まえがき
地球上には多種多様な生物が存在しているが,それら生体を構成している各種生 体分子間の精巧かつ巧妙な相互作用は,生物活動の営みの基本となっている.細胞 の増殖・分化や,個体レベルでの発生・形態形成,また,がん化などをはじめとす...
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まえがき
地球上には多種多様な生物が存在しているが,それら生体を構成している各種生 体分子間の精巧かつ巧妙な相互作用は,生物活動の営みの基本となっている.細胞 の増殖・分化や,個体レベルでの発生・形態形成,また,がん化などをはじめとす る各種病態の発症やそれに対する生体防御反応など,すべての生物活動はタンパク 質を中心とした生体分子の相互作用によって担われているが,タンパク質にしろ, 核酸,脂質や低分子物質にしろ,細胞内での実際の反応においては,ほぼすべての 場合,他の生体物質との相互作用を通じて反応が進展するのが普通である. たとえば,その典型的な例として細胞内シグナル伝達を考えてみれば,リガンド と受容体との相互作用を起点とし,受容体を介して細胞内に入ったシグナルはつぎ つぎと細胞内シグナル伝達物質を経由し,最終的な標的分子に伝えられる.この過 程では,上流に位置する分子から下流の分子へと,それらの一時的な相互作用に よって主としてリン酸化を介し情報が伝えられる.その際のリン酸化や脱リン酸化 の反応を少し詳細にみれば,これもまたリン酸とタンパク質との相互作用として特 徴づけることが可能である. また,薬剤や内分泌撹乱化学物質 (環境ホルモン) などの化学合成物質は,標的と なる生体分子と相互作用することによって物質固有の効力を発揮している.現在, バイオセンサーとしてリガンドに特異的に結合する生体レセプターが用いられてい るが,生体レセプターに代わる化学レセプターの開発も試みられている.生体分子 であると化学合成物質であるとを問わず,分子間相互作用の解明により,生物の発 生・分化・増殖などの生体反応や薬理機構の解明といった基礎研究領域への貢献は いうに及ばず,バイオセンサー,新規治療薬・診断薬の開発,品質管理・汚染検査 技術の開発といった広領域への応用展開が期待される. これまでに,生体・化学分子間の相互作用を解析する技術は数多く考案されてき たが,相互作用の速度論的な解析ができる簡便な技術や機械の開発が首を長くして 待たれていた.このような状況のなかで,その速度論的な解析が単純な操作のみで できる画期的な技術が開発された.本書で紹介する表面プラズモン共鳴がそれであ る.表面プラズモン共鳴を利用し解析を自動化したBIACOREは,欧米だけでなくわ が国においても大きな注目を集め,実際に活用している研究者が近年急増してきた. それら研究者に対して,BIACOREの原理や具体的な使用例から応用への展開を網羅 して,それらを平易に解説することは時宜を得た企画だと思われる.本書の編集を 引き受けた所以である.
i
本書は,第一線の研究者によって実際の応用例が紹介され,原理からはじまって さまざまの思わぬ応用までを知ることができるように配列されている.また,他の 生体物質相互作用を測定する方法・技術との併用や相違を解説した章も加えられて いる.本書が,BIACOREを現在直接に取り扱っていない学生にとっても,また,現 在利用していてさらなる応用や効果的な使用法を模索している研究者にとっても, 多くの示唆を与えるものであることを願っている.あらかじめ草稿に目を通して, あらためてこの方法論の有効性と将来的な可能性に目を開かれた思いがしている. ここに述べられているところを出発点として,読者によるさまざまな試みがなされ れば,本書を上梓した意味もあるということになろう. 本書を編集するにあたり,忙しい時間を割いて快く執筆をご承諾いただいた研究者 の方々に心から感謝する次第である.また,本書の刊行に際して,シュプリンガー・ フェアラーク東京株式会社のスタッフには大変お世話になった.ここに記して深く感 謝の意を表したい.
永田 和宏・半田 宏
ii
編 集
執筆者
永田 和宏
京都大学再生医科学研究所 細胞機能調節学部門,教授 理学博士
半田 宏
東京工業大学生命理工学部 生体システム講座,教授 医学博士
新井 盛夫
東京医科大学
有坂 文雄
東京工業大学生命理工学部
家村 俊一郎
基礎生物学研究所形態形成研究部門
稲川 淳一
ビアコア (株)
井上 敏
チッソ (株)横浜研究所
上野 直人
基礎生物学研究所形態形成研究部門
江崎 圭子
中外製薬 (株)創薬資源研究所
大塚 栄子
北海道大学大学院薬学研究科
岡崎 一生
ビアコア (株)
河田 聡
大阪大学大学院工学研究科
黒澤 良和
藤田保健衛生大学総合医科学研究所
後藤 雅式
アマシャムファルマシアバイオテク (株)
小林 博幸
北海道大学大学院薬学研究科
坂野 誠治
旭化成工業 (株)ライフサイエンス基礎研究所
澤田 潤一
東京工業大学生命理工学部
篠原 康郎
アマシャムファルマシアバイオテク (株)
嶋田 一夫
東京大学大学院薬学系研究科
新家 一男
東京大学分子細胞生物学研究所
鈴木 文彦
東京工業大学大学院生命理工学研究科
須田 年生
熊本大学医学部附属遺伝発生医学研究施設
瀬戸 治男
東京大学分子細胞生物学研究所
高井 義美
大阪大学大学院医学系研究科
iii
高木 知世
基礎生物学研究所形態形成研究部門
竹内 勝一
塩野義製薬 (株)創薬研究所
釣本 敏樹
奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科
戸須 真理子
アマシャムファルマシアバイオテク (株)
永田 和宏
京都大学再生医科学研究所
夏目 徹
科学技術振興事業団御子柴細胞制御プロジェクト
橋本 せつ子
ビアコア (株)
畑 裕
科学技術振興事業団高井生体時系プロジェクト
半田 宏
東京工業大学生命理工学部
村井 法之
国立感染症研究所細菌部
森岡 弘志
北海道大学大学院薬学研究科
森本 香織
ビアコア (株)
安井 裕之
京都薬科大学
山本 隆正
基礎生物学研究所形態形成研究部門
吉田 賢右
東京工業大学資源化学研究所
Philip T. Chapman
Cambridge University, UK
Tomoko Hirama
National Research Council Canada
Marie T. Jelonek
National Institute of Allergy & Infectious Diseases, USA
Roger MacKenzie
National Research Council Canada
Ann-Christin Malmborg
Lund University, Sweden
Magnus Malmqvist
Biacore AB, Sweden
David H. Margulies
National Institute of Allergy & Infectious Diseases, USA
Kannan Natarajan
National Institute of Allergy & Infectious Diseases, USA
Christopher Williams
Millenium Pharmaceuticals, USA (五十音順・ABC順)
iv
目 次
第I部 生体物質相互作用をリアルタイムで解析する意義とは ......................... 永田和宏 ......... 3
第 II 部 原理編 1
表面プラズモン共鳴の原理 ............................................................ 河田 聡 ....... 13
2
BIACORE の原理 ...................................................................... 橋本せつ子 ....... 27
第 III部 基礎編 1
実験操作手順 ...................... 稲川淳一,岡崎一生,森本香織,橋本せつ子 ....... 39
2
データ解析法 ...................................................................................................... 63 2.1 一般的手法 ................................................................................. 夏目 徹 ....... 63 2.2 非線形最小二乗計算による速度論的解析 ............................... 安井裕之 ....... 74
第 IV部 応用編 1
タンパク質 - タンパク質相互作用解析 ................................................................ 89 1.1 分子シャペロン ..................................................... 村井法之,吉田賢右 ....... 89 1.2 DNA ポリメラーゼδ複合体 .................................................... 釣本敏樹 ....... 97 1.3 初期発生におけるタンパク質間相互作用の解析 −オーガナイザー因子フォリスタチンと BMP の直接結合− ....................................... 家村俊一郎,山本隆正,高木知世,上野直人 ..... 106 v
2
タンパク質 - ペプチド相互作用解析 ................................................................. 115 2.1 神経シナプス結合構成分子 ...................... 竹内勝一,畑 裕,高井義美 ..... 115 2.2 MHC 分子と T 細胞レセプターとの相互作用 .......................................... M. T. Jelonek, K.Natarajan, D.H. Margulies ..... 124
3
DNA- タンパク質相互作用解析 ......................................................................... 133 3.1 転写因子 ............................................................... 澤田潤一,鈴木文彦 ..... 133 3.2 紫外線損傷 DNA 認識抗体 .................. 森岡弘志,小林博幸,大塚栄子 ..... 138
4
DNA-DNA 相互作用解析 ................................................................................... 148 4.1 ハイブリダイゼーションによるミスマッチ検出 .. 後藤雅式,戸須真理子 ..... 148
5
糖 - タンパク質相互作用解析 ....................................................... 篠原康郎 ..... 155 5.1 糖鎖 - レクチン間相互作用 ........................................................................... 155 5.2 リポソーム上でのタンパク質と糖質の相互作用 ...................................................... Roger MacKenzie, Tomoko Hirama ..... 160
6
脂質 - タンパク質相互作用解析 ........................................................................ 171 6.1 血液凝固因子 .......................................................................... 新井盛夫 ..... 171
7
精製・スクリーニングへの応用 ........................................................................ 181 7.1 受容体型チロシンキナーゼのリガンド同定および精製 .............................................................................. 坂野誠治,須田年生 ..... 181 7.2 イノシトールトリスリン酸レセプターに作用する物質のスクリーニング .............................................................................. 新家一男,瀬戸治男 ..... 187 7.3 ファージ・ディスプレイ法 ............................... Ann-Christin Malmborg ..... 194
8
臨床・診断への応用 .......................................................................................... 201 8.1.マウスモノクローナル抗体のヒト型化と抗原抗体反応の速度論的な解析 ................................................................................................ 江崎圭子 ..... 201 8.2 ヒト脊髄性ペルオキシダーゼのエピトープマッピング ........................................................................................... P. Chapman ..... 206
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較 ............................................ 215 9.1 カロリメトリーおよびストップドフローとの比較 ................. 黒澤良和 ..... 215
vi
9.2 9.3 9.4 9.5
マススペクトロメトリーと BIACORE .................. Christophor Williams ..... 221 核磁気共鳴法(NMR)を用いた生体物質の相互作用解析 ..... 嶋田一夫 ..... 228 超遠心分析 .............................................................................. 有坂文雄 ..... 226 蛍光共鳴エネルギー移動法 ........................................................ 井上 敏 ..... 245
第 V 部
将来の展望 ................................................................................................ 半田 宏 ..... 257
索 引 ......................................................................................................................... 265
コラム
BIACORE の開発 ............................................................... Magnus Malmqvist ..... 35
BIACORE を鍋釜のように使う ............................................................ 夏目 徹 1.組換え体は溶けてるの? − GST 融合タンパク質の検出 ............................. 62 2.溶けた組換え体の活性は? ......................................................................... 114 3.組換え体の発現条件最適化 ......................................................................... 147 4.モノクロナール抗体の産生量 ...................................................................... 154 5.等電点を簡単に調べる ................................................................................ 170 6.構造解析の条件設定 .................................................................................... 180 7.画分チェック ............................................................................................... 214
vii
生体物質相互作用をリアルタイムで 解析する意義とは 永田和宏
1.
はじめに かつてタンパク質が構造を担うものと考えられていた時代,また,代謝を中 心とした酵素学へと研究の中心が移っていった時代,タンパク質の働きは 1個のタンパク質の機能として理解されていた.典型的な例はいうまでもな く酵素であろう.初期に研究されていた酵素は1種類の酵素が一つの反応を 担っている場合が多く,1分子の酵素の反応過程をいかに解析するかは生化 学の大きな研究テーマであった. 現在の生化学・分子生物学・細胞生物学の主テーマは,タンパク質間相互作 用,あるいは,タンパク質と他の分子との相互作用を研究するところにゆき つくと筆者は考えている.酵素反応の素過程だけを解析するという生化学的 興味ならいざ知らず,それを生命現象というコンテキストのなかで位置づけ ようとすれば,必然的にその制御因子や細胞内局在,一連の反応過程との関 連など,他のタンパク質との相互作用を無視しては考えられないのである.
2.
タンパク質相互作用の検出法 タンパク質間相互作用を解析するさまざまな方法や機器がこれまでの開発さ れている.相互作用を直接間接に検出する方法として現在用いられているの は,つぎのようなものであろう. 1)ビーズなどに固定したリガンドへの結合を遠心や溶出などによって調べ る.プルダウン解析やアフィニティークロマトグラフィーがこれに相当す る.たとえば,抗体を担体に固定化してカラムに詰め,そこに抗原を含む細 胞抽出液を流せば,抗原のみが抗体に結合し,酸などで溶出することによっ て特定のタンパク質だけを簡単に精製することができる.精製の手段だけで はなく,精製された2種類のタンパク質が相互に特異的な結合をするかどう かも,基本的にはこの方法によって調べることができる.ビーズなどにある タンパク質を固定化し,別のタンパク質を含む液中に懸濁させ,一定時間後 に遠心によってビーズを集める.このビーズからSDSなどを含む溶液によっ 3
て結合タンパク質を抽出すれば,二つのタンパク質が特異的に結合するかど うかを判定することができる.タンパク質濃度を変えてそれぞれのタンパク 質濃度における結合量を算定し,スキャッチャードプロットなどを描くこと によって,結合解離定数を求めることが可能である. 2)あるタンパク質に結合する他のタンパク質を抗体によって免疫沈降させ る.共沈降によって結合タンパク質を検出するためには,特異的な抗体を もっていることが必要である.また,別に免疫前の血清を加えて同じ操作を するなど,非特異的な結合を除外するための方法を工夫する必要がある.弱 い結合の場合には,結合させたのちにクロスリンカーによって二つのタンパ ク質を共有結合させてから免疫沈降する方法もある.この方法では,特定の タンパク質を精製してから結合を調べる必要は必ずしもなく,細胞抽出液な どからある特定の結合タンパク質だけを同定することも比較的容易である. しかし,結合解離のキネティクスを調べることはほとんど不可能である. 3) 2種類のタンパク質を同時にゲルろ過にかける,あるいは密度勾配遠心に かける,または電気泳動するなどの方法により,それぞれ別個に分析したと きとの差から相互作用の有無を判定することができる.分子同士が会合して 大きな分子になったときの,分配係数の変化,浮遊密度の変化,そして泳動 速度の変化などを,それぞれ検出するのである.弱い相互作用を検出するの に効果的であるが,クロスリンカーを用いて複合体を安定化し検出を容易に する場合もある. この方法の変法として,ゲルろ過カラムをリガンドを含むバッファーで平衡 化しておき,会合を調べようとするタンパク質をアプライしたのちに,同じ バッファーで溶出する方法もある.この方法では,リガンドと会合を調べよ うとするタンパク質とが結合解離を繰返しながら溶出されることによって, そのタンパク質だけが溶出される場合に比べて遅く溶出されることになる. フィブロネクチンとインテグリンとの弱い相互作用もこの方法によって検出 された. 4) 電気泳動によってタンパク質を分離したのち,そのゲル上あるいはブロッ トしたろ紙上に別のタンパク質を結合させ,それをその特異抗体によって検 出することもできる.ファーウエスタン法あるいはウエストウエスタン法と 呼ばれる方法である.この方法は,既知のタンパク質同士の会合よりは,む しろ既知のタンパク質と結合する未知のタンパク質を同定する目的で用いら れることが多い.SDSによって変性されて結合力を失ってしまうものの場合 には適用できないし,また,結合解離のキネティクスを追うことはできな い. 5) 分子のもつ特異的な紫外吸光はさまざまの残基の性質を反映しているが,
4
生体物質相互作用をリアルタイムで解析する意義とは
分子同士が会合することにより特定の官能基がマスクされるなど,特定の残 基周辺の微小環境の変化を反映して吸光度が変化する場合がある.また, 2種類のタンパク質の会合によって溶液の濁度が変化する場合もある.その 変化を分光学的に測定することにより相互作用を知ることができる.精製さ れたタンパク質をもっていて,その結合によって吸光度の変化が起こること が条件になるが,相互作用のキネティクスを追うことが比較的容易である. 同じように吸光度あるいは濁度を測定する方法のなかには,別のタンパク質 が結合することによって相手のタンパク質の酵素活性などを阻害することを 利用する場合もある.アクチンは単量体で存在するときにはDNase活性を阻 害するが,Fアクチンになって多量体になると阻害活性が失われる.DNase 活性を経時的に測定することにより間接的にアクチンの重合を調べる方法な どはこの応用である. 6) 近接した分子間のエネルギーの受け渡しを分光学的に測定する方法が最近 注目されている.エネルギートランスファー法と呼ばれるこの方法は結合を 空間的な距離としてとらえることが可能であり,タンパク質同士の結合とい うよりは,タンパク質中の特定の分子間の相互作用を特定し検出するのに利 用される.まだ十分に一般的な方法とはなっていないが,溶液中での反応の 素過程を追うのに今後有用な方法となるものと考えられる. 7) 酵母の遺伝子発現系を利用して,たとえば,GAL4遺伝子のDNA結合部位 に一つのタンパク質を,GAL4遺伝子の転写活性化部位に調べたいタンパク 質をそれぞれ融合させ,酵母のなかで発現させるツーハイブリッド法が一般 的になってきた.二つのタンパク質が相互作用する場合には,DNA結合部 位と転写活性化部位とがこれらのタンパク質を仲介として結合し,その結 果,レポーター遺伝子の発現がひき起こされる.レポーター遺伝子として
HIS3遺伝子やlacZ遺伝子などを用いると,ヒスチジン要求性やβ-ガラクト シダーゼ染色などによってその相互作用を検出することができ,きわめて弱 い相互作用も容易に検出することができる.
3.
リアルタイム解析法としての表面プラズモン共鳴 このようにさまざまの生化学的・分子生物学的方法によって二つのタンパク 質間の相互作用が調べられているが,分光学的方法以外は,いずれもその結 合をリアルタイムで解析するには不向きであった. 本書で主として扱う表面プラズモン共鳴 (SPR) を用いた方法は,二つのタン
5
パク質同士の相互作用をリアルタイムで測定することができるという意味で 画期的な方法であるということができる.次章以下で詳しく述べられるよう に,手順のほとんどを機械が自動的に行なってくれるということと,それに よって再現性がきわめて高いこと,したがって,同じ条件でリガンドの量を 変えるなどして何度も測定した結果から簡単に反応速度定数が求まる点が特 徴である.さらに,タンパク質と他の分子との相互作用も同様に解析するす ることが可能であり,分子の大きさなどの制限はあるものの,一般に二つの 分子のあいだの相互作用をリアルタイムで解析することができるようになっ たといってもいいだろう. 反応速度定数という概念はもちろん古くからあるものであるが,酵素反応を 別にして,一般のタンパク質間相互作用を扱う場合,速度定数を算出するこ とは技術的にきわめて困難であった.結合を平衡状態で測っているからであ り,解離定数 (KD) は求められても,結合速度定数 (ka) や解離速度定数 (kd) な どはきわめて煩雑な実験を繰返さなければ普通は求められなかった. ところが,実際の細胞内でのタンパク質同士の相互作用を解析するために は,実は速度論的な解析がきわめて重要である.単に結合して平衡状態に達 したものだけをみていたのでは,結果としての結合をみることができるだけ であり,どのように結合解離をするのか,そのキネティクスを追うことはで きない.解離定数から結合が強いという結果を得たとして,それだけではそ れが速い結合に由来するものか遅い解離に由来するものかを判断することは できない.実際の細胞内の物質相互作用は,試験管の中で結果としての結合 を平衡状態でみるのとは異なり,時間的にも空間的にも一時的な相互作用で ある場合がほとんどである.そのような非平衡の物質相互作用を考える場合 には,速度論的な考察が相互作用の生物学的な意味を理解するうえで必須と なる場合も多いのである.2分子間相互作用のリアルタイム解析の重要性を 強調する所以である. いまそのような例として,筆者の専門である分子シャペロンと基質との相互 作用について,表面プラズモン共鳴を用いた測定法によってどのような新た な知見が得られたかについて述べてみたい.
4.
リアルタイム解析の意味−分子シャペロンを例として タンパク質はポリペプチドとして合成されたのち,正しく折りたたまれて機 能をもったタンパク質となる.分子シャペロンは,一般に,折りたたまれる まえのポリペプチドに一時的に結合してその凝集を抑えるとともに,折りた
6
生体物質相互作用をリアルタイムで解析する意義とは
たみ (フォールディング) を促進し,最終的にフォールディングが完成したタ ンパク質からは解離する性質をもっている.あるいは,熱などによって変性 中間体ができるとそれに結合して凝集を防ぎ,再生を促すタンパク質でもあ る.代表的な分子シャペロンとしてHSP70や,大腸菌でシャペロニンとも呼 ばれるGroEL/GroES複合体などが知られている.これらの分子シャペロンは さまざまの基質に結合し基質特異性をもたないが,筆者らの研究室で見い出 したHSP47は,コラーゲンにのみ基質特異性をもつ分子シャペロンである. 筆者らは,HSP47とコラーゲンとの相互作用を調べる目的で表面プラズモン 共鳴を用いた機器,BIACOREを用いることにした.それまでに,in vitroで もin vivoでも,コラーゲン-Sepharoseなどのアフィニティーカラムを用いた り,細胞抽出液を抗体で免疫沈降したときに共沈降してくることなどから, HSP47がコラーゲンあるいはプロコラーゲンに結合しうることは示してき た.しかし,その相互作用がどのような結合であるのか,解離定数や速度定 数などについてはわかっていなかった.HSP47は小胞体に存在する分子シャ ペロンであり,合成されてきたプロコラーゲンに一時的に結合して分泌やプ ロセシングなどになんらかの役割を担っているものと考えられたが,その機 能をはっきりさせるためにも結合解離のキネティクスを追うことは重要な情 報を与えてくれるはずである.特に,HSP47は基質がはっきりわかっている ことから,キネティクスを追うには最適の分子であると考えられた. まず,ブタの種々の組織からI型からV型までのコラーゲンを精製した.これ らをそれぞれBIACOREセンサーチップに固定化し,大腸菌でつくらせた組 換え型HSP47をアナライトとして用いて,次章以下で詳しく述べられるよう にBIACOREを用いた解析を行った[1].得られた解離定数K Dは10−7 Mオー ダーの値を示し,コラーゲンのタイプによる違いはみられなかった.さらに キネティクスの解析から,この解離定数は比較的高い結合速度定数k(約2× a −2 −1 104 M−1 s−1) と,きわめて高い解離速度定数k(10 s 以下) からなっている d
ことが明らかになった. 解離定数の10−7 Mオーダーという値は,細胞内で結合解離を繰返す分子同 士の相互作用としては妥当な値であり,比較的弱い結合と考えられる.コ ラーゲンをカップリングしたアフィニティーカラムを用いてHSP47を精製し ようとすると結合したHSP47は洗浄中にかなり溶出されてしまうが,解離定 数から理解されるところである.解離定数は結合速度定数と解離速度定数の 比として求められるものであるから,このような比較的弱い結合,すなわち 高い解離定数であっても,速い解離速度に起因するのか遅い結合速度に起因 するのかはそれだけからはわからない.結合速度定数と解離速度定数の決定 によってHSP47はコラーゲンからきわめて速く解離することが明らかにな り,小胞体からゴルジ体へのすばやい輸送の過程で解離することを考える
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と,これらの値はHSP47の機能と密接に関係しているものとして重要である と考えられた. HSP47と基質である各種コラーゲンとの相互作用を解離定数および速度定数 として算定した筆者らの報告は,BIACOREを用いた分子シャペロンと基質 との速度論的な解析としては初めてのものであったが,その後多くの報告が みられるようになった.GroELシャペロニンの研究で有名なHartlのグループ は,GroESやGroELをセンサーチップに固定し,これら二つのタンパク質複 合体のATPやADPに依存的な結合解離を調べた[2].GroELは十四量体が二重 のリングをつくった構造をもち,GroESは七量体からなるリング構造をして いるが,これら複雑な多量体同士の結合解離と基質やATP/ADPなどに対す る依存性がリアルタイムで解析可能であったのである.ATP存在下では GroEL十四量体はすみやかにGroES七量体から解離するがADP存在下では解 離はきわめて遅いことや,フォールディングを乱した基質存在下でGroELと GroESがATP依存性に急速に解離するが,フォールディングした基質存在下 にはそのような解離はみられないことなどが,相互作用のキネティクスとし てみごとに示された.同様に,基質として還元型α-ラクトアルブミンをセ ンサーチップに固定化して,GroELおよびGroEL/GroESの相互作用のキネ ティクスが吉田らのグループによっても報告されている [3](本書,第IV部 §1.1を参照). これらBIACOREを用いたシャペロニンサブユニット間の相互作用,シャペ ロニンと基質との相互作用のリアルタイム解析は,分子シャペロンによる フォールディング機構の解析と,フォールディング過程における分子シャペ ロンの構造変化と基質のフォールディングとの関係を調べるのにきわめて有 用な情報を提供することになった.いずれも従来の平衡状態での結合解離の 解析だけでは得られないものである.
5.
おわりに 表面プラズモン共鳴という現象は,物理を専攻した人間以外にはあまり馴染 みのないものである.物性物理の分野の言葉であり,量子力学を扱う人間に とっては必須の概念であろうが,われわれ生物系の人間にはたぶん一生お目 にかからない分野であり,できれば近寄りたくないむずかしそうな分野の出 来事である.第II部 原理編 で述べられるが,その原理や現象は,説明され てもなお一般の人間にはむずかしいと感じるだろう. この純量子力学的な概念が測定技術として研究され開発応用されるように
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生体物質相互作用をリアルタイムで解析する意義とは
なったというのは,筆者には驚きであった.はじめてその測定原理を聞いた とき,そのアイデアの卓抜さに若干の感動さえ覚えたのであった.筆者の研 究室は表面プラズモン共鳴を利用したBIACOREをわが国でかなり早く購入 したラボの一つであるが,もちろんその将来的な有用性とその当時の必要性 ということがあったにせよ,正直にいえば,個人的にはその測定原理の美し さに「惚れた」という側面を無しとしない. 表面プラズモン共鳴を利用した相互作用のリアルタイム解析ということで一書 をまとめてほしいという依頼を受けたとき,おもしろいと思う反面,筆者には 若干の迷いがありいったんはお断りをしたのである.理由の第1は,わが国で は早く使い始め,論文としてもかなり早く出たほうだろうが,そして,それが 編者になれという依頼の理由であったのだろうが,筆者自身は決してこの原理 や技術の専門家ではない.物理出身ということで他の人より幾分余分にアフィ ニティーを感じるということはあるにせよ,単なるユーザーのひとりであり, それ以上のものではない.理由の第2は,いま表面プラズモン共鳴によるこの 測定法に関する本をまとめようとすると,どうしてもBIACOREというひとつ の製品に偏らざるをえない.一書全体がひとつの会社の製品について述べると いうのは,宣伝に一役買っているようでどうも釈然としない. このような個人的な迷いはあったのだが,それでもこの方法による解析法が 従来の技術に比べて,格段に優れたものであることは疑いようのないことで あり,その方法論について専門家に書いていただくことは意味のあることで あろうと思う.また,素人の立場から読んで意見を言わせていただくこと で,筆者自身は読者代表としてかかわることも大切ではなかろうかと思った 次第である.次章以降を読んでいただければ,まだ表面プラズモン共鳴が利 用されていないさまざまな分野の研究にこの方法論が適用可能であり,しか も,それによってのみ得られる情報の存在に読者それぞれの分野で気がつく ことと思う.新しい方法論によってサイエンスの進展がそれ以前から一段階 ステップアップした例は過去に枚挙にいとまがない.そのような目で本書が 利用されることを願っているところである.
参考文献 1.
Natsume T, Koide T, Yokota S, Hirayoshi K, Nagata K (1994) Interactions between collagen-binding stress protein HSP47 and collagen: Analysis of kinetic parameters by surface plasmon resonance Biosensor. J. Biol. Chem. 269: 31224-31228
2.
Hayer-Hartl MK, Martin J, Hartl FU (1995) Asymmetrical interaction of GroEL and GroES in the ATPase cycle of assisted protein folding. Science 269: 836-841
3.
Murai N, Taguchi H, Yoshida M(1995) Kinetic analysis of interactions between GroEL and reduced alpha-lactalbumin. J. Biol. Chem. 270: 19957-19963
9
1
表面プラズモン共鳴の原理
1.1
河田 聡
表面プラズモンは金属の表面を走る 金属は自由電子固体とよばれて,その中は電子が自由に走り回ることができ る.しかし,電子は互いに反発し合うので,あまり密に集中することはでき ない.電子が集まると,その集団として金属の中を波のように進行し,ある 固定した位置で見るとその密度が時間的に振動する.これは,ちょうど音波 や光波あるいは水面波と同じであり,プラズマ波とよばれる.金属は,固体 のプラズマ状態 (電子と陽子が共存しながらも電子が陽子から解き放たれて 自由に動き回れる状態) とみなせるからである.プラズマ波の振動数はプラ ズマ振動数とよばれ,それを量子化して考えるときはプラズモンとよぶ. 金,銀,アルミニウムのプラズマ振動数は,それぞれ2.4 eV,3.9 eV,15.8 eV程度であり,光では紫外線320 nm(銀の場合)に対応する. さて,表面プラズモンとは金属の表面を走るプラズモンを指す.プラズモン は金属表面上では,それに接する媒質 (誘電体:空気とか水とか生体分子な ど) によってその進行速度を制限される.地震において,表面波が地中の伝 搬波と異なった性質をもつのと同様である(図1・1).
(a)プラズモン
(b)表面プラズモン
(c)地 震
表面波
地中波 金 属
金 属
震 源
図1・1 表面プラズモンとは? (a) プラズモン. (b) 表面プラズモン. (c) 地震.
13
1.2
表面プラズモンは必ず光と一緒に走る さきに述べたように,表面プラズモンは電荷密度の集団的振動である.電子 密度の勾配は電場を発生させ,その振動は交流電場すなわち電波を発生す る.表面プラズモンの振動数が高ければ電波は光の領域になる.要するに, 表面プラズモンが存在すれば必ず光が存在する (図1・2) .ただし,その光は 金属の表面を走るだけで,離れたところへは放射されないので目では観察さ れない.このような,外部へ伝わらない光の表面波をエバネッセント (evanescent) 波という.プラズモンとこのエバネッセント・フォトンをあわ せて表面プラズモン・ポラリトンともいう.表面プラズモン・センサーの原 理は,正確には,このエバネッセント・フォトンと物質との相互作用によっ て物質を計測することにある.
電場E サンプル
++ −− ++ −− ++
金属(プラズマ)
1.3
図1・2 表面プラズマ振動現象の模式図.
表面プラズモン共鳴の原理 では,どうやれば表面プラズモンを共鳴 (発生) させることができるのか? 電子を集団的に揺さぶってやればよいのだから,図1・3に示すように,電磁 波を金属表面に入射すればよいはずである.ところが,光 (電磁波) をそのま ま金属表面に入射しても,表面プラズモンは決して共鳴しない.それは,光 波の進む速度とプラズマ波の進む速度が,異なるからである.すべての波 14 は,振動数(1秒間に何回振動するか;赤い光は5×10 f Hz) と波数k(1 cmに
何周期の波が存在するか;赤い光は波長が600 nmあるので1 cmに17,000の波 がある)との間に,
14
1
表面プラズモン共鳴の原理
電磁波
− − − − −
− − − − −
− − − − −
プラズマ波 図1・3 電磁波でプラズマ振動は共鳴する?
v=
ω 2πf = k klight
(1)
なる関係をもつ.これを分散関係という.ここで,vは速度,ωは角周波数 である.真空中の光速は振動数にかかわらずc = 3×108 mで一定であるの で,分散関数は図1・4に示すように直線で与えられる. 一方,表面プラズモンは,図1・4の曲線に示すように,振動数 (あるいは波 数)によって速度が変化し,速度は,
c
ε m (ω ) + ε s (ω ) ω = ksp (ω ) ε m (ω )ε s (ω )
(2)
で与えられる.ここで,ε(ω) は金属の誘電率であり,ε(ω) は金属に接 m s する媒質の誘電率である.真空中ならεs = 1である. 図1・4において,光の分散曲線と表面プラズモンの分散曲線が互いに離れて いることは,光で表面プラズモン共鳴を起こすことができないことを意味し ている.表面プラズモンの進行速度ω / kspは光速c = ω / klightより必ず小さ い.すなわち,同じ振動数ωに対して,表面プラズモンの波数kspは光の波数
klightよりつねに大きい. 光で表面プラズモンを共鳴するためには,普通に伝搬する光より遅い速度で 走る光が必要である.このような光は通常の光の伝搬条件を満たさない状況 に光を導入すれば発生させることができる.たとえば,光は屈折率の異なる 二つの媒質n1,n2の境界面において屈折することはよく知られているが,その
15
屈折率比n1 / n2以上の正弦角θ= sin (n2 / n1)で高屈折率媒質n1側から光を入射する (図1・ と,屈折角θ2は虚数になってしまいn2の媒質側に屈折光は放出されない 5 a) .しかし,境界面で電場は不連続になることはできないので,図1・5 (b) に 示すように,境界面から離れるに従ってその振幅が減衰する表面電場 (エバネッ セント場) として存在する.このエバネッセント場は,境界面に沿った方向の
角振動数
k li
gh t(ω
)
進行速度が普通の伝搬光より遅く,したがって波数は大きい (波長は短い) .こ
k sp(ω)
ω
光の波数 k light(ω )
表面プラズモンの波数 k sp(ω ) 図1・4 表面プラズモンと光の分散曲線.
波 数
(a)光線での説明図
(b)波動による説明図
n 2での伝搬波
強度分布 エバネッセント波 θ2
??
n2 n1
n2 n1
θ1
波
射
入
図1・5 sinθ1 > n2 / n1なる角度θ1で光を高屈折率媒質側から入射すると,sinθ2は1よ (a) 光線での説明.(b) 波動による説明. り大きくなり,θ2は虚数となる.
16
1
表面プラズモン共鳴の原理
の波を用いれば,表面プラズモンを共鳴することができる.実際,表面プラズ モンは図1・2に示したように,必ずエバネッセント波を伴っている. 図1・5に示すような,屈折角を失い屈折光が放出されない状態を全反射とよ び,全反射するための最小角度を臨界角とよぶ.図1・6に金属表面上にエバ ネッセント場を生成する三つの光学系を示す.図1・6 (a) はOtto配置とよば れる.ガラスプリズム表面における全反射がエバネッセント場を金属表面上 に発生させ,エバネッセント場が金属表面の表面プラズモンを共鳴させる. エバネッセント場は境界面から離れるに従って指数関数的に急速に減衰する ので,プリズムと金属は0.1μm程度以下に近づけなければならない. 図1・6 (b) はKretschmann配置とよばれ,表面プラズモン・センサーに最もよ く用いられる光学系である.金属はプリズム表面に数十nmの厚さで塗布 (コーティング) されており,プリズムによる全反射光が金属薄膜を通り抜け てその反対側にしみ出し,それが金属表面に表面プラズモンを共鳴させる.
(a) Otto配置 入斜光 プリズム 全反射による エバネッセント場
表面プラズモンに伴う エバネッセント場 金属
ギャップは ∼0.1μm
(b) Kretschmann配置 入斜光 プリズム 金 属(数+nm) 全反射による エバネッセント場
表面プラズモンに伴う エバネッセント場
(c) Wood配置 入斜光 高次の回折光がエバネッセ ント場化している
表面プラズモンによる エバネッセント場 金属(表面に細かい 溝が刻んである)
図1・6 表面プラズモンの光による共鳴 法3例. (a) Otto配置. (b) Kretschmann配置. (c) Wood配置.
17
図1・6 (c) は,1902年にWoodが初めて表面プラズモン現象を発見したときの 光学配置(Wood配置)である.ここではプリズムによる全反射は用いられ ず,回折格子 (等間隔な刻み) による回折光のうち非放射な成分が表面プラズ モン共鳴に利用される.回折格子はふつう光を分光してスペクトルに展開す るのに用いられるが,Woodはスペクトルの中に暗線が入ることを発見し, それをanomalyと名づけた.anomalyは光エネルギーが表面プラズモンに移行 することによって生じる.分光器としては,スペクトル測定に雑音として混 入するためanomalyの存在は好ましくなく,ふつうそれが生じないよう注意 深く設計される.Woodは,anomalyの発見時においてすでに,それをセン サーに積極的に利用することを考えた.回折格子の表面にグリセリン水溶液 を浸し,その濃度 (屈折率) 変化をスペクトルの暗線から求めるセンサーを提 案している.今日の表面プラズモン・センサーの原点といえる.
1.4
共鳴角は何に対応するか? 式 (2) に示したように,表面プラズモンの分散曲線は金属の誘電率εmと誘電 体の誘電率εdの両方で決まる.センサーである金属を選ぶと,分散曲線は 図1・7のように金属に接する媒質の誘電率εd= ns2 によって変化する.ただ し,ns は媒質の屈折率を表す. さて,全反射条件を満足する範囲でプリズムへの入射角θを変化させると, エバネッセント波の境界に沿って進む方向の波数成分kev(ω)は
kev(ω)= n2 klight(ω)sinθ
角振動数
誘電体の屈折率
(3)
n s=n s1 n s=n s2 n s=n s3
ω0
ksp1 ksp2 ksp3 波 数
18
図1・7 金属に接した媒質の屈折率nsの変化によ る表面プラズモンの分散関係の変化.
1
表面プラズモン共鳴の原理
のように正弦的に変化する.ただしn2はプリズムの屈折率である.すなわ ち,入射角θに応じて,エバネッセント波kev(ω)の波数は変わる. この入射光の境界表面に平行の波数成分kevが,式 (2) および図1・7に示す表 面プラズモンの波数kspと一致したとき,入射光のエネルギーは表面プラズモ ン共鳴に費やされる.すなわち,式(2)と式(3)とを結びつけて,
ksp(ω)= kev(ω)
(4)
のとき,表面プラズモン共鳴 kspは物質の誘電率をε(ω) で必然的に決まる s ので,表面プラズモンを共鳴させるためには,式 (3) より入射角θを調整し てやることになる.あるいは,式 (1) によりkev (ω) のωを変えることによっ ても共鳴条件に合わせることができる. さて,式 (2) に戻って,あるいは,図1・7において,金属表面に接する媒質 の誘電率εsあるいは屈折率ns = √ εsが変化すると表面プラズモンの波数kspが 変化し,それを共鳴させる入射光の入射角θspが変化する.別のいい方をす れば,プラズモン共鳴を起こす入射角θspをみつければ物質の屈折率が正し く求められる. 図1・8は,Kretschmannの光学配置において,ヘリウム・ネオン・レーザー を入射したときの入射角に対する反射光強度をプロットしたものである[1]. 図1・8 (a) , (b) はそれぞれ金属薄膜に接する物質が空気および水の場合であ り,ともにある角度において反射光強度が低下している.この角度が表面プ ラズモンの共鳴角であり,入射光エネルギーが表面プラズモンに移行した 結果,全反射光の強度が低下した.それぞれの媒質で異なる共鳴角を有して いるのは,式 (2) より誘電率εsがそれぞれ異なるからである.共鳴角は空気 (屈折率∼1.0,誘電率∼1.0) では43゜,水 (屈折率∼1.34,誘電率∼1.8) では 68.5゜である. 溶液の濃度の変化は,光に対しては透過率 (透明度) と屈折率 (光の進む速度) の変化として応答する.透明な物質(空気,水,油,ガラス,プラスチッ ク,生体分子など) は,光に対しては固有の屈折率nsを有する.誘電率εsは
ns2で与えられる.そこで,表面プラズモン共鳴角を求めれば溶液の濃度分布 が求められる.図1・9は,純水とエタノールを5%含む水溶液の反射率角度 分布である.両者の屈折率の違いが共鳴角度の違いとして現れている[2]. 表面プラズモン共鳴に伴う電磁場は,さきに述べたように,非放射で界面か ら100 nm程度付近に存在するエバネッセント波とよばれる表面波であるの で,表面プラズモン・センサーのセンシング領域は金属膜表面上のみであ る.しかも,図1・2に示したように,電場強度は金属から離れるに従って急 速に減衰する.したがって,金属膜の表面極近傍のみの屈折率が測定される 19
反射率(%)
(b) 水
反射率(%)
(a) 空 気
41.00
45.00
66.00
70.00 入射角(度)
入射角(度)
純水
66.00
入射角(度)
69.07゜
5%エタノール溶液 68.68゜
反射率(%)
図1・8 反射率角度分布の測定結果. (a) 金属膜に接する媒質が空気の場合. (b) 水の場合.
70.00
図1・9 エタノールの濃度測定の実験データ.
ことになる.もし,金属表面に分子が吸着し,その分子数が変化すると,マ クロにみると金属近傍の屈折率が増加する.その結果,共鳴角は大きい方へ シフトすることになる.
1.5
金属・膜厚・偏光を変えると? 式(2)で示したように,表面プラズモンの波数kspは被測定物質の誘電率εs
20
1
表面プラズモン共鳴の原理
(あるいはその二乗である屈折率ns) に加えて,金属の誘電率εmによっても 変化する.金属は透明ではないので誘電率εmは複素数となり,すなわち, プラズモン共鳴にはダンピング (減衰) の因子が加わる.反射角度分布におい て,共鳴角が十分シャープなく幅をもつのはそのためである.図1・10は, 銀とアルミニウムに対する反射率角度分布である.二つの金属の誘電率の実 部に対する虚部の大きさの割合によって,共鳴ピークのシャープさが変わ る.図1・10より明らかに,銀の方がアルミニウムよりよいことがわかる. 実際,ベストの金属は銀であり,金がそれに次ぐ.それ以外に可視∼近赤外 域では使える金属は特にない. 図1・11は,金属の膜の厚さを変えたときの空気に対するプラズモン共鳴曲 線である.金属は銀である.銀薄膜が薄くなると共鳴ピークは広がってしま うが,一方厚くなると,ピーク自体が浅くなっている.この場合,560Å (56 nm) ぐらいの厚さが最適である.金属が薄すぎるときは,せっかく表面プラ ズモンを共鳴させても,表面プラズモンとして金属表面を伝搬する以前に全 反射光に変換されてしまうので,ピークがぼけてしまう.一方,厚すぎる と,入射光が金属膜を通り抜けてその向こう側の表面の表面プラズモンを励 起できなくなり,ピークが浅くなる. 入射する光は,図1・2において紙面内を含む面内で振動する電磁場 (光) でな ければならない.光は水面波のような横波であり,紙面内に振動する成分 (p 偏光という) と,面に突き刺すような方向に振動する成分 (s偏光という) とが ありうる.そのうちp偏光のみが,表面プラズモンを共鳴させることができ る.これまで示してきた反射率曲線は,入射光強度の角度むらや時間変動が
反射率(%)
あっても,p偏光をs偏光で割ることによって安定に求めることができる.
41.00
アルミニウム
銀
入射角(度)
45.00
図1・10 銀とアルミニウムに対する反射率角度分布.
21
700Å
反射率(%)
560Å
380Å
200Å
41.00 入射角(度)
1.6
45.00
図1・11 膜厚を変えたときの空気に対する反 射率角度分布.
どうやってスキャンするか? 表面プラズモン共鳴角を検出するためには入射光の入射角を変化させる必要 があり,そのとき反射角も変化するので,図1・12 (a) に示すように,一般に 二つの回転機構が必要となる.図1・12 (b) は,回転部を一つにするために工 夫された方式であり,コーナーキューブとよばれる直角プリズムが用いられ る.さらに,図1・12 (c) は,イメージセンサーを用いることによって機械走 査をなくした方式である.ここで,レーザー光から同時に放出された異なる 角度の光線はセンサー面で全反射後,レンズによってイメージセンサー上の 違う素子に到達する.ただし,レーザー光源を用いると測定点が一点にな り,干渉ノイズやほこりの影響を受けやすいので,図1・12 (d) のように面全 体に照射した光の角度成分を分離する方法が河田らによって発明されてい る[2].このセンサーは極めて精度が高い. 再び式 (2) および図1・7に戻って,角度を固定してω (光の波動数) を変化するこ とによっても,これまでと同様の反射率角度分布を得ることができる.このと き,横軸は角度でなく入射光の波数となる.これを実現するためには,波長可 変レーザーを用いるか (図1・12 e) ,あるいは白色光源 (ランプ) と分光器 (図1・ 12 f) を用いる.波長可変レーザーや分光器のコストを考えると特に波長スキャ ンのメリットはなく,逆に,εmとεsが厳密にはωの関数ε(ω) ,ε(ω) であ m s ることよりその校正が必要であり,それがむしろデメリットの要因となる.
22
1
表面プラズモン共鳴の原理
(b)
(a) サンプル
金 属
サンプル 回転ステージ 回転ステージ
レーザー
検出器 レーザー
レンズ
検出器
(c)
(d) イメージセンサー
イメージセンサー
f レンズ2 レーザー ダイオード
センサー面
偏光子 レンズ1
(e)
偏光子
レンズ3
レンズ1
面発光 ダイオード
サンプル レンズ2
サンプル
サンプル
(f)
センサー面
サンプル
分光器
検出器 検出器
ランプ
波長可変レーザー
図1・12 表面プラズモン・センサーのスキャン機構. (a) 標準的走査方式. (b) コーナー キューブを用いることによって回転走査機構を一つにした角度スキャン方式. (c) 点光源 を用いたセンサー. (d) 面発光光源を用いたセンサー. (e) 波長可変レーザーを用いた角 度固定波長スキャン方式. (f) 分光器とランプを用いた角度固定波長スキャン方式,分光 器はランプの直後でよい.
23
1.7
他の方式と比べて 表面プラズモン・センサーの原点はAbbeの屈折計である.Abbeの屈折計 は,ガラスプリズム表面の極微量試料の濃度を屈折率変化として計測するハ ンディな屈折計として知られ,糖度計などに用いられている.図1・13にそ の原理図を示す.原理的には表面プラズモン・センサーとほとんど同じ形態 であり,ただしプリズム表面に金属膜を塗布しない点だけが異なっている. 入射角度を走査して,全反射がはじまる角度 (臨界角) を検出する.反射率は 臨界角において共鳴ピークを示すのではないので,その角度検出は表面プラ ズモン共鳴検出より精度は著しく劣る.特に試料が光の吸収や散乱を伴う と,臨界角度はまるで求まらなくなってしまう. 表面プラズモン・センサーでは,散乱物質や吸収物質に対して共鳴ピークの 深さは減るが,ピーク角度は変化しない.図1・14 (a) , (b) に,散乱の強いト マトジュースと吸収の極めて高い青インクに対して表面プラズモンセンサー で共鳴角測定した実験結果を示す[3].いずれにおいても,Abbeの屈折計によ る全反射・臨界角測定ではまったく不可能である屈折率測定に成功している 様子がわかる. 非光学的方式としては,水晶振動子の共振周波数の吸着分子による質量変化 によるシフトから吸着分子数を検出する方法が競合技術として存在する.し かし,感度および精度は表面プラズモン共鳴の方がかなり高い.
1.8
表面プラズモン共鳴は最先端のナノ・サイエンス 本章において述べたことは,薄膜金属からサブミクロンの領域における物質
液体試料
ns
Ψ 明るさ
β プリズム
n1 φ
24
図1・13 Abbeの屈折計の原理図.
1
(b) 青インク
49.48°
50.98°
反射率
反射率
(a) トマトジュース
表面プラズモン共鳴の原理
40.00
52.00 40.00 入射角(度)
52.00 入射角(度)
図1・14 表面プラズモン・センサーによる測定の実例. (a) トマトジュースの場合の共 鳴角測定結果. (b) 青インクの場合の共鳴角測定結果.
の屈折率変化が,表面プラズモン共鳴の共鳴角シフトから求められることに ついてであった.しかし表面プラズモン共鳴は,この他にもいろいろな応用 が最先端の科学技術に応用されている.バイオ・センサーに加えて,液晶配 向膜やLB膜の検査・分析装置,あるいは機能性薄膜との組合わせによる空 間変調素子やディスプレイデバイスなど,医学・生物学,化学などの自然科 学や半導体や食品産業など,広範な科学・産業分野で応用・実用化研究が進 んでいる[1,4]. また,表面プラズモンの共鳴状態において,入射電磁場が増強される効果を 利用すると,従来の光センサーの超高感度化が実現できる.分光分析の分野 において,表面増強ラマン分光 (SERS: Surface Enhanced Raman Scattering) や 表面増強赤外吸収分光法として知られており,また,太陽電池の高感度化な どの目的に向けても具体的研究が進められてきた. 粗な金属表面や金属微粒子におけるプラズモンも,興味あるテーマとして知 られている.特に金属微粒子と電磁場の相互作用は,波長より十分小さなナ ノ領域に光の場を局在することができ,超高分解能の光学顕微鏡を実現す る.これは,ニアフィールド光学顕微鏡 (NSOM: Near Field Scanning Optical Microscope) とよばれ,ナノ構造・メゾスコピック構造を見る光学顕微鏡と して,あるいはナノ加工やナノ記録,ナノ・マシンとしてその将来が期待さ れている.これらについては本稿の範囲を超えるので,興味があれば別 著 [4,5]を参照されたい.
25
参考文献
26
1.
河田聡 (1989)表面プラズモンセンサー. O plus E 112: 133-139
2.
Matsubara K, Kawata S, Minami S (1998)Appl. Spectrosc. 42: 1375-1379
3.
松原浩司,河田聡,南茂夫 (1989) 小形表面プラズモン化学センサー. 分光研究 38: 199-204
4.
河田聡,加野裕 (1997) 表面プラズモン共鳴現象を用いた光センサー. 計測と制御 36: 275-281
5.
河田聡 (1997) 近接場ナノ光学:波長の壁を越えた新しい光技術. パリティ 12 (5) : 23-29
2
2.1
BIACORE の原理
橋本せつ子
はじめに BIACOREィは表面プラズモン共鳴 (Surface Plasmon Resonance,以下SPRと略 す) を測定原理として用い,生体分子間の相互作用を標識なしでリアルタイ ムにモニターすることができる装置である.BIACOREを用いて生体分子の 相互作用を分子レベルで測定するには,対象となる生体分子の一方をセン サーチップと呼ばれる表面に固定化し,これに作用する分子を含む試料をマ イクロ流路系を介して一定の流速で送液する.2分子間の結合,解離に伴う センサーチップ表面での微量な質量変化をSPRシグナルとして検出し,この シグナルの経時変化をセンサーグラムと呼ぶグラフとして表示する.した がって,従来法と異なり分子を標識することなく,少量の試料を用いて短時 間で相互作用の測定ができる.さらに,生体分子間の相互作用に関して,平 衡状態における2分子間の親和性 (解離定数KDあるいは親和定数KA) だけでな く,結合・解離反応の速さに関する情報,すなわち結合速度定数ka,および 解離速度定数kdを得ることができるという特徴をもっている. この章ではBIACOREの装置の概要をセンサーチップ,光学検出システム, 送液システムの順に解説する.
2.2
BIACORE とは 現在,BIACOREには三つの機種があるが,ここでは全自動装置のBIACORE 2000をもとに解説する.ただし,基本的な測定原理,機器構成はどの機種も 同じである.図2・1に示すように,BIACORE本体は幅76 cm,高さ61 cm, 奥行き35 cmのコンパクトな装置であり,操作を制御するパーソナルコン ピュータとともに実験台上に設置して用いる.本体の左側がセンサーチップ を装填し相互作用をモニターする光学測定部,右側上が試料を置くサンプル ラックおよびオートサンプラーがある試料処理部,右側下が2本のシリンジ ポンプからなる送液部である.試料および試薬などは右側上のサンプルラッ クにセットする.指定した位置の試料を付属のコンピュータからの指示によ り,オートサンプラーを用いて自動的に,あらかじめ設定した一定の流速で センサーチップ表面に注入する.このようにBIACOREは,一定の濃度の
27
図2・1 BIACOREシステム.
バッファーあるいは試料をセンサーチップへ一定の流速で連続送液するフ ローセルの系で結合・解離を測定する.
2.3
センサーチップ センサーチップはBIACOREにおいて,生体分子が相互作用を起こす場を提 供し,その表面で起こる質量変化をSPRシグナルに変換するシグナルトラン スデューサである (図2・2) .センサーチップは図2・3に示すように,ガラス の一方の面に金の薄膜を形成している.SPRを形成するには金,銀などのあ る種の金属が必要であるが,BIACOREでは化学的不活性,SPRシグナルの 発生効率のよさなどの理由から金を採用している.センサーチップの表面に さらにリンカー層を形成しデキストランを共有結合で結合させている.この デキストランに目的の試料を固定する.センサーチップのマトリックスとし てデキストランを用いることにより,1) 汎用されている化学反応を用いて共 有結合により生体分子を固定化することができる,2) 分子の結合容量を大き くすることができる,3) 生体分子の相互作用に適したフレキシブルで,親水 性のマトリックス環境を提供する,4) センサーチップ表面への非特異的結合 を低く抑えることができるという利点をもたせることができる.ここで用い られているデキストランは架橋構造をもたない単鎖のデキストランである. また,SPRシグナルを至適条件下で観察するために,センサーチップ表面の
28
2
BIACORE の原理
図2・2 センサーチップ.
デキストラン層 リンカー層 金
ガラス
図2・3 センサーチップ断面.
金の厚さを50 nm,その上のデキストラン層の厚さを100 nmに厳密に揃えて いる. 固定する分子の種類に合わせていくつかのセンサーチップがある.最もよく 使われるのがカルボキシメチルデキストランをつけたCM5センサーチップで ある.これ以外にストレプトアビジンをあらかじめアミンカップリング法で 固定化したSAセンサーチップ,Hisタグ融合タンパク質をキャプチャーする NTAセンサーチップ,デキストランではなく疎水表面をもつHPAセンサー チップなどがある.それぞれのセンサーチップの特徴,試料の固定化方法の 詳細については,III.基礎編 1.実験操作手順 を参照されたい.
29
2.4
光学測定原理 表面プラズモン共鳴現象の物理学的性質についての詳しい解説は,II.原理 編 1.表面プラズモン共鳴の原理 に譲り,ここではBIACOREにおける光 学部分の機器構成について述べる. BIACOREでは光源に発光ダイオードを用い,波長760 nmの偏光を図2・4に 示すようにプリズムでくさび型の光に集光し,全反射の条件下でセンサー チップに照射する.くさび型の反射光の強度を固定したダイオードアレイで モニターする.これをコンピュータで解析することによりSPR角度を高精度 に自動的に計算する.プリズムの底部にはオプトインターフェースを介して センサーチップを装着する.センサーチップのガラスと金の界面で全反射す るように光を照射すると,金薄膜側にエバネッセント波と呼ばれるエネル ギー波が生じる.エバネッセント波では金薄膜の自由電子がプラズモンの共 鳴に使われるため反射光の特定の角度にエネルギーの消失がみられ,反射光 の強度を測定するとある特定の角度に図2・4中,Iのように反射光強度が減 衰した「光の谷」が認められる.この光学現象をSPRという. 反射光の消失角度 (SPR角度) は金薄膜表面近傍での媒質の屈折率に依存して 変動する.BIACOREはこの現象を利用して,2分子の結合・解離を測定す る.すなわち,金薄膜を形成したセンサーチップ上に,たとえば抗体を固定 化し,この抗体が特異的に認識する抗原を含む試料を注入すると,特異的抗 原・抗体反応によりセンサーチップ表面の質量が増加し,その結果としてセ
Ⅰ
照射光
プリズム センサーチップ
流路
図2・4 SPR検出システム.
レゾナンスシグナル
Ⅱ 反射光
30
強度
光源
角度
時間 センサーグラム
2
BIACORE の原理
ンサーチップ表面の屈折率が増加する.この屈折率の変化に応じて 「光の谷」 は図2・4中,IからIIへと移動する.この移動度の経時変化をセンサーグラム と呼ぶグラフとして表示することによりセンサーチップ表面での分子の相互 作用をリアルタイムにモニターすることができる. 「光の谷」 の移動度を表す単位として,SPR角度の0.1゜の変化を1000レゾナン スユニット(RU)と定義した.放射性同位体で標識したタンパク質を用い て,SPRシグナルとセンサーチップ表面のタンパク質濃度の相関をみた実験 により,1000 RUはセンサーチップ表面でのタンパク質の約1 ng/mm2の質量 変化に相当することが確認されている.この値はタンパク質の種類にかかわ らずほぼ一定である.実際の測定においては10 RU程度(約10 pg/mm2)から の変化を観察することができる. このようにBIACOREでは光源,センサーチップ,検出部分のすべてが固定 されたKretschmann配置を採用し,光学測定部分に駆動部分のない構造とす ることによりデータの精度を高める工夫をしている. BIACOREではセンサーチップに固定化する分子をリガンド,流路系を介し て添加する分子をアナライトと呼ぶ.以上の測定原理からわかるように, BIACOREで得られるシグナルは直接にはセンサーチップ表面の溶媒の屈折 率の変化を反映している.すなわち,RU値の変化は,センサーチップ上に 固定したリガンドと溶媒中のアナライトとの結合に伴うシグナルと溶媒その ものの屈折率がもたらすシグナルの総和であることを指摘しておかなければ ならない.ここで後者を 「バルク効果」 と呼んでいる.これは溶媒中のタンパ ク質濃度,塩濃度,あるいはpHによって変化する.バルク効果とコント ロールの重要性については,III.基礎編 1.実験操作手順 で解説する. 試料の屈折率,分子の反応速度,溶媒の性状などは温度により変化するもの であるので,BIACOREでSPRシグナルを正確に測定するためには測定部分 の温度を厳密に管理しなければならない.BIACORE 2000では光学測定部分 の温度を4∼40℃の範囲で設定することができ,厳密な温度制御がなされて いる.
2.5
送液系 生化学の分野において,従来,生体分子の相互作用を測定する手法として は,抗原・抗体反応の場合にはRIA法,ELISA法,レセプターとそのリガン ドの結合にはフィルターバインディングアッセイ,転写因子とDNAの結合
31
にはゲルシフトアッセイなどが行われてきた.これらの方法はいずれも,一 方の分子を放射性同位体,あるいは,蛍光色素などにより標識し,試験管に 対象の2分子を混合し,結合反応が平衡に達したのち,形成された2分子の複 合体の量をなんらかの方法で測定するという手法である. これに対して,BIACOREでは,一方の分子をセンサーチップ上に固定し, この表面に既知の濃度のアナライトを一定の流速で注入するフローセルの系 で相互作用を観察している.BIACOREを開発するにあたって,オープン キュベットなどの従来法をはじめとしてさまざまな系が試されたが,最終的 には分子間の相互作用をリアルタイムでモニターでき,かつシステムの自動 化にも適しているという理由から現在のマイクロ流路系を用いたフローセル の系が開発された.特に,反応速度を解析する場合にはフローセルの系は, 分子濃度はつねに一定であり,系自体がシンプルで結合反応の結果の解析も より簡便であるという利点がある.ただし,一方の分子が固定されているこ とにより,1) 固定化によりリガンドの結合部位が立体的に塞がれてしまう, 2)2分子の挙動が自由溶液中とは異なる,という可能性もある.したがっ て,BIACOREで行う実験をデザインする際にはこのような系の特徴を考慮 し,なるべく自由溶液に近い環境下で結合・解離が測定できるようリガンド の固定化量,アナライトを注入する流速などを至適化する必要がある. BIACOREでは試料,バッファーの送液はシステムに組込まれた2本のシリン ジポンプを用いて行う.試料,バッファーのそれぞれを別のシリンジポンプ で操作し,1∼100μl/minの範囲で一定の流速で脈動のないスムーズな送液 を実現している. サンプルラックに置かれた試料,試薬はオートサンプラーで自動的に混合, 希釈され,インジェクションポートから注入される.注入された溶液はマイ クロ流路系を通ってセンサーチップ表面へと送られていく.マイクロ流路系 は微細なサンプルループ,フローセル構造を鋳込んだカセットで,試料のセ ンサーチップ表面へ送液を高精度に制御するために開発された.マイクロ流 路系のサンプルループの高さは50μm,幅は500μmである.サンプルルー プとフローセルの間には圧縮空気で作動する微少なダイアフラムバルブが複 数組込まれており,マイクロ流路系の中のサンプルループ,フローセルへの 送液を制御している.これらのバルブの開閉は試料の注入にあわせてコン ピュータのソフトで自動的に操作している. マイクロ流路系の左端にフローセルが形成されている.図2・5にフローセル 部分の断面図を示す.ここは3方が壁面となり上が空いた構造をしている. ここに上から蓋をするようにセンサーチップが装着され,ここでチップ表面 に固定したリガンドとマイクロ流路系を流れてきたアナライトとが出会うこ とになる.BIACORE 2000には四つのフローセルが形成されており,試料は 32
2
BIACORE の原理
フローセル
バッファー注入口 サンプル注入口 バルブ
図2・5 マイクロ流路系.
それぞれの一つのフローセルに流すか,フローセル1→2→3→4と順に流す か,いくつかのモードを選択できる.マイクロ流路系の中では試料とバッ ファーの間はエアバブルで仕切られており,試料の希釈,拡散は最小限に抑 えられ,アナライトの接触時間を正確に制御することができる. 以上見てきたように,ポンプ,マイクロ流路系,ソフトウエアによる統合的 な送液システムとセンサーチップおよび光学検出装置を組合わせることによ り,微量の試料で再現性よく,精度の高い反応速度のリアルタイム解析が可 能となった.
2.6
センサーグラム 図2・6に典型的なセンサーグラムの例を示す.リガンドを固定化したセン サーチップ表面にアナライトを注入添加すると,特異的結合反応に伴いレゾ ナンスシグナルが増加する.設定時間後アナライトの注入が終わり,ランニ ングバッファーが流れ始める.ここでは,いったんリガンドに結合したアナ
33
レゾナンスシグナル(RU)
結 合
バルク効果
解 離 バルク効果
結合量
再 生
時 間(秒)
バッファー
アナライト
バッファー
再生溶液
バッファー
図2・6 センサーグラム.
ライトの解離反応が観察される.最後に,pHや塩濃度を変えたり界面活性 剤などを添加することにより,残っているアナライトをリガンドから溶出 し,センサーチップを再生する.これが1サイクルの実験である. 再生されたセンサーチップには繰返しアナライトを添加することができる. センサーチップの寿命は,リガンドの安定性や再生条件に左右されるが,数 十から数百回は使用できる.1サイクルの測定実験は,所要時間が10∼20分, アナライトの使用量はnMからmMの濃度のものが50∼100μl程度である.
34
コラム:BIACORE の開発 Magnus Malmqvist
生体分子の相互作用を解析する最初の試みで あった.表面に固定化したタンパク質への他の タンパク質の吸着をエリプソメトリーを用いて 観察するために,シリカ表面を化学蒸着法によ
Biomolecular Interaction Analysis(BIA)とは,バイ
りシランで修飾し,ここにタンパク質をチオー
オセンサーを用いた生体分子の認識の機能解析の
ル-ジスルフィド基の交換反応で結合させる方法
ことをいう.分子生物学の発展,HUGO プロジェ
がとられた.タンパク質溶液を連続流でエリプ
クトなどの大規模な遺伝情報解析のプロジェクト
ソメーターの光学部分へとフローセルを通して
が進むにつれ,多くの新たなタンパク質が発見さ
流す系を採用し,固定化したプロテインAへの抗
れ,これら新規の生体分子の結合様式を解析する
体分子の結合を観察している.
ニーズが高まってきた.生体分子間の認識を詳細 にかつ定量的に記述することにより生体内の分子 ネットワークモデルを構築することができる.
スウェーデン有数の製薬・診断薬・バイオテクノ ロジー企業である当時のファルマシア株式会社 は, 将来のバイオテクノロジー製品および診断手
このような研究環境の展開を背景として,1980年代
法としてこのバイオセンサーの研究に興味を示し
に生体分子の結合様式解析のための一般的な技術を
た.1983 年にファルマシア株式会社の経営陣に
導入する初めての試みがスウェーデンで始められた.
国立防衛研究所で行われていた研究成果が紹介さ れた.その結果,ファルマシアでプロジェクトを 開始することが決定され,1984 年にファルマシ
バイオテクノロジーに遅れること10年,1980年
ア バイオセンサー株式会社が設立された.
ごろにバイオセンサーという言葉が知られるよ
バイオセンサーを開発する新会社の発足に当
うになった.そこでは,生体分子の活性を直接検
たって,いろいろな大学からバイオセンサーの
出器に反映させるためにさまざまな試みがなさ
みならず,物理,化学,分析化学,生化学の専門
れた.タンパク質を固相化する新たな手法を応
家が集められた.バイオセンサーの基本となる
用した酵素電極などがその例である.
検出原理が検討され,最終的に表面プラズモン
スウェーデンのバイオセンサーの研究にとって
共鳴を検出原理として採用することが決定され
重要な人物が Linköping 大学応用物理学部の
た.表面プラズモン共鳴のなかでも,Kretschman
Ingemar Lundström教授である.彼の研究室では
配置をとることによって試料の送液システムの
生体分子の解析に物理的手法を導入すべく,エ
設計の自由度を大きくした.表面プラズモンを
リプソメトリー,リフラクトメトリー,表面プラ
起こすためには適当な厚さの自由電子をもつ金
ズモン共鳴,光熱学的検出法などを用いたプロ
属が必要となる.これには金を使うこととした.
ジェクトが進められていた.それ以外にも,気体
そして, その表面にリガンドを容易に固定できる
を直接測定するための気体感応場効果装置や麻
よう表面化学の研究が始められた. その際に重要
酔ガス測定のためのピエゾエレクトリック水晶
な点は, 金の修飾に長鎖チオールの自己集合一重
発信マイクロバランスなども研究されていた.
層を使うことであった.また,カルボキシル化し
彼の研究室から多くの優秀なバイオセンサーの
たデキストランを用いると, そのイオン交換効果
研究者が輩出した.
により, デキストランへの結合容量を格段に増加
バイオセンサーの開発にとって特筆すべき研究 がスウェーデンの国立防衛研究所で 1981 ∼ 84 年に進められていた.シリカにタンパク質を固
できることがわかった.最終的に,イオン交換に よる吸着と共有結合反応を組合わせて目的分子を デキストランに固定化する手法が開発された.
