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はじめに
北海道大学のティーチングアシスタント(TA)研修は 1998 年から始まり、 2006 年現在で 9 回目を数える。TA 研修を行っている大学は今でも少ないの で、総合大学の全学的な取り組みにかぎれば、本学の TA 研修...
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はじめに
北海道大学のティーチングアシスタント(TA)研修は 1998 年から始まり、 2006 年現在で 9 回目を数える。TA 研修を行っている大学は今でも少ないの で、総合大学の全学的な取り組みにかぎれば、本学の TA 研修会は掛け値な しの“オンリーワン”であろう。しかしそう言われても、複雑な気持ちがす るだけである。全体として日本の大学が、TA の訓練あるいは TA そのもの に無関心であることの別の表現にほかならないからだ。 北海道大学の TA 研修会は、ファカルティ用の本格的な研修会である「教 育ワークショップ」と時を同じくして、高等教育開発研究部(高等教育機能 開発総合センター)の企画によって開始された。その動機は単純で、正規の 教官(当時)でも研修が必要なのだから、教育経験のない大学院の学生には もっと必要だろうということだった。そこで、教員のファカルティ・ディベ ロップメント(FD)プログラムに準じたごく基礎的な教育の方法論につい て、講義やグループ討論を行った。当時、全学教育科目担当の対象学生は 100 名を越える程度で、参加者はその半数であった。 この第 1 回目の TA 研修会は学術交流会館で行われたが、最後のセッショ ンで、すでに TA として経験を積んでいたある学生が次のような発言をした。 「この研修はたいへん結構だ。ところで、これと同じ研修をぜひ私の先生に もして欲しい」。先生によって教育に対する考え方があまりにも違いすぎる。 ある先生は学生など放っておけというが、ある先生は、口やかましく注意し なければいけないという。ある先生は、TA は奨学金のようなものだから何 もしなくても良いと言うし、ある先生は勤務時間など無視して教室の雑用を 山のように押しつける。そもそも、先生方には、勤務時間や労働に対する報 酬という認識があるのか? 学生がどのくらいの時給でアルバイトをしてい
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はじめに
るか知っているか? 一人の TA に対して複数の教官が矛盾する指示を出す のだけはやめて欲しい等々、最後のセッションはまるでパンドラの箱を開け たような議論になった。これが、TA 研修の第 1 フェーズである。 第 2 フェーズに入ったのは、TA 採用の制限が緩和されて、大規模クラス に TA の投入が可能になった 2002 年ころからであろう。「北海道大学の人と 学問」など、500 名近い大規模クラスの改善のために採用された TA はよく がんばった。その活躍の様子は、センターの広報誌『センターニュース』47 号(03 年)と 53 号(04 年)の TA の手記の中でいきいきと描かれているの で、いちど研究部のホームページを覗いていただきたい(http://socyo.high. hokudai.ac.jp/) 。 そのなかで、筆者とおぼしき教員が、「この講義は出欠を厳しく調べます。 いかなる理由があろうと、授業開始 15 分後から 1 秒でも過ぎたらコメント 用紙は渡しません。代返などの不正も取り締まります」と言ったことになっ ている。本当にこの通り言ったかどうか覚えていないが、TA の側はそのよ うに理解したらしい。遅れる、途中から抜けるなどは序の口で、代返用のコ メント用紙をもらおうと何度も出入りする、ぎりぎりの時間に押し掛けて強 引に入ろうとする、その場でごねる。それに対して、ドアをロックする、携 帯で「日本標準時」を示す、コメント用紙の偽造に対抗して秘密のロゴを刷 り込むなど、TA チームと匿名的学生大衆のあいだで「そこまでやるの?」 というほどの熾烈な駆け引きがあったらしい。そして最後に、TA チームが 勝利する。代返や遅刻はなくなり、授業後のコメントの内容も次第に充実し てくる。TA の一人は、手記のまとめとして、「初めはただ不正を無くすこと に躍起となっていましたが、試行錯誤を繰り返す中で、学生のためにはどう したら良いか、ということを考えるようになりました。これこそが教育の本 質ではないでしょうか。TA は単なるアルバイトではなく、学生と共に成長 できる機会であると思います」と書いている。 2003 年度から TA 研修は早くも第 3 フェーズに入った。この年度から大規 模クラスを 20 ∼ 30 人程度のグループに分割して、TA の指導のもとにディ スカッションや演習を行う形式の授業が全学教育に本格的に導入された。こ
はじめに 5
れに応じて、研修会の方も科目の種類に応じて実験系・情報系・語学系・講 義系・演習系などのセッションを設けて、きめ細かな指導を行うようになっ た。グループ討論を大幅に導入した全学教育科目の理系基礎科目や科学技術 倫理の授業などでは、すぐれた力量を持つ良く訓練された TA が、正規の教 員が担当したグループと同じかそれ以上の成果を上げるという現象が見られ た。TA 研修の参加希望者もこのころから著しく増加し、2004 年度では学部 教育担当も含めて 250 名を越した。2006 年度には全学教育科目にかかわる 希望者だけで 300 名を上回ると見込まれている。 予想される第 4 のフェーズは、TA 研修を大学院の正規の教育課程に組み 込むことだろう。すでに述べてきたように、TA の導入には、教員の負担を 軽減するだけではなく教育的な意義がある。年齢の近い TA が直接学生と接 するために、教育効果が上がるというメリットがある。また、TA にとって は、生活の糧を得るだけではなく、自分の専門の基礎について深く学び、基 本的な教授法をマスターする良い機会となる。研究大学が、多様化した学部 レベルの学生をきめ細かに教育し、しかも従来にも増して活発な研究活動を 続けるためには、大学院学生を教育組織の中に有機的に組み込むことが必要 である。 本書は、2003 年度から高等教育開発研究部に組織された研究会が、2003 年度の総長経費プロジェクト「TA 研修のあり方に関する研究」のまとめと して作った報告書がもとになっている。その最大の目的は実際の TA 研修で 使ってもらうことである。全体をⅠとⅡに分け、Ⅰには TA について先駆的 な研究を進めている研究者等の論考を掲げ、Ⅱには各種の TA マニュアルを 収録した。TA 研修のために、また大学教育の改善のために活用していただ ければ幸いである。
2006 年 3 月 北海道大学高等教育機能開発総合センター 小笠原 正明
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目 次
はじめに
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第Ⅰ部 TA とその制度―― 活用の実態………………………………
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1 章 大学教授と TA 教育 ――大学院生はなぜ教えなければならないのか… 13 1 .大学教授とは何をする職業か 13 2 .アメリカにおける教授職の進化 14 3 .ティーチングが重要な仕事となった 18 4 .大学院生の位置づけ 21 5 .大学院教育は後継者の養成である 25 6 .院生教育が大学改革の核である 27
2 章 日本の大学における TA ……………………………………………………31 1 .日本の TA 制度の始まり 31 2 .TA 制度の目的は何か 31 3 .TA はどんな仕事をするのか 32 4 .誰が TA になれるか――資格・待遇・研修制度など 34 5 .TA 制度の意義と課題を知ろう 35
3 章 アメリカの大学における TA ……………………………………………… 38 1 .アメリカの大学における TA 制度 38 2 .アメリカにおける TA 訓練プログラム 41 3 .日本との比較 47
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4 章 TA の単位化……………………………………………………………………50 1 .TA の単位化の概要 50 2 .教育政策との関連 54 3 .単位化科目設計の基本的な考え方 58 4 .TA の単位化のモデル 62 5 .今後に向けて 64
第Ⅱ部 TA マニュアル―― 業務と役割………………………………
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5 章 TA の心得……………………………………………………………………… 69 1 .TA の性格 69 2 .授業 72 3 .授業外での仕事 81 4 .問題防止と解決方法 83
6 章 多人数授業 …………………………………………………………………… 86 1 .一般的な業務内容 87 2 .具体的な業務内容 88 3 .教育上の心得 89
7 章 少人数授業――「科学技術と人間の倫理」を例に……………………… 91 1 .授業の概要と TA の役割 91 2 .学生討論補助について 94 3 .レポート採点 99
8 章 実験指導 ……………………………………………………………………… 101 1 .実験準備 101 2 .実験中 103 3 .実験終了 107
9 章 情報処理演習………………………………………………………………… 110 1 .情報処理演習の事例 110
目 次 9
2 .注意点 111
10 章 語学教育 …………………………………………………………………… 114 1 .授業のタイプと TA の役割 114 2 .語学学習者・ PC 利用者の先輩として 119 3 .求められる柔軟性・臨機応変さ 121
11 章 論文指導 …………………………………………………………………… 123 1 .文章の形態と種類 124 2 .授業用研究論文の書き方・指導方法 126 3 .論文評価の心構え 133 付録 A
論文の展開例 135
付録 B
論文・レポートの評価の練習 136
12 章 TA 研修会の企画と運営…………………………………………………142 1 .TA 研修会の企画 142 2 .TA 研修会の運営 146 3 .実施例 148 4 .必要とされる周到な準備 151 5 .今後の課題 152 付録 A
北海道大学全学教育の TA 任用規定 152
付録 B
アンケートの例 153
第Ⅰ部 TA とその制度 活用の実態
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1 章 大学教授と TA 教育 ――大学院生はなぜ教えなければならないのか
大学院生がなぜティーチングアシスタント(TA)として教育を行わなけれ ばならないのだろうか。TA 制度は日本では 1992 年に始まった。TA は教授 を補佐して学部学生の授業や学習指導の手伝いをする。謝金(時給)をもら って働くので、その限りでは TA は院生のアルバイトに過ぎない。しかし、 現在、我が国で進行中の大学教授 1 )という職務内容の再定義の動きと連動 して、TA は単なる学生アルバイトではなく、大学の価値を左右する重要な 存在に変化しつつある。大学院生も学生であって教えてもらう立場であるが、 カリキュラムに新しくティーチング教育科目、つまり学部学生を教えること を教える科目を取り入れる大学院が出てきている。これは従来の大学院生の あり方から見ると大きな変化である。この変化を肯定する立場に立てば、院 生が TA として教育をする訓練を受けるのは当然のことになる。なぜ当然な のかを理解するには大学や大学院や教授の仕事とは何なのか、それが今、ど のように定義しなおされれようとしているかを見る必要がある。
1.大学教授とは何をする職業か まず、院生のティーチング 2 )のもう一方の当事者である大学教授の職業 上の定義について考えてみよう。大学教授とはどんな仕事をする職業なのだ ろうか。教授職にはさまざまな仕事が含まれており、一言で言い表すのは大 変難しい。教授職の社会的な定義ないし自己規定(大学教授が自分の職業を どんなものと考えているか)は時代とともに変化し、次々に新しい特徴が付 け加えられてきた。 「教授」は文字通り「教え授ける者」という意味だが、自分の職業を聞か
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第Ⅰ部 TA とその制度
れて「教師」 (teacher)と答える教授はほとんでいないのではないだろうか。 しかし、大学教授が勤務する大学は学校であり、学校は教育を行う場所だか ら、教育は教授の重要な職責であり、教授が教師であることは間違いない。 教授は単に知識を教えるだけの教師ではない。今日、大学教授はしばしは 自らを「研究者」(researcher)ないし「科学者」(scientist)とも呼ぶ。「研 究者」は多くの教授に当てはまるとしても、「科学者」は人文学研究者には ぴったりしない。人文学の専門家にはむしろ学者(scholar)という名称がふ さわしい。学者という呼び名はすべての専門分野の教授に当てはまるし、大 学に所属しない研究者、専門家、知識人にも適用可能な幅の広い用語である。 大学教授は学者でもある。 また、一般に大学教授は「教育と研究を行う者」とされているから、教授 が研究者であることも間違いない。しかし、長年にわたって研究成果を出さ ない(出せない)教授がいたり、大学の管理運営に携わり、研究をしていな い(できない)が教授がいることも事実である。「研究をしていない研究者」 は表現矛盾に聞こえるが、それも大学教授の現実の姿の一つである。 このように、教授の呼び名やその実質的な役割、および教授たち自身のア イデンティティには混乱ないし幅広い多様性が見られる。これは教授職の定 義と実際の仕事内容が時代とともに変化してきたことを反映している。教授 職の定義の時間的な変化を「進化の過程」と見ると、「教授職の遺伝子には 過去の記憶が刻み込まれている」という比喩も可能であろう。教授の多面的 なアイデンティティと多様な職務は時代ごとの主たる定義づけによって作り 出されたものである。
2.アメリカにおける教授職の進化 教授職の定義の時代的変化をアメリカで大評判になったボイヤー (Earnest L. Boyer)の著作、Scholarship Reconsidered(1990)によって見 てみよう。今日、社会に理解されている教授の職務内容と彼らの信奉する価 値観は、大学の歴史から見れば、比較的最近になって規定されたものである。
1 章 大学教授と TA 教育 15
教授職とは何かについての、社会的に理解されているという意味での定義の 変化を、日本の大学にとっての手本とも言えるアメリカを例に調べてみよう。 アメリカの大学の歴史は 17 世紀半ばの建国時代から始まったが、当初はイ ギリス、次にはドイツの大学に強い影響を受け、次第に独自色を強めていっ た。その変化の過程をたどると、現在、日本の大学教授が信じている教授職 の多面的定義が時間的に積み重なってできたものであることが理解できる。 ¸
第一期 教師(道徳的な教育の指導者)の時代
アメリカの大学の歴史は 17 世紀半ばの植民地時代から始まる。大学の主 たる目的は次世代の若者を社会の道徳的指導者に養成することであった。テ ィーチングは教師の使命もしくは天職(vocation)と考えられていた 3 )。天 職とはキリスト教的な考え方では神から自分が与えられた職業であって、こ の世に生まれてきた理由がその職業に専念することである。教師はメンター (mentor 人生における良き指導者)として学生の知的、道徳的、霊的(宗教 的)な発達の責任を任された。 ¹
第二期 近代国家建設に奉仕する者の時代
やがて大学における教育の目的は国家建設に移って行く。19 世紀の半ば ごろから学生の知的、道徳的発達を促すという使命に加えて、高等教育には 国造りに奉仕(サービス)する者の養成という使命が加わるようになった。 1824 年にアメリカで最初の技術専門学校(technical school)の 1 つであるニ ューヨークのレンセラー工科大学(Rensselaer Polytechnic Institute in Troy) が創設され、1846 年にはエール大学が農業科学と動物・植物生理学の教授 ポストを置き、ハーバード大学はビジネスと経済学に力を入れ始めた。ハー バード大学の名高い MBA(Master of Business Administration 経営学修士) はこの血筋をひいており今も高額の収入と高い社会的地位を求める学生の受 け皿となっている。1862 年の土地付与大学法により連邦政府が各州に土地 をあたえ、それをもとに、教養教育と、後に農業および工学における革新を もたらすようになる専門教育を行なう大学が創設された 4 )。
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第Ⅰ部 TA とその制度
このころに新設された大学は、生い立ちという観点から見ると北海道大学 に似ている。北大はカリフォルニア州立大学(UC システム)の中でいうと、 農業試験場がもとになって作られたリバーサイド校(University of California Riverside)に相当する。大学がこのような実践的目的の教育を行うことには 伝統型教育を信奉する教授たちの根強い反対もあった。農業大学は「カウカ レッジ(cow college) 」と軽蔑された。 1876 年に札幌農学校教頭にアメリカから招聘された W. S. クラーク博士は マサチューセッツ農科大学長であった。彼も本国では陰でカウカレッジの学 長と呼ばれたかもしれない。彼が伝えたとされる開拓者精神とは未知の荒野 を行く開拓者魂ではなく、近代的な国家建設に取り組む農業改良者、工業技 術者の精神であったと考えられる。社会に奉仕・貢献し、社会を好ましい方 向に変えてゆく意志と知識と技術を持った人材の養成が大学の目的となっ た。この社会改良というコンセプトはキリスト教の考え方(神から与えられ た人生を地上の改良に捧げ地上に理想の国を作ることが人間の使命である) と一致し、知識の実践的実利的応用に道徳的な意味付けを与えた。20 世紀 にはアメリカの全大学は知識を実践的現実的問題に応用することに努力を注 ぎ、行政官、新聞記者、地方政府官僚、技術者、企業人として知識と教養と 技術を持った人材を供給した 5 )。 º
第三期 科学研究者の時代
科学研究はアメリカ合衆国建国のころから行われていたが、それは当初は 大学外部の学者の仕事であった。19 世紀の半ばにハーバード大学やエール 大学に科学研究のための部局が作られ、後にアメリカの科学研究の中心の 1 つとなるマサチューセッツ工科大学(Massachussets Institute of Technology) も 1865 年に設立されるが、全体としては大学に研究を専門に行う部局や研 究者を養成する大学院を設置する大学はまだ少数だった。 19 世紀末になると研究を重視するドイツの大学に大きな影響を受け、ド イツモデルをまねるアメリカの大学が多くなって、大学教授が研究を行うこ とが評価されるようになった。特定分野の研究にのめり込むことに対する反
1 章 大学教授と TA 教育 17
対もあったとはいえ、教授が専門分野の研究を行い、大学院で大学院生にそ の分野の教育を行うというシステムはアメリカの大学に採り入れられていっ た。1870 年代にペンシルバニア大学、ハーバード大学、コロンビア大学、 プリンストン大学が博士課程を設置した。知識は研究と実験によってもっと も多く獲得できるという信念が広まるようになり、大学教授の採用と昇級が 研究業績によって決まるようになっていった。とはいうものの、アメリカの 高等教育の歴史を通じて、研究と大学院教育に努力する傾向は例外的なもの であって、ほとんどの高等教育機関では学部学生の教育と社会貢献(人材の 育成)をその主たる目的としていた 6 )。 1940 年代に戦争勝利を目的として大学と国家が連携し、国家予算が大学 に流れ込んだ。連邦政府による研究支援は大戦後も続いた。1945 年の『科 学――終わりなきフロンティア』と題した大統領報告書では科学研究の発展 は近代国家の繁栄に不可欠であると述べられている。こうして科学研究が大 学の使命として国家的に承認され、大学の研究活動に政府系の資金が潤沢に 供給されるようになった。 農業改良というような直接的かつ応用的な研究ではなく、基礎科学研究が 価値あることとされるようになったため、大学教授は勤務する大学に献身す るだけでなく、自分が専攻する専門的学問分野の研究者としてのアイデンテ ィティも持つようになった。アメリカの多くの大学で研究業績がテニュア (終身在職権)資格に重要なものであると見なされるようになっていった 7 )。 この一連の出来事が「教員として採用され、研究者として評価される」とい う今日、日本でも大学教授が直面している「ねじれ現象」のルーツであろ う。 アメリカの大学の歴史の概観から、大学教授の職務規程が、教師、実践的 技術者、科学研究者と変わって行き、それまでの職務に新しい職務が付け加 わりそれが重要なものになっていったことが見て取れる。大学教授は人生の 指導者であり、実用的な技術で社会に貢献する応用技術者であり、かつ純粋 な科学研究に専念する研究者なのである。
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第Ⅰ部 TA とその制度
3.ティーチングが重要な仕事となった 8 ) ¸
大学生の急増とティーチングのニーズの発生
戦後、大学で研究重視の傾向が強まる一方で、ティーチング重視の傾向も アメリカの大学の特徴形成に影響を与えた。1944 年に成立した帰国兵士の ための就業支援助成金制度(G. I. Bill of Rights 直訳すれば、兵士の権利のた めの法律。G. I. とは米軍兵士のこと)を使って多くの復員兵士が高等教育機 関に入学した。この制度を使って最終的には 800 万人にも及ぶ新規入学者が 生まれ、大学はエリート養成の場から大衆(マス)教育の場へと変身せざる を得なかった。この変化は 1 回限りのものでなく。直接 G.I. Bill の恩恵を受 けた元兵士の男女に続いてその弟妹や子供たちも高等教育を受けるようにな り、以後、多くの市民にとって大学進学は特別なことではなくなった。 新しいタイプの学生たちは多くが社会経験を積んだ大人であり、結婚して 家族を持っている者もいた。卒業後の就職のために良い成績を取りたいと願 い、本気で勉強したい、授業を理解したいと思っているものも多かった。こ うして分かりやすいティーチングへの需要が高まった。 拡大した大学の規模と教授陣を維持するために大学は新たな顧客を探し た。その結果、白人のアッパーミドル(中の上の階層)出身の「伝統型学生」 に加えて、労働者階級、エスニックグループ、高齢者、女性、移民とその子 供たち、さらには外国人留学生といった多様な学生たちがキャンパスにあふ れるようになった。彼らは伝統的な知的エリート向けの教育にはなじまず、 本格的なティーチングの改善が大学教授に求められた。 大学教授のマーケット(就職先)も拡大し、博士課程を修了した若者は 次々に大学に就職した。彼らは研究の価値を信じており、研究業績で評価さ れ、自分たちを研究者と規定していた。他方では大学間格差が問題になりつ つあった。ハーバード、エール、プリンストン、カリフォルニア州立大学バ ークレー校(UCB)やロサンゼルス校(UCLA)、シカゴなどの研究大学 (research university)と比べ、教育を主たる目的とする大学(teaching college)と呼ばれる教養教育や人材育成を目的とする 4 年制大学、2 年制大
1 章 大学教授と TA 教育 19
学、コミュニティカレッジなどは研究費、設備、研究補助員、研究時間とい った研究資源が不足しているから十分な研究業績をあげることができない。 そのような大学の教授たちもアイデンティティは研究者(researcher)なの だが、実際には教師(teacher)の仕事しかできない。彼らは大学ランキン グの上位校の研究者たちに劣等感を感じざるを得ず、職業上のいらだちを感 じていた。 ¹
1970 年代の高等教育改革
1970 年代の高等教育改革運動の最大の成果は「ティーチングは重要だ」 という意識を大学人に持たせることに成功したことであると言われている。 学生たちの勉学の、そして時にはプラべートな相談役としてに彼らにつきあ い、授業を工夫し、学生が理解するのを助けるというティーチングの仕事は、 教授の重要な価値ある仕事である。そのことが社会的に認識され、マイナー な大学の教授たちに自分は正しい職務を行っているのだという自信を与え た。基礎科学研究に比べるとティーチングは人間的でやりがいがありずっと 面白い仕事なのであるという認識が広まった結果、学会や大学がティーチン グ褒賞制度を作り、研究業績とは違った仕方でティーチングの価値が社会的、 公的に認められるようになった。 1972 年に創設された FIPSE(Fund for Inprovement of Post Secondary Education 高等教育改善基金)は連邦政府の教育省内(日本の文部科学省に 相当する)の助成金である。これは現在も毎年 50 件ほどの高等教育改善プ ロジェクトに資金を提供している。日本で 2003 年に始まった「特色ある大 学教育支援プログラム」に似ているが、基本的な考え方には大きな違いがあ る。その特徴を一言で言えば日本のプログラムは大学学長が申請し、政府が すでに相当の効果が出た既存のプロジェクトを認定する、つまり「その大学 では特色ある大学教育をやっている」というお墨付きを与える仕組みである。 アメリカのプランは高等教育改善について「やってみたい」という着想段階 の計画までをも拾い上げ独創性を重視し、その実現を支援する。広い意味の 高等学校以後の教育(post secondary education)の改善を目的としているの
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第Ⅰ部 TA とその制度
で、大学以外の高等教育機関にも門戸を開いている。従来の教育システムで は高等教育に恵まれない人々、女性、高齢者、社会人、移民とその子供たち、 人種的民族的マイノリティ、身体障害者、英語以外を第一言語とする人たち などへの高等教育の機会を増やす計画にも積極的に資金を出している。この 資金がもとになり、新しい大学が造られたという実績もある。政府の基金以 外にもリリー財団、カーネギー財団などの NPO や、様々な大学、学会など の学術団体が 1970 年代の半ばから本格的に大学のティーチング改善に乗り 出している。 アメリカ社会学会は大学学部における社会学のティーチングを支援する支 援活動をかなり早い時期から始めた学会の 1 つである。1973 年には学会事 務局に「教材センター」(Teaching Resoureces Center)を作り、授業科目別 のテキストやシラバス(講義概要)集の出版と販売を開始している。社会学 のみならず物理学、数学、心理学、歴史学など、多くの学会で、ティーチン グは学者にとって重要な仕事であることが認識され、ティーチング部会を持 ち、ティーチングに関するジャーナルを発行し、ティーチングを支援するセ ミナーが開催されている。有力総合大学やティーチングに特に力を入れてい るカレッジでは高等教育センターを設立し、自力でティーチング改善を行っ ているところが多い。資源に乏しい大学や、ティーチングに関心の薄い学部 に勤務する教授たちは学会や外部の教育支援機関を利用している。 研究大学においてもティーチングの価値は高まったが、同時に、ティーチ ングカレッジでも教授の評価においてますます研究業績が重要な要因と見な されるようになって来た。研究には多くの努力と時間が必要で、良い研究業 績をあげようとするとティーチングにかける時間がなくなり良い授業ができ なくなる。他方、よい授業をしようとすると、多種多様な学生を相手に、高 度な専門的内容を分かりやすく教えなければならないので、準備、指導、評 価などに時間はいくらあっても足りない。研究とティーチングンのジレンマ は強度を増している。
1 章 大学教授と TA 教育 21
4.大学院生の位置づけ ¸
院生の活用
大学全体として研究成果を出し、かつ良いティーチングをするためには、 研究に専念する教授とティーチング専門の教授という分業体制をとるという 方法もあるだろう。しかし、第三期以降の教授は研究を職業上のアイデンテ ィティと考え、研究に価値を見いだしている。第一期のように全在職期間を 通じて教育にのみ専念する教授は教授とは呼ばれないだろう。 教授が使える時間と体力に限りがあり、研究とティーチングの両方を行わ なければならない場合、専門的知識を持つ大学院生に教授の仕事を手伝わせ ようというのは無理のない発想である。こうして実験助手(RA、リサーチ アシスタント)と教育助手(TA、ティーチングアシスタント)が生まれた。 TA は日本では 1991 年に大学審議会の答申で言及され、翌年、文部科学省 によりティーチングアシスタント制度として制度化された。その基本的な考 え方は院生の「活用」によって教授のティーチングの負担を軽減し、学部教 育の質を向上させ、大学院生が将来教員・研究者になるためのトレーニング の機会を与え、博士課程に在籍中の大学院生の経済的なサポートを行う、と いうものである。 この制度はアメリカの制度をまねたものであろうが、致命的な欠陥がある。 それは TA 制度を支える基盤ができていないところに理念と謝金支払い制度 だけを導入したことである。TA の活用がうまくいくためには、授業の仕方 が教授法として確立していること、授業内容が標準化されていること、授業 担当者の個性や経験やパーソナリティに依存したものでないこと、授業の価 値が大学内で高く評価されていること、更に院生が TA の仕事を行うことに 内面的外面的なメリットがあることが必要である。このような基盤は、少な くとも 1990 年代の日本の大学にはおそらくできていなかったので、TA 制度 のメリットが十分に活かされていなかったであろうと考えられる。 ティーチングの練習をすると言っても、院生は自分が将来教授になれるか どうか分からないし、大学に残るには優れた研究業績を上げなければならな
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第Ⅰ部 TA とその制度
い。TA 経験は就職には役に立たないから、TA として働くことは研究時間が 奪われるだけである。経済的サポートにしても TA の謝金額は多くなく、経 済的に困っていて、他にもっと有利なアルバイトにありつけないという状況 にならない限り、TA は得にならない。 ¹
本格的な TA 教育
今日アメリカの多くの大学では TA の存在は大学にとって不可欠のものに なっている。その役割は単なる授業の手伝い助手ではない。アメリカの大学 院生は経済的に自立しているのが普通であって、TA は奨学金に次ぐ収入を 得るための手段の一つである。TA は有利な地位なので、その選定基準、仕 事の内容、分量が定められ、常勤の教授による個別指導(メンタリング)9 ) や、きちんとしたティーチングの教育をしなければならないという規定が定 められている。 いくつかの大学では教授の授業支援をする大学院生を TA ではなく、GSI (Graduate Student Instructor
院生講師)と呼んでいる 10)。この呼び名には
敬意が感じられる。院生を単なる手伝いではなく、能力や経験によって扱い は異なるが、最終的にはカリキュラム設計から授業、試験の実施、評価まで をすっかりまかせる講師として処遇するのである。 前述のアメリカ社会学会のティーチングセンター発行の資料に『大学院生 講師とティーチングアシスタントプログラム開発――社会学授業におけるテ ィーチングアシスタントの選び方および準備指導の仕方に役立つ資料集』と いう書物がある。題名からも、TA 職を求めて院生が殺到し、その選抜に苦 労している様子が窺える。また、1995 年にアメリカ社会学会はティーチン グに関する小委員会の調査結果の報告書を発表したが、その中に次のような 記述がある。
[大学院生への]ティーチングの訓練は成熟しつつあるように思われる。 ティーチング訓練[の重要性]がリサーチの重要性に接近しつつあると言 うには早すぎるだろう。しかし、ティーチング訓練はリサーチ訓練に似た
1 章 大学教授と TA 教育 23
形をとり始めている。[両者には]関連する具体的な技術を十分に活用す る、支える知識が大きい、実践するのに科学と熟練技の組み合わせが必要 である、さらに、外在的報酬が得られるという共通点がある。内的報酬は ティーチングにこれまで常に存在したが、外的報酬は今になって[歴史的 に]初めてティーチングに対してもたらされるようになったものである。 …… 11)
ここではティーチングが次第に研究と同等の重要性を持ち始めたことが述 べられてる。さらに、大学院教育に TA 訓練科目を取り込み、必修化する大 学も出てきた。大学院は単に専門分野の研究のための知識と方法を教える場 所ではなく、将来アカデミック界で働く専門的知識人を育てるためのメンタ ー指導(mentoring)をする場所と考えられているのである。 ティーチング補佐員として謝金を払い授業を手伝ってもらうという考え方 と、院生を若い学者、未来の同僚と見なし、一人前に仕立て上げるために、 学問的後継者養成のための研究の訓練だけでなく、大学の教育機能を維持し 発展させるためにティーチングの訓練も行う、という考え方には根本的な違 いがある。 ティーチングと研究との間のジレンマは大学の教授採用にも見られる。伝 統的な大学院教育(研究者養成教育)と博士課程修了者の就職先である大学 側のティーチング能力への期待とのミスマッチは、近年放置できないほど深 刻さを増している。このミスマッチを解消すべく、PFF(Prepareing Future Faculty(将来、ファカルティになる準備をする/させるという意味))とい う教授後継者養成のプログラムが 1993 年に作られた、現時点で 45 の博士課 程大学院と 300 近くの高等教育機関に支援を行っている。 PFF は 4 年制大学、2 年制大学、大学院をメンバーとする大学院教育改善 を目的とする全国組織である。連邦政府が作ったものではなく、趣旨に賛同 した大学や大学院だけが加わっている。「未来のファカルティ(教授団のメ ンバー、つまり同僚としての教授)の訓練をする」ことを目的としている。 大学院におけるティーチング教育の改善には多くの大学が取り組んでい
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第Ⅰ部 TA とその制度
る。PFF は先進的にこの事業を推進しめざましい成果を挙げている機関がそ の成果を他の大学に紹介し、自分たちが開発したカリキュラムやティーチン グの方法を普及させるためのプログラムである。若い教授に対するティーチ ングの支援はアメリカでは大学院教育、全学の高等教育センター、学会のテ ィーチングセミナー、ティーチングのテキストなどさまざまな方法で行われ ている。たとえば『教師のためのシカゴ大学ハンドブック――大学の教室の ための実践的ガイド』12)では院生へのティーチング訓練について次のよう に説明している。
「……経験豊かな学者や[大学]教員たちは、次のことについて意見を 同じくしている。今日、ほとんどの初心者の授業担当者、つまりティーチ ングアシスタントとして最初の経験をする大学院生や[新規に大学に採用 された]はじめて教職に就く博士課程修了者たち、は講義室に行く前にど のように授業をこなすかについて、ほとんど、あるいは全く訓練を受けて いない。小中高校の教員たちは普通、教員としての訓練を学校や学部で受 ける。これに対して大学の教員たちは通常、自分の専門的学問分野(歴史、 英語、経済学、物理学、などなど)の訓練を集中的に受けるが、ティーチ ングの技能それ自体はめったに訓練されない。いくつかの大学院で伝統的 なカリキュラムの中に教員としての訓練を取り込もうという動きがあり、 これはますます活発になりつつあり、そのことはわれわれを元気づけるこ とである。しかし多くの、おそらくはほとんどの新採用教員は、誰からも 大したガイダンスを受けることなく授業計画を立て、教室に入って行くと いうのが普通のケースだろう。本書はそのような人たちを念頭に書かれた ものである。……」 (序文)
これは 1999 年にシカゴ大学から出版された、新米大学教師のためのハン ドブックであり、筆者らはコロンビア大学、フロリダ州立大学、オハイオ・ ウエストレイヤン大学、テネシー州立大学の教員たちでその他に高校教師も 1 名含まれている。最近、この種の本は書店の専門書の書棚や学会の年次大
