観光ビジネスの戦略 ハワイ旅行を企画する 折戸晴雄 玉川大学出版部
はじめに
私たちが「観光」を経済における基幹産業であると実感した のは、いつごろのことだっただろうか。さほど遠い昔のことで はないはずだ。 私が旅行開発株式会社(現...
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観光ビジネスの戦略 ハワイ旅行を企画する 折戸晴雄 玉川大学出版部
はじめに
私たちが「観光」を経済における基幹産業であると実感した のは、いつごろのことだっただろうか。さほど遠い昔のことで はないはずだ。 私が旅行開発株式会社(現在の「株式会社ジャルパック」 )に 入社したのが 1974 年。ハワイへ海外赴任したのは 1988 年。そ して 2003 年に帰国するまで、海外を渡り歩いてきた。それは、 日本の観光産業の成長とともに、観光がビジネスとして大きく 展開していく過程そのものだったように思う。 本書では、私の体験したことを具体的に綴ってみた。それは 個人的なことであるかもしれないが、観光ビジネスのたどった 道と根底でつながっているはずである。 最近、ハワイにおけるマーケット環境は、奇しくも私が最初 に赴任したころと同じような環境になりつつある。歴史は繰り 返すのであろうか。ハワイは、アメリカ本土の観光客を中心に 物事が動き出している。 しかしながら、消費者の目線で物事に取り組むことは昔も今 もさほど変わっていない。変化する環境のなかで日本からのマ ーケットにどのように取り組んでいけばいいのかを考えるヒン トになることと思っている。 これから観光産業に携わろうとする人たち、さらに大きく飛 躍させていくであろう人たちの参考になれば幸いである。
3
観光ビジネスの戦略 ―ハワイ旅行を企画する 目次
1 ハワイの時代 P.9 n ハワイ旅行の需要 n 重要素材は「ホテル」 n ピンチがチャンスに n 部屋を確保するということ
2 シェラトン・モアナ・ サーフライダー・ホテル P.25 n ふたつのホテルが合体 n マーケティング戦略を構築する
3 ザ・ロイヤル・ハワイアン P.42
n 部屋を選べるホテル ■私のホテリアー哲学 ―パティ・ V ・ハーマン
n マーケット・ミックスが命題に n 変化の兆し ■成功するための要素 ―ボブ・ドイケ
4 ヒルトン・ハワイアン・ ビレッジ P.57
n ホノルルで最大のホテル n イメージを変えるための作戦 ■厳しい状況下での情熱と努力 ―ヒロ・マツダ
5 ホテル・イヒラニ P.70
n トップクラスのリゾートを目指す n 顧客ターゲットの見直し ■当時の関係者の証言 ―伊藤光樹
6 ハワイアン・アイランズ P.79 n 商品の差別化 ■マウナ・ラニ・ベイ・ホテル 販促プロモーション雑感 ―武井久昌
7 ツアーオペレーションの 変遷 P.84 n「組み込み型」から「組み立て型」へ ■経験は財産 ―長田直樹
8 ハワイアン・クルーズ、 サンセット・クルーズ P.92 n 変わらない人気 用語解説 97 ホテル用語・旅行用語/航空用語
旅行に関する略年表 111 謝辞 116 参考文献 117
写真提供 Sheraton Moana Surfrider Hotel Royal Hawaiian Hotel Hilton Hawaiian Village Hotel Marriott International Hawaiian Islands Hotels & Resorts PARADISE CRUISE, LTD Mauna Lani Bay Hotel and Bungalows Four Seasons Resorts Lana’i-Four Seasons Hotels & Resorts
観光ビジネスの戦略 ハワイ旅行を企画する
1 1 ハワイの時代 ハワイの時代
n ハワイ旅行の需要 私の初めての海外赴任は 1988(昭和 63)年 7 月、38 歳のとき だった。オペレーション(仕入れ)のゼネラルマネージャー (GM =部長)としてのハワイ支店勤務である。 このときまでに私には、東京で 4 年、大阪で 5 年という旅行 代理店向け営業の経験があった。入社以来、添乗(カスタマー サービス)∼営業(セールス)と歩んできた私に欠けているのは オペレーションだと痛切に感じていたころだっただけに、辞令 は大きな歓びだった。 *
ハワイは、「ジャルパック」のなかで最も古い現地支店のひ とつである。当時は、ようやくヨーロッパへの旅行者が増えつ つあったものの、まだまだ絶対数は少なく、収益の多くをハワ イが担っていた。「ハワイでの成功こそが、会社の業績を左右 する」といっても過言ではなかった。 * 「ジャルパック」には 2 つの意味がある。ひとつは旅行を主催する会社としての株 式会社ジャルパック、もうひとつはツアーブランド(商品)としての「ジャルパッ ク(JALPAK) 」で、ここでは前者の意味で用いられている。 なお、ツアーブランドとしてのジャルパックは、1965 年に発売が開始された、日本 で最初の海外パッケージツアーブランドである。
9
日本人は、なぜこんなにハワイが好きなのだろう。そこには いくつもの要因が階層的に重なってきているように思われる。 第 2 次世界大戦が終わった直後の 1948 年に、岡晴夫が歌う歌 謡曲「憧れのハワイ航路」が大ヒットする。昭和 30 年代には、 洋酒メーカーのサントリーが「トリスを飲んでハワイへ行こ *
う!」というコマーシャルを流し(1961 年)、商品の大ヒット につなげた。海外旅行が“高嶺の花”だった時代からさまざま なメディアが「ハワイ」を繰り返し取り上げ、やがてそれは、 “海外旅行の代名詞”として私たち日本人の心の中に刷り込ま れていった。 もうひとつ押さえておかなければならないのが、1963(昭和 38)年の為替自由化である。それまで、海外旅行にはさまざま な制約があり、実現できるのは限られた人だけだった。為替自 由化は、その制約をとりのぞき、原則として誰でもが自由に海 外に出かけることを可能にした。 この恩恵を受けるかたちで、当時の人気テレビ番組「アップ **
ダウンクイズ」が、優勝者賞品としてハワイ旅行を設定する。 以後、豪華賞品といえばハワイ旅行、海外旅行といえばハワイ というイメージが、全国的に定着していった。もちろん、“青 い海と空”“ワイキキビーチの白い砂”“ダイヤモンドヘッド” などといったハワイのもつ象徴的なビジュアルは老若男女に理 解しやすく、だからこそ誰からも愛されるリゾートとして、不 * 「トリス」は、サントリーが販売しているウイスキーのブランド名。1960 年代、ト リスウイスキーには抽選券がついており、応募し、当選すると、ハワイ旅行資金が プレゼントされた。「トリスを飲んでハワイへ行こう!」は、販売促進用 CM でキャ ッチフレーズとして使われた。 **毎日放送の制作により 20 年以上放映された人気番組。ハワイ旅行が夢の時代に、ク イズに 10 問正解するとハワイ旅行がプレゼントされた。スポンサーであるロート 製薬と日本航空は、この番組で有名になった。
10
1 ハワイの時代
動の地位を築き上げていったのであろう。 さらに日本の高度経済成長期(1960 年代の終わりから 70 年 代初めにかけて)には、ハネムーン=ハワイという需要が喚起 されていく。そして、1985(昭和 60)年 9 月 22 日のプラザ合 *
**
意を受けての円高ドル安は、バブル経済への突入の予感ととも に、空前の海外旅行ブームを巻き起こすきっかけとなったのだ った。 ここにきて海外旅行は、ひと握りの金持ちのためだけのもの でなく、文字どおりすべての人のものになった。 * * 私がハワイに着任した 1988 年当時、日本の経済はバブル期 のまっただ中にあった。旅行業界は、個人で参加するパッケー ジツアーの人気はもちろんのこと、団体旅行のなかでもインセ ンティブツアーといわれる、いわゆる招待旅行、報奨旅行の受 注・催行が頻繁に行われていた。 このインセンティブツアーの旅行先として、ハワイはずば抜 けて人気が高く、絶えずナンバーワンであった。 観光ビジネスの視点から見ると、その時代の日本において 「ハワイ旅行」という商品は、商品企画を立案し、旅行素材とし ての「航空座席」や「ホテル」の仕入れさえ整えれば飛ぶよう に売れた、大ヒット商品だった。
* 1985 年、アメリカ、ニューヨークのプラザホテルにて行われた G5(先進 5 カ国蔵相、 中央銀行総裁会議)による為替レートに関する合意。 **実態経済の経済成長以上に資産価値が上がり、一時的に投機により出来上がった経 済現象。
11
(ドル)
350
345 300 250 208 200 150
136
129
117
112
110
106
103
ア メ リ カ 人
ラニ ンュ ドー 人ジ ー
イ ギ リ ス 人
ラオ リー アス 人ト
カ ナ ダ 人
100 50 0
日 本 人
ド イ ツ 人
※ ヨ スド ー をイ 除ツ ロ く、 ッ イ ギパ リ人
そ の 他
各国旅行者の消費額 ※ 1 人が 1 日に消費した平均金額(1993 年、HVB 調査)
n 重要素材は「ホテル」 「旅行素材」と呼ばれるものはいくつかあるが、「航空座席」 と並ぶ二大重要素材のもう一方が「ホテル」である。 当時は“3 スタークラス”以上のホテル、特にスーパーデラ *
ックスクラスの「ハレクラニ」、デラックスクラスの「シェラ トン・ワイキキ」「ハイアット・リージェンシー・ワイキキ」 に人気が集中していた。理由は簡単である。これらのホテルは ホノルルのワイキキの中心に位置し、メインストリートのカラ カウアストリートに近く、さらに当時人気の高かった免税店
* ハワイ、オアフ島にある人気のある 5 スターホテル。日本の三井不動産が所有する。
12
1 ハワイの時代
■オーシャン・フロント(OF) 海が正面に見える部屋。障害物なし で海が眺められる。 ■オーシャン・ビュー(OV) 海は見えるが、正面ではない部屋。 ■パーシャル・オーシャン・ビュー (POV) 建物の陰になり、部分的に海が見え る部屋。 ■マウンテン・ビュー(MV) 山側を向いた部屋。
ホテルのルーム・カテゴリー
*
(Duty Free Shoppers = DFS)がすぐそばにあったからだ。 旅行者にとって、買い物は旅行目的のなかでも大きな位置を 占める。免税店は、旅行客の買い物要求のほとんどを満たして くれる百貨店のような立場にあり、滞在中に何度も訪れる旅行 者も少なくなかった。 日本国内にまだ海外ブランド製品が行き渡っていなかったこ とと、急速に進行した円高は、日本人海外旅行客の購買意欲を 刺激するのに十分だった。バッグ、化粧品、時計をはじめとし て、親類縁者・友人・同僚への土産の定番だったマカダミアナ ッツチョコレートなどを一括して購入でき、かつ免税手続きも 代行してくれる免税店は、ハワイを訪れる旅行者に必要不可欠 なものとなっていた。
* 世界最大の免税店チェーン。世界中に 20 の店舗と 6,000 人以上の従業員を有する。 現在「DFS ギャレリア」の名前で営業している。
13
グレード別おもなホテルリスト オアフ島 グレード
ホテル名(略称)
★★★★★
JW マリオット・アット・イヒラニ・リゾート & スパ(IHI) ザ・カハラ・ホテル(KMO) ハレクラニ(HAL) ハワイ・プリンス・ホテル(HPH) シェラトン・モアナ・サーフライダー(MOS) シェラトン・ロイヤル・ハワイアン(RH) リゾート・クエスト・ワイキキ・ビーチ・タワー(WBT) 総部屋数
総部屋数 387 364 455 521 793 528 140 3,188
★★★★
アラモアナ・ホテル(ALM) ルネッサンス・イリカイ・ワイキキ(ILI) シェラトン・ワイキキ(SHW) タートル・ベイ・リゾート(TBR) ハイアット・リージェンシー・ワイキキ・リゾート & スパ(HYT) ワイキキ・ビーチ・マリオット・リゾート & スパ(WBM) ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ(HHV) ワイキキ・パーク・ホテル(WPH) 総部屋数
1,152 703 1,695 443 1,230 1,310 2,860 297 9,770
★★★
ラディソン・ワイキキ・プリンス・クヒオ(PKO) アウトリガー・リーフ・ホテル(REF) リゾートクエスト・ワイキキ・サンセット(WSS) リゾートクエスト・ワイキキ・バニヤン(BYN) パシフィック・ビーチ・ホテル(PCB) リゾート・クエスト・ワイキキ・ビーチ(AWB) シェラトン・プリンセス・カイウラニ(PK) 総部屋数
620 872 376 313 837 715 1,152 4,885
★★
オーシャン・リゾート・ホテル(OCR) クイーン・カピオラニ(QK) ミラマー・ホテル(MIR) オハナ・ウエスト(OTW) ワイキキ・リゾート(WR) オハナ・アイランダー・ワイキキ(OIW) 総部屋数
450 315 357 661 296 281 2,360
★
オハナ・ワイキキ・マリア(WML) アストン・ホノルル・プリンス(AHP) アクア・アロハ・サーフ・ホテル(ASH) オハナ・マイレ・スカイコート(MIC) ワイキキ・サンド・ヴィラ(WSV) 総部屋数
327 124 202 596 212 1,461
オアフ島の総部屋数
21,664
グレード
ホテル名(略称)
総部屋数
★★★★★
フォーシーズンズ・リゾート・ラナイ・アット・マネレベイ(MNB) 236 ザ・ロッジ・アット・コエレ(LAK) 102
ラナイ島
総部屋数
351
マウイ島
14
グレード
ホテル名(略称)
★★★★★
ウエスティン・マウイ(WMA)
総部屋数 759
1 ハワイの時代
カアナパリ・アリイ(KAA) グランド・ワイルア・リゾート & スパ(GWR) ルネッサンス・ワイレア・ビーチ・リゾート(STB) ハイアット・リージェンシー・マウイ(HYM) フォーシーズンズ・リゾート・マウイ・アット・ワイレア(FSR) ホテル・ハナ・マウイ(HNM) リッツ・カールトン・カパルア(RZK) シェラトン・マウイ(SMU) 総部屋数
264 780 357 806 380 66 548 510 4,680
★★★★
ワイレアビーチ・マリオット・リゾート & スパ(WMR) マウイ・プリンス・ホテル(MP) ケア・ラニ・ホテル(KLH) 総部屋数
521 305 450 1,276
★★★
リゾート・クエスト・カアナパリ・ショアーズ(KPS) カアナパリ・ビーチ・リゾート(KNB) ロイヤル・ラハイナ(RL) 総部屋数
436 416 516 1,392
マウイ島の総部屋数
7,348
カウアイ島 グレード
ホテル名(略称)
★★★★★
グランド・ハイアット・カウアイ・リゾート & スパ(HYK) プリンスヴィル・ホテル(SPV) シェラトン・カウアイ(SHK) 総部屋数
総部屋数
★★★★
カウアイ・マリオット・リゾート & ビーチクラブ(KM) 総部屋数
355 355
★★★
アロハ・ビーチ・リゾート(ABR) カウアイ・ビーチ・ホテル & リゾート(OKB) カウアイ・ココナッツ・ビーチ(KCB) 総部屋数
216 350 307 873
565 252 413 1,230
2,458
カウアイ島の総部屋数 ハワイ島 グレード
ホテル名(略称)
★★★★★
ハプナ・ビーチ・プリンス(HBP) ヒルトン・ワイコロア・ヴィレッジ(HWV) マウナ・ラニ・ベイ・ホテル(MLA) ザ・フェアモント・オーキッド・ハワイ(OML) マウナ・ケア・ビーチ・ホテル(MKB) 総部屋数
総部屋数
★★★★
ワイコロア・ビーチマリオット・リゾート(WBR) リゾート・クエスト・ショアーズ・アット・ワイコロア(ASW) 総部屋数
★★★
アウトリガー・ロイヤル・シークリフス(RSC) ナニロア・ボルケーノ・リゾートホテル(NLS) ヒロ・ハワイアン(HHW) ホテル・キング・カメハメハ(HKK) ロイヤル・コナ・リゾート(RKR) 総部屋数
145 320 286 460 436 1,647
ハワイ島の総部屋数
5,058
350 1,240 347 540 310 2,787 526 79 624
(ジャルパック・インターナショナル・ハワイ資料より作成)
15
ワイキキにおいて、スタンダードクラス以上のホテルは売り 手市場である。 ホノルルの日系旅行会社は、部屋を確保することがもっとも 重要な仕事であった。そのため、ターゲットのホテルに日参し、 あの手この手で部屋を確保する努力をしていた。 日本人を対象としてホテルの仕入れをする同業社はホノルル に 15 社あり、それらの会社は大きく 2 つに分けられる。 ひとつは、本社が日本にあるもの。ハワイの会社は現地法人 として運営されている。「パッケージツアー」といわれる企画 商品や、団体手配業務として受注する「グループツアー」に対 応して、旅行素材の仕入れやツアー運営をする。 もうひとつは、現地法人をもたない日本の中小旅行会社やオ ペレーター会社を取引先として、旅行素材の仕入れ、運営を販 売する会社である。こちらは、ハワイに本社がある。 1987(昭和 62)年までは、ホノルルにおける全ホテルの部 屋の年間占有率(利用率)はそれほど高くなく、コンベンショ ン(国際会議等)の開かれる特定の時期を除けば、ホテルの仕 入れは難しいことではなかった。 しかし、1988 年に入ると状況は一変する。毎日のようにオ ーバーフロー状態(実際の部屋数よりも売り越し、部屋数が足 りなくなる状況)が起こり、スタンダードクラス以上のホテル は占有率が 85 %を超える状態が続くようになったのである。
