i
まえがき 日本でも最近、工学倫理にかんする著作が数多く出版されている。はじめは入門書的な内容で似 通った本が多かったが、近頃ではしだいにそれぞれが特色を表してきている。本書も後発組の一員と して、これまでにない視点から編集されている。 その視点とは、現代社会に生じる諸問題について考えるときに不可欠な視点である。たとえば、あ る具体的な問題、航空機の事故について考えるとき、その事故の原因と対策だけを考えるのでなく、 他にも同様の事故がないか、航空機にかぎらず他の事故も同様の原因で生じていないか、そのような 事故の根本にあるのは何か、それをどう変えていけばよいのか、などを検討することが必要である。 その検討は、航空機の設計、製造、管理だけでなく、設計思想、社内教育や機器の運用システム、会 社の姿勢、現行法のあり方などにまでいたるかもしれない。そして、そのような検討を過去から現在 にわたって行うことで、どのような取り組みがなされたか、またこれまで何が欠けていたのかを知る こともできるだろう。 つまり、現代の社会に起きる問題に対して、可能なかぎり、「部分を全体の中で」、そして「現在を 歴史の中で」捉えてみることが大事である。 以上のことから、本書では、工学を学び、ものづくりを職業とする技術者の周囲に生じるさまざま な問題を、できるだけ全体の中に位置づけること、また、そうした全体を歴史の中で捉えることを主 眼としている。 そのような全体は、普通に思う以上に広い範囲にわたっている。その範囲は2点に分けて考えるこ とができる。 まず、技術者の置かれた立場とそれに伴う義務・責任や法律についてである。技術者にはひとりの 市民として法に従う義務以外に、組織の一員としての義務、そしてそれとしばしば対立する技術者と しての社会的責任(公衆の安全、健康、福利を守る)がある。さらに、製造物責任法、知的財産権関 連の法などの国内法や種々の国際法を遵守する義務がある。このように、技術者はさまざまな立場に 置かれており、それに応じた義務や法律の遵守が要求されている。 第2の点は、技術者が作る「もの」の種類や性質に関係している。ものづくりによって生み出され るもの・製品は、社会のあらゆる領域にわたっている。その中には、知的財産権を侵すような製品も あるし、遺伝子工学の領域で倫理的な問題を生みがちなものや特許を得られない技術もある。また、 環境破壊に結びつくような製品もあれば、逆に環境を再生させる技術もある。技術によって生み出さ れた「もの」は、われわれの社会のいたるところに行き渡ることで、種々の問題を生じさせてもいる のである。 本書では、このような広がりと、歴史的な観点とを重視して書かれている。ただし、まずは歴史を 述べることから始め、第2章と3章で「ものづくり」をする技術者の置かれた立場の広がりと、作る
ii
技術と作られたものの広がりについて言及している。 第1章では、科学、技術と技術者をめぐる歴史について述べてある。このような歴史を読むことで、 技術の本性や、社会における技術者の位置、また工学倫理という学問が世界的に普及してきた理由が よくわかるようになるだろう。 第2章では、従来の標準的な工学倫理で扱ってきた内容を事例中心にまとめてあり、工学倫理の内 容のおおまかな像が見てとれるようになっている。事例はできるだけ日本の新しいものを選んである ので、興味深く読めることと思う。このような事例研究によって、現在テレビや新聞などで報道され ている事件を、工学倫理の視点で捉える仕方も身につくことだろう。 第3章では、第2章でとり上げた内容を掘り下げて考察している。これによって、工学倫理がビジ ネス倫理、生命倫理、情報倫理、環境倫理といった応用倫理学と密接に結びついていることがわかる。 つまり、工学倫理はそれだけで独立した倫理ではなく、その基礎をなしているのはさまざまな応用倫 理学なのである。本書の副題に「応用倫理学との接点」とあるのは、このような理由からである。こ の章を読むことで、現代社会における工学や技術の位置が見て取れるし、現代の最先端の倫理につい ても基礎知識を得ることができるだろう。 第4章では、工学という学問がどのような学問であるかを述べてある。工学は数学や物理学と深い 関係にあるが、実際はファッション業界やジャーナリズムの活動などと構造的に似ていることがわか る。また、工学と倫理学の関係や、社会の中で物・製品を作るということがどういうことであるかに ついても得るところが多いだろう。 以上からわかるように、本書は、これまでの工学倫理や技術者倫理のテキストの内容を含むだけで なく、工学倫理の基礎にある諸応用倫理学にまでさかのぼることで、工学や技術者に関係する問題を、 従来よりも広くかつ深く考えてもらうことを意図している。できるだけわかりやすく書いたつもりで ある。技術者をめざす多くの人に読んでいただけることを願っている。
平成19年春 高橋
隆雄
iii
目
次
まえがき(高橋) 1章
ⅰ
工学倫理への道(広川)
はじめに
1
1.1
2
科学と工学
(1)
ものづくりの学問としての工学
2
(2)
工学教育のはじまり
2
(3)
アメリカにおける工学教育の歴史
3
1)
理論と実践
3
2)
ものづくりと工学の本性
4
(4)
科学と技術の歴史
4
1)
ヨーロッパにおける科学と技術の歴史
4
2)
17世紀の科学革命
4
3)
産業革命と社会
6
4)
第2の科学革命
7
5)
科学と技術の融合
8
1.2
倫理綱領の歴史と工学倫理教育の現状
(1)
アメリカにおける倫理綱領の発展
9 9
1)
倫理綱領の起源
9
2)
倫理綱領の役割の変化
10
(2)
日本の状況
10
1)
ものづくりの伝統
11
2)
「きわめる」という姿勢
11
3)
JABEE
12
4)
倫理綱領
13
1.3
工学と現代社会
(1)
3つの視点
14 14
1)
技術者とはどういう人か
14
2)
ミクロ・マクロ・メタ
15
(2) 1)
工学と社会の相互作用 システムとしての科学技術(工学)――マクロレベルからみて――
16 16
iv
2) (3)
相互作用の特徴 相互作用の具体例――インターネット――
16 17
1)
インターネットの歴史
17
2)
社会への影響
17
3)
相互作用の特徴
19
(4)
組織における個人――ミクロレベルからみて――
20
1)
個人と社会
20
2)
人間(バーナードの人間論)
21
3)
組織と個人
21
1.4
工学倫理の必要性
23
(1)
工学倫理はなぜ必要か・その課題
23
(2)
倫理問題へのアプローチ
24
1)
アメリカの場合
24
2)
事例分析のふたつの意味
24
2章
工学倫理の基本問題
はじめに
29
2.1
29
安全性・設計&事例(尾原,里中)
(1)
事例1―広島新交通システム橋桁落下事故
29
(2)
事例2―JR福知山線脱線事故
32
(3)
事例3―事故例と工学
34
1)
H2ロケットの事故
35
2)
高速増殖炉もんじゅの事故
35
3)
電気製品、食品、自動車などの消費財の事故
36
4)
日本航空ジャンボ機墜落事故
36
5)
建築構造計算書偽装
37
6)
化学物資による事故
37
2.2
技術者の責任・内部告発&事例(田中)
42
(1)
事例1―A自動車欠陥・リコール隠し事件
42
(2)
事例2―東京電力トラブル隠し事件
44
(3)
事例3―六本木ヒルズ自動回転ドア事故
46
2.3
製造物責任と厳格責任&事例(嵯峨)
51
(1)
製造物責任(PL)法とはなにか
51
(2)
製造物責任(PL)法はなぜ制定されたか
51
目
次
v
(3)
「製造物」とは何か
52
(4)
製造物責任法でいう「欠陥」をどのように考えたらよいか
54
(5) この法律に基づいて損害賠償を受けるためにはどうすればよいか
58
(6) 損害賠償を請求できる期間はどのように決められているか
59
(7)
60
製造業者が損害賠償の責任を負わなくてよい条件もあるのか
(8) 損害賠償を請求できる主体の範囲はどのように決められているか
61
(9)
61
2.4
製品トラブルを相談できる機関にはどのようなものがあるか 知的財産権&事例(坂本)
63
(1)
事例1―青色LED訴訟
63
(2)
事例2―FS/OSSとしてのLinux
66
(3)
事例3―バイオパイラシー
69
3章
工学倫理の基礎
はじめに
77
3.1
77
ビジネス倫理学(田中)
(1)
工学倫理とビジネス倫理
(2) 専門職倫理
77 78
1)
専門職とは何か
78
2)
倫理綱領
80
3)
専門職としての技術者
82
(3) 守秘義務と情報公開
85
1)
守秘義務とは何か
85
2)
情報公開
86
3)
機密情報の私的流用
87
(4) 内部告発
88
1)
内部告発とは何か
88
2)
内部告発の正当化条件
89
3)
内部告発とはどのような義務か
91
3.2
生命倫理・情報倫理(坂本)
92
はじめに――工学倫理と生命倫理・情報倫理との接点
92
(1) 遺伝子工学
94
1)
遺伝子工学の成立
94
2)
遺伝子組み換え作物
94
3)
遺伝子診断
96
vi
4)
遺伝子治療
96
5)
ヒトゲノム
97
6)
クローン技術
98
7)
再生医療
98
知的財産権
99
(2) 1)
知的財産権とは何か
99
2)
情報化と知的財産権
102
(3)
遺伝子特許
106
1)
生物に対する特許から遺伝子特許へ
106
2)
遺伝子特許とアンチコモンズの悲劇
108
環境倫理と工学(嵯峨,尾原,里中)
111
3.3 (1)
環境倫理問題化の背景
111
1)
環境汚染
112
2)
有限性の意識
112
(2)
環境倫理論議の展開
113
1)
持続可能な社会形成の課題
113
2)
環境倫理の思想的深化
114
3)
グローバル化する環境問題への対応
115
(3)
環境科学と工学への期待
115
(4)
環境に関わる技術
116
1)
砂防工事に併せた河畔林の再生・保全
116
2)
環境負荷低減型建設システムのための応用技術
118
3)
ごみ焼却炉における環境保全技術
119
4)
地球に優しいプラスチック:生分解性プラスチック
121
4章
工学とはいかなる学問か(高橋)
はじめに
125
4.1
125
工学と価値・欲求
(1)
工学とは
125
(2)
人工物と設計
127
(3)
人工物と価値観・欲求との関係
128
4.2
設計について
130
(1)
設計の工程
130
(2)
設計の論理―アブダクション
131
目
(3) 4.3
科学と広義の設計―論理構造の類似 工学と倫理
(1)
倫理学の歴史の概括
次
vii
133 135 135
1)
古代
136
2)
中世
136
3)
近代
136
4)
現代
137
(2)
原理適用型と原理発見型の応用倫理
139
(3)
2種類の設計概念
141
(4)
工学と倫理学との連携
143
あとがき
146
巻末資料
148
Ⅰ.工学倫理関連の倫理要綱
148
(1)
技術士倫理要綱
148
(2)
土木技術者の信条および実践要綱
149
(3)
土木技術者の倫理規定
150
(4)
情報処理学会倫理綱領
151
(5)
電気学会倫理綱領
152
(6)
日本機械学会倫理規定
152
(7)
日本建築学会倫理綱領・行動規範
153
(8)
日本化学会会員行動規範
154
(9)
NSPE Code of Ethics for Engineers(英文)
155
Ⅱ.製造物責任法
156
1章
工学倫理への道
はじめに 1章では、工学が歴史的な観点から捉えられる。そうすることで、工学と社会はどう関係している のか、工学になぜ倫理が必要なのかという重要な問題がみえてくるからである。 1.1
はじめの手がかりは、欧米の工学教育の歴史である。そこから明らかになるのは、工学には科
学的・理論的側面とものづくりという技術的・実践的側面があり、そのどちらを欠いても工学は成り 立たないということである。歴史的にみると、この両者――自然科学(理論)と伝統的なものづくり の技術(実践)――はもともと独立した営みであったが、19世紀後半になって結びつくようになり、 現代的な科学技術(工学)が成立したのである。これを発端として工学は急速に発展していく。 1.2
この節ではまず、アメリカにおける倫理綱領の発展の歴史が概観され、工学の発展を背景とし
て倫理が工学に求められるようになった事情が述べられる。アメリカにおいては、倫理綱領というか たちで、技術者の社会的責任が明文化されてゆく歴史があったのである。 他方日本では事情は異なる。日本の学協会で倫理綱領が定められたのも、日本の大学(工学部)に 工学倫理教育が導入されたのも、ごく最近になってからである。この節の後半では、日本における工 学倫理教育の現状と倫理綱領をめぐる問題点が指摘される。 1.3
この節では、工学を分析するための視点として、ミクロ、マクロ、メタという3つのレベルが
区別される。工学と社会の関係を把握するためには、企業のような集団・組織を1つのシステムとし て捉え、システム間の関係をみる必要があるが、このような視点から工学を捉えるのがマクロレベル からみるということである。一方、集団や組織の内部にいる技術者個人に照準をあわせるのが、ミク ロレベルからみるということであって、ミクロ―マクロという2つのレベルから工学を捉えることに よって、倫理の問題のアウトラインもみえてくるのである(メタレベルについては本文で主題的に扱 わないので省略する) 。 はじめにマクロレベルからみた工学と社会の関係が論じられる。現代では工学は、社会の存続に不 可欠の役割を果たしながら、社会にも市民の生活にも複雑な影響をもたらすようになっているが、そ の様子が、 インターネットを例として探られる。つぎにミクロレベルからみて、集団や組織のメンバー として制約を受けつつも、独自の人格として生きる個人という技術者の個人像が描かれる。 1.4
現代において工学(あるいは技術者)に倫理が求められているのは、工学が社会に対し圧倒的
な影響を及ぼすようになったからである。科学技術は社会に浸透し、現代人はそれに依存してくらし ている。このような状況における工学倫理の課題とは何かが、マクロ、ミクロ、メタの3つのレベル から指摘される。
2
1章
工学倫理への道
以上で1章の概観を終えるが、 「技術者倫理」と「工学倫理」という2つの用語についての注をつけ て結びとしたい。 「技術者倫理」が、専門職についた職業人として技術者はいかに行動すべきか、ある いはその倫理的責務とは何かなどの、技術者個人に照準を合わせた問題を扱うものであるのに対し、 「工学倫理」はより広い射程をもつ。すなわち工学倫理とは、工学とはどのような学問なのか、工学は 社会のなかでどんな役割を果たしているのか、あるいは工学における組織や制度はどのようなもなも のか、などの問題を探り、それに基づいて工学と倫理の関わりを探求する体系的な学問である。 本書においても、各章で技術者倫理と工学倫理のさまざまな議論がとり上げられることとなるので 注意していただきたい。
1.1
科学と工学
(1)
ものづくりの学問としての工学
自然科学と工学はどのような関係にあるのだろうか。この問題については、科学が自然現象を解明 しそれを支配する法則をみつけだす活動であるのに対し、工学はそれを応用してものをつくり役立て ようとする活動であるという見方――工学の専門家でさえしばしばそう考えるようである――が多い のに気づく。だが果してそうなのか。もしそうであるならば、工学は応用科学であって、科学から独 立した学問とはいえないであろう。 さて、工学はたしかに科学的・理論的な側面をもつ。工学部のカリキュラムをみてもわかるとおり、 そこでは、数学、物理学、化学等の自然科学の基礎科目が必修とされている。そして、設計、解析、 検査などの工学のあらゆる局面で数学的な記述が用いられるのもたしかである。しかし他方、工学に は科学的・理論的な側面と同時に、実践的な側面がある。「工」という字を辞書で調べると、それが「も のをつくること」という意味をもつことがわかるが、工学とは「ものづくりの学問」なのであって、 自然科学に還元できない独自の論理と構造をもつものなのである(この点については、Ⅳ章で論じら れる) 。理論と実践、この2つの局面を工学はもつのであり、ここに工学の本性がある。以下でこうし た工学の本性をめぐって工学教育がいかに展開したかその歴史をみることとしたい。
(2)
工学教育のはじまり
15〜16世紀になると、ヨーロッパでは絶対主義の時代が訪れた。フランスでも、17世紀にはルイ14 世の統治下で絶対主義は最盛期を迎え、国王が軍事・政治上の実権をにぎるようになった。当時のフ ランスでは、公共的な建築物、交通網、要塞の構築などがもっとも重要な事業とされ、軍事、建築、 土木の3つの分野の技術は国家が独占したのである。コルベール(1619-1683)が宰相になると、かれ は技術兵の重要性に目をつけ、1672年に「工兵隊」をつくった。その後も、「海軍学校」(1773)、「王 室建築学校」 (1778) 、 「鉱山学校」 (1778) 、などがつぎつぎと創設されていったが、現代の工学教育に つながる技術者育成のための教育制度の起源は、このあたりにまでさかのぼることができよう。
1.1
科学と工学
3
こうしてはじめの頃の工学教育は、フランス革命のさなか、1794年にパリに設立されたエコール・ ポリテクニークで頂点に達した。エコール・ポリテクニークは2年制で、1年目は、幾何学、三角法、 物理学、化学、製図などの科目が教えられ、2年目にはそれらの科目のほかに、道路、運河、要塞、 砲術、造船などのより応用的な科目が加わっていく。そののち卒業生は道路、運河、鉱山や砲術、要 塞などについて学ぶ各種の専門学校にすすみ、その課程を修了すれば高い地位につくことができた。 エコール・ポリテクニークは19世紀には各国によって工学教育のモデルとみなされ、そのカリキュラ ムや指導法、さらにはテキストまでがとり入れられた。 自然科学の専門的な教育を重んじ、学校制度の中で人材を育成するというしくみは、試行錯誤をく り返しながら発展し、やがて社会のなかで重要な役割を果すようになるのである。
(3) 1)
アメリカにおける工学教育の歴史 理論と実践
18世紀後半になると、アメリカでも工学教育のための学校をつくろうという動きがでてきた。その 目的でウェスト・ポイントに士官学校が創設されたのは1803年であったが、それは1817年にエコール・ ポリテクニークをモデルにして改組された。歴史的にみて、これがアメリカの工学教育のはじまりと 考えてよいであろう(アメリカの工学教育の歴史については、Michael Davis,“Thinking Like an Engineer.”Oxford.1998.chap.1,chap.2参照) 。 1830年代に入ると、民間でも工学系の学校が設立されるようになり、本格的な工学教育が根づいて いった。これらの学校では工学教育のあり方について試行錯誤がくり返されたが、なかでも問題は、 カリキュラムをどう組むかということであった。工学教育のはじまりから、自然科学を重視する理論 的立場と、工場での実習のような実践的アプローチを重視する立場とに分かれていたのである。理論 的な立場に立つ人は、技術者を技能者(機関車の運転士など)から区別するために、自然科学の十分 な教育が必要だと強調した。ところがその方針によって教育することは、せいぜい応用科学者を生み だしただけだった。たとえば、 「ロレンス科学学校」 (Lawrence Scientific School)は、ハーバード大学 の一部として1847年に設立されたが、卒業生147人のうち技術者になったのは41人だけであり、工学系 の学校としては失敗に終わったのである(残りのうち、94人が教師や教授になったということである。 ロレンス科学学校の失敗を受けて、1865年にマサチューセッツ工科大学がボストンに創設された。こ の点については、Davis前掲書、p.27参照) 。 他方、実践的アプローチがとられた場合には、人文・社会科学だけでなく、高等数学までも無用の ものとして排除する学校もでてきた。理論は忘れてとにかくすぐに仕事場に入れ、というわけである。 工学のもっとも重要な部分はテキストから学べないとして、実践的なカリキュラムを組んだ学校も あったが、技術者を育成することはできず、その試みはともかくも失敗に終わったのである(おもし ろい例として、ゼネラル・エレクトリック社は、「実践的工学」のコースを年間100ドルで開いたが、 そのコースは1年間でゼネラル・エレクトリック社のさまざまな部門――配線工場、アクアランプ組
4
1章
工学倫理への道
み立てライン、など――を体験するというものであった)。 2)
ものづくりと工学の本性
第2次大戦が終わると、アメリカの工学教育は理論を重くみるようになった。機械工学、化学工学、 電子工学のような一般的な科目が重視され、実践的な技術の方は卒業後に学べばよい、とされたので ある。しかしごく最近になって、工学教育はふたたび実践へと向かうようになってきた。それは「工 場へもどれ」というようなスローガンの下で行われたのではなく、工学を「設計」という新しい観点 から見直すという動きであった。設計とは、与えられた目的を達成するため何をつくればよいか探求 するプロセスであるとさしあたりいっておく。この見方によれば、工学はものづくりのプロセスを探 求する学問なのであり、自然科学の応用に置きかえられない創造的な面をもつのである。 以上の工学教育の歴史から何がわかるであろうか。それは、自然科学の教育だけでも工場での実践 的な経験だけでも技術者は育たない、ということであろう。工学は一方で、自然科学と深く結びつい ており、たんなる技術・わざではない、理論的な側面をもつ。しかし同時に実践的側面をもち、この どちらを欠いても、工学は成り立たない。
(4) 1)
科学と技術の歴史 ヨーロッパにおける科学と技術の歴史
工学教育の歴史をみてみると、それがいかにして理論と実践を両立させるか、すなわち、いかにし て自然科学とものづくりの営みを結びつけるかを探るプロセスでもあったということができよう。 その両者が結びつくことが社会にとってどういう意味をもつのかが、以下の重要なテーマの1つに なるが、その問題を探る前にまず、科学と技術の歴史についてふり返っておく。以下に年表をつける ので、詳細はそちらにゆずり、ここではかいつまんで述べるにとどめたい1)。 2)
17世紀の科学革命
自然科学の成立は、そのプロセス全体をみるならば、(1) ルネサンス期から後にはじまった17世
表1. 1 社会の動き 1618
17 世 紀
30年戦争(独)
1642
清教徒革命(英)
1688
名誉革命(英)
科学 1609
ケプラー(独)惑星運動の
1628
ハーヴィ(英) 血液循環
法則 説
17世紀後半 絶対主義の全盛期(仏)
1632
ガリレオ(伊) 『天文対話』
1661
ボイル(英)化学元素の概 念
1687
ニュートン(英) 古典力 学の完成
技術(個人的発明) 1673 ホイヘンス(蘭) 振り子 時計
1.1 1775アメリカ独立革命
1735
1776アメリカ独立宣言 1789
リンネ(スゥ)
5 生物分類
1712 ニューコメン(英)
学の確立
フランス革命
1752
→市民社会の成立 18 世 紀
科学と工学
18世紀後半
フランクリン(米)
1765 ワット(英)
雷の正体を解明
1768
1755
カント・ラプラス星雲説
イギリス産業革命
1770
ボルタ(伊)
→機械制工業・大量生産
1777
ラヴォアジェ(仏)
システムの確立
大気
圧機関
電池の発明
蒸気機関
ハーグリーヴス(英) ジェニー紡績機
1769 アークライト(英) 水力 紡績機
燃焼の理論
1779
クロンプトン(英) ミュール紡績機
1785 カートライト(英)力織機 19世紀前半 各国の産業革命始まる →資本主義制度の確立 19 社会主義思想の登場 世 1848 2月革命(仏) 紀 1861 南北戦争始まる(米)
1803
ドルトン(英)
1811
アヴォガドロ(伊)分子説
原子説
1831
ファラデー(英)
1807
フルトン(米) 外輪蒸気 船
1837
モールス(米)
電信機
電磁誘導の発見 1842
マイヤー(独) 熱の仕事当量を算定
1847
ヘルムホルツ(独) エネルギー保存の概念
社会の動き
19 世 紀 後 半
19世紀後半 自由主義の時代 イギリスの優位 1870年代 帝国主義の時代 ドイツ・アメリカの成長 重化学工業の発達 独占資本の形成と列強に よる植民地分割
1914 1917
20 世 紀
第1次世界大戦 ロシア革命と社 主義政権の誕生 1919 ヴェルサイユ体制 1929 世界恐慌 1930年代 ファシズムの台頭 1939 第2次世界大戦 1947以降 東西冷戦
科学 1859 1865 1866 1867 1895
科学技術(チームによる研究開発)
ダーウィン(英) 『種の起 1862 ソルヴェー(ベ) 源』 アンモニア・ソーダ法 マクスウェル(英) 1878 バイエル社(独) インジゴの 『電磁場の動力学的理論』 合成 メンデル(墺) 遺伝の 1897 パーソンズ(英) 法則 タービン船の建造 パストゥール(仏) 微生物病原体の発見 レントゲ ン(独) X 線 の発見
1905
アインシュタイン(独) 1913 特殊相対性理論 1913 ボーア(デ) 原子構造 の解明 1914 1920 パヴロフ(露) 条件反射の研究 1920
1940 1944 1945 1948
ミタシ(独) 合成アンモニア フォード(米) ベルトコンベ アによる一貫量産体制 グリースハイム・エレクトロン 社(独) 塩化ビニルの合成 アメリカ、ピッツバーグ市 初のラジオ放送 …… (英)全土にレーダー網 (英・独)ジェット戦闘機 (米)原爆製造・投下 ショックレーら(米) トランジスタ ……
6
1章
工学倫理への道
紀の科学革命、(2) フランス革命のあとの、科学の諸領域の独立(第2の科学革命とも呼ばれる) に分けて考えることができる。はじめの科学革命が力学というかぎられた分野で起こったのに対し、 第2の科学革命はあらゆる分野で新しい科学がつぎつぎと成立していくプロセスであった。 まず17世紀の科学革命について。19世紀のスイスの歴史家ブルクハルトは、ルネサンスの標語とし て「世界と人間の発見」という言葉を使ったが、その言葉どおりに、観察や実験を用いて自然にアプ ローチする科学的方法はすでにルネサンス期にめばえていた。この時期は、中世から近代への過渡期 であり、新しい文化が生みだされる準備段階であったといえよう。 こうした段階ののちに近代科学は生まれたが、そのはじまりは天文学であった。それは中世的な宇 宙像をくつがえす発見からはじまったともいえる。16世紀にコペルニクスが『天体の回転』を著して、 地球を宇宙の中心から引きずりおろす地動説を唱えた。またガリレオは、「自然という書物は数学の 言葉で書かれている」という言葉どおりに、実験に基づく数学的な運動論を展開して力学の基礎をつ くった。ガリレオに欠けていた「力」の概念を使って体系的な力学をつくり上げたのが、ニュートン である。こうして17世紀の科学革命は完成したが、それは力学と化学のある領域でなされたのであっ て、他の領域が自然科学として成立するのはもっと時代が下ってからのことである。 3)
産業革命と社会
一方、産業革命はいちはやく市民革命を終えていたイギリスで、18世紀後半に起こった。それはま ず、軽工業(綿織物工業)からはじまり、ハーグリーブス、アークライト、クロンプトン、カートラ イトらによって新しい紡績機が発明され、改良されていった。かれらの手になる発明(年表を参照) によって人間の労働力は大幅に省かれ、イギリスの綿織物工業は大いに発展したのである。 やがて産業革命は、綿織物工業から機械を動かす動力の革命へと移っていった。紡績機の動力とし てそれまでは水力が使われていたが、自然に左右される不安定なものであったため、必要なときはい つでも動かすことができ、人間がコントロールできる動力が求められていたのである。こうして登場 したのが蒸気機関である。すでにニューコメンの大気圧機関は利用されていたが、これは効率がわる かった。ワットがこれに改良を加え、蒸気機関を完成して、1769年に特許をとっている。1789年に、 カートライトにより、水力のかわりに蒸気機関が力織機につながれると、生産力は飛躍的にのびた。 そののち産業革命は重工業に移っていく。綿織物工業が発展することにより、そのために使われる 蒸気機関や作業機をつくる機械製造業も育っていったのである。さらに、原料や商品を大量に運ぶた めに、交通体系をととのえることが必要になり、運河がはりめぐらされ、鉄道が建設されていった(交 通革命) 。 産業革命は、18世紀終わりごろにはベルギーでも始まり、19世紀にはいるとフランス、ドイツ、さ らにヨーロッパ全土に広がっていった。それまで営まれていた「マニュファクチュア」 (工場制手工業) は機械を導入した工場制度に切りかえられ、産業は資本主義的なシステムへと移り変わっていったの である6)。 では19世紀前半あたりまでの歴史のなかで、科学と技術はどのようにかかわりあってきたか。たし
1.1
科学と工学
7
図1. 1 アークライト紡績機2)
図1. 2 ジェニー紡績機(ハーグリーブスが製作)3)
図1. 3 ニューコメンの大気圧機関4)
図1. 4 往復運動するワットの複式蒸気機関5)
かに17世紀の科学革命の時代には、技術は科学のために大いに役立った。古典力学は、時計や望遠鏡 などの観察・観測のための道具があってはじめて可能となったが、それは職人たちの技術によるもの だったからだ。またその反対に、ガリレオの振り子の理論(1583)に基づいてホイヘンスは振り子時 計をつくったし、パスカルの大気圧の証明は蒸気機関の発明をうながした(蒸気の力で押し上げられ たピストンを、蒸気を冷やして凝固させたあと、 大気圧によって押し下げるというアイデアに基づく)。 このように、科学と技術はたがいに影響を与えあってきたといってよい。ただしこれは、影響しあっ たというにとどまるのであって、科学者と技術者が交流をはかったり、同じ目標に向けて協力しあっ たということではない。そのような科学と技術の結びつきがはじまったのは、もっと後になってから のことである。 4)
第2の科学革命
物理学・化学
イギリスの産業革命は、1830年あたりで一応の終わりをみた。そしてそれと前後し
8
1章
工学倫理への道
て、自然科学の発展も新しい段階にはいり、水の電気分解(電流の化学的作用)、電流の磁気作用、電 磁誘導現象などの発見があい次いでなされたのである。こうした電気と磁気の相関を示す結果を、数 学を用いて理論化し電磁気学の基礎をつくったのがイギリスのマクスウェルである。 またそれと平行して、熱や光の本性についての研究もすすみ、光の波動説(1818、フレネル)や熱 と仕事との数量的関係の測定(1842、マイヤー)などの研究が現れてくると、光学や熱力学などの領 域が新たに開拓されていった。さらにマイヤーらの研究により、熱や力などの諸現象を統一的に理解 する考え方が求められるようになり、1840年代になって、エネルギー保存則が発見されたのである。 化学の分野では、18世紀末になってラヴォアジェが燃焼の理論を打ちたて、元素の考え方をあきら かにした。19世紀にはいると、物質が原子によって構成されており、元素の種類によって質量は異な ること(ドルトン、1803) 、気体が原子ではなく分子から構成されていること(1811、アヴォガドロ)、 などが実験に基づいて主張されるようになった。かれらによって、近代化学の基礎がつくられたと いってよいであろう7)。 生物学・医学
19世紀には、ライエル(1797-1875)の地質学的研究によって地球の歴史が明らかに
されつつあったが、ダーウィンはその成果を使って、自然淘汰に基づく生物進化を実証的に説明した。 これは、種が神によって創られたと信じていた人々を驚愕させたということである。ダーウィンに欠 けていた遺伝の法則をメンデルが発見した(1865)が、この発見が注目を浴びたのは、35年後の1900 年になってからのことであった。 医学も他の分野と比べて発展が遅れていた(19世紀に入っても伝染病の原因は解明できていなかっ たのである) 。しかしフランスのパスツール、ドイツのコッホなどの力によって、伝染病の原因が細菌 であることがつきとめられると、科学的な方法が医学の領域においても確立され、現代医学の基礎が つくられたのである。 こうして、生物学、医学もほかの分野とならんで、19世紀に科学の1つの分野として成立したとい えよう。 5)
科学と技術の融合
19世紀以前の科学者は、大学の哲学部のなかで細々と研究をつづけてきた人たちである(そのころ までは大学に、理学部、工学部はなかった) 。かれらはいまの科学者とは違って、学位をとって卒業後 に社会の重要なポストについて研究をつづけたわけではなく、もっぱら知的好奇心、真理への情熱に 動かされて研究を続けていただけであった(村上陽一郎『科学・技術と社会』 、光村教育図書、第1章 参照) 。科学と技術は現代のような意味では結びついておらず、両者は独立した営みであったといっ てよい。この点は、時代を少しさかのぼって、イギリス綿織物工業をみてみるとわかる。「ジェニー紡 績機」を発明したハーグリーブスは大工であったし、「水力紡績機」を発明したアークライトは床屋、 両者の欠点を改良して「ミュール紡績機」をつくったクロンプトンは職工であった。このように産業 革命の時代では、技術上の貢献をした発明家の多くは大学で自然科学の教育をうけていない民間人 だったのである。
1.2
倫理綱領の歴史と工学倫理教育の現状
9
科学と技術が真に結びつきはじめたのは、19世紀後半になってからである。そのきっかけは、一定 の目的(新製品の開発など)のための研究開発であった。よく知られているのは、有機合成洗剤やコ ンデンサなどの研究開発であり、バイエル、へヒスト、デュポン、ゼネラル・エレクトリックなどの ドイツやアメリカの会社がその代表である。たとえばナイロンは、1935年にアメリカのカローザスに よってつくられたが、彼は大学で化学を学んだ化学者で、デュポン社に入ってナイロンを開発したの であった。こうした科学と技術の融合のプロセスは、技術上の発明が個人によってなされていた時代 が終わり、チームを組んだ研究開発へ移っていったプロセスでもある。それ以後は、個人中心の研究 からチームをつくって研究する体制へと移り変わっていき、研究開発はチームによって運営されるプ ロジェクトとなったのである(松本三和夫『科学技術社会学の理論』 、木鐸社、pp.142-143)。 こうして科学と技術は融合し、科学技術(工学)として社会に定着した。工学は社会に深く根を下 ろし、社会の経済変動から個人のライフスタイルまで左右する力をもつようになったのである。
1.2
倫理綱領の歴史と工学倫理教育の現状
(1)
アメリカにおける倫理綱領の発展
1)
倫理綱領の起源
前節では、科学技術(工学)が社会に定着するプロセスについて述べた。つぎに倫理と工学につい て論じるが、倫理は工学が社会に定着するプロセスに対応して現れてくる。この点を、アメリカの倫 理綱領の発展を追いながらみてみよう。 アメリカで倫理綱領の原型にあたるものがつくられたのはそれほど昔のことではない。実際、20世 紀のはじめまでは、アメリカの工学系協会はどちらかというと技術者の組合のようなもので、いまの ように技術者の行動の基準を定めるようなこともなかったのである。おそらくそれまでは、倫理の必 要性をあまり感じなかったということであろう。 しかし20世紀に入ってしばらくすると、次第に状況は変わっていった。師弟制という古いシステム はすたれ、産業は発展して小さな町が都市へと育っていった。変わりゆく世の中をみながら、老いた 技術者たちは若い人たちに技術者としての心得を伝えておこうとしたのである。こうして、それぞれ の学協会が倫理綱領の草案をつくろうとしたが、それは予想外にむずかしい仕事であった。意見はな かなか一致せず、少しのことを決めるのにさえ大変な努力が必要であった。しかしやがてこの努力は、 法や道徳、市場の要求をこえた新しい基準を生みだし、その下で行動する職業集団、すなわち「専門 職」が形づくられていったのである(Davis前掲書、第2章参照)。 こうしてアメリカのそれぞれの学協会が倫理綱領をもつようになったが、ECPD(Engineer's Council for Professional Development. 1933)が初期の倫理綱領を統合し、これが他の主要な学協会に よってモデルとされた。ECPDが設立されたつぎの年にはNSPE(National Society of Professional Engineers. 1934)が設立されたが、これは専門分野ごとの組織ではなく、あらゆる技術者が所属でき
10
1章
工学倫理への道
る組織であり、アメリカでもっとも大きな団体である。 2)
倫理綱領の役割の変化
倫理綱領は、その発展のプロセスにおいて内容が次第に変わっている。それははじめ、クライアン トへの義務と技術者のあいだのとり決めをおもな内容としていたが、次第に「公衆の福利」がおもな 目標とされるようになった。たとえばAIEE(American Institute of Electrical Engineers. 1906)の1912 年の倫理綱領は、 「顧客あるいは雇用者の利益の保護を第一の職業上の義務と考えること」を技術者に 求めており、公衆に対しては単に、 「技術者の問題を公衆が正しく理解できるように手助けし」「技術 に対する不当で、誇張された発言がでてこないようにすること」が義務とされていただけであった。 しかし1947年には、ECPDは雇用者への忠誠とならんで、 「公衆の福利に関心をもち、その特別の知識 を人類のために用いること」を技術者の義務としている(Davis前掲書、pp.145〜146)。そして現代で は、NSPEは基本規範として「公衆の安全、健康、および福利を最優先にする」ことを掲げており、他 の学協会もこれにしたがっている(巻末資料参照)。 倫理綱領は、はじめは「雇用者および顧客への義務」と「内部秩序を守るためのルール」から成る ものであったが、時代とともにその重心は「公衆の福利」、さらに「環境への配慮」へと移っていった。 そしてこのプロセスは、 アメリカ社会において技術が社会に浸透し、圧倒的な影響力をもつようになっ たプロセスとほぼ一致している。実際、第1次大戦後のアメリカでは、自動車、電信電話、高層建築、 などあらゆる産業で技術が育ち、それとともに社会問題(欠陥車に対する訴訟など)も多発するよう になって、技術者の責任が問題にされはじめていたのである。工学が社会のなかで影響力をもつよう になったがゆえに、技術者の倫理的責任が問われはじめたということである。この意味では、倫理綱 領は技術と社会の関係の移り変わりを映すものとみることができよう8)。 アメリカが工学倫理教育に本格的に腰を入れるようになったのは、1970年代後半あたりからである。 そのころになると、NSF(National Science Foundation、全米科学財団)などが中心になって工学倫理教 育を促進するためのプロジェクトを支援し、技術者や哲学者たちが学際的な交流を行って、すぐれた 教育システムやテキストを生み出すようになった。 その後、1990年代の中ごろになって、技術者教育の認定機構であるABET(the Accreditation Board for Engineering and Technology)が、21世紀の技術者のあり方をEC2000(Engineering Criteria 2000)と して提唱している9)。2001年から採用された新しい基準であるEC2000では、専門分野にかかわらずあ らゆる技術者がもつべき能力として「プロフェッショナルとしての責任と倫理的な責任の理解」が明 記されている。EC2000による認定を希望する大学は、工学倫理教育にますます力を入れるようになっ ているのである(http://www.ed.psu.edu/eshe/abet/ec2000.htm)。
(2)
日本の状況
次に工学倫理教育をめぐる日本の状況について触れておこう。
1.2
1)
倫理綱領の歴史と工学倫理教育の現状
11
ものづくりの伝統
日本の産業の近代化は、明治政府の近代化政策とともにはじまった。この時期には、多くの西洋人 が招かれて自然科学の教育や技術上の指導にあたったが、彼らの伝えた科学や技術だけによって近代 化がなされたわけではない。技術が新しく導入されて育まれていくためには、それなりの土壌が必要 である。その意味では、日本には、明治政府が近代化政策をとる前からすでに、すぐれた技術が存在 したのである(幕末に日本を訪れたペリー提督の一行は、当時の日本の技術をみて驚嘆している)。た とえば、飛鳥時代からの伝統をもつ鋳造技術をはじめ、日本刀をつくるプロセスで用いられる、精錬、 鍛錬(薄層構造化) 、研磨などの技術、陶磁器、漆器の技術、からくりや和時計などの高度な技術の蓄 積がすでにあったのである。これらの伝統的技術を土台として、西洋の科学と技術が導入され、根づ いていったというべきであろう。 こうして伝統的な技術と西洋の科学・技術は融合してゆき、日本の産業は世界に類例をみないほど の速さで進歩していった。製陶技術を例にしてみよう。それまでは窯内の熱効果は職人が炎の音や色 などに基づいて判断していた。そこにドイツ人ゼーゲルの開発したゼーゲル錐温度計が導入されるこ とによって、窯内の温度は正確に測定されるようになった。職人の経験と勘に依存していたものが、 新しい技術に置きかえられたのである。同じように、陶土の成形にも機械ロクロが導入され、陶器の 絵付けも印刷技術がとり入れられた。こうして、大正から昭和にかけて日本のやきものは科学的製陶 技術を柔軟に受け入れて変容していった。また、手工芸的な生産方法が改められることによって、大 量生産も可能になった10)。 やがて、戦後になって土石のなかから純粋な成分を抽出してつくるニューセラミックスの技術が開 発されると、電子工業、機械金属工業、繊維・製紙、宇宙開発、化学工業などに役立つ製品がつぎつ ぎとつくられるようになった。このような技術をみると、日本のものづくりの強さはこの時期に形成 されたかにみえるかもしれないが、これらの新しい技術にも、連綿としてつづく日本の伝統的なもの づくりのノウハウは活きている。実際、日本の工業用セラミックの企業は、江戸時代から「瀬戸物」 で有名な瀬戸市を擁する名古屋と、 「清水焼き」で知られる京都に集中しているのである。 2)
「きわめる」という姿勢
日本の伝統的技術は、職人たちが受け継いできたものであるが、かれらが受け継いだのは技術だけ ではなかった。ものづくりに向かう姿勢もまた受け継いできたのである。この姿勢を端的に表わして いるのが職人の世界で昔から使われてきた「きわめる」ということばであろう。これは「これでよい」 と満足することなく、試行錯誤しながら製品の完成度を極限にまで高めることを意味しており、職人 の最終的な目標である。 さて、製品が世に出るまでのプロセスを大きく開発と生産に分けてみると、第2次大戦後の日本の 製造業はどちらかというと生産の方に重点を置き、製品の改善・改良をめざして努力してきたといえ る。そしてこれは、試行錯誤しながら完成度を高めようとする職人の姿勢と同じものであろう。現代 の技術者も昔の職人と同じように「きわめる」を志向している点では変わりがないように思える11)。
12
1章
工学倫理への道
第2次大戦後しばらくの間は、日本製品は「安かろう、悪かろう」という評価に甘んじていた。大 戦後はじめてアメリカに輸出されたのは、玩具、雑貨類、衣料品などが中心であったが、貧しい時代 につくられたそれらの製品は、粗悪品のレッテルが貼られていたのである。しかし昭和30年代、東京 オリンピックが開催された頃から状況は変わってくる。はじめにカメラ、時計などの精密機械が、そ れからオートバイ、自動車、半導体、工作機械などの優秀な製品がぞくぞくと現れ、日本製品は世界 中で高い評価を受けるようになったのである。 3)
JABEE
ところが20世紀も終わりに近づく頃、バブル経済の崩壊とともに状況は一変した。1990年代は「失 われた90年代」とも呼ばれるように、日本は急速に国際競争力を失っていったのである。またこれに 呼応するかのように、 「きわめる」という姿勢が見失われたかのような事故――JCO臨界事故(1999)、 雪印乳業集団食中毒事件(2000) 、三菱自動車クレーム隠し(2000)、東電トラブル隠し(2002) 、など ――が多発している。 日本の大学改革はこのような社会や経済の情勢と連動したものである。強い日本を取りもどすため には何をなすべきか。重要なのは、高度の知識・技術とともに倫理的自覚をそなえた技術者を育てる ための教育システムをととのえるということであろう。ひとりひとりの技術者が生涯にわたって成長 していけるような支援システムをつくることが、わが国を支える土台となる。そうしたシステムの中 で、技術者は基礎教育からはじめて、継続的能力開発(CPD Continuing Professional Development)を 重ねて成長していけるのである(日本工学会編『科学技術の新世紀』 、丸善、第3章)。 こうした技術者教育のはじめに、大学で基礎的な教育が行われることが必要である。JABEE(日本 技術者教育認定機構、the Japan Accreditation Board for Engineering Education)は、このような技術者の 能 力 開 発 シ ス テ ム を つ く る た め に、1999 年 11 月 に 立 ち 上 げ ら れ た。簡 単 に 紹 介 し て お こ う (http://www.jabee.org)12)。 JABEEとは、大学などの高等教育機関で行われている技術者教育プログラムが社会の要求水準を満 たしているかを公平に評価し、また要求水準を満たしている教育プログラムを認定する制度のことで ある。 その目的は、つぎの2つである。 ①
技術者教育プログラムを認定することによって、その国際的な同等性を確保すること
②
技術者教育を向上させ、国際的に通用する技術者を育成することで、社会と産業の発展に寄 与すること
JABEE設立の主要な目的のひとつは、工学教育改革を背景とした、国際的に通用する技術者の育成 ということである。1989年に、アメリカ、イギリス、などの6カ国の認定団体によって「ワシントン 協定」 (Washington Accord)が発効したが、これは、技術者の質的な同等性をたがいに認めるための国 際的な枠組みである。JABEEは日本を代表する認定団体として、2001年6月に南アフリカで開かれた ワシントン協定の総会で加盟を申しこみ、暫定的な会員として認められた。そして2005年6月には、
1.2
倫理綱領の歴史と工学倫理教育の現状
13
加盟国だけの会議が開かれ、JABEEは正式加盟を果たしたのである(http://www.jabee.org/Open Home Page/greeting 2005-5.htm) 。 注意すべき点は、ワシントン協定は加盟国における技術者教育の相互認定の協定であるから、加盟 国の間で認められたプログラムは他の加盟国でも認定されたことになるということであろう。技術者 の活動が国際化している現在、国際的に通用する技術者と認められることは重要である。 さて認定の基準は6つの項目に分けられているが、認定を希望する大学のカリキュラムは、専門分 野にかかわらず、つぎの学習・教育目標をすべて満たしている必要がある。 (http://www.jabee. org/Open Home Page/jabee3.htm)13) 基準1:学習・教育目標 自立した技術者の育成を目的として、下記の(a)〜(h)の各内容を具体化したプログラム独自の学 習・教育目標が設定され、広く学内外に公開されていること。 (a)
地球的視点から多面的に物事を考える能力とその素養
(b)
技術が社会や自然に及ぼす影響・効果に関する理解力や責任など、技術者として社会に対す る責任を自覚する能力(技術者倫理)
(c)
数学、自然科学、情報技術に関する知識とそれらを応用できる能力
(d)
該当する分野の専門技術に関する知識とそれらを問題解決に応用できる能力
(e)
種々の科学・技術・情報を利用して社会の要求を解決するためのデザイン能力
(f)
日本語による論理的な記述力、口頭発表力、討議などのコミュニケーション能力および国際 的に通用するコミュニケーション基礎能力
(g)
自主的、継続的に学習できる能力
(h)
与えられた制約の下で計画的に仕事を進め、まとめる能力
上の項目(b)に注目していただきたい。専門分野にかかわらず、認定基準に「技術が社会や自然に 及ぼす影響・効果に関する理解力や責任など、技術者として社会に対する責任を自覚する能力(技術 者倫理)」が挙げられている。こうして日本の工学教育においてはじめて、倫理についての公式の言及 がなされたのであった。各大学の工学部が工学倫理教育に力を入れているのも、こういう事情がある からである。 4)
倫理綱領
では、日本では倫理綱領はいつ定められたのだろうか。日本のほとんどの学協会は長い間倫理綱領 をもたなかったが、つい最近になってあい次いで各学協会で倫理綱領が定められた(ただし土木学会 は例外で、すでに1938年に倫理綱領が定められている。その内容も、広い視野に立って土木技術者の 役割を明らかにしたものであり、当時としては画期的なものであった)。つぎに学協会ごとに倫理綱 領が定められた年代を示しておく(倫理綱領については、巻末の資料を参照していただきたい)。 1938
土木学会
1961
日本技術士会
14
1章
工学倫理への道
1996
情報処理学会
1997
電気学会
1998
電子情報通信学会
1999
土木学会(改定) 、日本建築学会(倫理綱領と行動規範)、日本機械学会
2000
日本化学会(行動規範)
2001
日本原子力学会(行動の手引き)
2002
化学工学会(行動の手引き) 、応用物理学会、
2003
日本原子力学会(行動の手引き) (改定)
アメリカでは、倫理綱領は学協会が自発的につくり出してきたものであった。その歴史をみてもわ かるように、試行錯誤とともに内容は練り上げられ、倫理綱領は技術者の行動の指針として役立てら れている。 一方日本では、伝統的に倫理綱領に相当するようなものを明文化する試みなどなかった。というよ りはむしろ、そのようなものがなくとも、ものづくりの現場ではうまくいっていたということであろ う。また日本では、安全基準の設定やルールづくりなどは通常は国が行い、技術者が率先して行うこ とはなかったというこれまでの事情もある。各学協会が倫理綱領をもつようになった今、倫理綱領を どのように位置づけ役立てるかが重要な課題となろう14)。
1.3
工学と現代社会
前節においては、倫理が工学教育に導入されるようになった歴史的な経緯を述べただけなので、以 下においては、現代社会と技術者個人にとっていかなる意味で倫理が求められているのか、またその 倫理的課題とは何か考えることとする。 ただしこの問題を考えるにあたっては、工学(科学技術)とは何か、それをいかに理解するかとい うことが先立つ問題となる。それを見定めることによってはじめて、倫理の問題のアウトラインもみ えてくるであろう。したがってまず、この1.3節において工学をいかに見るか視点を定め、つづく1.4 節において倫理の問題を考えることとする。
(1) 1)
3つの視点 技術者とはどういう人か
まず、 技術者とはどういう人なのかという問いに手がかりを求めることとしよう。一般的にいって、 人は、(1)
職業をもち、それに応じた活動・行為を行うが、それは、(2) さまざまな集団・組織
(企業、官庁など)のなかで何らかの役割を演じながらのことである。まず、(1)の点についていうと、 技術者としての活動・行為であるが、これはひと言でいえば「ものづくり」である。しかし「ものづ くり」といっても、それは多様な活動である。工学の各分野――情報、機械、建築、土木、化学、生
1.3
工学と現代社会
15
命、原子力、等――に応じて、また設計や製造、検査などのプロセスに応じて多種多様な活動が行わ れている。 問題をなお複雑にしているのは、(2)の点、すなわち技術者の仕事が集団・組織において営まれる ということである。たとえば医師の仕事は比較的独立しており、開業医のように単独で仕事をするこ とも多いが、 技術者がひとりで仕事をするような状況はほとんど想像できない。たいていの技術者は、 企業、官庁などの組織のなかではたらき、給料をもらうサラリーマンである。 企業を例にとって、技術者がどういう状況に置かれているかみてみよう。ひとりの技術者はまず、 雇用者にたいしては被雇用者である。また、職階制においては、たとえば製造部門や品質管理部門に 属しており、それらの部門では上司の下にいるであろうが、現場では主任である。しかもそれぞれの 企業は、製品の生産や流通という機能をもちながら、他の企業と、また学校や官庁などの他の集団・ 組織とたがいに関わりあっている。こうして社会全体のうちには無数の集団が錯綜したつながりをも ちながら存在し、ひとりの技術者はそのなかのいくつかの集団に属しつつ集団のメンバーや他の集団 と直接的・間接的にかかわりあいながら働いているのである。 2)
ミクロ・マクロ・メタ
われわれは「技術者とはどういう人か」という問いから始めて、組織のなかでものづくりをする人 という見方をとったが、これは、ものづくりという工学の営みを技術者個人に照準を当てて理解しよ うとする試みには限界があるということであり、技術者をとり囲む社会的文脈にまで考察の範囲を広 げなければならないということでもある。したがって、 「技術」や「工学」をみるときにその分析視角 をどこに置くかが大きな問題となってくる。工学を、技術者個人に照準して眺めるとともに社会現象 としても把握するために、いくつかの視点からみることとしよう15)。 社会は、家族のような小集団から、企業や官庁、大学のような中規模の集団、都市のような大きな 集団を含んでいる。そうした集団の単位となるのは個人であるが、技術者個人とその行為に照準をあ わせるのがミクロレベルの視点である。他方、企業のような集団・組織を1つのシステムと捉え、シ ステム相互の関係のなかで工学を分析する視点に立つときは、マクロレベルから工学をみているわけ である(メタレベルから工学をみるとはどういうことであるかは、注16を参照していただきたい)。 表1. 2 視点 ミクロレベル
マクロレベル
メタレベル16)
考察対象 企業などの集団の単位をなすのは、一定の動機をもち、一定の目的をめざして行動する 個人である。技術者個人とその行為・行動がミクロレベルからみた考察対象となる。 工学も社会もシステムと見て、システムとしての社会と工学の関係などを考察対象と する。 工学そのものが考察対象。工学とはどういう学問か、またその価値や目的は何か、など の問題が論じられる。
16
1章
(2) 1)
工学倫理への道
工学と社会の相互作用 システムとしての科学技術(工学)――マクロレベルからみて――
はじめにマクロレベルから工学と社会をどうとらえるか、みておく(以下では、松本三和夫『科学 技術社会学の理論』を参考にして議論をすすめる)17)。 1.―(3)―5)で19世紀後半になって科学と技術は融合し、科学技術(工学)として社会に定着し た、と述べた。では両者が融合し、科学技術(工学)がシステムとして社会に根づいていったことに は、マクロレベルからみてどんな意味があるのか。 ①
融合した制度へ。科学と技術がたがいに作用しあうようになったというだけではない。それは
「科学と技術のあいだで、情報、物財(廃棄物を含む)、人材、資金のやりとりされる可能性が系 統的に開かれた」ということである(松本、前掲書、p.126)。たとえば学会、大学の講座、企業 内研究、科学技術行政機構など、複数のチャンネルを通して、情報、物財、人材、資金が科学と 技術のあいだで定常的に流れるしくみができあがったということである。 ②
知識としての融合。科学と技術は知識としても融合するようになった。19世紀の後半になる
と、航空機の開発に物理学や流体力学が、薬品の製造に有機化学が、というように自然科学の枠 組みのなかで技術の問題が表わされ、解かれるようになった。これは、 「知的枠組みの革命」とい うことでもある。 これによって、ものづくりのあらゆる局面が数量化され、効率化がすすみ、生産力も格段にあ がった。 ③
社会的枠組の変革。科学と技術は結びつき、やがて、 「専門職」の集団のなかで知識や技術が占
有されるようになった(企業の研究開発、学協会の設立、専門職を育てる制度(学校)、など)。 こうして、科学技術はシステムとして社会のなかに入りこんで独占的に製品・サービスを提供す るようになり、社会の存続に欠くことのできない役割を果すようになったのである。 2)
相互作用の特徴
科学と技術は融合し、 システムとしての工学は社会と互いに影響しあうようになったわけであるが、 社会と工学の相互作用はどんな特徴をもつだろうか。3つにまとめておこう(松本、前掲書、pp. 129-130、pp.139-140) 。 ①
科学、技術、社会の、それぞれの領域において生じる現象の原因を、1つの領域に(たとえば、 環境問題の原因を技術に、というように)帰することはできない。そうした現象は、相互作用の 全体のなかに位置づけられなければならない。
②
いま、社会のなかで、官、産、学、軍、民(A、B、C、D、E)という5つのセクターを区 分しよう。それらは社会という1つの大きなシステムのサブクラスといってもよい。これらのセ クターを経路として、科学技術は複雑な影響をおよぼしているのである。A〜Eは集合であるか ら、その要素であるA1、A2(厚生労働省の〜局、国土交通省〜課)、B1、B2(○○機械工業、××
工務店)などの個々のシステムが1対1で関係することもあろうし、Bという全体とAの関係もあ
1.3
工学と現代社会
17
りうる。 ③
技術が社会に波及する際に、社会のどの部分にどのようなプロセスを経て、どれくらいの影響 を与えるかは一様ではない。すなわち、1つの技術が成立し社会に影響を与えるプロセスで、あ るセクターには利益を、別のセクターには不利益をもたらすことがありうる。社会と技術の相互 作用はこうした特異な構造をもっているのである。
(3)
相互作用の具体例――インターネット――
以上に述べてきた工学と社会のかかわりの構造を、インターネットを例として確かめよう。 1)
インターネットの歴史
1950年代の後半、米ソが冷戦で対立するなかで、米国防総省の研究機関ARPA(高等研究計画局、 Advanced Research Projects Agency)が設置された。インターネットの原型となるネットワークは、 ARPAが運用するARPAネットである。これは分散型のシステムであり、ネットワークの一部がこわさ れても、自動的に迂回路が選ばれ、全体として支障のないように設計されていた。1969年にアメリカ 中西部にある4つの大学の研究施設が交換機を通してつながれ、ARPAネットははじまったのである。 80年代に入ると、ARPAネットは民間のネットワークと結びつくようになり、ネットワークのネッ トワークという意味で「インターネット」という言葉が使われるようになった。その後ARPAネット の仕事はNSF(全米科学財団)に引き継がれることとなった。そして1992年になってついに、インター ネットの商用化が法律で認められた。それまでは政府の運用するネットワークを商業利用することは 禁じられていたが、アメリカ各地のネットを結びつける基幹ネットワークが、NSFネットから商用の インターネット業者へと移されたのである。このころはまだ、ネットワークの利用者は研究者や専門 家に限られていたが、www(ワールド・ワイド・ウェブ)が現れると状況は変わり、商用のウェブサ イトは急速に増えていった。 一方、日本でインターネットが本格的に普及しだしたのは、1990年代の後半に入ってからである。 1997年から2004年までの7年間でいうと、2004年の普及率は1997年の10倍に達している。また1997年 での利用者は高学歴で収入の高い人に限られていたが、2003年には一般家庭へと広まり、幅広い層の 人々が利用するようになった18)。 2)
社会への影響
ここ数年というもの、インターネットを中心とした情報技術が社会・経済システムのなかにくみ込 まれ、情報が、経営や行政、教育などのさまざまな分野で重要な役割を果すようになってきている。 情報インフラストラクチャー(ブロードバンド、CATV、POS、デジタル放送、など)の充実はめざ ましく、これらの設備が結びついてネットワークをつくりながら、 「社会の基盤」となっている。では こうした状況のなかで、インターネットは社会にどのような影響をもたらしつつあるか。それを考え る上で、つぎのような情報のもつ特性に注意すべきであろう19)。 ア)即時性。情報は瞬時に伝えられる。受信した側からの返事や転送も瞬間的に行われる。
18
1章
工学倫理への道
イ)共有性。多数者に向けて発信され、みんなで共有できる。しかし同時に、予想をこえて拡散す ることもあり、コントロールがむずかしい。 ウ)編集・加工の容易さ。利用しても消耗せず、コピー、加工が容易。また本来の文脈から切り離 されて利用されうる。 インターネットのもつこのような情報特性を利用して、消費・流通・金融、雇用・労働、行政、医 療、教育などの各分野で利用がはじまっている。2つだけ例を挙げよう20)。 ①
消費・流通・金融。
2000年ころから、電子マネーや電子商取引をはじめとするe−ビジネス
がはじまった。企業間の電子商取引では、原料や商品の購入をインターネットで行い、決済もネット 上で行う。また消費者向けの電子商取引もさかんに行われるようになった。後者についてみると、そ の市場は、1998年に645億円だったのが、2003年には4兆4,240億円に達し、5年間で実に69倍にふく れ上がっている(経済産業省の調査による) 。 オンラインショッピングの利用状況では、ホテルの宿泊、本・雑誌、衣料品、音楽CD・DVD・ゲー ムソフト、飛行機・列車の乗車券、コンサートのチケット予約、などが上位を占めている。ホームペー ジ上で情報をあつめ、インターネットで予約・注文し、カードで決済するというのが一般的である。 商品を購入するまえの情報収集から、代金の支払いまですべてのプロセスをネット上で行うわけであ る。 さらに、個人のホームページやブログなどで商品の評価がなされ、それが多くの消費者に還元され る。また、中古品をあつかうマーケットプレースやネットオークションも充実している。インター ネットは、消費者の行動パタンを変え、流通の経路を再編しつつあるといえよう。 ②
教育
教育の分野においても、 インターネットを使った新しい学習が試みられるようになった。