相化するための表面化学加工技術,エリプソメ
11ヶ月後にファルマシア バイオセンサーの取締
トリーを用いたフローセルのシステムでタンパ
役会で初めての研究発表が行われた.ここで
ク質-タンパク質の相互作用をモニターする研究
SPR センサーが紹介され,固定化したプロテイ
である.この研究は,標識をせずリアルタイムで
ンAで捕捉した抗トランスフェリン抗体表面に2
35
種類の濃度の抗原をインジェクトし,抗原の抗
1990年に初めての製品BIAcoreが発表された.以
体への結合を示す最初のセンサーグラムが報告
来,標識なしで生体分子の相互作用をリアルタ
された.
イムに解析するBIA technologyは急速に研究者の 間に受け入れられていった. BIACOREの開発は異分野の研究を統合した成功 例のひとつとして特筆すべきものがある. この開 発の推進力となったのは生物学上の大きな疑問, 生体におけるさまざまな反応を制御しているメカ ニズムを個体,組織,細胞,そして分子レベルで 解明したいという興味であった.さらに今後,生
BIACOREのプロトタイプ (1985年ごろ)
物学の研究は,複数の分子の複合体の解析,細胞 内のダイナミックなネットワークの解明, さらに
シリコンポリマーの加工技術についても研究が 重ねられた.シリカにエッチングを施し,これを 鋳型とし高精度に微細構造の流路を形成する技 術が開発され,現在のマイクロ流路系が完成し た.また,BIACORE の光学部分のプリズムとセ ンサーチップとの仲介をするオプトゲルが開発 された.これはあまり注目されていないが, BIACOREの開発に当たって最も重要な部品であ る.オプトゲルを導入することで油浸用オイル が不要となり,センサーチップの交換が簡単に 行えるようになった. 以上みてきたように,表面化学,マイクロ流路 系,表面プラズモン検出装置という三つのまっ
最初のセンサグラム
たく異なる学問分野の技術を組合わせ,一つの 機器として完成させるために精力的な開発研究
はその上のレベルでの研究へと進むだろう. これ
が展開された.この過程で,この技術を用いるこ
に答えることは,BIA technology の将来の応用開
とによって生体分子の濃度測定,機能解析がで
発,技術開発にとって大きな挑戦である.
きることが明らかとなり,生体分子の相互作用 の解析(Biomolecular Interaction Analysis, BIA) という概念が確立された.
36
1
1.1
実験操作手順
稲川淳一,岡崎一生,森本香織,橋本せつ子
はじめに BIACOREシステムを用いた生体分子間特異的相互作用の実験は,1) 試料・ バッファーの調製,2) リガンドのセンサーチップ表面への固定化,3) 相互作 用の測定,および,4)測定データの解析の順序で進められる. この章では,実験の進行にそって操作手順,実験計画の要点を説明する.
1.2
試料・バッファーの調製 BIACOREの実験で使用する試料は,センサー表面に固定化する試料 (リガン ド) と,相互作用測定のために添加する試料 (アナライト) と,大きく二つに 分けることができる.いずれの試料もマイクロ流路系を介して装置に添加す るため,試料中の微粒子を除去することを勧める.微粒子の除去法として は,10,000×g,10分間の遠心,あるいは,孔径0.22μmフィルターによるろ 過が適当である.以下にリガンドおよびアナライトの調製法を説明する.
1.2.1 リガンドの調製 センサー表面に固定化するリガンドとしては,タンパク質,ペプチド,オリ ゴヌクレオチド,糖質,低分子量化合物などさまざまな種類の分子が考えら れる.すでに各分子について固定化および相互作用測定は試みられているの で,可能な限り目的の分子に関する論文,資料を入手したうえでの検討を勧 める.いずれの場合でも,リガンドとして用いる試料の純度が重要であり, 最低でも純度90%以上の試料を用意する.純度の高いリガンドを固定化すれ ばアナライトが未精製品であっても,特異的な相互作用を検出することが可 能である.特に,反応速度論定数を定量的に求める実験では,リガンド試料 にごく微量混入している分子,たとえば,リガンドが多量体を形成したもの などが結合シグナルにもたらす影響が思いのほか大きい場合が多く,その後 のデータの解析を誤ることがよく見受けられる.リガンドの精製度は実験の 成否に大きくかかわってくる.回り道のようでも,まず高純度の試料を調製 するほうが,結果的にはより速く正確な結果が得られることになる.
39
1.2.2 アナライトの調製 アナライトの濃度は分子間のアフィニティーのレベル,測定目的により異な るが,解離定数KD値前後の濃度から始める.1回のインジェクションに必要 な試料量は50∼100μlである. BIACOREで得られるレゾナンスシグナルは,直接には,センサーチップ表面 近傍の溶媒の屈折率の変化を反映している.すなわち,センサーチップに固 定したリガンドと溶媒中のアナライトとの結合によるシグナルの変化と,溶 媒そのものの屈折率がもたらすシグナルの変化の総和を観察している.後者 を「バルク効果」とよんでいる.これは溶媒の種類,タンパク質濃度,塩濃 度,あるいはpHなどにより大きく変化する.したがって,対象となる分子の 真の結合量をみるためには,このバルク効果を差し引くことが重要である. バルク効果を除くためには,まず,アナライトの溶媒とBIACOREのランニン グバッファーとを同じものに揃えることが大切である.アナライト試料を透 析,あるいはゲルろ過によりランニングバッファーと同じバッファーに置換す る.結合の有無を定性的にみる実験ではバッファー交換はそれほど厳密に行う 必要はない.定量的なキネティクスの実験の場合には,アナライトの濃度を何 段階か変えて実験するので,バッファー交換も確実に行う必要がある. さらに,センサーチップ表面へのアナライト試料の非特異的吸着の影響も差 し引くために,実験にあたっては必ずブランクコントロールをとることが大 事である.通常,リガンドを固定化したフローセルとリガンドを固定しない フローセルに同一のアナライト試料をインジェクトし,リガンドを固定化し たフローセルで得られたセンサーグラムからリガンドを固定しないフローセ ルで得られたセンサーグラムを差し引くことによって,バルク効果および非 特異的吸着の影響を除くことができる.ブランクコントロールとしては,リ ガンド分子を加熱処理などにより失活させたものを同量固定化したものが最 も理想的であるが,これ以外にリガンドの代わりにBSAを同モル相当量固定 化したもの,あるいは以下に紹介するアミンカップリング法ではデキストラ ン活性化反応後,アナライトを添加せずエタノールアミンでブロックしたも のをコントロールとすることも多い. 試料調製においては,添加物にも注意を払う必要がある.特に,リガンドと して市販品を用いる場合には,しばしば安定化剤としてBSAやグリセロール が加えられていることがあるので注意を要する.この場合には,目的分子を さらに精製して用いる.また,グリセロールはそれ自体の屈折率がSPRシグ ナルに大きく反映するので,アナライトへの添加は極力避け,添加せざるを 得ない場合は5%以下に抑えることを勧める.
40
BIACORE 用語解説
KA = [AB]/[A] [B] [AB]:AB 複合体の濃度
レゾナンスユニット(RU)
[A]:自由な A の濃度
センサーチップ表面の濃度変化にともなってお
[B]:自由な B の濃度
こる表面プラズモン共鳴(SPR)シグナルの変 化を表す単位.レゾナンス角度 0.1°を 1000 レ ゾナンスユニット(1000 RU)とした.1000 RU はタンパク質溶液ではおよそ1 ng/mm2の表面濃 度に相当する.
結合速度定数 ka,解離速度定数 kd AとBの二つの分子が結合,解離する速さを表す 定数.下に示す反応式の反応速度定数であり,解 離定数 KD,親和(アフィニティー)定数 KA との
センサーグラム センサーチップ表面でのSPRシグナルの経時変 化を示すグラフ.X 軸に時間(秒)を,Y 軸にレ
関係は下記のようになる. ka
⎯ A + B ←⎯⎯→ ⎯⎯ AB kd
ゾナンスユニット(RU)をとる. 結合速度
d[ AB] = ka [ A ][B] dt
解離速度
−
リガンド センサーチップ表面に固定する試料をリガンド と呼ぶ.分子の種類にあわせてさまざまな固定 化方法が開発されている.
アナライト センサーチップ表面に流し,固定化したリガン ドと反応する試料をアナライトと呼ぶ.
d[ AB] = kd [ AB] dt
平衡状態ではこれが等しいので
ka [ A ][B] = kd [ AB] この式を変換して
kd [ A ][B] = KD = ka [AB]
バルク効果 アナライト試料そのものがもたらすSPRシグナ ル.アナライトの溶媒,タンパク質濃度,塩濃
ka [AB] = K = A kd [ A ][B]
度,pH などによって変化する.アナライトの結 合によるシグナルの変化と区別するためにコン トロールをとってバルク効果を差し引くことが 重要である. マストランスポート・リミット BIACOREを用いて反応速度定数(結合速度定数
解離定数 KD,親和(アフィニティー)定数 KA 二つの分子間の親和性を表す定数.A と B の 2 分 子を混合し平衡状態でのAB複合体,A,Bの未結 合体の濃度で表される.解離定数KD,親和(アフィ ニティー)定数 KA は互いに逆数の関係にある.
KD = [A] [B]/ [AB]
ka および解離速度定数 kd)を求める際に,アナ ライトのセンサーチップ表面への供給が反応の 律速となっている状態をいう.具体的にはセン サーチップ上のリガンドの量が多すぎる場合, アナライトの流速が遅い場合にこのような現象 が起こる.マストランスポート・リミットがか かった状態で反応速度論的定数を求めても,実 際より小さな値を得てしまうことになる. 41
1.2.3 ランニングバッファー BIACOREで用いる標準的なランニングバッファーとして,生理条件のHBS バッファー (10 mM HEPES pH 7.4,0.15 M NaCl,3 mM EDTA,0.005% Surfactant P20) があるが,相互作用の種類に合わせて,塩,金属イオン,界面 活性剤などを添加し至適化する.バッファー調製後,0.22μmのフィルター でろ過し,十分脱気する.
1.2.4 再生溶液 繰返し相互作用を測定するために,アナライトを添加して相互作用を測定し たのち,センサー表面に結合したアナライトを溶出してセンサー表面を再生 する.センサー表面の再生には,一般的には塩濃度あるいはpH条件を変化 させた溶液を用いる.再生溶液としては,固定化リガンドを変性・失活させ ず,かつ結合アナライトを完全に溶出させる条件を選択する. 再生溶液の種類,条件はこれまでの論文などを参考に選択する.
1.3
リガンド固定化操作 センサー表面へのリガンドの固定化方法には,大きく分けてリガンド分子を センサー表面のデキストラン層に直接共有結合で固定化する方法と,あらか じめリガンドに対する特異的認識分子を固定化したのち,目的のリガンドを この認識分子で捕捉して間接的に固定化する方法の二つがある.
1.3.1 アミンカップリング法 リガンド分子内のアミノ基を用いてデキストランに直接共有結合で固定化す る方法である.固定化操作は四つのステップで進行する.1) センサー表面カ ルボキシル基の活性化,2) リガンドの結合,3) 残余活性基のブロッキング, および,4) センサー表面の調製,である.アシアロフェツィン (糖タンパク 質の一種) の固定化操作の実例 (図1・1) に沿って各ステップを解説する.図 1・2に固定化操作用のプログラムとソフトウェア画面の例を示す. 1) プレコンセントレーション センサーチップ表面はカルボキシメチルデキストランにより負に帯電してい 42
1
活性化
リガンドの結合
ブロッキング
実験操作手順
センサー表面の調製
レゾナンスシグナル(RU)
35000 30000 25000 20000 15000 10000 5000 0
500
1000
1500
2000
2500
時 間(秒)
図1・1 アミンカップリング法によるアシアロフェツィン固定化の例.
(a)
(b)
図1・2 アミンカップリング法によるリガンド固定化プログラム(a)とソフトウェア画面 (b)の例.
る.これを利用して,リガンド分子をデキストランマトリックス内に高濃度 に濃縮し効率よく固定化することができる.すなわち,リガンドがタンパク 質であればその等電点より低いpHのバッファーにリガンドを希釈すると, タンパク質は陽に帯電するので負のマトリックス内に濃縮される.これをリ 43
ガンドのプレコンセントレーションと呼んでいる. リガンドの等電点がわからない場合には,pHの異なるバッファーを数種類 用意し,リガンドをこれに希釈し,何も前処理していないセンサーチップに 順次インジェクトする.リガンドが陽に荷電していればセンサー表面に濃縮 されセンサーグラムが上昇する.センサーグラムの傾きを比べることによっ て,固定化に最も適したpHを選ぶことができる. プレコンセントレーションの効果をより発揮できるよう,リガンドを希釈す るカップリングバッファーは10 mM程度の低塩濃度のバッファーを用いる. プレコンセントレーションに用いたセンサーチップのフローセルは再生溶液 で軽く処理したのち,固定化反応に使用することができる.簡単な実験で固 定化反応の結果が予測できるので,この予備実験を行うことを勧める. 酸性タンパク質やリン酸化ペプチドなどの場合にはプレコンセントレーショ ン効果は期待できない.このような試料を固定化する場合には,リガンド分 子をできるかぎり高濃度に中性のバッファーに調製したものを用いるとうま く固定化できる場合がある. 2) センサー表面カルボキシル基の活性化 (3-ジメチルアミノプロピル) カルボジイミドヒ リガンド固定化操作は,Nユドロクロリド (EDC) とN-ヒドロキシコハク酸イミド (NHS) の混合液によりセ ンサー表面のカルボキシル基を活性化して,マトリクスにNHS基を導入する ことからはじまる.なお,EDCはカルボキシル基とNHS基との縮合反応を進 行させる.BIACOREシステムでは,標準的なプロトコールでは活性化時間 は7分間であり,この条件下でセンサー表面全体の約40%のカルボキシル基 が活性化される.リガンドの固定化効率は活性基の密度に依存するので,活 性化時間に比例してリガンド固定化量は変わる.したがって,活性化時間を 調節することによりリガンド固定化量を調節することができる. 3) リガンドの結合 活性化反応に続いてリガンド溶液をセンサー表面にインジェクトする.リガ ンドの結合に伴いセンサーグラムの上昇がみられる.リガンド固定化量はこ のステップのリガンドの接触時間で調節することも可能である. なお,ブランクコントロールのセンサー表面を調製する場合は,活性化反応 ののち,このステップを省き,直ちに次のブロッキング反応を行う. 4) エタノールアミンによるブロッキング 1 Mエタノールアミン-塩酸を添加することによって未反応の活性基をブロッ 44
1
実験操作手順
クする.この処理はマトリクスに静電気的吸着で残っているリガンドを洗い 流す効果もある. 5) センサー表面の調製 ブロッキング反応終了後,センサー表面の調製を目的として再生液を添加す る.この処理により,デキストランマトリクスに非特異的に吸着したリガン ドあるいは固定化リガンドとオリゴマーを形成している過剰なリガンドを溶 出する.再生液は固定化リガンドの安定性を十分に考慮して選択する.再生 液のセンサー表面への添加は1分間程度で十分である.添加終了後,ランニ ングバッファーに替わって1∼2分間後のRU値を記録する.固定化反応前の RU値との差がセンサー表面へのリガンドの固定化量である.リガンドの固 定化量を調節するには,センサー表面の活性化時間,リガンドの結合反応時 間,および,リガンド濃度の調節の順に検討する.
1.3.2 チオールカップリング法 チオールカップリング法は,リガンド分子内のチオール基を介して固定化す る方法である. 図1・3には,固定化操作用のプログラム例を示す.リガンド固定化操作は大 きく五つの段階により進行する.すなわち,1) センサー表面カルボキシル基 の活性化,2) PDEA基の導入,3) リガンドの結合,4) 残余活性基のブロッキ ング,および,5) センサー表面の調製である.PDEA基の導入段階およびブ ロッキング試薬に50 mM l-システインを用いることを除いては,操作はアミ ンカップリング法とほぼ同様である. チオールカップリング法によって固定化したセンサーチップを用いて相互作 用を測定する場合は,ジチオトレイトール (DTT) など還元剤の添加は禁忌で ある.また,再生溶液も強塩基性試薬はリガンド結合に影響するため使用は 避ける.
1.3.3 間接的捕捉法(キャプチャー法) 間接的捕捉法としては,1) 固定化ストレプトアビジンにビオチン化リガンド を結合させる方法,2) 固定化した抗マウス抗体でマウス由来抗体を捕捉する 方法,3) 固定化した抗GST抗体でGST融合タンパク質を捕捉する方法,4) キ レート剤NTAを固定化したセンサーチップ表面にHisタグ融合タンパク質を 捕捉する方法,などがある.このうちいくつかの方法については,専用のセ ンサーチップあるいは試薬キットが市販されている.
45
図1・3 チオールカップリング法によるリガンド固定化プログラムの例.
間接的捕捉法には以下のような利点がある. 1) リガンドのデキストランマトリックスに対する方向性を揃えることがで きる 2) 毎サイクルごとに新たにリガンドを固定するので,再生によるリガンド の失活を気にせず,毎回同じ条件でアナライトの結合を測定することが できる 3) 抗マウス抗体などの場合,異なるマウスモノクローナル抗体を固定する ことができ,センサーチップを節約できる 4) 試料の精製度が低くてもリガンドとして使用することができる
1.4
センサーチップ センサーチップC M 5 は,カルボキシメチルデキストラン表面をもち, BIACOREシステムの実験において最も使用されているセンサーチップであ
46
1
実験操作手順
る.現在市販されているセンサーチップは,センサーチップCM5のほかに, センサーチップSA,NTA,HPAの3種類がある.ここではCM5以外の3種類 のセンサーチップについて解説する.
1.4.1 センサーチップ SA センサーチップSAは,センサーチップCM5の表面にストレプトアビジンを アミンカップリングで結合させており,ビオチン化リガンドをストレプトア ビジン-ビオチン結合を介して固定化するためにデザインされたセンサー チップである. ストレプトアビジンは,分子量60,000の四量体構造をもつタンパク質であ り,ストレプトアビジン-ビオチンの結合は解離定数10-15 Mをもち,ビオチ ン化リガンドを非常に安定に固定化することができる. ストレプトアビジン-ビオチン法が有用なリガンドを以下に示す.表1・1に おもなビオチン化試薬とそのターゲットを示す. 1) 核酸:オリゴDNA合成時に5' 末端あるいは3' 末端にビオチン基を導入 したものを使用する 2) 多糖類,複合糖類:ビオチンヒドラジドやアミノビオチンといったビオ チン化試薬を使用し,リガンドをビオチン化したものを使用する 3) 酸性タンパク質・酸に不安定なタンパク質:さまざまなビオチン化試薬 を使用し,リガンドをビオチン化して使用する.ビオチン化リガンド は,pH 8.5までの弱塩基性条件で標識する 4) 他の固定化方法では十分な固定化量が得られないリガンド:アミノ基や チオール基以外の官能基と結合するビオチン化試薬を利用し,リガンド をビオチン化して使用する
ビオチン化試薬 NHS-ビオチン ビオチンヒドラジド アミノビオチン ヨウ素化アセチルビオチン ビオチンマレイミド 光活性化ビオチン
活性基 一級アミノ基 カルボキシル基・アルデヒド基 カルボキシル基・アルデヒド基 チオール基 チオール基 核酸
表1・1 おもなビオチン化試薬とター ゲットとなる生体分子上の活性基
47
1) リガンドのビオチン化 ビオチン化の程度はできるだけ低く抑えることを勧める.ビオチン化効率を 上げることでリガンド本来の活性が低下する場合もあるので注意すること. BIACOREでの実験では,ビオチン化の程度は0.5∼1.5 molビオチン/リガン ドが適当であると考える. 2) リガンド希釈液 センサーチップSAは,センサーチップCM5にストレプトアビジンを固定化 している.センサーチップ表面はカルボキシル基が残存しており,表面は負 の電荷を帯びている.したがって,酸性リガンドの固定化の場合は,リガン ド希釈液中に0.3 M以上のNaClを添加することでセンサーチップ表面との静 電的反発を抑え,効率よく固定化を行うことができる. 3) ビオチン化したリガンドの結合 ランニングバッファーおよびリガンド希釈液は,リン酸バッファー,HEPES バッファー,トリスバッファーなど通常使用しているバッファーであればど れでも使用することができる.オリゴヌクレオチドなど酸性リガンドを使用 する場合,リガンド希釈液中の塩濃度を上昇させて固定化する必要がある. ビオチン化リガンドは,迅速かつ効率よくストレプトアビジンと結合する. ビオチン化リガンドは,通常10∼100μg/mlの濃度で使用する.結合操作 は,センサーチップSA表面に,ビオチン化リガンドを2∼10μl/minの流速で 添加することで行う.固定化量の調節は,ビオチン化リガンドの濃度,添加 容量,および,流速の調節で行う. 4) ビオチン化リガンドが固定できない場合の原因 1) 遊離のビオチンが完全に取り除かれていない.この場合,リガンド溶液 をゲルろ過し,精製しなおす必要がある. 2) リガンド希釈液中の塩濃度が低い.これはリガンドが,酸性タンパク質 もしくはDNAの場合に多くみられる.特にリガンドの安定性に問題がな ければ,1 M程度まで塩濃度を上昇させたリガンド希釈液を使用するこ とで,固定化量を上げることができる.
1.4.2 センサーチップ NTA センサーチップNTAは,センサーチップCM5の表面にNTA (nitrilotori-acetic acid:キレート試薬) をアミンカップリングで結合させており,Hisタグをもつ
48
1
実験操作手順
組換えタンパク質をNi2+を介して結合させるためにデザインされたセンサー チップである.Hisタグの部分でNi2+を介してリガンドをセンサーチップ表面 に結合させるため,実験の準備をする際にはランニングバッファーを含め, BIACOREシステム中に金属イオン,特に,二価のカチオンが混在しないよう 注意する必要がある.金属イオン混入を防ぐため,実験前日に0.35 M EDTA でシステムを洗浄し,実験直前までランニングバッファーを流し続ける. 1) ランニングバッファー ランニングバッファーおよびリガンド希釈液は,通常使用しているバッ ファーを使用できるが,二価のカチオンやキレート試薬は除く必要がある. ただし,非特異的結合を抑えるために,50μM EDTAや5 mMイミダゾール をランニングバッファー中に加えることがある. 2) Hisタグリガンドの結合 結合操作は,まず,センサーチップ表面に500μM NiCl2をインジェクトした のち,2∼10μl/minの流速でHisタグリガンドをインジェクトする.Hisタグ リガンドは,通常10∼200 nMの濃度で使用する.固定化量の調節は,Hisタ グリガンドの濃度,添加容量,および,流速を変えて行う. 3) 相互作用検討 再生は,通常0.35 M程度のEDTAを含むバッファーで行う.試料あるいは目
図1・4 Hisタグリガンドのリガンド固定化の例.
49
的にあわせて酸やアルカリなどの再生溶液が必要となる場合もある.再生溶 液に対する安定性はセンサーチップCM5とほぼ同様だが,アルカリ条件下で はNTAが不安定となるため,0.1 M NaOHなどアルカリ性溶液は使用は避け る.Hisタグリガンドの固定化プログラムの例を図1・4に示す.
1.4.3 センサーチップ HPA センサーチップHPA表面は,デキストランをマトリクスとする他のセンサー チップと異なり,チオールアルカン基により非常に疎水性の高い表面を形成 している.このセンサーチップは生体膜に近い状態をセンサー表面に再現す ることで,膜タンパク質や糖脂質・糖タンパク質の研究用にデザインされて いる.リガンドをリン脂質や複合糖脂質などで作製したリポソーム中に包埋 させたリポソームリガンドの形状でセンサーチップ表面に添加すると,リポ ソームの疎水性部分が表面に配向し,そのなかにリガンドが脂質膜に組込ま れた形状で固定化することができる.リガンドの流動性は高く,生体膜に非 常に近い状態を再現していると考えられる. センサーチップHPAが有用なリガンドとしては,リン脂質,糖脂質,膜より 単離することで活性を失うレセプター,疎水性部分と親水性部分よりなるタ ンパク質,などがあげられる. 1) システムの準備 センサーチップHPAは,疎水性表面をもち,あらゆるタンパク質に対し高い 吸着性を示すため,送液系に吸着しているタンパク質,脂質などを取り除く 必要がある.実験前日に,DesorbとSanitizeを実行したのち,システム中か ら界面活性剤を取り除くため,使用直前までMiliQ水でContinueを行う.シ ステム中の界面活性剤の残存はリポソームの固定化操作の妨げとなる. 2) ランニングバッファー ランニングバッファーは,界面活性剤を含まないかぎり,リン酸バッ ファー,HEPESバッファー,トリスバッファーなど,通常使用可能である. 固定化終了後までのセンサーチップHPAの表面は疎水性が高く気泡が発生し やすいので,バッファーの脱気を十分行う必要がある. 3) リポソームリガンドの調製法 リン脂質や複合糖脂質中にリガンドを包埋したリポソームを調製する.リン 脂質や複合糖脂質としては,DMPC(dimyristoyl phosphatidylcholine)および POPC (palmitoyl phosphatidylcholine) が現在よく使用されているが,目的に応
50
1
実験操作手順
じて各種選択可能である. リポソームリガンドの調製手順としては, 1) クロロホルムなどに希釈したリガンドとリン脂質を混合する.リガンド は通常0.3∼1%(w/w)程度の濃度になるよう,リン脂質は終濃度で10 mMになるように混合液を0.5 ml調製する.ここでは,小さいガラス製 の試験管を用いると便利である. 2) リガンドとリン脂質の混合液を最低2時間,吸引しながらクロロホルム を除く. 3) ランニングバッファー0.5 mlに懸濁し,凍結融解を4回繰返す. 4) リポソーム作製機を用いて,径が50 nmのフィルターを繰返し通し,リ ポソーム化を行う.リポソームが形成されると懸濁液は透明になる.リ ポソーム作製機がない場合は超音波処理を行う. 5) ランニングバッファーで,約0.5∼1 mMに希釈する. 4) リポソームリガンドの固定化 センサーチップ表面を20 mM CHAPSで洗浄する.その後,低流速でリポ ソームリガンドを添加し,固定化操作を行う.リポソームリガンドは,通常 0.5∼1 mMの濃度で使用し,低流速で30分以上添加する.30分以上のリポ ソームリガンドの添加により,センサーチップ表面に多重層のリポソームが 作成されることになる. 次に,この多重層のリポソームを単層にするために,10 mM NaOHを添加す る.この時点で,リポソームリガンドの添加直前のベースラインから10 mM NaOHの添加直後の測定値の上昇は,1,000∼1,500 RU程度が目安となる.固 定化が不十分でセンサーチップの疎水表面が露出していると非特異的結合の 原因となる.完全に疎水性表面がリポソームリガンドで覆われていることを 確認するために,リポソームリガンドに結合性のないBSAなどのコントロー ルサンプルを添加して,応答の有無を確認する.結合がみられなければ,相 互作用検討に進むことができる. 5) 相互作用検討 リポソームリガンドを固定したセンサーチップ表面は非常に安定で,基本的 にセンサーチップCM5使用時の相互作用検討操作と同様である.再生溶液 は,固定化しているリポソームリガンドを解離させる界面活性剤などの使用
51
を避ける必要がある.
1.4.4 センサーチップの保存 リガンドが固定化されたセンサーフローセルは,リガンドの安定性に依存し て再使用が可能である.リガンドの固定化されていないフローセルにはあら ためて固定化操作を実行できる.センサーチップの保存については以下の方 法が推奨される. 1) バッファー浸透法:タンパク質を固定化したチップについて,50 ml程 度のふた付きプラスチックチューブにランニングバッファーを満たし, センサーチップをそのまま浸して4℃で保存する.必要であれば,アジ 化ナトリウムなどの保存剤を添加する.再使用に際しては,キムワイプ などでバッファーを完全に拭き取ったのち装置へ挿入する. 2) 乾燥法:センサーチップ全体をチップの袋に戻すか,パラフィルムで包 み4℃で保存する.できるならデシケーター中に置き乾燥状態を保つ. 再使用には室温に戻してそのまま装置へ挿入する.
1.5
相互作用解析手順 BIACOREにおける相互作用測定は,おもに次のような目的の実験に使用さ れる. 1) 相互作用確認実験 2) 反応速度論的解析 3) 親和性(アフィニティー)解析 4) 濃度測定 5) 未知結合(阻害)物質のスクリーニング 実験の目的により,リガンドの固定化量あるいはアナライトの調製法などの 実験条件を至適化する.一般的には,リガンドの固定化量,アナライトの添 加流速には図1・5に示すような指標が示されている.
52
1
反応速度 論的解析
30 流 速(μlR/min)
実験操作手順
相互作用確認実験 濃度測定 スクリーニング
10
親和性解析
5 50
200
1000
4000
固定化量(RU)
図1・5 リガンド固定化量およびアナライ ト添加流速の一般的指標.
1.5.1 相互作用確認実験 ここでいう相互作用確認実験とは,2分子が特異的に結合するかどうか,ま た,そのアフィニティーがおよそどれくらいであるかを定性的に測定する実 験のことである.BIACOREで実験をするときにいちばん基本となる,最初 の実験である. 1) リガンドとアナライトの準備 まず,どちらの分子をリガンドとしてセンサーチップに固定化し,どちらを アナライトとしてインジェクトするかを決めなければならない.一般的には 分子量の大きい分子をアナライトとしたほうが大きなシグナルが得られる. また,より安定な分子をリガンドとして固定した方が繰返し再生して実験す ることができる.しかし,ある分子とその変異体について,それらを認識す る分子との結合様式を比較するような実験では,おのずと後者の分子をリガ ンドとし,種々の変異体を逐次インジェクトすることになる.リガンド,ア ナライトの決定は試料の調製をはじめとして実験計画に大きく影響するの で,まずはじめに十分検討する. つぎに,十分な結合シグナルを得るためにどのくらいのリガンドを固定し, どれくらいの濃度のアナライトをインジェクトするかを決める.はじめは結 合シグナルを十分に観察できるようになるべく多くのリガンドを固定化す る.通常のアミンカップリング法で固定化すると,数千RUぐらいは簡単に 固定化することができる.BIACOREはセンサーチップ表面上における質量 変化をモニターするため,アナライトの分子量および濃度により結合シグナ ルは変化する.アナライトの理論的最大結合量を以下の方法で計算すること ができる.最大結合量があまり小さくならないようにリガンドの固定化量を 調整する.
53
[例1] リガンド分子量
20,000ダルトン
アナライト分子量
50,000ダルトン
リガンド固定化量
1000 RU
反応形式 1:1 理論的最大結合量 = リガンドの固定化量×リガンドの価数 ×(アナライトの分子量/リガンドの分子量) = 1000(RU) ×1×50,000/20,000 = 2500 RU [例2] リガンド分子量
20,000ダルトン
アナライト分子量
500ダルトン
リガンド固定化量
1000 RU
反応形式 1:1 理論的最大結合量 = リガンドの固定化量×リガンドの価数 ×(アナライトの分子量/リガンドの分子量) = 1000(RU) ×1×500/20,000 = 25 RU アナライトの濃度としては,解離定数前後の濃度から始めるのが適当であ る.解離定数が不明な場合は,分子量50,000前後のタンパク質であれば10 μg/mlぐらいから試してみる.この場合,流速10μl/minで1分間インジェク トする.したがって1回目に用意するアナライトの容量は50μl程度で十分で ある.このときの相互作用反応曲線および結合量をみて,以降の実験でアナ ライトの濃度,接触時間,流速などを検討する.さらに,実験目的にあわせ て,第2,第3のアナライトを添加し,複合反応の測定をすることも可能であ る. 2) 結合シグナルの解析 アナライトのセンサーチップへの非特異的結合の有無を確認するために,必 ずブランクコントロールをとることが重要である.ブランクのフローセルに 同一アナライトを同一条件で添加し,シグナルの変化を観察する.ブランク コントロールセルとしては,以下のセルを用いることが多い. 1) 何も処理していないフローセル 2) アミンカップリング法でリガンドを固定化する際にNHS活性化後,その ままエタノールアミンでブロックしたフローセル
54
1
実験操作手順
3) BSAなどのタンパク質をリガンドと同程度に固定化したフローセル 4) なんらかの処理で不活化させたリガンドを同程度固定化したフローセル BIACORE 2000での基本的な分析プログラムの例を図1・6に示す.BIACORE 付属のソフトウェアを使うとセンサーグラムの差し引きが簡単にできる. 次に,得られた結合シグナルがリガンドに特異的な結合によるものかどうか を確かめる.このためにはまず,アナライトの濃度を変えて結合シグナルが 潟Kンドを添加した試料を同じ条件でインジェクトし,はじめにみられた結 合シグナルがなくなるかどうかをみる.リガンドに特異的な反応であれば, 結合は阻害されるはずである.もし,相互作用がカルシウム要求性など特殊 な条件を要求する場合には,その因子を除いて実験をし,結合シグナルが消 失するかどうかで判断することもできる.さらに,リガンドとアナライトに する分子を入れ替えて結合を確認する実験も重要な情報を与えてくれる. 3) 非特異的吸着を抑制する方法 アナライトに粗精製の試料を使用したときには,非特異的シグナルが大きく なることがよくある.非特異的吸着を抑制するためにはその原因を正しく認 識して適切な対策を講じる.
図1・6 BIACORE 2000による基本的な分析 プログラムの例.
55
1) デキストランのカルボキシルメチル基 (負電荷) への静電的な結合:リガ ンドの固定化時にNHS活性化時間を長くし,センサーチップ表面に残存 するカルボキシル基をなるべく減らすことにより,静電的な非特異的吸 着をかなり抑えることができる.また,相互作用に影響しない範囲でラ ンニングバッファーの塩濃度を上げることも有効である 2) デキストラン層そのものへの吸着 3) センサーチップ表面への疎水的吸着 4) その他の原因による吸着 これらの非特異的吸着については決定的な抑制方法はないが,試料濃度を下 げて非特異的応答を抑え,相対的に特異的応答との差を大きくして検討でき る場合もある.また,カルボキシルメチルデキストラン (メルク社製など) を サンプルに添加することで,非特異的吸着を抑える方法も有効である (IV. 応用編 8.2.エピトープマッピングの例参照). 4) 再生操作 相互作用測定終了後に,再生操作を行い結合したアナライトを洗い流す.こ の操作が不十分だと,アナライトが残存する.また,過激すぎるとリガンド が変性して以降の分析に支障をきたすことになる.したがって,再生はリガ ンドの活性を損なわないような条件を使用する.再生溶液の接触時間は,30 秒から1分間程度で十分である.リガンドの安定性を保つために再生操作は 接触時間を延ばすのではなく回数を繰返すことを勧める.いずれにしても, それぞれの系ごとに予備実験をして,至適な再生条件,再生回数を確認して おくことを勧める(図1・7). 再生溶液としては,以下の溶液がよく用いられる. 1) pH変化によるもの 酸性条件:10 mMグリシン-塩酸緩衝液 (pH 1.5∼3) , 10∼100 mM塩酸など アルカリ条件:10 mMグリシン-水酸化ナトリウム緩衝液(pH∼11), 10∼100 mM水酸化ナトリウムなど 2) 高塩濃度によるもの 塩化ナトリウム溶液(1∼5 M),硫酸アンモニウムなど 3) タンパク質変性剤
56
レゾナンスシグナル(RU)
1
1500 1000 500 0 −500 −1000 −1500 −2000 −2500 −3000 0
200
400
600
800
実験操作手順
1000 1200 1400 1600
時 間(秒)
図1・7 良好な再生を示すセンサーグラム.
SDS (∼0.5%) ,塩酸グアニジン(∼8 M),チオ硫酸カリウム(∼3 M) など 4) 溶剤 エチレングリコール(∼50%)など 1種類の再生溶液では十分な再生ができないときには,2種類以上の再生溶液 を組合わせることがある.さらに,再生条件を組合わせて使用することもあ る(たとえば10 mM NaOH / 1 M NaClなど) . なお,これらの溶液のなかにはリガンドに対して障害を与えるものが多いの で,リガンドの失活に注意する.再生・結合を繰返して,結合量・再生後の ベースラインがあまり変わらないような条件を探す.いい条件がみつかる と,同じセンサーチップを数百サイクルも繰返し使用することができる.
1.5.2 反応速度論的解析 2分子間の相互作用に関する結合速度・解離速度を求める反応速度論的解析 については,III.基礎編 2.データ解析法 でくわしく説明する.
1.5.3 親和性(アフィニティー)解析 図1・8のセンサーグラムに示すように,結合が速いあるいはアフィニティー が低く速度論的解析に十分な結合反応領域および解離反応領域が得られない ような相互作用においては,結合速度定数 (ka) および解離速度定数 (kd) を算 出することが困難な場合がある.この場合には,平衡状態での結合値 (平衡 値Req) とアナライト濃度から平衡定数 (解離定数KD,あるいは親和定数KA) を 算出する.
57
この実験ではアナライトとの結合シグナルが十分得られるようリガンドの固 定化量はなるべく多くする.アナライトは反応が平衡に達するまで長時間イ ンジェクトする.この際には流速は重要ではないので,試料を節約するため にも5μl/min程度でよい.一般的に解離速度定数 (kd) が大きいほど平衡に達 する時間は短くなり,小さくなるほど長くなる.予備実験を行い,平衡に達 するまでの時間をあらかじめ測定しておく.各濃度のアナライトで得られた
Req値をアナライトの濃度に対してプロットし,得られたグラフの非線形解
レゾナンスシグナル(RU)
析により解離定数(KD)を求める.基本的なプログラム例を図1・9に示す.
1080 1070 1060 1050 1040 1030 1020 1010 1000 990 0
100
200
300 時 間(秒)
400
500
600
図1 ・8 平衡値への速やかな移行を示すセン サーグラム.
図1・9 平衡値を求めるためのプログラム の例.
58
1
実験操作手順
1.5.4 濃度測定 BIACOREは反応速度論的解析のみならず,アナライトの濃度測定にも使用 することができる.目的物質に特異的に結合するリガンドをセンサーチップ に固定化し,アナライトをインジェクトして,結合量から目的物質の濃度を 算出する.この場合には,既知の濃度の目的物質を用いてあらかじめ検量線 を作成し,この検量線から目的物質の濃度を算出する. 濃度測定には,目的物質の結合量から直接濃度を測定する直接法と,目的物 質を結合させたのち,さらに目的物質と特異的に結合する分子 (抗体など) を 結合させ,シグナルを増強させる増強法がある.低分子化合物の場合には競 合法によって測定する方法もある. BIACOREでの結合シグナルはアナライトの濃度のみに依存するのではな く,リガンドとアナライトの親和性にも大きく依存するため,結合シグナル とサンプル濃度との間に直線性がある範囲が限られていることが多い (図1・ 10) .通常の濃度測定ではこの方法を使用しても十分であるが,より正確な 測定を行う場合には,リガンドを10,000RUぐらい大量に固定化し,アナラ イトの流速を遅くして (2∼10μl/minぐらい) 測定する.このように,マスト ランスポート・リミットがかかっている環境下では,結合シグナルはリガン ドとアナライトの親和性にかかわらずアナライト濃度にのみ依存するため, より直線性の高いデータを得ることができる (図1・11) .また,リガンドが 同じであるかぎり,アナライトの種類が変わっても同じ検量線を使うことが できるという利点もある. あらかじめ既知の濃度のアナライトを添加して,測定可能な濃度を調べてお
5000 4500
レゾナンスシグナル(RU)
レゾナンスシグナル(RU)
く.基本的なプログラムの例を図1・12に示す.ここでは,リガンドとして
4000 3500 3000 2500 2000 1500 1000 500
0
100
200 300
400 500
600 700
4500 4000 3500 3000 2500 2000 1500 1000 500 0
200
時 間(秒)
400
600
800
1000 1200
アナライト濃度(ng/ml)
図1・10 アナライト濃度とレスポンスの関係. 59
抗ミオグロビン抗体を固定し,ミオグロビンを含むサンプル4種類を測定し ている.はじめに既知の濃度のミオグロビンを測定したのち,未知濃度の試 料を分析している.反応レスポンスは特異的結合と非特異的結合の総和であ るので,必ずコントロールの値を差し引いた値で検量線を作成する. アナライトの分子量が小さく検量線を作成するには結合シグナルが低すぎる ような場合には,ELISAのサンドイッチ法と同じように結合したアナライト に特異的に結合する分子 (多くの場合には抗体を使用する) をさらにインジェ クトして,反応レスポンスを増強させることもできる.
1200 レゾナンスシグナル(RU)
レゾナンスシグナル(RU)
1200 1000 800 600 400 200 0
−200 0
50
100
150
200
250
300
1000 800 600 400 200 0 0
0.2 0.4 0.6 0.8
時 間(秒)
1
1.2 1.4 1.6 1.8
アナライト濃度(ng/ml)
図1・11 アナライト濃度とレスポンスの関係 (マストランスポート・リミット下) .
図1・12 濃度測定のためのプログラムの例.
60
1
実験操作手順
1.5.5 未知結合(阻害)物質のスクリーニング BIACOREシステムは試料標識を必要としないため,結合物質が不明な場合 の解析にも威力を発揮する分析装置である.近年,この特徴を生かして,各 種の未知結合 (阻害) 物質のスクリーニングに応用されている例が多数報告さ れている.スクリーニングを行う場合には,次のような条件を満たしている ことが要求される. 1) 操作が簡単で短時間で測定ができること 2) 全自動操作ができること 3) データの再現性が高いこと 4) 擬陽性が少ないこと 5) 多数の検体を処理できること 6) 水溶性の低い低分子化合物をアナライトとして用いる場合には,有機溶 媒に耐性であること BIACOREはこれらの条件を優位に満たす装置である.特に,BIACORE 2000 の場合には,四つのフローセルを同時に測定できるので,1回のインジェク ションでコントロールをとり,さらに三つのリガンドに対するスクリーニン グを同時に行うことができる.また,センサーグラムの解析から結合の有無 以上の情報を得ることができるので,擬陽性の検体を拾う可能性は低い.有 機溶媒に対する耐性については,通常の生体分子の相互作用に用いる程度の 有機溶媒濃度においては問題なく使用することができる (DMSOの場合50% まで) .1回の分析時間を必要最低限に設定することで,1日当たりの検体処 理能力は200検体程度となる.1試料に10種類の検体を添加し,一日2000検体 を処理している例が報告されている.医薬品のスクリーニングにあてはめる と,二次スクリーニングと候補薬の性状解析を兼ねた解析に有用であろう. 未知結合物質あるいは阻害物質のスクリーニングの場合には,1回の分析時 間をできるだけ短くし,かつ非特異的吸着を少なくするため,流速は比較的 速い条件下で行う.サイクルを繰返しても安定した結果が得られているかど うかを確認するために,ポジティブコントロールおよびネガティブコント ロールを定期的にインジェクションする.非特異的な吸着を知るために必ず ブランクコントロールをとる.
61
コラム:BIACORE を鍋釜のように使う 清にはみえない.要するに,封入体にいってし
夏目 徹
ま っ た の だ . し か し ,こ の よ う な 状 況 で も BIACOREでみてみると案外溶けているタンパク 質もあるものである.
1.組換え体は溶けてるの?
ものは試しと,抗 GST 抗体が固定化されている
− GST 融合タンパク質の検出 大学院生の M 君があきらめ顔でやってきて,大 腸菌につくらせたGST融合タンパク質がまった く溶けなかったという.よくある話である.電 気泳動のパターンをみると,確かに大量のタン パク質がGST融合タンパク質として発現したよ うだが,そのタンパク質のバンドは遠心後の上
センサーチップに M 君のサンプルを打ってみ た.すると,GST 単独の発現培養では,確かに 1800 RU ほどのシグナルがでる.しかし,目的 の GST 融合タンパク質でも,100 RU ほどのシ グナルがでた(図) .すなわち,クマシー染色し たSDS-PAGEではほとんどバンドがみえなかっ たが,わずかに溶けているタンパク質もあった のである.しかし,わずかといってもBIACORE 的にみれば結構な量である.精製 GST タンパク 質を打ってみてその量を概算すると,分子量約
GST単独
1800
使って,このタンパク質に対する抗体との反応 精製GST
(RU)
1300
性やエピトープマッピングをみる実験はできて しまった.電気泳動だけであきめてはいけない のである.
800 GST融合タンパク質
300
ペレットを尿素で可溶化しようか,あるいは,可 溶性画分を増やすために低温培養を試そうか,
コントロール
−200 0
20 40 60 80 100 120 140 160 180 時 間(秒)
62
50,000 として 0.6 μ g/ml ほどであった.これを
というM君の悩みは,たったの10分で解決した.
2
2.1
データ解析法
一般的手法
夏目 徹
2.1.1 はじめに BIACOREは分子間相互作用をリアルタイムに解析する実験機器であり,研究 対象であるいくつかの分子が相互作用するか否か,あるいは,相互作用するで あろう未知の分子の検索に威力を発揮する.ここではさらに一歩踏み込み,分 子間の相互作用の度合いを定量的に解析することに焦点を絞って解説する. ここで取り扱う分子間相互作用とは,分子同士が質量作用の法則に従って反 応し,かつ可逆的に結合解離する平衡反応系である.この平衡反応はアフィ ニティーとして示されるのが一般的である.たとえば,AとBという分子が 反応しABという複合体を形成し平衡に達したとすると,アフィニティーは 未反応なA,Bそして複合体ABの濃度で定義される.[A] [B] / [AB]を解離定 数KD,その逆数を親和定数KA,解離定数と親和定数をまとめて平衡定数と 呼ぶ.すなわち,この解離定数の数値が低いほど相互作用は強いと判断され るようである. しかし,平衡定数の大小とは別に,その反応が平衡に至るまでの反応速度を 知ることがさらに重要である.反応速度に関するパラメータはそれぞれ結合 速度定数kaおよび解離速度定数kdと呼び,解離定数との関係はKD = kd / ka の 式で表される. ここでは,これらのアフィニティーと反応速度定数の決定法を実験に即して解 説する.よりよい解析を行ううえでの実験デザインの留意点,解析に対する考 え方を中心にまとめた.BIACORE付属の解析ソフトウェアを使用することを 前提とするが,ソフトウェアの操作法などはマニュアルに譲り割愛した.
2.1.2 解析の準備 1) サンプルの調製 定量的な実験を行う場合,センサーチップに固定化するリガンドとアナライト は,ともに高度に精製されたサンプルを用いることが望ましい.得られた結果 が評価できない場合の多くは,サンプルの精製度が原因であることが多い.
63
また,アナライトは選択したランニングバッファーと完全に同一にしておく ことが望ましい.これは,バルク効果を最小限にするためのみならず,定量 実験を行ううえで注意をしなければならない点でもある.もし,アナライト とランニングバッファーが異なっていると,解析の際にリガンドを段階希釈 するのだが,その希釈したサンプルごとにバッファー組成がわずかずつ異っ てしまう結果となる.無論,それらの変化が無視できるほど十分にランニン グバッファーで希釈できれば問題ないが,実に微妙な塩濃度,pH変化が反 応速度にかなりの影響をおよぼす例を筆者は多く体験している.特に最終精 製のフラクションの溶出が高塩濃度になっている場合など,特に注意が必要 である.バッファー交換は透析など各自の実情に合った方法で行えばよい が,脱塩カラムなどが効果的である.十分透析したつもりでも,BIACORE を使ってみると意外なほどバッファー交換が不十分に終わっていることがあ るからである.通常の生化学的実験では問題ならない微妙な差がBIACORE では大問題になることが多々ある.高感度であるがゆえにサンプルの調製に は細心の注意が必要である. 2) リガンドの固定化 他の実験同様,活性を維持してリガンドを固定化すればよいだけである.し かし,定量的な実験を行ううえではそれのみならず,固定化するリガンドの 量と方向性を考慮しなければならない.汎用されるアミンカップリング法で はリガンドはランダムな方向に固定化され,それが原因となって解析不能に おちいる場合がある.そのため,いくつかの固定化法を検討する必要があ る.チオールカップリング法の他に,反応を妨害しないモノクロナール抗体 を介して固定化する方法,Hisタグ融合タンパク質を金属キレートで固定化 する方法,ビオチン化リガンドをストレプトアビジンを介して固定化する方 法などである.組換えタンパク質を用いる場合は,あらかじめ固定化に適し たタグを組込んでおくとよい.また,固定化量はなるべく少なくすることが 肝要である.このことは,次の実験条件の設定のところで詳しく述べる. 3) 実験条件の設定 定量的な実験を行うときにかぎり,リガンドの固定化量は最小限にし,流速 (30μl/min以上) .固定化量が低ければ,シグナ も速くしなければならない ルは小さくなりS/N比の面で不利であるし,流速を上げるとサンプル消費量 は増す.しかし,マストランスポート・リミットの影響を最小限にするため 重要な事項なのである.マストランスポート・リミットについて後述する が,目安として,アナライトの段階希釈の濃度範囲を予想されるKD値の1/10 から10倍ほどとし (アナライト濃度=0.1 KD∼10 KD) ,最大濃度時のセンサー グラムが200∼100 RU以下となるように固定化量を調節する.固定化量が適
64
2
データ解析法
切であるかの判断方法もマストランスポート・リミットの項で説明する. このように,定量的解析では100 RU以下の低いシグナルを観察することに なるので,四つあるフローセルのうち一つはリファレンス (ブランクコント ロール) とし,リファレンスとシグナルを検出するようマルチスポットセン シング・モードを使用し (BIACORE 2000の場合) ,わずかなノイズ,ベース ラインのドリフトなどをモニターしておく.
2.1.3 フィッティング 1) シンプルモデル 得られたセンサーグラムから,非線形最小二乗法を駆使して反応速度定数を 推定する作業を一般的にフィッティングと呼ぶ.現在では,BIACORE付属 の解析ソフト(BIAevaluation version 2あるいは3)で簡単に行うことができ る.以下,作業の流れを述べる. BIAevaluationで解析したいリザルトファイルを開き,ベースラインを0に合わ せ,解析に不必要な部分を除去する.ノイズ,ベースラインのドリフト,あ るいは,バルク効果が大きい場合は,リファレンスフローセルからのセン サーグラムを差し引きする (図2・1) .アナライトのインジェクション開始と 終了直後はセンサグラムの歪みが大きいため,解析の対象から除去する.セ ンサーグラムのどの部分を使用するかは,SplitViewコマンドからln(dR/dt) 値,あるいはln (R0/R) 値を参考にするとよい (図2・2) .ちなみに,観察した反 応がシンプルな一対一結合モデルで表されるものであるなら,ln (dR/dt) 値と ln (R0/R) 値は直線性を示すはずである.以下,シンプルモデルを中心として話 を進める (アナライトとリガンドが一対一の関係で結合し,なおかつ,一つの 指数関数で記述されるpseudo-first-order kineticsはLangmuir model,あるいは, single-exponential biding model,ただ単にシンプルモデルなどと呼ばれる) . フィッティング手法はanalytical integrationとnumerical integrationとに大別さ れる.テクニックとしてさらに,global,local,separative fittingなどがあ る.BIAevaluation version 3ではneumerical integrationでlocalにフィッティン グする場合とglobalに行う二つのモードが標準で装備されている. 段階希釈したアナライトの濃度を入力しフィッティング作業を始める.この ときのモデルは一対一結合で,まずglobalフィッティングのモードで行う. 2) フィッティング結果の評価 まず,数値がBIACOREの測定限界を上回るようなものとなっていないか
65
300
レゾナンスシグナル(RU)
250 200 150 100 50 0 −50 50
図2・1 ベースラインを0に合わせ,解析に 不必要な部分を除去する (左) .リファレンス
100
150
200
250
300
350
400
500
550
(RU)
時 間(秒)
14720 14680 14640 14600 14560 250 3
In(ads(dY/dX))
1
300
350
400
時 間(秒)
450
フローセルからのセンサーグラムを差し引き する (右).
ln(sR/dt)値が直線性 を示す部分を選択する
−1 −3 −5 −7 250 280 310 340 370 400 430 460 490 520 550
図2・2 SplitViewコマンドから結合曲線の ln(sR/dt)値をみたところ.バルク効果の顕 著な部分とノイズの部分を削除し直線部分 を解析に用いる.
時 間(秒)
(kd > 1) ,ka値がマイナスとなっていないかを確認する.このようなときは, センサーグラムの選択範囲が適切でないか,アナライト濃度が不適切 (段階 希釈を間違えている)などの基本的な問題に起因している. 得られた数値がおかしなものでない場合,フィッティングのよし悪しをカイ 2乗 (χ2) の値と,残差プロット (フィッティングと実験値との差のグラフ) か ら検討する.カイ2乗の値は理想的にはノイズレベルと同等(< 2 RU)とな る.経験的には10 RU以下ならかなりよいフィッティングといえる.しか し,それ以上に重要なのは,残差プロットのばらつきが非系統的なものなの 66
2
データ解析法
かどうかである.反応の初期は実測値がフィッティングデータからプラスに ばらつき,後半はマイナスになるなど,一定の傾向を示している場合は フィットしていないことを意味する (図2・3 a) .逆に,センサーグラム全般 にわたってランダムなばらつき (図2・3 b) であれば,得られた数値の信頼性 は高い. さらにglobalフィッティングの信頼性を確認するために,localのモードで再 びフィッティング作業を行う.localでフィッティングさせ,各濃度ごとのka 値,kd値を得る.それぞれの値のばらつきが小さく (∼1/10) ,値がサンプル 濃度に依存していないことが大切である. ちなみにlocalフィッティングで得られた各濃度ごとの値を平均しても何の意 味もない.globalフィッティングは段階希釈したアナライト全濃度にわたっ て最もフィットする値を一つ求める.それに対して,localフィッティングで は各濃度ごとの値を一つずつ求める.ka,kdそしてKDも濃度に依存しないパ ラメーターであるから,globalフィッティングで一つの値を決められるの は,測定する側の恣意や迷いが生じず明快である.反面,解析のプロセスを すべてコンピューターまかせにしているため,評価の材料が少ない.local フィッティングで顕著な濃度依存性がある場合は,いかにglobalフィッティ ングがうまくいっても実験アーティファクトが含まれている.そうでない場 合は若干localフィッティングで得た値がばらついていても,globalフィッ ティングで出した結果でパラメータを決定する.
レゾナンスシグナル(RU)
3 2.4 140 1.8 120 1.2 0.6 100 0 80 −0.6 −1.2 60 −1.8 40 −2.4 20 −3 300 320 340 360 380 400 420 440 460
残 差
時 間(秒)
160
残 差
3 2.4 140 1.8 120 1.2 0.6 100 0 80 −0.6 −1.2 60 −1.8 40 −2.4 20 −3 300 320 340 360 380 400 420 440 460
レゾナンスシグナル(RU)
160
時 間(秒)
図2・3 結合相の残差プロット.プロットにはS字型の傾向がある (a) .センサーグラム 全般にわたってランダムにばらつき,フィッティングの信頼性が高いことがわかる(b) .
67
3) アフィニティーの求め方 i)スキャッチャードプロット フィッティングによる反応速度定数から,アフィニティーは簡単に計算され る.しかし,ここではそれとは独立にアフィニティーを測定する方法を二つ 紹介しておく. スキャッチャードプロットは生化学的な実験でおなじみの方法であるが, BIACOREにおいても有用な方法である.まず,流速は遅くてもかまわない が,センサーグラムが完全にプラトーに達するまでアナライトをインジェク トし続ける.そして各濃度ごとのプラトー時のRU (Req値) を用い,定法に従 いスキャッチャードプロットをとればいよい (図2・4) .サンプル量の制限, インジェクション時間の制限などから,結合がプラトーに達するところを観 察できない (Req値を実測できない) 場合はスキャッチャードプロットは不可 能である.そのような場合は,次のAffinity in Solution法を用いると良い. ii)Affinity in Solution法 既知の濃度のリガンドとアナライトを溶液中で混合し,反応が平衡に達する まで十分インキュベーションする.のちに,この混合液をリガンドが固定化
1.41 (a)
(b)
反応が平衡に達した部分
1.21
1400 1
1000 800 600
2
0.81
2
0.61 1
0.41
400
3
200 0 100
1 3
1.01
1200
Req/C(nM)
レゾナンスシグナル(RU)
1600
0.02
4
0.01 150
200
250
300
350
時 間(秒)
0
200 400 600 800 1000 1200 1400 Req値(RU)
図2・4 反応が平衡に達したときのRU値 (●,Req) を測定する (a) .Req値を濃度で割った 値Req/Cを縦軸に,Req値を横軸にプロットする (b) .このとき,
Req/C = KA×Rmax−KA×Req (KA:親和定数,Rmax:最大結合量) なので,プロットの傾きを求める.その逆数が解離定数 (KD) .
68
2
データ解析法
されたセンサーチップ上にインジェクトする.このとき,結合に関与してい ない遊離のアナライトはセンサーチップ上の固定化リガンドと反応するが, 当然,センサーグラムは添加したリガンドの濃度に依存して小さくなる.結 合に関与しない遊離アナライト濃度を,あらかじめリガンドのない状態でつ くっておいた検量線から算出する.一般的には,アナライト濃度を一定と し,混合するリガンドの濃度を変え,次の式からK Dを求める(この方法も BIA evaluation version3では簡単に行えるようになっている.あるいはBIA concentarion evaluationソフトウェアでも可能) .
Afree = 0.5×(B−A−KD)+(0.25×(A+B+KD)2−A×B)0.5 A:アナライト初期濃度 Afree:平衡時に結合に関与しないアナライト濃度 B:溶液中のリガンド初期濃度(リガンドBがセンサーチップ上に固定 化されている) Affinity in Solution法はリガンドに対する固定化の影響,あるいは後述する マストランスポート・リミットによるアーティファクトが含まれないため, アフィニティーを単独に求める方法としては最も優れた方法である.
2.1.4 解析結果の評価 ここまで,シンプルモデルの速度定数 (ka,kd) と解離定数 (KD) 決定の理想的な 方法を述べてきた.しかし,このような “きれい” な解析ができるのはきわめ てまれである.解析上問題となる代表的なアーティファクトの原因と,その 解決方法を以下に述べていく. 1) ヘテロな固定化表面 すでに§ 2.1.2 解析の準備 の項で述べたが,固定化によるリガンドへ の影響は非常に大きい.特に,非特異的な固定化法であるアミンカップリン グ法を用いた場合,固定化される方向もばらつきが生じる.あるものは失活 し,あるものは立体障害を伴う方向に固定化され,結果として溶液中とは大 きく異なるアフィニティーを呈する場合がある.このような場合,アナライ トはセンサーチップ上のヘテロなアフィニティーをもつリガンドと反応する こととなり,観察したセンサーグラムは複数の独立した反応の総和をみたこ とになる.これらのセンサーグラムはマルチモデル(multi-exponential binding model) としてフィッティングされるはずである.実際に行えばおおむね どんなセンサーグラムでも,シンプルモデルでフィッティングするよりも, マルチモデルでフィッティングさせたほうがよい結果が得られる.これは, パラメータの数が多いほどフィッティングしやすいので当たり前のことなの 69
である.しかし,そこから得られた数値にはなんの生化学的意味も生物学的 な意味もないだろう.よりシンプルなモデルで十分フィッティングさせる努 力をすることが基本的な考え方である. このような問題は,なにもBIACOREにかぎったことではなく,従来の生化 学的な実験でも状況は同じである.ある反応のHillプロットを行ったときに Hill係数が1以上であるとか,スキャッチャードプロットが二相性であると き,実に安直にアロステリックモデルを提唱したり,複数のレセプター (高 親和性型,低親和性型) を想定したりした.しかし,その多くはうえのよう な状況を反映していたのである.ただ,BIACORE場合は,高感度であるこ とと,リアルタイムであることから,それらが実に顕著にみえてしまう. また,経験的に,リガンドが低濃度であるときには,ヘテロな固定化セン サーチップからもシンプルモデルに比較的よく一致するセンサーグラムが観 察されることがある.それは,低濃度では最もアフィニティーの高い固定化 のされ方をしている分子からの反応が優位で,リガンド濃度が高くなると制 限された状況で固定化されたアフィニティーの低い反応も顕著となるからで ある.結果として,高濃度なときのセンサーグラムほどシングルモデルから 逸脱する.センサーチップ表面がヘテロであるためセンサーグラムがシンプ ルモデルから逸脱している場合は,標準でソフトウェアに装備されている Heterogeneous ligandモデルを使うとある程度予測できる.しかし,これはあ くまでも,後述するマストランスポート・リミットやリガンドの自己凝集な ど,他のアーティファクトが含まれてないという条件つきである.また,シ ミュレーションはあくまでシミュレーションにすぎず,真のモデルを決定す るには実験的にそれを示すしかない.常識的には,最もアフィニティーの高 い反応が溶液中のインタクトな分子の反応を反映しているようである. どちらにせよ,シンプルモデルに一致する結合曲線が観察できるように努力 をしなければならない.すなわち,方向性を一定にする固定化法 (チオール カップリング法,抗体・タグを通してのキャプチャー法) を検討しなければ ならない.意外に効果的なのは,ビオチン化リガンドによる方法である.全 体の1,2箇所しかビオチンが結合しないようにタンパク質を穏やかに標識 し,うまく1箇所だけビオチン化したもののみを精製してからセンサーチッ プ上に固定化すると完全に方向性を揃えることができる. 2) マストランスポート・リミット マストランスポート・リミットとは,反応速度 (結合速度・解離速度の両方) が溶液中のアナライト (インジェクトされたサンプル) の拡散率に律速されて いる状態を意味する.BIACOREでは,フローセル中のアナライトが移動相 からリガンドが固定化されているセンサーチップ表面近傍へ拡散によって供 70
2
データ解析法
給されるわけだが,その拡散速度が反応速度より遅いと,観察しているセン サーグラムは単にアナライトの拡散率 (マストランスポート) を観察している ことになる (図2・5) .BIACOREでは非常に厳しいマストランスポート・リ ミットを受ける.マストランスポート・リミットの影響下で算出された反応 速度定数が,他の物理化学的な方法で求めた値に比べ2オーダー以上も低い 場合も珍しくない.また,マストランスポート・リミットもシンプルモデル によるフィッティングから大きく逸脱してしまう代表的なアーティファクト の原因の一つである. 得られたセンサーグラムのフィッティングがうまくいかないとき,それがマ ストランスポート・リミットを受けているかどうかを判断する最も簡単で, 確実な方法がある.それは,リガンドの固定化量を変えてみることである. リガンドの固定化量が下がればセンサーグラムは小さくなる.しかし,形状 は相似なはずである.平均化して重ねたとき,ぴたり同一にならなければな らない.マストランスポート・リミットを受けていると,リガンドの固定化 量が下がれば下がるほど結合相も解離相も速くなる(図2・6). このような場合は,リガンド固定化量依存性の速度変化が観察されなくなる までリガンド固定化量を下げねばならない.また,流速を上げて,なるべく フローセル中のリガンドの拡散効率を高める.しかし,流速はせいぜい数倍 ∼10倍程度しか変化させられず,理論的には流速変化の立方根にしか拡散率 は改善されない.経験的には30μl/min以上の流速でマストランスポートを 受けていれば,それ以上流速を上げてもさほど改善されない.またインジェ クトするアナライト濃度を下げるのも重要である.これらを総合し,なんと か反応速度がマストランスポートに律速されないようにするのである.
[A]0 移動相
km
非かくはん相
k−m [A]s
デキストラン 金 相
A0
km k−m
As + B
ka kd
AB
図2・5 センサーチップ上に固定化されたBに アナライトA が拡散する様子を模式的に示し た.[A]O,[A]Sはそれぞれ,移動相および非拡散 相のAの濃度.KmおよびK−mは両相を移動するA の拡散速度定数.マストランスポート・リミッ トとは,KmとK−mが十分速くないため,[A]O> [A]Sとなり,kaがKmにkdがK−mに律速されてみか けの反応速度が実際より遅くなること.
71
レゾナンスシグナル(RU)
1800 1300 800 300
(a)
× ■ × × × ×××××■
-200 50
(b)
■■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ × ■ ■ ■ ■ ■ × ■ ■ ■ ■ ■ ■ × ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■ ■ ■ ■ × ■ ■ ■ ■■ ■ ■ ■ ■■ ■■■ × ××××××××× ■ ■ × × × × ×
■■ ■■■■ × × ■ ××■ ■ ■ × × ■ × × × ■ × ■ × ■ ×■ ■ ■ ■ ■ × ■ ■ ■ ■ ■ × ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ × ■ ■ ■ × ■ ■ × ■ ■ ■ × ■■ ■ × ■ ■ × ■■ × ■ ■ × ■ ■ ■ ■ ■ ■ × ■ ■ ■ ■ ■■ × ■ ■■■■■ × ■ ■ × × × × ××××× ××××××××××× ××××× ××××××× ■ × ×× ×× × ×× ×
× × × × × × × × ×× ×××××××××××× ×× ×× × × ×× × × × × ×
100
150
200
250
300
350
400
時 間(秒)
図2・6 マストランスポート・リミットの有無を判断するため,固定化量の異なる (■; 固定化量大,×;固定化量小) フローセルに,同一濃度のアナライトをインジェクトす る (a) .両者を平均化し形状を比較すると,反応速度がまったく異なることがわかる (b) .
しかし,マストランスポート・リミットの影響を完全に除去し,かつ,信頼 できるシグナルを得るのは容易ではないことがある.特に,結合速度定数が 106/M s,解離速度定数が 1/sのオーダーを超えるとき,あるいは,リガンド の分子量が大きいとき,測定感度の限界以下までリガンド固定量を下げなけ ればならないという事態におちいる.そのような場合は,globalフィッティ ングを用いたコンピューターシミュレーションで,マストランスポート・リ ミットの程度と,ある程度の定量的解析の可能性が示されている (BIAevaluation version 3では,マストランスポート・リミット・モデルを解 析するための,1:1 binding with mass transferがすでに標準装備されている) . 3) ヘテロなアナライト リガンドは,きちんと精製したものをなるべく方向を揃えて固定化しなけれ ばならないことはすでに述べた.一方,アナライトとして流すサンプルにつ いても十分精製されていなければならない.アナライトの精製度が低いと無 用な非特異的結合をまねき,解析を困難にする.これは,レファレンスから のシグナルを差し引くことである程度克服されるが,必ずしも十分ではな い. また,生化学的にほぼ完全精製したとしても,それがバルクとして同一のア フィニティーと反応速度定数を有しているかどうかの保証はない.たとえ ば,組換えタンパク質をサンプルとして用いるとき,完全に精製されたと思 われる組換えタンパク質でも厳密には立体構造がヘテロであり,それらがバ ルクとしてみた場合,ヘテロなアフィニティーを有することがままある.ま
72
2
データ解析法
た,精製の過程でN末端やC末端が切断され,分子量の相異から溶液中での 拡散挙動がインタクトなものと異なり,結果としてアフィニティーが変わっ てしまうことも経験する.生化学的に純粋なだけでなく,キネティクスとし て純粋にすることが必要なのである. また,アナライトの溶液中での自己凝集も頻繁に遭遇するアーティファクト の原因である.高濃度のアナライトが二量体化あるいはそれ以上のオリゴ マーとなってしまうと,本来のシンプルモデルとは異なった多価の反応とな り,センサーグラムは強い二相性を示す.天然から精製してきた場合は自己 凝集しない分子でも,大腸菌の発現系で生産した場合,糖鎖の欠失などの理 由から濃度依存性に自己凝集することがある.また,頻繁に用いられるGST 融合タンパク質も非常に自己凝集しやすい. 自己凝集を検出する最も優れた方法は分析的超遠心機である.BIACOREで の詳細な実験を開始するまえに分析的超遠心機でアナライトの溶液中での分 散状態と分子量を知っておくことを勧める.また,分析的なゲルろ過クロマ トグラフィーを行い,用いるサンプルが完全なシングルピークであることを 最低限確認すべきである.全体に数%のオリゴマーが存在するだけでシンプ ルモデルから逸脱する場合もある.定量的解析に用いるリガンドは構造的に 単一 (アフィニティーとして単一) であり,かつ,溶液の分散状況も均一でな ければならないのである.