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会の書籍販売コーナーでも一区画を占めるようになっている。 そのような書物を調べて気がつくのは、第一に大学院におけるティーチン グ教育が市民権を得つつあるということと、第二に、この傾向がアメリカで は 1990 年代の終わりから 2000 年の初めにかけて本格化したことである。日 本の大学の今の状況は、まさに「大学院生がティーチングの訓練をほとんど 受けないで教壇に立っている」段階にある。現在アメリカよりも、おおよそ 5 年遅れて、北大で本格的な TA 教育がスタートしようとしている。
5.大学院教育は後継者の養成である 将来の大学教授の養成に役立つカリキュラムは大学に勤務しないであろう 院生にも役立つのだろうか。北大理学部の過去のデータを調べると、大学や 研究所、高等学校など何らかの意味でティーチングにかかわる職についた大 学院博士課程修了者は全体の約 3 割しかいない。しかしながら、全ての院生 にティーチングの訓練を行うことは大学院教育の目的にかなうのである。そ の理由は次のとおりである。 大学の役割を知識の獲得と次世代の人材養成であるとしよう。知識の獲得 のし方にはボイヤー 13)によれば次の 4 つが考えられる。 b研究:新しい事実や法則、規則を見つけ出すこと b統合:様々な知識を統合すること b実践:知識を実際に応用すること bティーチング:教育を行うこと 近年、専門研究の活発化により、各専門分野がますます細分化され、研究 内容も深化している。若い院生たちが特定分野の狭い研究テーマの研究のみ に専念すると、統合や実践やティーチングといった他の形の知識獲得の機会 を失い、技術や経験を学べなくなる恐れがある、 ティーチングには専門領域に対する幅広くかつ深い理解力、初心者の理解
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力を判断する洞察力、他者との円滑なコミュニケーションを行う能力、集団 をまとめる統率力、といった学問領域以外でも役に立つ能力が必要である。 現代の科学研究の多くはチームプレイであることを考えるとコミュニケーシ ョン能力は必須である。単独研究であってもその研究を理解してくれる仲間 や研究を間接的に支援してくれる同僚はなくてはならない存在である。 ティーチングなどしたくない、使える時間のすべては研究、理系の場合は 実験に使いたい、と考える院生は少なくないかも知れない。特に TA の仕事 を、避けることのできない、指導教授からの依頼としてやらねばならず、か つ学部学生に対するティーチングについて、まともな指導を受けられない場 合、彼らがそう感じるのは無理もないことである。 何もかも忘れて研究に熱中するという態度は悪いことではないが、度を越 すことは好ましくない。革新的な発明、発見、研究成果は、それを得ようと する努力なしには達成できないが、基本的には専門分野の基礎知識と研究の 方法を学ぶ段階にある大学院生が研究行為のみに全精力をそそぐだけで簡単 に手に入るものではないだろう。新しい知識の獲得は、純粋な研究行為以外 の方法でも得られる。ティーチングはその有力な方法の一つである。 大学や大学院でわれわれは心身ともにバランスのとれた優秀な人材を養成 したいと思っている。孤独な秀才を育てようとしているのではない。寝食を 忘れて研究や勉強に専念することも重要だが、大学院時代のすべてをそれの みに費やすような教育は間違っている。 科学研究に専念しすぎる科学者をからかいの意味を込めて「マッドサイエ ンティスト」と呼ぶことがある。自己中心的に研究のみに価値を見出し、人 間性を無視した行為を平気で行う科学者である。研究に夢中になり過ぎて自 分の名前を忘れたり時計をゆでてしまったり、というのはエピソードとして は面白いが、殺人ガスを作ったり、爆弾を無差別に仕掛けたり、というのは 反社会的で好ましくない極端な例である。大学院ではそのような人材を育て ることはあり得ない。 われわれは大学院で将来、良き同僚、良き夫、良き妻、良き友人、良き隣 人、良き市民、良き指導者となるような学生を育てたいと願っている。専門
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的学問領域の深い知識、幅広い教養、高いコミュニケーション能力、他者へ の思いやりや尊敬の気持ちを持った一人前の社会人を養成するにはティーチ ング経験は大変役に立つ。ティーチングも知識獲得の重要な方法の一つであ るから、実験台にかじりついていては得られない新しい着想を得る可能性は 大きい。このことは科学知識の実践的応用や、すでに知られている事実を統 合する研究から画期的発見が生まれるのと同じである。
6.院生教育が大学改革の核である 院生に TA 訓練を行おうとしている教授たちは、実は自分たちが過去に大 学や大学院で一度も教わったことのないことを教えようとしている。教育は ある意味で自分の複製を作ることであるが、院生に良いティーチングを教え ることは彼らを将来の同僚として扱い、自分たちとは質の異なる、より質の 高い後継者として育てることである。前例のないこと、経験のないことであ って、従来の大学教授や院生の自己規定にはずれるかもしれない。しかし前 例のないことに挑戦するのが研究者本来のあり方ではないだろうか。 研究という価値を信奉する科学者は社会的に変人と見られるのは仕方がな いことかもしれない。
「偉人伝やメディアで語られる科学者像は「挑戦」や「努力」というこ とばで彩られている。一方、普通の人々と同様に生活を楽しみ仕事に悩む 中から独創的成果が生まれた例も多い。地軸の動きの精密観測で欧米をう ならせた天文学者、木村栄はテニスを楽しんだ後、リフレッシュした瞬間 に大発見の端緒をつかんだ。米マサチューセッツ工科大学の利根川進教授 は実験に没頭した期間も「寝食を忘れたことはなかった」と証言する。… …。内閣府の調査では「科学者や技術者は身近な存在で親しみを感じるか」 との問いに、国民の四人に三人が「そう思わない」と答えている。科学者 はどちらかといえば、特殊な頭脳や人生観を持つ「変人」とみられている のかもしれない」14)。
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第Ⅰ部 TA とその制度
研究への過度の献身は、広い視野を持たない人、研究しかできない人、一 人前の社会人としてバランスを欠いた人材の育成を誘発する恐れがある。専 門的な基礎研究の価値は同業者でなければ分からない。研究は研究者集団の 中で行われるものだから、他の研究者や先輩や後輩、同僚などと好ましい人 間関係を築けないようでは研究者としてふさわしくない。また、研究しかで きない、それも特定の分野の特定テーマについての研究しかしてこなかった 大学院修了生は、採用側が大学であれ一般企業であれ、困った存在である。 企業の研究所であっても仲間や上司を説得して研究を進める能力は必須であ る。 大学が高等教育の場としてその本来の役割を十分に果たし、大学院が高度 な専門的知識と技術を持つ教養豊かな人材を養成するためには、大学院生は 大学教授の未来の同僚として処遇されなければならない。大学院でどのよう な人材を育てるかという問題は、教授自身、自分たちはどんな人間なのか、 どんな信念と価値観を持ち、どのような職業人、どのような社会人として生 きていこうとしているのか、そして将来、大学や大学院をどのようなものに 変えていこうとするのかという問題と切り離して考えることはできない。 今後も、学者にとって研究は職業上の使命であり、またアイデンティティ を規定する重要な要因であり続けるだろうから、大学院で研究指導教育を行 うのは当然である。同時にティーチングも知識を獲得する重要な行為である ことを忘れてはならない。さらにティーチングは学者の後継者として欠くこ とのできない学問的にも人間的にもバランスのとれた資質を持った社会人・ 職業人を育てるのに極めて有用な教育方法である。これが大学院生がティー チングをしなければならない理由である。
注 1 )教授= professor。日本の大学では、助手、講師、助教授、教授という職階になってい る が 、 本 稿 で は ア メ リ カ の 職 階 の 呼 び 名 、 assistant professor( 講 師 に 相 当 )、 associate professor(助教授に相当)、 professor(教授)を借りて、全て教授とした。 2 )ティーチング(teaching、教えること)とは、ここでは授業を中心とする学生を直接
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的に教育する活動をいう。「教授すること」、ないし「授業すること」という意味だが 適訳がないのでティーチングと表記する。 3 )Boyer, p. 3. 4 )Boyer, p. 4. 5 )Boyer, pp. 4-5. 6 )Boyer, pp. 7-10 7 )Boyer, p. 11. 8 )平成 12 ∼ 14 年度科学研究費補助金研究成果報告書「アメリカ社会学会におけるティ ーチングの制度化」2005/3。 9 )メンター(mentor)は訳しにくい言葉である。メリンダ・メシネオ(Melinda Messineo)は次のように説明している。 「「メンター」という用語は[古代ギリシャの詩人]ホメロスの『オデッセイア』か ら来ている。オデッセイは自分がトロイ戦争で戦っている間、メンター[人名]に自 分の息子テレマコスを助言しその世話をすることを委託した。……。メンターはテレ マコスを探求への旅に導き、最終的に父と新しいアイデンティティを見つけ出させた [オデッセイと再会させ、一人前の男にした]。このことから、メンターは[人を]導 き、守り、はぐぐみ、支え、人生の新しい段階への変転をもたらす行動と結びついた 言葉とされている。TA 養成の責任を持つメンターになることは TA の学生から専門的 社会学者へという移動を促進しそれを保護するための良い機会をもつことになる。TA たちのメンターとしてのわれわれの第一の目的は大学院生が好ましい学習経験を持つ のに必要なツールと環境を提供することである」p. 2。 10)カリフォルニア州立大学バークレイ校のティーチング&教材センターは大学院生 (GSI)が在学中、および将来ティーチングを行うための支援を行うことを目的として 1991 年に設立された。正式な名称を、Graduate Student Instructor ; Teaching & Resources Center(大学院生講師のためのティーチングと教材センター)という。 11)Mahaffy, p. 12. 12)Brinkley et al., pp. vii - viii. 13)Boyer, pp. 24-25. 14)『日本経済新聞』2005 年 3 月 27 日。 「誤解された科学者イメージ」
参考文献 Goldsmith, Johan A., Komlos, John and Gold, Penny Schine 2001 The Chicago Guide to Your Academic Career, A Portable Mentor for Scholars from Graduate School through Tenure, The University of Chicago Press. Glassick, Chalrales E. Huber, Mary and Maeroff, Gene I. 1996 Scholarship Assessed ― Evaluation of the Professoriate, An Ernest L. Boyer Project of The Carnegie Foundation for the Advancement of Teaching, Jossey-Bass Publishers. Boyer, Eranest L. 1997 Scholarship Reconsidered ― Priorities of The Professoriate, The Carnegie Foundation for the Advancement of Teaching, Jossey-Bass Publishers. Brinkley, Alan, Dessants, Betty, Flamm, Fleming, Michael, Cynthia, Forcey Charles and Rothschild, Eric 1999 The Chicago Handbook for Teachers ― A Practical Guide to
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第Ⅰ部 TA とその制度
the College Classroom, The University of Chicago Press. Messineo, Melinda (Compiled and Edited) 2000 Graduate Student Instructor and Teaching Assistant Program Development ― Materials for the Selection and Preparation of Teaching Assistants in Sociology courses, Third Edition, Ball State University, American Sociological Association. Mahaffy, Kimberly A. (Edited) 1996 Preparing Graduate Students to Teach ― syllabi and Related Material from Graduate courses on the Teaching of Sociology, Second Edition, University of New Hampshire, American Sociological Association.
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2 章 日本の大学における TA
1.日本の TA 制度の始まり アメリカの大学に起源をもつと言われている大学院生による「教育助手」 (TA)制度が、いつ、どのようにして日本の大学に導入されたかは明確では ない。しかしながら、1968 年に国際基督教大学(ICU)において「非常勤助 手」 (Part-time Teaching Assistant)という名称で大学院博士課程在籍者が採 用された事実は確認されている。また、東海大学でも 1969 年に「教育補助 学生制度」という名称で、事実上の TA 制度を設けている。その後、1989 年 に龍谷大学が理工学部設置の際に、実験・実習科目に TA を導入し、広島工 業大学が「非常勤教育補助員」という名称で、事実上の TA 制度を導入して いる。これらの大学が日本において比較的早い時期に TA 制度を導入した大 学であるが、他大学でも類似の事例が存在する可能性はありうる。 日本における本格的な TA 制度の普及は、平成 4(1992)年度からの文部 省による財政的な援助によるものであり、国立大学の博士課程を設置してい る大学院に対して、「高度化推進特別経費」の予算措置が実施され、その一 部として TA 経費が計上されている。この制度は、やがて国公立・私立を問 わず全ての大学に拡大されることになり、この結果、平成 9(1997)年度は 41,199 人、平成 11(1999)年度は 52,262 人の TA が文部科学省の補助の対 象となっている。
2.TA 制度の目的は何か 文部省は、1992 年に「TA 実施要領」によって、TA 制度の「目的」「職務 内容」「身分」「任用等」「給与」「実施細目等」に関する規定を定め、これを
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第Ⅰ部 TA とその制度
各大学に通知している。日本の国・公立大学における TA 制度の規定は、こ の文部省の「TA 実施要領」を参考としている場合が多い。したがって、 国・公立大学における TA 制度の目的は、この文部省通知「TA 実施要領」 によって、優秀な大学院生を対象に「教育的配慮の下に教育補助業務を行わ せ、学部教育におけるきめ細かい指導の実現」「将来教員・研究者になるた めのトレーニングの機会の提供」「手当支給により、大学院学生の処遇の改 善の一助とする」ことが掲げられている。 さらに、TA が配置される科目の範囲は、文部省の規定に従って、一般的 には「実験・実習・演習等」に限定された「教育補助業務」となっている。 TA を配置する科目が限定されている理由は、科目上の必要性もあろうが、 文部省の TA 補助金が「実験・実習・演習等」に限定されたためである。TA の配置は、各大学の事情により「学部教育」に限定されるか、「修士課程学 生」にまで拡大される場合もある。 しかしながら、例外もある。たとえば、北海道大学の場合には、1995 年 から開始された一般教育科目の「演習」(150 コマ、1 コマの学生数 20 名以 下)、及び 1999 年から開始された「大規模授業」 (500 名規模の授業に 3 名の TA)などの「全学教育科目」にも TA が配置されている。北大の TA 制度は、 日本の大学の中でも最も充実したものであろう。一方、私立大学の場合は自 己の大学の実情に鑑み独自の規定を設けており、国・公立大学と比べると TA を配置できる科目の範囲が広い。たとえば、日本大学(文理学部)のよ うに、理系・文系に限らず、教員からの申請があった科目の中から必要と認 められる科目に TA が配置されている場合もあるし、国際基督教大学のよう に、授業科目以外にも学内の 7 研究所と FD 委員会に TA が配置されている 場合もある。
3.TA はどんな仕事をするのか 国・公立大学の場合、TA の業務内容は文部省通知に従って「実験・実 習・演習等」に限定された「教育補助業務」と規定されている。つまりは、
2 章 日本の大学における TA
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TA は教員の指導・監督の下で授業内における「補助業務」を行うのであり、 教員に代わって授業を担当するわけではない。しかし、各大学においては授 業内における TA の補助業務を、「授業時間中」だけに限定する場合と「授 業開始前」(準備や打ち合わせ)と「授業終了後」(後片けや質問の受付け) も含む場合が見られる。 先に述べた北海道大学の場合には、各学部における「実験・実習・演習等」 の「教育補助業務」以外に、一般教育科目の「演習」や「全学教育科目」に も TA が配置され、出欠確認、授業中の質問の受付、小テスト・感想文の点 数の入力などの業務も担当している。毎年 100 名以上の TA が配置されてい るが、そうした試みは他大学には見られない。 一方、私立大学の場合も TA は「教育補助業務」を行うが、国・公立大学 と比べると、より幅広い業務内容を規定している大学が見られる。すなわち、 「実験・実習・実習等」における教育補助以外にも、「学生に対する学習上の 指導および相談」や「その他教育上必要と認める教育補助業務」を認めてい る大学がある。また、TA を学部・大学院修士課程を対象に文系・理系の区 別なく配置しているケースもある。これらの大学における TA の主なる業務 内容は、「討論指導、小テスト・リポート採点、卒業論文指導、PC や体育実 技などの補助」である。その他にも留学生の日本語授業、「プログラム相談 員」の名称で、コンピュータ室のアシスタントとして TA が配置されている 場合、学内の研究所に TA を配置し、シンポ、公開講演会の準備、紀要の刊 行の補助などを担当させるケースも見られる。 TA の業務内容として、「やってはいけない」こと(禁止された業務内容) を明記している大学は数少ない。日本大学(文理学部)の場合は、TA を 「授業時間内の補助者」であるという原則の下に、「シラバスの作成・授業計 画」「教室内の規律・秩序維持」「定期試験の監督と採点」「成績判定」「授業 の代講及び補講」「その他授業にかかわらない業務」などを禁止事項として 掲げている。TA の過重労働を避ける意味でも、業務内容には一定の基準が 必要であろう。
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第Ⅰ部 TA とその制度
4.誰が TA になれるか―― 資格・待遇・研修制度など TA の資格は、おおむね「修士課程と博士課程に在籍する大学院生」が条 件となっているが、他大学の院生や大学院研究生を採用している大学も見ら れる。TA の資格として「その所属する専攻の学問分野において優秀なる成 績を有し、かつ教育的指導力を有すると判断される者」「TA の業務が自己の 学業の進展を妨げないと判断される者」(京都大学)という条件も付加され ている。給与などの待遇面は、国からの補助金を受給している国・公立大学 の場合は、ほとんどが時給制に統一されているが、私立大学においては月給 制を採用している大学も見られる。 TA に対する任用条件の一つとして、「教育的指導力」を掲げている大学は 多いものの、TA の資質向上を目的とした研修制度を実施している大学は稀 である。多くの大学は、科目担当教員に TA の指導を委任し、TA 研修を大 学全体の制度としてシステム化していない。何らかの研修制度を実施してい る場合でも、TA の採用時において約 2 時間程度のガイダンスやオリエンテ ーションなどを開催するケースが多い。しかし、日本の TA の研修制度は、 たんにアメリカの大学と比較して見劣りがするというだけでなく、TA の資 質向上による授業改善という意図が見られない。日本の TA 制度の根本的な 課題である。 しかしながら、この点でも北海道大学の試みは注目に値する。同大学では、 1995 年に「高等教育機能開発センター」が設置され、同機関が主体となっ て TA の研修制度を 1997 年から開始している。同大学の TA に対する研修制 度は、「実施要綱」において「TA に教育補助業務を行わせる場合は、事前に 当該業務に関する適切なオリエンテーションを行い、その円滑な遂行に留意 するものとする」と規定されている。たとえば、平成 14(2002)年度にお ける研修内容は、午前の部がセンター長や教員による講演、パネル討論 「TA の可能性――果たして理想へ近づけるか」などが行われている。午後の 部は、TA を「一般教育演習」(グループ学習の実際)、「講義」(論文指導の 実際)、「情報」(情報処理教育)、「実験」(実験指導と TA の役割)、「語学」
2 章 日本の大学における TA
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(語学教育のポイント)といった授業のタイプ別に分け、それぞれのグルー プごとに課題が決められ、TA による討論が実施されている。参加者は、全 学教育科目に配置される 110 名の TA である。
5.TA 制度の意義と課題を知ろう 現在、日本の大学における TA 制度の意義として、以下の事柄が考えられ る。
① TA というアシスタント制の導入は、「一人の教員が多くの学生を指導 する」という日本の伝統的な大学教育のスタイルを変革する可能性を秘 めている。TA 制度によって、「学生に対するきめ細かい指導」が可能と なり「授業中の意見が活発化し」「教育機器や実験・実習の準備・操作 が円滑になった」という教員からの声は多い。現行の TA 制度は、教員 の負担を軽減し、かつ大学における授業改善にも多大な貢献をなすもの である。 ②「討論・発表の機会が増えた」「授業への質問がしやすくなった」など、 受講学生からも TA 制度を評価する意見は多い。TA 制度は、教員中 心・講義中心の授業のあり方も改善することに貢献している。 ③ TA 自身が大学の授業に参加することによって、自らの教授能力を磨き ながら、将来に向けた大学教員になるための訓練や準備の機会を得るこ とができる。TA 制度は、大学院生に対する大学教員の「教員」養成シ ステムの側面も担っている。 ④ TA の給与は高額とは言えないが、大学院生に対する財政的な支援とい う側面も担っている。TA の給与以外に奨学金を支給する大学もある。
しかしながら、日本の大学における TA 制度はその歴史も浅く、多くの課 題や問題点も残されている。以下、その制度的な問題点を列記しておきた い。
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第Ⅰ部 TA とその制度
① TA 予算の増額や採用枠の拡大が急務である。現在、多くの大学におい ては、理系の実験・実習・演習科目に限定して TA が採用されているが、 授業改善に必要な科目への「TA 制度の拡大」、ならびに予算の増額によ る「TA 採用枠の拡大」が望まれる。 ② TA 業務の明確化が急務である。TA の業務内容が不明確であれば、TA は教育補助だけでなく、研究補助・事務補助の業務にもかり出される危 険性が存在する。過重労働を防止する方策を検討すべきである。 ③ TA の資質向上を目的とした研修会などの実施が急務である。TA
とし
ての心構え、教員や学生に対する関係性の構築の仕方、討論の指導、論 文・レポートの添削指導などの学生指導のあり方、さらには様々なトラ ブル対処法なども学習すべきであろう。 ④ TA 制度の評価システムの確立が必要である。現状では、TA 制度に対 する明確な評価基準がなく、その成果や結果を検証できていない。評価 基準がなければ、改善すべき問題点も自覚されない。できれば教員・ TA ・受講学生からの相互評価が望ましい。 ⑤ TA 制度が大学教員の養成にとって、重要なキャリアになることを認識 し、TA 経験を大学教員として採用する際の「教育業績」や「履歴」と して評価すべきであろう。
日本の TA 制度は、その歴史は浅く、改善すべき問題点も残ってはいるも のの、日本の大学教育における伝統的な教授スタイルの革新を促す契機とな る可能性は秘めている。今後、日本の TA 制度が発展するためには、TA 制 度が大学教育の改善に大いに貢献するものとして認知される必要がある。そ のためにも、各大学における TA 制度の再検討が実態に基づいて行なわれる べきであろう。TA 制度の先進国アメリカでさえも、かつて「TA =雑用係り」 という時代があった。TA 制度の誤用や形骸化を招く危険性があることを肝 に銘じるべきである。
2 章 日本の大学における TA
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主な参考文献 北野秋男 2002「ティーチング・アシスタント(TA)制度と大学の授業改善――日本大学 文理学部の事例を中心に」大学教育学会『大学教育学会誌』第 24 巻、第 2 号、pp. 9197。 北野秋男 2003「ティーチング・アシスタント(TA)制度の総合的研究――全国の 22 大学 に対するインタビュー調査の結果を中心に」大学教育学会『大学教育学会誌』第 25 巻、第 2 号、pp. 75-82。 北海道大学高等教育機能開発総合センター 2002『2002 年度 TA 研修会資料集』北海道大 学高等教育機能開発総合センター、pp. 1-66。 文部省通達 1995「ティーチング・アシスタント実施要領」 。
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第Ⅰ部 TA とその制度
3 章 アメリカの大学における TA
1.アメリカの大学における TA 制度 ¸
TA の業務・勤務時間の概要
アメリカの大学において、TA とは「一般に、授業、学生からの質問への 応答、成績評価、実験・実習の指導、試験の実施・監督などの形で、大学院 生が学部レベルの教育を『手助けする』パートタイム・ジョブの総称、ない しその担い手」のことをさし、TA 制度は「大学教授だけでは提供できない 教育サービスを創出することによって大学教育の改善に貢献する」 ばかり でなく、「大学院生に将来の職業である大学教師になるための訓練・準備の 機会を用意するもの」でもある 1 )。 アメリカの TA は実際にどのような活動をしているのであろうか。やや古 いデータであるが、苅谷らの論文によりながらアメリカの大学における TA の業務について概観してみよう 2 )。 一般に TA の仕事内容としては、授業の担当(teaching)、成績評価 (grading papers)、レポートの採点、そして試験問題の作成・試験の実施が あり、そのほかにも、TA はオフィスアワーを持ち、学部学生の質問に答え たり、良いレポートの書き方を指導したりすることも多い 3 )。苅谷はチェイ ス(Chase)の研究をもとにしながら、授業の担当、成績評価・レポートの 採点、試験問題の作成・試験の実施という業務の構成比率を算出したところ、 学問分野によってやや違いがあるものの、平均して TA を勤める大学院生の 約 46 %が授業を担当しており、他の成績評価のような補助的な仕事よりも 実際に教える仕事についている TA が多いことを指摘している。 では、大学院生はどの程度の時間を TA 業務に割いているのであろうか。 苅谷の前掲論文によれば、TA のみを対象に勤務時間を調べたデータはない
3 章 アメリカの大学における TA
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とのことで、TA 以外のすべての助手職を含むデータからおおよその傾向を 割り出している。その分析によると、1 週あたり 20 ∼ 24 時間の勤務をする 大学院生が全体の約 33 %を占め、最も多かった。続いて 10 ∼ 14 時間勤務 のものが約 15 %となる。勤務時間について平均値を算出してみたところ、1 週あたり 21.7 時間であり、1 日の平均勤務時間を算出したところ約 4 時間の 勤務をしているとのデータが得られた。大学院生はこのような勤務を、学問 分野によってばらつきがあるが、だいたい 3 ∼ 5 学期間行っているという。 もう少し新しい別の調査でも TA の業務について言及しているものがある のでふれておこう。グレイ(Gray)らは、TA を対象とした調査を行ってい る 4 )。学科長に依頼し、1 学期以上の TA 経験のある TA を 2 人選んで回答し てもらうことにした。339 学科に打診し、153 学科から 207 名分の回答があ った。 それによれば、87 %の学生が学士課程の 1 年生や 2 年生の授業を担当して いると答えた。業務時間としては、38.1 %の TA が 1 学期につき 2 授業を担 当し、27.3 %が学期につき 1 授業であった。19.3 %が 3 授業及びそれ以上で あった。残りの TA は採点などの業務であり、授業時間数の負担を明確には できなかった。 TA の経験としては、67 %の TA が彼ら自身の所属する学科で 1 つ以上の 授業を教えたことがあり、38 %が少なくとも 3 つ以上の授業を教えたことが ある。17 %が 4 種類以上の授業を教えたことがある。67.6 %の TA は単独で の授業者であり、シラバスも作成して準備する授業を担当する者が 34.3 %、 共通の教科書とシラバスを使い大学教員などの授業担当者によって指示され た授業を担当する者が 33.3 %。15 %が大人数の実験を担当していた。 ¹
財政支援システムとしての TA 制度
TA 制度は「教育サービスの向上」「大学教師になるための準備・訓練」と 同時に大学院生への「財政的支援の手段」という重要な役割も有している。 アメリカの大学院において、大学院生はさまざまな財政的支援を利用する ことができる。例えば、授業奨学金(tuition scholarship)、リサーチアシス
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第Ⅰ部 TA とその制度
タントシップ(research assistantship)、ティーチングアシスタントシップ (teaching assistantship)、学生貸付金(student loans)および家族からの支 援などである。アメリカでは、大学院生は一般に 6 年から 10 年間で博士号 取得するが、以上のような財政的支援の中から 7 つから 8 つを利用する。中 でも TA による支援は、大学が大学院生に提供する重要な方法となってい る 5 )。 アメリカの大学における大学院生の財政について、全米研究協議会(The National Research Council)が行った博士号獲得調査(Survey of Earned Doctorates; SED)は、大学院生の財政的支援についての全米的なデータを 提供している 6 )。その調査によると、1991 年における大学院生の財政的支 援の財源は、個人的(および配偶者の)所得(84 %)、TA による収入 (49 %)、リサーチアシスタントによる収入 7 )(48 %)、貸付金(33 %)、大 学から 8 )(26 %) 、家族の支援(24 %)、連邦政府から 9 )(11 %)、その他 10) (13 %)となっている。このようにおおよそ半数にあたる 49 %の大学院生 が TA による収入を得ていることがわかる。また、連邦教育統計センター (National Center for Education Statistics)が 3 年ごとに行っている全米中等 後教育学生奨学金調査(National Postsecondary Student Aid Study)によれ ば、1991 年に大学院生に提供された財政的支援は平均して約 12,000 ドルで あったが、TA による収入がある学生にはそのうちの 55 %に当たる 6,600 ド ルがティーチングアシスタントシップとして給付されている。 TA による財政的支援が重要であるのは、上述のような金額的な大きさば かりでなく、TA が大学院の学問領域にかかわらず広く利用できるものであ るからである。先の博士号獲得調査(SED)によれば、ティーチングアシス タントシップを受けている大学院生のそれぞれの領域の総数に占める割合 は、学問領域によって次のようになっている。人文科学(71 %)、自然科学 (71 %)、社会科学(56 %)、専門的分野 11)(50 %)、工学(44 %)、生命科 学(38 %)、教育(24 %)である。特に、リサーチアシスタントなどがあま り利用されない人文科学などにおいては、TA の重要性はより高いものとな っているのである 12)。
3 章 アメリカの大学における TA
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2.アメリカにおける TA 訓練プログラム これまで、アメリカの TA の勤務について概観してきたが、同時にアメリ カの TA 制度の注目すべき点は、その研修制度の充実である。ここでは、ア メリカでの調査研究をもとにしながら、その研修プログラムがどのようなも のであるのかについて言及しておきたい。 TA の教授の技術を高めるために、多くの大学は TA のための訓練プログ ラムを有しているが、この組織的、計画的な TA の訓練プログラムは 1970 年代、1980 年代に開発されてきたものである 13)。 先に紹介した苅谷とチェイスによれば、19 世紀の終わりごろには、TA 制 度は学部学生の教育に携わることと大学院生への財政的支援とを結び付ける 制度として定着していったという。その後、1960 年代に至るまではほとん ど大きな変化はなかったが、1960 年代に入ると学部学生の急増や大学教員 の研究志向の高まりから TA 制度は拡大期に入る。しかし、急速に拡大した TA 制度は、大学における教育の質の問題という形で表面化することになり、 TA への訓練実施につながっていくのである 14)。 さて、アメリカの大学において TA を訓練するためのプログラムは、いく つかの異なった組織から提供されている。①コース(授業)担当者が提供す るプログラム、②学科が提供するプログラム、③教育学部が提供するプログ ラム、④学部(研究科)が提供するプログラム、⑤大学全体が提供するプロ グラムである 15)。この中から大学全体が提供するプログラムと学科が提供す るプログラムについて、調査研究をもとにその実態に迫りたい。 ¸
TA 訓練プログラムの実施状況(その 1)――全米調査から
まず、TA の訓練プログラムの実施状況について、全米調査からその統計 的特徴を把握しておこう 16)。この「TA 訓練プログラムおよびその実態に関 する全米調査」(The National Survey of Teaching Assistant Training Program and Practices)は、1991 年春にその最初の調査が行われた。大学院協議会
