日本 人 の パ ー ソ ナ リ テ ィ
世
良
正
利
精選復刻 紀伊國屋新書
ま え が き
これ ま で す で にす く な く な い日 本 人 論 や 日 本 文 化 論 が 、 先 達 た ち に よ っ...
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日本 人 の パ ー ソ ナ リ テ ィ
世
良
正
利
精選復刻 紀伊國屋新書
ま え が き
これ ま で す で にす く な く な い日 本 人 論 や 日 本 文 化 論 が 、 先 達 た ち に よ って な さ れ て いる 。 到 底 そ れ ら と 比 肩 し う べ く も あ る ま い小 論 を さ ら に ひ と つそ れ に加 え る。
無 用 の こ と と思 わ れ ぬ でも な い が 、 あ え て ふ た た び 、 日 本 人 と は 何 か 、 を 問 う 所 以 の も の は、 ⋮
⋮ 谷 川 雁 に よ れ ば ﹁お そ ら く 日 本 人 ほ ど 、 自 分 自 身 の 住 ん で い る国 に つ い て 知 り た が って い る 国 民
は な い﹂ と さ れ る が 、 こ の言 葉 が 真 実 か ら 遠 く は な れ て い な い と し て、 ま ず な によ り も わ た し 自 身 そ う い う 日 本 人 の ひ と り で あ った こ と であ る 。
さ ら に そ の 理 由 め 正 当 性 を いさ さ か 合 理 化 す る と な れ ば 、 日 本 人 や 日 本 文 化 の諸 問 題 に か ん す る
統 一原 理 を も と め て み た か った と いう こ と であ る 。 さ ま ざ ま の 日 本 人 論 や 日 本 文 化 論 が 、 そ れ ぞ れ
の 観 点 か ら な さ れ て い るが 、 これ ら 卓 見 を 整 理 す る仕 事 は ま だ 今 日 残 念 な が ら 緒 に つ い て い な い と 思 え る か ら で あ る。
こ の 統 一原 理 を も と め る 仕 事 を 、 わ た し は 文 化 心 理 学 の立 場 で お こな う 。 文 化 心 理 学 が ど う いう
心 理 学 で あ る か の詳 細 な 説 明 は こ こ で は省 略 し て お こな わ な いが 、 そ れ が 今 日 も っぱ ら ﹁文 化 と パ
ー ソ ナ リ テ ィ ﹂ を 研 究 の対 象 とす る 心 理 学 の 一領 域 であ る こと と 、 文 化 を 意 味 す る ︽cul t ur e︾ と い う 言 葉 が ラ テ ン語 の ︽col er e︾ (耕 す ) に由 来 す るも のだ と す れ ば 、 そ う いう 起 源 を も つ言 葉 で し め
さ れ る 文 化 の諸 問 題 を と り あ げ る 文 化 心 理 学 は 心 理 学 のな か でも 人 間 性 の真 実 に接 近 す る 至 近 距 離
にあ る と い い う る こ と を 、 す く な く とも 書 い て おき た い と思 う 。 後 者 に つ いて いえ ば 、 ﹁耕 す ﹂ こ
と は、 人 間 の 行 動 の法 則 と し て の 合 目 的 性 格 の 端 的 な 表 現 に ほ か な る ま い と考 え る か ら だ 。
と こ ろ で 、 こ の小 論 に お い て 、 上 記 し た 統 一原 理 へせ ま る べ く 、 し た が って ま た 、 日 本 人 や 日本
文 化 に 関 す る 諸 説 を 整 理 す る基 準 を も と む べ く 、 基 本 的 概 念 と し て 自 己 否 定 性 行 動 と自 己 肯 定 性 行
動 の 二 つ を 使 用 し た 。 前 者 に は さ ら に無 心 性 行 動 と無 常 性 行 動 と が ふ く ま れ る 。 た だ こ こ で い う 無
の照 合 を 今 回 は お こな って い な い。
心 と 無 常 の 両 概 念 は 人 間 の行 動 の法 則 の観 点 か ら ひ き だ さ れ た も の で あ って、 既 往 の同 様 の概 念 と
学 を 包 含 す る い わ ゆ る 社 会 心 理 学 に お け る パ ー ソ ナ リ テ ィ の概 念 に つ い て、 いさ さ か 理 論 的 検 討 を
ど の章 か ら 読 ん で い た だ い ても か ま わ ぬ が 、 ﹁パ ー ソ ナ リ テ ィ と は何 か ﹂ に お い て は 、 文 化 心 理
お こな って いる こ と を 補 記 し て お く 。
原稿 はあ たら しく書 き お ろ したも の の ほ か、 ﹃年 報 社 会 心 理 学 ﹄ 第 三 号 (日 本 社 会 心 理 学 会 編
集 )、 ﹃教 育 学 論 集 ﹄ 第 五 集 、 ﹃中 央 評 論 ﹄ 第 八〇 号 (二誌 と も 中 央 大 学 発 行 )、 ﹃理 想 ﹄ 六 二 年 八
月 号 に寄 稿 し た も の を 加 筆 し て ふ く め た 。
こ の小 論 を ま と め る に あ た って 、 矢 島 文 夫 氏 の慫慂 と 示 唆 を う け た 。 わ た し に と って の良 き 隣 人 た る 同 氏 に あ つく 謝 辞 を の べ た い。
一九 六 三 年 三 月
世 良 正 利
目
次
ま え が き 第 一章 パ ー ソ ナ リ テ ィ と は 何 か
三
二 話 さな く てもわ か る
一 二 つの コミ ュ ニケー シ ョン
五一
四三
三七
九
三 陸中 湯 田村 の藁 人形
六〇
第 二章 話 さ な く て も わ か る
四 羽後 六郷町 のかまく ら竹 打ち
二 笑 い の哲学 (一)
一 絵姿 女房
七九
七五
七一
第 三章 神 だ の み の生 活
三 吉 四 六さ んも のが たり
五 ジ ャ パ ニー ズ ・ス マ イ ル
四 笑 い の哲 学 (二 )
九一
八二
三 悪 口を いう
二 非指 示的 カウ ン セリ ング
一 心理療 法 と カウ ン セリ ング
一一 六
一一 〇
一 〇四
九九
第四章 人 格 形 成 に おけ る 二 つの道
四 人格形 成 におけ る二 つの道
二 自己 否定 性 の準 則 (無 心性 の側 面 )
一 はじ め に
一 三七
一 二五
一二一
第 五章 日 本 人 の パ ー ソ ナ リ テ ィ
三 自己 否定性 の準 則 (無常 性 の側 面 )
一 七八
一 八九
四 自己肯 定性 の準 則 あ と が き
第 一章 パ ー ソ ナ リ テ ィ と は 何 か
今 日 の、 い わ ゆ る 社 会 心 理 学 に お い て 、 パ ー ソ ナ リ テ ィ の概 念 は、 ど う 定 義 さ れ る か 。 も し く は、
パ ー ソ ナ リ テ ィ の概 念 に お い て 、 現 代 の社 会 心 理 学 は、 い か な る 人 間 観 を 設 定 し て い る か 。
今 日 の 社 会 心 理 学 に お い て は 、 パ ー ソ ナ リ テ ィ の 諸 問 題 が 、 そ の 研 究 対 象 の、 ひ と つ の中 心 を な
し て い る と い って も 過 言 で は な か ろ う 。 南 博 は 、 心 理 学 を 生 理 心 理 学 と 社 会 心 理 学 と に両 分 し 、 つ
ぎ の よ う に か い て い る 。 ﹁心 理 学 は 、 人 間 と い う 動 物 の 一般 的 な 心 理 過 程 の 生 理 的 土 台 を 研 究 す る
生 理 心 理 学 の部 分 と、 社 会 的 存 在 と し て の人 間 の 個 人 的 な 個 性 (個 性 あ る い は パ ー ソ ナ リ テ ィ) と、
社 会 集 団 の メ ン バ ー に 共 通 な 集 団 的 な 個 性 と を あ つか う 社 会 心 理 学 の部 分 と に大 き く わ け る こ とが
で き る ﹂ (南 博 ﹁社 会 心 理 学 の性 格 と 課 題 ﹂ ﹃思 想 ﹄ 一九 五 六 年 、 四 号 、 五 ペ ー ジ )。
そ こ で、 わ た し は、 こう い う 社 会 心 理 学 、 とく に ア メ リ カ 社 会 心 理 学 に お け る、 重 要 な 問 題 領 域
で あ る パ ー ソ ナ リ テ ィ の 研 究 が 、 ソ連 で は 、 ど う 検 討 さ れ 、 ど う 批 判 さ れ て い る か 、 を 若 干 こ こ に 紹 介 し て み た い。
と り あ げ る 論 文 は、 ベ ・ゲ ・ク レ ムネ フ の ﹁現 代 ア メ リ カ社 会 心 理 学 に お け る 社 会 と パ ー ソ ナ リ
テ ィ の諸 問 題 ﹂ で あ る (ア ・イ ・ コル ネ ー バ 、 エ ム ・ベ ・ヤ コブ レ フ編 ﹃現 代 ブ ル ジ ョ ア哲 学 社 会 学 批 判 ﹄ モ ス ク ワ、 一九 六 一年 、 一六 二 ︱ 二 〇 三 ペ ー ジ )。
結 論 的 に い って、 ク レ ムネ フは 、 現 代 の ア メ リ カ 社 会 心 理 学 が 、 人 間 の能 動 性 、 自 覚 性 に 目 を そ
む け 、 人 間 に か ん す る 内 在 的 ・反 社 会 性 の 理 論 、 動 物 的 個 人 主 義 の 理 論 を と な え 、 集 団 主 義 への、
い わ れ の な い恐 怖 を 喚 起 し、 共 通 の 目 的 を 実 現 す る た め に結 束 す る こ と を 妨 げ 、 人 び と の 精 神 的 昂
揚 を 阻 止 し 、 か れ ら を 出 口 の な い絶 望 と ペ シ ミ ズ ム へみ ち び く こ と に よ って、 今 日 の資 本 主 義 の イ デ オ ロギ ー 的 支 柱 と な って い る こ と を 指 摘 す る 。
ク レ ムネ フ に よ れ ば 、 社 会 主 義 の 反 対 論 は、 つぎ の 三 点 を 論 拠 と し て 、 そ の 自 己 主 張 を お こ な っ て い る と いう 。 まず 第 一は 、 社 会 主 義 が 生 産 性 の発 展 を 保 証 し え な い と い う こ と。
な ぜ な ら 、 私 有 財 産 制 を 止揚 す る こ と で 、 私 企 業 の リ ー ダ ー ・シ ップ 、 も し く は 私 企 業 間 の 競 争
性 が な く な って し ま う か ら だ 。 真 に創 造 の能 力 を も つも の は 、 産 業 、 金 融 の エリ ー ト の み に す ぎ な い、 と 考 え る 。
つづ い て 第 二 点 は 、 社 会 主 義 が 文 化 と科 学 の発 展 を 保 証 す る こ と が で き な い と いう こ と 。
な ぜ な ら 、 文 化 と 科 学 と が 大 衆 の中 へ滲 透 す れ ば す る ほ ど 、 そ れ ら は 低 俗 化 し 、 貧 困 化 を も た ら す 、 と考 え る か ら だ 。
し か し 、 ク レ ム ネ フ に よ れ ば 、 こ の両 点 は 、 た と え ば 、 ソ連 に お け る 歴 史 的 な 短 期 間 中 の 生 産 力
躍 進 に よ って、 ま た 高 等 教 育 の学 生 数 に よ って、 宇 宙 研 究 の諸 成 果 に よ って、 も ろ く も く ず れ さ り、 そ れ ら が 正 し く な い こ とが 証 明 さ れ た 。
主 義 が 個 人 の自 由 を 抑 圧 し 、 パ ー ソ ナ リ テ ィ の 均 質 化 を も た ら す 、 と いう 考 え か ただ 。
そ こ で 、 反 対 論 は、 最 後 の 第 三 点 に重 点 を お か ざ る を え な く な る 。 そ の第 三 点 と いう の は 、 社 会
これ に対 し て 、 ク レ ム ネ フ は、 こ こ で い う 個 人 の自 由 が 、 絶 対 化 さ れ た 個 人 、 偶 像 視 さ れ た無 制 限 の恣 意 へ の傾 向 と同 義 語 に す ぎ な い、 と い って 反 論 す る 。
・リポ ー
反 対 論 を と な え る 人 た ち が 、 社 会 主 義 は、 た とえ 物 質 的 な 生 産 力 を 発 展 さ せ る こ と は でき え て も 、 個 人 の 精 神 的 な 発 展 を 顧 慮 す る こ と は で き な い、 と いう 。 は た して、 そう であ ろう か、 とク レムネ フは反 問 する 。
た と え ば 、 ア メ リ カ の雑 誌 ﹃ユナ イ テ ッド ・ステ ー ツ ・ ニ ュー ス ・ア ン ド ・ ワ ー ルド
ト﹄ の 一九 六 〇 年 二 月 二 十 二 日 号 は、 ﹁今 日 の ア メ リ カ で 、 何 が 悪 く 、 何 が 良 い か ﹂ を 特 集 し て い
る が 、 雑 誌 は、 今 日 の ア メリ カ に、 か つ て な か った ほ ど 一般 化 し た 深 刻 な 不 安 現 象 が み ら れ る こ と を 率 直 に認 め て い る 。
汚 職 、 ス キ ャ ンダ ル の い ち じ る し い 増 加 、 一九 五 〇 年 度 と く ら べ て 八 倍 に増 し た 青 少 年 犯 罪 、 第 二 次 大 戦 の際 に 比 較 し て 二 倍 と な った 私 生 児 数 、 最 大 の麻 薬 市 場 な ど 。
前 司 法 長 官 ウ ィ リ ア ム ・P ・ロジ ャ ー ス は 、 犯 罪 関 係 の予 算 総 額 が 年 二 千 億 ド ルを こ え 、 い ま や、 軍 事 予 算 に つぐ も の に な った 、 と 言 明 し て い る 。
ま た 、 ア メ リ カ の社 会 学 者 ワ イ ン バ ー グ (S.K .Wei nber g,SocialProb l em si n Our T i me,New Yor k,1960,p.270) によ れ ば 、 社 会 不 安 を 代 表 す る も の と い わ れ る カ ー ド 、 ル ー レ ッ ト な ど 賭 博
行 為 へ の異 常 な ま で の 熱 中 、 ア メ リ カ人 自 身 の 呼 称 に し た が って、 こう いう ﹁片 手 の盗 賊 ﹂ 行 為 に
賭 け ら れ る金 額 の 総 計 は、 毎 年 二 千 億 ド ル な い し 三 千 億 ド ル に あ が る と いう 。
こう いう 不 安 現 象 こそ が 、 ク レ ム ネ フ に よ れ ば 、 資 本 主 義 に お け る 個 人 の精 神 的 な 発 展 の 具 体 的 な 帰 結 で あ り 、 個 人 の自 由 の 顛 末 で あ る 、 と さ れ る 。
そ こ で 、 ク レ ムネ フ は、 社 会 の本 質 、 人 間 も しく は パ ー ソ ナ リ テ ィ の 本 質 に つ い て、 ま た 両 者 の
関 連 の 問 題 に つ い て、 ア メリ カ の社 会 心 理 学 が 、 ど う 考 え て い る か を 検 討 す る 。
﹁社 会 心 理 学 ﹂ と い う 最 初 の
(ド イ ツ ) な ど の 名 前 と 結 び つ い て 、 十 九 世 紀 の 後 半
社 会 心 理 学 は 、 タ ル ド 、 ル ボ ン (フ ラ ン ス )、 ワ ー ル ド 、 ギ デ ィ ン ス (ア メ リ カ )、 マ ク ダ ゴ ー ル (イ ギ リ ス )、 フ ロイ ト 、 ユ ン グ 、 ア ド ラ ー
に 、 独 立 し た 学 問 と し て 成 立 し た 。 エ ・ア ・ ロ ス は 、 一九 〇 八 年 に 、 著 作 を発 表 し て いる。
し か し 、 も と も と 、 社 会 心 理 学 の 立 場 は 、 社 会 学 の 全 領 域 の な か で 、 決 し て め だ った 存 在 で は な か った 。
し た が って 反 社 会 性 の 理 論 を 採 用 し て か ら と い う も の、 とく に フ ロイ ト の 精 神 分 析 学 に よ って自 己
そ の社 会 心 理 学 が 、 ベ ン サ ム流 、 フ ロイ ト 流 の 理 論 、 人 間 に か ん す る 動 物 主 義 、 個 人 主 義 の 理 論 、
B ackground of
の理 論 的 武 装 を お こな って か ら と いう も の、 そ れ は、 社 会 学 、 さ ら に は 社 会 科 学 の な か で 大 き な 比
(G ordon W. A l l port, The H istor ical
重 を し め る に い た った 。 歴 史 的 に い って 第 二 次 大 戦 以 降 の こ と で あ る 。 ア メ リ カ の社 会 心 理 学 者 オ ー ル ポ ー ト
M odern Soci al Ps ychol ogy,︽H andbook of Soci alPsychol og y︾ N ew Y ork ,1954,p.3) は 、 社
会 心 理 学 が 、 二 十 世 紀 の真 只中 に 、 す で に成 長 を と げ た も の と し て 、 ミ ネ ルバ のご と く 出 現 し た 超 現 代 的 科 学 で あ る、 と い って い る 。
こ こ で 、 ク レ ム ネ フ は、 現 代 社 会 心 理 学 の 理 論 的 基 礎 で あ る フ ロイ ト思 想 を と り あ げ て 批 判 す る 。
フ ロイ ト は、 無 意 識 的 な 動 機 が 人 間 の行 動 の指 針 で あ る 、 と み る 。 か れ に よ れ ば 、 人 間 の 心 理 は
氷 山 に 似 た も の で 、 小 さ い水 面 上 の 部 分 は意 識 の分 野 に あ た り 、 大 き い水 面 下 の部 分 が 無 意 識 の 分
野 に あ た る 。 こ の巨 大 な 無 意 識 の分 野 に こそ 、 人 間 行 動 のす べ て の 動 機 の、 も しく は 人 間 の欲 求 、 感 情 の根 源 を さ が し も と め る こ と が で き る 。
ビ ド ー と は 生 活 本 能 の 存 在 様 式 に ほ か な ら な い 。 人 間 の行 動 は 、 生 涯 を 通 じ て 人 間 を と ら え て い る
人 間 の心 理 生 活 の背 後 に は 、 性 欲 、 リ ビ ド ー (Libi do) が 隠 さ れ て いる 。 フ ロイ ト に よ れ ば 、 リ
こ の リ ビ ド ー の エネ ル ギ ー に よ って条 件 づ け ら れ る 。
フ ロイ ト に よ れ ば 、 人 間 の行 動 は 、 ﹁イ ド ﹂ (Id) ﹁エゴ ﹂ (Ego) ﹁スー パ ー ・エゴ ﹂ (Super ︲ eg o)
と いう 三 つ の 異 な る 心 理 系 の相 互 作 用 に よ って 条 件 づ け ら れ る 、 と いう 。
イ ド と は 、 心 理 的 エネ ルギ ー の貯 水 池 で あ り 、 フ ロイ ト に よ って 、 ﹁真 の 心 理 的 現 実 ﹂ で あ る 、
と さ れ る 。 こ の イ ド の な か に、 す べ て の 本 能 、 前 代 か ら 継 承 さ れ た す べ て のも の が 潜 在 す る 。 これ
は 、 心 理 活 動 のも っと も 暗 い、 無 意 識 の 部 分 で あ る 。 イ ド は 、 幻 覚 と か 、 睡 眠 中 の夢 と か を のぞ い て は、 ま れ に し か 表 面 に浮 か び 出 る こ と が な い 。
イ ド のな か に 生 じ た 心 理 的 エネ ル ギ ー の充 溢 、 た と え ば 飢 餓 と か 性 欲 と か の欲 求 は 、 た だ ち に解
決 、 充 足 さ れ な け れ ば な ら な い。 か か る 、 イ ド の意 志 的 執 行 者 と し て エゴ が 登 場 し て く る こ と に な
る 。 し た が って 、 エゴ は、 本 能 的 欲 求 が 、 い か な る 過 程 で 充 足 さ れ ね ば な ら ぬ か を 計 画 す る 、 イ ド
実 現 の た め の水 先 案 内 人 で あ る 。
て ﹁検 閲 ﹂ が 登 場 す る 。 ス ー パ ー ・エゴ 、 これ は、 ま さ に、 人 間 の 内 的 心 理系 に お け る 社 会 の代 表
さ ら に、 こ の欲 求 充 足 の過 程 が 社 会 の制 約 や 禁 止 と衝 突 し た 場 合 、 ス ー パ ー ・エゴ の形 態 を と っ
者だ 、 とよべ るで あ ろう。
そ の 理 論 構 成 に お い て 性 欲 か ら 出 発 す る フ ロイ ト は、 原 始 社 会 の 起 源 に か ん し て、 ま れ に み る 低 俗 な ﹁理 論 ﹂ を 思 い つ い た 。
か れ の見 解 に よ れ ば 、 原 始 聚 落 に お い て は 、 専 制 的 な 父 長 が す べ て の 女 を 自 分 の妻 だ 、 と み な し
て い た 。 聚 落 内 で 妻 を 選 ぼ う と す る 息 子 た ち は、 父 長 か ら は げ し く 責 め ら れ た 。 父 長 は、 し た が わ
ぬ 息 子 た ち を 去 勢 し 、 殺 戮 し 、 も し く は 聚 落 か ら 追 放 し た 。 し た が って 息 子 た ち は、 お の れ の妻 を
他 種 族 のな か に隠 さ ざ る を え な か った 。 こ の こ と が 、 戦 争 を 誘 発 す る 原 因 と な った 。
結 束 し た 息 子 た ち は 、 父 長 を 攻 め 殺 し た 。 そ し て、 そ の権 威 と権 力 を 継 承 す る た め、 か れ を喰 っ た。
か れ ら は、 そ れ か ら 以 後 、 自 分 の息 子 た ち か ら 殺 さ れ る 不 安 を 除 く べ く 、 同 族 婚 に 反 対 す る タブ ー を 確 立 し 、 異 族 婚 を み ち び き いれ た 。
か く し て 、 最 初 の社 会 の形 式 が 生 じ た 。 し か し 、 共 同 の罪 障 感 は 、 以 後 の世 代 に も 重 い 負 担 と し
て 残 存 す る 。 フ ロイ ト は、 そ の ﹁ト ー テ ム と タブ ー﹂ の な か で 書 い て い る 。 ﹁わ れ わ れ は集 団 の心
理 を 認 め る 立 場 に た つ。 そ の な か に は 、 個 々 の人 間 の生 活 に お け る と 同 一の精 神 過 程 が 存 在 す る 。
わ れ わ れ は、 な さ れ た こ と に 対 す る 罪 の 意 識 を 、 そ のな さ れ た こ と に つ い て知 る よ し も な い 世 代 に
お い て も 、 永 い間 、 も ち つづ け て き た 。 父 が 迫 害 を お こ な った 息 子 た ち の世 代 に 生 じ た 心 理 過 程 は、
父 を 退 け る こ と に よ って 、 こ のよ う な、 か つ て の関 係 を ま った く 知 ら な い新 し い世 代 に対 し て も 適 用 さ れ る ﹂ と。
フ ロイ ト は 、 心 理 学 、 生 理 学 の分 野 に お い て は、 形 而 上 学 的 心 理 学 の 立 場 に た つも の と い え よ う 。
心 理 を 脳 髄 か ら 切 り 離 し 、 人 間 の外 部 の、 ど こか 超 越 し た と こ ろ に そ れ を 置 く 。 そ れ は、 外 的 世 界
ば か り で なく 、 オ ル ガ ニズ ム か ら も 独 立 し た 、 何 か 霊 的 な も の とさ れ て い る 。
ま た 、 か れ は 歴 史 学 の分 野 に お い て は 、 基 本 的 な 科 学 的 良 心 す ら も ち あ わ せ て い な い。 偶 然 的 な 、
派 生 的 な 事 実 のみ を も ち だ し、 そ の基 礎 の 上 に 社 会 学 的 な 建 築 を お こ な って い る 。 し か し 、 そ の成 果 た る や 、 通 俗 の 神 学 の水 準 以 上 に で る も の で は な い 。
フ ロイ ト 学 説 の 非 科 学 性 に つ い て は、 ア メ リ カ の哲 学 者 ハリ ー ・ウ ェル ス で さ え 、 そ の ﹃パブ ロ
フ と フ ロイ ト ﹄ (外 国 文 献 出 版 、 一九 五 九 年 、 五 九 二︱ 三 ペ ー ジ) の な か で 、 ﹁フ ロイ ト は 、 精 神
分 析 研 究 の観 点 か ら 、 自 己 の 言 葉 で お 喋 り を し て い る が 、 観 察 者 で も な け れ ば 、 実 験 者 で も なく 、
思 想 家 で も な く 、 科 学 の 人 で も な か った 。 か れ は 単 な る 冒 険 家 に す ぎ な か った 。 か れ は 、 こ の よ う
な 人 間 に特 有 の好 奇 心 、 執 拗 性 、 厚 か ま し さ を も って い た 。 し か し 、 そ れ に し て も 、 か れ に よ って
本 質 的 な も の は 何 ひ と つ と し て発 見 さ れ る こ とが な か った ﹂ と書 い た 。
し た が って 人 間 の心 理 の 意 義 の優 越 性 の 理 論 は、 多 く の社 会 心 理 学 者 た ち に よ って 利 用 さ れ て い る 。
し か し 、 フ ロイ ト の リ ビ ド ー に か ん す る 設 定 、 人 間 の 行 動 に お け る 無 意 識 的 な 動 機 づ け の 理 論 、
そ れ 故 、 か か る 社 会 心 理 学 は、 心 理 主義 と い う 外 皮 を ま と った観 念 論 の立 場 に た つも の、 と い え よ
う 。 な ぜ な ら 、 社 会 生 活 の基 礎 を な す も のが 、 そ の物 質 的 条 件 で あ る こ と に 目 を ふ さ ぎ 、 人 間 の心 理 を 一次 的 な も の と し て 登 場 さ せ る か ら に ほ か な ら な い。
社 会 心 理 学 者 た ち は 、 普 通 、 パ ー ソ ナ リ テ ィ の意 義 か ら 研 究 を は じ め る 。 し か も 、 研 究 者 た ち は、
だ れ も が 、 現 存 す る も の と は異 な った 、 新 し い定 義 を 、 そ れ に あ た え る こ と を 自 己 の責 務 だ 、 と み
な し て い る の で 、 現 在 す で に、 パ ー ソ ナ リ テ ィ に か ん し て 、 五 十 以 上 の定 義 が あ る と さ れ 、 す く な か ら ざ る 混 乱 を 引 き 起 し て い る 、 と さ え い わ れ て いる 。
た と え ば 、 カ ッ タ ー は 、 パ ー ソ ナ リ テ ィ と は 個 体 の心 理 特 性 の総 和 で あ る 、 と い い、 マ ク ギ ー ル
は、 個 体 の欲 求 、 能 力 、 可 能 性 の総 和 で あ る 、 と い い、 ま た レ ー ベ ン は、 他 者 に よ る 理 解 と いう 観
Br and,
点 か ら と ら え た 人 間 の思 想 ・ 行 動 の特 性 表 示 と し て パ ー ソ ナ リ テ ィ の 概 念 を 使 用 す べき だ 、 と い う。
こ の よ う な 定 義 の 多 様 性 を 目 の前 に し て、 ア メ リ カ の 社 会 心 理 学 者 ブ ラ ンド (Howard
T heStudy of Personal i t y,N ew Y ork , 1954,p.1) は 、 見 解 の 不 一致 が パ ー ソ ナ リ テ ィ に か ん
す る 科 学 の存 在 の可 能 性 を 疑 わ し め る 、 と いう 悲 観 論 さ え の べ て い る ほ ど で あ る 。
し か し 、 定 義 の多 様 性 に も か か わ ら ず 、 そ の背 後 に 共 通 す る も の を み いだ す こ とが で き る 。 そ れ
は、 か れ ら が 、 ど う 自 己 流 の定 義 を く だ そ う と、 多 か れ す く な か れ 、 パ ー ソ ナ リ テ ィ の形 成 に お け る 社 会 的 環 境 の役 割 を 無 視 し て い る、 と いう こ と で あ る 。
オ ー ルポ ー ト の場 合 、 とく に こ の 傾 向 が 顕 著 だ 、 と い え よ う 。 パ ー ソ ナ リ テ ィ のも っと も 重 要 な
条 件 は 、 個 性 も し く は 特 殊 性 で あ る 、 と し て 、 か れ は つぎ の よ う に 書 い て い る 。 ﹁空 間 の な か で 、
W. All por t , Personali t y︱ ︱ A Ps ychol ogical Int erpre t at i on ,Ne w Y or k,1937,p.3)。
他 者 か ら 遊 離 さ れ た 人 間 は 、 そ の 生 活 の 過 程 全 体 を 通 じ て 、 か れ 独 自 の 行 動 を 展 開 す る ﹂ と (G or don
つま り 、 人 間 が 社 会 か ら 孤 立 し て 生 活 し 、 教 育 さ れ る な ら ば 、 か れ は、 か れ に特 有 の個 性 を も つ
に い た る で あ ろ う と い う 。 そ し て 、 ロ ビ ン ソ ン ・ク ル ー ソ ー 、 狼 に 育 て ら れ た 子 供 た ち 、 世 捨 人 、 孤 高 の学 者 な ど を 引 用 す る 。
そ う い う 人 た ち は、 他 の人 び と と ほ と ん ど ま じ わ る こ と も な く 、 ま た 文 化 的 接 触 の 機 会 も 奪 わ れ
て い る 。 にも か か わ ら ず 、 オ ー ルポ ー ト に よ れ ば 、 か れ ら に 複 雑 な 、 興 味 深 い パ ー ソ ナ リ テ ィを 発 見 す る こ とが で き る と い う 。
し た が って、 オ ー ルポ ー ト は 、 パ ー ソ ナ リ テ ィを 扱 う の は 心 理 学 で あ る と いう 。 な ぜ な ら 、 パ ー
ソ ナ リ テ ィ と し て の人 間 は 、 社 会 的 真 空 の な か に あ り 、 空 間 の な か で 他 の人 び と か ら 引 き 離 さ れ て い るから にほか なら な い。
し か し 、 社 会 心 理 学 者 た ち に と って も 、 人 間 と 社 会 と の つな が り を 、 ま った く 否 定 し さ る こ と が
素 朴 に す ぎ る こ と は 論 を ま た な い 。 そ こ で 、 オ ー ル ポ ー ト は 、 ﹁パ ー ソ ナ リ テ ィ ﹂ と な ら ん で 、 ﹁ソ シ ア ス﹂ と いう 概 念 を 引 き 出 す こ と に な る 。
人 間 に お け る、 こ の ソ シ ア ス の側 面 は 、 個 体 と 社 会 と の つな が り を し め す が 、 そ れ を パ ー ソ ナ リ
(G .W . All port, i bi d.
テ ィ と 混 同 し て は な ら ぬ 、 と し て 、 か れ は つ ぎ の よ う に 書 い て い る 、 ﹁ソ シ ア ス と は 、 あ る 文 化 の
も と で、 標 準 化 さ れ 、 規 格 化 さ れ た 人 間 の生 活 の ア ス ペ ク ト で あ る ﹂ と P. 469)。
ク レ ム ネ フは 、 こ れ ら オ ー ルポ ー ト の所 説 に 反 対 す る 。 パ ー ソ ナ リ テ ィ は 人 間 社 会 か ら 引 き 離 さ
れ た と こ ろ で 、 も し く は ﹁社 会 的 真 空 ﹂ の な か で形 成 さ れ る も の で は 決 し て な い。 し か る に 、 オ ー
ルポ ー ト は 、 人 間 の 心 理 生 活 を 外 界 か ら 、 社 会 か ら 切 り 離 し て し ま った 。
ロビ ン ソ ン ・ク ル ー ソー は単 な る 架 空 の 人 物 で あ って、 子 供 部 屋 に は あ り え ても 、 科 学 の世 界 に
存 在 す る こ と は でき な い 。 ま た 、 世 捨 人 、 孤 高 の 学 者 な ど が 社 会 か ら 引 き 離 さ れ て い る 、 と いう 考
え か た に 賛 成 す る こ とも で き な い。 か れ ら は 社 会 に よ って 教 育 さ れ 、 以 前 に受 け た 教 育 の 成 果 を 身
に つけ て いる 。 ま た 、 動 物 に育 て ら れ た 子 供 た ち に つ い て も 、 か れ ら に パ ー ソ ナ リ テ ィ と よ べ る よ
う な 、 い か な る 徴 候 も み いだ す こ と が で き な い 。 か れ ら の行 動 は 、 本 質 的 に、 動 物 の行 動 と 何 の 相
違 も な い 。 唯 物 論 心 理 学 の観 点 か ら 、 ア メ リ カ の フ ル ス ト も つぎ の よ う に いう 、 ﹁他 者 か ら 引 き 離
さ れ た 条 件 の な か で 育 った 子 供 た ち は、 人 間 に 特 有 の 能 力 、 特 性 に 欠 け て い る ﹂ と (フ ル ス ト ﹃神
経 病 者 ︱ そ の環 境 と内 的 世 界 ﹄ 外 国 文 献 出 版 、 一九 五 七 年 、 六 九 ペ ー ジ )。
ま た 、 プ ラグ マ チ ズ ムも 、 環 境 に つ い て 語 り は す る が 、 そ れ を 正 当 に理 解 せず 、 プ ラグ マ チ ズ ム
の 観 点 か ら 解 釈 す る こ と で、 結 局 は、 そ の役 割 を 否 定 す る も の と い え よう 。
プ ラ グ マチ ズ ム、 も し く は ビ ジ ネ ス の 哲 学 の創 始 者 で あ る ジ ェー ム ス は、 功 利 主義 の観 点 に た っ
て 、 人 間 はだ れ も が 単 一のも の で は な く 、 あ れ これ の 個 体 を 内 に ひ そ め て い る と考 え る パ ー ソ ナ リ テ ィ に か ん す る 、 これ は 、 いわ ば 二 元 論 で あ る 。
あ ら ゆ る 環 境 か ら 最 大 限 の利 益 を 引 き 出 す べ く 、 そ れ ぞ れ の条 件 下 に お け る 利 益 追 求 の手 段 に よ って 、 さ ま ざ ま の パ ー ソ ナ リ テ ィが 登 場 す る と いう 。
ク レ ム ネ フ は、 こ の よ う な 見 解 を 、 利 潤 収 奪 者 を 合 理 化 す る 背 徳 性 の理 論 、 二 股 膏 薬 の 理 論 だ 、 とよ んだ 。
さ ら に も う ひ と つ、 い わ ゆ る ﹁場 の理 論 ﹂ も 、 環 境 の役 割 に ベ ー ルを か け て 、 これ を 否 定 し さ ろ う とす るも のであ る。
十 九 世 紀 の終 り 、 自 然 科 学 、 と く に 物 理 学 の発 展 と 関 連 し て 、 実 験 資 料 の研 究 と 一般 化 に お け る
数 学 的 方 法 が 生 理 学 、 心 理 学 、 そ の 他 の 社 会 科 学 の な か にも 滲 透 し は じ め た 。
の電 磁 場 、 引 力 場 に か ん す る 理 論 か ら 類 推 し て 、 ﹁心 理 の 場 ﹂ ﹁心 理 的 生 態 学 ﹂ な ど に か ん す る 機
多 く の心 理 学 者 、 社 会 心 理 学 者 た ち は 、 フ ァ ラデ ー 、 マ ク ス ウ ェ ル、 ヘル ツ、 ア イ ン シ ュテ イ ン
能 的 シ ス テ ムを う ち た て た 。
﹁場 の 理 論 ﹂ と いう 概 念 を 最 初 に使 用 し た も の は 、 マ ッ ク ス ・ウ ェ ル ト ハイ マ ー、 ウ ォ ル フ ガ ン
グ ・ケ ー ラ ー、 ク ル ト ・コ フ カ な ど の ゲ シ タ ル ト心 理 学 者 で あ り 、 と く に、 ク ル ト ・レ ビ ン の研 究 は 詳 細 で あ った 。 レ ビ ン の見 解 は こう だ 。
四 囲 の環 境 と の つな が り を 離 れ て、 人 間 を 理 解 す る こ と は で き な い 。 環 境 は か れ の 行 動 に影 響 を
お よ ぼ す 。 と い う よ り 、 人 間 と 環境 と は機 能 的 な依 存 の 関 係 に あ って、 両 者 は 独 特 の ﹁心 理 の 場 ﹂ ﹁生 活 空 間 ﹂ を 構 成 す る 。
し た が って 、 具 体 的 な 環 境 に お け る 具 体 的 な 人 間 の行 動 は、 数 学 的 に表 現 で き る 、 と し て、 B=f
(L) と い う 特 別 の方 式 を 提 起 し て い る (B は behavi or行 動 、 L は l i fe space 生 活 空 間 )。
ア メ リ カ の 学 者 ホ ー ル と リ ン ゼ イ は、 社 会 心 理 学 に対 す る レ ビ ン の理 論 の 影 響 を 称 賛 し て、 か れ
が ﹁行 動 主 義 の粗 野 で 退 屈 な 唯 物 論 を、 よ り 人 間 的 な 図 絵 ﹂ に とり か え た 、 と 書 い て い る (Cal vi n
S.Hal la nd Gardner Li ndzey,Theoriseof Per sonali t y,New York-London,1957,p.253 )。
人 間 の 行 動 、 パ ー ソ ナ リ テ ィ の形 成 に 対 す る 環境 の影 響 を認 め た こ と は 、 内 在 的 な 本 能 の現 象 形
態 と し て 人 間 、 も し く は パ ー ソ ナ リ テ ィを 規 定 し よ う と す る観 念 論 と く ら べ て 、 一歩 前 進 で あ る か のご とく み え る 。 事 実 は 、 は た し て、 そ う で あ ろ う か 。
﹁否 ﹂ と ク レ ムネ フ は考 え る 。 な ぜ な ら 、 レ ビ ン の い う 環 境 は 、 二 面 性 をも った も の で あ って、
単 一のも の で な い か ら で あ る 。 つま り、 そ れ は 一方 で は 客 観 的 現 実 、 か れ の い う 物 理 的 環 境 で あ り 、
他 方 で は 人 間 に よ って 主 観 的 に と ら え ら れ た 、 客 観 的 現 実 と の 照 合 を 経 な い、 い わ ゆ る 心 理 的 環 境 であ る。
レ ビ ン に よ れ ば 、 人 間 と外 界 と の つな が り は 、 客 観 的 現 実 の 制 約 を う け な い、 か か る 心 理 的 環 境 を 通じ て のみ実 現さ れ る、 とみる。
パ ー ソ ナ リ テ ィ は、 社 会 か ら 切 り 離 さ れ 、 外 界 と の つ な が り か ら 切 り 離 さ れ 、 そ れ 自 身 の内 的 法
則 の み に よ って形 成 さ れ る 、 と いう 、 い わ ゆ る パ ー ソ ノ ロジ ー の考 え か た を 放 棄 す る こ と こ そ が 科
学 的 な観 点 であ る。
人 間 、 も し く は パ ー ソ ナ リ テ ィ の発 展 に か ん す る 弁 証 法 の 理 論 は、 集 団 を 通 じ て の み 、 パ ー ソ ナ
リ テ ィ が 成 立 す る 、 と いう 見 か た を と る 。 マ ル ク スは 、 ﹁歴 史 の奥 深 く へ立 ち 入 って み よ う 。 深 け
れ ば 深 い だ け 、 そ れ だ け 多 く 、 個 体 は 、 よ り広 範 な 全 体 に所 属 す る も の と し て、 非 自 立 的 な も の と
し て 登 場 す る ﹂ と い った (﹃マ ル ク ス、 エ ン ゲ ル ス全 集 ﹄、 一二 巻 、 七 一〇 ペ ー ジ )。 人 間 は社 会 的諸 関 係 の総 和 であ る。
そ し て 、 こ こ で 社 会 的 諸 関 係 と い う の は、 物 質 的 要 因 と精 神 的 要 因 と を 包 含 し た も の だ 。 とく に 、
そ の物 質 的 要 因 、 し た が って 生 産 諸 関 係 が パ ー ソ ナ リ テ ィ の形 成 に決 定 的 な 役 割 を 果 し て い る 。 も
ち ろ ん 、 そ の精 神 的 要 因 も 、 つ ま り 、 特 定 の社 会 に存 在 す る 感 覚 、 表 象 、 情 緒 、 慣 習 な ど も 新 し い 世 代 に はたら き かけ る。
し か し、 こ の よ う な 精 神 的 要 因 は 、 ひ っき ょう 、 物 質 的 な 社 会 的 諸 関 係 の反 映 に ほ か な ら な い 。
人 間 に お け る 外 的 世 界 の 反 映 過 程 は、 社 会 に存 在 す る諸 関 係 を 、 か れ の内 的 特 性 と の つな が り と 関 係 な く 、 単 に 機 械 的 に吸 収 す る こ と で は な い 。
理 学 の原 理 と発 展 の 道 ﹄ モ ス ク ワ、 一九 五 九 年 、 内 藤 耕 次 郎 、 木 村 正 一訳 ﹃心 理 学 ﹄ (上 )、 青 木 書
ソ連 の 哲 学 者 で あ り 、 心 理 学 者 で あ った ルビ ン シ ュテ イ ン (エ ス ・ エリ ・ルビ ン シ ュテ イ ン ﹃心
店、 一九 六 一年 、 一六 五 ︱ 七 ペ ー ジ ) は書 い て い る 。 ﹁人 格 心 理 学 は、 心 理 諸 現 象 の 説 明 に お い て
は し ば し ば 、 機 械 論 的 決 定 論 の 立 場 の直 接 的 対 立 物 を 代 表 す る 立 場 か ら 出 発 し た 。 機 械 論 は 、 心 理
現象 を 外 的 作 用 か ら 直 接 引 き 出 そ う と す る 。 人 格 主 義 的 心 理 学 は 、 心 理 現 象 の説 明 に さ い し て 、 人
格 の内 面 的 特 性 や 傾 向 か ら 出 発 す る も の で 、 機 械 論 的 決 定 論 に真 向 か ら 対 立 す る 立 場 に滑 り お ち や
す い 。 し た が って 問 題 の解 決 と こ の対 立 物 の克 服 と は 、 外 的 作 用 も 内 面 的 被 制 約 性 も 考 慮 し な け れ
ば な ら な い と 主 張 し、 か く し て 二要 因 理 論 を 採 り い れ て、 こ れ ら 両 者 を 合 同 す る こ と の な か に は求
め ら れ な い 。 外 的 作 用 と内 面 的 条 件 と は、 一定 の方 法 に よ って 相 互 に 関 係 づ け ら る べ き で あ る 。 わ
れ わ れ は 、 外 的 原 因 (外 的 作 用 ) は内 面 的 条 件 に媒 介 さ れ て し か 作 用 し な い、 と いう と こ ろ か ら 出
は 、疑 い も な く ヴ ラ ヂ ー ミ ル ・ イ リ イ ッ チ に
(
ア レ ク サ ンド ル ・ウ リ ャ ー ノ フ が 一八 八 七 年 三 月 一日 、 ツ ァー ・ ア レ ク サ ン ド ル 三 世 暗 殺 未 遂 事 件 にく わ わ つた
ここで、 ﹁唯物 弁証 法 は、外 部 の原 因 は変 化 の条件 であ り、内 部 の原因 は変化 の根 拠 であ つて、 外部 の原 因 は内部 の原 因を通 じ 発 す る ﹂ と (て 作 用す ると 考 える。 鶏 の卵 は適 当な温 度 をあ たえら れる と鶏 に変 化す るが 、 しか し温度 は石 を鶏 にか える こと はでき ない。 両 者 の根 拠が ちが うか らであ る﹂と いう ﹁矛盾 論﹄ に おけ る毛)。 沢 東 の言葉 を想起 す る ことも無意 味 ではあ るま い︱︱ 筆 者注
)
そ し て 、 ル ビ ン シ ュ テ イ ン は 、 つ ぎ の よ う な 、 ﹁兄 の 運 命 か ど で 、 ペ テ ル ブ ル グ で逮 捕 さ れ 、 同 年 五 月 八 日 、 ツ ァ ー の死 刑 執 行 人 の 手 で
処刑 され た事件 をさ す。 このとき ヴラヂ ー ミ ルは十 七歳 であ つた。 ︱︱筆 者注
大 き な 影 響 を あ た え た 。 ヴ ラ ヂ ー ミ ル ・イ リ イ ッチ が 、 こ の頃 す で に い ろ い ろ の こ と に つ い て 独 自
の考 え を も ち 、 革 命 的 闘 争 の必 要 な こ と を 心 に 決 し て い た こ とが 、 こ の とき 大 き な 役 割 を 演 じ た 。
って も 、 兄 の歩 いた 道 を 進 も う とす る 決 心 を か た め 、 そ の方 向 に進 ま せ る のが せ いぜ いだ った だ ろ
も し そ う で な か った ら 、 兄 の運 命 は 、 彼 を 深 い悲 し み に お と し いれ た に す ぎ な か った か 、 う ま く い
う 。 と こ ろ が 当 時 の 状 態 で は、 兄 の 運 命 は 、 彼 の思 索 活 動 を 尖 鋭 化 し、 な み な み な ら ぬ 冷 静 さ 、 真
理 を み つめ る 能 力 を つく り だ し 、 一瞬 と いえ ど も 、 美 辞 麗 句 や 幻 影 に迷 わ さ れ る こ と な く 、 あ ら ゆ
る 問 題 を も っと も 公 平 に と り あ つ かう 態 度 を つく り あ げ た ﹂ と いう ク ル ー プ ス カ ヤ の ﹃レ ー ニン の
思 い 出 ﹄ を 引 用 し 、 ﹁生 活 の な か のど の 出 来 事 に よ って わ れ わ れ に 与 え ら れ る 作 用 も 、 つ ね に、 わ
れ わ れ が そ れ ま で に体 験 し た こ と 、 繰 り 返 し 考 え た こ と 、 お よ び ど ん な 内 面 的 な 仕 事 を し た か 、 と
いう こ と に よ って制 約 さ れ て い る ﹂ ﹁外 的 作 用 は、 人 格 を 媒 介 と し て 、 そ の 心 理 的 効 果 と じ か に結
び つ い て い る と い う 命 題 は 、 心 理 学 一般 に対 す る 理 論 的 立 場 と 同 様 に 、 人 格 心 理 学 のあ ら ゆ る 問 題 に対 す る 理 論 的 立 場 が そ れ に よ って 決 定 さ れ る 中 心 で あ る ﹂ と いう 。
し か し 、 人 間 の 内 的 心 理 特 性 が 、 外 的 作 用 の は た ら き か け の結 果 な ら ざ る 、 ま ったく 内 的 起 源
を も った 、 か れ の 特 殊 性 の結 果 で あ る 、 と考 え る こ と は 正 しく な い。 ルビ ン シ ュテ イ ン は つづ け て
いう 、 ﹁お の お の の与 え ら れ た 瞬 間 に 人 格 に対 す る 外 的 作 用 が 、 そ れ を 通 じ て屈 折 さ れ る 内 面 的 諸
条 件 は 、 逆 に 、 先 行 す る 外 的 諸 作 用 に 依 存 し て 形 成 さ れ た も の で あ る 故 に、 内 的 諸 条 件 を 介 す る 外
的 諸 作 用 の屈 折 と いう 命 題 は 、 同 時 に 、 人 格 に対 す る 外 的 (教 育 学 的 な も のも いれ て ) 諸 作 用 の お
の お の の 心 理 学 的 効 果 は 、 人 格 の発 達 の歴 史 に 制 約 さ れ た も の で あ る と い う こ と を も 意 味 し て い る ﹂と 。
さ ら に 、 フ ロ ム、 ホ ル ネ ー な ど に代 表 さ れ る 多 く の社 会 学 者 た ち は、 パ ー ソ ナ リ テ ィ を 、 そ れ に
対 す る 文 化 の は た ら き か け の結 果 だ 、 と み る 。 ﹁人 間 の本 性 、 そ の苦 し み と悩 み と は文 化 の 所 産 で
あ る ﹂ と、 フ ロ ム は 書 い て い る (Eri ch From m,Escapef rom Freedom ,New York ,1941,P.13)。
これ ら の 研 究 者 た ち は新 フ ロイ ト 学 派 と よ ば れ て い る 。 な る ほど 、 少 な く とも 、 そ の 言 葉 の 上 で
は 、 人 間 が そ の内 的 ・本 能 的 欲 求 の 所 産 で あ る 、 と いう 伝 統 的 な フ ロイ ト 学 説 か ら 遠 ざ か って い る か のご とく み え る。
し か し 、 ク レ ムネ フ は、 か れ ら が ﹁文 化 ﹂ の 概 念 を 誤 ま って解 釈 し て いる 、 と 考 え る 。
た と え ば 、 ホ ル ネ ー の 場 合 、 ﹁文 化 ﹂ と いう 概 念 を ﹁乳 幼 児 期 に お け る 子 供 の 養 育 ﹂ と いう 意 味
に集 約 す る 。 特 定 の 社 会 集 団 の な か で 、 子 供 の教 育 に 適 用 さ れ る 方 法 、 愛 情 の欲 求 、 自 己 の行 為 の
承 認 の欲 求 な ど と い う 十 個 の 主 要 な 子 供 の欲 求 を 充 足 さ せ る 方 法 は、 結 果 と し て パ ー ソ ナ リ テ ィ を 規 定 す る。
し か し 、 これ ら の欲 求 の充 足 は、 そ の ほ と ん ど が 実 現 不 可 能 で あ る 。 た と え ば 、 愛 情 の欲 求 を と
り あ げ て み よ う 。 愛 情 の欲 求 は つき る こ と が な い。 な ぜ な ら 、 子 供 が 、 よ り 多 く の愛 情 を 与 え ら れ
れ ば 与 え ら れ る ほ ど 、 そ の欲 求 は さ ら に 増 大 す る か ら だ 。 ま た 、 こ の欲 求 へ の正 し く な い態 度 、 た
と え ば 、 思 い や り の欠 如 、 た び か さ な る叱 責 は、 子 供 に特 定 の行 動 へ の戦 略 を 喚 起 す る 。 か れ は 閉
鎖 的 に な る か も し れ ず 、 ま た 攻 撃 的 に な る か も し れ な い。 こう し て 、 こ れ ら の特 性 の な か か ら 、 結
果 と し て 、 成 人 の性 格 が 形 成 さ れ る 。
る 。 そ れ は 、 いわ ば 呪 い と し て 、 一生 を 通 じ て 人 間 を 支 配 す る 。
ホ ルネ ー に よ れ ば 、 幼 児 期 に お け る 恵 ま れ ぬ 生 活 経 験 の影 響 で 、 いわ ゆ る ﹁原 生 的 恐 怖 ﹂ が 生 ず
ア 社 会 学 のな か で、 流 行 を き わ め て い る 、 と み る 。 恐 怖 は、 ま た 、 周 知 の よ う に 、 実 存 主 義 の主 要
ク レ ム ネ フは 、 人 間 の行 動 に お け る 決 定 的 要 因 と し て の 恐 怖 の概 念 が 、 今 日 の い わ ゆ る ブ ル ジ ョ
な 哲 学 的 範 疇 の ひ と つで も あ る 。
人 び と は恒 常 的 な 恐 怖 のな か に あ る と し て、 イ ギ リ ス の 軍 事 心 理 学 者 コウ プ レ ンド は、 つぎ のよ
う な 意 味 の こと を 書 い て い る (ノ ー マ ン ・コウ プ レ ン ド ﹃心 理 学 と 兵 士 ﹄ 外 国 文 献 出 版 、 一九 六 〇 年、 三 二 ペ ー ジ )。
つ ま り 、 人 間 は 生 涯 を 通 じ て 、 恐 怖 の状 態 に お か れ て い る 。 か れ は、 な に よ り も 、 貧 困 、 苦 痛 、
死 を 恐 れ る 。 も っとも 印 象 深 い子 供 の 時 代 に、 火 、 暗 闇 、 尖 った も の、 病 気 、 跛 、 盲 、 髭 面 、 黒 人 、
虎 、 ラ イ オ ン な ど を 恐 れ る こと を知 り 、 青 年 に 達 し て中 年 に な る こ と を 恐 れ 、 中 年 に達 し て 老 境 に
入 る こ と、 死 を 恐 れ る 。 こ の ほ か にも ま た 、 た と え ば 、 冷 水 、 熱 湯 に対 す る 、 北 風 南 風 に対 す る 、 西 風 東 風 に対 す る 、 個 体 に特 有 の恐 怖 が 存 在 す る 、 と 。