n ピンチがチャンスに 少し脇道にそれるようだが、この間の事情を説明しておくこ とにしよう。これは、旅行ビジネスというものが、直接関係の ない遠くの要因に影響を受けるという例でもある。 16
1 ハワイの時代
(万人) 15
10
5
5
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 月 月 月 月 月 月 月 月 月 月 月 月
月
訪問者(人)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
131,793 122,513 124,144 106,012 122,831 123,858 130,941 142,945 132,855 129,247 117,594 137,623
合計
1,522,356
日本からのハワイ旅行客数の月ごとの推移 (2005 年、HVCB 調査)
それまで、ホノルルのホテルの部屋供給は比較的安定してい た。年末年始、お盆、ゴールデンウイークといったピーク期間 やハネムーンの時期を除けば供給量は十分であり、日本発の航 空座席供給と日本人観光客向けに供給される部屋数のバランス はとれていた。 供給がきつくなった要因は、アメリカ本土からのコンベンシ ョンマーケットの受注が落ち込んだことにある。 ハワイにおけるホテルの営業は、収益性の高いコンベンショ ンビジネスが主流だった。ハワイにはバンケットルーム(大型 宴会場)がいくつもあったほか、ビジネス以外のリゾート地と しての要素も整っていて、コンベンションの誘致∼開催で大き なアドバンテージをもっていた。 部屋の料金が年間契約の部屋料金より高く、さらに会議室使 用料、食事代などを含めた 1 部屋あたりの販売単価が大きいた め、ホテルにとっては良質のマーケットであった。その上、契 約は通常 1 ∼ 3 年前に行われるため、販売契約の多い少ないを 17
ハワイのコンベンション(学会)年間開催表(2006 年∼ 2015 年) 01 American Dietetic Association - ADA Annual Food & Nutrition Conference & Expo アメリカ栄養士協会 年次総会及び栄養学会 & EXPO 開催日 2006 年 9 月 16 日∼ 9 月 19 日 参加者数 10,000 人 02 American Academy of Physical Medicine & Rehabilitation - AAPM&R 67th Annual Assembly アメリカ物理療法医学及びリハビリテーション 年次集会 開催日 2006 年 11 月 9 日∼ 11 月 12 日 参加者数 3,200 人 03 Fuel Cell Seminar 2006 燃料電池セミナー 開催日 2006 年 11 月 13 日∼ 11 月 17 日
参加者数
2,300 人
04 IEEE MTT-S International Microwave Symposium IEEE-アメリカ電気電子技術者協会 2007 年次総会 開催予定日 2007 年 6 月 3 日∼ 6 月 8 日 参加者数 5,000 人 05 American Society for Bone and Mineral Research - ASBMR 29th Annual Meeting アメリカ骨・ミネラル研究協会 第 29 回年次総会 開催予定日 2007 年 9 月 16 日∼ 9 月 20 日 参加者数 5,100 人 06 American Association of Oral & Maxillofacial Surgeons - 89th Annual Meeting, Scientific Session and Exhibition アメリカ口腔外科・第 89 回上顎顔面外科医学会年次総会[jkl] 開催予定日 2007 年 10 月 10 日∼ 10 月 13 日 参加者数 5,000 人 07 Orthopaedic Research Society - 6th Combined Meetings of the Orthopaedic Research Societies アメリカ外科学会 開催予定日 2007 年 10 月 20 日∼ 10 月 24 日 参加者数 800 人 08 American Medical Association - AMA 2007 Annual Convention アメリカ医療協会 2007 年次総会 開催予定日 2007 年 11 月 5 日∼ 11 月 14 日 参加者数 4,500 人 09 Society of Crinical Care Medicine - 37th Critical Care Congress クリティカルケアー協会 第 37 回年次総会 開催予定日 2008 年 1 月 29 日∼ 2 月 6 日 参加者数 4,500 人 10 Emergency Nurses Association - ENA 2008 Leadership Challenge 緊急看護師協会 2008 年度総会 開催予定日 2008 年 2 月 28 日∼ 3 月 2 日 参加者数 1,000 人 11 Siciety of Pediatric Research - SPR/PAS 2008 Annual Meeting 小児科研究協会 2008 年度総会 開催予定日 2008 年 5 月 3 日∼ 5 月 6 日 参加者数 7,000 人 12 American Podiatric Medical Association - APMA 2008 Annual Scientific Meeting アメリカ足病学協会 2008 年度総会[jk2] 開催予定日 2008 年 7 月 24 日∼ 7 月 27 日 参加者数 3,500 人 13 American Society of Plastic Surgeons - ASPS 2008 Meeting アメリカ形成外科医協会 2008 年次総会 開催予定日 2008 年 10 月 26 日∼ 10 月 29 日 参加者数 6,000 人 14 American Association for Geriatric Psychiatry - AAGP 2009 Annual Meeting アメリカ老年精神医学会 2009 年次総会 開催予定日 2009 年 3 月 5 日∼ 3 月 8 日 参加者数 1,500 人 15 International Society for Magnetic Resonance in Medicine - ISMRM Seventeenth Scientific Meeting and Exhibition 国際磁気共鳴学会 第 17 回国際会議 開催予定日 2009 年 4 月 18 日∼ 4 月 24 日 参加者数 4,500 人
18
1 ハワイの時代
16 American Academy of Cosmetic Dentisty - AACD 2009 Meetings アメリカ美容歯科学学会 2009 年度年次総会 開催予定日 2009 年 4 月 25 日∼ 5 月 3 日 参加者数 3,205 人 17 Medical Library Association - MLA 2009 Annual Meeting & Exhibits 医学図書館協会 2009 年次総会及び展示会 開催予定日 2009 年 5 月 15 日∼ 5 月 20 日 参加者数 2,300 人 18 American Academy of Pediatric Dentistry - 62nd AAPD Annual Session アメリカ小児歯科医師学会 第 62 回年次会議 開催予定日 2009 年 5 月 21 日∼ 5 月 25 日 参加者数 2,500 人 19 American Dental Association - 150th ADA Annual Session アメリカ歯科医師協会 第 150 回年次総会 開催予定日 2009 年 10 月 3 日∼ 10 月 6 日 参加者数 40,000 人 20 National Association for Home Care & Hospice - NAHC 2009 Annual Meeting アメリカ在宅介護・ホスピス協会― 2009 年次総会 開催予定日 2009 年 10 月 8 日∼ 10 月 15 日 参加者数 3,700 人 21 American Society of Human Genetics - ASHG 2009 Annual Meeting アメリカ ヒト遺伝学協会 2009 年年次総会 開催予定日 2009 年 10 月 20 日∼ 10 月 24 日 参加者数 6,000 人 22 American Academy of Periodontology - AAP 96th Annual Meeting アメリカ歯周療法学会 第 96 回年次総会 開催予定日 2010 年 10 月 26 日∼ 11 月 4 日 参加者数 6,000 人 23 American Society for Blood and Marrow Transplantation - ASBMT Tandem BMT 2011 アメリカ血液・骨髄移植協会― 2011 年度タンデム骨髄移植会議 開催予定日 2011 年 2 月 14 日∼ 2 月 21 日 参加者数 2,000 人 24 American Academy of Neurology - AAN 2011 Annual Meeting アメリカ神経学会 2011 年次総会 開催予定日 2011 年 4 月 10 日∼ 4 月 15 日 参加者数 10,100 人 25 American Psychiatric Association - APA 2011 Annual Meeting アメリカ精神医学会 2011 年次総会 開催予定日 2011 年 5 月 15 日∼ 5 月 18 日 参加者数 18,500 人 26 American College of Chest Physicians - ACCP 2011 Chest アメリカ呼吸器専門医学会 2011 年度会議 開催予定日 2011 年 10 月 24 日∼ 10 月 26 日 参加者数 5,000 人 27 American association of Orthodontists - AAO 2012 Annual Session アメリカ矯正歯科学会 2012 年次総会 開催予定日 2012 年 5 月 1 日∼ 5 月 4 日 参加者数 18,000 人 28 American Psychological Association - APA 2013 Annual Convention アメリカ心理学協会 2013 年度学会 開催予定日 2013 年 7 月 31 日∼ 8 月 4 日 参加者数 13,000 人 29 American Association of Oral & Maxillofacial Surgeons - AAOMS 2014 Annual Meeting アメリカ口腔外科・上顎顔面外科医学会 2014 年次総会 開催予定日 2014 年 9 月 8 日∼ 9 月 14 日 参加者数 4,693 人 30 American College of Gastroenterology - ACG 2015 Annual Scientific Meeting & Postgraduate Course アメリカ消化器学会(ACG)2015 年度科学会議および大学院課程 開催予定日 2015 年 10 月 15 日∼ 10 月 22 日 参加者数 3,800 人 (ハワイ・コンベンションセンター資料より作成)
19
事前に把握することができた。 ところが、状況は大きく変わっていく。全米の各都市に、大 *
規模なコンベンションセンター が次々と建設されはじめたの だ。それは、コンベンション専用に建てられただけあって、規 模はホテルのバンケットスペースの比ではなかったし、使い勝 手も申し分なかった。 * * 自治体の後押しもあり、本土のコンベンションセンターは受 注実績を躍進させていった。 このあおりを受けたのが、ハワイだった。 需要の落ち込みを埋めるべく、ハワイのホテル営業は従来の 年間契約部屋数よりもはるかに多くの部屋を、日本の旅行代理 店などと契約した。これは、アメリカ本土需要の穴埋めとして 日本のマーケットが十分期待できるものになっていたことの証 ともいえるだろう。 そして、日本のハワイへの需要は、その“期待”をはるかに 上回るものだった。 ホテルのオーバーフローが頻繁に発生したのは、契約部屋数 の最終歩留まりがホテル側の予測を超えるものであったこと と、もうひとつには、日本からハワイへの航空座席供給が大幅 に増えたことにある。 日本では、多くの旅行会社が事前仕入れ以上の部屋の販売を 行い、実際にそれはほとんど売り切れた。そして、売れた数だ けの部屋を必ず確保するよう、現地に要求してきた。 * コンベンションセンターは、主として各都市のダウンタウンに作られた。もちろん アクセスのよさといった事情もあるが、荒廃しがちなダウンタウンを活性化すると いう名目があったことも付け加えておく。
20
1 ハワイの時代
つけを回された現地は、混乱に巻き込まれていった。
n 部屋を確保するということ 一般に、ホテル側のセールスにおける指揮系統は、GM(ゼ ネラルマネージャー)以下、ディレクター・オブ・セールス (営業部長位)∼日本人セールス担当となっている。人気のある ホテルは、オーバーフローした場合、必ずといっていいほど日 本人を他のホテルに移すことを考え、その作業を日本人セール ス担当に要求していた。 グループ旅行やパッケージ旅行が主流の日本人を動かすこと で、一定量の部屋が確保できるという算段だったわけだ。しか しながら、この場合はほとんど当初予定のホテルよりもダウン グレードせざるをえず、旅行者側からの苦情にも対処しなけれ ばならなかった。 だがホテル側は、このオーバーフローした部屋を旅行会社が いかに他のホテルにまわしたかを“協力度”とみなし、それに よって次年度の契約部屋数の増減を決めるというありさまだっ た。特に高額で販売できる年末年始の部屋の確保は、この“協 力度”が高くなければ望むべくもなかった。当時、日本の旅行 代理店におけるハワイマーケットの生殺与奪権は、完全にホテ ル側が握っていたのである。 ホテルと旅行会社は WIN ― WIN(共存共栄)することが長 期的に健全な関係であると考えている私にとっては、納得のい かないことであった。ホテルにおける日本人マーケットの位置 づけ、そのマーケットを担当する日本人セールスの地位向上を 実現しない限り、いつまでたっても仕入れた部屋を安心して商 品化したり、安定した販売をすることはできず、拡大もできな 21
部屋の仕入契約・予約調整 仕入契約 BLOCK 仕入
年 1 回各 HOTEL と契約交渉(5 月∼ 7 月)を行い、DAILY BASE に翌年の ROOM 契約(BLOCK および RATE)をする。
リース
買い取り、HOTEL の特定の ROOM あるいは FLOOR を年間契約で買い取 る。
スポット
大型、単発 UNIT 用に TOUR BY TOUR で仕入れる。
予約調整 45 日前
毎月 10 日、翌月の STATUS(45 日から 1 か月分)を HOTEL へ REPORT。 たとえば 4 月 10 日には、6 月の 1 か月分の STATUS を REPORT する。
30 日前
毎週水曜日に 30 日前∼ 37 日前の 1 週間分の使用 ROOM 数を GUARANTY する。 GUARANTY 後は基本的に CNL CHRG の対象となる(ほとんどは 1NIGHT CHRG) 。
15 日前
ROOMING LIST を HOTEL へ送付。TIGHT 時は、NAME CHNG 禁止。 あるいは、一定金額を CHRG されることもある。
その他
特殊期間(年末年始、GOLDEN WEEK は GRNTY 後 FULL STAY CNL CHRG となる)