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第Ⅰ部 TA とその制度
(Council of Graduate Schools; CGS)に所属する 393 大学院の大学院長に調査 用紙が配られ、TA 訓練プログラムの実施について基礎的な情報収集(第一 調査)がなされた後に、全学的な TA 訓練プログラムを提供している大学の 訓練プログラムの代表者(第二調査)および学科単位で行われている TA 訓 練プログラムの代表者(第三調査)を対象としてプログラムについての情報 収集がなされた。 第一調査は、292 大学(74 %)から回答があった。そのうちの 207 大学 (71 %)は、TA 訓練プログラムを実施しており、85 大学(29 %)は公的な 訓練プログラムは実施していないとの回答であった。 訓練プログラムを実施する 207 大学のうち 185 大学は、TA として採用さ れ訓練プログラムに参加している大学院生の統計を取っており、総計すると 98,556 人であった。また、各大学院で採用している TA の人数は、少ないと ころでは 5 人、多いところでは 3,700 人と大きく異なっていることが明らか にされた。 ちなみに、調査対象となった大学院をカーネギー財団による大学院分類に 従って分類すると、研究大学Ⅰ 17)、博士号授与大学 18)、修士号授与大学 19) の 3 つのカテゴリーに分類された。プログラム参加 TA 数については、研究 大学Ⅰが最も多く、57,802 人で総数の 59 %を占めた。しかし、一方で提供 されている TA 訓練プログラム数は、博士号授与大学が最も多く 105 プログ ラムで 57 %を占め、研究大学Ⅰは 52 プログラムで全体の 28 %であった。 ①全学的プログラムについて 第二調査では、大学院や教授開発センターなどが監督する全学的 (centralized, all-university)な TA 訓練プログラムについての調査を行うため、 第一調査で全学的な TA 訓練プログラムがあると明らかになった 279 大学の プログラム代表者に調査票を送付した。161 人からの回答があり、107 の組 織における 134 の全学的プログラムについて回答があった。 結果として、プログラムのタイプ別の集計によると「オリエンテーション」 5 0 件 ( 3 7 % )、「 1 年 中 提 供 さ れ る プ ロ グ ラ ム 」 4 6 件 ( 3 4 % )、「 I T A (International Teaching Assistant)向けのプログラム」31 件(23 %)であ
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る。 プログラムの経過年数についてプログラムの種類ごとに見てみると、「オ リエンテーション」は「実施年数 1 年から 4 年」59 %、「5 年から 10 年」 27 %、「11 年以上」14 %であり、比較的最近になって実施されてきたこと がわかった。「1 年中提供されるプログラム」は「1 年から 4 年」60 %、「5 年から 10 年」18 %、「11 年以上」22 %。「ITA 向けのプログラム」は「1 年 から 4 年」33 %、「5 年から 10 年」56 %、「11 年以上」11 %であった。ITA 向けのプログラムはやや例外として、オリエンテーションや 1 年中のプログ ラムの約 60 %にあたる数のプログラムは 1 年から 4 年と実施して間もなく、 蓄積も少ないことが明らかとなった。 ②学科が提供するプログラムについて 第三調査として、先の調査で学科を基にした TA 訓練プログラムがあると 明らかになった機関の 629 人の代表者に調査票を送付し、学科(およびその 他の大学組織)による TA 訓練プログラムについて尋ねた。287 人から回答 があり、そこから 246 プログラムのデータが得られた。ちなみにこれら 246 のデータは 124 大学から得られたものである。 この 246 プログラムは、ほぼ全ての学問領域をカバーするものであり、人 文科学が 68 プログラムで最も多く、自然科学が 52 プログラム、生命科学 38 プログラム、社会科学 32 プログラムである。 学科単位のプログラムに参加する大学院生数は、1 プログラムにつき 6 人 から 100 人までとその範囲は広かった。プログラムの提供主体としては、学 科のみを基礎とするプログラムは 50 %、同時に全学的なプログラムも行わ れるプログラムは 47 %である。 プログラムが設立されてからの年数では、「1 年から 4 年」が 24 %、「5 年 から 10 年」が 25 %、「11 年以上」が 51 %である。この点は、全学的訓練プ ログラムが 5 年以下のものが多かったのとは対照的であり、学科が提供する プログラムの方が蓄積があることがわかる。
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第Ⅰ部 TA とその制度
¹
TA 訓練プログラムの実施状況(その 2)――グレイらの調査から
¸を踏まえ、訓練プログラムの内容について別の調査から概観してみよう。 先にも紹介したグレイらは、全学的な訓練プログラム(Campus-wide TA training)について直接的な情報を得ていることが多いという理由から、大 学院長(graduate school Deans)と学科長(Department Chairs/heads)を調 査対象として、TA 訓練プログラムについて調査を行っている 20 )。 ①全学的プログラムについて まず、26 %の大学で全学的な訓練プログラムが実行されており、そのプ ログラム期間については、「1 日以下」のものから「学期のすべてを使用す る」ものまでに広がっていた。具体的には、12 %の大学では「2 週間もしく はそれ以上の期間」のプログラムを提供しており、52.8 %の大学は「1 日あ るいはそれよりも短い」訓練期間であった。全学的な訓練プログラムへの参 加は、13 %の大学が強制的に出席を要求している。ただし、参加者に該当 する TA のうち 95 %は、参加回数の半数あるいはそれより少ない出席であ ろうとの回答もあり、このデータからすると、参加率は高いものとはいえな いようである。 プログラムの内容については、各大学で一致するものが多く見られ、次の ようなトピックスを扱うことが多いことが明らかとなった。「書き方の試験」 88.9 %、「クラスの雰囲気作りと信頼関係の構築」80.5 %、「授業内容への興 味の喚起」72.2 %、「クラスマネージメント」69.4 %、「教育心理学」69.4 %、「成績の判定」66.7 %、「授業の方針と手順」61.1 %、「授業案の改善」 52.8 %、 「建設的な批判をすること」12.8 %、 「全学的な教育の要求について」 52.8 %、「学生教師間の不満を解消すること」36.1 %、 「大学内の資源につい て」33.3 %、 「教授の戦略」27.8 %、「シラバスの作成」1.1 % であった。 以上のような訓練プログラムに加え、フォローアップ(follow-up)訓練と TA の監督については、6.9 %に当たる 11 人の大学院長が、このようなプロ グラムを提供していると返答している。11 大学のうち、8 大学は TA が現職 中の研究集会に参加しているものであり、7 大学が指導にあたる人物 (supervisor)が TA の問題を管理することができ、また 7 大学で TA は監督
3 章 アメリカの大学における TA
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のもとに評価されていた。 ②学科が提供するプログラムについて グレイらはまた、博士号を与えている大学の学科のうち、各大学から 3 学 科を無作為に選び出し、学科長を対象として学科が提供するプログラムにつ いて質問紙調査を行った。発送した 1112 通のうち 470 通が返信され、その 中で利用できるデータは 339 学科分であった。 そのうち、おおよそ半数にあたる 55.8 %の学科で、TA にむけて何らかの 訓練プログラムを提供していた。その実施年数については、10 %の学科の みが訓練プログラムの提供が 10 年以上にわたっていて、残りの 90 %は 10 年未満の実施年数であることが明らかになった。 学科の提供するプログラムの実施期間について、最も多い 84 %の学科は 1 週間の期間のプログラムであった。2、3 時間が 8.9 %、秋学期の全てにわた る期間が 2.7 %である。 参加の要求形態については、おおよそ半数にあたる 53.1 %の学科長は学 科の提供する訓練プログラムは強制的なものであると答えた。一方、提供す るプログラムが選択的なものだと答えた学科長は、該当する TA の参加率は おおよそ 80 %であると見積もっている。 提供されるプログラムの内容としては、次の 5 つがもっとも多いものであ った。「レポートの採点」51.0 %、「授業の方針・手順」47.5 %、「クラスの 管理」44.5 %、「クラスの雰囲気作りと信頼関係の構築」44.2 %、「教授の戦 略」44.2 %である。その他の内容としては、「試験の作り方及び採点」 38.5 %、「学生教授間の不満の解消」37.0 %、「授業計画の改善」34.3 %、 「授業内容への興味の喚起」32.2 %、 「時間の管理」25.1 %となっている。 学科長にもフォローアップ訓練及び監督のプログラムについて質問をした ところ、最も多かった回答は、「大学教員や授業の管理者が TA と授業の協 力するために割り当てられている」69.9 %であり、続いて「大学教員や授業 の管理者が TA の問題を扱うために時間をとるようにしている」29.6 %、 「経験のある TA が TA を監督する」15.8 %、「学科長が TA の授業や問題を監 督する」6.6 %、「学科外の人物が TA の授業を監督する」1.8 %となってい
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第Ⅰ部 TA とその制度
た。このプログラムの内容としては、「TA が定期的にスタッフミーティング に参加する」48.4 %、「TA 在職中の研究集会がある」20.9 %、「教授に対す る褒賞がある」18.5 %、「TA は授業がある学期に訓練のコースを受講する」 13.1 %、「TA は掲示板などを見ることが期待される」10.4 %などとなってい る。 º
TA 訓練プログラムの効果
さて、上述のように様々な形式で提供されている TA 訓練プログラムであ るが、その効果についてアメリカではどのように考えられているのであろう か。先の苅谷論文とキャロル(Carroll)の論文をもとにみてみよう 21)。 キャロルは、1977 年と 1980 年に研究大学における TA 訓練プログラムの 効果研究の再検討を行った。その研究の中でキャロルは、アメリカにおける TA 訓練プログラムの効果を 26 の実証的研究をレビューすることで検討し、 次のような結論を導いた。すなわち、訓練を受けた TA は受けなかった TA に比べて、学生に質問する、学生の考えを授業に利用する、学生を励ますと いった活動に時間を割くようになり、一方的に授業をする時間、指示を与え る時間、学生を批判する時間が減少する傾向にあるということである。また、 テストの有効利用など特定の教授方法に対する態度に変化が見られる。 さらに、キャロルは訓練を受けた TA と受けなかった TA との学生に対す る教育効果を比較した研究の成果もまとめている。それによれば、厳密な実 験的方法に依拠してはいないが、いくつかの研究は訓練を受けた TA が担当 した授業における学生の教育達成や授業に対する評価が高まることが示され たという。しかし、TA としての訓練プログラムが、大学教師としてのキャ リアに対する広範な態度にまで変化が及んでいることを示した研究はほとん どないとしている。 このようにキャロルの研究では、TA の訓練プログラムは TA の教育技術 自体の一部については高まったといえそうである。しかし、それは TA の行 う業務の一部に過ぎず、また TA 制度はティーチングの技術のみならず、将 来の大学教員としての準備期間となることも期待されていることからする
3 章 アメリカの大学における TA
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と、一概に TA の訓練プログラムに「効果がある」あるいは「ない」とは言 えないであろう。
3.日本との比較 アメリカの大学における TA 制度および TA への訓練を概観してきたが、 最後にまとめとして日本と比較してのポイントをいくつか指摘しておこう。 まず、アメリカにおける TA は単独の授業者として活動する部分が多いこ とが指摘できる。単独で授業を行うこともさることながら、授業計画の作成 まで業務とするなど、より広い領域での活動が期待されていることがうかが える。この点は、教員の補助的な業務を主とする日本の大学とは大きく異な る点であろう。 第 2 点目としては、訓練プログラムが整備されている点であろう。TA が 担う業務の多様さをカバーするように訓練プログラムが整備されており、そ の種類も多様に用意されている。フォーマルな訓練プログラムが用意される ことが少ない日本と比較すると、それはかなり充実した印象を持つ。 この 2 つのポイントは表裏一体であって、「TA が単独の授業者として活動 する部分が多い」からこそ「訓練プログラムが整備される」のである。実際、 アメリカにおいては 1960 年代に TA による教育の質が疑問視され、訓練プ ログラムが開発されてきた経緯を持つ。日本の大学における TA 制度が前轍 を踏まないためにも、先達から学ぶことは少なくあるまい。 *本稿は、拙稿「アメリカの大学におけるファカルティ・ディベロップメントの発展に関 する一考察」『教育学研究集録』26 集、pp. 47-56 の一部を基に加筆修正したものであ る。
注 1 )苅谷 1988、p. 151。 2 )苅谷 1988 および Chase 1970。 3 )日本の出版物の中で TA の日常を描いたものは非常に少ないが、苅谷 1992 では苅谷本 人が体験した TA の日常の様子をうかがい知ることができる。
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第Ⅰ部 TA とその制度
4 )Gray et al. 1991, pp. 40-51. 5 )TA の財政的支援役割の重要性を考える場合、他の奨学金との関係も考えなくてはな らない。1970 年には約 60,000 人の大学院生が、国防教育法(National Defense Education Act)や連邦科学基金(National Science Foundation)、NASA のようなプロ グラムから提供される連邦政府の支援を受けていたが、これらのプログラムは 1970 年から 1975 年の間に削除され、あるいは縮小されることとなった。そのため、1970 年には 60 %近くの大学院生が連邦政府からの支援を直接受けていたのであるが、 1990 年になるとその割合は 11 %にまで低下したのである。連邦政府の奨学金による 支援の急激な縮小は、同時に TA による支援の重要性を増したのである。 6 )Syverson and Tice 1993, pp. 1-13. 7 )リサーチアシスタントによる収入は TA とほぼ同割合を占めているが、その資金源は TA のそれとは異なっている。TA の資金源は大学の予算であるが、リサーチアシスタ ントの件数のおおよそ半数は、連邦の研究援助金(federal research grants)からきて いる。 8 )大学からの給費や大学の作業研究(college work-study)などの大学からの支援。 9 )連邦奨学金、復員法(GI Bill)などによる連邦政府からの支援。 10)州政府、他国政府、国際的非政府組織などによる支援。 11)ビジネスと管理、コミュニケーション、ソーシャルワーク、テクノロジーがこれにあ たる。 12)例えば、リサーチアシスタントによる財政的支援を利用する割合は、人文科学の領域 では 16 %、自然科学は 76 %である。 13)さらに、Marting によれば、TA への訓練の必要性をめぐる議論は、1930 年代から存在 したといわれる。 14)苅谷 1988、pp. 160-165。 15)苅谷 1988、pp. 158-159。 16)Syverson and Tice、前掲文献 17)全領域の学士プログラムを提供し、博士学位のための大学院教育を実施し、研究に高 い優先権を与えている。Ph. D. 学位の授与数が毎年 50 件以上で、研究開発に関する連 邦補助金が年に 3350 万ドル以上である。 18)全領域の学士プログラムの提供に加え、博士学位のための大学院教育の実施も使命と なっている。ここでは、研究大学Ⅱ、博士号授与大学ⅠおよびⅡを合わせている。 19)ここでは、提供する最高学位が修士号の大学をここにまとめている。 20)Gray et al. 1991, pp. 29-39. 21)苅谷 1988、p. 159 および Carroll 1980, pp. 167-183.
参考文献 Carroll, Gregory J. 1980 “Effects of Training Programs for Teaching Assistants: A Review of Empirical Research,” Journal of Higher Education, vol. 51, no.2, pp. 167-183 Chase, John L. 1970 Graduate Teaching Assistant in American Universities: A Review of Recent Trends and Recommendations, U. S. Dept. of Health, Education, and Welfare,
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Office of Education. Gray, Pamela L. and Buerkel-Rothfuss, Nancy L. 1991 “Teaching Assistant Training: The View from the Trenches,” Preparing the Professoriate of Tomorrow to Teach, Kendall/Hunt Publishing Company. 苅谷剛彦 1988「ティーチング・アシスタント制度とアメリカの高等教育:研究と教育の緊 張のはざまに」『大学研究』第 3 号。 苅谷剛彦 1992『アメリカの大学・ニッポンの大学―― TA ・シラバス・授業評価』玉川大 学出版部。 Marting, Janet 1987 An Historical Overview of the Training of Teaching Assistant, Task Force on Establish a National Clearinghouse of Materials Development for TA Training. Syverson, Peter D. and Tice, Stacey Lane 1993 “The Critical Role of the Teaching Assistant,” Preparing Graduate Students To Teach. A Guide to Programs That Improve Undergraduate Education and Develop Tomorrow’s Faculty. From a Comprehensive National Survey of Teaching Assistant Training Programs and Practices.
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第Ⅰ部 TA とその制度
4 章 TA の単位化
前章までで、TA の制度を通して大学教授が大学院生にティーチングの仕 方を訓練することの意義、および日米の大学における TA 制度の実態を明ら かにしてきた。本章では、制度的に遅れている日本が今後進むべき方向への 第一歩として、「TA の単位化」について述べる。やや抽象的にいうと、これ は、「TA は重要である」というわれわれの無形の認識を、「単位」という有 形の情報として制度化する仕組みである。 日本ではおそらく初めての本格的な「TA の単位化」の実例として、北海 道大学全学教育「情報学Ⅰ」の TA を対象に平成 18 年度から大学院共通科目 として導入された「情報学教育特論」がある。筆者は、北大の総長室「教育 改革室」室員として当初から全学的な立場で「TA の単位化」を検討して、 この問題に対する北大の「基本的な考え方」をまとめてきた。また、その考 え方を具体化し、「情報学Ⅰ」の企画責任者・担当責任者とともに「情報学 教育特論」の新設に結びつけた。本章は、その過程での同僚教員との議論、 あるいは、単位化を進めようとして遭遇した強硬な反対意見や事務職員から の疑問点などを糧として得られた知見を、北大の事情に依存しない一般的な 形で論理的に整理するとともに、筆者の見解を述べたものである。
1.TA の単位化の概要 ¸
定義
「TA の単位化」とは、大学院生が従事する TA の実務または研修またはそ の両方について、それを履修単位として認定するための正規の授業科目を、 大学院の教育課程に設定することである。いわば、学内インターンシップの ようなものである。
4 章 TA の単位化 51
上記の定義における「実務」と「研修」の言葉の使い分けについて補足し ておく。「実務」は決められた授業時間の中で TA が実際に従事するティー チングもしくはその補助業務を指し、「研修」は学期の開始時などに開催す る TA 研修会や学期中に随時開催するミーティングなどへの参加を指してい る。 その一方のみを「単位化科目」の時間数としてカウントするのか、それと も両方をカウントするのかは、大学の考え方にしたがって設計する。おそら く、「研修」のみをカウントする場合には、ほとんど問題がない。しかし、 「実務」を授業時間数としてカウントする場合には、これが授業であるため に TA が支払う「授業料」と、これがアルバイトであるために TA が受け取 る「バイト料」という、同時に正反対方向に流れる 2 つのマネーフローがあ るので、教育的な観点に加えて事務的な観点から、整合性のある制度設計と する必要がある。 ¹ 第 1 の目的 「TA の単位化」の第 1 の目的は、大学院生に対するティーチングの教育で ある。すなわち、大学院生が TA の職務を通してティーチングの仕方を学び 成長したことに対する数値的な証明である。 2 章で述べられているように、文部省通知において掲げられた TA 制度の 目的の 1 つは、「優秀な大学院生に教育的配慮の下に教育補助業務を行わせ る」ことである。この「教育的配慮の下に」という条件をいっそう強化し、 そのような教育を受けた大学院生に対して、きちんと評価して単位を認定す るシステムを確立するのが単位化の趣旨である。 このようなことを考慮して単位化の目的を修士課程と博士(後期)課程に 分けて述べると、およそつぎのようになるだろう。 b修士課程にあっては、表現力やコミュニケーション能力など、その専門 分野におけるリーダーとして活躍が期待される高度専門職業人として必 要な指導力を涵養する。
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第Ⅰ部 TA とその制度
b博士(後期)課程にあっては、大学教員養成プログラムとしても機能し、 教育を担う者としての自覚や意識の涵養と学生に対する教育方法の在り 方を学ばせることにより、確かな教育能力と研究能力を兼ね備えた大学 教員の養成を図る。
もちろん、実際には、大学や研究科あるいは専攻の設置目的にあわせて上 記の目的がより具体化されてもよい。たとえば、情報系の大学院がもし、 「将来、指導的立場で研究開発を担う高度情報技術専門家や、高等教育機関 における情報系教員として期待される人材の育成を使命とする」のであれば、 単位化の目的を「情報に関わる学術や技術を社会において指導する能力を学 生に身に付けさせる」などとすることができるだろう。 ¹
第 2 の目的
「TA の単位化」のもう 1 つの目的は、TA の「質の保証」である。TA を担 当する大学院生は、「TA の単位化」がなされた授業においては「学生」であ る一方、ティーチングを担当している学部の授業においては「先生」である という 2 面性をもっている。「TA の単位化」の目的もそれに対応した 2 面性 をもっている。すでに述べた第 1 の目的は教育対象である「学生」としての TA に関するものであるのに対し、第 2 の目的である「質の保証」は「先生」 としての TA に関するものとなっている。 ある意味では、大学組織にとっては、第 2 の目的の方が重要かもしれない。 大学経営上の都合によって専任教員や非常勤教員の数を抑制する必要がある ときには、TA の活用が頼りとなる。また、そのような不幸で消極的な状況 ではないにしても、演習や実験の科目では、受講生にとって自分の兄姉程度 の年齢差の TA の方が、中高年の教員よりも身近に感じられ、質問などもし やすく、教育効果が高い場合もある。したがって、良質の TA を活用して授 業改善ひいては教育改革を組織的に展開するという積極的な目的を見出すこ とができる。 しかし逆に、万一、1 クラスを任されて実験実習の指揮をするような重要
4 章 TA の単位化 53
な TA の質が悪かった場合には、その授業はまともなものとはならず、破滅 的となろう。TA を活用したこと自体が受講生や社会に曲解され、大学経営 の不道徳や大学教員の怠慢と見なされて批判の的となりかねない。したがっ て、そのようなリスクを避けるためにも、TA 向きのファカルティ・ディベ ロップメント(FD)とでもいうべき教育を導入し、単位を与えるかわりに それにふさわしい充実した能力を具えさせる必要が生じるのである。 いま述べた破滅的な事態は、実際、現実に起こり得るものである。教員数 を削減するかわりに TA の数を増やすとすると、その増加分として相対的に 質の低い TA を採用せざるを得ない。また、「少子化」や「ゆとり教育」な どとセットで問題視される学生の能力の「多様化」が、いずれ大学院生レベ ルにも達するのである。「多様化」はばらつきの大きさを指す言葉だが、少 なくとも TA の「教える能力」は、ばらつきが小さく安定したものとする必 要がある。 »
予想される教育効果
以上のようなことから、「TA の単位化」は、社会および学生に対して TA が教育の現場に不可欠であることを一層明確に位置付け、その教育および評 価のシステムを確立し、社会に対しては TA を活用した教育活動に対する説 明責任を果たすとともに、学生に対してはその目的と方法を明確に理解させ た上で TA の職務に当たらせて学部の授業改善に活用し、その成果を単位と して認定し記録するというような諸活動を含むことになる。 以下では、TA の活用が大学院教育の新しいメニューであるという側面と、 学部教育の新しい改善方法であるという側面の 2 点に分けて、その期待され る効果をまとめておく。
(a) 大学院教育における効果 b大学院生が将来「指導的」な立場で活躍する社会人となった場合に必要 となる包括的なコミュニケーション能力を身に付けさせることができ る。
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第Ⅰ部 TA とその制度
b特に、学生が将来教員になる場合には、教員としての自覚や意識を涵養 するとともに、教育に関わる基礎知識と実践的な体験を与えることがで きる。 b TA としての報酬は、自己の勉学および研究のための経済的な支援とな る。
(b) 学部教育における効果 b TA に対する研修指導を、単位に見合った充実したものとすることによ り、TA の質を保証して、授業の質を改善することができる。 b TA に単位というインセンティブを付加することにより、その人数の確 保を安定的かつ円滑なものとすることができる。
上記(b)の第 2 項は、すでに述べた TA の「質の保証」に加えて、「量の 確保」について言及している。TA は割の良いアルバイトだから希望者が多 くて採用に困らないだろうと思うと、必ずしもそうではない。全学教育のよ うに大規模に展開する科目では、専門性の限られた多数の TA を必要とする 場合がある。学位取得のための研究論文作成に必死な博士(後期)課程の学 生ともなると、絶対数が少ない上に、多少の金銭よりは研究時間を重視して、 TA を回避する者も多い。特に最近は、外部資金などを利用したリサーチア シスタント(RA)の採用数も増えており、職務内容において、また金銭的 にも TA より好条件となっている。修士課程 1 年生はまだ出席すべき授業が 多いことと、まだ「先生」としては若すぎる場合があり、採用が難しい。し たがって、修士課程 2 年生が頼りだが、1 人で多数のコマを担当することは 困難のようである。
2.教育政策との関連 ¸
大学院教育の実質化
ここで「TA の単位化」と日本の教育政策との関連を簡単に述べておく。
4 章 TA の単位化 55
2005 年 9 月に公表された中央教育審議会答申「新時代の大学院教育―― 国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて」(以下では「答申」という) においては、「高度専門職業人の養成に必要な教育」および「大学教員の養 成に必要な教育」として、関連の能力を磨く体系的な教育課程が求められて いる。本章に関連する部分を以下に引用する(p. 10 より抜粋)。
〈高度専門職業人の養成に必要な教育〉 理論的知識や能力を基礎として、実務にそれらを応用する能力が身に付く 体系的な教育課程が求められる。 例えば、 b高度な専門職業人として求められる表現能力、交渉能力を磨く教育 〈大学教員の養成に必要な教育〉 研究者等の養成の場合と同様の要素に加え、これまで脆弱であった教育を 担う者としての自覚や意識の涵養と学生に対する教育方法の在り方を学ぶ教 育を提供することが求められる。このため、例えば、ティーチングアシスタ ント(TA)等の活動を通じて、授業の実施方法や教材等の作成に関する教 育などを実施することが考えられる。
「TA の単位化」が、ここに示されている教育を実践する仕組みとして活用 できることは、ほぼ明らかであろう。〈高度専門職業人〉に求められる「交 渉能力」は TA では無理としても、「表現能力」はティーチングにおいて必 要とされる「コミュニケーション能力」とほぼ同義である。〈大学教員〉の 養成に必要な教育については、TA の活動そのものが直接言及されている。 答申の根本にある考え方は「大学院教育の実質化」、すなわち各課程・専 攻ごとの人材養成目的を明確化し、教育課程の組織的展開を強化することに ある。その意味では、博士(後期)課程を修了した少なからずの者が直ちに、 あるいは一度企業勤務を経た後に、大学教員となっているにもかかわらず、 日本のどの大学においても「大学教員となるための教育」を組織的に展開し
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第Ⅰ部 TA とその制度
ていないのではないか。したがって、「TA の単位化」はこの状況を是正して 「実質化」するための第一歩としてとらえることができる。 ¹
助教とその教育能力の証明
ここで、これまで議論を先送りしてきた問題を提起したい。それは、「単 位のインセンティブ」である。単位化されていない TA の活動はこれまでも 実施されてきている。それをこれまで以上に充実させ、実質化させるための 仕組みが「単位化」であり、その原動力は「単位」のもつインセンティブに 求めなければならない。 明らかなインセンティブは、最低でも、「その単位を課程の修了要件に算 入できる」とすることである。しかし、それでも、その単位を他の科目の単 位で代替できるという点で、そのインセンティブはやや弱い。だからといっ て、TA を必修とするのは、教員志望でない学生のことを考えると難しいで あろう。 問題は、教員志望の学生であるにもかかわらず、ティーチングの教育を受 けずに課程を修了して、大学教員に採用されるケースである。そのようなこ とを無くしたいというのが答申の趣旨である。実際、この答申に先立って 2005 年 1 月に公表された中央教育審議会の答申「我が国の高等教育の将来 像」の第 2 章 4「高等教育の質の保証」の中で、「教育課程の内容・水準」、 「学生の質」、「研究者の質」に並んで「教員の質」の保証が要求されている。 この質を適切な組織や制度により確実に保証する具体的な方策が求められて いる。 また、中央教育審議会大学分科会「大学の教員組織の在り方に関する検討 委員会」が取りまとめた「大学の教員組織の在り方について〈審議のまとめ〉 」 (2005 年 1 月)においては、教育研究の補助を担う現行の助手に対して、 「自ら教育研究を行う」ことを主たる職務とする「助教」の職種が提案され、 その資格として、「授業科目を担当することができることから、教授等と同 様に大学における教育を担当するに相応しい教育上の能力を有すると認めら れることが必要である」とされている。したがって、助教を採用するにあた
4 章 TA の単位化 57
っては、「教育上の能力」を確認するための客観的な基準が必要となる。研 究能力の証明は「博士」の学位で良いとして、教育能力の証明は何によるの であろうか。現状では、適切なものは見当たらない。 この問題を解決するためには、教育能力を身に付けさせるための教育課程 を設置し、その課程を修了したことを証明する資格を制定するのが本筋かも しれない。そのような観点からは、「TA の単位化」はその第一ステップとみ なすことができる。しかし、少なくとも当面は、複数の(できれば全国の) 大学間で連携し、助教の採用にあたって教育能力を証明するものとして、 「TA の単位化科目」の履修証明を利用することが考えられる。その履修証明 によって、TA の活動を「教育歴」とみなすことに加えて、教育能力の一定 の質を大学が保証したものとみなすのである。 公務員や企業勤務の研究者などの社会人を教員として採用する場合にも、 質・量ともに適切な基準による「教育能力の保証」を要求すべきであろう。 その場合、「社員教育」の経験ではなく、大学生相手の教育経験を要求した い。必要ならば博士(後期)課程に社会人入学して、「TA の単位化科目」な どの教育系の科目だけでも履修可能とするコースを新設するなど、社会人を 積極的に大学教員として採用するための社会人教育体制の整備も考えられ る。 ここまで紹介した答申の考え方は、文部科学省が 2006 年 3 月に公表した 「大学院教育振興施策要綱」に「今後の大学院教育の改革の方向性及び早急 に取り組むべき重点施策」として明示され、平成 18 年度から平成 22 年度ま でで実施するとされている。その中の具体的な施策の一つとして、つぎのよ うな項目も記載されている。 b平成 18 年度までに学位以外の履修証明に関する調査研究を実施し、そ の社会的な定着方策等について検討する
もし「TA の単位化」が多くの大学から支持されるのであれば、この施策 の流れに乗って「TA の単位化科目」の履修証明に関して研究し、社会的な
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第Ⅰ部 TA とその制度
定着方策について検討する方向性も現実的なものとなる。それによって、研 究能力に加えて確かな教育能力を有する教員を採用しようとする大学の姿勢 を、組織体制の整備という具体的な行動によって、社会に明確に示すことが できる。
3.単位化科目設計の基本的な考え方 本節では、「TA の単位化科目」を大学院のカリキュラムに設定する際に検 討すべき設計項目とそれに対する基本的な考え方を述べる。 ¸
受講対象者
まず、受講対象者の範囲を決定する必要がある。通常の科目では、これは 検討するまでもない自明なことで、その教育機関等に在籍する全学生となる。 しかし、「TA の単位化科目」の場合、対象を、TA に採用された学生だけに 限ってよいのか、それ以外の学生にも広げるべきなのかは、必ずしも自明で はない。これは「TA の単位化」の理念上の性格を決める最も基本的な意思 決定事項なので、科目毎に考えるのではなく、大学として統一的な視点を決 めておくべきかもしれない。 もっとも無難と考えられるのは、すべての「TA の単位化科目」に対して、 統一的に、つぎのような要件を付けることである。 b学生が TA に採用されているか否かによらずに受講を可能とする。 この要件には 2 つの意味がある。まず、「TA に採用されていなくても受講 できる」ことは、採用された TA だけを対象とする「TA 研修」とは明確に 異なる「授業」としての基本要件である。また、「TA に採用されていても受 講できる」ことは、この科目に限っては、「TA の勤務時間中には授業を受け られない」という原則の例外とすることを意味する。もちろん、万が一、受 講希望者が殺到したときには、受講者数の適切な上限設定と履修調整は可能