情報技術を使った学習は「e−ラーニング」と呼ばれるが、これはインターネットのインタラクティ ブな性質を利用して、 自分から参加して学ぶということである。これによって学習の可能性が広がり、 遠隔地をネットワークでつないで交流授業をすることも、また、各人が自分の都合のよい時間にネッ トワークにつないで、自分の進度にあわせて学習することもできる。そしてこのようなe−ラーニン グをくみ込んだ学習カリキュラムは、すでに各地の学校で試みられている。 情報教育については、もうひとつの面があることに注意したい。最近ではインターネットを中心と した情報インフラは整備されており、われわれの生活の場――職場にせよ、家庭にせよ――に情報技 術がおり込まれている。そして企業、行政、などの組織では、積極的に情報技術を利用し、仕事して いける創造的能力が求められるようになった。この状況を受けて、情報社会に対応できるような人材 の育成を国の目標として、2000年に「IT基本法」が成立し、つづいて「e-Japan戦略」 (2001)、 「e-Japan 戦略Ⅱ」 (2003)が発表されている。 「e-Japan戦略Ⅱ」の内容についていうと、5つの重点政策が示さ れ、その1つの「人材の育成ならびに教育および学習の振興」という項目では、 「国民のIT活用能力の 向上」が挙げられている(小豆川・内藤・石川、 『インターネット社会の10年』 、pp.121-124)。 職場や家庭で情報ネットワークは十分に整えられているから、今度はそれが、求められる人材の育
1.3
工学と現代社会
19
成というかたちで教育の分野に影響を与えている。ネットワークを教育の場で利用することと、ネッ トワークを活用するための教育という二重のしかたでインターネットは教育と社会に影響を及ぼして いるのである。 このように情報技術の影響は、社会のさまざまな分野に枝分かれし、折り返しながら波及している のであり、これから先も社会全体に予想のむずかしい変化をもたらすことであろう。インターネット はそのような変革をもたらす情報技術のなかで、中心的な役割を果しているのである。 3) ①
相互作用の特徴 インターネットの歴史をみると、はじめそれは軍セクターの求めに応じて生まれた軍事技術で
あった。しかしやがて商業利用がはじまると、その影響は国境をこえて、産、官、民、学、の各セク ターへと波及していった。そしていまや、世界中で流通・金融のシステムを再編し、雇用・労働のか たちを変え、教育や医療に変革をもたらしつつある。技術があるセクターから他のすべてのセクター へと広がり、その作用が今度は別のセクターを経由しながら伝播してゆく様子がわかるであろう。 ②
インターネットは人間生活の多様な面で利便性をもたらしたが、一方でいろいろな問題ももち
上がってきている。架空請求のメールやネット上の掲示板を利用して覚醒剤を売る、というような犯 罪行為がその例であるが、ここでは著作権の問題をとり上げる。 インターネット検索大手のグーグルが、 「バーチャル図書館」サービスをはじめた。これはグーグル が運営する図書館の本の内容をオンラインで検索できるというものである。これに対し、米出版社大 手のマグロウヒルなど5社が、2005年10月19日、ネット上での公開の差し止めを求めて、ニューヨー ク連邦地裁に提訴した。 米出版教会(AAP)は、グーグルは著者や出版社の財産にただ乗りして金もうけしようとしている にすぎないと主張する。一方グーグルは、バーチャル図書館はすべての人のためのものであり、ネッ トを通して情報が得られれば売れない本が売れるようになるケースもあるのだから、著者や出版社の 利益にもなると反論している。しかしそれはまた、将来はグーグルの検索エンジンに引っかかってこ ない本はこの世に存在しないのと同じだという脅しでもあろう(梅田望夫『ウェブ進化論』 、ちくま新 書、pp.181-183) 。 ここでも、社会のあるセクター(市民)に利益をもたらすことが別のセクター(出版社)に(おそ らく)不利益をもたらすという特異な構造をみてとることができる。それにしても、このサービスに よって果してだれが損をし、だれが得をすることになるのであろうか。 ③
こうした諸現象――消費や教育のスタイルの変化、ネットを利用した犯罪、など――の原因を、
一方的に技術に求めることはできない。社会と技術はシステムとして相互にかかわりあっており、そ のなかで生じてきた現象だといわなければならない。
20
1章
(4) 1)
工学倫理への道
組織における個人――ミクロレベルからみて―― 個人と社会
ここまでは、マクロレベルからみて、システムとしての工学と社会について考えてきた。そしてこ の視点をとる限り、システムの内部で活動している技術者個人の姿はみえてこない。では、制度やシ ステムのダイナミズムのなかに埋め込まれた技術者個人とその行動をどのように捉えたらいいのだろ うか。技術者ひとりひとりは社会のなかでどのように位置づけられるであろうか。 技術者についてはのちほど考えることとして、まず個人と社会の関係について一般的に考えてみよ う。その1つの見方はこうである。社会といっても、その要素はひとりひとりの人間であるから、結 局のところ、社会とは個人の集まりとみてよい。つまり、人間個人を論理的に先行する存在ととらえ、 社会はそれによって構成されているとする見方である。もちろんこれは誤りである。個人を寄せ集め れば社会や組織ができるというわけではない。社会はパズルのピースのように異なる役割をもつ個々 人が全体として1つになっているからこそ社会なのであって、全体として統一された社会を部分(個 人)に還元してしまうことなどできないのである。 問題は、 「個人」を社会から切り離された個人というかたちでとり出して、それから社会が形づくら れていると考えることにある。要は、 個人とはすでに集団と社会性が織り込まれた存在なのであって、 そうした文脈から独立の純粋な個人などというものは虚構にすぎないということであろう。 ではつぎに技術者個人について。まず出発点として、技術者を含む企業という単位をみてみよう。 その内部を次第にレベルを下げてみていくと、経理、営業、製造、研究開発、技術、などの部があり、 そのうちのたとえば製造部の下には技術1課、技術2課、工作課、品質管理課があり、工作課の下に は工程係、組立1係、組立2係があり、…というようにして、それらの課や係に属する個人の姿がみ えてくる(図1.1参照) 。企業の内部では、高度に役割が分化し組織化がすすんでいるのがわかろう。 技術者個人はそれらの部や課に属しながら、他の技術者や外部の人たちと関わりあって仕事している (情報のやりとり、交渉、その他) 。こうした大から小までの集団・組織は、役割の分化にともなって 生じたものであって、またそれぞれが職階制のもとに秩序づけられている。 他方、企業を出発点として視点のレベルを上げてゆくと、まず企業が他の企業や官庁などの集団と 本社スタッフ 経理部 社
長
営業部
技術1課
製造部
技術2課
工程係
研究開発部
工作課
組立1係
技術部
品質管理課
組立2係
図1. 1 企業組織の例
1.3
工学と現代社会
21
かかわりあっている姿がみえてくる。企業はそれらのシステムどうしの、網の目のように入り組んだ 相互作用のなかに位置づけられる。そして最後に、大小のあらゆるシステムをふくむ社会全体がみえ てくるのである。社会に対しては企業などの集団は、社会に必要なことを手分けして行っていること になる(社会的分業) 。このように社会とは、国家を頂点とした、無数のシステムからなるネットワー クである。そのなかで技術者個人は複数の組織・集団に所属しながら生活している。技術者個人を社 会に直接関係づけることはできないが、かれは、企業やその内部の部局、あるいは開発プロジェクト のチームなど、いくつもの中間的な項を介して社会と間接的につながりあっているといえよう。 2)
人間(バーナードの人間論)
では組織や集団における個人をどのように把握すればよいであろうか。C.バーナードの古典的著 作『経営者の役割』 (山本・田杉・飯野訳、ダイヤモンド社)にそって、組織における個人像をまずは 一般論としてみておこう21)。 バーナードによれば人間個人はつぎのように規定される。 ①
個人とは「過去および現在の物的、生物的、社会的要因である無数の諸力や素材を具現する、
…独特な、独立した全体」である(バーナード、前掲書、p.13)。たとえば人間の身体は物体の1つで あるから物理的な作用(重力など)を受けるし、また、人間は生物としての能力や欲求をもつ有機体 であって、重い石をもち上げられないのも生物としての限界があるからである。さらに人間は他者と のかかわりのなかで生きる社会的存在であるから、慣習や法などの社会的なルールによって拘束され る。個人とはそれらの要因の統合された全体である。 ②
こうしたいくつもの要因によって制約を受けつつも、個人は「独特な、独立した全体」であり、
独自の人格特性をもつものである。そしてこの点は、個人を活動・行為する者(行為者)とみるとき にあきらかとなる。 すなわち人間とは、物的、生物的、社会的要因によって規定されつつも、自分なりの動機をもって 目的をさだめ、それに基づいて自由に選択し、行動できる存在なのであり、ここに独立した人格とい う特徴をみることができる(バーナード、前掲書、pp.13―16)。バーナードは個人の選択や自由意志 を認めることによって、さまざまな制約を受けつつも、そのなかで周囲にたいして能動的に働きかけ る人間の姿を描こうとしたということができよう。 3)
組織と個人
人間は物的、生物的、社会的要因によって制約されるものであるから、個人が目的をめざして行動 しても当然ながら限界がある。その限界を克服する方法が「協働」 (cooperation)である。協働とは「ふ たり以上の人がある目的のために力をあわせて働くこと」であり、これにより個人の力ではできない こともなしとげることができる。たとえば、ひとりでは道をふさいでいる岩をとり除くことはできな くても、人と協力すればできよう。 そして協働における人間どうしのかかわりが、バーナードの考える「組織」である(バーナード、 前掲書、p.76) 。組織においては当然、 「共通の目的」が存在し、個人は協働する意思をもっていなけ
22
1章
工学倫理への道
ればならない。またひとびとが共通の目的をめざして円滑に協働するためには、十分なコミュニケー ションが必要であろう。 では組織のなかで個人はどのように位置づけられるであろうか。組織と個人の関係をまとめておこ う。 ア)すでに指摘したように、組織は継続的ではっきりした共通の目的をもつ。個人も自分なりの目 的や動機(給料、やりがいのある仕事、達成感、など)をもつが、これは組織の目的とは異なるのが 普通である。組織が個人の目的を実現してくれるから、個人は組織の目的のために貢献するのである。 イ)目的を効率よく達成するためには、仕事を手分けしてやらなければならないから、組織の内部 では地位や役割の分化がすすむ。これが分業であり、それに応じて個人の組織内での地位と役割もき まってくる。 ウ)組織がうまく機能するためには、メンバーの行動を規制するルールが必要である。 いま述べたことを技術者について確認しておこう。組織のメンバーとしてものづくりの仕事に携わ る以上、上に述べたことは技術者にもあてはまることである。まず、ア)会社やその内部の部局は共 通の目的、たとえば売り上げの拡大や顧客の満足などの目的をもつ。しかしこれは技術者個人の目的 と一致するとはかぎらないし、ときにはそのような目的が個人の信条に反するものであることもあろ う。イ)技術者も社内で地位や役割をもつから、職階制の下では上司の命令に従わなければならない し、その地位や役割に応じたはたらきを期待されている。さらに、ウ)企業にもまたその内部の部局 にも職務規定はある。時として不本意なこともあろうが、職場のルールにしたがわねばならないのは 当然である。 1つだけ例を出そう。ある技術者は、食品会社のプラントの責任者であるとする。そのプラントか らは悪臭が漂っており、請負会社から派遣されて来ている従業員たちから改善できないかという相談 を受けている。一方上司は、悪臭には有害性はないのだから無視しろ、という。組織のメンバーであ る以上上司の命令にはしたがわなければならないし、従業員たちの要求にも責任者として対処しなけ ればならない。このような状況に立たされることは当然ありうる。 技術者は組織のメンバーであるから、協働の場にいるときの行動は組織化され、非人格化されたも のである。たとえば、現場の責任者や従業員としてとる行動などがそうである。しかし一方では、技 術者も独立の人格として、自分の価値観や欲求にしたがって行動する。そのときには、自らの倫理観 や信条からみて、組織人としてとるべき行動に深い疑問をもつこともあろう。独自の個人として、ま た組織人としてどのように行動し生きるか。これは大きな問題であり、ほとんどの技術者が直面する 問題であると思われる。
1.4
1.4
工学倫理の必要性
(1)
工学倫理はなぜ必要か・その課題
工学倫理の必要性
23
3.1で、ミクロ・マクロ・メタという3つの視点を導入して、工学と社会の関係を考察してきた。工 学をみる視点が定まったところで、とりわけ現代において倫理がなぜ必要なのか、また工学倫理の課 題は何か考えることで結びとしたい。 工学の歴史をみると、それは科学と技術が融合して「科学技術」として成立し、社会の中で不可欠 の役割をはたすようになったプロセスでもあった。そして工学倫理の必要性が口にされるようになっ たのは、この100年たらずの社会変動の現段階、すなわち「現代」においてである。技術をめぐる社会 変動の結果として、技術が社会のすみずみまでいきわたり、圧倒的な影響力をもつようになった。そ の状況を反映して、倫理が求められるようになったのである。 以下に工学倫理が求められている状況を4つに分けて述べ、その課題を指摘しておく。 ①
まずマクロレベルからみて。技術と社会の関わりが深まっていき、システムどうしの関係が複
雑になるにつれ、予想もつかなかった現象が生じてきている。薬害エイズ事件、アスベスト問題、核 廃棄物処理、家電品のリサイクル、…など挙げればきりがない。これらの問題では、経営陣の判断の ミス、組織の古い体質、安全対策の不備、などの要因がからんでくることが多い。その場合求められ るのは、経営や組織の改革、システムやルールの整備などの対策である。システムをいかに改革すべ きか、いかなるルールを定めるべきか、というシステムや制度レベルでの倫理である。こうした問題 も工学倫理の課題とみるべきであろう。 ②
先端技術の開発競争は熾烈をきわめており、今までは想像もできなかったような技術がつぎつ
ぎと実用化されつつある。技術の進歩によって人間に可能なことの選択肢は増えたが、それは同時に そのような技術を使ってよいのかという倫理の問題に直面せざるをえないということでもある(脳死 移植などはその典型であろう) 。遺伝子工学や情報工学の分野などをみても、これまでの倫理の枠組 みでは対処できないような問題(遺伝子治療、情報のプライバシーなど)が現われてきている22)。こ こでも、新技術に対応しうる倫理的な枠組みをつくるというマクロレベルの問題があろう。 ③ ミクロレベルからみた課題について。工学が社会のなかで大きな役割を果たすようになったと 述べたが、個々の技術者はそのなかでどのような役割を果たしているだろうか。 ものづくりのプロセスにおいて技術者は重要な役割をもつことが多い。設計や製造、検査などのプ ロセスにおいて、技術者の判断ミスや不注意が、市場を介して広範な市民に危害を与える可能性があ る。ここで問われているのは、技術者として何をなすべきか、いかに行動すべきかが問われる、個人 レベルの倫理であり、これは技術者倫理の課題といえるだろう。 ④ 最後に、メタレベルからみて。メタレベルとは、工学の具体的な内容を扱うのではなく、工学 を対象としてその目的や価値を問う視点のことであるが、その視点からみた課題を指摘しておこう。
24
1章
工学倫理への道
工学の社会への影響力が圧倒的なものになったいま、工学に求められるのは、これまでのように社会 のニーズに答えることだけではない。これまでは工学は、 「いかにつくるか」を追求してきたが、これ からは「何のためにつくるのか」 、 「何をつくってはいけないのか」という価値や目的の視点から工学 の社会的役割を考え直す必要がある。とりわけ、環境問題のような困難な問題に対処するためには、 広い視野に立って工学の使命を改めて考え直すことは不可欠である。これはメタレベルからみた工学 倫理の課題であり、こうした問題を問うことを通して、技術者は自らの社会的役割を自覚することと なろう23)。
(2)
倫理問題へのアプローチ
では具体的な倫理上の問題をいかに把握し、どのようにアプローチすべきなのか。これは本書の以 下の章で事例分析を通して扱われる問題である。ここではアメリカの工学倫理をとりあげ、留意すべ き点を述べるにとどめたい。 1)
アメリカの場合
(事例)デヴィッド・ジャクソンはZCORP社の環境管理部門に属する技術者である。会社はギルベイ ン市の下水道に、産業廃棄物である鉛と砒素を放流していた。一方、ギルベイン市は下水の汚泥を肥 料に変え「ギルベイン・ゴールド」として売り出す事業を手がけていた。当然、市は有害廃棄物が製 品に混入しないように、下水処理施設に排出される鉛と砒素の量をきびしく制限している。ところが 最近の検査により、デヴィッドは会社が許容値より少し高いレベルの有害物を下水に放流しているこ とを確かめた。デヴィッドは汚水処理設備を改善すべきだと主張したが、彼の上司はそのためには膨 大な費用がかかるので反対している。さてデヴィッドは技術者としていかに行動すべきか24)。 これはNSPEが出しているビデオ『ギルベイン・ゴールド』のあらすじであり、フィクションであ る。ここにうかがえるアメリカの工学倫理の特徴をまとめておこう。① 個人の行動に照準があてら れ、個人が職場においていかにふるまうべきかが事例を通して問題にされる傾向がつよい。② その 際、技術者の行動を導く指針となるものが倫理綱領である。③
事例は問題解決のために用いられ
る25)。技術系の学生が抽象的な議論より具体例を好むということもあって、まず事例があたえられ、 それによって倫理的な問題点が確かめられる。その上で問題解決のために必要な能力を育てようとい うことである。工学倫理とは「問題解決学」である。 以上のように、アメリカにおいては、専門職としての技術者の行動に焦点が当てられることが多く、 技術者倫理の色彩が強い。 2)
事例研究のふたつの意味
さて、上に述べたような事例分析と倫理問題への対処については注意すべき点がある。アメリカで とり上げられる事例は、技術者がとった行動(あるいはとるべき行動)が直接に被害をもたらしたり 影響を与えたりするものであることが多い。しかし実際には、技術者の行動がどれだけの影響をもた らすのか、あるいは解決につながるのかどうかも分からないような、複雑な要因がからみあった問題
1.4
工学倫理の必要性
25
が多いのである。〈倫理綱領―個人の行動〉という軸に焦点をしぼりすぎると、その問題のマクロレベ ルでの要因が軽くみられる危険があろう。たしかに個人の行動が事態を劇的に変えるような状況もあ ろう。しかしそれにはきびしい限界があるのであって、そのような個人的解決をこえた社会的要因を 冷静に分析し、なおかつそこでできることは何かじっくり考えるという態度が大切であろう。 事例研究には次のような重要な意味がある。 ①
事例研究の1つの意味は、想像力をふくらましてその場を思い描き、自分をその状況に置いて、
最善の道を選ぶ訓練をするということにある。事例研究には個人としていかに行動すべきかを考える 上で重要な意味がある。 ②
しかし一方で、技術者をとりまくさまざまな社会的文脈――職場の人間関係、利害の対立、自
分の属する企業と他の企業や官庁・自治体などとの関わりやその影響力、など――をマクロ・ミクロ の両レベルから理解するために事例研究は大いに役立つ。 ①の観点だけではなく、②の観点から社会と技術者を捉えることは重要な意味をもつと思われる。 そしてこのような新しい見方で工学倫理にとり組んでいる研究書も、2、3年前から次第に出版され るようになってきた(とりわけ科学技術社会論の方面から)。日本の工学倫理はアメリカの工学倫理 をふみ台としてはじまったといえようが、新しいものの創造の段階へと入っているのである。
注・参考文献 1)年表については、磯直道『科学思想史入門』 (東京教学社)、八杉龍一『図解 科学の歴史』 (東京 教社) 、渋谷・河村他『科学史概論』 (ムイスリ出版)などを参照. 2)塩川久男『ルネサンスから19世紀末までの科学・技術の歩み』 (学文社)のp.128の図版より転載. 3)塩川、同書、p.127の図版より転載. 4)杉龍一『図解
科学の歴史』 (東京教学社)p.82の図版より転載.
5)塩川、前掲書、p.139の写真より転載. 6)産業革命については、塩川久雄、前掲書、第3章、第5章、参照.また19世紀以後の技術につい ては、大沼正則『人間の歴史を考える―技術と労働』 (岩波書店)第3章などを参照. 7)第2の科学革命については、小山慶太『科学史年表』 (中公新書)などを参照. 8)古谷圭一「工学倫理の曙―アメリカの技術者倫理の原点とその展開」 (坂下・瀬口編『工学倫理の 条件』晃洋書房
所収)を参照.
9)ABETは、アメリカにおける民間の技術者教育認定機構である.28の学協会との協定の下に、大学 等の技術者教育プログラムの認定を行っており、日本における認定制度の模範となっている. 10)『講座・比較文化第5巻 日本人の技術』 (研究社)pp.195-199を参照. 11)風見明『「技」と日本人』 (工学調査会)pp.147-148参照.現代の技術者にもみられる「ものづく りの精神」については、小山田了三『世界を支える日本の技術・伝統技術の展開』 (東京電機大学出 版局)pp.73-75、志村幸雄『技術立国・日本の原点』 (アスペクト)の序論などを参照.
26
1章
工学倫理への道
12)新田・蔵田・石原、編『科学技術倫理を学ぶ人のために』 (世界思想社)第4章参照. 13)6項目の基準とは、基準Ⅰ:学習・教育目標、基準2:学習・教育の量、基準3:教育手段(入 学者選抜方法、教育方法、教育組織) 、基準4:教育環境(施設・設備、財源、学生への支援体制)、 基準5:学習・教育目標の達成、基準6:教育改善(教育点検システム、継続的改善)、である. 14)倫理綱領の歴史や問題点については、札野順『技術者倫理』 (放送大学教育振興会)第5章、参照. 15)マクロ・ミクロ・メタという視点の区別については、札野順「科学技術倫理の諸相とトランス・ ディシプナリティ」 (科学技術社会論学会編『 「科学技術と社会」を考える』玉川大学出版部、所収)、 富永健一『社会学講義』 (中公新書)p.41などを参照. 16) 「メタレベル」について注をつけておく.ア) 「月は地球の衛星である」、イ)「月は1字の語であ る」というふたつの文において、ア)の「月」がひとつの天体を指しているのに対し、イ)の「月」 は文字を指している.ア)のように具体的な対象を叙述するのではなく、イ)のように他の言語を 対象としてそれについて語るとき、ひとつ上の階層の言語(メタ言語)において問題にしている. 工学の場合も、工学の実質的な内容について問題にするのではなく、工学を対象としてそれに「第 2階的に」 (メタレベルから)関わりつつ工学の本質や価値を問題にするとき、メタレベルから論じ ていることになると理解していただきたい. 17)松本三和夫「文化としての近代技術―STS相互作用論の視点―」 (加藤・松山編『科学技術のゆく え』ミネルヴァ書房、所収)も参照. 18)インターネットの歴史については、尾家・後藤他編著『岩波講座インターネット1
インターネッ
ト入門』第5章、桜井・大榎・北山著『デジタルネットワーク社会』 (平凡社)第1章などを参照. 19)村田潔編『情報倫理―インターネット時代の人と組織―』 (有斐閣選書)pp.40-41を参照. 20)小豆川・内藤・石川『インターネット社会の10年』 (中央経済社)第2章、第5章、参照. 21)バーナードの著作の解説として、飯野春樹編『古典入門
バーナード経営者の役割』 (有斐閣新書)
を参照. 22)加藤尚武「科学技術と倫理」 ( 『科学技術のゆくえ』所収)pp.313-316を参照. 23)中島尚正編『工学は何をめざすのか』 (東京大学出版会)、第1章を参照. 24)ギルベイン・ゴールドの例については、ハリス・プリチャード・ラビンス著『第2版 科学技術 者の倫理』(日本技術士会訳編、丸善)p.356を参照. 25)3つの点については、石原孝二「工学倫理の教科書」 (科学技術社会論学会編『知の責任』玉川大 学出版部
所収)を参照.
1.4
工学倫理の必要性
27
ちょっとひといき 「住民の目からみると――筆者の体験」 数年前,筆者は工学倫理のテキストでとり上げてもおかしくはないような事故に遭遇した。そ れは,被害者の住民としてのことであった。事故はマスコミでも報道されたが,その後の契約に よって公開できないことになったので,筆者の実家と近所の家の地下が汚染されたとだけいって おこう。家屋の地下数メートルの土壌と地下水が,発ガン性のある有害物質で汚染されたのであ る。 加害者側(某大企業)が開いた説明会に出席してはじめて,有害物質が大量に流出したことや, ずさんな管理が原因の事故であることがわかった。怒号が飛び交い,会社側の出席者たちは頭を 下げた。 やがて,土壌を浄化する工事がはじまった。これは汚染された土壌をとり除き地下水をくみ上 げる大がかりな工事であった。会社側には,できるだけはやく工事を終えて有害物質の濃度を環 境基準値以下に下げ,訴訟を有利にすすめようという意図があるらしかった。和解が成立したの は,まる1年をかけた浄化工事が終わってからのことである。 この事故を教科書的にみるならば,会社側の不備が問われることになるのだろう。有害物質が 流れ出たタンクの点検はちゃんと行っていたのか,従業員への指示は適切になされていたのか, などである。 しかし,被害者の住民という立場からすると,みえてくるものは違ってくる。事故そのものと いうより,関係者の顔がみえてくるのである。住民の言うことにうなずいたかと思うと,すぐま た渋い表情で黙りこむ会社側の代表者。こちら側の言い分をこともなげにくつがえそうとする, 冷淡な感じの相手側弁護士。コンサルタント会社の誠実そうな担当者。かれの仕事ぶりははたか らみてもまじめそのものだったが,何かしら苦慮しているようすはみて取れた(有害物質につい ての講義を,求めに応じて何度もしてくれたのもこの人である)。それまではたんなる隣人だっ たひととも,意見をぶつけ合ううちに信頼しあえるようになった…。 また,説明会や交渉の席についてわかったこともある。事故のあとも損害賠償のための交渉は つづくから,弁護士まかせではなく,自分たちも勉強をしておかなければならない。配られた資 料を何度もよみ,有害物質や土壌汚染にかんする法律などをあらかじめ勉強しておくと,しろう とでも浄化工事の不備を指摘できる。自分たちから動き出さなければ,何も解決しない。黙って いれば状況は不利になるばかりである。 今回の事故を通して多くの人と出会いたくさん話をして,ときには争いにもなった。不愉快な 目にもあったが,貴重な体験ができたといまでは思っている。
2章
工学倫理の基本問題
はじめに 工学倫理の具体的な内容に入る前に、 1章では工学の歴史と工学倫理の歴史を概観した。本章では、 工学倫理の基本的事項を理解することを目指している。そのため、2.1から2.4までの各節の冒頭に基 本的事項が簡潔にまとめられている。これまでの工学倫理の教科書で述べられてきた基礎的項目が、 ここに集約されている。これらを理解することで、工学倫理の基礎知識が一通り身につくはずである。 しかし、倫理とは単に書いてあることを暗記するものではなく、これまでの生き方の再検討を促し たり、考え方や行動の指針になったりすべきものである。倫理で知識と呼ばれるものは、本来は「実 践的知識」であり、知識は考え方や行為に結びつかなければならない。それには、倫理的な問題に関 して具体的なイメージをつかむ必要があり、 事例に基づいて基礎的事項を理解することが求められる。 そのようなわけで、各節では関連するいくつかの事例を挙げて、基本的事項を解説することにした。 各節は、以下のような構成である。 2.1では「安全性」を主題にしている。安全性の確保は技術者にとって最重要課題である。そのこと を具体的に説明する事例として、広島新交通システム橋桁落下事故、JR福知山線脱線事故などが挙げ られる。 2.2では、企業だけでなく社会に対しても責任をもつ技術者のあり方として、「技術者の責任」、「内 部告発」について述べられている。事例として、自動車欠陥・リコール隠し事件、六本木ヒルズ自動 回転ドア事故などが挙げられる。 2.3では「製造物責任」の問題を取り上げている。「製造物責任法(PL法)」に含まれる重要な語句を 理解するのは容易でないが、それを、イシガキダイのアライによる食中毒、学校給食用食器の破損に よる負傷、気管切開チューブの欠陥による乳児の死亡などの裁判例を挙げながら解説している。 2.4では「知的財産権」に関する事項を扱っている。これも技術者が理解しておくべき基本的な事柄 である。挙げられる事例は、青色LED訴訟、フリーソフトウェアなどである。これらを通じて、知的 財産権の基礎について学ぶことができる。
2.1
安全性・設計
(1)
事例1―広島新交通システム橋桁落下事故
(a)
概
要1),2)
&
事例
30
2章
工学倫理の基本問題
1994年10月に広島市で開催されるアジア競技大会に合わせて市が発注した新交通システム、アス トラムラインの架設工事中に、1991年3月14日、橋脚上に仮置きされた橋桁が、下部の県道で信号 待ちしていた車の列に落下した。一般市民10名を含む15名が死亡、8名が重軽傷とういう大惨事と なった。 事故は、図2.1に示すように、 「横取り降下工法」と呼ぶ工法で3本の橋脚の上部に鋼管箱橋桁A を設置する工事中に発生した。この工法は、それぞれの橋脚上にH形鋼(10cm×10cm×50cm)、 ジャッキおよび鋼板を組み合わせた仮受台を組み立て、クレーンを用いてその上に長さ63m、重さ 約59tの鋼管箱橋桁を仮置きした後、所定の位置まで橋桁を降下させて設置を完了するという方法 である。P1橋脚上に置かれたジャッキの様子を図2.2に示す。橋脚の内側のジャッキ1はH形鋼を 井桁に3段に組んだ上に置かれているが、端のジャッキ2はH形鋼を井桁に組むスペースがなかっ たため、1列、3段平行重ねで組んだ上に置かれていた。仮受台のH形鋼を1段抜いて仮受台を組 みなおしていたところ橋桁を支えていたいずれかのジャッキの支点反力が変化してその反力が減少 し、他のジャッキのも座屈した。この結果橋桁は回転しながら下の県道に落下し、そこで信号待ち していた11台の車両を押しつぶした。 (b)
解
説
この事故はなぜ起きたのだろうか。それは架設の橋桁を降下させるためのジャッキを支える仮受台 に使用したH形鋼を井桁状に組まず、同方向に1列で組んでいたからと考えられる。また、事故後の 橋桁の底板にジャッキの支点と思われる点にへこみがあったことを考慮すると、ジャッキの設置位置、 すなわち支点が不適切であったと考えられる。この点は橋桁の補剛材部分ではなく、変形しやすい部 分であり、ジャッキを転倒させるような横方向からの力が作用したと考えられる。座屈したジャッキ ①の周りの荷重状態を考えてみよう。橋桁には橋桁の重さによって鉛直方向に荷重が作用している。 この他に橋脚の外部に突き出した橋桁の重量が作用している。このためジャッキ①の支点まわりに は、図2.2の矢印で示すようなモーメントが作用することになる。このモーメントに打ち勝つような H形鋼の組み方が必要になる。しかし、実際には、1列、3段平行重ねで組んだために、作用したモー メントに耐え切れず、H形鋼が座屈してしまった。もし、ジャッキ②の仮受台のように、横置き2列 にしたものを交互に積み上げていればこの事故は発生しなかったと考えられる。 このように、 「片側に張り出したはりの支点にはモーメントが生じる」、 「H形鋼の軸方向の力に対し ては強いが、軸に垂直な面内のモーメントについては弱い」という知識があり、それが生かされてい れば、このような事故は防止することができたと考えられる。これらは力学的には基本的な知識であ り、大学で「材料力学」 、 「構造力学」 、 「弾性体力学」を学んだ学生なら皆が身に着けている知識であ る。大学では机上の知識かもしれないが、現場で実物を扱う場合にはその知識を有効に使う応用力が 必要となる3)。 直接的原因はこれまでに読んできたようであるが、事故が起きるときには様々な要因が複雑に絡み
2.1
安全性・設計
&
事例
31
あっている。これを次にあげる4)。 ①
施工管理を行う監督は、本来は受注会社の技術者であるべきであったが、当日の監督は下請け 会社の事務系職員であった。
②
下請け会社の作業員の経験年数は20年以上であったが、橋の架設工事の経験はなかった。また、 現場で採用した「横取り降下工法」の経験もなく、その作業の事前指導はなかった。
③
市の現場監督員の事前に提出されていた施工計画書に橋桁の落下防止策が明記されていないこ とを知っていたとされ、それにもかかわらず受注会社に安全策を取るような指示がなかった。 63.5 [側面図]
34
29.5
▽47.92
▽47.631
広島市
東側橋脚
▽46.968
走行路面
中央橋脚
西側橋脚
架設用ベント
(南)
落下
落下
(東)
(横取り)
(西)
将来、架設される主桁 (北)
トラックレーン
図2. 1 事故現場の概要(平面図)1) モーメント ウェブ
ウェブ
フランジのへこみ リブ
板厚10mm 橋桁 ジャッキ①
ジャッキ②
ジャッキ受け台 (1列3段平行重ね) 南
ジャッキ受け台 (H型鋼)
西側橋脚
図2. 2 橋脚上のジャッキの転倒状況1)
北
32
2章
工学倫理の基本問題
④
県道の通行止めを行わずに工事を行ったため、一般市民まで巻き込んでしまった。
⑤
工事期間が短期であったため、並行して作業が行われた。また、施工計画全般の調整が不足し ていた。
(2)
事例2―JR福知山線脱線事故
(a)
概
要5)
脱線事故は2005年4月24日の午前9時20分ごろ、JR福知山線の尼崎―塚口の踏み切り付近の半径 300mの右カーブでおき、死者107名、重軽傷者は460名となった。 宝塚発同志社行きのステンレス車両の7両編成の快速電車の前5両が脱線し、線路脇のマンショ ンに激突した。事故現場の状況を図2.3に示す。1両目は1階の駐車場に突っ込み、2両目はマン ションの壁に激突し「く」の字に曲がり大破した。犠牲者は先頭2両に集中し、死者は1両目で約 30名、2両目で約70名、そのほとんどが圧迫死であった。 脱線した上り快速電車は、伊丹駅で約70mオーバーランした後、バックしたうえ定刻より約1分 20秒遅れで同駅を再出発した。この遅れを取り戻すために、塚口駅手前では120km/hの制限速度を 数キロ超過し、塚口駅を1分遅れで通過し、制限速度70km/hの事故現場のカーブにも100km/hを超 える速度で進入した。運転士は、カーブ入り口から常用ブレーキをかけたが、カーブ進入後、先頭 車両部が左に脱線し、大惨事となった。 (b)
解
説
事故はなぜ起きたのだろうか。2005年9月6日に国土交通省航空・鉄道事故調査委員会がまとめた 中間報告によると速度超過が事故の直接原因とみている。現場はカーブなので車両に遠心力が作用す るため、図2.4に示すように線路は傾斜をつけて敷設され 尼崎へ
N
踏切 マンション 21 両両 目目 がの 重上 なに っ て い る
ている。遠心力は速度の二乗に比例する。100km/hでカー ブに進入すると遠心力は単純計算でも制限速度の70km/h ときの2倍となる。さらに速度が速くなると内側の車輪が
2両目
3両目
4両目 5両目
脱線による とみられる傷 (約60m)
浮いて転覆する可能性が高くなる。したがって、カーブの 制限速度が守られていれば事故は起きなかったと考えられ る。直接的な原因は2007年にまとめられる最終報告を待た なければならないが、現時点では上記のようにヒューマン
6両目 7両目
進 行 方 向
1 ∼ 5 両 目 が 脱 線
石が 砕けた跡
伊丹へ
図2. 3 事故現場の状況
エラーが原因とされている。 直接的原因はこれまでに読んできたようであるが、事故 が起きるときには様々な要因が複雑に絡んでいる。これを 次にあげる。 ①
阪急宝塚線や阪急神戸線とJR福知山線が競合する
2.1
安全性・設計
地域で、梅田に至るまでの時間の短縮 を争っていた。
&
事例
33
表2. 1 戦後の死者多数の列車事故 事故名
死者
年月
都府県
八高線脱線事故
187
1947.2
埼玉
横須賀線鶴見事故
161
1963.11
神奈川
常磐線三河島衝突事故
160
1962.5
東京
福知山線脱線事故
107
2005.4
兵庫
根岸線桜木町火災事故
106
1951.4
神奈川
八高線の衝突事故
105
1945.9
山梨
中央線笹子駅衝突事故
60
1945.9
山梨
教育」が課されていた。事故車両の運
近鉄奈良線衝突事故
49
1948.3
大阪
転士は深刻な違反をした翌日から13日
肥薩線乗客窒息事故
49
1945.8
鹿児島
間、技術内容の点検、適性検査、心理
神有電鉄の転覆事故
45
1975.11
兵庫
テストなどを受講し、再び復帰してい
信楽鉄道正面衝突事故
42
1991.5
滋賀
②
1997年のJR東西線開通に伴って、尼
崎駅に神戸、宝塚、東西の3路線が乗 り入れるようになり、過密な相互の接 続のためのダイヤとなっていた。1路 線のわずかな遅れが他路線に影響する ため、運転士らへの精神的な圧迫が あった。 ③
ミスをした運転士には厳しい「日勤
た。 ④
事故当日、回送電車の運転士として尼崎駅を出発し、宝塚駅に向かったが、場内信号が赤表示 だった同駅の手前でATSが作動、非常ブレーキがかかった。宝塚駅ホームに入った後、乗客が乗
り込み同志社前行き快速電車として定刻に出発した。伊丹駅に約30秒遅れで入った上、約70m メートルオーバーランした。 最も身近な事故というと交通事故があげられる。平成7年には交通事故の死者が1万人を越えてい たが、年々減少して平成16年には7358名となった。これは、運転マナーの向上、交通安全設備の充実 や交通違反の取締りなどによるだけではなく、自動車の安全装備の発達が挙げられる。たとえば、エ アーバック、サイドドアビーム、シートベルトなどである。事故が起きた場合、これらの安全装置で 事故時の衝撃を減少させ、運転手や同乗者を事故から守ることができる。 一方、列車の場合、緊急停車時のドア開放の装置はあるが、事故の衝撃を減少させるような安全装
カーブでの速度と遠心力
さらに速度が出た場合
制限速度 70kmの時
内条 側件 のに 車よ 輪っ がて 浮 く
100kmの時 2倍以上の遠心力
図2. 4 列車に作用する遠心力と転覆
34
2章
工学倫理の基本問題
A T S
JR山陰線、福知山線、 土佐くろしお鉄道など
新 A T S
JR中央線、京葉線、 大阪環状線、阪和線 など
A T C
新幹線、山手線、 京浜東北線など
赤信号を検知して停止
速度を常にチェックしつつ 赤信号を検知し停止
可能な速度上限を常時チェック
図2. 5 列車保安システムの比較7)
備がないために、事故が起きた場合の事故軽減は不可能である。このため、列車自動停止装置(ATS: Automatic Train Stop)などの周辺の安全対策用の保安設備の充実が重要となる。これは、列車が制限 速度や信号機の指示速度を超過し、または停止信号を越えて進行しようとした場合に乗務員に警報を 与え、列車のブレーキを自動的に動作させる装置である。この装置は故障が起きても安全側に作動や 停止をしたり、一部が故障しても大きな事故にならないように危害の発生規模を小さく抑えるように した設計思想であるフェイル・セーフ(Fail safe)に基づいた装置である。戦後に起きた死者が多数の 列車事故を表2.1に示す6)。ATSは160名もの死者を出した1962年の三河島駅における衝突事故を契機 に全国的に配備されるようになった。最近では速度照査用装置を併用した新型ATSが設置されてお り、新幹線には最も保安レベルの高い自動列車制御装置(ATC: Automatic Train Control)が導入されて いる。これらの比較を図2.5に示す7)。これによると、福知山線では信号機が赤でなければ停止しない ATSが設置されていたものの、速度照査用装置が設置されていなかったため速度を超過した列車を自 動で減速あるいは停止させることはできなかった。なお、事故現場近くには新型ATSがこの年の6月 に設置される予定であった。 この事故を受けて国土交通省は鉄道事業者に急なカーブや分岐器(路線のポイント)の手前に新型 ATSを設置するよう通達を出し、各鉄道事業者はその整備にかかった。しかし、JR西日本では主要路 線のカーブなどに設置した374ヶ所のうち、96ヶ所において装置を作動させる速度の設定にミスがあ り、作動速度を制限速度より大きく、あるいは小さく設定していた8)。このように、新しい保安設備を 設置するだけでは十分ではなく、これを正しく運用するとともに、日常の管理・整備・安全教育など を継続的に行うことが列車事故の防止につながると考えられる。
(3)
事例3―事故例と工学
上記の事例の他に、これまでも多くの事故が発生している。これらの事故の発生原因は設計段階に
2.1
安全性・設計
&
事例
35
おける過小な見積もり、製作・製造段階における欠陥品の混入、検査段階における不良品の見逃し、 使用中あるいは供用中の操作ミスなど様々であり、その影響は事故の種類、規模によって異なってい る。ここでは、さらにいくつかの代表的な事故例を紹介し、規模やタイプの異なる様々な事故の発生 原因や影響を、専門分野の視点ばかりでなく倫理的な側面も考えてみる。 1) (a)
H2ロケットの事故9) 概
要
1999年11月15日、気象衛星「ひまわり」の後継衛星を載せた国産H2ロケット8号機が宇宙開発事 業団・種子島宇宙センターから打ち上げられたが、第1段目のエンジンが突然停止し、予定軌道を はずれて制御不能に近い状態となった。そのために事業団はロケットの追尾不能、さらには地上へ の落下の危険があると判断して爆破指令を送り、ロケットを爆破した。 (b)
解
説
事故の原因は次のようである。H2ロケットに搭載されている純国産の第1段エンジンLE7の燃料 としては液体酸素と液体水素があり、この混合ガスの燃焼でロケットの推力を得ている。しかしなが ら、8号機のLE7エンジンでは、液体水素を燃焼室に送り込む液体水素ターボポンプの入り口で旋回 キャビテーションにより気泡が発生し、これによって設計値をはるかに上回る力がポンプの羽根車に 作用した。その結果、羽根車表面の加工痕から亀裂が発生、進展し、羽根の破損、さらにはケーシン グの破損に至り、液体水素の漏洩、エンジンの破損につながった。この事故による人体や環境への影 響はなかったが、 「ひまわり」の静止軌道投入失敗による代わりの衛星気象観測の手当てなど、多くの 支障があった。また、日本のロケット技術の信頼が大きく揺らぎ、科学技術に関する国の政策にも影 響があった。 2) (a)
高速増殖炉もんじゅの事故10) 概
要
1995年12月、福井県敦賀市にある動力炉・核燃料開発事業団(当時)の高速増殖原型炉「もんじゅ」 において、二次冷却系からナトリウムが漏れ、ナトリウム火災が発生した。 (b)
解
説
原子炉格納容器
事故の原因であるナトリウムの漏洩は、図
二次主冷却系(中間冷却系) 加熱器
2.6に示すように、二次冷却系の配管に取り 付けられた温度計(さや管)の設計が不適切
中間熱交換器
水・蒸気系 (蒸気) タービン発電機
(ナトリウム)
原子炉容器
復水器
であったため、温度計がナトリウムの流れに
放水路へ 冷却水(海水)
燃料
よって振動・破損したためと判断された。こ の事故でも、放射性物質による人体や環境へ の影響はなかったが、国内で初めてのナトリ
(水) 蒸発器 二次系循環ポンプ
(ナトリウム)
給水ポンプ
一次主冷却系(原子炉冷却系) 一次系循環ポンプ
:漏洩箇所
図2. 6 高速増殖炉もんじゅの構造と事故発生箇所
36
2章
工学倫理の基本問題
ウム漏れであったことと、事故後の情報公開を巡る同事業団の不適切な対応から、社会に不信感と不 安感を与えた。 H2ロケットおよび高速増殖炉もんじゅの事故における破壊は、振動を伴う破壊現象として専門的 にはよく知られていた。しかし、極限状態を追求した未踏分野の巨大で複雑なシステムの中では、こ れらの破壊現象の発生を予測できなかったことが原因と考えられる。試作段階では、個々の部品やそ れを組み込んだ装置の信頼性や安全性を多くの実験で確認しながら開発しているが、これらを組み込 んだ巨大なシステムとして動かした場合、予想もしないことが発生する可能性がある。このことは、 新開発の製品における安全性、信頼性をいかに確保するかが重要なことを示唆している。 3)
電気製品、食品、自動車などの消費財の事故
不特定多数の人が利用する電気・電子製品、自動車、食品などの消費財は、欠陥がなく、安全であ ることが前提となっている。後述するように、消費財はいろいろな部品や原料を組み合わせて自動機 械や流れ作業で作られることが多いが、常に同じ材料、部品が供給され、同じ状態で製造されるとは 限らない。材料や部品は生産地やメーカーによってその品質が少しずつ異なることも多い。機械も少 しずつ磨耗し、温度によっても変化することがあり、常に一定の運転状態が保障されているわけでは ない。したがって、許容される範囲を超える品質の材料や部品が供給されたり、通常の運転状態でな い状態で製造された製品には不良品が発生する。このような不良品は検査工程で取り除かれるように なっているが、それでも不良品を見逃すことがある。特に、長期間使用する機器では、検査工程では 不良ではなかったが、使用中不具合が発生し、事故に至ることがある。ここでは、具体例は挙げない が、電気・電子製品の発火、自動車の欠陥部品、食品への異物混入など消費財の事故は、製品回収を 告知する新聞報道で多くの事例を知ることができる。消費財の欠陥による事故に対しては、消費者を 保護する製造物責任法(PL法)が1995年施工されており(巻末資料参照)、またリコール制度がある自 動車製品では製品回収が行われており、 消費者の安全が確保されるようになっている。しかしながら、 自動車の欠陥に対して企業ぐるみで事故や欠陥の隠蔽が明るみになった例もあり、社会的にも工学倫 理の観点からも問題となった。 日本航空ジャンボ機墜落事故11)
4) (a)
概
要
1985年8月12日午後6時12分、日本航空123便(ボーイング747SR)は大阪伊丹空港に向かって羽 田空港を離陸した。離陸12分後、伊豆半島上空で激しい爆発音とともに、垂直尾翼と油圧系統が破 壊し、操縦不能の状態に陥った。乗務員はこの状況を把握できず、車輪を出しながら、エンジンパ ワーのコントロールを試みるが、操縦不能の状況を脱することができず、遂には秩父山中に墜落し て死者520名、重症4名という悲惨な事故となったことはよく知られている。 (b)
解
説
調査によると、事故機はその7年前に大阪空港でしりもち事故を起こし、変形した後部圧力隔壁の
2.1
安全性・設計
&
事例
37
下半部の交換を行っていた。しかし、上半部との間に隙間が発生し、その修理に用いた継ぎ板の幅が 細すぎて、本来2列のものを1列のリベットとする、規定とは異なった修理を行っていた。その結果、 リベット部にはフライトに伴う過度の繰り返し荷重が作用し、リベット部からの疲労亀裂の発生、進 展によって、最終的には垂直尾翼、補助動力装置、油圧操縦システムを破壊してしまい、操縦不能の 状態に陥った。この事故では、このような修理ミスを見逃したこと、またその後の定期点検で亀裂を 発見できなかったことが問題視された。 5)
建築構造計算書偽装12)
建築物を建設する場合、建築主は最低の基準を定めている建築基準法などの関係規定を満たしてい ることを、建築確認として建築主事または指定確認検査機関による検査を受ける必要がある。特に高 さが一定以上の建築物は、地震や風力などに対する構造安全性に関して建築基準法施工令に定める構 造計算を行い、確認を受けなければならない。2007年11月に発覚した事件では、安全性を確保するた めの構造計算書が多くの建物で偽装され、マンションやホテルの安全性が確認されていなかったこと が明らかになった。さらに、それを建築確認という建物の性能を保証する業務が独占的に認められて いた「建築士」による悪質な偽装と、建築確認を任された指定確認検査機関が見逃すなど、消費者保 護のための様々な制度が機能せずに、マンション居住者やホテル経営者に補修工事や建て直しなどの 過重な負担を強いることになり、社会的な問題となった。 ジャンボジェット機の墜落事故と建築構造計算書偽装は、問題となった対象物は異なるが、圧力隔 壁の修理や構造計算が規定どおりに行われなかったことと、その検査あるいは確認作業が機能しな かったことに共通点がある。通常では考えられないこの2つの例は、経済的な側面も影響していると 考えられるが、これらは人命に係わる重要な作業工程にもかかわらず、経済性を優先したことが社会 的、倫理的な問題に発展した例である。 6)
化学物質による事故13)
古くからよく知られている化学物質が関係した代表的な事故に水俣病がある。その概要は、新日本 窒素肥料水俣工場でアセトアルデヒド生産時に使用された触媒の副産物であるメチル水銀を含んだ廃 液が汚染処理を十分行わないまま海に流して起こった事故であった。この廃液中のメチル水銀が生体 濃縮され、付近で獲れた魚介類を食べた住民に手足のしびれや歩行困難などの症状があらわれること が1956年に報告された。重症の場合には痙攣や精神錯乱などを起こし、最後には死に至ることが報告 された。これは戦後の日本の経済発展を支えた生産活動の負の側面であり、現在では新潟水俣病、イ タイイタイ病、四日市ぜんそくとともに公害病としてよく知られている。 科学技術が発達した現在、新しい機能や特性を有する新素材、新物質の開発は、それぞれの企業、 場合によっては国の経済活動にも大きな影響を及ぼすことも考えられる。これらの化学製品の開発 は、安全性は勿論のこと、環境への影響、取り扱い上の注意事項、廃液処理を含めた生産活動全体に 注意を払う必要がある。水俣病に代表される公害病は、その開発、製造に係わる技術者、研究者に専 門知識だけでなく経済的な側面、倫理的な側面も重要であることを示唆している。
38
2章
工学倫理の基本問題
設計思想
検査・チェック
大量生産によるコストダウン
レディーメイド
コンセプト
設計
材料
加工
組立
検査
調整作業 オーダーメイド 図2. 7 もの作り(生産プロセス)の流れ
これまで紹介してきた事故は、社会に対しても様々な影響を及ぼしてきた。尊い人命を奪う場合が あったり、環境破壊につながったり、巨額な資金が藻屑と化したり、人類の夢に対する挑戦が消極的 になったりした。また、技術者にとってはこれらの製品の設計、生産プロセスを決定することが認め られている専門家としての特権や自立性の信頼喪失につながる可能性を秘めている。そこで、事故の 発生防止や工学倫理の側面から、ものづくりのプロセスと製品の使用環境から見直してみる。 図2.7は一般的なもの作りの流れを示している。ほとんどの製品は、目的を持って作られる。製品 の目的は企画、開発の段階で絞り込まれ、製品のコンセプトとして決定される。次のステップとして は、コンセプトにしたがって、製品の機能、性能、信頼性、安全性、場合によってはその製品の規格 をクリアするような設計が行われる。設計が終わると、それに従った生産に入るが、そのプロセスは 材料を調達し、加工して部品を製作する。これらの部品を外部から調達した部品と一緒にして組み立 てを行い、出来上がった製品は検査して最終製品として販売したり、発注者に納入する。この製造プ ロセスは、自動車や電気製品などの量産品と、製品毎に性能が異なる船、プラント、建築物などの製 品で異なっている。前者はレディーメイドのもの作りであり、後者はオーダーメイドのもの作りであ る。レディーメイド、すなわち量産品のもの作りでは、試作段階で設計から検査までのプロセスを繰 り返しながら生産過程における不具合や欠陥が発生しない製造方法を確立し、その後は設計以後の生 産を繰り返しながら大量の製品を作っている。一方、オーダーメイドのもの作りでは、生産プロセス のいずれかのステップで不具合や欠陥が発生すると、設計の見直し、修正を繰り返しながら、最終的 には単品の製品を作り上げていくのが普通である。オーダーメイド、レディーメイドのもの作りの製 品は、最終検査で合格しているために欠陥のない製品となっているはずである。しかしながら、上記 の事故例からも明らかなように、使用中に欠陥による事故が発生したり、想定外の使用方法による事 故が発生している。もの作りの世界ではこれらのことを考慮して製品の開発、設計、製造、検査を行 うことが必要であり、これは技術者の使命である。その方法には、種々の対策が考えられている。代 表的なものを挙げると、
2.1
安全性・設計
①
設計段階における安全設計
②
製造工程における欠陥品の排除
③
検査手法の確立
④
使用中あるいは供用中の検査体制および安全設計
&
事例
39
などがある。 設計段階における安全設計には種々の手法が用いられている。最もよく知られている設計思想とし て、フールプルーフ(Fool Proof) 、フェイルセーフ(Fail Safe)、フォルトトレラント(Fault Tolerant) がある14)15)。フールプルーフの設計思想は操作スイッチなどの大きさを変えたり、色分けをするなど の工夫をして人間の誤動作を減らし、作業ミスの際に警報を発してその後の操作ができないようにし て安全性を確保する設計法である。フェイルセーフの設計思想は、一部の機能が故障しても別の系統 で動作するような機能を備え、完全に故障したら安全に停止するなどの故障による被害を最小限に抑 える仕組みにする設計法である。鉄道車両における前出のATSはこの考えに基づいたものである。 フォルトトレラントの設計思想は、原子力発電所のような巨大システムにおける安全対策で、種類の 異なる防護策を組み合わせて安全対策を何段構えにもした設計法である。このようなシステムではわ ずかな変動では停止しないようになっていることが多いことから、小さな不具合が発見されにくくな り、もんじゅのような事故が発生したとも考えられる。また、墜落したら多くの犠牲者がでるジャン ボジェット旅客機は一つのエンジンが停止しても飛行できるような設計となっているし、操縦の系統 は一方が故障しても別の系統で操縦できるように設計されている。しかしながら、前出の事故例では 圧力隔壁の破壊で両方の操縦系統が同時に機能しなくなった結果、悲惨な事故となってしまった。こ れもフォルトトレラント設計が機能しなかった例である。この他にも、新開発の製品では、新しい技 術を導入することが多いが、新技術の設計では試作試験を繰り返しながら部品の開発、設計を行って いる。しかしながら、新技術に対しては実績がないことから使用(稼動)中に、設計の段階では予想 できなかったことが発生し、それが設計で見積もった許容値を超えると事故になる。H2ロケットの 事故がこれに当たる。 製造工程における欠陥品の排除に関しても、多くの対策が施されている。主なものは製造に用いる 機械や加工プロセスの管理とそれぞれのプロセスで出来上がった加工品、部品、製品の検査である。 機械の運転状態や加工プロセスの管理は、運転状態や加工プロセスの状態の監視と記録で行われてお り、異常状態になった場合には製造ラインがストップしたり、不良品が排除されるようになっている。 また、検査は、材料や部品の搬入、加工、組み立てのすべてのプロセスで何段階も実施される。ただ し、製造工程に用いられる材料の品質や製造機械の精度は、設計の段階で検討した許容範囲のものが 利用されており、バラツキがある。したがって、出来上がった製品にも許容範囲内でのバラツキがあ る。これらのバラツキは、使用期間が限定されている消費財ではほとんど問題とならないが、長期間 の使用中に一部が欠陥として顕在化し、事故に発展する場合がある。このような場合には、電子・電 気製品、自動車、食品などの消費財における製品回収やリコールで事故の発生を未然に防ぐ方法が採
40
2章
工学倫理の基本問題
用されている。 検査の目的は、設計どおりの材料を用いて、設計どおりの精度、性能、機能が確保され、安全性、 信頼性が保障されているかをチェックすることである。検査の基準は、ひとつは設計の仕様が満足さ れているかどうかを判定することと、もう一つは製品に規格がある場合で、規格の基準を満たしてい る か を 判 定 す る こ と で あ る。最 近 の 傾 向 と し て は、製 品 の 国 際 化 に 伴 っ て ISO(International Organization for Standarization)の認定が必要なもの出てきた。また、安全性が求められる製品には、
設計・工作との連携
非破壊検査仕様書の作成 非破壊検査要領書の作成 非破壊検査作業手順書の作成
第三者検査の活用
非破壊検査の実施
設計・工作へフィードバック
検査成績書作成および合否判定 不合格
補修あるいは安全性評価 ①補修の要否判定 ②補修あるいは次期検査時期決 補修せず 補修 再検査の実施
製造工程
供用 定期検査あり 外部からの情報
定期検査 なし
定期検査の実施 検査結果の評価 不合格 合格
耐用年数経過
補修あるいは安全性評価 ①補修の要否判定 ②補修あるいは次期検査時期決 補修せず
廃却
補修 再検査の実施
供用 廃却
次回定期検査
廃却 図2. 8 検査・チェックのフローチャート
2.1
安全性・設計
&
事例
41
それぞれの製品に特有の規格、規則が設けられている。例を挙げると、ほとんどの工業製品を対象と したJIS(Japanese Industrial Standard) 、建築物では建築基準法、食品に対して食品安全衛生法などがあ る。また、製品の検査は、二段階の検査でその品質や性能が確保されている。一つは製造工程におけ る良品、不良品の判別である。もう一つは使用あるいは供用中の点検である。図2.8は検査の流れを 示したものである16)。製造工程における検査は、生産ラインを組み立てる場合に検査が必要なプロセ スとそこにおける検査項目が決められており、それぞれの段階における不具合は、設計、加工、組み 立てのプロセスにフィードバックされることになっている。一方、供用中の製品の検査は、一般には 定期点検と呼ばれており、一定期間使用した後に個々の部品の性能、機能をチェックしている。破損 や欠陥は発生していないが、将来的には発生の可能性がある場合には、補修や部品の交換を行ってい る。自動車、電車、飛行機などの定期点検が代表的な例である。定期点検で発見された不具合や故障 などは、状況に応じて設計、加工、組み立て工程にフィードバックされ、安全性の確保のための重要 なプロセスとなっている。この検査体制は、事故が発生した場合に工学倫理の側面から問題視される プロセスである。高品質の日本製品は海外でも高く評価されており、製造工程における検査体制がよ く機能していることを物語っており、 通常の生産活動ではほとんど問題とならない。一方、前出のジャ ンボジェット機の墜落事故は定期点検における圧力隔壁の欠陥が発見できなかったこと、建築構造設 計書偽装は設計段階における検査が機能していなかったこと、自動車の欠陥隠しは事故報告書が設 計・加工・組み立て工程にフィードバックされたにもかかわらず、その対策が行われなかったこと、 橋桁の落下事故は建設現場での管理、検査が機能していなかったことなどは検査に問題があったこと も事故の一因とされている。逆に、検査がうまく機能している例としては、自動車のリコール、ストー ブの発火事故や食品への異物混入に伴う製品の回収である。 これまでは、事故を例にしてものづくりの流れとそれに伴う工学倫理の側面を概観してきた。もの づくりに携わっている技術者は工業製品を通じて、より豊かな人間社会の実現、社会支援、経済活動 に貢献している。一方では、技術者は図2.9に示すように、個人としては製品の消費者あるいは利用者 であり、日本国民であり、世界の平和を願う一地球人であり、その責務は一般人の範囲以内にある。 しかしながら、職業人としての技術者には工業製品の機能、性能を決めることができる専門家として の特権や自立性が認められているが、その安全性、信頼性に対しては技術者としての責任もある。そ れに伴う専門家としての知識と倫理観はますます重要になってくる。
技術者
組織
社会
国
世界
図2. 9 技術者と社会の関わり
地球(環境)
42
2章
工学倫理の基本問題
注・参考文献 1)日経コンストラクション編『建設事故』日経BP社、pp.14-19、2000. 2)失敗知識データベース、http://shippai.jst.go.jp/ 3)畑村洋太郎「失敗から学ぶ創造学」土木学会誌、Vol.86、Nov.、pp.32-35、2001. 4)土木教育委員会倫理教育小委員会編『土木技術者の倫理―事故分析を中心として―』土木学会、 pp.75-79、2003. 5)フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia) 、http://ja.wikipedia.org/JR福知山線脱線事故 6)熊本日々新聞、夕刊、2005.4.27. 7)熊本日々新聞、朝刊、2005.4.27. 8)中国新聞社説、2005.11.3. 9)http://www.sydrose.com/case100/shippai-data/124/ 10)http://www.iae.or.jp/energyinfo/energydata/data3037.html 11)http://www.eonet.ne.jp/~accident/850812.html 12)http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha06/15/150406.html 13)フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia) 、http://ja.wikipedia.org/wiki/水俣病 14)齋藤了文、坂下浩司『初めての工学倫理』昭和堂、pp.144-146、2004. 15)フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia) 、http://ja.wikipedia.org/wiki/信頼性設計 16)新版接合技術総覧編集委員会編『新版接合技術総覧』㈱産業技術サービスセンター、p.735、1994.
