留 学 応 援 シリーズ
新装版
English-Japanese The
Student's
Dictionary of
EuropeanModern History 英 和 新装版 学習基 本用 語 辞 典
欧州近代史 ...
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留 学 応 援 シリーズ
新装版
English-Japanese The
Student's
Dictionary of
EuropeanModern History 英 和 新装版 学習基 本用 語 辞 典
欧州近代史 海外 子 女 ・留学 生 必 携 用 語監 修 ・解 説 :藤 澤 皖
用 語 監 修 ・解 説 者 外務省大臣官房人事課子女教育相談室長 藤 澤
皖
1934年 生 まれ 。 国 際 基 督教 大 学 (ICU)教 養 学 部 社 会科 学 科 卒 。 現 在 、 外務 省 大 臣 官 房 人 事 課 子 女 教 育 相 談 室 長 。 財 団 法人 東 京 都 私 学 財 団 理 事 、 社 団 法 人 国 際 交 流 サ ー ビ ス協 会 理事 、 学 校 法 人 千 里 国 際 学 園評 議 員 、 財 団 法 人 波 多 野 フ ァ ミ リー ス クー ル評 議 員、 学 校 法 人 幕 張 イ ン タ ー ナ シ ョナ ル スク ー ル 評議 員 、 海 外 子 女 教 育 専 門相 談 員連 絡 協 議 会会 長 な ど。 元 ・国 際 基 督 教 大 学 高 等学 校 教 頭 ・帰 国 生 徒 教 育 セ ン タ ー長 、 千 里 国 際 学 園 中等 部 ・高 等 部 初 代 校 長 、 財 団 法 人 外 務 精 励 会理 事 、 日本 国 際 理 解 教 育 学 会監 事 、 帰 国 子 女 教 育 を考 え る会 会 長 、 全 国 私 立 中学 高 等学 校 国 際 教 育研 修 会専 門 委 員 、私 学 研 修 福 祉 会 私 立 学 校 海 外 セ ミナ ー企 画 委 員 、 ラジ オ 短 波 「 海 外子 女 教 育 ア ワー 」企 画 委 員 、 国 際 学 校 研 究 調 査 委 員 ( 文 部 省政 策 課 委 託 )、 全 国 市 町 村 国 際文 化 研修 所 講 師 な どを 歴 任 。 主 な 著書 に『は ばた け若 き地 球 市 民 』 (アカ デ ミア 出 版 、2000年
)な ど。
用 語 監 修 ・解 説 者 の ことば 今 わ が 国 で は 、 「新 し い 学 力 」の 必 要 性 が 叫 ば れ て い る 。 物 事 を よ く覚 え て お く とい う意 味 で の 知 識 も必 要 で あ る か も し れ な い が 、 そ れ 以 上 に 、 そ の よ う な 知 識 を 基 に し て 新 し い 事 態 を い か に 分 析 し そ れ に 対 処 し て い くか と い う 、 自主 的 で 柔 軟 な 思 考 力 ・ 判 断 力 が 求 め ら れ て い る の で あ る 。 国 際 化 、 高 度 情 報 化 の 時 代 に あ っ て は 、 こ う した 「考 え る 力 」が ま す ま す 重 要 に な っ て く る で あ ろ う。 これ ま で の わ が 国 の 教 育 で は 学 力 と い え ば 知 識 の 量 の こ と で あ り 、 学 力 を つ け る と い う名 の も と、 知 識 の 詰 め込 み に 重 点 が 置 か れ て き た 。 「自 分 は ど う考 え る の か 」と い う視 点 が 欠 け て い た の で は な い だ ろ う か 。 し か し、 欧 米 の 教 育 で は 、 学 力 とい え ば 常 識 的 に 「自分 は ど う考 え る の か 」を 引 き 出 す 力 の こ とを 指 す の で あ る。 し た が っ て 、 欧 米 で学 ん で き た帰 国子 女 が 日本 の学 校 に通 って、 その知 識 注 入型 の授 業の 進 め方 に戸 惑 い 、 カ ル チ ャ ー ・シ ョ ッ ク さ え 覚 え る の も そ う い っ た 教 育 方 法 の 相 違 に よ る と こ ろ が 大 きい。 い ま 、 本 書 を 手 に し て い る の は 、 留 学 生 だ ろ うか 、 そ れ と も 、 父 母 の 海 外 勤 務 に と も な い 海 外 で 勉 強 して い る学 生 で あ ろ う か 。 あ る い は 日本 で そ の た め の 準 備 を して い る 学 生 で あ る か も しれ な い 。そ うい っ た 人 た ち に 、 ま ず ひ と こ と述 べ て お き た い の は 、 ア メ リ カ や イ ギ リ ス の 学 校 で 学 ぶ 場 合 は 、英 語 ば か りに と ら わ れ ず 、先 に も述 べ た 「考 え る 力 」を 身 に つ け る こ と も大 切 な テ ー マ で あ る こ と を 考 え て お い て ほ し い と い う こ とで あ る。 当 地 の 教 師 は 、 「 考 え る 力 」を 身 に つ け さ せ る と い う面 に お い て は 日本 の 教 師 よ り も優 れ た 点 が 多 い は ず で あ る。 優 れ た と こ ろ は 積 極 的 に 吸 収 す る よ う に 心 が け る と い い だ ろ う。 また 、海 外 の 学校 で 学 ぶ 人 に は、学 習 面 に 限 らず、 自 らの個 性 に磨 きをか けて ほ し い 。 そ れ と と もに 、 多 様 な価 値 観 を 理 解 す る柔 軟 性 も身 に つ け て ほ し い と思 う 。 現 地 の家 庭 に受 け入 れ て も らって い る人 は、 特 に学 ぶ 点 が 多い はず で あ る 。 そ こ に は、 日 本 と は 異 な っ た 習 慣 、考 え 方 が あ り、そ れ に 日 常 的 に 肌 で 接 す る こ とが で き るか らだ 。 同 時 に 、 日 本 人 で も、 ア メ リカ 人 で も、 ま た別 の 国 の 人 で も う れ し い と き に は 喜 び 、 悲 し い と き に は 悲 し む と い う 人 間 と し て 共 通 な こ とが 多 い こ と に も 気 づ くだ ろ う 。 ボ ラ ン テ ィ ア活 動 とか 社 会 奉 仕 を 進 ん で 行 っ て い る 人 達 の 姿 もぜ ひ 見 て き て ほ し い 。 こ れ か らの グ ロ ー バ ル な 社 会 に 生 き て ゆ くた め に は 、 そ の よ う な 地 球 市 民 的 な 奉 仕 意 識 も大 切 に な っ て く る か らで あ る。
さ て 、 本 書 は 、 英 語 の 授 業 に少 しで も早 く慣 れ 、 外 国 人 の た め のESL(English Second
Language)
as a
ク ラ ス で は な く、 普 通 の 歴 史 の ク ラ ス で 、 さ ら に は 、 国 際 バ カ ロ
レ ア (IB) の ハ イ ヤ ー レ ベ ル 、 ア メ リ カ のAPコ
ー ス 、 イ ギ リ ス のGCE-Aレ
ベ ル な どの
歴 史 の 上 級 ク ラ ス で 学 習 して 成 果 が あ げ られ る よ う、 手 助 け し た い と い う思 い か ら編 纂 さ れ た もの で あ る。
これ ま で 日本 語 で 学 習 し て い た 人 に は 、 英 語 の 学 習 用 語 を 日 本 語 に 置 き換 え て み る だ け で も 、理 解 は 相 当 促 進 さ れ る は ず で あ る 。 さ ら に 、各 用 語 の 解 説 を 読 ん で い け ば 、 学 習 は よ り効 果 的 に な る に 違 い な い 。 外 国 で 学 ぶ 期 間 は 短 い こ と も 多 く、 時 間 は 貴 重 な も の で あ る。本 書 を う ま く利 用 して 、そ の 限 られ た 時 間 を で き る だ け 有 効 に 活 用 し、 多 くの こ と を 吸 収 で き る よ う に して ほ しい 。 用 語 は 、 英 語 で 学 習 し て い る イ ン ター ナ シ ョ ナ ル ・ス ク ー ル で 、IB用 の 近 代 史 の 教 科 書 と し て 使 用 さ れ て い る本 の 索 引 に 出 て い る 用 語 を 中 心 に 、 英 国 ・欧 州 ・世 界 の 現 代 史 の 索 引 か ら も重 要 語 を 選 ん で 追 加 した 。 日 本 の 高 校 で は 、 欧 米 ほ ど現 代 史 に 重 点 を 置 く科 目 が 設 定 さ れ て い な い 。 ま た 、 世 界 史 の 教 科 書 で も 内 容 の 改 定 が 学 習 指 導 要 領 改 定 時 期 と関 連 が あ る た め か 、 現 代 史 の 部 分 は詳 細 に 記 載 さ れ て い な い 。 した が っ て 、 用 語 の 選 定 に あ た っ て は 、 欧 米 の 歴 史 教 育 が 重 視 して い る と こ ろ を 理 解 で き 、 大 変 興 味 深 く関 わ る こ とが で きた 。 しか し、 実 際 に解 説 す る作 業 に 入 っ て み る と、 国 内 の 高 校 生 向 きの 参 考 書 程 度 で は 到 底 間 に 合 わ な い 。 現 代 史 に 重 点 を 置 い て い る文 献 は も と よ り、 歴 史 書 の み で は な く、 現 在 の 国 際 情 勢 に 関 す る資 料 に つ い て も 調 べ て み る 必 要 に 迫 ら れ た 。 さ ら に は 、 英 語 で 記 述 さ れ た 文 献 も多 く入 手 し て 、 そ れ ら の 資 料 か ら も学 ぶ こ とが 多 か っ た 。 日本 語 の 書 物 か ら の 情 報 で あ る と 、 原 語 の 表 現 や 人 名 の 綴 りが 不 明 で あ っ た り して 、 と き に は 関 係 国 の 大 使 館 に ま で 問 い 合 わ せ た こ と も あ る。 そ れ だ け に 、 こ の 本 は 海 外 で 近 現 代 史 を 学 ん で い る 学 生 の 方 々 の み な らず 、 国 内 に い て 近 現 代 史 を 学 ん で い る 者 に と っ て も、 よ い 参 考 書 と な る こ と は 間 違 い な い 。 用 語 解 説 に つ い て は 、 初 版 当 時 国 際 基 督 教 大 学 高 校 講 師 の 家 本 佳 代 子 氏 、 日本 大 学 櫻丘 高 校 講 師の 上 田基 子 氏 、学 習 院大 学 大 学 院後 期博 士 課程 で研 究 して い る粟 屋純 生 氏 の3氏
に 多 くの 部 分 を 分 担 して い た だ い た 。3人
と も 同様 に 苦 労 さ れ た が 、 学 ぶ と
こ ろ も ま た 多 か っ た と い う こ とで は 一 致 して い る 。 ま た 、 編 集 の 松 岡 一 郎 氏 に は 、 全 体 を 点 検 し て い た だ い て 問 題 点 な ど を指 摘 して い た だ い た り、 ご 自 身 も調 査 に加 わ っ て く だ さ っ た 。 図 表 ・年 表 等 の 資 料 を 準 備 して くだ さ っ た の も松 岡 氏 で あ る 。 以 上 、 初 版 に つ い て は 上 記4氏
の 方 々 に ご協 力 を い た だ い た が 、 改 訂 版 を 出 版 す る
際 に は、 アル ク企 画 開 発部 の伊 藤 文子 氏 に大変 お世 話 に なっ た。 初版 を 出版 して か ら 十 数 年 を 経 て い て 、 歴 史 上 に は さ ま ざ ま な 変 化 が 見 られ た 。 そ の あ た りを 的 確 に ご指 摘 い た だ い た り した 。 ま た 、 英 語 表 記 の 部 分 に つ い て は 発 音 記 号 が つ け られ た こ と は 画 期 的 な こ とで あ る 。 こ の 改 訂 版 が 短 期 間 に 出 版 で き る運 び に な っ た こ と も、 ア ル ク の 企 画 開 発 部 の 方 々 の ご 協 力 が あ っ た れ ば こ そ で あ る。 国 際 バ カ ロ レ ア 局 の デ ィ プ ロ マ ・プ ロ グ ラ ム で 使 用 す る テ キ ス トを主 に 語 彙 を 選 択 し た が 、 歴 史 の 見 方 が 若 干 西 欧 に 偏 っ て い るか も し れ な い 。 そ の 辺 の 改 良 は ま だ 先 の こ と に な る か と 思 う。
藤澤 皖
目
次
用 語 監 修 ・解 説 者 の ことば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・iii 目次・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・v 本 書 の構 成 と利 用 上 の 注 意・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・vi∼ix 参 考 :アメリカ ・イギ リスの 大 学 進 学 関 連 試 験・・・・・・・・・・・・・x A-Z・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1∼274 略 語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・275 資 料・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・277∼345 ◇ 図 解・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・278∼285 1「 ベ ル サ イユ 体 制 下 の ヨ ー ロ ッパ 」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・278 2「19世
紀 中 頃 の バ ル カ ン情 勢 」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・279
3「 イギ リス の 労 働 争 議 」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・280 4「 ドイ ツの 統 一 」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・281 5「 イ タリア の 統 一 」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・282 6「 ア フリカ の 分 割 」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・283 7「 ウィ ー ン体 制 下 の ヨー ロ ッパ 」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・284 8「 第1次
世 界 大 戦 の 背 景 」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・285
◇ 欧 州 近 代 史 年 表[1600∼2003]・・・・・・・・・・・・・・・286∼316 ◇ 西 洋 人 名 ・地 名 対 照 表・・・・・・・・・・・・・・・・・317∼321 ◇ 現 代 の世 界[国 名 と地 図]・・・・・・・・・・・・・・・・・322∼334 ◇ イギ リスお よび 国 際 バ カロ レアに お ける歴 史 教 育・・・・・・335∼343 ◇ アメ リカとイギ リスの 教 育 制 度 につ い ての 情 報 源・・・・・・344∼345 索 引 日本 語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・346∼371 英
語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・372∼395
〓 本書の構成 と利用上の注意 ■本 書 の構成 本 書 は 、 英 語 圏 の 学 校 制 度 で 欧 州 近 代 史 を学 ぶ 高校 生 を 念 頭 に お い て 、 大 学 ・大学 院 に 留 学 中 の 学 生 、 日本 の 大 学 ・大 学 院 の 学 生 、 教 職 員 まで 、 幅 広 く活 用 で きる よ う構 成 され て い る。 本 文 で は 欧 州 近 代 史 の歴 史用 語 か ら抽 出 し た1019の 重 要 項 目 を ア ル フ ァ ベ ッ ト順 に 配 列 し、 そ れ ぞ れ に 詳細 な 解説 を 加 え た 。 また 巻 末 資 料 と して 、体 系 的 な学 習 を助 け るた め 、歴 史 年表 、 国 名 、地 図 等 の参 考 資 料 お よび 英語 ・日本 語 の 索 引 を 付 け た。
■ 利 用上 の注意 【1】用 語 の 選 定 英 語 でModern
Historyと
い う場 合 、 そ の取 り扱 う範 囲 は 一 定 して い な い。18世 紀 の 絶
対 王 制 の 崩 壊 、 フラ ン ス 革 命 あ た りか らは じめ て 、19世 紀 後 半 の1870年
代 以 降 は詳 細 に
な り、 帝 国 主 義 時 代 、 第2次 世 界 大 戦 以 降 も詳 し く学 び 、 一 部 は最 近 の1990年
代 まで触
れて い る。 「欧州 近 代 史 」と して 扱 わ れ る地 域 的 な範 囲 は、 第2次 世 界 大 戦 まで は ヨー ロ ッ パが 主 体 で 、 北 米 ・ア ジ ア ・中近 東 ・ア フ リカ につ いて も イ ギ リス関 連 の地 域 に つ い て は 詳 しい。 そ の他 の 中南 米 な どにつ い て の記 述 に つ いて は比 較 的 少 な い。 しか し、 そ の 後 の 歴 史 につ い て は、 世 界 の 一 体 化 の 促 進 に合 わせ る よ うに範 囲 も世 界 的 に広 が りを見 せ て い る。
【2】見 出 し語 ・表 記 ◇ ア ル フ ァ ベ ッ ト順 に 太 字 で 示 し、 日 本 語 の 訳 語 を ゴ シ ッ ク 体 で 併 記 した 。 訳 語 は 日本 の 世 界 史 の 授 業 や 参 考 書 で一 般 に使 わ れ て い る用 語 を記 した。 ◇ 冒 頭 にCongress
of∼
、Treaty
of∼
、Battle
of∼
な ど が つ く項 目 に つ い て は 、∼ の 部 分
を 前 に 出 し、 そ の ア ル フ ァ ベ ッ ト順 に 従 っ た 。 例)
Treaty
of Versailles→Versailles,
Treaty
of
◇ 人 名 の 英 語 表 記 は姓 を見 出 し と して い る。 例)
Otto
von
Bismarck→Bismarck,
Otto
von
◇ 英 語 で 「V」に 相 当 す る 日 本 語 表 記 は 、「ヴ 」 「ヴ ェ 」で は な く「ブ 」 「べ 」と し 、 ド イ ツ 語 の 「W」 は 「ウ 」と し た 。 例)
Viet Nam→
ベ トナ ム
Wilhelm→
ウ ィル ヘ ル ム
◇ 人 名 ・地 名 等 の 表 記 は 英 語 に よ る 綴 り を 原 則 と して い る が 、 原 語 の 表 記 を 併 記 し て い る 場 合 も あ る 。 ま た 、 必 ず し も 英 語 表 記 優 先 で は な く、 国 内 外 の 教 科 書 等 を 参 考 に 実 際 に よ く 使 用 さ れ て い る 表 現 を 採 用 した 。 巻 末 に 人 名 ・地 名 の 各 国 語 対 照 表 を 挙 げ て お い た の で 参 考 に して ほ し い。
例) ◇
Prussia/Preussen
プ ロ イ セ ン (英 語 :プ ロ シ ア )
ア ラ ビア 文 字 や ロ シア 文 字 は 、 ロー マ字 へ の 転 写 を 原 則 と して い る。
◇ 中 国 の 地 名 ・人 名 に つ い て は 、 時 代 や 地 域 に よ っ て も 表 現 が 異 な る 場 合 が あ る 。 な る べ く 最 近 の 標 準 的 な 表 現 を 採 用 し た が 、 学 習 し て い る表 現 と 異 な る こ と が あ る の で 日 本 語 表 記 (漢 字 )も 確 認 し た ほ う が よ い 。 例 )Beijing/Peking
北 京 (ペ キ ン )。1980年
代 よ りBeijingが
英 語 の公 式 名称
【3】発 音 記 号 見 出 し語 の 発 音 の 参 考 と して 発 音 記 号 を記 載 した 。 見 出 し語 が2語 以上 か ら成 る複 合 語 の 場 合 は、 各 語 の 発 音 が そ れ ぞ れ 参 考 と して 記 載 され て い る。 個別 に 発音 した 場 合 と、 複 合 語 として 発 音 した 場 合 の 強 弱 とは 異 な るの で 、 注 意 され た い 。 ま た 、英 語 以 外 の 固 有 名 詞 の 発 音 に 関 して は、 習慣 的 に定 着 す る ま で 何 と お りか の 読 み 方 が あ る こ とに も 留意 の こ と。
発 音 記 号 に つ い て は 『プ ロ グ レ ッ シ ブ 英 和 中 辞 典 』 (小 学 館 )の 第4版 Pronunciation
Dictionary(Longman)、
を 元 に 、Longman
そ の ほ か を参 照 した。
【4】国 名 の 英 語 表 記 各 国 の 現 在 の 正 式 名 称 は 、 巻 末 資 料 と し て 日 本 語 ・英 語 両 方 の 一 覧 を 掲 載 し た 。 現 在 は 存 在 しな い 歴 史 上 の 国 に つ い て は 、 本 文 中 で 英 語 表 記 を 付 記 し て あ る 。 例)
中 国 〓 中 華 人 民 共 和 国 (People's オ ス マ ン ・ ト ル コ 帝 国 〓Ottoman
Republic
of China)
Empire:
:巻 末 資 料 参 照 本文 中に併記
【5】解 説 歴 史 的 に 重 要 な 項 目 につ いて は、 その 時 代 背 景 や 他 国 との 相 関 関 係 が理 解 で き る よ う特 に 詳 し く解説 した 。 また 、 解 説 文 中 の 関 連 用 語 や 人 名 ・地 名 に は逐 次 英語 表 記 を 付 し、海 外 で の 英 語 に よ る学 習 に 役 立 つ よ う便 宜 を図 った 。 ● 参照マー ク [〓]見
出 し語 の 解 説 中 で 、他 の箇 所 で 見 出 し語 と して採 用 さ れ て い る 用 語 の 後 ろ に ( 〓 ) を入 れ 、 参 照 先 を 示 した 。
[〓]同
一 内 容 の 事 項 に対 して 表 記 が複 数 あ る場 合 、 それ ぞ れ の 表 記 を 見 出 し語 と して立 て 、 〓 で解 説 が掲 載 され た見 出 し語 を示 した。 ま た、 解 説 中 で言 及 は な いが 、 参照 す べ き関 連 用 語 や 国 名 が あ る場 合 も この マ ー ク を付 した 。
[〓]見
出 し語 に関 連 して 参 照 す べ き巻 末 資 料 を示 した 。
【6】巻 末 資 料 ◇[図 解]本
文 の 理 解 を 助 け る た め に 図 解 を掲 載 し た。 海 外 で 実 際 に 使 われ て い る近 代
史 参 考書 を参 考 に 作 成 した 英 語表 記 に よ る図 解 で あ る。 ◇[欧 州 近 代 史 年 表]時
代 の流 れ も把 握 で き る よ う、1600年
∼2003年
ま で の歴 史 年表 を
本 書 解 説 文 中 の 用 語 を 中 心 に作 成 した。 年 表 に は 該 当 す る国 名 や 発 生 した 月 、 簡 単 な 注 釈 を付 記 した ほ か 、 参 照 すべ き 本書 の見 出 し語 を 「〓」に よ って 示 した 。 ◇[西 洋 人 名 ・地 名 対 照 表]代
表 的 な 人 名 ・地 名 を取 り上 げ 、英 語 ・ ドイ ツ語 ・フ ラ ン
ス語 等 、 言 語 に よ っ て異 な る綴 りを比 較 した 。 ◇ 現 代 の 世 界[国 名 と地 図]地
理 的 な 理 解 を補 助 す るた め 、 世 界195の 国 ・地 域 の正 式 名
称 を 日本 語 ・英 語 の 両 方 で記 した。 ま た 、 各 国 の地 理 的 な 位 置 関 係 が 把 握 で き る よ う、 世 界 地 図 を8つ の地 域 に分 けて 掲 載 した 。 ◇[イ ギ リ スお よ び 国 際 バ カ ロ レ ア にお け る歴 史 教 育]欧
州 の 英 語 圏 と して イ ギ リスの
教 育 制 度 の 概 略 と歴 史 教 育 カ リキ ュ ラ ム お よび 、 留 学 生 や 帰 国 子 女 に 関 係 の深 い国 際 バカ ロレアにおける「 歴 史 」教 科 の 取 り扱 い に つ い て概 観 を紹 介 した 。 ◇[ア メ リ カ と イ ギ リ スの 教 育制 度 につ い て の情 報 源]ア
メ リ カや イ ギ リス の教 育 制 度
を よ り詳 し く知 る た め に参 考 に な る ウ ェ ブサ イ トを掲 載 した 。 【7】索 引 英 語 と 日本 語 、 それ ぞれ の 文 献 ・資 料 を 読 む 場 合 に 対 応 で き る よ う、 英 語 と訳 語 の 両 方 の 索 引 を 付 けた 。特 に英 語 の索 引 につ い て は 、見 出 し語 と して掲 載 され て い る語 だ けで な く、 本 文 で触 れ られ て い る歴 史 用 語 を ほ とん ど網 羅 し、 関連 項 目 か らそ の語 に あ たれ る よ う配 慮 した 。
■ 本 書の効 果 的活 用法 本書 は 、 当 初 の 計 画 で は 英 語 表 記 を 日本 語 表 記 に置 き換 え 、簡 単 な説 明 を つ け る程 度 に して お くこ と も考 え た 。しか し、そ の た め に は 日本 語 の 歴 史用 語 集 を さ らに 準備 す る必 要 が あ る し、 こ の 「欧州 近 代 史 」の範 囲 に 相 当 す る用語 集 は まだ 発行 され て い な い。 そ れ に 中 途 半 端 な もの よ り、 こ の1冊 で 内容 もか な り理 解 で き る よ うに して お い た ほ うが便 利 で あ る と思 え た の で 、 こ の よ う に近 代 か ら現 代 まで 包 括 した 、か な り充 実 した 内容 の用 語 集 が で き あ が っ た 。 日本 国 内 の 学 校 よ り欧 米 の学 校 の ほ うが 、 近現 代 に つ い て は深 く学 習 して い る 傾 向 が あ るの で 、 この用 語 集 を活 用 して あ な た 自 身 の基 礎 知識 を一 段 と深 め て ほ しい。 歴 史 の 学 習 は 知識 だ け で は な く、知 識 を も とに して 他 の学 生 た ちや 教 師 と討 論 を 重 ね る こ と に よ って 、 真 の歴 史 認 識 へ と結 び つ いて ゆ くも の で あ る と信 ず る。 イ ギ リスや ア メ リ カで も歴 史 辞 典 は 発 行 され て い る が 、 日本 語 の ほ うが 理 解 の 早 い 人 の た め に本 書 は 役 に立 つ も の と思 う。
1. 巻 末 の 索 引 は 日本 語 と英 語 の 対照 に な って い るの で 、 日本 で す で に歴 史 の知 識 を あ る程 度 習 得 して い る人 で あれ ば 、索 引全 体 に まず 目 を通 され る こ とを お すす め す る 。 日本 語 表 記
との関 連 が わか るだ けで も英 語 の 本 に な じみ や す くな る だ ろ う。 2. こ の用 語 集 は、 単 に 日本 語 表 記 を示 しただ けで な く内 容 も詳 しい の で 、 解 説 をて い ね い に 読 み 、解 説 の 中 に 出 て くる用 語 に つ い て も さ ら に調 べ て ほ しい 。 その ため に、〓 ( 参照マー ク )と英 語 表 記 も添 え て お い た。 3. 巻 末 資料 に は世 界地 図 を地 域 ご とに ま とめ て あ るが 、 さ ら に詳 しい英 語 表 記 の歴 史 地 図 が 手 に 入 るの で あ れ ば座 右 に お い て 、地 名 につ いて は どこ に位 置 して い る のか を常 に確 認 し て い た だ きた い 。 4. この 用 語 集 に採 用 した項 目を 中 心 に歴 史 年表 も作成 して 巻末 に掲 載 して あ る。 学 校 で の 学 習 と関 連 して 、 重要 項 目を チ ェ ック した り、 もっ と補 い た い項 目が あれ ば追 加 した り、 地 域 別 の 自分 な りの 年表 を 作成 して み るの も大 変 よ い 学 習 に な る。 歴 史的 事項 は 、 いつ 、 ど この 出 来 事 で あ るの か 、 前 後 関 係 や 他 の地 域 との 関 係 な ど も よ く把 握 して お く こ とが正 し い 歴 史 理 解 の 第 一 歩 とな るの で あ る。
― 参 考
●SAT(Scholastic
:ア メ リ カ ・ イ ギ リ ス の 大 学 進 学 関 連 試 験 ―
Assessment
Test)
ア メ リカ 、 カ ナ ダ の 大 学 に 進 学 す る た め に 必 要 と され る適 性 検 査。 英 語 、 数 学 、 文 章 構 成 能 力 か ら な るReasoning
Testと
科 別 学 力 試 験 で あ るSubject
、 歴 史 、文 学 、 外 国語 、数 学 、物 理 、 化 学 、 生 物 学 な ど の教
Testsと
が あ る 。 日 本 国 内 の 大 学 で も 、 帰 国 生 に は 、SATの
ア の 提 出 を 求 め る 大 学 も あ る (Subject
Testsに
ス コ
つ い て は、 科 目 を指 定 す る大 学 が あ るの で注
意 し て ほ し い )。 ●ACT(American SATと
College
Test)
同様 、 ア メ リカ 、 カ ナ ダ の大 学 に進 学 す る の に必 要 とされ る適 性 試 験 。 英 語 、 数 学 、
読 解 、 理 科 、 ラ イ テ ィ ン グ (オ プ シ ョ ナ ル )か ら な る 。 入 学 審 査 で はACT、SATど コ ア を 提 出 す れ ば よ い と し て い る 大 学 が 多 い が 、 学 校 に よ っ て はACT、SATど
ち らか の ス ち らか 一 方 の
試 験 を 指 定 す る こ と もあ る。 ●GCSE(General
Certificate
of
Secondary
Education)
イ ギ リ ス の 中 等 教 育 修 了 段 階 の 全 国 統 一 試 験 。 通 常 、中 等 教 育5年 通 常5科
目 以 上 に つ い て 受 験 す る 。 評 価 はA∼Gの7段
●GCE-Aレ GCSEの 17∼18歳
ベ ル(General
Certificate
Education-Advanced
level)
試 験 で 大 学 進 学 適 任 者 と認 め られ た 生 徒 が シ ク ス ス ・フ ォ ー ム (6th )で 選 択 し て 履 修 し た2∼3科
新 設 さ れ た 準 上 級 のAS(Advanced 2科
of
(16歳 前 後 )修 了 段 階 で 、
階 で 、 合 格 レ ベ ル はA∼C。
目 でGCE-Aレ
ベ ル1科
目 に つ い て の 試 験 。GCSEの
Supplementの
略 。Aレ
Form、
通 常
合 格 科 目 や 、1989年
に
ベ ルの 半 分 の 履 修 時 間 で学 習 可 能。
目 相 当 と さ れ る 。)の ス コ ア を 加 え 、Aレ
ベ ル科目の試験結果 の総
合 で評 価 され る。 高 等 教 育 へ の 進 学 、 就 職 に 当 た っ て の 重 要 な社 会 的資 格 とな る。 ●IB(International
Baccalaureate)
ス イ ス に 本 部 が あ る 国 際 バ カ ロ レ ア 機 構 (International う 国 際 的 大 学 入 学 資 格 試 験 。 大 学 進 学 前 の2年
Baccalaureate
Organization)
が行
間 の 教 育 課 程 (カ リ キ ュ ラ ム )の 一 定 の 履 修 基
準 を 満 た し 、 卒 業 試 験 に 規 定 水 準 以 上 の 成 績 を 修 め て 合 格 す る と 、IB資
格 (Full Diploma)
が
得 ら れ 、 欧 米 の 多 く の 大 学 と 、 日 本 の 一 部 の 大 学 の 入 学 資 格 が 得 られ る 。 多 くの 国 の 国 際 学 校 や 欧 米 に 普 及 し 、2009年6月 教 育 課 程 は 、 〓 言 語A つ の 科 目群 よ り1科
目 ず つ 計6科
は 普 通 レ ベ ル (Subsidiary Social
Serviceの
国 の2661校
が 加 盟 し て い る。
〓 人 間 と社 会 〓 実 験 科 学 〓 数 学 〓 選 択 科 目 の6
目 、 う ち3科
目 は 上 級 レ ベ ル (Higher
Level) を 選 択 す る 。CAS(
創 造Creation、
Level) ほ か の3科
活 動Action、
目
社会奉仕
略 )プ ロ グ ラ ム は 必 修 で 、 これ に は ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 も含 ま れ て い る 。 ほ か
自 由 課 題 で は4000語 各 科 目 は1∼7の
現 在 、136カ 〓 言 語B
以 内 の 「論 文 」、 「認 識 論 」 (知 識 の 理 論 と も 訳 す )な ど 独 自 の 科 目 が あ る 。 段 階 で 評 価 (外 部 試 験 官 の 評 価 も 加 味 )さ れ 、24以
上 で 合 格 。1科
目 で も3
以 下 の評 価 が あ る と失 格 とな る。 わ が 国 で は 入 学 資 格 と し て 認 め て い る が 、 現 実 に は 、IB資 格 だ け で は な く、 そ の ス コ ア (成 績 得 点 )や 大 学 独 自 の 試 験 も課 し て 、 総 合 で 合 否 を 決 定 し て い る 大 学 が 多 い 。
A AAA
農業調整法
〓Agricultural Abdul
Hamid
Adjustment
II(1842∼1918)
Act ア ブ デ ュ ル ・ハ ミ ト2世 オ ス マ ン ・ トル コ帝 国 ( 〓Ottoman
代 皇 帝 (Sultan: 位1876∼1909) と し て 、1876年
に ミ ドハ ト憲 法 (Midhat
る 民 主 的 な 立 憲 政 治 を 行 う が 、 翌77年
Constitution)
Turk
Pasha) を 宰 相
を発 布 、二 院制 議 会 に よ
に 勃 発 し た 露 土 戦 争 (〓Russo-Turkish
War) を 口 実 に 専 制 体 制 に逆 戻 り した 。1908年 青 年 トル コ党 革 命 (〓Young
Empire) 第34
。 ミ ドハ ト ・ パ シ ャ (〓Midhat
に立 憲 制 の 復 活 を 目 指 し て 起 き た
Revolution)
に よ り、 翌 年 退 位 。 ス ル タ ン
(Sultan)と は イ ス ラ ム の 支 配 者 を意 味 す る称 号 。 専 制 君 主 の こ と。 Absolutism
絶 対 主義 16∼18世
紀 ヨ ー ロ ッ パ に お け る王 権 絶 対 の 政 治 形 態 。 封 建 的 貴 族
階 級 の 衰 退 期 と市 民 階 級 の 台 頭 期 の 過 渡 期 に 、 両 勢 力 の 上 に 立 っ た 君 主 が 専 制 支 配 を 行 い、 中央 集 権 的統 治 を進 め た。 自由主 義 ( 〓liberalism)
に も とづ く市 民 革
命 に よ って 崩壊 。 Abyssinia
ア ビシニ ア エ チ オ ピ ア の こ と。
〓Ethiopia Acid
Rain
酸性雨 大 気 汚 染 に よ っ て 降 る 酸 性 の 雨 の こ と。 環 境 問 題 の ひ と つ と して 問
題 視 さ れ る現 象 で あ る。 硫 黄 酸 化 物 、 窒 素 酸 化 物 の 増 加 が 主 な 原 因 で 、 森 林 や 歴 史 的 建 造 物 に 被 害 を 与 え て い る。 Acquired
Immune
Deficiency
Syndrome(AIDS)
エ イズ ( 後 天性 免 疫 不 全 症候
群) ヒ ト 免 疫 不 全 ウ ィ ル ス (HIV:
Human
Immunodeficiency
Virus) が 免 疫 細 胞 に 感 染 し 、 免 疫 細 胞 を 破 壊 し て 後
天 的 に 免 疫 不 全 を 起 こ す 免 疫 不 全 症 の こ と 。 お よ びHIVウ す 。1980年
ィル ス の感 染症 を 指
代 以 降 ア メ リ カ 、 ア フ リ カ 、 東 南 ア ジ ア を 中 心 に 世 界 的 に 流 行 (2008
年 現 在 ア フ リ カ で の 感 染 者 は2200万
人 に お よ ぶ と い わ れ る )。 汚 染 さ れ た 血 液 製
剤 の 使 用 、 輸 血 、 性 交 渉 な ど に よ り感 染 が 急 速 に広 ま っ た 。 性 の 解 放 に対 す る再 考 や 患 者 の 人 権 擁 護 な ど 、 深 刻 な 問 い を 突 きつ け て い る。
Aden
アデ ン 紅
海 (Red
(Mediterranean
Sea)
直 轄 植 民 地 (crown 1967年
へ
の 入
口
に 位
colony)
独 立 し た 。70年 of
Yemen)
し、 古
代
か
Republic
of
Southern
イ エ メ ン 人 民 民 主 共 和 国 (南 イ エ メ ン
Yemen)
ら 東 方
と 地
中 海
に イ ギ リス が 占 領 し 、
と な る 。 し か し、 ア ラ ブ 民 族 主 義 の 抵 抗 に あ い 、
南 イ エ メ ン 人 民 共 和 国 (People's
Republic
置
Sea) を 結 ぶ 港 と し て 発 展 し た 都 市 。1839年
と な り 、90年
Yemen)
:People's
として
Democratic
に 現 在 の イ エ メ ン 共 和 国 (Republic
of
が成 立 す るまで 、 その首 都 だ っ た。
〓Yemen 〓p.283図
Adenauer,
解6「
ア フ リカ の分 割 」
Konrad(1876∼1967)
コ ン ラ ー ト ・ア デ ナ ウ ア ー
ド イ ツ の 政 治 家 。 ケ ル ン 市 長 時 代 (1917∼33) (〓Hitler,
Adolf)
に 追 放 さ れ た が 、 第2次
に キ リ ス ト教 民 主 同 盟 (CDU: 設 し 党 首 と な り 、49年
世 界 大 戦 (〓World
Christian
Democratic
ド イ ツ 連 邦 共 和 国 (西 ド イ ツ
Union
War of
Organization)
、
Community)
Adrianople,
ヨ ー
ロ
ッ パ 経
を 創
West)
の成 立
同 体 (EEC:
Atlantic 〓European
of(1829)
辞 任 。
ア ド リア ノ ー プ ル の 和 議 1829年9月
Independence)
Treaty
Economic
へ の 加 入 な ど 、 敗 戦 後 の 奇 跡 的 な 復 興 を 成 功 さ せ た 。63年
Peace
、 ギ リ シ ヤ 独 立 戦 争 (〓Greek
War
of
後 の ロ シア の領 土 を画定 す るた め に結 ばれ た、 ロシ ア とオ ス マ
ン ・ トル コ (〓Ottoman (〓Black
済 共
Germany)
: 〓Germany,
で 初 代 首 相 に 就 任 。 北 大 西 洋 条 約 機 構 (NATO:〓North
、 ヒ トラー II)後1945年
Empire)
と の 和 約 。 ロ シ ア は ド ナ ウ (Donau)
Sea) 東 岸 の 地 を 得 て 、 黒 海 と ボ ス ポ ラ ス (Bosporus)
ス (〓Dardanelles)
河 口 と黒 海
海 峡 、 ダー ダネ ル
海 峡 の 自 由 航 海 権 な ど を獲 得 した 。 トル コ は ギ リ シ ャ の 独 立
を承 認 した。
Aegean
Sea
エ ー ゲ海 地 中 海 (Mediterranean
Sea) の 東 部 、 ギ リ シ ャ 半 島 と 小 ア ジ ア
( 〓Asia
Minor:
西 ア ジ ア の トル コ の 位 置 す る地 域 )の 間 の 海 域 。 多 島 海 と も い
われ る。 欧州 最 古 の文 明発 祥 地。 〓p.328地
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
Afghanistan
ア フ ガ ニス タ ン 中 央 ア ジ ア 、 パ ミ ー ル (Pamir) 高 原 の 南 西 に あ る共 和 国 。 首 都 カ
ブ ー ル (Kabul)。 東 西 陸 上 交 通 の要 地 に あ り、 多 くの 民 族 が 交 錯 した 。18世 紀 前 半 に 、 イ ラ ン 系 とセ ム 系 (Semites) の 混 血 に よ る ア フ ガ ン 人 の 独 立 王 国 が 建 て ら れ た 。19世 紀 に は ロ シ ア の 南 下 を 恐 れ た イ ギ リ ス と の 間 で 二 度 に わ た る ア フ ガ ン 戦 争 (〓Afghan
Wars:
1838∼42、1878∼80)
が 起 こ り、1879年
は ア フ ガ ニ ス タ ン を保 護 国 と し、 英 露 協 商 ( 〓Anglo-Russian に こ れ を 認 め させ た 。1919年 和 条 約 に よ っ て21年
、 第3次
、 イ ギ リス
Entente) で ロ シ ア
ア フ ガ ン戦 争 で イ ギ リス に敗 れ た が、 講
に 独 立 。 そ の 後 、73年
共 和 政 に 移 行 。79年
に 旧 ソ連 が ア フ
ガ ニ ス タ ン に 侵 攻 し て 親 ソ政 権 を 樹 立 。 こ れ を き っ か け に 内 戦 状 態 とな り、91 年 に ソ連 が 解 体 し た 後 も混 乱 が 続 い て い る 。 ま た 、2001年9月
には アメ リカで 同
時 多 発 テ ロ が 起 き た 。 オ サ マ ・ビ ン ・ラ デ ィ ン ( 〓Bin
Osama)
す る ア ル カ イ ダ (〓Al-Qaeda)
Laden,
を首 領 と
とい う イ ス ラ ム 原 理 主 義 組 織 に よ る も の と さ れ て
い る 。 そ の 潜 伏 地 とみ な さ れ て い る ア フ ガ ニ ス タ ン とイ ラ ク ( 〓Iraq) に は 、 ア メ リカ軍 を 中心 とした多 国籍 軍 が攻 撃 を加 え、 混迷 の度 合 い は さ らに進 ん で い る。 〓p.331地 Afghan
図〓 ( 現代 の世界[国 名 と地 図])
Wars(1838∼42,
1878∼80, 1919) ア フ ガ ン戦 争
イ ギ リス と ア フ ガ ニ ス タ ン の 間 で 三 度 に わ た っ て 行 わ れ た 戦 争 。 第1次
戦 争 (1838∼42) で は イ ギ リ ス が 敗 北 し た が 、 第2次
は ア フ ガ ニ ス タ ン が 敗 れ イ ギ リス の 保 護 国 と な っ た 。 第1次 War
I)直 後 に 勃 発 した 第3次
戦 争 (1878∼80) で 世 界 大戦 ( 〓World
戦 争 (1919)の 結 果 、 ア フ ガ ニ ス タ ン は イ ギ リ ス か
ら独 立 。 イ ン ド に お け る イ ギ リス の 植 民 地 支 配 と、 南 下 を 目指 す ロ シ ア の 思 惑 が ア フ ガ ニ ス タ ン を 舞 台 に 衝 突 した も の 。 〓Afghanistan Africa
ア フ リカ 地 中 海 (Mediterranean
大 西 洋 (Atlantic Ocean)
Sea) の 南 に 位 置 し、 イ ン ド洋 (Indian Ocean) 、
に 囲 ま れ る 大 陸 。 北 ア フ リ カ で は 紀 元 前3500年
古 代 エ ジ プ ト文 明 (Egyptian
civilization) が 繁 栄 し、 前9世
(Phoenicia) が 植 民 市 カ ル タ ゴ (Carthago) Empire)
を 建 設 。 ロ ー マ 帝 国 (Roman
、 バ ン ダ ル 族 (Vandal) な ど の 支 配 を 受 け た 後 、7世
(Arabs) が 侵 入 。11世
頃か ら
紀 頃 に フ ェニ キ ア人
紀 に は ア ラ ビ ア人
紀 まで に イス ラム 化 が 進 ん で 、 ガ ー ナ ( 〓Ghana)
、 マ リ
(Mali) な ど の 黒 人 王 国 が 栄 え た 。15世
紀 に な る と 、 ポ ル トガ ル 人 の 探 検 航 海 が
は じ ま っ て 、 西 海 岸 の ギ ニ ア 地 域 を 中 心 に 開 拓 と 貿 易 が 行 わ れ 、16世
紀 以 降 は
ポ ル トガ ル 、 ス ペ イ ン に よ っ て 、 黒 人 労 働 力 や 黄 金 、 象 牙 を 求 め る奴 隷 貿 易 (slave
trade)
Revolution) Colony) Henry
が 強 行
さ れ た 。19世
紀
に 入
る と 、 産 業 革 命 (〓Industrial
を 終 え た イ ギ リ ス が 南 ア フ リ カ の オ ラ ン ダ 領 ケ ー プ 植 民 地 (〓Cape
に進 出 。 リ ビ ン グ ス ト ン ( 〓Livingstone, Morton)
David)
や ス タ ン リ ー (Stanley,
ら ヨ ー ロ ッ パ 人 に よ る ア フ リ カ 探 検 も 活 発 化 し た 。1869年
ジ プ ト に ス エ ズ 運 河 (〓Suez
Canal)
、 エ
が 開 通 す る と 、イ ギ リ ス 、 フ ラ ン ス 、 ド イ ツ 、
ベ ル ギ ー な ど列 強 の 帝 国 主 義 戦 略 の 標 的 と な り、 エ チ オ ピ ア、 リ ベ リ ア を 除 く全 域 が 分 割 さ れ た 。20世 (〓World
War
紀 に な っ て 白 人 支 配 へ の 抵 抗 が 高 ま り 、 第2次
II)後 は 独 立 運 動 が 激 化 。1960年
世 界 大 戦
に は コ ン ゴ 、 ザ イ ー ル な ど17
カ 国 が 独 立 を 果 た し 、 こ の 年 は 「ア フ リ カ の 年 (African
Year) 」と 呼 ば れ る よ う に
な っ た 。 ア フ リ カ 諸 国 の 統 一 と連 帯 、 植 民 地 脱 却 を 唱 え る ア フ リ カ 統 一 機 構 (OAU:
〓Organization
of African
Unity)
〓p.283図
解6「
〓p.330地
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
African
National
が 、63年
に 結 成 され て い る 。
ア フ リ カ の分 割 」
Congress(ANC)
ア フ リカ民族 会 議 南 ア フ リ カ (〓South
1912年
Africa)
の政 党 。
、 非 暴 力 主 義 に よ る ア フ リ カ 人 の 権 利 擁 護 を 目 的 と し て 結 成 さ れ た 。60
年 に は 非 合 法 化 、90年
合 法 化 、91年
に は ア パ ル ト ヘ イ ト (〓Apartheid)
の 撤 廃
に 成 功 した 。
Afro-Asian
Conference(1955)
ア ジ ア ・ア フ リ カ 会 議 バ ン ドン 会 議 の こ と。
〓Bandung
Agadir
Conference
ア ガデ ィール モ ロ ッ コ 西 南 の 港 。1911年
(〓Moroccan
Agricultural
Crisis/Agadir
Adjustment
に 起
こ っ た 第2次
モ ロ ッ コ 事 件
Crisis) の 舞 台 と な っ た 。
Act(AAA)
農業 調 整 法 ア メ リカ の ニ ュ ー デ ィー ル政 策
(〓New
Deal)
リ カ 大 統 領 、F・
下 で 行 わ れ た 農 業 政 策 。1933年 ロ ー ズ ベ ル ト (〓Roosevelt,
の 恐慌 対策 の Franklin
Delano)
一環 と し て 、 ア メ が実 施 。 農産 物
価 格 の 低 落 防 止 の た め 、 農 民 へ の 補 助 金 の 見 返 りに 小 麦 、 綿 花 な ど主 要 農 産 物 の 作 付 面 積 を 削 減 し 生 産 統 制 を 図 っ た 。36年
違 憲 判 決 を 受 け 、 手 直 し を し て38年
に は 第2次
農 業 調 整 法 が 成 立 し た。 以 後 、 農 産 物 価 格 維 持 政 策 は 恒 常 化 し た 。
Agricultural
Revolution
農 業 革命 18∼19世
Revolution)
紀 、 特 に イ ギ リス で 産 業 革 命 ( 〓Industrial
と 同 時 期 に 、 近 代 的 資 本 主 義 農 業 の 成 立 に 伴 う農 業 技 術
の 変 革 が 起 こ っ た 。 第2次
囲 い込 み 運 動 (〓Enclosures)
・土 地 制 度
に並 行 して起 こ り、四
輪 作 法 も普 及 。 Agriculture
enclosures
囲 い 込 み運 動 ( エ ン ク ロー ジ ャー)
〓Enclosures
AIDS
エ イズ ( 後 天 性 免疫 不 全症 候 群)
〓Acquired Alaska
Immune
Deficiency
Syndrome
アラスカ 1741年
、 探 検 家 べ ー リ ン グ (Bering, Vitus) の 発 見 に よ り ロ シ ア 領 と
な っ た が 、 財 政 破 綻 か ら、1867年 鉱 が 発 見 さ れ た 。1912年
ア メ リ カ に720万
準 州 、59年
に は49番
ドル で 売 却 。19世
紀 末 に金
め に し て ア メ リカ 最 大 の 州 と な っ
た。 Albania
アルバニア ヨ ー ロ ッ パ 南 東 部 、 バ ル カ ン (Balkan) 半 島 南 西 部 に 位 置 す る 共 和 国 。
首 都 チ ラ ナ (Tirana)。15世 を 展 開 。1912年
紀 よ り トル コ 支 配 下 に あ っ た が 、 早 く か ら独 立 運 動
自 治 を 獲 得 した 。 バ ル カ ン戦 争 ( 〓Balkan
Wars) の 結 果 、13年
独 立 を 達 成 し た 。 石 油 発 掘 に よ り イ タ リ ア 、 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア に 狙 わ れ 、39年 イ タ リ ア に 併 合 さ れ た 。46年 ソ連 と対 立 、68年
に は ワ ル シ ャ ワ 条 約 機 構 (〓Warsaw
77年 以 後 中 国 と も 対 立 。85年
、
人 民 共 和 国 と し て 独 立 、 社 会 主 義 化 を 推 進 した が Pact) か ら も 脱 退 し た 。
か らの ア リア政 権 も鎖 国 政 策 を維 持 して き たが 、
90年 か ら 自 由 化 の 方 向 に動 き は じ め た 。 東 欧 民 主 化 の 波 の な か で も 最 も 遅 れ て い た が 、91年3月31日
、 自 由 選 挙 が 実 施 さ れ 、6月11日
非 共 産 政 権 が 誕 生 した 。
92年 か ら は 民 主 党 政 権 。 〓p.328地 Alexander
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図]) II(1818∼81)
ア レ ク サ ン ドル2世 ロシ ア皇 帝 ( 位1855∼81)
。1853年
か ら の ク リ ミア 戦
争 (〓Crimean
War)
中 、 父 ニ コ ラ イ1世
(Nicholas
争 を 収 拾 。 ロ シ ア の 後 進 性 を 痛 感 し 、61年
I) の 死 に よ っ て 即 位 し 、 戦
農 奴 解 放 令 (Emancipation
of
the
Serfs) な ど 自 由 主 義 的 改 革 を 行 っ た が 、 保 守 派 の 反 発 で 大 き な 成 果 は あ げ ら れ な か っ た 。81年
Alexander
、 ナ ロ ー ド ニ キ (〓Narodniki:
III(1845∼94)
人 民 主 義 者 )に よ り 暗 殺 さ れ た 。
ア レ ク サ ン ド ル3世 ロ シ ア 皇 帝 (位1881∼94)
(〓Alexander 1880年
II)の 暗 殺 に よ り1881年
代 」を 展 開 。91年
XIII(1886∼1941)
即 位 。 専 制 政 治 を 強 化 し 「反 動 と 暗 黒 の
シ ベ リ ア 鉄 道 (〓Trans-Siberian
ロ シ ア ・ フ ラ ン ス 二 国 同 盟 (〓Dual
Alfonso
。 父 ア レ ク サ ン ド ル2世
Alliance)
Railway)
ア ル フ ォ ン ソ13世 ス ペ イ ン 国 王 (位1886∼1931)
(Bourbon)
着 工 。94年
締 結。
。 スペ イ ン
朝 最 後 の 王 で 、 父 の 死 後 誕 生 し 、 そ の ま ま 即 位 。16歳
・ ブル ボ ン
(1902年
)ま で
は 母 后 が 摂 政 を 行 っ た 。 植 民 地 キ ュ ー バ の 独 立 を め ぐ っ て ア メ リ カ と戦 っ た 米 西 戦 争 (〓Spanish-American War
I)後 、1923年
War)
の 敗 北 な ど を 経 て 、 第1次
に誕 生 した プ リモ
事 独 裁 政 権 を 認 め た が 、30年
・デ
世 界 大 戦 (〓World
・ リ ベ ラ (Primo
de
Rivera)
に よ る軍
に こ の 政 権 が 崩 壊 す る と、 翌 年 自 ら も 退 位 、 フ ラ
ン ス に 亡 命 した 。
Algeciras
Conference(1906)
アル ヘ シ ラス会 議 1905年
Crisis)
に起
き た 第1次
収 拾 の た め に 開 か れ た 国 際 会 議 。
(〓Wilhelm
モ ロ ッ コ 事 件 (〓Moroccan ド イ ツ 皇 帝 ウ ィ ル ヘ ル ム2世
II) は フ ラ ン ス の モ ロ ッ コ 進 出 に 対 抗
(Tangier)
に 上 陸 、 第1次
して 、 突 如 タ ンジ ー ル 港
モ ロ ッ コ事 件 が 起 こ っ た 。 し か し、 こ の 会 議 に よ っ て
モ ロ ッ コ に お け る フ ラ ン ス ・ ス ペ イ ン の 勢 力 範 囲 が 画 定 さ れ 、 ウ ィ ル ヘ ル ム2世 は譲 歩 せ ざ る をえ なか っ た。
Algeria
アル ジ ェ リア ア フ リカ 北 西 部 の 共 和 国 。 首 都 ア ル ジ ェ
ル (Vandal) 7世
王 国 、 ビ ザ ン チ ン 帝 国 (Byzantine
紀 以 降 イ ス ラ ム の 支 配 下 に 入 っ た 。1830年
(Charles
X) の 侵 略 に よ り フ ラ ン ス 領 と な り、19世
対 ア フ リ カ 進 出 拠 点 と な っ た 。 第2次
Republic)
War)
の 結 果 、 フ ラ ン ス 第4共
を 崩 壊 に 至 ら せ 、62年
の 支 配 下 に お か れ た が 、
、 フ ラ ン ス 王 シ ャ ル ル10世 紀 後 半 か ら20世
世 界 大 戦 (〓World
月 か ら ア ル ジ ェ リ ア 民 族 解 放 戦 線 (〓FLN) 争 (〓Algerian
(Algier) 。 ロ ー マ 、 バ ン ダ
Empire)
War
紀 にか けて の
II)後 、1954年11
に よ っ て 主 導 され た ア ル ジ ェ リ ア 戦 和 政 (Fourth
Republic:
〓French
独 立 を達 成 。最 近 で は穏 健 な ア ラブ社 会主 義 に
対 し 、 イ ス ラ ム 救 国 戦 線 (FIS)の 勢 力 が 強 ま っ て い る 。 〓p.283図
解6「
〓p.330地
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Algerian
ア フ リ カ の分 割」
War(1954∼62)
ア ル ジ ェ リア 戦 争 フ ラ ン ス か ら の 独 立 を 目 指 し て 起 こ っ た ア ル ジ ェ リア の 民
族 解 放 戦 争 。1830年
以 降 フ ラ ン ス に 支 配 さ れ て い た ア ル ジ ェ リ ア で 、1954年11
月 ベ ン ・ベ ラ (Ben 〓Front
de
Bella,
Lib〓ration
Mohammed)
率 い る ア ル ジ ェ リ ア 民 族 解 放 戦 線 (FLN:
Nationale)
が 結成 され 、 山岳地 帯 で ゲ リラ闘争 が 展 開 さ
れ た 。 ま も な く 全 土 に 拡 大 し 、 鎮 圧 に 手 間 ど る フ ラ ン ス 軍 を 苦 し め た 。58年 ラ ン ス の ド ・ ゴ ー ル (〓De
Gaulle,
Charles
Andr〓
の ア ル ジ ェ リ ア 臨 時 政 府 と 交 渉 を 開 始 。62年
Joseph
Marie)
フ
政 権 は 、FLN
ア ル ジ ェ リアの独 立 と と もに戦 争
は 終 結 した 。 〓Algeria
Al-Qaeda
アル カイ ダ ビ ン ・ ラ デ ィ ン (〓Bin
ら ア フ ガ ン (Afghan) (〓Taliban)
Laden,
義 勇 兵 の 徴 用
Osama)
が1980年
・ 軍 事 訓 練
代 後 半 、 中東 諸 国 か
を 目 的 に 設 立 。 タ リバ
ン
の 庇 護 下 に あ り、 イ ス ラ ム 聖 地 か らの 異 教 徒 の 追 放 を 目的 と して い
る 、 ア メ リ カ 同 時 多 発 テ ロ の 主 犯 とみ られ て い る 。
Alsace-Lorraine
ア ル ザ ス ・ロ レ ー ヌ 地 方 フ ラ ン ス と ド イ ツ の 境 界 に あ る ラ イ ン (Rhine)
地 帯 で 、 両 国 が1000年
リ ン ゲ ン (Elsa〓-Lothringen) で プ ロ イ セ ン (〓Prussia)
Treaty
。1871年
に は 普 仏 戦 争 (〓Franco-Prussian
首 相 の ビ ス マ ル ク (〓Bismarck,
国 領 に 併 合 し た が 、 第1次 (〓Versailles,
世 界 大 戦 (〓World
解4「
〓p.278図
解1「
ベ ル サ イ ユ 体 制 下 の ヨ ー ロ ッパ 」
〓p.285図
解8「
第1次
〓Civil
War
ドイ ツ の統一 」
世 界大 戦 の背景 」
War(1861∼65)
Otto
ア メ リカ南 北 戦 争
・ロ ー ト War)
von) が ド イ ツ 帝
I) 後 、 ベ ル サ イ ユ 条 約 世 界 大 戦 (〓World
・鉄 の 地 下 資 源 も 豊 富 な 地 域 。
〓p.281図
Civil
War
of) で フ ラ ン ス 領 と な る 。 第2次
II)中 も ド イ ツ が 一 時 占 領 し た 。 石 炭
American
川 西岸 の肥 沃 な
に わ た り係 争 し た 地 域 。 ド イ ツ 語 で は エ リ ザ ス
War
American
War
of Independence(1775∼83)
ア メ リカ独 立戦 争
当 時 イ ギ リス 領 だ っ た ア メ リ カ の13植 民 地 は、 本 国経 済 を優先 す る重商 主 義 ( 〓mercantilism) 会 議 (Continental
Congress)
シ ン トン (Washington, 言 (Declaration
を 開 催 。75年
政 策 に 反 抗 し、1774年
George) 司 令 官 の 活 躍 が あ り、76年7月4日
of Independence)
大陸
イ ギ リス本 国 を相 手 に開 戦 した。 ワ に は独 立 宣
を 発 し た。 開 戦 当 初 は 苦 戦 を 強 い られ た が 、
フ ラ ン ス ・ス ペ イ ン の 参 戦 や ロ シ ア を は じ め とす る 武 装 中 立 同 盟 の 支 援 を 通 じて 植 民 地 側 に 有 利 と な り、81年 83年 、 パ リ 条 約 (〓Paris,
ヨ ー ク タ ウ ン (Yorktown)
Treaty
の戦 い で 大 勢 が 決 し た。
of)で 独 立 が 承 認 さ れ 、 併 せ て ミ シ シ ッ ピ
(Mississippi)川 以 東 の ル イ ジ ア ナ (Louisiana) も割 譲 さ れ た 。 Amritsar
Massacre(1919)
アム リ ッツ ァー事 件 1919年4月
、 イ ン ドの パ ン ジ ャ ブ ( 〓Punjab)
た イ ギ リ ス に よ る独 立 運 動 弾 圧 事 件 。 第1次
世 界大 戦 ( 〓World
War
地 方で 起 き I)中 に イ
ギ リス が 約 束 し た戦 後 の 自治 承 認 が 無 視 され た こ とに 加 え て 、 イ ン ドの 民 族 運 動 を 抑 圧 す る た め の ロ ー ラ ッ ト法 (Rowlatt
Act) が 発 布 さ れ た こ と に 対 し、 イ ン ド
民 衆 の 不 満 が 高 ま っ て い た。 パ ン ジ ャ ブ地 方 の ア ム リ ッ ツ ァ ー の 公 園 に 集 ま っ て い た 民 衆 を 抗 議 集 会 と誤 解 した イ ギ リ ス 軍 が 発 砲 、400名
近 い 市 民 が 殺 され た。
イ ン ド反 英 運 動 の 激 化 を 招 い た 事 件 で あ る。 〓India
ANC
ア フ リカ民族 会 議
〓African
Andropov,
National
Yuri
Congress
Vladimirovich(1914∼84)
ア ン ドロ ポ フ ソ 連 の 政 治 家 。 共 産 党 書 記 長 (任1982∼84)
共 産 党 指 導 者 の ひ と り で 、 党 中 央 委 員 会 書 記 な ど を 経 て1967年 家 保 安 委 員 会 (KGB) の 議 長 を 務 め た 。1950年 シ チ ョ フ (〓Khrushchev, み ら れ た が 、 続 く64年
Nikita
Sergeyevich)
代 後 半 か ら60年
か ら82年
。
まで 国
代 にか けて の フル
時 代 に は ソ連 に も 自 由 の 兆 し が
か ら の ブ レ ジ ネ フ (〓Brezhnev,
Leonid
Ilyich) 書 記 長 の
も と で は 、ア ン ドロ ポ フ の 影 響 も あ っ て 幹 部 独 裁 に よ る暗 い 時 代 の 復 活 を 迎 え た 。 ブ レ ジ ネ フ の 死 後 、1982年
に 書 記 長 (General
Secretary)
に 就 任 し た が 、1年
あ
ま りして急死 。
Anglican
Church
イ ギ リス国教 会 16世
紀 、 国 王 ヘ ン リ ー8世
(Henry
VIII) が離 婚 を契機 に カ ト
リ ッ ク 教 会 か ら分 離
・独 立 し て 成 立 さ せ た イ ギ リ ス 独 自 の 教 会 。 国 王 を 最 高 の 首
長 と 定 め て い る 。 後 に メ ソ ジ ス ト (Methodist)
、 ピ ュ ー リ タ ン (Puritan)
な どが
分 離 した 。 聖 公 会 と も い う 。
Anglo-Afghan
Wars(1838∼42,
〓Afghan
1878∼80,
1919)
ア フガ ン戦 争
Wars
Anglo-French
Entente(1904)
英 仏協 商 1904年
、 イ ギ リス
・ フ ランス間 で 結 ば れ た植 民 地支
配 に 関 す る協 約 。 ドイ ツ の 進 出 に 対 抗 す る た め の も の で 、 モ ロ ッ コ に お け る フ ラ ン ス の 優 越 権 や イ ギ リ ス の エ ジ プ ト 支 配 な ど が 認 め ら れ た 。07年 (〓Anglo-Russian
Entente)
(〓Triple
Entente)
〓p.285図
解8「
Anglo-French
を 経 て 、 イ ギ リ ス ・ フ ラ ン ス ・ロ シ ア 間 の 三 国 協 商
へ と発 展 した 。
第1次
Naval
世界 大 戦 の背 景」
Agreement(1912)
英仏 海 軍協 定 1912年11月
の 進 出 に 備
Anglo-German
、 イ ギ リス と フ ラ ン ス が ドイ ツ
え て 締 結 。 イ ギ リ ス は 北 海 (North
(Mediterranean
Sea) 、
フ ラ ン ス は 地 中 海
Sea) の 防 衛 を 担 当 す る こ と を 決 め た 。
Naval
Agreement(1935)
イ ギ リ ス ・ド イ ツ 海 軍 協 定 1935年6月
(〓Hitler,
の 英 露 協 商
Adolf)
が 、 ベ ル サ イ ユ 条 約 (〓Versailles,
締 結 。 Treaty
同 年3月
ヒ
ト ラ ー
of) に よ る 軍 事 力 制
限 の 規 定 を 一 方 的 に 破 棄 し た の に 対 し、 イ ギ リ ス 、 フ ラ ン ス 、 イ タ リ ア は ス ト レ ー ザ 会 議 (〓Stresa
Conference)
を 開 い て こ れ を 非 難 した 。 しか し、 イ ギ リス
は 単 独 で ド イ ツ と 妥 協 し 、 ナ チ ス ・ ド イ ツ (〓Nazis)
に 対 し て イ ギ リ ス の35%
に
当 た る 海 軍 力 を 保 有 す る こ と を 認 め た 。 ソ連 と共 産 主 義 の 台 頭 を 恐 れ る イ ギ リ ス が ド イ ツ と の 妥 協 を 図 っ た 、 い わ ゆ る 宥 和 政 策 (〓appeasement
policy)
の ひ と
つ で あ る。
Anglo-Irish
Agreement(1985)
イ ギ リ ス ・ア イ ル ラ ン ド 協 定 1985年
Margaret
Hilda)
、 イ ギ リ ス の サ ッ チ ャ ー
(〓Thatcher,
首 相 と ア イ ル ラ ン ド が 、 北 ア イ ル ラ ン ド 問 題 (南 北 ア イ ル ラ ン
ド の 統 一 を 求 め て 起 き て い る 民 族 紛 争 )に 関 し て 結 ん だ 協 定 。 北 ア イ ル ラ ン ド 住 民 の過 半数 以 上 の 同 意 が な け れ ば現 状 の変 更 は あ りえ な い こ とな どを 認 めて い る。
〓Ireland,
Northern(
Anglo-Japanese
北 ア イ ル ラ ン ド)
Alliance(1902)
日英 同 盟 1902年1月30日
、 ロ シア の中 国進 出 に対 抗 す るた
め 締 結 さ れ た 日 英 間 の 同 盟 協 約 。 こ れ に よ り イ ギ リ ス は 対 外 政 策 と し て 維 持 して きた 「 光 栄 あ る孤 立 (〓Splendid
Isolation) 」を 放 棄 。 一方 が 開 戦 の 際 の 他 方 の 好
意 的 中 立 と、 第 三 国 参 戦 の 際 の 共 同 戦 闘 を 規 定 し、 軍 事 同 盟 的 性 格 を も つ 。11 年 に は 対 独 同 盟 の 性 格 に 変 わ り、21年 、 日 英 米 仏 間 で 結 ば れ た4カ ( 〓Four
Power
Anglo-Russian
国 条約
Pacific Treaty) に よ り破 棄 さ れ た 。
Entente(1907)
英 露 協 商 イ ギ リス
・ ロ シ ア 協 商 と も い う 。1907年
イギ リス と
ロ シ ア 間 に 結 ば れ た 、 ペ ル シ ア (現 イ ラ ン )、 ア フ ガ ニ ス タ ン 、 チ ベ ッ ト に お け る 両 国 の 勢 力 範 囲 を 定 め た 協 定 。1894年 Alliance) リア
の ロシ ア
、 英 仏 協 商 (〓Anglo-French
Entente,
・ オ ー ス ト リ ア の 三 国 同 盟 (〓Triple
これ に よ りイ ギ リ ス
・フ ラ ン ス
・ フ ラ ン ス 二 国 同 盟 (〓Dual 1904)
Alliance)
と と も に 、 ドイ ツ
・イ タ
に 対 抗 す るた め に 結 ば れ 、
・ ロ シ ア と の 間 で 三 国 協 商 (〓Triple
Entente)
が
成 立 した 。 〓p.285図
Angola
解8「
第1次
世 界大 戦 の背 景」
ア ンゴ ラ ト ル コ 共 和 国 の 首 都 。 ア ン カ ラ (Ankara)
オ ス マ ン
・ ト ル コ 帝 国 (〓Ottoman
Empire)
の 古 称 。14世
の 領 域 。1923年
紀 後 半 以 来 、
、 ト ル コ共 和 国 の
成 立 と と も に イ ス タ ン ブ ー ル (Istanbul) に 代 わ っ て 首 都 と な っ た 。
Ankara
ア ン カ ラ ト ル コ 共 和 国 の 首 都 。14世
Empire)
の 領 域 。1402年
紀 以 来 オ スマ ン
・ トル コ 帝 国 (〓Ottoman
、 こ の 地 で ア ン カ ラ の 戦 い (Battle of Ankara)
が 起 こ り、
モ ン ゴ ル の テ ィ ム ー ル (Timur) 朝 に よ っ て オ ス マ ン 帝 国 が 滅 亡 寸 前 に 至 っ た 。
Anti-Comintern
Pact(1937)
日独伊 防 共協 定 反 コ ミン テ ル ン 法 。 ソ 連 中 心 の 国 際 共 産 主 義 に 対 抗
して 、 まず ナ チ ス
・ ドイ ツ ( 〓Nazis)
と 日 本 が1936年11月
に協 定 を 結 び 、37年
に イ タ リ ア が 参 加 し た 。 こ れ に よ っ て 日 本 は ド イ ツ、 イ タ リ ア の 枢 軸 国 側 (〓Axis) に 大 き く傾 倒 し、 三 国 の 国 際 的 な 孤 立 が 進 む こ と に な る 。40年 独 伊 三 国 同盟 ( 〓Tripartite
Pact) に 発 展 した 。
には 日
Anti-Corn
Law
League
反穀 物 法 同盟 1839年
、 イ ギ リ ス の 都 市 マ ン チ ェ ス タ ー (Manchester)
で 結成 され 、穀 物 の 輸 出入 を規 制 した穀物 法 ( 〓Corn 自 由 貿 易 主 義 者 の 政 治 家 コ ブ デ ン (Cobden, ら が 推 進 。46年 ANZUS
Laws) の 廃 止 運 動 を 展 開 。
Richard) 、 ブ ラ イ ト (Bright, John)
同 法 を廃 止 に導 い た。
Pact(1951)
ア ンザ ス条 約 1951年9月1日
、 オ ー ス ト ラ リ ア ・ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド ・ ア メ リ
カ 合 衆 国 が 結 ん だ 太 平 洋 安 全 保 障 条 約 の 通 称 。 共 産 圏 の 封 じ込 め と 太 平 洋 地 域 の 安 全 保 障 を 目指 す 。3カ Apartheid
国 の頭 文 字 を とって 命名 。
ア パ ル トヘ イ ト 南 ア フ リカ 共 和 国 に お け る 人 種 差 別 政 策 の こ と。1961年
ス連 邦 ( 〓British
Commonwealth)
、イ ギ リ
か ら脱 退 した 南 ア フ リカ 共 和 国 は、 国 内 の 非
白 人 に 対 し て 政 治 ・経 済 ・社 会 の 各 面 で 差 別 政 策 を と り、 白 人 独 裁 を進 め た 。 し か し 、67年
に は 国 連 総 会 で 南 ア フ リ カ ヘ の 経 済 制 裁 が 決 議 され る な ど 内 外 で の
批 判 が 厳 し くな っ た 。90年 、 大 統 領 に 就 任 し た デ ク ラ ー ク (De Klerk, Willem)
は 、 黒 人 解 放 運 動 の 指 導 者 マ ン デ ラ (〓Mandela,
ど の 政 治 犯 を 釈 放 。91年
Nelson
Frederik
Rolihlahla) な
に は 、 ア パ ル トヘ イ ト関 連 法 が 廃 止 され た 。94年
アパ
ル トヘ イ ト廃 止 後 の 新 憲 法 制 定 の た め 、 全 人 種 参 加 の 総 選 挙 が 実 施 され 、 上 院 下 院 議 員 を 選 出 。 同 年4月
の 大 統 領 選 挙 で は マ ン デ ラが 当 選 し、 黒 人 政 権 の 第 一
歩 を 踏 み 出 し た 。 デ ク ラ ー ク と マ ン デ ラ は 、93年 Peace
の ノ ー ベ ル 平 和 賞 (Nobel
Prize)を 受 賞 して い る 。
〓South
APEC
・
Africa
ア ジ ア太 平 洋経 済 協 力
〓Asia-Pacific
Appeasement
Economic
policy
Cooperation
宥 和 (ゆ う わ )政 策 相 手 国 の 強 硬 な 要 求 を 認 め て 、 自 国 も利 益 を 得 よ う と す る
外 交 政 策 。 第2次
世界大戦 ( 〓World
レ ン (〓Chamberlain,
War
II)前 の1938年
、 イ ギ リスの チ ェ ンバ
Neville) 首 相 らが ミ ュ ン ヘ ン 会 議 ( 〓Munich
に おい て、 チ ェ コの ズデ ー デ ン地方 ( 〓Sudetenland)
Conference)
を 要 求 す る ドイ ツ に 妥 協 し
て 戦 争 を 回 避 し た 政 策 が 有 名 。 こ れ は ソ 連 と共 産 主 義 の 台 頭 に 対 抗 す る性 格 を もって いた 。
Arabi
Pasha(1839∼1911)
ア ラ ー ビ ー ・パ シ ャ
エ ジ プ ト民 族 運 動 の 指 導 者 。 軍 人 。1870年
代 か らの イ ギ リス、
フ ラ ン ス に よ る エ ジ プ ト進 出 に 対 し て 、81年 反 乱 を 指 導 。 翌 年 陸 相 とな り新 憲 法 を制 定 したが 、 イ ギ リスの単 独 出兵 で鎮 圧 され た。 セ イ ロ ン ( 〓Ceylon) 刑 さ れ た が 、1901年
に流
に帰 国 。
〓Egypt
Arab-Israeli
War(1948∼49)
ア ラ ブ ・イ ス ラ エ ル 戦 争 ア ラ ブ ・ユ ダ ヤ 戦 争 、 ま た は 第1次
〓Arab-Jewish
War
〓Middle-East
Wars
Arab-Jewish
War(1948∼49)
中 東 戦 争 の こ と。
ア ラ ブ ・ユ ダ ヤ 戦 争
第1次
中 東 戦 争 (〓Middle-East
Wars)
の こ と 。 ア ラ ブ ・イ
ス ラ エ ル 戦 争 (〓Arab-Israeli
War)
い う 。1948年5月
、 イ ス ラ エ ル の 建 国 を 認 め な い ア ラ ブ諸 国 が 開 戦 。
∼49年3月
、 ま た は 、 特 に 日 本 で は パ レ ス チ ナ戦 争 と も
イ ス ラ エ ル に は 米 英 の 支 援 が あ り、 ア ラ ブ側 の 不 一 致 な ど に よ っ て ア ラ ブ 側 が 敗 北 。 そ の 後 も 対 立 は 続 い て い る。 〓Palestine(
Arab
League
パ レ ス チ ナ)
ア ラ ブ連 盟 ア ラ ブ諸 国 連 盟 (League
of Arab
States) と も い う。1945年3月
、
エ ジ プ トの カ イ ロ (Cairo)で 創 設 さ れ た ア ラ ブ 諸 国 に よ る 組 織 。 エ ジ プ ト、 シ リ ア 、 レバ ノ ン 、 イ ラ ク、 ヨル ダ ン 、 サ ウ ジ ア ラ ビ ア 、 イ エ メ ン に パ レ ス チ ナ ・ア ラ ブ の 代 表 が 参 加 し、 の ち に ス ー ダ ンや リ ビ ア も加 わ っ た 。 本 部 は カ イ ロ で 、 ア ラ ブ 民 族 の 独 立 と強 化 を 目的 と し た 。 Arabs
ア ラ ブ民 族 イ ス ラ ム 教 中 心 の 世 界 に お い て 、 セ ム 語 族 系 (Semites) の ア ラ ビ ア 人 と
融 合 して ア ラ ブ化 し た 民 族 の こ と。 今 日 で は 、 モ ロ ッ コ 、 ヨ ル ダ ン 、 エ ジ プ ト、 ア ル ジ ェ リ ア 、 シ リ ア、 イ ラ ク 、 サ ウ ジ ア ラ ビ ア な ど の ア ラ ブ 国 家 を 建 設 して い る。 Arafat,
Yasser(1929∼2004)
ア ラ フ ァ ト議 長
ア ラ ブ 民 族 解 放 運 動 の 指 導 者 で パ レ ス チ ナ (〓Palestine) 大 統 領 (任1996∼2004) Liberation
Organization)
。1969年
以 来 、 パ レ ス チ ナ 解 放 機 構 (PLO:
の 議 長 と な り武 装 闘 争 を 指 導 し 、74年
の初 代
〓Palestine
ア ラブ首 脳会 議
でPLOが
パ レ ス チ ナ 唯 一の 代 表 で あ る こ と を 承 認 さ せ た 。 そ の 後93年
イ ス ラエ
ル と相 互 承 認 を 行 い 、 暫 定 自 治 共 同 宣 言 調 印 に こ ぎ 着 け た 。
Argentina
ア ル ゼ ンチ ン 南 ア メ リ カ 大 陸 南 東 部 の 共 和 国 。 首 都 ブ エ ノ ス ア イ レ ス (Buenos
Aires) 。1536年
よ り ス ペ イ ン 領 。1816年
、 連 邦 と して 独 立 。53年
か ら共 和 制 を
う た っ た 憲 法 が 制 定 さ れ 、 外 国 移 民 、 資 本 の 流 入 に よ っ て20世 紀 初 頭 に は 世 界 屈 指 の 農 牧 輸 出 国 と な っ た 。 そ の 一 方 で 地 主 を 中 心 と し た 保 守 支 配 層 に対 す る 急 進 勢 力 の 不 満 が 高 ま り、1930年 2次 世 界 大 戦 ( 〓World
War
、 軍 事 ク ー デ タ ー に よ り議 会 制 が 崩 壊 し た 。 第
II)後 、 ペ ロ ン大 統 領 (Peron, Juan
とで 全 体 主 義 的 な 独 裁 体 制 が しか れ た が 軍 部 と対 立 。76年 83年 末 よ り民 政 に 移 行 。 ア ル フ ォ ン シ ン (Alfonsin,
Domingo)
の も
か ら の 軍 政 期 を経 て 、
Raoul) 、 メ ネ ム (Menem,
Carlos) とペ ロ ン 派 が 政 権 を 担 当 して い る 。 〓p.334地 Arusha
図〓( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
Declaration(1967)
アル ー シ ャ宣 言 1967年2月
大 統 領 (Nyerere,
、 ア フ リカ東 部 の共 和 国 タ ンザ ニ ア のニ エ レ レ
Julius Kambarage)
が 発 表 した 社 会 主 義 化 宣 言 。 ア ル ー シ ャ は
地 名 。 発 表 と同時 に主 要 外 国企 業 を国 有 化 した。 〓Tanzania
ASEAN10
東 南 ア ジア 諸 国連 合10
〓Association
ASEAN
of
Regional
South-East
Forum
Asian
ASEAN地 1993年
ジ ア太 平 洋 地 域 の 政 治 〓Association
Nations
10
域 フ ォ ー ラ ム (ARF) 、ASEAN拡
大 外 相 会 議 で 設 置 を 決 定 した ア
・ 安 全 保 障 協 議 機 関 。ASEAN10カ
of South-East
Asian
Nations
国 (ASEAN10:
10) に 、 ア メ リ カ 、 日本 、 カ ナ ダ 、
韓 国 、 オ ー ス ト ラ リ ア 、 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド、 パ プ ア ニ ュ ー ギ ニ ア 、 中 国 、 ロ シ ア 、 イ ン ド、EU、
北 朝 鮮 、 モ ン ゴ ル 、 パ キ ス タ ン、 東 テ ィモ ー ル が 加 盟 。 ア ジ ア 太
平 洋 地 域 の 政 治 ・安 全 保 障 に 関 す る情 報 や 意 見 を 定 期 的 に 交 換 す る 機 構 。 第1回 会 合 は94年7月
バ ン コ ク 。2001年
に ベ トナ ム ( 〓Viet
Nam) の ハ ノ イ (Hanoi) で
行 わ れ た 閣 僚 会 議 で は 、 信 頼 関 係 か ら予 防 外 交 へ と踏 み 出 した 。 Asia
Minor
小 ア ジア 現 在 の トル コ共 和 国 に あ た る ア ジ ア 西 部 の 半 島。 エ ー ゲ 海
(Aegean
Sea) 、 地 中 海 (Mediterranean
Sea) 、 黒 海 (〓Black
Sea) に 囲 ま れ て
い る。
Asia-Pacific
Economic
Cooperation(APEC)
ア ジア 太平 洋 経済 協 力 1989年1月
に オ ー ス トラ リ ア
と 日 本 が 提 唱 した 、ア ジ ア 太 平 洋 地 域 の経 済 協 力 を 目 的 と す る政 府 間 公 式 協 議 体 。 当 初 加 盟 国 は 、 日本 、 ア メ リ カ 、 カ ナ ダ 、 オ ー ス トラ リア 、 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド、 韓 国 と 、当 時 のASEAN
6カ 国 (イ ン ドネ シ ア 、 シ ン ガ ポ ー ル 、 タ イ 、 フ ィ リ ピ ン 、
ブ ル ネ イ 、 マ レ ー シ ア )の 計12カ
国。 その後 、 中 国、 台 湾 、香 港 に メキ シ コ、 パ
プ ア ニ ュ ー ギ ニ ア、 チ リ 、 ロ シ ア、 ベ トナ ム 、 ペ ル ー が 加 わ り、21カ
国
・地域
に な っ た 。89年 に 閣 僚 レ ベ ル の 協 議 が 始 ま り、経 済 協 力 の 実 施 に 専 念 した 。 一 方 、 首 脳 会 談 も行 わ れ 、実 現 が 困 難 な 問 題 に つ い て も次 第 に 論 じ られ る よ う に な っ た 。 2001年9月
Asquith,
に 起 き た ア メ リ カ 同 時 多 発 テ ロ 事 件 の 対 応 策 な ど も 話 し合 わ れ た 。
Herbert
Henry(1852∼1928)
ハ ー バ ー ト ・ヘ ン リ ー ・ア ス キ ス
イ ギ リ ス 首 相 (任1908∼16) Party) 。 下 院 議 員 ロ イ ド ・ ジ ョ ー ジ (〓Lloyd に 議 会 法 (Parliament
Act) 、14年
に 第3次
Bill) の 議 会 通 過 を 果 た し た 。 第1次 戦 を 決 行 、15年
George,
と と も に1911年
ア イ ル ラ ン ド 自 治 法 案 (〓Home
世 界 大 戦 (〓World
に 労 働 党 (〓Labour
。 自 由 党 員 (〓Liberal David)
Party)
War
Rule
I) に 際 し て 対 独 宣
との連 立 内閣 を組織 した。 戦争 指 導
に 対 す る不 満 の 高 ま り に 対 し総 辞 職 、 ロ イ ド ・ジ ョー ジ と交 替 。
Association
of South-East
Asian
Nations
10(ASEAN10)
東 南 ア ジア 諸 国連
合10 東 南 ア ジアの 地域 協 力 機 構 。加 盟 国 は10カ 国 。1967年
の原加 盟 国 ( イ ン ドネ シ ア 、マ レ ー シ ア 、 フ ィ
リ ピ ン 、 シ ン ガ ポ ー ル 、 タ イ )に84年 ン マ ー 、99年
Ataturk
Mustafa
〓Kemal,
Atlantic,
ブ ル ネ イ 、95年 ベ トナ ム 、97年 ラ オ ス 、 ミ ャ
に カ ン ボ ジ ア が 加 盟 して 成 立 した 。
Kemal(1881∼1938)
ケ マ ル
・ア タ テ ュ ル ク
Mustafa
Battle
of the(1942∼43) 第2次
隊 (〓U-boat)