ク レ ムネ フ は、 こ の よ う な 見 解 を 、 人 間 の 本 質 に対 す る 嘲 笑 だ 、 と み る 。 ま た 、 人 間 の精 神 世 界 に対 す る 蔑 視 、 卑 俗 化 に す ぎ な い、 と み る 。
な る ほ ど 、 資 本 主義 体 制 のも と で は、 多 く の 人 び と が 恒 常 的 な 不 安 、 恐 怖 、 動 揺 の な か に あ る 。
労 働 者 、 サ ラ リ ー マ ン は 失 業 を 恐 れ 、 中 小 企 業 者 は 大 企 業 の攻 勢 を 恐 れ 、 ま た 資 本 家 は経 済 恐 慌 を 恐 れ る。
し か し 、 資 本 主 義 の現 実 か ら 生 ま れ た これ ら の恐 怖 は、 す べ て の文 化 に 共 通 し て存 在 す る 根 源 的 な 何も のかで は決 し てな い。
パ ー ソ ナ リ テ ィ の本 質 に か ん す る ア メリ カ 社 会 心 理 学 者 た ち の主 観 主義 的 偏 向 は、 いわ ゆ る ﹁心
理 人 ﹂ と いう 結 論 に も 、 は っき り あ ら わ れ て い る 、 と ク レ ムネ フ は考 え る 。
﹁経 済 人 ﹂と い う 信 仰 は 、す で に命 脈 を 失 な った も の と し て 、ト ー ル マ ンが 、 つぎ の よ う に書 い て い
る 。 ﹁新 世 紀 の 到 来 と と も に、 心 理 人 を とも な った フ ロイ ト革 命 は勝 利 す る で あ ろ う ﹂ と (Edward
C.Tol man, Behav ioran d Ps ychol ogi calM an ,LosA ngel es,1958 ,p.211)。 ト ー ル マ ン は史 的 唯 物 論 を 曲 解 し て、 マ ル ク ス主 義 的 社 会 主 義 の 理 論 が 、 古 典 的 ブ ルジ ョ ア経 済
学 説 と同 様 に、 人 間 を ﹁経 済 的 動 物 ﹂ と み な し て い る 、 と強 調 す る 。 こ の よ う な 人 間 の た だ ひ と つ
﹁経 済
の 行 動 の 動 機 は、 経 済 的 欲 求 の充 足 で あ る と し て、 マ ル ク ス主 義 を 、 粗 野 で 、 卑 俗 な 経 済 決 定 論 と 同 一視 す る 。
こ れ は、 資 本 主義 体 制 のも と に お け る 経 済 生 活 の脆 弱 性 を 、 か れ ら が 勝 手 に 思 い つ い た
人 ﹂ の非 安 定 性 と と り ち が え た も の で あ り 、 マ ル ク ス主 義 の 直 接 の 歪 曲 に ほ か な ら な い。
マ ル ク ス主 義 は 、 な る ほ ど 、 社 会 過 程 の基 礎 と し て 経 済 的 要 因 を と り あ げ る 。 し か し 、 人 間 、 社
会 現 象 を 単 に経 済 的 要 因 だ け で 説 明 し よ う と し た こ と は な か った 。 こ の 問 題 に関 連 し て エン ゲ ル ス
が いう 、 ﹁あ た か も 経 済 的 要 因 が 唯 一の 決 定 的 モ メ ン ト で あ る か の ご とき 意 味 で こ の 命 題 を 歪 曲 し
よ う と す る な ら ば 、 か れ は、 ほ か で も な い、 こ の こ と に よ って、 何 も 語 ら ぬ 、 抽 象 的 で、 無 意 味 な
言 葉 に 、 こ の命 題 を 歪 曲 し て いる こ と に な る ﹂ と (﹃マ ル ク ス、 エン ゲ ル ス選 集 ﹄ 一 一巻 、 四 六 七 ペ ー ジ )。
ト ー ル マン は、 ﹁心 理 人 ﹂ の行 動 に お け る 非 経 済 的 動 機 を 強 調 し な が ら 、 そ の ﹃行 動 と 心 理 的 人
間 ﹄ のな か で 、 人 間 は 多 様 な 、 質 的 に 異 な る 欲 求 を も つ と し て 、 フ ロイ ト の シ ェー マ に し た が い な
① イ ド の 欲 求 空 気 、 水 、 食 、 住 、 苦 痛 の排 除 、 性 欲 な ど と い う 生 物 的 欲 求 で あ る 。
が ら 、 こ れ ら の欲 求 を 、 つぎ の よ う な 四 種 に分 類 し て い る (Edward C.Tol man,i bi d.p.209)。
② エ ゴ の 欲 求 子 供 の成 長 過 程 の な か で 、 も し く は 子 供 の 社 会 化 の 過 程 で 、 人 間 が 社 会 的 環
境 と ま じ わ る 結 果 生 ず る 欲 求 で あ る 。 社 会 の な か に自 己 の尊 厳 を う ち た て 、 自 己 の力 、 自 己 の
権 威 を た か め 、 他 者 よ り も 自 己 の優 越 性 を 確 保 し よ う と す る 欲 求 で あ る 。
③ ス ー パ ー ・ エゴ の 欲 求 こ の欲 求 は エゴ の欲 求 と 矛 盾 し、 人 間 が 家 族 、 学 校 、 政 党 、 階 級 、
民 族 、 人 類 な ど の集 団 に 従 属 し、 自 己 を そ れ に同 化 さ せ よ う と いう 欲 求 で あ る 。
④ 拡 大 さ れ た エゴ の欲 求 集 団 の成 功 、 不 成 功 を 自 己 の そ れ と み な す こ と に よ り、 全 体 の利
益 の た め に、 自 己 を 抹 殺 し 、 個 人 と 集 団 と を 接 近 せ し め よ う と す る 欲 求 で あ る 。
ト ー ル マン に よ れ ば 、 産 業 革 命 の時 期 、 古 典 経 済 学 が 、 ﹁経 済 人 ﹂ (homo economi cus) の概 念
を 樹 立 し た 当 時 は、 イ ド と エゴ の欲 求 を 軸 と す る 、 人 間 の 粗 野 な 物 質 的 欲 求 が 一次 的 意 義 を も って
﹁心 理 人 ﹂ が 新 た に登 場 し てき た と いう 。
い た 。 し か し、 今 日 で は、 そ の ﹁経 済 人 ﹂ が 退 場 し 、 さ き に あ げ た 四 つ の欲 求 形 態 を 調 和 さ せ た
こう し て、 ﹁心 理 人 ﹂ の 理 論 を 唱 導 す る 学 者 た ち は 、 た と え ば 、 あ る 迷 信 深 い銀 行 家 が い て 、 た
ま た ま 、 そ の坐 った椅 子 が 十 三 番 目 で あ った た め 、 取 引 き の た め の署 名 を 拒 否 し て、 大 き い損 害 を
こう む った と い う 例 外 的 な 事 例 を と り あ げ て 、 ﹁経 済 人 ﹂ は、 す で に消 滅 し つ つあ る 、 と 証 言 す る 。
か れ ら は 、 今 日 の資 本 家 た ち が 、 ﹃資 本 論 ﹄ の な か で マ ル ク スが 描 いた よ う な 、 利 潤 の搾 取 者 で は
も は や なく 、 そ の 経 済 行 動 に お い て、 非 経 済 的 動 機 に つ ら ぬ か れ た 、 全 体 の福 祉 の た め に 生 産 を 操 作 す る ﹁オ ル ガ ナ イ ザ ー ﹂ ﹁産 業 の船 長 ﹂ で あ る と いう 。
ち は て た命 題 (資 本 主 義 経 済 の原 動 力 は、 今 日 で は 、 も は や 、 自 己 の利 潤 を も と め る こ と に な く 、
ク レ ムネ フ に よ れ ば 、 こ の ﹁心 理 人 ﹂ と い う 概 念 は、 資 本 主義 的 搾 取 の体 制 を 維 持 せ ん とす る 朽
社 会 の 利 益 、 全 体 の福 祉 を も と め る こ と に あ る と いう ) を 支 持 す る た め に、 う ち だ さ れ た も の にす ぎ ぬ、 とされ る。
ア メ リ カ社 会 心 理 学 者 た ち の研 究 が 、 こ の ん で家 庭 、 愛 情 、 性 の 分 析 に 向 け ら れ 、 し か も 、 そ れ
ら を 生 体 の生 物 学 的 発 展 の特 殊 性 に結 び つけ よ う と す る の も 、 ま た 、 す べ て の 社 会 的 諸 関 係 を 個 人
的 な ﹁人 間 関 係 ﹂ の問 題 にす り か え 、 す べ て の 人 び と の関 係 を 特 徴 づ け る 基 本 的 な階 級 構 造 の 関 係
に つ い て の思 考 を つ み と って し ま お う と す る のも 、 ひ っき ょう 、 パ ー ソ ナ リ テ ィ の 本 質 に か んす る
個 人 主 義 的 、 主 観 主 義 的 歪 曲 、 し た が って そ の反 社 会 性 の 理 論 の必 然 的 到 達 に ほ か な ら な い。
こ のよ う な 、 ア メ リ カ 社 会 心 理 学 者 た ち に よ る パ ー ソ ナ リ テ ィ の本 質 に か ん す る 主 観 主 義 的 歪 曲
は 、 ま た 同 時 に、 社 会 の本 質 に か ん す る 誤 ま った 理 論 を も た ら さ ず に は お か な か った 。 コ ン ト、 ス
ペ ン サ ー な ど に よ って 発 展 さ せ ら れ た 古 い社 会 学 理 論 に お い て は、 そ れ ら が い ず れ も 観 念 論 的 基 礎
に た ち な が ら も 、 な お 、 社 会 を 、 個 人 の総 計 と は 異 な った 、 ひ と つ の現 実 と し て 考 え ら れ て き た 。
と ころ が 、 今 日 の社 会 心 理 学 者 た ち に お い て は、 自 己 の 利 益 を 追 求 す る 過 程 で 、 あ れ こ れ に結 合
す る 個 人 だ け が 現 実 的 で あ る と し て、 社 会 は、 本 来 、 虚 構 に す ぎ な い とす る も の、 も し く は 社 会 と い う カ テ ゴ リ ー を 否 定 し よ う とす る も の が 少 な く な い。
の心 理的 特性 から社会 の存在 を説 明 し よう とす る学 者 たちも いる。
ま た 、 人 間 は内 在 的 な 群 集 本 能 を も って い て 、 孤 独 が た え が た いも の で あ る と いう よ う な 、 個 人
し た が って 、 社 会 に か ん す る これ ら の 理 論 の性 格 は、 そ の社 会 の存 在 が 個 人 の内 的 体 験 と か、 も
しく は 主 観 的 感 情 と か に依 存 し た、 単 な る 人 び と の 結 合 に す ぎ な い、 と い った よ う な 主 観 主 義 に つ ら ぬ か れ た も のだ と 特 徴 づ け ら れ よ う 。
﹁社 会 一般 ﹂ な ど と いう 抽 象 的 概 念 を 放 棄 し て、 人 び と の物 質 的 生 産 生 活 の過 程 で 構 成 さ れ る も
の と み る こ と 、 物 質 的 生 産 生 活 の 歴 史 的 条 件 に よ って 規 定 さ れ る も の と み る こ と、 し た が って 、 歴
史 的 カ テ ゴ リ ー と み る こと が 、 社 会 に か ん す る 科 学 的 理 解 で あ る、 と ク レ ム ネ フ は いう 。 ﹁生 産 関
係 は 、 そ の総 体 に お い て 、 社 会 関 係 、 社 会 と よ ば れ る も のを 構 成 す る 。 そ し て 、 そ の 社 会 に は 、 一
定 の 史 的 発 展 段 階 が あ り 、 そ れ ぞ れ は 特 有 の い ち じ る し い性 格 を も って いる ﹂ と マ ル ク スが 書 い て い る (マ ル ク ス、 エン ゲ ル ス全 集 、 六 巻 、 四 四 二 ペ ー ジ )。
と こ ろ で 、 上 記 し た よ う な パ ー ソ ナ リ テ ィ に か ん す る、 も し く は社 会 にか ん す る 理 解 の上 に 立 っ
て、 ア メ リ カ の社 会 心 理 学 者 た ち は 、 現 代 の社 会 、 人 間 を 、 い った い、 ど の よ う に み て い る で あ ろ う か。
(Er ich
F romm , Le t M an Prevail, A
た と え ば 、 フ ロ ム は 、 いわ ゆ る新 フ ロイ ト 主義 の革 命 に よ って 、 ﹁人 間 的 ﹂ な 時 代 、 い い か え れ ば ﹁心 理 的 ﹂ な 人 間 の時 代 を 確 立 す る よ う 呼 び か け る
Soci al i st M anifest o and Program ,︽The Soci al i stCal l ︾ 1960,v.XXVIII,No.2)。
フ ロ ム は、 現 代 に お け る 個 性 の悲 し む べ き 運 命 に涙 を 流 す 。 か れ に よ れ ば 、 個 性 は 疎 外 さ れ 、 他
人 に支 配 さ れ 、 し か も 充 ち 足 り た、 お と な し い ロボ ッ ト に 変 化 し て し ま った とさ れ る 。 資 本 主 義 社
会 も 社 会 主義 社 会 も 、 い ま や ロボ ッ チズ ム、 ネ オ ・フ ェオ ダ リ ズ ム へ の転 換 期 を む か え た と いう 。
か か る 人 間 社 会 一般 の危 機 を と く ペ シ ミ ズ ム の 理 論 は、 資 本 主義 の 体 制 の な か で 、 ま す ま す 深 化 し て い る 一般 的 危 機 の新 し い質 的 段 階 の反 映 に ほ か な ら ぬ 。
こ の よ う に 、 人 間 社 会 一般 の危 機 と い う 観 点 に立 つ ア メ リ カ の 社 会 心 理 学 者 た ち が 、 と く に こ の
ん で と り あ げ る の は 、 疎 外 と、 こ れ に 関 連 し て ロボ ッ チ ズ ム の 問 題 で あ る 。
フ ロ ム に よ れ ば 、 疎 外 は 人 間 が 動 物 世 界 か ら へだ て ら れ た とき に は じ ま った。
人 間 は 、 動 物 の生 活 を 規 定 し 、 方 向 づ け る 本 能 を す で に失 な って い る 。 人 間 に は、 な る ほ ど 、 知
能 が あ る が 、 こ れ は か れ に 利 益 を も た ら さ な い 。 利 益 を も た ら さ な い ど こ ろ か、 自 意 識 、 知 能 、 想
像 は 動 物 存 在 を 性 格 づ け る ﹁調 和 ﹂ を 破 壊 す る も の で さ え あ る 。 人 間 は 、 動 物 と は 異 な って 、 自 己
F romm ,TheSaneSoci et y,New
の終 末 、 死 を 意 識 し は じ め 、 不 安 、 恐 怖 を 経 験 す る 。 し た が って 、 知 能 と い う 人 間 に と って 祝 福 で あ る はず のも のが 、反 対 に 、か れ の 呪 詛 と な った 、 と い う (Eri ch Yor k,1955, 23-24)。
こう し て 、 フ ロム は 現 代 社 会 を 、 心 理 的 に悩 め る 、 疎 外 さ れ た 人 間 で 充 満 し た 社 会 で あ る 、 と よ ん だ (Eri ch Fromm ,i bi d.p.15)。
こ こで 注 意 し て お か ね ば な ら ぬ の は、 フ ロ ムが これ ら疎 外 の 問 題 を マ ル ク スの 名 前 と 結 び つ け て
と り あ げ て い る、 と いう こ と で あ る 。 し か し 、 マ ル ク スは 、 ﹁彼 (労 働 者 ) によ って 事 物 に付 与 さ
れ た 生 命 は、 彼 に 敵 対 す る 無 縁 な も の と し て あ ら わ れ る と い う 意 味 を も って い る ﹂ と い い 、 資 本 主
義 社 会 に お け る特 有 な 法 則 と し て の 労 働 の疎 外 に つ い て語 って い る の で あ って 、 決 し て疎 外 一般 に
つ い て語 って い る の で は な い (﹃マ ル ク ス、 エン ゲ ル ス初 期 著 作 集 ﹄、 国 立 政 治 図 書 出 版 、 一九 五 六 年 、 五 六 一ペ ー ジ )。
実 際 、 資 本 主 義 諸 国 に お け る 、 とく に 生 産 の自 動 化 に と も な う 労 働 の疎 外 現 象 は 、 ま こ と に 目 を お お う も のが あ る 。
そ の端 的 な 一例 と し て、 ベ ・コジ ェブ ニ コ フ の体 験 が 引 用 さ れ る 。 戦 争 中 、 か れ は ム ル マン ス ク
で 、 ア メ リ カ 人 の 一技 師 と知 り あ った 。 こ の ア メ リ カ 人 は船 舶 技 師 で、 か れ に リ バ テ ィ ー 型 商 船 の
機 械 を み せ た 。 ﹁技 師 は 私 を連 れ て各 部 を 見 廻 り 、 部 品 の 端 々を 手 で つき な が ら 、 尊 大 ぶ って 、 つ
ぎ の よ う な こ と を 興 奮 し て は な し た ﹂ ﹁ご ら ん の と お り 、 ア メ リ カ の 技 術 思 想 が 、 こ こ に あ ら いざ
ら い表 明 さ れ て いま す 。 機 械 の操 作 は 、 馬 鹿 者 に わ り あ て ら れ て いま す 。 か れ は 何 も 考 え る 必 要 が
な く 、 た だ 黙 って シグ ナ ル の 後 を 追 えば 、 事 は 十 分 そ れ で た り ま す 。 も し 、 か れ が 光 シ グ ナ ル に 適
時 に反 応 し な い な ら ば 、 音 シグ ナ ル が あ ら わ れ ま す 。 も し 、 こ の 音 シグ ナ ル に も 反 応 し な け れ ば 、
上 司 当 番 が 近 づ い て、 か れ の 喉 を し め つけ ま す 。 ⋮ ⋮ し た が って 、 こ こ に、 服 を 着 せ た サ ル を お い
た と し て も 、 結 果 は ま った く 同 様 で す 。 わ が 国 の 工 業 に よ って 実 現 さ れ た こ の原 則 は 、 有 資 格 労 働
者 、 高 度 な 教 育 へ の 依 存 を ゼ ロに し て し ま い ま し た ﹂ (﹃文 学 新 聞 ﹄ 一九 五 二 年 一月 八 日 )。
自 動 機 械 の運 転 台 に、 押 し ボ タ ン を 、 い つ、 い か に押 す か だ け し か 承 知 し な い単 純 労 働 者 を おき 、
し か も 、 か れ ら が つく ら れ て ゆ く 商 品 の 目 的 、 行 方 な ど を 知 ら な い と す る な ら ば 、 か れ ら の 労 働
は機 械 の 部 品 に転 化 し た も の にす ぎ ず 、 自 己 の労 働 か ら 現 実 的 に疎 外 さ れ て し ま って い る と いえ よ う。
社 会 主 義 社 会 に お け る労 働 者 の教 育 水 準 の いち じ る し い向 上 、 ま た し た が って、 そ の技 術 知 識 の
飛 躍 的 増 加 に よ って 、 か れ ら 自 身 が 先 進 的 な 生 産 工 程 の創 造 に積 極 的 に 参 加 し て い る 事 実 に 目 を お
お い 、 疎 外 が す べ て の 工 業 社 会 に 共 通 す る、 し か も 人 間 が 自 然 界 か ら 分 離 す る瞬 間 か ら は じ ま った 、
非 歴 史 的 カ テ ゴ リ ー で あ る と す る フ ロ ム、 さ ら に は リ ー ス マ ン な ど の思 想 、 疎 外 の 原 因 を 生 産 の自
動 化 そ れ 自 体 に も と め よ う と す る こ れ ら の見 解 は 、人 間 が 無 意 識 的 本 能 、性 欲 の盲 目 的 な 道 具 で あ る
A Study of the C hanging A m erican C haracter,New
と み る ア メ リ カ 社 会 心 理 学 理 論 の 基 本 的 設 定 か ら う ま れ た 必 然 的 帰 結 だ 、 と ク レ ムネ フ は指 摘 す る (D avid R iesm an, T he L onely C row d︱︱
H aven,1950)。
以 上 が 前 記 し た 論 文 に お け る ク レ ム ネ フ の 発 言 の 要 旨 で あ る が 、 ﹁パ ー ソ ナ リ テ ィ と は 何 か ﹂ の
こ の 小 論 の 最 後 に 、 ル ビ ン シ ュテ イ ン の 前 掲 書 に お け る 、 端 的 な パ ー ソ ナ リ テ ィ 概 念 の 規 定 を と り
あげ て お こう。 いわく 、 ﹁人 格
(личность , per sonal i t y) は 、 人 間 が 周 囲 の 世 界 と と も に す る 相
(деятельность,
互 作 用 の な か で形 成 さ れ る 。 人 間 は 世 界 と の 相 互 作 用 の な か で 、 つま り 、 彼 が お こ な う 活 動 の な か
で、 現 わ れ る の み で な く 、 ま た形 成 さ れ る の で あ る 。 こ の故 に こそ 、 人 間 の活 動
act i vi t y) は 、 心 理 学 に 対 し て か か る 基 本 的 意 義 を 獲 得 す る 。 人 間 的 人 格 、 す な わ ち 、 人 格 概 念 に
よ って 示 さ れ る客 観 的 実 在 と は 、 要 す る に、 実 在 的 個 人 、 生 け る 、 活 動 し つ つあ る 人 間 で あ る ﹂ と (原 書 で 一二 一ペ ー ジ 、 訳 書 で 一七 一ペ ー ジ )。
第 二章 話 さ な く て も わ か る
﹁話 せ ば わ か る ﹂、 ﹁話 さ な け れ ば わ か ら な い﹂ と いう 。 普 通 、 こ の コ ミ ュ ニケ ー シ ョ ン の 原 則 と
さ れ る も のが 、 ど う や ら か な ら ず し も 日本 人 の場 合 に は、 適 用 で き る と いえ な いよ う だ 。
こ こ で は 、 そ う い う 日 本 人 の コミ ュ ニケ ー シ ョ ン に お け る 諸 問 題 を 通 し て 、 そ の パ ー ソ ナ リ テ ィ を 考 え た い と思 う 。
一 二 つ の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン
い った い、 コ ミ ュ ニケ ー シ ョ ン を ど う 定 義 す る か 。 ホ ブ ラ ン ド な ど に お け る よ う に、 ﹁主 と し て
言 語 シ ン ボ ル に よ る 意 味 通 達 ﹂ だ と 定 義 す る 狭 義 の見 か た が 存 在 す る 。 も ち ろ ん 、 言 語 が き わ め て 精 緻 な シ ン ボ ル で あ る こ と を 疑 う も の は い ま い。
し か し 、 た と え ば 、 ﹁非 言 語 的 コミ ュ ニケ イ シ ョ ン の 問 題 ﹂ (﹃思 想 ﹄一九 六 一年 、 一 一号 所 載 ) と
い う 論 文 に お い て 加 藤 秀 俊 が い う よ う に、 歩 行 者 が 信 号 を 無 視 し た 場 合 、 交 通 整 理 の警 官 は 、 最 初
か れ に 口 頭 で 注 意 を あ た え る にち が い な い。 そ れ でも な お か れ が 無 視 を つ づ け れ ば 、 警 官 は か れ に
怒 声 を 発 す る だ ろ う 。 そ の 怒 声 が な お か つ か れ の信 号 無 視 を 矯 正 し え な い とき は ど う す る か 。 警 官
は か れ のも と へと ん で いき 、 手 で 制 止 す る な ど の身 体 的 行 動 で 、 か れ の 行 動 を 規 制 し よ う と す る 。
こ の警 官 の 一連 の行 動 に お い て 、 注 意 な い し怒 声 ま で を 、 直 接 、 言 語 を 媒 介 と し た も の で あ る 故
を も って、 歩 行 者 に対 す る 警 官 の コミ ュ ニケ ー シ ョ ン活 動 だ と 限 定 し て い い か 。
手 で 制 止 す る な ど の身 体 的 行 動 を 、 こ の警 官 の 行 動 連 鎖 か ら 切 り 離 し 、 い った いど こ へ位 置 づ け る か。 また、 切 り離 したも のをど う性 格 づけ るか。
こ こ で は、 こ う いう 行 動 の 分 離 が 有 意 味 だ と は 決 し て 思 わ な い。 そ れ ら は歩 行 者 に 対 す る 警 官 の
一連 の連 鎖 的 な 制 止 行 動 で あ って 、 も っぱ ら 言 語 を 媒 介 と し た 注 意 、 怒 声 が コミ ュ ニケ ー シ ョ ン な
ら 、 も っぱ ら 手 な ど に よ って す る 身 体 的 行 動 も コミ ュ ニケ ー シ ョ ンだ と いえ る の で は な い か 。
だ と す れ ば 、 前 述 し た コミ ュ ニケ ー シ ョ ン に か ん す る 定 義 を も う 一度 吟 味 し な け れ ば な る ま い。
こ こ に狭 義 の定 義 か ら 脱 し た コミ ュ ニケ ー シ ョ ン に か ん す る 広 義 の 定 義 が 考 え ら れ な け れ ば な ら な く な って く る 。
実 際 、 ウ ィ ー バ ー な ど は コ ミ ュ ニケ ー シ ョ ン に 、 意 図 し よ う と意 図 し ま い と 、 ﹁ 一方 の 心 が 他 方
の 心 に影 響 を あ た え る ﹂ ﹁手 つづ き のす べ て ﹂、 も しく は ﹁あ ら ゆ る 人 間 行 動 ﹂ だ とき わ め て 広 義 の 定義 をあ たえ る。
二 人 が 相 互 に接 近 す る 。 か れ ら は し た しく 挨 拶 を か わ す 。 の み な ら ず か れ ら は 握 手 し あ い 、 さ ら
に 抱 擁 を か わ す か も し れ ぬ。 こ の場 合 、 言 語 的 手 段 に よ る 挨 拶 が ま ち が い な し に コ ミ ュ ニケ ー シ ョ
ン で あ る な ら 、 非 言 語 的 手 段 と し て の握 手 、 抱 擁 な ど も 、 一方 の 心 か ら 他 方 の 心 へ、 ま た 他 方 の 心
か ら 一方 の心 へ影 響 を あ た え る 行 動 で あ る 以 上 、 ま さ しく コミュ ニケ ー シ ョ ンだ と よ ぶ に ふ さ わ し い。
て ﹂、 も し く は ﹁あ ら ゆ る 人 間 行 動 ﹂ は、 多 く の 場 合 、 粗 放 な シ ン ボ ルで あ り 、 も し く は シ ン ボ ル
も ち ろ ん 、 言 語 が き わ め て精 緻 な シ ン ボ ルで あ る と いえ る に 対 し 、 言 語 以 外 の ﹁手 つづ き の す べ
以 前 の意 味 体 系 だ と い え よ う 。 し か し、 わ た し た ち の経 験 が 教 え る ご と く 、 こ れ ら 粗 放 な シ ン ボ ル
が 、 も し く は シ ン ボ ル 以 前 の意 味 体 系 が 、 ﹁意 味 通 達 ﹂ と し て精 緻 な シ ン ボ ル に お と ら ず 、 重 要 な 役 割 を は た す 場 合 が 多 い。
た と え ば 、 こ こ に恋 人 た ち が い る 。 か れ ら は、 あ る 日 あ る と ころ で 、 所 定 の時 刻 に 待 ち あ わ せ る
約 束 を す る 。 女 は そ の約 束 の 時 刻 に、 そ こ へき て い て 男 を 待 ったが 、 男 が な か な か 姿 を み せ な い 。
三 十 分 待 った が 、 ま だ こ な い 。 や が て 一時 間 近 く にも な り 、 も う あ き ら め て帰 ろ う と し て い る と こ
ろ へ、 や っと 男 が あ ら わ れ た とす る 。 男 は 、 早 速 、 約 束 を 守 れ な か った 必 然 的 理 由 に つき 、 女 を 納
得 さ す べ く 弁 解 を は じ め る 。 し か し 、 こ の 場 合 、 約 束 を 守 ら な か った と い う 男 の行 動 、 女 を 一時 間
近 く も 待 た せ て し ま った と いう 男 の行 動 そ れ 自 体 が 、 時 と し て、 いか に美 辞 麗 句 を つ ら ね た 、 も し
く は遅 刻 の必 然 性 を 証 明 せ ん と す る 言 語 的 コ ミ ュ ニケ ー シ ョン も 無 効 で あ る よ う な 、 大 き な 影 響 を 女 に対 し て 、 す で に あ た え て い る こ と も 少 なく な い。
て み る 。 そ の な か か ら 無 作 為 に第 三 幕 の 一場 面 を 例 示 し よ う 。
こ こで しば ら く 、 演 劇 の 世 界 へ目 を 転 じ よ う 。 こ こ ろ み に、 チ ェー ホ フ の ﹃か も め ﹄ を と り あ げ
部 屋 中 央 に食 卓 が あ る 。 そ の食 卓 の か た わ ら に親 子 二 人 の人 物 が い る 。 母 親 (ア ル カ ー ジ ナ と い
い女 優 で あ る ) は息 子 (ト レ ー プ レ フ) の頭 の傷 口 の 繃 帯 を 新 し いも の と 取 り 替 え 中 だ 。 セ リ フ中
﹁あ の人 ﹂ と い う の は ト リ ゴ ー リ ン で 、 母 親 (ア ルカ ー ジ ナ ) の情 人 た る 小 説 家 で いな が ら 、 息 子 ト レ ー プ レ フ か ら そ の恋 人 の ニー ナを 奪 い さ る と いう 男 で あ る 。
こ の 一場 面 で は、 母 子 行 動 に お い て、 こ こ に 不 在 す る ト リ ゴ ー リ ン を め ぐ り 、 以 上 の よ う な 背 景 の故 に、 両 者 激 し く 対 立 す る と いう 局 面 を み る こ と が で き る 。
﹃ス タ ニ ス
上 段 の セ リ フ は 、 いう ま で も なく 、 チ ェー ホ フ の戯 曲 の 一断 面 で あ り 、 下 段 の説 明 は ス タ ニ ス ラ
フ スキ ー (モ ス ク ワ芸 術 座 ) が これ にあ た え た 演 出 ノ ー ト で あ る (﹃か も め ﹄ に お け る ラ フ ス キ イ演 出 教 程 ﹄ 倉 橋 健 訳 、 未 来 社 、 一九 五 四 年 )。
子 は こう し て あ の 男 の こ と で 、 今 に も 喧 嘩 し そ う に
ト レ ープ レ フ こ の 上 な い高 潔 な 人 格 者 ! 僕 た ち親 な って い る の に、 あ の 男 は 今 頃 ど こ か 客 間 か 庭 で 、 僕 た ち 二 人 を 笑 って いま す よ ⋮ ⋮ ニー ナ の 心 を啓 蒙 し て 、 自 分 が 如 何 に 天 才 か と いう こと を 納 得 さ せ よ ア ル カ ー ジ ナ① お 前 は わ た し に厭 が ら せ を 云 う のが
の 一方 の 端 は彼 女 の手 に 握 ら れ た ま ま であ る。
た ま ま 、 ア ル カ ー ジ ナ は 繃 帯 す る 手 を と め る。 そ
① 繃 帯 を 全 部 か け 終 ら ず 、 一方 の端 を ま だ 手 に し
う と 、 躍 起 に な って い る こと で し ょう よ 。 楽 し みな んだね。 わた し は あ の 人 を尊敬 し て いま
③ や っと の こと で 自 分 を 抑 え な が ら 、 ア ルカ ー ジ
ア ルカージ ナ はいら いら と食卓 を叩 く。
② ト レ ー プ レ フは 挑 戦 的 に彼 女 の眼 を 真 直 ぐ 見 る。
す 。 わ た し の前 であ の 人 を 悪 く 云 う の は や め て 頂 戴。 も あ の 男 を 天 才 と 思 わ せ た い ん で し ょう が 、 失 礼 な
ト レ ープ レ フ② だ が 僕 は 尊 敬 し な い。 あ な た は 僕 に が ら 、 僕 に は 嘘 が つけ ま せ ん 。 あ の男 の 作 品 を 読 む ア ル カ ー ジ ナ ③ そ れ は 嫉 妬 よ 。 才 能 も な い の に自 惚
いる 。
ナ は 食 卓 を叩 き 、 足 を 床 の上 で こ つ こ つ鳴 ら し て
と 胸糞 が悪 く な る。 れ ば か り 強 い人 は 、 本 当 の 才 能 を そ し る よ り ほ か に ( 皮 肉 に ) 本 当 の才 能 か ! ( 憤然とし
④ ア ルカージ ナは我 慢が 出来 なく な り、自 分が 持
能 は な い か ら ね 。 た ん と 気 休 め に な る で し ょう よ ! ト レ ー プ レ フ
て ) こう な り ゃ 云 う が 、 僕 はあ な た 方 の誰 よ り も 才 能 が あ る ん だ ! (頭 か ら 繃 帯 を も ぎ と る ) ④ あ な た
し い、 本 当 の こ と だ と 考 え て い る 、 そ し て そ れ 以 外
芸 術 の 第 一線 を 占 め 、 自 分 た ち のす る こ と だ け が 正
方 の よ う な 、 古 い考 え に し が み つ い て い る 連 中 が 、
り に襲 わ れ て 、 乱 暴 に頭 か ら 繃 帯 を も ぎ と り 、 母
離 れ る。 ト レ ー プ レ フ は 抑 え る こ と の 出 来 な い怒
顔 め が け て 投 げ つけ る 。 そ し て 息 子 の と こ ろ か ら
って い た 巻 い た繃 帯 の 一方 の 端 を ト レ ー プ レ フ の
へだ て て相 対 す る 。
に む か って絶 叫 せ んば か り に 云 う 。 二 人 は 食 卓 を
のも のを み んなあ ん た方 は迫害 し、 窒息 さ せて いる ん だ ! 僕 は認 め な い よ 、 あ ん た 方 を ! 認 め な い
激 し く 床 に ぶ っ つけ る 。 そ し て客 間 の 扉 の方 へ行
⑥ ア ル カ ー ジ ナ は 自 分 が よ り か か って い る椅 子 を
⑤ ト レ ー プ レ フは 繃 帯 を 母 に む か って 投 げ つけ る 。
ん だ 、 あ ん た も あ の男 も ! ⑤ ア ル カ ー ジ ナ⑥ デ カダ ン !
く。
こ こ で 非 言 語 的 コ ミ ュ ニケ ー シ ョ ン と いう の は 、 言 語 手 段 に よ る も の 以 外 の コミ ュ ニケ ー シ ョン を さ し て よ ぶ も のだ 。
こ の非 言 語 的 コミ ュ ニケ ー シ ョン に か ん し て、 加 藤 秀 俊 は 前 掲 論 文 に お い て、 バ ー ド ウ ィ ス テ ル
(Bi rdw i st el,R . ) や ル シ ュ (R uesch,J. ) な ど の研 究 を 紹 介 し て いる 。
(変 化 )
(変 化 )
バ ード ウ ィ ステ ル の研 究 は 、 いわ ば 微 視 的 立 場 か ら す る も の で 、 た と え ば 目 の 開 閉 に つ い て い え
の特 定 型 が 、 分 化 し た特 定 の意 味 を も つ こ と に 注 目 す る 。 か れ は 、 こ の よ う な 身 体 的 行 動
ば 、 カ ッ と見 開 い た も の は驚 愕 の意 味 を 、 細 め た 目 は 恍 惚 の 意 味 を も つな ど 、 身 体 的 行 動
の 特 定 型 を ﹁キ ネ ﹂ (K i ne) と よ び 、 ﹁身 体 運 動 学 ﹂ (K i nesti cs) を 提 唱 し 、 こ れ を コ ミ ュ ニ ケ ー シ
ョン科 学 の 一分 野 と す る 。
これ に対 し て ル シ ュの研 究 は 、 巨 視 的 立 場 か ら す る も の と い え る 。 か れ は 非 言 語 的 コ ミ ュ ニケ ー
シ ョ ンを 、 ﹁サ イ ン言 語 ﹂、 ﹁ア ク シ ョ ン言 語 ﹂、 ﹁オブ ジ ェク ト言 語 ﹂ と視 覚 的 側 面 か ら 三 分 す る 。
手 の 人 差 指 を 特 定 方 向 に 向 け る こ と は 、 そ の 方 向 に行 け と い う 明 〓 な 意 味 を も って いる 。 こ の よ
う な 社 会 的 慣 習 に よ って 特 定 の 明 〓 な 意 味 を も つ非 言 語 的 シ ン ボ ルが ﹁サ イ ン 言 語 ﹂ で あ る 。 ま た
む や み と タバ コを 吸 う 行 動 は、 行 動 者 の心 の不 安 定 を か た る ご とく 、 行 動 者 の意 図 し な い行 動 が 、
観 察 者 に特 定 の意 味 を あ た え る 場 合 、 これ を ﹁ア ク シ ョン 言 語 ﹂ と よ ぶ 。 そ し て も う ひ と つ ﹁オ ブ
ジ ェク ト言 語 ﹂ と は た と え ば 紅 の つ いた タバ コの 吸 い殻 か ら 、 そ こ に いた 喫 煙 者 が 女 性 で あ る こ と
を 教 え ら れ る よ う に、 観 察 者 に 特 定 行 動 を 想 起 せ し め る 、 行 動 者 の行 動 に よ る 物 理 的 痕 跡 を いう 。
わ た し と し ても 、 これ ら バ ー ド ウ ィ ステ ルや ル シ ュの研 究 を た い へん 興 味 ぶ か いも の と は 思 う が 、
当 面 す く な く とも 、 前 出 ﹃か も め﹄ で み ら れ る よ う に 、 コミ ュ ニケ ー シ ョン に お い て 言 語 的 側 面 と
非 言 語 的 側 面 とが 不 可 分 的 に 結 び つ い た も の で あ る こ と を 、 こ こ で は っき り 指 摘 し て お き た い 。
二 話 さ な く ても わ か る
言 語 的 側 面 と非 言 語 的 側 面 とが 、 通 常 の コミ ュ ニケ ー シ ョ ン に お い て は 、 分 ち が た く 結 び つ い て
い る こ と を 前 述 し た 。 し か し 、 こ の こ と は 特 定 の コミ ュ ニケ ー シ ョン に お い て 、 そ の両 側 面 の いず れ か に力 点 の お か れ る 可 能 性 を 拒 む も の で は 決 し て な い 。
﹁日本 人 の感 情 表 現 ﹂ (﹃思 想 の科 学 ﹄ 一九 六 〇 年 、 三 号 所 載 )と いう 論 文 に お い て、 花 田 清 輝 が 興
味 あ る 発 言 を す る 。 か れ は劇 を 両 分 し 、 一方 の極 に ﹁新 劇 ﹂ を 、 他 方 の極 に ﹁メ ロド ラ マ﹂ を お く 。
新 劇 と は、 ﹁す べ て を セ リ フ に よ って表 現 し 、 身 体 的 行 動 が そ の セ リ フ の説 明 で あ り 、 要 約 で あ
り 、 補 足 で あ る よ う な ド ラ マ﹂ を い い、 これ に対 し 、 メ ロド ラ マと は 、 ﹁す べ て を 身 体 的 行 動 に よ
って表 現 し、 セ リ フが 、 そ の 行 動 の説 明 で あ り 、 要 約 で あ り、 補 足 で あ る よ う な ド ラ マ﹂ だ と す る 。
す な わ ち 、 これ を い い か え れ ば 、 人 物 の コミ ュ ニケ ー シ ョン に お い て、 言 語 的 側 面 に 力 点 を おく も
のが 新 劇 と な り、 そ の反 対 に 、 非 言 語 的 側 面 に 力 点 を お け ば メ ロド ラ マだ と な る 。
と こ ろ で、 日 本 人 の伝 統 心 理 に即 し て 、 そ の コ ミ ュ ニケ ー シ ョン の 性 格 を 問 題 にす る な ら 、 そ れ が 多 分 に メ ロド ラ マ的 で あ る こ とを み と め な け れ ば な る ま い と考 え る 。
木 下 順 二が 、 そ の ﹁日 本 人 の表 現 ﹂ (﹃演 劇 の 伝 統 と 民 話 ﹄ 木 下 順 二評 論 集 、 一 、 未 来 社 、 一九 六
一年 ) に お い て、 つぎ の よ う な 事 例 を あ げ て い る 。 日本 人 の ラブ ・シ ー ン を 戯 曲 に 書 く とき 、 いさ
さ か の誇 張 は も ち ろ ん あ る と し て も 、 多 く そ れ が つぎ の よ う に な る と い う のだ 。
男 ⋮⋮
女 ⋮⋮
男 ⋮⋮
女 ⋮⋮
男 ⋮ ⋮
女 ⋮⋮
男 ⋮⋮
(思 い 切 っ て 口 を 開 こ う と す る )
(感 激 が こ み 上 げ て く る )
(感 激 が こ み 上 げ て く る )
(何 か い お う と す る )
(何 か い お う と す る )
(じ っ と 相 手 を 見 る )
(じ っ と 相 手 を 見 る )
女 ⋮ ⋮ (思 い 切 っ て ⋮ ⋮
す な わ ち 、 これ を ど こ ま で 続 け て も 、 言 語 的 側 面 は ﹁⋮ ⋮ ﹂ の連 続 と な る 。 そ う いう 場 合 、 西 欧
人 に お い て 、 局 外 者 か ら み れ ば 常 套 語 の譏 り は 十 分 あ り う る と し て も 、 当 事 者 に と って は 、 ど こま
で も 真 摯 な 、 簡 潔 で 的 確 な 最 後 の表 現 た る ﹁ア イ ・ラブ ・ ユウ ﹂ にく ら べ て み て 、 い か に 日本 人 の
表 現 が 、 い って み れ ば 、 ﹁言 語 の な い言 語 ﹂ で あ る こ と か 。 し た が って、 ﹁ア イ ・ラブ ・ユウ ﹂ の
正 し い翻 訳 は、 ﹁⋮ ⋮ ﹂ で あ って、 ﹁わ た し は あ な た を 愛 し ま す ﹂ で は な い こ と に な る 。
日本 人 の コ ミ ュ ニケ ー シ ョン に お い て は、 そ の言 語 的 側 面 に空 白 化 傾 向 が み ら れ る こ と を の べ て
き た 。 こ の 空 白 化 傾 向 は 、 と く に自 己 を 語 る 場 合 に 顕 著 だ と い え る 。
前 出 ﹃か も め﹄ は、 裏 側 か ら 、 こ の事 実 を 証 明 し て い る と い え よ う 。 これ は 、 ま さ し く 、 花 田 清
﹁だ が 僕 は尊 敬 し な い﹂、 ﹁僕 に は 嘘 が つけ ま せ ん ﹂、 ﹁僕 は あ な た 方 の誰 よ り も 才 能 が あ る ん だ ﹂、
輝 の命 名 に し た が って も 、 新 劇 と よ ぶ に ふ さ わ し いも のだ 。 ﹁わ た し は あ の 人 を 尊 敬 し て い ま す ﹂、
﹁僕 は 認 め な い よ 、 あ ん た方 を ﹂、 場 面 が 対 立 の 局 面 で あ る に し て も 、 そ こ に は 臆 面 も な く 強 烈 な
自 己 主 張 の砲 座 が な ら ぶ 。 あ る い は、 これ を 逆 にし て 、 そ う いう 強 烈 な 自 己 主 張 の砲 座 が そ こ に存
在 す る か ら こそ 、 新 劇 、 も し く は 対 立 の 局 面 が 創 造 で き る のだ と い っても い い。
日本 人 に お け る 自 己 を 語 る 場 合 の 空 白 化 傾 向 を 、 も う 一度 正 面 か ら と り あ げ て み よ う 。 ﹁力 強 い
英 語 の ︽私 ︾﹂ と いう 、 英 会 話 の学 習 を は じ め た 一主 婦 (三 十 五 歳 ) の投 書 が 新 聞 に 掲 載 さ れ て い
た (静 岡 、 杉 本 え つ子 、 毎 日 新 聞 、 ﹁女 の気 持 ﹂ 欄 、 昭 和 三 十 二年 五 月 一日 )。
英 語 と は、 や た ら と ﹁私 ﹂ を よ く 使 う 国 語 で あ る こ と に あ ら た め て 感 心 し た 。 ﹁私 は 考 え る ⋮ ⋮ ﹂、
﹁私 は想 像 す る ⋮ ⋮﹂、 ﹁私 は あ な た に許 し を 乞 う ﹂ な ど 、 ど ん な こ と を いう 場 合 にも 、 ま ず 冒 頭 に
﹁私 ﹂ を おく 。 最 初 か ら 最 後 ま で 、 決 し て ﹁私 ﹂ を 忘 れ る こ と を し な い 。 文 法 の 故 に と いう か も し
れ ぬ が 、 単 純 に文 法 だ け で は な い と 思 う 。 根 底 に、 ﹁私 ﹂ を 主 張 す る 国 民 性 が そ こ に あ る か ら だ と
思 う 。 ﹁私 ﹂ を 主 張 す る 国 民 性 が 、 そ う い う 文 法 を つく り あ げ た と も 考 え る 。 ふ り か え って 、 日 本
女 性 の場 合 を み よ う 。 日 常 、 こ の よ う に﹁私 ﹂と 胸 のす く よ う に は っき り も の を い え ば 、 社 会 か ら は
も ち ろ ん 、 家 庭 か ら さ え 、 ど ん な に抵 抗 を う け る こ とだ ろ う か 。 ︱ ︱ そ う い う 大 意 の投 書 で あ った 。
自 己 を語 る 場 合 の空 白 化 傾 向 を 、 そ の 肝 腎 の と こ ろ で 、 こ の 投 書 は 、 い み じ く も 指 摘 し つく し て
い る と思 う が 、 わ た し は こ の 傾 向 を 日 本 人 の伝 統 心 理 の基 本 的 性 格 で あ る ﹁自 己 否 定 性 ﹂ の具 体 的 表 現 で あ る と考 え る 。
日 本 人 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョン に お け る 、 そ の 言 語 的 側 面 の縮 小 =空 白 化 傾 向 に反 比 例 し て 、 非 言 語 的 側 面 は 拡 大 =充 実 化 傾 向 に あ る と いえ る か 。
答 は ま った く 否 で あ る 。 こ の縮 小 =空 白 化 傾 向 は 非 言 語 的 側 面 に お い て も み と め ら れ る 。 そ し て こ の傾 向 は 、 こ の 場 合 に も 、 自 己 を 主 張 す る 際 に顕 著 だ と いえ る 。
これ を 木 下 順 二 が 前 掲 論 文 で 例 証 す る 。 ラ ブ ・シ ー ン に お い て、 日本 の 男 女 は、 き わ め て 静 的 に
畳 の上 に坐 った ま ま で 相 対 す る 。 こ れ とく ら べ て 西 欧 人 の ラブ ・シ ー ン で は、 男 女 が ベ ン チ に腰 か
け て い る か 、 も し く は、 そ の か た わ ら に 立 って いる か 、 いず れ に し ろ 、 畳 に ペ タ リ と 坐 って は い な
い 。 そ し て 、 か れ ら は、 そ う し よ う と 思 え ば 、 お の れ の脚 を 使 って 自 由 に近 づ き 、 お の れ の 腕 を 使 って自 由 に抱 擁 す る 。 き わ め て動 的 だ と い わ ざ る を え な い 。
ま た 、 花 田 清 輝 も 、 つぎ の よ う に前 掲 論 文 で 例 証 す る 。 日本 の ジ ュリ エ ッ ト は 、 お の れ の恋 い 慕
う ロ ミ オ の接 近 を ど う いう 身 体 的 行 動 で 迎 え る こ と が で き る で あ ろ う か 、 と 、 か れ は こ う いう 設 問
を は じ める。
彼 女 は外 輪 で 大 股 に、 脱 兎 の よ う に ロ ミ オ に向 か って 息 せ き き って 駈 け だ す こ と が で き る か 。 到
底 、 彼 女 に そ れ は で き な い。 彼 女 は、 小 児 麻 痺 の 患 者 の ご と く 、 膝 か ら 下 だ け で 内 輪 に ノ ロ ノ ロ と
ロ ミ オ に向 か って 近 づ か ざ る を え な い 。 日 本 型 の 身 体 的 行 動 に は 、 歌 舞 伎 の舞 台 に登 場 す る女 性 に
あ き ら か に み ら れ る が ご と く 、 膝 か ら 上 を ぜ った い 離 さ ず 、 膝 か ら 下 だ け で内 輪 に ノ ロ ノ ロ と歩 ま
ね ば な ら ぬ と いう 鉄 則 が あ る か ら だ 。 し た が って 、 裸 足 に な って砂 漠 の な か を 恋 人 を 追 って 駈 け だ
し て ゆ く 映 画 ﹃モ ロ ッ コ﹄ の ヒ ロイ ン に は、 日 本 的 性 格 は 微 塵 も み と め ら れ な い 。
こ の よ う に、 日 本 人 の コ ミ ュ ニケ ー シ ョ ン に お い て は 、 言 語 的 側 面 に も 非 言 語 的 側 面 に も 、 共 通 し て 、 さ き の ﹁自 己 否 定 性 ﹂ が み ら れ る 。 だ が 、 こ こ に、
や す ら ぎ も い か り も す べ て身 一つ に かく す す べな し涙 あ ふる る
と い う ひ と つ の 短 歌 が あ る (長 野 、 小 林 奈 美 子 、 朝 日 新 聞 、 ﹁朝 日 歌 壇 ﹂ 欄 、 昭 和 三 十 七 年 二 月 十
一日 )。 庶 民 に お け る 自 己 観 照 を 知 る に恰 好 の投 稿 歌 を 新 聞 歌 壇 で み た が 、 非 言 語 的 側 面 で の自 己
否 定 (抑 制 ) は 、 言 語 的 側 面 で の そ れ に く ら べ て 、 一層 困 難 だ と いう こ と が で き る 。 無 表 情 た る こ
と能 面 を 理 想 と し て も 、 そ の 実 現 は容 易 で は な い。 否 定 さ れ 抑 制 さ れ た は ず の隠 微 な る自 己 が 弱 い 岩 床 を み いだ し て は表 面 に露 呈 し て こ よ う とす る 。
な って く る 。
こ こ に、 さ き に の べ た 日 本 人 の コ ミ ュ ニケ ー シ ョン に お け る メ ロド ラ マ的 性 格 が 誕 生 す る こ と に
日 本 人 の コ ミ ュ ニケ ー シ ョン に お い て 、 言 語 的 側 面 にも 非 言 語 的 側 面 にも 、 共 通 し て ﹁自 己 否 定
性 ﹂ が み ら れ る こ と を の べ た 。 し か し 、 こ の こ と か ら 、 日 本 人 が わ か り あ う こ と を お ろ そ か にし た と み る の は ま った く 正 し く な い。
こ の問 題 に か ん し 、 加 藤 秀 俊 が ﹁わ れ わ れ は な ぜ 話 さ な い か ﹂ (﹃言 語 生 活 ﹄ 昭 和 三 十 六 年 一 一号 所 載) を書 いた。
か れ は 日 米 比 較 コ ミ ュ ニケ ー シ ョン を 展 開 す る 。 ﹁話 せ ば わ か る ﹂、 ﹁話 さ な け れ ば わ か ら な い ﹂
が ア メ リ カ に お け る コミ ュ ニケ ー シ ョン の 原 則 で あ る の に 対 し て 、 日 本 の そ れ は ま った く 異 質 だ 。
そ こ で は ﹁話 し て も わ か ら な い﹂、 ﹁話 さ な く て も わ か る ﹂ が 原 則 と な る 。
ー テ ィ は 言 葉 を 使 って 人 び と を 接 近 さ せ 、 茶 の 湯 は 言 葉 を使 わ ず し て 人 び と を 接 近 さ せ よ う と す る 。
ア メ リ カ の カ ク テ ル・パ ー テ ィ と 日 本 の茶 の湯 は 、こ の 両 者 の対 称 的 な 差 を 象 徴 す る 。カ ク テ ル・パ
こ の 日米 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョン の差 は、 い った い ど こか ら う ま れ た か 。 加 藤 秀 俊 は、 こ の 差 の 背 後
に あ る 両 国 の 歴 史 的 ・社 会 的 条 件 の分 析 を こ こ ろ み る 。
ア メリ カにおけ る人間 的所 与 は、 バ ラバ ラな他人 同 士 の人間 たち で ある。 人 間同 士 を結 び あう 絆