2.2
技術者の責任・内部告発&事例
(1)
事例1―A自動車欠陥・リコール隠し事件
(a)
概
要1)
この事件は、A自動車が、自社製品の欠陥やクレーム情報などを組織的に隠蔽し、リコールを怠っ ていたというものである。 「リコール」 とは、 設計あるいは制作過程が原因で生じた欠陥を、メーカー が回収し無料で修理する制度であり、これには国土交通省(当時は運輸省)への届け出義務がある。 このような事態が明らかになった発端は、匿名の内部者(とおぼしき人)からの運輸省への告発電 話であった。 その後、運輸省の立ち入り調査の結果出てきた資料から、A自動車は二重帳簿を作成して、1970 年代から恒常的に欠陥やクレーム情報を隠蔽していたことが明らかになった。事件発覚後に運輸省 に対して行った最終報告では62万台のリコール届け出がなされ、この年の中間期連結決算では過去 最悪の最終赤字が発表された。 しかしこのような経験は、その後に生かされなかった。今度は、A自動車製の大型トレーラーか
2.2
技術者の責任・内部告発&事例
43
ら左の前輪が脱落し、歩道を歩行中の母子を直撃、母親が死亡するという事故が起きたのである。 事故の直接の原因は、車輪と車軸をつなぐ部品である「ハブ」が破断したことによって、タイヤが ホイールごと外れたことにある。A自動車側は当初、事故車両には整備不良箇所が多かったことや、 破断したハブの摩耗量が大きかったことなどから、ハブのボルト締め付け不良などの整備不良が原 因であると主張していた。 しかし、その後の社内調査結果として、A自動車は、設計上の欠陥による強度不足によってハブ が破断した可能性を認めることになる。そしてこのことは、事故の数ヶ月後の段階で既に分かって いたことも明かになった。それにもかかわらず、事故後に行った大型車両の無料点検に際しては、 ユーザー側の整備不良が原因で事故が起こる可能性を主張してきた。2年近くリコールを怠って密 かに修理(いわゆるヤミ改修)をしていたことになる。 (b)
解
説
これら一連のトラブルや事件からここで考えるべき問題は、(1)
設計上の欠陥、(2)
法令遵守、
の二点である。まず、(1) 「設計上の欠陥」について考えてみよう。「設計」に関する詳細な検討に ついては、2.1( 「安全性・設計&事例」 )あるいは4.2(「設計について」)で詳述するのでここでは省 略する。しかし、技術者にとって「設計」の問題が、自らの社会的な存在意義を左右するような最も 根本的な問題であることだけは、ここで強調しておきたい。工学者の畑村洋太郎は、設計を、技術に 直接関連する「狭義の設計」と設計を取り巻く社会・経済的な要因からなる「広義の設計」とに分け、 それらの制約条件を挙げている。ハブやクラッチの構造的欠陥の問題は、「狭義の設計に対する制約 条件」 (加工法、コスト、時間、安全性、信頼性など、14の制約条件)の中でも最も基本的なものであ り、ないがしろにされてはならないものであろう2)。 確かに、入念に設計が行われた場合でも、欠陥や不具合が完全にゼロになるということはふつう考 えにくい。しかし、ここでのハブに関する構造上の欠陥は、実車実験や耐久試験を省略したことの中 から生まれている。そして結果として、車検の点検項目に入らず、ふつうの使用では破損してはなら ないはずのハブという部品が、著しく耐久性を欠くという事態に至った。このように、普通であれば 当然なされるべき技術的手続きを抜きにした設計がなされたことについては、専門職集団としての技 術者にとって、技術者の「プライド(誇り) 」という観点から本気で再検討される必要があるのではな いか3)。事は、一握りの技術者だけにとどまらず、技術者という職業全体への信頼の問題に波及する からである。 (2)「法令遵守」については、畑村のいう「広義の設計に対する制約条件」(ニーズ、製造物責任、 環境保全、価格、社会情勢など、14の制約条件)に該当する4)。「法令遵守」とは、企業活動を行う際 に要求される関連法令や諸規則・ガイドラインなどの遵守義務のことである。畑村の指摘するように、 「設計」を「企画→設計→製作→販売→使用→後対応」5)という広い範囲をカバーするものと理解すれ ば、当然、 「法令遵守」というような社会的要因も「設計」において欠かせない要素となる。つまり、
44
2章
工学倫理の基本問題
「技術者はモノ作りを技術的観点からだけ考えればよい」というわけではないということである。そ の意味で一連の「リコール隠し」は、販売や使用に関わる単なるビジネス倫理上の問題としてだけで はなく、 「設計」という観点からも考えられなければならない。そして少なくとも当時、「リコール隠 し」という法令義務違反が恒常的に行われていたということは、 「販売、使用、後対応」というような 「広義の設計に対する制約条件」の後半部分が、 「設計」という概念の中に組み込まれていなかったこ とを意味している。 専門職としての技術者は、 専門的な知識や技術に関して自律的であることが求められる。とは言え、 同時に企業組織に所属するものとして、技術者が組織としての企業方針に抵抗することはかなり困難 なことだろう。しかし、ニューヨークの「シティコープタワー」6)のように、工事終了後に判明した構 造上の問題から、自主的に再工事を行った事例もないわけではない。コストや納期というような制約 条件を超えて、安全性を優先するという態度は、専門的な知識という観点からすれば、まさに技術者 によって可能になるものである。そしてそこにこそ、技術専門職のプライドはかけられるべきなので はないか。
(2)
事例2―東京電力トラブル隠し事件
(a)
概
要
この事件は、東京電力が運転する原発のうち13基において、1980年代後半から1990年代前半にわ かいざん
たって、自主点検で発見された記録が改竄され、定期検査の試験データが偽装されたというもので ある。しかし、原子力安全・保安院(エネルギーおよび産業活動の安全規制、保安を管轄する経済 通産省の一機関。以下、保安院と略記)と東京電力が、当初、これらの行いによって、原発の安全 性に直接大きな影響はないという立場をとったため、世論からは厳しい批判を受けた。そして、福 島第一原発一号炉で行われた定期検査データの偽装行為に関して、一年間の運転停止命令という、 かつてない厳しい行政処分(原子炉等規制法違反)が出された。 (b)
解
説
この事件を次の3つの観点から検討してみよう。まず第一は「内部告発」の問題である。そもそも このトラブル隠しは、2000年7月3日に、原子力発電の自主点検を請け負っていた「ゼネラル・エレ クトリック・インターナショナル・インク社」の元社員が、通産省(当時)に対して、このトラブル ・・ 隠しに関する内部告発を行ったことに端を発している。しかし、保安院から東京電力に対して、文書 ・・・ による内部調査依頼があったのは2000年12月になってからのことであった。そして実際に東京電力が 社内調査委員会で調査をしたのは、その1年半後の2002年5月である。さらに、東京電力から「不実 記載の疑いがある」との申告がなされ、保安院によってそれらが発表されたのは2002年8月であり、 元社員の内部告発から実に2年が経過していた7)。 こうした内部告発の処理に関しては、いくつかの問題が指摘される。まず、通産省と東京電力は明
2.2
技術者の責任・内部告発&事例
45
らかに対応が遅いと言える。その原因の一つは、保安院が当初、この告発内容に関して、東京電力に ・・・ ・・・・ 口頭で内容照会を行い、まず自主的な調査に任せたという点にある。その後、上述のように文書によ ・ る調査依頼がなされることになるが、その際保安院は本人の同意なしに、告発者の氏名などの詳細情 報を東京電力側に渡してしまっていた。 この内部告発に先立つ2000年7月1日には、改正によって内部告発者保護規定が盛り込まれた「原 子炉等規制法」が施行されている。この法律の第66条の2では、以下のことが規定されている。まず、 原子力事業者等がこの法律またはこの法律に基づく命令の規定に違反する事実がある場合、 従業者は、 その事実を関係の大臣または原子力安全委員会に申告することができること。そして、その申告を理 由に、従業者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならないこと。 このケースの場合、内部告発者は、告発時には既にレイオフ(再雇用を条件とする一時解雇)され ており、告発を理由に新たに不利益を被ることはなかったと判断される(途中から名前を出しての調 査に同意している) 。しかし、事実確認の方法や重要な個人情報の保護という観点から言って、大いに 手続上の問題を残したことは確かである。そしてこうした不手際によって、保安院のメンバーも処分 を受けることになった。 かいざん
第二の問題は、 「記録の改竄および報告義務違反問題」である。これは、東京電力が、1980年代後半 から1990年代前半にわたり、原子力発電所の自主点検で発見した29件の記録を、改竄し国に報告しな かった疑い(「電気事業法」の報告義務違反など)があるという問題である。改竄されたデータは、レ ンチの紛失というようなケアレスミスから、炉心の核燃料を覆う隔壁(シュラウド)などのひび割れ などに至るまでさまざまであった。 原子力安全・保安院の調査と見解8)によれば、以下のような点が問題視された。(1)
技術基準適
合義務等を遵守していなかった可能性が6件ある―シュラウドのひび割れが電気事業法に基づく技術 水準に適合しているかどうかを確認し評価や記録を行う必要があったが、それを怠った可能性、およ び関連法規に定められた書類保存義務を果たしていない可能性がある。(2) 通達等に基づく国への 報告を怠ったり、事実に反する報告を行った可能性が5件ある―通達によって義務とされている報告 を怠ったり、原子炉の機能低下などに関係する報告(日付等)が事実に反していた。(3) 事業者の 自主保安の在り方として不適切なものが5件ある―設備の経年変化に関して、事業者自らは記録を保 存せず、継続的な監視を行わず放置したり、不具合の確認や補修が行われたにもかかわらず、請負会 社に記録の削除を依頼したり、日付を改竄したりした。しかしこれらの事実に関しては結局、確証が なく断定はできないという理由で、刑事告発や行政処分は行われなかった。なぜなら、改竄(あるい は隠蔽)によって問題のあった箇所は、数年後には「予防保全」という形で交換済みだったからであ る。 第三の問題は、国の立ち会い検査に際して、検査データを偽装したという問題である。これは、 1992年に実施された福島第一原発一号機の定期検査で、東京電力と技術担当企業の日立が協議し、気 密性試験に合格するよう原子炉格納容器内に圧縮空気を注入してデータを偽装したというものであ
46
2章
工学倫理の基本問題
る。原子炉格納容器とは、原子炉圧力容器を収納する鋼鉄製の容器だが、圧力容器のトラブルに備え て厳密な機密性維持が要求される。さらに、東京電力からの指示で、日立が配管内への窒素の漏れを 防ぐ閉止板を設置して、別の偽装も行われていた。この問題で、福島第一原発一号機は、 「原子炉等規 制法違反」による1年間の運転停止命令というかつてない厳しい行政処分を受けた。また、日立では、 本社とグループ会社の幹部や社員らを、また東京電力では、検査にかかわった社員を処分した。 第二と第三の問題からは、研究や実験データ(この事件の場合は検査データ)の取り扱いをめぐる 典型的な二つの問題を見て取ることができる。それは、(1) データに関する誠実さと、(2) 実験 に関する誠実さである。(1)に反する場合、実験は正しい手続きで行われるが、得られたデータが満 足いかないものであるときに、それを改竄したり、隠蔽したりすることになる。(2)に反する場合は、 望ましいデータが出るように、実験環境にあらかじめ不適切に手を加えることになる。いずれにして も、出てきたデータは一見適切なものであるように見える。しかし、どちらの場合も、実際に提示さ れたデータが、信頼に足るものではないことは明らかである。 科学や技術が成り立つ基盤という観点からすると、検査データの改竄や偽装には、根本的な問題が 含まれている。なぜなら、科学技術上の手続きは、それらが適正に行われた(つまり誠実に行われた) ことを前提として進められるからである。新しい発見や技術の展開に関するデータが、そのような意 味においてそもそも信頼のおけないものであるとすれば、わたしたちは、特定のデータをもとに研究 や開発を行ったりすることができなくなるだろう。たとえば、 「あるグループのデータには、時々嘘が 含まれる」ということを誰もが知っている(一般化している)と想定してみよう。そのようなデータ から導出された結論を、一体誰が信用し、まして追試験しようと思うだろうか。 この事件には、内部告発および検査データの改竄・偽装という近年しばしば取り上げられる問題が、 共に含まれている。適切な内部告発とはどのようなものかという議論はひとまず置いておくとして も、公益性と安全性との関係がきわめて重要視される原子力発電事業において、こうした問題が頻発 していることの意味については、普通の市民としても技術者としても、見過ごすことができないよう に思われる。 (3)
事例3―六本木ヒルズ自動回転ドア事故
(a)
概
要
2004年3月に、東京都港区にある「六本木ヒルズ」で、6歳の男の子が自動回転ドアに挟まれて 死亡した。こうしたタイプのドアは、近年、高層ビルの入り口に設けられることが増えていた。ス ライド式のドアと比べると回転ドアは、 建物の気密性を保ちやすく冷暖房効率が良いということや、 吹き込んだ風の圧力で建物内部のドアが開けにくくなることが少ないこと、などがその理由だと言 われている。 ドアの構造を図2.10に示す。このドアには事故防止のための赤外線センサーが6カ所設置され、 人がはさまれるのを防ぐ仕組みになっていた。しかしドアは、対象を感知した後も即座には止まら
2.2
技術者の責任・内部告発&事例
47
ず、さらに25センチ程度は動く仕様になっていた。一つには、ドア自体の重さと速度のために急停 止できないこと、もう一つには、急停止はドアの内部にいる人にとって危険であるという理由によ る。また、この回転ドアは他のタイプとは異なり、人がぶつかったりした場合にドア部分が動くよ うになっていなかった。 さらに、自動回転ドアの赤外線センサーには死角もあった。当初のメーカー側の説明では、地上 15センチから80センチまでの範囲でセンサーが感知しない設定になっており、身長約117センチの この少年はセンサーが感知するはずだった。しかし実際には、事故当時のセンサーの感知範囲設定 は、地上120センチから天井までになっていたという。 自動回転ドアの素材には、主としてアルミ製とステンレス製がある。ステンレス製はアルミ製よ りも重いが見た目はよく、最近の高層ビルにはステンレス製の回転ドアが好まれる傾向があった。 六本木ヒルズのドアは、ステンレス製で2.7トンという、業界でも最も重い部類に入るものだった。 さらにこのドアは、最大速度に設定されていたことが分かっている。このタイプのドアの標準回転 速度は、1分間に2.8回転であったが、事故のあったドアは、人の出入りが多いことを理由に最大速 度の3.2回転に設定されていた。 当時、回転ドアに法的な安全基準はなく、安全性の確保はメーカーやビル管理者に委ねられてい た。この事故を受けて実施された調査では、全国の大型自動回転ドアで、270件もの事故(人身事故 133件)が起きていることが分かった。2004年6月には、国土交通省と経済産業省のとりまとめで、 「自動回転ドアの事故防止対策に関するガイドライン」が策定され、回転速度などの具体的項目に関 する制限規定などが定められた。大阪府では、自動ドアやエレベーターなどの事故に関する報告を 条例で義務づけることになり、また東京都では、都建築安全条例を改正し、特定施設における直径 3メートル以上の回転ドアが、新設禁止になった。 ① 起動センサー(回転ドア用) ①
② 起動センサー(スライドドア用)
②
⑤
③ 低速回転機能(身障者用ボタン) ⑦
④ 非常停止ボタン ⑤ 扉追突防止機能
⑧
⑥ スライドドア挟まれ防止機能 ⑦ 挟まれ防止機能(センサー式)
⑩
⑧ 挟まれ時停止機能(タッチ式) ④ ⑪
⑮
⑫
③
⑨ かかと巻き込み防止機能 (タッチ式) ⑩ ショーケース部追突防止機能 (センサー式) ⑪ ショーケース部追突時停止機能 (センサー式)
⑨
⑬
⑭
⑥
⑫ 閉じ込まれ警報ボタン ⑬ ショーケースドア
図2. 10 自動回転ドアの構造(経済産業省・国土交通省のプレス発表資料(2005/04/08) )
48
(b)
2章
解
工学倫理の基本問題
説
この事故の特徴を検討してみよう。まず第一は、類似の事故に関する情報が十分に生かされなかっ た、ということがある。それは、危険情報の収集や分析、さらにはその伝達が、事故防止に繋がらな かったということを意味している。事件後の調査からも明らかなように、大型の自動回転ドアによる 事故は既に全国で270件も起きていた。 しかしこの情報は、事件後になって明らかになったものであり、少なくともそれらは、事前には一 般に共有されていなかった。つまり、管理する側も利用する側も、危険性についての認知度が低かっ たわけである。事故の起きた六本木ヒルズ内では、死亡事故が起きるまでに、救急搬送10件を含む32 件の回転ドア事故が起きていた。 このような事故情報をめぐる伝達の構造は、回転ドアにかぎらず、モノの安全性をめぐって、あら ゆる場面で考えられる。問題は、ともすれば滞りがちな、そうした情報をどうすれば円滑に共有する ことができるか、ということである。それは、技術の問題であると同時に組織の問題であり、単純に 技術の問題だけに還元できない性格を持つ。どのような情報を収集し、どのような事態をリスクと認 識するか、あるいはそれらにかかるコストはどれだけか―これらはまさに、工学倫理とビジネス倫理 がクロスする点となる。 第二の特徴は、設計における「安全性」のレベルについての考え方に関わる。製造物の安全性を確 保するための考え方として、 「製造物それ自体の安全性」というレベルと「制御することで得られる安 全性」というレベルがありうるだろう。この事件に即して言えば、前者のレベル(レベル1)は「回 転ドアそのものの安全性」であり、後者のレベル(レベル2)は、回転速度の調整や赤外線センサー による緊急停止機能などである。 レベル1は、この場合、そもそも「はさまれにくい構造になっていること」や、 「万が一はさまれた としても重大な事故にはならないような構造」のことを意味する。この観点からすれば、回転ドアの 材質がアルミからステンレスに変更されドアの重量が大幅に増加したことについて、設計という観点 からの吟味が必要になる。 レベル2(制御することで得られる安全性)は、いわゆる「フェイル・セイフ」、あるいは「フール・ プルーフ」として確保されるような安全性を意味する。「フェイル・セイフ」とは、一部が壊れても、 全体として安全性が保たれるようにするシステムのことであり、 「フール・プルーフ」とは、それにつ いてよく知らない人が操作したり、誤った操作がなされても危険が生じないようにしたりするシステ ムのことである。つまりこれらは一種の安全弁であるが、ここでは、回転ドアの速度や安全センサー の設定値などが、その吟味の対象になりうる。 「安全」とは何かについては、たとえば次のように定義される。「そのリスクが完全に理解されてお り、同意された価値原理に照らして理性的な人間によって受け入れられると判断されれば、ある事物 「害や損失が生じる可能性」のことだと理解 は安全である」9)。ここでいう「リスク」とは、広義には、 されるが、リスクは次のような要素によっても影響される。1) 自発的リスクと非自発的リスク(そ
2.2
技術者の責任・内部告発&事例
れを知りつつ引き受けられたリスクとそうではないリスク)、2) 的結果に関するリスク(損害の影響が一時的か長期的か)、3) 4)
復元可能性(発生した被害が回復可能か否か)、5)
か否かの限界値) 、6)
49
短期的結果に関するリスクと長期
予想される発生率(リスクの発生率)、
リスクのしきい値レベル(損害が発生する
遅延的リスクと即時的リスク(実際に損害の生じる時期)10)。
「リスク」という概念が、このように様々な観点から語られうる以上、 「安全」もまたそれに応じて かなりの幅を持つ概念だということになる。ただ、いずれにしても、誰にとっての「安全性」なのか を明確化し、それを検証可能な形で確認することは、 「設計」という作業において常に避けては通れな い要素である。なるほど、 「絶対的な安全は存在しない」というのは確かである。しかしだからこそ、 専門的な知識を持つ技術者が、その段階で考えられるだけのことを本当に考え、その上で(技術的に も)合理的な選択が行われたのかについて常に自問し、必要があれば開示できるような備えがあるこ とが、技術者の自律性として求められているのではないだろうか。
注・参考文献 1)以下の事例1〜3は、朝日新聞の記事データ・ベース[聞蔵
DNA for Libraries]などを利用して、
筆者が再構成したものである. 2) 『設計の方法論』畑村洋太郎、岩波書店、2000、p.23を参照のこと. 3)技術者の「誇り」については、 『誇り高い技術者になろう』黒田・戸田山・伊勢田編、名古屋大学 出版会、2004.を参照のこと. 4)畑村、前掲書、p.23. 5)畑村、前掲書、p.32. 6)『はじめての工学倫理』齋藤了文・坂下浩司編、昭和堂、2001、pp.30-1. 7)原子力資料情報室『検証
東電原発トラブル隠し』岩波書店、2002、p.15以下を参照.
8) 「原子力発電所における自主点検作業記録の不正等の問題についての中間報告」、 『原発事故隠しの 本質』反原発運動全国連絡会編 所収、七つ森書店、2002、pp.72-82. 9)『工学倫理入門』シンジンガー&マーチン、丸善、2002、p.159. 10)Engineering Ethics, 2nd Edition, C. B. Fleddermann, Prentice Hall, 2003, p.64を参照のこと.
50
2章
工学倫理の基本問題
ちょっとひといき 「安全を守る技術」 2006年2月18日午後3時27分に,種子島宇宙セン ターからH-IIAロケット9号機を打ち上げられまし た。今回の打ち上げは成功しましたが,2003年11月 29日のH-IIAロケット6号は遭えなく失敗しました (本文中(3)の事例はH-IIロケットで,このロケッ トは後続ロケットです)。事故の概要はつぎのよう です。打上げ後約105秒にロケット搭載の誘導計算 機から本体の横に取り付けられている2本の固体ロ ケットブースタSRB-A(Solid Rocket Booster-A)に 分離信号が送り出されましたが,このうち1本が分 離しませんでした。固体ロケットブースタとは,写 真の火を噴いている装置で, 全長15.2m,直径2.5m, 質量71t,推薬質量66t,推力230tの大型固体燃料 写真 H-IIAロケット9号機の打ち上げ,提 供
宇宙航空研究開発機構(JAXA)
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http://www.jaxa.jp/
ロケットです。このため,徐々に慣性速度が不足し 始め,第一段の分離後,第二段が燃焼を開始しまし たが,このままでは,衛星の軌道投入に必要な高度
および速度が不足すると判断され,13時43分53秒(打上げ後約10分53秒)に指令破壊信号がロケッ トに送信されました。ロケットは太平洋上に落下したものと推定されます。 打ち上げ失敗の原因は飛行データの分析,実験及びシミュレーション解析結果などによって分 析され,JAXAのホームページに詳しく報告書されていますが,簡単にまとめますと,点火後固体 ロケットブースタのノズル内面の断熱材の表面が溶けてノズル(吹き出し口)まで達し,燃焼ガ スの漏洩が発生しました。この漏れ出した燃焼ガスによって,その近くに装着された分離用導爆 線の温度が上昇し,分離信号を伝達する導爆線の機能が喪失した結果,切り離しができなかった とされています。 このような重要で高価な装置は,設計や製作においてはもとより,部品の組み立ての段階にお いても長時間かけて検査されます。第一段の推進装置である固体ロケットブースタは大型のロ ケットで,内部に推進薬が充填されます。この工程が終了した後,直線加速器型X線CTスキャ ナーを用いて検査が行われ,充填された推進薬に欠陥,クラック,異物,大きな空孔がないこと が確認され,打ち上げに際しての安全を確保するようになっています。この装置のX線の出力エ ネルギーは12MeVと大きく,医療用のX線CTスキャナーの出力エネルギー140keV(キロエレク トロンボルト)の約86倍です。鉄のような高密度の材料でできた大きな物体の内部構造を高精度 に非破壊で検査することができます。
2.3
2.3
製造物責任と厳格責任&事例
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製造物責任と厳格責任&事例
日本では「製造物責任法(PL法:Product Liability法) 」が平成7年7月より施行されている。この法 律は、製造物の欠陥によって消費者が被った拡大被害に対して、被害者への損害賠償を促進する狙い で、民法の特別法として制定された。製品の欠陥で生命、身体、財産に損害を受けた場合、被害者が 「製造業者等の過失の有無にかかわらず」損害賠償を求めることができる。このような無過失責任の 法理は、米国では1960年代より採用され、 「欠陥があると極めて危険な製品の場合、製造者は不法行為 法上極めて厳格な責任を負う」と判示され、 「製造者に厳しい責任を課す」法理という意味で厳格責任 という表現もされてきている。その意味で、厳格責任とは、無過失責任の一種と考えられる1)。
(1)
製造物責任(PL)法とはなにか
製造物責任法とは、 「製造物の欠陥により人の生命、身体または財産に係る被害が生じた場合におけ る製造業者等の損害賠償の責任について定めることにより、被害者の保護を図り、もって国民生活の 安定向上と国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする」 (第1条)法律で、製造物・欠陥・製 造業者等の定義(2条) 、賠償責任の範囲(3条) 、期間の制限(5条)、免責事由(4条)、民法との 補足関係(6条)等を規定している。 (巻末資料Ⅱ.参照)
(2)
製造物責任(PL)法はなぜ制定されたか
先ず第1に、大量生産・大量消費の現代社会においては製造物がますます複雑・高度化し、消費者 と製造業者の間で情報や危険回避能力の格差が拡大し、製品の安全性確保は製造業者に依存する度合 いが高まってきた。製造業者の過失の証明は、被害消費者にはますます困難になり、従来の民事責任 ルールでは製造物の欠陥によって発生する被害に充分対応できないことが明らかとなり、消費者犠牲 の上に企業の利益追求が成り立つという法的不平等の状況が認識されてきた。第2に、このため、製 品関連事故における被害者の円滑かつ適切な救済という観点から、損害賠償ルールを、民法一般原則 である「過失」責任主義から「欠陥」責任主義へ転換し、被害者の立証負担を軽くすることを目的と して製造物責任法が制定された2)。 したがって、この法律の主眼は「被害消費者の迅速・適正な救済・保護の促進」にあるが、このこ とが行き過ぎて「国民経済の健全な発展」を阻害することがないように立法者がバランスをとった文 言となったともいわれている。 それはともかく、このような無過失責任の法理を採用する論拠となる社会的効果としては、 ①保護促進効果:製造者等の責任追及を容易にすることで被害者が救済されるので、欠陥製品の危険 から自らを守ることに無力な消費者の保護が促進される。 ②欠陥抑止効果:製造者に厳しい責任を課すことによって、製造者がより安全な製品を作るように注
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2章
工学倫理の基本問題
意するようになり、欠陥製品の削減や製品の安全性向上に役立つ。 ③損失分散効果:賠償金のための保険費用や良品提供のための製品管理、製造工程管理費を、製品価 格に薄く広く転嫁してその負担を消費者全体に分散させることができる。 さらに、④裁判の争点の明確化、判例の水準の平準化といった裁判に与える影響、⑤裁判外クレーム 処理の円滑化、⑥国際的に調和の取れた制度の確立なども期待されている3)。
(3)
「製造物」とは何か
この法律において「製造物」とは、製造または加工された動産をいう(2条1項)。一般的には、大 量生産・大量消費される工業製品を中心とした、人工的な操作や処理がなされ引き渡された動産が対 象となる。故に、不動産、未加工農林畜水産物、電気、ソフトウエアといったものは該当しない。「動 産」とは不動産以外の物であり(民86条2項) 、 「物」とは有体物である(民85条)から、不動産は対 象外であり、有体物に該当しない電気等のエネルギーや役務(サービス)の提供、ソフトウエア等も 除外された。エネルギー供給器機やソフトを組み込んだ機械に欠陥があれば対象となりうる。ちなみ に、アメリカでは電気については裁判判断が分かれている。EC指令(EC加盟国が共有する製造物責 任に関する取り決め)では電気を製品(製造物)と明確に規定、未加工農林水産物は各国のオプショ ンとされている。 個別の注意点 1.不動産: EC指令にならって除外した理由は①不動産紛争は契約責任で対応が可能、②土地 工作物責任(民717条)で第三者被害の補償が可能、③大量生産・大量消費という形態に合わ ない、ということだが、土地工作物責任の主体が所有者・占有者(通常は消費者)であり、 製造業者の責任追及ができないから、将来的には不動産も本法の対象に入れるべきという意 見もある。また建物の部品・部材・原材料は本法の対象となり、プレハブ住宅などは、製造 物責任の対象となる動産を多数含む最終製品としての不動産であることに注意が必要であ る。 2.未加工農林水産物:
「製造又は加工された動産」という定義により未加工農林水産物は対
象から除外されたが、人為的な処理が高度の場合(高度な人工飼育・養殖産物など)は製造 物とする解釈も可能という点に注意が必要である。 3.血液製剤など:
全血製剤、血液成分製剤、生ワク、不活性化ワクチンすべて対象。
4.部品、原材料、中古品、廃棄物: 部品、原材料、中古品は対象となる。廃棄物は、 「製造・ 加工された動産」なので対象に含まれるが、製品として利用が予定されていないことが明白 な場合は、欠陥や因果関係の存在が否定されることとなろう4)。
2.3
製造物責任と厳格責任&事例
53
事例1.(東京地裁平14・12・13)5) イシガキダイのアライ、兜焼き等により、客がシガラテ毒素を原因とする食中毒に罹患した場合 に、その調理行為は製造物責任法(以下「法」という)にいう加工に当たるとして損害賠償責任が 認められ、食中毒にPL法が適用された事例。 事案の骨子:原告らは、K市で被告が経営する割烹料亭でイシガキダイ料理を食し、これに含まれて いたシガラテ毒素を原因とする食中毒に罹患し身体を侵害され損害を被ったとして、被告に、製造物 責任(法3条)または瑕疵担保責任(製品の欠陥修補に代え損害賠償請求できる規定(民法634条2項)) にもとづき、診療費、休業損害、慰謝料等の損害賠償を求めた事案。 原告らの主張:本件食中毒は、被告が調理したイシガキダイ料理を原告らに提供し、これを食させた 結果発生した。被告が業として「加工」し、原告らに食させた料理(製造物)の「欠陥」 (シガラテ毒 素を含んでいた)により原告らの身体または財産が侵害されたので、被告は、法3条にもとづき、原 告らが被った損害を賠償すべき責任を負う。 被告の主張:法は危険責任、報償責任の法理にもとづき製造業者等に厳格責任を負担させるもので、 責任を負担すべき製造業者は消費者と比し圧倒的力関係にある工業的製造者を予定しており、個人経 営の飲食店や調理人個人は法の予定する責任主体ではない。また製造物責任を課すためには、製造業 者が欠陥の原因と、それによる危険性を回避しあるいは発見除去しうる程度に関与していながらそれ を見逃し回避除去できなかったことが認められる必要があるが、イシガキダイにシガラテ毒素がある か否かを識別する技術は当時も現在も存在しないし、被告が危険を認識し対策を講じることは不可能 ないし著しく困難であった故、本件は法の予定する事案ではなく、法の適用はない。 裁判判断:(製造物責任の成否―製造物該当性の有無)について 製造業者が過失を要件としないで損害賠償責任を負担すべき根拠は、①製造物の安全性の確保はそ の製造または加工の過程に携わる製造業者に依存しており、当該製造物のもつ危険性を制御すべき立 場にある製造業者がその顕現した場合の損害を負担すべきであるとの「危険責任の法理」、②製造業者 は製造物を製造又は加工する事業活動により利益を得ており、当該製造物の欠陥により他人に損害を 与えた場合には、その損害を負担すべきであるとの「報償責任の法理」、③製造物の利用者は、製造業 者がその製造物の安全性を確保していることを信頼してこれを利用しており、この信頼に反して損害 が発生した場合には製造業者が損害を負担すべきであるとの「信頼責任の法理」にある。この法理に より、公平の観点から被害者の円滑かつ適正な救済を図ることが法の狙いである。 また法は製造業者の過失の立証を求めず、損害賠償責任の帰責根拠を製造業者の「過失」から製造 物の「欠陥」に置き換えることで、被害者の立証負担を軽減し適正な救済を図ろうとするものである から、被告が主張するように、加工者が危険を回避し除去できる程度に関与したことの証明を被害者 に求めることも当を得ない。 さらに、被告の調理行為は、原材料であるイシガキダイに手を加えて新しい属性ないし価値を加え
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2章
工学倫理の基本問題
たものとして「加工」に該当し、本件料理は加工された動産として「製造物」に該当する。また食品 はその性質上、無条件的な安全性が求められる製品であり、食中毒の原因となる毒素が含まれていれ ば通常有すべき安全性を欠いていることになるから、本件料理がシガラテ毒素を含んでいたことは製 造物の欠陥に当たる。従って被告は法3条にもとづき製造物の欠陥による製造物責任を負うべきであ る。 被告は個人で飲食店を経営する調理師にすぎず、客である原告らとほぼ同等の力関係にあり、要求 される義務を尽くして料理を提供しても、本件イシガキダイに含まれるシガラテ毒素を発見除去し得 なかった本件のような極めて稀な食中毒事例にまで法を適用し、一方的に損害を被告に転嫁すること は損害の公平な負担という不法行為責任の基本原理から見て不合理であり社会通念上も相当でないと 主張する。しかし、法では、製造物責任を負うべき主体は、製造物の製造、加工または輸入を「業と して反復継続する者」に限られており(2条3項)事業態様や経営規模に特段の制約を設けていない。 また、製造物の欠陥で、過失を前提としない製造物責任を負担すべき危険が業務に伴うことにつき、 危険の分散回避の措置を予め講じておくように、法の施行までに責任保険制度の普及が図られたこと は公知の事実である。被告は本件食中毒の発生以前から客が食中毒になった場合の食品事故を共済事 故とする食品営業賠償共済に加入しており、補償限度額5,000万円の範囲で共済金の支払いを受けて 損害を補填することが認められているから、被告が製造物責任を負担し原告らの損害を賠償すべきこ ととなっても公平の原理に反し妥当性を欠くとは到底いえない。 裁判判断:(製造物責任の成否―開発危険の抗弁)について6) 被告は既存の文献・報告等の知識を総合すれば毒化したイシガキダイがK市の海域で漁獲されるこ とも予測できないことではなく、イシガキダイを食材とする本件料理がシガラテ毒素を含んでいたこ との認識が全く不可能だったとはいえないし、これらの知識の入手が不可能だったとも認められない 故、法4条による免責は認められない。なお、被告はシガラテ毒素の識別が著しく困難で有効な予防 対策がないことも免責の根拠として主張するが、法4条の証明がない限り、たとえ欠陥の発生の防止 措置や発見方法が存在しないことが証明されても製造業者等が製造物責任を免れるものではないと解 すべきで、被告の主張は失当である。 裁判結果:以上のような判断により被告に原告らへの損害賠償金の支払いが命ぜられ、瑕疵担保責任 の成否に関しては判断不要とされた事例である。
(4)
製造物責任(PL)法でいう「欠陥」をどのように考えたらよいか
この法律でいう「欠陥」とは、当該製造物に関する様々な事情(判断要素)を総合的に考慮して、 「製造物が通常有すべき安全性を欠いていること」をいう(2条2項)。従って、安全性に関わらない 単なる品質上の不具合や、欠陥による被害がその製品の損害にとどまった場合であれば、この法律の 賠償責任の根拠となる欠陥には当たらない(第3条)。この法律による損害賠償の請求権が認められ るのは、製造物の欠陥によって、人の生命や身体に被害をもたらした場合や、財産に損害が発生した
2.3
製造物責任と厳格責任&事例
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とき(拡大被害が生じたとき)である(1条) 。なお、この法律でいう「欠陥」に該当しないためこの 法律での損害賠償責任の対象にならない場合(製品の品質不良やそれによる被害が製品自体の損害に とどまった場合)でも、現行の民法に基づく瑕疵担保責任、債務不履行責任、不法行為責任などの要 件を満たせば、被害者はそれぞれの責任に基づく損害賠償を請求できる(6条)。 欠陥の種類と判断基準 ①
設計上の欠陥:設計段階で安全性に充分配慮しなかったために、製造される製造物全体が安全性 に欠ける結果となる。
②
製造上の欠陥:設計・仕様通りに製造物が作られなかったり、製造過程での異物混入や粗悪材料 の混入や組立て誤謬等により、安全性に欠ける結果となる。
③
指示・警告上の欠陥:有効性ないし効用との関係で除去し得ない危険性が存在する製造物につい て、その危険性の発現による事故を消費者側で防止・回避するのに適切な情報を与えなかった場合。 ①と③の場合には全ての製品に欠陥ありということになるが、②の場合は、製造上どうしても一定
比率で発生するが、設計・仕様・適正製造管理に適順した製品には欠陥はない。そのため、設計書や 仕様書などの標準から逸脱していたか否かという標準逸脱基準によって欠陥を判断することが多く認 められており、製造上の欠陥に関しては、 「通常有すべき安全性を欠いていること」を基準とする本法 でも標準逸脱基準によってよいといといわれる。 欠陥の判断にはまた、製品の有する効用と危険とを比較して危険が効用を上回れば欠陥ありとする 危険効用基準や、通常の消費者が期待する安全性を製品が有しているか否かを基準とする消費者期待 基準がよく用いられる。 製造物責任では、製品の効用を享受する被害者の行為も関係するので、効用と危険を比較する危険 効用基準が本質的に適切な面があるとの指摘もある。消費者期待基準では、消費者の期待が主観的で あったり非現実的であったりする事件もあり得るし、さらに、危険な性質であることが消費者に予め 明らかであると、常に責任が発生しないという不都合があるからともいわれている7)。
事例2.(奈良地判
平15・10・8)8)
小学3年生が強化耐熱ガラス製の学校給食用食器を落として破損させ、飛び散った鋭利な破片で 右目を受傷した事故について、食器が割れた場合の危険性への十分な表示がなかったとして、食器 製造メーカーの製造物責任が認められた事件。 事案の概要:小学3年生(原告)が、給食用食器として使用中の強化耐熱ガラス食器(商品名コレー ル)を床に落し、飛び散った微細かつ鋭利な破片で右目に受傷、さらに後遺障害もあり、本件食器な いしコレールは製造物として通常有すべき安全性を欠く(欠陥がある)として、当品を加工・販売し ている被告らに製造物責任法3条により損害賠償を求めた事案である。 裁判所は、原告の請求に係る争点のうち、原告が主張する本件食器の「設計上の欠陥」については
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2章
工学倫理の基本問題
理由がないものとし、 「表示上の欠陥」については認める判断をした。 認定事実:コレールは積層強化ガラス製食器で、構造的に強度を高め割れにくいが、いったん割れた 場合には破片が激しく飛散する性質がある。コレールは陶磁器の約三分の二程度の重さで収納するの に場所を取らず、耐熱性が高く汚れが付きにくい。他の素材と比較して酸やアルカリ、有機溶媒など に強く有害物質の溶出がない等の利点もあり、学校給食容器として各地で導入されてきていた。本件 事故に先立ち平成8年に東京都で2年生の女子児童が給食用食器のコレールを落とし、破片で左目角 膜に傷害を負う事故が発生。両親が平成11年に損害賠償訴訟を起こし本件事故と共に新聞報道され た。これを受け経済産業省は、事故同等品の破損状況、比較品との落下強度比較、破片の飛散状況比 較など「積層強化ガラス製食器の品質・安全性に関する商品テスト」を行い、結果を平成13年1月に 事故情報特記ニュースで公表。3月には同ニュースで、強化ガラス製食器の使用に当たって、堅い床 に落ちた場合には破損することがあり、急激な衝撃を避けること、破片が激しく飛散しケガをする潜 在的な危険性があることなどの注意情報を出していた。 争点:設計上の欠陥について 設計上の欠陥とは製造物の設計段階から安全面で構造的な問題がある設計そのものの欠陥である が、危険性があってもそれを上回る社会的有用性を併せ持つ製造物も多く、設計上の欠陥があるとい えるか否かは、単に危険性を有するかだけでなく、製造物の有用性、危険性の性質、その危険の回避 可能性及び難易度、その製造物につき安全対策を取ることが有用性に与える影響、利用者が危険を予 見し回避することが可能であったか等をも総合的に考慮して判断すべきである。学校給食用食器は、 危険性の判断や適応について、十分な能力を有しない幼児や低学年児も使用することが想定され、高 い安全性を有すること、仮に危険性を内包するものであれば十分な対策がなされていることが期待さ れる。また、学校給食は学校教育の一環として行われ教育的見地からの有用性も無視し得ないという べきである。 認定事実によれば、コレールは給食用食器として軽くて取り扱いやすく有害物質の溶出がないとい う有用性がある。原告が設計上の欠陥と主張する①「糸底のない形状」は、一面ではかさばらないし 運搬や洗浄の際に便利であるとか、内容物の温度を実感しながら配膳できるという学校用給食食器と しての有用性をもつ面もある。②「割れたときの危険性」は、割れにくさという有用性と表裏一体で 直ちに設計上の欠陥とは評価できない。また、③「被害回避措置の欠如」の点も、自動車のフロント ガラスのような被害回避措置をとるべきであるともいえない。さらに、④「陶磁器に似た外観」は、 学校給食でも家庭で日常用いられる陶磁器等と類似した食器を使うことは有用性の一つと評価しうる し、その外観は、ことさらに消費者に陶磁器と誤信させるためのものであるとはいえない。以上より、 本件食器は、設計上通常有すべき安全性を欠くとはいえず設計上の欠陥があるとはいえない。この点 での原告の主張は理由がない。 争点:表示上の欠陥について 認定事実によれば、コレールは割れにくさという点ではより安全性が高いが、破損した場合は極め
2.3
製造物責任と厳格責任&事例
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て危険性の高い食器であるともいえる。従って被告らは、商品カタログや取扱説明書等においてコ レールが陶磁器等よりも「丈夫で割れにくい」という点を特長として強調記載するのであれば、併せ て表裏一体をなす割れた場合の具体的態様や危険性の大きさをも記載して、消費者に対し、商品購入 の是非についての的確な選択をし、また、破損による危険を防止するために、必要な情報を積極的に 提供すべきである。消費者は製造・販売業者等による情報提供がなければ、製品の特性に関し十分な 情報を知り得ないのが通常であるから、製造業者等は、製品の短所、危険性についての情報を提供す べき責任を免れないし、まして、取扱説明書においては短所や危険性について注意喚起が要求される というべきである。 コレールの取扱説明書及び使用要項には、取り扱い上の注意として、割れる危険性のある食器のご く一般的な注意事項の記載はあるが、消費者に対し、コレールが割れた場合の危険性について、十分 な情報提供の記載がなされたとはいえない。また商品カタログ及び使用要項には、割れた場合にどの ような態様で割れるかについての記載は一切ない。 そうすると上記説明に接した消費者は、コレールについて陶磁器のような概観を有しながらより割 れにくい安全な食器と認識し、仮に割れた場合にもその危険性が一般の陶磁器とさほど変わらないと 認識するのが自然であると考えられる。従って上記各表示は、コレールが割れた場合の危険性につい て、消費者が正確に認識し、その購入の是非を検討するのに必要な情報を提供していないのみならず、 使用する消費者に十分な注意喚起を行っているとはいえない。 裁判結果:以上より、コレールには破壊した場合の態様等について取扱説明書等に十分な表示をし なかったことにより、その表示において通常有すべき安全性を欠き、製造物責任法3条にいう欠陥が あるとして、製造業者に損害賠償が命ぜられた。
具体的には、欠陥の判断はどのようになされるか。 欠陥の有無の判断に当たって考慮すべき事情は多岐に亘るが、この法律では、一般的に重要で各種 製品に共通する事情として「製造物の特性」 、 「通常予見される使用形態」、「引き渡した時期」の三つ に絞り込んで例示し、 「その他の当該製造物にかかる事情」という文言で考慮さるべき事情の多様性を 含ませる表現としている。 その理由として次の2点が挙げられる。 1.多数の判断要素を被害者が証明すべき要件にしないで被害者の証明負担を軽減するため共通性・ 重要性の高い判断要素に限定した表現とした。 2.両当事者が共通に予見できる価値中立的な三事情に絞って例示した9)。 実際に裁判で欠陥の有無についての判断がなされるときの考慮事情(判断要素)は、以下のように 多種多様な側面から論じられることになる。 ・製品の効用・有用性(副作用を上回る効き目のある薬、よく切れる包丁は使い方次第で危険など)。 ・製品の経済性・価格対効果(低廉な価格設定と安全性の関係に製造者、消費者の相互了解がある場
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2章
工学倫理の基本問題
合) 。 ・技術的実現可能性(合理的なコストで事故防止が技術的に可能であったか、また、引き渡しの時点 で科学的・技術的知見から欠陥があることの認識ができたかどうか)。 ・被害発生の蓋然性と程度(被害が起こりにくく、起こっても軽いとか、逆に起こりがちで重大な被 害になりがちとか) 。 ・使用者による被害発生防止の可能性(事故防止の適切な表示の有無や指示や警告への対応の適否、 また有資格者を使用者として想定しているか等)。 ・製品の通常使用期間・耐用期間(賞味期間切れの加工食品や老朽化機械は欠陥なしと判断される等)。 ・合理的に予期される使用(常識では考えられない誤使用)。 ・以後に改良品が発売された場合(以後に改良品が開発・発売されたというだけでは以前の製品の欠 陥認定の根拠にならない) 。 ・明白周知の危険や天災など不可抗力による損害の場合(一般的には欠陥は否定される)。 ・安全規制との関係(安全規制に適合していない場合には欠陥が推定されるが、適合していても責任 を問われうる) 。 ・欠陥の判断時期(事故時の欠陥の存在から引き渡し時の欠陥の存在を推定できるか)。 ・欠陥部位の特定(不要な場合が多いと推定される)。 以上のように、実際の裁判では多岐に亘る考慮事情がありうるが、消費・被害者の適切な救済とい う法の趣旨を重んじながらも、公平を期した審理が行われることによって、適正な判断が下されるこ とが期待されている10)。
(5)
この法律に基づいて損害賠償を受けるためにはどうすればよいか
被害者は、1)
製造物に欠陥が存在していたこと、2)
損害が発生したこと、3)
損害が製造物
の欠陥により生じたことの三つの事実を明らかにすることが原則である。これらの認定に当たって は、個々の事案の内容、証拠の提出状況により、経験則、事実上の推定などを柔軟に活用して事案に 即した公平な被害者の立証負担の軽減が図られるものと考えられる。 請求先は、その製品の製造業者、加工業者、輸入業者、製品に氏名などを表示した事業者であり(2 条3項、3条) 、単なる販売業者は一般的には対象にならない11)。 販売業者を一般的に除外したのは、1) 責任を負う根拠が乏しい、2) 契約責任の法理によって 責任問題は解決できる、という理由によるといわれている。しかし、最近多くなっている、他人に製 造を委託して自己の商標を付けて販売する大手流通業者など、実質的表示製造業者にあたる販売業者 には、賠償請求できるように配慮した(2条3項2号、3号)。海外の子会社に製造させた製品を自ら 製造業者として表示し販売している親会社や、製造に深く関与していると思われる表示をした販売業 者も含まれる。また「製造元A製薬、販売元B製薬」と表示した薬の場合、どちらも製薬メーカーな ので責任主体(連帯債務の)と見なされうる。
2.3
製造物責任と厳格責任&事例
59
輸入業者を責任主体に入れた理由としては、1) 被害者救済(消費者が海外の製造業者を直接訴える ことは困難) 、2)
被害の防止・軽減(輸入業者がより安全な製品をより信用できる製造業者から輸
入しようとするインセンティブが働くため)を考慮したためといわれる。
(6)
損害賠償を請求できる期間はどのように決められているか
被害者または法定代理人が、損害及び賠償義務者を知った時から3年間、損害賠償請求をしないと、 請求権は時効により消滅する。また製造業者が製品を引き渡した時から10年を経過したときも同様で ある(5条1項) 。 民法では、不法行為による損害賠償請求権は行為時から20年とされているが(民724条)、本法では、 EC指令を参考に法律関係の早期安定を図り、製造物責任の性質上、製品の耐用期間、書類の保存期間、 保険の付保期間を考慮して10年とした。 しかし、身体に蓄積した場合に人の健康を害することとなる物質による損害、また一定の潜伏期間 が経過した後に症状が現れる損害については、その損害が生じたときから起算して10年とした(5条 2項) 。これらの損害については、製造物を流通に置いたときから10年で責任がなくなることにする と、損害が生じたときには責任が生滅していることがあり得るから、アメリカでの薬害やアスベスト の事態や日本の公害事例に鑑み、EC指令にもない規定をわが国独自においた。
事例3(東京地判
平13・2・28)12)
瓶詰オリーブに開封前からポツリヌス菌が存在していたものと推認するのが相当だとし、レスト ランで発生した食中毒について瓶詰めオリーブを輸入した輸入業者に対する損害賠償が認められた 事例。 事実の概要:A社が経営するレストランの代表者Bは、食品輸入業者C社がイタリアのD社から輸入 し販売している瓶詰オリーブを購入し、レストランで使用、客らに食させたところ、これを食した者 たちがポツリヌス菌毒素により食中毒に罹患した。 事案の概要:客原告Eは債務不履行または製造物責任法に基づき、BとC社を被告として治療費及び 慰謝料等の損害賠償を請求し(第1事件) 、客ら原告Fほか9名とBが原告となりC社を被告として製 造物責任法に基づき、治療費及び慰謝料等の損害賠償を請求し(第2事件)、A社が原告として被告C 社に営業損害及び信用損害の賠償を請求して(第3事件)、ポツリヌス菌・毒素の混入時期をめぐって 争われた事案である。 裁判結果:詳細な検証と検討の結果、本件オリーブから検出されたB型ポツリヌス菌・毒素は本件瓶 の開封後に混入したものではなく、開封前から瓶内に存在していたものと推認するのが相当と判断さ れ、本件オリーブは食品として通常有すべき安全性を欠いていたとして、被告C社に対して、第1事 件原告及び第2事件原告ら全員に治療費及び慰謝料を、加えて理由が認められる原告らには交通費、
60
2章
工学倫理の基本問題
入院雑費、休業損害を支払うことが命ぜられ、第3事件に関しては、原告A社の平常の営業状況をも とに推計された営業損害と信用損害が認められ、C社に損害賠償が命ぜられた。第1事件原告EのB に対する請求は理由なしと退けられた。
事例4(東京地判
平15・3・20)13)
都立病院が乳児の気管切開に際しジャクソンリース回路(呼吸回路器機)に他社製の気管切開 チューブを接続したところ、接続部が閉塞して乳児が死亡した事案において、各医療器具の製造・ 輸入販売会社の製造物責任と東京都の使用者責任が認められた事例。 裁判結果:被告2社の製造物責任につき、設計上の欠陥と指示・警告上の欠陥を争点として審理され、 2品目とも設計上の欠陥は認められなかったが指示・警告上の欠陥があり、被告2社は製造物責任を 免れるものではないと判示された。また1社は法4条により開発危険の抗弁を主張し免責を主張した が認められなかった。なお、担当医には安全を確認すべき注意義務を怠った過失が認められ、医師を 雇用し病院を管理する東京都は民法715条により使用者責任を負うと判断され、 医師の不法行為によっ て生じた損害賠償を負わされることとなった。2業者は製造物責任法により、東京都は民法により連 帯して損害賠償が命ぜられた事案である。
(7)
製造業者が損害賠償の責任を負わなくてよい条件もあるのか
二つのケースがある。 一つは、製造業者が製品を引き渡した時の科学または技術に関する知見によっては、その製品に欠 陥があることが認識できなかったことを証明したときである(4条1号)。開発危険の抗弁といわれ るこの免責事由は、新製品の開発・技術の革新をこの法律が阻害することがないようにという産業界 の要望を入れて採用されたが、安易にこの抗弁を認めると過失責任原則に逆もどりしたり、また抗弁 の基準が不明確だと紛争の長期化や抗弁の濫用により被害者救済の目的が果たされなくなる点に注意 が必要である。抗弁の前提となる「科学・技術に関する知見」は、個別製造業者の水準や業界の平均 的な水準を基準とするのではなく、当該時点で入手可能な最高の科学技術知識の水準を基準とすべき であるといわれる所以である。実際上、開発危険の抗弁が認められるか否かを決定するのは裁判官で あり、専門家の鑑定等を基礎として決定するので、製造上の欠陥については抗弁が認められる可能性 は少ないといわれる。 もう一つは、部品・原材料の製造業者が免責される場合である。最終製品の製造業者がその部品・ 原材料に関して行った設計に関する指示に、部品・材料の製造業者が従ったことにより、その部品・ 材料に欠陥が生じ、その欠陥の発生に部品・材料の製造業者の責任がないことが証明された場合であ る(4条2号) 。最終製品の製造業者と部品・材料の製造業者との関係は、発注・受注あるいは元請け・ 下請けの関係にあるのが一般的で、受注者・下請けは発注者の指示要求を拒みにくい状況にあり、ま
2.3
製造物責任と厳格責任&事例
61
た受注者は最終製品に関する全体的知見を有すべきかにつき発注者とは帰責性に差がある等のことか ら、発注者が指示した設計に従ったために欠陥が生じた場合にまで、部品・材料の製造業者に製造物 責任を課すことは酷であり不公平であるとの見地から、EC指令7条(f)の規定も参考にして、この 免責規定をおいた。 なお、不動産に直接組み込まれた部品・原材料の製造業者には、この抗弁は認められないことに注 意が必要である。また、この規定により部品・原材料の製造業者が免責される場合でも、被害者は設 計上の欠陥を主張して最終製品の製造業者の製造物責任を追及できる。
(8)
損害賠償を請求できる主体の範囲はどのように決められているか
この法律では、製造業者等が製造物の欠陥によって生命、身体又は財産を侵害した「他人」 (3条)、 また製造物の欠陥により生命、身体又は財産に係る被害が生じた「人」 (1条)に対して、製造業者は 損害賠償の責任があるとされているので、消費者が被った個人的な被害のみならず、法人事業者に生 じた被害も、無過失責任の保護対象となる。その上、賠償すべき被害対象者の範囲を特に限定してお らず、財産的損害であっても拡大被害であれば賠償責任の範囲に含まれ、規定のない点は民法の規定 によるとしているので(6条) 、民法416条の相当因果関係の範囲で賠償すべきこととなり、事業者損 害も原則的に含まれることとなる。例えば、機械の欠陥で工場労働者が負傷し、関連設備・器機が損 傷した場合、被傷者だけでなく会社も機械メーカーに損害賠償請求ができる。 わが国では、消費者と実質的に大差ない零細業者も多く、立法的判断としてはやむを得なかったの かといわれる反面、事業者の損害賠償まで対象に含めることは、消費者保護というPL法の本来の目的 に反しており、損害賠償の範囲から事業者損害を排除する規定を置くべきであったとか、解釈論とし ても制限すべきであるという有力説もある14)。通常の商取引で頻繁に生じ、本来は対等の当事者間の 契約或いは瑕疵担保責任(民法566条、570条)で処理すべき事案にまで被害者保護目的の製造物責任 法を適用するのはいかにも不合理であるというわけである(消費者被害の場合と逆で、当事者間の力 関係は、被害者である購入者の方が強いことが多いから)。 EC指令は、財産的損害を個人的な使用または消費に供されるものに限定し、事業者損害を明確に排 除している(第9条(b)項) 。純粋の企業間取引では、この法律が前提とするような当事者間の情報・ 立場のアンバランスは存在しないので、民法・商法の規定により責任を判断する方が妥当だし、解釈 論的にも適用を制限する方向に誘導すべきであるといわれている15)。
(9)
製品トラブルを相談できる機関にはどのようなものがあるか
国民生活センター及び各地の消費生活センターの他に、民間の製品分野別紛争処理機関があり、ト ラブルの解決案の斡旋や、専門の弁護士や学識経験者、消費者問題の専門家による審査の申請もでき る16)。
62
2章
工学倫理の基本問題
注・参考文献 1)小林秀之・三井俊紘、平成10年、 「製造物責任法の逐条解説」、小林秀之責任編集、東京海上研究 所編『新製造物責任法大系Ⅱ[日本篇] 』新版、弘文堂、第1章第2節p.23-53.参照. 及び、三井俊紘「製造物責任の基礎理論」平成10年、小林秀之責任編集、東京海上研究所編『新製 造物責任法大系Ⅰ[海外篇] 』新版、弘文堂、第1章p.1-9.参照. 2)小林秀之「諸外国の状況」 、同上注1)書[日本篇] 、第1章第1節Ⅱp.4-9.及び加藤一郎「第一 版への序」平成10年、同上注1)書[海外篇] 、p.ⅰ-ⅱ. 参照、及び注1)書、資料1.第14次国民 生活審議会消費者政策部会最終報告p.575-577.参照. (米国では第2次大戦前から消費者保護運 動.戦後、判例では契約責任、過失責任と並んで無過失責任裁定も次第に増え,1963グリーンマン事 件で厳格責任採用が決定的となる. cf:1965、リステイトメント402A.人・物・サービス・資本の自由な移動の障壁を取り除く努力を続 けてきたECにも、他の諸国にも影響.先進工業国の中で、日本は法整備が遅れていた数少ない国. cf. http://www.consumer.go.jp/kankeihourei/seizoubutu/jyoukyou.html 及び注1)書、小林秀之・三井俊紘、同節p.24.参照. 3)同上注2)参照.及び、内閣府ホームページ「消費者の窓」参照. cf. http://www.consumer.go.jp/kankeihourei/seizoubutu/pl-j.html. 4) 「製造物責任法Q&A」;同上注3)HP.参照.及び、同上注1)同節、p.26〜30.参照. 5)PL判例研究会編『製造物責任判例集(追録) 』新日本法規出版、p.3021-3038.より要略引用. 6)PL判例研究会編『製造物責任判例集(追録) 』新日本法規出版、p.3034-3035.参照.免責事由の基 本については、本節「 (7)製造業者が損害賠償の責任を負わなくてよい条件もあるのか」に述べて いる. 7)瀬川信久「欠陥、開発危険の抗弁と製造物責任の特質」ジュリスト1051号、p.20. 及び、同上注1)同節、p.31〜33.参照、及び岡村久道「製造物責任法(PL法)入門」、http://www. law.co.jp/okamura/PL-Law/. 参照. EC指令は総じて「人が正当に期待できる安全性を欠く場合に欠陥があるものとする」 (EC指令6条 1項)消費者期待基準を採用.アメリカでは第1次的に消費者期待基準を、それで欠陥を認定でき なかった場合に第2次的に危険効用基準により、しかも効用が危険を上回ることの証明責任を製造 者側に課していたが、近時では、製造上の欠陥については標準逸脱基準によりながら、設計上の欠 陥や指示・警告上の欠陥については広義の危険効用基準を採用し、消費者の期待は危険と効用の比 較の一要素としている(第3次不法行為法リステイトメント・製造物責任第2条) . 8)PL判例研究会編『製造物責任判例集(追録) 』新日本法規出版、p.3597-3608.より要略引用. 9)同注3)HP参照. 10)同上注1)同節、p.32〜37.参照.及び.同上注3)HP、参照. 11)同上注3)HP、参照.