4 章 TA の単位化 59
とする。 ¹
TA の報酬と採用
「TA の単位化科目」は「授業」なので、その履修に対して学生は授業料を 支払うことになるが、その一方で、これは「アルバイト」なので賃金(給与 あるいは謝金)を受け取ることになる。さらに、前項に示した案のように 「TA に採用されていなくても受講できる」とする場合には、採用の有無に対 応して、有給と無給の 2 種類の学生が存在することとなる。このような金銭 に関わる点について制度的な矛盾がないように、既存制度内での解釈を確立 しておくか、あるいは新たな制度を制定しておく必要がある。 可能な案として、つぎのような明示的な規定を設けることが考えられる。 b実習は無給とする。ただし、大学が TA として採用している者は、その 実務と本科目の実習部分を時間的に重ねることができるものとし、その 報酬を返還する必要はない。
この考え方は、「有給と無給の 2 種類の学生」がいるのではなく、「授業」 の中では全員が無給という解釈を表している。ただし、「アルバイト」とし て有給で TA に採用されている学生は、¸で述べたように、その「アルバイ ト」とこの「授業」を時間的に重畳できることを大学が認めるという立場で ある。実際、この 2 つの側面を重ねたとしても、授業の効果にもアルバイト の職務にも問題がないと考えられるからである。 TA の採用にあたっては、「TA の単位化科目」の単位をただちに学内での 「教育能力の証明」として利用し、その単位修得者を優先的に採用したり、 その時間単価を優遇することも考えられる。 º 科目区分と科目名 「TA の単位化科目」は、「TA に採用されていなくても受講できる」とはい っても、実際には、TA の募集と無関係ではいられない。したがって、まず、
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第Ⅰ部 TA とその制度
想定される TA の募集範囲に応じて、特定の専攻の科目とするのか、それと も全専攻あるいは全学的な共通科目として設定するのかを決める必要があ る。 また、「TA のアルバイトと時間的に重ねられる」という例外的扱いや、 「履修証明」の可能性との関係で、他の一般的な科目とは事務的扱いが異な るので、オフィシャルに他と異なる特別な科目区分にしておくのがよいだろ う。 それに加えて、科目名は、それが「TA の単位化科目」であることを明示 するような統一的な構造にするとわかりやすい。たとえば、学部の「○○学」 における TA を単位化した科目に対して「○○学教育特論」などのような名 称が考えられる。 また、TA の実務内容を難易度に応じて分け、対応する単位化科目を「○ ○学教育特論Ⅰ・Ⅱ」などとグレード分けすることもできる。その場合には、 すでに述べた「教育能力の証明」としての利用も精密化できることとなる。 »
教育内容
「TA の単位化科目」の内容は、ティーチングの対象とする学部科目の特性 に応じて多様なものとなり得る。一般には、つぎのような、講義、実習、演 習のすべて又は一部を組み合わせた内容となるであろう。
講義
年度や学期の初頭に全学的に合同で TA 研修が実施されるような
場合には、その適切な部分を「講義」とみなすことができる。たとえば、当 該大学の教育に責任をもつ教員によるつぎのような内容が考えられる。
①大学教育の基礎について(ミニ講義) ②当該大学の教育システムについて(講演) ③ TA の役割について(講演およびパネル討論)
また、ティーチングの対象とする当該科目の特性に応じて、その科目独自
4 章 TA の単位化 61
の集中講義等を別途実施することも考えられる。
実習
TA の実務、すなわち、実際の授業におけるティーチング経験の
部分が「実習」であり、「TA の単位化」の中心となる。ここは、「ティーチ ング」の名にふさわしいものである必要がある。否定的な例として、たとえ ば、出欠確認、資料の配付、電灯のオン・オフ、機器操作の補助くらいの内 容では、学生に「教える」ことにはならないので、単位化にはふさわしくな い。少なくとも、演習科目や実験科目において、少人数の学生集団の演習指 導または実験指導を自立的に任されることによって、学部学生から「先生」 と呼ばれても違和感のない内容が必要であろう。博士(後期)課程の大学院 生で、ある程度の経験とレベルに達している TA の場合には、指導教員の事 前指導と同席のもとで、教壇に立って 1 ∼ 2 回の講義をすることがあっても 良いかもしれない。 演習
TA の実務に関しての定期的な討論・打合せおよび報告文書の作
成などが「演習」に相当する。自分の行った「実習」についての問題点や改 善方法を指導教員や他の TA と討論したり、次回以降のティーチングに関し て打ち合わせたりすることによって、「講義」と「実習」の間の溝を埋める ことができる。学期末には、授業の問題点や改善案などを述べたレポートを 提出させることにすれば、次年度以降の授業改善にも役立てることができ る。 ¼
単位数と成績評価
単位数は、講義、実習、演習の時間数に応じて設定する。可能ならば課程 修了要件に算入可能とする。 成績は、実習における指導教員による観察、演習における参加態度、講義 の総まとめとして期末に提出させる授業改善案等に関するレポート等によ り、教員としての意識の在り方、教育方法の修得、教育の実践能力、および 教育分野における独創性等を総合的に評価することが考えられる。 この科目の履修証明が前節で述べた教員採用の条件などに利用されること
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第Ⅰ部 TA とその制度
となる場合には、その単位認定には通常の科目以上の社会的責任が生じる。 その場合には、学位認定のように、複数の教員の合議による認定の仕組みを 導入することも考えられる。
4.TA の単位化のモデル 前節まで「TA の単位化」についてやや抽象的なレベルの議論をしてきた が、ここで具体的なイメージを明確にするために、ある特定の科目の TA を 単位化することを想定した仮想的な「TA 単位化科目」のモデルを示す。こ れは、仮想的なある大学の 1 年次学生に対する情報教育科目「情報学」のク ラスにおいて、クラス内に編成される 20 人程度の実習グループ毎に TA が 1 名ずつ配置されることを仮定し、その業務の単位化をモデル化したものであ る。 ¸
科目の概要と目的
科目区分
大学院共通科目
科 目 名
情報学教育特論
単 位 数
2 単位
概 要
「情報学」における TA の職務に関する集中講義と指導実習に係 わる教育内容を単位として認定する「TA の単位化」科目である。
目 的
b大学院を修了した高度専門職業人あるいは大学教員として必要 な指導力を教育指導の実践を通して育成する。とくに、初等中 等教育、高等教育及び社会人教育における情報教育の指導者の 育成に資する。 bチームティーチングや情報通信技術を使った学習者間の相互評 価など、協調学習を取り入れた学習法及び指導法を実践的に習 得させ、情報活用能力及び指導力を発展させる。 b教材の作成と公開及び教育を通じて、著作権などの知的所有権 に習熟させるとともに、それらに関する指導力を育成する。
4 章 TA の単位化 63
¹
単位化対象の学部科目およびその内容
「情報学教育特論」は全学教育科目「情報学」の TA を単位化するもので ある。 「情報学」の内容は、「情報社会」(3 回程度)、「情報科学」(3 回程度)お よび「情報活用」(8 回程度)に相当する内容を織り交ぜて行う演習を中心 とする総合授業である。演習は 20 名程度のグループ毎に少人数で行う。1 グ ループに 1 名の TA が配置される。 º
TA の職務内容
「情報学」における TA の職務は、単純な教育補助に加えて、より自立的 に受講生の指導に関わるものが含まれる。その例を以下に示す。 b「情報活用」の実習的な演習において、ソフトウェアツールの活用方法 について、個々の受講生の状況に合わせてきめ細かく指導をする。 b「情報科学」の課題解決の演習に関して、数学的あるいは技術的な質問 に回答し、受講生の理解を促進する。 b「情報社会」に関する討論を行う演習に関して、受講生の思考に刺激を 与えたり、論点の整理をしたりして、討論の進行を支援する。 »
単位化の内容と時間数
単位化される内容はつぎの 3 つの部分からなる。 b学期の開始時に実施する集中講義(12 時間)。その主たる内容は、1 学 期にわたって実施される「情報学」の授業全体の要約、そこで使われる 教材の説明、具体的な指導法、および考えられるトラブルに対する対処 法に関するものである。 b「情報学」における TA の業務およびそれに関する報告および指導(12 時間) 。15 回(30 時間)の業務のうち、6 回(12 時間)のみを「単位化」
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第Ⅰ部 TA とその制度
の対象とし、業務内容の報告を求め、それに関して教育指導する。 b学期末に実施する集中講義と演習(6 時間)。授業全体を総括する討論 を実施する。また、授業改善案に関するレポート提出を求める。
これらの合計 30 時間の内容およびそれに関する準備やレポート作成の時 間をもって 2 単位とする。 ¼
成績評価
成績評価は、以下の観点から総合的に行う。 b指導教員の観察および報告の内容に基づき、コミュニケーション能力を 中心とした基本的な指導力を評価する。 b実習指導における状況に基づき、問題解決能力とリーダーシップを評価 する。 b学期末において、「情報学」の問題点や改善案などを述べたレポートを 提出させ、課題発見能力や教育分野における独創性を評価する。
5.今後に向けて 授業において TA を活用するというのは現在ではふつうのことであり、大 学院をもつほとんどすべての大学で実施しているものと思われる。しかし、 事前に「TA 研修」をきちんと実施している大学は、日本ではまだ少数のよ うである。その「TA 研修」と「TA の単位化」の差は、直接には、「単位の 有無」でしかない。しかし、その差は意外に大きい。 まず、本章で述べた「第 1 の目的」は、「コミュニケーション能力」や 「指導能力」を、「学習能力」や「研究能力」に比肩し得るものに格上げして 「単位」として形あるものとして評価するという点で、「単位の実質化」に対 する大学の姿勢を明確に示している。特に、博士(後期)課程を修了して (場合によっては社会人経験を経由して)大学教員になる人材に関しては、
4 章 TA の単位化 65
その「単位」は、履修歴の証明として使用可能であり、助教の採用にもから む人事制度にまで発展する。 「第 2 の目的」は、このような指導を受けた優れた TA の活用を学部の授業 改善と教育改革につなげようとしている。特に、教員数が限られた環境の中 で、これまで以上に質の良い授業を展開するには、TA の活用が頼りである。 アルバイト料に加えて「単位」というインセンティブを付加することにより、 TA の「質の保証」と「量の確保」に実効をあげようとしている。 本章で十分に検討できなかったこととして、「授業負担」の問題がある。 「TA の単位化」というのは、大学院にそういう授業を新設することであるか ら、その分だけ教員の負担が増えることになる。「TA 研修」においては暗黙 的でしかない研修担当教員の指導負担を、「単位化」は「授業負担」として 明示的に計量可能にするともいえる。その上で、その負担を教員の教育業績 として評価したり、さもなくば負担の公平化をはかるなど、教員の個人レベ ルで「TA の単位化」に公平性やインセンティブを感じるような適切な仕組 みを作ることができるか否かが、この制度の維持発展をはかる上での鍵を握 っているように思われる。 その他にも、TA のレベル設定や成績評価の精密化など、検討課題は多い。 特に重要なのは、「TA の単位化」という制度上の改革がより多くの大学で実 施され、その効果が学内の枠を超えて全国的に波及することである。そのと きには、「TA の単位化」は大学の学部においても大学院においても、真に教 育改革の中心的な役割の一つを担うことになるだろう。
「TA の単位化」は、筆者が平成 18 年度以降の教育課程の検討ワーキング をしていたときに、小笠原正明先生から発せられたアイデアである。その後、 宇田川拓雄先生から受けたレクチャーや、高等教育機能開発総合センターに 設置された情報教養教育研究会(代表:大内東先生)における討論によって、 最初のイメージを作ることができた。北大での制度化とその文書化において は、安藤厚先生にお世話になった。最初の「TA 単位化科目」である「情報 学教育特論」(企画:岡部成玄先生)は、第 4 節のモデルとなっている。以
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第Ⅰ部 TA とその制度
上に述べた各先生に感謝する。
第Ⅱ部 TA マニュアル 業務と役割
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5 章 TA の心得
1.TA の性格 大学院生を経済的に援助する欧米の大学院生支援制度(Graduate Assistantship)は、通常の奨学金や学生ローンとは別に学内での研究や教育 に従事させ給料を与える非常勤の仕事も提供している。このような大学院生 は院生助手(Graduate Assistant)と呼ばれ、研究課題の効率的解決のため に 採 用 さ れ た RA( Research Assistant) と 学 内 の 教 育 に 関 わ る TA (Teaching Assistant)に分けられ、日本の大学でも活躍している。ここでは、 TA の基本的心構えについてまとめてみる。 TA の任務は、大別して実際に教壇に立ち単独の科目担任として授業を行 う科目担任型 TA と授業の補助をする補佐型 TA に分けられる。複数開講科 目の中の一つを受け持つ科目担任型 TA には、科目責任者(Course Supervisor)という代表責任教員が指導管理を行う。科目責任者はワークシ ョップなどを頻繁に開いて TA のとりまとめを行う。補佐型 TA は授業を実 際に受け持つ科目担任(Class Instructor)の下で補助的に働くことになる。 補佐型 TA は自分の任務内容(授業内外での役割、オフィスアワーの設定、 準備にかかる時間、試験やクイズの採点基準やその従事時間、試験監督の必 要性など)を科目担任に確認する。 TA は学生なので採用期間における自分の授業や勉強時間の確保など、学 業がおろそかにならないよう双方で配慮しなければならない。契約以上の拘 束時間があり調整がうまく行かない場合は、科目責任者・科目担任と調整す ること。チームワークが必要不可欠なので、いずれの TA も学期開始前に具 体的な任務を確認し準備する必要がある。 対人関係
事務に携わる人々を除けば、大学は教員と学生という一般的
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第Ⅱ部 TA マニュアル
な関係で構成されているが、教室の中では教師と生徒という直接的な影響力 の強い関係になる。自分の生徒の学問的かつ人間的成長のためにも、TA に は教師としてのさらなる自覚が必要になる。それゆえに研修では、軽はずみ な言動(たとえそれが教室外または学外であっても)は許されるものではな いことが伝えられる。教育者としての良識と姿勢は TA にとっても不可欠な のである。 また、ぜひ心がけて欲しいのは、生徒に対してだけではなく科目担任への 敬意の念を維持することである。教員には様々なタイプがあり、TA として 不満を感じることがあるかもしれない。だが、そういった批判的な態度を TA が生徒の前で見せたらクラスの信頼関係が崩壊してしまう。 服装や身だしなみ
エキセントリックな出で立ちは慎み、教師らしくす
ること。スーツ姿で教壇に立つ男性 TA もいるが、基本的には清潔で誠実さ を示す服装ならば可である。 言葉遣い
教室の中で丁寧な話し方をするのは当然だが、教室の外でも
生徒には同様に接すること。TA も敬意を払われる対象でなくてはならず、 フレンドリーな話し方は生徒に親近感を与える利点はあるが、逆にいい意味 での師弟関係を失わせる可能性もある。TA は学生でもあるから、学部学生 にとって高校生の時の教育実習生のようなイメージを与えるぐらいならよい が、逆に軽くあしらわれて授業が成り立たなくなってしまうと困る。そのた めにはまず言葉遣いである。 倫理規定
人種・民族・性別等にかかわらず、生徒たちには平等・公正
に教育を受ける権利があり、これは留学生にも適用される。従って差別的な 表現や偏った指導は堅く禁じられる。最近ではシラバス作成でもその配慮が 指導されることがある。 プライバシーの尊重
つまり守秘義務のことである。生徒の学生番号に
成績や住所・電話番号など、TA は一般の人が知り得ない情報を知る立場に ある。また、学生指導をするにあたって、私生活について知る機会もある。 だが、これらは生徒が TA を教師として信頼しているから提供しているので あり、教師なら生徒のプライバシーを尊重し対応しなければならない。
5 章 TA の心得 71
セクシュアルハラスメント等の禁止
教室内での性差別表現や生徒が性的
に不愉快に感じる話を禁ずることから始まり、生徒に触れてはいけない、オ フィスアワーはドアを開けておくこと、生徒 1 人と学外で会ってはならない、 などなど。誤解を招きうる行為は一切禁止である。 TA と担当生徒の恋愛関係についても禁止される。たとえそれが純粋なも のであろうと、TA がその生徒の評価などに公正さを保てるとは限らないこ と、他の生徒は二人の関係を知るだけで不快に思い差別的だと訴える可能性 があることなど、教育者として決して許されない行為とされる。以前は師弟 関係から愛が芽生えるのは一種の美談とされたが、それはもう昔話。恋愛関 係を優先したいのなら、TA を辞める覚悟が必要であり、このことは大学の 教授陣についても同様である。ちなみに、片思いのようなものは、学期が終 わるまで生徒を説得するか自分自身を戒めるよう、研修後のレセプションで 教わった。また、去年の本学での TA 研修で生徒との恋愛問題ヘの処置が議 論された時、TA から「そういったことは TA 研修で議論されるべきことな のか」という意見があった。TA と生徒の恋愛関係はプライベートなもので はないことを認識してほしい。 また、TA は年齢的に生徒に近い場合が多く、他の教員よりも生徒から相 談を受けやすい傾向がある。教育スタッフの一員として、TA も責任ある学 生指導をする必要がある。だが、アメリカで言う友達のような楽しいばかり の「ミッキーマウス先生」にはならないよう気をつけたい。同時に、生徒の 問題を TA 個人で解決しようとすると後に責任問題が絡んで来る時があるの で、科目責任者や科目担任にはしっかりと伝えておいた方がよい。 TA は科目責任者や科目担任とのチームワークとパートナーシップはより よい授業運営には不可欠であり、生徒と適切な距離を保つことは生徒への敬 意を表わすものとして評価されよう。 欧米では TA の対人関係等で問題が生じた場合は、TA 専用の相談室を利 用したり教育管理センターのディレクターに仲介してもらうことになってい るが、北海道大学ではそのような専門施設はなく既在の学生相談室が対応し ている。
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第Ⅱ部 TA マニュアル
2.授業 授業での教授内容に関しては、科目担任型 TA も補佐型 TA も科目責任者 や科目担任と綿密な打ち合わせをしておくことが前提となる。が、ここでは 円滑な授業運営方法を TA のタイプに応じて、授業前の作業、実際の授業の 種類と授業進行上の留意点に到るまでより具体的かつ実践的に指導された い。 科目担任型 TA は独立した教師として独自のシラバス作成及び授業運営そ して成績評価をする。気をつけねばならないのは担当科目が単一開講なのか 複数開講なのかということである。単一開講ならば学生便覧にある授業科目 の内容に合わせてその授業科目概略(Course Description)を学期前に責任 部局に提出し、それを展開したシラバスを作成すれば、比較的自由に授業を することができる。複数開講ならば他の TA と足並みを揃えた授業概要及び シラバス作成をする必要があり、評価の点でも基準を設けなければならない。 これは殆どが英文科の TA でまかなわれている一般教育英語(アメリカでは 必修科目であり論文指導などを行う)や第 2 外国語科目などでよくあるケー スであり、統一教科書を使い、複数開講科目の TA たちは科目責任者と密に 打ち合わせをしながら、統一試験をしたり論文の評価を TA 全員で分担する など、授業外でのチームワークが大切となる。 補佐型 TA の場合も生徒に直接指導できる補助教員的なものと、教室では ほとんど目立たず資料作成など教育環境の準備や整備をする裏方的な TA が ある。私の場合、修士 1 年生や経験の浅い TA には主にレジュメ作成、クイ ズの作成・採点・記帳、そして出欠点検などの裏方 TA を、経験のある TA には実際に授業の一部を担当する補助教員 TA をお願いしている。 例えば、英米文学演習(学部 2 ∼ 3 年生向けゼミ)では、裏方と補助教員 型 TA の両方が活躍する。前者の大きな仕事は授業で扱う作家・作品のレジ ュメの作成で、そこには作家の人生や時代背景そして一般的な文学評価や作 品論などを写真や図表とともに 1 枚のレジュメにまとめるように指示され
5 章 TA の心得 73
る。これは、新院生の知識と資料収集力を高めるためにも有効である。補助 教員型 TA には 90 分授業の最初の 25 分間を与え入門授業をしてもらってい る。作品の内容確認と予備知識の教授が必須事項で、作品を解釈する前段階 の基礎授業である。生徒はあらかじめ作品を読んでくることになってはいる のだが、この 25 分間は彼らにとって不確かな読みを是正するだいじな時間 になる。教授方法やレッスンプランの作成は TA に任せている。中には、い きなりクイズで授業を始める者もいて面白い。だが多くは単語や文法事項の リストに加え、作品中に登場する実在の人名・地名そして歴史情報などをま とめた独自のレジュメを作成・配布し逐次説明する方法を取る。新人 TA は かなり緊張して臨むことになるが、教えることの快感は次へのステップにな る。中には他大学や高校で非常勤講師を勤めている経験者もおり、見ていて 頼もしい。結果、裏方および補助教員型 TA のおかげで、私は文学解釈に専 念した「授業」を行うことができる。生徒たちも、読解と基礎知識をしっか りさせた上で意見交換が行えるので、 「ゼミ」を十分に楽しむことができる。 このように、補佐型 TA はシラバスの作成や授業の主導的役割は免除され るが、教鞭をとる科目担任とあ・うんの関係が必要とされる。また、授業は 生き物であるから授業前の打ち合わせではなかったようなことがよく起こ る。聴講はそのようなハプニングに対処できると同時に、科目担任が教えて いる時の生徒の反応を知ることもでき、マイナスにはならない。授業の聴講 は義務ではないが、TA に強く勧めてほしい。 留学生 TA も科目担任型 TA と補佐型 TA に分かれるだろう。母国語を外国 語として日本人学生に教える場合など、日本語での説明を介さない直接教授 法による授業は別として、留学生 TA は教師として高度な日本語運用能力が 必要になる。面接を受けて採用されるぐらいなので大きな問題ではないかも 知れないが、説明時に使用する語彙・発音のチェック及び補助教材の充実が 望まれる。教授用表現については、私もそうだったが、大学院の先生方の授 業での表現方法がとても参考になる。 では、授業の準備・展開・評価について説明する。
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第Ⅱ部 TA マニュアル
¸
シラバス作成
科目担任が授業初日に生徒に直接配る履修契約書のようなもので、学期前 に学科・専攻単位で掲示される授業科目概略(5 ∼ 7 行)とは別だ。シラバ スには以下の情報を 3 ページ以内でまとめるよう言われる。 b科目担任名、科目名、開講年度・学期、教室番号、開講日・時間、履修 単位数、担当者の連絡先(研究室の場所、電話番号、電子メールアドレ ス、オフィスアワーなど) b授業の概要:目的・内容、必修事項 b授業カレンダー:授業毎の内容、目標、課題など b教科書、参考書のリスト b試験の日程、論文・レポートの量・締切り、クイズの有無、評価方法・ 基準、欠席・遅刻 の取り扱い、補講の有無と条件
複数開講科目については科目責任者が教科書を含めほとんどを事前に決め ているので、科目担当型 TA はそれに従えばよい。だが、毎日の授業の進め 方は個々の TA に任されているので、単に全体の目標をこなすのではなくマ ンネリ化しないよう様々なトピックや教授法を積極的に取り入れることを勧 める。 補佐型 TA は科目担任が授業シラバスを配付するので基本的には必要無い が、科目担任によっては TA 独自のシラバスを要求することもあり、上記に 倣って自分の役割を明確に記したシラバスを独自に作成しておけば役に立 つ。 ¹
授業初日
授業内容紹介が中心になるが、新人 TA にとってはもっとも緊張する日だ。 まず、前述したように教師らしい印象を与えるよう服装や言葉遣いに注意す る。教室に入ると、前に空席があるようなら、生徒に前へ移動するよう伝え 大声を出さなくても済むようアレンジする。
5 章 TA の心得 75
次に行うのが自己紹介と授業の説明。緊張すると早口になる人はそれを意 識してゆっくりはっきりと話す。科目名と自身の名前(板書するとよい)、 自分が TA であること、どうして TA になったのか、自分が興味を持ってい る分野との関係などから始め、TA と生徒間の緊張をほぐす。授業の概要 (シラバスに書かれていること)はまず簡単に口頭で説明する。これは生徒 を TA に集中させるためだ。 登録学生のリストが事前にあれば名前の読み方を確認しながら出席を取 り、登録状況を調べる。未登録者がいる場合は、名前を書きとめ、授業後登 録を済ませるように言う。生徒の名前はなるべく早く覚える。名前と生徒の イメージを結びつけておくと憶えやすい。 そして、シラバスを配付する。シラバスは履修予定者数より余分にコピー をとっておく。シラバスは細かく説明する。時間があれば、教室内での倫理 規程(差別言動の禁止、欠席・遅刻や未提出課題等への罰則)、盗用などへ の学内罰則規定、そしてレポートや試験の内容や評価基準などを具体的に説 明する。終わったら、生徒に質問の時間を設ける。 初日の後半は、次回からの本格的授業に備えて授業内容のウォーミングア ップをする。クラスを和やかな雰囲気にするために「アイス・ブレーキング」 という方法が標準的に用いられる。生徒をペアまたはグループにして、この 授業のイメージを数分間のうちになるべく多くリストアップするよう伝え、 後から各グループが一つずつ発表する。TA はそれに受け答えしながら授業 の将来像をまとめる。大切なのは、その将来像が正しいかどうかではなく、 これからのクラス運営を活性化させるということである。 最後は、図書館やラボ等の利用方法の説明をし生徒の自助努力を促す。学 業やプライベートなことでかつ TA の権限外のことについては、学生相談室 を利用するよう勧める。終了の時間が来たら、次の授業内容のアナウンスを して初日を終える。 科目担任型 TA は上記の内容で初日のオリエンテーションを終えればまず まずだろうし、補佐型 TA も自己紹介と自分の担当箇所をしっかりと説明で きれば科目担任も安心するだろう。だが、日本の場合、オリエンテーション
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第Ⅱ部 TA マニュアル
だけで初日を終えるというのは物足りない。授業配分については科目責任者 と相談し充実した初日を計画してほしい。 また、上記以外で授業初日にぜひ実施してほしいのは個人情報の収集だ。 事前に名前、学生番号、連絡先、自己 PR、受講科目ヘの個人目標、科目担 任(型 TA)及び補佐型 TA への希望などの欄を設けた個人情報記入用紙 (Personal Information Sheet)を作っておき、オリエンテーション時に学生 に記入してもらう。これは緊急の際や長期欠席者への連絡に利用できるほか、 生徒の動機付け及びオフィスアワーに質問を受けた時や個人指導の際に話題 が広がる潤滑油的効果がある。なお、このデータは守秘義務を伴う個人情報 なので大切に保管すること。 º
講義と演習
欧米の TA 研修では以下のことが講義と演習に分けて細かく説明される。 実際の授業は両方のスタイルを組み合わせた型になると思うので、科目担任 型 TA ・補佐型 TA 共に積極的に取り組んでほしい。 ①講義・演習共通事項 レッスン・プラン
毎日の授業内容と目的及び進行予定を分刻みで書き
記したシナリオのようなもので、科目担当型 TA は授業全体について、補佐 型 TA は与えられた作業について作成する必要がある。教授法については割 愛するが、大切なのは内容と時間との関係である。無理なく効果的に目的が 達成されるよう作成しなければならない。レッスン・プランをハンドアウト にして配る必要はないが、授業の導入時にその内容を口頭で説明するだけで も授業全体の進行に大きな効果がある。 機器の操作能力
AV 機器や OHP またはコンピュータなどを使用する際
には、事前にその操作方法に熟知しておくこと。教室に必要な設備がない場 合は、使用許可を取り予約を済ませておく。そして授業開始前には設置を完 了し、使用時には時間のロスが最小限になるようにしておく。 補助教材
特に生徒に配付するハンドアウト(レジュメ)は、教科書を
補うだけでなく、授業の進行をスムーズにするなど、生徒の手元に残る資料
5 章 TA の心得 77
として有効である。ハンドアウトには出版物を単にコピーしたものとオリジ ナルに作ったものに分かれる。前者については出典情報(作品名、著者、出 版社、巻号、出版年など)を明記し、著作権法に触れないよう気をつける。 後者については読みやすさと理解しやすさに気をつける。掲示用の教材やド リル時に使うフラッシュカードなどは丈夫な材質を使い離れた生徒も認識で きるようにする。フラッシュカードは何種類も作り組み合わせて使用できる ようにしておくと便利。 クイズや試験を作成する時は出題の内容と目的、つまり既習事項の習熟度 テストなのか応用テストなのか、を考慮して選択式・記入式・記述式スタイ ルを選び配点を決める。テスト名、生徒名・番号の欄を設け、質問は指示を 明確にし、解答記入欄を十分にとる。模範解答や採点基準は前もって準備し ておく。 授業は時間通りに始まり時間通りに終わるのが基本である。
時間厳守
授業前後の休憩時間も有効に使うことができる。黒板を消すなどの環境整備 のほか、生徒と雑談することで習熟度や問題点を知ることができ授業へ向け ての知的環境も整えられる。オフィスアワーも時間厳守。ただ、正当な理由 があってオフィスアワーに来られない生徒には予約を取らせて会う配慮が必 要である。 出欠点検
生徒を覚えていれば欠席者もすぐわかるので、時間をかけて
はいけない。生徒の作業中や口頭でのクイズ・質問時に合わせて出欠を点検 すると効率的だ。 動機付け
授業内容に興味を持たせるためには、まず教師がそれを楽し
む姿勢を見せなければならない。技術的には、日常や学問から来る疑問や矛 盾点などを問題提起し、生徒に考えさせる(アイス・ブレーキングなど)こ とから始め授業目標を設定、動機付けをすることができる。また、同様の質 問をクイズにし発表させる方法もある。 説明
事象や課題について説明する時は、前もってカギになる表現や文
章をレッスン・プランに書いて準備しておく。理論的なものの説明は後に具 体例を多く示す。その際、重要な定義やキーワードなどは必ず板書し口頭で
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第Ⅱ部 TA マニュアル
繰り返し使用すること。教科書やハンドアウトを棒読みするだけの説明は生 徒に響かないし、思いつき的な説明は例外を生み無責任なので避ける。準備 された用語を使って自分の言葉で話してほしい。 ユーモア
授業を円滑に進めるものとしてユーモアがある。ただし、そ
のユーモアを不快に感じる生徒もいるので注意すること。 機会均等
生徒に質問をする場合や生徒からの質問を受ける場合は、よ
り多くの生徒の声を取り入れること。一部の生徒のみを対象とした偏った授 業には生徒は敏感である。 質問・意見への対応
生徒の質問や意見にも様々なレベルがあるが、教
師には誠実に答える義務がある。内容確認の質問ならもう一度それを繰り返 せばよいが、キーワードをしっかりと押さえること。「先程言ったように」 というような表現は多用しない。 発展的な質問や意見については、TA がすぐに応えるよりも他の生徒に問 いかけてみるなど授業を活性化するために利用することもできる。答が分か らない時はでまかせの対応はせず、分からない理由を明確にし,教師の課題 として持ち帰り、次の授業では確実に説明できるようにする。 質問・意見の内容が不明確な場合は知的表現に換えて確認する。いずれに せよ生徒に発言したことがクラスに貢献したと思わせるよう努力しなければ ならない。ただし、あまりにも低質な質問には時間を割かないこと。 生徒への対応
生徒にも様々なタイプがいる。内気な生徒には発言を迫
るのではなく、その生徒の表情を見てタイミングを判断すること。また、小 さなグループに分けて話をさせるのも方法。一方、よく発言し話題をそらす 生徒への対処法としてはその生徒の意見をクラス全体の討論の議題に移し他 の生徒の意見を引き出す。それがうまく行かない場合はその内容については 授業後かオフィスアワーに話すよう指示する。が、最終的にはその生徒と個 人的に話をし、その生徒の意見は大切だが他の生徒はお陰で話せないでいる という事実を理解してもらい、その生徒には他の生徒を援助する役目を演じ るよう頼んでみる。 また、個々の生徒の活動内容については授業後に記録しクラスへの貢献度
5 章 TA の心得 79
等の資料として残す。 授業の締めくくり
最後は必ずフィードバックし次回の授業内容及び課
題を伝える。 ②講義 講義は単一方向的な教授形式の授業形態である。担当する TA はクラスの 主役として全体をコントロールすると同時に、授業が単調にならないよう工 夫しなければならない。そのためにはレッスン・プランを充実させ、AV 機 器使用、クイズの実施、そして演習的なものを組み入れるなど、授業に変化 をつけるとよい。 また、板書時には、字は丁寧に書くこと。板書中は背中を見せず、生徒が 読みやすいよう配列する。板書量が多いならば授業でのロスタイムを少なく するために休憩時間に板書を始めておくか、ハンドアウト等を準備する。レ ッスン・プランにモデルを作り板書内容とそれを板書する順番を記しておく とよい。 ③演習(ラボ、ドリル、討論、実習) 演習は TA と生徒の双方向の作業であるが、主役は生徒である。TA は生 徒が自発的に課題に取り組むようサポートする役割と課題が順調に進むよう に管理するリーダーの役割が必要になる。そのためには、生徒との信頼関係 を築く必要があり、リラックスした中にも秩序ある環境を作らねばならない。 もっとも注意しなければならないのは、既習事項の範囲内で演習を行うこと だ。科目担任がまだ教えていない内容を TA が先取りして使用すると授業全 体のカリキュラムが崩れてしまう。全体の進度を見極めた上で、演習用のレ ッスン・プランを作りたい。 また演習は、その内容によってコンピュータラボなどは個人演習、ドリル や討論そして実験実習などはペア・小グループ・クラス全体による作業と分 かれる。それぞれの形態によって、教室環境も個人ブース型や円卓型、対峙 型、移動型を取り入れたい。 演習のイントロでは TA が課題の説明をし、質問などをして問題提起をす る。その際、演習に向けて授業内容をフィードバックするのは当然であり、
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第Ⅱ部 TA マニュアル
補佐型 TA の場合科目担任と内容をしっかりと打ち合わせしていたり授業を 実際に聴講して科目担任の表現を引用したりすると、生徒にとって講義と演 習の関係が容易に理解できる。そして、課題解決のためのステップを設定し 演習に移る。 ラボ
TA は機器使用について熟知しておくこと。基本的には 1 対 1 の