2.1.5 おわりに うえで分析的超遠心機の重要性を述べたが,BIACORE以外の物理化学的な 実験手法によって得られたデータとの比較は重要である.十分に注意をは らって調製されたサンプルを用い,厳密に実験をデザインすればBIACORE と他の物理化学的実験法から得られたアフィニティーはよい一致をみる.ま た,反応速度定数もBIACOREの測定限界内ならば正しく求められるはずで ある.また,マストランスポート・リミットや他のアーティファクトを含ん だデータであったとしても,それらが半定量的であることが十分認識されて さえいれば,反応速度定数から示唆される数値は生物学的にきわめて重要な 情報である. BIACOREを通して筆者が最も驚いたのは,生体分子の相互作用がもつ反応 速度の多様性である.解離速度定数だけ考えても,1 /sより速いものから10−4 /s以上の遅い反応まで報告されている.すなわち,秒のオーダーよりも速く 解離できる反応から時間のオーダーでも解離しないきわめて安定な相互作用 まで存在しているわけである.生体のダイナミックスをおもんばかれば,こ れらの多様な反応速度をアフィニティーという定常状態で記述するだけで
73
は,生物学的には片手落ちなのである.今後,アフィニティーの大小を反応 速度定数の差違から解釈し,反応速度論的解析の生物学意義が広く認識され ることを期待する.
2.2
非線形最小二乗計算による速度論的解析
安井 裕之
2.2.1 はじめに 自然科学の基礎が観察や実験にあることはいうまでもない.自然現象をあり のままに観察したり,特別な条件下で起こる現象を観測して,データを可能 な限り定量的に測定する.しかし,観察や実験から得られる生のデータだけ から,現象を客観的に考察することは困難である.事実を整理してデータを 解析することにより,ある理論的概念を導出したのち,得られた結果を数量 的に表現することが必要である. 90年代になって開発されたBIACOREにより,リガンド・レセプター間や抗 原・抗体間などのタンパク質同士の結合,解離反応を中心とした生体高分子 の相互作用が盛んに研究されるようになった.BIACOREにより測定される 反応曲線は,生体高分子間における結合および解離の速度過程をリアルタイ ムで表現している.BIACOREの開発当初に提唱された反応曲線の解析方法 は,平衡状態における結合定数を測定する,あるいは線形回帰式にしたがっ て結合定数と解離定数を推定するというものであった.9 4 年以降, BIACOREデータ解析用ソフトである付属のBIAevaluationのバージョンアッ プに伴って,従来法と比較してはるかに高度で洗練された数値計算法である 非線形最小二乗計算により,反応曲線から直接的に速度定数を推定すること が解析方法の主流となった. 筆者は,薬物動態学(Pharmacokinetics)の分野において,パーソナルコン ピュータや大型コンピュータを利用した数値計算に基づく速度論解析法の開 発を研究していた関係から,BIACOREの反応曲線の解析にたずさわる機会 に恵まれた.薬物動態解析においては,実験動物やヒトにある薬物を投与し て,血液中などの体液中濃度をなんらかの分析手段により経時的に測定す る.得られた体液中濃度の時間推移データから,その薬物の動態特性を, 種々の薬物速度論モデルに基づいて評価することが従来より頻繁に行われて いる.通常は,時間経過に対する体液中濃度の変化が線形関数とはならない ために,非線形最小二乗法[1∼3]を用いた解析計算が実行される.
74
2
データ解析法
BIACOREのデータ解析に使用されている速度論モデルや,数値計算を行う 際の手順は,薬物動態解析におけるものとほとんどが類似していたために, 著者が習得してきた技術や経験をBIACOREデータの解析に直接生かすこと ができた.実際,わが国において非線形最小二乗計算を実行できる BIAevaluationソフトがなかったころに,薬物速度論解析用として開発された ソフトであるMULTI[4∼6]をいくつかのBIACOREデータの非線形計算に適用 して,速度定数の推定を行った. BIACOREの使用法やアナライトとリガンドとの結合,解離反応の測定法に ついては,すでに詳細に解説されている[7∼9].また,解析上問題となりやす いアーティファクト[10∼12]についての基礎的な解説は,III.基礎編 2.1 一 般的手法 で述べられている.ここでは,非線形最小二乗計算に基づく BIACOREデ−タの解析手順を中心にして述べる. まず,最小二乗法に関して概略を説明したのち,非線形最小二乗計算を用い たカーブフィッティングによりBIACOREの反応曲線データを解析する方 法,ならびに,結合速度や解離速度といったパラメータを推定する方法につ いて簡単に解説する.また,実際の解析計算に使用される種々の方法論につ いて具体的な相違点を示し,最後に,推定パラメータ値などの得られた計算 結果を解釈するときに注意するべき内容について紹介する.
2.2.2 最小二乗法とは ライフサイエンス関連の仕事をおもな専門分野としている研究者にとって, 自身の実験データの評価に非線形最小二乗計算を適用した経験のない人がほ とんどであろうと予想されるので,読者にとってあまりなじみがないと思わ れる最小二乗計算法の基本的な概念について簡単に説明する. 1) 測定とデータ解析 測定データを解析するためには,まず,測定という過程そのものについて考 (偶然誤差) と偏り 察する必要がある.一般に,測定値の誤差には,ばらつき (系統誤差) とが含まれている.測定値の偶然誤差とは,同一の量を多数回測 定したときに観測される測定値相互間の違い方を表す.測定値の系統誤差と は,十分に多数回の測定によって得られる測定値の中心が真の値からどれだ けずれているかを表す.したがって,ばらつきは同じ量を独立に何回も測る ことにより推定することが可能であるのに対して,真の値とは未知のもので あるから,同じ量をどれほど多数回測定してもその偏りは推定できない.こ のような誤差を含む測定値から意味のある情報を抽出するには,統計学の助 けが必要となる.
75
統計学は,誤差自体になんらかの法則性があるという仮定に基づいて測定値 を処理する方法を与えるものである.どのような場合においても,十分に多 数回の測定を行えば測定値の度数分布はある一定の形に近づくと予想され る.これを誤差の分布とよび,データ解析とはこれを用いて測定値から情報 を取り出すことである.代表的な確率分布関数である正規分布は,よく制御 された実験の測定値に含まれる偶然誤差の分布モデルとして考えられてい る.また,真の値に対する一番最もらしい値 (最尤推定値) を決定する方法を 最尤推定法 (maximum likelihood estimation) という.最小二乗法とは,測定値 の偶然誤差の分布モデルが,正規確率分布に対応した場合の最尤推定法のこ とである.したがって,最小二乗法が理論的な基盤をもつためには,つぎに あげる五個の前提条件が必要となる. 1) 測定値の誤差には偏りがない 2) 測定値の誤差の分散は既知である 3) 各測定値は互いに独立であり,測定値の誤差の間に相関がない 4) 誤差の分布形は正規分布である
新しい測定データ 新しい解釈方法
(C) 理論と実験の対応 (残差の計算)
localフィッティング globalフィッティング
理論的な予測に基づいて 測定データを解釈する (B) シミュレーション
(D) 最小二乗法による計算
採用したモデルに基づいて 現象を理論的に予測する
測定データの解釈と理論計算に基づいて モデルの最適パラメータを決定する
新しい理論 (A) モデリング
(E) 計算結果の診断と評価
最初のモデルを設定する
理論計算や解釈を含んだモデルの良否 と測定データの良否を診断する; 計算結果を総合的に評価する
(A′ ) モデリングの修正 改良したモデルを設定する
新しい概念
図2・7 データ解析の過程.
76
2
データ解析法
5) m個 (ただしm < n, nは測定値の個数) のパラメータを含むモデルfが知ら れていて,測定値の真の値を近似誤差なく再現することのできるパラ メータの組が存在する これらの前提はそれぞれ理想化された問題設定になっており,特に1) と5) は データ解析の途中の段階では成立していない場合が多く,計算結果の良否に ついて研究者自身が直接判断する必要がある.これについては本節の最後で 詳しくふれる. BIACOREデータの解析手順について,そのイメージを渦巻き構造の過程と して図2・7に示した. 2) 非線形最小二乗計算法について 仮に,実験によってn個の測定値 (ti, RUi) を得たとする.このとき,実測 i=1, n デ−タRUiを合理的に説明しうる理論式がm個の独立なパラメータのセット
P(pi)i=1, mの関数 f{RU=( f t, P)}で表現できるとする.最小二乗法とは,測定 値 (ti, RUi) から次式で表される残差平方和SSを最小にするようなパラメ−タ セットPを求めることである.数値計算が専門でない研究者にとっては,正 しい使用法さえ知っていればよい. n
{
}
SS = ∑ Wi RUi − f (ti , P) i =1
2
ここでWiは計算上の重み(Weight)を表す. 図2・8において,*が実測値,曲線が理論値である.すなわち,最小二乗法 とは( f t, P)が実測値に最も近くなるようにパラメ−タセットPを決定するこ とである. 2 Wiとしては,1,1/RUi,1/(RUi) のいずれかがよく採用されている.重みを
1にした場合には RU i の値の大きな部分が理論値とよく一致し,重みを 1/(RUi)2にした場合には,残差平方和SSを表す式は
⎪⎧ RU − f (ti , P) ⎪⎫ SS = ∑ i ⎨ i ⎬ RUi ⎪⎭ i =1 ⎪ ⎩ n
2
となり,それぞれの値が平均化されるので,結果的には値の小さな部分が理 論値とよく一致する.測定値のもつ誤差が絶対誤差であると考えられる場 合,当然,絶対値の小さな部分は信頼性が低くなるので重みに1を採用す る.一方,測定値のもつ誤差が相対誤差であると考えられるなら,絶対値の 大きさにかかわらず各測定点の信頼性は同等とみなせるので,重みとして 1/(RUi)2を採用すればよい.
77
(b) 解離相 * *
*
RUi−f (ti,P )
レゾナンスシグナル (RU)
レゾナンスシグナル (RU)
(a) 結合相
*
RUi−f (ti,P )
* *
時 間 (秒)
時 間 (秒)
図2・8 非線形最小二乗計算法の概念図.
BIACOREの反応曲線データについては,定量下限近くの測定値はS/N比が小 さくなり,その信頼性はかなり低くなると考えられるので,重みは1とするの が妥当であろう.しかし,低い測定値の部分でも精度よく測定できている場 合や,測定値の絶対値間の差が大きく,測定値の低い部分の情報がほとんど 2 無視されてしまう場合には,重みとして1/ (RUi) を採用するべきである.ま
た,のちほど述べるglobalフィッティングのように,段階希釈したアナライト の各濃度に応じて測定された数本のセンサーグラムの全体にわたって計算を 実行するような場合には,便宜上の重みとして1/RUiを採用することもある. BIAevaluationによる非線形計算に用いられるWiについては,ソフトウェアの マニュアルを参照されたい. さて,最小二乗法の具体的な計算方法としては,残差平方和SSがある特定 のパラメータセットPに関して極小値をとるため,SSをpiで偏微分した式を 0とおけばよいことになる.すなわち,∂SS/∂pi = 0 (i = 1,2,...m)となる.こ の式は,一般的には連立代数方程式となるが,( f t, P) がPに関して線形 (一次 式)の場合には線形代数方程式となり,その解法は比較的容易である.一 方,( f t, P)がPに関して非線形ならば非線形代数方程式となり,その解法は 困難となり反復的方法によらなければならない. ここでいう線形モデルか非線形モデルかの区別は,モデルの数学的な性質に よる区別である.通常,回帰分析においては,測定値を表す式が横座標 (BIACOREの場合は測定時刻) に関して線形 (一次式) であるか非線形である かを区別する.しかし,最小二乗法においては,パラメータ (回帰分析では 回帰係数という) に関して線形か非線形かが区別される.簡単な一例をあげ 78
2
データ解析法
ると,放物線 ( y = P1 + P2· t + P3· t2 ) へのカーブフィッティング計算は,横 座標に関しては二次だから非線形回帰分析とよばれるが,パラメータに関し ては一次だから線形最小二乗法である. このように,非線形回帰分析として普通に計算されているものの多くは線形 最小二乗法に含まれる.最小二乗法において非線形モデルを扱うためには, 線形近似の最小二乗解を反復計算で改良および収束させるのが通常であり, これを実行するための特別なアルゴリズムを必要とする.
2.2.3 カーブフィッティングによるデータ解析方法 リガンドの固定化法についての詳細や,アナライトとリガンドとの結合,解 離反応曲線のデ−タを得るための方法は,他項において詳しいので,ここで は省略する. 1) 線形(linear) 解析と非線形(nonlinear)解析 観測されるアナライトとリガンドとの結合,解離反応の速度過程が最も単純 な一対一の結合モデルで表現される場合,結合相および解離相におけるそれ ぞれの理論式は,
RU (t ) =
{
}
ka ⋅ C ⋅ Rmax − k ⋅C + k ⋅t 1 − e ( a d ) , RU (t ) = R0 ⋅ e − kd ⋅t ka ⋅ C + kd
となる.これらの式は,つぎのように変形してさらに変数変換すると,パラ メータセットに関して線形式となるため,擬非線形式とも呼ばれている. ln(dRU (t ) dt ) = ln( ka ⋅ C ⋅ Rmax ) − ( ka ⋅ C + kd ) ⋅ t , ln( R0 RU (t )) = kd ⋅ t したがって,BIAevaluationの線形解析では,これらの変換された線形式に基 づいて結合速度定数kaと解離速度定数kdを推定計算しているわけである. 一方,反応曲線が二つ以上の指数項で表現される場合には,もはやどのよう に変形しても線形式とはならないために,パラメータを推定するためにはよ り高度な非線形解析が必要となる.また,一対一の結合モデル (シンプルモ デル)の場合でも,本来の理論式に基づいた非線形解析を用いることによ り,観測された反応曲線から直接的に結合速度定数kaと解離速度定数kdを推 定することができる. つぎに,BIAevaluationによる実際のパラメータ推定方法について述べること にする.BIAevaluationの非線形解析の方法にはいくつかのオプションが準備
79
されている.まず,反応曲線の取扱い方については,段階希釈されたアナラ イトの各濃度に対する1本ずつの反応曲線に対してカーブフィッティング計 算を行いパラメータ値を推定するlocalフィッティングと,アナライトの全濃 度にわたった反応曲線の全体に対して同時カーブフィッティング計算を行い パラメータ値を推定する同時最小二乗法を利用したglobalフィッティングに 大別される.さらに,アナライトとリガンドとの結合モデルが常微分方程式 で与えられるために,定義される理論式については,常微分方程式を解析的 に解いた数式に基づいて計算を実行するanalytical integrationと,常微分方程 式のままで数値的に解いて計算を実行するnumerical integrationに分けられる. 2) localフィッティングによるパラメータの評価 アナライトとリガンドとの結合,解離の反応曲線が一つの指数関数によって 表現される場合,すなわち,結合モデルが最も単純な一対一の結合モデル (シンプルモデル) の場合について説明していく.localフィッティングの場合 は,さきに述べたとおりアナライトの各濃度に対する1本の反応曲線ごとに 一つずつパラメータ値を計算するわけであるが,結合相と解離相の曲線に対 して同時にカーブフィッティング計算を行う方法 (simultaneousフィッティン グ) と,それぞれの曲線に対して別々にカーブフィッティング計算を行う方 法(separativeフィッティング) が準備されている. ここではまず,separativeフィッティングによるパラメータ値の推定法につい て具体的に説明する.図2・9に示す理論式に基づいた非線形最小二乗計算に より,注入したアナライトの各濃度 (C) に対するそれぞれの結合反応過程か ら指数関数の係数であるReq ( = kaCRmax( / kaC+kd) ) と指数関数の次数であるkobs ( = kaC+kd) の値がパラメータ推定値として求められる.また,それに対応 した解離反応過程から指数関数の次数であるkdの値がパラメータ推定値とし て求められる. つぎに,kobsとkdからkaの値を代数的に算出する.さらに,Reqとkaおよびkdか らRmaxを算出することもできる.以上が一連の解析方法のフローチャートで あるが,もう一方のsimultaneousフィッティングでは,結合過程と解離過程 の両方に対して同時にカーブフィッティング計算を行い,一気にRmax,ka,
kdを算出してくれる.ただし,つねに数値計算が良好に実行されるとはかぎ らない.たとえば,kdの値が大きく見積もられすぎてkaが負の値となること がある[13].この際には,実験条件や反応曲線の選択範囲が適切であったか をまず確認する.さらに,アナライトとリガンドとの結合,解離反応が最も 再現性よく達成されるアナライトの濃度範囲を,各反応曲線に対する非線形 計算の適合性などから判断する必要がある. localフィッティングでは,アナライトの各濃度について,kaとkdを一つずつ 80
2
140 (a) 結合相
(b) 解離相
レゾナンスシグナル (RU)
レゾナンスシグナル (RU)
160
120
80
40
0
データ解析法
0
10
20
120 100
30
80 60 40 20 0
0
時間 (秒)
RU (t )=
20
40
60
時間 (秒)
ka・C・Rmax ・t − (k ・C+k ) } ka・C+kd {1−e a
d
RU (t )=R0・e−k
d
・t
図2・9 反応曲線に対する非線形計算.
算出することをすでに述べた.kaとkdはアナライトの濃度に依存しないパラ メータであり,それぞれの値のばらつき (偶然誤差) は本来小さい値のはずで ある.しかし,各濃度に対して求められたkaとkdに明らかな濃度依存性が観 測された場合には,誤差に偏り (系統誤差) の含まれている可能性が高い.最 小二乗法による解析の際には測定値の誤差に偏りのないことが前提となるの で,このような場合にはつぎに述べるglobalフィッティングを用いたとして も,必然的に実験条件に依存した真の値から系統的に逸脱している解析結果 しか得られない. 3) globalフィッティングによるパラメータの評価 localフィッティングにより求められた各濃度のkaとkdが濃度に依存せず,か つ,それぞれの値のばらつきも小さくなる理想的な解析結果が得られたとし ても,どの濃度におけるパラメータの推定値を採用するかについては研究者 の主観的な判断によるところが大きい.一方,アナライトの全濃度にわたっ て同時カーブフィッティング最小二乗計算を実行してパラメータ値を推定す るglobalフィッティングでは,全体を通して最も確からしいkaとkdの値を一つ だけ求めるので,localフィッティングと比較して解析結果の客観性が高くな る.反面,globalフィッティングでは,絶対値の差が大きい複数の反応曲線 を同時に適用するわけであるから,仮に単純な入力ミスなどの誤った測定値 や偏ったデータ群があると,それらの値に引っ張られてまったく誤った解析 結果が得られてしまう.
81
この問題の対処法として,少数のデータには誤りがあったとしても大多数の データは信頼できるものと考えてカーブフィッティング計算を行うロバスト 推定法 (robust estimation,頑健推定法) がある.この推定法の目標は,データ の一部に誤りがあってもパラメータの推定値にずれが生じにくいこと,およ び,誤差の分布が正規分布のときだけでなく,すその広い非正規形の種々の 誤差分布に対してもパラメータの推定を確実に行えることである.このロバ ストネス(robustness)の考え方を実際のデータ解析に適用する簡単な方法 は,globalフィッティングの際に,ある濃度における反応曲線を1本だけはず して,残りのデータセットについて同時最小二乗計算を実行してみることで ある.このとき,推定値が求められるまでの計算の収束時間が大幅に短縮さ れたり,あるいは,パラメータの推定値が大幅に変化したときは,前述の 誤った測定値や偏ったデータ群に計算結果が引っ張られていたことになる. 除外した反応曲線からlocalフィッティングによって求まるkaとkdの値は,他 の反応曲線のlocalフィッティングから求められる値と比較すると,一般的に ずれが大きいと予想される.したがって,globalフィッティングによってパ ラメータの推定値を決定する際にも,必ずlocalフィッティングを併用して結 果の妥当性や合理性を確認するべきである. 4) analytical integrationとnumerical integration アナライトとリガンドとが一対一で結合するとき,その結合様式に対応する シンプルモデルの数式表現は次式の常微分方程式で与えられる. dRU (t ) = ka ⋅ C ⋅ ( Rmax − RU (t )) − kd ⋅ RU (t ) , 初期条件:RU(0) = 0 dt
線 この微分方程式を初期条件に従ってラプラス変換[14]によって解くと,1) 形 (linear) 解析と非線形 (nonlinear) 解析 で示した解析解が得られる.analytical integrationでは,反応曲線のデータに解析解の理論式を直接当てはめてパラ メータ値を推定するわけである. 一方,numerical integrationでは,微分方程式のままを理論式として定義し, 関数値を計算する部分にRunge-Kutta-Gill法などのアルゴリズムを組込み,数 値的に解きつつ反応曲線のデータに当てはめるというやり方である.この方 法は膨大な計算量を必要とするが,ハードウェアとソフトウェアの両方の進 歩によって格段に処理能力の向上した現在のパーソナルコンピュータ上では 一般的な計算法となった.また,数値積分計算の部分に関するアルゴリズム が格段に向上した現在のバージョンでは,analytical integrationによる計算結 果とnumerical integrationによる結果はほとんど同じになる.したがって,よ り複雑な結合モデルが考えられる場合でも,そのモデルを表す微分方程式さ え定義すれば複雑な数学的手法を用いてモデルの解析解を求めなくてもnu82
2
データ解析法
merical integrationによってパラメータ値を推定することが可能である.
2.2.4 データ解析および計算結果の診断法 最後に,BIACOREにより測定されたデータの解析結果に関して,研究者が 十分に注意をはらうべき項目について述べてみたい. カーブフィッティング計算はコンピュータによりほとんど自動的に実行され るが,得られたカーブフィッティング結果を調べたうえで,測定データの良 否,理論計算や解釈を含めたモデルの良否については必ず研究者自身が直接 判断を下さなければならない.この判断の過程はきわめて重要であり,診断 の結果,測定データの一部に異常が発見されれば,できるだけナマの測定 データにもどって検討を加え,再実験が必要となる場合もある.また,モデ ルが測定データを十分に再現していないことが見い出されれば,再度モデル を修正して解析をやり直すことになる.再解析を繰返して,信頼のおける測 定データおよびそれを十分に説明しうるモデルとその最適パラメータ値が得 られれば,さらに,結果をきちんと整理して他の実験や研究と対応させて考 察してみる. 結果の診断にはいくつかの段階がある.第一は,非線形最小二乗法による カーブフィッティング計算に使った前提とカーブフィッティングの結果との あいだに矛盾がないかどうかについて,残差プロット (測定値と理論値との 差のグラフ) を手がかりにして検討する.第二は,いくつかの理論モデルに 基づいて当てはめた結果のうち,最適なモデルを統計学的見地から選択す る.第三は,得られた結果の妥当性を生化学的・生物学的な見地から判断す る.これらのうち,第一および第二段階には,統計学的な背景は一応存在す るが,最終的には研究者自身が判断しなければならない.第三段階は,もは や統計学の範囲ではなく,研究者の見識に委ねられている.要するに,ここ で述べる診断の過程はデータ解析の最終的な関門であり,コンピュータ計算 による統計学的な自動処理に任せるべきものではなく,研究者の最終的な責 任で実践しなければならない. 診断において検討すべき観点をまとめると以下の六点になる (図2・10) . 1) 測定値の一部に,異常に大きな残差を与えているデータはないか 2) 残差プロットに系統的に変化する部分はないか 3) 残差の絶対値の分布曲線は,測定誤差が正規分布に従うと仮定したこと と矛盾しないか
83
用いた前提条件
1 測定値の誤差 に偏りがない
2 測定値の誤差 の分散は既知
3 測定値の誤差 間に相関なし
4 誤差の分布形 は正規分布
5 用いたモデル に誤差なし
悪い症状
診断の観点
診断の手法
測定値の一部に偏りがある 測定値に系統的な偏りがある
①一部の残差が 以上に大きい
一部の測定値の分散が大きい 全体的に測定値の分散が大きい
②残差プロット に系統的変化
各測定値が互いに独立でない
③残差の全体的 な大きさ
カイ二乗検定
誤差の分布形が非正規形である
④残差絶対値の 分布曲線の形
正規確率プロット
モデルに近似誤差がある 異なるモデルを採用している
⑤最適なモデル であるか ⑥妥当性と合理性
残差プロット
修正モデルによる再計算 (AICの最小化) 専門分野の知識を適用
図2・10 診断の観点と手法.
4) 残差全体の平均的な大きさは,前提した測定誤差の大きさと比べて矛盾 しないか 5) どのモデルが最適のモデルか 6) 生物学的な意味合いから判断して,結果に妥当性や合理性はあるか ここでは第一段階1) ∼4) の診断法について述べるが,残差が最も重要なかぎ となり,カイ2乗 (χ2) の値と残差プロットにより診断する.残差の全体的大 きさに対する診断はカイ2乗の大きさにより行い,理想的な計算結果の場合 はノイズレベルと同程度の値になる.一部の測定値の残差が測定精度 (ノイ ズレベル) と比較してはるかに大きいときには,測定値そのものを再検討す る必要があり,できるだけもとのデータに戻ってチェックしたほうがよい つぎに,残差が系統的に変化する成分を含むかどうかを診断する.残差プ ロットをよくみて,残差の系統的な成分とランダムな成分とを識別する.系 統的な成分が含まれると判断されるときは,計算結果が収束していない可能 性が高いので再計算を行うべきである.一般的に,m個のパラメータでカー ブフィッティング計算を行ったときには,残差プロットにはm次以上の多項 式で表される系統的な残差が現れる可能性がある.一対一の結合モデル (シ ンプルモデル) によるカーブフィッティング計算が不完全に収束した場合, 結合相および解離相ともにパラメータ数は2個なので,それぞれの残差プ 84
2
データ解析法
ロットには二次以上の多項式にしたがった残差の変化が観測される (ほとん どの場合は二次∼四次関数である). 第二段階のモデル選択については,適当な情報量基準を用いて最適モデルを 探索する方法があり,その代表がAIC最小化法(minimum AIC estimation) で ある[15,16].ただし,BIAevaluationではAICは採用されておらず,モデル選択 に関する統計学的な指針については明確に提示されていないので,詳細につ いては割愛させていただく. 以上,データ解析の最終段階における過程について,若干くどいほどに述べ た.十分に制御された実験から高精度なデータを測定して,なおかつ洗練さ れた解析法により評価したとしても,1回の計算で最適パラメータを推定で きることはほとんどないからである.反復,改良が必要とされる場合のほう が圧倒的に多く,最終的には,あくまで研究者が客観的かつ総合的に結果を 判断しなければならない.
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86
1
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
1.1
分子シャペロン
村井法之,吉田賢右
1.1.1 はじめに 分子シャペロンは,細胞内において新たに合成されてきたポリペプチドや, ストレスなどにより変性しかかったタンパク質に結合し,それらを保護し, 正しい立体構造に折りたたむ働きをするタンパク質である.そのなかでも, サブユニットの分子量約60 kDaのシャペロニンはよく研究されている.シャ ペロニンは変性途中のタンパク質に結合し,ATP依存的にそれらの正しい折 れたたみを促進する.ここでは,分子シャペロンの研究にBIACOREがどの ように利用できるかの一例として,大腸菌のシャペロニンであるGroEL, GroESとその 「基質」 タンパク質の一つである還元型α-ラクトアルブミンとの 相互作用を紹介する. GroELは58 kDaのサブユニットが七つ会合したリングが二つ重なった,樽型 の構造を形成している.そのリングの中央には空洞があり,基質タンパク質 [1,2] はその入口付近に結合する (図1・1 a) .GroELはサブユニット当たり1分
子のATPを結合し,ATP加水分解活性を示す.補助因子であるGroESは10 kDaのサブユニットが七つ会合し,リングを形成している.GroESはATPや ADP存在下でGroELのどちらか片方 (あるいは両方) の端にキャップをするよ うな形で結合する (図1・1 b) .このとき,GroESが結合しているGroELのリ
(a)
空洞
基質タンパク質
七量体 リング
GroEL GroES (b)
ATP7 (ADP7) DD
DD
図1・1 シャペロニンGroELの構造. (a) 基質タ ンパク質はGroELの空洞の開口部に結合する. (b)GroESはATPまたはADP存在下において GroELと複合体を形成する.このときGroESが 結合しているリングの七つのサブユニットには ADPがおのおの1分子結合している.図中のD の文字は1分子のADPを示している.
89
ングにはADPが各サブユニットに1分子(ATPの場合はATPが加水分解して ADPとなる) 結合している[3,4].基質タンパク質は,このような構造のシャペ ロニンと相互作用しながら正しく折れたたまれることになる. α-ラクトアルブミンはネイティブの分子量14 kDaのカルシウム結合型のタ ンパク質で,その立体構造には四つのジスルフィド結合を有している[5].こ の状態からカルシウムを取除いたものをアポ型,さらにジスルフィド結合が すべて切れた状態を還元型とよんでいる.シャペロニンは,このうち還元型 α-ラクトアルブミンと結合することが生化学的実験からわかっている[6,7]. シャペロニンの基質タンパク質は多くみつかっているが[8],そのほとんどが 変性中間体との結合である.しかし,基質タンパク質を変性剤で変性させて から変性剤を含まないバッファーに希釈した場合,基質タンパク質は変性状 態からすばやく正しく (あるいはまちがって) 折れたたんでしまうことがほと んどであり,変性中間体のまま長いあいだ溶液中にとどまることはまれであ る.このようなタンパク質は,たとえBIACOREのセンサーチップ上に固定 化できたとしても,シャペロニンに結合できる状態で固定化されている可能 性は低い.この点,還元型α-ラクトアルブミンは中性条件下でその構造を 変性中間体のまま比較的安定に維持するので[9],シャペロニンに結合できる 状態でBIACOREのセンサーチップに固定化が可能である.また,変性剤を 使用する必要がないことも利点である.筆者らは,このような理由から基質 タンパク質として還元型α-ラクトアルブミンを選択したが,他にこのよう な性質をもった基質タンパク質があれば,それもBIACOREを用いたシャペ ロニンの実験には有効であろう.
1.1.2 目的 筆者らは,タンパク質間の相互作用をリアルタイムで測定できるという BIACOREの特徴を利用し,GroEL,GroESと還元型α-ラクトアルブミンの 相互作用において,つぎのような目的で定量的および定性的解析を行った. 1) GroELと還元型α-ラクトアルブミンの相互作用における速度パラメー ター(ka,kd)と解離定数(KD)の決定 2) GroELはATP依存的に基質タンパク質を解離することがわかっている が,他のヌクレオチド(ADP,AMP-PNPなど)の効果はどうか 3) GroELはATPやADP存在下でGroESと複合体を形成するが,この複合体と 基質タンパク質の親和性およびそのときのヌクレオチドの影響はどうか
90
1
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
1.1.3 方法と結果 1) 還元型α-ラクトアルブミンのBIACOREセンサーチップへの固定化 カルシウムを除いたα-ラクトアルブミン (Sigma社からTypeIIIとして市販さ れている) を10 mM酢酸バッファー (pH 4.0) に溶解し (1 mg/ml) ,ここにジチ オトレイトール (DTT) を2 mMになるように添加した.30分ぐらい室温で放 置し,分子内の四つのジスルフィド結合を切断し還元型とした. これをセンサーチップ上の活性化デキストランに作用させた (流速5μl/min, 温度25℃).これにより800∼3500 RUのα-ラクトアルブミンが固定化され た.コントロールとして,ネイティブのα-ラクトアルブミン (Sigma社から TypeIとして市販されている)も固定化した(∼3000 RU). ランニングバッファーとしては,10 mM HEPES (pH 7.4) -150 mM KCl-20 mM MgCl22 mM DTTを使用した.装置は最初に売り出された型のBIACOREを使用した. 2) GroELと還元型α-ラクトアルブミンの結合 固定化されたネイティブおよび還元型α-ラクトアルブミンに対し,GroEL (50 nM) (流速5μl/min,温度25℃) を作用させた .その結果,図1・2に示す ようなセンサーグラムを得た.ネイティブのα-ラクトアルブミンに対して は結合のシグナルは得られなかったが,還元型α-ラクトアルブミンに対し ては明らかな結合のシグナルを得た.これは,シャペロニンがネイティブの タンパク質ではなく変性中間体に結合することを示している. そしてその後,ATPを作用させるとGroELはすみやかに還元型α-ラクトアル
結合
ATP
解離
1000RU
GroEL
バッファー
(RU)
還元型 LA
ネイティブ LA
0
200
400
600 時 間 (秒)
800
1000
図1・2 GroELとα-ラクトアルブミンの結合. 還元型α-ラクトアルブミン(還元型LA)を固定 化しGroELを作用させたときのセンサーグラム とネイティブα-ラクトアルブミン (ネイティブ LA)を固定化しGroELを作用させたときのセン サーグラム.縦の矢印の時点でおのおの示した ものを添加した.
91
ブミンから解離し,最終的にはシグナルはベースラインまで戻り,GroELは 還元型α-ラクトアルブミンから完全に解離した (図1・2) .このように,基 質タンパク質を結合しATPによりそれを解離するというシャペロニンの機能 が,BIACOREにより直接的に示された. シャペロニンの場合は,図1・2のようにATPにより再生が可能である.これ は,固定化されたタンパク質を傷つけないので実験上非常に都合がよい. GroELの濃度を変化させ還元型α-ラクトアルブミンとの結合解離を測定 し,BIACOREに付属のソフトウェア (BIAlogue) により一次反応の結合とし て解析した結果,ka = 2×105 /M s,kd = 2×10−4 /sとなり,ここから解離定 (図1・2). 数KD = 1 nMと,強い結合であることがわかった 3) GroELと還元型α-ラクトアルブミンとの解離におけるヌクレオチドの 効果 GroELはATPにより基質タンパク質を解離することが知られている.しか し,解離における他のヌクレオチド (ADP,AMP-PNPなど) の効果を直接的に 調べた報告はない.そこで,BIACOREを用いて直接的にその効果を調べた. まず,GroELと還元型α-ラクトアルブミンを結合させ,ランニングバッ ファーのみに切り替えたのち,1 mMのATP,ADP,AMP,AMP-PNP (ATP の非加水分解性アナログ) のおのおののヌクレオチドを作用させた.その結 果,ATPにより非常に速い解離が観察されたばかりでなく,興味あること に,ADPやAMP-PNPによっても還元型α-ラクトアルブミンとGroELの解離 が促進された (図1・3,表1・1) .このことは,GroELは,ATPの加水分解な しに,あるいはADPによっても,還元型α-ラクトアルブミンを解離するこ とを示している. さきほど述べたように,GroELはADPの存在下で補助因子であるGroESと複 合体を形成する.そこで,還元型α-ラクトアルブミンからGroEL-GroES複 合体が解離する場合におけるヌクレオチドの効果も測定した. GroELとGroESは10 μMのADP存在下でGroEL-GroES複合体を形成すること が知られている[10]ので,ここではGroELとGroESを10μM ADPと混合し,室 温で30分∼1時間放置させ複合体を形成させた.その後,GroELのみのとき と同じように還元型α-ラクトアルブミンに結合させ,ヌクレオチドを作用 させた.ただし,還元型α-ラクトアルブミンへの結合時のランニングバッ ファーにはGroEL-GroES複合体を維持するため10 μMのADPを添加した. 結果は,GroELのときと同様にATP,ADP,AMP-PNPにより複合体の解離 が促進された(図1・3,表1・1)
92
1
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
(a) GroEL
10%
バッファー
ΔRU
結合量 (%)
AMP
AMP−PNP ADP ATP
0
100
200
300
400
500
600
時 間 (秒)
(b) GroEL/ES DD
10%
D D
ΔRU
D
DD
D
バッファー
結合量 (%)
AMP
AMP−PNP ADP ATP
0
100
200
300 時 間 (秒)
400
500
600
図1・3 還元型α-ラクトアルブミンからGroEL あるいはGroEL-GroES複合体が解離する反応に おけるヌクレオチドの影響. (a) 還元型α-ラク トアルブミンからのGroELの解離のセンサーグ ラム.GroEL (75 nM) を還元型α-ラクトアルブ ミンに結合させたのち,矢印の時点で図に示す おのおののヌクレオチドを作用させた.ヌクレ オチドを作用させるまえのGroELの結合量を100 %とし相対値で表している. (b) 還元型α-ラク トアルブミンからのGroEL-GroES複合体の解離 のセンサーグラム.GroEL,GroESおよび10 mM ADPを混合して30分∼1時間室温で放置し, GroEL-GroES複合体を形成させ還元型α-ラクト アルブミンに結合させた.そして,(a)と同じ ようにヌクレオチドを作用させた.
kd (s-1)
バッファー AMP AMP-PNP ADP ATP
GroEL
GroEL/ES
0.00017 0.00022 0.014 0.056 0.15
0.00016 0.00018 0.010 0.055 0.20
表1・1 GroELおよびGroEL-GroES複合体と還元型α-ラクトアルブミンの解 離速度定数 (kd) に及ぼすヌクレオチドの影響.kdは,AMPとAMP-PNPに関し てはBIAlogueソフトウェアで算出し,ATPとADPに関しては図1・3からマ ニュアルで計算した.ヌクレオチドの濃度はすべて1 mMで測定した.
4) GroELと還元型α-ラクトアルブミンとの結合におけるADPの効果 上記の実験から,ATPのみならずADPも,GroELあるいはGroEL-GroES複合 体と還元型α-ラクトアルブミンの解離をひき起こすことがわかった.そこで 今度は,GroEL,GroEL-GroES複合体と還元型α-ラクトアルブミンとの結合 におけるADPの効果について調べた.
93
2000 DD
D D
D
DD
ADP低親和性リング ADP高親和性リング
1500
D
(RU)
ADP7
1000 図1・4 GroEL-GroES複合体と還元型α-ラクトア
500
ルブミンとの相互作用におけるADPの効果.各濃 度のADP存在下において,GroEL,GroES(150 nM)を7分間還元型α-ラクトアルブミンに作用さ
0
せたあとのGroEL-GroES複合体の結合量 (RU値) を
0
50
100
150
200
250
ADP濃度に対しプロットした.
ADP (μM)
GroEL,またはGroEL+GroESとADPを混合し,30分∼1時間室温で放置した のち還元型α-ラクトアルブミンに作用させ,8分後のGroELまたはGroELGroES複合体の結合量 (RU値) を測定した.その結果,GroELと還元型α-ラ クトアルブミンの結合はADPが高濃度(1 mM)でもほとんど影響を受けな かった.ところが,これにGroESが加わると,GroEL-GroES複合体の結合 量はADPが30μM付近から低下しはじめ,250μMではほとんど結合できな くなった(図1・4). この結果により,GroEL-GroES複合体におけるGroELの二つのリングには, ADPに対し高親和性のリングと低親和性のリング (おそらく基質タンパク質 と結合しているリングであると推測される) が存在し,GroELとGroESが複合 体を形成しているときには,ADPが高濃度存在するとこの低親和性のリング へADPが結合し,このことによりGroELは基質タンパク質との親和性を低下 させ,基質タンパク質の解離が促進されるということが示唆された.
1.1.4 考察 BIACOREでの解析によりシャペロニンGroELとその基質タンパク質の一つ である還元型α-ラクトアルブミンの結合解離の速度パラメータの決定が可 能となった.その解離定数はKD = 1 nMと強い結合であることがわかった. この数値に関しての評価であるが,青木らは還元型α-ラクトアルブミンと GroELの相互作用を自由溶液中で測定可能な熱測定法により解離定数の決定 を試みている [ 1 1 ] が,その値はマイクロモル濃度のオーダーであり, BIACOREでの値と2桁ぐらい値が異なる結果となった.この理由として, はっきりしたことはわからないが,BIACOREの場合,相互作用するタンパ ク質の一方は固定化されているため,一度解離したタンパク質が固定化タン
94
1
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
パク質へ再結合することが考えられる.このため,解離定数としては値が小 さくなる.つまり,結合としては強めになってしまう可能性が考えられる. また,本実験により,還元型α-ラクトアルブミンに関してはATPばかりで なくADPによってもGroELから解離することが直接的に示され,基質タンパ ク質によってはADPによる解離が起こることが示唆された(図1・3).そし て,GroEL,GroEL-GroES複合体がATPやADPにより基質タンパク質との親 和性を変化させていることも示された (図1・4) .本実験に関しての詳細は文 献[12]を参照していただきたい. 本節ではGroELと基質タンパク質の相互作用について述べたが,Hayer-Hartl らはGroELとGroESの結合解離におけるヌクレオチドの効果をBIACOREを用 いて解析している[13].この場合はGroESまたはGroELをセンサーチップ上に アミノカップリング法により固定化し,GroELまたはGroESを作用させると いう方法で行っている.GroELとGroESの複合体のようにおのおのの結合部 分が決まっていると,アミノカップリングにより固定化した場合,物理的に 結合部位がセンサーチップ上のデキストリンとの結合により一部隠されてし まい,結合のシグナルが弱くなってしまう可能性がある.このようなとき は,固定化しようとするタンパク質のN末端かC末端にシステインを付加し てチオールカップリング法により固定化したり,ヒスチジンのタグ(Hisタ グ)を付加してNTAを介して固定化する方法がある(ただし,システインや Hisタグの付加によりタンパク質の機能に支障をきす場合は避けるべきであ る) .これらは,試薬やセンサーチップが販売されているのでこれを利用す ることができる.こうすることで,センサーチップ上に固定化されたタンパ ク質のリガンドに対しての結合部位はつねに露出することになるばかりでな く,方向性もある程度そろい,シグナルは検出しやすくなると考えられる. 実際,NTAセンサーチップにHisタグGroESを固定化し,GroELとの相互作用 を解析した報告があるので参考となる[14]. BIACOREは,また速度定数を決定できるばかりでなく,図1・4の測定のよう に,シャペロニンに作用物質を作用させたときの変化を定性的に測定でき る.たとえば,細胞内にあるさまざまな分子シャペロン同士,あるいは,分 子シャペロンに作用する可能性のある因子との相互作用の有無を調べたい場 合,それらの因子を精製できれば容易にこれを測定できる.また,BIACORE 2000を用いれば4種類の固定化タンパク質に対して1種類のサンプルをほぼ同 時に作用させることができるので,たとえば,分子シャペロンの変異体を作 成し,その変異体と野生型の機能をBIACORE上で比較することで分子シャペ ロンの機能を解析することもできるであろう.このように,BIACOREは実験 のアイデアしだいで分子シャペロンの研究に多いに利用できると思われる.
95
参考文献 1. Braig K et al (1994) The crystal structure of the bacterial chaperonin GroEL at 2.8Å.Nature 371: 578-586 2. Ishii N et al(1994)Folding intermediate binds to the bottom of bullet-shaped holochaperonin and is readily accessible to antibody. J. Mol. Biol. 236: 691-696 3. Todd M J et al (1994)Dynamics of the Chaperonin ATPase Cycle: Implications for Facilitated Protein Folding. Science 265: 659-666 4. Boisvert D C et al(1996)The 2.4 Å crystal structure of the bacterial chaperonin GroEL complexed with ATPγS. Nature Struct. Biol. 3: 170-177 5. Hiraoka Y et al.(1980)α-lactalbumin: a calcium metalloprotein. Biochem. Biophys. Res. Commun. 95: 1098-1104 6. Okazaki A et al (1994) The chaperonin GroEL does not recognize apo-α-lactalbumin in the molten globule state. Nature Struct. Biol. 17: 439-446 7. Hayer-Hartl M K et al(1994)Conformational specificity of the chaperonin GroEL for the compact folding intermediates of α-lactalbumin. EMBO J. 13: 3192-3202 8. 村井法之,吉田賢右 (1995) シャペロニンとタンパク質フォールディング.実験医 学13:1405-1412 9. Kuwajima K (1989)The molten globule state as a clue for understanding the folding and cooperativity of globular-protein structure. Protein. Struct. Funct. Genet. 6: 87-103 10.Jackson G S et al(1993)Binding and hydrolysis of nucleotides in the chaperonin catalytic cycle: implications for the mechanism of assisted protein folding. Biochemistry 32: 2554-2563 11.Aoki K et al(1997)Calorimetric observation of a GroEL-protein binding reaction with little contribution of hydrophobic interaction. J. Biol. Chem. 272: 32158-32162 12.Murai N et al(1995)Kinetic analysis of interactions between GroEL and reduced alpha lactalbumin. J. Biol. Chem. 270: 19957-19963 13.Hayer-Hartl M K et al.(1995)Asymmetrical Interaction of GroEL and GroES in the ATPase cycle of assisted protein folding. Science 269: 836-841 14.Nieba L et al (1997)BIACORE analysis of histidine-tagged proteins using a chelating NTA sensor chip. Anal. Biochem. 252: 217-228
96
1
1.2
DNA ポリメラーゼδ複合体
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
釣本敏樹
1.2.1 はじめに 細胞の核内で行われる重要な反応の一つであるDNA複製に関与する因子の多 くは,その機能があまりにも細胞の生死に直接的にかかわるがゆえに,がん遺 伝子,遺伝病の原因遺伝子などという形で華々しく世にでることはなかった. しかし,いずれもが細胞増殖を制御する機構や完全な染色体を維持する機構, 遺伝子発現の調節機構など,多くの細胞の機能に深くかかわっている. これまで,染色体の構造が複雑かつ多様であるのに対応して,複製反応自身 も複雑な反応機構・制御機構をもち,これにかかわる複製因子の全容を明ら かにすることはいまだに多くの困難を抱えている.たとえば,真核生物の染 色体DNAの複製にはα,δ,εの最低3種類のDNAポリメラーゼが必要とさ れる.しかし,これらがどのようなしくみで役割分担をして複製反応を進め ているのか,これらを含んだ複製反応を進行させるタンパク質装置の基本構 成はどのようなものか,そして,細胞周期に依存した染色体と複製装置の集 合と解離はどのようなしくみで制御されているのか,という基本的な疑問に は,まだ明確な答えは用意されていない. ここでは,このような疑問点を解き明かすためのアプローチとして,表面プ ラズモン共鳴を用いた解析によるDNAポリメラーゼ複合体の分子集合の研 究について紹介する.
1.2.2 DNA ポリメラーゼδ複合体と複製フォーク 二本鎖DNAの複製反応は,連続的に合成されるリーディング鎖,不連続に 合成されるラギング鎖の2種類の異なった様式で進行する.これらが同時進 行するDNA構造は,その形から複製フォークとよばれる.この構造の上で は,複数のDNAポリメラーゼを含む十数種のタンパク質が集合して一連の 複製反応が行われている[1] (図1・5). 精製したタンパク質でこの反応を再構成すると,個々の酵素が特別なつなが りをもたずに反応を進めるが,細胞内では,非常に長い染色体をまちがいな く,しかも,効率よく複製していることから考えて,これらは統制のとれた 複合体として構成され機能していると予想されている.したがって,これら 酵素間の機能的なつながりを明らかにすることは複製の反応機構を解明する うえで必要不可欠である.
97
リーディング鎖
(二本鎖DNAを開いて一本鎖にする酵素)
DNAポリメラーゼ複合体
DNAヘリカーゼ
5′ 3′ 進行方向
DNAポリメラーゼδ クランプ分子 (PCNA) クランプローダー (RFC)
PCNA RFC
polα/プライマーゼ
3′ 5′
polδ
プライマーと短鎖 DNAの合成
RPA (一本鎖DNAへの結合) (ラギング鎖を連結する酵素) ラギング鎖
3′ 5′ 図1・5 真核生物の複製フォークにおけるタンパク質複合体.必要な酵素とその活性を 示す.それぞれが機能的に結びついてループ状のDNAを含んだ構造体を形成すると想像 されている.そのなかのpolδ複合体を色で示す.
特に,この複製酵素の集合体のなかでDNAポリメラーゼδ(polδ)および RFC(複製因子C) ,PCNA (増殖細胞核抗原) は,サブ複合体として機能的に 結びついてリーディング鎖,ラギング鎖を合成するプロセッシブな (連続的 に長いDNA鎖を合成する) DNA合成を行う.このことから,この三つの因子 の分子会合の制御は,複製フォーク全体のDNA合成活性を決める重要な役 割を果たしていると考えられる.
1.2.3 PCNA と RFC の ATP 依存的会合 PCNAは単量体が261アミノ酸からなる三量体が,ドーナツ型をした分子で ある (図1・6,図1・11も参照) .このリング型をした分子は,polδと結合し てポリメラーゼの動きに合わせてDNA上を滑っていくことから,DNAスラ イディングクランプ(クランプ分子)とよばれている[2].また,別の複製因 子,RFCはATPase活性をもち,この活性を使ってPCNAをDNA上に乗せる機 能があり,クランプローダーとよばれている.これらが機能する際には,リ ング構造をしたPCNAはATP存在下,RFCと結合し,リングの一部を開きそ の中にDNAを通す形で結合すると考えられている.この一連の相互作用の しくみを明らかにする目的で,PCNAとRFC間の結合と,それに対するATP 98
1
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
の影響をBIACOREを使って解析した. まず,PCNAを固定したセンサーチップに対し,150 mM NaClの条件下,ATP 存在・非存在下の二つの条件でRFCをアナライトとして流し,その結合性を比 較した.その結果,この二つの因子間の解離定数は1.2×10−9 M (+ATP) ,2.0 ×10−9 M (−ATP) となり,ATPの有無にかかわらず高い親和性を示すことが示 された.したがって,ATPなしでPCNA-RFC間の結合が起こると考えられる. この結合にATPの存在がどう影響するかを調べるために,塩濃度を0.5 M NaClに上げ,いったん結合したRFCがどのくらい,高塩濃度に対して抵抗性 を示すかを調べた (図1・7) .その結果,ATPがないとすみやかにRFCが解離 するのに対し,ATPが存在すると結合性が著しく増加し,この2因子間の結 合がより安定化したことを示した.つまり,PCNA-RFC間の結合には二つの 結合モードがあり,RFCへのATPの結合とその加水分解とが連動して,
RFC
PCNA
ATP
5′
3′ PCNA−RFC (ATP)
polδ ATP加水分解
5′
PCNA−polδ 3′ RFC polδ複合体
図1・6 polδ複合体の構築.異なった5個のサブユ ニットで構成されるRFCと,リング状の三量体で構 成されるPCNAがATP依存的にDNA上に複合体を形 成し,ATPの加水分解を伴ってさらにpolδを加えた 複合体へと移行し,活性型polδ複合体となる.
99
PCNA-RFC複合体が安定な結合とゆるい結合の2種類の結合様式の間をいき きするタンパク質構造変化を行っていることが予想された. さらに,この複合体がDNAに結合する場合にはATPが要求される,ただ し,加水分解が必要ないのに対し,PCNAがDNAから外れる,あるいは, polδがこの複合体に加わる場合にATPの加水分解が要求されることから (図 1・6) ,DNA上での複合体形成は,ATPに結合して一時的に強い結合をとっ たときに起こり,つぎの段階としてpolδと結合する際にはATPの加水分解 によりゆるい結合に移行することが必要と考えられる. この2種類の結合モードの存在を確かめるために,いくつかのアミノ酸残基 がそれぞれの結合に異なった形で関与していることを示した.まず,PCNA の機能部位の詳細な解析の目的で多数の変異型PCNAを作製したが,そのな かでC末端の領域と41番目のAspがRFCとの相互作用に必要であることを見 い出した[3].それに基づいて,これらがどちらの結合モードに関与している かを,それぞれの変異型PCNAを固定したセンサーチップを作製して調べた (図1・8) .その結果,C末端領域の254番目のLysの変異は初期結合性に大き く影響するが,ATP依存的な安定結合をとれることがわかった.それに対 し,その隣りの255番目のIleと41番目のAspの変異は,初期の結合性はほと んど変わらないのに対し安定結合のモードをとれないことが示された. このことから,ATP非依存的PCNA-RFC結合の際には,PCNAのLys254が RFCと直接結合する構造をとるのに対し,ATPとの結合に伴うRFCの構造変 化はIle255とAsp41が新たにRFCとの結合に加わることを可能にし,この新た
0.5 M NaClによる1回目の洗浄 (ATP+または−)
0.5 M NaClによる2回目の洗浄
4500
(ATP−) +
3500 (RU)
−
2500
1500
RFCの結合 (0.15 M NaCl)
500
−500
0
200
400 時 間(秒)
100
600
800
図1・7 RFCとPCNAの結合におけるATPに依存 した安定なモードの検出.あらかじめPCNAを固 定したセンサーチップ (約1000 RU) に対し,10 mM HEPES (pH 7.4) -0.05% Tween20-5 mM MgCl20.02 mM EDTA-0.15 M NaCl-2 mM ATP (添加時) の条件下,流速30μl/min,15℃で11 nMのRFC を30μl打ち込み,いったん0.15 M NaCl存在下で 結合したRFCを0.5 M NaClで洗浄することで結合 の安定性を調べた.ATP存在下 (細線) では結合 はほとんどはずれないのに対し,ATP非存在下 (太線) ではすみやかにはずれる.したがって, 結合したRFCはATPが存在することで安定な モードに移行する.本文中のATP存在下・非存 在下でのPCNA-RFCの解離定数は,別に図1・8 と同じ条件で行った実験から求めている.
1
4000
(a) 野生型
(RU)
300
D41A
200
2000
野生型 0.96×10−9M D41A 1.2×10−9M
100
(b)
3000 (RU)
400
1000 野生型(+ATP) 野生型(−ATP) D41A
0
0 −100
0
100
200
300
−1000 −50
時 間(秒)
4000
(c) I255A E256A K254A
(RU)
300 200 I255A E256A K254A
0 −100
0
100
−9
1.1×10 M 1.3×10−9M 3.0×10−9M 200
300
(d)
3000 (RU)
400
100
2000 1000 K254A E256A
0 −1000 −50
I255A
50
時 間(秒)
500
4000
400 (RU)
200
254
0 −100
0
100
0.62×10−9M 1.4×10−9M 5.5×10−9M 200
時 間(秒)
300
(f)
3000 (RU)
257 255
300
257 255 254
150 時 間(秒)
(e)
100
150
50
時 間(秒)
500
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
2000 1000 0
−1000 −50
257 255 50
150 時 間(秒)
図1・8 RFCの変異型PCNAに対する結合性 (a,c,e) と,各変異型PCNAのATP存在下の 安定型結合への転移能の検討(b,d,f).(a),(c),(e)の0.15 M NaClでの結合実験は, 図1・7と同じバッファー条件下(2 mM ATP存在下)に15℃,10μl/minで11 nMのRFCを 30μl打ち込んで行った.また,(b),(d),(f)の0.15 M NaCl洗浄時の安定性の解析は, 同じバッファーで2 mM ATP存在下に15℃,30μl/minでいったんRFCを結合させ,その 後,0.5 M NaClで洗浄することで行った.変異型PCNAは1アミノ酸置換型(たとえば D41Aは41番目のAspをAlaに変換したことを示す) と欠失変異型 (Δ255は255番目からあ とのアミノ酸残基の欠失を示す) で,それぞれをセンサーチップに固定し一定量のRFCを 打ち込んで結合性を解析した.(a) , (c) , (e) では0.15 M NaClでの初期結合時の解離定 数KDを示した. (b) , (d) , (f) では安定型結合をとれない変異を白抜きで示した.Δ254 を使った解析では,0.15 M NaClでの結合時にすでにRFCのかなりの分子が解離したため, 安定性を調べる実験は行っていない.この解析の結果,Lys254は初期結合時の結合性に 関与し,Asp41とlle255は安定型結合に必要であることがわかる.
101
RFC
D41 PCNA
D41
ATP
I255
K254 E256
K254 E256
E256 K254
I255
E256
E256 K254
K254
最初に形成される複合体
E256
ATP
K254
安定な複合体
図1・9 ATP依存的に形成される安定なPCNA-RFC複合体.リング構造のPCNAとサブユ ニット五量体からなるRFCの結合状況を示す.最初にATP非依存的にゆるい複合体が形 成され,その際にはLys254が使われる.さらにATPが加わると,RFCの構造変化を伴っ て安定な複合体が形成される.このときにはAsp41とlle255がRFCと直接結合を行う.こ の安定な結合の形成がPCNAのDNAへのローディングに必要なことから,この複合体形 成がPCNAのリング構造の開裂を伴いDNA鎖をリングの中に通すと予想される.
な結合の成立が2因子間の結合を安定化するのに大きく関与していると考え られる(図1・9).この安定な結合の成立がPCNA-RFC複合体をDNA上に形 成させるのに必須であることを考慮すると,安定な結合時にPCNAの三量体 リングの一部が開く反応が連動し,この状態でDNAがリング内部に入った 複合体になっていると予想できる.
1.2.4 PCNA と細胞周期制御因子 p21 の結合 つぎに,PCNAと特異的に結合し,polδ複合体の機能を阻害する細胞周期制 御因子p21 (Cip1,Waf1ともよばれる)のPCNAに対する結合様式を解析し, このタンパク質によるPCNAの活性制御のしくみについて調べた.p21は, DNA傷害時などに発現が誘導され,S期においては,polδのDNA複製機能を 選択的に阻害し,DNAの修復反応を進める機能があると考えられている[4]. まず,p21が特異的にPCNAに結合する部位がp21のC末端側1/4の領域にあるこ とが知られていたので,この領域をGSTに融合したものを用意し,アミンカッ プリングで固定された抗GST抗体を介してセンサーチップ上に結合させた.こ
102
口絵1 PCNAの立体構造と変異型PCNAとp21の結合性か ら求められたPCNA上のp21結合部位.結合部位に対応する Center loop(D41-H44),ID loop(L121-E132),Region 7 (A2310-233) ,C-tail loop (K254,E256) を黄色で示した.X 線結晶構造解析で明らかにされたPCNAに結合したp21ペプ チドはピンクで示した. (本文104ページ参照)
口絵2 mRNA微量注入法による機能解析.ツメガエル4細胞期の 背側 (b,c,d,e,i,j) ,または腹側 (f,g,h) の2割球へそれぞれの mRNAを微量注入し,強制発現させる. (f) の矢頭は新たに形成さ れた二次軸を示す. (a) 正常胚.FS:フォリスタチン. (本文108 ページ参照)
1
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
(a) 野生型
1500
K77A K110A
(RU)
1200 D41A
900 600
野生型
300
K77A K110A
0 −300 −100
D41A
0
200
360 時 間(秒)
野生型,Reg.1,3
(b)
2000
Reg.2,ID Loop Reg.7
(RU)
1500 1000 500
Reg.1 Reg.3 野生型 Reg.2 Reg.7 ID Loop
0 −500 −100
0
200
360 時 間(秒)
(c) 野生型
2000 255 K254−I255/A
1600
E256−D257/A,I255A, 257
(RU)
1200 800 257 400
野生型 E256−D257/A I255A
0 −400 −100
255 K254−I255/A 0
200
360 時 間(秒)
図1・10 PCNA上の変異によるp21への結 合に対する影響.p21は,野生型PCNAとは 安定な結合をするのに対し,いくつかの特 異的な部位に変異を導したPCNAに対して はいちじるしく結合性が低下する.ここで は,p21のC末端部1/4の領域を使ったとき のPCNAの変異体に対する結合性を示す. 10 mM HEPES(pH 7.4) -0.05% Tween 20-3.4 mM EDTA-0.15 M NaClをランニングバッ ファーとして使用し,25℃で測定を行っ た.GST融合p21断片を抗GST抗体を固定 したセンサーチップに結合させ(R U 約 2000),これに時間0から6分間,10μg/ml のPCNA試料を5μl/minで流した.結合性 がほとんど消失した変異体を白抜き,大き く減少した変異体を色で示した.変異体の 表記は図1・8と同じ.Reg.1∼Reg.7,IDミ Loopはヒトと酵母のハイブリッド型変異 で,それぞれヒトPCNAの23-26,42-44, 68-71,153-157,172-177,208-209,231233,121-132の部位が対応する酵母PCNA の配列に置き換えてある.
れにPCNA遺伝子全域をカバーする三十数個の変異型PCNA (1アミノ酸のAla置 換型変異,ヒトと酵母のハイブリッド型PCNA,末端欠失型変異) を流してそ れらの結合性を解析した.結合能を失うような変異があれば,それをPCNA上 のp21の結合に関与する部位としてマップすることができる (図1・10) .
103
図1 ・1 1 P C N A の立体構造と変異型 PCNAとp21との結合性から求められた PCNA上のp21の結合部位(巻頭カラー口 絵1参照).
その結果,Asp41-His44 (center loop),Leu121-Glu132 (interdomain connecting loop: ID-loop) ,Ala231-Val233 (region 7) ,Lys254-Glu256 (C-tail loop) の四つ の領域に結合部位がマップされた (図1・11,巻頭カラー口絵) .この結合部 位のマップは,p21の全長を使った結合実験でもほぼ同じ結果を得ることが できた.p21の一部を合成したペプチドとPCNAの共結晶構造解析が報告さ れているが,そこから得られた結合様式とこの変異体の機能解析から得られ た結合部位を比較すると,両者の間でよく一致し,ここで得られた結合部位 は確かにp21と直接結合にかかわっていることが明らかになった. この機能解析によるp21の結合部位の解析からさらに明らかになったこと は,これらの結合部位のいくつかは,polδあるいはRFCがPCNAと機能的に 相互作用する部位と重複する点である.つまり,まえに述べたPCNA-RFCの ATP依存した構造変化の過程にp21が競合的に働き,その結果として,polδ の機能的な複合体形成が阻害される機構が考えられる.特に,PCNA-RFC複 合体のATP加水分解の過程以降を選択的に阻害するため,効率のよいpolδ 複合体のリサイクリングが阻止され,高頻度のリサイクリングを必要とする DNA複製反応に選択的な阻害効果を示すものと説明することができる. 104
1
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
1.2.5 おわりに ここに示したように表面プラズモン共鳴を用いた因子間相互作用の研究は, 複製因子間の複合体の形成過程を解析するうえで非常に有効な手段となっ た.単に結合定数を求めるだけでなく,ATPなどの結合により構造変化を 伴って動的な結合状態の変化の過程を追う,というダイナミックな状態変化 をリアルタイムで観察できるのが強みとなる.また,多くの変異体を構築 し,その変異が他の因子との結合にどのような影響を示すかという実験もセ ンサーチップ上で連続的に測定でき,BIACOREの特性が十分に生かせる研究 方法であった. 今後,複製因子間の相互作用も2因子間の単純な結合だけでなく,多数の因子 間の複合体形成,DNAを足場とした複合体形成を解析したいという要望が生 まれるのは自然の成りゆきである.このような研究に表面プラズモン共鳴に よる解析がどのように対応できるか,さらにひと工夫することが必要である し,またそうすることで新しい方法を導き出す可能性をもった解析法でもあ ろう.