2.4
知的財産権&事例
63
12)PL判例研究会編『製造物責任判例集(追録) 』新日本法規出版、p.3001-3020.より要略引用. 13)PL判例研究会編『製造物責任判例集(追録) 』新日本法規出版、p.1184-1194.より要略引用. 14)加藤雅信編著・製造物責任法総覧、商事法務研究会、1994、13頁以下参照. 15)同上注1)同節、p.26-41. 参照. 16)http://www.consumer.go.jp/kankeihourei/seizoubutu/plcenter2.html参照.
2.4
知的財産権&事例
(1)
事例1―青色LED訴訟
(a)
概
要
企業の役員や従業員、公務員(以下「従業者等」)が行った発明(従業者発明)は、職務発明と自 由発明の二つに分けることができる。職務発明とは、従業者発明のうち、その会社や官庁(以下「使 用者等」)の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至った行為がその使用者等における従業者等 の現在又は過去の職務に属する発明である(特許法35条1項)1)。 職務発明については、使用者等は通常実施権を取得する(35条1項)2)。また、あらかじめ契約や 勤務規則によって、特許を受ける権利または特許権を譲渡、または専用実施権を設定することがで きる(35条3項) 。ただし、この場合、従業者等は「相当の対価」を受ける権利を有する。 近年、表2.2のように従業者が退職後にもとの使用者を相手として「相当の対価」を請求する訴訟 が続発している。なかでもとりわけ注目を集めたのが、青色LED訴訟である。1993年、日亜化学工 業社員だった中村修二氏は、20世紀中の開発は無理と言われた青色LED(Light Emitting Diode発光 ダイオード)を、新しい装置を独自に考案し、窒化ガリウムを使って開発・商品化に成功した3)。 1999年に日亜を退職した中村氏は、2001年8月、日亜を相手に提訴した4)。請求の要点は、次のよう なものである。 (1)
特許第2628404号(以下、 「404特許」 )は職務発明でないから中村氏に帰属する。
(2)
仮に日亜に対する特許権の譲渡証があったとしても無効である。
(3)
(1)や(2)が認められないとしても、404特許の譲渡に対する「相当の対価」として、20億
円の支払いを求める5)。 まず争点になったのは、404特許は職務発明であるかという問題である。中村氏によれば、404特 許は、社長から青色LEDの研究を中止するように命令され、業務命令に反してされた研究から生み 出されたことから、職務外の「自由発明」であり、職務発明に該当しない。これについて東京地裁 は、2002年9月19日、中間判決において、中村氏(原告)が日亜(被告会社)の「勤務時間中に、 被告会社の施設内において、被告会社の設備を用い、また、被告会社従業員である補助者の労力な
64
2章
工学倫理の基本問題
どをも用いて、本件発明を発明した」ことを理由にこの主張を退け、職務発明として認めている(東 京地判平14・9・19) 。 次に、譲渡契約は有効であるかという問題がある。日亜によれば、従業員と会社との間に、従業 員が発明を完成した場合に、発明の完成と同時に当該発明についての特許を受ける権利が会社に移 転する、という暗黙の了解(譲渡契約)が成立していた。一方、中村氏によれば、暗黙の合意は認 められない。これについて中間判決では、職務発明の権利承継等に関して明示の契約、勤務規則等 が存在しない場合であっても、一定の期間継続して、職務発明について、特許を受ける権利が使用 者等に帰属するものとして、使用者等を出願人として特許出願をする取扱いが繰り返され、従業者 等においても、異を唱えることなくこのような取扱いを前提とした行動をしているような場合には、 従業者等との間での黙示の合意の成立を認め得るとして、譲渡契約を認めている(東京地判平14・ 9・19) 。 これによって、争点は、404特許の譲渡に対する「相当の対価」がいくらであるかに絞られた。 2004年1月の東京地裁判決(東京地判平16・1・30)は、本件発明によって日亜が得た利益につい て、特許権の存続期間満了までの将来の利益を認め、過去に日亜が現実に得たと考えられる売り上 げの他に、2003年以降権利存続期間満了時までの将来売上額を、市場規模の予測をもとに、計1兆 2086億127万円と認めた。 この売上額のうち、本件特許による独占の結果得られた超過売上額の算定にあたっては、市場が 日亜の外2社の計3社による寡占状態にあることを理由に、被告会社が他の2社に権利の許諾を 行っていた場合には少なくとも上記売上げの1/2が他社によって得られていたと考えられるとし、 さらに、他の2社に対して実施許諾したとした場合における実施料率は20%を下らないとして、日 亜の独占による利益額を1208億6012万円と算定した(1兆2086億127万円×1/2×0.2)。 中村氏の貢献度については、 「小企業の貧弱な研究環境の下で、従業員発明者が個人的能力と独創 的な発想により、競業会社をはじめとする世界中の研究機関に先んじて、産業界待望の世界的発明 をなしとげたという、職務発明としては全く稀有な事例である」として、本件特許発明について発 明者である原告の貢献度は、 少なくとも50%を下回らないというべきであると判断した。その結果、 相当の対価は604億3006万円(1208億6012万円×50%)と認めて、請求額200億円を満額で認めた。 日亜は判決を不服として、控訴した。東京高裁は当事者双方に和解を勧告し、2005年1月11日和 解が成立した。日亜は中村氏の在職中のすべての職務発明に対する対価として、6億857万円(遅延 損害金含め約8億4千万円)を支払った。 (b)
解
説
中村氏は、なぜ裁判を起こしたのだろうか。中村氏によれば、1999年日亜を退職したのは、米国に 比べて極端に低い研究者への報酬や閉鎖的な日本社会に対する不満があったためである6)。翌年から 中村氏は、米国カリフォルニア大サンタバーバラ校教授になったが、2000年12月、日亜化学工業は、
2.4
知的財産権&事例
65
企業機密漏洩の疑いで米国ノースカロライナ州東部連邦裁判所に中村氏を訴えた。裁判に多くの時間 と費用をとられた中村氏は、逆襲に出たというのが直接の理由である。 さらに中村氏は、この訴訟の意味として次のようなことを述べている7)。日本では、優秀な理工系 の学生は卒業すると、大企業に就職する。そこでは、組織の中で、プロジェクトの歯車として研究す ることが求められる。仮に大発明をしたとしても、その対価は微々たるものである。これでは、画期 的な新技術を創出しようというインセンティブを持たせることは難しい。 「日本の子供達がイチロー にあこがれるように技術者にあこがれるという状況をつくり出さなければいけないのではないだろう か」 。 しかし、プロ野球と違って発明の場合はそれほど簡単な話ではない8)。 特許法35条3項が「……したときは、相当の対価の支払いを受ける権利を有する」と規定したとこ ろから見て、承継の時点で対価を算定して発明者に支払う必要があるとも解されるが、実際問題とし て承継の時点で対価を算定することは困難である。そこで特許出願時の出願補償金、特許登録時の登 録補償金、発明実施による実績に応じて支払われる実績補償金というように分割払い方式を採用する のが、産業界では支配的である。 補償金の金額は低めに抑えられてきた。これは、 金額が比較的大きい実績補償金の支払いに際して、 上限を設けている企業が多い実態からも分かる。上限を設けることは「相当の対価」と論理的に矛盾 する。それにもかかわらず、企業が補償金を低めに抑えてきたのは、特許法によって必要とされた補 償金制度を、法律上の要請を満たすために設けたのであるが、人事上の処遇と調和させるという制約 のもとで運営せざるをえなかったからである。 これまでの日本企業では、発明者だけを特別扱いする制度は、他の従業員とのバランスを考えると 難しかった。営業や管理部門とのバランスを考慮するのももちろんであるが、研究職以外の技術者と のバランスを図る配慮もあった。また、企業が研究者を活性化させるための給与、昇進、研究の自由 度などの処遇を対価よりもはるかに重視してきたことも大きな理由である。 さらに、発明者の決定が困難な状況も補償金制度の運用を難しくしている。発明はグループによっ て生まれる事例が多くなってきている。発明に関係する研究者が少ない場合でも、発明者の決定に困 難が伴う例があるが、集団で発明した場合には、いっそう難しく、発明者の特定は事実上不可能であ る。
66
2章
工学倫理の基本問題
表2. 2 職務発明の対価をめぐる主な訴訟 被告 オリンパス
ビデオディスク 読み取り装置
請求額
認定額
5200万円
250万円(03年最高裁判決)
味の素
甘味料
20億円
1億5千万円(04年和解)
日亜化学工業
青色LED
200億円
6億円(05年和解)
東芝
フラッシュメモリー
11億円
8700万円(06年和解)
日立製作所
光ディスク
2億8千万円
1億6千万円(06年最高裁判決)
上告中
日立金属
窒素磁石
9千万円
1300万円(04年高裁判決)
控訴中
キヤノン
プリンター
10億円
3352万円(07年地裁判決)
三菱電機
フラッシュメモリー
2億円
デンソー
自動車用燃料ポンプ
10億円
シャープ
液晶パネル
5億円
終結
一審で係争中
(2)
対象
事例2-FS/OSSとしてのLinux
米国でプログラムの法的保護の運動が始まるのは、もともとプログラムとハードウェアを抱き合 わせでユーザーに提供していたIBM社が、1969年に抱き合わせ販売を廃止してからである。当初は 特許でも、著作権法でもなく特別立法が考えられたが、ほとんどの国が条約に加盟している著作権 法が得策という結論になった。1980年に、米国議会は著作権法を改正して、コンピュータ・プログ ラムを著作物として扱うことを明記した。 しかし、著作権法はソフトウェアの「表現」を保護するが、その「アイデア」については保護が 及ばない9)。そこでアイデアを保護する特許法に対するソフトウェア保護の要請があった。これは 米国で、1981年の連邦最高裁のディーヤ判決でソフトウェア関連発明が特許の対象にされたことで 現実のものになった。その後、日本もヨーロッパもこれに追随している。 しかし、このようなソフトウェアの知的財産権の強化とともに、それに対する批判も日増しに高 まっている。その代表的なものがリチャード・ストールマン率いるフリーソフトウェア運動や、 オー プンソースソフトウェア運動である10)。フリーソフトウェアまたはオープンソースソフトウェア とは、ソースコードをオープンにして、誰でも自由にそれを読み、改良できるようにしたソフトウェ アである11)。次の表2.3は代表的なオープンソースソフトウェアをまとめたものである。
2.4
知的財産権&事例
67
表2. 3 代表的なオープンソースソフトウェア オペレーショングシステム
Linux、FreeBSD, Darwin
インターネットサーバー
Apache(WWWサーバー) 、BIND(DNSサーバー) 、Sendmail(メール・サー バー)、Zope(アプリケーションサーバー) 、Samba(ファイル共有サーバー)
データベース
MySQL、PostgreSQL
デスクトップ統合環境
GNOME、KDE
デスクトップ・ソフトウェア
Mozilla(ブラウザ)、StarOffice/ OpenOffice.org(オフィススイート) GIMP(グラフィックス・エディタ)
スクリプト言語
Perl, Python、Ruby、Tcl/Tk
(ソフトウェア情報センター「オープンソースソフトウェアの現状と今後の課題について」参照) なかでも注目をあびているのが、マイクロソフトのWindowsが圧倒的なシェアを誇ってきた、オ ペレーティングシステム(OS)市場において、急激にシェアを伸ばしているLinuxである。 LinuxはUnix(ユニックス)互換のOSである。MITの研究者だったリチャード・ストールマンはフ リー版のUnixを構築したいと考えた。彼がフリーのOSを作ろうとした背景には、ソースコードの 提供を拒否された経験があった。かつてストールマンが働いていたラボにはレーザープリンターが あった12)。このプリンタは紙詰まりを起こすことがあったが、プリンタを側で見る人がいなかった ので、長時間そのままになっていた。ストールマンは、プリンタが紙詰まりを起こす度に、マシン がプリントアウトを待っているユーザーに通知を送れば、その人がプリンタを直しにいくだろうと 考え、プログラムを改良しようとした。プリンタを動かすソフトウェアはフリーではなかったので、 彼は、プリンタの会社にソースコードを要求したが、断られた。彼は、自分たちはそれを直せるの に、他人の身勝手がソフトウェアの改良を邪魔していることに憤りを感じた。 1985年、彼はフリーソフトウェア財団を創設した13)。その目的は、ソースコードが付いてくるソ フトウェアの開発を奨励し、ソフトウェアに組みこまれた知識が、他人に隠されたままにならない よう保証することである。フリーソフトウェア財団は、プロジェクトGNU(グヌー)を立ち上げ、 OSをつくろうとした。GNUはGNU's Not Unixの略である。 ストールマンは1980年代を通じてこのプロジェクトを進めていったが、 80年代が終わりにくると、 プロジェクトの進捗は遅くなりはじめた。OSを作動させるために必要な構成要素のほとんどが 揃っていたが、カーネル(OSの核)が欠けていた。 結果的にそのカーネルをもたらすことになったのが、当時、フィンランドで計算機科学を学んで いた若い学生リーヌス・トーヴァルズである14)。トーヴァルズの人生を変えた本が、アンドリュー・ S・タネンバウムの『オペレーティングシステム――設計と理論およびMINIXによる実装』であっ た。その本の中で、タネンバウムは、Unixを理解するための補助教材として作ったプログラムであ るMINIX(ミニックス)について論じていた。MINIXは補助教材として作られていたので、欠点が
68
2章
工学倫理の基本問題
あった。そこで1990年、トーヴァルズはMINIXに代わるプログラムとしてLinuxを作り始め、1991年 にバージョン0.01をリリースした。 人々はすぐに、ストールマンが構築したOSのパーツをトーヴァルズのリリースしたカーネルに つなげると、オープンでフリーなOSというストールマンの目標が実現できることに気づいた15)。 それからすぐにGNU/Linuxが生まれた。GNU/Linuxはソースコードを伴うプラットホームであり、 誰もがそれを改良できる。実際に多くの人がそうすることによって、今やGNU/Linuxは世界で最も 速く成長するOSになった。 (b)
解
説
Linuxは一般公有ライセンス(General Public License, GPL)と呼ばれるライセンスを条件としてリ リースされている16)。GPLは、フリーソフトウェア財団によって開発された最初のオープンソースラ イセンスである。GPLはコピーレフトcopyleftの方法を具体的な条文にしたものである。それは著作 権copyrightを、普通とは逆の目的に役立てるようにひっくりかえして利用する方法である17)。その中 心的な考え方は、全員にプログラムを実行し、コピーし、修正し、修正されたバージョンを流通させ る許可を与えるが、独自の制限を加える許可は与えないことである。このライセンスの結果、GPLで ライセンスされた著作権のある作品、さらにGPLが保護しているコードから派生したコードも、常に 他人が望むように使用されたり、修正されたりすることができる18)。 このことは二つの意味をもつ。第一に、ユーザーやコードを採用した人がコードを改良することが できるということである。コードをコントロールできるので、好きなようにそれを変更できる。第二 に、コードのオープン性が、コンピュータの使用環境の土台を、中立にし、イノベーションの障害に ならないようにすることである。 例えば、米国対マイクロソフト訴訟をみてみよう19)。マイクロソフトが開発したOSのMS-DOSは、 1980年代後半にはパソコンの世界で圧倒的なシェアをもっていた。しかし、他のOSの脅威が強まる なかで、マイクロソフトはWindows 3.0の販売とMS-DOSの販売を結びつけてOSの競争を回避した。 さらにインターネットが台頭してくると、Windows95とブラウザのインターネットエクスプローラ (IE)を抱き合わせで販売するようになった。その後、インターネットエクスプローラはOSに統合さ れて、他のブラウザがWindowsのシステム内で使いにくくされた。 米国政府の主張によれば、イノベータがマイクロソフトを脅かす技術をもつと、マイクロソフトは そのイノベーションを殺す戦略を採用したということである。 マイクロソフトが、そのような行動ができたのは、独自のコードをコントロールできたからであ る20)。マイクロソフトは公共一般にソースコードを明らかにしない21)。だから、マイクロソフトは ソースコードをその独自の戦略的ビジョンを進めるという仕方で変更し、方向づけることができる。 これに対し、オープンソースソフトウェアは、ユーザーが望まない製品をバンドルできない。なぜ ならソースコードがそこにあるので、いつでも自由にバンドルからはずすことができるからである。
2.4
知的財産権&事例
69
オープンソースソフトウェアは競合するシステムを弱めることができない。競合するシステムはいつ でもオープンソースソフトウェアを手に入れて抵抗することができる。ソースコードによって、プロ ジェクトが戦略的に行動する権力をチェックし、制限することができるのである。 これに対して、知的財産権の強化は、プログラマのインセンティブを確保するという意味で必要だ という反論があるだろう。しかし、ストールマンは、 「金銭的なインセンティブがなければ、誰もがプ ログラミングをやめてしまうのではないか」という質問に答えて、次のように述べている22)。実際に、 多くの人々が全く金銭的なインセンティブがないのにプログラムしようとしている。一部の人々に とって、プログラミングは、逆らうことができない魅力をもっている。そして、普通、そのような人 は最も優れたプログラマである。その道で生計を立てる望みがないにもかかわらず、音楽を止めない ミュージシャンが不足することはない。 さらに、ストールマンは、ソフトウェアを共有することについて次のように言う23)。 「多くのプログラマはソフトウェアシステムの商業主義化に不幸を感じている。それは、 彼らにもっ と金を儲けることを可能にするが、 他のプログラマを仲間としてよりも敵として感じるように求める。 プログラマたちが友情を交わすためになくてはならないことが、プログラムの共有である。……GNU の開発と利用は、フリーではないソフトウェアを利用する場合には得られない、調和の感覚を私たち に与えてくれる。私が話しをしたプログラムのおよそ半分にとって、これはお金に換えることができ ない大切な幸福である。 」 知的財産権の目的は創造性の奨励である。しかし、知的財産権によるコントロールの強化は必ずし も創造性を奨励するとは限らず、その過剰な強化はその障害になることもある。近年、ソフトウェア 特許が認められるようになったことで、さらに知的財産権によるコントロールが強化されることが危 惧されている。私たちは、ソフトウェアの知的財産権のあるべき姿を求めて、フリーとコントロール のバランスについて常に考えていくことが必要である。
(3)
事例3―バイオパイラシー
非工業文化において数世紀にわたって使用されてきた生物資源、生物製品や製法に対する排他的 所有権や支配を正当化するために知的財産権制度を利用することを、バイオパイラシーbiopiracyと いう24)。バイオパイラシーの代表的事例として表2.4のようなものがあるが、ここでは最も知られ ているインドのニーム(インドセンダン)の事例を見てみよう。 ニームは、インドで、何世紀にもわたって、医療や農業の分野でいろいろな目的に使われてき 25)
た
。2000年以上も前にインドの文書に、ニームは防虫の性質を持つので、空気を清浄にし、ほと
んどあらゆるタイプの人間と動物の病気を直すと書かれている。インドではほとんど毎日、どの農 場でも、どの家でも使われている。ニームの抽出物は殺虫剤に耐性のある200種近く虫に影響を与 えることが、研究によって明らかにされている。
70
2章
工学倫理の基本問題
殺虫剤、医薬品、化粧品など、多くのニームをベースにした商品が、インド市場に出回るように なっている。これらの商品を生産しているのは小規模の企業や中規模の研究所である。しかし、農 業製品や医薬品は1970年のインド特許法のもとで特許を取ることができないので、製法の独占的所 有権を得る試みはなかった。 これに対し、西洋諸国は、何世紀にもわたって、ニームの木とその特性を無視してきた。イギリ ス、フランス、ポルトガルの大多数の植民地主義者は、インドの農民と医療者の慣習に注目する価 値があるとは思わなかった。しかし最近、西洋諸国で化学製品、特に殺虫剤に対する反対が多くな り、ニームのもつ薬剤としての特性に急に強い関心をもつようになった。 1971年に、米国の木材輸入業者ロバート・ラーソンは、インドでこの木の実用性に気づき、ニー ムの種子をウィスコンシン州にある本社に輸入しはじめた。次の十年間に、ラーソンは、マーゴサ ン・オーと呼ばれるニームの抽出物について安全性と効能のテストを行い、1985年に米国環境保護 庁からこの製品の通関許可を得た。3年後、ラーソンは、この製品の特許を多国籍化学企業のW・ R・グレース社に売却した。1985年以降、米国と日本の企業は、ニームをベースにした溶液、乳液、 歯磨きの製法に関して、米国の特許を取得している。 特許を取得し、米国環境保護庁のライセンスも得られる見通しが立ったグレース社は、インドに 拠点をつくることで、自社製品の製造と商業化を始めた。グレース社はインドの製造業者数社に接 触し、彼らのテクノロジーを買いあげることや、付加価値を付ける製品の生産を止めて、代わりに グレース社に原料を供給することを提案した。多くの場合、グレース社は拒絶された。結局、同社 は有限会社のPJマーゴ社と合弁事業を準備することになった。新しい会社は、一日に最大20トンを 処理する工場をインドに設立した。同社はニームの種子の一定の供給量を確実な価格で確保するた めに、供給者のネットワークもつくっている。 グレース社のニームの種子に対する需要は、次のような影響をもたらした。ニームの種子の価格 が一般の人びとの手に届かないほど上昇した。地方の人がランプに灯をともすのに使うニームオイ ルも、国内の製油業者が種子を入手できないため、ほとんど利用できない。以前は農民や地方の開 業医が自由に利用できた種子のほとんどすべてが、経済力を持つグレース社によって購入される。 貧しい人びとは、自分たちが生きていくために不可欠な資源にアクセスできなくなった。その資源 は、かつて至るところにあり、安く手に入れることができたものである。 グレース社がインドのニームの生産に強い関心を持っていることにインドの科学者、農民、政治 活動家から一斉に反対の声があがった。彼らは、多国籍企業に何世紀にわたる原住民の実験や、数 十年にわたるインドの科学者の研究の成果を収奪する権利はないと主張している。これは知的財産 権の倫理をめぐる激しい論争を生んだ。グレース社が特許を正当化する根拠は、同社の近代化され た抽出方法こそが本物のイノベーションであるという主張によっている。伝統的な知識が、特許を 取得した製品や製法を導いた研究開発を触発したにもかかわらず、それらが、特許を取得するのに、 十分に新規で、もともとの天然物や伝統的な使用方法とは異なっているとみなされたのである。
2.4
知的財産権&事例
71
1995年に米国農務省等は、ヨーロッパでニームの特許を取得した。これに対しインド政府、市民 団体、グリーンピースなどが特許無効審判を欧州特許庁に提起した。その結果、この特許はインド の伝統的な抽出法と根本的に大きく違わず、伝統的知識に基づくもので新規性がないとして2000年 にこの特許を取消す判断がなされた。さらに2005年3月8日、欧州特許庁控訴審が開かれ、特許保 持者の上告が阻却され特許無効が確定している。 表2. 4 バイオパイラシーの主な事例 事例〔国〕
特許取得者等
ターメリック(ウコン) 〔イン
1995年インド人がターメリックの創傷治療法に関する米国特許を取得。
ド〕
1996年に特許を取り消す判決が出された。
バスマティ米〔インド〕
1997年ライス・テック社がバスマティ米の遺伝子と種子について特許を 取得。
アヤフアスカ〔エクアドル〕
1986年、米国人ミラーは、アヤフアスカについて米国植物特許を取得。国 際環境法センターは、1999年米国特許商標庁に無効を申し立て、成功した
(b)
解
説
ニームの特許は欧米の特許制度の基準からみれば、必ずしも不適切ではない26)。ニームの木そのも のは特許の対象とはならないし、葉や枝、根、茎などのような部分も特許の対象ではないが、ニーム のさまざまな有効成分に関する一定の製法や製品は、特許を認められている。また米国の特許法は、 外国の口承の伝統的知識を先行技術として認めていない。しかし、そのような欧米流の知的財産権の 考え方は原産国や原住民の自然に関する理解と大きく食い違っている。 ニームの有効成分にラテン語の「学」名は与えられてこなかったが、2000年間、ニームをベースに した生物農薬と医薬品はインドで使用されてきたのであり、多くの複雑な製法が開発されてきた。 インドの科学者が、自分たちの発明を特許化しようとせず、海賊行為に対して無防備なままであっ たのは、発明の大部分が何世代もの無名の人びとの実験によって行われてきたとある程度認めている からであろう。ニームに殺虫効果があるという発見やその製法は、決して「自明な」ことではなく、 非西洋文化のなかで、広範囲の体系的知識の開発によって徐々に発展したのである。 原住民の共同体では、個人が最初にいくつかのイノベーションを取り入れたとしても、それは社会 的、集団的現象であるとされているので、その結果は望むように利用することができる27)。共有の資 源である知識に基づくイノベーションは、何世紀にもたって次の世代に手渡されてきたし、新しい使 用目的で採用されてもきた。これらのイノベーションは、長い間にその資源についての共有の知識と なって蓄えられた。この蓄えられた知識は今日存在する農業用品種や薬効植物の品種に計り知れない ほど貢献してきた。 医学、農業の伝統的な知識は食物と健康のニーズを満たす重要な基盤である。多くの共同体にとっ て、生物多様性を守ることは生態系と種の健全な状態を維持し、資源と知識に対する権利やこの生物
72
2章
工学倫理の基本問題
多様性に基づく生産システムに対する権利を守ることを意味する。したがって、生物多様性は知識と 資源を守る人びとの権利と結びついているだけでなく、原住民の伝統的な知識体系とも密接に結びつ いている。 原住民の知識体系の一要素が西洋の知識体系に移転されると、それは先進国のシステムにおけるイ ノベーションとして扱われる。西洋の大企業が、原住民の知識の伝統から得た製品とイノベーション を自分たちの知的財産であると主張するバイオパイラシーは、原住民のシステムの価値を認めず、そ れを見えないものとする結果として出現した。 こうした途上国の批判を受けて先進国と妥協が行われた結果、生物多様性に関する条約(Convention on Biological Diversity/ CBD)が採択されている。CBDは地球サミットで調印された国際条約である。 CBDには約200カ国が加盟しているが、アメリカは批准していない。CBDの目的は(1) 生物の多様 性の保全、(2)
その構成要素の持続可能な利用、(3) 遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ
衡平な配分の三つである(1条) 。 かつて国連食糧農業機関は植物資源は人類の共有財産であるという理念を示していたが、(3)は対 照的に、遺伝資源から商業的利益を得ることを認めている。ただし、先進国の企業が得た利益を途上 国の住民に還元させるために、先進国の企業の知的財産権を制約する権限を与えていると解釈できる 条文を設けている。つまり、各国が自国の生物資源に主権を持つことを認めている(3条、15条1項)。 また、締約国は、生物の多様性の保全及び持続可能な利用に関連する伝統的な生活様式を有する原住 民の社会、地域社会の知識、工夫及び慣行を尊重し、保存し、維持することが定められている(8条 (j) ) 。 CBDが伝統的知識の保護を要求するのに対して、先進国の特許制度を基盤とするTRIPS協定 (Agreements on Trade-Related Aspect of Intellectual Property Rights 知的所有権の貿易関連の側面に関 する協定)には、伝統的知識を認め、保護するシステムがない。特許は、その有効期間中、特許を取 得した「発明」の商業的、経済的な利用から他者を排除する権利を、特許保有者に与える。特許取得 者は、他の人間に特許を取得した製品や方法を生産し、輸入し、販売し、利用させない権利を与えら れる。TRIPS協定は、特許の独占を保護することを各国に義務づける。 しかし、知識は本来集団的で蓄積を重視する企てであり、共同体のなかでの交換に基礎を置いてい る。創造性の多様な伝統を認めることは多様な知識体系を活かす最も重要な要素である。
注・参考文献 1)例えば、ある繊維会社の研究所に勤めている研究者が、新しい繊維の製造法を発明したとすれば、 この発明は彼の職務であり、繊維会社の業務の範囲内にあるので職務発明にあたる.これに対し、 自由発明とは職務発明以外の発明である.例えば、繊維会社の従業員が自動車の部品について発明 したとすれば、自由発明にあたる. 2)通常実施権とは、ライセンスの一種である.特許権者は特許権を自ら実施することもあるが、他
2.4
知的財産権&事例
73
人へ譲渡したり、ライセンス(実施許諾)して対価を得たりすることができる.ライセンスの形態 は専用実施権による場合と通常実施権による場合とに分けられる.専用実施権とは設定行為で定め た範囲内(例えば10年間のような時間的制限、九州のような地域的制限)で、業として特許発明を 実施できる排他的独占的な権利である(77条2項) .これに対して、通常実施権とは、設定行為で定 めた範囲内で、業として特許発明を実施できる権利であり、専用実施権と異なり、独占性が保障さ れていない(78条2項) . 3)赤、緑色のLEDは以前に発明されていたが、青色や紫などの波長の短い色は長い間実現できなかっ た.青色LEDの実現によって、光の三原色がそろい、大画面ディスプレイ、信号機、携帯電話のバッ クライト等色々な応用が可能になった.中村修二、 『負けてたまるか!』 、朝日新聞社、2004、p.74 を参照. 4)竹田和彦、『特許はだれのものか』 、ダイヤモンド社、2002. 5)中村氏は、2003年6月、請求額を50億円に増額し、2日後、さらに100億円に増額、9月には200 億円に増額している. 6)中村修二、『負けてたまるか!』 、朝日新聞社、2004、p.7. 7)中村修二、『負けてたまるか!』 、朝日新聞社、2004、p.14-15. 8)竹田和彦、『特許はだれのものか』 、ダイヤモンド社、2002.以下は竹田氏の解説である。 9)相田義明、 「特許制度の史的展開と現代的課題」 ( 『先端科学技術と知的財産権』 、発明協会、2001)、 p.215. 10)ストールマン, R. M.(2002) .フリーソフトウェア財団の創設者リチャード・ストールマンは「フ リーソフトウェア」という言い方をする.これに対し、エリック・レイモンドやリーナス・トーヴァ ルズは「オープンソースソフトウェア」という言い方をする. 11)通常、プログラムはソースコードという形を取る.ソースコードは、コンピュータに何をすべき か命じるように設計された理解可能な論理的言語の集合であり、CやJavaといったプログラミング 言語で書かれる.ソースコードはコンパイラと呼ばれるツールを使って、これをアセンブリ言語に 翻訳する.次にアセンブラと呼ばれる別のツールを使ってマシン語という機械が理解できるコード に翻訳する.マシン語は、普通の人間には理解できない1と0の連なりである. 12)ストールマン、R.M., 株式会社ロングテール/長尾高弘訳、 『フリーソフトウェアと自由な社会』 、 アスキー、2003、pp.253-254. 13)レッシグ、L., 山形浩生訳、 『コモンズ』 、翔泳社、2002、p.91. 14)トーバルズ、L., 風見潤訳、 『それがぼくには楽しかったから』 、小学館プロダクション、2001. 15)レッシグ、L., 山形浩生訳、 『コモンズ』 、翔泳社、2002、p.91. 16)レッシグ、L., 山形浩生訳、 『コモンズ』 、翔泳社、2002、p.100. 17)ストールマン R. M., 株式会社ロングテール/長尾高弘訳、 『フリーソフトウェアと自由な社会』 、 p.37.
74
2章
工学倫理の基本問題
18)レッシグ、L., 山形浩生訳、 『コモンズ』 、翔泳社、2002、p.101. 19)レッシグ、L., 山形浩生訳、 『コモンズ』 、翔泳社、2002、pp.104-114. 20)レッシグ、L., 山形浩生訳、 『コモンズ』 、翔泳社、2002、pp.112-113. 21)最近はマイクロソフトもソースコードの一部を公開するようになってきている. 22)ストールマン R. M., 株式会社ロングテール/長尾高弘訳、 『フリーソフトウェアと自由な社会』 、 pp.66-67. 23)ストールマン R. M., 株式会社ロングテール/長尾高弘訳、 『フリーソフトウェアと自由な社会』 、 p.58. 24)シヴァ、V., 奥田暁子訳、 『生物多様性の保護か、生命の収奪か』 、明石書店、2005、p.63. 25)シヴァ、V., 奥田暁子訳、 『生物多様性の保護か、生命の収奪か』 、明石書店、2005、pp.73-77. 26)大塚善樹、 「生物多様性から知的財産権の多様性へ」 ( 『現代思想』青土社、2002年9月号、p.142). 27)シヴァ、V., 奥田暁子訳、 『生物多様性の保護か、生命の収奪か』 、明石書店、2005、p.60.