指導だろうが、1 人の生徒に時間を取られすぎないよう 1 人当りの対応時間 を決め幾巡かするよう心掛ける。 ドリル
繰り返しの作業が多いので、フラッシュカードなどの補助教材
を利用してゲーム感覚で相手や内容を変えてリズミカルにすること。外国語 のドリルの場合は、生徒の既習語彙・ 文法を十分熟知した上で復習もかね て行う。TA が軸となって個人や全体をリードすること もできるし、ペアや グループでのドリルを指示するのもよい。 討論
TA が議長になる必要はない。TA が議長になると討論が能率的に
進行する利点があるが生徒の自由な発想が抑えられる可能性もある。時には 生徒を議長にし、TA はオブザーバーになったり、発話者の 1 人として参加 したり、また内気な生徒を励ます役割を演じてみるのもよい。ただ、討論の 目的を掌握し脱線しないよう調整に努めること。 実験等の実習
事故などが起こらないように安全面にもっとも注意し、
実験機器の取り扱い方、危険物への対応・処理方法を周知徹底させること。 換気などの環境保全にも努め、事故があった場合の対処法を科目担任ととも にまとめてマニュアルを作っておく。だが、生徒には指示通りにすれば安全 で有益な実験だということを強調する。 フィードバック
演習を終えるとき、演習の課題・過程・結果から何が
わかったのか、何が達成され何が新たな課題として残ったのかを TA がまと め、生徒個人の理解を促す。そして、演習前、演習結果、そしてこれからの 演習内容と結びつけて、この演習が授業のカリキュラムで占める位置を確認 する。
5 章 TA の心得 81
3.授業外での仕事 TA にとって、授業よりもその前後の方が忙しいかも知れない。ここでは、 採点、成績評価などについてまとめてみる。 ¸
採点
採点の対象となるのはふつう試験、レポート、そして討論および授業への 貢献度である。採点基準は科目責任者・科目担任や他の TA と基準調整して おく。 ①筆記試験 採点を始める前に全体の出来映えを見て採点基準を確認・調整する。次に、 1 人分を一度に採点するのではなく、一つの質問だけを流れ作業的に行う。 そして、採点に公正を期すため、切れのよいところで休養を何度も取る。試 験の代表的な採点方法を列挙する。 b選択式・記入式試験 機械的になりがちだが、模範解答と配点(完全回答なのか、部分点 が許されるのかなど)を科目担責任者・科目担任になるべく一度で確 認しミスのないように心掛ける。 b記述式試験 加点法:必須事項毎に点数を加える 総合点法:採点の焦点(思考過程なのか、結果なのか、量なのか)を 絞り、全体の出来で得点を決める。 部分点法:異なるカテゴリー(構成、参考文献引用度、結論の質)で 採点し合計する。 討論や授業への貢献度:発言の量と質で判断するが、生徒の性格的な問題 もあるのでこれまでの学習内容や他者の意見を把握しているかなど発言内容 の質を重視したい。が、評価の書き込みなどは討論中の学生の前ではしない こと。授業後、1 ∼ 5 のスケールで評価すると容易だ。 ②論文・レポート
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第Ⅱ部 TA マニュアル
まず、提出された論文全体に目を通し大まかに A、B、C、D、F に分け、 再度入念に読みながら評価の均一化を図る。一般教育英語の授業での平均的 な評価基準は以下のとおりが、日本の論文指導の授業でも参照できるだろ う。 A(秀):情報量・理論面で優れており他の考え方にも言及・批判しバラ ンスがよく、独 自の考えが明確に示されている。 B(優):情報量・理論面で優れており他の考え方にも言及しバランスは よいが批判的でなく、結論に独自性がない。 C(良):情報量・理論性もあり他の考え方も紹介しているが、全体的に 説明文的であり洞察力に欠ける。したがって、結論も平凡である。 D(可):課題については知っているようだが、アプローチの仕方や構成 が共に未熟で、結論も練られた痕跡がない。 F(不可):文法ミスなどが多く文章が書けていない。課題も全く理解し ていない。
採点後は個々の生徒にコメントを残すとよい。解答のよいところや弱点を 発展的に捉え、生徒がフィードバックできるよう教育的配慮を施す。責める ようなコメントや冗談のようなコメントは不可。 補佐型 TA の次の仕事は採点結果を科目担任に伝えること。個々の生徒の 成績だけではなく、クラス全体の採点結果と難易度および習熟度を書面で教 員に示すのが望ましい。それを知ることよって科目担任は授業を調整したり 個々の生徒へより配慮した授業をすることができる。 ¹
成績評価
最終の成績評価は評価の対象事項とそれぞれの配点がシラバスに明記され ているので、それに従えばよい。評価の対象は上記の他に出欠があるが、欠 席や遅刻数の減点数を明記しているなら機械的に出る。 だが、実際の評価は簡単ではない。ボーダー上の生徒については科目担任 が補佐型 TA に意見を求めることもある。また、科目担任によっては演習な
5 章 TA の心得 83
どの部分評価を要求することがあるので、TA シラバスで基準を明確にして 公正な評価をする必要がある。 º
その他の仕事
補佐型 TA には生徒を直接指導せず教育環境を整備し補佐する仕事もあ る。授業での機器運搬・操作、大人数教室での出欠点検や資料配付・課題回 収、そして資料作成である。 これらに共通しているのは科目担任が行う授業を円滑に進めるための裏方 的役割を負っているということである。したがって、補佐型 TA は科目担任 より早めに教室に行って授業開始時にはその作業を終了しスタンバイしてい なければならない。器材に関しては使用予約及び器材点検を怠らないように。 出欠点検・資料配付・課題回収の能率化は授業の効率を高めるのでなるべく 短時間で終えられるよう工夫してもらいたい。資料作成は、科目担任から資 料の原本をもらいコピーすることや資料を TA が直接調べてきてコピーする ことがある。前者の場合だとその日突然依頼されることもあるので授業前に 余裕を持って科目担任の研究室を訪ねたい。後者の場合はゆとりをもって資 料を集め科目担任の了解を得たうえでコピーする。コピーは簡単なようで時 間もかかるしミスも出やすい。注意すること。 また、このようなタイプの補佐型 TA も本人次第でさらに授業に貢献でき る。授業開始を待つ休憩時間の間、前回の授業について生徒と雑談的な話を してフィードバックのようなことをすると、授業開始後の学生の雰囲気に差 が出てくる。また、オフィスアワーを活用するよう生徒に呼びかけることも できる。
4.問題防止と解決方法 TA の仕事をしていると予期せぬ問題にぶつかることがある。他の TA に 代わってもらうことになったり、生徒からクレームをつけられたりなど。そ れに備えるには、まず記録を残すことである。シラバス、出欠状況、クイズ
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第Ⅱ部 TA マニュアル
や試験の成績、ハンドアウト、レッスンプランから授業での発言内容や生徒 からもらったメモやメールまで、できるだけ多くの証拠を持つことにより不 測の事態に備えることになる。そしてもう一つの予防策は、授業進行状況や 生徒の言動については科目責任者と密に連絡をとっておくこと、である。 生徒が TA のもとに問題を持ち込んだら、まず TA 自身が対応する必要が ある。成績についてのクレームがある場合はまずその生徒に成績記録を見せ て説明し、納得しなければ科目責任者・科目担任に連絡する。試験やレポー トなどで不正行為のようなものを見つけた場合は即座に科目責任者・科目担 任に報告すること。TA は教育スタッフではあるが、そこで起こった問題に 一人で解決しようとしてはいけない。責任を持って解決できるのは科目責任 者や科目担任という大学の専任スタッフであり大学自体である。 新人の TA にとって自分の仕事ぶりは気になる。そこで学期開始からしば らくして、TA マニュアルを読んだり TA 研修を思い出して自己評価をして みる。科目担任か経験のある TA に授業を参観してもらい意見をもらうのも よい。また、誠実そうな生徒数名に直接尋ねるとか、授業時間を少し割いて 生徒全体に授業の印象を無記名で簡単に書いてもらう、といった方法がある。 よりよい TA になるためは、もし問題点があるならそれを認め早急に修正す る必要がある。学期末には学生による正式な授業評価や科目責任者・科目担 任による TA 評価が待ち受けている。それをよりよいものにし来期への契約 更新と教育業績積み上げのために努力しなければならない。
北海道大学の TA 数は増加傾向にあり、大学全体で 2000 年度は 1572 名だ ったのが、2005 年度には 2531 名になった。2006 年度は、全学教育科目の TA 採用数だけで延べ 719 名に達している。大学院生への経済援助と教育機 会提供は望ましい傾向だが、一方で TA という非熟練教育者の増加は教育の 質の低下を生む原因となり得る。そういった事態を未然に防ぎ、学部教育の 質の維持向上のためには TA 自身の意識的な取り組みが不可欠である。 将来の研究者且つ教育者を志す者にとって大学レベルで教育実践を積むこ とは、昨今の採用条件、つまり研究業績だけではなく教育経験も重視する傾
5 章 TA の心得 85
向、を考えると絶好の機会と捉えなければならない。事実、最近では日本の 大学でも模擬授業を採用面接時に課すところがある。TA としての責任は大 きいが、それによって得られる経験は将来の自分を築き上げることになる。 そして決して忘れてはならないのは、教えることの喜びは何にもまして素晴 らしいということである。
86
第Ⅱ部 TA マニュアル
6 章 多人数授業
北海道大学は、全 12 学部を擁する総合大学であり、そこでは多種多様の 授業が展開されている。授業の内容が多様であれば、当然、授業の形態も多 岐にわたる。たとえば、全学教育をとりあげた場合、授業科目の種類として、 まず教養科目と基礎科目とに大きく二分され、そのうちの教養科目は、分野 別科目・複合科目・一般教育演習・共通科目・外国語科目に細分されてい る。それらの中には、理系を中心とした実験や実習は勿論のこと、論文指導 というレポートの作成方法の修得を目的とした授業、複数の教員が担当して 複数分野の融合を目指すような授業なども含まれる。 このように、全学教育における授業例を垣間見ただけでも、北大には、実 にさまざまな形態・内容・目的・到達目標をもつ授業が行われていることが 知られる。ということは、そこで任用される TA にとっても、それぞれの授 業で求められる業務は多種多様であり、必ずしも均一に論じることはできな い。 今回、筆者に課せられたのは、多人数授業における TA の業務やその心得 についての説明である。つまり、多数の学生が受講する授業において、それ を担当する TA がどのような業務内容を行うのか、また TA にはどのような 役割が求められ、それに対してどのようなことを心得ておくべきかについて、 平易に解説することである。しかし、一口に多人数授業といっても、上述し たとおり、さまざまな授業が行われるわけで、それらを網羅しつつ、TA の 業務やその心得を概括的に論じることは至難の業といえよう。 そこで今回は、北大の全学教育において、単独の教員が担当する授業、な おかつ受講者が 100 名を超えるような授業を想定するとともに、筆者自身の 専門分野に照らして人文系の内容をもつ分野別科目の授業を念頭におきなが ら、それを担当する TA の業務やその心得について述べることとしたい。
6 章 多人数授業 87
したがって、以下に記すことは、多人数授業の中でも、ほんの一部に過ぎ ないことを断っておきたい。ただし、ごく一部の授業例ではあっても、TA を担当する者にとっては、決して無関係・無意味なものではなく、それをわ きまえて参考にすれば、必ずや自身の担当する授業においても活用・応用で きることを明言しておく。
1.一般的な業務内容 まず最初に、TA の業務内容について、授業の開始以前に準備しておくべ き事項から記すことしたい。これは至極当然のことだが、自分が TA を担当 する授業については、その目的・到達目標・計画・内容・評価の基準と方 法・教科書・参考文献等々、必要最小限度の知識を頭に入れておかなければ ならない。あらかじめシラバスの該当箇所を通読するのはいうまでもなく、 事前に授業を担当する教員と打ち合わせて、不明な点は、授業開始日までに 解消しておくべきである。 次に初回の授業であるが、受講者が 100 名を超すような多人数授業におい ては、オリエンテーションを行い、同時に履修者調整を実施する場合が少な くない。履修者調整とは、教育環境を整えるための措置で、履修を希望する 者が講義室の収容数を超過しないように、たとえば、抽選などによって履修 者を決定することである。履修者調整の手順・方法については、学生便覧な どに詳細に記されているが、担当教員によってはその方法が異なることもあ る。いずれにせよ、履修者調整を円滑に実施するには、TA の補助が不可欠 であり、教員はその協力を得て、講義室で履修許可票を配布したり、抽選を 行ったりすることになるので、その点は留意しておきたい。 また日常の授業においては、特に受講者が多い場合、教材を印刷してそれ を配布したり、あるいは出欠を確認するために受講票を配布して回収したり する作業が必要である。TA の業務には、このような作業の補助も含まれる。 また授業の中では、OHP、スライドプロジェクター、ポータブル液晶プロジ ェクター、カセットテープレコーダー、CD ・ MD プレーヤーなど、視聴覚
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第Ⅱ部 TA マニュアル
機器を扱う場合がある。大半の場合は、TA が教員の指示にしたがい、その 操作を行うことになるので、各機器の使用方法は、事前に習熟しておく必要 がある。 さらに授業終了後の成績評価に関しても、その補助を求められることがあ る。とりわけ、受講者が多人数の場合には、たとえば、提出されたレポート や答案用紙を整理するなど、採点以外にも多くの作業が必要である。それら の補助作業も TA の重要な業務の一つといえる。
2.具体的な業務内容 ここまでは、多人数授業を想定しながら、TA が実際どのような業務を行 うのか、いわば一般論として概説した。そこで TA に求められることを一言 でまとめると、業務の中心は、授業を担当する教員の補助的な作業というこ とができる。 しかし、TA は、将来、高等教育機関において教育者・研究者として活躍 することが期待された大学院生であることを忘れてはならない。つまり、 TA にとって、担当する授業は、実践的な教育訓練の機会ともいえるわけで ある。したがって、TA は、単に授業の補助作業を行えばよいというのでは なく、その業務を通して、教育現場における実習経験を積む絶好の場である ことを自覚する必要があろう。 そのような考え方にもとづき、筆者の担当する授業においては、一定の時 間を設けて、TA が実際に教壇に立って説明する機会や学生に直接指導する 機会を作るようにしている。たとえば、いままで筆者の授業内で TA が実践 したことのある業務内容を具体的を示すと、次のとおりである。 ① 現在、TA が専攻している研究内容を授業に関わる範囲内で平易に解 説すること。 ② レポート作成上の注意事項について、TA が体験した成功例・失敗例 などを含めて説明すること。 ③ 学生の作成したレポートの内容について、TA の気づいた点をコメン
6 章 多人数授業 89
トすること。 考えてみるに、授業の一部を担うことは、TA にとって大きな負担になる かもしれない。しかし、現在のところ、高等教育機関への採用時に、教育実 習など、教育実践の経験が義務づけられていない事情をも考慮に入れると、 それが将来、貴重な体験になることは間違いないと思われる。 さらに、受講者が 100 名を超すような多人数授業の場合は、ややもすると、 教員から学生へ一方的に知識を伝授するような授業に陥りかねない。しかし ながら、その中に TA の説明や指導を挿入することによって、授業の進行に アクセントをつけることができるという効果も期待される。
3.教育上の心得 以上、主として教員と TA との関係を念頭におきながら、TA の一般的な 業務内容とその具体的な実践例を示した。しかし、いま一度視点をかえて、 TA と学生との関係まで視野に入れたならば、TA が心得ておくべきさらに重 要な点に気がつくであろう。それは、いうまでもなく、授業に臨む学生は、 TA を教員と考えて接するということである。その点に配慮すれば、たとえ 依頼された業務が授業の補助であっても、TA は、授業担当の教員と同じよ うに、教育する立場の者としての自覚が必要になるだろう。 しかし、はじめて TA に任用された大学院生にとってみれば、いきなり教 育者としての自覚といわれても、それが痛切に必要だと感じないかもしれな い。また、そうした自覚とは、教育経験を積み重ねる中で、自身で考えなが ら、自然に身についていくものとも思われる。 とはいえ、将来、もし教育機関において授業を担当するのであれば、いず れは、教育者としての自覚をもち、さらには教育の理念・方法・効果などを 考えざるをえないことだけは確かである。そのことを踏まえて、筆者自身が 教育に従事する上で、日頃から心がけていることを、中国古典の文章を引用 しながら紹介したい。 中国古代における礼の理論やその制度などが記された『礼記』という書物
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第Ⅱ部 TA マニュアル
があるが、その中に次のような文章が見える。 きょうがく
あいちょう
教学は、相長ず。 教育することと学問することとは、相互に補助しあうものである。 まな
しか
のち
た
し
おし
しか
のち
くる
し
学びて然る後に足らざるを知り、教えて然る後に困しむを知る 学問することによって、はじめて自分の知識不足がわかる。人に教育す ることによって、はじめて知識不足の苦しみがわかる。
これらは、いずれも『礼記』の中、教育の理念や方法が記された学記篇に 収められた文章である。この二文に述べられている内容は、教育と学問とは 別のことではなく、教育することはすなわち学問することであり、学問する ことはすなわち教育することであるということに他ならない。さらに進めて 解釈すれば、教育する立場の者に対して、つねに謙虚な姿勢を堅持すること を求めた言葉とも理解される。現代における教育理念としても、十分、通用 する考え方だと思われる。 以上、中国古典より二文を引用しながら、筆者自身が教育上、心がけてい ることを少し述べた。とりわけ、TA を担当する者には、すぐさま役立つ内 容ではないかもしれない。しかし、今後、教育者として教壇に立ち、自身で 教育とは何かという問題を考えるに際して、参考になれば、望外の幸せであ る。
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7 章 少人数授業――「科学技術と人間の倫理」を例に
北海道大学における科学技術倫理教育の一環としてはじまったパイロット 授業「科学技術と人間の倫理」は、倫理的テーマが関係するケーススタディ と倫理理論の学習を融合した新しい授業の取り組みである。この授業では、 学生たちが自主的に資料を持ち寄り、それに基づいて討論を行うことが授業 全体の基調をなしており、その討論の補助を行う TA の働きは、この授業の 成功の可否に少なからずかかわっている。そこで、本稿ではこの授業におけ る TA の役割を概観し、その仕事の内容と注意すべき点を挙げてみる。
1.授業の概要と TA の役割 ¸
授業の概要
「科学技術と人間の倫理」は、異なった副題をもつ 3 授業の同時並行開講 という特徴ある開講形態をとる授業である。ここで学生たちは、講義形式の 授業への参加と討論形式のグループ学習を交互に行うことによって学習を深 めていく。 まず、集まった学生たちは講義形式の授業の中で導入部的な内容を学ぶ。 それは科学技術の進歩と、その陰で発生したさまざまな問題についてのレク チャーであり、なぜ科学技術と倫理が同じ俎上に載せられるのかがテーマと なる。 この導入の後で、学生たちは異なる 3 つの副題 1 )にそったグループに別け られ、それぞれ別々に討論形式のグループ学習を行う。この時、大教室から それぞれの討論室に移動する。 3 つのグループは、別々のテーマで議論を行う間は相互に顔を合わせるこ とはない。しかし学期の半ば頃、事例研究をする上で参照すべきモラル・セ
92
第Ⅱ部 TA マニュアル
オリーを学ぶ場面があり、このとき 3 つのグループは再び一堂に会すること になる。さらに、学期の終わりにもこれらのグループは再び集まり、互いの 討論の成果を発表しあい、相互に評価しあうことになっている。 ¹
授業構成
授業構成を時系列で列挙すると、以下の通りになる。 第一回 科学技術と人間の倫理序論 [全体講義] 第二回 ケーススタディとは何か [全体講義とアイスブレーキング] 第三回 ケーススタディ(1) [ミニレクチャーと打ち合わせ] 第四回 ケーススタディ(1) [調査と検討] 第五回 ケーススタディ(1) [報告と討論] 第六回 モラルセオリー(1) [全体講義] 第七回 モラルセオリー(2) [全体講義] 第八回 ケーススタディ(2) [ミニレクチャーと打ち合わせ] 第九回 ケーススタディ(2) [調査と検討] 第十回 ケーススタディ(2) [報告と討論] 第十一回 ケーススタディ(3) [ミニレクチャーと打ち合わせ] 第十二回 ケーススタディ(3) [報告と討論] 弟十三回 ケーススタディ報告会 [全体報告会] 第十四回 科学・技術に対する地球市民の責任 [全体講義] (*アンダーラインのある回は授業別・グループ学習。それ以外は全体講義・全体学 習)
一学期を通して行われる 14 回の講義は、全体講義とグループ討論を交互 に行うという特徴ある形態をとっている。 º
TA の役割
上記の授業構成の中で、TA が果たす特に重要な役割はケーススタディの グループ討論の場面における討論の円滑な運営である。 グループ討論の特徴には以下のような特徴があると考えられる。 ① 学生は、自分の考え方や経験や情報を発表する機会を得て、そのやり 方を学ぶ。 ② 学生は、学究的に適切なやり方で、他の学生や教師と交流する仕方を
7 章 少人数授業 93
学ぶ。 ③ 学生は、反対意見や反証を前にして、自分の考え方を発展させたり、 修正したりすることを学ぶ。 このように、ディスカッションは、ある問題に正しい解答を与えることに はあまり関わっておらず、学生の学究的かつ知的なスキルを向上させること により多く関わっている 2 )。 したがって、TA は何らかの解答を学生に押し付けたり、たとえ押し付け ないまでも、意図的に学生たちをなんらかの結論に導こうとしたりしてはい けない。TA の役割は議論の活性を維持することにある(具体的方法などは 3 章を参照) 。 »
本講義における TA の仕事の具体的内容
毎回の授業で、具体的に行う TA の仕事を列挙していこう。 ①授業前 授業開始 5 分前には教室に入って照明をつけ、チョーク、OHP 機材の確認 を行う。OHP 機材はいつでも使えるようにセットする。 教官から事前に印刷物を頼まれていた場合はもっと早く学校に来て印刷を 済ませておく。(前日のうちに済ませておく方がなおよい。 ) ②全体講義の中 教官が合図したらプリント類を手早く配る。教官あるいは学生が OHP を 使う段になったら、スクリーンの準備をする。 ③学生討論 TA は学生より先に討論室に入り、椅子の並べ替えを行う。班ごとにまと まって座れるように配慮する。 討論が始まったら、机間巡視を行い、討論の進行ぐあいを観察する。うま くいっていない場合は手助けをする(詳しくは第 3 章) 。 ④授業終了 レポートやアンケートの回収日の場合は、授業終了後、それらを学生たち より回収する。
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第Ⅱ部 TA マニュアル
OHP 機材の後片付け、黒板消し等を済ませ教室の消灯をする。教官から 要請があった場合は教室の鍵を返却する場合もある。 ⑤レポート評価 学期末に学生が執筆するレポートの採点業務を TA が担当する。学生たち の討論の流れをもっとも身近で見てきた TA が採点することで、きめ細かい レポート採点を行うことができる。採点基準等は後述(90 ページ) 。
2.学生討論補助について 学生討論を円滑に進めていくために、TA はケーススタディの意義を把握 しておく必要がある。TA 自身がこれを理解していなければ、学生たちを積 極的に議論に参加させていくことができなくなるからである。 ここでは、ケーススタディの意義を確認するとともに、授業において具体 的にとりあげた事例を参考にしながら、TA の討論補助における役割を確認 していこう。 ¸
ケーススタディの意義
TA は以下に列挙するようなケース・スタディの教育的意義を把握してお く必要がある。 ① 具体的問題の複雑さを理解する。 …科学技術と社会の接点で生じるさまざまな問題は、決まった答えを必ず 見つけられるような算術の問題とは性質が異なる。利害の調整をするような 場面では、正解探しをするのではなく、それぞれの利害関係者の立場を理解 したうえで、それがもっとも適切だと皆が合意できるような回答を作り出す ことが重要だということを、学生にしっかりと理解してもらわなくてはなら ない。 また、科学的データでも、それを利用する者が異なれば、異なった印象を 与えるという点にも注意を向ける必要がある。「客観的」とされるデータが、 一方的にある立場を擁護することもあり得るわけである。学生たちにはデー
7 章 少人数授業 95
タを調べることだけではなく、そのデータの使われ方にも注意を向けてもら うように努力する。 ② グループ内で意見をまとめていく過程で論理的思考力を身につけてい く。 …あくまで、班内の合意形成を目指してもらう。従って、多数決を用いて 意見を取りまとめることだけは絶対に避けるように導かねばならない。互い の意見の相違を摺り合わせる過程で論理的な思考力を身につけてもらうこと が討論の狙いである。 ③ 情報収集能力を高める。 …学生たちが極端に少ない情報源をもとに議論を展開している場合には、 TA はそのことを指摘した上で、情報収集のやり方を学生に伝える必要があ る。図書館での新聞情報の調べ方、図書の検索方法、インターネット情報の 集め方 3 )などを指示する。学生によって情報収集力にむらがあるので、よ く観察して指導しなければならない。 ¹
具体例
ここで、この講義が最初に行われた年(2003 年)に実際に扱った事例を 参考にしながら、TA の働きと役割についてみていこう。
事 例
千歳川放水路問題 4 )
概 要
千歳川放水路問題とは、千歳川(北海道千歳市)中下流部に広が
る低平地の治水対策のために放水路を工事しようという案が出され、これを めぐって流域住民、行政、農民、漁民、環境団体などが対立した問題であ る。 ディスカションの促進のために
はじめに 班の顔合わせのときには、学生たちも初対面同士であるため、話合いがす ぐにできる状態ではない。まず、TA は班内で役割分担を決めることを勧め る(役割:①リーダー ②記録係 ③発表者 ④司会進行役 その他)。リ
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第Ⅱ部 TA マニュアル
ーダーを決めてしまえば、後は学生たちにまかせてグループ内の議事を進め てもらう。 しかし、この時点で学生たちが相互に打ち解けない雰囲気であったならば、 相互に自己紹介をさせることが大事である。互いの名前を把握し合うことが コミュニケーションの第一歩であるから、「互いの名前の漢字書きを、紙と 鉛筆を用いずに教え合う」という課題をだしてみるという方法を勧める。人 に自分の名前の漢字書きを把握させるためには、相当数の言葉を発さなけれ ばならず、これがコミュニケーションのきっかけをつくる。また自分の名前 を他者に把握させることは、或る程度の達成感をもたらすので効果的であ る。 また、学生たちは授業以外の時間にも相互に連絡を取り合って作業をして いくことになるので、互いの連絡手段を確認させるようにする。 議論の目的 「(1)ケーススタディの意義」で書いたとおり、ケーススタディにおいて は正解探しをすることが目的ではない。利害関係を把握し、もっとも妥当な 回答を模索することが目的である。この点は TA がはっきり示さなければ、 学生たちは「正しい解答が書いてある資料を探せばよい」という方向で動い てしまうので注意しなければならない。 特に、裁判所などで一定の結論が出てしまっている問題を扱う場合、多く の学生はそうした結論が出された背景を把握することで満足してしまう。そ うやって一度結論が出てしまっている問題に対しても、もう一度前提から掘 り下げなおし、自分たちなりの回答をその場から生み出していくことが重要 であるということを、TA が学生たちに伝えなければならない。 調べるべきことの確認 学生たちの議事がうまく進んでいない場合は、TA の方から積極的に学生 に語りかけて、利害関係者を列挙させてみる。この千歳川放水路問題の場合 は、流域住民、行政、農家、漁民、環境保護団体などが利害関係者である。 学生に「この問題の利害に関わっている人々はどんな人たちか具体的に数え 上げてみよう」と提案し、これらを列挙させていく。この場合に注意しなけ
7 章 少人数授業 97
ればならないのは、TA の方から答えを与えてはいけないということである。 学生たちが発見的に理解を進めていけるように、ヒントなどを出すにとどめ ておく。 この後は資料を調べ、それぞれの利害関係者の主張を書き出していけば議 論の前提が揃っていく。こうした作業は、班内で分担して、誰がどの利害関 係者の立場を擁護して資料集めをするのか決めてしまえば作業は能率的であ る。(資料集めには 1 週間の猶予をとり、翌週全員がそれぞれの資料を持ち 寄って利害調整案を考えていくことになる。 ) 資料調べのやり方が分からない学生がいた場合は、TA は丁寧に解説する 必要がある。しかし、ここでも具体的に資料名を教えたりしては学生たちの 勉強にならなくなってしまうので注意が必要である。TA は過去の新聞記事 の調べ方、インターネット上のデータベースでの検索方法などを事前に把握 しておいて、必要に応じて学生たちに教示していく。 さらに、この講義の性格が科学技術と社会の関係を扱っていることに注意 しておきたい。学生たちが新聞や雑誌の記事をつき合わせて、利害関係のぶ つかり合いを再現するだけでは片手落ちである。説得的な結論を出すために 用いられた科学的なデータに着目させ、そうしたデータの作られ方にまで言 及させる必要がある。この例でいけば、土木事業者、環境保護団体、漁業関 係者それぞれが科学的データを用いて議論を組み立てている。TA はこうし た点に学生の関心を促すことを心がけてほしい。 ディスカッション 1 週間かけて集めた資料をつき合わせ、どの案をとると誰の利益が侵され るのかを分析していく。学生たちの議論がうまく進まない場合は、ある特定 の利害関係者を任意に選ばせて、その立場に有利な解決策を考えさせてみる。 同じように、他の利害関係者についても、それを擁護する解決策をそれぞれ 考えさせてみる。そうすることで問題の全体像が見えてくるはずである。 一通り問題点が理解できたら、もっとも有効と思われる案を練っていく。 これが成功するためには、何故その案を推すのかという理由を各自がはっき り理解しておく必要がある。こうした点を理解していない学生には、TA か
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第Ⅱ部 TA マニュアル
ら「何故その案を推そうとするの?」と問いかけて、学生たちの自覚を促す ようにしたい。 しかし、ここでも TA が学生を自分の意見に誘導してはならない。筋道の 通った議論が構成されていれば、それ以上干渉しないようにせねばならな い。 報道との関連 グループの主題である「科学技術とジャーナリズム」という大きな問題に も言及させたい。そのためには、世論の形成に報道がどのように関わってい ったのかを分析させる。新聞報道で使われた科学的データの出所に着目させ て、科学的なデータが政治にどのように関わっているのかを考えさせるよう に導くとよい。 このように、具体的事例を考えさせ、学生たちの理解が一定以上の段階に 達していることが見て取れた場合には、「科学と社会の関係」という大局的 な問題についても考察するように導いていきたい。そうすることで、より良 い学習成果が得られるはずである。 º
ウェブサイトの掲示板の利用
北大では、HuWeb5)と呼ばれるホームページが用意されており、授業ごと の講義内容、レポートや成績に関する連絡をこのホームページで確認するこ とができる。また、この中の掲示板を使えば、学生相互の意見交換をするこ ともできる。学生たちは週に 1 回講義の時間に顔を合わせるだけなので、資 料の集まり具合などを互いに確認するためにも掲示板の利用は有効である。 TA の方でも、こまめにこの掲示板を確認して学生たちの議論の進行を確 認しておくべきである。また、この掲示板の利用方法を理解していない学生 には、その利用方法を指示しなければならない。 2003 年度の授業においても、学生たちの頻繁な掲示板への書き込みがあ った。互いに顔を合わせることができない時間帯に積極的に議論を進めるこ とができていたようである。
7 章 少人数授業 99
3.レポート採点 教官から要請があった場合は、TA は学生レポートの採点を行う。レポー トの採点は学生の成績を左右することなので手抜かりのないように注意す る。 ¸
採点基準
レポートの採点基準は以下の通り。
自分たちのグループが発表した内容を過不足なく要約できているか。
(→討論に積極的に参加しなかった学生はこの部分を明快に書けない場 合が多い。レポートは学生討論の成果を見るものなので、独自の意見の みが書かれているレポートは減点対象になる。 )
自分独自の視点を盛り込んで書いているか。(①に加えて②が書かれ
ているレポートは加算対象になる。)
論旨が明解であるか否か。(レポートは字数の多寡によって採点する
のではなく、分かりやすさを基準に採点するようにする。 ) ¹
点作業の注意点
採点作業を始める前に、TA は各班の主張点を自ら確認しておく。これを やっておかないと採点基準の①を判定できない。また、採点は一通り全員の レポートを読んだ後に行うのがよい。TA は各人のレポート全部を読み通す ことで頭が整理される。しかる後に、再度 1 つずつ読んで採点をするという 形をとると全体のバランスを取ることが出来る。
以上が本講義において TA の行う主な仕事の概要である。TA の仕事を成 功させるためには、学生たちの行っている議論に積極的に関心をよせ、その 内容を常に把握しておく必要がある。学生たちは、TA が自分たちと自分た ちの議論に関心を寄せていることで、積極性を増していく。目的と方法を学 生にしっかり伝え、TA はあまり押し付けがましいことはせずに、議論の行
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第Ⅱ部 TA マニュアル
く末を見守っていきたい。TA の役割は、学生間のコミュニケーションと学 生と教官の間のコミュニケーションを円滑にし、有意義な議論の手助けをす ることにあることを忘れないでおきたい。
注 1 )この講義が始まった最初の年(2003 年)に行われた講義では、三つの副題はそれぞれ 「科学・技術の倫理とジャーナリズム」「生命と生物の倫理」「テクノロジーの倫理」 であった。 2 )Byrd et al. 1989, pp.70-71. を参考にした。主に第 8 章に議論を適切に導くための心得 が記述してある。 3 )時実象一(2005)が参考になる。TA は、どのサイトでどのような情報を検索できる のか、予習をしておいた方がよい。学生に質問を受けた場合は答えを教えるのではな く、情報収集の方法を教えることが肝要である。 4 )筆者が関わった年(2003 年)の講義では、クラスは三つのグループに分かれ、それぞ れ「科学・技術の倫理とジャーナリズム」 「生命と生物の倫理」 「テクノロジーの倫理」 を主題として議論を行った。このうち筆者が関わった科学・技術とジャーナリズムの 班では、事例として「千歳川放水路問題」と「テレビ朝日ダイオキシン報道問題」の 二つの問題を扱った。 5 )http://socyo.high.hokudai.ac.jp/(2005/7/14)を参照されたい。
参考文献 時実象一 2005『理系のためのインターネット検索術――ホンモノ情報を素早く見つける』 講談社 ブルーバックス。 Byrd, Patricia, Constantinides, Janet C. and Pennington, Martha C. 1989 The Foreign Teaching Assistant’s Manual, New York: Collier Macmillan.