大西 洋 の戦 い 世 界 大戦 ( 〓World
War
II)中 、 ドイ ツ潜 水 艦
と、 燃 料 補 給 路 確 保 を 狙 う イ ギ リ ス海 軍 との 戦 い 。1942年
以来 ド
イ ツ 海 軍 に よ る大 西 洋 潜 水 艦 作 戦 が は じ ま っ た が 、 ア メ リカ の 建 艦 能 力 向 上 に よ
り連 合 国側 は次 第 に制 海権 を回 復 した。 Atlantic
Charter(1941)
大西 洋 憲章 1941年8月
Winston)
、 イ ギ リ ス の チ ャ ー チ ル (〓Churchill,
首 相 と ア メ リ カ のF・
ロ ー ズ ベ ル ト (〓Roosevelt,
Franklin
Sir
Delano)
大
統 領 が 大 西 洋 上 で 会 談 して 発 表 。 領 土 不 拡 大 、 民 族 自 決 、 主 権 在 民 、 国 際 経 済 協 力 、 軍 備 縮 小 、 平 和 機 構 の 再 建 な ど8カ 第2次
世 界 大 戦 (〓World
Nations)
Atomic
条 か ら成
り、9月
に は15カ
II)後 、 国 際 連 合 憲 章 (〓Charter
of
weapons
United
核 兵器
weapons
Clement
Richard(1883∼1967)
ア トリー
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 首 相 (任1945∼51) 働 党 (〓Labour Winston)
Party)
と 交 代
Conference)
党 首
し て 途
と な る 。45年
中 か
に 参 加 。51年
Nationalization
Austerlitz,
国 が 参 加 。 the
に生 か され た。
〓Nuclear
Attlee,
War
ら 首 相
。1935年
に 労
、 チ ャ ー チ ル (〓Churchill,
Sir
と し て ポ ツ ダ ム 会 談 (〓Potsdam
ま で 首 相 と し て 、 重 要 産 業 の 国 有 化 (〓Industry,
of)や 社 会 保 障 の 拡 充 な ど に つ く し た 。
Battle
of(1805)
ア ウス テル リ ッツの 戦 い
1805年12月
、 ナ ポ レ オ ン 皇 帝 (〓Napoleon
I) 率 い る フ
ラ ン ス 軍 が 、 オ ー ス ト リ ア の 都 市 ア ウ ス テ ル リ ッ ツ で ロ シ ア ・オ ー ス ト リ ア 連 合 軍 を 撃 破 し た 。 ロ シ ア は 皇 帝 ア レ ク サ ン ド ル1世 ア は 皇 帝 フ ラ ン ツ1世 Emperors'
Battle)
〓Napoleonic
Australia
(Franz
(Alexander
I) が 、 オ ー ス ト リ
I) が 軍 を 率 い て 戦 っ た た め 、 三 帝 会 戦 (〓Three
ともいわ れ る。
Wars(
ナ ポ レ オ ン戦争 )
オ ー ス トラ リア 首
Commonwealth)
都
キ
ャ
ン
ベ
ラ (Canberra)
内 の 自 治 共 和 国 。1770年
ま で 流 刑 植 民 地 。1851年
Statute
に 連 邦 制 と な り 、31年
ギ
リ ス
連
邦 ( 〓British 以 降1840年
・ ラ ッ シ ュ (Gold に は ウ ェス
Rush)
が
トミン ス ター
of) に よ っ て 、 イ ギ リ ス 国 王 を 形 式 的 な 元 首 と す る
イ ギ リ ス 連 邦 の 構 成 国 と な っ た 。 第2次
カ に 接 近 して 、51年
イ
の 金鉱 発 見 に よ りゴー ル ド
は じ ま り 植 民 者 が 急 増 。1901年 憲章 ( 〓Westminster,
。
よ り イ ギ リ ス 領 。1788年
世 界 大 戦 (〓World
にア ンザ ス条 約 ( 〓ANZUS
War
II)後 は ア メ リ
Pact) に 参 加 。54年
に は東 南 ア
ジ ア 条 約 機 構 (SEATO:
〓South
East
Asia
Treaty
Organization)
に加 盟 し て い
る。 〓p.332地
Austria
図〓 ( 現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
オ ー ス ト リア 首 都 ウ ィ ー ン (Vienna)
(Habsburg)
。1278年
よ り1918年
まで ハ プ ス ブ ル ク家
領 。 ハ プ ス ブ ル ク 家 は 事 実 上 ド イ ツ 皇 帝 (神 聖 ロ ー マ 帝 国 皇 帝 )を 世
襲 し て お り 、 オ ー ス ト リ ア も そ の 支 配 下 に あ っ た 。1648年 紛 争 を 発 端 と し て ヨ ー ロ ッ パ 各 国 に 波 及 し た30年 結 に よ り 、 ハ プ ス ブ ル ク 家 の 地 位 は 低 下 。18世 ン (〓Prussia)
Years
War)
の終
紀 に な る と、 代 わ っ て プ ロ イ セ
が 台 頭 し、 ハ プ ス ブ ル ク家 との 間 で ドイ ツ に お け る指 導 権 争 い が
は じ ま る 。1740年 of
、 ドイ ツ 国 内 の 宗 教
戦 争 (Thirty
か ら の オ ー ス ト リ ア 継 承 戦 争 (〓Austrian
Succession,
the) で は 、 プ ロ イ セ ン に 領 土 の 一 部 を 奪 わ れ た 。1806年
(〓Napoleonic
Wars)
の 結 果 、 神 聖 ロ ー マ 帝 国 (〓Holy
す る と 、 オ ー ス ト リ ア 帝 国 (Austrian Confederation)
Empire)
を 指 導 し た が 、66年
(〓Austro-Prussian
War)
、 ナ ポ レ オ ン戦 争
Roman
Empire)
Empire)
が 消滅
と な っ て ド イ ツ 連 邦 (〓German
ドイ ツ統 一 の 指 導 権 を 争 っ た普 墺 戦 争
で プ ロイ セ ンに敗 北 。翌 年 オ ース トリア
帝 国 (〓Austro-Hungarian
War
と な っ た 。 第1次
・ハ ンガ リー
世 界 大 戦 (〓World
War
I)
で は 同 盟 国 側 ( ド イ ツ 側 )に つ い て 敗 れ 、 ハ プ ス ブ ル ク 家 の 支 配 は 終 わ っ て 、 1919年 War
共 和 国 と な っ た 。38年
∼45年
、 ド イ ツ に 併 合 。 第2次
II)後 、 連 合 国 に 分 割 占 領 さ れ た が 、55年
neutral
state) と な っ た 。
〓p.281図
解4「
ドイ ツ の統 一」
〓p.278図
解1「
ベ ル サ イ ユ 体 制 下 の ヨー ロ ッ パ 」
〓p.284図
解7「
ウ ィ ー ン 体 制 下 の ヨ ー ロ ッパ 」
〓p.285図
解8「
第1次
〓p.328地
図 〓 (現 代 の世 界[国 名 と地 図])
Austrian
State
世界 大戦 の背 景」
Treaty(1955)
オ ー ス トリ ア 国 家 条 約 1955年5月
ア メ リカ ・イ ギ リス の4カ
国
調 印 。 第2次
neutral
Succession,
War
II)後 、
War
ト リ ア は 永 世 中 立 国
state) と な っ た 。
of
the(1740∼48) 1740年
(Habsburg)
世 界 大 戦 (〓World
・フ ラ ン ス ・ソ連 に 分 割 占 領 さ れ て い た オ ー ス ト リ ア が 、 こ
と結 ん だ 講 和 条 約 。 こ れ に よ っ て、 オ ー ス
(permanently
Austrian
世 界 大 戦 (〓World
独 立 し て 永 世 中 立 国 (permanently
オ ー ス トリ ア 継 承 戦 争 に は じ ま っ た、 ハ
プ ス ブ ル ク家
の 王 位 継 承 権 を め ぐ る 戦 争 。 神 聖 ロ ー マ 帝 国 (〓Holy
Roman
Empire)
皇 帝 カ ー ル6世
Theresia)
(Karl VI) の 死 後 、40年
に マ リ ア
・ テ レ ジ ア (Maria
が オ ー ス ト リ ア の 王 位 に つ き ハ プ ス ブ ル グ家 の 全 領 土 を 継 承 す る と 、
プ ロ イ セ ン (〓Prussia)
な ど が これ に 反 対 。 フ ラ ン ス 、 ス ペ イ ン な ど と 結 ん で 、
イ ギ リ ス の 支 援 を 受 け る オ ー ス ト リ ア と 戦 っ た 。48年
和 約 が 成 立。 マ リア
・ テ
レ ジ ア が 王 位 を 継 承 し 、 プ ロ イ セ ン は シ ュ レ ジ エ ン (Silesia) を 領 有 す る こ と と な った。
Austro-German
Alliance(1879)
独 墺 同 盟 (ド イ ツ
・オ ー ス ト リ ア 同 盟 )
二 国 同 盟 (ド イ ツ ・オ ー ス ト リ ア )の こ と 。 〓Dual
Alliance(1879)
Austro-Hungarian
Empire(1867∼1918)
オ ー ス トリア 二
Hungary)
重
帝
・ハ ン ガ リ ー 帝 国
国 ( 〓Dual
と も い う 。 普 墺 戦 争 (〓Austro-Prussian
Monarchy
War)
of
後 、1867年
Austria-
成 立 。 オー
ス ト リ ア 皇 帝 が ハ ン ガ リー 王 を 兼 ね る 多 民 族 国 家 。 普 墺 戦 争 の 結 果 、 ド イ ツ統 一 か ら 除 外 さ れ た オ ー ス ト リ ア は 、 国 内 ス ラ ブ 系 民 族 (Slavs) の 不 満 を 抑 え る た め に 、 マ ジ ャ ー ル 人 (Magyars) 交
・財 政
に ハ ン ガ リ ー 王 国 の 建 設 を許 し た 。 両 国 は 君 主
る た め 親 独 政 策 を と っ た 。1908年 Herzegovina)
、 ボ スニ ア
・ ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ (〓Bosnia
and
の 併 合 を 強 行 し た こ とか ら セ ル ビ ア 、 ロ シ ア と の 対 立 が 激 化 、 バ
ル カ ン 情 勢 は 険 悪 と な り 、 第1次 18年
・外
・軍 事 を 共 に す る が 、 政 府 と 議 会 は 独 立 。 ま た 、 ロ シ ア の 進 出 に 対 抗 す
世 界 大 戦 (〓World
、 降 伏 と革 命 に よ っ て 共 和 政 に移 り、 ハ ン ガ リー
War
I) を 引 き 起 こ し た 。
・ ス ラ ブ諸 族 は 分 離
・独
立 した 。 〓Austria 〓Hungary 〓p.278図
Austro-Prussian
解1「
ベ ル サ イ ユ体制 下 の ヨー ロ ッパ 」
War(1866)
普 墺 戦 争 (プ ロ イ セ ン ・オ ー ス ト リ ア 戦 争 ) 1866年
に 起 こ っ た ドイ ツ 統
ト リ ア と プ ロ イ セ ン (〓Prussia) タ イ ン (Schleswig-Holstein) ス マ ル ク (〓Bismarck,
一の 主 導 権 を め ぐ る オ ー ス
の戦 争。 デ ンマ ー クの シ ェ レス ビ ヒ
公 国 の併 合 を も くろんで 対 立 したの が きっか け。 ビ Otto
von) 率 い る プ ロ イ セ ン が 開 戦 後7週
リ ア を 敗 っ た 。 戦 後 、 オ ー ス ト リ ア は ド イ ツ 連 邦 (〓German ら 脱 退 。 プ ロ イ セ ン は 、 翌67年 を 組 織 して 盟 主 とな っ た 。 〓p.281図
解4「
・ ホル シ ュ
ドイ ツ の統 一」
北 ド イ ツ 連 邦 (North
German
間 でオ ー ス ト
Confederation) Confederation)
か
Axis/Axis
Powers
枢 軸 国 (す う じ く こ く ) 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II) に お け る ドイ ツ
・ イ
タ リ ア ・ 日 本 の こ と 。 ま た は 、 こ の 三 国 を 中心 と し て 連 合 国 側 に 対 立 し た 諸 国 を 指 す 。1936年
の ベル リン
ア が フ ァシ ズ ム ( 〓fascism) 定 (〓Anti-Comintern
・ ロ ー マ 枢 軸 (〓Rome-Berlin
Axis) で
体 制 を 強 化 し た の に は じ ま り 、37年
Pact) 、40年
ドイ ツ ・イ タ リ の 日独 伊 防 共 協
の 日 独 伊 三 国 同 盟 (〓Tripartite
形 成 されて いっ た。
Ayub
Khan,
〓Khan,
Mohammed(1907∼74)
Mohammed
Ayub
ム ハ ン マ ド ・ア ユ ー ブ ・ハ ー ン
Pact) を 経 て
B Baghdad
Pact(1955)
バ グ ダ ー ド条 約 1955年2月
、 イ ラ ク と ト ル コ が 結 ん だ 相 互 防 衛 協 定 。 同 年11
月 、 イ ギ リ ス ・イ ラ ン ・パ キ ス タ ン が 参 加 し 、 中 東5カ 障 機 構 と し て 、 中 東 条 約 機 構 (METO:
〓Middle
国 に よる反 共 集団 安 全保
East
Treaty
バ グ ダ ー ド条 約 機 構 と も い う )が 結 成 さ れ た 。 そ の 後59年 め 改 称 、 中 央 条 約 機 構 (CENTO: 年 イ ラ ン 革 命 (Iranian
Bakunin,
〓Central
Revolution)
Michael(1814∼76)
Treaty
Organization。
に イ ラ ク が 脱 退 した た
Organization)
と な る 。79
と トル コ の 脱 退 に よ り解 体 。
バ ク ーニ ン ロ シ ア の 貴 族 出 身 の ア ナ ー キ ス ト (anarchist:
者 )。 フ ラ ン ス2月
革 命 (〓February
ル ー ド ン (Proudhon,
Pierre
シ ョ ナ ル (〓International (〓Marx,
Karl
Joseph)
Heinrich)
Baldwin,
Association)
に は 第1イ
ンター ナ
に 参 加 。 しか しマ ル ク ス
と対 立 して 除 名 さ れ た 。 彼 の 思 想 は後 に フ ラ ン ス の サ 労 働 組 合 主 義 )、 ロ シ ア の ナ ロ ー
Stanley(1867∼1947)
ボ ー ル ドウ ィ ン
イ ギ
リ ス 首 相 (任1923∼24、24∼29、35∼37)
Party) 。 対 独 宥 和 政 策 (〓Appeasement
年 に は 男 女 平 等 普 通 選 挙 法 実 施 。 世 界 恐 慌 (〓Great
Arthur
James(1848∼1930)
、 保 守 党
policy) Depression)
を 推 進 。1928 対 策 も行 っ た 。
バ ル フ オア
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 保 守 党 (〓Conservative 1902年
首 相 と な り 、 外 交 で は 日 英 同 盟 (〓Anglo-Japanese
商 (〓Anglo-French (〓Palestine) Declaration)
Balfour
ドニ キ
人 民 主 義 )運 動 に 影 響 を 及 ぼ し た 。
(〓Conservative
Balfour,
無 政 府 主 義
に参 加 した社 会 主義 思 想 家 プ
ら と も 親 交 し 、1868年
Workingmen's
ン デ ィ カ リ ズ ム (〓syndicalism: (〓Narodniki:
Revolution)
Entente)
の 締 結 に 努 力 す る 。17年
Alliance)
Party)
。
、 英仏 協
外 相 に転 じ 、 パ レ ス チ ナ
に お け る ユ ダ ヤ 人 国 家 の 建 国 を 認 め る バ ル フ ォ ア 宣 言 (〓Balfour を 発 し た。
Declaration(1917)
バ ル フ ォア 宣言 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I) 中 の1917年11月2日
、
イ ギ リ ス外 相 バ ル フ ォ ア (〓Balfour,
Arthur
James) が パ レ ス チ ナ (〓Palestine)
に ユ ダ ヤ 人 国 家 の 建 国 を認 め た 宣 言 。 ユ ダ ヤ 系 金 融 資 本 の 協 力 を 得 る た め で あ っ た が 、15年
の マ クマ ホ ン宣言 ( 〓MacMahon
Declaration)
と矛 盾 す る た め 、 マ
ク マ ホ ン に よ っ て 独 立 を約 束 さ れ て い た ア ラ ブ 人 が これ に 反 発 、 ユ ダ ヤ 人 との 紛 争 原 因 の ひ と つ とな っ た。 Balkan
League(1912)
バル カン同 盟 1912年3月
∼9月
、 ロ シ ア 主 導 の も と 、 セ ル ビ ア (〓Serbia)
ギ リ シ ャ 、 ブ ル ガ リ ア 、 モ ン テ ネ グ ロ (Montenegro) (〓Pan
Slavism)
に も とづ く反 トル コ ・反 オ ー ス ト リ ア 同 盟 。 ロ シ ア は これ を 軍
事 的 指 導 下 に お き 、 対 オ ー ス ト リ ア の 障 壁 に し よ う と し た 。 同 年10月 4カ
、
が 結 ん だ、 汎 ス ラ ブ 主 義
国 に よ り、 ト ル コ に 対 す る 第1次
バ ル カ ン 戦 争 (〓Balkan
Wars)
に は この が 引 き起 こ
され た。
Balkan
Pact(1954)
バ ル カ ン同 盟 1954年8月
成 立 。 ト ル コ ・ギ リ シ ャ ・ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 三 国 に よ
る 反共 的軍 事 同盟 。
Balkan
Question
バ ル カ ン問 題 19世 紀 後 半 か ら 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I)に 至 る ま
で、 バ ル カ ン半 島を舞 台 に起 こっ た一連 の国 際紛 争 を指 す。 バ ル カ ンに お け るオ ス マ ン ・ トル コ ( 〓Ottoman
Empire) の 支 配 が 弱 ま る の に と も な っ て ス ラ ブ諸 民
族 の 独 立 運 動 が 高 ま る と、 これ に乗 じ て ロ シ ア が 南 下 を も くろ み 、露 土 戦 争 ( 〓Russo-Turkish 義 ( 〓Pan
War,
1877) が 勃 発 。 バ ル カ ン進 出 を 狙 う ロ シ ア の 汎 ス ラ ブ主
Slavism) に ド イ ツ の 汎 ゲ ル マ ン主 義 (〓Pan
Germanism)
が対 立 す る
な ど、 こ の 地 を め ぐ る ヨ ー ロ ッ パ の 国 際 情 勢 は激 し く緊 張 し た 。1912年 に はバ ル カ ン戦争 ( 〓Balkan
と オ ー ス ト リ ア との 民 族 対 立 か ら サ ラエ ボ 事 件 ( 〓Sarajevo, が 発 生 し て 第1次
世界 大 戦 の誘 因 となっ た。
〓Eastern
Question(
〓p.279図
解2「19世
〓p.285図
解8「
Balkans
第1次
東 方 問題 ) 紀 中 頃 の バ ル カ ン情 勢 」 世 界大 戦 の背 景」
バ ル カ ン諸 国 旧 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 連 邦 諸 国 (〓Yugoslavia)
〓p.328地
∼13年
Wars) が 起 こ っ て バ ル カ ン諸 民 族 が 衝 突 。 セ ル ビ ア
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
。
Assassination
at)
Balkan
Wars(1912∼13,7913)
バル カ ン戦争
第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I) を 引 き 起 こ す 誘 因 と な っ た 、
バ ル カ ン諸 民族 間の領 土紛 争。 < 第1次
>1912年10月
∼13年2月
: バ ル カ ン 同 盟 (〓Balkan
League)
(ギ リ シ ャ 、 セ ル ビ ア 、 ブ ル ガ リ ア 、 モ ン テ ネ グ ロ )が 、 イ タ リ ア (〓Italo-Turkish
War)
で 勢 力 を失 っ た オス マ ン
に 対 し て 行 っ た 戦 争 。 ト ル コ が 敗 れ 、13年5月 of) で 、 マ ケ ド ニ ア (Macedonia)
国
・ ト ル コ戦 争
・ トル コ (〓Ottoman
Empire)
ロ ン ド ン 条 約 (〓London,
、 ト ラ キ ア (Trakiya)
の4カ
Treaty
な ど ヨー ロ ッパ領 の 大半
と ク レ タ (Creta) 島 を 失 っ た 。 < 第2次
>1913年6月
∼8月
: 第1次
バ ル カ ン戦 争 の 領 土 配 分 を め ぐ り、 過 大
に領土 を取 得 した ブル ガ リアに対 す るセル ビア、 ギ リシ ャ、 モ ンテ ネ グロ、 ル ー マ ニ ア お よ び ト ル コ に よ る 戦 争 。 ブ ル ガ リ ア は 大 敗 し 、 ロ シ ア の 斡 旋 で13年8月 ブ カ レ ス ト条 約 (〓Bucharest,
Treaty
、
of) が 結 ば れ て 領 土 の 多 く を 失 い 、 ド イ ツ ・
オ ー ス ト リ ア側 に 接 近 し た 。 〓Balkan
Question(
〓Eastern
バ ル カ ン問題 )
Question(
Baluchistan
東 方 問 題 )
バ ル チ ス タン地 方 西 パ キ ス タ ン (West
Pakistan) 南 西 端 か ら イ ラ ン南 東 端 に か け て
広 が る 高 原 地 帯 。17世 紀 以 来 統 一 さ れ て い た が 、 英 領 イ ン ドに 従 属 す る 過 程 で イ ラ ン との 国 境 が 強 引 に 画 定 さ れ て 二 国 に 引 き裂 か れ た 。1979年 (Iranian Revolution) Bandung
Conference(1955)
バ ン ド ン会 議 1955年4月
ジ ア
・ ア フ
Conference)
リ カ29カ 、AA会
ビ ル マ (〓Burma) ネ ル ー
(〓Nehru,
の イ ラ ン革 命
後 、 自 治 権 の 拡 大 を 求 め る動 き が 盛 ん で あ る 。
、 イ ン ドネ シ ア の バ ン ド ンで 開 催 さ れ た 、 ア
国 首 脳 会 議 。
ア ジ ア
・ ア フ リ カ 会 議 (Afro-Asian
議 と も い う 。 イ ン ド、 セ イ ロ ン (〓Ceylon)
、 イ ン ドネ シ ア 、
、 パ キ ス タ ン 各 首 相 の 提 唱 に よ り 開 催 さ れ 、 イ ン ド初 代 首 相 Pandit
Jawaharlal)
、 イ ン
ドネ シ ア 大 統 領
・
・ ス カ ル ノ
(〓Sukarno, Achmed) 、中 国 首 相 ・周 恩 来 (〓Chou En-lai/Zhou Enlai) が 主 導 。 「世 界 平 和 と 協 力 の 促 進 に 関 す る 宣 言 」を 採 択 し 、 平 和10原 則 を 確 認 した 。
Bangladesh
バ ン グラデ シュ 首 都 ダ ッ カ (Dacca) 。1947年
、 イ ギ リスか らのイ ン ド ・パ キス タ
ン 分 離 独 立 の 際 に 、 パ キ ス タ ン の 一 部 、 東 パ キ ス タ ン (East Pakistan) 州 と し て 独 立 し た 。 しか し、 民 族 的 に 異 な る 西 パ キ ス タ ン (West
Pakistan) が 政 治 的 に も
優 位 を 占 め て い た た め 、 東 パ キ ス タ ン は こ れ に 対 し て 自 治 を 要 求 し続 け た 。52
年 に 結 成 さ れ た 東 パ キ ス タ ン の イ ス ラ ム 教 ブ ル ジ ョ ア 政 党 で あ る ア ワ ミ連 盟 (Awami
League) を 中 心 と して 独 立 運 動 を 展 開 。70年 の 総 選 挙 で は 第1党
ヤ ヒ ア (Yahya
の イ ン ド へ の 難 民 を 生 み 、71年 Pakistan
とな り、
Khan) 大 統 領 の 弾 圧 に対 して は ゲ リ ラ 戦 を 展 開 し た 。 こ れ が 大 量 の 第3次
イ ン ド ・ パ キ ス タ ン 戦 争 (〓India-
War) を 引 き 起 こ し、 そ の 渦 中 で バ ン グ ラ デ シ ュ は 事 実 上 独 立 を 果 た し
た 。 新 首 相 と な っ た ラー マ ン (Rahman,
Mujibur) ア ワ ミ連 盟 総 裁 は 親 イ ン ド路
線 を と っ た が 、大 量 の 難 民 を 抱 え て 経 済 は 低 迷 を続 け た 。75年1月 非 常 事 態 を 宣 言 した が 、8月 い だ が 、82年
か ら9年
続 い た エ ル シ ャ ド(Ershad) 軍 事 政 権 が90年
に よ り崩 壊 し 、 翌 年16年
大 統領 に就 任 、
の クー デタ ーで 暗殺 され た。 以後 、政 権 交 代 が相 次 の民主 化 運 動
ぶ りに イ ギ リ ス 型 の 議 員 内 閣 制 に 復 帰 し た 。
〓India 〓Pakistan 〓p.331地
Bao
図〓 ( 現代 の世 界[国 名 と地 図])
Dai(1911∼97)
バ オ
・ ダ イ
ベ トナ ム 阮 朝 最 後 の 皇 帝 (位1925∼45) 即 位 。 第2次
世 界大 戦 ( 〓World
War
。1925年
、 パ リ留 学 の 途 中 で
II)中 の45年 、 日 本 の 支 持 で フ ラ ン ス か ら
の 独 立 を 宣 言 した 。 し か し 日 本 の 敗 戦 と と も に、 ホ ー ・ チ ・ ミ ン ( 〓Ho Minh) 率 い る ベ トナ ム 民 主 共 和 国 (Democratic 委 譲 し て 退 位 し た 。 香 港 に 亡 命 の 後 、49年 (Republic
of Viet
Nam)
Republic
of Viet Nam)
Chi
に権 力 を
フ ラ ン ス に よ りベ トナ ム 共 和 国
の 元 首 と さ れ た が 、55年 国 民 投 票 に 敗 れ 、 再 び フ ラ ン
ス に亡命 した。 〓Viet
Basque
Nam
country
バ ス ク国 家
ス ペ イ ン と フ ラ ン ス の 国 境 地 帯 、 バ ス ク地 方 に 住 み 独 自 の 文 化 と言 語 を もつ バ ス ク 人 は 、19世 紀 ま で は実 質 的 に 自 治 を 有 し、1930年 ペ イ ン 政 府 よ り 自 治 権 を 認 め ら れ た 。 し か し、36年 ( 〓Spanish
Civil War) で は 、 フ ラ ン コ ( 〓Franco,
る反 対 派 の 一 拠 点 として 、 ゲ ル ニ カ ( 〓Guernica)
代 にはス
か らの ス ペ イ ン 内戦
Francisco) 独 裁 政 権 に 対 す な どで 多 く の 弾 圧 を 受 け た 。
そ の 後 も独 立 の 気 運 が 強 く、59年 に は 独 立 運 動 組 織 「祖 国 と 自 由 (ETA)」を 結 成 し、 79年 自 治 権 を 獲 得 。 さ ら に 完 全 独 立 を 求 め て ス ペ イ ン政 府 に 対 す る 抵 抗 運 動 を 展 開 して い る。 Batista
y Zaldivar,
Fulgencio(1901∼73)
バ テ ィス タ
キ ューバ大 統領 ( 任1940∼44、52∼58) 労 働 者 か ら陸 軍 に 入 り、1940年
。
大 統 領 に 当 選 した が 、 政 治 腐 敗 の た め44年 の 大
統 領 選 に は 敗 れ た 。 の ち52年
、無 血 クー デ ター で再 び大 統 領 とな り、親 米 独 裁
政 権 と し て 恐 怖 政 治 (the Terror) を 行 っ た た め 、 翌 年7月 ( 〓Castro,
に は カ ス トロ
Fidel) 率 い る 左 派 ゲ リ ラ の 反 乱 を 招 い た 。59年1月1日
に 追 わ れ 、73年
亡 命 先 の ス ペ イ ンで 死 去 。
〓Cuba
Battle
of
Austerlitz(1805)
〓Austerlitz,
Battle
of
Battle
of
〓Dien
Battle
of
of
Britain(1940)
〓Britain,
Battle
Battle
Dien
of
Phu(1954)
Phu,
Battle
Battle
of
〓Leyte
Battle
of
〓Marne,
Battle
of
〓Midway
デ ィエ ン ビエ ン フー の戦 い
of
Jena-Auerstedt(1806)
イ エ ナ ・ア ウ エ ル シ ュ タ ッ ト の 戦 い
Battle
Jutland(1916)
〓Jutland,
Battle
Leyte
of
ユ トラ ン ド沖 の 海 戦
of
Gulf(1944)
Gulf,
・オ ブ ・ ブ リ テ ン
of
Bien
Bien
バ トル
〓Jena-Auerstedt,
Battle
ア ウ ステ ル リッツ の戦 い
Battle
Marne(1914)
Battle
Midway
レイ テ湾 の戦 い
of
マ ル ヌの 戦 い
of
Island(1942)
Island,
Battle
of
ミ ッ ドウ ェ ー 海 戦
カ ス トロ 軍
Battle
of
Monte
〓Monte
Battle
of
Cassino(1944)
Cassino,
Battle
of
of
of
of
Stalingrad(1942)
of
of
the
the
〓Falkland
Battle
of
of
タ ンネ ンベ ル ク の戦 い
Battle
the
of
Atlantic(1942∼43)
Battle
of
Falkland
Islands(1914)
Battle
Somme(1916)
Battle
Battle
of
フ ォ ー ク ラ ン ド海 戦
the
ソ ンムの 戦 い
of the
Trafalgar(1805)
〓Trafalgar,
大西 洋 の戦 い
the
Islands,
〓Somme,
Battle
of
Tannenburg(1914)
〓Atlantic,
Battle
ス タ ー リ ン グ ラ ー ドの 戦 い
Battle
〓Tannenburg,
Battle
of
セ ダ ンの戦 い
Battle
〓Stalingrad,
Battle
パ ッセ ンダ ー リの戦 い
Battle
Sedan(1870)
〓Sedan,
Battle
of
Passchendaele(1917)
〓Passchendaele,
Battle
モ ン テ ・カ ッ シ ノ の 戦 い
トラ フ ァル ガ ー 沖 の 海 戦
of
Battle
of
Verdun(1916)
〓Verdun,
Battle
of
Battle
of
Waterloo(1815)
〓Waterloo,
Battle
ベ ル ダ ンの 戦 い
of
ワー テル ロー の戦 い
Battle
of
Ypres(1914,
〓Ypres,
1915,
Battle
1917)
イ ー ペ ル の 戦 い
of
Beijing/Peking
北 京 (ペ キ ン ) 中華 人 民共 和 国 の首 都 で 、 華北 平 原北 西 端。 古 来 、 中 原
蒙古
・内
・ 東 北 を 結 ぶ 要 衝 。 戦 国 時 代 、 燕 (Yen) の 都 と な っ て 以 来 幾 多 の 王 朝 の 都 と
な っ て き た 。 明 代 (Ming) 永 楽 帝 (Yung-le-ti) 与 え ら れ た 。1928年 (Northern
蒋 介 石 (〓Chiang
Expedition)
北 平 (Peiping)
の 頃 、1421年
に北 京 とい う名称 が
Kai-shek/Jiang
Jieshih)
の 完 成 で 南 京 (〓Nanjing/Nanking)
と 呼 ば れ た 。49年
に よ る北 伐
が 首 都 と な る と、
中 華 人 民 共 和 国 (People's
Republic
of
China)
が 成 立 す る と と も に 首 都 に な り 、 北 京 と い う 名 称 に も ど っ た 。 な お 、1980年 よ りBeijingが
英 語 表 記 に よ る 公 式 名 称 と な っ て い る 。Pekingは1949年
代
か ら使
わ れて いた もの。
Belgium
ベ ル ギー 首 都 は ブ リ ュ ッ セ ル (Brussels)
(Flandre)
工 業 と 国 際 商 業 が 栄 え 、15世 ス ペ イ ン
・ ハ プ ス ブ ル ク 家 成 立 (1516)
Republic
of Netherland:
南 部10州
は そ の 後
北 部7州
家 領 となっ た。
と と も に ス ペ イ ン領 とな っ て 激 し い 旧教
は 、 ネ ー デ ル ラ ン ト 連 邦 共 和 国 (Federal
War
Revolution)
of
に 留
ま っ た 。1713年
ス ペ イ ン 継 承 戦 争
the) に よ り オ ー ス ト リ ア 領 に 移 っ た が 、 フ ラ ン
、 ナ ポ レ オ ン 戦 争 (〓Napoleonic
ン ス に 占 領 さ れ 、 ウ ィ ー ン 会 議 (〓Vienna さ れ た 。1830年
紀 頃 か ら毛 織 物
い わ ゆ る オ ラ ン ダ )と し て 独 立 。 現 ベ ル ギ ー に あ た る
も ス ペ イ ン 領
Succession,
ス 革 命 (〓French
と 称 さ れ た 。12世
紀 後 半 に は ハ プ ス ブ ル ク (Habsburg)
支 配 を 受 け た た め 、1581年
(〓Spanish
。 中 世 か ら近 世 に か け て は フ ラ ン ドル
ま た は ネ ー デ ル ラ ン ト (Nederland)
、 フ ラ ン ス の7月
革 命 (〓July
Congress)
Wars)
の 結果 、 オ ラ ン ダ に併 合
Revolution)
の影 響 の も と ブ リュ ッ
セ ル で 反 乱 を 開 始 、 独 立 を 宣 言 し た 。 翌 年 、 ロ ン ド ン 条 約 (〓London, of) で 独 立 が 承 認 さ れ 、39年
永 世 中 立 国 (permanently
で は フ ラ
neutral
Treaty
state) と な る 。 独
立 後 は 工 業 が 発 達 、 労 働 運 動 も起 こ り、1913年
に は普 通選 挙 が 実施 され た。 ま
た ア フ リ カ で は 自 治 領 と して コ ン ゴ (〓Congo)
を獲 得。 両 大 戦 で は ドイ ツの 侵
略 を 受 け 、 中 立 を 侵 害 さ れ た 。 そ の 後 ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 (EC: Community) 〓p.328地 Benelux
図〓 ( 現 代 の世 界[国名 と地図])
countries
ベ ネ ル クス諸 国 ベ ルギ ー
ブ ル ク (Luxemburg)
(Belgium)
、 オ ラ ン ダ (Netherlands)
Economic
、 ル クセ ン
三 国 の 総 称 。 三 国 の 頭 文 字 を と っ た も の で 、1947年
盟 を 結 ん で 相 互 経 済 協 力 を 推 進 し 、 ヨ ー ロ ッ パ 経 済 共 同 体 (EEC:
Bengal
〓European
の 中 核 的 存 在 とな っ た 。
Community)
関 税 同
〓European
形 成 の 誘 い水 とな っ た 。
ベ ンガル 地 方 イ ン ド北 東 部 、 ガ ン ジ ス (Ganges)
川 と ブ ラ フ マ プ ト ラ (Brahmaputra)
川 の 下 流 域 に 広 が る デ ル タ 地 帯 で 、 イ ン ドで 最 も 豊 沃 な 地 域 。1765年 ギ リ ス 東 イ ン ド会 社 (〓East ン ド 帝 国 (Indian
Empire)
India
Jeremy(1748∼1832)
on
greatest
Government)
happiness
(utilitarianism)
of
以 降 、 イ
建 国 の英 領 イ
の イ ン ド独 立 の 際 、 イ ン
現 バ ン グ ラ デ シ ュ )と に 分 割 さ れ た 。
ベ ンサ ム
イ ギ Fragment
領 と な っ た 。1877年
の 一 州 で あ っ た が 、1947年
ド と 東 パ キ ス タ ン (East Pakistan:
Bentham,
Company)
リス の 哲 学 者
・ 法 学 者 。1776年
『政 府 論 断 片 (A
』に お い て 、 人 生 の 目 標 は 「最 大 多 数 の 最 大 幸 福 (the the
greatest
number)
」の 実 現 に あ る と い う 功 利 主 義
の 哲 学 を 展 開 。 民 主 的 急 進 派 の 指 導 者 と さ れ 、1832年
の 第1回
選 挙 法 改 正 に 尽 力 した が 成 立 の 数 日 前 に 没 し た 。
Beria,
Lavrenti
Pavlovich(1899∼1953)
ベ リヤ
ソ 連 の 政 治 家 で 、 ス タ ー リ ン (〓Stalin, Vissarionovich)
時 代 の 大 粛 清 (〓Great
ス タ ー リ ン の 死 後 第1副
Purges)
Josef
の 組 織 者 の ひ と り。1953年3月
、
首 相 と な っ て 集 団 指 導 に 参 加 し た が 、6月
突 然 逮捕 、 銃
殺 さ れ た と さ れ て い る 。 こ れ を 機 に 内 務 省 機 構 は 削 減 さ れ 、KGB(
国 家保 安 委 員
会 )に 改 組 さ れ た 。
Berlin
ベ ル リン 1244年
ン (〓Prussia) Empire)
ドイ ツ 人 の 東 方 植 民 に よ っ て 建 設 さ れ 、1701年
王 国 の 首 都 と し て 栄 え た 。1871年
の 成 立 に と も な って 首 都 と な る。 第2次
か ら プ ロイ セ
、 ド イ ツ 帝 国 (〓German
世界 大 戦 ( 〓World
War
II)後 、
ドイ ツ の 敗 戦 に と も な い ア メ リ カ ・イ ギ リ ス ・フ ラ ン ス ・ソ連 の共 同 管 理 下 に お か れ 、1948年6月
の ソ連 に よ る ベ ル リ ン 封 鎖 以 降 、 東 西 対 立 の 焦 点 と な っ た 。
61年 に は東 西 ベ ル リ ン を 隔 て る 「ベ ル リ ン の 壁 (Berlin Wall) 」が 造 られ た 。89年 の 東 欧 民 主 化 の 動 き の な か 、11月9日 「壁 」が 崩 壊 、 翌90年10月 一 に よ って 、 ベ ル リ ン は 再 び統 一 ドイ ツ の 首 都 とな っ た 。
の 東 西 ドイ ツ 統
〓Germany
Berlin-Baghdad
Railway
ベ ル リ ン ・バ グ ダ ー ド 鉄 道 第1次
に よ っ て ベ ル リ ン (Berlin)-ビ 連 結 し 、 こ れ ら3都
世 界 大 戦 (〓World
War
ザ ン チ ウ ム (Byzantium)-バ
市 の 頭 文 字 を と っ た3B政
I) 前 、 ド イ ツ は 鉄 道 グ ダ ー ド (Baghdad)
策 (〓3-B
Policy)
を
を 推進 しよ う と
し た 。 しか し 、 資 本 不 足 と難 工 事 の た め 鉄 道 は 未 完 成 に 終 わ る。
Berlin,
Congress
of(1878)
ベ ル リ ン会 議 1878年6月
von)
、 ドイ ツ
・ ビ ス マ ル ク (〓Bismarck,
首 相 の 招 請 に よ っ て 開 か れ た 国 際 会 議 。 同 年3月
Turkish
War)
の講和 条約 で あ るサ ン
Otto
に 露 土 戦 争 (〓Russo-
・ ス テ フ ァ ノ 条 約 (〓San
Stefano,
Treaty
of) が 結 ば れ る と 、 ロ シ ア の 東 地 中 海 及 び バ ル カ ン 方 面 へ の 南 下 進 出 に 対 し 、 イ ギ リ ス ・ オ ー ス ト リ ア が 強 く 反 対 し て 国 際 危 機 を 招 い た 。6月 れ を 調 停 す る た め ベ ル リ ン 会 議 を 開 催 、7月 オ ー ス トリ ア は ボ ス ニ ア
・ ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ (〓Bosnia
権 を 獲 得 し 、 セ ル ビ ア (〓Serbia)
、 ビ スマ ル ク は こ
に条 約 を成 立 させ た。これ に よ って、 and
Herzegovina)
、 モ ン テ ネ グ ロ (Montenegro)
の行 政
、 ルー マ ニ アが
独 立 。 ブ ル ガ リ ア は トル コ支 配 下 の 自 治 国 とな り、 結 局 ロ シ ア の 南 下 は 阻 止 され た 。 〓Balkan
Question(
〓Eastern
Berlin,
バ ル カ ン問 題)
Question(
Treaty
of(1878,
東 方 問題 )
1926)
ベ ル リ ン条 約
(1)1878年
:ベ ル リ ン 会 議 (〓Berlin,
Congress
of) の 結 果 、
締 結 され た条 約 。 (2)1926年 (〓World
: ド イ ツ と ソ連 の 間 に 結 ば れ た 友 好 War
際 的 に 孤 立 させ られ た 両 国 が 、 協 力 して イ ギ リス 条 約 は1941年
Bevan,
・ 中 立 条 約 。 第1次
I) 後 の ベ ル サ イ ユ 条 約 (〓Versailles,
ヒ ト ラ ー (〓Hitler,
Aneurin(1897∼1960)
Adolf)
Treaty
世 界 大 戦
of) な ど に よ っ て 国
・ フ ラ ン ス 側 諸 国 に 対 抗 した 。
に よ る ソ ビ エ ト攻 撃 で 失 効 し た 。
べ バ ン
イ ギ リ ス 労 働 党 (〓Labour
Party)
左 派 の 政 治 家 。1929年
議 員
と な り、 人 民 戦 線 運 動 (〓Popular War
Front) を 推 進 。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
II)後 は 保 健 相 と し て 国 民 診 療 制 度 導 入 、 公 共 住 宅 の 建 設 に 尽 力 。 閣 僚 辞 任
後 、 ベ バ ニ ズ ム と い わ れ る党 内 左 派 の 中 心 と な っ た 。 Beveridge
Report(1942)
ビバ レ ッ ジ 報 告 書 正 式 に は 「社 会 保 険 及 び 関 連 サ ー ビ ス に 関 す る 報 告 (Report
on
Social
Insurance
ル (〓Churchill, William
and Sir
Henry)
Allied
Services)
Winston)
」。 イ ギ リ ス で1942年11月
、 チ ャー チ
首 相 に 提 出 さ れ た 。 ビ バ レ ッ ジ (〓Beveridge,
は この報 告書 の提 出機 関 の委 員長 の名 。 社 会保 障 の 基本 計 画 が
明 ら か に され て い る 。 後 に ア ト リ ー
(〓Attlee,
受 け て 、 国 民 保 険 サ ー ビ ス 法 (〓National
Clement
Health
Service
Richard)
内 閣 が これ を
Act) を46年
に制 定 し
た。
Beveridge,
William
Henry(1879∼1963)
ビバ レッジ
イ ギ リス で1941年6月
に 創 設 され た 「 社 会 保険 及 び 関
連 サ ー ビ ス 各 省 連 絡 委 員 会 」の 委 員 長 。 こ の 会 の報 告 書 ( 〓Beveridge
Report) に
彼 の 名が 冠 された 。経 済 学者 。 Biafran
Civil War(1967∼70)
ビア フ ラ内 戦 ア フ リカ西 部 の ナ イ ジ ェ リアで 部族 間 に起 こ った 内戦 。
1960年
に イ ギ リ ス か ら 連 邦 国 家 と して 独 立 し た ナ イ ジ ェ リア は 、 豊 富 に 産 出 す
る 石 油 な どで 潤 っ て い た。 しか し、 部 族 間 の 対 立 が 表 面 化 。67年
の連邦案で石
油 産 地 を 失 う こ と に な っ た 東 部 イ ボ 族 (Ibo)が 、 ビ ア フ ラ 共 和 国 (Republic
of
Biafra) と して 分 離 独 立 を 宣 言 、 内 乱 に 突 入 し た 。 イ ギ リ ス ・ 旧 ソ 連 が 政 府 を 援 助 し 、 ビ ア フ ラ軍 は 壊 滅 した 。 Bikini
ビ キニ環 礁 西 太 平 洋 の ミ ク ロ ネ シ ア (Micronesia) 東 部 、 マ ー シ ャ ル (Marshall) 諸
島 北 西 部 の 環 礁 。1946年
、 ア メ リカ の 原 爆 実 験 が 行 わ れ 、54年
に は水爆 実験 で
日 本 の 漁 船 「福 龍 丸 」が 被 爆 す る 事 件 が 起 き て い る。 Bin
Laden,
Osama(1957?58∼)
オ サ マ ・ビ ン ・ラ デ ィ ン
サ ウジ ア ラ ビ アの大 富 豪 出身 で イ ス ラム原 理 主義 ( 急 進派 ) の 指 導 者 。2001年9月11日 (〓Al-Qaeda)
の ア メ リカ 同 時 多 発 テ ロ事 件 を導 い た アル カ イ ダ
の最 高 首 謀 者 と み られ 、09年
フガ ニ ス タ ン ( 〓Afghanistan) を受 け て い る。
現 在 、 そ の 足 取 り は 不 明 で あ る。 ア
周 辺 に潜 伏 して い る と も い わ れ 、 ア メ リカ の 追 及
Bismarck,
Otto
von(1815∼98)
ビ スマ ル ク
ド イ ツ 統 一 (German 交 官 を 歴 任 。1862年
unification)
、 プ ロ イ セ ン (〓Prussia)
を 推 進 し た政 治 家 。 外
首 相兼 外 相 とな るや 軍備 拡 張 を強
行 。 「 ド イ ツ の 統 一 は 鉄 と 血 を も っ て 解 決 す べ き だ 」と 演 説 し 鉄 血 政 策 (〓Blood and
Iron) で ド イ ツ 統 一 を 図 っ た 。67年
て 北
ド イ
ツ 連 邦 (North
(〓Franco-Prussian Empire)
War)
普 墺 戦 争 (〓Austro-Prussian Confederation)
War)
を 組 織 。 続
で も 勝 利 を 収 め 、1871年
に勝 っ
く 普 仏 戦 争
ド イ ツ 帝 国 (〓German
を 建 国 。 初 代 首 相 と し て 皇 帝 ウ ィ ル ヘ ル ム1世
以 後20年 73年
German
(〓Wilhelm
I) の
下で 、
間 に わ た り内政 外 交 に活 躍 した。 外 交 で は フ ラ ンス の 孤 立 を狙 っ て、
三 帝 同 盟 (〓Three
Alliance)
、82年
Emperors'
三 国 同 盟 (〓Triple
ン 会 議 (〓Berlin,
Congress
League) Alliance)
、79年
独 墺 二 国
同 盟 (〓Dual
な ど つ ぎ つ ぎ に 締 結 。78年
of) に お い て は 「忠 実 な 仲 介 人 (honest
broker)
ベ ル リ 」と し
て 国 際 緊 張 の 緩 和 に 努 め 、 ビ ス マ ル ク体 制 と呼 ば れ る 同 盟 外 交 を 展 開 した 。一 方 、 国 内 で は71年
か ら80年
(〓Kulturkampf)
鎮 圧 法 (Anti-socialist ム2世
Black
に か け て カ ト リ ッ ク教 会 を 抑 え る た め の 文 化 闘 争
を 展 開 し た 。 ま た 、 社 会 政 策 を 実 施 し な が ら78年
(〓Wilhelm
Law)
を 成 立 さ せ た が 、 い ず れ も 失 敗 。90年
社 会 主 義 者 に ウィ ルヘ ル
II)の 帝 国 主 義 と 衝 突 し て 辞 任 し た 。
Sea 黒 海 ヨー ロ ッパ と小 ア ジ ア ( 〓Asia の 間 に 位 置 す る 、 地 中 海 (Mediterranean
Minor:
ア ジ ア 西 部 の 現 トル コ 周 辺 )
Sea) の 付 属 海 。 北 部 に ク リ ム (Crim)
半 島 が 突 出 し て ア ゾ フ (Azov) 海 を 分 け 、 南 西 は ボ ス ポ ラ ス (Bosporus) 海 峡 に よ っ て マ ル マ ラ (Marmara) 海 に 通 じ 、 さ ら に ダ ー ダ ネ ル ス ( 〓Dardanelles) を 経 て 地 中 海 に 連 な る。 前8世
海峡
紀 頃 か ら沿 岸 に ギ リ シ ャ 人 植 民 市 が 建 設 さ れ 、
ロ ー マ 領 、 ビ ザ ン チ ン帝 国 (Byzantine
Empire) 領 を 経 て15世 紀 か ら トル コ領 と
な り、 ロ シ ア の 南 下 進 出 に と も な っ て ロ シ ア ・トル コ 及 び 列 国 間 の 戦 場 と な っ た 。
Blood
〓p.279図
解2「19世
〓p.328地
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
and
Iron
紀 中頃 の バ ル カ ン情 勢 」
鉄血 政 策 1862年
(〓Bismarck,
Otto
プ ロ イ セ ン (〓Prussia)
首 相
とな っ た ビ ス マ ル ク
von) が 、 ドイ ツ 統 一 の た め に 行 っ た 軍 備 拡 張 ・対 外 強 硬 政 策 。
議 会 で 「ド イ ツ の 統 一 は 血 と 鉄 を も っ て 解 決 さ れ る べ き で あ る (are questions る。
of the
day
decided
by
blood
and
the
great
iron.) 」と 演 説 し た こ と に 因 ん で い
Blum,
L〓on(1872∼1950)
レ オ ン ・ブ ル ム
フ ラ ン ス の 政 治 家 。1894年 を 機 に 、 社 会 主 義 者 ジ ョ レ ス (Jaures, に 入 党 。25年
間 党 首 を 務 め た 。36年
に 接 近 、1902年
Front) の 首 相 と
・ イ ギ リ ス の 反 対 で 行 き づ ま っ た 。 ス ペ イ ン 内 戦 (〓Spanish
世 界 大 戦 (〓World
War
Civil
War)
・ に
与 党 か ら も攻 撃 さ れ て 退 陣 し た 。 第
II)中 、 仮 政 府 が お か れ た ビ シ ー
の 地 に 捕 ら え ら れ 、 戦 後 、 第4共
Affair)
と も に社 会 党
政 策 を 進 め よ う と し た が 、 国 内 大 資本
不 干 渉 政 策 を と っ て 共 産 党 と も 対 立 、37年 2次
Leon)
、 人 民 戦 線 内 閣 (〓Popular
な り 、 内 外 に 反 フ ァ シ ズ ム (〓fascism) 右翼
ド レ フ ュ ス 事 件 (〓Dreyfus
Jean
和 政 (Fourth
Republic:
(〓Vichy
〓Fnench
France) Republic)
までの 臨時 内閣首 席 を務 め た。
Boer
Wars(1880∼81,
1899∼1902) ブ ー ル 戦 争 19世 紀 末 、 二 度 に わ た っ て 行 わ れ た イ ギ リス に よ る 南 ア フ リ カへ
の 侵 略 戦 争 。 南 ア 戦 争 (〓South < 第1次
>1880年
( 〓Transvaal 77年
∼81年
African
:1868年
War) 、 ブ ー ア 戦 争 と も い う。
、 南 ア フ リ カ の トラ ン ス バ ー ル 共 和 国
Republic) が デ ラ ゴ ア (Delagoa) 湾 に 進 出 を 試 み た こ と に 対 し、
イ ギ リ ス が 逆 に ト ラ ン ス バ ー ル を 併 合 。 これ に 怒 っ た 同 国 の ブ ー ル 人 は 、
80年10月
蜂 起 し て イ ギ リ ス と戦 い 、 独 立 を 回 復 し た 。
< 第2次
>1899年
由国( 〓Orange
∼1902年 Free
:南 ア フ リカ の トラ ン ス バ ー ル 共 和 国 と オ レ ン ジ 自
State)に 対 し て 、99年10月
に イ ギ リスが 起 こ した帝国 主 義
的 侵 略 戦 争 。 イ ギ リス は 両 国 の ダ イ ヤ モ ン ド ・金 を 狙 っ て 出 兵 し た が 、 予 想 以 上 に 長 期 化 し損 害 も大 き か っ た 。1902年5月 1910年
南 ア フ リカ 連 邦 (Union of South
〓South
Africa
〓p.283図 Bohemia
、 両 国 は 敗 れ て イ ギ リス に 併 合 さ れ 、 Africa) の 一 州 と な っ た 。
解6「 ア フ リカ の分割 」
ボ ヘ ミア チ ェ コ の 西 部 地 方 。5世
紀 に ス ラ ブ 系 チ ェ ク 人 (Czech) が 移 住 し、
10世 紀 に 王 国 と称 し た が 、 ドイ ツ 人 農 民 が 増 加 し ドイ ツ 化 が 進 ん だ 。 チ ェ ク 人 の 民 族 意 識 も 高 ま っ て フ ス 戦 争 (Hussite Wars) が 起 こ っ た が 、16世
紀 か らハ プ
ス ブ ル ク (Habsburg) 家 支 配 下 の オ ー ス ト リア 領 と な る 。 ドイ ツ 国 内 の 宗 教 紛 争 に 端 を 発 し 全 欧 に波 及 し た 、1618年
か らの30年
戦 争 (Thirty Years
地 に も な っ た 。 以 後 も民 族 運 動 は 根 強 く続 き、1918年 が誕 生 した。 〓Czechoslovakia
War) の 発 火
チ ェ コ ス ロバ キア共 和 国
Bohemia
and
Moravia,
Protectorate
of
ボ ヘ ミア
・モ ラ ビ ア 保 護 領
チ ェ コ ス ロバ キア 共 和 国 の 一 部 だ っ た が 、1938年 War
ド イ ツ の 保 護 領 と な る。45年
、 第2次
世 界 大 戦 (〓World
II)の ドイ ツ 敗 北 に よ り、 チ ェ コ ス ロ バ キ ア に 復 帰 。 現 在 は チ ェ コ共 和 国 領
域。 Bolivia
ボ リビア 南 ア メ リ カ 中 央 部 の 内 陸 国 。1825年
Simon)
、 シモ ン
・ ボ リ バ ル (Bolivar,
の 指 導 に よ り ス ペ イ ン か ら 独 立 。 首 都 ラ パ ス (La Paz) 。
〓p.334地
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
Bolsheviks
ボ リシ エビキ 多 数 派 の 意 。 ロ シ ア の 革 命 的 社 会 民 主 主 義 者 の こ と。 ロ シ ア 社 会 民
主 労 働 党 (Russian Vladimir
Social
Democratic
Ilyich) 派 で 、1903年
組 織 を 主 張 し た 。17年 (February
Revolution)
Workers'
、労 働 者
Party) 内 の レ ー ニ ン (〓Lenin,
・農 民 を 基 礎 と す る 厳 格 な 革 命 的 前 衛 的
、 ロ シ ア 革 命 (〓Russian
Revolution)
に お け る2月
革 命
の 後 は 、 社 会 主 義 革 命 と プ ロ レ タ リ ア 独 裁 を 提 起 し 、11
月 に は 武 装 蜂 起 に 成 功 、 ソ ビ エ ト 政 権 を 樹 立 し た 。 翌18年
、 国 会 選 挙 で 第2党
と な る と 、 政 策 遂 行 の 妨 げ に な る と し て 国 会 を 解 散 、 共 産 党 (Communist Party)
と改 称 して 独 裁 体 制 を確 立 した 。
〓Mensheviks(
Bosnia
and
メ ン シェ ビ キ)
Herzegovina
ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ 19世
紀 後 半 か ら トル コ
・ オ ー ス ト リア 間 の 抗 争
の 焦 点 と な っ た 、 旧 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 中 西 部 に 位 置 す る 地 域 。 ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ に は ス ラ ブ 系 セ ル ビ ア 人 (Serbs) や ク ロ ア チ ア 人 (Croatian) 紀 以 来 オ ス マ ン ・ ト ル コ (〓Ottoman
Empire)
対 し て 民 族 の 反 乱 が 多 発 し た こ と を 理 由 に 、1878年 Congress
of) で オ ー ス ト リ ア
に 行 政 権 が 与 え ら れ た 。1908年 セ ル ビ ア の 反 オ ー ス Crisis) 。14年 Assassination
ベ ル リ ン 会 議 (〓Berlin,
・ ハ ン ガ リ ー 帝 国 (〓Austro-Hungarian
Empire,)
、 オ ー ス ト リア は両 州 の 合併 を 強 行 した た め、
ト リ ア 運 動 が 高 ま っ て 国 際 緊 張 を 招 い た (〓Bosnian
に は オ ー ス ト リ ア の 皇 太 子 が 暗 殺 さ れ る サ ラ エ ボ 事 件 (〓Sarajevo, at)が 発 生 。 こ れ に よ っ て 第1次
世 界 大 戦 (〓World
じ ま っ た 。 戦 後 、 セ ル ブ ・ ク ロ ア ー ト ・ ス ロ ベ ー ン (Serb 領 土 と さ れ 、48年 と も に92年
が 住 み 、15世
の 支 配 下 に お か れ て い た 。 これ に
ユ ー ゴ ス ラ ビ ア領
、 ボ ス ニ ア
Croat
War Slovene)
I) が は 王 国 の
とな る。 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 連 邦 が 解 体 す る と
・ ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ 共 和 国 と して 独 立 し た 。 しか し セ ル ビ
ア 人 、 政 府 モ ス リ ム 人 、 ク ロ ア チ ア 人 の3勢
力 の 内 戦 に 加 え て 、NATO軍
の セ
ル ビ ア 空 爆 な ど も あ り 、95年 〓Balkan
Question(
〓Eastern
Question(
の デ イ トン合 意 ま で 混 戦 が 続 い た 。
バ ル カ ン問題 ) 東方 問題 )
〓Yugoslavia 〓P.279図
解2「19世
〓p.328地
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Bosnian
Crisis
紀 中 頃の バ ル カ ン情 勢」
ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ 併 合 問 題 1908年
、 オ ー ス ト リ ア が トル コ領 ボ ス ニ ア ・ ヘ ル ツ ェ ゴ ビ
ナ を 併 合 し た こ と に よ っ て 引 き起 こ され た 国 際 問 題 。 オ ー ス ト リ ア とセ ル ビ ア の 民 族 対 立 が 起 こ り、 第1次 〓Bosnia Boxer
and
世界 大 戦 ( 〓World
War
I)の 誘 因 と な っ た 。
Herzegovina
Rising(1900∼01)
義 和 団事 件
中 国華 北 部で 起 こった 反帝 国主義 の民衆 運 動。 中心 勢 力 とな っ た 義 和 団 は 、 挙 法 (Boxing) の 修 得 を 基 本 とす る 義 和 挙 教 の 秘 密 結 社 。1899年 東 省 (Shandong)
山
で 起 こ っ た 反 国 外 人 ・反 キ リス ト教 暴 動 に端 を 発 して 拡 大 した 。
外 国 人 勢 力 を 一 掃 し よ う との 排 外 運 動 だ っ た た め 、 清 朝 (Qing を支 援 して 対 外 宣 戦 を布 告 。 日本 ・ ドイ ツ な ど列 強8カ
dynasty) は こ れ
国 の連合 軍 に よっ て鎮 圧
され た。 Brest-Litovsk,
Treaty
of(1918)
ブ レ ス ト ・リ トフ ス ク 条 約
第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I)中 の1918年3月
、
ドイ ツ 、 オ ー ス ト リ ア と ソ連 と の 間 で 結 ば れ た 単 独 講 和 条 約 。 ソ ビ エ トは 戦 争 中 止 を 望 ん で い た た め 、 ポ ー ラ ン ド ・ウ ク ラ イ ナ ・フ ィ ン ラ ン ドの 独 立 承 認 な ど過 大 な 譲 歩 を して 調 印 。 条 約 内 容 は 同 年 末 の ドイ ツ 敗 北 に よ り無 効 と な っ た 。 Bretton
Woods
Agreement(1944)
ブ レ ト ン ・ウ ッ ズ 協 定 1944年
ア メ リカの ブ レ トン
際 経 済 の 安 定 を 図 る た め の 協 定 。44カ 〓International Bank
Monetary
for Reconstruction
Brezhnev,
Leonid
Fund) and
Ilyich(1906∼82)
・ウ ッズ で結 ばれ た 、 国
国 の 代 表 に よ っ て 国 際 通 貨 基 金 (IMF:
と 国 際 復 興 開 発 銀 行 (IBRD:
Development)
〓International
の 設 置 が 決 定 され た 。
ブ レジ ネ フ
ソ 連 の 政 治 家 。 共 産 党 書 記 長 (任1964∼82) 界 大 戦 (〓World 1964年10月
War
II)後 、 州 党 委 員 会 第1書
、 フ ル シ チ ョ フ 首 相 (〓Khrushchev,
記
。 第2次
世
・党 中 央委 員会 書 記 を経 て、 Nikita
Sergeyevich)
解 任 の あ
と、 党 第1書
記 と な る (66年 書 記 長 に 改 称 )。77年6月
長 (President
of the
Nikolayevich)
Presidium)
、 ソ連 最 高 会 議 幹 部 会 議
を 兼 任 。 コ ス イ ギ ン (〓Kosygin,
Alexei
首 相 と と も に 集 団 指 導 体 制 を と り、 平 和 共 存 体 制 、 社 会 主 義 諸 国
へ の 指 導 性 を強 化 、 国 際 政 治 に お け る指 導 権 確 保 な ど諸 方 面 で 活 躍 し た 。 在 職 の ま ま死 亡 。 Briand,
Aristide(1862∼1932)
ブ リア ン
フ ラ ン ス の 政 治 家 で 社 会 主 義 者 。1909年 相11回
、 外 相10回
Treaties
を 歴 任 。 平 和 外 交 を 唱 え、 ロ カ ル
of)、 パ リ 不 戦 条 約 (〓Kellogg-Briand
1926年
ノ ー ベ ル 平 和 賞 (Nobel
Britain
正 式 名 称 は グ レー of Great
(London)
ノ 条 約 (〓Locarno,
な ど の 成 立 に努 力
し、
Prize) を 受 賞 。
1154)
and
Northern
Ireland)
。 立 憲君 主 制 。 首都 ロ ン ドン
。 紀 元 前 に は ケ ル ト人 (Celts) が 移 住 し て い た が 、 後1世 紀 に は ア ン グ ロ
紀 に は エ グバ ー
1066年
ト ・ ブ リ テ ン 及 び 北 ア イ ル ラ ン ド 連 合 王 国 (United
Britain
の 属 州 と な っ た 。5世
ト (Egbert)
ノ ル マ ン 人 (Normans)
ト (Stuart:
に よ り 征 服 さ れ 、 ノ ル マ ン (Norman:
Revolution:
〓English
政 復 古 (〓Restoration) 〓English
Revolution)
1714∼1901)
Church)
1603∼1714)
が 定 住 し、
王 の も と で イ ン グ ラ ン ド王 国 が 建 て ら れ た 。
朝 が 開 か れ た 。 プ ラ ン タ ジ ネ ッ ト (Plantagenet:
ギ リ ス 国 教 会 (〓Anglican
紀 に は ロー マ
・ サ ク ソ ン 人 (Anglo-Saxons)
に は 中 央 集 権 化 が 進 め られ 、 チ ュ ー ダ ー
ア ー
にか けて首
イギ リス
Kingdom
9世
Peace
Pact)
∼29年
朝
Revolution)
(Tudor:
1154∼1399)
1485∼1603)
1066∼ 朝 の 後 期
朝 の時 代 に は イ
の 成 立 と と も に絶 対 王 政 を 確 立 し た 。 ス チ ュ 初
期
に
は
ピ ュ
ー
リ タ
ン 革
命 (Puritan
に よ っ て 共 和 政 が 成 立 し た が 、1660年
と な る 。1688年
の 名 誉 革 命 (Glorious
に王
Revolution:
を 経 て 議 会 政 治 が 確 立 し た。 ハ ノ ー バ ー
(Hanover:
朝 の 時 代 に は、議 院 にお け る多数 派 政 党 の党 首 が 責 任 を も って 内
閣 を 組 織 す る 、 責 任 内 閣 制 (parliamentary の 拡 大 や 産 業 革 命 (〓Industrial
Revolution)
cabinet
system)
が 成 立 。 海外 植 民 地
、 自由主 義 的 改革 に よ って政 界 に冠
た る地 位 を築 いた 。両 大 戦後 は植 民地 の独 立 、 ア メ リカの 成長 の前 に、 か つて の 大 英 帝 国 (〓British 働 党 (〓Labour 〓p.328地
Britain,
Battle
Empire)
Party)
の 地 位 を 失 い 、 保 守 党 (〓Conservative
Party) 、 労
を 中 心 に 、 福 祉 国 家 へ の 道 を 歩 ん で い る。
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
of(1940) 第2次
バ トル ・オ ブ ・ブ リ テ ン 世 界 大戦 ( 〓World
War
II)初 期 の1940年8月
に行 わ れ
た 、 ドイ ツ とイ ギ リス の 空 中 攻 防 戦 。 ドイ ツ は成 果 の な い ま ま 作 戦 を 放 棄 。
British
Commonwealth
イギ リス連邦 イ ギ リス国 王 を統 合 の象 徴 と し、 イ ギ リス を 中心 に対 等 の
立 場 で 結 び つ い た 独 立 諸 国 及 び 諸 属 領 の 連 合 体 。 第1次
世 界 大戦 ( 〓World
War
I)後 、 独 立 傾 向 の 強 ま っ た 自 治 領 の 動 き に 対 し、 大 英 帝 国 (〓British
Empire)
に 代 わ っ て 用 い ら れ る よ うに な っ た 呼 称 で 、 主 従 関 係 は な い。1931年
、 ウェス
ト ミ ン ス ター 憲 章 ( 〓Westminster,
の 時点 で
Statute
of)に よ り成 文 化 。2009年
53カ 国 が 加 盟 して い る 。
British
Empire
大英 帝 国 イ ギ リ ス本 国 及 び 海 外 植 民 地 を含 め た 領 域 の 呼 称 。1756年
ら の7年
戦 争 ( 〓Seven
形 成 し た が 、1776年
Years
War) で フ ラ ン ス との 抗 争 に 勝 っ て 第1次
ア メ リカ の 独 立 で そ の 一 角 が 崩 れ た 。 後 に 、19世 紀 後 半 イ
ン ド支 配 の 完 成 に よ っ て 、 こ れ を 中 心 と す る 第2次
帝 国 が 成 立 。 しか し、1931
年 に成分 化 され た ウ ェス トミン スタ ー憲章 ( 〓Westminster, ギ リ ス連 邦 ( 〓British Brumaire,
Coup
d'〓tat
Commonwealth) of(1799)
ブ リ ュ メ ー ル18日
1799年11月9日
執 政 政 府 (〓Consulate)
Treaty
of(1948)
countries:
の クー デ ター
、 ナ ポ レ オ ン1世
(〓Napoleon
政 (First Consul)
は 旧 暦 で11月9日
、 イ ギ リス 、 フ ラ ン ス及 び ベ ネ ル ク ス 三 国
ベ ル ギ ー 、 オ ラ ン ダ 、 ル ク セ ン ブ ル ク )に よ っ て ブ リ ュ ッ
タ リア を加 盟 国 に加 え、 ア メ リカ 〓Western
Bucharest,
Treaty
European
of(1918)
・ カ ナ ダ を 連携
Union)
、 西 ドイ ツ
・ イ
国 と して西 ヨー ロ ッパ 連 合
が 成 立 、55年5月
に 正 式 発 足 した 。
ブ カ レ ス ト条 約
1918年8月 Wars)
とな って 軍 事独
に あ た る。
セ ル で 調 印 さ れ た 相 互 援 助 同 盟 条 約 。 こ れ を も と に 、54年11月
(WEU:
I)
ブ リ ュ ッ セ ル 条 約 (西 ヨ ー ロ ッ パ 連 合 条 約 )
1948年3月 (Benelux
of)以 降 、 イ
が 倒 さ れ た 事 件 の こ と。 ナ ポ レ オ ン は
を 樹 立 し 、 自 ら 第1執
裁 を 開 始 し た 。 ブ リ ュ メ ー ル18日
Statute
と呼 ばれ る よ うに な った。
に よ っ て フ ラ ン ス 総 裁 政 府 (〓Directory)
Brussels,
か
帝国 を
に 結 ば れ た 、 第2次
バ ル カ ン 戦 争 (〓Balkan
終 結 の 条 約 。 ブ ル ガ リ ア は 領 土 の 多 くを 失 い 、 ドイ ツ
・オ ー ス ト リ ア に 接
近 した 。
Bulganin,
Nikolai
Alexandrovich(1895∼1975)
ブル ガ ーニ ン ソ 連 の 政 治 家 。1955年
(〓Malenkov,
Georgi
Maksinlilianovich)
の後 を受 け て首相
、 マ
レ ン コ フ
とな り、 ジ ュ ネ ー
ブ4巨
頭 会 談 (〓Summit
Bulgaria
Meeting)
に 出 席 。58年
ブル ガ リア 東 ヨ ー ロ ッ パ 南 部 、 ド ナ ウ (Donau)
に 臨 む 。 首 都 ソ フ ィ ア (Sofiya) 。679年
Empire)
に 併 合 さ れ た 。1185年
トル コ (〓Ottoman
Empire)
露 土 戦 争 (〓Russo-Turkish Congress
of) で
(〓Young
Turk
紀 末 か ら は オス マ ン
世 界 大 戦 (〓World
界 大 戦 (〓World
War
の 結 果 、1878年
ベ ル
トル コ 党 革 命
で トル コ の 専 制 支 配 が 終 わ っ た の を 機 に 、 完 全 独 立
War
Wars)
以 後 、 ドイ ツ 、 オ ー ス ト リア に 接 近
I) で は 同 盟 側 (ド イ ツ 側 )に つ き 、 第2次
II)で も 枢 軸 国 (〓Axis:
再 び 共 和 国 と な り、 さ ら に 同 年12月
た 。2007年
、 欧 州 連 合 (EU:
〓p.328地
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Burma
リ ン 会 議 (〓Berlin, 、 青 年
ドイ ツ
〓European
世
・ イ タ リ ア 側 )に つ い た 。
、 ソ 連 軍 侵 入 と 同 時 に 社 会 主 義 政 権 が 成 立 、46年
90年10月
・
紀 末 に 独 立 運 動 を起 こ し、
ト ル コ 主 権 下 の 自 治 国 と な っ た 。1908年 Revolution)
半
紀 初 頭 ビ ザ ン チ ン 帝 国 (Byzantine
、 再 び 独 立 し た が 、14世
War)
Sea)
紀 に は バ ル カ ン (Balkan)
の 支 配 下 に 入 っ た 。19世
を 宣 言 し た 。 バ ル カ ン 戦 争 (〓Balkan し 、 第1次
川 に 沿 い 、 黒 海 (〓Black
に 建 国 、9世
島 の 大 半 を 領 有 す る 王 国 と な っ た が 、11世
44年
失 脚 。
人 民共 和 国 とな っ たが 、
に戦 後 初 の 非 共産 党 内 閣が 成 立 し
Union)
に加 盟 。
ビル マ
現 ミ ャ ン マ ー 連 邦 。 イ ン ド シ ナ 半 島 北 西 部 に あ る 共 和 国 。11世 紀 に統 一 国 家 を建 て 小 乗 仏 教 国 とな っ た が 、13世 紀 、 中 国 の 元 (Yuan) に 滅 ぼ さ れ て 分 裂 、 1752年
ア ラ ウ ン パ ヤ (Alaungpaya)
領 イ ン ド帝 国 (Indian II) 後 の1948年1月 Freedom
League)
(〓British Win)
Empire)
朝 に よ っ て 再 び 統 一 さ れ た 。1886年
に 併 合 さ れ た が 、 第2次
、 反 フ ァ シ ス ト 解 放 同 盟 (AFPFL: の ウ ー ・ ヌ ー
Commonwealth)
(U Nu)
に は英
世 界 大 戦 (〓World Anti-Fascist
War People's
を 初 代 首 相 に す え、 イ ギ リ ス 連 邦
を 脱 し て 独 立 し た 。62年3月
の ネ
・ ウ ィ ン (Ne
に よ る 軍 事 ク ー デ タ ー 以 降 、 「ビ ル マ 型 社 会 主 義 」が 実 施 さ れ た も の の 、 国
民 の 不 満 は 高 ま り 、88年
軍 事 クー デ ター に成 功 した ソウ
が 政 権 を 握 っ た 。 民 主 化 要 求 に 対 し て90年5月 「ビ ル マ 」を 主 張 す る 全 国 民 主 連 盟 (NLD:
・ マ ウ ン (Saw
Maung)
に実 施 され た総選 挙 で は、 国 名
National
League
for
Democracy)
に
敗 れ た が、 政権 委譲 の見 込 み は ない 。 〓p.332地
Bush,
George
図 〓 (ミ ャ ン マ ー :現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Herbert
Walker(1924∼)
ジ ョー ジ ・ブ ッ シ ュ ア メ
(Republican
Party) 。1966年
リ カ 大 統 領 (任1989∼93)
下 院 議 員 と し て 政 界 入 り し、 国 連 大 使
。 共
和 党
・北 京連 絡
事 務所 長 80年
・ 中 央 情 報 局 (CIA:
〓Central
Intelligence
Agency)
長 官 等 を歴 任 。
、 大 統 領 選 挙 の 共 和 党 候 補 指 名 争 い で レ ー ガ ン (〓Reagan,
Wilson)
に 敗 れ 、 そ の 副 大 統 領 と な っ た 。88年
政 権 の 政 策 を 踏 襲 し た 。91年1月
に は フ セ イ ン (〓Hussein,
い る イ ラ ク と の 湾 岸 戦 争 (〓Gulf
War)
Ronald
に は 大 統 領 選 挙 に勝 ち 、 レー ガ ン Saddam)
に 踏 み き る な ど 、 冷 戦 (〓Cold
大 統 領 率 War)
後 の
世 界 の リ ー ダ ー と し て の ア メ リ カ を 強 調 し た が 、 財 政 面 の 不 満 が 高 ま り 、92年 の 大 統 領 選 で 民 主 党 (Democratic
Party)
の ク リ ン ト ン (〓Clinton,
Bill) に 敗 れ
た。
Butler,
Richard
Austen(1902∼82)
バ トラ ー
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 保 守 党 (〓Conservative 1941年
∼45年
、 教 育 庁 総 裁 。44年
の 教 育 法 (〓Education
∼64年
わ た っ て 保 守 党 党 首 選 に敗 れ た 。
。
Act) に お い て 中 等 教
育 の 無 償 化 の 枠 組 み を 設 定 し た 。 ま た 、 保 守 党 に よ る 「福 祉 国 家 (welfare 政 策 に も 影 響 を 及 ぼ し た 。51年
Party)
state) 」
にか けて 内閣 諸 職 を歴任 した が 、二 度 に
C Callaghan,
James(1912∼2005)
ジ ェ ー ム ズ ・キ ャ ラ ハ ン
イ ギ リ ス 首 相 (任1976∼79) ウ ィ ル ソ ン (〓Wilson,
Harold)
突 然 の 辞 任 に よ っ て 、1976年
内閣 の蔵 相
・内 相
Party)
Party)
。
・外 相 を 歴 任 。 ウ ィ ル ソ ン の
首 相 に 就 任 す る が 、78年
招 き 、 保 守 党 (〓Conservative Hilda)
。 労 働 党 (〓Labour
∼79年
の サ ッチ ャ ー
の 大 ス ト ライ キ を
(〓Thatcher,
Margaret
に総 選 挙 で敗 れ た。
Cambodia
カ ンボ ジア イ ン ド シ ナ 半 島 南 部 の 国 。 首 都 プ ノ ン ペ ン (Phnom
前 よ り ク メ ー ル 人 (Khmers) が 栄 え た 。9∼13世 ル
・ ト ム (Angkor
し、 タ イ
紀 に は ク メ ー ル 帝 国 (Khmer Thom)
Empire)
、 ア ン コ ー ル ・ ワ ッ ト (Angkor
Norodom)
Conference)
が 繁 栄 し、 ア ン コ ー Vat) を 造 営 し た 。 し か
日 本 占領 下 で 独 立 を 宣 言 、
に よって立 憲 君 主政 で完 全 独 立 を
獲 得 し た 。 対 外 的 に は 左 寄 り の 中 立 政 策 を 維 持 し た が 、経 済 不 振 か ら70年 ノ ル (Lon
Nol)
Republic)
が 成 立 。 北 京 (〓Beijing/Peking)
、ロ ン ・
ら に よ っ て 右 派 ク ー デ タ ー が 起 こ り 、 ク メ ー ル 共 和 国 (Khmer
装 左 派組 織 ク メー ル 開 始 。76年
。 紀 元
な どの 王 朝
フ ラ ンスの 保 護 国 とな る。
国 王 の も と 、1945年
ジ ュ ネ ー ブ 会 議 (〓Geneva
Penh)
、 真 臘 (Chenla)
・ ベ ト ナ ム か ら の 圧 迫 で 次 第 に 衰 え 、1863年
シ ア ヌ ー ク (Sihanouk, 54年
が 住 み 、 扶 南 (Funam)
・ ル ー ジ ュ (Khmer
に逃 れた シア ヌー ク は、 革 命 的 武 Rouge)
首相 の座 につ い た クメ ー ル
を 支 援 して 反 ロ ン
・ル ー ジ ュ の 指 導 者 ポ ル
・ノル闘 争 を
・ ポ ト (Pol Pot)
は 親 中 国 路 線 を とっ て 、 ベ トナ ム 、 ラ オ ス と対 立 。 これ に対 す る親 ベ トナ ム 派 の ヘ ン
・ サ ム リ ン (Heng
国 (People's
Republic
Samrin) of
が79年
Kampuchea)
プ ノン ペ ンを陥 落 、 カ ン プチ ア人 民共 和 を 樹 立 し、 ベ トナ ム 軍 が 侵 入 して 内 戦 状
態 と な っ た 。 シ ア ヌ ー ク は 中 国 に 亡 命 し 、82年 ポ ル
・ ポ
Cambodia)
ト派
と と も に カ
に ソ ン
・ サ ン (Son
ン ボ ジ ア 国 民 政 府 (National
を 形 成 し、 主 に パ リ を舞 台 に ヘ ン
印。
カ
(UNTAC:
ン ボ
ジ ア 最
高 国
民 評
の 議 長 に シ ア ヌ ー United
Nations
議
会 (SNC:
派、 of
・サ ム リンの プ ノ ン ペ ン政権 との
間 で 和 平 問 題 が 話 し 合 わ れ て き た 。 そ の 結 果 、91年10月23日
Cambodia)
Thanh)
Government
Supreme
パ リ和平 協 定 が調 National
Council
of
クが 就 任 し、 国 連 カ ン ボ ジ ア 暫 定 行 政 機 構
Transitional
で 行 政 主 権 を 担 う こ と と な っ た 。93年5月
Authority
in Cambodia)
の監 督 の も と
総選 挙 を実 施 。 旧 シ ア ヌ ー ク 派 の フ
ン シ ン ペ ッ ク党 (FUCINPEC)
が 第1党
と な り 、 シ ア ヌ ー ク が 王 位 に復 し て 立 憲
君主 制 の新 政 府 が成 立 した。 〓p.332地 Cameroon
図〓 ( 現代 の世 界[国 名 と地 図]) カ メル ー ン ア フ リ カ西 岸 の 連 邦 共 和 国 。 首 都 ヤ ウ ン デ (Yaounde) 。 ア メ リ カ へ
の 黒 人 奴 隷 供 給 地 で あ っ た 。1884年 War
よ り ドイ ツ 領 。 第1次
I)後 、 国 際 連 盟 委 任 統 治 領 ( 〓Mandates)
割 統 治 。1960年
世 界 大 戦 (〓World
と して イ ギ リ ス
・ フ ラン スが分
、 フ ラ ン ス 領 が 独 立 。 翌 年 イ ギ リ ス 領 も 編 入 し、 連 邦 共 和 国 と
な る。 〓p.283図
解6「 ア フ リカ の分割 」
〓p.330地
図〓( 現代 の世 界[国 名 と地 図])
Campbell-Bannerman,
Sir
Henry(1836∼1908)
サー
・ヘ ン リ ー ・キ ャ ン ベ ル ・
バ ナ マ ン イ (〓Liberal Republic)
リ ス 首
相 (任1905∼08)
David
Free
Entente)
を締 結 した。
メ リ ー ラ ン ド (Maryland) Franklin
北 西 約 ロー ズ
の 静 養 地 と し て 作 ら れ た が 、1945年
ア イ ゼ ン ハ ウ ア ー
(〓Eisenhower,
大
Dwight
大 統 領 が 孫 の 名 前 に 因 ん で 改 名 して 現 在 に至 っ て い る。
こ の 地 が 世 界 に 知 ら れ た の は 、59年9月 (〓Khrushchev,
Nikita
Sergeyevich)
ア イ ゼ ン ハ ウ アー
には カ ー ター
Mohammed
(〓Carter,
Anwar)
James
会 談 の開 催 が約 束 され た。その後 、
Earl) 大 統 領 が エ ジ プ ト の サ ダ ト (〓Sadat,
大 統 領 と イ ス ラ エ ル の べ ギ ン (Begin,
招 き 、 中 東 和 平 協 議 が 行 わ れ た と こ ろ で も あ る 。92年 Herbert
Walker)
と フ ル シ チ ョ フ
に よ る 米 ソ首 脳 会 談 の と き で あ る 。 こ の
会 議 に お い て 米 ソ 協 調 の 精 神 が 生 ま れ 、第2次
George
D.C.)