いことを強く感じていた。 そのような状況下で、日本からの追加の部屋確保は至難の業 だった。 * * 日本の本社から届くメッセージは、必要とするだけの部屋を 必ず確保すること、そして、時間をかけずに報告すること― だった。「金はどれだけかかってもいいから、とにかく日本サ イドで売ってしまった部屋の数を確保しろ」という、ビジネス を無視した要求もあった。 毎日、ホテルの日本人セールス担当に会ったが、着任から日 の浅い私に部屋などまわしてはもらえなかった。そこで、朝駆 けを行うことにした。予約担当のマネージャーやセールスマネ ージャーの部屋の前で、彼らの出勤を待ち構えることを繰り返 22
1 ハワイの時代
したのだ。朝一番の状況をチェックしてもらえば、キャンセル があったときに部屋をまわしてもらえるのではないか―と考 えた。 努力の甲斐もなく、さしたる成果は得られなかった。しかし、 このおかげでさまざまなホテルスタッフと知り合っていった。 * * 徒労とも思える日々が続いていたが、徐々に私にアドバイス してくれる人があらわれはじめた。 フロントにはフロントマネージャーがおり、到着日の 24 時 間前になると、部屋のコントロール権限がリザベーションマネ ージャーからフロントマネージャーに移行する。だから、フロ ントマネージャーに相談したらいいのではないか……と。 セールス担当になりたてのスタッフのなかにも、「20 ルーム の部屋ができたよ」と教えてくれる人が出はじめた。 さらに、このときの経験のなかで、ホテル側の部屋のコント ロール方法を知ることもできた。事前に部屋を出している場合 と、スポットで部屋を出した場合に、どのようにコントロール するのか、部屋をオーバーブッキングした場合はどのように調 整していくのかなどが、だんだんとわかっていった。 航空座席のコントロールは、その便ごとに席をアサインする だけですむ。もちろんカップルやグループ、窓側席や通路側席 といった要素はあるが、FLIGHT BY FLIGHT である。一方、 ホテルの場合は、STAY BASE でのコントロールになる。 いくつかの客室のカテゴリーはもちろんのこと、滞在日数が 異なり、同じカテゴリーの部屋でもチェックインやチェックア ウトが異なってくる。その日に空室であっても、必ずしもその 部屋が使えるわけではないのである。特に団体の場合は、多く 23
の部屋が関係するため、その団体の前後が無駄になりうること が多い。 あいかわらず部屋はなかなかもらえなかったが、このような 仕組みを学ぶことができたことは、私にとって一生の財産にな った。 POINT
・私に欠けているのはオペレーション(仕入れ)だと痛切に感じて いた。 ・ハワイでの成功こそが、会社の業績を左右する。 ・「旅行素材」と呼ばれるものはいくつかあるが、二大重要素材の ひとつが「ホテル」である。 ・ワイキキにおいて、スタンダードクラス以上のホテルは売り手市 場である。
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2 2 シェラトン・モアナ・ シェラトン・モアナ・ サーフライダー・ホテル サーフライダー・ホテル
n ふたつのホテルが合体 1940 年代に入ってアメリカ本土からの定期便(船便)が運 行されはじめたことで、ハワイは観光地として脚光を浴びる。 1959 年には合衆国 50 番めの州となり、本格的なリゾートとし ての力を発揮しはじめた。 アメリカ映画は、ハワイを憧れのリゾート地と設定し、ロケ 地として取り上げるようになる。日本でもおなじみのエルビ ス・プレスリー主演映画(『ブルーハワイ』1962 年公開、ほか 多数)などはハワイを舞台にしており、現在でもビデオや DVD で懐かしいワイキキ、ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ、 カウアイ島のしだの洞窟、ココパームスホテル(現在は閉鎖) などの映像を楽しむことができる。 * * 現在のモアナ・サーフライダー・ホテルは、もとはモアナ・ ホテルとサーフライダー・ホテルというふたつのホテルであっ た。 モアナ・ホテルは“ファーストレディー・オブ・ワイキキ” 25
1989 年に改装されたモアナ・サーフライダー・ホテルの正面
とも呼ばれ、ホノルル市の歴史的建造物、文化財としてハワイ の人たちに親しまれてきた。1896 年に W. C. ピーコックが本格 的なホテルを作ろうと計画を発表。1899 年に建設が始まり、 1901 年に完成した。75 室。当時の宿泊料は、1 部屋 1 ドル 50 セ ントであったという。 サーフライダー・ホテルは、1969 年、モアナ・ホテルの横 の土地に、日本人の小佐野賢治氏によって建てられた。1 スク エアーフィート(約 930cm2)あたり 65 ドルで購入され、21 階 建て、436 部屋の高層ホテルとなる。現地の会社は、KYO-YA *
COMPANY。 そして 1974 年に、KYO-YA COMPANY がモアナ・ホテル を買収する。1989 年に 500 万ドルをかけて改装したのを機に、 オリジナル木造建築のモアナ・ホテル、新館として作られた別 館、隣接のサーフライダーの 3 つの建物をひとつのホテルにま
* ハワイで 5 つのホテルやレストランを経営する。親会社は、日本の国際興業。
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2 シェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテル
ベランダからワイキキ・ビーチをのぞむ
とめ、名前もモアナ・サーフライダー・ホテルと変更した。 *
それまでのワイキキのシェラトン・ホテルズ・イン・ハワイ のホテル群のポジショニングは、①ロイヤル・ハワイアン、② シェラトン・ワイキキ、③シェラトン・プリンセス・カイウラ ニ、④サーフライダー、⑤モアナ―とランクづけされていた が、改装後のモアナ・サーフライダーをロイヤル・ハワイアン の次にランクする決定がくだされた。モアナ・サーフライダー はアメリカ本土からの観光客を中心に考え、すでに基盤をもっ ているロイヤル・ハワイアンとセットで売り込むという計画だ った。日本のマーケットは、ほとんど期待されていなかった。 だが、この改装後のモアナ・サーフライダー・ホテルの開業 は、私にとってたいへん意義あるものであった。 その理由は、ふたつある。ひとつは、販売できる部屋数が劇 * 現在の運営会社はスターウッド・ホテル&リゾート。9 つのブランドを有し、世界 中に約 880 のホテルを運営しているホテルチェーン。日本人に人気のあるシェラト ン、ウエスティンなどのブランドがある。
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バニヤン・コートで“Hawaii Call”を放送(1950 年代)
モアナ・ホテル中庭のバニヤン・ツリー(1950 年代)
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2 シェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテル
的に増えたこと。もうひとつは、ホテルのランクが売れ筋人気 ナンバーワンのシェラトン・ワイキキの上位に設定されたこと である。 当時の、日本人向けのカテゴリーランキングは、①ハレクラ ニ、②シェラトン・ワイキキ、③ハイアット・リージェンシ ー・ワイキキ・オーシャンフロント―というのが定説だっ た。どのランクの部屋の仕入れも難しかったが、特に人気のデ ラックス、スーパーデラックスクラスは、あればあるだけ売れ るという状態だったのだから。 仕入れ戦略上、スーパーデラックスクラスのハレクラニには ロイヤル・ハワイアンを、デラックスクラスのシェラトン・ワ イキキにはモアナ・サーフライダーを、日本のマーケットに認 知してもらうことができれば、供給部屋数が倍近くになり、か つ競合ができることによって仕入れも楽になるだろうと考え た。
n マーケティング戦略を構築する モアナ・サーフライダー・ホテルに、1901 年に建てられた 本館を使った我々の商品のマスタープランを見せたところ、興 味を示してくれた。ところが、運営管理をしているシェラト ン・ホテルズ・イン・ハワイの総括営業部長ジョージ・早川氏 からは、否定的な言葉がかえってきた。このホテルは日本人に 向かないというのである。 日本人には、シェラトン・ワイキキに象徴されるように、客 室やパブリックスペースが広い巨大ホテルに人気があり、モア ナ・サーフライダーのように客室が狭く、まして木造の本館の 浴室はハーフバス(底の浅いバスタブとシャワー。日本人から 29
ホテル運営組織図(モアナ・サーフライダー・ホテル) GENERAL MANAGER
CHIEF ENGINEER
AST/ ENGINEER
DIRECTOR OF HOUSE -KEEPING
F&B OUTLET MANAGERS
AST/ HOUSEKEEPER
DIRECTOR OF HUMAN RESOURCE
BELL CAPTAIN
AST BELL CAPTAIN
HOTEL MANAGER
DIRECTOR OF FOOD & BEVERAGE
BANQUET MANAGER
CATERING SERVICE MANAGERS
CONTROLLER
FRONT OFFICE MANAGERS
GUEST SERVICE MANAGERS
GUEST SERVICE AGENTS
DIRECTOR OF SALES & MARKETING
REVENUE MANAGER
ACCOUNT MANAGERS
30
TELEPHONE OPERATORS
2 シェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテル
みると、比較的簡素に感じる)である。したがって、日本のマ ーケットには合わない―というのが、彼の意見だった。 営業とは、売れるものを売るのではなく、現在あるものをど うやったら売れるかと考えるのが仕事だと思っていた私は、多 少なりともショックを受けた。なんでも“やれることはやるべ き”であると、私は思っていた。 改装後のモアナ・サーフライダー・ホテルの販売戦略は、ホ テルの総支配人、日本営業担当マネージャー、パティ・ハーマ ン氏や私と、シェラトン・ホテルズ・イン・ハワイ本部とは食 い違っていた。本部の協力をもらうためには、まずホテル総支 配人の意思を固めてもらい、そこから説得して合意にもってい く必要があると思った。 * * 同時に私は、ホテルそのものの売り方について考えはじめて いた。それまで日本人が思い描いていたホテルライフのイメー ジを変えることに挑戦してみようと思ったのである。 ロイヤル・ハワイアンで初代の日本マーケット担当営業マネ ージャーをしていたボブ・ドイケさんからヒントをいただい た。アメリカ本土からの観光客がハワイにくる理由は、“古き よき時代のハワイ”をイメージしているからなのだという。そ のイメージを楽しむために、わざわざ訪れるのだと。 実際、日本でも古い旅館やホテルを選んで泊まる人が少なく ないこともわかっていた。近代的で大型のホテルが好まれるだ けでなく、たとえ古くとも、伝統に裏づけされた価値を十分に 理解してくれる人がいることをわかっていた。見せ方をきちん と考えれば、必ず憧れのホテルになるとの確信をもった。 それから、モアナに関する資料を徹底的に調べてまわった。 31
ワイキキビーチ。左側に見えるのが、モアナ・ホテルのビーチフロントの建物 (1917 年)
ビショプ博物館内の図書館で、古いモアナの写真も見つけた。 1901 年にモアナ・ホテルがハワイに初めて建った時代のもの。 当時は船旅が主流で、ホテルの浜から海に向かってタグボート 用の桟橋が突き出している風景であった。写真のコピーを買っ て日本に送り、パンフレットに使ってもらうよう頼んだ。 モアナ・サーフライダー・ホテル発売時のジャルパックのパ ンフレットの巻頭に、このセピア色のモアナ・ホテルの写真が 載っている。
n 部屋を選べるホテル 商品企画としての売りは、1901 年に建築された木造建築であ る。オリジナルとして残っている最上階の、海の見える 5 部屋 を年間で買い取った。 その 5 つの部屋番号をそれぞれのコース名とし、『私のホテ ル』と名づけた。はじめから部屋を指定できる、その部屋に滞 32
2 シェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテル
モアナ・ホテル正面(1909 年)
在することこそが旅である―そんな商品の誕生であった。 日本の企画チームは、このプランを「ジャルパック誕生 25 周年記念商品」として位置づけることを決定した。宣伝、販売 促進の手段としては、訴求対象であるブライダルマーケットと 女性マーケットに対する雑誌・新聞による告知、旅行販売店店 頭や販売会社セールスマンへの説明など。準備は着々と進めら れていった。 さらに、テレビコマーシャルのために、モアナ・サーフライ ダー・ホテルそのものを撮影することにもなった。きつい要求 を突きつけられた撮影だったが、結局シェラトン・ホテルズ・ イン・ハワイの全面的な協力が得られ、最高の条件で撮影は終 了した。 日本でのテレビコマーシャルはセンセーションを巻き起こ し、その後、旅行客はもちろんのこと、業界の人たちがどっと 押し寄せたほどだった。特にワイキキにある各ホテルのセール スマネージャーから、「このような新しい商品の売り方を考え 33
■ ジ ャ ル パ ッ ク パ ン フ レ ッ ト ﹁ ハ ワ イ 89 ・ 4 ︱ 90 ・ 3 ﹂ よ り
モアナ・ホテルのビーチサイド(1935 年)
られないだろうか?」という問い合わせが数多く寄せられるこ ととなった。 ちなみに、ハーフバスタブに関するクレームはひとつもなか った。 * * その後も、ルーフトップガーデン(最上階)を使うウエディ ングの商品化など、半年ごとの商品企画発表のたびに改善を加 え、魅力を拡大していった。約束したとおり、ホテルのプレス テージを上げ、ポジションを築くこともできた。また、ホテル が希望するルームレートでの販売もできた。まさしく WINWIN(共存共栄)である。 一方で、サービスについては難しいことの連続だったが、ホ テルマネジメントの担当者たちがスタッフに対して教育の努力 を続けてくれた。我々も、ジャルパックが押さえているハイア ット・リージェンシー・ワイキキのリージェンシー・クラブが 36
2 シェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテル
使わない日を利用して、各セクションのマネージャーたちの体 験宿泊を実施し、他のホテルのサービスを参考にしてもらうな ど、協力を惜しまなかった。 現在でもモアナ・サーフライダー・ホテルの人気が落ちない のは、当時からのマインドを忘れずにホテル運営やサービスを 継続しているからではないかと思う。 POINT
・営業とは、売れるものを売るのではなく、どうすれば売れるのか を考えるのが仕事である。 ・たとえ古くとも、伝統に裏づけされた価値を十分に理解してくれ る。
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私のホテリアー哲学 パティ・ V ・ハーマン
旅行業界に入ってすでに 30 年以上がたち、その間、絶えずホテ ル業に身を置いてきましたが、私はいまだに“人を好きになること” が、この業界で生き抜く基本であると信じています。いえ、すべて はそこからはじまるのだとすら考えているのです。 人を好きになれば、その相手と会うことが楽しくなるはずです。 そして、楽しいミーティングができれば、会話もおのずと好ましい ものになることでしょう。その楽しい会話をとおして、相手の考え を知ることができるのです。 この 4 つのプロセスは、相手の話を聴く能力、忍耐力、理解力、 思いやり、情熱、そして個人の多様性を受け入れる柔軟な心に根ざ して培われる資質といえましょう。そしてこれらの資質は、ホテリ アーとして成功をおさめるために非常に大切な要素なのです。 まず念頭に置いていただきたいことは、お客様をおもてなしする ために私たちの存在があるということです―生涯に残るハワイの 思い出を創ろうと、世界中の国から私たちのホテルを訪れて、素晴 らしい数日間をすごすお客様をおもてなしするために。 さてここで、お客様が私たちのホテルをお選びいただくために通 過する、いくつかのステップを考えてみる必要があります。
パートナーであるホールセラーとのネットワーク・プログラム ・私たちのホテルにもっとも適したプログラムを掌握する ・地域ごとの対象顧客層を掌握する ・航空便のスケジュールを掌握する 38
2 シェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテル
1900 年代のモアナ・ホテル。当時は船旅が中心だった
・最新の旅行動向を掌握する ・競争相手となるデスティネーションを意識して、業界の状況を 掌握する
そして、これらの要素をすべて理解したら、いよいよマーケティ ングを行い、引き続きセールス活動に取り組むことになります……。 難しいことだと思いますか?