が ま ず も って存 在 し な い 。 そ こ に あ る 生 活 は 、 ど こ の だ れ と も わ か ら な い 人 た ち に か こ ま れ た も の だ 。 人 間 の雑 多 さ の伝 統 が 今 日 の ア メ リ カ に 残 存 す る 。
知 ら ぬも の 同 士 が 、 知 ら ぬ ま ま で い る こ と は 不 安 で あ る 。 こ の不 安 か ら のが れ よ う と し て、 ま た、
さ き の 、 存 在 し な い 絆 を 存 在 せ し め よ う と し て 、 か れ ら は 相 互 に話 し あ お う と す る 。 な ぜ な ら 、 話
さ な け れ ば わ か ら な い ま ま だ が 、 話 す こ と で わ か り あ え る と み た か ら だ 。 し た が って 前 述 の 原 則 は、
こう いう 歴 史 的 ・社 会 的 条 件 の な か で 生 き る た め の 、 も っとも 重 要 な 生 活 技 術 だ とも い え る 。
こ れ とく ら べ て 日 本 に お け る 人 間 的 所 与 は 村 落 共 同 体 的 で あ る 。 山 に か こ ま れ 、 川 に は さ ま れ た 、
せ ま い地 域 の な か に お け る 、 多 か れ 少 な か れ 血 の つな が る 人 た ち に か こ ま れ た 生 活 で あ る 。 人 び と
は 生 ま れ た と き か ら 、 来 る 日も 来 る 日 も 、 同 じ 顔 を あ わ せ て く ら し て い る 。 そ こ で は 、 人 間 同 士 を 結 び あ う 絆 が 、 ま ず も って 存 在 す る 。
絆 が す で に存 在 す る か ら 、 か れ ら は 相 互 に話 し あ お う と し な い 。 相 手 の顔 の 一瞥 で 、 相 互 に わ か
り あ え る か ら だ 。 話 さ な く て も わ か る こ と を 、 わ ざ わざ 話 す の は お ろ か し い 。 そ れ 故 、 日本 人 が 話 さ な い か ら と い って、 わ か り あ う こ と を お ろ そ か に し た か ら で は な い。
そ れ か ら つづ い て 、 も う ひ と つ、 日 本 人 に お け る コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョン の原 則 た る ﹁話 し て も わ か
ら な い﹂ と は 、 い った い な に か 。 話 し て か な ら ず わ か る も のな ら 、 つ と め て 話 す よ う 努 力 も し よ う 。
し か し 、 いく ら 話 し ても 、 到 底 わ か り あ え な い と い う 懸 念 が 、 いさ さ か でも 残 る と す れ ば 、 話 す こ と は 、 結 局 、 無 駄 だ と いう 原 則 だ 。
し た が って 、 加 藤 秀 俊 は、 ﹁話 せ ば わ か る ﹂ ﹁話 し て も わ か ら な い ﹂ の両 原 則 に お け る ﹁わ か る﹂
の 意 味 に 差 のあ る こ と を 指 摘 す る 。 ﹁話 し て も わ か ら な い ﹂ の ﹁わ か る ﹂ の 意 味 は、 人 格 の 全 体 的
理 解 を さ し て い る 。 こ れ に対 し て 、 ﹁話 せば わ か る ﹂ に お け る ﹁わ か る ﹂ の 意 味 は、 人 格 の 部 分 的
理 解 に と ど ま る も の だ 。 そ れ 故 、 後 者 の よ う な 部 分 的 理解 で は、 日 本 人 に お け る ﹁わ か る ﹂ の範 囲
外 と な る 。 こ の よ う に、 人 間 関 係 に お け る 日 本 人 の 理 解 は 、 き わ め て 峻 厳 な完 全 主 義 だ と い う 。
三 陸 中 湯 田 村 の藁 人 形
か る ﹂ とば か り 、 お の れ を 抑 制 し、 し り ぞ け よ う と す る 傾 向 が 存 在 す る こ と を 前 述 し た 。 そ し て 、
日 本 人 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に お いて は 、 言 語 的 側 面 に も 非 言 語 的 側 面 にも 、 ﹁話 さ な く ても わ
こ の傾 向 は 日 本 人 の基 本 的 性 格 で あ る ﹁自 己 否 定 性 ﹂ の具 体 的 な表 現 だ と も い って お い た 。
そ れ で は、 い った い ﹁自 己 否 定 性 ﹂ と は な に か。 こ こ で 自 己 否 定 性 と よ ぶ も の は 、 人 間 対 人 間 の
関 係 に お け る 日 本 人 の伝 統 心 理 の基 本 的 性 格 だ と み る が 、 そ れ が 伝 統 心 理 で あ る と い う 所 以 は、 人
間 対 人 間 の 関 係 に 先 行 す る 神 対 人 間 の 関 係 に お け る 行 動 の 原 則 の残 照 だ と考 え る か ら に ほ か な ら ぬ 。
神 対 人 間 の 関 係 に お け る 行 動 の 典 型 例 は ﹁ま つり ﹂ で あ ろ う 。 そ の意 味 で 、 日 本 人 の伝 統 心 理 の 研 究 は 、 日 本 の祭 事 を 研 究 す る こ と で 前 進 す る 。
と こ ろ で 、 日 本 の ま つ り だ が 、 そ の 複 雑 な 多 彩 性 の な か に、 ﹁性 ﹂ の 要 素 を 軸 と し て 展 開 さ れ る
一群 のも のが あ る 。 西 鶴 の ﹃一代 男 ﹄ に お け る 、 大 原 の雑 魚 寝 の 一章 (巻 三 ) はそ の端 的 な 一例 だ 。
﹁ま こ と に 今 宵 (越 年 当 日 ) は 、 大 原 の里 の、 ざ こ寝 と て、 庄 屋 の 内 儀 、 娘 、 又 、 下 女 下 人 に か
ぎ ら ず 、 老 若 の わ か ち も な く 、 神 前 の拝 殿 に 、 所 な ら ひ と て、 み だ り が は しく 、 う ち ふ し て、 一夜
は 何 事 を も 、ゆ る す と か や 、いざ 是 よ り と、 朧 な る 清 水 、岩 の陰 道 、 小 松 を わ け て 、 其 里 に 行 て 、 牛
つ か む 計 の 、 闇 が り ま ぎ れ にき け ば 、 ま だ い は け な き 姿 に て、 逃 ま は る も あ り、 手 を 捕 え ら れ て、
断 を い ふ女 も あ り、 わ さ と た は れ 懸 る も あ り 、 し み し み と語 る 風 情 、 ひ と り を 、 二 人 し て、 論 ず
る 有 様 も 、 な お笑 し 、 七 十 に お よ ぶ 、 婆 々 お ど ろ か せ、 或 は姨 を 、 の り こ え 、 主 の女 房 を いや が ら
せ 、 後 に は、 わ け も な く 、 入 組 、 な く や ら 、 笑 ふ や ら 、 よ ろ こ ぶ や ら 、 き き 伝 え し よ り 、 お も し ろ き 事 にぞ ﹂
西 鶴 描 く こ の ま つり に 類 似 す る も の を 現 在 に拾 お う 。
ま ず 、 ﹁亥 の 子 ﹂ の ま つ り で あ る 。 こ の ま つ り は 西 日 本 に多 く 分 布 す る 。
亥 の子 亥 の子 亥 の子餅 搗 い た 繁 昌 せ 繁 昌 せ
丸 い石 塊 に 繩 を 何 本 も つけ 、 子 ど も ら が 五 、 六 人 で 一組 を な し、 亥 の子 突 き の 唄 を う た い な が ら 、
家 々 の門 先 を 廻 って あ る き 、 繩 を ひき あ げ て は 石 塊 を お と し、 これ で 地 面 を 突 く も の で あ る。 広島 県 尾 道 市 (備 後 国 ) 吉 和 地 方 に お け る 亥 の 子 で は、
亥 の子 さ ん と い う 人 は 一に 俵 を ふ ん ば って 二 で ニッ コリ 笑 う て 三 で 酒 を 造 って 四 つ世 の中え え よう に 五 つ い つも の 如 く な り
七 つ何 事 な い よ う に
六 つ無 病 息 災 に
八 つ屋敷 を ひろ めた て 九 つ ここら で倉を た て 十 で とう とう 納 ま った 繁 昌 せ い 繁 昌 せ い
と い う 亥 の 子 唄 が う た わ れ て い る 。 旧暦 十 月 の 亥 の 日 の 行 事 だ 。
こ の 石 塊 を 藁 ぼ て に か え 、 亥 の子 同 様 、 地 面 を 打 つも の を 、 東 日 本 で は ﹁十 日 夜 ﹂ と よ ぶ 。 埼 玉
県 川 越 地 方 (武 蔵 国 ) で は 、 十 一月 十 日 に これ を お こ な う 。 子 ど も ら が 、 五 人 ば か り で 一組 を な し、 乾 か し た 芋 幹 を 芯 に 入 れ た藁 た ば を も って 農 家 を 廻 る。
十 日夜 の藁 鉄砲 餅 を食 って ひ っぱ たけ
こ の十 日 夜 に お け る 藁 ぼ て、 も し く は藁 鉄 砲 と は な に か 。 結 局 、 そ れ は 男 子 の性 器 を か た ど った
も の と い え よ う 。 越 後 谷 栄 二 の 報 告 (﹃民 話 ﹄ 一九 五 九 年 、一 一号 、 本 書 の 口絵 参 照 ) に よ れ ば 、 岩
手 県 和 賀 郡 (陸 中 国 ) の 湯 田 村 に お いて は 、 旧 暦 正 月 の十 九 日 、 こ の 鉄 砲 を 性 器 に み た て た 藁 人 形 を つく り 村 境 に お き 、 新 年 厄 は ら い の行 事 を お こな う と いう 。
広 島 県 芦 品 郡 (備 後 国 ) の新 市 町 に あ る 吉 備 津 神 社 で 、 節 分 当 日 、 ﹁祭 灯 祭 ﹂ を お こ な う 。 神 社
境 内 の籠 所 に お い て、 正 午 す ぎ 祭 灯 に点 火 す る 。 こ の 昼 の祭 灯 を 氏 子 が 三 々 五 々と り か こむ 。 立 ち
去 りぎ わ に、 ﹁あ ん た も 、 マ メ で ⋮ ⋮ ﹂ と 、 か れ ら は た が い に よ び か け る 。 無 病 息 災 が こ の火 の効 用 だ と いう信 仰 であ る。
や が て、 夜 が や って く る 。 祭 灯 の 周 辺 は 聖 (性 ) 談 の 場 と な る 。 ﹁ど う し た 、 マ メが 足 ら ん の う ﹂
き ま って、 こう いう 半 畳 が と ぶ 。 こ う い う 半 畳 に 煽 ら れ て 、 祭 灯 の な か で ひ と し き り、 マ メが 音 を
た て て は じ け は じ め た 。 追 儺 の マ メが 息 災 の マ メ に変 り 、 やが て 三 転 し て 女 性 器 の 一部 を い う 陰 語 に 転 化 し 、 さ ら に聖 談 の 聖 度 を は か る 尺 度 にま で も 転 用 さ れ る 。
女 相 撲 の は な し も 、 そ う い った 、 は じ け る マ メば な し の ひ と つで あ った 。 飛 び 入 り 歓 迎 の女 相 撲
に お い て、 力 自 慢 の 男 た ち が コ ロ コ ロと 土 俵 の上 に な げ ら れ た の に 、二 十 五 、六 歳 の青 白 い優 男 が 女
相 撲 を 見 事 に こ ろ が し た 。 敗 因 を 詰 問 す る 親 方 に、 女 相 撲 は う ら め し そ う に答 え て い った 。 ﹁相 撲
の 四 十 八 手 で く る の に は 負 け ぬが 、 抉 って (九 十 手 ) き た の に は 勝 て な か った ﹂ と。 落 語 で いう ま
さ し く ﹃地 口 落 ﹄ (大 阪 落 語 で は ﹃仁 輪 加 落 ﹄) の た ぐ い で あ る 。
実 際 の ﹁く じ り ま つり ﹂ が 石 川 県 にあ る 。 県 下 羽 咋 郡 (能 登 国 ) の富 来 町 に お いて 、 八 月 三 十 一
日 と九 月 一日 に お こ な う 八 幡 神 社 の ま つ りだ が 、 神 輿 の渡 御 に 供 奉 す る 若 者 た ち が 、 顔 を 手 拭 で か く し た 姿 で 、 て ん で に俗 歌 を う た って す す む 。
よん べ 夜 が よ て 浜 へ出 て 寝 た ら チ ャ ン ベ (女 性 器 ) 蜂 や さ い て 目 がさ めた
あ げ く 、 道 々美 し い娘 を み る と 、 神 輿 は ゆ ら ゆ ら そ ち ら へ近 づ き 、 若 者 た ち は ﹁ま い と こ (い い
と ころ ) く じ ら ん せ ﹂ の掛 け 声 で、 そ の娘 の前 を ま く ろ う と す る (石 川 県 鹿 島 郡 中 島 町 鳥 越 、 唐 川 明 紀 氏 の報 告 に よ った )。
も う 少 し 単 刀 直 入 に い こう 。 奈 良 県 高 市 郡 (大 和 国 ) 明 日 香 村 に あ る 飛 鳥 座 神 社 で 二月 十 四 日 に
お こな う ﹁お んだ ま つ り ﹂ と い う 田遊 び 神 事 で あ る (宮 尾 し げ を ﹁飛 鳥 座 神 社 の お ん 田﹂、 ﹃世 界 の 旅 、 日 本 の 旅 ﹄ 一九 六 一年 、 三 号 所 載 )。
一部 が 御 田 植 、 二 部 が 種 つ け と 、 神 事 は 両 分 し て お こ な わ れ るが 、 後 者 に お い て 半 纒 姿 の天 狗 面
と振 袖 姿 の お か め 面 と が 、 写 実 的 に床 入 り の 儀 を 展 開 す る 。 と ど の つま り 、 お か め 面 が 懐 中 紙 を と
り だ し 、 裾 の 中 に 入 れ て 、 と り だ し て は 、 こ れ を 見 物 人 め が け て 撒 く 。 上 方 の粋 筋 で は 福 の神 (拭 く の紙 ) と な し 、 こ れ を 新 年 の縁 起 物 と す る そ う だ 。
栃 木 県 鹿 沼 市 (下 野 国 ) の樅 山 にあ る 生 子 神 社 で 十 一月 十 日 に お こ な う ﹁泣 き 相 撲 ﹂ を 最 後 に あ
(赤 ん 坊 ) が 勝 と な る 。 父 親 は
﹁ひ ょ っと
げ て お こ う 。 化 粧 回 し を し た 父 親 が 、 赤 ん 坊 を 抱 い て 土 俵 に 上 り、 行 司 が 軍 配 を サ ッ と引 く と 、 周 囲 か ら ﹁泣 け 泣 け ﹂ と 声 援 が あ って 、 泣 き だ し た 力 士
こ ﹂ の 面 な ど を か ぶ って、 赤 ん 坊 を 泣 か し て も さ し つか え なく 、 泣 か す の に 合 計 四 十 八 手 あ る な ど
と も いう 。 こ の泣 き 相 撲 を 長 崎 県 の平 戸 市 (肥 前 国 ) で は 、 節 分 の当 日 お こ な う が 、 ﹁赤 ち ゃん の
泣 き 声 をき い て い る と 、 春 が そ こま で 来 て い る 感 じ で す ﹂ と神 事 に つど う も のが そ う い った。
﹃方 丈 記 ﹄ か ら 一節 を 引 用 す る 。
﹁そ の家 の あ り さ ま 、 よ の つ ね にも にず 、 ひ ろ さ は わ づ か に方 丈 、 た か さ は 七 尺 が う ち な り 、 所
を お も ひ さ だ め ざ る が ゆ ゑ に地 を し め て つく ら ず 、 つ ち ゐ を く み 、 う ち お ほ ひ を ふ き て、 つぎ め ご
と に か け が ね を かけ た り 、 若 心 に か な は ぬ事 あ ら ば 、 や す く ほ か へう つさ む が た め な り 、 そ の あ ら た め つく る 事 い く ば く の わ づ ら ひ か あ る ﹂
現 在 の家 か ら 心 を 失 な え ば 、 簡 易 に 他 へ転 居 す る と い う 。 ど う し て 、 心 を 失 な った 場 合 、 失 な っ
た 心 を と り も ど す べ く 、 現 在 の 家 に 手 を 入 れ ぬ か 。 こ こ に つく れ る 家 、 ﹁い はば 旅 人 の 一夜 の宿 ﹂
に ひ と し い と い う 。 し た が って 、 人 生 は 旅 人 に お け る 一夜 の累 積 と し て の み 経 過 す る。 も う ひ と つ例 を あ げ て み よ う 。
大 阪 の醤 油 屋 、 平 野 屋 の 手 代 徳 兵 衛 に は お 初 と いう 北 の新 地 の 天 満 屋 の抱 女 の馴 染 が あ った 。 二
人 は 夫 婦 に な ろ う と し たが 、 両 者 の 側 か ら 障 害 が 生 じ た 。 二 人 は 大 阪 、 曽 根 崎 天 神 の森 で 心 中 を 敢 行 し た 。 と き に、 元 禄 十 六 年 四 月 七 日 の明 方 で あ った 。
ど う し て 二 人 は 心 中 を す る の か 。 ど う し て、 か れ ら は そ の障 害 を 二 人 の 努 力 で こえ よ う と し な い か 。 近 松 描 く ﹃曽 根 崎 心 中 ﹄ の道 行 の 一節 を 引 用 し て み よ う 。
﹁い つは さ も あ れ こ の夜 半 は 、 せ め て し ば し は 長 か ら で 、 心 も な つ の夜 の な ら ひ 、 命 を 追 は ゆ る
鶏 の声 、 明 け な ば う し や 天 神 の、 森 で 死 な ん と手 を引 い て、 梅 田 づ つ み の小 夜 烏 、 あ す は 我 が 身 を
餌 じ き ぞ や 、 ま こ と に 今 年 は こ な 様 も 、 二 十 五歳 の 厄 の年 、 わ し も 十 九 の厄 年 と て 、 思 ひ 合 う た る 厄 だ た り 、 縁 の深 さ の し る し か や ﹂
﹁神 や 仏 に か け おき し 、 現 世 の 願 を 今 こ こ で 、 未 来 へ回 向 し 後 の 世 も 、 な ほ し も 一 つ 蓮 ぞ や と、
し ん た る曽 根 崎 の、 森 にぞ た ど り 着 き に け る ﹂
爪 ぐ る 数 珠 の 百 八 に、 涙 の 玉 の 数 そ ひ て 、 つき せ ぬ あ は れ つき る 道 、 心 も 空 に かげ く ら く 、 風 し ん
し た が って 、 心 中 は 人 世 に お け る 終 末 を 意 味 す る も の で は 決 し て な い。
つ ま り 、 か れ ら は 現 世 と 来 世 の 累 積 の 上 に お のれ の悲 願 を 成 就 せ し め よ う と し た も の と い え る 。
わ た し は 、 人 間 の行 動 を 、 合 目 的 的 性 格 を も つ社 会 的 行 動 だ と 規 定 す る が (拙 著 ﹃心 理 学 要 説 ﹄
学 芸 書 房 、 昭 和 三 十 七 年 )、 行 動 者 と し て の 日本 人 は 、 そ の 社 会 的 な 合 目 的 的 行 動 を 、 いわ ば 独 走 方 式 で は な く 、 継 走 方 式 で経 過 す る も の と み る 。
そ の 合 目 的 的 行 動 に お い て 、 障 害 や 困 難 に 直 面 し た 場 合 、 そ の障 害 や 困 難 を う ち く だ く 行 動 者 に
自 己 を 拡 大 し な い。 障 害 や 困 難 に は ば ま れ て 行 動 が 停 滞 す れ ば 、 お の れ を し り ぞ け る 。 お の れ を し
り ぞ け 、 自 己 を 否 定 し 、 次 走 者 に バ ト ン を 託 す こ と で 行 動 の継 続 を は か ろ う と す る 。 行 動 過 程 が 独
走 者 の全 区 間 疾 走 (も ち ろ ん 、 走 者 が 複 数 で あ って も 、 そ れ ぞ れ の走 者 が 連 帯 し て全 区 間 疾 走 を お
こなう のであ る) とし て経過 しな い。継 走 者 の区 間疾走 を累積 したも のと して の み経過 す る。
﹁年 年 歳 歳 人 同 じ か ら ず ﹂ ﹁ゆ く 河 の な が れ は た え ず し て、 し か も も と の 水 にあ ら ず 、 よ ど み に
う か ぶ う た か た は か つき え か つむ す び て 、 ひさ しく と ど ま る 事 な し、 世 中 にあ る 、 人 と 栖 と 又 か く のご とし﹂
そ こ に は 、 走 者 の 恒 常 性 、 不 変 性 が 欠 如 す る 。 し た が って、 これ を ﹁無 常 の 心 理 ﹂ と よ ぼ う 。 ま た 、 い わ ゆ る 日本 人 の ﹁分 限 意 識 ﹂ も か く し て 生 ま れ た 。
った も の だ と 考 え る 。
前 述 し た 一群 の性 の ま つり は 、 神 の 照 覧 、 加 護 のも と で 、 次 走 者 を 創 造 せ し め ん と す る意 味 を も
四 羽 後 六 郷 町 の か ま く ら竹 打 ち
日 本 人 が 、 そ の 合 目 的 的 行 動 の過 程 に お い て 、 障 害 や 困 難 に直 面 し た 場 合 、 行 動 が 停 滞 す れ ば 、
お のれ を し り ぞ け 、 お の れ を 否 定 す る こ と を 前 述 し た 。 い った い、 こ れ は な ぜ で あ る か 。
この疑 問を 解 いてゆく 鍵 も、 これ また 日本 のま つりを み てゆく なか で、 あ たえ られ る とわ た しは
思う。
と こ ろ で 、 日 本 の ま つ り の な か に、 い わ ゆ る 喧 嘩 ま つ り の 呼 称 が し め す よ う に、 ﹁力 ﹂ の要 素 を
軸 と し て 展 開 さ れ る 一群 の も の が あ る 。 し か も 、 こ のま つ り の意 味 す る も のが 、 幽 谷 に水 源 を も つ
こ と を 、 折 口信 夫 が 指 摘 す る 。 い わ く 、 ﹁︽か け あ ひ ︾ と 言 へば 、 今 の 人 は 万 歳 式 の ︽か け あ ひ 噺 ︾
を 連 想 す る で あ ら う 。 我 が 民 族 の 口 承 文 学 の上 に お け る ︽か け あ ひ ︾ の形 態 は 、 何 処 ま で 行 き 亘 っ
て ゐ る か 、 底 の 知 れ な い 程 で あ る ﹂ と (﹃折 口 信 夫 全 集 ﹄ 第 七 巻 、 四 三 九 ペ ー ジ 、 中 央 公 論 社 、 昭 和 三 十 年 )。
こ こ で 、 も う 一度 、 西 鶴 を 登 場 さ せ よ う 。 か れ の ﹃世 間 胸 算 用 ﹄ に お け る ﹁闇 の夜 の 悪 口﹂ (巻 四 ) の 一章 は 、 そ の 一例 だ と み る こ と が でき よ う 。
京 都 の八 坂 神 社 で、 大 晦 日 の夜 、 ﹁け づ り か け の 神 事 ﹂ を お こな った 。 神 前 の と も し火 を く ら く
った と いう も のだ 。
消 し 、 た が い の人 顔 み え ぬ な か で 、 参 詣 の 老 若 男 女 、 左 右 に た ち わ か れ 、 さ ま ざ ま な 悪 口 を い い あ
お の れ は な 三 ケ 日 の 内 に餅 が 喉 に つ ま って 鳥 部 野 へ葬 礼 す る わ い や い お ど れ は 又 人 売 の請 で な 同 罪 に粟 田 口 へ馬 に の って 行 わ い や い お の れ が 女 房 は な 元 日 に 気 が ち が ふ て 子 を 井 戸 へは め お る ぞ
お のれ は な 火 の車 て つ れ にき て な 鬼 の か う の も の に な り を る わ い お のれ が 父 は 町 の 番 太 を し た や つ じ ゃ お のれ が か か は寺 の 大 こく の は て じ ゃ お のれが弟 は な 衒 云 の 挾 箱 も ち じ ゃ お のれが伯 母 は子 おろ し屋 を しを る わ い お の れ が 姉 は 襠 せ ず に味 噌 買 に 行 と て 道 で こ ろ び を る わ い や い
西 鶴 描 く こ の ま つり に 類 似 す る も の を 現 在 に 拾 お う 。
秋 田 県 仙 北 郡 (羽 後 国 ) 六 郷 町 で、 旧 暦 正 月 の十 五 日 夜 、 ﹁か ま く ら 竹 打 ち ま つり ﹂ を お こな う 。
全 町 を 南 、 北 両 軍 に 分 け 、 諏 訪 神 社境 内 の ﹁か ま く ら 畠 ﹂ で 、 雪 に 吸 わ れ る 木 貝 の音 の な か、 青 竹 合戦 を展 開す る。
合 戦 に使 用 す る 青 竹 は 、 前 三 日 いわ ゆ る ﹁天 筆 ﹂ を つけ 、 家 ご と 軒 先 の 雪 中 に た て る 。 吹 雪 の 風
に青 竹 が 、く る った よ う に 小 刻 み に振 動 し 、天 筆 が ち ぎ れ んば か り 、 黄 昏 の 鉛 色 の 空 に お ど って い る。
天 筆 と は 、 細 長 い五 色 の 紙 に、 つぎ の よ う な 言 葉 を 毛 筆 で し る し た も の 。 い わ く 、 ﹁奉 納 鎌 倉 大
明 神 天筆 和 合 楽地福 円満 楽 日月清 明 楽 五穀 豊熟 楽 天下 泰平 楽 国家 安康 楽 家内 安 全楽 商売 繁 昌楽富
貴 長 命 楽 子孫 長 久 楽 学 問 上 達 楽 新 玉 の 年 の 始 め に筆 と り て 万 の 宝 か く ぞ あ つむ る 何 年 正 月 吉 日 、 世 良 正利敬 白 ﹂ と。
作 の、 北 軍 が 勝 てば 米 価 高 騰 の予 祝 と な る と いう 信 仰 だ 。
青 竹 の南 北 戦 争 は 、 無 数 の竹 が は じ け あ い、 雪 中 か ま く ら畠 が 修 羅 場 と な る が 、 南 軍 が 勝 て ば 豊
岩 手 県 西 磐 井 郡 (陸 中 国 ) 平 泉 町 に あ る 毛 越 寺 の常 行 堂 で、 旧 正 月 二十 日、 ﹁摩 多 羅 神 祭 ﹂ が お
こ な わ れ る 。 内 陣 、 外 陣 と いう 二 つ の儀 が あ る が 、 外 陣 の方 は 蘇 民 祭 で あ って 、 村 方 のも のが こ れ を つと める。
そ し て 、 内 陣 の儀 の方 は、 常 行 三 昧 の 修 法 と 延 年 舞 に 両 分 さ れ 、 寺 僧 が こ れ を 勤 修 す る 。
と こ ろ で 、 寺 僧 が 延 年 舞 を 演 ず る 場 合 、 見 物 人 が こ れ を悪 罵 す る と い う 習 慣 が あ る 。
い ろ 坊 主 、 ど う す 坊 主 、 火 つけ 坊 主 、 き ず が り 坊 主 く そ 坊 主 め 、 お か た を も ち あ が って な に ぬ か す おか た のお こし を袈裟 にかけ て来 た んだ べ へ へな ぐ り 坊 主 め、 腰 を た て め い
そ の悪 口 は 上 記 の よ う な も のだ が 、 悪 態 が ひ ど け れ ば ひ ど い ほ ど 、 そ の年 の豊 穣 が 約 束 さ れ る と いう 。
物 理 的 な 力 に よ る も の で あ れ 、 ま た 、 象 徴 的 な 言 葉 に よ る も の で あ れ 、 敲 き 合 いが 愛 憎 の いず れ
か ら な さ れ る か。 愛 し あ う も の の な か で お こな わ れ る か。 憎 み あ う も の の な か で お こ な わ れ る か 。
両 者 は ま った く 異 質 の関 係 に あ る 。 前 者 の敲 き 合 い で あ って こそ 、 人 格 の相 互 形 成 の意 味 を も つ。
石 川 県 珠 洲 郡 (能 登 国 ) にあ る 内 浦 町 不 動 寺 の 新 出 亀 吉 氏 か ら 来 信 が あ った 。 来 信 は い わ ゆ る
﹁春 の ア エノ コ ト﹂ (田 の神 送 り の 行 事 ) を 、 こま か に か き し る し た も の で あ った 。 こ の ア エ ノ コ
日 若 木 (勧 請 松 ) 迎 え 田 の 神饗 応
トはそ れぞ れ の家 で分 散 し てお こなわ れ る。
二月 九
二 月 十 日 鍬 し ら べ 鍬 の年 越 二 月 十 一日 田 の神 送 り 田 打 正 月
こ の 十 一日 の 田打 正 月 に お い て、 家 の 主 人 (ゴ テ ) が 肩 衣 姿 で 、 勧 請 松 を 苗 代 田 にさ し 、 鍬 で 三
回 土 をう ち、 ﹁我 も よ け れ 、 人 も よ け れ ﹂ と 三 度 と な え て 家 に 帰 る (堀 一郎 ﹁奥 能 登 の 農 耕 儀 礼 に
つ い て﹂ ﹃新 嘗 の研 究 ﹄、 第 二 輯 所 載 、 に ひ な め 研 究 会 編 、 吉 川 弘 文 館 、 昭 和 三 十 年 )。
石 川 県 鳳 至 郡 (能 登 国 ) の 能 都 町 鵜 川 の菅 原 神 社 で、 十 一月 七 日 に、 ﹁いど り ま つ り ﹂ を お こ な
う 。 ﹁い ど る ﹂ と は 、 悪 口を い って いじ め る と い う 意 味 を あ ら わ す 方 言 だ 。
古 い村 区 分 で あ る ﹁名 ﹂ を 代 表 す る ﹁と う あ た り ﹂ が 拝 殿 に 列 座 し て 、 ﹁と う わ た し ﹂ の 儀 を 展
開 す る が 、 ﹁とう も と ﹂ を つと め る 二 組 の 代 表 が つく った 大 鏡 餅 の 出 来 ば え に対 し、 列 座 す るも の
か ら ﹁黒 い﹂ (色 ) の ﹁薄 い ﹂ (厚 さ ) の と、 き び し い論 難 が お こな わ れ る 。
ハギ ﹂ が 来 訪 す る 。 鬼 様 の面 を つけ た若 者 た ち が 、 各 戸 を た ず ね 、 家 人 と 問 答 す る 。 た と え ば 、
石 川 県 珠 洲 郡 (能 登 国 ) に あ る内 浦 町 の 宮 犬 (前 記 不 動 寺 に 隣 接 す る ) へ、 節 分 の 夜 、 ﹁ア マ メ
﹁泣 く 子 は お ら ん か ﹂ ﹁お ら ん 、 お ら ん ﹂ な ど と。 し た が って 、 これ は 秋 田 県 男 鹿 地 方 (羽 後 国 ) の ﹁ナ マ ハゲ ﹂ 行 事 に 類 似 し た も のだ 。
愛 知 県 北 設 楽 郡 (三 河 国 ) の 山 村 一帯 で、 十 二 月 か ら 一月 に か け て 、 ﹁花 ま つり ﹂ を お こ な う 。
舞 踊 中 心 の神 事 だ が 、 そ の な か に、 ﹁も ど き ﹂ と ﹁さ か き ﹂ の 問 答 を 展 開 し て み せ る 一幕 が あ る 。
早 川 孝 太 郎 の ﹃花 祭 ﹄ (一七 三 ︱ 四 ペ ー ジ 、岩 崎 書 店 、一九 五 八 年 ) か ら 、そ の状 況 を 引 例 し て み よ う 。
も ど き (榊 の 枝 に て ﹁さ か き ﹂ の 肩 を う ち な が ら )
﹁や いや い汝 は 何 た ら 何 者 な れ ば 伊 勢 天 照 皇 太 神 宮 熊 野 権 現 富 士 浅 間 所 は 当 所 氏 御 神 の 示
を つき か え て)
す 威 力 は 大 御 霊 の神 大 御 子 の庭 を 事 ざ ん も し い 姿 を し て 舞 ひ あ ら す は な ん た ら 何 者 だ や い﹂
さ か き (あ ら あ ら し く 怒 り の身 振 り を 見 せ、 か ら だ を か え し 向 直 り 、 鉞 ﹁吾 等 が 事 に て 候 ﹂ (い い お わ る と、 ま た も や 荒 々 し く か ら だ を か え し 背 を む け る) もど き ﹁な か な か 汝 が 事 に て 候 ﹂ さ かき (前 の よ う に いち いち か ら だ を か え し て い ふ )
﹁愛 宕 山 の大 天 狗 比 叡 の 山 の小 天 狗 山 々嶽 々を わ た る 荒 霊 荒 天 狗 と は 吾 等 が 事 に候 ﹂ も どき ﹁三 郎 は何 万 歳 を 経 て 候 ﹂ さ かき ﹁八 万 歳 を 経 た ら う 者 さ う い ふ 汝 は何 万 歳 を 経 た ら う 者 ﹂ も どき ﹁王 は 九 善 神 は 十 善 十 二 万 歳 を 経 た ら う 神 の位 ﹂
さ かき (こ れ を 聞 い て 驚 き の身 振 り あ り ) ﹁四 万 歳 ま け て候 ﹂ も ど き (手 に せ る 榊 の 枝 を ﹁さ かき ﹂ の肩 に あ て)
﹁ま こ と 信 行 の 為 な ら引 か れ る 信 行 の為 で な く ば 引 か れ ま い 碌 を引 い て帰 れ ﹂
七 日 に ﹁笑 い ま つ り ﹂ を お こ な う 。 神 輿 の列 が 神 社 に つく と 、 ﹁笑 い爺 ﹂ と名 づ け る 長 老 が 、 ﹁お
和 歌 山 県 日 高 郡 (紀 伊 国 ) の川 辺 町 和 佐 の 丹 生 明 神 (現 在 は 江 川 の 八 幡 神 社 に合 祀 ) で、 十 月 十
め で た い、 笑 い な さ れ や 、 お 笑 い な さ れ ﹂ と 叫 び 、 一同 そ れ に和 し て声 高 ら か に笑 う 。
わ た し た ち は総 括 的 に 結 論 を の べ る 時 期 に 到 達 し た よ う だ 。
合 目 的 的 行 動 の 過 程 に お い て、 障 害 や 困 難 に直 面 し た 場 合 、 行 動 が 停 滞 す れ ば 、 お のれ を し り ぞ
け 、 お の れ を 否 定 す る 原 因 を 、 結 局 、 お のれ を 神 と と も にあ る と、 日 本 人 が み た か ら だ と 、 わ た し は思 う。
も し か り に そ う で な い とす れ ば 、 前 述 し た ﹁笑 い ま つ り ﹂ の楽 天 主義 は 、到 底 、理 解 で き ぬ に ち が
い な い 。 お の れ を 神 と と も に あ る とす る か ぎ り 、 自 己 の卑 小 性 は 固 定 化 す る 。 卑 小 な る お のれ が 行
動 の継 続 を い た ず ら に 固 執 す る こ と は 、 結 局 、 ﹁〓 の 歯 軋 り ﹂ で あ り、 ま た 、 こ の よ う な 足 手 纒 は 、
お のれ と と も にあ る と す る も の へ の非 礼 だ とも い え る で は な い か 。
長 崎 市 (肥 前 国 ) に あ る 諏 訪 神 社 の秋 ま つ り (十 月 ) は俗 称 ﹁お く ん ち ﹂ で 知 ら れ る が 、 ま つ り
の 前 日 に は 、 ﹁庭 見 せ ﹂ を お こな う 。 庭 見 せ と は、 表 道 路 に沿 う 家 々 で 、 襖 、 障 子 を と り は ら い、 素 通 し の家 を と お し て 、 道 行 く 人 に奥 庭 を 見 せ る も の だ 。
ぐ ことが でき る。
も っと 端 的 な 例 を あ げ よ う 。 五 月 の 空 の 鯉 幟 だ 。 そ れ は 、 腸 を も た ぬが 故 に、 薫 風 の な か を 泳
水 は 方 円 の器 に 随 い、 雲 無 心 に し て 岫 を 出 ず 、 し た が って、 雲 のご とく 、 水 の ご とく 、 ま た 鯉
だ と い う こ とが で き よ う 。
幟 のご と く 、 庭 見 せ の 家 の ご と く 、 お のれ を 神 と と も にあ る と す る も の の 心 理 は 、 ﹁無 心 の 心 理 ﹂
二 神 が あ る 。 し た が って 、 人 間 の 運 命 は 、 お の れ を 正 、 邪 いず れ の 神 にゆ だ ね る か に よ って 決 定 さ
と ころ で 、 前 述 し た 花 ま つ り や 、 さ ら に は 疫 神 送 り な ど で あ き ら か な よ う に 、 神 に は 、 正 、 邪 の
れ る 。 さ き に 、 愛 し あ う も の の な か で お こな わ れ る 敲 き 合 い こそ が 人 格 の相 互 形 成 の意 味 を も つ と
い った が 、 こ の場 合 の人 格 形 成 と は 、 正 神 に よ る邪 神 送 り を さ す 。 ま た 、 日 本 人 に 特 有 の ﹁恥 の意
識 ﹂ が こ こ に 生 ま れ る 。 な ぜ な ら 、 仕 事 の 失 敗 は、 失 敗 者 が お の れ の 運 命 を ゆ だ ね た も の の 責 任 で
こそ あ れ 、 お のれ の責 任 で は な い か ら で あ る。 か れ は 、 か か る 主 人 公 へお のれ の運 命 を 託 し た こ と を 恥 入 る こ と が 精 一杯 で あ る 。
と も あ れ 、 お のれ は神 と む す ば れ る。 な ぜ 、 神 と む す ば れ る か 。 お の れ が 神 の 子 で あ る か ら だ 。
こ こ で、 日 本 語 の ﹁む す び ﹂ に は、 ﹁結 ﹂ と ﹁産 霊 ﹂ の 二 義 が あ る こ と を 、 ふ り か え る こ と は 有 意
味 で あ ろ う 。 後 者 の義 に つき ﹃広 辞 苑 ﹄ は いう 、 ﹁(奈 良 時 代 に は ︽む す ひ ︾ と 清 音 。 ︽む す ︾ は 産 、
生 の意 、 ︽ひ︾ は 霊 力 ) 天 地 万 物 を 産 し 成 す 霊 妙 な 神 霊 。 む す び の か み 。 む す ぶ の か み 。 う ぶ の か み﹂ と。
神 は お のれ を 創 造 し、 ま た 前 述 し た よ う に、 お の れ に か わ る次 走 者 を 創 造 す る 。 し たが って 、 お
の れ も 次 走 者 も 、 言 語 も し く は 非 言 語 の 両 手 段 に よ って 媒 介 さ れ る 以 前 の、 共 通 の神 を 結 節 点 と す
る 同 胞 的 集 団 の 成 員 と いえ よ う 。 そ う いう 神 対 人 間 的 な 、 そ れ 故 ま た 前 近 代 的 な 集 団 の性 格 か ら も
た ら さ れ る も のが 伝 統 心 理 と し て、 今 日 の 日 本 人 の 精 神 構 造 の な か に 、 いわ ば 残 像 的 に滞 留 し て い る ことを 、わ た しは指 摘 し ておき た い のであ る。
第 三章 神 だ の み の生 活
マ ル セ ル ・パ ニ ョル は 、 そ の ﹃笑 い に つ い て の ノ ー ト ﹄ の最 後 を 、 ﹁何 を笑 う か に よ って、 そ の 人 の人柄 が わ かる﹂ と いう言 葉 でむ すん で いる。
か れ の こ の結 論 の 適 用 範 囲 を 拡 大 し て、 個 人 に 限 定 さ れ な い も の と す れ ば 、 こ こ で 笑 い に お け る
日 本 人 の 特 殊 性 に 注 目 し て み る こ と は 、 ひ っき ょう 、 日 本 人 の パ ー ソ ナ リ テ ィ を 考 察 す る 道 に通 じ てゆく と考え ら れ る。
日本 人 の笑 い の 特 殊 性 と い った が 、 幸 か 不 幸 か 、 そ れ に該 当 す る も の と し て 、 いわ ゆ る ﹁ジ ャ パ ニー ズ ・ス マイ ル﹂ の 問 題 も あ る 。
だ と す れ ば 、 こ の ジ ャ パ ニー ズ ・ス マ イ ル に要 約 さ れ る 日 本 人 の笑 い の 特 殊 性 の問 題 は 、 そ の パ
ー ソ ナ リ テ ィ と 不 可 分 の関 係 に あ る 、 お の れ を 神 (超 越 神 、 超 越 者 、 上 位 者 ) と と も に あ る と す る 日 本 人 の伝 統 的 な存 在 状 況 の 具 体 的 な表 現 だ と み う る の で は な い か 。
一 絵 姿 女 房
は じ め に 、 こ こ で、 笑 い と は何 か、 の 問 題 を す こし 考 え て み た い と 思 う 。
って い る も のが 、 ほ か で も な い こ の笑 い だ と さ れ る 。 な ぜ な ら 、 ア リ スト テ レ ス以 来 、 も っとも 偉
ベ ル グ ソ ン の み る と こ ろ に よ れ ば 、 あ れ これ の哲 学 的 思 索 に 対 し て、 た え ず 小 癪 な 挑 戦 を お こ な
大 な 思 想 家 た ち が 、 笑 い と は何 を 意 味 す る か 、 の問 題 と つ ね に 取 り 組 ん で き た に も か か わ ら ず 、 こ
の問 題 は 、 そ の努 力 を す り ぬ け 、 く ぐ り ぬけ 、 身 を か わ し、 そ し て そ の た び に立 ち 直 って い る か ら で あ る。
し た が って 、 も と も と わ た し な ど に は 、 こう いう 狡 猾 な、 か わ り 身 の は や い対 象 を 確 実 に捕 捉 で
き る 自 信 な ど な い。 ﹁困 難 な る問 題 に関 す る 哲 学 的 な考 察 ﹂ と いう 副 題 を つけ た ﹃笑 い に つ い て ﹄
と いう 論 文 に お い て 、 ﹁笑 いほ ど デ リ ケ ー ト な も の は な い ﹂ と の べ る ス タ ン ダ ー ル の見 解 を 、 た だ 首 肯 す るだ け にとど ま るかも しれ ぬ。
学 的 研 究 者 の そ れ だ 。 こ う い う 観 点 に た った 笑 い の 研 究 は 、 過 去 に お い て も 、 現 在 に お い て も 、 き
も っと も 、 わ た し の 場 合 、 考 察 の観 点 は、 ﹁文 化 と パ ー ソ ナ リ テ ィ ﹂ の 諸 問 題 に か ん す る 行 動 科
わ め て ま れ に し か お こな わ れ て い な い か ら 、 対 象 に 身 を か わ さ れ る の を 承 知 の上 で、 あ え て 卑 見 を
の べて みる こと にしよ う。
さ き に 、 研 究 の観 点 の特 殊 性 を こ と わ った が 、 だ か ら と い って 、 こ れ ま で の 笑 い の 哲 学 を 、 い っ さ い無 視 し よ う と す る も の で は な い 。
無 視 す る ど こ ろ か 、 反 対 に、 そ れ ら を ふ か く 学 ば ね ば な ら ぬ と思 う が 、 ど う わ た し な り に 学 ん で
い る か は 、 ひき つづ き 後 述 す る と し て 、 た だ こ こ で は ひ と つだ け 、 笑 い の 哲 学 の諸 説 に も か か わ ら
ず 、 笑 いが 人 間 に固 有 だ と み る 点 で は 、 だ い た い 一致 し た 結 論 に 到 達 し て い る こと を 指 摘 し て お き た い。
ラ ブ レ ー は 、 そ の ﹃ガ ル ガ ン チ ュ ワ物 語 ﹄ (渡 辺 一夫 訳 、 白 水 社 ) に お い て、 ﹁笑 う は、 こ れ 人
間 の 本 性 な れ ば な り け り ﹂ と の べ 、 ま た 、 シ ョー ペ ン ハウ エルも 、 ﹁丁 度 、 理 性 と 同 様 に、 笑 い は 、
人 間 の天 性 に の み固 有 の現 象 ﹂ で あ る と い い 、 さ ら に ま た 、 パ ニ ョルも 、 ﹁笑 う の は 人 間 だ け で あ
る 。 こ れ は、 これ ま で す べ て の哲 学 者 た ち に よ って認 め ら れ てき た ひ と つ の真 理 で あ る ﹂ と か いて いる。
こう いう 、 笑 い が 人 間 に 固 有 だ とす る 見 解 に、 ま った く わ た し も 同 感 だ 。 人 間 が 、 人 間 ら し い生
活 を 展 開 し て い る とき に は 、 か な ら ず そ こ に笑 い (す く な く と も 、 あ か る い 笑 い) が あ る 。 反 対 に 、 人 間 ら し い生 活 を う ば わ れ て し ま え ば 、 笑 いも や が て 喪 失 す る。
笑 わ ぬ人 間 の例 をあ げ てみ よう 。
い わ ゆ る 離 島 の 子 ど も た ち に は 、 笑 いが な い と し て 、 有 吉 佐 和 子 は、 ﹁私 は 忘 れ な い ﹂ と いう 作
品 の な か で 、 登 場 人 物 の教 師 を し て、 つぎ の よ う に か た ら せ て い る 、 ﹁黒 島 の 子 供 た ち は 、 何 百 年
か の苦 し い生 活 で 、 す っか り 笑 う こ と を 忘 れ て い る の で す 。 ひ と り ひ と り を 、 ど う に か し て 笑 わ せ る と い う のが 、 私 た ち の 当 面 の 目 標 な ん で す ﹂ と 。
も う ひ と つ、 別 の 例 を あ げ よ う 。 ﹁絵 姿 女 房 ﹂ と いう 昔 話 が あ る 。 百 姓 が 美 し い女 房 を も ら った 。 二 人 の 仲 は む つま じ か った 。
百 姓 が 畑 へ野 良 仕 事 に で か け る 。 か れ は そ こ で ひ とう ね 打 って は 、 いそ い で 家 に引 き 返 す 。 家 に
い る 女 房 が 気 に な る か ら だ 。 す こし で も な が く 女 房 の顔 を み な い と 、 仕 事 を 続 け る 気 が な く な る か らだ 。
仲 む つ ま じ い の は い い と し ても 、 これ で は 仕 事 が は か ど ら な い 。 そ こ で 女 房 は 一計 を 案 ず る 。 絵
か き に自 分 の絵 姿 を か か せ 、 こ れ を 百 姓 に わ た し な が ら 、 ﹁畑 の桑 の 木 の 枝 に で も か け て、 こ れ を み なが ら仕 事 を し ては⋮ ⋮﹂ 女房 はそう 進 言 した。
あ る と き 、 に わ か に大 風 が 吹 い て 、 止 め る間 も あ ら ば こそ 、 絵 姿 を 空 に と ば し て し ま った 。
そ れ か ら と いう も の、 百 姓 は毎 日 、 畑 に あ ってそ の絵 姿 を み な が ら 、 仕 事 に精 を だ し て いた が 、
さ ま が そ れ を み る と 美 し い女 人 の絵 な の で 、 絵 が あ る か ら に は 、 こ の 人 間 が い る に ち が い な い、 こ
空 を 遠 く と ん だ 絵 姿 が 、 や が て ヒ ラ ヒ ラ落 ち て く る 。 落 ち た と こ ろ は殿 さ ま の お城 で あ った 。 殿
う いう 女 を 側 室 に し た い 、 と 思 った 。 ど う し て も 探 し て く る よ う に、 と 殿 さ ま は 家 来 に 下 知 を し た 。
探 し歩 い て、 よ う よ う の こ と、 家 来 は 絵 姿 の 女 人 が 、 百 姓 の 女 房 で あ る こ と を たず ね あ て た 。 殿
さ ま の い い つ け だ か ら 、 こ の 女 を つれ て 行 く 、 と家 来 は 女 房 を ひき た て た 。 二人 は 、 か ん べ ん し て
く れ 、 と あ や ま った が 、 願 いは つ い に いれ ら れ な い。 百 姓 も 泣 き 女 房 も 泣 い た 。 泣 き 泣 き 女 房 は ひ き た てら れ た。
一方 、 殿 さ ま は 大 喜 び だ 。 あ の絵 姿 を み て か ら と い う も の 、 これ ぐ ら いだ ろ う と 想 像 し て い た よ り 、 実 際 の女 房 は 何 ぞ う 倍 も 美 し い女 人 で あ った か ら で あ る 。
と ころ が 、 ど う し た も の か 、 こ の美 し い女 房 は 、 お 城 に連 れ て こら れ て か ら と いう も の、 ま る で
笑 わ な い女 人 に な った 。 ただ の 一度 も 笑 顔 を み せ な い。 いく ら 殿 さ ま が 笑 わ せ よ う と思 って み て も 、
い や 思 った だ け で は な い、 い ろ い ろ 、 さ ま ざ ま の 手 を つく し て 笑 わ せ よ う と し て み て も 、 た だ の 一 度 も 笑わ な いの であ る。
る が 、 こ の簡 明 な 物 語 の な か に 、 笑 い に か ん す る 日本 人 の叡 知 が 、 あ ざ や か に存 在 す る こ と に 注 意
昔 話 の そ の あ と の 経 過 は 、 そ れ だ け を み る こ と が 本 意 で は な い の で 、 こ こ で は 省 略 す る こと にす
を むけ た い。
さ き に、 人 間 ら し い生 活 を う ば わ れ れば 、 笑 いも や が て 喪 失 す る 、 と い った が 、 昔 話 の ﹁絵 姿 女
房 ﹂ は 、 ま さ に こ の 命 題 の具 体 的 表 現 で あ る 。 愛 す る 百 姓 か ら ひ き は な さ れ 、 無 理 じ い に お 城 に つ
れ て こ ら れ た 女 房 に 人 間 ら し い 生 活 は な い。 殿 さ ま か ら あ た え ら れ た で あ ろ う 美 衣 、 美 食 も 、 人 間
( 一)
ら し い生 活 を 回 復 す る 補 償 と は な り え な か った。 そ れ 故 、 人 間 ら し い生 活 の 喪 失 を 、 精 神 の窒 息 と い いかえ ても よ かろう 。
二 笑 い の哲 学
こ こ で 、 主 と し て 西 欧 に お け る 、 こ れ ま で の笑 い の哲 学 の あ ら ま し を ふ り か え って み て お こう 。
可能 だ と思 われ る。
そ こ に は 、 さ ま ざ ま の所 説 が あ るが 、 わ た し に は、 これ ら の笑 い の哲 学 を 二 説 に大 別 す る こ とが
す な わ ち 、 ひ と つ は ﹁矛 盾 説 ﹂ (も し く は ﹁対 立 説 ﹂) と 呼 べ る も ので 、 他 の ひ と つは ﹁優 劣 説 ﹂ と名 づ け ら れ る も のだ 。
カ ン ト 、 ヘー ゲ ル、 レ ッ シ ン グ 、 さ ら に シ ョー ペ ン ハウ エ ル な ど 、 主 と し て ド イ ツ哲 学 の伝 統 的
な 考 え 方 に は矛 盾 説 が 多 い と み て よ か ろ う 。 た と え ば 、 カ ン ト は 期 待 と 現 実 と の 矛 盾 に、 ま た 、 へ
ー ゲ ル は 理 想 と 現 実 と の ア ン タ ゴ ニズ ム に、 そ れ ぞ れ 笑 い の原 因 を み いだ し て い る 。
他 方 、 優 劣 説 は プ ラ ト ン 、 ア リ ス ト テ レ ス に発 し 、 ホ ッブ スを 経 て、 ス タ ンダ ー ル、 ベ イ ン、 パ
ニ ョ ルな ど の と な え る も の で、 イ ギ リ ス、 フ ラ ン ス の思 想 家 の 立 場 は多 く こ の説 に く み す る も の と
み る こ とが でき よ う 。 た と え ば 、 プ ラ ト ン 、 ア リ ス ト テ レ ス は 無 害 で あ る と い う 条 件 内 で生 理 的 、
道 徳 的 み にく さ か ら 笑 いが 生 ま れ る と 考 え た 。 ま た 、 ホ ッブ ス に お い て は、 笑 い を 忽 如 た る 勝 利 の
表 現 と し 、 ベ イ ン は 軽 微 な る他 人 の体 面 の 喪 失 に 笑 い の原 因 を み いだ し た 。
(﹁吾 輩 は猫 で あ る 、 の笑 い に つ い て﹂ 雑 誌 ﹃文 学 ﹄ 所 載 、 一
こ の両 説 の差 に つき 、 梅 原 猛 は、 矛 盾 説 が ﹁笑 う べ き も の の対 象 的 研 究 ﹂ で あ り 、 優 劣 説 が ﹁笑 う 人 間 の主体 的研 究 ﹂ であ る とみ る 九 五九 年 一月 )。
シ ョー ペ ン ハウ エ ル と パ ニ ョル の場 合 を 例 示 し て 、 以 上 の 二 説 の詳 細 を 、 も う す こ し あ き ら か に し てみ よう。
シ ョー ペ ン ハウ エ ル の見 解 は こ う だ (﹃意 志 と 表 象 と し て の世 界 ﹄ 一八 一九 年 )。
抽 象 的 知 識 と 直 観 的 表 象 と は 、 決 し て厳 密 に 一致 す る も の で は な い。 こ の両 者 の 不 適 合 、 不 一致