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8 章 実験指導
自然科学基礎実験および心理学実験を担当される TA はそれぞれの大学院 の専門分野で研究に励んでいる。大学院における研究指導は厳しく、長時間 にわたるが、卒論生を個人的に指導する場合などを除いて、教育・指導の理 念や方法については大学院で必ずしも十分に教えられているとは言えないの が現状である。現実的には大学院修了後、教育者となるか否かにかかわらず、 仕事の場面で後進の教育・指導を要請される。今回、TA として教育・指導 に携わることになった機会を利用して自分の特性を振り返り、人に教えると はどんなことなのかを考えてほしいと願っている。 TA が担当する実験教育の内容は既にカリキュラムとして決められている が、実際に実験室で何を担当するかは個々の指導教員によって異なる。指導 教員とほぼ同じ役割をもって学生を指導する場合から、下準備や特定の測定 機器のみを指導する場合までいろいろであろう。しかし実験室で TA として 個人的に学生に接する機会には指導・教育を任されているわけだから、常に 教育者としての意識を持たねばならない。これまでの人生において、いろい ろな先生あるいは人生の先輩の影響を受けて自分が今の道を選んだことを考 えると教育の重要性に身が引き締まる思いがする。人と人との関係では「今 まで生きてきた自分」を曝すこと以外に根本的な方法はないとはいえ、少な い機会を有効に過ごす手だてになればと、少し経験を積んだ自分からの情報 をお渡ししたいと思う。
1.実験準備 さて教員との打ち合わせが終わったら、準備のために実験室に移動する。 別の日にあらためて準備を行う場合もある。教員の指示に従って実験台に機
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第Ⅱ部 TA マニュアル
器をセットしたり、器具を棚から出して配ったり、試薬・試料の在庫を調べ たりする。試料の調製を指示されることもある。 ● 事例 1 ● TA の田中君は教員に言われるままに準備を手伝った。実験内容については打ち
合わせ段階で説明があったし、テキストももらっているので概要は理解しているつ もりだ。しかし細かい実験手順などは把握できていない。この日はこのまま帰って も大丈夫だろうか。 〈教員の指示に従うだけでなく、自分でテキストを見ながら実験を想定して必要な 品をチェックする。次第に実験の具体的内容が見えてくる。不明の点、疑問の点は 積極的に教員に質問しよう。準備日以外でも質問してかまわない。 〉
以下の点も実験室で確かめる。TA がどこまで関与するかについても確認 が必要である。
①機器のチャート用紙や器具、試薬・試料の予備の有無、補充方法。 ②ガス、水道の元栓、電気ブレーカーの操作法、終夜運転の有無。 ③ごみ、廃液の処理方法。 ④実験室の鍵の管理方法。
安全管理の面から次の点も重要である。
⑤緊急時の連絡、建物からの避難、ケガ人の搬送の各方法 ⑥シャワーの使用方法、救急薬品の位置
実験準備が終わったらもう一度テキストをじっくり読み、仮想実験を行っ てみよう。疑問点を書き出すとよい。細かい操作について「うちの研究室の 常識は隣の研究室の非常識」かもしれない。未経験の実験であれば実験開始 前に「試し実験」することを勧める。教員に頼んでみよう。 実験内容について知識を深めておくべきであるのは言うまでもない。学生
8 章 実験指導 103
の指導にあたって、自分の持っている知識の 90 %を吐き出してしまうよう では学生に見透かされてしまうし、自信も持てない。学生にわかりやすい説 明をするためには知識の絶対量を増やし、同時に周辺を多角的に眺められる ように勉強しよう。ここで TA が修士・博士課程在学中の研究者であること がものを言う。 また、どんな事故が起こりうるか考えてみる。あらかじめ学生に注意を与 えておくべきか検討する。似たような名前の試薬を取り違えたり、器具の洗 い方が悪かったり、ブンゼンバーナーの点火を怖がったり、思いもかけない 事態が待っている。打ち合わせを十分するとともに、臨機応変に対処する必 要がある。 さて、いよいよ実験日が来る。少なくとも 10 分前には実験室に行って準 備をしよう。もし TA に任されていれば実験室の開閉、照明、ガス・水道・ 電気などの準備をする。機器のウォームアップが必要ならスイッチを入れて おく。機器のチャート用紙、器具,試薬・試料などが不足していないか調べ る。これらは実験終了後にも調べ、納入期間を考えて早めに補充する。 ● 事例 2 ● 学生が実験室に集まり始めた。初日には心細げな様子である。TA の加藤君は準
備に忙しくしている。無言のままでよいだろうか。 〈実験台の位置を教えたり、予習してきたかなど雑談をしたりして緊張をほぐすよ うにしよう。TA とて緊張しているのである。2 日目以降も早めに行って学生の質 問に答えたり、興味ある話題、たとえば卒論配属や就職などについて雑談したりす ると実験中に学生と話しやすくなる。TA が学生の先輩として活躍できる場面であ る。〉
2.実験中 いよいよ開始時間となる。出欠をとるのが教員であれば、とりやすいよう な雰囲気づくりに努める。TA がとる場合は一人一人の顔を見て確認しなが ら記録しよう。学生の名前を覚えるのは良い関係作りに有効である。
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第Ⅱ部 TA マニュアル
● 事例 3 ●
毎回、5 ∼ 10 分遅刻する学生がいる。TA はどうしたらよいだろうか。 〈遅刻すると重要な説明を聞き逃すことになる。時間厳守させるよう声をかけよう。 遅刻者の出欠扱いについては教員と打ち合わせが必要だ。TA が遅刻するのは論外 である。〉
次は実験内容の説明を行う。教員が行う場合、TA は学生の後ろの方で一 緒に聴こう。実験内容を再確認し、教員がどのような方針で教えようとして いるかを把握できる。わかりにくい部分があればメモして後から教員に確認 をとるとよい。話が聞こえにくい席や黒板が見えにくい席にいる学生には移 動するよう、そっと促そう。おしゃべりや居眠りにも対策を講じよう。 TA が説明やデモンストレーションをする場合は教員と基本的な説明内容 について打ち合わせをしておく。詳しくは 5 章 2 の講義の項を参照してほし い。そのほかに実験ならではの注意事項もある。 ¸
実験室は講義室よりざわついた雰囲気である。声を大きく、明瞭簡潔
に。 ¹
危険な操作、失敗しやすい操作など重要な注意は具体的に。
º
説明をよく聴いていない学生がいることを認識しておく。
● 事例 4 ●
TA の加藤君が実験の説明を始めたところ、後ろの実験台に座っている学生が黒 板を見るために、立ち上がってのびをしている。どうしたらよいか
● 事例 5 ●
TA の田中君は実験の説明を行っている。どうしても 30 分かかる説明だが、10 分を超えたところで、3 分の 1 程度の学生があくびを始めた。どうしたらよいか。
説明が終わると「では始めましょう」の合図とともに実験開始だ。
8 章 実験指導 105
● 事例 6 ●
実験開始というのに学生はじっとテキストを読むか、誰かがアクションを起こす のをうかがっている。TA の相馬さんはどう声をかけたらよいか。 〈高校時代は受験優先で、ほとんど実験していない学生が多い。道具を扱うような 生活体験も少ない。しかも今初めてテキストを開いた学生もいる。威圧感のないよ うに、指示しすぎないように、ヒントを与えよう。〉
実験が始まったら学生を見回ろう。学生に実験内容を理解させるためにこ ちらから質問したり、学生からの質問に答えたりする“Teaching”に相当す る役割である。一般的な指導についての 5 章の説明が役に立つだろう。個人 あるいは数人のグループに対する指導であるから、相手の反応を見ながら親 切に対応しよう。 ● 事例 7 ●
テキストに「1 リットルの水をよく沸騰させた後、冷却してから試薬を溶解させ る」との指示がある。学生は水を沸騰させた。そこに通りかかった TA の加藤君は 学生に「もう火を止めていいですか」と尋ねられた。どのように答えたらよいだろ うか。 〈質問に即答する前に操作の意味を考える問いを学生にぶつけてみよう。対話する 中で学生の理解を深めることが出来る。即答できない質問には教員にたずねてから 答えてもよい。教員と違う指示を出すと学生が混乱する。しかし毎回教員に指示を 仰ぎに行くようでは学生の信頼が得られない。深い知識を持つことと教員とあらか じめ打ち合わせておくことが重要だ。 〉
● 事例 8 ●
留学生 TA のチャンさんは学生の質問に対して少しなまりのある日本語で一生懸 命答えようとしていた。しかし他の日本人 TA に比べるとチャンさんに質問しに来 る学生は少ない。チャンさんはこのままでよいだろうか。 〈学生が質問してくるまで待っていないで積極的に話かけよう。「今、何をしている のか?」「どうしてこの操作をするのか?」「どんなデータが得られたか?」など問 いかけ、学生が考えながら実験を進められるよう助けよう。また、学生は実験技術 が未熟で正しい操作法を知らない。一人一人の学生の前で操作をして見せるのも有 用である。 〉
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第Ⅱ部 TA マニュアル
もうひとつ重要な役割は基本的な操作方法をしっかり身につけさせ、危険 な行為や悪いマナーには断固対処することである。これを放置しておくと卒 論で研究室に入ってから学生本人が苦労することになる。老婆心も必要だ。 ● 事例 9 ●
実験室を巡回していた TA の田口君はガッチャンという音に振り向いた。実験台 にガラス器具が乱雑に並び、端に置いたメスシリンダーが腕に引っかかって床に落 ち、割れたのだ。田口君のとるべき行動は何か。 〈まず状況を判断しよう。怪我をしていなければ周りの学生に手伝ってもらい、破 損したガラスを片付ける。本人は動転していることが多いので心配させないように 気を遣おう。失敗の原因追及はその場が落ち着いてから検討しよう。 〉
● 事例 10 ● 天秤 4 台が並んだ机で学生が試薬を秤量している。天秤のまわりには丸めたキ
ムワイプやこぼれた試薬粉末が散乱している。これに気が付いた TA の小野君はそ の学生に「汚れているから天秤のまわりを掃除して下さい」と言うと、学生は「汚 したのは僕じゃないですよ」と反論してきた。小野君はどうしたらよいだろうか。 〈その学生にボランティアとしてやってもらうか、あるいは天秤を使用している学 生全部を呼び、マナーの大切さを諭して片付けさせるなどの方法がある。 〉
● 事例 11 ● 実験の待ち時間に他学科の学生が実験室に入ってきて、大声で話しながら学生と
ふざけ始めた。安全面から TA の小野君はどう対処したらよいだろうか。
● 事例 12 ● 実験の待ち時間が長いために、学生がヘッドホン型ステレオを聴き始めた。TA
の田口君が注意したところ、「明日の TOEIC 試験のためにリスニングの勉強をし ている。」と言われた。勉強だから許すべきだろうか。 〈マナーの悪さ、基本的な実験技術の間違いに対して言葉はていねいに、しかし断 固たる態度で臨もう。〉
8 章 実験指導 107
● 事例 13 ●
実験がほぼ終わり、フラスコを洗っていた学生が「あっ」と言って手を押さえて いる。近くにいた学生があわてて TA の相馬さんのところに走ってきて、ガラスで 手を切ったことを伝えた。相馬さんはどうすればよいだろうか。 〈打ち合わせに従い、冷静に処理する。教員がいないときは同室の TA、さらに学生 の助けも得て連絡、搬送、残った学生の指導などに当たらなければならない。〉
見回りながら実験ノートを覗いてみよう。ノートを用意せずにテキストに データを書きこむ学生や、ただ数字を羅列している学生もいる。データを記 録することも実験の一部である。実験が順調に進んでいるか、データが不適 切ではないかなどをノートを見ながら話し合うこともできる。 実験がほぼ時間通りに進行するよう心配りすることも時には必要である。 ● 事例 14 ●
慎重すぎて作業が大幅に遅れている学生がいる。このままでは他の学生が帰った 後に一組だけが残ってしまいそうである。TA の田中君は何をしたらよいだろうか。 〈教員の方針により失敗して時間超過しても最後までやらせる場合もある。教員と の打ち合わせをしておこう。操作が未熟であれば手本を示す。必要以上にていねい であれば、大事なことが何であるかヒントを与えてみるのもよい。 〉
3.実験終了 必要なデータが得られれば実験終了となる。 実験日程の最終日には教員の指示に従って実験室の片付けを行う。準備の ときと同様に機器、器具、試料、試薬などの在庫を確認してから元の位置に 納め、ごみや廃液などを始末する。 実験内容について気がついたことや改善すべき点があったら教員にまとめ て報告しよう。紙に書き出すとよい。これは実験中に伝えてもかまわない。 教員は長年同じ内容で指導しているために気がつかないこともある。来年度 以降の実験内容を決めるのに有益であろう。
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第Ⅱ部 TA マニュアル
● 事例 15 ●
4 時前にある学生のグループが「終わりました。」と TA の田口君に言ってきた。 直線上にのるべきデータなのに得られた結果は直線とはいいにくい。田口君は学生 に実験終了させてもよいだろうか。 〈補充実験や再実験をするなどの方法もあるが、その判断については打ち合わせて おく。重要なことは学生といっしょにデータを見ながら今日の実験の内容を復習し、 理解できているか確認することである。どうして予想された結果と違ったのか考え させる。これができれば終了してもよいといえる。 終了となれば片付けさせ、機器、器具、実験台、床、ゴミ箱などの整理整頓、ま た電源などをチェックする。片付けのマナーも厳しく指導したい。 〉
● 事例 16 ●
TA の相馬さんはある学生が同級生から孤立して全く交流がないことに気づいて いた。グループ実験なのにデータを写すこともしていない。どうやら前の実験のレ ポートも未提出らしい。相馬さんは見過ごしておいてよいだろうか。 〈話をしやすい先輩として声をかけてみよう。学生の悩みにふれることができるか もしれない。また、実験室での対応はもちろん必要だが、教員にも報告してほしい。 学生相談室や学生診療所を紹介することもできる。 その他に気になる学生の様子、たとえば、グループ実験でほとんど手を動かさな い学生、TA の注意を全く受け入れようとしない学生など、学生にとって教員より も話しやすい TA であるからこそ見えるものがある。〉
実験指導は教員と TA の共同作業である。全体の進行は教員の責任である が、個々の場面、個々の学生との対応は TA が自らの機転と責任で行わなけ ればならない。TA には教員を補佐する役割とともに教育者としての役割が あり、長時間にわたってこれを体験できる機会を十分に活用してほしい。 実験が終わる頃にようやく実験の意味が理解できた例や、レポートを書く 中で「ああ、そうだったのか」と気づいた例も多い。しかし、基本的に学生 は実験が好きである。うまく実験が進んで納得できる結果が得られたならば、 それまでの苦労は喜びに変わる。いろいろな工夫を試みる。 長時間の労力 も厭わない。「早めに実験室に来て続きをやりたい」と申し出る学生も出て
8 章 実験指導 109
くる。学生が自分の到達目標に向っていく意欲を持ち、興味をもって実験し、 達成感を味わってくれれば、「教育の成果ここにあり」といえる。この目標 に向って TA も教員も協力し、学生と喜びを共にしたいものである。
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9 章 情報処理演習
1.情報処理演習の事例 TA は教員と学生の仲立ちとして、スムーズに講義・演習をするための潤 滑油の役割を担う。情報処理演習においては、直接学生に接する機会が多く、 演習を進める上で様々な状況が想定される。ここでは、過去の TA 体験者の 経験談を挙げ、公正かつ効率のよいアシスタントを行うための留意点を述べ る。情報処理固有の問題に関する注意点や、単位認定時の手続きにおけるト ラブル等の防止についての参考になると思われる。 ● 事例 1 ●
課題提出期限ぎりぎりになって、「単位が足りないので可でもよいから単位を下 さい」と TA に嘆願する学生がいた。TA には単位認定権はないので、担当教員に 直接相談するよう指示したが、その際に TA はこの学生のことを担当教員へ報告す ることを怠った。その後単位認定に混乱が生じた。
● 事例 2 ●
講義時間中に演習に出席せずに、隣の計算機室から出席メールを出していた学生 がいた.TA が計算機のログを見てそのことを指摘すると、「メールやログで出席 を判断する仕組み自体がおかしい」とクレームをつけ、最終的にごり押しで単位を 取得した.また、出席メールを出してすぐ帰る学生や、かなりの時間遅れて来て出 席メールを出す学生がいた。
● 事例 3 ●
出席メールの送信を友人の学生に依頼した学生がいた.その際に自分のパスワー ドを教えた。
9 章 情報処理演習 111
● 事例 4 ●
計算機システムに精通した学生がおり、遊び半分で前年の履修者のフォルダにア クセスし、提出課題を覗いていた。
2.注意点 ¸
担当教員への確認を怠らない
情報処理はひとりの担当教員が複数のクラス(コース)を管轄し、その下 で数人の TA や非常勤講師が各クラスの演習を受け持つ。そのため、学生か ら見ると同じ担当教員なのに、クラスによって演習の進行度合いや内容が異 なってくる可能性がある。TA は、そのばらつきが大きくならないように、 開講前に担当教員の方針を確認することが重要である。さらに、異なるクラ ス間で演習の進め方に不公平が生じてはならない。例えば、単位認定にかか わるトラブルが発生したり、自分の判断だけでは返答できない場合は、うや むやにせずに速やかに担当教員に報告し、指示を仰ぐことが重要である。 ¹
不正行為については前もって注意を促す
他人の提出課題をコピーして提出したり、出席メールを違う場所から送信 してあたかも出席しているように見せかけて演習をサボる学生がいることが ある。このような不正行為は許されるべきではないが、事前に不正行為に関 する注意を厳しく説明しておく必要がある。不正行為発覚は不可であるとい うことを演習の最初に明言し、学生に注意を促すことが重要である。また、 実際に不正行為の疑いのある学生を発見した場合は、その学生に直接注意を 行うのではなく、クラス全体に警告し、その上でその学生の不正行為が発覚 した場合は厳しく対処する必要がある。 º
演習の進行を明確に指示する
すべての学生がテキストの内容をすべて消化することは時間的に困難であ る。そのため、全体の進行に合わせて柔軟に演習内容の一部を割愛すること
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第Ⅱ部 TA マニュアル
が必要な場合がある。その際、「何を課題とし、何を省略するのか」を明確 に指示し、学生が何をすればよいのか迷わないように指示する必要がある。 また、割愛する際には、まったくその内容に触れないのではなく、概略程度 の説明はしておくのが望ましい。 »
学生の演習進行度合いの個人差に留意する
現在は個人的にパソコンを所有している学生が多数おり、パソコンの操作 を熟知しているものも多い。普段からパソコンを使っている学生と使ってい ない学生の進行度合いは大きく異なってくることが予想されるが、情報処理 の位置づけは初心者がパソコンを使う上での最低限のリテラシーを身に着け ることを目的のひとつとする。よって、初心者により気を配りながら演習を 進める必要がある。また、上級者には省略した内容を行わせたり、遅れた学 生の協力をさせたりすることによって、学習意欲を保たせるようにする。 ¼
パスワードの重要性を強調する
アカウントとパスワードは計算機システムを使用する上でもっとも取り扱 いが重要なもののひとつである。学生の中にはパスワードを単純な単語のみ で設定したり、自分のパスワードを他人に教えて操作を代行してもらったり する学生がいる場合があるので、パスワードの取り扱いについては常に注意 を喚起する必要がある。特に、自分のパスワードを他人が不正に使用するこ とによって、情報化社会における被害者になるのではなく、意図せざるとも 加害者をほう助してしまう可能性があることを注意する必要がある。 ½
テキストの訂正、補足をする
テキストの訂正や補足は、授業開始時に説明したほうがスムーズに進む。 そのためには、演習を行うときまでにテキストの内容を予習し、前もって実 際に手順を行ってみるのが望ましい。
以上、いくつかの事例と注意点を挙げたが、実際に演習の現場では様々な
9 章 情報処理演習 113
ケースが発生する。それぞれのケースについて、大学の情報処理教育の一端 を担っているという自覚のもとに柔軟に対応していただくことを期待してい る。その際には、担当教員と密に連絡を取り合いながら対処していき、より 良い演習を行っていただければ幸いである。
114
第Ⅱ部 TA マニュアル
10 章 語学教育
1.授業のタイプと TA の役割 北海道大学の全学教育の外国語授業は、授業の特性と TA のバックグラウ ンドによって、大きく次の 4 つのタイプに分けられる。① TA が当該外国語 の母語話者である場合、② CALL 授業、③ TA が外国語教育・学習の研究を 専門とする場合、④オンライン型ネット授業。まず、第 1 節では、これら 4 つの場合の TA の主な役割を順次述べてゆく。 ¸
TA が当該外国語の母語話者である場合
この場合は、当該外国語の使用に直接関係する形で、授業の補助を行うこ とが期待される。(2006 年度現在、日本人教員が担当する中国語授業の TA は全員中国語の母語話者である。また、数はそれほど多くないが、英語も含 めその他の外国語に関しても、(準)母語話者が TA になる場合がある。)具 体的には下記のような業務が考えられる。 授業や試験・小テストの教材(原案)作成の補助 作文の添削や小テスト・試験の採点の補助 授業中の発音指導や言語運用練習の積極的援助 ● 事例 1 ●
授業中にペアによる会話練習をさせることになった。TA のシンさんの仕事は各 ペアを回っての発音や表現の指導であるが、学生たちもシンさんもちょっと緊張し ていて、シンさんが近づくと、だまってしまうペアがいくつかあった。どうしたら よいか? 〈いろいろな方法で、Ice breaking(学生の緊張をほぐすこと)をしてみよう。たと
10 章 語学教育 115
えば、はじめは日本語も交えながら、ごく簡単な質問をしたり、授業の前後にひと りひとりに気軽に声をかけるなどして、リラックスした関係を築いておくと良い〉
学生にとって、学習中の外国語の母語話者と直接話をするという経験は、 その後の学習への大きな励みになる。授業中だけでなく、授業の前後の空き 時間も積極的に利用して、学生一人一人にどんどん声をかけよう。また、身 近にいる外国語の母語話者は、その言葉を話している国や地域に対して学生 たちが持つイメージにも大きな影響を与える。誇りと責任を持って、小さな 「親善大使」のつもりで、学生たちに接しよう。 ¹
CALL 授業の場合
語学学習用のコンピュータを備えた CALL(computer aided language learning)教室が 2000 年度 4 月より漸次導入され、現在、60 席の教室が 4 つ (情報教育館言語教育用マルチメディア教室、高機能センター E309CALL 教 室、言語文化部 110CALL 教室、言語文化部 210CALL 教室)ある。辞書や自 習用教材ソフトが利用でき、さらに「情報教育館」以外の 3 教室は LL の機 能も備えており、使い方の可能性はたいへん幅広い(ただし、教室ごとの装 備にそれぞれ違いもあるので、複数の CALL 教室で TA にあたる場合には、 注意が必要)。同時に、従来型の教室で行う授業とは異なった、授業運営上 留意しなくてはならない事柄がある。 このタイプの授業の場合、まず、PC 関係の操作に関して、担当教員の援 助をすることが期待される。PC 使用に関しては必ずしも「上級者」ではな い教員もいるので、さまざまなサポートが必要となる。たとえば、PC 上級 者の TA であれば、比較的簡単にできる方法があるのに、教員が手間や時間 がかかるやり方で行っていることがあれば、積極的に援助を申し出て欲し い。 2 つ目の大切な役割は、学生の PC 操作の援助である。特に、最初の数回 はなかなか基本的な操作に慣れない学生も必ずいる。そうした個々のトラブ ルに担当教員が一つ一つ対応していては、授業運営全体の流れに大きな支障
116
第Ⅱ部 TA マニュアル
● 事例 2 ●
CALL 教室には、LL 機能を兼ね備えたコンピュータシステムに、さまざまな語 学学習用のソフトが搭載されている。また AV 機器もたくさんある。TA はこれら に一通り慣れておくべきだろうか? 〈はじめからシステムすべてに慣れておく必要はないですし、現実的でもありませ ん。担当教員とよく打ち合わせをし、その授業で利用する予定のシステムやソフト、 機器にまず慣れておきましょう。その上で、その他の機能にも少しずつ慣れてゆけ ばよいでしょう。 〉
をきたすこともありうるので、TA による迅速かつ的確な学生のサポートが 重要になってくる。 教室の PC や AV 機器の一般的な操作、授業で用いるソフトの操作などに ある程度慣れておく必要がある。担当教員と事前によく打ち合わせをして、 授業でどのような機器やソフトを利用するかを確認しておくこと。言語文化 部では、毎学期直前に、CALL 教室での授業担当教員と TA を対象にした講 習会を行っているので、積極的に参加して欲しい(該当する TA には、言語 文化部マルチメディア外国語教育委員会から直接連絡が行くことになってい る)。また、「CALL システム利用の手引」(学生用と教員/ TA 用)が用意さ れるので、一通り目を通して、CALL 教室システムの全体像をつかんでおく とよい。 下記はこれまで行われた CALL 授業における TA 業務の一例である(一つ の授業でこれらをすべてやるわけではない)。①は CALL 授業特有の業務で、 ②は従来型授業にも共通する業務である。
① AV 機器の操作、PC の不具合の報告、パスワードを忘れた学生への対 応、学生の PC 操作の援助、学生のソフト利用の援助 ② 小テスト採点の補助、教材資料の配布回収、宿題・小テストの成績記 録 管理、配布物の印刷
さらに PC 上級者 TA の場合、担当教員と相談の上で、次のような業務を
10 章 語学教育 117
任される場合もある。③はこれまで実際に行われた例からの抜粋。
③ PC やネットワーク回りの整備、授業に必要なプログラムの整備、授業 で用いる素材等のオンライン化、授業用ホームページ作成の補助、オ ンライン・テストの送信管理、教材ソフト利用マニュアルの作成など
TA が持っている PC の知識や技術によって、担当教員だけではできない (思いつかない)ような授業運営の内容・方法が生まれてくる可能性もある。 また、コンピュータ上の自習教材を利用して、学生が各自作業をする時間 を多く組み入れた CALL 授業もある。そのような場合は、学生が適切に PC を操作しきちんと作業をしているかを監督しながら、質問などに対応する必 要がある。 º
外国語上級者の場合
日本人 TA の場合、当該外国語がよくできるということは、TA 採用の要 件にはなっていない。しかし、現実には、外国語授業の TA に応募してくる 院生が当該語学の上級者や積極的ベテラン学習者である場合も少なくない。 また、TA が外国語学習・外国語教育の研究を専門としている院生であると いう場合もある。このような場合は、担当教員と相談の上、学習内容により 深く突っ込んだかたちでの授業の補助が業務となることもある。具体的には、 小テストやテキストを作成したり、学生の訳文や作文の添削の解説の補助を するということもある。また、授業中に学生に行わせる作業で、学習内容に 立ち入ったアドバイスをしたり、質問を受け付けたりという仕事を担当教員 と手分けをして行うこともある。この場合は、当然、その学習内容に精通し ている必要があるので、担当教員との事前の綿密な打ち合わせは必須であ る。 さらに、外国語教育を専門としている院生に、授業の一部を担当してもら うという場合もある。担当教員が定めた授業プランにのっとって行う場合も あるし、授業設計の具体的な内容のかなりの部分を任される場合もある。い
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第Ⅱ部 TA マニュアル
ずれにしても、担当教員の授業運営の補佐という位置づけであるから、担当 教員と綿密な打ち合わせをし、担当教員の監督のもとで行う。授業後に担当 教員からのコメントでフィードバックが受けられる。これは、将来何らかの 形で外国語教育に携わる仕事をする予定の TA にとって、貴重な経験となる だろう。 »
オンライン型ネット授業(英語Ⅱ)
この授業は、2006 年度前期から導入される新しいタイプの授業であり、 これまでの TA 業務とその内容が大きく異なる部分がある。この授業では、 他の科目のように 1 人の担当教員が行う 1 つのクラスに配属されるのではな く、英語Ⅱ担当 TA チームの一員として、英語 CALL 実施委員会(5 名の教 員からなる)に協力して、2700 名を超える北海道大学の全新入生を対象と した授業を運営する。学生は教材サーバにアクセスして、与えられた課題を 毎週こなしていくという授業形態であり、TA は単独で教室に行き学生のネ ット授業のサポートをする。授業全体のデザインをよく理解し、PC 操作等 に関する学生のトラブルや質問に対応できるよう準備をしておく必要があ る。この授業の TA 専門の講習会があるので事前に必ず出席すること(その 際に、詳細なマニュアルも配付される) 。
以上、TA のバックグランドと授業の特性にしたがって、4 つのタイプに 分けて、その役割業務の具体例を紹介した。上記の 4 つの範疇が重なる場合 もあるであろう(CALL 授業の TA でありかつ、当該外国語の上級者である 場合など)。大切なことは、担当教員と入念に打ち合わせをして、当該授業 における自分の役割を明確にして TA 業務に臨むことである。ただし、特に P C や当該外国語の上級者でなくても、語学授業の T A はやっていける (CALL 授業の TA の場合は、最低限度のコンピュータ・リテラシーは要求さ れるが)。特に、どのような院生 TA でも、学部学生により近い立場の、外 国語学習や PC 利用の身近な「先輩」として、専門の教員にはない役割を演 じることができるし、そのような役割を大いに期待される。次節では、その
10 章 語学教育 119
点について述べる。
2.語学学習者・ PC 利用者の先輩として 語学学習の地道な努力を継続するためには、学習に対する動機付けが重要 になってくる。受験を終わったばかりの学部の 1 ・ 2 年生は、「単位取得」 以外に語学学習に対する動機付け(意欲)が弱いことが多い。大学院への進 学を考えている学生は、研究者として近い将来しっかりした語学力が必要に なることは、予想はしているが、イメージが漠然としており、さしあたって の現在の語学学習との結びつきの意識が弱いことが多い。そこで、TA は現 役の大学院生で語学学習の先輩として、教員にはできないアドバイスができ る。たとえば、院生の立場から、研究上の外国語の必要性を学生たちに具体 的に話してあげることで、学生たちの学習の動機付けを高めるきっかけにな る。授業の前後の空き時間に、雑談として話すことも可能であるし、教員に 授業時間の一部をもらって、自分の経験談を紹介した例もある。
① 外国語の文献を早く、正確に読む力が、研究者としていかに大切かと いう話 ② 自分の論文の外国語による要旨を書くときの苦労話 ③ 国際学会での発表の体験談 ④ 外国の研究者との交流の話 ⑤ 自分が成功した、あるいは失敗した語学学習方法の紹介
上記は、一例であるが、現役の研究者でありかつ学部生にも近い立場の大 学院生ならではの視点で、学部生の語学学習に対して具体的な動機付けを与 えることができる。(専門の語学教員の叱咤激励よりも効果があり、何より も学部生は、このような話を聞くのが大好きである)
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第Ⅱ部 TA マニュアル
● 事例 3 ●
TA の久田君は、学生が質問しやすい雰囲気作りにと、頻繁に学生たちに声をか け、良好な関係作りに励んだが、一部の学生とは「ため口」を利くほどの友達関係 になってしまった。このままでよいだろうか? 〈学生が質問しやすい、話しかけやすい、雰囲気を作ることはとても大切ですが、 一定の距離感は必要です。学生との関係は、プライベートな付き合いではなく、公 的なものです。プロ意識をもって学生に接しなくてはまりません。過度に親しげに 接してくる学生には、フレンドリーではあっても、同時に毅然とした態度を持って 接するように、心がけましょう〉
また、PC の利用は、今や分野を問わず、研究者でも社会人でも必須の技 能である場合が多い。CALL 授業は、PC を積極的に利用する機会を学生に提 供することになる。苦手意識の強い学生も必ずいるが、PC 利用の先輩とし ての TA からのちょっとしたアドバイスも、若い学部生にとってたいへん有 益なことである。 これらのことは、当該外国語や PC 利用の上級者でなくても、数年前まで 同じような苦労をしてきた先輩として、どのようなバックグランドを持つ TA にもできることであるので、学生の様子に気配りをして、教員とは違う 立場でさまざまなアドバイスをして欲しい。普段から、学生たちに声をかけ て、学生との良好な関係作りに努め、学生にとって近づきやすい TA である ように、心がけて欲しい。ただし、学生とは同じ立場の友達ではないので、 距離のとりかたには十分な配慮が必要ではある。 現役の大学院生として、さらに教材提供の面で担当教員を補佐できる場合 もある。たとえば、自分の研究に関係のある分野で、今、話題になっている ような文献(専門色の強すぎるものは難しいが、一般向けに書かれたものな ら適切なものもある)を紹介することもできるだろう。また、歌を教材の一 部に利用した英語リスニングの授業で、今の学部生の世代向けの新しい曲を、 TA が教員に紹介してくれて、大いに助けになったという事例もある。これ らも、学部生に近い現役院生ならではの立場からの、語学授業への貢献と言 える。
10 章 語学教育 121
3.求められる柔軟性・臨機応変さ 外国語の授業の種類は、CALL 授業・従来型(CALL 教室を使わない)授 業という区別とは独立に、いくつかのグループ分けができる。2006 年度か らの新入生に対する英語カリキュラムを例にとると、次のようになってい る。
英語Ⅰ:英語発信力の基礎を養成する授業[1 年次 1 学期] 英語Ⅱ:英語受信力の基礎を養成するオンライン型ネット授業。TOEFLITP を受験し、成績を評価する[1 年次 1 学期] 英語Ⅲ:スピーキング、リーディング、リスニング、ライティング、 CALL、総合基礎(英語力の特に弱い学生対象)の 6 技能から選 択できる[1 年次 2 学期] 英語Ⅳ:読解力強化授業。1 学期の TOEFL-ITP の成績により、中級と初 級に分かれる[1 年次 2 学期] 英語演習:初級、中級、上級に分かれ、さまざまなトピックを扱った、さ まざまな形態の授業が提供される。学生はシラバスを見て選択す る[入学時から学部卒業時まで随時履修可能]
さらに担当教員によって、授業のデザインの細部はそれぞれ異なるし、そ れにしたがって、TA に課される役割もさまざまになる。すでに上記で述べ たが、教材の準備や小テストの採点、成績の管理など、裏方役に徹すること を TA に求める授業デザインもあれば、授業中の学生との積極的な接触が TA の大切な仕事となる授業デザインもある。また、個々の TA の資質(PC 上級者であるか否か、外国語上級者であるか否かなど)に合わせて、できる だけ活躍してもらえるように、担当教員が授業デザインを調整する場合もあ るだろう。したがって、複数の授業の TA を担当すれば、授業ごとにその役 割がさまざまに異なるという可能性が大きいのである。数ある TA のなかで
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第Ⅱ部 TA マニュアル