私たちはまた、ホールセラーや代理店などのパートナー企業と共 に創り上げたプログラムが効率的に機能することを確認する必要が あります。そのためには、社内でミーティングをもち、取り決めら れた約束事が確実に行われるかどうかを確かめなければなりませ ん。現場のスタッフがあなたの意図するところを理解できていない 場合は、実際的な方法を示し、あなたの目標とするところが理解で きるよう、例をあげて説明する必要があるでしょう。 39
1930 年頃。手前がモアナ・コテージ(現:シェラトン・プリンセス・カイウ ラニ)
そして、プログラムの実施方法について、すべての関係部署が同 意に達したら、それらを書面にして契約を締結することになります。
関係各部署とのミーティングに話を戻しますが、これはなかなか 簡単なことではありません―“言うは易し、行なうは難し”とい う言葉があるでしょう。それぞれが忙しいスケジュールを抱えてい るなかであなたのプログラムを説明するときは、まず相手のアイデ アを先に聴くようにする必要があります。そして、プログラムに対 する彼らの実施方法が納得のいくものであれば問題はありません。 しかし、それが納得しかねるようなものであれば、それはあなたの もてる能力のすべてを試される試練の時と心得てください……。た だ、他部署のリーダーに対して仕事の指図をするような対立的な態 度をとるのは決して得策とはいえません……。あなたの立場を彼ら が理解できる方向に誘導するのです。忍耐、そう、忍耐こそが肝要 です。そして自分が求めるものは絶えず明確にしておかなければな 40
2 シェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテル
1930 年頃のワイキキ・ビーチ
りません。さもなければ、あなたはこの戦いを勝ち抜くことができ ないでしょう。 大前提として、常に覚えておいていただきたいことは、すべてが ひとつのゴールにつながっているということです。そのゴールとは、 ホテルの収益を増加させ、お客様に楽しく快適なご滞在を提供する ことにつきます。
最後になりましたが、“ホテル業界にようこそ”と申し上げます。 私が今までに経験してきたように、皆様がホテリアーとして豊かな 毎日をすごされることを願ってやみません。仕事を愛する人は歳を とらないといわれています。
アジア・パシフィック地区担当営業本部長 マリオット・インターナショナル ハワイアン・アイランド・ホテル・アンド・リゾーツ
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3 ザ・ロイヤル・ハワイアン ザ・ロイヤル・ハワイアン
n マーケット・ミックスが命題に ホノルルの高級ホテル、ロイヤル・ハワイアンは、「ピンク パレス」の愛称で呼ばれる。ハワイを訪れる世界の著名人、 VIP が必ず宿泊するところであり、多くの観光客が「一度は泊 まってみたい」とあこがれるホテルでもあった。しかし、日本 人でここに泊まる観光客は、わずかだった。ホテルブランドと しての知名度は高いけれど、実際に泊まるのであればハレクラ ニというのが、定番となっていたのである。 そのロイヤル・ハワイアンのスキャリー総支配人から、「モ アナ・サーフライダーのように、日本人マーケットに売り出し ていきたい」という話が、日本人担当セールスマネジャーであ るボブ・ドイケ氏を通じて入ってきた。 “シェラトン・ワイキキに対抗するホテル”という戦略での モアナ・サーフライダー・ホテルだったので、次は“ハレクラ ニに対抗するロイヤル・ハワイアン”という構想をもっていた。 そこに、向こうからチャンスがやってきたのだった。 ところが、こちらはモアナ・サーフライダーほど簡単ではな かった。スタッフ全員が高いプライドをもっており、永い歴史 42
3 ザ・ロイヤル・ハワイアン
右側に見えるのがロイヤル・ハワイアン
においてアメリカ本土の上質の客層を大切にしてきた自負があ った。だからこそ、マーケティングをまちがえると、本来の客 層が逃げていってしまいかねない。 アメリカ本土マーケットと日本マーケットのふたつを、いか にマーケット・ミックスしてうまく保つかが命題となった。 * * ロイヤル・ハワイアンには、まったくコンセプトの異なる本 館と新館とがある。悩んだ末、それぞれ別の売り方をすること にした。 新館であるタワーウイングは、ハレクラニに比べても客室の 広さ、内容ともにひけをとらず、部屋からのビューはこちらの ほうが優れていた。この建物の魅力を、そのまま生かすことに した。 まず、ハレクラニにはないサービスをすること。ホテル側と 43
■ ﹁ ア イ ル ハ ワ イ 92 ・ 4 ︱ 93 ・ 3 ﹂ よ り
オープニング・ナイト(1927 年)
しては、タワー全体でのサービスの変更はできない。 ジャルパックが、最上階のある 2 フロア 24 部屋を買い取る。 そして、買い取ったフロアの宿泊客だけに使ってもらえる専用 ラウンジを作ることにした。ジャルパックの利用者は、ホテル 到着後、ここでウエルカムドリンクや部屋の鍵を受け取る。ま た、滞在中はスナックや飲み物を楽しむことができる。日本語 の新聞も用意した。 のちに他の旅行会社がタワーウイングを使うようになったと きも、このサービスで差別化を明確にすることができた。 問題は、本館だった。あの手この手を考えたが、いまひとつ 決定打に欠けた。そして考えついたのが、3 室のプレステー ジ・スイートを商品化することだった。 ロイヤル・ハワイアンには、開業当時から特別のお客様のた めに建てられた 3 室のプレステージ・スイートがあるのだ。ハ ワイを訪れる名だたる著名人や VIP が宿泊している。この部 46
3 ザ・ロイヤル・ハワイアン
1930 年代、ハワイを訪れた本土からの客船
屋を前面に押し出すことで、ホテル全体の品格を象徴的に伝え ることができる。 プレステージ・スイートは、必ず総支配人の了承のもとに予 約確認を出さなければならない部屋である。まず、日本マーケ ット担当のボブと話し、総支配人の了解をとりつける必要があ った。実際には、さらに上層部の了承も必要だった。 オーナーの KYO-YA と、シェラトン・ホテルズ・イン・ハ ワイの社長の了解を得るのに時間がかかったが、企画は期待ど おりに実を結び、ロイヤル・ハワイアンは確実に人気を上げて いった。 本館のスイートはハネムーナーに人気となり、ホテルの雰囲 気を味わいたい女性層はガーデン・ビューに泊まってくれるよ うになった。新館は幅広い客層をつかむことができ、専用フロ アでなくても参加してもらえるようになった。
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ロイヤル・ハワイアンの中庭でフラダンス(1930 年代)
n 変化の兆し 1991 年、ジャルパックの新しい商品ブランド「アイル」発 表にともない、ロイヤル・ハワイアンもテレビコマーシャルに 登場した。ホテル側の全面的な協力を得て行われた撮影は想像 を絶する規模で、私もホテル側も驚くばかりだった。 沖からホテル全景を撮るため、ハリウッドから照明チームが *
やってきた。船に乗った歌手のノッコが、沖からロイヤル・ハ ワイアンを眺めながら歌う。ホテルは巨大な照明でライトアッ プされ、まさしく「ピンクパレス」が浮かび上がった。この CM の放映によってロイヤル・ハワイアンは、日本において確 * 1963 年生まれ、日本人女性。シンガーソングライター。1984 年、レベッカのボー カルとしてデビュー、JAL、資生堂、日産自動車などの CM ソングを歌う。
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3 ザ・ロイヤル・ハワイアン
ロイヤル・ハワイアン前のビーチに並ぶサーファーたち(1930 年代)
実にグレードの高いホテルとしての地位を確立したといえるだ ろう。 その後、プレステージ・スイートやガーデンでのウエディン グも企画、実行された。モアナ・サーフライダーとともにチャ ペル以外でのウエディングとして人気を得ることができた。 しかし、2000 年代に入るとホテル側の考えでサービス内容 が大きく変わってくる。総支配人、日本マーケット担当営業部 長、プロパティ・オーナーが変わることにより、ホテルの販売 戦略や考え方も変わるものである。いまだに人気を保っている モアナ・サーフライダー・ホテルに比べると、ロイヤル・ハワ イアンには少しかげりが見えてきている。 ワイキキのホテル部屋数は、トータルで減少傾向にある。 「タイム・シェアリング」が大きな要因だ。これは、1 年のう 49
ち自分の望む期間の部屋の利用権を購入するというシステム。 アメリカ本土のみならず、日本でも購入者が急増している商品 のひとつだ。特にスタンダードレベルのホテルやコンドミニア ムは、これまでホテルとして使用していた部屋をタイム・シェ アリング用に改造し、販売を伸ばしている。多大なマーケティ ング費用を投入したり、部屋のこまめなオペレーションをして いるよりも、はるかに効率がいい。安定的で、かつ確実な収益 をあげることができるこのシステムは、これからも増え続けて いくことだろう。 日本人観光客のホテルライフに対する考え方も、大きく変化 してきている。本当の意味でのホノルルのシンボリックホテル は「ピンクパレス」であり、日本人にとっても憧れのホテルと して継続できる戦略と体制を、もう一度考え直す時期にきてい ると思う。 POINT
・マーケティングをまちがえると、本来の客層が逃げてしまう。 ・安定的で、かつ確実に収益をあげることができるタイム・シェア リング・システムは、これからも増え続けていくだろう。
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3 ザ・ロイヤル・ハワイアン
成功するための要素 ボブ・ドイケ
どのホテルでも、成功のために最大の集客・収益・ ADR(Average Daily Rate)の実現を目指して努力しています。この成功への 重要な要素は、“人々”と、その人々の“お客様の期待以上のもの を提供したい”という望みです。
■成功するホテル経営者に必要不可欠な要素 ・ 誠実さ 高い道徳心(モラル)の確立 ・ 信 用 厚い信用・信頼の確立 ・ 責 務 すべての成功・失敗および立て直しに対する責任の 受諾(受け入れ) ・ 柔軟性 お客様・ホテル・マーケット状況のニーズを調整す る能力 ・ 創造性 客観的(第三者視点から)に考える。途方もないこ とでも適切に考え抜くことによって大きな成功へと つながることがある
成功への第一歩は“聞くこと”です。これが対話を広げ、創造性 の流れを促し、ギブアンドテークの感覚を養い、成功する商品の創 造を可能にする空気を作り出します。互いのグループにとって WIN-WIN の環境を作り出すということは、永続的に続くパートナ ーシップの確立につながります。 成功への第二歩は“チームワーク”です。大勢の人から仕入れを 51
ロイヤル・ハワイアンの正面玄関。宿泊者のスナップ(1930 年代)
得るのは、どのような成功においても必要不可欠です。新商品の創 造・磨き上げへの挑戦、およびそのときの障害を打ち破る際に、他 の部署を巻き込んで“シンクタンク”を広げましょう。 成功への第三歩は“Servicing”です。いかに商品が魅力的でも、 約束されたもの・サービスを確実にお客様にお届けするというチー ムの努力なしには、ホテルの成功はありえません。どのホテルにと っても、もっとも効果的な PR とは、満足していただいたお客様の 口コミです。
私の考え方の土台は、パシフィコ・クリエーティブ・サービス ハワイ(現:ジャルパック・インターナショナル・ハワイ。当時の 現地法人名)の折戸晴雄氏との仕事上および個人的な関係によって 培われました。 私のロイヤル・ハワイアンのセールスマネージャーとしての 1 年 52
3 ザ・ロイヤル・ハワイアン
ロイヤル・ハワイアン前のビーチ(1930 年代)
目の挑戦は、ホテルを日本のマーケットに紹介することでした。そ れまで私は、セールスとしての経験がまったくなく、はじめの 2 週 間はオフィスの新しい家具にただ驚くばかりで、どのように日本の マーケットを狙えばいいかわかりませんでした。 幸運にも、ハワイは行き先としては大きな需要期にあり、ワイキ キ内のほとんどのホテルでは定員以上の予約をとる状況にありまし た。定員を超過したお客様を移動するための部屋を探している折戸 氏を紹介されたのは、そのような時期でした。
定期的な電話による連絡をとおして、フロントオフィスマネージ ャーのレン・ヒロセと私は、無提示・無保証予約に賭けて、折戸氏 の部屋の要請に対応するためにインベントリーを開放しました。空 港にお客様が到着すると、そこで収容先ホテルの変更を知らされ、 チェックインのために直接ロイヤル・ハワイアンへと連れてこられ 53
ました。皆にとって緊張を要する状況でしたが、無事に移動するす べてのお客様の収容をお手伝いすることができたことから、私はそ の日の終わるころには、成功への確かな感触をつかんでいました。
この出来事は、私と折戸氏との関係および日本のマーケットの勉 強のはじまりでした。日本向け営業のリージョナルディレクターで あるハヤカワ氏と話した上で、ロイヤル・ハワイアンに日本のマー ケットを紹介するため、折戸氏が私に会いにきました。そのころ、 ロイヤル・ハワイアンに滞在している日本人のお客様の割合は、わ ずか 2%でした。
ハヤカワ氏と話し合った“ノスタルジア(郷愁)”というロイヤ ル・ハワイアンとモアナ・サーフライダー・ホテルの歴史的側面 (輝かしい過去の“レトロ”性)に注目したコンセプトは、折戸氏 にとって挑戦でした。彼がロイヤル・ハワイアンを日本のマーケッ トに紹介するのに最善と感じた理由を聞くにしたがい、私にはロイ ヤル・ハワイアンだけでなく、どのホテルの未来にも衝撃を与える ような商品を創造するのに必要なものが組み立てられていく姿が見 えるかのようでした。
目的を成し遂げるために、彼は主要な部門(ジャルパックおよび 日本航空の企画・広報部門)間の協力ネットワークを展開させ、パ ンフレットによるプレゼンテーションや小売・卸売店・駅構内・電 車内用のポスター制作を含む PR 活動をとおして、ロイヤル・ハワ 54
3 ザ・ロイヤル・ハワイアン
(上)現在のロイヤル・ハワイアンか らダイヤモンドヘッドをのぞむ (右)当時の面影が残るシンボル・タ ワー
イアンを紹介する機関を組織しました。
財政上の支援の要請およびワイキキ(太平洋からカイウラニ大通 りまでのクヒオ大通りとルワーズ通り)の中心に焦点をあてたマー ケティング戦略を提案するため、彼はそれぞれの主要部署とミーテ ィングの予約をとりつけました。そして、日本でのプレゼンテーシ ョンのためにシェラトン・モアナ・サーフライダーの日本営業担 当、パティ・ハーマンと、私を招待しました。
ロイヤル・ハワイアンの主な紹介は、ロイヤル・ハワイアンで撮 られた一連のビデオ広告でした。なかでももっとも大きな衝撃を与 えたのは、双胴船の上、ワイキキの海の視点から撮られたロイヤ ル・ハワイアンの眺めでした。この撮影作業は、早朝の 4 時から 5 55
時の間にすべて行われました。“ピンクの建物”のセットとなった ホテルの周りからは溢れんばかりの光が照らされたため、お客様に ご迷惑をおかけしないように、早朝 4 時の撮影に先駆けて深夜にホ テル内すべての客室のカーテンを閉めました。
マイタイ・バーに座り、折戸氏とコーヒーを飲みながら、私のな かでは達成の暖かい感触、そしてどのような行き先やホテルを旅行 業界に紹介するにも果てしないやる気(献身)と努力が必要である という強い認識が広がりました。
ビデオによるプレゼンテーションは、ロイヤル・ハワイアンにと って成功に終わりました。マーケットのシェアもわずか 1 年半で 2 %から 35 %に上昇し、今でも伝説になっています。
日本マーケットで学んだことの多くは、折戸氏との個人的な関係 のおかげであり、私の仕事に還元することができます。私の仲間と も同様のことを行い、将来彼らのセールス&マーケットの理解・成 長に影響を与えられればと思っています。 MAHALO!!
日本担当営業部長 シェラトン・ホテルズ・アンド・リゾーツ ワイキキ アンド マウイ
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4 4 ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ
n ホノルルで最大のホテル ヒルトン・ハワイアン・ビレッジもまた、独自の歴史をもっ ている。 1928 年、現在の敷地にニウマル・ホテルがオープンし、そ の後、隣接する 8 エーカー(約 3 万 2000m2)のジョン・エナ・ エステートを合わせてフリッツ・ B ・バーンズとヘンリー・ B ・カイザーが買収したときからはじまる。 1955 年、ココナッツの葉を編んだ草葺き屋根のコテージ、 客室とスイートの合計 70 室、3 つのプール付きタパルームが完 成。 1961 年、ホテルの所有権をコンラッド・ N ・ヒルトンがカ イザーから買収。ヒルトン・バーンズ社が創設され、ヒルト ン・ハワイアン・ビレッジに改名。ホテルカラーは“カイザ ー・ピンク”から“ヒルトン・ブルー”に変わった。 1960 年代にプレスリーの『ブルーハワイ』がヒットしてハ ワイに注目が集まったことで、さらにスケールを拡大する。 1940 年、40 店を超える国際色豊かなショップやレストラン、 タイの寺院、仏塔、日本の農家などを含むレインボー・バザー 57
1950 年代のヒルトン・ハワイアン・ビレッジ
ルがオープンする。 1988 年、1950 年代に策定されたカイザーのマスタープラン 「4 つの摩天楼ホテル」完成。 *
1998 年、ヒルトン・ホテルズ・コーポレーションが 100 %所 有、経営となる。 これが、ヒルトン・ハワイアン・ビレッジのおおまかな歴史 だ。ホノルルでいちばん多くの部屋数をもっているホテルでも ある。 * * 1988 年段階で、2,600 室を保有。9 万平方メートルの敷地内 には 4 つ(現在 6 つ)のコンセプトの異なるタワーがあり、広
* 創業者コンラッド・ヒルトンによって 1919 年に設立された。ヒルトン、エンバシ ー・スイートなど 10 のブランドを有する。世界 60 カ国に 2,400 ホテルを有し、2010 年までにさらに 2,000 ホテルをチェーンとして運営する計画を立てている。日本に 進出した最初の外資系ホテルでもある。
58
4 ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ
現在のヒルトン・ハワイアン・ビレッジ。手前はレインボー・タワー