が 笑 い と いう 注 目 す べ き 現 象 の起 る 根 拠 と な る 。 笑 い は 、 い つ で も 、 あ る 概 念 と、 そ の概 念 に よ っ
て何 ら か の 関 係 に お い て 考 え ら れ て き た 実 在 の 客 観 と の間 に、 突 然 発 見 さ れ た 不 適 合 か ら の み 生 ず
る と いう。
そ し て、 か れ に よ れ ば 、 こ の不 適 合 に は 、 ﹁機 智 ﹂ と ﹁阿 呆 ﹂ の 二種 類 が あ る と さ れ る 。
そ の 二 つ 、あ る い は そ れ 以 上 の 非 常 に 異 な る 実 際 の事 物 が 先 行 す る 場 合 、いず れ を も 包 括 す る あ る 概
機 智 と は 、 た と え ば ﹁言 葉 の酒 落 ﹂ な ど に み ら れ る ご とく 、 直 観 的 表 象 が 先 行 す る 場 合 で あ って 、
念 で 随 意 に 統 一し て 、 そ の 一致 点 か ら これ ら の 事 物 を 勝 手 に同 一視 す る ﹁お か し さ ﹂ の こ と で あ る。
ま た 、 阿 呆 と は 、 た と え ば ﹁杓 子 定 規 ﹂ な ど に み ら れ るご とく 、 概 念 が 先 行 す る 場 合 で あ って 、
そ の 先 行 す る 概 念 か ら 実 在 へ移 行 す る 場 合 、 他 の点 で は 基 本 的 に異 な る が 、 いず れ も が そ の概 念 で
考 え ら れ る あ れ これ の実 在 が 同 一視 さ れ て 取 り 扱 わ れ て い る う ち 、 そ の基 本 的 に 異 な る 他 の点 が 不
随 意 的 に 現 わ れ て き て 、 行 動 者 が び っく り し て し ま う ﹁お か し さ ﹂ の こと で あ る 。
シ ョー ペ ン ハウ エ ルが 抽 象 的 概 念 と 直 観 的 表 象 と の 不 一致 を い う 場 合 、 か れ は、 実 際 の 事 物 の な
か に、 濃 淡 陰 影 の 微 妙 な差 異 と多 種 多 様 な 変 化 と を み た 。 こ れ に対 し て 、 概 念 に は 、 固 定 し た 限 定 性 と 一般 性 と し か み いだ す こ とが でき な か った 。
つ い で、 パ ニ ョ ル の方 へ目 を 移 そ う (﹃笑 い に つ い て の ノー ト ﹄ 一九 四 七 年 )。
か れ は、 ホ ッブ スの 所 説 を 継 ぎ 、 笑 いを 勝 利 の表 現 と み る 。 そ れ は、 笑 い手 の、 笑 わ れ る 人 に 対
し て 、 忽 如 と し て発 見 し た 優 越 感 の表 現 で あ る 。 私 は私 の優 越 性 を 笑 う 。
た と え ば 、 小 学 生 が 綴 字 を 間 違 え た 場 合 、 教 師 は そ れ を 笑 え な い。 だ が 、 教 師 が 綴 字 を 間 違 え た
と す る 、 生 徒 の 笑 い は 必 定 で あ る 。 か く し て 、 笑 い を さ そ う 優 越 性 は 、 忽 如 と し て 発 見 さ れ た瞬 間 的 な も の で な け れ ば な ら ぬ。
そ れ で は 、 こ の よ う な 私 の優 越 性 は 、 い か に し て 保 証 さ れ る で あ ろ う か 。 そ れ は 、 ひ と つ に は、
私 が 君 よ り 優 越 す る こ と で あ り 、 ふ た つ に は 、 君 が 私 よ り 劣 る こ と で あ る 。 前 者 を ﹁積 極 的 な 笑 い ﹂ と い い、 後 者 を ﹁消 極 的 な 笑 い﹂ と いう 。
積 極 的 な 笑 い は 、 自 分 の優 越 感 の虚 栄 的 な 表 現 で あ り 、 消 極 的 な 笑 い は 、 他 人 の劣 等 性 の残 酷 な 確認 であ る。
し た が って 、 積 極 的 な 笑 い は 、 真 の 笑 い で あ り 、 健 康 な 、 強 壮 な 、 人 の 心 を 落 ち つ け る 笑 い で あ
り 、 消 極 的 な 笑 い は、 反 対 に 、 固 い、 悲 し い 笑 い で あ り 、 軽 蔑 の 笑 い、 復 讐 の 笑 い、 仇 討 ち の 笑 い、
仕 返 し の笑 い で あ る 。 わ た し た ち の 日 常 の笑 い は 、 こ の 二 種 類 の 笑 い を 両 極 と し て 、 あ り と あ ら ゆ る ニ ュア ン スを も って 存 在 し て い る と 考 え ら れ る 。
古 来 、 ﹁笑 わ れ た ﹂ と いう 事 由 か ら 、 決 闘 さ わ ぎ に な った 例 は す く な く な い 。 これ は 何 を 意 味 す
る か 。 笑 いが 優 越 感 の 表 現 で あ り 、 笑 い手 は 、 そ の 自 己 の笑 い に よ って 、 自 分 が 勝 利 者 で あ る こ と
を 宣 言 し て ゆ く の で あ る か ら 、 笑 わ れ る 側 に と って み れ ば 、 敗 北 者 の烙 印 を お さ れ る こ と と な り 、
侮 辱 を う け た こと に な る か ら だ 。 こ の意 味 で 、 ﹁友 人 ﹂ を 、 ﹁そ れ は 私 を 怒 ら せ る こ と な く 、 私 を
笑 う こ と の で き る 人 間 ﹂ だ と 定 義 す る こ とが 許 さ れ よ う 。
な い か ら で あ る 。 ま た 、 無 関 心 は 笑 い の敵 と いえ る 。 な ぜ な ら 、 こう し た 人 た ち に と って は 、 自 分
孤 立 し た 個 人 よ り 、 群 衆 の方 が よ く 笑 う 。 な ぜ か 。 誰 し も 自 分 の隣 人 よ り 劣 った も の に な り た く
が 他 人 よ り 劣 って い よ う が 、 す ぐ れ て い よ う が 問 題 で な い か ら で あ る 。
三 吉 四 六さ んも のが た り
笑 い の哲 学 が 、 矛 盾 説 と 優 劣 説 と に、 二 分 さ れ る こ と を 指 摘 し て お いた 。 そ し て、 矛 盾 説 が ﹁笑
う べ き も の の対 象 的 研 究 ﹂ で あ る な ら ば 、 ま た 優 劣 説 が ﹁笑 う 人 間 の主 体 的 研 究 ﹂ で あ る な ら ば 、
結 局 、 私 は 君 を 笑 う のだ か ら 、 こ の 両 説 を ふ た つ の 脚 と す る こ と で の み 、 笑 い の 謎 を とく 位 置 へ接
近 でき る も の と考 え る 。 一方 の 説 が 正 し い見 解 で、 他 方 の説 が あ や ま った 見 解 だ と、 わ た し は 決 し て考 え な い。
そ れ は、 わ たしが ただ 気儘 にそう考 え るだ け で はな い。笑 いにか んす る古来 から の日本 人 の知 恵
が そ れ で あ った 。 い わ ゆ る 、 ﹁烏 滸 (お こ)の笑 い ﹂ と よ ば れ る も の が 、 端 的 に そ れ を し め し て い る 。
つぎ に述 べ る よ う な 烏 滸 ば な し 、 つま り 、 ば かげ た ま ぬ け ば な し は全 国 に広 く 分 布 す る の で は な
い か 。 こ こ で は 大 分 (豊 後 ) の吉 四 六 (き っち ょむ ) ば な し か ら 、 そ の 一例 を 紹 介 し て み よ う 。
裏 の柿 の木 の下 で、 吉 四 六 さ ん は 薪 を わ って い る 。 か れ が 鉞 (ま さ か り ) を ふ り あ げ た と き 、 枝
にさ が って いた 熟 柿 が ひ と つ、 ペ タ リ と頭 に 落 ち か か った 。 そ れ を 、 鉞 の 先 が ぬ け て 、 頭 に落 ち か
か って 大 怪 我 を し た も の と 早 合 点 し た 吉 四 六 さ ん 、 ヘタ ヘタ と そ の場 に腰 を ぬ か し 、
﹁ウ ワ ァ、 だ れ か来 て く れ 、 いた い いた い、 早 く 医 者 を よ ん で 来 て く れ ﹂
と 叫 ん だ 。 こ の声 を き き つ け た お か み さ ん 、 ビ ッ ク リ し て か け つけ て み る と、 こ のあ り さ ま 、 ﹁怪 我 で は な い で す よ 、 熟 柿 が 落 ち た ん で す よ ﹂ と いう と 、 吉 四 六 さ ん も よ う よ う 気 づ いて 、 ﹁フ ン、 熟 柿 か 、 熟 柿 な ら い た く も 何 と も な い﹂
ケ ロリ と し て 、 か れ は た ち 上 り 、 ま た 薪 を わ り は じ め た 。 と こ ろが 、 今 度 は 本 当 に 、 鉞 の先 が ぬ
け て 頭 にあ た り 、 血 が タ ラ タ ラ と流 れ だ し た 。 す る と 、吉 四 六 さ ん 、キ ッと 柿 の木 を 見 上 げ て いわ く 、
る のか﹂
﹁や い、 熟 柿 の奴 め、 こ の吉 四 六 さ ん が 、 そ ん な に 何 度 も 同 じ 手 で 、 だ ま さ れ る と で も 思 って い
﹃今 昔 物 語 ﹄ の 巻 二 八 に は、 こう いう 烏 滸 ば な し の 秀 逸 が 、 た く さ ん 掲 載 さ れ て いる 。 そ のな か
か ら ひ と つだ け 、 ﹁兵 立 つ者 わ が 影 を 見 て 怖 れ を なす も のが た り ﹂ を 例 示 し て み よ う 。
勇 者 ら し く 見 せ か け よ う と し て 、 豪 傑 風 を よ そ お う 国 守 の家 来 が い た 。 き ょう は 早 朝 か ら 旅 に 出
る と いう の で、 食 事 の 仕 度 を し な け れ ば 、 と、 ま ず か れ の 妻 が 起 き だ し た 。 有 明 の月 光 が 板 のす き ま か ら 、 家 の な か に さ し こ ん で いる 。
月 の 光 が つく った お の れ の 影 を み て 、 髪 を ふ り 乱 し た 童 髪 の 大 き な 盗 人 が 物 を 盗 ろ う と お し 入 っ
た のだ と勘 違 い し て 、 妻 は あ わ て ま ど い な が ら 、 寝 て い る 夫 のも と に 逃 げ て い った 。
妻 は 夫 の 耳 に事 の仔 細 を つげ た 。 夫 は 、 ﹁そ れ が ど う し た ﹂ と い い な が ら 、 枕 も と に お い た 長 刀
を 探 り 取 り 、 ﹁そ い つ の素 ッ首 を 打 ち落 し て や ろ う ﹂ と 、 髻 を 放 った ま ま 出 て い った 。 そ こ に は、
﹁お う ﹂ と 、 ひ と声 、 小 さ く 叫 ん で 、 妻 の い る と こ ろ へ帰 って き た 。
童 髪 の 盗 人 は いな い で、 長 刀 を 抜 い た 闖 入 者 が い た 。 か れ は、 頭 を 打 ち 破 ら れ る か 、 と思 って 、
﹁そ な た は 立 派 な 武 士 の妻 だ と思 って い た が 、 な ん と い う 大 そ れ た 見 当 違 い を し た か 。 ど う し て
童 髪 の 盗 人 な も の か 。 長 刀 を 抜 い て 持 って い る、 元 結 を 解 いた ザ ン バ ラ髪 の男 だ 。 し か し 、 奴 は 、
大 層 な 臆 病 者 だ 。 自 分 が 出 て い った の を 見 た だ け で 、 持 った 長 刀 を 落 さ ん ば か り 、 ブ ルブ ル こわ そ う に ふ る え て いた 。﹂
﹁お ま え が 行 って 追 いだ し て こ い。 自 分 は 、 旅 の 門 出 と いう 大 切 な 時 ゆ え 、 ち ょ っと し た 手 傷 で
も 負 う て は つ ま ら な い。 そ な た の よ う な 女 には 、 奴 も 長 刀 は よ も 振 り かざ す ま い 。﹂
こう い って 、 か れ は 頭 か ら 夜 具 を か ぶ って 寝 て し ま った 。 妻 は 、 よ く も そ ん な 風 で 弓 矢 を さ げ て
外 を 出 歩 く こ と が で き る も のだ 、 と 思 い な が ら 、 様 子 を 見 て こよ う と で て い った 。
そ の とき 、 夫 の傍 に あ った 紙 障 子 が 不 意 に倒 れ 、 か れ に あ た った 。 これ を 、 て っき り、 盗 人 が 自 分 に襲 い か か って き た の だ と思 って、 か れ は悲 鳴 の叫 び 声 を あ げ た 。
と こ ろ が 、 ﹁あ な た 、 盗 人 は と う に 立 ち 去 り ま し た ﹂ と 妻 が いう 。 夫 も 起 き だ し て 、 み て み る と、
成 程 、 妻 の いう と お り だ 。 か れ は 腕 を 撫 し 手 に 唾 を つけ 、 武 者 ぶ る い し な が ら こ う い った 。
﹁そ い つ は 、 こ の 家 へ入 って 来 て、 物 盗 り を し て 安 全 に 出 て ゆ く こ と は な る ま い。 あ わ て た こ の
盗 人 の奴 め は 紙 障 子 を 踏 み 懸 け て 立 ち 去 った 。 今 し ば ら く と ど ま って い れ ば 、 か な ら ず 捕 え て み せ
た も の を 、 そ な た が ぼ ん や り し て い る か ら 、 盗 人 を 逃 し て し ま った の だ 。﹂
こ の笑 いば な し の 末 尾 に は 、 ﹁こ の よ う な 臆 病 者 が 、 ど う し て 刀 や 弓 矢 を たず さ え て 、 人 の所 に
り﹂ と いう言葉 が そえ てあ る。
奉 公 な ど で き る も の か ﹂ ﹁世 に は か か る 鳴 呼 の 者 も あ る な り け り ﹂ ﹁此 れ を 聞 く 人 皆 男 を〓 み 咲 け
四 笑 い の 哲 学 (二 )
矛盾 説 と優 劣説 と を統 一す る立 場が 、笑 いを研究 す る場 合 にお ける基 本的 観点 でなけ れば な ら ぬ と のべた。
さ き の今 昔 物 語 に お け る烏 滸 ば な し を 例 に と って 考 え て み る と 、 ま ず 、 主 人 公 の武 士 の 二 重 性 が
指 摘 さ れ る 。 外 見 は 勇 者 を よ そ お って い る く せ、 中 身 は ひ ど い 臆 病 者 だ 。 か か る ﹁矛 盾 ﹂ す る 二 重
性 を も った 主 人 公 に 完 膚 な き ま で の敗 者 の烙 印 を お す (﹁優 劣 説 ﹂ の 立 場 ) の で あ る 。
し た が って 、 矛 盾 説 と 優 劣 説 と を 統 一す る 基 本 的 観 点 に た つ こ と に よ って の み 、 笑 い、 とく に 烏 滸 の笑 い を 正 し く 説 明 す る こ と が でき る 。
同 様 の観 点 か ら 、 マ ル ク スも 、 そ の ﹃ヘー ゲ ル法 哲 学 批 判 序 説 ﹄ に お い て、 ド イ ツ =プ ロ シ ヤ 体 制 の 問 題 に か ん し 、 つぎ の よ う に 書 い て い る こ と を 注 意 し て お き た い。
﹁ド イ ツ の政 治 的 現 在 に た いす る 闘 争 は 、 近 代 諸 国 民 の過 去 に む け ら れ た 闘 争 で あ って 、 こ の過
去 の な ご り の た め に 、そ れ ら の諸 国 民 は い ま も あ い か わ ら ず な や ま さ れ て い る の で あ る 。⋮ ⋮ いま の
ド イ ツ の 政 治 体 制 は 、 ひ と つ の時 代 錯 誤 であ り 、 一般 に公 認 さ れ た 公 理 に た いす る 明 白 な 矛 盾 で あ
り 、 衆 目 の 環 視 にさ ら さ れ た 旧 政 治 体 制 の無 価 値 で あ り 、 た だ 自 分 だ け で 自 信 が あ る と 思 い こん で
い る にす ぎ な い の に、 世 界 に む か って これ と 同 じ う ぬ ぼ れ を も て と 要 求 し て い る 。 も し 、 そ れ が 自
分 自 身 の本 質 を 信 じ て い る の だ った ら 、 そ の 本 質 を 他 の 本 質 の 外 見 の も と に隠 し た り 、 偽 善 や 詭 弁
に逃 げ 道 を 求 め た り す る だ ろ う か 。 現 代 の 旧 政 治 体 制 は も は や 世 界 秩 序 の喜 劇 役 者 で し か な い 。 そ
の真 の 主 人 公 た ち は 死 ん で し ま った のだ 。 歴 史 は徹 底 的 で あ って 、 旧 形 象 を 墓 場 へ運 ぶ と き に は 、
幾 多 の 段 階 を 通 る も の で あ る 。 世 界 史 的 形 象 の最 後 の段 階 は 喜 劇 で あ る 。 ア イ ス キ ュ ロ ス の ﹃し ば
ら れ た プ ロ メ テ ウ ス﹄ の な か で す で に ひ と た び 致 命 傷 を 受 け て悲 劇 的 に死 ん だ ギ リ シ ヤ の神 々 は 、
ルキ ア ノ ス の ﹃対 話 ﹄ の な か で も う 一度 喜 劇 的 に 死 な な け れ ば な ら な か った 。 な ぜ 歴 史 は こう いう 道 筋 を と る か 。 人 類 が 笑 って 過 去 に訣 別 す る た め で あ る 。﹂
さ き に 、 わ た し は 、 主 と し て 西 欧 にお け る 笑 い の 哲 学 を 瞥 見 し た 。 つづ い て 、 こ こ で は 東 欧 ロ シ
ア に お け る 、 と く にそ の十 九 世 紀 の いわ ゆ る 革 命 的 民 主 主 義 の 立 場 に た つ思 想 家 た ち に よ って お こ
な わ れ た 笑 い の 哲 学 を ふ り か え って み よ う (ヴ ェ ・ヤ ・キ ルポ ー チ ン ﹃サ ル ツ ィ コ フ = シ チ ェド リ
ン の哲 学 的 、 美 学 的 見 解 ﹄ 一九 五 七 年 )。 後 者 は 、 笑 い を 研 究 す る 場 合 の 、 矛 盾 説 と 優 劣 説 と を 統 一す る 基 本 的 観 点 を あ き ら か に す る 上 で 、 とく に有 意 味 だ と 思 わ れ る 。
サ ル ツ ィ コ フ=シ チ ェド リ ン (一八 二 六 ︱ 一八 八 九 ) は 、 つぎ の よ う に いう 。 ﹁笑 い は 非 常 に強 力
な 武 器 だ と いえ る 、 な ぜ な ら そ れ は 、 罪 悪 (す で に、 ほ ろ び よ う と し て い な が ら 、 な お 、 い か め し
い 形 骸 を よ こ た え て 、 新 し い 生 命 の成 長 す る の を 妨 げ 、 弱 い人 た ち を 威 し て いる す べ て のも の) に
と って 、 お の れ の 正 体 が 見 破 ら れ 、 そ の た め 大 き な 笑 い声 が お こ る こ と ほ ど 、 落 胆 す る こ と は ほ か にな いからだ ﹂ と。
た 勢 力 は 、 内 部 に ひ そ む 悪 の 根 強 さ にも か か わ ら ず 、 も は や 進 歩 的 理 想 の審 判 に 堪 え え な い。 こ れ
す で に 過 去 の存 在 理 由 を 失 な い、 発 展 の制 動 機 と な り は て た 勢 力 、 破 壊 活 動 の担 い手 と な り は て
ら の勢 力 は 、 新 し い生 活 の息 吹 き に 即 応 す る こ とが で き ず 、 お の れ が 虚 偽 、 奇 形 、 亡 霊 と な って し
ま った こ と を 意 識 で き ず 、 ま た 意 識 し よ う と し な いが 故 に 、 そ れ は ま こ と に 滑 稽 で あ る 。
チ ェ ル ヌ ィ シ ェ フ スキ ー (一八 二 八︱ 一八 八 九 ) も 、 奇 形 が お の れ の愚 し さ を 、 と く に は っき り
露 呈 す る の は 、 そ れ が 地 位 に恋 着 し 特 権 にす が る と き 、 尊 厳 と高 貴 、 社 会 的 栄 誉 を お の れ の 一身 に
集 中 し よ う と す る と き 、 ﹁み に く い姿 を 偽 って ﹂ ﹁美 し く み せ よ う と す る ﹂ と き だ と の べ て い る 。
笑 い は ひ と つ の批 判 精 神 で あ る 。 外 見 は ひ ど く き ら び や か で も 、 中 身 は ま る で か ら っぽ で あ る こ とを見 抜 くも の こそが 笑う ことが でき る。
ベ リ ン ス キ ー (一八 一 一︱ 一八 四 八 ) は 、 真 実 を 虚 偽 か ら 区 別 す る 偉 大 な 媒 介 者 だ 、 と 笑 いを 定
義 し た 。 た し か に 、 亡 霊 ど も は 笑 わ れ る こ と に よ って 、 み せ か け の神 通 力 を 失 な う と いえ る 。
チ ェル ヌ ィ シ ェ フ ス キ ー は 、 わ れ わ れ が 奇 形 を 笑 う こ と に よ って 、 わ れ わ れ は か れ の 上 に 立 つ の
だ 、 と い った 。 た し か に 、 笑 う も の と 笑 わ れ る も の と の関 係 は 、 前 者 が 後 者 の上 位 に立 って い る 。
農 奴 は 地 主 の面 前 で 、 到 底 、 か れ を 笑 う こ と が で き な い。 農 奴 が 地 主 を 笑 う と す れ ば 、 そ れ は 服 従
に 訣 別 し た こ と を 意 味 し 、 地 主 を た だ の牡 牛 の位 置 に ひき お ろ し た こ と を 意 味 す る も の と い え よ う 。
ユー モ ア に 三 分 し た 。
も ち ろ ん 、 笑 い の 形 式 は 多 様 で あ る 。 チ ェ ル ヌ ィ シ ェ フ ス キ ー は 、 これ を フ ァー ス、 ア イ ロ ニー、
フ ァ ー ス、 ア イ ロ ニー は 生 活 の苦 し さ 、 堪 え が た さ か ら 目 を そ む け 、 社 会 の 客 観 的 な 合 法 則 性 に
背 を む け る も の で あ り 、 偉 大 な 目 的 に つら ぬ か れ た情 熱 が み ら れ ず 、 評 価 す る 力 が み ら れ な い 。
これ と く ら べ て ユー モ ア は 、 評 価 す る 力 を も つも の で あ り 、 現 実 にた いす る 真 摯 な 態 度 が に じ み
で た も の で あ り 、 笑 い の あ れ こ れ の形 式 の な か で、 も っと も 理 念 性 に富 ん だ も の と さ れ た 。
ア リ ス ト テ レ スか ら ヘー ゲ ル に いた る 妥 協 主義 の立 場 に た つ ユー モ ア 理 論 が あ る 。
ア リ ス ト テ レ ス に よ れ ば 、 ユー モ ア は 、 奇 形 を と り あ げ る が 、 苦 痛 や 害 悪 を あ た え ぬ も の と し て
と り あ げ る の で あ り 、 破 廉 恥 な 行 為 を お こ な う も の 、 他 の 人 び と に害 悪 を あ た え る も の と し て と り あ げ る ので はな いとさ れる 。
ま た 、 ヘー ゲ ル に よ れ ば 、 ユー モ ア は 、 社 会 に お け る 、 個 人 に お け る 欠 陥 や 悪 徳 を と り あ げ る が 、
生 活 の 現 実 的 な 変 革 を 目 的 と す る 意 志 が は た ら か ぬ と す る 。 し た が って 、 か れ の ユー モ ア に お い て
は 、 微 笑 が 涙 を と お し て あ ら わ れ る 。 涙 は有 限 な る 世 界 に つ い て の 不 完 全 性 の 悟 り で あ り 、 人 間 の
苦 悩 が 運 命 づ け ら れ た も の で あ る こと の 証 拠 で あ る 。
こう いう 妥 協 主 義 の ユー モ ア 理 論 は 、 ユー モ アを 諷 刺 か ら形 式 主 義 的 に分 離 す る と い う 結 論 に到
達 す る 。 こ の結 論 の 算 術 平 均 的 な 要 約 を 、 た と え ば ブ ロ ック ハウ ス の ﹃百 科 辞 典 ﹄ の な か に み い だ す こ とが でき る 。 いわ く 、
あ る 。 ユー モ ア は 妥 協 の 担 い手 で あ り 、 諷 刺 は 闘 争 の表 現 で あ る 。 ユー モ ア の笑 いが 愛 す べき 微 笑
﹁ユー モ ア に お け る 最 大 の特 徴 は、 笑 わ れ る も の へ の同 情 で あ って 、 諷 刺 の本 質 の 完 全 な 否 定 で
で あ る の にく ら べ て 、 諷 刺 の あ ざ け り は 恐 る べ き 、 狂 暴 な あ て こす り で あ る 。 ユー モ ア は 客 観 的 、 抒 情 詩 的 な も の で あ る が 、 諷 刺 は 怒 り の叙 事 詩 で あ る 。﹂
笑 い に か ん す る 、 こう いう 見 解 は、 笑 いを 優 柔 不 断 な も の と み る も の で あ り 、 笑 い に お け る 社 会
的 な 浄 化 力 を 骨 抜 き にす る も の で あ り (こ の点 に か ん し 日 本 で も 、 た と え ば ﹃助 六 所 縁 江 戸 桜 ﹄ の
な か に、 ﹁う ぬ ら は 笑 った な 、 笑 い清 め奉 り や ァが った な 。 モ ウ許 さ ね え ぞ 許 さ ね え ぞ ﹂ と いう 台
詞 が あ る こ と を 注 意 し て お き た い)、 笑 い の も つ積 極 的 な 意 義 を 奪 い去 る も の と い え る 。
ユー モ ア を 哲 学 的 、 社 会 的 、 政 治 的 世 界 観 と 最 高 度 に結 び つ いた 笑 い の形 式 と み る 。
し た が って 、 妥 協 主義 の立 場 にた つ ユー モ ア 理 論 が 、 ユー モ ア を 諷 刺 か ら 形 式 主 義 的 に 分 離 し て 、
諷 刺 は 理 想 主 義 、 ペ シ ミ ズ ムと 結 び つき 、 ユー モ ア は 現 実 主 義 、 オプ チ ミズ ム と 結 び つく と す る 見
解 を し りぞ け る。
そ し て 、 ユー モ ア の概 念 か ら 妥 協 の 要 素 を 排 除 し た 。 ユー モ ア は 客 体 に実 在 す る 矛 盾 に目 を む け
る も の で あ り 、 個 人 の意 志 か ら 独 立 し た事 物 の発 展 を 見 通 す も の で あ る 。
ア で あ る 。 これ に出 会 う と 血 の 気 も 失 せ 、 骨 身 に こた え 、 腰 が く だ け る 。 そ れ は 、 粘 液 質 の 毒 気 を
ベ リ ン ス キ ー が 書 い て い る 、 ﹁さ ら にも う ひ と つ の ユー モ アが あ る 。 恐 し い、 む き だ し の ユー モ
も った ガ ラ ガ ラ 蛇 に も 似 た ユー モ ア で あ り 、 ま こ と に仮 借 す る こ と な き ユー モ ア で あ る ﹂ ﹁こ れ ら
二 つ の タ イ プ の ユー モ ア の いず れ が 勝 れ て い る か を 、 私 は ま だ 決 め か ね て い る。 し か し 、 こ の よ う
な 選 択 の問 題 は 、 頌 詩 と 悲 歌 、 ロ マ ン と ド ラ マ の いず れ を 良 し と す る か の問 題 と 同 じ く 、 愚 の骨 頂
だ と も い え る だ ろ う 。 胸 糞 の わ るく な る よ う な 事 物 な ら 、 あ る が ま ま の姿 で そ れ を し め し、 固 有 の
名 称 で よ ぶ だ け で、 十 分 に 嫌 悪 感 を ひ き お こす こ と が で き る 。 し か し 、 か れ ら は、 そ の本 質 的 な 奇
形 を 、 外 面 だ け 偽 装 し よ う とす る 。 こ の よ う な 下 劣 さ に た い し て は 、 そ れ 相 応 の特 別 の笞 、 は げ し
い笞 う ち が 必 要 で あ ろ う 。 ⋮ ⋮ な ぜ な ら 、 時 に、 人 々が 思 慮 のな い惰 眠 か ら 目 を さ ま し 、 お の れ の
人 間 性 を 想 起 す る こと 、 雷 鳴 が 頭 上 で と ど ろ い て 、 お のれ の造 物 主 に 思 いを 馳 せ る こと 、 み さ か い
の な い驕 奢 の は て 、 乱 暴 な 愉 悦 の あ と 、 か れ ら の 夢 を や ぶ る べ く 饗 宴 の座 の は る か 彼 方 か ら 陰欝 な 鐘 声 が な り ひ び く こ と が あ って 当 然 だ か ら で あ る ﹂ と 。
ま た 、 チ ェ ル ヌ ィ シ ェフ ス キ ー も つぎ の よ う に い う 、 ﹁ユー モ リ ス ト は お の れ の 欠 陥 の根 源 が 、
お の れ の な か に あ る美 し いも の 、 高 貴 の も の の根 源 と 所 在 を 等 し く し て い る こ と を 理 解 し て お り 、
ま た お のれ の 欠 陥 が お の れ の 全 人 格 と必 然 的 に結 び つ い て いる こ と を 理 解 し て い る ﹂ ﹁ユー モ リ ス
ト が お のれ の欠 陥 を 笑 う の は 、 そ の 欠 陥 が ︽真 実 の 人 間 ︾ で あ ろ う と す る か れ の前 進 を 妨 げ る か ら
で あ り 、 ま た そ の欠 陥 が 人 間 一般 の 尊 厳 に 矛 盾 し て い る と思 う か ら で あ る ﹂ と 。
こ の よ う な 奇 形 を か く さ ず 、 下 劣 を 容 赦 し な い、 糾 弾 、 浄 化 、 非 妥 協 の ユー モ ア は 、 も は や 諷 刺
と 分 離 す る こ と が でき な い。 ユー モ ア は 諷 刺 に お け る 強 力 な 武 器 で あ る 。
妥 協 の ユー モ ア は、 人 間 を し て 悪 に 堪 え さ し め よ う と す る 。 これ と く ら べ て 非 妥 協 の ユー モ ア は 、 単 に ひ か え め のも の で は な い。 そ こ に は憎 し み と 怒 り とが あ る 。
感 傷 を 捨 て 、 薔 薇 の香 水 を 捨 て た 非 妥 協 の ユー モ ア は、 ど う し て も 矯 正 す る こ と の でき な い、 し
か も た や す く 屈 服 し な い悪 に向 か って う ち か か って ゆ く 。 そ の な か に は 、 復 讐 へ の叫 び 声 と 闘 争 へ の呼 び か け が な り ひ び く 。
シ チ ェド リ ン は、 眠 れ る も の を ゆ り お こ し 、 お の れ の 尊 厳 に め ざ ま し め 、 孤 立 し て い る も の を よ
び あ つめ 、 圧 迫 に た いし 搾 取 に た い し、 た ち あ が って た た か う よ う 呼 び か け る た め に非 妥 協 の ユー モ アを採用 した。
こ の シ チ ェド リ ン の ユ ー モ ア を し り ぞ け て 、 同 時 代 人 の スボ ー リ ン は いう 。
﹁ユー モ ア は、 大 が 小 を 犠 牲 と せず 、 大 を 小 に 下 降 さ せ 、 小 を 大 に 上 昇 さ せ る も の で あ る ﹂ と。
も ち ろ ん 、 シ チ ェド リ ン は こ の スボ ー リ ン の ﹁下 降 、 上 昇 の体 育 練 習 ﹂ に反 論 し た 。
﹁生 活 現 象 を 大 と小 と に分 け 、 大 な る も の の小 な る も の へ の下 降 、 小 な るも の の大 な る も の へ の
上 昇 ︱︱ こ れ は、 表 向 き に は 感 動 的 な 図 式 だ が 、 そ の 実 、 生 活 に た いす る か ら か い で あ る 。﹂
﹁ス ボ ー リ ン の規 定 に し た が う と す れ ば 、 寛 大 と 同 情 とが ユー モ ア の 本 質 と な る 。 し か し、 わ た
し は 断 言 す る が 、 こ の規 定 は ま ち が って い る 。 芸 術 は 科 学 と 同 様 に、 生 活 現 象 を 、 そ の内 的 価 値 に
お いて 評 価 す るも の で あ り 、 寛 大 と同 情 と を はさ ん で は な ら な い。 スボ ー リ ン の 言 葉 に し たが え ば 、
芸 術 家 は そ の作 品 の な か で 、 何 が 正 し く 何 が 正 し く な い か を 描 写 す る こと が で き な く な る 。﹂
﹁覚 醒 の た め のす べ て の努 力 を 、 社 会 の秩 序 にた いす る 侵 犯 のご と く に考 え て は な ら な い 。 こ こ
ろ み に か れ ら を 抱 擁 し て み よ 、 接 吻 の か わ り に 、 か れ ら は噛 み つ い て く る にち が い な い。﹂
怒 り の ユー モ ア、 非 妥 協 の ユー モ ア を つら ぬ い て い る はげ し い エネ ルギ ー は 、 確 信 と愛 情 と を し りぞ け るも のでは な い。
し か し 、 こ の 非 妥 協 の ユー モ ア に お け る笑 い と 愛 情 と の統 一は 、 妥 協 の ユー モ ア に お け る そ れ と
は ま った く 異 質 で あ る 。 後 者 の事 例 と し て ヘー ゲ ル の場 合 、 そ の微 笑 と 愛 情 と は 同 一の 客 体 に向 け
られ た。
こ れ とく ら べ て 、 シ チ ェド リ ン は 農 民 デ モ ク ラ シ ー の観 点 に た ち 、 支 配 体 制 を 笞 う と う と す る 。 し た が って、 憎 悪 と愛 情 と を 社 会 的 な 両 極 に分 割 す る 。
﹁敵 意 の あ る 否 定 の言 葉 で 愛 情 を 説 く ﹂ と ネ ク ラ ー ソ フ (一八 二 一︱ 一八 七 八 ) は いう が 、 シ チ
ェド リ ン の 場 合 に お い て も 、 恵 ま れ な い、 抑 圧 さ れ た 人 々 へ の愛 情 が 、 か れ ら の幸 福 と解 放 を 妨 げ
る 人 々を 否 定 し よ う と す る憎 悪 に よ って 表 現 さ れ る 。 こう し て 、 怒 り の ユー モ ア は、 進 歩 の 理 想 に み ち び か れ な が ら 、 人 類 の 栄 光 へ の頌 詩 に変 化 す る 。
五 ジ ャ パ ニー ズ ・ス マ イ ル
ま も な く こ の小 論 に幕 を お ろ す 時 期 が や って き た 。 若 干 の結 論 め いた も の を そ え て お き た い。
心 理 学 に ケ ー ラ ー の高 名 な ﹁類 人 猿 に か ん す る 研 究 ﹂ (一九 一七 年 ) が あ る 。
そ の な か に 、 回 り 路 の 可 能 な 空 間 領 域 を 十 分 に 見 て と れ る と い う 条 件 を あ た え て、 障 害 を へだ て
て 一少 女 (一年 三 カ 月 ) の前 に魅 力 的 な対 象 を お い た 場 合 、 少 女 は 回 り 路 を し て そ の対 象 へ達 し う る か 、 ど う か を み よ う と し た 実 験 例 が 紹 介 さ れ て いる 。
結 果 に つ い て ケ ー ラ ー の 報 告 に よ れ ば 、 少 女 は 周 囲 を 見 廻 し て いた が 、 急 に ニ ッ コリ し て 一息 に
迂 路 を 対 象 ま で 駆 け て 行 った と いう 。 そ し て か れ は、 対 象 へ至 る最 短 距 離 の道 が 障 害 に よ って さ え
ぎ ら れ た 場 合 、 解 決 行 動 と し て の 迂 回 行 動 が 出 現 し て く る 瞬 間 に 、 ﹁急 に ニッ コ リ﹂ と いう 突 然 の 変 化 が行 動者 にみら れ た こと に注意 を向 け て いる。
ケ ー ラ ー の 一連 の研 究 の な か の 、 こ こ に し め し た そ の 一齣 は 、 笑 い の問 題 を み て ゆ く 上 で も 、 き わ め て 貴 重 だ と わ た し は思 う 。
さ き に、 笑 いが 人 間 に 固有 だ と い った が 、 人 間 を 行 動 者 と み る 場 合 、 人 間 に 固 有 の行 動 形 式 は 自
覚 性 (も し く は 社 会 性 ) と い う 原 則 で つ ら ぬ か れ た 合 目 的 性 の な か に発 見 さ れ る 。
い いか え れ ば 、 人 間 は 自 覚 的 目 的 (さ き の批 判 的 リ ア リ ズ ム の思 想 家 た ち は、 こ の 目 的 を 、 社 会
の 客 観 的 な 合 法 則 性 の な か に求 む べ き だ と し て 、 理 念 性 、 事 物 の発 展 を 見 通 し た 進 歩 の 理 想 と いう 言 葉 で表 現 す る ) を な し とげ る べく 行 動 す る も の と い え る。
こ の 場 合 、 目 的 (願 望 、 期 待 ) 実 現 の た め の 行 動 経 過 中 、 障 害 や 困 難 が あ ら わ れ て 、 行 動 者 の 行
動 者 は所 期 の 目 的 を 実 現 す る こ とが 不 可 能 と な る。
く 手 を ふ さ ご う とす る。 し た が って 、 そ れ ら の 障 害 を の り こえ 、 う ち く だ い て ゆ か な い か ぎ り 、 行
笑 い は こ の目 的 実 現 と 不 可 分 の関 連 に お か れ て い る と 思 う 。 さ き の ケ ー ラ ー に お け る 一少 女 は 、
自 己 と対 象 と の間 を さ え ぎ る 障 害 の ﹁上 位 に 立 った ﹂ とき 、 い い かえ れ ば 回 り 路 の 可 能 性 を 見 て と った と き 、 ニ ッ コリ顔 を ほ ころ ば し た 。
と ころ で 、 こ の 行 動 者 の 行 く 手 を ふ さ ぐ 障 害 だ が 、 と き に は そ れ が 行 動 者 の 味 方 然 と あ ら わ れ る
こ と が あ る 。 ﹁み にく い姿 を 偽 って ﹂ ﹁美 し く み せ よ う と す る ﹂ こ とが あ る 。 こ の場 合 、 障 害 に お
け る 欺 瞞 の 形 貌 の 正 体 を 見 破 り え な いか ぎ り 、 行 動 者 は 障 害 の 上 位 に 立 て ず 、 障 害 を 葬 る 墓 掘 り 人 と な り え な い。
さ ら に、 笑 い の 明 暗 に つ い て いえ ば 、 そ の区 別 は 行 動 者 の目 が 、 自 己 の 主 体 的 側 面 (目 的 の 実 現 、
願 望 の成 就 、 期 待 の達 成 ) か、 客 体 的 側 面 (上 位 か ら み た 障 害 や 困 難 ) か の い ず れ か へ向 け ら れ る こ と に よ って 生 ず る も の と いえ よ う 。
人 間 が 自 己 の行 動 の主 人 公 で あ ろ う とす る か ぎ り 、 自 己 の努 力 を も って し て 、 そ の行 く 手 を ふ さ
ご う と す る 障 害 を う ち く だ き え な い と す れ ば 、 か れ に は ど ん な 笑 いも 生 じ な い 。
し な い。 にも か か わ ら ず 、 か れ は 笑 う こ と が で き る 。 た だ し 、 そ の 場 合 、 か れ は 自 己 の 行 動 の 主 人
と こ ろが 、 こ こ にも う ひ と つ の 笑 いが あ る。 笑 い手 は 、 別 段 、 障 害 を 自 己 の努 力 で こえ よ う と も
公 で あ る こ と を や め て い な け れ ば な ら ぬ。 そ の よ う な 笑 い の若 干 例 を こ こ に紹 介 し て み よ う 。
﹁山 の神 に お こぜ ﹂ と いう 諺 が あ る が 、 柳 田 国 男 は そ の ﹁山 の神 と ヲ コゼ ﹂ (一九 三 六 年 ) に、
平 田 篤 胤 の門 人 の 宮 負 定 雄 の か き の こし た ﹃奇 談 雑 史 ﹄ と いう 書 物 か ら ヲ コゼ を も って 山 の 神 を ま
つ る 笑 い ま つ り の 一例 を 引 用 し て い る。
﹁紀 州 熊 野 路 の 八 木 山 峠 の下 に、 八 木 山 と 云 う 部 落 が あ る 。 今 の 何 郡 何 村 に属 す る か地 図 にも 大
字 一覧 にも 見 え て居 ら ぬ。 此 村 の産 土 神 は 山 神 で、 社 は 里 離 れ た る 山 中 に在 る。 祭 礼 は 霜 月 (旧 暦
十 一月 ) の八 日 、 こ の 祭 の 式 は 極 め て 珍 し い。 先 ず 社 頭 の広 庭 に莚 を 布 き 、 氏 子 一同 之 に坐 り 神 酒
を 戴 く の で あ る 。 氏 子 の 中 に当 番 の者 が あ って 真 中 に 坐 り 、 女 や 子 ど も は 莚 の 外 に立 って祭 の式 を
見 物 す る。 当 番 は 、 初 か ら 懐 中 に 一尾 の干 し た ヲ コゼ を 入 れ て 居 る 。 神 酒 一巡 の後 、 氏 子 一同 か ら
当 番 の者 に向 って 、 貴 殿 御 懐 中 の ヲ コゼ を 見 せ て 下 さ れ と 云 う 。 当 番 は いや いや 見 せ申 す ま い、 皆
の衆 は 御 笑 いな さ る で あ ろ う 故 に と 云 え ば 、 笑 いま す ま い、 一目 で よ い か ら 見 せ て 下 さ れ 、 そ れ な
ら ば と懐 へ手 を 入 れ 、 右 の手 で持 て ば 左 の袖 口 か ら 、 左 の手 で持 てば 右 の袖 口 へ、 干 し た ヲ コ ゼ の
頭 を ち ょ い と 出 す 、 一同 が ハ ハ ハ ハと笑 う 。 当 番 は わ ざ と 不機 嫌 な 顔 を し て ヲ コ ゼ を 引 込 め る 。 一
同 は 又 酒 を 飲 み、 暫 く あ って 再 び 懇 望 を す る 。 いや い や決 し て 見 せ る こ と で は 無 い、 あ のよ う に 御
笑 いな さ る る 故 に と 言 う と、 今 度 こそ は 笑 いま す ま い、 平 に 見 せ て下 さ れ と た って 云 う 、 そ ん な ら
ば と 又 出 す と 、 前 よ り も 一層 高 く 笑 う 。 同 じ 順 序 で こ れ を 三 度 、 終 に は 当 番 も 見 物 も 皆 笑 い 、 最 初
は儀 式 に笑 った も のが 、 三 度 目 の 酒 が 巡 る と 自 然 に を か し く な って 我 慢 が 出 来 ぬ よ う に な る 、 これ
が 祭 の式 で あ る 。 此 辺 で 人 が 大 笑 を す る こ と を 、 山 の 神 に ヲ コゼ を 見 せ た よ う だ と 云 う そ う で あ
る 。﹂
つづ い て 笑 い ま つり の 例 を も う ひ と つ あ げ よ う 。
千 葉 市 に あ る 千 葉 寺 (せ ん よ う じ ) は 行 基 開 山 と 伝 え ら れ る 古 刹 だ が 、 む か し 、 毎 年 十 二 月 晦 日
の夜 、 人 々が こ の 寺 に集 ま って 、 顔 を 面 で 覆 い、 土 地 の役 人 を は じ め と し て 、 一般 人 に至 る ま で 、
か れ ら が 勤 務 に忠 実 で あ る か 否 か 、 日 ご ろ の 行 動 が 公 正 で あ る か 否 か 、 そ う いう 行 跡 の善 悪 に つ い
て書 き だ し 、 褒 貶 (ほ う へん ) し て 大 い に笑 う 習 わ し が あ った 。 こ れ を ﹁千 葉 笑 い﹂ と い った 。
こ こ に あ げ た 笑 い ま つり の笑 い は 、 曖 昧 な 笑 いだ と い え る か も し れ ぬ 。
人 間 が あ る 目 的 を な し とげ よ う と す る 、 障 害 が か れ の 行 く 手 を ふ さ ぐ 、 し か し か れ は自 己 の努 力
で そ の障 害 を こえ る自 信 を も た な い 。 か れ は い った いど う す る か 。 か れ は 目 的 を な し とげ る べ く 、 行 動 の 主 人 公 た る こと を 放 棄 す る に ちが いな い。
自 主 的 に 行 動 を 展 開 し な い、 自 己 を 行 動 の 主 人 公 た ら し め な い 行 動 者 の行 動 を ﹁自 己 否 定 性 行
動 ﹂ と よ ぼ う 。 こ の よ う な 自 己 否 定 の行 動 者 は 、 ﹁超 越 神 ﹂ を し て 自 己 の 代 行 者 た ら し め 、 そ の 願
望 を 成 就 し よ う と す る 。 いう ま で も な く 、 こ こ で超 越 神 と いう の は 自 己 否 定 の 行 動 者 に お け る 願 望
や 期 待 の所 産 に ほ か な ら ぬ。 願 望 や 期 待 を も た ぬも の に、 超 越 神 の観 念 は 成 立 し え な い。
と こ ろ で 、 自 己 否 定 の 行 動 者 は 、 超 越 神 を 自 己 の 代 行 者 た ら し め る こと で 、 目 的 実 現 の 行 く 手 を
は ば む 障 害 を こえ る努 力 か ら 解 放 さ れ た 。 そ し て、 いま や か れ の 努 力 は、 自 己 の運 命 を ゆ だ ね よ う と す る 超 越 神 への 接 近 に 向 け ら れ る 。
し た が って 、 自 己 否 定 の行 動 者 は 、 笑 い ま つり の例 で み ら れ る よ う な 適 宜 の烏 滸 を 目 の 前 にす え 、
自 己 の 運 命 を 他 者 に ゆ だ ね た も の の オプ チ ミ ズ ムで そ れ を 笑 う 。 こ の よ う な 笑 い は 、 古 事 記 に お い
て 、 高 天 原 の 神 々 の笑 い が 天 照 大 御 神 を 天 岩 屋 か ら 引 き 出 し た と い う 神 話 によ って 端 的 に 具 現 さ れ て い る よ う に 、 神 の 国 に 入 国 す る た め の パ スポ ー トだ と いえ よ う 。
わ た し は 今 日 の 日本 人 に、 まだ こ の い わ ゆ る 曖 昧 な 笑 いが 存 在 す る と み る が 、 ど う か 。
いわ ゆ る 、 ﹁ジ ャパ ニー ズ ・ス マ イ ル ﹂ と よ ば れ る も の は 、 そ う いう 笑 い の 端 的 な 事 例 で あ ろ う 。
こ の 笑 い を 謎 だ 、 曖 昧 だ 、 不 可 解 だ 、 と い う 理 由 は 、 評 者 が 自 己 を 自 己 の行 動 の 主 人 公 で あ る と
す る 論 理 の 上 に た つか ら だ 。 し た が って 、 自 己 を 自 己 の 行 動 に お け る 主 人 公 た ら し め る こ と を 放 棄
す るも う ひ と つの論 理 の観点 からす れば 、 この笑 いの曖昧 性 も否 定 され よ う。
ラ フ カデ ィ オ ・ ハー ン が 、 こ の ジ ャパ ニー ズ ・ス マイ ル の 問 題 に 注 目 し て か ら す で に 七 十 年 が 経
過 し た が (﹁知 ら れ ぬ 日 本 の面 影 ﹂ 一八 九 四 年 )、 ﹁戦 争 で 不 幸 にな った 日 本 人 の顔 に 微 笑 が 見 ら れ
た の で 喜 ん で い る ﹂ と フ ラ ン ス人 の ア ン ド レ ・マ ル ロー に指 摘 さ れ る ご と く (一九 五 八 年 十 二月 、
来 日 し て 日 本 の印 象 を 語 った 言 葉 か ら )、 い ま も って こ の 笑 いが つづ い て い る。
自 己 を 自 己 の 行 動 に お け る 主 人 公 た ら し め る こ と を 放 棄 す る と い ったが 、 い い か え れ ば 、 日 本 人 に 神 だ の み の生 活 が 少 な く な い と いう こ と だ 。
な る ほ ど 、 た と え ば 異 常 渇 水 によ る 今 日 の東 京 の水 飢饉 に お い て 、 ﹁い ま や 東 京 に で き る こ と は
台 風 を 待 つ こ と だ け で あ る ﹂ と米 誌 が 書 い た と 伝 え ら れ た が (﹃ビ ジ ネ ス ・ウ ィ ー ク ﹄、 一九 六 二年 五 月 )、 ま も な く そ の貯 水 池 の 湖 畔 で 、 雨 乞 い の 神 事 が お こ な わ れ た 。
と こ ろ で 、 ハー ン は ジ ャ パ ニー ズ ・ス マイ ル に つき 、 ﹁しば し ば 日 本 人 の感 受 性 に つ い て 、 と て
も ひ ど い誤 解 を 外 人 に いだ か せ て き た 。 痛 ま し い こ と や 恐 ろ し い こと を 話 さ ねば な ら ぬ 時 に は い つ
で も 、 ひ ど い 目 に あ った 当 人 は 微 笑 し な が ら 語 る のが 、 日 本 人 の 習 わ し で あ る 。 話 す こ と が 重 大 で あ れ ば あ る ほ ど 、 ま す ま す そ の 微 笑 は 目 立 って く る ﹂ と い う 。
た と え ば 、 つぎ の よ う な 例 が あ げ ら れ る 。 は じ め て 生 ま れ た 児 を な く し た 母 が 、 葬 式 の と き にど
れ ほ ど 痛 々し く 泣 い た と し て も 、 彼 女 が 奉 公 し て い れ ば 、 微 笑 を う か べ な が ら 、 児 に 先 立 た れ た こ
と を 話 す の で あ る 。 亡 く な った 児 を 愛 し て い た と 思 わ れ る 人 が 、 そ の 児 の 死 ん だ こ と を 、 ど う し て
笑 い な が ら 話 せ る の か 。 ハー ン に よ れ ば 、 こ の微 笑 の神 秘 を と く 鍵 は、 日 本 人 の 礼 儀 正 し さ の な か
に あ り 、 上 の 例 に み ら れ る笑 い は つぎ の よ う な 意 味 を も って い る と さ れ る 、 ﹁これ を 、 あ な た さ ま
は 不 幸 な 出 来 事 だ と お 考 え に な る か も 知 れ ま せ ん が 、 ど う か こん な つま ら ぬ こ と で 御 心 配 な さ ら ぬ
よ う に し て 下 さ い ま せ 。 そ し て 、 こ ん な こ と を 申 し あ げ て 心 な らず も 非 礼 に わ た り ま し た こ と を 、 な に とぞ お 許 し 下 さ いま せ﹂ と。
過 失 の た め 解 雇 を 言 渡 さ れ た 召 使 が 、 平 身 低 頭 し て微 笑 を う か べ な が ら 、 主 人 の 前 で 許 し を 乞 う 。 た し か に、 そ の 微 笑 は 、 無 神 経 や 横 柄 な ど と は 無 関 係 のも のだ 。
そ の笑 い の対 象 は 、 自 己 の 過 失 と いう 烏 滸 で あ る が 、 だ か ら と い って こ の 烏 滸 を し り ぞ け る こ と
に 第 一義 は な い。 自 己 の運 命 を ゆ だ ね よ う と す る 上 位 者 へ の接 近 こそ に第 一義 が あ る 。
し か し 、 上 位 者 へ の接 近 と い って も 、 そ の接 近 の実 現 は 、 究 極 的 に は 上 位 者 の 意 志 に よ る も の で あ って 、 接 近 し よ う と す る も の の 努 力 に か な ら ず し も 依 存 し な い。
自 己 が 自 己 の行 動 に お け る 主 人 公 で あ る こと を 放 棄 し た も の の笑 い は 、 そ れ 故 、 自 己 の 運 命 を ゆ
たも のの笑 いでなく 、 他者 か ら花 をあ た えら れ る ことを 信ず る も の の笑 い である。
