意 ア リ又 該 地 ノ戦 闘 ニ於 テ多 数 ノ武
暗
第 九七 八号 ノ 一
二 三 六 四七
器 、 軍 用 品 、 糧 食 等 ヲ鹵 獲 シタ ル コト (続 ク) 昭和 11 上海 本省
ス又 国内 ノ共 匪 ニ対 シテ ハ自 力 剿 匪 ノ 一貫 政 策 ニテ進 ミ 以 テ完 全 ナ
ル粛 清 ヲ期 ス ヘク我 政 府 ノ赤 化防 止 ニ対 スル決 心 ト 成 績 ト ハ既 ニ世
廿 八 日後 発 亜 十 一月 廿 八 日後 着 若 杉 総 領 事
第 五 六 六号 ノ 二
ス支 那 ハ勿 論 平 和 ヲ愛 好 ス ル カ故 ニ隣 邦 ト ノ睦 誼 ニ努 メ 以 テ世 界 平
界 各 国 ノ認 ム ル所 ニシ テ断 シテ虚 偽 ノ宣 伝 ノ胡 麻 化 シ得 ル所 ニア ラ
有 田外 務大 臣
俘虜 中 ニ数 名 ノ 日本 人 ラ シキ者 居 リ タ ル コト 、 日 本側 ト関 係 ア ル
和 ヲ期 セ ント スル モ唯 領 土主 権 ノ完 成 ハ国 家 生 存 ノ必須 条 件 ナ レ ハ
多 数 ノ文書 ヲ発 見 シ タ ル コト等 ヲ告 ケ ラ レ タ ル カ帰 途 洛 陽 ニテ蒋 介 石 ト 面会 シ蒋 カ綏 遠 匪 軍 討 伐 ニ対 シ充 分 ノ決 意 ト 準 備 ト ヲ有 ス ル コ
ヲ許 サ ス万 一不幸 ニシ テ此 ノ種 非法 ノ侵 犯 或 ハ干渉 発 生 セ ル場 合 ハ
如 何 ナ ル第 三国 ト難 又 如 何 ナ ルロ実 ヲ以 テ ス ル モ之 カ侵 犯 或 ハ干 渉
尚 一行 ノ綏 遠 行 ニ関 シ市 民聯 合 会 幹 部 ヨリ ノ内密 聞 込 ト シテ諜 者
ト ヲ詳細 告 ケ ラ レ 一同 欣 然 帰 来 セリ 云 々
情 、亜
必 ス全力 ヲ尽 シテ防 衛 シ以 テ 国 家 ノ職 責 ヲ尽 ス ヘシ﹂ ト ノ談 話 ヲ発
廿 九 日後 発 十 一月 廿 九 日後 着
表 セ ル趣 ニテ (続 ク)
南京 本省
ノ報 告 ニ依 レ ハ曩 ニ中央 党 部 ヨリ市 党 部 宛 ﹁援 綏 即抗 日﹂ ナ レ ハ大
昭和 11
二 三七 一六 略
大 的 ニ援 綏 運動 ヲ起 ス ヘキ旨 ノ密 令 アリ 当 地有 力 者 ハ蒋 介 石 カ今 回 ハ綏 遠 粛 正 乃至 対 日戦 争 ニ付 充 分 ノ決 意 ヲ有 シ居 ル モノ ト信 シ居 リ 右 蒋 ノ決 意 カ支 那 特 ニ当 地経 済 界 ニ及 ホ ス影 響 ノ甚 大 ナ ル ヲ惧 レ蒋
当 地第 百 四十 三師 司 令 部 ヨリ ノ情 報 ニ依 レ ハ国 民政 府 ハ宋 哲 元 ヲ
察 北 前 敵総 指 揮 ニ劉 汝 明 ヲ同 副 指揮 ニ任 命 シ タ ル趣 ニテ十 二月 三 日
須 磨 総 領 事 有 田外務大 臣
支 、 北 平 、在 支 各 総 領 事 、満 ヘ転 電 セ リ
正 式 就任 式 ヲ挙 行 ス ル由 ナ リ
支 ヨリ上海 ヘ転報 ア リ タ シ
三五
第 三 一四 号
有 田外務大 臣
暗
二 三七 九 四
容 易 ニ遣 ツ ツケ ラ ル ル モノ ニア ラ ス ﹁若 シ不 幸 此 ノ種非 法 干 渉 発 生
北 平 、 天津 、保 定 方 面 ノ各 界 代表 ニシ テ恤 兵 金 品 ヲ携 帯 シテ綏 遠
昭和 11
セ ハ国 家 ハ全 力 ヲ尽 シテ防 衛 シ﹂ 云 々 ハ実 ニ支 那 国 民全 体 ノ決 意 ナ
ニ赴 ケ ル者 ハ既 ニ夥 シ キ数 ニ達 シ就 中東 北 大 学 学 生 十 六 名 ハ紅 十 字
張家 口 本 省
リ支 那 四億 五 千 万 ノ国 民 ハ上 下 一致力 ト 血 ヲ以 テ抗 争 ス ヘシ這 ハ啻
ヲ組 織 シ テ二 十 六 日当 地通 過 綏遠 ニ到 リ後 方掩 議 任 務 ニ就 キ タ ルカ
卅 日後 発 亜 十 一月 卅 日夜 着 中 根領事 代 理
第 九 七 八号 ノ二 本 二十 九 日 ノ各紙 ハ 一斉 ニ之 ヲ登 載 シ同 時 ニ又 大 文字 ニテ関 東 軍 ノ声 明 ヲ掲 載 シ夫 々論 説 ヲ掲 ケ居 レ ルカ前 者 ニ対 シ テ ハ実 ニ機 宜 ノ 声 明 ト言 フ ヘク国 民 ハ此 ノ政 府 ノ合 理 的政 策 ヲ承 認 ス ルト 共 ニ上下 一致 シテ更 ニ大 ナ ル力 ノ発 動 ニ邁 進 ス ヘク 日本 ニシ テ若 シ日支 間 ニ 尚 幾 分 ニテ モ邦 交 ヲ保 留 セ ント セ ハ今 カ思 ヒ直 ス ヘキ唯 一ノ秋 ナ リ ト言 ヒ又後 者 ニ対 シ テ ハ日本 ハ遂 ニ仮 面 ヲ脱 キ捨 テ大 陸 侵 略 ノ正体
ニ関 東 軍 ニ告 ク ルノ ミ ナ ラ ス日本 政 府 ト 日本 国 民 ニ告 ケ ント ス ル モ
ヲ現 ハシ来 レ ルカ然 シ今 日 ノ支那 ハ決 シ テ昔 ノ支 那 ニア ラ ス、 サ ゥ
ノナ リ ト言 フ カ其 ノ要 旨 ナ リ
ト シテ学 生 隊 三百 名 ヲ組織 シ武 器 ノ交 付 方 ヲ請 願 セ ル モ許 サ レサ リ
綏 遠 ノ学 生 等 モ大 イ ニ興 奮 シ正 風 中 学 (校 長 潘 秀 任 ) ノ生 徒 ヲ中 心
往 電 第 三〇 二号 ヲ以 テ報 告 シタ ル張家 口 ノ恤 兵 義 損 金 ノ内 学校
ハ綏遠 ニ総 会 ヲ各 県 ニ分 会 ヲ置 キ総 会委 員 長 ハ潘 秀 任 ナ リ
ト ナ レ ル趣 ナ リ尚 綏遠 ノ各界 聯 合 救 国 会 ハ十 七 日 組織 完 了 セ ルカ右
シ為 戦 地服 務 団 ナ ル モノ ニ改 メ主 ト シ テ傷 病 兵 ノ看 議 等 ニ当 ル コト
支 、 在 支 各 総 領 事 、張 家 口 ヘ転 電 セリ
三四 二 三七 九 二 暗
?者 ノ分 ハ二 十 三 日 ヨリ運 動 ヲ開 始 シ居 ルカ其 ノ醵 金 率 ハ教 員 ハ月
リ居 リ張 家 口 ニ於 テ 三 千 七 百余 元 ヲ得 既 ニ毛皮 製 手袋 及 半 長 靴 各 二
給 ノ 三十 分 ノ 一中 等 学校 生 徒 ハ 一人 五角 以 上 小学 生 ハ金 額 随 意 ト ナ
昭 和 11
支 ヨリ上 海 ヘ転 報 アリ タ シ
三 十 日後 発 亜 十 一月 三 十 日夜 着 中根領 事代 理
有 田外務大 臣
張家 口 本 省
第 三 一二号
千 組 ヲ購 入平 地泉 ニ発 送 セ ル趣 ナ リ尚 官 憲 側 ノ分 ハ劉 主 席 ノ北 平 ヨ
二 十 九 日 ノ当 地漢 字 紙 ハ南 京中 央 社電 ト シ テ綏 遠 問 題 ニ関 ス ル外
ヲ掲 ケ タ ル処 三十 日 ノ掃蕩 報 ハ外 交部 ノ声 明 ハ政 府 ノ偽 匪綏 遠 侵 犯
交 部 発 言 人談 (南 京 発 閣 下 宛 電報 第 九七 八号 ト 同 文 ) 及 関東 軍 声 明
亜 、情
人 ハ曩 ニ 一 再 ナ ラ ス綏 東 事件 ハ支 那 国 内 問 題 ニシ テ日本 ト何 等 関 係
一日 前 発 情、亜 十 二月 一日 後 着 三 浦 総 領 事
張家 口 本 省
支 、北 平 、 在 支 各 総 領事 ヘ転電 セリ
暗
二四 〇 九 五
三八
支 ヨリ 上海 ヘ転 報 ア リタ シ
昭和 11
有 田外 務 大 臣
支 、 北平 、 在 支 各 総 領事 ヘ転 電 セ リ
一千 三 百 モ有 蓋 貨車 ニ搭載 セラ レ同 方 面 ニ向 ヘリ御 参 考 迄
送 セ ル中 央 軍 ハ相 当 数 ニ達 シ 一日 ニ ハ第 十 三軍 (湯 恩 伯 ) 関 旅 部 約
末 ヨリ本 月 ニ亘 リ夜 間 ヲ利 用 シ当 地 ヲ経 テ鉄路 大 同、 綏 東 方 面 ヘ輸
第 三 一九 号 ︹ 月︺ 綏 遠 方面 増 援 ノ中 央 軍 北 上 ニ関 シ テ ハ累 次報 告 セ ル所 ナ ル カ客年
三 日後 発 亜 十 二 月 三 日夜 着 中 根領 事代 理
テ国 家 ノ存 立 ヲ擁 護 ス ヘシト ノ趣 旨 ヲ論 セ リ
テ支那 ハ今 後 第 三者 ト モ絶 対 ニ之 ヲ許 サ サ ル ノ ミ ナ ラ ス全力 ヲ尽 シ
ナキ 旨 言 明 セ ル ニ拘 ラ ス今 次 関東 軍 ノ声 明 ハ甚 タ奇 怪 ト ス ル所 ニシ 大
使
牙 ヲ収 ム ル ニ至 ル ヘシト言 ヒ又同 日 ノ武 漢 日 報 ハ日本 外 務 省 ノ発 言
ヲ モ詳 細宣 示 スル モノ ニシテ各 野 心国 ハ之 ニ依 リ其 ノ 口実 ヲ失 ヒ爪
ニ対 ス ル態 度 ヲ完 全 ニ声 明 セ ル モ ノナ ルノ ミ ナ ラ ス又 外交 上 ノ立 場
支 、 北平 、 南 京 、 天 津 ヘ転 電 セ リ
三六 二三 八 八 二 略 上海 本省
一日後 発 十 二 月 一日夜 着 川 越
リ帰任 後実 行 ニ取 掛 ル ヘシト伝 ヘラ ル
昭和 11
有 田外 務 大 臣 第 九 五 四号 大使発北平宛電報 第 六 四号 貴 地 三十 日 発 路透 電 ハ平 地泉 ヨリ ノ報道 (確 認 ハナ キ モ) ニ依 レ ハ李 守 信 軍 ノ 一部 ハ徳 化 ニ於 テ暴 動 ヲ起 シ司令 部 ヲ破 壊 シ尚李 自 身 モ支 那 側 ニ加 担 ス ル コト ニ決 セ ル旨 竝 ニ他 ノ報 道 ニ依 レ ハ王英 軍 ハ
三七 漢口 本省
大 臣 、 天 津 、南 京 ヘ転 電 シ上海 ヘ転報 セ リ
商 都 ノ北 方 二 十 哩 ノ 地点 ニ於 テ綏 遠 軍 ニ降 服 セ ル旨 報 シ居 レリ
昭 和 11
二 三八 六 二 略
有 田外務大 臣 第 四 二六 号
三九 二四 〇 九 六 張家 口 本 省
漢 口 ヨリ鄭 州 ヘ転電 ア リ度 シ
昭和 11 暗
第 六 六 四号 ノ 一 ( 極秘)
往 電 第 六 五八 号 ニ関 シ 何 等 御参 考 迄 左 ノ通
一、太 原 ノ周 囲 約 三 十箇 所 ニ極 メ テ最 近 ﹁ト ウ チ カ﹂ 建 造 セ ラ レタ
ルカ右 ハ今 春 共 匪 防 禦 ノ為 築 造 セ ラ レ タ ル モ ノ ニ比 シ大 規 模 ノ モ ノ
ヲ全 部 取 外 シ居 ル為 其 ノ所 属 不 明 ナ リ
二、 中央 軍 ノ相 当 部 隊 カ太原 ニ入 リ居 ル事 実 ア ル モ軍 服 ノ外 部 標 識
ナリ
三、 中央 軍 飛行 隊 地 上 班 約 百 余名 十 一月 二十 七 日 太原 ニ入 リ同 地 飛
三日後 発 亜 十 二月 三 日夜 着 中根 領事 代理
第 三 二〇 号
行 場 ノ改 造 ニ従 事 中 ニシテ其 ノ後 モ続 々増 加 シ ツ ツ ア ル模 様 ナ ル カ
有 田外 務大 臣
時 局情 報
中 央 ノ飛 行機 ハ未 タ太 原 竝 ニ其 ノ以北 ニ モ進 出 シ居 ラサ ル模 様 ナ リ
当 地鉄 路 側 ヨリ ノ聞 込 左 ノ通 一、綏 遠 駐屯 ノ装 甲 列 車 隊 配 属 ノ機 関 車 一輛 ハ故 障 ヲ起 シ修 理 ノ為
右 中 央 側 ノ飛 行場 占 拠 ニ依 リ停 止 セラ レタ ル我 軍 定期 飛 行 ハ何 日
再 開 シ得 ル ヤ見 込立 タ ス
二日 当 地 経由 南 口機 廠 ヘ送 ラ レタ リ
﹁マスク ﹂ ノ大 量 製 作 ヲ為 シ 一般 人 ニ配 付 ス ヘク 目 下同 地大 商 店 及
二、 綏 遠 各界 救 国聯 合 会 ハ 一般省 民 ヨリ寄 附 金 ヲ募 集 シ毒 瓦 斯 予 防
二 四 一八 六
暗
北平 本省
過 シ北 上 シ ツ ツア ル噂 ア リ (続 ク) 昭 和 11
有 田外務 大 臣
第 六 六四 号 ノ二 (極 秘 )
四日 後 発 亜 十 二月 四日 夜 着 加 藤 書 記 官
北 上 及 空 ﹁ト ラ ック﹂ 多 数 南 下 ス ル ヲ目 撃 セ リ軍 隊 ハ総 テ間 道 ヲ通
ニ於 テ飛 行 機 用 ﹁ガ ソ リ ン﹂ ヲ満 載 セ ル軍 用 ﹁ト ラ ック﹂ 十数 輛 ノ
五、 軍 需 品 ノ輸 送 ハ主 ト シ テ夜 間行 ハレ居 ル趣 ナ ル カ大同 、太 原 間
ニ移 動 シタ ル模 様 ナ リ
四、 介休 、 臨汾 及長 治 ノ七 十 二師 、 六十 九師 、 六 十 六 師 ハ太 原 以 北
亜
尚 当館 諜 者 報 ニ依 レ ハ中央 ハ綏 遠 各 軍 ニ使 用 セ シ ム ル防 毒 用 具 十
各 県 救 国 分会 ニ分 担 製 造 方 ヲ命 シタ リ
暗
加 藤 書 記 官
四 日後 発 十 二月 四 日夜 着
万 人 分 ヲ隴海 線 ニ依 リ既 ニ綏 遠 ニ送 達 シ タ ル趣 ナ リ
四〇 二 四 一八七 北平 本省
支 、 北 平 、南 京 、 天 津 ヘ転 電 セリ
昭 和 11
有 田外務 大臣
ス ル軍 隊 ノ避 難 及弾 薬貯 蔵 ノ為 ト 認 メ ラ ル
六、 太 原 、 大 同 間 沿道 山 腹 ニ多 数 ノ穴蔵 建 造中 ナ ル カ右 ハ空 襲 ニ対
七、 雁 門 關 附 近 ノ山 々 ニ ハ最 近 築 造 セ ラ レタ ル模 様 ノ防 禦 陣 地多 数 ア ルヲ望 見 セ ルカ同 地方 ハ山 嶽 峻 険 ナ ル為 右関 門 附 近 以 外 ハ何等 防 禦 工事 ナキ 趣 ナリ
四二
二四 四 五 二
暗
支 ヨリ上 海 ヘ転 報 アリ タ シ
昭和 11
亜
有 田外務大 臣
使
九、 大 同 市 内 官 民 家 屋 ニ於 テ盛 ニ地 下 室 築 造中 ナ リ
第 九 七〇 号
八 日後 発 十 二月 八 日夜 着 川 越 大
十、 大 同 ニ於 テ ハ日 本品 主 ト シ テ薬 品 ノ看 板等 ヲ撤 去 シ ツ ツ アリ平
閻 錫 山 ノ駐 京代 表 李 鴻 文 ノ直 話 ナ リ ト テ長 沙 ヨリ ノ報 告 ニ依 レ ハ
上海 本省
綏 線 貨 車 ハ軍 事 輸 送 ニ備 フ ル為 大 部 分 各 要 地 ニ集 結 待 機 中 ナ ル 一方
李 守 信 、 王 英 ノ配 下 中 主 立 チタ ル連 中 ハ南 京 側 ニ帰順 申 入 ニ決 意 シ
八、 原 平 迄 開 通 ノ同 蒲 鉄 道 ハ同 地大 同 間 ノ土盛 工事 ハ完 成 シ居 レリ
晋北 鉱 務 局 ハ閻 錫 山 ノ命 ニ依 リ石 炭 ノ採 掘 及 大同 以東 ヘノ輸 送 ヲ停
最 近 代 表 ヲ南 京 ニ密 派 シ了 解 運動 ヲ為 シ居 ル処 近 ク無 条 件 帰 順 ヲ許
七 日後 発 亜 十 二月 七 日夜 着 加 藤 書 記 官 昭和 11
四三
二 四 四 四七 略
有 田外務 大臣
張家 口 本 省
八日後発 亜 、情 十 二月 八 日後 着 中根領 事代 理
満 、 北 平 、 天津 、 南 京 ヘ転 電 シ上海 ヘ転 報 セ リ
ト ナ リ御 参 考 迄
ツ ツ ア ル カ日 本 軍 ノ勢 ニ押 サ レ未 タ帰 順 ノ意 ヲ表 明 シ来 ラ スト ノ コ
ヲ闡 明 ス ル ニ至 ル ヘク又 李 及 王 ニ対 シ テ モ中 央 ハ引続 キ懐 柔 ヲ試 ミ
サ ル ル運 ト ナ ル ヘキ ニ付 彼 等 ハ北 方 ニ於 テ間 モナク中 央 帰順 ノ旗 幟
止セリ
北平 本省
支 、 在 支 各 総 領 事 、張 家 口、 満 ヘ転 電 シ鄭 州 ヘ暗 送 セ リ
四 一 二四 三 五〇 暗
支 ヨリ上 海 ヘ転 報 アリ タ シ
昭和 11
有 田外 務 大 臣 第 六 六九 号
第 三二 四 号
本 七 日午 前 十 一時頃 蒙 古軍 側 ラ シキ飛 行 機 一台 当 地上 空 ニ飛 来 シ 大 漢 義 軍 総 司令 王 英 、 政 治 部長 張 鳴 ノ名 ヲ以 テ セ ル宣 伝 ﹁ビ ラ﹂多
綏 遠 漢 字 紙 ノ報 道 ニ依 レ ハ
数 ヲ撒 布 シ去 レリ 支 、 天 津 、 張 家 口、南 京 ヘ転 電 セ リ
劉瑞 恒 ハ五 日 北 平 ニ於 テ協 和 医 院 等 ニ対 シ援 助 ヲ懇 請 シタ ル上綏 遠
一、 綏 遠 ニ於 ケ ル前 線 傷 病 兵 救 護 工 作 ノ為 北 上 セ ル中 央衛 生 所 所 長
奸漢 ヲ買収 シ テ国 軍 側 ノ陣 地 ニ入込 マシ メ井 戸 ノ中 等 ニ毒 品投 入方
ト俘 虜 ノ携 帯 品 ヨリ判 明 セ ルカ匪 軍 側 ハ戦 況 不利 ナ ル為 更 ニ多数 ノ
等 宣 伝的 報 道 ヲ為 シ居 レ リ
計 画 シ居 レ ル ニ付 厳 重 警 戒 中 ナ リ
支 、 南 京 、 天津ヘ 転 電 セ リ
八日後発 亜 十 二月 八 日夜 着 中根領 事代 理
ニ赴 キ同 地 ニ後 方 兵 站 医院 ヲ設 立 スル筈 ナ リ
ニ送 付 シタ ルカ更 ニ在 綏遠 白 耳 義 人 宣 教 師 雷 鳴遠 ヲシ テ救 護 隊 百余
二、 天主 教 南 京 区 主 教 于斌 ハ医療 及 救 護 費 ト シテ既 ニ二千 元 ヲ綏 遠
支 ヨリ上海 ヘ転 報 ア リ タ シ
四五
暗
二四四四九
張家口 本 省
綏 東 方 面 ニ対 ス ル支那 側 ノ作 戦 準 備 ニ関 シ五 日綏 遠 側 ヨリ察 省 政
第 三 二 三号
有 田外 務大臣
昭和 11
名 ヲ引 率 シ前 線 傷 病 兵 ノ救 護 ヲ為 サ シ ム ル コト ト ナ レリ 云 々 (雷 ハ
略
支 、 北 平 、南 京 、 天 津 、 満 ヘ転 電 セ リ
四四 二四四二四 八 日後 発 十 二月 八 日後 着
熱 河 戦 当 時 喜峰 口 ニ於 テ傅 作義 軍 傷 病 兵 ノ救 護 ニ当 レ ル コト ア リ)
昭和 11 北平 本省
加 藤書 記 官
一、晋 綏 騎 兵 第 一師 第 五 団 (周 承 章 ) ハ戦 局 切迫 セ ル為 閻 錫 山 ノ命
府 ニ達 シタ ル電 報 要 領 左 ノ通
有 田外 務大臣 第 六七 二号
ニ依 リ全 部 隊 ヲ変 装 セ シメ既 ニ興 和 縣 ニ達 シ同 地駐 屯 ノ湯恩 伯軍 第
七 日中 央 社 其 ノ他 ノ綏 遠 電 報 ハ
四 師 第 百 三十 四 団 (趙仲 元 ) ト聯 絡 ノ上 南 濠 塹方 面 ニ於 テ匪軍 李、
国 軍 ハ既 ニ北 ハ大 廟 ニ、東 ハ南 壕 塹 ニ迫 レ ルヲ以 テ近 日中 ニ大
一
王 両 部隊 ノ後 路 ヲ断 タ ント シ居 リ状 況 偵 察 ノ為 先 ツ徳 化 ニ決 死 隊 ヲ
綏遠 省 政 府 ハ国 軍 ノ百 霊廟 奪 還 ヲ記 念 ス ル為 其 ノ名 称 ヲ百 林廟
戦 ア ル ヘシ 二
潜 入 セ シメ タ リ
二、第 七 十 三師 第 四百 二十 団 ( 馮 得 勝 ) ハ興 和 縣西 方 近距 離 ノ呉 家
ト改 メ明春 ヨリ同 地 ニ大 規 模 ノ造林 ヲ行 フ コト ト ナ レリ 今 回 百 靈廟 ニ於 テ敗 退 セ ル王 英匪 軍 ノ約 二 千 人 ハ潰 滅 シ テ四 子
屯 ニ進 出 シ右 両軍 ト聯 絡 ヲ執 リ ツツ本 月 末 迄 ニ徳 化 、商 都 一帯 ヲ占
三
部 落 旗 ノ北 部草 原 地帯 ニ遁 入 セ ルカ 目下 追 撃 中 ニ付 近 ク完 全 ニ殲滅
三、 一方 右 ノ応 援 部 隊 ト シ テ山西 軍 機 械 化 部 隊 一箇 団 (砲 兵 、機 関
領 ス ヘク既 ニ 一 切 ノ準 備 ヲ完 了 セリ
尚 右 百 靈 廟 ニ於 テ同 匪 軍 ハ大 量 ノ毒 瓦 斯 弾 ト煙幕 弾 ヲ所 持 セ ル コ
セラ ル ル筈
ロ、 察 省 辺境 ニ於 ケ ル軍 事 聯 絡
二四五六二 略
四七
漢 口 ヨリ鄭 州 ヘ転 電 ア リタ シ
支 ヨリ上 海 ヘ転報 ア リ タ シ
支 、 北 平 、在 支 各 総 領 事 ヘ転 電 セ リ
等 ニア ル趣 ナ リ
イ 、蒙 古 側 ノ軍 状 及 軍 需 品輸 送 状況 ノ偵 察
九 日 後発 亜 十 二月 十 日前 着 中 根領 事代 理
銃 営 、 高 射 砲 営 、拳 銃 隊 ヲ含 ム、 団長 袁紹 増 ) ハ既 ニ周士 荘 駅 (大
暗
支 、 北 平 、 南 京 、天 津 、 満 ヘ転 電 セリ
四六 二 四 五七 七 張 家口 本 省
昭和 11
有 田外務 大臣
北平 本省
第 六七 五号
九 日後 発 亜、情 十 二月 九 日夜 着 加 藤 書 記 官
同 ノ東 方 ) ヨリ 北 方 ニ向 ケ行 動 ヲ開 始 セリ
昭和 11
有 田外務 大臣 第 三 二八 号
一、 最 近 察 省 郵 電 検査 委 員 会 ハ綏 遠 方 面 ニ送 付 セ ラ ル ル郵便 物 中 過
八 日中 央 社 ノ綏 遠 電 報 ハ同 日 午 後 匪軍 ノ飛 行 機 八台 烏 蘭 花 ニ飛 来
時局情報
激 ナ ル宣 伝 物 ヲ押 収焼 却 シタ ルカ更 ニ北平 、天 津 、 上 海 等 ノ学 生団
シ爆 弾 百 余 個 ヲ投 下 セ ル モ国 軍 側 ノ防 禦 宜 シ キ ヲ得 タ ル為 何 等 ノ損
ル処 今 回 其 ノ部 下石 玉山 ノ離 反 帰 順 ニ刺 戟 セ ラ レ八 日参 謀 長 冠 子 ?
体 ニ依 リ印 刷 セ ラ レタ ル抗 日煽 動 ノ伝 単 ヲ市 内 ニ撒 布 ス ル者 ア リ現
ヲ綏 遠 ニ派 遣 シ来 リ帰 順 ニ付 綏 遠 側 将 領 ト商 議 セ シ メタ ル旨 ノ報 道
害 ナ カ リ シ旨 並 ニ王英 ハ烏 蘭 花 ノ北 方 六十 支 里 ナ ル黄草 崖 地方 ニア
立 チ察 北 ノ失 地 ヲ回復 セ サ ル ヘカ ラ ス﹄ ト ノ趣 旨 ナ ル カ如 シ公安 局
ヲ為 シ居 レリ
工、 商 ハ 一致 奮 起 セ ヨ各 界 ハ聯 合 シテ晋 綏 両 省 ノ民 衆 ト共 同 戦 線 ニ
ハ相 当 熱 心 ニ取 締 ヲ励 行 シツ ツ ア リ
物 ヲ 入手 ス ル ニ至 ラサ ル モ内 容 ハ概 ネ ﹃察 哈 爾 省 ノ学 生 、兵 、農 、
二、 綏 遠 各 界救 国 聯合 会 ハ各 地 救 国 団 体 ニ対 シ軍 事 慰 問 品 ハ成 ル ヘ
支 ヨリ上 海 ヘ転 報 ア リ タ シ
支 、 南 京 、 天 津 ヘ転 電 セリ
二 四 五〇 五
四八
スク﹂ 其 ノ他 衛 生 材料 等 ヲ寄 贈 セラ レ タキ旨 依 頼 状 ヲ発 シ タ ル カ当
昭和 11
ク現 地 ニ於 テ欠 乏 シ居 ル毛 皮 製 上 衣 、 帽 子 、半 長 靴 ノ類 及 防毒 ﹁マ
地 ニ於 テ ハ七日 本 信 ヲ接 到 シタ ル趣 ナ リ 晋 綏剿 匪 総 指 揮 部 ハ当 地 ニ聯 絡 〓 事 処 ヲ設 置 ス ヘク職 員 ハ既 ニ来 張 目 下秘 密裡 ニ察 省 政 府 ト協 議 中 ナ ルカ其 ノ任 務 ハ
有 田外 務大臣 第 五八 六 号
暗
上海 本省
九 日後 発 情、亜 十 二月 九 日 夜 着 若 杉 総 領 事
九 日当 地 漢 字 紙 ハ南 京 電 報 ト シ テ財 政 部 ハ曩 ニ綏 遠 剿 匪 臨時 軍 事 費 ト シテ 五十 万 元 計 上 軍事 費 ト シ テ十 九 万 元 ヲ支 出 シ タ ルカ最 近 又 趙 丕廉 カ上 海 ニ於 テ 孔財 政 部 長 ト折 衝 ノ結 果 更 ニ臨 時 費 五十 万 元 ヲ 追加 支出 シ タ ル外 立 法 院財 政 委 員 会 ニ於 テ ハ九 日山 西 省 公 債 一千 万 元発 行 ノ件 ニ付 審 議 ス ル コト ト ナ リ居 ル旨 報 シ居 ル処 右 ニ関 シ当館
シ右 カ 成功 ス ル場 合 蒋 ハ共 産 軍 ニ対 シ配 置 中 ノ兵 力 (主 ト シ テ 旧東
感 シ黄 ヲ其 ノ橋 渡 シ ニ利 用 セ ンカ為 同 人 ヲ呼 返 シタ ル モノ ニシ テ若
北 軍 ) ヲ北 方 ニ移 動 シ前線 軍 隊 ヲ増 強 スル コト ヲ モ考 慮 シ居 ル モノ
五〇
暗
二 四七 四四
天津 本省
十二日前発 亜 十 二月 十 二日 前 着 堀 内 総 領 事
満 、 北平 、 在 支 各 総 領 事 ヘ転電 シ上海 ヘ転 報 セリ
ナ ル由 ニテ黄 ハ何 レ近 ク西 安 ニ赴 ク予 定 ノ由 御参 考迄
昭 和 11
有 田外務大 臣
ノ得 タ ル諜 報 ニ依 レ ハ閻錫 山 ノ南 京 駐 在 代 表 李 鴻 文 ハ目 下 上 海 ニ於 テ孔祥 煕 ヲ始 メ上 海 市 商 会 、 銀行 公会 、 地 方協 会 等 ノ要 人 ト 折 衝 シ
昭和 11
五 一
二四 七 六 一 略
南京 本省
十 二 日後 発 亜 、情 十 二 月 十 二 日後 着 須 磨 総 領 事
大 臣 、 支 、 北 平 、張 家 口 ヘ転 電 アリ タ シ
那 人 密 偵 等 入込 メ ル ニア ラ スヤ ト ノ コト ナ リ右 聞 込 ノ儘
事 カ其 ノ 二、 三 日 後 ノ天 津 支 那 新 聞 ニ載 ル コト ア ル ハ豊 臺 駅 辺 ニ支
線 ニ依 リ蒙 古 方 面 ヘ輸 送 セラ ル ル兵 器 及 軍需 品 ノ内 容 ト相 似 タ ル記
七 日当 地 ノ軍需 品 輸 送 取 扱 者 ヨリ ノ聞 込 ニ依 レ ハ山 海 關 経由 北寧
第 二 一号
山海 關 発 本官 宛 電 報
第 五 四 七号
上海 本省
使
亜
右 山 西 省 公債 ヲ上 海 銀 行 団 ニ於 テ引 受 方 頻 リ ニ奔 走中 ナ ル趣 ナ リ
四九 二 四七 八 八 暗
十 二 日後 発 十 二月 十 二 日夜 着 川 越 大
支 ヘ転報 シ北 平 、 在 支 各 総 領事 ヘ転 電 セ リ
昭 和 11
有 田外務大 臣 第 九九六号 先 年福 建 人 民政 府 ニ参 画 シ失 敗後 外遊 中 ナ リ シ黄祺 翔 ハ蒋 介 石 ヨ リ帰 国 方 招 電 ニ接 シタ ル趣 ニテ十 日着 滬 シタ ル カ諜 報 ニ依 レ ハ蒋 ハ 将 来 綏 遠 問 題 ノ拡 大 ス ル コト ア ル ヘキ場 合 共産 軍 及 上 海 其 ノ他都 市 ニ於 テ共 産 党 ノ後 方 攪乱 ヲ防 ク為 之 ト或 種 ノ了 解 ヲ遂 ケ 置 ク 必要 ヲ
有 田外 務大臣 第 一〇 二四 号
昭和 11
二 四七 六 二 略
有 田外務大 臣
新 聞 報 道 ニ依 レ ハ閻錫 山 ハ十 一日蒙 蔵 院 ニ対 シ傅 作 義 ノ報告 ニ依 レ ハ偽 軍 第 二師 々長 金憲 章 ハ十 日投 降 シ十 一日部 下約 二千 ト 共 ニ烏
第 六 八〇 号
北平 本省
十 二日後 発 亜、情 十 二月 十 二 日後 着 加 藤 書 記 官
今 後 友邦 ノ賢 明 ナ ル政 治 家 ハ其 ノ暴 挙 ヲ戒 メ和 平 互親 ノ 心理 ヲ以 テ
金 銭 ヲ貪 リ情 実 ニ左 右 セ ラ ル ルカ如 キ ハ等 シク 過去 ノ事 実 ト ナ レリ
蓋 シ我 民族 ハ既 ニ復 興 ノ途 ニ邁 進 シア リ テ従来 ノ私 利 ヲ図 リ禄 位 、
友 邦 ハ我 民族 ニ対 シ新 シキ認 識 ト遠 大 ノ期待 ヲ有 セサ ル ヘカ ラ ス
友邦 ニ告 ク ル 一節 ア リ其 ノ要 旨 左 ノ通
ハ十 日連 名 ノ帰 順 通 電 ヲ発 表 セリ ト テ其 ノ全 文 ヲ報 道 シ居 レ ル処 内
十 二 日中 央 社 ノ綏 遠電 報 ハ王英 ノ部 下 金 憲 章 、 石 玉山 、 葛 子 厚等
蘭 花 附 近 ニ集 結 ヲ了 ス ル予定 ナ ル旨 電 報 越 セ ル趣 ナ リ
暗
二四 七 五 九
五二
支 、 北 平 、 天 津 、 張家 口、 満 ヘ転 電 セリ
昭和 11 北平 本省
十 二 日後 発 亜 十 二月 十 二 日後 着 加 藤 書 記 官
ヘク爾 来 我 国 民 カ生 存 ノ為 ニ人 ニ利 用 セ ラ レテ 自 ラ同 胞 ヲ害 ス ルカ
ス ヘキ ナ リ 両大 民 族 提携 互 助 セ ハ自 ラ東 亜 ノ和 平 ヲ増 進 スル ニ至 ル
有 田外 務 大 臣 第 六七 九 号
北平 本省
十 三 日前 発 亜 十 二月 十 三 日前 着 加 藤 書 記 官
如 キ ハ絶 対 ニア リ得 サ ル コト ヲ断 言 ス 云 〓
十 二 日冀 察 政務 委 員 会 参 議 楊 敬 辰 ノ館員 ニ対 スル内 話 ニ依 レ ハ蒋 介 石 ハ最 近 綏遠 問 題 カ有 利 ニ進 展 シ ツ ツ ア ルト英 国 側 ノ尻押 ニ気 ヲ 良 ク セ ル モ ノト見 エ十 日西 安 ヨリ宋哲 元 ニ対 シ向 フ四 十 日 ヲ限 リ冀
支 ヨリ上 海 ヘ転 報 アリ タ シ
支 、南 京 、 天 津 ヘ転電 セリ
暗
二四 八 二 二
五四
第 六 八 一号
有 田外 務 大 臣
昭和 11
東 ノ回 収 方 ヲ密電 シ来 リ タ ルヲ以 テ 宋 ハ十 一日午 前 政 務 委員 会 ニ斉 燮 元 、 秦 徳 純 、 劉 哲 、 王義 〓 、 過 之 翰 、 雷 嗣尚 等 要 人 十 一名 ヲ招 集 討 議 シタ ルカ宋 ト シテ ハ時 局 ニ対 シ飽迄 守 勢 ヲ執 ル肚 ヲ決 メ居 リ冀 東 ノ回 収 ノ如 キ ハ到 底 実 行 不 可能 ナ ル ヲ知 悉 シ居 ル ヲ以 テ事 実 上 握 潰 ス コト ト シ蒋 ヘ ハ然 ル ヘク糊塗 シテ返 電 ス ル コト ト セ ル趣 ナ リ 支 及 在 支各 総 領 事 、 張 家 口 ヘ転 電 セ リ
五三
二隊 ニ分 レ 一隊 ハ約 五百 名 、 他 ノ 一隊 ハ約 二千 名 ヲ以 テ シ夫 々十 数
北 平 、中 国 、 輔 仁 等 ノ各 大学 ノ学 生 参 加 ノ抗 日宣 伝 遊 行 開 始 セ ラ レ
配 中 ノ処 果然 本 十 二日 午 前 八時 半 頃 ヨリ東 北 、清 華 、師 範 、 北 京 、
シ居 ルヤ ノ聞 込 ア リタ ル ニ付 数 日来 当 館警 察 署 ヲ シ テ査 察 警 戒 方 手
八 日) 前 後 ニ於 テ綏遠 問 題 ニ関 聯 シ 一大 示威 運 動 挙 行 ノ計 画 ヲ廻 ラ
撮 影 シツツアル旨報道 シ居 レリ御参考迄
隊 カ百靈廟 一帯戦 地模様乃至綏遠 ニ後 送サ レタル傷病兵 ノ状態等 ヲ
ルカ十九日 ノ綏遠通訊 ハ新華影業公司及西北 影業公司等 ノ戦 地撮影
ノ蒐集 ニ努メ居 ル次第 ハ十八日附普通第 五二九号拙信既報 ノ通 リナ
南京中央宣伝部 ヨリ派遣 セ ル撮影隊カ綏遠前線 ヲ視察 シ宣伝資料
第 三三六号
有 田外務大 臣
中根領事 代 理
旒 ノ抗 日 示威 旗 ヲ押 立 テ対 日 即 時絶 交 、 冀 東 討 伐 、察 北 回復 ノ各 要
曩 ニ北 平 学 生 救 国 聯合 会 ハ冀 察 政 権 成 立 一週年 記 念 日 (十 二 月 十
求 青 島 ニ於 ケ ル日本 軍 ノ暴 行 ニ反 対 、青 島 上 海 ノ罷 業援 助等 ノ各 種
五六
一一四 二五 暗
廿六 日前発 亜 一月廿六日前着 中 根領事 代 理
支、北平、天津、南京 ヘ転電 セリ
昭和 12
有 田外務大 臣
張家 口 本 省
激 越 ナ ル文 句 入 ノ伝 単 ヲ撒 布 シ抗 日 歌 及 口 号 ヲ高 唱 シ ツ ツ城内 各 街 路 ヲ練 リ歩 キ タ ルカ午 前 十 一時 過 何 レ モ公安 局 ノ手 ニ依 リ 一応 解 散 セ シメ ラ レ タ リ ( 西 直 門外 所 在 燕 京 大 学 ノ学 生 ハ入城 ニ先 ン シ城 門 ヲ閉 鎖 セラ レ タ ル為 参 加 セ ス) 然 ル ニ同 日午 後 三時 頃 約 一千名 ノ学 生 景 山 ニ集合 シ抗 日 演 説 ヲ為 シ更 ニ気 勢 ヲ揚 ケ ツ ツア リ タ ル カ其 ノ
第 二二号
附 近 一帯 ニ二 十 九軍 歩 兵 部 隊 約 三 百名 出 動 警 戒 ニ任 ス ルト共 ニ市 当 局 ニ於 テ ハ秦 市 長 自 ラ出 向 キ慰 撫 鎮 圧 ニ努 メタ ル結 果夕 刻 ニ至 ル ヤ
仲植上海慈善団体聯 合救災会委員馮學黎及綏北戦 区視察団華北監察
諜者 ノ報告竝 ニ綏遠漢字紙 ノ報道 ニ依 レハ財政部特派放 賑専員曹
夫 々退 散 セリ 右 ハ時 節 柄頗 ル警 戒 ヲ要 ス ル事 態 ニ付 本 官 十 二 日 夜宋 哲 元ト 会 見 ノ際 之 カ取 締 励 行 方 ニ関 シ篤 ト其 ノ注意 ヲ喚 起 シ置 キ タ リ
員 周利 生 (中央党部員)等 ハ本月中旬 ヨリ百靈廟烏蘭花 四子部落 王
支、上海 大使、北平、天津、満 ヘ転電 セリ
迄
徳化政権 ニ対抗 セ ント スル支那側 ノ工作 ナルヤ ニ見受ケラル御参考
宣撫工作 ニ従事 シ居 ル趣ナ ルカ右 ハ蒙古人 ノ中央 帰順 ヲ慫慂 シ以テ
支 、在 支 各 総 領 事 、張 家 口 ヘ転 電 セリ
亜 、情
府及錫拉穆林廟 一帯 ノ蒙古 人喇嘛僧 ニ対 シ金銭其 ノ他糧食 ヲ給与 シ
五五 廿 一日後 発 十 二月 廿 一日夜 着
支 ヨリ上 海 ヘ転報 ア リ タ シ
昭 和 11
二 五五 二〇 暗 張家 口 本 省
五七 二四五八 暗
支 ヨリ南 京 ヘ転 報 ア リ タ シ
昭和 12
林 外 務 大 臣
張家 口 本 省
九 日後 発 亜 二月 九 日夜 着 中根領 事代 理
当 地恵 通 公 司 営 業 所 ヨリ ノ消 息 ニ依 レ ハ六 日頃 綏 遠 飛 行 場 ハ支 那
第 四〇 号
側 ニ依 リ縦 横 ニ塹 壕 ヲ掘 繞 ラ サ レ全 ク使 用 不能 ト ナ リ定 期 飛 行機 ハ 同 地 ニ着 陸 セ ス包 頭 ヘ直 接 聯 絡 ス ル コト ヲ余 儀 ナ ク セ シメ ラ レ居 ル
セラル
暗
十 日後 発 亜 二月 十 日夜 着 中 根領 事代 理
趣 ナ ルカ斯 ル支 那 側 ノ厭 カ ラ セ行 為 ハ今後 頻 発 スル傾 向 ア ルヤ ニ察
五八 二五二五 張家 口 本 省
支 、 上 海 大使 、 北平 、 天 津 ヘ転 電 セリ
昭和 12
林 外 務 大 臣 第 四 一号
八 日及 九 日 省 政 府 ハ同 地特 務 機 関 ニ対 シ
往 電 第 四〇 号 ニ関 シ
一、 綏 遠 省 政 府 ノ入境 許 可 ナ キ他 国 飛 行機 ノ綏 遠 省 境 内 上空 侵 入 ヲ
禁止 ス
二、 右 ニ違 反 シテ着 陸 ヲ敢 テ セ ハ敵 機 ト看 做 シ撃 破 ス ヘシ
尚 綏 遠 ヨリ 諜知 ス ル所 ニ依 レ ハ高射 砲 十 余 門 ヲ有 ス ル第 二十 五 師
ト通 告 越 セ ル趣 ナ リ
支 、 上海 大 使 、満 、 北 平 、 天 津 ヘ転 電 セ リ
関 麟 徴 ノ砲 兵隊 ハ城内 ヨリ同 地 飛 行場 ヘ移 駐 セ ル由 ナ リ為 念
敬 治 葛
勝
本
口 四 郎
西
又
一
富 士
徳 蔵
正 道
佐
足
松
前
藤
立 武
村
田
利 雄
徳 吉
矢 野虎 次郎
ノ 一班 ヲ物 語 ル モノ ナ リ
ヲ襲 撃 ス ル ニ至 レ リ是 綏 東事 変 ノ起 リ シ所 以 ニシテ 内蒙 古 復 興青 史
義 ハ兵 ヲ内 蒙 古 ニ進 メ聖 地 百靈 廟 ヲ蹂 躪 シ更 ニ大 挙 シテ錫 拉 穆 林 廟
(イ ロ ハ順 ) (昭和 十 一年 十 二月 九 日)
藤 勝 川 石 信
錫拉 穆 林殉 難 烈 士 芳名
伊 田 常 吉
三八
西 田 末 松 立 上
間
正 富
平 治
二
孝
清 作
鈴
毛 利 市 次郎
島
宮
越 嘉
本
仁
国 ヲ離 レ内蒙 荒 漠 ノ地 ニ屍 ヲ暴 ス惻 惻 ノ情 切 ナ ル モ ノ ア ル モ亦 敢 テ
タ ルヤ真 ニ皇 国 ノ士 道 精 神 ヲ海 外 ニ発 揚 セ ル モノト謂 フ ヘク遠 ク祖
管 至 誠 奉 公 ノ志 ヲ効 シ蒙 古 復 興 ヲ完 ウ ス ルヲ以 テ本懐 ト セリ其 行 動
授
此 時 ニ於 テ諸 士 ハ内 蒙 古 軍 ト其 行 ヲ共 ニシ本 事 変 ニ参加 シテ各 地
桂
氏 善
夫
本 月
小 濱 卒 崎
秀 雄
大 村 木
惜 思 慕 ノ情 ヲ留 ム
昭和 十四年七月吉日
盛 島 角 房撰
碑 ヲ建 テ其 由 来 顛 末 ト 功 業 ト ヲ列記 シ遺 烈 ヲ永 ク 百世 ニ伝 ヘ以 テ追
浴 シ今 又 日蒙 官 民有 志 ノ発意 ニ依 リ蒙 古 高 原 錫 拉穆 林 河畔 ノ巌 上 ニ
宜 ナ ル哉 諸 士 ノ英 霊 ハ畏 ク モ護 国 ノ神 ト祀 ラ レ剰 ヘ叙 勲 ノ恩 寵 ニ
憾 ミ無 カ ラ ン
惟 フ ニ国歩 艱 難 ニ際 シ諸 士 ハ奮然 身 ヲ挺 シテ内 蒙 古 ノ難 ニ赴 キ只
成 野 下
ニ転 戦 赫 々タ ル勲 功 ヲ顕 シ十 二 月 九 日遂 ニ此 地 ニ於 テ殉難 セリ
博 楠
吉
川 一 山
辰 治
小 川 修 三
豊
小 田 六
岡
太
木
勝 又福 太郎
錫拉穆 林廟殉難烈士碑文 茲 ニ綏東事変殉難二十九烈士不滅 ノ気魄 ヲ後世 ニ伝 ヘ其忠魂義烈 ヲ千載 ニ顕彰 シテ以テ護国 ノ英 霊 ヲ鎮 ム 顧 ル ニ満 洲事 変 ノ余 〓 漸 ク熄 ミテ鄰 境 内 蒙 古 民族 ハ逐 次勃 興 シ 昭 和 十 一年 十 月義 軍 ヲ起 シ蒋 介 石 政 権 ノ圧 迫 ヲ排 除 セ ント ス ルヤ傅 作
三 国 防 国 策
一
原
︹莞 爾 ︺
石
大
佐)
2、 関 東 軍 司令 部 を陸 軍 中 央 の真 に信 頼 し得 るも のと な し満 洲 国 に
を満 洲 国 に贈 与 し 且治 外 法 権 を 撤 廃す
(昭和 八 年 六 月
軍 事 上 よ り 見 た る 皇 国 の国 策 竝 国 防 計 画 要 綱
﹁ 石 原 は海 軍 論 者 な り と いふ上 官 多 し 意 見 を書 いてく れ ﹂ と の今 ︹ 新太郎︺ 田 氏 の要 求 に よ り筆 を と り し も のな り
二 、右 大 戦 争 の準 備 と し て 目 下 の国 策 は先 東 亜 聯盟 を完 成 す る にあ
後 最 大 の戦 争 に し て其 時 期 は 必ず し も遠 き 将 来 にあ らず
一、皇 国 と ア ング ロサ クソ ンと の決 勝 戦 は 世 界文 明統 一の為 人 類 最
な る 日本 移 民 を 送 る を要 す 之 が為 在満 日本 官 民 の生 活 程度 を内 地 同
4 、満 洲 国 の発 展 を尤 も有 力 に助 長 す る為 速 に成 るべ く多 く の善 良
べ き満 洲 国協 和 会 の建 直 し と其 堅 実 な る発 展 の指 導 に専 念 す
務 部 に 一任 し 司令 官 は満 洲 国 治 安 の維持 と将 来 満 洲 国 の支 配者 た る
満 協 和 の主 義 に反 せざ る限 り行 政 は 新京 政 府 に経 済 開 発 の立案 は特
3 、関 東 軍 司令 官 は今 尚 満 洲 国 に於 け る事 実 上 の主 権 者 た りと 雖 日
関 す る事 項 を之 に 一任 す
り
軍 事 上 より 見 た る皇 国 の国 策
三 、東 亜 聯盟 の範 囲 は軍 事 経 済 両方 面 よ り の研 究 によ り決 定 す るを
様 に引 き 下 ぐ る こと尤 も肝 要 な り 又 日本 人 をし て満 洲 国 人 と同 等 の
に注意 す べ き点 次 の如 し
四 、満 洲 国 の成 立 は 日支 親 善 亜 細亜 団結 の基 礎 にし て之 が指 導 上 特
て東 亜 聯盟 の完 成 に向 ひ堅 確 な る進 展 を 計 る
堅実 な る改 善 を 眼 目 とす る 日支 経 済 提 携 によ り満 洲 国 の進 歩 と 相 俟
五 、 対 支政 策 は軍 閥 等 を相 手 とす る政 治 工作 を避 け真 に支 那 経済 の
く多 く の精 鋭 な る蒙 古 騎兵 隊 を編 成 す
5 、蒙 古 人 の経 済 的 向 上宗 教 の改 革 に力 を用 ふ ると 共 に特 にな る べ
価 格 を以 て物 品 を購 入 し得 る如 く せ ざ る べ から ず
要す 人 口問 題 等 の解 決 は之 を南 洋特 に濠 洲 に求 む るを要 す る も現 今 の
1 、国 防 の為 我 国 軍 を満 洲 国 に駐 屯 せ し む る以 外 我 国 の政治 機 関 を
急 務 は 先東 亜 聯 盟 の核 心 た る 日満 支 三国 協 同 の実 を 挙 ぐ る にあ り
撤 去 し満 洲 国 の独 立 を 確 実 な ら し む 即ち 関 東 州 及 満 鉄 附 属 地行 政 権
安 に当 ら し む之 が為 成 るべ く優 秀 な るも のを 支持 し て 不良 軍 隊 を 討
廣 東 等 必要 最 小 限 の地 点 を占 領 守 備 し 其 他 の地方 は支 那軍 を し て治
二 、 我軍 は 必要 に応 じ 北 京 、天 津 、青 島 、済 南 、上 海 、南 京 、漢 口
け る産 出 等 は特 に力 を用 ふ べき 点 な るべ し
滅 せし む
支 那 人 の満 洲 国 内 に対 す る投 資 の援 助 、棉 花 羊 毛 の支 那 本 部 に於
六 、北 満 の断 乎 た る経 営 によ り 蘇 国 を し て東 進 を断 念 し て印 度 近東
一、 必 要 な る作 戦 は神 速 果 敢而 も十 分 な る兵 力 を 以 て断 行 し敵 の心
対 蘇 作 戦
支 那 友 軍 を支 持 す る為 には 特 に航 空 武 力 を 有 利 とす
方 面 に転 向 せし め 且成 し得 る限 り 英 国 を 欧 洲方 面 に牽 制 す る こと に 努む
胆 を 寒 か ら し む る こと 尤 も 緊要 な る は論 を 待 た ざ るも 全般 と し て北
七 、国 防 方 針 に基 き政 府 に必 要 の施 政 を要 求 す る 以外 軍 部 は政争 の
る今 日次 代 の要 求 に合 す る政 治 的 団 体 の発 生 発展 に適 切な る努力 を
渦 中 に投 入す べ か ら ざ る こと 勿 論 な るも 既 成 政党 が支 配 力 を 失 ひた
満 方 面 の地 形 を巧 に利 用 し て戦 略 的持 久 戦 を 行 ひ以 て戦 争 の経 済 的
二、 蘇 国 内 の状 況悪 化 し 之 に最 後 的打 撃 を与 ふ る場 合 等 の外 攻勢 の
持久を策す
払ふ
針
三、 満 洲 国 内 に於 け る蒙 古 経 営 成 果 を 挙 げ得 ば外 蒙 及 ブ リ ア ード は
終 末 点 は呼 倫 貝 爾 を軸 と し沿海 州 要 す れ ば黒 龍 州 を 占 領 す
方
皇 国 々防 計 画 要 綱 ( 軍 事 上 の事 項 のみ )
一、戦 争 の動 機 は我 国 策 た る東 亜 聯 盟 の成 立 を 妨 害す る敵 国 の出 現
蘇 軍 後 方 攪 乱 の為 甚大 な る力 た るべ く 更 に進 で蘇 本 国 に対 し 反蘇 宣
にあ り而 し て其 敵 が米 蘇 英 た ると を問 はず 持 久 戦争 と な る を避 け 難 き を 以 て結 局 米 蘇 英 の協 同 せ る武 力 及 支 那 の反 抗 を 予 期 せざ るべ か
伝 を行 ひ其 崩 壊 を 策す
日支 満 三国 を 基 礎 範 囲 と す る自 給 経 済 を 実 行 し 武力 を 以 て蘇 国 の陸
二、 来 攻 す る敵 主 力 艦隊 に対 す る決 戦 は特 に有 利 な る機 会 を 選 ぶ べ
ー ル等 を奪 取 す
一、陸 海 軍 協 同 の下 に迅 速 に フ ィ リ ッピ ン、香 港 、 ガ ム、 シ ンガ ポ
海 洋 方 面 の作 戦
らず
上 及米 英 の海 上 武力 に 対 し我 東 亜 聯 盟 の地 区 を 確 実 に掩 護 し更 に進
二、 之 に対 す る我 国防 方針 は迅 速 巧 妙 に支 那 本 部 を 我支 配 下 に入 れ
で敵 を屈 伏 す る方 策 を求 め 以 て戦 捷 の途 を 拓 く に あ り
如 く国 民 を 訓 練 し 且 必要 な る諸 準 備 を 整 ふ るを要 す
る こと あり と す るも艦 隊 司 令 長 官 の重 大 な る作 戦 を制 肘 せ し め ざ る
く之 が為 一時 日 本 近海 の航 路 危 険 と な り 又 は皇 都 が敵 空 襲 に曝露 す
一、 漢 民 族 が目 下 の苦 境 を打 開 し て進 む べ き 必 然 的方 向 及 其 進 展 を
対 支 作 戦
妨 げ つ つあ る病 根 を 明 にし 我武 力 によ り 最 小 限 度 の尤 も適 切 な る病 根 切 開 を強 行 し 四 億 の民衆 に新 生 命 を 附 与 し支 那 を し て東 亜 聯 盟 の 有 力 な る 一員 と し て負 担 す べ き責 務 を 迅 速 に完 う し 得 る に至 ら し む
無題 ( 満 洲 国育 成構 想)
(昭 和 九年 三 月
石
原
大
佐)
提供す
二
一、 満 洲 国 は 日、 漢 、 鮮 、 蒙 、満 、諸 民族 共 有 協 和 の国 家 な り
るを以て日本民族 の移民地とし ては吉林省依蘭道、黒龍江省北部、
七、北満中 哈市を中心とす る最良 の地域は既 に漢民族多数居住 しあ
及黒龍江省中部奉天省西北部 の不毛地と予定し先づ依蘭道 に重点を
二、 蒙 古 民 族 は興 安 省 に満 洲 民 族 は漢 民族 と 混 じ て全 満 洲 に居 住 す
和 の基 礎 を 確 立 す べ き や が問 題 な り
る日本人を選定す
置く之れが為近く行政区域 の改革 に際し依蘭道 の長官 は尤も適任 な
日、 漢 、 鮮 、 三 民族 が如 何 に満 洲国 内 に居 住 し相 協 力 し て東 亜平
三、漢民族 は南満を主居住 地とす而し て漢民族 は既 に其数三千万に 支那本部 の治安恢復と其復興 により支那本部 の人 口収容力は大に
近く之 れ以上支那本部 よりの移住 は謝絶するを至当とす
南満 の農民収容力 は略飽和 の域 に達 し北満 へ移住 の傾向顕著 なる
増加す べし も南満 に於 ける農事改良 は少くも其収容力を倍加す る こと容易なり 五 、 日本 民 族 は主 と し て北満 に居 住 せし め 対蘇 国防 の第 一線 た ら し
四、朝鮮民族は間島を主居住地とし南満 の水 田適地 に発展せしむ む 殊 に民 族 協和 の見 地 よ り純良 な る多 数 日本 農 民 を 送 る こと 刻 下 の
六 、満 洲 国 は右 の主旨 によ り且 は満 洲 建 国 に 対す る日 本 国 民 の最 大
急 務 なり
な る努 力 と犠 牲 に感 謝 す る為 北 満 に於 け る未 墾 地を 全 部 日 本移 民 に
三
(昭和 十年 八月
石
原
大
佐)
軍 経済顧問部 は満洲国経済参謀部 (満洲国完成 せば之 を満洲国 の
らず
経済開発 に存す る こと論なし所謂 日系官吏 は満洲国建設 の核 心にあ
満洲国経営 の重点は法律中心 の行政よりも国民生活 の安定改善及
より独裁的簡明なる政治を行 ふを要 す
満洲国 は立憲 君主国た るべきも のにあらず建国主義同志 の団結に
を要す
無題 ( 皇 国 現 下 の国 策 )
一、皇国現 下 の国策 は外東亜聯盟を完成 し内所要 の革新を決行 し以 て八紘 一宇 の皇謨を実現す る準備を完了す るにあり 東亜聯盟は先づ日本朝鮮支那及三民族 の共有 共存地域 たる満洲国 を範 囲とし其共同防衛共同経済は天皇 により統 制せられ行政 は各単 即ち満洲国 は民族協和を具現し東亜聯盟精神的団結 の基礎を確 立
位毎 に之を行 ふも のとす す べき使命を有 す
機関 に移す べき こと論なし)として尤 も重大なる使命 を有す理想満
洲国 に適応す る革新 的経世家 の 一団を以て編成 を新 にす べく日本が
満洲国指導方針を閣議決定 せるは軍部 の不見識と いはざるべから ず 満 洲国は旧日本を信頼 せず革新 日本 の指導者たる陸軍 に其指導
革新 に突進す るに至らば 日本経済参 謀本部即ち東亜聯盟経済参謀本
陸軍 は革新 日本 の前衛として内速 に自ら新時代 の要求す る軍容を
を期待せるものなり
一、満洲建国 の理想 を達成す る為北満 に大量日本移民を強 行す るこ
部 の母体たらしむべき抱負なかるべからず
せざるべからず
整 ふると共 に外全力 を挙 げ理想満洲国を完成し以て対蘇国防を確立
日本は人と資金とを準備し速 に其成功を期するを要す
と絶対 に必要 なり満洲国は之を国策とし て北満未墾 地を提供整理し
の根本条件 なり
北満 に極東蘇軍 に劣 らざ る日本陸軍を移駐する こと は満洲国安定
一、満洲国 の独立を完全な らしむ る為 には治外法権 の撤 廃附属 地行 政権 の返付を速 に実現 するのみならず満洲国 は機会を求 め て門戸開 放機会均等 又 ハ九ケ国 条約 の適 用範 囲外た ることを中外 に声明す る
満 洲 国殊 に北 満 に於 け る 生 活 を内 地同 様 のも のた らし む る こと は
在 満 日 本 人生 活 費 の高 き原 因 を探 求 し迅 速 に之 を低 下 す る方 策 を
右 実 行 の基 礎 条 件 にし て満 洲経 営 の目 標 な り
定 め断 々乎 と し て之 を 強 行す る を要 す 我 等 軍 人 は此 重大 時 局 に於 て自 ら低 き生 活 に甘 じ 敢然 と し て右 北
の道 な り
満 経 営 の先 駆 た る べ し これ即 ち 昭和 維新 の前 衛 た る任 務 を完 う す る
四
無題 ( 為 参 謀 次長)
一、 昭和 維 新 の必 然 性 確 認
す
(昭和 十 年 九 月
石
原
大
佐)
聯 隊 区司 令 部 は 組織 上到 底 此 重 任 に堪 へ難 き を以 て之 を し て動 員 、
を活 用 す る如 く制 度 の改 正を 必 要 と 信ず
徴 兵 の事 務 に専 任 せ し め青 年 学 校 、在 郷軍 人 の指 導 は実 力 あ る軍 隊
一、 軍 部 は積 極 的 に其 本 務 に邁 進 す る こと によ り維 新 の先 駆 た るべ し
一、 極 東 蘇 軍 の兵 力増 加 竝西 比 利 鉄 道 の能力 向 上 に よ り有 事 の場 合
1 、 対蘇 国 防 の確 立
① 兵備重点 の北満移転
これ
遂 に敵 に優 る兵 力 を集 結 し得 る機 会 を 失 は ん と し つ つあり
一、 目 下 の情 勢 に於 て は少 く も 在 満 兵 力 を 倍 加す る を要 す 在 大陸 部
づ露 国 の極 東 攻 勢 を断 念 せ し む る こと は昭和 維 新 の第 一歩 なり
せ し む る能 はざ れ ば 我国 運 の前 途 知 るべ き のみ此 経 営 競 争 によ り 先
な る蘇 国 の極 東 経 営 に 対 し 我迅 速 適 切 な る北 満 経 営 に より 彼 を屈 服
が為 恐 らく 日蘇 間 に国 境 兵 力 増 加 の競 争 を惹 起 す べ し然 れ ど も 困難