い専用ビーチに面している。ホテル内にはオーシャンフロント のスーパープールのほか、6 つのプールがある。さらに 22 のレ ストランやバー、90 店以上のショップが営業するショッピン グモールがある。敷地内にはペンギンをはじめ 70 種類以上の 鳥たちが暮らし、毎週金曜日にはエンターテイメントが催され て花火が上がる。まさしく、リトル・ホノルル&リゾートとい っても過言ではない。 スタンダードクラスのタパタワー、デラックスクラスのレイ ンボータワー、そしてハレクラニ・ホテル、ロイヤル・ハワイ アンと同級のスーパーデラックスとしてのアリータワー、さら にコンドミニアムタイプのラグーンタワーがあり、クラス・タ イプ別の客室を、タワーごとに分けて運営していた。 だが、当時の日本マーケットではワイキキの中心にあるシェ ラトン・ワイキキに人気が集中しており、ヒルトンは不便だと いうイメージをもたれていた。免税店が遠いことも、人気のな い理由だっただろう。 59
ホテル内の大規模宴会場 ホテル名
バンケット
ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ
コーラル・ボールルーム
収容人数
シェラトン・ワイキキ
ハワイ・ボールルーム
3,700
ハイアット・リージェンシー・ワイキキ
リージェンシー・ボールルーム
1,250
ハワイアン・リージェント
ハワイアン・ボールルーム
1,000
パシフィック・ビーチ
グランド・ボールルーム
4,000
800
日本マーケット担当部長のヒロ・マツダ氏とはいつもマーケ ティングについて話し合っていたので、本腰を入れてヒルト ン・ハワイアン・ビレッジのイメージチェンジにトライしよう ということになった。
n イメージを変えるための作戦 まず、リゾートビラとしての魅力を最大限にアピールするこ と。このヒルトンで滞在の楽しみのすべてを完璧にまかなえる ようになることをめざした。 商品コンセプトを「おもしろリゾート」と決め、パンフレッ トもそれにふさわしい見せ方を考えた。訴求対象としては、家 族、ハネムーナー、そして熟年層を想定し、“各層が楽しめる テーマパーク”というイメージのパンフレットを作成した。ま た、敷地内であれば現金を持たずに楽しめる「おもしろリゾー トクーポン」なども作ってみた。 しかし、販売は不振だった。何度となくメンバーを集めて原 因を話し合った。こういった場合、現場の人間、特に接客担当 者からのコメントがいちばん参考になる。 理由のひとつは、パンフレットに臨場感がないため、旅行代 理店の販売スタッフが自信をもって説明できないこと、さらに 60
4 ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ
その他
オセアニア ヨーロッパ
アメリカ
アジア カナダ 日本
国名
訪問者(人)
アメリカ
3,691,600
57.46
日本
1,591,920
24.78
カナダ
311,900
4.86
アジア
283,400
4.41
ヨーロッパ
281,720
4.39
オセアニア
218,230
3.40
45,460
0.71
6,424,230
100
その他 合計
%
ハワイ訪問者の動向 (1993 年、HVB 調査)
スタッフ自身が「ヒルトン・ハワイアン・ビレッジは不便」と いうイメージを引きずっていたことがあげられた。 ふたつ目は、実際に「おもしろリゾートクーポン」を利用す る滞在者が少なすぎたということ。クーポン利用に関して「ス タッフがわかっていない」というクレームも、あとを絶たなか った。 利用客が思いのほか増えなかったことで、「おもしろリゾー トクーポン」は、対象となる店や項目を縮小せざるをえなかっ た。ジリ貧であった。 パッケージ商品の企画としては、完全に失敗に終わったとい うことになる。 のちになって、比較的安価な価格帯の商品を揃えた第 2 ブラ ンドの AVA でこのコンセプトを導入し、成功を収めたが、当 初予定していた上質な客層を取り込むことはできなかった。 * * だが、私はなおもこのホテルの魅力と部屋数があきらめきれ 61
■ ﹁ ア イ ル ハ ワ イ 92 ・ 4 ︱ 93 ・ 3 ﹂ よ り
日本人のハワイ訪問者数 年
訪問者数(人)
REF
1965 1966 1967 1968 1969 1970
20,210 20,250 26,915 29,275 65,000 130,000
第一次海外旅行ブーム
1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980
180,000 235,000 333,000 381,000 410,000 449,600 489,720 524,000 653,600 658,100
第二次海外旅行ブーム
1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990
690,400 715,000 729,000 816,000 855,000 944,000 904,710 1,216,770 1,319,340 1,439,710
1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000
1,385,340 1,637,030 1,591,920 1,756,340 1,998,860 2,089,760 2,222,650 2,004,354 1,825,586 1,817,644
湾岸戦争
2001 2002 2003 2004 2005
1,507,980 1,484,770 1,323,820 1,477,629 1,522,356
米国同時多発テロ
ジャンボジェット導入
第一次オイルショック
第二次オイルショック
円高進行 第三次海外旅行ブーム
関西国際空港開港 史上最高の円高 史上最高のハワイ訪問者数
史上最高の海外旅行者数
SARS、イラク戦争
参考:ハワイ便初就航年= 1954 年 2 月(JAL) (HVCB 資料より作成)
64
4 ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ
アラ・ワイ運河
カラ
インターナショナル・ マーケット・プレイス
免税店 ●
カウ
ア通
り
● ● モアナ・ サーフライダー
ヒルトン・ハワイアン・ ビレッジ ● ハレクラニ
●
●
●
ホノルル 動物園
● ワイキキ・ビーチ・ タワー
ワイキキ・ビーチ
カピオラニ 公園
ロイヤル・ハワイアン シェラトン・ワイキキ
● ワイキキ水族館
ず、再度挑戦をはじめた。 日本で販売を担当しているカウンターや団体セールスの意 見、ホノルルにある日系企業の人たちの意見をまとめてみた。 そして、けっして不便ではないのに不便だという烙印を押され ている点を払拭することに、ポイントをしぼることにした。 パンフレットを調べてみると、どこの会社のものを見てもヒ ルトンは地図の左端に位置していて、確かに不便そうに感じら れる。レイアウトの変更が必要だ。 免税店を中心におき、左右を比べるとカピオラニ公園のそば にあるクイーンカピオラニ・ホテルとヒルトンが同じくらいの 距離であることがひと目でわかるようにした。人気の出はじめ たアラモアナ・ショッピングセンター、ワールド・ウエアーセ ンターへ歩いていける距離であることも加えてみた。 そして、自社内のセールスマンが自信をもって販売できるよ う、ホテルの詳しい説明方法を解説したセールスマン用のマニ ュアルを作成した。また、ホノルルの会社としてなぜヒルト ン・ハワイアン・ビレッジを仕入れて販売するのかもくり返し 65
日本人の海外旅行者数 0
5,000
1964
128 海外観光旅行自由化
1965
159 第1次海外旅行ブーム
1966
212
1967
268
1968
344
1969 1970 1971 1972
10,000
493 663 ジャンボジェット導入 961 第2次海外旅行ブーム 1,392
1973
2,289 第1次オイルショック
1974
2,336
1975 1976 1977 1978 1979 1980
2,466 2,853 3,151 3,525 第2次オイルショック 4,038 3,909
1981
4,006
1982
4,086
1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991
4,232 4,659 4,948 5,516 円高進行 6,829 第3次海外旅行ブーム 8,427 イラク戦争/SARS
9,663 10,997
米国同時多発テロ事件
10,634 湾岸戦争
1992
11,791
1993
11,934
1994
(千人) 20,000
15,000
史上最高の円高
13,579 関西国際空港開港 15,298
1995
16,695
1996
16,803
1997
15,806
1998
16,358
1999
17,819
2000 16,216
2001
16,523
2002 2003 2004 2005 (年)
13,296 16,831 17,404
(法務省「出入国管理統計」より作成)
66
4 ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ
説明した。 当時のセールスマンは、販売店からの受け身の営業活動がほ とんどで、とても攻めのセールスができる状態ではなかった。 しかし、受け身ばかりではいつまでたっても追いかけ仕事にな ってしまう。なんとか攻めの営業―計画仕入れ、計画販売 ―ができないものかと考えていた。 このヒルトン・ハワイアン・ビレッジの販売成功こそが、計 画仕入れ・計画販売を実現させるまたとないチャンスと捉え、 徹底した戦略を練り上げたのだった。 ワイキキのスタンダードクラス以上のホテルの総客室の 5 分 の 1 を占めるハワイ島最大のヒルトン・ハワイアン・ビレッジ は、1 社のみならず日本の業界がいっしょになって有効活用を 考えることで、マーケットに健全な客室供給をもたらすのだと いう思いが、私にはあった。 POINT
・現場の人間、特に接客担当者からのコメントが一番参考になる。 ・受け身ばかりでは、いつまでたっても追いかけ仕事になる。 ・ 1 社のみならず、日本の業界がいっしょになって有効活用を考え ることで、マーケットに健全な客室供給をもたらす。
67
厳しい状況下での情熱と努力 ヒロ・マツダ
折戸氏と私は、ほかのホテルの仲間たちも交えて毎日毎晩、ハワ イをもっと人気の出るところにするにはどうしたらいいだろう、日 本のみんなにどうしたら喜んでもらえるだろうと考えていました。 もちろんそのなかには、ヒルトンの営業マンとしてどちらかとい えば 2 番手・ 3 番手の人気しかなかった当時のヒルトン・ハワイア ン・ビレッジをもっとアピールするにはどうしたらいいかというこ とも入っていました。私は何度も、折戸氏にパンフレット上での露 出に関してお願いをしました。たとえば、ページ数を増やすとかで す。折戸氏はそこで、露出を増やすにはヒルトン・ハワイアン・ビ レッジのイメージチェンジが必要だと提案され、ここに新しいコン セプト“リゾート”というものが生まれました。広大な敷地のなか にそれを生かすべく“おもしろリゾート”ができ、“おもしろクー ポン”が誕生するわけです。 のちにこれは“楽園スクリップ”となっていきます。 次に、ホテルと免税店との距離がほかの競争相手のホテルに比べ て遠いという点を改善するためにはどうしたらいいか? こんなこ とも、折戸氏とは常に話しておりました。そのうち、その免税店が ホテルに出店するとの情報を得ていち早くアクションを起こし、ヒ ルトン内にワイキキの免税店が開かれるわけです。 ところが、それでもワイキキの真ん中から離れている、少なくと も当時の地図の上ではそう見えるということになり、これまた折戸 氏と毎晩話しているうちに、ウエストワイキキとかワイキキマリー 68
4 ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ
ナ地区という言葉が誕生。それだけでは足りず、私はジャルパック をはじめとして各旅行会社に談判の末、地図を正確に作りかえてい ただくことにしたのです。その背景にはもちろん、折戸氏を中心に 集まった仲間の助けもありました。実際に、昔のハワイアン・リー ジェントから免税店までの距離とヒルトンからの距離はほとんど同 じなのに、地図上ではかなり遠いイメージがあったのです。 “さらなる販売強化のためにはどうしたいいのか?”―この点 についても、折戸氏と何度も相談しました。日本で実際に販売して いる各旅行社の方々、ツアーを企画されている方々に対するセミナ ーが必要だということになり、日本に行くたびにそのセミナーをく り返し行いました。 現在では、ジャルパックの有力なパートナーとなったヒルトン・ ハワイアンは、ロケーション、リゾート感覚、ヒルトンとしてのブ ランド力を使い、日本においても多くの方々にご利用をいただくま でになりました。 折戸氏との思い出は、大変厳しい状況から出てきた情熱と努力で あったと思います。
ヒルトン・ホテルズ アンド リゾーツ、ハワイ アジア地区担当営業本部長
69
5 ホテル・イヒラニ
n トップクラスのリゾートを目指す コ・オリナ・リゾートは、マウイ島のカアナパリ・リゾート をモデルとして計画された。総開発面積は約 400 万平方メート ル。ワイキキとほぼ同じ広さで、もとはサトウキビ畑だった。 完成時には、ホテル群、住宅地、コンドミニアムが建ち並び、 人工ではあるけれど美しいラグーンのビーチでのマリンアクテ ィビティーが楽しめ、さらにゴルフ場とテニス、高級スパとな んでも揃った、ハワイでもトップクラスのリゾートが誕生する ことになっていた。 この雄大な計画は、観光に力を入れる州政府の方針で、1986 年から地元資本に日本航空など海外企業 4 社が加わってはじま ったものだった。 パン・パシフィック・ホテリアーズ(PPH)は、ホノルル のハワイアン・モナークホテル運営のため、1978 年 4 月に当時 の日航開発が設立した。その後、環太平洋リゾートの戦略子会 社として 1988 年 3 月に日本航空が、日航開発より PPH の株 100 %を取得。ゴルフ場、ホテル、コンドミニアムの開発、運 営がスタートした。 70
5 ホテル・イヒラニ
最初にオープンしたのはゴルフ場だった。ハワイで最高のコ ースを目指し、世界的に有名なテッド・ロビンソンが設計を担 当した 18 ホールのチャンピオンコース「コオリナ・ゴルフク ラブ」が、1990 年 2 月に完成した。オープン・イベントとして アメリカ LPGA のハワイアン女子オープンが開催され、1993 年には男子 PGA シニアーツアーも行われた。同年 7 月には、 厳重な警備のなかでクリントン大統領(当時)もプレーを楽し み、さらに知名度を上げた。 開業当初、ゴルフ場は全体で赤字だったが、唯一プロショッ プ部門だけは“てんとう虫”のロゴを冠した商品がゴルフファ ンの間で人気となり、黒字を実現していた。 * * そしてついに、客室 390 室の高級リゾートホテル「ホテル・ イヒラニ」が、1993 年 12 月のソフトオープンを経て 1994 年 5 月にグランドオープンする。 客室の 90 %がオーシャンビューであり、部屋の面積はラナ イを含めて当時のオアフ島で最大。さらに、ハワイでのホテル では初めて客室に液晶画面モニターを導入し、電話、テレビ、 照明、ルームサービスなどをタッチパネルを通じて行う方法を 採用した。 計画がはじまってから 5 年半以上をかけての開業だった。 ホテルの運営は、グループのホテル運営会社である日本航空 *
開発 (現: JAL ホテルズ)ではなく、ホテル・イヒラニが単 独で行うことになっていた。日本航空開発はスタンダードおよ * 1970 年に設立された日本航空のホテル運営会社。日本航空開発から現在は JAL ホ テルズに社名変更され、2 つのホテルブランド(ニッコーホテルズ・インターナシ ョナル、ホテル JAL シティ)をもち、日本、海外で 57 のホテルを運営している。
71
ホテルのルーム・タイプ ホテルのルーム・タイプには、以下のものがある。 ●レギュラー・ルーム ●ラージ・ラグジュアリー・ルーム ●ミディアム・スイート(ジュニア・スイート) ●プレジデンタル・スイート
レギュラー・ルーム(例)
1 ベッドルームスイート(例)
コンドミニアムのタイプには、以下のものがある。 ●ステューディオ ● 1 ベッドルーム ● 2 ベッドルーム
ステューディオ(例)
2 ベッドルーム(例)
1 ベッドルーム(例)
ホテルのベッド・タイプ ベッドサイズは大きい順に、キングサイズ、クイーンサイズ、ダブルサイズとなってい る。ハワイにおいては、1 部屋にキングサイズまたはクイーンサイズのベッドが 1 つ置 かれている場合と、1 部屋にダブルサイズ、またはクイーンサイズのベッドが 2 つ置か れている場合の両方がある。おもに欧米人は 1 つのベッドを好むが、日本人の場合は、 なるべくなら別々のベッドで休みたいという傾向にあるようだ。しかしながら、ホテル によってもベッド・タイプの状況は異なるし、なかなか確約できる状況にはない。PCS ハワイでは 2 ベッドルーム希望と明記して対応しているが、難しいのが現状だ。 [ベッドの使用例] ●レギュラー・ルームの場合 キングサイズ・ベッド エクストラ・ベッド (またはクイーンサイズ) に 2 名+ (またはソファーベッド) に 1 名。または、 2 つのダブルサイズ・ベッド エクストラ・ベッド (またはクイーンサイズ) にそれぞれ 1 名ずつ 2 名+ (またはソファーベッド) に 1 名。
●スイート・ルーム/コンドミニアムの場合 キングサイズ・ベッド ソファー エクストラ (またはクイーンサイズ) に 2 名+ ベッド に 1 名+ ・ベッド に 1 名。または、 2 つのダブルサイズ・ベッド ソファー エクストラ (またはクイーンサイズ) に 1 名ずつ 2 名+ ベッド に 1 名+ ・ベッド に 1 名。
72
5 ホテル・イヒラニ
びデラックスクラスのホテル運営をしており、さらに上質のホ テルにするには独立した別の組織が必要と判断したからだ。 営業戦略の基本は、アメリカ本土からの旅行客で部屋を埋め 尽くすことだった。ホテルの設備も、たとえばベッドタイプは ほとんどの部屋がダブルであった(当時の日本人観光客は、夫 婦であっても別々のベッド、すなわちツインベッドの部屋が当 たり前であった。また、団体客ならツインベッドの部屋を 2 人 で使うことになる)。 アメリカ本土に対しては、営業所を東部、西部に置き、日本 航空の支店・代理店が協力することになっていた。 だが、バブルの崩壊で他のプロジェクトはすべて中止または 延期され、ゴルフ場のクラブハウスにある高級レストラン「ニ ブリック」だけでオープンしたため、大きなハンディキャップ を背負ってのスタートとなった。リゾートの雰囲気からは程遠 く、オフ・ワイキキ(ワイキキの喧噪がなく、静かなという意 味)を好む観光客は、マウイ島、ハワイ島、カウアイ島などの 隣島にそれを求めたのだった。 この段階で日本航空は、日本マーケットを中心とした営業戦 略を作成する。客室販売は日本航空営業部門があたり、ジャル パックは、マーケットに対してパッケージ商品の造成と販売促 進を拡大した。ホテル運営は、日本航空開発に任せた。