州 に あ る 大 統 領 専 用 の 別 荘 。 元 はF・
Delano)
統 領 の 公 式 の 別 荘 と な り、53年
78年
に は
キ ャ ン プ ・デ ー ビ ッ ド
ベ ル ト (〓Roosevelt,
David)
自 由 党
State) の 自 治 を 結 認 め 、1907年
ア メ リ カ 合 衆 国 の 首 都 ワ シ ン ト ン (Washington 120km、
。
Party) 。 在 任 中 に 南 ア フ リ カ の ト ラ ン ス バ ー ル 共 和 国 (〓Transvaal 、 オ レ ン ジ 自 由 国 (〓Orange
英 露 協 商 (〓Anglo-Russian
Camp
ギ
Menachem)
首 相 を
に は 、 ブ ッシ ュ
大 統 領 と エ リ ツ ィ ン (Yeltsin,
(〓Bush,
Boris) 大 統 領 と の 間 で ソ
連 崩壊 後 初 の 米露 首脳 会 談が と りもたれ た。
Canada
カナ ダ 首 都
オ タ
ワ (Ottawa)
。1497年
イ ギ
リ ス 人
カ ボ
ッ
ト (Caboto,
Giovanni) り 、7年
が 探 検 。17世
紀 以 降 は イ ギ リ ス ・フ ラ ン ス に よ る植 民 地 争 奪 の 的 とな
戦 争 (〓Seven
Years
年 オ ン タ リ オ (Ontario) (Canadian
Confederation)
Commonwealth)
Canning,
の 結 果 、1763年
ッ ク (Quebec)
が 成 立 。1931年
の 加 盟 国 と な り 、49年
ク 系 で あ っ た 国 旗 も 、65年 〓p.333地
War)
、 ケ ベ
イ ギ リ ス 領 と な っ た 。1867 州 な
以 降
どか
ら な る カ ナ ダ 連 邦
イ ギ リ ス 連 邦 (〓British
完 全 に 独 立 国 と な る 。 ユ ニ オ ン ・ジ ャ ッ
に は現 行 の メ ー プ ル リ ー フ に 変 更 さ れ た 。
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
George(1770∼1827)
ジ ョ ー ジ ・カ ニ ン グ
イ ギ リ ス 外 相 (任1807∼09、22∼27) レ オ ン (〓Napoleon
、 首 相 (任1827)
。 ナ ポ
I) に 対 抗 。 ラ テ ン ・ ア メ リ カ 市 場 へ の 進 出 を 図 っ て ア メ リ
カ の 外 交 原 則 で あ っ た モ ン ロ ー 主 義 (〓Monroe ア メ リ カ 諸 国 の 独 立 を 承 認 し た 。1825年
Doctrine)
を 支 持 し、 ラ テ ン
か ら は ギ リ シ ャ の 独 立 も 支 援 。27年
・ に
は首 相 に就任 。
Canton
広東 広 州 (Guangzhou)
と も呼 ぶ 。 中 国 南 部 の 港 市 。 清 朝 (Qing
dynasty)
で は 唯 一 の 外 国 貿 易 港 で あ っ た た め 繁 栄 し た 。 中 国 革 命 (〓Chinese Revolution:
Cape
Colony
辛 亥 革 命 )発 祥 地 の ひ とつ 。
ケ ー プ植 民 地 当 初 ポ ル ト ガ ル が 南 ア フ リ カ に 領 有 し た が 放 棄 、1652年
ン ダ 東 イ ン ド会 社 (〓East
India
Company)
し た オ ラ ン ダ 人 が ブ ー ル 人 (Boers) (〓Vienna
Congress)
ル 戦 争 (〓Boer
の 一 州 と な っ た 。61年 〓South
Carter,
James
し た 。1814年
の 結 果 、1910年
、 ウ ィ ー ン 会 議
自治植 民 地 とな る。 ブー
南 ア フ リ カ 連 邦 (Union
南 ア フ リ カ 共 和 国 (Republic
of South
of
South
Africa)
Africa)
と して 独 立 。
Africa
Earl(1924∼)
カ ー ター ア メ
(Democratic
リ カ 合
衆 国 大
統 領 (任1977∼81)
Party) 。 無 名 の ジ ョ ー ジ ア (Georgia)
戦 争 (〓Vietnam
War)
国 民 の 不 満 か ら 、1977年
現 職 の フ ォ ー ド (〓Ford,
し か し、 内 政
War)
後 初 の128年
Gerald
Affair) Rudolph)
民 主
党
に対 す る
を破 って 大
ぶ りの 南 部 出 身 大 統 領 で あ っ た 。
・ 外 交 と も に 目 立 っ た 成 果 を あ げ ら れ ず 、81年
Party) の レ ー ガ ン (〓Reagan,
。
州 知 事 で あ っ た が 、 ベ トナ ム
や ウ ォ ー タ ー ゲ ー ト事 件 (〓Watergate
統 領 当 選 。 南 北 戦 争 (〓Civil
(Republican
を 形 成
の 結 果 イ ギ リ ス 領 と な り 、72年
Wars)
にオ ラ
に よ る 植 民 地 経 営 が は じ ま り、 入 植
Ronald
Wilson)
に は 共 和 党
に敗 れ た。
Casablanca
Conference(1943)
カサ ブラ ンカ会 談 第2次
日 ∼25日
、 米 大 統 領F・
世 界 大 戦 (〓World
War
ロ ー ズ ベ ル ト (〓Roosevelt,
チ ャ ー チ ル (〓Churchill,
Sir Winston)
北 ア フ リ カ と 地 中 海 (Mediterranean
II)中 の1943年1月14
Franklin
Delano)
と英 首 相
が モ ロ ッ コの カサ ブ ラン カで行 った 会談 。 Sea) に お け る 反 攻 作 戦 を 協 議 。 は じ め て
「 ドイ ツ の 無 条 件 降 伏 」が 終 戦 の 条 件 と さ れ た 。
Caste
system
カ ー ス ト制 度
イ ン ド古 来 の 宗 教 的 観 念 と 結 合 し た 身 分 階 層 制 度 。 バ ラ モ ン (Brahmana: (Vaishya:
僧 侶 )を 頂 点 に 、 ク シ ャ ト リ ヤ (Kshatriya: 王 族 ・士 族 )、 バ イ シ ャ 商 工 業 者 )、 シ ュ ー ドラ (Sudra: 奴 隷 )の4種
血 や 職 業 の 分 化 に よ り複 雑 化 し、 現 在 で は 約3000の
姓 を 基 本 とす る が 、 混
カ ー ス トが 存 在 す る 。 カ ー
ス トは 閉 鎖 的 ・排 他 的 で 職 業 は 世 襲 、 異 種 カ ー ス ト間 で の 結 婚 ・飲 食 は 禁 止 さ れ て い る。 イ ン ド独 立 後 の 憲 法 に お い て は 禁 止 され て い る も の の 、 な お 社 会 的 差 別 は 根 強 く残 存 し、 近 代 化 を 妨 げ て い る。 〓India
Castro,
Fidel(1926∼)
フ ィデ ル ・カ ス トロ
キ ュ ー バ の 首 相 (任1959∼2008) ル ゼ ン チ ン 生 ま れ で 、 ハ バ ナ 大 学 (Havana, 卒 業 後 弁 護 士 とな る。1953年
、 元 首 (任1976∼2008)
University
、 バ テ ィス タ (〓Batista
。 ア
of)で は 学 生 運 動 に 参 加 、 y, Zaldivar,
Fulgencio)
独 裁 政 権 に 反 抗 して 、 兵 営 を 襲 撃 し た が 失 敗 。 有 罪 判 決 に 「将 来 、 歴 史 は 私 に 無 罪 を 宣 言 す る だ ろ う 」と述 べ る 。56年
∼59年
の革 命運 動 を通 じて 、 つ い にバ テ ィ
ス タ を亡 命 させ 、 中 南 米 唯 一 の 共 産 政 府 を 樹 立 。 農 業 改 革 等 反 米 政 策 を と っ た た め 、61年
以 来 ア メ リ カ と は 断 交 状 態 に あ る 。61年
接 近 し て62年
キ ューバ 危機 ( 〓Cuban
に は 社 会 主 義 を 宣 言 、 ソ連 に
Crisis)を 招 い た 。
〓Cuba Catalonia
カ タ ロニ ア ス ペ イ ン 北 東 部 の 地 方 。 中 心 都 市 バ ル セ ロ ナ (Barcelona) 。 民 族 意
識 が 強 く、1979年 Caucasus
に は 自治 権 を 獲 得 。
コー カ サス 黒 海 (〓Black
Sea)
と カ ス ピ 海 (Caspian
と も い う。 〓p.279図
解2「19世
紀 中 頃 の バ ル カ ン情 勢 」
Sea) の 間 の 地 方 。 カ フ カ ス
Ceausescu,
Nicolae(1918∼89)
チ ャウ シ ェ スク
ルー マニ アの政 治 家 、大 統 領 ( 任1974∼89) 党 に 入 党 、 第2次 員 と な る。65年
世界大戦 ( 〓World 第1書
War
。1936年
共産
II)期 は 刑 務 所 で 過 ご し 、55年 政 治 局
記 ( 書 記 長 と 改 称 )、67年
国家 評 議 会 議 長 ( 国 家 元 首 )、74
年 初 代 人 統 領 と な り最 高 指 導 者 と な る。 対 外 的 に は 自主 路 線 を 展 開 、 西 側 に 接 近 し て 工 業 化 政 策 を 実 施 す る。 独 裁 体 制 を 築 い た が 、89年
に体 制 は 崩壊 、 副首 相
の エ レ ナ 夫 人 と と も に 軍 事 裁 判 を 受 け 、 処 刑 され た 。
CENTO
中 央条 約 機 構
〓Central
Central
Treaty
African
Organization
Federation
中 央 ア フ リカ連 邦 ロー デ シ ア
Rhodesia
and
Southern:
Nyasaland)
・ ニ ヤ サ ラ ン ド連 邦 (Federation
と も い う 。1953年
of
、 英 領 南 ロ ー デ シ ア (〓Rhodesia,
現 ジ ン バ ブ エ 共 和 国 )、 北 ロ ー デ シ ア (〓Rhodesia,
ン ビ ア 共 和 国 )、 ニ ヤ サ ラ ン ド (Nyasaland:
Northern:
現 ザ
現 マ ラ ウ イ 共 和 国 )が 合 体 し て 成 立 。
白 人 入 植 者 に よ る 人 工 的 国 家 で 黒 人 住 民 の 利 益 と は 結 び つ か ず 、63年
末 に 解 体
した。 〓Rhodesia
Central
Intelligence
Agency(CIA)
ア メ リカ中央 情 報局
1947年
設立 。 大 統領 直属 の独 立 機 関。
国 外 情 報 の 収 集 ・分 析 を 目 的 と す る が 、 さ ら に 外 国 の 政 策 す ら動 か す 秘 密 活 動 も 行 う と して 「見 え な い 政 治 (covert operations) 」と も い わ れ る。
Central
Treaty
Organization(CENTO)
中 央条 約 機構 セ ン ト ー 。 イ ギ リ ス 、 イ ラ ン 、 トル コ 、
パ キ ス タ ン に よ る 中 東 反 共 的 軍 事 同 盟 。1959年 バ グ ダ ー ト条 約 (〓Baghdad East
Treaty
79年
解 体。
Ceylon
Organization)
結 成 。55年
Pact) が 発 展 しMETO( と な り 、58年
イ ラ ク
中東 条 約 機 構
・ トル コ 間 の : 〓Middle
イ ラ ク 脱 退 に と も な いCENTOと
改称 。
セイロン 現 国 名 は ス リ ラ ン カ (Sri Lanka) 民 主 社 会 主 義 共 和 国 。 首 都 ス リ ジ ャ ヤ
ワ ル ダ ナ プ ラ コ ッテ (Sri Jayewardeneprakotte) 受 け た 仏 教 国 。16世
紀 に ポ ル トガ ル 、17∼18世
。 前3世
紀 よ りイ ン ドの 影 響 を
紀 に は オ ラ ン ダ が 領 有 、1815年
イ ギ リ ス 領 と な り、1948年2月 Commonwealth)
自 治 領 と し て 独 立 。78年
イ ギ リス連邦 ( 〓British
を 脱 し て 現 国 名 と な る。 少 数 派 で ヒ ン ズ ー 教 徒 の タ ミ ル 人
(Tamils) に よ る分 離 独 立 運 動 が83年 以 降 激 化 し、 イ ン ドに よ る 調 停 も 実 効 を 示 さ ず 内 戦 化 し て い る。 〓p.331地
図〓 (ス リ ラ ン カ :現代 の世 界[国 名 と地 図])
Chamberlain,
Austen(1863∼1937)
オ ー ス テ ィ ン ・チ ェ ンバ レ ン
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 保 守 党 (〓Conservative 次 ボ ー ル ド ウ ィ ン (〓Baldwin, ノ 条
約 ( 〓Locarno,
(〓Chamberlain, Neville)
Stanley)
Treaties Joseph)
Chamberlain,
内 閣 の 外 相 (任1924∼29)
of) を 締
結。
の長 男で 、 ネ ビル
の 兄 。 ノ ー ベ ル 平 和 賞 (Nobel
of Nations)
Party) 。 第2
Peace
ジ
ョ セ
フ
と して ロ カ ル
・ チ
ェ
ン バ
レ
ン
・ チ ェ ン バ レ ン (〓Chamberlain, Prize) 受 賞 。 国 際 連 盟 (〓League
を強 力 に支 持。
Joseph(1836∼1914)
ジ ョ セ フ ・チ ェ ン バ レ ン
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 自 由 党 (〓Liberal あ っ た が 、 ア イ ル ラ ン ド 自 治 法 案 (〓Home 年 自 由 統 一 党 (Liberal
Unionists)
ソ ー ル ズ ベ リ (〓Salisbury,
Robert
Rule
を 結 成 し た 。1895年
か ら1903年
Gascoyne-Cecil)
ま で 第3次
内 閣 の 植 民 相 に 就 任 し、 ア
フ リ カ で の 帝 国 主 義 政 策 を 推 進 、 ブ ー ル 戦 争 (〓Boer 障 と保 護 貿 易 政 策 (〓protectionism)
Party) 急 進 派 で
Bill) に 反 対 し て 辞 職 し 、1886
Wars)
に勝 利 した。社 会 保
を 主 張 し て 保 守 党 (〓Conservative
Party)
の分 裂 を招 いた。
Chamberlain,
Neville(1869∼1940)
ネ ビル
・チ ェ ン バ レ ン
イ ギ リ ス の 首 相 (任1937∼40) Party)
。 マ ク ド ナ ル ド (〓MacDonald,
な っ て 、20世
James
。 保 守 党 (〓Conservative
Ramsay)
努 め た 。1937年
紀 初 頭 に 起 こ っ た 世 界 恐 慌 (〓Great 首 相 と な り 、38年
挙 国一 致 内 閣で 蔵 相 と
Depression)
ミ ュ ン ヘ ン 会 議 (〓Munich
い て 、 ソ 連 共 産 勢 力 に 対 抗 す る た め ナ チ ス ・ ド イ ツ (〓Nazis) い わ ゆ る 対 独 宥 和 政 策 (〓appeasement 侵 略 を 容 認 し て 第2次
policy)
世 界 大 戦 (〓World
War
後 の 財政 再 建 に Conference)
にお
との妥協 を図 った 、
を とった。 これ が ナ チス の東 欧 II) を 招 く 結 果 と な り 、 戦 中 の40
年 、 議 会 か ら 責 任 を 問 わ れ て チ ャ ー チ ル (〓Churchill,
Sir Winston)
と交 代 。 そ
の 後 間 も な く病 没 し た 。
Charter
of
the
United
Nations(1945)
国際 連 合 憲章
国際連 合 ( 〓United 機 能 な ど を 定 め た 憲 章 。1945年10月24日
成 立 。 第2次
Nations) の 組 織 や 目 的 、 世 界大 戦 ( 〓World
War
II)中 に ア メ リ カ
・イ ギ リス
ン フ ラ ン シ ス コ 会 議 (〓San 〓Atlantic
Charter(
Chernobyl
・ソ 連
・ 中 国 に よ っ て 作 成 さ れ た 原 案 が 、45年
Francisco
Conference)
の サ
で採 択 され た。
大西 洋 憲章 )
チ ェル ノ ブ イ リ
1986年4月
、 事 故 に よ り大 量 放 射 能 漏 れ を 起 こ した ソ連 原 子 力 発
電 所 の 所 在 地 。 ウ ク ラ イ ナ の 首 都 キ エ フ (Kiev)北 方 に あ る。 Chiang
Kai-shek/Jiang
Jieshih(1887∼1975)
蒋 介 石
日 本 留 学 後 、1911年 Revolution) と な り、26年 Northern
の辛亥革命 ( 〓Chinese
に 参 加 して 国 民 党 ( 〓Kuomintang/Guomindang) 北 京 (〓Beijing/Peking)
Expedition)
の 軍事 的指 導 者
制 圧 の た め 北 方 へ の 進 軍 (北 伐
を 開 始 した 。 翌27年4月
:
、 上 海 (Shanghai) で ク ー デ タ ー
を 起 こ して 反 共 を 宣 言 、 日 英 米 に 接 近 。 浙 江 財 閥 な ど 上 海 金 融 業 者 の 巨 大 資 本 を 背 景 に 、28年
国 民 政 府 (National
Government)
首席 に就 任 して反 共 独 裁政 権 を
築 い た 。 し か し37年 、 日 中 戦 争 ( 〓Chino-Japanese 対 抗 す る た め 中 国 共 産 党 (Chinese 作 :〓United
Front) に ふ み き り、 第2次
の 一 員 とな っ た 。 戦 後 、45年 展 開 。48年
Communist
War) 勃 発 に よ っ て 、 日 本 に Party) との 協 力 (第2次
世 界大 戦 ( 〓World
War
国共 合
II)で は 連 合 国
か ら49年 に か け て は 共 産 党 との 内 戦 (国 共 内 戦 )を
中華 民 国 ( 〓Chinese
Republic)
わ れ て 台湾 ( 〓Taiwan/Formosa)
総 統 に就 任 したが 、 翌 年共 産 軍 に追
に 逃 亡 。 以 後 大 陸 反 攻 を 国 是 と して 国 民 政 府
を 率 い 、 特 例 と して 事 実 上 の 終 身 総 統 と な っ た 。 Chile
チ リ 首 都 サ ン チ ア ゴ (Santiago) 。 北 部 は イ ン カ 帝 国 (Inca Empire)
あ っ た 。1540年 (Allende,
以 降 ス ペ イ ン 領 。1818年
Salvador)
独 立 を 達 成 。1970年
の治 下 に
にア ジ ェ ンデ
を中心 に人 民連 合政 権 が 成立 。 ア メ リカ系 資 本 の 接収 、主
要 産 業 国 有 化 な ど社 会 主 義 政 策 を実 施 し、 平 和 革 命 的 手 段 を 推 進 し た が 、73年 軍 部 ク ー デ タ ー で 崩 壊 し た 。89年
の 大 統 領 選 で キ リ ス ト教 民 主 党 の エ ル ウ ィ ン
(Aylwin, Patricio) が 勝 ち 、 軍 政 は 終 了 した 。 〓p.334地
Chinese
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
Eastern
Railway
東清 鉄 道 満 州 里 (Manzhouli)
Suifenhe)
に 至 る 幹 線 と 、 ハ ル ビ ン (Harbin)
に 至 る 支 線 か ら な る 。1896年 (〓Russo-Japanese
War)
よ り 綏 芬 河 (す
か ら 旅 順 (L〓shun)
に ロ シ ア が 敷 設 権 を 得 て1901年
の 結 果 、長 春 (Changchun)
い ふ ん が
:
・ 大 連 (Dalian)
に完 成 。 日露 戦 争
以 南 は 南 満 州 鉄 道 (〓South
Manchuria
Chinese
Railway)
Republic
として 日本 の大 陸進 出 の足 場 とな った。
中華 民 国 1912年
dynasty)
、 辛 亥 革 命 (〓Chinese
総 統 を 務 め て い た 孫 文 (〓Sun (Yuan
Revolution)
を 倒 し て 成 立 し た 中 国 の 共 和 政 府 。12年2月
Shih-kai)
Yat-sen/Sun
Zhong
Shan)
ぶ 内 乱 が は じ ま っ た 。28年
Party)
を 中 心 に10年
、 対 立 し て い た 中 国 共 産 党 (Chinese
と 結 ん で 日 本 の 中 国 進 出 に 対 抗 し た 。 第2次
Chinese
Republic
あ ま りに お よ
Kai-shek/Jiang
of
China)
Communist
世 界 大 戦 (〓World
後 、 指 導 権 を め ぐ っ て 再 び 共 産 党 と の 内 戦 が は じ ま り 、49年
Formosa)
に代 わ って 袁 世凱
孫 文 の 後 を う け た 蒋 介 石 (〓Chiang
が 中 国 を 統 一 。37年
共 和 国 (People's
か ら臨 時
が 大 総 統 とな っ たが 、 一 転 して革 命 派 の 弾圧 をは じめ た た め、
孫 文 率 い る 国 民 党 (〓Kuomintang/Guomindang)
Jieshih)
で 清 朝 (Qing
成 立 。 同 年1月
War
II)
共 産 党 が 中華 人 民
を 樹 立 。 敗 れ た 蒋 介 石 は 台 湾 (〓Taiwan/
に 逃 れ て 中 華 民 国 を継 承 、 現 在 に 至 っ て い る 。
Revolution(1911)
辛 亥革 命
1911年 ( 〓Chinese
中 国 の 清 朝 (Qing dynasty)
Republic) が 成 立 した 革 命 。19世
が倒 れ て 中 華 民 国
紀 後 半 来 の た び 重 な る対 外 敗 戦 で
財 政 圧 迫 に 苦 しん で い た 清 朝 は 、11年 民 間 鉄 道 の 国 有 化 を 強 行 、 こ れ を 担 保 に 列 強 諸 国 か ら 借 款 を 試 み た た め 各 地 で 暴 動 が 発 生 し た 。 同 年10月10日 (Wuchang)
武 昌
で 軍 隊 が 蜂 起 した の を 機 に 、 専 制 支 配 に 不 満 を 抱 い て い た 中 南 部 の
16省 が 相 次 い で独 立 を 宣 言 。 翌12年1月
には 南京 ( 〓Nanjing/Nanking)
華 民 国 臨 時 政 府 (Provisonal
Government)
Republican
活動 を展 開 してい た孫 文 ( 〓Sun え入 れ た 。 同 年2月
Yat-sen/Sun
Zhong
、首 都を 北京 ( 〓Beijing/Peking)
で中
を樹 立 、 か ね て よ り革 命 Shan) を 大 総 統 と して 迎 とす る 中 華 民 国 が 正 式 に
成 立 。 こ れ に よ っ て 清 朝 は 滅 亡 し、 中 国 の 帝 政 が 終 わ っ た 。 辛 亥 は1911年
の干
支 を示 す 。
Chino-Japanese
War(1937∼45)
日中戦争
1937年7月 2次 世 界 大 戦 ( 〓World
War
の 満 州 事 変 (〓Manchurian 7日 北 京 ( 〓Beijing/Peking)
に は じ ま り、45年8月
日本 が 降 伏 して 第
II)が 終 わ る まで 続 い た 。 日 華 事 変 と も い う 。31年 Incident) を 経 て 日 本 の 中 国 進 出 が 激 化 。37年7月 郊 外 の 盧 溝 橋 (Marco
Polo
Bridge) で 起 こ っ た 衝
突 事 件 を 機 に 全 面 戦 争 に 突 入 した 。
Chou
En-lai/Zhou
Enlai(1898∼1976)
周 恩 来
中 華 人 民 共 和 国 首 相 (任1949∼76)
。 フ ラ ンス留 学
中 に 中 国 共 産 党 (Chinese エ ト 区 (Jiangxi 加 し た 。36年
Soviet)
Communist
に は 西 安 事 件 (〓Xi'an
次 国 共 合 作 (〓United Republic
Party)
に 入 っ て 、34年
of
Front)
China)
Incident)
を 促
(〓Nehru,
Pandit
に参
に 中 華 人 民 共 和 国 (People's
Treaty)
を 締 結 。54年
イ ン ド首相
と国 際 平 和 の た め の 共 同 声 明 を 発 し、 バ
Conference)
を 開 催 に 導 く な ど外 交 の 場 で 活 躍 し た 。 Revolution)
の 収 拾 に 努 力 し、 国 連 加 盟 や 米
・日 中 友 好 に 尽 力 す る な どそ の 功 績 は 大 き い 。
Churchill,
Sir
Winston(1874∼1965)
ウ ィ ン ス ト ン ・チ ャ ー チ ル
イ (〓Conservative
Party)
界 大 戦 (〓World
War
カ
Henry)
し た 。1930年
Josef
Vissarionovich)
選 挙 に 敗 れ て 、 一 時 ア ト リー が 、 「鉄 の カ ー テ ン (〓Iron を 訴 え 、51年
内閣 で 内相
。
保
守
Party)
・ 海 相 に 就 任 。 第1次
Party) の 進 出
党
に移 世
・社 会 主 義 の 急 進
代 の 対 独 宥 和 政 策 (〓appeasement
世 界 大 戦 (〓World
ロ ー ズ ベ ル ト (〓Roosevelt,
(〓Stalin,
相 (任1940∼45、51∼55)
I) 後 は 労 働 党 (〓Labour
を 批 判 、 第2次
・F・
リ ス 首
Herbert
化 を 憂 え て 保 守 党 に 復 帰 policy)
ギ
員 と し て 政 界 入 り し た が 自 由 党 (〓Liberal
り 、 ア ス キ ス (〓Asquith,
CIA
Alliance
か ら の 文 化 大 革 命 (〓Cultural
中
江 西 ソビ March)
を 解 決 、 抗 日 戦 線 を 築 く た め 第2
し た 。49年
Jawaharlal)
ン ド ン 会 議 (〓Bandung 66年
ま で 長 征 (〓Long
が 成 立 す る と 、 国 務 院 総 理 (首 相 )兼 外 交 部 長 を 兼 ね 、50年
に 中 ソ 友 好 同 盟 条 約 (Soviet-Chinese ネ ル ー
に 入 党 。 帰 国 後 、1931年
か ら36年
War Franklin
II)中 の40年 Delano)
首 相 に 就任 。 アメ リ 、 ソ連
・ ス ター リン
と と も に連 合 軍 の 勝 利 を 導 い た 。 終 戦 直 前 の (〓Attlee,
Curtain)
首 相 に 復 帰 、55年
Clement
Richard)
に首相 の座 を譲 った
」と い う 新 語 を 生 み 、 反 ソ ・ ヨ ー ロ ッ パ 統 合
に 引 退 した 。 ノ ー ベ ル 文 学 賞 受 賞 。
ア メ リカ 中央 情報 局
〓Central
Intelligence
Agency
CIS 独 立 国家 共 同 体
〓Commonwealth
Civil
Rights
Acts(1957,
of
Independent
1964)
States
公 民 権 法
アメ リカの黒 人 保護 法 。1957年 に黒 人 の投 票 権 実 施 に関 す る広 い権 限 を大 統 領 に与 え る公 民権 法 が成 立。 さ らに64年 に は人 種 差 別撤 廃 法 案 が 可 決 され た が、 現 実 には 差別 は続 き、60年 代 後 半 に は む しろ 黒 人 の 解 放運 動 が激 化 したほ ど。 現 在 もなお 根強 い人種 問 題 が残 って い る。
Civil
War(1861∼65)
ア メ リカ南北 戦争
ア メ リ カ 南 部11州 争 わ れ た 内 乱 。1830年
と北 部 諸 州 との 間 で 、1861年
か ら65年 に か け て
代 以 降 北 部 で は産 業 資 本 が 発 達 、 国 内 市 場 の 統 合 と保 護
貿 易主 義 ( 〓protectionism)
を す す め て お り、 黒 人 奴 隷 に よ る 労 働 力 を 基 盤 に 綿
花 栽 培 中 心 の 自 由貿 易 (〓Free
Trade) を 望 む 南 部 と対 立 して い た 。54年 北 部 産
業 資 本 家 層 を 中 心 に 奴 隷 制 に 反 対 す る 共 和 党 (Republican 60年 リ ン カ ー ン ( 〓Lincoln,
Abraham)
Party) が 結 成 さ れ 、
が大 統 領 に就 任。 これ を不 満 とす る南部
11州 は61年 合 衆 国 を離 脱 して ア メ リ カ 盟 邦 (Confederate
States
of America)
結
成 し 、 北 部 との 武 力 抗 争 を 開 始 、 内 乱 へ 突 入 した 。 は じ め 優 勢 だ っ た 南 部 は 、 63年1月
リ ン カ ー ン の 奴 隷 解 放 宣 言 (Emancipation
Proclamation)
を境 に劣勢
に転 じ、65年 北 軍 が 勝 っ て 戦 争 は 終 結 し た 。
Clemenceau,
Georges
Eug〓ne
Benjamin(1841∼1929)
ク レマ ン ソ ー
フ ラ ン ス 首 相 (任1906∼09、17∼ 20)。 急 進 的 左 翼 と し て 、 「虎 (the Tiger) 」と呼 ば れ て 恐 れ ら れ た 。1886年
反共
和 派 の 陸 相 が 軍 拡 の 陰 謀 を も っ て 引 き 起 こ し た ブ ー ラ ン ジ ェ 事 件 (Boulanger Affair)や94年
の ドレ フュス事 件 ( 〓Dreyfus
反 動 勢 力 を 批 判 。1906年 ( 〓World
War
Affair)で は 、 共 和 政 擁 護 の 立 場 か ら
、 首 相 に な る や 現 実 路 線 に 転 じ た 。 第1次
世界 大戦
I)末 期 、 首 相 に 復 帰 す る と抗 戦 を 指 導 、 ドイ ツ の 降 伏 を 迎 え た 。
19年 パ リ講 和 会 議 ( 〓Paris
Peace
Settlement)
に お い て ドイ ツ に 対 し苛 酷 な 講 和
条 件 を 要 求 し た が 、 十 分 に は い れ られ な か っ た 。
Clinton,
Bill(1946∼)
ビル
第42代
・ク リ ン ト ン
ア メ リ カ 大 統 領 (任1993∼2001)
。 民 主 党 (Democratic
Party) 。 内 政 重 視 の 公 約 に 従 い 、 女 性 、 黒 人 な ど を 多 数 起 用 して 財 政 再 建 に 取 り 組 ん だ が 、 ス キ ャ ン ダ ル や 一 貫 性 を 欠 く外 交 政 策 で 批 判 を 受 け た 。 Code
Napoleon
ナポ レオ ン法典 1804年3月
発 布 。 ナ ポ レ オ ン1世
( 〓Napoleon
I)が 制 定
した フ ラ ン ス の 民 法 典 で 、 個 人 の 自 由 を 尊 重 し 、 法 の 前 で の 平 等 と所 有 権 の 不 可 侵 な どが う た わ れ て い る。 そ の 基 本 原 則 は 現 在 の フ ラ ン ス 民 法 に も 受 け継 が れ て お り、世 界 中 の近代 民 法 の模範 とな った。 Cold
War
冷戦 第2次
世 界 大戦 ( 〓World
War
II)後 の 米 ソ を 中 心 とす る東 西 両 陣
営 の 対 立 抗 争 を示 す こ と ば。 ア メ リカ の政 治 評 論 家 ウ ォル タ ー ・ リッ プ マ ン (Lipmann,
Walter) に よ り一 般 化 さ れ た 。
〓Truman
Collective
Doctrine(
farm
トル ー マ ン 宣 言 )
コル ホ ー ズ
ソ連 の集 団農 場 ( 〓Kolkhoz)
。 土 地 ・ 農 具 な ど を共 有 し共 同
使 用 す る。 国 内 経 済 を5年 単 位 で 構 築 し よ う と い う 第1次5カ Plan:
1928∼32)
で 出 現 、 第3次5カ
年 計 画 (Five-Year
年 計 画 (1938∼42) で
一 応 完 成 した と さ れ
て い る。
Collective
security
集 団安 全保 障
一 国 家 の安 全 を て 相 互 保 障 す る 制 度 。 特 に 第2次 れ た 。 北 大 西 洋 条 約 機 構 (NATO: Colombia
、 国際 社 会 に お いて 多数 の 国家 が協 同 し
世界 大戦 ( 〓World 〓North
Atlantic
War Treaty
II)後 、 各地 で 結 成 さ Organization)
な ど。
コ ロ ン ビア 首 都 ボ ゴ タ (Bogota) 。1811年
、 ベ ネ ズ エ ラの 革 命 家 ボ リバ ル
(Bolivar, Simon) の 援 助 で ス ペ イ ン に 対 し 独 立 を 宣 言 。19年 を 合 併 し て 大 コ ロ ン ビ ア 共 和 国 (Gran
Colombia)
、隣 国ベ ネ ズ エ ラ
と な る が 、30年
に解 体 。86年
コ ロ ン ビ ア共 和 国 と改 称。 この こ ろか ら保 守 党 と 自由 党 の 対 立 が 表 面 化 した。 1948年
か らの 内 戦 は57年 に 休 戦 し た が 、 そ の 体 制 も74年 に 崩 壊 、 ゲ リ ラ 活 動 が
激 化 して い る。 〓p.334地
Colombo
図〓 ( 現 代 の世界[国 名 と地 図])
Plan
コ ロ ン ボ ・プ ラ ン
ア ジ ア 及 び 太 平 洋 地 域 の 参 加 国 の 経 済 発 展 を援 助 す る 国 際 機 関 。1950年1月
、 セ イ ロ ン( 〓Ceylon)
相 会 議 (Commonwealth
Prime
の コ ロ ン ボ で 開 催 さ れ た イ ギ リ ス連 邦 首
Ministers
Conference)
にお いて、 オ ー ス トラ リ
ア の 主 唱 に も と づ い て 設 定 さ れ た 。 の ち に 、 日米 を 主 要 な 資 金 提 供 者 と し て 、 26カ 国 が 参 加 。
Colonial
Conferences
植 民 地会 議 イ ギ リ ス 本 国 と 自 治 領 と の 結 束 強 化 を 目 的 と す る。
1887、1898、1902年 と 改 称 。44年 Conference)
に 開 催 。1907年
以 降 、 帝 国 会 議 (Imperial
以 降 は イ ギ リ ス 連 邦 首 相 会 議 (Commonwealth
Prime
となった 。参 加 国政府 は平 等 の発 言権 を もち、国 防
諸 問題 を協議 。
Conference) Ministers
・関 税 そ の 他 の
COMECON
コ メコ ン 東 欧 経 済 相 互 援 助 会 議 (Council for Mutual
1949年1月
、 ソ連 を 中 心 に 東 欧 共 産 圏 の9カ
Economic
Assistance) 。
国 が 、 ア メ リ カ 中 心 の ヨ ー ロ ッパ
復 興 計 画 で あ るマー シ ャル ・プ ラン ( 〓Marshall
Plan) に 対 抗 し て 設 立 し た 。 経
済 技 術 協 力 ・相 互 援 助 を 目 的 と して い た が 、 の ち ソ連 中 心 主 義 に 対 す る ル ー マ ニ ア な ど の 不 満 が 表 面 化 し た 。91年6月28日
「改 革 の 足 か せ 」と して 批 判 が 噴 出 す
る中、 完全 解 体 。 Cominform
コ ミ ン フ ォル ム 共 産 党 情 報 局 (Communist
イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル (Fourth
Information
International)
な どの 反 共 主 義 諸 国 に よ る マ ー シ ャ ル 1947年10月
Bureau)
の 略 称 で 、 第4
とい う こ と も あ る 。 西 欧 や ア メ リカ
・ プ ラ ン ( 〓Marshall
Plan)
に対抗 して、
ヨ ー ロ ッ パ 各 国 共 産 党 と の 情 報 交 換 を 目 的 と して 成 立 し た 。 本 部 は
ユ ー ゴ ス ラ ビ ア の ベ オ グ ラ ー ド (Beograd)
に 置 か れ た 。 ソ 連 共 産 党 を 中 心 に9カ
国 (ソ 連 、 ル ー マ ニ ア 、 ブ ル ガ リ ア 、 ハ ン ガ リ ー 、 ポ ー ラ ン ド、 チ ェ コ ス ロ バ キ ア 、 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 、 フ ラ ン ス 、 イ タ リ ア )よ り 構 成 さ れ た が 、48年 が ス タ ー (Bucharest) Josef
ユ ー ゴス ラ ビア
リ ン 主 義 を 批 判 し て 除 名 さ れ、 本 部 も ル ー マ ニ ア の ブ カ レ ス に 移 っ た 。 翌49年
Vissarionovich)
に は 東
ト
ド イ ツ が 加 入 。 ス タ ー リ ン (〓Stalin,
の 死 後 、 平 和 共 存 主 義 へ 転 換 し 、56年
解 体 され た。
〓Internationals
Comintern
コ ミンテル ン 共 産 主 義 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル (Communist
で 、 第3イ
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル (Third
ワ に お い て ロ シ ア 革 命 (〓Russian (〓Bolsheviks:
International) Revolution)
と も い う 。1919年 に 成 功
し た ボ
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル (〓International
、モ ス ク
・ レ ー ニ ン 主 義 (Leninism)
Congress
of
Socialists)
の 略 称
リ シ ェ ビ キ
革 命 的 社 会 民 主 主 義 者 )を 中 心 に 、 レ ー ニ ン (〓Lenin,
Ilyich) の 提 唱 に よ り 創 始 さ れ た 。 マ ル ク ス 第2イ
International)
Vladimir を掲 げ、
を徹 底 的 に排
除 し 、 共 産 党 に よ る 世 界 革 命 の 国 際 的 指 導 機 関 と し て の 性 格 を 有 す る 。35年 来 反 フ ァ シ ズ ム の 人 民 戦 線 運 動 (〓Popular 約 (〓Russo-German (〓World 5月
War
Non-agreement
〓Internationals
Pact)
Association)
で 方 向 を 失 い 、 第2次
世 界 大 戦
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル は 国 際 労 働 者 協 会 (〓International の こ と。
以
を推 進 した が、 独 ソ不可 侵 条
II) 中 、 ソ 連 と ア メ リ カ の 戦 争 協 力 に と っ て の 障 害 と な り 、43年
解 散 。 な お 、 第1イ
Workingmen's
Front)
Commonwealth
of
Independent
States(CIS)
独 立 国家 共 同体
1991年 和 国 連 邦 (USSR:
Union
of Soviet
に ソ ビ エ ト社 会 主 義 共
Socialist Republics) の 消 滅 に よ っ て 生 まれ た
国 家 連 合 体 。 ロ シ ア 、 ウ ク ライ ナ 、 ベ ラ ル ー シ の ス ラ ブ 系3共 し、 ほ か の8共
和 国 の首脳 が宣 言
和 国 (カ ザ フ ス タ ン 、 タ ジ キ ス タ ン 、 ウ ズ ベ キ ス タ ン 、 キ ル ギ ス 、
ア ル メ ニ ア 、 ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン、 モ ル ドバ 、 トル ク メ ニ ス タ ン )も参 加 し た 組 織 (93年 に は グ ル ジ ア も加 入 )。 独 自 の 憲 法 や 議 会 は な い 。 各 国 の 協 力 体 制 を 目 指 して い る が 、 形 骸 化 して い る 。 Commonwealth
〓British
Communes
of Nations
Commonwealth
in Paris(1871)
〓Paris
イ ギ リス 連 邦
パ リ ・コ ミ ュ ー ン
Commune
Communism
共 産主 義 広 義 に は 私 有 財 産 を 否 定 し、 財 産 の 社 会 的 共 有 を主 張 す る思 想 。
狭 義 で は マ ル ク ス (〓Marx,
Karl
Heinrich) の 唱 え る 、 社 会 主 義 社 会 の 究 極 段 階
で あ る無 搾 取 ・無 階 級 の 社 会 を 理 想 とす る思 想 。 そ の 内 容 に は 、 プ ロ レ タ リ ア ー ト(proletariat: 労 働 者 階 級 )に よ る、 資 本 主 義 社 会 に 対 す る 階 級 闘 争 の 戦 略 ・戦 術 が 含 まれ て お り、 そ の 第1段
Communist
Information
階 は 社 会 主 義 (socialism) と も 呼 ば れ る 。
Bureau
コ ミ ン フ ォル ム
〓Cominform
Communist
International
コ ミンテ ル ン
〓Comintern
Congo
コ ン ゴ ベ ル ギ ー 国 王 レ オ ポ ル ド2世
(Leopold
の 私 有 地 。 現 コ ン ゴ 民 主 共 和 国 (Democratic ス 人 の ア フ リ カ 探 検 家 ス タ ン リー 営 に 着 手 し 、1885年
(Stanley,
コ ン ゴ 自 由 国 (Congo
II)が 中 央 ア ジ ア に 建 設 し た 王
Republic Henry Free
of
Morton)
the
Congo)
。 イ ギ リ
を利 用 して 植 民 地 経
State) と 称 し た 。 後1908年
正 式
に ベ ル ギ ー 領 コ ン ゴ と し て 領 有 。60年 て 独 立 宣 言 後 に コ ン ゴ 動 乱 (Congo い た 。65年
Crisis) が 起 こ り 、5年
以 降 政 権 を 握 っ た モ ブ ツ (Mobutu,
ゴ 人 民 共 和 国 (People's 国 (Republic Congo)
、 コ ン ゴ 共 和 国 (Republic
Republic
of Zaire) 、97年
of
Congo)
Sese
of
Congo)
とし
間 にわ た っ て混乱 が 続
Seko)
の も と で 、69年
に 改 称 。71年
コ ン
国 名 を ザ イー ル共 和
に コ ン ゴ 民 主 共 和 国 (Democratic
Republic
of
the
と し、 民 族 主 義 的 政 策 が と ら れ て い る 。 な お 、 現 在 コ ン ゴ 民 主 共 和 国 の
西 側 に 位 置 す る コ ン ゴ 共 和 国 (Republic
of
Congo)
は 、19世
紀 後 半 以来 フ ランス
に よ る植民 地 支配 が行 わ れ て きた地 域 で、 元 ベ ル ギー領 の コン ゴ民主 共 和 国 とは 別 の 国 で あ る。 〓Zaire 〓p.283図
解6「
Conservative
ア フ リ カ の分 割」
governments
〓Conservative
Conservative
保 守 党 内 閣 (イ ギ リ ス )
Party
Party
保 守 党 (イ ギ リ ス ) 1830年
に 地 主 勢 力 の 利 害 を 代 表 。19世 を 展 開 、 第1次
世 界 大 戦 (〓World
頃 か ら トー リ ー 党 (〓Tories) 紀 に は 自 由 党 (〓Liberal War
に代 わ っ た名称 。 主
Party)
と二 大 政 党 政 治
I) 後 は 労 働 党 (〓Labour
Party)
と対 立 、
し ば しば 政 権 を 担 当 して い る 。
Consulate(1799∼1804)
フ ラン ス執政 政 府
総 領 政 府 と も い う 。 ナ ポ レ オ ン1世 (〓Directory) 〓French
(〓Napoleon
を 倒 し て 樹 立 し た 、 フ ラ ン ス 第1共
Republic)
事 独 裁 を 行 い 、1804年
最 後 の 政 府 。 ナ ポ レ オ ン が 第1執 に 第1帝
政 (Premier
Empire:
I) が 総 裁 政 府
和 政 (Premier
Republic:
政 (First Consul) 〓French
と して軍
Empire)
が は じ
ま る と ともに 消滅 した。
Corn
Laws
穀 物法 1815年
に イ ギ リスで制 定 され た、 穀物輸 出入 規制 法。 地 主
資 本 家 の 利 益 を 保 護 す る た め 、 輸 入 穀 物 に 高 関 税 を 課 し た 。1830年 業 資 本 家 層 が 反 穀 物 法 同 盟 (〓Anti-Corn
Law
League)
・農 業
代 末 よ り産
を 結 成 し て 猛 反 対 し 、46
年 廃 止。
Corsica
コル シ カ島 フ ラ ン ス 領 。 地 中 海 (Mediterranean
Sea) で は4番
め に大 きい島 。 ナ
ポ レ オ ン1世 〓p.328地 Costa
Rica
(〓Napoleon
I)の 出 身 地 。
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図]) コス タ リカ 中 央 ア メ リカ 、 パ ナ マ の 北 に あ る小 さな 共 和 国 。 首 都 サ ン ホ セ
(San Jose) 。 国 名 は 「 富 め る 海 岸 」を表 す ス ペ イ ン 語 。1848年 全 独 立 。 ス ペ イ ン系 移 民 が90% 〓p.333地 Council
of Europe
of
〓Brumaire,
Crimea
ヨ ー ロ ッパ 会 議
Council
d'〓tat
、 ス ペ イ ン よ り完
に 非 武 装 中 立 を掲 げ て い る。
図〓 ( 現代 の 世界[国 名 と地図])
〓Europe,
Coup
を 占 め る 。1949年
of
Brumaire(1799)
Coup
d'〓tat
ブ リ ュ メ ー ル18日
の ク ーデ タ ー
of
ク リミア 黒 海 (〓Black
地 で あ っ た が 、1475年 あ り 、1783年
Sea) 北 岸 の 半 島 。 ク リ ム ・ハ ン 国 (Krim よ りオ ス マ ン
・ ト ル コ (〓Ottoman
Khan)
Empire)
の 中心
の支 配 下 に
ロ シ ア に 併 合 さ れ た 。 温 暖 で 、 セ バ ス ト ポ リ (Sevastopol')
、 ヤ ル
タ (Yalta) な ど の 都 市 が あ る 。 〓p.279図
解2「19世
〓p.328地
図 〓 (現 代 の世 界[国 名 と地 図])
Crimean
紀 中 頃の バ ル カ ン情 勢 」
War(1853∼56)
ク リミア戦 争 1853年
か ら56年
に か け て 起 こ っ た 、 ロ シ ア と、
リ ス ・フ ラ ン ス ・サ ル ジ ニ ア (Sardegna:
ト ル コ ・イ ギ
現 イ タ リ ア )連 合 軍 と の 戦 争 。 ヨ ー ロ ッ
パ へ の 南 下 を 図 る ロ シ ア が 、 トル コ領 内 の ギ リシ ャ正 教 徒 保 護 を 名 目 に 開 戦 。 ロ シ ア の 進 出 を 阻 止 し た い イ ギ リ ス と ナ ポ レ オ ン3世
(〓Napoleon
III)治 下 の フ ラ
ン ス 、 イ タ リ ア 統 一 に 有 利 な 条 件 を 得 よ う と す る サ ル ジ ニ ア が トル コ 側 に つ い て 参 戦 。 ロ シ ア が 敗 れ 、 パ リ 条 約 (〓Paris, 〓Eastern
Croatia
Question(
Treaty
of) で 南 下 は 阻 止 さ れ た 。
東 方 問題 )
クロ アチ ア 旧 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア の 共 和 国 で あ っ た が 、1991年6月25日
92年1月
ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 (EC:
〓European
Community)
独 立 を宣 言。
が 、 次 い で4月
にセ
ル ビ ア (〓Serbia)
、 モ ン テ ネ グ ロ (Montenegro)
が 承 認 。 これ に よ っ て ユ ー ゴ ス
ラビ アが解 体 された。 〓Yugoslavia 〓p.328地
Cromwell,
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Oliver(1599∼1658)
ク ロ ム ウ ェル
イ ギ リ ス の ジ ェ ン ト リ (gentry: 軍 人
・政 治 家 で 、 熱 心 な 清 教 徒 (puritan) 。1642年
(Puritan
Revolution:
〓English
つ い に 国 王 チ ャ ー ル ズ1世
Revolution)
(Char1es
郷紳 。 中産 階級 か ら60年
上層
)出 身 の
の ピ ュ ー リ タ ン革 命
に お い て 議 会 派 の 軍 事 権 を 握 り、
I)を 処 刑 。 共 和 政 の 名 の も とで 軍 事 独 裁 を
強 行 。53年 護 国 卿 (Lord Protector) に 就 任 。 Cruise
missiles
巡 航 ミサ イル ジ ェ ッ ト ・ エ ン ジ ン に よ り飛 行 す る ミサ イ ル 。 代 表 的 な も の が
米 海 軍 の トマ ホ ー ク (Tomahawk)
。 低 空 飛 行 す るた め敵 レー ダ ー に捕 捉 され に
く く、 早 期 警 戒 衛 星 か ら も発 見 され に くい 。 〓Nuclear
Cuba
missiles( 核 ミ サ イ ル )
キ ューバ カ リ ブ海 (Caribbean
Sea) の キ ュ ー バ 島 は じ め 約1300の
属 島 か らな る
社 会 主 義 共 和 国 。 首 都 ハ バ ナ (Habana) 。 ス ペ イ ン 治 下 で 多 くの 黒 人 奴 隷 が 移 入 さ れ 、1898年 ロ( 〓Castro,
以 降 、 事 実 上 ア メ リカ の 保 護 国 と な る。1934年 Fidel)が 政 権 を 握 る
61年 ア メ リ カ と断 交 、62年10月
独 立 、59年
カス ト
社 会 主 義 革 命 が 行 わ れ 、反 米 政 策 が と られ た 。
の キ ューバ 危機 ( 〓Cuban
Crisis) を 経 て 、 ソ連
依 存 の 傾 向 を 強 め た 。 し か し、 相 次 い だ 東 欧 社 会 主 義 諸 国 の “民 主 化 ”に よ り経 済 的 に 大 き な 打 撃 を受 け 、 現 在 で は ア メ リ カ の 経 済 制 裁 も緩 和 さ れ て い る。 〓p.333地 Cuban
図〓( 現 代 の世 界[国名 と地図])
Crisis(1962)
キュ ーバ危 機 1962年10月
、 キ ュ ー バ を舞 台 に 米 ソ 間 で 核 戦 争 の 緊 張 が 高
ま っ た 事 件 。 ソ連 が キ ュ ー バ に 中 距 離 ミサ イ ル の 発 射 基 地 を 建 設 し た の に 対 し、 アメ リカ ・ ケネ デ ィ ( 〓Kennedy,
John
Fitzgerald) 大 統 領 は10月22日
海 上 封鎖
を 宣 言 、 ソ連 船 攻 撃 も辞 さな い 態 度 を示 した た め 、 武 力 衝 突 が 避 け ら れ な い 事 態 と な っ た 。 し か し、28日 、 ソ 連 首 相 フ ル シ チ ョ フ ( 〓Khrushchev, Sergeyevich)
Nikita
が ミサ イ ル 撤 去 を 表 明 した た め 、 危 機 は 回 避 さ れ た 。 中 国 共 産 党
は これ に 関 し ソ 連 の 屈 服 外 交 を 批 判 、 共 産 主 義 路 線 を め ぐ っ て 、 い わ ゆ る 中 ソ論 争 (Ideological Conflict with
China) に 発 展 す る原 因 と も な っ た 。
Cultural
Revolution
文化 大 革命 1966年
tung)
か ら70年
代 初 頭 に か け て 、 毛 沢 東 (〓Mao
Tse
の 指 導 に よ り 中 国 で 起 こ っ た 階 級 闘 争 。 プ ロ レ タ リ ア 文 化 大 革 命 (Great
Proletarian
Cultural
は じ ま り 、66年
Revolution)
と も い う 。65年
以 降 は 全 国 的 な 紅 衛 兵 (Red
、文 芸 作品 へ の 思想 闘争 か ら
Guards)
に よ る造反 運 動
・学 園 闘 争
か ら 奪 権 闘 争 に 発 展 、 党 内 の 反 毛 分 子 を 資 本 主 義 へ の 道 を 歩 む “実 権 派 ”と し て 打 倒 し た 。 劉 少 奇 (Liu Shao-chi) が 失 脚 し て か ら は 、 林 彪 (Lin に 林 派 が 勝 利 し た が 、71年 76年
、 周 恩 来 (〓Chou
、 〓 小 平 (〓Deng
Curzon,
of
Hsaio-Ping)
Four)
が 進 出 。69年4月
に 林 彪 が 失 脚 して 四 人 組 が 台 頭 した 。
En-lai/Zhou
Enlai) 、 毛 沢 東 の 相 次 ぐ 死 亡 を 契 機 に 四
人 組 が 実 権 を 得 よ う と し た が 、 華 国 鋒 (Hua 77年8月
Xiaoping/Teng
Piao) 、 四 人 組 (Gang
Kuo-feng)
首 相 に よ り追 放 さ れ た 。
、 終 了 宣言 。
George
Nathaniel(1859∼1925)
カ ー ゾ ン
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 保 守 党 (〓Conservative Party)
。 イ ン ド 総 督 (任1899∼1905)
(Bengal)
と し て 帝 国 主 義 支 配 を展 開 。 ベ ン ガ ル 地 方
を 東 酉 に 分 割 す る カ ー ゾ ン 法 を 施 行 し た が 反 対 が 強 く、 後 に 廃 止 さ れ
た 。 イ ン ド よ り 帰 国 後 、 外 相 在 任 中 の1920年 境 線 カ ー ゾ ン 線 (〓Curzon
Curzon
Line
に は 、 ポ ー ラ ン ド と ソ ビ エ トの 国
Line) に つ い て の 提 唱 を 行 っ た 。
カ ー ゾン線 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
引 か れ た 国 境 線 。 イ ギ リ ス 外 相 カ ー ゾ ン (〓Curzon,
I) 後 、 ポ ー ラ ン ド と ソ 連 の 間 に George
Nathaniel)
の提 唱
に よる。 〓p.278図
Cyprus
解1「
ベ ル サ イ ユ 体制 下 の ヨー ロ ッパ」
キ プ ロ ス 地 中 海 (Mediterranean
古 代 よ りギ リシ ャ文 化 ト ル コ (〓Ottoman 移 さ れ 、1914年 8月
Empire)
の 支 配 下 に あ っ た が 、1878年
正 式 に 英 領 と な る 。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
乱 や
イ ギ リス に支 配 権 が War
II)後 の60年
〓p.331地
Union)
に 加 盟 し た。
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
の反
トル コ 占 領 地 域 が 一 方 的 に 北 キ プ ロ
・ ト ル コ 共 和 国 独 立 を 宣 言 。 南 部 の キ プ ロ ス 共 和 国 は2004年
〓European
弱 の トル
に 内 戦 化 。 民 族 解 放 組 織 エ オ カ (〓EOKA)
トル コ の 介 入 な ど で 混 乱 が 続 き 、83年
。
紀 以 降 オス マ ン ・
に 独 立 を 果 た し た が 、 住 民 比 で 多 数 を 占 め る ギ リ シ ャ 系 住 民 と2割
コ 系 住 民 の 対 立 が 激 し く 、63年
ス
Sea) に 浮 か ぶ 島 国 。 首 都 ニ コ シ ア (Nicosia)
・ ビ ザ ン チ ン 文 化 の 影 響 が 著 し い 。16世
に 欧 州 連 合 (EU:
Czechoslovakia
チ ェコ スロ バキ ア 国 名 は チ ェ ク 人 (Czechs) と ス ロバ キ ア 人 (Slovakias) の 統 合 を
示 す 。 チ ェ ク 人 は 、1618年 Years
以 降 全 欧 を 巻 き 込 ん で 行 わ れ た30年
戦 争 (Thirty
War) の 後 、 オ ー ス ト リ ア ・ハ プ ス ブ ル ク (Habsburg) 家 の 支 配 下 に お か れ
て い た 。 一 方 、 ス ロ バ キ ア 人 は1000年 い た 。1867年
に わ た って ハ ンガ リー支 配 下 にお か れ て
、 オ ー ス ト リ ア ・ハ ン ガ リー 帝 国 ( 〓Austro-Hungarian
の 成 立 に よ り両 者 は 接 近 、1918年
Empire)
共 和 国 と して 独 立 を 宣 言 し た 。 し か し、39年
3月 、 ドイ ツ に よ っ て チ ェ コ が 併 合 され 、ス ロ バ キ ア が 保 護 国 化 さ れ る に い た り、 チ ェ コ ス ロ バ キ ア は 解 体 。 第2次
世 界大 戦 ( 〓World
に さ ら さ れ た が 、 戦 後 の48年2月
、 クー デ タ ー に よ り左 派 政 権 が 成 立 し た 。
68年 、 ド プ チ ェ ク (Dobcek, 化
Alexander)
共 産 党 第1書
War
II)中 も ドイ ツ の 脅 威
記 の も とで 行 わ れ た民 主
・ 自 由 化 運 動 が ソ 連 軍 侵 入 に よ っ て 失 敗 し た 「プ ラ ハ の 春 (Prague
降 は 、 現 実 的 中 道 路 線 が と ら れ 対 ソ 関 係 も正 常 化 した 。89年
Spring) 」以
末 、再 び起 こ っ た
民 主 化 運 動 に よ っ て 保 守 勢 力 は 一 掃 、 非 共 産 勢 力 の 「市 民 フ ォ ー ラ ム (Civic Forum)
」が 政 権 を 握 っ た 。90年3月
チ ェ コ ス ロ バ キ ア 連 邦 共 和 国 と な り、93年
1月 、 チ ェ コ 共 和 国 とス ロバ キ ア 共 和 国 の 二 国 に 正 式 に 分 離 した 。 〓p.278図
解1「 ベ ル サ イ ユ体 制 下 の ヨー ロ ッパ」
〓p.328地
図〓 ( 現代 の世 界[国 名 と地 図])
D Daladier,
Edouard(1884∼1970)
ダラ デ ィエ
フ ラン スの政 治 家 。首 相 ( 任1933、34、38∼40) か ら急 進 社 会 党 (Radical
Socialist Party) 総 裁 。2回
シ ズ ム を唱 え る人民 戦 線 ( 〓Popular
Front) に 参 加 し、 ブ ル ム (〓Blum,
人 民 戦 線 内 閣 で は 副 首 相 兼 国 防 相 。38年
政 策 を 行 う。 第2次
Conference)
世 界 大 戦 (〓World
Dalai
Lama
policy) を 展 開 。 同
に出席 後、 一 転 して反 労 働 者
War
な い 成 立 し た 親 独 政 権 の ビ シ ー政 府 (〓Vichy 終 戦 後 の45年
L〓on)
に は 自 ら 内 閣 を 組 織 し、 人 民 戦 線 を 打
ち 切 っ て 、 ドイ ツ と の 妥 協 を 図 る宥 和 政 策 ( 〓appeasement 年 ミュ ンヘ ン会 議 ( 〓Munich
。1936年
の首 相 経験 を 経て 、 反 フ ァ
II)中 の40年
・反共
、 対 ドイ ツ 降 伏 に と も
France) に よ っ て 捕 ら え ら れ た が 、
に釈 放 され た。 後 に国 民議 会 議長 、急 進社 会 党 名誉 総 裁 に なっ た。
ダ ラ イ ・ラ マ チ ベ ッ ト仏 教 ゲ ル ク派 の 最 高 位 の 化 身 僧 。 チ ベ ッ ト難 民 社 会 の
最 高 指導 者 。 ダ ライ はモ ン ゴル語 ( 大 海 の 意 )、 ラ マ は チ ベ ッ ト語 (高 僧 の 意 )か ら 来 た 語 。 現 在 の ダ ライ ・ ラ マ は14世
(1935∼ )。1951年
17条 協 定 に 調 印 さ せ ら れ た 。59年 (Dharamsala) れ 、89年 Dalmatia
中 国領 へ の 併合 を認 め る
に は イ ン ドに亡 命、 翌 年 ダ ラム サ ラ
で 亡 命 政 庁 を 設 立 した 。 軍 事 支 配 に 対 して の 非 暴 力 闘 争 が 評 価 さ
ノ ー ベ ル 平 和 賞 (Nobel Peace
Prize)を 受 賞 した 。
ダ ル マ テ ィア 旧 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア の 南 西 部 、 ア ド リ ア 海 (Adriatic Sea) 沿 岸 の 地 方
名 。 南 は ア ル バ ニ ア 国 境 か ら 、 北 は ザ ダ ル (Zadar) に 至 る 海 岸 と海 上 の 諸 島 を 含 む 。 紀 元 前 か ら ロ ー マ 領 と な り、395年 Empire)
以 降 は 西 ロ ー マ 帝 国 (Western
に 属 し た 。 ユ ス テ ィ ニ ア ヌ ス 帝 (Justinianus
(Eastern
Roman
Empire)
と な り、7世
Roman
I) の 頃 に 東 ロ ー マ 領
紀 に は ス ラ ブ 人 (Slavs)が 侵 入 し、 北 部
は ク ロ ア チ ア 人 (Croatian) 、南 部 は セ ル ビ ア 人 (Serbs)が 居 住 す る よ う に な っ た 。 そ の 後 、 オ ス マ ン ・ トル コ 領 と な り、 海 岸 地 方 は ベ ネ チ ア (Venetia)領 とな っ た 。 1814年
の ウ ィ ー ン会議 ( 〓Vienna
世 界 大 戦 (〓World チ ア共 和 国領 。 〓Yugoslavia
War
Congress)
I)後 の1918年
で オ ー ス ト リ ア 領 と な り、 第1次
、 旧 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア を経 て 、 現 在 ク ロ ア
D'Annunzio,
Gabriele(1863∼1938)
ダヌ ン ツ ィオ
イ タ リ ア の 詩 人 、 小 説 家 、 劇 作 家 。 耽 美 的 ・官 能 的 傾 向 の 作 品 が 多 い 。 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I) 当 時 は フ ラ ン ス に い た が 、 参 戦
論 を 唱 え て 愛 国 運 動 展 開 の た め に 帰 国 。 戦 後1919年 メ (〓Fiume/Rijeka)
の 占 領 を 指 揮 し て 、15カ
に ユ ー ゴ ス ラ ビ ア領 フ ィ ウ 月 間 自 由 都 市 と して 支 配 し た 。
フ ァ シ ス ト政 府 に 侯 爵 の 称 号 を 贈 ら れ 、 イ タ リ ア
・ ア カ デ ミー 会 長 に も な っ た 。
晩 年 は 北 イ タ リ ア の ガ ル ダ (Garda) 湖 畔 で 穏 棲 。
Danzig
ダ ンツ イヒ グ ダ ニ ス ク (Gda〓sk)
の ドイ ツ 語 名 。 グ ダ ニ ス ク 州 都 で 、 ポ ー ラ ン ド
最 大 の 港 湾 都 市 。 バ ル ト 海 (Baltic 岸 に あ た る 。 交 通 の 要 所 で 、10世 14世
Sea) に 面 し て お り 、 ビ ス ワ (Wisla) 川 河 口 左 紀初 め に ス ラ ブの 商 港 と して建 設 され た 後 、
紀 に は ド イ ツ 騎 士 団 (Deutscher
し 、 ハ ン ザ 同 盟 (Hanseatic
Orden:
League:
14世
世 界 大 戦 (〓World
に よ っ て1920年
War
か ら39年
紀 の 宗 教 騎 士 団 )が 領 有
紀 に 栄 え た ドイ ツ 近 隣 の 商 業 都 市 同 盟 )
に 加 盟 。 ポ ー ラ ン ド と プ ロ イ セ ン (〓Prussia) 第1次
12∼15世
の間 で所 属 が た び た び移動 す るが、
I) 後 の ベ ル サ イ ユ 条 約 (〓Versailles,
ま で 自 由 都 市 と な る 。 第2次
Treaty
世 界 大 戦 (〓World
II)開 始 直 後 ド イ ツ に 併 合 さ れ た も の の 、戦 後 は ポ ー ラ ン ド領 と な る 。80年 ニ ン 造 船 所 ス ト を 契 機 に つ く ら れ た 自 主 管 理 労 組 「連 帯 (Solidarity)
of) War 、 レー
」の 発 祥 地 で
も ある。 〓Poland 〓p.278図
解1「
Dardanelles
ベ ル サ イ ユ体 制下 の ヨー ロ ッパ」
ダ ー ダ ネ ル ス海 峡 トル コ
of
Marmara)
(〓Black
Sea) を 結 ぶ 欧 亜 両 大 陸 間 の 海 峡 。 古 来 、 黒 海
Sea) と 地 中 海 (Mediterranean
の 拠 点 。14世 15世
・ イ ス タ ン ブ ー ル (Istanbul) の 南 西 に あ り 、 マ ル マ ラ 海 (Sea
と エ ー ゲ 海 (Aegean
Sea) を 結 ぶ 要 地 と さ れ 、 通 商
紀 ま で は ビ ザ ン チ ン 帝 国 (Byzantine
紀 以 後 は オ ス マ ン ・トル コ (〓Ottoman
Empire)
Empire)
・戦 略
上
の 水 路 と して栄 え、
領 と な る 。18世
紀 に 入 る と、
ロ シ ア 南 下 政 策 に よ り海 峡 地 域 を め ぐ る 列 強 の 勢 力 争 い が 激 化 す る 。 第1次
世 界
大 戦 (〓World
セ ー
War
ブ ル 条 約 (〓S〓vres, (〓Kemal,
Mustafa)
条 約 (〓Lausanne, そ の 後36年
I) で は 、 英 Treaty
・ 仏 軍 が 占 領 を 画 策 し た が 失 敗 し 、1920年
of) で 国 際 管 理 下 に お か れ た 。
ら トル コ の 民 族 主 義 者 の 反 対 に よ っ て 、23年 Treaty
の ロー ザ ン ヌ
of) に お い て 、 非 武 装 の 条 件 下 で ト ル コ に 返 還 さ れ た 。
の モ ン ト ル ー 協 定 (Montreux
れ た。 〓p.328地
し か し、 ケ マ ル
図〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Convention)
で トル コ の 主 権 が 回 復 さ
Dawes
Plan(1924)
ドー ズ 案 第1次
とつ 。1924年
世界 大戦 ( 〓World
War
I)後 の ドイ ツ賠 償 問 題 解 決 案 の ひ
、 ア メ リカ 代 表 の ドー ズ (Dawes,
員 会 (Allied Reparations
Committee)
Charles) を 中 心 と す る専 門 家 委
で 立 案 さ れ 、5年
間の 年次 支払 い額 を定
め た 。 そ の 他 、 ドー ズ 公 債 (loan)が 発 行 さ れ 、ア メ リ カ な ど の 外 資 導 入 を 図 っ た 。 と こ ろ が 、 ドイ ツ で 極 度 の イ ン フ レ が 進 行 した た め 支 払 い が 不 可 能 とな り、 後 に ヤ ン グ案 (〓Young 〓Reparation Dead
Sea
Plan) に よ る修 正 を 余 儀 な く され て し ま う。
problem(
ドイ ツ賠償 問題)
死海 イ ス ラ エ ル 、 ヨ ル ダ ン 国 境 の 湖 。 ヨ ル ダ ン 川 が 流 入 して い る が 蒸 発 に
よ っ て 年3∼5mも て い る。1947年
の 水 位 変 化 が あ り、 塩 分 濃 度25%
で 生 物生 存 不 可 能 とな っ
以 来 死 海 西 岸 の 洞 窟 か ら 旧 約 聖 書 関 係 の 古 文 書 が 見 つ か り、 『死
海 文 書 (Dead Sea Scrolls)』と 呼 ば れ て い る 。 De
Gaulle,
Charles
Andr〓
Joseph
Marie(1890∼1970)
ド ・ゴ ー ル
フ ラ ン ス の 軍 人 、 政 治 家 で 第5共 政 大統 領 ( 任1959∼69)
。 第1次
論 で 頭 角 を現 す と、 第2次
世 界 大 戦 (〓World
世界大戦 ( 〓World
ル (Abbeville) で ドイ ツ軍 侵 入 を 阻 止 。1940年 な が ら も 、自 由 フ ラ ン ス 政 府 ( 〓Free 44年8月
War
War
和
I)に 従 軍 し、 戦 術 ・理
II)で は ラ ン (Laon)や ア ブ ビ
フ ラ ン ス 降 伏 後 は ロ ン ドン へ 逃 れ
French) の 名 で レ ジ ス タ ン ス を 呼 び か け た 。
パ リ解 放 と と も に 臨 時 政 府 首 席 と な る が 、 間 も な く辞 職 し一 時 政 界 か
ら は 退 い た 。58年
ア ル ジ ェ リア戦 争 ( 〓Algerian
War) を め ぐっ て 国 政 が ゆ き づ
ま る と、 再 び 政 権 に つ き 憲 法 改 正 に 成 功 、 第5共 和 政 (Fifth Republic: 〓French Republic) を 形 成 して 自 ら も大 統 領 に 就 任 し た 。 フ ラ ン ス 独 自 の 核 武 装 を 主 張
し、 北 大 西 洋 条 約 機 構 (NATO:
Organization) 〓European
〓North
Atlantic
Treaty
の 軍 事 委 員 会 を 離 脱 、 そ の 他 ヨ ー ロ ッ パ 経 済 共 同 体 (EEC: Economic
Community)
結 成 な ど国 際 政 治 に お け る フ ラ ン ス の 地 位
向 上 に 努 め た 。 国 内 経 済 の 不 振 か ら69年 の 選 挙 に 敗 れ て 退 陣 し 、 ポ ン ピ ド ゥ ー (〓Pompidou,
De
Gaulle,
〓De
Democracy
Georges
General
Gaulle,
Jean
Raymond)
C.(1890∼1970)
Charles
Andr〓
が後 継 者 とな った 。
ド ・ゴ ー ル 将 軍
Joseph
Marie
民主 主 義 語 源 的 に は ギ リ シ ャ 語 の “demokratia”
に 由 来 し て お り 、“demos”
(民
衆 )+ “kratia”( 支 配 )に あ る 。 つ ま り 、 古 代 ギ リ シ ャ に お け る 民 主 主 義 と は 多 数 者 に よ る 統 治 を 意 味 し、 衆 愚 政 治 とい う マ イ ナ ス の イ メ ー ジ で あ っ た 。 中 世 か ら 近 代 に か け て も 同 様 の 思 想 が 続 い て お り、 肯 定 的 意 味 が で て き た の は19世 紀 中 頃 か らで あ る。 第1次 ル ソ ン( 〓Wilson,
世 界 大 戦 (〓World
Woodrow)
War
I)に参 戦 す る際 、ア メ リカ の ウ ィ
大 統 領 が 「民 主 主 義 の た め の 戦 い 」と い っ た と こ ろ
か ら、 広 く用 い ら れ る よ う に な っ た 。 第2次
世 界 大戦 ( 〓World
War
II)後 は 、
民 主 主 義 は ふ た つ の 方 向 に 発 展 し て い っ た とい え る。 す な わ ち 、 ア メ リカ を 中 心 とす る 自 由 主 義 陣 営 で は 「自 由 」に ウエ イ トが お か れ 、 一 方 ソ連 を 中 心 とす る 社 会 主 義 陣 営 で は 「平 等 」に ウ エ イ トが お か れ た わ けで あ る 。 し か し、 近 年 の 国 際 情 勢 を み る限 り、 社 会 主 義 的 民 主 主 義 は そ の 存 在 の 是 非 が 問 わ れ て い る と い え よ う 。 Deng
Xiaoping/Teng
Hsaio-Ping(1904∼97)
〓小 平
中 国 の 政 治 家 。1920年 リで 中 国 共 産 党 (Chinese
Communist
tung) 率 い る 長 征 (〓Long Republic 63年
フ ラ ン ス へ 留 学 し、24年
Party) に 入 党 。34年
March)
に も 参 加 。49年
毛 沢東 ( 〓Mao
パ
Tse
中 華 人 民 共 和 国 (People's
of China) 建 国 後 、副 首 相 。56年 に は 党 政 治 局 常 務 委 員 兼 総 書 記 に 就 任 。
中 ソ 会 談 で は 中 国 側 代 表 と し て 出 席 。66年
Revolution)
で は 実 権 派 と され 失 脚 した が 、73年4月
職 し 、75年1月
党 副 首 席 、 第1副
7日 の 天 安 門 事 件 (Tiananmen
の 文 化 大 革 命 (〓Cultural 副 首 相 、74年
政 治局 員 に復
首 相 、 軍 事 参 謀 長 に 昇 格 。 しか し 、76年4月 Incident) で 全 職 解 任 さ れ た 。 翌77年
に は復 権 を
果 た し、 現 実 派 路 線 を 推 進 した 。80年 軍 事 参 謀 長 、 副 首 相 を 辞 任 した が 、81年 党 中 央 軍 事 委 員 会 の 主 席 の 座 に つ い た682年 中 央 顧 問 委 員 会 主 任 に 推 され 、83年
に 入 っ て 党 副 主 席 を 辞 任 した が 、
国 家 中 央 軍 事 委 員 会 主 席 に 。 高 齢 の た め87
年 政 治 局 常 務 委 員 と中 央 顧 問 委 員 会 主 任 を 勇 退 し、90年
国家中央軍事委員会主
席 を 辞 め て す べ て の 公 職 か ら退 い た が 、 そ の 後 も 中 国 の 最 高 実 力 者 と し て 君 臨 し た。 Denmark
デ ンマ ー ク ユ トラ ン ド(Jutland)半 島 と そ の 東 に あ る ヒ ュ ン (Fyn)島 、 シ ェ ラ ン
(Sjelland)島 、 ロ ラ ン (Lolland) 島 な ど400近 ン ハ ー ゲ ン (Copenhagen)
。1397年
い島 々 か ら成 る王 国 。 首 都 は コ ペ
に は デ ン マ ー ク 、ス ウ ェー デ ン 、 ノ ル ウ ェ ー
の 間 に お い て 、 デ ン マ ー ク優 位 を 前 提 と した 三 国 合 一 を 内 容 と す る カ ル マ ル 同 盟 (Union
of Kalmar)
が 成 立 す る が 、1523年
ウ ェ ー が 独 立 した 。19世
に ス ウ ェ ー デ ン が 、1814年
シ ュ レス ビ ヒ ・ホ ル シ ュ タ イ ン (Schleswig-Holstein) ( 〓World
War
には ノル
紀 に 入 る と、 プ ロイセ ン( 〓Prussia) と の 戦 い で1864年
I)で は 中 立 を 守 る が 、 第2次
イ ツ に 占 領 さ れ た 。1944年
を 失 っ た 。 第1次
世界 大 戦 ( 〓World
War
世 界大 戦 II)で は ド
ア イ ス ラ ン ドが 分 離 独 立 し た が 、 グ リ ー ン ラ ン ドは
現 在 も 領 有 し て い る 。49年 Organization)
に 加
Community)
北 大 西 洋 条 約 機 構 (NATO:
盟
し、73年
に 加 盟 。EC統
〓European
Union)
ヨ ー
Atlantic
体 (EC:
〓p.328地
図〓 ( 現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
世 界 恐慌
Depression
Geoffrey
Smith
Stanley,
14th(1799∼1869)
ダ ー ビ ー14世 ダ ー ビー
ジ ェ フ リ )。 イ ギ リス の 政 治 家 。 首 相 (任1852、58∼59、66∼68) ド大 学 (Oxford, 院 議 員 。 グ レー た が 、35年
University
of) を 卒 業 し 、1822年
(〓Grey,
Charles)
。オ ックスフ ォー
よ り ホ イ ッ グ 党 (〓Whigs)
下
Party) へ 転 じ た 。41年
∼44年
ピ ー ル (〓Peel,
内 閣 で 再 び 植 民 相 と な っ た が 、 ピ ー ル の 自 由 貿 易 政 策 (〓Free
に 反 対 し て 辞 任 。44年
上 院 議 員 に な り 、 保 護 貿 易 主 義 (〓protectionism)
派 の リ ー ダ ー 的 存 在 と な っ た 。52年 崩 壊 。 そ の 後58年 は 第2次
(エ ド ワ ー ト ・
内 閣 の ア イ ル ラ ン ド事 務 相 や 植 民 相 を 歴 任 し
保 守 党 (〓Conservative
Robert)
Trade)
Treaty)
ドイ ツ の統一 」
Great
Edward
Sir
Treaty
〓European
に再 度 実施 され た国 民投 票 で は可 決 され て い る。
解4「
Derby,
同
に 国 民 投 票 が 行 わ れ た が 、 僅 少 差 で 否 決 され 、 統 合 の
〓p.281図
〓Great
〓North 共
合 へ 向 け た 動 き と し て 、 ヨ ー ロ ッ パ 連 合 (EU:
困 難 さ を 露 呈 し た 。93年5月
the
ッ パ
の 実 現 を 目 指 す マ ー ス ト リ ヒ ト条 約 (〓Maastricht
の 批 准 に つ い て92年6月
Depression,
ロ
∼59年
、66年
保 護 主 義 派 伐 の 内閣 を組 閣 す るが 、年 内 に
∼68年
に か け て 首 相 に 就 い た 。 こ の 間 、67年
選 挙 法 改 正 で デ ィ ズ レ ー リ (〓Disraeli,
行 し た 。 翌68年
Benjamin)
に
に 協 力 し、 こ れ を 断
、 病 い を 理 由 に 引 退 し、 デ ィ ズ レ ー リ に 政 権 を 譲 っ た 。 オ ッ ク
ス フ ォ ー ド大 学 総 長 を 務 め た こ と も あ る 。 な お 、 ダ ー ビ ー 競 馬 は 彼 の 祖 父 が 発 案 した もの。
Derby,
Edward
Henry
Smith
Stanley,
15th(1826∼93)
ダ ー ビ ー15世 ダ ー ビ ー (エ ド ワ ー ト ・ヘ ン
リ ー )。 イ ギ リ ス の 政 治 家 。 エ ド ワ ー ド ・ジ ェ フ リ ー (Edward ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 (Cambridge, (〓Conservative
Party)
University
下 院 議 員 。52年
of) を 卒 業 し 、1848年
Benjamin)
か ら保 守 党
of India
Act) を 成 立 さ
ダ ー ビ ー 内 閣 と デ ィ ズ レ ー リ (〓Disraeli,
内 閣 の 外 相 と し て エ ジ プ ト か ら の ス エ ズ 運 河 (〓Suez
な ど に 手 腕 を 発 揮 し た 。80年
の 長男 。
、 父 の 内 閣 で 外 務 次 官 を 務 め た 。58年
に は 植 民 相 と し て 入 閣 し 、 イ ン ド 統 治 法 (〓Government せ 、 イ ン ド 事 務 相 と な っ た 。 第3次
Geoffrey)
に は 自 由 党 (〓Liberal
Canal)
Party) へ 転 じ 、 第2次
株 買 収 グ ラッ
ド ス ト ン (〓Gladstone,
William
ラ ン ド 自 治 法 案 (〓Home 由 統 一 党 指 導 者 University
D〓tente
Rule
と し て 活 躍
Ewart)
内 閣 の 植 民 相 と な っ た が 、86年
Bill) に 反 対 し て 辞 任 。 そ の 後91年 し た 。91年
∼93年
ア イル
まで 上院 の 自
、 ロ ン ド ン 大 学 (London,
of)総 長 を 務 め る 。
デ タン ト
“d〓tendre”
国 際 関 係 の 緊 張 緩 和 を 示 す 。 フ ラ ン ス 語 で 「弛 め る 」 と い う 意 味 の に由 来す る 。1962年10月 の キ ュ ー バ 危 機 (〓Cuban Crisis) を 契 機 と
し て 、 フ ラ ン ス の ド ・ ゴ ー ル (〓De
Gaulle,
Charles
Andr〓
Joseph
Marie)
大 統
領 が 東 西 関 係 の 望 ま れ る 姿 を 「デ タ ン ト、 ア ン タ ン ト 、 コ ー ペ ラ シ オ ン (緊 張 緩 和 、 相 互 理 解 、 協 力 )」と 表 現 し て 以 来 、 広 く 一 般 化 し て い っ た 。60年 代 前 半 に か け て の 西 (〓Ostpolitik) シ ン ジ ャー 表 例 。
・ ブ ラ ン
ト (Brandt,
、 ア メ リ カ ・ニ ク ソ ン ( 〓Nixon, (〓Kissinger,
さ ら に 、80年
Sergeyevich)
ドイ ツ
Henry
代 後 半、
Alfred) ソ 連
Willy)
Richard
代 末 か ら70年
首 相 の 東 方 政 策
Milhous)
大統 領 、 キ ッ
国 務 長 官 の 対 ソ軍 備 管 理 交 渉 な ど が 代
ゴ ル バ チ
ョ フ (〓Gorbachev,
Mikhail
書記 長 に よ る対外 政 策 の抜 本 的 転換 とそれ 以降 の 一 連 の展 開 を新
デ タ ン トな ど と 呼 ぶ 。
Dien
Bien
Phu,
Battle
of
(1954)
デ ィエ ン ビエ ン フー の戦 い
イ ン ド シ ナ 戦 争 (〓Indo-China 月 、 ベ ト ナ ム 民 主 共 和 国 (Democratic が フ ラ ン ス 軍1万6000人
Republic
を 包 囲 撃 滅 し た55日
of Viet
War) Nam)
中 の1954年5
の ベ トナ ム 解 放 軍
間 の 戦 い 。 イ ン ドシ ナ 戦 争 休 戦 の
契 機 と な っ た 。 デ ィ エ ン ビ エ ン フ ー は ベ ト ナ ム 北 西 部 の 、 交 通 ・軍 事 上 の 要 地 で 、 フラ ンス軍 の本 拠地 で あ った。
Directory
(1795∼99)
フ ラン ス総裁 政府
1795年
、 フ ラ ン ス 革 命 (〓French
成 立 し た 共 和 政 政 権 。5人 体 化 。 軍 部 が 台 頭 し て99年 メ ー ル18日
Disarmament
Revolution)
の最 終段 階 に お いて
の 総 裁 が 行 政 権 を 握 っ て 安 定 を 図 っ た が 、 ま も な く弱 ナ ポ レ オ ン1世
の ク ー デ タ ー (〓Brumaire,
Coup
(〓Napoleon
I) が 起 こ し た ブ リ ュ
d'〓tat of) に よ っ て 倒 さ れ た 。
軍 縮 軍 備 の 縮 小 な い し は 撤 廃 の た め の 諸 規 制 の こ と 。 第1次
戦 (〓World
War
(〓Washington 戦 (〓World
I) Naval
War
後 の1922年 Treaty)
に 締 結
さ れ た 、
ワ シ ン
ト ン 海 軍 条 約
は 典 型 的 な 軍 縮 条 約 と し て 有 名 。 第2次
II)後 は 、 主 に 国 際 連 合 (〓United
Nations)
動 の 立 場 か ら 軍 縮 は 唱 え ら れ て い る 。 東 西 冷 戦 構 造 (〓Cold
世 界 大
世 界 大
、 国 際 法、 平 和運 War)
の 頃 は、軍 備
管 理 に よ る 安 定 性 を 求 め る軍 縮 が 主 で あ っ た が 、 冷 戦 終 結 後 は 、 軍 備 削 減 ・軍 備 縮 小 を 求 め る 理 想 主 義 的 軍 縮 の 実 現 も 必 ず し も 不 可 能 で は な くな り、 合 意 事 項 を 守 っ て い る か ど うか を 確 認 す る 「査 察 」が 重 要 視 され て き て い る 。 Disraeli,
Benjamin(1804∼81)
デ ィズ レ ー リ
イ ギ リス の 政 治 家 、 首 相 (任1868、74∼80) 小 説 、 歴 史 小 説 を 著 し た 後 、6回
もの 落 選 を 経 て1837年
。 作 家。 心 理
保守 党 ( 〓Conservative
Party) 下 院 議 員 と な る。 君 主 を 中 心 と す る 「 ト ー リ ー 民 主 主 義 (Tory Democracy) Geoffrey
」を 主 張 。52年
Smith
Stanley,
、58年
、66年
の ダ ー ビ ー
首 相 に 就 任 す る も の の 、 ア イ ル ラ ン ド自 治 問 題 ( 〓Home グ ラ ッ ドス トン ( 〓Gladstone,
William
な り、 エ ジ プ ト よ りス エ ズ 運 河 ( 〓Suez ア女 王 ( 〓Victoria,
(〓Derby,
Queen)
Rule
Bill)で 退 陣 。 後 、
Ewart) 内 閣 崩 壊 を う け74年 再 び 首 相 と Canal) の 株 式 を 買 収 。76年
Congress
、 ビ ク トリ
の イ ン ド女 帝 兼 任 で イ ン ド支 配 を 強 化 し、 そ の 功 に
よ っ て ビ ー コ ン ス フ ィ ー ル ド伯 (Beaconsfield) に 叙 せ ら れ た 。78年 会 議 (〓Berlin,
Edward
14th) 内 閣 で は 蔵 相 を 務 め 、保 守 党 の 重 鎮 と な る。68年 、
の ベ ル リン
of)で は ロ シ ア の 南 下 を 阻 止 し、 キ プ ロ ス も 獲 得 。 対
外帝 国 主 義政 策 ( 〓imperialism)
を積 極 的 に展 開 した が 、80年
の 総 選 挙 に敗 北 し
て辞 任 に 追 い込 まれ た。 Dominican