速 に所 要 の兵 力 を 大陸 に移 駐 す る こと 刻 下第 一の急 務 な り
② 空軍竝機械化部隊 の急速 なる充実 2、軍隊教育を革 新し其威力 により自由主義 の克服 昭和維新とは西 洋流 の個 人主義、自 由主義 、功利主義 より全体主
3、満洲国建設 の方針は維新 の前衛たらしむ るに在 り 義、統制主義、国体主義 への躍進 なり 個 人主義全盛時代 の軍隊 は 一般社会 に対し甚 しく特異な る孤立的
隊 は直 ち に作 戦 に使 用 し得 る如 き 高 定 員 た る べ く且 常 駐 を 本 則 とす
存在 に過ぎざりし が昭和維新目前 に迫り而 も西洋中毒未 だ醒めず指 導階級は挙げて自由主義者 たる今 日軍隊 は単 に国防 の重任を負 ふの
但 内 地残 置 師 団 の多 き間 は若 干 師 団 を 交 代 とす (要 図 )
なら しむ る如 く 諸 制度 の改 革 を 必 要 と す
而 し て敵 情 及 北満 開 発 の状 況 に応 じ 随 時 大陸 兵 力 を増 加 す る に便
みならず 昭和 維新 の為国 民訓練 の道場たらざるべからず即ち自ら時 代 の意識を明にして教育を根本的 に革 新し其威力 により青年学校、 在郷軍人等 を通じ全国民 に昭和維 新 の根本精神 を体得せしむ るを要
1 、 日本 内 地を 十 六師 管 と し在 大陸 (朝 鮮 を 含 む) 師 団 は内 地 に動 員 竝 在 郷軍 人、 青 年 学 校 等 の教育 に任 ず る留守 部隊 を置 く 2、 師 団 に属 せ ざ る海 外 部 隊 は凡 て担 任 師 管 を定 め 以 て内 地 と外 地
一、 我 等 軍 人 は 率 先未 開 の北 満 に定 着 し 以 て国 民 大 陸 発 展 の前 衛 た
と の連 絡 を適 正 な ら し む
満 洲 特 に北 満 に於 け る生 活 を 内 地 の生 活 に近 接 せ し む る こと は兵
る べし 但 之 に応ず る 諸施 設 を急 ぐ べ き は勿 論 な り
力 の北 満 移 駐 の為 必要 な る のみ ならず 我 北満 経 営 の基 礎 要 件 な り北
強 行す るを 要 す
満 を自 然 の発 展 に委 す る こと なく 断 乎 と し て計 画 的 迅 速 な る開発 を
朝
支
日
洲
鮮
那
本
五
互に
ズ
(昭和 十 一年 三 月
石 原 作 戦 課 長)
墾地を提供 して地割を行 ふべく日本国 は人と金 を準備 し速 に之を決
北満 に多量 の日本農民を移す こと は満洲国 の国策とし て同国は未
南満 は漢 人 間島 は鮮人 北満 は日本人中 心
四、民族協和 の為め満 洲国 の住 民問題
満 洲国独立 の完成 には フ ァシ ョ的団体 の結成 を必要とす
北支人選
済顧問部 の活用が第 一の急務
経済指導 の為 め に統治部特務部経済顧 問部 の歴史的観察、︱︱経
統制経済
学閥 の打 破
昭和 維 新 の前 衛 た る べ き為 め に
三、満 洲 国 の経済 及政 治 に つき
を 十分 なら し め ざ るべ か らず
無題 ( 為 今村 参 謀 副長)
共同防衛共同経済は天皇 の統制下 に行政 は各単位
一、 満 洲 国 建国 の方針 に つき
満 古
東 亜 聯 盟
蒙
満洲国 は日本支那朝鮮 三民族 の共同共有 地域 にし て民族協和を其 北支問題 の解決 ・東亜聯盟 の方針 によるべきものとす
根本方針とす 蒙古指導 の中心 は北京を至当とす 満洲国軍 の建 設は満洲国建設 の基礎工作なり
二、満洲国 の防衛 につき
行するを要す 五、軍 司令部 の編制改正
軍部は先づ除隊兵 の北満定着 に大な る努力 を払ふを要す
国防負担金 は満洲国軍 不信用 の為なり 金 より人 の活用 満洲国軍建設 の為 めには更 に十分なる軍事費を使 用し将兵 の手当
軍司令 部 には対蘇作戦 の全責任を負 わしむ るを要す 速 に経済顧問 部を完成し軍人は経済問題 より手を引く を要す 北満定着
軍紀風紀 の確立 簡易生活 金問題 特務機関、 軍政部顧問、
六
参 諜 本 部 第 一部 )
新 関 東軍 司令官 植 田大将 に対 す る参 謀 総 長
(昭和 十 一年 三 月 七 日
交 通 其 他 統 治 経 済 の万般 に亙 り国 防 用 兵 上焦 眉 の急 に応 じ 得 る の態
口演 要 旨
一、 国 軍 用 兵 の根 本義 は 君命 に遵 由 し 国策 に立脚 し進 止 公 明 俯 仰 天
三、 関 東 軍 が ﹁ソ﹂ 国 に対 し妄 に兵 力 を 用 ひ我 よ り進 ん で事 を構 ふ
勢 と内 容 と を 速 に具 備 せ しむ る如 く指 導 統 制 せ ら れん こと を望 む
皇軍 の本 質 に鑑 み此 点 に関 し些 の遺 憾 な きを 期 し隷 下 部 隊 の統 率
地 に 慚 ぢざ る に在 り
の上 実 行 せ ら れ ん こと を 望 む 外 交 上 考慮 を 要す る場 合 に在 り て特 に
国 外 に行 使 せ んと す る場 合 等 の如 し) に在 り て は予 め 中 央部 に連 絡
を進 ん で計 画 的 に行 使 せん と す る場 合 、施 策 遂 行 の為 我 兵 力 を満 洲
ら る ゝを以 て足 るも 否 ら ざ る場 合 (例 へば 国 境 の紛争 に 対 し我 兵 力
にし て独断 之 を処 す るを 要 す る場 合 に在 り て は固 よ り決 行 後 報 告 せ
我 兵 力 の行 使 に方 り 軍 司令 官 の任 務 遂 行 上 当 然 な る場 合 若 は事 急
含 む ) の工作 は専 ら支 那 駐 屯 軍 を し て之 に当 らし め ら る ゝ予 定 なり
於 て関東 軍 と 支那 駐 屯 軍 と の間 に任務 の分 界 を 定 め北 支 那 (戦 区 を
四 、北 支 那情 勢 の安 定 と支 那駐 屯 軍兵 力 増 加 を 機 と し て近 き将 来 に
要なり
る と ころ な き 日満 両 国 の対 ﹁ソ﹂ 外交 の直 接 支〓 た らし む る こと肝
欠 く る所 な き を要 す ると 共 に之 に依 り て公 明 に し て 正義 の為 に屈 す
敵 の弱 点 を衝 き或 は 進 ん で好 機 を捕 捉 し 得 る の準 備 に就 て は寸 毫 も
を蓄 へ居 常 之 を強 化 更張 し て已 む こと な く 一度 機到 る や直 に起 ち て
る が如 き は固 より厳 に之 を警 め ざ るべ か らず と雖 他 面 内 に自 ら 実 力
然りとす
指 導 上 にも十 分 配 慮 を望 む
二 、 帝 国 四囲 の情 勢 に照 し 国 軍 の急 速 な る作 戦 準 備 を切 要 と す るは 言 を 俟 たず 就 中極 東 に於 け る ﹁ソ﹂ 国 軍 備 其他 の情 態 に鑑 み る に関
而 し て関東 軍 の作 戦 準 備 た る や単 に軍 自 体 に関 す る範 域 に 於 て之
東 軍 作 戦 準 備 の完 整 は寸 刻 を緩 う す るを 許 さず
が要 求 を充 足 整 備 す る に 止 らず 更 に進 ん で満 洲 国 内 に於 け る産 業 ・
新 関 東 軍 司令 官 植 田大 将 に対 す る 参謀 次 長
れた る にあ らず し て我 よ り進 ん で計 画 的 に兵 力 を 行 使 す る が如 き場
七
一、 過 般 の北 支 処 理 に方 り軍 の兵 力 行 使 に相 当 拘束 を加 へられ た る
合 に は時 間 の余 裕 あ る を以 て予 め 中 央部 に連 絡 せ られ 、 内 外 一般 の
参 謀本 部 第 一部 )
も 是 全 く 満 洲 の直 接 治 安 維 持 の為 に非 ず し て北 支 那 に於 け る施 策 遂
め られ た る に因 る
情 勢 を較 量 し て其 実 行 の適 否 、実 行 の方法 を決 す る を至 当 な り と認
(昭和 十 一年 三 月 七 日
行 の為 な り し を 以 てな り従 て貴軍 が其 本 来 の任 務 達 成 の為 万 已む を
口演 要 旨
得 ざ る場 合 (例 へば治 安 維 持 上 兵 力 行 使 を 切要 とす る場 合) に於 て は国 軍 用 兵 の根 本 原 則 に悖 らざ る限 り 独 断兵 力 を行 使 せ らる ゝ場 合
而 て北 支 の情 勢 安 定 し 且支 那駐 屯 軍 の兵 力 増 強 せ ら れ其 独 力 を以
あ る べ き こと従 前 と 何等 異 る所 なし
て充 分 に北 支 工作 を進 め 得 るに至 ら ば貴 軍 は後 顧 の憂 な く対 ﹁ソ﹂
必要 な り従 て支 那 駐 屯 軍 と の任務 の分界 を長 城 線 、 外 長 城線 竝 差 当
作 戦 準 備 に専念 し 凡有 努 力 を之 に傾 倒 し て剰 す 所 な き に至 ら ん こと
り陰 山 山 脈 の線 と限 定 せ ら る ゝ筈 な り然 る 上 は従 来 貴 軍 に於 て主 と し て実 施 し 来 れ る停 戦 地区 の治 安 維 持 、 政 治指 導 等 の任 務 も 悉 く之 を支 那 駐 屯 軍 に委 し貴 軍 は 必要 に際 し て之 に協 力 す る を以 て足 れり とす 二 、 先 般 の外蒙 国 境 紛 争 処 理 に方 り ても 軍 の兵 力 行使 に相当 拘 束 を 加 へら れ た る は関 東 軍 司 令 官 の任務 た る ﹁防 衛 ﹂ の範 囲 を制 限 せら
八
戦 争 発 達史 要 綱
︹ 編 者 註 ・新 設第 二課 部 員 に講 話 指 導 し た メ モと 思 わ れ る︺ 〇 一般 文 化 と 戦 争 術 進 化 の関係
ギ リ シ ア、 ロー マ両 民族 戦 術 の相 違 と 独仏 の比較
○ ギ リ シ ア、 ロー マ時 代 は 国 民皆 兵 の精 兵
○ 国 民皆 兵 主 義 の崩 壊 と ロー マの衰 亡 ○ 中 世紀 は戦 争 術 に於 ても暗 黒 時 代 ○ 文 芸復 興 と共 に新 戦争 術 の勃 興
戦争
○ 重 商主 義 ︱︱ 傭 兵 ︱︱ 横 隊戦 術 、倉 庫 給 養 ︱ ︱ 消耗 戦 略 ︱︱ 持 久
◎此 時代 に於 て最 高 発 達 を 遂 げ る ﹁フ リ ード リ ヒ大 王﹂ の戦 争 大 観 ○ 仏 国革 命 ︱国 民皆 兵 ︱ 縦 隊 戦 術 、 徴 発 給養 ○ ナポ レ オ ン の殲滅 戦 略 ︱︱ 決 戦々 争 ◎ ナ ポ レオ ン戦 争 の大 観
モルト ケ 、 シ ュリ ー フ ェン に よ るナ ポ レ オ ン主 義 の進 展
○ プ ロシ ア のナ ポ レオ ン研 究
◎欧 洲 戦 争 の大観
(昭 和十 一年 六月
石 原戦 争 指 導 課 長 )
殲滅戦略 の失敗︱再 び持久戦争 へ︱国家総動員
○殲滅戦略、決戦 々争への努力
決戦 々争 の徹底 は空中武力 によるべし
○戦争術 の進 化より見た る仏国革命時代 と現代 の比較 ︱︱ 昭和維新 の必然性
○ 八紘 一宇 の大理 想達成 の日逼 る
戦争 理論 (戦争指導) ( 村 上大佐) 戦争 発達史概観 (四手井中佐 ) 大日本国防 史
九
)
第 二課 業 務進 捗 計 画
一、 戦 争 指 導 計 画 大 綱 の樹
第 一、 本 年 八 月 迄 に為 す べ き事 項 左 の如 し 先ず 対 ﹁ソ﹂ 戦争 よ り開 始 せら 立(る る 場 合 を 基 礎 と し て計 画 す
(昭和 十 一年 六 月 十 二 日
ロ、戦 時 外 交
参謀 本部 第 二課 )
二、第 一次御進講 の大綱決定竝御親裁兵棋 の実 行 に関す る準備
三、課内事 務処理 に関す る規 定 の作製
五、航 空技術 の飛躍的発達 を企図す る為 の方策 ( 特 に航空省問題)
定
四、他部及陸軍省 (政策主任課)と の業務 の連繋 に関す る要領 の確
1、 戦 争 目 的
及軍備充実案 に対す る財政見透 に関す る調査研究 の続 行
)
で対支戦争を開始 せら ︹ 編者註 ・石原大佐 右計画大綱 の内容 左の如し(次 れたる場合を研究 すべし
2、 戦 争 指 導 方針
第 二、本年 八月以降 に於 て為 すべき事項左 の如し
加筆︺
3、戦争指導機関
一、戦争 指導計画 の完成
是れ即ち国防上 の見地よりする国政 一新 の方策 にして戦争指導計
に関す る具体案
二、戦 争指導 計画 の大綱を基礎とし戦争準備 の為 必要なる国内改革
4 、統 帥 部 の任務
治
5 、政 府 の任 務 イ、内
衛
戦 時 政 治 機構
三、国防上 の見地 よりす る満洲国建 設に関す る根本方針 の確 立
画 の完成を待 つことなく之と平行して調査立案 に着手す るも のとす
防
国 民 指 導 統制
部 は陸軍省と連絡 し満洲国指導方針 に所 要の改革を加 ふるを要す
満洲国 に関しては目下主とし て陸軍省 に於 て処置しあるも参謀本
戦 時 財 政 国 民 経 済 軍 需 工業
1、 支 那 の将 来 に関す る観 察
即 ち 支 那 は如 何 に な るべ き も のな
四、 国 防 国 策 決 定 の為 特 に 次 の調 査 を行 ふ
り や 又之 を 如 何指 導 す る や の方 針 に つき研 究 す 2、 南 洋 の価 値 及 其 将来 五 、以 上 の諸 研 究 の結 果 に よ り情 勢 判 断 を 改 訂す
一〇
記
総 動 員 第 三 次 期 間 計 画 設 定 の為 資 源 取 得 ( 輸入
(昭和 十 一年 六 月十 八 日
参謀 本部 第 二課 )
を 含 む )を 胸 算 し 得 べき 範 囲 決 定 に 関 す る 要 望
総動員第 三次期間計画設定 に方り ては其 資源取得範囲を左 の如く 限定し ﹁其 一﹂ により基礎計画を立案し ﹁其二﹂ は特別 の場合とし 左
て附記す る こととせられ度
略確実 に取得 し得 る範囲
其 一、基礎 計画立案 の為資源取得 可能範囲 満 洲国 、北支那中河北省 北部及察哈爾省南部
1
確実 の度劣 るも概ね取得可能 なる範囲 右以外 の支那 、北樺太
2
其 二、状況特 に有利 なる場合に於 て取得可能な る範囲 南洋
一 一
満 洲国 に関す る要 望
満 洲 国 に関す る諸 般 の策案 に関 し て は別 に意 見 を送 付す べき も 取
一、 満 洲 国 の独 立 能 力 を 高 む る こと に依 り関東 軍 の直 接 的 政 治 特 に
敢 へず 対蘇 戦 争 準 備 の為 特 に重要 な る左 記 事 項 の実現 を要 望 す
経 済 指 導 を軽 減 し得 る に至 ら し む る を要 す
1 、 日、 満 、 北 支 を範 囲 と し戦 争 持 久 に必要 な る産業 の開 発
二 、戦 争 準 備 の為 満 洲 に於 け る産 業 の飛躍 的発 展 を要 望 す
2 、対 蘇 作 戦 一段落 を告 げ た る以 後 に於 て戦 争 持 久 に必 要 な る軍 需 品 は満 洲 に於 て生産 し得 る に至 ら し む るを 目 途 とす 三、 北 満 に大量 日本 農 民 の移 住 四、 満 洲 に於 け る 日本 人 生 活 費 の大 低 下
(昭和 十 一年 六 月 二十 日
参謀本部)
一二
(昭和 十 一年 七 月 二十 三 日
戦 争 準 備 の為 産 業 開 発 に 関 す る 要 望
対蘇戦争準備 の為戦争持久 に必要 なる産業 は昭和十六年迄 を期間 とし 日、満、北支 ( 河北省北部及察 哈爾省東南部)を範 囲として之 を完成し特 に満洲国 に於 て之 が急速 なる開発を断行する ことを要望 す
参 謀 本部 )
一三
戦争 準 備 計 画方 針
(昭和 十 一年 七 月 二 十 九 日
及蘭 領 東 印 度 の不 侵 略 を声 明す る こと を得
1 、所 要 に応 じ 極東 ﹁ソ﹂ 領 、 支 那 本 部 、﹁フィ リ ッピ ン﹂、安 南
参 謀 本 部 第 二 課)
1 、 兵 備 充 実特 に空 軍 の飛 躍 的 発 展 と在 満 兵 備 の充実
2 、 北支 那 に於 て は速 に龍煙 鐵 山 の開 発 に著 手す るを 以 て最 少 限
之 が為
る こと に努力 す
2 、 日 、満 、北 支 (河 北 省 北 部 及察 哈 爾 省 東 南 部 ) を範 囲 とす る
の要 求 とす
一、 昭和 十 六年 迄 を 期 間 と し 対 ﹁ソ﹂ 戦 争 準 備 を 整 ふ其 要 綱 左 の如 し
ひ攻 勢 終 末 点 進出 後 に於 け る軍 需 品 は大 陸 に於 て生 産 し得 る に至
戦 争 持 久 に必要 な る産 業 の大 発 展 特 に満 洲 国 の急 速 な る開発 を行
らしむ 3 、 最 少 限 度 右 二項 の実 行 を 可能 な ら し む る為 現 経 済 力 の最 大 的 発 揚 を 目 途 と し 政治 及経 済 機 構 に所 要 の改 革 を行 ひ併 せ て爾 後 に 於 け る根 本革 新 の準 備 を なす而 れ ど も情 勢 経 済 界 の大 混 乱 を来 す が如 き に到 ら ば機 を失 せず 断 乎 根 本 的革 新 を強 行 す る の覚悟 を 必 要とす 4 、 新 時 代 を 指導 す べき 政 治 的 団 体 を 結 成 せし め根 本 的 革新 の具 体案を作成す 二、 右 期 間 外交 によ り平 和 の維 持 に努 め 開戦 の已 む な き に於 て も英 米 少 く も 米 国 よ り軍 需 品 の供 給 を 可 能 な ら し め 且独 、 波 の協力 を得
一四
戦 争 準 備 の為 帝 国 の飛 行 機 及 兵 器 工 業
)
(昭和 十 二年 一月十 二 日
を 速 に満 洲 へ推 進 せ し む る 為 の要 望
昭和 十 一年 六月 二十日附 ﹁ 満洲国 に関す る要望﹂及 昭和十 一年 七 月二十三日附 ﹁戦争準備 の為 産業開発 に関す る要望﹂ に基き帝国 の 記
飛行機及兵 器工業 に関し左記 の如く要望す 左
一、戦争指導上 の必要 と満洲国 の経済的価 値とに照応し速 に帝国 の 飛行機及兵器工業を満洲 に推進し急速 に帝 国の大陸戦備を促進す 之 が為軍 は先づ現存飛行機 工業及兵器工業 をして帝国本土 に於て ( 新設を含 む)を要す る部分は努 めて之を満洲 (朝鮮 を含む) に施
は現 能力 を最高度 に発揮せしむるに努 めしめ其 の将 来 計 画 中 拡張
新造は軽爆、偵察 ( 及 戦闘を主 とす
二、昭和十六年迄 に実現 せしむべき満洲 に於け る最小限度の戦時生
設せしむる如く指導す 産能力左 の如し 飛 行 機 工業 、年 製 三、 〇 〇 〇 機
兵 器 工業 、 現 在 造 兵廠 の約 二分 の 一
火 薬 工業 、 概 ね現 在 の岩 鼻、 宇 治 程 度
戦 車 、 特 種 自 動 車 工業 、年 製 三、 〇 〇 〇輌
参謀本部)
一五
(昭和 十 二年 一月 十 八 日
参 本 第 一部 )
内 閣 更 迭 の場 合 陸 軍 大 臣 の 入 閣 条 件 と し て 要求 す べき 事項
一、 東 亜 の保 護 指 導 者 た る に必要 な る兵 備 を速 に充 実 す 二、 航 空 機 工業 は 遅 く も 五年 以 内 に於 て世 界 の水 準 を 突 破 せ し む 三、 戦 争 遂 行 の基 礎 を確 立 す る為 概 し て昭和 十 六年 迄 に日満 を範 囲
し得 るを 要す 明
と す る自 給自 足 経 済 を完 成 す 特 に其 成 る べ く多 く を満 鮮 に於 て 生産
説
苟 も 大臣 の入閣 条 件 な るも のは若 し之 を実 行 し 得 ざ る場 合 に於 て
右 主旨 に基 き軍 は此 際 軍 本 然 の任 務 上 絶 対 必要 とす る最 重 要 件 の
は大 臣 が職 を賭 す る程 度 の最 重要 な る も の なら ざ るべ か らず
みを 簡 明 に要 求 す る に止 む るを要 す
一六
満洲 朝鮮 を
(
含む
)
(昭和 十 二年 一月 十 九 日
参謀 本 部 第 一部 )
に 陸 軍 用 飛 行 機 製 作 力 の主 力 を 施
設 す る の必 要 に就 て
朝鮮 を含む )に施 設す る こと は作 戦 上 絶 以下同じ (
而 し て今 次 の軍 備 充実 案 によ る急 速 整 備 の為 内 地
陸軍機製作力 の主力を満 洲 対的 の要求 な り
既存 工場 の某 程 度 の拡 張 は 已 むを 得 ざ ると ころ な る も将 来 更 に今 次 航 空 の充実 に引 き 続 き 大拡 張 を 要 す る は 四囲 の状勢 に鑑 み必然 なり
べ き を以 て我 が航 空 機 の海 外輸 出 に十 二分 の可能 性 あ りと 謂 ふを得
加 之 数 年 後 には 我 が航 空機 製 作 技 術 を し て世 界 の水 準 を突 破 せ し む
以上 の如 き を以 て作 戦 上 の要 求 と 我 が飛 行 機 工業 の将 来 と に鑑 み
べし
を要 す
将 来 新 設 す べ き も の は努 め て之 を 満 洲 に施 設 せ し む る如 く 指導 す る
一七
第 一 戦 争 目 的
対 ソ戦 争 指 導 計 画 大 綱
(昭和 十 一年 八 月
参 謀本 部 第 二課 )
増 進 し 攻 勢終 末 点 進 出後 は大 陸 の力 に より戦 争 を持 久 し得 る に至 ら
若 し 開戦 の已む な き場 合 と 雖 極力 其 時 機 を 遷延 し て対 ﹁ソ﹂作 戦
英 米 の中 立 を維 持 せし む る為 に も支 那 と の開 戦 を避 く る こと 極
二
しむ るを 要す
め て緊 要 な り
東 亜 平 和 確 立 の為 日満 両 国 に 対す る蘇 聯邦 武 力 の脅威 を排 除 す る
一 沿 海 州 (ウ スリ ー河 黒 龍 江右 岸 地区 ) 北樺 太 を割 譲 せ しむ 大 蒙 古 国 の建 設 を認 めし む
に在 り之 が為 蘇 聯 邦 に対 し ては
二
米 に対 し 比島 の完 全 独 立 を 認 めし む
三
る為 め速 に 万般 の準 備 を為 さざ るべ か らず
米 英 と の開 戦 は戦争 を至 難 な ら し む然 れど も 万 一全 般 の形勢 不
英 に対 し香 港 並租 界 を 支 那 に返 還 せし む
一段 落 後 た ら しむ る こと肝 要 な り 又作 戦 範 囲 は勉 め て之 を 制 限す
一
更 に英米 支 が蘇 側 に立 て参 戦 せ る場 合 には
二
し断 乎 と し て戦 を継 続 す之 が為 日満 北 支 を範 囲 と し戦 争 の持 久 を計
戦争 指導 方針
利 にし て交戦 の已 む な き に至 ら ば極 東 に偏 在 す る我国 の地 位 を利 用
第二
支那 に 対し て は大蒙 古 国 の建 設 を 認 め しむ
三
外 交 の方 針 は列 国 の中 立 を 維持 せ しむ る に在 り殊 に英 国 を し て
四
﹁ソ﹂ 国 のみを 敵 と す る こと に全 幅 の努力 を 払 ふ戦 争 初 頭 に於
一
開 戦 と 共 に国 民 的 興 奮 を利 用 し て戦 争 に有 利 な る如 く 所 要 の国
其 一 要
綱
第三
戦 争 指導 機 関
内改 造 を 決 行 し戦 争 持 久 の基 礎 を 確 実 な ら しむ
五
欧 洲 以 外 を顧 る能 は ざ ら し む る こと に努 む
開 戦 と 共 に在 極 東 の敵 を 覆滅 し て所 要 の疆域 を占 領 し爾 後主 と し
け る軍 事 的 大 成功 は之 が為 にも最 も肝 要 な り
対 ﹁ソ﹂ 戦 争 に要 す る軍 隊 資
て航 空 機 及 蒙 古 人 、白 系 露 人 等 に よ る敵 後 方 の擾 乱 更 に進 で本 国 内 に動 乱 を 誘 発 せし め敵 を屈 服 せ しむ
材 は成 るべ く平 時 よ り大陸 に準 備 す る は勿 論 速 に満 洲 国 の 工業 力 を
のも のを 準 用し 若 干 の修 正 を加 ふ
説
当時大本営 の軍議 に出席し帷幄 に参じたる者左 の如 し
聞 召され又軍議 を御聴き遊ば されたり
は毎日午前 九時岡沢侍 従武官長を従 へて軍議所に出御諸般 の報告 を
日清戦役中 の御前会議 広島大本営構内に軍議所あり 明治天皇
御前会議 に関す る史的観察
第 一 御前会議
其二 細
戦 争 指 導 に関す る組 織 左 図 の如 し
四
戦 時 政 治 は政 府 之 を 担任 し 両者 の
一 戦争 指 導 の為 統 帥 は大本 営
項 に付御 裁 可 を 仰 ぎ 実 行す 事 重 要 にし て戦 争 の運命 に 重大 な る関 係
統 一調 和 を 必 要 とす る事 項 は相 互 に協 議 決 定 し た る後 各 〓其担 任 事
を 有す る事 項 は御 前 会議 を開 催 し て決 定す 御 前 会 議 に列 席 す る者 は 当面 の問 題 に関 す る責 任 者 に し て而 も最
政 府 と 大本 営 と の見 解 を異 にす る場 合 に は聖 断 に依 る此 際 御 前 会
少 限 のも のと し議 長 を 設 けず
参 謀 総 長 、軍 令 部 総 長 、 内 閣総 理 大 臣 、枢 密 院 議 長 、特 命 に依 る
議 を開 催 す るを 例 とす
皇 族、 元 帥 等 を 以 て戦 争 指 導 に関す る最 高 御諮 詢 府 を 作 り 大 元帥 陛 下 の諮 詢 に応ず 右 の外 戦 争 指 導 の為 最 高 会 議 若 く は国 防 会 議 に類 す
大 本営 の編 制 及 勤 務 は 左 の事 項 を 改 正 す るを要 す
る機 関 を 設く る こと な し 二
人 事 は大 本 営 に
陸 軍大 臣 は作 戦 に関与 せず
野 戦航 空 部長 官
一
三 報 道部 の改 廃
二
四
政 府 の組 織 は根 本 的 に改 正 を加 へ戦 争遂 行 に最 も有利 な る如 く
政 府 に は輔 弼 の責 に任 ず る国 務大 臣 は最 少 限 と し総 理 大臣 、 陸 軍 、
三 す
海 軍 、 外務 、 内 務 、 大蔵 、 商 工諸 大臣 の みと し其 他 は行 政 各部 の長
政 府 の改 組 に伴 ひ行 政 、 経済 、 金 融等 の組 織 にも 根 本的 の改 正 を
官 た る に止 む
加 ふ ると 共 に国家 総 動 員 機 関 を附 設 す国 家 総 動 員 機 関 は目 下 研 究 中
官
参 謀 総長 石黒忠悳
熾 仁 親 王 ・参 謀 次長 兼 兵站 総 監 川 上操 六 ・野 戦監 督 長 寺 内 正毅 ・野 戦 衛 生 長 官
西 郷 從道 ・海 軍 軍令 部 長
一名 (此 三名 は御 用 の時 のみ呼
大 山 巌 ・海 軍 大 臣
二名 ・管 理部 長
野 田豁 通 ・運輸 通信 長 官
其他 陸 海 軍 参 謀 出 さ る) ・陸 軍 大 臣
陸 奥宗 光 等
岡澤精 ( 議席 に列 せず御 傍 に
明 治 天皇 と 軍 事 二 二〇 頁 )
伊 藤 博 文 ・外務 大 臣
樺 山 資 紀 ・侍 従武 官 長 兼軍 事 内 局 長
(渡 辺 幾治 郎 著
侍 立 す る の み) ・内閣 総 理大 臣
列 席 者 、 伊 藤 、山 縣 、 松 方 、井 上 等
日露 戦 争 の際 開 戦 を決 し給 へる御 前会 議 明治 三十 七 年 二月 四 日午 後
必要 に際 し て出席 せ る者
皇 太 子殿 下大 本 営 附 とな ら せ ら る
大蔵 大 臣 、陸 海 軍 部 其 他 の職 員
明治 三十 七年 三月 十 三日 以後
天皇 臨 御 の際 は岡 澤 侍 従武 官 長 が 常 に陪 侍 せり天 皇 は多 く の場 合
るや毎 回御 出席 遊 ば さ れた り
可否 を 仰 せ給 ふ こと な く黙 し て衆 議 を聞 召 され 奏請 に対 し ては可 の
観
察
鉛 璽 あ ら せ ら る るを常 と せ り
上 記 の如 く 過 去 戦役 に於 け る御前 会 議 中 には 戦況 の報 告 を主 と せ
指 導 の会 議 と な り 此際 出 席 者 を 制限 す る に非 れ ば政 府 を し て統 帥 に
異 な る も のな るも 戦況 報 告 後 兎角 対策 を 論 議 せ ら れ易 く 従 つ て戦 争
而 し て戦 況 報 告 を主 とす るも のは吾 人 の云 ふ御 前 会 議 と は性 質 の
る者多 く所 謂 戦 争 指導 に関 し 論 議 せ ら れし 場 合 は稀 な るも の の如 し
大 臣 、寺 内 陸 軍 大 臣 、曾 彌 大 蔵 大臣
容 啄 せ しむ る の危険 性 大 なり 故 に将 来 は戦 況報 告 を主 とす る御 前 会
諸 元 老 ・大 山 参 謀 総 長 、桂 内 閣総 理 大 臣 、 山 本海 軍 大 臣 、 小村 外 務
桂 総 理 の奏 請 に依 る
戦
戦 争 指 導 の為 の重要 方 策 決 定
外 交 方 針
平素 よ り策 定 せら れ た る戦争 計 画 の検 討 特 に
二
第 三国 に対 す る処置 の決 定
開戦 の時 機 、 方 法 の決 定
一 開
此種 御 前 会 議 を 開催 す るを 要 す る場 合 の 一例 左 の如 し
者 を制 限 し厳 密 な る手 続 を 採 るを要 す
議 と戦 争 指 導 を 主 とす るも のを判 然 区別 し後 者 のた め には そ の出 席
開 催 の動 議
明治 天 皇 は大
戦 争 中 に於 け る御 前 会 議 (渡 辺幾 治 郎 著 明治 天 皇 と軍 事 三 三六 頁 所掲) 対露 宣戦 布 告 の翌 二月 十 一日大 本 営 を 宮 中 に設 け
諸 報 告 は通 例 表 御 座所 に於 て聞 召 さ れし も 重要 な る報 告 は
元帥 と し て臨 御戦 地其 他 よ り来 る諸 報 告 を聞 召 され 軍備 を御 親 裁 し 給 へり
そ の都 度 御 前 会 議 を開 いて之 を 聞 召 さ れ奏 請 事項 は衆 議 に諮 つてそ の可 否 を決 し給 へり御 前 会 議 は鳳 凰 の間 に於 て開 催 せら るる を常 と
桂 内 閣総 理大臣 、 小村 外 務 大臣 、 山 縣 元 帥、 伊 藤
し別 に定 日 なく 概 し て毎 週 一回 位 な り 参 列 者 は通 常
陸 軍 部 よ り は陸 軍 大 臣 及参 謀総 長 、 作 戦 主 任参 謀 、 運輸 通信 長 官
宣 伝 方 策
枢相等
謀
略
海 軍 部 よ り は海 軍 大臣 及軍 令 部 長 、 次 長 、幕 僚 二名
四 軍需 に対す る軍部 の要求 が政府 の能 力を超過す る場合
る場合
三 第 三国をし て敵側 に参戦せしむる虞 ある用兵行動を採 らんとす
部 の改正を行はれしも陸軍 に在 りては改正案 のみ立案 せら れ実行す
2
に至り後明治三十 七年 日露戦争 に於け る編制制定せられたり
こと に就き不同意 を表 明せしも陸軍 の主張 により遂 に之 に同意す る
るに至らず
日露 戦後屡 〓改 正案を立 てられ青島戦役 間海軍 の必要 に依り 一
五 講和並戦後 の経営 のため
3 大正十 一年 戦時 編制 の改 正に伴 ひ大本営亦改正 の必要 を認めら
講和 の時期、条 件 休戦と講和と の関係
れしも異論多く制定 の運びに至 らず
大 正十 五年末 に至り漸 く陸軍部内 の議 一定し海軍 の同意 を得陸軍
戦後経営 の根本方針
るに在 り
部 のみ改 正を決行せりそ の要 点は兵站総監 の下 に兵 器長官 を設置 せ
此種御前会議 に出席 し得る者 左の如 し 政府を代表し て総理大臣、問題 の性質 に応 じ内務大臣、外務大臣、
道部を設く、諜報機 関を編制内 に明示す
教育総監部職員 と の連繋を密 にす、兵 站総監部 の人員を充実す 、報
陸軍幕僚人員実際 の必要 に応じ増加充実す 次長充用範囲を拡 大す、
し有事 の際遺 憾なからしむ るため左記要綱 に基 き改 正せられたり
4 昭和 八年時 局重大 なりと認められ大本営編制 の内容を改善充実
統 帥部 を代表 して参謀総長、軍令部総長、陸軍大臣、海軍大臣 大蔵大臣 、商 工大臣 第 二 大本営 の編制及勤務令 に関す る歴史 一 陸海軍 の関係 に就 て 明治初年 設置 せられた る参軍 は陸海 両軍 の統 一を図 るを以て任 と し参謀総長亦其職責 を襲 ひ明治 二十六年勅命 を以 て発布せられし大
より三十六年 に至る間陸海軍 の間 に終始繋争 を続 け明治 三十六年勤
ら れあり然れども本件 は海軍 の大 に不満とせる所 にして同三十二年
其 の人員をも縮 少せり復員前 に於 ては行賞 の関係 上全部を大本営 に
のにし て開戦 当初 に於 ては相当 の業務存せしも逐次減少す るに従ひ
を以て参謀本部留守部 を設置 せり留守部 に於ては常務を処理す るも
一 参謀本部 参謀本部職員 の主力を以 て大本営 を編成し其 の 一部
第 三 日露戦役間 に於ける陸 軍中央統轄機関 の状態
務令 の改正せらるるに及 び始 めて参謀総長 と軍令部長と同等 の地位
編 入せり
本営条例 には ﹁参謀総長 は陸海軍 の大作戦 を計画す﹂ る如く規定せ
を 以て帷幄 に参劃す るに至 り次 で三十七年現 制 の如く改 正せられ昭
陸軍省 の局長を兼任 せ るを以て多く は陸軍省 に於 て執務 せり
兵站総監直轄たる各長官部 を参謀本部構内に設けたるも各長官は
和 八年も亦之を踏襲せり 1 明治 二十 五年以来 研究 せられ二十六年 日清 の開戦 に及 で急遽之
二 教育総監部 戦争間依然 業務 を継続 せるも開戦と同時 に其 の職
二 大本営 の編制 に就 て が制定 を見た るも のにして海軍 は最初陸海軍大臣を大本営内 に入 る
員 は逐 次 他 に転 出 し て陸 軍 省 の職 員 等 を以 て兼 職 せ り而 し て戦 地 の ④
③
米 国 に対 し何 時 た りと も 開 戦 し得 る の態 勢 を 保 持 す
西 太 平 洋 を 確 実 に制 し南 洋 方 面 と の通 商 路 を 維 持 す
統 帥 部 の任 務
軍
戦 争 の持 久 を保 持 す る に必 要 な る資 源 を獲 得 す る に足 る 最 小限
度 の範 囲 に於 て 一挙 敵 の政 治 的 中 心 を覆 滅 し抗 日政 権 を駆 逐 し て 一
①
陸
務 左 の如 し
対 ﹁ソ﹂ 戦争 中 に支 那 が敵 国 に参 加 せ る場 合 に於 け る統 帥 部 の任
対 支 戦 争
其二
開 戦 後 逐 次 職員 を増 加 せ しも 編 制 上特 異 の変 化 を 生 ぜ
に充 て此 の如 く し て職 員 を 充 足 せ り 陸軍省
負 傷 者 等 内 地 に帰 還 す る に及 び其 中 の快 癒 せ る者 を 以 て当 部 の職 員
三
第四
ざ り し も のの如 し
其 一 対 ﹁ソ﹂ 戦争 軍 開 戦 劈 頭 空 陸 に於 て世 界 を瞠 目 せし む る に足 る軍 事 的 成 功 を 収
般 民 衆 を 誤 れ る指 導者 よ り解 放 す 之 が為 用兵 の範 囲 は北支 、山 東 、
陸 ①
要 す れ ば 中 支 、 已 む を得 ざ れば 南 支 と す 又成 る べく 一般 民衆 を敵 と せ ざ る こと に努 む
成 る べく 短 期 間 に攻 勢 終 末 点 に進 出 し爾 後 地上 部 隊 は持 久 を 策
む る こと を努 む ②
所 要 の地域 を占 領 せば 支 那 民衆 の為 に幸 福 な る占 領 地統 治 を行
軍
対 米 戦 争
軍
内 地 防 衛 の核 心と な り国 民 を 指導 し て防 空 に当 る
陸
務 左 の如 し
対 ﹁ソ﹂ 戦 争 中 に米 国 が敵 国 に参 加 せ る場 合 に於 け る統 帥部 の任
其三
所 要 の陸 軍作 戦 に協 力 す
海
②
北 樺 太 を 占 領 し同 地方 に在 る石 油資 源 を利 用し 得 し む
し 主 とし て航 空 部 隊 を 活動 せ し め其 他 の手段 の併 用 によ り 敵 国屈 伏
占 領 地 方 の統 治 を行 ひ占 領 地 方 民 を し て ﹁ソ﹂ 政 権 の桎 梏 よ り
ひ出 征 軍 は為 し得 る限 り 現 地 に於 て自 活し 得 る の途 を講 ず
③
の根 拠 を 確 立 す
④
平 時 よ り 行 は れ あ る内 蒙 古 工 作 を強 化 し成 し得 れば 外蒙 を し て
解 放 す ると 共 に占領 地 の産 業 を 開 発 す
﹁ソ﹂ より 離叛 せ し め此 方 面 よ り 敵 の側 面 を 脅 威 す ると 共 に大 蒙 古
⑤
⑥
建 設 の基 礎 を 確 立 す
海 軍 と協 力 し成 る べく 短 期 間 に フ ィリ ッピ ン及 ガ ムを占 領 す
協力す
敵 主 力 艦 隊 を撃 破 す ると 共 に フ ィリ ッピ ン及 ガ ム占 領 の為 陸 軍 に
軍
海
陸軍 と協 力 し て敵 海 軍 根 拠 地 を 攻略 す
軍
支 那 及 米 国 に対し 何 時 た り と も開 戦 し得 る の態 勢 を保 持す
①
朝 鮮海 峡 の航 通 を確 保 す
海
⑦
②
方 針
要
一八
自 昭和 十 二年 度
至昭和十 六年度
関 東軍 参 謀 部 第 四課 )
満 洲 国戦 争 準備 指 導 計 画 (昭和 十 三年 三 月 十 五 日 一部 修 正
満洲国 の政治、経済 の指導 及日満関係 の調整 に関す る事項
満 洲 国政 治 、 経 済 の各 般 に亘 り実 行第 一主 義 を 以 て其 組織 運 営 を 平 時 よ り 努 め て戦 時 態 勢 に近 似 せ し め速 に物 心 両 方 面 に亘 る、 の戦 争 指 導 に遺 憾 な から し む
戦争準備 を完整せしむる如く指導す ると共に日満関係事項を調整し満洲国 の健全迅速な る発展開発を計 り以 て随時 の開戦竝爾後
一、満洲国中央、地方行政機構 竝経済機構を根本的 に改革調整 し以て国家 の統制力 を鞏化す ると共に各 地方機関 の機能 を充実 し 其経営 に最大 の効率を発揮せしむ 二、 国防 上 の諸 施 設 竝 諸 法 制 を 完 備 し有 事 の際 に遺 憾 な き を 期す
な か ら し め 思 想戦 を準 備 す
昭 和 十 五年 度
革
の 刷 新 (戦争準備資金 の整備)
構
昭和 十 四年 度
機 替
昭和 十 六年 度
備
考
三、産業 五ケ年計画特 に重工業 部門を完成 し国防資源 の開発を促 進す 四、協和会 の助長 発展と相俟ち国民生活 の安定 を策 し在住民 の政経各方面 に対す る活動 を促進 し以て民心把 握と民族協和 に遺憾
昭和 十 三年 度
済
組
改
五、 日満 関係諸事項を調整 し両国 の不可分関係 を鞏化 し満洲国 の健全なる発展 を図 る 昭 和 十 二年 度
地方行政機構改革
領
中央 行政機構改革
経
予 算
の 調 整
国防分担金問題調整
保
安
治 安 隊 国境 監視隊 改編
総
動
員
法 態
組
鉄
織
問
の
題
国 民義勇奉公団 の設立 満 護
充
成
の
の 完
整 実
調 充
の
勢
局
実
整
備
国境地帯 の準戦時態勢 化 (重要作戦地域地方 の国境諸問題調整)
防衛法 の制定及其運用に関す る準備 の完成
軍駐屯 に伴 ふ諸法規適 用に関す る調整
警 道
愛
治安維持系統 の確立竝 東北満洲治安 の確立 (治安維持会撤廃)
路 鉄
航空施 設の拡充徹底 (航空 債券 、地方 の自治的発動 によ る施設 の完成) 北満重要都市計画 (哈爾賓、佳木斯 、牡丹江) の完成
対 団 青
蘇 訓
其
の 輩 化、 結 合、 接 満 地 域 と の 調 整
他
占
の 訓
領
練
地
行 機
関
の の 統
政
合 拡
研
充
究
国際収支 の適合と第 三国利用 (日満 為 替 資 金 調 整 、 米 資 導 入 、 独 伊共 他と の ﹁ク レ ヂ ット ・バ ー タ ー﹂ 制 其 他 の確 定
防 共 戦 線
満洲国 の国際的地位鞏化 に関す る諸政策 の遂行
青 年
)
和
業
賦
合
理 化
織
計
を
画
充 実
大
拡
成
し 其
活 動
を 促
(特 に重工業部門、産金)
の 完
東 北 満 洲 対裏 日本 交 通 革 新 役
の 組
戦時事 変 の救恤及職業 保障 の制度 確立 会
ケ 年
鉄 鋼統 制 法 制 定 五
青
大 少
量 年
移 移
民 民
計
訓
画
練
の
所
遂
の
行
日 満
国
税 制 貿易振 興政策 の徹底
立
竝
策
廟 政
確 立
度
(邪
の 調
( 嘲
教
整
理) 嚇)
の 整
満洲建国精神を基 調とす る綜合科学 の建設 (思想戦準備) 建
政
の 確 立
教
院)
放 送 事 業 の刷 新
(寺
宗 社)
(回
実
進
教)
す
低物 価政策を徹底 し生活標準を低下し国民生活を安定せしめ且給与制度 を刷新す
充
財政 五ケ年計画 の確立 (財政政策 の検討是 正特 に省地方財 政 の確立)
産
協
特別 任 務 に従 事 せ る も の、 特 恵 的取 扱
廟
産 業 統 制 政 策 の検 討 是 正
建 国
(神
治
廃
賞
満
洲 成
制 度
婦
人
教 育
満洲国武道機関 の設立 国
施
訓
練
設
の 徹
の
底
保 留 神 社、 教 育 行 政 権 の 調 整 育
国
籍
新
制
法
及
民 籍
の 解 決
成
(国防婦 人会 の創立)
完
督
(熟 練 職 工、 技 術 官 、官 吏等 )
施
養
罹災救 助制度 の確立 の 刷
統
培
実
策
の
政
励
衛 生施設 の完成 (満洲国赤十字社 の創 設、 医薬 の統制、獣医機関 の整備)
教
の 完
恩
務 の
立
源
の 確
資
度
禁
人
事 制
断
的
民族指導精神 (特 に対鮮蒙 人) の徹底 労
人 片
地籍整理事業 の再検討 及蒙 地整理 (王侯処理 を含 む)
阿
土地制度 の再検討
一九
(自 昭 和 十 一年 一月 一日 至 十 二 年 十 二 月 三 十 一日 )
日満 財 政経 済 研究 会 業 務報 告 書
宮
崎
正
義)
究 上 の根 本 方針 、業 務 要 綱 、 研 究 事項 及担 当 委 員 等 を決 定 し 昭和 十
主事
年 十 二月 中 旬 主 事 名 を 以 て東 京 帝 大 教 授 土方 成 美 博 士 外 十 名 の委 員
日 満財 政 経 済 研 究会
本会創 設以降今 日迄 の主要研究業務を左 の九項 に分 ち報告す
(昭 和十 三年 一月
第 一、 一般経済国策 の研究
に 夫 々研 究 立 案 を 委嘱 せ り
昭和 十 一年 二月 上 旬 各 委員 よ り本 会 の指 定 せ る 書式 に よ る研 究 計
第 二、生産力拡 充五ケ年計画 に関す る研究 第 三、財政計画 に関す る研究
画 書 提出 あ り
次 い で昭 和 十 一年 六月 末 各 委 員 は左 記中 間 報 告 書 を
第 四、資金計画 の研究
提 出 し た るを 以 て直 ち に騰 写 の上関 係 方面 に提 出 せ り
第七、緊 急事項 の研究
3 、経 費 に関 す る研 究
2、 我国 現 下 の公債 政 策
1、 税 制 整 理 及 財 政機 構 の改 革 に関 す る 中間 報 告
中 間 報 告書
第 五、戦争経済 の研究
第八、外国経済 の研究
4 、 地方 財 政 に関 す る研究
第 六、航空機製作工業 の研究
第九、其他事項 の研究
6 、 金 融統 制 中 資 金 統 制 に就 て の中間 報 告
5 、 鉄道 会 計 に関 す る調 査
右 の内第 一及第 六は専 ら本会 の委嘱したる専門委員 の研究 に係 る も其他 は殆 んど全部本会 主事 の指導 の下に本会調査室 に於 て軍部関 係 方面 と協力し之を作成せるものなり
9、 石 油 、 石炭 、瓦 斯 に関 す る研 究
8、 電 気 統 制 に関 す る研 究
7 、 為 替 政 策 、通 貨 政 策
本会は第 一年度 に於 ては本会業務 の 一部として先づ非常時経済国
第 一、 一般経済国策 の研究 策 に関し体系 ある綜合案を得 るを目 的とし関係方面と打合 せの上研
14、政治行政機構改革案図表
13、日満統制 経済政策
12、貿易商業政策 に関す る研究
11、現段階 に於 ける日本軍需工業拡充政策
10、日本農業政策大綱
12、国防的 工業政策
11、農民生活安定保 証政策
10、公債政策
9、外国為替 対策
8、清酒専売に関す る研究
ホ
ニ
ハ
ロ
米国 に於ける会 計統制組織 に就 て
米国予算制度概 要
一九 一八年国費委員会報告概要
仏国 に於ける支出統制組織
仏蘭西 に於 ける予算統制
日満産業 五ケ年計画 の最初 の案 なり
綱 を示した り 其後 日満両国 に於 て国策として喧伝 せられたる所謂
降 五年間 の帝国歳 入及歳出計画﹂( 附 、緊急実施国策大綱)中に其大
一年 八月十七 日本会調査室 に於て完成提出した る ﹁昭和 十二年度 以
13、貿易政策 第 二、 生産力拡充 五ケ年 計画に関す る研究
ヘ 予算制度 の概要
15、租税及財政機構 に関す る中間報告関係資料 イ 国費調査委員会 (ゲデ ス委員会)報告概要
ト 予算制度 の概観
八月 二十日陸 軍省軍務課 に於 て同 様説
5、石油専売 に関す る研究
4、軍事費 に関す る研究
3、帝国鉄道特別会計 に関す る研究
④ 経済各部門 に対する国 家管理 の強化
③ 国防産業生産 品輸出事業 の組織化
② 内地 に於ける地方軍需 工業 の建設
① 満 洲 に於 ける軍需 工業 の建設及増産計画
附属文書
国防産業 の飛躍的増産及輸出計 画 の実施
緊急実施国策 の三
本研究中生産力拡充 に関す る部分 の内容を示せば次 の如 し
明
し本案 に関し詳細説明せり
宮崎主事 は八月十七日参謀本部 に於 て参謀 本部並陸軍省要員 に対
軍備拡充計画 に対応す る国防 産業 生産力拡充計画 に関 しては、十
チ
陸軍省 に於け る支出統制組織 の欠陥 に関す る例
1、日満 産業 五ケ年計画 の最初 の案
リ
第二次本報告書 は概 ね十 二年 の初めに各委員 より提出 あり、騰 写 の上関係方面 に配付 せり 内容左 の如 し 1、現段階 に於け る理想的租税体系 並国税
6、パルプ専売 に関する研究
2、税 制整理案 の輪廓並数字的基礎
7、麦酒専売 に関す る研究
2 、 ﹁満 洲 に於 け る軍 需 産 業 建 設 拡 充計 画 ﹂ の作 成 本会 は前 記 案 に基 き ﹁ 満 洲 に於 け る軍 需 産 業建 設拡 充 計 画 (昭和 十 二年 度 以降 五年 間 )﹂を作 成 九 月 三 日提 出 し 、同 日陸 軍 省 第 二 会議
室 に於て参謀本部並陸軍省 の要員 に対し宮崎主事及本案作成 に助力 せ る酒 家経 済 調 査 員 詳細 説 明 せり
及 櫻 井 企 劃庁 調 査 官 (大 佐 ) に対 し、 そ れぞ れ宮 崎 主 事 之 を 説 明 せ
主 事 は更 に資 源 局 横 山企 劃 部 長 の要請 に より 六月 十 八日 松 井資 源
り
局長 官 以 下同 局幹 部 全 員 に対 し本案 の要 旨 を説 明 せ り
7 、 ﹁生 産 力 拡 充 に伴 ふ技 術者 、 熟 練 工 及 一般 労 働 者 補 充計 画 ﹂ の
六月 十 四日 関係 方面 に配 付 せ り
日満 軍 需 産業 拡充 五 ケ年 計 画要 綱 の説 明資 料 と し て作 成 、 十 二年
6 、 ﹁重 要 産業 五 ケ年 計画 要 綱 説 明 資 料﹂ の作 成
鉄 総 裁 に対 し 本案 並 前 記 ﹁昭和 十 二年 度 以降 五年 間帝 国 歳 入、 歳 出
尚 主 事渡 満 し、 九 月 十 五 日新 京 に於 て板 垣 関 東 軍参 謀 長 並 松 岡満
計 画 案 ﹂ (附緊 急 実 施 国 策 大 綱 ) に関 し 詳 細説 明 せり
作成
り イ
同
其 の二
( 本邦 熟 練 工 、技 術 者 の補 給 対 策 に就 て)
同
技 術 者 、熟 練 工対 策 関係 資 料
ロ
技 術 者 、 熟練 工 対策 其 の 一
本 問題 に関 し ては次 の諸 方 策 及資 料 を作 成 関係 箇 所 に提出 説 明 せ
3 、 ﹁帝 国 軍 需 工業 拡 充 計 画﹂ の作 成 先 に作 成 提 出 せ る ﹁満 洲 に於 け る軍 需 産業 建 設拡 充 計 画﹂ と 相 俟 つて日満 経 済 ﹁ブ ロ ック﹂ に於 け る帝 国 の軍需 産 業 拡 充 計 画 の全 貌 を 示す 目 的 を 以 て本 邦 軍 需 産業 の拡 充 計 画 を 主 な る内 容 と せ る首 題 報 告 を立 案 し十 一年 十 一月 十 一日 脱稿 、 十 二日参 謀 本 部 に於 て参 謀 本 部 並陸 軍 省 の要 員 に 対 し主 事 よ り内 容 を説 明 せ り
ハ
(準 戦時 に於 け る熟練 工養 成 方 策 )
ニ
4、 ﹁日満 軍 需 工 業 拡 充計 画 ﹂ の作成 前 記満 洲 及 本 邦 に於 け る軍 需 産 業 拡充 計 画 案 を 更 に修 正増 補 し本
其 の二
第 三次案 を作 成 し 十 二年 五月 六 日 完成 、 同 日 参 謀 本部 に於 て今井 参 謀 次 長 以 下各 部 課 長 に対 し宮 崎 主 事 大要 を説 明 せ り
生 産 力 拡充 に伴 ふ技 術者 、 熟 練 工 及 一般 労 働 者補 充 計 画