だ ね よ う と す る 上 位 者 に 依 存 し た も の の 、 い わ ば 安 心 立 命 のそ れ で あ る 。 自 己 の手 で 花 を 摘 み と っ
し た が って 、 ジ ャ パ ニー ズ ・ス マ イ ル は 日 本 人 が 上 位 者 と対 し た と き の も の で あ って、 下 位 者 と 対 し た と き の も の で は な い。
第四章 人 格 形 成 に お け る 二 つ の道
一 心 理 療 法 と カ ウ ン セリ ング
最 近 、 心 理 療 法 と か カ ウ ン セ リ ング と いう 言 葉 が さ か ん に 口 にさ れ る よ う に な って き た 。
今 日 の 心 理 学 の 動 向 に お い て 、 注 目 さ れ て い い こ と の ひ と つ は 、 そ の あ た ら し い領 域 の めざ ま し
い開 拓 だ と い え よ う が 、 た し か に こ の 新 領 域 のな か に、 こ こ で いう 心 理 療 法 や カ ウ ン セ リ ング を ふ く め た臨 床 心 理 学 の分 野 を あ げ る こ と が でき る。 ま ず 、 心 理 療 法 や カ ウ ン セ リ ン グ の 概 念 の説 明 か ら は じ め て み よ う 。
カ ウ ン セ リ ング と は 何 か の質 問 に、 ビ ン ガ ムや ム ー ア は、 ﹁面 接 ﹂ と 同 じ も の、 ﹁目 的 を も った
会 話 ﹂ であ る と 答 え 、 ま た ギ ャ レ ッ ト は 、 ﹁専 門 的 な 会 話 ﹂ で あ る と説 明 す る 。
これ ら の 簡 潔 す ぎ る 説 明 を 敷衍 し て、 も う す こ し 詳 細 な 定 義 を お こ な え ば 、 カ ウ ン セ リ ング と は 、
カ ウ ン セ リ ング を 受 け に く る 人 、 つま り 自 分 の当 面 し て い る 問 題 を 自 分 で 解 決 す る こ と の 困 難 な 人
(ク ラ イ エン ト) と、 そ の人 の問 題 解 決 に助 力 を与 え 、 も しく は 問 題 の解 決 を 可 能 な ら し む べ く そ
の 人 の パ ー ソ ナ リ テ ィ の発 達 を 助 成 し よ う と す る 専 門 家 (カ ウ ン セ ラ ー) と の 間 に成 立 す る 一種 の 人 間 関 係 だ と い う こと が でき よ う 。
こ こ で ク ラ イ エン ト (cli ent) と いう 言 葉 を 使 用 し たが 、 こ の言 葉 は 、 も と も と 店 舗 に お け る 顧
客 を 意 味 す る も の で、 買 物 に つ いて 店 員 の い い な り に な る も の で は な く 、 自 発 的 に買 物 や そ の 相 談
に く る も の で あ る か ら 、 カ ウ ン セ ラ ー に助 力 を 求 め て や ってく る 人 を 、 こ の言 葉 で 呼 ぶ こ とが 、 も
っとも よく そ の性 格 を あ ら わ しう る と 後 述 す る ロジ ャ ー スが の べ て い る。
と こ ろ で 、 カ ウ ン セ リ ング を さ き の よ う に定 義 し た と し て も 、 さ ら に 一歩 立 ち 入 って み れ ば 、 こ れ にも い ろ いろ 疑 点 が で て く る 。
た と え ば 、 解 決 の困 難 な 、 ク ラ イ エン ト の当 面 す る 問 題 だ と い っても 、 そ れ が い った い、 ど う い
う 種 類 の、 ど う い う 範 囲 ま で の問 題 を い う の か 。 ま た、 カ ウ ン セ ラ ー は ク ラ イ エ ン ト の問 題 解 決 に
助 力 を 与 え 、 も し く は 問 題 の解 決 を 可 能 な ら し む べ く か れ の パ ー ソ ナ リ テ ィ の 発 達 を 助 成 す る も の
で あ る と い って も 、 い った い 、 そ の助 力 や 助 成 が 、 ど う い う 方 法 、 ど う い う 過 程 で お こな わ れ る の であ ろう か。
心 理 療 法 と カ ウ ン セ リ ング と いう 二 つ の概 念 の 関 係 は 、 き わ め て まぎ ら わ し く 、 デ リ ケ ー ト だ と
思 う が、 こう いう疑 点 に答 えてゆ く諸 説 を整 理 して み る ことで、 このまぎ ら わしく 、 デ リケ ート な
関 係 を いく ら か で も とき ほぐ し て 、 心 理 療 法 と の 関 連 に お い て カ ウ ン セ リ ング を 、 も し く は カ ウ ン
セ リ ン グ と の関 連 に お い て 心 理 療 法 を 正 当 に 理 解 す る 道 へ接 近 で き な いも の で あ ろ う か 。
カ ウ ン セ リ ン グ を 広 義 に 理 解 し よ う と す る 立 場 が あ る。 た と え ば ウ ィ リ ア ム ソ ン は 、 ① 職 業指 導 と し ての カウ ン セリ ング ② 心理療 法 とし て のカウ ンセリ ング
と 、 カ ウ ン セ リ ング の発 達 を 三 つ の 段 階 に分 類 し て い る が 、 正 常 、 異 常 を 問 わ ず 、 す べ て の人 の、
③ パ ー ソ ナ リ テ ィ の発 達 に お け る 社 会 的 相 互 作 用 と し て の カ ウ ン セ リ ン グ
認 知 的 で あ れ (比 較 的 情 緒 的 要 素 のす く な い、 情 報 や解 釈 を 与 え る こ と が 主 要 な 内 容 と な る よ う な
カ ウ ン セ リ ング )、 感 情 的 で あ れ 、 す べ て の問 題 の解 決 を 援 助 す る も のが カ ウ ン セ リ ング だ と み る の が 、 こ こ で い う 広 義 の 立 場 で あ る。
し た が って 、 こ の 立 場 に た つ かぎ り 、 ア メリ カ 心 理 学 会 の いう よ う に、 す べ て の 心 理 療 法 は、 心
理 学 的 機 能 と し て の カ ウ ン セ リ ン グ の 名 称 の下 に包 含 さ れ る こ と と な る 。 つ ま り 、 心 理 療 法 を カ ウ
ン セ リ ン グ の ひ と つ の部 分 、 も しく は ひ と つ の方 法 と す る 考 え か た で あ る 。
こ れ に対 し て 、 心 理 療 法 と カ ウ ン セ リ ン グ 間 に区 別 が な い と す る 見 か た 、 ま た 、 カ ウ ン セ リ ン グ を 心 理 療 法 に 含 め て し ま う 見 か た が あ る。
た と え ば 、 ロジ ャ ー スが 、 ﹁徹 底 的 な カ ウ ン セ リ ン グ は、 徹 底 的 な 心 理 療 法 と 、 も は や 区 別 す る こ と が で き な く な る ﹂ と い う と き 、 そ の考 え か た は 前 者 に属 す る 。
ま た 、 た と え ば 、 ソー ン が 、 ﹁心 理 療 法 は カ ウ ン セ リ ン グ よ り も 広 い概 念 で あ る﹂ ﹁パ ー ソ ナ リ
テ ィ ・カ ウ ン セ リ ング は 一種 の 心 理 療 法 で あ る ﹂ と いう とき 、 そ の考 え か た は後 者 に所 属 す る。
後 者 の考 え か た に よ れ ば 、 カ ウ ン セ リ ング は 、 ﹁言 語 的 手 段 ﹂ に よ って お こな わ れ 、 ク ラ イ エン
ト が 自 分 の受 け て い る パ ー ソ ナ リ テ ィ の再 構 成 過 程 、 も し く は 治 療 過 程 を 意 識 し て い る 場 合 を い う
こ と と な り 、 ﹁言 語 的 手 段 ﹂ の み な ら ず 、 ﹁非 言 語 的 手 段 ﹂ (催 眠 術 な ど の) を も 含 み 、 ク ラ イ エ
ン トが治 療過 程、 も しく は パ ー ソナリ テ ィの再構 成過 程 を意識 し て いる場 合 のみ ならず 、意 識 し て
い な い 場 合 を も 含 む も の を 心 理 療 法 だ と いう こ と と な る。 こ の立 場 に た って 、 カ ウ ン セ リ ン グ は、
正 常 な 人 び と の 軽 い パ ー ソ ナ リ テ ィ の問 題 を 、 比較 的 表 面 的 に治 療 す るも の で あ り 、 そ の治 療 期 間
も 、 一五 ︱ 二 〇 回 く ら い の面 接 の た め の 数 週 間 を 要 す る だ け で あ る の に対 し て 、 心 理 療 法 は 、 パ ー
ソ ナ リ テ ィ の組 織 を そ の深 層 ま で 含 め て 再 構 成 す るも の で あ り 、 そ の期 間 も も っと長 く か か る 、 と 前 述 し た ソ ー ンが の べ て い る。
これ ら 、 心 理 療 法 と カ ウ ン セ リ ング 間 に 、 区 別 が な い とす る見 か た に し て も 、 カ ウ ン セ リ ング を
心 理 療 法 に含 め て し ま う 見 か た に し て も 、 さ き の カ ウ ン セ リ ング に か ん す る 広 義 の 理 解 に対 し て 、
いず れ も カ ウ ン セ リ ン グ を 狭 義 に 理 解 す る 立 場 で あ る と いう こ とが で き る。
こ の狭 義 に 理 解 す る 立 場 に お い て は 、 職 業 相 談 と か 教 育 相 談 と か い った 感 情 的 要 素 の 比 較 的 す く
な い、 情 報 を 与 え る こ と が 主 要 内 容 と な る よ う な 、 つま り 、 も っと 一般 的 に い って、 正 常 な 人 の 認
知 的 水 準 に お け る 問 題 に 対 す る援 助 と な る よ う な カ ウ ン セ リ ン グ を 除 外 し て し ま い、 人 、 し か も 多
く 正 常 な ら ざ る人 の 当 面 す る 問 題 の う ち 、 感 情 的 水 準 に お け る そ れ の み が 、 カ ウ ン セ リ ング の対 象 と さ れ る こ と と な る。
さ ら にも う ひ と つ の、 心 理 療 法 と カ ウ ン セ リ ング を 区 別 す る 見 か た が あ る。 た と え ば 、 マウ ラ ー
は 、 両 者 が ﹁秩 序 正 し い 、 系 統 的 な 関 係 ﹂ に お か れ る べき だ と し て 、 正 常 な 不 安 を と も な った 、 意
識 さ れ て い る 葛 藤 を も つ人 に 、 専 門 的 な 助 力 を 与 え る 過 程 が カ ウ ン セ リ ング で 、 神 経 症 的 不 安 を あ つかうも のが心 理療 法だ とされ る。
こ こ で 、 マ ウ ラ ー の い う 不 安 と は、 人 の欲 求 が 満 た さ れ ぬ と き 、 そ の自 我 の調 和 性 を 喪 失 し 、 は
げ し い葛 藤 に追 い込 ま れ る 。 そ の 場 合 の 心 理 的 苦 痛 を 不 安 と いう が 、 人 が そ の葛 藤 の性 質 や 苦 痛 の
原 因 を 意 識 し て い る も の を 正 常 の 不 安 と い い、 意 識 し て い な いも の を 神 経 症 的 な 不 安 と い った 。
し た が って 、 か れ に よ れ ば 、 心 理 療 法 は 神 経 症 的 な 不 安 を 正 常 の 不 安 に転 ず るも の と な り 、 転 換 後 の 過 程 は カ ウ ン セ リ ン グ の 機 能 が 担 当 す る こ と と な る。
以 上 の よ う な 諸 説 か ら み て も 、 結 局 、 心 理 療 法 と カ ウ ン セ リ ン グ の 関 係 は、 き わ め て ま ぎ ら わ し
く 、 デ リ ケ ー トだ と いう 結 論 に到 達 せ ざ る を え な い。 す く な く とも 現 在 の 理 論 的 状 況 か ら い って、
両 者 の 差 異 的 関 係 は 、 質 的 な も の と い う よ り も 、 量 的 な も の と み て お く ほう が 妥 当 の よ う に 思 わ れ る。
な ぜ な ら 、 た と え ば 、 解 決 を援 助 す べ き 問 題 と い う 観 点 か ら 、 認 知 的 水 準 の そ れ を あ つ か え ば カ
ウ ン セ リ ング 、 感 情 的 水 準 の そ れ を あ つ か え ば 心 理 療 法 だ と 一応 区 別 し て み た と こ ろ で 、 援 助 さ れ
な け れ ば 解 決 で き な いよ う な 問 題 で あ れ ば あ る ほ ど 、 感 情 的 条 件 と は無 縁 で あ る よ う な 認 知 的 問 題
は 存 在 し な いだ ろ う し 、 ま た 同 様 に、 感 情 的 問 題 が ま ったく 認 知 的 条 件 に対 し て 関 連 を も た ぬ と い う こと も で き な い か ら で あ る 。
と も あ れ 、 心 理 療 法 も カ ウ ン セ リ ング も 、 治 療 者 、 も し く は カ ウ ン セ ラ ー と 、 患 者 、 も し く は ク
ラ イ エ ン ト と の間 に成 立 す る 一種 の 人 間 関 係 であ って 、 ク ラ イ エン ト の認 知 的 水 準 、 ま た は 感 情 的
水 準 の 問 題 の解 決 を 、 言 語 的 手 段 と 非 言 語 的 手 段 と を 併 用 し て 、 意 識 的 に か無 意 識 的 に か 、 ク ラ イ
エ ン ト の パ ー ソ ナ リ テ ィ構 造 の再 構 成 過 程 を 通 し て 、 援 助 し て ゆ く 心 理 学 的 機 能 だ と いえ る だ ろ う 。
二 非 指 示 的 カ ウ ン セ リ ン グ
c ounsel i ng) の 問 題 を と り あ げ て み て お こ う 。
こ こ で し ば ら く 、 ロ ジ ャ ー ス (Roge r s,C . R. ) を 中 心 とす る 、 い わ ゆ る 非 指 示 的 カ ウ ン セ リ ン グ (nondi re ct i ve
と こ ろ で 、 相 談 面 接 の諸 過 程 を 質 的 に 分 析 す る た め の有 力 な 方 法 と し て 、 カ ウ ン セ ラ ー と ク ラ イ
エン ト の い っさ い の発 言 を 、 そ の表 現 さ れ た 内 容 に し たが って 、 いく つ か の範 疇 に 分 類 し 、 両 者 の
関 係 を あ き ら か に し よ う と す る こ ころ み が いく つか お こな わ れ て いる 。
こ こ で は 、 ス ナ イダ ー によ って お こ な わ れ た 、 カ ウ ン セ ラ ー の発 言 の内 容 範 疇 にか んす る 研 究 に 目 を とめ てみる ことにし よう。 か れ は つぎ の よ う に 分 類 す る 。
① リ ー ド す る も の (面 接 の方 向 を 決 定 し 、 あ る いは ク ライ エン ト に話 す べき こ と を 提 示 す る よう な言葉 )
イ 場面構 成 た とえば、 ﹁こ こ で は 、 ど んな こ と を 話 し て も 構 い ま せ んが 、 時 間 は だ い た い 一時 間 以 内 と いう こと に し ま し ょ う ﹂ な ど 。
ロ ク ラ イ エン ト に話 題 の 選 択 を 強 制 す る た と え ば 、 ﹁今 日 は ど ん な こ とを 話 し ま し ょ う
か﹂ ﹁あ な た は そ の こと に つ い て ど う 感 じ て いま す か﹂ な ど 。
ハ 直 接的 質 問 たとえば 、 ﹁あ な た は今 いく つ です か﹂ ﹁兄 弟 は何 人 いま す か ﹂ な ど 。
ニ 非 指 示 的 質 問 た と え ば 、 ﹁そ れ に つ い て も っと 話 し て下 さ い﹂ な ど 。
② 非 指 示 的 な も の (ク ラ イ エ ント の表 現 し た 感 情 を い い直 そ う と す る も の であ り 、 解 釈 、 忠
告 、 批 判 、 暗 示 を 含 ま な い) イ 簡 単 な 受 容 た と え ば 、 ﹁う ん ﹂ ﹁そ う で す か ﹂ な ど 。 ロ 内 容 のく り返 し
れ る のが い や な ん で す ね ﹂ な ど 。
ハ 感 情 の明 瞭 化 た と え ば 、 ﹁お 母 さ ん を 愛 し て い る ん だ け ど 、 あ あ し ろ こう し ろ と いわ
③ 半 指 示 的 な も の (解 釈 と い う 性 質 が 入 ってく る )
イ 解 釈 た と え ば 、 ﹁あ な た は き っと 劣 等 感 を も って いる の で す ﹂ な ど 。
④ 指 示 的 な も の (カ ウ ン セ ラ ーが ク ライ エン ト の現 在 の考 え か た や態 度 を 変 え よ う と す る 性 質 をも った も の)
イ 是 認 と 激 励 た と え ば 、 ﹁そ の と お り で す ﹂ ﹁そ れ はす ば ら し い考 え で す ﹂ な ど 。 ロ 情 報 を 与 え る ハ ク ラ イ エン ト の と る べ き 行 動 の提 示
ニ 説 得 た とえ ば 、 ﹁こ う な った か ら に は 、 そ う す る のが 一番 よ い と 思 いま せ ん か﹂ な ど。
ホ 否 認 と批 評 た と え ば 、 ﹁あ な た は 自 分 の こ と をも っと し っか り考 え る 必 要 が あ り ま すね ﹂な ど。
ヘ 再 保 証 た と えば 、 ﹁た い し た こ と は あ り ま せ ん よ ﹂ ﹁心 配 す る こ と は な い で し ょう ﹂
な ど 、 ク ライ エン ト の 不 安 を 軽 減 し よ う とす る も の。
⑤ 周 辺 的 な も の (ク ラ イ エン ト の 問 題 に直 接 に 関 係 の な い も の )
イ 面 接 の終 結 そ の面 接 を終 り、 次 回 の面 接 の 日 ど り や 時 間 を 相 談 す る よう な 言 葉 。
ロ 関 係 の終 結 カ ウ ン セ リ ン グ の関 係 を 完 全 に終 結 す る た め の言 葉 。
ハ し た し い話 し 合 い ク ライ エン ト の問 題 に は 直 接 関 係 の な い話 し合 い で 、 カ ウ ン セ ラ ー
と ク ライ エン ト の ラ ポ ー ト (rapport 、 親 密 感 ) を 作 る た め に用 いら れ る 。 ニ 分 類 で き な いも の
一九 四 二 年 に ロジ ャー スは 、 これ ま で の伝 統 的 な カ ウ ン セ リ ン グ の方 法 を 批 判 し て 、 自 己 の新 し
い カ ウ ン セリ ン グ の体 系 を 提 唱 し た (Counsel i ng and Psychot herapy,1942)。
か れ は 、 伝 統 的 な方 法 を ﹁指 示 的 ﹂ で あ る と し り ぞ け て、 自 己 の体 系 を ﹁非 指 示 的 ﹂ と 呼 ん だ 。
伝 統 的 、 も し く は指 示 的 カ ウ ン セ リ ン グ の過 程 にお い て は 、 カ ウ ン セ ラ ー の発 言 の大 部 分 は 、 さ
き の内 容 範 疇 の分 類 的 研 究 で いう 指 示 的 、 ま た は 半 指 示 的 な 範 疇 に所 属 す る も の で あ った 。
カ ウ ン セ ラ ー は 、 ク ラ イ エン ト に、 パ ー ソ ナ リ テ ィ の障 害 の意 味 を ﹁解 釈 ﹂ し て や った り 、 ﹁情
報 を与 え ﹂ た り 、 あ る い は ﹁暗 示 ﹂ ﹁賞 讃 ﹂ ﹁批 評 ﹂ ﹁忠 告 ﹂ ﹁訓 戒 ﹂ ﹁再 保 証 ﹂ な ど の技 術 を 使
用 し た 。 ク ラ イ エン ト は 、 多 く の場 合 、 カ ウ ン セ ラ ー の前 で、 受 動 的 な 立 場 に お か れ て いた 。 カ ウ
ン セ ラ ー は 、 そ の専 門 的 な 知 識 や 技 術 に よ って、 ク ラ イ エ ン ト に権 威 的 な 威 圧 を 加 え た り 、 あ る い は処方 的 な診 断 を下 し て いた。
ロ ジ ャ ー ス は 、 こ う い う 伝 統 的 カ ウ ン セ リ ン グ を 非 民 主 的 で 、 ﹁カ ウ ン セ ラ ー 中 心 的 ﹂ (counse
(Cl i ent
l or -centered) だ と 批 判 す る 。 か れ の 非 指 示 的 カ ウ ン セ リ ン グ の 体 系 は 、 民 主 的 な 、 個 人 の 尊 重 、
自 発 性 の 原 理 を そ の 理 論 的 基 礎 と す る も の で あ って 、 ﹁ク ラ イ エ ン ト 中 心 療 法 ﹂ で あ る
c ent ered T herapy,1951)。 こ の ロ ジ ャ ー ス に よ る 新 し い 体 系 の 提 唱 は 、 ア メ リ カ の 心 理 学 界 に 画 期 的 な旋風 をまき お こした。
と こ ろ で 、 こ の ロジ ャー ス の ク ラ イ エン ト中 心 的 な 、 非 指 示 的 カ ウ ン セ リ ン グ の 過 程 は、 か れ に
① 個 人 が 助 力 を 求 め て や って く る。 こ の 場 合 、 ク ラ イ エン ト が 自 発 的 に や って く る と い う こ
よ れ ば 、 つぎ の よ う な 十 二 の 段 階 に 分 類 さ れ る と いう 。
と は 、 か れ が そ の問 題 の解 決 に 向 って 、 み ず か ら 一歩 を 踏 み 出 し た こ と を 意 味 す る 。
② 助 力 を 与 え る と い う 関 係 で あ る こ とが は っき り 示 さ れ る 。 ク ラ イ エ ン ト が 自 身 で 問 題 を 解
決 す る の で あ り 、 カ ウ ン セ ラ ー は そ れ に助 力 を 与 え る と いう 関 係 で あ る こ と が 最 初 に 明 示 さ れ る。 ③ ク ライ エ ン ト の感 情 を 自 由 に 表 現 さ せ る 。
④ カ ウ ン セ ラ ー は 、 ク ラ イ エン ト に よ って 表 現 さ れ た 否 定 的 感 情 (敵 意 、 憎 悪 、 嫉 妬 な ど )
を 受 容 し 、 認 め、 ま た は そ れ を あ き ら か に し て や る 。 ク ラ イ エ ン ト は 、 否 定 的 感 情 を 受 容 さ
れ る と 、 そ れ を 自 分 のも の と し て認 め 、 さ ら にそ の表 現 を 励 ま さ れ る 。
⑤ 否 定 的 感 情 が 十 分 に表 現 さ れ る と、 一時 的 にも せ よ 、 か す か な 肯 定 的 感 情 が 表 現 さ れ は じ め る。
⑥ カ ウ ン セ ラ ー は 、 否 定 的 感 情 を受 容 し た と ま ったく 同 じ 態 度 で 、 こ の肯 定 的 感 情 を 認 め 、
受 容 す る 。 そ れ は た だ 、 ﹁受 容 ﹂ (accept) す る だ け で あ って 、 ﹁そ れ は 正 し い﹂ ﹁よ い こ と
だ ﹂ な ど と 、 ﹁是 認 ﹂ (appr ove) あ る いは ﹁賞 讃 ﹂ (prai se) す る の で は な い。
⑦ こ の カ ウ ン セ ラ ー の受 容 に よ って 、 ク ラ イ エン ト は そ れ を 自 分 のも の と し て 認 め る 。
⑧ こ の洞 察 、 自 己 理 解 と 前 後 し て、 ど う 決 心 し た ら よ いか 、 ど の方 向 に進 ん で 行 け ば よ い か 、 と い う こ と が ク ラ イ エン ト に わ か って く る 。
⑨ こ う し て、 た と え わ ず か で は あ って も 、 ク ラ イ エン ト の 積 極 的 行 動 が は じ ま る 。 ⑩ 洞 察 、 自 己 理 解 の 拡 大 と深 化 。
⑪ ク ラ イ エン ト に 、 も っと 積 極 的 な 、 統 一の あ る 行 動 が あ ら わ れ てく る 。
⑫ 助 力 の必 要 が だ ん だ ん感 じ ら れ な く な り 、 カ ウ ン セ リ ン グ の 関 係 を 終 結 し よ う と いう 気 持 にな る。
以 上 、 ク ラ イ エ ン ト に 感 情 を 自 由 に 表 現 さ せ て 、 そ れ を た だ 受 容 す る だ け に と ど ま る と い った 、
伝 統 的 カ ウ ン セ リ ン グ に お い て は 、 ほ と ん ど み る こ と の で き な か った 技 術 を使 用 し た 、 ロジ ャー ス
﹁成 長 へ の 力 ﹂
(dri ve) こ そ が 、 ﹁治 療 の 唯 一 の 動 機 ﹂
﹁自 己 実 現 へ の 傾 向 ﹂ を も つ と す る 、 か れ 自
の いわ ゆ る 非 指 示 的 カ ウ ン セ リ ン グ の過 程 に つ い て の べ て き た 。 か れ の こ の体 系 は、 す べ て の人 が 、
身 の 哲 学 か ら 出 発 し て い る 。 ロ ジ ャ ー ス は 、 こ の 衝 動
(sol e m ot i va t i on for the rapу) で あ っ て 、 ク ラ イ エ ン ト の 行 動 に か ん し て 指 示 を 与 え る こ と は 、 こ の 衝 動 を 信 頼 し な い と ころ か ら お こ る も の で あ る と考 え る 。
注 以 上 の 一、 二 に お い て 、 沢 田 慶 輔 編 ﹃相 談 心 理 学 ﹄ (朝 倉 書 店 、 昭 和 三 十 二 年 ) を 参 照 し た 。
三 悪 口 を い う
(ロ ジ
personal i t y change と 呼 ん だ ) を 期 待 す る も の で あ る と い
心 理 療 法 も カ ウ ン セ リ ン グ も 、 当 面 す る 問 題 を 解 決 す べ く 、 パ ー ソ ナ リ テ ィ構 造 の再 構 成 ャ ー スは これ を パ ー ソ ナ リ テ ィ の転 換 って き た 。
と こ ろ で 、 わ た し た ち の父 祖 の時 代 に お い て は、 こ の パ ー ソ ナ リ テ ィ構 造 の 再 構 成 と い う 問 題 を 、 い った い ど う と り あ げ て き た か。
た し か に 、 心 理 療 法 と か カ ウ ン セ リ ング と い う 言 葉 は 、 耳 あ た ら し い最 近 のも の だ が 、 だ か ら と
い って 、 こ の パ ー ソ ナ リ テ ィ構 造 の 再 構 成 を く わ だ て た こ こ ろ み が 、 父 祖 の 時 代 に存 在 し な か った わ け で は な い。
そ の意 味 か ら 、 こ こで し ば ら く 、 日 本 に お け る 心 理 療 法 と カ ウ ン セ リ ン グ の いわ ば 前 史 を み て お き た い。
リ ング で あ った と 考 え る 。
わ た し は、 いわ ゆ る 悪 口や 悪 態 が 、 言 語 的 手 段 に 依 存 し た 、 前 史 的 心 理 療 法 、 も し く は カ ウ ン セ
池 田 弥 三 郎 は 、 日 本 人 を ﹁悪 態 が う ま い﹂ ﹁悪 態 好 き な 国 民 ﹂ で あ る と い う 。
朝 に な る と 、 亭 主 の 八 五 郎 の枕 許 に 三 つ指 を つ い て 、 ﹁あ あ ら わ が 君 ⋮ ⋮ ﹂ ﹁今 朝 は怒 風 激 し う
し て小 砂 眼 入 す ﹂ ﹁自 ら の姓 名 を 問 い給 う や ﹂ ﹁⋮ ⋮ 垂 乳 根 の 胎 内 を 出 で し時 は 、 鶴 女 、 鶴 女 と 申
せ しが 、 生 長 の後 、 これ を 改 め、 千 代 女 と申 し 侍 る な り ﹂ と いう 。 お な じ み の落 語 ﹃た ら ち ね ﹄ で
あ る 。 千 代 女 は利 巧 で如 才 の な い 、 ほ か に非 難 の し よ う の な い 女 だ が 、 そ の言 葉 づ か いが 丁 寧 す ぎ
て 、 八 五 郎 的 世 界 にお い て は 玉 に 瑕 で あ った 。 八 五 郎 は み ず か ら を 述 懐 す る、 ﹁こ ち と ら ア生 ま れ て っか ら こ っち 、 ず う っと 言 葉 アぞ ん ぜ え だ ﹂ と 。
日常 生 活 に お け る 、 ふだ ん 着 を き た ま ま の庶 民 相 互 の言 葉 が 、 ぞ ん ざ い で あ れ ば あ る ほ ど 、 そ こ に は相 手 に 対 す る 虚 礼 の な い 悪 口や 悪 態 が 頻 発 す る 。
﹁来 る 奴 、 来 る 奴 が 、 皆 、 (赤 ん坊 の こ と を ) 猿 の よ う だ と か 何 と か悪 口 を い って 行 き ゃが る ﹂ と 、 落 語 の ﹃子 ほ め﹄ で金 太 が い った。
歌 舞 伎 の 世 界 に お け る ﹃助 六 ﹄ の、 ﹁こ こ な 溝 板 野 郎 の 、 垂 れ 味 噌 野 郎 の、 出 し 殻 野 郎 め、 す っ
込 み や アが れ ﹂ ﹁狐 女 郎 の狸 女 郎 の 鼬 鼠 女 郎 め ﹂ な ど と いう 連 発 式 悪 態 の 伝 統 は、 ﹁ハイ カ ラ野 郎
の、 ペ テ ン師 の、 イ カ サ マ師 の 、 猫 被 り の、 香 具 師 の、 モ モ ン ガ ー の、 岡 っ引 き の、 わ ん わ ん 鳴 け
ば 犬 も 同 然 な奴 ﹂ と、 夏 目 漱 石 の ﹃坊 っち ゃ ん ﹄ の な か で 、 み ご と に継 承 さ れ て い る 。
こ の 場 合 、 警 戒 し な け れ ば な ら な い こ と は 、 言 葉 の は げ し さ に眩 惑 さ れ て、 悪 口 を い う も の と い
わ れ る も の の 間 に 、 に え たぎ る 激 怒 に さ さ え ら れ た 不 倶 戴 天 の敵 対 関 係 を か な ら ず し も 想 像 し て は いけ な いと いう ことだ。
た と え ば 、 室 生 犀 星 の ﹃あ に い も う と ﹄ に お い て 、 妹 は 兄 を ﹁豚 、 卑 怯 者 、 道 楽 者 、 極 道 兄 キ ﹂
と 、 ま た 、 兄 は 妹 を ﹁気 狂 い あ ま 、 色 き ち が い の太 っち ょ め﹂ と、 兄 妹 間 で 口ぎ た な く 悪 口 を 応 酬
す る 。 し か し 、 読 者 は 、 そ の は げ しく 悪 口 のや り と り さ れ る な か に、 た ち き る こ と の で き な い兄 妹 の交情 を みて感 動 す る。 い わ ゆ る 悪 態 ま つり と よ ば れ る 、 一群 の ま つり が 存 在 す る。
西 鶴 は 、 そ の ﹃世 間 胸 算 用 ﹄ のな か で 、 京 都 の 八 坂 神 社 の ﹁お け ら ま つ り ﹂ に お け る 、 悪 態 ま つ
り 的状 況を 、 ﹁闇 の夜 の悪 口﹂ と し て か き し る し て い る 。 晦 日 の 夜 、 神 前 の 灯 火 を 消 し て 、 暗 黒 の
った と いう 。 い わ く 、 ﹁お のれ は な 三 ケ 日 の内 に餅 が 喉 に つま って鳥 部 野 (火 葬 場 ) へ葬 礼 す る わ
な か で、 た が い に 人 顔 のみ え ぬ と こ ろ で 、 参 詣 者 が 左 右 に た ち わ か れ て 、 さ ま ざ ま の悪 口 を い いあ
い や い﹂ ま た い わ く 、 ﹁お の れ が 女 房 は な 元 日 に気 が ち が ふ て 子 を 井 戸 へは め お る ぞ ﹂。
五 月 の 大 阪 、 野 崎 観 音 で も 参 詣 者 が 悪 口 を い い あ った 。 上 方 ば な し の ﹃野 崎 ま いり ﹄ は 、 こ の悪
口 の や り と り の模 様 を たく み に活 写 し た も のだ 。 た と え ば 、 土 手 づ た い に ゆ く 二 人 連 れ の参 詣 者 に
対 し て 屋 形 船 か ら 声 が か か る 。 ﹁オ ナ ゴ に傘 さ し か け て 相 合 傘 で ゆ く オ ト コ! ﹂ ﹁夫 婦 き ど り で 歩
い て け つ か る け ど 、 オ ナ ゴ は お 前 の カ カ じ ゃ な か ろ う ! ﹂ 真 実 の夫 婦 で あ る と 反 論 さ れ る と 、 ﹁ヨ メ の 尻 の下 に し か れ た ザ ブ ト ン オ ヤ ジ め ! ﹂ も ち ろ ん 、 こう い う 悪 態 ま つり は 西 日 本 だ け の専 有 で は な い。
の境 内 に お い て 、 つ い先 年 ま で、 こ の 種 のま つり が お こな わ れ て い た。 ﹁デ レ ス ケ ! ﹂ ﹁ド ロボ ウ
茨 城 県 西 茨 城 郡 岩 間 町 に あ る愛 宕 神 社 で も 、 霜 月 (陰 暦 十 一月 ) の十 四 日 深 更 、 山 上 に あ る 神 社
! ﹂ ﹁バ カ ヤ ロウ ! ﹂ な ど と、 つ め た く 、 あ か る い円 月 の下 、 境 内 で 三 々五 々、 焚 火 の 暖 を か こ み な が ら 、 枯 木 の梢 を ふ る わ せ て、 参 詣 者 が た が い に悪 罵 を か わ し た 。
(陰 暦 正 月 ) の 二 十 日 、 寺 僧 の勤 修 す る 延 年 舞 に 対 し て 、 ﹁く そ 坊 主 ﹂ ﹁いろ 坊
ま た 、 岩 手 県 西 磐 井 郡 平 泉 町 に あ る 毛 越 寺 の摩 多 羅 神 祭 も 、 こ の種 の 悪 態 ま つ り で あ った 。 寺 内 の常 行 堂 で 睦 月
主 ﹂ ﹁よ く た か り (欲 の 深 い) 坊 主 ﹂ ﹁き ず が り (気 違 い) 坊 主 ﹂ ﹁火 つ け 坊 主 ﹂ ﹁ど う す (癩 病 )
坊 主 ﹂な ど と、 参 詣 者 が 寺 僧 に悪 態 を あ び せ た 。 悪 口 一人 百 言 、 功 徳 あ り と か 、 悪 態 が ひ ど け れ ば ひ ど い ほど 、 そ の 年 の豊 穣 が 約 束 さ れ る と いう 信 仰 で あ る。 子 ど も た ち の世 界 に目 を 転 じ よ う 。
朝 鳥 ほ え ほ え 夜 ん鳥 ほ え ほ え こ この誰誰 ど あ 寝 でも 寝 でも 寝 惚 れ で 犬 に し ん ち こ甞 め ら れ て な んだ か良 いんだ か まだ 起 き ねあ ま っと 甞 め れ で あ こ ち こち
東 北 、 秋 田 の 子 ど も ら の、 正 月 に お け る 、 悪 態 的 な 鳥 追 い の歳 事 唄 で あ る 。 ま た 、 そ の 日 常 生 活 の な か にも 、
泣き 虫 、毛 虫、 挾 ん です て ろ
いま 泣 い た鴉 が 、 も う 出 て 笑 う い い つけ 口、 は り 口、 て め え の嚊 ぁ鳶 口 子 供 の喧 嘩 に、 親 が 出 る 親 馬 鹿 ち ゃん り ん 、 蕎 麦 屋 の風 鈴
お洒 落 し ゃれ て も 、 惚 れ 手 が な い よ 、 行 灯 つけ ても 、 消 し 手 が な い よ 勝 ち ゃん 、 数 の 子 、 鰊 の 子 、 お 臀 を ね ら って 河 童 の子 敬 ち ゃん 、 毛 だ ら け 、 灰 だ ら け 、 お 尻 の 回 り が 糞 だ ら け 道 ち ゃん 、 道 道 、 糞 た れ た 、 紙 が な い と て 手 で ふ いた 安 ち ゃん 、 屋 根 か ら お っ こ って 、 赤 いち ん ぼ こす り む い た
誰 誰 馬 鹿 だ 、 な ぜ 馬 鹿 だ 、 提 灯 買 い に や った ら ば 、 底 抜 け提 灯 買 って 来 て、 お 母 さ ん に叱 ら れ て、 お 父 さ ん にど や さ れ た 何 何 学 校 (隣 の小 学 校 )、 い い学 校 、 上 が って み た ら ボ ロ学 校
な ど 、 ま こ と に たく さ ん の慣 用 的 悪 態 語 が 存 在 し て いる 。
こ のよ う に み て く れ ば 、 現 在 の い わ ゆ る 弥 次 、 綽 名 の たぐ いも 、 こ の悪 態 的 伝 統 にそ の基 礎 を お く も の と いえ る の で は な い か。
﹁フ ィ リ ピ ン便 り ﹂
﹁オ イ 、 コラ、 バ カ ヤ ロー 、 ジ ャ パ ニー ズ ﹂ と 歓 迎 さ れ た。
︱︱ 遺骨 収集 班
朝 日新聞、 東京 本社 版 ﹁かたえ くぼ﹂ ( ) 欄 所載、 昭和 三十 三年 二月 十日 。
これ は 、 フ ィ リ ピ ン の レ イ テ 島 で、 太 平 洋 戦 争 戦 歿 者 の遺 骨 収 集 の 作 業 が お こな わ れ た と い う ト
ピ ッ クが 紙 面 に掲 載 さ れ た 場 合 の新 聞 こば な し の ひ と つだ が 、 ま こ と に、 日 本 人 の ﹁悪 態 好 き ﹂ を 描き え て妙 だ と思 われ る。
四 人格 形 成 に おけ る 二 つの道
わ た し た ち の 父 祖 の 時 代 に お い て は、 悪 口 や悪 態 を いう こ とが 、 言 語 的 手 段 に 依 存 し た 、 前 史 的 心 理 療 法 、 も し く は カ ウ ン セ リ ング で あ った と の べ て お いた 。
い、 パ ー ソ ナ リ テ ィ構 造 の 再 構 成 過 程 に有 意 味 で あ る の か。
し か し 、 上 記 の 例 で あ き ら か な よ う に 、 無 責 任 な 放 言 とも い え る 悪 口や 悪 態 が 、 ど う し て い った
過 去 に お け る 、 父 祖 の 時 代 は、 現 在 と く ら べ て は る か に大 き く 、 超 越 神 に 依 拠 し、 従 属 し て い た
時 代 で あ った 。 行 動 者 と し て の 人 を し り ぞ け 、 人 の 運 命 を こ の超 越 神 に ゆ だ ね た 、 真 実 の行 動 者 が 超 越 神 で あ る と し た 時 代 で あ った。
い う 益 性 、 害 性 の両 極 が あ った。
そ の 場 合 、 も ち ろ ん 、 こ の超 越 神 に は 、 現 実 の行 動 に お け る成 功 と 失 敗 を反 映 し て 、 神 と 禍 神 と
あ る 結 果 が 生 ず る こ と へ の期 待 に も と づ い て、 人 が な に か を し よ う とす る。 そ の場 合 、 期 待 ど お
り の 結 果 が 実 現 す れ ば 、 益 性 の 神 の 加 護 に よ る と み た 。 ま た 、 反 対 に、 期 待 し た 結 果 が 実 現 せ ぬ 場 合 、 そ れ を 害 性 の禍 神 の 妨 害 に よ って 生 じ た も の と み た 。
言 行 に お け る人 の 肯 定 的 側 面 や 否 定 的 側 面 の原 因 を も と め る 場 合 も 、 同 様 に、 こ の原 則 に依 存 し
た 。 肯 定 的 側 面 の背 後 に は、 益 性 の 神 が 存 在 し、 ま た 反 対 に 、 否 定 的 側 面 の背 後 に は 、 害 性 の禍 神 が 存 在 す る と さ れ た。
と こ ろ で 、 パ ー ソ ナ リ テ ィ構 造 の 再 構 成 、 簡 単 に い い か え て 人 格 の 形 成 と は 、 ひ っき ょう 、 人 の 肯 定 的 側 面 を 拡 大 し 、 否 定 的 側 面 を 排 除 す る こ と に ほ か な ら ぬ。
肯 定 、 否 定 両 側 面 の背 後 に 、 そ れ ぞ れ の超 越 神 が 存 在 す る と み る な ら 、 そ の場 合 の 人 格 形 成 は、
益 の神 性 にさ ら に 大 き く 座 を 与 え 、 こ の 神 に よ る 害 性 の 禍 神 の排 除 に よ って 達 成 さ れ る こ と と な る。
悪 口や 悪 態 が 、 言 語 的 手 段 に依 存 し て 、 パ ー ソ ナ リ テ ィ 構 造 の 再 構 成 を 期 待 し た も の で あ った と
い った が 、 な ぜ な ら 、 そ れ は、 悪 口 や悪 態 が 、 こ の よ う な 益 性 の 神 に よ る 害 性 の 禍 神 の排 除 と い う
形 式 を 具 体 的 に表 現 す る も の と み ら れ た か ら に ほ か な ら な い。 相 手 方 の 否 定 的 側 面 の排 除 を 期 待 し
て 、 そ の相 手 方 に な げ つけ ら れ る 悪 口 や 悪 態 に は 、 益 性 の神 の霊 が や ど る と さ れ た 。 い わ ゆ る 言 霊
﹃新 約 聖 書 ﹄ に お け る ﹁ヨ ハネ に よ る 福 音 書 ﹂ の 冒 頭 に、 ﹁初 め に 言 が あ った。 言 は 神 と共 に
信 仰 であ る。
あ った 。 言 は 神 で あ った 。 こ の 言 は 初 め に神 と 共 に あ った ﹂ と 記 さ れ て い る が 、 人 間 の知 恵 は、 洋
の東 西 に よ って、 大 き く 変 化 す る も の で な い こ と を 、 わ た し は こ こ で考 え ざ る を え な い 。
そ れ か ら 、 も う ひ と つ、 人 格 形 成 に有 意 味 だ と み た 悪 口 や 悪 態 の無 責 任 な 放 言 性 の 問 題 は 、 そ の
原 因 を 、 超 越 神 に依 拠 し 、 従 属 す る も の の 責 任 感 の欠 如 に あ る と考 え る 。 い わ ば 、 且 那 も つ身 の気
安 さ が 、 言 葉 の選 択 を か く 安 易 な ら し め た 。 し たが って、 超 越 神 への 依 拠 、 従 属 を や め 、 一人 だ ち
し た 場 合 、 人 の否 定 的 側 面 の指 摘 に お け る 言 葉 の選 択 は 、 慎 重 に お こな わ ざ る を え な く な る 。 し か
し 、 こ の よ う な 、 無 責 任 な 放 言 性 を し り ぞ け た 、 慎 重 に選 択 さ れ た 言 葉 に よ る 、 人 格 形 成 を 期 待 し
て お こ な う 、 人 の否 定 的 側 面 の指 摘 は 、 ﹁批 判 ﹂ と よ ぶ に ふ さ わ し いも の で あ って、 も は や 、 悪 口 や 悪 態 と は いえ ま い。
と ころ で、 悪 口 や 悪 態 も 、 心 理 療 法 や カ ウ ン セ リ ン グ も 、 と も に、 パ ー ソ ナ リ テ ィ構 造 の再 構 成 、
も し く は 人 格 の形 成 を期 待 す る も のだ と い って き た 。 し か し 、 期 待 す る も のが 同 じ だ か ら と い って、
こ の両 者 が ひ と つ の道 を 歩 ん で い る と み る こ と は で き な い。 両 者 は 、 人 格 形 成 に お け る 、 異 質 の 関 係 に あ る 二 つ の道 だ 。
そ れ は 、 な に よ り も 、 悪 口や 悪 態 が 、 他 者 への 指 示 と干 渉 の原 理 を 肯 定 す る も の で あ る の にく ら
べ て 、 心 理 療 法 や カ ウ ン セ リ ン グ は、 非 指 示 的 カ ウ ン セ リ ング の 理 論 的 体 系 によ って あ き ら か な よ
う に (わ た し は、 こ の非 指 示 的 カ ウ ン セ リ ング を 、 心 理 療 法 や カ ウ ン セ リ ン グ の 諸 理 論 の集 約 的 到
にし めされ る。
達 に よ る 所 産 で あ る と考 え る )、 こ の原 理 を 否 定 し よ う と す る も の で あ る と いう 事 実 に よ って 端 的
他 者 への 指 示 と干 渉 の原 理 は 、 集 団 主 義 の当 為 で あ る 。
こ こで いう 集 団 主 義 と は 、 人 び と の連 帯 的 な 集 団 行 動 の 組 織 原 則 に ほ か な ら ぬ 。 さ ら に こ の 場 合 、
集 団 行 動 を 、 あ る 目 的 を な し と げ る べく 行 動 す る 場 合 、 期 待 す る 目 的 が 共 通 で あ る な ら 、 し かも な
お 、 そ の 共 通 し て期 待 す る 目 的 を 、 単 数 者 に よ って で は な く 、 複 数 者 の連 帯 に よ って よ り確 実 に実 現 で き る と す る か れ ら 相 互 の 自 覚 に よ って 組 織 さ れ る も の と み る。
し た が って 、 いわ ゆ る 、 ﹁み ん な が ひ と り の た め 、 ひ と り は み ん な の た め ﹂ と いう 言 葉 は 、 こ の
よ う な 集 団 主 義 の性 格 を 端 的 に表 現 し た も の と いえ よ う 。 そ こ で は、 ひ と り の行 動 を 点 検 す る 評 価
基 準 が 、 か れ 個 人 のも の に と ど ま ら ず 、 み ん な のそ れ と 符 合 す る 。 他 者 へ の指 示 と干 渉 の原 理 が 当 為 とさ れ る 所 以 で あ る。
これ とく ら べ て 、 心 理 療 法 や カ ウ ン セ リ ン グ は 、 とく に そ の 非 指 示 的 カ ウ ン セ リ ング は 、 他 者 へ の 指 示 と干 渉 の原 理 を し り ぞ け 、 個 人 の自 発 性 の原 理 を 主 張 す る 。
も ち ろ ん 、 後 者 の原 理 は 是 認 さ れ な け れ ば な ら ぬ 。 な ぜ な ら 、 個 人 の 存 在 し な い と ころ 、 自 発 性
の 原 理 の な い と ころ に、 真 の集 団 が 成 立 し え な い か ら だ 。 そ の 意 味 で 、 超 越 神 に 依 拠 、 従 属 す る 人
び と の 組 織 す る 集 団 行 動 は 、 いわ ば 原 始 的 集 団 行 動 で あ って 、 ま だ 真 の集 団 行 動 と は よ ぶ こ と の で き え な いも のだ。
こ の よ う に 、 個 人 の 自 発 性 の 原 理 の 主 張 は、 これ を 是 認 し な け れ ば な ら ぬ と 思 う が 、 だ か ら と い
って、 こ の原 理 の 肯 定 が 、 他 者 へ の指 示 と 干 渉 の原 理 の否 定 に 通 ず る と み る 結 論 に は 承 服 す る こ と が で き な い。
い わ れ の な い、 こ の指 示 と 干 渉 への 恐 怖 は 、 結 局 、 行 動 を 点 検 す る 共 通 の評 価 基 準 を も と めえ な い、 い わ ゆ る 個 人 主 義 の 所 産 だ と 考 え る。
第 五章 日 本 人 の パ ー ソ ナ リ テ ィ
一 は じ め に
日 本 人 の パ ー ソ ナ リ テ ィ、 も し く は国 民 性 を 問 題 と す る 場 合 、 わ た し た ち を ふく め た 現 在 に生 き
る 日 本 人 を 考 察 の対 象 と す る こ とが 望 ま し い こ と は いう ま でも な か ろ う 。 現 代 日本 人 の精 神 構 造 を 、 い った い ど う 考 え れ ば い い か 、 が 大 方 の関 心 事 だ と 思 わ れ る か ら だ 。 し か し 、 わ た し は 、 あ え て ま ず 最 初 、 過 去 の 日本 人 に目 を 向 け る。
な ぜ な ら、 一つ に は、 過 去 が わ か って こそ 、 現 在 を よ り よく 知 る こ とが でき る と み る か ら だ 。 過
去 か ら 切 り 離 さ れ 、 過 去 を も た ぬ よ う な 現 在 な ど 、 ど こ にも あ り は し な い。
そ れ か ら 、 二 つ に は、 日 本 人 の パ ー ソ ナ リ テ ィ、 も しく は 国 民 性 を 、 こ こ で は 心 理 学 の立 場 か ら
取 り 上 げ る わ けだ が 、 これ ま で の 心 理 学 は 、 と いう よ り、 とく に今 日 の 心 理 学 は 人 間 存 在 の 歴 史 的
側 面 を 、 ま った く 不 当 に 軽 視 し て き た 、 と み ら れ る か ら だ 。 も ち ろ ん 、 心 理 学 に お け る 歴 史 的 観 点
の軽 視 に は、 そ れ 相 応 の 理 由 も あ る こ とだ が 、 右 に の べ た よ う に 、 過 去 を も た ぬ現 在 が な い 以 上 、
し た が って、 そ れ 故 、 ﹁事 物 の起 原 と 発 展 を知 る こ と に よ って 、 は じ め て そ の本 質 が 理 解 さ れ る﹂
と い う ア リ ス ト テ レ ス の 言 葉 が 至 当 で あ る 以 上 、 人 間 性 の解 明 に お け る 心 理 学 の こ の 傾 向 を 、 い つ ま で も 放 置 し て お い て い いも の で も あ る ま い。
冒 険 で あ る こ と は 承 知 の上 だ 。 あ え て、 過 去 の 日本 人 に 目 を 向 け る こ と か ら は じ め よ う 。
と こ ろ で、 今 日 、 心 理 学 は 、 人 間 、 も し く は 生 活 体 の 行 動 を 説 明 す る 科 学 だ 、 と い わ れ る 。 心 理
現 象 の具 体 的 な 表 現 形 式 が 生 体 の行 動 に ほ か な ら ぬ 以 上 、 こ の命 題 を 肯 定 し な け れ ば な ら ぬ と 思 う
が 、 だ と す れ ば 、 心 理 学 の立 場 か ら す る 日 本 人 の パ ー ソ ナ リ テ ィ 、 も し く は 国 民 性 の 研 究 は 、 と り も な お さ ず 、 行 動 に お け る 日 本 人 型 の準 則 の 研 究 に ほ か な る ま い。
ス (homo sapi ens) の 行 動 形 式 の 特 性 を 、 相 互 に 関 連 す る 二 つ の 原 則 (自 覚 性 、 社 会 性 ) で つら ぬ
さ て 、 わ た し は 、 日 本 人 と い わず 英 国 人 と い わず 、 種 と し て の 人 間 、 し た が って ホ モ ・サ ピ エン
か れ た 、 そ の合 目 的 性 の な か に発 見 す る (拙 著 ﹃心 理 学 要 説 ﹄ 昭 和 三 十 七 年 、 学 芸 書 房 刊 を 参 照 さ れ た い)。
英 国 人 (民 族 、 国 民 ) の 行 動 形 式 に は、 も し く は 一郎 (個 人 ) の行 動 形 式 に は 、 か か る 合 目 的 性
が み いだ さ れ る が 、 日本 人 の行 動 形 式 、 も し く は 次 郎 の行 動 形 式 に は 、 ま ったく そ れ が み いだ せ な
い、 と い った特 性 の存 否 を めぐ る 行 動 型 の差 が 、 比 較 す る 両 者 間 に存 在 す る と は 考 え な い。 そ れ で は 、 ど こ に 行 動 型 の差 が 存 在 す る か。
自 覚 的 で あ るが 故 に、 社 会 的 で も あ る、 も しく は、 逆 に 、 社 会 的 で あ る が 故 に、 自 覚 的 で も あ る
合 目 的 性 を 特 性 と す る 行 動 形 式 の経 過 過 程 の な か に、 そ の行 動 型 の差 が 存 在 し て い る と考 え る。
わ た し は 、 つね づ ね 、 過 去 の日 本 人 の行 動 の準 則 を ﹁自 己 否 定 性 ﹂ だ と 主 張 し て いる (た と え ば
性 ﹂ と い う 二 つ の側 面 が あ る。
第 二章 ﹁話 さ なく て も わ か る ﹂ を 参 照 さ れ た い)。 そ し て 、 こ の自 己 否 定 性 に は、 ﹁無 常 性 ﹂ ﹁無 心
行 動 の準 則 と し て の無 常 性 と は 、 行 動 者 に お け る恒 常 性 の欠 如 を 意 味 し て い る 。 あ る 目 的 を な し