Republic
ドミニカ 共和 国 中 央 ア メ リカ 中 部 に あ る 共 和 国 。 西 イ ン ド諸 島 の イ ス パ
ニ ョ ラ 島 (Hispaniola) を ハ イ チ と分 け て お り 、 そ の 東 半 分 。 首 都 サ ン ト ド ミ ン ゴ (Santo Domingo)
。 コ ロ ン ブ ス (Columbus,
Christopher)
が 漂 着 して 以 来 ス ペ
イ ン領 で あ っ た が 、1795年 フ ラ ン ス へ 譲 渡 さ れ る 。イ ギ リス との 争 い が 続 い た 後 、 1805年
イ ギ リス に 帰 属 。44年
一 度 は 独 立 を 宣 言 した が 、61年 再 び ス ペ イ ン に併
合 され 、 よ うや く65年 ス ペ イ ン よ り独 立 を果 た し た 。1905年 メ リ カ に 経 済 援 助 を う け 、 そ の 間16年 ∼24年
にか けて ア
に は 、 海 兵 隊 が 派 遣 され た 。1930
年 よ り30年 あ ま りの 間 ト ル ヒ ー リ ョ 将 軍 (Trujillo, Rafael な っ た 。66年
∼41年
Leonidas)
の独 裁 と
新 憲 法 が 制 定 さ れ 、 文 民 大 統 領 が 数 代 続 くな ど政 治 的 に 安 定 しつ
つ あ る 。 ま た 、92年 の コ ロ ン ブ ス 新 世 界 到 達500年
の 頃 よ り観 光 業 が 伸 び を み せ 、
現 在 は 観 光 ・サ ー ビ ス 業 が 経 済 成 長 の 核 とな りつ つ あ る 。 〓p.333地 Draft
Treaty
図〓 ( 現代 の世 界[国 名 と地 図]) of Mutual
Assistance(1923)
相互 援 助 条約 案 第1次
平 和 へ の 気 運 が 高 ま り1920年
世 界 大戦 ( 〓World
に は国 際連 盟 ( 〓League
War
I)後 、
of Nations) が 成 立 し た 。
そ の際 、 国 際 間の 軍事 規 定 として この条 約 が提 案 され たが 、 フラ ン スな どの支 持
は あ っ た もの の 、 広 範 囲 に 植 民 地 を 有 して い る イ ギ リ ス が 軍 備 制 限 な どの 条 件 に 対 して 反 対 。 結 局 こ の 案 は 成 立 しな か っ た 。 Dreikaiserbund(1881)
〓Three Dreyfus
三帝 同盟
Emperors'
League
Affair(1894)
ドレフ ュス 事件
1894年
、 フ ラ ン ス の 参 謀 本 部 付 砲 兵 大 尉 ド レ フ ュ ス (Dreyfus,
Alfred) が 、 軍 の 機 密 文 書 を ドイ ツ へ 売 却 した 嫌 疑 で 逮 捕 さ れ 、 終 身 流 刑 と な っ た 。 終 始 無 罪 を 訴 え た ド レ フ ュ ス に 対 して 、 共 和 主 義 者 、 人 道 主 義 者 ら は 再 審 を 要 求 した 。 な か で も 、 作 家 エ ミ ー ル ・ゾ ラ (〓Zola,
〓mile)の 投 稿 は有 名 。 一 方 、
軍 部 や 反 ユ ダ ヤ 主 義 者 、 カ ト リ ッ ク 勢 力 は再 審 反 対 派 と な り、 国 論 を 二 分 す る結 果 を 招 い た 。 しか し、 大 勢 は 再 審 へ と傾 き、99年
レ ン ヌ軍 法 会 議 が 開 か れ た が
再 び 有 罪 と な っ た 。 同 年 、 大 統 領 特 赦 で 釈 放 され た ド レ フ ュ ス は そ の 後 も無 罪 を 主 張 し、 つ い に1906年 Dual
Alliance(1879)
最 高 法 院 に よ っ て 無 罪 が 確 認 さ れ 、 復 権 を 果 た した 。
二 国 同 盟 (ドイ ツ ・オ ー ス ト リア ) 独 墺 同 盟 (Austro-German
盟 )と も い う。1879年
Alliance:
ドイツ ・オー ス トリア同
、 ドイ ツ の 首 相 ビ ス マ ル ク ( 〓Bismarck,
Otto
von) 主 導
の も とに 結 ば れ た 、 ドイ ツ ・ オ ー ス ト リ ア 間 の 対 ロ シ ア 軍 事 同 盟 。73年 れ た ドイ ツ ・ロ シ ア ・オ ー ス ト リ ア の 三 帝 協 約 ( 〓Triple
Emperors'
に結 ば
Entente) が
弱 体 化 し 、 ロ シ ア と ドイ ツ の 対 立 が 深 ま っ た こ と か ら 締 結 さ れ た 。 ロ シ ア の 攻 撃 に 対 して は 共 同 して 戦 い 、 他 国 の 攻 撃 に 対 し て は好 意 的 中 立 を 守 る こ とな ど を 規 定。 〓Triple
Alliance( 三 国 同 盟 )
〓p.285図 Dual
解8「 第1次 世 界大 戦 の背 景」
Alliance(1894)
二 国同 盟 ( ロ シ ア ・フ ラ ン ス ) 露 仏 同 盟 (Franco-Russian
Alliance:
ロシア
・ フ ラン ス同 盟)
と も い う。 ド イ ツ ・ オ ー ス ト リ ア ・イ タ リ ア の三 国 同 盟 (〓Triple
Alliance) に
対 抗 し て ロ シ ア と フ ラ ン ス の 間 に 結 ば れ た 軍 事 同 盟 で 、 政 治 協 定 と軍 事 協 定 よ り 成 る 。1878年
の ベ ル リ ン会 議 (〓Berlin,
Congress
of)以 来 、 ロ シ ア とオ ー ス ト
リアの 対立 激 化 及 び ロシ ア と ドイ ツの経 済 対 立 か ら、 ロシ ア は フ ラ ン ス に接 近。 特 に ロ シ ア が フ ラ ン ス 資 本 の 援 助 を 受 け て い た こ とか ら 、 両 国 の 接 近 は 経 済 的 に も促 進 さ れ た 。 一 方 、 フ ラ ン ス も孤 立 化 を恐 れ て い た こ とか ら 、 両 国 の 思 惑 が 合 致 した 。 こ の 結 果 、 ヨー ロ ッパ に は
〓 三 国 同 盟 (ド イ ツ ・オ ー ス ト リ ア ・イ タ リ ア ) 〓 二 国 同 盟 (ロ シ ア ・ フ ラ ン ス ) 〓 「光 栄 あ る 孤 立 (〓Splendid
Isolation)
が 、 後 の 英 仏 協 商 (〓Anglo-French Entente)
」の イ ギ リ ス と い う3極
Entente)
体 制 が 成 立 した
、 英 露 協 商 (〓Anglo-Russian
に よ っ て 、 三 国 同 盟 対 三 国 協 商 (〓Triple
Entente)
とい う 状 況 へ と転 換
し て い く こ と に な る。 〓p.285図
Dual
解8「
Monarchy
of
第1次
世 界大 戦 の背 景」
Austria-Hungary
二重 帝 国 オ ー ス ト リ ア ・ハ ン ガ リ ー 帝 国 の こ と 。
〓Austro-Hungarian
Dublin
Empire
ダ ブ リン ア イ ル ラ ン ド 共 和 国 の 首 都 で 、 ダ ブ リ ン 州 の 州 都 。8世
ン グ の 根 拠 地 と な り 、1169年
ア ング ロ
以 来 、 ア イ ル ラ ン ド 島 の 中 心 地 と な っ た 。1455年 ス で 起 こ っ た バ ラ 戦 争 (War 1642年
of
the
Roses)
か ら の ピ ュ ー リ タ ン 革 命 (Puritan
Revolution:
で は ヨ ー ク (York) 家 の 拠 点 と な り 、
Revolution:
〓English
ス タ ン ト支 配 体 制 の 中 心 に な っ た 。20世 ス タ ー 蜂 起 (〓Easter
Rebellion)
に征 服 され て
に 王位 継 承 をめ ぐって イ ギ リ
の 際 は 、 イ ギ リ ス の 軍 人 ク ロ ム ウ ェ ル (〓Cromwell, 誉 革 命 (Glorious
紀 頃 、 バ イ キ
・ サ ク ソ ン (Anglo-Saxons)
〓English Oliver)
Revolution)
Revolution)
に 占 領 され た。 名
以 降 、18世
紀 に は プ ロテ
紀 に 入 っ て か ら は 、1916年4月24日
イ ー
が 起 こ る な ど独 立 戦 争 や 内 戦 の 主 要 舞 台 とな っ
た。 〓Ireland
Dulles,
John
Foster(1888∼1959) ア
Nations)
ダ レス メ リ カ の 政 治 家 。1945年
の 創 設 を 決 め た サ ン フ ラ ン シ ス コ 会 議 (〓San
に は 、 超 党 派 外 交 に お け る 共 和 党 (Republican ト ル ー マ ン (〓Truman, ∼53) Dwight
Harry
Shippe)
Francisco
Conference)
代 表 と して 出席 。 ま た、
政 権 で は 国 務 長 官 特 別 顧 問 と し て (1950
、対 目 講 和 条 約 締 結 に 尽 力 し た 。1953年 David)
Party)
、 国 際 連 合 (〓United
ア イ ゼ ン ハ ウ ア ー (〓Eisenhower,
大 統 領 の 国 務 長 官 を 務 め 、 共 産 圏 に 対 す る 巻 き返 し政 策 を 立 案 し
て 、 対 ソ 強 硬 対 策 を 実 施 し た 。 そ の 結 果 、 冷 戦 構 造 (〓Cold
War)
は硬 直 化 し て
い くこ とに な った。
Dumbarton
Oaks
Conference(1944)
ダ ン バ ー トン ・オ ー ク ス 会 議 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II) 中 の1944年
、
ワ シ ン トン (Washington 連 合 国 側 の 会 議 。1回 が 、2回
D.C.) 郊 外 に あ る ダ ンバ ー トン ・オ ー ク ス 荘 で 開 か れ た め の 会 議 は ア メ リ カ ・イ ギ リ ス ・ソ連 の 参 加 で 開 催 され た
め に は ソ連 に 代 わ っ て 中 国 が 参 加 。 計2回
に 分 け て3カ
国会 議 が行 わ れ
た 。 当 時 ソ 連 が 日本 とは 中 立 関 係 に あ り、 日本 と交 戦 中 の 中 国 との 同 席 を 拒 ん だ ため で あ る。 会議 内容 は 、戦 後 の平 和保 障 に関 す る新国 際機 構 につ いて の具 体 案 作 成 で あ っ た 。 こ の 草 案 は 後 に サ ン フ ラ ン シ ス コ 会 議 (〓San Conference) ( 〓Charter Dunkirk
Francisco
を 経 て 部 分 的 な 手 直 しが 加 え ら れ た も の の、 国 際 連 合 憲 章 of the United
Nations) の 基 礎 と な っ た 。
ダ ンケ ル ク フ ラ ン ス 北 西 部 。 ベ ル ギ ー 国 境 に 近 い 北 海 (North
都 市 。 フ ラ ン ス 語 で はDunkerque。
Sea) に 臨 む 港 湾
中 世 以 降 、 漁 港 と して フ ラ ン ドル (Flandre)
侯 、 ブ ル ゴ ー ニ ュ (Bourgogne) 侯 、 オ ー ス ト リ ア ・ ス ペ イ ン 王 家 な ど の 支 配 下 に 入 っ た 。1659年
ピ レネ ー 条 約 (Pyrenees,
Treaty
of)で フ ラ ン ス へ の 帰 属 が 決
定 し た 後 も、 イ ギ リ ス は た び た び 港 の 埋 積 を 要 求 し た 。1713年 争 ( 〓Spanish
Succession,
War
of)で 、 一 時 は港 湾 機 能 が 停 止 す る が 、1763年7年 の パ リ条 約 ( 〓Paris, 界 大 戦 (〓World ( 〓World
War
Treaty
War
ス ペ イ ン継 承戦
of the)後 の ユ ト レ ヒ ト条 約 ( 〓Utrecht, 戦 争 (〓Seven
Treaty
Years
War) 後
of)に よ っ て そ の 機 能 は取 り も ど され た 。 第1次
I) で は ド イ ツ 軍 の 空 襲 を う け た 。 第2次
II)中 の1940年
世
世 界 大 戦
、35万 の 英 ・仏 両 軍 の 将 兵 が ドイ ツ軍 に 包 囲 さ れ 、
陸 空 か ら の 襲 撃 の 中 を 海 峡 を 渡 り撤 退 した 港 と し て 有 名 。 戦 後47年
、 ドイ ツ の
脅 威 を 防 ぐ た め に イ ギ リス ・ フ ラ ン ス の 間 で 結 ば れ た ダ ン ケ ル ク条 約 (Dunkirk, Treaty
of)は 、 次 第 に 東 側 陣 営 へ の 対 抗 の 意 味 を 加 え て い き、48年
ス三 国 ( 〓Benelux
countries:
ブ リ ュ ッ セ ル 条 約 (〓Brussels,
Dutch
(NATO:
〓North
East
Indies
Atlantic
に はベ ネ ル ク
ベ ル ギ ー ・オ ラ ン ダ ・ル ク セ ン ブ ル グ)を 加 え た Treaty
Treaty
of)へ と発 展 。 翌 年 の 北 大 西 洋 条 約 機 構
Organization)
結 成 の基 礎 と なっ た。
オ ラン ダ領 東 イ ン ド オ ラ ン ダ統 治 時 代 に 、 現 イ ン ドネ シ ア 共 和 国 全 域 に与 え られ
た 名 称 。1596年
オ ラ ン ダ 艦 隊 が ジ ャ ワ (Java)島 西 部 に 入 港 し、1602年
東 イ ン ド会 社 ( 〓East
India Company)
タ )に 総 督 が 駐 在 し、 貿 易 活 動 の 拠 点 と し た 。1794年
フ ラ ンス革 命 軍 にオ ラ ン ダ
本 土 を 占領 さ れ 東 イ ン ド会 社 が 衰 退 す る と と も に 、99年 の 直 轄 領 と な っ た 。 ナ ポ レオ ン戦 争 ( 〓Napoleonic の5年
オランダ
を 設 立 。 バ タ ビ ア (Batavia: 現 ジ ャ カ ル
解 散 して オ ラ ン ダ 本 国
Wars) の影 響 で1811年
間 は イ ギ リ ス に 統 治 さ れ た が 、 戦 後 返 還 さ れ た 。1830年
か ら
以 降、 オ ラ ン ダ
政 府 は 本 国 の 財 政 難 を 理 由 に 、 コ ー ヒ ー ・砂 糖 な ど の 強 制 栽 培 制 度 で 住 民 を 苦 し め た 。1942年
に は 第2次
世界 大 戦 ( 〓World
War
II)に お け る 日 本 軍 の 東 南 ア ジ
ア 進 出 で オ ラ ン ダ が 無 条 件 降 伏 した も の の 、 戦 後45年8月17日 和 国 (Republic
of Indonesia)
植 民 地 回 復 を 画 策 。 結 局4年 (Round-Table され た 。 〓Indonesia
Conference
イ ン ドネ シ ア 共
と して 独 立 す る と、 オ ラ ン ダ は こ れ を認 め ず 再 び に わ た る 独 立 抗 争 の 後 、49年
in the Hague)
ハ ー グ円 卓会議
に よ っ て 、 オ ラ ン ダ よ り主 権 が 委 譲
E Eastern
Question
東方 問 題 19世 紀 、 トル コ と エ ジ プ トの 紛 争 に 絡 ん で 発 生 し た 欧 州 列
強 の 国 際 問 題 。 オ ス マ ン ・ トル コ帝 国 ( 〓Ottoman
Empire) の 衰 退 に と も な っ て
支 配 下 の 諸 民 族 は独 立 を画 策 し、 一 方 列 強 は これ に 乗 じ て この 地 域 へ の 進 出 を 望 ん で い た 。 大 勢 と して 、 ロ シ ア は バ ル カ ン (Balkan) へ の 進 出 を も く ろ む 南 下 政 策 と 汎 ス ラ ブ 主 義 (〓Pan
Slavism) の 立 場 か ら トル コ 解 体 を 望 み 、 オ ー ス トリ ア
は ロ シ ア へ の 対 抗 策 を 、 イ ギ リ ス は トル コ 保 全 を 、 フ ラ ン ス は独 自 の 中近 東 政 策 を 、 ドイ ツ は 汎 ゲ ル マ ン主 義 ( 〓Pan
Germanism)
い く。 こ う し た 流 れ が バ ル カ ン問 題 ( 〓Balkan 第1次
世界 大 戦 ( 〓World
〓p.279図 Easter
解2「19世
War
の 立 場 か ら ロ シ ア と衝 突 し て
Question) を 生 じせ し め 、 や が て
I) を 招 く こ と に な る 。
紀中 頃の バ ル カ ン情 勢」
Rebellion(1916)
イ ース タ ー蜂起
1916年4月24日
の 復 活 祭 (Easter)に ダ ブ リ ン (Dublin) で 起
こ っ た ア イ ル ラ ン ド独 立 運 動 の 一 事 件 。12年 Henry) 内 閣 の 第3次
ア ス キ ス (〓Asquith,
ア イ ル ラ ン ド自 治 法 案 ( 〓Home
Rule
Herbert
Bill)は 、 ア ル ス タ ー
地方 ( 〓Ulster) に お け る プ ロ テ ス タ ン トの 反 対 に もか か わ ら ず 成 立 した が 、 そ の 実 施 は 第1次
War
I)で 延 期 され て い た 。 自 治 獲 得 を 目 指 す
ア イ ル ラ ン ド国 民 党 (Irish Nationalist
世 界 大 戦 (〓World
Party) が 大 戦 に お い て イ ギ リ ス 政 府 を支
持 し た こ とか ら、16年
完 全 独 立 を 求 め る シ ン ・ フ ェ イ ン 党 (〓Sinn
Fein Party)
を 中 心 に 武 装 蜂 起 。 準 備 不 足 と ア イ ル ラ ン ド国 民 党 の 反 対 声 明 で 失 敗 に 終 わ り指 導 者 ら は 処 刑 され た が 、18年 の 総 選 挙 で の シ ン ・フ ェ イ ン党 大 勝 の 要 因 とな っ た 。 East
Germany
〓Germany,
East
India
東 ドイ ツ
East
Company
東 イ ン ド会 社 喜 望 岬 (Good
Hope)
よ り 東 、 マ ゼ ラ ン (Magellan)
よ り 西 の 東 イ ン ド に お い て 独 占 的 貿 易 を 行 っ た 植 民 企 業 。17∼19世
海 峡
紀 に か けて 、
イ ギ リス 、 フ ラ ン ス 、 オ ラ ン ダ 、 ス ペ イ ン 、 デ ン マ ー ク 、 ス ウ ェ ー デ ン な ど で 設
立 さ れ た が 、 イ ギ リス 、 フ ラ ン ス 、 オ ラ ン ダ の もの が 特 に 有 名 。 (1)イ ギ リ ス
:1600年
、 ロ ン ド ン商 人 を 中 心 と し て 成 立 。 香 辛 料 貿 易 が 主 だ っ
た が 、 次 第 に 綿 貿 易 へ 移 行 。1857年
のセポイの乱 ( 〓Indian
Mutiny)
を機 に 解
散 され た。 (2)オ ラ ン ダ :1602年 設 立 。 ジ ャ ワ (Java)を 拠 点 と して 貿 易 が 行 わ れ 、17世 に 全 盛 。18世
紀
紀 に 入 っ て 、 イ ギ リス ・ フ ラ ン ス の 圧 迫 に 敗 れ て 衰 退 し、1800年
解散 。 (3) フ ラ ン ス
:1604年
に 設 立 さ れ た が 、 一 度 解 散 さ れ た 。64年
(Colbert, Jean-Baptiste)
に よ っ て 再 建 され た 。1757年
イ ギ リ ス と 争 っ た プ ラ ッ シ ー の 戦 い (Plassey, Battle 1770年 East
of)で 敗 れ た の を 機 に 、
解散。
Prussia
東 プ ロイ セ ン オ ス ト プ ロ イ セ ン (Ostpreussen)
と も い う 。 現 ポ ー ラ ン ド北 東 部 と
旧 ソ連 の カ リニ ン グ ラ ー ド (Kaliningrad) 州 に ま た が る地 域 。13世 ツ騎 士 団 (Deutscher し た 。1525年
紀 初 め 、 ドイ
Orden) が こ の 地 に 移 住 し、 東 方 へ の ドイ ツ 移 民 の 拠 点 と
プ ロ イ セ ン公 国 (Duchy
ン 王 国 (Kingdom
of Prussia) が 生 ま れ 、1701年
of Prussia) へ 移 行 す る と 、 王 国 に 帰 属 。20世
1次 世 界 大 戦 ( 〓World 第2次
コルベ ール
イ ン ドの 支 配 を め ぐ っ て
War
世界大戦 ( 〓World
に プロイ セ
紀 に入 って 、 第
I)後 の 国 境 改 変 で ドイ ツ とポ ー ラ ン ドに 分 断 さ れ 、
War
II)後 は ポ ー ラ ン ド と ソ連 領 に 分 け ら れ た 。
〓Prussia 〓p.281図
解4「 ドイ ツ の 統一 」
〓p.278図
解1「 ベ ル サ イ ユ体 制下 の ヨー ロ ッパ」
East
Timor
東 テ ィモ ー ル イ ン ドネ シ ア に 連 な る テ ィ モ ー ル 島 東 部 の 国 。16世
ガ ル 領 と し て い た 。1975年
99年 住 民 投 票 が 行 わ れ 、2002年 (Dili) 。 人 口119万 EC
ECM
Community
ヨ ー ロ ッパ 共 同 市 場
〓European
Common
に 独 立 。 同 年 に 国 連 に も加 盟 し た 。 首 都 デ ィ リ
人 (2008年 )。 憲 法 を 持 つ 民 主 共 和 国 で あ る 。
ヨ ー ロ ッパ 共 同 体
〓European
紀 以来 ポ ル ト
頃 よ り独 立 運 動 が 強 ま り、 イ ン ドネ シ ア の 弾 圧 の 中 、
Market
ECSC
ヨー ロ ッパ 石炭 鉄鋼 共 同体
〓European
EDC
Coal
and
Steel
Community
ヨ ー ロ ッパ 防 衛 共 同 体
〓European
Eden,
Defence
Robert
Community
Anthony,
Earl
of
Avon(1897∼1977)
イー デ ン
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 首 相 (任1955∼57) 1922年
オ ッ ク ス フ ォ ー ド大 学 (Oxford,
党 (〓Conservative 34年
Party) 下 院 議 員 と な っ た 。31年
以 降 入 閣 を 果 た し 、35年
(〓Chamberlain, し て38年
Neville)
に は 外 相
∼33年
と な っ た。
Sir Winston)
世 界 大 戦 (〓World
外務 政 務 次官 を務 め、
し か し、 チ ェ ン バ レ ン
War
policy)
に反 対
II) 中 、 チ ャ ー チ ル
政 権 の 下 で 陸 相 、 外 相 を 歴 任 。51年
チ ル 内 閣 で は 副 首 相 兼 外 相 と な り 、 ベ ル リ ン4国
。
of) を 卒 業 す る と 、 翌 年 保 守
首 相 の 対 独 宥 和 政 策 (〓Appeasement
外 相 を 辞 職 。 第2次
(〓Churchill,
University
の 第2次
チ ャ ー
外 相 会 議 に 参 加 。55年
チ ャー
チ ル の 後 を う け 首 相 に 就 任 し 、 ジ ュ ネ ー ブ 会 議 (〓Geneva
Conference)
に指 導
力 を発 揮 し た。 しか し、経 済 政 策 の 失 敗 に加 え、 得 意 の外 交 面 で も スエ ズ 動 乱 (〓Suez
Crisis) の 処 理 に も た つ き イ ギ リ ス の 威 信 を 低 下 さ せ 、57年
辞職 に追 い
や られ た。
Education
Act(1944)
教 育 法 イ ギ リ ス の チ ャ ー チ ル (〓Churchill,
2次
世 界 大 戦 (〓World
裁 バ ト ラ ー (〓Butler,
War Richard
Sir
Austen)
School)
ク ー ル (Grammar
school)
、 モ ダ ン ス ク ー ル (Modern
、 テ
school)
へ 引 き上 げ ら れ 、
ク ニ カ ル ス ク ー ル (Technical
とい った公 的 中等 教 育機 関が 無償 化
さ れ る こ と と な っ た 。 し か し 、 特 権 的 パ ブ リ ッ ク ス ク ー ル (Public ま っ た
く 手 が つ け ら れ ず 、11歳
examination)
政権 が第
の 名 前 を と っ て 、 バ ト ラ ー 教 育 法 (Butler
Act) と も 呼 ば れ る 。 こ れ に よ っ て 義 務 教 育 年 限 の 上 限 が15歳 グ ラ マ ー ス
Winston)
II)中 に 実 現 し た 法 案 の ひ と つ 。 推 進 役 の 教 育 庁 総
school)
で 受 け る イ レ ブ ン プ ラ ス 試 験 (Eleven
に は plus
に よ って どの 中等 教 育機 関 に進 学 す るか子 供 た ちの 進 路 が 大 き く
規 定 され て し ま う、 な ど の 問 題 も か か え て い た 。
Edward
VIII(1894∼1972)
エ ド ワ ー ド8世 イ ギ リ ス 国 王 (位1936年1月
(George
V) の 長 男 。1910年
∼12月
)。 ジ
ョ ー ジ5世
、父 の 即 位 に 伴 い プ リ ン ス ・オ ブ ・ウ ェ ー ル ズ (Prince
of Wales) の 称 号 を 授 け ら れ た 。 第1次
世界大戦 ( 〓World
War
I) で は 軍 隊 に
あ っ て フ ラ ン ス 、 イ タ リ ア 、 エ ジ プ トへ 従 軍 。 戦 後 は 各 地 を 訪 問 し て お り、 来 日 も して い る 。36年
父 王 の 死 で 即 位 し た もの の 、 ア メ リ カ 人 で 二 度 の 離 婚 歴 の あ
る シ ン プ ソ ン 夫 人 (Mrs. Party)
Wallis
Simpson)
と 結 婚 を 決 意 。 保 守 党 (〓Conservative
な ど の 反 対 を 受 け て 退 位 し 、 ウ ィ ン ザ ー 公 (Duke
of Windsor)
の称 号 が与
え られ た。 そ の後 、 フ ランス に移 住 した。
EEC
ヨー ロ ッパ経 済 共 同体
〓European
EFTA
Economic
ヨー ロ ッパ 自由 貿 易連 合
〓European
Egypt
Community
Free
Trade
Association
エジプ ト ア フ リ カ北 東 部 に 位 置 す る エ ジ プ ト ・ ア ラ ブ 共 和 国 の 通 称 。 首 都 は カ
イ ロ (Cairo)。 紀 元 前5000年
頃 か らナ イ ル流 域 に古 代 文明 が 発祥 して以 来、 幾 多
の 王 朝 に よ る興 亡 を経 て 、7世 入 っ た 。16世 1805年
紀 に オ ス マ ン
紀 中 頃 サ ラ セ ン帝 国 (Saracen ・ ト ル コ (〓Ottoman
ズ運 河 ( 〓Suez
Question)
て た が イ ギ リ ス に よ っ て 鎮 圧 。82年 界大戦 ( 〓World
War
Gamal
Abdel)
Officers)
Wars)
共 和 国 (〓United
Pasha) を 陸 相 に た て て 反 乱 を企
、 ナ ギ ブ (〓Neguib,
Mohammed)
に よ っ て 国 王 フ ァ ル ー ク1世
Republic)
世
に は 王 国 と して 独 立 。52年7月
(King
:Egyptian
ス エ ズ 運 河 の 国 有 化 を 実 現 。58年 Arab
、
、
の 惨 敗 か ら ク ー デ タ ー が 起 こ り、 ナ セ ル
エ ジ プ ト の 王 政 が 終 わ っ た (エ ジ プ ト 革 命
へ 移 行 し、56年
の ス エ
以 来 イ ギ リ ス 支 配 下 と な っ た が 、 第1次
I)後 の 独 立 運 動 で1922年
中 東 戦 争 (〓Middle-East
由 将 校 団 (Free
Ali) の 指 導 の 下 、 を 招 い た 。69年
Canal) 開 通 に よ っ て 戦 略 的 拠 点 と して の 地 位 が 高 ま っ た 。81年
民 族 運 動 の 指 導 者 ア ラ ー ビ ー ・パ シ ャ ( 〓Arabi
(〓Nasser,
支配 下 に
に 征 服 さ れ た が、
エ ジ プ ト 太 守 と な っ た ム ハ ン マ ド ・ ア リ (Muhammad
ト ル コ か ら の 独 立 を 企 て 東 方 問 題 (〓Eastern
第1次
Empire)
Empire)
を 指 導 者 とす る 自 Farouk)
Revolution)
を国 外 追放 、 。53年
共 和 制
シ リ ア を 併 合 し て ア ラ ブ連 合
を 結 成 し た が 、61年
シ リ ア が 離 脱 。67年
の第
3次 中 東 戦 争 で は シ ナ イ (Sinai)半 島 が イ ス ラ エ ル に 占領 され た が 、 平 和 条 約 を 結 び 、82年
返 還 さ れ た 。 こ の 間81年
に は サ ダ ト (〓Sadat,
Mohammed
大 統 領 暗 殺 事 件 も 起 き て い る 。 そ の 後 は ム バ ラ ク (Mubarak, Husni) が 大 統 領 で あ る 。 イ ス ラ エ ル と パ レ ス チ ナ 解 放 機 構 (PLO: Liberation
Organization)
Anwar)
Muhamnmad 〓Palestine
の 双方 にパ イ プを もち、 中東 の調 停 役 が期 待 され る。
〓p.283図
解6「
〓p.330地
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Eire
ア フ リ カ の分 割」
エ ール共和 国 ア イ ル ラ ン ド島 に1937年
章 ( 〓Westminster,
成 立 した 共 和 国 。31年
の ウ エ ス ト ミ ンス タ ー 憲
Statute of)に よ っ て 、 イ ギ リ ス の 各 自 治 領 は 本 国 との 平 等 性
に も とづ く英 連 邦 ( 〓British Commonwealth) ア イ ル ラ ン ド自 由 国 (〓Irish
Free
に加 入 す る こ と と な っ た 。 しか し、
State) で は 、32年
の 選 挙 で デ ・ バ レ ラ (De
Val〓ra)率 い る 共 和 党 が 勝 利 して 以 来 自 治 領 を 超 え る位 置 が 求 め られ 、 つ い に37 年 、 新 憲 法 を 発 布 し て 国 名 を ゲ ー ル 語 で エ ー ル (英 語 で ア イ ル ラ ン ド)と定 め て 独 立 宣 言 を 発 し た 。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II)で は イ ギ リ ス の 執 拗 な 要 求
に もか か わ らず 、 か た くな に 中 立 を 守 り、 兵 を 送 ら な か っ た 。49年 邦 か ら も 離 脱 し、 完 全 独 立 国 と な り ア イ ル ラ ン ド共 和 国 (Republic
イ ギ リス連 of Ireland)
と称 した 。 〓Ireland
Eisenhower,
Dwight
David(1890∼1969)
ア イゼ ンハ ウ アー
ア メ リ カ の 軍 人 、 政 治 家 で 第34代 ( 任1953∼61)
ア メ リカ大 統領
。 陸軍 大 学校 卒 業後 、 マ ッカー サ ー ( 〓MacArthur,
Douglas) の
補 佐 官 を 経 て 、 ヨ ー ロ ッパ 連 合 軍 最 高 司 令 官 と して 、1944年6月 上 陸 作 戦 (〓Normandy
Landings)
次 い で コ ロ ン ビ ア 大 学 (Columbia
を 成 功 させ 元 帥 に 昇 進 。戦 後 は 陸 軍 参 謀 総 長 、 University) 総 長 (48∼51) 、 さ ら に 北 大 西 洋 軍
最 高 司 令 官 (51∼52) を 務 め た 後 、52年 共 和 党 (Republican に 出 馬 し 当 選 。 こ れ を2期
Party) よ り大 統 領 選
続 け て 務 め る 。 共 産 圏 へ の 巻 き返 し政 策 を 推 め る が 、
緊 張 緩 和 の 気 運 に 押 さ れ て朝 鮮 戦 争 ( 〓Korean China
ノルマ ンデ ィ
War) や イ ン ドシ ナ 戦 争 ( 〓Indo-
War) の 解 決 に 同 意 。55年 の ジ ュ ネ ー ブ四 巨 頭 会 談 ( 〓Summit
に も 参 加 し て い る 。59年 Sergeyevich)
Meeting)
に は ソ 連 の フ ル シ チ ョ フ (〓Khrushchev,
首 相 を キ ャ ン プ ・デ ー ビ ッ ド ( 〓Camp
Nikita
David) に招 き 、冷 戦 ( 〓Cold
War) 雪 解 け の 先 鞭 を つ け た が 、 翌 年 の 訪 ソ 計 画 は 、U-2型
機事件 ( 〓U-2
Affair)
の た め実 現 し な か っ た 。
Elizabeth
II(1926∼)
エ リ ザ ベ ス2世 イ ギ リ ス 女 王 (位1952∼
第1王
女
と し て ロ ン ド ン に 生 ま れ 、1947年
Mountbatten) 52年
、 現 エ ジ ン バ ラ 公 (Duke
即 位 し 、 翌53年
め の こ と 。48年
)。 ジ ョ ー ジ6世
(George
VI) の
マ ウ ン ト バ ッ テ ン 伯 爵 (Philip
of Edinburgh)
と結 婚 。 父 王 の 死 に 伴 い 、
載 冠 式 を 行 っ た 。 歴 代 イ ギ リ ス 王 室 に お い て 、 女 王 は6人
チ ャ ー ル ズ (Charles)
皇 太 子 、50年
ア ン (Ann) 王 女 、60年
ア ン
ド リ ュ ー (Andrew) 王 子 、64年
エ ド ワ ー ド(Edward) 王 子 が 各 々 誕 生 。75年5月
に は 来 日 も して い る 。 世 界 各 国 多 数 を訪 問 し、 積 極 的 に王 室 外 交 を 展 開 。 王 子
・
王 女 の 離 婚 ・再 婚 騒 動 や ス キ ャ ン ダ ル も伝 え ら れ る が 、 イ ギ リ ス 国 民 か ら の 人 気 は高 い。
Elsaβ-Lothringen
エ リ ザ ス ・ロ ー ト リ ン ゲ ン 地 方 ア ル ザ ス ・ロ レー ヌ地 方 の こ と。
〓Alsace-Lorraine
Ems
Dispatch(1870)
エ ム ス電報 事 件
普 仏戦 争 ( 〓Franco-Prussian
War) を 引 き起 こ す 直 接 の 原 因 と
な っ た 、 プ ロ イ セ ン首 相 ビ ス マ ル ク ( 〓Bismarck, 1870年
、 プ ロ イ セ ン 王 ウ ィ ル ヘ ル ム1世
Otto von) の 電 報 文 面 修 正 事 件 。
(〓Wilhelm
I) と フ ラ ン ス の 大 使 が エ
ム ス に お い て 会 談 。 内 容 は ス ペ イ ンの 王 位 継 承 問 題 に つ い て だ っ た が 、 こ れ を 報 じ る 王 か らの 電 報 文 を ビ ル マ ル ク が 故 意 に 修 正 して 発 表 、 フ ラ ン ス ・ナ ポ レ オ ン 3世 ( 〓Napoleon Enclosures
III) の 敵 対 感 情 を 巧 み に 挑 発 して 、 普 仏 戦 争 開 戦 へ と導 い た 。
囲 い込 み運 動 ( エ ンク ロー ジ ャー) < 第1次
>15世 紀 半 ば か ら16世 紀 に か け て イ ギ リ ス で 行 わ れ た 。
毛 織 物 市 場 の 拡 大 に 伴 い 地 主 や 領 主 が 小 作 人 か ら農 地 を と り あ げ 、 生 垣 ・柵 な ど で 囲 い 込 ん だ 。 全 土 の3% < 第2次
>18世
に及 び 、社 会 不安 を引 き起 こ した。
紀 か ら19世 紀 半 ば に か け て 、 合 法 的 に 議 会 に よ り推 進 さ れ た 。
農 業 に お け る 資 本 主 義 化 ・合 理 化 と と も に 、 安 価 な 工 場 労 働 力 の 確 保 を も くろ ん だ も の で 、 産 業 革 命 (〓Industrial English
Revolution
Revolution)
の 発 達 に 影 響 を 及 ぼ した 。
イギ リス革 命 世 界 で は じめ て 起 こ っ た 市 民 革 命 で 、 ピ ュー リ タ ン革 命
(Puritan Revolution)
と名 誉 革 命 (Glorious Revolution)
(1)ピ ュ ー リ タ ン革 命 ( 清 教 徒 革 命 ) :1642年
∼60年
のふ た つ を指 す 。
。 ス チ ュ ア ー ト(Stuart)朝
に よ る専 制 政 治 に 対 し て 議 会 が 反 発 、 国 王 チ ャ ー ル ズ1世
(Charles
I) を 処 刑 し
て 共 和 政 を 成 立 さ せ た 革 命 。 革 命 の 中 心 とな っ た 議 会 軍 が 主 に 清 教 徒 (Puritan) に よ っ て 構 成 され た の に 因 ん で い る 。49年
ク ロ ム ウ ェ ル (〓Cromwell,
Oliver)
率 い る議 会 軍 が共 和 政 を樹 立 した が、 軍 事独 裁 を は じ め、厳 格 な清 教 主 義 に よっ て 国 民 生 活 に 干 渉 し不 評 を 買 っ た 。 こ の た め 、58年 に チ ャ ー ル ズ2世
ク ロ ム ウ ェ ル の 死 後 、60年
(Charles II)が 王 位 に つ い て 王 政 復 古 ( 〓Restoration)
とな っ
た。 (2)名 誉 革 命
:1688年 ∼89年
。 専 制 化 し た 復 古 王 政 を 無 血 で 終 わ らせ 、 立 憲 君
主 政 を 確 立 した 。60年 ジ ェ ー ム ズ2世
王 位 に つ い た チ ャ ー ル ズ2世
は 次 第 に 反 動 化 し、85年
(James II)が 後 を 継 ぐ と絶 対 主 義 的 な 専 制 政 治 が 復 活 して 議 会
民 衆 の 反 感 を 招 い た 。88年
・
議 会 は 協 力 し て 王 女 メ ア リ (Mary) と そ の 夫 オ ラ ン ダ
総 督 オ レ ン ジ 公 ウ ィ リ ア ム (William
of Orange)
を王位 に迎 え 無血 革命 が 成 功。
同 年 末 議 会 の 権 利 を 定 め た 「権 利 の 宣 言 (Declaration
of Rights) 」が 発 せ られ て 、
立憲 君 主制 が確 立 した。
EOKA
エ オ カ エ ノ シ ス 運 動 (Enosis 中 心
Movement:
ギ リシ ャ との 統
と な っ て い る キ プ ロ ス の 民 族 闘 争 組 織 “Ethniki
Agoniston”
の 略 称 。1878年
の ベ ル リ ン 会 議 (〓Berlin,
リ ス の 支 配 下 に あ っ た キ プ ロ ス は 、1960年 め る ギ リ シ ャ 人 と 残 る2割 (UN:
〓United
Nations)
の
一を 求 め る 運 動 )の
Organosis
Congress
Kyprion
of)以 来 、 イ ギ
共 和 国 と し て 独 立 し た が 、8割
ト ル コ 系 島 民 と の 対 立 が 続 い た 。64年
か ら 平 和 維 持 軍 が 派 遣 さ れ て い る 。74年
、 ギ リ シ ャ軍
支 援 で エ オ カ に よ る ク ー デ タ ー が 発 生 。 ト ル コ は 軍 事 介 入 を 行 い 、83年 ロ ス
・ ト ル コ 共 和 国 (Turkish
Republic
of Northern
Cyprus)
を
を 占
に は 国 連
北 キ プ
一 方 的 に宣 言 し
た 。 近 年 、 和 解 へ 向 け た 兆 しが 見 られ る と もい わ れ る。 〓Cyprus
Eritrea
エ リ ト リア エ チ オ ピ ア 北 部 、 紅 海 (Red Sea) の 南 西 岸 に 位 置 す る 国 家 。1890年
来 イ タ リ ア の 植 民 地 と な っ て い た が 、1952年
国 連 (UN:
〓United
援 助 に よ っ て エ チ オ ピ ア ・ エ リ ト リア 連 邦 を 形 成 し た 。62年
以
Nations) の
エ チ オ ピ ア に併 合
さ れ る と、 イ ス ラ ム 教 徒 な ど を 中 心 に 独 立 を 求 め る エ リ ト リ ア 解 放 戦 線 (ELF: Eritrean
Liberation
Front) の 動 向 が 活 発 化 し た 。91年
の 分 派 で あ る エ リ ト リ ア 人 民 解 放 戦 線 (EPLF:
Front) を 中 心 して 暫 定 政 権 が つ く ら れ た 。93年4月23日 に 関 す る 住 民 投 票 を 行 っ た 結 果 、99% 日 に は ア フ リ カ第53番
に は エ リ ト リア 解 放 戦 線
Eritrean
People's
Liberation
か ら25日 に か け て 独 立
が 独 立 を 支 持 。 これ を う け て 同 年5月24
め の 独 立 国 と な っ た 。 首 都 ア ス マ ラ (Asmara) 。
〓Ethiopia 〓p.283図
解6「 ア フ リカ の 分割 」
〓p.330地
図〓 ( 現代 の世界[国 名 と地 図])
Estonia
エ ス トニ ア バ ル ト 三 国 最 北 に 位 置 す る 共 和 国 。 首 都 タ リ ン (Tallin) 。13世
か ら ド イ ツ 騎 士 団 (Deutscher 下 に 入
り 、1710年
Orden)
ピ ョ ー ト ル1世
が 侵 入 。1561年 (Pyotr
紀 頃
以 来 ス ウェ ー デ ンの支 配
I) の 頃 か ら は ロ シ ア に 帰 属 し た 。
1918年
反 ソ ・ 親 独 の 共 和 国 と し て 独 立 を 果 た し た が 、40年
に は ナチ ス
・ ド イ ツ (〓Nazis)
の 占 領 を 受 け た も の の 、44年
た 。 東 欧 革 命 の 余 波 を 受 け 、90年
ソ連 か ら の 独 立 を 宣 言 し、 翌 年 ソ 連 側 も こ れ
を 認 め た 。 そ の 後 、 直 ち に 国 連 (〓United (NATO:
〓North
Atlantic
Treaty
ソ 連 邦 に 加 入 。41年 再 び ソ連 邦 に加 わ っ
Nations)
Organization)
に加 盟 、北 大 西洋 条 約機 構 に 加 盟 を 果 た し た 。92年
、 旧
ソ 連 独 立 国 と し て は 最 初 の 独 自 通 貨 「ク ロ ー ン (Krone) 」を 導 入 。 な お 、 バ ル ト三 国 (Baltic
Sates)
と は エ ス トニ ア 、 ラ ト ビ ア ( 〓Latvia) 、 リ ト ア ニ ア (Lithuania)
の こ と。 〓p.278図
解1「
〓p.328地
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
Ethiopia
ベ ル サ イ ユ 体制 下 の ヨー ロ ッパ」
エ チ オ ピア ア ビ シニ ア (Abyssinia) と も い う。 ア フ リ カ北 東 部 、 ナ イ ル (Nile)川
上 流 に あ る 国 。 首 都 は ア ジ ス ア ベ バ (Addis Ababa) 。 紀 元 前 に は 独 立 王 国 が あ っ た と い わ れ 、 ソ ロ モ ン 王 と シ バ の 女 王 の 会 見 で 知 られ る 。 ま た 、 古 代 ギ リ シ ャ の 歴 史 家 ヘ ロ ド トス (Herodotos) の 『歴 史 (Historiai)』に も紹 介 さ れ る 。4世 フ リ カ 唯 一 の キ リス ト教 国 と な り、7世 そ の 後19世
紀 半 ば に 統 一 さ れ た が 、 列 強 侵 略 の 目 標 と な り、1895年
タ リ ア ・エ チ オ ピ ア 戦 争 (〓Italo-Abyssinian
∼96年
のイ
War) で イ タ リ ア と交 戦 し た が 、 こ
れ を 撃 退 し独 立 を 守 っ た 。1930年
ハ イ レ ・セ ラ シエ ( 〓Haile
位 し近 代 化 を 推 進 。 しか し、36年
二 度 め の イ タ リア ・エ チ オ ピア戦 争 で 侵略 を
受 け 占 領 され た 。41年
イ ギ リス の 援 助 で 解 放 さ れ る と、52年
エ リ トリア ( 〓Eritrea) と連 邦 を 形 成 し 、62年
和 友 好 協 力 条 約 を 結 ん だ 。93年4月 れ た 結 果 、 同 年5月
〓p.330地
図〓 ( 現代 の 世 界[国 名 と地 図]) 1935∼36) エ チ オ ピ ア 戦 争 イ タ リ ア ・エ チ オ ピ ア 戦 争 の こ と。
〓Italo-Abyssinian
War
欧 州連 合 / ヨー ロ ッパ連 合
〓European
Union
旧 イ タ リア植 民 地 軍 政 に移
に は 左 傾 化 が 進 行 し、 ソ 連 と平
独 立 が決 定 した。
解6「 ア フ リ カ の分 割」
War(1895∼96,
I)が 即
エ リ トリア の独 立 を め ぐる住 民投 票 が行 わ
〓p.283図
Ethiopian
Selassie
に こ れ を 併 合 した 。74年
行 し、 皇 帝 ハ イ レ ・ セ ラ シ エ は 廃 位 した 。77年
EU
紀頃ア
紀 の イ ス ラ ム 教 徒 の 外 圧 か ら も耐 え た 。
EURATOM
ヨ ー ロ ッパ 原 子 力 共 同 体
〓 European European
Atomic
Atomic
Energy
Energy
Community
Community
(EURATOM)
ヨー ロ ッパ原 子 力共 同
体 ユ ー ラ ト ム 。1958年1月
、
ア メ リ カ が 独 占 的 に 原 子 力 開 発 を す す め る 中 、 西 ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 で も共 同 し て 原 子 力 産 業 を 育 成 し よ う と の 目 的 で 設 立 さ れ た 。 そ の 後 、67年 済 共 同 体 (EEC:
〓European
同 体 (ECSC:
〓European
パ 共 同 体 (EC:
European
Economic Coal
〓European
Coal
and
Steel
Community)
and
Steel
Community)
に は ヨー ロ ッパ 経
、 ヨー ロ ッパ 石 炭 鉄 鋼 共
Community)
と統 合 さ れ 、 ヨ ー ロ ッ
が 新 た に発 足 した 。
Community
(ECSC)
ヨ ー ロ ッパ 石 炭 鉄 鋼 共 同 体 1952年8月
、 ヨー ロ ッ
パ 諸 国 の 石 炭 ・鉄 鋼 を ひ と つ の 市 場 で 管 理 す る こ と で 米 ソ に 対 抗 し う る 経 済 発 展 を 図 っ て 結 成 さ れ た 。50年
フ ラ ン ス の 外 相 シ ュ ー マ ン (〓Schuman,
Robert)
の
提 案 した シ ュ ー マ ン ・プ ラ ン を 基 軸 に 、 フ ラ ン ス 、 西 ドイ ツ 、 ベ ル ギ ー 、 オ ラ ン ダ 、 ル ク セ ン ブ ル ク 、 イ タ リ ア の6カ 共 同 体 (EC:
European
〓European
Common
国 で ス タ ー ト し た が 、 現 在 で は ヨー ロ ッ パ
Community)
に吸 収 され た。
(ECM)
ヨ ー ロ ッパ 共 同 市 場
Market
ヨ ー 〓European
Economic
Community)
パ 石 炭 鉄 鋼 共 同 体 (ECSC:
ロ ッ パ 経 済 共 同 体 (EEC:
の 一 般 呼 称 。1959年1月
〓European
Coal
and
Steel
Community)
発 足。 ヨー ロ ッ を母 体 と し、
米 ソ に 対 抗 し う る 経 済 圏 形 成 の た め 経 済 的 統 合 を 目 指 し た 。 フ ラ ン ス 、西
ドイ ツ 、
イ タ リ ア 、 ベ ネ ル ク ス 三 国 (ベ ル ギ ー 、 オ ラ ン ダ 、 ル ク セ ン ブ ル グ )が 参 加 。67 年 に ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 (EC:
〓European
Community)
に 、73年
に は 拡 大ECに
発展 。
European
Community
(EC)
ヨー ロ ッパ共 同 体 1967年
に発 足 し た ヨ ー ロ ッ パ の 統 一 組 織 。 こ
れ よ り 以 前 に 成 立 し て い た ヨ ー ロ ッ パ 石 炭 鉄 鉱 共 同 体 (ECSC:
〓European
Coal
〓European
Economic Atomic
and
Steel
Community)
Community) Energy
Community)
、 ヨ ー ロ ッ パ 経 済 共 同 体 (EEC:
、 ヨ ー ロ ッ パ 原 子 力 共 同 体 (EURATOM:
〓European
が 統 合 さ れ た も の 。 発 足 時 は フ ラ ン ス 、 西 ドイ ツ 、
イ タ リ ア 、 ベ ネ ル ク ス 三 国 (オ ラ ン ダ 、 ベ ル ギ ー 、 ル ク セ ン ブ ル ク )の6カ
国 が 加
盟 。73年
イ ギ リ ス 、 デ ン マ ー ク 、 ア イ ル ラ ン ド が 加 盟 。81年
ペ イ ン 、 ポ ル ト ガ ル が 加 わ り12カ を 中
心
に 、EC委
Parliament)
員 会 (EC
、 司 法 裁 判 所 (EC
Commissions) Court
of
、
ヨ ー
Justice)
ロ
ッ パ 議
Treaty)
ロ ッ パ 連 合 (EU:
設 立 が 合意 され た。
Defence
〓European
Union)
Community
(EDC)
of
ス
Ministers)
会 (European
な ど で 構 成 。91年EC加
に マ ー ス ト リ ヒ ト条 約 (〓Maastricht
European
ギ リ シ ャ 、86年
国 と な る 。 閣 僚 理 事 会 (Council
盟 国間
が結 ばれ 、 市場 統合 を目指 す ヨー
ヨー ロ ッパ 防衛 共 同体 1952年
に 形 成 さ れ た 西 ヨ ー ロ ッパ
の 超 国 家 的 結 束 に よ る 軍 事 共 同 体 。 反 共 産 主 義 体 制 を強 化 す る 目 的 で ヨ ー ロ ッパ 統 一 軍 を つ く り、 西 ドイ ツ に も再 軍 備 を 認 め て これ に加 盟 さ せ る こ とを ア メ リカ が 提 案 。 これ を う け 、 フ ラ ン ス の プ レ バ ン (Pleven, Ren〓
Jean) 首 相 は 、 西 ドイ
ツ の 再 軍 備 を 許 す と と も に 、 ヨ ー ロ ッ パ 防 衛 共 同 体 とい う枠 を は め る こ とで ドイ ツ の 力 を コ ン ト ロ ー ル し よ う とす る 構 想 を 発 表 し た 。 同 年 に 、 フ ラ ンス 、 西 ドイ ツ、 イ タ リ ア 、 ベ ル ギ ー 、 オ ラ ン ダ 、 ル ク セ ン ブ ル クの6カ 共 同 体 条 約 が 署 名 さ れ た の だ が 、54年
国 で ヨー ロ ッパ 防衛
フ ラ ン ス 議 会 に お い て 批 准 拒 否 と な り構
想 は 挫 折 し た 。 しか し、 西 ヨー ロ ッパ の 共 同 防 衛 体 制 を 懸 念 す る イ ギ リ ス の 外 交 努 力 に よ り 、 同 年 パ リ 協 定 (Paris Treaties) が 成 立 。48年 (〓Brussels, European
Treaty
の ブ リ ュ ッセ ル 条 約
of)で 成 立 し た 西 ヨ ー ロ ッ パ 連 合 (WEU:
Union) を 拡 大 、 これ と北 大 西 洋 条 約 機 構 (NATO:
Treaty
Organization)
〓Western
〓North
Atlantic
に 西 ドイ ツ を 加 入 さ せ る こ と で ド イ ツ 再 軍 備 問 題 も一 応 決
着 した。 European
Economic
Community
(EEC)
ヨー ロ ッパ経 済 共 同体 1957年
イ タ リ ア 、 ベ ル ギ ー 、 オ ラ ン ダ 、 ル ク セ ン ブ ル ク の6カ (〓Rome,
Treaty
同 市 場 (ECM:
of) に も と づ い て 、59年1月 〓European
Common
Coal
and
〓European (EC:
Steel
Community)
Atomic
〓European
Energy Community)
ス ト リ ヒ ト条 約 (〓Maastricht
国 で結 ばれ た ロー マ条 約
発 足 し た 共 同 市 場 。 ヨー ロ ッパ 共
Market)
の 正 式 名 称 で も あ る 。 「西 ド イ ツ
の 工 業 と フ ラ ン ス の 農 業 が 結 婚 し た 」な ど と い わ れ 、68年 農 業 政 策 を 完 成 さ せ た 。67年
に フ ラ ン ス 、 西 ド イ ツ、
ま で に 関 税 同 盟 と共 通
、 ヨ ー ロ ッ パ 石 炭 鉄 鋼 共 同 体 (ECSC: と ヨ ー ロ Community)
ッ パ 原
子 力 共
を 含 め た3機
〓European
同 体 (EURATOM:
関 は ヨ ー ロ ッパ 共 同 体
と し て ひ と つ に 統 合 さ れ た 。 な お 、91年 Treaty)
に よ っ て 、EECはECと
の マ ー
呼 ば れ る よ うに
な っ た の で 、 ヨ ー ロ ッパ 経 済 共 同 体 は ヨ ー ロ ッパ 共 同 体 と呼 ば れ る よ う に な っ た。
European
Free
Trade
Association
(EFTA)
ヨ ー ロ ッ パ 自由 貿 易 連 合 ヨ ー ロ ッ パ 経 済 共 同 体 (EEC:
〓European
Economic
Community)
の 結 成 に 対 応 す べ く、1960年7月
イ ギリ
ス の 提 唱 で 設 立 され た 貿 易 連 合 。 イ ギ リ ス、 デ ン マ ー ク 、 ス イ ス 、オ ー ス ト リ ア 、 ノ ル ウ ェ ー 、 ス ウ ェ ー デ ン、 ポ ル トガ ル の7カ ン ラ ン ドが 準 加 盟 国 に 、70年
国 で ス タ ー ト した が 、61年
国 内 の 域 内 関 税 と数 量 規 制 を 除 く こ と に あ る が 、EECと と い え る。73年
加 盟 に 伴 い 、 残 留 諸 国 はECと
を 結 び 、77年
よ り自 由 貿 易 地 帯 が 発 足 し た 。
Union
(EU)
〓European
の間 に 自由貿 易 協定 ( 〓Free
Trade)
欧州 連合 / ヨー ロ ッパ連 合 従 来 のEC(EC:
1993年
比 べ て ゆ るや か な連 合
イ ギ リ ス と デ ン マ ー ク の ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 (EC:
Community)
European
フィ
に は ア イ ス ラ ン ドが 加 盟 し た 。 主 た る 目 的 は 加 盟
の マ ー ス ト リ ヒ ト条 約 (〓Maastricht
ロ ッ パ 連 合 機 構 。 当 初 はEC加
盟 国 の12カ
在 は27カ 国 が 加 盟 して い る。02年
〓European
Community)
を基 に 、
Treaty) の 発 効 に 伴 い 成 立 し た ヨ ー 国 が 加 盟 して い た が 、2009年5月
現
に は共 通 通 貨 ユ ー ロ も導入 さ れ た。 東 欧 諸 国
な ど東 方 へ 拡 大 す る動 き が み られ る。 Europe,
Council
of ヨ ー ロ ッ パ 会 議 イ ギ リス
・ フ ラ ン ス が 中 心 と な っ て1949年
に創設 。 ヨー
ロ ッパ の 経 済 ・ 社 会 的 進 歩 、 統 合 促 進 を 目的 と し23カ 国 が 参 加 。 基 本 的 人 権 と 自 由 、 法 の 支 配 を 指 導 理 念 と し、 国 防 問 題 を 除 く一 般 的 問 題 を 審 議 す る 。89年 か ら は ソ 連 、 ポ ー ラ ン ド、 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 、 ハ ンガ リー の 参 加 を 認 め た 。 そ の 機 構 で あ る ヨ ー ロ ッ パ 議 会 (European Parliament) は 、 ヨ ー ロ ッパ 共 同 体 (EC: 〓European Community) の 「ヨ ー ロ ッ パ 議 会 」と は 別 だ が 、 フ ラ ン ス の ス トラ ス ブ ー ル (Strasbourg) に あ る 施 設 は 共 用 して い る 。 Evangelical
Movement
福音 復興 運 動 イ ギ リス 産 業 革 命 ( 〓Industrial
Revolution)
の時 代、
生 活 の 豊 か さ とは 反 対 に 、 特 に 上 流 階 級 で は 私 腹 の 欲 に ふ け る 者 が 増 え 、18世 紀 中 頃 よ り中 流 層 を 中 心 に 厳 格 な福 音 主 義 (evangelicalism) が 復 興 。 概 し て イ ギ リス国教 会 ( 〓Anglican
Church)
の 腐 敗 体 質 を 追 及 した 。 福 音 主 義 諸 派 の う ち 、
最 下 層 民 に 影 響 力 を も っ た の は 、1720年
代 オ ッ ク ス フ ォ ー ド (Oxford) に 発 生 し
た メ ソ ジ ス ト派 (Methodists) で 、18世 紀 末 に は ア メ リ カ に も広 ま っ た 。 同 時 に 国 内 で は 、 福 音 派 に よ る 日曜 学 校 (Sunday
Schools) が 広 ま り、 労 働 者 教 育 に 貢
献 し た 。 一 方 、 ロ ン ド ン 西 郊 ク ラ バ ム (Clapham)
を 本 拠 とす る ク ラ パ ム 派 は 国
内 活 動 に み な らず 、 イ ン ド ・ア フ リカ へ と活 動 域 を 拡 大 した 。
F Falkland
Islands,
Battle
of the(1914)
フ ォ ー ク ラ ン ド海 戦
第1次 12月8日
世 界 大 戦 (〓World
War
I)中 の1914年
、 英 領 フ ォ ー ク ラ ン ド諸 島 に お け る イ ギ リ ス ・ ド イ ツ 間 の 戦 い 。 こ れ
に よ っ て ドイ ツ は 巡 洋 艦3隻
を 失 い 、 海 上 戦 に お い て 大 き な後 退 を 余 儀 な く さ れ
た 。 フ ォ ー ク ラ ン ドは 、 ア ル ゼ ン チ ン 南 端 か ら大 西 洋 を 東 へ 約500kmに
あ る島
群。 Falkland
War(1982)
フ ォ ー ク ラ ン ド紛 争 ア ル ゼ ン チ ン 沖500kmの
ク ラ ン ド (ス ペ イ ン 語 で は マ ル ビ ナ ス
大 西 洋 上 に 約2000島
よ りな る フ ォー
:Malvinas) 諸 島 の 領 有 を め ぐ る イ ギ リ ス
と ア ル ゼ ン チ ン の 争 い 。 元 来 こ れ ら の 島 々 は16世
紀 に 発 見 され 、 そ の 後18世
中 頃 か ら フ ラ ン ス 、 ス ペ イ ン、 イ ギ リ ス が 続 々 と 入 植 を 開 始 。1833年
紀
イ ギ リス
の 属 領 と さ れ て き た が 、 ア ル ゼ ン チ ン 側 も 自 国 の 大 陸 棚 に あ る と こ ろ か ら帰 属 を 主 張 し続 け て い た 。1982年4月
ア ル ゼ ン チ ン 軍 が 占領 し た こ とか ら戦 争 が は じ
ま り、 イ ギ リ ス 軍 は 移 動 部 隊 を 派 遣 し た 。5月
に 入 っ て ア メ リカ が イ ギ リス 支 援
の 姿 勢 を み せ た た め 、 イ ギ リ ス 軍 は 激 戦 を 連 勝 し、6月
イ ギ リス の 勝 利 に終 わ っ
た 。88年
ア ル ゼ ンチ ンで は敗 戦 責 任 か ら大 統 領 らが 禁 固刑 に処 せ られ て い る。
89年10月
、 敵 対 関 係 終 結 宣 言 が 出 さ れ 、 翌 年2月
国 交 回 復 に 至 っ た もの の 、領
有 問 題 は な お あい まい さ を残 した。 fascism
フ ァシズ ム 1920年
代 に成 立 した イ タ リア、 ファ シス タ党 ( 〓Fascist
Party) に 由来
す る国 家 主義 、 全体 主 義 運 動。 転 じて、 全 世界 の フ ァシス タ党 的運 動 を指 す こ と ば と して 用 い ら れ る よ う に な り、 ド イ ツ の ナ チ ズ ム (〓Nazism)
や 日本 の 軍 部 支
配 な ど も 同 種 で あ る。 独 裁 者 に よ る強 力 な 軍 事 国 家 形 成 が 目 指 さ れ 、 中 間 社 会 層 を 取 り込 み 、 反 共 主 義 に よ っ て 資 本 家 層 に も食 い込 む な ど 、 大 衆 運 動 を 基 礎 と し て い る 点 が 特 徴 。 個 人 主 義 ・民 主 主 義 ・平 和 主 義 な ど と は 対 極 に 位 置 す る。 Fascist
Party
フ ァ シ ス タ党 第1次
(〓Mussolini,
世 界 大 戦 (〓World
War
I)後 、1919年
ム ッ ソ リー ニ
Benito) を 党 首 と して 結 成 さ れ た イ タ リ ア の 国 粋 主 義 政 党 。 復 員
軍 人 を 中 心 とす るイ タ リ ア戦 闘 者 同 盟 を 前 身 と し、 当 時 の 社 会 不 安 に 乗 じ て 社 会 改 革 と対 外 発 展 を 掲 げ て 人 き く成 長 した 。22年 、 ロ ー マ へ 進 軍 し 、 ム ッ ソ リー ニ政 権 誕 生 後 は一 党 独裁 を強 め た。 対 外 的 に は エ チオ ピア、 ア ル バ ニ ア を侵 略 、 ナ チ ス ・ ド イ ツ (〓Nazis) 、 日 本 と結 ん で 第2次 き起 こ し た 。43年 Fashoda
世 界大 戦 ( 〓World
War
II)を 引
ク ー デ ター で ム ッ ソ リ ー ニ は 失 脚 し、 党 も解 散 させ ら れ た 。
Incident(1898)
フ ァシ ョダ事 件 1898年
、 ア フ リカ 南 東 部 の フ ァ シ ョ ダで フ ラ ン ス ・ イ ギ リ
ス 両 軍 が 衝 突 した 事 件 。 当 時 、 列 強 の ア フ リ カ 分 割 の 一 環 と し て 、 フ ラ ン ス の ア フ リ カ 横 断 政 策 と、 イ ギ リス の ア フ リカ 縦 断 政 策 が ぶ つ か っ た 植 民 地 抗 争 の 頂 点 と い え る 。 フ ラ ン ス 領 コ ン ゴ (〓Congo) ン (Marchand)
か らナ イル 上 流 に派 遣 され た マ ル シ ャ
一 行 が フ ァ シ ョ ダ に フ ラ ン ス 国 旗 を 掲 げ た と こ ろ 、 ス ー ダ ン を鎮
圧 したイ ギ リスの キ ッチナ ー ( 〓Kitchener,
Horatio
Herbert) も この 地 に 進 出 し、
イ ギ リス に 帰 属 す る との 主 張 を し て 両 国 の 対 立 へ と進 展 し た 。 戦 争 の 危 機 も あ っ た が 、フ ラ ン ス は ドレ フ ュ ス 事 件 (〓Dreyfus 妥 協 が 成 立 し た 。1904年
Affair)の 混 乱 か ら 譲 歩 す る に 至 り、
の英 仏協 商 ( 〓Anglo-French
Entente) で 最 終 決 着 を み
た 。 フ ァ シ ョ ダ は ス ー ダ ン の 南 東 部 に あ た り、白 ナ イ ル (White Nile) 川 中 流 左 岸 。 現 在 の コ ド ク (Kodok) 。 〓p.283図 February
解6「 ア フ リカ の分割 」
Revolution(1848)
フ ラ ン ス2月 1848年2月22日
共 和 主 義 者 や 社 会 主 義 者 が7月 (Second
Republic:
( 〓July
Revolution)
〓French
革命 、 パ リ の 中 小 市 民 ・労 働 者 を 中 心 と す る
王政 ( 〓July Republic)
Monarchy)
を 倒 して 、 第2共
を 樹 立 し た 革 命 。30年
に よ っ て フ ラ ン ス に は7月
の7月
和政 革命
王 政 が成 立 した が、 金 融業 者 に
代 表 され る 上 層 ブ ル ジ ョ ア が 政 治 的 権 力 を 独 占 して い た 。 こ の た め 、 民 主 的 な 政 治 を 目指 す 市 民 や 、 社 会 主 義 の 影 響 を受 け た 労 働 者 階 級 ら が 選 挙 権 の 拡 大 を 求 め て 反 政 府 運 動 を 展 開 、 各 地 で 選 挙 法 の 改 正 を 訴 え る 革 命 宴 会 (Banquet reforme) が 開 か れ た 。 政 府 は こ れ を 弾 圧 し た た め 、48年2月
de
パ リ民衆 が 蜂 起 、
国 王 ル イ ・ フ ィ リ ッ プ (Louis Philippe) を 退 け て 臨 時 の 共 和 政 府 を 成 立 させ た 。 革 命 に は 社 会 主 義 者 が 参 加 した が 、 ま も な く保 守 派 と対 立 し て 敗 北 。 同 年12月 に は ル イ ・ナ ポ レ オ ン (ナ ポ レ オ ン3世
:〓Napoleon
の 革 命 は ヨ ー ロ ッパ の 自 由 主 義 (〓liberalism) 響 を与 え 、 ドイ ツ ・オ ー ス トリ ア で は3月 ま た 、1814年
の ウ ィ ー ン会 議 ( 〓Vienna
III) が 大 統 領 に就 い た 。 こ
や 国民 主 義 ( 〓nationalism)
革命( 〓March Congress)
Revolution)
に影
が起 こ った。
に よ っ て ヨ ー ロ ッパ に 形 成
さ れ た 保 守 反 動 体 制 (ウ ィー ン体 制 )が 崩 壊 す る に 至 っ た 。
February
Revolution(1917)
〓 Russian
ロ シ ア2月
Revolution(
Federation
of
革 命
ロ シ ア革 命)
Rhodesia
and
Nyasaland
ロ ー デ シ ア ・ニ ヤ サ ラ ン ド連 邦 中 央 ア フ リ カ連 邦 の こ と。
〓 Central Feisal
African
Federation
I(1885∼1933)
フ ァ イ サ ル1世
イ ラ ク王 (任1921∼33)
。 聖 都 メ ッ カ (Mecca) 近 郊 の タ ー イ
フ (Ta'if) に 生 ま れ 、 コ ン ス タ ン チ ノ ー プ ル (Constantinople: に 幼 年 期 を 過 ご す 。 第1次
世 界 大 戦 (〓World
て ア ラ ブ軍 を 指 揮 し た 。1919年
War
の パ リ講 和 会 議 ( 〓Paris
は ア ラ ブ 国 家 の 独 立 を 主 張 。 翌20年
現 イ ス タ ン ブール )
I)中 、 トル コ 支 配 に 反 対 し Peace
ダ マ ス カ ス (Damascus)
Settlement)
で
で開 か れ た ア ラ ブ民
族 会 議 で は、 シ リ ア 王 に 就 い た。 当 時 イ ギ リ ス は 占領 下 の メ ソ ポ タ ミ ア (Mesopotamia)
鎮 圧 に 苦 心 して い た が 、21年
こ の 地 に 新 設 され た イ ラ ク の 国 王
に フ ァ イ サ ル を 擁 立 。 そ の 後 、 フ ァ イ サ ル は イ ラ ク と イ ギ リス の 力 関 係 を 巧 み に 操 り な が ら 指 導 力 を 発 揮 し、25年 る イ ラ ク は 、32年
憲 法 発 布 。 南 西 アジ ア 初 の ア ラ ブ人 国 家 で あ
国 際 連 盟 (〓League
of Nations) 加 入 を果 た す ま で に 至 っ た 。
〓 Iraq Fifth
Republic
〓
French
Finland
フ ラ ン ス 第5共
Republic(
和政
フ ラ ン ス 共和 政 )
フ ィ ンラ ン ド 北 ヨ ー ロ ッ パ 、 ス カ ン ジ ナ ビ ア (Scandinavia)
(Baltic
Sea) 北 側 に あ る 共 和 国 。 北 は ノ ル ウ ェ ー 、 東 は ロ シ ア に 接 す る 。 首 都 は
ヘ ル シ ン キ (Helsinki) ∼13世
半 島 基 部 、 バ ル ト海
。5∼7世
紀 頃 、 東 方 よ り フ ン 族 (Huns) が 侵 入 し 定 住 。12
紀 に は ス ウ ェ ー デ ン 領 と な り 、 キ リ ス ト教 化 が 進 ん だ 。1809年
オ ン 戦 争 (〓Napoleonic 1905年
に は 自 治 権 を 獲 得 。17年
戦 (〓World
War
約 機 構 (NATO:
の 結 果 ロ シ ア に割 譲 され 大 公 国
〓North
世 界 大
を 割 譲 した が 、 そ の 後 非 同 盟
・西 欧 ・ ア メ リ カ と も 友 好 関 係 を 保 っ て き た 。 北 大 西 洋 条 Atlantic
Treaty
Pact) 、 ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 (EC:
も 属 さ な か っ た が 、94年
、 ナポ レ とな っ た が 、
独 立 を 宣 言 し て 共 和 国 と な っ た 。 第2次
II)中 、 ソ 連 に 敗 れ て 国 土 の12%
中 立 外 交 を と り、 ソ連
(〓Warsaw
Wars)
Organization) 〓European
に ヨ ー ロ ッ パ 連 合 (EU:
〓European
、 ワル シ ャ ワ条 約 機 構 Community) Union)
の どれ に に 加 盟 し、
2002年
に は ユ ー ロ (Euro) を 導 入 し た 。
〓EU
First
〓p.278図
解1「
〓p.328地
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
International
第1イ
〓International
First
ベ ル サ イ ユ体 制 下 の ヨー ロッパ」
World
Workingmen's
War(1914∼18)
〓World
ン ター ナ シ ョナル
War
Association(
第1次
国際 労働 者 協会 )
世 界大 戦
I
Fiume/Rijeka
フ ィウ メ/ リエ カ 旧ユ ー ゴス ラ ビア連 邦 北 西部 、 ク ロ アチ ア 共 和 国 に属 す る港
湾 都 市 で 、 ア ド リ ア 海 (Adriatic 紀 以 来 ク ロ ア チ ア 人 (Croatian) し て き た 。 第1次
Sea) に 面 す る 。 リ エ カ (Rijeka) が 住 み つ き 、15世
世 界 大 戦 (〓World
War
の 間 で 領 有 問 題 が 生 じ た が 、1919年 フ ィ ウ メ 占 領 で 紛 糾 し た 。24年
と も い う 。7世
紀 頃 か らは オ ー ス トリア に属
I) 後 、 イ タ リ ア と ユ ー ゴ ス ラ ビ ア と
ダ ヌ ン ツ ィ オ (〓D'Annunzio,
ム ッ ソ リ ー ニ (〓Mussolini,
Gabriele) Benito)
ゴ ス ラ ビ ア と 盟 約 を 結 び 、 フ ィ ウ メ の イ タ リ ア へ の 帰 属 が 決 ま っ た が 、 第2次 界 大 戦 (〓World
War
II)後 、47年
の
政 権 は ユ ー 世
に ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 領 に戻 り、 現 在 は ク ロ ア チ
ア領 。 〓Rapallo,
Treaty
of( ラ パ ロ 条 約 )
〓Yugoslavia
FLN
ア ル ジ ェ リア民族 解 放 戦線 “Front
de
Lib〓ration
Nationale”
の略
。1954年11月
ア ルジ ェ リア
で フ ラ ン ス か ら の 独 立 を 目 指 す た め に 結 成 さ れ た 民 族 主 義 政 党 。 ベ ン ・ベ ラ (Ben Bella,
Mohammed)
58年9月
に 率 い ら れ て 、 ア ル ジ ェ リ ア 戦 争 ( 〓Algerian
イ ン ドネ シ ア な ど の 承 認 を 得 て フ ラ ン ス の ド Andr〓
War)
を主 導 。
、 カ イ ロ (Cairo) で ア ル ジ ェ リ ア 臨 時 政 府 を 樹 立 し、 ア ラ ブ 諸 国 や 中 国 、
Joseph
Marie)
政 権 と 相 対 し た 。62年7月
・ ゴ ー ル (〓De
Gaulle,
独 立 を 達 成 し 、9月
Charles には べ ン ・
べ ラ が初 代 大 統領 につ い た。 以 来 、 国 内 に お ける 唯一 の 合 法 政 党 で あ っ た が、 88年
か らは多 党 化 の動 きがで て い る。
〓Algeria
Ford,
Gerald
Rudolph(1913∼2006)
フ ォー ド
ア メ リ カ の 政 治 家 。 第38代 77) 。1935年 University) 65年
ミ シ ガ ン 大 学 (Michigan,
Theodore)
Party)
イ エ ー ル 大 学 (Yale
ミシ ガ ン 州 か ら 下 院 議 員 と な り、
下 院 院 内 総 務 。73年
の 後 任 と し て ニ ク ソ ン (〓Nixon,
副 大 統 領 と な る が 、74年
ア メ リ カ 大 統 領 (任1974∼ of) 、41年
大 学 院 を 卒 業 し 、弁 護 士 を 開 業 。49年
に は 共 和 党 (Republican
Spiro
University
Richard
ア グニ ュ ー Milhous)
ウ ォ ー タ ー ゲ ー ト事 件 (〓Watergate
大 統 領 が 辞 任 す る と 憲 法 修 正24条
(Agnew, 大 統領 の
Affair) で ニ ク ソ ン
に よ り、大 統 領 に昇 格 。 この 年 、戦 後 初 の ア
メ リ カ 大 統 領 の 来 日 を 果 た す 。 ニ ク ソ ン路 線 を 継 承 す るが 、 イ ン フ レや 失 業 率 の 進 行 か ら 支 持 率 は 下 落 し 、76年 タ ー (〓Carter,
Formosa
James
の 大 統 領 選 挙 で 民 主 党 (Democratic
Party) の カ ー
Earl) に 僅 差 で 敗 れ た 。
フ ォル モ ーサ 台 湾 の こ と。
〓Taiwan
Four
Power
Pacific
Treaty(1921)
4カ
国条 約
ワ シ ン ト ン条 約 の 一 部 。 〓Washington,
Four
Power
Treaty
of
Pact(1933)
4大
国条 約
イ タ リ ア 首 相 ム ッ ソ リ ー ニ (〓Mussolini,
Benito)
の 主 唱 に
よ る と こ ろ か ら、 別 名 ム ッ ソ リ ー ニ 条 約 と も い わ れ る。 小 国 主 体 の 国 際 連 盟 (〓League
of Nations)
タ リ ア4大
国 間 で1933年
に 代 わ る も の と して 、 イ ギ リ ス ・ フ ラ ン ス
・ ドイ ツ ・イ
に 結 ば れ た 同 盟 で 、 ヨ ー ロ ッパ の 平 和 へ の 確 信 を 強 化
し、 団 結 を 固 め る 目 的 と さ れ た 。 しか し、 同 年 末 、 ナ チ ス
・ ド イ ツ (〓Nazis)
の
国 際 連 盟 脱 退 な ど の 動 き に よ り、 実 効 の な い ま ま に 終 わ っ た 。
Fourteen
Points(1918)
14カ 条 平 和 再 建 構 想
第1次
世 界大 戦 ( 〓World
メ リ カ の ウ ィ ル ソ ン (〓Wilson,
Woodrow)
War
I)末 期 の1918年1月8日
、 ア
大 統 領 が ドイ ツ ・ ロ シ ア の 単 独 講 和
を 妨 害 す る 目 的 で 発 表 した 戦 後 処 理 の 原 則 。 公 開 外 交 ・民 族 自 決 ・無 併 合 ・無 賠 償 ・海 洋 の 自 由 ・軍 備 制 限 ・国 際 連 盟 (〓League 19年 パ リ講 和 会 議 (〓Paris
Peace
of Nations) の 提 唱 な ど か ら な る。
Settlement) に お け る基 本 理 念 と され た が 、 列
強 の 複 雑 な 政 治 的 思 惑 の 前 に 屈 し ウ ィ ル ソ ン の 理 想 は 実 現 に至 ら な か っ た 。
Fourth
International
〓Cominform(
Fourth
ン タ ー ナ シ ョナ ル
コ ミ ン フ ォル ム )
Republic
〓French
第4イ
フ ラ ン ス 第4共
Republic(
Franco-Belgian
和政
フ ラ ン ス共 和 政)
Alliance(1920)
フ ラ ン ス ・ベ ル ギ ー 防 衛 同 盟 1919年
を 中 心 system)
の ベ ル サ イ ユ 条 約 (〓Versailles,
Treaty
of)
と し て 確 立 さ れ た 国 際 秩 序 、 い わ ゆ る ベ ル サ イ ユ 体 制 (〓Versailles を 維 持 す る た め 、 フ ラ ン ス と ベ ル ギ ー の 問 で20年9月5日
密 防 衛 同 盟 。1831年
の ロ ン ド ン 条 約 (〓London,
世 中 立 国 (permanently
neutral
Treaty
に結 ば れ た秘
of) で は 、 ベ ル ギ ー の 永
state) と し て の 独 立 が イ ギ リ ス
ロ イ セ ン ・ ロ シ ア ・オ ー ス ト リ ア5カ
・フ ラ ンス
・プ
国 に よ っ て 保 障 され た が 、 ベ ル サ イ ユ 条 約
に よ っ て この 条 約 が 破 棄 され 、 ベ ル ギ ー は 主 権 国 家 と し て 完 全 に 独 立 した 。 こ れ を う け 、 ド イ ツ 包 囲 網 の 構 築 を も く ろ ん で い た フ ラ ン ス は 、1920年 21年
ポ ー ラ ン ド (〓Franco-Polish
Entente)
Alliance)
、24・26・27年
加 盟 の 三 国 (チ ェ コ ス ロ バ キ ア 、 ル ー マ ニ ア 、 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア )と の 間
で 次 々 に 同 盟 を 成 立 さ せ た 。 そ の 後 、1936年3月 (〓World
にはベ ル ギ ー、
に は 小 協 商 (〓Little
War
、 や が て 第2次
世 界 大 戦
II)へ と 至 る ヨ ー ロ ッ パ の 急 迫 情 勢 の 緩 和 を 目 指 し て 、 フ ラ ン ス ・
ベ ル ギ ー 防 衛 同 盟 は 破 棄 され た 。
Franco,
Francisco(1892∼1975)
フ ラン コ
ス ペ イ ン の 政 治 家 。 総 統 (任1939∼75)
。 ガ リシ ア地 方
(Galicia)出 身 。 トレ ド (Toledo) の 陸 軍 士 官 学 校 卒 業 後 、1912年
か ら26年 ま で モ
ロ ッ コ の 民 族 運 動 鎮 圧 に 参 加 。 フ ラ ン ス に な ら っ て ス ペ イ ン外 人 部 隊 を つ く り、 モ ロ ッ コ北 西 部 の リ フ族 (Rifs) 鎮 圧 な どで 活 躍 。35年 人民 戦線 内閣 ( 〓Popular
に は 参 謀 総 長 とな り、 翌 年
Front) に 反 対 し て モ ロ ッ コ で 反 乱 を 起 こ し、 そ の 指 導
者 と な る 。 ブ ル ゴ ス (Burgos) に 臨 時 政 権 を 樹 立 す る と、 ドイ ツ ・ イ タ リ ア 枢 軸 国 (〓Rome-Berlin し、 以 来 総 統 (〓Spanish
Axis) の 支 持 に よ っ て39年
に は マ ド リー ド (Madrid) を 占 領
・元 首 とな り、 フ ァ シ ズ ム ( 〓fascism)
を確 立 。 こ の ス ペ イ ン 内 戦
Civil War) で は70万 人 近 い 死 者 を 出 し、 後 の ス ペ イ ン経 済 に も影 を
落 と し た 。 第2次
世界 大 戦 ( 〓World
War
II)で は 一 応 中 立 を 保 っ た が 、 戦 後 は
イ ギ リ ス ・ ア メ リ カ に接 近 して 、 資 本 援 助 を 望 ん で い た 。73年 ら首 相 辞 任 。 死 後 、 ス ペ イ ン は 王 制 が 復 活 し て い る。
健 康 上 の理 由か
Franco-Polish
Alliance(1921)
フ ラ ン ス ・ポ ー ラ ン ド防 衛 同 盟 第1次
講 和 会 議 (〓Paris ( 〓Versailles
Peace
世 界大 戦 ( 〓World
Settlement)
War
I)後 、1919年
のパ リ
に よっ て構 築 され たベ ル サ イユ体 制
system) を 維 持 す る た め に 、 ドイ ツ を 挟 む フ ラ ン ス とポ ー ラ ン ド
の 間 で21年2月19日
に結 ば れ た 。 ベ ル サ イ ユ 体 制 は 発 足 当 初 か ら 、 賠 償 を め ぐ
る フ ラ ン ス ・ ドイ ツ の 緊 張 関 係 、 国 際 連 盟 ( 〓League 不 参 加 、 ロ シ ア 革 命 (〓Russian
Revolution)
of Nations) へ の ア メ リ カ
に よ る 共 産 主 義 の 台 頭 な どの 不 安
定 要 因 を か か え て い た 。 こ う し た 中 、 ドイ ツ の 動 向 に 備 え る 意 味 か ら、 ま た ヨ ー ロ ッパ を 共 産 主 義 よ り隔 離 す る と い う 意 味 か ら 双 方 の 思 惑 が 合 致 し 、 防 衛 同 盟 の 締 結 に至 っ た。 Franco-Prussian
War(1870∼71)
普 仏戦 争 1870年
首 相 ビ ス マ ル ク (〓Bismarck, ナ ポ レ オ ン3世
、 ド イ ツ 統 一 を 目 指 す プ ロ イ セ ン (〓Prussia)
Otto
(〓Napoleon
von)
と、隣 国 の 強大 化 を恐 れ るフ ラ ンス
III)が 対 立 し て 戦 争 と な っ た 。1865年
ツ (Biartitz) の 地 で ビ ス マ ル ク と ナ ポ レ オ ン3世 (〓Austro-Prussian
War)
・
に ビア リ ッ
が か わ した密 約 で は、 普 墺戦 争
後 フ ラ ン ス に ラ イ ン (Rhine) 川 左 岸 地 域 が 譲 ら れ る こ
と に な っ て い た 。 しか し、 ビ ス マ ル ク は こ の 約 束 を 守 らず 、 フ ラ ン ス の ル ク セ ン ブ ル ク 買 収 交 渉 を 妨 害 す る な ど 、 両 国 関 係 は 悪 化 す る 一 方 だ っ た 。70年 マ ル ク は エ ム ス 電 報 事 件 (〓Ems
Dispatch)
き 、 開 戦 後 た ち ど こ ろ に 進 撃 し て フ ラ ン ス を 敗 っ た 。 ナ ポ レ オ ン3世 戦 い (〓Sedan,
Battle
ル ト講 和 条 約 (Peace 域 (〓Alsace-Lorraine)
of) に 敗 れ 、71年 of Frankfurt)
ドイ ツ は プ ロ イ セ ン を 中 心 と し て 統 Empire) 〓p.281図
Franco-Russian
はセ ダ ンの
に は パ リが 陥 落 し た 。 同 年 、 フ ラ ン ク フ
が結 ばれ 、 フラ ンス は アル ザ ス
を 割 譲 し 、20億
、 ビ ス
を 画 策 し て 巧 み に 両 国 を戦 争 へ と導
・ロ レー ヌ地
フラ ン の賠 償 金 を支 払 った 。 この 結 果 、 一国 家 を 形 成 し 、 ド イ ツ 帝 国 (〓German
が誕 生 した。 解4「
ドイ ツ の統 一」
Alliance(1894)
露 仏 同 盟 (ロ シ ア ・ フ ラ ン ス 同 盟 ) 二 国 同 盟 (ロ シ ア ・フ ラ ン ス )の こ と 。
〓Dual
Franco-Russian
Alliance(1894)
Treaty
of Mutual
Assistance(1935)
仏 ソ相 互援 助条 約
1935年5月2日
、 フ ラン ス ・
ソ 連 間 に お け る 反 ドイ ツ 的 相 互 援 助 条 約 。 ナ チ ス ・ ドイ ツ ( 〓Nazis) 台 頭 後 、 ベ ル サ イ ユ 条 約 (〓Versailles,
Treaty
of)以 降 の 国 際 秩 序 の 崩 壊
・軍 備 拡 大 を 懸 念
し た 両 国 は 、 ど ち ら か が 不 当 な 攻 撃 を 受 け た 場 合 を 想 定 して 相 互 安 全 保 障 を 協 定
し た 。 こ れ に 対 し て ド イ ツ は 、 ロ カ ル ノ 条 約 (〓Locarno,
Treaties
of)の 破 棄 を
宣 言 、 ラ イ ン (Rhine) 川 沿 岸 の 非 武 装 地 区 で あ っ た ラ イ ン ラ ン ト (〓Rhineland) へ と軍 を 進 駐 させ た 。
Franz
Ferdinand(1863∼1914)
フ ラ ン ツ ・フ ェ ル デ ィ ナ ン ト オ ース ト リア皇太 子。 フラ ンツ
Josef
・ ヨ ー ゼ フ1世
(〓Franz
I) の 甥 。 従 兄 の オ ー ス ト リ ア 皇 太 子 ル ド ル フ (Rudolf) 及 び 父 カ ー ル ・ル ー
ド ビ ヒ (Karl
Ludwig)
の 死 に と も な い 、1889年
皇 位 継 承 者 と な っ た 。1913年
、
陸 軍 総 督 。 外 交 面 で は ドイ ツ と結 ん で 、 ロ シ ア との 諒 解 を 深 め よ う と した 。 しか し、 現 在 の ボ ス ニ ア エ ボ (Sarajevo) 件:
・ ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ (〓Bosnia
and
Herzegovina)
の首 都 サ ラ
で 夫 婦 そ ろ っ て セ ル ビ ア 人 青 年 に よ っ て 射 殺 さ れ (サ ラ エ ボ 事
〓Sarajevo,
Assassination
at)、 こ れ が 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I)
の 口火 とな った。
Franz
Josef
I(1830∼1916)
フ ラ ン ツ ・ ヨ ー ゼ フ1世 オ ー ス ト リ ア 皇 帝 (1848∼1916)
(1867∼1916)
。 神 聖 ロ ー マ 皇 帝 (〓Holy
II)の 孫 。1848年
Roman