2.4
知的財産権&事例
75
ちょっとひといき ウィキペディア 「ウィキペディア(Wikipedia) 」とは、インターネット上で作成,公開されている無料百科事典 である。「ウィキペディア」はインターネット上で誰でもどこからでも自由に文章を書き換えら れるシステム「Wiki」と,百科事典(Encyclopedia)との造語である。インターネット上で,無料 で閲覧できる。さらに誰でも新しい項目を追加でき,内容も自由に追加・修正できる。日本語版 の項目はいまや約24万とされる。これは、ブリタニカ国際大百科事典(日本語版,約15万項目) を上回る。月間約700万人が利用し,毎日約300件の新項目が増える。多くの人の目に触れること で,さらに成長するという好循環が起きている。 ウィキペディアは,2001年に英語版が始まり,現在,200以上の言語で展開されている。最も項 目が多いのが英語版であり,2006年7月現在130万件近くの記事がある。英科学誌ネイチャーは 2005年12月,独自の調査結果を発表した。 「アルキメデスの原理」など自然科学分野の42項目を選 び,出所を伏せて外部の専門家に検証してもらった。重大な間違いは両者で4件ずつ,小さな誤 りや漏れ,誤解を招く記述はブリタニカで123件,ウィキペディアでは162件。内容の正確さは, 238年の伝統を誇るブリタニカ百科事典と互角だという(もっとも,ブリタニカの出版元は「調査 には致命的な欠陥がある」と猛反発している) 。 不特定多数が,インターネットでの共同作業を通じて何かを作り上げるという,ウィキペディ アの方式は, 「オープンコンテント」方式と呼ばれる。オープンコンテントはオープンソースから のアナロジーによって生まれた概念で,文章,画像,音楽などの創作物などを共有した状態に置 くことである。ウィキペディアのオープンコンテント方式は,Linuxと同じくコピーレフトの考 え方に基づいている。Linuxはコピーレフトを具体化したGPLに基づいていたが,ウィキペディ アは,GNU Free Documentation License(GNU FDL又はGFDL)(以下GFDL)に基づいている。 GFDLは,GNUプロジェクトの一環としてフリーソフトウェア財団から配布されているライセン ス形態の一つである。GFDLは,GPLと同様に著作権者が次のような許可を与える。誰でもこの 文書を,無断で複製,改変,頒布・販売してよいが,ただし,頒布を受けた者や購入した者に対 して,これらの許可を与えなければならない。 ウィキペディアからも明らかなように,このようにコピーレフトやそれが可能にするオープン な創造の方式は,ソフトウェアの開発のみならず,著作権法が目的とする文化の発展にも多大な 貢献をもたらす可能性を秘めている。
3章
工学倫理の基礎
はじめに 2章では、工学倫理を学ぶ上で理解しておくべき基本的事項を、多くの事例を検討することを通じ て述べてきた。本章では、工学倫理をさらに深く理解することをめざしている。 工学倫理は、生命倫理、環境倫理、情報倫理、ビジネス倫理等と同じく「応用倫理」に属している が、他の応用倫理よりも遅れて登場してきた。そのため、先輩格に当たる他の応用倫理の影響を強く 受けている。本書では、工学倫理をさらに深く理解するために、それら他の応用倫理との関係を考え てみることにした。 工学倫理は、4章でみるように工学と倫理の根本的な関係を扱う面ももっているが、それ以上に、 技術者のための倫理という側面と深く関係している。技術者は社会における公益を追求する専門職と いうあり方と、私的利益を追求する企業における被雇用者というあり方の両方にかかわっている。こ こに技術者の責任や倫理の問題の多くが存している。たとえば、専門職倫理や企業秘密保持、内部告 発といった問題がそれである。それらを扱ってきたのは「ビジネス倫理」であり、工学倫理のかなり の部分はビジネス倫理を基礎にしているといえる。3.1では、このことについて主題的に検討してい る。 また、近年進歩の著しいバイオテクノロジーと情報技術は、生命倫理や情報倫理の問題を生み出し ているが、それらは技術に関係する以上、工学倫理にも深くかかわることになる。たとえば、クロー ン技術を人間に応用してよいのか、遺伝子組み換え作物をどこまで開発してよいのか、著作権の問題、 プライバシーの問題、ソフトウェアと特許、遺伝子特許の問題等がそれである。3.2では、そうした問 題を検討している。 技術者は企業の利益だけでなく公益への配慮も必要であるが、このことを自覚しなかったことは、 公害や環境破壊の一因となっている。人間は環境といかなる関係をとるべきだろうか、これは環境倫 理の領域で論じられてきたことである。また、現在および将来の環境を考慮してなされる工学や技術 は具体的にはどのようなものだろうか。これらについては、3.3で述べられる。
3.1
ビジネス倫理学
(1)
工学倫理とビジネス倫理
工学技術は、机上の理論だけにとどまらず、様々な現実的な制約の下に実現される手続きである。 それゆえ、それが社会において実用化される際の条件として(あるいはそれ以前でも)、法令を遵守す
78
3章
工学倫理の基礎
るということはもちろん、社会一般に承認されている倫理的な価値を尊重することが要求される。さ らには、技術そのものの意味までもが、倫理的な評価の対象となる(工学と倫理の関係)。 また多くの技術は、実用化に際して(製品として)市場価格を持つことになる(むろん、持たない ものもある) 。つまり、工学技術はビジネス活動と非常に密接な関係を持っており、それは設計におけ る重要な一要因である。そこで重要視されるのは、技術的な合理性とビジネス上の合理性との兼ね合 いである(工学とビジネスの関係) 。 しかし、一般に多くの企業不祥事を見ても分かるように、このビジネス上の合理性(利益追求)が 極端に追求され、他の価値がないがしろにされた場合に、事件や事故は多発している。それ故にこそ、 無条件な利益追求ではなく、さまざまなルールに則った利益追求が求められるのである(ビジネスと 倫理の関係) 。工学とビジネスが関わり合う場合も、それぞれの合理性を追求するだけでは、同じ危険 に陥る可能性がある。それらを包括するような倫理的な価値判断が、常に根底で働いていることが必 要になる(工学とビジネス倫理の関係) 。 工学倫理をビジネス倫理という観点から検討する場合、たとえば、①「職業倫理」、②「専門職倫理」 というレベルで区別して考えることができる。①と②は一見同じようにも思えるが、必ずしも完全に は一致していない。まず、①「職業倫理」は、働く人一般に要求される倫理性である。ある人が専門 職であるかどうかとは直接関係なく、クライアントに対する誠実義務や会社に対する忠誠義務、ある いは守秘義務などは、守られるべき規範と見なされる。他方、②「専門職倫理」とは、専門的な職業 に従事する者が、その特別の役割の故に、特別に配慮しなければならないような道徳的義務を意味す る。技術的な目標を達成するためには、技術者の持つ高度な知識や技術が必要になり、社会の側はそ の専門性に対して敬意を払うが、技術者には、そうした敬意に応答すること(自発的な倫理性)が求 められるわけである。
(2) 1)
専門職倫理 専門職とは何か
一般に専門職とは、特定の事柄に関する専門的な知識や技能を持ち、それに職業的に従事する人、 またはその職業のことを言う。ここでは、専門職とは何かについてもう少し詳しく考えるために、ま ず職業に関して日常的に用いられているいくつかの言葉を検討してみることにしよう。 たとえば、 「プロ」と「アマチュア」という区別がある。わたしたちが、「プロの写真家」と「アマ チュア写真家」とを区別する場合、 「プロ」という語には、「それを本職としている」という意味を込 め、 「アマチュア」という語には「それを本職としない単なる愛好家」というような意味を込めている と言える。この場合の区別は、写真を撮るという行為そのもののうちにあるのではなく、どのような 立場でそれを行うかという点に力点が置かれているわけである。 では、 「プロの医師」と「アマチュアの医師」という区別は成り立つだろうか。しかしこの表現には、 明らかに違和感がある。わたしたちはそもそも社会的に、 「アマチュアの医師」というような存在を認
3.1
ビジネス倫理学
79
めていないからである。ただ、 「熟練した医師」と「未熟な医師」という区別はありうる。そして、前 者をプロの医師と呼ぶことはあるかもしれない。そもそもプロしかいないことになっている医師を、 あえて「プロの医師」と呼ぶ場合には、 「職業意識や技術において卓越した医師」というようなことを 意味していることになる。言い換えれば、その専門性において卓越していることを指して、 「プロ」と いう語を用いているのである。写真家の場合とは異なって、 医師の場合は医業という行為そのものに、 既にその行為を行うべき人が排他的に指示されている1)。 次に、 「専門家」と「非専門家」という区別について考えてみよう。確かに日常語のレベルでは、 「専 門家」 ・ 「プロ」 ・ 「専門職」という言葉を全部同じ意味で使うこともある。しかし、 「専門家」という言 葉はもともと、特定の事柄に関して深い知識を有している人のことを意味している。ある事柄の専門 家が、それに関する職業に従事している場合もむろん沢山あるだろうが、しかし専門家のすべてが、 その事柄に関して職業的に関与していなければならないわけではない。たとえば、 「野鳥の専門家」は ぞうけい
「野鳥」について深い造詣を有している人の事を意味しているのであり、その人が野鳥に関する職業に 従事している必要は、必ずしもない(むろん、その専門性を生かして何らかの職業としている場合も ある) 。 さらに、 「職人」と「非職人」という区別はどうだろうか。「職人技」という表現から見て取れるよ うに、わたしたちは「職人」を、卓越した技術によってものを制作する人のことだと理解している。 江戸時代の職人は、同業者組合を作ったり、徒弟制度によって技術を継承したりした点で、「専門職」 にも通じる要素を持つが、その価値の力点はもっぱら、 「知識」にではなく「技術」の方に置かれてい たと言える。 「職人気質(かたぎ) 」という語は、制作されるものやそのための技術に対する一種の態 度(実直さ、こだわり、プライドなど)を表している。 「専門職」は確かに、先に検討した内容をそれぞれ一部分ずつ持っている。それはまず、アマチュ アではなくプロとしての仕事であり、特定の事柄に関して深い知識を有する専門家であり、卓越した 技術(あるいは技能)を有するという点では職人(的)である。とは言え、 「専門職」という言葉には、 今述べた事以上の意味が込められている。つまりこの語には、ただ単に「アマチュアではなく、専門 的な知識や技術を持つ職業」ということ以上の意味―特別の社会的責任を負った職業という含意―が ある。 「専門職」がどのような特徴を持つかについては諸説あるが、一般に、医師や弁護士がその代表格 だと見なされている。その特徴を、ここでは次のように理解しておく2)。 ① 社会的に重要であり、かつ高度な専門的知識や技術を持つ ② 職務に関して高度の自律性(自己裁量権)を持つ ③ 専門職集団を形成する ④
独自の倫理綱領を持つ
⑤ 体系的な教育システムを持つ ⑥ 公益を促進する
80
3章
工学倫理の基礎
まず、専門職は社会的に重要であり、かつ高度な専門的知識や技術を持つ。このような特徴を一部 備えた職業は専門職以外でも存在しうるかもしれないが、少なくとも専門性を欠くならば、それをも はや専門職とは呼べないだろうし(専門性を持たない専門職というのは形容矛盾である)、専門的では あるが社会的観点から特別に重要だというわけではない場合、それは専門職とは呼ばれないだろう。 次に、専門職は自分(たち)の職務に関して、高度の自律性(自己裁量権)を備えている。何を、 どのようにして、どの程度行うか、また仕事に関する意思決定など、さまざまな点で高い自律性(自 己裁量権)が認められている。この自己裁量権には、③〜⑤のような事柄自体を自分たちで決定する ということも含まれる。また、メンバーの数や仕事の報酬に関しても、市場価格に任せるのではなく、 自分たちでコントロールするという特徴を持つ。 専門職が専門職集団を形成するのは、専門職としての自分たちを社会において認めてもらうと同時 に、 そのメンバーに対しては自主的で内的なコントロールを行うためである。たとえば専門職集団は、 メンバーの行動を規制する倫理綱領を策定し、その遵守を求める。専門職の職務において高い自律性 を維持するためには、集団外部から課せられる外的規制ではなく内的規制を行うことの方が望ましい からである。また、専門職集団は、体系的な教育システムを構築し、当該専門職に特有の価値観、専 門的知識や技術などの維持・開発に努めなければならない。専門職集団に対する社会の信頼を維持す るためには、そのような価値観や知識・技術が、集団的に維持・開発され続けていなければならない からである。たとえば、大学の医学部では医師になるための特別な教育プログラムが組まれ、国家試 験に合格しなければならない。また多くの医師は、専門学会に所属することで、最新の医学的な知識 を吸収している。 最後に、専門職の職務は、利益追求を第一義とするのではなく、もっぱら公益の促進を目指して行 われなければならない。社会が専門職に対して高度の自律性を認めるのは、まさにこのような理由に よるのである。後で見るように、多くの専門職倫理綱領で、職業に関する宣伝や広告が制限されてい るのは、こうした公益性を反映している。 2)
倫理綱領
「倫理綱領」は、組織や集団(およびその構成員)に関して自主的に定められた行動規範のことで ある。近年、企業や学校などで倫理綱領を制定するところも増えているが、その拘束力の強度はさま ざまである。他方、専門職集団において制定される倫理綱領は、比較的強い拘束力を持つ傾向がある。 前述のように、メンバーが倫理綱領から逸脱することによって、専門職集団全体への社会的信頼が損 ねられる恐れがあるからである。専門職の倫理綱領は、そもそも自主的なものなので決まった形があ るわけではないが、しかしその責任の対象や範囲について、若干の共通する特徴はある。それらの特 徴を簡潔にまとめると、次のようになる3)。 ①
社会に対する責任
②
専門職(集団)に対する責任
③
依頼者に対する責任
3.1
④
ビジネス倫理学
81
雇用者に対する責任
さらに、ビジネス倫理学者のディジョージ(De George, R. T.)によれば、倫理綱領にも以下のよう に一般的な条件がある4)。その主旨は、単に社会的なポーズとして作れば良いというようなものでは なく、実効性を必要とするということである。また、綱領が自己中心的ではなく、公益や依頼者の利 益を守るものであることも要求されている。ただしここでは、専門職の倫理綱領が特に念頭に置かれ ているわけではなく、倫理綱領というものが有すべき一般的な条件が問題にされている。それゆえ専 門職においては、その要求は尚更厳しいことになる。 ①
綱領は規制的なものであること
②
綱領は、公益の保護と共に、依頼者の利益を保護するものであること
③
綱領が自己中心的なものではないこと
④
綱領は具体的かつ誠実なものであること
⑤
綱領は強制力を持ち、その効力が実際に発揮されるものであること
日本の工学系倫理綱領のうち最初期のものは、1938年の土木学会「土木技術者の信条及び実践要綱」 である。そして「技術士法」 (1957年)の施行に伴って、日本技術士会の「技術士倫理要綱」が策定さ れている。その他は比較的新しく、1996年に、情報処理学会の「倫理綱領」が策定され、また1998年 以降になって、電子情報通信学会、日本建築学会、日本機械学会などで相次いで倫理綱領が制定され た(巻末資料参照) 。ただしこれらのうち、ここで検討しているような意味で専門職の倫理綱領と呼べ そうなのは、 「技術士倫理要綱」だけである。その他の倫理綱領は、専門職の倫理綱領というよりは、 学協会の倫理綱領と呼ぶべきものである。 「技術士倫理要綱」 (1999年改訂)で規定されている内容は以下の十項目にわたる。 ①
技術士としての品位の保持
②
技術的良心に基づく専門技術の権威
③
中立公正の堅持
④
業務の適正な報酬
⑤
明確な契約
⑥
秘密の保持
⑦
公正および自由な競争
⑧
技術士の相互信頼
⑨
広告の制限
⑩
他の専門家等との協力
以上である。 これらの項目を見れば、技術士に求められていることが、単なる専門家であることだけではなく、 道徳性に基づいた職業的な専門家であることだと分かる。それはたとえば、技術士としての品位や技 術的な良心に基づく専門技術が重要視されていることなどからも、見て取れるだろう。また、報酬に
82
3章
工学倫理の基礎
関する節度や広告の制限など、一般企業の倫理綱領ではふつうあまり項目化されないものがある。こ れは、専門職の職務が公益を目指して行われるように求められていることに由来している。 倫理綱領はそもそも外的強制ではなく、内的強制である。それゆえ、倫理綱領の拘束力をどれほど 強いものとして考えるか(考えられるか)は、それを採用する組織や集団の意図に基づく。単なる外 的アピールのために綱領を掲げてみせる組織もあれば、本気でそれらを実行可能なものとして考えよ うとする組織もあるだろう。しかし専門職の倫理綱領は、少なくとも他より密接に、それを遵守する か否かが社会的信頼と結びついている。倫理綱領が提示されることは、まさに専門職の自律性を社会 に示すことであり、その遵守と遵守のためのアプローチがそのまま、専門職の自律性の強度を示して いることに繋がるからである。専門職集団は、 まずもって、専門職の自主的な規定に基づいてメンバー の行為を判断しなければならないし、それを十分な形でなし得るのは、専門を同じくする専門職集団 (あるいはそのメンバー)でしかないだろう。 3)
専門職としての技術者
ここまでは、専門職とは何かについて一般的な仕方で検討してきたが、 「そもそも技術者は専門職な のか」という疑問がわくかもしれない。この問いにストレートに答えるならば、技術者が「専門職」 であるか否かは未だ完全には確定していない、と言える。医師や弁護士などの職業が専門職と見なさ れていることには、一応の社会的な合意があるにしても、それ以外のどのような職種が専門職と認め られるかには、まだ議論の余地があるからである。これまでも検討してきたように、ある職業を「専 門職」と呼ぶためにはいくつかの条件があると考えられている。 このように、わたしたちが日常的には「専門的な職業」だと見なしている職業のすべてが、医師や 弁護士と同様の「専門職」だと見なされているわけでは必ずしもない。たとえば、看護師、薬剤師、 建築士、公認会計士などが、そのような職業にあたる。これらのうち、 「専門職化」が模索され、かな り推進されているものとしては看護師が挙げられるが、他方建築士や公認会計士などは、その専門性 を資格によって保証されたビジネスというニュアンスに未だとどまっている。 このことは、近年社会問題化している「耐震偽装問題」への建築士の関与や、公認会計士が関与し た粉飾決済の多発などからも見て取れる。医師や弁護士にも、専門性を悪用するものが全くいないわ けではないが、そのような専門性を濫用した逸脱行為に対する専門職集団の対応や内部的な規範の拘 束力という点では、双方には大きな違いがある。そうした職業は、 「資格を保有した専門的職業(資格 職) 」と呼ばれうるが、しかしここで検討しているような意味でそれらを「専門職」と呼ぶことは、未 だ十分ではないように思われる。 先に検討した「専門職」の特徴は、医師や弁護士など既に「専門職」と見なされている職業が、現 に満たしている条件をいわば分析的に抽出したものである。ただし、それらにもブレはある。例えば、 専門職集団によるメンバーへのコントロール力は、弁護士と医師の場合では違いがある。弁護士の場 合は、専門職集団である日本弁護士連合会(日弁連)および各地の弁護士会によって、メンバーの弁 護士業自体が規制されたり、時には仕事が禁じられたりする。他方、医師の場合は、日本医師会から
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ビジネス倫理学
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除名されても医師業を継続することは可能である。このように、法律専門職である弁護士を厳密な意 味で「専門職」を特徴づけるものだと解釈するならば、それ以外は、厳密さが減じられる程度に応じ て「専門職」ではないことになってしまう。 問題は、現に社会的に認められた専門職に備わった特徴が、そのまま、これから「専門職化」した い(あるいはすべき)職業がそれとして認められるかどうかの「条件」になるか否かにある。「専門職」 とは元々、 「聖職者」や「医師」などの「地位」に対して認められていた呼称だと考えられている。そ のような地位につく人は、賃金労働という概念に従って「労働とその対価」という形で働く(労働す ヽヽヽヽヽ る)のではなく、社会のために自らの生を捧げた立場にある人だと理解され、尊敬されていた。「専門 職(profession) 」という語は、そうした役割を自ら引き受けることを「宣誓(profess)する」というこ とに由来している。 これらは専門職研究の文脈では「地位専門職(status profession)」5)と呼ばれている。この場合、あ る特定の地位についているものが「専門職」と呼ばれ、一般の人々とは異なる扱いを受けたというこ とである。したがって地位専門職の場合、特定の地位に特定の特徴が備わっていると考えるべきで、 特定の特徴を満たしたから専門職と呼ばれうるという議論ではないことになる。 他方、近代以降に職業が細分化し専門化するにつれて、特定の専門的な職業が「専門職」と呼ばれ るようになった。こうした職業のイメージは、かつての聖職者や医師のように、金銭的な価値から独 立した社会的な価値を持つ立場(地位)ではなく、わたしたちが現在普通に考える職業のイメージで ある。つまりその場合の「職業」というのは、労働の対価として相応の報酬を受け取ることをはじめ から念頭においてなされる仕事である。このような専門職は、 「職業専門職(occupational profession)」 と呼ばれている。こうした専門職は、本節冒頭でも述べたように、アマチュアではなくプロであり、 特定の事柄に関して深い知識を有する専門家であり、卓越した技術(あるいは技能)を有するという 点では職人(的)である。しかしこのような特徴だけでは、ただ単にそれが専門的な職業だというだ けにとどまる。 日本では「技術士法」に基づいた「技術士」という資格が既にあり(2005年12月現在で登録者数5.7 万人) 、 「日本技術士会(IPEJ) 」という組織もある。さらにそれには、倫理綱領も存在することは先に 検討した。しかし今のところ、技術士が技術専門職であることが、社会的に十分認められているとま では言えないと思われる。その一因は、技術士という資格が、アメリカの「プロフェッショナル・エ ンジニア(PE) 」とは性格が異なることにある。たとえば日本の技術士は、専門的な技術に関してコ ンサルティングを行う資格を持つ技術者という位置づけであるが、技術者として会社で仕事をするた めに、この資格が必須だというわけではない。また、この資格を有していると仕事上極めて有利であ る、というわけでもない。つまり他の専門職の資格が持つような、仕事の排他的独占性が存在しない のである。以上のような事情を考えると、日本技術士会を技術者の専門職集団と呼ぶことには、まだ 検討の余地が残るように思われる。また、工学系の学協会は日本でも既に1800年代から存在するが、 それらは現在でもなお職能集団というよりは学術団体の色彩が濃い。
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3章
工学倫理の基礎
ただ日本でも、科学技術の影響力の大きさとグローバル化の波を受けて、1999年11月には「日本技 術者教育認定機構(JABEE) 」が設立された。この組織は、技術系学協会と連携し、大学や高専などの 技術者教育プログラムに関して審査・認定を行うNGO(非政府)組織である。この認定によって、専 門職の特徴の一つである「体系的な教育システム」という点で、新しい可能性が開けたとも言えるだ ろう(ただし、認定を受けるかどうかは、各教育機関の自主的判断である)。 アメリカでも1800年代から既にいくつかの学協会は存在しており、1907年には、 「プロフェッショナ ル・エンジニア(PE) 」という資格ができている。現在では、技術責任者にはこのPEライセンスが求 められることが多く、専門性の高い職務内容に関しては、事実上このライセンスが必須となっている 州も多いという。また、技術専門職の専門職化を具体的に大きく推進したのは、1932年の「工学技術 教育認定委員会(ABET) 」と1934年の「全米プロフェッショナル・エンジニア協会(NSPE) 」の設立 である。前者は、技術者教育に関する認定機構であり日本のJABEEもこれにならっている。後者は技 術専門職であるPEの専門職集団である(日本でも2000年に、NSPEの日本支部である「日本プロフェッ ショナルエンジニア協会(JSPE) 」が発足した) 。NSPEは、技術者の社会的地位やレベルの確保のみな らず、技術者倫理に関して継続的かつ積極的な提言を行ってきた。 日本の技術士と比べて、アメリカのPEは、すでに技術専門職としての条件をかなり備えているよう にも見える。他方日本では、そうした取り組みはまだ始まったばかりであり、たとえば「技術専門職 とは誰のことなのか」という点一つをとっても、技術士とPEとの関係など、まだ解決すべき問題はい くつもある。また、アメリカのシステムをそのまま輸入するのが適切だというわけではないという考 え方もある。日本とアメリカでは、企業風土が異なるところもあるからである。 専門職は一般に、資格を持って独立に仕事をするというタイプの職業であり、特定の組織への帰属 意識はそう強いわけではない。他方、日本の会社組織はこれまで、 「家族的経営」などとも称されるよ うに、組織とその構成員との関係が密接であることに大きな特徴があった。こうした傾向は、バブル 経済崩壊(1990年代初頭)以降、リストラや転職が一般化することによって転換しつつあるとは言え、 未だ企業風土として維持されている部分がある。日本では技術者の多くが、専門職というよりは、特 定の会社の技術畑の社員だという位置づけである。 しかしながら、実際にはアメリカでも、技術者の皆が皆、独立開業した技術専門職だけだというわ けでは必ずしもない。企業の一員として仕事をしている人も相当数いる6)。そうした場合、元々の労 働慣行の相違から、日本ほど組織中心主義的ではないとしても、さまざまな制約条件の間で、技術専 門職としての自律性が脅かされるということは十分にありうる7)。そして、そうした状況は、技術者 が専門職であることを疑う議論につながる可能性も未だある。 日本では現在、看護師や技術者を初めとして様々な専門的職業が専門職化を進めている。もともと 認められていた地位ではなく(地位専門職) 、職業の種類やその専門的特徴によって、ある職業を「専 門職」と呼ぼうとすれば(職業専門職) 、当然ながら、専門職とそうではないものを区別するための基 準が必要になる。そこで一般には、既に専門職と見なされている職業が現に有している特徴を参照し
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ビジネス倫理学
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て、条件が挙げられることになる。しかし考えてみると、医師や弁護士は、 「専門職」として認められ るための何らかの条件を満たしたから、 「専門職」として取り扱われているというわけではない(先述 のように、そもそも医師と弁護士でも条件が異なっている)。専門職の「特徴」として抽出される項目 が、専門職として社会的に承認されることから結果として生じているものであるとすれば、そもそも そのような「特徴」をあらかじめ持つということ自体が容易ではないかもしれない。 しかしこのように、専門職の「特徴」と専門職の「条件」とを直ちに同一視しない立場をとるとす れば、ことは違った様相を呈するかもしれない。一般に、技術者の仕事が高度に専門的な知識や技術 を必要とするものであり、その仕事の結果が社会に対して極めて重大な意義を持つということは認め られるだろう。そうであれば、一定の特徴(条件)に照らして現在のそれが「専門職である/でない」 という仕方だけで考えるよりは、 「専門職的」であることが求められる専門的な職業として、それに相 応の特徴を備えるように働きかける方が有益ではないだろうか8)。既に確認したように、現に社会的 に承認されている「専門職」は、何らかの条件にあっているから専門職であるというわけではなく、 その職務の社会的重要性に照らして「専門職」と認められてきたからである。
(3) 1)
守秘義務と情報公開 守秘義務とは何か
守秘義務とは、正当な理由なく、また許可なく、職務上知りえた機密事項を他人や他の組織に漏洩 してはならない義務のことを言う。この義務は、誰の秘密かという点で、 「顧客に対する義務」と「組 織に対する義務」とに大別される。顧客に対する義務は、顧客情報を正当な理由や本人の同意なく第 三者に開示してはならないことを要求するものであるが、このような義務は、 「個人情報の保護に関す る法律( 「個人情報保護法」 ) 」 (2003年)によって、職場での業務一般に関する法的な義務になった。 組織に対する義務の例として考えられるのは、業務上知りえた秘匿情報を、転職や退職後に他の組織 に漏洩したり勝手に利用することを禁じる義務である。これは一般的には道徳的な義務であるが、そ の漏洩によって不利益が生じたり、そのような行為を禁じる契約を組織と従業員があらかじめ締結し ていたりする場合には、法的義務でもある。 秘匿情報の漏洩禁止を契約によって具体的に禁止していない場合は、その情報の秘匿性が問題にな る。ディジョージによれば9)、特定の情報が秘匿されてよい場合として、① 情報の機密を保持する ために会社がどれだけ機密保持に取り組むか、② その情報を開発するために会社がこれまでに使っ た金額、③
競争相手にとってその情報が価値を持つか、という三つの基準が考えられている。この
基準から理解されるのは、競争相手にとっても価値がある知識や情報を、企業が多額の経費をかけて 開発し、かつそれを企業内部で秘匿情報として扱っている場合、それらの知識や情報を守秘する道徳 的な義務がある、ということである。このような発想の根底には、特定の知や情報から特定の個人や 組織が得ることが許される利益は、社会的な利益という観点によって限定されるという考えがある。 「個人情報保護法」による一般的規定とは別に、専門職の倫理綱領では、クライアント(顧客)情
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工学倫理の基礎
報の取り扱いについては、 守秘義務の規定が盛り込まれている。たとえば「医師の職業倫理指針」 (2005 年)では、 「患者情報」 (患者、家族の健康、家族関係に関する情報)を正当な理由なく第三者に漏ら してはならない旨が規定されている( 「医師の職業倫理指針」第一章2−(6))。また「弁護士職務基 本規定」 (2005年)でも、依頼者について職務上知り得た秘密を正当な理由なく他に漏らしたり、利用 したりすることが禁じられている( 「弁護士職務基本規定」第23条)。さらに弁護士の場合、このよう な「秘密の保持」を弁護士の業務内容に照らして、それが権利であり義務であると法的に規定される (「弁護士法」第23条) 。 「技術士倫理要綱」では、 「技術士は、つねにその業務にかかる正当な利益を擁護する立場を堅持し、 業務上知り得た秘密を他に漏らしたり、または盗用しない。」という項目で、守秘義務について規定さ れている。また「技術士法」第45条では、 「技術士又は技術士補は、正当の理由がなく、その業務に関 して知り得た秘密を漏らし、又は盗用してはならない。技術士又は技術士補でなくなった後において も、同様とする。」と規定されている。この規定に違反した者は、1年以下の懲役又は50万円以下の罰 金という比較的厳しい罰則がある。技術士に関して言えば、 「守秘義務」が倫理綱領に明記されるよう な道徳的義務であり、同時に法的義務でもあるということになる。 2)
情報公開
守秘義務とは反対に、職務上公開を要求されるような情報もある。たとえば、リコール制度は、設 計または制作の過程に原因を有する不具合がある場合、それによる事故を未然に防ぐために、製造者 や輸入業者が当該製品を回収し無料で修理をする制度である。したがって、リコールが必要な事由が 発生した場合、製造者や輸入業者は、その事実を報告したり公開したりする(法的または道徳的)責 務を負うことになる。 一般の製品に比べて(オートバイを含む)自動車では、安全性に対するこのような対応が他より厳 しくなっている。保安基準に適合しなくなるおそれがある場合にリコールの届け出をするのは、「道 路運送車両法」 (第63条の3)によって法的な義務とされている。しかし、リコール隠しなどが相次い で発覚したこともあり、2003年の改正では、国土交通大臣によるリコール命令の追加や罰則規定の強 化が行われた。他方、法的な強制力を持たない自主的な対応としては、保安基準に関わらない場合で も安全性などの観点から無料で修理を行う「改善対策」と、商品の品質改善などの観点から製造者が 必要と判断した場合に行う「サービス・キャンペーン」とがある。 一般的な工業製品の場合は、製造者による自主的回収の後、無料修理、無料交換、返金などの措置 がとられることが多い。しかし、大手家電メーカーの石油ファンヒーターが死亡事故を多発した事例 (2005年)のように、経済産業省によって「消費生活用製品安全法」第82条に基づく緊急命令が出され、 大規模な緊急リコールが命じられることもある。このメーカーは、危険情報と無償修理の告知を行う ために、新聞などに繰り返し告知を行い、日本中の世帯にダイレクトメールを送ることになった。 このような安全性に関わる情報は、企業にとっては時にネガティブな情報である。製造上の欠陥や 事故情報などによって、その対応のために費用がかさむこともありうるし、そのために株価が急落す
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ビジネス倫理学
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ることもありうるからである。しかし過去のさまざまな事例がわたしたちに示しているのは、一時し のぎの情報隠蔽や改竄が、最終的にはどれも露呈してきたという事実である。そのような情報は、そ もそもエンドユーザーが実際に使用する製品にまつわる問題であるが故に、隠すにも限度がある。 さらに、製品の安全性に直接関わる問題以外にも、企業側が正しい情報を公開しないことで株主が 大きな損害を被る場合もある。たとえば近年頻発する粉飾決済などがその典型例であるが、株価に影 響を与えるような情報が適切に公開されないことによって損害が生じた場合、株主は企業に対して損 害賠償を請求することになるだろう。そうした場合、最終的な支払額が、隠したり改竄したりするこ とによって得られた短期的な利益を遙かに上回る可能性もある。たとえば、国が実施した買い取り制 度を濫用した「食肉偽装事件(2002年) 」では、雪印食品が会社解散に至った。こうした場合、組織や 直接的な当事者の責任は当然問われてしかるべきだが、しかし他方では、そのような問題にすべての 社員が関与したわけではないのも事実である。こうした行為の代償は、あまりに大きいとは言えない だろうか。 3)
機密情報の私的流用
守秘義務違反のように必ずしも情報を漏洩していなくても、組織における機密情報を私的に流用す ることは、道徳的には不適切であると考えられるし、時には違法行為になる。たとえば「インサイダー 取引」は、そうした違法行為の一例である。インサイダー取引とは、組織の内部や外部の非公開情報 を利用して、株の取引を行う行為のことである。 企業が、他社のまだ知らない情報を利用して製品開発を行ったり、そこから商業的な利益を得るこ とは一定の範囲で認められているが、 非公開情報を利用して株取引を行うことは、 「証券取引法」によっ て禁止されている。この場合の株取引とは、当該の会社にとってポジティブな情報によって利益が出 る場合の売買も、ネガティブな情報による損失を回避するための売買も、両方含まれる。渡辺(1989) によれば10)、インサイダー取引は以下のように分類できる。 ①
伝統的インサイダーが発行会社の内部情報を利用して取引した場合
②
伝統的インサイダーがアウトサイダー情報を利用して自社株を取引した場合(例えば、自社に関
する外部の非公開情報) ③
アウトサイダーが発行会社の内部情報を利用して取引した場合
④
アウトサイダーがアウトサイダー情報に基づいて取引する場合(外部者が、発行会社に関する非
公開情報を無断使用) ⑤
上記四類型のインサイダーから情報を伝えられたもの(情報受領者)が、その情報に基づいてみ
ずから行う売買 ①と②における「伝統的インサイダー」というのは、 「組織内部にいる者」という意味であるが、③ と④を見ても分かるように、インサイダー取引を行うことが可能なのは、必ずしもいわゆる「(伝統的) インサイダー(=内部者) 」だけではない。要するに、株価に影響を与えうるような非公開情報を利用 して株の売買を行うことが、インサイダー取引なのである。そうすると、株式公開をしている組織な
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工学倫理の基礎
どに何らかの関わりを持ち、かつ株取引を行う人であれば、誰でもインサイダー取引をする可能性を 持つことになる。 技術者は、 製品開発に直接関わるので、 当然それに関する非公開情報について知る立場にある。ネッ ト取引の一般化などによって、個人投資家が急速に増えつつある現在、秘匿情報に関わる立場にある 者は、自分の行為がインサイダー取引に該当しないかどうかを、特に注意する必要がある。とりわけ、 社内持株制度などで自社株を保有していたり、取引先の株を所有していたりするような場合は、そう である。仮にそれが勤務時間外に行われた株取引であったとしても、株式売買の判断が、会社やその 取引先などの非公開情報に基づいているとすれば、その取引は違法である可能性がある。そしてそれ は、単なる個人的行為としてだけではなく、組織の管理責任にまで発展しかねない。 ところで、インサイダー取引はなぜ法的に禁止されているのだろうか。その理由として一般的なの は、インサイダー取引が株式市場の「公正性」を損うということである。インサイダー取引を行う者 は非公開情報を元に株取引を行い、それ以外の一般株主は、それを知らずに株取引を行わなければな らない。株の売買は、売り手と買い手が存在して初めて成立する以上、このような情報量の不均衡は 不公正だと考えられている。誰でも、自分の知らない(株価に影響を与えうる)重要情報を売り手だ けが知っていると分かっているなら、その人から株を買おうとは思わないだろう。 ムア(Jennifer Moore)によれば11)、インサイダー取引規制の議論は四つ(「公正論」、「情報所有権 論」 、 「有害論」 、 「信任関係論」 )に大別される。 「公正論」は、 「情報そのもの」の不均衡あるいは「情 報へのアクセス」における不公正を問題視し、 「情報所有権論」は、インサイダー取引が情報を所有し ている企業から情報を盗むことなので不正だと考える。また「有害論」は、インサイダー取引が投資 家あるいは株式市場に対して「有害」であることを根拠にしている。「信任関係論」は、ビジネスや社 会的行為が維持されるために必要な「信任関係」がインサイダー取引によって毀損されることを根拠 としている。たとえば、銀行にお金を安心して預けることができるのは、銀行員がわたしのお金を勝 手に使わないと信じることができるからである。このように、わたしたちはすべての事柄を自分一人 で済ませることは出来ないので、さまざまな事柄を他人に任せている(信任関係)。こうした相互的関 わり合いにとって根源的な「信任関係」を、インサイダー取引は破壊する(あるいは動揺させる)危 険がある、ということなのである。
(4) 1)
内部告発 内部告発とは何か
近年、内部告発をきっかけにした事件が相次いでいる。福島第一原発などに関する東京電力の「ト ラブル隠し事件」は、検査業務を担当していた会社の元社員からの告発が元で明らかになった。また、 雪印食品の「食肉偽装事件」では、偽装が行われた倉庫会社の社長による告発が事の発端である。そ の後、運輸業界の闇カルテルを告発した社員が、会社を相手取って損害賠償を求める裁判を起こした ことで、内部告発者保護の問題も一般の関心を集めることになった。
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ビジネス倫理学
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「内部告発」とは、 「組織の(元)構成員あるいは関係者が、立場上知りえた内部での重大な道徳的 または法的な不正を、自発的に外部に対して開示して、状況を変えようとする行為」のことである12)。 またこの行為は、個人的な恨みや自己利益を目的として行われるべきではないと考えられている。内 部告発は、社会正義を守る英雄的行為と見なされる一方で、組織の内部(秘匿)情報を外部に漏洩す ることであり、忠誠義務に反する反道徳的行為であるという批判がなされることもある。そしてそれ が、仮に会社全体や社会の正義のために行われたとしても、内部告発者が組織内部で報復人事などの 厳しい取り扱いを受けることも十分にありうる。 このような事情を鑑みて、海外では日本に先駆けて法制化が進められた。たとえば、イギリスでは 1998年に「公益開示法」が制定され、ニュージランドでも2000年に「開示保護法」が制定された。こ れらは、民間・公的部門いずれの通報者であるかを問わず、違法行為や人の安全・健康などに関する 通報を対象として保護している。またアメリカでは内部告発者保護に関して国全体を包括する法はな いが、連邦法や州法で、主として特定の民間業種や公的部門の通報者保護に関する法律を制定してい る。内部告発者保護の規定は、エンロン事件やワールドコム事件などの不正会計事件を受けて制定さ れた「サーベンス・オクスリー法(2002年) 」にも盛り込まれている。 日本では、 「国家公務員倫理法(1999年) 」の政令として「国家公務員倫理規定」で、法や法に基づ く命令(訓令および規則など)に違反する行為について、職員が適切な機関に通報したことによって 不利益な扱いを受けないように配慮する義務が定められた。また、 「核原料物質、核燃料物質及び原子 炉の規制に関する法律(原子炉等規制法) 」でも、1999年12月の改正(2000年7月施行)以降、関連す る事業者や使用者が、この法律およびこの法律に基づく命令に違反する事実を主務大臣に申告した場 合、それを理由に解雇や不利益な取り扱いをしてはならない旨(第66条の2)が規定されている。 さらに2004年には、 「公益通報者保護法(内部告発者保護法)」が成立した。この法律の定めるとこ ろによれば、事業者や行政機関は公益通報者(内部告発者)に対して、その告発行為を根拠として解 雇や不利益な取り扱いを行うことを禁じている。通報の対象となる事実とは、個人の生命又は身体の 保護、消費者の利益の擁護、環境の保全、公正な競争の確保、その他の国民の生命、身体、財産、そ の他の利益の保護にかかわる法律(刑法、食品衛生法、証券取引法など)に規定されている犯罪行為 の事実を指している。 2)
内部告発の正当化条件
仮に、内部告発が道徳的に推奨されたり、許容されたりする行為であると考えるとしても、それが 社会的に妥当な行為として認められるためには一定の条件がある。つまり、「内部告発は単なる密告 や暴露とは異なる」と言おうとすれば、それとの違いを示さなければならない。ここでも、ディジョー ジの議論を検討してみよう。彼は、 「道徳的に許容される内部告発」が満たすべき、次のような条件を 示している13)。 ①
会社が、その製品や経営方針を通じて、従業員あるいは公衆―その製品のユーザー、罪のない
第三者、あるいは一般大衆―に対して、深刻で相当な被害を及ぼすであろうこと。
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②
工学倫理の基礎
従業員が製品のユーザーや一般大衆に対する深刻な脅威を認定した場合には、彼らは、直属の 上司にそれを報告し、自分の道徳的懸念を知らせるべきである。そのようにしない場合、内部告 発の行為は、明確には正当化できない。
③
直属の上司が自分の懸念や訴えに対して何ら有効な手だてを講じなかった場合、従業員は、内 部的な手続きや企業内部で可能な他の手段に手を尽くすべきである。これらの手段には通常、経 営上層部やもし必要であれば―そして可能であれば―取締役会への報告も含まれるであろう。
ディジョージの見解に従えば、このような三つの条件(被害の深刻さ、上司への報告、他の内部手 続きの模索)を満たした時にはじめて、内部告発は道徳的に許される行為となる。組織内部でのこう した段階的な問題解決手続きをディジョージは「内的内部告発」と称している。ディジョージの基本 的な姿勢は、可能な限り組織内部での回避努力をした上で、内部告発は最後の手段として行うべきだ ということになる。ただ、厳密にこうした条件づけがなされるとすれば、日本でも頻発している内部 告発のうち、正当化が難しいものもあるかもしれない。 たとえば、 「公益通報者保護法(内部告発者保護法)」にも、ディジョージの②と③に類する条件(い わば「内的内部告発」 )が導入されたが、これには批判がないわけではない。このシステムに従えば、 基本的に、告発をしようとしている当の相手方に対して最初に報告をしなければならないということ になる。しかし実際のところ、内部告発が起ころうとしている事例というのは、そのような回路が遮 断されていることこそが問題になっている。そうした見方を取るならば、ディジョージのような条件 は慎重にすぎ、告発しようとしている事実自体がそこで握りつぶされてしまう危険がある、というこ とになるだろう。 ディジョージはさらに二つの条件を追加して、次のような正当化条件を満たせば、内部告発が「道 徳的に義務づけられる」と考える14)。道徳的に義務づけられる内部告発とは、一定の条件下でそれを 行うことが強い義務になるような内部告発のことである。 ④
内部告発者は、自分の状況認識が正しいものであること、また、その企業の製品あるいは業務 が、一般大衆あるいは当該製品のユーザーに対して、深刻で高い確率の危険を有することを、合 理的で公平な第三者に確信させるだけの書面による証拠を持って(あるいは利用可能で)いなけ ればならない。
⑤
内部告発者は、情報を外部に公表することで必要な変化がもたらされると信じるに足る、十分 な根拠を持たねばならない。成功の可能性は、告発者が負うリスクとその人が晒される危険に見 合うものでなければならない。
④と⑤から言えることは、状況認識の正しさや危険についての証拠、変化がもたらされると信じる に足る証拠などが揃わなければ、内部告発は道徳的に義務づけられない、ということである。他方、 このような条件が仮に満たされるとすれば、わたしたちは、内部告発をしなければならないことにな る。ただし、ディジョージの示した条件は、現実的には充足することが難しいようにも思われる。と りわけ二つ目の「変化がもたらされると信じるに足る根拠」は、単なる現状認識を越えて、行為の諸
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ビジネス倫理学
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結果を正しく予測することが要求されている。それだけでも難しいと思われるが、それに加えてここ では、現状を変えるために必要な変化が起きると、合理的に考えることが出来るための証拠がなけれ ばならない。また、リスクや危険をどのような仕方で見積もるかという問題も残されるだろう。 周知のように、内部告発は一般に、非常に高い代償を必要とする行為である。内部告発行為によっ て失うものがあまりに大きい場合、それでもなお、内部告発を行う義務があると考えるべきなのだろ うか。そこでは、公共的な正義の維持と個人的な利益の喪失とのバランスが、大きく失われる可能性 が大きい。 「正しい行為は、結果のいかんに関わらず行われるべきである」という原則が正しいと一応 認めるとしても、告発行為の結果として生じる不利益はどの程度まで受け入れられなければならない のか、そう簡単には決定できないだろう。 3)
内部告発とはどのような義務か
内部告発というのは、いわばギリギリの選択である。現代社会では転職が珍しくはなくなったとは 言え、特定の組織と関係を結び、安定した環境の中で仕事を続けたいという欲求は組織に属する多く の人間にとって普通のことであるように思われるからである。実際のところ、結婚や子育てには、否 応なしにある程度の安定性が要求されるようなところがある。内部告発が、そのような関係性を自ら 断ち切ることは明らかであり、それが相当の覚悟を要求する行為であることは間違いない。 例えば先述のディジョージの議論によれば、内部告発は一定の条件下で道徳的に許容される行為と 考えられ、さらに追加される条件下で道徳的な義務になるということであった。あるいは、デイビス (Michael Davis)の「共犯理論」15)では、不正を犯している者の共犯者にならないために内部告発が義 務であると考えられている。このように内部告発を、いわば強い義務であると考える場合、いずれに しても告発者は何かを失う危険性に晒される16)。組織的に行われた行為の結果は一般に広範囲に影 響を及ぼす可能性があるが、 それを是正するために特定の個人の人生が天秤にかけられることになる。 問題は、その失うものの度合いが、特定の個人だけが背負うべきものとしては時に過大なことはな いか、という点にある。このように考えてみると、内部告発が強い道徳的な義務として要求されてい ると見なされるか否かは、他人によって課せられる判断というよりはむしろ、告発が可能な立場にあ る人が自らそうすべきであると考えるか否かにかかっているのではないかと考えられる。そしてその 際の判断は、その人が置かれている立場や役割責任、あるいは、その人の行為によって影響を被る可 能な限りすべての人々の利害を抜きにしては考えることができないのではないか。それゆえ、内部告 発者を保護するための社会的装置が必要であることはむろん言を待たないとしても、同時にこの行為 を、誰がどのような義務として実行に移すべきかを考えることも必要となるだろう。
注・参考文献 1) 「医師法」第17条や第18条などを参照のこと. 2)黒田・戸田山・伊勢田編『誇り高い技術者になろう』名古屋大学出版会、2004、p.74を参照のこ と.
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3章
工学倫理の基礎
3)齋藤・坂下編『はじめての工学倫理』昭和堂、2001、pp.176-8参照. 4)ディジョージ『ビジネス・エシックス』永安・山田監訳、明石書店、1995、pp.595-6. 5)進藤・黒田編『医療社会学を学ぶ人のために』世界思想社、1999、p.46以下を参照のこと. 6)Michael S. Prichard, “Engineering Ethics,”in A Companion to Applied Ethics, eds. R. G. Frey and C. H. Wellman, Blackwell, 2003, p.630. 7)たとえば、有名な「フォード・ピント事件」や「チャレンジャー号事件」 (齋藤・坂下、2001、pp. 46-9およびpp.34-7)など.あるいは、以下の文献も参照のこと.Ronald M. Pavalko, Sociology of Occupations and Professions, F. E. Peacock Publishers, 1971, p.107. 8)むろん、専門職の条件を変えていくというアプローチもありうる. 9)ディジョージ、前掲書、pp.379-80. 10)渡部征二郎『インサイダー取引』 、中央経済社、1989、pp.3-4. 11)J. Moore, “What is Really Unethical about Insider Trading?,” in Business Ethics: A Philosophical Reader, ed. T. I. White, Prentice Hall, 1993, pp.404-23. この論文については、田中朋弘「医薬情 報とビジネス」 、 『生命・情報・機械』高橋隆雄編、九州大学出版会 所収、2005、pp.173-94で詳し く検討した. 12)田中朋弘「内部告発とはどのような義務か」 、 『倫理学研究』第35号(関西倫理学会編)所収、2005、 pp.44-55. 13)ディジョージ、前掲書、p.315以下. 14)ディジョージ、前掲書、p.321以下. 15)M. Davis, “Some Paradoxes of Whistleblowing,” in Ethics at Work, ed. W. H. Shaw, Oxford University Press, p.93 ff. 16)前掲の内部告発に関する拙稿(田中、2005)では、義務の強度という観点から内部告発について 考察している.また、内部告発に関する奥田太郎氏(南山大学)の論文は大変参考になる.前掲書 (黒田ほか編、2004、pp.173-89)および「内部告発―秘密と公開の倫理―」、 『ビジネス倫理学―哲 学的アプローチ』田中・拓殖編 所収、ナカニシヤ出版、2004、pp.174-201.