も、特に、外国語の TA は臨機応変さ・柔軟性が要求されるものといえるだ ろう。担当教員と綿密な打ち合わせをして、個々の授業における TA の役ど ころをしっかりとおさえて、プロ意識を強く持って授業運営に最大の効果が あがるような仕事ができるように努めて欲しい。なお、授業担当の教員に直 接相談できないような問題がある場合は、一人で抱えずに、各科目の科目責 任者の教員がいるので、すぐにそちらに連絡して相談するように。
実際の語学の授業をつぶさに観察する機会を持てることで、自分自身の語 学学習にプラスになったと感じている TA 経験者も多い。TA としてペイ以 外のプラスアルファも大きいのが、語学授業 TA の特徴かもしれない。
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11 章 論文指導
「きちんとした文章が書けるようになりたい」と望む学生たちや文章表現 能力が欠如した生徒に頭を抱える大学教員の声に応えるように、日本の大学 でも論文指導の授業が増えている。これは、高校までの論文指導が読書感想 文や自由・課題論文など自己主張型の文章の指導が中心で、多くはその内容 を重視してきたことに起因するのかもしれない。素晴らしい内容が書かれて いれば、文章の構成はそんなに重要ではないという考えだ。しかし、大学で つれづれ
は独自の考えや発見を客観的に説くことを要求する。徒然に書く随筆のよう なものが大学の論文執筆においても通用すると思って進学してくる生徒たち に、客観的な文章を書く技術を 1 人で修得させるのはむずかしい。最近では さまざまな論文執筆のためのハウツー本が出版されているが、大学は生徒が 大学人らしい文章が書けるような指導体制を構築しなければならない。それ が論文指導授業である。 アメリカではほとんどの大学が新入生対象に論文指導の授業を開講してい る。English 101 や 102 などと呼ばれるこの英文科提供科目は、高校の大学 予備クラスで既習した者や入学時の成績優秀者は履修を免除されるが、基本 的には全学必修科目であり、大学としていかに重きを置いているかが分かる。 そこでは 1 年にわたって大学人としての文章表現力が徹底的に鍛えられ、新 すべ
たな発見を効果的に伝える術が教え込まれる。興味深いのは、このような授 業を担当する教員の多くが TA である点である。それはたぶん論文指導とい う科目があまりにも基本的で、それでいて重労働であることに起因するのか もしれない。私の場合もそうだが、論文指導授業は基本的なことの繰り返し と学生への個別指導で成り立っている。良い論文を書くための理論は簡単に 理解してもらえるのだが、それを実践できるかどうかは別の問題であり、指 導者はそれだけに根気と忍耐が必要とされる。
124
第Ⅱ部 TA マニュアル
したがって、日本でも論文指導の授業が大学人教育のスタンダードとして 根付くことになれば、TA を活用する可能性が非常に大きい。本章では、ま ず論文というものの位置付けから始め、それから論文の書き方を紹介した後 に、論文評価について説明する。TA の仕事が論文指導授業のどの段階から 関わることになるにせよ、以下の内容をしっかりと理解した上で携わってほ しい。
1.文章の形態と種類 論文指導を具体的に行う前に、文章執筆の形態を列挙しその違いを明確に しておく必要がある。「文章を書く」という行為を細分化して示すことで、 授業での説明や論文の課題も理解してもらいやすい。以下の項目はその一例 である。 文章を書く際には、まず誰が何を書くかという形態が基盤になる。書き手 については、1 人だけの場合と複数で執筆する方法がある。1 人で執筆する 場合は「単著」と呼ばれる。同一の課題を複数の者が協力して執筆するのは 「共著」、複数の者がある特定の課題について独自の文章を執筆しそれを束ね 合わせる「編著」という執筆形態をとることもある。 次は文章の種類である。文章は、想像力によって創造されるフィクション つまり文学的文章とそれ以外でノンフィクションを扱う散文とに分かれる。 フィクションとノンフィクションの境界は文学研究の観点からは曖昧になっ ているが、文学は一般的には虚構世界を描くものであり、その種類は詩や演 劇そして小説に大別される。散文とは、基本的にはいわゆる文学以外の通常 の文章を指しており、本章で扱う論文もこれに属する。 散文には主観的文章と客観的文章の 2 種類がある。前者は個人的経験や思 想を反映させて書くもので、したがって文体もかなり自由である。主観的文 章は、書き手がどのような読み手を意識したかでさらに二分化され、日記・ 手紙・感想文など限られた読者を意識した場合の私的文章と、随筆や論説な ど不特定多数の読者を想定して書いた公的文章とに分かれる。
11 章 論文指導 125
客観的文章とは、ある特定の事柄を個人的主観の考えや評価から独立して、 読み手が理解しやすいように効率的に述べる文章のことである。これには、 レポート、テクニカル・ライティング、そして研究論文が含まれる。レポー トとは、会社などでの新規プロジェクトを説明する企画書やその報告書、ま たは授業内容をまとめて提出する講義ノートなどがある。ある特定の情報を 明確に伝えるためのテクニカル・ライティングにはある程度書き方が決まっ ていて、論文のアブストラクトはその要旨を、あらすじは物事が起きた順序 にまとめたものである。新聞記事もテクニカル・ライティングの一種で、優 先順位の高い情報から書き始め、低い内容は削除されてもよいように後回し にしておく。取扱説明書やインターネットでのオンラインヘルプなど、作業 行程に沿って分かりやすく説明するのもテクニカル・ライティングである。 研究論文も客観的文章で書くのが基本である。もっとも、70 年代末から 客観的文章は男性的価値観の押し付けだと非難し、主観的表現による論文執 筆を貫くフェミニズム批評家などがいるが、この正否を議論する前に、私は 客観的な研究論文を書く訓練を大学にいる間に経験することを学生たちに強 く勧めている。なぜなら、基本的な文体をしっかりと操れるだけの技術があ って初めて、このような独自の文章を主張し認められるようになると私は信 じるからだ。ピカソは基本を習得した結果あの独自の画風に辿り着いた。フ ェミニスト批評家で自己主張型の論文を書くギルバートやグバーなども、ア ンソロジーではオーソドックスな文体を用いる。有能な研究者ほど文体を使 い分けて持論を展開している。現実的な話では、採用試験などで客観的な文 章がきちんと書ける人は採用される率も高い。これは一般企業職員や公務員 そして研究者の就職にも共通していて、きちんとした文章が書けるよう訓練 された人材への評価は高い。 さて、研究論文は、授業用論文と学位論文そして学術論文に分けると分か りやすい。授業用論文の形態は科目担当教員によって様々だろうが、基本的 には学習した内容を十分に踏まえたうえで新たな論点を考察することにあ る。学位論文は学位を取得するための必須事項の一つであり、形式・内容と もにその学位に値するものでなければならない。学術論文とは、ある特定の
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第Ⅱ部 TA マニュアル
分野の学術誌に掲載される論文のことで、新たなる知を提供し学界に貢献す るものである。論文の形式などは最低限のマナーであり、その内容が最重要 視される。学術誌には審査によって掲載が認められる学会誌などと、そうで はない大学の紀要などがある。
2.授業用研究論文の書き方・指導方法 ¸
書く前に
論文指導は、書く前の段階から始めないといけない。まず、論文の課題が 出たら、その内容を十分に把握させ、字数制限並びに締切日を確認し完成ま での計画を立てさせる。生徒は、実際の執筆までに、先行研究の調査、新規 性のあるテーマの設定などをする。予備実験が必要な場合もあるだろう。頭 に浮かんだ様々な考えや可能性を膨らませたり取捨選択してキーワードや断 片的な表現で書き記すブレイン・スト−ミングやイメージ・ライティングを 通して自分の考えをまとめていく。 私の授業では、キーワード作りに連想ゲームを活用している。ある特定の 課題について連想される言葉を、一つのグループにつき 100 程度短時間に作 らせ板書させる。そして、それらの中で関連する言葉を吟味して主軸になる キーワードやそれに従属するキーワードを探したり、またはそれらを繋いで 論点をまとめる一文つまりトピックセンテンスを作らせる。生徒どうしで十 分楽しんでいるが、時折有効なキーワードを教示すると教員の要求するレベ ルが生徒にも分かってくる。 執筆前の段階で生徒に強く勧めたいのがオフィス・アワーの活用である。 研究室や講師控室にいる時間帯を告げて個々の生徒に直接アドバイスする時 間を設けると効果的だ。電子メールや電話での対応も悪くはないが、ここで のセッションはクロスオーバーすることが多いので、直接会って話をする方 が望ましい。
11 章 論文指導 127
¹
アウトライン作成
書きたいことがはっきりしてきたら、次のステップはアウトライン作成で ある。 アウトラインとは論文の骨組みのことであり、論の展開をキーワードなど でバランスよく並べて構成する。キーワードは大きな骨組みを支え論点の主 軸になるプライマリー・キーワードとそれに従属して定義しサポートするセ カンダリー・キーワードの 2 種類を準備してほしい。例えば、「ポストモダ ン」をプライマリー・キーワードとして使用するなら、セカンダリー・キー ワードは「公民権運動」や「多文化主義」そして「ヒッピー文化」にしてプ ライマリー・キーワードを定義・説明すればよいだろう。 論文の題目は、このようなキーワードをさらに凝縮したものであると同時 に読み手の興味をひく美しいものでなければ成らない。私は論文指導の際、 「論文執筆は科学だが、題目作りは芸術だ」と指導している。中途半端な題 目では興味を引かない。もちろん見かけ倒しは避けたい。 アウトラインの基本形は序論・本論・結論で構成する。そのなかでさらに 細かく構成を吟味する。研究論文が長い場合は、数字やアルファベットで 章・節立てをする必要がある。I-A-1-i-a などの順が分かりやすい。 ここでは、実証系論、弁償系論文の演繹型と帰納型の 3 種類の論文につい てまとめてみる。 ① 実証系論文は、テクニカル・ペーパーとも言われ、実験や調査または 歴史分野など、明示的事実を扱うときに有効である。 題目:論文の内容を端的に示す。Topic、Method、Purpose を組み込む。 序論:先行研究の紹介や課題など、本研究に至るまでの経緯を述べる。 本論:いくつかの実証行程をここに記す。それぞれの行程は、方法や材 料実験・調査結果、そして考察の順で書く。 結論:序論・本論を振り返りながら、最終的な成果を述べる。 参考文献:関連分野の書式に沿ってリストアップする。
② 弁証系論文は哲学・文学等、含意的事実を扱うのに適しており、弁証
128
第Ⅱ部 TA マニュアル
法的論法として代表的なのには演繹型と帰納型がある。 演繹論文は執筆者の思考過程をそのまま文章にして、湧き出てくる推論を 検証していくという手法で、書き手にとって便利ではあるが、読者には最後 まで読まないと結論を得られないないという欠点がある。随筆と呼ばれる文 学ジャンルでは、このような論型が多く用いられるが、情報を効率的に伝え ることが要求される研究論文には不向きなスタイルである。 帰納型論文はその逆で、論文全体の主題と結論を最初に述べそれを本文で 具体的に証明してみせる手法である。これは読者にとって分かりやすい構成 となっており、アメリカの大学一年生向けの論文指導授業で採用されている ものである。日本の大学でも、この論型で論文指導することが望まれる。 ところで、ストーリー性のある作品(文学作品や映画)について論文を書 く場合、プロット(ストーリーライン)に沿って論を進める生徒がいるが、 これは必ずしも得策ではない。時間や空間設定が交差するような複雑な作品 だと、読解不可能な論文になってしまう。このような場合も書き手はテーマ に合わせて作品を脱構築し、以下のようなアウトラインを構成するとよい。 a .演繹型論文:起・承・結による構成 1
題目:比較的抽象的に論文の課題を表わすか、疑問文で示す。
2
起:先行研究の紹介や課題など本論文執筆に至までの経緯を述べ、 問題提起をする。
3
承:問題提起を受けて派生する様々な対案・仮説を創出し、テキス トおよび参考文献に言及しながらその真偽を検証する。通常は序論 における話題をいくつかに展開し、それぞれが議論をさらに発展さ せるようなキーワード群で構成されている。
4
結:序論・本論を振り返りながら、最終的な説を述べる。
5
参考文献:関連分野の書式に沿ってリストアップする。
b .帰納法型論文:要・証・展による構成 1
題目:具体的に論文の内容を表わす。
2
要:本論文の要旨と新規性を簡潔に述べる。
3
証:要旨を立証するための証拠をいくつかに分け、それぞれをテキ
11 章 論文指導 129
ストおよび参考文献に言及しながらその真意性を立証する。
º
4
展:新規性の確認と可能性を述べる。
5
参考文献:関連分野の書式に沿ってリストアップする。
執筆
アウトラインができあがるといよいよ執筆である。だが、書くときの基本 常識を知らない生徒は意外と多いので、科目担当教員の特別な指示がない限 りは以下のマナーで書くよう勧める。 まず、原稿用紙(400 字詰めが標準)使用の場合は、黒ペンを使う。ワー プロ・コンピュータ使用の際は A4 用紙(40 字× 40 行程度)で横書きが標 準。最近の大学は 1 年次にコンピュータ情報処理の授業を課すところも多い ので、推敲や原稿の保管なども簡単なコンピュータ使用を勧める。 論文の題目(タイトル)は、最初の行に書く。通常上から 3 文字空け、ワ ープロ・コンピュータ使用の横書きの場合はセンタリングして書く。学生番 号・名前は 2 行目に書く。縦書きの場合は下詰め、横書きの場合は右詰めで 書く。新しい段落は一文字空けて始める。 一つ一つの文章の書き方も再確認したい。主語・述語は明確にする。 「て・に・を・は」などの助詞を的確に使う。句読点や記号は正しく使う。 文末は「だ・である」調を使うのが簡潔で好ましいが、「である」は横柄な 印象を与えるので注意すること。形容詞・副詞・接続詞は多用しないで効果 的に使う。ワープロ・コンピュータ使用の際、数字やアルファベット表記は 半角にする。無駄な繰り返しは避ける。誤字・脱字を無くす。一つの文にあ まりにも多くの情報を詰め込まない。 そして、最後は「流れるような文章」を心掛けることである。流れる文章 は、接続詞などなくてもしっかりと波打ってくれる。それでは、各論の書き 方を見てみよう。 ① 序論 論文の基本概念を必ずここで説明する。序論では、論文内容を適切かつコ ンパクトに表わすプライマリー・キーワードを使用すること。プライマリ
130
第Ⅱ部 TA マニュアル
ー・キーワードは本論での内容段落の数に比例して挿入しておく。 基本概念の提示方法は各論文型によって異なる。実証系論文は先行研究と 検証方法をここで提示しその内容によって得られる新規正をここで述べる。 弁証系論文は、演繹型と帰納型では対照的だ。演繹型では問題提起、帰納型 では逆に論文の主題をここで提示する。表で簡単に 3 つの型の違いを示して いるが、具体的にはアウトラインや付録 2 の例文を参考にするとよい。 論述方法の違い
序論
本論
実証系論文
弁証系演繹型論文
弁証系帰納法型論文
本研究の目的・方法
問題提起・推論
本論の要旨
実験 1:方法⇒結果⇒考察
推論 1 ⇒検証⇒立証/否定
要旨 1 ⇒検証⇒立証
実験 2:方法⇒結果⇒考察
推論 2 ⇒検証⇒立証/否定
要旨 2 ⇒検証⇒立証
実験 3:方法⇒結果⇒考察
推論 3 ⇒検証⇒立証/否定
要旨 3 ⇒検証⇒立証
研究全体のまとめ
最終論の決定
要旨のまとめ
結論
私の論文指導授業では帰納型論文の書き方を教えている。そこでの最初の 宿題は、序論執筆だ。量は 250 字から 300 字程度。アウトラインで使ったキ ーワードをつないで文章にする。簡単そうだが、自分の言いたいことがプラ イマリー・キーワードを効果的に使ってまとめられているか、これらのプラ イマリー・キーワードは本論部分でその数だけ内容段落を作れるほど充実し たものか、そして読んで面白そうな内容かどうか、などなど。しっかりと練 っていなければ、これほどむずかしい作業はない。 ② 本論 本論は論文の中で一番長く、課題について本格的に議論する場である。た くさんの段落がありそれらを便宜的に形式段落と呼んでいるが、実際に議論 されている話題はそう多くはなく、それぞれの話題を一括りにして内容段落 と呼んでいる。アウトラインで作られた一つの話題を箱に例えると、本論は いくつかの箱から構成されている。その箱は内容段落としては一つの話題に ついてのものであるが、それらが一つのトピックについて序論・本論・結論 を構成している。つまり、一つの論文は、トピック毎の序論・本論・結論か
11 章 論文指導 131
ら成る小さな箱(内容段落)が集合して、論文としての大きな序論・本論・ 結論を構成している入れ子箱のような構造をとるものと考えたらよい。論文 の序論が総論とすると、本文のパラグラフ・ライティングは各論の部分であ り、それだけにしっかりとした構造と内容が要求される。ただし、実証系、 弁証系でも演繹型と帰納法型では展開方法が大きく異なるので以下に分けて 説明する。 a
実証系論文:事実のみをコンパクトに行程に沿って書く。 方法や材料:結果や結論を導く方法や材料や資料について述べ
1
る。アプローチの新規性について述べる。 2
結果:実験・シミュレーションなどの結果を、データ(図・表) を添えて述べる。
3
b
考察:結果から目的の結論を導く。
弁証系論文
弁証系論文の本論は、多くの形式段落で構成される。各形式段落は、一つ あたり 4 文以上 1 ページ未満の長さが望ましい。内容段落の数は序論で使っ たプライマリー・キーワードの数だけは必要。また、それぞれの内容段落は 論文の序論・本論・結論同様三段構成で、問題提起や概要を述べる導入段落 で始まり、それを検証する検証段落、そのまとめを行う終論段落で 1 クール を成す。 ( i ) 演繹型論文:序論での問題提起を受け、推論の数だけ内容段落を作り、 その真偽を検証する。各推論には少なくとも一つのプライマリー・キーワー ドが使用されていなければならず、各内容段落ではそれからセカンダリー・ キーワードを派生させ、検証の後、新たなキーワードを作り上げ、新説の手 がかりとする。構成は以下のとおり。 1
導入段落:プライマリー・キーワードを使って、基本的に推論の形を とる。 疑問形や先行研究に言及するトピック・パラグラフの使用も可能。
2
検証段落:推論を広げて一つ一つ丹念に検証する。回答・懐疑の形を
132
第Ⅱ部 TA マニュアル
とり、推論の真偽性の検証を重ねる。セカンダリー・キーワードの創 造。 3
終論段落: 2 の内容からセカンダリー・キーワードをまとめ、新説 (結論)を導き出す。
(ii) 帰納法型論文:序論で提示した主題を細分化し、その数だけ内容段落 を作り証明を行う。各内容段落の導入段落は、その内容段落の序論となる。 そこでは、論文全体の序論で導入したプライマリー・キーワードを軸として、 新たな具体的なセカンダリ−・キーワードでその意味を補足させながら文章 を作る。内容段落の検証段落では、セカンダリ−・キーワードを軸に例証し ていく。終論段落は、プライマリー・キーワードとセカンダリ−・キーワー ドなどを組み合わせて、導入段落のように再度論点を明確にする。 1
導入段落:プライマリー・キーワードを導入してそのパラグラフでの 主題を、セカンダリ−・キーワードで補足しながら述べる。
2
検証段落:セカンダリ−・キーワードを展開させ、いくつかの検証が それぞれに導入段落の主題を証明する。
3
終論段落:導入段落の主題をあらためて立証する。
③ 結論: 実証系論文では、本論での結果を考察し新規性の有無を示す。弁証系論文 の場合、演繹型論文では推論の結果何が結論として正しいと認められるのか を明記する。帰納法型論文の場合は、序論で紹介した論が正しいことを再述 するが、しつこい繰り返しにならないよう注意する。 ④ その他の注意点 まずは、科目担当教員が指定した論文形式を遵守しているかどうかだ。代 表的な論文形式としては MLA Format やシカゴ・マニュアルがある。私の場 合は、学部英文ゼミの卒業論文執筆には MLA Format を指定しており、提出 が近づくとフォーマット・ガイダンスと個別点検を TA にお願いしている。 なお、それ以外の学部授業では特別な形式は要求していない。皆それぞれの 分野で独自の形式があるはずなので、無理してこの授業のためだけに形式を 統一する必要はないと考えるからだ。
11 章 論文指導 133
そして重要なのは、盗用・剽窃しないこと。著作権法以外にも学内での罰 則規程あるならば、それを前もって知らせておく。参考文献やインターネッ トなどから引用する場合は必ず出典を明記させること。客観的な表現をする。 偏見や差別的な表現を使わない。推論や仮説だけで終わらない。議論の展開 に一貫性を持たせる。テキストや最新及び信頼ある参考文献・実験結果など を十二分に活用する。ただし、私の 1 年生向けの論文指導の授業では帰納法 型論文執筆の指導に力を入れているので、参考文献などは利用しなくてもよ いことにしている。内容よりもまずは論の展開方法に重点を置いているから だ。実証型論文では、必要に応じて注や図・表を活用することを忘れぬよう 指導したい。 »
書いた後で
論文を一通り書き終わっても、推敲と言う大事な作業が残っている。まず は上記のことを点検する。そして、自分で声を出して読んでみる。できれば 第三者に聞いてもらい意見を聴く。 授業内での推敲作業も有効だ。小グループに分け、論文の発表・討論会を させる。私の授業では、生徒のプライバシーを尊重するために執筆者が誰だ かわからないように論文の執筆者名を消して議論させる。面白いのは、生徒 には辛口批評家が多い。その後、生徒は再び文章の流れや文言・記述内容な どに気をつけ推敲を重ねる。論文執筆は提出のギリギリまで続く。
3.論文評価の心構え 論文評価ほど複雑な評価基準を持つものはない。基本的な表現から始まり、 論述対象への理解度、理論構成、そして論文自体の学術貢献度のレベルまで、 注目すべきは多種多様である。したがって、TA の役割は科目担当教員の出 題の意図と評価の基準、または着眼点、並びに配点を論理的に理解していな ければならない。語法、展開方法、内容、構成、発想、結果、配点(総合点、 部分点、印象点)などから、無断引用を発見した場合の対応方法まで確認し
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第Ⅱ部 TA マニュアル
ておくこと。しかも、最近ではインターネット等からの無断引用(盗作・剽 窃)が増加する傾向にあるので、執筆指導中における注意・予防並びに評価 時における究明策を施す必要がある。総じて、論文指導の授業では、学生か らクレームがついた時に、説明責任がとれるよう特に準備しなければならな い。 評価基準が確認され実際に論文を読む段階になると、まず全ての論文にさ っと目を通して全体の出来具合いを把握したうえで、個々の論文の評価・採 点を具体的に始める。添削部分は分かりやすい色のペンで、コメントは生産 的な内容を心掛ける。前回の論文と比較して向上した点を指摘すると効果的 である。 できれば、いくつか採点した段階で、その内容を科目担当教員に見せ、評 価の基準やコメント内容がそれでよいか確認する。一貫した評価基準を維持 するためには全ての論文を同時に評価することが好ましい。が、適宜休憩時 間を設けること。全体の評価が終われば、簡単なデータ(個人とクラス全体 における項目別評価表)を作り、それに TA のコメントを加えて科目担当教 員に提出する。
11 章 論文指導 135
付録 A
論文の展開例
課題――「ウサギの目はなぜ赤いかを説明せよ」 ( i )実証系論文 序論では、先行研究の内容と研究方法を説明したうえで、本研究の目的を明確に 表現する。本論は研究方法をいくつかに分け、それぞれについて実験方法・結果・ 考察を述べる。結論は、序論・本論から導き出す。 固体検査による「赤目ウサギ」の遺伝性 赤木 瞳 序論 これまで突発性のアルビノであるとされてきた「赤目のウサギ」200 体を個別検査する ことにより、 「赤目」になる遺伝因子を究明する。(略) 本論 実験 1 まず、因幡に赴き、「白ウサギ神話」の子孫達にインタビューを試みる。現在の赤目の 白ウサギ達に直接会い、彼らの先祖の目の色がどうだったかをテープレコーダー、デジカ メ等に収録する。 (略) インタビューできた 33 体のうち、31 体までが自分の先祖は皆赤目であったと証言。図 10 のように、 「赤目のうさぎ」は突発性ではなく、遺伝的なものと推測できる。 実験 2 次に、札幌市藻岩山に行き、黒目のエゾ鳴きウサギにインタビューを試みる。(略)エ ゾ鳴きウサギには赤目ウサギの先祖は存在せずすべて黒目であった。 (表 15 参照)。 (略) 結論 「赤目ウサギ」は遺伝であることが、今回初めてウサギ達に直接インタビューすること で証明された。
(ii)弁証系演繹型論文 このタイプの論文は思索的である。したがって、序論では問題提起が なされ、
本論ではその答えを求めて推論と検証がいくつかなされる。その結果、執筆 者は特定の結論を導き出すことが期待される。 ウサギの目はなぜ赤いか 赤野 次文 序論 ウサギの目はなぜ赤いのだろう。人間には茶色や青、灰色の目の人がいるが、赤い目の 人はいない。きっとウサギの目の「赤色」には、何か人間にはない特別な意味があるのだ ろう。 (略) 本論 まず、「赤い目」で連想されるのは寝不足の目である。ウサギはいつもおどおどして周
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第Ⅱ部 TA マニュアル
りをじっと観ているか、口をもぐもぐさせている。臆病さと食欲で寝る時間がないのかも 知れない。 (略) また、「赤い目」と言えば、涙目である。ウサギは声を出せない為に、目で泣いている ことを表現しているのだろうか。(略)しかし、ウサギが 24 時間泣く原因は思い当たらな い。 ウサギの目の色の原因ははっきりとはわからない。だが、おかげさまでいろんなことを 考えることができた。もしかしたら、それだけでも価値のあることじゃないだろうか? 結論 ウサギの目はなぜ赤いか、それはウサギの勝手でしょうとうことかも知れない。しかし、 目の色について考えることで、我々はウサギに対し我々自身の目の色、つまり考えも変え ることができる。ウサギの赤い目は我々自身に思考の可能性を知らしめるために存在して いるに違いない。
(iii)弁証系帰納法型論文 執筆者は、この論文を書きはじめる時点で自分の論点をしっかりと持っていなけ ればならない。序論では論文の概要を伝え、本論はその証明、結論は概要を再確認 する内容になる。 社会的弱者としての赤目のウサギ 旗色 弱志 序論 ウサギの赤目はポストモダン以降の少数派擁護運動の象徴であり、社会的階級の底辺で 犠牲者となっている人々の訴えの目である。 本論 第二次世界大戦後欧米で始まったポストモダンと呼ばれる反体制運動は、先住民族やア フリカ系アメリカ人などの少数派を擁護する動きであった。(略) 社会的弱者を底辺に置く階級社会は、 、 、 、 (略) 少数派民族の弱者としての存在はウサギの白さに象徴される。純粋さや無罪を表わす白 は、、、(略)ウサギの赤目は、少数民族のもうこれ以上涙もでない苦しみと悲しみの表れ である。このようなウサギの目と非暴力主義を実践する弱者の目には、明らかな共通点が ある。 結論 資本主義社会における階級の問題はウサギの目を赤く染めることで我々に提示されてき た。マルクス共産主義の赤旗はウサギの目の赤であると言っても過言ではないだろう。
付録 B
論文・レポート評価の練習
大学 3 年生向けの授業で、実際に映画を観て討論した後、科目担当教員から以下 の課題が与えられた。ここでは、それを受けて提出された二つの論文を評価してほ
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しい。評価項目は列挙するが、それらの基準は採点者に任せることにする。なぜな ら、論文指導に 1 つだけの正解は存在しないからだ。 TA 研修会では、この評価練習を参加者に課し評価結果などを発表させ討論させ る。たいていの場合は自分の評価がより優れているとの主張の交換で始まるが、し ばらく討論を続けているうちに、評価基準は人によって大きく異なること、科目担 当教員とのコミュニケーションをかなりしっかりさせていないとかなり偏った結果 をもたらすことなど、TA たちもその責務の大きさに気付くようになる。 課題 映画『Braveheart』について 1500 字程度で論じなさい。ありきたりのことや授業ですで に話したことをまとめるようなことはしないで、何か新しい視点を提供するような内容に すること。そうそう、帰納法的に書くこと。参考文献は使わなくても結構です。よ∼く考 えて、自分の考えをまとめて書くこと。
チェックリスト 内容:映画「Braveheart」に注目すべき解釈を提供しているか。45 % 構成:帰納法型論文形式になっているか。
45 %
その他:誤字・脱字等など、基本的ミスはないか。専門用語等難解な表現には 適切な説明があるか。10 % 評価値 A(秀):情報量・理論面で優れており他の考え方にも言及・批評しバランス がよく、独自の考えが明確に示されている。90 %以上。 B(優):情報量・理論面で優れており他の考え方にも言及しバランスはよい が批判的でなく、結論に独自性がない。80 %台。 C(良):情報量・理論性もあり他の考え方も紹介しているが、全体的に説明 文的であり洞察力に欠ける。したがって、結論も平凡である。70 % 台。 D(可):課題については知っているようだが、アプローチの仕方や構成が共 に未熟で、結論も練られた痕跡がない。60 %台。 F(不可):基本的ミスが多く文章が書けていない。課題も全く理解していな い。60 %未満。
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第Ⅱ部 TA マニュアル
評価用メモ 有効点
欠 点
評価
内容
構成
その他
返却用メモ 総合評価: コメント:
その他
●評価論文 1 Brave heart 北大 艶麗 まずこの作品における各人の役どころはどんなものであるか考えてみたい。ウィリア ム・ウォレスは何か。彼はヒーローである。ヒーローは人間ではない。ヒーローは一種の 偶像である。そのカリスマ性と強運でもって我々凡人の目の前に奇跡を起こして見せる人 間離れした存在なのだ。あなたは拷問にかけられながらも“Freedom”と叫ぶことができ るか?板垣退助でもこれは難しいだろう。しかしながら、あまりにも人間離れしていると うそ臭いし精神的親近感を得がたい。そこである程度の人間化が行われている。 彼が対英闘争に立ち上がった直接の動機は、愛する人を奪ったイングランドへの復讐で あった。非情に個人的な動機である。けして最初から(後の彼のように)「自由」のため
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に戦ったのではなかった。想像してほしい。個人的感情を一切交えず、大義のためだけに 立ち上がり、それに殉じた英雄を。一般の観客はこんな人物の心情理解はできない。そこ で復讐というきわめて人間的な動機をも付与する必要があったのだ。 一方ブルース。彼は人間である。探偵小説で言うワトソン君役である。ヒーローと観客 の橋渡しをするキャラクターである。はじめは彼の親父に象徴されるように抑圧を甘受し、 妥協の世界の住人であった人間・ブルース。彼はヒーロー・ウォレスとの出会いによって 眼を開かされ、旧世界と決別して強い男になる。彼は基本的に凡人であり、観客にとって 一番教官しやすい人物である。 今までの話をもう少し詳細に検討するとこういうことになる。妻を殺されるまではウォ レスはただ平和に暮らしたいと願う普通の人間であった。ここまでは観客も心情理解でき る。しかし対英闘争に立ち上がってから、彼はヒーローに生まれ変わった。自由への意志 の権化となった。こうなると観客は彼に対して感心はできても、心底からの教官はできか ねる。そこでブルースが必要になってくるのである。 目を転じてイングランド、これはもう悪の王国として描かれている。さてこの暗闇の国 に一人だけ光を放つ人物がいる。皇太子妃のイザベルである。彼女の役割とは何であろう か。僕の思うに彼女も人間ではない。では何か。道具である。ウォレスに危機を知らせ、 お腹に彼の子供を宿すという役割を付与された道具である。主体性を持って行動すること を期待された一個の人格というよりか、脚本家の必要性から作り出された装置という感じ がする。 思うに、ヒーローは敵の卑怯な罠に落ちて死んではいけないのだ。もちろんヒーローだ って罠に落ちることがある。しかしそれで死んではいけない。持ち前の頭脳と強運と美女 の手助けによって、必ず窮地から脱出しなくてはならない。それがいかに汚くて巧妙なも のであったとしても、敵の罠に落ちて死ぬヒーローはどこか頭が悪いような印象を与える。 彼が死ぬときは、信頼していた仲間の裏切りによるものでなくてはならない。それでこそ 悲劇になり得る。敵にだまされて死ぬのでは喜劇にしかならない。ウォレスがヒーローた りうるためにはイザベルのような美女が必要不可欠だったのだ。 007 モノの映画では、007 と敵対する組織に属していながら純粋な心を失っていない美 女が必ず登場し、必ず彼と恋に落ちて、自分の危険を顧みず彼に便宜を働く。こうした女 性をボンドガールと言うそうだが、イザベルはまさにボンドガールではないだろうか。 この映画に登場する女性はもう一人いる。ウォレスの死んだ奥さんだが、考えてみると 彼女にも人格がないような気がしてくる。前半部分で述べたようにウォレスの人間化のた めにストーリーに挿入された道具に過ぎないのではないか。どうもこの作品に人間の女性 は出てこないようだ。 ここからは僕の個人的な感想を述べたい。暗い画面や民族楽器を用いた音楽は印象的だ ったし、戦闘のシーンもなかなか迫力があった。しかし褒めるのはここまで。長髪で、ひ げの剃りあとが青々したメル・ギブソンは男性ホルモンがにおい立つようで、ずっと見て いて気持ちのいいものではなかった。(男性ホルモンの臭いだなんて想像しただけで胸が 悪い) 。 また、ストーリーがあまりに単純明快でつまらなかった。別に話の筋が単純であること 自体を非難しているわけではない。単純であっても面白い映画はいくらでもある。では何 でつまらないか。冒頭でもちょっと触れたが、ウォレスが拷問にかけられるシーンがある。
140
第Ⅱ部 TA マニュアル
役人がウォレスを拷問しながら「慈悲を請え」と迫るわけだが、たいていの人はウォレス の次の台詞が何であるかわかっていたと思う。別にわかっていても問題ではない。「こう なってほしい」という観客の期待を裏切ってはならない。しかし僕は“Freedom!”という 台詞を期待してはいなかった。ただ予想しただけであった。予想を裏切らないお話なんて 面白くもなんともない。この映画では一事が万事この調子であった。
●評価論文 2 Braveheart : 60 年代という「父」 、90 年代という「子」 北大 大志 「ブレイヴハート」は、90 年代当時安易に用いられていた WASP 対マイノリティという 二項対立の中で、単に「間違った」WASP 側から「正しい」マイノリティ側へと視点を移 動させるだけでなく、WASP 側として生まれた人間が、マイノリティの「自由」の中に (再び)発見する彼ら自身の「自由」を描いている。それは、ヒーローとしてのウォレス の中に、WASP 側であることの「立場」と、マイノリティの目指している「自由」との間 に挟まれる人間の体現であるロバートと、WASP 側の中にあっても、女性であるがゆえに 居場所が不安定な人間の体現であるイザベルとが発見するものである。その過程は、「父」 と「子」という構造に重ねて、公民権運動が起こった 1960 年代から 1990 年代へと一つの 世代が移行する中で、前の世代の遺産を受け継ぐ「新しい世代」として自由の国に生まれ て来た人間に向けられている。 ウォレスの持つ「自由」の信念は、60 年代以来の公民権運動以後、それまでの「アメリ カの自由」への疑問を提示し続けてきたマイノリティの「自由」と重なっている。それは、 例えば蔑称を自らのアイデンティティへと変化させて「チカーノ」に見るように、マイノ リティと呼ばれるものたちが、かつて蔑称で呼ばれたことで「自分の国の人間として生き ること」を奪われたものであるがゆえに獲得したものであった。ウォレスもまた、崩れ落 ちた父の家の場所で、新しい自分の「家」を共に作ろうとしていたミューロンが奪われ、 隣村の者もまた「家」を奪われていることを知ったとき、「家」を作るために必要な「自 由」が奪い取られていることを知り、戦いを始めるのである。 そのウォレスを見るロバートは、彼の中にある「自由」に魅かれながらも、「自らの国 を統治するもの」として「父」の存在の中で苦悩している。彼は自分の行なおうとしてい る行動を逐一「父」に報告している。それは、自分が正当であると見とめる「自由」のヒ ーローを目撃しながらも、無意識に残ってしまっている、WASP 側の人間として、マイノ リティ側と妥協しながらも「統治するもの」(と、自認している)としての価値観への拘 束を表している。その価値観は、WASP 側からマイノリティの側の視点へと向かっていく 中で、 「腐っている」ものであるために表に出すことができないが、 「自らの国を統治する」 ためには必要なものだった価値観に重ねられている。そしてロバートの苦悩もまた、自分 の信念とは裏腹に、WASP 側に生まれたために安易にマイノリティ側へと移行できずにい る、「父」を持つ 90 年代の新しい WASP の世代の苦悩に重ねられているのである。