伯 父 フ ェ ル デ ィ ナ ン ト1世
Empire)
(Ferdinand
、 ハ ン ガ リー 国 王 フ ラ ン ツ2世
(Franz
I) の 退 位 を う け て 皇 帝
に 即 位 。翌 年 ハ ン ガ リー で 革 命 が 起 こ る と、ロ シ ア 軍 の 援 助 を も っ て 弾 圧 した が 、 ク リ ミ ア 戦 争 (〓Crimean (〓Austro-Prussian
War)
め、 オー ス トリア 71年
War)
で ロ シ ア と の 友 交 関 係 は 崩 れ た 。66年
に 敗 れ る と 、 翌67年
・ ハ ン ガ リ ー 帝 国 (〓Austro-Hungarian
以 降 は ド イ ツ 帝 国 (〓German
(〓Dual
Alliance)
Alliance)
を 締 結 。1908年
て 、 ボス ニ ア
締 結 。82年
Empire)
ドイ ツ
普墺 戦 争
国 内 の ハ ン ガ リー 人 と 妥 協 す る た Empire)
に 接 近
し 、79年
を編 成 し た 。 独 墺 二 国 同 盟
・ イ タ リ ア と と も に 三 国 同 盟 (〓Triple
青 年 ト ル コ 党 革 命 (〓Young
・ ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ (〓Bosnia
and
Turk
Revolution)
Herzegovina)
に乗 じ
を 併 合 し、 ロ シ ア
と 対 立 関 係 と な っ た 。 国 内 の 民 族 運 動 を 戦 争 で 解 決 し よ う と す る 姿 勢 が 、14年 皇 太 子 フ ェ ル デ ィ ナ ン ト (〓Franz (〓World
Free
French
War
Ferdinand)
の 暗 殺 へ と 通 じ 、 第1次
世 界 大戦
I) を 招 く こ と に な る 。
自由 フ ラ ンス 第2次
世 界 大 戦 (〓World
れ た フ ラ ン ス の 臨 時 政 府 。40年6月 ロン ドンに逃 れ た ド
・ ゴ ー ル (〓De
イ ギ リ ス 国 営 放 送 (BBC:
British
War
II)中 の1940年
、 ロ ン ドンに組織 さ
ドイ ツ 軍 占 領 に よ っ て フ ラ ン ス が 降 伏 す る と、 Gaulle,
Broadcasting
Charles
Andr〓
Corporation)
Joseph
Marie)
を 通 じ て 「自 由 フ ラ
ン ス 」の 名 で レ ジ ス タ ン ス を 呼 び か け た 。 同 時 期 ペ タ ン 元 帥 (〓P〓tain, Philippe)
が 国 内 に た て た 親 独 政 権 の ビ シ ー 政 府 (〓Vichy
は、
France)
Henri
と対 立 す る も
の で あ る 。 こ の 臨 時 政 府 を 含 め て 、 フ ラ ン ス 解 放 まで 闘 っ た フ ラ ン ス 人 諸 勢 力 の 全 体 を 示 す こ と も あ る。
Free
Trade
自由 貿易 外 国 との 商 品 取 引 に つ い て 、 国 家
・政 府 の 意 図 す る 人 為 的
・干 渉 的
な促 進や 抑制 策 を排 し、貿 易 を生 産者 または商 人 の 自由か つ公 平 な取 引 に委 ね る 方 式 。16∼17世
紀 に 重 商 主 義 (〓mercantilism)
保 護 貿 易 主 義 (〓protectionism) (Quesnay, 第2次
Fran〓ois)
、 ス ミ ス (Smith,
世 界 大 戦 (〓World
Agreement (Doha
on
Tariffs
Development
War and
を 批 判 す る 考 え方 と して 生 まれ 、
と相 対 す る。 理 論 的 基 礎 を 与 え た の は 、 ケ ネ ー Adam)
、 リ カ ー ド (Ricardo,
II)後 、 関 税 貿 易 Trade)
Round)
に よ っ て 、2001年
ま で 計9回
David)
一般 協 定 (ガ ッ ト
な ど。
: 〓General
の ドー ハ 開 発 ラ ウ ン ド
の 多 角 的 貿 易 交 渉 (Multilateral
trade
talks) が 行 わ れ 、 保 護 貿 易 を 食 い と め て い る 。
French
Empire
フラ ン ス帝政 (1) 第1帝
年 ∼14年
。1804年5月
政 (Premier
ナ ポ レ オ ン1世
Empire/Napoleonic (〓Napoleon
Empire):
ま っ た 、 フ ラ ン ス 最 初 の 帝 政 。 ナ ポ レ オ ン 戦 争 (〓Napoleonic ヨ ー ロ ッ パ 全 域 を 支 配 下 に お い た が 、14年 (2) 第2帝
政 (Second
III)が1851年
Empire):
1852年
ク ー デ タ ー に よ っ て 第2共
〓French
French
Republic(
Indo-China
Wars)
に よ って
ナ ポ レ オ ン失 脚 と 同 時 に 崩 壊 。 ∼70年
。 ナ ポ レ オ ン3世
和 政 (Second
帝 位 に 就 く と と も に 成 立 。 普 仏 戦 争 (〓Franco-Prussian 年 に 退 位 し て 崩 壊 、 以 後 第3共
1804
I) が 皇 帝 位 に 就 い て は じ
和 政 (Third
Republic)
Republic) War)
(〓Napoleon を 倒 し 、 翌52年 に 敗 れ た た め70
が は じ まる。
フ ラ ン ス共 和 政 )
フ ラ ンス領 イン ドシナ フ ラ ン ス植 民 地 時 代 の イ ン ドシ ナ の 名 称 。 フ ラ ン ス 第2
帝 政 下 (Second は 、1858年
Empire:
〓French
Empire) の ナ ポ レオ ン3世
ベ ト ナ ム を 攻 撃 し、 カ ン ボ ジ ア も 保 護 国 化 し て67年
ナ 半 島 東 南 部 を 手 中 に 収 め た。 第3共 Republic)
( 〓Napoleon
和 政 下 (Third Republic:
に は フ ラ ン ス は イ ン ドシ ナ 半 島 北 部 へ 勢 力 を 拡 大 。84年
(Sino-French
III)
ま で に イ ン ドシ 〓French の 清 仏戦 争
War) で は ベ トナ ム の 主 権 を め ぐ っ て 中 国 と争 っ た 。87年
フラン
ス 領 イ ン ドシ ナ 連 邦 を 形 成 し、 総 督 を 常 設 。 こ れ に 対 し イ ン ドシ ナ で は 、 第1次 世 界 大 戦 (〓World
War
I)後 、 反 仏 運 動 か ら生 ま れ た ホ ー ・ チ ミ ン (〓Ho
Minh) の 共 産 党 を 中 心 に 、 ベ ト ミ ン ( 〓Viet (〓World
War
Minh) が 台 頭 した 。 第2次
Chi
世 界大 戦
II)中 、 日本 軍 が 占領 し て フ ラ ン ス領 イ ン ド シ ナ 崩 壊 を 宣 言 し た
が 、 戦 後1945年9月
ベ トナ ム 民 主 共 和 国 (Democratic
Republic
of Viet
Nam)
が 成 立 し 、 フ ラ ン ス か ら の 完 全 独 立 を 目 指 して イ ン ド シ ナ 戦 争 ( 〓Indo-China War) が 勃 発 。54年
ジ ュ ネ ー ブ 協 定 (〓Geneva
Agreements)
ス領 イ ン ドシ ナ は 最 終 的 に 解 体 し た 。 こ れ よ り先 、48年 と な り、53年
が 結 ばれ 、 フ ラン
カ ンボ ジ ア は独 立 王 国
ラオ ス も独 立 を 果 た して い る 。
〓Indo-China
French
Republic
フラ ン ス共和 政 (1) 第1共
ラ ン ス 革 命 (〓French 府 (〓Directory) (〓Napoleon (2)
政 (Premier
和 政 (Second
(〓February
Republic):
で1792年
Revolution)
を 経 て 、1804年
Empire)
Republic):
に よ っ て7月
1792年
∼1804年
ナ ポ レ オ ン1世
をは じめ る まで 。
1848年 王 政 (〓July
∼52年
。48年
Monarchy)
、2月
し た ナ ポ レ オ ン3世
年 か ら 第2帝 (3) 第3共 Prussian
(〓Napoleon
政 (Second
Empire)
和 政 (Third War)
大戦 ( 〓World
命
大 統 領 に 当
に ク ー デ タ ー を 起 こ し 、 翌52
を は じ め た た め 崩 壊 した 。
Republic):
で ナ ポ レ オ ン3世 War
III)が 、51年
革
が倒 されて 成 立。
革 命 直 後 か ら 共 和 派 と 社 会 主 義 派 が 対 立 し て 政 局 は 混 迷 。 同 年12月 選
。 フ
に王 政 が 廃 止 さ れ て か ら、 総 裁 政
、 執 政 政 府 (〓Consulate) I) が 第1帝
第2共
和 政 (Premier
Revolution)
1870年
∼1940年
。70年
普 仏 戦 争 (〓Franco-
が 王 位 を 退 い た た め 成 立 。1940年
II)で ド イ ツ に 占 領 さ れ 、 ビ シ ー 政 府 (〓Vichy
第2次
世 界
France)
の 成
立 と ともに崩 壊 。 (4) 第4共
和 政 (Fourth
Republic):
1946年
成 立 。 二 院 制 議 会 や 大 統 領 制 な ど 第3共
∼58年
。 第2次
世 界 大 戦 後 、46年
和 政 を踏 襲 した憲 法が 制定 され た が、 政
党 間 の 連 立 や 対 立 を 繰 り返 し て 不 安 定 な 中 道 政 治 が 続 く 。 植 民 地 ア ル ジ ェ リ ア の 独 立 戦 争 (〓Algerian (5) 第5共
War)
な ど を 契 機 に 軍 部 が 反 乱 して 崩 壊 し た 。
和 政 (Fifth Republic):
ル 将 軍 (〓De
Gaulle,
て 成 立 。 翌59年
Charles
1958年 Andr〓
∼ 現 在 。58年
Joseph
Marie)
首 相 に 指 名 さ れ た ド ・ゴ ー が 第5共
和政 憲 法 を 制定 し
大 統 領 に 就 任 し た ド ・ ゴ ー ル は、 強 大 化 さ れ た 大 統 領 権 の も と
で ア ル ジ ェ リ ア 戦 争 を 終 結 に 導 くな ど外 交 手 腕 を 発 揮 。 以 後 フ ラ ン ス は ヨ ー ロ ッ パ 経 済 共 同 体 (EEC:
〓European
Economic
Community)
の 中心 とな って 、英
米 と迎 合 し な い 独 自 の 路 線 を 歩 む 。 〓French
French
Empire(
フ ラ ン ス帝 政 )
Revolution(1789∼99)
フラ ンス革 命
フ ラ ン ス に お い て 第3身 を 中 心 に 絶 対 王 政 が 倒 され た 革 命 。1789年
分 (Third Estate:
中 小 市 民 ・農 民 )
か ら99年 ま で の 全 体 を4段
階に分け
に 開 か れ た 三 部 会 (Convocation
of the
る こ とが で き る 。 < 第1段
階 >1789年
∼91年
:89年5月
Estate
General) で僧 侶
議 員 らは 、 同 年6月
・貴 族 な ど の 特 権 階 級 と対 立 し圧 迫 を う け た 第3身
分の
「テ ニ ス コ ー トの 誓 い 」 (Tennis court Oath) で 憲 法 制 定 に 向
け た 団 結 を 固 め て 立 憲 国 民 議 会 (National
Assembly)
を 創 設 。 国 王 ル イ16世
(Louis XVI) は こ れ を 弾 圧 し よ う と し た た め 、7月14ロ
パ リ市 民 が 蜂 起 し 、 専 制
支 配 の 象 徴 だ っ た バ ス テ ィー ユ 牢 獄 を 襲 撃 (Storming
of the Bastille) 。 事 態 収
拾 の た め 議 会 は 自 由 ・ 平 等 の 精 神 を う た っ た 「人 権 宣 言 (Declaration rights
of the
of man) 」を 発 し 、 司 法 制 度 や 選 挙 制 度 な ど種 々 の 改 革 を 断 行 。91年 憲 法
を 制 定 し て 立 憲 君 主 制 を 確 立 した 。 < 第2段
階 >1791年
∼93年
:立 憲 議 会 で は ジ ロ ン ド派 (Girondins) と呼 ば れ る
穏 和 な 共 和 派 が 主 導 権 を 握 り、 翌92年
春 に 内 閣 を 結 成 。9月
新 た に 普 通 選 挙 に よ る国 民 公 会 (National 第1共
和 政 (Premier
Republic:
〓French
Convention)
に は議 会 を解 散 し、
を 召 集 、 王 政 は 廃 止 され
Republic) が 誕 生 。93年
国 王 ル イ16
世 は処 刑 された 。 < 第3段
階 >1793年
∼94年
:恐 怖 政 治 の 時 代 (Reign of Terror) 。 国 民 公 会 に お
け る 激 し い 抗 争 の 末 、93年
右 派 の ジ ロ ン ド派 が 追 放 さ れ 、 代 わ っ て 小 市 民 ・ 農
民 の 支 持 を 得 た 急 進 左 派 の ジ ャ コ バ ン 派 (Jacobins) が 独 裁 。 公 安 委 員 会 (Committee
of Public
Safety) を 定 め て 、 反 革 命 分 子 は 容 赦 な く処 刑 す る な ど の
恐 怖 政 治 (the Terror) が 行 わ れ て い く。 < 第4段
階 >1794年
年7月27日
∼99年
:恐 怖 政 治 に 対 す る民 衆 の 不 安 と反 感 が 高 ま り 、94
ブ ル ジ ョ ア ジ ー に よ る反 乱 ク ー デ タ ー が 起 こ っ て ジ ャ コ バ ン 派 が 失
脚 (テ ル ミ ド ー ル の 反 動 ク ー デ タ ー :Thermidoream ン ド派 は95年
国 民 公 会 を 解 散 し、5人
府 (〓Directory)
Reaction)
を組 織 し た 。 しか し社 会 不 安 は 収 ま ら ず 、99年11月
ポレオン( 〓Napoleon
I)が ブ リ ュ メ ー ル18日
III(1831∼88)
ド イ ツ 皇 帝 ・プ ロ イ セ ン 王 (位1888)
ヒ 66年 War)
(〓Wilhelm
Otto
von)
。英 語 で はFrederick
III。
I) の 子 。 ビ ク ト リ ア 女 王 (〓Victoria,
の 娘 、 皇 女 ビ ク ト リ ア と1858年
(〓Bismarck,
Coup
を樹 立 した 。
フ リ ー ド リ ッ ヒ3世
皇 帝 ウ ィ ル ヘ ル ム1世 Queen)
に は軍 人 ナ
の クー デ タ ー ( 〓Brumaire,
d'〓tat of)で 総 裁 政 府 を 打 倒 し、 執 政 政 府 ( 〓Consulate) Friedrich
。復 活 した ジ ロ
の 総 裁 の も とで 共 和 政 を す す め る 総 裁 政
に 結 婚 。政 治 的 に は首 相 ビ ス マ ル ク
と対 立 関 係 に あ り、 と りわ け デ ン マ ー ク領 シ ュ レ ス ビ
・ ホ ル シ ュ タ イ ン (Schleswig-Holstein) の 普 墺 戦 争 (〓Austro-Prussian
War)
の 取 り扱 い と 報 道 検 閲 に つ い て 衝 突 。 と70年
普 仏 戦 争 (〓Franco-Prussian
に お い て 指 導 力 を み せ 、 大 ドイ ツ 帝 国 信 奉 者 に 支 持 さ れ た 。 一 方 、 芸 術 分
野 に も理 解 を 示 し 、 ベ ル リ ン 美 術 館 を 助 成 した り 、 オ リ ン ピ ア の 考 古 学 的 審 査 も 支 援 し た 。88年 か 即 位 後99日
父 王 の 死 に伴 い 即位 した が、 すで にガ ン に侵 され て お り、 わ ず で 死 亡 した 。 こ の 件 に つ い て ス コ ッ トラ ン ド人 顧 問 医 師 の 誤 診 が
報 じ ら れ る と、 反 英 気 運 が 高 ま っ て い っ た 。 F〓hrer
総 統 ナ チ ス ・ ド イ ツ (〓Nazis)
で ヒ ト ラ ー (〓Hitler,
Adolf)
名 。 大 統 領 と首 相 と 党 最 高 指 導 者 と を 兼 ね て お り 、 ド イ ツ 第3帝 Empire)
の 元 首 で あ る 。1934年
ヒ ン デ ン ブ ル ク (〓Hindenburg,
に 用 い られ た 職 国 (〓German Paul
von) 大 統
領 が 没 す る と、 ヒ ト ラ ー は 大 統 領 制 を 廃 し て 自 ら こ の 地 位 に就 い た 。
Fulton
Speech(1946)
フ ル トン 演 説 1946年3月5日
、 ア メ リ カ 合 衆 国 ミ ズ ー リ (Missouri)
ン 市 に お い て 、 イ ギ リ ス の チ ャ ー チ ル (〓Churchill,
Sir
Winston)
和 の 筋 金 』と 題 し て 行 っ た 演 説 。 ア メ リ カ 大 統 領 ト ル ー マ ン (〓Truman, Shippe)
も 聴 衆 の ひ と り と し て 耳 を 傾 け た 。 「鉄 の カ ー テ ン (〓Iron
州 フル ト
前 首 相 が 『平 Harry
Curtain)
」と
い う こ と ば が 最 初 に 使 わ れ た 演 説 と し て 有 名 。 ソ 連 に 対 抗 し て 、 ア メ リ カ ・イ ギ リス の 提 携 を 訴 え た も の だ が 、 こ の 時 点 で は ア メ リ カ 大 衆 は 必 ず し も こ れ に 熱 狂 しな か っ た 。
G Gaitskell,
Hugh
Todd
Naylor(1906∼63)
ゲ イ ツケ ル
イ ギ リスの経 済 学 者 、政 治 家 。 オ ッ クス フ ォー ド 大 学 (Oxford,
University
治 経 済 学 講 師 。1945年 (〓Attlee,
、 労 働 党 (〓Labour
Clement
蔵 相 (50∼51)
of) に 学 び 、 ロ ン ド ン 大 学 (London,
Richard)
Party)
University
下 院 議 員 と な り、 ア ト リ ー
内 閣 の 下 で 石 油 動 力 相 (47∼50)
。 党 内 右 派 で 、55年
ア トリー 引 退 後 は 、年
や モ リ ソ ン (Morrison,
た 。63年
核 廃 棄 政 策 で 党 内 が揺 れ る なか 急 死。 後 継 者 は ハ ロル ド ・ ウ ィル ソ ン
Gallipoli
Harold)
Stanley)
、経 済 相 を経 て 、
上の ベ バ ン (〓Bevan,
Aneurin)
(〓Wilson,
Herbert
of)政
を 凌 い で 、 労 働 党 党 首 とな っ
とな っ た 。
Campaign(1915)
ガ リポ リ作 戦
第1次
世界 大 戦 ( 〓World
War
I)中 の1915年4月
国 側 は 同 盟 国 側 トル コ の 戦 略 拠 点 ダ ー ダ ネ ル ス 海 峡 ( 〓Dardanelles)
、連合
を封 じ る 目
的 で イ タ リ ア の ガ リポ リ半 島 に 上 陸 し た 。 しか し、 上 陸 地 点 は トル コ軍 が 堅 固 な 陣 地 を 築 い た 正 面 で 、 ト ル コ 軍 の 反 撃 に 加 え て 厳 し い 暑 さ の た め 、16年1月 死 闘8カ Gambetta,
、
月 の 末 つ い に イ ギ リス ・フ ラ ン ス 連 合 軍 は 撤 退 す る に 至 っ た 。 L〓on(1838∼82)
ガ ンベ ッ タ
フ ラ ン ス の 共 和 主 義 政 治 家 。 第2帝 〓French
Empire)
で ナ ポ レ オ ン3世
( 〓Napoleon
政 下 (Second
Empire:
III) の 専 制 政 治 を 批 判 。1869
年 、 急 進 共 和 派 と し て 議 会 に 選 出 さ れ 、 反 帝 政 派 を 形 成 。 普 仏 戦 争 (〓FrancoPrussian
War) で は 徹 底 抗 戦 を主 張 し、70年
に は パ リ の 臨 時 国 防 政 府 内 相 と して
対 プ ロ イ セ ン戦 争 の 継 続 を 求 め た 。 敗 戦 後 、 プ ロ イ セ ン 包 囲 下 の パ リか ら気 球 で 脱 出 し、 ツ ー ル (Tours)へ 赴 く。 第3共 Republic)
和 政 (Third Republic:
〓French
成 立 当 初 、 王 党 派 の 攻 勢 に 対 し保 守 的 小 農 民 の 共 和 主 義 者 連 合 指 導 者
と し て よ く 尽 く し、 共 和 派 勝 利 の 基 盤 を つ く っ た 。 マ ク マ オ ン (MacMahon, Patrice
de)大 統 領 の 追 い 落 と し に も活 躍 し、81年
∼82年
内 閣 を組 織 したが 、共
和 政 安 定 に と も な っ て 日和 見 主 義 に転 化 した 。 Gandhi,
Mohandas
Karamchand(1869∼1948)
マ ハ ー ト マ ・ガ ン ジ ー
マ ハ ー トマ (Mahatma:
偉 大 な る 魂 )と呼 ば
れ る イ ン ドの 民 族 運 動 指 導 者 。 ロ ン ド ン に 留 学 し た 後 、 イ ン ドで 弁 護 士 を 開 業 。 1893年
南 ア フ リ カ の イ ン ド人 に 依 頼 され 、 同 胞 の 地 位 向 上 に 努 力 した 。1914年
か ら イ ン ドの 民 族 解 放 運 動 に 力 を 注 ぎ、 ス ワ ラ ー ジ (swaraj: 自 治 )獲 得 を 目 指 し て 、 反 帝 国主 義 National movement) ( 〓World
・ 非 暴 力 抵 抗 運 動 を 展 開 し た。 イ ン ド国 民 会 議 派 (〓Indian
Congress)
を 指 導 し て き た が 、31年
不 服 従 運 動 (non-cooperation
を 中 止 し て 妥 協 的 に な り そ の 指 導 力 を 弱 め た 。 第2次
世 界大戦
War
II)後 、 独 立 運 動 を 開 始 。 ヒ ン ズ ー 教 徒 と イ ス ラ ム 教 徒 の 和 解 に
努 め た が 、47年
イ ン ド ・ パ キ ス タ ン 分 離 独 立 に 際 し、 ヒ ン ズ ー 教 側 を 批 判 し た
こ と か ら 、 翌48年
ヒ ンズー教 過 激 派 に よっ て暗 殺 され た。
〓India Gandhi,
Rajiv(1944∼1991)
ラ ジ ブ ・ガ ン ジ ー
イ ン ドの 政 治 家 。 ボ ンベ イ (Bombay) ガ ンジー University
(〓Gandhi,
Shrimati
生 まれ、 イ ンデ ィ ラ ・
Indira) の 長 男 。 ケ ン ブ リ ッ ジ大 学 (Cambridge,
of)に 留 学 し 、 機 械 工 学 を 学 び 、 卒 業 後 は イ ン ド航 空 パ イ ロ ッ ト に。
弟 サ ン ジ ャ イ ・ ガ ン ジ ー (Gandhi, て 政 治 に 携 わ っ て い た が 、1980年
Sanjey) は 母 イ ン デ ィ ラ ・ カ ン ジ ー を補 佐 し 飛 行機 事 故 死。 母 の 懇願 もあ って 、 ラ ジ ブ は
81年 下 院 議 員 と して 政 界 入 り し た 。84年10月 され る と 、 直 ち に 国 民 会 議 派 (〓Indian
イ ンデ ィラ ・ガ ンジ ー首 相 が 暗殺
National
Congress)
総 裁 と な り首 相 に
就 任 。 同 年 末 の 総 選 挙 で は 同 情 票 も 集 ま っ て 圧 勝 した 。87年
に 入 る と海 外 武 器
調 達 に 絡 む 汚 職 事 件 が 発 覚 し、 物 価 も 上 昇 を 続 け た 。 そ の た め 、89年 で は 大 き く後 退 し 、 政 権 を国 民 戦 線 (People's 委 譲 。 し か し、 宗 教
Front) のV.P.シ
の総 選 挙
ン (V.P. Singh) に
・ カ ー ス ト紛 争 、 民 族 紛 争 、 経 済 危 機 を 解 消 せ ぬ ま ま 、91
年 の 総 選 挙 に 突 入 し、 国 内 安 定 の ス ロ ー ガ ン を 掲 げ て 選 挙 遊 説 中 、 マ ド ラ ス (Madras) 郊 外 に て 爆 殺 され た 。 〓India Gandhi,
Shrimati
Indira(1917∼1984)
イ ン デ ィ ラ ・ガ ン ジ ー
イ ン ドの 政 治 家 で 、 イ ン ド初 代 首 相 で あ る ネ ル ー (〓Nehru, University National
Pandit
Jawaharlal)
of)卒 。1947年 Congress)
の 娘。 オ ッ ク ス フ ォ ー
ド 大 学 (Oxford,
イ ン ド独 立 と と も に 父 を 補 佐 し 、国 民 会 議 派 ( 〓Indian
総 裁 とな る 。64年
ネ ル ー が 没 す る と、 シ ャ ス ト リ(Shastri,
Lal)内 閣 の 情 報 相 に 就 任 す るが 、 シ ャ ス ト リ急 死 に よ り、66年 首 相 の 座 に 就 く。 71年 に は ソ 連 と平 和 友 好 条 約 を 締 結 。 汚 職 事 件 の 影 響 で 一 度 は 下 野 す る が 、80 年 首 相 に 復 帰 。 強 権 的 手 段 に よ っ て シ ー ク教 徒 過 激 派 を 武 力 鎮 圧 し た と こ ろ 、 反 発 を 招 き 、84年 護 衛 兵 の シ ー ク教 徒 に よ っ て 暗 殺 さ れ た 。 後 継 に は 、 長 男 の ラ ジ ブ ・ガ ン ジ ー (〓Gandhi,
Rajiv)が 就 任 した 。
〓India GATT
ガッ ト
〓General
GCSE
Agreement
on
Tariffs
and
Trade
中等 教 育修 了証書 試 験
〓General
General
Certificate
Agreement
of
on
Secondary
Tariffs
Education
and
Trade
(GATT)
ガ ッ ト 関税 貿 易一 般 協 定。 世 界 恐慌
(〓Great 2次
Depression)
に 続 く1930年
世 界 大 戦 (〓World
Trade)
体 制 の 維 持
(〓United Woods
War
の 下 部 機 構 と して 、 ブ レ トン
Agreement)
、 国 連
・ ウ ッ ズ 協 定 (〓Bretton
を 補 完 す べ く設 立 さ れ 、 本 部 は ジ ュ ネ ー ブ (Geneva)
れ た 。 日 本 は55年
よ り 正 式 加 盟 し 、59年
意 し た 「段 階 的 関 税 引 き 下 げ 」、86年
か ら は 理 事 国 。73年
の ウル グ アイ
よ り ド ー ハ 開 発 ラ ウ ン ド (Doha
的 貿 易 交 渉 (Multilateral し て い る が 、2009年
General
が 第
・ 発 展 を 目 的 と し て 発 足 し た 国 際 経 済 組 織 。47年
Nations)
を 経 て 、2001年
代 の 保 護 貿 易 主 義 (〓protectionism)
II) を 誘 発 し た と の 反 省 か ら 、 自 由 貿 易 (〓Free
Certificate
trade
に おか
東 京 ラ ウ ン ドで 合
・ ラ ウ ン ド (Uruguay
Development
Round)
Round) で新 多 角
talks) が 継 続 中 。 農 作 物 分 野 の 交 渉 に 議 論 が 集 中
現在 、 合 意 に達 して い ない。
of
Secondary
Education
(GCSE)
中等 教 育修 了証 書 試験 イ ギ リス
チ ャー
(〓Thatcher,
Margaret
外 統 一 試 験 。 チ ャ ー チ ル (〓Churchill, Richard Act)
Austen)
Sir Winston)
教 育 庁 総 裁 に よ っ て1944年
首 相 とバ トラ ー
Education)
Education)
のO-レ
務 教 育 (5∼16歳
と
一
ベ ル (Ordinary
般
教
育
(〓Butler,
に 施 行 さ れ た 教 育 法 (〓Education
の 体 系 を 覆 す た め 、 従 来 の 中 等 教 育 証 書 試 験 (CSE:
Secondary
・サ ッ
Hilda) 首 相 の 教 育 改 革 の 一 環 と し て 登 場 し た 学
証
書 (GCE:
General
Certificate
of
Certificate
of
level) 試 験 を 一 本 化 し た も の 。 原 則 と し て 義
)修 了 時 に す べ て の 生 徒 が 受 験 対 象 と さ れ る 。 旧O-レ
ベ ル試 験
よ り も格 段 に や さ し くな っ た と い わ れ 、 試 験 内 容 も筆 記 試 験 の み か ら、 実 験 や 実 習
・会 話 な ど が コ ー ス ワ ー ク と し て 重 視 さ れ る よ う に な っ た 。 ま た 証 書 の グ レ ー
ド は 、 試 験 プ ラ ス 平 常 点 を 総 合 す る こ と に な っ て い る 。 第1回 され た。 〓p.335「
イ ギ リス お よ び国 際バ カ ロ レア に お け る歴 史教 育」
は1988年
に 実施
General
Strike
ゼ ネ ス ト( 総罷 業 ) 一 国 全 体 ま たは一 地域 の 多数 の産 業 にわ た る労働 者 が 、 団結
して 行 う ス ト ラ イ キ の こ と。 イ ギ リ ス で は 、19世 紀 末 よ り労 働 運 動 の 大 規 模 化 に と もな っ て ス トラ イ キ 運 動 が 激 し く な っ た 。1889年 党 (ILP:〓Independent ス トラ イ キ (London
Labour Dock
に は、 イ ギ リ ス独立 労 働
Party)結 成 の 契 機 と な っ た ロ ン ド ン ・ ド ッ ク ・
Strike)が 起 こ り、1910年
∼12年
にか けて は、 イギ リ
ス 各 地 で 港 湾 労 働 者 な ど に よ る ス ト ラ イ キ が 頻 発 し た 。 第1次 ( 〓World
War
I)後 の 不 況 下 、1926年
炭 鉱 夫 の ス ト ラ イ キ に 端 を発 す る。 こ の ス トラ イ キ に 対 してTUC(Trade Congress:
世 界 大戦
に イ ギ リ ス社 会 を 震 憾 さ せ た ゼ ネ ス トは 、 Union
労 働 組 合 会 議 )が 協 力 を 呼 び か け た こ とか ら 同 情 ス トが 広 ま り、 全 国
の 労 働 組 合 員 お よ そ250万
人 に よ る ゼ ネ ス ト とな っ た 。 保 守 党 政 府 は 軍 を 招 集 す
る な ど の 強 圧 手 段 に 出 て 、9日
間 で 労 働 者 側 敗 北 とな っ た 。 翌 年 、 政 府 は ゼ ネ ス
トを 禁 ず る 法 案 を 可 決 す る に 至 る。 〓p.280図 Geneva
解3「 イ ギ リ ス の 労働争 議 」
Agreements(1954)
ジ ュ ネー ブ協定 1954年7月21日
Conference)
、
ジ
ュ ネ
ー
ブ 会
に お い て 成 立 し た イ ン ドシ ナ戦 争 ( 〓Indo-China
議 ( 〓Geneva War) 終 結 に 関 す
る 協 定 。 イ ン ドシ ナ 戦 争 の 休 戦 、 フ ラ ン ス 政 府 に よ る イ ン ドシ ナ 三 国 (ベ トナ ム 、 カ ン ボ ジ ア 、 ラ オ ス )の 独 立 尊 重 な どが 盛 り込 ま れ て お り、 一 般 に 冷 戦 ( 〓Cold War) か ら 平 和 へ の 契 機 と し て 高 く評 価 さ れ て い る。 調 印 国 は イ ギ リ ス、 フ ラ ン ス 、 ソ 連 、 中 国 、 ラ オ ス、 カ ン ボ ジ ア 、 ベ ト ナ ム 民 主 共 和 国 (Democratic Republic
of Viet Nam) 。 こ の 協 定 に よ っ て ベ トナ ム は 、 北 緯17度
線 を境 に南 北
に 分 断 。 北 ベ ト ナ ム (ベ トナ ム 民 主 共 和 国 )と 南 ベ ト ナ ム (ベ トナ ム 共 和 国 Republic
of Viet Nam)
:
に 分 か れ た 。 な お 、 ア メ リ カ と南 ベ ト ナ ム 政 府 は 会 議 に
は 参 加 し た もの の 、 協 定 に は 調 印 して い な い 。 〓Indo-China 〓Viet
Geneva
Nam
Conference(1954)
ジ ュ ネ ー ブ会 議 朝 鮮 統 一 とイ ン ドシ ナ 戦 争 ( 〓Indo-China
ジ ュ ネ ー ブ で 開 か れ た 関 係 諸 国 に よ る 国 際 会 議 。1954年4月26日 催 。 第2次
世 界大 戦 ( 〓World
国 (Democratic
Republic
に 衝 突 が 起 こ り、46年
War
War) に つ い て 、 ∼7月21日
開
II)後 に 独 立 宣 言 を 発 し た ベ トナ ム 民 主 共 和
of Viet Nam)
と植 民 地 支 配 を 進 め た い フ ラ ン ス との 間
イ ン ドシ ナ 戦 争 が 勃 発 。 途 中 、47年
頃 か ら ア メ リ カが フ
ラ ン ス 軍 を 援 助 す る 体 勢 が と られ た が 、 ベ トナ ム 民 主 共 和 国 側 の 反 撃 が 厳 し く、 国 際 世 論 が 不 利 に 傾 き つ つ あ っ た フ ラ ン ス は 休 戦 を 望 む よ う に な り、 ジ ュ ネ ー ブ
会 議 が 開 か れ る こ と とな る 。 朝 鮮 問 題 は 米 ソ の 対 立 で 解 決 に 至 ら な か っ た が 、 イ ン ド シ ナ 戦 争 に つ い て は 、 ベ トナ ム 民 主 共 和 国 、 ラ オ ス 、 カ ン ボ ジ ア の 代 表 を 交 え て 討 議 が 行 わ れ 、 ジ ュ ネ ー ブ 協 定 (〓Geneva
Agreements)
な る休 戦協 定 が 調
印 され た 。 植 民 地 支 配 の 終 焉 を 象 徴 す る一 区 切 り と い わ れ る 。
Geneva
Disarmament
Conference(1932∼34)
ジ ュネ ーブ軍 縮 会 議
1932年 of Nations)
主 催 で61カ
か ら34年
ま で 、 国 際 連 盟 (〓League
国 が参 加 して行 わ れ た会議 。 ア メ リカ
・ ソ 連 も 参 加 した
が 、 安 全 保 障 を 要 求 す る フ ラ ン ス と 、 再 軍 備 許 容 を 要 求 す る ドイ ツ の 折 り合 い が つ か ず に 難 航 。33年
ヒ トラ ー
(〓Hitler,
Adolf)
な く 会 議 は 終 結 し た 。 こ れ よ り 先 、27年
は ドイ ツ の 脱 退 を 宣 言 し、 成 果
に もジ ュネ ー ブ軍 縮 会 議 が 開 か れ て い
る が 、 フ ラ ン ス 、 イ タ リ ア が 参 加 せ ず に 失 敗 に 終 わ っ て い る。
George
III(1738∼1820)
ジ ョ ー ジ3世 ハ ノー バ ー
∼1820)
。 ジ ョ ー ジ2世
(Hanover)
(George
朝 初 の イ ギ リ ス 生 ま れ の 王 (位1760
II)の 孫 。 ホ イ ッ グ 党 (〓Whigs)
対 し て 、 王 権 の 回 復 を 目 指 す た め トー リ ー 党 (〓Tories) を 行
っ た 。 そ の 反 動 的 政 策
Independence) Revolution)
の 勃 発 を 促
German
は ア メ リ カ 独 立 戦 争 (〓American
し た。
William-the
Confederation(1815∼66)
レ オ ン 戦 争 (〓Napoleonic (〓Vienna (〓Prussia)
Congress)
プ ロ イ セ ン は北
Wars)
後 の 国 際 秩 序 に つ い て 協 議 した ウ ィ ー ン 会 議 さ れ た。 オ ー ス
主 国
・4自
ト リ ア、
由 市 が 参 加 。66年
プ ロ イ セ ン 普 墺 戦 争
で プ ロ イセ ンが ドイ ツの主 導 権 を握 る とと もに 解体 。
ドイ ツ 連 邦 (North
German
解4「
ドイ ツ の統 一 」
〓p.284図
解7「
ウ ィー ン体 制下 の ヨー ロ ッパ」
Africa
ドイ ツ 領 東 ア フ リ カ
East
な ど の 難 局 に 直 面 し、 トー
を 用 い て 切 り抜 け た。
に 成 立 した ドイ ツ 内 独 立 国 家 連 邦 組 織 。 ナ ポ
〓p.281図
German
of
ドイ ツ 連 邦
に よ っ て 策 定
War)
Wars)
Younger)
War
フ ラ ン ス 革 命 (〓French
1815年
を は じ め と す る35君
(〓Austro-Prussian 67年
ま た 、 在 位 中
や ナ ポ レ オ ン 戦 争 (〓Napopleonic
リ ー 党 の 小 ピ ッ ト (〓Pitt,
優 位 の 議 会 に
の政 治家 を近づ けて 親 政
Confederation)
を 組 織 した 。
ア フ リカ 南 東 部 、 現 タ ン ザ ニ ア の 大 陸 部 分 に あ た り、 タ ン ガ ニ ー カ (〓Tanganyika) た が 、1885年
に 同 じ。 古 くか ら ア ラ ビ ア 人 が 貿 易 拠 点 と し て い
か ら ド イ ツ の 支 配 下 に 入 っ た 。90年
ザ ン ジ バ ル 島 (〓Zanzibar)
に は タ ン ガ ニ ー カ を ドイ ツ 領 、
を イ ギ リ ス 領 と す る 協 定 が 結 ば れ た が 、 第1次
世 界
大 戦 (〓World
War
と な っ た 。61年
I) 後 の1920年
翌 年 共 和 国 に 移 行 。64年 (United
に は 、 イ ギ リ ス の 委 任 統 治 領 (〓mandates)
イ ギ リ ス 連 邦 (〓British
Republic
Commonwealth)
の 自治 国 と して 独 立 し 、
ザ ン ジ バ ル 島 と合 邦 して、 タ ン ザ ニ ア連 合 共 和 国
of Tanzania)
と改 称 し た 。
〓Tanzania 〓p.283図
German
解6「
Empire
ア フ リ カ の分 割」
ドイ ツ帝 国 ド イ ツ に お い て3度
(1) 第1帝 Empire)
国 (First Reich)
:962年
にわ たっ て成 立 した帝政 。
∼1806年
。 神 聖 ロ ー マ 帝 国 (〓Holy
Roman
の こ と。
(2) 第2帝
国 (Second
Reich)
ビ ス マ ル ク (〓Bismarck,
:1871年
Otto
von)
∼1918年
て ド イ ツ 国 家 を 統 一 し た こ と に よ り 、71年
(3) 第3帝
ドイ ツ 革 命 ( 〓German
国 (Third
Reich)
国 (〓Weimar
Republic)
世 界 大 戦 (〓World
Revolution)
:1933年
れ た 期 間 。 ヒ ト ラ ー (〓Hitler,
∼45年
Adolf)
首 相
War)
に勝 っ
に 成 立 。 議 会 は あ っ た が 、 ドイ ツ 皇
帝 を 兼 ね る プ ロ イ セ ン 王 の 権 力 が 絶 大 。 第1次 を 機 に 、1918年
。 プ ロ イ セ ン (〓Prussia)
が 普 仏 戦 争 (〓Franco-Prussian
War
I) 敗 戦
が 起 こって 崩 壊。
。 ナ チ ス (〓Nazis)
に よって 支配 さ
が 、 ドイ ツ 革 命 で 生 まれ た ワ イ マ ー ル 共 和
を 倒 し て 成 立 。45年
第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II)
に敗 れて 消滅 。 〓p.281図
German-Polish
解4「
ドイ ツ の統一 」
Non-aggression
Pact(1934)
ド イ ツ ・ポ ー ラ ン ド 不 可 侵 条 約 ドイ ツ とポ ー ラ ン ド の 間 に お け る現 状
維 持 協 定 。1934年
締 結 。 第1次
世 界 大 戦 (〓World
ン ド は 対 立 関 係 に あ り 、 ポ ー ラ ン ド は21年 ツ は ザ ー ル 地 方 (〓Saar)
War
I) 後 、 ド イ ツ と ポ ー ラ
以 来 フ ラ ン ス と同盟 して い た。
の 回 復 と ロ カ ル ノ 条 約 (〓Locarno,
Treaties
ドイ
of) 破 棄 を
意 図 して 、 東 欧 に は りめ ぐ ら さ れ た フ ラ ン ス の 対 ドイ ツ 安 全 保 障 体 制 を 崩 す 狙 い か ら 、 ポ ー ラ ン ド回 廊 (Poland に お け る10年
Corridor:
の 悪 化 要 因 の ひ と つ と な っ た 。39年 無 視 し て 侵 略 を 開 始 し 、 第2次
German
ポ ー ラ ン ドか ら バ ル ト海 へ 抜 け る 進 路 )
間 の 現 状 維 持 を 協 定 し た 。 この 条 約 は 東 欧 支 配 を め ぐ る独 ソ 関 係
Revolution(1918)
、 ヒ トラ ー
世 界 大 戦 (〓World
(〓Hitler, War
Adolf)
は この 協 定 を
II)が 勃 発 し た 。
ドイ ツ 革 命 1918年
ツ で 起 こ り、 帝 政 (〓German
第1次 Empire)
世 界 大 戦 (〓World
War
I) に 敗 れ た ド イ
を 終 わ らせ た 民 主 主 義 革 命 。18年11月4
日 、 軍 港 キ ー ル (Kiel)で 起 こ っ た 水 兵 の 反 乱 を 機 に 革 命 が は じ ま り 、11月9日
に
は ベ ル リ ン で 自 由 な 政 治 と 平 和 な 社 会 を 求 め て 共 和 政 が 宣 言 さ れ た 。 翌10日 は
皇
帝
が
亡
命
し た
Sozialdemokratische Germany)
た
Partei
帝
政
が
崩 壊 。
ド イ
ツ 社
Deutschlands/Social
会
民
主
South-West
Republic)
Africa
Democratic
Party
ワ
ドイ ツ領 南 西 ア フ リ カ
教 団 が 伝 道 に 訪 れ た 。84年
代 に ドイ ツ の キ リ ス ト
、 ド イ ツ は イ ギ リ ス 領 ボ ル ビ ス (Walvis) 湾 以 外 の 地
域 を 「南 西 ア フ リ カ (South-West War
of
が 成立 した。
現 在 の ナ ミ ビ ア 。1840年
(〓World
に
党 (SPD:
な ど が 軍 部 と結 ん で 政 府 を 組 織 し 、 急 進 左 派 の 排 除 を 経 て19年2月
イ マ ー ル 共 和 国 (〓Weimar
German
め
Africa)
」の 名 で 植 民 地 化 し た 。 第1次
I) の ド イ ツ 敗 戦 を 機 に 、 国 際 連 盟 (〓League
南 ア フ リ カ 連 邦 の 委 任 統 治 領 (〓Mandates)
世 界 大戦
of Nations)
に よ り
とされ た。
〓Namibia 〓p.283図
Germany
解6「
ア フ リカ の分 割」
ドイ ツ ヨ ー ロ ッ パ 中 部 に あ る 連 邦 共 和 国 。 首 都 ベ ル リ ン (Berlin) 。 古 代
ロ ー マ 時 代 ゲ ル マ ニ ア (Germania) Frankish Roman
Kingdom) Empire)
と 呼 ば れ 、9世
が 統 治 したが 、 国 内 の統 一 を欠 い て衰 退 。領 邦 国 家 の 分立 状 態
が 続 く が 、18世
紀 に な る と プ ロ イ セ ン (〓Prussia)
間 で ド イ ツ に お け る 指 導 権 争 い が は じ ま る 。1866年 War)
で オ ー ス ト リア を制 し た プ ロ イ セ ン は、 北
Confederation) Prussian
が 台 頭 し、 オ ー ス ト リ ア と の 普 墺 戦 争 (〓Austro-Prussian ド イ ツ 連 邦 (North
を 組 織 し て ド イ ツ 内 の 地 位 を 確 立 。71年
War)
勝 利 を 機 に 、 ビ ス マ ル ク (〓Bismarck,
セ ン を 中 心 と す る ド イ ツ 帝 国 (〓German 戦 (〓World
紀 の 東 フ ラ ン ク 王 国 (East
が ド イ ツ の 起 源 を な す 。 そ の 後 、 神 聖 ロ ー マ 帝 国 (〓Holy
War
Empire)
Otto
Revolution)
マ ー ル 共 和 国 (〓Weimar
Republic)
1934年
の 進 出 で 共 和 国 は 崩 壊 し 、 第2次
War
ナ チ ス (〓Nazis)
が 成 立 。世 界 恐 慌 ( 〓Great
II) を 引 き 起 こ し た 。 敗 戦 後 、 ア メ リ カ ・ イ ギ リ ス
さ れ 、49年 89年
東西
ド イ ツ に 分 割 。61年
Republic Germany)
of
Germany)
が西
に 吸 収 さ れ る 形 で 、90年10月3日
解4「
〓p.278図
解1「
ドイ ツ の 統 一 」 ベ ル サ イ ユ 体 制下 の ヨー ロ ッパ 」
の 中、
・ソ 連 に 占 領
Wall) が つ く ら れ た 。
:Federal
:Democratic Republic
、 統 一 が 実 現 し た 。2001年
ル リ ンへ の 首 都 機 能 移 転 が 完 了 し た 。 〓p.281図
Depression)
ド イ ツ (ド イ ツ 民 主 共 和 国
ド イ ツ (ド イ ツ 連 邦 共 和 国
世 界 大
に よっ て ワ イ
世 界 大 戦 (〓World
・フ ラ ン ス
に は ベ ル リ ン の 壁 (Berlin
の 東 欧 民 主 化 革 命 に よ り、 東
von) に よ っ て プ ロ イ
が 形 成 さ れ た 。 第1次
I) 敗 北 後 、 ド イ ツ 革 命 (〓German
German
普 仏 戦 争 (〓Franco-
of
に は ベ
〓p.284図
解7「
ウ ィー ン体制 下 の ヨ ー ロッパ 」
〓p.285図
解8「
第1次
〓p.328地
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Germany,
East
世 界大 戦 の背景 」
東 ドイ ツ ド イ ツ 民 主 共 和 国 (Democratic
称 。 首 都 は ベ ル リ ン (Berlin) 。 第2次 月 ソ連 占領 地 区 で公 布
Republic
世 界 大 戦 (〓World
ドイ ツ 統 一 社 会 党 (Socialist
カ ー (Honecker,
の通
Unity
Party)
Wall) 」が 設 け ら れ た 。
の 独 裁 で 、71年
以来 ホ ー ネ ッ
Erich) の 指 導 の 下 で 中 央 集 権 的 計 画 経 済 体 制 を 堅 持 し た 。72年
両 ド イ ツ 基 本 条 約 (Basic 圏 中 で 最
Germany)
II)後 、1949年10
・ 施 行 さ れ た ド イ ツ 民 主 共 和 国 憲 法 と と も に 成 立 。61年
に は 、 西 側 へ の 流 出 を 防 ぐ た め に 「ベ ル リ ン の 壁 (Berlin 事 実 上、
of War
も 親 ソ 的
Sergeyevich)
Treaty)
に 調 印 し、 西 側 諸 国 と も 一 応 国 交 を 回 復 。 東 欧
と い わ れ た が 、 ゴ ル バ チ ョ フ (〓Gorbachev,
時 代 の ソ 連 と は 一 線 が 画 さ れ た 。89年10月
行 す る 中 、 建 国40周
、
Mikhail
、東 欧 民 主 化 革命 の進
年 記 念 式典 で ホ ー ネ ッカー が 現 状路 線 の 堅持 を主 張 した こ
と か ら 国 民 は 猛 反 発 し 、 つ い に10月18日
辞 任 に 追 い 込 ま れ た 。11月9日
ル リ ン の 壁 」が 崩 壊 し 、 翌90年10月3日
に は 「ベ
、 西 ド イ ツ (ド イ ツ 連 邦 共 和 国 )に 編 入 さ
れ る とい う形 で 統 一 が 実 現 した 。
Germany,
West
西 ドイ ツ ド イ ツ 連 邦 共 和 国 (Federal
首 都 は ボ ン (Bon) 。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
国 基 本 法 が 制 定 さ れ 、 ア メ リカ 同 年9月
Germany)
の通 称 。
II)後 、1949年5月
連邦 共 和
・ フ ラ ン ス三 国 占 領 地 区 に 成 立 した 。
も こ の 国 に 属 す る こ と と な る 。54年
〓North
Atlantic
ら れ 、
Germany) ツ 社
War
・イ ギ リ ス
of
に 新 政 府 樹 立 と と も に 軍 政 か ら 民 政 へ 移 っ た 。 西 ベ ル リ ン (West
Berlin)
め
Republic
会
キ
Treaty
リ ス
Organization)
ト 教
民 主
が 政 権 を 得 て 、50年 民
Democratic 90年10月3日
主
党 (SPD:
Party
、 北 大 西 洋 条 約 機 構 (NATO:
加 盟 を 条 件 に 西 ドイ ツ の 主 権 回 復 が 認
同 盟 (CDU:
Christian
Sozialdemokratische
of Germany)
Democratic
Union
代 に は 奇 跡 の 経 済 復 興 を 成 し 遂 げ た 。66年 Partei
と 大 連 立 し 、69年
of ドイ
Deutschlands/Social
に は社 会 民主 党 の 内閣 が成 立 。
、 東 西 ド イ ツ の 統 合 を 果 た し 、 冷 戦 体 制 ( 〓Cold
War)
の崩 壊 が 叫
ばれ た。
Gestapo
ゲ シ ュ タポ ナ チ
Staatspolizeiの
ス (〓Nazis)
略 。1933年
ン 秘 密 国 家 警 察 (Secret
State
時 代 の
ド イ ツ の 秘 密 国 家 警 察 。Geheime
ゲ ー リ ン グ (Goering,
Hermann)
に よっ て プ ロイ セ
Police) が 設 け ら れ 、 内 務 大 臣 の 所 管 と な っ た 。 翌
34年
ヒム ラ ー (Himmler,
Schutzstaffel:
Heirich) が そ の 実 権 を 握 り、36年 頃 に は 親 衛 隊 (SS:
ヒ トラ ー の 護 衛 部 隊 )の 管 轄 下 へ 入 っ た 。 ナ チ ス の 恐 怖 政 治 を 支
え た 最 も 重 要 な 組 織 で あ り、 ナ チ ス に と っ て の 危 険 人 物 は 容 赦 な く弾 圧 さ れ た 。 Ghana
ガー ナ ア フ リ カ 西 部 の 共 和 国 で 、 ギ ニ ア (Guinea) 湾 に 臨 む 。 首 都 ア ク ラ
(Accra)。15世
紀 末 、 ポ ル トガ ル 人 が 進 出 し 金 ・香 料 ・象 牙 ・奴 隷 狩 り が 行 わ れ
た 。 次 い で オ ラ ン ダ 、 イ ギ リ ス 、 デ ン マ ー クの 侵 略 を う け た が 、 結 局1874年 来 イ ギ リ ス の 植 民 地 と な っ た 。 第2次 が 高 ま り、1956年
内 の 自 治 領 と し て 独 立 。60年 あ っ た が 、92年
Gibraltar
War
以
II)後 、 独 立 運 動
イ ギ リ ス 信 託 統 治 領 トー ゴ ラ ン ド (Togoland) と イ ギ リス 領 黄
金 海 岸 (Gold Coast) が 合 併 し、翌57年
〓p.330地
世 界 大 戦 (〓World
イ ギ リ ス 連 邦 (〓British
に共 和 国 と な る。81年
Commonwealth)
の クー デ タ ー 以来 軍 政 下 に
の 選 挙 で 軍 政 か ら民 政 へ 移 管 さ れ た 。
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図]) ジ ブ ラル タル イ ギ リ ス の 所 轄 植 民 地 、 海 軍 基 地 。 イ ベ リ ア (Iberia)半 島 最 南 端 の
ジ ブ ラ ル タ ル 海 峡 の 東 部 に 突 出 す る港 市 。 地 中 海 (Mediterranean (Atlantic Ocean)
Sea) と大 西 洋
を 結 ぶ 要 衡 で 、 ヨ ー ロ ッパ 側 に ジ ブ ラ ル タ ル 、 ア フ リ カ 側 に ス
ペ イ ン 領 セ ウ タ (Ceuta)が 対 峙 して い る 。 古 代 に は フ ェ ニ キ ア (Phoenicia) 、 カ ル タ ゴ (Carthago) 、 ロ ー マ の 植 民 が な さ れ た が 、711年
サ ラ セ ン 人 (Saracens)
が 侵 入 して 、 イ ス ラ ム 勢 力 圏 に 入 っ た 。 レ コ ン キ ス タ (Reconquista:
イベ リ ア
半 島 の キ リス ト教 徒 に よ る 国 土 回 復 運 動 )の 結 果 、1462年
か ら は ス ペ イ ン領 に な
る 。1704年
War
、 ス ペ イ ン継 承 戦 争 (〓Spanish
ス 軍 に 占領 され 、13年
Succession,
ユ トレ ヒ ト条 約 ( 〓Utrecht,
Treaty
of the)で イ ギ リ
of)が 結 ばれ て イ ギ リ
ス 領 とな っ た 。 両 世 界 大 戦 に お い て は 連 合 軍 の 根 拠 地 と な っ た 。 ス ペ イ ン は ジ ブ ラ ル タ ル 返 還 を め ぐ っ て 、 イ ギ リ ス と今 な お 争 い 続 けて い る。 〓p.328地 Gilbert
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
Islands
ギ ル バ ー ト諸 島 キ リバ ス 共 和 国 の 西 に 位 置 す る 環 礁 群 。 太 平 洋 の ミ ク ロ ネ シ
ア (Micronesia) 東 部 に あ た り、 赤 道 を は さ ん で 北 西 か ら 南 東 へ つ らな る 。 主 島 は タ ラ ワ 島 (Tarawa) 。10島
か ら な る 北 ギ ル バ ー ト諸 島 と、6島
バ ー ト諸 島 を 含 む 。1764年
イ ギ リ ス 人 が 発 見 し た と さ れ る。 第2次
(〓World
War
II)中 の1943年
ス 共 和 国 に 属 して い る 。
か らな る南 ギル 世界 大戦
、 日米 間 で 激 戦 を 展 開 した と こ ろ 。 現 在 は キ リバ
Gladstone,
William
Ewart(1809∼98)
グ ラ ッ ドス トン
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 首 相 (任1868∼74、80∼85、 86、92∼94)
。1831年
オ ッ ク ス フ ォ ー ド 大 学 (Oxford,
トー リ ー 党 (〓Tories) 保 守 主 義 者 (〓Liberal
下 院 議 員 。 ピ ー ル (〓Peel,
と して 経 済 関 連 の 要 職 を 歴 任。
University Robert)
of) 卒 。 翌 年
首 相 の下 、 熱烈 な
しだ い に 自 由 主 義 に傾
き 自 由 党
Party) へ 転 向 。 こ の 間 、 政 治 家 と し て の 名 声 を 確 立 し た 。59年
パ ー マ ス ト ン (〓Palmerston, 易 (〓Free
Trade)
け 自 由 党 党 (〓Disraeli, ら と2大
Sir
Henry
John
Temple)
の 大 勢 を 決 定 づ け た 。67年
首 と な
ラ ッ セ ル (Russell,
り 、 保 守 党 (〓Conservative
Benjamin)
Party)
、 ソ ー ル ズ ベ リ (〓Salisbury,
政 党 に よ る 議 会 政 治 を 展 開 。68年
∼94年
か ら
内閣 の蔵 相 を務 め、 自由貿
Robert の 間 に4回
John)
の デ
の後 を う
ィ ズ
レ ー
リ
Gascoyne-Cecil) 首相 に つ き、平 和
主 義 外 交
・ 自 由 主 義 政 策 を 実 行 し た 。 選 挙 法 改 正 や ア イ ル ラ ン ド自 治 問 題
(〓Home
Rule
Glasnost
Bill)の 解 決 に 努 力 し た 。94年
政 界か ら引退 。
グラ ス ノス チ 情 報 公
Sergeyevich)
開 の 意 。
ソ 連
ゴ ル バ
書 記 長 に よ っ て1986年
(〓Perestroika:
再 建
チ
ョ フ (〓Gorbachev,
Mikhail
以 降 打 ち 出 さ れ た、 ペ レ ス
ト ロ イ カ
・ 改 革 )政 策 の 目 玉 と さ れ る も の 。 当 初 は 、 一 般 労 働 者 に
あ る程 度 の 情 報 を 与 え る こ と で 労 働 生 産 性 を 高 め る こ とを 意 図 し た も の で あ っ た 。 し か し 、 大 衆 の 関 心 は 政 治 ・社 会 に 集 中 し 、 大 衆 の 声 を 反 映 さ せ た と は い え 、 経 済 活動 に効果 はな か った。
Glorious
Revolution(1688∼89)
〓English
Gold
Coast
Revolution(
名誉 革 命
イ ギ リ ス革 命 )
黄 金 海岸 西 ア フ リ カ 、 ギ ニ ア (Guinea) 湾 に 面 し た現 ガ ー ナ を 中 心 とす る
地 域 を示 す 。15世 紀 以 来 ヨー ロ ッ パ 人 が つ け た 名 称 。1470年
代 ポ ル トガ ル が こ
の地 域 で 大量 の 金 を採取 。 続 い て イギ リス、 フ ランス、 オ ラン ダ、 デ ンマー クな ど が この 地 域 に 貿 易 拠 点 を つ くっ た 。 し か し、 商 人 組 織 に よ っ て 金 の 入 手 が 困 難 な た め 、 黒 人 奴 隷 が 代 わ っ て 湾 か ら積 み 出 さ れ る こ と に な っ た 。 〓p.283図 Gomulka,
解6「 ア フ リカ の分割 」
Wladyslaw(1905∼1982)
ゴ ムル カ
ポ ー ラ ン ドの 政 治 家 。 共 産 主 義 者 。1926年 共 産 党 に 入 党 。34年
∼36年
に か け て モ ス ク ワ (Moscow)
、ポーラン ド
の レ ー ニ ン 国際 学 校 に
留 学 し た が 、帰 国 後 投 獄 され た 。 第2次 ワ (Warsaw) 地 区 書 記 と な り、43年
世 界大 戦 ( 〓World
∼48年
第1書
War
II)中 は ワ ル シ ャ
記 を 務 め た 。 そ の 間 、45年
∼
48年 に か け て 副 首 相 と 回 復 領 土 担 当 相 を 兼 任 し た が 右 翼 偏 向 を批 判 さ れ 辞 任 。 一 時 抑 留 され た が 、 党 の 自 己 批 判 に よ っ て 、56年 名 誉 回 復 を 果 た し、 統 一 労 働 者 党 第1書
記 に な っ た 。 しか し、70年
バ ル ト海 (Baltic Sea) 沿 岸 諸 都 市 の 労 働 者
ス トの 責 任 を と っ て 引 退 。 〓Poland Gorbachev,
Mikhail
Sergeyevich(1931∼)
ゴル バ チ ョフ
ソ連 の 政 治 家 。 書 記 長 ( 任1985∼91) 議 幹 部 会 議 長 (任1988∼90)
。初代大統領 ( 任1990∼91)
。ロシア
。 最 高会
・ コー カ サ ス
(Caucasus) 山 脈 北 側 の ス ダ ブ ロ ポ リ地 方 (Stavropol) の 農 民 出 身 。1955年 ク ワ大 学 (Moscow
State University) 法 学 部 卒 業 。70年
書 記 とな り、 農 政 に 手 腕 。78年
農 業 担 当 書 記 と し て 中 央 政 界 入 り を 果 た し、 翌
79年 政 治 局 員 候 補 に 抜 擢 さ れ た 。80年 政 治 局 員 と な り、85年3月 (Chernenko,
Uschinovich
Constantin)
し外 相 に シ ェ ワ ル ナ ゼ (Shevardnadze, 用 。 「グ ラ ス ノ ス チ ( 〓Glasnost:
Eduard
Leonid
of the
Presidium)
が 必 要 と して 、90年3月
Ilyich) 世 代 を 一 掃
Amvrosievich)
ら の改 革派 を登
情 報 公 開 )」 「ペ レ ス トロ イ カ (〓Perestroika:
・ 改 革 )」を 掲 げ て 、 ソ連 社 会 体 制 刷 新 に 努 め た 。89年
長 (President
チ ェ ルネ ン コ
書 記 長 の 死 を う け て 党 書 記 長 (General
Secretary) の 座 に 就 く と、 ブ レ ジ ネ フ ( 〓Brezhnev,
再建
モス
に ス ダ ブ ロ ポ リ地 方 第1
、 最 高 会議 幹部 会 議
にな っ たが 、改 革 の た め に強大 な イニ シ アチ ブ
大 統 領 制 を 導 入 し、 初 代 大 統 領 に 就 任 。 し か し 、 保 守
派 の 根 強 い 反 発 に あ い 、91年8月
に は クー デ ター 未 遂 事 件 発 生 に至 っ た。 同年
共 産 党 の 書 記 長 を 辞 任 し 、 党 を解 散 し た。 連 邦 条 約 に 最 後 ま で 執 念 を み せ た も の の 、 連 邦 崩 壊 の 流 れ は 止 ま ら ず 、91年12月 〓Commonwealth
of Independent
の 独 立 国 家 共 同 体 (CIS:
States) の 成 立 を 機 に ソ 連 邦 大 統 領 の 職 を 辞
した 。 Gordon,
Charles
George(1833∼85)
ゴー ドン
イ ギ リス の 軍 人 、 植 民 地 行 政 官 。1852年 に 入 隊 。55年
∼56年
ク リ ミア 戦 争 ( 〓Crimean
派 遣 。 太 平 天 国 の 乱 (Taiping 77年 ∼80年
陸軍工兵隊
War) に 従 軍 し た 後 、60年
中国 に
Rebellion) で は 外 人 義 勇 軍 を率 い て 鎮 圧 を 図 っ た 。
ス ー ダ ン の 知 事 に 就 き 、 奴 隷 貿 易 の 禁 止 に 努 め た 。84年
ダ ン の 反 乱 を 討 伐 に あ た っ た が 、 援 軍 到 着 の2日
∼85年
スー
前 に ハ ル ツ ー ム (Khartoum)
全 滅 し、 戦 死 。 イ ギ リ ス 本 国 で は 、 グ ラ ッ ドス ト ン (〓Gladstone,
で
William
Ewart) 首 相 が 援 軍 遅 延 の 責 任 を 問 わ れ 、 「ゴ ー ド ン の 殺 害 者 」と し て 世 論 に 非 難 され た 。
Government
of India
Act(1919)
イ ン ド統 治 法 イ ン ド統 治 の た め 、 イ ギ リ ス 議 会 が1919年
に制
定 した 法 律 。 当 時 の イ ン ド担 当 相 と イ ン ド総 督 の 名 を 取 っ て 「モ ン タ ギ ュ ー ・チ ェ ム ズ フ ォ ー ド改 革 (Montagu-Chelmsford
Reforms)
」とい わ れ る。 イ ン ド人 自治
要 求 運 動 に 対 応 す る た め 、 直 接 選 挙 に よ る 州 自 治 制 を 創 設 した 。 一 見 す る と地 方 へ の 権限 委譲 の よ うに思 え るが 、州 議会 の 権 限 は実 は総 督 直属 の 州知 事 に握 られ て い た 。 な お 、 イ ン ド統 治 法 は 東 イ ン ド会 社 (〓East て い た18世
India
Company)
紀 よ りた び た び制 定 さ れ て お り、 イ ン ド参 事 会 法 (Indian
Act) と して 知 られ る1909年
の 統 治 法 や 、 連 邦 制 を 導 入 し た1935年
が支 配 し Councils
の 統治 法 な ど
が あ る。 〓India
Grant,
Ulysses
Simpson(1822∼85)
グラ ン ト
ア メ リカ の 軍 人 、 政 治 家 。 第18代 77) 。1861年
か らの 南 北 戦 争 (〓Civil
司 令 官 と な る。65年
War) に参 加 し、 そ の 戦 功 に よ っ て 北 軍 総
リ ッチ モ ン ド(Richmond)
に な っ た 。 そ の 後 、 共 和 党 (Republican
大 統 領 (任1869∼
の戦 い で 南 軍 に 勝 利 し国 民 的 英 雄
Party) か ら大 統 領 に 選 出 さ れ 、 こ れ を
2期 務 め て 南 部 再 建 に あ た っ た が 、 政 界 腐 敗 事 件 が 続 出 し不 評 を 買 っ た 。 Great
Depression
世 界 恐慌 1929年10月24日
、 ニ ュ ー ヨ ー ク ・ ウ ォ ー ル 街 (Wall Street) の
株 式 市 場 の 大 暴 落 に 端 を 発 し、 規 模 ・期 間 と も に 史 上 最 大 の 恐 慌 と な っ て 全 資 本 主 義 世 界 を襲 っ た 経 済 パ ニ ッ ク 。 生 産 と消 費 の 極 端 な ア ン バ ラ ン ス が 原 因 。 各 国 と も 対 応 策 に 苦 慮 し、 イ ギ リ ス ・フ ラ ン ス は 自 国 経 済 の 保 護 を 目 的 と して 、 高 率 の 関 税 を 課 す な ど 閉 鎖 的 な ブ ロ ッ ク経 済 政 策 (Block Economy)
に 乗 り出 した 。
ア メ リ カ は 自 由放 任 主 義 か ら脱 却 して 各 産 業 や 金 融 に 統 制 を加 え る ニ ュ ー デ ィ ー ル政策( 〓New
Deal) を と っ た 。 日本 、 ドイ ツ 、 イ タ リ ア な ど の と っ た フ ァ シ ズ
ム政 策 ( 〓fascism) は 、第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II)の 誘 因 と な っ た 。 ま た 、
各 植 民 地 で は 解 放 と 独 立 運 動 が 激 化 。 こ の 恐 慌 に よ り、 ベ ル サ イ ユ 条 約 (〓Versailles,
Treaty
of)や ワ シ ン トン 会 議 ( 〓Washington
Conference)
によっ
て 確 立 し た 国 際 間 の 一 応 の 安 定 は 崩 壊 し、 再 編 成 へ の 激 動 期 を 招 来 した 。 Great
Exhibition(1851)
大博 覧 会
1851年
、 ロ ン ド ンの ハ イ ド ・パ ー ク (Hyde
Park) に 特 設 さ れ
た ガ ラ ス 張 りの大 展 示 場 、 水 晶 宮 (Crystal Palace) に お い て 開 催 さ れ た 初 の 万 国 博 覧 会 。 こ の と き の イ ギ リス の 出 展 品 は 各 分 野 に お い て 他 の 大 陸 諸 国 を 圧 倒 し、 世 界 に そ の 工 業 水 準 の 高 さ を誇 示 し た 。 イ ギ リ ス の 政 治 経 済 が 著 し く発 展 し た 、
い わ ゆ る ビ ク ト リ ア 時 代 (Victorian は600万
Era) の ク ラ イ マ ッ ク ス と も い え る 。 参 会 者
人 に達 し、 政 府 は こ の 収 益 金 で ロ ン ド ン市 内 に86エ
ー カー の土 地 を買 う
な ど、 国 家 に よ る 科 学 技 術 振 興 政 策 の 拠 点 と さ れ た 。 しか し、67年
の パ リ万 国
博 覧 会 で は イ ギ リ ス 出 展 品 の 低 調 さ が 目立 ち 、 科 学 技 術 教 育 の 改 善 が 求 め ら れ た が 、 多 く を 成 し え ず に 終 わ っ た 。 こ う し て イ ギ リ ス の 科 学 技 術 は19世
紀後半、
欧 米 先進 諸 国 に遅 れ を とる こ とに な った。 Great
Leap
Forward(1958)
大 躍進 政 策
1958年
に 提 唱 され た 毛 沢 東 ( 〓Mao
Tse-tung) 思 想 に も
とづ く中 国 の 急 進 的 な 社 会 主 義 社 会 建 設 運 動 。国 内 基 盤 建 設 の た め の 目標 を 掲 げ 、 な か で も農 村 内 に生 産 Communes) 59年8月
中 国 共 産 党8期8中
化大革命 ( 〓Cultural Great
Proletarian
〓Cultural
Great
・ 行 政 の 合 体 組 織 を つ く ろ う と い う 人 民 公 社 (People's
は 画 期 的 な 構 想 だ っ た 。 しか し な が ら、現 実 を顧 み な か っ た 結 末 は 、 全 会 で の 毛 沢 東 批 判 、 国 家 首 席 辞 任 へ と通 じ 、 文
Revolution)
Cultural
Revolution(
Purges
で 毛 沢東 が 反撃 す る引火 要 因 とな った 。
Revolution(1965∼70)
プ ロ レ タ リア 文 化 大 革 命
文化 大 革 命)
大粛 清 1930年
Vissarionovich)
代
後
半 、
ソ
連
ス
タ
ー
リ
ン ( 〓Stalin,
に よ っ て 断 行 さ れ た 反 対 派 の 大 量 処 分 の こ と 。34年12月
Josef 、 ス
タ ー リ ン 派 の キ ー ロ フ (Kirov) が 暗 殺 さ れ た の を き っ か け と し て 、 反 対 派 の 党 員 が 裁 判 を 受 け る こ と な く大 量 に 処 刑
Greco-Turkish
War(1919∼22) 第1次
・収 監 さ れ た 。
ギ リ シ ャ ・ トル コ 戦 争 世界 大 戦 ( 〓World
War
I)後 の1919年5月
、戦
勝 国 と な っ た ギ リシ ャが 領 土 拡 大 を求 め て トル コ 領 ス ミ ュ ル ナ (Smyrna) に 出 兵 。 こ れ に 対 して 、 トル コ革 命 の 指 導 者 ム ス タ フ ァ ・ ケ マ ル ( 〓Kemal,
Mustafa) が
ア ン カ ラ (Ankara) に 国 民 政 府 を築 き、 自 ら兵 を 率 い て 抵 抗 し た 。20年8月 スマン
・ ト ル コ (〓Ottoman
( 〓S〓vres,
Treaty
Empire) 政 府 と連 合 国 側 と の 間 に セ ー ブ ル 条 約
of)が 結 ば れ た が 、 ケ マ ル の 国 民 政 府 は こ れ を 拒 否 。 ギ リ シ ャ
軍 は 侵 攻 を 続 け 、 イ ギ リ ス な ど の 支 援 に よ っ て バ ン デ ィ ル マ (Bandirma) し た が 、21年
、 オ
を 占領
サ カ ル ヤ (Sakarya) 河 畔 で の 敗 戦 を 機 に 攻 守 逆 転 し 、 ア ナ ト リ ア
(Anatolia) に お け る ギ リ シ ャ軍 の 敗 北 は 明 ら か と な っ た 。22年
に 入 る と、 ケ マ
ル を 総 司 令 官 と す る トル コ軍 は 攻 勢 に 転 じ て ア フ ィ ヨ ン (Afyon) に 続 い て ス ミ ュ ル ナ を も再 占 拠 した 。 ギ リ シ ャ で は コ ン ス タ ン チ ノ ス1世
(Constantine
I)が 退
位 す る に 至 り、 こ れ に よ っ て トル コ は 連 合 国 の 占 領 下 に あ る ダ ー ダ ネ ル ス 海 峡 ( 〓Dardanelles)
の 国 際 管 理 地 帯 へ 進 軍 が 可 能 に な っ た 。 同 年 末 、 ギ リシ ャ を 含
む 連 合 国 と トル コ の 間 に 休 戦 協 定 が 成 立 し、23年 Treaty
ロ ー ザ ン ヌ条 約 (〓Lausanne,
of)が 締 結 さ れ た 。 こ の 結 果 、 トル コ は ス ミ ュ ル ナ 、 コ ン ス タ ン チ ノ ー プ
ル (Constantinople:
Greece
現 イ ス タ ン ブ ー ル )を 回 復 した 。
ギ リシ ャ ヨ ー ロ ッ パ 南 東 部 の 共 和 国 。 バ ル カ ン (Balkan)
半 島 南 西 部 とエ ー ゲ海
Sea) の 島 々 か ら な る 。 首 都 は ア テ ネ (Athenae)
。北 に ア ルバ ニ ア 、 旧
(Aegean
ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 、 ブ ル ガ リ ア 、 北 東 は トル コ に 接 し て お り、 東 に は エ ー ゲ 海 、 南 に は 地 中 海 (Mediterranean 東 ロ ー マ 及 び15世
紀 中 頃 か らは オ スマ ン
し た が 、1821年
∼29年
年 独 立 を 果 た し 、32年 足
し た が 、73年
Community)
Sea) を 臨 む 。 古 代 ギ リ シ ャ 文 明 発 祥 の 地 。 ロ ー マ 、 ・ ト ル コ (〓Ottoman
の 独 立 戦 争 (〓Greek 王 国 と な っ た 。1967年
共 和 国 に 移 行 。81年
に 加 盟 。90年
マ ケ ド ニ ア (Macedonia:
Greek
of
Empire)
Independence)
に 従属 を 経 て30
クー デ タ ー に よ って 軍 事政 権 が発
ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 (EC:
〓European
代 に 入 っ てユ ー ゴス ラ ビア連 邦 が 解体 す る と、 隣 国 現 マ ケ ド ニ ア 旧 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 共 和 国 )が 独 立 を 宣 言
し た が 、 ギ リ シ ャ は そ の 国 名 に 反 対 し てECと 〓p.328地
War
対立 した。
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
War
of
Independence(1821∼29)
ギ リ シ ャ独 立 戦 争 15世 紀 以 来 オ ス マ ン
Empire)
の 支 配 下 に あ っ た ギ リ シ ャ が1821年
・ トル コ 帝 国 (〓Ottoman
に起 こ した独 立 戦 争 。 翌 年 には 独
立 を 宣 言 した 。 トル コ軍 の 鎮 圧 に 対 して 、 ロ シ ア 、 イ ギ リス 及 び フ ラ ン ス が ギ リ シ ャ を 支 援 。27年 29年
、 三 国 の 艦 隊 が ナ バ リ ノ (Navarino)
に結 ば れ た ロシ ア
Peace
で トル コ 海 軍 を 撃 退 し た 。
・ ト ル コ 間 の ア ド リ ア ノ ー プ ル の 和 議 (〓Adrianople,
of) で ギ リ シ ャ の 独 立 が 認 め ら れ た 。
〓Greece
Grenada
グ レナ ダ カ リ ブ 海 (Caribbean
国 で 、 イ ギ リ ス 連 邦 (〓British ジ ズ (St. George's)
。1498年
India
Company)
と 命 名 し た 。1674年
南 東 部 の 島
Christopher)
一 行 が3回
フ ラ ン ス の 西 イ ン ド会
の 手 に 入 り、 ア フ リカ 黒 人 を 使 っ た プ ラ ン テ ー シ ョ ン
が 行 わ れ た 。 イ ギ リ ス と の 争 奪 戦 の 末 、1763年 1974年
Indies)
に 属 す る 。 首 都 セ ン ト ・ジ ョ ー
、 コ ロ ン ブ ス (Columbus,
め の 航 海 で 到 着 し 、Concepcion島 社 (West
Sea) 、 西 イ ン ド諸 島 (West Commonwealth)
独 立 し た の だ が 、79年
イ ギ リ ス が 奪 取 。20世
紀 に 入 り、
無 血 ク ー デ タ ー で 左 翼 政 権 が 誕 生 し た 。83年
急進
派 の ク ー デ タ ー を う け て 、 ア メ リ カ 軍 と 国連 軍 が 共 産 勢 力 を 一 掃 す る 目 的 もあ っ て 侵 攻 し 、 左 翼 政 権 は 崩 壊 した 。 〓p.333地
Grenville,
図〓 ( 現代 の 世 界[国 名 と地 図])
George(1712∼70)
ジ ョー ジ ・グ レ ン ビ ル
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 大 ピ ッ ト (〓Pitt, 義 兄 弟 。 イ ー University
ト ン 校 (Eaton
of)卒 業 後 、1740年
School)
、 オ
ッ ク ス
ホ イ ッ グ 党 (〓Whigs)
持 し 、後 に は 国 務 相 や 海 相 に 任 ぜ ら れ た 。63年 た が 、 国 王 ジ ョ ー ジ3世
(〓George
William-the フ ォ ー
Elder)
の
ド 大 学 (Oxford,
下 院 議 員 と な り ピ ッ トを 支
∼65年
にか け て 首 相 兼 蔵 相 と な っ
III)と相 性 が 悪 く 辞 任 。 こ の 間 、 ア メ リ カ 植
民 地 に 印 紙 税 を 課 し、 独 立 紛 争 勃 発 の 要 因 を な し た 。
Grenville,
William
Wyndham(1759∼1834)
ウ ィ リ ア ム ・グ レ ン ビ ル
イ ギ リ ス の 政 治 家 。G.グ George)
の3男
。 オ ッ ク ス フ ォ ー ド大 学 (Oxford,
年 下 院 入 り し 、 小 ピ ッ ト (〓Pitt,
William-the
レ ン ビ ル (〓Grenville,
University
Younger)
of) 卒 業 後 、1782
の も と陸 海 軍 長 官 、 下 院
議 長 、 内 相 、 イ ン ド 監 督 局 総 裁 な ど を 歴 任 し た 。 ま た1791年
∼1801年
ピ ッ ト内
閣 の 外相 と して 対 フ ラ ンス 外 交 に手 腕 を 発揮 。 後 、 ピ ッ トを離 れ 、 フ ォ ック ス (Fox,
Charles
James)
と 結 び 組 閣 し た も の の 、1806年
フ ォッ クス の死 で 内 閣 は
崩 壊 した 。 そ の 間 に 奴 隷 貿 易 の 廃 止 を 果 た し て い る。
Grey,
Charles(1764∼1845)
グ レー
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 首 相 (任1830∼34) (Cambridge,
University
William-the
Younger)
に ホ イ ッ グ 党 (〓Whigs)
of) 卒 業 後 、1786年
。 ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学
下 院 入
内 閣 に 反 対 し 、 フ ォ ッ ク ス (Fox,
り。 小 Charles
の 代 表 的 存 在 と な っ た 。1800年
反 対 し た が 、 法 案 は 議 会 を 通 過 し た 。1806年
∼07年
ピ ッ
ト (〓Pitt,
James)
と と も
ア イ ル ラ ン ドの 併 合 に
、 フ ォ ッ クス の 死 を うけ て
海 相 及 び 外 相 を 歴 任 。 こ れ に よ っ て ホ イ ッ グ 党 の 第 一 人 者 と な っ た 。30年 リ ン ト ン (〓Wellington, カ ニ ン グ (〓Canning,
Arthur George)
Wellesley)
派 の 協 力 を 得 て 組 閣 。32年
正 と 奴 隷 廃 止 法 案 を 通 過 さ せ た 。 し か し 、34年 Rule
Guam
、ウ ェ
内 閣 崩 壊 後 、 トー リ ー 党 (〓Tories) には 懸 案 の 選 挙 法 改
ア イ ル ラ ン ド 自 治 問 題 (〓Home
Bill) で 内 閣 不 一 致 を 招 き 辞 職 し た 。
グア ム 西 太 平 洋 、 ミ ク ロ ネ シ ア (Micronesia)
端 の 島。 ミク ロネ シ ア最大 の 島で 、行 政 (Magellan,
Ferdinand)
・経 済
の マ リ ア ナ (Mariana)
諸 島最 南
・ 観 光 の 中 心 。1521年
マゼ ラ ン
が 到 着 。 米 西 戦 争 (〓Spanish-American
War)
で ア メ リ
カ が 大 勝 し た こ とか ら 、1892年
以 来 ス ペ イ ン 領 か ら ア メ リ カ領 へ 移 行 。 現 在 も
ア メ リ カ 軍 基 地 が あ る 。1972年
旧 日本 軍 の 横 井 庄 一 氏 が 発 見 さ れ た 島 で も あ る 。
な お、先 住 民 はチ ャモ ロ族 。
Guatemala
グ アテ マ ラ 中央 ア メ リカ 中 部 に あ る 共 和 国 。 首 都 は グ ア テ マ ラ
・シ テ ィ。 北
と 西 は メ キ シ コ 、 束 は ベ リ ー ズ 、 ホ ン ジ ュ ラ ス 、 南 東 を エ ル サ ル バ ドル と 国 境 を 分 か ち 、 南 は 太 平 洋 に 面 し て い る 。 マ ヤ 文 明 (Maya ろ で 、1524年 た 。1821年
ア ル バ ラ ド (Alvarado,
Pedro)
独 立 し た も の の 、 翌22年
収 さ れ 、 さ ら に23年
Civilization)
の栄 えた とこ
に 征 服 され て 以 来 ス ペ イ ン領 と さ れ
に は メ キ シ コ 帝 国 (Mexican
中 央 ア メ リ カ 連 邦 (Central
American
Empire)
Federation)
た 。 し か し 、 こ れ も 保 守 派 と 自 由 派 の 対 立 に よ っ て 解 放 さ れ 、39年 宣 言 し た 。47年
、 共 和 制 に 移 行 。20世
活 動 が 活 発 化 し た が 、 冷 戦 (〓Cold り 、96年
内 戦 が 終 結 。92年
(Menchu
Rigoberta)
〓p.333地
紀 に 入 っ て 、1970年 War)
に 吸
に所 属 し 再 び 独 立 を
代 に は左 翼 ゲ リラの
終 結 後 は国 境 を越 え た連 帯 意 識 が弱 ま
、 マ ヤ族 の人 権擁 護 運 動 家 リゴベ ル タ
が ノ ー ベ ル 平 和 賞 (Nobel
Peace
・ メ ン チ ュー
Prize) を 受 賞 し た 。
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Guernica
ゲ ル ニ カ ス ペ イ ン 北 部 、 バ ス ク 地 方 (Basque)
(〓Spanish
Civil
War)
中 の1937年
、ナ チ ス
に あ る 町 。 ス ペ イ ン 内 戦
・ ド イ ツ (〓Nazis)
の 空軍 が この地
を 爆 撃 。 こ れ を 描 い た ピ カ ソ の 絵 画 “ゲ ル ニ カ ”で 知 ら れ る 。
guerrilla
ゲ リラ 今 日 で は主 に 第3世
元 は ス ペ イ ン 語 のguerra(
界 の 正 規 軍 に 属 さ な い 武 装 集 団 の こ と を意 味 す る 。
ゲ ー ラ :戦 争 )と い う語 に 由 来 す る 。 こ の 語 が 歴 史 の
表 舞 台 に 登 場 す るの が1808年
∼14年
の 半 島 戦 争 (〓Peninsular
War) で あ る。 こ
の 反 ナ ポ レ オ ン解 放 戦 線 を戦 い 抜 くに あ た っ て 、 ス ペ イ ン側 は 正 規 軍 の 他 に 、 全 国 規 模 の ゲ リ ラ の 存 在 が あ っ た か ら こ そ ナ ポ レ オ ン軍 を 敗 北 に 追 い や る こ とが で き た の で あ る 。 そ の 後 の 近 現 代 史 を み て も 、 ゲ リラ 戦 が 友 好 な 対 応 策 と して 用 い られ る ケー ス は多 い。
Guevara,
Ernesto
Che(1928∼67)
チ エ ・ゲ バ ラ
キ ューバ の 革 命指 導者 。 ア ル ゼ ンチ ン生 まれで 、 ブエ ノ ス ア イ レ ス 大 学 で 医 学 を 学 び 、1953年
医 学 博 士 。 そ の 後 母 国 を 去 り、 グ ア テ マ
ラ 革 命 の 失 敗 を 直 に 体 験 す る 。54年
メ キ シ コ に 行 き、 カ ス
Fidel) に 出 会 う 。56年
ト ロ (〓Castro,
カ ス ト ロ ら と と も に キ ュ ー バ へ 渡 り、 ゲ リ ラ 戦 を 指 揮 し革
命 の 成 功 に 貢 献 。 政 権 獲 得 後 は 国 立 銀 行 総 裁 、工 業 相 な ど を 歴 任 。65年 バ を 去 り、67年
に キ ュー
南 米 ボ リ ビ ア で の ゲ リ ラ 活 動 中 に射 殺 さ れ る 。
〓Cuba
Gulf
War(1991.1∼2)
湾岸 戦 争 イ ラ ク (Iraq) に よ る1990年8月
連 (UN:
〓United
91年1月
Nations)
の ク ウ ェ ー ト (Kuwait)
侵 攻 と、 国
決 議 無視 に反対 す るア メ リカな どが多 国籍 軍 を結成 、
に イ ラ ク を 空 爆 した こ と に 始 ま る戦 争 。 そ の 結 果 ク ウ ェ ー ト は 解 放 さ
れ た 。 イ ラ ク の イ ス ラ エ ル (Israel) へ の ミ サ イ ル 攻 撃 、 原 油 流 出 や 油 田 炎 に よ る 環 境 破 壊 で も 問 題 に な っ た 。 イ ラ ク の フ セ イ ン (〓Hussein, 権 は2003年
Guomindang
〓Kuomintang
ま で 存 続 した 。
国 民 党 (中 国 )
上な ど
Saddam)
政
H Hague,
The
ハ ー グ オ ラ ン ダ 王 国 南 西 部 に あ る 都 市 で 、 北 海 (North
テ ル ダ ム (Amsterdam)
Sea) を 臨 む 。 ア ム ス
が 憲 法 上 の 首 都 で あ る の に 対 して 、 ハ ー グ に は議 会 、 政
府 、 最 高 裁 判 所 な ど が お か れ て お り 、 事 実 上 の 首 都 と し て 機 能 し て い る 。13世 紀 以 来 ホ ラ ン ト (Holland) 1921年
伯 の宮 殿 が お か れ 、独 立後 、連 邦 議会 が 設 置 され た。
常 設 国 際 司 法 裁 判 所 (〓Permanent
年 国 際 司 法 裁 判 所 (〓International (〓World
War
of
of International
Justice)
Justice)
が 設 置 。 第2次
、46
世 界大 戦