3.2
生命倫理・情報倫理
はじめに――工学倫理と生命倫理・情報倫理との接点 近年、バイオテクノロジーとIT(情報技術)の進展が著しい。その急激な進展は、新しい倫理的諸問 題を引き起こしつつある。これらの技術が引き起こす倫理的諸問題を扱ってきた応用倫理学の一領域 として、生命倫理や情報倫理がある。 「生命倫理学」とは、bioethicsの訳語である。bioethicsという言葉は、 「生命」や「生活」を意味す るbioと、 「倫理」ないし「倫理学」を意味するethicsを合成して作られた1)。この語を初めて公に用い
3.2
生命倫理・情報倫理
93
たのは、V・R・ポッターである2)。環境問題に深い関心を抱いていたポッターにとってbioethicsとは、 生物学の知識を基盤に据えた上に、社会科学や人文科学も含んだ諸科学の成果を結集した、人類が生 き残るための科学であった。 しかし、このようなbioethicsは、今日私たちが「バイオエシックス」とか「生命倫理」と呼ぶ学問領 域――臓器移植、体外受精、インフォームドコンセントなど医療における倫理的諸問題を扱う学問 ――とは異なるものである。1970年代のはじめの頃の米国では、生命科学と医療技術の著しい発展に よって生じた困難な倫理上の問題――脳死臓器移植、中絶自由化の是非など――が幅広い社会的議論 を巻き起こしていた。これらの問題を学術的に研究する拠点となったのが、1969年に設立されたヘイ スティングス・センターや、1971年に設立されたジョージタウン大学のケネディ倫理研究所であり、 バイオエシックスはそこが中心になって形成されたものである。1978年に同研究所は『バイオエシッ クス百科事典』を公刊したが、その序文で、編集者代表のW. T. ライクは、bioethicsを、 「生命諸科学 とヘルスケアの領域における人間の行為を、道徳的諸価値や諸原理に基づいて検討する体系的研究」 と定義した3)。これがbioethicsの一般の定義として広まっている。 こうして形成されたジョージタウン流のbioethicsを代表する教科書がビーチャムとチルドレスの 『生命医学倫理』 (1979)である4)。この書物は、生命医学倫理の基礎となる原理として、4つの基本原 理――自律尊重、無危害、善行、正義――を挙げたことで知られている。自律尊重原理とは、個人の 思想や行動が他者に重大な危害を与えないかぎり、その個人の見解や権利を尊重しなければならない という原理である。無危害原理とは、他者に危害を加えてはならないという原理である。善行原理と は、危害を予防、除去しなければならない、あるいは善を促進しなければならないという原理である。 正義原理とは、社会的便益や負担は公正に分配されなければならないという原理である。彼らは、伝 統的な倫理学からこれらの原理を選び出し、これを現実の医療の問題に適用して、議論を行っている。 生命倫理学は、従来、インフォームドコンセント、安楽死、脳死臓器移植等の問題を扱ってきた。 しかし、近年バイオテクノロジー、特に遺伝子工学が発達し、医療に活用されるようになってきたこ とで、遺伝子診断、クローン、ゲノム医療等も扱うようになっている。 情報倫理またはコンピュータ倫理とは、1980年代半ば以降、コンピュータやインターネット等のIT の発達によって生じてきた倫理的問題について扱う学問である5)。情報倫理が扱ってきたのは、ネッ トワークにおけるプライバシー、 「有害」なコンテンツの規制、デジタル・ネットワーク技術と著作権 等の問題がある。 ただし、バイオテクノロジーが引き起こす問題は生命倫理、ITが引き起こす問題は情報倫理ときれ いに線引きできるわけではない。ゲノム解読やゲノム医療の進展は、ITなしには考えられないもので あり、これらの技術においては、遺伝子情報のプライバシーが問題になる。また、バイオテクノロジー の発明をどのように扱うかという知的財産権の問題がある。そこで、この項では、工学倫理と、生命 倫理・情報倫理の領域との接点として、遺伝子工学と知的財産権の問題を扱いたい。
94
(1)
3章
工学倫理の基礎
遺伝子工学
遺伝子を有効に利用して人類に役立たせることを目的とした学問を遺伝子工学という。ここでは、 遺伝子工学の成立に至る歴史をふりかえった上で、その主な領域を紹介しながら、遺伝子工学が引き 起こす、あるいはこれから引き起こすだろう倫理的問題とはどのようなものか考えていきたい。 1)
遺伝子工学の成立
遺伝子について語り始めるとき、メンデルの名前を外すわけにはいかない6)。メンデルはエンドウ を使った実験から、親の形質がある規則性をもって子や孫に伝わるというメンデルの法則を発見した。 メンデルが発見した遺伝の因子は、後にヨハンセンによって遺伝子geneと命名されている(1909)。 サットンは遺伝の因子は染色体に存在すると指摘した(1903)。1910年に始まるモーガンらのキイロ ショウジョウバエの研究は、遺伝子が染色体上に線状に配列していることをつきとめた。ハーシーと チェイスは、遺伝物質がDNA(デオキシリボ核酸)であることをつきとめた(1952)。ワトソンとク リックはDNAの二重らせん構造を提唱し、これによって二本鎖上の塩基の配列が遺伝情報の暗号と推 定された(1953) 。これがどのような仕組みでタンパク質を構成するアミノ酸に変換されるのかとい う問題に対し、DNAを転写する転移RNA(tRNA, transfer RNA)、アミノ酸配列を規定する伝令RNA (mRNA, messenger RNA)が発見された。そして3個の塩基(コドン)で1個のアミノ酸に対応して いることが明らかになった。 遺伝子を自在に切ったり繋いだりする一群の酵素が発見されたことによって、遺伝子操作が可能に なった。これらの酵素を使って組み換えたDNAを、生物に運ぶ運送屋が必要である。これをベクター という。ベクターとしてよく使われるのがプラスミドとバクテリオファージ(単にファージともいう) である。プラスミドとは細菌や酵母などに見出される自己増殖する核外遺伝子である。バクテリオ ファージとは細菌に感染するウイルスである。 こうして誕生した技術は誕生間もなく応用技術として遺伝子工学へと展開していった。遺伝子工学 には主に次のようなものがある。遺伝子組み換え作物、ヒトゲノム解析、遺伝子診断、遺伝子治療、 クローン技術、再生医療、DNA鑑定等。以下、それぞれの分野の概要とそれに伴う問題を紹介してい こう。 2)
遺伝子組み換え作物
遺伝子組み換え作物(genetically modified organism/ GMO)とは、外来遺伝子を植物遺伝子に導入し て形質を転換し、新たな特徴を持たせた作物である7)。植物の間での形質転換は自然界でも起こるが、 遺伝子操作技術を用いることで、自然界では起こりえないような形質転換が可能になった。 GMOとして、第一に、害虫を殺す植物がある。昆虫が食べると昆虫体内でBTトキシンという昆虫 にとっての毒物に変化するものがある。国際的な化学企業モンサント社はこの遺伝子をトウモロコシ に組み込んで新品種「スターリンク」を生み出した。しかし、BTトキシンは害虫でないチョウなどの 幼虫も殺すことから生態系の破壊も問題視されている。また、BTトキシンがアレルギーを起こすと いう報告もある。
3.2
生命倫理・情報倫理
95
第二に、ウイルスに抵抗性をもつ植物がある。タバコ、トマト、ピーマンに感染するタバコモザイ ク病は伝染力が強く、品質や収穫量を著しく低下させるが、感染を予防したり、治療したりする農薬 は開発されていない。そこで、 タバコモザイクウイルスの遺伝子の一部を導入したトマトをつくると、 ウイルスの遺伝子が特定のタンパク質を生産し、動物の免疫を引き起こすワクチンのような働きで感 染しにくくなった。 第三に、除草剤に強い植物がある。モンサント社は自社が開発した強力な除草剤であるグリホート にだけ耐性を示すように遺伝子操作を施したダイズやナタネを開発した。 第四に、品質の改善がある。成熟後のトマトでは、実の細胞中のペクチン分解酵素の働きで細胞ど うしを接着させるペクチン質が分解されて実が柔らかくなってしまう。従来のトマトはすぐに柔らか くなるため青いうちに収穫する必要があり、完熟トマトに比べて味が落ちるという難点があった。 第五に、珍しい色や形をもつ花がある。食物は人体への影響が未知のために消費者の評判が芳しく ないのに対して、花の色や形を変える技術は、人体に摂取しない点で安全であるとして研究が盛んに なってきている。これまで多彩な色合いをもつバラが交配によって開発されてきたが、青いバラは実 現できなかった。バラはそもそも青色色素の構成成分であるデルフィニジンをつくる酵素の遺伝子を もっていないので、交配によってはできない。サントリーは遺伝子組み換えによってペチュニアのも つ青色色素を生産する遺伝子を組み込み、青いバラの花を咲かすのに成功した8)。 第六に、不毛の地でも生育する作物がある。藻類は光なしでは生育できないのが常識だったが、米 国のバイオ産業が暗闇でも効率よく育つ藻類を作り出すことに成功した。彼らは糖を細胞へ運ぶ機能 をもつ酵素の遺伝子を導入してエネルギー源を光から糖へ変えた。薄い糖液で培養したところ、光の 有無にかかわらず増殖速度は同じであった。またユーカリに、乾燥に強いぺんぺん草(シノイヌナズ ナ)の遺伝子を導入して、乾燥地をユーカリの森に変える研究が進められている。 以上の技術に関する問題をまとめておこう。第一に、安全性の問題がある。遺伝子組み換え食品は 二種類に分類される。一つはトマトやキュウリを生のサラダで食べるように、組み換え体そのものを 食べるタイプである。この場合、組み込まれた細菌が植物細胞内で産生したタンパク質や毒素のみで なく、ベクターDNAや細菌DNAも一緒に体内に取り入れることになる。もう一つは、大豆を使った しょう油などのように、加工によって組み込まれたベクターや細菌のDNAが、除去あるいは分解され るタイプである。これらの物質については、マウスをモデルとした急性毒性がないか、細菌を用いた 発ガン性がないかなどの検査は合格している。しかし、ヒトの体内でさらに有害な物質に代謝されて いないか、長期間摂取したのちの毒性はないかなどの安全性試験は行われていない。 第二に、生態系への影響という問題がある。遺伝子組み換え作物の開発実験は、文部科学省の出し た「組み換えDNA実験指針」の規制に従って設備の整った実験室で行われ、栽培実験は管理された隔 離温室で行われる。次に、周りを金網などで囲っただけの隔離圃場で栽培実験が継続され、そこで周 辺環境へ影響を与えないと認められれば一般圃場での栽培が許される。 しかし、遺伝子組み換え作物が市場に出回れば、組み換え体細菌が環境に拡散するのは防ぎようが
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3章
工学倫理の基礎
ない。また、 遺伝子組み換え作物の種子の周辺への拡散も避けられない。花粉が風に乗って飛んだり、 昆虫の脚について運ばれたりすると、周辺の普通の作物と交配し、その種に導入遺伝子が入り込んで しまう。そのことで除草剤耐性雑草や害虫耐性雑草が生まれ、害虫も益虫も殺されてしまうかもしれ ない。また、遺伝子組み換えで植物ゲノムに導入したウイルスの遺伝子の一部が、その植物に感染し た別のウイルスに取り込まれて無害なウイルスが有害なウイルスへと変化したという実験結果が報告 されている。また、殺虫効果のある成分をつくるように操作した農作物が、害虫のみでなく土壌細菌 やミミズなどの有益な生物も殺したという報告もある。生態系は複雑であり、わずか数十年の経験く らいでは潜在する生態系への影響を予知できない。 3)
遺伝子診断
遺伝子診断とは、ある病気の原因がDNA塩基配列の変異であることがわかった場合に、DNA塩基配 列を検査することによってその病気に罹患しているかどうか調べることである9)。病気は遺伝性素因 に環境因子が作用して発症する。病気にかかわっている遺伝子を標的として治療するというのが、遺 伝子診断と遺伝子治療を含む遺伝子医療の考え方である。遺伝子医療はまず遺伝病と呼ばれる、遺伝 性素因の寄与がほぼ100%の病気の原因を探る研究から始まった。ついで、病態が複雑すぎて、従来の 医学の知識や技術では原因がほとんどわかりそうもなかった遺伝性の難病についても、原因解明の道 筋が開かれた。原因が分かるようになると、診断に応用されるようになった。 現在わが国で最も一般的に使われているのは、出生前診断である。出生前診断とは、胎児の羊水の 一部を採取し、この中に含まれている細胞から遺伝子診断を行う方法である10)。最近では、体外受精 で得られた受精卵の遺伝子を診断するという着床前診断も開発された。 出生前診断、着床前診断については人工妊娠中絶による命の選別の問題がある。胎児が疾患に罹患 していると判断されると人工妊娠中絶が行われることが多い。日本では、出生前診断をめぐって1970 年代に大きな議論があった11)。羊水検査が自治体の政策として取り入れられようとしたとき、優生学 に基づく障害者の抹殺だとして障害者団体が激しくこれに抗議している。優生学eugenicsとは、一般 の生物と同様に人間の優良な血統をすみやかに増やす諸要因を研究する学問である12)。かつてドイ ツではナチスが優生学の延長線上に「障害者安楽死計画」を進め、北欧では断種法の下で強制的な不 妊手術が行われてきた13)。 これについては、出生前診断による選択的人工妊娠中絶は、女性の「自己決定権」の下になされる 点で従来の優生学とは異なるという主張がある14)。これに対して、出生前診断における自己決定につ いて、 「ひとつひとつは個人の選択のように見えても、同じ環境の中で同じ情報に基づいて、ひとつの 方向への選択をすれば全体としておぞましい優生的な社会ができあがる」とする主張もある15)。 4)
遺伝子治療
遺伝子治療とは、正常な遺伝子を患者に導入して発現させることで遺伝子の変異により生じた病気 を治療しようとすることである16)。主に試みられているのは、患者のリンパ球などを体外に取り出し て培養し、ウイルスなどを使って正常な遺伝子を導入してから再び患者の体内に戻すという方法であ
3.2
生命倫理・情報倫理
97
る。1990年には、重症の免疫不全症であるアデノシンデアミナーゼ欠損症の患者に対してはじめての 遺伝子治療が施された。この患者はアデノシンデアミナーゼという酵素が異常なため、生まれつき免 疫力が極端に弱く、普通の人が平気な風邪などの感染でも死んでしまう。期待通りに半数のリンパ球 で正常遺伝子が働くようになり、治療開始から一年後には幼稚園に通い始め、今では普通の子どもと 変わらない生活を送っているという。これまで治療法のなかった遺伝性疾患のみでなく、癌やエイズ などの難病にも治療効果があるという期待もある。 遺伝子治療の問題には次のようなものがある。第一に、ベクターとして用いられるウイルスが新た な感染ウイルスとして暴れ出す危険性である。第二に、ヒトの遺伝子を改変するという技術の進歩に よる倫理的な問題である。 5)
ヒトゲノム
ある生物の持つ遺伝子全体をゲノムという17)。ヒトゲノムには約30億個もの塩基配列がある。 1990年日欧米の科学者たちはヒトゲノム解析計画をスタートさせ、ついに2003年4月に日欧米など6 カ国はヒトゲノムを完全に解読したと宣言した18)。ヒトゲノム研究の進展によって、病気の原因とな る遺伝子や病気を治療する薬となる物質を生成する遺伝子が発見されるようになると、その遺伝子を 用いてさまざまな新しい医療が可能になる。 ゲノム情報をもとにして新たな薬をつくることをゲノム創薬という19)。すでにインシュリンや成 長ホルモン、インターフェロンなどがあり、今後有望な製薬技術である。インシュリンは糖尿病の治 療薬である。1978年に米国でヒトの細胞内にあるインシュリン遺伝子を産生する遺伝子を大腸菌の中 に入れて、これを培養し、そこからインシュリンを抽出して薬品として製造することに成功している。 ヒトゲノムの全塩基配列には個人差がある。そのうち、1塩基レベルの個人差をSNP(スニップ single nucleotide polymorphism)と呼ぶ。ヒトゲノムのうち0.1%くらいは個人差(SNP)があり、全体 で300万から1000万箇所くらいのSNPが存在すると考えられている。多くは生理的に何の意味も持た ないが、薬物への感受性に影響を与えるものも存在すると考えられている。現在、大規模なSNP解析 が急速に進んでいる。 主にSNP情報をもとにして、患者の個人差に合わせた医療を行う医療の個別化をオーダーメイド医 療(テーラーメード医療)と呼ぶ20)。こうした個別化は、医学的には同一の疾患でも、体質により薬 の効き方が異なるという問題点を解決するために考え出された(図3.7)。遺伝的なリスクに基づいた 病気発症予防や、体質に合わせた薬剤の使い分け、その適用量の加減などが考えられている。 現在、比較的少数のヒトを対象としてゲノム医療が実際に行われている。アイスランドに住む約28 万の国民は、ほとんどが9世紀後半に住み着いたバイキングの直系子孫で、島外の人との婚姻例も少 ないため、全員がほぼ均一な遺伝子をもつ。そこで、デコード・ジェネティクス社は、アイスランド 政府と次のような契約を交わしている。アイスランド国民の全ゲノム情報と全医療記録を提供しても らって医療データベースを作成し、それを用いた遺伝性疾患の病因解析とその結果を利用した商業的 運営の独占権を獲得する。その見返りとして、アイスランド国民は、それをもとに開発された薬や治
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3章
工学倫理の基礎
療法をその子孫に至るまで将来長きにわたって無償で提供される権利を獲得する。 ヒトゲノム医療は次のような問題を伴う。多くの普通の疾患についても遺伝性素因が解明され、そ れに対する遺伝子診断が機械化により迅速に行われるようになると、膨大な遺伝子診断の情報が各個 人に対して蓄積されるようになる21)。これらの情報は、医療的には有益であるが、他に流用されると 危険な情報となる。遺伝子診断による情報によって就職、結婚、医療保険加入などで差別が生じる危 険性がある。ゲノム情報は本人だけでなく、血縁の一族すべての人にかかわる情報でもあり、一族皆 に影響を及ぼす差別が生じる危険性もある。 6)
クローン技術
生物個体は体中の細胞核の染色体の中にまったく同一のゲノムをもっている。別個体だがゲノム塩 基配列がまったく同一である個体をクローン動物と呼ぶ22)。1997年、イギリスのロスリン研究所の ウィルムットらは体細胞由来のクローンヒツジ(ドリーと命名)を誕生させて、世界中の科学者を驚 かせた。成長したヒツジの乳腺から採取した細胞より細胞核を取り出し、他のヒツジの未受精卵に移 植したのち代理母の子宮に移して生育させたところ、元のヒツジと全く同じ遺伝子をもったヒツジが 誕生した。 これでクローン人間の誕生も技術的には可能となった。クローン人間によって不妊症対策を行うこ とや、遺伝的に優れた人間のクローンをつくることで知的能力、運動能力等の優れた個体を生み出す ことも考えられる23)。しかし、倫理的問題から米国では核を除いた卵子に体細胞の核を移植して作成 するヒトクローン胚の研究を全面禁止した(2001年)。日本でも「ヒトに関するクローン技術等の規制 に関する法律」が制定され(2000年) 、ヒトの個体のクローンをつくることが禁止されている24)。ただ し、この法律の中では他の国とは異なり、ヒトの胚のクローンをつくることは禁止されていない。 クローン人間に伴う問題は次のようなものである。第一に安全性の問題である。これまでの研究で はクローン生物は成功率が低く、生まれてもさまざまな病気で長生きできなかったり、子どもは生ま れるが生殖能力が低かったりする。第二に、人間を人為的に作り出していいのかという問題である。 第三に、核を提供した者、未受精卵を提供した者、子宮を提供した者などの法律上の立場をどうする かという問題がある。 7)
再生医療
人工的に組織や臓器を修復する治療法を再生医療という。自己増殖能と分化能を併せ持つ未分化な 細胞を一般に幹細胞、受精卵が数回分裂した段階で得られる胚性幹細胞(ES細胞embryonic stem cell) と呼ぶ25)。マウスのES細胞は、あらゆる細胞に分化できる潜在能力(全能性)をもつ。ヒトのES細胞 も全能性をもつかどうかは実験できないのでわからないが、マウスES細胞と類似していることから全 能性をもつと考えられている。ヒトES細胞から自在に分化誘導できれば、痛んだり傷ついたりした臓 器を新しいものと自在に取り替えることができる。実際、 徐々にこのような技術が開発されつつある。
以上の諸問題に対して、国際的に規制が行われるようになっている。1997年にユネスコ(UNESCO
3.2
生命倫理・情報倫理
99
特許権(特許法) 実用新案件(実用新案法)
知 的 財 産 権
産業上の創作に ついての権利
意匠権(意匠法) 回路配置利用権(半導体集積回路の 回路配置に関する法律) 育成者権(種苗法) 営業秘密(不正競争防止法)
︵ 工 業 所 有 権 ︶
狭 義 の 産 業 財 産 権
商標権(商標法) 営業標識につい ての権利
︵ 工 業 所 有 権 ︶
広 義 の 産 業 財 産 権
商号権(商法) 商品表示、形態等(不正競争防止法)
文化的な創作に ついての権利
著作権(著作権法)
図3. 1 知的財産権の分類
国連教育科学文化機構)が「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」を採択、1998年に世界保健機構 (WHO)が「遺伝医学と遺伝サービスにおける倫理的諸問題に関して提案された国際的ガイドライン」 を出して、ヒトゲノム研究や遺伝子診断における留意点を盛り込んだ規制を打ち出している。条約や 法律については、EC各国の間で「人権と生物医学に関する条約」が締結され、フランスでは「生命倫 理法」 、ドイツでは「胚保護法」 、アイスランドでは「国民データベース法」が制定されている。
(2) 1)
知的財産権 知的財産権とは何か
知的財産権の分類 知的財産権(知的所有権、無体財産権intellectual property)とは、無体物(形をもたないもの)であ る知能的活動の成果を独占的に利用する権利である。ここでは、知的財産権の分類、知的財産権の歴 史とはどのようなものか、なぜ近年知的財産権が注目を集めているのかみてみよう。 知的財産権は、保護の対象に注目して、人の「知的創作物」についての権利と「営業標識」につい ての権利に分類できる。具体的に考えるために、パソコンを例にあげてみよう。知的創作についての 権利としては、①パソコンのCPU、メモリ、ハードディスク、液晶ディスプレイに関する発明(特許 権) 、②キーボードの形状や構造に関する考案(実用新案権)、③パソコンのデザイン(意匠権)、④半 導体チップのレイアウト(回路配置利用権) 、⑤ソフトウェアやディスプレイに現れる画像(著作権) が考えられる。営業標識についての権利には、⑥「NEC」、 「SONY」等のマーク(商標権)が考えられ る。 さらに、前者の知的創作物についての権利は、保護の目的に注目して、産業の発達を目的とする「産 業財産権(工業所有権)」と文化の発展を目的とする「著作権」に分類できる。わが国の慣用では、産 業財産権は、特許権、実用新案権、意匠権、商標権を指してきた。広義の産業財産権は、これに加え、
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3章
工学倫理の基礎
半導体集積回路の回路配置を保護する回路配置利用権、植物の新品種を保護する育成者権、営業秘密 等も含んでいる。 しかし、近年の法改正や技術革新の影響で、伝統的な方法では分類できなくなってきている。例え ば、1985年の法改正でプログラムも著作権法の保護対象になることが明確になり、著作権法は技術的 な成果物を保護する機能も果たすことになった。 知的財産制度の根拠と歴史 以上のような知的財産制度はなぜ必要とされるようになったのだろうか。近代の知的財産制度を正 当化する代表的な根拠の一つは、インセンティブ論である26)。発明その他の投資活動の成果を創作者 に保障することによって社会全体の創作活動の活性化を図るというものである。その他の代表的な根 拠としては、自然権論がある。人は自分自身の主人であり、自分自身の労働の成果物はその人のもの であるとする考え方である。これはジョン・ロックが私有財産権に根拠を与えるために展開した議論 である。18世紀末に導入されたフランスの特許制度、著作権制度の理論的基礎となった。 さらに、知的財産制度がどのように、発展してきたのか、主に特許制度、著作権制度の歴史に注目 してみてみよう。 世界で最初に特許制度が生まれたのは15世紀イタリア半島のヴェネチア共和国である。当時、イタ リア半島は、ヴェネチア共和国、フィレンツェ共和国等十あまりの小さな国々に分かれ、それぞれが 独自の都市国家として統治されていた。ヴェネチア共和国は、貿易と貿易品の加工業を中心として、 多くの外来技術を導入していた。ヴェネチアでは、進んだ外来技術を導入するために、14世紀頃から 技術者に特定の技術についての独占権を与えるようになった。そして15世紀にはこれが制度化される ようになった。世界で最初に著作権制度が生まれたのも、ヴェネチアである。無断複製や模倣を禁止 する著作権法は、人類が大量の複製技術を手にしたときに始まる。1450年頃グーテンベルクが発明し た活版印刷機械は、あっという間に広まり、ヴェネチア共和国では、1545年世界最初の著作権法とい われる出版特許制度が制定されている。 イギリスにおいても外来技術の導入のために、14世紀初頭からヴェネチアと同様の特権が国王によ り与え始められていた。ギルドと呼ばれる同業者組合があった。ギルドは、新たに参入する業者を排 斥する傾向が強く、外国人の進出には堅く門戸を閉ざしていた。そこで、イギリス国王はヨーロッパ 大陸の優れた技術を導入するために、ギルドの規制を受けずに自由に生産・販売ができるように、海 外の技術者に許諾実施権をあたえた。1561年、エリザベス一世は専売特許状(monopoly patent)を与 えることにした。その後、国王の特許状濫発に対抗した議会は、1624年、近代特許法の原型といわれ る専売条例(Statue of Monopolies)を制定し、特許を最初の発明者に与える先発明主義の特許制度を 誕生させた。この条例の下で、ワットの蒸気機関やアークライトの水車紡績機等の画期的な技術が発 明され、イギリスに産業革命がもたらされた。また、イギリスでは、1709年に世界最初の著作者保護 の著作権法といわれるアン条例が成立した。 アメリカは、1776年、イギリスの植民地支配から脱して、独立を宣言した。そして、1788年に制定
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生命倫理・情報倫理
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された憲法で、 「議会は、著作者および発明者の著作物および発見に対し、一定の期間、独占的な権利 を与えることによって科学および有用な技術の進歩を促進する権限がある」 (第1条第8項第8節)と し、これに基づき1790年に著作権法や連邦特許法が制定された。 フランスでは、1789年フランス革命が起きると、1791年人および市民の権利宣言が発表され、 「所有 権は侵すことのできない神聖な権利であり、法律上認められた公的な必要性が明らかに要求し、公正 な事前の補償を条件としなければ、これを奪われない」 (第17条)として、所有権が明確になった。こ の憲法の下で、1791年に著作権法や特許権法が制定された。 知的財産制度の国際的な流れ ここでは、知的財産権をめぐる国際的な流れについてみてみよう。知的財産権をめぐる国際的な動 向は大きく二つに分けて理解することができる。 第一に、知的財産権制度の国際的な調和(ハーモナイゼーション)である。国境をこえて文化が伝 播し、経済取引が拡大するなかで、無体物である知的財産も著作物や製品などの有体物に乗って国境 をこえて移動する。しかし、各国の知的財産権法の適用はその国の領域内に限定され、知的財産権の 成立や効力はその権利を認めた国の法律による(属地主義の原則)。さらに、各国の知的財産権法はか なり違っている。そこで、知的財産権が各国で同様に保護されるように、各国の制度の調和をはかる ことが必要になる。 そのために、19世紀末頃から様々な条約が成立した。代表的なものが、1883年に成立した産業財産 権の保護に関するパリ条約、 1886年に成立した著作権の保護に関するベルヌ条約である。1970年には、 世界知的所有権機関(WIPO)が国連の専門機関の一つとして発足した。WIPOは全世界にわたる知的 財産権の保護の促進と、パリ条約やベルヌ条約など関連条約を管理することを目的としている。1991 年には、GATTウルグアイ・ラウンドで知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)が結 ばれている。1995年、GATTはWTO(世界貿易機関)に移行したが、WTOに加盟するすべての国には TRIPS協定の履行が義務づけられている。 知的財産権をめぐる第二の国際的な流れが、特許重視政策(プロパテント政策Pro-patent Policy)で ある。アメリカは1980年代、特許重視政策(Pro-patent Policy)を打ちだした。その背景には、1980年 代、日本や東南アジアの国々が急速に経済発展をつづけるなか、アメリカの貿易収支が赤字に転じた ことがある。レーガン大統領は、1983年6月、 「産業競争力に関する大統領顧問委員会」を設置、委員 長にはジョン・ヤング(当時ヒューレット・パッカード社長)が就任した。1985年1月ヤング委員長 は、 「国際競争力と新たな現実」と題する報告書をレーガン大統領に提出した(ヤング・レポート)。 ヤング・レポートでは、アメリカの知的財産権が世界各国で十分に保護されるよう、新興工業国や 発展途上国に2国間交渉や多国間交渉等あらゆる機会を通して知的財産権制度の保護・強化を強く迫 ることが求められていた。2国間では、通商法301条を交渉道具にもちいてきた。これは、貿易に関す る不公正で差別的な外国の政策及び慣行を調査し、必要であれば報復関税、輸入規制等の対抗措置を とることを規定している。さらに1988年には、包括貿易法を制定して、アメリカ製品の輸出拡大をね
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3章
工学倫理の基礎 公表権
著作者人格権
氏名表示権 同一性保持権
著作者の権利 (著作権)
複製権
著作権 (著作財産権)
上演・演奏権、上映権、公衆送信 権、公の伝達権、口述権、展示権 譲渡権、貸与権、頒布権 二次的著作の創作権、利用権
図3. 2 著作者の権利(文化庁長官官房著作権課,『著作権テキスト』(平成17年度),p.3)
らったスーパー301条、諸外国に対して特に知的財産権の保護・強化をねらったスペシャル301条を新 設した。多国間では、GATTを知的財産権保護強化のための交渉の場とし、1995年TRIPS協定の発効 へと結実した。 2)
情報化と知的財産権
近年、情報技術の進展の特徴として、情報のデジタル化とネットワーク化がある。情報のデジタル 化によって、文字、画像、音声等の多様な情報の融合が容易になるとともに、ネットワークによる迅 速かつ大量の情報伝達が可能となっている27)。デジタル・ネットワーク化が引き起こしつつある著作 権と特許権に関する課題について紹介しよう。 a)
デジタル・ネットワーク化と著作権
まず、日本の著作権制度を概観しておこう。日本の著作権法によれば、著作権の意義は、創作活動 を保護することによって文化の発展に寄与することである(著作権法1条)。 著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に 属するもの」である(2条) 。 「思想又は感情」の表現とは、 「東京タワーの高さは333メートルである」 のような単なるデータは著作物に入らないことを意味している。「創作的」とは他人の作品の模倣や 「日韓共催ワールドカップは2002年だった」といった単なる事実は著作物に入らないことを意味して いる。 「表現したもの」とは、 「思想又は感情」そのものは著作物とはならず、文字、記号、線、色、 音等によって具体的に表現される必要があるということである。「文芸、学術、美術又は音楽の範囲」 に属するとは、パソコンのデザイン等は産業財産権制度の対象となるものであり、著作物には入らな いということである。 著作者とは、 「著作物を創作する者」 (2条1項2号)である。作家や画家など著作物を創作するこ とを職業とする者だけではなく、絵を描いた幼稚園児のように著作物を創作すれば誰でも著作者にな ることができる。 著作者は著作物を創作したことにより、著作者の人格的利益を保護する(著作者が精神的に傷つけ
3.2
生命倫理・情報倫理
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られない)ための「著作者人格権」と財産的利益を保護する「著作権(著作財産権)」をもつことにな る(両者を含めて広義の「著作権」ということもある)。著作人格権と著作権の発生は創作と同時であ り、権利を得るための手続きは一切必要ない(無方式主義、17条2項)。 著作者の権利をまとめると図3.2のようである。著作者人格権は、次の三つの権利からなる。①公 表するか否か、公表の方法・条件、時期等について選択する権利(公表権、18条)。②氏名を表示する か否か、実名・変名を選択する権利(氏名表示権、19条)、③著作者の意に反する改変を受けない権利 (同一性保持権、20条) 。著作者人格権はこれを譲渡したり、相続したりすることはできない(59条)。 著作者人格権は、著作者が死亡すると消滅するが、死後であってもそれを侵害するような行為は原則 として禁止されている(60条) 。 これに対して、著作権(著作財産権)は、土地の所有権などと同様に、その一部または全部を譲渡 したり相続したりすることができる。著作権の保護期間は、著作者が著作物を「創作したとき」に始 まり、原則として著作者の「生存している期間」+「死後50年間」である(51条)。著作権には、手書、 印刷、写真撮影、複写、録音、録画、パソコンのハードディスクやサーバーへの蓄積など、著作物を 無断で「形のある物に再製する」 (コピーする)ことができない権利(複製権、21条)等が含まれてい る。 土地所有権が、公共の福祉によって制限されるように、著作権も権利の一種である以上、無制限で はない。常に著作権者からの了解を必要とすると、著作物の公正な利用や、著作物の円滑な利用が妨 げられるおそれが生じる。このような観点から、著作権者の了解を得ることなく、著作物を自由利用 できる場合が定められている。 例えば、教養、娯楽、文化活動が円滑になされるように、 「個人的に又は家庭内その他これに準ずる 限られた範囲内において使用すること」を目的とするときは、許可なく著作物を複製することが認め られている(私的使用のための複製、30条) 。TVドラマを録画したり、レンタルCD店からから借りて きたCDを録音したりすることがこれにあたる。 以上をふまえて、情報技術の進展(デジタル・ネットワーク化)がもたらした著作権の問題をみて みよう。現行の著作権法が制定された1970年には、一般の家庭に普及している複製のための機械はカ セットテープレコーダー(ラジカセ)くらいしかなく、レンタルレコード店もまだなかった。コピー 機もまだ珍しかった。TV番組を録画する方法もなかった。 ところが、1980年代に入る頃から、レンタルレコード店が登場し、レコードを借りてきて家庭でカ セットテープに録音できるようになった。同じ頃、家庭用ビデオデッキが普及しはじめて、TV番組を 録画できるようになった。レンタルビデオ店が登場し、ダビングした海賊版のビデオカセットなども 出回るようになった。オフィスや店頭にコピー機が並ぶようになって、書類も安く大量にコピーでき るようになった。 1980年代の後半には、デジタル録音であるCDが爆発的に普及しはじめる。そして、家庭用のデジタ ル録音機器として、MDが登場する。パソコンを使って、CDを簡単に複製できるCD-R等も登場する。
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3章
工学倫理の基礎
もう少し遅れて、デジタル録画できるDVDが普及するようになり、DVD-R等のデジタル録画機器も普 及しつつある。 デジタル録音・録画はそれまでのカセットテープやビデオテープと異なり、コピーしても音質や画 質が基本的に劣化せず「オリジナルと同品質の完全なコピー」が作れ、大量で高速のコピーが可能で あり権利者に大きな被害を与えることになった。 これに対して、技術的な制限によって複製を防止することが考えられるようになった。例えば、コ ピー・ガードをかけて複製を完全に禁止したり、SCMS(シリアル・コピー・マネジメント・システム) のようにCD等からのデジタル複製を一世代だけできるようにして、二世代目以降の複製を制限する 方法もある。このようなコピー・プロテクトを解除して複製を可能にする装置を製造・販売する行為 に対しても抑止策が講じられている28)。 また、1992年の法改正により、 「私的録音録画補償金制度」が設けられた(30条第2項)。まず、デ ジタル方式の場合(政令で指定する「機器」 「媒体」を使う場合)の「私的使用のためのコピー(複製)」 をアナログ方式とは区別し、これを行うためには「補償金の支払い」をしなければならないこととし た。この補償金は、本来は、コピーをする人がそのたびに支払うべきものであるが、簡便なシステム とするため、メーカー等の協力により、 「MD等の価格にあらかじめ上乗せしておく」というシステム になっている(104条の2〜104条の10) 。例えば、メーカー出荷価格が100円のMDの場合、3円がこの 補償金である。 そして、1990年代後半になるとインターネットが普及する。特にMP3などデータを送信しやすいよ うに圧縮する技術や、ブロードバンドと呼ばれる大容量で常時接続の通信回線が普及すると、音楽や 映像も簡単に送受信できるようになった。 CDの音楽データをMP3等で圧縮して、インターネット上のサーバーにアップロードすることは、複 製にあたり、 「送信可能化」といって公衆送信の一種にもあたる(23条)。1997年の著作権法改正によっ て、個々の利用者からのリクエストにより実際に送信されていなくても、アップロードの段階で公衆 送信権(著作権の中の一つ、図参照)が働くことが明文化された。したがって、著作者やレコード会 社に無断でCDの音楽データをアップロードすることは著作権侵害にあたる。 最近は、P2P技術を用いたファイル交換ソフトが問題になっている。P2P(Peer to Peer)とは、複数 のコンピュータが相互にそれらの処理機能を利用し合うコンピュータシステムの利用形態である。 ユーザー同士が情報を直接やりとりするものであり、互いのコンピュータのハードディスクを共有す る機能があるため、仲介するサーバーに情報をアップロード又は蓄積することを要しないことに特徴 がある。 本来、P2P技術は、グループ・コラボレーション、分散コンピューティング、ファイルの共有・交換 など多様な可能性をもつ。しかし、その実情として、著作権の対象となる作品のファイル交換に利用 され、無許諾で膨大な複製物が作成されている。 P2P技術には大きく分けて2種類のものがある。第一に、中央管理型である。これは、情報検索の
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生命倫理・情報倫理
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ために仲介するサーバーが用いられる形態である(ナップスター、WinMX)。第二に、非中央管理型で ある。これは、このようなサーバーを介さずにユーザー間で情報の検索を行い情報の送受信を行うも のである(グロックスター、グヌーテラ、Winny) 。 各ユーザーのパソコンへのダウンロード行為、あるいは各ユーザーのパソコンへの送信行為につい ては、基本的には、著作権(複製権、公衆送信権)侵害に問われうる行為である29)。 P2Pによる著作物の違法複製・送信を防止するためには、権利者側におけるコンテンツの暗号技術 によるブロック化やハード側の仕組みの導入による不正交換の防止など、物理的手段を講じていくこ とが求められる。他方では自由な情報流通を不当に阻害しないようなバランスのとれた措置も求めら れる。 b)
ソフトウェアと特許
日本の特許法は「この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業 の発達に寄与することを目的とする」と規定している(1条)。発明は目に見えないアイデアなので、 家や車のように目に見える形で誰かがそれを支配できない。したがって、法律などの社会的制度や ルールにより保護されなければ、発明者は自分の発明を他人に盗まれないように秘密にしておこうと するであろう。そこで、特許法は発明者に一定期間、特許権という独占権を与えて、発明の保護を図 る一方、発明を公開して利用を図ることにしている。また一定期間が過ぎた後は誰でも自由に実施で きるようにして、新しい技術を人類共通の財産としながら、技術の進歩を促し、産業の発達に寄与し ようとしている。 特許法における「発明」とは「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」である(2 条1項) 。 「自然法則」とは自然界において経験的に見出される法則である。ゲームのルール等の人為 的な取り決めや、万有引力の法則等の自然法則そのものは「自然法則を利用している」とは言えない。 「技術」とは、一定の目的を達成するための具体的手段であって、誰もが反復して同じ結果を実現でき る反復可能性が必要である。フォークボールの投法にように個人の熟練によって得られる技能は技術 ではない。 「創作」とは新しいことをつくりだすことであり、既にあるものを見つけだす「発見」とは 区別される。 「高度」とは、実用新案権における考案との区別を示すものである。 以上の発明に該当していても、すべての発明が特許を受けられるわけではなく、特許取得の要件が 定められている。先にみたように特許法の目的は「産業の発達」にあるので、①産業上利用できるこ とが必要である(29条1項) 。理論上にすぎず、実際に実施できないものはこれに該当しない。②「新 しさ」が必要である。 「新しさ」をもつとは特許出願前に公然と知られた発明、公然と実施された発明、 刊行物に記載された発明でないことである(29条1項)。③「容易に発明することができないこと」が 必要である(29条2項) 。公然と知られた発明を単に寄せ集めただけのものや、他の技術へ転用しただ けのものはこれに該当しない。④先に出願されていないことである(39条、29条2項)。同一の発明に ついて複数の出願がされた場合、最初に出現した者に特許権を付与する考え方(先願主義)と、最初 に発明した者に特許権を付与する考え方(先発明主義)があるが、わが国の特許法は先願主義を採用
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工学倫理の基礎
している。⑤公序良俗に反しないことである(32条)。例えば、紙幣偽造機や阿片吸引器等は特許を受 けられない。 近年、IT分野で大きな技術の進展が見られる。このような新しい技術のなかには、従来の特許制度 による保護が想定されていなかったものもある。その一例がソフトウェアである。従来、コンピュー タ・プログラムは計算方法などと同様に人為的な取り決めにすぎず、 「自然法則を利用した」とは言え ず、ソフトウェアに特許を認めることはこの原則に反するものとしばしば考えられてきた。 日本では、1971年6月から通商産業省に設置された「ソフトウェア法的保護調査委員会」において ソフトウェアの法的保護のあり方について検討がなされ、その中間報告で「著作権法や特許法の既存 の法制度による保護には限界がある」として、ソフトウェア保護のための「新規立法」を提案してい た。 1980年代前半、通商産業省は、著作権でも特許権でもないプログラム権を構想し、プログラム権法 案の制定準備を進めていた。これに対し、1984年、文化庁はソフトウェアを著作物として認め、著作 権法のもとで保護する方針を発表した。通商産業省と文化庁との間で激論が交わされたが、米国のプ ログラム権法構想に対する反対などもあり、1985年3月文化庁と通産省との間でプログラムを著作権 法で保護することについて合意した。こうして1985年に著作権法が改正され、コンピュータ・プログ ラムが著作物であることが明記された。 その後、特許庁は、1997年「特定技術分野の審査の運用指針」を策定し、プログラムそれ自体であっ ても、ハードウェアを制御するなどの発明として特許を認めることにした。2002年には特許法が改正 され、プログラムが発明に入ることが明確になった(特許法2条3項1号)。こうして、今日ではコン ピュータ・プログラムは学術的思想の表現物として著作権法により保護されるとともに、一定の条件 の下に、技術的思想の創作である発明として、特許法により保護されている。 また近年、コンピュータやインターネットを利用して具体的に実現したビジネス方法に関する特許 が脚光をあびるようになった。例えば、一度Amazon.comで書籍を購入した顧客が何度もクレジット カード情報等を入力しないですむように、顧客情報をデータベースに蓄積しておき、再度顧客が買い 物にきたときには、ユーザーネームとパスワードだけで「ワンクリック」で買い物ができる方法等が ある。
(3)
遺伝子特許
今日、ITと同様に、バイオテクノロジーの急速な進展が、知的財産権に関する倫理的諸問題を引き 起こしつつある。ここでは、そのなかでも、特に遺伝子工学に関する特許がもたらした倫理的諸問題 について考えてみよう。 1)
生物に対する特許から遺伝子特許へ
生物に対する特許の登場とその拡大について見ていこう。従来、生物は特許制度になじまないと考 えられてきた。しかし、この考え方は、近年覆されつつある。きっかけになったのが、チャクラバー
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生命倫理・情報倫理
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ティ裁判である30)。1971年米国のゼネラル・エレクトリック(GE)社は、チャクラバーティ博士が石 油汚染除去のために開発した、石油を食べるバクテリアを米国特許商標庁(PTO)に申請した31)。し かし、米国特許商標庁は「生物に特許を認めない」として申請を却下した。GE社は裁判に持ちこみ、 1980年、米国連邦最高裁は裁判官5対4の僅差で、バクテリアを特許として認める判決を下した。 1985年、米国特許商標庁は、植物体や組織培養物も特許で保護できるという判断を下した32)。1988 年、米国特許商標庁は、デュポン研究所とハーバード大学が共同で開発した、ヒトのがん遺伝子を導 入した遺伝子組み換えマウスに特許を認めた33)。このマウスは急速にガン腫瘍を発現させるためガ ン研究に役立つ。この動物特許は米国の化学企業デュポンにライセンスされ、このマウスは「オンコ マウスOncoMouse」という商標名で市販されている。 1991年には、米国国立衛生研究所(NIH)はDNA解読の結果に対して特許を出願した34)。これに対 して米国特許商標庁は、特許を与えることを拒んだ。理由は次の三つであった。発現配列タグ(EST) の機能に関してまったく記載がなく、有用性がない。出願のなかに公知の配列を含むものがあり、新 規性がない。試料に市販のライブラリーを使っており、進歩性もない。しかし、1998年にはインサイ ト・ファーマシューティカルズ社が出願した、機能が不明確なDNAの塩基配列に特許が認められてい る35)。 国際社会に目を向けると、1991年には、GATTウルグアイ・ラウンドでTRIPS協定が結ばれている。 その第27条第1項によれば、 「特許は、新規性、進歩性及び産業上の利用可能性のあるすべての技術分 野の発明(物であるか方法であるかを問わない。 )について与えられる」36)。さらに、第27条第3項(b) によれば、加盟国は、また、 「微生物以外の動植物並びに非生物学的方法及び微生物学的方法以外の動 植物の生産のための本質的に生物学的な方法」を特許の対象から除外することができる。 一見したところ、27条は動植物を特許対象から除外しているように見える37)。しかし、 「微生物以 外」とか「非生物学的」もしくは「微生物学的」方法によって生産される動植物という表現は、微生 物や遺伝子を組み換えてつくられた動植物の特許化を強制しているのである。このようにTRIPS協定 は、実質的に特許の対象となる領域を拡大させている。 1997年のユネスコ総会で採択された「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」では、第1条に「ヒト ゲノムは、象徴的な意味において、人類の共有財産である」と記されている。ヒトゲノムを文字通り 「人類の共有財産」 と捉えると、ヒトゲノム解読の成果に特許権を設定することが難しくなる。しかし、 先進諸国の要望によって「象徴的な意味において」という注釈がつき、ヒトゲノム関連の研究成果の 特許化を認める表現となっている38)。 現在、先進諸国において新規遺伝子が見いだされた場合には、要件を満たせば、その塩基配列を持 つ化合物に対する特許が与えられる39)。 「天然にもともと存在する物質を見いだす操作は発明ではな く、発見にすぎないのではないか」という問題に対して、先進諸国は、塩基配列の解読を行うまでの 抽出や精製の過程で人手が介在するということから、遺伝子に対する物質特許の付与を主張している。
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3章
工学倫理の基礎
遺伝子特許とアンチコモンズの悲劇
近年一つの遺伝子に対して研究開発の複数の中間段階で特許が成立するようになり、医薬品を開発 しようとする企業にとっては、複数の特許権のライセンス供与を受ける必要性が高まっている40)。 HGS社はヒトの新規遺伝子を見いだして、CCR5というタンパク質に関係していることを突き止め、 1995年に特許を出願し、2000年に付与された。その後別のグループの研究によりCCR5はHIVが細胞 に感染する際に利用するものであることが明らかになった。HGS社は、特許出願時に当該遺伝子と HIVの関連を全く解明していなかったにもかかわらず、物質特許としての遺伝子特許をおさえている ため、実質的にHIV阻害剤の開発に大きな影響力を及ぼすことになる。 遺伝子断片のデータベースは発見のための有用な資源ではあるものの、将来の製品出現に向けて、 単離された遺伝子断片に関する財産権を位置づけ定義することは、初期には不可能のように見え る41)。治療用プロテインや遺伝子診断テストのような、予見される商用製品は、複数の遺伝子断片を 必要とする見込みが高い。個々の断片への特許付与が急増し、それが別々の所有者により保持される ことによって、こうした製品を開発する上で有効な権利を得るためには、ライセンスの束を作り出す という、費用のかかる取引が、必要となる可能性が高い。 こうして将来の製品になる可能性があるものについて知的財産権を過度に細分化して同時に付与す ることと、 「川下」の診断用・治療用製品における将来の発見について、あまりに多くの「川上」の基 礎的な研究成果の特許をとった者が、次々にライセンスを積み重ねるのを可能にしてしまう。 このようにして、多数の所有者が他人を希少な資源から締め出してしまい、誰も実際に使用する権 利をもたないので、資源が十分に利用されない傾向になってしまうという悲劇が起こる。これをヘ ラーとアイゼンバーグは「アンチコモンズの悲劇」と呼ぶ42)。 共有財産化と私権設定をうまく共存させることは、遺伝子研究における重要な課題である43)。特に 特許を付与するのにふさわしい「遺伝子機能解明」のレベル設定は、遺伝子特許の適切な付与の在り 方を考える際の重要な論点である。日米欧三極特許庁により、1999年5月に公表された「バイオテク ノロジー特許の運用に関する比較研究報告」によれば、機能が完全に未知であり、一般的な用途しか 持たないDNA断片には特許が与えられないことが三極間の共通認識となっている。
注・参考文献 1)加藤尚武/加茂直樹編、 『生命倫理学を学ぶ人のために』 、世界思想社、1998. 2)V. R.ポッター、今堀和友/小泉仰/斉藤信彦訳、 『バイオエシックス――生存の科学』 、ダイヤモ ンド社、1974. 3)W. T. Reich, Encyclopedia of Bioethics, The Free Press, 1978. 4)トム・L・ビーチャム/ジェイムズ・F・チルドレス、永安幸正/立木教夫監訳、 『生命医学倫理』 、 成文堂、1997. 5)村田潔編、 『情報倫理』有斐閣、2004、p.ⅰ
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6)野島博、『ゲノム工学の基礎』 、東京化学同人、2002、p.77. 7)野島博、『ゲノム工学の基礎』 、東京化学同人、2002、pp.269-288. 8)http://www.suntory.co.jp/company/research/blue-rose/ 9)野島博、『ゲノム工学の基礎』 、東京化学同人、2002、p.213 10)軽部征夫、『バイオテクノロジーと社会』 、放送大学教育振興会、2005、p.118. 11)坂井律子、『ルポルタージュ出生前診断』 、NHK出版、1999、pp.126-131. 12)米本昌平/松原洋子/橳島次郎/市野川容孝、 『優生学と人間社会』 、講談社、2000、p.14. 13)市野川容孝、『身体/生命』 、岩波書店、2000、pp.108-109. 14)市野川容孝、『身体/生命』 、岩波書店、2000、pp.138-139. 15)利光恵子、 「生殖医療と遺伝子診断」 ( 『操られる生と死――生命の誕生から終焉まで――』 )1998、 p.203. 16)野島博、『遺伝子と夢のバイオ技術』 、羊土社、1997、p.133. 17)野島博、『遺伝子と夢のバイオ技術』 、羊土社、1997、p.136. 18)軽部征夫、『バイオテクノロジーと社会』 、放送大学教育振興会、2005、p.113. 19)野島博、『ゲノム工学の基礎』 、東京化学同人、2002、p.296. 20)野島博、『ゲノム工学の基礎』 、東京化学同人、2002、p.299. 21)野島博、『遺伝子と夢のバイオ技術』 、羊土社、1997、p.127. 22)野島博、『ゲノム工学の基礎』 、東京化学同人、2002、p.256. 23)軽部征夫、『バイオテクノロジーと社会』 、放送大学教育振興会、2005、p.255. 24)橳島次郎、『先端医療のルール』 、講談社、2001、p.10. 25)野島博、『ゲノム工学の基礎』 、東京化学同人、2002、p.265. 26)相田義明、 「特許制度の史的展開と現代的課題」 ( 『先端科学技術と知的財産権』 、発明協会、2001)、 p.208. 27)作花文雄、『詳解著作権法』 (第3版) 、ぎょうせい、2004、p.554. 28)平成11(1999)年の著作権法改正で盛りこまれた. 29)ユーザーAがそのパソコンに著作物Xのデータを保有し、ユーザーAのパソコンから、ユーザー Bのパソコンに送信された場合、Aは公衆であるBに送信し、ダウンロードさせていることから私 的使用の複製として許容されるものではない. 30)Diamond v. Chakrabarty, 447 U.S. 303(1980). 31)チャクラバーティは三種類のバクテリアからプラスミドを取り出し、第四の細菌へそれを移植し た.バンダナ・シバ、松本丈二訳、 『バイオパイラシー』 、緑風出版、2002、p.42参照.全米科学ア カデミーのヴィジョン委員会のキー・ディスミュークスは次のように述べている. 「アナンド・チャ クラバーティは新しい形態の生物を創り出したのではない.彼は、バクテリアの株が遺伝情報を交 換するという普通のプロセスに介入して、異なる代謝パターンをもつ新しい株を生み出したにすぎ
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3章
工学倫理の基礎
ない.「彼の」バクテリアは、あらゆる細胞の生命を導く力のもとで、生き、繁殖している」 .バン ダナ・シバ、松本丈二訳、 『バイオパイラシー』 、緑風出版、2002、p.45参照. 32)大塚善樹、『なぜ遺伝子組換え作物は開発されたか』 、明石書店、1999、p.97. 33)Haraway, D. J. Modest_Witness@Second_Millennium FemalemanⒸ_Meets_OncoMouseTM, Routledge, pp.79-85. 34)名和小太郎、『ゲノム情報は誰のものか』 、岩波書店、2002、p.51. 35)隅藏康一、『バイオ特許入門講座』 、羊土社、2003、p.100. 36)TRIPS 協 定 は 特 許 庁 の ホ ー ム ペ ー ジ で 参 照 で き る(http://www. jpo. go. jp/shiryou/s_ sonota/aippi/trips/ta/mokuji.htm) . 37)ヴァンダナ・シバ、奥田暁子訳、 『生物多様性の保護か、生命の収奪か』 、明石書店、2005、p.119. 38)隅藏康一、 「遺伝子特許」 (『アソシエ(Associe) 』 、御茶の水書房、9号、2002、pp.60-70)、p.62. 39)隅藏康一、 「遺伝子特許」 (『アソシエ(Associe)』 、御茶の水書房、9号、2002、pp.60-70)、p.61. 特許法で保護される発明の対象は、 「物」あるいは「方法」のいずれかである. 40)隅藏康一、 「遺伝子特許」 (『アソシエ(Associe) 』、御茶の水書房、9号、2002、pp.60-70)、p.66. 41)マイケル・A・ヘラー/レベッカ・S・アイゼンバーグ、和久井理子訳、 「特許イノベーションを 防げるか?」 (『知財管理』vol.51 No.10, 2001) . 42)マイケル・A・ヘラー/レベッカ・S・アイゼンバーグ、和久井理子訳、 「特許イノベーションを 防げるか?」 (『知財管理』vol.51 No.10, 2001) . アンチコモンズの悲劇は、多すぎる所有者が与え られた資源を利用する権利をもっている場合、他人を希少な資源から締め出すことができず、資源 が過度に利用される傾向になってしまうという「コモンズの悲劇」に対する批判として主張されて いる.コモンズの悲劇については、G・ハーディン、「共有地の悲劇」(シュレーダー=クレチェッ ト編、京都生命倫理研究全訳、『環境の倫理
下』 、晃洋書房、1993)、pp.451-452を参照せよ.
43)隅藏康一、 「遺伝子特許」( 『アソシエ(Associe)』 、御茶の水書房、9号、2002、pp.60-70)、pp. 62-63.