n 顧客ターゲットの見直し 結論からいうと、日本航空の期待に応えることはできなかっ た。明確な商品企画を見つけることができなかったのが原因で ある。 後悔はある。タラソテラピーを売り物としたスパの良さを、 73
ホテル・イヒラニのプールと、隣接するラグーン
私自身も会社としても十分に理解しておらず、魂のこもらない 商品づくりで終わってしまったためだ。今でこそ、世界中のス パやエステを体験し、研究もしたが、当時はまったく無関心だ った。 オアフ島には他にも 2 つのデラックスなリゾートがあり、有 名なゴルフ場もあったが、どちらも日本人にはあまり人気がな かった。 日本人にとっては、ショッピングが重要な旅行目的なのであ る。オアフ島にいるのなら、ワイキキ周辺であることが肝心な のだ。どんなに良いホテルに泊まっていても、この条件だけは 譲れない。アメリカ本土から訪れる旅行者とはホテルライフの 感覚が違うことを、改めて感じさせられた。 74
5 ホテル・イヒラニ
ホテル・イヒラニの全景
最近では、旅慣れた人たちは、以前のスタイルから変化し、 ホテルライフ―すなわちどこへも行かず、本を読んだり、プ ールで泳いだり、のんびりと時間を楽しむこと―を知ってい る。とっくに海外旅行は“一生に一度のこと”ではなくなって いるのだ。 * * ホテル・イヒラニは、2000 年代に入って、すべてを巨大ホ *
テルチェーンのマリオット に売却した。その後は見事成功! * 1927 年、マリオット夫妻が設立。1957 年に最初のホテルを開業。現在 70 カ国 2,914 のホテルを展開している。J.W.マリオット、ルネッサンスなど 11 のブランドを 有する。
75
現在はアメリカ本土の旅行客の心をとらえ、ハワイの人気ホテ ルのひとつになっている。 理由はいくつかあるが、いちばんの理由はマリオット・ホテ ルチェーンの顧客がベースであることだ。ホテルビジネスも、 M&A による再編成が急速に進み、自分の顧客の囲い込みを図 っている。これは、現在のホテル戦争の重要な要因だ。 ふたつ目は、アメリカの好景気によるハワイ人気があげられ る。島のホテルが混んできたことも、後押しをした。航空機を 利用した際にたまる航空会社のマイルポイントで、ハワイへの 家族旅行がしやすくなっている。また、本土からの国内路線が ホノルル中心から多様化してきている。 3 つ目は、2001 年のニューヨークのテロ、アジアの SARS、 鳥インフルエンザなどの問題が発生してから、アメリカ人がハ ワイをリゾートや国際会議の場として見直しはじめていること だろう。 ひょっとしたら、これがいちばん大きな要因かもしれない。 ハワイはアメリカ国内であり、彼らにとっては自分の町と基 本的に変わりがない。メキシコ以南、カリブ海への旅行者は減 っているし、テロに遭遇する可能性のある都市やリゾートは完 全に避けている。 ハワイ大学観光産業学部のウオルター教授曰く、 「昔、ハワイの観光は 3 つの S で成り立っているといわれた。 それは、 Sea
青い海
Sky
青い空
Sand
白い砂
しかし今は、新しい S で構成されている。 Safety 76
安全
5 ホテル・イヒラニ
Security
安心
Sanitary
衛生的」
と……。 過去においても、航空会社は持っていたホテルをほとんど手 放している。パン・アメリカン航空の「インターコンチネンタ ル・ホテル」、TWA の「ヒルトン・ホテル」、エアーフランス の「メリディアン・ホテル」などが代表的だ。本来の航空業務 に事業集中する流れなのであろう。 POINT
・明確な商品企画を見つけることができないと失敗する。 ・日本人にとってショッピングは重要な旅行目的である。 ・旅慣れた人たちは、どこへも行かず、本を読んだり、プールで泳 いだり、のんびりと時間を楽しむことを知っている。 ・ハワイの観光は、3 つの S で成り立っている。 Safety(安全)、Security(安心)、Sanitary(衛生的)
77
当時の関係者の証言 伊藤光樹
コ・オリナプロジェクトは、開発前から周囲に異論はあったもの の、ハワイへの思い入れが人一倍強い当時の日航社長の夢でもあり、 是非とも成功させねばならないという気持ちを関係者全員が共有し ていました。結果的にゴルフ場は利益も知名度も上がり大成功した のですが、ホテルについては中途半端な結果に終わってしまいまし た。この原因はひとえに当初のコンセプト、すなわちアメリカ本土 の白人富裕層を顧客ターゲットにしたコンセプトを最後まで維持で きなかったことにあると思います。一般の日本人旅行客をターゲッ トにするのであれば、イヒラニのように豪華なホテルを作る必要は なかったでしょう。いずれにしても、海外の大手高級ホテルと伍し ていくには多くの時間と労力と資金の積み重ねが必要であると認識 しました。 元 PPH 財務担当シニア・バイスプレジデント
78
6 6 ハワイアン・アイランズ ハワイアン・アイランズ
n 商品の差別化 1980 年代以降、島のリゾート開発はハワイの産業を大きく 支えてきた。ハワイ島を例にとれば、溶岩の積もった何もない ところを整地し、芝や樹木を植え、ゴルフ場やホテルを作り、 住宅やコンドミニアムを造成し、 環境や居住性・利便性を高め、 不動産としての人気と価値を上げていくのである。 開発地区の条件は非常にはっきりしている。各島の中心地は 港町であり、雨の多い(水に困らない)ところで、農作物ので きる場所なのだが、リゾート開発の場合は、雨が少なく、海が きれいで、かつ絵になる景色を備えているところが選ばれる。 ホテル、施設ができはじめたのは 1980 年代の後半からで、 島は建設ラッシュになった。テーマパークとリゾートホテルを 組み合わせ、施設内では客室間を運行するベネチアからとりよ せたボートが運航する運河、さらにモノレール電車が運行して いる。おかげで日本における商品企画に幅をもたせることがで きたが、料金はワイキキに比べると高額だった。 当時、日本人用に使えるホテルの客室数は、ワイキキが約 1 万 6000 室、他島のホテルは、ほとんどがスーパーデラックス 79
というカテゴリーではあるが、 合計すると約 1 万 6000 室あった。 そこで、ハネムーンをメインにワンランク上のホテルと景色 や雰囲気、メガリゾートを商品化しようと、「JAL ハワイア ン・アイランズ」を発表した。ハワイ、マウイ、カウアイと各 島ごとに展開していくため、これに合わせて島ごとにロゴを作 った。 最初の商品は、マウイだった。日本人に人気があったし、ホ テルの仕入れがしやすかったのも理由のひとつだ。また、日本 航空がマウイ島に直行便を飛ばすという話もあり、そのときに は優位に立てるという計算もあった。「JAL ハワイアン・アイ ランド マウイ」は好評を博した。 翌年には、ハワイ島にあるコナ空港の滑走路が拡張された。 日本から直行便のジャンボ機が飛ぶことになり、これを受ける かたちで「JAL ハワイアン・アイランド ハワイ島」を発表 する。だが、空港、各リゾート、街が離れており、オペレーシ ョンに難があった。そこで、トランスポーテーションに関して は日本交通公社(現: JTB)、近畿日本ツーリスト、日本旅行 その他の数社と合同でのオペレーションを提案し、効率のいい 運営を追求していった。 問題は肝心のホテルの仕入れだったが、東急電鉄が所有し、 *
アメリカ人にいちばん人気のマウナ・ラニ・リゾート と交渉 し、目玉商品を作ることができた。東急電鉄も宣伝に協力して くれ、大変な人気になった。 次にはカウアイ島を予定し、テレビコマーシャルも考えてい たのだが、ハリケーン「イキニ」が襲来(1992 年)、島全体が * 東急電鉄が所有するホテル。ハワイのハワイ島にあり、36 ホールのゴルフ場や高級 コンドミニアムが建ち並ぶ高級リゾート。運営は、シンガポールに本社のあるパ ン・パシフィック・ホテルズ アンド リゾーツが行っている。
80
6 ハワイアン・アイランズ
ハワイ島コハラコーストにあるマウナ・ラニ・リゾート
壊滅状態になったことで、幻の「JAL ハワイアン・アイラン ド カウアイ島」になってしまった。 その頃は、空港に到着してから乗り継ぎ便を 3 ∼ 4 時間待た された。新企画は初めが肝心で、出だしでしくじると、その後 もあまりいい結果は出ない。そこで、便名確約商品を作ること にした。競合大手が追従することで、手間の割にはアドバンテ ージを得られないのではという意見もあったが、私は“ランチ *
ェスターの法則”でいわれる弱者の法則、すなわち地域戦略で あると説明した。JTB 等の取り扱い人数は、ジャルパックの 倍以上。少人数と同じようにていねいにオペレーションするこ とは苦手ではないか、と。 結果、我々は得意とする上質の顧客の心をとらえることがで * ランチェスターの法則を営業の戦略として応用している。もともとは第二次世界大 戦時の戦術の一つとして考えられた。第一の法則(弱者の法則)と第二の法則(強 者の法則)がある。
81
き、商品の差別化が成立することになった。 POINT
・リゾート開発の場所は、雨が少なく、海がきれいで、かつ絵にな る景色を備えているところが選ばれる。 ・新企画は初めが肝心で、最初しくじるとその後もあまりいい結果 は出ない。 ・“ランチェスターの法則”でいわれる弱者の法則、すなわち地域 戦略である。
82
6 ハワイアン・アイランズ
マウナ・ラニ・ベイ・ホテル 販促プロモーション雑感 武井久昌
マウナ・ラニ・ベイ・ホテルは、1982 年に東急電鉄が総力を 結集して開発に挑んだマウナ・ラニ・リゾートの目玉として開 業した。開業時の最低客室料金は US$200 で、当時の為替レー トで計算すると 1 泊 50,000 円の超高級リゾートホテルであった。 その後、1 泊 US$3,500 以上のバンガローを加え、米国のセ レブを中心とする富裕層から強い支持を受け、堅調な営業成績 を残していた。しかしながら、競合ホテルのあいつぐ開業や米 国の景気減速により、1990 年代に入ると新たな可能性として の日本市場への取り組みが課題となった。 その試みとして、東急電鉄がもつ経営資源を有効に利用した 組織横断的なプロモーションが、日本航空、ジャルパック両社 とのコラボレーションのなかで考案された。これは、海外ホテ ルチェーンを経営する当社としても初の試みであり、また鉄道 事業を中心とする当社の経営資源の試金石でもあった。具体的 には、ポスターを駅や鉄道車両に掲出するとともに、主要駅の 旅行センターでのキャンペーン、ケーブル TV での CM 放映等、 沿線を中心に集中的なキャンペーンを実施した結果、宿泊客数 を飛躍的に伸ばすことができた。このプロモーション手法は、 鉄道事業の可能性を改めて証明し、その後のプロモーションの 一手法として定着したばかりでなく、旅行商品の造成方法にも 大きな影響を及ぼすこととなった。 パン・パシフィック・ホテルズ アンド リゾーツ 運営販売担当上席副社長 83
7 ツアーオペレーションの変遷 ツアーオペレーションの変遷
n「組み込み型」から「組み立て型」へ 現在のパッケージツアーは、日本航空のジャンボジェット機 の導入に伴い、従来の運賃体系とは別の「バルク運賃」という 団体料金が販売されたことによって生まれた。日本で初めての パッケージツアーは、日本航空が発売したブランドとしての 「ジャルパック」である。 当初は日本航空が商品企画を立て、手配・運営を大手旅行会 社(日本交通公社=現: JTB、近畿日本ツーリスト、日本旅 行等)が行っていた。しかし、旅行商品の募集窓口が日本航空 であっても、実際の運営では会社によってバラツキがあり、ク レームの対象になっていた。そこで、旅行の品質を保つために 株式会社旅行開発(現在の、法人としてのジャルパック)を設 立したのだった。 その後、海外旅行ブランドの設立が相次ぐ。JTB と日本通 運の合同商品としての「ルック」、ニューオリエントエクスプ レスを母体とした「ゲットツアー」が発足した。 これによって現在の「組み込み型」旅行商品=パッケージツ アーが形づくられ、現在に至る。 84
7 ツアーオペレーションの変遷
ラナイ島のフォーシーズンズリゾーツ ロッジ・アト・コエレ
時系列で、流れと特徴をみていくと次のようになる。 * * 最初は、現在のように現地で専門の案内係が合流するのでは なく、添乗員が日本から同行した。観光、食事はすべて組み込 まれており、自由時間もわずかだった。ホテルも部屋も選ぶこ とはできなかった。 ▼ 1980 年代になると、日本人を扱う旅行会社の仕入れが強く なってきた。ホテルのチョイスが可能になり、さらにホテルの 部屋のカテゴリーを選ぶことも可能になっていく。 ▼ 85
1988 年、ハワイ商品に大きな改革が始まる。 日本からの便はほとんどが早朝着であり、ホテルのチェック インは午後 3 時すぎ。土産物屋に立ち寄り、観光の後、ローカ ルレストランでウエルカムランチをとり、やっとホテルへ。こ んなことが 20 年以上続けられていた。 この時期、ジャルパックで発売した商品は、あくまでも顧客 の目線で運営されるようになっていく。まず、空港からホテル に直行。すぐに部屋へ入ることができる。ウエルカムランチは ミールクーポンに変え、好みのレストランで食事をすることが 可能になった。 このアーリー・チェックイン(または、ダイレクト・チェッ クイン)には、ホテル側の協力が必要だった。日本への帰国便 のほとんどが午前中発で、ツアー客は搭乗の 3 時間前にホテル を出発する。この早いチェックアウトを利用して、部屋の用意 をしてもらう。ただし、従来より高額の商品になるのはしかた がない。 ▼ 扱う客数の多い JTB が追従して、さらに工夫もしてくる。こ のため、ハワイ商品をすべてダイレクト・チェックインにした ジャルパックは、集客力を下げることになった。リサーチして みると、顧客の希望は従来のチェックインとダイレクト・チェ ックインとが半々であることがわかった。参加者構成と販売価 格によるものだ。煩雑になるが、各コースを 2 パターンにする。 ▼ 旅行素材を消費者の目線で見なおすことにより、パッケージ 離れを起こしていた従来の既製品タイプの商品にも人気が戻っ てきた。 ▼ 86
7 ツアーオペレーションの変遷
さらなる進化を目指し、個人旅行型商品の開発へ踏み出す。 カテゴリーを新たにつくり、「フリーチョイス」と名づけて島 商品を売り出した。旅行期間、ホテルの選択、隣島とオアフ島 の組み合わせを自由とした。現在、個人旅行の組み立て型とし て人気のある商品の原型である。 フライトスケジュールは決まっているが、旅程は自分の好み で組み立てることができる。ホテルはもちろんのこと、客室に おいても、細かい説明を受けたのち、自分でカテゴリーを選ぶ ことができる。 ▼ 現在発売されている「JAL 個人旅行」とは、ホテルを含む 航空券以外の旅行素材をすべて自分で選ぶことができる商品 だ。料金的には多少割高になるが、思いどおりの旅行素材と旅 程をつくることができる、これからの商品といえる。 インターネット上での商品紹介と地域情報提供が充実し、拡 大していくなかで価格競争はさらに加速する。 最後はコンサルテーションの力、内容を含めた接客力が勝負 の鍵となるだろう。 POINT
・日本で初めてのパケージツアーは、日本航空が発売したブランド としての「ジャルパック」である。 ・組み込み型とは、添乗員が同行し、観光、食事が最初から組み込 まれているツアー形態。自由時間はわずかで、期間、ホテル、部 屋は選べなかった。 ・組み立て型とは、旅行期間、ホテルの選択、隣島とオアフ島の組 み合わせを自由にしたツアー形態である。
87
パッケージツアーの流れ― 到着日 ホノルル空港到着
コナ空港到着(直行便)
機内預けの荷物は、ホノルル空港税関内 (出口に出る前)乗り継ぎの場所で預ける
グループ出口にて出迎え 名前の確認
2階アイルラウンジへ 帰国便の航空券、およびI-94の回収(帰国便のFLTがJAL以外を利用する客のみ)
他島便(アロハ航空、ハワイアン航空)カウンターへ 1)搭乗券の配布 2)搭乗便、搭乗時間の案内 3)携帯電話の貸し出し 4)手荷物検査の後、ゲートへ
カウアイ島
マウイ島
ハワイ島
ゲートにて出迎え
ゲートにて出迎えの後、 アイル専用車にて荷物預かり
ゲートにて出迎えの後、 アイル専用車にて荷物預かり
アロハステーション カウアイ
アロハステーション マウイ(カフルイ空港至近)
アロハステーション ワイコロア
1)滞在中の案内 2)オプショナルツアーの案内 2)専用車にて宿泊ホテルへ 3)荷物確認後、 一緒にホテルへ
1)滞在中の案内 2)オプショナルツアーの案内 2)専用車にて宿泊ホテルへ
1)滞在中の案内 2)オプショナルツアーの案内 2)専用車にて宿泊ホテルへ
宿泊ホテル
宿泊ホテル
宿泊ホテル
チェックイン
ララカードにてチェックイン
ララカードにてチェックイン
※宿泊予定ホテルによっては、空港内オフィスまたはホテルで滞在中の案内を行う場合もある
88
コレ ナフ 周ア 辺号 観で 光の
7 ツアーオペレーションの変遷
パッケージツアーの流れ― 帰国日 モーニングコール (フライトの 4 時間 15 分前)
バゲージ・ダウン (フライトの 3 時間 45 分前)
ホテル出発(フライトの2時間30分前) 荷物は客の車に積み込み
ホノルル空港到着(CGSスタッフが出迎え) 1)搭乗券の渡し、搭乗ゲートの案内 2)みやげ品、ホテルで預かった荷物の確認 3)搭乗ゲートの場所、搭乗時刻、免税品の受け取り方法を説明後、 4)各自で荷物をJALカウンターへ(JALチェックイン・カウンターにて) 4)パスポート登録 5)JALの帰国便を使用する場合は、空港カウンターでI-94の提示が必要
搭乗ゲート集合(出発30分前までに集合) 酒、たばこ、香水、ハンドバッグ以外の免税品の受け取り(航空会社、フライト便により受け取り 条件が異なる場合があるので、レシートを確認すること)
帰国便に搭乗
(ジャルパック・インターナショナル・ハワイ資料より作成)
89
経験は財産 長田直樹