II)中 は ド イ ツ 軍 に 占 領 さ れ 、 ミ サ イ ル 発 射 基 地 が あ っ た た め に
連 合 国 側 の 爆 撃 目 標 と な っ た 。49年 Conference
Court
Court
in the
Hague)
、 こ の 地 で ハ ー グ 円 卓 会 議 (Round-Table
が 開 か れ 、 イ ン ドネ シ ア の 独 立 が 承 認 さ れ た 。
〓Holland
Haile
Selassie
I(1892∼1975)
ハ イ レ ・セ ラ シ エ1世 エ チ オ ピ ア 皇 帝 (位1930∼35、1941∼74)
以 来 知 事 を 歴 任 。 そ の 後 女 帝 ザ ウ デ ィ ツ (Zawditu) の 死 後 、30年
皇 帝 に 即 位 。 翌31年
(〓Italo-Abyssinian Ababa)
War)
憲 法 発 布 。35年
。1907年
の 摂 政 兼 後 継 者 とな り、 女 帝 イ タ リ ア
・ エ チ オ ピ ア戦 争
が 生 じ 、 イ タ リ ア 軍 に よ っ て ア ジ ス ア ベ バ (Addis
が 陥 落 。 イ ギ リ ス へ 亡 命 し た が 、 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
い て 、 イ ギ リ ス 軍 が 東 ア フ リ カ の イ タ リ ア 軍 を 撃 退 し た た め 、41年 し た 。 非 同 盟 主 義 、 ア フ リ カ 統 一 に 力 を 尽 く し た の だ が 、74年
II)に お
復 位 を果 た
クー デ タ ー に よ
り 皇 位 を 追 わ れ 、 間 も な く病 死 。 〓Ethiopia
Haiti
ハ イチ カ リ ブ 海 (Carribean
Sea) 、 イ ス パ ニ ョ ー ラ (Hispaniola)
を 占 め る 黒 人 の 共 和 国 。 首 都 は ポ ル トー プ ラ ン ス (Port-au-Prince) (Columbus,
Christopher)
島 の 西 側36% 。 コロ ン ブ ス
が 到 着 し て 以 来 ス ペ イ ン 領 で あ っ た が 、1697年
フ ラ
ン ス 領 と な っ て 、 ア フ リカ よ り大 量 の 黒 人 奴 隷 が 導 入 さ れ 、 プ ラ ン テ ー シ ョ ン が 発 達 し た 。 フ ラ ン ス 革 命 (〓French
Revolution)
時 代 に 独 立 運 動 が 盛 ん に な り 、1804年 (1825年
フ ラ ン ス も 承 認 )。1806年
ラテ ン
、 ナ ポ レ オ ン (〓Napoleon
I)
・ ア メ リカ 初 の 独 立 国 とな っ た
共 和 制 に 移 行 。44年
にな っ て東 半 分 が ドミニ
カ 共 和 国 (Dominican
Republic)
と して 分 離 独 立 。1915年
て 、 ア メ リ カ の 干 渉 が 強 ま り、16年
∼45年
大 統領 暗 殺 を 契機 と し
に か け て ア メ リ カ軍 が 駐 留 した 。91
年 に 軍 事 ク ー デ タ ー が 起 き、 今 な お 内 政 は 不 安 定 で あ る。 〓p.333地
図 〓 (現代 の世 界[国 名 と地 図])
Hammarskj〓ld,
Dag(1905∼1961)
ハ マ ー シ ョル ド
ス ウ ェ ー デ ンの 政 治 家 、法 学 者 、経 済 学 者 。1932年 ク ホ ル ム 大 学 (Stockholm
年 か ら 外 務 省 に 入 り、51年 Secretary-General)
、ス ト ッ
University) 教 授 か ら国 立 銀 行 に 入 り、36年 総 裁 。46 外 相 を 務 め た 。53年
よ り 国 連 事 務 総 長 (UN
に 就 任 し、 イ ス ラエ ル の エ ジ プ ト侵 入 な ど多 くの 国 際 紛 争 の
処 理 に 努 め、 国 連 軍 に 大 国 を 加 え な い とい う慣 習 を 確 立 し た。 コ ン ゴ動 乱 (Congo
Crisis)の 調 停 の た め 現 地 へ 向 か う途 中 、 飛 行 機 事 故 で 死 亡 。61年
ベ ル 平 和 賞 (Nobel Peace
Hardie,
James
度 ノー
Prize) を 受 賞 した 。
Keir(1856∼1915)
ハ ーデ ィ
イ ギ リ ス の政 治 家 。 社 会 主 義 者 。 ス コ ッ ト ラ ン ドの 炭 坑 夫 出 身 。1887年
『炭 坑 夫 (Miners) 』を 発 刊 し 、 社 会 主 義 を 宣 伝 し た 。92年
労 働 議 員 と し て 下 院 入 り し、93年
独 立 労 働 党 (ILP:〓Independent
Party) を 結 成 、 そ の 領 袖 と な る。1906年 (〓Labour
の 総 選 挙 で 大 躍 進 し、 党 名 を 労 働 党
Party) と改 称 して 、 議 会 に お け る党 指 導 者 とな っ た 。13年
か け て 党 議 長 を 務 め た 。 第1次
独立の Labour
世 界 大戦 ( 〓World
War
∼15年
に
I)中 、 ゼ ネ ス トで 参 戦
阻 止 を 試 み た が 失 敗 した 。 Hastings,
Warren(1732∼1818)
ヘ イ ステ ィン グズ
イ ギ リ ス の 植 民 地 行 政 官 。 ヒ ン ズ ー 語 が 理 解 で き る こ と か ら、 1750年
東 イ ン ド会 社 ( 〓East
ガ ル (Bengal) 知 事 、 翌73年
India
Company)
書 記 と して 派 遣 さ れ 、72年
ベ ン
初 代 ベ ンガ ル総 督 に就 い た。 植 民地 行 政 の 体 系化 に
努 め 、 領 土 拡 張 の た め の 戦 争 に よ っ て イ ン ド植 民 地 支 配 の 基 礎 を 固 め た 。84年 引 退 し帰 国 し た が 、 議 会 に お い て イ ン ドに お け る過 酷 な 政 策 を 審 問 さ れ た 。 Hawaii
ハ ワイ 太 平 洋 に あ る ア メ リ カ 合 衆 国 の 州 。8つ
の 島 と100以 上 の 小 島 群 か ら
成 る。 州 都 は オ ア フ (Oahu) 島 の ホ ノ ル ル (Honolulu) 。500年 ネ シ ア 人 (Polynesian) が 定 住 。1778年J.ク ド ウ ィ ッ チ 諸 島 (Sandwich メ ハ メ ハ1世
頃 よ り先 住 民 ポ リ
ッ ク (Cook,
James) が 来 島 し、 サ ン
Islands) と命 名 した 。1810年
か ら19年 に か け て 、 カ
(Kamehameha
し 、93年 共 和 制 へ 移 行 。98年
I)が 統 一 し た が 、19世
紀 を 通 じ て ア メ リ カ と接 近
に は 併 合 条 約 が 成 立 し 、2年
後 に ア メ リカ の 準 州
と な る。20世
紀 に 入 り、1959年
系 ア メ リ カ 人 が 人 口 の 約5分 Heath,
Edward
Richard
、 ア メ リ カ 合 衆 国 の 第50番
の1近
め の州 となっ た。 日
くを 占 め る。
George(1916∼2005)
エ ド ワ ー ド ・ヒ ー ス
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 首 相 (任1970∼74) 公 立 校 よ り オ ッ ク ス フ ォ ー ド 大 学 (Oxford, 戦 (〓World 員 に 当選
War し 、55年
II)に 従 軍 。1950年 党 院 内 総 務 、59年
体 (EEC:〓European
Economic
University
保 守 党 (〓Conservative 労 相 、60年 Community)
て 勝 利 を 得 て 首 相 に 就 任 。72年
加 入 交 渉 代 表 を 歴 任 。65年
Margaret
Hejaz
Hilda)
、保
の 総選 挙 で は 予想 に 反 し
石 油 危 機 (〓Oil
Crisis) と 重 な っ て 炭 鉱 労 働
・総 選 挙 に 出 た が 敗 北 。 同 年 、 異 例 の2度
あ っ た の だ が 、 再 び 敗 北 。 翌75年
よ り下 院 議
に は ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 (EC:〓European
加 盟 に 調 印 し た 。74年
者 ス トに 手 こ ず り、 解 散
Party)
世界 大
外 相 代 理 、 ヨー ロ ッ パ 経 済 共 同
守 党 最 初 の 公 選 に よ る 選 出 で 党 首 の 座 に つ い た ,70年
Community)
。地 方
of) へ 進 み 、 第2次
めの総 選 挙 が
、 保 守 党 の 党 首 選 で も サ ッ チ ャ ー (〓Thatcher,
に敗 れ た。
ヘ ジ ャズ サ ウジ ア ラ ビア西部 の地 方。 ア ラビ ア半 島西 側 。 古来 イ エ メ ン とシ リア
の 隊 商 路 上 に あ た り、 メ ッ カ (Mecca) や メ デ ィ ナ (Medina) の よ う な 商 業 都 市 が 発 展 、 イ ス ラ ム 教 発 生 の 地 と な っ た 。1258年 朝 が 滅 亡 し た 後 、1517年 1915年 ibn
イ ス ラ ム 帝 国 の ア ッバ ー ス (Abbas)
オ ス マ ン ・ トル コ ( 〓Ottoman
Empire) 領 とな る。
、 メ ッ カ の 知 事 を務 め て い た ア ラ ブ 民 族 運 動 の 指 導 者 フ サ イ ン (Husayn,
Ali)は 、 イ ギ リ ス の 在 カ イ ロ 高 等 弁 務 官 マ ク マ ホ ン (〓MacMahon,
Arthur
Sir
Henry) と接 触 を 図 り、 ア ラ ブ 人 の 独 立 運 動 を 支 持 す る との 約 束 を と りつ
けた( マ クマ ホ ン宣言
:〓MacMahon
に 対 して 反 乱 を 起 こ し、16年 ド(〓Ibn
Declaration) 。 同 年 、 オ ス マ ン ・ トル コ
ヘ ジ ャ ズ 王 国 を樹 立 。 し か し、24年
Saud) に メ ッ カ を 占 領 さ れ て そ の 支 配 下 に 入 り、32年
イ ブ ン ・サ ウ 以来 サ ウ ジア ラ
ビア王 国領 へ 入 っ た。 〓 Saudi Helsinki
Arabia
Agreement(1975)
ヘル シ ンキ宣 言 1975年7月
、 ヘ ル シ ン キ で 東 西 の 緊張 緩 和
目 指 して 開 か れ た 全 欧 安 保 首 脳 会 議 (European
Security
・安全 保 障 を
Conference)
で合意 さ
れ た 最 終 文 書 。 ヨ ー ロ ッ パ32カ 国 に ソ連 、 ア メ リ カ 、 カ ナ ダ を 加 え た35カ
国が
参 加 。 全 ヨ ー ロ ッパ の 国 境 不 可 侵 、 内 政 不 干 渉 、 人 権 尊 重 、 経 済 ・科 学 ・技 術 分 野 の 協 力 な どが 原 則 と し て 確 認 さ れ 、 欧 州 デ タ ン ト(〓D〓tente: 緊 張 緩 和 )の 第 一 歩 といわれ た 。 そ の 後 も フ ォ ロ ー ア ッ プ 委 員 会 が ベ オ グ ラ ー ド (Beograd:
1977∼78)
、 マ ド リ ー ド (Madrid:
1980∼83)
、 ウ ィ ー ン (Vienna:
1986∼89)
で 開 か れ て お り 、92年 ヘ ル シ ン キ に お け る 会 議 で は 、 日 本 も ゲ ス ト参 加 し て い る 。
Hindenburg,
Paul
von(1847∼1934)
ヒ ン デ ン ブル グ
ド イ ツ の 軍 人 、 政 治 家 。 ユ ン カ ー (〓Junkers: 族 )の 出 身 で 、1866年
普 墺 戦 争 (〓Austro-Prussian
(〓Franco-Prussian
War)
に 従 軍 。 第1次
後 退 役 。25年
Battle
∼34) 。 ナ チ ス (〓Nazis)
と は 一 線 を 画 し 、32年
第2代
命 し 、 ド イ ツ 第3帝
国 (Third
Treaty
Empire)
Adolf)
を破 っ
の成 立 を 助 け た。
ヒンズ ー教
紀 頃 成 立 。 ビ シ ュ ヌ 派 (Vishnu)
フ マ 派 (Brahma)
(〓Caste
、 ス ー ル ヤ 派 (Surya) 、 ス マ ー ル タ 派 (Smrti) な ど 、 こ の 他 に も
system)
裕仁 ( 昭和 天 皇 )
第124代 子 。1916年
と は 対 立 して い
近 くが ヒ ン ズ ー 教 徒 で あ る。
Emperor(1901∼1989)
就 任 。26年12月
し て カ ー ス ト制 度
と の 結 び つ き が 強 く 、 イ ス ラ ム 教 (Islamism)
る 。 イ ン ド で は 全 人 口 の85%
の 第1皇
か ら 派 生 し 、8∼
、 シ バ 派 (Siva) 、 シ ャ ク チ 派 (Sakti) 、 ブ ラ ー
多 数 の 派 が 存 在 す る 。 霊 魂 不 滅 と輪 廻 転 生 が 共 通 思 想 。 概
Hirohito,
の後 を
ヒ トラー を首 相 に任
イ ン ドの 宗 教 。 古 来 の バ ラ モ ン 教 (Brahmanism) 9世
of)締 結
Friedrich)
ヒ ト ラ ー (〓Hitler,
Reich:〓German
I) で は ロ シ ドイ ツ の 危 機
大 統 領 に 就 任 し た (任1925
て 再 選 さ れ た が 、 ナ チ ス 勢 力 の 拡 大 に 抗 し 切 れ ず 、 翌33年
Hinduism
War
右 翼 帝 政 派 の 支 持 に よ っ て 、 エ ー ベ ル ト (Ebert, Republic)
普 仏 戦 争
of) で 破 り 、
ベ ル サ イ ユ 条 約 (〓Versailles,
う け て ワ イ マ ー ル 共 和 国 (〓Weimar
領 主貴
、1870年
世 界 大 戦 (〓World
ア 軍 を タ ン ネ ン ベ ル ク の 戦 い (〓Tannenburg, を 救 っ て 名 声 を 得 た 。 戦 後1919年
War)
天 皇 (位1926∼1989)
。 大 正 天 皇 (〓Yoshihito)
、 立 太 子 式 を 挙 げ る と、 大 正 天 皇 が 病 の た め21歳
で摂政 に
即 位 し、 昭 和 と改 元 し た 。 不 況 が 慢 性 化 し、 政 情 不 安 が 続 く中 、
軍 部 が 台 頭 し 、5.15事
件 や2.26事
件 が 発生 。 フ ァシ ズム ( 〓fascism)
に よ り天 皇
絶 対 思 想 が 高 ま り、 現 人 神 と称 せ られ た 。 天 皇 自身 は 陸 軍 拡 大 に は 反 対 で あ っ た が 、 内 閣 の 政 策 を追 認 す る 結 果 と な り、 太 平 洋 戦 争 ( 〓Pacific 45年8月15日 GHQ(General
ポ ツ ダ ム 宣 言 (〓Potsdam Headquarters:
Declaration)
War) は 泥 沼 化 。
を受 諾 して 全面 降 伏 し、
連 合 軍 総 指 令 部 )に よ る 占領 政 策 が 開 始 さ れ た 。
46年 元 旦 、 自 ら 神 性 を 否 定 し 「人 間 宣 言 」を 行 っ た 。 そ の 後 、 国 民 に 近 づ く た め 、 全 国 戦 後 巡 幸 を 実 施 して 戦 後 復 興 に つ く し た 。47年5月 公 布 の 日 本国 憲 法 で は 「国 民 統 合 の 象 徴 」と い う位 置 づ け が な さ れ た 。70年 代 に 入 る と、 欧 米 諸 国 との 間 に 積 極 的 な 皇 室 外 交 を展 開 。 生 物 学 者 と して の 一 面 も あ っ た 。
Hiroshima
広 島 1591年
、 毛 利 輝 元 が 築 城 し、 広 島 と 改 称 。 江 戸 時 代 は 福 島 氏 、 浅
野 氏 が治 めて いた。 明 治 時 代 、 日清戦 争 ( 〓Sino-Japanese か れ 、 軍 事 都 市 に 。1945年8月6日
午 前8時15分
子 爆 弾 が 投 下 され20数 万 の 死 傷 者 を 生 ん だ 。9日 下 され ポ ツ ダム宣 言 ( 〓Potsdam
War) の 大 本 営 が 置
、B29エ
ノ ラ ・ゲ イ 号 か ら原
に は 長 崎 (〓Nagasaki)
に も投
Declaration) を 受 諾 す る に至 っ た 。 戦 後 は平 和
都 市 と し て 世 界 平 和 の シ ン ボ ル とな っ て い る 。 Hitler,
Adolf(1889∼1945)
ア ドル フ ・ヒ トラ ー
ドイ ツ の 政 治 家 。 オ ー ス ト リア 生 ま れ で 、 両 親 を 早 く亡 く し た 。 画 家 を 志 し た が 、 果 た せ ず ミ ュ ン ヘ ン (Munich) へ 移 っ た。 第1次 ( 〓World
War
I)に 従 軍 して 負 傷 。1919年
ツ労 働 者 党 (German
Workers'
主 義 ドイ ツ 労 働 者 党 (NSDAP: 称 し 、 ヒ ト ラ ー は21年7月
世界 大戦
ナチス( 〓Nazis) の 前 身 で あ る ドイ
Party) に 入 党 。 の ち に ドイ ツ 労 働 者 党 は 国 家 社 会 National
Socialist German
党 首 に 就 任 す る 。23年
Workers'
Party) と改
ミ ュ ン ヘ ン 一 揆 (〓Munich
Putsch) を 起 こ した が 失 敗 に 終 わ り入 獄 し、 獄 中 で 『 我 が 闘 争 (〓Mein を 執 筆 。 出 獄 後 は 大 衆 運 動 へ と 転 換 し、 世 界 恐 慌 ( 〓Great
Kampf)
Depression)
中 間 層 を 取 り込 み 急 成 長 を遂 げ た 。 大 統 領 選 で は 落 選 し た が 、 ナ チ ス は第1党 躍 進 し33年1月
首 相 に就 い た 。 ヒ ン デ ン ブ ル ク ( 〓Hindenburg,
34年 総 統 ( 〓Fuhrer) 指 し た。39年
と称 し、 ベ ル サ イ ユ 体 制 ( 〓Versailles
、 第2次
世界大戦( 〓World
War
』
の中で に
Paul von) 死 後 、 system) の 破 壊 を 目
II)に 突 入 し、 一 時 は 全 欧 を 占領
し た 。 しか し、ス タ ー リ ン グ ラ ー ド ( 〓Stalingrad) の 敗 北 以 来 劣 勢 と な り、反 フ ァ シ ズ ム 連 合 軍 の 反 攻 と民 族 解 放 闘 争 の 前 に 破 綻 を き た し、45年4月30日
、ベル
リ ン 陥 落 の 直 前 自 殺 し た とい わ れ て い る 。 〓Germany 〓German
Hoare-Laval
Empire
Pact(1935)
ホ ー ア ・ラ バ ル 案
イ タ リア ・ エ チオ ピア戦 争 ( 〓Italo-Abyssinian 1935年12月
、 イ ギ リ ス 外 相 ホ ー ア (Hoare,
Samuel)
War) 後 の
と フ ラ ン ス 首 相 ラバ ル
(Laval, Pierre) に よ っ て 提 示 さ れ た 宥 和 政 策 ( 〓Appeasement
policy) の ひ とつ 。
イ タ リア とエ チ オ ピ ア の 直 接 交 渉 を基 調 と し 、領 土 交 換 や 植 民 地 区 設 定 、 エ チ オ ピアの経 済 発 展 な どを含 ん で いた が、 事 実上 イ タ リアの エ チオ ピア 占領 を認 め る 内 容 で あ っ た 。 しか し、 イ ギ リス 世 論 は こ れ に 納 得 せ ず 、 ホ ー ア は 辞 職 に 追 い 込 まれ た。 な お 、 こ の 問 題 解 決 は 国 際 連 盟 ( 〓League こ とか ら 、 上 述 案 は 意 味 を失 っ て し ま っ た 。
of Nations) に 決 裁 を 委 ね た
Ho
Chi
Minh(1890∼1969)
ホ ー ・チ ・ ミ ン ( 胡 志 明 )
ベ トナ ム の 民 族 解 放 運 動 指 導 者 。 青 年 時 代 の1911年 道 を 求 め て 渡 仏 し 、 ロ シ ア 革 命 (〓Russian ク ス
・ レ ー ニ ン 主 義 (Leninism)
国 後29年
Revolution)
へ 傾 い た 。1920年
War
II)中 、41年
ベ ト ナ ム 独 立 同 盟 (べ
し て フ ラ ン ス ・日 本 の 支 配 に 抵 抗 し た 。45年 Republic
of
Viet
Nam)
、 ベ
(Republic
Agreements) Viet
: 〓Viet
世界 大 戦
Minh)
Nam)
War)
が は じ ま り 、54年
を引 き出 す に至 った。 その後 、 ベ
ジ ュ ネー
トナ ム 共 和 国
を 支 援 す る ア メ リ カ に 抗 し て 人 民 戦 線 (〓Popular
Nam
Minh
City
ホ ー チ ミ ン市 ベ ト ナ ム 南 部 の 特 別 市 。 旧 名 サ イ ゴ ン (Saigon)
。1859年
ラ ン ス の 占 領 後 、 そ の 植 民 地 経 営 の 基 地 サ イ ゴ ン と し て 発 展 。1954年 ム 分 裂 後 は 、 ベ ト ナ ム 共 和 国 (南 ベ トナ ム 年 南 ベ ト ナ ム が 崩 壊 し 、 翌76年 Viet
を結成
トナ ム 民 主 共 和 国 (Democratic
を 指 導 した が 、 そ の 最 中 に 死 亡 し た 。
〓Viet
Chi
of
トミ ン
を 建 国 す る と 、 初 代 国 家 首 席 (大 統 領 )と な っ た 。 同 年 よ
り フ ラ ン ス と の イ ン ド シ ナ 戦 争 (〓Indo-China ブ 協 定 (〓Geneva
Ho
の影 響 を受 け て、 マ ル
、 フ ランス共 産 党 へ 入党 。帰
、 ベ ト ナ ム 共 産 党 を 創 設 し 、 そ の 指 導 に あ た っ た 。 第2次
(〓World
Front)
、祖 国解 放 の
Nam)
of
Viet
Nam)
ベ ト ナ ム 社 会 主 義 共 和 国 (Socialist
に 統 一 さ れ る と 、 サ イ ゴ ン は ジ ア デ ィ ン (Gia-dinh)
ン 特 別 市
と さ れ た。 地 名 の 由 来 は、 ベ
Democratic
Republic
〓Viet
:Republic
of Viet
Nam)
フ
の ベ トナ の 首 都 。75 Republic
of
と と もにホ ー チ ミ
ト ナ ム 民 主 共 和 国 (北 ベ
トナ ム
:
初 代 大 統 領 の 名 前 に あ る。
Nam
Holland
オ ラ ン ダ 正 称 は ネ ー デ ル ラ ン ト 王 国 (Kingdom
イ ン か ら の 独 立 戦 争 (Dutch
War
of
of the
Independence)
Netherlands)
だが 、 スペ
の 際 に ホ ラ ン ト (Holland)
州 が 最 有 力 で あ っ た た め 、 オ ラ ン ダ と呼 ば れ る。 ヨ ー ロ ッパ 北 西 部 の 王 国 で 、 北 海 (North
Sea) 沿 岸 の 低 地 を 占 め る 。 首 都 は ア ム ス テ ル ダ ム (Amsterdam)
11世
紀 か ら13世
7州
が ス ペ イ ン の 暴 政 に 対 抗 す る た め ユ ト レ ヒ ト 同 盟 (Union
と 、1581年
紀 に か け て 新 興 自 治 都 市 が 台 頭 し 、1579年
ネ ー デ ル ラ ン ト 連 邦 共 和 国 (Federal
て 独 立 を 宣 言 し た 。1648年 ス ト フ ァ リ ア 条 約 (Peace る 。17世
、30年 of
戦 争 (Thirty
Westphalia)
Republic Years
War)
。
ネ ー デ ル ラ ン ト北 部 of Utrecht) of
を結 ぶ
Netherland)
と し
終結 で 結 ばれ た ウ ェ
に よ って 、正 式 に独 立 が 承 認 され て い
紀 は 「黄 金 の 世 紀 」と い わ れ 、 東 イ ン ド 会 社 (〓East
India
Company)
中 心 に 植 民 地 を 各 地 に つ く り 、 世 界 貿 易 の 中 心 と な っ た 。 し か し 、17世
を
紀 後 半
に な る と、 ラ イ バ ル の イ ギ リ ス に 制 海 権 を 奪 わ れ て し ま う。 ナ ポ レ オ ン 時 代 の
1813年 第2次
、 王 制 へ 移 行 。 第1次 世 界 大 戦 (〓World
世 界大 戦 ( 〓World
War
War
I)で は 中 立 を 守 っ た が 、
II)中 は ドイ ツ に 占 領 さ れ た 。 戦 後 は 、 旧 植 民 地
の 独 立 が 相 次 ぎ 、 本 国 は ベ ル ギ ー や ル ク セ ン ブ ル ク と い っ た ベ ネ ル ク ス諸 国 と 歩 調 を 合 わ せ て 行 動 して い る 。 〓p.328地 Holocaust
図〓( 現 代 の世界[国 名 と地 図]) ホ ロ コー ス ト ドイ ツ の ナ チ ス ( 〓Nazis) に よ る ユ ダ ヤ 人 の 大 量 虐 殺 。1942年
本 格 的 絶 滅 政 策 が と ら れ 、 ヨ ー ロ ッ パ 全 体 で600万 Holy
Roman
Empire(962∼1806)
神聖 ロー マ帝 国
中 世 か ら19世 紀 初 頭 ま で 続 い た ドイ ツ 第1帝 Reich) の 呼 称 。962年
ドイ ツ 王 オ ッ トー1世
受 け て 成 立 した 。13世
紀 以 降 、 国 内 の 領 邦 国 家 が 分 裂 し て 衰 退 。15世
国 (First
(Otto I)が ロ ー マ 教 皇 よ り帝 冠 を
プ ス ブ ル ク (Habsburg) 家 が 王 位 を 世 襲 した が 、1618年 Years
以 降、
人以 上の犠 牲 者 が 出 た。
War) の 結 果 そ の 地 位 は 低 下 し た 。1806年
か らの30年
、 ナ ポ レ オ ン1世
I)が ドイ ツ 内 諸 国 を ま と め て 設 立 した ラ イ ン 同 盟 (Rheinbund)
紀 か らハ
戦 争 (Thirty (〓Napoleon
が帝 国 を脱 退 す
る に 至 り、 崩 壊 した 。 〓German Home
Rule
Empire(
ドイ ツ 帝 国 )
Bill ア イ ル ラ ン ド 自 治 法 案 1800年
以 来 イ ギ リス 王 国 領 と な っ た ア イ ル ラ ン ドに 自 治 権 を
与 え る法 案 。 イ ギ リ ス の 支 配 下 で 貧 困 と 深 刻 な 土 地 問 題 に 苦 し ん で い た ア イ ル ラ ン ドで は 、19世 紀 後 半 以 降 、 小 作 人 の 土 地 獲 得 運 動 や 独 立 運 動 が 起 こ る。 自 由 党 ( 〓Liberal
Party) の 第3次
閣 は 、1886年
自 作 農 を 認 め る ア イ ル ラ ン ド土 地 法 (Irish Land
グ ラ ッ ドス トン (〓Gladstone,
William
Ewart) 内
Acts) と と も に 第
1次 ア イ ル ラ ン ド自 治 法 案 を 提 出 し た が 、 自 由 党 分 裂 の た め 否 決 。1893年 2次 自治 法 案 は 上 院 で 否 決 。 ア ス キ ス ( 〓Asquith, 案 が1914年
に 成 立 し た が 、 第1次
世 界 大 戦 (〓World
Herbert War
期 。 よ う や く22年 自 治 領 と し て ア イ ル ラ ン ド自 由 国 ( 〓Irish
Henry)
の第
の 第3次
法
I) に 突 入 した た め 延 Free
State)が 成 立
した 。 〓Ireland Home,
Sir Alec
Douglas(1903∼95)
ヒュー ム
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 首 相 (任1963∼64) フ ォ ー ド大 (Oxford,
University
of)卒 。1931年
保守党( 〓Conservative
よ り下 院 議 員 と な る。チ ェ ン バ レ ン ( 〓Chamberlain,
。オ ックス Party)
Neville)首 相 の 秘 書 と し て 、
38年
ヒ トラー ( 〓Hitler, Adolf) との ミ ュ ン ヘ ン会 談 ( 〓Munich
同 席 した 。45年
マ ク ミ ラ ン (Macmillan, し か し 、 翌64年 そ の 後 、70年
Conference)
に
外務 政務 次 官 とな って 以来 、 国 務省 、連 邦関 係 相 、 外相 を歴 任 。 Maurice
Harold) 首 相 引 退 を う け 、63年 首 相 に 就 任 し た 。
の 総 選 挙 に 敗 れ 、 総 辞 職 し、65年
に49歳
の ヒー ス ( 〓Heath,
Edward
に は保 守 党 党 首 も辞 任 した。 Richard
George)
首相 の下 で
外 相 に 就 任 して い る 。 Hong
Kong
香港 ( ホ ン コ ン) 中 国 大 陸 南 部 、 九 竜 (Kowloon) 半 島 と香 港 島 の 他230あ
ら な る イ ギ リス 統 治 領 。 ア ヘ ン戦 争 ( 〓Opium
ま りの 小 島 か
Wars) 後 、1842年
の南 京条約
( 〓Nanking, Treaty of)で 香 港 島 が イ ギ リス 領 と な り、 ア ロ ー 号 事 件 ( 第2次 ア ヘ ン戦 争 )の 結 果 、60年 の 北 京 条 約 (Treaty of Peking) で 九 竜 と 付 属 小 島 が イ ギ リ ス へ 割 譲 さ れ た。 さ ら に 九 竜 半 島 全 域 と 付 属 島 の99カ 1898年
に 行 わ れ た 。第2次
世 界 大戦 ( 〓World
War
年 租借 の 取 り決 め が
II)中 は 、 日本 の 占領 下 に あ っ
た 。 中 継 貿 易 や 加 工 貿 易 で 商 業 発 展 を遂 げ て い る 。1992年 テ ン (Patten, Christpher) が 着 任 し た 。97年 り、 特 別 行 政 区 と して1国2制 〓p.332地 Hoover,
には 最 後 の 総 督 パ ッ
、 イ ギ リス よ り中 国 の 主 権 下 に も ど
度 と な り、5年
間 は資 本主 義 体制 を保 障 され た。
図〓 ( 現代 の世界[国 名 と地 図])
Herbert
Clark
(1874∼1964) フ ー バ ー ア メ リカ の政 治家 。 大統 領 ( 任1929∼33)
(Iowa) 州 生 ま れ 。 ス タ ン フ ォ ー ド大 学 (Stanford し て い た 。 第1次 で 活 躍 。21年
世界大戦 ( 〓World
∼28年
War
。 アイ オ ワ
University) で は 採 鉱 学 を 専 攻
I)中 は 、 海 外 の ア メ リ カ 救 済 委 員 会
に か け て 商 務 長 官 と し て ア メ リカ の 繁 栄 の た め に 尽 力 した 。
28年 の 大 統 領 選 挙 で 共 和 党 (Republican カ 大 統 領 に な る。29年
Party) よ り 出 馬 し 当 選 、 第31代
の世 界 恐慌 ( 〓Great
Depression)
アメ リ
に 対 して 当 初 は 楽 観 的
立 場 で 臨 ん だ が 、 結 局 、 失 業 共 済 事 業 に 着 手 し積 極 的 に 対 応 。 ドイ ツ の 賠 償 問 題 (〓Reparation Moratorium)
problem)
ロ ー ズ ベ ル ト(〓Roosevelt, (〓World
に は 、 フ ー バ ー ・ モ ラ ト リ ア ム (〓Hoover
と 呼 ば れ る債 務 支 払 猶 予 措 置 を 実 施 し た 。32年
War
Franklin
II)後 、 世 界38カ
Delano)
の 大 統 領 選 挙 でF・
に 敗 北 し 引 退 。 第2次
国 の 食 料 供 給 に 努 め 、47年
世界大戦
か ら49年
ま で 「フ ー
バ ー 委 員 会 」の 委 員 長 を 務 め た 。
Hoover
Moratorium
(1931) フ ー バ ー ・モ ラ トリ ア ム 1931年6月
Herbert
、 ア メ リカ大 統領 フーバ ー
Clark) が 発 表 した 、債 務 国 ドイ ツ に 対 す る 支 払 猶 予 令 。29年
ク で 起 こ っ た 株 式 大 暴 落 に 端 を 発 して 世 界 恐 慌 (〓Great
(〓Hoover, ニ ュー ヨー
Depression)
が波及。
ドイ ツ を 筆 頭 に 第1次
世 界大 戦 ( 〓World
War
I)の 敗 戦 か ら ア メ リ カ に 賠 償 金
を課 せ られた ヨー ロ ッパ諸 国 は、 支 払能 力 に限 界 を きた した。 負債 返 済 を強行 す れ ば 世 界 経 済 を さ ら に 圧 迫 す る と考 え た ア メ リカ は 、 こ れ ら債 務 の 支 払 い を1年 間 延 期 す る決 定 を 下 した が 、 深 刻 な 経 済 危 機 を 前 に あ ま り実 効 は な か っ た 。 〓Reparation Howard,
problem(
John(1726∼1790)
ドイ ツ賠償 問題 ) ハ ワー ド
イ ギ リ ス の 監 獄 改 革 者 。1773年 (Bedfordshire) 州 長 官 。 監 獄 改 革 ( 〓Prison
ベ ッ ドフ ォー ドシ ャ ー
reform) の 必 要 性 を 痛 感 し、 イ ギ リ
ス ・ ドイ ツ ・フ ラ ン ス ・ロ シ ア ・イ タ リア な ど の 監 獄 を 視 察 し て 、 そ の 改 革 に 努 め た 。 晩 年 は 疫 病 防 止 に 献 身 して い る 。 Hundred
Days(1815)
ナ ポ レ オ ン 百 日天 下 1814年
1世 (〓Napoleon
に 失 脚 し て エ ル バ (Elba)島 に 流 さ れ て い た ナ ポ レ オ ン
I)は 、 再 起 を 図 っ て 島 を 脱 出 、 翌15年3月20日
復 帰 し た 。 し か し、 ワ ー テ ル ロ ー の 戦 い (〓Waterloo, ロ イ セ ン な ど の 連 合 軍 に 敗 れ 、 同 年6月22日
再 び帝 位 に
Battle of)で イ ギ リ ス ・プ
帝 位 を 追 わ れ て セ ン ト ・ヘ レ ナ (St.
Helena) 島 に 流 され た 。 この 期 間 に 因 ん で 百 日天 下 と呼 ば れ る 。 Hundred
Flowers
Campaign
百 花斉 放 中国
判 の 自 由 化 政 策 で 、1956年
・毛 沢東 ( 〓Mao
Tse-tung) が 行 っ た 体 制 批
に は じ ま っ た 文 化 政 策 の ス ロ ー ガ ン。56年
当 時、 マ
ル ク ス 主 義 (Marxism) は 他 の 思 想 に 対 し て 指 導 的 地 位 を 占 め て い た が 、 唯 一 絶 対 の 思 想 と して 強 制 す べ き で は な い と さ れ た 。82年
の 憲 法 にお いて は、文 化 的
な創 作 活 動 や 学 術 研 究 な ど の 自 由 が 保 証 され て お り、 「百 花 斉 放 」の こ と ば は 姿 を 消 し て い る 。86年 Hungary
に は30周 年 を 記 念 して 再 提 唱 さ れ た 。
ハ ン ガ リー 東 ヨ ー ロ ッパ の 共 和 国 。 首 都 ブ ダ ペ ス ト(Budapest) 。 マ ジ ャ ー ル 人
(Magyars) が1001年 ( 〓Ottoman
Empire)
に 建 国 し た が 、15世
紀 中 頃 以 来 オ ス マ ン ・ トル コ
の 支 配 下 に 入 っ た 。17世
紀 末 に オ ース トリアの ハ プス ブ
ル ク (Habsburg) 家 に 支 配 さ れ る よ う に な り、1867年 帝 国 ( 〓Austro-Hungarian I)後 の1918年 革 命 (Hungarian
オ ー ス ト リ ア ・ハ ン ガ リー
Empire) が 誕 生 した 。 第1次
、 ロ シア革 命 ( 〓Russian Revolution)
Revolution)
世 界大 戦 ( 〓World
War
の 影 響 を 受 け た ハ ン ガ リー
で オ ース トリア か ら分離 独 立 。 共 和 国 とな って 社
会 主 義 政 策 を 進 め た が 、 国 内 の 反 乱 や イ ギ リス ・フ ラ ン ス の 干 渉 に よ っ て 政 府 が 倒 れ 、20年
に 再 び 王 制 が 復活 し た 。 第2次
世 界 大戦 ( 〓World
War
II)で は ドイ
ツ側 に つ い た が 、45年
ソ 連 に 占領 さ れ 、 戦 後46年
王制 を廃 して共 和 国 に な っ た。
49年 に 新 憲 法 が 制 定 さ れ 、 人 民 共 和 国 に 移 行 。56年 を 求 め る 民 衆 が 蜂 起 、 ハ ン ガ リー 動 乱 (Hungarian が 、 ソ連 軍 に よ っ て 鎮 圧 さ れ た 。68年
反 ス ター リ ンを 掲 げ て改 革 National
Rising) が 発 生 し た
頃 よ り社 会 主 義 体 制 の 枠 内 で 市 場 原 理 を
導 入 し た り、 対 外 経 済 解 放 を す る な ど、 東 欧 革 命 の 先 駆 者 と い わ れ た 。89年 、 一 党 独 裁 と共 産 主 義 か ら の 訣 別 を 宣 言 し共 和 国 と な る 。2004年 に は欧 州 連 合 (EU:
〓European
Union) に 加 盟 し た 。
〓p.278図
解1「 ベ ル サ イ ユ体制 下 の ヨー ロ ッパ」
〓p.328地
図〓 ( 現代 の 世界[国 名 と地 図])
Huskisson,
William(1770∼1830)
ハスキソン
イ ギ リス の政 治 家 。 少 年 時 代 パ リへ 行 き、 フ ラ ン ス 革 命 (〓French
Revolution)
の 後96年
に 同 調 。1790年
局 総 裁 (1814) を 歴 任 し 、 さ ら に1823年 (〓Free
Trade)
(〓Canning, Arthur
駐 仏大 使 秘 書 を経 て帰 国 し、 陸軍 次 官
に は 下 院 議 員 に 選 出 さ れ た 。 財 務 長 官 (1804∼05、1807∼09) ∼27年
を主 張。 航 海 条 例 改 正 や 関 税 の 低 減 を行 い、 カ ニ ン グ
George)
の 死 後 植 民 相 と な っ て ウ ェ リ ン ト ン (〓Wellington,
Wellesley) 内 閣 に 留 ま っ た もの の 、 意 見 の 相 違 か ら28年 辞 職 。 リ バ プ ー
ル (Liverpool) と マ ン チ ェ ス タ ー (Manchester) 死 の 第1号 Hussein,
、林野
商 務 院総 裁 とな り 自由 貿 易 政 策
を結 ぶ鉄 道 の開 通 式 で 、 列車 事 故
とな って し まった。
Saddam(1937∼2006)
サ ダ ム ・フ セ イ ン
イ ラ クの政 治家 、 大統 領 ( 任1979∼2003) 大 統 領 に な る と、1980年
。 バ ア ス党 に所 属 、
に イ ラ ン ・ イ ラ ク戦 争 ( 〓Iran-Iraq
年 に は ク ウ ェ ー ト(Kuwait) に 侵 攻 す る が 、 湾 岸 戦 争 (〓Gulf
War) を 始 め 、90 War) の 多 国 籍 軍 に
よ り撤 退 さ せ ら れ た 。 独 裁 者 と し て 知 ら れ 、 ク ル ド人 ( 〓Kurd) 殺 した 。2003年
を 化 学兵 器 で虐
、大 量 破壊 兵 器 や テ ロ な ど を理 由 に ア メ リカ軍 な どが イ ラ クを
攻 撃 、 政 権 は 崩 壊 した 。 イ ラ ク高 等 法 廷 で 死 刑 判 決 を 受 け 、 処 刑 さ れ た 。
I IAEA
国際原 子 力機 関
〓International
Ibn
Atomic
Saud(1880∼1953)
Energy
Agency
イ ブ ン ・サ ウ ド サ ウ ジ ア ラ ビ ア 初 代 国 王 (位1932∼53)
。 ナ ジ ド (Nejd:
中央 ア ラ
ビ ア )の 旧 王 族 出 身 。 こ の 地 方 で か つ て の サ ウ ド家 に 代 わ っ て 勢 力 を も っ て い た イ ブ ン
・ ラ シ ー ド (Ibn Rashid)
世 界 大 戦 (〓World (〓Hejaz)
War
を 破 り 、24年
国 (Hejaz
and
Nejd)
と 改 称 し た 。 第2次 ラ ブ 連 盟 (〓Arab
家 を 破 り、 中 部
・ 東 部 ア ラ ビ ア を 平 定 。 第1次
I) で は 連 合 国 側 に つ い た 。1919年 に は メ ッ カ (Mecca)
建 国 。 国 名 を32年 世 界 大 戦 (〓World
League)
を 占 領 。27年
ヒ ジ ャ ズ 王 国
ヒジ ャズ
・ ナ ジ ド王
に サ ウ ジ ア ラ ビ ア 王 国 (〓Saudi War
II)中 は 中 立 を 保 つ が 、45年
Arabia) に は ア
に 加 入 し 、 対 米 協 調 政 策 を と っ た 。 こ れ に は 、38年
国 内 に原 油 が 発 見 さ れ た こ とで 、 ア メ リ カ か らの 技 術 導 入 を 図 る意 図 が 含 まれ て い た。 〓Saudi
IBRD
Arabia
国際 復興 開 発銀 行
〓International
ILO
Reconstruction
Labour
Organization
Labour
Party
独 立労 働党
〓Independent
IMF
for
国際 労働 機 構
〓International
ILP
Bank
国 際通 貨 基金
and
Development
〓International
Imperialism
Monetary
Fund
帝 国 主義 1870年
代 以 降 、 資 本 主 義 が 高 度 に 発 達 し 、 独 占 と金 融 資 本 の 支
配 が形 成 され 、国 家権 力 を背景 に経済 的 を 指 す 。19∼20世
・政 治 的 に 後 進 地 域 に 進 出 す る 国 家 活 動
紀 に か け て 、 欧 米 列 強 や 日本 に よ っ て ア ジ ア
・ ア フ リカ 地 域
が 国 家 進 出 の 目標 とな っ た。特 に、 この帝 国 主 義 が時 代 の 支配 原 理 に あ た っ た 1880年
か ら 第1次
(Age
of Imperialism)
Independent
世 界 大 戦 (〓World
Labour
War
I) ま で の こ と を 「帝 国 主 義 の 時 代
」な ど と も い う 。
Party(ILP)
独立 労 働 党 イ ギ リ ス 最 初 の 労 働 者 政 党 。1889年
の 港 湾労 働 者 らに よ るロ ン ドン 契 機 と し て 形 成 さ れ 、93年 れ た 。 「生 産 the
means
・分 配
ン 協
(〓Hardie,
James
Dock
distribution,
and
Society)
や 社
会 民
と と も に 労 働 党 (〓Labour
exchange)
ownership
of
」を 唱 え た が 、 二 度 の 総
主 連 盟 (SDF:
Party)
Strike) を
Keir) ら を 中 心 に 創 設 さ
に は 労 働 代 表 委 員 会 を 結 成 し 、06年
会 (Fabian
Federation)
ハ ー デ ィ
・ ス ト ラ イ キ (London
・交 換 の す べ て の 手 段 の 社 会 的 所 有 (collective
of production,
選 挙 に 大 敗 し た 。1900年 ビ ア
・ ドック
社会 主 義 団 体 の フ ェ Social
Democratic
を 成 立 させ た 。 そ の 後 、 労 働 党 左
派 を 形 成 した が 、 次 第 に 少 数 派 と な っ て い く。
India
イ ン ド ア ジ ア 南 部 の 共 和 国 。 イ ン ド 半 島 を 占 め 、 東 は ベ ン ガ ル (Bengal)
西 は ア ラ ビ ア 海 (Arabia ニ
ュ ー デ
リ ー
(〓Mughal
(New
Empire)
Sea) 、 南 は イ ン ド 洋 (Indian Delhi)
。 中 世
Mutiny)
帝 国 (Indian
Empire)
India
Company)
世 界 大 戦 (〓World
Karamchand)
National
、 ネ ル ー (〓Nehru,
War
ン に 分 離 独 立 。50年1月
が 、60年
セ ポイ の乱 イ ン ド
I) 前 後 か ら 独 立 運 動 が 活 発 化 。
Congress) Pandit
帝 国 主 義 的 国 民 解 放 運 動 が 展 開 し た 。1947年8月15日
Rajendra)
が 進 出 。1857年
を 設 立 。 イ ギ リ ス 国 王 が イ ン ド皇 帝 を 兼 ね る 直 轄 支 配 を
ド 国 民 会 議 派 (〓Indian
Mohandas
以 降 ム ガ ー ル 帝 国
を 鎮 圧 し て ム ガ ー ル 帝 国 を 滅 ぼ し た イ ギ リ ス は 、77年
行 っ た 。 そ の 後 、 第1次 イ ン
ド で は1526年
湾 、
を臨 む。 首 都 は
に よ る イ ス ラ ム 支 配 が 行 わ れ て い た が 、17世 紀 に な る と ヨ ー
ロ ッ パ 列 強 の 東 イ ン ド 会 社 (〓East (〓Indian
イ ン
Ocean)
の ガ ン ジ ー Jawaharlal)
(〓Gandhi, らに よ って反
、 イ ン ド連 邦 と パ キ ス タ
新 憲 法 の 発 布 に よ っ て 共 和 国 に 移 行 。 プ ラ サ ド (Prasad,
大統 領 、 ネ ル ー首 相 の体 制 が確 立 した。 非 同盟 中立 外 交 を とって い た 頃 の 中 国 との 国 境 紛 争 か ら 親 ソ 路 線 に 傾 い て い た と い わ れ る 。 隣 国 パ
キ ス タ ン と は 独 立 以 来 、 カ シ ミ ー ル 地 方 の 帰 属 問 題 (〓Kashmir
Dispute)
を め
ぐ っ て 紛 争 が 重 な り、71年
に は 第3次
イ ン ド・パ キ ス タ ン戦 争 ( 〓India-Pakistan
War) を 起 こ し、 東 パ キ ス タ ン (East Pakistan) が バ ン グ ラ デ シ ュ 人 民 共 和 国 と し て 独 立 し た 。74年 方 (〓Punjab) (〓caste
核 開 発 に成 功 し、 第6番
め の核 保 有 国 とな る。 パ ンジ ャブ地
を 舞 台 に 続 く シ ー ク 教 (Sikhism) の テ ロ 活 動 、 カ ー ス ト 制 度
system) 、 人 口 爆 発 、 多 宗 教 混 在 な ど多 くの 難 題 を か か え て い る。91
年 爆 弾 テ ロ に よっ て ラ ジ ブ ・ガ ン ジ ー ( 〓Gandhi,
Rajiv)首 相 暗 殺 事 件 が 発 生 した 。
90年 代 よ り経 済 自 由 化 政 策 を 推 進 し て い る 。 〓p.331地 India
Act
図〓 ( 現 代 の世 界[国名 と地図]) イ ン ド統 治 法
〓Government Indian
of India Act
Mutiny(1857)
セ ポ イの乱 1857年
、 イ ギ リ ス 東 イ ン ド会 社 ( 〓East
India
Company)
の 傭 兵 (sepoys) が 起 こ し た 反 乱 に は じ ま る イ ン ドの 反 英 戦 争 。 農 民 大 衆 ま で も 参 加 して 、 イ ン ド全 域 に広 が る大 反 乱 と な っ た 。 イ ギ リ ス 軍 に よ っ て59年 鎮 圧 、 イ ン ド ・ ム ガ ー ル 帝 国 (〓Mughal
Empire) は 滅 び た 。 以 後 、 イ ギ リ ス は 東 イ ン
ド会 社 を 解 散 して 本 国 政 府 に よ る イ ン ドの 直 接 支 配 を 開 始 した 。 〓India Indian
National
Congress
イ ン ド国 民 会 議 派 イ ン ド最 大 の 政 党 。1885年
( 〓Gandhi,
Mohandas
Karamchand)
ギ リ ス か ら の 独 立 へ 導 い た 。1947年 Jawaharlal)
の創 立 以 後 、 ガ ン ジ ー
の 指 導 の も と民 族 解 放 運 動 を展 開 し、 イ の独 立以後、 ネ ルー
(〓Nehru,
Pandit
を 首 相 と し て 政 府 与 党 と な る。 一 時 政 権 を ゆ ず っ た が 、 現 在 は連 立
政 権 の 第 一 党 と して 政 権 を 担 当 し て い る。 〓India India-Pakistan
War(1947∼48,
1965, 1971) イ ン ド ・パ キ ス タ ン 戦 争 印 パ 戦 争 と も い う。1947年
キ ス タ ン の 両 国 に よ っ て 、3度 < 第1次
>1947年
∼48年
に 分 離 独 立 し た イ ン ド、 パ
に わた っ て争 わ れ た戦争 。
: イ ン ド とパ キ ス タ ン が イ ギ リス か ら独 立 す る際 、 カ
シ ミール 地 方 の帰属 問 題 ( 〓Kashmir
Dispute) を め ぐ っ て 交 戦 した 。 国 連 調 停 に
よ っ て 停 戦 ラ イ ン が 設 け られ カ シ ミ ー ル 地 方 を 分 断 。 < 第2次
>1965年
:イ ン ド側 カ シ ミ ー ル で 起 き た 紛 争 が 原 因 。
< 第3次
>1971年
:パ キス タ ン 政 府 に 対 して 東 パ キ ス タ ン (East Pakistan) の 自
治 を 求 め る ア ワ ミ連 盟 (Awami
League) が 武 力 抗 争 を起 こ し、 イ ン ドが これ を支
持 し た た め 両 国 の 全 面 戦 争 に 発 展 。 イ ン ドが 勝 っ て 、 東 パ キ ス タ ン が バ ン グ ラ デ シ ュ として独 立 した。 〓Bangladesh 〓India 〓Pakistan Indo-China
イ ン ド シナ イ ン ドと中 国 の 中間 に位 置 す るア ジ ア南 東 の 半 島部 の 名称 。 東
を 南 シ ナ 海 (South China
Sea) 、 西 を ベ ン ガ ル 湾 (Bay of Bengal) に 囲 ま れ て い
る。古 来 中 国 とイ ン ドの 影 響 を 強 く受 け た 。19世 紀 以 来 西 欧 列 強 の 介 入 が あ っ た 。 18世 紀 よ りイ ン ド経 営 を 進 め て き た イ ギ リス は 、 シ ン ガ ポ ー ル を 拠 点 に マ レ ー (Malay) 半 島 の 植 民 地 化 を す す め 、 ビ ル マ (〓Burma: を イ ン ド帝 国 (Indian Empire) 望 み 、19世
現 ミ ャ ン マ ー 連 邦 )全 土
の 一 部 に し た 。 一 方 、 フ ラ ン ス は 中 国 との 通 商 を
紀 中 頃 か ら ベ トナ ム 植 民 地 化 に 着 手 。 現 ベ トナ ム 、 タ イ 、 ラ オ ス を
フ ラ ン ス 領 イ ン ドシ ナ ( 〓French
Indo-China)
と し た 。 こ う した 列 強 に よ る分 割
が 、 現 在 の独 立 国 間の 関 係 に も深 い影 響 を及 ぼ して い る。 〓p.332地 Indo-China
図〓 ( 現代 の世 界[国 名 と地 図]) War(1946∼54)
イ ン ドシ ナ 戦 争 第2次
世 界 大戦 ( 〓World
War
II)後 の イ ン ドシ ナ 支 配 を
も く ろ む フ ラ ン ス と、 ベ トナ ム 民 主 共 和 国 (Democratic との 戦 争 。1945年
Republic
日本 軍 が 降 伏 す る と、 民 族 統 一 戦 線 ( 〓Viet
を主 導 して抗 日武装 活 動 を展開 して いた ホー ・チ ・ ミン ( 〓Ho
of Viet Nam)
Minh: Chi
ベ トミン) Minh)
は、
自 ら 大 統 領 と な っ て ベ トナ ム 民 主 共 和 国 を 樹 立 。 ベ トナ ム 植 民 地 支 配 の 復 活 を 目 指 す フ ラ ン ス が 進 駐 し て こ れ に 対 立 し た た め 、 翌46年12月 入 し た 。47年
両 国 は全 面 戦 争 に突
頃 か ら は ア メ リ カ 軍 が フ ラ ン ス を 支 援 し た が 、 ベ トナ ム 解 放 軍 の
反 撃 も激 し く、 国 際 世 論 が 不 利 に 傾 き つ つ あ っ た フ ラ ン ス は 次 第 に 休 戦 を 望 む よ う に な る。54年5月
、 デ ィエ ン ビエ ン フーの戦 い ( 〓Dien
で フ ラ ン ス 軍 が 敗 退 し た の を 機 に 、7月 Agreements)
Bien
Phu,
Battle
of)
ジ ュ ネ ー ブ 協 定 (〓Geneva
が 成 立 、 戦 争 は 終 結 し た 。 こ の 協 定 に よ っ て 、 ベ ト ナ ム は 北 緯17
度 線 を境 に南 北 に分 断 され た。 〓French 〓Viet
Indonesia
Indo-China(
フ ラ ン ス領 イ ン ド シ ナ)
Nam
イ ン ドネ シア ア ジ ア南 東 部 の 共 和 国 で、 マ レー
(Malay) 諸 島 の 大 部 分 を 占 め る。
首 都 は ジ ャ カ ル タ (Jakarta)。17世 東 イ ン ド( 〓Dutch
East
紀 以 来 オ ラ ン ダの 植 民 地 と な り、 オ ラ ン ダ領
Indies) と呼 ば れ る 。 第2次
中 、 日本 軍 の 占 領 下に お か れ た が 、1945年
世 界 大 戦 (〓World
日 本 が 敗 戦 す る と8月17日
War
II)
独 立 を宣
言 、 共 和 国 とな る。 しか し 、 オ ラ ン ダ は こ れ を 認 め ず 植 民 地 化 を復 活 させ よ う と し た た め 、 大 統 領 と な っ た ス カ ル ノ (〓Sukarno,
Achmed)
に オ ラ ン ダ の 傀 儡 政 権 に 対 し て 抗 争 を 続 け た 。49年 Table the
Conference Netherlands)
し た 。63年
内 の 連 邦 共 和 国 と して 主 権 を 獲 得 。54年 of Malaysia)
of
に は完 全独 立 を果 た
の 成 立 に 反 対 し、65年
国
Nations) か ら脱 退 す る な どの 急 進 外 交 を展 開 した が 、67年
に
ス カ ル ノは失 脚 した。 政 権 は ス ハ ル ト( 〓Suharto, 南 ア ジ ア 諸 国 連 合 (ASEAN: さ れ て い る。2004年
ハ ー グ 円 卓 会 議 (Round-
in the Hague) で 、 オ ラ ン ダ ・ イ ン ドネ シ ア 連 合 (Union
マ レ ー シ ア連 邦 (Federation
際連合 ( 〓United
は 、 国際 世論 を背 景
Association
General) に 移 行 し、 同 年 東
of South-East
に 国 軍 出 身 の ユ ドヨ ノ (Yudhoyono,
Asian
Nations) が 結 成
Susilo
Bambang)
が大
統 領 に就 任 して い る 。 〓p.332地 Industrial
図〓 ( 現代 の 世界[国 名 と地 図])
Relations
Act(1971)
労使 関係 法 イ ギ リ ス の ヒ ー ス (〓Heath,
Edward
George) 首 相 率 い る 保 守 党 政 権 下 の 労 働 組 合 対 策 の ひ とつ 。1970年
Richard の ヒー ス政
権 発 足 当 初 、 労 働 組 合 は一 斉 に 賃 上 げ ス トを 行 い 、 そ れ と と も に物 価 も 上昇 。 小 売 物 価 上 昇 率 は70年 度6.4% か ら71年 度9.4% 移 行 が71年
と な っ た。 ち ょ う ど、 十 進 法 へ の
だ っ た こ とか ら 、 便 乗 値 上 げ も続 出 。 イ ン フ レ ・生 産 力 低 下
・失業
率 増 大 が 同 時 進 行 す る ス タ グ フ レ ー シ ョ ン に突 入 し た た め 、 政 府 は 労 働 組 合 規 制 に 強 く乗 り 出 し た。 労 使 関 係 法 の 法 案 に は 、 労 使 紛 争 の 際 に 単 一 交 渉 制 を 導 入 、 ス トに お け る組 合 員 投 票 の 義 務 化 、登 録 制 度 を 設 け て 組 合 を必 ず 登 録 させ る こ と、 な どが 盛 り込 ま れ た 。 労 働 組 合 の 反 発 も 多 か っ た が 、71年8月6日 即 効 性 に は 乏 しか っ た 。 後74年
、 第3次
ウ ィル ソ ン ( 〓Wilson,
政 権 に な る と、 こ の 法 律 を 廃 す る た め の 労 働 組 合 Relations Industrial
成 立 。 た だ し、 Harold) 労 働 党
・ 労 働 関 係 法 (Industrial
Act) が 成 立 した 。
Revolution
産 業革 命 18世 紀 後 半 に イ ギ リ ス で は じ ま り、 約1世
紀 間 で ヨー
ロ ッ パ 各 国 ・北 米 に 波 及 した 、 工 業 生 産 に お け る技 術 革 新 と社 会 組 織 の 変 革 。 近 代 資 本 主 義 社 会 の 確 立 を も た ら した 。 イ ギ リ ス で は 紡 績 機 の 発 明 な ど木 綿 工 業 関 連 の 技 術 革 新 か らは じ ま り、蒸 気 機 関 の 完 成 が 工 場 の 動 力 や 交 通 機 関 に応 用 さ れ 、 軍 需 工 業 、工 作 機 械 な どの 各 分 野 に波 及 。同 時 に 都 市 へ の 人 口 集 中 や 流 通 の 変 革 、 第2次
エ ン ク ロ ー ジ ャ ー
(〓Enclosures)
に 見 ら れ る よ う な 農 業 革 命
(〓Agricultural
Revolution)
を と も な っ た 。 イ ギ リ ス の 産 業 革 命 は19世
紀 前半
に は 終 わ り、 次 い で フ ラ ン ス 、 ア メ リ カ 、 ドイ ツ な ど に 広 が っ て い っ た 。
Industry,
Nationalization
of 産 業 の 国 有 化 イ ギ リス に お け る労 働 党 (〓Labour
に も とづ く政 策 。 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I)末 期 、1918年
Party)綱 領 制 定 の労 働 党
規約 に、「 生 産 手 段 の 共 有 」と「各 産 業 ・ サ ー ビ ス の 民 主 的 管 理 と統 制 」が 明 記 さ れ 、 ア ト リー
( 〓Attlee,
Clement
Richard) 労 働 党 政 権 に お い て 顕 著 に 実 現 さ れ た 。
す な わ ち 、 副 首 相 モ リ ソ ン (Morrison,
Herbert
Stanley) を 中 心 に 、45年
か ら49
年 に か け て 、〓 イ ン グ ラ ン ド銀 行 〓 民 間 航 空 〓 石 炭 〓 電 信 ・電 話 〓 鉄 道 ・ 運 輸 〓 電 力 〓 ガ ス 〓 鉄 鋼 の8大
基 幹産 業 が 国有 化 に至 っ た。 国 有 化 に よ っ
て 、 完 全 雇 用 や 安 全 の 確 保 ・地 位 向 上 な ど 、 労 働 者 階 級 に 利 益 が も た ら さ れ 、 さ ら に は 企 業 の 合 理 化 ・サ ー ビ ス の 質 向 上と料 金 の 低 廉 化 に 通 ず る と い う の が 、 労 働党 の主 張。 後 のサ ッチ ャー 業 の 民 営 化 (Privatization
( 〓Thatcher,
Margaret
Hilda) 保 守 党 政 権 下 で 産
of Industry) とい う大 き な 揺 り も ど しが く る こ と に な
る。 〓Industry, Industry,
Privatization
Privatization
of(産 業 の 民 営 化 )
of 産 業 の 民 営 化 イ ギ リ ス の 保 守 党 的 原 理 に も と づ く政 策 。 特 に
1979年
か ら の サ ッチ ャ ー
( 〓Thatcher,
Margaret
Hilda) 保 守 党 政 権 下 で 大 胆 な
民 営 化 が 行 わ れ た 。 小 さ な 政 府 の 下 、 国 民 の 多 く を私 的 企 業 で 働 か せ 自 由 競 争 原 理 を 導 入 。 彼 ら に は 自社 株 を保 有 させ 、 自 分 の 持 ち家 に 住 ま わ せ る 。 そ し て 、 福 祉 や 教 育 、 そ の 他 地 方 行 政 サ ー ビ ス に 関 し て も、 自助 努 力
・ 自己 負担 に委 ね る、
と い う の が い わ ゆ る サ ッ チ ャ リ ズ ム の 理 想 と す る 大 衆 資 本 主 義 像 で あ る 。79年 以 来20社 約6万
ほ ど の 国 営 企 業 を 民 営 化 して お り、 これ は 全 国 営 部 門 の45%
人 の 従 業 員 を 対 象 に す る と い う 規 模 。 実 際87年
にあたる
か ら88年 頃 は 、 経 済 が 活
況 を 呈 し、 失 業 率 も 減 少 、 税 収 の 伸 び で 財 政 も黒 字 に 転 じ た。 し か し、88年 半 か ら は イ ン フ レが 再 発 し、 公 定 歩 合 を15% 〓Industry, Inflation
Nationalization
後
に 引 き上 げ る結 果 とな っ た 。
of(産 業 の 国 有 化 )
インフレ あ る 一 定 期 間 に わ た る 一 般 物 価 水 準 の 持 続 的 上 昇 の こ と。 他 方 、 貨
幣 価 値 に 着 眼 す る な ら ば 、 あ る一 定 期 間 に わ た る 貨 幣 価 値 の 持 続 的 低 下 と も い え る。 歴 史 的 に は 第1次 1923年
世 界 大 戦 (〓World
War
フ ラ ンス に よっ て ルー ル地 方 ( 〓Ruhr:
さ れ た 際 に は 、 貨 幣 価 値 が1914年
の1兆
分 の1に
I) 後 の ド イ ツ が 特 に 有 名 で 、 ドイ ツ 北 西 部 の 工 業 地 区 )が 占 領 下 落 した。
INF,
Treaty
of(1987)
中距 離核 戦 力全廃 条約 1987年
締 結 。81年
に 交 渉 が 開 始 さ れ 、87年12月
の ワシ
ン ト ン に お け る 米 ソ 首 脳 会 談 で 調 印 さ れ た 。 地 上 発 射 の 中 距 離 核 戦 力 (INF: Intermediate-range
Inter-American
Nuclear
Treaty
of
Force)
廃 棄 に関 す る条 約 。
Reciprocal
Assistance(1947)
米 州相 互援 助条 約
別 称 リ オ条 約 (Rio Pact) と も い わ れ る 。1947年
、 リオ デ ジ ャ ネ イ ロ (Rio de Janeiro) で 調 印 され た 、 米 州 ( 南
北 ア メ リ カ 諸 国 )の 相 互 理 解 と紛 争 解 決 、 集 団 安 全 保 障 を 図 る こ とを 目 的 と して い る 。 そ の 第3条
に 「米 州 の 一 国 に対 す る侵 略 は 米 州 全 体 に対 す る も の とす る 」と
され て い るが 、82年 の フ ォ ー ク ラ ン ド紛 争 ( 〓Falkland
War) の 際 に 、 ア メ リ カ
合 衆 国 は 同 じ米 州 で あ る に もか か わ ら ず ア ル ゼ ン チ ン に 敵 対 的 態 度 を 示 し た た め 、 中 南 米 諸 国 よ り強 い 非 難 を う け た 。 〓Organization
International
of American
Atomic
Energy
States( 米 州 機 構 )
Agency(IAEA)
国際 原子 力機 関
原 子 力の平 和利 用 の促 進 と指 導 、 軍 事 転 用 防 止 を 目的 と す る国 際 機 関 。1957年
の 国 連 (UN:
〓United
Nations) 総 会 で 設 立 さ れ た。 技 術 援 助 、 安 全 基 準 の 策 定 な ど を 行 う。 原 子 力 施 設 の 設 計 ・審 査 、 核 燃 料 の 数 量 確 認 、 立 ち入 り査 察 とい っ た保 障 措 置 を実 施 、 違 反 国 に は 是 正 勧 告 、 制 裁 措 置 も 行 う。 独 自 の 憲 章 を 持 ち 、2009年
現 在 、144カ
国 が加盟 。
International
Bank
for
Reconstruction
and
Development(IBRD)
国際 復
興 開発銀 行
世 界 銀 行 の こ と。 〓World
Bank
International
Congress
of
Socialists
国際社 会 主義者 大会 第2イ
International)
と も い う 。19世
ン タ ー ナ シ
ョ ナ ル (Second
紀 末 の 経 済 恐 慌 を 背 景 に 、1889年
パ リで 結 成 。
各 国 独 自 の 運 動 に よ る 緩 や か な 連 合 体 と して 活 動 し、 中 心 とな っ た の は ドイ ツ社 会
民
主
Democratic 拡 大 し 、 第1次
党 (SPD: Party
Sozialdemokratische
of Germany)
世 界 大 戦 (〓World
正 した 民 主 的 社 会 主 義
Partei
Deutschlands/Social
。 穏 和 な改 革 政 策 や 国 民 主 義 傾 向 に よ り勢 力 を War
I) 前 に は マ ル ク ス 主 義 (Marxism)
・ 日 和 見 主 義 の 傾 向 が 強 く な っ て い っ た 。 第1次
を修
世界 大 戦
勃 発 と と も に 、 各 国 の 社 会 主 義 政 党 は 自国 政 府 の 戦 争 遂 行 策 を 支 持 し、 愛 国 主 義 的 立 場 へ 転 換 し た た め 、 連 合 は 崩 壊 し た 。 戦 後 は1920年
に再 建 され 、 現 在 の社
会 主 義 イ ン タ ー ナ シ ョナ ル へ 発 展 し た 。 〓Internationals International
Court
of Justice
国際 司 法裁 判 所 国際 連 合 ( 〓United
機 関 。 オ ラ ン ダ の ハ ー グ (〓Hague, of Nations)
Nations) 付 属 の 国 際 司 法
The) に あ る 。1946年
、 国 際 連 盟 (〓League
か ら国 際 連 合 に 代 わ っ た の に 伴 い、 常 設 国 際 司 法 裁 判 所
(〓Permanent
Court
of International
Justice)の 終 身 と して 設 立 さ れ た 。 国 際
連 合 加 盟 国 間 の 紛 争 審 理 や 調 停 を 扱 う の だ が 、 非 加 盟 国 に は 及 ば な い。 判 事 は 国 連 総 会 と安 全 保 障 理 事 会 (UNSC: た15名 か ら成 り、1国1名 International
Labour
United
Nations
Security
Council) で 賛 意 を 得
以 内 と さ れ て い る。
Organization(ILO)
国際 労働 機 構 ベ ルサ イ ユ条 約 ( 〓Versailles,
Treaty
of)の 規 定 に よ り、1919年
て 設 立 さ れ 、64年
国 際連 盟 ( 〓League
国 際 連 合 (〓United
Nations)
of Nations) の 一 機 関 と し
と協 定 を 結 び 専 門 機 関 の ひ とつ
と な っ た 。 本 部 は ス イ ス ・ ジ ュ ネ ー ブ (Geneva) に あ り、 加 盟 国 は182(2008年 6月 現 在 )。 世 界 各 国 の 労 働 条 件 の 改 善 と 、 労 働 者 の 地 位 向 上 を 目 指 し て い る。 69年 、世 界 平 和 へ の 貢 献 か ら ノ ー ベ ル 平 和 賞 (Nobel Peace
Prize)が 与 え られ た 。
日 本 は 設 立 当 初 よ り加 盟 し て い た が 、 国 際 連 盟 脱 退 な ど で38年ILOも しか し 、51年 International
に は再 加 盟 し、54年 か ら はILO常
Monetary
Fund(IMF)
脱 退 した 。
任 理 事 国 入 り を果 た して い る。
国 際通 貨基 金 国 連 (UN:
〓United
Nations) の 専 門
機 関 の ひ とつ 。 世 界 銀 行 ( 〓World
Bank) と と も に1944年
定 (〓Bretton
で 定 め られ た国 際通 貨 ・金 融 の協 力 機構 。発
足 当 初29カ
Woods
Agreement)
国 だ っ た 加 盟 国 の 数 は192カ
シ ン トンDC。
の ブ レ ト ン ・ウ ッ ズ 協
国 (2007年 )。 本 部 は ア メ リ カ の 首 都 ワ
加 盟 国 は そ の 経 済 力 、 貿 易 規 模 な ど に 応 じて 割 当 額 が 決 定 さ れ 、
こ れ に 従 っ て 国 際 通 貨 基 金 側 に 出 資 払 込 み を 行 う。78年 、 主 要 各 国 が 変 動 相 場 制 に 移 行 す る と、 そ の 役 割 に も 変 化 が 現 れ た 。 つ ま り、 石 油 危 機 (〓Oil
Crisis)
後 は 国 際 収 支 困 難 に 陥 っ た 非 石 油 産 出 発 展 途 上 国 に 資 金 供 給 を 行 い 、80年 代 に は 累 積 債 務 返 済 困 難 な 発 展 途 上 国 を 救 済 、90年
代 に 入 る と、 東 欧 や 旧 ソ連 の 市
場 経 済 導 入 に 主 導 的 役 割 を 担 う と い っ た 具 合 で あ る。
Internationals
イ ン タ ー ナ シ ョナ ル 社 会 主 義 者 の 国 際 的 組 織 で 、 プ ロ レ タ リ ア ー ト (proletariat:
働 者 階 級 )の 団 結 と 解 放 を 目 的 と して 、19世 (1) 第1イ
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル (1864∼76)
(2) 第2イ
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル (1889∼1914)
(3) 第3イ
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル (1919∼43)
労
紀 以 来 た び た び 結 成 さ れ て い る。 :国 際 労 働 者 協 会 :国 際 社 会 主 義 者 大 会 : コ ミ ン テ ル ン (共 産 主 義 イ ン タ ー ナ
シ ョナル ) (4) 第4イ
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル (1947∼56)
〓(1)International
Workingmen's
〓(2)International
Congress
:コ ミ ン フ ォ ル ム (共 産 党 情 報 局 )
Association of
Socialists
〓(3)Comintern 〓(4)Cominform
International
Workingmen's
Association
国 際 労働 者 協会 第1イ
International)
と も い う 。1863年
が ロ ン ド ン に 開 か れ 、 翌64年
ン タ ー ナ
シ
ョ ナ ル (First
の ポ ー ラ ン ド独 立 反 乱 弾 圧 を 契 機 に 、 抗 議 集 会
結 成 さ れ た 。 マ ル ク ス (〓Marx,
Karl
Heinrich)
が
創 立 宣 言 と 規 約 を 起 草 し た 。 し か し 、 思 想 的 多 様 性 か ら 内 部 対 立 も 激 し く 、71 年 パ リ
・ コ ミ ュ ー ン (〓Paris
Michael)
Commune)
失 敗 後 、 バ ク ー ニ ン (〓Bakunin,
派 除 名 に ま で 至 っ た 。 事 実 上 の 活 動 力 を 失 い 、76年
解 散 され た。
〓Internationals
Intifada
イ ンテ ィフ ァー ダ 1987年
以 降 イ ス ラ エ ル (〓Israel)
ら れ て き た 投 石 な ど に よ る ア ラ ブ (パ レ ス チ ナ 2000年
秋 か ら の 蜂 起 は 第2次
ダ :Al-Aqsa
IRA
Intifada)
占 領 地 の ガ ザ (Ghaza) :〓Palestine)
地 区 で 続 け
人 に よ る抗 議 運 動 。
イ ン テ ィ フ ァ ー ダ (ア ル ・ア ク サ ー ・イ ン テ ィ フ ァ ー
と呼 ば れ る 。
ア イ ル ラ ン ド共 和 国 軍
〓Irish
Iran
Republican
Army
イラ ン ア ジ ア 南 西 部 の 共 和 国 。18世
紀 後 半 以 降 、 イ ラ ン建 国 ま で は ペ ル シ ャ
(Persia) と 呼 ば れ て い た 。 西 は トル コ と イ ラ ク 、 東 は ア フ ガ ニ ス タ ン 、 パ キ ス タ ン 、 北 は ト ル ク メ ニ ス タ ン に 接 し 、 カ ス ピ 海 (Caspian ン (Teheran)
。 イ ラ ン 人 の 祖 で あ る メ デ ィ ア 人 (Media)
Sea) に 臨 む 。 首 都 テ ヘ ラ が 紀 元 前700年
頃 に帝 国
を 建 国 して 以 来 、さ ま ざ ま な 国 々 の 興 亡 が 繰 り広 げ られ て き た 。19世 紀 に 入 る と、 ロ シ ア と イ ギ リ ス の 侵 略 を 受 け 、1919年 界大 戦 ( 〓World
War
イ ギ リ ス の 保 護 国 とな っ た 。 第1次
I)後 の25年 、 元 コ サ ッ ク兵 団 (Cossack:
世
ロシ ア辺 境 地の
戦 士 集 団 )の 士 官 レ ザ ー ・シ ャ ー (Reza Shah) が パ ー レ ビ ー (Pahlavi)朝 を 樹 立 し、 35年 イ ラ ン と国 称 し た 。 第2次
世界 大 戦 ( 〓World
War
II)中 の41年
、子 の モハ
メ ッ ド ・パ ー レ ビ ー (Mohammed
Reza
よ っ て 一 時 国 外 へ 追 わ れ た 。53年
ア メ リカの 支 援 で 復 帰 し、 急速 な近 代 化路 線
を進 ん だ ものの 、 石油 危 機 ( 〓Oil 国 家 の 樹 立 を 目 指 して 起 き た79年 壊 し、 ホ メ イ ニ 師 (Khomeini,
Crisis)で 挫 折 。 イ ス ラ ム 教 指 導 者 に よ る 近 代 の イ ラ ン 革 命 (Iranian Revolution)
で王 朝 は崩
Ayatollah) 主 導 の 共 和 制 へ 移 行 した 。80年
イ ラ ン ・ イ ラ ク戦 争 (〓Iran-Iraq ネ イ (Khamenei,
Pahlavi) が 即 位 した が 、 民 族 主 義 勢 力 に
War) が 勃 発 。89年
∼88年
ホ メイ ニ師 が 死 ん で、 ハ メ
Ayatollah) が 最 高 指 導 者 の 地 位 を 継 い だ 。91年 湾 岸 戦 争 (〓Gulf
War) に 際 して は 、 中 立 の 立 場 を 表 明 し 、 全 方 位 外 交 を 展 開 し た 。 現 在 の 大 統 領 ア フ マ デ ィネ ジ ャ ー ド (Ahmadinejad,
Mahmoud)
は2006年8月
に就 任 して い
る。 〓p.331地 Iran-Iraq
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
War(1980∼88)
イ ラ ン ・イ ラ ク 戦 争 1980年9月22日
、 イ ラ ク軍 が イ ラ ン 南 西 部 に 侵 入 し た こ と
が 戦 争 の 発 端 。 背 景 に は ペ ル シ ャ民 族 (イ ラ ン )と ア ラ ブ 民 族 (イ ラ ク )とい う民 族 対 立 が あ る が 、79年
イ ラ ン に 起 こ っ た イ ス ラ ム 教 シ ー ア 派 (Shia)に よ る イ ラ ン
革 命 (Iranian Revolution)
の 余 波 が 、 自 国 の シ ー ア 派 に 波 及 す る の を イ ラ クが 恐
れ た と い う 事 情 も あ る 。82年
イ ラ ン は イ ラ ク 南 部 ま で 押 し も ど し た が 、88年
春
以 降 再 び 押 し か え さ れ 一 進 一 退 の 攻 防 が 続 い た 。 ア ラ ブ 諸 国 が イ ラ ク支 持 に ま わ り、 イ ラ ン は 孤 立 化 。 ア メ リ カ の 圧 力 も加 わ っ て88年7月18日 安 保 理 停 戦 決 議598号 後 、 イ ラ ク は 、1975年
を 無 条 件 で 受 け 入 れ た 。90年8月 の ア ル ジ ェ 協 定 (Alger Agreement)
ア ル ・ ア ラ ブ 川 (Shatt-al-Arab
Waterway)
、 イ ラ ン は国 連
イ ラ クの ク ウ ェ ー ト侵 攻 に も とづ く シ ャ ッ ト ・
の 中央 線 を国 境 とす る とい うイ ラ ン
の主 張 をほ ぼ全 面 的 に認 め、 国交 回 復 に急 転 直下 の 展開 をみせ た。 〓Iran 〓Iraq Iraq
イラ ク ア ジ ア 南 西 部 の 共 和 国 。 ア ラ ビ ア 半 島 の 東 基 部 に あ た り、 イ ラ ン 、 トル
コ 、シ リア 、 ヨ ル ダ ン 、サ ウ ジ ア ラ ビ ア 、 ク ウ ェ ー トに 囲 ま れ 、南 東 に は ペ ル シ ャ (Persia) 湾 が あ る。 首 都 バ グ ダ ッ ト(Baghdad) 。 古 代 メ ソ ポ タ ミ ア 文 明 (Mesopotamian
Civilization) の 発 祥 地 。 長 く トル コ に 帰 属 して い た が 、 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I)後1921年
、 フ ァ イ サ ル (〓Feisal) を王 位 に して 、 イ
ラ ク王 国 が 成 立 。 そ の 後 も イ ギ リ ス の 保 護 と 干 渉 を 受 け て い た が 、32年 正 式 に 独 立 。58年
の 軍 事 ク ー デ タ ー に よ っ て 共 和 国 と な っ た 。61年
ク ル ド人 (〓Kurd) (〓Middle-East
に か け て、 中東戦 争
Wars) で は イ ス ラ エ ル 問 題 に つ い て 強 硬 派 に 属 し、 反 欧 色 を 強
め た 。80年 ∼88年
イ ラ ン ・イ ラ ク戦 争 ( 〓Iran-Iraq
ラ ク 側 に 一 時 不 利 に傾 き、 フ セ イ ン ( 〓Hussein, か け た 。 し か し、90年 戦 争 (〓Gulf
∼75年
に よ る 自 治 権 紛 争 が 発 生 し た。 こ の 間 、67年 第3次
War) を起 こ し た も の の 、 イ Saddam)
大 統 領 は 威信 を失 い
一 転 して ク ウ ェ ー トに 突 如 侵 攻 を 開 始 し、91年1月
War) 勃 発 。結 局91年
湾岸
、多 国 籍 軍 に よ りイ ラ ク 無 条 件 降 伏 と ク ウ ェ ー
ト解 放 で 終 結 した 。2003年 、 フセ イ ン体 制 は崩 壊 、2006年 に 正 式 政 府 が 発 足 した 。 〓p.331地 Ireland
図〓 ( 現代 の世界[国 名 と地図])
アイルランド ア イ ル ラ ン ド島 北 東 部 を 除 く6分
の5を
占 め る共和 国 。首 都 は ダ ブ リ
ン (Dublin)。 古 来 ケ ル ト人 (Celts)が 住 み つ き 、8世
紀 末 頃 デ ー ン 人 (Danes) が
来 襲 し た 。12世
紀半 ば に は クロム ウ ェル
( 〓Cromwell,
紀 中 頃 よ り イ ギ リ ス が 進 出 。17世
Oliver) が ア イ ル ラ ン ドを 征 服 、 大 半 の 土 地 を 奪 っ た た め ア イ ル
ラ ン ド人 の 多 くは 小 作 人 と化 し、 ア イ ル ラ ン ド 自治 運 動 の 要 因 を も た ら し た 。 当 時 イ ギ リ ス で は カ トリ ッ ク教 徒 の 社 会 参 加 が 制 限 され て い た た め 、 カ ト リ ッ ク 教 徒 が 住 民 の9割
以 上 を 占 め る ア イ ル ラ ン ドで は 反 乱 が 続 い た 。1800年 統 一 令 (Act
of Union) に よ っ て イ ギ リ ス に 併 合 。 こ れ に 対 し、 オ コ ン ネ ル (〓O'Connell, Daniel) の カ ト リ ッ ク 教 徒 解 放 運 動 や 青 年 ア イ ル ラ ン ド党 (Young
Ireland) の 独
立 運 動 が 起 こ る な ど 、 自 治 を 目標 と す る よ う に な る 。 こ の た め 、 イ ギ リ ス は3度 に わ た っ て ア イ ル ラ ン ド 自治 法 案 ( 〓Home 第3次
Rule
Bill)を 議 会 に 提 出 。1914年
、
ア イ ル ラ ン ド自治 法 案 が イ ギ リス 国 会 を 通 過 した。 ア ル ス タ ー 地 方
(〓Ulster:
ア イ ル ラ ン ド島 北 部 の6州
)の 独 立 反 対 や イ ー ス タ ー 蜂 起 ( 〓Easter
Rebellion) 、 シ ン ・ フ ェ イ ン 党 ( 〓Sinn
Fein
Party) の 独 立 運 動 の 末 、22年
6州 を 除 くア イ ル ラ ン ド 自由 国 ( 〓Irish
Free
State)が 成 立 。37年
制 定 し 、 エ ー ル 共 和 国 (〓Eire) と し て 独 立 。49年 Commonwealth)
イ ギ リ ス 連 邦 (〓British
よ り分 離 し ア イ ル ラ ン ド共 和 国 (Republic
全 な 独 立 国 とな る 。 第2次
世界大戦 ( 〓World
年 ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 (EC:
〓European
War
Community)
示 し 、92年
に は マ ー ス ト リ ヒ ト条 約 ( 〓Maastricht
〓Ireland,
Northern(
〓p.328地
図〓 ( 現代 の世 界[国 名 と地 図])
北 ア イ ル ラ ン ド)
北部
に は新 憲 法 を
of Ireland) と して 完
II)で は 中 立 を 守 っ た が 、73 加 盟 後 は 各 国 と共 同 歩 調 を Treaty) を 批 准 し た 。
Ireland,
Northern
北 ア イル ラ ン ド 1800年
1922年
以 来 イ ギ リ ス 王 国 の 支 配 下 に あ っ た ア イ ル ラ ン ドは 、
自 治 領 と し て ア イ ル ラ ン ド自 由 国 (〓Irish Free
State)を 成 立 さ せ 、49年
に ア イ ル ラ ン ド共 和 国 (Republic
of Ireland) と して 完 全 独 立 を 果 た した 。 し か
し、 カ ト リ ッ ク教 徒 が 住 民 の9割
以 上 を 占 め る ア イ ル ラ ン ドに あ っ て 、 プ ロ テ ス
タ ン ト教 徒 が6割
以 上 を 占 め る ア ル ス タ ー 地 方 (〓Ulster) の6州
だ け が イ ギ リス
統 治 下 に 留 ま り、 北 ア イ ル ラ ン ドを 形 成 した 。 北 ア イ ル ラ ン ド住 民 の 少 数 派 と な っ た 約3割
の カ ト リ ッ ク教 徒 は 独 立 運 動 を 展 開 。 南 北 ア イ ル ラ ン ドの 統 一 を 求
め る カ ト リ ッ ク 系 武 装 過 激 派 組 織 、 ア イ ル ラ ン ド 共 和 国 軍 (IRA: Republican
Army)
求 め るIRAと
〓Irish
に よ っ て テ ロ 活 動 な どの 武 装 闘 争 が 続 い て い る 。 南 北 統 一 を
北 ア イ ル ラ ン ドの イ ギ リ ス 残 留 を 強 く望 む プ ロ テ ス タ ン ト系 強 硬
派 、 和 平 案 を探 るイ ギ リ ス ・ ア イ ル ラ ン ド両 政 府 との 間 で 調 停 は 進 行 中 。 な お 、 94年8月31日IRAは
停 戦 声 明 を 発 し、 和 平 に 向 け た 新 た な 展 開 が は じ ま りつ つ
あ る。 〓Ireland
Irish
〓p.328地
図〓 ( 現代 の世 界[国 名 と地 図])
Free
ア イ ル ラ ン ド 自由 国
State
1922年
か ら37年 に か け て 、 ア イ ル ラ ン ドに 成 立 した イ ギ リ
ス 自 治 領 で 、エ ー ル 共 和 国 ( 〓Eire) の 前 身 。14年 イ ギ リス の ア ス キ ス (〓Asquith, Herbert
Henry) 内 閣 が 第3次
ア イ ル ラ ン ド自 治 法 案 ( 〓Home
させ た が 、 ア ル ス タ ー 地 方 ( 〓Ulster: 題 を 未 解 決 の ま ま第1次
世界 大 戦 ( 〓World
勝 利 した シ ン ・ フ ェ イ ン党 ( 〓Sinn Irish Parliament)
Rule
ア イ ル ラ ン ド島 北 部 の6州
Fein
War
Bill)を 成 立
)の 独 立 反 対 問
I) に 突 入 し た 。18年
総選挙で
Party) は 別 に ア イ ル ラ ン ド議 会 (Dail/
を つ く っ て 独 立 を 要 求 。 ロ イ ド ・ ジ ョー ジ ( 〓Lloyd
George,
David) 内 閣 が ア ル ス タ ー を 分 離 し て ア イ ル ラ ン ドの 自 治 を 求 め た こ とか ら 、22 年 ア イ ル ラ ン ド自 由 国 が 成 立 し た 。 自治 領 で あ りな が ら、 外 交 ・軍 事 ・貿 易 な ど の実 権 は イ ギ リスに握 られ て いた 。 〓Ireland Irish
Home
〓Home Irish
Rule
Rule
Republican
ア イ ル ラ ン ド自 治 法 案
Bill Army
(IRA)
ア イ ル ラ ン ド共 和 国 軍 18世 紀 末 に 創 設 さ れ た カ ト リ ッ ク系 武 装 独
立 運 動 組 織 、 ア ル ス タ ー 義 勇 軍 (〓Ulster
Volunteer
Force) が1922年
の アイ ル
ラ ン ド 南 北 分 割 の 際 に 改 称 し た も の 。 イ ギ リ ス 領 北 ア イ ル ラ ン ド (Northern Ireland)
と ア イ ル ラ ン ド 共 和 国 (Republic