本 邦 産業 五 ケ年 計 画所 要 従 業 者数 推 定 資 料
ホ
同
(本 邦 熟練 工、 技 術 者 の現 状 と 将来 )
5 、 ﹁重 要産 業 五ケ 年 計 画要 綱 実 施 に関 す る政 策 大綱 ﹂ 及 同 改 訂案
ヘ
9 、第 二種 軍 需産 業 拡 充 計 画
(一二、 七 、 一二︱ 一二 、 七、 一五)
8 、 ﹁満 洲 に於 け る自 動 車 工業 方 策 ﹂ 及 ﹁同説 明資 料﹂ の作 成
第 二次 試案
ト
本 案 は 六月 七 日作 成 同 日参 謀 本 部 に於 て石 原 第 一部 長 以下第 二、
の作 成
第 三両 課 長 外部 員 等 に対 し 、 六月 九 日 陸軍 省 に於 て軍 事 、 軍 務 、戦 備 、 主 計 の各 課 長 並 参謀 本 部 関 係 課 長 外省 部 関 係 将 校 に対し 、 更 に 六月 十 一日 陸 軍大 臣 官 邸 に於 て杉 山 陸 相 、梅 津 次 官 、後 宮軍 務 局長
充 に関 す る 五年 計 画案 を 作 成 せ り
本 案 に は棉 花 、 羊 毛 、 塩及 銅 、
日満 軍 需 産 業拡 充 計 画 中 に含 ま れ居 ら ざ る重要 軍 需 資源 の増 産 拡
等 に対 し 又 五月 十 五日 星 ケ岡 茶 寮 に於 て後 宮 軍 務 局 長、 田中 軍事 課
綱 要 ﹂ 作 成 、 十 二年 五月 十 三 日参 謀 本 部 に於 て第 一部長 、 第 二課長
後 宮 陸 軍 省軍 務 局 長 の依 頼 によ り ﹁昭和 十 二年 度 一般 会 計 予 算 案
産 業 五ケ年 計 画 に要 す る資 金 調達 方 策 に関 し て は十 二年 三月 十 三
第 四、 資 金 計 画 の研 究
経済 の研 究 ﹂ 中 に之 を 示 せ り
尚 十 一月 以降 戦 時 財 政計 画 の研 究 を 行 へる も其 内容 は ﹁第 五戦 争
長 等 に対 し 宮崎 主 事 要 旨 を説 明 せ り
亜 鉛 、 鉛、 ニ ッケ ル等 十 七 種 の鉱物 並牛 、 豚 、羊 、馬 、 騾 、驢 等 の 増 産計 画 を示 せり 第 三 、財 政 計 画 に関 す る研 究 軍 部 よ り宮 崎 主 事 に提 示 せら れ た る ﹁軍 事 費 を中 心 と す る帝 国 将
日 ﹁ 産 業 五ケ年 計 画 に要 す る資 金 調 達 方 策 ﹂及 ﹁同 関係 資 料 ﹂ を 作
来 の財 政 目標 ﹂ (一 一、二 、二 二) に基 き本 会 調 査 室 に於 て ﹁ 自 昭和 十 二年 至 昭和 十 七 年度 推 定 歳 出 額 ﹂ を算 出 し之 を 将来 の財 政規 模 に
成 し た り更 に産業 五 ケ年 計 画 と支 那 事 変 に対す る所 要資 金 と其 対 策
対す る所 要 資 金 及其 対策 ﹂ 及 ﹁ 同 関 係 諸 表﹂ を作 成 し 関係 方面 に提
関す る本 会 の第 一次試 案 と し 、 更 に之 を 基 礎 と し ﹁昭和 十 二年 度 以
出 し 、宮 崎 主 事 は 九月 二日参 謀本 部 会 議 室 に於 て多 田参謀 次長 、 石
に関 し、 十 二年 八月 二十 七 日 ﹁産 業 拡 充 五 ケ年 計 画 並 、 日支 事 変 に
更 に本会 は国 防 費 を 中 心 とす る帝 国将 来 の財 政 計 画 の全 貌 と 本 計
降 六年 間 の財 政 計 画 ﹂ ( 第 一案 、第 二案 、第 三案 ) を作 成 し十 一年 五
画 実 行 上緊 急 実 施 を 要 す る と考 へら る る 経済 国 策 の大 綱 を示 さ ん と
月 二 十 三 日関 係 方 面 に提 出 せり
し ﹁昭和 十 二年 度 以 降 五年 間 帝 国 歳 入 、歳 出 計 画 (附 緊 急 実 施 国 策
者 を動 員 完 成 し 、軍 部 以外 、首 相 、 蔵 相 等 政府 要 路 方 面 にも提 示 し
本 案 は本 会 の最 近 の研 究 中 最 も苦 心せ る力 作 にし て各 方 面 の権 威
分陸 海 軍 部 調 査官 ) に対 し 主事 説 明 せり
望 に ょ り十 二 月 二十 日学 士 会館 に於 て同 院 関 係調 査 官 十 数氏 (大 部
尚 本 案 及 本 会 に於 て研 究 せ る産 業 拡 充 計 画 一般 に関 し企 劃院 の希
原第 一部 長 初 め 各部 課長 等 に対 し要 旨 を 説 明 せ り
大綱) ﹂ (一 一、 八 、 一七) を作 成 せ り 本 案 は 十 一年 度 本 会 報 告 の中 心 を なす も の にし て、 我国 将 来 の財 政 計 画 の大本 を示 し 得 た る のみな らず 、 前 項 に述 べた る如 く 其後 日 満 両 国 に喧 伝 せら れ た る産 業 五 ケ年 計 画 の最 初 の案 を示 し 且 つ穏健 中 正 な る 経済 統 制 方 策 を 示 し得 た り
た る気 持 ﹂ と 本 書 を激 賞 せ り
た る が、 結 城 日 銀総 裁 は特 に本会 主 事 に書 を 送 り て ﹁ 暗 夜 に燈 を 得
第 五 、戦争 経 済 の研究
宮 崎 主事 は本 案 の内容 を 八月 十 七 日参 謀 本 部 に於 て参 謀 本 部 並陸 軍 省 関 係 要員 に 対し 、 八 月 二十 一日陸 軍 省軍 務 課 員 に対 し、 そ れ ぞ
尚 本 会 の研 究 に好 意 を有 す る政 界 、財 界 の権 威 者 に 対 し ても 本 案
本研 究 は本 会 第 二 調査 班 の原案 を中 心 に軍 部 と協 力 し 本 会 に於 て
1 、 ﹁戦 争 指 導 計 画書 (中 間 報 告 ) ﹂ の作 成
れ説 明 せ り
を提 示 説 明 せ り
行 ふこと に決し十 一年 二月本会内 に航空機製作工業研究部を設置し
本会は軍部 の要望 に基 き我国航空機製作 工業改善 に関す る研究を
第六 、 ﹁ 航空機製作工業﹂ の研究
2 、 ﹁経済 的 に可能 な る戦 争 の規 模 に就 て (戦 争 経 済 の数 字 的 基
研究委員及同分担事項等を決 定、帝大航空研究所飛行機部主任小川
本会主事は軍部関係者並専門学者等と協議 の上研究方針、研究要綱、
加したり
作 成 した るも のにし て特 に津 島 日銀 副 総裁 は委 員 と し て本 研 究 に参
礎 )﹂ 及 ﹁戦時 行 政 機 関 の構 成 に関 す る覚 書 ﹂ の作成
ロ
イ
同
同 其 の三
其 の二
産業 動 員 の研 究
戦時 経済
世 界大 戦 に於 け る戦 時 原 料 品 統制 の組 織
催、研究方針、研究計画、研究資料其他に関し詳細打合 せたり 研
委員並主事と軍部関係者と の打合会 を三月七日及 三月二十七日開
ありたり
十 一年 三月中旬委員 より ﹁航空機製作工業研究計画書﹂作成提出
頼 せり
太 一郎氏等九名 の専門家 に本会委員を委嘱し主事 より夫 々研究を依
3 、戦 争 経済 に関 す る外国 文 献 の翻 訳
ハ
其 の一
ニ
同 共 の四 大 戦 時 の英 国 労 働 動 員 ︹ 戦時︺ 準 戦 経 済 と戦 時 経 済
ホ
作工業研究覚書 ﹂を作成提出す ることとし十 一年四月十四日以降 六
究中間報告提出 に先ち研究進捗 の状態を示す目的を以て ﹁航空機製
4、戦 時 財 政 計 画 の研究 不 可 避 的将 来 戦 を 目 標 と し国 民 経済 全 部 門 に対 し計 画 性 を与 へる
十 一年 十月 十九日より十 一月十八日に亘 り航空機製作 工業 の研究
作成提出せり
八月三日 ﹁民間会社優秀設計技術者及高級現場技術者 一覧表﹂ を
り小川、田中、石田、永井各委員並宮崎主事出席 せり
町尻陸軍省軍事課長主催 の下 に軍部 及本会委員打合会開催、本会 よ
六月 四日飛行機試作所設立案作成提出、六月十八日同問 題に関し
全六巻 を作成謄写 の上関係軍部に提出 せり
六月上旬及七月上旬 に亘り ﹁航空機製作工業 の研究﹂中間報告書
月十七日に亘り覚書其 の 一乃至其 の十 三を提出 せり
こと を 目 的と す る戦 争 指導 計 画 書 第 二次本 報 告 の研究 は中 間報 告提 出 後 引 続 き 行 ひ 先 づ戦 時 財 政 計画 の立 案 に着 手 、軍 部 よ り提 供 せ ら れ た る戦 費 に関す る資 料 に基 き 一応 の原 案作 成 十 二月中 に 三回 に亘 り審 議 委 員会 を開 催 、 軍 部 よ り省 部 関 係 将 校出 席 、 本 会 よ り は主 事 、
第 一号 案 )
委員 、 調査 員 の外特 に津 島 、 土方 、 泉 山 の三氏 委 員 と し て参 加 せ り 十 三 年度 に完 成 の予 定 作 成 した る原案 次 の如 し
昭和十三年度 イ 戦時財政計画 自 ( 至 〃 十 七年 度
自 昭和十三年度 )第 二号案
(第 二次本報告)全 六巻を関係方面 に提出 せり
(
戦時財 政計画 の理論的構成
本報告書 の内容左 の如し
ロ 同 ハ
戦時財 政計画参考資料
至 〃 十 六年 度
ニ
2 、同 説 明書
第 一章 優秀機創造に必要なる施設
優秀機創造の目標と手段
5、 満 洲 建 国 を契 機 と す る 我国 策 の根幹
4、 統 制 経済 政 策 実 施 要領
3、 企 劃 局官 制 案 ( 第 一案 、 第 二案 )
第 二章
6 、政 治 行 政機 構 改 革案 大綱
行 政機 構 改 革 に関す る根 本 態 度 の閣 議 先 決 の理由
軍 に於ける航空技術 の革新
新 官 制 成立 の方 法 に関す る原 則
第 三章
イ
7、 時 局 に関す る意 見
飛行機 の価格と其 の低減
9 、非 常 時 国 策 大綱
8 、中 間 報 告 綜合 委 員 会 記 録
ロ
民間航空 の指導 の欠陥
第 一章 飛行機 の耐久力 と其 の増進
第 三編 戦時所要 の機数 を目標とする生産能力拡 充に対す
第 二章
第 二編 飛行機 の価格低減と耐久力増進
第 四章
第 一編 優秀機創造に対す る研究
航空機製作 工業 の研究 第 一巻 第二巻
第三巻 第四巻 第五巻
戦時年産○○台 を目標とす る材料及燃料 対策
戦時年 産○○台 を目標とす る生産能力拡充策
12 、商 工省 の製鉄 五 ケ年 計 画 に就 て
11 、株 式 担 保 社債 制 度 の採 用 に就 て
10 、国 策 要 綱
第 一章
13 、結 城財 政 によ る農 村 負 担 増 対 策
る研究 第 二章
航空機生産能力拡充 に関聯す る諸問題
磯谷陸軍省軍務局長は陸相代理として 一二月二八日委員並主事を
18 、 時 局 に際 し 当 面 処 理す べ き経 済 指 導 事項 案
17 、 日鉄 新 指 導 方 針
16 、 本邦 産 金 に就 て
15 、 日独 関 係 要 点 ( 機 械 輸 入 の問 題 )
14 、 飛 行機 製 作 企業 に対す る方針 に就 て
第 三章
本報告書 の提出を以て本会航空機製作 工業研究部 の事業は完了 せ
晩餐 に招待 し叮重な る謝辞 を述べられた り 陸軍省、参謀本部 の関
り
係課長等出席
19 、 対 支経 済 方 策
2 1、 上 海 を中 心と す る英 国 勢 力 の破壊 方 策
20 、 支 那 の対 日抵 抗 根拠 地 に関 す る観 察
第七、緊急事項 の研究 緊急経済国 策に関し、本会 が研究し関係方面に配付したる書類左 尚其重要なるも のは関係 当局者 に対し主事之を説 明せり
23、 日米 経済 提 携 案 要 綱
2 2、 日 満独 三国 貿 易協 定 案 要 綱 及 関 係資 料
の如し 1、新内閣 の緊急実施政策綱要
特別議会提案 の新規政策 並経費概要 日満 両国 に於け る米 国経済勢力 の圧迫 の実例 に就 て
中央経済会議 に対する諮問事項 の件 英国 の対支援助諸方策と其 の限界 北支 に於 て独伊 に供与す べき経済的利権試案 米国中立法発動 の影響 と対策 事変 に伴 ひ輸入を要 する物資 の輸 入国及其 の振当額推定 列国 の我国 に対す る経済断 行の影響と其対策 東亜 に於け る香港 の経済 的地位 軍事援護方策
等
9
独逸軍需 工業 の大勢
世界 大戦中 の独逸公債政策
、
独逸財政 の近況
、
独逸及伊太利 の国防観念
、
10 11 12
ソヴ エー ト聯 邦 予 算 の研究
、
ソ聯取引税研究資料
、
ソヴ エー ト聯 邦 共 産 党 に関 す る 研究
、
ソ聯 第 一次 五ケ 年 計 画 の資 金 問 題 を中 心 とし て の考察
、
13 14 15 16
、
、
日支経済保証 の為 め保有す べき各種権益
第 八 、外 国 経 済 の研 究 本 会 の業 務 上 必要 と 認 め 、 本会 が研 究 し関 係 方 面 に配 付 し た る外 国 経 済事 情 次 の如 し 1 、英 国 重 工業 及 日本 同 種 工業 と の比 較 に関 す る研究 2 、 英 国 財 政 の現 状 に関 す る研 究 3 、 ナ チ ス (党 ) に関 す る 研究 4 、 ナ チ ス経済 法
ソ聯 第二次 五ケ年 計画 の資金問題 を中心とし ての考察
ソ聯国家計画委員会研究資料
米国 に於け る鉄鋼業
米国 の軍需工業 (印刷中) 補 遺
伊 太 利 フ ァシズ ム研 究 資 料
同
恐慌後 に於け る仏国財政 々策
フ ラ ン ス液 体 燃 料 に関 す る研 究
フラ ン ス経 済 会 議 に関 す る研 究 (印 刷 中 )
大戦時及現時 に於 ける独逸並 に仏蘭西 の公債消化政策
其 他事項 の研究報告書次 の如し
第 九、其他事項 の研究
1、戦時 人物動員計画表
3、軍事費関係産業及其他産業 に於 ける 一ケ年新投資額 の推計
2、戦 時及戦争準備期 に於 け る人物動員計画表 其 の二 (印 刷中 )
6 、 独逸 に於 け る原 料 新 四 ケ年 計画 の組 織
8 、 独逸 経済 四 ケ年 計 画
7 、 独逸 新 四 ケ年 計 画 に関す る 研究
5 、 独逸 新 経 済 四ケ 年 計 画
ソ聯重工業生産統計 (印刷中)
18
、
日支 経済提携方策案
20 19 、 、 22
、
、
、
、
、
23 24 25 26 27
、
、
21
33
17
、
、
、
24 25 26 27
、
、
、
、
、
28 29 30 31 32
、
、
、
34 、 35
4 、対 外 投 資 に関 す る 研 究資 料 5 、 東 北 工業 建 設 に関 す る研 究 6 、 東 北 地 方 の企 業 基 礎 条 件 に関 す る調査 7 、 東 北 及 北海 道 に於 け る重 要 港 湾 に関す る調 査 8 、 東 北 地 方 工業 都 市 建 設案
10
本邦 工業関係機関調査書
満洲 工業会社内容 一覧表 本邦及満洲 に於け る主要会社幹部調
大 学 、 専 門 学 校 に関 す る調 査
等
9 、 日銀 及 興銀 の条 令 と 過去 十 七年 間 に於 け る其営 業 状況
本邦 工業会社内容 一覧表
、 、 、
11 12 14 13 、 、
二〇
日満 財 政 経 済 調 査 会
一、 昭和 十年 八 月 参 謀 本 部 作戦 課 長 に任 命 せ ら れ し石 原 は着 任後 北 満 に於 け る 日蘇 両 国 兵 備 の差甚 大 な るを 知 り速 か に内 地 にあ る相 当 兵 力 を 北満 に移 駐 し て蘇 聯 と の兵 力 均 衡 を 獲 得 す ると 共 に軍 隊 の機 械 化 特 に航 空 兵 力 の増 強 を 眼 目 とす る兵 備 充 実 を企 図 し 上官 の賛 同 を 得 た り 然 る に民間 に も政 府 にも 日本 経 済 力 の綜 合 判 断 に関 す る 調 査 な き を 知 り て驚 愕 し 種 々考 慮 の結 果満 鉄 会 社 の諒 解 を 得 昭和 十 年
当 時 全 く 私的 機 関 な り
秋 同 社 経 済 調査 会 東 京 駐 在 員 た り し宮 崎 正義 に依 頼 し て日 満 財 政経 済調査会を創立せり
二、 前項 の兵 備 充実 の基 礎 た る べき 生 産力 拡 充 計 画 第 一案 は 昭和 十
案 の基 礎条 件 と し て少 く も 十 年 間 の平 和 を 必要 と 認 め た り
一年 夏 頃 脱 稿 せ り
つゞけ 支 那 事変 を急 速 に解 決 す る にあ らず んば 重 大 な る危 局 を招 来
三、 昭 和 十 二年 九月 石 原 が参 謀 本部 よ り転 出 後 も 、 宮 崎 氏 は 研究 を
す べ き こと を主 張 した るも 当局 の顧 ると ころ と な らず 昭和 十 五年 調 査 継 続 の意 義 な し と し て自 ら 調 査 会 を 解散 せ り ︹編者註 ・調査会 と石原将軍は呼称しているが、満鉄調査課以来 の慣習 で
(石
原
莞
爾)
調 査 会 と 呼 称 し た も の で あろ う 。 大 し た こと で は な い が、 研 究 会 が 正 し い
呼 称 であ つた 。 な お この手 記 は、 極 東 軍 事 裁 判 に提 出 し た原 稿 であ る 。︺
注
二一
意
昭和 十 一年 八 月 五 日陸 満 密 第 二 八 九 号
満 洲開 発 方 策綱 要
本綱要 は先 づ陸軍部内限り のものとし て策 定し之 に基き実行方策 満 洲国政府 に対する要望事項 は本綱要を基礎 とし主とし て関東軍
を定 むるも のとす に於 て適宜指導す るも のとす 満洲開発方策綱要
要
昭 一 一、 八 、 三
(昭和 十 一年 八 月参 日陸 軍 省 )
旨
満洲開発方策綱要
在満兵備 の充実増強を実施 せられんとす るに際 し之 に即応して満
洲開発 に関す る諸般 の方策 に付ても再検討を加 へ之 が合理的促進を
図り兵 備増強と相俟ち東亜 の安定力を増大し延て皇国大陸発展 の根
基を不動 のものたらしむ るの要 切なるものあ るに付 ﹁ 本綱要﹂を作
成し各般 に亘る満洲開発方策 の策定 の基準たらしむ
針
及 産業 上 の諸施設 は概 ね第 一次所期 の目的を達成し得 たるが、現下
第一 方
旨
満 洲建国 以降 五閲年 庶政益 々刷新 せられ特 に国防 上必要 なる交通
針
次
要
国 際情勢特 に極東 の事態 は在満兵備 の劃期的増強充実を敢行 し、国
目 方 綱
其 一 帝 国国策決定事項
の方策に就 ても機宜 に適す る再建的措置を断行し、更に治外法権撤
防 、治安 の万全を期す るの要緊楔な るに鑑み満 洲開発 に関す る諸般
︹ マ マ︺
要
其 二 関係 方面協議決定事項
廃竝附属 地行政権移譲 に伴ひ我邦 人 の進出を 一層合理的に助成し益
益朝野 に介在す る実力を強化し て日満 不可分関係 を鞏固たらしむ る
其 三 満 洲国政府 に要望事項 陸軍部内決 定事項
こと必要 にして特 に其施策 の具現 に方 りては左記諸方針に準拠 せし
む る こと 肝 要 な り 一、満 洲 開 発 に関 す る諸 般 の策案 樹 立 に当 り ては速 に治 安 を粛 正し
其 一 帝国国策決定事項
以下各項 に掲ぐ る事項 は速 に国策と して決定せらるる様措置す
一、対満移民国策を速 に樹立し其実行 を期す
① 主とし て政府助成 の下 に適宜拓植機関 ( 資本金五千万円) の
右国 策決定 の主 なる点左 の如し
て経 済 開 発 の根 基 を 確 立す る の要 あ ると 共 に当 分 対蘇 作 戦 準 備 の完 成 に資 し得 る こと に重 点 を 置 く如 く 考 慮 す る こと
設立又は拡充
二 、在 満 兵 備 の充 実 増 強 計 画 の実 行 に方 り て は作 戦 上 の目 的 を阻 害 せ ざ る限 り可 及 的 満 洲国 開発 上其 健 全 な る発 展 に資 し得 る の考慮 を
② 二十年間百万戸を目途 とし第 一期 五年間 に集団移民と自由移
③ 商 工其他移民送致 に関する方策 の確 立
払 ひ 特 に国 防 上 必 要 な る諸施 設 に関 し 満 洲 国 等 に対す る要 望 は之 を
④ 満 洲全地域 に於 ける移住適地 の徹底的 調査及移住用地 の取得
の確立
開発 に は 日満 両 国 の 一致協 力 就中 皇 国 朝 野 の援 助 に依 り 完 成 す べ き
方策 の樹立 竝満洲特 に北満 に於ける日本 人の為合 理的な る生活様
民とを合し十 万戸を標準とする内 地人農業移民送致に関す る方策
聖 業 な る所 以 を鮮 明 なら しめ 一層 朝 野 総掛 り の途 を拓 く こと
三 、満 洲 国 指 導 の中 枢 は 依然 陸 軍 の手 に掌 握 せ る現 状 を維 持す る も
四 、 日満 特 殊 不可 分 関 係 を益 々鞏 化 す る為 官 吏 の外 特 に産 業 経済 等
⑤ 鮮人移住統制 に関す る方策 の確立
式 の調査研究
統 制 し て其 限界 を 明確 な ら し む る こと
各 部 門 に亘 り優 良 な る大 和 民 族 と 堅 実 な る 日本 資 本 の進 出 を 図 り 不
二、在満日本 人 の教育 に関す る教育施設、監督指導竝助成 に関す る
抜 の地歩 を 獲得 す ると 共 に其優 秀 な る資 質 に依 り其 活 動 を 合 理的 に 調 整 し て率 先建 国 の理 想 た る 五族 協 和 の具 現 に資 す る こと
方策を確 立し以て子弟 の育成就中義務教育 に遺憾なきを期す
又満洲 にて活動す べき日本 人人的要素養成制度 の刷新を考慮 し日
五 、 満 洲 に於 け る国 民 生 活 の安 定 を図 り特 に在 満 日本 人 の生 活標 準
三、対満投資 を容易 ならしむ る為我 政府 の積極的指導竝協 力 に依 り
満 学制等 に所要 の措置を講ず
低 下 及 安 住 に努 む る こと 六 、 今後 の開 発 に方 り て は在 満 兵備 の充 実 増 強 と 相 俟 ち我 政 府 と し
之 を支持す ると共 に満鉄を通ず るのみならず 一般 民間資本 の直接投
て永 続的 対満 投 資 計 画 を 、 満 洲 国 政府 と し て は相 当 長 期 に亘 る財 政 計 画 及開 発 計 画 を 樹 立 し 日満 両 政府 、 民 間 の組 織的 計 画的 活 動 を 適
資 を誘致す るの措置を講ず
五、満洲 に於け る産業 の健実 なる発展 を促進す る為 帝国 政府に於 て
設 及衛生施設 の整備と相 俟ち満 洲に於 ける経済生活を容 易なら しむ
四、全満 に於け る帝国官公吏満鉄社員等 の給与制度を刷 新し公共施
切 な ら し む る こと 差 当 り 昭和 十 五年頃 迄 を 一期 とし て将 来 の恒 久的 方 策 をも 考 慮 し
綱
策案 を樹 立 し 重点 主 義 に基 き緩 急要 度 を決 定 す る こと 要
地を通ず る産業上 の統制其 の他 の諸政策 に格別 の考慮 を加 ふるも の
も適 地適応主義 に基く日満経済 の合理的融合 の精神 に則 り内 地、外
合 理 的 融 合 を 益 々鞏化 す
資 本 の蓄 積 を 図 り国 幣 価 値 の安 定 に万 全 を期 す ると 共 に日 満 経済 の
三、 農 本 立 国 の満 洲国 経 済 国 策 を 樹 立 し 以 て国 際 収 支 の改 善 及自 国
む
行 ひ 日本 内 地 人 農業 移 民 の移 住 用 地 取 得 に利 便 を提 供 す る こと に努
制 度 を確 立 す ると 共 に農 耕 地 の整 理 、 治水 、 農 耕 改 良 及 畜 産 奨励 を
四、 土 地 調 査 を 可 及的 速 に完 了 し 以 て真 に 民族 旧慣 に適 合 せ る土 地
とす 其 二 関係 方面協議決定事項 を確 立す
五 、馬 政 を 確 立 し て資 質 改 良 、 増 殖 及 防疫 の徹 底 を図 り国 防 上 の要
以下各項 に掲ぐ る事項 に付ては関係各方面 に於 て協 議 の上其方策 一、満洲国 の農業政策 の確立及鉱工業政策 の再検討 に関聯 して日満
求 に即 応 す ると 共 に移 住 日本 人 の農 耕 馬 取得 を有 利 なら し む
六 、興 業 銀 行 其 他 庶 民金 融 機 関 を 整 備 す 特 に農 民金 融 に対 し ては 格
二、満洲 に於 ける鉄道経営機関 の 一元化 を実現し特 に其経営 は軍 の
別 の考 慮 を 払 ふと 共 に中 小商 工業 金 融 機 関 の改善 に依 り産 業 振 興 に
関税協定 の締結を図 る
三、満洲 に於 ける第四次鉄道 の建 設竝既 設線 の能力向上は対蘇作戦
資 し国 民 所 得 の増 大 を図 る
機 密竝管理権 を侵 さざ る範囲 に於て調整 し之を明朗化す 準 備 に資す るを主眼とし其 の路線 の決定 に当り ては将来 の経済をも
以 下各 項 に掲 ぐ る事 項 に付 陸 軍 部内 に於 て方 策 を 定 め之 が実 行 の
陸軍部内決定事項
一〇 、 衛 生 国策 を樹 立 し 満 洲 を し て真 に安 住 の地 た ら し む
九 、 満 洲国 郵 政 の普 及 竝 国 内 各 種 通 信 機 関 の統 合 整 理 を 促 進 す
人 の労 働 従 事 の増 進 の途 を 拓 く 様 措 置す
八 、 支 那本 部 よ り出 稼 苦 力 の 入国 を 適 切 に統 制 す ると 共 に日 本内 地
生 産 品 の販 売 に関 す る組 織 を 合 理 化 す
七 、 消 費 組 合 及 産業 組 合 の適 正 な る運 用 を図 り て消 費 物 件 の配給 及
右 に関聯 し国有鉄道経営 の業績良化延 いては満鉄 の信用維持 に関
考慮 して之 を計画し概 ね昭和十五年頃迄 に之 が竣工を図 る し対策を攻究し其 の実行を図る 其 三 満 洲国政府 に要望事項 以下各項 に掲ぐ る事項 に付満洲国政府 に要望 して政策を決定し永 年計 画を樹立せしむ 一、行政機構 の刷新運営 の合理化 に依 り冗費を節約す ると共 に税制 の根本的刷新を図り内外人の租税負担を合理適 正にし負担 の公平を
資 す べ き左 の如 き 事 業 に要 す る 対満 投 資 の円 満 な る遂 行 を 併 せ遂 行
一、在 満 兵 備 充実 増 強 の実 行 に当 り て は間 接 的 に作 戦 準 備 の完 成 に
為 所 要 の措 置 を講 ず るも のとす
す る様 考 慮 す るを 要 す
二、産業特 に工業 の発達 を助成 し尚既設特殊会社 に対す る監督 機構
期す
の要求充足 に遺憾なからしむ
を強化充実し て其 の指導監督を適正ならしめ其能率を増進し国防 上
③ 満 洲に於け る航空 、通信、燃料、電気、鉄鋼 、自動車等 に関す
② 対満移民 の大量送致竝在満部隊 の除隊兵 を成 るべく多く満洲 に
① 在 満鉄道 の建設及改良 (北満鉄道買収公債 共)
③ 満 洲国軍 の整備 に付 ては昭和十年十 二月決定 の ﹁満洲国軍指導
図 ること
負担 の築城 工事 (保存維 持共)と満洲事件費 負担 の備砲と の調和を
② 築 城 に関 しては確乎た る永年計画 を樹立し之を要望 し満洲国側
④ 観象 、測量、航空助成其他軍用物件 の提 供軍 需資源 の維持培養
方針要 綱﹂ に則 り満洲国 の財 政 の許す範囲 に於 て逐次実施す
定著せしむべき方策 る国防 上必要 なる事業促進 に関する助成
等 に付 ては満洲事件費支辨 の事業と の関聯を考慮し永年計画を樹立
二、在満兵備 の充実増強竝満 洲開発を促進す る為 左 の諸件を確立す ① 在満 日本人 の在満軍隊 への徴集及 召集を容易且便益 ならしむ べ
し満洲国財 政 の健実性 の許す限りに於 て実施す
② 満洲国 の日本人官吏竝日本 人軍官、鉄道 航空 及通信従業員等 の
き方策 の確立 召集猶 予制 の樹立 の樹立
③ 特別軍務又 は警備 に任 じたる在満 日本人 の取扱 等に関す る方策 ④ 在満軍人軍属 の家族 の教育、衛生、給与諸施 設 の革新的整備 の樹立
⑤ 兵営建築等 に内地労 務者 の大量使用を漸 進的 に具現す べき方策
一的方策 の樹立
⑥ 在満部隊 の軍需諸資材 の現 地調辨を有 利適切ならしむ る為 の統 三、満洲国 に対し国防 治安 の見 地より財政上 の負担 を伴 ふ要望をな き真 に必要最少限事項に止めしむ
す に当り ては日満共同防衛上満洲国 の負担 たらしむるを妥当とすべ 主要な る事項 に関し考慮す べき点例 へば左 の如し ① 軍用道路は差当り改主建従を本則とし国 境に近き部分を除 き て は成 るべく鉄道路 線と の併設を避け 一ケ年 の工事分量を概ね平均 せ しむるの外、維 持費 の低減を策 し得 るの方途を講ず
二二
第一 方
針
関 東 軍 司令 部 )
す る 方策 を確 立 し速 に之 に応 ず る準 備 をな す も のとす
第 一期 五 ケ年 間 に自 由 移 民 と集 団移 民 とを 併 せ 十 万戸 の移 住 を実施
(昭 一 一、 八 、 一〇
満 洲 国 第 二期 経 済 建 設 要 綱
満洲国第 二期経済建設 は昭和十五、六年 を目途とし帝国在満兵備
三 、国 防 上 必要 な る産 業 に付 て は有 事 の際 成 し得 る限 り大 陸 に於 け
之 が実 現 を期 す る こと に力 む る も のと す
特 に速 に朝 鮮 人 の満 洲移 住 者 に対 す る統 制 、安 定 の方 策 を 確 立 し
共 に満洲国 の現状並北支等 の実情 に鑑 み満洲国 の健実なる発展 を促
の充実増強 に伴 ひ日満共同防衛上必要 なる諸施設 の実現を期す ると 進し以 て帝国大陸政策 の根基を不動たらしめ んとする にあり 一、経済開発 に関す る諸般 の策案樹立 に方り ては国防 上必要 なる諸
す る産 業 は 成 し 得 る限 り之 を満 洲 に於 て発展 せ しむ る こと に力 む る
充 を図 る と共 に国 防 上 の見 地 より 満 洲 に於 て開 発 す る を便 且 必要 と
る軍 需 の自 給 自 足 を 目途 とす べ きも 差 当 り在 満 現存 産 業 の内 客 の拡
施設 の整備 に資し得 ることに重点 を置 き満洲国 の正常健実 なる発展
も の とす 特 に鉄 、 石炭 、 石 油 、 電 気 等 の基礎 的 産 業 の開 発 に力 を注
綱
を促進す る こと に力むるも のとす 、国防上必要 なる諸施設 に関し満
ぐ も のと す
第二 要
洲国 に対す る要望は之を統制 して行 ふも のとす
速 に農 業 政策 を確 立 し農 本 立 国 の大 綱 を樹 立 す ると 共 に農 業移 民
に満 洲 に於 け る農 業 生 産 品 の有 事 の際 に於 け る軍 需 を 考慮 し成 し得
政 策 を 促 進 す る こと に力 む るも のと す農 業 政 策 の樹 立 に方 り ては特
速 に国内治安を粛 正す べき現政策は益 々之 を強化し以 て経済開発 を促進す ること に力むるものとす
を 期 す る こと に努 め 以 て軍 需 の要 求 に即 応 せし む る と 共 に農 耕 用 家
畜 産 に付 て は差 当 り 牛 、 馬 及羊 の増 産 、配 給 の適 正 、防 疫 の徹 底
る限 り 現 地補 充 主 義 の下 に適 当 な る施 策 を講 ず るも のと す
二、満洲 に対する外国人移住 に付 ては内 地人移 民は積極的 に指導奨 励 し朝鮮人移民は統制 し山東河北移民は制限す る方針 の下に大和民 内地人農業移民 の満洲移住は二十年間百万戸を目途 とし取り敢ず
族 の満洲 に対する大量的移住 の国策 を確立す るも のとす
四、 現 地 調弁 主 義 の目 標 と 日満 経 済 の合 理 的 融合 の精 神 に基 き 帝 国
畜 の供 給 を 円滑 なら し む る も のとす
接 的 投資 を益 々活 〓 な ら し む る様 指 導 す る も のと す
ら 之 に当 る と共 に凡 ゆ る方策 を講 じ 一般 民 間 の在 満産 業 に 対す る直
が健 全 な る発 展 を促 進 し併 て其営 利 主 義 的 独 占 の弊 に陥 る こと を避
八 、 特 殊 会社 竝準 特 殊 会 社 に付 ては其 国 家 経 済 上 の重要 性 に鑑 み之
ると 共 に農 民金 融 に対 し 一層 の考 慮 を払 ふ も のと す
満 洲 国 に於 て は速 に金 融 機 関 を整 備 し国 内 資 本 の統制 、動 員 を図
の考 慮 を 払 ふ も の とす
洲 国産 業 統 制 に関 聯 し内 地 、 外 地 を通 ず る産 業 上 の統 制 に関 し格 別
け し め 以 て会 社 本 然 の使 命 達 成 に遺 憾 な き を期 す る様指 導監 督 す る
政 府 に於 て は満 洲 に於 け る 重 要産 業 の健 実 な る発 展 を促 進 す る為 満
五 、 交 通 、通 信 に関 し ては主 と し て作 戦 上 竝 治 安 上 の見 地 より 各 部
九 、 満 洲 国行 政 機 構 の調 整 に方 り て は満 洲 国 の現 状 に鑑 み中 央 集 権
門 の統 制 あ る整 備 充 実 を 図 る こと に力 め 成 し 得 る 限 り経 済 開 発 上 の
主 義 と 地 方 分権 主 義 と の調 整 竝行 政 と経 済 と の調 和 の精 神 に基 き従
こと に力 む る も の とす
鉄 道 に関 し て は満 洲 に於 け る鉄 道 経 営 機 関 の 一元 化 を実 現 し 特 に
要 望 を 充 足す る様 考 慮 す るも のとす
其 運 営 を し て満 洲 国 産 業 政 策 に適 応 せし む る様 適 正 な る調 整 をな す
来 の法 制 国家 的 観念 に堕 す る こと な く行 政 機 構 の簡 易 化 を 図 り各 機
考
右 綱 要 に基 き満 洲 国 政 府 に於 ては 左記 諸 方 策 を 立 案 し之 が実 現 を
備
鞏 化 す る こと に力む る も のと す
為 物 価 の調 節 、 配給 組 織 の合 理 化 等 を図 り 以 て満 洲 開発 の堅 実 性 を
十 、 在 満 日満 諸 機 関 の給 与 を 統制 す る と共 に生 活 費 の低 減 に資 す る
のと す
関 を 通 じ 真 に強 力 な る国 家 的 統制 活動 を なす に便 な る 様考 慮 す る も
も のと す 自 動 車 運輸 事 業 、 水 運事 業 に関 し ては 之 が経 営組 織 事 業 内 容 等 を
道 路 に付 て は速 に其 構築 、維 持 、管 理 等 の方法 に関 し徹 底 的 再 検
合 理 的 に調整 し斯 業 の統制 あ る発 展 を促 進 す る こと に力 む るも のと す
討 を遂 げ之 が施 設 を し て最 も効 果 的 なら し む る様 考 慮 す る も のと す
の移譲 に関 す る諸 方 策 の円滑 な る実 現 を 期 す る と共 に第 二期 経 済 建
六 、財 政 に付 て は既 定 の諸 政策 特 に治 外 法 権 の撤 廃 竝附 属 地 行 政 権
設 を 円滑 な ら しむ る為 税制 の整 理 、 関 税 の調 整 、公 債 政 策 等 に依 り
一、産 業 五年 計 画 (九 月 中 )
一、財 政 五年 計 画 ( 九月中)
期 す るも のと す
す
財 政 の基 礎 を危 く せ ざ る限 り積 極 的 開 発財 政 政策 を樹 立 す るも のと
一、 特 殊 会 社 竝準 特 殊 会 社 の指導 監 督 に関 す る具 体 的方 策 ( 九月中)
一、 農 業 政策 の大 綱 (本 年 中 )
様 絶 えず 促 進 す るも のと す
一、 移 民準 備 に関 す る各 種 具 体 的方 策 ( 目下進捗中)
日満 関 税 の根 本 的 調 整 に関 し て は機 に応 じ 速 に之 が実 現 を期 す る
七 、 対満 投 資 に付 ては 其 の性 質 に応 じ日 本 政 府 は資 本 を動 員 し て自
金属精錬工業
〓麦 燕麦
馬鈴薯
鋼材
羊毛皮
牛皮
源
生菜 乾草
棉花
麻
自
食料品
鉄道車輛 工業
畜産加工業
兵器 工業
火薬工業 電気業
機械器具製造工業
動車 工業 航空機 工業
小麦
羊
屑鉄代用資源
加 工工業
一、行政機構 の調整 に関す る方策 ( 本年中)
考
一、給与制度 の調整 に関す る方策 ( 本年中) 参
馬 豚
資
頁岩油工業 石油乾溜 工
マグネシウム等
ニッケ ル モリブデ ン ア ンチモ ン
鋼塊
羊皮
有 事 を 考 慮 し 満洲 に於 て増 産 す べ き資 源 竝 産 業
米 大麦
一、農 産 資 源 箆麻 牛
二、畜 産 資 源
木炭
三、林 産 資 源 木材 四、水 産 資 源
銑
工業塩 鉄鉱
五、鉄
石油精製 工業 業
代用酒精 工業
石炭液化 工業
ア ルミ ニウ ム
亜鉛 銅
六、非鉄鉱産資源 鉛
水銀
金 白金 雲母 石炭
七、燃 料資源 及工業 業
八、 工
註
二三
三
液 体 燃 料 及銑 、 鋼 は可 及 的 大 量 の増 産 を計 る
一般 自 動 車 工業 に関 し て は右 と 関 聯 せ し め て所 要 の開 発 を 策す
鉄 鉱 の増 産 は之 を希 望 す るも 数 量 に関 し て は其 の品 質 、 生 産
但 其 の決 定 に は内 地国 策 を も 一応 考 慮 す
二
満 洲 開 発 五年 計 画 に対 す る 目標 案
本 案 は軍 務 課 満 洲 班 一課 員 の 一考案 にし て特 に日 満経 済 研 究 所 、
︹ 編 者 註 ・﹁日満 経 済 研 究 所 ﹂は ﹁日満 財 政 経 済 研 究 会 ﹂ の誤 り で
戦 備 課 等 の研究 を利 用 せり
す る 全量 を満 洲 に於 て増 産す
石 炭 に関 し て は満 洲自 体 に要 す るも の の外特 に石 炭 液 化 に要
ア ルミ ニウ ム、 マグ ネ シウ ムは共 に内 地 工業 と協 調 せ る増 産
採 金 は可 能 の最 大 限
四
費及配 給先 を検討し決定す
五
ある。 ︺
一、 満 洲 開 発 は差当 り 昭和 十 六年 頃 迄 に 日満 国 防 産 業 の飛躍 的 発 展
六
針
を 期 し 尠 く も 日 満北 支 を通 ず る自 給自 足 主 義 を 確 立 し有 時 所 要 量 の
を期す
方
二、 北 満 方 面 に於 て は其 開 発 を 促 進 し て作 戦 準 備 に資 し 得 るを主 眼
綱
産 を 計 り 又白 金 、 ニ ッケ ル、銅 、 亜 鉛 、 錫 、 鉛 等 国内 不足 金 属 に
尚 鉛 、水 銀 及 石 綿 に関 し ては 国 内資 源 の不 足 に鑑 み特 に之 が増
軍 需 、 民 需 に応 じ得 る を目 標 と す
要
と し南 満 方 面 に於 て は特 に軍 需 工 業 を 作 興 し て補 給 源 を 確 立す る を 主義とす
八
七
パ ルプ 及 塩 に関 し て は可 及 的 多量 の増 産 を 計 る
鉄 道車 輛 に関 し て は満 洲 の需 要 に応 ず る適 量 の増 産 を期 す
電力 は満 洲 工業 化 の動 力 と し て所 要 量 の開 発 を期 す
関 し ても之 れ が探 拡 開 発 に努 む るも のと す
一 内 地軍需動員能力 の不足 に鑑 み 一般兵器、航空機及軍用自動
九
一、軍需動員及総動員 上 の希望要件概ね左 の如し 車 の製 造設備 を増加す
十
馬糧特 に大麦若 は其 の代用品 の可及的大量 の生産を計 る
十一 羊毛、棉花、麻類、牛革及肉類 の可及的大量 生産を希望す但 棉花 に関しては北支 工作と併せ考慮す るを要す
業
開 発 増
五 産
年
計 量
画
民
航空路 の開拓特 に飛行機整備を期す 三、移
二十年間内地農業移 民百万戸移住 の第 一期事業 として五年間十万
一
所
要
前各項 を表現 せる計画概見第 一表 の如し
表
要
二 右 に伴 ふ資金充当計画第 二表 の如し
概 見
摘
資
金
( 千円)
七五、〇〇〇
四四、〇〇〇
倍 二 、四 〇 〇 機
一、 五〇 〇 千 瓩
八 二、 五 〇 〇
一六 五 、 〇 〇 〇
一八 九 、 〇 〇 〇
二 二、 五 〇 〇
八四、〇〇〇
五〇〇千瓩
四、五〇〇千瓩
一、 二〇 〇 千 瓩
一五 九 、 〇 〇 〇
四〇、〇〇〇
品質、生産費及供給先 につき検討を要す
七 二〇台
奉 天造兵所能力 の五
他
作戦上緊急必要 なる第 四次鉄道 を急速建設す
戸移住
一 羅津、雄基、壺盧島 の既定計画を完成す
五、資 金計画 の概要
せり
鉱
四、其
二
国道自 動車交 通を整備し自動車 工業 の作興 に資す る のみなら
二、交通通信施設
三
産
器 機
計
本開 発には既定計画 に属 し財政 の概ね恒久化せるものは之を除 外
ず特 に作戦用道路 の完成を期す 空
称 兵
国
特 に北満 に於 ける通信施設を整頓 し作戦遂行 に便 益ならしむ
行
洲
航 一 表
一
車
小
石 炭 直 接油 化 法
鉄
材
戦
飛
満
四
第
名 軍 需 品
類
鉄
計
銑
合 鋼
般
五
軍
総
需
産
業
動
員
体
液 合
小
ア
頁
低
燃 料
石
温
ル
成
岩 ー
乾
コ
ニ
ウ
油
溜
法
五〇〇千瓩
一五〇 千瓩
一五〇千瓩
六〇、○○○
二 三、 ○ ○ ○
五 二、 五 〇 〇
力
炭
計
ル
五〇 万 キ ロワ ット
一八 、○ ○ ○ 千 瓩
一、 三 五〇 千 瓩
五〇千 瓩
二八 、 ○ ○ ○
二〇 〇 、 ○ ○ ○
一四 四 、 ○ ○ ○
三〇九、五〇〇
一〇 、 ○ ○ ○
六 二、 五 ○ ○
四、○○○
五、○○○台
三 六、 ○ ○ ○
機関車 客貨車
二五〇輛 一五〇〇輛
軍需品中 の戦車 と併 せ経営す るを要す
車
二〇千瓩
五年 間二億 五千万円
電
ミ
ム
輛 動
ル
金
車 自
ア
採
ウ
五、六〇〇
シ
二千瓩
ネ
ム
グ
四、○○○
マ
一八 、 ○ ○ ○
七、五〇〇
三六千瓩
三、四〇〇
六〇 千瓩 三五〇千瓩
五 、 二七 〇
プ
二四千瓩
灰
一 ・六千 瓩
ル
花
達
毛
一、 七 〇 〇
パ
棉
一〇〇千瓩
塩
羊
類
計
一、〇 四 八 、 九 七 〇
五 四九 、 九 七 〇
三〇 、 ○ ○ ○
肉
曹
細部 は実情研究 の上定む 小
計
鉛、水銀、石綿、麻類、 小麦、大麦、牛革等
合
交 通 通 信 其 他 政 府
鉄
国 鉄 既 定 線 建 設
二四○ 、○○○
一八 一、〇 六 七
五三、五〇四
一、 二 〇 七 、 四 七〇
第 四 次 鉄 道 建 設
三九 、 七 六 三
計
国 鉄 既 設 線 改良費
五 一四 、 三 三 四
累
設
四 、七 四 三
建
一五 、 二八 八
道
羅 津 及 雄 基 築 港
二○ 、○ 三 一
他 鉄
港
築
交
行
運
七 、五 〇 〇
四五、○○○
六〇 、○ ○ ○
車
島 計
合 動
盧
四 二、 ○ ○ ○
壼
通
道
計
水
債
自
五〇 、○ ○ ○
累
水
銀
司
助
成
成
五〇、○○○
一○ 、○ ○ ○
一五 、○ ○ ○
助
金
空
給
育 拓
航
満
教
二九 五 、 五 〇 〇
二〇 、○ ○ ○
業
公
公
一六 三 、○ ○ ○
六二 六、 三 六 五
信
合
其 計
満拓 拡張 三五、○○○ を含む
治
鉄
民
興
中
計
北
累
補
興
移
通
国
湾
港
道
其
備
移 鉄 銑 液
第
他
民
油
補
鉱
化 累
補
助
給 補
給
給 計
成
十万戸 分
鉄
社
興
債
移 民 助 成
六〇、〇〇〇
一五、〇〇〇
七二、〇〇〇
借
款
持株払込
満
三六、〇〇〇
二〇〇、〇〇〇
八三六、○○○
七 二、 〇 〇 〇
二〇〇、○○○
二〇〇、〇〇〇
銀
註
二、 三 八 六 、 四 三 五
二五 七 、 一〇 〇
三 〇 、 一〇 〇
二〇 、 〇 〇 〇
満 拓 補給 金
二〇、〇〇〇
六〇〇、〇〇〇
六〇、〇〇〇
表
債
金 金
鉄 鉱 補給 金
二 八 、 六 〇〇 一、 五 〇 〇
社
金
画
当
二 表 計
充
金
政
府
満
四五、○○○
資
洲
府
二五〇、〇〇〇
銑 補 給 金
三○、○○○
政
北 鉄 公 債
本
投資特別公債
液化油補給金
日
五〇、〇〇〇
一四三、七九〇
興 銀 引 受
一五 〇 、 ○ ○ ○
五七〇、八九〇
満洲国公債其 他引受
考
二九五、○○○
満 鉄 株払 込
計
教 育 交付 金
総
交 付 金
日本政府 の措置 一 満鉄株 の配当年六分 の保証
等
二 満鉄社債 の利子支払 に付年四分政府保証 三 満拓社債利子支払 に付年四分政府保証
方
二四
針
軍務課)
発 五ケ年計画を六ケ年計画とし乙に属す る部分 は遅くも昭和十 三年
を契機として明年中 に帝国産業開発計画 の審議を主張 し満洲産業開
(昭和 十 一年 十 一月 二 十 五 日
満 洲 産 業 五 ケ年 計 画 取 扱 要 領
国 力 の飛 躍 的 発展 竝 劃期 的 の軍 備 増 強 に即応 せ しむ る為 、 原 則 と
三、前各項を処理す る為速 に関東軍其他現 地の関係主任者を招致し
度 より着手し得 る如 く帝国産業開発計画 を促進す
日
時
二十二日午前
至 一、 ○ ○
自 九 、○ ○
(
二十 二日午後
自 二、 ○ ○ ( 至 五、 ○ ○
)
)
課、
席
者
軍務課、軍事課、戦備課、 参 本 第 二課 、馬 政 課 、衣 糧
第 二 課 、 航 本 一、
軍 務 局長 、軍 務 課、 軍 事 課 、 整 備 課 、 戦備 課 、主 計 課 、 機 械 課 、 銃 砲 課 、参 本
出
産業 五ケ年計画陸軍部内打合 日時予定表 目
農畜 産 部 門
鉄 工業 部 門
項
後、更 に計画自体を修 正せしめた る後本年 内に政府 に提案す
陸軍 (要す れば対満事務 局関係官) に於 て 一応 の説明を聴取したる
し て今 次満 洲 産 業 五 ケ年 計 画 の遂 行 を期 す ると 共 に之 に併 行 し て帝
領
国 を 中 心 とす る計 画 的 産 業 開 発 を促 進 す 要
甲 、 主 と し て満 洲 の み に て遂行 し得 て 日本 産 業 を 圧 迫 せざ る部 門
一、 満 洲 産 業 開 発 計 画 を 左 の二類 に分 ち
乙 、 日満 産 業 の聯 繋 上 重大 事 項 甲 に属 す る部 分 は直 に実 行 に着 手 す る を 主義 と し、 乙 に属 す る部 分 は本 計 画 を契 機 と し て 日満 、 鮮 、 臺 、 北支 其 他 を 通ず る帝 国 を中 心と す る産業 五 ケ年 計 画 を確 立 し 之 と併 行 処 理す るを 主 義 と なす も のとす 二、 陸 軍 と し ては 第 一項 主 義 を堅 持 す るも 、 先 づ陸 軍 限 り の案 と し て満 洲 産 業 開 発 計 画 に於 け る開 発 目 標 、 日 満間 等 の分 配 区分 を 検討 し成 る べく 速 に 一応 政府 に提 案 す 政 府 に於 て第 一項 乙 に属 す る部 門 の審 議 を留 保す ると き は直 に之
金
関
係
交通、通信部門
資
二 十 三 日午 前 自 九、 〇 〇 ( 至 正 午
二十三日午後 自 二、 〇 〇
至 五 、〇 〇
(
)
)
軍 務課 、 軍 事 課 、 戦 備 課、 整 備課 、防 備 課 、 参 本第 二 課 、参 本 第 三部 関 係 課 、
軍 務 局長、 軍 務 課、 軍事 課 、戦 備 課、 参 本 第 二課 、
備 考 、第 一日午 前 の審 議 は時 間 を多 少 延 長 す る こと あ る べし
自給自足と日本 不足資源 の供給 とを図り将来 に於 ける満洲国産業開
の際必要なる資源 の現地開発に重点を置き併 て成し得 る限り国内 の
関 東 軍 司 令 部)
次
発 の根基を確立す る為概 ね左記要 旨に依 り各種産業を開発し以 て国
(昭和 十 二年 一月
針
満 洲 産業 開 発 五 年計 画 綱 要
目
綱
二五
第 二、 要
ハ
記
兵 器 、 飛 行 機 、自 動 車 、 車 輛等 の軍 需 関 係 産業 の確 立 を期 す
鉄 、液 体 燃 料 、 石炭 、電 力 等 の基 礎的 重要 産 業 を 開 発 し特 に
小麦 、大 麦 、 燕 麦 、麻 、 棉 花 等 の軍 需 関係 農 産 資 源 に付 凡 ゆ
米 の増産 計 画 に付 て は日 本 人 移 民 に依 るも のと し米 の日本 に
馬 、 綿 羊 の増 産 、 改 良 に重 点 を 置 く こと
於 け る需 給 関係 を考 慮 し 一般 に適 当 な る生 産 調 制 を 行 ふ こと
ロ
る方 法 を 講 じ極 力 増 産 を 図 る こと
イ
二、 農畜 産 部 門 に あり て は
国 防 上 必要 な る鉄 、 液 体 燃料 の開発 に重 点 を 置 く こと
ロ
る こと
イ
一、鉱 工業 部 門 にあ り て は
左
力 の進展、国民生活の安定を促進せんとす
第 一、 方
1 、鉱 工業 部 門 一、開 発 目 標 竝 所 要資 金 二 、開 発 方 法 2 、 農 畜産 部 門 一、 開発 目標 竝 所 要 経 費 、資 金 二、 開 発 方 法 3 、 交 通 通信 部門 一、 開 発 目 標 竝所 要 資 金 二、 開 発 方 法
針
4、 所 要 資 金 分 担 区 分総 括 表
第一 方