参考文献 1. Waga S, Stillmam B (1994)Anatomy of a DNA replication fork revealed by reconstitution of SV40 DNA replicaion in vitro. Nature 369: 207-212 2. 釣本敏樹(1998)DNA複製におけるクランプ分子の機能. 嶋本伸雄,郷通子(編) 遺伝子の構造生物学. 日本生物物理学会 (編) シリーズニューバイオフィジック ス.共立出版,東京,pp30-43 3. Fukuda K, Morioka H, Imajou S, Ikeda S, Ohtsuka E, Tsurimoto T(1995)Structurefunction relationship of the eukaryotic DNA replication factor, proliferating cell nuclear antigen. J. Biol. Chem. 270: 22527-22534 4. Waga S, Hannon G J, Beach D, Stillman B (1994) The p21 inhibitor of cyclin-dependent kinases controls DNA replication by interaction with PCNA. Nature 369: 574-578
105
1.3
初期発生におけるタンパク質間相互作用の解析 −オーガナイザー因子フォリスタチンと BMP の直接結合− 家村俊一郎,山本隆正,高木知世,上野直人
1.3.1 はじめに 受精卵が卵割を繰返して生物に固有の形態を形成していく過程は,実に神秘 的であり,多くの生物学者を虜にしてきた.近年の分子生物学の進歩によっ て,その神秘的な発生現象のメカニズムが分子レベルで説明されようとして いる.初期発生というダイナミックな形態変化を伴う現象も,そのほとんど は遺伝子とそれにコードされるタンパク質の相互作用の結果にほかならな い.細胞に作用する液性因子とその標的となる細胞,細胞内シグナル伝達 系,そしてそのアウトプットとしての遺伝子発現調節,これら一連のカス ケードが発生生物学においてもドグマとして存在する.そこにはリガンドが 受容体を認識したり,受容体キナーゼが基質となる細胞内シグナル分子を認 識したりという相互作用が存在し,その相互作用の特異性によって発生が厳 密に制御されているとも考えられる. 本節では,特に筆者らが発生制御機構の一つとして注目した,細胞増殖因子 とその阻害分子の相互作用について,BIACOREを用いて解析した結果を紹介 し,タンパク質相互作用の特異性を明確にすることの重要性について述べた い. 1) ツメガエルの背腹軸の決定 ツメガエルの初期胚が実際に背腹の質的な違いを生むのは,原腸胚とよばれ る時期である.このころ,将来,骨や筋肉になる中胚葉はすでに分化しはじ め,腹では将来の血球を,背では筋肉や脊索をつくりはじめる.つまり,こ の時期に背腹のいわゆる 「パターン」が形成されるのである.この背腹のパ ターンを形成するのに細胞増殖因子が重要なはたらきを担っているものと考 えられている.特にTGF-βスーパーファミリーに属する骨形成タンパク質 (bone morphogenetic protein,BMP) は腹側中胚葉の形成に,アクチビンある いはVg1といった同じファミリーのメンバーは背側中胚葉の誘導に不可欠で あると考えられている[1∼4].たとえば,将来の腹側細胞でBMPのシグナルを 遮断すると,腹側の細胞 (たとえば血球) に分化すべき細胞が筋肉など背側の 細胞に分化することが知られており,その結果,個体レベルでは腹が背にな るといった現象が観察される[5∼7]. 106
1
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
2) BMPによる神経分化の負の制御 BMPは中胚葉の腹側化だけではなく,外胚葉の腹側化という重要な作用も もっている.外胚葉は,将来,表皮や神経に分化する胚葉であり,原腸胚期 の腹側外胚葉は表皮に,背側外胚葉は神経に分化する.BMPは中胚葉のみ ならず,外胚葉に対しても腹側化活性をもっており,表皮分化を促すと同時 に神経分化を抑制する[8].したがって,外胚葉細胞を解離して培養すること によりBMPの作用を除去したり,外胚葉細胞でBMPシグナルを遮断するこ とによって神経分化を誘導することができる[8,9].一方,外来のBMPを作用 させることによって解離した外胚葉細胞の自律的な神経分化を阻害し,表皮 分化を促進することも知られている[8]. 3) オーガナイザー因子 BMPは表皮を誘導することによって神経ができないようにする作用をもっ ていることはすでに述べた.それでは,なぜ正常胚では背側で神経細胞が分 化しうるのであろうか? それは,最も背側に存在する原口背唇部の形成体 (オーガナイザー)とよばれる領域が神経誘導因子を分泌しているからであ る.コルディン(chordin),ノギン (noggin),フォリスタチン(follistatin)と いった分子はオーガナイザーで発現しており,外胚葉に作用させたり過剰発 現させるだけで外胚葉を神経へと分化させる,いわゆる神経誘導能をもつ分 子である[10∼14].これらの分子がオーガナイザーでつくられ,分泌されるこ とによって神経が形成される.これらの分子はオーガナイザー因子とも総称 され,積極的に神経分化を促し,予定外胚葉細胞を神経に誘導するものと考 えられた.しかし,その後,コルディン,ノギンはBMPに直接結合し, BMPの作用を阻害することにより神経分化を促すことが明らかにされた[15, 16]
.いい換えれば,神経は外胚葉が積極的に誘導された結果というより,む
しろ,BMPの作用を逃れることによって神経に分化したということができ る.したがって,オーガナイザーの一つの役割はこれらのBMPの阻害タン パク質をつくり,分泌することであるといえる. 4) フォリスタチンの機能 フォリスタチンはアクチビンに直接結合する阻害タンパク質として知られて おり,すでに述べたように外胚葉に過剰発現させることによって神経分化を 促すオーガナイザー因子の一つである[14,17].しかしながら,アクチビン自 身は外胚葉に作用し中胚葉を誘導するものの,神経分化を直接阻害する活性 は報告されていない.このことから,アクチビン阻害タンパク質であるフォ リスタチンが神経誘導能をもつことについて,そのメカニズムに興味がもた れていた.筆者らはフォリスタチンもコルディンやノギンと同様にBMPに 直接結合する阻害因子であるとの作業仮説を立て,つぎの実験を行った. 107
1.3.2 実験結果 1) フォリスタチンによるBMP活性の阻害 まずmRNA微量注入法を用いて,BMPの作用に対するフォリスタチンの効果 を調べた.ツメガエル4細胞期の背側の二つの割球にBMP-4またはBMP-7の mRNAを微量注入しオタマジャクシまで発生させると,どちらのBMPを用い た場合も背側構造 (頭部構造,脊索,筋肉) を欠く腹側化胚となる (図1・12 b,c) .このとき,フォリスタチンmRNAを同時に注入すると,BMP-4とと もに注入した胚は不完全だが背側構造をもつ胚となり,BMP-7とともに注入 した胚はほぼ正常な胚となった (図1・12 d,e) .また,4細胞期の腹側の二
図1・12 mRNA微量注入法による機能解析.ツメ ガエル4細胞期の背側 (b,c,d,e,i,j) ,または腹 側 (f,g,h) の2割球へそれぞれのmRNAを微量注入 し,強制発現させる. (f) の矢頭は新たに形成された 二次軸を示す. (a) 正常胚.FS:フォリスタチン (巻 頭カラー口絵2参照).
108
1
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
つの割球にフォリスタチンmRNAを微量注入し発生させると,腹側に頭部を 欠失した体軸が形成され(二次軸),腹側構造は消失する(図1・12 f).これ に対し,BMP-4またはBMP-7のmRNAを同時に注入すると胚は正常に発生し た(図1・12 g,h).以上のことから,フォリスタチンは,BMP-4および BMP-7の機能を阻害すること,また逆にこれらBMPはフォリスタチンの機 能を阻害することが明らかになった. つぎに,この阻害作用が細胞内,あるいは細胞外のどちらで起こっているも のなのかを明らかにするために,リガンド非依存的にBMPシグナルを伝達 する構成的活性型BMP-7受容体 (CA-ALK2)の,mRNAを注入した胚に対す るフォリスタチンの影響を調べた.BMP-7 mRNAを背側割球に注入したと きと同様に,CA-ALK2 mRNAの微量注入によっても背側構造を欠く腹側化 胚になる (図1・12 i) .このとき,同時にフォリスタチンmRNAを注入しても この腹側化を抑制することはできなかった (図1・12 j) .つまり,フォリス タチンは細胞内のBMPシグナル伝達系には影響を及ぼさないことから,こ の阻害作用は細胞外で起こっていると考えられる. 2) フォリスタチンとBMPとの直接結合 ツメカエルの初期胚を用いた実験により,フォリスタチンはBMPの機能を 阻害することが明らかとなった.そこでつぎに,フォリスタチンがBMPと 直接結合するか否かを明らかにするために,今回,筆者らはBIACOREを用 いて以下の実験を行った. センサーチップ(CM5)にアミンカップリング法でアクチビン,BMP-4, TGF-β1を固定化し,フォリスタチン (FS-288) をアナライトとしてインジェ クトした[17,19].その結果,FS-288は有意にBMP-4と結合することがわかっ た.他のTGF-βスーパーファミリーのリガンドと比較すると,これまで確 認されていたようにアクチビンに対しても結合し,BMP-4との結合に比べ結 合反応が速く,解離反応が遅いという性質をもっていた.また,TGF-β1に 対してはほとんど結合しなかった(図1・13 a). つぎにFS-288とBMPの3種のサブタイプ (BMP-4,BMP-7,BMP-4/7) との相 互作用を調べた.各BMPをセンサーチップに固定化しFS-288をインジェクト すると,それぞれに対してほぼ同様のプロファイルで結合することがわかっ た (図1・13 b) .BMP-4,BMP-7のホモ二量体と比較して,若干BMP-4/7ヘテ ロ二量体に対しての結合量が多いが,その生物学的意味は現在のところ不明 である. つぎにBMP-4とFS-288,またBMP-4とそのレセプターとの反応速度定数を求 めた.実験に用いた可溶化BMPレセプター (sBMPR) は,BMP-2およびBMP-
109
2400
800
(a) アクチビン
(b) BMP−4/7
700 600
1900
500 (RU)
(RU)
1400 BMP−4
900
BMP−4
400 300 200 100
400 TGF−β −100
0
100
200
300
400
時間(秒)
1000 800
FS−288
(RU)
400 sBMPR
0 −200
0
BMP−7
0
50
100
150
200
250
300
350
時間(秒)
(c)
600
200
0 −100
50 100 150 200 250 300 350 400 450 500 時間(秒)
図1・13 フォリスタチンとBMPとの相互作用の解析. HBS (10 mM HEPES-150 mM NaCl-3.4 mM EDTA-0.005 % Tween20, pH 7.4) バッファーを用い,アナライトを流速20 μl/min,25℃で120秒間インジェクト.矢頭はインジェ クションの開始と終了を示す.(a)アクチビンA(2543 RU) ,BMP-4 (2904 RU) ,TGF-β1 (2681 RU) をセンサー チップに固定化し,FS-288(5μg/ml)を インジェクト. (b) BMP-4ホモ二量体 (622 RU),BMP-7ホモ二量体 (697 RU) ,BMP-4/7ヘテロ二量体(768 RU) を固定化したセン サーチップにFS-288 (5μg/ml) をインジェクト. (c) BMP4固定化センサーチップにFS-288 (5μg/ml) またはsBMPR (20μg/ml) をインジェクト.
4タイプIレセプター (ALK3) の膜貫通および細胞内ドメインを欠失させたもの である[18].実際に解析すると,sBMPRとBMP-4との結合速度定数は3.81×104 / s M,解離速度定数は3.69×10−4 /s (kd = 9.6 nM) となり,これに対し,BMP-4と FS-288の結合速度定数は1.16×105 /s M,解離速度定数は2.70×10−3 /s (KD = 23 nM) と算出された.この結果は,BMP-4はレセプターよりもフォリスタチンに 対して結合速度定数は約3倍高いが,解離速度定数も約7倍高いことを示してお り,BMP-4と安定に結合することにより,そのレセプターとの結合を阻害する という他のオーガナイザー因子とは異なる阻害作用が示唆された (図1・13 c) . 3) フォリスタチンによるBMP活性阻害のメカニズム フォリスタチンによるBMP-4活性の阻害阻害メカニズムを明らかにするため に,実際にBMP-4とsBMPRとの結合をFS-288が阻害するかどうかを,同じ オーガナイザー因子であるコルディンの場合と比較した. sBMPRをビオチン化後,ストレプトアビジンセンサーチップに固定化し,レ
110
1
400 350
600
(a)
FS-288+BMP-4
1回目 (BMP-4)
2回目 (FS-288)
400
250 200
(RU)
(RU)
300
BMP-4
150 50
コルディン+BMP-4
0 −50
(b)
500
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
コルディン, FS-288
0
50
100
150
200
250
300
時 間(秒)
350
300 200 100 0
−100
0
100 200 300 400 500 600 700 800 900 時 間(秒)
(c) BMP-4 sBMPR
フォリスタチン コルディン
図1・14 フォリスタチンとコルディンのBMP活性阻害メ カニズムの相違.(a)sBMPR固定化センサーチップ(684 RU) に対し,アナライトを流速20μl/min,25℃で120秒間 インジェクト(FS-288:5μg/ml,コルディン:2μg/ml, BMP-4:10μg/ml) .矢頭はインジェクションの開始と終 了を示す.(b)コインジェクト法を用い,BMP-4(20μg/ ml) ,FS-288 (5μg/ml) を連続的にインジェクト (流速10μl/ min,25℃でそれぞれ300秒間) . (c) フォリスタチンおよび コルディンによるBMP活性の阻害メカニズム.
セプター固定化センサーチップを作製した.このチップに対し,BMP-4をイン ジェクトすると安定な結合を示したが,コルディンあるいはフォリスタチンは まったく結合しなかった.つぎに,BMP-4とコルディンあるいはフォリスタチ ンの混合液をインジェクトした.コルディンとBMP-4の混合液の場合はRU値 の上昇がまったくみられなかったことから,既報のとおりレセプターとBMP4との結合をコルディンが阻害していることがわかった[15].また,FS-288と BMP-4との混合液をインジェクトすると,コルディンの場合とは異なり, BMP-4単独でインジェクトしたときよりもそのRUが上昇していた (図1・14 a) .これは,FS-288,BMP-4,レセプターの三者が複合体を形成することを示 唆している.そこで,さらにこのことを確認するために,BIACOREのコイン ジェクション法を用いてレセプター固定化チップにBMP-4とFS-288を連続的に インジェクトした.その結果,インジェクションごとにRUは上昇し,三者は 複合体を形成していることが明らかとなった (図1・14 b) . 以上の結果をまとめると,フォリスタチンのBMP-4活性阻害のメカニズムと
111
しては,同じオーガナイザー因子のコルディンのようにBMP-4とタイプIレ セプターとの結合を阻害するのではなく,BMP-4を介してタイプIレセプ ターと結合することによりその活性化を阻害していることが示唆された (図 1・14 c).三者の複合体が形成されることによりタイプIレセプターの活性 化が阻害されるメカニズムについては,現在解析中である.
1.3.3 おわりに ひとくちに相互作用といっても,生体内ではさまざまなプロファイルをもっ た結合が存在するものと考えられる.アクチビンとフォリスタチンの結合は 従来の生化学的手法でも証明しうる安定な結合を示すが,BMPとフォリスタ チンの場合は比較的解離の速い結合プロファイルをもっているため,通常の 生化学的手法では検出しにくい相互作用であるようにみえる.いずれにして も,アクチビン結合タンパク質として報告されたフォリスタチンがBMPとも 有意に相互作用することがBIACOREを用いた解析によって明らかになった. この事実は,特に構造のよく似たファミリー分子を取り扱う場合,相互作用 の特異性について十分慎重にならなければならないことを警告している.in
vivoでどちらの相互作用が重要であるかは結論づけられないが,生物学的に みれば,解離しやすい結合にも少なからぬ利点があるように思える.今後, 生命現象を理解する際に,特異性についてはいうまでもなく,その結合プロ ファイルまでも含めた解析の必要性を感ずる. 本研究の内容は,文献 [20] に発表された.本節で用いた図は文献 [20] から改 変したものである.
参考文献 1. Maeno M, Ong R C, Xue Y, Nishimatsu S, Ueno N, Kung H F (1994) Regulation of primary erythropoiesis in the ventral mesoderm of Xenopus gastrula embryo: evidence for the expression of a stimulatory factor (s)in animal pole tissue. Develop. Biol. 161: 522-529 2. Asashima M, Nakano H, Shimada K, Kinoshita K, Ishii K, Shibai H, Ueno N(1990) Mesodermal induction in early amphibian embryos by activin A(erythroid differentiation factor).Rouxユs Arch. Develop. Biol. 198: 330-335 3. Smith J C, Price B M, Van Nimmen K, Huylebroeck D (1990) Identification of a potent Xenopus mesoderm-inducing factor as a homologue of activin A. Nature 345: 729-731 4. Thomsen G H, Melton D A (1993)Processed Vg1 protein is an axial mesoderm inducer in Xenopus. Cell 74: 433-441 5. Graff J M, Thies R S, Song J J, Celeste A J, Melton D A (1994) Studies with a Xenopus BMP receptor suggest that ventral mesoderm-inducing signals override dorsal signals In vivo. Cell 79: 169-179 112
1
タンパク質 - タンパク質相互作用解析
6. Suzuki A, Thies R S, Yamaji N, Song J J, Wozney J M, Murakami K, Ueno N (1994)A truncated bone morphogenetic protein receptor affects dorsal-ventral patterning in the early Xenopus embryo. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 91: 10255-10259 7. Maeno M, Ong R C, Suzuki A, Ueno N, Kung H F (1994) A truncated bone morphogenetic protein 4 receptor alters the fate of ventral mesoderm to dorsal mesoderm: Roles of animal pole tissue in the development of ventral mesoderm. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 91: 10260-10264 8. Wilson P A, Hemmati-Brivanlou A (1995) Induction of epidermis and inhibition of neural fate by BMP-4. Nature 376: 331-333 9. Suzuki A, Shioda N, Ueno N (1995) Bone morphogenetic protein acts as a ventral mesoderm modifier in early Xenopus embryos. Develop. Growth Different. 37: 581-588 10.Sasai Y, Lu B, Steinbelsser H, Geissert D, Gont L K, De Robertis E M (1994)Xenopus chordin: A novel dorsalizing factor activated by organizer-specific homeobox gene. Cell 79: 779-790 11.Sasai Y, Lu B, Steinbelsser H, De Robertis E M (1995) Regulation of neural induction by the Chd and Bmp-4 antagonistic patterning signals in Xenopus. Nature 376: 333-336 12. Smith W C, Harland R M(1992) Expression cloning of noggin, a new dorsalizing factor localized to the Spemann organizer in Xenopus embryos. Cell 70: 829-840 13.Lamb T M, Knecht A K, Smith W C, Stachel S E, Economides A N, Stahl N, Yancopolous G D, Harland R M(1993) Neural induction by the secreted polypeptide noggin. Science 262: 713-718 14.Hemmati-Brivanlou A, Kelly O G, Melton D A (1994) Follistatin, an antagonist of activin, Is expressed in the Spemann organizer and displays direct neuralizing activity. Cell 77: 283-295 15.Piccolo S, Sasai Y, Lu B, De Robertis E M (1996)Dorsovenral patterning in Xenopus: Inhibition of ventral signals by direct binding of chordin to BMP-4. Cell 86: 589-598 16.Zimmerman L B, De Jesus-Escobar J M, Harland R M(1996)The Spemann organizer signal noggin binds and inactivates bone morphogenetic protein 4. Cell 86: 599-606 17.Nakamura T, Takio K, Eto Y, Shibai H, Tatani K, Sugino H (1990)Activin-binding protein from rat ovary is follistatin. Science 247: 836-838 18.Natsume T, Tomita S, Iemura S, Kinto N, Yamaguchi A, Ueno N (1997) Interaction between soluble type I receptor for bone morphogenetic protein and bone morphogenetic protein-4. J. Biol. Chem. 272: 11535-11540 19.Inouye S, Guo Y, De Paolo L, Shimonaka M, Ling N, Shimasaki S (1991) Recombinant expression of human follistatin with 315 and 288 amino acids: Chemical and biological comparison with native porcine follistatin. Endocrinology 129: 815-822 20.Iemura S, Yamamoto TS, Takagi C, Uchiyama H, Natsume T, Shimasaki S, Sugino H, Ueno N (1998)Direct binding of follistatin to a complex of bone-morphogenetic protein and its receptor inhibits ventral and epidermal cell fates in early xenopus embryo. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 95: 9337-9342
113
コラム:BIACORE を鍋釜のように使う 構造の違いが等電点のバラエティを生み出し,
夏目 徹
それがクロマトグラフィーでいろいろな画分に 溶出される原因のようである.それなら,どこ かに活性のある画分があってもバチは当たるま
2.溶けた組換え体の活性は?
いと,とりあえずリガンドを固定化したセン サーチップにすべての画分を打ってみた.
大腸菌で発現させたタンパク質が溶けない話を もう一つ.
驚いたことに(これは本当に驚いた) ,画分 1 と
あるレセプターを大腸菌で発現したがテコでも
画分 2 から立派な結合曲線がでた(図 b) .しか
溶けない.大量に発現するのだが,すべて封入
も,最も量の少ない画分2(ウェスタンブロット
体にいってしまう.ただ単にペレットを尿素で
でモノが含まれているのはわかるが,S D S -
可溶化しても活性がまったくない.アミノ酸配
PAGE 上ではまったくバンドがみえない)のほ
列をみるとシステインが10個もあって,ややこ
うが大きい.これが本当のモノとリガンドとの
しい構造をしているらしい.こんなモノでは大
結合によるものなのかを確かめるために,これ
腸菌で活性をもつものはつくれないのだろう
に対する抗体をさらに打ってみた.すると,しっ
か? それとも,本来あるはずの糖鎖が必要なの
かりとした結合曲線が観察された.すなわち,尿
だろうか? あきらめるのは簡単なのだが,リ
素で可溶化したあとネイティブにフォールドし
フォールドの条件検討をするとなるとたいへん
て活性をもっているものが,ほんのわずかあっ
な実験になる.
たのである.
なんだかくやしいので,尿素で可溶化したのち,
結局,この結果に励まされた筆者らは,3ヶ月ほ
イオン交換カラムにかけてみた.すると,メイ
どで最適なリフォールドの条件を決定し立体構
ンのピークは高い塩濃度で溶出されるが,それ
造解析までしてしまった.本来なら,活性を検
以外にもマイナーなピークがいくつかある(図
定するには細胞培養を使ったバイオアッセイを
a) .ウェスタンブロットをしてみると,すべて
するしかなかった.時間と労力を考えると非実
の画分に反応性がある.どうやら,この組換え
現的な仕事であったが,この BIACORE のセン
体は,尿素で溶けたあとリフォールドする際に,
サーグラムを指標として,最短距離で仕事を仕
かなりヘテロな構造をとったようである.その
上げることができた.めでたしめでたし.
(a)
(b)
1200 1000 Fr. 1 2 3 4 5 6 (RU)
800
0.5
Fr.2
600 400
Fr.1
200
Fr.4,5,6
0 0
0
20
−200 50
Fr.3
150
250
350
時 間(秒)
114
450
550
2
タンパク質 - ペプチド相互作用解析
2.1 神経シナプス結合構成分子
竹内勝一,畑 裕,高井義美
2.1.1 はじめに 脳における神経シナプス結合を電子顕微鏡で観察すると,前シナプスには活 性帯 (active zone),後シナプスにはシナプス後膜肥厚(postsynaptic density, PSD) とよばれる特徴的な構造が認められる[1,2].この活性帯から放出された 神経伝達物質がシナプス後膜肥厚に集積している受容体に結合することによ り,神経細胞間の刺激伝達が行われている.また,脳における高次機能の学 習や記憶につながるシナプスの可塑性にかかわる分子も活性帯とシナプス後 膜肥厚の周辺に蓄積している.したがって,神経細胞間の刺激伝達の分子機 構を理解するためには,活性帯とシナプス後膜肥厚の分子構造の解明,なら びに両者を近接させて局在させる機構の解明が重要であると考えられる. しかし,活性帯とシナプス後膜肥厚は不溶性の成分が多いので,従来の生化 学的な手法は困難である.そのため,酵母ツーハイブリッド法を用いた研究 がよく行われている.しかしながら,酵母ツーハイブリッド法では,各分子 の結合を直接リアルタイムで詳細に解析することは不可能である.したがっ て,酵母ツーハイブリッド法で同定された各分子の相互作用を詳細に解析で きる手法が必要となる.そのためには,各分子の相互作用を直接リアルタイ ムで解析し,アフィニティーを算出できるBIACOREが有効であると考えら れる. そこで,本節では,酵母ツーハイブリッド法で同定された神経シナプス結合 構成分子について,筆者らが行ったBIACOREによる相互作用の解析を紹介 する.最初に,本章でふれる神経シナプス結合分子のニューレキシン (neurexin)とニューロリギン (neuroligin)について概説し,つぎに,実際の BIACOREによる解析例として,1)ニューレキシンとCASK,2)ニューロリ ギンとPSD-95/SAP90 (以下,PSD-95と略す) ,3) PSD-95とSAPAPの各相互作 用について述べていきたい.
115
2.1.2 神経シナプス結合の接着分子: ニューレキシンとニューロリギン ニューレキシンとニューロリギンは神経シナプス結合に発現している接着分 子の一つである (図2・1) .ニューレキシンは,クロゴケグモの神経毒素αラトロトキシンにカルシウム依存的に結合する分子として同定された[3].高 等動物では三つのアイソフォーム (NRX1,NRX2,NRX3) が存在し,それぞ れα型,β型という2種類の転写産物がある[3∼5].α型とβ型のあいだでは, N末端は異なるが,C末端はまったく同一である.いずれも1ヶ所の膜貫通領 域を有し,細胞内領域の配列は両者で同一であるが細胞外領域の配列は一部 異なる.α型の細胞外領域には,EGF様の配列を中央に含む3個のリピート 配列が存在し,細胞接着因子としての特徴をもっている.β型の細胞外領域 については,N末端はα型と異なり独自の配列が存在するが,α型の3番目 のリピート配列の中央あたりからC末端側の配列はβ型にも存在する.α型 とβ型で共通である細胞内領域は約40アミノ酸からなるが,アイソフォーム 間でもよく保存されている. 一方,ニューロリギンはβ型のニューレキシンに結合する分子として見い出 され,これまで三つのアイソフォーム (NL1,NL2,NL3) が報告されている [6,7]
.ニューロリギンにも一つの膜貫通領域がある.細胞内領域は約100アミ
ノ酸からなり,アイソフォーム間で比較的よく保存されている. ニューレキシンは前シナプス,ニューロリギンは後シナプスで発現している と想定されている.したがって,ニューレキシンとニューロリギンは前シナ プスと後シナプスを結び付けることにより,神経シナプス結合の根幹の構造
CHO
に寄与している可能性が考えられている.
ニューレキシン(NRX1, NRX2, NRX3)
α EGF
EGF
EGF
膜貫通 領域
CHO
SP
β 膜貫通 領域 ニューロリギン(NL1, NL2, NL3) SP
116
エステラーゼドメイン
膜貫通 領域
図2・1 ニューレキシンとニューロリギンの 構造.
2
タンパク質 - ペプチド相互作用解析
2.1.3 ニューレキシンと CASK の相互作用の解析 そこで,神経シナプス結合における前シナプスの構造の解明への糸口を得る ために,ニューレキシンの細胞内領域に結合する裏打ち分子の探索が酵母 ツーハイブリッド法により行われた.その結果,ニューレキシンにはCASK が結合することがすでに明らかにされている[8].CASKは,線虫の陰門形成 にかかわる遺伝子lin-2の産物と相同性があり,膜結合型グアニル酸キナーゼ (membrane-associated guanylate kinase, MAGUK) の一つである[9,10].MAGUK には,CASK/lin-2のほかに,神経シナプス結合に存在するPSD-95,ショウ ジョウバエのがん抑制遺伝子産物のDlg-A (Discus-large A) ,密着結合などの 細胞間接着に局在するZO-1,赤血球の細胞膜の裏打ちに存在するp55などが あり,特定細胞膜領域の構造維持に関与している[11∼15]. MAGUKは,グアニル酸キナーゼ領域の他には,PDZ領域とSH3領域を有す る.なかでも,PSD-95,Dlg-A,ZO-1の頭文字から名づけられたPDZ領域は 約100アミノ酸からなり,タンパク質-タンパク質間の特異的な結合にかか わっていると考えられている[16].そして,MAGUK以外にもPDZ領域を有す るタンパク質が多数報告されている[17].神経シナプス結合では,7個のPDZ 領域を有するGRIPがAMPA型グルタミン酸受容体に,一つだけPDZ領域を 有するHormerが代謝型グルタミン酸受容体にそれぞれ結合する [18,19] . MAGUKもPDZ領域を介して膜タンパク質のC末端に直接結合し,その膜タ ンパク質の局在を決定すると考えられている.実際,CASKと相同性のある 線虫のlin-2は,細胞膜直下に発現し,レセプター型チロシンキナーゼである let-23を細胞膜上へ局在させることに関与していることが明らかにされてい る[9].したがって,CASKもPDZ領域を介してニューレキシンの局在を決定 している可能性があると予想された.しかし,CASKのPDZ領域がニューレ キシンのC末端に結合することを示す直接的なデータは得られていなかっ た.そこで,筆者らは,C A S K とニューレキシンの相互作用について BIACORE 2000を用いた解析を行ったので,以下に紹介する. まず,センサーチップCM5にニューレキシンのC末端に相当する16アミノ酸 からなるペプチド (ニューレキシン1-1) をアミノカップリングキットを用い て固定化した.つぎに,CASKのPDZ領域を含むタンパク質をインジェクト したところ,有意な相互作用が認められた (図2・2) .しかし,CASKのPDZ 領域は,NMDA型グルタミン酸受容体サブユニット2A(NMDAR2A)や ニューロリギンのC末端ペプチド (ニューロリギン1-1) とは結合しなかった. また,ニューレキシンのC末端の3アミノ酸YYVを除去したペプチド (ニュー レキシン1-2) にも結合しなかった.したがって,CASKのPDZ領域がニュー レキシンのC末端に直接結合し,その結合にはC末端の3アミノ酸YYVが必要 であることがわかった. 117
800
ニューレキシン1-1 YYV
(RU)
600
400 ニューレキシン1-2
200 ニューロリギン1-1 NMDAR2A
0
0
5
10
15
時 間(分)
図2・2 ニューレキシンとCASKの相互作 用の解析.
さらに,CASKとニューレキシンの結合のアフィニティーをBIAevalution 2.1 を用いて算出した.結合速度定数kaは1.4×104 /M s,解離速度定数kdは5.0× 10−3 /sであった.これらの値から,解離定数KDは3.6×10−7 Mとなり,CASK のPDZ領域とニューレキシンのC末端の結合は,生理的な結合を反映してい る可能性が高いことがわかった.
2.1.4 ニューロリギンと PSD-95 の相互作用の解析 つぎに,後シナプスの構造の解明への糸口を得るために,酵母ツーハイブ リッド法を用いてニューロリギンの裏打ちタンパク質の同定を試みた.その 結果,PSD-95のPDZ領域が得られた[20].前述したように,PSD-95はCASKと 同じくMAGUKの一つである.3個のPDZ領域,SH3領域,グアニル酸キナー ゼ領域をもち,シナプス後膜肥厚の主要構成分子の一つである[11].また, PSD-95のアイソフォームには,SAP97/hdlg,PSD-93/chapsyn-110,SAP102が ある[16].最近では,PSD-95がNMDA型グルタミン酸受容体やシェーカー型 カリウムチャンネルのクラスター形成に重要な働きをしていることが明らか にされている[21,22].その際に,PSD-95のPDZ領域は各受容体のC末端のT/ SxVというコンセンサス配列を介して結合すると考えられている.ニューロ リギンのC末端もこの配列を有するので,同様な機構によりPSD-95に結合す ると予想された.そこで,この点をBIACOREを用いて検討した. まず,センサーチップにニューロリギンとNMDA型グルタミン酸受容体のC 末端の16アミノ酸からなる各ペプチド (ニューロリギン1-1,NMDAR2A) , ニューロリギンのC末端の3アミノ酸TRVを除去したペプチド (ニューロリギ
118
2
タンパク質 - ペプチド相互作用解析
4000 NMDAR2A
(RU)
3000
SDV
ニューロリギン1-1
2000
TRV
1000
0
ニューロリギン1-2 コントロール
0
5
10 時 間(分)
TSV
15
図2・3 ニューロリギンとPSD-95の相互作 用の解析.
ン1-2) ,TxVの配列を含むコントロールペプチドを固定化した.PSD-95の3 個のPDZ領域を含むタンパク質をインジェクトしたところ,ニューロリギン とNMDA型グルタミン酸受容体には結合したが,ほかの二つには結合しな かった(図2・3). さらに,解離定数K Dを算出したところ,ニューロリギンは2.3×10−7 M, NMDA型グルタミン酸受容体は2.1×10−7 Mであった.したがって,PSD-95 のPDZ領域はNMDA型グルタミン酸受容体のC末端と同程度のアフィニ ティーで,ニューロリギンのC末端にも直接結合することが明らかになっ た.また,その結合にはニューロリギンのC末端の3アミノ酸TRVが必要で あることが確認できた. つぎに,3個あるPSD-95のPDZ領域のどの部分で結合するかをBIACOREを用 いて検討した.1番目と2番目のPDZ領域はNMDA型グルタミン酸受容体に結 合したが,ニューロリギンには結合しなかった.一方,3番目のPDZ領域は ニューロリギンに結合したが,NMDA型グルタミン酸受容体には結合しな かった.したがって,ニューロリギンはNMDA型グルタミン酸受容体とは 異なり,3番目のPDZ領域に結合すると考えられた.
2.1.5 PSD-95 と SAPAP の相互作用の解析 PSD-95のPDZ領域にはニューロリギンやNMDA型グルタミン酸受容体が結合 することが明らかになったが,PSD-95のSH3領域とグアニル酸キナーゼ領域 の機能は不明である.ショウジョウバエのMAGUKであるDlg-Aでは,PDZ領 域のみならず,グアニル酸キナーゼ領域の変異でも成虫原基の異常を生じる 119
ことが報告されている[13].したがって,グアニル酸キナーゼ領域でも他のタ ンパク質との相互作用があると考えられる.そこで,シナプス後膜肥厚の新 たな構成分子を同定するために,酵母ツーハイブリッド法を用いてPSD-95の SH3領域とグアニル酸キナーゼ領域に結合する分子の探索を試みた. その結果,グアニル酸キナーゼ領域に結合する4個の新規タンパク質を得た [23]
.これらは互いに約50%の相同性があり,SAPAP1,‐2,‐3,‐4と命名
した.SAPAPは既知のタンパク質とは相同性のない新規のファミリーであ り,シナプス後膜肥厚に局在した.まず,酵母ツーハイブリッド法を用いた 検討により,SAPAPはMAGUKのなかでもPSD-95とそのアイソフォームに のみ結合することがわかった.つぎに,細胞のなかでもSAPAPはPSD-95に 結合できるかをHEK293細胞を用いて検討した.それぞれ単独で発現させた 場合,PSD-95は細胞質に,SAPAPは細胞膜直下に局在した.両者を同時に 発現させると,PSD-95は細胞質から細胞膜直下に移行し,SAPAPと局在を ともにした.したがって,生体内では,PSD-95はSAPAPによりシナプス後 膜肥厚に集められていると考えられた.これらのことから,SAPAPはPSD95に結合すると考えられたが,その相互作用を直接解析し,アフィニティー を算出するためにBIACOREを用いて検討を行った. 最初にGST融合タンパク質キャプチャーキットを用いてGST抗体をセンサー チップに固定化したのちに,SAPAP1,‐2のPSD-95結合部位を含むGST融 合タンパク質を固定化した.そこに,PSD-95のグアニル酸キナーゼ領域の タンパク質をインジェクトしたところ,SAPAP1,‐2とは結合したが,コ ントロールのGSTタンパク質とは結合しなかった (図2・4). さらに,解離定数KDを求めたところ,SAPAP1は2.1×10−7 M, SAPAP2は
(RU)
300
200
SAPAP1 SAPAP2
100
GST
0 0
5
10 時 間(分)
120
15
20 図2・4 PSD-95とSAPAPの相互作用の解析.
2
タンパク質 - ペプチド相互作用解析
2.3×10−7 Mであった.したがって,SAPAPはPSD-95に直接結合することが 確認できた. なお,他のグループから,SAPAP1はGKAP,DAP-1という名前で同時期に 報告されている[24∼26].
2.1.6 おわりに 以上,酵母ツーハイブリッド法とBIACOREによる解析を組合わせることに より,神経シナプス結合構成分子について,以下の三つのことが明らかに なった. 1) ニューレキシンとCASKの結合はCASKのPDZ領域を介していること 2) ニューロリギンに3番目のPDZ領域を介してPSD-95が結合すること 3) PSD-95のグアニル酸キナーゼ領域には新しい分子SAPAPが結合すること これらのことから,神経シナプス結合に発現しているニューレキシンと ニューロリギンは,互いに細胞外領域で結合して細胞接着を支える一方,そ れぞれの細胞内領域で,CASKとPSD-95というそれぞれ異なるMAGUKに裏 打ちされているというモデルが想定される (図2・5) .異なるMAGUKに裏打
前シナプス
後シナプス
シナプス間隙
CASK GK
PSD−95 SAPAP
GK
SH3 SH3
ニューレキシン PDZ ニューロリギン
PDZ NMDA レセプター K+チャンネル
CaM キナーゼ 活性帯
シナプス後膜肥厚
図2・5 神経シナプス結合のモデル図.
121
ちされていることは,神経シナプス結合が他の細胞間の結合とは異なり,非 対称であることを反映していると思われる.また,これらMAGUKがSH3領 域とグアニル酸キナーゼ領域を介して種々の分子を集合させることにより, 神経シナプス結合が形成されている可能性がある.特に,PSD-95のグアニ ル酸キナーゼ領域を介してSAPAPが結合することにより,PSD-95はシナプ ス後膜肥厚に集積されていると考えられる. このように酵母ツーハイブリッド法で同定された各分子の相互作用の解析に BIACOREを用いることは,各分子の相互作用を直接,しかも詳細に解析でき るという点できわめて有効な手法であると考えられる.特に神経シナプス結 合構成分子の研究では,今後もBIACOREが有効な手段になると考えられる.
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122
2
タンパク質 - ペプチド相互作用解析
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123
2.2
MHC 分子と T 細胞レセプターとの相互作用 M. T. Jelonek, K.Natarajan, D.H. Margulies
2.2.1 はじめに T細胞の活性化は,通常,αβT細胞レセプター(TCR)と,抗原提示細胞 (APC) 表面に発現している特定のペプチドと結合する主要組織適合性複合体 (MHC) クラスI分子あるいはMHCクラスII分子の関与により起こる[1].活性 化はまた,T細胞コアレセプター分子,MHCクラスI細胞ではCD8,MHCク ラスII細胞ではCD4,さらに,他のアクセサリー分子によっても制御されて いる[2].それぞれのTCRα,β鎖は,免疫グロビン様の可変部,定常部,膜 貫通部分,および細胞質部分からなる[3].MHCクラスI分子は重鎖 (α) ,軽 鎖 (β2マクログロブリン) からなるヘテロ二量体で,重鎖が形成するグルー ブ (ペプチド収容溝) で小胞内のペプチドと結合する.この細胞表面タンパク 質の重鎖はさらに膜貫通部分,細胞質部分ももっている.一方,非共有的に 結合しているβ2マクログロブリンは,単一の水溶性免疫グロブリン様ドメ インからなる.MHCクラスI分子はAPC内で発現されるペプチド抗原をTCR に提示する.MHCクラスI分子は,通常,8∼10アミノ酸残基からなるペプ チドに結合し,これを提示する[4,5].一方,MHCクラスII分子のα,β鎖は どちらも膜貫通部分と細胞質部分をもつ内因性の膜タンパクである.MHC クラスII分子のペプチド結合グルーブはα鎖,β鎖から形成されている. MHCクラスII分子はエンドサイトーシスにより酸性細胞内小器官に取込まれ た細胞外タンパク質抗原と結合する.一般的には,MHCクラスII分子に結合 するペプチドはMHCクラスI分子に結合するペプチドよりも長い[6]. αβTCRは成熟T細胞の活性化に関与している.すなわち,胸腺で分化途上 のT細胞へのシグナル伝達,さらに,T細胞の成熟化,TCRレパートリー分 化に重要な役割を果たしている.TCRとMHC分子-ペプチド複合体との相互 作用がひき起こす親和性と結合性,および,予想されるコンホメーション変 化は,胸腺でのT細胞活性化,TCRレパートリー分化に重大な影響を及ぼす と考えられる[7]. MHC分子-ペプチド複合体とTCRの相互作用がひき起こす効果を定性的ある いは定量的に解析するために,多くの研究室がT細胞レセプターとMHC分 子-ペプチド複合体の結合を研究する戦略を開発してきた.遺伝子組換えに よるMHC分子およびTCRの可溶化分子が入手できるようになったので,こ れら分子の相互作用のアフィニティー,反応速度論的解析をSPRをはじめと
124
2
タンパク質 - ペプチド相互作用解析
する物理学的手法で試みることが可能となった.
2.2.2 MHC クラス I 分子 - ペプチドの相互作用 これまでMHC分子とペプチドの相互作用の研究には,ペプチド特異的なコ ンホメーション変化を認識する抗体,放射性同位体で標識したペプチド,ゲ ルろ過による結合・非結合ペプチドの分離というアプローチがとられてき た.しかし,この方法は放射性同位体を使用しなければならないこと,標識 したペプチドはしばしば結合活性を失うなど,問題が多かった.近年,生物 学的活性を保持した可溶性分子が入手できるようになったので,SPRを用い て放射性同位体標識分子を用いずに分子間相互作用の定量的なリアルタイム 測定が可能となった. ペプチドと結合したMHCクラスI分子を検出する方法としては,MHCクラス I分子上のペプチド依存性のエピトープを認識するモノクローナル抗体を用 いる方法がある.MHCクラスI分子に対して作製されたモノクローナル抗体 のなかには,その反応性がペプチドとの結合に依存しているものがいくつか あり,このような抗体を用いることによりペプチドとの結合を間接的に測定 することができる.そして,これらコンホメーション依存的なモノクローナ ル抗体は,そのままSPRを用いた測定に応用できることがわかった.こうし て,MHCクラスI分子H-2Ld,H-2Dd,HLA-A2,-A3,-B7,-B8とさまざま なペプチドとの結合を,コンホメーション依存型モノクローナル抗体を用い て,定性的・定量的に識別する方法論がいくつかの研究室で確立された. このアッセイでは,バイオセンサー表面にモノクローナル抗体を高密度に固 定化し,そこに比較的低濃度のアナライトを流し,センサーグラムが直線的 に上昇する条件で測定する.この手法では,どのペプチドがMHCクラスI分 子と結合することができるかということだけでなく,どのアミノ酸が結合に 関与しているかを知ることができる.しかし,このようなモノクローナル抗 体を用いる際には,モノクローナル抗体が特定のペプチドに特異性を示すこ ともあるので,モノクローナル抗体の性状を十分に解析しておく必要があ る.さらには,可溶性MHCクラスI分子を用いる場合,すべてのペプチド結 合サイトが 「空いている」 状態ではない可能性も考慮しなければならない.こ の不均一性を少なくするために,ある研究室ではMHCクラスI分子を昆虫細 胞で発現している.この系を用いると 「空の」 MHCクラスI分子を高頻度に得 ることができる[8].もう一つの方法としては,細胞株の培養上精から精製し た組換え体の可溶性MHCクラスI分子を,ペプチドを解離させるためにいっ たん高pH (11.0∼12.0) 状態にし,その後,急速に中和してスピンカラムでゲ ルろ過するという方法もある.このようにして得られた 「空の」MHCクラス I分子を用いることにより,ペプチドがない状態でのベースラインを得るこ 125
とでき,MHCクラスI分子-ペプチド複合体に対するモノクローナル抗体のペ プチド用量依存的な結合を測定することができる. 筆者らはさらにMHCクラスI分子-ペプチド複合体を直接測定する方法を開発 した.この際にもSPRを応用した手法が最も有用であった.合成ペプチドを N末端のアミノ基を用いてセンサーチップに固定しようとしたが,この場合 はリガンドは可溶性MHCクラスI分子には結合しなかった.MHCクラスI分 子との結合には遊離のN末端のアミノ酸が必須であると考えられる[9].つぎ に,アミノ酸の一つをシステインに置換した合成ペプチドを用い,化学クロ スリンカーを用いてシステインの側鎖のチオール基を介しセンサーチップの デキストラン層にカップリングする方法を開発した.このようなシステイン によるアミノ酸1残基の置換により,ペプチド内のどの位置がMHCクラスI 分子-ペプチドの重要な結合部位であるかを確認することができた[10,11]. MHCクラスI分子に対するペプチドの結合を測定するもう一つのアプローチ は,競合アッセイである.この方法は,それぞれのMHCクラスI分子に対す るペプチドの結合性のヒエラルキーを確立するのに有用である.また,アラ ニン置換したペプチドを用いるとMHCクラスI分子-ペプチド結合のマッピン グが行える (図2・6) .この競合アッセイでは,システイン置換ペプチドをセ ンサーチップに固定化し,競合ペプチドの濃度を変えて可溶性MHCクラス I分子の結合の変化を解析する. SPRバイオセンサーを用いた反応速度論解析では,MHCクラスI分子-ペプチ [9∼11] ド複合体は幅広い速度定数を示した (kd = 10−2∼10−7 /M s) .他の研究室
で行われた異なる方法による測定でも,同様の値が得られている[12].理想的 には,このあとリガンドとアナライトの関係を入れ替えてMHCクラスI分子ペプチド結合を確認しなければならない.すなわち,今度はMHCクラスI分 子をセンサーチップに固定し,ペプチドを溶液としてセンサーチップ上にイ ンジェクトするという実験である.しかしながら,MHCクラスI分子はセン サーチップ表面に化学的に固定化すると生物学的活性を失ってしまうため, この実験を行うことはできなかった.しかし最近,Alamらは,酸性pH下で MHCクラスIの活性を保持したままアミンカップリング法で固定化すること に成功している[13]. 筆者らは,特定のアミノ酸を介してペプチドをバイオセンサー表面に固定化 し,MHCクラスI分子との結合を直接測定する方法を確立した.この方法に よりペプチドのどの側鎖がMHCクラスI分子との結合に関与しているかとい う定性的な評価だけでなく,MHCクラスI分子と遊離ペプチドとのキネティ クスを反映する結合速度定数・解離速度定数を定量的に求めることもできる ようになった.今後,さらにSPRバイオセンサーの感度と温度安定性が改善 されれば,より詳細な反応速度論解析が可能となるであろう. 126
2
タンパク質 - ペプチド相互作用解析
p2Ca
1000
A6 Y6
800 (RU)
L6
600 400 200 0 10−2
10−1
100
101
102
ペプチド濃度(μM)
図2・6 競合アッセイ.H-2Ld分子 (0.17μM) と固定化したpMCMVC7(YPHFMPCNL)ペプ チドとの結合に対する可溶性ペプチドの阻害 効果.チオールカップリング法によりペプチ ドを固定化した (固定化量160 RU) .この実験 に用いたペプチドは,p2Ca (LSPFPFDL),A6 (L S P F P A D L ),Y 6(L S P F P Y D L ),L 6 (LSPFPLDL) .
2.2.3 MHC クラス I 分子 - ペプチド複合体と TCR との相互作用 T細胞の活性化とレパートリー分化のメカニズムを探るうえで,TCRとMHC クラスI分子-ペプチド複合体間の相互作用を調べる方法論を確立することは 大きな関心事であった.現在まで,組換え体の可溶性TCRを用いたさまざま な解析方法が開発されてきた[14].いくつかのグループはSPRバイオセンサー を応用し,可溶性TCRのコンホメーション変化に依存するエピトープを解 析,確認した.さらにこのモノクローナル抗体を用いてSPRバイオセンサー で反応速度の阻害も観察した. T細胞の活性化と選択は,TCRとMHCクラスI分子-ペプチド複合体との結合 速度定数と解離速度定数に依存しているということが提唱されてきた.した がって,このような内因性のアフィニティーを測定することは非常に重要で ある.これまでに行われてきた方法は細胞を用いたアッセイ方法であり, TCRとMHCクラスI分子-ペプチド複合体の結合を直接測定するものではな かった[12,15,16].可溶性分子を使い,アフィニティーの低い相互作用も測定 できるという点でSPRは有効な技術である[14,16].SPRによる初めての実験 で,p2Caペプチド (LSPFPFDL) と結合したMHCクラスI分子-ペプチド複合体 H-2LdがTCRから解離する際のキネティクスを測定したところ,非常に速い 解離(t1/2 = 27 sec)を示した[17].結合速度定数(ka =2.1×105 /M s)は二相性を 示し,解離定数はKD = 1.2×10−7 Mであった.この値は,他の方法で得ら れた値よりやや速い値であった[12].この差は,TCRの結合には化学的クロス リンクが必要であること,あるいは,細胞表面の他の補助因子が関与してい ることに起因していると考えられる. 127
これまでに得られたTCRと種々のH-2Ld-ペプチド複合体との結合のアフィニ ティーを解析してみると,T細胞の活性化と生物学的活性には必ずしも相関が ないことが明らかとなった[11].これは,組換え体TCRとH-2Dd-ペプチド複合体 との結合の場合,アミノ酸を置換した合成ペプチドを含む複合体との場合な ど,他のTCR-MHCクラスI分子-ペプチド複合体については,生物学的T細胞 認識に緊密な相関がある (図2・7) こととは相反する結果となっている[18]. SPRでキネティクスの測定をする際に注意しなければならないことがある. センサー表面に固定化するリガンドの濃度は,再生の際に遊離してくるアナ ライトが再結合しないようになるべく低くしなければならない.これは特 に,解離速度が速い反応の場合,重要である.解離速度定数あるいは結合速 度定数を計算する際には,可溶性分子試料中の生物学的活性を正確に知って いなければならない.多くの人はキネティクスの解析をする際に使用した試 料は100%生物学的活性をもっていると仮定している.しかし,実際には活 性が低いことが多く,この差は結合解離定数と平衡定数の値を求めるときに 大きな影響を及ぼす.場合によっては,センサー表面に固定する分子の生物 学的活性を保持するために固定化方法を変えることも必要である[18]. SPRはTCRとMHCクラスI分子-ペプチド複合体との結合を検出し,この相互 作用の理解を深めるのに有用な技術であることが示された.しかしながら, この相互作用は非常に複雑で今後さらなる研究が必要である.
2.2.4 MHC クラス II 分子 - ペプチド複合体と TCR との相互作用 MHCクラスII分子とTCRは膜結合タンパク質であるので,SPRでの解析に適
20μM 300 10μM (RU)
200 5μM 100 2μM 0
0
100
200
300
時 間(秒) 128
400
図2・7 可溶性MHC分子-ペプチド複合体と 固定化したTCRとの結合.TCRはε-アミノ 基を介してデキストランに固定化した.p18I10ペプチド (RGPGRAFVTI) 大過剰条件下で のH-2Dd複合体の濃度を示す.矢印は,イン ジェクションの開始(90秒)と終わり(342秒) を示す.
2
タンパク質 - ペプチド相互作用解析
した可溶性分子を得るためには遺伝子組換え技術を用いて膜貫通部分と細胞 質部分を除いた分子を調製しなければならない.SPRバイオセンサーでの実 験用にMHCクラスII分子-ペプチド複合体を得る方法として,これまで三つ の試みが発表されている. Matsuiらは,糖脂質に埋込まれたタイプのI-EkをCHO細胞で発現した[15].こ の分子は,ホスファチジルイノシトール特異的ホスホリパーゼCで消化する と細胞膜から遊離するが,それを免疫アフィニティークロマトグラフィーで 培養上精から精製する.このようにして得られた可溶性分子は,つぎに,モ ル比で20∼50倍過剰量の抗原性ペプチドと混ぜ,pH 5でインキュベートす る.2番目の方法は,膜貫通部分の直前でトランケートしたDR1αとβ鎖を コードしたプラスミドを用いて,バキュロウイルスを感染させた昆虫細胞で ヒトDR1分子を発現させる方法である[19].培養液中に分泌されたタンパク質 は免疫アフィニティークロマトグラフィーで精製した.昆虫細胞で発現した 可溶性DR1はペプチド結合部位は 「空」 の状態であり,目的のペプチドを結合 させることができる.3番目の方法は,抗原性ペプチドをMHCクラスII分子 のβ鎖のN末端にフレキシブルペプチドリンカーを介して遺伝子レベルで結 合させるものである[20,21]. TCRとMHCクラスII分子-ペプチド複合体の相互作用の測定は,Matsuiらに よって初めて行われた[14].彼らは,ガのシトクロムc由来のペプチドを結合 させた可溶性マウスI-Ekが,放射性同位体で標識した抗TCR Fab′フラグメ ントとガのシトクロムc特異的2B4T細胞ハイブリドーマとの結合を競合的に 阻害することを示した.この方法は間接的な方法であるにもかかわらず, TCRとMHCクラスII分子-ペプチド複合体との相互作用がアフィニティーの 低い反応である(KD =4∼6×10-5 M)ことを示した. SPR技術は低アフィニティー相互作用の測定に無細胞・高感度の手法を提供 した.筆者らは,さらにこの手法を発展させて,2B4 TCRがひき起こす反応 のキネティクスパラメータを求めた[15].2B4T細胞ハイブリドーマ由来の可 溶性TCRを標準的なアミンカップリング法によりセンサーチップに固定化 し,さまざまなガのシトクロムc由来のペプチドを結合させた可溶性I-Ekとの 結合のアフィニティーとキネティクスを測定した.その値は,2B4ハイブリ ドーマ活性能により大きく異なっていた.筆者らの結論は,弱く刺激するペ プチドは速い解離速度を示すというもので,これはSykulevら[12]がMHCクラ スI分子で得た結論とは異なっている.この相反する結論は,MHCクラスI分 子とMHCクラスII分子の違いによるもの,あるいは,たまたま選んだTCRと MHC分子の組合わせによるものかもしれない. SPR技術は,MHCクラスII分子で制御されるT細胞応答のアンタゴニズムの 研究にも用いられている.抗原性ペプチドの変異体は天然型ペプチドの応答 129
を阻害したり(アンタゴニスト),T細胞を部分的に活性化する(部分的アゴ ニスト).アゴニスト,部分的アゴニスト,およびアンタゴニストの違い は,TCRに起こる定性的な変化 (コンホメーション変化) あるいはTCRへの結 合の定量的な変化(キネティクス)に起因すると考えられる. I-Ek複合体と2B4 TCRとの結合において,アンタゴニストとアゴニストペプ チドのキネティクスの差をSPRを用いて測定した.Lyonsら[22]は,2B4 TCR を固定化する際に,方向性をそろえるためTCRβ鎖定常部中のチオール基を 用いてチオールカップリング法で固定化した.アミンカップリング法と比較 して,チオールカップリング法で固定すると効率よく活性をもったTCR表面 を形成することができた.筆者らは,I-Ek複合体とアンタゴニストペプチド の結合を検出するためにはチオールカップリング法が必須であったことを述 べ,3種類のアンタゴニストペプチドとI-Ekとの複合体のアフィニティーは, 天然のガのシトクロムc由来のペプチドとI-Ekと複合体のアフィニティーに比 べて,10∼50倍低いことを示した.また,この低アフィニティーは,アンタ ゴニストペプチドのI-Ek複合体からの解離速度の増加の結果であることを示 した.このような所見から,MHC分子-ペプチド複合体とTCRの安定した結 合がT細胞活性化に重要であることが示された.
2.2.6 おわりに SPRは,TCRとMHC分子-ペプチド複合体との相互作用の分子レベルでの理 解に大きく貢献する技術である.実際,免疫学的問題へのSPRの最初の応用 は,可溶性TCRと可溶性MHC分子-ペプチド複合体との結合のアフィニ ティーとキネティクスの測定であった[17].このような実験は,T細胞特異性 を定量的に生物物理学的に説明する貴重な情報をもたらした. 将来のSPRを利用した研究は,TCRとMHC分子-ペプチド複合体の相互作用 についてこれまでに得られた知識を基に,この複合体の安定性に寄与する他 の分子についての知見を得ることである.SPR技術は,注意深く標準化し, コントロールをきちんととり,アーテファクトの可能性を認識して用いれば, 免疫システムの謎解きの戦いにより強力な武器を提供することとなるだろう.
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130
2
タンパク質 - ペプチド相互作用解析
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132
3
3.1
DNA- タンパク質相互作用解析
転写因子
澤田潤一,鈴木文彦
3.1.1 はじめに 近年の研究より,転写反応の制御には転写因子とよばれるタンパク質性因子 が重要な役割を担っていることが明らかとなってきた.これらは,DNA上 のプロモーター領域に対して塩基配列特異的に結合することや,DNAに結 合した転写因子が互いに特異的に相互作用することを通じて転写の調節を行 う.また,DNA結合能をもたない転写因子の存在も明らかにされてきてお り,これらはタンパク質-タンパク質間相互作用を介してプロモーター領域 上に位置することで機能している.このように,転写反応の制御機構には数 多くの生体分子間相互作用が存在する. 転写因子とDNAの相互作用における解析には,従来,その簡便さのためゲル シフト法が多用されてきた.DNAとタンパク質を反応させたのちに非変性ポ リアクリルアミドゲルを用いて電気泳動を行うと,タンパク質と結合した DNAの移動度は結合していないDNAのものより小さくなる.このことを利用 したゲルシフト法は,放射性同位体で標識したDNAを用いてDNA-タンパク 質複合体を検出し,定性的または半定量的な解析方法として用いられてき た.BIACOREシステムを用いた解析では,リガンドとアナライトのどちらに も放射性同位体標識する必要がなく,リアルタイムでDNA-タンパク質相互 作用の検出が可能である.この方法では,センサー表面に固定したリガンド DNAとアナライトタンパク質の相互作用が表面プラズモン共鳴 (SPR) 現象に より測定され,速度定数および平衡定数を与える実験データが得られる. 筆者らは,当研究室で精製・単離された遺伝子特異的転写因子hGABP[1,2]と DNAの相互作用の解析にBIACOREシステムを応用した.この転写因子はサ ブユニット構造をとっており,塩基配列特異的にDNAと結合するαサブユ ニットと,DNAには結合しないが,αサブユニットに結合し転写調節能を賦 与するβサブユニットとγサブユニットから構成される.ここでは,文献[3]で 報告した,1) αサブユニットとDNAの相互作用,2) αサブユニットとDNAの 相互作用にγサブユニットがおよぼす影響,について行った実験・解析を記 載する.
133
3.1.2 片末端ビオチン標識 DNA プローブの準備と センサーチップへの固定化 DNAをセンサーチップ上に固定するために,図3・1に示したDNAの片末端 をビオチン標識した.Klenow酵素でBIOTIN-21-dUTP (Clontech) をDNA一本 鎖領域に埋めることでビオチン標識を行った.BIACOREのセンサーチップ SA上にあらかじめ固定化されているストレプトアビジンはビオチンと結合 することができるので,DNAはこの結合を介してセンサーチップ表面に固 定される (図3・2) .このストレプトアビジン-ビオチンの結合は強く安定で あるので,BIACOREにおける通常の条件では得られるセンサーグラムに影 響しない.また,TE溶液に浸しておくことで,DNA固定化センサーチップ を4℃で長期間保存(3ヶ月程度)することができる. DNAを固定する際,固定化の標的であるカルボキシメチルデキストランが もつ負電荷のため,DNAはその標的に接近しにくくなる.この静電的干渉 は塩濃度を高くしたバッファー (300 mM NaCl) を用いることである程度抑え
5´− AAATTTTCTTAAAATGGAGAGTTACGTAACGTGGGGAAAACGGAAGTGACGATT− 3´ DNA 1
3´− AAAAGAATTTTACCTCTCAATGCATTGCACCCGTTTTGCCTTCACTGCTAA− 5´
5´− AAATTTTCTTAAAATGGAGAGTTACGTAACGTGGGGAAAACGagAGTGACGATT− 3´ DNA 2
3´− AAAAGAATTTTACCTCTCAATGCATTGCACCCGTTTTGCtcTCACTGCTAA− 5´
図3・1 固定化に使用したDNA断片.色はhGABPの認識配列を示す.
DNA溶液
DNA溶液
18000 COO− アビジン
DNA溶液 ビオチン
COO−
DNA アビジン
(RU)
CONH(CH2)2OH
CONH(CH2)2OH
17500 17000 固定化量
16500 0
500
1000
1500
時 間(秒)
図3・2 DNAの固定化.アビジン固定化センサーチップSA5に一方の末端をビオチン標 識したDNAの溶液を展開して固定化した.2回に分けて展開し,固定化量を調節した. 塩濃度が高いために,サンプルを展開すると高いレスポンス(バルク効果)がみられる.
134
3
DNA- タンパク質相互作用解析
られる.このことは,転写因子とDNAの相互作用を動力学的に解析する場 合,タンパク質を固定したセンサー表面上にDNAを展開しない理由でもあ る.実験の正確さを期すため,DNA固定量の異なる二つのセンサーチップ 表面を用意した(150 RU,300 RU).
3.1.3 転写因子 hGABP αと DNA との相互作用 DNAと転写因子の相互作用を検出するゲルシフト法では,溶液中でのタンパ ク質とDNAの結合・解離状態を非変性ポリアクリルアミドゲルに電気泳動し たのちに検出するため,必ずしも反応溶液中の結合・解離状態を観察できる とはかぎらない.BIACOREシステムを用いた解析では,SPR法によりリアル タイムの測定が可能となるため,ゲルシフト法に付随する問題を避けること ができ,DNA-タンパク質間の相互作用を定量的に解析することができる. 塩基配列特異的DNA結合能をもつhGABPαと,その結合配列を含むDNAと の結合・解離反応の動力学的特性をBIACOREシステムを用いて調べた.さま ざまな濃度でhGABPαを展開したときに得られるセンサーグラムを図3・3に 示した.この転写因子が非特異的にセンサー表面に結合するか否かを確かめ るために,DNAを固定していないセンサー表面上にもhGABPαを展開した が,顕著な相互作用は検出されなかった.また,ここでは示していないが, hGABP結合配列に変異を導入したDNA2 (図3・1) が固定されたセンサー表面 を用いた場合においても,特異的な相互作用は観察されなかった.hGABPαDNA複合体は高塩濃度で解離するので,各測定ののち,結合したhGABPαを 強制的に解離させるために2 M KCl溶液を用いてセンサーの再生処理を行っ た.これにより,測定前のベースラインの値を再び確保することができる. 測定に用いたhGABPα組換えタンパク質を調製する際,バッファーにグリ セロールを含まないように行った.これは,グリセロール濃度の変化から生 じるバルク効果によりセンサーグラムに影響が出ることを避けるためであ る.hGABPα組換えタンパク質は,大腸菌で発現させ,DNA結合能を指標 にしてDNA固定化ラテックス粒子により精製したものを用いた[4].この方法 の利点は,大腸菌溶解液中の組換えタンパク質のなかでもDNA結合活性を 保持しているものだけを選択的に精製することができることである.精製し た組換えタンパク質は,1 mM DTTを含むランニングバッファー (30 mM TrisHCl-1 mM EDTA-30 mM KCl-0.005% Tween20)で透析を行った. 得られたセンサーグラムは複雑な相互作用の特徴をもち合わせておらず,一 次指数関数の結合・解離モデルに従う解析に適合した (図3・3) .そのデータ の解析から,約3.0×106 /M sの結合速度定数と,約4.4×10−3 /sの解離速度定 数が得られた (表3・1) .また,これら速度定数から得られる解離定数1.5 nM
135
300
(a)
(b)
40nM 20nM 10nM 5nM
0.12 k s(s−1)
(RU)
200 100
非固定化表面
0.08 0.04
0 0
200
500
800
1100
0
時 間(秒)
10
20
30
40
50
hGABPα濃度(nM)
図3・3 DNAとhGABPαの相互作用の解析.(a)300 RU のDNAを固定化したセンサーを 用いた測定の結果.各濃度のhGABPα溶液120μlを展開した.流速は15μl/minで行った. (b)BIAevaluationを用いた解析の結果.実測値よりk(= k a ・C+k d)を得て,展開した s hGABPαの濃度に対しプロットした.傾きがka,切片はkdを表す.プロットが一直線上 に並ぶことから,解析に無理がないことがわかる.
リガンド DNA1
アナライト hGABPα
ka × 106 (M-1s-1) 3.0 ± 0.09
kd × 10-3 (s-1) 4.4 ± 0.6
KD × 109 (M) 3.3 ± 0.01 (1.5 ± 0.3)
()のK D値は速度定数k a,k dより算出した.
表3・1 BIACOREを用いた解析で 得られたDNAとhGABPαの相互作 用の速度定数.
は,平衡状態における相互作用のデータをスキャッチャードプロットするこ とにより得られた解離定数3.3 nMとよく一致している (表3・1).
3.1.4 DNA-hGABP α相互作用に hGABP γが 及ぼす影響 最近,自らはDNAに結合しないが,DNA結合性因子に結合するコファク ターの存在が明らかにされてきた.これらはDNA上で複合体を形成し,転 写反応を調節するものと考えられている.しかしながら,複数のタンパク質 からなる複合体をゲルシフト法で観察することは容易でないことが多い.こ のような場合,コファクターを加えても,新たな複合体に対応するバンドは 出現せずに,DNA結合性因子とDNAからなる複合体の量が多くなるように 観察されることがある.従来のゲルシフト法と比較してSPR法のリアルタイ ム測定の優れている点は,タンパク質-タンパク質間相互作用の効果を容易 に検出できることである.DNA上に存在するコファクターを含めた転写調
136
3
(a)
340
7.6nM 3.8nM
(RU)
280
61.2nM 30.6nM 15.3nM
220 160 100
(b)
100 比結合量(%)
400
DNA- タンパク質相互作用解析
61.2nM 30.6nM 15.3nM 7.6nM 3.8nM 0nM
80 60 40 20
40 0
0 0
200
400
600
800 1000 1200 1400 1600
0
時 間(秒)
200
400
600
時 間(秒)
図3・4 hGABPγのhGABPαとDNAの相互作用に及ぼす影響. (a) 300 RUのDNAを固定 化したセンサーを使用した.各濃度のhGABPγと20 nMのhGABPαを複合体形成させた のちに展開した. (b) 各センサーグラムの解離反応開始時点におけるRU値を100に換算し て表し,それぞれを重ね合わせた.hGABPγ濃度依存的にhGABPのDNAからの解離が 抑えられているのが確認できる.
節因子の複合体を観察するのに,BIACOREシステムを応用することは有効 であると考えられる. hGABPγは,DNA結合能を有しないがhGABPαに結合することができる転 写調節因子である.この因子がhGABPα-DNA間の相互作用に影響を及ぼす 可能性を解析することにBIACOREシステムを用いた.一定濃度,20mMの hGABPαに対しさまざまな濃度のhGABPγをあらかじめ加え複合体を形成さ せたのちに,DNA固定センサーチップ上に展開した.このとき得られたセン サーグラムを図3・4(a) に示した.hGABPγだけを展開した場合,DNAと特 異的な結合が検出されなかったことから,この重ね書きしたセンサーグラム は,DNA上にhGABPα-hGABPγ複合体が存在していることを示している. このような2種類の因子を用いた解析では,DNAとの相互作用の状況は複雑 になるので,hGABPα-hGABPγ複合体とDNAの相互作用を動力学的に解析 することは困難である.しかしながら,相対的な結果を得ることはできる. 解離反応に対応する各センサーグラムを標準化したのち重ね合わせたとこ ろ,DNAからの解離速度がhGABPγの濃度依存的に抑えられていることが 示された (図3・4 b) .61.2 nM hGABPγを含んでいる場合のセンサーグラム の解析から,hGABPα-hGABPγ複合体のDNAからの解離速度定数は約1.6 ×10−3 /sであり,hGABPα単独のときと比べて,速度定数上で約2.8倍遅い 解離であることがわかった.このことは,hGABPα-hGABPγ複合体がより 安定にDNA上に存在できることを意味する.
137
3.1.5 おわりに 転写調節因子は,塩基配列特異的にDNAと結合する因子の同定・解析から 始まり,現在では,DNA結合能をもたない因子も含んだ大きな複合体とし て機能することが明らかになってきた.従来からDNA-タンパク質間相互作 用の解析に用いられているゲルシフト法には,非変性ポリアクリルアミドゲ ル電気泳動を伴うため実験限界がある.たとえば,DNA上における巨大転 写因子複合体を確認するなどである.BIACOREシステムは,放射性同位体 標識を必要とせずに生体分子間の相互作用を検出できる有効な解析装置であ り,転写因子の解析にも応用可能である.DNAとDNA結合性因子の相互作用 における動力学的な解析だけでなく,コファクターを含めたDNA上の複合体 形成の解析にも利用することができる.将来的には,BIACOREシステムのも つ自動処理能力とあわせて,DNA結合性因子のDNA結合能を阻害あるいは補 強する因子や薬剤のスクリーニングなどに威力を発揮すると期待できる.