と げ る べく 行 動 す る と い う 場 合 (自 覚 性 と い う原 則 で つ ら ぬ か れ た 合 目 的 性 を特 性 と す る 行 動 形
式 )、 障 害 や 困 難 に直 面 し た な ら 、 そ の障 害 や 困 難 を う ち く だ く 行 動 者 に自 己 を 拡 大 し な い。 障 害
や 困難 にはば まれ て、 行動が 停滞す る とき は、自 己を しりぞ け、 自己 を否定 し、自 己 ならざ る他 の
行 動 者 に バ ト ンを 託 す こ と で、 行 動 の連 続 を は か ろ う と す る。 いわ ゆ る 継 走 方 式 によ って 、 行 動 過 程 が 展 開 さ れ る の で あ る。
し た が って、 こ こ で は 人 間 行 動 の社 会 性 が 、 い わ ば ﹁ヨ コ﹂ の連 帯 性 の軽 視 と し て、 そ れ 故 、 逆
に、 ﹁タ テ﹂ の そ れ の 重 視 と し て具 体 的 に表 現 さ れ る よ う に な る 。 つま り 、 共 通 の 目 的 を な し と げ
よ う と す る独 走 者 相 互 間 の連 帯 に で は な く 、 共 通 の 目 的 を な し と げ よ う と す る 先 走 者 、 後 走 者 間 の 連帯 に力点 を お いた社 会性 だ。
さ ら に、 行 動 の準 則 と し て の 無 心 性 に つ い て 一言 し よ う 。 無 心 性 と は、 自 己 が 超 越 神 (や が て は
超 越 者 、 上 位 者 に か わ る ) と とも に あ る も の とす る 行 動 者 の 行 動 準 則 で あ る。
し た が って 、 そ れ は行 動 者 の卑 小 意 識 に対 応 し た も の だ 。 行 動 者 が 自 己 を 卑 小 で あ る と み れ ば み
る ほ ど 、 超 越 神 への 従 属 は強 化 さ れ 、 反 対 に 、 卑 小 で あ る と み る こ と が 、 す く なく な れ ば す く な く な る ほ ど 、 超 越 神 へ の 従 属 は 弱 化 し てく る。
あ る 目 的 を な し と げ る べく 行 動 す る と い う 場 合 、 行 動 者 (単 数 で あ れ 複 数 で あ れ ) が 自 己 の独 力
だ け で 行 動 を 遂 行 す る いさ さ か の自 信 も も ち あ わ せ な い と い う な ら 、 結 局 、 自 己 を し り ぞ け 、 自 己
を 否 定 し て 、 行 動 の代 行 を超 越 神 に 依 頼 し、 自 己 の 運 命 を こ の超 越 神 に ゆ だ ね ざ る を え な い の で は
な い か 。 こ の よ う に、 自 己 の 運 命 を 超 越 神 にゆ だ ね よ う と す る 卑 小 な る 行 動 者 の 行 動 準 則 を 無 心 性 と呼 ん でお いた ので ある。
二 自 己否 定 性 の準 則 (無 心性 の側 面 )
の発 展 過 程 の な か に も と め ら る べ き で あ ろ う 。
行 動 者 と し て の人 間 精 神 の発 展 史 は 、 自 己 が 自 己 の 行 動 に お け る 主 人 公 に な る に い た る紆 余 曲 折
し た が って、 か か る 人 間 精 神 の発 展 史 の観 点 か ら 、 過 去 の 日 本 人 の行 動 準 則 た る 自 己 否 定 性 を 再
吟 味 し て み よ う 。 無 常 性 、 無 心 性 と いう そ の 二 つ の 側 面 を 、 発 展 史 的 段 階 に お い て序 列 的 に な ら べ、 具 体 例 に即 し て 説 明 し て み よ う 。 ま ず 最 初 に 登 場 し てく る のが 無 心 性 で あ る 。
﹁村 芝 居 ﹂ に 目 を向 け て み る こ と は有 意 味 だ と考 え る 。
自 己 否 定 性 の行 動 準 則 と し て の 無 心 性 の問 題 を と り あげ る 場 合 、 い わ ゆ る ﹁地 芝 居 ﹂ も し く は
これ ら の芝 居 は、 も ち ろ ん 土 地 の神 社 の祭 礼 と 不 可 分 だ が 、 い った い、 祭 礼 に芝 居 を所 演 す る 理 由 は何 か。
た と え ば 山 形 県 酒 田 市 (羽 後 国 ) の ﹁黒 森 歌 舞 伎 ﹂ を 引 例 し て み よ う 。 これ は 、 村 の神 社 の 旧 正
月 の祭 礼 に 、 村 の人 が 演 じ 村 人 が 見 物 す る も の だ が 、 舞 台 は境 内 に仮 設 さ れ 、 客 席 は ふり つも った
雪 の上 に しき な ら べ た 藁 の筵 で あ る。 風 雪 が 舞 え ば 、 見 物 衆 の頭 が 、 肩 が 、 背 中 が 白 く 染 め ら れ る 。
こ の黒 森 歌 舞 伎 に か ん す る 村 の伝 承 に は つぎ の よ う な も のが あ る。 ﹁悪 い風 習 を芝 居 に よ って 直
そ う と し て 、 芝 居 を お こ な う よ う に な った ﹂ ﹁黒 森 はく ら し が よ か った 。 鎌 ひ と つあ れ ば 食 う に事
た り た の で 、 生 活 は 遊 芸 に 力 を 入 れ た ﹂ ﹁天 保 年 間 、 鶴 岡 か ら 来 た 武 士 が 芝 居 の着 物 を 焼 いた 。 そ
の 後 、 そ の武 士 は 疫 病 で 死 んだ と い う 話 を 聞 い た ﹂ ﹁芝 居 を 休 ん だ 年 、 悪 い病 気 が 流 行 し た 。 神 主
が 、 芝 居 を 休 ん だ た め に悪 病 が 流 行 し た の だ と い う 夢 を み た。 そ れ か ら ま た毎 年 つづ け ら れ た ﹂
﹁芝 居 を み る と風 邪 を ひ か ぬ と いわ れ てき た ﹂ ﹁芝 居 を す る と 風 邪 を ひ か ぬ と い わ れ て き た 。 芝 居 の 出 来 ぬ 人 は 不 具 者 と み ら れ る の で、 無 理 に親 が す す め た ﹂ な ど 。
こ れ ら の伝 承 は 、 祭 礼 と村 芝 居 の 不 可 分 の 関 係 を 、 そ れ ぞ れ の 側 面 か ら 語 って い る と み て よ ろ し
い。 し か し、 わ た し は こ の両 者 の関 連 を 端 的 に 一言 で 説 明 す る 原 理 が あ る と 考 え る。
広 義 の村 芝 居 の概 念 に 、 そ れ が 入 る か 、 否 か を 知 悉 し な い が 、 民 俗 芸 能 と し て の いわ ゆ る ﹁人 形 芝 居 ﹂ は 、 こ の原 理 を 明 快 に し め し て く れ る 。
演 技 者 と し て の人 形 は 、 み ず か ら 行 動 の 主 人 公 た る こ と を 決 し て も と め よ う と は し な い。 か れ は 、
動 か さ れ る ま ま に動 く だ け で あ る 。 ま こ と に、 人 形 は 、 自 己 を 動 か す も の に 運 命 を ゆ だ ね た 、 無 心 性 の具 現 者 だ 、 と いう こ と が で き よ う 。
同 様 に 、 黒 森 歌 舞 伎 な ど の村 芝 居 も 、 こ の観 点 か ら と り あ げ れ ば い い。 芝 居 に お け る 演 技 者 は 、
み ず か ら を 行 動 の主 人 公 た ら し め て は な ら な い 。 か れ の行 動 を 支 配 す る も の は、 か れ に与 え ら れ た
役 の人 物 であ り 、 か れ は 、 役 の人 物 が 命 ず る ま ま に動 く だ け で あ る。
し たが って 、 祭 礼 に お け る 村 芝 居 、 人 形 芝 居 の奉 納 は、 人 間 が そ の理 想 とす る 無 心 性 の行 動 準 則
を 演 技 者 や 人 形 の 行 動 例 に託 し て神 に誓 う 意 味 を も って いた と考 え る 。 無 心 性 を 行 動 準 則 と す る 時
の意 義 を も って い た と い って も い い。 ﹁昔 は地 芝 居 の役 者 は 、 ほ と ん ど の 場 合 、 村 の若 衆 組 だ った 。
代 にあ って は、 村 の若 者 た ち が 神 前 で芝 居 や 人形 芝 居 を す る こと は、 かれ ら に と って いわ ば 洗 礼 式
村 の若 者 は 若 衆 組 に は い り 、 芝 居 に 出 て初 め て 一人 前 と認 め ら れ たも のだ った﹂ と い う 、 ま た 逆 に
い って 、 ﹁芝 居 の出 来 ぬも の は 不 具 者 と み ら れ た ﹂ と いう 説 明 も 、 こ の観 点 か ら 十 分 に首 肯 でき る も のと いえる であ ろう。
時 代 が か わ り、 無 心 性 が 行 動 準 則 の意 味 を 失 な え ば 、 状 況 も や が て は 一変 す る。 甲 は 乙 の ロボ ッ
ト だ 、 傀 儡 (か いら い) だ 、 と甲 を 評 す る こ とが 、 甲 に と って最 大 の 屈 辱 と な った 。 し た が って、
祭 礼 と 村 芝 居 の 不 可 分 の関 係 も 、 本 質 的 には 破 壊 さ れ る に い た る 。 ﹁いま ど き 村 芝 居 の役 者 な ぞ ⋮
⋮﹂ と 、 若 者 た ち が 顔 を そ む け は じ め 、 祭 礼 に芝 居 の 関 係 を、 あ え て形 式 的 にな り と保 存 し よ う と
す る な ら 出 来 合 い の旅 ま わ り の 一座 で も ま ね い て 興 行 せ し め る と いう こ と に な る 。
﹁時 頼 朝 臣 は、 康 元 元 年 に頭 お ろ し て の ち 、 忍 び て諸 国 を 修 行 し あ りき け り 。 そ れ も 、 国 々 の有
様 、 人 の愁 へな ど く は し く あ な ぐ り (探 り ) 見 聞 か ん の謀 (は か り ご と) に て あ り け る﹂
﹃増 鏡 ﹄ の 一節 だ が 、 こ の大 意 の 具 体 的 表 現 と し て 、 高 名 な 謡 曲 の ﹃鉢 の木 ﹄ が あ る 。
上 野 (こ う づ け ) の国 、 佐 野 のわ た り の雪 の暮 、 一人 の旅 僧 が 陋 屋 に門 立 ち を し て、 ﹁あ ま り の
大 雪 に前 後 を 忘 (ぼ う ) じ て 候 。 一夜 の宿 を 御 貸 し 候 へ﹂ と こう 。 家 の主 は 、 ﹁あ ま り に見 苦 しく
候 ほ ど に 、 お 宿 は か な ひ 候 ま じ ﹂ ﹁わ れ 等 二 人 (夫 婦 ) さ へ住 み か ね た る 体 (て い) に て候 ほ ど に 、 な か な か 思 ひ も よ らず 候 ﹂ と こと わ る 。
旅 僧 は仕 方 な く 立 ち 去 って ゆ く 。 し か し 、 あ ま り の大 雪 な の で、 ﹁い た は し の御 有 様 や な ﹂ ﹁の
う のう 旅 人 お宿 ま ゐ ら せ う の う ﹂ ﹁佐 野 のわ た り の雪 の暮 に迷 ひ疲 れ た ま は ん よ り 、 見 苦 し く 候 へ ど 一夜 は泊 り た ま へや ﹂ と家 の 主 は僧 を 呼 び も ど す 。
客 人 を つれ も ど し た も の の 、 家 は ま さ にさ ん ざ ん の体 、 か れ を 饗 応 す る す べ も な い。 ﹁折 節 こ れ
に 粟 の 飯 (め し ) の候 。 苦 し か ら ず は そ と き こ し め さ れ 候 へ﹂ ﹁夜 の更 く る に つけ て次 第 に寒 く な
り て 候 。 焚 火 を し て あ て申 し た く は 候 へど も 、 恥 か し な が ら 左 様 の 物 も なく 候 。 や 、 案 じ 出 し て 候 。
こ れ な る 鉢 の木 を 切 り 、 火 に焚 い て あ て 申 し候 べ し ﹂ ﹁これ は 梅 桜 松 に て、 某 が 秘 蔵 に て 候 へど も 、 今 夜 の お も て な し に、 此 の 木 を 切 り 火 に焚 い て あ て 申 さ う ﹂
た だ 徒 (い た ず ) ら な る 鉢 の 木 を 御 身 の た め に 焚 く な ら ば
これ ぞ ま こ と に難 行 (な ん ぎ ょう ) の 法 (のり ) の 薪 (た き ぎ ) と お ぼ し め せ
﹁御 志 に依 って寒 さ を 忘 れ て候 ﹂ と 旅 僧 は 感 謝 し て 家 主 に名 を た ず ね た。 自 分 は佐 野 源 左 衛 門 常
し か し、 この よ う に零 落 し て は い て も 、 鎌 倉 に御 大 事 と いう とき は、 ち ぎ れ た り とも 此 の具 足 を つ
世 (つね よ ) と い い、 一族 ど も に横 領 せ ら れ 、 こ の よ う な さ んざ ん の 体 に な った のだ と こた え る。
け 、 銹 (さ ) び た り とも 薙 刀 (なぎ な た) を も ち 、 痩 (や ) せ た り と も あ の 馬 に 乗 り、 一番 に馳 せ 参 ず る覚 悟 だ と烈 々 の所 存 を 申 し 添 え た 。 数 カ月が 経過 した。
最 明 寺 時 頼 (鎌 倉 殿 、 入 道 将 軍 ) は 諸 国 を 修 行 し、 鎌 倉 へ帰 り 着 く と まも な く 、 ﹁大 名 小 名 に よ
ら ず 、 侍 と あ ら う ず る者 は、 馬 、 物 の具 を し て 早 々鎌 倉 に参 れ 、 仰 せ 渡 さ る る事 が あ る ﹂ と 、 関 八 州 に早 打 ち を し た 。
国 々 の諸 軍 勢 が こ と ご とく 馳 せ 参 じ た 。 そ の綺 羅 星 (き ら ぼ し) のご と き 諸 軍 勢 のな か に、 ﹁い
か にも ち ぎ れ た る 腹 巻 を 着 、 銹 び た る 薙 刀 を 持 ち 、 痩 せ た る 馬 を 自 身 ひ か へた る 武 者 一騎 ﹂ ︱︱ い わず としれ た佐 野源左 衛門 であ る。
最 明 寺 殿 は 、 か れ を み いだ し、 喜 色 の顔 で 、 ﹁あ れ な る は 佐 野 の源 左 衛 門 の尉 常 世 に て は な き か。
これ こそ い つぞ や 汝 が も と に、 宿 か り し 修 行 者 よ 見 忘 れ て あ る か。 わ れ か や う に諸 軍 勢 を 集 む る こ
と 、 全 く 余 の儀 にあ らず 。 以 前 佐 野 に て 申 せ し言 葉 の末 、 偽 真 (い つわ り ま こ と ) を 知 ら ん た め な
り 。 そ れ に少 しも 違 (た が ) は ず 、 一番 に 馳 せ 参 ず る こ と 、 先 づ 以 って 神 妙 な り 。 皆 当 参 (と う ざ
ん ) の 輩 (と も が ら ) も 、 訴 訟 あ ら ば 申 す べ し 。 理 非 に依 って そ の沙 汰 い た す べ し 。 先 づ 先 づ 沙 汰
の 初 め に は 、 常 世 が 本 領 佐 野 の 庄 、 七 百 余 町 の 所 、 も と の 如 く 知 行 (ち ぎ ょう ) た る べ し 。 ま た 何
よ り 以 って切 (せ つ ) な り し は 、 大 雪 降 って寒 か り し に、 秘 蔵 せ し 鉢 の木 を 切 り 、 火 に焚 い て あ て
し こ と 、 い つ の世 に か は忘 る べ き 。 い で、 そ の時 の鉢 の木 は 、 梅 、 桜 、 松 に て あ り し よ な 。 そ の返
報 (へん ぽ う ) に 加 賀 に梅 田 、 越 中 に桜 井 、 上 野 に 松 井 田 、 併 せ て 三 箇 (が ) の庄 、 子 々孫 々 に 至
る ま で 、 相 違 あ ら ざ る 自 筆 の状 ﹂ と 、 御 教 書 (み ぎ ょう し ょ) を 常 世 に 賜 わ った 。
こ の鉢 の木 に お け る 最 明 寺 入 道 の 廻 国 伝 説 は 、 い わ ゆ る 高 貴 神 の諸 国 巡 行 説 話 と し て、 す で に古 く 風 土 記 など にみ られ る と ころだ。
﹃常 陸 国 風 土 記 ﹄ に よ れ ば 、 古 老 の昔 が た り に 、 尊 貴 な 祖 先 神 が 諸 神 を 巡 行 し て 、 駿 河 の富 士 の
山 に い た り 、 日暮 に あ って、 遇 宿 (や ど り ) を こう た 。 そ の と き 、 富 士 の 神 は 、 ﹁新 穀 祭 で 外 の者
を 近 づ け ず 身 辺 を 潔 斎 し て い る。 今 日 ば か り は お宿 を い た し か ね ま す ﹂ と こと わ った 。
そ こ で 、 や む な く 、 祖 先 神 は筑 波 の山 に の ぼ り 、 客 止 (や ど り) を こう た 。 こ の とき 、 筑 波 の神
は 、 ﹁新 穀 祭 を す る の で、 客 人 は 家 の内 に 入 れ ら れ な い の です が 、 宿 を せ よ と の お 言 葉 を お う け し
な い わ け に は ま いり ま せ ん ﹂ と こた え て 、 祖 先 神 に、 ﹁飲 食 (お し も の) を 設 (ま ) け て 、 敬 (い
や ) び 拝 (お ろ が ) み祗 (つ つし ) み 承 (つ か え ま つ) り き ﹂ と い う 。
富 士 の 山 が 、 ﹁常 に 雪 ふ り て 登 臨 (のぼ ) る こ と を 得 ﹂ な い のも 、 ま た反 対 に、 筑 波 の 山 が 、
﹁往 集 (ゆ き つど ) ひ て 歌 ひ舞 ひ飲 (さ け の) み喫 (も の く ら ) ふ こ と 、 今 に 至 る ま で 絶 ﹂ え な い の も 、 そ う い う 故 事 に 由 来 す る のだ 、 と いう 。
﹃備 後 国 風 土 記 ﹄ (逸 文 ) に み ら れ る ﹁蘇 民 将 来 ﹂ も 同 類 だ 。 武 塔 (む と う ) の神 が 巡 行 の み ぎ り 、 た ま た ま 日 が 暮 れ て し ま い、 そ こ に兄 弟 二 人 の蘇 民 将 来 が い た 。
兄 の将 来 は 、 き わ め て 貧 窮 、 弟 の将 来 は 、 富 饒 に し て 屋 倉 (い え く ら ) を 多 く も って い た 。
武 塔 の 神 は宿 処 (や ど り ) を こう た が 、 富 饒 な る 弟 は惜 し ん で貸 さ な い。 か え って 貧 窮 な 兄 の ほ
う が 承 諾 し た 。 か れ は 、 粟 の茎 の藁 で 座 (み ま し ) を つく り 、 ま た粟 飯 (あ わ い い) な ど (粟 は 貧 しさ を あら わす ) で饗応 した。
武 塔 の 神 は 、 宿 り 終 って 立 ち 去 った が 、 年 月 を 経 て 、 還 り 来 て 、 ﹁我 、 将 来 に 報 答 (む く い) 為
む ﹂ ﹁吾 は速 須 佐 雄 (は や す さ のお ) の神 な り 。 後 の世 に疫 気 (え や み 、 流 行 病 ) あ ら ば 、 汝 (い
ま し )、 蘇 民 将 来 の 子 孫 (う み の こ) と 云 ひ て 、 茅 の輪 (茅 草 で輪 形 を か た ど った も の、 後 代 の い
わ ゆ る 茅 の輪 の神 事 に通 ず ) を 以 ち て 腰 に着 け た る人 は免 (ま ぬ が ) れ な む ﹂ と い い 、 茅 の輸 を つ け て い な い者 全 部 を 殺 し て し ま った 、 と いう も の で あ る。
こう いう 、 神 の諸 国 巡 行 説 話 は 、 現 在 に な お 伝 承 さ れ 、 い わ ゆ る弘 法 大 師 な ど の伝 説 と し て 、 広 く 全 国 に 分 布 す る。
汚 い 乞 食 坊 主 (実 は弘 法 大 師 ) が 村 を 訪 れ 、 老 婆 に 水 を 求 め る が 、 彼 女 は これ を 拒 絶 す る 。 そ こ
で 、 坊 主 は 他 の 村 に行 き 、 機 を 織 る 老 婆 に 水 を 求 め る 。 彼 女 は わ ざ わ ざ 遠 く か ら 、 水 を 汲 ん でき て 、 坊 主 にすす める。
以 来 、 水 を こ と わ った 村 で は 水 が に ご り 、 遠 く か ら 汲 ん で き た 水 の 不 自 由 な 村 で は 清 水 が わ き 出 た 、 と いう た ぐ い の は な し であ る 。
無 心 性 を 準 則 とす る 行 動 を 、 無 心 性 行 動 と呼 ぶ こ と にす る な ら 、 か か る 無 心 性 行 動 の 所 産 た る 文 化 の形 式 は ﹁求 心 性 文 化 ﹂ の 性 格 を も つ。
こ と が で き る で あ ろ う か。
こ の求 心 性 文 化 の エネ ルギ ー は、 瀬 戸 や 海 峡 に ひ き こ ま れ て 、 海 水 の つく る 渦 潮 に で も た と え る
と ころ で 、 わ た し は 、 過 去 の 日本 人 にも っぱ ら 目 を 向 け て き た 。 こ こ で、 現 在 の日 本 人 に 目 を 移 す こと にし てみ よう。
現 在 の 日 本 人 に は 、 も は や 、 無 心 性 行 動 を み いだ す こ とが で き な い で あ ろ う か 。 わ た し は そ う で
な い と考 え る 。 そ う で な い と考 え ざ る を え な い具 体 例 を 若 干 あ げ て み よ う 。
東 京 の常 住 人 口が 、 昭 和 三 十 七 年 の 二 月 は じ め 、 つ い に 一千 万 人 を 越 え た と いう 。 出 生 と か 死 亡 減 少 な ど の自 然 増 も 、 も ち ろ ん 人 口 増 加 の原 因 で あ る。 し か し 、 他 県 か ら の転 入 と いう 社 会 増 の ほ う が は る か に多 い。
東 京 と い う 中 心 へ行 き さ え す れ ば 、 な に か仕 事 が あ る だ ろ う 、 な ん と か し て 食 って いけ る だ ろ う 、
と 地 方 か ら な だ れ こ む あ り さ ま は 、 そ の は げ し さ を 渦 潮 に た と え ら れ る 、 ま さ に求 心 性 エネ ルギ ー 現 象 で はな いか。
親 許 を 出 て 故 国 を 遠 く は な れ 異 国 へゆ き 、 しば ら く そ こ へ滞 留 し た若 も のが 、 いざ 帰 国 と いう 場 合 、 彼 も しく は 彼 女 はど こ へ帰 る か 。
った ら あ な た は ど こ に住 む の︾ と 問 い か け てき た 。 日 本 に帰 る と い う こと は 、 す な わ ち 東 京 の 両 親
﹁二 年 前 、 帰 国 を 前 に身 の ま わ り の 整 理 に忙 し い私 に 、 親 しく し て い た ア メ リ カ 娘 は ︽日 本 に帰 の 家 に 帰 る こ と と 信 じ こん で い た 私 は こ の質 問 に虚 を つ か れ た 。
︽あ な た は こう し て 数 年 間 、 異 国 で 独 立 の 生 活 を し て き て 、 今 さ ら 両 親 の監 督 す る 家 庭 生 活 に も
ど った ら さ ぞ 窮 屈 で し ょう に︾ と いう ア メ リ カ 人 の若 い 娘 。 学 校 を 卒 業 し、 独 立 す る 時 が く れ ば 、
家 の経 済 状 態 の良 し 悪 し に か か わ ら ず 、 社 会 人 と し て 、 自 分 の こと は自 分 で 始 末 し て ゆ く も の と割
り 切 って い る 。 月 給 が 少 な け れ ば 少 な い な り に、 小 さ な ア パ ー トを 数 人 共 同 で 借 り 、 さ さ や か な が
ら 家 具 も 食 器 も と と の え る 。 そ し て お 互 い に招 き 、 招 か れ る 社 交 生 活 を も 楽 し み つ つ、 一人 の お と な と し ての生 活 を築 いてゆく のであ る⋮ ⋮
さ て 、 日 本 の若 い私 た ち は ど う だ ろ う か。 結 婚 ま で は 文 句 な し に 親 の家 に と ど ま り 、 親 の 世 話 に
な り 、 時 に は配 偶 者 ま で さ が し て も ら わ な け れ ば な ら な い。 と こ ろ が 一方 、 好 き な 土 地 に行 き 、 好
き な 職 業 を 選 ぶ 自 由 を 持 つ ア メ リ カ人 は 、 そ のか わ り 、 職 を 失 な った と て ころ げ こ め る 家 庭 も 持 た
ず 、 三 十 に な って も 、 お 嫁 さ ん さ が し に奔 走 し てく れ る 母 親 も 持 た な い の で あ る 。 そ れ は 、 彼 ら の
家 庭 が つめ た い と か な ん と か いう の で は な く 、 自 分 の こ と は あ く ま で責 任 を 持 つ、 と い う 徹 底 し た、 ま た真 剣 な 生 活 態 度 か ら 出 て い る 。
日本 で は 、 経 済 、 社 会 事 情 が と て も そ ん な こ と は 許 さ な い と い わ れ る かも 知 れ な い。 が 私 は そ れ
ば か り で は な い と 思 う 。 ア メ リ カ の よ う な 形 態 が 良 いか 悪 い か は別 問 題 と し て 、 今 の私 た ち の も の
の考 え 方 は 、 ど う も ち ょ っと 甘 す ぎ る の で は な い だ ろ う か ⋮ ⋮ ﹂ (東 京 都 、 井 上 恭 子 ﹁ち ょ っと 甘
いも の の考 え 方 ﹂ 朝 日 新 聞 、 昭 和 三 十 六 年 十 二 月 十 四 日 ﹁ひ と とき ﹂ 欄 所 載 )。
い さ さ か 引 用 が 長 き に す ぎ た が 、 青 年 も ふく め て 日 本 人 に は た ら く 求 心 性 エネ ルギ ー の端 的 な 一 例 を、 こ こ に み いだ す こ と が でき る と 考 え た か ら で あ る 。
猪 木 正 道 (京 大 教 授 ) の指 摘 に よ れ ば (朝 日 新 聞 、 昭 和 三 十 七 年 四 月 十 二 日 )、 受 益 者 意 識 の み
異 常 に強 く 、 納 税 者 意 識 が さ っぱ り と い う の が 、 日 本 政 治 の病 理 と の こ と だ 。
つま り 、 国 家 財 政 か ら 何 か を も ら う (わ た し は これ を 求 心 性 と い う ) と いう 受 益 者 意 識 が 異 常 な
ま で に発 達 し て い る の に く ら べ て 、 財 政 支 出 を き び し く 監 督 す る (遠 心 性 と い う ) と い う 納 税 者 意
識 の ほ う は 、 ほ と んど 麻 痺 し て し ま って い る のが 、 日 本 の 実 情 で あ る 、 と いう のだ 。
し た が って 、 いわ ゆ る 圧 力 団 体 の問 題 も 、 納 税 者 意 識 の ブ レ ー キ が か か ら な い の で 、 そ の暴 走 を 許 す こと とな る。
選 挙 の 場 合 の 一票 を と り あ げ て み よ う 。 そ の 一票 が 、 ほ ん と う に、 い い な り で な い 一票 で あ る か。 考 え た 上 で の 一票 で あ る か 。
す る の が 一番 自 分 た ち のた め に な る 、 と いう ﹁い い な り 投 票 ﹂ が 、 農 山 漁 村 に 、 も は や皆 無 だ と い
地 域 の有 力 者 に頼 ま れ る と 、 ど う し て も 断 り 切 れ な い、 と いう 、 ま た 、 だ ん な 方 の いう と お り に
え る で あ ろ う か。 あ る い は、 職 場 の 上 役 に頼 ま れ て 、 昇 給 に ひ び く よ う な こ と が あ って は、 と 、 も
し く は、 ヘタ に睨 ま れ て も 損 だ 、 と ﹁い いな り の 一票 ﹂ を 投 ず る 投 票 者 が 、 も は や 、 都 会 地 に皆 無 であ ろう か。
わ た し は、 も ち ろ ん 、 皆 無 だ と 思 わ ぬ が 、 そ う だ と す れ ば 、 か か る 投 票 者 は 、 ま さ し く ﹁投 票 人
形 ﹂ にす ぎ ぬ で は な い か 。
も ち ろ ん 、 過 去 の 日 本 人 にお け る 無 心 性 と、 現 在 の 日本 人 に お け る そ れ と の両 者 間 に、 差 を み い だ す こと は 困 難 で は な い。
﹃鉢 の木 ﹄ の 佐 野 源 左 衛 門 は 、 旅 僧 を 鎌 倉 殿 と つゆ 知 ら ず 、 し た が って、 後 日 の報 償 を 期 待 せ ず
粟 の飯 を 饗 し 、 鉢 の木 を 切 った 。 現 在 の投 票 人 形 は、 そ れ が 自 分 た ち のた め に な る か ら 、 と、 後 日
の報 償 を 期 待 し て 、 い い な り の 一票 を 投 ず る の で あ る 。 し たが って 、 も し期 待 し た報 償 が え ら れ な
いと したら、 やが ては、 かれ は投票 人形 である ことを停 止す る に いたる であ ろう。
た だ 、 こ こ で考 え て お い て い い こ と は 、 いわ ゆ る 無 心 性 行 動 が 、 も とも と 行 動 者 の い っさ い の 願 望 を 、 す べ て し り ぞ け る も ので は な か った 、 と いう こ とだ 。
な ん の 願望 も な い と ころ に 、 ど ん な 行 動 も 存 在 し え な い。 行 動 者 が 、 あ る 目 的 を な し とげ る べ く
(願 望 、 期 待 )、 行 動 す る と いう 場 合 、 自 己 の卑 小 性 に気 づ け ば 気 づ く ほ ど 、 自 己 を 否 定 し、 自 己
を し り ぞ け て、 超 越 神 (超 越 者 、 上 位 者 ) に行 動 の 代 行 を 依 頼 し よ う とす る 、 か か る 行 動 を こ そ 、
無 心 性 行 動 と呼 ぼ う と いう のだ 。 そ し て、 こ こ で、 超 越 神 と いう の は 、 行 動 者 に お け る 願 望 や 期 待
の所 産 に ほ か な ら ぬ 。 願 望 や 期 待 を も た ぬ も の に、 超 越 神 の観 念 は存 在 し え な い。
か く し て 、 無 心 性 行 動 に お け る 行 動 者 の 努 力 の方 向 は、 直 接 、 自 己 の願 望 成 就 に で は な く 、 自 己
が 運 命 を ゆ だ ね よ う と す る 超 越 神 への 接 近 の 問 題 に、 し た が って 自 己 の願 望 の間 接 的 成 就 に む け ら れ た。
も し も 、 無 心 性 が い っさ い の願 望 成 就 と 無 縁 で あ る と す る な ら 、 ﹁物 を ね だ る﹂ と いう 無 心 の語
(無 常 性 の 側 面 )
義 は 、 到 底 存 在 し な い と思 う が 、 ど う か 。
三 自 己 否 定 性 の準 則
これ ま で 、 無 心 性 を 準 則 と す る 行 動 で あ る 無 心 性 行 動 の諸 問 題 に つ い て の べ て き た 。
ひ き つづ き 、 無 常 性 の行 動 準 則 を と り あ げ ね ば な ら ぬ が 、 そ の 前 に 、 無 心性 行 動 に か ん し 、 も う す こ し お ぎ な って お き た い こ とが あ る 。 そ れ は 、 ほ か で も な い 、 日 本 人 と 責 任 感 と い う 問 題 で あ る。
日 本 人 が 、 そ の 行 動 に お い て、 無 心 性 を 準 則 と し て い た かぎ り 、 日 本 人 と 責 任 感 と は 無 縁 で あ っ
た。 な ぜ な ら 、 無 心性 行 動 に お け る 行 動 者 は 、 人 形 芝 居 に お け る 演 技 者 と し て の人 形 に た と え ら れ
る と前 述 し た が 、 こ の よ う な 人 形 は 、 た だ 動 か さ れ る ま ま に 動 く だ け のも の で あ り 、 み ず か ら 行 動
の 主 人 公 た る こ と を 決 し て求 め よ う と し な い も の で あ り 、 素 直 に自 己 を 動 か す も の に 運 命 を ゆ だ ね
た も の にす ぎ な いか ら で あ る 。 自 己 の 運 命 を 他 者 に ゆ だ ね 、 み ず か ら を 行 動 の主 人 公 た ら し め る こ
と を 放 棄 し て し ま った も の に 責 任 感 の 心 情 は 存 在 し え な い。 人 形 芝 居 に お け る 演 技 者 と し て の 人 形
の失 敗 は、 そ の人 形 を 動 か し た も の の責 任 で こそ あ れ 、 人 形 自 身 の責 任 で は な い か ら で あ る 。
た と え ば 、 独 立 し た 世 帯 を い と な む 成 人 は 、 縁 者 も し く は知 友 か ら 、 そ の 子 弟 の 入 学 や 就 職 に際
し、 身 許 保 証 人 を 依 頼 さ れ る こと が す く なく な い。 そ の 場 合 、 依 頼 す る 側 も 、 さ れ る 側 も 、 これ は 形 式 だ け のも のだ と、 気 安 く 申 し 込 み、 気 安 く 承 諾 す る 。
こ の 例 に お い て 、 考 慮 す べ き こ と は、 まず 身 許 保 証 人 と い う 制 度 の問 題 だ 。 これ は 、 責 任 の、 い
わ ば た ら い回 し 意 識 か ら 生 じ た制 度 で あ り 、 究 極 の責 任 を 行 動 者 自 身 に求 め よ う と し な い意 識 、 し た が って結 局 、 責 任 感 の 不 在 意 識 に ね ざ し た 制 度 だ と い え る で あ ろ う 。
つぎ に、 身 許 保 証 人 を 、 気 安 く 依 頼 し 、 気 安 く 承 諾 す る 場 合 、 両 者 に責 任 感 が 存 在 し て い る で あ
ろ う か 。 依 頼 す る こと で 相 手 方 に責 任 を 負 わ し め る こ と に な る のだ と いう 、 ま た 、 承 諾 す る こ と で
み ず か ら が 責 任 を 負 う こ と に な る のだ と いう 意 識 が そ こ に存 在 し て い る で あ ろ う か 。 も し 存 在 し て
い る と す れ ば 、 こ の よ う に気 安 く 、 形 式 だ け のも の、 と 安 易 に事 を は こぶ こ と は で き ま い。
さ ほ ど の責 任 感 も な いま ま に 、 保 証 人 と し て 記 名 し 、 印 鑑 を お す 。 こう し て 、 た と え ば 就 職 の 場
合 の保 証 人 と な った と仮 定 し よ う 。 本 人 が 会 社 の金 を 横 領 し た ら 、 会 社 は 、 当 然 の こ と と し て 、 そ
の弁 済 を 保 証 人 の と こ ろ へ求 め てく る。 こ の 場 合 、 保 証 人 は ど う す る で あ ろ う か 。 ど ん な 他 の感 情
も な く 、 い さ ぎ よ く そ の 弁 済 に 応 ず る で あ ろ う か。 こ ん な は ず で は な か った 、 と驚 き 、 怒 る感 情 が
弁 済 に 先 行 す る の で は な い か 。 こ のよ う な 、 保 証 人 に お け る 、 こん な は ず で は な か った と い う 驚 き
の感 情 、 も し く は 怒 り の感 情 は 、 責 任 感 の不 在 す る ま ま 保 証 人 の座 に着 席 し た こ と で 生 じ たも の と いえ よ う 。
日 本 人 に お け る 責 任 感 の 不 在 と いう 原 則 は 、 も ち ろ ん 、 こ こ で と り あ げ た よ う な 身 許 保 証 人 の場
合 に 限 定 さ れ て 適 用 さ れ る も の で は決 し て な い。 し た が って、 い わ ゆ る ﹁戦 争 責 任 ﹂ の 問 題 も 、 こ の原 則 の観 点 か ら 、 と り あ げ て み る こ と が 有 意 味 だ と考 え る 。
これ ま で 、 責 任 感 の 不 在 と いう 原 則 に つ い て み て き た が 、 今 日 で は 、 こ れ と ま った く 反 対 の、 責 任 感 の 存 在 の原 則 が 生 長 し て いる こ とも み と め な け れ ば な る ま い。 た と え ば 、 つぎ の よ う な 例 が あ げ ら れ よ う 。
﹁⋮ ⋮ こ の 間 、 私 の み た 子 供 た ち は ち が って いま し た 。 町 内 の広 く も な い遊 園 地 の野 球 は あ ぶ な
い と思 う ま も な く 、 ガ チ ャ ン と 向 い の家 の ガ ラ スを 割 って し ま い ま し た 。
す る と 、 す ぐ あ そ び を や め た 子 供 た ち は 、 バ ッ ト や グ ロー ブ を 下 に お い て、 み ん な で そ ろ って あ
や ま り に いき ま し た 。 そ し て ボ ー ル を 返 し て も ら い、 ま た 元 気 に あ そ び は じ め ま し た 。
む か し 、 私 の あ そ ん だ ころ 、 同 じ よ う な 場 合 に、 ︽た れ か さ ん の せ いだ ︾ と い って 皆 で は や し た
て て失 敗 し た 子 は 泣 き だ し て し ま い、 け っき ょく み な のあ そ び も そ れ き り 中 止 と い った よ う な こ と
が あ った の を 、 つ い思 いだ し ま し た 。 い っし ょ に 見 て い た お ば あ ち ゃ ん も 、 ︽い ま の 子 供 は よ く 教
育 さ れ て い る ね え ︾ と い い ま し た ⋮ ⋮ ﹂ (前 橋 市 、 伊 藤 三 枝 ﹁素 直 な 子 供 た ち の態 度 ﹂ 朝 日 新 聞 、 昭 和 三 十 三 年 六 月 二 日 ﹁ひ と とき ﹂ 欄 所 載 )。
﹁ボ ク じ ゃな い﹂ ﹁た れ か さ ん の せ い﹂ に表 現 さ れ る 責 任 感 のた ら い回 し 意 識 、 し た が って 責 任
感 の曖 昧 化 意 識 と 、 文 例 に み ら れ る よ う な 共 同 責 任 の意 識 と は ま った く 異 質 の 関 係 に あ る 。
に成 長 し て い る で あ ろ う か 。 事 態 は か な ら ず し も 楽 観 を 許 さ れ な い と いえ る の で は な い か 。
子 供 の世 界 に芽 吹 い て き た 責 任 感 の存 在 の原 則 が 、 青 年 、 成 人 の 世 界 に ひ き つが れ 、 そ こ で 着 実
バ ッ ク し て 、 さ ら に進 ん で ト ド メを さ し 、 逃 げ る ん です ヨ﹂ と いう よ う な 運 転 手 の言 葉 と さ れ る も
た と え ば 、 交 通 事 故 を 例 に と り あ げ て み よ う 。 ﹁人 の見 て い な い と ころ で 、 ひ っか け た ら 、 一度
の は 、 も ち ろ ん 誇 張 さ れ た 極 端 の も の と 思 い た いが 、 い わ ゆ る ﹁ひ き 逃 げ ﹂ 事 件 が 、 最 近 ま す ま す 増 加 の傾 向 に あ る こ と は、 残 念 な が ら 事 実 の よ う で あ る 。
警 察 庁 の集 計 に よ れ ば 、 昭 和 三 十 六 年 度 中 に お け る、 ひ き 逃 げ 事 件 の総 数 は 一八 、 六 六 五 件 で 、
前 年 比 一四 ・四 % 増 、 ひ き 逃 げ に よ る 死 亡 者 は 六 五 七 人 を 数 え た と い う こ とだ 。
こ こ で 、 し ば ら く 、 現 実 に、 ひ き 逃 げ 事 件 を 経 験 し た人 の悲 痛 な 声 に耳 を か た む け よ う 。
﹁新 聞 の社 会 面 や 地 方 版 を み る と 、 毎 日 一件 や 二件 の 自 動 車 の ひ き 逃 げ 事 故 が 報 じ ら れ て い る が 、
これ は お そ ら く 氷 山 の 一角 で 、 そ の数 は た い へん な も のだ と 思 う 。 先 日 、 妻 が 白 昼 自 転 車 で進 行 中 、
オ ー ト バ イ に追 突 さ れ 全 治 三 週 間 の ケ ガ を 負 わ さ れ た が 、 加 害 者 は そ の ま ま 逃 走 し 、 折 り よ く 通 り あ わ せ た警 察 の パ ト カ ー で病 院 に か つぎ こ ま れ た 。
加 害 者 は 間 も な く 捕 え ら れ た が 、 警 察 の取 り 調 べ に際 し て 、 自 身 の刑 の減 免 の み を 願 い、 私 た ち
が 期 待 し て い た 負 傷 者 に対 す る いた わ り や お わ び の 言 葉 が 一言 も な か った の に は 驚 き か つあ き れ た。
つま り 、 こ の 加 害 者 に は 自 分 に か せ ら れ る 罰 則 への 恐 怖 は あ っても 、 犯 し た 行 為 そ のも の へ の罪 の 意 識 は 一片 だ に持 ち あ わ せ て い な か った の で あ る 。
人 間 の 生 命 、 身 体 の尊 重 が い か に 大 切 な 人 間 社 会 の鉄 則 か は いう ま で も な いが 、 他 人 の生 命 、 身
体 に 重 大 な 危 害 を 加 え な が ら 、 そ れ を 放 置 し て 逃 げ さ る 冷 酷 で 非 情 な 人 間 の仕 打 ち に は 激 し い憎 し
み を お ぼ え る 。 ひ き 逃 げ 運 転 手 に は厳 罰 を も って のぞ み 、 罪 の 意 識 を 認 識 さ せ る 必 要 が あ る ⋮ ⋮ ﹂
(大 宮 市 、 柿 沼 勝 司 ﹁非 人 間 的 な ひ き 逃 げ ﹂ 朝 日新 聞 、 昭 和 三 十 六 年 四 月 二 十 六 日、 ﹁声 ﹂ 欄 所 載 )。
これ に み ら れ る よ う に投 書 者 は、 加 害 者 に、 罰 の 恐 怖 の み あ って 、 罪 の意 識 が な い こ と を 、 怒 り
を た ぎ ら せ て 指 摘 し て い る が 、 こ の 加 害 者 に お け る 罪 の意 識 の不 在 は 、 他 方 、 多 く の 被 害 者 に お け る い わ ば 災 難 意 識 と 無 関 係 で は あ る ま い。
﹁生 命 を 尊 重 す る 交 通 の モ ラ ルを ﹂ と 題 し て 、 朝 日新 聞 は そ の社 説 に お い て 、 こ の 両 者 の関 係 を つぎ の よ う に の べ て いた 。
﹁わ が 国 で は 交 通 事 故 が と か く 被 害 者 側 の ︽災 難 ︾ と いう 言 葉 で 片 づ け ら れ が ち で 、 事 故 を起 こ
し た 側 でも 、 そ の 罪 悪 感 が 普 通 の 犯 罪 の 場 合 よ り 著 しく う す い のが 通 例 だ が 、 ま ず 、 こ の種 の 社 会 的 傾 向 か ら し て改 め る 必 要 が あ ろ う ﹂ (昭 和 三 十 六 年 十 月 十 一日 )。
日 本 人 に お け る 責 任 感 の 不 在 の原 則 を た ず ね て 、 結 局 、 罪 の意 識 の 不 在 の 問 題 に逢 着 し た 。
し ば し ば 、 日 本 人 に お け る 、 一方 ﹁罪 の意 識 ﹂ の 不 在 、 他 方 ﹁恥 の 意 識 ﹂ の存 在 が 指 摘 さ れ る 。
こ の罪 、 恥 と い う 二 つ の意 識 と責 任 意 識 と の 関 連 は、 つぎ の よ う に み る こ とが 妥 当 で あ ろ う と考 え る。
責任 感 の存 在 ⋮⋮罪 の意識 責 任感 の不在 ⋮⋮ 恥 の意識
{
罪 の意 識 と 恥 の意 識 の相 違 は 、 前 者 の 場 合 、 そ の帰 属 が 行 動 者 自 身 に限 定 さ れ る の にく ら べ て 、
後 者 に あ って は 、 ﹁恥 は 家 の 病 (や ま い )﹂ (不 名 誉 な こ と を す る 者 が ひ と り あ る と、 そ の 個 人 だ け
で なく 家 門 全 体 の恥 に な って 、 永 久 に消 え な い ) の ご とく 、 そ の 帰 属 が か な ら ず し も 行 動 者 個 人 に
に は 、 前 述 し た よ う に、 た ら い 回 し 意 識 が 存 在 す る か ら で あ る。
限 定 さ れ な い こ と で あ る 。 な ぜ な ら 、 恥 の意 識 の存 在 す る 世 界 、 し た が って責 任 感 の 不 在 す る 世 界
こう し て、 諺 で み ら れ る よ う に、 ﹁恥 無 き を 誡 (い ま し ) め 恥 無 き を 思 う ﹂ が 日本 人 にお け る 生
活 律 で あ った と いえ る 。 ル ー ス ・ベ ネ デ ィ ク ト (Rut h Benedi ct)も 、そ の ﹃菊 と 刀 ﹄ (一九 四 六 年 )
に お い て、 ﹁日 本 人 の恒 久 不 変 の目 標 は名 誉 で あ る 。 他 人 の尊 敬 を 博 す る と いう こ とが 必 要 欠 く べ
か ら ざ る要 件 で あ る ﹂ (長 谷 川 松 治 訳 、 下 巻 、 三 九 ペ ー ジ 、 現 代 教 養 文 庫 、 昭 和 二 十 六年 ) と 書 き 、
恥 ︱ 誉 の観 点 か ら 、 そ の慧 眼 を 日 本 人 の生 活 の隠 微 な 側 面 に 向 け て いる 。
ベ ネデ ィ クト によれば 、 日本 におけるあ らゆ る礼 法 は、恥 を ひき起 し、 名 を汚す よ うな事 態を避 け る た め に 組 み 立 て ら れ た も の だ 、 と さ れ る (前 掲 書 、 二 〇 ペ ー ジ)。
た と え ば 、 結 婚 の媒 酌 人 の任 務 の ひ と つ は、 婚 約 が 成 立 す る ま で の 過 程 で、 将 来 の花 嫁 と 花 婿 と
を 引 き 合 わ せ る こ と で あ る が 、 こ の会 合 を 偶 然 の会 合 に 見 せ か け る た め に あ ら ゆ る 手 段 が 講 じ ら れ
る。 な ぜ な ら 、 も し 紹 介 の 目 的 が こ の段 階 で あ き ら か に さ れ た と す れ ば 、 万 一破 談 に な った 場 合 に、
ど ち ら か 一方 の家 、 も し く は 双 方 の 家 の名 誉 を 傷 つけ る こ と に な る か ら で あ る 。
こ の ﹁偶 然 の会 合 ﹂ に お い て は 、 若 い男 女 に はそ れ ぞ れ 父 親 か 母 親 か の ど ち ら か、 も し く は 両 親
が 揃 って つき 添 い、 媒 酌 人 は 主 人 役 を 勤 め な け れ ば な ら な い。 一番 好 都 合 な や り 方 は 、 年 中 行 事 の
菊 の 展 覧 会 や 花 見 の機 会 に、 も し く は 著 名 な 公 園 や 劇 場 で、 偶 然 一同 が ﹁落 ち 合 った ﹂ 態 に 会 合 を 仕 組 む こ と で あ る (前 掲 書 、 二 一︱ 二 ペ ー ジ )。
ま た 、 田 舎 で は、 夜 、 家 族 の も の が 寝 静 ま り 、 娘 が 床 に 入 った 後 に 、 青 年 が 娘 を 訪 れ る 風 習 (い
わ ゆ る ﹁夜 這 い﹂ の こ と) が あ る 。 娘 は青 年 の言 い寄 り を 受 け 容 れ る こ と も あ り 、 拒 絶 す る こ と も
あ るが 、 青 年 は 手 拭 で 頬 被 り を し 、 た と え 拒 絶 さ れ た と し て も 、 翌 日 恥 を 感 じ な く とも す む よ う に
す る。 こ の 変 装 は 娘 に誰 で あ る か を悟 ら れ ぬ た め の も の で は な い。 後 で 、 辱 し め を 受 け た の は 自
分 だ 、 と 認 め なく て は な ら な いよ う な 羽 目 に陥 ら な い た め の手 段 に ほ か な ら ぬ (前 掲 書 、 二 一ペ ー ジ )。
こ の よ う に 、 日 本 人 は 失 敗 が 恥 辱 を 招 く よ う な 機 会 を、 さ ま ざ ま の方 法 を 講 じ て避 け よ う とす る (前 掲 書 、 二 二 ペ ー ジ )。
し た が って 、 日 本 人 は 、 従 来 、 常 に何 か し ら 巧 妙 な 方 法 を 工 夫 し て 、 極 力 直 接 的 競 争 を 避 け る よ
に 止 め て いる 。 日本 の教 師 た ち は、 児 童 は め い め い自 分 の成 績 を よ く す る よ う に 教 え ら れ ね ば な ら
う に し て き た 。 日 本 の小 学 校 で は 、 競 争 の機 会 を 、 ア メ リ カ 人 に は 到 底 考 え ら れ な い ほ ど 、 最 少 限
な い、 自 分 を ほ か の児 童 と 比 較 す る 機 会 を 与 え て は な ら な い、 と いう 指 示 を 受 け て い る (前 掲 書 、 一九 ペ ー ジ )。
直 接 的 競 争 を 最 少 限 に 止 め て い る の は 、 日 本 人 の 神 経 過 敏 さ が 、 人 と競 争 し て 負 け た 場 合 に、 と
こ の 恥 は、 発 奮 の 強 い刺 激 に
く に 顕 著 に現 わ れ る か ら で あ る 。 就 職 の場 合 に 自 分 以 外 の 人 が 採 用 さ れ た と か、 も し く は、 当 人 が 競 争 試 験 に 落 第 し た と いう 場 合 、 敗 者 は そ の失 敗 で ﹁恥 を 被 む る ﹂。
な る 場 合 も あ る が 、 多 く の 場 合 、 危 険 な 意 気 銷 沈 を 引 き 起 す 原 因 と な る 。 彼 は自 信 を 失 い、 憂 欝 に
な る か 、 も し く は ま った く 腹 を 立 て て し ま う か 、 あ る い は 同 時 に こ の 両 方 の状 態 に陥 る 。 彼 の努 力 は 阻 害 さ れ る。
ア メ リ カ人 は競 争 を ﹁よ い こ と ﹂ と し て 大 い に これ を 頼 り に し て い る 。 心 理 テ ス ト は 、 競 争 が ア
メ リ カ人 を 刺 激 し て最 良 の努 力 を な さ し め るも の で あ る こ と を 証 明 し て いる 。 刺 激 の あ る 場 合 に は
作 業 能 率 は上 昇 す る 。 ア メ リ カ人 は た った 一人 で や る 仕 事 を 授 け ら れ た 時 に は 、 競 争 者 の あ る 場 合
に 挙 げ る成 績 に達 し な い。 と こ ろ が 日 本 で は、 テ ス ト の結 果 は 正 にそ の反 対 の事 実 を 示 し て いる 。
競 争 が あ る と 作 業 能 率 は ぐ ん と低 下 し た 。 単 独 で し て いる 時 に は 良 好 な 進 歩 を 示 し 、 次 第 に 間 違 い
の数 も 減 り 、 速 度 も 増 し て い った 被 験 者 が 、 競 争 相 手 と 一緒 に さ せ る と、 間 違 い 出 し 、 速 度 も は る
か に 遅 く な った。 彼 ら は 彼 ら の進 歩 を 、 彼 ら 自 身 の成 績 と 比 較 し つ つ測 定 す る 時 に 、 最 も 良 好 な 成
績 を 挙 げ た 。 と こ ろ が 、 他 人 と 比 較 測 定 す る 場 合 に は そ う は い か な か った 。 問 題 を 競 争 で や る よ う
に な る と 、 被 験 者 た ち は 敗 け る か も 知 れ な い と いう 危 険 にす っか り 心 を 奪 わ れ 、 仕 事 の方 が お る す