産業開発五年計画 は日満経済統制方策要綱 の根本 方針 に基き有事
現
在
能
力
三、交 通部 門 に あり ては 鉄道 、港 湾 等 に関 し 国防 上 必要 な る既 定 計
一、 開 発 目 標 竝 所要 資 金 標
差
引
増
同
綱
資
金
単位 当り事業 費
五 〇 、〇 〇 円
一 一七 、 六〇 〇
八、〇〇
大同酒精買収
一五〇 、 〇 〇
一 一〇 、 〇 〇
現 行計画
四七〇、〇〇
七〇、〇〇
五〇、〇〇〇
一 六、 〇 〇 〇 一〇 三 、 〇 〇 〇
五四、〇〇〇
(二〇 ) 二 三〇 〃
一五〇 〃
三三九、〇〇〇
−
八 六〃
二五〇〃
︱
七 八 六〃
撫
一四 〃
頁 岩 油
現行計画
四 二 、 八〇 〇
七 一、〇 〇 〇 千 円
上
1 鉱 工業部門
第二 要
設
一、 四 二〇 千 瓲
発
五八〇千瓲
一、 六 八 〇 〃
開
八五〇〃
別
鋼 (塊 )
二、 〇 〇 〇 千瓲 (設 備 能 力 ㌧ 一、 八 五 〇 〃 (生 産 目 標 )
五、 三 五〇
二 、 五 三〇 〃
二、七〇〇〃
一七 、 〇 八 五
八、〇五〇〃
鋼 材 其 他
二四八、四八五
小 石
一五 〇 〃
一四 〃
三〇 〇 〃
一〇 〇 〃
一四 、 九 〇 〇 二二、〇〇〇
︱
間 島
八〇〇〃
(一六〇 ) 二〇 〇 〃
四五、〇〇〇
三〇〇〃
四平街
一四 〇 〃
三〇 〇 〃
八 一、 九 〇 〇
阜 新
小 計
五〇〇〃
︱
六 六〇 〃
一 一六 、 〇 〇 〇
撫 順
三 〇〇 〃
一四 〇 〃
炭
三 姓
八〇 〇 〃
六 〃
化
小 計
五六〃
四三 四、 七 〇 〇
一三、 八 〇 〇 一、 六 七 〇
精
五〇千瓲
酒
計
液
順
計
鉱
銑
目
画 の外 更 に産 業 開 発 の為 特 に必要 な る施 設 を 整 備 す る こと
種
鉄
鋼
業
液
体
燃
料
累
関 車
車
力
炭
二 五〇 (二 五)
一四 、 五 二 〇 (一、 八 ○ ○ )
一、 四 一四 (六 〇 )
一、 四 〇 五 千K W 水力五九〇千〃 火 力 八 一五 千 〃
二五、五〇〇 千瓲
六 、 九〇 〇 (一、 八○ ○ )
六 五〇 (一〇 )
火力 四五九千KW
一 一、 七 〇 〇 千 瓲
三、九七〇 (三 五 〇 )
二五〇 (二 五 )
七、六二〇 ( - )
七六四 (五〇)
九四六千KW 水力五九〇 〃 火力三五六 〃
(八 、 三 〇〇 ) 五 、 五 〇〇
二四五、九五八 〇除朝鮮側負担 )
八 九 、 五 一〇 六〇、五〇〇
五箇年計画完成 に順応 する拡張計 画
現 行計 画 ( 括弧内 は新造能力)
七、 ○ ○ ○
二 八 一、 八 八
一 一、 ○ ○ 円
石
機 貨 車 三、 九 七 〇 (三 五 〇 )
現 行計 画
電
客 関 車
二〇 、 八 一三
機 貨
車輛
客
現行計画 二 、 ○ ○ ○ 、○ ○
輌
六、 ○ ○ 〇 三 二 、○ ○ ○
二 七 、八 一 三 瓲 〃
計 四、○○○ 一 六、 ○ ○ ○
小 二〇、○○○千瓲
ウ
ム
ミ
ニ
ル
ア
三、七五〇 七、 五 〇 〇
四、 ○ ○ ○
五 〇 、○ ○ ○
三六千瓲
(一四 五 ) 四五五
↓現行計画
三 〇 〇 、○ ○
二 、 八 ○ ○ 、○ ○
年約 一〇、○○○千円
一五 、○ ○ ○
五六〇
五箇年計画 二〇〇、○○○千円
三六千瓲
五〇千瓲
瓲 七〇千瓲
二〇〇
一二〇千瓲
二〇〇千瓲
プ
金
七二千瓲
八七五〃
灰
五〇〇
七 、○ ○ ○
四 、 八○ ○
五千瓲
五 〇〃
二 〇 、○ ○ ○
一〇 、 二
工
四、○○○台
二 、 二 〃
五千瓲
車
一 二四〃
綿
二 七 五〃
ム
ル
塩
達
鉛
動
加
シ ウ
肉
マ グ ネ パ
採 曹 石
畜 自
機
兵 器 ( 戦車 を含む) 行 計
飛
考
業
現在能力 の約
五倍
三四〇台
三四〇台
一〇 〇 、 ○ ○ ○
三 〇 、 ○○ ○
一、 三 九 一、 〇 七 一
日本鉄鋼需給計画 の要求す る年額銑六三万瓲 、鋼 (半製品)
も のとす
尚 田師付溝等 の コーク ス用炭 の出炭 に対し適 当の方策を講ず る
自 動 車 、 兵 器 、 飛 行機 に関 し て は別 途 細 部 に つき 研 究 す る も のと す
二、開 発 方 法
合
鋼
備
一、鉄
鉄鋼業 に関し ては東 辺道其他 の地域 に於ける富鉱資源 の開発を促
四〇 万瓲を 日本 に供給す る外生産鉄鋼 の満洲需要量 を超過す る部
ハ
分は海 外に輸出す るも のとし之 に関し政府は適 当なる援助を与 ふ
進す るの外現存 昭和製鋼所及本 溪湖煤 鉄公司を中心 に日本 に於け る 銑鋼需給関係 を考慮 し年産銑 二五三万瓲、鋼塊 一八五万瓲 (鋼材 一
にし急速 に之 を開発し て五箇年後 三〇 万瓲 の生産 に到達 せしむ
張して年産 五〇 万瓲 に達せしめ更 に三姓 に於け る資 源 の実情 を明確
一 頁岩油 は現行撫順炭鉱 に於ける増産計画を実現す るの外之 を拡
的 発展 を促進 し漸次此等 の綜合的油 化作業 に進むも のとす
標 の下に差当 り直接液化、瓦斯合成(低温乾溜等 の各種方法 の個別
とし液 化油 は撫順、阜新、間島、 四平街等を通じ年産 八○ 万瓲 の目
液体燃料 工業 は頁岩油は撫順、 三姓を中心 に年 産八○ 万瓲を目標
二、液 体 燃 料
に於 ける操短率 に関し ては適当 なる措置を為す も のとす
鉄鋼 設備 の 一大拡張により操短 を必要とする場合 に於 ては日満
るも のとす
昭和製鋼所及本溪湖煤鉄公司に於 て銑及鋼 の製造を行 はし め東
五〇万瓲) を目標 に其生産 の増加 を図 る 一
辺道其他 の地域 に開発 せらるべき製鉄所 は当分 の間銑鉄 のみの生産 開原附近 の鉄鉱利用 に関し ては調査、研究 の上屑鉄代用銑 の生産
を行 はしむ
東 辺道其他 の地域に於 ける鉄鉱資源 の調査 は之を急速 に実施
日満両国政府 は本計画実施 上必要 なる左記処置を講ず るも のと
を行 ふも のとす 二 す イ
し其実情 に応じ て昭和製 鋼所と の間 に負担量 の変更を行 ふ等適当 なる方策を採 るも のとす
二 石炭液化 は撫順炭鉱 に於ける現行計 画実施を俟 つて更に之 を年
本溪湖煤鉄公司 の所有 に係 る本溪湖炭 は更 に年約 八○万瓲 の
ロ
産二五万瓲に拡張 せしめ別 に阜新 に於 ける三〇万瓲計画及間島 に於
ける 一五万瓲計画 の急速なる実現 を策す るの外西安炭を利 用す る四
増掘 を実施し全満を通じ必要とす る製鉄 コーク ス用粘結性炭とし て適当 に各製鉄所 に配給混用せしむ る様統制す るものとす
車輛 工業 に関 し ては満 鉄 其 他 の現 存 諸 工 場 を中 心と し て有事 の際
必 要 と す る現 行計 画 修 繕能 力 機 関 車 一、 四 一四 輛 ( 新 造能 力 を 含
平 街 油 化 会 社 の増 産 を図 り年 額 一〇 万 瓲 を生 産 せ し む
む ) 客車 一、 七 七 〇 輛 貨車 ︱二 、七 五〇 輛 を 完 成す ると 共 に産 業 開
酒 精 は代 用燃 料 と し て揮 発 油 に対 し適 当 な る率 を 混 用 す る の方
三
発 五箇 年 計 画 の完 成 に順 応 し 之 を支 障 なく 遂 行 せ し む る に 必要 な る
針 の下 に年 産 五 万瓲 の増 設 を行 ふ
機 関 車 二五輛 、貨 車 三 五〇 輛 の建 造 竝 に此 等 に相 応 す る 必要 修 繕 能
日満 両 国 政 府 は右 諸 方 策 実 現 の為 に液 体 燃 料 方 策 を 確 立 し其 徹
四
力 を 具 備 す る 諸 工場 を完 成 す るも のとす
底的 運 用 を企 図 実 現 す ると 共 に差 当 り左 記 処 置 を講 ず るも のと す イ、 満 洲 需 要 超 過 部 分 は 日本 に輸 出 し 政府 は此 の際 関 税 其 他 に関
ア ルミ ナ の製 造 に止 め 之 を適 地 に輸 送 し て ア ルミ ニウ ム製 造 を行 は
増 産 計 画 量 一 六千 瓲 に対 し ては 電力 供 給 の関 係 上 撫 順 に於 て は
し む る を或 は有 利 と す べ し
一
標 に到 達 せし む
生産 量 四 千 瓲 設 備 の完 了 を俟 ち 更 に之 を拡 張 せし め年 産 二 万瓲 の目
ア ル ミ ニウ ム製 造 工業 に関 し ては満 洲 軽 金 属 会 社 を 中 心 に其 予 定
六 、 ア ル ミ ニウ ム
ロ、満 洲国 政 府 に於 て買 上 ぐ る場 合 は事業 の経 営 等 を考 慮 し 其 価
し 適 当 な る措 置 を 講 ず るも のとす
格 を 定 む るも のと す 炭
ると 共 に別 に満 洲炭 礦 会 社 を 中 心 と し て更 に 五 五〇 万瓲 の増 産 計 画
炭 業 に関 し て は満 鉄 及 満 洲炭 礦 会 社 の既 定 増 掘 計 画 を遂 行 せ し む
三、 石
を樹 立 実 施 せ し め全 満 を通 じ て年 産 二、 五 五〇 万 瓲 を目 標 に其 施 設
と す るも差 当 り半 工 業 的 試 験 を行 ふ も のと し 其 実 績 に依 り適 当 の方
マグ ネ シウ ム製 造 工業 に関 し て は将 来 年 産 約 二千瓲 の製 造 を目 標
七 、 マグ ネ シ ウ ム
入 に対 し関 税 減 免 等 に関 し適 宜措 置 す るも のと す
日本 政 府 は右 計 画 実 施 の為 其 生 産 に係 る ア ルミ ニウ ムの日 本輸
を拡 張 せし む
二 力
需要 電 力 に 対応 せ ん が為 五 年後 に於 け る発 電 設備 総 計 一、 四〇 五 、
策 を 講 ず るも のと す
電 気 事 業 に関 し て は 五ケ年 後 に於 け る 一般 電 灯 電 力 及 特殊 工業 の
四、 電
○○ ○ キ ロワ ット の上 に新 に九 四 六 、○ ○ ○ キ ロワ ット を 増 設 せ ん
○ ○ ○ 万 キ ロワ ット を整 備 せ んとす 即ち 現 有 火 力 発 電 設 備 四 五 九、
右 試 験 工業 は能 力 約 二百 瓲 を 予 定 し満 洲 軽 金 属 会 社 の ア ルミ ニウ
ム製 造 工業 と 聯繋 を保 た し む
とす 之 が電 源 に関 し て は水 力 に依 ら んとす る方 針 な るも 水力 発 電 所 落 成 に至 る迄 の所要 電 力 に対 応 し併 せ て将 来 に於 け る 予 備的 施 設 の
増 産 五 万瓲 を 目標 に可 及 的 速 に之 を 開発 せ しむ
パ ルプ製 造 工業 に関 し ては 北満 に於 け る森 林 資 源 の調査 を遂 げ 年
プ
八、 パ
ル
用 に供 す る為 暫 行的 に火 力 発 電 所 を も 開 発 せ んと す 之 が為 増 設電 力
輛
の内 訳 は水 力 五九 〇 、〇 〇 〇 キ ロ火 力 三 五 六、 ○ ○ ○ キ ロとす 五、車
尚 日本 に於 け る パ ルプ需 給 状 況 に鑑 み高 梁 稈 、大 豆稈 、 蘆 等木 材
灰
車
器 (戦 車 を含 む )
し め満 洲 に於 け る 一般 機 械 工 業 の進 展 に伴 ひ漸 次 完 全 な る製 造 会 社
一四 、 兵
動
行
機
農畜産部門
一、 開発 目標 竝 所 要 経 費 、 資金
2
五 万屯 を 目 途 と し製 造 工場 を 設 立 す
畜 肉 加 工業 に関 し て は有 事 を 考慮 し 牛、 豚 等 の増 産 に伴 ひ年 産 約
一六、 畜 肉 加 工
右 会 社 の技 術 は要 す れば 外 国 のも のを採 用す るも のとす
漸 次 完 全 な る製 造会 社 と な す
理 能 力 と を有 す る独 立 の製 造 会 社 を 設 立 し 一般 工業 力 の進 展 に伴 ひ
飛 行 機 製 造 工業 に関 し て は月 製 二八 台 の製 造能 力 と 月 二〇 台 の修
一五、 飛
等 に関 し 特 別 の考慮 を払 ふも のと す
右 所 要 資金 の大 部 は 日本 政 府 に於 て出 資 し且 平 時 に於 け る註 文 量
億円とす
維 持 補 給 数 を 目途 と し既 存 施 設 を 拡 充す 之 に要 す る設備 費 は概 算 一
兵 器 (戦車 を含 む ) 製 造 業 に関 し て は有 事 の際 軍 の満 洲 に於 け る
と なす
塩
以 外 の資 源 利 用 に依 る パ ルプ製 造 工業 に対 し ては適 当 の奨 励 方 法 を
業
講 じ其 の発 達 を促 進 す るも のとす 九、工 塩業 に関 し て は現 存 満 洲 塩業 会 社 を し て其 予定 計 画た る 一四 五 千 瓲 の増 産 を可 及 的 速 に実 現 せ し む る外 更 に全 満 洲 を 通 じ四 五五 千 瓲 の増 産 計 画 を実 現 す るも のとす 金
採金 事 業 に関 し て は現 在 生産 高 大 約 一千 万 円 を 飛躍 的 に増 産 し て
一〇 、採
五箇年 合 計 二億 円 の採 金 実現 を 目標 と す
達
此 が為 政府 は採 金 奨 励 等 に関 し適 宜 処 置 す るも のと す 一一、曹
曹達 灰製 造 工業 に関 し ては現 存 満 洲 曹 達 会 社 を拡 張 せし め て年 産 七 二 千瓲 に倍 加 せし む 一 二 、石 綿 、 鉛 日本 に於 け る石 綿 、 鉛 の需 給 竝其 軍 需 的 要 求 に鑑 み満 洲 に於 て之 を 増産 す る こと と し 鉛 は満 洲鉛 鉱会 社 を中 心 に現 在能 力 二、 二〇 〇 瓲 ( 粗 鉱 二〇 、○ ○ ○ 瓲 ) を 拡張 せ し め て年 産 一 二 、 四〇 〇 瓲 に、
一 三、自
石 綿 は 民 間採 掘 を奨 励 し て年 産 五 、○ ○○ 瓲 に到 達 せ し む
バ ス及 ト ラ ックを 中 距 離 輸 送 用 た る大 型 自 動車 (五屯 級 ) 即 中 級 車 と 近距 離 輸 送 用 た る普 通自 動車 (三屯 級 ) と に二 大 別 し現 存 同 和 自 動車 会 社 を根 本 的 に改 組 し て独立 せ る自 動 車 製 造 会 社 と な し内 地 自 動車 製 造会 社 中 、 中 級 車 、 普 通車 製 造 の代 表 的 二社 と関 聯 を保 た
種
農
産
畜
軍
需
作
物
開
発
目
標
現
在
能
力
差
引
増
産
同
上
経
費
同
上
資
四、六七六
四三四
別
六〇〇
二、八三三
麻
麻
四〇
二三
四〇
三〇
三
〇 ・七
一〇
二〇
三 九 ・三
一六六
三三〇
四六二
一、 九 〇 〇 千頭
金
二八 、 二 〇 〇 千 円 一七 六
九 一六
四四五千 円
七〇
一、 三 五 六
五年間計
八四八
五三
二〇三千瓲
二 、〇 二 四 一九 二
一五 〇
三 一五千瓲
二六二
二
三六
五 一八千瓲 麦
八九
米
麦
一五 二
洋
麻
二五 、 二 六 五
小
麦
一、
大
サ ン
亜
ル ー
燕
〓
一 六、 五 一 二
一五
三 、九 四 三
四五
三〇
花
五、七五九
一六〇
四九 一
二九 四
三六、四二四
一、 〇 六 一
棉
二三六
七 ・五
六四
二 ・四
三〇〇
六二〇
九 ・九
菜
四、 一〇 〇
黄 色 葉 煙 草
甜
四、七二〇
三七九
四、六〇〇
四 一三
豆
三 、 一五 七
八〇
梁
三、 五 七〇
二 、 一 二〇
大
二 、 二〇 〇
高
黍
四 、 二 二 一
粟 蜀
二〇、〇〇〇
玉
農産開発基本施設
一 三五 、 四 二 七 二、 三 〇 〇 千 頭
七六五
一、 一九 〇
二 、九 五 一
一 二、 七 二〇
五 、〇 〇 〇
三 三 、〇 二四
四 、 二〇 〇
一、 九 七 九
三 、〇 一〇
四〇〇千頭
二、七四四
七、五〇〇
四 七 、九 二 四
馬 羊
計
累
綿 牛
産
備考
合
一、米
獣
豚 肉
五、二五九
五、○○○
二五九
一、 一八 三
二 一、 九 〇 〇
七 、五 〇 〇
五 一
一四 二 、九 二七
一四 一
四三、七五四
一九二千瓲
計
畜産開発基本施設 累
九 一、 六 七 八
麦
付 て適 当 な る管 理 を 行 ふも のとす 増 産 は主 と し て北 満 地 方 の 日本 人
年 産 二 六 万瓲 を目 標 に七 万 瓲 の増 産 を図 ると 共 に政 府 は輸 出 入 に
三、大
ハ、 製 粉 工場 の改 善 統 制
ロ、輸 出 入管 理 制 度 、 検 査 制度 の設定 、 関 税 竝 鉄 道 運 賃 の合 理 化
イ 、優 良 種 子 の増 産 、 配 付 、開 墾 資 金 の貸 与 、 病 害 予防 等
右 増 産 の為 政府 は特 に左 記 処 置 を講 ず る も のと す
計 上掲表中には馬 の輸 入に関す る資金 ( 若くは経費)は之 を計上 せず 二、 開 発 方 法
年 産 五 一八千 瓲 を 目 標 に 二〇 三千 瓲 の増 産 を 図 る、水 稲 は 日本 人 移 民 を中 心と し朝 鮮 人 移 民 に依 る増 産 は自 然 増 の程 度 に止 め、 陸 稲 は 満農 に依 る自 然 増 加 率 に待 つも のと す 。 五年 間 所要 資 金 は約 二、
右 増 産 の為 政 府 は特 に左 記 処 置 を講 ず るも のと す
移 民 に依 る 五年 間 所 要 経 費 は六〇 万 円と 概 定 す
八 ○○ 万 円 に し て同 経 費 は約 五〇 万 円 と概 定 す
イ 、 日本 人移 民 に依 る増 産奨 励
四 、燕
に依 るも のとす 。 五年 間 所 要 資 金 は約 二 八○ 万 円、 同 経 費 は 一四 〇
は全 満 各 地 に於 け る満 農 の作 物 転換 、 二荒 地復 興 竝 蒙 古 人 の新 開 墾
年 産 一五 二 千瓲 を目 標 に 一五〇 千瓲 の増 産 を 図 るも のと す。 増 産
五、 ル ー サ ン
円 と 概 定す
墾 に依 るも のと す。 五年 間 所 要 資 金 は九〇 万円 、 同 経 費 は約 四〇 万
北 満 及 興安 省 に於 け る満農 の二荒 地復 興 、 開 墾 増 大 竝蒙 古 人 の新 開
年 産 九 万瓲 を目 標 に、 五 万 三千瓲 の増 産 を図 るも のとす 。 増 産 は
麦
ロ、 日本 人 移 民 に対 す る優 良 種 子 の増 殖 、 配 付 ハ、米 穀 管 理 制 度 の設 定
麦
ニ、在 満 日本 軍 用 米 の現 地 調 辨 二、 小
年 産 二〇 〇 万瓲 を 目 標 に 一一八 万瓲 の増 産 を 図 るも のと す 。 増 産 は 日本 人移 民 を 中 心 と し 、 併 せ て満 農 の作 物 転 換 、 二荒 地 の復 興 、
も のとす 。 五年 間 所 要 資 金 は約 二、 五〇 〇 万円 にし て同 経費 は約 四
蒙 古 人 の新 開 墾 の積 極 的 遂 行 によ り北 満 及 興 安 各 省 に於 て之 を 行 ふ
七 〇 万 円 と概 定 す
万円 と 概 定 す 麻
満 各 地 に於 け る満 農 の作 物 転 換 に よ り之 を 行 ふも のとす 、 五年 間 所
一 二 、大 豆、 高 梁 、粟 、 玉 蜀黍
要 経費 は 一六 万 円 と 概 定す
るる範 囲 に止 め、 寧 ろ 品種 改良 に よ る増 産 に依 り 輸出 を促 進 し 国
イ 、大 豆 は特 殊 作 物 の増産 に伴 ひ不 可 避 的 に増 産 を余 儀 なく せら
年 産 四 万 瓲 を 目 標 に 三 万九 千 瓲 の増 産 を なし 麻 袋 の自給 自 足 を 図
六、 洋
るも のと す 。増 産 は南 満 地方 に於 け る満 農 の作 物 転 換 によ り之 を行
増 産 と な る 、 五年 間 の所 要 資 金 は 三 六 四 万円 、 同 経 費 は 四 九 万円
右 方策 に依 り五 年 後 の年 生 産 は 四 七 二 万瓲 と な り 、 六 二 万瓲 の
民 生活 の安 定 を 図 る こと に力 む る も のと す
年 産 二 三千 瓲 を 目標 に 二〇 千 瓲 の増 産 を図 るも のと す。 増 産 は北
と概定す
麻
ふも のと す 。 五年 間所 要 経 費 は約 四 六 万 円と す
満 地方 に於 け る満 農 の作 物 転 換 によ り 之 を行 ふも のと す。 五年 間 所
七 、亜
要 経 費 は約 三 三万 円 と概 定 す
ロ、高 梁、 粟 、 玉 蜀 黍 は 特殊 作 物 の増 産 に伴 ひ 其 作 付 面積 を減 少
せ ら るる を 以 て之 が収 量 の減 少 を補 ふた め主 と し て品 種 改良 に よ
麻
年 産 四 万瓲 を 目 標 に 一万瓲 の増 産 を 図 るも のとす
八、 〓
り反 当 収量 を増 加 せ しむ る こと に力 む る も のと す 、 五年 後 に於 け
(防 疫 費 は基 本 施 設 中 に含 む) と 概 定 す
の供 給 を なす も のとす 。 五年 間 所 要 経 費 は収 入 を差 引 き 五 〇〇 万 円
頭 を増 殖 せし め 、有 事 に於 け る馬 の補 給、 農 業 開 発 に必 要 な る役 馬
五年 後 保 有 馬 二三〇 万頭 (内 改 良 馬 四 六 千頭 ) を 目 標 に、 四〇 万
一四、 馬
之 に要 す る資 金 約 二 千 万円 、 経 費 約 三 千 三 百 万円 と 概 定 す
組 合 の設 置 等 の基本 的 施 設 を 整 備 す る こと 必要 にし て五 年 間 を通 じ
以上 農 産 開 発 に当 つて は全 般 的 に農 事指 導 施 設 の整 備 拡 充、 農 事
一 三、 基 本 施 設
費 は 二九 万 円 と概 定 す
にし て各 々多 少 の増 産 と な る、之 等 三作 物 に対 す る五年 間所 要 経
る年 生 産 量 は高 梁 四 六〇 万 瓲 、粟 三 五 七 万瓲 、 玉 蜀 黍 二 二〇 万瓲
増 産 は全 満 各 地 に於 け る満 農 の作 物 転換 によ り之 を行 ふも のとす 、
花
五年 間 所 要 経 費 は 一七 万 円 と概 定 す 九 、棉
年 産 四 万 五千 瓲 を 目 標 に 三 万瓲 の増 産 を 図 るも のとす 増 産 は南 満 地 方 に於 け る満 農 の作 物 転換 によ り之 を行 ふも のとす 、 五年 間 所 要 資 金 は 約 一、 七〇 〇 万円 、 同 経 費 は約 四〇 〇 万円 と概 定 す
年 産 九 、 九〇 〇 瓲 を 目 標 に七 、 五〇 〇 瓲 の増 産 を 図 り、 葉 煙 草 輸
一〇 、黄 色 葉 煙 草
入 の防 遏 を なす も の とす 、 増 産 は主 と し て南 満 地 方 に於 け る 日本 人 移 民 竝満 農 の作 物 転 換 によ り 之 を行 ふ も のと す 、 五年 間 所 要 資 金 は 約 五八 ○ 万 円、 同 経 費 は約 一〇 〇 万 円 とす 菜
年 産 三〇 万 瓲 を目 標 に 二四 万 瓲 の増 産 を図 るも のとす 、増 産 は全
一 一、 甜
右 増殖 の為 政 府 は左 記 処 置 を 講ず る も のと す
の整 備拡 充 等 の基 本的 施 設 を なす こと 必 要 にし て之 に要 す る経費 は
以 上畜 産 開 発 に当 つて は全 般 的 に畜 産 指導 施 設 の整 備 竝 防疫 施 設
一九 、基 本 施 設
ロ、 馬疫 防 遏 に 対す る処 置 、 交 配奨 励
イ 、種 馬所 、 種 馬 育 成 所 、 馬廠 等 の設 置
3 、交 通 通信 部 門
一、 開 発 目標 竝所 要 資 金
(千円)
六 二 一、 八 七 七
六〇、〇〇〇
一四 〇 、 〇 〇 〇
二〇三、〇〇〇 (△ 二 四 〇 、 〇 〇 〇 )
五 三 、 五〇 四
所要資金
要
摘
一六 五 、 三 七 三 (△ 一八 一、〇 六 八 )
別
△印は昭和十七年度 分をも含む
国鉄 既定線建設
第 四次鉄道建設
同
一、 五 〇 〇 〇 粁
右
国鉄 既設線改良
其 ノ他鉄道建設
車 輛 購 入 費
計
三六、八〇〇
小
六五八、六七七
七七〇、六七七
五〇、〇〇〇
六 二、 〇 〇 〇
羅津、壺盧島等築港
一 三、 二〇 〇 粁
信
国 道 ( 自動車交通)
累
計
道
鉄
種
五年 間 を 通 じ 二、 一九〇 万円 と概 定 す
羊
通
通
交
ハ、 国 外 よ り の輸 入 一五、綿 羊 は五年 後 四 二〇 万頭 を 目 標 に、 一 一九 万頭 を増 殖 せ しむ 、 之 に 伴 ひ羊 毛 は四 、 七 四〇 瓲 に、 羊 皮 は 一七 四 万枚 に達 し 、各 々 一、 六 九〇 瓲 二 八万枚 の増 産 と な る、 五年 間 所 要 資 金 は七 五 〇 万 円、 同 経
右 増 殖 の為 政 府 は左 の処 置 を 講 ず るも のとす
費 は 一、 二七 二 万 円 と概 定 す
イ、 蒙 古 在 来 種 の改 良 増 殖 を 図 るた め米 国 濠 洲 よ り メリ ノ ー及 コ リデ ー ル種 、北 支 よ り蒙 古 在 来 種 、 日 本 よ り成 し 得 る限 り種 牡 羊 の輸 入 ロ、綿 羊 改 良 場 の増 設 ハ、綿 羊 牧 場 の増 設 、綿 羊 会 社 の設 立 等 一六、 牛 牛 は 五年 後 二七 四 万頭 を目 標 に、 七 七 万頭 を増 殖 せし め 獣 肉 の供
計
給 竝畜 役 労 力 の補 充 に充 つ、之 に伴 ひ 牛 皮 は 四 一万枚 に達 し 四 六千
通
信
枚 の増 産 と な る。 五年 間所 要 経費 は 二九 五 万 円 と概 定 す
合
豚 は品 種 の改 良 に主 眼 を置 き 五年 後 五二 六 万頭 を目 標 に、 二六 万
二、 開 発 方 法
的検討 に伴 ひ更 に補修訂正するも のとす
備 考 本表中港湾 に関し ては 一応 の目標 にして鉱 工業、農畜産両部門 の具体
一七 、豚
頭 を 増殖 せ しむ 、 五年 間所 要 経 費 は 一 一八 万 円 と概 定 す 肉 牛 、豚 、羊 の獣 肉 は年 産 一九 万瓲 を 目 標 に、 五 万瓲 を 増 産 せ し む
一八 、獣
一、 鉄
道
鉄 道 に関 し て は第 四次 建 設 線 の外特 に産 業 開 発 上 必 要 な る経 済 線 と し て五 年 間約 一千 五百 粁 を 目 途 に建 設す 右 に要 す る資 金 約 一億 四千 万 円 にし て本 資 金 に対 し ては要 す れば
路
満 洲 国 政 府 及 満鉄 に於 て適 宜 補 助 、保 証 の方 法 を 講 ず るも のとす 二 、道
五、通
信
く外概ね現状を維持す
通信 に関し ては現在 に於 ける既成計画 の外国防竝産業開発上必要 備
考
とす る施設を行 ふ之 に要す る事業費は約五千万円とす
一、本計画 は五年間 に於 ける概要 の目標を示すも のにして情勢 の変
二、本計画 の外将来 に於ける経済開発 の為必要なる各種 の基礎的調
化事業別具体案 の作製等 に伴 ひ適宜補修訂正をなすも のとす
査研究 を遂げ る こと必要 にして之 が為特 に満洲 に於ける現制調査研
道 路 道 路 に関 し ては 五 年間 約 一 三、 二〇 〇 粁 を 目途 に新 設 し別 に 橋 梁 の架 設 、 既 設 道 路 の改良 等 を行 ふ、 之 に要 す る所 要 経 費 約 六 、
究機関を統合整理し 一定方針 の下に重点主義 に依り之が実現 を期す
出 日本政府又は特 殊会社 千円
満
洲 政
資 府 千円
4 、所 要 資 金 分 担 区 分 総 括表
区
社 債 借 入 金 千円
担
民 間 出 資 又は融資 千 円
分 鉄 千円
満
分
計
三、関東州に於 ては本計画 の実施 に対し協力す るも のとす
る様力むるも のとす
二 〇 〇万 円 とす
所 要 資 金 合 計 千円
千円
湾
港 湾 に関 し て は本 開 発 計 画 の完成 に伴 ふ貨 物 の増 加 に適 応 す る如
三、港
く 羅 津 、壺 盧島 要 す れば 大 連 等 の港湾 設備 の拡 張 を行 ふも のとす 空
別
航 空 に関 し て は 国内 航 空 路 は特 に新 設拡 張 を 必要 とす るも のを除
四、 航
種
一、 三 九 一、 〇 七 一
七七〇、六七七
二五 四、 八 九 二
三〇 、 〇 〇 〇
二 七 四 、 〇 〇〇
二四四、七四二
一 二、 〇 〇 〇
二、 五 七 八 、 六 七 五
二八 〇 、 五 四 三
六 六〇 、 四 二 七
二三 八、 〇 〇 〇
四三六、八九四
六八、二五〇
七、〇〇〇
五 二 一、 八 九 二
一、 三 九 一、 〇 七 一
-
七、 〇 〇 〇
三七六、六六九
鉱 工 業 部 門
一四 二 、 九 二 七
一〇 、 五 〇 〇
九 四 七、 九 七 〇
一四 二 、九 二 七
農 畜 産 部 門
七七〇、六七七
一 一、 五〇 〇
五四五、六四四
八〇、〇〇〇 △ 九 四、 〇 〇 〇
交 通 々信 部 門
二七 四 、 〇 〇 〇
九 一、 五 〇 〇 △ 九 四、 〇 〇 〇
一 一 二、 九 二 七
民
二、 五 七 八 、 六 七 五
三〇 、〇 〇 〇
移
計
所要資 金と出資分担区分 との間 には附帯施設費株式振当上等 より来 る約九千 一百万円の差あり
総 備考
二六
針
重要産業五年 計画要綱 第 一、方
(昭和 拾 弐 年 五 月 廿 九 日
陸軍省)
三、 本 計 画 の実 施 に方 り ては 帝国 現 在 の資 本 主義 経済 機 構 に対 し 急
重 要 産 業 五年 計 画要 綱
昭和拾弐年 五月廿九日
重要 なる国民 の生産消費 の統制
︹マ マ︺
激 な る変革 を作 為 す る は之 を 避 く べ しと 雖 金 融 、財 政 、 物 価 、 貿 易 、
等 に関し機を制 して所要 の対策を講じ以て綜合的 に本計画の順調な
対外決済、運輸、配給、労務並非 る進捗を計 る
概 ね昭和十 六年を期し計画的 に重要産業 の振 興を策 し以 て有 事 の 日満 及北支 に於 て重要資源を自給 し得 るに至らしむると共 に平時国
に軽重緩急 の程度 を判別 し先 づ重且 つ急 なるも のを選び て其 の実現
産業 の相互関聯性 を認識 して其 の間 に撞 著なからしむべしと雖審 か
四、重要産業 の振 興は技術、資本及原料等 の諸元を綜合し且 つ各種
力 の飛躍的発展を計 り東亜指導 の実力を確立す 一、本 計画は昭和十 二年 度以降昭和十 六年度 に至 る五年 を以て第 一
を促進す之 が為第 一次計画中先 づ著手すべき重要部門概ね左 の如し
領
次とし先づ国防上重要な る産業 の種類及目標を厳選し其 の実現を統
第 二、要
制促進す但し五年 を以て本計画 の 一般的年次と為 すと雖振興拡充 の
4
3 自動車 工業
1 兵 器 工業
二、国防重要産業 の振興 は帝国を主体とす るも克く日満を 一環とす
5 鉄 鋼 工業
2 飛行機 工業
る適地適業 の主義 に則り且 つ国防 上 の必要 を顧慮し所要産業を努め
6 液体燃料工業
程度及完成 の時期 は各資源 の要度 に応 じ適宜其 の緩急 を規律す
て大陸 に進 出せしめ更 に帝国将来 の長計 を洞察し て最も必要と認む
7 石 炭 工業
第 一次計画 の進度 に伴 ひ更 に所要 の第 二次計画を予定す
る資源を選び て巧 に北支 の経済開発 に先鞭 を著け其 の資源を確保す
工作機械工業
るに努む
12
11
10
9
8
鉄 道車 輛 工業
電 力 事 業
船 舶 工 業
マグ ネ シウ ム工業
ア ルミ ニウ ム工業
一般機 械 工業
表 要
産
業
振 保
興 有 計
量
一 拡
但 し兵 器 工業 及 飛 行 機 工業 の振 興 は別 に軍 部 の立 案 す る方 策 に依
るも之 に必 要 な る資 金 、機 械 、 原 料 材 料 、 労力 、 燃 料 及 動 力 等 一般
重要 産 業 の振 興 と 併 行 調整 す べ き部 門 に関 し ては 本計 画 中 に包 含 せ しむ
標
要
五、 以 上 の要 旨 に基 き 重要 産 業振 興 の 一般 目 標 並 日満 に於 け る按 排
目
摘
日本 の不足約四百 五十万瓲 は中南支南洋及濠洲方面等より輸 入す 尚北支 の資源 の利用 に努め右輸入量 を減少 せしむ
日本 の不足は満洲より輸入す
一、 自 動 車 に は 小型 自 動 車 及 ト ラ ク タ ーを含 まず 二 、 乗 用 車自 動 貨 車 の比 は概 ね半 々と す
生産 振興目標欄 の数字 は秘密保持上記載せず ( 編者記載)
概 ね別 表 の如 し
般
目 標 満
充 日
4
13
別 重 生産振興目標 合
26
満
800
日
鉱
民間機
貯
30
2000 800
合計
300 (400)
単位
400 (550)
別
1200
種
45
機
700 (900)
機
750 (1000)
万台 万台
万瓲
(3.000) 1050
車 械
材
鉄
石
1
50
行 動 機
鉱
(7.000)
1000 (1300)
飛
作
鋼
銑
鉄
9
5
(10.000) 1150 (1550)
10 2250
自 工
鉄 鋼
石
現制 の義務
油貯 同
機
上
貨
同
上
機 貨
22700
油 5
700
貨
52700
発
万竏
万瓲
14
45
190
3
3800
100
6
揮 ア ル コー ル
油
ベ ンゾ ー ル
重
炭
135
3
万瓲
7200
(7)
ム
7
(140)
ニ ウ
330
6
ミ
50
(86)
ル
千瓲 万噸 万キ ット
ロワ
輛
20
(1117)
ア
輛
力
舶
マ グ ネ シ ウ ム
船
車
235 9
30000
五、朝鮮海峡横断鉄道敷設 に関し速 に具体的調査研究を促進 す
但 し ベ ンゾ ー ルは 平 時 の み
揮発油 に混用するも のとす
満洲 の百万竏 は頁岩油 とす
満洲 の約千万瓲 は日本 へ輸 入す
船舶 には千噸 以下及船齢 二十五年以上 のも のを含まず
一、 本欄 は要 増 加 量 を 示す 二 、満 欄 に は朝 鮮 の分 を含 む 三 、機 は機 関 車 、 貨 は貨 車 を 略 示 す
一、 一般機械 の年生産量は大約 二十七億に達 せしむるを目標とす 二、 日満 の配分は本表 の如く予定すと雖 調査 の進行 に伴ひ適地適業 の主義 に則 り適宜修正す るも のとす 三、生産振興目標欄中括弧を附 せる数字 は設備能力 を示すも のとす 四、兵器は本表外とす
道
20 1200
680 1000
電
鉄
機
2200
140
11000
(93)
10
(1257)
液 体 燃 料 備 考
二七
針
内 容目 次 第一 方 策
(昭 和 一二 、 六 、 一〇
重 要 産 業 五 ケ年 計 画 要 綱 実 施 に 関 す る 政 策 大綱 ( 案)
九、 財 政 々 策
十 、 行政 機 構 の改 革 表
陸 軍試 案 )
日満 重 要 産 業 拡 充 計 画所 要 資 金 概 算 表
国 民貯 蓄 の推 計 表
其 一 計 画 産 業 の生 産力 拡 大率 表 其二
附
其三
一、金 融 対 策
第二 方 二、貿易及為替政策
其四
概 ね 左 の如 し
七三四
計 満 洲 政 府
七〇〇
二 、 一〇 二
間
日 本 政 府
四
一、 八 六 六
(単 位
百万円)
考
一、各産業別所要額 見込 の概要 は附表其 三 の如し
備
右 の内 本 計画 実 施 に必 要 な る資 金 の支 出分 担 区分 を 予 定 す る こと
︹編者注 ・第 一方針 および第二方策中一金融 対策 の 一部 が欠けて いる︺
本 計 画 産 業 に対 す る日本 政 府 助 成 額 予 想
三、物 価 対 策
八、国 民生活 の安定保証政策
七、交 通 政 策
六、機械 工業対策
五、技術者及労働者対策
四、産業統制政策
民 三〇
九〇
次
昭 和 十 二
一四 六
年
十 三
合
計
十 六
十 五
十 四
一、 〇 〇 四
二八九
二七 八
二六 一
四七九
一二 五
一三 〇
一三〇
七 、〇 五 三
七五五
一、 八 六 六
一、 八 六 六
八 、 五 三六
一、 一六 九
二、 二七 四
二、 二 五七
如し
二 、 日本 政 府 の出 資 額 予 想 は附 表其 四 の
資金供給 の源泉た る新規 蓄積 の積極的増加を図 る為
主 と し て日本 民 間 出 資 とす
要
前掲政府支出 の 増 加 中 に包含 せ ら る るも のと す
摘
而 して前記約百七十億円 の所要資金 に対し之 に賄 ふべき国民貯蓄
資金投下 を調整し其重複を防 止する為
統制を行 ふ
ニ、同行 に対し公社債発行受託 の独占権を賦与し、起債市場 の
迄拡張す。之が為政府出資 の下 に必要な る増資 を行 ふ
ハ、日本興業 銀行法 を改 正し現債券発行法定最高 限度を十 五倍
ロ、同行 に対し各種金融機関 の統制管理 に関する機能 を与 ふ
イ、日本銀行 条令 を改 正し同行をし て基本的産業金融 を管掌 せ しむ
① 資金調達を容 易ならしむる為 の対策
之 が為必要な る若干 の具体策 を例示 せば左 の如し
は今後本 計画期 間 に於 て約 百七十億円 に達す るも のと推 定 せ ら る 三
適 切妥当な る金 利政策を堅持す る為
然れども以上 の外更 に、地方債及対外投資 を併 せて五ケ年間約十
(附表其二参照) 数億円 の資金需要あるを以て本計画遂行 に際し其資金調達を極端 に 悲観すべき の必要 なきも相当 の統制を必要 とする こと予想 に難から ず 今、本計画遂行上必要 なる若干 の金融対策事項
之 が為帝国 は官民挙 つて真 に協力 一致本 計画 の円滑な る遂行 に邁 進すべきも のとす を述 ぶれば次 の如し 一 本計画遂行 に伴 ふ建設所要資 金 の供給を潤沢 ならしむる為 金融
ヘ、預 金部及簡易生命保険資金 の対産業融資を拡大す
ホ、担保物権制度 の改正を行 ふ
指導 の原則 は現存金融機関 の積極的自発的協力 に依 り其円滑な る運 二 然 れども調達市場 に於け る各種支障 を生ぜざ らしむ るが為 必要
イ、 一大国民運動 を興 し、消費節約、勤倹貯蓄 を励行す
② 蓄積増加 の為 の対策
営 を期す 妥当なる統制 を行 ふ其主眼とす る所左 の如 し 本計 画所要資 金 の供給 を容易ならしむる為
に)
ロ、現 行郵 便 貯 金 預 入最 低額 の引下 げ を 行 ふ ( 拾 銭 よ り 五銭
ハ、郵 便貯 金 の戸 毎 取 立 制 度 を 行 ふ (簡 易 保 険 料金 の如 く) 資 金 投 下 調整 の為 の対 策
しむ
ニ、短 期 金利 昂 騰 抑 制 の為 、特 に預 金 部 資 金 の運 用 を適 当 な ら
の低 下 を図 る
ホ、各 種 金融 機 関 の合 同 及 合 理 化 を促 進 し極 力 金 融 ﹁コスト﹂
健 全 通貨 政 策 の遂 行 を 図 り 中 央 銀行 の統 制 下 に適 時 適 切 な る市
四
③
場操作を行 ふ
生 産 力 の充実 に伴 ひ十 五 年 度 以降 に於 て は此 の頽 勢 を 挽 回 し、 国 際
年 内 産 金 の現 送 のみ を以 てし ては之 を補 填 す る こと を得 ず 、然 れ共
如 く 昭 和 十 二 及十 三両年 度 に於 け る国 際 支 払 不足 は十 億 円 を突 破 し
本 計 画実 施 に伴 ふ 日満 を 一体 と す る国 際 収 支 を 予 想 す る に次表 の
二 、 貿易 及 為 替 政 策
イ 、 不急 不要 事 業 に対 す る新 規 投 資 を抑 制 す
はし む
ロ、 日本 銀 行 を し て各 種 金融 機 関 の資 金 運 用 に付監 督 指 導 を行
ハ、 二 重投 資 を 抑 制 す
イ 、全 般 低 金 利 政 策 を 堅 持す
収 支 は 好転 す るも のと 予想 せ ら る。
金 利 対 策
ロ、 興業 銀 行 の公 社 債統 一引受 に依 り公 社 債 利 廻 り統 制 を行 ふ
④
ハ、長 期 金 利 と 公 債 利 子 と の調整 を行 ふ
十
四、 九 八 七
十
五、 四 二〇
十
五 、 九 一七
十
二 四、 八 八 七
合
計
( 単位
四 、 九 七七
平
百 万円 )
本計画遂 行 に伴ふ日満 一体国際収支予想 昭和十 二年
四、四七八
五、 二八 三
七六
二三〇
三〇 六
均
四 、〇 八 五
二 六 、 四 一七
六 年
額
五 、 四七 〇
五 年
総
五、 四 五八
四 年
出
五、四二三
三 年
輸
五、 三 六七
一
四、 六 九 九
一 一、 五 三〇
額
四四七
一
一
三八
四三六
総
八八九
一
入
一
三八〇
一、 一五 〇
一
二三〇
二六
一八 〇
二三〇
輸
六 一四
一
一
二三〇
一
二三〇 六五九 三七〇 二八九
六七七
超
一
一
一九 二
一
二三〇 三八四 一五 四
二三〇
二〇六
入
送 一
一
出 貿 易 外 収 支
現
国 際 収 支 一 金
国際支 払過 不足一
重 点 を 置 き 、 復関 税 制 度 及 関 税 撤 廃 を 目 標 とす る 日満 特 恵 関税 制 度を採用す。
而して之 が好転 の成否 は懸 つて政府 の適 切なる貿易竝為替対策 に 在 るを以て次 の如き方策を講ず るの必要あ るも のとす。 ハ
海 運業 の発展 を 助長 し 海 外 運 賃 収 入 の増 加 を図 る。
貿 易 外 収支 の改 善
に応 じ、輸 入 補償 制 度 に依 る分 散 買 付 制 度 を採 用す 。 ④
外 客誘 致 に努 む ると 共 に、 日満 人 の海 外 消 費 を 節 約 せ し む 。
若 く は輸 入 抑 制 を要 求 し、 中 南 米 、 近東 の出 超 国 に対 し て は求 償
イ
① 全般的貿易統制策 組合法 を設け、当業者 の自治的統制と共同 の利益 を促進す。
ロ
国策貿易株式 会社を設立 し、国防重要産業品の輸出 入を行 は
しむ。
ハ
為 替管 理法 を強 化 し 、 資本 の海 外逃 避 竝 海 外 円 投 機 の防 止 を
努 め て対英 一志 二片 を 維 持 し 以 て為 替 価 格 の安 定 を 図 る。
為 替 対 策
ロ 貿易省を設立し、貿易 の調整及管理 の適 正を期す。
イ 貿易統制法を制定し、内外 地を同 一に規律す ると共 に、貿易
米 、濠 、 独、 加 、 印 等 入超 国 に対 し求 償 主 義 に基 く 輸 出 促 進
一 貿 易 対策
二 イ
徹 底 的 に行 ふ 。
口
ハ
輸出 の重点 は軍需 工業品及生産財 に之を置く。但し、国際収支
② 積極的輸出促進策 の均衡を保持す るた め依然繊維工業及消費財 の輸出増進をも促 進
金 買 上価 格 を適 時 適 当 な ら し め 以 て産 金 の劃 期 的 奨 励 を促 し
す (附表其三参照)
( 附 表其 三参 照 )、 満 洲 中 央 銀行 の保 育 金 を 日銀 に移譲 し 、 必要 な
輸出組合を強化 し、当業者 の強制加 入を命ず ると共 に品質、
イ
る金 現 送 を行 ふ。
本 計 画遂 行 に伴 ふ物 資 需 要 の増加 に因 り物 価 の水 準 は本 計 画期 間
三、物 価 政 策
海 外 に長 期 ク レデ ィ ット を 設定 す 。 候 補 国 を米 、 英 及 独 と し、
ニ
輸出金融機関 を整備し、輸出金融 の円滑を期す。
ロ
五 ケ年 間 約 五億 円 と す 。
数量、価格 に付自主的統制を行はしむ。 ハ 現 行輸出補償法 を強化し、輸 出補償 と信用補償 に依り対外輸 日満商品 の宣伝及迅速なる各 地貿易情報取得 の為世界主要都
出を促進す。 ニ
市 に貿易館 を設置 し且所要地点 に貿易通信員を駐在せしむ。
物価 竝 労賃 対策 を適 切 にし 以 て計 画 の実 行 に支 障 無 か ら し む ると
に於 て年 約 一割 内外 の騰 貴 を 来す も のと 推 定 せら る。
共 に生産 費 の昂 騰 等 に因 り 生ず る こと あ る べき 輸 出 の減 退等 を防 止
③ 消極的輸 入抑制策 イ 現 行輸 入為替許可制度 は要す れば更 に之を存続し、不急品及
を 講ず る の必要 あ るも のと す 。
し 且 一般 国 民生 活 の混 乱 を 避 く る を緊 要 と なす 之 が為 左 の如 き 方 策
関税管理権を貿易大臣 に賦与 し、関税 法を改 正し国際収支 に
不要 品 の輸 入に付適時適当なる抑制 を行 ふ。 ロ
期 間値 上 は之 を許 可 せ ざ るを 原則 とす 。 味 噌 醤 油 、肉 類 、電 燈 、
鉄 其 他 緊要 な る物 資 の生 産 を急 速 に増 大 し 、 凡 ゆ る方 策 に依 り
一
本 邦 に於 け る砂 糖 消 費税 の減 免 を行 ふ。
ガ ス、水 道 等 の料 金 に就 ても亦 同 じ。 ②
官 吏 一般 に制 服 制 を 採 用 し 、 民間 会 社 、 銀 行 等 を し て之 に做
物 資 供 給 を 豊 富 な ら し め 、其 の流 通 を円 滑 な ら し む。
③
情 勢 之 を要 す れ ば物 価 統 制 を強 化 し 、 一般 物価 水 準 のみ なら ず
国 民 一丸 と なり て始 め て急速 に実 現 せら る るも のとす と雖 要 は現 経
本 計 画 は信 念 あ る強 力 な る 政府 の指 導 下 に官 民 一致労 資 協 力 真 に
四 、産 業 統 制 政 策
は し め、 普 く 一般 服 装 の簡 易 化 を計 る。
二
過 度 の輸 入 制 限 に因 る国 内 市 場 の刺 戟 特 に売惜 、見 越 輸 入 の激
個 別 的 価 格 に就 ても 必要 な る抑 制 を加 ふ。 三 増 及 之 に因 る海 外 市価 の吊 上等 を極 力 回 避 す 特 に計 画 産 業 、輸 出 産 業 及 主 要 生 活 必需 品 産 業 に対 し優 先 輸 入制
済 機構 の最 効 果 的 な る活 用 に在 る を 以 て先 づ現 経 済 機構 竝之 を運 営
を 実 施 し 且 随 時 定 む べ き 基準 価 格 に基 き輸 入 価 格 を 審 査 す
す る有 用 人物 を 国 家 的 に最 も 合理 且能 率 的 に動 員 し 、本 計 画遂 行 の
暴 利 取 締 令 を 強 化 し 一切 の供 給 制 限 及 不 当 利 益 を 取締 り、 違 反
産 業 統 制 局 の現 機 能 を 強 化す 。
産 業 統 制 局 を 左 の如 く 拡 充す
これ が為 め以 上 の方針 に基 き処 置 す べき 当 面 の緊 要 対策 左 の如 し 。
統 制 局 に生 産 、配 給及 消 費 の各 代 表 よ り成 る委 員 会 を設 置 し
一
家管 理 を強 化 す るも のと す。
民営 事 業 の自 主 的 統 制 に依 り 国 家 の目的 を 達 成 す る如 く 必要 な る国
従 つて企 業 の形 態 に於 て も国 有 国 営 形 態 に依 る こと無 く 、 努 め て
先 駆 た ら しむ るも のと す
四
価 格 官 を新 設 し暴 利 取 締 令 、 重 要 産 業統 制法 、 重要 肥 料 業 統 制
者 は厳 罰 す 。 五
石炭 其 他 重 要 国 産 原 材料 及 機 械 類 のカ ルテ ル又 は組合 (工業 組
重 要 商 品 の値 上 には 政 府 の許 可を 必要 と せし む (即 時実 行 )
法 等 に依 る価 格 査 察 を 担 当 せ し む。
六
合 、 商 業 組 合 、 水 産組 合 、産 業 組 合 其 他 ) を 統 制 団 体 と為 し 生産 、
イ
販 売 其 他 配 給 の割 当 及 価 格 の統 制 を行 ふ。
ロ
業 者 を し て在 庫高 、約 定 高 及 生 産 高 を 毎 月管 轄 道 府 県 等 を経 て
軍 需 産 業 に就 ては 左記 事 項 に関 し 政 府 の認 可 を要 せし む 。
計 画 産 業 に就 ては 当該 産 業 別 に単 行 法 を制 定 す 。
産 業 助 成 政 策 を強 化 し、 要 す れば 国 策 事業 に対 し助 成 金 の交
重 要 産 業 は左 の要 領 に依 り之 を統 制 す
法 律 運 用 の適 正 且 円 滑 を 期す 。
七
運 賃 増 嵩 を 防 止 し併 せ て スク ラ ップ 貯 蔵 の為 要 す れば 古 船 大 約 二
主 務 大 臣 に申 告 せし む 。 八
六 五 万ト ンの輸 入 を 図 る。
ロ
付、 損 失 補 償 又 は利 益 保 証 を為 す 。
ハ
イ
鉄 材 其 他 重要 商 品 竝 紙類 の使 用 統 制 を 行 ふ、 特 に鉄 材 に在 り て
家 賃 値 上 に は主 務官 庁 の許 可 を 要 せ し む る も のとし 、 本 計 画
一般 生 活 費 の昂 騰防 止 を行 ふ。
九
①
は建 築 認 可 に依 り 亦紙 類 に在 り て は新 聞 及 雑 誌 等 の紙 数 制 限 に依 る 十
2
1 損益 処 分
生産、販売 、労務其他 一般営業 に関す る重要事項
生産設備 の縮少及廃止
逸 に重 点 を置 き国 策 を 以 て之 が急 遽 輸 入 を行 ふ。