参考文献 1. Watanabe H, Wada T, Handa H (1990) Transcription factor E4TF1 contains two subunits with different function. EMBO J. 9: 841-847 2. Watanabe H, Sawada J-i, Yano K, Yamaguchi K, Goto M, Handa H (1993) cDNA Cloning of Transcription Factor E4TF1 Subunits with Ets and Notch Motifs. Mol. Cell. Biol. 13: 1385-1391 3. Suzuki F, Goto M, Sawa C, Ito S, Watanabe, H, Sawada J-i, Handa H (1998)Functional Interactions of Transcription Factor hGABP Subunits. J. Biol. Chem. in press 4. Inomota Y, Kawaguti H, Hiramoto M, Wada T, Handa H(1992)Direct purification of multiple ATF/E4TF3 polypeptides from HeLa cell crud nuclear extracts using DNA effinity latex particles. Anal. Biochem. 206: 109-114
3.2
紫外線損傷 DNA 認識抗体
森岡弘志,小林博幸,大塚栄子
3.2.1 はじめに 遺伝情報を担うDNAは,自然界から受ける放射線や紫外線,さまざまな化 学物質,活性酸素などによってたえず障害を受けている.DNAにこのよう な損傷が生じると誤った遺伝子情報が伝達され,突然変異による細胞死や発
138
3
DNA- タンパク質相互作用解析
がんが誘発される.すべての生物は,これらのDNA損傷を除去修復し,遺 伝情報を安定に維持するための精密な機構を備えている.生命の維持に必須 であるDNA修復の分子メカニズムを解明するためには,生体内で生成したこ れらの損傷を正確に同定し,高感度に検出,定量化することが必要とされる. 金沢大学の二階堂らによって樹立された種々の紫外線誘発DNA損傷 (隣接ピ リミジン塩基間に生じるシクロブタン型チミン二量体, (6-4) 光産物および そのDewar型異性体,図3・5) に対するモノクローナル抗体(MAb) は上記の 目的のために広く利用されている[1].しかしながら,これらMAbはエピトー プの分子構造に関する情報が十分とはいえず,また,研究者が求めるより微 妙な損傷部位の構造の違いを識別するものではない.そこで筆者らは,これ らのMAbの抗原認識機構を生化学的および構造生物学的手法を用いて解析 し,抗原親和性を向上させた分子や抗原特異性が変化した分子,さらには触 媒活性をもつ分子などの新しい機能を有する抗体を作製することを目的とし た研究を行っている[2∼6]. 近年,免疫グロブリン遺伝子の解明と遺伝子工学技術の飛躍的な進歩によ り,遺伝子組換え技術を利用してMAbをより優れた機能性分子に改変する
O
O CH3
HN N
O
O
O
O
O
NH
N
O
H
O
O
O
O
N
H
O
240nm
O P O
O
CH3 3HC HN
280nm
N
O
O
O
CH3
HN
O P O
O
O−
O−
TpT
cis−syn 型チミン二量体
254nm
O
O
CH3
HN N
O O O
CH3
OH
N
313nm
O N
H CH3
O
O P
240nm O
O
HN
O
O O
O−
N
O
OH N
O N
H CH3OH
O
P
O O
O
O−
(6−4)光産物
Dewar 型異性体
図3・5 DNA中のTpT部位に生じる紫外線損傷.
139
重鎖 VH CH1 VL VH CL
軽鎖 CH2
VH
CH1
CH3 MAb
VL VL
CL Fab
scFv
図3・6 抗体の構造.
ことが可能となり,多種多様な構造をもつ抗体分子の作製が行われている. たとえば,臨床応用を目的としたマウス-ヒトキメラMAbやヒト型化MAb, さらには,分子量約150,000のMAbをその抗原特異性および親和性を保持し たまま小型化した抗体分子 (Fabフラグメントや重鎖 (VH) および軽鎖 (VL) の 可変領域部をペプチドリンカーで連結した一本鎖抗体 (scFv抗体) ,図3・6) などが報告されている[7,8].特にscFv抗体は,大腸菌などの微生物を用いた 大量調製や部位特異的変異の導入が可能であることから,タンパク質工学や 構造生物学の分野から抗体の構造-機能相関を明らかにするのにきわめて有 効であると思われる.また,これまでMAbが使われていた物質の分析,精 製,各種診断や臨床応用などの分野への応用も期待されている. 筆者らは,紫外線損傷DNA認識抗体の構造-機能相関を解析するため,紫外 線損傷塩基を含む化学合成オリゴヌクレオチドをリガンドとし,特異的scFv 抗体およびその変異型scFv抗体をアナライトとしてそれら分子間相互作用を BIACOREを用いて反応速度論的に解析している.本節では,BIACOREを用 いたDNA-タンパク質相互作用の解析例として,解析に必要なリガンドおよ びアナライトの調製法および実際の解析結果について紹介したい.
3.2.2 紫外線損傷塩基を含むオリゴヌクレオチドの合成 シクロブタン型チミン二量体や (6-4) 光産物などのDNA損傷と,それらを特 異的に認識する抗体分子との分子間相互作用をBIACOREを用いて解析する ためには,分子内にただ1ヶ所のみ損傷部位を含むDNAがリガンドとして要 求される.筆者らは,これらの損傷塩基を中央部に含む鎖長2∼8の長さが異 なるオリゴヌクレオチドを化学合成し解析に用いた.図3・7にリガンドとし 140
3
DNA- タンパク質相互作用解析
て用いた (6-4) 光産物を含むオリゴヌクレオチド (d2mer(6-4) -bio,d4mer (64)-bio,d6mer(6-4)-bio,d8mer (6-4)-bio) の構造を示す.これらオリゴヌク レオチドの3′末端にはリンカーを介してビオチン残基を結合させ,ストレ プトアビジンがあらかじめ表面に固定化されている市販のセンサーチップ SAに容易に結合できるようにした.目的の紫外線損傷塩基を含むオリゴヌ クレオチドは,DNAシンセサイザーにより合成したチミジンが隣接する配 列を含むオリゴヌクレオチドに波長254 nmの紫外線を照射して損傷部位を生 成させたのち,逆相およびイオン交換HPLCを用いて高純度に精製,同定し た[3]. また,ビオチンとストレプトアビジンの結合を利用してリガンドを固定化す る場合には,センサーチップ表面のストレプトアビジンがリガンドとアナラ イトの結合に立体的阻害を引き起こさないよう注意をはらう必要がある.筆 者らの実験では,d2mer(6-4)-bio (エピトープ部位のみ)の場合,リンカー部 分の短いBiotin2では抗体分子との結合がまったく観察されなかったのに対し て,リンカーの長いBiotin1を用いると結合がみられた.おそらく,ストレプ トアビジンが抗体分子のリガンドへの接近の妨げになったものと予想され, リガンドを固定化するリンカー構造の重要性が示された.
d2mer(6−4)−bio:5´d(xy)3´−Biotin1 d4mer(6−4)−bio:5´d(AxyA)3´−Biotin2 d6mer(6−4)−bio:5´d(AAxyAA)3´−Biotin2 d8mer(6−4)−bio:5´d(CAAxyAAG)3´−Biotin2 xy:(6−4)光産物
O Biotin1
HN
O O
−O P O
O
O
H N
O
HO
−
O
NH
S O
O Biotin2
HN
O
−O P O −
O
HO
H N
NH
S
O
図3・7 リガンドとして用いた (6-4) 光産物を含むオリゴヌクレオチド.
141
3.2.3 scFv 抗体の調製 抗体が抗原を識別するために必要な最小単位は,VHおよびVLで構成されるFv フラグメントであるが,このFvフラグメントはVHとVLとが非共有結合で会合 しているため,特に低濃度で不安定であり解離しやすい.そこで,VHおよび VLをポリペプチドリンカー (たとえば (Gly-Gly-Gly-Gly-Ser) というアミノ酸 3 配列をもつもの) でつないだscFv抗体として構築することで問題の解決が図ら れた. 大腸菌のタンパク質発現系を用いたscFv抗体の調製法に関する研究は広く行 われている[7,8].これまでに報告された大部分のscFv抗体は,大腸菌の細胞 質やペリプラズムで形成された封入体を,尿素や塩酸グアニジンなどのタン パク質変性剤とジチオトレイトールなどの還元剤を用いて可溶化させたの ち,変性剤や還元剤を透析などによって徐々に除くことによりタンパク質を 再生 (refolding) させ,その後,各種カラムクロマトグラフィーを用いて精製 する方法により得られている.ここでは,BIACOREによる解析に用いるた めのscFv抗体の調製法について述べたい[5]. できるだけ簡便に,しかも高純度で目的のscFv抗体を得るために,筆者ら は,前述の一般的に行われている方法のうちrefolding法を改良することによ り,最終的に正しい立体構造をとりMAbと同等の結合活性を有するscFv抗体 を培地1リットル当たり1∼3 mg程度得ている.図3・8に筆者らのscFv抗体お よびその遺伝子発現ベクターの構造を示す.scFv抗体のC末端には,アフィ ニティー精製を行うため,六つの連続したヒスチジン残基からなるHisタグ を導入した.大腸菌で形成された封入体画分を6 M塩酸グアニジン溶液によ り可溶化後,6 M塩酸グアニジン溶液存在下,目的のscFv抗体をNi2+-NTAレ ジン (QIAGEN社) に吸着させ,その後,カラム内を洗浄し,その他の夾雑タ ンパク質を除いた.さらに,Ni2+-NTAレジンにscFv抗体を吸着させたまま, 塩酸グアニジン溶液の直線濃度勾配 (6 Mから1 M,さらに1 Mから0 Mと2段 階で行う) によりカラム内でscFv抗体のrefoldingを行わせた.その後,イミダ ゾール溶液によりカラムから溶出させて目的のscFv抗体を得た. また,scFv抗体のなかには,容易に二量体さらには多量体を形成するものあ ることが知られている.アミノ酸配列やアミノ酸組成,さらには試料溶液の 濃度などがその原因と考えられているが,いまだ明らかではない.筆者ら は,SMARTシステム(Pharmacia社)を用いてゲルろ過クロマトグラフィー (Superose12 HR 10/30;FPLC用のカラム)を行い,得られたscFv抗体の分子 量を確認し,二量体や多量体が存在する場合にはさらに分取,精製し,定量 後すぐに用いるようにしている.また,この操作によってアナライトとなる scFv抗体溶液をBIACORE測定用のランニングバッファーに交換している.
142
3
フレキシブルリンカー GGGGSGGGGSGGGGS
DNA- タンパク質相互作用解析
Hisタグ HHHHHH
N
C VL
scFv 抗体
VH
T7 プロモーター
T7 ターミネーター pT7scFvLH15his ori
Amp r
図3・8 scFv抗体の構造と発現ベクター.
このように,あらかじめバッファー交換を行っておくことは,BIACOREを 用いて反応速度定数を求める場合,測定時のバルク効果を最小限にして正確 な値を出すためにきわめて重要である.
3.2.4 BIACORE を用いた分子間相互作用の解析 BIACOREを用いるメリットは,リガンドおよびアナライトを調製し,測定 条件を決めてしまえば,簡便にかつ短時間で分子間相互作用の速度論的な解 析ができ,また,高感度であるため解析に必要なリガンドおよびアナライト の量は微量で済むことである.特に,結合速度定数 (ka) や解離速度定数 (kd) をそれぞれを求めることができるので,抗体と抗原の相互作用の様式を詳細 に性格付けすることができる.ここでは, (6-4) 光産物特異的MAb (64M5, 64M3,64M2) をもとに調製したFabフラグメントおよびscFv抗体の抗原結合 特性をBIACOREを用いて解析した結果について紹介したい. 測定を始めるまえに,アナライト溶液は実際に用いるランニングバッ ファーと交換しておく.これを怠ると,サンプルインジェクトの際に大 きなRU値の変動が生じ,正確な反応速度定数を求めることができなく なる.また,バッファー交換済のアナライト溶液を何回か測定する場合 は,バッファー交換に用いた同じロットのランニングバッファーを使っ て測定することも大切である.一度固定化されたセンサーチップは比
143
較的安定であり,遮光して4℃で保存すれば,約半年後でもアナライト の結合量の低下はみられなかった.流速を100μl/minに設定し,10∼ 200 nMの範囲のアナライト溶液150μlをインジェクトしてセンサーグ ラムを得る.抗体-抗原反応をリアルタイムでモニターすることができ るので,測定条件の変更は容易である.データ解析は,紫外線損傷を含 まない同じ配列のオリゴヌクレオチドをリガンドとして固定化したセン サーグラムをブランクコントロールとし,B I A C O R E に付属の BIAevaluation 2.1を用いて行う.特に,マストランスポート・リミット の現象に注意する. 二階堂らによって樹立された (6-4) 光産物を認識するMAbは64M1∼64M5の 5種類報告されており[1],そのうち64M2,64M3,64M4,64M5のVH遺伝子お よびVL遺伝子はクローニングされ,アミノ酸配列が決定された[4].図3・9に これらMAbの相補性決定領域 (Complementarity Determining Region,CDR) の アミノ配列を示す.筆者らは,64M2,64M3,64M5のFabフラグメントの d8mer (6-4) -bioに対する結合反応速度定数をBIACOREを用いて求めた (表3・ 2) .その結果,64M2および64M3のkdは64M5に比べ4∼8倍大きく,また,ka は1/10以下であった.すなわち,64M2および64M3は,64M5に比べ (6-4) 光 産物を含むオリゴヌクレオチドに対する結合反応は遅く,解離反応は速いこ とがわかった.また,KD値から判断すると,64M2は64M3よりも2倍程度親 和性の高い抗体であった. 図3・9に示したように,64M2,64M3,64M5のCDRは高い相同性を もっているが,64M5がその他の二つの抗体に比べて高い親和性を示す のは,CDRのいくつかのアミノ酸の違いによるものと考えられる.現 在,筆者らは,scFv抗体を用いて部位特異的変異導入法によりこれら の抗体の親和性に関与するアミノ酸残基の解析を行っている.これま でにV L が親和性の向上に重要であるというデータが得られている [5] . また,64M5のFabフラグメントおよびscFv抗体を調製し,図3・9に示した鎖 長の異なるオリゴヌクレオチドを抗原として,64M5の抗原結合に関する鎖 [3] 長依存性を解析した (表3・3) .その結果,64M5Fabおよび64M5scFvともka
値は鎖長にかかわらずほぼ一定であり,64M5scFvのka値は64M5Fabの値の約 2倍であった.これに対してkd値は鎖長が短いほど大きい値を示し,鎖長依 存性がみられた.特に,d4mer (6-4) -bioとd6mer (6-4) -bioの間で10倍の違いが みられた.これらのことから,64M5は (6-4) 光産物を含むd2merをエピトー プとして認識し,6ヌクレオチドの幅と相互作用することにより,安定な結 合を保持することがわかった.
144
3
DNA- タンパク質相互作用解析
VH HCDR1 31
35
HCDR2
HCDR3
50 52 A
65
64M5 64M3 64M2 64M4
NYWMH SYWMH S FWMH RY W I H
64M5 64M3 64M2 64M4
RSSQNIVHSNGY TYLE RSSQNIVHSNGN TYLE RSSQSIVHSNGN TYLE KASQ・・ ・・・D I NSYLN
TIYPGNSDTTYSQKFKG AIYPGNSDTTYNQKFKG TIYPGNSDTSYNQKFKG YINPSTGYSEYNQKFKD
95
100 I J K
102
RNYGSSY AMDY RSGY KYY AMDY RSGY KYY A L DY DGP・・・・W FT Y
VL LCDR1 24
Fab 64M5 64M3 64M2
27 A B C D E
ka (M-1s-1) 5.7 ± 0.5 × 105 3.5 ± 0.2 × 104 4.4 ± 0.3 × 104
オリゴヌクレオチド
d2mer(6-4)-bio d4mer(6-4)-bio d6mer(6-4)-bio d8mer(6-4)-bio
LCDR1 34
50
56
TVSNRFS KNSNRFS KVSNRFS RANRLVD
LCDR1 89
9697
FRGSHVP・T FQGSHVP・T FQGSLVP・T LQYDEFPYT
kd (s-1) 1.1 ± 0.2 × 10-4 6.5 ± 0.2 × 10-4 3.5 ± 0.3 × 10-4
図3・9 (6-4) 光産物認識抗体のCDRのアミノ酸 配列.
KD = kd / ka (M) 2.1 ± 0.2 × 10-10 1.8 ± 0.1 × 10-8 8.0 ± 1.0 × 10-9
64M5Fab ka (M-1s-1) kd (s-1) 6.5 ± 1.3 × 4.9 ± 0.3 × 105 5.0 ± 0.1 × 105 1.7 ± 0.1 × 5.2 ± 0.3 × 105 1.3 ± 0.4 × 5.7 ± 0.5 × 105 1.1 ± 0.2 ×
10-3 10-3 10-4 10-4
表3・2 64M2,64M3,64M5のFabフラグ メントのd8mer(6-4)-bioに対する結合反応 速度定数.測定条件は本文を参照.
64M5scFv ka (M-1s-1) kd (s-1) 9.5 ± 0.7 × 105 1.5 ± 0.2 × 8.9 ± 1.4 × 105 1.9 ± 0.1 × 9.3 ± 0.1 × 105 1.0 ± 0.1 × 1.1 ± 0.1 × 106 1.1 ± 0.1 ×
10-3 10-3 10-4 10-4
表3・3 (6-4)光産物を含む鎖長2∼8のオリゴヌクレオチドに対する64M5Fabフラグメン トおよび64M5scFv抗体の結合反応速度定数.測定条件は本文を参照.
3.2.5 おわりに BIACOREを用いることにより,これまでのさまざまな生化学的方法では得 られなかった抗体-抗原相互作用の反応速度論的なデータを手に入れること が可能となった.筆者らが目指している抗体分子の機能化を達成するために は,解離定数の大小を知ることよりも,このように結合-解離反応を速度で 議論できることが重要であると考えている. ここで紹介した実験例が,BIACOREをこれから使おうと考えている人や測 定条件の検討を行っている人の参考になれば幸いである.
145
参考文献 1. Mori T, Nakane M, Hattori T, Matsunaga T, Ihara M, Nikaido O (1991)Simultaneous establishment of monoclonal antibodies specific for either cyclobutane pyrimidine dimer or(6-4) photoproduct from the same mouse immunized with ultraviolet-irradiated DNA. Photochem. Photobiol. 54: 225-232 2. Komatsu Y, Tsujino T, Suzuki T, Nikaido O, Ohtsuka E(1997)Antigen structural requirements for recognition by a cyclobutane thymine dimer-specific monoclonal antibody. Nucleic Acid Res. 25: 3889-3894 3. Kobayashi H, Morioka H, Torizawa T, Kato K, Shimada I, Nikaido O, Ohtsuka E (1998) Specificities and binding rates of anti-(6-4)photoproduct antibody fragments to synthetic thymine photoproducts. J. Biochem. 123: 182-188 4. Morioka H, Miura H, Kobayashi H, Koizumi T, Fujii K, Asano K, Matsunaga T, Nikaido O, Ohtsuka E, Antibodies specific for(6-4)DNA photoproducts: Cloning, antibody modeling and construction of a single-chain Fv derivative. Biochim. Biophys. Acta 1385: 17-32 5. Kobayashi H, Morioka H, Tobisawa K, Torizawa T, Kato K, Shimada I, Nikaido O, Stewart J D, Ohtsuka E, Probing the Interaction between a high-affinity single-chain Fv and pyrimidine (6-4) pyrimidone photodimer by site-directed mutagenesis. Biochemistry, in press 6. Kobayashi H, Morioka H, Nikaido O, Stewart J D, Ohtsuka E, The role of surface lysines in pyrimidine (6-4) pyrimidone photoproduct binding by a high-affinity antibody. Protein Eng., in press 7. Borrebaeck C A(eds) (1995) Antibody engineering (second edition).Oxford University Press New York 8. McCafferty J, Hoogenboom H R, Chiswell D (eds) J (1996)Antibody engineering. IRL Press New York
146
コラム:BIACORE を鍋釜のように使う NTA に打ってみた(図) .確かに,誘導後のライ
夏目 徹
セートにだけ結合曲線がみえ,この結合はイミ ダゾールで消失する.調子に乗って計時変化を 追ってサンプリングしたり,培養温度を変えて どれほど発現量が変わるか試してみた.
3.組換え体の発現条件最適化
BIACORE 以外の方法で組換え体の発現量を
組換え体の発現の話をもう一つ.
チェックするにはにはウェスタンブロットをす
Hisタグのついた組換え体を大腸菌で発現させる
るしかない(SDS-PAGE でそれとバンドが認識
ことにした.予備実験から,低温培養で長時間
できるほど大量には発現させることができない
IPTGで誘導すると活性のある組換え体がとれる
ので) .これだけのことに,2 日もかけてウェス
と,大学院生の Y 君が言う.そこで,誘導前後
タンブロットしたくはないものだ.
の培養のライセートを 10μlとって10倍に希釈 し,ニッケルをキレートさせたセンサーチップ
さて,BIACOREを使ってわかった結論は皮肉で ある.16℃で 20 時間誘導するのも(Y 君が考え た至適誘導条件),37℃で 2 時間誘導した場合 も,組換え体の活性は同じであった.もちろん,
3950
後者が速くてよいに決まっているが,少しでも 誘導時間が長いと,封入体を形成して収率が極 端に下がる.Y 君は,細かく計時変化を追い,い
2950
くつもの実験条件を検討してウェスタンブロッ
(RU)
IPTG誘導後
トをすることができないので,封入体が形成さ 1950
れるのをみて,37℃での培養はすぐにやめてし まったのだった.
950
サンプル数がどんなに多くても,その後のアッ
イミダゾール
セイがオートマチックであれば実験のストレス −50 300
IPTG 誘導前 400 500 時 間 (秒)
はかなり減るようだ. 600
147
4
4.1
DNA-DNA 相互作用解析
ハイブリダイゼーションによるミスマッチ検出 後藤雅式,戸須真理子
4.1.1 はじめに 近年,さまざまな遺伝病の原因遺伝子が明らかになるにつれ,遺伝子診断の 必要性が高まりつつある.また,倫理的な問題は残るものの遺伝子治療も行 われはじめており,遺伝子と医療の関係が密接になってきている.ここで は,BIACOREを用いたDNAのミスマッチ検出を中心に,医療分野への応用 の可能性について述べたい.
4.1.2 オリゴヌクレオチドを用いた ハイブリダイゼーション解析 オリゴヌクレオチドのハイブリダイゼーション反応も,他の生体分子の相互 作用と同じようにBIACOREによる解析が可能である[1].オリゴヌクレオチ ドの固定化には,ビオチン化したオリゴヌクレオチドをストレプトアビジン が結合してあるセンサーチップSAに流し,固定化する.固定化は,150 mM 以上のNaClを含んだ溶液中で反応を行うのが望ましい.イオン強度が低い と,センサーチップマトリックスのカルボキシメチルデキストランとDNA の電荷による反発が起こり,固定化量がきわめて少なくなるようである. その後,アナライトとしてターゲットオリゴヌクレオチドを流し,通常の手 法により結合量や速度論的パラメータを解析することができる.筆者らは, 固定化やハイブリダイゼーションのバッファーとして6×SSC (90 mMクエン 酸ナトリウム(pH 7.2) -0.9 M NaCl)を使用している. また,反応は37℃で行っているが,当然のことながら,温度が高ければそれ だけ長いオリゴヌクレオチドのハイブリダイゼーションを解析するのに適し ている.図4・1は20-merのオリゴヌクレオチドを固定化したセンサーチップ にさまざまな長さの相補塩基領域をもつ20-merのオリゴヌクレオチドを流 し,ハイブリダイゼーションの速度論的解析を行った結果である.図中の下 線を引いた塩基はミスマッチ塩基である.6×SSC,37℃の反応条件では17-
148
4
3′
5′
(a)プローブ; TGCTTCCAGACATCGTTGAG
5′
DNA-DNA 相互作用解析
3′
0
k a(M−1s−1) 2×105 3×105 0
1×105
KA(M−1) 2×109
3×109
K A(M−1) 1×10 2×109
3×109
1×109
20; ACGAAGGTCTGTAGCAACTC 5′ −19;CCGAAGGTCTGTAGCAACTC 5′ −17;CATAAGGTCTGTAGCAACTC 5′ −15;CATCCGGTCTGTAGCAACTC 5′ −13;CATCCTTTCTGTAGCAACTC 0
0.5×10−3 1×10−3 1.5×10−3 k d(s−1)
3′
5′ 0
k a(M−1s−1) 1×10 2×105 3×105 0
0
0.5×10−3 1×10−3 1.5×10−3
(b)プローブ; TGCTTCCAGACATCGTTGAG
5′
5
9
3′
20 ; ACGAAGGTCTGTAGCAACTC 3′ −19;ACGAAGGTCTGTAGCAACT A 3′ −17;ACGAAGGTCTGTAGCAA AGA 3′ −15;ACGAAGGTCTGTAGC CCAGA 3′ −13;ACGAAGGTCTGTA TACCAGA k d(s−1) 図4・1 ハイブリダイゼーション反応における相補領域の長さと速度論的パラメータの関 係.20-merのプローブを約1000 RU固定化し,350μMの相補部分の長さが異なる20-mer ターゲットを流速5μl/minで流し,速度論的解析を行った.反応温度は37℃とし,ランニ ングバッファーとして6×SSCを使用した.また,センサーチップの再生は10 mM HClを 30秒間流すことにより行った.図中の下線を引いた塩基はアニーリングしない塩基を表す.
merまでは親和定数KAに差がみられない.相補領域が17-mer以下になると, 長さに従い親和定数が低下する傾向にある.
4.1.3 オリゴヌクレオチドを用いたミスマッチ検出 つぎに,BIACOREを用いたハイブリダイゼーションで1塩基のミスマッチをど の程度区別することができるかを述べる.最初に,ミスマッチ塩基の位置とハ イブリダイゼーションの親和定数の関係を検討した.図4・2には,20-merオリ ゴヌクレオチドと13-merオリゴヌクレオチドのハイブリダイゼーションの結果 を示す.さきほどと同様に,下線を引いた塩基がミスマッチ塩基である.ミス マッチの位置が中央に近づくにつれ,親和定数K A が小さくなることがわか る.すなわち,ミスマッチ検出を行う場合には,ミスマッチができるかぎり中 央に位置するようにプローブをデザインすることが重要である.図で一部の親
149
3′
5′
5′
3′
2×105
0
KA(M−1)
k a(M−1s−1)
プローブ;TGCTTCCAGACATCGTTGAG
4×105
6×105
0
2×108 4×108 6×108 8×108 1×109
AGGTCTGTAGCAA CGGTCTGTAGCAA AGTTCTGTAGCAA AGGTATGTAGCAA AGGTCGGTAGCAA AGGTCTTTAGCAA
4×10−3
0
8×10−3 1.2×10−2 k d(s−1)
図4・2 ハイブリダイゼーション反応におけるミスマッチの位置と速度論的パラメータ の関係.20-merのプローブを固定化し,13-merのミスマッチ塩基をもつ各種ターゲット を流し速度論的解析を行った.反応温度は37℃とし,ランニングバッファーとして6× SSCを使用した.図中の下線を引いた塩基はミスマッチ塩基を表す.
3′
5′
プローブ:AGAAGAACAGGTC
5′
0 3′
TACTCTTCTTGTCCAGCTGT TACTCTTCTAGTCCAGCTGT TACTCTTCTGGTCCAGCTGT TACTCTTCTCGTCCAGCTGT TACTCTTCTTCTCCAGCTGT TACTCTTCTTTTCCAGCTGT TACTCTTCATGTCCAGCTGT TACTCTTCGTGTCCAGCTGT
k a (M−1s−1) 1×105 2×105
N.D. N.D.
0
0
K A (M−1) 5×107 1×108
1.5×108
N.D.
5×10−3 1×10−21.5×10−2 k d (s−1)
図4・3 N-ras遺伝子のコドン61領域の各種点突然種変異の検出.13-merのプローブを固 定化したのち,合成した20-merの各種変異配列をもつターゲットを流しハイブリダイ ゼーションの速度論的解析を行った.下線を引いた塩基はミスマッチを形成する塩基で ある.また,図中のN.D.は結合量が少ないため解析できなかったことを示す.反応条件 は図4・1,図4・2と同じである.
和定数が逆転しているのは,ミスマッチ塩基対の種類の影響であると考えられ る.G/Aはミスマッチのなかで最も強い親和性を示すため,上から4番目のオ リゴヌクレオチドは,C/Tミスマッチをもつ3番目のオリゴヌクレオチドより親 150
4
DNA-DNA 相互作用解析
和定数が大きくなったと考えられる.また,本条件におけるプローブの最適な 長さを検討したところ,13-mer以下の長さが適していることがわかった. つぎに,実際の遺伝子配列をモデルにして,1塩基のミスマッチ検出ができ るかどうかを検討した.モデル配列としてがん遺伝子であるN- ras を使用 し,13-merのプローブにより61番目のコドン領域の各種変異を検出した結果 を図4・3に示す.親和定数KAをみれば明らかなように,程度に差はあるも ののすべての種類の変異を検出できる.また,図には示さないが,センサー グラムの上昇にも大きな違いが生じることから,Req値や解離相の特定の時 間のRU値を指標にした検出も可能であると考えられる.
4.1.4 遺伝子診断への応用 以上のように,13-mer以下の長さのプローブを用いてオリゴヌクレオチドの ミスマッチを検出することができた.しかし,実際の遺伝子診断ではPCR産 物を材料にした変異検出が必要である.そこで,培養細胞Hep G2を用い, そのPCR産物からの変異検出を試みた.Hep G2細胞はN- ras のコドン61に CAA→CTAの変異をヘテロに有している. 図4・4には,95 bpの正常配列PCR産物,あるいはHep G2由来のPCR産物か らDynabeads (Dynal社) により片側の鎖のみを精製し,13-mer正常配列プロー ブを固定化しておいたセンサーチップに流した結果を示す.反応条件は上記 と同様である.その結果,正常な配列に比べHep G2由来のPCR産物はほぼ 半分程度しか結合がみられなかった.これは,Hep G2細胞には正常な配列 のN-ras遺伝子が正常細胞の半分しか含まれていないことを示している.す なわち,ハイブリダイゼーションをモニターすることにより,特定の位置の 変異を検出することが可能である.ちなみに,PCR産物を固定化し,13-mer のプローブを流した場合にも点突然変異の検出は可能であった.
700 相対結合量 (RU)
600
Nomal
500 400
Hep G2
300 200 100 0 −100
0
100
200 時 間 (秒)
300
図4・4 ハイブリダイゼーションによる点突然変 異検出.95 bpの正常配列PCR産物 (Normal) および がん細胞由来のPCR産物 (Hep G2) を一本鎖にし, 13-merのプローブに対するハイブリダイゼーショ ンをモニターした.反応条件は図4・1,図4・2と 同じである.
151
4.1.5 ミスマッチ結合タンパク質を用いた点突然変異検出 ハイブリダイゼーションの結合量を指標とした遺伝子診断法は簡便で点突然変異 の存在のみならず,その変異がホモであるかヘテロであるかの区別までつけるこ とができる.しかし,13-mer以下の長さのプローブを用いる必要があるため,変 異のホットスポットが明らかになっている遺伝子にしか適用できないのが難点で ある.そこで,変異の位置が特定できない遺伝子疾患をターゲットとし,ミス マッチ結合タンパク質を用いた点突然変異検出法の開発も行っている[2∼5]. ミスマッチ結合タンパク質として,大腸菌のミスマッチ修復に関与する MutSを使用し,図4・4と同様にN-ras遺伝子の点突然変異を検出した結果を 図4・5に示す.正常細胞由来の95 bp PCR産物とHep G2細胞由来のPCR産物 を等量混合し,加熱変性とアニーリングにより形成したヘテロ二本鎖を含む DNAを約1000 RUを固定化したセンサーチップに,ランニングバッファーと してKClバッファー(50 mM Hepes-KOH(pH 7.2) -100 mM KCl-1 mM EDTA-1 mM DTT-5 mM MgCl2-0.005 %Surfactant P20)を使用し,流速5μl/minで100 nMのMutSを流した.すべての反応は25℃で行った.このとき,アニーリン グしなかった一本鎖をブロックするために,50μg/mlのSSB(Single strand binding protein) をあらかじめ流しておくか,ゲルろ過カラム (MicroSpinカラ ム,Amersham Pharmacia Biotech社)で一本鎖DNAを除去したDNAを固定化 したセンサーチップを使用することにより,ある程度の非特異的結合を抑制 することができる.また,MutSに5∼20 mM程度のATPを添加し室温で5分 程度インキュベートすることによってもS/N比は向上するようである. 図では,コントロールとして正常細胞由来のPCR産物のみで変性・アニーリ
3500 Nomal+Hep G2
3000
相対結合量 (RU)
2500 2000
Nomal+Nomal
1500 1000 500 0
−500
0
50
100
150
200
時 間 (秒) 152
250
300
350
図4・5 大腸菌ミスマッチ結合タンパク質による点 突然変異検出.95 bpの正常配列PCR産物およびがん 細胞由来のPCR産物からヘテロ二本鎖DNA (Normal +Hep G2) ,あるいはコントロールDNA(Normal+ Normal) を調製し,約1000 RU固定化した.ランニン グバッファーとしてはKClバッファー (50 mM HepesKOH (pH 7.2) -100 mM KCl-1 mM EDTA-1 mM DTT5 mM MgCl2-0.005% Surfactant P20) を使用し,流速 5μl/minで45μlの50μg/ml SSBを流して残存一本鎖 DNAをブロックしたのち,20 mM ATPを加えた100 nM MutSを流しその結合を観察した.また,一度使 用したセンサーチップは3 Mグアニジンを5μl流す ことにより再生した.
4
DNA-DNA 相互作用解析
ングを行ったDNAを使用した.その結果,MutSはヘテロ二本鎖を含むDNA に比較的多く結合した.しかし,SSBやATP処理を施してもコントロール DNAにある程度結合することから,遺伝子診断系として用いるにはさらな る改善が必要であると思われる.
4.1.6 三本鎖 DNA 形成の速度論的解析 さて,ここまでは筆者らの研究を中心に話を展開してきたが,他にも興味深 い研究を行っているグループが多くある.その一つが三本鎖DNA形成の速 度論的解析である.三本鎖DNA研究は1980年代にはじまり,1990年代には 遺伝子治療をターゲットとした研究が進められている[6∼8]. Batesらは第1のポリプリンあるいはポリピリミジン鎖を固定化したセンサー チップに第2のオリゴヌクレオチドをハイブリダイゼーションし,さらに, 第3のオリゴヌクレオチドを流し,18℃における速度論的な解析を行ってい る[9].40 mM Tris-HCl (pH 5.2) -5 mM EDTA-10 mMスペルミン存在下で,第 1鎖として5ユ-CGCTAGAAGAAAGGACG-3ユを,第2鎖として5ユ-biotinCGTCCUTTCTTCTAGCG-3ユを,第3鎖として5ユ-TCTTCTUTCCT-3ユを用いた 実験で,三本鎖目の結合速度定数(ka)は1.9×103 /M s,解離速度定数 (kd)は 8.1×10−5 /sであった. 三本鎖形成オリゴヌクレオチドを転写阻害薬として用いる場合には37℃での 安定性が重要になる.イオン強度,pH,温度を生理的な条件に合わせれば, 安定なオリゴ治療薬のスクリーニングにも用いられるのではないだろうか.
参考文献 1. Gotoh M, Hasegawa Y, Shinohara Y, Shimizu M, Tosu M (1995) A new approach to the effect of mismatches on kinetic parameters in DNA hybridization using an optical biosensor. DNA Res. 2: 285-293 2. 後藤雅式,長谷部真久,大平智子,戸須眞理子(1997)アフィニティーセンサー BIACOREによる遺伝子診断 −原理と応用−. 臨床病理45: 224-228 3. 後藤雅式(1 9 9 7 )表面プラズモン共鳴を応用したアフィニティーセンサー (BIACORE).検査と技術25: 785-787 4. Gotoh M, Hasebe M, Ohira T, Hasegawa Y, Shinohara Y, Sota H, Nakao J, Tosu M (1997)Rapid method for detection of point mutations using mismatch binding protein (MutS)and an optical biosensor. Genet. Anal. 14: 47-50 5. 後藤雅式 (1997) 表面プラズモン共鳴を応用したバイオセンサーによるDNA解析. 医学のあゆみ183: 429-432
153
6. Lee J S, Woodsworth M L, Latimer L J, Morgan A R(1984) Poly(pyrimidine)・Poly (purine)synthetic DNAs containing 5-methylcytosine form stable triplex at neutral pH. Nucleic Acids Res. 12: 6603-6614 7. Mouscadet J F, Carteau S, Goulaouic H, Subra F, Auclair C(1994)Triplex-mediated inhibition of HIV DNA integration in vitro. J. Biol. Chem. 269: 21635-21638 8. Chan P P, Glazer P M(1997) Triplex DNA: fundamentals, advances and potential applications for gene therapy. J. Mol. Med.75: 267-282 9. Bates P J, Dosanjh H S, Kumar S, Jenkins T C, Laughton C A, Neidle S (1995) Detection and kinetic studies of triplex formation by oligonucleotides using real-time biomolecular interaction analysis(BIA).Nucleic Acids Res. 23: 3627-3632
コラム:BIACORE を鍋釜のように使う 夏目 徹
プロテイン A が固定化されているセンサーチッ プ上に打ってみた(図) .すると,見事に結合曲 線がでてきたのである.これに気をよくした S 君は,BIACOREで抗体の産製量をモニターしな
4.モノクロナール抗体の産生量
がら培養を 4 リットルにスケールアップし,た
ポスドクの S 君が大きめの抗体アフィニティー カラムを作ることにした.買うと高いのでハイ ブリドーマを培養し大量に抗体を調製すること にした.ところが,もらったハイブリドーマの 調子が悪い.生育は悪いし,とても抗体を産生 してるようにはみえない.それでも根気よくク ローニングしているうちになんとかもち直して きたので,培養上清を10μlとって10倍に薄め,
いそうな量の抗体を調製した. 話はここまでならめでたいのだが,この話には オチがつく.さらに精製した抗体の反応性を BIACOREで確認しようと,S君は抗原を固定化 したセンサーチップ上にこの抗体を打ってみた. もちろん,美しいセンサーグラムが観察され,抗 原抗体反応に典型的な非常に遅い解離曲線も満 喫した.しかし,この抗体,まったく再生でき ないのであった.100 mMのHClをインジェクト しても,抗体はほとんどセンサーチップ上から はずれなかったのである.結局,タンパク質が
1200
完全に変性してしまうような厳しい条件ではじ
1000
めて再生された.すなわち,この抗体はアフィ ニティーカラム用としては結合が強固すぎるで
(RU)
800
培養4日目
ある.
600
案の定,苦労して作った抗体カラムからの回収 量は非常に悪く,そのうえカラムは 1 回こっき
400
りでダメになった.この結果はBIACOREで予想
200 0
かなり軽減されたに違いない. 0
100
200
300 時 間(秒)
154
されていたので,S 君の精神的ダメージだけは
培養0日目 400
500
600
5
5.1
糖 - タンパク質相互作用解析
篠原康郎
糖鎖 - レクチン間相互作用
5.1.1 はじめに 複合糖質が生体の高次調節機能に深く関与することが明らかにされつつある. 複合糖質と糖鎖認識分子間の相互作用の生理的意義を明らかにするうえで,糖 鎖認識分子の糖結合特異性のみならず認識機構を解明することが重要な課題と なっている.SPRバイオセンサー法は,固相表層における相互作用を速度論的 に解析する点で,従来法にない非常にユニークな分析系である.糖鎖は通常複 合糖質として細胞膜などの固相表層に存在することが多く,糖鎖認識分子との 相互作用の多くが固相表層で起こっていることを考慮すると,本法は糖鎖-糖 鎖認識分子間の相互作用を解析する系として好適と考えられる. 複合糖質糖鎖をセンサー素子に導入する方法論として,複合糖質そのものを 固定化する場合と,特定の構造を有する糖鎖のみを試料として用いる場合が 考えられる.すなわち,複合糖質糖鎖の機能を理解するうえで,タンパク質 や脂質との複合体としての機能解析と,糖鎖自身の構造-機能相関を解明す る両方向からのアプローチが重要である.本節では後者の目的のために開発 した糖鎖の固定化技術と,本法を用いて得られたレクチンの固相表層におけ る糖鎖認識機構について解説する.
5.1.2 糖鎖のセンサーチップ表層への固定化法 筆者らは,ビオチンヒドラジドによる糖鎖還元末端へのビオチン標識法を検討 し,ほぼ定量的な収率で目的物を得る条件を定めた[1].反応は糖鎖と2∼4倍モル 量のビオチンヒドラジドを水溶液中で90℃,1時間加熱するだけのきわめて簡単 なものであり,反応中のシアル酸の脱離もまったく起こらない.糖鎖/試薬モル 比が1/2∼1/4程度であるため,BIACOREにおける定性的な相互作用解析において は,過剰の試薬を除去する必要がないことも本法の利点である.ただし,後述 するように糖鎖-レクチン間相互作用は糖鎖の固定化密度による影響を受け得る ため,定量的な解析においては精製した標識糖鎖を用いるほうがよい. 本法をさらに天然に存在する微量の構造不均一性の高い糖鎖に適用するため に,筆者らはフェニル基を分子内に有する新規標識試薬4-(biotinamido) phenylacetylhydrazide (BPH) を開発し,本標識糖鎖が各種クロマトグラフィー 155
において優れた分離特性を示し,かつ,センサーチップ上における繰返し分 析や酵素消化に対して高い安定性を示すことを明らかにした[2].標識糖鎖の 必要量はセンサーチップSAを用いた場合,5 pmol以上の標識糖鎖を注入す れば,ストレプトアビジンのビオチン結合部位を飽和させるのに十分である ことがわかった.このことは,精製したBPH標識糖鎖を5 pmol以上注入した 場合に,異なるセンサーチップ間で相対的なレスポンスの上昇の程度を直接 比較できることを示唆しており,レクチンの糖結合特異性を定量的に比較す るうえできわめて有効である.
5.1.3 固相表層におけるレクチンの糖鎖認識機構の解析 平衡透析法,NMR,電気泳動法などのさまざまな手法が糖鎖とレクチンの 相互作用解析に用いられ,多くの知見が得られている.しかし,これらの方 法論の多くが溶液中での相互作用解析技術であり,かつ,反応速度論に関す る知見を得ることは通常困難である.糖鎖が細胞表層などの固相表層に存在 することが多い事実を考慮すると,今回われわれが確立した方法論は,レク チンの糖鎖認識機構に関するより多くの情報を提供することが期待される. レクチンと単糖または二糖間の親和定数(KA)は103∼104 /Mのオーダーであ ることが報告されているが,糖タンパク質や細胞を用いてアフィニティーの 計測を行った場合に,しばしばKAは10,000倍以上にまで増大する.この機構 としては,糖鎖とレクチン間の多価の結合に由来するとするクラスター効果 によって説明されてきた[3]が,糖鎖とレクチンがみかけのアフィニティーを 増大させる詳細な機構はよくわかっていない.筆者らは,キトオリゴ糖と小 麦胚芽レクチン (WGA) の相互作用について,同一の相互作用ながらいずれ の分子を固定化するかによってみかけのアフィニティーが著しく異なること を見い出した[4].すなわち,レクチン固定系で算出したKAは103∼104 /Mで, 従来の報告と良好に一致したのに対し,糖鎖固定系の場合は10,000倍以上の 高値を示した.この結果は,糖鎖-レクチン間相互作用の本質を反映するも のと考えられたため,糖鎖の固定化密度およびレクチンのオリゴマー構造が みかけのアフィニティーに及ぼす影響についてさらに検討を加えた. 糖鎖固定化密度の影響を3種類の糖鎖-レクチン間相互作用 (N-アセチルラク トサミン(LacNAc)-RCA 120 ,3′-シアリルLacNAc-MAM,6′-シアリル LacNAc-SSA) について速度論的に解析した結果,みかけのka,kdのいずれと も糖鎖固定化密度の上昇に伴い,低下する傾向を示した[4] (図5・1) .しかし ながら,糖鎖固定化密度がみかけのアフィニティーに及ぼす影響は, LacNAc-RCA120間の相互作用について特に顕著であった.これらの相互作用 解析で得られたkaは,LacNAc-RCA120間で105 /Mのオーダーであったのに対 して,他の二つの相互作用では数十倍の低値を示したことから,固定化密度 156
5
ka (s−1M−1×10−5)
5.0 4.0
33%
33%
(b) 解離速度定数kb
1.6
67%
1.4
100%
3.0 2.0
1.2 1.0 0.8
67%
0.6 0.4
1.0 0.0
1.8
(a) 結合速度定数ka
kd (s−1×10−2)
6.0
糖 - タンパク質相互作用解析
100%
0.2 RCA120
SSA
MAM
0.0
RCA120
SSA
MAM
図5・1 糖鎖の固定化密度がレクチンとの相互作用における速度論的パラメータに及ぼ す影響.BPH標識したN-アセチルラクトサミン (LacNAc) ,6'-シアリルLacNAc,3'-シア リルLacNAcをぞれぞれBPHとの3種の異なる比率で混合してセンサーチップSAに固定す ることにより,ストレプトアビジンの結合部位の100%,67%,33%を標識糖鎖で占有す るように調節した.ひき続きそれぞれの糖鎖を認識するレクチンであるRCA120,SSA, MAMを各フローセルに複数濃度で注入し,ka対レクチン濃度プロットにより,みかけの 結合速度定数ka(a)および解離速度定数kd(b)を算出した.
の影響の受けやすさとkaとのあいだの相関が示唆された. レクチンのオリゴマー構造の影響について,SSAとその単量体であるMSSA をモデルに検討を加えた[4].固定化6′-シアリルLacNAcに対する相互作用を 速度論的に解析した結果,レクチンが多量体構造をとることによるみかけの
k aへの影響は比較的軽微であったのに対して,みかけのkdは約20倍低下し た.レクチンの最大結合量の指標となるRmaxはSSAでMSSAの約4.9倍を与え たが,これは両者の分子量の比によく一致したことから,表面糖鎖に対する レクチンの結合モル比はSSAとMSSAとで同程度であることが示唆された. このことはSSAに存在する二つの糖結合部位のうち,実際に結合したのは一 つだけであり,ここでみられたみかけのアフィニティーの増大が多価の結合 に由来するものではないことを示唆している. 解離過程における過剰のハプテン糖の共注入の影響を検討した結果,共注入する 6′-シアリルLacNAc濃度の上昇に伴い,両者のレクチンとも解離速度が増大し, 高濃度のハプテン糖共注入下では両者の解離速度に大きな差は認められなかった (表5・1) .このことから,解離速度に認められた顕著な違いは,糖鎖結合部位の 数の増大による再結合の機会の増大に基づくものであることが示された. 固相表層における相互作用においては,非かくはん相を考慮に入れることが 重要である.図5・2に示すようなモデルにおいては,可溶性の分子がバルク
157
相と非かくはん相をいききする拡散の制限を考慮する.大きな分子ほど通常 拡散係数は小さくなるため,非かくはん相におけるレクチン濃度は注入され たレクチン濃度を物質移動速度により補正する必要がある.この観点から, 本系で得られる速度論的パラメータは相互作用固有の速度論 (ka,int,kd,int) と物 の両方を内包するみかけの数値であると考えられる[5].みか 質移動係数 (kM) けの速度定数(ka,apparent,kd,apparent)は式(1),式(2)で表される.
ka,apparent = ka,int(1 / + ka,int[B]/kM)
式(1)
kd,apparent = ka,int(1 / + ka,int[B]/kM)
式(2)
式(1),式 (2)から,ka,int[B]/kMが,みかけの速度定数が固有の速度定数との 差異を記述する制限係数であると結論できる.本係数が大きい場合,みかけ と固有の速度定数は一致しない.この状況は固定化密度が高い (高[B]) ,高 分子を注入する,または,流速が低い (低kM) ,そして,相互作用が速い固有
6'-sLacNAc 濃度 μM
kd s-1
0 14.8 148 1480
MSSA
SSA
0.0598 0.0582 0.0685 0.0866
0.0021 0.0125 0.0306 0.0435
表5・1 6'-sLacNAcに対するSSAおよびMSSAの相互作用において,解 離過程でハプテン糖を共注入したときのみかけの解離速度定数に及ぼす 影響.
[A]0 バルク相
km 非かくはん相
k−m
[A]s
B デキス トラン 金 層
ka,apparent km A0
A0+B
k−m
AB
kd,int kd,apparent
158
ka,int
図5・2 固相表層における相互作用の三状態 モデル.デキストランに固定化されたリガン ドBに対する,注入されたアナライトAとの 相互作用を模式的に示した.ここで,[A]0お よび[A]sはそれぞれバルク相および非かくは ん相のAの濃度,kmおよびk−mは両相をいき きする物質移動速度定数である.ka, intおよび kd, intはAとBの相互作用における固有の結合 速度定数および解離速度定数であり,ka, apparent およびkd, apparentは相互作用固有および物質移 動の速度論を内包するみかけの結合速度定数 および解離速度定数である.
5
糖 - タンパク質相互作用解析
のkaを有するときに起こる. 3種の相互作用解析を通して,糖鎖の固定化密度および流速は一定であり, レクチンの分子量もおおむね同等であったのに対し,前述の通り k a は LacNAc-RCA120で著しく高い値を示したことから,LacNAc-RCA120で最も強 く密度効果の影響を受けたのは,その相互作用が非常に速いka,intを有してい るためであることが強く示唆された.これらの結果は,速いka,intを有する相 互作用は糖鎖の発現密度を変動することでみかけのアフィニティーを自由に 制御しうることを示唆する.糖鎖-タンパク質間相互作用は細胞接着カス ケードの上流で重要な役割を担っていることから,これらの相互作用はきわ めて速いと考えられている.きわめて速いk(> 107 /M s)が実際にP-セレク a チンについて報告されている[6].レクチンのオリゴマー構造が再結合の機会 を増大させることによりみかけのアフィニティーを増大した結果も,マスト ランスポート・リミットにより説明することができる.マストランスポー ト・リミットによる再結合の影響を考慮したモデルは,解離過程の良好な フィッティングを行うことができている[4]. 多価での結合は,アシアロ糖タンパク質レセプターなどで報告されているよ うに,より強固な結合や,単一のN-結合型糖鎖の分岐のパターンの認識など より広い糖鎖認識において重要であると考えられている.しかしながら,相 互作用が起こる場の不均一性の重要性に関してはこれまでほとんど言及され ることがなかった.糖鎖の分岐と発現密度の増大に加え,レクチンの多量体 化は,多価の結合形成だけではなく,不均一な反応系を構築するために重要 であることが考えられる.物質移動現象を積極的に利用することによって, 糖鎖-レクチン間相互作用のみかけのアフィニティーは同一の分子を用いな がら発現量を制御するだけでアナログ的に調節できる構図が示唆される.こ こで得られた知見は,クラスター効果の新しい解釈を与えるものである.
5.1.4 おわりに 本節では,任意の構造の糖鎖とレクチンの相互作用を速度論的に解析を行う ための方法論と,本法により得られたレクチンの糖鎖認識機構を物質移動の 影響の側面を中心に解説した.BIACOREは基本的に固相表層の解析系であ るため,溶液中の解析法で得た従来の定量値と異なりうる.特に,糖鎖とレ クチンの相互作用は固有の結合・解離定数が大きい点に特徴があると考えら れるため,固定化やクラスターの影響を受けやすい.ここで得られた結果 は,相互作用の生理的意義を論じるうえで固有のアフィニティーのみなら ず,生体環境下のみかけのアフィニティーを理解することが重要であること を示唆している.
159
参考文献 1. Shinohara Y, Sota H, Kim F, Shimizu M, Gotoh M, Tosu M Hasegawa Y (1995) Use of a biosensor based on surface plasmon resonance and biotinyl glycans for analysis of sugar binding specificities of lectins. J. Biochem. 117: 1076-1082 2. Shinohara Y, Sota H, Gotoh M, Hasebe M, Tosu M, Nakao J, Hasegawa Y, Shiga M (1996) Bifunctional labeling reagent for oligosaccharides to incorporate both chromophore and biotin groups. Anal. Chem. 68: 2573-2579 3. Lee Y C(1992)Biochemistry of carbohydrate-protein interaction. FASEB J. 6: 31933200 4. Shinohara Y, Hasegawa Y, Kaku H, Shibuya N(1997)Elucidation of the mechanism enhancing the avidity of lectin with oligosaccharides on the solid phase surface. Glycobiology 7: 1201-1208 5. Karlsson R, Roos H, Fagerstam L, Persson B (1994)Kinetic and concentration analysis using BIA technology. Methods 6: 99-110 6. Alon R, Hammer D A, Springer T A (1995) Lifetime of the P-selectin-carbohydrate bond and its response to tensile force in hydrodynamic flow. Nature 374: 539-542
5.2
リポソーム上でのタンパク質と糖質の相互作用 Roger MacKenzie, Tomoko Hirama
5.2.1 はじめに 糖生化学の分野は,細胞表面上のオリゴ糖がさまざまなヒトの病気にかか わっていることが認識されるにつれ,この十年間で急速に広がりをもつよう になった[1].オリゴ糖が関与する生物学的現象を理解する上での進歩は,脂 質やタンパク質上に提示されている細胞表面上の糖質とタンパク質の相互作 用を研究する方法の発達と密接に関係している.従来,これらの相互作用 は,マイクロプレート法や薄層クロマトグラフィー・オーバーレイ(TLC overlay) 法を用いて定性的または半定量的に行われてきた.複合糖質を自由 度のない状態で固定すると,オリゴ糖が最大の結合価をもつための形体配列 に必要とされるかもしれない運動性を妨げてしまう. 筆者らは以前に,リポソーム上に存在する糖脂質にタンパク質が結合するこ とを検出する実験方法を報告した[2,3].膜環境下で糖脂質を提示すれば,従
160
5
糖 - タンパク質相互作用解析
来の方法に付随する問題を避けることができ,二重膜の微少環境がタンパク 質と糖質の結合に及ぼす影響を研究することが可能となる.この方法では, リガンドとアナライトの標識なしに,アナライトのリポソーム表面への結合 を表面プラズモン共鳴 (SPR) により測定し,速度定数および平衡定数を得る ことができる.この手法は,モノクローナル抗体[2]やバクテリア毒素がリポ ソーム上の糖脂質に結合する特性の研究[3]に応用された.
5.2.2 リポソームの作製とセンサーチップへの固定化 MacKenzieらにより報告されたSPR/リポソーム固定化法[3]では,少量の (含有量 の重量比で約1%) サルモネラ血清型Bのリポ多糖 (LPS) を含んだリポソームを 調製した.このLPS上に存在する三糖からなるエピトープは,マウスモノク ローナル抗体Se155-4と結合する[4].BIACOREのセンサーチップCM5にSe1554 IgGを固定化することにより,LPSを含んだリポソームをセンサーチップ上 に捕捉し,安定したリポソーム表面を形成することができる.この抗原抗体 複合体はpH 4.5で解離するので,比較的穏やかな条件下で抗体表面の再生が 可能である.LPSに加えて,リポソームは,選択した糖脂質 (通常の含有率は 10%以下) や,ジミリストイルホスファチジルコリン (DMPC) などのリン脂質 を含んだ状態で調製される.リポソームを孔径50 nmの膜を通し,取り込まれ なかったLPSを限外ろ過クロマトグラフィーで除去する[3].Se155-4表面に捉え られたリポソームはBIACOREにおける標準的な条件では解離しないので,ア ナライトの結合に際して安定したベースラインが得られる (図5・3) .
5.2.3 糖脂質上の抗原に対するモノクローナル抗体の結合 糖脂質に対する抗体の結合を観察する従来の実験は,TLC分画された糖脂質 や,マイクロプレートにコートした脂質,あるいは,糖脂質のオリゴ糖また
800 LPS-特異的scFv
(RU)
600 400
LPS-リポソーム
200 0 −200
0
400
800 時 間 (秒)
1200
図5・3 リポソームの固定化と固定化リポ ソームに対するSe155-4抗体単鎖Fvの結合で 得られた5本のセンサーグラムを重ね合わせ て示す.リポソームは1% LPSと99% DMPC を含む.単鎖Fvは80,120,160,200,400 n M の濃度で結合を行い,表面は1 mM Na taurodeoxycholate-10 mM酢酸バッファーで再生 した.
161
は多糖の先端部位がキャリアタンパク質に共有結合している新規複合糖質を 用いて行われていた.これらの方法に内在するいくつかの問題としては,天 然とは明らかに異なる環境下に糖質構造をおいていること,新規複合糖質の 合成にかかわる問題点,特に,少量の糖質しか入手できない場合の問題など がある.リポソーム/SPR法は一般的にこれらの難点を避けることができ,比 較的少量の糖脂質しか必要としない. 1% LPSと99% DMPCを含んだリポソームを固定化するときに用いるSe155-4 抗体の二量化した単鎖Fv (scFv) 型抗体と,抗原との反応速度論的特性をSPR を用いて調べた.リポソームの固定化の再現性のよさと,それに引き続くリ ポソームへのscFvの結合を図5・3に示す.このセンサーグラムの解析から, 抗体の結合速度定数および解離速度定数が求められた.それらの値は,O抗
LacCer
■β1 4●β1 1Cer
アシアロGM1 ■β1 3▼β1 4■β1 4●β1 1Cer GM1
■β1 3▼β1 4■β1 4●β1 1Cer
3 □α2 GM2
▼β1 4■β1 4●β1 1Cer
3 □α2 GD2
▼β1 4■β1 4●β1 1Cer
3 □α2 8α□ 2 GD1a
□α2 8α■β1 3▼β1 4■β1 4●β1 1Cer
3 □α2
GD1b
■β1 3▼β1 4■β1 4●β1 1Cer
3 □α2 8α□ 2 GT1a
□α2 3 ■β1 3▼β1 4■β1 4●β1 1Cer
3 □α2 8α□ 2
GQ1b
□α2 8α□α2 3■β1 3▼β1 4■β1 4●β1 1Cer
3 □α2 8α□ 2
162
図5・4 リポソーム調製で用いたスフィンゴ糖脂質 の構造.●:グルコース,■:ガラクトース,▼:
N-アセチルガラクトサミン,□:シアル酸.
5
糖 - タンパク質相互作用解析
原多糖ウシ血清アルブミン複合体を固定した表面を用いてSPRで調べたscFv の結合速度定数,解離速度定数と同じであった.多くの糖脂質と異なり,こ のLPSの糖質部位又はO抗原多糖は,四糖からなる基本配列を多く繰返す構 造をもつ.この場合は,おそらく糖質抗原の多糖類の性質によりエピトープ を厳格に提示する必要がなくなっていると考えられる.長く自由度の高い多 糖鎖には抗体の結合に適したコンホーメーションをとる複数のエピトープが 存在しているはずである. サルモネラ血清型BのLPS分子とは対照的に,動物細胞の糖脂質は,典型的に は糖質エピトープを一価だけ提示する (図5・4) .したがってこれら糖脂質が 関与する相互作用は膜表面に近接したところで起こり,膜環境下で行われた 実験の結果はin vivoでの状況との比較に有用であるはずである.SPR/リポソー ム固定化法はスフィンゴ糖脂質に対する特異性をもったIgM抗体の特性研究の 結果から有効であることがわかった.この抗体はアシアロ-GM1を含んだリポ ソームに強い特異性を示し,他の糖脂質には結合しなかった (図5・4および図 5・5) .実際には一対一のモデルよりさらに複雑な多価結合が起こっている可 能性もあるが,センサーグラムは一次指数関数の結合・解離モデルによく一 致した.そのデータの解析から,約1×105 /M sの結合速度定数と,2×10−3 /s の解離速度定数が得られた.真の速度定数を計算するには,一価の抗体フラ グメントの作製が必要である.しかしながら多くの抗糖質抗体では,その低 い結合能のためSPRで速度定数を求めるのは困難である.親和定数であれば, 通常,スキャッチャードプロットから算出することができる.
5.2.4 糖脂質に対する毒素の結合 膜の糖脂質に結合するタンパク質のなかで,細菌毒素のAB5群は最もよく研
200
(RU)
150
アシアロGM1
100 50 アシアロGM2 LacCer GM1 GM2
0 −50
900
1000
1100
1200
時 間(秒)
1300
図5・5 異なる糖脂質を10%含ん だDMPCリポソームへの250 nM 抗 アシアロ-GM1 IgM抗体の結合を示 すセンサーグラム.文献[1]から許 可を得て掲載.
163
究されているものである.この毒素は,酵素学的活性を担い毒性をもつサブ ユニットAと,五つのサブユニットBから構成されており,サブユニットBは この毒素の宿主細胞の膜への結合を仲介する.コレラ毒素や赤痢菌毒素な ど,これらの毒素の多くでは五つのサブユニットBは同一の分子からなる. 百日咳毒素はこの例外で,サブユニットBの五量体は四つの異なるサブユ ニットから構成されている.5種類のAB5毒素またはそのサブユニットBの五 量体の結晶構造が報告されている.これらは,コレラ毒素 (CT) ,大腸菌易 熱性毒素 (LT) ,赤痢菌毒素 (ST) ,赤痢菌様毒素 (SLT) ,百日咳毒素 (PT) で ある. これらの毒素のうち二つ,コレラ毒素と大腸菌易熱性毒素の糖脂質への結合 の特異性をSPR/リポソーム固定化法を用いて調べた[3].糖質リガンドを伴っ たコレラ毒素と大腸菌易熱性毒素の複合体結晶構造がすでに報告されてい る[7,8]ので,いろいろな糖脂質の結合を調べる実験方法を評価するのにたい へんよいモデル系である.SPR/リポソーム固定化法により,GM1はこれら 両方の毒素にとって優先的に結合するリガンドであることが認められた.コ レラ毒素と大腸菌易熱性毒素は,GD1bにはともに1/10のアフィニティーを 示した (図5・6) .これは,おもにより速い解離速度定数をもつことに起因し ている.大腸菌熱易熱性毒素のみは,アシアロ-GM1にも弱いながらアフィ ニティーを示すことがわかった[3]. この特異性の違いは,結晶構造でみられた結合部位の特徴ときわめてよく一 致する.たとえば,コレラ毒素と大腸菌易熱性毒素の特異性に関する微妙な 違いは,コレラ毒素では13番目のアミノ酸ががヒスチジン残基であるのに対 して,大腸菌易熱性毒素ではアルギニン残基であることから説明できる[6]. マイクロプレイト法を用いた実験やTLC overlay法と比較すると,SPR実験か ら得られた特異性はより限定的でありかつ結晶構造ともよく一致した.
350 300 GM1
結合量(RU)
250 200
GD1b
150 100 50 0
アシアロGM1, GQ1b, GD1a, GT1b GM2, LacCer, コントロール
−50 −100
850
900
950
1000
1050
時 間(秒)
164
1100
1150
1200
図5・6 異なる糖脂質に対するCTBの特異 性.100 nM CTBとおのおのの糖脂質を2%の 濃度で含むリポソームとの結合.文献[2]から 許可を得て掲載.
5
糖 - タンパク質相互作用解析
5.2.5 アナライトの結合における膜構成の影響 従来の技術に比べ,SPR/リポソーム固定化法の優れているおもな点は,たと えばリン脂質やコレステロールの含有量,あるいは糖脂質の濃度といった要 素が,結合に及ぼす影響を研究できることにある.コレラ毒素B5サブユニッ ト (CTB) 結合におけるリポソーム中のGM1含有率の影響を解析できるという ことは,この技術の有用性を示すよい例である.同一のCTB濃度のとき, GM1濃度が低いほどより速い結合が観察された (図5・7 a) .このデータを直 線変換すると,GM1がより高い濃度 (3%と4%) の場合,結合には速い結合速 度と遅い結合速度の2種類が存在し,GM1濃度が1%と2%の場合においては 速い結合速度だけが結合に寄与していることが明らかになった.平衡状態に おける結合のデータのスキャッチャードプロットからも,GM1濃度が低いほ どCTBとの結合がより強くなることが示された (図5・7 b) .これらのプロッ トから,2% GM1で1.7 nM,4% GM1で6.8 nMの解離定数 (KD) が得られた.2% リポソームの場合の値は,結合速度定数,解離速度定数から導き出された解 離定数の値0.73 nMとよく一致している (ka = 6.2×105 /M s,kd = 4.5×10−4 /s) .
5.2.6 結合価の影響 一般的に,タンパク質-糖質相互作用に特徴的な低いアフィニティーは,多 価で結合することで補われている.このことはタンパク質-糖質相互作用の
140 (a) 120
4% GM1 2% GM1
100
3% GM1
80
1% GM1
60 40 20 0
−20
平衡結合量/濃度(RU/nM)
(RU)
重要な性質であり,この相互作用が標準的な方法では容易に調べられない要
15 (b)
10
5
0 800
1000 時 間(秒)
1200
1400
0
20
40
60
80
100
平衡結合量(RU)
図5・7 CTBのGM1リポソームへの結合に対する糖脂質濃度の影響. (a) 1∼4% GM1を含 むリポソームに20 nM CTBを結合させたときのセンサーグラムを重ね書きした. (b) 2% (○) と4% (●) GM1を含むDMPCリポソームに対して,5∼30 nM CTBを結合させたときの 平衡状態のデータをスキャッチャードプロットした.文献[2]から許可を得て掲載.
165
因になっている.多価結合の影響により解離速度が遅くなるが,SPR手法を 用いるとこの影響をモニターできる. 一価と二価の結合を比較するという最も単純な場合,結合価の効果を定量的 に測定することができる.固定化された新規複合糖質への抗糖質抗体の一価 型と二価型の結合をSPRを用いて測定したところ,二価による結合は抗体の みかけのアフィニティーを約50∼100倍増強することが示された[5].より多 価な結合では,結合価の違いを識別できないので状況ははるかに複雑にな る.しかしながら,相対的な結果を得ることはできる. 抗アシアロ-GM1抗体とこの抗原である糖脂質を含んだリポソームとの結合 を,アシアロ-GM1の四糖残基による阻害を試みたところ,解離速度におい て著しい影響が観察された[2].その四糖残基を加えると,アシアロ-GM1を 含むリポソームに結合する抗体量を減少させる効果をもち,さらに四糖残基 の濃度の増加に伴って解離速度を著しく減少させた (図5・8 a) .解離のデー タを直線変換すると,速度定数に対する四糖の効果が顕著である(図5・8 b) .阻害剤89μM存在下での解離速度定数は6.2×10−5 /sで,四糖残基が存在 しないときに比べて約40倍遅い解離であった.この結果は,四糖残基存在下 でのより高度の平均結合価によるものである[2].その糖質リガンドは多価の 結合を促進し,四糖残基の濃度を上げても結合速度定数は変わらないため, 結果的により高いみかけのアフィニティーを示すこととなる[2].この観察 は,タンパク質-糖質相互作用を阻害する試薬をデザインするのに重要な示 唆を与える.