私は入社以来、お客様のお世話をするカスタマーサービスセクシ ョンに所属し、ホテルにあるツアーラウンジで勤務していました。 そこでの仕事は、日本から到着したお客様のホテルのチェックイ ン、滞在中のお世話が主業務でした。当時は、ホテルのオーバーフ ローが激しくなり、お客様にホテル到着時にお部屋に入っていただ けないことや、お部屋をアサインできない毎日が続き、ホテル側と お客様の間に入って頭ばかり下げていた記憶があります。 もうひとつ、なぜこのようなことが起きるのか、疑問に感じてお りました。そんなとき、オペレーションセクションに配属が決まり、 当初、たいへんなところに異動になったと戸惑いました。 実際は、カスタマーサービスにいたときに感じていたものとは違 い、オペレーション部門ではホテル側と喧々諤々やっていることが わかりました。ホテル側からの受け身一辺倒の立場を改善して、攻 めの体制を築き上げようと努力していたことがわかりました。 マーケットの需要・供給バランスの関係はありますが、日本のマ ーケットについてホテルの人たちに理解をしてもらえる努力をして いたことです。 私が異動をして間もないころに、当時上司であった折戸部長から 2 つのことを叩き込まれました。ひとつは、オペレーター業は航空 会社やホテルのようにハードをもった企業ではないということ、も うひとつは、ボリュームの JTB、マーケティングのジャルパックを いつも考えて行動するようにとのことでした。日常の業務ではもち 90
7 ツアーオペレーションの変遷
ろんですが、困難な問題の解決や新しいことをはじめるときは、も のごとを進める前に WIN-WIN(共存共栄)を考えて行動しろと何 度もいわれたことを覚えています。 お客様が困ることがあるのは、商品として欠陥があることであり、 解決できれば商品の価値は上がるといわれました。 ひとつの例として、ダイレクト・チェックイン商品をもっと充実 した内容にできないかと議論して、日本で部屋番号がすでに決まっ ていればお客様が安心してホテルに到着できるのではないかと考え ました。ホテル到着後、すぐ部屋に行けるようにできないかとホテ ル側と話し合い、結果として成田空港や関西空港で部屋のカードキ ーを発行することを実現することができました。このことは、お客 様から大変高い評価を得た思い出があります。 他にもたくさんありますが、これらの経験は後年私にとって大き な財産となり、会社の財産にもなっていると実感しています。
ジャルパック・インターナショナル・ハワイ 企画、仕入、ホテル手配部 部長
91
8 ハワイアン・クルーズ、 ハワイアン・クルーズ、 サンセット・クルーズ サンセット・クルーズ
n 変わらない人気 この 20 年、ハワイを訪れる観光客の目的が変化しているに もかかわらず、サンセット・クルーズの人気は根強く、ハワイ を訪れる観光客に魅力を提供し続けている。 サンセット・クルーズ「スター・オブ・ホノルル」(Star of Honolulu)は、船を愛し、ホスピタリティーとクオリティーを 大切にする 2 人によって築き上げられた。 創立者のひとりミッツィ・ヒラサワ氏のキャリアは、1978 年に業界 NO.2 の「ウインド・ジャマー・クルーズ」(Windjammer Cruise)にインターナショナル・セールスとして入社 したところからスタートする。当時、業界最大手は「アキカ ネ・カタマラン」(Akikane Catamaran)で、絶対的なシェア をもっていた。一方、ヒラサワ氏の入社した「ウインド・ジャ マー・クルーズ」の日本人観光客の年間取り扱い数は 4,000 人 でしかなく、業界 2 位とはいえ大きく水をあけられ、その差は 歴然としていた。 日本からの観光客がハワイで必ずといっていいほど購入する オプショナルツアーが、ハワイアン・クルーズだ。ただし、ア 92
8 ハワイアン・クルーズ、サンセット・クルーズ
ワイキキの沖を航行するスター・オブ・ホノルル号
メリカ本土からの観光客にも同じく人気があるため、オペレー ションからサービスまですべてがアメリカ人仕様だった。 そこでヒラサワ氏は、「いかに日本人向けの仕様を考え、実 践するか」をテーマに、リサーチしてまわった。日本人は団体 客が多い時代であり、海外旅行は初めてという人も多かった。 各オペレーターに聞き、日本人観光客の要望や問題点を随時洗 い出し、即改善することで、各社のスタッフとの信頼関係を築 いていった。 現地旅行会社や旅行代理店、実際に販売を行っている人たち から信頼を得ると、売り上げも伸びていく。 私たちが取り引きしていたオプショナルツアーの催行社から も、「ミッツィ・ヒラサワに任せておけば、絶対安心」と言わ しめるものであった。トラブルの対処までも、全幅の信頼を寄 せているのだった。 だが、会社はアメリカ人中心のオペレーションを続けている ので、日本の旅行会社との板ばさみになり、ストレスをためな 93
海外旅行会社の組織図 President
Administration Department
General Affairs Division
Accouting Division Customer Satisfaction Committee System Division
Corporate Planning Division
Operation Department
Package Tour Division
Group Tour Division
Reservation Division
Planning & Marketing Department
Plannning Division
Purchasing Division
Tariff Control Division
Customer Service Department
Customer Service Administration Division Customer Service Division
Branch Office Division
94
8 ハワイアン・クルーズ、サンセット・クルーズ
ホノルルのランドマーク桟橋の横を航行するスター・オブ・ホノルル号
がらの毎日だった。 そんなヒラサワ氏に、転機となる出会いがあった。ウイン ド・ジャマー・クルーズの副社長、ロン・ハワード氏と知り合 ったのだ。そして、2 人は結婚する。 結婚を機に 2 人は「ウインド・ジャマー・クルーズ」を離れ、 1981 年、自分たちで調達したお金で小さな船会社「パラダイ ス・クルーズ」(Paradise Cruise)のパートナーとなる。「パ ラダイス・クルーズ」は 1957 年に創設され、パールハーバ ー・クルーズや大型船の送り迎えなどを行う会社だった。 1989 年に 300 人乗りの「ナバテック号」(Navatek)が就航 し、ハネムーナーを中心に人気を独り占めすると、2 人は「ス ター・オブ・ホノルル」を建造することを決意する。四層に分 かれた 1,500 人乗りのこの船のコンセプトは、フローティン グ・レストラン&バンケット。バンケット(=宴会場)の役割 も担えるクオリティーの高いサービスができるのだ。 この「スター・オブ・ホノルル」は「ナバテック号」と人気 95
を二分したが、結局はヒラサワ氏とロン氏の勝利するところと なる。27 人の従業員でスタートして、現在は 600 人。売り上げ も 30 倍になった。 POINT
・サンセット・クルーズ「スター・オブ・ホノルル」は、船を愛し、 ホスピタリティーとクオリティーを大切にする 2 人によって築き 上げられた。 ・日本からの観光客が、ハワイで必ずといっていいほど購入するオ プショナルツアーが、ハワイアン・クルーズだ。
96
用語解説
用語解説
■■■ホテル用語・旅行用語
n アルファベット B&B(Bed & Breakfast) 宿泊と朝食のみが提供される宿泊施設。 CS(Customer Satisfaction) 顧客満足。 F&B(Food & Beverage) 飲料部門。 F.I.T.(Foreign Independent Tour) 個人旅行。 GDS(Global Distribution System) 世界中のホテル予約情報を供給す る予約データベース。 IATA(International Air Transport Association) 国際航空運送協会。 1945 年に設立された。加盟航空会社は 200 社で、国際航空業務を運 営する正会員とそれ以外の準会員に分かれている。 JATA(Japan Association of Travel Agents) 日本旅行業協会。海外 旅行業務を行う第一種業者を主体とした業界団体。 SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome) 重症急性呼吸器症候群。 2003 年から香港などを中心に流行した「謎の肺炎」といわれる病気。 SIT(Special Interested Tour) 観光以外の特別の目的をもったツアー。
nあ アーリー・チェックイン
ホテルが規定したチェックインタイムよりも
早い時間にチェックインすること。ダイレクト・チェックイン。 アウトソーシング アウトバンド
業務を外部委託すること。
海外への出国。
アコモデーション
ホテルの宿泊施設や設備。
アジョイニングルーム アップグレード
ドアのない、隣り合わせた客室。
旅客や宿泊客に対して、料金以上の座席や客室を優遇
措置として提供すること。 アディショナル・チャージ アテンド
追加料金。
案内係、世話係。 97
アポイントメント 約束。 アメニティ
快適性、環境の心地よさ。
アメリカン・ブレックファースト
ジュース、コーヒーまたは紅茶、パ
ン、卵料理、ハム、ソーセージなどがついた朝食。 ア・ラ・カルト 一品料理、お好み料理。 イールド・コントロール
集客率を上げながら最大の収益を得るために
料金を調整すること。 イニシャルコスト 最初にかかる投資費用。 イベント・ツーリズム
特定日、特定期間を設定してイベントを催行す
ることにより、観光需要の拡大をめざす取り組み。 インスペクション 客室の清掃状況や設備・備品をチェックすること。 インセンティブ 報奨金、奨励金。 インセンティブ・ツアー インタープリター
各種報奨旅行。
自然、歴史、文化と人を結びつける活動に従事する
人。 インバウンド
外国人旅行者数。
インファント
2 歳未満の幼児。
インボイス
請求書。
ウィズ・シャワー(シャワー・ルーム) シャワーのみで、バスタブのな い客室。 98
用語解説
ウェイクアップ・コール(モーニング・コール) 起床時間になったこと を知らせるサービスコール。 ウェイティング キャンセル待ち。 ウォークイン
予約なしで、直接フロントに宿泊希望者が訪れること。
エクステンション
滞在期間を延長すること。
エグゼクティブ・フロアー エコツーリズム
一般客室とは別に運営される、高級施設。
自然や文化に触れながら環境の大切さを学び、生態系
を保護するという目的をもつ旅行形態。 オーバーブッキング
ホテルの客室数を上回る予約を取ってしまう予約
過剰の状態。 オールインクルーシブ
宿泊費、ホテル内での飲食費、施設利用などの
サービスが、最初から代金に含まれているシステム。 オキュパンシー →客室稼働率。 オフシーズン
観光シーズンから外れた時期のこと。閑散期。
オプショナルツアー
旅行日程に含まれていないツアーで、希望により
申し込むもの。 オペレーター
手配担当者。
nか 海外旅行傷害保険
海外旅行中の、事故や災害などによるケガ・入院に 99
備えるための保険。 カスタマー・サティスファクション
顧客満足度を基本とした品質管
理・組織活性化手法。 カバナ
直接浜辺やプールに出られる客室。海浜リゾートに見られる。
観光白書
観光の動向、施設の整備など、幅広いデータを基にした、観
光全般に関する白書。国土交通省が発行する。 客室稼働率
1 日の客室の使用割合(率)を示す数字。オキュパンシー。
1 日の客室使用数÷全客室数× 100 =客室稼働率 キャッシャー
フロントのほか、飲料施設などに配置される会計係。
キャンセレーション・チャージ
宿泊予約の取り消しに対して、予約客
に支払ってもらう違約金。 グループ・ツアー 団体旅行。 グループ・レート 団体割引料金。 クレーム
顧客からの苦情。
ケータリング
ホテルのサービス部門が主催者のところに赴いて行う出
張宴会サービス。 現地法人 ゴーショウ
日本の会社が海外でその国の法律に従って作った会社のこと。 予約をもたない宿泊客が、直接ホテルにくること。
コーポレート・レート
企業を対象とした、宿泊料金の割り引き。
国際観光振興機構(Japan National Tourist Organization : JNTO) 100
用語解説
独立行政法人。外国人旅行者の訪日を促進するインバウンドツーリ ズム振興の分野で日本を代表する組織。 国土交通省
中央省庁のひとつ。国土の統合的、体系的な利用、開発、
保全、そのための整備、交通政策の推進などを担う。 コストパフォーマンス コテージ
機能や品質の満足度。
貸し別荘。
コネクティング・ルーム コミッション
隣接した部屋がドアでつながっている客室。
斡旋手数料。
コンチネンタル・ブレックファースト
ジュース、コーヒーまたは紅茶
とパン、ジャムという簡単な朝食。 コンドミニアム
賃貸型のリゾートマンション。キッチンがついていて
自炊ができる。 コンプリメンタリー
特別な利用客に対し、割り引きしたり無料で接遇
すること。 コンプレイン
誤解や何かの手違いなどによって、利用客から出された
苦情。 コンベンション 規模の大きな会議、シンポジウム、学会。
nさ 最少催行人員
旅行を成立させるために必要な、最少の人数。 101
102
用語解説
仕入れ
旅行素材の利用権を予約すること。
シティー・ホテル
交通至便な地域にある、レストランやバーなどを備
えたホテル。 修学旅行
小・中・高生による、学校行事としての団体旅行。
熟年旅行
子育てが終わった熟年世代の夫婦旅行。
宿泊約款
ホテルと宿泊客の間で交わされる、宿泊に関する約款。あら
かじめホテル側が、定型的に契約内容を定めている。 シングル・ユース
ダブルルームを 1 人で利用すること。
シンボリックホテル
ホテルチェーンや旅行商品上で、象徴的存在とさ
れるホテル。 スイート
居間と寝室が分けられた、複数の部屋からなるグレードの高
い客室。 スケルトン
航空機とホテルのみ手配された、エア・アンド・ホテル型
とも呼ばれるもの。 センディング
航空券を空港で渡すこと。
総支配人
ホテル運営に関する最高責任者。
卒業旅行
大学などを卒業する前の、春休みを利用した学生旅行。
nた タイム・シェアリング
観光地、リゾート地にある宿泊施設の利用権を
一定期間販売する経営方式。 ダイヤモンドヘッド
ワイキキ(ハワイ)のシンボルともいえる、火山
の噴火でできた島々。 タラソテラピー
海洋療法。海辺に滞在して海水、海藻、海泥を用いた
さまざまな療法を行うこと。 タリフ
料金表、運賃表。
チェーン・ホテル
経営ノウハウ、資本、土地などを共通要素としてグ
ループ形成されたホテル。 チェックアウト
ホテルを引き払うときに、フロントで精算し、部屋の
鍵を返却する手続き。 チェックイン チップ
ホテルの宿泊のために、フロントで行う手続き。
おもに欧米諸国で、ポーター、ベルボーイ、ウェイター、メイ
ドなどにわたすサービス料金。 103
ツアー・オペレーター
旅行の企画、手配を行う主催旅行業者。
ツアー・キャンセル 旅行の中止、取り消し。 ツアー・コンダクター
主催旅行の団体に同行し、世話、管理をする担
当者。添乗員。 テーマパーク
一定のテーマをもって施設を構成した、娯楽施設。
デイ・ユース
ホテルの客室を、宿泊せずに昼間だけ利用すること。
デスティネーション 目的地、受け入れ地域。 テナント
貸店舗を賃貸する専門店。
デポジット
預かり金、保証金。
鳥インフルエンザ
鳥類がインフルエンザに感染して起こる病気。香港、
韓国で大量に発生、日本でも 2004 年に京都、2007 年には宮崎、岡山 などで発生し、大問題になった。 ドレスコード
高級レストランなどを利用する場合の、服装についての
決まりごと。 トレッキング
軽登山旅行。景色を眺めながら歩くキャンプ旅行。
nな ノーオペレーション 予定されていた航空便が飛ばないこと。 ノーショウ
ホテルの予約客が、予約した日時に現れないこと。
nは バイキングスタイル
レストランにあらかじめ用意されているいろいろ
な料理のなかから好きなものを選んで食べることができる食事形式。 ハイ・シーズン 夏休み、年末年始など、観光客が集中する時期。 ハウスキーピング
客室の清掃、整備、点検を担当すること、またその
担当者。 バウチャー
利用者が受けるサービス内容や価格が明記されたチケット。
バゲッジ・ダウン 宿泊客の荷物を客室からロビーまでおろすこと。 パッケージ・ツアー
宿泊、観光、食事などがあらかじめセットされて
いる旅行。 ハッピー・アワー
料飲施設で利用客への割引や特別サービスを行う時
間帯。 バトラー・サービス 客室での荷解きや飲み物を提供すること。 104
用語解説
ハネムーン
新婚旅行。
パブリック・スペース
レストラン、ロビー、ゲスト用トイレなど、ホ
テル内の共有部分。 ハリウッド・ベッド シングル・ベッドを 2 つ合わせたベッド。 バリア・フリー
敷居などの段差を極力排除した、フラットなフロアを
基本とする、高齢化社会に対応した構造をもつ施設。 バレット・パーキング バンケット ビギナー
ホテルの利用客のための駐車サービス。
記念パーティや歓送迎会などの宴会。宴会場。 初めてその土地を訪れる旅行者。
ビザ(査証) 渡航先の入国許可証。各国の大使館や領事館などに発行し てもらう。 ビジネス・センター
コピー、ファクシミリ、パソコン、翻訳などのサ
ービスが受けられる施設。 ピックアップ
航空券を収受すること。
ビップ(VIP = Very Important Person) 重要な顧客。 ファームステイ 農家に滞在して農作業を体験するバカンス旅行。 ファミリー・ツアー 家族旅行。 ブッキング
予約。リザベーション。
プライオリティー
優先順位。
ブライダル・シーズン
結婚式が多い時期。 105
フラット・レート
エージェントや団体に対して、ホテルの客室を一定
の料金で販売すること。 フランチャイズ
一定地域における独占的営業権を与えられたホテルオ
ーナーが、傘下ホテルを経営する方法。 プロテクション
第一希望が取れない場合に、第二希望もしくは他の予
約をとること。 プロパティ・オーナー
ホテルの土地、建物、関係する備品などを所有
する会社。 フロント・オフィス
予約、チェックイン、滞在中の情報提供を担当す
る、宿泊部門の部署。 ベルボーイ
ホテルの玄関から客室までの案内係。荷物の運搬、客室内
部の説明なども行う。 ホームステイ
海外の一般家庭に一定期間滞在すること。
ホール・セラー 旅行の企画を小売店に卸売りする旅行業者。 ボールルーム
大宴会場。
ホスピタリティー・ルーム
ホテルの利用客の会合、打ち合わせなどに
無料で提供される客室。
nま マス・オペレーション マスター・プラン
一度に大量のモノや人の手配・運営を行うこと。
基本計画、構想計画を受けて、実施計画の基本的な
方針を定めるもの。 マニュアル
業務の指示書、手引書。
マネジメント・フィー
運営委託したホテルに対して支払われる金額。
マリンスポーツ 海、湖、河川で行われるレクリエーションスポーツ。 ミール・クーポン ホテル利用客に渡される食事券。 ミニ・バー 見本市
客室内に準備されている飲酒用の設備。