に要 す る 一万 瓲 ﹁ ﹁フ ォシ ング プ レ ス﹂、工作 機 械 等 主 要 設 備 は独
急 機 械 の外専 ら 人造 石 油 製 造 設 備 の製 作 に当 ら しむ 。 之 が為 建 設
人 造 石油 製 造方 法 及 企 業 形 態 に対 し ては 別 に制 限 を 加 ふ る こ
3
と 無 し 、但 し良 質 な る航 空 用 揮 発 油 及 ﹁デ イ ゼ ル﹂ 油 を 製 出 す る
貧鉱処理を奨 励す
原鉱輸入竝貯鉱 を助成し要すれば屑鉄輸 入を抑制す
チ
代 用燃 料 の研究 利 用を 促 進 す 。
広 汎 且深 刻 な る国 営 油 脈 調 査 を 行 ひ 以 て未 発 見油 田 の開 発 に努 む
ト
石
軍 用 人造 石 油 事 業 開 発 の重 点 は 大陸 に之 を置 き 特 に満 洲石 炭
も の に重 点 を指 向す る如 く 之 を 指 導 す 。
ホ
ニ 単価 の抑制 は特 に必要 ある場合 に之 を行 ふ、利潤 は必要 に応 じ国策的見地 に基 き其処置を指導す。 基本産業は左 の要領 に依 り之 を拡充す イ 砂鉄利用を促進す
炭 田 開 発 の重点 は大 陸 に之 を 置 く 。
三
ロ 特殊 精錬法 の普及を助成す
③
価 格 及 び配 給 は 日満 を 通 じ 一元的 に之 を統 制 し 、 特 に満 洲炭
業
の 日本 輸 入 を促 進 す 。
炭
極 力 既存 油 田 の試 掘 を 促 進 せ し む る の外 、帝 国 及 隣 邦 に亘 る
の合 理 的 利 用 に努 め し む。
ハ
イ
ヘ
ニ 特種鋼 の品質 改良及増産を促進す
ロ
鋼 業
ホ 鉄鉱 の輸入及配給 を国策的 に統合す
① 鉄
ヘ 油
日満 に亘り鋼材及銑鉄販売機構を統 一し、其 の合理化を図る
電
劣 悪企 業 は之 を 統 合 整 理 し 以 て斯業 の合 理 化 を図 る。
② 石
ト
④
ハ
イ
力
イ
開 発資 源 の徹 底的 開 発 利 用 を 図 る。 之 が為 特 殊 法 人 日本 電 力 設 備
所 管 を商 工省 と し産 業 関 発 に重 点 を置 か しむ 。 特 に全 般 低 料
配 電 に付 て も価 格 、 設 備 其 他 に付 必要 な る統 制 を行 ふ。
発 送 電 は 民有 国 営 と し 二重 設備 の廃 止 其 他 設 備 の合 理 化 及未
ロ
人造石油及油 田 の開発 に断乎た る国 の助成策を遂行し以 て液
体燃料自給策 に邁進す。 融を潤沢ならしむると共 に、必要な る人造石油事業 をも実施せし
株 式 会 社 を 設 立 し て之 が管 理 経 営 に当 ら し む 。 ロ
特殊 法人帝国燃料興業株式会社を設立し石油事業 に対す る金
む。
ハ
国内機械製作能力 (官営を含む)を統制利用し、人造石油製
ハ
金 制 を 実 施 し 、 尚特 殊 指 定 産 業 に対 す る特 定 低 料 金 制 を 行 ひ重要
国 防 産 業 の急速 振 興 を図 る。
造設備 の急速整備 を図 る。但し開発初 期 の設備 は概 ね年産 一〇〇 前項 の為速 に特殊法人国策機械製 作会 社を設立し高精度及緊
万瓲を標準とし国 策を以て独逸設備 の輸 入を行 ふ。 ニ
イ
⑤
ニ
豊 富 且 低廉 な る電 力 供 給 を 実 施 せ し め、 極 力 生 産 費 の引 下 を
ア ルミ ニウ ム及 マグ ネ シウ ム。
水 力開 発 に重 点 を 置 き 、 水主 火従 主 義 を 維 持 す 。
極 力 大 陸 資 源 の利 用 に努 め しむ 。
国 策 を 以 て積 極的 に用 途 を 開 拓 し 一般需 用 を拡 大 す 。
行 ふ。 ロ
昭 和 十 一年
二三二
昭和十 六年
九五
増加 人員
一、 七 %
増加率
(単 位 千 人 )
分
一三 七
区 者
一、 九 %
術
技
六六五
一、 三 %
一、 三 三 九
一、 九 三 七
六七 四
八 、〇 二 七
工
六、 〇 九 〇
熟 練
一般労働者
公 益 規 定 を強 化 し 就 中 其 の運 用 を 迅速 且適 正な ら し む
新 設 及拡 張 統 制条 項 を 活 用 し、 新 規 投 資 の誘導 を図 る
る るも の九、 七 八 〇 人 を 推 算 し得 るを 以 て、 特 に之 が養 成 補 充 を 必
術 者 に在 り て は更 に下 級技 術者 よ り の格 上 及 其 他学 部 よ り供 給 せ ら
練 工 五 五 九千 人 、 一般 労働 者 六、 九七 五千 人 を 見込 み得 る の外 、技
右 の内 、 自 然 増 に依 り供 給 せら る る分 と し て技 術 者 七八 千 人 、熟
2
要 と す る数 は技 術 者 六、 七 〇 〇 人熟 練 工 九 六、 〇 〇 〇 人、 一般 労 働
産 業 指 定制 度 を廃 止 し 、 一般 カ ルテ ル法 と す
重要 産 業 統 制 法 を 左 の如 く改 正す
3
処 罰 規 定 を厳 重 にし 、 体 刑 制度 を採 用 し、 場 合 に依 り営 業 権
1
ハ 四
4
者 一、〇 五 二、 〇 〇 〇 人 と 推 定 す 之 が為 政 府 が採 るべ き 対策 左 の如
日満 両 国 に亘 り本 計 画 の実 行 を 内 面的 に指 導 統 制 す る為 中 央 に
剥 奪 の制 を 設 く 。 五
技 術 者 対策
官 公 私 立 大 学 工 学部 及 工業 専 門 学 校卒 業 生 の増 加 、 私 立 大 学 工学
部 新 設 、 工 業専 門 学校 及 甲 種 工業 学校 の昇 格 、 官 公 私 立 大 学 に専 門
一
し
特 に満 洲 に在 り て は製 鉄 、 石炭 及 石 油業 を軍 需 工業 に指 定 し 、
之 が綜 合 的 指 導 統 制 機 関 を 設置 す 六
一般 助成 の外 、 軍 事 的 助 成 に依 り之 が急 速 な る開発 を行 ひ得 る如 く
府 県 及 大 工場 に熟練 工養 成 所 を新 設 拡 張 せ し む。
熟 練 工対 策
部 附 設等 の方 策 を講 ず 。
す 以 上 の外 重 要 な る産業 に関 し研 究 の統 一、 助成 及 発 明 奨 励 の処
七
二
一般 労 働 者 対 策
主 とし て農 業 及 商業 人 口よ り 吸引 す る こと と し、 吸 引 を 円 滑 な ら
四
所要経費
し む る為 職 業 紹 介 機 能 を 強 化 し 又 工業 の地 方 分 散 に努 む。
三
置 を講 じ 且所 要 の資 源 に関 し 調 査 開発 を促 進 す 五 、技 術 者 及労 働 者 対 策 本 計 画 の遂 行 及 之 に伴 ふ 一般 産 業 の生 産 力 増 大 並 交 通量 の増 加 に 因 り 昭和 十 六年 頃 に於 け る工 、 鉱 業 及交 通業 等 に於 け る技 術 者 、 熟 練 工及 一般 労働 者 の需 要 は左 の如 く増 加 す るも のと推 定 せ ら る。
技 術 者 及 熟 練 工 の養 成 に要 す る経費 (設備 費 及 五年 間 経 常 費 共 )
易会社をし て之 に当 らしめ対外註文 の統制、海外受註能力 の調査及
総 額 八千 七 百 六 十 万 円 、 内政 府 支 出 金 五千 八 百 三 十 万 円と 推 定 す
輸 入価格 の抑制 及輸出資金 の融通等を行はしむ。 生産能力 の増進を図る。
規劃 の統 一、国内発注 の合理化及製作品種 の統制等 に依り速 に
三
我 が現 下 の生 産 力 よ り し て本 計画 に必 要 な る 一切 の機 械 を迅 速 に
六 、機 械 工業 対 策
四
分 二、 九 〇 〇
所 要 総 額
二五〇
九 五〇
要 輸 入 額
摘 要
下請 業者 の統制 に努 め其 の素質 及能力 を向上 せしむ。
自 給 す る は全 く 不 可能 の事 に属 し少 く と も速 急 に当 面 必要 のも のは
一般機械 五〇〇
凡 て推 定とす
満鮮主要幹線 の直線化を促進 し、其 の輸送能力 の引上を行 ふ。
貨主客従主義を採 用し万難 を排し て貨 物輸 送 の円滑を期す。
道 イ
重要産業建設財其 の他重要商品 に対す る特 定低運賃制度を採
鉄 ロ
運
所要 に応 じ満鮮重要産業 地帯 に於け る新線建 設及改良を行 ふ。
優秀船 の建造増加は 一層 之を促進 せしむ。
船輸 入をも行 ふ。(前掲 )
自国船自国貨物船主義 を確立す。之 が為、止むを得 ざれば古
海
石炭、鋼材、鉄鉱及石油 の為特殊輸送船を整備せしむ。
イ
二
ニ
用し、特 に満鮮 に在りては貨物運賃遠距離逓減制 を実施す。
ハ
一
其 の主な る事項左 の如 し。
振興を図 る。
別 に民間航空 に対し、断乎 たる保護助長策を講 じ以て其 の劃期的
ものとす。
輸送 の整理等 に依り、本計画遂行 に伴 ふ貨物輸送量 の増加 に備ふる
政府 は鉄道、港湾 及道路 の整備、各種 運賃 の全面的合理 化及不急
七、交 通 対 策
区
工作機械
一、 〇 五 〇
に概 ね左 の如 し 。
輸 入 に依 り て之 を 充足 せ ざ る可 か ら ざ るも のあ り今 其 額 を推 計 す る
本計画 に 要 す るも の 一〇 、 五 〇 〇
(単 位 百 万 円 )
其 他 の 一般産業 に要 す る機械類
二 、 二 五〇
計
一三、 九 〇 〇
合
而 して五ケ年 間 の国 産機械輸 出を十七億円と見込むも尚、多大 の 入超 に終 る右 の如きは 一国重工業 の建設期 に於 ては不可避 の事象 に し て速 に彼 の設備 と技術を採 つて我 の欠 を補 ひ、以 て敏速 に独立自 給 の途を確保 し以て世界市場 に進出す る の日を近き に期す べきなり
ロ
之 が為採 るべき方策左 の如し。 一
ハ
重要産業地帯 に於ける港湾整備 を行 ふ。
特殊法 人国策機械製作会社を設立し需要寡少 の機械、高 級精密
工作機械、石炭液化用機械等、技術的竝経済的 に現存企業 にとり困
ニ
国策を以 て技 術及 設備 の迅速な る輸入を行 ふ、主 として国策貿
難 なるも のの製作を管掌せしむ。 二
三
7
6
5
航 空 機 製 作 設 備 の維 持 保 証 等
航 空 保 険 制度 の創 設
各 種 空 中 作業 (写真 撮 影 、 測 量 等 ) の奨 励
飛 行 機 に依 る漁 群 探 見 等奨 励
官 民挙 つて国 産自 動車 採 用主 義 を 実 行 す。 但 し、 本 計 画 期 間
イ
8
陸 上 運 輸
止 む を得 ざ る限 度 に於 け る低 価 な る ﹁フ ォード ﹂﹁シボ レー﹂は例
優 秀 国 産 車 を 以 てす る大 型 貨 物 自 動 車 の普 及 を促 進 し、 鉄 道
八、 国 民 生 活 の安 定保 証 政策
外 とす 。
2
1
ハ
デ ィゼ ル自 動 車 の普 及 奨 励
営 業 用 自 動 車 の規 格 統 一、 程度 不良 車 の使 用 抑制
自 動 車 運 輸 に便 な る道 路 の整 備
其 の他 左 の措 置 を講 ず 。
す に至 る べく 、 此 の生産 増 加 に依 り 我 が国 民所 得 は 昭和 十 六年 頃 に
り 即本 計 画 の遂 行 に依 り発 展 途 上 に在 る各 種 産業 は、 一大 躍 進 を 成
は否 み難 し本 計 画 の目 標 とす る所 は、 固 よ り 綜合 的 国力 の整 備 に在
遠 から ざ る為 、 国富 及国 民所 得 の如 き 列強 に 比 し著 しき 劣 位 にあ る
近年 我 国 の産 業 発達 の跡 見 る べ き も のあ り と雖 尚其 の淵 由 す る処
5
は 現在 の二 百億 より 、 三百 億 以 上 に上 昇 す るも のと推 定 せ ら る。 而
し て こ の際 、 特 に留 意 す べ き は此 の増 大 す べ き国 富 国 民 所 得 の国 民
自 動 車 に 対す る各 種 税 の減 免
各 階層 への配 分 が妥 当 均衡 な る べき こと 之 な り 、 蓋是 、 国 民生 活 安
空
小 商 工業 の救 済 等 に就 き 左 の諸 方 策 を講 ず るも のとす
速 に中 央 航 空技 術 研究 所 を設 立 し、 航 空技 術 の劃 期 的 発 達 を
一
イ
航
4
輪 送 の不足 を補 ふ。
ロ
四
定 期航 空 運 賃 を合 理 化 し 、極 力 民間 利 用 率 を 拡 大 す。
定 の基 調 な れば な り之 が為 農 村 の振 興 、都 市 勤労 者 の生 活 向 上 、 中
鉄 道 と航 空 と の 一体 化 を 促進 し、 鉄 道 に依 り 航空 輸 送 の発 達
促 進 せ し む。 ロ
農 村 の振 興 。 本 計 画 の実行 に当 り動 も す れ ば 生ず る ことあ るべ
ハ
き都 市偏 重 の弊 を 矯 め 、 工 業 の地方 分 散 等 に依 り農 村 経 済 の振 興 に
努 む る と 共 に、 農 民 負 担 を軽 減 し 、 そ の生 活 を 向 上 せ し む るも のと
其 の他 左 の如 き発 達 助 成 策 を 行 ふ 。
保 護 助成 を更 に拡 大 し 以 て大 陸 及 海 洋 方 面 に対す る国 際 定 期
を 図 る。 ニ
大 会 社 、 大 工場 等 に於 け る飛 行 機 保有 義 務 の設定
戸 数 割 の全 廃
公 租負 担 の軽 減
す
1
ホ
特 殊 機 体 又 は 発動 機 の研 究 、 試 作 奨 励
特 別 地 税 及附 加 税 の半 減
内
訳
七
〃
一四 〇 百 万円
航 空 空 路 を 開 拓す 。
2
民 間 の国 産 機 買 入補 助
総 額 二億 一千 六百 万円
3
国 産 機 の輸 出奨 励補 助
①
4
雑種税及附加税 の半減
五〇 〃
〃
② 工場法 を改 正し特 に過激労働 の緩和、傷病者 の保護等 を行 ふ
持 に努む
③ 各種 勤労保険 の拡大 を図 る
一九
④ 其他 一般勤労者 の福利施設を増進 せしむ
中小商工業者 の保護
我国産業 機構 に於 て、中 小商工業 の占むる位置極め て重要 なるに
三
町村役場費中政府事務 に属す るも のの移譲 中 小農 の消費的負債 にして農業生産 に障碍 たるべき高利債竝無
② 農民負債 の整理 担保負債 より約十五億円を整理す。政府 は年額 一千 万円を限り負
町村をし て保健組合を設立せし め、全町村 民を強制加 入せしむ
③ 大企業 の圧迫排除
② 中小商工業金融機関 の整備
① 中小商 工業者 の債務整理
鑑 み、之が更生と救済 の為左 の処置を講ず
医療費年額約 一七、五〇〇万円 (一戸当平均二五円と して七百万
③ 保健組合制度 の設立
債管理組合 の損失補償を為す ものとす
戸) の財源 は、住民 の保健掛金、政府補助金 、及び治療者 の自辨
④ 経営 の合理 化及機構 の組織化
本計画 の成否如何 は 一に懸 つて帝国政府 の 一貫 せる不動 の国策的
九、財 政 政 策
数 カ村単位 にて保険組合 を組織 せしめ主要農作物 の収穫保険を
対し凡ゆ る政策手段 を以 つて之を支援す るを要す べく、特 に政府 の
指導 に在 ること言を俟たず。政府 は国力増 強 の見 地より各種産業 に
④ 自然的農業災害 の補償 制度 の新設
等各 三等分 に之を負担す
行 ひ、国営保険 にて再保 険す。再保険 に依り政府 の支辨す べき保
十
五
十
六
計
(単位百万円)
す るに概ね左 の如し (内訳見込 の概要は附表其 四参照)
今本計画遂行 の為 政府 の財政的助成を要 すと認 めら るる額を推 定
財政的助成手段は最も肝要 なり
険金 は約 六、〇〇〇万円と推 定す 二 都市勤労者 の生活向上 ① 産業拡充 に伴 ふ労働強 化、物価高 に伴ふ生活水準 の低下等 に 対し極力之 が緩和 の途 を図 り、国民労働力 の培養と産業平和 の維
四
一、 〇 〇 四
十
二八九
二七二
三
二七 八
四九
十
二六 一
五五
二
一四 六
五九
十
三〇
八二
項
本 計画産業に対す る建設助成費
二七
事
本計画遂行 の為 の附帯 助 成 費
合
計
五七 三二八
而 し て国 力 の充 実国 防 の充 備 を目 的 と す る帝 国 の将 来 歳 出 (本 計 画 の遂 行 を目 的 と す る将 来 の歳 出額 ) を予 想 す る に概 ね 左表 の如 く
三
三二〇
四
十
三三三
五
十
三三八
六
十二一榊口
一、 二 七 六
前 記助 成 金 は本 歳 出 額 中 に包 含 せ し めら る るも のと す
十
一八 、八 四 三
十
四、 三〇 〇
四、 二 六 三
二
四 、 二〇 〇
一、 三 五 五
十
三、 九〇 〇
一、 三 五 五
分 三、 五 七 一
九 五五
区 二、九四五
六二六
( 推 定)
歳 出 予算 総 額 七二
十
四
十
五
十
六
合
計
(単 位 百 万円 )
一、右 に 対す る歳 入 予算 は 左 の方 法 に依 り て之 を支 辨 す
之 が為 の対策 左 の如 し
イ
三
イ は本 計 画 の遂 行 に伴 ふ 十 二年 度 第 二次 追 加 予算 と し て の所
昭和十 二年 度 に対す る増 加 額 註 要 額 と し 二 、九 四 五百 万 円 中 に包 含 し あ り。
十
一、 六 〇 〇
二
一、 六 〇 〇
一、 二
三六八
十
一、 六〇 〇
一、 〇 七 三
九九
六 、 一七 七
分
一、 六 〇 〇
九〇三
八六
一、 三 九 〇
一八 、 九 一六
区
一、 六 〇 〇
七八 四
七三
一、 四 四 一
四、 三〇 〇
八 、〇 〇 〇
四〇〇
六〇
一、 三 二 四
四、 二〇 〇
四、 二 六 三
入
自 然 増 収 及 増 新 税
五〇
一、 一三 七
三 、 九〇 〇
一、 三 五 五
収
特 別 会 計 よ り 繰 入 増
八九五
三、 五七 一
一、 二 五 五
準
債
二、 九 四 五
九五五
基
公
計
六三六
四、三七 一
合
イ ( 七 二)
②
な ら し む るも のに之 を置 き、 不 急 不要 経費 の徹 底 的 整 理 を行 ふ
一 一
昭和 十二年 度 に対 す る増 加額
二、 政 府 は 右財 政 政 策 を 遂 行 す る為 、 金 融 、消 費 、 其 他 国 民生 活
③
一層 軍 事 費 の生 産 部 門 への拡 充 を 図 る
根 本 的 合 理 化 を 行 ひ 、経 常 収 入 の増 加 を 図 る
生 産力 の向 上、 国 民 所 得 の増 加 と 相侯 ち て、 租税 体 系 其 他 の
の全 部 門 に亘 り財 政 を良 好 なら し む べ き 凡 ゆ る綜 合 的 方 策 を行 ふ
予算 統 制 を強 化 し 、歳 出 の重 点 は本 計 画 の遂 行 を助 成 且 可 能
の外 特 に 左 の措 置 を 講ず る を必 要 と す ①
④ 重工業利潤 の農山漁村 方面 への均霑化を促進 す ⑤ 金融政策と相俟 つて公債 政策 を確立す ⑥ 官 公吏事務能率 の向上を目的とする行財政整理を行ふ 十、行政機構 の改革 本計画 の遂行 に方 つては強力な る行政機構 を確立し 一貫 せる不動 の国策とし て之を堅持す べきも のとす之が為国務院を設け国務 大臣 と各省長官を分離す る等現行内閣制度 の根本的改革 を始め行政機構 全般 の再検討を要す ること必然 なるも之が急速 なる実現困難な るに 行 に支障無からしむ ること必要なり
因 り差当 り少くも左 の応急処置 を講じ以 て本計画遂行 の為 の国策運
二
民間航空 の劃期的発展 の為 の航空省新設
貿易 の調整 及管理 の為 の貿易省新設
一 本 計画進行 の中枢的指導 統制機 関とし ての総務庁 の設置 三
国民体位 の向上と労働力培養 の為 の保 健省新 設
五 民間 の人材を抜 擢登用し て清 新なる産業経綸を行はしむる為 の
四 官吏任 用令 の改正
六 特殊法人 の人事 に関しては特 に従来 の弊に鑑 み原則とし て官吏 を登用せざるものとす
附表其 一
計 画産業 の生産力拡大率表 主なる計画産業 に就き昭和 十六年 に於け る生産力を昭和 十 一年現在能力 と比較す るに概ね左 の如し
(A ) ノ (B ) ニ対 ス ル倍 加 率
満
計
日
満
力
二 、 四
能
二 、七
三、五
八、 九
日
在
-
三、 八
二、〇
一五 、 六
現
三七
︱
二、 七
一五 、 五
計
(B)
三七
一三
四五
一五 、 六
満
標
一〇
一三
四四〇
一五 、 四
目
九〇 五
四八五
二 一
日
千台 一〇〇 四五 四〇〇
三六、四
産
一般 自 動 車 千台 五〇 九〇〇
二四〇
生
工 作 機 械 万瓲 一、 三 〇 〇
三二五
計
(A )
材 万竏 五六五
別
鋼 油
種
石
-
二、 八
三、三
一、 七
四、八
一二 、 ○
二、 ○
一八 、 ○
一、 七
一、 三 五 六 二 一
1
一、 七
一、 七
四、二〇〇 二 一
○、五
四六
一、 九
五、五五六
三〇
〇、五
六七五
ー
三 、 八〇 〇
七〇
三
七二 一
五〇
七 、 二 〇〇
千瓲 一〇〇
六
一四 〇
五〇
万瓲 一 一、 〇 〇 〇
ア ルミ ニウ ム
千瓲 九
一、 一 一七
七
炭
マグ ネ シ ウ ム
万K W 一、 二 五 七
八六
石
力
万噸 九三
三、 〇
電 船
一、 一般 機 械 の拡 大率 は概 ね 一、 八 倍 と す
考
造
備
は 概 ね 一〇 倍 弱 と す
二 、 石油 は揮 発油 及 重油 の国 産 原 料 の み に依 る生産 拡 大 率 を 示 す 、 輸 入 原油 に依 る生 産 能 力 (十 一年 ) を 基 準 とす る とき は其 の倍 率
の
推
計
表 (単位 百万 円)
産 業組 銀 行 郵便貯 金及郵 信 託 合系統 機関貯 預 金 便振替 預 金 金及預 貯 金 り金 3655
28
2200
145
1044
3699
2744
1466
2577
2244
294
177
2933
3188
151
115
一3433
296 6
一5422
265
3699
85
5988
109
169
217
7077
157
183
93
9344
160
164
×9393
4
46
5
預金部 に於 け る特殊 預 金
計 A
銀行保険信託無 尽産 組政府地方 産業会 社所有 公共団体所有 有価証 有 価 券預け 預 け金 証 券 金現金
国 民 計
貯 蓄 B (A-B)B)
一57 7
2,0299
一64 64
3822
1155
4333
1,596
1
91
2,6522
16
9900
1255
1,1311
1,521
6
12
2,9288
一26464
1,3599
1722
1,2677
1,661
30
一70 0
2,5288
94
5044
1299
7277
1,801
7
一151
756
一12222
2911
11
180
5766
一35 5
16
一56 6
6455
一307 7
4033
14
110
535
54
一17 7
72
2,297
110
1,091
1,2066
1,091
95
3,890
3133
1,7155
1133
2,141
1,749
一22 2
82
4,9666
48
1,5422
2788
1,868
3,098
一39 9
※104 4
※4,500 0
※112 2
※1,238 8
一7
7
一2
一7
2
個人及 産業会 社所有 現 金
120
5
309 9
※1,659 9
×印 は不 明 に付 前 年分 を仮使 用 せ る もの ※ 印 は上 記 に よ る数 字 を含 む
※2,841 1
附表其二 国
積 増
減
昭和 1
立 社
中 会
年
金
産業組 会社払 合払込 産 業 出 資 込資本 社 組 合
98
14
5
内
債
国
民
貯
保険準備金
蓄
無 尽 保 険 官 営 基 金 国 債 地方債 産業債 会 社 保 険
21
578
2055
158
26
18
5399
4277
242
101
2
13
137
92
114
147
一1
1
2
61
3
129
14
18
4622
4666
420
169
2
1366
137
4
92
11
17
659
238
239
137
6
151
131
5
一42 42
10
12
2999
295
66
48
1133
138
8
6
一78 78
7
6
2733
136
2044
145
123
127
8
7
84
5
5
2644
147
7466
1455
142
172
1
8
316
6
4
6322
一16464
1,1099
2622
5
157
240
13
9
438
8
7
1,3300
96
1,0411
3599
0
217
232
18
10
×438 38
77
9999
1511
8788
1144
2
241
×2322
14
×
88
×
17
18
5
10
行
機
別
単
充
量
建
設
所
要
(単
位
百
資
金
万
円)
七三
拡
七
規
三〇 二
四〇
新
一四 六
満
三七五
五八五
日
一五 三
計
六二五
満
一
日
八、〇〇〇
計
一〇
三〇
位
附表其三 日満重要産業拡充計画所要資金概算表
種
飛
= 、七〇〇〇
四九七
= 一二五 、 〇 〇 〇
一〇 七
台
五〇四
円
=二七
聴
〃
万
三、 ○ ○ ○
九八
一、 〇 〇 一
万
三五五
械
万
機
一〇 、 七 〇 〇
三六五
三八
般
三六〇
一〇 〇
一 般 自 動 車
= 二、 七 〇 〇
四七四
九七
一
七 一五
七三〇
一〇 〇
械
八三九
四七七
1
機
〃
一、 二 〇 七
一五 一
六二 一 一C 七
五八
九八
〃
一五 一
一四 九
〃
作 鋼 銑
鉱 田
液
液 頁
ニ
ウ
炭
噸
四三
三六
七
一二 九
一〇 八
一二
七六九
万
ム
船
七二八
六二
ル ミ
五九八
七
一、 三 二五
一六五
七九
二六七
八六 二三五 四〇〇
四
七
頁
〃
二三九
一四 一
二 、 二 一〇
石
二五
二、四四四
一四
= 三四 一
二
二、四七七
七五
二九
三 、 四 〇〇
二
八六 〃
五八○
四
九四
計
ア ル コー ル
五、八四四
三
二九三
〃
六
四四二
七三九 〃
五
四七六 万 聴
五三六
七 七三
千 堪
一、 五 = 一
万KW 造
電
石 ア
力
マグ ネ シ ウ ム
人
油
工 製 鉄 石 油
車
輌 車
機関車 貨
台
〃
瓲
達
〃
万
曹
プ
ル
料
パ
金 他
万 円 瓲
染
採 其
八八
(
六 九 一)
二四
三三
一九
二八
三三
二八 四
(七 、 六 二 〇 )
-
一八
三、〇〇〇
二
一九
八 一
五
二
二二
九八
一六 〇
五
四八 一
二、四四四
二三
六四 一
六、〇九二
二八
八、五三六
四二
計
一四 四
総
一八 六
金
六、九六六 一七
資
一四 、 一七 五 四〇
要
二 一、 一四 一 五七
所
備考 本表 は本計画遂行 に要す る建設資金総額を推 定す る為別途研究せしめたるものなり従 つて基礎数量 に於 て要望 別表及附表其 一と 若干符合 せざ るも のあるも資金算定 の基礎を示すも のとして参考 の為 姑く之 を収録 せり
目
十
二
五
十
六
三、五七四
(単 位 千 円 )
三 、五 七 四
計
一七 六 、 二五 六
十
四六 、 七 一八
八 、〇 六 〇
1
四
四 二 、 一五 三
ー
三、 五 五 二
十
三二、七九八
二 、 六〇 〇
七 一五
三
三 一、 三 八 八
三 、 一〇 〇
七 一五
十
本計画産業 に対す る日本政府 直接及間接助成経費予想額
附表其 四の 一
費 航空機製 作会 社工場 設 備 維 持 保 証 二 三 、 一九 九
二、 一〇 〇
七 一五
に指 向 せ ら る る額
二六○
七 一五
軍事航 空費より飛行機 工場建設資金 鉄 鉱 自 給 政 策 に伴 ふ 設 備 補 助 六九 二
(推 定 )
金( 既定)
七 、五 八 ○
励
八六四
奨
ー
八六四
堀
ー
一、 八 八 八
試
七 一〇
二、 四 四 〇
石 油 北樺太石油 資 源 開 発 助 成 金( 同右 ) 七 一〇
二 、 一七 二
六、○○○
五、○○○
六、○○○
四六、八六五
五、○○○
六、○○○
一 一五 、 〇 九 三
二五 、 ○ ○ ○
二 四、 ○ ○ ○
一、 四 二 〇
海 軍 予 備 油 田 試 堀 費( 同右)
六、○○○
三 四、 三三 七
金
五、○○○
助
二四、七七二
補
九、○○○
堀
七、三二七
試
一、○ ○ ○
田
帝国燃料株 式会社 政府 出 資
一、 七 九 二
油
助 金
六四〇
一五〇 、 ○ ○ ○
五 、○ ○ ○
一、 二 八○
一五 〇 、 ○ ○ ○
五、○○○
八七六
九、六八七
二五九、二六八
一五 〇 、○ ○ ○
一八 ○
一 一九 、六 八 七
八○、○○○
三九 、 六 八 七
八 八 三、 五 一 一
五 〇 一、 ○ ○ ○
二、 九 七 六
石 油 助 成 補
国 策 造 船 会 社 設 備 保 証 金
五、○○○
二 四七 、 五 四 五
二 〇 、○ ○ ○
人 造
国 策 機 械 会 社 政 府 出 資 額
五 一、 ○ ○ ○
一〇 、 ○ ○ ○
二九、六八七
小
満鉄 に対す る鉱工 業 部 門 政 府 払 込
小
計
満洲 に於け る其他に対する政府出資 右
一五 、 ○ ○ ○
他
二 三〇 、 五 五 三
二〇、○○○
の
一〇 、○ ○ ○
三〇、○○○
共
一 一六 、 三 二 〇
二〇 、 ○ ○ ○
一、 ○ ○ 三 、 一九 八
二 九 、 八 二五
一〇 、 ○ ○ ○
三〇 、○ ○○
二八八、九五五
計
二 〇 、 ○○ ○
二七七、五四五
右
三〇、○○○
二六 〇 、 五 五 三
二九、八二五
本表 は所要資金 の基礎を得るため の 一応 の算定とす
計
ー
一四 六 、 三 二〇
合
備考
目
十
五
十
六
(単 位 千 円 )
計
一五 、〇 〇 〇
五五、七二七
四
三 、〇 〇 〇
一四 、 四〇 三
十
三 、〇 〇 〇
一四 、 一五 八
三
三、〇〇〇
一四 、 一六 八
一、五 〇 〇
十
三 、〇 〇 〇
一二、 九 九 八
五 八 、三 二三
二 ー
三〇〇
十
附表其 四の二 本計画遂行 の為 の附帯事業 に対する日本政府助成額予想 費
三、〇〇〇
五、九五〇
長
三〇〇
助
五 、九 五 〇
励
三〇〇
奨
五 、〇 〇 〇
一五 、 一五 五
空
三〇〇
六 、 二 一七
航
五、〇〇〇
一三 、 八 五〇
七〇〇
間
日 本 興 業 銀 行 政 府 出 資
三〇〇
一、 二 〇 〇
一五 一、七 六 七
民
国 策 貿 易 会 社 政 府 出 資
一七 、 四 一八
一六 五
二四 、 三 五 三
右
移
民
国
策 計
費
一五 、 〇 〇 〇
農 産 物 海 外 市 場 開 拓 費
二 、 一四 八
二 九 、 六〇 八
一六 、〇 〇 〇
一〇 四 、 一〇 五
洲
満鉄 の其他産業投資に 伴 ふ政府出資 満 小
五 、〇 〇 〇
技 術 者 及 熟 練 工 養 成 費
一、〇 〇 四
三三、七八八
五〇〇
二四 、 一〇 五
一二 〇 、 一〇 五
右
一、
鉄 資 源 開 発 奨 励
三 七 、 二九 六
五〇〇
二五、〇〇〇
二四 、 六 〇 五
二 七 一、八 七 二
特 殊
二六 、 七 二二
二 五 、〇 〇 〇
二五、五〇〇
四八 、 九 五 八
計
三〇、〇〇〇
二 五 、〇 〇 〇
五 五 、 一〇 八
小
四五、〇〇〇
五 八 、 七 八八
一五 、 〇 〇 〇 ー
八 二、 二 九 六
計
二 、本 表 は所 要 資 金 の基 礎 を得 るた め の 一応 の算 定 と す
一、 本 表 の額 は金 融 対 策 の本 文 政 府出 資 額 に は算 入 せず
ー
二六、七二二
合 備考
凡
二八
例
二、 本 要 綱 の具 現 に伴 ひ派 生 す べ き資 金 、原 料 、 材 科 、 燃 科 、機 械 、
第 二 、綱
第 一、方
目
領
針
次
る に留意 す
陸軍省)
右 基礎 以 外 に施 策 す べ き も のに在 り て は特 に記述 上 混淆 せし め ざ
礎 上 に 一応 の立 脚 を求 む
四 、本 要 綱 は実 行 の歩 武 を統 制 す る の観 点 に於 て既 定 軍 事 予 算 の基
(昭 和 一二 、 六 、 二 三
軍需 品 製造 工業 五 年計 画 要綱
一、本 要 綱 は 重 要産 業 五年 計 画 要 綱 と相 竝 び て戦 備 充 実 の二大 眼目 を為 す も の にし て主 要軍 用 資 材 戦 時 補 給 の十 全 を期 す る為軍 需 品 製 造 工業 の拡 充 、培 養 、統 制 等 に関 し 主 と し て軍 政 的 処 理 の範 囲 に於
労 力 、 技 術 、 動力 、 運 輸 等 諸 般 の事項 に関 し て は前 掲 重 要産 業 五年
て陸 軍 の施 策 を 帰 一す る を目 的 とし て之 を策 案 す
計 画 要 綱 中 に之 を 併 合 す
其 一、大 陸 に於 け る建 設
等三、拡 充 要 領
第五、統 制 要 領
第四、培 養 要 領
其 二 、内 地 に於 け る拡 充
右 の外 航 空 機 工業 及自 動 車 工業 に関 し ては国 策 的 処 理 を 要 す る も
械 工業 等 亦 然 り と す
第 六、官 営 機 関指 道 要 領
の多 き に鑑 み綜 合国 策 の範 疇 に之 を 編 入 す、 但 し陸 軍 の施策 を規 律
三、 本 要 綱 に於 て軍 需 品 製 造 工業 と 称 す るは軍 用 資 材 た る成 品 及部
第 七 、技 術 研究 及 制 式 規 格 統 制 要領
其 三 、拡 充 目 途 及 日満 配 分
品 を製 造 又 は修 理す る 工業 を謂 ふも 緊 要 な る素 材 工業 にも 及 ぶ も の
す る為 彼 此 関 連事 項 中 特 に必 要 な るも のは本 要 綱 中 にも 之 を掲 ぐ機
と し尚 戦 時 に至 り如 上 の 工業 に転 換 せ し む べ き 工業 に対 す る施 策 に
別
紙
付 ても 必 要 な る も のは特 に之 を 明 にす
二、拡充目途算 定 一般要領
一、平戦時生産 転換標 準表
二、拡充 の重点 は戦力構成 の主 要素 たる飛行機、武器弾薬、戦車及
躍的 に之 を指導 す
特 に飛行機 工業 の拡充 に関しては最大 の努力を傾注し、 急速且飛
軍用自動車等 の生産及之 に直接関聯あるものに之を置く
四、武器 工業拡充目途算定基準表
三、飛行機工業拡充目途算定墓準表 五、弾体及信管製 造工業拡充目途算 定基準表
之が為飛行 機及自動車以外 の純軍需品製造 工業 に関し ては差当 り
三、拡充 の目途 は戦時補給所要量 の充足 に基準を置き之を設定す
軍備充実 に伴 ふ資材整備を尺度として軍政的処理 に依り拡 充を指導
六、戦車 工業拡充目途算定基準 表 七、満洲 に於ける主要軍需品戦時月製 目途数量標準表
一、日満両領域 に亘り軍需品製造 工業及戦時 に際 し之 に転換し得 べ
を保持し帝国経済 の運営 を合 理的 に開展 せしむ
重点を置 き軍政的処理を統合帰 一す ると共に綜合国策と緊密 に連繋
之 が為概ね昭和十六年度末 を劃し左記目的 を貫徹す ること に特 に
但し当該 工業 の戦時能力 の相当部分を以て飛行機 の戦時生産に協 力
策 を通 じて戦時所要数 の徴発及補給 に支障なからしむ る如く指導す、
るも のに在り ては前 記第 二項 に依 るも 一般自動車 に在り ては綜合 国
す。自動車工業 に関し ては戦車及軍用特殊自動車等純軍需品 に属す
合国策 に依る航 空国策 との擡頭 に即応し得 る如 く積極的拡充を指導
と雖も機を逸 せず無敵航空兵力建設を目標 とす る 一大充備計画と綜
飛行機 工業 に関 しては当初既定 の軍備充実 に順応す るを主眼とす
軍政的 に必要 なる措置 を講ず
に転換 し得 べき諸 工業 の振興を促進す ると共 に戦時転換準 備 のため
し其 の戦時需要充足 上の不足 に付ては綜合国策を通じ戦 時 に際 し之
針
八、日満軍需品製 造工業拡充分野標準表 第 一、方
時局 に即応し軍備充実 に随伴すべき国防 力 の根基確立 の為速に軍
き重要 工業 に付生産能 力 の飛躍的増強特 に此等諸 工業 の満鮮大陸 へ
せしめ得 る如く軍政的 に必要 なる措置を講ず
需品製造 工業 の劃期的拡 充を図 り且之 に国防 上必要 の統制 を加 ふ
の推進
四、拡充 の地域は日満両領域とし概 ね左記に依 り之 が分野を定む
武器弾薬、戦車及軍用自動 車等 の現地生産を起 し之をして逐次戦
① 大陸特 に満洲 に於 ては原料材料資源 開発 に聯繋し特 に飛行機
二、日、満、北支 に亙 る原料、材料、燃料自給方策 の樹立 の促進 三、平戦時転移 を顧慮する軍需品製造 工業統制 の促進 領
② 内 地に於け る拡充は前号 と関聯相応 せしむるも特 に軍備充実
時 の大量生産 に支障なきに至 らしむ
第 二、綱
一、国防 重要産業 の拡充と相呼応 し軍需品製造工業 ( 部品 工業竝 に
に伴 ふ急需充足 に応ぜしむる如く之を指導す、但 し其 の拡充 の度
素材工業 を含む)及戦時 に際 し之に転換 し得 べき諸工業 の拡充を策 し且之が培養 に努め併 せて所要 の統制 を強化す
観点に於 て特 に南満 及北鮮 に重点 を置 き差当り概ね左記 地帯 に之が
三、満 鮮 の軍需品製造 工業及戦時之に転換 し得 べき諸工業 は軍事的
新設及拡充を行 ふ
③
建設を図る如 く之 を指導す
を適宜調整し新設 又は拡張 工場 の大陸推進 を容易ならしむ とに深く留意 すと雖努 めて日満 一体 の大局 に立脚 し且なし得 る限
一般に日満 を通 じ産業分野 の適地適応 と経済利害 の相剋救済
り戦時 の必要も統合 せしむ ること に重きを置 く
③ 平壌新義 州に亘 る地帯
② 大連附 近を中 心とす る地帯
但し右 の外、東 辺道将来 の開発に応 じ当該地域 に当該 工業 地帯 の
① 奉 天遼陽鞍山撫順本溪湖を含 む地帯
顧慮 せる観点 に対し十分なる配意を加 ふ 但 し特 に必要な るも のに
建設 を考慮す 尚東部北鮮工業地帯 に付 ても要すれば軍需品製造 工
五、培養は主 として継続軍事予算 の適切なる行使 に依拠す之がため
付 ては助成方策 を講ず るに努む。特 に為し得 る限 り数年 に亘る計画
予算 の使途決 定 に際 しては予算本来 の目的を阻害 せざ る限り戦 時を
的調弁 の策案 を定め之 に基 き官営造兵機関及民間軍需 工業を指導 す
業 の培養を行ふ ことあるべし
四、満鮮に於 ける工業地帯 建設に関聯 して逐次左記交通施 設の具現
む
工業地帯及其 の地域内 の施設は防空 上の顧慮を以 て適宜分散 せし
六、統制 の根本義は之 を国防 上の要求充足 に置 く と共 に動員実施 を適 正円滑な らしむ るため必要 なる措置 を講ず るも
之がため斯業 の積極的拡充と其 の大陸推進 とに統制 の重点を置く のとし妄 に業者 に無用 の不安と恐怖とを与 へて企業 の萎 縮を招来 せ
① 奉 鞍地帯 のた め︱太子河渾 河遼河水運 の開拓及営 口港 の修築
に関し考慮 を求む
七、海軍 と協力調整 を必要 とす るも のに関 しては別 に協調方策 を講
ざ る如く特 に戒慎 す
② 東 辺道 地帯 のため の多獅島 の築港及之に至 る鉄道建 設
③ 北 鮮地帯 のた め 東岸北鮮 工業地帯 との連絡鉄道建 設
急速な る建設に関 しては之 を阻害 する諸因子 の排除克服 に最大 の努
五、満 洲に於 ける軍需品製造工業 及戦時之 に転換しうべき諸 工業 の 力を傾注す
ず 第 三、拡 充 要 領 一、満 洲産業 五ケ年計画中飛行機兵器自動車等 の軍需品製造工業部
其 一、大陸 におけ る建設 門 を適正 に指導 し当該計画 の国防的価値を拡大強化す ると共 に之 に
① 資本 の吸収獲得
之 がため左記事項 に留意 す ② 技術及労力 の獲得
必要な る部品 工業素材 工業等 の勃興を促し且軍需動員 の実施 に依り
③ 軍需民需 両産業 の調整及平戦時生産転換 の準備
戦時此等 に転換 し得 る各種機械器具工業 を培養す朝鮮経済開発 の遂 二、満 鮮に於 ける軍需品製造工業指導 の核心 とし て官営造 兵機 関 の
行 に伴 ひ前項 に準じ重要工業 の振興 に努む
④ 関聯諸 工業 の跛 行除去 ⑤ 不況時対策及輸出方途 の開拓 ⑥ 企業 の体系及組織
但し特 に年次 を掲げざ るも のは昭和十六年度末迄 に到達 すべき目
三、日満を通 じ軍需品製造 工業 拡充 の目途概 ね左 の如し 途 とす
一、兵器 (戦車、軍用特殊自動車 を含む)工業竝に関係部分及素材
躍的大拡充を予期 せしむ (右国策案は平時年産 一万機 に応じ得 る
綜合国策とし て処 理せしむ る航空国策に即 応し特 に設備能力 の飛
爾後 の拡張 は既定軍備充実以外 に発現を予想す る新航空充備及
昭和十三年 度中 に設備能力を約 二倍せしむ
① 飛行 機工業 (部品 工業及特殊素材工業 を含む)
工業 に関 しては将来当時 の情 況に適応す る整備を阻害 せざ る範囲 に
其 二、内地に於 ける拡充
⑦ 培養及保護
於 いて適時数年 に亙 る注文予定を内示 し資金 の供 給を円滑 ならし め
設備能力 を保護政策 により備 へしむ ると共に民間航空 二千機を常
武器 工業
弾薬 工業 (爆弾を含 む)
十六年迄 に旋造 設備能 力を約七倍し特殊会社等 に所要 の搾出設
官 の施設は満鮮 に重点 を置 き増強し民間の施設 に付 ては昭和
ロ
拡充目途算定 の基準別紙第 四の如し
範囲 を同十六年頃迄 に逐 次約 三倍 に拡大 す
尚教育注文等 に依 る戦時転換準備は昭和十 一年度技術培養 の
約 四倍せしむ
官 の施設を増強す るの外昭和 十四年度迄 に民間 の設備能力を
イ
② 武器弾薬 工業 (部品 工業及特殊素材 工業を含む)
拡充 目途算定 の基準 別紙 第三の如し
設備能 力を少 なくも約三倍 せしむ
前掲航空国策 の早急に具現 せざ る場合と雖も昭和十 四年頃迄 に
備せしむ るに在り)
応急に之が拡充 を指導す 飛行 機工業 竝に関係部品工業 及素材 工業 に関し ては軍備 充実 に伴 ふ軍用資材平時整備上急需充足 のためには差当り前項に準じ拡充 を 指導す但し国策 的処 理によ る大拡充を顧慮す自動車工業 の拡充 に関 し ては自動車製造事業法 の運用に期 待し且軍用自 動車補 助法 を活用 す 二、機 械器具 工業及金属工業並に化学 工業 にし て軍備充実 に伴 ひ部 分的に軍需品製造 に利用すべきものに付 ても前条第 一項 に準ず 三、戦 時に際 し軍需品製造 に転換せしむべき諸 工業 に対 しては 一般 産業 の振 興に期待す るも軍は努 めて普遍的 に所要 の技術 を移植培養 し戦時利用を準備す 其三、拡充目途及日満配分 一、軍需品製造 工業拡充 の目途 設定 上顧慮す べき平戦時生産転換 の
備 をな さしめ火薬爆薬等 に関し ても適 宜拡充せしむ
標準及平時に於 ける軍需品生産 のための生産分布 の標準別紙第 一の 二、軍需品製造 工業拡充目途算 定の 一般要領別紙第 二の如 し
如し
尚教育注文等 による戦時転換準備 は昭和十 一年度技術培養 の 範囲 を同十六年頃迄 に逐次約 三倍 に拡大す 拡充目途算 定 の基準 ( 旋造 のみ)別紙第五 の如し ③ 戦車 (装甲車を含 む) 工業 昭和十三年度迄に設備能力 を約 二倍半 せしむ 一般器材 工業
拡充目途算定 の基準 別紙第 六の如し ④
五、満洲 に於ける軍需品製造工業拡充 の目途左 の如し但し特 に時期
を示す ものの外すべ て昭和十 六年度末頃迄 に到達 せしむ べき目途 と
① 飛行機工業 (部 品及特殊素材 工業を含む)
す
差当 り昭和 十二年度 より着手し戦時能 力年産 六〇〇機 の飛行機 工業 を建設す
右 の外綜合国策 に基く航 空国策及既定軍備充実 以外 の新航空充
満平時年産 一万機 に応じ得 る設備能力保有 の場 合其 の約 三千機を
備計画 の具現 に応ず る如く更 に積極的拡充を指導す るも のとし日
四、日満 を通じ戦時 に際 し軍需品製造工業 に転換 せしめ得 べき重要
満洲 の目途 となさしむ
概ね前号 に準ず 工業拡 充目途左 の如し
備による既存 工業 の平時生産転換 に応 じ逐次拡充せしむ るも綜合
し特殊 のも のを除 き前項目途 の七割 充足 を可能 ならしむ前記目途
但し昭和 十六年度末迄 に継続 軍事 予算 に依り奉天造 兵所 を培養
戦時編制十個師団 に応ず る補給所要量 の現地充足を目途とす
② 武器工業 (同右)及戦時転換 工業
国策 を通 じ昭和十六年度末頃 迄に設備能力 の二乃至三倍化 を期待
に対す る不足 に付 ては満洲産業五箇年計画 に依り勃興すべき機械
綜合国策 に基く 一般産業 の振興 に伴ひ且軍備 充実に伴 ふ資材整
① 機 械器具 工業 (工作機 械工業 を除く)
す
依 る培養 民間 工業を合し概ね前項目途 の二分 の 一以上 に品種 に依
は其 の約 三分 の 一を完成 し奉天造兵所 の能力を併 せ且軍事予算 に
但 し軍事予算 に変 化なき限 り昭和十六年度末迄 に前記官 の施設
障 なからしむ るを目途とす
補給 に、爆弾 に付 ては相当強大な る航空兵力 に対す る補給に各支
終末年度迄 に弾薬 に付 ては戦時編制十個 師団に応ず る各種砲弾 の
昭和十三年度より着手し官 の造兵機関 を建 設し継続軍事予算 の
③ 弾薬工業 (同右)及戦時転換工業
器具 工業 に指導を加 へ其 の戦時転換 を準備 す
軍需品関 係 の特殊素材工業及部品 工業 に付 ては前号 に準ず
② 金属工業 (部品 工業 の 一部 を含 む)
一般自動車 工業 (部品 工業を含 む)
其 の他 一般 の金属 工業 に付 ては別途綜合国策 の為策案 する所 に 拠る ③
平時所有数小型車 を除 き三十万台 (内十 五万台は貨車)平時年 産十万台を目途 とす る綜合国策 に期 待す 綜合国策を通じ平時年産約五万台 に達 せしむ
④ 工作機械 工業
に対す る不足 量 に付 ては満洲産業五箇年計画 に依り勃 興すべき機
りては大部) の戦時能力 に到達せしむ同年度頃 に於け る前記目途 む
③ 大 工業 の拡充は必然 なるも情況許す限り中小 工業 の培養 に努
② 努 めて新規工場 の開拓 を図 る
④ 教育注文制度 の適切なる運用 を図 る外為 し得 る限 り軍需調辨 の特殊性 に鑑 み現行会計法 現を改正し て軍需品製造 工業培養 に関
械器具 工業 に指導 を加 へ其 の戦時転換 を準備す
する軍 の企図遂行を容易ならしむ
尚同年度頃 に於 ける開戦 に際し ては特 に設備急速補填 の策 を講 ④ 火薬爆薬工業
ず
⑤ 成 るべく長期 に亙り調辨を契約し且要すれば代金前渡等 の道
⑥ 生産割当 に付 ては成 るべく戦時計画 に於け るものと趣旨 に於
を拓き企業振興 を容易ならしむ
官 の施 設の外満 鮮 の代用薬を適宜利用する こと に依り前二号弾 ⑤ 戦車 (装甲車を含 む) 工業 (部品工業 を含む)
せしむ
⑧ 急需充足上特 に輸入を 必要とするものを除 き国産奨励を徹底
用 に努む
特 に戦時計画に於 ける統 一取得 及依受託 に関す る規定 の平時緩
⑦ 調辨業務 の統 一を 一層強化す
て可及的 一致を図 る
薬、爆弾 の需要を充足す るものとし て所要 の能力 を建設す 官 の造兵機関 に附設する設備及 民間業者 の満洲進出指導 に依り
自動車 工業 (部品 工業を含む)
の進捗 に応 じ月製 五〇台に拡大 せしむ
成 るべく速 に概 ね戦時月製 三〇台 に達せしめ満洲産業 五箇年計画 ⑥
一般器材 工業、食料工業、被服 工業等
綜 合国策中 の自動車国策 の満 洲配分平時年産 一万台 に期待す ⑦
一、軍需品製造工業統 制に際 しては斯業 の特殊性特 に平戦時需要に
第五、統 制 要 領
六、昭和 十七年度 に於 て戦時満洲 に期待 せんとす る軍需品 の生産品
霄壌 の差ある本質 に鑑み戦時膨張 を阻害 す る諸因 子の排除 に十全を
適宜 拡充す 目、数量 の標準概 ね別紙第七 の如 し
止し設備増強 を促進す
此際努 めて標準作業時間を規 正して時間延長 に依る操業強化を防
期す
二、軍需動員能力 の実質的強 化を図 る為監督官制度を通 じ概 ね左記
第 四、培 養 要 領
軍需品生産 の為 日満生産分野 の概観附表第八 の如し 一、軍需動 員能 力向 上の為左記要旨に依 り可及的範囲 に於て調辨 五 ① 官営機関 に依 るを必要若は得 策とす るも のを除く の外軍需調
① 旧式設備を改善 し新鋭設備を増強 せしむ
要旨 に依り企業 を指導す
箇年計画を樹 て軍需 工業培養 の大本 を律す 辨 の重点を民間工場 に指向す
の跛行を除去す
② 戦時生産転換 に伴 ふ生産 工程 上の隘路を補正し且関聯諸 工業 ③ 利 潤配当 に統制 を加 へ前記各 号の措置 を容易ならしむ如 上の 監督 は差当り発注者 の立場 に於 て之を行 ふも為し得 る限り速 に法
① 継続予算 に依 る設備 の増強
為概 ね左記要旨 に依り之が拡充を図 る
造兵 設備 の大陸推進
特に