of
Ireland)
で 、 た び た び 爆 弾 テ ロ 活 動 を 繰 り 返 し て い る 。79年 of Edinburgh)
の 伯 父 、 マ ウ ン トバ ッ テ ン 卿 (Lord
れ た 。 近 年 で も 、84年 サ ッチ ャー
の 統 一 を 求 め て い る過 激 派 に は 、 エ ジ ン バ ラ 公 (Duke
Louis
Mountbatten)
が爆 殺 さ
、 保 守 党 大 会 出 席 の た め ブ ラ イ ト ン (Brighton)
(〓Thatcher,
Margaret
お り、 サ ッ チ ャー は 九 死 に
を訪 れ た
Hilda) 首 相 の 暗 殺 未 遂 事 件 を 引 き 起 こ し て
一生 を え た 。91年
、 ロ ン ド ン 市 内 の パ デ ィ ン トン
・
ビ ク ト リ ア 両 駅 で 爆 弾 テ ロ 事 件 が あ り、 さ ら に 首 相 官 邸 も 狙 わ れ た 。 翌 年 に は 金 融 街 シ テ ィ ー (City)で 爆 発 が あ り 、 多 数 の 一 般 市 民 が 被 害 に あ っ た 。 政 治 組 織 と して シ ン
・ フ ェ イ ン 党 (〓Sinn
Fein
Party)
を も ち 、IRA暫
定 派 は停 戦 を宣 言 し
た が 過 激 な 派 生 的 分 派 も あ る。 〓Ireland,
Northern(
〓Ulster(
Iron
北 ア イ ル ラ ン ド)
ア ル ス タ ー地 方 )
Curtain
鉄 の カー テ ン 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II)後 の 共 産 圏 諸 国 と 西 欧 諸 国
と の 境 界 及 び そ の 対 立 を 暗 示 す る 語 。1946年3月5日 (〓Churchill,
Sir
Winston)
行 っ た 演 説 (〓Fulton
Speech)
州 の フ ル トン 市 で
に 用 い た の が 最 初 。 バ ル ト海 (Baltic
テ ッ チ ン (Stettin) か ら ア ド リ ア 海 (Adriatic
Sea) の ス
Sea) の ト リ エ ス テ (Trieste) に 至 る 線
を 指 し て い る 。 こ れ 以 来 、 国 際 政 治 は 冷 戦 (〓Cold
Isolationism
イギ リス の チ ャ ー チ ル
が ア メ リ カ 、 ミ ズ ー リ (Missouri)
War)
体 制 下 に突 入 して い く。
孤 立主 義 ア メ リカ外 交政 策 の 基 調 で 、 ヨー ロ ッパ の 問 題 に干 渉 せ ず 、 自
国 の 利 益 を 守 る こ と が 本 来 の 主 旨 。 こ れ は 建 国 以 来 の 伝 統 で 、戦 時 に お け る 中 立 ・ 不 介 入 主 義 へ 通 じ る 。1796年 別 演 説 (Farewell
Address)
初 代 大 統 領 ワ シ ン ト ン (Washington, 、1823年
モ ン ロ ー (〓Monroe,
教 書 で 示 し た モ ン ロ ー 主 義 (〓Monroe War
I) 後 の 国 際 連 盟 (〓League
of
れ る 。 し か し 、 こ の 立 場 も1930年
Doctrine) Nations)
、 第1次
George)
James)
の 告
大統 領 が 年次
世 界 大 戦 (〓World
不 参 加 な ど が 代 表 例 と して あ げ ら
代 以 降 、 国際 情 勢 が 緊 迫 化 す る につ れ 、存 在
意 識 を失 って いっ た。
Israel
イス ラエ ル ア ジ ア 南 西 部 の 共 和 国 で 、 地 中 海 (Mediterranean
首 都 エ ル サ レム ( 〓Jerusalem)
。 第1次
イ ギ リ ス の 外 相 バ ル フ ォ ア (〓Balfour, (〓Balfour
Declaration)
世 界 大 戦 (〓World Arthur
James)
を 発 し て 、 パ レ ス チ ナ (〓Palestine)
Sea) 東 岸 を 占 め る 。 War
I) 中 の1917年
、
が バ ル フ ォ ア 宣 言 の地 に ユ ダヤ 人国
家 を つ く る シ オ ニ ズ ム 運 動 (〓Zionism)
を 支 援 す る と表 明 。 しか し、 ア ラ ブ 人 の
独 立 を 承 認 して い た15年 の マ ク マ ホ ン宣 言 (〓MacMahon
Declaration)
と矛 盾
す る内 容 で あ った た め、 ア ラブ ・ユ ダヤ 間 の紛 争 原 因 の一 端 となっ た。 その後 、 第2次
世界 大 戦 ( 〓World
う惨 事 を 経 て 、48年
War
II)で の ナ チ ス ( 〓Nazis) に よ る ユ ダ ヤ 人 虐 殺 と い
イ ギ リス委 任 統治 領 パ レス チ ナ に お いて イ ス ラエ ルの 建 国
宣 言 が な され た 。 し か し 、 ア ラ ブ人 との 共 存 を想 定 した 内 容 で あ っ た た め 、 中 東 戦 争 (〓Middle-East
Wars) の 火 種 に 発 展 して い く こ とに な っ た 。67年
中東 戦 争 で イ ス ラエ ルは 、東 エ ル サ レム を含 む ヨ ル ダ ン ( 〓Jordan)
の 第3次
川 西 部 とガ
ザ (Ghaza) 地 区 、 シ リア の ゴ ラ ン (Golan) 高 地 、 エ ジ プ トの シ ナ イ (Sinai)半 島 を 占領 。79年
の キ ャ ン プ ・ デ ー ビ ッ ド( 〓Camp
David) 合 意 で 、 シ ナ イ半 島 だ
け は エ ジ プ トに 返 還 し た も の の 、 ヨ ル ダ ン川 西 岸 へ の 入 植 を 拡 大 して い っ た 。 87年 に は パ レ ス チ ナ 解 放 機 構 (PLO:
〓Palestine
Liberation
Organization)
を
軸 とす る 反 イ ス ラ エ ル 勢 力 に よ る 蜂 起 が 発 生 し 、88年 パ レ ス チ ナ 独 立 宣 言 が 出 さ れ た 。93年9月13年 さ れ 、PLOに
、 パ レス チ ナ解 放機 構 との 間 に暫 定 自治 共 同宣 言 が 調 印
よ る ヨ ル ダ ン ・ ガ ザ 地 区 の 自 治 が 始 ま っ た 。2006年
、イ ス ラエ ル
勢 力 に よ る レバ ノ ン 侵 攻 が 始 ま る な ど 、 今 な お 流 動 的 要 素 が 多 い。2009年4月 現 在 、 大 統 領 は ペ レ ス (Peres, Shimon) Benjamin) 〓p.331地 Italian
、 首 相 は ネ タ ニ ヤ フ (Netanyahu,
で あ る。 図〓 ( 現代 の世 界[国 名 と地 図])
Unification,
War
of イ タ リ ア 統 一 戦 争 19世 紀 初 頭 か らの イ タ リ ア統 一 運 動 に よ っ て 、
1861年
イ タ リ ア 王 国 の 独 立 を 勝 ち と っ た戦 争 。
〓Risorgimento( 〓p.282図
リ ソ ル ジ メ ン ト :イ タ リ ア 統 一 運 動 )
解5「 イ タ リ ア の統 一」
Italo-Abyssinian
War(1895∼96,
1935∼36) イ タ リア ・エ チ オ ピ ア 戦 争 イ タ リア と エ チ オ ピ ア 間 に 起 こ っ た 二 度 に わ た る戦
争 。 エ チ オ ピ ア 戦 争 (Ethiopian War) と も い う。 (1)1895年
∼96年
:イ タ リアが侵 攻 した が、 エ チ オ ピア に撃 退 さ れ失 敗 に終 わ
∼36年
:フ ァシス タ党 ( 〓Fascist
る。 (2)1935年
オ ピア を侵 略 。 国際連 盟 ( 〓League が 実 効 が な く、1936年
Party)政 権 下 の イ タ リ ア 軍 が エ チ
of Nations) は イ タ リ ア に 経 済 制 裁 を加 え た
に は ア ジ ス ア ベ バ (Addis Ababa)
が 陥 落。 イタ リ アは エ
チ オ ピ ア の 併 合 を 宣 言 。 国 際 連 盟 の 無 力 さ を 露 呈 す る と こ ろ とな り 、 ム ッ ソ リ ー ニ ( 〓Mussolini,
Benito) を は じめ とす る フ ァ シ ズ ム ( 〓fascism) の 侵 略 行 為 を助
長 す る結 果 を 招 い た。
〓Ethiopia
Italo-Turkish
War(1911∼12)
イ タ リ ア ・ トル コ 戦 争 ト リ ポ リ 戦 争 (〓Tripolitanian
(Libyan Entente)
War)
と も い わ れ る 。1900年
War)
、
リ ビ ア 戦 争
の イ タ リ ア ・ フ ラ ン ス 協 商 (Italian-French
に よ って両 国間 に植 民 地 に関 す る協 定 が 結 ば れ 、 イ タ リア は北 ア フ リ
カ の トル コ領
ト リ ポ リ (Tripoli) に 対 す る 優 越 権 を 、 フ ラ ン ス は モ ロ ッ コ に 対 す
る 優 越 権 を 認 め ら れ た 。 し か し 、 第2次
モ ロ ッ コ 事 件 (〓Moroccan
Crisis) に 列
強 が 忙 殺 さ れ て い た そ の 隙 に 、 ア フ リカ 分 割 に 立 ち お くれ た イ タ リ ア は ト リ ポ リ の 領 有 を 望 み 、11年
トル コ に 宣 戦 。 ト ル コ は バ ル カ ン (Balkan)
動 き に お さ れ 、12年
イ タ リ アの
(Peace
of
Alliance)
Lausanne)
Question(
〓Ottoman
Italy
ト リポ リ領 有 を 認 め る 内 容 の ロ ー ザ ン ヌ 条 約
を 結 ん だ 。 し か し、 こ れ が
に 接 近 さ せ 、 バ ル カ ン 戦 争 (〓Balkan
〓Balkan
半 島の 諸 民族 の
ト ル コ を 三 国 同 盟 (〓Triple
Wars)
を 起 こ す 遠 因 とな っ た 。
バ ル カ ン問題 )
Empire(
オ ス マ ン
・ト ル コ 帝 国 )
イ タ リア 南 ヨ ー ロ ッ パ の 共 和 国 で 、 シ チ リ ア (Sicilia)、 サ ル ジ ニ ア (Sardegna)
島 も 含 ま れ る 。 首 都 は ロ ー マ (Rome) ゲ ル マ ン 民 族 (Germans)
。 ロ ー マ 帝 国 (Roman
、 サ ラ セ ン 帝 国 (Saracen
Empire)
Empire)
両
の成 立 以 来 、
の 侵 入 を う け、 スペ
イ ン 、 フ ラ ン ス 、 オ ー ス ト リ ア の 支 配 抗 争 に 巻 き込 ま れ る な ど 、 分 割 と統 合 を 繰 り 返 し て き た 。19世
紀 初 頭 の ナ ポ レ オ ン 戦 争 (〓Napoleonic
ニ ア を 中 心 に 統 一 の 気 運 が 高 ま り (〓Risorgimento: 年 イ タ リ ア 王 国 が 成 立 。70年
に は ロ ー マ 教 皇 領 (church
ア の 統 一 が 完 成 し た 。 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
が ら 利 益 は 少 な く 、 逆 に 経 済 混 乱 を 招 き 、1922年 Benito)
独 裁 政 権 が 生 ま れ た 。 第2次
ツ と 結 ん で 敗 北 し 、 戦 後46年
Wars)
後、 サル ジ
イ タ リ ア 統 一 運 動 )、1861 state) を 併 合 し て イ タ リ I) で は 連 合 国 側 に つ き な ム ッ ソ リ ー ニ (〓Mussolini,
世 界 大 戦 (〓World
War
II)で は 日 本
・ ドイ
共 和 政 に 移 行 した 。 小 党 分 立 で 政 治 危 機 が 続 き 、
近 年 は 汚 職 事 件 追 及 に 伴 っ て 、 マ フ ィ ア に よ る テ ロ 活 動 も 発 生 し て い る 。92年 ヨ ー ロ ッ パ 統 合 を 目 指 す マ ー ス ト リ ヒ ト条 約 (〓Maastricht 2009年4月 (Berlusconi,
現 在 、 ナ ポ リ タ ー ノ (Napolitano,
Giorgio)
Treaty)
を批 准 した。
大 統領 、 ベ ル ル ス コー ニ
Silvio) 首 相 で あ る 。 議 会 で は 中 道 左 派 (自 由 国 民 )、 左 派 (民 主 党 )
の 勢 力 が 強 く、 政 治 は安 定 して い る 。 〓p.282図
解5「
イ タ リア の統一 」
〓p.285図
解8「
第1次
〓p.328地
図 〓 (現 代 の世 界[国 名 と地 図])
世 界 大戦 の 背景」
IT
Revolution
IT革
命
1980年
代 以 降急 速 に 発展 した コ ン ピュー ター を 中心 とす る
通 信 情 報 技 術 に よ る社 会 や 生 活 の 変 革 を い う。 こ れ に よ り、 情 報 面 で の グ ロ ー バ ル 化が 飛躍 的 に進 んで い る。 Iwo
Jima
硫 黄島 小 笠 原 諸 島 の う ち、 硫 黄 列 島 の3つ
次 世界 大 戦 ( 〓World
War
II)末 期 の1945年2月19日
撃 基 地 と し て 同 島 へ の 上 陸 作 戦 を 展 開 。6万 に 対 し、 栗 原 忠 道 中 将 率 い る 日本 軍 約2万 リカ 軍3万
の 火 山 島 の 中 央 の 島 。 第2 、 ア メ リ カ 軍 は 日本 本 土 爆
余 の 海 兵 と武 器 力 に 勝 る ア メ リカ 軍 は補 給 途 絶 に もか かわ らず奮 闘 。 ア メ
弱 に 死 傷 者 を 与 え た が 、 つ い に3月26日
た 。 戦 後 は ア メ リ カ軍 施 政 下 に あ っ た が 、68年
、 日 本 軍 残 兵800人
が玉砕 し
復 帰 。 現 在 は 東 京 都 に 属 す る。
J Jacobite
Risings
ジ ャ コ バ イ ト蜂 起 ジ ャ コ バ イ ト と は 「ジ ェ ー ム ズ 派 」の 意 で 、1688年
ス 名 誉 革 命 (Glorious
Revolution:
〓English
ア ー ト (Stuart) 王 家 の ジ ェ ー ム ズ2世
(James
Revolution) II:
位1685∼88)
立 し た 人 々 を 指 す 。 フ ラ ン ス へ と 亡 命 し た ジ ェ ー ム ズ2世 ル イ14世
(〓Louis
XIV)
の イ ギ リ
で 追 放 され た ス チ ュ とその子 孫 を擁
は 、 太 陽 王 と称 さ れ た
の 支 援 で 王 位 奪 同 を 狙 っ た が 失 敗 し た 。 ジ ェ ー ム ズ2世
の死後 、 その 子 ジ ェー ム ズ
・ エ ド ワ ー ド (Edward,
James)
が 、1715年
に ジ ャ コ
バ イ トの 多 い ス コ ッ ト ラ ン ドへ 入 っ て 反 乱 を 試 み た が 、 ま た し て も 失 敗 し た 。 さ ら に、 ジ ェ ー ム ズ Charles) of
も 、1740年
・ エ ド ワ ー
ドの 子 、 チ ャ ー ル ズ
・ エ
ドワ ー
か ら の オ ー ス ト リ ア 継 承 戦 争 (〓Austrian
the) に 乗 じ て ス コ ッ ト ラ ン ドに
ド (Edward,
Succession,
上陸 し た も の の 大 敗 に 終 わ り、46年
War
以 降 は無
力化 して しま った。
Jellicoe,
John
Rushworth(1859∼1935)
ジ ェ リコー
イ ギ リ ス の 軍 人 。1872年 で 起 きた ア ラー ビー
・パ シ ャ
(〓Arabi
Pasha)
国 で 起 こ っ た 反 帝 国 主 義 運 動 の 義 和 団 事 件 (〓Boxer た 。 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
ユ ト ラ ン ド沖 の 海 戦 (〓Jutland, 年 か ら24年
海 軍 入 り し 、82年
の 反 乱 に 従 軍 。1900年 Rising)
エ ジ プ ト に は、 中
の鎮 圧 に 派 遣 され
I) で は 主 力 艦 隊 司 令 長 官 に 任 ぜ ら れ 、16年
Battle
of) を 指 揮 し た 。19年
に か け て ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド総 督 。25年
元 帥 と な り 、 翌20
に は伯 爵 の 称 号 を授 け られ て
い る。
Jena-Auerstedt,
Battle
of(1806)
イ エナ
1806年10月 ナ ポ レ オ ン1世
(〓Napoleon
・ア ウ エ ル シ ュ テ ッ ト の 戦 い 、 プ ロ イ セ ン (〓Prussia)
軍 とフラ ンス ・
I) に よ る 戦 闘 。 プ ロ イ セ ン は イ エ ナ 、 ア ウ エ ル
シ ュ テ ッ トの 領 地 で 敗 れ 、 フ ラ ン ス が 国 土 を 占 領 。 ナ ポ レ オ ン の ヨ ー ロ ッ パ 支 配 が確 立 され た。 〓Napoleonic
Jerusalem
Wars(
ナ ポ レ オ ン戦争 )
エ ル サ レム イ ス ラ エ ル の 首 都 (国 際 的 に は 認 知 さ れ て い な い 。 日 本 大 使 館 も テ
ル ア ビ ブ に あ る )。 ユ ダ ヤ 教 、 イ ス ラ ム 教 、 キ リ ス ト教 の 聖 地 。 世 界 で 最 も 古 い 町 の ひ と つ で 、 旧 約 聖 書 に も 記 述 が み ら れ る 。 ロ ー マ 帝 国 (Roman リ ス ト教 が 公 認 さ れ る と 、 コ ン ス タ ン チ ヌ ス1世 ス ト教 の 聖 地 と な っ た 。637年 ア ラ ブ に 、16世 この間 、
争 (〓Arab-Jewish
に帰属
した 。
下に 入 り 、 ユ ダ ヤ 人 (Jews) と ア ラ ブ 人 (Arabs)
世 界 大 戦 (〓World War)
紀 頃 か らは
Empire)
キ リ ス ト 教 徒 の 遠 征 軍 )が 王 国 を 建 て た が 、 短 命 で 滅
に はイ ギ リスの支 配
の 対 立 が 激 化 。 第2次
・ ト ル コ (〓Ottoman
で キ
I) の 頃 に キ リ
に は イ ス ラ ム 教 徒 に よ っ て 征 服 。13世
紀 か らは オ ス マ ン
十字 軍 (Crusade:
び た 。1917年
Empire)
(Constantinus
War
II)後 の48年
、 ア ラブ
・ ユ ダヤ戦
が 起 き て 旧 市 (東 エ ル サ レ ム )が ヨ ル ダ ン 領 、 新 市 が イ
ス ラ エ ル 領 と な っ た 。 し か し 、1967年
の 第3次
中 東 戦 争 (〓Middle-East
Wars)
後 は 、 旧 市 も イ ス ラエ ル が 併 合 し て い る。 〓Israel 〓Palestine
Jesuits
イ エ ズ ス会 日本 語 で ヤ ソ 会 、 ジ ュ ズ イ ッ ト教 団 と も い う。 ロ ー マ
教 会 に 属 す る 男 子 修 道 会 の ひ と つ 。1534年 de
・ カ トリ ッ ク
、 イ グ ナ チ ウ ス ・デ ・ロ ヨ ラ (Ignatius
Loyola) が 創 設 し、40年 教 皇 パ ウ ル ス3世
(Paulus III)に 認 可 さ れ た 。 教 皇 に
対 して 絶 対 服 従 し つ つ 、 軍 隊 式 の 厳 し い 規 律 の 下 に 組 織 さ れ て お り 、 プ ロ テ ス タ ン トに 奪 わ れ た 失 地 の 回 復 や 海 外 伝 道 に 成 果 を あ げ た 。1773年 ス14世
Jews
(Clemens
XIV) が 禁 止 した の だ が 、1814年
、 教 皇 ク レメ ン
復 活 を許 され た 。
ユ ダ ヤ人 紀 元 前15世
紀 頃 、 メ ソ ポ タ ミ ア (Mesopotamia)
か ら パ レス チ ナ
( 〓Palestine) へ 移 住 した ヘ ブ ラ イ人 (Hebrews) の 一 部 族 。 商 業
・ 金融 業 に 従 事
す る者 が 多 か っ た た め 、 中 世 ヨー ロ ッパ で は ギ ル ド (gild:西 欧 商 工 業 者 間 の 組 合 ) か ら閉 め 出 さ れ 、 反 感 を 招 い た 。19世 シオ ニ ズ ム ( 〓Zionism)
紀 に な る とユ ダ ヤ 人 国家 の建 設 を求 め る
運 動 が 起 こ り、 第1次
世 界 大戦 ( 〓World
パ レス チ ナ に移 住 が 認 め られ、 イギ リスの 委 任 統 治 領 ( 〓Mandates) 第2次
世 界大 戦 ( 〓World
殺 害 さ れ た 。1948年
War
War
I)後 は とな っ た 。
II)中 は 、 ナ チ ス (〓Nazis) に よ る迫 害 を う け 大 量
初 の ユ ダ ヤ人 国家
ブ 人 (Arabs) との 抗 争 が 生 じ た 。50年
・ イ ス ラエ ル が成 立 したが 、新 た に ア ラ
制 定 の 帰 還 法 (Law of Return) で は 、 世 界
中 の す べ て の ユ ダ ヤ 人 に イ ス ラ エ ル 移 住 の 権 利 が 与 え られ た が 、 ユ ダ ヤ 人 を 「ユ ダ ヤ 人 を 母 と す る者 ま た は ユ ダ ヤ 教 徒 」と規 定 さ れ た た め に 、 個 別 事 例 で の 問 題 は絶 え な い。 〓Israel
Jiang
Jieshih(1887∼1975)
〓Chiang
Jinnah,
蒋介 石
Kai-shek
Muhammad
Ali(1876∼1948)
ジ ンナ ー
パ キ ス タ ンの 政 治 家 、 建 国 の 父 。 イ ギ リス 留 学 後 、 カ ラ チ (Karachi) で 弁 護 士 を 開 業 。 イ ン ド 国 民 会 議 派 (〓Indian Congress) 1913年
National
に 加 わ っ た が 、 ヒ ン ズ ー 教 徒 (Hinduism) 主 体 で あ る の に 不 満 を 感 じ 、
ム ス リム (muslim:
ム 連 盟 (All India 29年 ∼31年
Muslim
イ ス ラ ム 教 徒 の 呼 称 )の 政 党 で あ る 全 イ ン ド ・ム ス リ League)
に 入 っ て 、 民 族 運 動 の 戦 線 分 離 に貢 献 した 。
の英 印 円卓 会 議 ( 〓Round
表 と して 出 席 。40年
Table
Conference)
に は イ ス ラム教 徒 代
、 イ ン ド独 立 に 際 して パ キ ス タ ン を イ ス ラ ム 教 国 と して 分
離 す る こ とを 決 議 し た 。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II)後 の47年
、 印 パ分 離
独 立 を 強 行 し、 パ キ ス タ ン 初 代 総 督 とな る 。 憲 法 草 案 な ど に 力 を 尽 くす が 、 翌 48年 急 逝 。
Johnson,
Lyndon
Baines(1908∼73)
ジ ョン ソ ン
ア メ リ カ の 政 治 家 。 第36代 大 統 領 (任1963∼69)
。テ
キ サ ス (Texas)州 生 ま れ 。 公 立 学 校 な ど の 教 師 を して い た が 、 議 員 秘 書 な ど を 経 て 政 界 入 り。1937年
、 民 主 党 (Democratic
Party) か ら合 衆 国 下 院 議 員 に 当 選 。
49年 か ら は 上 院 議 員 と な り、 党 の 院 内 総 務 な ど も務 め た 。60年 名 で はJ・F・
ケネ デ ィ ( 〓Kennedy,
領 候 補 と な り 当 選 。63年11月22日
John
の 大 統 領候 補 指
Fitzgerald) に 敗 れ た もの の 、 副 大 統
の ケ ネ デ ィ暗 殺 の 直 後 、 大 統 領 に 昇 格 し再 選
も果 た す。 「 偉 大 な 社 会 (Great Society) 」とい う ス ロ ー ガ ン の 下 、 福 祉 重 視 の 政 策 を 推 進 した が 、 ベ トナ ム 戦 争 ( 〓Vietnam
War) の 泥 沼 化 で 行 き づ ま り、68年
、
大 統 領 選 不 出 馬 と北 ベ トナ ム へ の 北 爆 停 止 を 声 明 して 退 陣 し た 。
Jordan
ヨル ダ ン イ ス ラエ ル 、 シ リア、 イ ラ ク、 サ ウジ ア ラ ビア に 国境 を接 す る西 ア
ジ ア の 王 国 。 長 くオ ス マ ン ・ トル コ (〓Ottoman 世界大戦 ( 〓World
War
に 編 入 さ れ た 。 第2次
I)後 の1923年
世 界 大 戦 (〓World
Empire) 領 で あ っ た が 、 第1次
、 イ ギ リ ス の 委 任 統 治 領 (〓Mandates) War
II)後46年
、 イ ギ リスが 主 権 を委
譲 す る形 で 独 立 。 ハ シ ミ テ (Hashemite) 家 を 王 家 と す る 。 国 名 も正 式 に は ヨ ル ダ ン ・ハ シ ミ テ 王 国 (Hashemite は ア ブ ドッラー 争 ( 〓Middle-East
Kingdom
of Jordan) と い う 。2009年
(Abdullah) 。 首 都 は ア ン マ ン (Amman) Wars) に よ りエ ル サ レ ム (〓Jerusalem)
。67年
現 在 の 国王 の 第3次 中 東 戦
旧 市 を 含 む ヨル ダ ン
川 西 岸 を イ ス ラエ ル が 占 領 。 以 後 、 ヨル ダ ン に い る パ レ ス チ ナ 人 が ゲ リ ラ 戦 士 と
な っ て イ ス ラ エ ル 占 領 地 を 攻 撃 した が 、94年
に は イ ス ラ エ ル と平 和 条 約 を 締 結
して い る。 〓p.331地
Jugoslavia
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
ユ ー ゴ ス ラ ビア
〓Yugoslavia
July
Monarchy(1830∼48)
フ ラ ン ス7月 1830年
立
し た ル イ
(〓February
July
・ フ ィ リ ッ プ (Louis Revolution)
Revolution(1830)
革 命 (〓July
Philippe)
フ ラ ン ス7月
に よ る 王 政 。48年
の2月
革 命
革 命
ナ ポ レオ ン の 没 落 と と も に 王 政 復 古
が 起 こ り、 ブ ル ボ ン (Bourbon) 王 朝 に よ る 王 政 が 復 活 した 。 し
か し、 そ の 後 旧 貴 族 と ブ ル ジ ョア ジ ー (bourgeoisie: 由 主 義 者 と の 間 で 対 立 が 深 ま り、 シ ャ ル ル10世
市 民 階 級 )を 中 心 とす る 自
(Charles X) 治 世 期 に衝 突 。 シ ャ
は 出 版 の 自 由 を 制 限 す る な ど の 反 動 政 策 を とっ た た め パ リ市 民 が 蜂 起 、
政 府 軍 との 市 街 戦 とな っ た。 復 古 王 政 が 倒 れ る と ル イ Philippe) に よ る7月
Junkers
に よ って成
パ リ民 衆 の 蜂 起 に よ っ て フ ラ ン ス 復 古 王 政 が 倒
さ れ た 革 命 。 フ ラ ン ス で は14年
ル ル10世
Revolution)
で崩 壊。
1830年7月
( 〓Restoration)
王政
の フ ラ ン ス7月
王政 ( 〓July
Monarchy)
・ フ ィ リ ッ プ (Louis
が は じ まっ た。
ユ ンカ ー プ ロ イ セ ン (〓Prussia) の 貴 族 を 指 し、 貴 族 の 子 息 を 示 す “Junger
Herr” に 由 来 す る。 一 般 に は19世 紀 ドイ ツ の エ リベ (Elbe)川 以 東 に い た 大 地 主 貴 族 の こ と を い う。18世
紀 以 降 プ ロ イ セ ン の 高 級 官 僚 や 軍 人 を 多 数 輩 出 し、 保 守
勢 力 の 基 盤 を 成 し た 。1918年
の ドイ ツ革 命 ( 〓German
Revolution)
で 封建 的 諸
特 権 は 奪 わ れ た も の の 、 領 地 は あ る程 度 残 さ れ た た め そ の 勢 力 は 無 視 で き な か っ た 。 しか し、 第2次
世界大戦 ( 〓World
War
II)後 の 土 地 改 革 で 完 全 に 一 掃 さ れ
て しま う。
Jutland,
Battle
of(1916)
ユ トラ ン ド沖 の 海 戦 第1次
世界大戦 ( 〓World
War
I) 中 の1916年5月31日
、
デ ン マ ー ク の ユ ト ラ ン ド半 島 沖 に お い て イ ギ リ ス と ドイ ツ の 間 で 行 わ れ た 大 海 戦 。 ドイ ツ は 、 西 部 戦 線 (Western
Front) に お け る膠 着 状 態 や イ ギ リス 艦 隊 に よ
る海 上 封 鎖 を 打 破 し よ う と交 戦 し た 。 イ ギ リス 側 の 損 害 の ほ うが 大 き か っ た の だ
が 、 結 局 ドイ ツ は 制 海 権 を 奪 回 す る こ と が で きず 、 軍 港 内 に 留 ま ら ざ る を え な か っ た。
K K〓d〓r,
J〓nos(1912∼89)
カー ダ ール ハ ン ガ リ ー の 政 治 家 。 首 相 (任1956∼58、61∼65)
共 産 党 に 入 党 。 第2次
世 界 大 戦 ( 〓World
War
II)下 で は 反 フ ァ シ ス ト 独 立 運 動
に 参 加 。 ハ ン ガ リ ー 労 働 者 党 (United
Workers'
書 記 長 の ラ ー コ シ (Rakosi,
と 対 立 し 、51年
Matyas)
権 を 果 た し 、 党 の 中 央 委 員 と な る 。 同 年10月 が ハ ン ガ リ ー 動 乱 (Hungarian (Hungarian ジ (Nagy,
Socialist Imre)
National
Workers'
Party)
Party)
第1書
∼65年
記 ・内 相 を 務 め た が 、
に 逮 捕 さ れ た 。56年
に は復
、 反 ス タ ー リ ン化 を 要 求 す る 民 衆
Rising)
を起 こす と、 社 会 主 義 労 働 者 党
を形 成 し、 改 革 要 求 を 認 め よ う とす る ナ
政 権 を 打 倒 。 代 わ っ て 首 相 に 就 任 し 、2年
権 を 運 営 し た 。61年
。1913年
間 にわ た り親 ソ的政
再 び首 相 とな る。
〓Hungary
Kapp,
Wolfgang(1858∼1922)
カ ップ
ド イ ツ の 政 治 家 。 父 親 が1848年 Revolution)
ま れ 。 東 プ ロ イ セ ン (〓East カー
の ド イ ツ3月
( 〓Junkers:
貴 族 )の 代 表 者 と して 政 界 へ 進 出 。1900年
Revolution)
に よ って 共 和政 が
これ に反 対 す る極 右 反 動 分 子 に よ る反 乱 、 カ ッ プ
Putsch) を 起 こ し た 。 労 働 者 の ゼ ネ ス トに よ っ て5日 ス ウ ェ ー デ ン へ 亡 命 。22年
I(1887∼1922)
以来 東 プ ロイ セ ン
に は 帝 国 主 義 政 策 を 求 め る ドイ ツ 祖 国 党 の 創
立 者 の ひ と り と な っ た 。 ドイ ツ 革 命 ( 〓German 誕 生 す る と、20年
York) 生
Prussia) で 農 業 信 用 研 究 所 を 創 設 し 、 反 動 的 ユ ン
の 農 林 参 事 官 等 を 歴 任 し た 。17年
Karl
革 命 (〓March
に 参 加 して ア メ リ カ に 亡 命 し た た め 、 ニ ュ ー ヨ ー ク (New
一 揆 (Kapp
間 で 反 乱 が 鎮 圧 さ れ る と、
帰 国 す るが 、逮 捕後 、 病 死 した。
カ ー ル1世 最 後 の オ ー ス ト リ ア 皇 帝 、 ハ ン ガ リ ー 王 (位1916∼18)
父 フ ラ ン ツ
・ フ ェ ル デ ィ ナ ン ト (〓Franz
(〓Sarajevo) (〓World
で 暗 殺 War
Ferdinand)
が 、1914年
さ れ た の に 伴 っ て 皇 太 子 と な っ た 。 第1次
I) 敗 北 の 後 、18年
動 の た め ウ ィ ー ン (Vienna)
退 位 し て ス イ ス に 移 住 し た 。22年
へ もど ったが 失 敗 に終 わ った 。
。 伯
に サ ラエ ボ 世 界 大 戦 帝 位 復 活 運
Kashmir
Dispute
カ シ ミー ル帰 属問 題 カ シ ミ ー ル は イ ン ド北 西 部 か ら パ キ ス タ ン 北 東 部 に 広 が る
地 方 名 で 、 イ ン ド ・パ キ ス タ ン ・中 国 の 紛 争 地 帯 。 古 来 よ り、 イ ン ド と西 方 ・東 方 と を 結 ぶ 交 通 の 要 地 で あ っ た 。16世 紀 以 来 ム ガ ー ル 帝 国 (〓Mughal に 帰 属 し て い た が 、1846年
か ら は イ ギ リス 保 護 領 。1947年
ン 分 離 独 立 に 際 し、 カ シ ミ ー ル 住 民 の76%
Empire)
の イ ン ド ・パ キ ス タ
が イ ス ラム教 徒 で あ っ た に もか か わ
らず 、 藩 王 が ヒ ン ズ ー 教 徒 だ っ た こ とか ら イ ン ドに 帰 属 す る こ と と な っ た 。 この た め 「カ シ ミー ル 帰 属 問 題 」が 発 生 。 イ ン ド、 パ キ ス タ ン両 軍 が 派 兵 ・交 戦 す る に 至 っ た。 この 間 、 イ ン ド領 北 東 部 を 中 国 が 占 領 し、 国 境 問 題 が 現 在 も な お 続 い て い る 。65年
に は国 連 ( 〓United
Nations) の 調 停 で 、 北 西 部3分
ン と し、 残 り を イ ン ド と す る こ と に な っ た の だ が 、71年 (〓India-Pakistan
の1を 第3次
パキスタ 印パ 戦 争
War) 発 生 。 近 年 の ヒ ン ズ ー 復 活 主 義 と イ ス ラ ム 原 理 主 義
(Islamic fundamentalism:
イ ス ラ ム 民 族 の 復 興 運 動 )の 台 頭 か ら、91年
ス リナ
ガ ル (Srinagar)で 政 府 治 安 隊 と イ ス ラ ム ゲ リ ラが 衝 突 し、 多 数 の 死 者 を 出 した 。 〓India 〓Pakistan 〓p.331地 Katyn
図〓 (現代 の世 界[国 名 と地 図])
Massacre(1940)
カチ ンの 森 大虐 殺
第2次
世 界 大戦 ( 〓World
War
II)中 、 ポ ー ラ ン ドは ドイ ツ
と ソ 連 に 再 分 割 さ れ て い たが 、 ソ 連 占 領 地 区 で 捕 虜 とな っ た ポ ー ラ ン ド軍 将 校 お よ そ8000人
の 行 方 が わ か ら な く な っ た 。1943年
ソ 連 へ 侵 攻 し た ドイ ツ 軍 が カ チ
ン の 森 で 数 千 の ポ ー ラ ン ド軍 の 死 体 を 確 認 し た が 、 ソ連 側 は こ れ を ドイ ツ 軍 の 犯 行 と 主 張 し、 真 相 は 謎 の ま ま で あ っ た。 そ の 後 、 ソ 連 に ゴ ル バ チ ョ フ (〓Gorbachev, (〓Glasnost:
Mikhail
Sergeyevich)
書 記 長 が 現 れ、
グ ラ ス ノ ス チ
情 報 公 開 )政 策 を 押 し す す め た 結 果 、 ポ ー ラ ン ド と の 間 に 歴 史 家
委 員 会 を 設 置 して 究 明 に あ た る こ と に な っ た 。89年 、 ポ ー ラ ン ドの 雑 誌 『オ ド ロ ゼ ニ ュ (Odrodzenie:
解 放 )』は 委 員 会 の 結 論 を 待 た ず に 当 時 の 史 料 を 含 め た 詳 細
な 記 事 を 発 表 、 ソ連 側 の 虐 殺 行 為 が 明 白 とな っ た 。 こ れ を 受 け 、90年
ソ連 は こ
の 事 件 に つ い て ポ ー ラ ン ドに 公 式 謝 罪 して い る 。
Kellogg-Briand
Pact(1928)
ケ ロ ッ グ ・ブ リ ア ン 協 定 パ リ 不 戦 条 約 (Treaty
も い う 。1927年
フ ラ ン ス 外 相 ブ リ ア ン (〓Briand,
リ カ 国 務 長 官 ケ ロ ッ グ (Kellogg,
Frank
for
the
Renunciation
Aristide)
of War)
と
の 呼 びか けに 、 ア メ
Billings) が 応 じ た 両 国 間 の 不 戦 条 約 と す
る 予 定 で あ っ た 。 し か し、 ア メ リカ 国 内 の 反 響 が 大 き く、 逆 に ケ ロ ッ グ の 提 唱 で 国 際 紛 争 を 放 棄 す る た め の 一 般 条 約 と さ れ 、 パ リに お い て ア メ リ カ ・フ ラ ン ス に
加 え て 、 イ ギ リ ス 、 ド イ ツ 、 イ タ リ ア 、 日 本 な ど15カ 国 の 調 印 で 成 立 した 。 そ の 後 、 ソ 連 を は じ め63カ
国 が加 入 して歴 史 的 に画 期 的 な意 義 を もつ 条 約 とな っ
た 。 し か し、 自衛 戦 争 を 認 め 制 裁 規 定 が 欠 け て い る な どの 点 か ら実 際 に は 道 徳 的 効 果 しか な か っ た 。31年 満 洲 事 変 ( 〓Manchurian エ チ オ ピ ア 戦 争 (〓Italo-Abyssinian
Kemal
Ataturk
〓Kemal,
Kemal,
Incident) や35年
イ タ リア
ケ マ ル ・ア タ テ ュ ル ク
Mustafa
Mustafa(1881∼1938)
ケ マル
ト ル コ 共 和 国 建 国 者 で 、 初 代 大 統 領 (任1923∼38) パ シ ャ (Kemal
Pash)
、 ケ マル
シ ャ の サ ロ ニ カ (Salonika)
・ ア タ テ ュ ル ク (Kemal
の 生 ま れ 。 第1次
ダ ー ダ ネ ル ス 海 峡 (〓Dardanelles)
Ataturk)
。 ケマ ル
War
I) で は 、
・フ ラン ス と戦 い 、 こ
、戦 勝 国 とな っ た ギ リシ ャが 敗 戦
国 ト ル コ の 領 土 に 侵 攻 す る と 、 ギ リ シ ャ ・ ト ル コ 戦 争 (〓Greco-Turkish 起 こ し て 交 戦 し た 。20年 国 民 会 議 (National
Assembly)
を 開 設 。 同 年8月 Treaty
撃 退 し て 領 土 を 奪 回 し た 。23年
Treaty
に は ス ル タ ン 制 (〓Sultan:
廃 し て 、 共 和 国 の 成 立 と と も に 大 統 領 に 就 任 し た 。 以 後3選 、 議 会 よ り ア タ テ ュ ル ク (Ataturk:
Empire(
John
して トル コ の 近 代 化
で 死 亡 。 な お、 ム ス タ
・高 級 官 僚 へ 与 え ら れ た 称 号 で あ る 。
オ ス マ ン ・トル コ帝 国)
Fitzgerald(1917∼63)
ジ ョ ン ・F・ ケ ネ デ ィ ア メ リ カ の 政 治 家 。 第35代
大 統 領 (任1961∼63)
実 業 家 と し て 知 ら れ 、 イ ギ リ ス 大 使 も 務 め た 父 ジ ョ ゼ フ (Kennedy, 男。 ハ ー バ ー War
ド 大 学 (Harvard
II) に 従 軍 し 負 傷 。1946年
(Democratic
Party)
of) を 結 ん
専 制 君 主 制 )を
父 な る ト ル コ 人 )の 称 号 を
贈 ら れ た が 、 肝 臓 病 の た め に イ ス タ ン ブ ー ル (Istanbul)
〓Ottoman
ま で に ギ リ シ ャ軍 を
ロ ー ザ ン ヌ 条 約 (〓Lausanne,
フ ァ と は 「完 全 」の 意 で 、 パ シ ャ は 軍 司 令 官
を
に トル コ大
、連 合 国側 へ の領 土 割 譲 を決 め
of) の 批 准 を 拒 否 、22年
で 、 セ ー ブ ル 条 約 を 破 棄 。 同 年11月
に 尽 力 し た 。34年
War)
に は 国 民 党 を 組 織 し て 、 ア ン カ ラ (Ankara)
た セ ー ブ ル 条 約 (〓S〓vres,
・
と も い う。 ギ リ
世 界 大 戦 (〓World
や 東 部 国境 で イ ギ リス
れ を 死 守 し て 名 声 を 得 た 。 戦 後 、1919年5月
Kennedy,
・
War) な どが 起 こ り事 実 上 無 意 味 と さ れ た 。
University)
卒 業 後 、 第2次
世 界 大 戦 (〓World
マ サ チ ュ ー セ ッ ツ (Massachusetts)
下 院 議 員 と な り 、52年
。
Josef) の 次
上 院 議 員 に 当 選 。60年
州 よ り民 主 党 の 大統 領 選 挙
で は 、 「ニ ュ ー ・ フ ロ ン テ ィ ア (New
Frontier)
」を 旗 印 に 共 和 党 (Republican
Party)
Milhous)
を破 り、 カ ト リ ッ ク 教 徒 初 の 大
の ニ ク ソ ン (〓Nixon,
Richard
統 領 と な っ た 。 ソ 連 の フ ル シ チ ョ フ (〓Khrushchev,
Nikita
Sergeyevich)
書 記
長 と積 極 的 な 交 渉 を 行 い 、 冷 戦 ( 〓Cold 革 命 侵 攻 に は 失 敗 し た が 、62年
War) 緩 和 に 努 め た 。61年
の キ ュ ー バ 危 機 (〓Cuban
の キ ューバ 反
Crisis)で は 、 ソ 連 ミ
サ イ ル の キ ュ ー バ 持 ち 込 み を 阻 止 し た 。 こ れ に よ り、 翌63年
には 部 分的 核 実 験
停 止 条 約 (Test-Ban Treaty) が 調 印 され 、 世 界 の 多 く の 国 々 が こ れ に 参 加 し た 。 一 方 、 内政 面 で は宇 宙開 発や 新 公 民権 法 ( 〓Civil Rights Acts) を 提 案 す る な ど し て い る。63年11月22日
、 テ キ サ ス (Texas)州 ダ ラ ス (Dallas)を 遊 説 中 、 狙 撃 さ
れ 死 亡。 暗 殺 事 件 の 背 後 関 係 は 未 だ 解 明 され て い な い 。 同 年 、 副 大 統 領 の ジ ョン ソン ( 〓Johnson, Kenya
Lyndon
Baines) が 大 統 領 に 昇 格 し た 。
ケニア ア フ リ カ 東 部 の 共 和 国 で 、 赤 道 直 下 の 地 域 。 首 都 ナ イ ロ ビ (Nairobi)。
イ ギ リス 連 邦 ( 〓British
Commonwealth)
に 所 属 して い る。7世
家 が つ く ら れ 、 ス ワ ヒ リ文 化 が 栄 え た。16世 そ の 後19世
紀 に ア ラブ人 国
紀 頃 か ら は ポ ル トガ ル 人 が 進 出 し、
紀 末 に は イ ギ リス の 支 配 下 に 入 っ た 。1903年
モ ン バ サ (Mombasa)
∼ ウ ガ ン ダ (Uganda) 間 に 鉄 道 が 完 成 す る と 、 白 人 の 数 が 急 増 し、20年 リ ス 領 ケ ニ ア 植 民 地 と な っ た 。 反 英 民 族 主 義 が 高 ま る 中 、60年 カ 人 民 族 同 盟 (KANU:
Kenya
主 同 盟 (KADU:
African
Kenya
African
National
Democratic
2002年
が 大 統 領 とな り、 反 共
ケニ ア ・ ア フ リ
Union) や ケ ニ ア ・ ア フ リ カ 民
Union) が 結 成 さ れ 、63年
か ら 独 立 、 翌 年 共 和 制 に 移 行 し た 。KANU総 Jomo)
にはイギ
イギ リス
裁 の ケ ニ ヤ ッ タ (〓Kenyatta,
・ 親 欧 的 外 交 姿 勢 で 経 済 成 長 を 果 た して き た が 、
に 政 権 交 代 。 国 民 投 票 を め ぐ り05年 に は 国 内 で 暴 動 が 発 生 し、 約50万
人
の難 民 を生 ん だ。 〓p.283図
解6「 ア フ リ カ の分 割」
〓p.330地
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
Kenyatta,
Jomo(1891∼1978)
ケ ニヤ ッタ
ケ ニ ア の政 治 家。 民族 運 動 指 導 者 、 共 和 国 初 代 大 統 領 ( 任 1964∼78) Central
。 キ ク ユ 族 (Kikuyu) 出 身 。1928年
Association)
を 展 開 。31年
渡 英 し、 ロ ン ド ン大 学 (London,
年 キ ク ユ 中 央 協 会 は 解 散 さ せ ら れ た が 、44年 (KANU:
Kenya
、 キ ク ユ 中 央 協 会 (Kikuyu
を 結 成 し、 イ ギ リ ス 人 に 奪 わ れ た 土 地 の 返 還 を 求 め て 闘 争
African
National
University
of)で 学 位 を 得 た 。39
ケ ニ ア ・ ア フ リカ 人民 族 同 盟
Union) を つ く り、47年
反 英 民 族 主 義 運 動 で あ る52年 の マ ウ マ ウ 団 事 件 (Mau
Mau
に は 総 裁 とな っ た 。 Campaigns)
では、
煽 動 罪 で 逮 捕 され 、 釈 放 後 も地 方 へ 追 放 さ れ た 。 こ の イ ギ リ ス の 弾 圧 が 逆 に 独 立 運 動 を 激 化 させ 、63年 独 立 を 達 成 した 。 同年 の 選 挙 で 、 自 ら党 首 を 務 め る ケ ニ ア ・ ア フ リ カ 人 民 族 同 盟 が 大 勝 。 首 相 に 就 任 し、 翌 年 大 統 領 と な っ た 。 親 欧 米 の 外 資 導 入 型 の 政 策 で 経 済 発 展 に貢 献 した 。69年 に は大 統 領 に 再 選 、終 身 大 統 領 と な る 。
〓Kenya
Kerensky,
Alexander
Fyodorovich(1881∼1970)
ケ レ ンス キー ロ シ ア の 政 治 家 。 社 会 革 命 党 (Socialist
Revolutionary University)
Party)
の 指 導 者 。1904年
ペ テ ル ブ ル ク 大 学 (St. Petersburg
卒 業 後 、 弁 護 士 活 動 を 行 う 。12年
界 大 戦 (〓World
War
第4国
State
会 の 議 員 に な り 、 第1次
世
I) 中 は 社 会 排 外 主 義 者 と し て 主 戦 派 に 属 し た 。17年3月
の ロ シ ア 革 命 (〓Russian
Revolution)
で、 ペ トロ グ ラー ド
臨 時 政 府 の 法 相 、 陸 海 相 を 歴 任 し た 。7月 争 継 続 を 主 張 し た 。 同 年10月
・ ソ ビ エ ト副 議 長 、
に 首 相 に な る と、 連 合 国 と 協 調 し て 戦
革 命 (〓October
Revolution)
の 勃 発 に よ り失 脚 し 、
フ ラ ン ス 、 ア メ リカ な ど に 亡 命 し た 。
Keynes,
John
Maynard(1883∼1946)
ケ イ ン ズ
イ ギ (Cambridge,
University
時 、母 校 の キ ン グス
リ ス の 経 済 学 者 。1905年
of)数 学 科 を 卒 業 し た 後 、08年
・ カ レ ッ ジ (King's
College)
年 か ら 『エ コ ノ ミ ッ ク
・ ジ ャ ー ナ ル (Economic
次 世 界 大 戦 (〓World
War
(〓Paris
Peace
ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学
ま で イ ン ド省 に 勤 務 。 一
に 戻 り 貨 幣 理 論 を 研 究 し た 。11 Journal)
』の 編 集 者 と な り 、 第1
I) 勃 発 後 は 大 蔵 省 に 在 職 し た 。 戦 後 、 パ リ 講 和 会 議
Settlement)
に大蔵 省 首 席 代表 として出 席 したが 、 平和 条 約 の 内
容 に 不 満 を 示 し て 辞 任 し た 。 こ の と き の 見 解 は 『平 和 の 経 済 的 帰 結 (Economic Consequences
of
the
Peace)
』に 納 め ら れ て い る 。36年
利 子 及 び 貨 幣 の 一 般 理 論 (General Money)
Theory
Interest,
and
Deal) の 指 導 理 論 と な っ て い る 。
ク ー ・ク ラ ッ ク ス ・ク ラ ン
〓Ku
Khan,
に 著 さ れ た 主 著 『雇 用 、
Employment,
』に よ っ て 自 由 放 任 主 義 経 済 の 欠 陥 を 指 摘 し 、「ケ イ ン ズ 革 命 」と 称 さ れ た 。
後 の ア メ リ カ 、 ニ ュ ー デ ィ ー ル 政 策 (〓New
KKK
of
Klux
Klan
Mohammed
Ayub(1907∼74)
ム ハ ン マ ド ・ア ユ ー ブ ・ハ ー ン
パ キ ス タ ンの 軍 人、 政 治 家 。 大 統 領 ( 任1958∼69) 現 パ キ ス タ ン 領 内 に 生 ま れ 、 イ ギ リ ス の 陸 軍 士 官 学 校 へ 進 学 。27年 さ れ る と、 第2次
世 界 大戦 ( 〓World
War
II)で は ビ ル マ 戦 線 を 指 揮 し た 。 戦 後 、
47年 イ ン ド ・ パ キ ス タ ン の 分 離 独 立 に 際 し て は パ キ ス タ ン側 に つ い た 。51年 キ ス タ ン 陸 軍 初 の 総 司 令 官 と な る と 、 文 官 の 政 治 に 満 足 せ ず 、58年 タ ー で 大 統 領 に 就 く。62年
。
将 校に任官
新 憲 法 を 発 布 し 、64年
親 中 ソ路 線 を展 開 。 高 度 成 長 期 を 現 出 し た が 、第2次
パ
無 血 クー デ
の選 挙 に勝 利 。 外交 は 反 米 、 印 パ 戦 争 (〓India-Pakistan
War) 後 は 、 所 得 不 平 等 な どの 批 判 が 相 次 い だ 。68年 病 に 倒 れ る と国 内 に 反 乱 が 起 こ り、70年
の 大 統 領 選 挙 不 出 馬 を 宣 言 した が 治 ま ら ず 、69年
辞任 して ヤ ヒ ア
将 軍 (Yahya Khan) に 権 力 委 譲 。 以 後 、 政 界 か ら は 完 全 に身 を 引 い た。 〓Pakistan
Khrushchev,
Nikita
Sergeyevich(1894∼1971)
フ ル シチ ョフ
ソ連 の 政 治 家 。 首 相 ( 任1958∼64) 党 入 党 。38年
ウ ク ラ イ ナ 共 和 国 第1書
。1918年
共産
記 に な り、 社 会 主 義 を 指 導 し た 。41年
、
ナ チ ス ・ ドイ ツ ( 〓Nazis) が ソ連 に 対 し て 一 方 的 攻 撃 を しか け る と と もに 軍 に 入 り、 ウ ク ラ イ ナ 防 衛 に 貢 献 し た 。44年 ソ 連 共 産 党 中 央 委 員 会 書 記 、52年 Josef
Vissarionovich)
展 開 。56年2月
に は ウ ク ラ イ ナ 首 相 とな り、49年 か ら は
同 幹 部 会 員 を 歴 任 。53年
の 死 後 、 党 第1書
の 第20回
ス タ ー リン ( 〓Stalin,
記 に 就 任 し、 西 側 との 平 和 共 存 政 策 を
党 大 会 で は ス タ ー リ ン批 判 を 行 っ た 。 集 団 指 導 体 制 を
確 立 させ た が 、 共 産 主 義 運 動 の 路 線 を め ぐっ て 中 国 と の 国 家 的 対 立 に ま で 発 展 し た 、 い わ ゆ る 中 ソ 論 争 (Ideological Conflict 1書 記 の ま ま ブ ル ガ ー ニ ン (〓Bulganin,
with
Nikolai
相 とな る 。63年 部 分 的 核 実 験 停 止 条 約 (Test-Ban そ の 指 導 の 誤 りを 問 わ れ 、64年10月
China) を 招 い た 。58年 、 党 第 Alexandrovich)
に代 わ って 首
Treaty) を 成 立 させ た が 、 後 に
ブ レジネ フ( 〓Brezhnev,
Leonid
Ilyich) ら
の 工 作 に よ り健 康 を 害 した との 理 由 で 解 任 さ れ た 。 King,
Martin
キ ン グ牧 師 ( マ ー テ ィ ン ・ル ー サ ー ・キ ン グ )
Luther(1929∼68)
ア メ リ カ の 牧 師 、 黒 人解 放 運 動 指 導 者 。 ジ ョ ー ジ ア (Georgia) 州 ア トラ ン タ (Atlanta)生 まれ 。 ボ ス ト ン大 学 (Boston
University)
博 士 号 を得 る。1955年
(Montgomery)
、 ア ラバ マ (Alabama) 州 モ ン ト ゴ メ リー
の 牧 師 を し て い た と き に 、 バ ス ・ボ イ コ ッ ト闘 争 (Montgomery 勝 利 に 導 き、 以 来 黒 人 公 民 権 運 動 (Civil Rights
Movement)
Prize)受 賞 。 しか し、
(Tennessee) 州 メ ン フ ィ ス (Memphis) で 黒 人 清 掃 労 働 者 争 議 の 応
援 演 説 中 に 暗 殺 さ れ た 。 犯 人 は 禁 固99年 議 会 は83年 キ ン グ 牧 師 の 誕 生 日1月15日 グ ・ホ リ デ イ (Martin Luther
Kissinger,
Henry
King
Alfred(1923∼)
の 判 決 を 受 け た。 な お 、 ア メ リ カ 連 邦 に ち な ん で 、1月
第3月
キ ッシ ン ジ ャー
の 迫 害 を 逃 れ て1938年
バ ー ド 大 学 (Harvard ア ー (〓Eisenhower,
University) Dwight
曜 日 を 「キ ン
Jr.'s Day) 」と し て 祝 日 と した 。
ア メ リカ の 政 治 家 。 ユ ダヤ 系 (〓Nazis)
Bus Boycott) を
の 先 頭 に た つ 。 非暴
力 主 義 の 立 場 を 堅 持 し、64年 ノ ー ベ ル平 和 賞 (Nobel Peace 68年 テ ネ シ ー
で
ア メ リ カ に 移 住 し 、43年
ドイ ツ 人 で 、 ナ チ ス
に市 民 権 を 獲 得 。 ハ ー
卒 業 後 、 同 大 学 教 授 とな っ た 。 ア イ ゼ ン ハ ウ
David)
、 ケ ネ デ ィ (〓Kennedy,
John
Fitzgerald)
、
ジ ョ ン ソ ン (〓Johnson, (New
York)
Lyndon
Baines)3政
フ ォ ー ド (〓Ford, 別 補 佐 官 や73年
Gerald ∼77年
Rudolph)
Peace
に か け て 国 務 長 官 (Secretary
Prize) を 受 賞 。72年
Richard
Milhous)
、
政 権 下 で は国家 安全 保 障問 題 担 当大統領 特
間 ベ トナ ム 和 平 と ア メ リ カ 軍 の ベ (Nobel
権 の 顧 問 を 担 当 し、 ニ ュ ー ヨー ク
州 知 事 の 顧 問 も 務 め た 。 ニ ク ソ ン (〓Nixon,
of
State) を 歴 任 し た 。 こ の
ト ナ ム 撤 退 を う け て 、73年
ノー ベ ル平 和 賞
の ニ ク ソ ン 訪 中 、 米 中 関 係 正 常 化 、 日本 へ の
沖 縄 返 還 や ニ ク ソ ン 訪 ソ か ら ソ 連 と の 緊 張 緩 和 (〓D〓tente)
への進 展 な どに尽 力。
平 和 共 存 、 安 定 的 国 際 秩 序 づ く り を 目 指 す 現 実 主 義 外 交 を 展 開 し た が 、76年
の
フ ォ ー ド敗 北 を機 に 退 陣 。
Kitchener,
Horatio
Herbert(1850∼1916)
キ
ッ チ ナ ー
イ ギ リ ス の 陸 軍 元 帥 。1882年 ス 支 配 下 と な っ た エ ジ プ トに 入 り、84年 た ゴ ー ドン ( 〓Gordon,
Charles
George) 将 軍 の 救 援 軍 に 加 わ っ た 。 エ ジ プ ト軍
司 令 官 時 代 ス ー ダ ン に 侵 攻 し、98年 (〓Fashoda
少佐 としてイ ギ リ
に は スー ダ ンの反 乱 鎮 圧 にあ た っ て い
フ ラ ン ス との間 に起 き た フ ァシ ョダ事 件
Incident) の 当 事 者 とな っ た 。 そ の 後 ブ ー ル 戦 争 ( 〓Boer
経 て 、 イ ン ド軍 総 司 令 官 や エ ジ プ ト総 督 を 歴 任 。1909年 界 大 戦 (〓World
War
Wars) を
元 帥 と な る 。 第1次
I)の と き 、 陸 軍 大 臣 を務 め た。16年
世
ロ シ ア との 軍 事 協 議
に 向 か う途 中 、 ス コ ッ トラ ン ド北 岸 オ ー ク ニ ー (Orkney) 島 沖 で ドイ ツ の 機 雷 に 触 れ死 亡 。 Kolchak,
Alexander
Vasilievich(1874∼1920)
コル チ ャー ク
ロ シ ア の 海 軍 大 将 、 反 革 命 家 。1894年 軍 兵 学 校 卒 業 。1904年
日 露 戦 争 (〓Russo-Japanese
軍 再 建 に 尽 く し た 。 第1次 Sea) 、 黒 海 (〓Black
世 界 大 戦 (〓World
War
I)で は 、 バ ル ト海 (Baltic
Sea) な どで 活 躍 して い た が 、17年
帰 路 、 ソ ビ エ ト政 権 の 誕 生 を 知 る。18年
、海
War) に 従 軍 し、 戦 後 の 海
ア メ リカへ 派遣 され た。
シ ベ リ ア へ 渡 り、 イ ギ リ ス 支 持 の も と
で オ ム ス ク (Omsk) に 樹 立 され た 反 革 命 政 府 の 陸 海 相 を 務 め る。 後 、 ク ー デ タ ー で 政 権 を 握 り、 ロ シ ア 最 高 統 治 者 を 自 称 。 一 時 は30万 の 兵 を 有 す る 勢 力 で あ っ た が 、19年
に オ ム ス ク は 陥 落 。 赤 軍 (Red Army:
ソ 連 軍 )に 追 わ れ 逃 走 中 、 イ ル
ク ー ツ ク (Irkutsk)で チ ェ ク 人 (Czechs) に銃 殺 され た 。
Kolkhoz(Kulals)
〓Collective
コル ホ ーズ
farm
Korea
朝鮮 ア ジ ア大 陸 東 辺 に突 出 す る半 島 地 域 。 北 に 中 国 ・ロ シ ア と 国 境 を 接 す
る 地 は 、 日本 海 、東 シ ナ 海 (East China 紀 元 前4世
Sea) 、黄 海 (Huang
Hai) に 囲 ま れ て い る 。
紀 頃 か ら 部 族 国 家 を 形 成 す る が 、 紀 元 前108年
ti) に よ っ て4群
(百 済 :Paekche、
漢 (Han)の 武 帝 (Wu
新 羅 :Silla、 任 那 :Imna、
が 設 け ら れ て 以 来 、 た び た び 中 国 の 支 配 下 に お か れ た 。7世 統 一 し、10世
紀 高 麗 が こ れ に 代 わ っ た 。14世
高 麗 :Ko-ryo)
紀 末 、 新 羅が 半 島 を
紀 末 に は 李 氏 朝 鮮 (Ri-tsi Jo-son)
が 建 国 さ れ た が 、 そ の 間13世 紀 に は モ ン ゴ ル 、16世 紀 に は 日 本 の 侵 略 を 受 け て い る 。1910年 れ た 。46年
日本 に 併 合 さ れ た が 、 第2次 ∼47年
世 界 大 戦 (〓World
War
II)後 解 放 さ
に か け て の 米 ソ共 同 委 員 会 に よ る朝 鮮 統 一 の 試 み が 失 敗 に 終
わ る と、北 緯38度 線 を 軍 事 分 界 線 と して 北 に は朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 ( 北朝鮮 : Democratic
People's
Republic
Korea) が 成 立 し た 。50年
of Korea) 、 南 に は 大 韓 民 国 ( 韓 国
∼53年 朝 鮮 戦 争 ( 〓Korean
:Republic
of
War) が 発 生 し、 以 後 も緊
張 と対 話 の 機 運 の 間 を 揺 れ 動 い て い る 。 〓p.332地 Korean
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
War(1950∼53)
朝 鮮戦 争 1950年
War
、 朝 鮮 半 島 に 起 こ っ た 戦 争 。 第2次
世 界 大戦 ( 〓World
II)後 、 朝 鮮 は 日本 の 支 配 か ら転 じ て38度 線 を 境 に 北 は ソ連 、 南 は ア メ リ カ
に 占 領 さ れ た 。46年
∼47年
米 ソ 共 同 委 員 会 に よ っ て 朝 鮮 統 一 が 協 議 され た が 失
敗 し、 朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 (北 朝 鮮 Korea) と大 韓 民 国 ( 韓 国 :Republic
:Democratic
People's
Republic
of Korea) の 二 国 が 成 立 し た 。50年
軍 は 境 界 付 近 で 衝 突 して い た が 、6月25日
of
以 来両 国
北 朝 鮮 が 南 側 に侵 入 して 、戦 端 が 開
か れ た 。 北 軍 は 一 時 釜 山 (Pusan) に 迫 っ た が 、 ア メ リ カ は 南 軍 支 援 の た め に 国 連 提 訴 に 出 た 。 国 連 軍 が 仁 川 (Inchon) に 上 陸 し て 事 態 は 一 変 し、 鴨 緑 江 (Amnokgang)
ま で 進 出 した 。 こ れ に 対 し て 中 国 義 勇 軍 が 北 軍 に 派 遣 さ れ る と 、
国 連 軍 も後 退 し、 結 局38度
線 付 近 で 膠 着 し た 。 ソ連 の 仲 介 で51年7月
が も た れ 、 板 門 店 (Phan-mun-jom)
で53年7月
和平会談
休 戦 協 定 が 成 立 し た。 しか し 、
南 北 朝 鮮 の 分 裂 は な お 解 消 され て い な い 。 〓Korea
Kosygin,
Alexei
Nikolayevich(1904∼80)
コ スイ ギ ン
ソ連 の 政 治 家 。 首 相 ( 任1964∼80) ラ ー ド (Leningrad: Revolution)
。 レニ ン グ
現 サ ン ク トペ テ ル ブ ル ク )生 ま れ 。 ロ シ ア 革 命 ( 〓Russian
後 、1919年
27年 共 産 党 に 入 党 。38年
∼21年 赤 軍 (Red Army: ∼39年
ソ 連 軍 )の 志 願 兵 と な っ た 後 、
レ ニ ン グ ラ ー ド市 長 を 務 め た 。39年
大 会 で 頭 角 を 現 し、 中 央 委 員 と な っ て 、43年
∼46年
の 第18回
党
ロシ ア共 和 国 人 民委 員 会 議
長 に 就 い た 。53年
ス タ ー リ ン (〓Stalin,
工 業 相 と な り 、59年 ∼60年 60年
Josef
Vissarionovich)
よ り 党 中 央 委 員 会 幹 部 会 員 と な り 、 第1副
(〓Khrushchev,
死 後 の改 革 で軽
に かけ て は国家 計 画 委 員会議 長 な どの要 職 を歴任 した。
Nikita
Sergeyevich)
ブ レ ジ ネ フ (〓Brezhnev,
Leonid
首 相 を務 め た。 フル シ チ ョ フ
の 失 脚 を う け て64年
首 相 に 就 任 し、 後 輩
Ilyich) を 終 生 補 佐 し た が 、 病 気 を 理 由 に80年
辞 任 。 その 直 後 に死 亡 した。
Ku
Klux
Klan(KKK)
ク ー ・ク ラ ッ ク ス ・ ク ラ ン
ア メ リ カ ・テ ネ シ ー (Tennessee) 州 に生 まれ た 白 人 に よ る 秘 密 結 社 で 、 略 称KKK。
名 称 の 由 来 は 、 ギ リ シ ャ語 で 「輪 」を 表 す
キ ュ ク ロ ス (Kuklos) と ケ ル ト語 の 「 子 孫 」に あ た る ク ラ ン (Klan)に あ る 。 南 北 戦 争 ( 〓Civil
War) 後 の1866年
、 南 部 地 方 に 黒 人 差 別 ・白 人 優 位 の た め の 組 織 と し
て 結 成 さ れ た 。 黒 人 に 対 す る リ ン チ 、 放 火 、 殺 人 が 頻 発 した た め 、70年 の 取 り締 りが 強 化 さ れ War
一 時 は 勢 力 が 衰 え た。 し か し、 第1次
代政府
世界大戦 ( 〓World
I)後 、 反 黒 人 、 反 ユ ダ ヤ 人 、 反 カ ト リ ッ ク、 反 社 会 主 義 の 組 織 と して 復 活 。
1922年
に は500万
人 の 会 員 を 擁 した と い う。 そ の 後 、 内 部 ス キ ャ ン ダ ル な どで
勢 力 を 減 じ た が 、 南 部 の 一 部 に な お 存 在 し て い る。 白衣 に 自 マ ス ク の い で た ち で 熱 狂 的 儀 式 を 行 う こ とで 知 られ た が 、 近 年 は 多 様 化 。 人 種 差 別 主 義 の 象 徴 と され る。
Kulturkampf(1871∼80)
文化 闘 争
1871年
∼80年
に 、 ドイ ツ 首 相 ビ ス マ ル ク (〓Bismarck,
Otto
von) が と っ た カ ト リ ッ ク 抑 圧 策 。 非 開 化 主 義 に 対 す る 文 化 闘 争 (Cultural Struggle) の 意 。 西 南 ドイ ツ で は カ ト リ ッ ク が 根 強 か っ た た め 、 プ ロ テ ス タ ン ト 国 で あ る プ ロイ セ ン ( 〓Prussia) が 主 導 す る統 一 ド イ ツ に 対 して は 、 敵 対 的 な 地 方 分 立 主 義 を と っ て い た 。 こ う し た 地 方 で は 中 央 党 (Center
Party) が 組 織 さ れ 、
反 プ ロ イ セ ン 色 を鮮 明 に し て い た 。 こ れ に 対 し、 ビ ス マ ル ク は 文 化 闘 争 と して 政 教 分 離 を 図 る諸 政 策 を 打 ち 出 し た の だ が 、1875年
教 皇 ピ ウ ス9世
( 〓Pius
よ っ て 無 効 と さ れ た 。 さ ら に 社 会 主 義 勢 力 の 進 出 を 受 け て 妥 協 し、80年
IX)に 大 部分
の 反 カ ト リ ッ ク 法 を 廃 止 し た 。 以 後 ビ ス マ ル ク は 中 央 党 の 支 持 も取 りつ け る よ う に なっ た。 Kuomintang/Guomindang
国 民党 ( 中国 ) 1919年
Shan)
の 組 織 し た 中 華 民 国 (〓Chinese
(Revolutionary Adolf)
Alliance)
、
孫
文 ( 〓Sun
Republic)
を 前 身 と し て い る 。23年
Yat-sen/Sun
Zhong
の 政 党 で、 中 国 革 命 同 盟 会 ソ連 代 表 ヨ ッ フ ェ
(Ioffe,
の 来 訪 を き っ か け と して 、 共 産 党 と の 協 力 体 制 を 支 持 し ( 連 ソ 容 共 政 策 )、
翌24年 中 国 共 産 党 と と も に 国 民 革 命 軍 を 組 織 した ( 第1次 Front) 。25年
孫 文 の 死 後 、26年
Jieshih) が 北 京 (〓Beijing/Peking) 伐
:Northern
Expedition)
した ( 国 共 分 裂 )。28年 民 政 府 (National ( 〓Xi'an
国共合作
か ら 蒋 介 石 (〓Chiang
制 圧 の た め 北 方 へ の 進 軍 を 開 始 す る と (北
、27年
に は 一 転 し て 反 共 宣 言 を 発 して 共 産 党 と分 離
、蒋 介 石が 南京 ( 〓Nanjing/Nanking)
Government)
:〓United
Kai-shek/Jiang
に国 民党独 裁 の 国
を 樹 立 、 北 伐 は 完 了 し た。36年
の西 安 事 件
Incident) を 契 機 に 、 抗 日民 族 統 一 戦 線 の 形 成 を 共 通 の 目 的 と し て 第2
次 国 共 合 作 が 成 立 し た が 、38年 次 世 界 大 戦 (〓World
War
以 降 は 再 び 共 産 党 と の 間 で 内 戦 が 展 開 し、 第2
II)後 、指 導 権 争 い か ら再 び 分 裂 した (国 共 内 戦 )。49年 、
共産 党 に追 われ た国 民党 右 派 は台 湾 ( 〓Taiwan/Formosa)
へ 逃走 。 一方 、 同 党
左 派 は共 産 党 側 に つ い て 中華 人 民 共 和 国 (People's Republic
of China) の 成 立 に
加 わ っ た 。 こ れ に よ り党 勢 は ま っ た く衰 退 し て し ま っ た 。 た だ し 、 国 民 党 は 台 湾 で 現 在 も残 存 して お り、 蒋 経 國 (Chiang Denghui/Lee Kurd
Ching-kuo)
を 経 て88年
か ら李 登 輝 ( 〓Li
Teng-hui) が 首 席 の 座 に 就 い て い る。
ク ル ド人 トル コ 、 イ ラ ク 、 イ ラ ン、 シ リ ア 、 アゼ ル バ イ ジ ャ ン、 ア ル メ ニ ア な ど
の 国 に 居 住 す る民 族 。 そ の 居 住 地 は ク ル デ ィ ス タ ン (Kurdistan) と呼 ば れ 、1000 万 人 以 上 の 人 口 を擁 し な が ら、 国 家 を持 た ず 、 そ れ ぞ れ の 国 で 少 数 民 族 と して 生 活 す る。 言 語 的 に は イ ラ ン語 族 に 属 す る が 、 混 血 が 著 し い 。 独 立 運 動 や 自 治 獲 得 運 動 が 活 発 化 し、 一 方 で は大 量 虐 殺 も行 わ れ て い る 。 イ ラ ク北 部 で は 、 湾 岸 戦 争 ( 〓Gulf
War) の 後 に は 多 国 籍 軍 の 庇 護 の も と、 一 種 の 独 立 状 態 が 維 持 さ れ て い
る。 Kyoto
Protocol
京 都 議定 書 1997年
会 議 (COP3、 書 。2008∼12年 gas: GHG)6種 日 本6%
に 京 都 で 開 催 され た 第3回 気 候 変 動 枠 組 条 約 締 約 国
地 球 温 暖 化 防 止 京 都 会 議 )で 採 択 さ れ た 気 候 変 動 枠 組 条 約 の 議 定 の 間 に 、 二 酸 化 炭 素 を 中 心 と し た 温 室 効 果 ガ ス (greenhouse の 排 出 削 減 目標 を 先 進 国 に 対 して 定 め て い る (1990年
、 ア メ リ カ7%
、EU8%
と比 較 して 、
な ど、 先 進 国 全 体 で5.2% の 削 減 )。 開 発 途 上
国 に は排 出 量 削 減 を 求 め て い な い が 、最 大 の 排 出 国 で あ る ア メ リカ が 批 准 を 拒 む な ど課 題 が 残 さ れ て い る 。
L Labour
governments
労働 党 内 閣 1924年1月22日
2009年
現 在 ま で に6人
、イ ギ リス 初 の 労 働 党 の 政 権 が 誕 生 以 来 、
の 党 首 が 首 相 に 就 い て い る 。 年 表 形 式 に 表 記 す る と、 以
下 の と お り。 1924.1∼1924.11:
第1次
マ ク ド ナ ル ド (〓MacDonald,
1929.6∼1931.8:
第2次
マ ク ドナ ル ド 内 閣
1945.7∼1950.2:
第1次
ア ト リ ー (〓Attlee,
1950.2∼1951.10:
第2次
1964.10∼1966.3:
第1次
Clement
ウ ィ ル ソ ン (〓Wilson,
第2次
ウ ィル ソ ン内閣
1974.3∼1976.3:
第3次
ウ ィル ソ ン内閣
1976.3∼1979.5:
キ ャ ラ ハ ン (〓Callaghan,
1997.5∼2001.6:
第1次
ブ レ ア (Blair, Anthony
2001.6∼2005.5:
第2次
ブ レア 内閣
第3次
ブ レア 内閣
2007.6∼
Labour
:第1次
Party
会 (Fabian
Society)
ら が 協
Representation
力
選 挙 で 第2党
、
し て65の
Committee)
改 称 し た 。18年
James
内閣
Lyndon)
内閣
Gordon)
会
民
主
を 結 成 。06年
連
(〓Hardie,
Labour 盟 (SDF:
第2次
マ
Social
Democratic
に よ る 労 働 代 表 委 員 会 (Labour の 総 選 挙 で 大 き く進 出 し、 労 働 党 と
ク
ドナ ル
閣 (〓Churchill, Clement
War Sir
ド (〓MacDonald,
の 総 James
Party) の 閣 外 協 力 を 得 て 初 の 労 働 党 内 閣 を つ く っ
マ ク ド ナ ル ド 内 閣 が 組 閣 さ れ た が 、 世 界 恐 慌 (〓Great
に よ る 混 乱 で マ ク ド ナ ル ド が 離 党 、31年
世 界 大 戦 (〓World
James
Party) 、 フ ェ ビ
党 改 革 を 行 い 個 人 加 盟 を 認 め て 以 来 、 次 第 に 発 展 し 、22年
が 自 由 党 (〓Liberal
Depression)
社
、 バ ー デ ィ
〓Independent
労 働 組 合
と な っ た 。24年1月
た 。 次 い で29年
(〓Attlee,
内閣
労働 党
Federation)
Ramsay)
内閣
内 閣
Charles
イ ギ リ ス の 労 働 者 政 党 。1900年
ン 協
Richard)
Harold)
James)
ブ ラ ウ ン 内 閣 (Brown,
Keir) の 指 導 に よ り、 独 立 労 働 党 (ILP: ア
Ramsay)
ア トリー内 閣
1966.4∼1970.5:
2005.5∼2007.6:
James
II) 中 、 保 守 党 (〓Conservative
総 選 挙 に 大 敗 し た 。 第2次 Party)
の チ ャー チル 内
Winston)
に 協 力 し 、 戦 後45年
の 総 選 挙 で 圧 勝 。 ア トリー
Richard)
内 閣 が 誕 生 し 、 重 要 産 業 の 国 有 化 (〓Industry,
Nationalization
of) と 「ゆ り か ご か ら 墓 場 ま で (from
の 社 会 保 障 を 実 現 し た 。51年 ソ ン (〓Wilson,
Harold)
し て か ら は 、2007年
(Brown,
Lancaster
James
House
Charles
つ づ け て 、 そ し て2007年
the 辛勝
grave)
」
しウ ィル
Lyndon)
が 当
か ら は ブ ラ ウ ン
が政 権 を とって い る。
Conference(1979)
ラ ン カス ター
1979年9月 国 (〓Rhodesia)
to
保 守 党 に 敗 れ た が 、74年 再 び ウ ィ
に ブ レ ア (Blair, Anthony
ま で の3期
Gordon)
cradle
の 総 選 挙 で 敗 北 し 下 野 す る が 、64年
政 権 が 生 ま れ た 。70年
ル ソ ン が 政 権 を 奪 還 し た 。97年 選
the
・ハ ウ ス 会 議
以 来、 ア フ リカ南部 の ロー デシ ア共 和
に お け る 独 立 憲 法 と内 戦 の 停 止 に 関 し、 当 事 者 間 に よ っ て ロ ン
ドン で 行 わ れ た 協 議 。12月21日
イ ギ リス の サ ッ チ ャ ー
( 〓Thatcher,
Margaret
Hilda) 首 相 の 調 停 と い う形 で 合 意 文 書 に 調 印 が 成 され た 。70年3月
に共 和 国 へ
移 行 した ロー デシ アで は、 ジ ンバ ブエ
Zimbabwe
・ ア フ リカ 民 族 同 盟 (ZANU:
African
National
Union) と ジ ンバ ブ エ ・ ア フ リ カ 人 民 同 盟 (ZAPU:
African
People's
Union) と の 間 で 武 装 闘 争 が 繰 り返 さ れ て い た 。79年4月
Zimbabwe にな
り、 よ うや く一 人 一 票 制 の 普 通 選 挙 が 実 施 さ れ 、 ジ ン バ ブ エ ・ロ ー デ シ ア の 成 立 を み た が 、 国 連 安 保 理 は こ れ を 承 認 せ ず 、8月
の 英 連 邦39カ
宗 主 国 た る イ ギ リス が 調 停 に 乗 り 出 す こ と に な っ た 。3カ 12月 に 調 停 案 が 成 立 し、 翌80年2月 ガ ベ (Mugabe,
国 首 脳 会 議 に よ り、 月 に及 ぶ議 論 の 末 、
に 再 選 挙 が 行 わ れ た 。 そ の 結 果 、4月
Robert) を 首 班 に ジ ン バ ブ エ 共 和 国 (Republic
にム
of Zimbabwe)
と
して 独 立 を 果 た す に 至 っ た 。
Lansdowne,
5th
Marquess
of(1845∼1927)
ラ ンズ ダ ウ ン イ ギ
Party)
に 入 り 、1869年
次 官 、83年
∼88年
∼72年
カ ナ ダ 総 督 、88年
イ ル ラ ン
ド 自 治 法 案 (〓Home
Unionists)
に 入 る 。 第3次
Cecil)
で は95年
Japanese
∼1900年
Alliance)
一 党 の 上 院 首 領 (〓Asquith,
に 大 蔵 卿 、72年
Rule
∼74年
陸 軍 次 官 、80年
Bill) に 反 対
陸 相 を 務 め た 後 、 外 相
。 第1次
Henry)
イ ン ド事 務
イ ン ド総 督 を 歴 任 す る 。 そ の 間 、 ア し て 自 由 統 一 党 (Liberal
ソ ー ル ズ ベ リ 内 閣 (〓Salisbury,
や 英 仏 協 商 (〓Anglo-French
とな っ た
Herbert
∼93年
リ ス の 政 治 家 。 自 由 党 (〓Liberal
とな
Robert
り 日 英 同 盟 (〓Anglo-
Entente)
世 界 大 戦 (〓World
Gascoyne-
War
の 締 結 に あ た り、 統 I) 中 、 ア ス キ ス
内 閣 の 無 任 所 相 を務 め た が 、 辞 任 後 に 対 独 早 期 講
和 を 主 張 した 。
Laos
ラオ ス
東 南 ア ジ ア北 部 の 共 和 国 。 イ ン ドシ ナ 半 島 中 北 部 に あ り、 北 は 中 国 、 東 は ベ トナ ム 、 南 は カ ン ボ ジ ア、 南 西 に タイ と接 す る。 首 都 は ビ エ ン チ ャ ン
(Vientiane)。14世
紀 、 ル ア ン ・ プ ラ バ ン (Luang
Prabang) を 首 都 とす る ラ ン ・
サ ン王 国 (Lan Xang) が 成 立 した が 、 た び た び近 隣 諸 国 の 侵 入 を う け た。1855年 清 仏 戦 争 (Sino-French
War) 後 か ら フ ラ ン ス の 侵 攻 が は じ ま り、93年
の 保 護 下 に 入 り 、 つ い に99年
フ ラ ン ス 領 イ ン ドシ ナ (〓French
編 入 され る こ と に な っ た 。 太 平 洋 戦 争 ( 〓Pacific 戦 後1949年
フ ラ ン ス連 合 (French
フランス
Indo-China)
に
War) 中 は 日本 に 占 領 さ れ た が 、
Union) 内 で の 王 国 と して 独 立 が 承 認 さ れ 、53
年 完 全 独 立 。 そ の 後 も政 情 不 安 が 続 い て お り、75年
に は 王制 を 廃 して 人 民 民 主
共 和 国 と な っ た 。 穏 健 な 社 会 主 義 国 家 建 設 を 目指 して き た が 、 近 年 の 国 際 状 況 下 で 経 済 自 由 化 や 外 貨 導 入 な ど を 進 め て 西 側 援 助 も 拡 大 し つ つ あ る 。97年 ASEANに
、
加 盟。
〓Indo-China 〓ASEAN10 〓p.332地
Lateran
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Treaty(1929)
ラテ ラ ン条 約 ロ ー マ の ラ テ ラ ン 聖 堂 で 、 ロ ー マ 教 皇 ピ ウ ス11世
イ タ リ ア 首 相 ム ッ ソ リ ー ニ (〓Mussolini,
Benito)
リ ア は 教 皇 の 主 権 下 に あ る バ チ カ ン 市 国 (State 認 め 、 教 皇 は イ タ リ ア 王 国 を 認 め た 。1870年
(Pius X
I) と
との間 で 結 ば れ た条 約 。 イ タ
of the
City
of
Vatican)
の成 立 を
以来 続 い た教 皇 とイ タ リア 王国 の
対 立 は こ う し て 一 応 収 ま り 、 ム ッ ソ リ ー ニ は カ ト リ ッ ク 教 徒 の 支 持 も集 め た 。 フ ァ シ ス ト政 権 (〓Fascist
Party) 崩 壊 後 の1948年
に、 イ タ リアは この 条約 を再
確 認 して い る 。
Latin
America
ラ テ ン ・ア メ リ カ
メ キ シ コ以 南 の 中 央 ア メ リカ と南 ア メ リ カ 及 び カ リ ブ 海 諸 国 を 含 め た 地 域 の 総 称 で 、30余 国 よ り成 る 。 ス ペ イ ン 、ポ ル トガ ル 、 フ ラ ン ス とい っ た ラ テ ン諸 民 族 と社 会 的 、 文 化 的 特 徴 を 共 有 して い る。 ア メ リ カ 合 衆 国 を 含 む 北 の ア ン グ ロ ・ア メ リ カ (Anglo-America)
Latvia
に 対 す る呼 称 。
ラ トビ ア
バ ル ト三 国 の 中 央 に あ る 共 和 国 。 首 都 は リガ (Riga)。 バ ル ト人 が 定 住 し て い た と こ ろ へ10世
紀 頃 東 か ら ロ シ ア 人 、 西 か ら ドイ ツ 人 が 侵 入 。13世
に は ドイ ツ騎 士 団 (Deutscher
Orden) の 支 配 下 に 入 る。17世
18世 紀 に は ロ シ ア に 占領 さ れ た が 、1920年 の 後40年
反 ソ 的 独 立 国 家 を 形 成 。 しか し、 そ
に は ソ 連 邦 へ 加 入 す る こ と に な る 。80年
の 機 運 が 高 ま り、90年 結 局91年9月6日
紀頃
紀 にス ウ ェー デ ン、
代 末 、東 欧革 命 の 余 波 で独 立
独 立 宣 言 した が 、一 時 は ソ連 との 間 に 武 力 衝 突 が 発 生 。
、 正 式 に 独 立 を 達 成 す る に 至 り、 国 連 (〓United
Nations) に
も 加 盟 が 認 め ら れ た 。2006年NATO( 欧 州 連 合 (EU:
〓European
〓North
Union)
は ラ ト ビ ア 、 エ ス ト ニ ア (〓Estonia)
Treaty
、 リ ト ア ニ ア (Lithuania)
〓p.278図
解1「
〓p.328地
図〓 ( 現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Lausanne
Atlantic
、
Sates)
と
の こ と。
ベ ル サ イ ユ体 制 下の ヨー ロ ッパ」
Conference(1922∼23)
ローザ ンヌ会 議
第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I) の 敗 戦 国 で あ る ト ル コ と 、
ギ リ シ ャ を 含 む 連 合 国 と の 間 に お い て 、1922年11月
∼23年7月
ザ ン ヌ で 開 か れ た 国 際 会 議 。 ロ ー ザ ン ヌ 条 約 (〓Lausanne, よ っ て 、 戦 後1920年
Empire)
酷 な 内 容 だ っ た た め 、 ア ン カ ラ (Ankara)
、 スイ ス の ロー Treaty
に 結 ば れ た セ ー ブ ル 条 約 (〓S〓vres,
た 。 オ ス マ ン ・ トル コ 帝 国 ( 〓Ottoman
Treaty
of)の 締 結 に of) が 改 訂 さ れ
へ課 せ られ た セー ブル条 約 は苛
の トル コ 国 民 政 府 は 条 約 破 棄 を 宣 言 。
ギ リ シ ャ と の 間 に ギ リ シ ャ ・ トル コ 戦 争 (〓Greco-Turkish その 結果 、
Organization)
に 加 盟 。 な お 、 バ ル ト三 国 (Baltic
トル コ は ス ミ ュ ル ナ (Smyrna)
War)
が開始 さ れた 。
を 占 領 し て ア ナ ト リ ア (Anatolia)
か ら
ギ リ シ ャ を 退 か せ る ま で に 至 り 、 こ こ に ロ ー ザ ン ヌ 会 議 が 開 か れ た 。 トル コ 側 か ら は ギ リ シ ャ ・ ト ル コ 戦 争 を 指 導 し た ケ マ ル ・ ア タ テ ュ ル ク (〓Kemal
Ataturk)
が 代 表 と し て 出席 した 。
Lausanne
Conference(1932)
ロー ザ ンヌ会 議
1932年6月
∼7月
に か け て 、 ドイ ツ の 賠 償 問 題 を め ぐ り債
務 国 で 討 議 さ れ た 国 際 会 議 。29年 末 以 来 の 世 界 恐 慌 ( 〓Great
Depression)
て ドイ ツ は経 済 危 機 に 陥 り、 賠 償 計 面 を 定 め た ヤ ン グ 案 ( 〓Young が 不 可 能 と な っ た 。31年 統 領 の 発 し た1年 (〓Hoover
には ア メ リカの フーバ ー ( 〓Hoover,
に よっ
Plan) の 履 行
Herbert
Clark) 大
間 の支 払 い猶 予 令、 い わゆ る フーバ ー ・モ ラ トリア ム
Moratorium)
が 出 さ れ た に も か か わ らず 、 ドイ ツ は 支 払 い 不 能 を主
張 し た。 そ こ で ロ ー ザ ン ヌ会 議 に お い て 、 経 済 回 復 まで3年
間 の 支 払 延 期 と賠 償
金 を30億 金 マ ル ク に 減 じ る こ とに 決 し た 。 しか し 、 ア メ リ カ の 不 参 加 に よ り こ の 決 定 は 批 准 さ れ る に 至 らず 、 そ の 間 に ドイ ツ で は ナ チ ス ( 〓Nazis) が 台 頭 。 戦 勝 国 中 心 の ベ ル サ イ ユ 体 制 (〓Versailles