に な って し ま う 。 彼 ら は あ ま り にも 鋭 敏 に、 競 争 を 外 か ら 自 分 に 加 え ら れ る 攻 撃 と 感 じ る。 そ こ で
彼 ら は、 彼 ら が 従 事 し て いる 仕 事 に 専 念 す る 代 り に 、 そ の注 意 を 自 分 と攻 撃 者 と の関 係 に 向 け る の で あ る (前 掲 書 、 一七︱ 八 ペ ー ジ )。
いず れ も が 割 愛 でき な いも の と 思 う が 、 な か で も 、 行 動 者 は そ の失 敗 に よ って 恥 を 被 む る 、 こ の 恥
ベ ネ デ ィ ク ト の と り あ げ て い る、 以 上 み てき た あ れ これ の事 例 は、 そ の卓 見 あ って こ そ え ら れ た 、
は か れ の発 奮 の た め の刺 激 と な ら ず 、 反 対 に、 意 気 銷 沈 を 引 き 起 す 原 因 と な り 、 か れ の 努 力 は阻 害
さ れ る 、 と いう 指 摘 は、 ふ た た び 後 述 す る よ う に 、 日 本 人 、 も しく は 日本 文 化 の諸 問 題 を 洞 察 的 に 理 解 し う る か 、 ど う か の 岐 路 と な る 、 とく に 重 要 な も の と 考 え る。
さ ら に 、 も う ひ と つ補 足 し て お き た い こ と は 、 ベ ネ デ ィ ク ト の いう い わ ゆ る 無 競 争 主 義 と 、 た と
え ば 谷 川 雁 の いう ﹁日 本 型 二 重 構 造 ﹂ と の関 連 を 、 ど う み る か の 問 題 で あ る 。 後 者 は 前 者 の反 対 提 案 であ ろう か。
重 構 造 こ そ は 、 古 代 か ら 現 代 ま で を つら ぬ く 日 本 文 明 の大 前 提 で あ り 、 そ のプ ラ ス と マイ ナ スは あ
と こ ろ で 、 こ の 日本 型 二 重 構 造 に つ い て 、 す こし 説 明 が 必 要 だ と思 う が 、 谷 川 雁 に よ れ ば 、 ﹁二
げ て こ の 二 重 性 の 固 有 な 展 開 法 の う ち に ふ く ま れ て い る 。 今 日 ま で あ ら わ れ た ど のよ う な 日 本 文 明
論 も 、 い や 、 す べ て のイ デ オ ロー グ も ま だ こ の 二 重 構 造 の 秘 密 を 原 則 的 に解 き き って いな い点 で 、
いぜ ん と し て 二 重 構 造 そ の も の の 呪 縛 のう ち に あ る ﹂ とさ れ る (谷 川 雁 ﹁日 本 の 二 重 構 造 ﹂ 二 一 一
ペ ー ジ ﹃現 代 の発 見 ﹄ 第 一三 巻 ﹃亀 裂 の現 代 ﹄ 所 載 、 春 秋 社 、 昭 和 三 十 六 年 )。
さ ら に、 か れ は つづ け て いう 、 ﹁日 本 の 前 近 代 史 は、 く り か え し 再 編 成 さ れ て や ま な い 二 重 体 制
に よ る 二 重 構 造 支 配 の 歴 史 で あ る﹂ (前 掲 書 、 二 一八 ペ ー ジ ) ま た 、 ﹁こ の (明 治 権 力 の) 矛 盾 は
薩 州 閥 と 長 州 閥 、 自 由 党 と 国 権 党 、 三 井 と三 菱 、 海 軍 と 陸 軍 と い った 、 あ ら ゆ る 分 野 に お け る 支 配
の 二 大 系 列 化 の 様 相 を と って いく 。 そ れ ら はあ い ま い な 霧 の な か で ほ の か な 近 親 感 を も って 手 を と
り あ い、 複 雑 な 相 互 関 係 を 結 ん で いく ﹂ さ ら に ま た 、 ﹁奇 妙 な 例 で あ る が 、 洋 裁 や 洋 髪 が 大 衆 世 界
を 席 巻 し て いく ば あ い、 ド レ ス メ ー カ ー と 文 化 洋 裁 、 山 野 愛 子 派 と 組 合 派 と い った 二系 列 の対 立 的
三 菱 に い た る 特 殊 日 本 的 な 二 重 化 過 程 の線 上 に お け る 一現 象 な の で あ る ﹂ と (いず れ も 前 掲 書 、 二
進 行 と いう 形 を と る の は 偶 然 で は な い。 そ れ は 顕 密 二教 を ふく み 、 東 西 両 本 願 寺 を 貫 通 し て 、 三 井
二 〇 ︱ 一ペー ジ )。
を 保 つ こ とが で き た とき 、 は じ め て 体 制 が 安 定 す る と いう 信 仰 は 日本 の 支 配 階 級 に根 強 い位 置 を 占
そ れ 故 、 ﹁こ の対 立 す る 側 面 と 相 補 的 な 側 面 と を も つ二 つ の半 球 が 合 体 し 、 あ る 程 度 の バ ラ ン ス
め て いる 。 葛 藤 は い か に し て相 手 方 を 擬 制 化 し 、 形 骸 化 す る か と いう そ れ 自 身 様 式 的 な 姿 を と り 、
相 手 の抹 殺 、 絶 滅 に ま で は な か な か 進 展 し な い﹂ ﹁し た が って 、 一つ の体 制 が 危 機 に 達 し た と き 、
これ を 救 いだ す た め の方 策 と し て考 え つか れ る の は つね に 、 か って自 分 が 形 骸 化 し 、 封 鎖 し て お い
た 敵 対 的 な 系 を ひ っぱ り だ し て お のが 支 柱 とす る か 、 あ る い は 外 界 か ら 訪 れ て く る 新 し い支 柱 を 発 見 す る か の いず れ か で あ る ﹂ (前 掲 書 、 二 一八 ペ ー ジ )。
こ こで 、 た と え ば 塩 の 困窮 に のぞ ん で の謙 信 、 信 玄 両 雄 の故 事 を 思 いだ す な ら 上 述 後 段 の 説 明 が
よ り 具 体 化 し て く る と考 え る が 、 と も か く 、 こ の よ う な 意 味 で の 二 重 構 造 の概 念 と、 ベ ネ デ ィ ク ト
の いう 競 争 の そ れ と は、 ま る で 別 の次 元 の も の だ と み て おく こ とが 妥 当 で あ ろ う 。
そ の理 由 を 詳 述 す る こ と は 、 別 掲 も し た こ と だ か ら 省 略 し た いが 、 谷 川 雁 が 絢 爛 た る そ の修 辞 法
を 駆 使 し て縷 々説 明 し よ う と す る 二 重 構 造 の問 題 は、 結 局 、 簡 単 に い って 、 折 口 信 夫 の指 摘 す る、
いわ ゆ る ﹁か け あ い﹂ の 一表 現 形 式 で は な いか 。
こ れ で無 心 性 行 動 に か ん す る 補 足 を う ち き り 、 ひ き つづ い て 、 無 常 性 行 動 の問 題 を と り あ げ た い
が 、 こ こ で しば ら く こ の 両 行 動 に ま たが る 伝 説 を ひ と つ紹 介 し て お こう 。
そ れ は、 愛 媛 県 温 泉 郡 (伊 予 国 ) 久 谷 村 恵 原 に伝 わ る衛 門 三 郎 物 語 で あ る。
衛 門 三 郎 は そ の当 時 の国 司 た る 河 野 家 の 一族 に あ た り 、 恵 原 に す ま う 長 者 で あ った が 、 強 欲 非 道
のも の と し て 、 私 利 私 欲 を む さ ぼ る も の と し て、 そ の名 が 四 辺 に き こえ て い た 。
あ る 日 、 ひ と り の 旅 僧 が 、 か れ の 屋 敷 の門 前 に 立 った。 三 郎 は僧 に ほ ど こ し を す る ど ころ か 、 邪
慳 に これ を 追 い は ら った 。 と こ ろ が 、 翌 日 も 、 ま た そ の翌 日も 、 こ の旅 僧 が 門 前 に立 つ の で あ る 。
つ い に激 怒 し た 三 郎 は 箒 を も ち だ し 旅 僧 の も った鉢 を た た き 落 し て し ま った 。 地 面 に落 ち た 鉢 は 八 つ に割 れ た が 、 そ の 途 端 、 旅 僧 の 姿 も 消 え て な く な った 。
と こ ろ で 、 三 郎 に は 五 男 三 女 の 子 供 が あ った が 、 こ の事 件 が あ って か ら と い う も の、 そ の 翌 日 に
は 長 男 が 急 死 し、 つぎ の 日 に は 二番 目 の 子 、 ま た そ の つぎ の 日 に は 三 番 目 の子 と いう よ う に、 八 日
間 で 三 郎 の八 人 の 子 供 が 、 皆 死 ん で し ま った の であ る。 さ し も 冷 酷 非 情 な 三 郎 も 、 こ の よ う な 不 幸 な 出 来 事 の連 続 に は 、 強 い衝 撃 を う け ざ る を え な か った 。
お り し も そ の ころ 、 大 師 (弘 法 大 師 ) と いう 高 僧 が い て 、 仏 法 を ひ ろ め る べ く 四 国 中 を 巡 歴 し て
い る と いう 噂 が あ り 、 こ の噂 は 三 郎 の 耳 に も 、 き く と も な く 入 って い た が 、 いま や 衝 撃 に う ち の め
さ れ た か れ は、 ハタ と、 こ の噂 に 思 いあ た る も のが あ った 。 ﹁も し や 、 あ の旅 僧 が 大 師 で は ⋮ ⋮ ﹂、 そ う 感 づ い た 三 郎 の膚 を 大 き な戦 慄 が な ん ど も 走 った。
懺 悔 の心 が 芽 ば え た 三 郎 は 、 家 財 を す っか り 貧 し いも の に与 え 、 大 師 に追 いす が る べ く 、 み ず か
ら は 遍 路 の 旅 に 出 た 。 こ う し て 四 国 を ま わ る こ と 二 十 回 、 そ れ で も 大 師 に追 い つけ ぬ ま ま 、 旅 路 の
つ か れ で 病 と な り 、 徳 島 県 名 西 郡 (阿 波 国 ) 神 山 町 に あ る 焼 山 寺 の ふ も と で 、 瀕 死 の床 に つ い て し ま った 。
そ こ へ、 突 然 、 大 師 が 姿 を み せ た の で あ る 。 三 郎 は随 喜 の涙 を 流 し、 お と ろ え た 左 手 を 大 師 へ向
ね が った が 、 そ の のぞ み も か な わ ぬ ま ま 、 富 を ふ や す こ と を 唯 一つ の楽 し み に し てき た のだ 、 と 過
け て のば し た 。 そ し て、 国 司 た る 河 野 家 に嗣 子 の な い と ころ か ら 、 お の れ が そ の後 継 者 た る こ と を
去 の顛 末 を あ え ぎ な が ら か れ は 大 師 に 語 った 。 大 師 は道 ば た の 石 を ひ ろ い、 衛 門 三 郎 と書 い て か れ の左 手 に にぎ ら せ た 。
三 郎 が 息 を ひき と って か ら ま も な く 、 久 し く 嗣 子 の な か った 国 司 た る 河 野 家 の 妻 女 が 懐 胎 し た 。 し か も や が て 生 ま れ て き た 子 が 、 ね が っても な い男 の 子 で あ った 。
と ころ が 、 ど う し た こ と か こ の 男 の 子 が 左 手 を か た く にぎ った ま ま な の だ 。 父 母 で は これ を ひ ら
か せ る こ とが で き ぬ の で 、 安 養 寺 の住 職 に加 持 を し ても ら う と 、 そ の 子 は や っと にぎ った 手 を ひ ら
い た 。 そ の 途 端 、 子 供 の手 か ら 小 石 が こ ろ げ 落 ち た 。 石 に は 文 字 が 書 い て あ り 、 ま ち が い なく 衛 門
三 郎 と よ め た 。 そ の子 は 十 五 歳 で 家 督 を つぎ 、 大 い に治 績 を あ げ た と いう こ と だ 。
こ の 伝 説 に よ って衛 門 三 郎 は、 弘 法 大 師 の遺 跡 と いう 四 国 八 十 八 所 の霊 場 を めぐ る い わ ゆ る 遍 路
の 元 祖 と よ ば れ 、 恵 原 に あ った 屋 敷 跡 (文 殊 院 と いう ) に、 い ま そ の碑 が 立 って い る。 ま た、 そ の
近 く に 八 つ の塚 が あ り 、 三 郎 の 八 人 の 子 供 の墓 だ と いう 。 さ ら にま た 、 道 後 温 泉 に 近 く 所 在 す る 安
養 寺 は 五 十 一番 の 札 所 で 、 こ の 伝 説 か ら 別 名 を 石 手 寺 と も 呼 び 、 衛 門 三 郎 とき ざ ん だ 玉 石 が 、 いま
も 寺 宝 とさ れ て い る (武 田 静 澄 ﹃日 本 伝 説 の旅 ﹄ 下 巻 、 一六 三 ︱ 六 ペ ー ジ 、 現 代 教 養 文 庫 、 昭 和 三 十 七 年 )。
と こ ろ で 、 こ の 衛 門 三 郎 の 伝 説 が 無 心 性 行 動 と 無 常 性 行 動 の両 行 動 に ま た が る も の と前 述 し た が 、
つ ま り 物 語 の前 半 に お け る 、 三 郎 が 大 師 に ほ ど こし を こ と わ り 、 邪 慳 に こ れ を 追 い は ら う 、 あ ま つ
さ え 箒 を も ち だ し て き て 大 師 の鉢 を た た き 落 し て し ま った 、 こ の こ とが あ って か ら ま も な く の こ と、
三 郎 の 子 供 た ち が つぎ つぎ と 皆 急 死 し て し ま った と いう 物 語 の前 半 部 分 は、 前 に あ げ た 弘 法 の清 水
と大 同 小 異 で、 無 心 性 行 動 の 法 則 を か た る 説 話 の ひ と つ と み る こ と が で き よ う 。
さ ら に、 物 語 の後 半 部 分 に お い て 、 国 司 た る 河 野 家 の 嗣 子 と し て誕 生 し た 子 は、 衛 門 三 郎 の いわ
ゆ る ﹁う ま れ か わ り ﹂ だ と い い う る の で は な い か。 三 郎 の左 手 に にぎ ら せ た 玉 石 を 、 そ の 嗣 子 が 同
様 に 左 手 に そ の ま ま も って生 ま れ て き た こ と が 、 そ の何 よ り の 証 拠 で あ る。
と こ ろ で、 こ の衛 門 三 郎 は み ず か ら 国 司 た る こ と を ね が った が 、 阿波 に あ る 焼 山 寺 の ふも と で 息
い 嗣 子 が 、 こ の 三 郎 の生 ま れ か わ り だ とす れ ば 、 嗣 子 は長 じ て 国 司 を 相 続 し た か ら 、 結 局 、 巨 視 的
た え る ま で、 生 涯 を 通 じ て そ の の ぞ み は か な え ら れ な か った 。 し か し、 河 野 家 に生 ま れ てき た 新 し
に これ を み れ ば 、 三郎 の のぞ ん だ も の は か な え ら れ た と み う る の で は な い か 。 も ち ろ ん 、 こ の 巨 視
的 な 願 望 成 就 の 過 程 で 、 神 仏 の加 護 は 不 可 欠 で あ った。 こ の よ う な 説 話 で し め さ れ る も の を 、 無 常 性 行 動 の法 則 と 呼 ぶ の で あ る 。
柳 田 国 男 の 日本 人 観 を 伝 え て、 石 田 英 一郎 が つぎ の よ う に書 い て い た 。
ら れ た こ とが あ る ⋮ ⋮ ﹂ (石 田 英 一郎 ﹁柳 田 国 男 さ ん と 日 本 民 俗 学 ﹂ 朝 日 新 聞 、 昭 和 三 十 七 年 二 月
﹁先 生 は か つ て 私 に 、 七 た び 人 間 に 生 れ て と い った よ う な 執 念 こそ 日 本 人 に 伝 統 的 な も のだ と 語
十 日 )。
ま え に、 無 心 性 行 動 の説 明 にあ た って、 謡 曲 の ﹃鉢 の木 ﹄ を引 用 し た 。
し た が って 、 こ の無 常 性 行 動 の 問 題 を み て ゆ く に あ た って も 、 同 様 に 、 謡 曲 を ひ と つ紹 介 し て お こう 。 そ れ は これ ま た 高 名 な 怨 霊 物 の ﹃道 成 寺 ﹄ で あ る 。
そ こ で は、 ﹁恐 ろ しき 物 語 の候 を 語 って聞 か せ 候 べ し ﹂ と、 つぎ のよ う な説 話 が の べ ら れ て い る。
﹁昔 こ の 国 (紀 州 ) の傍 に、 ま な ご の庄 司 と いう 者 の あ り し が 、 一人 の 息 女 を 持 つ。
に、 い た い け し た る 土 産 な ど を 持 ち て来 り 、 庄 司 息 女 に与 え し か ば 、 庄 司 息 女 を 寵 愛 の余 り に、
ま た そ の頃 奥 (奥 州 ) よ り も 熊 野 詣 の先 達 のあ り し が 、 庄 司 が も と を 定 宿 と し、 年 年 泊 ま り け る
や ぁ あ の客 僧 こそ 、 汝 が 夫 よ、 妻 よ な ど と戯 れ け る を 、 幼 心 に ま こ と と 思 い年 月 を 送 る。
ま た あ る 時 か の 客 僧 、 庄 司 が も と に来 た り しが 、 か の女 申 す よ う 、 い つ ま で わ れ を ば 捨 て 置 き 給 う ぞ 、 今 は 奥 へ連 れ て お下 り あ れ と申 す 。
客 僧 大 き に驚 き 、 夜 に紛 れ 逃 げ 去 り 此 の寺 (道 成 寺 ) に来 り 、 か よ う か よ う の次 第 に よ り 、 こ れ ま で参 り たり、 真 平助 け てく れ よ と申 す。
こ の寺 の 老 若 談 合 し 、 凡 そ に隠 し て は 悪 し か り な ん と 思 い、 そ の 時 の撞 鐘 を 下 し 、 そ の 中 に隠 す 。
ま た か の女 は 、 あ ま す ま じ と て 追 っか く る 。 お り ふ し 日 高 川 の水 増 さ り し かば 上 、 下 へ と 泳 ぎ 歩
歩 き し が 、 鐘 の下 り た る を 不 審 に思 い、 竜 頭 を 銜 え 、 七 纒 い纒 い、 尾 に て 敲 け ば 、 鐘 は す な わ ち 湯
き し が 、 一念 の毒 蛇 と な って 、 日 高 川 を や す や す と 泳 ぎ 渡 り 、 こ の寺 に来 り 、 こ こ、 か し こ と 尋 ね
と な って 、 山 伏 も 即 座 に 消 え ぬ な ん ぼ う 、 恐 ろ し き 物 語 に て は候 わ ぬ か 。﹂ 後 年 、 い わ ゆ る 安 珍 清 姫 物 語 と し て 、 人 口 に膾 炙 し た 説 話 で あ る。
こ こ で す こ し 突 飛 な よ う だ が 、 ア メリ カ 映 画 の ポ パ イ 漫 画 を と り あ げ て み よ う 。
こ の 一連 の漫 画 映 画 シ リ ー ズ に は、 そ の物 語 の多 彩 性 に も か か わ ら ず 、 共 通 し て ひ と つ の基 本 的 形 式 が あ る。
主 人 公 の ポ パ イ が お の れ の のぞ み (た と え ば オ リ ー ブ と いう 女 性 に 近 づ こう と いう ) を か な え る
べ く あ れ これ と行 動 す る 過 程 で、 か な ら ず ブ ル ー ト と いう 敵 対 者 が あ ら わ れ 、 大 き く ポ パ イ の行 く 手 にたち はだ か る。
ポ バ イ は こ のブ ル ー ト に さ ま ざ ま の か た ち で 翻 弄 さ れ る。 こう し て 、 ポ パ イ の のぞ ん だ も の は 、 つ いに かなえ ら れず し て物語 が終 る か にみえ る。
と ころ が 、 こ の急 迫 し た 危 機 場 面 に お い て ポ パ イ は 秘 蔵 の ホ ウ レ ン ソウ を と り だ す 。 ホウ レ ン ソ
ウ の摂 取 に よ って 、 ポ パ イ は に わ か に超 人 と な る。 か れ の行 く 手 を は ば ん で い た ブ ル ー ト を いま は
苦 も な く し り ぞ け る。 こう し て 、 ポ パ イ の のぞ ん だ も の は 、 め で たく か な え ら れ る と いう 趣 向 で あ る。
わ た し が 無 常 性 行 動 と よ ぶ も の は 、 さ き の例 に し た が って い え ば 、 行 動 に おけ る い わ ば ﹁清 姫 ﹂ 方 式 で あ って 、 決 し て ﹁ポ パ イ ﹂ 方 式 で は な い。
日 本 人 が 無 常 性 を 行 動 の 準 則 とす る か ぎ り 、 いか に か れ の発 想 嚢 を さ が そ う と 、 ポ パ イ漫 画 の着 眼 は も と む べ く も な い。
も っ とも 、 安 珍 清 姫 説 話 に お け る 、
髪 の結 いた て菩薩 の似 顔 肌着 一枚下 鱗
の よ う な 仏 法 的 屈 折 は 払 拭 し な け れ ば な ら ぬ 。 ﹁女 の情 に蛇 が 住 む ﹂ と い う 諺 は、 女 が き わ め て 執
念 深 く 恐 ろ し いも のだ と の意 に解 さ れ る が 、 こ の ﹁女 性 ﹂ ﹁執 念 ﹂ ﹁恐 怖 ﹂ と い う 宿 縁 の三 題 噺 に
も 、 い い加 減 で幕 を お ろ す べ き で は な い か 。 柳 田 国 男 も 指 摘 し て いる よ う に、 ﹁執 念 こそ 日 本 人 に
伝 統 的 な も の﹂ で あ って 、 女 性 の 専 有 で は な い か ら で あ る 。 そ れ に 、 な ぜ 執 念 が 恐 ろ し いも の と さ
れ る か 。 い った い、 執 念 と は 何 を いう の か 。 こ の執 念 と い う 概 念 に 対 す る わ た し な り の 理 解 に つ い て はも う す こ し あ と で 述 べ る こ と に し よ う 。
と こ ろ で、 人 は 個 人 で あ れ 民 族 で あ れ 、 平 穏 無 事 の事 態 で は な く 、 限 界 、 極 限 状 況 に お か れ た と き 、 そ の真 実 を露 呈 す る も のだ 。
こ こ で 限 界 、 極 限 状 況 と いう の は 、 人 間 を そ の 固 有 の 行 動 形 式 の 側 面 か ら み て ゆ こう と す る 立 場
か ら い って 、 人 が あ る 目 的 を な し と げ る べく 行 動 す る 場 合 、 障 害 や 困 難 に当 面 し て 、 進 退 こ れ き わ ま る と いう 窮 地 に お ち た状 況 だ と み て い い。
た と え ば 、 道 成 寺 説 話 に お い て 、 逃 げ 去 った 安 珍 に 追 いす が ろ う と す る 清 姫 の目 的 実 現 過 程 の行
オ リ ー ブ と い う 女 性 に接 近 し よ う と す る ポ パ イ の目 的 実 現 過 程 に お け る ブ ル ー ト の存 在 が 障 害 と な
く 手 を はば んだ 障 害 は 、 お り か ら 増 水 し た 日 高川 で あ った 。 ま た 同 様 に、 ポ パ イ 漫 画 にあ って は、
る。
これ ら 日 高 川 、 も し く は ブ ル ー ト と いう 障 害 を 、 清 姫 、 も しく は ポ パ イ と い う 物 語 の主 人 公 た ち
が 、 さ し た る苦 労 も 経 験 し な いで 、 い い か え れ ば そ の障 害 を く だ き う る 行 動 者 に自 己 を 改 造 し な い
で、 克 服 、 排 除 で き る と す る な ら 、 も と も と こ のよ う な 障 害 は、 真 の障 害 の名 に 価 し な いも の と い
え よ う 。 そ れ を 排 除 し よ う と す る 行 動 者 に 、 自 己 改 造 と いう 容 易 な ら ざ る犠 牲 を も と め る も の こそ が 障 害 であ る。
と こ ろ で、 こう いう 障 害 に当 面 し て 、 一方 、 ポ パ イ は ホ ウ レ ン ソ ウ を 摂 取 す る こ と で超 人 た る べ く 自己 改 造 を敢 行す る。
し か し 、 他 方 、 清 姫 の 場 合 はど う か 。 彼 女 は こ の よ う な ホ ウ レ ン ソ ウ を 保 持 し な い。 いや 、 も し
か す る と 彼 女 と て そ れ を 保 持 し て い る か も し れ ぬ の に、 そ の所 在 を た し か め て み よ う と し な い の で
あ る。 し た が って 、 彼 女 は自 己 を 改 造 す る こ と も で き ず 、 ま た 、 増 水 し た 日 高 川 を 泳 ぎ 渡 る こ と も で き な い。
そ れ な ら 、 清 姫 は 、 逃 げ 去 った 安 珍 に追 いす が ろ う と す る 彼 女 の目 的 を 放 棄 し な け れ ば な ら な い
か 。 と ころ が 、 彼 女 は そ の目 的 を 決 し て 断 念 し よ う と し な い し 、 ま た 、 余 儀 な く 断 念 を せ ま ら れ る 事 態 を 無 事 に避 け う る の で あ る 。
こ の、 い わ ば 、 不 可 能 を 可 能 に転 ず る も の は 何 か 。 こ こ で 登 場 し て く る のが ﹁変 身 思 想 ﹂ で あ る 。
清 姫 は ﹁一念 の毒 蛇 ﹂ に変 身 す る 。 と ころ で 、 こ の変 身 と は 何 か 。 こ こ で も ま た 前 述 し た よ う に、
人 間 を そ の固 有 の行 動 形 式 の 側 面 か ら み て ゆ こう と す る 立 場 か ら い って、 目 的 実 現 過 程 に お いて 、 後 事 を 他 者 に 託 す こと で あ る 。
し た が って、 清 姫 が 蛇 に変 身 す る と は 、 日 高 川 を 泳 ぎ 渡 り え な い前 者 が 、 ﹁や す や す と 泳 ぎ 渡 り ﹂
う る 後 者 に 、 行 動 の継 続 を 依 頼 す る こ と に ほ か な ら ぬ。 も ち ろ ん 、 こ の 場 合 、 後 事 を 託 し う る 他 者
の な か に、 自 己 の い わ ば 生 ま れ か わ り を ふく め る こ と は 差 支 え な い。 こ の観 点 に立 って、 前 述 し た
よ う に、 衛 門 三 郎 物 語 を 、 巨 視 的 な 願 望 成 就 の 過 程 を 伝 え る も のだ と い った の で あ る 。
日 本 に は、 こ の よ う な 変 身 思 想 か ら 生 ま れ た 説 話 、 伝 説 が す く な く な い。
う つ せ み は 願 いを 持 て ば あ わ れ な り け り 田 沢 の湖 に伝説 ひ と つ
斎 藤 茂 吉 の作 歌 だ が 、 い わ ゆ る 田 沢 湖 伝 説 (秋 田 県 ) のな か か ら 、 辰 子 姫 物 語 を と り あ げ て み よ う。
駒 ケ 岳 山 麓 で 、 あ る 家 に美 し い女 の 子 が 生 ま れ た。 ﹁ま こ と に神 々 し い顔 立 ち だ ﹂ ﹁大 き く な っ
た ら 絶 世 の美 人 に な る に ち が いな い﹂、 村 人 た ち はそ う 取 沙 汰 し た 。 女 の子 は辰 子 と 命 名 さ れ た。
や が て 辰 子 は成 長 し た 。 か つ て 村 人 た ち の 予 見 し た も のが 、 こ こ に 見 事 に実 現 し た 。 乙 女 の 天 性
の美 貌 た る や 、 髪 は漆 のご と く 、 歯 は 玉 のご と く 、 目 は夜 空 の星 のご と く 、 な め ら か な 肌 は 雪 の よ
う で あ った 。 彼 女 の い る 世 界 で は 、 花 ひ ら き 鳥 う た い、 万 物 が 生 気 で 躍 動 し た。
と こ ろ が 、 あ る 日 、 水 辺 に 立 った 辰 子 の顔 に陰翳 が あ った。 これ ま で 一度 と し て彼 女 に み る こ と の で き な か った も のだ 。 これ は 、 い った いど う し た こ と か 。
時 が 流 れ て 、 二十 年 た ち 、 三 十 年 た ち 、 五 十 年 た った ら ど う な る か 、 こ の若 さ と美 し さ を 持 続 で
き る か 、 髪 が 白 く な り 、 歯 が 抜 け 落 ち、 目 が か す み 、 肌 に皺 が よ る の で は な い か 、 そ し て つ い に は
死 な ね ば な ら ぬ 、 お のれ の顔 貌 を 水 鏡 に う つし て み て い た 辰 子 の脳 裡 に 、 一瞬 そ う いう 想 念 が ひ ら め いたか ら であ る。
に拡 大 し た 。 な ぜ 人 は老 醜 化 す る か、 な ぜ 人 は 死 な ね ば な ら ぬ か の疑 問 は 、 い つ ま で も 若 く あ り た
と ころ が 、 こ の想 念 は瞬 間 で消 え さ る 性 格 のも の で は な か った。 む し ろ そ の反 対 に、 時 間 と と も
い美 し く あ り た い、 そ し て何 よ り も 死 にた く な い の 願 望 に転 じ た。
そ れ で は、 ど う す れ ば こ の 願望 を 成 就 で き る か、 辰 子 は 一心 にそ の方 策 を 求 め たが 、 つ い に意 を
決 し 深 夜 の観 音 堂 ま いり を は じ め た の で あ る 。 神 様 、 ど う ぞ わ た し の 願 い を き き とど け て く だ さ い、
と 風 の 日 も 雨 の 日 も 、 そ し て何 よ り 吹 雪 の 日 も 、 暗 黒 の堂 内 で彼 女 は ひ ざ ま ず い た。
こう し て 満 願 の 夜 が き た 。困憊 の た め 辰 子 は 堂 内 で、 しば し 予 期 し な い夢 路 に お ち て し ま った 。
お 前 が そ れ ほ ど 願 う な ら 、 そ の のぞ み を か な え よ う 、 山 の道 を 北 へ行 け 、 そ こ に泉 が わ い て いる か
ら 、 そ の 水 を お 前 は 飲 む と い い、 夢 枕 に あ ら わ れ た 観 音 様 が 彼 女 の耳 許 にそ う つげ た 。
山 菜 を た ず ね る と い って家 を 出 て、 辰 子 は 山 の道 を 北 へ進 ん だ 。 容 易 に求 め る も の を み いだ し え
な か った が 、 よ う よ う そ れ ら し い泉 の水 を 、 彼 女 は岩 間 にさ が し だ す こと が で き た 。 彼 女 は 岩 の 上 に は ら ば い に な り 、 そ の泉 の水 に 口 を つけ て飲 ん だ 。
お り し も 、 一天 に わ か に曇 り 、 は げ し い雷 雨 が 襲 来 し た 。 幽 暗 の 世 界 に稲 妻 の閃 光 が は し り 、 雷
鳴 の と ど ろ き は 地 軸 を ゆ る が し た。 千 古 の巨 木 が 紅 蓮 の焔 を 発 し て 燃 え 、 豪 雨 は 山 と 谷 を く ず し た 。
こ の突 然 の天 変 地 異 の な か で、 岩 の 上 に は ら ば って い た 乙 女 の 姿 が 消 え た 。 岩 の上 に は 竜 が よ こた わ って い た 。
し い 大 き な 湖 が あ った 。
や が て 、 こ の雷 雨 が 通 過 し お わ り 、 世 界 が ふ た た び 明 転 し た と き 、 く ず れ た 山 と 谷 の 間 に は、 新
岩 の上 の竜 は 移 動 を は じ め、 湖 の底 へひ き こま れ る よ う に音 も な く し ず か に沈 ん で い った 。
こ れ が 辰 子 姫 伝 説 のあ ら ま し だ が 、 いさ さ か 蛇 足 を く わ え る な ら 、 雷 雨 で で き た 湖 が 今 日 の い わ
ゆ る 田 沢 湖 で あ り 、 辰 子 は 竜 に 化 身 し て そ の湖 底 に ひ そ む こ と で 、 湖 と と も に永 劫 に そ の存 在 を つ
づ け る か ら 、 死 に た く な い と いう 彼 女 のぎ り ぎ り の 願 望 は 、 こ の変 身 に よ って か な え ら れ た と い え る。
と ころ で 、 さ き に、 わ た し は 、 道 成 寺 説 話 に おけ る 仏 法 的 屈 折 を 払 拭 し な け れ ば な ら ぬ と い った
が 、 そ の 理 由 は 安 珍 清 姫 物 語 と こ の辰 子 姫 物 語 の両 説 話 を 照 合 す る こ と で 容 易 に 納 得 し て い た だ け
る と 考 え る 。 つ ま り 、 両 説 話 の根 底 に存 在 し た も の は、 願 望 が 変 身 に よ って の み か な え ら れ る と す る発 想 で あ った 。
これ ま で 、 願 望 が 変 身 に よ って か な え ら れ る と いう ﹁変 身 思 想 ﹂ に つ い て み て き た が 、 変 身 と は 、
願 望 を 共 通 にす る他 者 への 交 替 に ほ か な ら ぬ か ら 、 変 身 思 想 を 交 替 思 想 と い い か え て も よ ろ し い。
と ころ で 、 こ こ で も う ひ と つ の変 身 思 想 が あ る こ と に 言 及 し て お か ね ば な ら ぬ 。
な ぜ な ら 、 も とも と変 身 の概 念 に は、 願 望 成 就 に つ な が る も の と、 ど う し ても つな が り え な いも の と の二 つ の 側 面 が 存 在 す る か ら だ 。
前 者 の変 身 思 想 に つ い て は 上 述 し た が 、 後 者 の変 身 思 想 と は何 か。 そ れ は 、 変 身 す る こ と で 、 願
望 成 就 に接 近 で き る ど こ ろ か 、 む し ろ 反 対 に、 願 望 か ら ま す ま す 遠 ざ け ら れ て し ま い、 結 局 そ の願
望 成 就 を し り ぞ け ざ る を え な く な る よ う な 結 果 を 惹 起 す る も の と み る 思 想 だ 。 さ ら に、 こ れ を い い
か え れ ば 、 前 者 の変 身 思 想 と は 、 自 己 を し り ぞ け 、 自 己 を 否 定 し、 他 者 に交 替 す る こ と が 願 望 成 就
の前 提 だ とす る 思 想 で あ り 、 後 者 の変 身 思 想 と は、 自 己 を し り ぞ け 、 自 己 を 否 定 し、 他 者 に 交 替 す
る こ と が 願 望 成 就 の 前 提 と な ら ず 、 自 己 を し り ぞ け ず 、 他 者 に交 替 せず 、 自 己 を 肯 定 す る こ と こそ
Kaf ka 183 8 ︱ 1924)に 目 を 向 け て み る こ と は有 意 味 で あ ろ う と考 え る 。
が 願 望 成 就 の前 提 だ とす る思 想 で あ る 。 こ こ で 、 カ フ カ (Franz
そ の著 名 な ﹃変 身 ﹄ と いう 作 品 が 、 後 者 の変 身 思 想 の 適 例 だ と み ら れ る か ら だ 。
﹁あ る 朝 、 グ レ ゴ オ ル ・ザ ムザ が 不 安 な 夢 か ら ふ と 覚 め て み る と 、 ベ ッド のな か で自 分 の姿 が 一
匹 の身 の毛 の よ だ つ よ う な 巨 き な 毒 虫 に 変 って い る の に気 が つ い た ﹂ (中 井 正 文 訳 、 三 ペ ー ジ 、 角 川 文 庫 版 、 昭 和 二十 七 年 )。
こう い う 冒 頭 の異 常 な 言 葉 か ら は じ め ら れ て ゆ く こ の小 説 に お いて 、 虫 に 化 身 し た 主 人 公 た る グ
レゴ オ ル の念 頭 を 占 領 し た 当 面 の最 大 の不 安 と な り え た も の は 、 か れ は あ る 商 会 の 出 張 販 売 人 を し
て い た が 、 そ の 出 勤 が 遅 れ て し ま った こと 、 店 主 が 激 怒 し て いる だ ろ う と いう こ と、 欠 勤 し た な ら
現 金 横 領 と 結 び つけ て 怪 し ま れ 、 馘 首 に な る か も し れ な い と いう 懸 念 で あ った。
家 庭 に は、 独 身 の グ レゴ オ ル の ほ か 、 両 親 と ひ と り の妹 が いた 。 父 は す で に 生 活 能 力 を 失 な い、
家 の な か で徒 食 し て い た し 、母 は 喘 息 も ち の病 身 で あ った 。 ま た 、そ の 妹 は 年 齢 若 く 、 音 楽 学 校 への
進 学 を 希 望 し て い る 少 女 で あ った 。し た が って 、家 計 は か れ の え て く る 収 入 に も っぱ ら 依 存 し て いた 。
グ レ ゴ オ ル は 商 会 に 勤 務 し て 五 年 間 、 ただ の 一度 も 病 気 な ど で 欠 勤 し た こ とが な か った の で あ る 。
て て いた 。 そ う いう 自 分 が い ま 馘 首 に な れ ば 、 あ れ も これ も が 御 破 算 に な り 、 一家 は 路 頭 に 迷 う に
そ の甲 斐 あ って 来 年 あ た り 妹 の希 望 す る 進 学 を か な え て や れ る か も し れ ぬ と い う 計 画 も ひ そ か に た
い た るだ ろ う 。
こう し て 、 グ レ ゴ オ ルが 虫 に変 身 し た こ と で 、 い い か え れ ば 、 か れ の 変 身 た る そ の虫 は 依 然 と し
て妹 や 両 親 に思 い遣 り を よ せ る のだ か ら 、 か れ が 願 望 を 共 通 にす る虫 と いう 他 者 に交 替 し た こ と で 、 ザ ムザ 一家 は転 落 の坂 道 を ま っさ か さ ま に お ち て ゆく こ と な る 。
い ま や 妹 ま で グ レゴ オ ル の変 身 た る 虫 を し り ぞ け は じ め た 。 彼 女 は つぎ の よ う に い った も のだ 。
﹁も う 駄 目 で す わ 。 ⋮ ⋮ あ た し 、 も う こ の 化 物 の前 で 兄 さ ん の名 前 を よ び た く は あ り ま せ ん わ ﹂
(前 掲 書 、 七 九 ペ ー ジ )、 ﹁あ れ が こ の家 か ら 出 て ゆ く べ き だ わ 。 そ れ が 唯 ひ と つ の手 段 で す わ 。 ⋮
⋮ あ れ が グ レ ゴ オ ルだ と い う 考 え 方 を 、 ま ず お棄 て に な ら な く ち ゃ いけ な い の よ 。 あ た し た ち が 長
い間 そ う 信 じ て き た こ と が 、 あ た し た ち の 不 幸 の原 因 だ った ん だ わ 。 あ れ が 、 一体 ど う し て 、 グ レ ゴ オ ル な ん か で あ る も ん で す か ﹂ (前 掲 書 、 八 一ペ ー ジ )。
家 人 か ら し り ぞ け ら れ て衰 弱 し き った グ レ ゴ オ ル の虫 は あ る 日 の未 明 、 だ れ に も み と ら れ ず に臨
終 の 息 を ひ き と った 。 そ の 屍 体 は 手 伝 い の婆 さ ん に よ って 何 の感 動 も な く 取 り 除 け ら れ て し ま った 。
グ レ ゴ オ ル の 死 に よ って ザ ム ザ 家 に は 一条 の曙 光 が さ し は じ め た 。 陽 春 の な か で 電 車 に 乗 って 三
人 は 郊 外 へピ ク ニ ッ ク に で か け た 。 ど う や ら 妹 は 豊 か で美 し い娘 ざ か り を む か え は じ め た よ う だ 。
電 車 が 行 楽 の目 的 地 に着 く と 、妹 は 最 初 に 立 ち あ が り 、そ の若 い肉 体 を 思 う 存 分 し な や か に伸 ば し た。 カ フカ の ﹃変 身 ﹄ と は そ う い う 小 説 で あ る。
日 本 人 は、 い わ ゆ る ね ば り (粘 り ) が な いと い わ れ る こ とが あ る 。
将 棋 の 升 田 幸 三 の つぎ の よ う な 一文 は、 こ の問 題 に 関 連 し て い て 、 た い へん興 味 ぶ かく 読 む こ と が でき た。
﹁ボ クも た ま に外 国 の人 と碁 を う った り 、 将 棋 を さ し た り す る 機 会 が あ る 。
そ の や って み た 感 じ で は 、 ど う も 外 国 人 は部 分 観 で損 を し て も 、 総 合 力 を 出 す 力 を 持 って いる よ う に思 う。
同 じ 位 の技 量 の日 本 人 だ と、 部 分 部 分 に す ば ら し い力 を 出 す こ と は あ って も 、 調 和 観 で 負 け て い
る 。 い い かえ れ ば 外 国 人 のう つ手 は ギ コチ な い よ う でも 、 バ ラ ン スが と れ て い る 。
何 千 人 と いう 外 国 人 と や った わ け で は な いが 、 ど こ か ら こ ん な 違 いが 感 じ ら れ る の か、 い つも ふ し ぎ に思 って い る 。
日 本 人 の方 が 悪 い手 を さ し た とき に 早 く く さ り す ぎ る 。 短 気 だ 、 イ キが 短 い。 国 柄 な ん だ ろ う か 。
外 国 人 のな か で も 中 国 人 の特 色 は 実 に よ く ネ バ る こ と で あ る 。 局 面 が う ん と 悪 く て も 、 最 終 の瞬 間 ま で 勝 負 を 捨 て な い。
日 本 人 に は 散 り ぎ わ を いさ ぎ よく し よ う な ど と考 え る と ころ が あ る が 、 彼 ら は 最 後 の ト コト ン ま
い る よ う な 感 じ さ え 受 け さ さ れ る。
で 、 あ き ら め た か のご とく に し て あ き ら めず 、 相 当 負 け て い ても こち ら か ら は実 に ゆ った り と し て
生 き て い る 間 は 、 ま だ 勝 負 が つ い て い な い で は な い か と いう よ う な も の を感 じ る 。 ⋮ ⋮ ﹂ (升 田
幸 三 ﹁外 国 人 の ネ バ リ﹂ 朝 日 新 聞 、 昭 和 三 十 六年 七 月 二 十 五 日 ﹁き のう き ょう ﹂ 欄 所 載 )。
こ の文 中 の最 初 の と こ ろ で、 日本 人 と 外 国 人 と を 比 較 し て、 前 者 が 将 棋 を ﹁部 分 ﹂ 的 に さ す の に
く ら べ て、 後 者 は ﹁調 和 ﹂ 的 、 ﹁総 合 ﹂ 的 にさ す と いう 両 者 の相 違 が 指 摘 さ れ るが 、 これ は追 って
後 述 す る 日 本 人 の い わ ゆ る ﹁分 の意 識 ﹂ の観 点 か ら とり あ ぐ べ き 問 題 だ と も 考 え る 。
日 本 人 にね ば り が な い と い う 問 題 を 、 も う ひ と つ別 の 例 に 即 し て み て ゆ こう 。 そ れ は いわ ゆ る 日 本 語 の ﹁が ん ば れ ﹂ と い う 声 援 の言 葉 で あ る 。
こ の日 本 語 の ﹁が んば れ ﹂ と 、 そ れ に対 応 す る 西 欧 語 と を 照 合 し な が ら 貝 塚 茂 樹 が 、 日 本 人 と 西 欧 人 と の 比 較 論 を つぎ の よ う に 展 開 し て い た の は注 目 さ れ て よ ろ し い。
﹁先 日 テ レ ビ の英 語 会 話 を 視 聴 し て い た ら 、 日本 語 の ︽が ん ば れ ︾ と いう 言 葉 を 英 語 で な ん と 訳
し た ら よ い か と いう 問 題 に た いす る 投 書 の解 答 が 発 表 さ れ て い る と ころ だ った 。 ど の 答 も 講 師 の意
に み た な い。 講 師 に よ る と米 国 の学 生 の応 援 団 が ア メ リ カ ン ・フ ッ ト ボ ー ルな ど で 、 敗 勢 に あ る 母
校 の チ ー ムを 声 援 す る とき は、 ︽ド ント ・ギ ブ ・ア ップ ︾ つま り ︽あ き ら め る な ︾ と い う のだ そ う
で あ る 。 こ の ︽ド ン ト ・ギ ブ ・ア ップ ︾ が ︽が ん ば れ ︾ の適 訳 な のだ が 、 投 書 は ど れ も これ を い い あ て た も のが な か った の で あ る。
こ の あ き ら め の い い の が 日 本 人 の特 色 の 一つ で あ る に た い し て、 あ き ら め の わ る い のが 米 国 人 と
い わず 、 ア ング ロ ・サ ク ソ ン と いわ ず 、 一般 ヨ ー ロ ッパ 人 の特 色 と い って も よ いよ う で あ る。 だ か
ら 、 わ れ わ れ が ︽が ん ば れ ︾ とど な る と ころ を ︽ド ン ト ・ギ ブ ・ア ップ ︾ と 叫 ぶ 。 日 本 人 に は ち っ
と も ピ ン と こな いが 、 これ が 負 け か け た 母 校 の チ ー ム に た いす る 最 上 の声 援 と な る の で あ る﹂ (貝
塚 茂 樹 ﹁歴 史 の曲 り 角 ﹂ 朝 日新 聞 、 昭 和 三 十 七 年 一月 三 日、 学 芸 欄 所 載 )。
ま こ と に、 ﹁ド ン ト ・ギ ブ ・ア ップ ﹂ と い う 言 葉 か ら は、 他 者 へ の交 替 を 微 塵 も ゆ る さ ぬ よ う な 、
最 後 の瞬 間 ま で そ の勝 負 を 自 分 が や り ぬ く と い う ト コト ン主 義 の精 神 を は っき り と よ み と る こ とが
で き る 。 そ れ と く ら べ て 、 ﹁が ん ば れ ﹂ に は、 そ の言 葉 の無 制 限 的 性 格 か ら、 か え って他 者 への交
替 に寛 大 と な ら ざ る を え ぬ よ う な 曖 昧 主 義 を み る こ とが でき る と い え よ う 。
﹁あ き ら め の い い の が 日 本 人 の特 色 の 一つ で あ る﹂ と 貝 塚 茂 樹 は い う が 、 こ こ で 若 干 の補 足 が 必 要 だ ろう。
無 常 性 行 動 、 も し く は行 動 に お け る い わば 清 姫 方 式 の観 点 か ら す る な ら 、 ﹁あ き ら め る ﹂ と は敗
勢 に のぞ ん で 勝 負 そ のも のを 放 擲 す る こ と で は な い。 そ れ は 、 た だ 一行 動 者 が 、 そ の劣 勢 を 挽 回 し
う る よ う な 他 行 動 者 に後 事 を 託 し て、 退 場 す る 意 味 に ほ か な ら ぬ 。 し た が って、 勝 負 は 中 止 さ れ る ことなく 、 依然 と して継 続、 続行 さ れる。
こ の清 姫 方 式 の対 立 概 念 と し て 、 す で に ポ パ イ 方 式 の名 を あ げ て い る が 、 行 動 に お け る 二 つ の方
式 間 に、 一方 は 目 的 実 現 を 断 念 す る、 他 方 は そ れ を 断 念 し な い、 と い った 差 異 は存 在 し な い。 両 者
いず れ も が 目 的 を 実 現 す べ く 努 力 す る と し て も 、 そ の実 現 の方 法 に お い て、 ま た 努 力 の仕 方 に お い て 二 つ の方 式 が 区 別 さ れ る の であ る 。
と こ ろ で、 意 志 、 も し く は 意 志 的 行 動 に つ い て 、 ソ連 の心 理 学 者 た ち は つぎ の よ う に 説 明 す る 。
﹁意 志 的 行 動 と は 、 意 識 的 に た て た 目 的 の達 成 を 目 指 す 行 動 の こと で あ る ﹂ (ア ・ア ・ス ミ ル ノ フ
監 修 ﹃心 理 学 ﹄ 柴 田義 松 、島 至 、牧 山 啓 共 訳 、Ⅱ、六 六 ペ ー ジ 、 明 治 図 書 、 昭 和 三 十 四 年 )。 ﹁意 志 ︱
︱ そ れ は 意 識 的 な 行 動 、 あ る 目 的 の た め に お こ な わ れ る行 動 の中 で 現 わ れ てく る 心 理 の 一側 面 であ
る 。 本 来 の 意 味 に お け る 意 志 的 行 動 ︱︱ これ は内 的 お よ び 外 的 な 障 害 の克 服 と 結 び つ い た 行 動 であ
る ﹂ (ベ ・エ ム ・チ ェプ ロ フ ﹃心 理 学 ﹄ 牧 山 啓 訳 、 下 巻 、 三 〇 八 ペ ー ジ、 三 一書 房 、 昭 和 三 十 年 )。
こ の よ う に 、 内 外 両 面 の障 害 の克 服 が 意 志 的 行 動 に お い て 不 可 避 と さ れ る が 、 ポ パ イ 方 式 に よ る
目 的 達 成 の過 程 で は 、 外 的 な 障 害 の 克 服 を 重 視 し 、 意 志 と いう 言 葉 を そ の意 味 で使 用 し が ち で あ る
の に く ら べ て 、 清 姫 方 式 に あ って は、 同 じ 言 葉 を も っぱ ら 内 的 障 害 の克 服 の意 味 に使 用 す る 。
こ こ で 内 的 障 害 の克 服 と い った が 、 換 言 す れ ば 克 己 で あ る 。 日 本 人 に お け る 克 己 と自 己 抑 制 に着
目 し て 、 ラ フ カ デ ィ オ ・ ハー ンも つぎ の よ う に いう 。 ﹁︽戦 い で 百 万 人 を 征 服 す る 者 と 、 自 己 を 征 服
す る 者 とが あ る と す れ ば 、自 己 を 征 服 す る 者 が も っとも 偉 大 な 征 服 者 で あ る ︾ ︽神 で す ら 、自 己 に 打
勝 った 人 間 の勝 利 を 敗 北 に か え る こ と は で き な い ︾ こ の よ う な 仏 教 の文 句 (法 華 経 か ら引 用 ) ︱ ︱
そ の数 は多 数 に の ぼ る が ︱ ︱ は 、 日 本 人 の性 格 の 最 高 の魅 力 を な し て い る道 徳 的 傾 向 を 創 造 し た と
は 考 え ら れ な いが 、 た し か に そ の 傾 向 を 表 わ し て い る ﹂ ま た、 ﹁無 上 の克 己 と いう こ の理 想 を 自 分
の 理 想 と し て き た の で あ る ﹂ (﹃日 本 の 面 影 ﹄ 田 代 三 千 稔 訳 、角 川 文 庫 、 八 八 ペ ー ジ 、昭 和 三 十 三 年 )。
そ こ で 、 つぎ に 日 本 人 の克 己 と は な に か、 の問 題 と な る が 、 行 動 に お け る清 姫 方 式 と は 交 替 方 式
に ほ か な ら ぬ か ら 、 願 望 を 共 通 にす る 他 者 へ の交 替 を 躊 躇 す る ﹁未 練 ﹂ を す て る こ と を 意 味 す る。 し た が って 、 克 己 に対 立 す る 概 念 を 、 わ た し は こ の 未 練 だ と 考 え る。
の よ う に 至 極 簡 単 に お こ な う こ と が で き る と いえ よ う 。 つま り 執 念 と は 、 清 姫 方 式 の行 動 に お け る
と ころ で 、 さ き に執 念 と い う 概 念 の説 明 を 宿 題 と し て 残 し た が 、 す で に こ こ で は そ の説 明 を つぎ
意 志 の存 在 形 態 に ほ か な ら な い、 と 。
行 動 に お け る ポ パ イ 方 式 を 、 恒 常 性 行 動 と い い か え て も よ ろ し い。 ポ パ イ は ホ ウ レ ン ソ ウ を 摂 取
す る こ と で超 人 た る べ く 自 己 を 改 造 す る と し て も 、 ポ パ イ で あ る こ と を や め る わ け で は な い か ら で
あ る 。 し た が って 、 こ れ を 図 に か け ば 第 1 図 のよ う に な り、 行 動 に おけ る始 点 (x) か ら 終 点 (y)
第 2図
岸 辺 に 到 達 す る ま で は 、 安 珍 に 追 いす が ろ う と す る 行 動 過 程 に お け る 主