又監督官 制度 は其 の組織、系 統、構成、配置等 に亙り再検討 を
④ 労務指導方策 の強化
③
②
人的要素 の整備竝 に技 術者 の養成
自力運営 に依 る設備 の改善
戦時生産 の為 の隘路補正
加 へ軍需動 員実施時 の工場管理担当官 庁及工場監理官 の制度 との
規を制定し指導監督 の強化 を図 る
統合調整 に付考慮 す
二、官営機関拡充 に際し ては特 に官民両工業部門 に対す る軍需按配
⑤ 所要 原料材料 の調達及戦備材料 の整備竝 に更新
就中生産工程 上の作業按配 に留意 す
三、軍需品製 造工業 の平戦時転移 を容易ならしむる為 ① 企業 の合同、聯合等 を適宜指導す
検討 を加 へ制式規格 の統 制簡易化、代用制式及代用規 格を制定す
三、軍需品 の制式及規格 に関しては戦時補給 の実相を確認し根本的
械 器具 工業 の負担小な る特殊の代用弾多量製造法
搾出弾、及鋼管弾を通 じ弾体内部 の旋造作業 の廃止 又は軽減、機
鋼管利用製造法
を確立す
就中砲弾 に関し ては戦時利用を顧慮し速に左記の如 き簡易製造法
二、兵器製造技術 に関しては特 に戦時 の大量生産 に方途を開拓す
右 に関聯し外国優秀技術 の積極的吸収に努 む
度末 を劃し世界 の最高水準突破を期す
一、飛行機製作技術 に関し ては官民 の技術 研究 を動員し昭和 十六年
第 七、技術研究及制式規格統制要領
特 に全国 工業力 の戦時 に於ける能率的運用を顧慮す
左記要旨 に依り機構的統 制を促進す 情勢 に応じ逐次主要なる軍需品製造 工業 に対 し全般 の統制を容 易 ならしむ る機構を樹立せしむ ② 有機的 生産ブ ロツク の結成 を助成す 之が為核 心工場と之 に附随す る下請 工場とを合理的 に按配し且 部 品工場、材料 工場及原料工場 との関係を調整 す 特 に下請 工場 の纏綿た る現情打解 に留意す ③ 組合結成 を軍事的観点に於 て指導し戦時中小工業 の集団的威 力を軍需生産 に有効 に協力せしめ得るに至 らしむ 四、広義国防 の見 地より社会政策を加味 して軍需品製 造工業 に対し 必要な る統制 を加 ふ之 が為利潤統制、労務統制、 工業 地方化等 に付 考慮 す 第 六、 官営機関指導要領 一、官営機関に付 ては別途具体的 に策案す るも軍需動員能力強化 の
別
紙
生
業
種
戦 時 生 産 転 換 種 目 の 原 料 材 材
料 料
飛
機
金
行
( 材料 品を含む) 兵 器 等
産
軍需工業平戦時 生産転換標準表 時 金 属 精 錬 合
手榴弾戦車履板器材 飛行機自動 車等材料及部品 弾 丸 弾 体 爆 弾
物
鉄 帽 防 楯 そ の 他 兵器 部品
器
通
電
及
機
電
械
〓
罐
機
( 航空機 を含む) 動 汽
信
線
々 体
鈑
管
気
縁
同
上
武器部品、戦車部品、弾 丸部品
鋼
絶
池
器
具
工
場
農
製 化 昇 起 喞
工
紙
業
学
用
業 降
機
機
用
機
械
械
火
〃
薬
〃
造
機
械
(右 と 同 じ) 木 工機 械
製
兵
品
器
武
板
鋼
上
具
機
械
機
同
査
力
品
具
部
査
類
器
鏡
兵
具
火 具 部 品 信 管
部
機
検
動
〃
眼
検
火
学
器
筒
〃
上
管
重
〃
同
〃
上
器
器
信
〃
衡 計
計
同
〃
量
時
〃
度
試験 検 定 及 学 術 用 器 械
〃
図
器
械 及
製
械
量
療
器
測
医
光
械
上
上
照
部
品
造
燈
〃
探
具
軍用機関車武器部品戦車組 立、 弾丸〓造
同
輛
船 舶艤 装製罐軍用弾薬資材
〃
門
械
部
機
船
鏡
具
機
用
造
同
車
武 器 部 品 弾 丸 〓
〃
戦
門
具
品
立
〃
部
部
機
組
車
造
器
器
学
明
船
動
光 眼 照 車
造 船 自
弾丸 〓 造 信 管 武 器 部 品 品
械
部
機
器
同
織
武
〓
造
紡
上 丸
同 弾
械 械
機 機
作 業
工
用
採 鉱 選 鉱 及 精 錬 機 械
電
電
蒸
原
兵
そ の他 の 各 種 金 属 製 品
製
鋳
軽
平
別紙第 一
金 属 工 場
機
械
窯
陶 ガ ラ
磁 ス 及
鉄
ン
耐
メ
及
瓦
ガ ラ
セ
煉
石 瑯
器 同
上
上 原
類
料
ガ
印
帽
薬
製
爆
ト
鉄 同
同
薬 同
爆
薬
上
原 上
料
精 ス
刷
材
及
及
製
及
木
ー
同
上
精
力
燃
上
上
動
皮
及
気
料
電
毛
同
上
同
酒
兵 器 々材 用 素 材 及 部 品
本
同
品
製
製
ル
酒 酒
油
ビ
和 洋
醤
粉
粉
噌
澱
詰
飴
麺
糖
製
精
製
水
罐
及
味
子
一、平 時 に於 け る軍 需 品 生 産 に付 て も部 分 的 に本 表 の記 載 に準ず
菓
も の多 き も参 考 のた め 併 記 せ る も のと す
二 、本 表 中 ﹁同 上 ﹂ と 記 載 す るも のに 付 て は 生産 転 換 を伴 は ざ る
① 軍備充実 に伴 ふ資材整備予算消化 に要する当該 工業 の設備能
一、飛行 機工業 に関す るも のを除 き 一般 に左記に依り算定す
軍需 工業拡充目途 算定 一般要領
別紙第 二
備考
物
ス 製 品
火
灰 器 薬
琺 製 薬
器
火 防
器
安 粉
火 薬 原 料 化 学 兵
兵
晒
物
学
及
間
化
ダ
中
剤
ー
及
毒
ソ
料
料
薬
原
火
同
料
上
料
原
顔
染
硫
及
薬
料 爆
塗 品
料
粧
原
化
薬
及 火
鹸 綿
脂
石 精
油
火
防毒被服自動車飛行機兵器 の各 部品
上
油 物
品
同
礦 植 製
ド
紙
プ
ム ル
イ
ゴ パ
製 ロ
絹
ル
人
革
セ
製
食 糧 品 工 場
窯 業 工 場 化 学 工 場
力と昭和十 一年度生産 力とを対比し其 の比率 を求 め之 を設備拡張 所要 の倍率と為す 此 の際当該 工業部 門に於 て民需成品 の生産 を圧迫 せざ ることと 昭和十 一年度操業率を強化 せざ ることとを前提 とし て努め て積 極 的 に目途を算 出す ② 戦時操業 率を算出 し之 に依り拡張設備戦時全生産力を判定 す ③ 戦時全生産力と所要戦時補給力とを対 照し其 の不足は戦時 に 際し生産転換 を為さしむ る工業 の戦時全能 力を以 て補填す 右補填 の為 平時より教育注文を以 て技術培養 に努む るも のとし 其 の範囲 に付 ては綜合国策 に依り飛躍す る機械器具 工業 の能力 を 判定し て之 に期待し尚 不足す るも のに在 りては工作機械対策 に依 拠し戦時設備急拡張 を図 るも のとし此等 に関す る要求は之 を重要 産業五年 計画中 に移す 二、飛行機工業 に関しては軍事予算 依拠 の範 囲に於 ては前記に準ず るも既定軍備充実計画 の計数 に偏倚す ることなく航空充備計画の更 新 を顧慮し将来 の需給 を達観 し積極的 に目途 を算出す 航空国策 に基 く助成 に依拠 せんとす るも のにあり ては専 ら戦時需 に対し助成 の方策 を求む
給 に根拠を置き所 要の設備能力を算定 し平時 の実需と採算 点との差
別紙第 七
区分 五、 〇 〇 〇
区分
満洲 に於け る主要軍需品戦時月製目途数量 標準表 (五年後 に期待 す) 目
量
銃
数
品
二〇
小
二〇〇
三五〇
砲
一五
銃
関
筒
二五
機
砲
重
弾 兵 径
五〇
一〇
砲
軽
関
歩
射 砲
( 装甲車共)
径
五
五〇〇
擲 種 口
口
砲
機 関 銃 (固 定 ・旋 回 共 )
機 重 各 小
中 車
高
戦
三 五 、〇 〇 〇
前記武器 に応ず る如く可及的 に拡充
他
弾
包
其
実
現奉天造兵所戦時能力を可及的 に拡充
榴
粍
実 包 (6 . 5粍 及 7. 7粍 共 )
十
被
一七 〇 、〇 〇 〇
二
食
手
一〇 、 〇 〇 〇
三 六 、〇 〇 〇
一 一〇 、〇 〇 〇
三 十 七 粍 弾 丸
蹄
重 擲 弾 筒 弾 丸
五 十 七 粍 弾 丸
三五〇、○○○
七 十 五 粍 弾 丸
弾 薬 空 航 材 器 器 材
武 器 弾 薬
品 級
弾
目
丸
数
量
三五、〇〇〇
糎
十
一〇 、 〇 〇 〇
爆
二〇、〇〇〇
瓩
弾
五
弾
十 五 糎 級 弾 丸 十
爆
五、〇〇〇
瓩
一、 〇 〇 〇
八〇〇
弾
十
爆
五
瓩
二百 五 十 瓩 爆 弾
百
五〇〇
爆
弾
瓩
在満火薬資源 に応ず る如く可及的 に拡 充
百
薬
五 火
前記弾丸 に応ずる如く可及的 に拡充
)
管
五〇 航空充備 の新規計画に応 ( じ更 に拡大 二五〇迄考慮
初
一三〇
九年計画 の基礎設備完了程度 に在 るも
適
適
適
宜
宜
宜
車
服
宜
のと し て直 ち に最 大 限 の生産 を課 す
品
適
他
当
信
機
前記弾丸 の半数 に応ず る如く可及的 に 拡充す ると共 に修理 に努む
動
( 軍用軽鉄 )
行
莢
車
薬 飛 貨 自 其
料
鉄
二九
閣議 決 定 )
鉄
(昭 一二 、 一〇 、 二 二
軽 金 属 工業
満 洲 重 工業 確 立要 綱
イ
重 工 業 (自 動 車 、 飛 行 機 の製 造 工業 )
業 ロ
鋼
ハ
針
現下内外の情勢 に鑑 み日満 一体となり重工業 を中 心とし急速に生
方
発計画遂行 の確保促進を期し満 洲に於け る重工業 の綜合的速急確立
産 力を拡充す るの要緊 切なるを以 て概ね左記要領 に依 り満洲生産 開
石 炭 礦 業 に は差当 り満 鉄 撫 順 炭 礦 を含 まず
石 炭 礦 業
社 の支 配 下 に移 ら し む る と共 に 今 後 前 記ハ 乃 至ニ の各 事 業 を 営 む新
四、 満 洲 国 は前 記 イ 乃至 ロ の各 事 業 を 営 む既 存 会 社 をし て順 次本 会
て も附 帯 的 に投 資 し経 営 す る ことを 得 るも のとす
右 の外 本 会 社 は産 金 、亜 鉛 、 鉛 及銅 等 の礦 業 其 の他 の事 業 に対 し
附箋
ニ
を図る為企業形態を新 にし内外有力産業資本 の進出 を誘致し国家統 制 の下に経営技術 の能力を最 も有効 に発揮 せしめ以 て日満両国将来 の経済発展 に資 せんとす 一、日満 両国政府援助 の下 に満 洲国 に於け る重工業 の確立発展 を図
会 社 は本 会 社 の支 配 下 に 設 立 せし む るも のとす 。 満 鉄 の前 記 関係 諸
領
る為新 に重工業 の綜合的経営を目的とす る強力な る国策的会社 を設
も のと す
事 業 に対 す る出 資 に付 て も同 社 と 協 定 の上 亦 右 に準 じ処 置 せ し む る
要
二、本会社は満 洲国政府及民間各半額 出資 とす
立す るも のとす
万人)を予定す
六 、前 号 の外 国 資 本 は各 個 の事 業 会 社 に付 て は其 の議 決 権 が半 数 に
し て特 に 重 き を置 く も のとす
術 設備 と共 に努 め て外資 の導 入 を図 るも のとす 、 右 は本 案 の要 件 と
五 、前 記諸 事 業 の開 発 経 営 に付 て は外 国 資 本 の参 加 を認 め外 国 の技
三、本会社 は概 ね左記事業 に対し支配的に投資し之が経営 の指導 に
前項民間とは差当り日産 (現在資本金 二億 二千五百万株 主数約 五
当 るも のとす
達 せざ る の範 囲 に 於 て、 本 会 社 に付 ては議 決 権 な き 株 式 に限 り株 式 資 本 と し て参 加 せ し む る も の とす 社 債 其 の他 貸付 金 の形 式 に依 るも の は制 限 な き も のと す。
む る も の とす
七 、 日満 一般 資 本 に付 ては各 個 の事 業 会 社 に対 し て も適 宜 参 加 せ し
八、 日満 両 国 政 府 は本 会 社 の日産 より の引 継 資産 の活 用 及 今 後 の所 要 事 業 資 金 の調 達 に付 極 力 便 宜 援助 を与 ふ るも のと す
に対 し適 当 な る優 遇 方 法 を 講 じ 又 日本 政 府 も 当 該 株 式等 の国 内 市 場
九 、満 洲 国 政 府 は 日満 民 間 及 外国 側 の本 会 社 及各 事 業 会 社 への出 資
に於 け る流 通 を も容 易 な ら し む る等 資 本 を し て安 じ て対 満 進 出 を為
一〇 、 鉄 銅 業 に対 し て は 日鉄 は本 会 社 と相 互 的 に資 本参 加 の途 を講
さし む る如 くす る も の とす
ず るも のと す
鮎 川 義 介 氏 を予 定 す
日本 民間 有 力 な る適 任者 は 現 日産 社 長
一 一、 本 会 社 の経 営 は 日本 民間 の有 力 な る適 任者 に 一任 す るも のと す 附箋
一二、 本 会 社 及 各事 業 会 社 に対し 満 洲 国 政 府 は 適 当 な る監 督 方 法 を 講 ず る も のと し 之 に 関 し満 洲 国 政 府 は日本 政 府 と緊 密 な る連 繋 を 保 持 す る も のと す 一三、 日本 政 府 は前 記 諸事 業 の生 産 品 にし て日 本 領 土内 に輸 入 せ ら る るも のに関 し て は関 税 其 の他 の関 係 に於 て事 実 上 之 を外 国 品 扱 ひ と せざ るも のと す
三〇
生産力拡充計 画要綱
生 産 力 拡 充計 画 要 綱
二
(昭和 十 四年 一月 (閣 議 決 定 )企 画 院 )
本 計画 は 日満 支 間 相 互 の緊 密 な る連 絡 協 調 の下 に日満 支 を通
ず る綜 合 的 計 画 を樹 立 す る の方 針 に基 き我 国 重 要 産 業 に付之 が 生
産 力 拡 充 計 画 を確 立す るも のと す
本計画 は現下内外 の情勢 に鑑 み東亜 の安定勢力たる我国国力 の充 実 強化 を図り併せ て我国運 の将来 に於ける飛躍的発展 に備 ふる為 重
か ら しむ る こと を 目 標 とす るも のと す
努 め以 て有 事 の場 合 に於 て も可 及 的第 三 国資 源 に依 存 す る こと な
標
計 画産 業 の種 類 竝 に本 計 画 に依 り 昭和 十 六 年 度 に於 て到 達 す べき
二、 目
生 産 目 標 及 各 年次 別生 産 予 定 額 左 の如 し
昭 和 十 四 年 度
八二〇
六、二八○
昭 和 十 五 年 度
九 、九 五 〇
七、 二六 〇 一、 ○ ○ ○
昭 和 十 六 年 度
額
五、 六 三○
八、七九九
定 昭 和 十 三 年 度
六七〇
予
四 、 六 一五
七、 七五 三
別
五二〇
次
七 、 二 六〇
六 、 三 一〇
年
本 計 画 は重 要資 源 に付 我 勢 力 圏 内 に於 け る自 給 自 足 の確 立 に
要なる国防産業及基礎産業 に付 昭和十六年を期し所要 の目標 に達せ しむべき日満支 を通ず る生産力 の綜合的拡充計画を確立 し万難を排
目
三
し之が達成 を期す るも のとす
単位 千瓲
一、 ○○ ○
標
本計画 の範囲は国防力 の基礎充実 に主眼を置 き特 に統 一的計
一、根 本 方 針 一
類 鋼
九 、 九 五〇
画 の下 に急速拡充を要す る重要産業 に之 を限定す
種 鉄
鋼 材 普 通 鋼 特殊 鋼及鍛鋳鋼 鋼 塊
石 軽
銑 鉱
石
鉄
七 八 、 一八 二
五 、 七〇 〇
六、三六二
五八、三六三
二、二五〇
三、三〇〇
六 五、 八〇 三
三、 二〇 〇
四 、○ ○ ○
七 一、 七 二 五
四、四〇〇
五、二九三
七 八、 一八 二
五、 七〇 〇
六 、 三六 二
六、六五〇
三 九 、 一〇 〇
一 一、 ○ ○ ○
一二 六、 四〇 〇
鉄
二、 七 八〇
二九 、 二〇 〇
瓲 一、 一二 三
一九 、 ○ ○ ○
千瓲
一 一、 ○○ 〇
一二 六 、 四〇 〇
炭 ム
属 ニ ウ ム
金 ア ル ミ 属
瓲
金
シ ウ
三五 、 五 五 〇
一七九 、 ○ ○ ○
鉄
マ グ ネ
三三、六二五
一四 九 、 四 七 七
ニ
二〇
二四 六
八五〇
油
八三
発
四八
揮
二八
空
二 四六
航
石 油 及 其 の代 用 品
非
二 六、 七 八 五
三、 五〇 〇
九五、○○○
一二 八、 一八 三
八 八 、○ ○ 〇
五、○○○
一八 、 七 四 四
二、八五〇
九七、四〇六
七〇 、 一〇 〇
三、九八〇
二四 〇
三 五 、 五 五〇
二、 六 五〇
一四 五
二九 〇
一、 二五 〇
一七 九 、 ○○ ○
二、 一五〇
一、 四 一七
銅
五五、八○〇
七四
七六
鉛 九 五 、 ○○ 〇
一五 〇
一、 八 〇 四
一、 二 二 八
八八六
鉛 三 、 五〇 〇
四五
二六
亜 五 、 ○○ ○
九六五
七五六
ル
二 四〇
一〇
ケ
一、 二 五〇
六 一〇
ッ
二九 〇
錫
自 動 車 揮 発 油 (天然 )
八 五〇
千竏
油 (天然 )
自 動 車 揮 発 油 (人造 ) 重 油 (人造 )
二七 〇
重
九〇八
一〇
七五七
三 二五
五七四
一七 〇
四七 一
五
六六七
一五 七
九〇
三九 六
一、 九 三 六
︱
七三六
七 一
二〇
四〇八
一、 七 六〇
二〇
滑
九〇 八
五〇
二 七〇
潤
五 七四
一、 五 一〇
油
航
三 二五
無 水 ア ル コー ル
空
千瓲
ダ
二 、〇 三九
ソ 苛
ー
ダ
灰
二、 〇 三 九
ー
千瓲
性
ソ
ソ ー ダ 及 工 業 塩
塩
千噸
業
プ
工
ル
パ
硫 酸 ア ン モ ニ ア
三〇 七
一〇 六 、 五 三四
一、 〇 三七
二〇 〇 、○ ○ ○
九八九
九 一、 九 〇 九
九〇 一
一七 二、 五 〇 〇
八七五
七 六、 〇 二 五
一、〇 三七
一 一八、 五〇 〇
用
五 一、 六 六 九
紙
七六、○○○
製
一〇 六、 五 三四
二五三 二〇 〇 、○ ○ ○
一九 四 瓩
九五 千円
三〇 七 械
用 機
絹 作
人 工
金
鍛 一、 一六 一
八七七
五五〇、○○○
二〇 、○ ○ ○
一、 六 〇〇
九 八○
四 、 一〇 三
六〇〇、○○○ 六五
二 一、 ○ ○ ○
二、○○○
一、 〇 五 〇
九 、 一六 六
六五〇 、○○○ 八○
二 一、○ ○ ○
二 、○ ○ ○
一、 一〇 〇
台 一、 一〇 〇
一四 、 一 一 一
四五
車 二 、○ ○ ○ 四 〇 二、 ○ ○ ○
三 、 九〇 二
二 三 〇 、 ○ ○○
一、 〇 九 二 、○ ○ ○
道
二 一、○ ○ ○
一五 ・七
二 三〇 、 ○ ○ ○
六五八、七〇〇
関
六五〇、○○○ 二、七二二
五二八、○○○
輛 車 車 車 八○
二四五、○○○
舶 九 、 一六 六
二九 五 、 ○ ○ ○
四 一五 、 ○ ○ ○
噸 千台 俵
一、 ○ ○ ○ 、 ○ ○ ○
二、六九三、七〇〇
動
車 毛 力 力 K W
力
機 客 貨
船 自 羊 電 水
( 参
満洲国及北支生産 力拡充計画
考)
発動 の措置 を執 るも のとす
火 ( 備考) 電力 の各年次数量は増加分、目標 は其 の累計 を示す
本計画 は其 の立案 の本旨 に基き官民 一体と成 り其 の牢固た る決意
三、実 施 方 策 と完全 なる協力 の下 に国 の全力 を傾注し て之が実現を期す べく従 て 政府 は本計画 の実施 に当 りては万般 の措置を講 じ計画 の遂行 に蹉跌 為之政府 は従来より実施 せられた る産業振興 に関す る諸般 の制度
昭和十四年 度より昭和十 七年度 に至る生産 力拡 充計画 を企図し目下
開発 五ケ年計画を樹立し現 に其 の実施 の過程 に在り 又北支 に於ても
満 洲国 に於 ては曩に昭和 十六年 ( 康 徳八年)度 を目標とす る産業
及施 設に付極力其 の有効適 切なる運用 に努 むると共 に本計画が急速
鋭意之が準備中な る処右 二計画中 日本 の生産力拡充計画 に対応すべ
なきを期す ることを要す
高度 なる生産力増大 を企図 し居 る点 に鑑 み計画 の実行を 一層促進 確
き計画 の大要を示せば左 の如し
千瓲
単位
昭 和 十 三 年 度
昭 和 十 五 年 度
一、満洲国産業開発 五箇年計画 昭 和 十 四 年 度
昭 和 十 六 年 度
充計画 の見地より猶調整 を加 へらるることあるも のとす
尚之等 の計画は本 件計画確定 の上は日満支 を通ず る綜合生産 力拡
保す る為各産業 の実情 に応 じ事業 の統制及助成、技術者及労務者 の 供給 、資金 の融通 、必要資材 の供与等 に付 特別 の措置 を講ず るも の
鋼
類
右 の方策 に基き必要ある場合 に於 ては法令 の制定及国家総動員法
とす
種 鉄
鋼
材
五五七
二、〇二七
一、 〇 三 八
一一、 二 〇 〇
三、三二五
三 一、 九 一〇
一、〇 三 九
七、二九五
一、 ○ ○ ○
一五 、 ○ ○ ○
三九五 六五五
二 六 、 四 一〇
三、 九 七 一
三三五 六二〇
四〇〇
八、五〇〇
四 六、 一五 二
塊
五、 三 一五
三 、 一六 〇
五 〇 、五 二五
鋼
二 一、 四 五 〇
二七、四八七
二、三五〇
三、二八六
三 一、 八 五 〇
一八 六
三三五
一、 七 六 〇
一七 、 一八 五
一〇
四、 五 〇 〇
一九 一
九 一〇
一、 五 〇 〇
一、 七 六 五
一八 六
一二 、 二 五 五
七 二 、○ ○ ○
鉄
金
及
燃 発 ダ ダ ー
千瓲 甦
三九〇
一四 、 三 一九
一二 、 三九 五
七 二、 ○ ○ ○
石 炭 属
二、 九 九 三
九 一
一四 三
九、六五五
銑 鉱 金
二、 五 七 五
七二、○○○
六 七 九、 四 〇 〇
塩
鉛 料 油 油 殖
千瓲 千瓲
属
ム
九五
一三 五
三 、 一〇 〇
ム
ウ
五 四、 ○ ○ ○
五 〇 九 、 一九 〇
ニ
ミ
二〇〇
シ ウ
ル
灰
三 九 一、 一八○
ア
鉄
体
ー ー ソ
甦
ダ
マ グ ネ
鉄 石 軽
非 銅 鉛 亜 液 揮 重 ソ ソ 性
九 一〇 、 一六 〇
苛
塩
三九三、九九〇 二七〇
五〇〇
三三、二七七
一九 三
二 〇、 五 六八
三〇、○○○
三 八 二、 四 二〇 一〇 、 〇 六 五
ー
五〇〇
五二九
六五 五 、 一四 二
二五〇
三、 七 五 七
三〇 八 、 一六 二 陸
一二 ○
三 一八
二 、 〇 六 六、 〇 一〇
五四 台 台
三、五四八
二七〇、六七〇
械
二 一二
一、 三 九 四 、 二 一〇
蓮
機
三、 三 四六 K W
竈 一 一六
八 九 八、 〇 一〇
千瓲
ル
動
車 毛 種 種 力
三 、 一七 一
プ
パ
作
良 来
六〇三、七三〇
硫 酸 ア ン モ ニ ア
金 工 自 羊 改 在 電
二 、羊 毛 は 一応 日本 側 案 を掲 ぐ
( 備考) 一、本表は日本生産力拡充計 画と同種 の品目 に付第 二年度以降 の生産 予定額 を示 せるも のなり
ー 性
鉱
類
ー
ダ
及
燃 発 ダ ソ
良 来
鋼 材 鉄 石
単位 千瓲
千瓲 千瓲
昭 和 十 七 年 度
一四 一
二二、七〇〇
一、 二 六〇
二 一○
二二、三〇〇
一、 六 八 九
五七 一
昭 和 十 六 年 度
六二二
昭 和 十 五 年 度
一七、 九 〇 〇
昭 和 十 四 年 度
四五 二九〇
一三〇
一四 、 二 〇 〇
七四
一、 五 三 二
一八
一二 五
二五
二 六 九 、○ ○ ○
一〇 、〇 三 六
三三四
一、 八 二〇
二 一五
一二 五
二 一五
一、 〇 七 六
八五
一、 二六 六
九 、 六〇 九
︱
三〇
二 二九 、 ○ ○ ○
︱
九 、 一〇 八
五五
八四、○○○
四二
八、六三三
炭 料 油 千瓲
胞
K W
八 四 、 ○ ○○
油 塩 灰 ダ
毛 種 種 力
二、 羊 毛 は 日 本 に於 て期 待 せ る額 とす
一、 本 表 は 日 本 生産 力拡 充 計 画 と同 種 の品 目 に付 其 の生 産 予 定額 を 示 せ るも のな り
ー
体
二、北支 生産力拡充計画 種 鉄 銅 銑 鉄 石 液 揮 重 ソ ソ 苛
塩 羊 改 在 電 (備 考 )
三 、 電 力 は 蒙 彊 の計 画 を含 まず
軍事 課 )
法制財政金融農 工鉱貿易
次官級以下 の人物 を以 て
(昭 、 一〇 、 一、 一四
V
六
等 の各顧 問とす
而 し て本案 に於 て は 一の中 心 人物 に依 り て統 制 を保持 し其 大 部
は理 念 の連 関 を有 し 優 れた る識 見 と実 務 に対 す る眼 識 を 以 て其 綜
合 力 に依 り顧 問 の職 能 を果 す 如 く す
関とな る
乙案 級 の人物 な るも 各 顧 問 個 々 の立場 に於 て軍 司 令官 の諮 問 機
秘書的顧問
増加)
丙案
へ
(要す れば人員
財政経済農 工等 の専門顧問
一
最高
三 一 満 洲 国 指 導 に関 連 す る 軍 顧 問 組 成 に 対 す る研究 意 見
今 次在満機構 の調整 に伴 ひ満洲国指導 に関する軍 の立場明確とな り、内面的統轄指導上関東軍司令 官 の責務益 々重大 を加 へた るも の あり之 が輔佐た る軍顧問 の選定竝其組成 に関 し ては特 に深甚 の老慮 を払 はざ るべからず 一、軍顧問組成 の要領
四
今次設定 の顧問 の職能 に鑑 み其要領 に概ね次 の三案 あり 甲案 最 高顧 問 (大臣級)
イ、 日満 現時 の情 勢 と顧 問 の任 務 と に鑑 み相 当 の識 見 を 有 す る の
以 上 の三案 に 於 て特 に共 通 事 項 と し て具備 す べき 要 件 左 の如 し
ロ、 満 洲 の事 態 に照 応 せ る建 設 的 人 物 に し て政 治 的 、 人 格 的 に批
外 実 務 上 の見 通 を有 す る権 威 あ る 人物 た る こと
即ち最高顧問 に政治的 手腕優 れた る人物 を配置 し之 れが統 制 の 下 に有能 の人物 を揃 へんとす るも のにし て、特 に最高顧問 の手腕
難 尠 き者 な る こと
力量声望 に期待せんとす るも の 乙案
手裡 を脱 し て所 謂 顧 問 政 治 延 ては 文官 政 治 と化 し 諮 問 機 関 た る の
場 合 に於 ては軍 の内 面 的 統 轄 力 を 強 化 す る の利 あ るも 動 も す れ ば
前 述 三案 中丙 案 に関 し て は既 に軍 特務 部 の編 成 に於 て個 々 の人物
職 域 を 脱 し て軍 の満 洲 に及 ぼす 作 用 を 二 元化 す る の虞 あ り 此場 合 、
二、 各 案 利 害 の検討
相 排 済 し徒 に理 論 仆 れ と な り苦 杯 を 満 喫 し あ る を以 て以 下 主 と し て
総 務庁 長 関 東 局 総 長 と の関 係 よ り す る も軍 司 令 官 の指 導 特 に軍 参
常 に諮 問機 関 と し て背 後 の実 力 を 形成 す る限 り、 政 令 一途 に出 で
乙案 に 於 ては満 洲 国 に及 ぼす作 用 は飽 迄 軍 司 令 官 を 表 面 に立 て
謀 長 等 の関 係 に は相 当 の困 難 を伴 ふべ し
甲 案 は首 脳 の人 選 宜 し き を 得 て、 配 置 す る に人 材 を 以 てせ ば其
其能 率 を挙 ぐ べき も 、 其 人 物 の選 定 竝 組 成 上 相 当 実 力 あ る人 材 を
イ、顧 問 団 の能 力 竝 採 用 の難 易
甲 乙 二案 に関 し其 影 響 す べき 重 要 事 項 を 比較 せ んと す
つ て其 能 率 を低 下 す る の虞 あ り殊 に軍 令 機 関 内 の諮 問 機 関 た る の
能 力 を 発揮 し得 べ き も軍 司 令 部 関 係者 と の協 調 整 はざ ると き は却
起用 ( 官 歴 、貫 禄 に あらず ) せざ ると き は 日系 官 吏 よ り軽 視 せ ら
甲 案 に比 し 軍幕 僚 等 と の協 調 に有 利 に し て実 務 に貢 献 す るに便 に、
乙 案 は組 成 宜 し き を得 れば 相 当 の能 率 を発 揮 し 得 る の みな らず 、
な き結 果、 却 つて 不平 を生 じ易 く 又反 対 に過 度 に重 用 す る と き は
る に依 り政 治 的 責 任 を伴 はず 表 面 上能 動 的 自 由 手 腕 を 振 ふ の余 地
感 触 を好 転 せし む る に利 あ り、 然 れど も 軍 令系 統 上 の諮 問 機 関 た
甲案 は所 謂 大 物 の起 用 に依 り 表 面的 に軍 の威 重 と 信 望 と を加 へ
ニ、 対 内 関 係
る る虞 あ り
地 位 に鑑 み主 班 の人 選 は蓋 し 難事 に属 す べし 又親 任 待遇 を 以 て任 処 に充 てん と す る も任 命 上 相 当 難色 あ る を
採 用 亦 比較 的 容 易 な り甲 案 は主脳 者 の声 望 力量 に俟 つ に反 し 乙 は
軍 の指 導 を過 早 に文 官 の指 導 に移 さ ん とす る の情 勢 を 馴 致す る に
予想せら る
実 力 の綜合 に期待 す る の特 質 を有 す
甲案 は 運 用 上首 脳 者 に対 し 相 当 権 限 を委 任 せざ ると き は 、動 も
な ら し め得 べし 、 然 れど も 内地 に於 て認 識 の差 異 若 く は 不足 に基
掌 理 に弾 力 を保 持 し 満 洲 国 に対 す る軍 司 令 官 の指 導 の意 義 を闡 明
ば 其能 力竝 信 用 に於 て必 し も優 劣 を論 じ 難 く 寧 ろ複 雑 な る問 題 の
乙案 は甲 に比 し 所 謂貫 禄 問 題 に就 き劣 る べ きも 其 人 選 を巧 に せ
至 る べ く時 と し て政 治的 悪 影響 を誘 導 し 易 し
ロ、軍 内部 の関 係
す れ ば能 力 を発 揮 し 難 く 従 て幕 僚 と の協 調 困 難 にし て顧 問 特 に最
乙案 は諮 問 機 関 と し て甲案 に比 し 運用 容 易 にし て其 実 力 を 以 て
き 時 と し て軍 専 断 の譏 を蒙 り易 し
高 顧 問 の専 断 に陥 り易 き虞 あり
軍 首 脳 部 の足 らざ る を補 ふ に便 な り但 人 選 宜 し き を得 ざ れ ば其 害
は左 の諸 点 を考 慮 し 其 判 定 に資 す る こと 肝 要 な り とす
三、各 案 に は 以 上述 ぶ るが 如 き利 害 を伴 ふ べき も更 に組 成 に関 し て
甲 案 に同 じ き 結果 を招 徠 せん
甲 案 は最 高 顧 問 の選 定 宜 し き を 得 、軍 司 令 官 が 之 を 掌 握 し得 る
ハ、対 満 洲 国 関 係
イ、 満 洲 国 に対 す る帝 国 の指 導 は昭和 八年 八月 八 日閣 議 決 定 に明 な る如 く 軍 司 令 官 兼 大 使 (主 と し て同 令 官 ) の内 面的 統 轄 の下 に 主 と し て 日系 官吏 を 通 じ て実 質 的 に行 は し め之 が活 動 の中 心 を 総 務庁 に求 む る の現 制 を維 持 す る を可 と す 従 て総 務 庁 長 の立 場 は恰 も軍 司 令 官 の配 下 た る 一の政 務 官 が身 分 を転 じ て満 洲 政 府 の要 位 を占 めた る に等 し く 、軍 司 令 官 は其 掌握 す る人 事 権 に依 り其 進 退 を律 し 政 策 遂 行 を 要求 し得 る関 係 を 保 続 す べ き も のと す 軍 司 令 官 の掌 握指 導 に便 な る限 り 総 務庁 長 に は手 腕 力 量貫 禄 あ る人 材 を配 置 し 之 を し て 日系 官 吏 の統 制 を 容易 な らし む る如 く支 持 せざ るべ か らず 之 れ満 洲 国 扶 掖 助 成 上 の最 大 要 訣 な りと す 従来
ロ、 満 洲 国 は独 立国 とし て取 扱 ふ関 係 上 之 が助 成 上 の政 治 的責 任
此点 に於 て両 者 の関 係 は遺 憾 の点 尠 か ら ざ り き
而 し て軍 の内 面的 統 轄 指 導 は 現 実 の情 勢 に於 て最 も 妥 当 且効 果
は表 面 帝 国 政 府 の関 知す る所 に あ らず
的 な る便 法 にし て満 洲 国 進 展 に伴 ひ自 ら 指 導 の内 容 及 方 式 に変 化
ハ、 現 時軍 の内面 的 統 轄 指 導 は其 力 を 軍 司令 官 と し て発 動 す る に
あ る べ き は勿 論 な り と す
か る べ からず 軍 顧 問 の如 き は諮 問 機 関 と し て幕 僚 と相 俟 ち 軍 司 令
於 て意 義 を 存 す るも のに し て世 評 の如何 に係 らず 自 ら 任 ず る所 な
官 を輔 佐 す べ き も の な り軍 顧 問 が表 面 上 の責 任 を 以 て満 洲 国 を指
あ る表 面 的 活 動 を 認 む る は今 次 機 構 調整 の根 本 精 神 と 相 容 れ ざ る
導 し 若 く は 日本 内 地各 庁 に作 用 す べ き も の にあ らず 軍 顧 問 の責 任
も の あ り従 つ て軍 顧 問 ⋮ ⋮ ︹ 編者註 ・以下原案欠除︺
三二
(昭 和 一〇 、 四 、 一九
陸 軍 大 臣 より 竹 内、 荒 川 両 顧問 に対 す る
談話要旨
今次軍顧問 に就任 の御快諾を得 たるは本大臣 の極めて欣幸とす る 夫 々閣議 の決定を経あり、新 軍司令官亦在満機構調整 に伴 ひ赴任後
所 なり、帝国 の満洲国指導大 綱竝 日満経済統制要綱に関 しては既 に 関係 向に新 に其方針を明示し軍 を中 心とし て各 機関統 制せられ概ね め て重大 なるものあり
順 調なる運営 を律 しある次第にして満洲国指導 に関す る軍の負荷極 諸官赴任後 に於 ては克く軍 の方針 を体し大野氏其他 の顧問と協力 し各 々蘊蓄 を傾け軍司令官 以下軍 主脳部 を輔佐せられ、 以て軍 の任 務達 成に遺算 なからしめられ度し何 れ細部 に関し ては軍務局長等と 篤と懇 談相成度し
軍務 局 )
三三
促 進 せら れん こと を望 む
(昭 一〇 、 四 、 二 六
軍 務 局 長 と 板 垣 参 謀 副 長 と の連 絡 事 項 ( 対満 政 策 関 係)
一、治 外法 権 問 題 の推 移 に就 て 法 権 問 題 に関 し ては 現 地委 員 会 決 定 要 綱 に 就 き 、外 務 省 幹 事 会 (陸 軍 、 大 蔵 、 司 法各 省 及 対 満 事 務 局 関 係 者 参加 ) に於 て討 議 の上
なり
修 正案 を得 、 近 く 委 員会 に附 議 し採 沢 竝取 扱 要領 を審 議 せ ら る る筈
行 政 権 の調 整 は未 だ 閣 議決 定 も経 あら ず 、 一般 就 中現 地居 留 民 に 対 し 本 件 が 日満 両者 の為 利 益 な る趣 旨 を充 分 認 識 せ しめ ら れ不 慮 の
又 日満 議 定 書 に 基 く共 同 防 衛 上竝 我 方 駐 兵 権 に関 連 す る事 項 は 固
政 治 問 題 を惹 起 せざ る こと に深 甚 の配 慮 を 望 む
よ り通 商 条 約 等 に基 く法 権問 題と は異 な るも 其内 容 に於 て は法 令 上 相 当 程 度 満 人 を も 束縛 せ ざ る べ か らざ るも のあ る を 以 て 近く 更 に 当 方 の研 究案 を送 付 す べ き も軍 に於 ても 委 員会 指 導 に遺 算 な から し め ら れた し 又 法 権 問 題 の処 理 に関 し外 務 側 に は警察 権 問題 を遷 延 せ んと す る
尚 法 権 問 題 に関 聯 し 日本 人 、 鮮 人 の国籍 竝 公 民権 問 題 等 の研 究 を
の空 気 あ り 、 之 等 に関 し て は格 段 に配 慮 相成 度 し
軍務 局 )
三四
軍 務 局)
日本人官吏等人事 行政 の確立に関す る件
(今次異動 に伴 ふ高級 人事 の刷新を含 む)
中央 としては日本人官吏等 を軍 の政策実行機関たる の見 地に於 て
四
其主義 を決定す
三 帝位継承令、帝族令制定 に関す る件
権調整問題竝軍事 上確立すべき案件 の大綱 に関し懇 談す
中央意見 を開陳し右 の処理に関聯し不可分関係に在 る附属地行政
(昭和 十年 五月
陸 軍 大臣 満 洲視 察 に関 す る重要 案 件 ( 案) (満 洲政 経 関 係 事 項)
今 次視察 の内外 に与 ふる影響 の重大性 に鑑 み陸軍大臣 たるの立場
一、視察 態度に就 て と対満事 務局総裁 の立場とは常 に之 を明確 にせられ度 蓋し世上往 々満洲指導が対満事務局 の管掌な るが如き観念 を有す るも の多 きのみならず 、所謂 ﹁対満総掛 り指導﹂ の言を巧 に利用 し、 軍 の行 ふ内面指導 を逐次縮滅 せんと企図す るものあり て、動 もす れ
軍司令官 が確実 に把握し統制するに異議なきも 一方其活動 を積極且
ば在満竝対満指導 機構改 正の根本趣旨 に悖 り延 ては軍司令官 の満洲 国指導上 の立場 に芳 しからぬ影響を与 ふ懸念 なしとせず
活溌ならしめ満人 に対する立場 を有利 にし職責観念 を向上す べく人 事取扱上 の系統 を糺すを根本義 と考 へある点を明にす 又今次総務庁
確立を図 るの要あるを指摘す
長異動 に伴ふ人事刷新 は充分慎重且勇断 を要すべきも先 づ根本策 の
二、大臣視察中軍司令官と協議 (懇談) の上概定す べき重要事項 日満経済共同委員会 設定 に関す る協定 日本政府 の特 に任命す る委員 (軍経済顧問 と予定す)
該案内容 に付今後 の運営を協議す るの外特に左の諸件を概定す
一 イ
五 満 洲国治 安維持 機関 の根本的刷新に関す る件
六
満洲 に於 ける鮮人問題
根本策 に付忌憚なき内協議を遂ぐ
軍司令官 の抱懐す る方策を聴 取し特 に満 軍指導 要領、軍警統制 の
臨時委員 の任命上の腹案 (特 に海軍、満鉄関係を考慮す)
ハ 協定案 は日本側閣議上程 と満鉄国務院会議上程 とを同時 に行
ロ
ふ如 く措置す ること 二 治 外法権問題
鮮人 の保護取締 のみならず対満人関係、満側行政機関 、朝鮮総督 満洲国弊 制金融 問題
府の朝鮮統治 への影響 、日鮮関係等 の根本問題に関 し協議す 本件 は現時満 洲経済 建設竝改善上 の根本 問題なるに鑑 み之が研究
七 を深刻ならしむると共 に其 の取扱を特に慎重ならしむ べきを要望 し 移民国策 の樹立に関す る件
且過渡的方策 に付懇 談す 八 心的把制、日満融和策 に関す る件
国策として確 立す べき要項 に関し懇談す 九
協和会 の運用、其 他教化、宗教政策に関 し根本的対策を懇 談し五 族協和 日満融和 に関 し且日本語教育竝日本文化 の普及等 に関す る方 策 を協議す 満鉄改組 問題に関す る件 新事 態 に応じ満鉄 に課すべき使命、其 の組織 の運営方針等 に関し
十
実際上 の問題 に吻合す る如く処理す る為将 又従前紛糾 の経緯 に鑑 み 善後処理たる の見 地に於 て今後 の方策 を協議す
三五
︹銑 十 郎 ︺
︹洋右 ︺
軍 務局 )
現下 我 が国 策 の重 心 は申 迄 も なく 満 洲 問 題 の完 全 な る解 決 に存 し
非 ざ る に付 之 が善 導 に努 め ら る ゝと 共 に軍 に対 し ても 真 に国 策 に徹
分 を醸 成 し軍 の満 洲 に於 け る指 導 力 を 殺 が んと 試 む る者 さ へな き に
挙 措 に出 でむ とす る向 あ り或 は 之等 の 一部 を 使嗾 し て所 謂 反 軍 的 気
の見 地 よ り完 全 円満 に協 調 せ ん とす る を暗 に妨害 せ んと す るが 如 き
社 友 会 等 の内 部 に於 ても 偏見 を 以 て関 東 軍 と満 鉄 と が国 防 乃 至国 策
(昭和 十 年 五月
林 陸 軍大 臣 より 松 岡満 鉄 新 総 裁 に対 す る 懇 談要 旨 一
内 外 多 事 多端 の秋貴 下 が満 鉄 総 裁 に就 任 せ ら れた るは 邦家 の為 寔
満 鉄 の使 命 愈 々重 大 な る も の あ り事 変 以来 満 鉄 が軍 と 協 力 し国 策 の
に欣 幸 に堪 へざ る所 な り
遂 行 に邁 進 せら れた る功 績 は本 職 の感 謝 措 く 能 は ざ る所 な ると 共 に
て已 まず
せ る忌 憚 な き 意 見 を 吐露 せ ら れ協 力 の実 を挙 げ ら れん こと を庶 幾 し
二 、満 鉄 会 社 現 下 の使命 に就 て
之 に期 待 す るも の亦 極 め て多 く軍 の担 当 す る満 洲国 指 導 の重 任 は満
以下 一、 二所 見 を開 陳 し貴 下 の考 慮 を煩 は さ んと す
鉄 の完 全 な る協 力 に依 り て克 く 其実 績 を向 上し 得 るも のと信 じ あ り
過去 に於 け る満 鉄 会 社 は国 策 に即 応 し て満 洲 に対 し政 治 的 活 動 を
の下 に我 国策 遂 行 を庶 幾 せ ら るる に至 れ る現 在 に於 て は満 洲 に関 す
も 行 ふ の使 命 を有 し た る如 き も満 洲 国 創 建 せ ら れ関 東 軍 司 令 官 指 導
一、 関 東 軍 と満 鉄 と の協 調 に就 て 事 変 当 初 よ り 軍 が満 鉄 に蒙 りし 援 助 協 力 の大 な り し は 素 よ り多 言
る限 り満 鉄 の使 命 は自 ら 主 と し て経 済 的 方 面 に限 ら る る に至 りし は
を要 せ ざ るも昭 和 八 年 末 所 謂 満鉄 改 組 問 題 擡 頭前 後 よ り関 東 軍 と満 鉄 と の関 係 は多 少 円満 緊 密 を欠 きた る節 あ り 最 近 に於 て は稍 々改 善
洲国 側 の施 策 に対 し協 同 の実 を挙 ぐ る に努 め ら れ度
自 然 な り 就 ては 現在 の満 鉄 と し ては叙 上 の対 満 観 念 に即 応 し軍 及 満
満 洲 に対 す る関 係 上 述 の如 きも 支 那 に対 し て は其 趣 を 異 に す 蓋 し
せ ら れた るが 如 き も 未 だ十 分 と 認 め 難 き も のあ り例 へば 或 は軍 の要
往年 の満 鉄 は支 那 に対 し ては大 な る役 割 を有 せざ りし も 現 下 の状 勢
求 に対 し 隔 意 な き意 見 を交 換 す る こと な く し て其 真 意 を誤 断 し 或 は
言 動 を見 る が如 き事 例 な し と せず 又仄 聞 す る に大 株 主会 、 社 員 会 及
営 利観 念 に偏 す る批 判 を下 し 若 は 表 面 受 諾 し つ つ裏 面 に於 て反 対 的
あり た る所 最 近 に至 り我 対 満 国 策 は 主 と し て満 洲 国 政 府 を通 じ て之
従 来 の満 鉄 は対 満 国 策 遂 行 機 関 と し て広 く手 を国 策 的 事業 に 拡げ
を遂 行 し得 る に至 りし の みな らず 帝 国 民 の対 満 発 展 も 概 ね内 地 に於
に在 り て は我 対 支 政 策 に関 聯 し対 支 経 済 的 進出 に関 し 相 当 大 な る役
三 、満 鉄 本 然 の活 動 に就 て
此 際 満 鉄 が 引続 き事 変 前 と全 く 同 一の指 導精 神 を以 て満 洲 の事 業
の下 に国 民 の発展 を庶 幾 す る の要 は漸 次減 少 した り
け ると 同 様 に自 由 と な り満 鉄 を 通 じ て国 策 を遂 行 し 乃 至 は満 鉄 保護
割 を演 ず る の概 な か る可 か らず と 信 じ あ り 此点 篤 と考 慮 あ り た し
満 鉄 の活 動 が啻 に経 済 上 の追 及 の みを 目 的 と せず 国 策 に即 応 す べ き点 に於 て 一般 営 利 会 社 と趣 を異 にす るも のあ る は申 迄 も な き所 な
に当 る こと は 却 て満 洲 国 の国 策 乃 至 行 政 の実行 を妨 げ 内 地 企 業 家 の
り就 中 国 防 上竝 満 洲 産 業 開 発 上 の 要望 に関 し ては 国策 に基 く 所 自 然 採 算 上 の困 難 を伴 ふ こと あ るべ き は推 察 す る に難 から ざ る所 な るも
る経 済 的活 動 を以 て其 の使命 とし
茲 に於 て か満 鉄 は満 洲国 内 に在 り て は主 と し て交 通 業 を中 心 とす
れり
脹 の結 果 は満 鉄 の将 来 に対 し漠 然 た る不 安 を抱 く者 を も生 ず る に至
進 路 を閉 塞 す る の虞 な き を保 せ ず 又事 変 後 に於 け る急 激 な る社業 膨
又 従来 政 党 政 治 の弊 害 は深 く満 鉄 内部 に浸 潤 し 党 弊 の 一禍 根 を成
大 局 の見 地 よ り十 分 の協 力 を煩 し度 し
形 せ るや の世 評 あ り果 し て然 るや 否 や は姑 く置 き現 下 重 大使 命 を有 す る満 鉄 が 一度党 弊 に作 用 せら る るが 如 き こと あ らん か延 て国防 上
1 、満 洲 国 と の協 調 に関 し 一段 の改 善 を 加 ふ る こと
竝 満 洲 開 発 上 にも暗 影 を投 ず る に至 る べ く 此点 特 に考 量 せ ら れ満 鉄
2、 事 業 の堅 実 化 を図 り以 て国 民 の信頼 に応 ふ る こと
針 を確 立し 以 て社業 を刷 新 せ ら れ ん こと を 望 む
る事 業 計 画 を定 め 或 は既 営 事 業 の整 理 を行 ふ等 堅 実妥 当 な る経 営 方
等 の方 針 に基 き事 業 の要 度 と 資 金 の供 給 と の関 係 を考 量 し 数 年 に亘
展 の機 会 を与 ふ る こと
4、 内 地 産 業 と の連 繋 を図 ると 共 に 一般 邦 人企 業 家 に対 し 対 満 発
3、 既 経 営 諸 鉄 道 及港 湾 の経 営 を 一層 合 理的 な ら しむ る こと
の活 動 を し て我 不動 の国 策 に順 応 せ し め断 じ て我 国 内 の政情 に 左右
軍 務 局)
せら れ ず超 然 と し て其 使 命 に邁 進 す る如 く配 慮 相 成 度
満 鉄 総 裁 と の懇 談 要 旨 二 (昭 和十 年 五 月
満 洲事変 以来異常 なる躍進を遂げたる満鉄 に貴下 の如 き最適任者 が総裁として就任 せられたる ことは邦家 の為慶賀 に堪 へざる所 なり
に国 防 治 安 に関 し ては 日満 両 国 官 憲 に対 し 十分 協 力 せ ら れ度
尚 監 督 機 関 は勿 論 関 係機 関 と の連 繋 協 調 に付 ては 一層 意 を 用 ひ殊
二 、附 属 地行 政 権 の調整 乃 至移 譲 に就 て
然れ共今 日 の満鉄 は既営事業 の整 理刷新、新規事業 の開拓、支那 経済開発 への参加及資金調達方法 の確立等善処を要すべき事項甚だ
附 属 地行 政 権 の調 整 乃至 移 譲 に関 す る根 本方 針 は既 に閣 議 決 定 せ
多きも のあるを以 て茲 に聊 か所見 を開陳 して参考 に資 せんとす 一、社業刷新 に就 て
る調 和 を 希 ふ に過 ぎず
も抑 止 せん と す る 主旨 に あ らず し て要 は事 業 と 会 社 財 政 と の妥 当 な
尚 今 後 社 業 の発 展 に伴 ひ 現在 の資 本 金 及社 債 発 行 限度 を以 てし て
ら れ今 後 漸 を追 う て其 の具体 化 を図 るべ き処 な るが 本 問 題 の内容 は
研 究 を要 す るも のあ り目 下 現 地 関 係機 関 に於 ても 夫 々考 究 を重 ね つ
し ても 慎 重 に之 が対 策 を講 究 す べ き を以 て予 め 会 社 に於 ても 周 到 な
資 金 に不 足 を 生ず る場 合 に於 け る資 金 調 達 の方 法 に関 し て は政 府 と
複 雑 多 岐 に亘 り 影 響 す る所 亦 大 な るを 以 て之 が具 体 案 には慎 重 な る
つあ るを 以 て附 属 地行 政 事 務 の実 質 を掌 握 す る満 鉄 と し て は克 く現
る研 究 を 重 ね ら れ度
地 官 憲 と 協 力 し以 て本 問 題 の円 満 な る解 決 に協 力 せ ら れ ん こと を望 む
支 那 に 対 す る経 済 発 展 の前 衛 と し て満 鉄 の之 に寄 与 す る の 必要 且
三、 日満 支 経 済 提携 に就 て
妥 当 な る は今 更 申 す 迄 も な き処 興 中 公司 は実 に此 目 的 を 以 て計 画 せ
に着 手 せ ら れ度 而 し て其事 業 の成 否 は影 響 す る所 極 め て大 な るも の
ら れ其 設 立 を認 可 せ られ た るも のな る を以 て速 に之 を 設立 し て事 業
あ り 依 て本 公 司 の指 導 監 督 に方 り て は克 く 政 府 と 密接 な る連 絡 を保 ち 消 極 に陥 らず 放 慢 に流 れず事 業 を経 営 せし む ると 共 に適 時 他 の資 本 を 合 同 せ しむ る の措 置 を 講 じ以 て 日満 支 経 済 提 携 の実 を挙 げ られ ん こと を特 に 切望 す
日満 経 済 共 同 委 員 会 は 近 く委 員 の任 命 を見 活 動 を開 始 せん と す満
四 、 日満 経 済 共 同 委 員会 と の連 繋 に就 て
鉄 は 現在 の所 直 接 該 委 員会 に関 係 な し と 雖 も満 洲 経 済 の全 般 に関 し