3.3
環境倫理と工学
111
ちょっとひといき 「遺伝子工学と管理社会」 そう遠くない未来, 遺伝子診断によって寿命や能力が生まれた時から分かり, 遺伝子操作によっ て能力を高められて生まれた「適正者valid」が支配する社会。出生後すぐに遺伝子診断が行われ, 推定寿命と死因が判明する。 自然出産で生まれた「不適正者invalid」のビンセントは,生後まもなく神経疾患の発生率60%, 躁鬱病42%,注意力欠如89%,心臓疾患99%で推定寿命は30.2歳と診断された。ビンセントの両 親は,ビンセントの病気を心配したり,入学を拒否される差別を受けたりするうちに,次の子ど もは遺伝子操作という「普通の方法」によって作ろうと決意した。 こうして遺伝性疾病の要因はなく,男で,薄茶色の目と黒髪と白い肌をもち,若ハゲ,近眼, 酒その他の依存症,暴力性,肥満等の有害な要素を排除した,優秀な遺伝子をもつ「適正者」の 弟アントンがつくられた。何をやっても弟に勝てないビンセントは,弟との違いを痛感しながら 育っていった。ある時,彼は弟と度胸試しに遠泳の競争をして,はじめて弟に勝つ。 彼はこの経験をきっかけに自分の運命を変えようと決意する。やがて彼は宇宙飛行士になる夢 をかなえるため家を飛び出し,優秀な遺伝子を持ちながら事故で下半身が不自由となった若者 ジェロームと出会う…。 以上は近未来SF映画『ガタカGATTACA』 (1997)のストーリーである。この映画で描かれた社 会では,あらゆる教育・職業上の機会の享受を許された「適正者」と,下層階級を形成する「不 適正者」が区分される。 「ガタカ」社では,従業員の毛髪・皮膚・血液・尿に含まれるDNAの定期 的なバイオメトリクス(生体認証)による監視が,この社会的分類を実効的なものにしている。 もちろんこれはSFであり,この映画で描かれていることがすべて実現するわけではないだろ う。しかし,すでにヒトゲノム解読は終了し,遺伝子組み換え,出生前診断,着床前診断が可能 になっている。そして,出生前診断による選択的人工妊娠中絶が,胎児の選別になるのではない かという疑問が提示されている。また,遺伝子診断による保険や雇用における差別,選別が問題 になっている。デザイナー・ベビーを認めている国はないが,これから遺伝子工学が発展し,安 全性が確保されれば,実現されるかもしれない。遺伝子工学の発展次第によっては,この映画が 描く社会も荒唐無稽ではないように思われる。
3.3
環境倫理と工学
(1)
環境倫理問題化の背景
20世紀を俯瞰すると、前半は「戦争」 、後半は「環境問題」という二つのテーマが世紀を二分してい る。第二次大戦終結直後より、先進諸国の工業化の進展と農業生産の拡大はめざましく、先進諸国の
112
3章
工学倫理の基礎
市民が物糧の豊かさを実感しはじめるのと同時に、その副作用ともいうべき「環境問題」に世界中が 直面させられることとなる。 1)
環境汚染
1950年代から「環境問題」が広く取りあげられ、水俣病公式認定からもすでに50年になる。米国で は、1950年代後半4年間にわたる徹底した調査とデータの収集をもとに、1962年、カーソンが『沈黙 の春』を刊行し、殺虫剤と農薬の危険性を訴えた。ベストセラーとなった本書の主張に、化学産業界 から大反発が起こり、ケネディ大統領は科学諮問委員会に調査を命ずる事態となる。科学技術特別委 員会の報告書「農薬の使用」 (1963)で、カーソンの主張の正しさが証明され、化学産業界からの反論 は終息し、米国では環境悪化防止のため、 「国家環境政策法(National Environmental Policy Act= NEPA) 」の制定に至る(1969) 。 日本でも戦後の急速な工業化、経済成長の進行のなか、水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病 など典型的な「公害」をはじめ、国土全般に及ぶ環境汚染の拡がりは危機的状況となり、1960年代に は「環境問題」が大きく社会問題化してきた。 「今日、大気の汚染や河川の汚濁をはじめとし、さまざ まの公害が各地でひん発し、国民の健康や生活環境に深刻な影響を与えております。わが国経済社会 の発展は目ざましいものがありますが、反面、産業構造の重化学工業化や都市の膨張等に伴って、公 害も広域化、複雑化の度合いを深め、公害問題は、いまや緊急な解決を迫られる政策課題となってお ります。このような事態を前にして、昭和42年8月には公害対策基本法の制定をみ、公害問題の根本 的解決のための施策の理念と方向が明らかにされ、従来の個別応急的な対策とは異なつた総合的、計 画的な公害対策の実施へのレールが敷かれました。」(昭和44年版「公害白書」より) 公害対策基本法に続き、昭和45年のいわゆる公害国会で、公害・環境関連の14法案が可決され、昭 和46(,71)年に環境庁[平成13(,01)年より環境省]が発足した1)。 ヨーロッパでも1965年、公害問題の実態とこれに対する生態学的対応を論ずる画期的シンポジウム 「生態学と工業社会(Ecology and the Industrial Society)」 (イギリス生態学会)が開催され、1970年の第 1回「ヨーロッパ環境保全年(European Conservation Year)」につながる。ドイツでは1960年代、ルー ル工業地帯をはじめ、コンビナート、鉱鋼業の集積するライン河畔の大気汚染、水質汚濁は極限まで 達し、やがて「黒い森」の古林さえ酸性雨で枯れてきた。このような事態への国家・国民挙げての持 続的な努力が、現在の「環境先進国ドイツ」を実現してきている2)。 2)
有限性の意識
1966年、ボールディングは地球を「一隻の宇宙船」にたとえ、資源開発にも汚染にも無限の貯蔵庫 を持たない「地球の有限性」を訴えた。1969年、アポロ11号の月面到着は、はじめて人類に地球を外 から見る経験を与え、地球の大気圏内存在、青い地球という美しいイメージとともに、地球環境の有 限性を意識づけ、自然の浄化能力の限界をこえる環境汚染の認識と合わせて、環境保全行動への関心 を高めるきっかけとなった。1970年にOECDメンバーも含み国際的民間組織として設立されたロー マ・クラブは、人類の危機に関するプロジェクトを立ち上げた。飽くなき成長の追求が、天然資源の
3.3
環境倫理と工学
113
枯渇、急速な工業化のもたらす公害・自然環境破壊を深刻化させ、更に途上国の人口爆発、インフレ の蔓延、貧富差の拡大、増大する社会不安、軍事技術破壊力の脅威拡大などを惹起するとして、危機 の諸要因と相互作用を全体として把握できるシステム・ダイナミックス・モデルを作成し、1972年、 その報告『成長の限界―人類の危機レポート―』を公刊し、将来の地球規模の危機を回避する政策検 討を国際社会に訴えた3)。 時あたかも1973年に全世界を襲った石油危機に直面し、人々は生活に密着したところで、有限性の 意識を持つことを迫られることとなった。
(2) 1)
環境倫理論議の展開 持続可能な社会形成の課題
ローマ・クラブは、次世代の良き社会を願って人類危機回避の方策検討を訴え、世界システム分析 を実施したメドウズも、高成長持続ではなく世界を「均衡」のうちに保つ政策が、未来の世代をも考 えて社会を持続する方策だと提言する4)。現在の人間は、将来世代の子孫たちのことも考慮に入れて 行為すべきであるというボールディングの指摘を受けてアレンやファインバーグ等が議論を展開し た5)。彼らの議論にも刺激されつつ盛り上がったエコロジー運動の影響下、1970年に米国環境保護庁 (EPA)が設置され、1972年に国連環境計画(UNEP)が設定された。1972年、環境問題への関心が戦 後最高の高まりをみせたストックホルムでの国連人間環境会議は、「人間居住環境」 「天然資源管理」 「環境汚染と公害」 「開発と環境」 「教育と情報」の5分野を課題としたが、1980年の「世界保全戦略」 では「持続可能な発展(sustainable development) 」を掲げ、1992年のリオ・サミットでは、 「環境と開 発」が全体会議の名称となり、 「持続可能な発展」がキー概念となる6)。 保全・保存、人間中心主義・人間非中心主義の論争
環境倫理学は「人間に対する環境の影響と
環境に対する人間の影響」を研究するヒューマン・エコロジーと、環境問題の解決をめざす政治的・ 思想的エコロジー運動のなかから現れてきた。上述のような国際社会での環境危機を回避する態度と 価値観に関する倫理論議のなかで、典型的な論点となったのが、 「保全」と「保存」の問題である。開 発との対応で将来に備えて天然資源を浪費しない、または人間生存のために自然環境を守るという意 味での「保全」と、自然保護運動の「保存」対「保全」の論点とが重なって議論が展開された。自然 環境が人間にとって有益であるときにそれを保全するという「道具としての価値」をみる立場と、人 間にとっての利益とは無関係に自然環境に「それ自体の価値」を認めて保存すべきであるという立場 が対立した7)。 また、 その議論の根にある価値観の対立として、 人間中心主義と人間非中心主義が論じられた。グッ ドパスターは、環境を道具とみなす功利主義的で人間中心主義的な「浅い」環境主義と、道徳の対象 を自然物や自然生命圏にまで広げる「深い」環境主義とを区別し、キャリコットは、浅い環境倫理と 深い環境倫理とを区別した8)。また、生命圏に対する人間の行為基準に関して、テイラーは、人間の利 益を中心とする立場のものを、 「人間中心主義的」といい、生命圏や動植物にそれ独自の価値を認める
114
3章
工学倫理の基礎
立場を「生命中心主義的」な環境倫理といい9)、エイケン.も、環境倫理を「人間中心的」と「人間非 中心的」に分けている。キャリコットは、環境倫理学の最も重要な課題は人間非中心的な価値理論の 展開であると指摘している。そのような論議の中で、 ① ンガー、レーガン)や、②
動物の権利擁護と人間の義務を説くもの(シ
める立場(ストーン)や、③
個々のすべての生命体また全体としての自然環境にそれ自体の価値を認 地球生命圏にそれ自体の価値を認めるホーリズム(デュボス)などが
注目されてきた。③は、環境倫理の祖といわれるレオポルドの、土壌、水、植物、動物を総称して「土 地」と呼びその保護を重視する「土地の倫理」の流れを受けている。いずれも国や地域の法律や規制 にどれだけ反映されているかで逆評価される面もあるが、思想的には「人間は地球環境とのある種の 精神的関係を取りもどす必要がある」という主張を含んでいる10)。 環境倫理の原理原則例
このような議論の流れのなかで、人間の重大な利益が他の個体や生命圏
と衝突した場合は人間の利益に優先権を与えるが、 「環境に対するダメージ・破壊・干渉が可能な限り 最少になる方法」をとるというエイケンのエコ・ヒューマニズムの説も注目されたが、環境倫理の一 つの到達点と評価されているものにテイラーの環境倫理規則と倫理間調整原理が挙げられる。 生命体、環境に対してa.「害を与えない規則」 、b. 「干渉しない規則」、c. 「誠実の規則」に沿っ て行為し、破ったときはd. 「正義を回復する規則」によって正義のバランスを回復する。その上で、 人間の利益と自然の価値の衝突を環境の倫理の内部問題としてではなく倫理システム間の衝突として 扱い、a.自己防衛の原理、b.比例の原理、c.最少悪の原理、d.配分正義の原理、e.回復的 正義の原理、という一組の優先原理を立てて対処するというものである11)。 2)
環境倫理の思想的深化
先進諸国の生活レベル、社会・国家システム、体制思想などに深い変更を加えず地球環境問題の解 決をめざす、 「持続可能な発展」に象徴される人間中心主義の国際政治対応とは異なり、地球環境問題 を生んだ現代文明に対する思想的反省は、独特の環境哲学と環境倫理(学)をはらむディープエコロ ジーの思想潮流となって展開している。 ネスは、この人間非中心主義思潮を方向づけた。もともと人間は自然と一体で自然のなかで自然に 支えられて存在しうることを強調し、生命圏の多様性を尊重する共生の原理にもとづく生命圏平等主 義の立場から、自然を征服・支配すべき対象としてきた近代文明、近代哲学を批判する。自らの意識・ ライフスタイルの変革を通して従来の世界観、価値観を変革し、自然に即応した自己実現を遂げてい くことをめざし、地域の自然に即したライフスタイルの実践、生命・生活地域主義を説く。思想的に は反支配・反階級、 政策的には地方の自立と脱中心化を唱える。ディープエコロジストと呼ばれる人々 は、大旨ネスの主張を共有する人々が多いが、フォックスは、真の自己変革は個我を超えて宇宙的リ アリティーへ一体化するところまで深まってはじめて達成されることを強調する。 これらに対して女性の立場から、マーチャントは、地球規模での環境破壊の元凶となった自然支配 肯定の近代思想は同時に女性支配・抑圧を肯定する男性中心のイデオロギーに貫かれており、環境問 題の解決には、女性解放と「ケアと育みの倫理」であるフェミニスト倫理の確立が不可欠であると主
3.3
環境倫理と工学
115
張する。支配の論理を基盤とした権利、規則、功利にもとづく倫理ではなく、ケアと愛と信頼にもと づくフェミニスト倫理は、性的、人種的、文化的に異なった人々や人間以外のものに対しても共感を 基軸とするパートナーシップ倫理であり、 自然をもパートナーとして位置づけることができるという。 同じエコフェミニズムの立場から、環境危機の根本原因は家父長制の歴史にあるとするサラーは、家 父長制というイデオロギー汚染を見逃しているネスの生命圏平等主義を不徹底であると批判する12)。 さらに、社会派エコロジストのブクチンは、人間社会の抑圧・搾取構造が根本的に是正されない限 り環境問題の解決はないとする。人間は制度・組織を通して他者や自然と関わっており重層した社会 構造とその矛盾のなかで生きていて、この事実が今日の環境問題にとって根本的に重要であることを 指摘し、社会構造の矛盾を厳しく見ないで環境問題を人間対自然という側面だけに矮小化するディー プエコロジーは欺瞞的であり、植民地支配や先進国大企業による第三世界搾取を含む南北問題に象徴 される社会矛盾が今日の環境問題を生み出したという事実を隠蔽すると批判する。社会批判と社会再 構築のヴィジョンから出発する社会派エコロジーのみが、自然と人類の真の改革を導くという。東欧 諸国で、市民による環境保護運動とそれを背景とする環境政党の働きが、国家体制の変革にまで結び ついた例もあり、ツィンメルマン等は社会派エコロジーをラディカルエコロジーに分類している13)。 現代が投げかける文明論的な問題を受け止めて、且つ具体的なエコロジーの実践活動と自己の内面 への思索の深化との相即をめざすディープエコロジーは、現代の哲学に大きな可能性を提示している と評価されている14)。 3)
グローバル化する環境問題への対応
環境倫理議論のなかで、 「人間のためにする行為」と「自然環境のためにする行為」が調和するとい う考え方は楽天的すぎるという批判もあるが、 「原生自然」の保護が政策として推進されている米国と 違って、ヨーロッパや日本の自然は人為と区別が困難な「里山的自然」であり、人間非中心主義ラディ カリズムよりも、地域的環境での人と自然の調和を「ケア」の視点で実現すべしという主張もある15)。 さらに今や、人為の結果、オゾン層の破壊、地球温暖化による南北両極圏の大規模な融氷、森林面積 の激減や砂漠化、水資源恐慌が懸念され、グローバルな環境が人為の影響下にあり、 「原生自然」とい う観念の方がむしろ非現実的となっている今日、 「保全」と「保存」、 「人間中心的」と「人間非中心的」 という問題は、新たなステージを迎えている。京都議定書によるCO2削減の努力や世界水会議での提 言を通して、地球規模での循環型世界の形成がめざされる時代を迎えている。それを可能にする具体 的な力となる環境科学や工学への期待は、グローバルな視野での環境倫理形成への期待とともに、ま すます大きくなっている。
(3)
環境科学と工学への期待
環境科学は、 「人類に関わるすべての環境を対象とし、その維持改善の方法および方向を探求する」 実践論、政策論を含む学際的総合的な科学として、めざましい成果を生み発展してきている。そのな かに最近では環境経済学も一分野として貢献しつつある。環境倫理学は、実践の学としての環境科学
116
3章
工学倫理の基礎
の支柱となるべきならば、生き方や政策選択に関する価値観の根拠を強力に提示できなければならな いが、この先、環境と人間の関わりについての具体的な対応や環境政策のなかで重視されてくるのは、 環境科学の成果を生かしたシステム分析の洗練とテクノロジーアセスメントの充実であると思われ る。その意味でも、定常的に社会が要求する工学・技術の環境対応型展開や、産業活動、一般生活か ら常時廃出されるもののリサイクル・リユース技術、環境を専ら浄化回復する技術等も含めて、工学・ 技術の展開そのもののなかで環境倫理的配慮が成熟・洗練されてくることへの期待が大きくなってき ている。簡素な表現であるが、農業土木技術者の倫理規定にも、そのような要請への対応、一専問分 野の志向がうかがえる。 「農業土木技術者倫理規定
2. (環境、多面的機能への配慮)
環境との調和および農業・農村の有する多面的機能、すなわち国土の保全、水源の涵養、自然環境 の保全、良好な景観の形成、文化の伝承などに配慮しつつ、先端技術のみならず伝統技術の研究、活 」 用に努め、総合的見地から活動する16)。
環境倫理上の論議成果を生かした法や規制の例として、NEPAや環境影響評価法、工業製品の環境 負荷を評価するLCA(life cycle assessment)などが挙げられよう。化学物質の製造におけるプロセス 創製に関して地球生態系保全との調和をはかり、地球環境に優しい科学技術の活用プログラムをめざ す「グリーン・ケミストリー」などの展開も好例として期待される17)。 人知及び人知の産物の利活用が、人間社会、自然環境・生態系を侵害しない工夫が求められるなか、 工学の使命と倫理の課題が一枚になったところで答えを出していかねばならない。そのとき、技術や 工学の基本性格である設計性と倫理の原動力である構想性という共通の基盤を十分に活かすことが重 要になる。現在及び将来の環境・自然を考慮しつつ展開される工学・技術の具体例について、次節で 紹介する。
(4) 1)
環境に関わる技術 砂防工事に併せた河畔林の再生・保全18)
北海道函館市と七飯(ななえ)町の境界を流れる大蒜(にんにく)沢川中流の砂防工事において、 農地開発で失われた河畔林約1haを復活させるプロジェクトが進んでいる。 この工事では、行政・企業・住民の3者における地域環境づくりがなされており、工事の発注者は 北海道、施工は函館市に本社のある建設会社、住民の代表者は「北の森と川・環境ネットワーク(略 称、GRNet) 」である。3者が洪水時の安全と自然の再生を話し合い、河畔林の再生はGRNetが主体で 行うことになった。当初の計画では通常の護岸工事が行われることになっていたが、GRNetの前身組 織の1つが河畔林を保全するように北海道に要望した。この要望を受け入れて現在の計画に変更され た。 工事の計画変更内容と施工上の変更点および断面図を示すと図3.3のようである。当所計画では点
3.3
環境倫理と工学
117
線で示す沢の部分を開削し、両岸ともコンクリート製のブロックで覆う工事であった。しかし、変更 後の現在の計画では、一部現況の河岸を残し、現地で採取した玉石による石積みを行い、現況に近い 状態になるように施工するようになっている。また、水際から連続した植生を復元する予定である。 工事では河畔林を伐採しなければならない区間が出てくるが、できるだけ木を伐採しないように注 意し、25本の若木を現場内に仮植えし、工事が終わった後で元に戻すことになっている。また、以前 の工事で伐採されたままの無木地帯となっている場所もあるため、GRNetは河畔林に苗木を植える植
水際から連続した植生を復元
現地の樹木で 植生を復元 3 着工前に市民団体が種子 を採取して育てる。施工前 に若木は伐採せず、移植し て管理する。
ポイント
河畔林を誘導現況を保存
自然を再生 ・かき起こし ・藩種 ・ポット苗
施工前の 地盤線
空席積 (現地で採取した玉石)
寄せ石 (現地で採取 した玉石)
ポイント
当初計画した 横断形
1
過去に越水した箇所を除いて蛇行 部は直線にしない。河床の洗掘を 防ぐための横工は当初計画の半分 とし、床固め工と落差工は設けない。
変更後の横断形 河床材の構成を 保全 河床の採掘時に、計画断 面より深く掘り下げられて から玉石や砂れきなどの表 層の河床材を埋め戻す。
既存の河畔林と 河床を最大限に保全
ポイント
2
施工延長
当初の計画
現在の計画
1980m
1050m
こう配
1/70∼1/40
1/44∼1/25
河床幅
8.0∼6.5m
16.0∼6.5m(砂だまり工区間は16.0m)
構工
床固め工 床固 1基 落差工 18基 低落差帯工 15基
帯工 17基
全川を護岸整備 積みブロック護岸(こう配1対0.5) 連筋ブロック護岸(こう配1対2.0)
一部現況の河岸を生かす 練り石積みの護岸(こう配1対0.5) 空石積み護岸(こう配1対2.0)
図3. 3 砂防工事の計画変更内容と施工上の変更点および断面図18) 表3. 1 河畔林再生のスケジュール 年
2004
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
項目
年
種の採取
年2回,約40種の樹 木から種子を採取
補植用に採取
苗の育成
ポットや苗床への種植 え,1∼3年管理
補植用に採取
植 苗
維持管理
約1haの土地に2∼3万 本を植苗 下草刈り
ツル切り
間伐
118
3章
工学倫理の基礎
樹プロジェクトを企画した。そのスケジュールを表3.1に示す。工事が着工する以前から現存する河 畔林から年2回、約40種類の樹木から種子を採取し、それをポットや苗床で1〜3年育て、工事が終 了した後に約1haの土地に2〜3万本の植苗を行う予定である。その後も維持管理を行い、河畔林を 復元する計画である。この計画は約13年間にも及ぶが、地元の小学校やボランティアの協力を仰ぎな がら実行する予定となっている。 2003年1月の「自然再生推進法」の施行に伴って公共工事を取りまく状況が変わってきた。従来の 砂防工事は発注者と企業だけで行われきていたが、最近では住民の意見を取り入れながら、その地域 固有の生態系を考慮した周辺地域の自然環境の再生や保全を行うようになってきている。 環境負荷低減型建設システムのための応用技術19)
2)
近年の建築・都市計画の課題は、少子高齢化の伴う我が国の社会構造の変化への対応と、地域環境、 地球環境の保全という新たなパラダイムにシフトしている。そこでは、既存ストックの活用や効率的 な計画手法の開発、環境負荷の少ない建築・都市の計画手法の開発、地域の歴史的経緯を踏まえた建 築・都市の計画技法等の開発が求められている。また、建築構造物は、地震や風、火災等の環境スト レスに対して安全であることが必要である。同時に、環境負荷を軽減することも必要で、構造物を長 寿命化し再利用までを視野に入れた設計・建設技術、補修や補強工法の開発が不可欠である。 このため、図3.4に示すように、環境基本法・リサイクル法などのような国家的あるいは地域的な環 境政策の下で、①
建築物の長寿命化のための新素材・高機能性材料の応用技術や連続繊維補強材に
よる補修・補強技術、②
建設廃棄物のゼロエミッション化のための廃棄物再資源化技術、③ 自然
環境修復のためのエコマテリアルの応用技術、④自然環境と共生する景観やユニバーサルデザインな どの環境デザインを有機的に結びつけて持続可能な住環境・都市環境の実現を目指す必要がある。 以下では①〜④における主なキーワードと簡単な例を挙げる。興味のある読者はインターネットな どで調査していただきたい。 ①
長寿命化技術(耐久設計、維持管理、耐震診断、耐震補強、リハビリテーション技術、防新素 材・高機能性材料応用技術、災システム技術) 連続繊維補強材による補強、鉄筋防錆工法、新素材繊維補強コンクリートの材料設計と耐爆構 造への応用、リファイン建築
②
ゼロ・エミッション技術(建設廃棄物再資源化技術、建設工事省力化技術、建設リサイクル資 材評価) 生コンスラッジの安定型固化処理、廃石膏のセメント代替固化材への利用、廃ガラス発泡軽量 骨材・瓦廃材によるポーラスコンクリートの製造・設計・用途開発、パルプスラッジ焼却灰の 吸水・保水材としての利用、廃木材チップによる藻場形成体
③
環境修復技術(エコマテリアル応用技術) ポーラスコンクリートの緑化コンクリート、藻場・魚礁への応用、木炭の調湿、シリカブラッ クの吸着、酸化チタンの光触媒、マグネラインの抗菌による健康住宅建材、保存修景技術、河
3.3
環境倫理と工学
119
環境政策 ゼロ・ 長寿命化技術
エミッション 技術
住環境 都市環境
環境修復技術
環境デザイン
図3. 4 持続可能な住環境・都市環境の実現のための環境負荷低減型建設システム
川・海洋・土壌浄化技術、大深度地下空間設計 ④
環境デザイン(エコロジカルデザイン、ユニバーサルデザイン、バリアフリーデザイン、ラン ドスケープデザイン、コラボレーションデザイン、リスクマネージメント) ライフサイクルアセスメント、環境負荷低減性、環境性能評価、ビオトープ
3)
ごみ焼却炉における環境保全技術
われわれの身の回りには、様々なごみや廃棄物がある、例えば、家庭、レストラン、生鮮食料品店 などからは残飯や廃棄された食品が、オフィス、学校などからは紙類がごみとして排出され、工場か らは金属、木材、プラスチックなどの産業廃棄物が排出されている。また、自動販売機を利用すると、 空き缶、空き瓶が残る。日常の生活で利用されている電気製品、自動車、レジャー用品もその機能が 消失したり、低下すると、廃棄され、粗大ごみとなる。現在、これらのごみや廃棄物については、環 境に配慮した3R(減らす(reduce) 、再利用(reuse)、リサイクル(recycle))の取り組みが推奨され、 実施されているが、ごみや廃棄物処理の中心は焼却である。しかしながら、ごみ焼却には、以下に示 すような問題があり、新たな環境問題を引き起こすことが懸念される。 ①収集されたごみによる悪臭 ②ごみ焼却プロセスで発生する焼却灰の飛散、SOx、NOx、COなどの廃ガスや廃熱、 ③化学物質の焼却で新たに発生するダイオキシンなどの有害物質 ④有害物質を含む焼却灰、廃液などの残渣物 そのために、最近のごみ焼却炉には、ごみ焼却の機能ばかりでなく、上記の問題を解決するための いろいろな設備や技術が導入されている。図3.5は、代表的な都市ごみ焼却炉における各種設備を模 式的に示したものである。各設備の機能は次のとおりである。 ⅰ)
ごみピット:収集車で集めたごみは、焼却場のごみピットに集められ、燃えやすくするために
4、5日間ピット内に放置し、発酵させる。このとき、悪臭を発するが、これはごみを燃やすと
120
3章
工学倫理の基礎
きの空気を焼却場の建物内から取り込み、建物内を負圧にして臭いを含んだ空気が外に漏れない ようにしている。なお、大型ごみはホッパに入れることができないために、破砕機を用いて細か く砕き、金属やガラス等を分別、除去した後、通常のごみと同様の処理を行う。 ⅱ)
焼却炉:発酵したごみは、クレーンで焼却炉のホッパに供給され、火格子上やキルン内に送ら
れる。火格子上やキルン内のごみは、建物内から取り込んだ空気と混合して完全に燃焼するが、 炉内には有害物質の発生防止や発熱の有効利用などのためのいくつかの工夫が施されている。た とえば、ごみ焼却によるダイオキシンの発生を抑えるためには850〜950℃で2秒間以上燃やす必 要があり、臭いは650℃以上でないと消えないために、燃焼温度は850〜950℃になるように制御さ れている。また、炉壁には水管が埋め込まれており、ごみ焼却の際に発生する熱で温水あるいは 蒸気を発生させている。温水は周囲の施設への給湯として利用したり、温室の熱源として利用さ れる。高圧の蒸気を発生させた場合には発電用タービンに供給され、発電するシステムとなって いる。発電した電力は焼却場で利用するほかに、余剰電力は電力会社に売却される。発電システ ムを備えた設備は大型の焼却炉に限られる。 ⅲ)
焼却炉からの焼却灰や排ガスの処理:ごみの焼却によって排出された灰と燃焼ガスに含まれ
る有害物質はいくつかの装置で除去される。代表的なものは、排ガス中に含まれる煤塵を除去す るための集塵機、HCl、SOx、ダイオキシンなどを除去するためのフィルタ(湿式洗浄塔)、NOx、
排ガス中の塩化水素、いおう酸化 物を除去します。
ごみの流れ 灰の流れ
排ガス中のばいじん、ダイオキシ ン類を捕集します。
高圧蒸気だめ
ガスの流れ 蒸気の流れ 復水の流れ 空気の流れ
焼却炉に投入されたごみは、自動焼却制御により 焼却されます。焼却ガス温度850℃以上での滞留 時間を2秒以上とり、ダイオキシン類の発生抑制 を図っています。
工場内余熱利用 場外余熱利用設備 脱気器
排水の流れ スラグの流れ
排ガス中のダイオキシン類を吸着 除去します。
蒸気タービン 発電機
復水タンク
ごみクレーン 湿式洗煙塔 低温エコノマイザ 又は調温塔
ボイラ
ろ過式集じん器
活性炭吸着塔 触媒反応塔
プラットホーム
焼却炉
蒸気復水器 過熱器
プラント排水
洗煙排水
排水処理設備
排水処理設備
誘引ファン
ごみピット
排ガス中の窒素酸化物、ダイオキシン 類を触媒の働きで分解します。
押し込みファン プラント内再利用 有機物回収
下水道放流
*1 集じん器
スラグ化
焼却灰リサイクル 前処理
スラグクレーン
誘引ファン 溶融飛灰処理設備
灰溶融炉
溶融飛灰処理物搬出 土木資材等への再資源化
スラグ排出コンベヤ
スラグピット
エコセメント原料化 *1 主灰ピットエコセメントへの再利用 飛灰ホッパ
*2
高度飛灰処理
リアクタ(分解反応器) 冷却器
飛灰処理装置
図3. 5 ごみ焼却炉における主な設備
主灰ピット
3.3
環境倫理と工学
121
ダイオキシンを除去するための触媒反応塔や活性炭吸着塔、焼却灰の冷却、これらの処理に用い られた排水の処理設備などである。 以上のことから、ごみ焼却場は単にごみを焼却するばかりでなく、有害物質が外部に排出されない ような設備を備えており、環境保全のための多く技術が利用されている。 4)
地球に優しいプラスチック:生分解性プラスチック
プラスチックは石油を原料にして化学的に合成された物質であり、金属材料に比較して耐食性、電 気的絶縁性、化学的安定性、強度などに優れた特性を有している。そのために、電気製品のケース、 自動車のバンパー、スポーツ用品、ペットボトル、食器など、身の回りの道具や産業用の部品として 広く用いられている。しかしながら、プラスチックを廃棄処理する場合には、化学的な安定性から分 解することなく半永久的に残り、焼却すると有害ガスを発生することから、環境汚染、地球温暖化、 オゾン層破壊など地球環境問題を誘発していた。 最近では、ペットボトルに代表されるように、大量生産・大量消費・大量廃棄されるプラスチック については、廃棄されたプラスチックを回収してリサイクルすることが行われている。しかしながら、 リサイクル使用が可能なプラスチックは限られており、かなりのプラスチックがごみとして廃棄され ているのが現状である。これを解決する手段として、1990年代初期の頃から、グリーンプラスチック と呼ばれる生分解性プラスチックが使われ始めた。 生分解性プラスチックは、使用期間中はプラスチックとしての特性を維持し、その機能を発揮する が、廃棄後、微生物がいる土壌などの環境に戻すと完全に分解されるプラスチックで、環境にやさし い材料である。生分解性プラスチックは、微生物によって分解できる構造を有する材料であり、その 製造方法によって次のように分類できる。 ⅰ)
天然高分子系:植物から取れる澱粉や蟹の甲良から取れるキトサンなどを原料とした高分子
材料 ⅱ)
化学合成系:微生物によって分解されやすいエステル結合を有する高分子材料で、代表的なも
のに脂肪酸ポリエステル、ポリビニルアルコールなどある。 ⅲ)
微生物産生系:微生物に養分を与えて微生物体内で蓄積・合成した高分子で、ポリヒドロキシ
アルカン酸エステルがその代表例である。 これらの材料の応用分野としては、 農林水産用資材:移植用苗ポット、釣り糸、魚網など。 土木建築用資材:断熱材、土嚢、防水シートなど 食品、容器包装用品:食品トレー、弁当箱、インスタント食品容器など 事務・文具・雑貨類:ペンケース、歯ブラシ、コップ、ゴミ箱、クッション材など 医療・福祉用品:紙おむつ、手術用縫合糸、医療用不織布、医療用フィルムなど などで、 多くの分野への利用が考えられている。これらの材料は環境にやさしい材料であることから、 今後、多方面に応用されることが期待でき、成長が見込める材料である。
122
3章
工学倫理の基礎
注・参考文献 1)この年まで3カ年「公害白書」が発表され、翌年から今日までは「環境白書」が出されている. 環境省HP参照. 2)cf. http // www. German - consulate . umwelt / 3)D. L. メドーズ他著、大来佐武郎監訳『成長の限界―ローマ・クラブ「人類の危機」レポート―』 、 ダイヤモンド社、1972. 4)大来1972、p.1-2、p.172.及び大来1972、p.137、p.167.参照.将来世代の位置づけは現在でも法 哲学、倫理学の大きな問題である.この分野からの議論は、H.ヨナス著、加藤尚武訳『責任という 原理』東信堂、2000. 及びA.カウフマン著、甲斐克則訳『責任原理』九州大学出版会、2000.参照. 5)森岡正博1988『生命学への招待―バイオエシックスを超えて―』勁草書房1988、p.26、p.43.参照. 6)沼田眞1996「生態学から見た環境教育」 、梅原猛・伊東俊太郎・安田喜憲総編集、講座『文明と環 境』第14巻、伊東俊太郎編集『環境倫理と環境教育』1996、朝倉書店、所収、p.143-146参照. 7)森岡1988、p.21-28、45、52、53参照.及び鬼頭秀一「自然保護思想の成立―ウィルダネスの概念 をめぐって」 、同注6)伊東俊太郎編集1996、所収、p.24-25参照. 8)cf. Goodpaster, K,E., On Being Morally Considerable, in Zimmerman, M,E., et al.,(eds) ENVIRONMENTAL PHILOSOPHY-From Animal Rights to Radical Ecology- 4th ed., 2005, Prentice Hall, New Jersey, pp.53-66. Callicott, J,B., Introduction, in Zimmerman, M,E., et al.,(eds), 2005, pp.5-15. 9)cf. Taylor, P, W., The Ethics of Respect for Nature, in Zimmerman, M,E., et al.,(eds) , 2005, pp.67-81. 10)森岡1988,p.28-31,p.37-38.参照.Aiken, W., 1984, EhicalIssues in Agriculture, in Regan, T. (ed.), 1984, Earthbound: New Introductory Essays in Environmental Ethics. Singer, P., All Animals are Equal, in Zimmerman, M, E., et al.,(eds) , 2005, Ibid, pp. 25-38. Regan, T., Animal Rights, Human Wrongs, in Ibid, pp.39-52. Leopold, A., Land Ethic, in Ibid, pp.102-115. Callicott, J,B. Holistic Environmental Ethics and the Problem of Ecofascism, in Ibid, pp.116-129. Callicott, J,B. Animal Liberation and Environmental Ethics: Back Together Again, in Ibid, pp.130-138. 11)同注9)及び森岡1988、p.33.-37.参照 12)森岡正博1996「ディープエコロジーの環境哲学―その意義と限界―」、同注1)伊東俊太郎編集 1996、所収、p.45-69参照. 13)cf. Bookchin, M., What is Social Ecology ? in Zimmerman, M,E., et al.,(eds), 2005, Ibid, pp. 462-478. 及び森岡1996、p.58-59.参照. 石
弘之「コラム:東欧の壁をこじ開けた市民運動」、同注1)伊東俊太郎編集1996、所収、p.131-136.
参照. 14)森岡1996、p.66.参照.
3.3
環境倫理と工学
123
15)高橋隆雄、2004「生命と環境の倫理―ケアによる統合の可能性―」、高橋隆雄編、2004『生命と環 境の共鳴』九州大学出版会、所収p.110.-147.参照. 16)社団法人農業土木学会HP. http://www.jsidre.or.jp/new/kiteihtm.参照. 17)谷垣昌敬監修、吉村忠与志・利島貴代志共著『技術者倫理入門』オーム社、平成15年、p.26-30. 及びp.164.参照. 18)河畔林『砂防工事に併せて市民が種から育てる』日経コンストラクション、pp.34-37、2005.4.8. 19)村上聖「環境負荷低減型建設システム構築のための応用技術」熊本大学工学部レポート、2005.
124
3章
工学倫理の基礎
ちょっとひといき 「ゴミを活かす」 ゴミが街をきれいにする。
それ,ほんと?
本当です。 水俣市では全国に先駆けてゴミの分別収集を徹底してきました。そのため,水俣の資源ゴミは ブランド化され,高値で取引されて,益金が地域に配分されています。その益金で街灯が整備さ れたり,ゴミの減量(Reduce) ,再使用(Reuse) ,再生(Recycle)などが,ますます進められて, 街も家庭も生活環境がとてもきれいになっているというわけです。 可燃ゴミの40%を占める生ゴミも堆肥化され,この事業も軌道に乗っています。 やはり,地域の人たちの努力(自助)と協力(共助) ,それに行政のほどよい支援(公助)がう まくいくと,ゴミさえも街をきれいにする資源にできるのですね。いまでは,全国から自治体職 員や市民,そして未来を担う青少年たちが,たくさん水俣に学習に訪れています。 21世紀は,ゴミが宝になる,これ,ほんと? 生ゴミ,家畜糞尿,下水汚泥,木質廃材,廃紙,醸造糟などは,今まで世間のもてあましもの でした。そして日本で,年間2億8000万トン排出されている廃棄物系バイオマス。 ところが今や,バイオマス資源として,世界的に脚光を浴びているのです。日本でも, 「バイオ マス・ニッポン総合戦略」という国家プロジェクトが内閣府と5省(文部科学省,農林水産省, 経済産業省,国土交通省,環境省)あげて進められています。 もうすでにバイオマス資源から,発電用エネルギー,液肥・堆肥の再生が実動しており,さら なる技術開発にも拍車がかかっています。 有機性廃棄物以外でも,日本では,金属スクラップは,回収されたものは100%再生されていま す。しかも,鉄は,鉄鉱石から造る場合の4分の一のエネルギーで,アルミは,ボーキサイトか ら造るのに比べてわずか3%のエネルギーで再生できます。 もう一つ注目されるのが,国内の全廃棄物重量の9割に当たる建設廃棄物のリサイクルです。 こちらも,各廃材の性質に応じた多面的な再生・利活用が進められています。 熊本大学では,平成18年夏,テレビ放送公開講座(熊本放送・RKKテレビ)で「循環型社会を 創る科学と技術」を紹介しました。希望者は再視聴できます。
連絡先「〒860-8555
熊本市黒髪二丁目39番1号熊本大学研究・国際部社会連携課
E-mail:
[email protected]
tel: 096-342-3121, fax: 096-342-3239
4章
工学とはいかなる学問か
はじめに これまでの章では、まず、工学と技術の歴史や、ものづくりの広範な領域に生じる問題について、 さまざまな事例を挙げながら、問題点と解決への方向を説明してきた。さらに、工学倫理を応用倫理 学の接点と考えることで、工学倫理における諸問題を従来とは違った仕方で捉えてみた。 この章では、今まで前提してきたこと、すなわち工学とはどのような学問かについて述べている。 工学を数学や物理学といった理学の応用と思う人も多いだろう。しかし、工学の本質は設計にあると みなせば、工学は人間の価値観や欲求と深い関連をもつ学問であることがわかる。あるものを設計す るよう依頼するクライアントは、自らの価値観や欲求、希望にもとづいて依頼をしている。その意味 で、工学と人間の生活とは切っても切れない関係にある。人々の欲求は設計に対して種々の条件を求 めてくるが(たとえば、持ち運びできる小型軽量の電話器の設計)、逆に、設計にもとづいて製造され たもの(携帯電話)が社会の欲求を変えて、新たな設計(メール機能のついたもの)を求めることに もなる。このように、ものづくりは、社会の価値観や欲求と相互に関係しあっている。そのため、も のづくりと、ファッション業界やジャーナリズムでの製品・情報の生産とはよく似た性質をもってい る。また、意外に思われるかもしれないが、このように捉えられた工学は、現代の社会に生じる新し い問題に取り組む倫理学ともよく似た構造をもっている。 技術者が直面する実際の問題について考えることも大事であるが、知的好奇心を大いに働かせて、 工学の本質や工学と他の学問との関係、現代の社会における技術者と他の職種との関係などについて 思索してみるのもよいだろう。
4.1
工学と価値・欲求
(1)
工学とは
本書ではここまで、工学とはどういう学問であるかを暗黙の前提にして、工学倫理のさまざまな問 題について考えてきた。この第4部ではまず、工学とはどのような学問であるのか、その特徴はいか なるものかについて述べてみたい。そこでは、意外に思えるかもしれないが、工学と価値や欲求との 密接な関係が述べられる。そして、それに続けて、工学と社会の価値の関係、工学と倫理の関係へと 順に考察していくことにする。 この第4章全体を通じて、ものをつくるということは、社会の中でさまざまなことに配慮して行わ れるが、逆にものをつくることで社会全体の価値観や人々の生き方に大きな影響を与えていることを
126
4章
工学とはいかなる学問か
伝えていきたい。工学や技術は社会全体を変えるほどの影響力をもっているのである。 工学には、機械工学、電気工学、材料工学、生物工学、応用化学、数理工学、情報工学などのよう に、固有の研究対象と研究方法、基本法則、定理などをもつもの、つまり固有の学問体系をもつもの がある。また、土木工学、建築学、造船学、資源学、原子力工学などのように、さまざまな工学の理 論を用いて、特定の対象を作り出したり、操作、保全したりする領域がある。ここではそれらの領域 をひとまとめにして、工学という学問が何であるか考えていく。 まず吉川弘之による次のような上述に注目してみたい。
工学とは技術の科学である。あるいは、技術に関わる人間の行為に、体系を与える学問である。技術は、 人類の福祉のために有用な手段を創り出し、また人間相互のサービスを増幅することによって、快適な環境 を創り出すものである。それは、過去に人類がつくった人工物も含めた自然環境を改変あるいは保全し、操 作することによって達成される。 したがって、工学の体系は、改変、保全、操作する対象自身のもっている性質と快適という価値に導かれ る人間の意図と、これら両者の相互作用とを包含する体系である。このことが、工学が理学と著しく異なる 構造をもつことの理由である1)。
「工学」とは一般には、人工物や自然物のもつ性質を実験や理論によって解明し、それにもとづい て人工物を作ったり自然を変えたりする学問と受け取られている。たしかにそれは工学にとって重要 な要素であるが、上で述べられたことから明らかなように、工学はそうしたことだけに関わる学問で はない。もしそれだけに関わるとすれば、工学は理学の単なる応用部門となるだろう。 工学にとって、人類の福祉、快適さやその他のさまざまな価値をめざすことは本質的な要素なので ある。ただし、そのような価値は隠れて見えないことが多い。その理由は、いったん学問として成立 してしまうと、理論的側面や学問としての整合性を追求することだけが前面に登場するからである。 その学問を生みだしてきた社会の価値や人々の欲求や意図の側面は、背景にしりぞいて気づきにくく なっている。しかし、人類の快適さを増大させたり、希望をかなえたり、人類にとって有用であるこ とを追求する活動の中から、技術、そしてその学問である工学の諸領域は成立してきたのである。 このことはまず、上で述べた、土木工学、建築学、造船学、資源学、原子力工学などものづくりに 直接関わる領域に当てはまるが、機械工学、電気工学、材料学、生物工学、応用化学、数理工学、情 報工学などの領域も、そのような価値を実現するために不可欠な学問である。 工学、あるいは技術を支える価値は、学問的研究の場面では背景にしりぞいているが、これが明確 に現れてくるのは、ものづくりにおいてである。社会に流通する製品を作るときには、芸術作品や趣 味としてたしなむ工芸とはちがって、依頼者や市場の要求にかなうものを製作しなければならない。 技術や工学を支える価値は、ここでは、機能、形態、価格、大きさ、安全性などについての要求とし て具体化される。ものづくりと工学の知識の関係は、たんに前者が後者を前提にするだけではない。
4.1
ひらめき
工学と価値・欲求
工学・技術
設計
127
理学
製造
クライアントの要求 (機能・価格・形態etc.)
保全・廃棄
価値観、欲求、トレンド、標準、法律、経済、政策etc.
図4. 1 ものの作られる過程
工学の歴史の教えるところによれば、社会で実際に必要なもの、求められているもの、また実際につ くられたものが、技術や工学の新しい領域を生み出してきたのである。 これに対して理学の目的は、自然世界の理解にある。いいかえると、工学の目的は人工物を含む環 境を作りだし、人々の価値を実現し人類の福祉に貢献することであるのに対して、理学は自然を理解 するための整合的体系の確立をめざしている。一般には、工学は理学のたんなる応用である、と考え られがちであるが、それは正しくない。工学は理学の知識を使用するが、理学とは独立した学問なの である。
(2)
人工物と設計
工学とは人工物(製品)を作り、保全し操作する技術の学問である。ここには、人工物の廃棄とい うことも重要な要素としてある。それでは、人工物とはどのようなものだろうか。原始時代の石器、 農耕社会の農機具、中世の武具や城郭から現代の電子機器、原子力発電所、人工衛星にいたるまで、 人工物とは、ある意図にかなうように作られたもの、つまり設計されたものである。吉川弘之は次の ように述べている。
人工物は、自然物とは異なり、その中に設計者の意図が無数に込められている。一つひとつの要素はすべ てそこに意図され、計画された存在理由をもっている。 (中略)社会的要因、法律、経済原理、個人の欲望、 心理学など、あらゆる要因をそのうちにはらんで成立している存在物が人工物である2)。
128
4章
工学とはいかなる学問か
このように人工物には、設計者の意図がこめられている。そして、ここにこめられている意図とは 単純なものではない。設計者は作りだすべき人工物(製品)の依頼者(クライアント)の意図や要求、 欲求を考慮しなければいけない。クライアントはどのような機能、性能のものを望んでいるのか、価 格はどのくらいなのか、また、大きさ、安全性、材質、耐久性、納期などについての要求を実現しな ければならない。 クライアントの要求以外にも、当然ながら、人工物のもつ性質に関する工学の知識や、これまでの 経験の蓄積を前提しなければならない。また、材料の調達、加工や組み立ての工程についても考慮す る必要がある。それに加えて、特許などの知的財産権の確認、JIS(日本工業規格)やISO(世界標準化 機構)などの標準、また製造物責任法やリサイクル法などの法律、現在の経済状況や政策にも注意す る必要がある。 一般の人々が使用する製品であれば、一般大衆にとって好まれるようなものでなければならない。 そのためには、現在の流行やトレンドの知識や感覚も不可欠となる。それらすべてのことを考慮した うえで、最適と思えるものを設計することになる。人工物にはそれらの事柄すべてがこめられている といえる(図4.1参照) 。 このように考えると、設計とは社会のもつ価値や欲求のある部分を、設計者を通じて人工物(製品) に反映させる行為であるといってもよいだろう。設計者は、クライアントの要求とともに、社会のも つさまざまな価値や欲求、感覚を、自覚的にあるいは無自覚のうちに取り込みながら、それらにもっ とも適合するような設計解を探りだす。設計するとは、いわば、時代や社会のもつ欲求や感覚を、ク ライアントからの要求を媒介にして、製品に翻訳する行為なのである。 われわれの生活は、技術の生み出した多くの人工物・製品に囲まれている。それは電気器具や家具、 電子機器、またビル街や電車、自動車にかぎられない。身に着けている服や靴、手にもっている雑誌、 飲んでいる清涼飲料水も人工物である。さらに、たとえば、自然でいっぱいのはずの公園にも、舗装 道路、石垣、運動場、運動設備、遊具、ベンチ、照明灯、花壇、プランターといった人工物があふれ ている。われわれを囲んでいるそれら人工物の一つ一つが、社会の価値や欲求を反映している。する と、人工物に囲まれた生活をおくることによって、設計者の意図を通じて、われわれは自分たちが生 きる時代の欲求や価値観、トレンドと触れ合うことになるのである。
(3)
人工物と価値観・欲求との関係
われわれは新しい製品を求めて徹夜で並んで購入したりすることがある。購入した製品を使用して 期待通りだと喜んだり、そうではなくて不満を感じたりする。また、はじめから見向きもしないよう なものもあるし、時代遅れとか使い勝手がよくないといって廃棄したりするものもする。 製品に対するそのような態度や評価は、誰かによる強制ではなく、自由意志によると思われている。 しかし、わが身を振り返ってみればわかることだが、自由意志によると思われている行動は、しばし ば、他の人々の言動やマスメディアの報道に左右されている。そして、他の人々の言動やマスメディ
4.1
工学と価値・欲求
129
設計A
設計A′
設計A″
価値・欲求 A
価値・欲求 A′
価値・欲求 A″
図4. 2 価値と設計の循環
アの報道はといえば、社会の欲求や価値観に大きく影響を受けてもいるのである。このように、製品 に対する態度や評価は社会の欲求や価値観によって大きく影響されているのであるから、それらに適 合し、製品がよい評価を受けるように、設計者は日々工夫をしている。 つまり、どのような人工物や製品を設計し作るかということは、社会の価値観などに依存している。 しかし、それがすべてなのではない。その逆の側面もある。 社会の価値観や欲求を考慮して設計し製作された製品が、逆に社会の価値観、トレンド、欲求を変 えることもしばしばある。たとえばハイブリッドカーのように、今までは高価で不要な機能を備えて いると思われていたものが、 画期的な製品の出現とエネルギー問題や環境汚染問題の深刻化のなかで、 世界中の注目を集め開発競争が始まるようになる場合もある。 そうした特殊と思える場合以外にも、日常的に生じているのは、たとえば、パソコンや携帯電話の 新機種の登場や、新しいスタイルの乗用車の出現によって、それまでの製品の機能が不十分に思えた り、スタイルが野暮ったく感じられたりすることである。このような変化はほとんどの人に起こるた め、社会全体の欲求のあり方も変化することになる。 人工物、製品の設計においては、社会の価値観や欲求に適合させるという側面をもっているが、逆 に人工物が社会の価値観、欲求を変えるという面ももっているのである。技術によって作られる人工 物は、人々の欲求や価値と必然的に関係しているが、両者はどちらが先というよりも、互いに影響し あい支えあっているといえる。 このことは、個々の人工物が一緒になってつくる、いわば人工物環境とでもいえるものを考えると、 さらにわかりやすい。一つ一つの人工物は、 それぞれの視点から社会の価値観や欲求を反映している。 それらが集積して人工物の環境を形成するが、この環境は自然環境とはちがって、社会全体のさまざ まな価値や欲求、思いを映している。つまり、人工物環境には社会全体が投影されているといえる。 社会と人工物環境との関係は、ニワトリと卵のように、いずれが先といえない関係にある。両者は相 互に影響を与えながら変化していくのである。 ここには、一種の循環とでも呼べる関係がある(図4.2を参照)。図を説明すると、社会の価値や欲 求(A)が設計に影響を与えて複数の設計(A)を生み出す。これによって作られた複数の製品が、 今度は逆に社会に影響を及ぼして、社会の価値や欲求は(A)から(A′)に変化する。これを土台 にして新しい設計(A′)がなされ、これがさらに社会を(A′)から(A″)へと変える。さらに
130
4章
工学とはいかなる学問か
これが設計(A″)を導き、というふうに次々に展開していくことになる。 人々の価値や欲求に関わるという点は、技術が生みだす製品だけでなく芸術作品にも当てはまると 思われる。人工物と芸術作品は、ともにある種のものをつくりだすという点で共通しているだけでな く、社会の価値観や欲求に関係するという性格を共有している。ただし、芸術の場合は、そのときど きの価値観や欲求にではなく、その奥にあって時代を貫くような価値観や感覚、いわば時代精神に関 わっている。芸術は個別的で感覚的な作品の中に普遍的なものを表現するといわれることがあるが、 その普遍的なものとは、永遠不変のものというよりも、時代の精神とでもいえるものと解釈できる。 それに関係することで、 現在のトレンドや表面的欲求や価値観を超えたものを表現することができる。 製品と芸術作品、またそれらを生み出す技術と芸術とは、その時代の欲求や価値、感覚に関係する点 で類似しているが、時代の精神とのかかわり方において大きく異なる面をもっているのである。
4.2
設計について
(1)
設計の工程
工学とは人工物(製品)を作り、保全し操作する技術についての学問であり、人工物とは設計され たものであると上で述べた。すると、設計は工学にとって本質的なことであるといえる。 ここまでにすでに、設計とはクライアントの要求に適合する解を見つけ出すことであること、また、 クライアントの要求の背後にある社会の価値観や欲求、トレンドを考慮する必要があることなどを述 べてきた。さらに、設計と社会の価値・欲求とは、相互に影響しあう関係にあることも示してきた。 ここでは、設計とはどのような活動であるかということをより詳しく考察してみたい。そのために、 まず設計の工程、とくにその中の狭義の設計について考えてみる。次に、設計を特徴づける論理構造 について考察してみることにしよう。 設計の工程について、畑村洋太郎『設計の方法論』 (岩波書店
2000年)を参考にして述べてみる。
畑村によれば、製品(モノ)を作るのに必要な一連の活動とは、以下のようである。
「企画」→「研究」→「開発」→「設計」→「製作」→「販売」→「使用」→「後対応(アフターケ ア) 」
このプロセス中の「設計」は狭義の設計を指しているが、実際の現場では、これら一連の活動すべ てを設計(広義の設計)と呼ぶことが多い。
モノを作ろうとするとき、まずはじめに、 「どんなモノを・どのくらい・どのように作るのか」を決める。 それが、企画である。生産活動では、この企画が作るモノと作るための活動の基本的な要件をすべて定める。 既存の技術だけを使って作るモノであれば企画の次にすぐに設計(狭義の設計)を行うことができるが、新
4.2
設計について
131
たな技術要素がある場合には設計に先立って研究や開発が行われる。これらの結果を基にして、企画に従っ て設計(狭義の設計)を行う。設計の指示に従って製作し、できたモノを販売し、使用の間も使用者への後 対応を行う。このように設計者は狭い意味の設計を行うだけでなく、どのようなモノを企画するのかに始ま り、作り・売り・使い、最後まで面倒をみるところまで考え、必要な情報を作らなければならない。言いか えれば、生産に関わるすべてについて考え、情報を提供するのが設計活動である(同書32頁) 。
それでは狭義の設計活動にはどのようなことが含まれているだろうか。畑村は、狭義の設計の基本 工程として、 「ポンチ絵」→「計画図」→「最終計画図」→「部品図」→「組立図」を挙げる(33頁参 照) 。 ポンチ絵は、頭に浮かんだはじめのアイディアを絵にしたもので、まだ製品の素描の段階にとどまっ ている。このポンチ絵を何度も練りなおしながら、計画図を仕上げていく。部品が数十から数百であ れば、一人でも設計できるが、自動車のように部品数が数万になると、複数の設計者が必要になる。 また、全体の構想を分解して部分ごとに別のチームが設計を受け持ち、最後にそれらをとりまとめる チームが総合する、という手法も必要になってくる。 フィードバックを繰り返しながら練っていく段階では、製品の機能、コスト、納期、安全性、信頼 性、加工法、大きさ、材質など多くの事柄について検討がなされていく。それらは互いに矛盾しあう ことがあるので、うまく調整することが必要になる。そしてついに納得のいく設計解にたどりつくこ とで最終計画図を得る。そして、それに従って各部品ごとの部品図やそれら部品を用いた組立図を仕 上げて、狭義の設計は終了する。
(2)
設計の論理―アブダクション
次に、狭義の設計という活動を特徴づける論理はいかなるものであるか考えてみたい。設計という 営みは、クライアントの要求を媒介にして、社会の価値観や感覚を製品に翻訳することとみなせると 述べたが、そうした翻訳は独特の構造をもっている。 その独特の構造を、吉川は前掲書( 『テクノグローブ』 )において、 「アブダクション」と呼んでいる。 「アブダクション」とは「仮説形成」などと訳されるが、論理的思考・推論の一つの型を指す言葉であ る。この言葉は、アメリカの哲学者C.S.パース(1839〜1914)が、 「帰納」や「演繹」とともに科学的 思考を特徴づける論理として挙げたものである。以下では、科学的思考の論理について少し述べてみ よう。 科学を成り立たせる思考として、経験的な事実を繰り返し観察することによって、ある法則を導く というタイプのものがある。これは「帰納(induction) 」と呼ばれる。たとえば、稲妻のあとで雷鳴が することを繰り返し経験することで、稲妻が雷鳴をともなうことを導きだすことができる。この種の 思考は誤りも犯しやすいが、経験から法則を導くという点で科学にとって重要である。ただし、導か れる法則は実際の経験を一般化したものであり、その背後にどのような基本的法則があるかは通常は
132
4章
工学とはいかなる学問か
把握することができない。 また、ふつうに論理的推論といわれるものも、科学的思考のひとつのタイプを構成している。これ は「演繹(deduction) 」と呼ばれている。たとえば、 「P」 (人間は二本足である)と「PならばQ」 (人 間が二本足であるならば、人間は手を自由に使える)から「Q」 (人間は手を自由に使える)を導く思 考は演繹である。 この種のタイプの思考は、あらかじめ前提の中に論理的に含まれていたことを取りだすのであり、 推論の後でも新しい情報を付け加えはしないが、論理的整合性を要求する科学にとって不可欠のもの である。ただし、推論がいくら正しくても、前提がまちがっていれば、まちがった結論が生じる場合 がある。たとえば、 「人間は3本足である」と「人間が3本足であるならば、人間の足は鳥の足より多 い」から、推論としては正しいが誤った結論「人間の足は鳥の足より多い」が導かれる。 パースは昔からよく知られた、以上の2種類の思考タイプに新たにもうひとつのタイプを加える。 それは、観察された事実から一般的法則を推論するものであるが、帰納のような思考法ではなく、た とえば、ニュートンが3法則を導いたときの思考に現れるものである。物体の落下や天体の運行、作 用反作用などの観察された事実から、 それら事実を一挙に説明する公理として3法則が導きだされる。 これは、帰納のように事実の積み重ねから容易に推論できるものではない。また、演繹のようにわれ われの思考に新しいことを何も付け加えないわけではない。ここでは諸事象を説明する一般的な仮説 が取り出されているのであり、それは「仮説形成の論理」 、あるいは「発見の論理」とでもいえる。 演繹とアブダクションの区別を簡単な論理式を使って説明すると次のようになる。
・演繹の例: P、PならばQ、ゆえにQ(具体例は先ほど述べておいた。) ここでの特徴は、 「P」と「PならばQ」という前提を認めれば「Q」が必然的に導きだされること にある。 「P」と「PならばQ」を正しいと仮定すれば、 「Q」も正しいと認めざるをえないのである。
・アブダクションの例: Q、PならばQ、ゆえにP
(1)
この特徴は、一見してわかるように、 「Q」と「PならばQ」を正しいと認めたとしても、そこから 「P」が必然的に出てこないことにある。たとえば、Qを「太陽が毎日東から出て西に沈む」 、それを 説明する仮説としてPを「太陽は地球の周りを回っている」としてみよう。すると、アブダクション によってP「太陽は地球の周りを回っている」が推論されてくる。 このアブダクションの例では、いわゆる天動説が導かれるが、これ以外の説ももちろん可能であり、 現在では周知のように地動説が正しいとされている。そこで、Rとして「地球は太陽の周りを回って いる」としてみると、新しいアブダクションとして、次のような地動説を導くものが考えられる。
4.2
設計について
Q、RならばQ、ゆえにR
133
(2)
天動説と地動説のいずれが正しいかはアブダクションだけによって決めることはできない。また、 帰納や演繹だけでも決定できないだろう。それには他の多くの要因が関係してくるのであり、設計の 最適解を決めることと似ている。 以上のような特徴をもつアブダクションが設計の論理を特徴づけているとはどういうことだろう か。それは、 (狭義の)設計が、与えられた条件(クライアントからの要求や考慮すべきさまざまな条 件)を前提にして、それらを満足する解を見つけだす活動だからである。満たすべき条件を満足する 解は複数可能である。場合によっては、無数にあるかもしれない。そこから設計者は最適と思われる 解を決定しなければならない。ここにあるのは、経験したことを一般化し法則を見出す帰納ではない し、正解が誰の眼から見てもひとつに定まる論理必然的な推論でもない。むしろ、観察された事実に もとづいて、それを説明する公理としての法則を、多くの候補の中から直感やひらめきにもとづいて 探りだす営みに似ているといえる3)。 実際の現場では、さまざまな要求や条件の検討、種々の選択肢のあいだの優劣の検討などを繰り返 し行うことで、最適解を見つけようとする。設計とはそのような複雑な活動であるが、そこでの思考 過程をひとことでいうと、アブダクション(仮説形成)となる。 設計はアブダクションであるから、 検討によって得られた複数の解から最適解をみつけだすさいに、 それら複数の解の評価は論理的・整合的になされるわけではない。最適解は論理必然的に決まるわけ ではない。それでは、それが決まるのはいつだろうか。科学の場合は、公理から導かれた諸定理が多 くの実験や観察によって裏づけられることで、公理の正しさが決まる。それに対して、設計において は、最適解が本当に最適であったかどうか判明するのは、設計されたものが製品として社会に提供さ れ、社会において使用されることを通じてである。社会が受け入れた製品は好んで使用され、拒絶さ れたものには設計の変更が必要になるかもしれない。ここには、いわゆる製品の「市場による淘汰」 がある。 ただし、製品を社会が評価するさいの基準を明確に述べることはできない。そうした基準や物差し は社会や人々の価値観や欲求の変動とともに変化する。この点で製品は他の商品やファッション、マ スメディアの情報と類似しているといえる4)。
(3)
科学と広義の設計―論理構造の類似
上で述べたパースの考えを図示したのが図4.3である。これは科学における思考過程を表している。 まず観察された事実の集まりがある。これだけではさまざまな事実のあいだの連関や、なぜそうし た事実があるのかを説明できない。そこで、これらを説明する公理や法則を発見する必要がある。そ の発見過程の推論をパースはアブダクション(仮説形成)と呼んだ。ただし、まだこの段階では、本 当に法則を発見したかどうか分からないので、公理や法則ではなく「仮説」と呼ぶのがふさわしい。 この仮説から種々の定理(これもまだ「仮の定理」にすぎない)が、通常いわれるところの論理に従っ