0.20
(a)
0μM 20μM 30μM 47μM 89μM
(RU)
300 200 100 0
(b)
0μM
0.15 ln(YO / Y)
400
0.10 20μM 30μM 47μM 89μM
0.05 0
−100
−0.05
0
100
200
300
時 間(秒)
400
500
275
325
375
425
時 間(秒)
図5・8 抗アシアロ-GM1 IgM抗体と10%アシアロ-GM1を含むDMPCリポソームの結合 のアシアロ-GM1四糖残基による阻害.(a) 異なる濃度の阻害剤存在下における結合のセ ンサーグラムを重ね書きした. (b) さまざまな阻害剤濃度での解離時のデータを線形変 換し重ね書きした.文献[1]から許可を得て掲載.
166
5
糖 - タンパク質相互作用解析
5.2.7 他の SPR 膜実験法との比較 最初にSPR方法を用いてアナライトと膜受容体との結合を解析した報告で は,組織から調製した小胞を固定化したと記載している[10].超音波処理によ りビオチン化したホスファチジルエタノールアミンを小胞に取込ませ,ビ オチン化小胞を抗ビオチン抗体を固定化したセンサーチップ表面に捕捉し た.安定した小胞表面は得られるが,表面を再生するのに問題が生じた. Se155-4抗体を用いるとセンサーチップ表面の再生は問題なく行えるので, サルモネラ血清型のLPSを天然の小胞に導入することができると,リポソー ムと同様に天然の小胞を捕捉するよい方法になる可能性がある. Plantらは,BIACOREセンサーチップ上にハイブリッド二重膜を形成したこ とを報告している[11].この方法では,人工的なリポソームをセンサーチップ 金薄膜上のアルカンチオール層と融合させている.アナライトは,ハイブ リッド二重膜の表層部分に埋込まれたリガンドに結合したのち,ハイブリッ ド二重膜の再生を行う.再生により部分的にアルカンチオール層が露出する ので,著しい非特異的結合を示すこともある. Kuziemkoらは,このハイブリッド二重膜とSPRを用いてCTBのリガンド特異 性を得たが[12],リポソーム固定化法で得られた結果[3]とは異なっている.彼 らが報告する結果は,CTB-GM1五糖結晶構造に基づいて合理的に説明する ことが困難なものであり,部分的には非特異的な結合によるものと思われ る.リポソーム固定化法の利点は,1回の結合実験ごとに新しい膜表面を作 製するところにある.さらに,つねに同じ抗体表面を使用するので,同一の 再生操作が適用できることである. Harrisonらは,HPAセンサーチップにアシアロ-GM1リポソームを融合するこ とで作製したハイブリッド二重膜と,固定化されたアシアロ-GM1リポソー ムに対する抗アシアロ-GM1 IgM抗体の結合を比較した[2].この2種類の表面 は少し異なる結合特性を示し,ハイブリッド二重膜表面のほうが同等の表面 密度において著しく高い抗体結合容量をもち合わせていた.この違いの理由 の一つとして,固定化されたリポソームの場合,糖脂質の半分はリポソーム の内側に存在し,結合にはかかわることができないということが考えられ る.さらに,平らなハイブリッド二重膜のほうが球形のリポソーム表面より も抗体に接しやすいということも影響しているかもしれない. 最近発表された,より薄いデキストラン層をもつ,あるいは,デキストラン 層がまったくないといったPioneerセンサーチップを用いると,リポソーム固 定化法による感度を上げられるかもしれない.というのも,リポソームはお そらくセンサーチップCM5上のデキストラン層に入り込むことがないので弱
167
いシグナルしか得られないが,金薄膜により近いところにリポソームをおく ことができることより大きな相互作用のシグナルが得られるからである.
5.2.8 おわりに 糖脂質は細菌,植物そして動物細胞の膜に存在し,正常な場合だけでなく病 理的な状態での認識機構に幅広くかかわっていることが示唆されている[13]. 糖脂質は,糖質の先端部分,脂質に埋込まれる部分のいずれも,構造的にた いへん変化に富んでいる[13].この多様性は,脂質の構造により糖質の提示状 態が変化することでさらに増幅される[14].したがって,糖質分子がin vivoで 存在するような,膜環境に近い実験条件下で測定することが強く望まれる. 相互作用を調べるにはマイクロプレート法やTLC overlay法では糖脂質を表 面に自由度のない状態で固定化してしまうこと,また提示状態に関する重要 な実験要素を分析できないことから,重大な実験上の限界がある. ここ数年のあいだにSPRの応用において急速な発展があり,その一番手とし て,さまざまな生体分子の相互作用を解析できる測定機器BIACOREがあ る.タンパク質と糖質が関与する相互作用を調べるに当たり,SPRを使用す ることで糖脂質やさらには糖タンパク質をin vivoの状況にきわめて近い環境 下におくことができるようになった.すでに明らかになっていることだが, この技術は他の方法では得られない情報を与えてくれる.将来的には,糖生 物学において,たとえば,タンパク質-糖脂質相互作用の阻害剤のスクリー ニングなどにSPR技術が幅広く応用されることが期待される. 筆者らは,以下の共同研究者,Eleonora Altman,Blair Harrison,Kok K. Lee, そしてMartin Youngに,ここに記した研究に貢献し有意義な議論をしてくれ たことを感謝します.また,Martin Young氏には,この文章を執筆するに当 たりご助言をいただいたことを感謝します.
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5
糖 - タンパク質相互作用解析
trisaccharide epitope by monoclonal antibody Se155-4. Biochemistry 33: 5172-5182 5. MacKenzie C R, Hirama T, Deng S -J, Bundle D R, Narang S. A, Young N M(1996) Analysis by surface plasmon resonance of the influence of valence on the ligand binding affinity and kinetics of an anti-carbohydrate antibody. J. Biol. Chem. 271: 1527-1533 6. Karlsson K -A (1995)Microbial recognition of target-cell glycoconjugates. Curr. Opin. Struct. Biol. 5: 622-635 7. Merritt E A, Sarfaty S, van den Akker F, LユHoir C L, Martial J A, Hol W G (1994) J Crystal structure of cholera toxin B-pentamer bound to receptor GM1 pentasaccharide. Protein Sci. 3: 166-177 8. Sixma T K, Pronk S E, Kalk K H, van Zanten B A M, Berguis A M, Hol W G (1992) J Lactose binding to heat-labile enterotoxin revealed by X-ray crystallography. Nature 355: 561-564 9. Angstrom J, Teneberg S, Karlsson K -A (1994) Delineation and comparison of ganglioside-binding epitopes for the toxins of Vibrio cholerae, Escherichia coli, and Clostridium tetani: Evidence for overlapping epitopes. Proc. Natl Acad. Sci. USA 91: 11859-11863 10.Masson L, Mazza A, Brousseau R (1994)Stable immobilization of lipid vesicles for kinetic studies using surface plasmon resonance. Anal. Biochem. 218: 405-412 11.Plant A L, Brigham-Burke M, Petrella E C, OユShannessy D ( J 1995)Phospholipid/ alkanethiol bilayers for cell-surface receptor studies by surface plasmon resonance. Anal. Biochem. 226: 342-348 12.Kuziemko G M, Stroh M, Stevens R C(1996)Cholera toxin affinity and specificity for gangliosides determined by surface plasmon resonance. Biochemistry 35: 6375-6383 13.Kopitz (1997) J Glycolipids: Structure and Function. In: Gabius H -J, Gabius S(eds) Glycosciences, Chapman and Hall, Weinheim, pp163-189 14.Lingwood C A(1996)Aglycone modulation of glycolipid receptor function. Glycoconjugate J. 13: 495-503
169
コラム:BIACORE を鍋釜のように使う 夏目 徹
際,キャピラリー電気泳動で等電点を決めてみ ると,pI 4.5 だった. この方法は,おおよその等電点を予想するのに は十分使える方法である.必要なのは,何も固定
5.等電点を簡単に調べる
化されてないセンサーチップ CM5 だけである.
サンプルの等電点を知りたいときがある. 「ちょっと参考までに知りたい」だけなので,わ ざわざ等電点電気泳動をするのはためらわれる. そこで BIACORE のセンサーチップを使ってみ てみることにした.タンパク質は等電点以下の pHの溶媒に溶けていればマイナスにチャージし
450
ているので,BIACORE のセンサーチップ CM5 上に打てば,プラスにチャージしている CM デ
350
pH4
キストランに吸着するはずである(この原理を 利用して,固定化する際にリガンドをデキスト 媒のpHを少しずつ変えていき,センサーチップ に吸着したら,そのときの pH が等電点である. 実際にやってみると,pH 5 ではまったく吸着し ないタンパク質が,pH 4.5 になるとセンサー チップに吸着した(図) .すなわち,このタンパ ク質の等電点は pH 4 ∼ 5 のあいだのようだ.実
170
250
pH4.5
(RU)
ラン上に濃縮しているのである) .サンプルの溶
150
pH7 pH6
50 −50
0
100
pH5
200 300 時 間 (秒)
400
500
6
6.1
脂質 - タンパク質相互作用解析
血液凝固因子
新井盛夫
6.1.1 はじめに 生体膜は,リン脂質を中心とした脂質の二重膜の内外に各種のタンパク質, 複合糖質がモザイク状に介在した複合体を構成している.生体膜から目的の 構成成分を単離して人工的に作った膜小胞 (リポソーム) や平面膜を再構成膜 という.生体膜の構成成分と他の生体物質間の動的相互作用の解析は,生体 膜の諸機能や動態を理解するうえで重要であり,古くより各種の再構成膜が 利用されてきた. BIACOREを用いた解析においては,リポソームを固定化するために,ビオ チン化ホスファチジルエタノールアミンを含むリポソームを,アビジン[1]や 抗ビオチン抗体[2]を介して従来のセンサーチップCM5に固定化したり,リポ 多糖を封入したリポソームを抗リポ多糖抗体を介して固定化する手法[3]が報 告されている.一方では,リン脂質をセンサーチップ上で直接平面膜に再構 成する方法が近年実用化されてきた.このことによって,脂質を対象とする 生体物質相互作用の研究においてもBIACOREシステムのもつ多くの利便性 が享受できるようになっている. 本節では,生体膜の主要構成成分であるリン脂質の基本と,BIACOREを利用し た再構成平面膜の作製,実験法を凝固第VIII因子とリン脂質の相互作用の実験例 を示しながら概説し,その有用性と今後の研究における発展性を考察したい.
6.1.2 リン脂質と再構成膜の基本構造 リン脂質は分子内に極性基 (親水基) と非極性基 (疎水基) の両方を有する両親媒 性の分子であるため,水溶液中に懸濁させると,分子種によって3種類の集合 体を形成する (図6・1) .ホスファチジルコリン (PC) やホスファチジルセリン (PS) は親水性の頭部と疎水性の脂肪鎖の空間的形態が円筒型に近いため,二分 子膜を基本とする層状構造を示す.ホスファチジルエタノールアミン (PE) で は親水性基が小さく円錐型の分子であるためにヘキサゴナルII構造をとりやす い.また,疎水性基が一本鎖からなるリゾホスファチジルコリンはバランスと して頭部が大きい逆円錐 (くさび) 型なので,球状のミセルを形成する.
171
逆円錐 (くさび) 型
円筒型
円錐型
分子型
親水基 疎水基 集合体
ミセル 代表脂質
リゾホスファチジルコリン
二重層 ホスファチジルコリン ホスファチジルセリン スフィンゴミエリン
ヘキサゴナルⅡ ホスファチジルエタノールアミン
図6・1 リン脂質の形態と基本的なリン脂質集合体の構造.
6.1.3 自己組織化単分子膜の原理 近年,固体表面に種々の分子を配向・集積させて固定化させる方法の一つで ある自己組織化法は,高密度で一定の指向性をもつ自己組織化単分子膜 (self-assembled monolayer) を簡便に構築できるため,各種分野で基礎研究, 応用研究が進められている.基本原理は,チオール基をもつ分子が金の表面 と特異的に結合してアルキル鎖間のファン・デル・ワールス力により,高密 度で均一の単分子膜を形成することにある[4,5].この際には特殊な装置や試 薬を必要とせず,金の基盤をチオール分子の溶液中に接触させておくだけで 容易に単分子膜が作られる.基盤としては,金の他にも銀,銅,白金,石英 なども利用できる. アルカンチオールを導入した金の薄膜表面にさらにリン脂質リポソームを加 えると,疎水性の脂肪鎖同士が自然融合して,リン脂質の極性基が外側に配 向された単層膜ができる[6,7](図6・2).1995年にPlantらは,この原理を BIACOREのセンサーチップの金表面で再現させた[8] .まもなくセンサー チップHPAのプロトタイプを用いて,ガングリオシドを混入させたリポソー ムを金の平面膜に再構成固定化し,BIACORE装置でコレラ毒素とガングリ オシドの結合動態が解析された[9].1996年からは製品化されたセンサーチッ プHPAが入手可能となっている.
172
6
脂質 - タンパク質相互作用解析
リポソーム
オクタデカンチオール 金層 ガラス層
図6・2 センサーチップHPAとリン脂質単層形成の模式図.オクタデカンチオールが導 入された金表面にリポソームが近接すると,疎水基同士が融合して単層のリン脂質平面 膜に再構成されていく.
BIACOREのセンサーチップはもともと金の薄膜を使用しているので,金表 面に自己組織化単分子膜を導入したものが開発されることはごく自然な流れ であったといえる.リン脂質を含む生体物質の相互作用の研究において,こ のセンサーチップを使えば,平面のリン脂質再構成膜を自在に構築できるう えにBIACOREシステムの諸機能を駆使できるため,今後広く利用されてい くと思われる.
6.1.4 凝固因子とリン脂質 血液凝固因子の活性化の流れはカスケード(cascade:連続する小さい滝) と 比喩されるように,基質である前酵素 (zymogen) がセリンプロテアーゼによ り加水分解を受けて活性化されると,新たなセリンプロテアーゼとなり,引 き続いて新たな前酵素を加水分解するという逐次反応から成り立っている. この連鎖反応の複数のステップによって,はじめに起こった小さなシグナル が増幅されてゆき,最終的に産生されてくるトロンビンにより,フィブリ ノーゲンから血栓の骨格となるフィブリン線維が形成される.これら一連の カスケード反応は,実際には生体膜のリン脂質表面で,複数の因子が複合体 を形成しながら進行する固相上の反応である.酵素,基質,補因子の三位一 体の複合体を形成することで酵素-基質反応の効率が飛躍的に高まる.この ときにリン脂質膜は,1) 複数の凝固因子を共通の結合場所に濃縮・集合さ せ,酵素-基質間の親和性を高める (Kmを下げる) ,2) アロステリック効果に より各凝固因子の反応性を促進させる,3) プロテインCなどのセリンプロテ 173
アーゼインヒビターの反応の場も提供し,凝固因子活性化の制御機構も付加さ せる,など,機能の合理化と多様化に大いに貢献している.図6・3には,生理 的に重要な核となる三つの複合体[10]の生体膜上での連鎖反応の流れを示した. 酸性リン脂質の一つであるホスファチジルセリン (PS) は,これらの凝固因子 との相互作用に必須であり,生理的には血小板膜のPSが重要である[11∼13].血 小板は,傷害された血管内皮細胞の下に露呈したコラーゲンなどの血管内皮 下組織に粘着・凝集し,活性化される.PSは非活性化血小板膜ではトランス ロカーゼにより膜の内側に偏在しているが,活性化に伴い膜の外側に反転 (フリップ-フロップ) して現われてくる.このようなダイナミックな変化に よって,PSを中心とした凝固因子の反応の足場が止血に必要な場所に限局し て形成されてくる.一方,損傷された血管内皮細胞には組織因子 (tissue factor, TF) が発現し,フリップ-フロップして細胞膜上に現われたPSと相まって組織 因子,第VIIa因子,第IX因子 (あるいは第X因子) 複合体が形成される. PSとの相互作用は凝固因子の種類により特徴がある.ビタミンK依存性の凝
IXa
X
Vllla
IXa
2+
Ca
Ca
2+
トロン ビン
Xa
2+
Ca
2+
Ca
Xa
IX 2+
Ca
Ca
la Vl
ホスファチジルセリン
2+
プ トロ ロ ン
Va Ca
2+
ビ
ン
Ca
2+
TF
ホスファチジルコリン
図6・3 生体膜上での複合体形成と凝固因子活性化の流れ.傷害された細胞表面に表れ た組織因子に第VIIa因子,第IX因子からなる三位一体の複合体を形成すると,第IX因子 が限定加水分解を受けて活性化 (IXa) される.第IXa因子はひき続き,第VIIIa因子と第X 因子とともに複合体 (Xase complex) を形成して第X因子を活性化 (Xa) する.さらに,第 Xa因子は第Va因子とプロトロンビンとともに複合体 (prothrombinase complex) を形成し, プロトロンビンはトロンビンに転換され液相中に遊離する.それぞれの複合体において 組織因子,第VIIIa因子,第Va因子は補因子として働き,酵素-基質反応の速度を高める. PSを含む細胞膜表面は各凝固因子に共有する複合体形成部位を与えて,酵素-基質の親和 性を高める.
174
6
脂質 - タンパク質相互作用解析
固因子であるプロトロンビン,第VII,IX,X因子は,タンパク質分子のN末 端にγ-カルボキシグルタミン酸を有し,Ca2+の存在下にPSと結合する.ま た補因子としての第Va (V) 因子,第VIIIa (VIII) 因子はC末端側のドメインを 介してCa2+非依存性にPSと結合することが知られている.以上のように凝固 因子の研究においてはPSを含む各種のリポソームが用いられてきた.
6.1.5 リン脂質リポソームの調製と センサーチップへの固定化 リポソームの作製法は諸種の方法が考案され,その目的に応じて使い分けら れている[14,15].ここでは,センサーチップHPAに固定化することを目的と したリポソームの簡便な調製法を示す.材料としては,凝固因子との相互作 用の検討に一般的に用いられる,PSとPCの複合リン脂質 (モル比20:80) を使 用した. 1) クロロホルムを溶媒とした1-palmitoyl-2-oleoyl-phosphatidylserineと1palmitoyl-2-oleoyl-phosphatidylocholine (Avanti Polar Lipids, Alabaster, AL, USA) を口径1.5 cmのガラス試験管にモル比で2:8になるように注入,混和する 2) ドラフト内で窒素ガスを吹き付けながらクロロホルムをとばし,ガラス 壁面になるべく薄く広がるようにリン脂質を固着させる.この際,ガラス試 験管を恒温槽で37℃に温めながら行うと溶媒の除去が手早く行える.さら に,減圧デシケータ中で数時間から一晩静置し,溶媒を完全に除去,乾燥さ せる 3) ここにリン脂質の終濃度が1 mMになるように緩衝液(20 mM Tris-HCl0.15 M NaCl, pH 7.4)を加えたのち,Vortexミキサーなどを用いて振とう混 和し,機械的に薄膜をはがして水和させると,乳白色のリン脂質懸濁液がで きる.この状態のリポソ−ムは粒子の直径が0.2∼5μmと不均一で,タマネ ギ状の層構造をもつ多重層リポソーム (multiple lamellar vesicles, MLV) とよ ばれる状態である[16].緩衝液は目的に応じて中性付近で生理的イオン強度の ものを使用すればよいが,リポソームの作製からBIACOREの解析にいたる まで同一のものを用いる.リン脂質分子の集合形態や物性はpH,イオン強 度,温度,Ca2+の存在に影響を受けやすい.また,不飽和脂肪酸を含むリン 脂質を扱うときには,過酸化を防ぐためになるべく窒素ガスやアルゴンガス などの不活性ガスの気流下で実験を行い,アルミホイルなどで直射光を避け るようにする.MLVからさらに単層リポソーム(unilamellar vesicles) を作製 するために,以下の4) 超音波処理あるいは5) 膜押し出し法のいずれかを行う 4) 超音波処理 (sonication) :超音波処理装置にはプローブ型と浴槽型がある 175
が,ここでは前者(Sonifier II Model 250D; Branson Ultrasonics Corp., Danbury, CT, USA,セントラル科学貿易扱い) を用いる.3) で得られたガラス試験管 のMLV溶液の液面から4 mmほどプローブを挿入して固定する.超音波処理 により発生する熱を逃がすために,試験管は氷水を入れたビーカー内に入れ ておく.また,プローブと試験管の間には細い管を通して窒素ガスを流入さ せるようにする.超音波照射を数分間行うと比較的透明な小さな単層のリポ ソーム (small unilamellar vesicles, SUV)溶液が得られる.処理後は,100,000 ×g,25℃で20分間遠心して,溶液中に残留するMLVやプローブから遊離し たチタン粒子を除去する.さらに,減圧デシケータ中で数時間から一晩静置 して十分に脱気しておく.超音波処理で作製したSUVは直径20∼35 nmと比 較的均一サイズの単層(二重膜)粒子である 5) 膜押し出し法 (membrane extrusion) :二つのマイクロシリンジ (500μl) の 間に孔径50 nmのポリカーボネート膜を密着装填して,シリンジに入れた MLV懸濁液を強い圧力で機械的に一定の孔径の膜を繰返し通過させること により,リポソームが分離・再構成し,徐々に比較的粒子径のそろった大き な単層のリポソーム(large unilamellar vesicles, LUV)ができる[17].通常は二 つのシリンジを交互に押して,リン脂質溶液を11∼21回往復通過させれば十 分である.使用するポリカーボネート膜の孔径により形成されるLUVのサイ ズは異なり,30 nmと100 nmのものではそれぞれ平均直径47∼54 nm,69∼ 80 nmのLUVができる.また,用いるリン脂質の種類によっても粒子径は異 なり,PCやPSでは100 nmの孔径の膜で80 nm程度のLUVができるが,PAで はそれより大きく,PIでは小さめの粒子となる.このリポソーム作製器は必 要なものがすべてセットとなった市販品が入手できる (LiposoFastTM, Avestin Inc. Ottawa, ON, Canada, セントラル科学貿易扱い).BIACOREのセンサー チップHPAの固定化に用いるリン脂質溶液は通常300μl程度で十分である. LiposoFastは0.1∼1.0 mlの資料を5分以内で調製でき,死腔が少なく,少量の 試料の調製後もほとんど回収できる.また,従来の膜押し出し法[18,19]に比
15000
リポソーム
(RU)
14000 13000
100mM NaOH
オクチ ルグル コシド
12000 11000
1100
10000 9000
RU
0
300 600 900 1200 1500 1800 2100 2400 2700 時 間 (秒)
176
図6・4 センサーチップHPAへのリン脂質膜 固定化.オクチルグルコシドで5分間洗浄後, 超音波処理で調製したPS / PC(モル比20: 80),1 mMのリポソーム溶液を30分間流し た.さらに,100 mM NaOHを1分間流すと不 十分に癒合した分子が解離し,ベースライン が安定した.この時点で安定なリン脂質単層 平面膜が形成されている.流速:5μl/min.
6
脂質 - タンパク質相互作用解析
べ,窒素ガスボンベや特殊なセル装置が不要で簡便に行える点で大変便利で ある.本法の処理後にも減圧デシケータ中で数時間から一晩静置して,十分 脱気しておく 図6・4には,上記の超音波処理で作製したSUV(リン脂質濃度1.0 mM) を固 定化した実験結果を示した.センサーグラムからは膜形成速度は速く,はじ めの5分間で多重膜形成が平衡状態になっていると考えられる.100 mM NaOHを流したあとは,オクチルグルコシド添加後のベースラインから1100 RU上昇しており,安定した単層平面膜が残ったと考えられた.
6.1.6 リン脂質と凝固第 VIII 因子の相互作用の解析 図6・5に,センサーチップHPAに固定化したPS / PC膜に凝固第VIII因子を アナライトとして反応させた実験例を示した.一般的なBIACOREの解析と 同様に,短時間に再現性の高い実験結果が得られた.BIAevaluation 2.1を用 いてデータ解析すると,両者の相互反応定数は,ka = 20.5±17.5 (104 /M s) ,
kd = 6.9±0.9(10−4 /s),KD = 5.3±3.4(nM)であった.リン脂質リポソームと 第VIII因子の結合動態を共鳴エネルギー移動法を用いて解析した報告[20]で は,みかけのKD値として2∼4 nMとしており,ほぼ同等の結果であった. センサーチップHPAでの解析では,使用する緩衝液には界面活性剤を入れない ことと,十分脱気しておくことに注意すれば,CM5などのセンサーチップと同 様に解析できる.また結合したタンパク質は,通常10 mMのNaOHを1分間流せ ば解離し,リン脂質表面は再生使用できる.一度形成された単層平面膜は比較 的安定で,界面活性剤や有機溶媒に触れることがなければその後の解析におい て繰返し使用できる.また,窒素ガスを注入した緩衝液中に封入し遮光して保 存すれば,経験的には6ヶ月以上保存しても実験の再現性はよい.
バッファー
13000 12500
第Ⅷ因子
10mM NaOH
(RU)
12000 11500 11000 10500 10000 9500 0
80 160 240 320 400 480 560 640 720 800 時 間 (秒)
図6・5 リン脂質膜と凝固第VIII因子との相 互作用の実例.PS/PC(モル比20:80)のリン 脂質膜を固定化したセンサーチップHPAに第 VIII因子を0.625∼10μg/ml添加したときのセ ンサーグラムを重ねて示した.10 mM NaOH を1分間流すとベースラインはほぼもとにもど り,リン脂質膜表面は再生されている.流 速:20μl/min.
177
6.1.7 今後の研究における発展性 以上のように,センサーチップHPAを用いたBIACOREシステムは,リン脂 質固相化平面膜を利用したユニークなシステムで,リン脂質-タンパク質相 互反応の研究において操作性や解析力の面で優れた点が多い.リン脂質集合 体の可塑性を考慮すると,リン脂質-タンパク質反応は一元的なものではな く,非線形の複雑系反応である可能性があるが,本システムでのリアルタイ ムでのデータ解析により,新しい視点での知見も期待できるであろう.しか し,金表面側のオクタデカンチオールは,その上層に形成させるリン脂質平 面層に比べて分子運動の自由度は制限されている.したがって,ここにコレ ステロールや膜貫通型の糖タンパク質などを導入した再構成膜を構築すると きには,生理的な条件が修飾される可能性も念頭に入れる必要があろう.
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6
脂質 - タンパク質相互作用解析
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179
コラム:BIACORE を鍋釜のように使う とも珍しくない.また pH は低い方がよいそう だ.そこで,BIACOREを使い構造解析用のサン
夏目 徹
プルの熱安定性などを調べてみた. サンプルを40℃でインキュベートし経日変化を
6.構造解析の条件設定
追った.幸いなことに,40℃で 7 日間インキュ
立体構造解析は大プロジェクトである.たとえ
ベートしてもリガンドに対する結合能はほとん
ば,NMR で立体構造解析をする場合,サンプル
ど変化しないことがわかった(図a) .すなわち,
の量もさることながら,タンパク質を安定同位
かなり長時間のデータ集積にたえるようだ.ま
体で標識する必要があることもままある.これ
た,このレセプターとリガンドとの相互作用は,
は,大腸菌の培地の窒素源や炭素源をすべて同
イオン強度が低すぎると消失し,200∼400 mM
位体で置き換えて,タンパク質を合成させるこ
で最大であった(図 b) .また,pH は 6 まで下げ
とによって行う.この,実に高価で手間のかかっ
てもよいこともわかった.これらの結果を総合
たサンプルを少しでもむだにはしたくはないの
して,測定時のサンプルの溶媒の塩濃度,pH,測
だが,pH,イオン強度などのパラメータを種々
定温度などを決定した.
に変え,NMRスペクトルを得るための至適条件
この予備実験で,かなりのサンプルと時間が節
を検討しなければならない.また,実際の実験
約されたと信じている.
では 37℃で 1 週間以上もシグナルを集積するこ
700 500
4日目
400
400
7日目
300
300 200
100
0
0 300
600 時 間(分)
180
200,400 mM 100 mM 50 mM
200
100 −100 0
(b)
500
(RU)
(RU)
600
600
コントロール 2日目
(a)
0 mM
-100 50
100
150 200 時 間(秒)
250 300 350
7
7.1
精製・スクリーニングへの応用
受容体型チロシンキナーゼのリガンド同定および精製 坂野誠治,須田年生
7.1.1 はじめに 受容体型チロシンキナーゼ(Receptor Protein-Tyrosine Kinase,以下RTKとす る)は多くの増殖,分化因子などの受容体として,重要な機能を担ってい る.また,RTKは数多くのファミリーから構成され,細胞内部分には各分子 間でアミノ酸配列の類似性の高いキナーゼドメインを有し,細胞外部分には 各ファミリー間でその構成が大きく異なる結合分子 (リガンド) が作用するド メインを有している. 近年,キナーゼドメインのアミノ酸配列が保存されていることに着目し,ク ロスハイブリダイゼーション法やPCR法にて多くの新規なRTK遺伝子が同定 された.これらはリガンド不明ないわゆる“みなしご”レセプター(orphan receptor) であり,過去の研究からこれらRTKのリガンドは生体にとって重要 な生理活性分子であると考えられる. 筆者らは,血液細胞を対象として,新しいチロシンキナーゼ遺伝子の探索を PCR法によりマウス造血幹細胞,ヒト白血病細胞株などから試み,新規なチ ロシンキナーゼを複数同定し全長の遺伝子クローニングを行った[1,2].これ らチロシンキナーゼのなかで新しいRTKとしてHTK (Hepatoma transmembrane kinase) を同定し,HTKが血液細胞においては赤血球系前駆細胞に特異的に 発現されることを明らかにした[3∼5].同時に,HTKのリガンド分子HTK-Lを 同定し,遺伝子クローニングを行った[3,4].その方法として,各種細胞上清 をBIACOREを用いてスクリーニングし,リガンド高発現細胞株の同定を行 い,さらに,この細胞株上清よりリガンド分子の挙動をBIACOREでモニ ターしながらリガンドタンパク質の精製に成功した. BIACOREを用いたRTKのリガンド同定は,Bartleyらの初めての報告以降, 筆者らの例も含め報告が増えつつある[6∼9].本節では,筆者らの手法の紹介 を中心に,具体的なリガンド同定に関するBIACOREの応用手法について述 べる.
181
7.1.2 リガンド同定における技術・戦略 RTKのみならず,リガンド分子同定を行うためにはレセプター遺伝子の細胞 外部分を異種タンパク質とのキメラタンパク質として発現させることが一般 に行われる.そのタンパク質としては, 1) IgGのFc部分 2) アルカリホスファターゼ 3) FLAG (8アミノ酸から構成される,コスモバイオから抗体など入手できる) などが挙げられる.このようにしてキメラタンパク質として発現させること により,プロテインAまたは抗体のアフィニティーカラムで精製することが でき,さらに,精製レセプターはリガンドとの結合実験などにおいても利用 できる.特に,IgGキメラについては抗体のヒンジ部分を含みリガンド結合 部位が二価になるため,あとで述べるようにBIACOREでのスクリーニング などで有利となり,特に差し支えがなければ1) のIgGキメラを作製すること を推奨する.ただし,分子によってはIgGキメラの発現がうまくゆかない場 合もある.特に,IgGとFcをつなぐ近傍にシステイン残基があるとヒンジ部 分のシステイン残基とジスルフィド結合をするためか発現ができないことが ある.このような場合には,2) ,3) の方法で発現させる.アルカリホスファ ターゼ,FLAGとも抗体が手にはいるので精製ならびに検出は容易である. このようにして作製したレセプタータンパク質を用いて,まずはじめに,リ ガンド分子を高発現している細胞株,臓器を同定する必要がある.その方法 としては, 1) BIACOREによる各種細胞培養上清のスクリーニング 2) フローサイトメータ (FACS) ,放射性同位体を用いた細胞への結合によ るスクリーニング 3) 抗体染色のように組織・臓器を染色してリガンド高発現部位を特定する 方法 が挙げられる.一般に,これらの方法の一つだけでなく二つ以上を組合わせ て行うのが通常である.1) についてはリガンドが細胞から分泌されているこ とが必要であり,逆に,2) ではリガンドが細胞膜上にあることを必要とす る.3) はどちらでもよいが,のちにリガンドタンパク質を精製したり遺伝子 クローニングするのに十分な組織の量を得るのが難しい場合がある.
182
7
精製・スクリーニングへの応用
このようにしてリガンド高発現細胞株を同定できたら,そのつぎにリガンド 分子の同定・遺伝子クローニングを行う.リガンドの同定には,つぎのよう な二つの方法論が考えられる. 1) タンパク質精製 → アミノ酸配列決定 → 遺伝子クローニング 2) 発現クローニング 2) の方法論のほうがステップが1段階しかないので楽に思われるかもしれな いが,発現クローニング法はライブラリーの作製が難しく,また,プラスミ ドベクターを用いるため,リガンド分子が巨大分子であった場合クローニン グは困難を極める.1) の方法論では,レセプターキメラタンパク質を作製し ているのでこれによるアフィニティーカラムを利用したり,また, BIACOREで結合をモニターしながらクロマトグラフィーで精製できるので 精製自体にはさほどの困難を伴わない. つぎに,BIACOREを用いたスクリーニングならびにBIACOREを用いたタン パク質の精製についての実例を紹介する.
7.1.3 リガンド発現細胞の同定への応用 COS細胞にて発現させ,プロテインAカラムにて精製したHTKIgGキメラタ ンパク質を用いてセンサーチップを作製した.比較として,市販のヒトIgG1 のセンサーチップもしくはBSAなどのセンサーチップも作製した.スクリー ニングではできるだけ感度を上げたいので,なるべく濃いキメラタンパク質 (数百μg/ml程度) を調製し,調製後RU値で10,000 RU程度あがるくらいの固 定化量とした. 細胞培養上清は,はじめにSub-confluent程度に培養した動物細胞を無血清に 培地に切り替えて3日間程度培養し上清を回収した.この無血清培養時に, 各種刺激剤 (PMA,TNFなど) を加えて行うことも可能である.回収された細 胞培養上清はセントリコンなどで2∼30倍以上に濃縮し,同時にBIACORE用 HBSバッファーに置換して凍結保存した.このようにして凍結した細胞培養 上清を使用する際には,解凍後沈殿が生じる場合があるので,10,000 rpm程 度で遠心分離して用いた. 図7・1に,具体的なスクリーニングのときのセンサーグラムを示す.はじめ にA点でベースラインのRU値を計測し,その後,サンプルが流れることに よりバルク効果と思われるRU値の上昇がみられる.これは特異的な結合で はないのでデータは取り込まずに,サンプルからバッファーに切り替わった 直後のB点のRU値を計測し,B点のRU値からA点のRU値を差し引いて結合 183
0
184
比結合活性
20500 0
HeLa OHIO/PMA HeLa OHIO K562/PMA K562 Daudi/PMA Daudi HL60/PMA HL60 Raji Raji/PMA C−1 C−1/PMA C−1/TNF T24 T24/PMA T24/TNF U937 U937/PMA Jarkat Jarkat/PMA UT−7 UT−7/PMA COLO205 COLO205/PMA COLO205/TNF MKN−7 MKN−74/PMA MKN−74/TNF HEL HEL/PMA HEL/TNF H−1 H−1/PMA H−1/TNF PC−9 PC−9/PMA PC−9/TNF COLO320 DM COLO320 DM/PMA COLO320 DM/TNF A431 A431/PMA A431/TNF MKN−1 MKN−1/PMA MKN−1/TNF KATO III KATO III/PMA HeLa 117 HeLa 117/PMA KB KB/PMA KB/TNF HeLa HeLa/PMA HeLa/TNF MRC−5 MRC−5/PMA MRC−5/TNF PC−14 PC−14/PMA PC−14/TNF NBT2 NBT2/PMA NBT2/TNF MKN−28 MKN−28/PMA MKN−28/TNF BT20 BT20/PMA BT20/TNF Hep3B Hep3B/PMA
5637 5637/PMA
KG−1a KG−1a/PMA CCRF−CEM CCRF−CEM/PMA SEKI SEKI/PMA THP−1 THP−1/PMA
(RU)
21000 B
A
100 200 時間(秒)
300 400 500
を見直す必要も考えられる. 図7・1 細胞培養上清とHTKIg間の相互作用の BIACOREの測定例.
5
4
3
2
1
図7・2 各種細胞培養上清のBIACOREを用いたスクリーニング例(文献[3]より転載).
活性とする.このようにして測定された各種細胞株の値を図7・2に示す.こ
れらのなかで特に高い結合活性を示した細胞株について,さらにレセプター
自己リン酸化アッセイ,FACSなどの他の方法を併用することで確認し,リ
ガンド同定を行う細胞株を決定する.
いままでにいろいろな施設で,RTKのリガンド同定においてBIACOREを用
いた上清スクリーニングが行われているが,これらの具体的な結合活性の
データの取り方についての詳細は不明である.細胞培養上清はどうしても
バッファー置換が不十分であるので,バルク効果は避けられない.そこで,
同一サンプルを比較のコントロールチップに流してバックグラウンドとして
データを差し引くか,もしくは,筆者らの方法にて測定する必要がある.バ
ルク効果によるサンプルロード中のRU値があまりにも高いときにはデータ
7
精製・スクリーニングへの応用
また,筆者らの経験では,BIACOREでのスクリーニングを二価のIgGキメラ と一価のFLAGキメラで比較したところ,IgGキメラのほうが高い値を得 た.また,最終的に遺伝子クローニングしたリガンド分子の組換えタンパク 質と,レセプターのIgGキメラもしくはFLAGキメラとの結合をBIACOREで 比較したところ,二価のIgGキメラと一価のFLAGキメラでは解離定数KDの 値は同一であるが,IgGキメラはFLAGキメラに比べて結合速度定数 (ka) が大 きく,解離速度定数 (kd) は小さいことが示された.このことから,スクリー ニング時では図7・1のB点のRU値は,解離速度が速い (解離速度定数が大き い) とバルク効果との見分けが難しく,解離速度が遅い (解離速度定数が小さ い) ほうが筆者らのデータの取り方にとっては有効である.したがって,筆 者らの方法でデータをとる際には,できるかぎりIgGキメラを用いてスク リーニングを行うことが望ましいと考えられる.同様なデータが同じRTKの EGFレセプターにて二量体 (IgGキメラ) と単量体の比較で示されており,こ の現象は少なくともRTKにおいては一般的なものと想像される[10].
7.1.4 リガンド精製への応用 リガンド発現細胞として同定されたC-1細胞の無血清細胞培養上清を調製 し,これからリガンド分子の精製を行った.はじめに,HTKIgにて作製され たアフィニティーカラムにて精製を行った.このように一次精製された分子 をゲルろ過にて分画し,おのおのの画分を前項に示した条件で結合活性を測 定した.その結果を図7・3に示す.紫外部吸光度では複数のピークが確認 されたが,実際に結合活性を有していた部分はこのなかの二つのピークで あったことがわかる.この結合活性があった画分をさらに精製し,アミノ酸 配列を決定して遺伝子クローニングに至った.
(a)
67kDa
43kDa
25kDa 13.7kDa
100
(b)
A 214
(RU)
80 60 40 20
1 3 5 7 9 11 14 17 20 23 26 29 32 35 38 画分番号
06
10
15
20
25
30
画分番号
図7・3 一次精製されたHTK-Lのゲルろ過画分の (a) 紫外部吸光と (b) BIACOREの結合活性.
185
このように,精製の過程で結合活性がBIACOREでモニターできることは, きわめて有効である.特に,BIACOREにおいては,自動的に測定できるこ とで翌日にはどの部分に結合活性があるかがわかるため,すぐつぎのステッ プに移ることができる.LackmannらはBIACOREを用いて胎盤から通常の精 製手法でRTKのリガンドタンパク質を精製しており,かなり夾雑物の多い試 料中でも十分結合活性をモニターしながら精製できることを示している[7]. これらの点は,R T K のみならず結合分子を精製するときの手法として BIACOREの利用可能性の高さを示しているといえる.
7.1.5 おわりに 筆者らのHTKリガンド同定でのBIACORE利用の例を簡単に紹介してきた. 紙面の都合上データの大部分を割愛したが,詳細は原著を参照していただき たい[3,4]. 最近の報告をみると,R T K のリガンドを同定することに対してすでに BIACOREは1st Choiceになった感がある.しかしながら,近年のRTKのリガ ンド同定の報告の大部分が米国のベンチャー企業によって行われている現状 を考えると,細胞培養上清のライブラリーを作製することは相当なエネル ギーを要するため,相当な研究費がある研究室か企業でないとアプローチす ることは難しいのかもしれない.また,実際にはBIACOREでスクリーニン グして結合が確認できなかった細胞株上清から別の方法で精製・クローニン グできた例もあるように,必ず成功する方法ともかぎらない[11]. しかし,BIACOREを用いたリガンド同定はまだはじまったばかりであり, 今後多くの施設において同様なアプローチでリガンド分子の同定を進めるこ とにより,この手法がさらに洗練され,一般的な技術手法として幅広く使わ れることに期待したい.
参考文献 1. Iwama A, Okano K, Sudo T, Matsuda Y, Suda T(1994)Molecular cloning of a novel receptor tyrosine kinase gene, STK, derived from enriched hematopoietic stem cells. Blood 83: 3160-3169 2. Sakano S, Iwama A, Inazawa J, Ariyama T, Ohno M, Suda T (1994)Molecular cloning of a novel non-receptor tyrosine kinase, HYL(hematopoietic consensus tyrosine-lacking kinase).Oncogene 9: 1155-1161 3. Sakano S, Iwama A, Ito A, Kato C, Shimizu Y, Shimizu R, Serizawa R, Inada T, Kondo S, Ohno M, Suda T(1996)Identification and characterization of a ligand for receptor tyrosine kinase HTK expressed in hematopoietic cells. In: Ikehara S, Takaku F, Good RA
186
7
精製・スクリーニングへの応用
(eds),Bone Marrow Transplantation-Basic and Clinical Studies. Springer-Verlag, Tokyo, pp36-46 4. Sakano S, Serizawa R, Inada T, Iwama A, Ito A, Kato C, Shimizu Y, Shinkai F, Shimizu R, Kondo S, Ohno M, Suda T(1996)Characterization of a ligand for receptor proteintyrosine kinase HTK expressed in immature hematopoietic cells. Oncogene 13: 813-822 5. Inada T, Iwama A, Sakano S, Ohno M, Sawada K, Suda T (1997) Selective expression of the receptor tyrosine kinase, HTK on erythroid progenitors of human bone marrow. Blood 73: 2757-2765 6. Bartley T D, Hunt R W, Welcher A A, Boyle W J, Parker V P, Lindberg R A, Lu H S, Colombero A M, Elliott R L, Guthrie B A, Hoist P L, Skrine J D, Toso R J, Zhang M, Fernandez E, Trail G, Varnum B, Yarden Y, Hunter T, Fox G M (1994)B61 is a ligand for the ECK receptor protein-tyrosine kinase. Nature 368: 558-560 7. Lackmann M, Bucci T, Mann R J, Kravets L A, Viney E, Smith F, Moritz R L, Carter W, Simpson R J, Nicola N A, Mackwell K, Nice E C, Wilks A F, Boyd A W (1996) Purification of a ligand for the EPH-like receptor HEK using a biosensor-based affinity detection approach. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 93: 2523-2527 8. Davis S, Aldrich T H, Jones P F, Acheson A, Compton D L, Jain V, Ryan T E, Bruno J, Radziejewski C, Maisonpierre P C, Yancopoulos G D (1996) Isolation of angiopoietin-1, a ligand for the TIE2 receptor, by secretion-trap expression cloning. Cell 87:1161-1169 9. Fitz L J, Morris J C, Towler P, Long A, Burgess P, Greco R, Wang J, Gassaway R, Nickbarg E, Kovacic S, Ciarletta A, Giannotti J, Finnerty H, Zollner R, Beier D R, Leak L V, Turner K J, Wood C R(1997)Characterization of murine Flt4 ligand/VEGF-C. Oncogene 15: 613-618 10.Zhou M, Felder S, Rubinstein M, Hurwitz D R, Ullrich A, Lax I, Schlessinger (1993) J Realtime measurements of kinetics of EGF binding to soluble EGF receptor monomers and dimers support the dimerization model for receptor activation. Biochemistry 32: 8193-8198 11.Shrivastava A, Radziejewski C, Campbell E, Kovac L, McGlynn M, Ryan T E, Davis S, Goldfarb M P, Glass D J, Lemke G, Yancopoulos G D (1997) An orphan receptor tyrosine kinase family whose members serve as nonintegrin collagen receptors. Mol. Cell 1: 25-34
7.2
イノシトールトリスリン酸レセプターに作用する 物質のスクリーニング 新家一男,瀬戸治男
7.2.1 はじめに BIACOREは,分子間の結合関係を取り扱いの繁雑な放射性同位体を用い
187
ず,かつ,高感度に検出する[1,2].この原理をいかして,天然由来の生理活 性物質のランダムスクリーニングへの応用が可能である.実際の医薬の場 合,免疫応答や化学修飾の問題より低分子化合物であることが好ましい. BIACOREを用いた研究では高分子間の相互関係を解析したものが多く報告 されているが,BIACOREの解像度からすると低分子-高分子間あるいは低分 子-低分子間の解析も可能である.このような観点から,筆者らはBIACORE を用いて,微生物代謝産物をはじめとして天然より低分子生理活性物質のス クリーニングを実施している.以下,筆者らが行っている実際のスクリーニ ングについて記述する. カルシウムイオンは細胞内で,筋収縮,分泌および神経伝達などにおいて間接 的あるいは直接的に細胞内メッセンジャーとしてはたらいている.細胞内のカ ルシウム濃度は,細胞外からの流入と,細胞内ストアからの放出の2種類の経 路を介して上昇する.前者を介したカルシウム上昇はよく研究されており,こ のカルシウムチャンネルのブロッカーは筋弛緩剤や高血圧治療薬などとして臨 床応用されている.それに対し,細胞内ストアからの放出はリアノジンレセプ ターおよびイノシトールトリスリン酸 (InsP3) レセプター[3]を介するが,この InsP3レセプターについては,近年,遺伝子操作を用いた分子生物学的解析によ り急激な進歩を遂げているとはいえ,いまだ多くのことが未解明なままであ る.InsP3レセプターは中枢疾患特に脳血管攣縮,脳虚血疾患をはじめとして, 不整脈,心疾患,免疫疾患,炎症およびアレルギーなどさまざまな疾患に関与 するといわれているにもかかわらず,InsP3レセプターに作用する薬剤はほとん どないといっても過言ではない.そのため,現在多くの研究者がそのアゴニス トおよびアンタゴニストのスクリーニングを行っている. BIACOREを用いたスクリーニングを以下順を追って説明するが,操作は, 1) リガンドのセンサーチップへの固定,2) アナライトの調製,3) スクリーニ ングサンプルの調製および測定,の三つの事項からなる.
7.2.2 InsP3 を固定化したセンサーチップの作製 BIACOREは前述のとおり,分子間の結合量を質量の差として検出すること によって定量する.そのため,分子間相互作用を解析する場合,分子量が小 さいほうをリガンドとして固定化し,大きいほうをアナライトとしてイン ジェクトする方法が結合の際の変化量が大きくなるため解析が容易である. また,分子間のアフィニティーが高いほど検出は容易である.通常, BIACOREでは,生体分子としてタンパク質をセンサーチップ上に固定する ことを考えるが,アフィニティーの低いInsP3-InsP3レセプターの相互作用を 検出する系では,分子量の小さいInsP(分子量420) をリガンドとしてセン 3 サーチップ上に固定化し,分子量の大きいInsP3レセプター (単量体の分子量 188
7
精製・スクリーニングへの応用
約320,000) をアナライトとしてセンサーチップ上にインジェクトする方法が 適している. BIACOREにおけるリガンドをセンサーチップに固定化する方法として, 1) センサーチップ上のカルボキシメチルデキストランに,水溶性カルボジ イミドを用いてアミノ基を有するリガンドを固定化する方法 2) タンパク質のCys残基を利用して固定化するチオール法 3) ストレプトアビジンが固定化されているセンサーチップにビオチン-ア ビジン共有結合を利用して固定化する方法 の三つの方法があるが,InsP3をはじめとして多くの低分子化合物は,いずれ の方法を用いてもそのままではセンサーチップ上に固定することができな い.このような場合,両物質間の結合には影響を与えないような誘導体を調 製し,センサーチップ上へ固定化する方法を用いることが要求される.InsP3 の場合,その構造的特徴からアミノ基やSH基を導入するよりはビオチン化 が最も適当な手段であると考え,ビオチン化InsP3とセンサーチップSAを用 いて,ビオチン-アビジン法による固定化を行った. 本実験では,流量を50μl/minとした.バッファーを流し,ベースラインが 安定しているかをチェックする.安定していないときは食塩を少量インジェ クトするとよい.つづいて,ビオチン化InsP3を調製する.HBSバッファー 100μlにビオチン化InsP3を50 ng/mlとなるように溶解し,ビオチン化InsP3溶 液を50μlインジェクトする.通常,この操作により,最終的に200 RUの質 量変化がみられる.この変化量がビオチン化InsP3の固定量である.センサー グラムにおいて,表面積1 mm2のセンサーチップ上に約1 ngの物質が結合し た場合の変化量が1000 RUであるので,約0.2 ngのビオチン化InsP3が結合し たことになる.BIACOREで物質間の結合を検討する際,この程度の固定化 量が理想的である. つぎに,コントロールとして,ビオチン化タンパク質を同様の方法で別のフ ローセルのセンサーチップ上に固定する.ビオチン化タンパク質としては, ビオチン化IgGあるいはビオチン化プロテインAをHBSバッファー100μlに50 ng/mlとなるよう溶解して用いた. 以上の操作により,ビオチン化タンパク質とビオチン化InsP3がそれぞれ固定 された.このときのビオチン化タンパク質は,センサーチップ上のアビジン 分子を不活性化するために用いている.測定ではこのフローセルをコント ロールとして用いる.すなわち,実際のスクリーニングでは,この二つのフ ローセルへの結合量の差が正味の結合量となる. 189
7.2.3 アナライトの調製 アナライトは,通常のInsP3レセプターではなく,InsP3とのアフィニティー の高いN末端InsP3レセプターを用いた[4].精製の各ステップで,レセプター タンパク質の活性はBIACOREを用いて検出した.発現させたタンパク質が レセプターの場合,酵素とは異なり,実際に活性のあるタンパク質が発現し ているのかどうか,また,精製時の活性画分の同定が困難である.しかしな がら,いったん系を確立してしまえば,このような場合でもBIACOREを用 いることにより発現させたレセプターの活性および活性画分を容易に確認す ることが可能である.
7.2.4 スクリーニング系の構築 BIACOREは一定の流速で一定量のアナライトを流すが,物質間の結合力は おのおの異なるため,確実に物質間の結合を観察するためには測定条件を詳 細に検討することが必要となる.スクリーニングではより多くのサンプルを 短時間に処理することが好ましい.そのため,流速はできるだけ速くし,1 サンプルの測定時間 (サイクル時間) を短くすることが望まれる.しかしなが ら,物質間の結合が弱い場合,流速が速いとアナライトとリガンドが結合し たか否かを検出することが容易ではない.InsP3レセプターを用いた場合,ア ナライト量,流速については,ランニングバッファーとしてH B S バッ ファー,流速を10μl/min,InsP3レセプター量を500 nMの条件で行うのが最 も適切であった. つぎに,上記条件下で本系が問題なく作動するかを確認するため,各濃度の 遊離InsP3をインジェクトすることによるレセプター結合阻害を検討した.本 測定のセンサーグラムを図7・4に示す.図に示すよう,遊離のInsP3が濃度依 存的にInsP3レセプターとセンサーチップとの結合を阻害するのが観察され, 系の確立が確認できた.
7.2.5 スクリーニングサンプルの調製 BIACOREのアッセイサンプルの調製には細心の注意が必要である.筆者ら は微生物代謝産物由来のサンプルについてアッセイしているが,培地・培養 法の違いなどにより,BIACOREのアッセイ用のサンプルとして適・不適が ある.筆者らは通常,微生物培養液にアセトンを直接添加し,菌体抽出物お よび培養上清を同時にアッセイできるような処理方法をとっている.筆者ら が行ったかぎりでは放線菌および細菌由来のサンプルについては,50%アセ
190
7
精製・スクリーニングへの応用
900 700 コントロール 10 nM InsP3
(RU)
500 300
100 nM InsP3 1 μM InsP3 10 μM InsP3 100 μM InsP3
100 −100 −100
−50
0
50 時間(秒)
100
150
図7・4 遊離のInsP3インジェクトによる レセプター結合阻害.
トン溶液として調製したサンプルを50μl程度分注し,乾燥後DMSO溶液に 置換する方法でまったく問題なくアッセイに用いることが可能である.しか しながら,カビ由来のサンプル中にはセンサーチップに不可逆的に結合して しまう物質 (おそらく多糖やある種のタンパク質) が高濃度存在するために, そのままではアッセイを行うことができなかった.新たに調製法を変えた場 合,そのサンプルについてはあらかじめ事前に1,2サンプルをアッセイし, サンプルの適否を調べておくことが望ましい.また,二次スクリーニングな どでは滅菌ろ過フィルターなどを用いて,大型の固形物の混入を防ぎ,でき るだけマイクロ流路に負荷をかけないよう留意する. また,スクリーニングの対象となる化合物の性質によっても,サンプルの調 製法を検討する余地がある.筆者らがスクリーニングのターゲットしている InsP3レセプターの場合,細胞内にそのレセプターが存在するために,細胞内 への透過能が高い物質すなわち脂溶性物質が望ましい.このような化合物を スクリーニングするため,処理した微生物代謝産物をさらに酢酸エチルで抽 出し,その有機相をスクリーニングサンプルとして用いる方法が考えられ る.このような方法あるいはSep-Pakなどを用いた固相抽出操作を行うこと により,より適したアッセイサンプルが調製できる.
7.2.6 スクリーニングサンプルの測定 流速を10μl/min,サンプルインジェクト量は10μlとした.測定サンプル は,HBSバッファー40μlに最終的にRUが100前後となるよう調製したN末端 InsP3レセプターを5μl,およびDMSOに溶解した微生物培養物を5μl添加 し,バイアル中の総容量を50μlに調製する.軽く遠心し(7000 rpm,30 sec),壁面に溶液が付着していないよう,また泡がつかないように注意す
191
る.測定時間が長くなるとバイアル中のサンプルが蒸発してしまうので, キャップをはめたままラックに装填し,測定を行う.再生のため20μlの2 M NaClを流す.センサーチップの再生条件は用いるサンプルによって異なる ので,十分にアナライトが洗浄され,かつリガンドが失活しないような再生 条件をあらかじめ予備実験を行い設定しておく必要がある. 図7・5は,活性株が認められたときの実際のスクリーニング結果である.こ の測定では,GMK92およびGMQ93と命名したアッセイサンプルに50%以上 の結合阻害活性が認められた.BIACOREは非常に精度が高く,サンプルの 色など微妙な変化によっても応答性が変化するため,多くのサンプルにある 程度の阻害あるいは逆に結合を促進するような現象が認められてしまう.こ の問題はアナライトの量を増やすとある程度解決されるが,アナライトを節 約するためにこの程度の阻害は無視している.または,二次スクリーニング で活性の認められたサンプルについては,アナライトの量を変えて測定して 確認してみるのもよいだろう.本実験で阻害率90%以上を示したサンプル は,アナライトの量を増やしても阻害が観察されたので,筆者らは阻害率 90%以上を示すものをポジティブ活性とし,最終的にはGMK92を活性物質 として選択した. 本実験の測定は1サンプルにつき10分程度であるから,オーバーナイトで測 定すると70∼80サンプルが測定可能である.筆者らはスクリーニング効率を 上げるため,1回のスクリーニングでは5サンプル分を同時にアッセイしてい る.また,BIACOREではある回数以上測定を続けているとアナライトの結 合量が変化してきてしまう (多くの場合は減少する) .そのような問題を解決 する手段として,5サンプルあるいは10サンプルにつき一つのコントロール
120 100 80 60 40 20
192
コントロール
96
95
94
93
GMQ92
コントロール
96
95
94
93
GMK92
コントロール
バッファー
0
図7・5 BIACOREによるスクリーニング の結果.
7
精製・スクリーニングへの応用
をおくようにし,そのときの各阻害を前後のコントロールと比較し判別す る.また,センサーチップの応答性も洗浄操作だけでは低下してくるので, センサーチップは2,3枚用意しておき,一連の測定ごとに交換する. 応答性の低下したセンサーチップは,ある時間以上冷蔵庫で放置することに より応答性が回復する.測定開始直後のセンサーチップの応答性が悪いとき は,そのセンサーチップを廃棄している. BIACOREはすべてのサンプルをアッセイできるわけではなく,センサー チップと非可逆的に強く結合してしまうようなサンプルには使用できない. 筆者らは天然物由来のサンプルについてアッセイしているが,培地・培養法 の違いなどにより不適当なサンプルがある.事前に1,2サンプルをアッセイ をすることにより,サンプルの適否を調べておくことが望ましい.
7.2.7 おわりに BIACOREは,分子間の結合をリアルタイムで観測することのできる優れた機 器であるが,使用にあたり繁雑なイメージを抱くのは否めない.速度論など の精密を要する解析では細部にわたっての注意が必要であるが,スクリーニ ング手段として用いる場合は,一度系を確立しかつ要点を抑えてさえいれ ば,ラフに扱っても容易に再現あるデータが得られるので,ぜひ利用してほ しいと思う.いままで,BIACOREを用いて多くのアプリケーションがなさ れてきたが,このようにランダムスクリーニングの一手段としても十分応用 できるので,今後さまざまなスクリーニングに応用されることが期待される.
参考文献 1. 夏目徹,永田和宏 (1995) BIACOREを用いたbinding assayとタンパク質相互作用の 速度論的解析法.実験医学 13: 563-569 2. 夏目徹(1996) 解析用機器(1)BIACORE.竹縄忠臣,渡邊俊樹 (編) 実験医学別冊, バイオマニュアルUPシリーズ,タンパク質の分子間相互作用実験法.羊土社, 東京,pp211-230 3. Furuichi T, Kohda K, Miyawaki A, Mikoshiba K(1994)Intracellular channnels. Curr. Opin. Neurobiol. 4: 294-303 4. Yoshikawa F, Morita M, Monkawa T, Michikawa T, Furuichi T, Mikoshiba K(1996) Mutational Analysis of the ligand binding site of the inositol 1,4,5-trisphospahate receptor. J. Biol. Chem. 271: 18277-18284
193
7.3
ファージ・ディスプレイ法
Ann-Christin Malmborg
7.3.1 はじめに さまざまな特異性や親和性をもつ生体分子のin vitroでの発現は,診断薬や治 療薬への開発への応用が期待されるため非常に重要な役割を担っている.特 に,分子ライブラリーはこのような開発に適している.分子ライブラリーを バクテリオファージの表面に発現することにより表現型を遺伝型とリンク し,望みどおりの分子をスクリーニングできる有用な手法が開発されてい る.ファージ・ディスプレイ (phage display) といわれるこの方法は,1985年 にSmithによって初めて報告され[1],ファージ表面にぺプチドを発現する原理 が示された.2,3年の後に,この方法はファージの表面での抗体フラグメン トの発現に応用された.さらに,Clackson[2]らによって,ファージ・ディス プレイ技術の画期的な利点が示された.すなわち,コンビナトリアル・ライ ブラリー・ストラテジーと組合わせることにより,抗体ライブラリーを ファージ表面に発現させ,目的の抗体を選択することができるようになった のである.
7.3.2 ファージ・ディスプレイ法とは 繊維状バクテリオファージ (M13,f1およびfd) は,ファージのマイナーコー トタンパク質3と細菌のF線毛との相互作用を介して感染する細菌ウイルスで ある.M13は多数のコートタンパク質をもち,一本鎖環状DNAをもつ.こ のファージの大きさは,長さ約800 nm,直径5.5 nmである.感染の詳細なメ カニズムは現在のところ不明である. ライブラリーを作製するときには,遺伝子の供給源は免疫した個体や免疫し ていない個体であり,いわゆる,ネイティブ・ライブラリー[3]あるいは合成 遺伝子[4]からなる.ライブラリーのサイズが大きいほど目的の特徴をもつ抗 体を見い出す可能性が高くなるので,ライブラリーのサイズを大きくするさ まざまな試みが行われてきている. 選択した抗体フラグメントの親和性を増すためには,DNAのランダム変異 導入が行われる.抗体フラグメントの遺伝子はメジャーコートタンパク質8 の遺伝子と融合させて多価ディスプレイとするか,あるいは,マイナーコー トタンパク質3と融合させてファージ1分子当たり2,3コピーの発現とする. また,ファージミドベクターを用いることによって,発現される抗体フラグ
194
7
精製・スクリーニングへの応用
メントのコピー数をさらに減らすことができる.コピー数は目的の抗体の選 択に非常に重要である. ファージ・ディスプレイ・ライブラリーから抗体を選択する最も一般的な方 法はバイオパニング[5]である.すなわち,目的の抗原を固相にコートしてラ イブラリーを添加し,よく洗浄したのち,結合したファージを溶出させる方 法である.同じような原理で,抗原をコートした磁性ビーズや免疫チューブ も用いられる.また,抗原を固定化したアフィニティークロマトグラフィー によって抗体の選択を行うこともある[2].固相を用いたどの選択方法でも, ファージの溶出条件によって抗体のアフィニティーが調節できる.温和な溶 出条件では弱く結合したファージが溶出され,強い溶出条件では強く結合し たファージが溶出される. ファージ・ディスプレイへのBIACOREの応用は,二つの異なる可能性を含 んでいる.一つ目は,装置にファージのストックを直接インジェクトするこ とによって直接解析ができ,結合したファージを選択することができるこ と.もう一つは,可溶化状態で発現させたファージ・ディスプレイ・ライブ ラリーからクローンのスクリーニングを行うことができることである.
7.3.3 直接分析とファージ・ディスプレイ分子の選択 1994年には,すでにBIACOREを用いてファージ上に発現した分子の結合を モニターできることが筆者らおよび他のグループにより[6]示されていたが, その結合シグナルはファージ自身の大きさに対してかなり低いものであった (図7・6) .これは,おそらくマイクロ流路内でファージ粒子にマストランス ポート・リミットがかかったことに起因していると思われる.流速を下げる とこの影響は小さくなるものと思われるが,大きいファージ粒子は互いに邪 魔し合うため低いレスポンスしか得られないということも考えられる.シグ ナルの大きさに影響を及ぼす他の因子としては,センサーチップの性状があ げられる.センサーチップCMは三次元のデキストランマトリックスを形成 しており,抗原はデキストランの表面にのみ固定化されているのではなく, マトリックス内部にも固定化されている.しかし,ファージ粒子は大きいの でデキストランの表面に固定化されている抗原としか反応できず,予想され るシグナルよりも小さい値しか得られないと考えられる. このような理由から,特にファージ・ディスプレイ分子の解析に適した新し い二つのタイプのセンサーチップが開発された.デキストランのないフラッ トな表面にカルボキシルメチルをもつセンサーチップC1と,短いカルボキ シルメチルデキストランをもつセンサーチップF1がそれである.これらのセ ンサーチップでは,おそらく荷電と立体障害の減少によりファージ・ディス
195
プレイ分子の結合の効率がよくなっている.ここで効率がよいというのは, タイターの低いライブラリーでも結合が観察されること,また,アフィニ ティーの低い抗体の解析も可能ということである. さらに,アンバーサプレッサーコドンを含むファージ・ディスプレイ・シス テムを使用する場合には,細菌の発現システムのリークのため可溶性分子が 培養液中に出てくることがある.したがって,得られたレスポンスは, ファージ表面に発現された分子の結合だけではなく,遊離した可溶性分子の 結合によるものも含まれる可能性がある. ファージ・ディスプレイ法の場合,マストランスポート・リミットがかかっ た条件下での反応であるので,センサーグラムから直接に結合速度定数や解 離速度定数をを算出するのは勧められない.しかし,解離領域のセンサー グラムを比較して,クローン間の相対的なアフィニティーの比較をすること は可能である. ファージ・ストックの質,すなわち,ファージ表面に分子が効率よく発現さ れているかどうかは,もう一つの重要な側面である.ある特定のアミノ酸の 配列が発現されない可能性や,発現された分子が細菌に対して毒性をもつ可 能性も念頭においておかなければならない.アフィニティーを増加させた分 子をファージ・ディスプレイ・ライブラリーから探す場合に,ただ発現レベ ルが高いとか毒性が低いだけのものを選択しているのではないことを確認す ることは非常に重要である. SchierとMark[7]はこの点を考慮し,BIACOREを用いる際にアフィニティーが 高くなったものだけを確実に選択するように溶出条件を至適化し,このよう なアプローチを“BIACORE guided selection” とよんだ.彼らは,磁性ビーズ からの溶出条件を検討するのに,BIACOREのセンサー表面に固定した抗原
2x1010cfu/ml 1x1010cfu/ml 1x109cfu/ml 3x108cfu/ml
(RU)
800 600 400 200 0 0
1000
2000 時 間(秒)
196
3000
4000
図7・6 固定化した抗原とさまざまな濃度 のファージFabとの相互作用.文献[8]から Elsevier Science, Amsterdam, Netherlandsの許 可を得て転載.