ち該 委 員 会 の活 動 に協 力 せ ら れん こと を望 む
豊 富 な る知 識 と経 験 と を有 す るを 以 て関 係 方面 と密 接 な る連繋 を保
新 規 事 業 に要 す る資金 調達 を容 易 な ら し む る為 に は先 づ 社業 の堅
五、 資 金 調 達 に就 て
実 化 を図 り て 一般 の信 用 を高 む ると 共 に他 面既 経 営 事 業 よ り の資 金 回収 を 策 す る 必要 も あ る べし尤 も 右 は絶 対 的 に必 要 な る新 規 事 業 を
方
三六
針
満 洲 国陸 軍 指導 要 綱
満洲国陸 軍は在満帝国陸軍指揮官 の常時実質的把制 の下 に同国治 安 の維 持に任 じ帝国国防 の補助的 要素たらしむ る如く之 を積極的 に
(改 正 案 ) (昭和 十年 六 月十 三 日
軍事 課 )
三、満洲国陸軍 の兵 力は其 の目的 に鑑 み必要 の最少限度 に止めしむ
右兵数 の外軍隊類 似 の装備能力等を有 する武装団体 は逐次之 が解
其兵数 (憲兵 を含 む) は差当り現在 の約 八万を以 て標準とす
四、満洲国陸軍 の兵種 は主とし て歩兵及騎兵とし之 に防 衛部隊 (防
消を図 る
特に其 の私兵的勢力 の割拠結成 を戒む
指導す
空飛行隊、高射部 隊)及自動車隊 を加 へ之が編制装備 は其 の任務 を
満洲国陸軍 には 一般 に戦車、重砲、瓦斯資材等 は之 を保有せしむ
劃 一な らしむ るを要 せず
充足 し得 るを以 て度 とし且各地方 の特質 に適応 せしめ必ず しも全軍
綱
要
一、満 洲国陸軍 は同国防衛 に関す る帝国陸軍 の負担を軽減す る着 想 の下に之 を建 設維持す 右着 想具現 の為 には常時同軍 の把 制に最留意す るも のとし特 に同
べからしむ
満洲国陸軍 の作戦資材 の補給源 は努 めて之を帝国陸軍 と共通し得
る ことなし
五、満 洲国陸軍 の練成 は帝国陸軍 の実質的指導下に於 て所要 の行動
二、満 洲国陸軍 に課すべき任務は主 とし て国内防衛及後方補給 に止
軍内 に於ける指導機構 の実質的強 化に努む め外敵 に対し ては積極的 に之を使用 せざ るを本則とす但 し国境 に駐 国内防衛 に於 ても最も重要なる都市 の防衛及戦時帝国陸軍 が利用
作興とに留意 す
特 に日満共同防衛 の重大意義 に立脚し形而上 の練磨 と国軍意識 の
を為 し其任務を充足し得 しむるを目途とす
屯す る部隊 の臨機 の外敵抗拒等は固 より時 の宜きを制す
るも のとす
すべき重要鉄道 の保護は主義 として之を満 洲国陸 軍に専任 せしめざ
六 、 国境 の防 備 、 重 要 機 築 物 の防 護 、 防 空 、 交 通 通 信 等 に関 す る軍
る べく 速 か な らし む る如 く促 進 す
事 上 の諸 施 設 は専 ら帝 国 国 防 上 の要求 に立 脚 せし め 且 之 が整 備 を 成
三七
(昭和 十年 (康 徳 二年 ) 七 月十 五 日)
日満 経 済 共 同委 員 会設 置 に関 す る協 定
一、満 洲 国新 京 に日満 経 済 共 同 委 員会 を常 設す
命する ことを得
右 の外日満両国政府 は必要に応 じ協議 の上各同数 の臨時委員を任
ことを得代 理者 は委員 の名 に於て其 の職を行 ふ
殊 会 社 の業 務 に関 す る重 要事 項 に付 日満 両 国 政 府 の諮 問 に応 じ 意 見
二、議長 は委員中より之を互選す
二、本 委 員会 は 日満 両 国 経 済 の連繋 に関 す る重 要 事 項 及 日満 合 辨 特
を 答申 す べ き も のと し両 国 政 府 は 此等 の事 項 に付 ては本 委 員 会 の諮
三、委 員会 に幹事若干名を置く幹事 は庶務 を整理す
幹事 は随員中 より 日満両国政府各同数 を任命す るも のとす
問 を 経 た る後 に非 ざ れば 之 を 処 理 す る こと を得 ざ るも のとす
四、委 員会 の議事 は過半数を以て之 を決す可否同数なるときは議長
三 、本 委 員会 は 必要 に応 じ 日満 両 国 経済 の合 理的 融 合 に関 す る 一切 の事 項 に付 両 国政 府 に建 議 す る こと を得 るも のと す
の決する所 に依 る
書
協定附属書 の 一の第 一項 に定む る委員 は左の如くす るも のとす
第一
日本 国 及満 洲 国全 権 委 員 が 一致 し た る了 解 事項
日満 経済 共同 委 員 会 設 置 に 関す る協 定 の締 結 に 付
五、委 員会 は日満両国政府 の承認 を経 て其 の議事規 則を定む
議長 は委員として議決 に加 はる ことを妨げず
四 、本 委 員会 の組 織 及 運 用 に付 て は附 属文 書 の定 む る所 に依 る 五 、本 協 定 は署 名 の 日 より 之 を 実施 し 日満 両 文 を 以 て共 に 正文 と し
属
其 の間 に解 釈 を異 にす ると き は日 本文 に依 り之 を 決 す る も のと す
附
一、 委 員 会 の委 員 は 八名 と し 日満 両 国 政 府 は各 四 名 を 任 命 し 相 互 に 之 を 通 報 す べ し委 員 事 故 あ ると き は其 の代 理者 に付 満 洲 国 駐〓 日本 国 特 命 全 権 大 使満 洲国 国 務 総 理大 臣 相 互協 議 の上之 を出 席 せ し む る
国
が 日本 国 政 府 、 日本 国 臣 民 又 は 日本 国法 人 の醵 出 に係 るも の、 又 日
本 国 法 律 に従 ひ成 立 し た る会 社 に在 り て は其 の資本 金 の半 額 以上 が
日 本 関東軍参謀長た る陸軍将官
昭 和 十 年 七 月十 五 日即 ち康 徳 二年 七 月 十 五 日新 京 に於 て
三、 合 併 及 解散 の決 議 の認 可 に関す る事 項
二、 利 益 金 処分 の認 可 に関 す る事 項
一、 定款 の重要 な る変 更 の認 可 に関 す る事 項
満 洲 国政 府、 満 洲 国臣 民 又 は満 洲 国 法 人 の醵 出 に係 るも のに 対す る
在満 日本帝国大使館専任首席参事官 関東 局 総 長
業 務 の監 督 中 左 記 各 号 の何 れ か に該 当 す る も のを謂 ふ
日本国政 府に於 て特 に任命す る者 一名 満 洲 国 外 交部 大 臣 実 業 部大 臣 財 政 部 大臣 第二
国務院総務庁長
一、日満両国経済 の連繋 に関係 ある輸出入及関税 に関す る事項
協定第 二条 に定むる 日満両国経済 の連繋 に関す る重要事項とは満 洲国 の経済問題 にし て左 の各 号の何 れかに該当す るものを謂 ふ 二、日満 両国経済 の連繋 に関係ある重要産業 の開発及統制 に関す る 三、 日満両国経済 の連纂 に関係ある日満合辮特殊会社 の設立に関す
重要事項 る法令 の制定及改 正に関す る重要事 項 四、日満両国経済 の連繋 に関係あ る投 資に関す る重要事項 五、其 の他日満 両国経済 の連繋 に関する重要事項 第三 協定第 二条 に定む る日満合辨特殊会社 の業務の監督 に関する重要 事項と は日満 両国経済 の連繋 に関 係ある重要産業を営む会社 にし て 満洲蜀法律に従 ひ成立したる会社 に在り ては其 の資本金 の半額 以上
三八
治 外 法権 撤 廃 要綱 案
︹ 註 ﹁四月十七日外務省幹事会 に於ける討議 を基礎 とし て現地案
(昭 一〇 、 四 、 二 二
軍 務 局)
ロ 警察 権 (司法警察権を除く) の承 認 (日本国民をして満洲国
に順応し行政的部分 の調整後之を実施す
五、領事裁判権 (司法警察権を包含す) の撤廃は満 洲国 の準備 工作
の 一般 行政警察権 に服 せしむる こと)
一、満洲国 に於け る日本 の治外法権撤廃 の趣旨 は満洲国 の健全なる
に修 正を加 へた るも の﹂︺ 発達を促 さんとす る日本側 の好意 に依 る自発的行為 にして満洲国側
六、満洲国側に於 ける治外法権撤廃準備 は差当り日本国民が満洲 に
康徳三年 末迄
於 て日本 国政府より享受す べき保護 の程度 を目標とし左記 の標準 に
制 度
の要求 に因 るも のに非ず
察
主要産業法令税 制
康徳四年 末迄
依 り之を整備するものとす 警
制 度
二、満洲国 は治外法権撤廃に順 応し て其 の全領域に於 て日本国民 の しむる様適 切な る措置を講ず るものとす
法
居 住往来営業等を 一層安益ならしめ究極に於て内国民待遇を享受 せ 三、治外法権撤廃 は事項別漸 進主義 に依 る事 とし先づ其 の行政的部
司
竝 に職員 は原則とし て其 の儘満 洲国側 に於 て之を引受く るも のとす
七、治 外法権撤廃に伴 ひ日本側 に於 て処理する ことを要す べき施 設
康徳二年 末迄
分 (行政法規 の適用を受けざる の権) の調整を行ひ然る後其 の司法 的部分 (領事裁 判権) の撤廃 に進むも のとす
拡大せざる如く留意す るも のとす
四、治外法 権 の行政的部分 の調整は大 体左 の順序 に依り満 洲国 の準
八、治外法権 の撤廃 に依り在留 日本国民 の生活に著 しき変動を生ぜ
日本側 に於け る今後 の施設及職員 の配置 は前項 の趣旨 に依り濫り に
イ
備 工作に順 応して速 に実施 に着 手す 業 に関する満 州国 の 一般行政法規 を遵守 せしむ ること及満洲国 の
しめざる様特 に考慮す
産業に関する行政法規及課税法規 の承認 (日本 国民をして産
租税を納付せしむる こと)
九、南満洲鉄道附属地行 政権 は治外法権 の行政的部分 の調整と雁行 し て之 を調整す 十、 日満議定書に基 く日本軍 の駐兵権 に関聯す る諸般 の案 件は治 外 法権撤廃 に依り何等 の影響 を受けず尤も右諸般 の案件 に付 ては治 外 法権撤廃と併行し て調整 を行 ふも のとす
満 洲 国 に 於 け る 帝 国 の治 外 法 権 の撤 廃 及 南 満
調印 の 日満 議 定 書 等 に依 り て宣 明せ ら れた る通 、 満 洲 国 を し て帝 国
月渙 発 せ ら れた る国際 聯盟 脱 退 に関 す る詔書 竝 昭和 七 年 九 月 十 五 日
三九
洲 鉄 道 附 属 地 行 政 権 の調 整 乃 至 移 譲 に 関 す る
満 洲国 に於 け る帝国 の治 外 法 権 及 南 満 洲 鉄 道 附 属 地 行政 権 に付 て
と 不可 分 の関 係 を持 し つ つ独 立 国 と し て健 全 な る発 達 を 為 さし む る
( 昭和一 〇、八、九)
は 左 記 方針 に依 り関 係 官 庁 を し て具 体 的 方 策 を 攻 究 せ し め逐 次 之 が
に在 り。 仍 て帝 国 政 府 は 右根 本 方針 に基 き 、 一面 日満 両 国 不 可 分 関
閣議 決 定
実 行 を期 す る も のと す
係 強 化 の為 各 般 の措 置 を 講 ず る と共 に、 他 面 満洲 国 を し て政 治 経 済
義 を宇 内 に顕 揚 せん と す る帝 国 の国 策 に寄 与 す る に至 ら し む る こと
一、満 洲国 に於 け る帝 国 の治 外法 権 に関 し て は従来 の条 約 及 閣 議 決
を 期 し つ つあ る次 第 な り 。
定 の精神 に 則 り満 洲 国 に於 け る制 度 及 施 設 の整 備 に対 応 し就 中 在 留
二、 然 る に現 に満 洲 国 に於 て帝 国 が条 約 上 享 有 し居 る治 外 法 権 は 、
を為 す 東 亜 の雄 邦 と し て帝 国 国運 の伸 長 乃 至 東洋 の平 和 を 確 保 し大
るも のと す
国 の国 策 遂 行 を 円滑 な ら し む る こと に付 特 に考 慮 し漸 進 的 に撤 廃 す
満 洲 国成 立前 の事 態 に於 ては帝 国 の対 満 発 展 の主 要 な る条 件 な り し
財 政其 の他 庶 政 を充 実 し て健 全 な る発 達 を 遂 げ 、帝 国 と 実 質 的 一体
二、 南 満 洲 鉄 道 附 属 地其 のも の は依 然 我 方 に保 有 す る こと勿 論 な る
も 、 前 記我 対 満 国 策 の進 捗 に伴 ひ漸 次 其 の重 要 性 を 失 ふ に至 れ ると
帝 国 臣 民 の生活 に急 激 な る変 動 を 与 へざ る こと 、 満 洲 国 の全 領 域 に
も当 該 地 域 に行 使 せ ら る る帝 国 の行 政 権 に関 し て は前 記 治 外法 権 撤
於 け る帝 国 臣 民 の安 住 発 展 を 一層 確 保 す る こと及 満 洲 国 に対 す る帝
廃 と の関 聯 に鑑 み満 洲国 に於 け る制 度 及施 設 に対 応 し 前 項 に於 け る
日満 両 国 民 の融 和 を図 り満 洲 国 に於 け る我 国 民 の全 面的 発 展 を可 能
な らし む る上 に於 て も、 之 が撤 廃 を 必 要 とす る に至 れり。 仍 て状 況
且確 実 な ら し め 、進 ん で は日 満 両国 善 隣 不可 分 の関 係 を永 遠 に強 固
同 時 に、 満洲 国 の健 全 な る発 達 を 遂 げ しむ る 上 に於 ては勿 論 、 真 に
由
と同 様 の考 慮 の下 に治 外法 権 の漸 進 的 撤 廃 と 歩調 を合 せ各事 項 の性
理
質 に応 じ調 整 乃 至 移 譲 す る も のとす
一、帝 国 の満 洲 国 に対 す る 国策 の基 調 と す る所 は、 曩 に昭 和 八年 三
の許す 限 り速 に治 外 法 権 の撤 廃 を実 行 す る を適 当 と す 。 更 に英 米 等 の諸 外国 は支 那 国 に於 て有 した る権 利利 益 を満 洲 国 に於 て確認 尊 重 す べ き こと を規 定 せ る条 約 な き を以 て、 満 洲 国 側 に於 て は同 国 に於 て条 約 上治 外法 権 を享 有 せ ざ る も のと 為 し 居 る も 、事 実 上は 此等 諸 外 国 を し て治 外 法 権 的 地 位 を保 持 せ し め居 る所 、 右 は満 洲 国 の健 全 な る発 達 に著 し き障 碍 を 及 ぼし居 る こと 勿 論 な る を以 て、 先 づ 帝 国 に於 て治 外法 権 の撤 廃 を 実 行 し、 以 て此 等 諸 外 国 を し て帝 国 に準 じ 其 の事 実 上 保持 す る治 外 法 権 的 地位 を拗 棄 す る に至 ら し む る を要 す。 三、 尚 南 満 洲鉄 道 附 属 地 行 政 権 に付 て も、 前 記 治 外 法 権徹 廃 の 必要 に準 じ新 な る考慮 を加 ふ る の要 あ ると共 に、 其 の漸 次撤 廃 せ ら る る に伴 ひ 必然 に之 が 調 整 乃至 移 譲 を 図 る の必 要 を加 ふべ し。 依 て治 外
し て附 属 地 行 政 権 の調整 乃至 移 譲 を実 行 す る を適 当 と す 。
法 権 の漸 進 的 撤 廃 と 歩調 を合 せ十 分 各 般 の事 情 を考 慮 し 実情 に即 応
四、 満 洲 国 に於 け る帝国 の治 外 法 権 の撤 廃 及南 満 洲 鉄 道 附 属 地 行政 権 の調整 乃至 移 譲 に当 り ては、 満 洲 国 に於 け る 制度 及 施 設 の整 備 に 対 応 し 就中 在 留 帝 国 臣 民 の生 活 に急 激 な る変 動 を 与 へざ る こと 、満 洲 国 の全領 域 に於 け る帝 国 臣 民 の安 住 発 展 を 一層 確保 す る こと 及満
る の みな らず 益 々日満 両 国 不可 分関 係 の強 化 充 実 に努 む る は勿 論 と
洲 国 に対 す る帝 国 の国 策 遂 行 を 円滑 な らし む る こと に付 特 に考 慮 す
す。
第 一條
四〇
同 盟 国 軍 隊 ノ 駐 屯 ニ伴 フ 軍 事 法 規 適 用 等
律 又 ハ命 令 ノ定 ム ル所 ニ依 ル
ニ関 ス ル件 ( 勅令第四三九号)
共 同防 衛 ノ目 的 ヲ以 テ同 盟 国 ノ軍 隊 駐 屯 ス ル ニ際 シ軍 事 行
則
本 法 ハ康 徳 四年 十 二 月 一日 ヨリ之 ヲ施 行 ス
附
寧 利 益 ノ保 護 及 軍事 行 動 上 ノ便 益 ノ為 ニ適 用 セ ラ ル ヘキ同 盟 国 軍
本法 ヲ適 用 セ ラ ル ヘキ同 盟 国 ハ勅 令 ヲ以 テ之 ヲ定 ム
動 上 必 要 ナ ル自 由 、 保 障 及 之 ニ伴 フ便 益 ノ享 有 ヲ全 ウ ス ル為 其 安
隊 ニ関 ス ル法 令 ハ命 令 ノ定 ム ル所 ニ依 リ満 洲 国 法 令 ト看 做 ス コト
満 洲 国 軍 隊 ノ為 適 用 セ ラ ル ヘキ 法令 ハ別 ニ法 律 ヲ以 テ定 ム
ヲ得 其 犯 シタ ル罪 ハ満 洲 国 法 令 ヲ犯 シタ ル罪 ト看 做 ス 第 二條
同盟 国 軍 事 警 察 機 関 (補 助 機 関 ヲ含 ム) ノ行 フ軍 事 、司 法
ル所 ニ依 リ同 盟 国軍 隊 ノ為 適 用 セ ラ ル ル モノ ト ス 第 三條
軍 事 検 察 官 、 検 察 官 ハ同 盟国 軍 事 警 察 機 関 ニ対 シ必 要 ニ応
又 ハ行 政 警 察 ノ事 務 ハ其 職 務 ニ相 当 ス ル警 務 機 関 ノ事 務 ト看 倣 ス 第 四條
共 同防 衛 ノ趣 旨 ニ依 リ協 同 シ テ警 務 ニ服 ス ル場 合 ニ於 ケ ル
シ捜 査 ヲ依 嘱 ス ル コト得 第五條
第 一條 、 及 第 五條 ニ関 シテ 必要 ア ル事 項 ハ主 管部 大 臣 命 令
警 務機 関 ノ統 制 ハ命 令 ノ定 ム ル所 ニ依 ル ヘシ 第六條
前 各 條 ノ戦 時 又 ハ事 変 ノ場 合 ニ於 ケ ル適 用 ニ付 テ ハ別 ニ法
ヲ以 テ之 ヲ定 ム 第 七條
四 一
満 洲 国 に 於 け る 帝 国 の治 外 法 権 の撤 廃 及 南 満
( 昭和一二、六、一 八 閣議決定)
由
一、 帝 国 政 府 は 昭和 十 年 八 月満 洲 国 に於 け る帝 国 の治 外 法権 の撤 廃
理
一、満 洲国 に於け る帝国 の治外法権及南満 洲鉄道附属 地行政権 に関
し、 爾 来 関 係 官庁 を し て之 が具 体 的 方策 を攻 究 せし め 、 之 が実 行 の
及 南 満 洲 鉄 道 附 属 地 行政 権 の調 整 乃 至移 譲 に関 す る根 本 方針 を決 定
と
洲 鉄 道 附 属 地 行 政 権 の調 整 乃 至 移 譲 に 関 す る 実 行 方 針 の件 満 洲国に於 ける帝国 の治外法権 の撤廃及南満洲鉄道附属地行 政権
し ては昭和十 一年 六月十 日調印 の ﹁ 満 洲国に於 ける日本国臣民 の居
の調整乃至移譲 に付 ては左記方針 に依り之が実行 を期す るも のとす
住及満洲国 の課税等 に関す る日本国満 洲国間条約﹂ の実施 の成績 に
に依 り課税 、産 業 等 に関 す る満 洲 国行 政 法 令 の 一部 を 同 国在 住 の帝
日本 国 臣 民 の居 住 及 満 洲 国 の課税 等 に関 す る 日本 国満 洲 国間 条 約 ﹂
国 臣 民 に適 用 す る こと を承 認 し 、尚 前 記 条 約 附 属 協 定 第 四 条 に於 て
第 一歩 と し て昭和 十 一年 六月 十 日調印 せ ら れた る ﹁ 満 洲 国 に於 け る
二、前記帝国 の治外法権及南満洲鉄 道附属地行 政権 は昭和十二年十
遅 く と も 昭和 十 二年 十 二 月 三 十 一日迄 に満 洲 国 領 域 内 に於 け る行 政
徴し且満 洲国 の制度及施設 の整備 の進捗 に稽 へ前記条約附属協定第
二月 一日之を撤廃 又は移譲す ることを目標 として準備 を為すも のと
警 察 を撤 廃 又 は移 譲 す べ き こと を 定 め た り。
四条 に定むる行政警察と同時 に之を撤廃又は移譲す るも のとす
三、右撤廃及移譲 に関し ては左記 に依るものとす
す
を定め我方 に於 て之を行 ふこと
ロ、在満帝 国臣 民の神社、教育及兵事 に関す る行政 は適当 の範囲
帝 国 臣 民 の安 住発 展 を 一層 確 保 し 、満 洲国 をし て健 全 な る発 達 を遂
権 の移 譲 は 帝 国 の満 洲 国 に対 す る国策 の本 義 に稽 へ、 同 国 に於 け る
二 、満 洲 国 に於 け る帝国 の治 外 法 権 の撤 廃 及南 満 洲鉄 道 附 属 地行 政
る所 な か り し も のと す 。
然 れど も其 の他 の事 項 に付 ては 其 の撤 廃 又 は移 譲 の時 期 を 予見 す
ハ、 日満 両国間 の行政上及司法上 の共助 、我方 の施設及職員 の処
イ、残務整 理其 の他過渡的事項 に関し ては適宜措置す ること
理等 に関 し両国 の特殊不可分 の関係 に即応す る様適当措置する こ
げしめ、進 んで日満 両国善隣 不可分 の関係を永遠 に鞏固 ならしむ る 上に於 て情況 の許す限 り速 に之 を実行す るを妥当とす る処、前記条 約実施 の成績 は頗 る良好 にし て且満洲国 の司法其の他諸般 の制度及 の結果前記条約附属協 定第 四条 に定む る行政警察 の撤廃及移譲 の時
施設 の整備も爾来 急速 に進捗 し居 るを以 て、政府に於 ては慎重考慮 期 に於て治外法権就中領事裁判権及南満 洲鉄道附属地行政権 の全般 的撤廃及移譲を行 ふを適当と認む るに至れり。 三、而し て前記 理由其 の他諸般 の事情 を考慮す るときは前 記帝国 の 治外法権及南満洲鉄道附属地行政権 の撤 廃及移譲 は昭和十二年十 二 月 一日を目標 とし て準備 を為すを適当 とす。 四、前記帝国 の治外法権及南満 洲鉄道附属地行政権 の撤廃及移譲後 に於 ても残務整 理其 の他過渡的事項 に付 ては実情に応じ適宜 の措置 を講ず る の要 あるは勿論 にし て又満洲国在住帝国臣民 の神社、教育 及兵事 に関す る行政に付ては各事項 の本質及在満帝国臣民 の状況等 尚両国間 に於ける行政上及司法上 の連繋 に付 て特 に緊密な る共助
に鑑 み適当 の範囲を定 め依然帝国 に於 て之を行 ふこと を必要とす。 の方法を講 じ又我方施設及職員 の処理に付 ても原則とし て之 を其 の 儘満洲国 に引継ぐ等 日満両国 の特 殊不可分関係 に即応したる措置を 講ず るの要あるものとす。
満 洲 ニ駐 屯 ス ル 日 本 国 軍 ノ 軍 事 関 係 法 規 適 用
以書 翰 啓 上 致 候 陳者 満 洲帝 国 ハ大 同 元 年 九 月 十 五 日即 チ昭 和 七年
来
権 及 行 政 警 察 権 ヲ行 使 シ得 ル様 措 置 ス ヘシ右 ノ場 合 其 ノ警 察 権 行
権 ニ服 ス ル者 ニ対 シ満 洲 国 ノ法令 ヲ適 用 シ軍 事 警 察 権 、司 法 警 察
寧 利 益 ヲ保 護 シ又 ハ治 安 ヲ維 持 ス ル為 必要 ア ル場 合 ハ満 洲 国 ノ法
ヲ行 使 ス ル為 又 ハ別 ニ協 議 ス ル特 定 ノ地 域 内 ニ於 テ日本 国 軍 ノ安
四 二
九月 十 五 日調 印 ノ満 洲 国 日本 国 間 議 定 書 ニ於 テ両 国 共 同 シ テ国 家 ノ
( 昭一二、一一、三〇 軍司令官国務総理)
防 衛 ニ当 ル ヘキ コト ヲ約 シ所 要 ノ 日本 国 軍 ハ満 洲国 内 ニ駐 屯 シ ア ル
ム ル モノト ス日満 共同 防 衛 ノ趣 旨 ニ依 リ 日満 当 該 機 関 共 同 シテ防
使 ニ依 ル処 分 ハ満 洲国 当該 機 関 ノ為 ス モ ノト同 一ノ効 力 ヲ有 セ シ
ニ関 ス ル交 換 公 文
所 其 ノ駐 屯 ニ伴 フ軍 事 関 係 法 規 ノ適 用等 ヲ調 整 シ以 テ 日本 国 軍 カ満
翰
洲国 内 ニ於 テ 日満 共 同防 衛 上現 ニ有 スル軍 事 行 動 上 必要 ナ ル自 由 、
トス 第 三條
景
恵
前 各 条 ノ戦 時 又 ハ事 変 ノ場 合 ニ於 ケ ル適 用 ノ態 様 ニ付 テ ハ
満洲帝 国国務総理大臣 振 関 東 軍 司 令 官 植 田 謙 吉 殿 兼日本帝国特命全権大使
康 徳 五年 十 一月 三十 日
別 ニ協 議 ス ル所 ニ依 ルモ ノト ス
第 四條
察 ノ共 助 ニ関 スル 日満 両 国 ノ約 定 ヲ準 用 ス ル モ ノト ス
軍 事 司 法 及 軍事 警 察 ニ関 ス ル共 助 ニ付 テ ハ 一般 ノ司 法 及警
ハ日本 国 機 関 ニ於 テ統 制 シ所 要 ノ 区処 ヲ為 シ得 ル様 措 置 スル モ ノ
具
諜 、思 想 対 策 及 軍 事警 察等 ノ警 察 事 務 ニ服 ス ル場 合 必 要 ア ルト キ
敬
保 障 及 便 宣 享有 ヲ 一層 全 カ ラ シ ム ル ノ必要 ヲ認 メ タ ル ニ因 リ帝 国 政
記
府 ハ日本 帝 国 ノ有 ス ル治 外 法 権 ノ撤 廃 セラ ル ル ニ際 シ左 記 諸條 ニ付
右 照 会 得貴 意 候
措 置 ス ル コト ト致 度
左
満 洲 国 ハ其 ノ国 軍 ニ関 ス ル法令 制 定 ニ際 シ日 本 国軍 モ亦 之
ヲ利 用 シ得 ル様 措 置 シ 又必 要 ニ応 シ日本 国 軍 ノ軍 律 其 ノ他 関係 法
第 一條
規 ヲ満 洲 国 ノ法 令 ト看 做 シ満 洲 国 ノ法 権 ニ服 ス ル者 ニモ適 用 シ得
日本 国 軍 事 警 察 機 関 ( 補 助 機 関 ヲ含 ム) ハ其 ノ軍 事 警 察 権
ル様 措 置 ス ヘシ其 ノ細 部 ニ付 テ ハ別 ニ協 議 ス ル所 ニ依 ル モノ ト ス 第 二條
翰
以書 翰 致 啓 上 候 本 日附 貴 翰 ヲ以 テ貴 国 政府 カ 昭和 七年 九 月 十 五 日
往
即 大 同 元 年 九 月 十 五 日調 印 ノ 日本 国満 洲 国間 議 定 書 ニ於 テ両 国共 同 シテ国 家 ノ防衛 ニ当 ル ヘキ ヲ約 シ所要 ノ日本 国 軍 満 洲 国 内 ニ駐屯 シ ア ル所 其 駐 屯 ニ伴 フ軍 関 係 法 規 ノ適 用 ヲ適 正 ニシ以 テ日本 国軍 力満 洲 国 内 ニ於 テ日満 共同 防 衛 上現 ニ有 ス ル軍 事 行 動 上 ノ必要 ナ ル自 由 、 保 障 及之 ニ伴 フ便 益 ノ享 有 ヲ 一層 全 カ ラ シ ム ルノ必 要 ヲ認 メタ ル ニ 依 リ 日本 帝 国 ノ治 外法 権 ノ撤 廃 セ ラ ル ル ニ際 シ貴 国 政 府 ニ於 テ措 置
殿
植
田 謙
敬
吉
具
セラ レ ント ス ル第 一乃 至第 四 ヨリ成 ル各 條項 ニ関 シ異 存 無 之
昭和 十 二年 十 一月 三 十 日
右 回答 得 貴 意 候
関 東 軍 司 令 官 兼 日本帝国特命全権 大使 満洲帝国国務総理大臣 張 景 恵
四三
軍 務 局 長 よ り 板 垣 参 謀 副 長 への懇 談 事 項
(昭 和 一〇 、 八 、 二 八
軍務局)
容 易 にし 日満 防 衛 を全 うし 他 は 以 て我 対 満 政策 の遂 行 を容 易 な ら し
易 に移 住 し得 る が如 き境 地 を顕 現す る こと は 一は以 て軍隊 の増 強 を
(満蒙 政 、 経 関係 )
一、満洲経済建 設の第 二期的検討 に就 て
む る所 以 に し て之 が 具 現 は関 係 す る所 複 雑多 岐 にし て固 よ り容 易 な
特 に満 洲 に於 け る物 価 を 引 下 げ庶 民 の生 活安 定 を 策 し 日本 人 も軽
二、附属地課税問題 に就 て
る業 にあ らざ るも 全 力 を傾 注 し て解 決 す べ き問 題 な り と信 じ あり
次
三、満洲国国幣 安定方策 に就 て
二、 附 属 地課 税 問 題 に就 て
目
四、満鉄指導要領 に就 て
円増 資 の際 全 く予 期 せ ざ りし 北 鉄改 良 費 、 北 支進 出 資 金 、胡 蘆 島 築
満 鉄 の資金 調 達 の能 力 は今 後 一両年 に於 て枯 渇 す る筈 な る処 八 億
四、 満 鉄 指導 要 領 に就 て
を経 る こと に 運 ぶ様取 計 ふ べし
大 蔵 省 意 見 の纏 ま る様 折衝 中 に付 右確 定 の上 政府 の方 針 と し て閣 議
過 般 関東 軍 よ り提 出 あ りた る国幣 安 定 方 策 に就 て は大 体原 案 通 り
三、 満 洲 国国 幣 安 定 方策 に就 て
る も現 地案 の確 定 を 見 る に至 れば関 東 軍 の意 見 を尊 重 す る 心組 な り
に も影 響 す べ く軍 中 央部 とし ては其 渦 中 に投 ず る こと な く静 観 し あ
満 鉄 附 属 地 に対 す る課税 問 題 は 中央 に於 け る関 係 各 省 の感 情 問 題
五、満洲拓殖株式会社設立の進捗模様に就 て 六、満洲国 に対す る国防 上必要なる要望事項 の統 一整理 の要 に 就て 七、満洲国側に対し 日系官吏 の推薦手続 に就 て 一、満洲経済建設 の第 二期的検討 に就 て 満洲経済建設 の第 一期的事業即 ち国防上必要な る応急施設は略完 了せ る今 日、速 に第 二期的検討 を遂げ て之が永久方針 を確立し以て 満洲国経済 の適正円満な る発達延 いては日満経済統制方針 の徹 底に 遺憾 なきを期したきに付満鉄指導要領及満 洲国国幣安定方策等をも 考慮 に加 へ之が成案 を得 る様配慮 ありたし
七 、満 洲国 側 に対 し 日系 官吏 の推 薦 手続 に付 て
最 近満 洲 国 各部 等 より 内 地官 庁 等 に対 し関 東 軍 及陸 軍 省 と何 等 の
港 等 、 第 四 次以 降 の新 線 建 設 の実 施如 何 に拘 らず 相 当 巨額 の資 金 を 必要 と す る状 態 な るに 内 地 に於 け る 一部 に は満 鉄 の前 途 に対 し不 安
て は之 に依 つて退 職 若 く は 出発 準 備 を完 了 せし め た る後 始 め て陸 軍
連 絡 な く 日系 官吏 の人 事 に付 て直 接 公文 書 を提 出 し甚 だし き に至 つ
側 に連 絡す る為 (実業 部 及大 陸 科 学 院 の如 し )陸 軍省 と し ては其 尻
を抱 く 者 さ へあ る次 第 に付 同 会 社 の改 組 問 題 の善後 処 理 を も包 括 せ
正 妥 当 な る成 案 を得 て関 係方 面 の諒解 を得 る こと に善 処 致 し度 に付
せし め ざ る は勿論 日系 官 吏 の推 薦 権 が関 東 軍 に在 る旨 を 十 分徹 底 せ
拭 の為 甚 だ迷 惑 を蒙 りあ る次第 に付 内 地側 に対 し 直接 公 文 書 を提 出
る今 後 の指 導 要 領 に関 し成 る べく 速 に慎 重 且 十 分 な る研 究 を 遂げ 適
配慮ありたし
移 民 一戸 に対 し 政 府補 助 金 以 外 に 二千 六 百 円 の金 融 を 必 要 と
蔵 相 が対 満 移 民 に対 し十 分 に諒 解 し あ らざ る こと
し め ら れ度 し
五、 満 洲 拓殖 株 式 会 社 設 立 の進 捗 模様 に就 て 関 係 方 面 就中 大 蔵 省 側 の同 意 を得 た る 上正 式 に民間 に出 資 方 を慫 慂 す る意 嚮 を 以 て拓 務 側 と意 見 を 一致 せ しめ た る上対 満 事 務 局 の会 議 に懸 け た る処 大 蔵 省 以 外 の同意 を得 た るも大 蔵 省 は未 だ意 見 を留
一
保 し あ り、 大 蔵 側 の態 度 の釈 然 たら ざ るは次 の諸点 に あり
二
局 は未 だ完全 な る諒 解 を な さざ る こと
す る等 の基 礎 的事 項 (会 社 の事 業 計 画 の骨 子 ) に付 大 蔵 省 事 務当
六、 満 洲 国 に 対 す る国 防 上 必要 な る要 望事 項 の統 一整 理 の要 に就 て 過般 我 方 に於 て軍 事 上必 要 な る見 地 よ り満 洲 国 政 府 に要 望 せ る諸経 費 の 一括 提 出 を求 めた るが従 来 中 央 、出 先 の各 部局 に於 て個 々の連
上 にも影 響 あ る のみ な らず 国防 分 担 金 問 題 にも 重 大 な る関 係 あ る を
繋 の下 に折 衝 し、 無 統 制 と な りし 嫌 あ り満 洲 国 政 府 と し ても 其財 政
以 て貴 軍 に於 ては将 来 之等 を 一括 し 康 徳 三年 度 予算 編成 方 針 には満 側 に対 し 中 央 出 先 一致 し て明確 に 一括 要 望 し得 る如 く取 計 ふ こと肝 要 な る べく 又満 側 予 算 編 成 方針 に関 し ても充 分 之 を指 導 せら るる如 く 考慮 相 成 度 し
四四
満 洲国概 観
(昭和 十 年 九 月
軍 務 局)
民
五、資 源 概 況
政
六、移
制
次
七 、財
目
治 外 法 権 の撤廃 、 附 属 地 行政 権 の調整 移 譲
八、幣
言
治安 及 軍 備
第五
結
第 一 緒
安
第六
第二 一、 治 備
言
察
言
二、 軍
第 一 緒
三、 警 四、 保 甲 制 度 治
昭和 六年 九 月十 八 日 柳條 溝 事 件 突 発 し て以 来 正 に満 四年 回顧 し て
政
一、 帝 政 実 施
第三
は申 迄 もな き 所 、満 蒙 三千 万 民衆 の努 力 と確 乎 と し て倦 む な き我 皇
更 に現 在 に及 べ ば 万感 切 々た るも のが あ る。 八紘 一宇 の皇 謨 の忝 き
に王 道楽 土 の安 住 地を 現 出 せ しめ つつあ る。 単 に国 防 経 済 上 の問 題
国 官 民 の寄 与就 中 皇 軍 の奮 闘 は将 に生色 を喪 はん とす る満 蒙 の天 地
二、 国 家 組 織
済
三、 満 洲国 日系 官 吏 経
て爾 他 の諸 事 例 に類 似 なき も のであ り、皇 国 朝 野 の決 意 と 遂 行力 と
た る に止 らず 実 に世 界 平 和 への聖 業 であ る。 其 建 設 の道 義 性 は断 じ
一、 日満 経済 の共 同
第四
二、 産業 の統 制
は何 物 の干 与 を も許 さざ るも のであ る。
三、 交 通 、 通信 四、 国防 、産 業
時 代 を出 でな いの であ る 。皇 軍 の儼乎 た る存在 は治 安 回復 に不 可 欠
満 洲 国 在 来 の深 刻 な る社 会 的 情 勢 は国 家 の権力 を 以 てす る強 力 な
の要件 であ る のみな らず 満 洲 国 発 展 上 の 一大 支柱 を なす も のであ る。
宜 な る哉 大同 元 年 三月 国 を 建 てて満 三年 、満 洲 国 は 上 は皇帝 よ り 下 は庶 民 に至 る迄 我 皇 沢 の洽 き に感 激 し其 友誼 に信 頼 し 不可 分 の関
算 し て統 一あ る軍 隊 を 組織 す る こと に努 めた る結 果 現 在 に於 け る陸
満 洲 国 軍 政 に関 し ては事 変 勃 発 以 来鋭 意 旧軍 閥 の手 兵 的残 滓 を清
備
り我 牢 固 た る信 念 は聯 盟 の離 脱 と な り北 鉄 に関 す る蘇 側 権利 の滌 除
軍 軍隊 の総 数 は約 八 万 で、 全軍 を 五 警備 軍 管 区 及 興安 四警 備 地 区 に
二 、軍
力 を傾 注 せら るる の要 があ る の であ る。
る統 制 と 計 画的 な る全 面的 工作 を 以 て之 等 匪 類発 生 の原因 芟除 に全
係 愈 々明 朗 に強 化 せら れ 日と 偕 に東 洋 的 一徳 一心 の境 地 を現 出 せし め つ つあ る。 日満 議 定 書 の締 結 、帝 制 の実 施 、秩 父 宮 殿 下 の御 渡 満 、満 洲 国皇
を敢 行 し 更 に北 支 工作 の遂 行 に依 る接 満 地域 の安 定 と 成 つた。 満 洲
分 ち て配 置 し 尚中 央 直 轄 と し て の靖 安軍 の外 、 新京 警 備 独 立騎 兵 旅
帝 の御 来朝 近く は 日満 経 済 共 同 委 員会 設 置 の協 定何 れも 其具 現 であ
に対す る認 識 、 日本 に対 す る理 解 は 益 々明確 と な り列 強 も儼 然 た る
治 安 及軍 備
共 同 し て国 家 の防 衛 に任 じ 得 る如 き考 慮 を 加 へら れ てゐ る。
満 洲国 軍 隊 は主 と し て国 内警 備 軍 と し て整 備 す ると共 に我 皇 軍 と
て は格 段 の努 力 が続 けら れ つつあ る。
し と せず 。 将 来更 に裁 兵 を 行 ひ改 善 の要 が あら う 。 軍 心把 制 に関 し
之 等 陸 海 軍 隊 の大 部 は其 の素 質 、 編制 、装 備 等 に於 て遺 憾 の点尠
花 江 、黒 龍 江 及烏 蘇 利 江 の警 備 に当 つて いる。
海 軍 は軍 艦 十 三隻 約 二千 噸 よ りな る江防 艦 隊 を有 し 、主 と し て松
等 が あ る。
歴 史 上 の 一大事 実 の前 には瞠 若 た る も のがあ る 。 近 く は皇 国 の治 外 法権 の撤 廃 、満 鉄 附 属 地行 政 権 の調整 移 譲 の国
安
第二
ゐ る。 以 下 先 づ近 時 の満 洲国 の容 相 に関 し概 説 し て見 よう 。
策 決 定 は雄 弁 に満 洲 国 の健 全 な る発達 と 日満 関係 の強 化 を物 語 つて
一、 治
満 洲 国 の治 安 は 一昨 年 春 熱 河 を 粛清 し国 内 撹乱 の根 源 を断 ち 更 に
に中 央 及 地 方治 安 維 持会 の運 営 を 巧 に 日満 軍 、警 協 力 し て討 匪 の敢
全 満 各 地 に対す る皇 軍 の分 散 配 置 に依 り治 安維 持 の根 基 を なす と 共
三、警
減 し た 。 民間 散 在 兵 器 も既 に 五十 万 を回 収 し た るも 潜 在 す るも の未
に進 捗 し建 国 当 初 三 十数 万を 数 へた る匪 賊 は 目 下僅 か に二 万余 に激
人 に縮 少 し て鋭 意 素質 の向 上 と粛 清 をな す 様努 力 し て居 るが未 だ 十
設 け 、 特 に治 外 法 権 の撤 廃 の叫 ば る る昨 今 現在 人員 約 十 万 人 を 六 万
て中 央 警察 学 校 を特 殊 警 察 機 関 と し て海 辺 、国 境 及 游 動 各 警察 隊 を
警 察 に就 ても宿 弊 を 一掃 し着 々改 善 に努 め警 察 官 の養 成機 関 と し
察
行 、 潜在 匪賊 の窒 息壊 滅 に努 め 特 に皇 軍 の 一昨 年 秋 よ り 昨年 春 に至
だ 百 五十 万 に及 び紅 匪 、 鮮 匪等 の政 治 的 、思 想 的 、匪 賊 潜 行 出 没 し
分 の域 に達 し てな い。
る旧 吉 林省 の大 部 と奉 天 省 一部 地 方 の大 討 伐 の結 果 治 安 工作 は大 い
治 安 維 持 の為 に は軍隊 武 装 警 察 の力 を必 要 と し今 尚 治 安 第 一主 義 の
満 洲 国 警察 隊 の特 徴 は自 警 団 を 指 揮 し 軍 隊 同様 大 に匪 賊 討 伐 を 要 す る 点 で あ つて治 安 維 持 上 其 改 善 向 上 は 最 も熱 望 す る所 であ る 。
第 三
政
治
面的 指 導 下 にあ る日系 官吏 の不断 の精 進 と に依 り 着 々と し て建 設 の
満 洲国 は建 国 以来 皇 国 特 に皇 軍 の献 身 的 努 力 と 関東 軍 司令 官 の内
一、 帝 制 実 施
満 洲 国 に於 て は治 安 維 持 機 関 と し て警 察 軍 隊 の外 に其特 異 の社 会
歩 を進 めた るを 以 て昨年 三 月 一日 の建 国 第 二週年 を期 し て帝 制 を 実
四、保 甲 制 度
性 に基 き暫 行 保 甲 法 を 確 立 し て自 治 警備 に資 し て ゐ る。 即 ち之 は隣
施 せ ら れ国 礎 に 一段 の鞏化 を加 ふ る に至 つた。
さす こと に努 め満 洲 皇 帝 登 位 に際 し ては特 に詔 書 を渙 発 し て建 国 の
の間 に公 文 を交 換 し て之 を 承 認 し 且 つ両 国 の不可 分 関 係 を 益 々強 化
皇 国 は満 洲 国 の帝 制実 施 に際 し て は欣 然 之 に賛 意 を表 し 日満 両 国
保 友愛 を 以 て相 依 り地 方 の康 寧 を保 持 し 不測 緊 急 の危害 を防 止 す る
ず るを 目 的 と す る。 此制 度 は大 同 二年 十 二 月 二 十 二 日教 令 で発 布 せ
経 緯 と 日 本 国 と の関 係 に及 び特 に守 国 の遠 図 経 邦 の長 策 は相協 同 し
為 設 けら れた るも ので 、警 察 の補 助 機 関 と し て地 方 の自 警 自 衛 に任
る が新 京 、 哈市 、奉 天 等 の如 く 警察 の完備 と治 安 の確 保 せ られ た る
ら れ大 同 三年 一月 よ り施 行 せら れ 興 安 省 を除 き た る全 地 域 に行 はれ
て渝 るな き を宣 明 せ ら れた 。
昨年 三 月 一日帝 制 実 施 と 同 時 に改 正発 布 せら れ た る ﹁ 組織法﹂ は
二、 国 家 組 織
所 で は民 政部 大臣 の認 可 に依 り施 行 し な く も良 い こと にな つて ゐ る。 組 織 の大要 を述 ぶ れば 十 戸 を 以 て 一牌 と し
の下 に国 務 院 、 立 法 院 あ り 、 別 に法 院 検 察 庁 が独 立 し てゐ る。 又 皇
帝 の諮 詢 機 関 と し て参 議府 を 設 く る も之 等 政 治 機 構 の中 心 は 人事 及
満 洲 国 国 家組 織 の根 本 法 で同 法 に依 れば 満 洲 国 は皇 帝 之 を統 治 し其
保 及 甲 に は其 地 居 住 の壮 丁 を 以 て夫 々自 衛 団 を 組 織 せ し め
の特異 性 と も謂 ふべ き 点 で あ る。 又 国 務 院 は国 務総 理大 臣 輔 弼 の権
予 算 法 制 、 企 劃 を総 括 す る国 務院 総 務庁 に置 てあ り 満 洲国 政 府 組 織
一警 察 署 管 内 を以 て 一保 と し 要 す れ ば若 干 に 区分 す る
保 甲 牌 に は長 を 置 い て警察 署 長 の指 揮 監 督 を承 け
村 域 を 以 て 一甲 と し (市 街 地 では 十牌 を 一甲 と す )
自 衛 団 には亦 団 総 (保 ) 団 長 (甲 ) を置 い て警 察 署長 の指 揮 監 督
一定 の犯 罪 行 為 者 が あ つた 場 合牌 を単 位 と し て之 を 出 し た る責 任
と に な つて ゐ る。 重要 国務 は国 務 院 会 議 で決 定 す る が国 務 総 理 の統
副 署 で (国 務 に関 す るも のは総 理 も共 に副 署 )軍 令 を公 布 し得 る こ
を有 し て ゐ る が他 の大臣 は有 しな い。 統 帥 事 項 丈 は軍 政 大 臣 の み の
と し て又 将 来 の予 防警 戒 相 互 相戒 む る の手 段 と し て各 家 長 の連 帯 責
分割 し其 下 に縣 ( 旗 ) 公署 が あ る。 国 家 組 織 は略 々形 態 を 整 へた り
制 力 は強 大 で中 央 集権 の実 を挙 げ つ つあ る 。 地方 は十 省 四 興安 省 に
を 承 け し め て ゐ る。
任 制 度 を定 めら れ 二円 以 内 の懲 罰金 を 課す る こと が 出来 る ので あ る。
と謂 へ其 内 容 の充 実 、 調和 、 運 用 に至 つ ては今 後 未 だ未 だ 幾多 の問
之 等 の経 費 は義 勇 奉 公 の精 神 を主 と し て各 家長 の負 担 を立 前 と し て ゐ る。
三、 満 洲 国 日 系 官 吏
題 が残 さ れ て建 国 特質 就 中 一般 民衆 の政 治 生 活 、 政 治意 識 、 民族 社
項 に付 両 国 政 府 の諮 問 に応 ぜ し め、 又両 国 経済 の合 理的 融 合 に関 す
に関す る 重要 事 項 及 日満 合 辨 特 殊 会 社 の業 務 の監 督 に関 す る 重要 事
な るも のを新 京 に設 置 し 、 此 の委 員 会 をし て、 日 満 両国 経 済 の聯 繋
満 洲 国 経 済 建 設 の特 異 性 は統 制 の程 度 及 範 囲 が可 成 り曠 大 で あ る
二、 産 業 の統 制
る 一切 の事 項 に付 両 国 政 府 に連議 せ し む る こと と な つた。
会 に適 応 し た様 に整 備 せら る る の要 が あ る。
満 洲 国 日系 官吏 は皇 国 の満 洲 国 助 成 援 助 の中核 を構 成 す べき も の で 、関 東 軍 司 令 官 の内 面 的統 轄 の下 に総 務 庁 長 を 中 心 とし 各 般 に亘 り活 動 を 続 け てゐ る。
②
①
国 民 全 体 の利 益 を基 調 とす る こと
日満 経 済 共 同 の実 を挙 げ る こと
こと であ つ て、其 の依 つて基 く 理 由 は左 の三 点 にあ る ので あ る。
難 き も のあ り し も 、今 や満 洲 国 行 政 機 構 の整 備 と邦 人 の対 満 認 識 程
満 洲 国 日系 官 吏 中 に は当 初 意 気 旺 な る も其 の質 に於 て十 全 を 期 し
度 の向 上 と に伴 ひ内容 を 充実 し著 し く 質 的 に改善 せ ら れ来 つた 。
国 防 上 必 要 な る産 業 の確 立 発 展 を図 る こと
のの範 囲 必ず し も 明 か なら ず 民 間 事業 家 に対 し稍 々趣 旨 徹 底 を 欠 き
於 て は満 洲 国 に於 け る各 般 の事 業 中 一般 民 間 の経 営 に委 せら る るも
洲 国 の経 済 建 設 に関 す る大 体 の方 針 を 示 す所 あ り た る が右 声 明 書 に
政 府 は客 年 三 月 一日経 済 建 設 に関 す る声 明書 を発 表 し 以 て我 が満
満 洲 国 政府 声 明 (康 徳 元 年 六月 二 十 七 日)
日左 の如 き声 明 を発 表 し て内 外 に向 つて信 拠 を与 へた の であ る。
而 し て其 の統 制産 業 の範 囲 とし て は満 洲 国 政 府 は昨 年 六月 二十 七
③
特 に満 洲 国 に於 ては 大同 元年 度 よ り官 吏養 成機 関 と し て国 務 院 総 務 庁 の管 理 の下 に大同 学 院 を 設 立 し 、 満 人官 吏養 成 の外 我 官 私 立 専 門 学 校程 度 以上 の出 身 者 を選 抜 し 、同 一指 導 精 神 の下 に主 と し て人 格 的 再 訓 練 を な し た る者 を以 て官吏 補 充 の方 途 を 講 じ 更 に施 設 の改
済
善 を図 ら る べく 将 来満 洲 国 日系 官 吏 の質的 に充実 せら る る は期 し て
経
疑 はざ る所 で あ る。 第四 一、 日満 経 済 の共 同
し慎 重 審 議 を 重 ね た る結 果 国 防 上 重 要 な る産業 公 共公 益 的 事 業 及 一
た る や に観測 せ ら れ た るも 既 に政 府 に於 て は関 係 方 面 の意 嚮 を も 徴
般 産 業 の根本 基 礎 た る産 業 即 ち 交 通 通 信 、鉄 鋼 、 軽 金 属 、 金 、 石炭 、
日満 両国 の経 済 的 発展 に付 ては満 洲 国 を し て皇 国 と不 可 分 関 係 を
石 油 、 自 動車 、硫 安 、 ﹁ソーダ ﹂、 採 木 等 の事 業 に付 て は特 別 の措 置
有 す る独 立 国 家 と し て進歩 発展 せ し む る根 本 方 針 に基 き 両 国 の共栄 共 存 を精 神 と し両 国 の国 民 生 活 を向 上 安 定 せ し む る と 共 に皇 国 の対
じ時 に或 種 の行 政 的統 制 を加 ふ る こと あ るべ き も大 体 広 く 民 間 の進
を 講 ず る こと と せ る が其 の他 の 一般 の企業 に 付 て は事業 の性質 に応
出 経営 を歓 迎 す るも のな り
とを 目 的 と す べ き で 、之 が為 日満 両 国 と両 国 相互 間 の重 要 な る 経済 問 題 に関 し て も充 分 且 緊 密 に共 同 の実 を挙 げ る こと が 必要 で あ る の
世 界 的 経済 力 発 展 の根 基 を確 立 し併 て満 洲 国 の経 済 力 を 強 化す る こ
で 本年 七 月 十 五 日両 国 間 に新 条 約 を締 結 し ﹁日満 経 済 共 同 委 員 会﹂
三 、交 通、 通 信 イ、 鉄 道 、 港 湾 、 河 川 満 洲 国 は其 の鉄道 、港 湾 及河 川 の経 営 を 満 鉄 に委託 し満 鉄 は満
つ つあ る。 過 般 北満 鉄 道 の譲 受 に伴 ひ其 経 営 も満 鉄 に委 託 せら る
洲 国 政 府 と の間 に所 要 の契 約 を締 結 し て之 等鉄 道 網 を統 制 運 営 し
道 路 の建 設 は国防 上 、治 安 維 持 上竝 に匪 賊 招 撫 上極 め て 必要 な
に於 て は第 一期 五年 間 に約 三 万 四千 粁 の建 設 計 画 を樹 立 し昨 年 来
る を 以 て、 財 政 の許 す 限 り速 に之 を実 施 す る こと と な り 、満 洲 国
工事 に着 手 し 既 に 三千 万 円 の経 費 を充 当 せら れ てゐ る。