134
4章
工学とはいかなる学問か
て、 つまり演繹的推論によって導きだされる。そして、この定理が正しいかどうかを観察や実験によっ て検証し、確かめるのが帰納的推論の段階である。 定理の正しさが帰納的に確かめられることで、もとの仮説の正しさも確からしくなる。ただし、仮 説からは通常きわめて多数の定理が導かれるので、一つや二つの定理の正しさが確かめられたとして も、仮説の正しさが最終的に確かめられたとはいえない。 すでに知られた諸事実を説明する仮説を立てて、その仮説から導かれる定理の正しさを実験によっ て確かめることは一般に科学の方法とされており、 「仮説演繹法」と呼ばれる。パースは、こうした一 連の過程に対して、帰納、演繹とならぶ推論の一種としてアブダクションの過程を付け加えたのであ る。 上では、 設計のさいの思考過程はアブダクションであるという説を紹介し解説を加えた。ここでは、 設計におけるアブダクションをそれだけ孤立させずに、設計の後に生じることも含めた構造の中で捉 えてみよう。そのひとつの仕方は、畑村が「広義の設計」と呼ぶものの中に「狭義の設計」を取り込 むことであるが、本章では、 「広義の設計」を修正して、上で示した科学の方法と同様の図式の中に設 計を位置づけてみたい。 すると、設計にはアブダクションだけでなく、科学の方法における帰納や演繹と類似した構造をみ てとることができる。 「アブダクション」は、設計依頼者の提示する要求や種々の条件(機能、コスト、納期、安全性、 信頼性、加工法、大きさ、材質や製造物責任法、特許の有無、トレンドなど)を満足する最適解を探 りだす活動である。 また、設計解、設計図から製品を作るのは、一定の製作方法に従って設計図どおりのものを作るこ とであり、論理必然的過程のような過程と見なせるので「演繹」に対応する。 さらに、作られた製品は販売され使用されて、消費者による評価を受けることになる。消費者は社 会における価値観や欲求を代表しているとみなすことができる。これは仮説から導き出された定理が 正しいかどうかを実験や観察で確かめる過程に対応する。つまり、 「帰納」に対応するとみなすことが できる。ここで製品が肯定的評価を受けると、もとの設計の適切さが立証されることになる。これも 科学の場合と類似している。 以上のことがいえるとすれば、製品の設計、製造、使用において、科学の方法と類似した構造が成 立していることになる。それを示したのが図4.4である。 ただし、両者の構造は類似していても、多くの違いがあるのも事実である。たとえば、科学の場合 に登場する「事実」が不変であるのに対して、設計の場合の「価値・欲求」は変動する。そのため、 あるときにある製品が使用によって適切さを検証されても、その後もそれが持続するとはかぎらない。 より高機能低価格の他の製品が発売されれば、前と同じ製品を作っても売れないだろう。これは、科 学上の定理が真であればつねに真であり続けるのと好対照である。また、アブダクションによって到 達する目標が、科学の場合は公理や法則といった一般的なものであるのに対して、設計の場合は、個々
4.3
論理的導出
工学と倫理
135
仮説 仮説形成 演繹 定理
アブダクション
帰納 実験による 正当化
事実
図4. 3 帰納・演繹・アブダクション C.S.パースの基本的な考え(科学の方法)
製造
設計解 仮説形成 演繹 製品
アブダクション
帰納 使用による 検証
価値・欲求
図4. 4 設計・製造・使用
の設計解であることも大きな相違点である。 工学は技術についての学であり、理学と異なり、社会の価値や欲求と深く関わっていることはすで に述べた。そのことは、上図での工学における設計・製造・使用と科学の方法との相違に対応してい るといえる。科学の方法を説明するさいにニュートンの法則を引き合いに出したように、科学の方法 は、数学はさておくとして、物理学や化学などの理学の方法でもあり、社会の価値や欲求の変化にも かかわらず真であり続ける公理や法則、定理を探究するための方法なのである。
4.3
工学と倫理
(1)
倫理学の歴史の概括
この章では、工学と倫理の関係について述べてみよう。従来の「工学倫理」や「技術者倫理」の教 科書は、組織の一員であり責任ある技術者としての思考法や行動のあり方を、安全性の問題や造物責 任法、知的財産権関係の法律などをふまえて述べていくことを主としている。本書ではそれにとどま らず、工学の歴史の中で工学倫理を捉えたり、工学倫理を他の応用倫理との連関の中で考察すること
136
4章
工学とはいかなる学問か
をしてきた。さらに本章では、工学とは何であるかから始まり、設計の論理構造、また工学と倫理の 関係を通して、モノをつくるとはどのようなことかを主題にしている。 工学と倫理の関係を考察するにあたって、まずはその準備として、倫理学の歴史を概括してみよう。 2000年以上の歴史をもつ倫理学なので、簡単にはまとめられないが、ここでは以下のA、Bのような 枠組みで考えてみたい。A、Bともに、倫理に関する規範(たとえば、無実の人を殺してはいけない、 嘘をついてはいけない、国の法律を守りなさいなど)についてのものである。こうした枠組みによっ て、ごく大雑把ではあるが、過去の倫理学を大づかみにするとともに、現在の倫理学の置かれた状況 を浮き彫りにすることができる。 A−1
規範は共同体や国家の規範である。
A−2
規範は人類に普遍的な規範である。
B−1
規範が確固としている。
B−2
規範の揺らぎや新しい規範への要求がある。
以上の枠組みを用いて、古代・中世・近代・現代にわたる倫理のあり方をざっと見てみよう。 1)
古代(A−1&B−1:共同体の規範が確固としていた。)
ポリスのような小共同体が崩壊した後では、普遍的な規範を探究したストア学派のような例外はあ るが、一般的にいって、古代のギリシャやローマにおいては、共同体の規範が確固としていた(A− 1&B−1) 。その場合、倫理学の中心テーマは、あるべき規範がどのようなものであるかを探究する ことよりもむしろ、知恵・勇気・節制・正義といった「徳」の本質を探究したり、それらの徳によっ て実現する「よき生」や「幸福」のあり方を思索することであった。ソクラテス、プラトン、アリス トテレスのような哲学者は、それぞれの仕方でそのような探究を行った。このように徳が中心テーマ となるのは、共同体の規範がひとまず確固としているところでは、そうした規範に従い規範を支えつ つ徳を実現することがなぜ幸福に結びつくのかということが、倫理学上の重要な課題だからである。 たとえば、ソクラテスは、徳にしたがって正しく生きることが、よく生きること(幸福に生きること) であることを強く主張している。 2)
中世(A−2&B−1:人類に普遍的な規範が確固としていた。)
この時代はキリスト教の聖書とその教えの解釈が、ヨーロッパにおける倫理の基本的な規範を与え る時代であった。これは宗教にもとづくものであり、ポリスやひとつの国の規範ではなく、神が創造 したすべての人間に当てはまる普遍的な規範であるとされた(A−2)。ここでは普遍的な規範を解 釈したり洗練したり詳細なものにすることが試みられたが、あるべき規範の基本的な形はすでに存在 していた(B−1) 。それゆえ、この時代でも規範が確固としているので、前の時代と同様に徳に関す ることがらが倫理学の重要なテーマとしてあった。しかし、古代ギリシャやローマと比べると、徳の 内容に変化が見られた。すなわち、この時代に求められた徳は、愛・寛容・忍耐・謙遜といったキリ スト教的人間観にもとづくものであった。 3)
近代(A−2&B−2:人類に普遍的な規範の模索。)
4.3
工学と倫理
137
中世も終末に近づくにつれて、キリスト教の権威の弱体化とともに、規範に揺らぎが生じてくる(B −2) 。この時代では、すでに共同体や国家を超えた普遍的規範を中世に経験しているため、共同体の 規範ではなく、キリスト教にもとづくものに代わりうる新たな普遍的規範の模索が試みられることに なる(A−2) 。そのときに規範のもつ普遍性は、神の定めた自然法(理性によってその内容が知られ る)を基礎とすることや、すべての人間に共通する理性を基盤とすることによって担われた。主要な 説は、共同体や国家の基礎に自由な個人を据え、個人と個人の契約・合意によって国家の成立を捉え、 国家は個人の自由や権利などを保障するためにあるとする立場、いわゆる個人主義の立場をとった。 しかし、個人の自由は国家によって実現されるという立場も主張された。いずれにせよ、近代では個 人の自由や自律を中心とした倫理規範の探究が中心テーマとなった。これまでの時代で重要とされて きた徳の問題は背景にしりぞいて、この時代は、自律的個人が普遍的規範に従うということによって 特徴づけられる。 4)
現代(混合形態:人類に普遍的な規範が確固としている。また新しい規範への模索。)
現代は大雑把にいって二つの面を備えている。ひとつは近代の延長であり、自律的な個人が普遍的 規範に従うことを倫理の中心とする面であり、他は、新しい規範への要求という側面である。前者は、 「自由」、「平等」、「人権」などを社会に本格的に実現すべきであるという主張に典型的に現れている。 それらは近代の倫理における基本原理なのである。その意味で、現代は近代の延長上にあり、近代の 規範を広く実現すべき時代と考えることもできる(A−2&B−1)。他方、後者(新しい規範への要 求)は、主として科学技術の飛躍的な進展によって生じてきた問題に応える側面である。現代では、 従来の近代的な倫理規範どうしが対立したり、倫理規範が現状に当てはまらない事態が生じたりして いる。そこでは規範が揺らいでいるといえる(B−2)。従来の普遍的な規範の対立を調停したり、新 たな規範を模索したりすることが試みられている。求められる新たな倫理規範としては、人類一般に 当てはまる普遍的なものから国や文化に相対的なものまで、さまざまな規範が考えられている(A− 1&A−2) 。
今までの規範では対処が困難な問題を扱う倫理には、生命倫理、環境倫理、情報倫理、企業倫理、 工学倫理などがあり、そのうちの多くは1970年ごろから注目を集めはじめた。それらは「応用倫理」 と呼ばれている。 「応用倫理(applied ethics)」という名称には、倫理規範や原理を実際の問題に「応用」する、ある いは「適用」するというニュアンスがあり、かならずしも適当とはいえない。なぜならば、現代の応 用倫理には、大まかにいって、すでにある倫理規範や原理を適用する「原理適用型」と、新しい規範 や原理を発見する「原理発見型」の2種類があるからである。前者はいわば原理・規範から現実の問 題へと下るトップダウン方式であり、まさに「応用倫理」の名にふさわしいが、後者のような、現実 の問題への取り組みから原理・規範を求めていくボトムアップ方式の場合はそうではない。 ここで、種々の応用倫理の扱う問題をざっと眺めてみることにする。そして、応用倫理が現代社会
138
4章
工学とはいかなる学問か
功利主義 カント倫理学 権利論 価値論 幸福論 人格論 自由論 個人主義 共同体主義 徳倫理
倫理学理論
生命倫理 環境倫理 情報倫理 ビジネス倫理 工学倫理
応用倫理学
社会 (倫理学的諸問題)
脳死 安楽死 患者の権利 遺伝子操作 クローン 代理母 自然保護 温暖化 絶滅種 企業不祥事 内部告発 説明責任 知的財産権 プライバシー
図4. 5 倫理学と社会の関係
の諸問題と倫理学理論を媒介するものであることを図示してみよう(図4.5)。 ・生命倫理学: 脳死
安楽死
中絶
インフォームド・コンセント
母
キュアとケア
許
医療資源配分など。
クローン人間 ヒトES細胞作成と研究
代理
動物実験 エンハンスメント(治療の域を超えた能力の増進) ヒトゲノム特
・環境倫理学: 自然の保護・保存
動物の権利
自然の権利
種の多様性 エネルギー問題
環境アセスメント
リサイクル 南北問題 地球環境問題など。
将来世代への責任
・ビジネス倫理学(職業倫理学を含む) : 企業の社会的責任 発
情報開示
ステイクホルダー論
リスク管理
倫理綱領
専門職倫理 誠実義務 内部告
広告の倫理性など。
・情報倫理学: コンピュータ技術者の倫理 報
知的財産権 データベース社会
インターネット社会の問題 個人情
プライバシーなど。
・工学倫理: 安全性とリスク
技術者の社会的責任 守秘義務
内部告発 PL法
知的財産権
倫理綱領など。
それぞれの応用倫理の扱う問題を見て分かるように、それらは独立しているというよりも相互に連 関している。これまでの応用倫理研究は、たとえば生命倫理と環境倫理を、それぞれの原理や規範が 異なるという理由から、別々に扱ってきた。しかし、動物に関わる問題は、両方の倫理の考察の対象 である。すると、動物実験の是非や実験の諸条件を考察するのは、生命倫理だろうか、それとも環境 倫理だろうか。また、ヒト胚・受精卵や胎児は人格とはいえないので、それに関する問題には患者と 医師の関係のように、インフォームド・コンセント(十分な説明にもとづいた上での同意)という原
4.3
工学と倫理
139
理によって対応することは難しい。受精卵や胎児は、人格と動物の中間に位置していると考えること ができるので、生命倫理と環境倫理の境界領域にあるといえる。人工妊娠中絶、ヒトES細胞作成、動 物実験など、このような境界領域にある問題が、生命倫理にとっての難問を生み出してきたといえる。 応用倫理の間の相互連関は、生命倫理と環境倫理以外の場合にも生じている。今後は応用倫理のあい だの連関の解明や統合が必要であろう。 工学倫理は応用倫理の中では比較的新しく登場してきたが、ビジネス倫理(職業倫理)はもとより、 生命倫理、環境倫理、情報倫理とも多くの問題を共有している。そのため本書では、従来のように工 学倫理をそれだけ独立させて論じることをせずに、できるだけ他の応用倫理との連関の中で捉えよう としてきた。
(2)
原理適用型と原理発見型の応用倫理
応用倫理には、原理適用型と原理発見型の2種類があると述べた。それについて、少し説明してみ よう。 「原理適用型」は、既存の倫理規則を現実に適用することを試みる。応用倫理以外の倫理はほとん どがこの種のタイプである。ここでは、演繹論理の推論が使用されている。たとえば、演繹的推論で あることを明示するために、述語論理という論理の式を用いて表すと以下のようになる。 ・
∀x(Px⊃Qx) , Pa
ゆえに Qa
ここで、記号の解説をしてみる。 ∀x(Px⊃Qx)は、 「すべてのxについて、xがPであるならばxはQである」を、簡単に言えば 「すべてのPはQである」を表している。Paは「aはPである」を、Qaは「aはQである」を表してい る。 具体例①Px:xは人である。Qx:xを殺してはいけない。a:ソクラテス。 すると上の論理式は次のように具体化される。 「どのような人でも殺してはいけない」 (普遍的規範) 「ソクラテス
は人である」 (対象についての叙述)
ゆえに「ソクラテス
を殺してはいけない」 (対象への普遍的規範の適用)
ここでは、 「どのような人でも殺してはいけない」という普遍的な倫理規範を、ソクラテスという人 に適用している。 もうひとつの例として、 「最大多数の最大幸福」という功利の原理を基本原理とする功利主義の立場 をみてみる。 具体例②Px:xは功利の原理にかなっている。Qx:xは正しい。a:社会への大きな害を防ぐため に内部告発する。 ここでの推論の概略はこのようになる。 「功利の原理にかなうものは正しい。そして、社会への大 きな害を防ぐためにある内部告発は功利の原理にかなっている。ゆえに、その内部告発は正しい。 」
140
4章
工学とはいかなる学問か
これに対して、 「原理発見型」では、現実の諸事実にもとづいて新たな倫理規範・原理が構想される ため、アブダクションのような思考法が必要である。アブダクションは上述したような形式をとる。 すなわち、 ・
Q、PならばQ、ゆえにP
具体例③Q:医師と患者関係についての諸問題が解決される。 P:インフォームド・コンセントを基本原理として含む理論は正しい。 PならばQ:インフォームド・コンセントを基本原理として含む理論が正しければ、医師と患者関 係についての諸問題が解決される。 ゆえに、インフォームド・コンセントを基本原理として含む理論は正しい。 この原理発見型では、複数の解(理論P, R, Sなど)が生じるため、それに対処する必要がある。た とえば、「R」として「患者にとっての最善を優先するような理論が正しい」も可能である。近年は、 インフォームド・コンセントや患者の最善を目指すことが重視されるが、数十年前であれば、 「S」と して「医療のことはすべて医師に任せるのが正しい」が最適解とされていた。 理論レベルで対立する場合の対処の仕方として、理論どうしの戦いは、いわば神々の戦いのような ものであり互いに譲らず決着がつきにくいので、それを避けて、現実的レベルで調整をはかるという のがしばしば採用されている。これは倫理的問題を解決するために政府内に設けられる審議会などで よくみられる。 つぎに有望な対処法として、反省的均衡(reflective equilibrium)の方法を用いるというものがある。 この「反省的均衡」といういかめしい名は、アメリカの倫理学者 J. ロールズ(1921-2002)による命名 である。ロールズは『正義論』という著作で、彼の考える正義の原理(憲法の骨格をなす権利や自由、 平等にかんする基本原理)を導きだしたが、その時に用いたのがこの方法である。この方法の特色は、 基礎的な理論から規範を導くいわゆるトップダウン(演繹)の方法と、現状から規範を見出すボトム アップ(帰納)の方法の統合が図られていることである。 ロールズはアブダクションという言葉は用いていないが、以下で反省的均衡を私なりにまとめてみ よう。 まず、われわれのよく考えた上での判断(道徳感覚・倫理観)①から出発して、アブダクションに よって、それらの判断の背景にあると考えられる基礎的な理論③を導く。そしてそこから演繹によっ て具体的な原理や規範②を導きだす。次に、それをわれわれの判断から帰納的な仕方で取りだされた 規範や原理②′に照らし合わせる。両者が合致すれば、均衡が達せられたと考えられる。合致しない 場合は、①から③のいずれかを絶対視することなく、もう一度はじめに戻って、①、②、③を再検討 しながら、アブダクション、演繹、帰納の思考を行う。 これは、帰納・演繹・アブダクションを統合した科学の方法と同じような構造をしている。実際に、 ロールズも彼の方法が科学の方法と類似していることを認めている。つまり、倫理学原理を導くため の反省的均衡の方法は、設計や科学の構造と類似しているといえる。図4-6では、それを分かりやすく
4.3
工学と倫理
141
③基礎理論 演繹 ②規則・原理・法律 アブダクション (仮説形成) ②'規則・原理・法律 帰納 ①現状(道徳感覚・倫理観)
図4. 6 倫理学の方法としての反省的均衡 (トップダウンとボトムアップの統合の論理)
示している。 反省的均衡によって具体的な倫理的規範や原理を導く思考は上図のようであり、これは、まさに今 まで考察してきた、科学の方法や設計の方法とよく似た構造をしている。ここでただちに生じる疑問 は、反省的均衡は、科学の方法と類似しているのか、それとも設計と類似しているのかというもので ある。 科学が永遠普遍性を求めるのと同様に、倫理学は普遍性を探る学問であるとする立場がある。イギ リスの哲学者 J. ロック(1632〜1704)が人間のもつ基本的権利を自然法(万人にそなわる理性によっ て知られる倫理規範)によって根拠づけたさい、また、ドイツの哲学者 I. カント(1724〜1804)が倫 理規範を定言命法(理性から導かれる無条件の命令)としたとき、倫理学は普遍性をめざす学問と考 えられていた。 しかし、倫理規範は時代によって大きく異なる面をもっている。たとえば、現在は当然視されてい る基本的人権は、近代になってから表舞台に登場したものである。そうなると、倫理学の方法を科学 の方法にあまり接近させない立場も可能であるといえる。かといって、設計解のようにめまぐるしく 変化する朝令暮改も、倫理規範にはそぐわない。以上のことから、倫理規範や倫理原理を求める反省 的均衡は、規範や原理の普遍性において、科学と設計の中間にあるといえるだろう。
(3)
2種類の設計概念
設計と科学、そして倫理のあいだの構造の類似性を指摘してきたが、以下で、設計と倫理との類似 性をたんに構造上のものにとどめずに、 具体的なレベルでの両者の連携を考えてみたい。そのために、 まず2種類の設計概念について述べておく必要がある。 畑村も前掲書の第1・3・4章において、 「定型的設計」と「創造的設計」の2種類の設計について
142
4章
工学とはいかなる学問か
言及し、その具体的な方法に大幅な頁を割いている。 畑村によれば、普通の設計は「定型的設計」であり、使用する顧客を前提にして、生産・販売・使 用・保守・回収などの膨大な既存の生産システムを背景として、確実に・安く・早く・安定して製品 の供給を行わなければならない。そして、それは膨大な技術的・社会的蓄積にもとづいており、設計 の方法にはつねに前例があり、具体的なモノとしての先行品が存在している。 それに対して「創造的設計」とは、たとえば大学や研究所の実験装置を設計する場合のように、前 例や蓄積がほとんどなく、まったく新たに設計するものである。畑村は前掲書において、創造的設計 において重要とされる直感やひらめきを方法として定式化、マニュアル化することに腐心している。 以上のような設計の分類に加えて、ここでは「定型的設計」を以下のように2種に分類してみたい。 ①
循環内部での設計
②
循環を超えた設計
ここでいう循環とは、設計とそれがもとづくところの、クライアント・使用者や市場の欲求・価値 との相互作用のことである。これについては、すでに前章の第3節で述べておいた。通常の設計は定 型的設計であるといえるが、その定型的設計において通常行われているのが、循環内部での設計であ る。たしかに、設計者は何度も会議を開いたりフィードバックを繰り返したりすることで、最適解と 思えるものを求めていくのであるが、その思考が現状の価値や欲求を前提するかぎりは、循環の内部 にとどまるといわざるをえない。循環の内部にあるほうが市場の欲求や価値観に適合しやすいので、 ふつうの設計はこの形態をとることになる。 それでは、循環を超えることは果たして可能なのだろうか。ハイブリッドカーをはじめて設計する とか、みなの注目を集める建築物の設計などがその可能性を示している。 それが原理的に可能であるのは、前掲の図4.2が示すように、循環の関係とは、価値観や欲求から設 計への一方向的関係ではないからである。すなわち、設計によって作られる製品は社会の価値観や欲 求を変えるという面をもってもいるのである。なぜこのようなことが生じるかは、心理学の問題でも あろうが、ひとつ確かにいえることは、人々の持つ価値観や欲求はたいていは曖昧であり、状況に応 じて変化するということである。 たとえば血液型占いで「あなたはA型だから神経が繊細です」といわれて、何となく納得する人が 多い。それは、他人に指摘されてはじめて自分の性格を理解するという人が多いからでもある。その ことは自分の欲しているものについても当てはまる。周囲の人がもっているものはよく見えるし、新 しい製品をもつこと自体もよいと感じられる。さらには、ある製品がそれまでの行動の仕方や考え方 を大きく変えてしまう場合もある。携帯電話がそのよい例である。携帯電話の登場によって、それま で自覚されなかった種々の欲求(親しい相手といつでもどこでも連絡を取りたい、自分の見たこと感 じたことを今誰かに伝えて感動を分かち合いたい、等々)が意識されてくる。 設計とは社会の価値観や欲求の翻訳でもあると述べたが、翻訳内容を目に見える形態にした製品と 接することで、使用者は社会の価値・欲求と触れ合うことになり、自分の価値・欲求も変化をこうむ
4.3
工学と倫理
143
るのである。そして今度はそれが、社会全体の価値観や欲求の変化を促していく。 設計という翻訳のいとなみは、設計者が自らの行為を自覚していれば、社会の価値・欲求の解釈と 考えることもできるだろう。その時代の底流にある深い欲求や価値観を解釈することは、市場や使用 者の示す表面的な行動の奥にあるものを捉えること、さらには現在の状況の一歩先を見ることでもあ る。循環を超えるということは、こうした作業によって可能になるだろう。 設計者が、自分が社会の価値観や欲求の翻訳をしているということを自覚し、社会の価値・欲求の 解釈にまでいたるとき、設計という活動はもはや工学の領域にとどまらず、倫理学の領域に接するこ とになる。
(4)
工学と倫理学との連携
これまで工学と倫理学は、それぞれ別の学問と考えられてきた。医学・生命科学と倫理学が別の学 問であることを前提にして「生命倫理」があるのと同様に、 「工学倫理」においても、工学と倫理学は 別個のものとみなされてきた。ところが、設計と反省的均衡の構造的類似、さらには、循環を超える 設計についての考察は、工学と倫理学との連携の可能性を示していると思われる4)。 工学と倫理学とは、いわば手足と頭とのような関係にあると考えることができる。そのことについ て、少し述べてみよう。 まず、工学の領域は、前述のように、社会の価値や欲求と接している。ものづくりは技術の蓄積だ けでなく、そうした価値・欲求を基盤にしており、それらと循環的な相互作用関係にある。このよう にものを作ること、そしてものが販売され使用されることは、われわれが何を望んでいるか、何を快 適と考えているか、何を格好よいと思っているかに大きく影響されるとともに、それらに影響を与え もしている。また、ある製品が売れるかどうかによって、社会での欲求のありかたの一端を知ること ができる。 設計者は通常、製品の機能、コスト、納期、安全性、信頼性、加工法、大きさ、材質などについて 相互の調整をはかり、しかも社会の欲求・トレンドや法律、経済的状況にも気を配っている。すなわ ち、社会全体をある視点から捉えようとしているといえる。このことを自覚するとき、設計は社会全 体の欲求・価値をあるひとつの視点から解釈するものとなるだろう。 倫理学の中でも、反省的均衡のような方法によって新しい原理・規範を探究する倫理学では、社会 の価値観や欲求の現状を把握することが必要不可欠である。製品の設計と販売・使用により得られた 情報は、現代の欲求やトレンド、価値がいかなるものであるかを告げており、実践的倫理学にとって も貴重な情報となることができる。このように、工学におけるものづくりは倫理学的探究に貢献する ことができる。 では、その逆はどうだろうか。倫理学上の成果がものづくりに貢献することはないだろうか。倫理 学は、さまざまな価値のあいだの関係、またその歴史的背景、価値・欲求の現状認識、そして今後の 傾向性などについても探究するが、これはものづくりに貢献するといえる。たとえば、独創的な建築
144
4章
工学とはいかなる学問か
家などは、哲学や歴史、文学などからよくヒントを得るといわれている。倫理学以外の人文系の学問 も、現代という時代そして近い将来のあり方について貴重なヒントを与えるものであるが、なかでも 倫理学は、社会全体の価値観や欲求について、重要な情報を提供できると考えられる。 以上で述べたことから、ものづくり・設計と倫理学とは連携が可能であるといえる。この連携を具 体化するための大学でのカリキュラムとしては、 「工学価値論」あるいは「技術価値論」 、また「人工 物環境論」といった科目が必要であろう。またそれを「工学史」によって歴史的に裏づけることも必 要となるだろう。 それらの科目によって行うことは、まず、ものづくりということを社会全体の価値や欲求、そして 法や制度に深く関わるものとして位置づけることである。ものをつくることで技術者は社会の価値観 や制度に配慮するだけでなく、逆にそれらを支えたり変えたりしているのである。具体的には、もの づくりと価値・欲求の循環的構造分析・解明を行うことで、設計を社会の動きの中で捉えたり、工学 における価値と他の価値との相違や連関を解明したりすることである。 ここではまず、工学にとってもっとも重要な価値である「快」や「快適」概念の分析が重要となる。 人間にとって快や快適の意味することの研究、また、社会の表面に現れる快の分析と、その奥にある ものの探究がなされるべきだろう。さらには、領域を超えた工学知の分析をする「人工物工学」との 連携をはかることや、経済学・社会学・心理学等との連携も望まれる。 こうしたことを通じて、工学と倫理学という手足と頭との統合・合体が可能になると考えられる。
注・参考文献 1)吉川弘之『テクノグローブ』 (工業調査会 1993年)254頁.ただし、ここでは「快適」という価 値しか挙げられていないが、より詳しく言えば、安全性、有用性、機能性、経済性といった価値も 考慮する必要がある.なお、この第4章を書くに当たっては、同書から多くのことを学んだ. 2) 『テクノグローブ』37頁. 3)畑村は設計における思考を特徴づけるのに「仮説立証」という言葉を用いているが、それは「仮 説形成」に対応するものである. 「人間が設計するときの頭の中はこの仮説立証が基本的な動きで ある.人間の行う推論には演繹、帰納の他に仮説形成があるが、ここで言う仮説立証はこの仮説形 成に対応しているものと考えられる. 」 (前掲書
12頁.)
4)設計は英語のdesignの訳語であるが、designには「デザイン」という訳語もある.こちらの方は、 ものづくりと別の脈絡で用いられがちであるが、実際には、ものづくりは、普通思われている以上 にファッションやトレンド、センスと深く関係している. 5)倫理学と設計との類似性への着目はすでになされている.たとえば、C.ウィトベックは、 「設計と しての倫理」について述べている.C.ウィトベック『技術倫理1』(札野・飯野訳 2000年.原著の刊行年は1998年. )
みすず書房
4.3
工学と倫理
145
ちょっとひといき 「製品と芸術作品」 技術と芸術は,いずれもものを作るという点で似ている。作られたものは,製品と芸術作品で あるが,両者にはいろいろ違いがある。 工業製品の設計は,通常は時代の価値観や欲求に応じる仕方で行われる。設計する際に考慮す る価値や欲求の奥に何があるかといったことは,普通ここでは問題にされない。 しかし,芸術作品の制作にあたっては,その時代の価値観や欲求の背景にあるものが自覚され ている。それは目的が作品の販売ではなく,美の追求だからである。それでは「美」とは何だろ うか。漢字を手がかりに考えてみよう。 漢字の「美」は, 「羊」と「大」からできている。 「羊」は「善」という字の中にもあることか らわかるように,「よいもの」 「快適なもの」といった意味をもつ。つまり「美」とは,快適な大 きなもののことであり,そこには感覚的な喜びとともに驚きが伴っている。驚きとは,日常の当 たり前の世界からの超越といえる。本来の芸術作品に接すると,日常性を超える新鮮な驚きを覚 え,時代の奥にあるものに触れる喜びを感じるのである。 芸術家が絵を描くことと比較すると,職業肖像画家が依頼主の要求に応じつつ,流行や報酬を 考慮しながら描く肖像画は工業製品と似ている。そこには美の要素が含まれていても前面に出る ことはないのである。 オランダの巨匠レンブラント(1606〜1669)は「夜警」という傑作を残している。有名な作品 なので見たことのある人も多いだろう。20数名のアムステルダムの射撃隊からの注文を受けて描 いたが,二人の士官だけを肖像画らしく描いて,あとは暗い背景の中に押し込めてしまった。い かにもレンブラントらしい作品である。彼にとっては,射撃隊は美を表現する手段にすぎなかっ た。この肖像画はクライアントの要求とは異なるものであり,大変評判が悪く,それ以後肖像画 の注文が激減したと言われている。 レンブラントは肖像画という製品を注文されたが,それを芸術作品として描いたのである。 このように,製品と芸術作品とは異なっているが,それらの中間形態もある。たとえば建築が それに当たる。
146
あとがき 本書が出版されることになった経緯について簡単に述べておきたい。 一昨年の8月に、熊本大学で哲学や倫理学を教えている教師が4人集まって、 「工学倫理研究会」が 立ち上げられた。研究会は、毎月発表者をきめて発表してもらい、それを全員で検討するというかた ちで続けられたが、次の年からは工学部の先生方にも参加していただき、人文系の研究者とは違う視 点から問題提起してもらおうということになった。 予想はついたことであるが、改めて感じたのは、人文系の研究者と工学系の研究者とでは、工学や 倫理についての見方、あるいは問題意識そのものにかなりの開きがあるということであった。工学系 の人たちは、工学技術の中に身を置いてそのなかで生じてくる問題を、技術者の視点からいかに捉え、 解決するかということに主な関心をもっているようである。工学に携わる人の立場からして、これは 当然のことであろう。それに対して人文系の人は、工学を外側からみて、社会や人間生活との関連で 意味づけし、議論を組み立てようとする傾向が強い。工学の内側にいる人と外側にいる人の違いとい うことであろうか。両者のスタンスの違いが研究会を通して縮まることはなかったと思う。 本書はこのように、工学と倫理というこれまでほとんど交流のなかった分野の研究者達が意見を交 わし、協力しあった結果として出版されることとなった。恐らくそこには、執筆者によるものの見方・ 価値意識の違いが反映されていようが、工学倫理という研究分野の性格上、これは当然のことである し、ここから新たな学際的研究がはじまると言うべきであろう。 次に本書の編集にあたって注意した点に触れておこう。まず本書でとり上げた事例についてである が、主として日本国内の事例を選んである。従来のテキストでは、アメリカの工学倫理のテキストに 収められている事例(チャレンジャー号事件など)が利用されることが多かった。しかし日本とアメ リカでは、法や社会制度は異なるし、企業での慣習や人々のメンタルな面も異なってくる。日本独自 の工学倫理をめざすならば、そうした要因も考慮に入れて詳細に事例を分析する必要があろう。そう いう意味も込めて、本書では国内の事故や事件を事例としてとり上げてくわしく分析した。 さらに本書の構成についても、あたらしい考えを盛り込みながらも全体の流れがつかめるように配 慮したつもりである。すなわちまず、歴史的にみて工学がいかに発展してきたかを眺め(1章)、その なかで現れてきた数々の興味深い問題を国内の事件や事故をふまえながら解説する(2章)。さらに 工学倫理と他の応用倫理との関連を探りながら内容を深め(3章)、最後に工学と倫理を広い視野から 捉え直してみる(4章)という流れである。 なお、本書は工学部で使用される予定のテキストであるから、叙述にあたってはわかりやすさ・簡 潔さをこころがけた。全員分の原稿のなかからわかりにくい部分を洗い出し、執筆者に書き直してい ただいたので、その点はかなり改善されたと思っている。 編集にあたっての意図がどれだけ活かされているかは、読者の判断に委ねるしかないが、本書が工
147
学倫理の初学者ならびに研究者にとって一助となれば幸いである。 広川
明
巻末資料 Ⅰ.工学倫理関連の倫理要綱 (1)
技術士倫理要綱 昭和36年3月14日理事会制定 平成11年3月9日理事会改訂
技術士は、公衆の安全、健康および福利の最優先を念頭に置き、その使命、社会的地位、および職 責を自覚し、日頃から専門技術の研鑽に励み、つねに中立・公正を心掛け、選ばれた専門技術者とし ての自負を持ち、本要綱の実践に努め行動する。 (品位の保持) 1.技術士は、つねに品位の保持に努め、強い責任感をもって、職務完遂を期する。 (専門技術の権威) 2.技術士は、つねに専門技術の向上に努め、技術的良心に基づいて行動する。また、自己の専門 外の業務あるいは確信のない業務にはたずさわらない。 (中立公正の堅持) 3.技術士は、その業務を行うについて、中立公正を堅持する。 (業務の報酬) 4.技術士は、その業務に対する報酬以外に、利害関係のある第三者から、不当な手数料、贈与、 その他これらに類するものを受け取らない。 (明確な契約) 5.技術士は、業務を受けるにあたり、事前に相手方に自己の立場、業務の範囲などを明確に表明 して契約を締結し、当該業務遂行上両者間で紛争が生じないように努める。 (秘密の保持) 6.技術士は、つねにその業務にかかる正当な利益を擁護する立場を堅持し、業務上知り得た秘密 を他に漏らしたり、または盗用しない。 (公正、自由な競争) 7.技術士は、公正かつ自由な競争の維持に努める。 (相互の信頼) 8.技術士は、相互に信頼し合い、相手の立場を尊重し、いやしくも他の技術士の名誉を傷つけ、 あるいは業務を妨げるようなことはしない。
巻末資料
149
(広告の制限) 9.技術士は、自己の専門範囲以外にわたる事項を表示したり、誇大な広告はしない。 (他の専門家等との協力) 10.技術士は、その業務に役立つときは、進んで他の専門家、あるいは特殊技術者と協力すること に努める。
(2)
土木技術者の信条および実践要綱
昭和13年(1938)3月
〈土木技術者の信条〉 一、土木技術者は国運の進展ならびに人類の福祉増進に貢献しなければならない。 二、土木技術者は技術の進歩向上に努め、あまねくその真価を発揮しなければならない。 三、土木技術者は常に真摯な態度を持ち徳義と名誉を重んじなければならない。 〈土木技術者の実践要綱〉 一、土木技術者は自己の専門的知識および経験をもって国家的ならびに公共的諸問題に対して積極的 に社会に奉仕しなければならない。 二、土木技術者は学理、工法の研究に励み、進んでその結果を公表して技術界に貢献しなければなら ない。 はいれい
三、土木技術者は国家の発展、国家の福利に背戻するような事業を企図してはならない。 四、土木技術者はその関係する事業の性質上、特に公正で清廉をとおとび、かりそめにも社会疑惑を 招くような行為をしてはならない。 五、土木技術者は工事の設計および経費節約あるいはその他の事情にとらわれて、従業者ならびに公 衆に危険を及ぼすようなことをしてはならない。 六、土木技術者は個人的利益のために、その信念を曲げたりあるいは技術者全般の名誉を失墜するよ うな行為をしてはならない。 き そん
七、土木技術者は自己の権威と正当な価値を毀損しないように注意しなければならない。 八、土木技術者は自己の人格と知識経験とによって、確信ある技術の指導に努めなければならない。 きょうせい
九、土木技術者はその関係する事業に万一違法であるものを認めたときはその匡 正に努めなければな らない。 十、土木技術者はその内容が疑わしい事業に関係しまたは自己の名義を使用させるようなことがあっ てはならない。 十一、土木技術は施工に忠実で事業者に背かないようにしなければならない。 備考……本信条および実践要綱をもって土木技術者の相互規約とする。 注)原本は土木学会誌,第24巻,5号,昭和13年,であるが,これを現代かなづか いで書かれている。出展: 「土木技術者の倫理
事例分析を中心として」 (土木学会,
土木教育委員会倫理教育小委員会発行,p.23,2003年)
150
(3) 前
土木技術者の倫理規定(1999.5.7 土木学会理事会制定) 文
1.1938年(昭和13年)3月、土木学会は「土木技術者の信条および実践要綱」を発表した。この信 条および要綱は1933年(昭和8年)2月に提案され、土木学会相互規約調査委員会(委員長:青 山士、元土木学会会長)によって成文化された。1933年、わが国は国際連盟の脱退を宣言し、蘆 溝橋事件を契機に日中戦争、太平洋戦争へ向っていた。このような時代のさなかに、 「土木技術者 の信条および実践要綱」を策定した見識は土木学会の誇りである。 2.土木学会は土木事業を担う技術者、土木工学に関わる研究者等によって構成され、1)学会とし ての会員相互の交流、2)学術・技術進歩への貢献、3)社会に対する直接的な貢献、を目指し て活動している。 土木学会がこのたび、 「土木技術者の信条および実践要綱」を改定し、新しく倫理規定を制定したの は、現在および将来の土木技術者が担うべき使命と責任の重大さを認識した発露に他ならない。 基本認識 1.土木技術は、有史以来今日に至るまで、人々の安全を守り、生活を豊かにする社会資本を建設し、 維持・管理するために貢献してきた。とくに技術の大いなる発展に支えられた現代文明は、人類 の生活を飛躍的に向上させた。しかし、技術力の拡大と多様化とともに、それが自然および社会 に与える影響もまた複雑化し、増大するに至った。土木技術者はその事実を深く認識し、技術の 行使にあたって常に自己を律する姿勢を堅持しなければならない。 2.現代の世代は未来の世代の生存条件を保証する責務があり、自然と人間を共生させる環境の創造 と保存は、土木技術者にとって光栄ある使命である。 倫理規定 土木技術者は 1. 「美しい国土」、 「安全にして安心できる生活」 、 「豊かな社会」をつくり、改善し、維持するために その技術を活用し、品位と名誉を重んじ、知徳をもって社会に貢献する。 2.自然を尊重し、現在および将来の人々の安全と福祉、健康に対する責任を最優先し、人類の持続 的発展を目指して、自然および地球環境の保全と活用を図る。 3.固有の文化に根ざした伝統技術を尊重し、先端技術の開発研究に努め、国際交流を進展させ、相 互の文化を深く理解し、人類の福利高揚と安全を図る。 4.自己の属する組織にとらわれることなく、専門的知識、技術、経験を踏まえ、総合的見地から土 木事業を遂行する。 5.専門的知識と経験の蓄積に基づき、自己の信念と良心にしたがって報告などの発表、意見の開陳 を行う。 6.長期性、大規模性、不可逆性を有する土木事業を遂行するため、地球の持続的発展や人々の安全、
巻末資料
151
福祉、健康に関する情報は公開する。 7.公衆、土木事業の依頼者および自身に対して公平、不偏な態度を保ち、誠実に業務を行う。 8.技術的業務に関して雇用者、もしくは依頼者の誠実な代理人、あるいは受託者として行動する。 9.人種、宗教、性、年齢に拘わらず、あらゆる人々を公平に扱う。 10.法律、条例、規則、契約等に従って業務を行い、不当な対価を直接または間接に、与え、求め、 または受け取らない。 11.土木施設・構造物の機能、形態、および構造特性を理解し、その計画、設計、建設、維持、ある いは廃棄にあたって、先端技術のみならず伝統技術の活用を図り、生態系の維持および美の構成、 ならびに歴史的遺産の保存に留意する。 12.自己の専門的能力の向上を図り、学理・工法の研究に励み、進んでその結果を学会等に公表し、 技術の発展に貢献する。 13.自己の人格、知識、および経験を活用して人材の育成に努め、それらの人々の専門的能力を向上 させるための支援を行う。 14.自己の業務についてその意義と役割を積極的に説明し、それへの批判に誠実に対応する。さらに 必要に応じて、自己および他者の業務を適切に評価し、積極的に見解を表明する。 15.本会の定める倫理規定に従って行動し、土木技術者の社会的評価の向上に不断の努力を重ねる。 とくに土木学会会員は、率先してこの規定を遵守する。 参考HP
(4)
http://www.jsce.or.jp/outline/frameset.htm
情報処理学会倫理綱領(平成8年5月20日制定)
前文 我々情報処理学会会員は,情報処理技術が国境を越えて社会に対して強くかつ広い影響力を持つこと を認識し,情報処理技術が社会に貢献し公益に寄与することを願い,情報処理技術の研究,開発およ び利用にあたっては,適用される法令とともに,次の行動規範を遵守する. 1.社会人として 1.1
他者の生命,安全,財産を侵害しない.
1.2
他者の人格とプライバシーを尊重する.
1.3
他者の知的財産権と知的成果を尊重する.
1.4
情報システムや通信ネットワークの運用規則を遵守する.
1.5
社会における文化の多様性に配慮する.
2.専門家として 2.1
たえず専門能力の向上に努め,業務においては最善を尽くす.
2.2
事実やデータを尊重する.
2.3
情報処理技術がもたらす社会やユーザへの影響とリスクについて配慮する.
152
2.4
依頼者との契約や合意を尊重し,依頼者の秘匿情報を守る.
3.組織責任者として 3.1
情報システムの開発と運用によって影響を受けるすべての人々の要求に応じ,その尊厳を損な わないように配慮する.
3.2
情報システムの相互接続について,管理方針の異なる情報システムの存在することを認め,その 接続がいかなる人々の人格をも侵害しないように配慮する.
3.3
情報システムの開発と運用について,資源の正当かつ適切な利用のための規則を作成し,その実 施に責任を持つ.
3.4
情報処理技術の原則,制約,リスクについて,自己が属する組織の構成員が学ぶ機会を設ける. 注)本綱領は必ずしも会員個人が直面するすべての場面に適用できるとは限らず, 研究領域における他の倫理規範との矛盾が生じることや,個々の場面においてどの 条項に準拠すべきであるか不明確(具体的な行動に対して相互の条項が矛盾する場 合を含む. )であることもあり得る.したがって,具体的な場面における準拠条項の 選択や優先度等の判断は,会員個人の責任に委ねられるものとする. 参考HP
(5)
http://www.ipsj.or.jp/04tosho/ipsjcode.html
電気学会倫理綱領(平成10年5月21日制定)
電気学会会員は,電気技術に関する学理の研究とその成果の利用にあたり,電気技術が社会に対して 影響力を有することを認識し,社会への貢献と公益への寄与を願って,下のことを遵守する。 1.人類と社会の安全,健康,福祉に貢献するよう行動する。 2.自らの自覚と責任において,学術の発展と文化の向上に寄与する。 3.他者の生命,財産,名誉,プライバシーを尊重する。 4.他者の知的財産権と知的成果を尊重する。 5.すべての人々を人種,宗教,性,障害,年齢,国籍に囚われることなく公平に扱う。 6.専門知識の維持・向上につとめ,業務においては最善を尽くす。 7.研究開発とその成果の利用にあたっては,電気技術がもたらす社会への影響,リスクについて十 分に配慮する。 8.技術的判断に際し,公衆や環境に害を及ぼす恐れのある要因については,これを適時に公衆に明 らかにする。 9.技術上の主張や判断は,学理と事実とデータにもとづき,誠実,かつ公正に行う。 10.技術的討論の場においては,率直に他者の意見や批判を求め,それに対して誠実に論評を行う。 参考HP
(6)
http://www.iee.or.jp/honbu/rinrikouryou.html
日本機械学会倫理規定(1999年12月14日評議員会承認)
巻末資料
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(前文) 本会会員は、真理の探究と未踏分野の開拓によって技術の革新に挑戦し、社会と人との 活動を支え、産業と文明の発展に努力する。そして、人類の安全、健康、福祉の向上・増進と環境の 保全のために、その専門的能力・技芸を最大限に発揮することを希求する。 また、科学技術が人類の環境と生存に重大な影響を与えることを認識し、技術専門職として職務を 遂行するにあたり、自らの良心と良識に従う自律ある行動が、科学技術の発展とその成果の社会への 還元にとって不可欠であることを明確に自覚し、社会からの信頼と尊敬を得るために、以下に定める 倫理綱領を遵守することを誓う。 (綱領) 1. (技術者としての責任)会員は、自らの専門的知識、技術、経験を活かして、人類の安全、健康、 福祉の向上・増進を促進すべく最善を尽くす。 2. (社会に対する責任)会員は、人類の持続可能性と社会秩序の確保にとって有益であるとする自ら の判断によって、技術専門職として自ら参画する計画・事業を選択する。 3. (自己の研鑽と向上)会員は、常に技術専門職上の能力・技芸の向上に努め、科学技術に関わる問 題に対して、常に中立的・客観的な立場から正直かつ誠実に討議し、責任を持って結論を導き、 実行するよう不断の努力を重ねる。これによって、技術者の社会的地位の向上を計る。 4. (情報の公開)会員は、関与する計画・事業の意義と役割を公に積極的に説明し、それらが人類社 会や環境に及ぼす影響や変化を予測評価する努力を怠らず、その結果を中立性・客観性をもって 公開することを心掛ける。 5. (契約の遵守)会員は、専門職務上の雇用者あるいは依頼者の、誠実な受託者あるいは代理人とし て行動し、契約の下に知り得た職務上の情報について機密保持の義務を全うする。それらの情報 の中に人類社会や環境に対して重大な影響が予測される事項が存在する場合、契約者間で情報公 開の了解が得られるように努力する。 6. (他者との関係)会員は、他者と互いの能力・技芸の向上に協力し、専門職上の批判には謙虚に耳 を傾け、真摯な態度で討論すると共に、他社の業績である知的成果、知的財産権を尊重する。 7. (公平性の確保) 会員は、 国際社会における他社の文化の多様性に配慮し、 個人の生来の属性によっ て差別せず、公平に対応して個人の自由と人格を尊重する。 参考HP
(7)
http://www.jsme.or.jp/kitei/rinrikitei.pdf
日本建築学会倫理綱領・行動規範(1999年6月1日実施)
倫理綱領 日本建築学会は,それぞれの地域における,固有の歴史と伝統と文化を尊重し,地球規模の自然環境 と培った知恵と技術を共生させ, 豊かな人間生活の基盤となる建築の社会的役割と責任を自覚し, 人々 に貢献することを使命とする。
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行動規範 日本建築学会の会員は 1.人類の福祉のために,自らの叡智と,培った学術・技術・芸術の持ち得る能力を傾注し,勇気と 熱意をもって建築と都市環境の創造を目指す。 2.深い知識と高い判断力をもって,社会生活の安全と人々の生活価値を高めるための努力を惜しま ない。 3.持続可能な発展を目指し,資源の有限性を認識するとともに,自然や地球環境のために廃棄物や 汚染の発生を最小限にする。 4.建築が近隣や社会に及ぼす影響を自ら評価し,良質な社会資本の充実と公共の利益のために努力 する。 5.社会に対して不当な損害を招き得るいかなる可能性をも公にし,排除するよう努力する。 6.基本的人権を尊重し,他者の知的成果,著作権を侵さない。 7.自らの専門分野において情報を発信するとともに,会員相互はもとより他の職能集団を尊重し協 力を惜しまない。 参考HP
(8)
http://www.aij.or.jp/jpn/guide/ethics.htm
日本化学会会員行動規範(平成12年1月24日理事会承認)
社団法人日本化学会は、化学が、人類の発展と地球生態系の維持とが共存できる社会を築くために 必須の科学である事を誇りとし、その会員が、社会における自らの使命と責任を自覚し、良識に基づ いて誠実に行動するための行動規範を定める。 日本化学会会員(化学者および化学技術者)は人類、社会、自らの職業、地球環境および教育に対 して専門家としての責務を負う。 Ⅰ
人類に対する責務 会員は、人類の発展に奉仕し、科学・科学技術の知識を進展させる専門家としての責務を負う。 また、会員は、家族、地域社会の人々および人類全体の健康と福祉に積極的な関心を持ち、その増
進を図る。 Ⅱ
社会に対する責務 会員は、社会における科学・科学技術の役割を認識し、それらを活用する事により社会の利益と福
祉に貢献する。 また、会員は、社会に対して科学・科学技術的なことがらについて発言する際に、誇張、歪曲、一 面的な表現を避け、正確で客観的であるよう努める。 Ⅲ
職業に対する責務 会員は、化学・化学技術の進歩を追求する一方、その知識の限界を認識し、真実を謙虚に受け止め
る。
巻末資料
155
また、会員は、自らの専門分野の仕事において常に最新の情報と理解力を保持し、正確な実験・実 施記録を保ち、関連するすべての行動と発表において信頼性を確保するよう努めるとともに、他者の 寄与についても正確な評価をする。 Ⅳ
環境に対する責務 会員は、自らの仕事がもたらす環境への影響について配慮し、環境汚染を防ぎ、人の健康と環境を
守る責務を負う。 また、会員は、自らの化学・化学技術に関する知識を人の健康と環境を守るために用いるよう努め る。 Ⅴ
教育に対する責務 会員は、化学の教育、化学者・科学技術者の育成、および化学の普及に対して専門家としての責務
を負う。 また、指導的立場にある者は、学生や部下の学習と職業能力の向上に対して社会から信任されてい る事を自覚して行動する。 参考HP
(9)
http://www.chemistry.or.jp/rinri/kodokihan.pdf
NSPE Code of Ethics for Engineers
Preamble Engineering is an important and learned profession. As members of this profession, engineers are expected to exhibit the highest standards of honesty and integrity. Engineering has a direct and vital impact on the quality of life for all people. Accordingly, the services provided by engineers require honesty, impartiality, fairness, and equity, and must be dedicated to the protection of the public health, safety, and welfare. Engineers must perform under a standard of professional behavior that requires adherence to the highest principles of ethical conduct. I. Fundamental Canons Engineers, in the fulfillment of their professional duties, shall: 1. Hold paramount the safety, health, and welfare of the public. 2. Perform services only in areas of their competence. 3. Issue public statements only in an objective and truthful manner. 4. Act for each employer or client as faithful agents or trustees. 5. Avoid deceptive acts. 6. Conduct themselves honorably, responsibly, ethically, and lawfully so as to enhance the honor, reputation, and usefulness of the profession. II. Rules of Practice 1. Engineers shall hold paramount the safety, health, and welfare of the public.
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2. Engineers shall perform services only in the areas of their competence. 3. Engineers shall issue public statements only in an objective and truthful manner. 4. Engineers shall act for each employer or client as faithful agents or trustees. 5. Engineers shall avoid deceptive acts. III. Professional Obligations 1. Engineers shall be guided in all their relations by the highest standards of honesty and integrity. 2. Engineers shall at all times strive to serve the public interest. 3. Engineers shall avoid all conduct or practice that deceives the public. 4. Engineers shall not disclose, without consent, confidential information concerning the business affairs or technical processes of any present or former client or employer, or public body on which they serve. 5. Engineers shall not be influenced in their professional duties by conflicting interests. 6. Engineers shall not attempt to obtain employment or advancement or professional engagements by untruthfully criticizing other engineers, or by other improper or questionable methods. 7. Engineers shall not attempt to injure, maliciously or falsely, directly or indirectly, the professional reputation, prospects, practice, or employment of other engineers. Engineers who believe others are guilty of unethical or illegal practice shall present such information to the proper authority for action. 8. Engineers shall accept personal responsibility for their professional activities, provided, however, that engineers may seek indemnification for services arising out of their practice for other than gross negligence, where the engineerʼs interests cannot otherwise be protected. 9. Engineers shall give credit for engineering work to those to whom credit is due, and will recognize the proprietary interests of others. 参考HP 原本:http://www.nspe.org/ethics/ 訳についてはhttp://www.kikaipe.com/kako/juken/nspe.htmlに書かれて いるので参考にされたい。
Ⅱ.製造物責任法 平成六年法律第八十五号 (目的) 第一条
この法律は、製造物の欠陥により人の生命、身体又は財産に係る被害が生じた場合における
製造業者等の損害賠償の責任について定めることにより、被害者の保護を図り、もって国民生活の安 定向上と国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。 (定義) 第二条
この法律において「製造物」とは、製造又は加工された動産をいう。
巻末資料
2
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この法律において「欠陥」とは、当該製造物の特性、その通常予見される使用形態、その製造業
者等が当該製造物を引き渡した時期その他の当該製造物に係る事情を考慮して、当該製造物が通常有 すべき安全性を欠いていることをいう。 3
この法律において「製造業者等」とは、次のいずれかに該当する者をいう。
一
当該製造物を業として製造、加工又は輸入した者(以下単に「製造業者」という。)
二
自ら当該製造物の製造業者として当該製造物にその氏名、商号、商標その他の表示(以下「氏名
等の表示」という。 )をした者又は当該製造物にその製造業者と誤認させるような氏名等の表示をした 者 三
前号に掲げる者のほか、当該製造物の製造、加工、輸入又は販売に係る形態その他の事情からみ
て、当該製造物にその実質的な製造業者と認めることができる氏名等の表示をした者 (製造物責任) 第三条
製造業者等は、その製造、加工、輸入又は前条第三項第二号若しくは第三号の氏名等の表示
をした製造物であって、その引き渡したものの欠陥により他人の生命、身体又は財産を侵害したとき は、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が当該製造物についてのみ 生じたときは、この限りでない。 (免責事由) 第四条
前条の場合において、製造業者等は、次の各号に掲げる事項を証明したときは、同条に規定
する賠償の責めに任じない。 一
当該製造物をその製造業者等が引き渡した時における科学又は技術に関する知見によっては、当
該製造物にその欠陥があることを認識することができなかったこと。 二
当該製造物が他の製造物の部品又は原材料として使用された場合において、その欠陥が専ら当該
他の製造物の製造業者が行った設計に関する指示に従ったことにより生じ、かつ、その欠陥が生じた ことにつき過失がないこと。 (期間の制限) 第五条
第三条に規定する損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び賠償義務者を
知った時から三年間行わないときは、時効によって消滅する。その製造業者等が当該製造物を引き渡 した時から十年を経過したときも、同様とする。 2
前項後段の期間は、身体に蓄積した場合に人の健康を害することとなる物質による損害又は一定
の潜伏期間が経過した後に症状が現れる損害については、その損害が生じた時から起算する。 (民法の適用) 第六条
製造物の欠陥による製造業者等の損害賠償の責任については、この法律の規定によるほか、
民法(明治二十九年法律第八十九号)の規定による。 附
則
(施行期日等)
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1
この法律は、公布の日から起算して一年を経過した日から施行し、この法律の施行後にその製造
業者等が引き渡した製造物について適用する。 (原子力損害の賠償に関する法律の一部改正) 2
原子力損害の賠償に関する法律(昭和三十六年法律第百四十七号)の一部を次のように改正する。
第四条第三項中「及び船舶の所有者等の責任の制限に関する法律(昭和五十年法律第九十四号) 」を「、 船舶の所有者等の責任の制限に関する法律(昭和五十年法律第九十四号)及び製造物責任法(平成六 年法律第八十五号)」に改める。
【執 筆 者】 高橋
隆雄
熊本大学大学院社会文化科学研究科教授
尾原
祐三
熊本大学大学院自然科学研究科教授
里中
忍
熊本大学大学院自然科学研究科教授
田中
朋弘
嵯峨
忠
熊本大学生涯学習教育研究センター教授
広川
明
熊本大学非常勤講師
坂本
和啓
熊本大学非常勤講師
工学倫理
熊本大学文学部教授
―応用倫理学の接点―
2007年9月10日
初版発行
著
者
検印省略
発 行 者
高 尾 里 田 嵯 広 坂
橋 原 中 中 峨 川 本
隆 雄 * 祐 三 * 忍 朋 弘 忠 明 * 和 啓
(*は編著者)
柴 山 斐 呂 子
発行所 〒102-0082
理工図書株式会社 Ⓒ2007
Printed in Japan
東京都千代田区一番町27-2 電話 03(3230)0221(代表) FAX 03(3262)8247 振替口座 00180-3-36087番
藤原印刷
ISBN978-4-8446-0721-2
*本書の内容の一部あるいは全部を無断で複写複製(コピー)することは, 法律で認められた場合を除き著作者および出版社の権利の侵害となります のでその場合は予め小社あて許諾を求めて下さい。
☆自然科学書協会会員☆工学書協会会員☆土木・建築書協会会員