7
精製・スクリーニングへの応用
にポリクローナル・ライブラリーを結合させた場合のファージ溶出率を用い た.さらに,溶出液中の結合ファージの濃度,さらにその比率をBIACORE を用いて測定することにより,パニングの各サイクルごとの競合抗原の濃度 を算出した.こうしたアプローチによって,16倍もアフィニティーの高い抗 体をみつけ出すことに成功し,このアプローチを用いない場合に比べて,少 なくとも2倍以上のアフィニティーの増加を達成した.至適な溶出条件およ び必要な競合抗原の濃度は,ファージ・ディスプレイ抗体の性質に依存しラ イブラリーごとに異なるので,個別のケースごとにBIACOREで抗体選択の 最適条件を決めることを勧める. 筆者ら[8]はBIACOREを用いて解離速度により直接抗体の選択を行う方法を 報告した.これを行うために,当時,筆者らは溶出液を回収できるように BIACOREを改造した.ゴム管をつなげた直径9 mmのシリンジニードルを BIACOREのコネクターブロックのアウトレットに接続したのである (現在で は,試料回収の機能をもたせたBIACORE 2000が市販されている) .ファー ジ・ディスプレイ抗体の選択および溶出の原理の確認は,まずセンサーチッ プ表面にHELを固定化し,抗HELファージ溶液やこれに非特異的な抗体フラ グメントを1:10で混合した溶液をセンサーチップにインジェクトして行っ た.これにより,抗HELファージが優先的にセンサーチップに結合し,濃縮 された.つぎに,ファージ発現抗体で2種類のスクリーニングを行った.は じめに抗CMVクローン特異的H鎖を用い,L鎖をシャッフリングで変化させ たscFvファージライブラリーを試みた.ファージを異なる時間後に溶出さ せ,可溶化scFvフラグメントを得たが,解離4.5時間後に選んだクローンは 1時間後に選んだクローンにくらべ解離速度が5倍遅かった (1時間後:1.1× 10−4 /s,4.5時間後:5.5×10−4 /s) .つぎに,in vitroで免疫した細胞から作製 したFabファージライブラリーを用いた.この場合にも,解離時間が長いほ ど解離速度は遅くなった. 同じライブラリーをSAP選択にも使用したが[9],この操作のなかでみつかった いくつかのクローンは,BIACOREでみつけたクローン (1.6×10−3∼1×10−4 /s) より解離速度定数が低かった (1×10−5 /s) (図7・7) .1×10−5 /sという解離速 度定数は複合体の半減期が19時間であることを意味するので,BIACOREで 行った (6.7時間) よりもさらに長時間解離を観察すれば,これらのクローン を見い出すことができたと思われる.
7.3.4 すでに選択されたクローンのスクリーニング これ以外に,ファージ・ディスプレイの研究においてBIACOREがよく用い られる例は,ファージ選択後の可溶化発現タンパク質のスクリーニングであ
197
解離速度定数 k d(s−1)
10−2
(a) SAP (b) BIACORE
10−3
10−4
10−5
−6
10
1.0
1.7 2.7 解離時間(時間)
3.5
6 .7
図7・7 in vitroで2回免疫したファージ・ディスプレイ・ ライブラリーから選択されたFabクローンのSAP(a)と B I A C O R E(b )で測定した解離速度定数.文献[8 ]から Elsevier Science, Amsterdam, Netherlandsの許可を得て転載.
る.一般的には,多数のファージクローンの候補をスクリーニングする方法 はELISAであるが,この方法は,平衡状態での解析であるので,解離速度の 速いもの,あるいは,低いアフィニティーのものは洗浄操作によって失わ れ,候補から見落としてしまうことがありうる.さらに,ELISAの場合に は,結合と解離を区別することはできない.しかし,BIACOREを使用する ことにより結合パターンの全体を評価することができ,解離の速いあるいは アフィニティーの低い抗体フラグメントも見い出すことができる. BIACOREを用いたファージ・ディスプレイ分子の最も簡単な評価方法は, 結合と非結合の識別は別として,解離速度による評価である.この方法で は,解離速度は試料の濃度に依存しないのでタンパク質を発現した細菌の粗 培養液をそのまま精製も濃度測定もしないで使用することができる.Mark ら[5]は,シャッフリングで変化させた抗体フラグメント・ライブラリーから パニングののち,BIACOREを用いて解離速度の遅いものをスクリーニング することによりアフィニティーが20倍向上したクローンを見い出した. Duenasら[10]は,未処理の細胞やin vitroで1回もしくは2回免疫した細胞のライ ブラリーから抗体フラグメントのスクリーニングを行っている.図7・8は, クローンによって解離速度が異なることを示している[11].in vitroで2回免疫 したライブラリー由来の抗体フラグメントは,その他の二つのライブラリー 由来のものより明らかに解離速度が遅くなっているのがわかる. さらに,結合速度によるスクリーニングも行うことができるが,以前に述べ たようにこの場合は抗体の濃度を知る必要があるので,手間のかかる方法で 198
7
精製・スクリーニングへの応用
100 90 80 70 (RU)
60 50 40 30 20 10 0 700
U.2 P.1.6 P.1.4 P.1.4 S.1.22
1000
1300
1600 時 間(秒)
1900
2200
2500
図7・8 固定化した抗原と可溶化Fabフラグ メントとの相互作用における解離領域.ネイ ティブ細胞由来 (U.2) ,in vitroで1回免疫した 細胞由来 (P.1.6,P.1.4),in vitroで2回免疫し た細胞由来(S.1.24,S.1.22).文献[11]から Elsevier Science, Amsterdam, Netherlandsの許可 を得て転載.
ある.抗体フラグメントを扱う場合の基本的な問題は,抗体フラグメントが 二量体やオリゴマーを形成する可能性である.結合部位数が増えた分子で は,結合速度が速く,かつ,解離速度が遅くなるので,結果としてアフィニ ティーが増加することになる.結合パターンの改善したものを選択するので はなく,結果的に結合価の増加したものを選択することになりかねない.し かし,この問題はBIACOREにかぎったものではなく,固相で行う実験方法 にはつねに考慮しなければならない問題である. まとめると,BIACOREはファージ・ディスプレイ・ライブラリーから組換 え抗体を迅速に選択し,その性状解析を簡単に行える比類ない装置であると いえる.
参考文献 1. Smith G P (1985) Filamentous fusion phage: novel expression vectors that display cloned antigens on the virion surface. Science 228: 1315-1317 2. Clackson T, Hoogenboom H R, Griffiths A D, Winter G(1991)Making antibody fragments using phage display libraries. Nature 352: 624-628 3. Vaughan T J, Williams A J, Pritchard K, Osbourn J K, Pope A R, Earnshaw J C, McCafferty J, Hodits R A, Wilton J, Johnson K S (1996) Human antibodis with sub-nanomolar affinities isolated from a large non-immunized phage display library. Nature Biotechnol. 14: 309-314 4. Soeerlind E, Vergeles M, Borrebaeck C A K (1995) Domain libraries: synthetic diversity for de novo design of antibody V-regions. Gene 160: 269-272
199
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200
8
臨床・診断への応用
8.1. マウスモノクローナル抗体のヒト型化と 抗原抗体反応の速度論的な解析
江崎圭子
8.1.1 はじめに モノクローナル抗体は,抗原に対する高い特異性と強い生物活性 (細胞障害 活性や中和活性など) から,医薬品への応用研究がさまざまな疾患領域で進 められている.抗体の臨床応用において,抗原性の回避の点より,遺伝子工 学的技術を用いた抗体のヒト型化技術の応用が期待されている[1,2]. ヒト型化抗体作製の手順は,大きく二つのステップに分けられる.第1は, まずマウス抗体の可変領域をヒト抗体定常領域につないだキメラ抗体を作製 し,マウス抗体と同等の抗原結合活性・中和活性を保持していることを確認 するステップであり,ついで,可変領域内の特に抗原認識に直接かかわる超 可変領域 (CDR) のみをヒト抗体由来の可変領域に移植した抗体を作製するス テップである.しかし,この抗体の抗原結合活性がキメラ抗体に比べて低 かった場合には,さらにヒト抗体由来の可変領域内にもアミノ酸置換を導入 し,マウス抗体と同等の抗原結合活性や中和活性を有するように最適化が図 られる.具体的には,1個から数個のアミノ酸置換を導入した多くのヴァー ジョンのヒト型化抗体を作製し,よりアミノ酸置換数が少なくかつマウス抗 体と同等の抗原結合活性,中和活性を有するヒト型化抗体を選定するために さまざまな活性評価を行うことが必要とされる. 筆者らは,悪性腫瘍が産生し高カルシウム血症を惹起する副甲状腺ホルモン 関連タンパク質(Parathyroid Hormone-related Protein, PTHrP)が,抗体医薬の ターゲットとなると考え,マウス抗PTHrPモノクローナル抗体のヒト型化を 行った[3∼5].その過程において,種々の活性評価系では差別化が困難であっ た抗体の各ヴァージョンの差別化を目指し,抗原抗体反応の速度論的解析に BIACOREを応用した.
8.1.2 抗体分子の比較解析のための条件設定 抗原抗体反応の速度論的解析へのBIACOREの応用において,まず,抗原・ 抗体のどちらの分子をセンサーチップCM5へ固定化するかについてだが,検
201
討を重ねた結果,抗原であるPTHrPを選択した.一つには,微妙に異なる結 合速度定数・解離速度定数をもつことが予想される各ヴァージョンのヒト型 化抗体では,詳細な比較検討を行うために同一のセンサーチップを使用した 方がよいと考えられ,二つ目には,塩基性が高いPTHrPをアナライトとして 選択すると,センサーチップCM5のカルボキシル基との電荷による非特異的 相互作用が検出されたからである. つぎに固定化は,センサーチップCM5上へ35番目にシステイン残基を導入した [Cys35]-PTHrP (1-35) を用い,チオールカップリング法にてC末端部位特異的に 行った.電荷的な非特異的相互作用を極力避けるために,センサーチップCM5 のカルボキシル基の活性化反応を通常より長時間行い,システインでブロック した.さらに,速度論的解析を行う場合,マストランスポート・リミットの影 響を避けるために,固定化量は極力少量となるよう工夫した.また,エピトー プをブロックするのを避けるためと,どのリジン残基を介して固定化されたか を特定できないため,アミンカップリング法は採用しなかった. 抗体をアナライトとして選択した場合,抗原抗体反応の2 価の結合性 (avidity) を検出しているのか1価の結合性 (affinity) をみているのかの確認に 注意を払う必要がある.すなわち,二つの抗原結合部位をもつ抗体では,二 価のavidityの結合活性が,一価の結合活性に比べて数十倍から百倍程度強く なり,真の解離速度定数を求めることが非常に困難になる.これは,抗体間 の微妙に異なる速度定数の差を検出しようとする本目的には適さない.そこ で,二価の抗体を一価にすることも考えられたが,Fab化などの処理をした ときのプロテアーゼの影響やその作業の煩雑さ,厳密な濃度測定の困難さな どを考慮し,抗体分子そのままで比較解析が可能な条件を設定することを目 指した.種々の検討の結果,抗体濃度が10∼20μg/ml以上でセンサーチップ 上の結合部位が飽和すること,10 mM塩酸という比較的温和な条件でセン サーチップを100%再生できる抗原抗体反応であること,1×10−10∼1×10−8 Mの抗体抗原反応を明確に差別化できたことなどから,抗体分子の詳細な比 較解析が可能な条件であると判断した. 以下に固定化例をあげる.ランニングバッファーとしてHBSを用い,流速は 5μl/minとした.100μlの0.05 M NHS-0.2M EDCのインジェクトおよび100 μlの80 mM PDEA-0.1Mホウ酸バッファー (pH 8.5) のインジェクトにより活 性化した.ひき続き,10μlの5μg/ml [Cys35]-PTHrP(1-35)-10 mM酢酸バッ ファー (pH 5.0) をインジェクトした.さらに,100μlの50 mM l-システイン1M塩化ナトリウム-0.1 Mギ酸バッファー(pH 4.3)をインジェクトすること により,過剰の活性基をブロックした.さらに,10μlの10 mM塩酸をイン ジェクトすることにより,非共有結合をしている物質を洗浄した.このとき の[Cys35]-PTHrP(1-35) の固定化量は,168.9∼226.4 RUであった.
202
8
臨床・診断への応用
8.1.3 固定化[Cys35]-PTHrP(1-35)と マウス抗 PTHrP 精製抗体との相互作用 マウスモノクローナル抗体を用いたBIACOREによる比較解析の実例を示 す.その解析には,プロテインAカラムで精製した2種類の抗PTHrP抗体を 用いた.一つは,強いPTHrP中和活性を有する#23-57-137-1で,他方は, 中和活性がその1/100以下の抗体3F5であり,これらはPTHrP(1-34)内の異 なるエピトープを認識することが確認されている.BIACOREを用いた抗 体の比較解析では,ランニングバッファーとしてHBSを用い,流速は20μ l/minで検討した.抗体は,HBSを用い1.25,2.5,5,10,20μg/mlの濃度 に調製した.分析は,抗体溶液を40μlインジェクトする2分間を結合相と し,その後,HBSに切り換え,2分間を解離相とした.解離相終了後,10 μl の10 mM塩酸をインジェクトすることにより,センサーチップを再生 した. センサーグラムを重ね書きしたものを図8・1に示した.#23-57-137-1抗体 は,結合速度定数が7.23×105 /M sと大きく,解離速度定数は7.38×10−5 /sと 小さい,つまり,すみやかな結合を示し,さらに,いったん結合すると解離 しにくいという特徴をもつ抗原抗体反応を示すことが明らかとなった.これ ら速度定数から解離定数 (KD) は1.02×10−10 Mと算出された.一方,3F5抗体 の解離速度定数は,#23-57-137-1の約200倍の1.22×10−2 /sであり,解離しや すい抗原抗体反応であることが明らかとなった.しかしながら,この3F5の 解離定数(KD)は1.86×10−8 Mという抗体としては標準的なものであった. 筆者らは,このきわめて小さい解離定数をもつ,いい換えればきわめて強い
(RU)
アフィニティーをもつ#23-57-137-1抗体のヒト型化検討を行った.
1400 1200 1000 800 600
400 200 0 −200
♯23
3F5 0
100
200
300 時間(秒)
400
500
図8 ・1 マウス抗体のセンサーグラム. 1.25,2.5,5,10,20μg/mlのマウス抗体 #23-57-137-1(図中では#23と略した:黒), 3F5 (色)のセンサーグラムの重ね合わせ.
203
8.1.4 マウス抗体のヒト型化とヒト型化抗体の比較解析 遺伝子工学的に超可変領域 (CDR) をヒト抗体由来の可変領域に移植した抗体 を作製し,さらにヒト抗体由来の可変領域内にも1から5個のアミノ酸置換を 導入した20ヴァージョンあまりのヒト型化抗体を作製し,よりアミノ酸置換 数が少なくかつマウス抗体と同等の抗原結合活性および中和活性を有するヒ ト型化抗体を選定するためにさまざまな活性評価を行った.その最適化の課 程で,キメラ抗体を陽性対照として用いた. ELISAでの抗原結合活性,およびin vivo 中和活性は,キメラ抗体および ヴァージョンm (アミノ酸置換数2),q(アミノ酸置換数4),r(アミノ酸置換 数3)のヒト型化抗体の間に差違は認められず,同等の強い活性を有してい た.しかしながら,PTHrP反応細胞を用いたin vitro中和活性では,ヴァー ジョンmはヴァージョンq,rに比べて弱い活性しか有していなかった. ヴァージョンqとrでは,抗体濃度測定のためのELISAのばらつきの範囲内の 結果であり,明確な差別化は困難であった.
8.1.5 ヒト型化抗体の比較解析 − BIACORE を用いた速度論的解析 上述のものを含めた種々の活性評価系では差別化が困難であったヒト型化抗 体の各ヴァージョンを用い,BIACOREによる比較解析を行った.キメラ抗 体および各種ヴァージョンのヒト型化抗体は,遺伝子工学的にCOS-7細胞あ るいはCHO細胞に発現させ,培養上清からプロテインAカラムを用いて調製 した.ヒト型化抗体の比較解析は,マウス型抗体の場合と同様に行った.キ メラ抗体およびヴァージョンm,qのヒト型化抗体のセンサーグラムを重ね 書きしたものを図8・2に示した.ヴァージョンmに比べて,ヴァージョンq では,解離速度定数(k d = 2.32×10−4 /s)も結合速度定数(k a = 1.03×106 M s) もほぼキメラ抗体 (kd = 1.66×10−4 /s,ka = 1.24×106 /M s)に近づき,強い アフィニティーをもつことが明らかになった. 抗体濃度に依存しない,すなわち,抗体濃度測定結果のばらつきの影響を受 けることなく算出できる解離速度定数が最も小さいのがキメラ抗体であり, ヴァージョンm,q,rでは,qが最も小さいということをセンサーグラム上 で簡便に確認することが可能であった.他の活性評価系では差別化が困難で あったヴァージョンqとrについても,BIACOREを用い,重ね合わせたセン サーグラムの解離相を拡大するだけで両者の差別化を明確に行うことができ た(図8・3).
204
(RU)
8
臨床・診断への応用
1400 1200 1000 800 600 400 200 0 −200
0
100
200
300
400
500
時 間(秒)
図8 ・2 ヒト型化抗体のセンサーグラム. 1.25,5,20μg/mlのキメラ抗体(黒)およびヒ ト型化抗体ヴァージョンm(灰) ,q(色) のセン サーグラムの重ね合わせ.
20
(RU)
0 −20 −40 −60 −80
200
250
300
350
400
450
時 間(秒)
500
図8・3 ヒト型化抗体のセンサーグラム.10 μg/mlのキメラ抗体 (黒) およびヒト型化抗体 ヴァージョンq (色) ,r (灰) のセンサーグラム の重ね合わせの解離相.
すなわち,共通のCDRを有する抗体のなかでは,大きな結合速度定数をも ち,さらに小さい解離速度定数をもつ抗体,結果的にきわめて強いアフィニ ティーをもつ抗体ほど強い中和活性を有するヒト型化抗体であることが明ら かとなった.最終的に,ヴァージョンqが可変領域内のアミノ酸置換が4残基 と少なく,かつ,最も強いアフィニティーをもち,強い中和活性を有するヒ ト型化抗体であると判断され,ヒト型化抗PTHrP抗体として選定することが できた. 以上のように,BIACOREを用いることで,種々のヒト型化抗体の抗原抗体 反応を解離定数 (KD)だけではなく結合・解離速度定数に分離してとらえる ことが可能となり,抗体間の差別化を明確に行うことができた. 3F5抗体は,メルボルン大学Dr. Martinから供与していただいた. 共同研究者:薮田尚弘,若原裕二,石井公恵,恒成利明,大泉厳雄,佐藤 功,小沼悦郎,海宝晋一
205
参考文献 1. Sato K, Tsuchiya M, Saldanha J, Koishihara Y, Ohsugi Y, Kishimoto T, Bendig M (1993) Reshaping a Human Antibody to Inhibit the Interleukin 6-dependent Tumor Cell Growth. Cancer Res. 53: 851-856 2. Sato K, Tsuchiya M, Saldanha J, Koishihara Y, Ohsugi Y, Kishimoto T, Bendig M (1994) Humanization of a mouse anti-human Interleukin-6 receptor antibody comparing two methods for selecting human framework region. Mol. Immunol. 31: 371-381 3. Suva L, Winslow G, Wettenhall R, Hammonds R, Moseley J, Diefenbach-Jagger H, Rodda C, Kemp B, Rodriguez H, Chen E, Hudson P, Martin T, Wood W(1987) A Parathyroid Hormone-Related Protein Implicated in Malignant Hypercalcemia: Cloning and Expression. Science 237: 893-896 4. Sato K, Yamakawa Y, Shizume K, Satoh T, Nohtomi K, Demura H, Akatsu T, Nagata N, Kasahara T, Ohkawa H, Ohsumi K (1993)Passive Immunization with Anti-Parathyroid Hormone-Related Protein Monoclonal Antibody Markedly Prolongs Survival Time of Hypercalcemic Nude Mice Bearing Transplanted Human PTHrP-Producing Tumors. J. Bone Mineral Res. 8: 849-860 5. 薮田尚弘,若原裕二,石井公恵,江崎圭子,恒成利明,大泉厳雄,佐藤功,小沼 悦郎,海宝晋一 (1997) 抗PTHrPモノクローナル抗体のヒト型化と担癌ヌードマウ スにおける高Ca血症の治療効果.第56回日本癌学会総会要旨集.pp 669
8.2
ヒト脊髄性ペルオキシダーゼのエピトープマッピング P. Chapman
8.2.1 はじめに ケンブリッジ大学薬学部のLookwood研究室で行われたこの研究は,抗好中 球細胞質抗体 (ANCA) とよばれる血管炎と腎炎に伴うヒト免疫系の異常にか かわるものである[1]. ヒト免疫系は細胞性および液性の因子からなり,外部から侵入した微生物や 有毒物を認識し破壊する.ときとして,免疫系に異常が起こり,自身の組織 を認識する自己抗体を産生するようになることがある.こうした免疫系の異 常が起こるメカニズムはまだ十分に解明されてないが,過去に受けた感染や ある種の投薬治療が自己抗体産成を誘発していることを示唆する証拠があ る.自己抗体は,腎臓や肺,上気道などの部位に沈着することで組織に損傷
206
8
臨床・診断への応用
を与えるだけでなく,関節周辺にある軟組織の炎症を引き起こす. 好中球を抗原とする自己抗体は,1982年に,壊死を起こしている糸球体腎炎 の患者で初めて観察された.この患者では免疫沈着は観察されなかった. Wegeners肉芽腫の患者でANCAが高頻度で確認され,間接蛍光抗体法による 解析により,この自己抗体は好中球の細胞質を染色する (C-ANCA) ことが明 らかになった. 1988年になって初めて,細胞質でも核周辺のみを染色する染色パターン (PANCA) をもつANCAが発見された.このANCAはおもに微少多脈管炎の患者 で観察された.これらのANCAは,エタノールで固定したヒト好中球を間接 蛍光抗体法で観察したときに得られる染色パターンで識別された.これら ANCAが好中球内で認識・結合するタンパク質は,C-ANCAではプロテイ ナーゼ3(PR3),P-ANCAではミエロペルオキシダーゼ (MPO)である. 微小多脈管炎の患者に共通する臨床的所見は,肺出血の有無にかかわらず腎 炎を起こしていることであった.さらに,組織病理学的検査では,これは壊 死進行性糸球体腎炎であり,免疫沈着をわずかに起こしていること,そして ELISA法を用いた血清学的検査から,微小多脈管炎の患者はMPOに対する自 己抗体を産生していることが明らかになった. 抗糸球体基部膜病の患者のうちわずかな割合であるが,MPOに対する自己 抗体を産生している患者がいる.臨床学上これらの患者は,肺出血の併発に かかわらず腎炎を患う.その患者の組織病理学的観察から糸球体基部膜に 沿って免疫グロブリンG (IgG) が一列に並んで存在することが示された.血 中に抗糸球体基部膜病とMPOに対する2種類の自己抗体が存在すると,いわ ゆる 「オーバーラップシンドローム」 を引き起こす.関節痛などのような血管 炎と発疹の両方の兆候を示す. 通常,Wegeners肉芽腫患者は抗PR3自己抗体をもつ.しかし,筆者らの研究 では,PR3に対する自己抗体ではなく抗MPO自己抗体しかもたないWegeners 肉芽腫患者を選んだ.このような患者は,臨床学的には中程度の腎炎と肺の 空洞化あるいは鼻腔,上気道障害を併発している.組織病理学的には肉芽種 症の血管炎あるいは巨大細胞の形成が観察される. これまでに他のグループにより報告されているBIACOREシステムを用いた 研究では,ヒトのミオグロビン[2]とヒトの顆粒球コロニー形成因子を認識す るモノクローナル抗体のエピトープマッピングが報告されている.これらの 研究で,BIACOREは抗原抗体反応の解析を標識なしに迅速に調べられる効 果的な道具として評価されている. BIACOREを用いた本研究の目的は,前述の腎炎を併発している微小多脈管 207
炎,抗糸球体基部膜病,Wegeners肉芽腫の患者が共通してもつ抗MPO自己 抗体のエピトープ特異性を確立することにある.筆者らは,それぞれの患者 の血清を用いて,臨床学的に分類されたグループからの抗MPO自己抗体が MPO抗原上で異なるエピトープを認識し,各グループ内でエピトープの制 限が存在するがどうかを明らかにしたいと考えた.もし,この研究がうまく いくと,BIACOREをMPOに対する自己抗体の存在を素早く診断法としてだ けでなく,エピトープ特異性に従って自己抗体を分類できる手法として使用 できることになる.将来,理論的には,信頼性の高いこの方法は抗原特異的 なELISAといった従来の手間のかかるANCAの血清検査方法にとって代わる 可能性があると考える.
8.2.2 実験方法 27名の患者から採取した血清がこの研究に用いられた. 患者
人数
年齢範囲
性別
A (微小多脈管炎)
15人
36∼82歳
男7名/女8名
B(抗糸球体基部膜病) 6人
19∼80歳
男1名/女5名
C(Wegeners肉芽腫)
48∼72歳
男3名/女3名
6人
まずはじめに,それぞれの患者から得た血清試料のANCA特異性を確認する ために,好中球と顆粒球が混合したELISA法で検索を行った[4].対照試料と 比較し,線形回帰計算により算出して,16%以上のタイターをもっている血 清について,さらにヒトの好中球をエタノール固定したスライドでANCAの 間接蛍光抗体法によりANCA陽性か否かを確認した.つぎに,ANCA陽性試 料を精製した好中球の抗原特異的ELISAにより,PR3やBPI,あるいはラク トフェリンではなく,MPOだけに対する自己抗体を含む血清を同定した. 抗MPO抗体を含む血清をアイソタイプ特異的抗MPO ELISAにより,抗MPO 自己抗体のアイソタイプがIgGのものだけを選び出した.ELISAやBIACORE システムに用いたMPOはヒトの赤血球膜から精製したものを使用した[5]. MPOを間接的捕捉法を用いてセンサーチップCM5の表面に固定化した.この 固定化法を用いたのは,MPO抗原を直接センサーチップに固定化した場 合,再生用バッファー10 mM HClに対して抵抗性がなく,すぐに変性して しまう危険性があるからである.また,抗原をチップに直接固定化すると, エピトープをマスクしてしまい,その結果自己抗体が結合できなくなり, 誤った結果を得る可能性も考えられるためである.この問題を克服するため に,市販の抗ヒトMPOポリクローナル抗体 (A0398 DAKO,Denmark) を通常
208
8
臨床・診断への応用
のアミンカップリング法を用いてセンサーチップ上に固定化した.このポリ クローナル抗体を捕捉分子として用いることにより,抗原リガンドをあらゆ る方向性でアナライトに対して提示することができる,すなわちすべてのエ ピトープを提示することができるようになる. 実験に用いた血清試料のセンサーチップに対する非特異的結合の可能性をな くすために,1 mMカルボキシメチルデキストラン (CMD) を含んだHBSバッ ファーでそれぞれの血清サンプルを5倍に希釈した.これにより,ELISAと BIACOREシステムの両方で,自己抗体の抗原に対する特異的な結合に影響 を与えずに,静電作用による非特異的な結合を著しく減らすことができた. センサーチップCM5上に捕捉分子を介してMPOを固定化するまえに,それ ぞれの血清をセンサーチップにインジェクトし,血清試料が抗MPOポリク ローナル抗体には結合しないことを確認した.その結果,観察される結合 は,血清中の抗MPO自己抗体とMPOとの相互作用に由来するものだけであ ることを確かめた. 図8・4のセンサーグラムは,センサーチップ上にある捕捉分子として用いた 抗ヒトMPO抗体に対して15種類の血清試料を直接インジェクトし,非特異 的結合に対する1 mM CMDの効果を示している.血清試料6,8,10,15番 は,CMDを加えないときには捕捉分子に対してかなりの結合シグナルがみ られたが,1 mM CMDを加えることにより,静電的な非特異的結合は減少
air
13200
no CMD
13100
+ImM CMD
10
6
(RU)
13000 1
1115
15
3 3 4
12900
10
11
2
14
8
5
9
13
8 6
7 12
12800 12700
0
2000
4000
6000
8000
10000
時 間(秒)
図8・4 抗ヒトMPO抗体をリガンドとし,15種類の血清試料をアナライトとして直接イ ンジェクトしたときのセンサーグラム.
209
した.このことから,CMDが非特異的結合を抑えること,また,結合シグ ナルは固定化されたMPOリガンドと自己抗体の結合からのみ生じたもので あることが確認できた. インジェクションを行うまえに,繊維質の夾雑物を除くため,血清試料を孔 径0.2μmのフィルターに通し,その後,1 mM CMDを含むHBSランニング バッファーで5倍に希釈した.HBSで2.5 mg/mlに希釈したMPOをセンサー チップの表面にインジェクトした.自己抗体陽性患者からの血清試料と健常 人の血清試料を使用した予備実験では,正常人の血清では平均値±3標準偏 差が7 RUの範囲におさまっているのに対して,患者血清では少なくとも20 RU以上の強い結合が確認された. 血清試料は二つずつの組合わせで測定した.それぞれの試料を飽和状態にな るまで繰返してセンサーチップ上にインジェクトすると(流速5μl/minで, 1回のインジェクション量は10μl) ,自己抗体が結合し安定したベースライ ンが得られる.繰返しインジェクションを行い,MPOのエピトープが飽和 に達してそれ以上シグナルの増加が観察されなくったのち,別の血清試料を インジェクトして,新たに抗体が結合することができるかどうかを調べた. 抗体のアフィニティーの違いにより結果に影響がでる可能性をなくすため, それぞれの組合わせの試料ごとにインジェクションの順番を替えて2回測定 した. このBIACOREを用いたアッセイシステムでは,ポリクローナル抗体を用い ているために系が複雑で,それぞれの血清試料のMPO抗原に対するアフィ ニティーを決定することができなかったので,代わりに,ELISAによって抗 体のアフィニティーを測定した[6].
8.2.3 結果 結果を解釈しやすくするために,以下,結合シグナルを棒グラフで示した. 縦軸は抗MPO抗体の結合量を表している.図8・5では,微小多脈管炎患者 の血清をサンプルとした. (a) では第1試料FEを飽和に達するまで繰返しイ ンジェクトし,その結果,結合量が400 RUを超えた.そこに第2試料KEを 加えてもその自己抗体の結合は確認できなかった.このチップを再生したの ち,第1試料と第2試料の順番を替えて同様の実験を行った.KEは300 RUを 超えたところで飽和に達し,そこへFEを加えてもほとんどその自己抗体の 結合は観察できなかった.同様の傾向は (b) , (c) でも観察され,すべての微 小多脈管炎患者の血清試料で同様の結果が得られた. 図8・6は,微小多脈管炎患者からの血清試料でエピトープを飽和させたのち に,抗糸球体基部膜病患者の血清試料を飽和になるまでインジェクトしたも 210
8
臨床・診断への応用
500 (a)
(b)
(c)
(RU)
400 300 200 100 0 FE KE
KE FE
AP KA
KA AP
TI KI
4
5
KI TI
図8・5 微小多脈管炎患者の血清(FK, KE, AP, KA, TI, KI) をサンプルとしたときのMPO への結合の阻害.
(RU)
200
100
0
微小多脈 管炎
1
2
3
6
抗糸球体基部膜病
図8・6 微小多脈管炎患者からと抗糸球体基 部膜病患者からの血清試料による連続結合実 験.
400 (a)
(b)
(RU)
300 200 100 0
EJ AP AP EJ AP CM CM AP
CM EJ EJ CM EJ RN RN EJ
図8・7 (a) 微小多脈管炎患者 (AP,灰) からと Wegeners肉芽腫患者(EJ,CM,色)からの血清 試料による連続結合実験.(b) 異なるWegeners 肉芽腫患者 (CM,EJ,RN) からの血清試料によ る連続結合実験.
のを示す.試料1は微小多脈管炎患者の抗MPO自己抗体が認識するエピトー プとは異なるエピトープを認識している.また,試料2∼4でも自己抗体がさ らに結合しているが,試料5と6では自己抗体の結合が阻害されている.
211
図8・7 (a) は,微小多脈管炎患者の血清試料とWegeners肉芽腫患者からの血 清試料の測定で,結合阻害がないことを示している.図8・7(b)は,同じ Wegeners肉芽腫患者の自己抗体においては結合阻害が観察され,微小多脈管 炎患者でみられたとおり,Wegeners肉芽腫患者由来の抗MPO自己抗体が認 識するエピトープは限定されていることを示している. すべての試料のアフィニティーが狭い範囲に収まることから,BIACOREで 観察された結果はそれぞれのグループ間の自己抗体のもつアフィニティーの 違いから生じるものではないことが示された.
8.2.4 おわりに ヒトMPOのエピトープ部位の解析を行うに当たり,BIACOREシステムを使 用した本研究から,微小多脈管炎患者とWegeners肉芽腫患者由来の抗MPO 自己抗体は,互いに競合しない異なるエピトープを認識すると結論づけられ た.抗糸球体基部膜病患者由来の自己抗体は,MPOを抗原としているにも かかわらず,そのようなエピトープ特異性を示さなかった.筆者らの研究に おいて,BIACOREシステムはきわめて有用な装置であった.使いやすく, リアルタイムで解析ができるおかげで,比較的苦労なく短時間で数多くの試 料を検査することができた. 今回の実験を行ううえでの問題は,おもに私たちが血清を用いたことから起 因するものであった.血清試料はタンパク質濃度が高いので,マイクロ流路 系を詰まらせないように気を付けなければならなかった.そのため,筆者ら は1日の実験を終えたあとに装置のタンパク質除去プログラムを走らせ,マ イクロ流路系内にタンパク質が残らないよう洗浄した. 筆者らは,このセンサーチップ表面を通過する物質量を最小限にするため に,意識的にMPOリガンドと血清試料の量を少なくし,大量のタンパク質 が通過することによって生じるベースラインの大きな上昇を抑えた.少量の 血清試料しかインジェクションしなかったので,比較的小さい結合シグナル しか検出することができなかった. しかし,実験結果はたいへん興味深いものであり,筆者らは1997年11月のア メリカ腎臓病学会でこの研究を発表した.
参考文献 1. Wolfgang L G, Csernokt E, Helmchen U (1995) Antineutrophil cytoplasmic autoantibodies, autoantigens and systemic vasculitis. Acta Pathol. Microbiol. Scandanavica 103: 81-97
212
8
臨床・診断への応用
2. Johne B, Gadnell M, Hansen K(1993) Epitope mapping and binding kinetics of monoclonal antibodies studied by real time biospecific interaction analysis using surface plasmon resonance. J. Immunol. Methods 160: 191-198 3. Laricchia-Robbio L, Liedberg B, Platou-Vikinge T, Rovero P, Beffy P, Revoltella R P (1996) Mapping of monoclonal antibody and receptor binding domains on human granulocyte-macrophage colony stimulating factor(rhGM-CSF)using a surface plasmon resonance based biosensor. Hybridoma 15: 343-350 4. Savage C O S, Winearls C G, Jones S, Marshall P D, C.M. Lockwood (1987) Prospective study of radioimmunoassay for antibodies against neutrophil cytoplasm in diagnosis of systemic vasculitis. Lancet 20/6: 1389-1393 5. Zhao M H, Lockwood C M (1996) A comprehensive method to purify three major ANCA antigens:- proteinaise 3, myeloperoxidase and bactericidal permeability increasing protein from human neutrophil granule acid extract. J. Immunol. Methods 197: 121-130 6. MacDonald R A, Hosking C S, Jones C L (1988)The measurement of relative antibody affinity by ELISA using thiocyanate elution. J. Immunol. Methods 106: 191-194
213
コラム:BIACORE を鍋釜のように使う 夏目 徹
ンクと同一で,まったく活性はない.画分6中の ピークがモノのようである. さて,この作業には1時間ほどかかったが,すべ
7.画分チェック
てプログラムにしたがって BIACORE が自動的
カラムを使ってタンパク質を精製すれば,画分
にしてくれたので,実際の作業は,サンプルを
チェックはつきものである.どの画分にでてい
薄めて,チューブを立てただけだ.
るのであろうか.してその活性は.すぐにみた いはずである.図aは,あるレセプター精製の最
もし,BIACOREがなかったらどうしていただろ
終ステップのクロマトグラムである.カラムに
う? 電気泳動で行えるなら簡単で短時間で済む
サンプルをロードし,NaClの濃度勾配で溶出し
が,活性をみるとなるとそうはいかない.培養
ている.合計七つの画分を 10 倍に希釈し,リガ
細胞を使ってバイオアッセイ.最低で 1 週間は
ンドが固定化されているセンサーチップに打っ
かかる.はたまた放射性同位体標識を使って放
てみた(図 b) .すると,画分 6 に結合活性がみ
射活性をみる.これもあまりしたくない実験だ.
えた.それ以外の画分のセンサーグラムはブラ
やはり BIACORE が一番簡単で速いようだ.
(b)
(a)
(RU)
0.2
A280
3000
NaCl
0.1
1000
0 1 2 3 4 5 6 7 −0.1
214
0
2
4 6 時 間 [秒]
−1000 8
10
App. Fr.1 Fr.2 Fr.3 0
Fr.4 Fr.5 Fr.6 Fr.7 2000 時 間 [秒]
4000
9
9.1
BIACORE とほかの分析手法との 組合わせ・比較
カロリメトリーおよびストップドフローとの比較 黒澤良和
9.1.1 はじめに 筆者らは,抗原抗体反応にかかわる物理定数を求める手段として BIACORE,カロリメトリー,ストップドフローを用いている.抗体の抗原 結合部に相当する抗原相補性決定領域 (CDRと略す) に位置する多くのアミノ 酸に変異を導入し,抗原結合力に及ぼす効果を物理的に測定する. Ag+Ab ← → Ag・Ab で示される抗原抗体反応は可逆的であるために,測定対象となる物理量とし ては速度定数 (結合速度定数ka,解離速度定数kd) と平衡定数 (親和定数KA) が があ あり,一方,熱力学的 (平衡状態の物理量) パラメータ (ΔG,ΔH,ΔS) る.よく知られているように,これらのパラメータのあいだにはつぎの関係 が成り立つ.
KA = ka / kd
式(1)
ΔG = ΔH−TΔS
式(2)
ΔG =−RTlnKA
式(3)
BIACOREを用いて直接実験データとして得られるパラメーターはkaとkdであ り,その結果,式 (1) によりKAも求まる.カロリメトリーを用いて直接得ら れるデータは,ΔHとKAである.この場合,式 (2) と式 (3) を用いてΔGおよ びΔSも計算される.ストップドフローを用いるとkaが求まる.原理的には
kdも求められるが,正確な値は得にくい.カロリメトリーとストップドフ ローを用いた測定は,遊離の状態で液相に存在する抗原と抗体の相互作用を 対象とする.BIACOREの場合は,いずれか一方が支持体に固定されてい る.本節では,それぞれの方法のもつ利点と欠点を筆者らの得たデータをも とに相互比較する.
215
9.1.2 カロリメトリーを用いた 熱力学的パラメータの測定 カロリメトリーはWisemanら[1]により考案された機器で,Microcal社より Omega titration calorimeterという商品名で市販されている.原理は単純で,一 定量の抗体溶液のなかに少量の抗原溶液を一定の時間間隔で注入を続ける (抗体と抗原を逆にしても結果は同じである) と,その混合により抗原抗体複 合体が形成されるが,この機器を用いるとそこで放出される熱量 (発熱反応) を正確に求めることができる.具体例を図9・1の上部に示す[2].加える抗原 が過剰になったところで熱の放出が止まる.この結果は,滴定曲線 (図9・1 の下部) として描かれる.そこで式 (2) のΔH,式 (3) のKAが直接求められる. このカロリメトリーを用いる方法の場合,抗原と抗体両方とも純度が高いこ とが望ましく,少なくとも一方の濃度が正確である必要がある.反応の価数 がわかっているので,変曲点に到達する体積からもう一方の濃度が正しく計 算される.1秒当たりの発熱量が1μcal以下でも十分に正確に測定できる が,1回の測定に抗原抗体をおのおの10 nmol程度使用する.そこで,分子量
(a)
(b) 時間(分)
時間(分)
0.00 16.67 33.33 50.00
0.00 16.67 33.33 50.00
0.00 16.67 33.33 50.00
-0.5
0.0 (μcal/sec )
(μcal/sec )
0.0 -0.5
-0.5
-1.0
-1.0
-0
-0
-0
-5
-5
-5
-10
-10
-10
-15 -20 -25
0
5
10 15 20 25 画分番号
(Kcal/mole)
-1.0
(Kcal/mole)
(μcal/sec )
0.0
(Kcal/mole)
(c)
時間(分)
-15 -20 -25
0
5
10 15 20 25 画分番号
-15 -20 -25
0
5
10 15 20 25 画分番号
図9・1 ニワトリ卵白リゾチーム (HEL) と抗HEL抗体D1.3のFv部分との相互作用に関す るカロリメトリーを用いた熱力学的パラメータの測定[2]. (a) は野生型抗体, (b) は (a) と 若干アミノ酸配列が異なり, (c) は変異株を示す.上部は発生熱量を示すデータ.下部は 上部データに基づき得られる滴定曲線.
216
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
100,000の分子を対象とすると1 mgの精製標品が必要となる. 図9・1に示す通り,KAの値は測定値にフィッティングさせた曲線を描くこ とにより求めるために,変曲点近傍に位置する測定値が少ない (KAが大きい 場合)と不正確になる.経験的には,KAが108 /Mを大きく越えた当たりから 計算値がぶれやすい.以上の点を除くと,データは再現性が高く,得られた 値の信頼度も大きい.
9.1.3 ストップドフローを用いた速度定数の測定 ストップドフローは,抗原抗体結合部にトリプトファン残基が存在すると, 複合体形成によりトリプトファン側鎖の電子状態が変化し,蛍光測定を通し てその過程をリアルタイムでモニターできる性質を利用する[3].いくつかの 市販機器があるが,筆者らはApplied Photophysics社の製品を用いている.測 定には,抗体に対して抗原が大過剰である条件下で混合する.すると,複合 体形成によって抗原の濃度が変化しないと仮定できるので,みかけ上の結合 速度定数 (kapp) を求められる.このkappは,抗原の初濃度 ( [A] ) との間につぎ o の関系式が成立することが知られている.
kapp = k[A] +kd a o
式(4)
波長260 nmの励起光を用いて320 nm以上の波長をもつ蛍光を測定する.そ のデータを図9・2 (a) に示す.実験は十数回行い,その平均値によりkappが計 算により求められる. [A] を変化させてそれぞれのkappを求め,kappを縦軸に o [A] を横軸にプロットすると (図9・2 b) その傾きからkaが求められる.式 (4) o は[A]oがゼロのときのkappの値がkdに相当することを示すが,実際の値が小
7.5 (a)
(b)
7.0
0.060 kapp
シグナル(V)
0.080
0.040
6.5 6.0
0.020
5.5
0.000 0.100
0.200
0.300
時 間(秒)
0.400
0.500
4.4 4.6 4.8 5.0 5.2 5.4 5.6 5.8 6.0 6.2 [A]O
図9・2 HELと抗HEL抗体D1.3のFv部分との結合速度定数(ka) をストップドフローを用 いて測定した具体例[4]. (a) 本文中に記した原理で測定される蛍光の時間変化. (b) 得ら れたkappを [A]oを横軸にプロットした図.
217
さすぎるために正確に求めるのは困難である.筆者らの場合は,カロリメト (1) よりkdを計算で求めている[4,5].カロリメ リーで求めたKAを用いて,式 トリーとストップドフローが両方とも液相中での反応なので,原理の異なる 機器を用いて測定した値であっても相互に計算に使用してよいと考えてい る. カロリメトリーに必要なサンプル量に比べて,ストップドフローの場合,抗 体に関しては1/10ぐらいの量で測定可能である.この方法の制約は,抗原と 抗体の接触部にトリプトファン基の存在が必須となることである.しかし, 抗体の場合,この条件が満たされる例は多い.
9.1.4 BIACORE を用いた速度定数の測定 BIACOREは,ストップドフローとは異なり,kaとkdを同時に求めることがで きるのが大きな特徴である.測定に必要なサンプル量も非常に少なくてよ い.抗体濃度が正確にわかっていれば少々の共雑物の存在は測定結果に影響 を与えない.シグナルの強さを規定するのは主として分子量なので,測定で きる抗体には制約がかからない. 問題となるのは,BIACOREは片方が支持体に固定されているので,完全な液 相での測定値とどのように比較すべきかという点,および,支持体に固定さ れたリガンドを均一な集団とみなしえるかにある.筆者らが行っている多く の抗体の変異体を作製し変異の及ぼす影響を解析する実験例では,ほかのす べての条件を一定に保てるので,BIACOREは非常に有効な解析機器である. 表9・1にニワトリ卵白リゾチーム (HEL) と抗HEL抗体D1.3のFv部分の相互作 用に関する速度定数をBIACOREを用いて測定した値を示す[4].Fv-Pは1個の プロテインAドメインが,Fv-PPは2個のドメインが,Fvの軽鎖のC末端に融 合して付加された分子であることを示す.kaは濃度を変化させて得た値から 計算して求めるので,一つの値となり,kdは濃度ごとに個別に求めた結果で ある.HELとFvとの結合反応は三者で同様に起こっていると考えてよい.こ ka
抗体
kd
KA
Fv
105s-1M-1 1.17 ± 0.14
Fv-P
1.13 ± 0.01
Fv-PP
0.948 ± 0.001
nM 100 50 25 100 50 25 100 50 25
10-3s-1 1.98 ± 0.05 1.81 ± 0.04 1.43 ± 0.02 2.17 ± 0.04 2.02 ± 0.04 1.83 ± 0.02 2.24 ± 0.04 2.16 ± 0.03 2.04 ± 0.02
107M-1 8.68 ± 0.93 9.50 ± 0.97 12.0 ± 1.20 5.21 ± 0.12 5.59 ± 0.12 6.17 ± 0.10 4.24 ± 0.07 4.40 ± 0.08 4.65 ± 0.06
218
表9・1 各種FvフラグメントとHELの 結合速度定数( k a )および解離速度定 数(k d)をBIACOREを用いて測定した 値[4].
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
分子量が大きいほどkaは若干ながら小さくなり,kdは大きくなり,KAは,Fv とFv-PPで約2倍の差となっている.2) 濃度が薄いほどkdは小さくなる.これ が支持体上のリガンドへの抗体の接近しやすさの差の反映であるとすれば, 濃度ゼロ (実際には不可能) のときの値が理想状態となるのかもしれない.
9.1.5 BIACORE,カロリメトリー,ストップドフローを 用いた測定値の相互比較 表9・1で示したと同じ抗原と抗体の組合わせ (HEL対Fv,Fv-P,Fv-PP) をカ ロリメトリーおよびストップドフローで測定した結果を表9・2に示す. BIACOREで測定したときにみられた現象と同じ傾向 (分子量の変化に対する
ka,kd,KAの相違) が観察される.最も大きな相違点は,kaとkdがそれぞれ約 10倍,カロリメトリーおよびストップドフローで測定した値のほうが大きく なっている.両方とも大きくなった結果,式 (1) で求められるKAのほうは大 きくは異ならない.カロリメトリーから求められるKAがBIACOREで求める
KAより少し高い傾向はあるが,濃度ゼロに外挿した点が真のkdとすれば,両 者から求められるKAは同一と判断できる.kaとkdの測定値がそれぞれ10倍異 なる点は,系の差に要因が求められる.抗原と抗体の分子運動がフリーに保 たれている液相反応を用いるのがカロリメトリーとストップドフローであ り,支持体に固定されたリガンドと液相を流れる一定濃度のレセプター間の 反応を測定するのがBIACOREである.それぞれの系の特徴を利用しながら 実験目的に合致した機器を選択するとよい.
9.1.6 さらなる物理定数への応用 上記にあげた抗原抗体反応に関する物理定数は,さらにさまざまな相関関係 がある.その代表的なものはつぎに示すvanユt Hoffの式である. dlnKA / d(1/T)= −ΔH / R
式(5)
表9・2 各種FvフラグメントとHELの相互作用に関する熱力学的パラメー タおよび速度定数を,カロリメトリ−およびストップドフローを用いて測 定した値[4].kdはka / KAで求めている.
Fv Fv-P Fv-PP
KA
ΔH
ΔG
-TΔS
ka
kd
107M-1 15.9 ± 1.90 9.59 ± 1.20 8.48 ± 1.00
kca l/mol -20.3 ± 0.1 -19.9 ± 0.1 -19.7 ± 0.1
kca l/mol -11.37 ± 0.07 -11.07 ± 0.08 -10.99 ± 0.07
kca l/mol 8.9 ± 0.1 8.8 ± 0.2 8.7 ± 0.2
106s -1M-1 2.93 ± 0.09 2.57 ± 0.06 2.51 ± 0.07
10-2s-1 1.88 ± 0.28 2.73 ± 0.40 3.01 ± 0.44 219
この式は平衡反応では必ず成立するもので,BIACOREを用いても温度を変 化させてKAを求めればΔHが測定できることを意味する.その結果,さらに 式(2),式(3)を応用して,ΔGとΔSも計算から求まる. 非常に古典的な関係式ではあるが,化学速度を決定する要因として,つぎの ように遷移状態(Ag・Ab)*を仮定すると, Ag+Ab ← *← →(Ag・Ab) → Ag・Ab
ka = kT / h・Kュ
式(6)
(kはボルツマン定数,hはプランク定数,Kュは前半過程の平衡定数) が成立することがEyringらによって定式化されている[6].この遷異状態の実 際の物理状態を推定することは容易でないが,温度を変化させてkaを求める と,複合体形成過程に関するすべての物理定数を導き出すことも可能であ る.この理論を用いて,筆者らは抗原抗体複合体形成の最も大きな駆動力が 後半仮定のエンタルピー変化であるという結論を導き出した[5].
参考文献 1. Wiseman T, Williston S, Brands J F, Llin L -N(1989)Rapid measurement of binding constants and heats of binding using a new titration calorimeter. Anal. Biochem. 179: 131-137 2. Ito W, Iba Y, Kurosawa Y (1993) Effects of substititions of closely related amino acids at the contact surface in an antigen-antibody complex on thermodynamic parameters. J. Biol. Chem. 268: 16639-16647 3. Tonomura B, Nakatani H, Ohnishi M, Yamaguchi-Ito J, Hiromi K (1978)Test reaction for a stopped-flow apparatus. Reactions of 2,6-dichlorophenolindophenol and potassium ferricyanide by L-ascorbic acid. Anal. Biochem. 84: 370-383 4. Ito W, Kurosawa Y(1993)Development of an artificial antibody system with multiple valency using an Fv fragment fused to a flagment of protein A. J. Biol. Chem. 268: 20668-20675 5. Ito W, Yasui H, Kurosawa Y(1995)Mutations in the complementarity-determining regions do not caused differences in free energy during the process of formation of the activated complex between an antibody and the corresponding protein antigen. J. Mol. Biol. 248: 729-732 6. Glasstone S, Ladler K J, Eyring H (1941) In the Theory of Rate Processes. McGraw-Hill, New York
220
9
9.2
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
マススペクトロメトリーと BIACORE Christophor Williams
9.2.1 はじめに この10年ほどのあいだに,マススペクトロメトリー (MS) はタンパク質の同 定,性状解析の最も重要な手法の一つとなった.マススペクトロメトリー は,タンパク質のアミノ酸組成,アミノ酸配列に関する高度に特異的な情報 をもたらす,迅速かつ高感度な分析技術である.このような特徴をもってい るので,分子の詳細な解析・同定をわずかフェムトモルからピコモル程度の 量で,しかも秒単位で行うことができる.マススペクトロメトリーは液体ク ロマトグラフィー (LC) やキャピラリー電気泳動などの分離技術と組合わせる ことで成功をおさめてきた.特に,分離する試料の量が少なく,エドマン分 解法などの既存の方法では分析できないような場合にその威力を発揮する. 同様に,マススペクトロメトリーとBIACOREとの統合は,新たな強力な技術 を生み出している.BIACOREの利点である高感度の結合反応解析に,マスス ペクトロメトリーによる未知の微量結合分子の解析を組合わせる試みである. この節では,MSとBIACOREの統合の重要性を理解するために,マススペク トロメトリーの物理的特徴を簡単に説明し,MS/BIACOREでよく用いられ る2種類のマススペクトロメトリーを解説する.最後にいくつかの応用例を 紹介する.
9.2.2 マススペクトロメトリーと分子イオン化 マススペクトロメトリーによる解析は,三つのステップに分けることができ る.試料をまず気相にイオン化し,その質量/電荷比 (m/z) に基づいて分離 し,最後にこのイオンを検出・記録する.マススペクトロメトリーの種類に よりイオン化,分離,検出方法が異なるが,上記の原理はどのマススペクト ロメトリーでも同じである.異なる点はイオン化法,あるいは,質量分析手 法である.いくつかあるイオン化法のうち,BIACOREとのインターフェー スによく用いられるのは,マトリックスアシステッドレーザー励起イオン化 法 (matrix assisted laser desorption/ionization,MALDI) と,エレクトロスプレー イオン化法(electrospray ionization,ESI) である. MALDIは1991年に紹介されて以来,ほかのイオン化法に比べて比較的取り
221
扱いが簡単で,しかもより幅広いバッファー条件を用いることができるため に,急速にタンパク質の同定・解析の強力な手法として広まった.MALDI では,タンパク質をマトリックス物質と混合し固体表面上に滴下する.マト リックス物質の選択が成功を左右する重要な要素である.マトリックスは固 形物質で,通常はアナライトに対して大過剰に加える.マトリックスはイオ ン化を助ける.すなわち,目的分子を固体支持体に取込ませ,特定の波長の レーザーエネルギーを吸収する.マトリックスは迅速にイオン化し,励起し たマトリックスが対象分子をイオン化させる.MALDIを用いて幅広い分子 量のタンパク質を検出することができる.分子量200,000ドルトンのタンパ ク質から多糖類,糖タンパク質,オリゴヌクレオチドまで測定可能である. MALDIは通常,飛行時間型質量検出計 (time of flight,TOF) と組合わせて用 いられる.TOFでは,すべてのガス化イオンは飛行管の中で同エネルギーレ ベルに加速される.その際の飛行速度は質量/電荷比に比例する.低分子量 の分子イオンはより速く飛行管の中を飛ぶ.飛行距離が一定であるので,各 イオンが検出器に到達するまでの時間はその分子の質量に比例する. ペプチドマスフィンガープリントによるタンパク質の同定をMALDI/TOFを 用いて行うことができる[3∼7].溶液中あるいはアクリルアミドゲル中のタン パク質を適当なプロテアーゼで消化する.プロテアーゼとしてはトリプシン がよく用いられる.トリプシンはタンパク中のリジンあるいはアルギニンの C末端側を切断する.トリプシン消化によって生成したペプチドの分子量を MALDI/TOFで解析する.得られた分子量をコンピュータに入力し,さまざ まなプロテアーゼで消化した際の理論上のペプチド分子量のデータベースを 検索する.測定値と理論値の比較から対象のタンパク質を同定する. ESI[8]では,試料は定圧で液体のまま注入される.したがって,ESIはしばし ば液体クロマトグラフィーと直接接続して,オンラインでの生体分子の分 離・検出に用いられる.ESIでは,高電圧に保持したエレクロトロスプレー ニードルから酸性溶液を帯電した微細なミストとして噴射する.熱とガスに よりこの液滴はさらに小さくなり,最終的にはイオン化した分子が励起され る.このイオンを真空下で質量分析計で検出する. マススペクトロメトリーの最も強力な使い方は,複数の質量分析計を直列に つないで,タンデムマススペクトログラフィー (MS/MS) として使う方法で ある[9].MS/MSは空間的あるいは時間的に組合わせて測定することができ る.トリプル四重電極装置では,最初の電極で目的のイオンのみを選択し, ほかのイオンを取り除く.目的のイオンは2番目の電極に送られ,そこでイ オンとガスの衝突によりイオンはさらにフラグメントとなる.このフラグメ ントイオンの質量を3番目の四重電極で解析する.イオントラップマススペ クトロメトリー[10∼12]では,m/zで選択した目的のイオンのみをリング状電極 222
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
でできたトラップに貯える.そして,イオンの衝突解離を引き起こし,発生 したフラグメントの分子量を測定する.このプロセスは理論的には何度も繰 返し行うことができる.この手法をMSnとよんでいる. タンデムマススペクトロメトリーを用いることにより,ペプチド配列を決定 することができる.同じタイプのフラグメントイオンの分子量の差は,末端 のアミノ酸1残基の分子量に相当する.MS/MSスペクトルを解析することに より,目的タンパク質の部分的,場合によっては完全な新規アミノ酸配列を 決定することができる.あるいはMS/MSスペクトルの値をそのままデータ ベース検索することによりタンパク質を同定することも可能である. 以上の説明から明らかなように,マススペクトロメトリーはタンパク質の性 状解析・同定の強力な手法である.最新のマススペクトロメトリーは非常に 高感度となり,機器の操作もデータ解析も簡単になってきた.その結果,い ろいろなタンパク質解析手法との組合わせが進んでいる.
9.2.3 BIACORE とマススペクトロメトリーの組合わせ マススペクトロメトリーとSPRバイオセンサーの組合わせは必然的な流れであ る.センサーチップ表面に結合した物質の同定ができればそのメリットは大き い.BIACOREなどのようなSPRバイオセンサーは,天然物由来の複雑試料を扱 う場合には微量精製システムとして機能する.こうして得られるタンパク質の 濃度範囲が,ちょうどマススペクトロメトリーの検出範囲と一致している. SPRバイオセンサーが未知の物質を探索する,いわゆるリガンドフィッシング に威力を発揮することはこれまでに多くの文献が示している[13∼15].しかしな がら,これまでは検出した結合物質の同定は昔ながらの生化学的手法に頼ら ざるをえなかった.そのために何リットルもの培養上清を準備し,何段階 ものHPLCによる精製方法を開発しなければならなかった.マススペクトロ メトリーとBIACOREを組合わせることにより,リガンドの同定のための手 間を大幅に省くことができる.以下に,BIACOREのセンサーチップあるい はセンサープローブを用いてタンパク質・ペプチドを解析する戦略を紹介す る. 最初のマススペクトロメトリーのBIACOREへの応用例は,センサーチップ 表面での直接的な検出であった[18].センサーチップ表面は平らな金のプレー トで,タンパク質が結合している表面に直接アクセスできるという物理的特 徴から,マススペクトロメトリーのターゲットとして適している.以下の実 験では,抗GST抗体をCM5センサーチップ表面に通常のアミンカップリング 法で固定化した.ここにGSTをインジェクトし抗体に結合させた.システム を停止し,センサーチップのケースから中のチップを取り出した.フローセ
223
ルの位置を実体顕微鏡で確認して,各フローセルにマトリックスを添加し, チップを注意深くMALDIターゲットの上にのせた.ここで用いたMALDI ターゲットは,Perceptive Biosystems社の好意によりセンサーチップをのせ られるように特別に加工したものである.このターゲットをマススペクトロ メトリーで解析した結果を図9・3に示す.GSTの分子量とよく一致するm/z 27870のスペクトルのピークが観察された. しかしながら,この手法をタンパク質の解析に用いるにはいくつかの問題点 がある.センサー表面に捕捉されるタンパク質の量が特定のマススぺクトロ メーターには十分でない場合がある.センサーチップを質量分析計にセット するまでに多くのステップが必要で,その結果,空気中のホコリやそのほか の微粒子の混入による多数のタンパク質のピークが出現することになる. センサーチップ上のタンパク質を同定・解析する第2の方法は,タンパク質 をチップから直接溶出し回収する方法である.BIACORE 2000を用いると, チップの表面から溶出した試料をバイアルに回収することができる.この方 法は原理的には可能であるが,いくつかの問題がある.一つのフローセルか ら回収できるタンパク質の量は,ほとんどの場合ごくわずかである.最適条 件下での1回の溶出で得られるタンパク質の量は,ほとんどの質量分析計で 検出可能であるが,回収システム内のチューブやリカバリーカップへの非特 異的吸着による試料の損失・希釈が起こっていることもある.この問題を解 決するのに,アナライトのインジェクト・溶出を何サイクルも繰返す方法が ある.試料の量に制限がないかぎりこの方法はうまくいく.BIACORE Xで の試料の回収はBIACORE 2000に比べて利点が多い.BIACORE Xはセンサー チップから試料回収部分までのチューブの距離が短く,最新のプロトコール を用いると試料の取扱いは最小限に抑えられるという.この方法では,再生 溶液をエアバブルの直後にインジェクトすることができる.センサーグラム をモニターしながら,エアバブルを検出したら直ちにピペットのチップを回
(+1)
(+2)
10000
15000
20000
25000 (m/z)
224
30000
35000
図9・3 CM5センサーチップから 得たGSTサンプルのMALDI-TOF マススペクトログラム.
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
収用ポートに差し込んで試料を回収する.回収した試料をチューブに移して その後の解析に供する. マススぺクトロメトリーとの組合わせで最後に紹介するのは,BIACOREシ リーズのなかで最も新しい装置BIACORE probe[19]である.光ファイバーを用 いたこのバイオセンサーはセンサーチップに比べて多くの利点をもってい る.まず,解析しているあいだセンサー表面が外に露出しているという点で ある.このために,試料の溶出・回収が容易に行える.つぎに,プローブの 表面積はセンサーチップ上のフローセルの約5倍あるので,より多くの量の 試料を回収することができる.最後に,ピペットにプローブを組込んだこの システムでは試料の添加・溶出をすばやく行うことができる. 図9・4のデータは,プローブ表面でプロテアーゼ処理したGSTのMALDI/ TOFでのスペクトルである.標準的なアミンカップリング法により抗GST抗 体をプローブ表面に固定化する.精製したGSTをプローブに捕捉し,PBSで 2回洗浄する.洗浄の直後に100μlの2 ng/mlのブタトリプシン (Promega社) を チップに吸い込み,このまま室温で8時間インキュベートする.この処理で 得られたペプチドをエッペンドルフチューブに回収し,乾燥させ,これを5 μlの5%酢酸に溶解する.この試料をMALDI/TOFやLC/MS/MSで解析した. 図9・5にLC/MS/MSで解析した結果を示す.MALDI/TOFで得たペプチドの 分子量と,LC/MS/MSで得たペプチド配列をそれぞれMS-FitとSequestを用い て解析したところ,それらはGSTと市販のGSTクローニングベクターである という結果が得られた.図9・6にLC/MS/MSデータから得られたGSTのマッ
1000
2326.98 2348.99
1517.27 1539.7
1160.78 1182.85
1032.83
1138.81
プを示す.GSTのアミノ酸の約61%がLC/MS/MSデータで解析された.
1500
2000 (m/z)
図9・4 プローブ表面でGSTサンプルを直接消化することで得たペプチドのMALDI/TOF マススペクトログラム.
225
9.2.4 おわりに マススぺクトロメトリーはタンパク質の同定・解析の分析ツールとして急速 に広まっている.市販の装置はますます感度が向上し,使いやすくなってい る.SPRバイオセンサーは精製したタンパク質だけでなく,未精製の複雑な 試料中のタンパク質-タンパク質相互作用の解析をするのに理想的な機器で ある.しかしながら,生化学の基盤の大事な部分,すなわち,センサー表面 に結合した分子の同定と性状解析の技術が欠落しているように思われる. SPRバイオセンサーと最新のマススぺクトロメトリーの統合は,このギャッ プを埋める大きなステップである. この節では,BIACOREの2種類の装置と2種類のマススぺクトロメトリーを完 全に統合できることを紹介した.マススぺクトロメトリーとの組合わせによ り,タンパク質をセンサー表面上で直接に,あるいは表面から溶出して解析す
MS
767.1
100 80 60 40 μLC/MS
100
80
80
511.7
20
326.5 548 679.0
0
839.1 1042.8 872.3 1173.2
1456.8 1739.3 1882.6 1964.9
400 600 800 1000 1200 1400 1600 1800 2000
40
(m/z)
60
20.0 21.0 20.0
40 20 MS/MS
0 0
5
10
15
20
25
時 間(分)
30
35
40
743.4
80 60
1017.1
516.2
100
288.2
403.2
40 20 234.1313.9 0 200
615.3 417.1 667.0
400
548.0
872.4 790.1 918.2 1131.2 1246.2 919.4 1067.11141.2 1359.2 1219.4 1402.8 791.1
600 800 1000 1200 1400 (m/z)
図9・5 プローブ表面でGSTサンプルを直接消化することで得たペプチドのLC/MS/MS マススペクトログラム.
226
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
MSPILGYWKIKGLVQPTRLLLEYLEEKYEEHLYERDEGDKWRNK KFELGLEFPNLPYYIDGDVKLTQSMAIIRDKHNMLGGCPKERAE ISMLEGAVLDIRYGVSRIAYSKDFETLKVDFLSKLPEMLKMFED RLCHKTYLNGDHVTHPFMLYDALDVVLYMDPMCLDAFPKLVCFK KRIEAIPQIDKYLKSSKYIAWPLQGWQATFGGGDHPPKSDLIEG
図9・6 LC/MS/MSデータから得られたGST
REFPGRLERPHRD
のアミノ酸配列.データの一部は部分消化に より求めている.
ることができる.また,センサー表面で行ったトリプシン消化の結果から,タ ンパク質を同定することもできる.マススぺクトロメトリーがさらに高感度に なり,バイオセンサーの検出限界・検出キャパシティーが今後もさらに改良さ れつづければ,タンパク質複合体のアフィニティー測定だけでなく,タンパク 質の同定が簡単に迅速にできるようになる日も近いと思われる.
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227
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9.3
核磁気共鳴法(NMR)を用いた 生体物質の相互作用解析
嶋田一夫
9.3.1 はじめに 核磁気共鳴法 (NMR) は,水溶液中における生体物質の立体構造およびそれ らの相互作用を解析するために広く使われている分光法である.従来,有機 化合物の構造決定手法の一つと考えられていたNMRは,測定装置の改良, 測定法の開発および安定同位体標識法の導入により,構造生物学の一翼を担 うようになった. 228
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
NMRの特徴は,生体物質の構造を原子レベルで解析でき,さらに水溶液中 における生体物質のダイナミックスを取扱える点にある.したがって, NMRから得られる知見と,BIACOREで得られる生体物質間の親和定数およ び解離定数とを組合わせることにより,生体物質の認識機構に対し,ミクロ およびマクロな観点から詳細な知見が得られると考える.本節では,NMR 法の構造生物学的応用例について述べる.