外 の情 勢 に鑑 み可 及 的 速 に開 発 し 以 て帝 国 国 防 資 源 の自 給 自 足 圏 域
満 洲 国 産業 中 我 国 防 と特 に緊 密 な る関 係 を 有 す る 産業 に就 て は内
四 、国 防 産 業
満 洲 国鉄 道 の新 建 設 計 画 は昭 和 八年 以降 の六 年 間 に約 三 億 円 の
を 拡大 す る の必 要 上 産業 開 発 の重点 を此 種 産 業 に傾 制 せ ら れ 、 既 に
る に至 つた 。
建 設 資 金 を 以 て約 三 千粁 を新 設 せ ら るる 予定 で既 に約 半 の建 設 を
旧 奉天 兵 工廠 を 利 用 す る奉天 造兵 所 は 昭和 八 年 五 月 事業 を 開始 し 、
満 洲 化 学 工業 株 式 会 社 に依 り 、 石油 精 製事 業 は満 洲 石 油 株 式 会 社 に
又 満 鉄 の既定 計 画 に属 す る鉄 鋼 業 は 昭和 製 鋼所 に依 り、 硫 安 工業 は
航空 に関 し て は資 本 金 三 百 八十 五 万円 (国 幣 ) 日満 合 辨 の満 洲
依 り、 自 動 車 工業 は同和 自動 車 株 式 会 社 に依 り夫 々事 業 開始 せ ら る
空
航 空株 式 会社 を 設立 し 、 昭和 七年 九月 以 来 満 洲 国 に於 け る航 空 事
ロ、航
了 つて ゐ る。 満 鉄 が 八 億 に増 資 し 此等 使 命 達 成 に邁 進 し てゐ る 。
業 を独 占 的 に経 営 せ し め つつあ り 、既 に 五十 余 機 を 以 て 六千 里 の
尚 ほ国 防 上 必要 な る鉱 物 の資 源 保 存 及 開 発 促進 の為 満 洲 鉱 業 開 発
る に至 つた 。
電 信 電 話 に関 し て は帝 国 の施 設 と し て関 東 州 及 満 鉄 附 属 地 にあ
相 当 す る権 利 ) を 得 る こと に依 り所 望 の活 動 が出来 る こと と な る の
を 経 営 せ ん とす る内 外 人 は、右 会 社 か ら租 鉱 権 (鉱 業 権 の賃 借 権 に
保 全 を 主 た る事 業 た らし む る筈 であ つて、 之 等 の鉱 業 に付 実際 鉱 業
会 社 な る も のを設 立 し 、 国 防 鉱 物 に関 す る鉱 業 権 の散 逸 防 止 及 其 の
るも のと 満 洲国 国営 、 県 営 、 市 営 及 私 営等 を 凡 て統 一し 之 等 を統
信
合 し て経営 す る ため 日満 合 辨 の満 洲電 信 電 話 株 式 会 社 を 組 織 し 、
であ る。
ハ、 通
航 空 路 を開 拓 し てゐ る。
昭和 八年 九月 以来 満 洲 に於 け る有 線 無 線 の電 信 、 電 話 及 放 送事 業
満 洲国 の資 源 は農 産 、 鉱産 、畜 産 資 源 等 広 汎 多 岐 に亘 り相 当 有 望
五 、資 源 概 況
で将 来 日満 両 国 の経 済 的 融合 統 一を期 す る こと に依 り帝 国 の不足 資
本 会 社 に対 し て は、 日満 両 国 軍 事 当 局 は会 社 の事 業 に関 し軍 事
を 独 占 的 に経 営 せ し め つ つあ る。
上 必要 な る命 令 を為 し 、 又会 社 の施 設 に対 し 必要 な る措 置 を な し
る。 特 に鉄 、 石 炭 、軽 金 属 原 鉱 等 国 防 上 の重要 不足 資 源 を 相 当 程 度
源 を質 的 又 は量 的 に減 少 し得 る に至 る こと 期 し て待 つべき も のが あ 路
得 る こと にな つてゐ る。 ニ、道
迄 充 足 し得 る に至 る こと は有 事 の際 に於 け る国防 産 業 の自 給 政 策 上
て遺 憾 な きを 期 し てゐ る。
鮮 人 移 民 に付 ては 、 先 づ 主 と し て在 満 鮮 人 を安 定 せし む る為 其 の
よ り の新 し き 移 住 を行 はし む る方針 の下 に満 洲 国 成 立 以来 善 処 し て
集 団 化 を 図 り て相 当 の保 護 を加 へ適 当 な る指 導 を行 ひ 、次 い で朝 鮮
極 め て有 利 な る こと で あ る。 併 し 之等 各 般 の資 源 の現 況 は従 来 の調 査 を 以 てし ては著 しく 不十
政
満 洲国 財 政 は建 国 以来 国 民 負担 を加 重 せず 且 国 民 経 済 を 圧迫 せず
七 、財
にも亦 満 洲 事 変 の効 果 の甚 大 な る を知 る の であ る 。
労 働 者 と 対立 す る が如 き こと無 から しむ るを 得 ると 思 ふ。 依 つて茲
の時 期 と な つた 。斯 く て始 め て鮮 人 労 働 者 が内 地 に雪 崩 込 ん で内 地
︹な だ れ︺
今 や鮮 内 同 胞 を 満 洲 に向 け て進 出 せし む る に付適 当 の措 置 を講 ず る
来 た の であ る が最 近 満 洲 内 居 住 者 に対 す る措 置 は 大体 終 了 した の で
分 で、既 往 の具 体 的 調 査 は単 に南 満 洲 及 鉄 道 附 属 地 等 の極 限 せ ら れ た 範 囲 に止 ま り 、其 の他 は概 ね 不 正確 で満 洲 全 域 に亘 る 正確 な る調 査 は信 拠 す る に足 る べ きも の がな い。 此種 正確 な る資 源 調 査 は産 業
民
開 発 の基 礎的 事項 で 一日も 等 閑 視 す るを許 さ な いも のが あ る。 六、移
満 洲 に対す る移 民 の実 行 は皇 国 の現 実 的 勢 力 を満 洲国 内 に扶 植 し
し て国 家財 政 の基 礎 を 確 立 す る と共 に国 民 負 担 の公 正 を 図 る こと を
大 和 民族 の大 陸 的 発 展 の礎 石 を 構 成 す る た め極 め て必要 な る と共 に 発 展 活 動 の天 地 を梗 塞 せら れ あ る我 が農 山 村 の子 弟 の前 途 に光 明と
安 の恢 復 に伴 ひ財 政 諸 制 度 の整 備 と 旧 来 の放漫 な る歳 出 の抑 制 と に
以 て 一般方 針 と し、 鋭 意 之 が実 現 に努 め た甲 斐 が あ つて急 速 な る治
依 り、 早 く も 建 国第 一年 度 に於 て略 堅 実 な基 礎 を樹 立 す る こと を得
希 望 と を 与 ふ る こと に依 り 、 我 が 農 村 問 題 の解 決 に資 す る為 にも 目
而 し て満 洲 試 験 移 民 の名 の下 に 昭和 七年 以 来毎 年 秋 入植 せし め た
下 の急 務 で あ る。
る集 団 移 民 は約 千 名 に達 し 、其 の第 一次 は佳 木 斯 南 方 の永 豊 鎮 に於
た の で あ る。
今 其 の状 況 を 述 ぶ るな らば 、大 同 元 年 度 に於 て歳 出 一億 一千 三百
て 、第 二次 は永 豊鎮 の南 方 の湖 南 営 に於 て殆 ど完 成 の域 に達 し 、 第
万円 に対 し 歳 入 は 一億 円 で 不足 額 一千 二 百 万 円 は中 央 銀 行 の借 入 金
三 次 は昨 年 秋 浜 江省 綏 稜縣 に 入植 し て順 調 な る進 行 過 程 に在 る ので あ つて、 今 や 満 洲 に於 け る 日本 内 地 人 農 業 移 民 の成 功 性 は確 実 と な
に依 つた が 、歳 出 中 には 一千 五百 万 円 の予 備金 を計 上 し て予 算 を 編
既 定 計 画 に属 す る七 百 万 円 を 計 上す る の外 歳 入 欠 陥補 填 の意 味 に於
円 で借 入金 は国 道 建 設 財 源 と し て起 債 を繰 延 べら れ て ゐた と ころ の
又 大同 二年 度 に於 け る総 予算 は歳 入歳 出 共 に各 一億 四 千 九 百余 万
生 じ た 程 の良 好 な状 態 にあ つた。
成 し た の であ つた 処 其 の実 績 に於 て は約 一千 五 百 万円 の歳 計 剰 余 を
つた。 然 も 日本 内 地 人農 業 移 民 の為 に旧 吉 林省 東北 部 地帯 に於 て約 百 万 町歩 の移 住 土 地 が商 租 せ ら れ あ る の であ る か ら我 が政 府 と し ては速
工業 移 民 に付 て は満 洲 に於 け る 工鉱業 及 交 通事 業 に 対 し能 率 の向
に満 洲 移 民国 策 を 樹 立 す べ き時 機 に到 達 し てゐ る ので あ る。
上 、事 業 の統 制 等 を 考 慮 し 内 地 人 の人 的要 素 を拡 充す るを 目 途 と し
千 五百 万 円 の歳 計 剰 余 金 を 生 じ 、 之 を 次年 度 で あ る康 徳 元年 度 の歳
け る公 債 は 一切 之 を起 さざ る の良 況 で あ つて、 之 が決 算 の結 果 は 一
り 以 て内 は国 民生 活 の安 定 を図 る と共 に外 日満 経 済 の合 理 的融 合 を
今 後 根 本 的 に内国 税 を整 理 し、 関 税 の改 正 を行 ひ 又 塩 政 の確 立 を図
制
期 せ んと し つ つあ る の であ る。
百 万円 の借 入金 を計 上 し て ゐ るが之 も単 に既 定 公 債 の未 募 集 のも の
度 を 確 立す る こと は困 難 であ つた ので先 づ銀 系 貨 幣 であ る国幣 を 以
す る こと を究 極 の目 標 と す る け れ ども 建 国 当 時 に於 て斯 く の如 き制
に日 本金 円 と同 一価 値 を有 す る貨 幣 を流 通 せ し む る如 き 制 度 を採 用
満 洲国 の幣 制 と し て は日 満 経済 統制 の基 礎 条 件 を 満 足 せ し め る為
八 、幣
入中 に繰 入 れ得 た る 次第 で あ る。 康 徳 元年 度 総 予算 は総 額 一億 八 千 九 百 万円 であ る。 赤 字公 債 な し
を 掲 げ た の に止 ま る も の であ る。而 し て其 の歳 入 の大宗 は 一億 四千
の方 針 を と る こと は従 前 と 変 り な く 、唯 国 道 建 設 財 源 の 一部 と し 五
万 円 の租 税 と 八 百 万 円 の専 売 益 金 と で あ つて財 政 状 態 は 一段 と 其 の
て混乱 の極 に達 し てゐ た無 数 の流 通券 を 統 一す る こと に全 力 を注 い
其 の結 果 大 同 元 年 七 月 一日 開 業 し た満 洲 中 央 銀 行 の発行 す る所 謂
だ ので あ る。
国 幣 の最 近流 通 額 は 一億 四 千余 万 円 (約 二千 万 円 は銀 貨 ) で あ つて
に所 謂 共 同 防 衛 の見 地 よ り満 洲 国 は自然 的 に九 百 万 円 を 共 同 国防 費 と し て分 担 し 之 を本 年 六月 末 我 が国庫 に納 付 し た点 であ る。 此 の年
旧流 通券 は殆 ど 全 部 (九 十 七 %) 回収 せら れ 、 今 や国 幣 は銀 系 の 一
確 実 性 を 増 し た。 殊 に此 の年 度 に於 て特 筆 す べき こと は日満 議 定書
度 に於 ても歳 入状 態 は良 好 にし て相 当 の歳 計 剰 余 金 を 生 じ其 の内 五
斯 く て満 洲 国 貨 幣 制度 に関 す る今 後 の問 題 は其 の貨 幣 価 値 の安 定
し て ゐ る現 況 であ つて楽観 し得 る前 途 を 持 つ てゐ る のであ る。
管 理 通貨 に過 ぎ な いけ れ 共 日 本 金 円 に比 し概 ね近 似 し た る値 段 を示
百 五 十 一万 円 を康 徳 二年 度 の歳 入 に繰 入 れた の であ る。 康 徳 二年 度 は同 三年 一月 一日 か ら会 計 年 度 を 改 正 し暦 年 と 一致 せ し め る こと とす る為 六 ケ 月 を 以 て予算 を編 成 し た ので あ つて引 続 き
に 万遺 憾 な き を 期 し つ つ日本 金 円 と の間 に流 通 上 不分 離 の関 係 を 律
健 全 財 政 の方 針 をと り其 の総 予算 額 は 一億 四百 余 万 円 で あ つて、 前 年 度 の半 年 度 分 に比 す れ ば 五 百余 万円 の増 加 であ る。 而 し て其 の歳
治安 回復 に伴 ふ収 税 地 域 の拡 大 と各 種 産 業 の発 展 に伴 ふ税 収 増 加 と
共 同国 防 費 と し て 五百 万 円 計 上 し て ゐ る。 要 す る に満 洲 国 の財 政 は
可 分 の関 係 を 持 し つつ独 立国 と し て健 全 な る 発達 を遂 げ 、 東 亜 の安
の 日満 議 定 書 等 によ つて宣 明せ ら れ た 通 り、 満 洲 国 を し て帝 国 と 不
発 せら れた 国 際 聯 盟 脱 退 に関す る詔 書 並 に昭 和 七年 九月 十 五 日調 印
帝 国 の満 洲 国 に対 す る国 策 の基 調 と す る所 は 曩 に 昭和 八 年 三月 渙
治 外法 権 の撤 廃 及 附 属 地行 政権 の調整 移 譲
し得 る如 き 制 度 の樹 立 に向 つて善 処 す る こと であ る。
更 に専 売 制 度 の実 施等 に依 り歳 入を 逐 次増 加 し現 在 に於 け る大 体 の
定 を確 保 し 、 大義 を 宇 内 に顕 揚 せ んと す る帝国 の国 策 に寄 与 せし む
第五
入 中 五 百 万円 の公 債 を 計 上 し て あ る が之 も 亦 前 々年 度 か ら繰 延 べ国
見 透 し で は毎 年概 ね 二千 万円 以 上 の歳 入増 収 を 予 期 し 得 る こと が出
道 建 設財 源 の未 募 集 の分 であ つ て赤 字 公 債 な し であ る。 此 年 度 も亦
来 其 前 途 は楽観 を 許 す べ き状 態 で あ る。 茲 に於 て か満 洲 国 に於 ては
るに在 る。 一方 満 洲 国 に於 て は建 国 以来 着 々と し て健 全 な る発 達 を 進 め 、内 は政 治 、 経 済 其 の他 庶 政 の整 備 充実 を図 り つ つあ ると 共 に、
のた め に範 を 日 本 に執 り、 司 法 制 度 は固 よ り警察 課税 等 に関 す る各
外 は 対外 的 信 用 の確 立 を期 し つ つあ る。特 に治 外 法 権 撤 廃 等 の準 備
般 の制 度 の改善 充実 を期 し 、 現 に康 徳 元年 度 予 算 に お い ては右 目的
〃
〃 九 〃
八〃
差引増加
(二、七〇八)
一四九、四九二
(二、二五九)
一 三九、〇一六
七 万 一千 人
(二七、八六〇)
一六八、六三七
(二七、三三三)
一四三、七三七
八九、二九三 (七三四、四三五)
(六四四、二〇二)
五二、一五九
七 万五干人
三万三千人
之 等 を見 て も、 我 対満 国 策 に 一大 刷 新 を 必要 とす る こと が 看 取 せ
た が、 前 記我 対満 国 策 の進 捗 に伴 ひ 漸 次 其 重要 性 を失 ふ に至 つた と
満 洲 国 成 立 前 の事 態 に於 て は帝 国 の対満 発 展 の重要 な る条 件 であ つ
然 る に帝 国 が多 年 満 洲 に於 て享 有 し来 つたと ころ の治 外 法権 は 、
新 事 態 にお いて は、 前 記 治 外 法権 撤 廃 の必要 に準 じ 調 整 乃 至移 譲 を
属 地 に行使 せ ら る る帝 国 の条 約 上 の付属 地行 政 権 は満 洲 国 成 立後 の
満 発 展 の根 源 であ つた こと は今 更 多 言 を要 し な い所 であ るが 、右 付
争 の結 果 獲 得 し過 去 三十 年 間 に亘 り拮 据 経営 し来 るも の で帝 国 の対
ら る るで あ ろう 。 即 ち 南 満 洲 鉄道 付 属 地 は我 国 運 を睹 し た る 日露 戦
同 時 に、 満 洲 国 の健 全 な る発 達 を 遂 げ し む る 上 に於 て は勿 論 、真 に
の撤 廃 及 び南 満 洲 鉄 道 付 属 地 行 政権 の調 整 乃 至 移 譲 に関 す る 左記 大
必要 とす る に至 つた 。 仍 て帝 国政 府 は八 月 九 日閣 議 に於 て治 外 法 権
のた め 総 額 八百 万 円余 を 計 上 し て ゐ る程 であ る。
日満 両 国 民 の融 和 を図 り、 満 洲 国 に於 け る我 国 民 の全 面 的 発展 を 可
綱 方針 を決 定 し、 之 に基 き今 後関 係 官 庁 を し て具 体的 方 策 を攻 究 せ
能 且 確 実 な ら し め、 進 ん では 日満 両 国善 隣 不可 分 の関 係 を 永遠 に強
イ、 満 洲 国 に於 け る帝 国 の治 外 法 権 に関 し ては 、従 来 の条 約 等 の
し め、 逐 次 之 が実 行 を 期 す る こと と致 し た の であ る。
精 神 に則 り満 洲国 に於 け る制 度 及 び施 設 の整 備 に対 応 し 、就 中 在
固 な ら し む る上 に於 て も、 之 が撤 廃 を 必要 とす る に至 つた 。今 日邦
で附 属 地 外 は 一万 五千 であ つた が今 や附 属 地内 十 七 万 に 対 し附 属 地
人 の満 洲 に於 け る発 展 状 態 を 見 る に 、事 変 前 附 属 地 内邦 人 は約 十 万
外 は 九 万 に達 し其 増 加 比 率 は附 属 地 外 に於 て最 も 顕著 で あ る。 特 に
前 項 に於 け ると 同 様 の考 慮 の下 に治 外 法 権 の漸 進 的 撤 廃 と歩 調 を
法 権 撤 廃 と の関 聯 に鑑 み満 洲国 に於 け る制 度 及 び施 設 に 対応 し 、
も、 当 該 地 域 に行 使 せ ら る る帝 国 の行 政 権 に関 し て は 、前 記 治 外
ロ、 南 満 洲 鉄 道 附 属 地 其 も のは依 然 我 方 に保 有 す る こと勿 論 な る
進的 に撤廃 す る こと
に対 す る帝 国 の国 策 遂 行 を 円 滑 な ら し む る こと に付 特 に考慮 し漸
留 帝 国 臣 民 の生活 に急 激 な る変 動 を 与 へざ る こと、 満 洲 国 の全領
附属地外
二九、七三三
附 属 地
(二〇、七九四)
(五九七、五〇四)
一四、二六〇人 (五六四、七六八)
一一 六、五八九
一〇〇、二六八
附 属 地 外 の発 展 比率 は 昭和 七年 以降 特 に顕 著 であ る 。今 其 数 を 例 示
( 鮮 人)
関東 州 一一 六、〇五二人 (一、七九四) 一一 九、七七〇 (一、七四七)
(二七、九五六)
九七、四七二人 (二〇、五五七)
域 に於 け る帝 国 臣 民 の安 住 発展 を 一層 確 保 す る こと 、 及 び満 洲国
六 〃
(二、〇〇二)
一二五、九三五
一三、二八二 (六〇八、四四一)
す れ ば 次 の通 り であ る。
〃
七 〃
昭和 五年
〃
合 せ 、各 事 項 の性 質 に応 じ 調整 乃至 移 譲 す る こと。
威 の宣 揚 に努 めざ る べか らず と信 ず る の であ る。
大 計 を 確 立 し つ つ全 世 界 に対 し皇 国 の真 価 を理 解 せ し め皇 基 恢 弘皇
就 中 現 下満 洲国 の建 設 に将 又 日満 共 同 防 衛 延 ては東 亜 の安 定 に重
爰 に留 意 す べき は関東 州 の問 題 であ る が、関 東 州租 借 権 は満 鉄 附 属 地 行 政権 と は法 源 、 性 質 、 其 の他 の関 係 に於 て大 い に趣 を異 にす
一糸 乱 れ ざ る統 制 の下 に天 業 恢 弘 の先 駆 たり 中 核 た る の慨 を 以 て邁 進 せ ねば な るま い。
大 使 命 を有 す る皇 軍 将 兵 は、 克 く其 責 務 を 自覚 し 鉄石 の団 結 を 以 て
論
る を 以 て、 満 鉄 附 属 地 行 政 権 の調 整 乃 至 移 譲 を為 す も之 と は全 然 関
結
係 な き こと 勿 論 であ る。 第六 以 上説 述 せ る満 洲 国 の現 況 に聯 関 し て皇 国 国 内 の社 会 的 情 勢 を 大 観 す る に、 事 変 勃 発 以来 我 国 民大 衆 は国 家 内 外 の態勢 を樹 て直 す 絶 好 の機 会 到 来 せり と な し 、挙 つて此 の敢 死 的 聖 業 を謳 歌 し皇 国 国 体 を 明徴 なら し め其 の尊 厳 崇高 な る所 以を 反 省 正 視 す る に至 り 、 以 て 我 伝 統 的 国 民精 神 た る大和 民族 結 束 力 強 化 の機 運 を醸 成 し来 た の で あ る。 之 即 今 次事 変 発 生 の根 本 動 因 よ り考 察 し て当然 来 る べき 必 然
併 し満 洲 国 の建 国 事 業 た るや 未 だ其 の緒 に就 き た る に過ぎ ず 、益
的 現 象 に外 な ら な い の であ る。
益其 認識 を 正確 にし 建 国 の第 二期 工作 た る経 済 開 発 、 内 政整 理 等 は 今 後 に待 た ざ る べか ら ざ る も のが多 い。 過 般 の北 支事 件 を契 機 に接 満 地域 の反 満 抗 日 攪 乱行 為 の禍 根 芟 除 に 一指 を 染 め た と は い へ、未 だ支 那 の覚 醒 は難 し い。 満 洲 国 の建 設 を中 心 と す る皇 国 の対外 的 竝 対 内的 の重 大危 機 は更 に尚 今 後 にあ る。 さ れ ば皇 国 は今 日迄 把 持 し 来 れ る確 乎 た る決 意 と 不 退転 の遂 行 力 と を益 々培 養 強 化 し 、内 は国 民 経 済 生 活 の安固 を 策す る と共 に国 民 の大 同 的 団 結 を 益 々強化 し て国 難 突 破 の準 備 を 進 め 千古 類 例 な き創
益強 化 し特 に心 的融 和 を図 り進 で支 那 を 善 導 し依 て以 て皇 国 百年 の
造 的 満 洲 国 建 設 の偉 業 を扶 翼 誘 導 し て日 満 両 国 の不可 分 的 関 係 を 益
四五
︹ 清︺
︹ 英 機︺
(昭 一〇 、 一〇 、 一
軍務局)
今 井 軍 務 局 長 よ り 東 條 関 東 憲 兵 隊 司令 官 に 対 す る懇 談 事 項 ( 満 蒙関 係)
係を司掌せしむる こととせり従て警備課 の仕事 は比較的 閑散 なるべ
十分なりと考 へ警備課を設置し武官課長 を充 て主とし て治安警備関
関東 憲 兵隊 司 令 官 をし て関 東 局警 務部 長 及 大 使 館 警 務 部 長 を兼 ね
きも叙 上設置 の趣旨 に鑑 み警備課長たる武官 を充分活動せしめられ
一、在 満 警 務 機 構 の 三位 一体制 の趣 旨 に就 て
し め た る趣 旨 は満 洲 に於 け る日満 両 国 警 察 諸 機 関 を 軍 司令 官 の意 図
度
過日軍司令官 の決裁 の下 に 一応出先 一致 の成案 を得 あるも其余燼未
附属地行政権移譲 問題 に於 て大使館と関東局 間に意見対立せ るも
四、治外法権 撤廃附属 地行政権移譲問題と警務関係事項 に就 て
右武官は関東軍司令部附及関東 憲兵隊司令部附 を兼 ねしめあり
を 体 し て完 全 に統 一運 用 せ し め んと す る所 に存 す るも の にし て日本 軍 憲 兵 を 以 て満 洲 に於 け る警 察 を 掌 握 せ ん とす る も の にあ らず 。 昨 年 秋 機 構 改 正 に当 り関 東 庁 警 察 官 が妄 動 せ るは実 に右 改 正 の精 神 を
に於 ても 正 解 せ ら れ所 期 の実 績 を 収 め あ る も憲 兵 下 士 官 以 下 の内 に
だ消えず附属 地住民 の課税低減運動と相俟ち動 もす れば紛糾せんと
誤 解 せ る に発 せ るも のに し て現 在 に於 ては制 度 改 正 の趣 旨 は各 方 面
は未 だ本 趣 旨 を誤 解 せ るも のあ る や に聞 き 及 ぶ を 以 て留 意 あり た し
と の主 張 政府 筋 にあ り た る も斯 く の如 き は部 長 の活 動 を 十 分 なら し
此際 寧ろ満側警務機構 を整備し つつ努め て速 に我警察権 の移管を断
頭し来 りあるを看取せらるるも其真意 は寧ろ自 己地盤 擁護 に過ぎず
日本 人保護 上満洲 の治安不備を理由とし極力遷延 せんとす る空 気擡
尚治外法権撤廃問題中警察権 の移管 に関しては近時外務側 に於 て
する徴あるを以て特 に留意 相成度
む る所 以 に あら ざ るを 以 て陸 軍省 と し て は反 対 せ る為 折 衷 案 とし て
機構 改 正 の当 初 、武 官 警 務 部長 の下 に勅 任 文 官 の次 長 を 置く べ し
二 、関 東 局 警 務 部 警 務 課 長 を勅 任 官 とす る事 由 に就 て
警 務課 長 を勅 任 官 と なす こと と し妥 協 せ る も のな り
又現時鉄路総局 に保有す る路警制度 に関 しては将来法権撤廃 の暁
行す ること万般 に於 て都 合良く特 に指導上配慮相成度 武 官 部 長 の下 に文官 課 長 のみ に て は軍 の意 図 を徹 底 せし む る為 不
三 、警 備 課長 に就 て
を考 へ警 務上 の見 地より列車警乗権、車 掌警察権竝 一般武力的護路 要領等 に関し適法な る御研究 の上軍司令部を援助相成度 軍 に於 ては日満議定書等 に基く駐兵 竝軍事行 動 の自由保障等 に伴
五、治外法権問題解決後 の憲兵 の権 限に就 て ふ当然 の措置とし て治 外法権撤廃 の如何 に関せず軍事 に関 し 一般住 の行使 に就 ても必要程度 の処置を執 り得 るを目途として研究中な る
民等 をも規律し得べき方策に関 し鋭意考究中 にして軍事司法警察権
現 地に於 ける研究 に方りては右 に関 し特 に配慮相成度
も徒 に其職権 を拡大す るは適 当ならず と信じ あり 六、満洲国指導 上憲兵関係 の若干参考事項 に就 て 満 洲に於 ける憲兵 の地位は極めて重大 にし て軍 の満洲国指導に及 一 満 洲国日系官吏と なれる憲兵 の能力 は若干部分を除き概ね不
ぼす影響 尠からず 以下若干参考事項を述 ぶ
特 に憲 兵閥結成或 は勢力拡張等 の弊風防 止 に付ては注意相成度
充分 にして寧 ろ警察出身者 を歓迎せられあ る状態 に在 り 二 憲 兵殊 に下級者 が反軍策動者其他を調査取締 るに往 々満漢蒙 人 に対し其取扱過酷 に失 し或 は日系官吏 の言動監察上鋭敏となり めあり
遂 に軍 に対し正当なる献策進言をも手控 へんとす る の風 を生ぜし 主要都市特 に新京等に於 ては寧 ろ上級幹部 の理解ありて親和 せ られあるも僻地 に於 ては怨嗟 の声尠 からず斯く ては軍 の威信を失 墜し若 くは真 に悦服す るに至らざ るべし
四六
於 大蔵 次官 と の対 談 の席 )
満 洲 経 済 建 設 に 関 す る 陸 軍 次 官 の懇 談 要 旨 (昭和 十 年 十 月 三十 一日
一、 目 前 の利 益 回 収 に焦 慮 す る よ り も将 来 に期待 を置 き て我 国 資
二、満 洲 国 に於 け る経 済 生 活 の安 定 並 諸 事 業 諸 施 設 の初 度費 及 維
本 の相 当額 を永 続 的 に満 洲 国 に対 し投 下す べき 策 を 樹 つる こと
本 日大蔵省満洲国関係主脳部 の方 々と懇談 の機を得たるは本職 以 下 の極 めて幸甚とす る所 にして以下若干本職 の所懐を述 べ隔意 なき
持 費 の低減 を 図 る為 通貨 の安 定 策 、交 通 の適 正化 及 配 給 の合 理 化
懇談 を煩し度次第 なり 満洲国 に於 ける経済建設 の第 一期 計画と も言 ふべき基 礎的及国防
三、 優 良 日 本 人 の満 洲移 住 を容 易 且 便 益 な ら し む る為 指 導 助 長 に
等 を 断 行 す る こと
四、 右 諸 政 策 を 通 じ 合理 的 に国 家 現 状 の梗 塞打 開 に貢 献 し 得 る こ
関 す る根 本 策 を 樹 立 す る こと
的 の重要 事業 の組織化 は大体終了し近く関係各省 と打合す べき予定 一段落と見 るを得べく、今後 は満洲経済建設 の第 二期 に入りた るも
の林業開発方策並目下大蔵当局と協議中 の通貨対策 が決定 せば先づ のと考 へあ る次第 なり
と
等 に重 点 を置 き て策案 せ ら る べき も の にし て之 が 実行 に は我 大 蔵 当
第 一期 は昭和十、十 一年 を大体 の目標とし て稍 〓応急的態度を 以
殊 に満 洲 国 に於 け る生 活 費 の低 減 及諸 施 設 費 の単 価 引 下 は満 洲 国
局 の援 助協 力 を要 す る こと 甚 大 な る を痛 感 しあ り
の財 政 上 に も 又我 満 洲 事件 費 の運 用 上 に も将 又 各 種事 業 の経 営 上 に
て重要産業殊 に国防的事業 の組織化及交通、通信施設 の整 備に重点 の繁栄 を期す る点より、第 一期 の事業 に対 し再検討を加 へ其 の調整
も 最 も 必要 にし て焦 眉 の急 務 と 言 ふべ き も の な るを 以 て、 此 の懸 案
を置 きたるも第 二期 に於 ては満洲国経済延 ては日満 両国経済 の永遠 を図 ると共 に今後相当長期 に亘 る根本方策 の樹立 に向ひ留意す るの
付 其 の実 現 を 急ぎ あ る次 第 なり
解 決 の根本 要 素 た る事 項 就 中 国 幣 の価値 安 定及 鉄 道 政 策 の適 正 化 に
要 ありと思料 しあり 此 の第 二期計画 は日満不可分 の原則延 ては両国経済 の合理的融合 の方針 の下に
而 し て国 幣 問 題 に就 ては各 位 の御 尽 力 に依 り大 体 予定 の進 捗 を 見 つ つあ る は同 慶 の至 に堪 へざ る所 な るを 以 て更 に 画竜 点 睛 の域 に進 む迄 御 高 配 を 煩 し度 く 、 尚鉄 道 政 策 の適 正 化 問 題 に関 し て は結 局 満 鉄 及 鉄 道総 局 関 係 の事 項 に付 此 の際 根本 的 検 討 を加 へ叙 上 の目 的 達 成 の為 の方 策 を 樹 立す べく 目 下 研 究 中 にし て近く 其 の 一部 に関 す る 成 案 を 得 大蔵 当局 に協 議 す る予 定 な る に付 其 の際 は大 局 に立 脚 し て
更 に北 支 経 済 進出 に就 ては満 洲 経 済 建 設 と 自 か ら異 な るも のあ る
意 見 の 一致 を 見 出 す こと に御 協 力 あ りた し
を 以 て十 分 に攻 究 し て適 切妥 当な る方 途 に出 づ べ き も のと 考 へあ る に依 り、 我 国 財 界 と 関係 あ る事 項 に付 ては 勿 論大 蔵 当局 と も隔 意 な
要 す る に満 洲 国 は 十 分御 承 知 の通 り実 質 に於 て我 国 と 一体 不可 分
く協 議 し て万 善 を期 す る意 嚮 に付 十 分 の御 協 力 を煩 した し
な る を 以 て彼 を 徒 に外国 な り とし て措 置 す る の弊 に陥 り易 き事 務 官 以 下 を適 当 に指 導 せ ら れ て創 造 工夫 を凝 ら し 日満 不 可分 関 係 の永 遠 の強化 隆 昌 に御 尽 力 あ り度 し若 し 日満 一体観 の透 徹 の為 に満 洲 に於 け る現 行 施策 上 改善 を加 ふ べく 認 め ら る る も のあ る に於 ては当 方 に 於 ても 之 が改 善 に付 十 分 の考 慮 を払 ふ に吝 かな ら ざ る に付 此 の点 を 篤 と諒 承 せ ら れ度 し 尚 日満 両 国 の隆 昌 は結 局 日満 支 三国 の完全 な る 提 携 を 必須 の要 件 と なす も のと信 じ て疑 はざ る に依 り 此 の点 に就 て
満 洲 国 建 国後 当時 の大 蔵 当 局 が 率 先有 能 の吏 僚 を 割愛 し国 策 遂 行
も 深 く 留 意 せ ら れ度 し
の第 一線 に立 た し め夫 等 が今 日満 洲 国建 設 上 の中 心人 物 と な り溌 溂 た る活 躍 を な せ るを想 起 す ると き は真 に大局 に徹 せ る御 配 慮 に感 謝 す ると 共 に本 職 は 今 日 之 を現 事 態 に徴 し 日満 支 を 廻 る国 策 遂 行 に対
し 現 大蔵 当局 も亦 進 ん で適 応 の措 置 を執 ら るべ き を信 じ て疑 はざ る
尚 細 部 に関 し て は逐 次 隔 意 な く 御話 す る こと と 致 し度 し
所 なり と す
四七
満 洲 関 係 の質 問 応 答
(編者 註 ・右 大 蔵 次 官 と 懇談 席 上 の応 答 資 料)
今 日満 鉄 改 組 の急 務 は満 鉄 社 員 及 之 を 廻 る関 係 者 の満 洲 新 事 態 認
上 申 せ る改 組 案 に は必ず し も拘 泥 しあ らず
識 の思 想 改 造 な り
実質的 に日満 一体となすは異存 なきも表面上満洲国 の独立 を否定
一、将来満洲国を我国 に合併す る考 へなきや す る こと は支那全土を我国 の実権 下に把握す る大政策 の遂行上不可
経済開発と の調節満 鉄 の経営上 の合理化延 ては満洲 に於け る交通政
能 く 説 得 せら れ 誤解 を 一掃 せら れた し
道 経 営 を な し あ る如 く懸 念 す る向 あ る由 な る も貴 省 に於 ても 此 点 は
因 に将 来 一部資 本 家 等 が国 鉄 経 営 の不 明 を理 由 と し軍 が徒 に無 軌
す れば 更 に公 開 的 な ら し む る こと に付 研 究す る は異 存 なし
現 在 と雖 も新 線 建 設事 業 以 外 は必 ず し も 秘 密 に な し あら ざ るも要
六 、満 洲 国 有 鉄 道 の経営 状態 を現 在 以上 公 開 的 と なす 考 へな き や
現 行 条 約 の建 前 及 国 防 上 の必要 に基 き 現 制 を 改 む る考 へな し
五 、満 洲 国 有 鉄 道 の管 理 監督 を勅 令 機 関 に移 管 す る 考 へな き や
め た き意 嚮 を有 す
有 鉄 道 の収 益 状 態 を良 好 にす る 点 に あ りと 考 へ此 の点 に付 研 究 を 進
将 来 は兎 も角 、 目 下 の処 に於 て は斯 の如 き 具 体案 な し要 は満 洲 国
へな き ゃ
四 、満 洲 国 有 鉄 道 と満 鉄 と を合 併 し て 日満 合 辨 の鉄 道 会 社 と な す 考
従来 の法律思想 に捉るる こと なく創造的 に満 洲国 の結成 日満関係
なりと考 へあり を考察し之 を体系 づく ること必要 なるべし 満 洲在住種族 の主位 に在 る満 、蒙 、漢 人種 の指導 には恩威 並び行
二、満洲国 の指導上文官系 の大使 を満洲 に置く考 へなきや ふを必要とす るに付軍司令官を中心とす る現制 に改変を加 ふる意図 なし 三、満鉄改組問題 は如何 に取扱 ふや 在満機関 の改組 に伴 ひ満 鉄監督機構 の改正 に依り て満鉄改組案 の
策 の適正化と言ふ点 に在 りと言 ひ得べきに依 り近き将来 に於 て各 方
一半 は解決せられたるも のと考 へ得 るを以 て今後 に残 る問題 は満洲
面と協力し此 の案件 に付研究する意嚮 を有す るも 一昨年 冬関東軍 の
七 、 先刻 の御 話 中 に ﹁満 鉄 及 鉄路 総局 関 係 事 項 に付 一部 に関す る成
満 洲 国有 鉄 道 の委 託 経 営 に伴 ふ納 付 金 制度 の調整 に関 す る件 な り
案 を 近く 得 て大 蔵 当 局 に協 議 す る﹂ と 言 は れ た る が如 何 な る件 な る や
右 納 付金 制 を存 続 す る こと は鉄 路総 局 の経 営 に 重圧 を加 ふ る こと と な り て其 の弊 害 の甚 大 な る に鑑 み 現 行条 約 の範 囲 内 に於 て之 が 調 整 方 に付 目 下 研究 中 な る を 以 て年 内 位 には 成 案 を得 る予 定 な り
現 在 第 二次 及第 三 次新 線 の建 設 中 な るを 以 て第 四 次 以降 の分 に就
八 、 満 洲 国 有鉄 道 の新 線 建 設 を既 定 計 画 以 上 実行 す る考 へあ り や
て は目 下 の処 に ては考 へあら ず
現 行 取 極 の標 準 以 上 に増 加 す る考 は目 下 の処 な し要 は満 洲 国 の財
九 、 共 同 国 防 費 分 担 を現 在 以上 増 加 す る考 へな き や
政 状 態 に基 く も のな る を 以 て大 局 的 考 察 に基 き措 置 す る問 題 と 考 へ
一〇 、 西 原 借款 中 満 洲 国 に関 係 あ る分 の処 理 に付 如何 に考 へら れ あ
あり
目 前 の小 利 益 の回収 を念 と せず 将 来 を 期待 す る の着 意 の下 に措 置
るや
す るを 適 当 と 考 へあ るを 以 て本 件 は 将 来 の問 題 と し て当 分 は此 の儘
のと 考 へあ り
と し 置 き 時 機 を得 ば 日満 一体観 に基 く 大 局 的 措 置 に落 ち着 けた き も
国 幣 価 値 の安 定 に関 す る対策 決 定 せば 朝 鮮 銀 行 及 日 本銀 行 と の関
一 一、 中 央 銀 行 の最高 級 人事 の刷 新 に 付考 へら れ ざ るや
係 も緊 密 な るを 以 て満 洲 中央 銀行 の最 高 級 人 事 は刷 新 の要 あ りと 考 ふ る に付 其 の際 は練達 有 能 の士 の割 愛 方 に付 御 尽力 あ り た し
四八
︹ 義之 ︺
(? ) 軍 務 局 )
川 島 陸 軍 大 臣 の松 岡 満 鉄 総 裁 と の対 談 要 綱 案
(昭 和 一 一、 一、
一
指 導 の下 に杜 撰 の計 画 を以 て運 営 さ れ あ る が如 き 世 論 に対 し て之 が
四
与 せ ら れ度 き こと
せ ら れ依 て 以 て満 洲 に於 け る俸 給及 給 料 の割 高 な る時 弊 の矯 正 に寄
日 満 両 国 の不可 分関 係 の強 化 に努 め ら れ あ る こと は多 と す る所 な る
是 正 に努 力 せら れあ る点 に対 し ては洵 に感 謝 し あ る 次第 に し て今 後
一、経 済 関 係 事 項
も未 だ社 員 以下 に付 て は満 鉄 乃 至自 己本 位 思潮 を 是 正す る の要 あ る
と も此 の方面 に留 意 せら れ 度 き こと
本 社鉄 道 部 、鉄 路 総 局 及 北 鮮 管 理 局 の 一元化 を 図 る が如 き意 嚮
満 鉄 に対 し軍 部 が如何 にも過 分 の要 望 を な し 又 は国 鉄 が軍 部 の
と 共 に内 地 一般 資 本 家 企 業 家 の進 出 に も便 せし む る為 一層 着 意 あ る
満 洲 に於 け る満 鉄 の経 済 活 動 に関 し て は十 分 新 情 勢 に立 脚 し、
べ き こと
が満 鉄 内 部 に在 る由 過 般 新 聞 紙 に掲 載 せら れた る こと あ る も其 真 相
五
満 鉄 社債 発 行 限 度 の拡 大 に就 ては陸 軍 と し ても 主 義 上 賛 成す る
如 何陸 軍 省 と し て は本 件 の複 雑 性 に鑑 み慎 重 な る研 究 の上 関係 方面
二
の意 見 の 一致 を見 る迄 は秘 密扱 と し 度 き こと
所 に し て満 鉄 自 体 と し て冗費 を極 力 節 約 す る着 意 を 以 て諸 計 画 の立 案 を 指導 せ ら れ あ る は洵 に敬 意 を表 す る所 な るも 将 来 の新 規 事 業 に
六
北 支 経済 進 出 に就 て は兎角 坊 間 に 於 て陸 軍 の独 断 的 策謀 を疑 懼
て適 正妥 当 の之 が大 綱 を 定 む る こと ゝ致 し度 き こと
関 し ては 此 の際 各 方 面 より 十 分 に研 究 し国 防 及 経 済 の両 方 面 よ り見
し あ る向 あ る如 く な るも 之 が方 針 大 綱 の決 定 に当 り ては 関 係 方面 に
満 洲 の鉄 道 運 賃 の 一般的 低 下及 特 定 割 引 運 賃 制 定 等 は 産 業開 発
三
の運 営 に着 意 あ り度 き と共 に之 に関 し ても兎 角 坊 間 に誤 解 ある に付
之 が是 正 に関 し 考 慮 を払 は れ度 き こと 尚 ほ満 鉄 の北 支 及 其 の他 の支
聯 繋 し 大 局 を 誤 らざ る こと に留 意 し あ れ ば此 の点 諒 承 の上満 鉄 自 体
那 本 部 への進 出 に就 ては既 定 方 針 に依 る興 中 公司 の活 用 以 外 の事 項
竝 諸 経済 生 活 安 定 の第 一歩 を 形 成す る も のな る に付 深 甚 の老慮 を払
尚 満 鉄 社 員 以 下 の生活 標 準 は在 満 日本 人 一般 の生活 標 準 を左 右 し
は れ度 く尚 軍 事 特 定 割 引 運 賃 の設 定 に就 て速 に措 置 あり 度 き こと
惹 い て日 本 人 の発 展 に影 響 す る と ころ 大 な る に鑑 み之 が緊 縮 に努力
は 結 局満 鉄 の資 金 準 備 に関聯 す る問 題 な るを 以 て社 債 発 行 限 度 拡張
要 す る に今 後 に於 け る満 鉄 の新 規 事 業 就 中 鉄道 の建 設 及 改 良 葫
案 並 に将 来 の新 規 事 業 計 画 と 共 に攻 究 す べ き も のと思 料 し あ る こと 七 蘆 嶋 及羅 津 の築 港 、 支 那 進 出 並 に ﹁ア ルミ ニウ ム﹂ 石 炭 液 化 等 の重
の にし て我 が国 防 上 に も 又満 洲 国 の健 全 な る発 達 にも 重 大関 係 を有
要 産 業 の計 画等 に関 し て は新 資 金 調 達 の方 法 と併 せ て審 議 す べき も
す る案 件 な る に付 陸 軍 と し ては満 鉄 及関 東 軍 の意 見 に基 き慎 重 に研
従 て陸 軍 省 と し て は 昭和 八 年 末 関東 軍 よ り 上申 しあ り た る満 鉄 改
究 す べ き 意 嚮 を有 す るも のな る こと
組 案 に は必ず し も拘 泥 す る こと な く し て前 記 の満 鉄 今 後 の新 規 事 業 の計 画 並 に資 金 調達 方 法 等 と 関 聯 し 大 局的 考察 の下 に最 善 案 を得 る こと に 対 し て は十 分 の努 力 を払 ふ べき 用意 あ る こと
過般 御 話 合 の 一般 政 務 に関 す る貴 見 に対 し ては本 職 に於 ても概 ね
二 、政 務 関 係 事 項
日満 融 和 に関 し て は現 地 及 内 地共 同 一歩 調 を 以 て各 方 面 に亘 り
同意 す る節 多 き も 以 下 若 干所 懐 を披 瀝 し貴 下 の側 面 的 協 力 援 助 を希
一
望す
扶 掖 協 力 に努 む る要 あ るべ く 、 内 地 に於 ても 留 学 生等 の指 導 にも 充
将 来 両 国 国 民 の提 携 に関 し ては 一層 努 力 の要 あ る べく特 に日本 人
分 注 意 し 所要 の施 設 を講 じ つ つあ る こと
は皮 相 の優 越 感 を棄 て真 に優 秀 の指導 者 、先 達 者 と し て臨 む の要 あ
五族 協 和 の根本 観 念 は全 然 同 感 にし て治 政 の上 に於 て具現 す る
る べき こと 二
のみな ら ず満 洲 国協 和 会 等 の活 用 に依 り 民 心 を把 握 し其 理 想達 成 に
邁 進 す る の要 あ る こと
尚 本 職 と し て は大 臣 、 省 長 の若 干 に も速 に日 本 人 が任 命 せ ら るべ
(口述 )
要 は其 組 織法 の真 精 神 を捉 へ善 処 す る の要 あ る こと
皇 帝 に対す る件
又諸 般 の施策 も充 分 民 情 習 慣 を尊 重す べき も のと信 じ あ る こと
き を期 待 し あ る こと
三
四九
更 に劃 期的措置を断行し、又 一般産業を作興し て国力 を増進し将来
或 は原料資源 を開拓し若くは国防経済上必要なる交通 を整備す る等
対 満 重 要 国 策 の確 立 に関 す る 件
(編者註 ・昭和十 一年六、七月頃陸軍省部関係課 の研究案と認 め られ る。石原起案 の公算大) 足 に万遺 憾なからしむる在満 日本 人 の教育及其経済生活 の安定等 に
其 の優秀なる技能 と組織力と の利用 に相俟 つこと甚大 にし て其 の具
二、而 して之等目的達成 の為 には結 局優良 なる日本人 の進出 を求 め
ず戦争 持久に必要 なる培養力 の維持 蓄積 をも図らざ る可からず
軍需 の要求 も逐次現地 に於 て低廉 且安易 に充足 せしめ得 るのみなら
確乎た る策案を樹立す ると共 に特 に対満移 民の徹底的遂行竝対満投
現 の為 には先づ以て在満 日本人 の子弟 の教育 に関し助成其 の他 の措
現下 の事態 に鑑 み日満不可分関係 を更 に鞏化し国防上 の要求 の充
明
満洲 に於け る国防 上又は重要 なる基礎的産業 に関 しては概ね当初 予
北満方面 の開発を促進する こと極 めて必要 なり元より今 日に至 る迄
形而上下 に亘り直接 対蘇戦争準備 に資し得 る為 、満洲就中主とし て
備を完成す るは現下 の国際情勢 にも鑑 み必須 の要件と なれり、特 に
竝北支を通ず る範域 に於 て戦争持久 に必要なる需 給に応じ得 るの準
進 に基く其 の補 給源 の東漸 且拡大 に対し ては有事尠くも我国及満 洲
す のみならず駸 々たる蘇聯邦国防産業 の振興就中極東地方 の開発 促
一、現時極東 の情勢 は在満兵備其他我軍備 の充実 を必至 の要求とな
要す之れ軈 て名実共 に日本 人を中核 とす る五族協和 の具現を図り本
策 を樹 て其 の活動を合理 化し満洲朝野 に介在す る実力 を強化す るを
徹底的国策を確立し尚 一般商 工移民 の送致鮮人移住統制 に関す る方
送致 竝移住 地及金融等 の斡旋 の為 の大規模な る拓殖機 関 の設立等 に
団的農業移民及同自由農業移 民 (林業移民採金 移民牧畜移 民等) の
方策 を樹立し特 に多 数且堅実なる日本内地人 の定着 を庶幾す る為 集
等 の給与制度 の改善等 に関 し劃期的革新を加 ふる等 日本 人安住 の諸
低廉ならしむべき方途就中公共施設 の整 備と相俟 ち官公吏満鉄社員
置を講じ或は在満 日本人 の生活標準を極力 引下げ経済生活を安易且
説
資 の積極的協 力及指導に関す る国策を確立す
定 せる第 一期的 計画 の大部を遂行 し得 たるも今後其 の能 率を増進 し
邦農村其 の他 の救済 にも資 し得 て日満不可分関係 を鞏化す るのみな らず国防第 二線 の安定力を増大 し有事 に於ける皇軍後顧 の憂を尠 か らしむ る所以なりとす 三、叙上 の諸政策 の遂行 の為 今後相当多額 の費用を伴 ふべきも現 下 飛躍日本 の国策 の重点 が満 洲国 の健全な る発達を図 るに存し其 の開 発が究極 国防治安 の完成上重大なる効用あ るに鑑 み政府 は積極的協 (例 へば集団移 民の為年額 二千万円、在満 日本人教育 の為 の 一千五
力指導 の態度を闡明し自ら所要経費 の 一部を負 担 す る の みな らず 百万円、拓殖 機関 の為年 四分 の配 当保証及 一千万以上 の株式所有 の 一部)或は満 鉄持株 の払込実施 (差当り尠くも 三千万円)満洲政府 国債満鉄社債 の預金部 引受等財政上、精神 上の援助を断 行し更 に進 んで 一般民間投資を誘導す る等抜本的国 策を確立す ること必要 なり 勿論其 の具現 の為 には満洲財政並満洲開発 計画 に恒久策を確立し我 方亦永続的 対満投資計画を樹立す るの要 あ るべきも、徒 に従前 の如 く資本逃避的観念 に捉れ若 くは単 なる民間遊資 の奉仕的利用に のみ のなり
委す るは大陸発展 の聖業たる満洲国建設 の大目的達成 に副はざるも
編 者 略歴 島 田俊 彦
〈し まだ ・とし ひ こ〉(1908-1975) 東 京 大 学 文 学
部 卒 業. 元 武 蔵 大学 教 授.著 書 『関 東軍 』(中 公 新 書) 『満 州 事変( 近 代 の戦 争)』(人 物 往 来 社)『 昭 和 の激 流 (日 本 歴 史 全 集)』(講 談社 )ほ か. 稲 葉 正 夫 〈い なば ・ ま さお 〉(1908-1973) 陸 軍 大 学校 卒 業. 元 防衛 庁 編 纂官. 著 書 『太 平 洋 戦争 へ の道 』(朝 日 新 聞 社, 共 著). 編 著 『敗 戦 の記 録 』(原 書 房 )ほ か.
現代史資料
8
日中戦争
1
島田俊彦 稲葉正夫 解説
1964 年 7月 31 日 1991 年 2月 20 日
第 1刷発行 第 7刷発行
発行者 小熊勇次 5 発行所 株式会社 みすず書房 〒113東 京 都 文 京 区 本 郷 3丁 目 17- 1 3815-9181( 本 社)
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