った の と 比 較 し て 、 こ の無 常 性 行 動 に お い て は、 す く な く とも 日 高 川 の
る 依 拠 、 従 属 の方 式 (し たが って これ を 代 行 方 式 と い って も よ い) で あ
無 心 性 行 動 が 、 終 始 し て行 動 者 に よ る 超 越 神 、 も しく は超 越 者 に対 す
る も の と いえ よ う 。
的 、 序 列 的 段 階 の上 か ら 、 そ れ は や は り 無 心 性 行 動 に続 い て 登 場 し て く
と め ら れ る 、 と前 述 し た が 、 こ の観 点 に た って無 常 性 行 動 を み れ ば 、 史
よ う に な る 発 展 過 程 のな か に 、 行 動 者 と し て の人 間 の精 神 の発 展 史 が も
と ころ で 、 さ き に わ た し は 、 人 間 が 自 己 の 行 動 に お け る 主 人 公 に な る
動 者 に おけ る 固 定 性 の 不 在 、 も し く は 恒 常 性 の 欠 如 に 依 存 し て いる 。
う と す る も のだ と いえ る 。 さ ら に、 こ れ を無 常 性 行 動 と よ ぶ 理 由 は、 行
点 か ら 終 点 ま で を 、 a、 b 、 c⋮ ⋮ の行 動 者 に よ る 継 走 方 式 で 経 過 し よ
ま た、清 姫 方式 は交替 方式 であ る から、第 2図 で みられ る よう に、始
あ る こ と は 、 す で に カ フ カ の 同 名 の作 品 を 引 用 し て み て お いた 。
に ま で い た る と こ ろ の行 動 者 に よ る 独 走 方 式 で あ る 。 こ の独 走 方 式 に お い て 、 変 身 、 交 替 が 有 害 で
第 1図
人 公 で あ り え た 、 と清 姫 を み る こ と が で き る と 思 う か ら だ 。
し か し、 無 常 性 行 動 に お い て も 、 行 動 者 が 障 害 に 当 面 し た 場 合 、 そ の 障 害 を く だ き う る 行 動 者 に
自 己 を 改 造 し な い で 、 自 己 を し り ぞ け 、 自 己 を 否 定 し 、 神 仏 の 加 護 に よ って え ら れ た と み る 他 行 動
者 に交 替 す る こ と で (た と え ば さ き の 辰 子 姫 伝 説 を み ら れ た い)、 行 動 の中 止 や 停 滞 を さ け 、 そ の
継 続 を は か ろ う とす る も のだ か ら 、 こ の行 動 も 依 然 と し て 、 自 己 否 定 性 を 準 則 と す る も の で あ る こ と に か わ り は あ る ま い。
こ の 無 常 性 行 動 の観 点 か ら 、 い わ ゆ る 日 本 の ﹁家 ﹂ な る も の を み れ ば 、 家 長 と そ の後 継 者 た る 家
督 相 続 人 た ち を 一軍 の 選 手 と し て収 容 す る ベ ン チ に こ れ を た と え る こ と が で き よ う 。 し た が って 、 次 三 男 の存 在 は 、 せ い ぜ い 二軍 に該 当 す る にす ぎ な い。
ま た、 家 長 の後 継 者 と し て家 督 の相 続 を 予 定 さ れ る も の に 、 願 望 を 共 通 に し え ぬ懸 念 を み いだ し
た 場 合 、 か れ か ら継 走 者 の資 格 を 剥 奪 し た 。 こ れ が 、 いわ ゆ る ﹁勘 当 ﹂ であ った 。
清 少 納 言 が ﹃枕 草 子 ﹄ で 、 ﹁近 う て遠 き も の 宮 の前 の 祭 。 思 は ぬ 同 胞 、 親 族 の な か 。 鞍 馬 の つ づ ら を り と い ふ 道 。 十 二月 の つご も り の 日 、 正 月 の つ いた ち の 日 の ほ ど ﹂ (百 六 十 一)と か い て い る 。
師 走 の 晦 日 と 元 旦 と は 、 僅 々 一日 差 にす ぎ ぬ か ら 、 ﹁近 い﹂ と いう は自 明 だ が 、 他 方 、 ﹁遠 い﹂
と さ れ る 理 由 は な に か。
日 本 人 が 時 間 の連 続 を 、 日 と 日 、 も しく は年 と年 と い った 、 い わ ば そ れ ぞ れ の人 格 の継 走 に よ っ
て 保 証 さ れ る も の と み た か ら で あ る。 去 年 は古 い人 格 で あ り 、 今 年 は そ れ と 異 な った 新 し い 人 格 だ
と み た か ら で あ る 。 いう ま で も な く 、 晦 日 は前 者 に 、 元 旦 は 後 者 に 所 属 す る。
って保 証 さ れ るも の と み た 。
空 間 の連 続 も 同 様 であ った 。 こ の 場 合 も 地 域 と 地 域 と い った 、 い わ ば そ れ ぞ れ の人 格 の 継 走 に よ
山が高 う て 山中 見 え ぬ 山中恋 し や 山憎 く や (山中 節)
﹁峠 ﹂ が あ った 。
ひ と つ の人 格 で あ る 一地 域 と 、 そ れ と 隣 接 し て は い て も 異 な る 人 格 であ る 一地 域 の境 界 に は 多 く
さ ら に、 生 命 の連 続 も 、 現 世 と来 世 と い った そ れ ぞ れ に 異 な る 人 格 の継 走 に よ って保 証 さ れ る と みられ てき た。
し た が って 、 た と え ば 英 国 の マー ガ レ ッ ト 王 女 の結 婚 式 に お け る 、 ﹁私 、 マー ガ レ ット ・ロー ズ
は ア ン ト ニー ・チ ャ ー ル ズ ・ロバ ー ト を 夫 と し 、 今 日 よ り良 き 時 も 悪 し き 時 も 、 貧 し き 時 も 富 め る
時 も 、 病 め る 時 も 健 や か な る 時 も 、 死 が 二 人 を 分 つ ま で 愛 し 、慰 め 、服 従 す る こ と を 誓 いま す ﹂ (﹃ア
サ ヒグ ラ フ﹄一九 六 〇 年 五 月 二 十 二 日 号 ) と い った 誓 詞 に み ら れ る ﹁死 が 二 人 を 分 つ ま で﹂の発 想 は、
﹁生 を 切 り 断 って し ま う (よ う な ) 鋭 利 な あ いく ち で は な い ﹂ の で あ り 、 ﹁生 と な だ ら か に 一筋 の
無 常 性 を 行 動 の準 則 と す る 日 本 人 に は 求 む べ く も な い。 江 藤 淳 も いう よ う に、 日 本 人 の ﹁死 ﹂ は 、
感 覚 の糸 で つ なげ ら れ て い る ﹂も のだ (江 藤 淳 ﹁文 芸 時 評 ﹂ 朝 日 新 聞 、昭 和 三 十 七 年 、五 月 二十 五 日 )。
いわ ゆ る ﹁賽 の河 原 ﹂ と呼 ば れ る と こ ろ が あ る が 、 上 記 し た よ う な 生 を 断 ち 切 ら ぬ 日 本 人 の 死 と
関 連 し た も の と思 う 。 ﹃綜 合 日本 民 俗 語 彙 ﹄ (柳 田 国 男 監 修 ) に いう 、 ﹁賽 の 河 原 と呼 ば れ る 地 は
現 在 極 め て 多 い。 そ の多 く は 小 児 の 死 に 関 連 し た 石 積 み の話 を 伝 え て い る よ う で あ る。 これ は 多 分
仏 教 か ら の 影 響 で 、 そ の 一つ以 前 の形 が あ った は ず で あ る 。 お そ ら く そ こ は、 小 児 に 限 ら ぬ 一つ の
葬 送 地 で あ った ろ う ﹂ と (第 二 巻 、 六 〇 七 ︱ 八 ペ ー ジ 、 平 凡 社 、 昭 和 三 十 年 )。 さ ら に こ の問 題 を
﹃民 俗 学 辞 典 ﹄ (柳 田 国 男 監 修 ) は つぎ の よ う に詳 細 に の べ て いる 。 ﹁全 国 に夥 し く 分 布 す る 賽 の
河 原 や 赤 子 の足 跡 石 の 話 も こ れ (赤 子 塚 の伝 説 ) と 関 係 が あ る 。 こ れ ら 伝 説 の場 所 が 、 境 の神 の祭
場 附 近 で あ る こ と は 重 要 な 共 通 点 で あ る 。 わ れ わ れ の祖 先 は 、 赤 子 の霊 は 遠 か らず これ を 再 び 世 に
出 す た め に 、 大 人 に比 べ る と 遙 か に 手 軽 な 方 法 で 始 末 し 、 そ の霊 を 境 の 神 の管 理 に委 ね て お い た ら
し い。 サ ヘ ノ カ ミ はそ う し た 境 の神 で あ り、 賽 の河 原 の起 り も 、 こ こ にあ る し 、 後 に道 祖 神 、 地 蔵
が 立 て ら れ た のも か か る 場 所 で あ る ﹂ (一ペ ー ジ 、 東 京 堂 、 昭 和 二 十 六 年 )。
つま り 、 賽 の河 を い い か え れ ば 、 現 世 と来 世 の境 界 を 流 れ る い わ ば日 高川 だ と呼 び う る で あ ろ う 。
﹁分 限 者 ﹂ と い う 言 葉 が あ る。 ﹁か ね も ち 、 も のも ち ﹂ の意 味 で あ る。
無 常 性 行 動 と は、 行 動 に お け る 継 走 方 式 で あ る と い って き た 。 独 走 方 式 の行 動 に お い て は、 行 動
者 は いわ ば 全 走 者 だ が 、 こ の継 走 方 式 にあ って は、 そ れ ぞ れ の 行 動 者 は 分 走 者 に す ぎ な い。 し た が
って、 無 常 性 を 準 則 と す る 行 動 過 程 の全 体 は 、 こ の よ う な 複 数 の分 走 者 のそ れ ぞ れ 担 当 す る部 分 過 程 の累 積 と し て の み 成 立 す る 。
と ころ で 、 分 限 者 と い う 言 葉 だ が 、 これ はも とも と自 己 の担 当 す る 行 動 の部 分 過 程 を 充 実 し て 経
過 し た も の、 も し く は 自 己 の 担 当 す る 行 動 の部 分 過 程 を 拡 大 し て 経 過 し た も の の 意 味 で あ った ろ う 。
分 走 者 で あ る 自 己 の 立 場 を し り ぞ け よ う と し た も の で は な か った と 考 え る 。 富 饒 は こ の よ う に部 分
過 程 に お い て 、 そ れ を 充 実 、 拡 大 し て 経 過 し た も の に与 え ら れ る と さ れ た 。
行 動 者 が 分 走 者 と し て と ど ま る か ぎ り 、 か れ ら に い わ ゆ る ﹁分 の 意 識 ﹂ ﹁分 限 意 識 ﹂ が 育 つ こ と は 容 易 に 理 解 さ れ る。
無 心 性 を 準 則 と す る 行 動 者 に お け る、 前 述 し た よ う な ﹁恥 の 意 識 ﹂ と、 も う ひ と つ、 無 常 性 を 準
則 と す る 行 動 者 に お け る こ の ﹁分 の 意 識 ﹂ と は、 総 じ て自 己 否 定 性 を 準 則 と し てき た 日 本 人 の意 識 に お け る 二 本 足 で あ った 。
さ き の ルー ス ・ベ ネ デ ィ ク ト は、 そ の ﹃菊 と 刀 ﹄ で こ の分 の意 識 にも 強 い関 心 を よ せ て い る。
彼 女 は、 た と え ば こ の意 識 が 家 庭 の な か で 性 別 に よ って ﹁各 々其 ノ所 ヲ 得 シ ム ル﹂ の主 義 と し て 、 つぎ の よ う に具 体 的 に 表 現 さ れ る と み る 。
って く る 。 日 本 の婦 人 は そ の夫 の後 に従 って 歩 き 、 社 会 的 地 位 も 夫 よ り 低 い。 とき お り 洋 服 を 着 て
﹁年 齢 の い か ん を 問 わ ず 、 あ る 人 の階 層 制 度 の中 に お け る 位 置 は 、 そ の 人 が 男 か 女 か に よ って変
い る 時 に は 夫 と 並 ん で歩 き 、 戸 口を 出 入 り す る 時 に夫 の 先 に 立 つよ う な 婦 人 で さ え 、 和 服 に着 換 え
た 途 端 に ま た も と通 り 後 に さ が る 。 日 本 の家 庭 で は女 の 子 は 、 贈 物 も 、 人 び と の顧 慮 も 、 教 育 費 も
す べ て 男 の子 の方 に い って し ま う のを 、 お と な し く 傍 観 し て い な け れ ば な ら な い。 若 い婦 人 のた め
の高 等 程 度 の 学校 が 設 立 さ れ た時 で さ え 、 そ こ で 課 せ ら れ る 科 目 は、 礼 式 や 行 儀 作 法 の教 授 が 重 き
を な し て いた 。 本 格 的 な 知 的 教 育 の 方 は とう て い男 子 の 足 も と に も 及 ば な か った。 現 に こ の よ う な
学 校 の 一つ の校 長 が 、 彼 の 学 校 の、 上 層 中 流 階 級 出 の生 徒 た ち に あ る 程 度 ヨー ロ ッパ語 の知 識 を 授
け た 方 が よ い と 主 張 し た が 、 彼 の勧 告 の根 拠 は何 と、 生 徒 た ち が 結 婚 し て か ら 、 夫 の蔵 書 を 、 塵 を
払 った後 で 、 上 下 反 対 に な ら な い よ う に 正 し く 本 箱 の中 に立 て ら れ る よ う に な る こ とが 望 ま し い と
い う の で あ った ﹂ (ル ー ス ・ベ ネ デ ィ ク ト ﹃菊 と 刀 ﹄ 長 谷 川 松 治 訳 、 上 巻 、 七 三 ︱ 四 ペ ー ジ 、 現 代
教 養 文 庫 、 昭 和 二十 六 年 )。
さ ら に、 彼 女 は こ れ に 続 け て 、 日 本 人 が そ れ ぞ れ の ﹁ふ さ わ し い 位 置 ﹂ を し る し た ﹁地 図 ﹂ を 信
頼 す る も の で あ る と し て 、 ﹁⋮ ⋮ そ の ︽地 図 ︾ に 示 さ れ て い る道 を た ど る時 に の み 安 全 で あ った 。
人 は そ れ を 改 め 、 あ る い は そ れ に反 抗 す る こ と に お い て で は なく し て、 そ れ に従 う こ と に お い て 勇
気 を 示 し 、 高 潔 さ を 示 し た 。 そ こ に明 記 さ れ て い る範 囲 内 は 、 既 知 の世 界 で あ り 、 し た が って、 日
本 人 の眼 か ら 見 れ ば 、 信 頼 し 得 る 世 界 で あ った ﹂ (前 掲 書 、 九 三 ペ ー ジ ) ﹁階 層 制 度 を 認 め る 行 動
は、 呼 吸 す る こ と と 同 じ く ら い に 日 本 人 に と って自 然 な こ と で あ る ﹂ (前 掲 書 、六 六 ペ ー ジ ) と い う 。
と ころ で 、 無 常 性 行 動 に あ って は 、 分 走 者 た る そ れ ぞ れ の行 動 者 を ﹁タ テ﹂ (縦 ) に連 帯 す る い わ ば ﹁序 列 主 義 ﹂ の 原 則 が 必 須 、 不 可 避 と な る 。
た と え ば 、 さ き の 第 2 図 で み ら れ る よ う に、 分 走 者 た る 行 動 者 の b は 勝 手 気 儘 に思 う と き 思 う と
ころ ま で 駆 け だ せ ぬ か ら だ 。 aの バ ト ンを う け た と こ ろ か ら 、 c にそ れ を 託 す ま で 、 そ の枠 を こえ てか れ は駆け だ せぬ からだ。
い わ ゆ る 敬 語 の問 題 も 、 こ の 序 列 主 義 の 原 則 の 具 体 的 表 現 だ と み る こ と が で き よ う 。 日 本 人 は そ
の 人 間 関 係 に お い て 、 相 手 に対 し て 丁 寧 さ を 欠 か な い、 か と い って ま た 卑 屈 に な ら ぬ 言 葉 を そ の都 度 み いだ し て 、 適 切 に これ を 使 用 し て ゆ か ね ば な ら ぬ 。
ベ ネ デ ィ ク ト も こ の 敬 語 の 問 題 に 注 目 し て つぎ のよ う に 述 べ て い る 。
﹁日 本 は近 年 い ち じ る し く 西 洋 化 さ れ た に も か か わ らず 、 依 然 と し て 貴 族 主 義 的 な 社 会 で あ る。
人 と挨 拶 を し 、 人 と 接 触 す る 時 に は 必ず 、 お 互 い の間 の 社 会 的 間 隔 の性 質 と 度 合 と を 指 示 せ ね ば な
ら な い。 日 本 人 は 他 人 に 向 って ︽Eat ︾ (食 え ) と か ︽Si tdown︾ (坐 れ ) と か い う た び ご と に、 相
手 が 親 し い 人 間 で あ る か 、 目 下 の 者 で あ る か 、 あ る い は ま た 目 上 の者 で あ る か に よ って 別 な 言 葉 を
使 う 。 同 じ ︽you︾ で も そ れ ぞ れ の 場 合 に別 な 形 を 用 いね ば な ら な い し 、 同 じ 意 味 の動 詞 が 幾 種 類
か の 異 った 語 幹 を も って い る。 い い換 え れ ば 、 日 本 人 は 他 の多 く の太 平 洋 諸 民 族 と 同 様 に、 ︽敬 語 ︾ と い う も の を も って いる 。﹂ (前 掲 書 、 六 六 ペ ー ジ )。
こ の よ う な 無 常 性 行 動 の所 産 た る 文 化 の形 式 は ﹁極 小 性 文 化 ﹂ (﹁ミク ロ性 文 化 ﹂ と い いか え て も よ ろ し い) の性 格 を も つ。 し か し こ こ で若 干 の補 足 が 必 要 で あ ろ う と考 え る。
ユビ ニ タ リ ナ イ イ ッ ス ン ボ ウ シ チ イ サイ カラダ ニ
オ オ キ ナ ノゾ ミ
合 、 そ の 小 な る概 念 が 、 さ き にあ げ た 江 藤 淳 の言 葉 に し た が って いう と 、 大 を 切 り 断 って し ま う よ
か つ て の尋 常 小 学 唱 歌 、 ﹁一寸 法 師 ﹂ (巌 谷 小 波 作 詞 ) の 一節 だ が 、 こ こ で 極 小 性 文 化 と い う 場
う な 鋭 利 な あ いく ち で は な い と い う こ と で あ る 。 ﹁チ イ サ イ カ ラ ダ ニ オ オ キ ナ ノ ゾ ミ﹂ と い う 一 寸 法 師 の歌 詞 の よ う に、 小 が 大 と な だ ら か に 一筋 の感 覚 の糸 で つ な が る の で あ る 。
な ぜ な ら 、 無 常 性 行 動 に あ って は 、 そ れ ぞ れ の 分 走 者 は 行 動 の 部 分 過 程 を 担 当 す る にす ぎ な い と
し て も 、 そ の 目 は 一様 に 行 動 の終 点 (y) を 遠 望 し て いな け れ ば な ら ぬ か ら だ 。 い わ ゆ る ﹁一を 聞 い て十 を 知 る ﹂ は こ の 遠 望 の 論 理 の 上 に 成 立 す る 。
一般 に最 短 定 型 詩 と 呼 ば れ る 俳 句 は こ の よ う な 極 小 性 文 化 の 典 型 的 表 現 だ と み る こ とが でき よ う 。 言 葉 は き わ め て短 く とも 、 意 が 長 く な け れ ば な ら な い か ら で あ る 。
ま た、 つぎ に し めす よ う な ロベ ー ル ・ギ ラ ン (フ ラ ン ス の ル ・モ ン ド 特 派 員 ) の ﹁マ ッ チ箱 ﹂ 論
も 、 こ の極 小 性 文 化 の 観 点 か ら 、 た い へん 興 味 ぶ か く 読 む こ と が で き た 。 いわ く 、
﹁日 本 の 製 品 で も っとも 魅 力 が あ る も の の ひ と つ は、 そ う いえ ば 、 た ぶ ん、 皆 さ ん も び っく り さ れ るだ ろう けれ ど、 マ ッチの箱 であ る。
世 界 じ ゅ う ど こ へ行 って も 、 こ ん な に美 し い マ ッ チ の 箱 は な く 、 ど こ に だ って 、 こん な に い ろ ん
な 種 類 は な く 、 ど こ でだ って、 こ ん な に た く さ ん 、 し か も 、 た だ で はも ら え な い。 フ ラ ン スで は 、
マ ッチ は買 わ な く て は な ら な い 。 よ く 硫 黄 の悪 臭 が し て 、 た ば こ吸 い に 、 く し ゃ み を さ せ る。 お ど ろ く に は あ た ら な い、 マ ッ チ は 国 営 だ か ら で あ る。
本 人 は ほ ん の ち っぽ け な 品 物 に、 た く さ ん の芸 術 を 盛 り あ げ る 特 技 を 持 って い る 。 マ ッ チ の箱 は俳
そ れ が こ ち ら で は 、 あ る マ ッ チ の レ ッテ ル に な る と 、 日 本 の芸 術 味 と 趣 味 とが 横 溢 し て い る。 日
諧 であ る 。 そ れ に ま た 、 日 本 人 の こま や か な 心 づ か い と結 び つ い て い る 。 別 れ て行 く 友 だ ち へ の贈
り も ので あ る。 外 国 人 の観 光 客 は マ ッ チ の 箱 で 、 旅 行 か ば ん を い っぱ い にす る。 マ ッチ 箱 の コ レ ク シ ョ ン は旅 行 案 内 の代 り に な る。 ⋮ ⋮
マ ッ チ の箱 は 日 本 の鏡 だ 。 ⋮ ⋮ 日 本 の 生 活 の 珍 奇 な 万 華 鏡 で あ る 。 パ リ で 、 私 は い つ でも 仕 事 机
の 上 に東 京 の マ ッ チ箱 を お いて お く 。 そ の 小 さ な 箱 の中 に 日 本 の全 部 が お さ ま って い る。 ⋮ ⋮ ﹂
(ロベ ー ル ・ギ ラ ン ﹁マ ッ チ箱 ﹂ 朝 日新 聞 、 昭 和 三 十 七 年 三月 十 六 日 、 ﹁き の う き ょう ﹂ 欄 所 載 )。
あ る 。 こ の場 合 、 砂 は 流 水 を あ ら わ す と 思 う が 、 総 じ て 、 ﹁石 と 水 ﹂ に よ って造 形 さ れ る文 化 の形
京 都 に あ る 竜 安 寺 の、 一木 一草 も 存 在 し な い、 石 と 白 砂 で つく ら れ た い わ ゆ る ﹁石 庭 ﹂ は 有 名 で
式 は 無 常 性 行 動 の所 産 だ と い え る。
な ぜ な ら 、 無 常 性 行 動 は 継 走 方 式 によ る 行 動 で あ る か ら 、 つぎ つぎ と 交 替 す る 行 動 者 に は 当 然 な
が ら 固 定 性 が 存 在 し な い。 こ の交 替 に よ る 行 動 者 の可 動 性 を ﹁水 ﹂ が 象 徴 す る か らだ 。
し か し 他 方 、 行 動 者 が いく ら 交 替 す る と し て も 、 か れ ら が 継 走 の分 走 者 で あ る か ら に は 、 そ れ ぞ
れ に共 通 の固 定 し た意 志 、 願 望 が 存 在 し な け れ ば な ら ぬ。 ﹁石 ﹂ は こ の共 通 の 意 志 や 願 望 の 不 動 性 を あら わす 。
し た が って、 石 を め ぐ るあ れ こ れ の伝 説 も 、 こ の意 志 や 願 望 の不 動 性 の観 点 か ら、 そ の真 意 を 理 解 でき る ので はな いか。
た と え ば 、 石 と 化 し た 巫 女 た ち の 伝 説 の な か か ら 一例 を こ こ で と り あ げ て み る こと に し よ う。 佐
渡 の霊 峰 金 北 山 の ふも と に老 女 が 住 ん で いた 。 山 は も ち ろ ん 女 人 禁 制 だ った が 、 老 女 は自 分 が 巫 女
だ か ら と結 界 (女 人 禁 制 の限 界 線 ) を 破 って 登 って い った 。 と ころ が 、 そ の時 、 山 が 大 荒 れ にな り 、
老 女 の す が た が み え な く な った 。 や が て 、 嵐 も お さ ま った が 、 老 女 は ふ た た び 帰 って こ な い。 た だ
参 道 の な か ほ ど に 、 つ いぞ み か け た こと のな い岩 が あ る のが 目 に は い った 。 そ の岩 の い た だ き が 、
ち ょう ど 、 老 女 の髪 か た ち に似 て い る の で 、 き っと巫 女 が 石 に 化 し た のだ ろ う 、 と 、 岩 を 巫 女 石 と 名 づけ たと いう。
こう いう い わ ば 化 石 伝 説 の な か か ら 、 前 に も 出 た 仏 法 的 屈 折 た る禁 制 を 破 った こ と で 生 じ た 神
(仏 ) 罰 と い う 観 点 を のぞ け ば 、 賽 の 河 原 の 石 積 み と 同 じ く 、 意 志 や 願 望 の 不 撓 不 屈 性 と 石 の不 動 性 の連 想 と いう 発 想 が あ と に残 る の で は な い か 。
﹁石 と水 ﹂ の文 化 に お け る 両 者 の 不 可 分 性 の 問 題 に つ い て は 、 一連 の随 想 のな か で つぎ の よ う に
荻 原 井 泉 水 も 述 べ て い る。 ﹁水 に いち ば ん好 く マ ッ チ す る も の は 石 で あ る ﹂ ﹁石 は ウ エ ッ ト で な け
れ ば いけ な い。 石 は 雨 に ぬ れ て は じ め て美 しく な る﹂ ま た ﹁(夏 の) 一日 の 日 に 乾 き き って い る 石
に 水 を や る 。 立 木 は 土 の 中 に 張 った そ の根 か ら 水 を 吸 え るだ ろ う が 、 石 と いう も の は わ た し が 水 を
か け て や る の を 待 って い る か ら だ ﹂ (荻 原 井 泉 水 ﹁石 ﹂ ﹁雨 ﹂ ﹁夕 ﹂ 朝 日 新 聞 、 昭 和 三 十 七 年 七 月 十 日 、 十 一日 、 十 三 日 )。
四 自 己 肯 定 性 の準 則
今 日 の ﹁行 為 ﹂ ﹁行 動 ﹂ と いう 言 葉 の古 語 は ﹁お こな い﹂ で あ る 。 し か し 、 こ の新 旧 二 つ の言 葉 は 、 か な ら ず し も そ の 意 味 が 符 合 し て い る わ け で は な い。
こ こ ろ み に、 ﹃広 辞 苑 ﹄ か ら ﹁お こな い﹂ の 意 味 を引 用 す れ ば 、 ① お こな う こと 。 し わ ざ 。 ふ
る ま い。 動 作 。 ② 品 行 。 行 状 。 身 持 。 ③ 僧 侶 が 戒 行 を 修 め る こ と 。 ④ 五 穀 豊 饒 を 祈 る 年 頭 の
行 事 。 仏 教 の 修 正 会 の 日 本 名 で あ る 。 神 社 で お こ な わ れ る 春 の祭 と同 じ も の︱ ︱ と記 さ れ て い る 。
わ た し は こ こ で 、 ﹁お こな い﹂ に お け る ﹁仏 事 の勤 め ﹂ と いう 意 味 を 重 視 し た いが 、 大 野 晋 は こ れ に異 論 が あ る よ う だ 。
か れ は ﹃日 本 書 紀 ﹄(巻 第 十 三 、允 恭 天 皇 )にあ る 、 ﹁わ が 夫 子 が 来 べき 夕 な り 小 竹 が 根 の 蜘
蛛 の 行 い 今 宵 著 し も ﹂ (私 の思 う 人 が き っと お い で に な り そ う な宵 で す 。 今 宵 、 あ の小 竹 の 根 に
蜘 蛛 が 巣 を か け て い る のを 見 る と 、 そ れ が は っき り と分 か り ます 。 ︱︱ 蜘 蛛 が 巣 を か け る の は 人 が
訪 ね て 来 る前 兆 と 信 じ ら れ て いた ) と い う 古 歌 に着 目 し て、 ﹁蜘 蛛 の行 い﹂ と は ﹁蜘 蛛 が 定 ま った
仕 方 に 従 って巣 を か け て 行 く こと を 指 し て い る ﹂ と し 、 総 じ て ﹁オ コナ フと は 、 ど ん な こ と を 指 す
こ とば か。 これ は 、 た だ た ん に 、 な に か を す る の で は な い。 物 事 を、 そ れ ぞ れ の 方 式 に従 って 、 き
ま った 仕 方 に 則 ってす る こと を いう の で あ る。 だ か ら 源 氏 物 語 で オ コナ ヒ明 カ スと い え ば 、 一晩 中 、
定 ま った 仕 方 に従 って お 経 を あ げ た り 、 鐘 を た た い た り し て、 勤 行 す る 意 ﹂ だ と 理 解 さ れ て い る
(大 野 晋 ﹁お こ な い﹂ 朝 日 新 聞 、 昭 和 三 十 五 年 五 月 二 十 一日 ﹁言 葉 の年 輪 ﹂ 欄 所 載 )。
か れ に あ って は、 こ の よ う に、 ﹁お こ な い﹂ を ﹁た だ た ん に、 な に か を す る ﹂ の で な く 、 も っぱ
ら 、 所 定 の仕 方 、方 式 に従 って事 を と り は こ ぶ と いう 意 味 を も つ言 葉 だ と さ れ 、 さ き に わ た し が 重
視 し た い と い った ﹁仏 事 の 勤 め﹂ と いう 意 味 が 、 そ の背 後 に陰 蔽 さ れ て し ま う 。
わ た し は 日 本 人 の行 動 に お け る 自 己 否 定 性 と い う 準 則 の観 点 か ら 、 ﹁お こ な い﹂ の第 一義 は、 無
心 性 行 動 に対 応 し て、 仏 事 の勤 め を指 し て いた と考 え る 。 な ぜ な ら、 無 心 性 行 動 は 行 動 に お け る 代
行 方 式 で あ って 、 自 己 の依 拠 し従 属 す る超 越 神 (超 越 者 ) の代 行 に よ って自 己 の 願望 を 成 就 し よ う
と す る 行 動 の 方 式 に ほ か な ら ぬ た め、 こ の場 合 、 超 越 神 へ の接 近 の努 力 が 行 動 者 の当 為 と な ら ざ る
を え ぬからだ 。
も ち ろ ん 、 仏 事 の勤 め に お い て は、 大 野 晋 の い う と お り 、 ﹁定 ま った 仕 方 に 従 って お 経 を あげ た
り 、 鐘 を た た い た り ﹂ す る。 し か し 、 仏 事 の 勤 め と いう 、 い わ ば 特 殊 な 意 味 を は な れ 、 も っと 一般
的 に、 ﹁お こ な い﹂ が 所 定 の仕 方 、 方 式 に従 って 事 を と り は こ ぶ と いう 第 二義 の意 味 に転 ず る に は 、
無 心 性 行 動 に続 い て 登 場 す る 無 常 性 行 動 の成 熟 が 必 要 で あ った 。 な ぜ な ら 、 無 常 性 行 動 に お い て は 、
上 記 し た よ う に 、 恣 意 を し り ぞ け た ﹁序 列 主 義 ﹂ の原 則 が 必 須 、 不 可 避 で あ った か らだ 。
と ころ で 、 わ た し は 、 今 日 の 日 本 人 の思 考 や 生 活 の な か に、 無 心 性 、 無 常 性 と い う 二 つ の 側 面 を も つ自 己 否 定 性 の行 動 準 則 の 具 体 的 表 現 を 多 く み いだ す 。
し か し 、 ま た こ の自 己 否 定 性 の 行 動 準 則 で は 説 明 でき ぬ 思 考 や 生 活 が 今 日 の 日 本 人 に存 在 す る こ と も 事 実 だ と い わ ね ば な ら ぬ と考 え る 。
そ の い ち じ る し い 例 と し て、 ﹁急 ぐ と いう 習 性 ﹂ と ﹁も の の順 序 を 踏 ま な い傾 向 ﹂ の 二 つ を と り だ し てみ る ことが でき よう。
は じ め に、 ﹁急 ぐ と いう 習 性 ﹂ の 方 か ら み よ う 。
た と え ば 、 交 通 事 故 の頻 発 で あ る。 は な は だ し き に い た って は 、 ﹁交 通 地 獄 ﹂ ﹁交 通 戦 争 ﹂ と い
う 言 葉 さ え 生 ま れ た 。 こ の い た ま し い交 通 事 故 を へら し 、 な く す こと を 、 い ま や だ れ も が 焦 眉 の課 題 と し な け れ ば な ら ぬ。
と ころ で 、 交 通 事 故 の 原 因 だ が 、 警 察 庁 のま と め た 統 計 に よ れ ば 、 無 免 許 、 酔 っぱ ら い運 転 と ス
ピ ー ド 違 反 が そ の三 筆 頭 と あ る 。 し た が って、 スピ ー ド 違 反 や 無 理 な 追 越 し や 、 信 号 が も う 青 に 変
る だ ろ う と いう 見 込 み 発 車 な ど の﹁せ っか ち ﹂も し く は ﹁い ら い ら 心 理 ﹂を 、 い さ さ か で も し り ぞ け る
こ とが で き 、 踏 切 前 で の 一時 停 車 を 確 実 に実 行 で き る とす れば 、 交 通 事 故 は 激 減 す る に いた ろ う 。
こ の ﹁い ら い ら 心 理 ﹂ も しく は ﹁急 ぐ と いう 習 性 ﹂ に つ い て、 そ の社 説 で朝 日 新 聞 は い った 。
﹁交 差 点 で は、 横 の通 り に黄 信 号 が 出 る と た ち ま ち 走 り 出 す 車 、 赤 信 号 に お か ま いな く 車 道 に 踏
み 出 す 人 波 、 そ し て広 く も な い道 で ス リ ル を 楽 し み で も す る か の よ う な 車 の追 い 越 し 。 交 通 事 故 は 相 変 わ ら ず あ と を 絶 た な い。
場 所 や 時 間 に よ って長 短 は あ る が 、 普 通 、 赤 信 号 の時 間 は 三 、 四 十 秒 、 黄 信 号 の間 は 四 、 五 秒 程
度 で あ る 。 あ ぶ な い追 い越 し を 敢 行 し 、 黄 信 号 を 無 視 し て 、 結 局 の と こ ろ 何 分 、 何 秒 を か せ ぐ こと
が で き る で あ ろ う か。 無 理 を し て 見 た と こ ろ で、 車 で 五 分 も 節 約 でき る か ど う か は疑 問 だ ろ う 。 そ
れ に、 これ ほ ど の時 間 を 惜 し ん で ま で 急 が ね ば な ら ぬ 用 事 と いう も の は、 百 に 一つ と い う ほ ど の も
の で は な い か 。 し か も 、 出 か け る 前 、 着 い た あ と 、 一分 、 二分 を 惜 し む ほ ど に、 重 要 な 用 事 が 続 い て いる のであ ろう か。
赤 信 号 の交 差 点 で 、 歩 道 か ら車 道 へ 一歩 踏 み 出 し て 、 足 踏 み で も し て い る か に 見 え る人 も 少 な く
な い。 次 の停 留 所 に着 く は る か前 か ら 、 電 車 や バ ス の出 口 に 殺 到 し 、 ヨ ロ メ い て 他 人 の足 を 踏 む 乗
客 た ち に も 、 こと 欠 か な い。 横 の通 り に黄 信 号 を 見 れ ば 、 ア ク セ ル を 踏 ま な け れ ば 辛 抱 で き な い よ う な運転 手も あ る。
こ こ ま で来 れ ば 、 これ は時 間 を 惜 し む た め の行 為 で あ る かど う か も 疑 わ し い。 す で に、 こ こ で は
一つ の習 性 、 ノイ ロー ゼ とさ え も 見 ら れ よ う 。 他 人 よ り 一歩 で も 前 へ、 一秒 で も 早 く 、 絶 え ず 追 い
ま く ら れ て急 が ね ば な ら ぬ 、 一瞬 も 立 ち 止 ま って は な ら ぬ 、 と い った強 迫 観 念 に支 配 さ れ て いる か
の よ う で あ る 。 ⋮ ⋮ ﹂ (社 説 ﹁急 ぐ と い う 習 性 ﹂ 朝 日 新 聞 、 昭 和 三 十 六 年 一月 八 日 )。
ま た 、 貝 塚 茂 樹 は ﹁ニ ュー ヨー ク に暮 ら し て ﹂ み て 、 こ の 日 本 人 の ﹁いら いら 心 理 ﹂ を ア メリ カ 生 活 の な か で あ ざ や か に浮 き 彫 り に し て つぎ の よ う に書 い て い る。
﹁戦 時 中 の こ と で あ った が 、 ︽バ ス に乗 り 遅 れ な いよ う に︾ と いう 言 葉 が 盛 ん に使 わ れ た こと が あ る。 ⋮ ⋮ こ の表 現 は 欧 米 に は通 用 し な い 日 本 的 な も の で あ る 。
︽お 前 は ニ ュー ヨー ク に いる のか 。 あ ん な 忙 し い都 市 に よ く 住 ん で る な ︾ と、 米 国 のよ そ の 大 学
の 先 生 に た び た び い わ れ た け れ ど も 、 ニ ュー ヨ ー ク の ラ ッ シ ュ時 の交 通 機 関 の 混 雑 と い って も 、 東
京 都 と は と う て い 比 較 に な ら な い。 そ れ に乗 客 の気 分 が ず っと の ん び り し て いる 。 山 手 の コ ロ ンビ
ア 大 学 付 近 に い て い つも バ スを 利 用 し て いた 。 一つ はず す と十 分 く ら いも 待 た ね ば な ら な い の に、
向 こ う に バ スが 来 か か った の が 見 え て いて も 、 米 国 市 民 は 一人 と し て バ ス ス ト ップ に かけ つ け な い。
あ わ ても の の私 が 走 り 出 す と 、 見 っとも な いか ら よ し な さ い と、 娘 か ら 毎 度 の よ う に た し な め ら れ た も の で あ った。
欧 米 人 が バ ス に乗 り 遅 れ ま い と し て走 ら な い の に、 な ぜ わ れ わ れ だ け が か け だ す のだ ろ う か 。 人
口 の密 度 に 比 例 し た 交 通 機 関 の こ み 方 も あ る け れ ど も 、 日 本 人 の 気 持 ち も か な り 影 響 し て い る よ う
で あ る 。 な に し ろ わ れ わ れ は 明 治 以 来 、 先 進 国 に追 い つけ 追 い 越 せ と 、 絶 え ず 走 り つづ け て き た も
の で あ る が 、 も う そ ろ そ ろ 自 己 の ペ ー ス で歩 い て も い い こ ろ で は な か ろ う か 。﹂ (貝 塚 茂 樹 ﹁わ が 道 を 行 く ﹂ 朝 日 新 聞 、 昭 和 三 十 六 年 七 月 五 日 ﹁き のう き ょう ﹂ 欄 所 載 )。
つづ い て、 ﹁も の の順 序 を 踏 ま な い傾 向 ﹂ の方 へ目 を移 そ う 。
こ の問 題 に つ い て も 、 朝 日 新 聞 の 社 説 は 、 つぎ の よ う な 率 直 な 発 言 を お こな った 。
﹁も の に順 序 が あ る と い っても 、 そ れ は 当 り 前 の こ と で 、 何 の 奇 も な い話 で あ る が 、 そ の当 り 前
の こと が 、 わ れ わ れ 日 本 人 に は、 た い へん 苦 手 のよ う に見 え る 。 何 事 に よ ら ず 先 を 見 越 し て、 そ の
目 的 のも の に 直 接 つか み か か ろ う と し て 、 そ れ ま で の手 順 を ふ み はず す の で あ る。 先 を 見 越 す と こ
ろ に は、 な か な か 鋭 いも のが な い で も な いが 、 そ れ を 実 現 す る 順 序 を 踏 も う と し な い か ら 、 事 は 希
望 通 り に実 現 し な い こ と が 多 い し 、 近 道 の つも り が 、 か え って 時 間 も 手 間 も か か る と いう 、 ま ず い
結 果 にな る 。﹂
﹁家 を 建 て た い と 思 って 、 売 地 を 買 う 。 そ の地 面 に は ま だ 道 路 も つ い て い な い の に、 と に かく 家
を 建 て る 。 道 路 な ん か は あ と で よ い と考 え る 。 上 水 も 下 水 も 設 備 が な い の に 、 な ん と か な ろ う と 、
あ ら っぽ く 考 え る。 そ こ で 、 出 来 上 が った 家 の 向 き な ど も 勝 手 放 題 で、 あ と で つけ ら れ る道 の方 が 、
こ れ に順 応 す る こと に な る か ら 、 曲 り く ね った 道 にな り か ね な い。 近 ご ろ 、 整 地 し て 売 出 し て いる
と か ら、 も う 一度 、 掘 返 さ ね ば な ら ぬ ハ メ に な る 。
土 地 な ど も 、 上 下 の水 道 工 事 ま でや って い な い のが 普 通 で あ る か ら、 あ っち こ っち に家 を 建 て た あ
ま ず や ら ぬ のが 通 例 で あ る 。﹂
欧 米 の連 中 の や り 方 は 、 ま さ にそ の 正 反 対 で 、 道 路 の整 備 し て な い所 に住 宅 を 建 て る よ う な事 は、
﹁戦 後 の 復 興 に つ い て は 、 も う だ い ぶ 言 い ふ る さ れ た よ う だ が 、 た と え ば ハンブ ル ク な ど は、 復
興 の 第 一に 港 湾 、 第 二 に工 場 、 第 三 に 住 宅 と いう ふ う に、 順 序 が 立 って いて 、 こ の 都 市 の生 命 で あ
る港 の 施 設 が い ち 早 く 復 興 さ せ ら れ た。 日 本 で は 、 こん ど の復 興 に あ た って も 、 順 序 も 秩 序 も 立 て
ら れ ず 、 いわ ば 金 のあ る も の か ら 自 分 の思 い通 り 勝 手 気 ま ま に 住 宅 な り オ フ ィ スな り が 建 て ら れ た。
順 序 と し て真 っ先 に 、 道 幅 を 広 げ る こ と で も 考 え て 、 先 に そ の手 を 打 って お った ら 、 今 日 の こ の交
﹁も の の順 序 ﹂ 朝 日 新 聞 、 昭 和 三 十 七 年 八
通 混 乱 も な か った ろ う し 、 い ま 途 方 も な い地 価 で買 上 げ て い る た め に支 出 さ れ る 膨 大 な 費 用 が 、 一 般 国 民 の肩 に か か ってく る こ と も な か った ろ う ﹂ (社 説
月 二 十 一日 )。
自 己 が 自 己 の行 動 に お け る 主 人 公 にな り え た 場 合 、 こ の よ う な 主 人 公 の行 動 を ﹁自 己 肯 定 性 ﹂ を 準 則 と す る も の と いう 。
自 己 肯 定 性 を 準 則 と す る 行 動 、 つ ま り 自 己 肯 定 性 行 動 は 、 さ ら に これ を い いか え て 、 完 結 性 行 動 と 呼 ぶ こ と も で き よ う。
自 己 否 定 性 行 動 にあ って は 、 無 心 性 行 動 に お い て も 無 常 性 行 動 に お い て も 、 そ れ ぞ れ 行 動 者 が し
り ぞ け ら れ る か ら 、 行 動 者 に 行 動 の完 結 性 を も と め る こ と は 不 可 能 で あ る 。
完 結 性 行 動 、 も し く は 自 己 肯 定 性 行 動 に お い て は、 行 動 者 は 自 己 の目 的 や 願 望 を 、 超 越 神 に依 拠
、 従 属 せ ず 、 ま た他 行 動 者 に後 事 を 託 す こと な く 、 そ の始 点 か ら 終 点 ま で 、 行 動 過 程 の全 体 を も っぱ ら 自 己 の努 力 だ け で 達 成 、 成 就 し な け れ ば な ら な い。
今 日 の 日 本 人 に 、 と く に今 度 の太 平 洋 戦 争 後 の若 い世 代 の 日 本 人 に、 こ のよ う な 自 己 肯 定 性 行 動
が 急 速 に 成 熟 し つ つあ る こ と は 事 実 だ 。 た と え ば ﹁親 孝 行 ﹂ と は 何 か、 と き か れ て 、 東 京 の若 夫 婦
や 小 学 生 は こ た え た 、 ﹁親 子 そ れ ぞ れ 自 立 でき る 経 済 関 係 を つく り だ す こ と﹂ ﹁病 気 な ど し な い で
、親 に心 配 を か け な い こと ﹂ だ と (朝 日新 聞 、 昭 和 三 十 七 年 五 月 十 三 日、 ﹁テ レビ ・ラジ オ ﹂ 欄 所 載 )
。 こ の若 夫 婦 や 小 学 生 の 言 葉 を さ さ え て い る も の は、 ﹁親 は 親 、 子 は 子 ﹂ と い う 明 快 な 原 則 、 親 も
子 も そ れ ぞ れ 完 結 性 の行 動 者 で あ る と いう 原 則 で あ る 。
し か し 、 こ れ を さ ら に厳 密 に い う と す れ ば 、 日 本 型 自 己 肯 定 性 行 動 と い い か え ね ば な ら な い。
今 日 の、 と く に若 い世 代 の日 本 人 に 、 自 己 肯 定 性 行 動 が 急 速 に成 熟 し つ つあ る 、 と さ き に い った 。
こ こ で 日 本 型 自 己 肯 定 性 行 動 と 呼 ぶ も の は、 行 動 に お け る 短 距 離 性 独 走 方 式 の こ と だ 。 と こ ろ で、 こ の行 動 に お け る 短 距 離 性 独 走 方 式 と は何 か。
無 常 性 行 動 に お け る そ れ ぞ れ の行 動 者 は、 いう ま で も な く 完 結 性 の行 動 者 で は な い。 か れ ら は分
走 者 にす ぎ な い か ら で あ る 。 こ の よ う な 分 走 者 が 継 走 方 式 を す て て、 あ ら た に独 走 方 式 を 採 用 し 、
全 走 者 、 も し く は完 結 性 の行 動 者 と な る に は 、 普 通 、 分 走 者 と し て 担 当 し た 行 動 の い わば 短 距 離 的
な 部 分 過 程 の 枠 を 大 胆 に破 壊 し て 、 長 距 離 的 な 行 動 過 程 の全 体 を 担 当 す る も の に 成 長 し な け れ ば な ら ぬ。
し か し 、 日 本 人 は こ の よ う に決 然 と 過 去 と 袂 を 分 か つ こ と を し な か った 。 短 距 離 部 分 過 程 の 担 当
者 か ら 長 距 離 全 体 過 程 のそ れ に 転 ず る こ と な く 、 短 距 離 全 体 過 程 の 担 当 者 に転 じ た の で あ る 。 距 離
を 変 化 さ せ ぬ ま ま 、 部 分 過 程 を 全 体 過 程 に 転 ず る に は、 行 動 の終 点 の位 置 を 移 動 さ せ な け れ ば な ら
ぬ 。 つ ま り 、 日 本 人 は自 己 肯 定 性 行 動 者 と し て 、 そ の 行 動 を 阻 止 し 停 滞 さ せ る 障 害 や 困 難 の直 前 に 、
行 動 の 終 点 を移 動 さ せ た 。 し た が って 、 いま や 日 本 人 は、 た とえ 完 結 性 の全 走 者 で あ る と し て も 、
ポ パ イ の よ う に ホ ウ レ ン ソ ウ を 保 持 す る 必 要 も な く 、 ま た い わ ゆ る ﹁楽 は 苦 の種 、 苦 は 楽 の種 ﹂ の
原 則 も 日 本 人 か ら し り ぞ け ら れ る こ と と な った。 こ の よ う な 日 本 型 自 己 肯 定 性 行 動 は 、 ま さ し く 行 動 に お け る 短 距 離 性 独 走 方 式 と 呼 ぶ に ふ さ わ し いも の で は な い か 。
今 日、 ﹁国 民 体 位 の向 上 も いち じ る し く 、 将 来 日 本 人 が ま す ま す 大 型 化 す る と期 待 で き る﹂ と厚
生 白 書 (昭 和 三 十 六 年 度 ) は 述 べ て いる が 、 こ の 短 距 離 性 独 走 方 式 の行 動 と いう 観 点 か ら い え ば 、
さ き に あ げ た ﹁一寸 法 師 ﹂ の 唱 歌 に託 せば 、
身 体 面 の ﹁大 型 化 ﹂ に反 比 例 し て 、 精 神 面 が ﹁小 型 化 ﹂ し て い る と み ら れ る 。 し た が って 、 これ を
オ オ キ ナ カ ラダ ニ チ イ サ イ ノゾ ミ
と 、 そ の歌 詞 の改 作 が 必 要 と な ろ う 。
と こ ろ で、 今 日 の日 本 人 に、 ﹁急 ぐ と いう 習 性 ﹂ と ﹁も の の順 序 を 踏 ま な い傾 向 ﹂ が み ら れ る こ
と を前 述 した。 わ た し は この習性 や傾 向 を 日本型 自 己肯 定性 行 動 の具体 的表 現 にほ かな ら ぬと考 え る。
短 距 離 性 独 走 方 式 の行 動 に お い て は、 行 動 の 伴 侶 も え に く い と こ ろ か ら 、 無 常 性 行 動 で重 視 さ れ
た ﹁タ テ﹂ の連 帯 性 に か わ る べき 、 ﹁ヨ コ﹂ の連 帯 性 が そ だ た な い。 人 間 行 動 の社 会 性 に お け る、
こ の よ う な 日 本 人 の紐 帯 性 の 貧 困 を 土 台 、 背 景 と し た 、 勝 手 気 儘 な 短 距 離 走 法 や 前 述 し た 序 列 主 義
の 原 則 の崩 壊 が 、 ﹁急 ぐ と いう 習 性 ﹂ や ﹁も の の順 序 を 踏 ま な い傾 向 ﹂ を も た ら し た と わ た し は考 え る。
あ と が き
人 間 精 神 の発 展 過 程 を 時 代 区 分 す る と な れ ば 、 自 己 肯 定 性 行 動 が 軸 と な る 時 代 を ﹁近 代 ﹂ と 呼 べ
よ う か ら 、 そ れ に先 行 す る自 己 否 定 性 行 動 が 軸 と な る 時 代 は ﹁前 近 代 ﹂ で あ る 。
わ た し は今 日 の 日 本 人 のな か に 、 生 き て いる こ の 前 近 代 を み いだ す と 同 時 に、 急 速 な 近 代 の成 長
に も 目 を 向 け な け れ ば な ら な い と 考 え る 。 し か し 、 日 本 人 の近 代 は 、 本 文 です で に述 べ て お い た よ
う に 、 前 近 代 か ら 決 然 と 袂 を 分 か って成 立 し た も の で はな か った。 日 本 型 自 己 肯 定 性 行 動 は 、 当 然
の こ と な が ら 、 日 本 に 特 殊 な 近 代 を 形 成 し た 。 し た が って 、 前 近 代 と 近 代 と が 、 こ こ で は癒 着 的 に 共 存 す る。
と ころ で 、 前 近 代 ↓ 近 代 に続 く も の は 何 か 。 ﹁超 近 代 ﹂ の 概 念 を あ げ る こ とが でき よ う 。 つま り 、
自 己 否 定 性 行 動 と 自 己 肯 定 性 行 動 の矛 盾 を 統 一す る 行 動 準 則 が 軸 と な る 時 代 と し て の超 近 代 で あ る 。
そ の よ う な 超 近 代 を 日 本 人 は い った いど の よ う に形 成 し て ゆ く か。 今 日 、 前 近 代 と近 代 と が 癒 着
的 に 共 存 し て い る こ と は、 明 日 の超 近 代 を 形 成 し て ゆ く 過 程 で、 プ ラ ス で あ る の か マイ ナ ス で あ る
のか。 真 剣 に そ の解 答 が も と め ら れ ね ば な ら ぬ課 題 だ と 考 え る。
一九 六三 年三 月
世 良 正 利
本 書 は 、 紀 伊 國 屋 新 書 B ︱ 3 ﹃日 本 人 の パ ー ソ ナ リ テ ィ﹄ を 復 刻 し た も の で す 。
著者 世 良 正 利
[精選復刻 紀伊國屋新書]
発行所 会 株社 式 紀 伊 國屋 書 店
日本 人 の パ ー ソナ リテ ィ 東 京 都 新 宿 区 新 宿3-17-7 電話 03(3354)0131(代
1994年1月25日
第 1刷発 行 〓
山 版 部 (編 集)電
話03(3439)0172
ホール セー ル 部(営
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〒156東
業)電
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装幀 菊地信義 ISBN4-314-00647-1C1330 Printed
in
Japan
定 価 は 外 装 に 表 示 して あ ります
表)
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印刷 理 製本 三
想 水
社 舎