11 章 論文指導 141
ウォレスを見るもう一人の人間であるイザベルは、何よりもまず「失った恋人のために 戦っている」という理由で彼に魅かれている。そこには、彼女が望みながらも、エドワー ド皇太子の妻としては獲得できない「眼差しを向けられる」女性像があったからである。 あくまで道具として扱われ、自分に眼差しを向けられない場所で、それでも彼女は未亡人 になることに動揺を覚える。彼女にとって自分がいることのできるのは、その自分に眼差 しが向けられない場所しかなかったからである。そこには、公民権運動以前に「見られて いなかった」 、WASP 側の中にいる女性の姿がある。 ヒーローとしてのウォレスと彼を見るロバートとイザベルの関係は、ウォレスを象徴す る「青」という色との結びつきに表されている。ウォレスは、青い目をし、青で顔を塗り、 青空の背景として剣を突き刺し、そして死んでいく。それは、彼が持つ「自らの自由」に 対して、「自らの国」に対して、自分のアイデンティティが、何の曇りもなく重なってい ることを示している。それに対し、ロバートは、「国」のために裏切った戦いの後で、死 骸の山を濃い霧の中で歩く。彼は、背景となる青い空も、その色を塗るべき顔を持つ(見 せる)ことができない。そこにあるのは、「自らの国」が不透明であり、誇示できるアイ デンティティを持たない人間の姿である。また、イザベルは、目をそらしてばかりいる皇 太子とは対照的に、自分を見つめるウォレスの青い目に動揺し、魅かれる。イギリス皇太 子の妻という場所では向けられなかった、彼女を「強い女性」と見ることができる眼差し である。それは、WASP 側にいながらも「見られていなかった」女性が、マイノリティ側 の視線へと移行する中で、その視線によって新しく女性という対象を「見る」ことになっ た、フェミニズム運動の眼差しに重なっている。 ロバートが良心を裏切らないことを決意し、イザベルがエドワード王のもくろみを流す 「子」を宿すと、物語の中の「父」は死へと向かっていく。それは、90 年代に WASP 側と して新しく生まれた世代が持たざるをえなかった、60 年代という「父」であった。ロバー トは、ウォレスの「自由」を「自らの自由」とする WASP 側の人間となることで、イザベ ルは、彼女に眼差しを向けた人間の血を引き継ぐ人間となることで、彼らの「父」は死ん でいくのである。その過程は、彼らのヒーローであるウォレスが、「父」の死によって与 えられた、「自らの国」を奪われることの記憶と、崩れ落ちた「家」によって「自由」を 獲得した過程と対照的である。 60 年代を「父」として持つ 90 年代の新しい「子」は、歴史が「ヒーローを葬った側」 から描かれていたことを知っている。映画の中で語られるのは、葬られたヒーローの物語 である。しかし、その語り手を「葬った側」に生まれた人間に設定することにより、葬ら れた側の「自由」だけを語るのではなく、その自由を見ながらも WASP 側の遺産に苦しむ ものが発見する、彼ら自身の「彼らの自由」がそこに描き出されている。
142
第Ⅱ部 TA マニュアル
12 章 TA 研修会の企画と運営
日本では TA のための研修をいまだ制度として持っていない大学が多い。 一方で、雇用される TA の数は年々増加している。北海道大学の場合、TA の数は全体で 2000 名を越え、全学教育だけでも 500 余名を擁するようにな ってきた。しかし、学生たちの大学教育についての経験は、自らが学生であ ったことを除けば、ほとんどないに等しい。そのような大学院学生に対して、 教育に関する基礎的な学習機会を設けることが TA 研修会の目的である。以 下に、北海道大学全学教育の TA 研修会の事例を紹介し、企画と運営の実際 を解説する。なお、全学教育とは、学士課程の中の旧教養課程に相当する部 分である。
1.TA 研修会の企画 一部の教員が、どんなに研修会の必要性を感じていても、それだけでは実 施には至らない。すべからく教育は全学的な仕組み(制度)が必要である。 北海道大学全学教育の TA の場合、高等教育機能開発総合センターの TA 任 用規定(付録 A 参照)第 8 条により研修に参加することが義務づけられてい る。この規定を根拠として、センターの高等教育開発研究部と入学者選抜研 究部の教員 6 名が中心となり企画運営にあたっている。特に、高等教育開発 研究部では FD 研修会、新任教員研修会とともに 3 大研修会として、重要な 任務のひとつとなっている。 ¸
TA の任用
一般の教員が全学教育に関連して TA を任用する際は、第 3 条を考慮して、 第 4 条に基づき当該部局長の承認を得た後センターに申請する。実際には任
12 章 TA 研修会の企画と運営 143
用年度の前年の 12 月までに申請する。申請を受けたセンターの全学教育委 員会は、予算や必要性などを考慮して TA の必要性を判断し、運営委員会が 決定する。決定の時期は 2 月頃となる。 ¹
TA 研修会の目的
北海道大学の TA 研修会は、その目的を以下のように明示している。した がって、研修会の企画に当たっては、これらの目的が達成されるような構成 が要求される。 大学教育の基礎を理解する 全学教育の趣旨を理解する:目的、意義、全体での位置づけ 専門教育に還元できない基礎的な教育技術、心構え、教育理論について 理解する 担当する科目の内容と教授法を理解する TA 相互の交流を図る º
研修会のプログラム
まず、開催する期間を決定しなければならない。アメリカでは、1 週間程 度の期間研修を実施することが広く行われるようになってきたが、最も長い ケースでは、研修ではなく講義として運用し、それに単位を与える場合もあ る。日本の現状では、2 日以上にわたって研修会を開催することには同意が 得られにくいので、北海道大学では丸一日を使い、およそ 6 時間としている。 以下に、2005 年 4 月に行った研修会のプログラムを示す。 午前中は 30 分程度のミニ講義とパネルディスカッションを行った。講義 は、研修会の目的 1)∼ 3)に対応して企画されている。「北海道大学の全学 教育」では、全学教育全体の展望を与えるとともに、学生から寄せられた苦 情や質問をもとにして、全学教育に対する大学の姿勢や、現状における課題 が解説される。次の講義「Teaching Assistant」では、TA の役割と心得が本 書Ⅱの第 1 章の資料にそって説明される。最後の「大学教育の基礎について」 では、教育の基本的な仕組みが話される。教育には目標があり、それを実行
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表1
第Ⅱ部 TA マニュアル
2005 年度北海道大学全学教育 TA 研修会プログラム
日時: 2005 年 4 月 6 日(水) 会場:高等教育機能開発総合センター大講堂(主会場) 主催:高等教育機能開発総合センター 9:15 受付開始 ――――――――――― 全体の司会:教員 1 名 9:30 挨拶 総長 9:35 講演 「北海道大学の全学教育」 (30 分):教員 1 名 10:05 講演 「Teaching Assistant」 (30 分):教員 1 名 10:35 休憩 (10 分) 10:45 ミニ講義 「大学教育の基礎について」 (15 分):教員 1 名 11:00 パネル討論「TA の可能性∼現状と理想」 (40 分) 司会:教員 1 名 パネラー:教員 2 名、学生 2 名 質疑応答(15 分) 12:00 ∼ 13:00 昼休み 13:00 ∼ 13:30【N245】コーヒーブレーク(自由参加) TA 経験者の談話、学生 2 名 13:30 ∼ 16:00 分科会ごとのセッション (150 分) (N 棟 2 階は、高等教育センター正面玄関より階段を上がって 2 階、すぐに西側奥へ) 分科会セッションの会場 A.一般教育演習【N231(主会場) 、N232】教員 2 名 グループ学習の実際(15 分) 、 グループ討論(ケーススタディ) B.講義【大講堂(主会場)、N281、N270、N271】:教員 2 名 全学教育事務からの説明(30 分) 、グループ討論(100 分) C.論文指導【N233】:教員 1 名 論文指導の実際、グループ討論 D.情報処理【情報基盤センター南館 1 階 108 講義室】:教員 3 名、学生 1 名 情報処理教育について(10 分) 、情報処理 TA の実際(20 分) グループ討論:情報処理教育特有の問題について(120 分) E.実験【N304(主会場)、N242、N243】:教員 4 名 実験指導と TA の役割 化学(20 分) 、地学(10 分) 、グループ討論(120 分) E'.心理実験【N244】:教員 1 名 心理学実験のポイント F .語学【N302】:教員 1 名 語学教育のポイント G.医学(専門教育) 【N283(主会場) 、N282、N272、N273】:教員 3 名 実験指導と TA の役割 (20 分) 、グループ討論(120 分) H.工学部・情報(専門教育) 【N234】:教員 1 名 学部 TA の役割 ――――――――――― 16:00 終了
12 章 TA 研修会の企画と運営 145
するための方策があり、最後に学生が評価され目標に到達していれば次の段 階に進む。教員を含めた教育の評価もされるべきで、それが次回にフィード バックされる。以上の詳細はシラバスに記述され学生との契約として成立し なければならない。 午前中最後のパネルディスカッションの内容は、毎年変更される。今回は、 教員により水産学部の先進的な TA 研修会の紹介、外国語科目における TA の役割が説明された。また、昨年 TA を経験した 2 名の学生による体験談が 語られた。学生は、実験を担当しているものと、講義を担当しているもので あり、TA をしていて困ったことや良かったことなどが話される。最後に司 会者により会場を巻き込んだ質疑応答が展開された。後のアンケート調査に よれば、グループ学習とともに人気のあるプログラムである。 午後の 30 分間は、パネルディスカッションで話題を提供した学生に依頼 し、用意した部屋で参加者とお茶を飲みながら歓談をする。自由参加で教員 が加わらないところが重要なポイントである。毎年 10 名前後がこの部屋を 訪れる。 北海道大学で行われる研修会の特徴は、グループ作業を取り入れ、講師だ けではなく参加者にも発言や議論の場を設けるところにある。さらに、相互 に会話ができることから、お互いの存在を認識し、TA が孤独な作業ではな く、多くの仲間がいることを実感できる。また、全学教育の TA は、その職 務が多岐にわたる上、この研修会には学部 TA の参加も認めているため、職 務内容に合わせた教育が必要である。7 年前に開始されたときには、実験と 講義の 2 つに分けていたが、現在では 9 つの分科会に分類している。この細 分化によって、少ない分科会は 10 名以下になるが、多くの場合 40 名前後で ある。グループ学習の面倒を見る教員は各分科会に 2 ∼ 4 名配置しており、 きめ細かい教育、指導ができるようになっている。どの分科会でも、ミニ講 義でその職務に特有の留意点を紹介し、その後、普段ありそうな困ったケー スを例に、その解決法を 7 名程度の小グループで議論する。
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2.TA 研修会の運営 上記のような構成を念頭において必要な準備を行う。プログラムは状況に 応じて変え、最適な構成になるよう努力する。おおよそのプロセスを表に示 した。12 月の内部の決定を別にすれば、2 ∼ 3 月の 2 カ月で企画から実施ま で行うことができる。 2 月中に午前中の講演の内容や講演者、パネリストなどをおおよそ考慮し ておく。必要に応じて、あらかじめ講演の依頼をする。最初の案内と参加申 し込みの依頼書は、TA 任用者が決定されたら直ちに各学部長宛に送付する。 その際、各 TA の希望する午後のセッション名も提出するよう依頼する。こ れは、後に TA をセッションに振り分けるための基礎となるため重要である。 参加申し込みの締め切りは、企画立案会議よりも前である。 3 月に入り、入試等の行事をはずして企画立案会を開催する。責任部局が 決まっている場合、担当者は該当科目の責任者になるが、それ以外の場合は 担当者の依頼文書が必要な場合がある。例えば、医学部 TA の場合は学部で 任用している場合がほとんどなので全学教育の責任者ではなく医学部長に担 当者の依頼をしている。基本的に学部教育の TA は研修の対象とはしていな いが、依頼がある場合は本研修会に組み込んでいる。しかしながら、午後の セッションでは専門や形式別に分かれるので、その指導をする教員が必要に なる。企画立案会の出席者は同時に午後のセッションの指導者も兼ねること になるので、このような配慮が必要になる。 企画立案会で、詳細なプログラムとそれぞれの担当者が決定されることに なるが、一部が事務局に一任されることもある。この場合は早急に担当者を 決定、依頼する必要がある。講演や午後のセッションの担当者が決定されれ ば、直ちにその依頼と、当日配布する資料の原稿依頼を行う。この資料の印 刷と製本、ならびに当日の受付などの雑務にアルバイトが必要とされるので、 大学院生等にアルバイトの依頼をする。資料の原稿が集まれば、まとめて表 紙と目次を付け冊子としてコピー、製本を行う。必要部数+ 50 部程度は必 要である。実際に配布した資料はセンターの高等教育開発研究部のホームペ
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ージで参照できる(http://socyo.high.hokudai.ac.jp)。 TA 参加希望者リストがそろった時点で、名簿と名札を作成する。名札は、 午後のセッションでグループ討論をする場合に必要である。また、開始時の 出欠の判定にも利用する。TA 参加希望者は、学部別の名簿を作成し名札の 元簿とするとともに、午後のセッション別の名簿を作成する。午後のセッシ ョンは 2005 年度の場合、一般教育演習、講義、論文指導、情報処理、実験、 心理実験、語学、医学、工学部・情報(専門教育)の 9 つの分科会に分かれ た。TA の人数はセッションごとに異なり、数名から 50 名の範囲にある。午 後のセッションのねらいは、ケーススタディを基本にして、自ら教師として 考えてもらうことにある。そのためには 10 名以下のグループで一つのテー マを議論することが効果的である。したがって、人数の多いセッションでは あらかじめ 5 ∼ 10 名程度のグループを作っておき、名簿に記入する。グル ープごとの名簿があればさらにわかりやすい。 午前中の講演は大講堂だけを使うが、午後のセッションは各分科会に教室 が必要なので、分科会で使う部屋を決定し、資料に教室の地図を加えておく ことも必要である。 実施前日には、研修会で使う垂れ幕やパネルディスカッションで使うパネ リストと司会者の名前の印刷が必要である。垂れ幕は会場正面に使用する横 幕として「○○大学全学教育 TA 研修会」、玄関に掲示する縦幕として「○ ○大学全学教育 TA 研修会、(1 階大講堂午前 9 時半より)」などが考えられ る。可能であれば、この日に会場の設営を行う。講演やパネルディスカッシ ョンを考慮した什器の配置、当日使用する AV 機器の設置と確認、午後のセ ッションの会場ごとの掲示、グループ作業に必要な文房具一式の準備が必要 である。アルバイトや担当教員との最終打ち合わせ、依頼の確認も必要に応 じて行う。それぞれの役割についてマニュアルや依頼文を作成し配布すれば、 さらに円滑な運営が期待される。 実施当日で混乱、混雑が予想されるのは受付である。資料は一括して用意 し、名札を学部ごとに並べてわかりやすくする。出欠のチェックは名札の有 無で行うと便利である。次に混乱が予想されるのは、午後の分科会への移動
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であるが、これは会場をなるべく互いに近くに設定し、受付を設置すること で解消される。最終のプログラムまで TA がいたかどうかは、各会場でチェ ックして最後に集計する。次回開催の参考のためにアンケートを取っておく のも研修会の質を向上する良い手段である(付録 B)。 研修会終了後、各分科会の報告をもとに、終日参加した学生を所属研究科 に連絡する。北海道大学の場合、TA は研修会に 1 度参加すればよいので、 修了者には次回の研修会の案内はしない。また、分科会の担当者に短い報告 を依頼すると、各分科会の様子がわかり翌年の参考になる。これらを報告書 としてまとめておけば、学内への実施報告や翌年の研修会の資料となり、有 用である。
3.実施例 北海道大学の TA 研修会は、1998 年以来以下のようなスケジュールに従っ て実施された。 12 月 センター運営委員会で TA 研修会開催の決定 2 月 午前中のプログラムの決定 学内への案内文書、研修申込書の配布 講師・シンポジスト依頼 3 月 企画立案会開催、分科会講師依頼 受付等アルバイト依頼 資料の作成 4 月 参加者リストの作成、 分科会への配置、分科会内のグループ名簿作成 アルバイト打ち合わせ、会場設営 TA 研修会実施、会場後始末 完了者通知、センターニュースに報告を掲載
2005 年度の実施報告は、センターの広報紙である「センターニュース」 59 号に次のように報告されている。
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真摯に学ぶ TA 研修会 今年度の全学教育における TA 任用人数は、延べ 564 名(対前年度比 9.5 %増)に達しま した。TA 制度は広い意味の大学院教育の一環として導入された制度で、大学教員となる ための実地訓練(教育現場の体験)のための制度ともみなされています。また、大学院学 生は教員とともに学部教育に参加することによって、自分の専門についてより一層理解を 深めるとともに、教育の現場において教えるとはどういうことかを理解することになりま す。 全学教育を担当する TA に対しては、当該授業料目の担当教員によるオリエンテーショ ンのほかに、事前に当該業務に関する適切なオリエンテーションが義務づけられています。 本センターでは、1998 年度から TA 研修会を実施してきており、今回で 8 回目となります。 今回は、初めて製本されたテキスト「ティーチングアシスタント―その役割と研修の手引 き―」を配布し、より深い理解の助けとしました。 事前申込者は 300 名、最後まで出席した研修完了者は 201 名で昨年度とほぼ同様の成績 になりました。完了者のうち学部 TA は 25 名でした。午後の分科会の種類は昨年よりもさ らに増え、9 分科会に分かれて学習しました。受講者は年々真剣さを増し、研修会の重要 性が感じられました。 研修の目的は以下のように要約されます。 1 )大学教育の基礎を理解する 2 )全学教育の趣旨を理解する:目的、意義、全体での位置づけ 3 )専門教育に還元できない基礎的な教育技術、心構え、教育理論について理解する 4 )担当する科目の内容と教授法を理解する 5 )TA 相互の交流を図る 分科会の報告 ①一般教育演習 例年通り少人数教育における TA の役割について、事例を元に実践的に学びました。ま ず、40 名の TA に一般教育演習の意義やグループ学習の機能についてレクチャーがあり、 アイスブレーキングで肩慣らしを行いました。そして、カリフォルニア大学バークリー校 TA 研修資料やオプションで設けた実例を選択しながら、KJ 法による情報収集と処理を通 して、問題の把握と解決の方策について議論し、それぞれの結果についてプレゼンテーシ ョンする形で進めました。やや議論が偏るきらいはあったものの、参加した大学院生のモ チベーションは高く、教員からのコメントを含めて建設的な内容となりました。最後に小 グループ学習における TA のモニタリングの重要性についてアドバイスを行い、終了しま した。 ②講 義 まず 20 分ほど共通教育係の土本さんが講義室の様々な機器や出席カードなどについて 話し、さらに大講堂担当の TA には機器の使い方を 5 分程度説明しました。その後講義室 N281 に移動し、グループ討論の方法についてのミニ講義ののち、6 つのグループに分かれ、 「討論の時間に学生の 1 人が、ぼんやり窓の外を眺めてばかりいる。さてどうするか?」 のような学生の振る舞いに関するケーススタディを行いました。3 つのケースを用意し 2 グループずつが同じケースについて討論し、最後に発表会をし、大いに盛り上がりました。
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この分科会のアンケートの結果では例年のようにグループ討論がよかったという TA が多 くいました。 ③論文指導 新しく全学教育の論文指導を担当する TA の方々に、論文指導とは何をするのか、そし てその中での TA の役割とは何かを、自覚し、考えてもらうことを主眼に置きました。あ る講義の期末課題に対する学生のレポート素案を提示し、このレポートに対して、TA と してどういう点をどう指導すればよいかを考えて、グループ・ディスカッションし、それ をまた全体で討議する、という形をとりました。そのあと、講師から、(1)論文・レポー ト指導に関する考え方(とくに全学教育であるということに注意を喚起)、(2)論文・レ ポート作成時の文献・資料収集の指導のしかた、について簡単なレクチャーがありまし た。 ④情 報 情報処理Ⅰの TA を担当する約 20 名の学生が参加しました。まず始めに、情報基盤セン ターの岡部教授より情報処理Ⅰの演習で利用する計算機ステムの説明があった後、情報科 学研究科の村井助教授より演習のフレームワークについて説明がありました。その後、演 習について、進め方や学生指導に関する注意事項を説明した後、情報科学研究科博士課程 3 年の須藤康裕君より TA の経験談と起こりやすい問題点、その対処法などを講演してい ただきました。パスワードの管理や著作権の問題など、情報処理教育に関する基礎的なこ とや、学生にまめに声をかける、大きな声で話すなど TA としての心構えなどのアドバイ スもあり、活発にグループ討論を行うことができました。 ⑤実 験 化学系および地学系の TA の役割についてミニ講義を受講した後、5 グループに分かれ てグループ学習による討論を行いました。グループ名を決めることでグループ活動の手順 を学び、「研修の手引き」の事例をもとに 1 時間の討論をしました。テーマは、初動を促 す方法(事例 6)、事故の予防と整理(事例 9、10)、無駄話の防止法(事例 11)、時間内に 終わらせる方策(事例 14)で、身近に起こりうるケースを取り上げました。50 分間の発 表は、活発な討論に助けられて実り多いものになりました。 ⑥心理学実験 今年度から新たな分科会として独立しました。心理学実験分科会では、はじめに実験科 目における TA の役割などに関するレクチャーの後、個人情報を含む実験データの取り扱 いや、学生に対して心理検査の結果をどのようにしてフィードバックすべきかなど心理学 実験実習に特有の問題、および実験実習一般に関する話題などを取り上げ、グループ討論 および討論結果のプレゼンテーションが行われました。特に、心理学実験実習に特有の話 題については、参加した大学院生および教員を交えた積極的な討論が行われました。本分 科会を通じて、参加者には、他の実験科目とは異なる心理学実験実習に特有の事情に対す る理解を深め、TA として従事することへの自覚や責任感を高めてもらえたと思います。 ⑦語 学 英語と中国語担当の TA が 30 名ほど出席しました。CALL 授業担当の TA(主に英語)は 午後 2 時から言語文化部主催の教員・ TA 合同の CALL 講習会に出席することになってい たので、分科会では以下のような注意事項を述べるだけに止めました。英語の TA には、 授業の種類や教員の授業内容により TA の仕事がさまざまなので、事前に担当教員と綿密
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な打ち合わせをする必要があることや、教員と学生をつなぐパイプ役であるという意識を 持つことも必要であることを強調しました。また、中国語の TA には、渡邉浩平助教授か ら、発音指導の場合には地域差があるので事前に音声教材で標準語の発音を聞き込んでお くこと、初習外国語の場合は規範化されたものを教えることが多く、違和感があるかもし れないので疑問点などは事前に教員と話し合っておくこと、また、中華世界の代表として 学生に接して欲しいということなどが説明されました。 E309 で行われた CALL 講習会では、機器の基本的な操作手順の指導を受けたり、新しく 導入されたソフトウエアの機能や使い方について講師たちから説明を受け、午後 5 時に解 散しました。TA 研修会に CALL 講習会を組み込んだのは今年がはじめてですが、来年度は CALL 授業を経験した TA に講師として体験談などを話してもらうのも有益ではないかと感 じました。 ⑧医学(専門) 21 名の参加がありました。実験指導を例とした 20 分の講義の後、医学部や歯学部の TA が遭遇しがちな状況(出席確認、実習引率、実験指導など)についていくつかの例題を提 示し、4 つのグループに分かれて 1 時間程度のグループ討論を行いました。後半は各グル ープにより OHP を用いた成果発表および全体討論を行いました。各グループともに、学 会発表などの経験を生かし、ユーモアを交えた上手なプレゼンテーションを行い、全体討 論も非常に盛り上がり、有意義なセッションとなりました。 ⑨工学部・情報(専門) 情報工学実験、システム工学実験、工学的創成実験など、情報エレクトロニクス系専門 実験担当の TA が参加しました。各自の研究内容紹介を含めた自己紹介の後、プログラミ ング、ロボット制作、信号処理など情報科学の専門特有の指導上の工夫についてグループ 討論をしました。また、将来、このような TA の研修および指導に対して、大学院情報科 学研究科の正式な科目を履修したものとして単位を付与するような可能性の検討を行うと きにはどのような点に留意したらよいかという仮想的な課題を題材にして全体討論をし、 TA の立場や業務に対する認識を深めることができました。 学部 TA の申込数の増加のため課題も出てきました。前回に続き医学部、工学部・情報、 心理学実験などへの申込者が多くなったので、それぞれの教員に午後のセッションの担当 を依頼することになりました。午後だけではなく、午前中の講演も業務内容に応じた内容 が望ましいのですが、応じきれません。多くは学部の TA ですので、各学部で独自の TA 研修会の開催が期待されます。
4.必要とされる周到な準備 TA に期待される教育内容は年々多様化し、実施にあたって多くの教員や 学生の協力を要請しなければならなくなってきている。2005 年度は受講者 300 名に対して、主催側の教員や学生、事務職員の数はのべ 20 名を超えて
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いる。これは、センターで主催している 3 種類の FD 研修(他の参加者は新 任教員研修会 90 名 FD ワークショップ 40 名)の中でも最大である。また、 実施時期の 4 月初旬は学会が開かれる時期と重なっており、大きな学会と同 じ日に実施すると参加者が激減したり教員の協力が得られなかったりする可 能性がある。したがって、参加者の日程調整には、早めの企画と周到な計画、 参加者への徹底した周知が必要になる。また、名簿や資料集の作成など事務 的な処理は系統的に行い、遺漏や遅延のないよう務めなければならない。
5.今後の課題 およそ 6 時間の研修会が TA にとって十分であるとは思えない。教育の基 礎を教えるには、まだまだ時間不足である。さらに時間と手間をかけた研修 会が期待される。また、TA は全学教育のみならず学部教育でも活用されて いるが、学部 TA のための研修会は水産学部以外ではあまり行われていない。 学部 TA のための研修会を学部ごとに実施することがこれからの課題であ る。
付録 A
北海道大学全学教育の TA 任用規定
北海道大学全学教育科目ティーチング・アシスタントの選考等に関する要項 (1996 年 9 月 11 日 高等教育機能開発総合センター運営委員会決定)
(趣旨) 第 1 条 北海道大学における全学教育科目(北海道大学通則(1995 年海大連第 2 号)第 17 条第 3 項に規定する全学教育科目をいう。以下同じ。)に係るティーチング・アシスタン ト(以下「T ・ A」という。)の選考等については、国立大学法人北海道大学ティーチン グ・アシスタント実施要項(1992 年 10 月 14 日総長裁定)に定めるもののほか、この要項 の定めるところによる。 (職務内容) 第 2 条 T ・ A の職務内容は、全学教育科目を履修する学生に対する実験、実習、演習等 の教育補助を行うことを職務とする。 (選考基準) 第 3 条 T ・ A となることのできる者は、北海道大学大学院に在籍する優秀な学生で、全 学教育科目の実験、実習、演習等 において、優れた指導能力を有するものとする。 (T ・ A の必要数)
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第 4 条 T ・ A を必要とする授業科目の代表担当教員は、その必要数を高等教育機能開発 総合センター全学教育部長(次条第 1 項において「全学教育部長」という。)に提出する ものとする。この場合、において、責任部局で開講している授業科目については、当該責 任部局の長の承諾を事前に得るものとする。 2 前項の規定により提出された T ・ A の必要数については、高等教育機能開発総合セン ター全学教育委員会(次条第 2 項において「全学教育委員会」という)の審議を経て、高 等教育機能開発総合センター運営委員会(次条第 2 項において「運営委員会」という。) において決定する。 (選考方法) 第 5 条 授業科目の代表担当教員は、前条第 2 項の規定により決定された T ・ A の必要数 に基づき、T ・ A 候補者を全学教育部長に推薦するものとする。この場合において、当該 T ・ A 候補者の在籍する研究科、学院又は教育部の長の承諾を事前に大学院研究科の長の 承諾を得るものとする。 2 前項により提出された T ・ A 候補者については、全学教育委員会の審議を経て、運営 委員会において選考し、採用を決定する。 (勤務時間) 第 6 条 T ・ A の勤務時間は、正規職員の 1 週間当たりの勤務時間の 4 分の 3 を超えない 範囲内とし、当該学生の研究指導、授業等に支障のない時間帯とする。 (採用手続) 第 7 条 T ・ A の採用手続きは、当該授業科目の責任部局において行うものとする。ただ し、複合科目、一般教育演習及び共通科目にあっては、当該授業科目の代表担当教員の所 属する学部において採用手続きを行うものとする。 2 前項の場合において、授業科目の代表担当教員が学部以外の部局に所属するときは、 当該授業科目の内容に最も近い分野の学部において採用手続きを行うものとする。 (オリエンテーション) 第 8 条 授業科目の担当教員は、T ・ A に対し、事前に当該職務に関する適切なオリエン テーションを行うものとする。 附 則 この要項は、2005 年 4 月 1 日から実施する。
付録 B
アンケートの例
TA 研修会アンケート用紙 2005 年 4 月 1 .あなたのことについてご記入ください。 (修士課程・博士課程) 年目、 TA 経験年数 年 A :一般教育演習、B :講義、C :論文指導、D :情報処理、E :実験、E':心理学実験、 F :語学、G :医学、H :情報(工学部) (該当するグループを○で囲んでください)
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さしつかえなければ名前と所属もご記入ください。 所属 氏名 2 .職務の内容と拘束時間をご存知でしたらお答えください。 3 .成績判定に参加することになっていますか? 4 .これ以外に専門別の TA 研修を受けていますか? 5 .本日のプログラムの中でもっとも有益だったのはどれですか? 理由もお書きください。 6 .本日のプログラム以外で次年度以降この研修会に取り入れたほうがよいと 考えるものがあればお教えください。 7 .本日のプログラムを良くするためのアイデアがありましたら 記入してください。 8 .その他、コメントがありましたらお書きください。
執筆者(50音順) 執筆分担 宇田川拓雄(うたがわ・たくお) 1 章 北海道教育大学教育学部函館校教授 専門:社会学 小笠原正明(おがわさわら・まさあき) はじめに 東京農工大学大学教育研究センター教授 奥 聡(おく・さとし) 10 章 北海道大学言語文化部助教授 専門:理論言語学、比較統語論 川村秀憲(かわむら・ひでのり) 9 章 北海道大学大学院工学研究科助手 専門:情報工学、複雑系工学 北野秋男(きたの・あきお) 2 章 日本大学文理学部教授 専門:教育学 栗原正仁(くりはら・まさひと) 4 章 北海道大学大学院情報科学研究科教授 専門:コンピュータサイエンス 瀬名波栄潤(せなは・えいじゅん) 5、11章 北海道大学大学院文学研究科助教授 細川敏幸(ほそかわ・としゆき) 12章 北海道大学高等教育機能開発総合センター教授 専門:高等教育、科学教育、衛生学 本田康二郎(ほんだ・こうじろう) 7 章 金沢工業大学基礎教育部講師 専門:技術哲学、科学技術倫理 弓巾和順(ゆはず・かずより) 6 章 北海道大学大学院文学研究科教授 専門:中国思想 米山輝子(よねやま・てるこ) 8 章 前北海道大学工学部講師 和賀 崇(わが・たかし) 3 章 財団法人短期大学基準協会評価研究室研究員 専門:教育制度学、高等教育
□編 者 小笠原正明 東京農工大学大学教育研究センター教授、北海道大学名誉教授、前 北海道大学高等教育機能開発総合センター教授 専門:高等教育、 考古物理化学 西森敏之 北海道大学高等教育機能開発総合センター教授 専門:高等教育、 数学 瀬名波栄潤 北海道大学大学院文学研究科言語文学専攻助教授 専門:英米文学、 ジェンダー論
高等教育シリーズ 139 ティーエイじっせん
T A 実践ガイドブック 2006年9月20日 第 1 刷
お がさわらまさあき
にしもりとしゆき
せ な はえいじゅん
編者――――――小笠原正明・西森敏之・瀬名波栄潤 発行者―――――小原芳明 発行所―――――玉川大学出版部 〒194-8610 東京都町田市玉川学園6-1-1 TEL 042-739-8935 FAX 042-739-8940 http://www.tamagawa.jp/introduction/press 振替 00180-7-26665 装幀――――――渡辺澪子 組版――――――有限会社キープニュー 印刷・製本―――オカムラ印刷株式会社 乱丁本・落丁本はお取替いたします。 © Ogasawara Masaaki, Nishimori Toshiyuki, Senaha Eijun 2006 Printed in Japan ISBN4-472-40336-6 C3037 / NDC377