商品を展示して商談を行う市場。
メイン・ダイニング ホテル内の中心的なレストラン。 メガ・リゾート
広大な敷地に何種類ものプール、レストランなどがそ
ろった大規模娯楽施設。 メゾネット 免税店 106
二階建て形式の客室。
課税が免除されている店舗。国際空港や観光都市の中心地など
用語解説
にある。 免責事項
旅行業者が顧客に対して責任を免除されている事柄。
nら ラゲージ
手荷物。
ラグーン
砂州などが発達・成長して海の一部を切りとって湖や沼に変
えたもの。潟湖。 ラックレート
客室料金の定価。
ランドリー・サービス
宿泊客の衣類をクリーニングするサービス。
ランニング・コスト 運営経費、必要経費。 リコンファーム 予約の再確認。 リザベーション 予約。 リテーラー リネン
旅行販売店。
綿や麻のベッドシーツ、タオル、ナプキンなどの総称。
リノベーション 施設の劣化による補修や利用客のニーズに伴う改造。 リピーター
同じ場所に繰り返し訪れる観光客のこと。
リファレンス 旅行業約款
予約番号。 旅行業者が、旅行者との旅行契約に関わる権利、義務関係
を定めたもの。 旅行条件書
旅行会社が、旅行内容、申し込み条件を顧客に対して明示 107
したもの。 ルームアサイン ホテルの部屋割り。 ルームサービス ホテルの客室に料理、飲み物などを運ぶサービス。 レジストレーション ホテル利用客の宿泊登録。 レジャー白書
国民の余暇時間および余暇行動の動向調査報告書。
レセプション
ホテルの宿泊客の受け付けをするところ。
レンジャー
環境庁国立公園管理局。
ロスト・アンド・ファウンド ホテル内における紛失・拾得物。
nわ ワシントン条約
絶滅の危機のおそれのある野生動物を保護するための
国際条約。
■■■航空用語
n アルファベット APEX 運賃(Advance Purchase Excursion Fare) 各航空会社が独自 に設定している事前購入型の航空運賃。 BSP(Bank Settlement Plan) 国際航空運送協会による航空運賃の精 算方式。 CRS(Computer Reservation System) コンピューター予約システム。 ED カード(Embarkation & Disembarkation Card) 出入国記録書。 E チケット(Electronic Ticket) 電子航空券。 IT 運賃(Inclusive Tour Fare) 包括旅行(航空および地上旅行、ホテ ル、観光を含んだ旅行)の宣伝、販売のために旅行業者が使用でき る航空運賃。 IIT 運賃(Individual Inclusive Tour Fare) 個人用の包括旅行に適用さ れる特別運賃の一種。 UAL(United Airline’ s) ユナイテッド航空の親会社。
nあ アイル・シート 飛行機の通路側の座席のこと。 108
用語解説
イールド・マネジメント
航空やホテルの客室を、時期によって販売価
格をコントロールし、収益を最大限にするための経営技術。 インセンティブ 手数料の上乗せ金額。 インター
国際航空便。
ウインドウ・シート 飛行機の窓側の座席。 エアオン
旅行会社が航空券のみを販売すること。
エアー・フランス エクセス
フランスの航空会社。エールフランス。
超過手荷物料金。
オープン・スカイ
自由に路線や便数が設定できる航空自由化。
nか クレームタッグ 受託手荷物引換券。 コードシェアー 共同運航便。 航空券
旅客および手荷物の運送のために航空会社が発行する切符。
コモンレート
同額航空運賃。
nさ シャトル便
近距離特定区間を事前予約なしでも乗れる便。
ストップ・オーバー 途中降機。 スルー・チェックイン
最終目的地までチェックインをしておくこと。 109
スルー・バゲッジ
乗り継ぎがあっても荷物はそのまま目的地まで運ん
でもらうこと。
nた チケット・レス
電子予約システムによって予約記録が作成された場合
に、航空券の発行がなくても予約番号のみで搭乗手続きが可能なシ ステム。 ドメス
国内線。
トラフィック・ライト
航空機を運航する国家間で承認しあう運送権、
運行権。 トランジット
乗り継ぎ。
トランスファー 乗り換え、空港から市内への移動。 トランスワールド航空(TWA) アメリカの航空会社。1996 年に墜落事 故を起こしたことで経営が悪化し、2001 年にアメリカン航空に吸収 された。
nな ノーマル運賃
普通料金。
nは バルク運賃
一定座席数を単位とした団体運賃を、包括旅行団体を対象
として設定しようとするもの。 パン・アメリカン航空 「PAN AM =パンナム」の愛称で親しまれてい たアメリカの航空会社。1991 年に会社破産して消滅した。 ボーディングパス 搭乗券。
nま マイレッジ・システム
運航距離に基づく運賃計算の基本的なしくみ。
nら ロードファクター
営業収容旅客数に対する販売旅客数の百分比によっ
て表される、利用度の尺度。
110
旅行に関する略年表
旅行に関する略年表
1964 年
4月 10 月
海外観光旅行自由化(1 人年 1 回 500 ドルの制限付き) 東京オリンピック開催 東海道新幹線(東京∼大阪間)営業開始
1965 年
1月
日本航空が「ジャルパック」を発売。その後、旅行会社 が次々とパッケージツアーを発売
1966 年
1月
観光渡航の回数制限撤廃(外貨持出限度額は 1 人 1 回 500 ドル以内)
1969 年
5月
1970 年
5 月 「日本万国博覧会」大阪で開催 7月
東名高速道全通 日本航空のジャンボジェット機 B747 が太平洋線に就航
10 月 「ディスカバージャパン」キャンペーン開始 1971 年
5 月 「旅行あっ旋業法」を改正し「旅行業法」公布。旅行業 務取扱主任者の選任、約款の認可、運輸大臣指定の旅行 業協会に苦情処理、従業員研修、弁済業務を行わせるこ となどを規定(11 月施行) 10 月
1972 年
出国者の円貨持出限度額を 1 人 10 万円に緩和
2月
札幌オリンピック冬季大会開催
5月
沖縄、米国より返還
11 月
海外旅行者の持ち帰りみやげ品免税限度額を 5 万円から 10 万円に引き上げ
1973 年
2月
1975 年
7 月 「沖縄国際海洋博覧会」開催
円が変動相場制に移行
1978 年
4月
渡航用外貨持出限度額撤廃。円貨持出限度額は 1 人 300 万円まで引き上げ
5月 7月 1980 年
12 月
新東京国際空港(成田)開港 日本国政府、世界観光機関(WTO)に加盟 海外旅行者の円貨持出限度額、1 人 500 万円まで引き上
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げ 1981 年
5月
国鉄が訪日外国人向けジャパン・レール・パスの発売開 始
1982 年
4 月 「旅行業法」改正。主催旅行の定義、旅程管理、標準旅 行業約款、特別補償制度の導入などを規定(83 年 4 月施 行)
1983 年
4 月 「東京ディズニーランド」(千葉県)開業
1984 年
7 月 「観光政策審議会」を総理府から運輸省へ移管
1986 年
3 月 「国際観光モデル地区」制度の開始
1987 年
4月
国鉄分割民営化
6 月 「総合保養地域整備法」公布・施行 9月
運輸省「海外旅行倍増計画」(テン・ミリオン計画)を 策定
11 月
日本航空民営化
1988 年
3月
青函トンネル開通
1989 年
4月
職場旅行 3 泊 4 日まで(条件付き)非課税扱いになる
11 月
日本人海外旅行者が 1,000 万人を、訪日外国人旅行者が 300 万人を超える
1991 年
1月
湾岸地域における軍事衝突発生
7月
運輸省「観光交流拡大計画」(ツー・ウェイ・ツーリズ ム 21)を策定
1992 年
3 月 「ハウステンボス」 (長崎)開業 6 月 「地域伝統芸能等を活用した行事の実施による観光及び 特定地域商工業の振興に関する法律」公布 11 月
日本の国内航空会社 10 社が国際旅客人身賠償限度額を 撤廃し無制限に
1993 年
6月
職場旅行 4 泊 5 日まで(条件付き)非課税扱いになる
7 月 「シーガイア」 (宮崎)開業 12 月
世界遺産委員会において「屋久島」 「白神山地」 「姫路城」 「法隆寺地域の仏教建造物」を世界遺産に登録
1994 年
6 月 「国際会議等の誘致の促進及び開催の円滑化等による国 際観光の振興に関する法律(コンベンション法)」公布 9月
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関西国際空港開港
旅行に関する略年表
12 月 「古都京都の文化財」を世界遺産に登録 1995 年
1 月 「阪神・淡路大震災」発生 5 月 「旅行業法」改正。旅行会社の機能別に登録種別を改正、 営業保証金(弁済業務保証金)制度の改正、旅程保証制 度の導入による消費者保護の強化、企画手配旅行の導入 などを規定(96 年 4 月施行) 6月
世界観光機関(WTO)アジア太平洋事務所、大阪に開 設
11 月
一般旅券の有効期間 10 年に
12 月 「白川郷五箇山の合掌集落」を世界遺産に登録 1996 年 1997 年
12 月 「原爆ドーム」 「厳島神社」を世界遺産に登録 6 月 「外国人観光客の来訪地域の多様化の促進による国際観 光の振興に関する法律」施行 コンビニエンスストア等を使用した主催旅行商品等の販 売解禁 113
12 月
東京湾アクアライン(川崎∼木更津間)開通 旅行業登録の有効期間延長(3 年から 5 年に)
1998 年
2月
長野オリンピック冬季大会開催
9 月 「スカイマークエアラインズ」就航(東京/福岡間) 12 月 「古都奈良の文化遺産」を世界遺産に登録 「北海道国際航空」 (エア・ドゥ)就航(東京/札幌間) 1999 年 2000 年
11 月 「日光の社寺」を世界遺産に登録 1 月 「国民の祝日に関する法律」の一部改正法の施行。「成 人の日」及び「体育の日」がそれぞれ 1 月及び 10 月の第 2 月曜日に 2月
改正「航空法」施行、運賃設定を自由化
12 月 「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」を世界遺産に登録 2001 年
2月
羽田空港からの国際チャーター便運航開始
9月
米国同時多発テロ事件発生
10 月
米軍、アフガニスタン空爆開始
11 月
日本航空と日本エアシステムが経営統合を発表 旅行・観光業界の横断的組織の日本ツーリズム産業団 体連合会設立
2002 年
4月
成田空港の暫定並行滑走路が供用開始 外務省が「新渡航情報」をスタート
5月
日中文化観光交流事業の一環として、中国から総勢
9月
人民大会堂(北京)での日中国交正常化 30 周年記念式
10 月
バリ島でテロによる爆発事件発生、旅行者等 190 人が死
5,100 人が来日 典に日本から 13,000 人が出席 亡 日本航空と日本エアシステムが経営統合 12 月 2003 年
グアム島で台風被害
3月
イラク戦争勃発
4月
SARS(重症急性呼吸器症候群)により、外務省が香港 と広東省への「渡航の是非を検討してください」を発出 JATA、「SARS 特別対策部会」を時限設置 SARS により中国、台湾等旅行業者の主催旅行中止や航
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旅行に関する略年表
空会社の減便、欠航が相次ぐ 国土交通省の「グローバル観光戦略」に基づき、ビジッ ト・ジャパン・キャンペーン(VJC)実施本部事務局が 発足 5月
アメリカ大統領がイラク戦争終結を宣言
9月
中国が、日本人の商用・観光等を目的とした 15 日間以 内の滞在のための査証取得を免除
11 月 2004 年
日韓 4 社が羽田/金浦間チャーター便運航を開始
5 月 「旅行業法」改正 8 月 「温泉不当表示」が問題化 アテネオリンピック開催 10 月頃 「韓流」ブームで各旅行会社が韓国ツアーを拡充 10 月 12 月
新潟県中越地震 羽田空港第 2 ターミナルがオープン スマトラ沖地震による津波で、タイ、モルディブ、スリ ランカなどインド洋沿岸諸国のビーチリゾートが大きな 被害を受ける
2005 年
1月
航空会社が燃油サーチャージを設定
2月
中部国際空港開港
3 月 「2005 年日本国際博覧会(愛知万博)」開幕 4月
改正「旅行業法」施行 「個人情報保護法」完全施行 中国各地で反日デモ運動発生
6月
改正「通訳案内業法」が成立
7 月 「知床」を世界遺産に登録 「団体観光ビザ」発給対象者の居住地域が中国全土へ拡 大 10 月 2006 年
バリ島で連続自爆テロ発生
2月
トリノオリンピック冬季大会開催
3月
IC 旅券発行開始
6月
サッカーワールドカップドイツ大会開幕 (『21 世紀新たなるツーリズムの創造へ 数字が語る旅行業 2006』より作成)
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謝 辞
今回の出版にあたり、ご指導や丁寧なコメントをいただきま したシェラトン・ホテルズ&リゾーツのボブ・ドイケ氏、マリ オット・ホテルズ&リゾーツのパティ・ハーマン氏、ヒルト ン・ホテルズ&リゾーツ・ハワイの松田氏、 日本航空の伊藤氏、 パラダイス・クルーズのハワード夫妻、パン・パシフィック・ ホテルズ&リゾーツの武井氏、ジャルパック・インターナショ ナル・ハワイの長田氏、京屋(国際興業)の永井氏に、心から 感謝いたします。 また、執筆にあたり、資料をご提供いただき、掲載にご快諾 いただいたジャルパック、ジャルパック・インターナショナ ル・ハワイ、シェラトン・ホテルズ&リゾーツ・ハワイ、ヒル トン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチ・リゾート&スパ、マウ ナ・ラニ・ベイ・ホテル&バンガローズ、ハワイコンベンショ ンセンター日本事務所の各社にも深く感謝いたします。 最後に、本書の刊行に尽力してくださった玉川大学出版部の 森氏に深く感謝いたします。ありがとうございました。 2007 年 2 月 折 戸 晴 雄
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参考文献
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06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21
A Hundred Year History of Japanese Culture and Entertainment in Hawaii(Mr. Jack Y. Tasaka, The East − West Journal Corp.) The Rise and Fall of the Hawaiian Kingdom(Mr. Richard A. Wisniewski, Pacific Basin Enterprises) THE PINK PALACE Royal Hawaiian, WAIKIKI(STAN COHEN, Pictorial Histories Publishing Company) Princess Victoria Kaiulani and the Princess Kaiulani Hotel in Waikiki (STAN COHEN, Pictorial Histories Publishing Company) THE FIRST LADY OF WAIKIKI A PICTORIAL HISTORY OF THE Sheraton Moana Surfrider(STAN COHEN, Pictorial Histories Publishing Company) Annual Visitor Research Report(The Department of business, Economic Development & Tourism, State of Hawaii) HVCB ANNUAL RESEARCH REPORT(Hawaii Visitors & Convention Bureau) ALOHA Information(Jalpak International Hwaii) ALL ABOUT HAWAII(East − West Journal corporation) 国際興業五十年史(国際興業株式会社) JALPAK グラフティ 25(旅行開発株式会社) 日本海外ツアーオペレーター協会沿革史(社団法人日本海外ツアーオペ レーター協会) JTB REPORT 2006,日本人海外旅行のすべて(株式会社ツーリズム・ マーケティング研究所) REAL ESTATE SHOWCASE(長谷工コーポレーション) 「総合生活文化産業」への挑戦、日本航空のグループ戦略(中田重光、ダ イヤモンド社) やさしい国際観光(岐部武、原祥隆、財団法人国際観光サービスセンター) 観光学辞典(長谷政弘 編著、同文館) 基本ホテル経営教本(鈴木博、大庭騏一郎) ヒルトンホテル(鳥羽欽一郎、東洋経済新報社) 観光を支える旅行ビジネス―次世代モデルを説く― (佐藤喜子光、同友館) 売れる旅行商品の作り方(大田久雄、同友館)
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■― 著者紹介
折戸晴雄(おりと・はるお) 1949 年、群馬県生まれ。玉川大学農学部卒。1974 年、 旅行開発株式会社(現・株式会社ジャルパック)入社。 旅客サービス部などを経て、ハワイの現地法人・ジャル パックインターナショナルハワイに勤務。当時画期的で あった、ホテルや部屋タイプを選べるツアーを企画。ま たその後も、ジャルパックインターナショナルオセアニ アの代表取締役社長、株式会社ジャルパック東京本社取 締役を歴任。「JAL カリブ」「JAL スキー」「JAL ハワイ アンアイランズ」「JAL ラスベガス」などの新規商品を 企画する。その間、日加観光交流促進協議会副幹事、オ ーストラリア政府観光局産業諮問委員会委員なども務め る。2006 年、学校法人玉川学園に勤務。国土交通省 「成田国際空港を核とした観光交流促進プログラム検討 会」委員。2007 年より玉川大学経営学部観光経営学科 で教鞭予定。
か ん こ う
せ ん りゃく
観光ビジネスの戦略 りょこう
き かく
ハワイ旅行を企画する 2007 年 3 月 31 日 初版第 1 刷発行
著 者
折戸晴雄
発行者
小原芳明 玉川大学出版部
発行所
〒 194―8610 東京都町田市玉川学園 6―1―1 TEL 042―739―8935 FAX 042―739―8940 http://www.tamagawa.jp/introduction/press/ 振替 00180―7―26665 編集協力
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