9.3.2 NMR の構造生物学における役割 NMRによるタンパク質の構造研究は,ここ数年間に大きな変化をとげた. すべての炭素および窒素を均一に13C,15N標識したタンパク質の大量調製が 比較的容易となったことと,多核種多次元NMR測定法の開発の結果,分子 量20,000∼30,000程度のタンパク質のNMRシグナル帰属法が完全に確立し た.そして,核オーバーハウザー効果 (NOE) から水素核間の距離を見積もる ことで,溶液中におけるタンパク質の立体構造が求められ[1],立体構造に基 づく生命現象の理解が可能になった. また,上記の分子量制限を越えたタンパク質に対しても,NMR分光法の特 徴を生かした構造解析が可能である.図9・7 (a) に,分子量50,000のタンパ ク質の1H-NMRスペクトルを示す.タンパク質を構成しているアミノ酸残基 由来の1Hシグナルは,化学シフト0∼10 ppmの範囲に渡って分布しているも のの,この領域にはおよそ3400個に及ぶ水素核が存在する.しかしながら, 安定同位体標識をタンパク質に施すと事態は一変する.図9・7 (b) にTyr残基 を15Nにより安定同位体標識し適切なNMR測定方法により観測したスペクト ルを示す.すべての水素原子のなかから,Tyr残基アミド水素由来する13個 のシグナルを選択的に観測することが可能になる.すなわち,この事実は NMRを用いることにより,タンパク質全体のなかから特定の部位を抽出す ることができることを示している.さらに,このようにして選択観測された NMRシグナルを,二重標識法[2]などを用いることで帰属することも可能であ る.ひとたび帰属が確立されたならば,そのアミノ酸残基の運動性に関する 情報および残基まわりの空間情報をシグナルの線幅やNOEを通して知ること ができ,生体物質の水溶液中の立体構造やそのダイナミックスが得られる.
9.3.3 NMR によるタンパク質 - タンパク質相互作用解析 ここでは,タンパク質複合体の系において,NMRによりどのような解析が 可能であるかを,抗体結合性タンパク質と抗体の定常領域フラグメントFcを 用いて概説する. 抗体は,免疫系において中心的役割を果たす糖タンパク質である.可変領域 229
(b)
(a)
10
8
6
4
2
0
(ppm)
図9・7 軽水溶液中の1 H-NMRスペクトル. (a) Fabフラグメント (分子量50,000) . (b) Tyr残 基を15N標識したFabフラグメント.
で抗原を認識し,定常領域であるFcにおいて補体およびFcレセプターと相互 作用を行い,その結果,外来異物を排除する.一方,ある種の病原性細菌の 細胞壁表面に存在する一連のタンパク質は抗体と特異的相互作用を示す.黄 色ブドウ球菌由来のプロテインAはその一員である.プロテインAはビーズ 上のドメイン構成をもち,膜につなぎ止める役割をもつX,Mドメインと, それにつづく一次構造上の相同性が高い分子量7000のドメインから構成され ている.そして,これらのドメインE,D,A,B,Cそれぞれが,pH依存的 に抗体のFcと結合する. プロテインAのBドメインの立体構造およびFcとの相互作用解析を求めるた め,大腸菌の大量発現系によりBドメインを均一安定同位体標識し,NMRによ る立体構造解析を行った.NOEから得られた距離制限を用いて構造計算された 結果を,主鎖の重ね合わせ表示として図9・8に示す.Bドメイン単独は,N末 端から3本のαヘリックス (ヘリックスI,II,III) が束ねられた構造をとること が示された[3].BドメインとFcの複合体の分子量は60,000である.このような高 分子量タンパク質の系では,立体構造計算に必要な水素核間距離をNOEから算 出することが困難になる.しかしながら,主鎖原子の由来のシグナルの観測お よび帰属は安定同位体標識法を駆使することにより可能である. 図9・9は,Fc非存在下および存在下における15N標識されたBドメインの1H15
Nシフト相関スペクトルである[4].両者のスペクトルを比較すると,Fcが存
在することにより特定のアミノ酸残基に由来するシグナルが影響を受けてい ることがわかる.この変化は,BドメインがFcと結合することにより相互作 用部位にある残基のミクロ環境が変わったことを示す.これらの残基の化学 シフト変化を,アミノ酸残基に対してプロットしたものを図9・10に示す. Fcとの結合に伴い影響を受ける残基は,ヘリックスIおよびIIに集中して観測 され,ヘリックスIIIの残基は影響を受けていないことがわかる. 230
9
ヘリックスⅠ
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
ヘリックス Ⅱ
ヘリックス Ⅲ
図9・8 プロテインAのBフラグメントの水溶液中の立体構造 (ステレオ表示) .
直接Fcと相互作用しているBドメインの残基を特定するためには,水素-重水 素交換実験が有効である[4].主鎖アミドプロトンは溶媒のプロトンと交換す る.したがって,NMR測定溶媒を軽水から重水に置き換え,1H-15Nシフト相 関スペクトルのピーク強度の時間変化より主鎖アミドプロトンの水素-重水 素交換速度が求められる.BドメインとFcの結合定数は107 M−1と比較的強 く,Fc存在下および非存在下でBドメイン主鎖アミドプロトンの水素-重水素 交換速度を比較することにより相互作用部位が同定できる.たとえば,ヘ リックスIIIに位置するLeu45はFc存在下および非存在下で水素-重水素交換速 度に大きな変化がなかったが,ヘリックスIに位置するLeu18の交換速度はFc に結合することにより,劇的に遅くなった.水素-重水素交換速度の変化を プロテクション因子として示したものが,図9・11である.このグラフか ら,ヘリックスIがFcの結合に伴う影響を大きく受けていることが示され る.さらに,ヘリックスIのプロテクション因子から見積もられた結合定数 はさきに述べた値と一致したため,Bドメインは,ヘリックスIを中心にFcと 231
(a)
(b)
G30 Q10/11 N7
Q56
S40
H19 N44 N22 Q41
S34 N29 N53 E25 K50 Q11
Q33 K36 S42 L46 F14 Y15 L18 N12 N44
D37 E48 I32 F31 Q27 D54 E9 I17 R28 E26 Q41 K51 E16 Q10 L52 N24 L45 A13 A43 A55 A49 L35
Q56
N29 N4
110
Q33
N53
L23
115 A47
120
N F1(ppm)
N22
N24
15
N12 Q27
L20 A57
125
A60
8.5
8.0
7.5
7.0
6.5
1
8.5
8.0
7.5
7.0
6.5
1
H F2(ppm)
H F2(ppm)
図9・9 プロテインAのBフラグメントの1H-15Nシフト相関スペクトル. (a) Fc非存在化. (b) Fc存在化.
結合していることが明らかとなった.このようにしてNMRから求められた 結合部位を図9・12に示す.タンパク質上の相互作用部位が決定できれば, BIACOREで得られたマクロな結合定数のpH依存性などを立体構造に基づき 議論することが可能である.
9.3.4 NMR による動的分子認識 また,NMRから得られるタンパク質のダイナミックスも,生体物質の分子 認識を理解するうえで重要な事柄である.以下に抗体の抗原認識を例にあ げ,概説する.抗体は免疫経過とともに,胚細胞由来遺伝子の組換えや,超 可変ル−プ (H1,H2,H3,L1,L2,L3) を中心とした体細胞突然変異による アミノ酸の置換により,免疫原に対して親和性を増大させる.この現象を affinity maturationと総称する.この機構を解明するために,いままでに (4-ヒ ドロキシ-3-ニトロフェニル) -アセチル(NP) ,2-フェニルオキサゾロンなど のさまざまなハプテンに対する抗体の一次構造の解析が行われている.
232
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
1.0 ヘリックス Ⅰ
ヘリックス Ⅱ
ヘリックス Ⅲ
δ(average)(ppm)
0.8
0.6
0.4
0.2
0.0
0
10
20
30
40
50
60
残基番号
図9・10 Fc結合によるプロテインAのBフラグメントの化学シフト変化.
ヘリックス Ⅰ
ヘリックスⅡ
ヘリックスⅢ
350
プロテクション因子
300 250 200 150 100 50 0
0
10
20
30
40
50
残基番号
60
図9・11 プロテインAのBフラグメントの残 基ごとのプロテクション因子.
Rajewskyのグループは,抗NP抗体重鎖33番目のTrp→Leuの変異が起こるこ とにより,免疫後期の抗体のNPに対する親和性が増大することを示してい る.さらに,抗原結合の速度論的解析より,親和性増大には結合過程が寄与 していることがわかった.ここでは,免疫初期における抗NP抗体N1G9と, 重鎖33番がTrp→Leuの変異を含む免疫後期における抗NP抗体B2のFabフラグ メント (分子量50,000) を対象として,抗原結合部位の立体構造解析を行い, 親和性増大機構を考える[5,6]. 233
K36
L35
Q33 Y15 F14
N29 L18 E16 H19
図9・12 NMRにより決定されたプロテインAのBフラグメントの Fc結合部位.
まず,N1G9およびB2の抗原結合部位が抗体分子のどこに存在しているかを 明らかにする必要がある.そのためには,抗原認識部位に豊富に存在してい ることが知られている,両親媒性アミノ酸TyrおよびTrp残基を解析プローブ として用いることがふさわしい.そこで,TyrおよびTrp残基の主鎖アミド窒 素を,15N標識したFabフラグメントを用いて抗原結合部位の同定を行う.一 般に,スピンラベル化抗原をFabフラグメントに加えると,抗原から10Åの 近傍に存在するアミノ酸残基由来のNMRシグナルは広幅化を起こし,事実 上消失する.したがって,消失したシグナルをもとに抗原認識部位の特定が 可能になる.スピンラベル化抗原としてNP-AmTEMPOを化学合成し,標識 されたN1G9とB2に添加した結果,いずれの場合にも,Y95,Y96,Y97, Y100jなどH3ル−プの残基にシグナル強度の減少が観測された(図9・13) . また,同様の実験をTrp残基についても行い,N1G9においては,W33 (H1ルー プ) のシグナルも消失し,この変異が導入される部位も抗原結合部位近傍に存 在することが示された。以上により,重鎖33番のTrp→Leuの変異が存在して も抗原結合部位の静的立体構造は基本的に同一であることが示された. そこで,抗原認識部位の動的構造を解析するために,抗原非存在下の N1G9,B2の両抗体において,すでに帰属のついている主鎖アミド窒素の横 緩和時間測定を行い,抗原結合部位のダイナミックスを解析した.その結 果,B2の抗原認識部位には,N1G9には存在しないコンホメーション多形が 存在していることがわかった.すなわち,親和力が向上しているB2の抗原 結合部位は,N1G9に比べより柔軟性をもち,外部からの抗原をより受け入 れやすく構築されていると考えられる. 234
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
[15N−Tyr]B2 H−chain labeled Y27(H)
Y59(H)Y95(H)
110
Y100j(H) Y32(H)
115
N(ppm)
CH1
Y79(H)
C H1
Y102(H)
Y91(H)
Y96(H)
120
Y90(H)
CH 1
125 Y97(H)
10.0
9.0
8.0 NH(ppm)
7.0
6.0
+NP−AmTEMPO
110
Y59(H)
Y102(H)
120
N(ppm)
115
125 10.0
9.0
8.0 NH(ppm)
7.0
6.0
図9・13 抗NP抗体に対するスピンラベル化抗原 の影響.スピンラベル化抗原を添加することによ り下段のスペクトル中で4個のシグナルが消失し ている.
9.3.5 おわりに 以上述べてきたように,N M R から得られる原子レベルの構造情報と, BIACOREなどより得られるマクロな親和定数および速度論的パラメーター を考えあわせることにより,生体物質の溶液中における認識機構をより詳細 に解明できるものと考える.
235
参考文献 1. Wuethrich K(1986) NMR of Proteins and Nucleic Acids. John Wiley & Sons 2. Kainosho M, Tsuji T(1982) Assignment of the three methionyl carbonyl carbon resonances in Streptomyces subtilisin inhibitor by a carbon-13 and nitrogen-15 double-labeling technique. A new strategy for structural studies of proteins in solution. Biochemistry 21: 6273-6279 3. Gouda H, Torigoe H, Saito A, Sato M, Arata Y, Shimada (1992) I Three-dimensional Solution Structure of the B Domain of Staphylococcal Protein A: Comparison of the Solution and Crystal Structures. Biochemistry 31: 9665-9672 4. Gouda H, Shiraishi M, Takahashi H, Kato K, Torigoe H, Arata Y, Shimada (1998) I NMR Study on the Interaction between the B Domain of Staphylococcal Protein A and the Fc Portion of Immunoglobulin G. Biochemistry 37: 129-136 5. Nakayama T, Arata A, Shimada(1993) I A Multinuclear NMR Study of the Affinity Maturation of Anti-NP Mouse Monoclonal Antibodies: Comparison of Antibody Combining Sites between Primary Response Antibody N1G9 and Secondary Response Antibody 3B62. Biochemistry 32: 13961-13968 6. Mizutani R, Miura K, Nakayama T, Shimada I,Arata Y, Satow Y (1995) Three-dimensinal Structures of Fab Fragment and Its(4-Hydroxy-3-Nitrophenyl)Acetate Complex of Murine N1G9 Antibody from Primary Immune Response. J. Mol. Biol. 254: 208-222
9.4
超遠心分析
有坂文雄
9.4.1 はじめに タンパク質や核酸の密度はそれぞれ1.3 g/ml,1.7 g/ml程度で水より重いが, 静置した溶液中で底に沈むことはない.これは地球の重力で沈降しようとす る傾向よりも拡散によって濃度勾配を打ち消すようにはたらくブラウン運動 のほうが優勢だからである.しかし,遠心機のローターを回転させて重力の 数千倍程度の遠心力をかけると,沈降する傾向と拡散する傾向が拮抗するよ うになる.両者の傾向が釣り合って,平衡に達したときのセル中の溶質の濃 度勾配を測定するのが沈降平衡法 (図9・14 a) であり,最初からより大きな 重力をかけて沈降しつつある溶質の溶媒・溶質境界面を観測するのが沈降速 度法である(図9・14 b) . 沈降する界面の移動速度と形状はさまざまな情報を含んでおり,原理的には 沈降速度法によって,沈降係数,拡散係数,分子量,多成分系の各分子種の 236
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
濃度,それらの粒子が相互作用するならばその平衡定数などが求まる.実 際,最近開発されたdC / dt法[1]では,比較的精度よく分子量や平衡定数を求 めることができるということである.ただし,通常のやり方では分子量や平 衡定数は沈降平衡法によって求める. 超遠心分析法は,これまで主として,1) 分子量の測定 (沈降平衡法)と,2) 試料の均一性の検定(沈降速度法) に用いられてきた.天然状態での絶対分 子量が測定できること,そして,溶液中の試料の状態が均一であるかどう かを検定できることは,それ自体大きなメリットである.分子量の測定に 関していえば,最も簡便に用いられているSDS電気泳動では試料を変性さ せる必要があり天然状態の分子量は求められないし,アミノ酸組成や配列 によっては検量線から大きくはずれることもある.ゲルろ過による分子量 の決定は分子の形状に依存するので,球状タンパク質を仮定しなければな らない.また,球状の場合でも担体に親和性があると溶出が遅れるので注 意を要する.これに対して,以下にみるように,沈降平衡法による分子量 の決定は分子の形によらないのが大きな特徴である.試料の均一性に関し ては,ポリペプチドの長さの均一性に関するかぎりSDS電気泳動や二次元 電気泳動が最も便利で感度がよいが,天然の状態または会合状態の不均一 性に関しては沈降速度法が優れている.もう一つの超遠心分析の重要な特 徴は,測定できる分子量 (または沈降係数)の範囲がたいへん広いことであ る.分子量数千のものから数千万程度まで,特に困難なしに分子量を求め ることができる. 超遠心分析法は以上のような大きな特徴をもつにもかかわらず,70年代後 半からあまり使用されなくなり,Beckman社もModel Eの製造を中止してい
1.0
1.5 (a)沈降平衡法
(b)沈降速度法
0.5
A 280
A 280
1.0 拡散 沈降
0.0
0.0
メニスカス 6.9
7.0
0.5
メニスカス 7.1
r (cm)
7.2
7.3
6.0
6.2
6.4
6.6 6.8 r (cm)
7.0
7.2
図9・14 超遠心分析. (a) 沈降平衡法. (b) 沈降速度法.
237
た.最近になって再び超遠心機が注目されてきた背景にはいろいろな要因 があるが,一つには,ポストゲノム計画が象徴するように,遺伝子中心の 研究から遺伝子のコードするタンパク質自体へと関心が移ってきたことが 大きな要因であろう.また,超遠心機自体にも大きな変革があった. Beckman社の新世代超遠心分析機XL-AとXL-Iの登場である.以前のModel Eとの大きな違いは,まず装置の大きさである.幅,高さとも半分以下に なってふつうの超遠心分離機と同じ大きさになり,場所をとらなくなった のでどこの実験室にも置けるようになった.もう一つの要因はコンピュー タの進歩である.データが直接パソコンに転送され,インストールされて いるソフトウェアによって沈降係数や分子量がたちどころに求まるように なっただけでなく,データ解析も精密化して,理論曲線のフィッティング の際に系統的な誤差があるかどうかなどの判断が容易になった.また,最 近になって上記のdC / dt法など新しい解析法も開発され,超遠心分析機が 単なる分子量測定機器という枠を超えて,分子間相互作用の測定機器とし て新たな展開をはじめている. 表面プラズモン共鳴法は生体高分子間相互作用のキネティクスを解析するた めの画期的な方法であり,特に,高い親和性をもつ分子間相互作用の研究に 適している.これに対して,超遠心分析法は弱い相互作用から中程度の相互 作用の解析にむいており,熱力学的解析を行うために有効な測定機器であっ て,前者とは相補的な性格をもっている.
9.4.2 装置と測定の実際 Beckman社の超遠心分析機XL-Aの概要を図9・15 (a)に示す.外見はまった く分離用超遠心機と変わらないが,ローターと光学系を設置してバキューム ボタンを押したあとは,すべてパソコンで制御される.ローターは4穴のAn60Tiと8穴のAn-55Tiがあるが,前者が標準で付属されている.試料を入れる セルにはいくつかの形があるが,紫外-可視の吸収をモニターする場合に は,通常,図9・15 (c) の形のダブルセクターセルが用いられる.セルは沈降 する溶質粒子が側壁に衝突して濃度分布を乱すことがないようにくさび形 (扇形) をしている.セルは石英 (quartz) のウインドウで挟んでアルミのホル ダー (housing) に収納し,トレンチでつねに一定のトルクがかかるようにし てネジを締めて固定する. セルをこのように組立ててから,横の穴を通して試料セルや参照セルに注射 器でそれぞれ試料と緩衝液 (透析外液を用いるのが理想的) を入れる.沈降平 衡法の場合には,測定波長 (多くの場合280 nm) での吸光度約0.5の試料溶液 を120μl,溶媒を140μl程度用いる.沈降速度法では,吸光度0.8から1.0の試 料溶液を400μl,溶媒を425μlを用いる (沈降速度法ではプラトー領域を含む 238
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
スキャンをできるだけ多くとりたいので,平衡法よりも多くの試料溶液を用 いる) .光学系は両セルの吸光度の差をモニターする.セルホルダーは1番か ら3番までの穴に入れ,4番目の穴にカウンターバランスを入れる.カウン ターバランスはバランスをとるだけでなく,半径方向の距離を検量するため にも用いている. 図9・15(b)に光学系の概要を示してある.モノクロメータを通って単色と なった光 (波長190∼800 nm) はセルの上から入って下に抜け,チャンバーの 下にあって半径方向に移動するフォトマルに検知される.XL-Iでは,さらに レイリー干渉計が設置されている.吸収は感度がよく,特定の波長を利用す ることによって特定の溶質だけを選択的に検出することができるが,レイ リー干渉計は吸収のないものでも測定できるだけでなく,測定できる濃度範 囲が広く,精密な測定ができるのが特徴である.なお,レイリー干渉計の場 合には,圧力によって生じる歪みを少なくするためにサファイアのウインド ウが用いられる. 超遠心分析法は,大きく分けて沈降平衡法と沈降速度法がある.前者では分 子量とその分布,後者では沈降係数とその分布が求められ,平衡にある系で 各成分の濃度が求められる場合にはその平衡定数を見積もることができる.
9.4.3 沈降平衡法 平衡状態ではセル内での流れがゼロになるという条件を考慮し,理想溶液を
回折格子 (a)
(b)
(c)
きりこみ ローター
セル
絞り
試料/対照 試料注入口 セルアセンブリ 可動式 イメージングシステム スリット
キセノンランプ 光電子増倍管
図9・15 超遠心分析機. (a) 概観. (b) 光学系.(c) セル.
239
仮定すると, 2 d(lnC ) ω M (1 − υρ ) = 2 2 RT dr
式 (1)
という関係が成り立つ[2].ここで,Cは溶質の濃度, rは回転中心からの距 _ 離,ωは回転角速度,Mは溶質の分子量,υは溶質の偏比容,ρは溶媒の密 度,Rは気体定数,Tは絶対温度である.式 (1) によれば,lnCをr2に対してプ ロットし,傾きからMを求めることができる (図9・16) .式 (1) からわかるも う一つ重要なことは,式 (1) には摩擦係数 (または拡散係数) など分子の形に 関係するパラメータが含まれていないということである.したがって,式 (1) に基づく超遠心分析による分子量の決定は分子の形に依存しない. _ なお,分子量決定の際にはυ ,ρの見積もりが必要で,実験で求められる傾 _ きを (1ミυρ) で割らなくてはならないので,これを正確に見積もる必要があ る.偏比容を実験的に求めるには,現在では精密振動密度計が用いられる が,この測定には10 mg程度の試料が必要なのと,装置が高価なこともあ り,実験的に求めるのが困難な場合が多い.そこで,構成アミノ酸残基の各 比容の重量平均をとることによって偏比容を求める簡便法がよく用いられる [3]
.ρについては水の密度の正確な値が表になっており,また各種の塩溶液
について測定がなされているのでそれを参考にすることができる.式 (1) で は理想溶液を仮定してあり,非理想溶液の場合,式 (1) の分母にもう一つ項 が加わるが,一般に球状タンパク質で1 mg/ml程度以下の濃度では理想溶液 の条件が満たされると考えてよい.理想溶液からのずれが無視できない場合 は,lnC対r2のプロットが直線からはずれるが,その場合でも,濃度Cをゼロ に外挿することによって真の分子量を求めることができる. 2種類以上の溶質がある場合には,各成分の重量平均の分子量が求められ る.ここで,同一の分子が会合して二量体を形成する場合を考え,単量体と 二量体が平衡にあるとしよう.超遠心分析を用いると,この2種類の分子が 平衡にない混合物なのか,それとも,平衡にあるかを調べることができる. 平衡にない混合物であれば,得られる溶質の濃度分布は単量体と二量体それ ぞれの平衡状態の分布の和になるが,平衡にある場合には,単量体と二量体 2 はセル内のすべての場所 (r) で平衡式 ( [二量体] =K [単量体] ) を満たしてい
るはずである.両者はいくつかの異なる回転数で濃度分布を調べることに よって区別される (図9・17) .そして,平衡状態にある場合には,最小二乗 法で理論式に当てはめることによって平衡定数Kを求めることができる.こ の計算はBeckman社から提供されるプログラムで行うことができる.さらに 複雑な会合系を扱った例もいろいろ報告されている[4∼6].
240
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
−1.3 −1.4 −1.5
傾き=
ω2 M(1−v p ) ≒ 33470 2 RT
In(A 230)
−1.6 −1.7 −1.8 −1.9 −2.0 −2.1 −2.2 47.0 47.5 48.0 48.5 49.0 49.5 50.0 50.5 51.0 51.5
r 2(cm2)
重量平均分子量
(b)
重量平均分子量
(a)
図9・16 沈降平衡法による分子量の決 定.T4ファージ分子シャペロンgp57A[9].
濃 度
濃 度
図9・17 平衡系と多分散系の違い.重量平均分子量を濃度に対してプロットしたもの[10]. (a) 単量体と重合体が平衡にある場合.(b) 混合物.
9.4.4 沈降速度法 原核生物のリボソームは70S粒子で,30S粒子と50S粒子の複合体である.ま た,最近,プロテアソーム20S粒子の構造がX線結晶解析によって解かれて いる.この70Sとか20Sというのが沈降速度法によって求められる沈降係数 である.沈降係数は,溶液を遠心したときに,ある溶質がどのくらい沈降し やすいかを示す指標となる.沈降する粒子(分子)の速度vは,加速度rω2に 比例する.
v = dr / dt = srω2
式(2)
この比例定数sが沈降係数である.沈降していく粒子を直接観察するわけに 241
はいかないが,遠心を開始し,メニスカス (気液界面) にあった粒子が沈降し はじめると,そこに移動する界面を生じる.この境界面は溶質 (粒子) の濃度 が変わるところなので,UVモニターやシュリーレン光学系などで観察する ことができる.界面の位置rbはUVモニターで各時刻におけるセル内の濃度分 布を測定することによって求められる.ここで, (1) 式のrをrbで置き換えて 変数分離ののち積分すると, 2 ln {r( t)/r( t )} = sω( t−t0) b b 0
式(3)
{r( t)/r( t) } をt−t0に対してプロットすれば,傾きからsω2, したがって,ln b b 0 したがってsが求まる.sは秒の単位をもち,10−13秒をスベドベリ単位として 10Sのように表す.図9・18に図9・14 (b) の沈降パターンから沈降係数を求め る例を示す.遠心力場が沈降する粒子に及ぼす力を考えると,遠心力と浮力 に加えて速度に比例した粘性抵抗がはたらく.この三つの力は各位置でつり _ 合っているとみなせる.この関係から,sは溶質分子の分子量M,偏比容υ, 溶媒の密度ρ,摩擦係数fを用いて, _ s = M(1ミυρ)/Nf
式(4)
と表されることがわかる.N はアボガドロ数である.界面の位置r bはプラ トー領域の濃度の半分の濃度をとる位置,または,境界の濃度変化の変曲点 として求められる.Beckman社のソフトウェアXLAVELでは一次微分の最大 値の位置をrbとして求めるようになっている. 式 (4) からいくつかのことがわかる.沈降係数が摩擦係数に依存するという ことは,沈降係数が分子の形に依存することを意味する.このことは逆に, 沈降係数と分子量から分子の形について議論できることを示しているが,こ れについては文献を参照されたい[7].式(4) からわかるように,沈降係数の 値は温度や溶媒 (緩衝液や塩濃度) に依存するので,溶質分子に固有の物理的 パラメータとしての沈降係数は,以下の式に従って20℃における水中での値 に換算することになっている.
s20,w =
(1 − υρ )20,w ηT ,b sT ,b (1 − υρ )T ,b η20,w
式(5)
さて,これまで速度法は主として溶質分子の均一性を調べるために用いられる ことが多かったが,適当な解析法を用いると拡散係数を求めることができ,拡 散係数と沈降係数から分子量を求めることができる (スベドベリの式) . _ M = sRT / D(1−υρ) 式 (6) この方法は,従来,拡散係数を精度よく求めることが難しかったために実用
242
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
0.10
0.08
ln(r / r m)
0.06
0.04
0.02
0.00 0
3
6
9 12 15 18 21 24 27 30 33 36 ω2 t (×E −10)
図9・18 沈降係数の算出.ln(r / rm) 対ω2tプロット.
的でないとされていたが,dC/dt法を用いると条件がよければ拡散係数が比 較的高い精度で求められる.図9・19にdC/dt法の概要を示す[8].dC/dt法では 時間に依存しないノイズを差し引くことによりS/N比が向上し,沈降係数の 分布関数( g s*) が求まるが,この方法は解離会合系の平衡定数を求めるため にも応用される.
9.4.5 おわりに 超遠心分析の概略を紹介したが,1920年代のSvedbergの研究以来,超遠心分 析の歴史は長く,理論的にも実験的にも多くの研究が残されている.このよ うに理論的に確固たる基盤をもっている点が,最近新たに開発されてきた表 面プラスモン共鳴法,微少熱量測定法 (カロリメトリー) ,蛍光偏光解消法な どとの大きな違いである.超遠心分析は基本的には分子量,沈降係数,およ びそれらの分布を求める方法であるが,系によっていろいろと工夫すること により,多くの応用の可能性がある.興味をもたれた方は,ぜひ下記の超遠 心関係のインターネットのWebサイトをたずねてみられることをお勧めす る. http://bioc09.uthscsa.edu/auc/ http://www.beckman.com/biorsrch/prodinfo/xla/xlahome.htm http://www.ccc.nottingham.ac.uk/~sczles/ncmhpage.html
243
S *=
C
(a)
0.35 0.30
g(s*)
d C /d t
タンパク質リガンド
0.25 0.20
Ms/D=144kDa Mms=146kDa
(b)
r r m
(d) mAb s201w=6.85S D201w=4.33F
r (cm)
1 ln ω2t
s201w=7.31S D201w=2.71F Ms/D=245kDa Mms=237kDa
0.15 0.10
r (cm) (c)
0.05 s
g(s*)
σ
0.00 D
−0.05 3.0
4.0
5.0
6.0
7.0
8.0
9.0
10.0
*
S (スベドベリ) S *(スベドベリ)
図9・19 dC/dt法. (a) 遠心沈降パターン. (b) dC/dt対r. (c) 沈降係数 (S*) の分布. (d) dC/dt法の応用例.モノクローナル抗体 (mAb) のみとmAb-タンパク質リガンド複合体. この方法でs / Dを求めて算出した分子量Ms/Dと,平衡法で決定した分子量Mmsが比較して ある.さらに,この実験から抗体1分子に2分子のタンパク質リガンドが結合することも わかる.
参考文献 1. Stafford W T III(1992)Boundary Analysis in Sedimentation Transport Experiment: A Procedure for Obtaining Sedimentation Coefficient Distributions Using the Time Derivative of the Concentration Profile. Anal. Biochem. 203: 295-301 2. Ralston G (1993) Introduction to Analytical Ultracentrifugation. Beckman Instruments, Fullerton 3. 有坂文雄(1993)超遠心.蛋白質核酸酵素 39:1 734-1756 4. Dong F, Gogol E P, von Hippel P H (1995) The Phage T4-coded DNA replication helicase (gp41)forms a hexamer upon activation by nucleoside triphosphate. J. Biol. Chem. 270: 7462-7473 5. Pintar A, Hennsmann M, Jumel K, Pitkeathly M, Harding S E, Campbell I D(1996) Solution studies of the SH2 domain from the fyn tyrosine kinase: secondary structure,
244
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
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9.5
蛍光共鳴エネルギー移動法
井上 敏
9.5.1 はじめに 生化学の領域でよく利用される蛍光共鳴エネルギー移動 (Fluorescence Resonance Energy Transfer) の手法を理解するには,蛍光発光 (以下蛍光と略す) に 関する基礎的知識が必要であるため少し説明をしておく.それは,共鳴エネ ルギー移動の原理を蛍光分析に利用するからである.一般に,蛍光分析法 は,分子の会合や分子の運動に非常に敏感で,種々の情報を提供し,さら に,光 (photon) を検出するため,ほかの分光器と比べ検出感度が高い利点が ある[1∼6]. 物質はいろいろなエネルギーを吸収して,熱を伴うことなしに光を発する. この発光をルミネッセンス (luminescence) という.ルミネッセンスはそのエ ネルギー源の種類によって分類され,紫外線や可視光線のような光のエネル ギーを吸収して再び光を放出する現象を光ルミネッセンス (photoluminescence) とよび,蛍光発光やりん光発光はこの範疇に入る.すな わち,光ルミネッセンスは光のエネルギーの吸収によって物質を構成する原 子・分子内で起こる,電子のエネルギー準位の変化 (電子遷移の過程) の問題 である(図9・20). 光は波動性と粒子性をもつ電磁放射線 (電磁波) であり,通常,蛍光で取扱う 吸収および発光の波長領域は200∼700 nm (595∼170 kJ /molのエネルギー) 245
である.この領域の電磁波を簡単のために光とよんでいる.電磁波は波長の は次 長さで分類され,それぞれの波長 (λ) でもつ光エネルギー (E,kJ/mol) 式で表される.
E = hν = hc /λ ここで,hはプランクの定数で,6.626×10−34 J s,νは振動数 (Hz,cycle/sec) でc /λ,cは光速度で,3×1010 cm/sec,λは波長(cm)である. すなわち,上式からプランクの定数と光速度を定数と考えると,波長が短い と光エネルギーは高エネルギーをもつことがわかる.たとえば,短波長 (高 振動数) である青色 (∼450 nm) は,長波長 (低振動数) である赤色 (∼600 nm) より高いエネルギーをもっている. 一般に,エネルギーを吸収する官能基を発色団 (chromophore) とよび,この 吸収したエネルギーのすみやかな再放出を蛍光と理解できる.エネルギーの 吸収過程は約10-15秒くらいのあいだに起こり,発光過程では,10-12秒くらい のあいだに分子間の衝突によって励起電子状態にたまっている余分な振動エ ネルギーが基底状態に落ち着くとき,光が放出される.一方,光放出を伴わ ない場合を無輻射失活とよぶ(図9・20). 蛍光には以下の原則がある. 1) 蛍光スペクトルは吸収スペクトルより必ず長波長に現れる. 2) 蛍光量子収量Q(= 量子放射の数/量子吸収の数)は0と1のあいだの値 をとり,希薄濃度においてのみ蛍光強度は濃度に依存する. 両者とも,考えてみれば当り前のことであり,発色団分子が吸収したエネル ギー以上に光としてのエネルギーの放出はありえないことを意味し,励起振 動エネルギーは必ず高エネルギーレベルから低エネルギーレベルへと移動す るのである. 一般に,溶液中で電子励起エネルギーが二つの発色団間内でを移動する現象 は,1) 輻射的移動 (trivialな移動) ,2) 共鳴エネルギー移動 (遠距離エネルギー 移動),3)衝突によるエネルギー移動の三つに大別され,分子間距離のプ ローブ(距離のものさし)として,2)の共鳴エネルギー移動が利用される.
9.5.2 蛍光共鳴エネルギー移動の原理 今世紀はじめ,すでにフランスのPerrinにより共鳴によるエネルギー移動の 現象は観察されていたが,1940年代後半,ドイツのFörsterにより,双極子相
246
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
励起振動状態
エネルギー移動 電子移動 励起錯体形成反応
無輻射失活
蛍光
光吸収
エネルギー
基底振動状態
図9・20 光のエネルギー吸収とそのエネル ギー放出の過程の概念図.
基底電子状態
互作用(dipole-dipole interaction) によるエネルギー移動効率は,距離の6乗に 反比例する,という理論が提案された[7,8].すなわち,励起一重項エネル ギーが,供与体発色団から50∼100Å (5∼10 nm) 離れた受容体発色団へ,衝 突によらず無輻射的に移動可能であり,そのエネルギー移動効率は距離の6 乗に反比例するというのである. Försterにより提案された共鳴エネルギー移動効率に与える影響は,移動速度 定数(k)として次式で与えられる. k=
1 ⎛ R0 ⎞ τD ⎝ r ⎠
6
ここで,τDは供与体の蛍光寿命,rは供与体 (Donor) -受容体 (Acceptor) 発色 団の距離,ROはFörsterのエネルギー移動距離(エネルギー移動が50%である ときの距離)である. その後1967年,米国のStryerとHauglandによって,共鳴エネルギー移動がは じめて蛍光法を用いて実験的に証明され,生化学の領域に導入への道を開い た[9].それは,分子間の距離の変化を蛍光の強度変化で測定することにより 分子間の相互作用解析を可能にした. 実際にStryerらの行ったモデル実験を理解すると,より具体的イメージがわ くと思うので,以下に紹介する.彼らは,エネルギー供与体 (ナフチル基) と 受容体 (ダンシル基) との距離を,1個から12個までのプロリル残基をもつポ リ-L-プロリンによって,コンロールし(図9・21),ナフチル基(吸収極大波 長280 nm,蛍光極大波長340 nm)からダンシル基(吸収極大波長340 nm,蛍 光極大波長550 nm) の共鳴移動を,蛍光スペクトルの強度を測定することに
247
より供与体-受容体の距離を蛍光強度の関数として求めた.エネルギー移動 がゼロのときは,受容体の励起スペクトルは受容体の吸収スペクトルに一致 する.一方,供与体とのあいだにエネルギー移動が起っている場合,供与体 の励起スペクトルの変化が観察される.すなわち,供与体-受容体の距離が 近くなればエネルギー移動効率が増し,受容体蛍光強度が上がることにな る.この実験の結果,蛍光強度と距離の関係は,Försterが予測したように距 離の6乗に反比例することが証明された.すなわち,これは蛍光強度が蛍光 分子間距離に鋭敏に反映するために (距離の6乗に反比例するため) ,分子間 の相互作用の研究に応用されてきた理由である.一般に,蛍光分子間で起こ る共鳴によるエネルギー移動をFluorescence Resonance Energy Transfer (FRET,蛍光共鳴エネルギー移動)とよんでいる. 一般に,FRETが起こるためには,以下のスペクトル条件をすべて満足する 必要がある. 1) 供与体・受容体のそれぞれの発色団励起波長に差があり,別々に励起さ せることができること 2) 供与体・受容体の蛍光スペクトルがよく分離していること 3) 供与体の蛍光スペクトルが受容体の吸収スペクトルと十分オーバーラッ プしていること (このオーバーラップ部分の広さがエネルギー移動効率 に影響を与える)
(a)
(b) 100 N
C O
供与体:D
O
H N
O
N
C
N
H
O n (n = 1 ∼ 12)
共鳴エネルギー移動
80
S CH3 N CH3 受容体:A
移動効率 [%]
H
60 40 20 0 10
20
30 R0 距離 [Å]
図9・21 共鳴エネルギー移動のモデル実験.文献[9]より改変して引用.
248
40
50
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
4) 供与体・受容体の蛍光スペクトルの量子収量が大きく検出が容易である こと 図9・22に,吸収/蛍光スペクトルとエネルギー移動の関係を,蛍光発色団 A(供与体)-蛍光発色団B(受容体)の場合につき模式的に示した.
9.5.3 蛍光プローブによる FRET の応用 蛍光の共鳴エネルギー移動の現象を利用して生体分子の高次構造や分子間の 相互作用を解析することは,解析分子内の発色団と適当なプローブ発色団 (蛍光試薬など) を組合わせることにより可能となる.表9・3に,FRET法が 解析に用いられた生体分子の種類についてまとめたが,その領域は多岐にわ たっている.実際の蛍光測定およびFRETの実験法は,成書を参考にしてい ただきたい[1∼6,10∼14]. 特にタンパク質の場合は,芳香族のアミノ酸であるトリプトファン,チロシ ン,フェニルアラニン残基が供与体として用いられ,特にトリプトファン残 基は,タンパク質中比較的少ない残基であり,蛍光量子収率も高く,蛍光極 大が長波長(蛍光極大波長350 nm,励起波長280 nm)にあり,蛍光プローブ 受容体色素ANS(1-anilino-8-naphthalene sulfonate)の吸収スペクトル(吸収極 大波長350 nm,蛍光極大波長515 nm) とよくオーバーラップするため,しば しば利用される.また,生体低分子関連した蛍光アナログ化合物として,核 酸,補酵素 (ATP,NAD,FAD,CoAなど) ,脂肪酸,リン脂質の蛍光誘導体 なども利用されている[12∼15].
100Å< エネルギー移動 長波長 (低エネルギー光)
短波長 (高エネルギー光)
吸収・蛍光強度
発色団 発色団 (D:供与体) (A:受容体)
発色団:A 吸収 発色団:D 吸収 発色団: D蛍光
短波長(青色)
発色団:A 蛍光
長波長(赤色) 波長(nm)
図9・22 蛍光共鳴エネルギー移動の模式 図.
249
一方,FRETは分解酵素などの反応速度解析にも利用されている.基本的な アイデアは,FRETの起こっている2分子間に切断部位を導入し,酵素的に切 断することによる蛍光変化を測定するものである (図9・23) .近年,この方 法をもっと積極的に利用した例がある.一つは,HIVプロテアーゼの検出法 として報告されたもので,化学合成された特異的ぺプチド上の二つの発色団 のうち,受容体発色団に蛍光供与体分子の消光発色団分子 (quencher) を結合 させ,供与体のエネルギーをFRETより吸収させ蛍光発光をマスクする.も し,プロテアーゼによりぺプチドが分解されると,FRETによるマスクがは ずれ供与体の蛍光を発するというもので,ポジティブアッセイである (図9・ 23 b)[16].また,FRETの起こる二つの発色団を核酸分子の両側に化学合成 し,ヌクレアーゼで核酸が分解するとFRETが変化することによりこの活性 を測定する系を確立した (図9・23 a) .この系を用い,マイクロインジェク ション法により,生細胞にてリアルタイムでヌクレアーゼ反応を動的観察す ることが可能となった[17].
9.5.4 蛍光プローブによる FRET の問題点 最大の問題点は,何を蛍光プローブとして,何を測定するかである.現在ま で,少なくともFRET法の原理・方法は確立しているが,個々の固有の生体 分子にすべて利用できるプローブは存在しない.前述したFRETの条件に合 うプローブを探すこと同時に,温和な条件で二つの発色団の距離が100Å以 内となるような条件設定が必要である[12∼14].このことが感度のよいFRET法 が多用されない理由でもある.
9.5.5 緑色蛍光タンパク質 GFP の登場 歴史的にみれば,生物発光の領域では1960年の初めにはGreen Fluorescent Protein (GFP) 存在は確認されていたが,細胞生物学で注目されたのは1994年以降 である[18∼20].GFPが注目を集めているのは,GFP遺伝子を動植物生物で発現さ せた場合,発現を試みた生物すべてにおいて,補酵素を必要とせず,遺伝子 発現するだけで産生GFPが酸素依存的に蛍光能をもつためである.現在ま で,このタイプのタンパク質はGFP以外では報告されていない.すなわち,
核酸(tRNA ,リボザイム,DNAなど) オリゴペプチド(ホルモンなど) 酵素(特に金属含有酵素:Fe3+,Ca2+,Zn2+など) 酵素複合体 レセプターとトランスポーター 他の生体高分子(生体膜,抗体など) 250
表9・3 蛍光共鳴エネルギー移動が応用された生体分 子.
9
(a)
(b)
FRET
供与体
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
FRET
受容体
hν
供与体
受容体 =消光発色団分子
hν
hν'
切 断
切 断
hν"
hν"
hν
hν
図9・23 共鳴エネルギー移動の利用例.
GFP遺伝子はin vivoでの生体内蛍光プローブになるのである (生体外から人為 的にマイクロインエクジョンなどによる試薬の注入が,必ずしも必要ない) . さらに,GFP発色団の改変を通して作製された2種の変異GFPを用いたFRET 法により実際に,生細胞でのリアルタイムの生体分子の相互作用変化のイ メージングの可能性が示されている.基本的には前述したFRETの原理を発 現変異GFPに用いたにすぎないのだが,図9・24に模式図で示したように, エネルギー供与体としてBlue Fluorescent Protein (BFP,蛍光極大波長450 nm, 励起波長380 nm) ,受容体として変異GFP(S65T,蛍光極大波長512 nm,励 起波長490 nm) を用い,その結合部分に,結合因子の標的配列やリガンド結 合によりコンホメーションの変化するタンパク質など,二つの発色団の距離 に影響を与えるような部位を挟んだ融合タンパク質を作製した.これを生細 胞内で遺伝子発現させるか,あるいは,マイクロインジェクジョンを行い, リガンドがこの部位に結合することによるFRETの蛍光強度の変化をリアル タイムに蛍光イメージングの手法で観察しようというものである.この方法 は現在まで数例の報告しかなく,一般的な手法として使用可能かどうか判断 するのには詳細な検討が必要であると思われる[21,22].
9.5.6 おわりに タンパク質の構造と機能の動的解析は,X線結晶解析やNMR解析をベースに して,一般生化学的解析を併用することにより進められている.さらに,リ アルタイムに生体の動的反応をin vitroで解析することは,基礎的情報の蓄積
251
の視点からすれば重要であるのはまちがいのない事実である.しかしなが ら,生体内in vivo系での複合的な動的反応系においては,それがどれだけ意 味があるのかは疑問が残るだろうし,個人的な感想ではあるが,生きた細胞 において動的変化をリアルタイムで観察することが本当に可能なのかどうか は,現在までの手法では実感できない.最近登場したGFPのFRET法を用い た技術においてさえも,生理的な観点からすれば問題があると思われる. FRET法を含め新しい手法を開発するとともに,つねにその手法を別な方法 で評価することが必須となるであろう.
BFP
GFP
hν' λem=510nm (緑)
hν λex=380nm
認識部位
リガンドなど
hν" BFP
λem=450nm (青) GFP
hν λex=380nm 図9・24 発現BFP-GFP融合タンパク質を用 いたFRETの利用例.
252
9
BIACORE とほかの分析手法との組合わせ・比較
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254
将来の展望
1
半田 宏
はじめに BIACOREは生体分子間相互作用の速度論的な解析用機器として開発され, この分野の発展に多大な貢献をしている.開発当初は抗原と抗体とのあいだ やホルモンとその受容体とのあいだなどのタンパク質-タンパク質間の相互 作用や,二本鎖DNAの特異塩基配列とそれを認識して結合する転写因子と のあいだなどのDNA-タンパク質間の相互作用といった,生体の単分子間の 結合反応に関する速度論的解析がおもなものであった.BIACOREは開発さ れて以来まだほんの短い歴史しかもたないが,しいていうならば,この誕生 当初はBIACOREの誕生期といえる. その後,BIACOREは成長をはじめて,現在では生体分子間相互作用の速度 論的解析だけにとどまらず,さまざまな用途に応用されるようになってい る.たとえば,種々のカラムクロマトグラフィーで分画したおのおのの画分 をBIACOREによりアッセイして受容体に特異的に結合する生体分子を分 離・精製したり,受容体に結合するリガンドをBIACOREでスクリーニング したり,また,モノクローナル抗体の解析やエピトープマッピングなどにも BIACOREが用いられるようになっている.したがって,現在は誕生から生 育をはじめた第一次成長期に入っているといえよう. BIACOREは現時点でもきわめて優れた解析装置であるが,さらなる進展を 遂げ,第二次成長期に突入しようとしている.そこで,本章では,次世代の BIACOREに何が要求されるのか,すなわち,現時点でのBIACORE装置の改 良すべき点,および,いかなる分野でいかなる発展が期待されるかなどにつ いて,将来の展望と題して考察してみたい.
2
次世代 BIACORE への要求ポイント
2.1
リガンドのチップへの固定化 センサーチップへのリガンドの固定化法として現在使用されているのは, チップ上のデキストラン層に,1) アミンカップリング法で水溶性カルボジイ ミドでアミノ基をもつリガンドを架橋し固定化する,2) チオールカップリン
257
グ法によりシステイン残基をもつリガンドを固定化する,3) すでに固定化さ れたストレプトアビジンにビオチンを付加したDNAやペプチドをリガンド として固定化する,4) すでに固定化された抗GST抗体にGSTタグリガンドを 固定化する,5) すでに固定化されたキレート剤にニッケルを介しHisタグリ ガンドを固定化する,などいくつかの方法が開発されている.また,近年, チップ上に脂質単層膜を構築し,その膜中にリガンドを固定化する方法も開 発されている. しかし,すべてのリガンドを,その固有の性質や使用目的に応じてチップ上 に固定化することは現時点では困難である.リガンドをチップ上に固定化す る場合の理想としては,固定化されたすべてのリガンドが正常な構造や受容 体との結合能を保持していることである.そのためには,リガンドの特定の 官能基のみが固定化に関与し,それ以外の官能基は関与しないという条件を 決めることが必要となる.特に,1分子中に複数個の官能基をもつリガンド を担体に直接固定化する場合,2ヶ所以上で固定化されるために構造変化を 起こしやすい.リガンドが生体分子である場合には,上記のタグやビオチン などを付加した生体分子を作製すれば,比較的容易に特定箇所のみを介して リガンドをチップ上に固定化できる.しかし,リガンドとして用いる生体分 子や化学物質のすべてにそのような付加が可能とはかぎらない.特に,官能 基をもたない化学物質などをチップ上に固定化する場合には,官能基を新た に付加しなければならない.その際,化学物質のどの部位にどのような官能 基を付加するかを決めなければならない. いずれにしても,アミノ基やシステイン残基以外の官能基を特異的しかも効 率的に担体に固定化する技術の開発,固定化用の新たな官能基やタグの開 発,担体への直接の固定化ではなくスペーサーを介した間接的な固定化技術 の開発などが,今後要求される.
2.2
リガンドを固定化する担体 現在,リガンドを固定化するのに使うチップ上の担体として,デキストラン 層がおもに用いられている.デキストラン層はきわめて優れた担体である が,いくつかの改良すべき点がいまだ残されている.たとえば,非特異的吸 着が多いとか,立体障害のためにデキストラン層中の固定化リガンドにアナ ライトが接近しにくいなどが点があげられる. それらを改良したものとして,現在,厚さの薄いデキストラン層をもつ担体 は購入可能である.また,非特異的吸着の少ないデキストラン素材の開発な ども行われている.しかし,デキストランよりも優れた担体の開発も望まれ ている.理想的な担体としては,非特異的吸着が少なく,リガンドとの固定
258
将来の展望
化に関与する官能基を数多く有し,しかも,薄い単層を形成するなどのいく つかの特性をあわせもつことがあげられる.この際,固定化されるリガンド の官能基の多様性を考慮に入れ,おのおのの官能基に対応して効率的に固定 化できる担体の開発も望まれている.また,多くの化学物質は難水溶性で, 有機溶媒にしか溶解しない.そのような場合には,有機溶媒に耐性なチップ および担体の開発が要求される. うえに述べたように,理想的な担体や固定化の技術が開発されれば,チップ 上に固定化されるリガンドの種類を飛躍的に増やすことができ,BIACORE の汎用性がさらに広がると思われる.
2.3
測定感度・精度 現在では,アナライトとして分子量の小さな化学物質を検出することは困難 である.したがって,化学物質にタグをつけて分子量を大きくし検出限界以 上にするとか,競合阻害により間接的に検出するなどの方法をとらざるをえ ない.また,きわめて少量のアナライトを検出することも現時点では困難で ある.したがって,分子量の小さなアナライトや量的に少ないアナライトを 解析できるようにするために,いまよりも高い感度および精度をもつ表面プ ラズモンあるいはそれに代わりうるセンサーの開発が望まれる.
2.4
温度制御 現在のサンプルラックは室温であるために,失活しやすいタンパク質などの 正確な測定が困難である.そこで,サンプルラックの温度調節が可能になれ ばそのような問題点を解決することが可能となるだろう.
2.5
処理能力 現在のBIACOREでは,一度に処理できるサンプル数に限りがある.製薬企 業などでは,ルーチンに多数のサンプルのスクリーニングを行っており,1 日に処理できるサンプル数をできるだけ増やすことに努めている.そのた め,アッセイやスクリーニング用のロボットなどを投入して処理能力を高め ている.企業レベルでは,一度に多数のサンプルを全自動で処理できる BIACORE装置の開発が望まれる.
2.6 多数の因子間相互作用の解析 現在は,リガンドとアナライトの二者間の相互作用の解析が主であり,複数 259
個の因子間の相互作用の速度論的解析は,近年少しずつ始まっているが,い まだ未熟な段階である.BIACOREを用いて,多数の因子による段階的な複合 体形成反応や,いったん形成された複合体の解離反応などの速度論的解析, および,それら反応にかかわる諸因子などを体系的に解析することが可能と なれば,BIACOREはさらにパワフルな解析装置に成長すると思われる.
3
各分野での将来の発展性
3.1
基礎研究分野での展開 1) 目的物質の分離・精製装置 BIACOREは固定化されたリガンドとそれに特異的に結合するアナライトと の相互作用を解析することはできるが,アナライトを同定するだけの量を確 保することは,現時点では困難である.そこで,リガンドとアナライトとの 相互作用の解析に加えて,BIACOREを用いてリガンドに結合したアナライ トを効率よく回収して,それを容易に同定できるような連携システムの開発 が基礎研究分野で切望される. 2) 機能解析 BIACOREは生体分子の結合能・認識能という機能を解析する装置として開 発されたが,ほかの機能を解析する装置としても応用できると思われる.と いうのは,生体反応は生体分子間の特異的な結合・認識を介して起こる.そ こで,BIACOREを用いて,シグナル伝達反応や転写開始・伸長反応などの 生体反応の諸過程,および,反応にかかわる因子の機能などが解析できれ ば,BIACOREはまさに鬼に金棒である. 3) 1研究室に1台のBIACORE 現在では種々のクロマトグラフィー装置が普及し,ほとんどすべての研究室 に設置されているように,近い将来,BIACOREもすべての研究室に設置さ れ,ルーチンに使われる時代が到来すると思われる.また,BIACOREに対 する上記のいくつかの要求が満たされれば,BIACOREはただ生体分子間相 互作用の速度論的解析にとどまらず,多種多様な研究内容に対応して利用で きるようになる.そうなれば,個々の研究内容にフィットしたBIACORE関 連製品が安価で容易に入手できるようになることが期待される.
260
将来の展望
3.2
医療分野への応用 1) 遺伝子診断装置 遺伝子診断装置として,BIACOREの有用性は期待できる.リガンドとして 特異的な塩基配列をもつ一本鎖DNAを固定化して,それに相補的なDNAあ るいはRNAをアナライトとしてハイブリッド結合させる方法である.その 際,一部に変異をもつ核酸はハイブリッド結合できない条件を設定すること が必要となる.いったん条件を設定すれば,変異したものと正常なものとを 容易に区別することができる.しかし,使える核酸の長さや設定条件などに 制約があるために,この方法による遺伝子診断の実用化は難しいと思われ る.そこで,近年,それらの問題点を解決する一つの方策として,正常なも のも変異したものもいったんハイブリッド結合させ,そののちに,変異箇所 を特異的に認識あるいは切断するような物質などを利用して,変異箇所を BIACOREで検出する方法が開発されつつある. 2) 医療診断・分析装置 核酸を用いての遺伝子診断は近年始まったばかりであるが,通常は血液や尿 中の成分を分析して診断に用いるのが主流である.この場合でも, BIACOREを利用することができ,従来とは少し趣を異にした分析装置の開 発が期待できる. その一つとして,数多くの微量な生理活性物質を一度に検出できる装置とし てBIACOREを使うことが考えられる.この場合,個々の生理活性物質をア ナライトと考えると,リガンドの選択が問題になる.これを可能にするため には,親和性や特異性など複数の条件を満たすリガンドを人工的に合成ある いは天然物から見い出すことが要求される. つぎに,親和性や特異性の若干異なるいくつかのリガンドを用い,特定のア ナライトの質的・量的変化を検出できる装置としてBIACOREを活用するこ ともできる.この場合,リガンドとしては,天然のレセプターやそれを遺伝 子工学的に改良したものを用いる以外に,人工合成された化学レセプターの 開発も待たれる. また,血液や尿中での微量有害物質や異常物質を検出するにもBIACOREは 活用できる.この場合でも,固定化するリガンドが問題となり,目的に応じ たリガンドの作製あるいは天然物からの検索が必要となる.
261
3.3
食品工業への応用 化学調味料としてのグルタミン酸などは,化学的手法によっても,微生物を 用いた発酵法によってもつくられている.多くのアミノ酸は名前や化学的組 成が同じであるが,L体とD体という光学異性体が存在する.生理活性をも つものは,おもにL体である.化学的に合成すると両方ができるが,生物が つくるのはおもにL体である.また,種々の食料品のなかには有害な物質が 混入することもある.そこで,合成品中の成分の組成比の解析や質的管理を 行う必要がある.それらを解析する簡便な装置として,BIACOREを活用す ることが可能と思われる.
3.4
医薬品工業への応用 近年,新規の医薬品を開発するうえで,薬剤に対する生体レセプターを同定 することの重要性が認識されるようになった.その理由として,生体レセプ ターを同定することによって薬剤の作用機構が明らかになるだけでなく,そ の生体レセプターとの親和性を制御することによってより優れた治療薬を創 製することや,副作用の原因を明らかにすることなどが可能となるからであ る.薬剤に対する生体レセプターを同定するのにBIACOREが利用できる. 低分子化学物質をリガンドとして固定化したチップを用いて,リガンドに特 異的に結合する生体分子を検索・同定するのである.さらに,化学物質に特 異的に結合する生体分子が同定されるとその遺伝子がクローニングできる. つぎに,遺伝子工学的手法を用いて組換えタンパク質を作製し,化学物質に 結合するドメイン領域およびドメインの高次構造を明らかにすることが可能 となる.その結合ドメインと化学物質との相互作用に関する多面的な解析を 基盤として,コンピュータによるドラッグデザインなどが可能となり,これ らは次世代の薬剤開発に大いに貢献することが期待できる. また,特定の生理活性物質に結合してその機能を阻害する薬剤の検索も,米 国のベンチャー企業などで盛んに行われている.その場合,BIACOREは数 多くの化学物質を含む化学物質ライブラリーから生理活性物質に特異的に結 合するものをスクリーニングできる.この場合,上記のように数多くのサン プルを一度に処理できる装置の開発が要求される. さらに,特定の生体分子に結合し,その分子とほかの生体分子との相互作用 を阻害することによって治療効果を発揮するような化学物質を検索する場合 でも,BIACOREはアッセイ用装置として利用できる. このように,BIACOREは生体分子-生体分子間の相互作用を解析できるばかり でなく,生体分子-化学物質間の相互作用の解析を行うことができる.特に薬
262
将来の展望
剤開発において,スクリーニングやアッセイに活用できるし,結合の強さを定 量できることから新規薬剤の設計に関しても有効に利用することができる.
3.5
環境関連分野への応用 近年,ダイオキシンや環境ホルモンなどの環境汚染物質が社会的問題として クローズアップされている.それらの汚染検出にもBIACOREは利用でき る.ただし,ダイオキシンや環境ホルモンをアナライトと考えると,それに 的確に対応するリガンドとして何を選択するかが最も重要な問題である.
4
おわりに 以上,BIACOREのつぎの世代である第二次成長期として,要求される問題点 およびいくつかの分野での発展性などについて簡単にふれた.BIACOREの将 来的なイメージとしては,どこの研究室でも少なくとも1台はあり,個々の 研究内容や研究レベルに対応できる数多くのオプションを有していて,高感 度・高機能性センサーとして大いに活躍していることが想像される.
263
索 引 A∼Z
HSP47 7
Abbe の屈折計 24 affinity 202 Affinity in Solution 法 68 affinity maturation 232 AIC 最小化法 85 analytical integration 82 ANCA 206 avidity 202
InsP3 レセプター 188
BFP 251 BIAevaluation 65, 79 Blue Fluorescent Protein 251 BMP 106 BPH 155 CASK 117 CDR 144, 201, 215 dc/dt 法 243 DNA スライディングクランプ 98 DNA- タンパク質相互作用 133 DNA ポリメラーゼδ 98 DNA ポリメラーゼ複合体 97 DNA-DNA 相互作用 148 ELISA 198, 204 ESI 221 Fab 140 Fc 229 FRET 248 GFP 250 global フィッティング 65, 81 Green Fluorescent Protein 251 GroEL 8, 89 GroEL-GroES 複合体 7, 92 GroES 8, 89 Hep G2 細胞 151 Heterogeneous ligand モデル 70 hGABP 133 hGABP α 135 hGABP γ 136 His タグ 48
KA →親和定数 ka →結合速度定数 KD →解離定数 kd →解離速度定数 Kretschmann 配置 17, 31 LC/MS/MS 225 local フィッティング 67, 80 LPS 161 M13 194 MAGUK 117 MALDI 221 MAM 156 MHC クラス I 分子 125 MHC クラス II 分子 128 MHC 分子 124 MPO 207 MS/MS 222 MSSA 157 MutS 152
N- アセチルラクトサミン 156 NMR 228 NOE 229 N-ras 151 numerical integration 82 Otto 配置 17 p21 102 PCNA 98 PDZ 領域 117 Pioneer センサーチップ 167 pol δ 98 PSD 115 PSD-95 118 RCA120 156 refolding 法 142 Req 57, 68, 151 RFC 98 RTK 181 265
RU 31, 41 SAPAP 119 scFv 140 separative フィッティング 80 SH3 領域 119 simultaneous フィッティング 80 SPR 5 SSA 156 T 細胞レセプター 124 TCR 124 TGF-βスーパーファミリー 106 TOF 222 Wegeners 肉芽腫 207 WGA 156 Wood 配置 18
解離速度定数 6, 41, 63, 215 解離定数 6, 41, 57, 63 核オーバーハウザー効果 229 核磁気共鳴法 228 活性帯 115 カロリメトリー 215 還元型α -ラクトアルブミン 89 頑健推定法 82 間接的捕捉法 45 乾燥法 52 擬非線形式 79 キメラ抗体 204 キメラタンパク質 182 キャプチャー法 45 競合アッセイ 126 凝固第 VIII因子 177
ア行
クランプ分子 98 クランプローダー 98 クロスリンカー 4
アクチビン 107 アシアロ -GM1 163 アナライト 31, 40, 41, 53, 63 アフィニティー解析 57 アフィニティークロマトグラフィー 3 アフィニティー定数 41 アミンカップリング法 42, 109 アンタゴニズム 129 安定同位体標識 229
蛍光共鳴エネルギー移動 245 蛍光プローブ 249 計算結果診断 83 血液凝固因子 171 結合速度定数 6, 41, 63, 215 ゲルシフト法 133 ゲルろ過 4, 73
一本鎖抗体 140 遺伝子診断 151, 261 イノシトールトリスリン酸レセプター 187 ウエストウエスタン法 4 裏打ち分子 117 エネルギートランスファー法 5 エバネッセント波 14 エバネッセント場 16 エピトープマッピング 206 エレクトロスプレーイオン化法 221 オーガナイザー因子 107 オーバーラップシンドローム 207 重み 77 オリゴヌクレオチド 140, 148
カ行 カイ 2 乗 66, 84 266
コインジェクション法 111 抗アシアロ -GM1 抗体 166 抗原抗体反応 201, 215 抗好中球細胞質抗体 206 骨形成タンパク質 106 小麦胚芽レクチン 156 コラーゲン 7 コルディン 107 コレラ毒素 164
サ行 再構成膜 171 最小二乗法 75 再生操作 56 再生溶液 42, 56 最尤推定法 76 細胞周期制御因子 102 残差プロット 66, 83 残差平方和 77 三本鎖 DNA 形成 153
紫外線損傷 DNA 認識抗体 138 糸球体腎炎 207 自己凝集 73 自己抗体 206 自己組織化単分子膜 172 脂質ミタンパク質相互作用 171 シナプス後膜肥厚 115 シャペロニン 8, 89 主要組織適合性複合体 124 受容体型チロシンキナーゼ 181 神経シナプス結合構成分子 115 シンプルモデル 65, 69 親和性解析 57 親和定数 41, 57, 63, 215
直接法 59 チロシンキナーゼ 181 沈降速度法 241 沈降平衡法 239
スキャッチャードプロット 4, 68, 165 スクリーニング 61, 181, 262 ストップドフロー 215 ストレプトアビジン 47 スベドベリ単位 242
糖鎖 155 糖鎖認識機構 156 糖鎖認識分子 155 糖脂質 160 糖ミタンパク質相互作用 155
正規分布 76 生理活性物質 188, 262 赤血球系前駆細胞 181 接着分子 116 繊維状バクテリオファージ 194 センサーグラム 31, 33, 41 センサーチップ 28, 46 センサーチップ C1 195 センサーチップ CM5 46 センサーチップ F1 195 センサーチップ HPA 50, 172 センサーチップ NTA 48 センサーチップ SA 47, 134, 141, 148, 156, 189 全反射 17
ナ行
増強法 59 相互作用確認実験 53 増殖細胞核抗原 98
タ行 大腸菌易熱性毒素 164 多核種多次元 NMR 測定法 229 タンデムマススペクトログラフィー 222 タンパク質 - タンパク質相互作用 89 タンパク質 - ペプチド相互作用 115 チオールアルカン基 50 チオールカップリング法 45, 202 超遠心 73, 236 超音波処理 175
ツーハイブリッド法 5, 115 定常領域フラグメント 229 低分子生理活性物質 188 デキストラン 28 データ解析 65 電気泳動 4 転写因子 133 点突然変異検出 152
二重標識法 229 ニューレキシン 116 ニューロリギン 116 熱力学的パラメータ 215 濃度測定 59 ノギン 107
ハ行 バイオパニング 195 ハイブリダイゼーション 148 発色団 246 バッファー浸透法 52 バルク効果 40, 41, 64, 184 ビオチン化 148, 189 ビオチン化試薬 47 ビオチン化リガンド 47, 70 ビオチン残基 141 ビオチン標識 134, 155 光ルミネッセンス 245 飛行時間型質量検出計 222 微少多脈管炎 207 非線形最小二乗法 65, 74 非線形式 78 ヒト型化抗体 201 非特異的吸着 55
267
ヒト脊髄性ペルオキシダーゼ 206 表面プラズモン共鳴 5, 13, 30 ファーウエスタン法 4 ファージ・ディスプレイ法 194 フィッティング 65, 79 フォリスタチン 107 フォールディング 7 副甲状腺ホルモン関連タンパク質 201 複合糖質 155 複製因子 C 98 複製フォーク 97 プラズマ振動数 13 プラズマ波 13 プラズモン 13 ブランクコントロール 40, 54, 65 プルダウン解析 3 プレコンセントレーション 42 フローセル 32 プロテイナーゼ 3 207 プロテイン A 230 分子イオン化 221 分子シャペロン 6, 89 平衡値 57 平衡定数 57, 63, 215 平衡反応系 63 ホスファチジルセリン 174
マ行 マイクロ流路系 32 膜押し出し法 176 膜結合型グアニル酸キナーゼ 117
268
マススペクトロメトリー 221 マストランスポート・リミット 41, 59, 70, 159, 195, 202 マトリックスアシステッドレーザー励起イオン化法 221 マルチモデル 69 ミエロペルオキシダーゼ 207 ミスマッチ結合タンパク質 152 ミスマッチ検出 149 密度勾配遠心 4 “みなしご”レセプター 181 免疫沈降 4 モノクローナル抗体 125, 139, 161, 201
ラ行 ランニングバッファー 40, 42, 64 リガンド 31, 39, 41, 53, 63 リガンド固定化 42, 64 リガンド精製 185 リガンド同定 182 リポソーム 50, 160, 171 リポ多糖 161 緑色蛍光タンパク質 250 リン脂質 171 レクチン 155 レセプター 109, 181, 187, 262 レセプター結合阻害 190 レゾナンスユニット 31, 41 ロバスト推定法 82
生体物質相互作用のリアルタイム解析実験法− BIACORE を中心に BIACOREを中心に を中心に 定価(本体5,000円+税) 発 行 編 集 発行者 発行所
印刷所
1998 年 11 月 09 日 初版初刷 2002 年 10 月 15 日 初版 4 刷 永田 和宏・半田 宏 平野 皓正 シュプリンガー・フェアラーク東京株式会社 〒 113-0033 東京都文京区本郷 3 丁目 3 番 13 号 TEL (03) 3812-0757(営業直通) ショウワドウ・イープレス株式会社 < 検印省略 > 許可なしに転載, 複製することを禁じます. 落丁, 乱丁はお取り替えします.
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