system) の 崩 壊 を 目 指 す ヒ ト ラ ー
(〓Hitler, Adolf) は 、33年 一 方 的 に 賠 償 打 ち切 りを 宣 言 す る に 至 っ た 。 〓Reparation
Lausanne,
Treaty
problem(
賠 償 問題 )
of(1923)
ロ ーザ ン ヌ条約
1922年11月 Conference)
に よ っ て 翌 年7月
か
ら の
ロ ー
ザ
ン
ヌ 会
議 (〓Lausanne
に 締 結 さ れ た ト ル コ ・連 合 国 間 の 条 約 。
と っ て は 先 に 結 ば れ た セ ー ブ ル 条 約 (〓Sevres,
Treaty
トル コ に
of) に 代 わ る も の で 、 連
合 国 側 の 内 政 干 渉 が 解 か れ 有 利 な 内 容 と な っ た 。 ト ル コ は1914年 い た 領 土 ス ミ ュ ル ナ (Smyrna) ラ キ ア (Trakiya)
な
( 〓Dardanelles) Commission)
ど を 回 復 。 ボ ス ポ ラ ス (Bosporus)
の
両
海
当 時 所 有 して
、 コ ン ス タ ン チ ノ ー プ ル (Constantinople)
峡
は
国
際
海
峡
委
員
、 東 ト
及 び ダ ー ダ ネ ル ス
会 (International
Straits
の 下 で 各 国 に 開 放 さ れ た が 、 トル コ の 主 権 は確 保 さ れ た。 そ の 他 、
治 外 法 権 や 軍 備 制 限 な ど も 取 り 除 か れ た 。 た だ し 、 ド デ カ ネ ー ゼ (Dodecanese) 諸 島 は イ タ リ ア が 、 キ プ ロ ス 島 (〓Cyprus)
は イ ギ リ スが 領 有 す る も の と され た 。
こ の 条 約 に よ る ト ル コ の 主 権 確 立 が 、 ケ マ ル ・ ア タ テ ュ ル ク (〓Kemal
Ataturk)
の大 統 領就 任 の布 石 とな った。
Law,
Andrew
Bonar(1858∼1923)
ロー
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 首 相 (任1922∼23) し 、 保 守 党 ( 〓Conservative (〓protectionism) (〓Home 1次
Party)
を 主 張 し た 。1911年
Rule
議 員
と し て 下 院
に 党 主 と な り、 ア イ ル ラ ン ド自 治 法 案
Bill) に 対 す る ア ル ス タ ー 地 方 (〓Ulster)
世 界 大 戦 (〓World
ジ ョ ー ジ (〓Lloyd
War
。 鉄鋼 業で 財 を な に 進 出 、 保 護 貿 易
の 反 対運 動 を支 持 。第
I) 中 は 植 民 相 ・蔵 相 等 を 歴 任 、22年
George,
David)
∼23年
、ロイ ド・
挙 国 一 致 内閣 に替 って 、 保 守 党 内 閣 首 相 と
な っ た。
Lawrence,
Thomas
Edward(1888∼1935)
ロ ー レンス
「ア ラ ビ ア の ロ ー レ ン ス (Lawrence 有 名 な イ ギ リ ス の 軍 人 。 北 ウ ェ ー ル ズ (North ド大 学 (Oxford,
University
究 の た め、 シ リア
・ パ レ ス チ ナ を 旅 行 し た 。 第1次 Canal)
り、 ア ラ ブ ゲ リ ラ 隊 を 組 織 し て Settlement)
」の 名 で
生 まれ で 、 オ ッ クス フ ォー
of) で 考 古 学 を 学 び 、 学 生 時 代 に 十 字 軍 (Crusade)
後 に は ス エ ズ 運 河 (〓Suez
Peace
Wales)
of Arabia)
世 界 大 戦 (〓World
War
研 I)
維 持 の た め 情 報 将 校 と し て カ イ ロ (Cairo) に 渡 ト ル コ 軍 を 攪 乱 し た 。 パ リ 講 和 会 議 (〓Paris
で は 、 イ ラ ク 王 フ ァ イ サ ル (〓Feisal)
の 通 訳 と して 列 席 。 そ
の 後 、 イ ギ リ ス の 対 ア ラ ブ 偽 善 外 交 に 失 望 し 、 隠 遁 生 活 を送 っ た 。
League
of Arab
〓Arab
League
of
States
League(ア
Nations
ア ラ ブ諸 国連 盟
ラ ブ 連 盟)
国 際 連盟 第1次
合 衆 国 ウ ィ ル ソ ン (〓Wilson,
世 界 大 戦 (〓World Woodrow)
War
I) 後 、1920年1月
大 統 領 の14カ
の 提 唱 に よ り 成 立 し た 国 際 機 構 。 ア メ リ カ ・イ ギ リ ス
条 (〓Fourteen
アメ リカ Points)
・フ ラ ン ス ・ イ タ リ ア ・ 日
本 が 協 議 し て 連 盟 規 約 が 決 定 し 、 ベ ル サ イ ユ 条 約 (〓Versailles,
Treaty
of) 第1
編 に 組 み 入 れ られ た 。 総 会 、 理 事 会 、 事 務 局 を 中 心 に 、 多 くの 補 助 機 関 と常 設 国 際 司 法 裁 判 所 (〓Permanent
Court
(ILO:〓International
Labour
of
International
Organization)
の2外
Justice)
と国 際労 働機 構
部 機 関 よ り成 る 。 決 議 事 項
に 関 して 勧 告 は 可 能 だ っ た が 、 強 制 力 は も た な か っ た 。 ま た 、 ア メ リカ が 規 約 を 批 准 で き ず 、 ソ 連 も1934年 (〓World
War
合 (UN:
〓United
Lebanon
ま で 加 入 を 許 さ れ ず に い た た め 、 第2次
世 界大 戦
II)へ 向 け た 要 所 で の 抑 制 力 は な か っ た と い え る 。46年 Nations)
の国 際 連
の 成 立 と と も に 自然 解 消 され た 。
レバ ノ ン 西 ア ジ ア の 共 和 国 で 、 首 都 は ベ イ ル ー ト(Bayrut)。 シ リア とイ ス ラ エ
ル に 接 し、 西 に 地 中 海 (Mediterranean (Phoenicia) 地 方 。7世
Sea) を 臨 む 。 古 代 フ ェ ニ キ ア
紀 中 頃、 ア ラブ 人 ( 〓Arabs)
が 侵 入 しイス ラム化 され た
が 、 十 字 軍 (Crusade) 遠 征 の 地 で も あ り、 現 在 も 住 民 の 半 分 が キ リ ス ト教 徒 で 、 他 の 半 分 が イ ス ラ ム 教 ス ン ニ (Sunni)派 と シ ー ア (Shia)派 とい う構 成 に な っ て い る 。16世 1923年
紀 以 降 は オ ス マ ン ・ トル コ (〓Ottoman フ ラ ンスの 委任 統 治領 ( 〓Mandates)
しか し 、 「宗 教 の 博 物 館 (religious museum)
Empire)
の 支 配 下 に入 った 。
とな っ た が 、43年11月
独 立 を宣 言 。
」と い わ れ る よ う に 、 大 統 領 は キ リ
ス ト教 マ ロ ン (Maronite) 派 、 首相 は ス ン ニ 派 、 国 会 議 長 は シ ー ア 派 か ら選 出 さ れ る こ と に な っ た 。57年
以 来 の 親 米 路 線 に イ ス ラ ム 教 徒 が 反 発 し 、75年
か ら内
戦 が 激 化 。 加 え て82年
イ ス ラエ ル に よ る南 レバ ノ ンの 占領 で 、 国 内 は四 分 五 裂
の 状 況 に 陥 っ た 。85年
に は イ ス ラ エ ル 軍 が 一 部 撤 兵 し、90年
に内 戦 の一 応 の 終
結 を み た 。 そ の 後 、 イ ス ラ エ ル 軍 、 シ リ ア 軍 が レバ ノ ン に 侵 攻 す る な ど不 安 定 な 状 態 が つ づ い て い る。 〓Israel 〓p.331地 Lebensraum
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図]) (Living-space)
( 国 民 )生 活 圏 生 存 圏 と も い う。 ナ チ ス ・ ドイ ツ (〓Nazis) に 取 り
入 れ られ た 社 会 ダ ー ウ ィ ン 主 義 的 思 想 (Social Darwinism:
文 明社 会 の 発展 をた
ど る 進 化 論 )の 現 れ で 、 ド イ ツ 民 族 扶 養 の 方 策 に つ い て ヒ ト ラ ー ( 〓Hitler, Adolf) が 『我 が 闘 争 ( 〓Mein
Kampf) 』を執 筆 す る頃 に 、 生 活 圏 の 拡 大 と い う構 想
の 中 で 完 成 す る。 す な わ ち 、 対 外 政 策 の 目 的 は 民 族 統 一 国 家 の 実 現 を 目 指 す こ と に 他 な ら な い の で あ る が 、そ の た め に は 国 民 の 人 口 が 増 え る こ と に な る。 そ こ で 、 国 民 の 居 住 す る領 土 は 人 口 に ふ さ わ し い健 全 で 安 定 的 で 自 然 な 面 積 と質 とを 持 ち 合 わ せ て い な け れ ば な ら な い 、 と さ れ て お り、 国 家 を 有 機 的 性 質 を もつ も の と し て と ら え て い る。 こ う し た 思 想 の 背 景 に は 、 ミ ュ ン ヘ ン大 学 の 民 族 主 義 的 地 理 学
者 ハ ウス ホ ー フ ァ
(Haushofer,
Karl) の 唱 え る 「地 政 学 (Geopolitics)
り 、 彼 の 学 生 の 中 に 、 後 に ナ チ ス の 指 導 者 と な る ヘ ス (Hess,
」の 概 念 が あ
Rudolf)
が い た こ と
も関 わ っ て い る も の と思 わ れ る 。
Leningrad
レニ ン グ ラー ド 現 在 の サ ン ク ト ・ ペ テ ル ブ ル ク (St. Petersburg)
置 し 、 バ ル ト海 (Baltic
Sea) に 面 し て い る 。1703年
建 設 し た 都 市 で 、1712年
か ら1918年
(Pytor
ま で ロ シ ア 帝 国 の 首 都 。1914年
ン ク ト ・ ペ テ ル ブ ル ク と 称 さ れ た が 、 第1次
世 界 大 戦 (〓World
ド イ ツ 式 の 名 称 か ら ロ シ ア 式 に 変 更 さ れ て 、24年 (Petrograd)
。 ロ シア西 部 に位
ピ ョ ー ト ル1世
War
ま で の 間 は ペ
I) に 伴 い 、 トロ グ ラ ー
と 改 称 さ れ た 。 ま た 、 革 命 運 動 の 拠 点 で も あ り、
(〓Russian
Revolution)
の 主 要 舞 台 と な っ た 。 第2次
に お け る 独 ソ 戦 争 の 際 、41年 ま ぬ が れ た 。24年
∼43年
ド
ロ シ ア 革 命
世 界 大 戦 (〓World
War
II)
に か け て ドイ ツ 軍 に 包 囲 さ れ た が 、 陥 落 は
、 レ ー ニ ン (〓Lenin,
Vladimir
Ilyich) の 死 後 、 彼 に 因 ん で レ
ニ ン グ ラ ー ド と 改 称 さ れ た の だ が 、 近 年 の ゴ ル バ チ ョ フ (〓Gorbchev, Sergeyevich)
I) が
まで は サ
政 権 下 に お け る レ ー ニ ン 見 直 し の 動 き の 中 、91年
Mikhail
住 民 投 票 に よ っ
て サ ン ク トペ テ ル ブ ル クの 名 が 復 活 し た 。
Lenin,
Vladimir
Ilyich(1870∼1924)
レー ニ ン
ロ シ ア の 革 命 家 。 ボ ル ガ (Volga) 河 畔 シ ン ビ ル ス ク (Simbirsk)
の 生 ま れ 。 カ ザ ン 大 学 在 学 中 、 学 生 運 動 で 退 学 に な り 、1893年
ク ト ペ テ ル ブ ル ク (St. Petersburg)
に 移 っ て ナ ロ ー ド ニ キ (〓Narodniki:
サ ン 人民 主
義 者 )批 判 を 展 開 。 闘 争 同 盟 を 結 成 し た が 、97年
に シ ベ リ ア 流 刑 と な っ た 。1900
年 亡 命 し 、03年
Democratic
社 会 民 主 労 働 党 (Russian
Social
分 裂 に よ っ て ボ リ シ ェ ビ キ (〓Bolsheviks: 年 の 第1次
ロ シ ア 革 命 (〓Russian
主 独 裁 理 論 を 提 唱 し た 。 第1次 性 格
を 分 析
Socialists)
し 、 第2イ
革 命 (February
革 命 (October
戦 時 共 産 主 義 (War (〓New の 後 、24年
Economic 死 亡 。
war
I) 中 は 帝 国 主 義 戦 争 の
Revolution)
Communism: Policy)
Revolution)
テ ー ゼ (April
て 社 会 主 義 国 家 建 設 に 努 め た 。19年
の
で 労 働 者 と農民 の 同盟 に よ る 民
世 界 大 戦 (〓World
達 成 の た め の 戦 略 を 説 い た 「4月
Party)
革 命 的 社 会 民 主 主 義 者 )を 指 導 。05
Revolution)
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル (〓International
を 批 判 。17年2月
主 張 し 、10月
Workers'
Theses)
Congress
of
後 帰 国 し、 ロ シ ア革 命
」を 発 表 。 社 会 主 義 革 命 を
を成 功 へ と導 い た 。 革 命 後 、 首 相 と し
に は コ ミ ン テ ル ン (〓Comintern)
を創 立 し、
非 常 事 態 下 で の 経 済 政 策 )か ら 新 経 済 政 策
へ の 転 換 を 推 進 。22年
健 康 を 害 し て 倒 れ 、 闘 病2年
Leopold
III(1901∼83)
レ オ ポ ル ド3世 ベ ル ギー 王 ( 位1934∼51)
農 業 を 奨 励 。 第2次
世 界 大 戦 ( 〓World
に 占 領 さ れ て 、40年
∼45年
War
で
II)で は 中 立 策 を と っ た が 、 ドイ ツ
にか けて 捕虜 とな った。 戦 後 は ドイ ツ に対 す る抵 抗
の 放 棄 を 非 難 さ れ 、 ス イ ス へ 亡 命 し た 。50年 ドュ ア ン (Baudouin
。 植 民 地 の コ ン ゴ (〓Congo)
に 復 位 し た が 、 翌51年
皇太 子 ボー
I)に 王 位 を 委 譲 し た 。
〓Belgium
Lesseps,
Ferdinand
Marie
de(1805∼94)
レセ ップ ス
フ ラ ン ス の 外 交 官 。1825年 事 と な り 、 以 来33年
∼37年
公 使 を 歴 任 し た が 、49年
カ イ ロ (Cairo) 領 事 、48年 の ロ ー マ (Rome)
年 旧 知 の エ ジ プ ト総 督 サ イ ド Canal)
・パ シ ャ
∼49年
リ ス ボ ン (Lisbon) 領 マ ド リ ー ド (Madrid)
派 遣 大 使 を 最 後 に 外 交 官 を 引 退 。54 (Sayyid
建 設 案 を も ち か け 、 認 可 を 得 る と 、59年
Pasha)
に ス エ ズ 運 河 (〓Suez
工 事 に 着 手 。69年
完 成 さ せ た 。 次 い で 、パ ナ マ 地 峡 で パ ナ マ 運 河 会 社 (〓Panama
ス エ ズ運 河 を
Canal)
を 設 立 し、
建 設 に 入 っ た も の の 工 事 難 と 経 営 難 か ら 失 敗 。 後 、 パ ナ マ 運 河 事 件 (Panama Scandal)
Leyte
Gulf,
に 発 展 し た。
Battle
of(1944)
レイテ湾 の 戦 い
レイ テ 湾 は フ ィ リ ピ ン 中 部 、 レ イ テ 島 東 岸 とサ マ ル (Samar) 島 南 岸 に よ っ て 囲 ま れ た 湾 で 、 太 平 洋 の 内 海 に な っ て お り格 好 の 要 塞 。 太 平 洋 戦 争 (〓Pacific War) 中 の1942年
、米 支 配 下 に あ っ た こ の 地 を 日 本 が 占 領 。
ア メ リ カ ・マ ッ カ ー サ ー (〓MacArthur,
Douglas) 司 令 官 は “Ishall return.” の こ
と ば を残 し て 退 却 し た と い う。44年12月
、 ア メ リ カ 艦 隊 が 反 攻 を 開 始 し、 太 平
洋 戦 争 の 天 王 山 と い わ れ る激 しい 戦 い の 末 陥 落 した 。 Liberalism
自 由主義 封 建 制 度 の 束 縛 ・統 制 か ら個 人 を解 放 し 、 国 家 の 干 渉 を 排 除 し よ う
とい う考 え 方 。 絶 対 主 義 (〓absolutism)
と相 対 す る。 政 治 的
・経 済 的 自 由 を 求
め る近 代 市 民 階 級 の 主 張 と して 現 わ れ 、18世 紀 前 後 の 各 国 市 民 革 命 の 原 理 とな っ た。 Liberal
Party
自由 党 イ ギ リス の政 党 。 前身 の ホ イ ッ グ党 ( 〓Whigs)
は1830年
結 党 され 、 当 初 は 党 の 主 導 権 は地 主 貴 族 が 握 っ て い た が 、 ピー ル 派 ( 〓Peel, Robert) の グ ラ ッ ドス トン ( 〓Gladstone,
William
頃 に Sir
Ewart) が 参 加 した こ とか ら 、
次 第 に ブ ル ジ ョア 的 、ピ ュ ー リ タ ン 的 性 格 を強 め 自 由 党 と 呼 ば れ る よ う に な っ た 。
1868年
∼74年
の 第1次
グ ラ ッ ドス トン内 閣 は ブ ル ジ ョア 自 由主 義 の 絶 頂 期 に
あ っ た。 しか し、 帝 国 主 義 ( 〓imperialism) の 中 で 適 応 機 能 を 失 い 、86年
の 第1次
の 進 展 、 大 衆 社 会 の 出 現 と い う状 況
ア イ ル ラ ン ド 自 治 法 案 (〓Home
Bill)を め ぐ り党 の 分 裂 に 至 る と、 保 守 党 ( 〓Conservative られ た。 さ らに、 労 働 党 ( 〓Labour
Rule
Party) に 主 導 権 を 握
Party) の 進 出 に 伴 っ て 、 そ の 存 在 理 由 が 失
わ れ て し ま い 、 党 内 保 守 派 は 保 守 党 に 、 進 歩 派 は 労 働 党 へ と吸 収 さ れ 、 弱 小 政 党 へ 転 落 。 今 日 で は 数 議 席 を 占 め る に す ぎ な い 。1988年 て81年
に 結 成 さ れ た 社 会 民 主 党 (Social Democratic
主 党 (Social and Libya
に は、 労 働 党 右 派 に よっ
Liberal Democrat
Party) と と も に 社 会 自 由 民
Party) を再 結 成 して い る 。
リビア ア フ リ カ 中 北 部 の 共 和 国 で 、 正 式 名 称 は 大 リ ビ ア ・ア ラ ブ 社 会 主 義 人 民
ジ ャ マ ー ヒ リー ヤ 国 (The Great
Socialist People's
Libyan
Arab
Jamahiriya)
。
首 都 ト リポ リ (Tripoli)。 東 に エ ジ プ ト と ス ー ダ ン 。 南 は チ ャ ド と ニ ジ ェ ー ル 、 西 は ア ル ジ ェ リ ア と チ ュ ニ ジ ア と 国 境 を 分 け て お り、 北 に は 地 中 海 (Mediterranean
Sea) を 臨 む 。 古 代 は ギ リ シ ャ、 ロ ー マ の 植 民 地 と な り、16世
紀 以 降 は オ ス マ ン ・ トル コ帝 国 ( 〓Ottoman 年 ∼12年 た 。 第2次
Empire)
イ タ リ ア ・トル コ戦 争 ( 〓Italo-Turkish 世界大戦 ( 〓World
して 独 立 。69年
War
の 支 配 下 に 入 っ た 。1911
War) で イ タ リア の 植 民 地 と な っ
II)で は 連 合 国 に 占領 さ れ た が 、51年
に は カ ダ フ ィ ー (Gaddafi/Qadhafi,
Muammar
青 年 将 校 に よ る 無 血 ク ー デ タ ー に よ り 、 共 和 制 へ 移 行 し た 。91年 争 ( 〓Gulf
王国 と
Muhammed)
ら
勃 発 の湾 岸 戦
War) で は 、ア メ リカ の 軍 事 介 入 に 強 く反 対 し な が ら イ ラ クの ク ウ ェ ー
ト侵 攻 も批 判 し、 イ ラ ク と は 一 線 を 画 し た 。 〓p.330地 Libyan
図〓 ( 現代 の世界[国 名 と地 図])
War(1911∼12)
リビア 戦争
イ タ リ ア ・ トル コ戦 争 の こ と。 〓Italo-Turkish Li Denghui/Lee
War Teng-hui(1923∼)
李登 輝
台 湾 の 政 治 家 。 中 国 国 民 党 主 席 。 中 国 の 第8・9代 統 (任1988∼2000) 年 入 閣 し、78年
。 台 湾 大 学 教 授 か ら蒋 経 国 (Chiang に 台 北 市 長 、81年
ching-kuo)
台 湾 省 政 府 首 席 に 、84年
総
の 抜 擢 で72
に は 副 総 統 と な り、
88年 蒋 経 国 死 去 の た め 総 統 に 就 任 す る 。 選 挙 の 民 主 化 を 推 進 、 中 台 関 係 で 二 国 論 を主 張 した。
Liebknecht,
Karl(1871∼1919)
リープ ク ネ ヒ ト
ドイ ツの 社 会 主 義 者 、
ドイ ツ共 産 党 創 設 者。 ラ イ プ チ ヒ
(Leipzig) と ベ ル リ ン (Berlin) の 大 学 で 法 学 ・経 済 学 を 修 め 、1899年 た 。 反 軍 国 主 義 闘 争 を 貫 き 、 青 年 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル (Youth 組
織
者。
プ
ロ
イ
セ
ン 社
Deutschlands/Social 1912年
会
民
Democratic
主
党 (SPD:
Party
of
弁 護士 となっ
International)
Sozialdemokratische Germany)
の
Partei
下 院 議 員 を務 めた 後、
帝 国 議 会 議 員 と し て 活 躍 し 、 社 会 民 主 党 最 左 派 を 代 表 し た 。14年
の 議 会
で は 軍 事 公 債 に た だ ひ と り反 対 し 、 反 戦 運 動 の 象 徴 と な る が 、 党 除 名 処 分 を 受 け た 。16年
左 翼 結 社 ス パ ル タ ク ス 団 (〓Spartakusbund)
デ モ で 逮 捕 さ れ た 。 出 獄 後18年
を結 成 したが 、 メー デ ー ・
ド イ ツ 革 命 (〓German
Revolution)
し て 社 会 主 義 革 命 を 追 及 。 同 年 ド イ ツ 共 産 党 を 創 設 し た が 、19年 ス 蜂 起 (Spartacist
Lincoln,
Rising)
で 右 翼 に よ っ て 虐 殺 され た 。
Abraham(1809∼65)
リ ンカー ン ア メ リ カ の 政 治 家 。 第16代
キ ー (Kentucky) 1834年 カ
ホ イ ッ グ 党 (〓Whigs)
ら 離 れ た が 、56年
War: Party)
1846∼48)
に反 対 して 一時 政 界 か
結 成 と と も に 政 界 復 帰 し 、58年
奴 隷 解 放 を 達 成 し た 。63年
War)
」は 有 名 。64年
of
America)
ゲ ッ テ ィ ス バ ー グ (Gettysburg) of the
と
に お け る 演 説 の 「人 民
people,
by
the
people,
for
大 統 領 に 再 選 し た が 、翌 年 観 劇 中 に 南 部 出 身 者 に 暗 殺 。
小協商 第1次
(〓Versailles,
States
が勃 発。 南 北戦 争 で は ア メ リカの統 一 保持
の 人 民 に よ る 人 民 の た め の 政 治 (Government
Little Entente
上
共 和 党 か ら 大 統 領 選 挙 に 出 馬 し当 選 。 こ れ を 不 満 と す る 南
合 衆 国 を 離 脱 し て ア メ リ カ 盟 邦 (Confederate
を 結 成 し 、 南 北 戦 争 (〓Civil
people)
。 ケ ン タ ッ
か ら イ リ ノ イ (Illinois)州 下 院 議 員 に 当 選 。 ア メ リ
共 和 党 (Republican
院 議 員 と な る 。60年
the
大 統 領 (任1861∼65)
州 生 まれ 。 貧 農 の 子 で 母 を 幼 い 頃 に 失 い 、 独 学 で 弁 護 士 に な り、
・ メ キ シ コ 戦 争 (Mexican-American
部 諸 州 は61年
運動 を 支持 の スパ ル タ ク
Treary
世 界 大 戦 (〓World
War
I) 後 の ベ ル サ イ ユ 条 約
of)を 中 心 とす る 国 際 秩 序 の 維 持 を 目 的 と し た 、 チ ェ コス
ロ バ キ ア ・ユ ー ゴ ス ラ ビ ア ・ル ー マ ニ ア の 三 国 に よ る 同 盟 関 係 を や や 嘲 笑 的 に い っ た も の 。 旧 オ ー ス ト リア ・ ハ ン ガ リー 帝 国 ( 〓Austro-Hungarian 独 立 し た こ れ ら三 国 の う ち 、 ま ず1920年 同 盟 し、21年
Empire) か ら
チ ェコス ロバ キ ア とユ ー ゴ ス ラ ビ アが
に は ル ー マ ニ ア も参 加 。 ポ ー ラ ン ド も こ れ に 接 近 す る 体 制 を 形 成
した 。 こ れ は ドイ ツ ・オ ー ス ト リ ア の 合 同 を 阻 止 す る も の で あ っ た こ とか ら 、 ド イ ツ の 復 活 を 恐 れ る フ ラ ン ス は 小 協 商 を 支 援 した 。 そ の 後 、33年 連 との 間 に 不 可 侵 条 約 を 結 ん だ が 、39年
小協商国 は ソ
ドイ ツ ・ ヒ ト ラ ー (〓Hitler, Adolf) に
よ る チ ェ コ ス ロバ キ ア 解 体 と と も に 小 協 商 も解 消 され た。
〓Czechoslovakia 〓Rumania 〓Yugoslavia Livingstone,
David(1813∼73)
リ ビ ン グ ス トン
イ ギ リス 人 宣 教 師 、 探 検 家 。 ス コ ッ ト ラ ン ド生 まれ 。 ロ ン ド ン 伝 道 協 会 宣 教 師 と し て1841年 砂 漠 (Kalahari
Desert)
南 ア フ リ カ に 派 遣 さ れ た 。49年
、 ザ ン ベ ジ (Zambezi)
湖 (Tai
Hu)
Nyasa)
な ど を 発 見 し た 。56年
地 方 を 探 検
し、 ビ ク
以 来 、 カ ラハ リ
川 流 域 、 コ ン ゴ (Congo)
ト リ ア 滝 (Victoria
Falls) 、 ニ ヤ サ 湖 (Lake
に は ア フ リ カ 横 断 も 達 成 し て い る 。58年
に か け て ケ リ マ ネ (Quelimane)
低 地、 太
か ら64年
駐 在 の イ ギ リス領 事 を 兼 ね 、奴 隷 交 易 の廃 止 を
唱 え た 。 一 時 帰 英 し た 後 、 ナ イ ル (Nile) 水 源 地 の 探 検 で 行 方 不 明 と な る が 、71 年 タ ン ガ ニ ー カ 湖 (Lake
Tanganyika)
湖畔 で 捜索 隊 に 会 っ た。 その 後 、赤 痢 で死
亡 した が 、 遺 体 は ウ ェ ス ト ミ ン ス ター 教 会 ま で 送 られ た 。
Lloyd
George,
David(1863∼1945)
ロ イ ド ・ジ ョ ー ジ
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 首 相 (任1916∼22) の と き 弁 護 士 か ら 自 由 党 (〓Liberal (〓Chamberlain,
Joseph)
に反 対。 キ ャ ンベ ル
Party)
(〓World
War
、27歳
チ ェ ンバ レ ン
の 帝 国 主 義 政 策 を 批 判 し 、 ブ ー ル 戦 争 (〓Boer
・ バ ナ マ ン (〓Campbell-Bannerman,
入 閣 を 果 た し 、 ア ス キ ス (〓Asquith, ど を 歴 任 。1916年
。1890年
下 院 議 員 と な る 。J・
Herbert
Sir Henry)
Henry)
Wars) 内 閣で 初
内 閣 で は蔵 相 、 軍需 相 な
ア ス キ ス に 代 わ っ て 連 立 政 権 を 樹 立
し 、 第1次
世 界 大 戦
I) 中 は 連 合 国 間 の 協 力 関 係 構 築 に 尽 力 す る 。 戦 後 、 総 選 挙 に も
圧 勝 。 ベ ル サ イ ユ 条 約 (〓Versailles,
Treaty
of) で は ウ ィ ル ソ ン (〓Wilson,
Woodrow)
ア メ リカ大 統 領 や ク レマ ン ソー
(〓Clemenceau,
Georges
Benjamin)
フ ラ ン ス首 相 と会 談 し、 指 導 力 を 発 揮 し た 。 後 に ア イ ル ラ ン ド問 題 な
ど で 辞 任 に 追 い 込 ま れ 、 自 由 党 首 領 と し て 奔 走 す る が 労 働 党 (〓Labour の 進 出 に 抗 し 切 れ ず 、32年
Locarno,
Treaties
of(1925)
政 界 引 退 。45年
Party)
に は伯 爵号 を授与 。
ロ カル ノ条 約 第1次
日 、 フ ラ ン ス ・ ド イ ツ ・ベ ル ギ ー ロ バ キ ア の7カ
Eug〓ne
世 界 大 戦 (〓World ・イ ギ リス
War
I) 後 の1925年10月16
・イ タ リ ア ・ポ ー ラ ン ド ・チ ェ コ ス
国 が ス イ スの ロ カ ル ノで締 結 した一 連 の安 全 保障 条 約 。
〓 フ ラ ン ス ・ ド イ ツ ・ベ ル ギ ー ・イ ギ リ ス ・イ タ リ ア 間 の 相 互 保 障 条 約 : ド イ ツ ・ ベ ル ギ ー 、 ド イ ツ ・ フ ラ ン ス の 国 境 維 持 と ラ イ ン ラ ン ト地 区 (〓Rhineland) 装 化 。 こ れ に よ っ て ド イ ツ は 国 際 連 盟 (〓League た。
of
Nations)
非 武
加 入 の道 が 開か れ
〓
ド イ ツ と フ ラ ン ス ・ベ ル ギ ー ・チ ェ コ ス ロ バ キ ア ・ポ ー ラ ン ド と の 間 で 結 ば れ
た4つ
の相 互 援助 条 約。
〓 フ ラ ン ス と チ ェ コ ス ロ バ キ ア 、 ポ ー ラ ン ド と の 間 に 結 ば れ た2つ 約 。 こ の ロ カ ル ノ 条 約 に よ っ て 第1次 た が 、36年3月
の相 互 援助 条
世 界 大 戦 後 の ヨ ー ロ ッパ の 平 和 が 確 立 され
、 ド イ ツ ・ヒ ト ラ ー (〓Hitler,
Adolf)
の ラ イ ン ラ ン ト進 駐 に よ っ
て 一 方 的 に 破 棄 され て し ま っ た 。 〓Versailles 〓p.278図
London
system( 解1「
ベ ル サ イ ユ体 制)
ベ ル サ イ ユ体 制 下 の ヨー ロッパ」
Conference(1912∼13)
ロ ン ドン 会 議
久 し くオ ス マ ン・
トル コ帝 国 (〓Ottoman
下 に あ っ た バ ル カ ン 半 島 諸 国 (〓Balkans) し た 機 を と ら え て (〓Italo-Turkish ル カ ン 戦 争 (〓Balkan
は 、1911年
War) 、 翌12年
Wars) が 勃 発 し た 。12月
Empire) の 支 配
イ タ リ ア が トル コ に 宣 戦
トル コ に宣 戦 布 告 、 第1次
バ
に 入 り休 戦 が 成 立 し、 ロ ン ド ン
会 議 に お い て 戦 争 終 結 へ 向 け た 条 件 が ト ル コ 側 とバ ル カ ン 諸 国 側 とで 協 議 さ れ た 。 皮 肉 に も、 こ こ で 決 め ら れ た 領 土 配 分 か ら 、 第2次
バ ル カ ン戦 争 が は じ ま っ
て い くこ とに なっ た。 London
Naval
Conference(1930)
ロ ン ドン海軍 軍縮 会 議 ア メ リカ 、 イ ギ リ ス 、 フ ラ ン ス 、 イ タ リ ア 、 日本 が
参 加 し て 、1930年
に ジ ュ ネ ー ブ (Geneva) で 開 催 さ れ た 海 軍 軍 縮 会 議 。22年
ワ シ ン トン 海 軍 軍 縮 条 約 (〓Washington
Naval
の
Treaty) で 定 め た 各 国 の 主 力 軍
隊 保 有 率 が 改 定 され た が 、 フ ラ ン ス 、 イ タ リ ア は 内 容 に 反 対 し て 脱 退 。 日 本 の 軍 部 も決 定 を 不 満 と して 、 軍 部 ・右 翼 の 活 動 が 活 発 化 し た 。 London,
Treaty
of
ロ ン ド ン条 約 (1)1831年
:ベ ル ギ ー の 独 立 と永 世 中 立 を 認 め た 条 約 。 イ
ギ リス、 フラ ンス、 ロシ ア、 オ ース トリア、 プ ロイセ ン との間 で ベ ル ギー が締 結 した。 (2)1913年
:1912年
結 ば れ た 条 約 で 、 第1次
末 か ら の ロ ン ド ン 会 議 (〓London バ ル カ ン 戦 争 (〓Balkan
ギ リ シ ャ は サ ロ ニ カ (Saronikos) 島 を 、 セ ル ビ ア (〓Serbia) ラ キ ア (Trakiya)
Wars)
、 マ ケ ド ニ ア (Macedonia)
は マ ケ ドニ ア の 中 部
、 エ ー ゲ 海 (Aegean
Conference)
南 部 、 ク レ タ (Creta)
・北 部 を、 ま た ブ ルガ リア は ト
Sea) 沿 岸 を 領 有 し た た め 、 ヨ ー ロ ッ パ の ト
ル コ 領 は 激 減 し、 そ の バ ル カ ン 支 配 は ほ ぼ 完 全 に 失 わ れ た 。 し か し 、 を め ぐ っ て セ ル ビ ア と ブ ル ガ リ ア が 争 い 、 第2次 な る。
に お い て
の講 和 条 約 。 この結 果 、
上記 の 分 配
バ ル カ ン戦 争 が 勃 発 す る こ と と
(3)1915年
:第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I) 中 の1915年4月26日
、イ ギ リス 、
フ ラ ン ス 、 ロ シ ア と イ タ リア の 間 で 結 ば れ た 秘 密 条 約 で イ タ リ ア の 参 戦 条 件 が 決 め ら れ た 。 三 国 同 盟 (〓Triple 立 を 保 っ て い た が、
Alliance)
の 一 員 た る イ タ リア は 戦 争 開 始 後 も 中
ト レ ン チ ノ (Trentino)
、 南 チ ロ ル (Tirol) 、
(Trieste) 、 イ ス ト リ ア (Istria)、 ダ ル マ チ ア (Dalmatia) 条 件 で 三 国 協 商 (〓Triple 月3日
Long
Entente)
ト リエ ス テ
な ど が 与 え られ る と い う
側 に つ い た 。 こ の 条 約 の 結 果 、 イ タ リ ア は5
三 国 同 盟 の 破 棄 を 宣 言 し、 オ ー ス ト リア に 宣 戦 布 告 し た 。
March(1934∼35)
長征
大 西 遷 と も い う。1934年
か ら35年
(Jiangxi)か ら 延 安 (Yanan) へ の 紅 軍 (Red Army: こ と。蒋 介 石 ( 〓Chiang /Guomindang)
Kai-shek/Jiang
にか け て実 行 され た、 江 西 中 国 共 産 党 の 軍 隊 )の 大 移 動 の
Jieshih) の 中 国 国 民 党 ( 〓Kuomintang
の 包 囲 攻 撃 を 逃 れ る た め 、34年 毛 沢 東 ( 〓Mao
Tse-tung) の 指 揮
の 下 に 、紅 軍 は 西 方 へ の 戦 略 的 移 動 作 戦 を 開 始 し た 。江 西 省 か ら広 東 省 (Canton) を 経 て 、 貴 州 省 (Guizhou) の 遵 義 (Zunyi)に 結 集 し、 こ こで 北 上 す る こ と を 決 定 。 雲 南 (Yunnan) 、 四 川 (Sichuan) を 経 て 、 陝 西 省 (Shaanxi) の 延 安 に 到 着 し た の は35年10月
で あ っ た 。1万2500kmの
行 程 を 踏 破 す る 間 に10万 人 い た 兵 は3万
人 を 下 回 っ て い た と い う。 これ に よ っ て 、 毛 沢 東 の 党 内 指 導 力 が 確 立 し た 。 Louis
XIV(1638∼1715)
ル イ14世 フラ ンス王 ( 位1643∼1715)
た 。 ル イ13世
(Louis
相 と し て 、1648年
。 太 陽 王 (Sun
King)
XIII) の 子 。 幼 年 で 即 位 し 、 マ ザ ラ ン (Mazarin,
か ら53年
(Thirty
Years
War)
終 結 と と も に ウ ェ ス ト フ ァ リ ア 条 約 (Peace
で 国 際 的 地 位 を 向 上 さ せ た 。61年 Baptiste)
Augusburg,
War,
1689∼97)
1701∼14)
・市
、30年
1672-78)
戦 争
Westphalia)
親 政 を は じ め 、 コ ル ベ ー ル (Colbert,
強 兵 を 図 っ た 。 ネ ー デ ル ラ ン ト 侵 略 戦 争 (War
the,
of
of Devolution,
1667∼68)
、 フ ァ ル ツ 継 承 戦 争 (War
、 ス ペ イ ン 継 承 戦 争 (〓Spanish
of
the
Succession,
等 の 相 次 ぐ 侵 略 戦 争 で 領 土 を 拡 大 し た 。85年
Jean-
を と り富 国
を 財 務 総 督 と し て 登 用 し 、 重 商 主 義 政 策 (〓mercantilism)
ン ダ 戦 争 (Dutch
を宰
貴 族
に か け て 起 こ っ た フ ロ ン ド の 乱 (Fronde:
民 に よ る 反 王 権 反 乱 )を 鎮 圧 し 、 貴 族 を 抑 え て 王 権 を 強 化 。 同48年
と称 され
Jules)
、 オ ラ
League War
of of
には ナ ン トの勅 令
(Edict of Nantes: 新 教 徒 ユ グ ノ ー の 信 仰 を 認 め た 勅 令 )を 廃 し て 国 内 の 宗 教 統 一 を 試 み た が 、 ユ グ ノ ー (Huguenot:16世 紀後 半 以 降 フラ ンス に広 まっ た 新教 徒 )20万
人近
く の 国 外 逃 亡 へ つ な が っ た 。 ま た 、 ベ ル サ イ ユ 宮 殿 を 完 成 し 、 「朕
は 国 家 (L'〓tat, c'est
moi) 」の 示 す と お り 、 フ ラ ン ス 絶 対 王 政 の 頂 点 を 築 き 、 文 芸
保 護 に も 熱 心 で あ っ た 。 しか し 、 圧 政 と国 費 の 消 耗 は絶 対 王 政 破 綻 の 予 徴 を 示 し た と も い え る。
Lumumba,
Patrice(1925∼61)
パ ト リス ・ル ム ン バ
ベ ル ギ ー 領 だ っ た コ ン ゴ (〓Congo)
の民族 独 立運動 指 導 者。
中 学 卒 業 後 、行 政 局 、郵 便 局 、 ビ ー ル 工 場 な ど に 勤 め る。 『ウ グ ラ (Ugura: 自 由 )』 紙 を 発 刊 して 、1958年
国 民 運 動 党 (MNC:
創 設 し、 党 首 に つ く。 同 年 の 第1回 Conference)
に 出 席 。59年
Congolese
National
Movement)
を
全 ア フ リ カ 人 民 会 議 (Pan-African
同 党 の 蜂 起 は 全 国 規 模 へ と拡 大 し 、 ベ ル ギ ー 政 府 は
60年 主 要 政 党 代 表 者 会 議 を 開 催 し た 。 ル ム ン バ は 即 時 独 立 を 要 求 し 、6月
の独
立 と と も に 首 相 に就 任 。 しか し、 ベ ル ギ ー の 再 侵 攻 で 国 連 軍 が 派 遣 さ れ る ま で に 至 り、 そ の 際 ア メ リ カ を 背 景 と した モ ブ ツ (Mobutu,
Sese
Seko) ら の クー デ タ ー
に あ って失 脚。 身 柄 を移送 され て虐 殺 され た。 Lytton
Commission
リ ッ トン 調 査 団 国 際 連 盟 (〓League
(〓Manchurian
Incident) 調 査 団 。1931年
日 本 の 侵 略 行 為 を 国 際 連 盟 へ 提 訴 。12月
of Nations)
に よ る 満 州 事 変
の 満 州 事 変 を うけ て 、 中 国 は 直 ち に に は イ ギ リ ス 人 の リ ッ ト ン (Lytton,
Victor) を 団 長 と す る 一 行 が 派 遣 され た。32年10月
、 日本 の 軍 事 行 動 及 び 満 州 国
成 立 を 不 法 と し、 列 強 に よ る 共 同 統 治 を 提 起 す る 内 容 の 報 告 書 が 出 さ れ 、 国 際 連 盟 も これ を 支 持 し た 。 しか し、 日本 側 は 満 州 国 の 完 全 独 立 を 主 張 し て 鋭 く対 立 。 翌33年
、 報 告 書 が 採 択 され る と、 日 本 は 国 際 連 盟 を 脱 退 し た 。
M Maastricht
Treaty(1991)
マ ー ス ト リ ヒ ト条 約
1991年12月
、 オ ラ ンダ
議 で 合 意 さ れ た 、 ヨ ー ロ ッ パ 連 合 (EU: ヨ ー ロ ッ パ 連 合 条 約 (Treaty
on
・ マ ー ス ト リ ヒ ト に お け るEC首
〓European
European
Union)
ヨ ー ロ ッ パ 統 合 の た め の ヨ ー ロ ッ パ 中 央 銀 行 (ECB: 創 設 や 、 ヨ ー ロ ッ パ 通 貨 単 位 (ECU:
European
Union)
設 立 に 関 す る条 約。
と も い う 。92年2月 European
Currency
脳 会
調 印。
Central
Bank)
の
Unit) の 統 一 、 域 内 市
民 権 の 取 得 、 共 通 の 安 全 保 障 政 策 な ど が 盛 り 込 ま れ て い る 。EC加
盟12カ
国 の う
ち 、 一 時 デ ン マ ー ク が 国 民 投 票 で 批 准 を 否 決 さ れ る な ど統 合 の 難 し さ を 露 呈 し た が 、93年7月
ま で に デ ン マ ー ク を 含 む す べ て の 国 で 可 決 され た 。
〓European
Community(
MacArthur,
ヨ ー ロ ッパ 共 同 体 )
Douglas(1880∼1964)
マ ッカー サ ー
ア メ リ カ の 軍 人 。 ア ー カ ン ソ ー (Arkansas) 年 陸 軍 士 官 学 校 を 卒 業 し、 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
州 生 ま れ 。1903
I) に 従 軍 。 陸 軍 士 官
学 校 校 長 、 陸 軍 参 謀 総 長 、 フ ィ リ ピ ン 政 府 採 鉱 軍 事 顧 問 を 歴 任 し た 後 、37年 旦 退 役 。41年 軍 司 令官
復 帰 し て 、 太 平 洋 戦 争 (〓Pacific
War)
一
に お いて在 フ ィ リ ピン極 東
・ 連 合 軍 西 南 太 平 洋 司 令 官 と し て 対 日 反 抗 作 戦 を 指 揮 。45年
、 日本 の
降 伏 に と も な い 、 日 本 占 領 軍 最 高 司 令 官 と し て 日 本 の 民 主 化 に 貢 献 し た 。50年 朝 鮮 戦 争 (〓Korean
War)
の 勃発 に あ た り国連 軍総 司令官 に任 じ られ たが 、 中 国
本 土 攻 撃 を 主 張 し て ア メ リ カ の ト ル ー マ ン 大 統 領 (〓Truman, 意 見 が 合 わ ず に 対 立 し 、51年
MacDonald,
James
Harry
Shippe)
と
解 任 さ れ 帰 国 した 。
Ramsay(1866∼1937)
マ ク ドナ ル ド
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 首 相 (任1924、29∼31、31∼ 35) 。 ス コ ッ ト ラ ン ド (Scotland) 〓Independent と改 称 (〓World 24年
Labour
農 業 労 働 者 の 子 。1894年
に 入 党 し た 。1906年
し て か ら 党 書 記 長 を 務 め た 後 、11年 War
独 立 労 働 党 (ILP:
、 労 働 党 (〓Labour
党 首 と な っ た 。 第1次
Party) 世 界 大 戦
I) に 際 し て 参 戦 に 反 対 し て 辞 任 し た が 、 戦 後 は 党 の 再 建 に 努 め 、
自 由 党 (〓Liberal
(〓Labour
Party)
governments)
避 に 努 め て い る 。29年
Party)
の 支 持 を得 て、 イ ギ リ ス 史 上 初 の 労 働 党 内 閣
を 組 閣 し た 。26年 第2次
に は ゼ ネ ス ト (〓General
Strike) 回
労 働 党 内 閣 を 組 閣 し た が 、 世 界 恐 慌 (〓Great
Depression)
に 際 し 、31年
失 業 手 当 削 減 を め ぐ る 内 閣 不 一 致 で 総 辞 職 した 。 後 、
脱 党 し て 挙 党 内 閣 の 首 相 に 就 い た が 、35年 Stanley)
に 保 守 党 ボ ー ル ド ウ ィ ン (〓Baldwin,
に 首 相 を 譲 り、 自 ら は 枢 密 院 議 長 と な っ た 。 外 交 に 政 治 手 腕 を 発 揮 し、
ソ 連 との 国 交 回復 を 断 行 した り、 ド イ ツ
・ ル ー ル 地 方 (〓Ruhr)
軍 撤 退 、 ロ ン ド ン 海 軍 軍 縮 会 議 (〓London 会 議 (〓Ottawa
MacMahon
Conference,
1932)
Declaration(1915)
〓MacMahon, MacMahon,
Conference,
か らの フ ラ ン ス 1930)
、 オ タ ワ
開 催 な ど を 推 進 した 。
マ クマ ホ ン宣 言
Sir Arthur
Sir Arthur
Naval
Henry
Henry(1862∼1949)
マ クマ ホ ン
イ ギ リ ス の 植 民 地 行 政 官 。 イ ギ リス 領 イ ン ド の
一 部 、 バ ルチ ス タ ン ( 〓Baluchistan)
1911年
に お いて 税務 及 び 司法 局 長 を務 め た後 、
か ら14年 イ ン ド政 府 の 外 相 に 就 き 、14年
(Cairo)駐 在 高 等 弁 務 官 に 就 任 。 この 間 、15年 フ サ イ ン (Husayn,
ibn
か ら16年
∼16年
に は エ ジ プ トの カ イ ロ
にか けて ア ラ ビア指 導 者 の
Ali)との 間 に い わ ゆ る マ ク マ ホ ン 書 簡 を と りか わ し、 ア
ラ ビ ア 人 の 独 立 運 動 を 支 持 す る こ と を 約 束 し て い た (マ ク マ ホ ン 宣 言 MacMahon Arthur
Declaration) 。 し か し、17年 James)
Declaration)
:
イ ギ リス 外相 バ ル フ ォア ( 〓Balfour,
に よ る ユ ダ ヤ 人 国 家 建 設 宣 言 (バ ル フ ォ ア 宣 言
: 〓Balfour
は 、 マ ク マ ホ ン宣 言 と の 間 に 矛 盾 を 生 じ 、 これ が パ レ ス チ ナ 問 題 の
発 端 と な っ た 。19年 の パ リ講 和 会 議 ( 〓Paris
Peace
Settlement)
で は 、 イ ギ リス
中 東 代 表 理 事 と して 出 席 。 〓Palestine( Madrid
Peace
パ レス チ ナ ) Conference
中東 和 平会 議 ( マ ド リ ー ド会 議 ) 米 ソ間 の冷 戦 ( 〓Cold
War) の 結 果 を受 け 、1991年10月
War) 終 結 、 湾 岸 戦 争 ( 〓Gulf
に ス ペ イ ン の 首 都 マ ド リー ド で 開 催 され た 国 際
会 議 。 米 ソ を 共 同 議 長 国 と して 、 イ ス ラ エ ル 、 パ レ ス チ ナ 、 シ リ ア 、 レバ ノ ン な ど す べ て の 湾 岸 戦 争 の 関 係 国 ・地 域 が 同 じ テ ー ブ ル に つ い た 。 この 会 議 が そ の 後 の 中 東 地 域 の 和 平 合 意 の 出 発 点 と な る。 Maginot
Line
マ ジ ノ線 フ ラ ン ス が 対 独 防 衛 の た め に 敷 い た 大 要 塞 線 。 ア ン ド レ ・マ ジ
ノ (Maginot,
Andre) 陸 相 に 因 ん で こ の 名 が あ る。1930年
以 来200億
フ ラ ンの 巨
費 を 投 じ て ドイ ツ 国 境 地 帯 に 構 築 を進 め た が 、 難 攻 不 落 を 誇 る あ ま り対 独 楽 観 心 理 を 生 ん で ヒ トラ ー (〓Hitler, Adolf) に 時 間 的 猶 予 を 与 え て し ま っ た 。 ドイ ツ は
ジ ー ク フ リー ト線 (〓Siegfried War
Line) で こ れ に 対 向 。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
II)中 、 ド イ ツ の 西 部 攻 撃 は ル ク セ ン ブ ル ク、 ベ ル ギ ー 方 面 に 展 開 さ れ た の
で 、 実 際 に は フ ラ ン ス の 防 御 に は役 立 て な か っ た 。 Malaya,
Federation
of マ ラ ヤ 連 邦 マ レ ー (Malay) 半 島 南 部 に あ っ た 連 邦 国 家 で 、19世 紀
初 め よ りイ ギ リ ス が 植 民 地 化 に 着 手 。1895年 と な っ た 。 第2次
世 界 大 戦 中 (〓World
再 び 連 邦 が 結 成 さ れ た 。1957年 独 立 国 と な り、63年
War
マ ラ ヤ 連 邦 を 組 織 し、 イ ギ リ ス 領 II)は 日本 軍 に 占 領 さ れ た が 、 戦 後
イ ギ リス連 邦 ( 〓British
に は マ レ ー シ ア連 邦 (Federation
Commonwealth)
of Malaysia)
内の
を形 成 す る一
員 とな っ た。 〓Malaysia
Malaysia
マ レーシ ア 東 南 ア ジ ア 、 マ レ ー (Malay) 半 島 南 部 と ボ ル ネ オ (Borneo) 島 北 部 か ら
成 る 連 邦 制 王 国 。 首 都 は ク ア ラ ル ン プ ー ル (Kuala (〓World
War
リ ス 保 護 領 マ ラ ヤ 連 合 (Union (〓British
Lumpur)
。 第2次
世界 大 戦 中
II)は 日本 に 占 領 さ れ た が 、 戦 後 独 立 気 運 が 高 ま り、1946年
Commonwealth)
of Malaya)
を 結 成 。57年
イギ
に 入 る とイ ギ リス連 邦
内 の 独 立 国 家 と な り、63年9月
北 ボ ル ネ オ のサ ラ
ワ ク 州 (Sarawak) 、 サ バ 州 (Sabah) 、 シ ン ガ ポ ー ル を 併 合 し て マ レ ー シ ア 連 邦 (Federation
of Malaysia) が 成 立 した 。 な お 、 シ ン ガ ポ ー ル は65年
に分 離 独立 し
て い る 。 独 立 当 初 、 イ ン ドネ シ ア や フ ィ リ ピ ン が 連 邦 結 成 に 反 対 し た が 、 現 在 は 協 調 的 態 度 に 傾 い て い る 。 華 僑 人 口 が 多 くマ レー 人 と の 対 立 問 題 が あ る 。 〓p.332地 Malenkov,
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図]) Georgi
Maksimilianovich(1902∼88)
マ レン コフ ソ連 の 政 治 家 。 首 相 ( 任1953∼55)
モ ス ク ワ 工 業 大 学 卒 業 後 、1920年
。
共 産 党 入 党。 党 モ ス ク ワ地 方 委 員 会 書 記 、 党
中 央 委 員 会 人 事 局 長 な ど の 重 要 ポ ス トを 歴 任 し、41年 に は 中 央 委 員 会 政 治 局 員 に 。 第2次
世界大戦 ( 〓World
War
II)で は 航 空 機 生 産 を 担 当 。 戦 後 、 副 首 相 と な り
党 政 治 局 員 や 党 書 記 局 員 を 兼 ね 、 ス タ ー リ ン (〓Stalin, の 死 後 、53年 leadership)
Josef
Vissarionovich)
首 相 及 び 党 書 記 長 に 就 き、 個 人 独 裁 を 排 除 し た 「集 団 指 導 」 (group を 唱 え た 。53年
シ ナ 戦 争 (〓Indo-China ガーニン( 〓Bulganin,
の朝 鮮戦 争 ( 〓Korean
War) の 休 戦 、54年
のイン ド
War) 停 戦 と い っ た 外 交 上 の 実 績 を あ げ た 。55年 Nikolai
Alexandrovich)
ン批 判 以 後 、 フ ル シ チ ョ フ (〓Khrushchev,
に 首 相 を譲 り、56年
Nikita
Sergeyevich)
ブル
の ス ター リ
首 相 の 追 い落
と し を 企 て 「反 党 グ ル ー プ (anti-party group) 」を形 成 した た め 、 左 遷 さ れ て61年
に は党 か ら除 名 され た。 Malthus,
Thomas
Robert(1766∼1834)
マ ルサ ス
イ ギ リ ス の 経 済 学 者 。 ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 (Cambridge, University
of)で 数 学 と生 物 学 を 学 ぶ 。 東 イ ン ド会 社 大 学 の 歴 史 学 と経 済 学 の 教
授 。1798年
の 『人 口 論 (Principle of Population)
』に お い て 理 想 社 会 の 実 現 に 関
す る 見 解 を 示 し た 。 つ ま り、 食 料 は 算 術 級 数 的 に しか 増 加 し な い の に 人 口 は 制 限 し な け れ ば 幾 何 学 級 数 的 に増 大 す る こ と か ら、 過 剰 人 口 の 必 然 性 を 主 張 。 人 間 の 幸 福 は 宿 命 論 的 な 自 然 法 則 の 結 果 で あ る と して 、資 本 主 義 社 会 の 矛 盾 を 合 理 化 し、 社 会 主 義 思 想 を 批 判 し た 。 そ して 、 これ に 対 す る唯 一 の 方 策 は 禁 欲 的 ・道 徳 的 抑 制 で あ る と し た 。20世 紀 に 入 る と、 地 球 規 模 の 食 料 危 機 に 備 え て 貧 困 を 人 口 制 限 に よ っ て 解 決 す べ き とす る 「 新 マ ル サ ス 主 義 」思 想 も現 れ て い る。 Manchuria
満州 中 国 東 北 地 方 の 旧 名 称 。 現 在 の 内 蒙 古 自 治 区 (Nei Monggol
Autonomous
Region) 、 黒 龍 江 省 (Heilongjiang) 、 吉 林 省 (Jilin) 、 遼 寧 省
(Liaoning) を 合 わ せ た 地 域 。 満 州 の 名 は 清 代 (Qing dynasty) に な っ て ヨ ー ロ ッ パ に よ っ て 呼 ば れ て い た も の で 、 古 くは 遼 東 (Liaodong) の 名 で 知 られ る 。 清 代 に 祖 先 発 祥 の 地 と し て 神 聖 視 さ れ 、1912年 Republic)
時 代 に は 東 三 省 (Tung-san-sheng)
南 下 進 出 政 策 に と も な い 、1899年 領 され る に 至 っ た 。 し か し、1905年
か ら の 中 華 民 国 (〓Chinese
と称 し た 。17世
義 和 団 事 件 (〓Boxer
日 露 戦 争 (〓Russo-Japanese
ア 敗 戦 で そ の 野 望 は くず れ 去 っ た 。 代 わ っ て 、 第2次
1932年
に は 、 満 州 国 (Manchukuo)
Manchurian
が 設 け られ た 。 戦 後 、 日本 の 敗 戦 と と も に 満
満州 事変
1931年9月
、 大 陸 侵 略 を も くろ む 日 本 軍 が 中 国 東 北 部
に 侵 攻 。 翌32年 満 州 国 (Manchukuo)
の 提 訴 に よ っ て 国 際 連 盟 (〓League Commission)
War
Incident) の 翌 年
中 国 へ 返 還 され た 。
Incident(1931∼32)
の満 州 ( 〓Manchuria)
War) の ロ シ
世 界 大 戦 前 (〓World
II)に は 日 本 が 侵 略 を 進 め た 地 域 で 、 満 州 事 変 ( 〓Manchurian
州 国 も 消 滅 し、48年
紀 頃 か ら ロシ アの
Rising) の と き は 一 時 占
を 成 立 させ た 。 中 国
of Nations) が リ ッ ト ン 調 査 団 (〓Lytton
を 派 遣 して 撤 退 を 求 め た が 、 日本 は こ れ を 拒 否 し て 国 際 連 盟 を 脱
退 した。 Mandates
委任 統 治 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I) 後 、 国 際 連 盟 (〓League
Nations) の 委 任 に よ り、 敗 戦 国 の ドイ ツ や トル コ の 植 民 地
of
・準 植 民 地 にお い て
適 用 さ れ た 統 治 形 態 。 イ ギ リ ス 、 フ ラ ン ス 、 日本 な ど の 戦 勝 国 は 併 合 を 要 求 した が 、 アメ リカの ウ ィル ソ ン大統 領 ( 〓Wilson,
Woodrow)
が 反 対 した た め に 考 案
され た 一 種 の 妥 協 的 統 治 形 態 で も あ る。 国 際 連 盟 規 約 第22条
に よ っ て、 国 際 連
盟 の 監視 下 の も とに各 国 が保 護管 理 に あ た っ た ものの 、事 実 上 、 旧敵 国 領土 分 配 に 等 しか っ た と い え る 。 第2次 した 国 際 連 合 ( 〓United
世界大戦 ( 〓World
War
II)後 に は 、 新 た に 発 足
Nations) に よ る信 託 統 治 (〓Trust
territory)形 式 に 継 承
され た。 Mandela,
Nelson
Rolihlahla(1918∼)
マ ンデ ラ
南 ア フ リカの 人 種隔 離 政策 ( 〓Apartheid)
に抗 す
る黒 人 解 放 運 動 の 指 導 者 。 ウ ム タ タ (Umtata) で 先 住 民 の 家 に 生 ま れ 、 南 ア フ リ カ 大 学 在 学 中 か ら学 生 運 動 に 参 加 し て い た が 、 卒 業 後 は 弁 護 士 に 。1944年 法 の ア フ リ カ 民 族 会 議 (ANC: ス ブ ル ク (Johannesburg)
〓African
National
の 責 任 者 と な っ た 。56年
に 処 され た 。62年 再 び 捕 ま り、64年
Congress)
反 逆 罪 で 逮 捕 さ れ 、5年
の刑
国 家 反 逆 罪 で 終 身 刑 を宣 告 され た 。 し か し、
反 ア パ ル トヘ イ ト組 織 の 合 法 化 措 置 に よ っ て 、90年2月
に28年 ぶ り に 釈 放 さ れ
る と、 ア フ リ カ民 族 会 議 の 副 議 長 に お され 、 翌91年7月6日 タ ン ボ (Tambo,
非合
に 加 入 し、 ヨ ハ ネ
、 病 身 の オ リバ ー ・
Oliver) に 代 わ っ て 議 長 に 就 任 。同 年 ア パ ル トヘ イ ト関 連 法 廃 止 。
94年 、 新 憲 法 下 の 上 院 院 議 院 を 選 出 す る た め に 行 わ れ た 全 人 種 参 加 に よ る 総 選 挙 で ア フ リカ 民 族 会 議 が 勝 利 を 収 め 、 マ ン デ ラ は 初 の 黒 人 大 統 領 に 就 任 し た 。 〓South
Mao
Africa
Tse-tung(1893∼1976)
毛 沢 東
中 国 の 政 治 家 。 湖 南 省 (Hunan) 学 校 在 学 中 か ら 左 翼 的 運 動 に 参 加 し 、1918年 マ ル
ク ス 主 義 (Marxism)
Communist 27年
Party)
の 影 響
を 組 織 し た 。31年
Republic)
、
共 合 作
: 〓United
Japanese
War)
・ 蒋 介 石 (〓Chiang
西 安 事 件 (〓Xi'an
Front)
March)
を 主 導 して 党 内
を 経 て 国 民 党 と の 提 携 (国
後 、 再 び 国 民 党 と の 内 戦 に 入 り 、49年10月
を 樹 立 。54年
Shao-chi)
Incident)
Soviet
Kai-shek/Jiang
に 成 功 し 、 抗 日 戦 線 を 率 い た 。 日 中 戦 争 (〓Chino-
を 台 湾 (〓Taiwan/Formosa) China)
で
中 国 共 産 党 (Chinese
と 共 産 党 が 分 離 し た 後 は 紅 軍 (Red
か ら の 攻 撃 を 受 け た が 、 北 方 へ の 長 征 (〓Long
指 導 権 を 確 立 し た 。36年
(Liu
け た 。21年
江 西 省 (Jiangxi) に 中 華 ソ ビ エ ト共 和 国 (Chinese
を 成 立 さ せ る と、 国 民 党
Jieshih)
の 師範
の 創 立 に 参 加 し、 特 に 農 村 工 作 に よ っ て 農 民 の 支 持 を 得 た 。
国 民 党 (〓Kuomintang/Guomindang)
Army)
of
を 受
の 出 身 。 長 沙 (Changsha) 卒 業 後 北 京 (〓Beijing/Peking)
、蒋 介 石の 国 民 政 府
へ 追 い や っ て 中 華 人 民 共 和 国 (People's の 第1回
Republic
全 国 人 民 代 表 会 議 で 首 席 と な っ た 。59年
に 首 席 の 地 位 を 譲 っ た が 、 大 躍 進 政 策 (〓Great
Leap
劉 少 奇
Forward)
や66年 か ら の 文 化 大 革 命 ( 〓Cultural Revolution) に よ っ て 劉 少 奇 ら の 有 力 者 を 一掃 した 。71年 に は 陰 謀 で 林 彪 (Lin Piao) を 排 し、76年 急 進 派 と実 務 派 が 対 立 す る 中 、 後 継 者 を 決 定 せ ず に 政 策 最 高 指 導 者 の ま ま 死 亡 した 。
March
Revolution(1848)
ド イ ツ3月
1848年3月
革 命
、 フ ラ ンス2月
革命( 〓February
の 影 響 を 受 け て ドイ ツ に 起 こ っ た 市 民 革 命 。2月22日 働 者 ら に よ る 革 命 が 成 功 す る と、3月13日
Revolution)
フ ラ ンス で 中 小 市民 や 労
オ ー ス ト リ ア の ウ ィ ー ン (Vienna) で
も 自 由 を 求 め る市 民 革 命 が 発 生 。 こ れ を 受 け て プ ロ イ セ ン (〓Prussia) で は 、3 月18日
ベ ル リ ン (Berlin)で 革 命 が 起 こ り、 自 由 主 義 ( 〓liberalism)
閣 が 発 足 。 ドイ ツ の 統 一 と立 憲 政 治 の 確 立 を 求 め て5月 議 会 (Frankfurt Parliament) ま ま 、10月 March
ロ シ ア3月 2月
Marne,
Revolution(
Battle
が 開 か れ た が 、 内 部 の 対 立 な どか ら成 果 が あ が ら ぬ
・11月 に 行 わ れ た 反 革 命 に よ っ て 制 圧 さ れ た 。
Revolution(1917)
〓Russian
に も とづ く内
に は フ ラ ン ク フ ル ト国 民
of(1914)
革命
革 命 (February
Revolution)
の こ と。
ロ シ ア革 命 )
マ ル ヌの 戦 い
第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I)開 戦 直 後 の1914年9月
ベ ル ギ ー を突 破 し た ドイ ツ 軍 と フ ラ ン ス 軍 との 西 部 戦 線 (Western
、
Front) に お け
る 最 初 の 会 戦 。 フ ラ ン ス の ジ ョ ッ フ ル (Joffre,Jacques) 司 令 官 は イ ギ リス 軍 と協 力 し て パ リ東 方 の マ ル ヌ河 畔 で ドイ ツ軍 の 南 下 を 阻 止 した 。 こ の た め 、 フ ラ ン ス 急 襲 を も く ろ ん だ ドイ ツ の シ ュ リー フ ェ ン 作 戦 (〓Schlieffen
Plan) は失 敗 、 長
期 戦 化 し た。 Marshall
Plan
マ ー シ ャ ル ・プ ラ ン
1947年6月
、 ア メ リカ 国 務 長 官 マ ー シ ャ ル (Marshall,
Catlett) が 発 表 し た ヨ ー ロ ッ パ 復 興 案 。 トル ー マ ン大 統 領 ( 〓Truman, Shippe) に よ っ て48年4月3日 125億
発 動 さ れ 、 ア メ リ カ は51年
ま で の4カ
George Harry 年 の間に
ドル を つ ぎ 込 ん だ 。 こ の 結 果 、 確 か に ア メ リ カ 資 本 の 進 出 で ヨ ー ロ ッ パ 諸
国 の 復 興 は成 っ た が 、 次 第 に 経 済 の 軍 事 化 を 招 い て 反 共 的 軍 事 援 助 の 性 格 を もつ よ う に な り、 冷 戦 構 造 ( 〓Cold
Marx,
Karl
Heinrich(1818∼83)
War) を激 化 さ せ る こ と と な っ た 。
カ ー ル ・マ ル ク ス
ドイ ツ の 社 会 主 義 思 想 家 。 ユ ダ ヤ 人 の 子 と し て ドイ ツ の ト リ ー ル (Trier)に 生 ま れ 、 ボ ン ・ベ ル リ ン両 大 学 で 法 学 、哲 学 、 歴 史 学 を 学 ぶ 。
哲 学 者 の ヘ ー ゲ ル (Hegel, (Feuerbach,
Ludwig
Georg
Andreas)
Wilhelm
を 主 筆 し 、 プ ロ イ セ ン (〓Prussia) (Engels,
Friedrich)
物 論 (dialectic
Zeitung)
』
に 出 会 い 、 終 生 変 わ ら ぬ 親 交 を結 ん だ 。 そ の 間 、 弁 証 法 的 唯
materialism)
革 命 (〓March
や フ ォ イ エ ル バ ッ ハ
政 府 を 批 判 。 パ リに 亡 命 す る と、 エ ン ゲ ル ス
を 創 始 し 科 学 的 社 会 主 義 を 確 立 。1848年
ス と と も に 『共 産 党 宣 言 (Communist に3月
Friedrich)
に 影 響 さ れ 『ラ イ ン 新 聞 (Rheinische
Manifesto)
Revolution)
エ ンゲ ル
』を 発 表 し た 。 そ の 後 、 ド イ ツ
が 起 こ る と帰 国 し て 理 論 指 導 に あ た っ た が 、
反 革 命 派 が 勝 利 し た た め ドイ ツ 国 外 に 追 放 。 パ リ を経 て ロ ン ドン に 亡 命 し、 貧 苦 の 生 活 に 耐 え な が ら 大 英 図 書 館 に て 経 済 学 を 研 究 。 こ の 間 、1864年 タ ー ナ シ ョ ナ ル (〓International そ の 理 論 的 指 導 を 行 い 、71年 未 完 に 終 わ っ た 『資 本 論 (The
Workingmen's
Association)
パ リ ・コ ミ ュ ー ン (〓Paris Capital)
に 第1イ
ン
が 創 立 さ れ る と、
Commune)
を支 持 した。
』は マ ル ク ス の 死 後 、 エ ン ゲ ル ス に 委 ね ら
れ た。
McCarthy,
Joseph
Raymond(1908∼57)
マ ッカ ー シー
ア メ リ カ の 政 治 家 。 ウ ィ ス コ ン シ ン (Wisconsin) 州 生 まれ 。 弁 護 士 、 海 兵 隊 を 経 て1947年
か ら10年 間 共 和 党 (Republican
上 院 議 員 。 党 内 右 派 で 、 トル ー マ ン (〓Truman,
Party)
Harry
Shippe) 政 権 の 中 国 政 策
の 失 点 に 乗 じ て リベ ラ ル 派 攻 撃 (赤 狩 り :red menace)
に 着 手 、 マ ッカ ー シ ー 旋
風 (MaCarthyism)
を 起 こ し た 。 折 し も、 ソ 連 の 核 実 験 成 功 、 中 国 共 産 党 に よ る
中 国 支配 、 朝 鮮 戦 争 ( 〓Korean
War) と い う国 際 状 況 が 追 い 風 と な っ た の だ が 、
そ の 非 民 主 的 調 査 と攻 撃 法 は 逆 に 非 難 の 的 と な り次 第 に 影 響 力 を 失 っ て い っ た 。 McKinley,
William(1843∼1901)
マ ッキ ン レー
ア メ リ カ 第25代 War)
に 従 軍 。1876年
∼90年
大 統 領 (任1897∼1901)
、 共 和 党 (Republican
関 税 を 支 持 す る マ ッ キ ン レ ー 関 税 法 (McKinley 年 大 統 領 選 挙 に 出 馬 し 当 選 。98年
Rico) を 獲 得 し た 。1900年
こ の 他 、 金 本 位 制 (gold door
policy)
standard)
tariff) を 提 案 し 可 決 さ せ た 。96
に は ス ペ イ ン が鎮 圧 で き なか っ た キ ュ ーバ の
反 乱 を 支 援 し て 米 西 戦 争 (〓Spanish-American エ ル ト ・リ コ (Puerto
。 南 北 戦 争 (〓Civil
Party) 下 院 議 員 と な り 、 保 護
War)
を遂 行 し、 フ ィ リ ピ ン と プ
ハ ワ イ (Hawaii)
を 併 合 して い る。
を 導 入 し た り、 対 中 国 門 戸 開 放 政 策 (open
を 推 進 し た 。 大 統 領 選 で 再 選 さ れ た の だ が 、01年
バ ッ フ ァ ロ ー
(Buffalo) で 狙 撃 さ れ 死 亡 。
Mediterranean
Agreement(1887)
地 中 海協 定 フ ラ ン ス の 孤 立 を 狙
(〓Bismarck,
Otto
う ドイ ツ
・ ビ ス マ ル ク
von) 首 相 の 仲 介 に よ り 、 ま ず イ ギ リ ス ・イ タ リ ア 間 で 結 ば れ 、
次 に オ ー ス ト リア と イ タ リ ア の 提 案 を イ ギ リス が 受 け 入 れ る こ とで 各 国 間 に 成 立 した 地 中 海 維 持 に 関 す る 秘 密 協 定 。1887年6月
、 ビ ス マル クは ロ シ アの 南 下 政
策 を 支 持 す る姿 勢 を 示 した が 、 一 方 で イ タ リア ・オ ー ス ト リ ア ・イ ギ リ ス に 対 し て は ロ シ ア の 野 心 を 抑 え る よ う な 方 策 を 提 示 して い た 。 た だ し 、 ド イ ツ は 地 中 海 協 定 に は 加 わ っ て お らず 、 紛 争 勃 発 に 際 して も 自 ら は 巻 き 込 ま れ な い よ う に な っ ていた。 Mein
Kampf
(My
Struggle)
『 我 が 闘争』 ヒ ト ラ ー ( 〓Hitler, Adolf) の 主 著 で ナ チ ス
(〓Nazis) の 聖 書 と い わ れ る 。 全2巻 23年
ミュ ンヘ ン 一 揆 ( 〓Munich
か ら成 り、1925年
∼27年
に刊 行 さ れ た。
Putsch) に 失 敗 後 、 禁 固 刑 の 間 に 獄 中 で 口 述 筆
記 させ た も の 。 ヒ ト ラー の 前 半 生 と初 期 の 政 治 闘 争 を 述 べ つ つ 、 彼 の 世 界 観 と政 治 網 領 が 記 さ れ て い る。 Mensheviks
メ ンシ ェ ビキ ロ シ ア 語 で 「少 数 派 」の 意 。1903年
Social
Democratic
ル ト フ (Martov)
Workers'
Party) の 第2回
、 ロ シ ア 社 会 民 主 労 働 党 (Russian 大 会 に お け る 同 党 分 裂 に 際 し、 マ
に 率 い ら れ て 、 レ ー ニ ン (〓Lenin,
数 派 」ボ リ シ ェ ビ キ (〓Bolsheviks)
Vladimir
Ilyich) 率 い る 「多
に対 抗 し た一 派 。 ボ リ シ ェ ビ キ の よ う な 厳 格
な 入 党 資 格 に よ ら ず 、 当 面 の 革 命 運 動 に お け る 自 由 主 義 と の 連 立 を 主 張 。 第1次 世 界 大 戦 (〓World ツ に 対 す Revolution) (Socialist
War
I) 前 後 で さ ま ざ ま な 内 部 分 裂 を 招 い た が 、 多 く は ド イ
る 「祖 国 防 衛 主 義 」 を 採 に お け る2月 Revolutionary
ら れ ず 、10月
革 命 (October
っ た 。17年
革 命 (February Party)
の
ロ シ ア 革 命 (〓Russian
Revolution)
で
は、 社 会 革 命 党
と ともに臨 時政 権 を樹 立 した が大 衆 の 支持 を得
Revolution)
後 は ボ リシ ェ ビ キ 政 権 に 敵 対 す る 勢 力
とな っ て い っ た 。
Mercantilism
重 商主 義 16∼18世
紀 に 西欧 の絶 対 主義 ( 〓absolutism:
王 権 絶 対 の政 治
形 態 )諸 国 に よ り推 進 さ れ た 、 自 国 の 商 業 及 び 産 業 を 育 成 す る た め の 保 護 経 済 政 策 。 一 方 で 封 建 的 生 産 様 式 が 崩 壊 し、 他 方 で 資 本 主 義 的 生 産 様 式 が 発 展 しつ つ あ る 中 で 、 後 者 は 未 だ 保 護 を要 す る 段 階 に あ り、 諸 外 国 と の 戦 争 の 中 で は ひ と り立 ち で き な い とい う条 件 の も と に 成 立 。 初 期 に お い て は 商 業 資 本 が 前 面 に 現 れ て 、 貨 幣 ・貴 金 属 の獲 得 そ の も の を 目 指 す 重 金 主 義 (bullionism) で あ っ た もの が 、 後 期 に な る と産 業 資 本 が これ に 代 わ り 、 商 工 業 保 護 の 性 格 を も つ よ うに な る 。 こ う した政 策 は イ ギ リス ・ フ ラ ンス で 顕 著 に現 れて お り、 イ ギ リ スは チ ュー ダ ー (Tudor) 朝 成 立 か ら産 業 革 命 ( 〓Industrial
Revolution)
に かけ て 、 フ ラン ス は ブ
ル ボ ン (Bourbon) 朝 絶 対 主 義 か ら フ ラ ン ス 革 命 (〓French
Revolution)
に至 る期
間 が こ れ に あ た る。 資 本 の 原 始 的 蓄 積 が 終 わ る と 自 由 放 任 主 義 (Laissez-faire: レ ッセ
・ フ ェ ー ル )が 高 ま り、 同 時 に 絶 対 主 義 の 衰 退 に よ っ て 重 商 主 義 は廃 棄 さ
れて いっ た。
Middle
East
Treaty
〓Baghdad
Middle-East
Organization(METO)
Pact(
Wars
中 東 条 約 機 構 (メ ト ー )
バ グ ダ ー ド条 約 )
中 東戦 争
1948年
の イ ス ラエ ル 建 国 以 来 、 今 日 ま で4度
に わ た って争
われ た ア ラブ諸 国 とイ ス ラエ ル間 の紛 争 。 < 第1次
>1948年
∼49年
: ア ラ ブ ・ イ ス ラ エ ル 戦 争 (Arab-Israeli War) 、 ま た
は ア ラ ブ ・ユ ダヤ戦 争 ( 〓Arab-Jewish
War) とい わ れ る 。1948年5月
イ ス ラエ
ル の 独 立 宣 言 を 契 機 に 、 こ れ を 認 め な い ア ラ ブ諸 国 が 開 戦 。 ア メ リ カ ・イ ギ リス の 支 援 を 受 け た イ ス ラ エ ル が 勝 利 した 。 日本 で は パ レ ス チ ナ 戦 争 と もい う。 イ ス ラエ ル 側 で は 「 独 立 戦 争 (War of Independence) < 第2次
>1956年
∼57年
」の 名 で 呼 ば れ る。
:別名 スエ ズ戦 争 ( 〓Suez
ジ プ トの ス エ ズ 運 河 (〓Suez
Crisis)。1956年10月
、エ
Canal) 国 有 化 宣 言 に 対 して 、 こ れ に 反 対 す る イ ギ
リ ス ・フ ラ ン ス が イ ス ラ エ ル と共 同 して エ ジ プ トに 出 兵 。 国 際 的 非 難 を浴 び た た め即 撤 退 した。 < 第3次
>1967年
:別 名6日
間戦 争 ( 〓Six
Day
War) 。1967年6月
、 ア メ リカ
と結ん だ イ ス ラエ ル が ア ラ ブ諸 国 を 急 襲 、 占領 地 域 を 拡 大 した 。6日
間 で イス ラ
エ ル が 圧 勝 し た こ とか ら こ う 呼 ば れ る。 < 第4次
>1973年
:別 名10月 戦 争 (October
War) 。1973年10月
、 先 の6日
間
戦 争 で 領 土 を 奪 わ れ た ア ラ ブ諸 国 が イ ス ラ エ ル を 攻 撃 、 領 土 の 一 部 を 奪 回 し た の ち、 国 連 の 介入 に よ って停戦 した。 〓Palestine 〓Israel
Midhat
Pasha(1822∼84)
ミ ド ハ ト ・パ シ ャ
オ ス マ ン ス タ ン ブ ー ル (Istanbul) 密 院 議 長 を 経 て 、72年 君 主 ) と 折 り 合 わ ず2カ
・ ト ル コ 帝 国 (〓Ottoman
の 生 ま れ で 、1860年
Empire)
の革 新 政 治 家 。 イ
に州 知 事 に な った の を は じめ 、枢
宰 相 と な っ た 。 し か し 、 ス ル タ ン (Sultan:
支 配 者
・専 制
月半 で その職 を解 か れ た。 そ の後 、 軍 と結 ん で 表 舞 台 に
復 帰 し、 ア ブ デ ュ ル
・ ハ ミ ト2世
に 就 い た 。76年12月
自 ら ミ ドハ ト憲 法 (Midhat
(〓Abdul
Hamid
II) の と き に 再 び 宰 相 の 地 位
Constitution)
を 起 草 し、 ス ル タ
ン の 名 の 下 に 発 布 。 勢 威 を お そ れ た ス ル タ ン は 、77年 強 の 干 渉 の 危 険 が お さ ま る や 、40日
Midway
Island,
Battle
of(1942)
国 内 の 立 憲 運 動 と国 外 列
余 り で ア ラ ビ ア へ 国 外 追 放 し流 刑 に 処 し た 。
ミッ ドウ ェー海 戦
第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II)中 の1942年6月
、
太 平 洋 戦 線 に お い て 連 勝 中 の 日 本 連 合 艦 隊 が ア メ リ カ 艦 隊 と 交 戦 、大 敗 を 喫 し た 。 日本 は 太 平 洋 に お け る制 海
Molotov,
Vyacheslav
・制 空 権 を 喪 失 、 敗 退 へ の 転 機 と な っ た 。
Mikhailovich(1890∼1986)
モ ロ トフ
ソ 連 の 政 治 家 。 首 相 (任1930∼41) ブ ル ク 工 業 大 学 在 学 中 か ら ボ リ シ ェ ビ キ (〓Bolsheviks: ラ ウ ダ (Pravda) Revolution:
』 の 編 集 に あ た っ た 。1917年
〓Russian
Revolution)
ト 執 行 委 員 と な り、10月 も 参 加 。20年
。 ペテ ル
人 民 主 義 者 )の 新 聞 『プ
ロ シ ア2月
革 命 (February
後 、 ペ ト ロ グ ラ ー ド (Petrograd)
革 命 (October
Revolution:
〓Russian
の ソビエ
Revolution)
に
ウ ク ラ イ ナ 党 中 央 委 員 書 記 とな る と、 以 後 ロ シ ア 共 産 党 中 央 委 員 、
政 治 局 員 を 歴 任 し 、30年
∼41年
人 民 委 員 会 議 長 (首 相 )。39年
委 員 と し て 独 ソ 不 可 侵 条 約 (〓Russo-German
∼49年
Non-aggression
が 、独 ソ 開 戦 後 は 国 家 防 衛 委 員 会 副 議 長 に も つ い た 。43年
は外 務 人 民
Pact) に あ た っ た
モス クワ にお いて ソ連 、
ア メ リ カ 、 イ ギ リ ス に よ る 外 相 会 議 を 主 宰 し た 後 、 テ ヘ ラ ン 会 議 (〓Teheran Conference)
や ヤ ル タ 会 談 (〓Yalta
相 兼 任 と な っ た が 、57年 界 か ら 引 退 し た 。84年
Moltke,
Helmuth
Conference)
な ど に 出 席 。49年
Ludwig
von(1848∼1916)
Graf
War)
に 従 軍
し た 。1906年
ツ
の 軍
人。
von) の 後 任 と し て 参 謀 総 長 に 昇 進 。 第1次
践 し た が 、 マ ル ヌ の 戦 い (〓Marne,
Battle
仏
戦 争
世 界 大 戦 (〓World
of) に 敗 北 し14年
ン の 参 謀 本 部 長 官 と な る 。 な お 、 同 名 の 伯 父 (Moltke, は 、 普 墺 戦 争 (〓Austro-Prussian
普
シ ュ リ ー フ ェ ン (Schlieffen,
I) の 緒 戦 、 仏 露 双 方 と 同 時 に 戦 う シ ュ リ ー フ ェ ン 作 戦 (〓Schlieffen
1800∼91)
政
モ ル トケ
ド イ
Alfred
副 首
に な っ て 、 復 権 が 認 め られ た 。
Johannes
(〓Franco-Prussian
∼53年
分 派 的 行 動 を 理 由 に モ ン ゴ ル 大 使 へ 左 遷 さ れ 、62年
War)
War
Plan)
を実
辞 任 。 や が てベ ル リ
Helmuth
Karl
Bernhard:
、 普 仏 戦 争 を 指 導 した 軍 人 で
戦 略 家 と して 知 られ る。
Monetarism
マ ネ タ リズ ム ア メ リ カ 、 シ カ ゴ 大 学 (Chicago,
(Friedman,
Milton)
University
教 授 を 中心 とす る経済 学 。 消費
の 差 と い っ た 総 需 要 に よ っ て 実 質GNP(Gross
・投 資
National
of) の フ リ ー ド マ ン ・政 府 支 出
Product:
・輸 出 入
国 民 総 生 産)
は 決 定 され る と い う 、 ケ イ ン ズ (〓Keynes, え 方 で 、 現 代 経 済 学 の2大
John
Maynard)
学 派 と は対 照 的 な 考
対 立 学 派 と い わ れ る。 ケ イ ン ズ 的 な 裁 量 的 経 済 政 策 に
対 し、 新 古 典 派 経 済 学 (Neo-classical
Economics)
の よ うに自 由 な市場 に経済 を
委 ね る べ きだ と して お り、 物 価 安 定 の た め に 貨 幣 量 の 増 加 率 を 一 定 に 保 つ 政 策 を と る べ き だ と い う 主 張 。 と り わ け 、1960年
代 末か らのス タグ フ レーシ ョン
(stagflation: 不 景 気 中 に 物 価 上 昇 が 続 く状 態 )を ケ イ ン ズ 学 派 が 説 明 で き な い と ころか ら浮上 した。 Monroe
Doctrine
モ ンロ ー主 義 1823年12月2日
( 〓Monroe,
、 ア メ リ カ 合 衆 国 大 統 領 モ ン ロ ー
James) が 年 次 教 書 で 示 した 外 交 原 則 。 主 な 内 容 は 、
〓 ア メ リカ 大 陸 は ヨ ー ロ ッパ 諸 国 の 植 民 地 と さ れ るべ き で は な い 。 〓 ア メ リ カ合 衆 国 は 、 ヨ ー ロ ッパ に対 して 干 渉 しな い 。 〓 ヨ ー ロ ッパ 諸 国 の 西 半 球 独 立 国 に対 す る 干 渉 は 、 ア メ リ カ合 衆 国 に 対 す る 非 友 好 的 措 置 とみ な す 。 な ど で あ る 。 こ れ に よ っ て 、 ヨ ー ロ ッ パ の 対 ラ テ ン ・ ア メ リ カ (〓Latin America)
諸 国 干 渉 や ロ シ ア の ア ラ ス カ (Alaska)
な っ た 。 思 考 の 根 本 に は ワ シ ン ト ン (Washington, 義 思 想 (〓isolationism)
か らの 南 下 が牽 制 さ れ る形 と George)
大 統 領 以 来 の孤 立 主
が あ り、 ア メ リ カ 合 衆 国 外 交 の 基 本 方 針 と な っ た が 、 後
に は ア メ リ カ 合 衆 国 の 進 出 を合 理 化 す る手 段 と し て 用 い られ た 。
Monroe,
James(1758∼1831)
ジ ェ ー ム ズ ・モ ン ロ ー
ア メ リ カ の 政 治 家 。 第5代 ア (Virginia) 州 生 ま れ 。 独 立 戦 争 (〓American 第3代
大 統 領 ジ ェ フ ァ ソ ン (Jefferson,
大 統 領 (任1817∼25) War
Thomas)
of Independence)
。 バ ー ジ ニ に従軍 後 、
に つ い て 法 律 を 学 び 、1782年
バ ー ジ ニ ア 州 会 議 員 に 。 翌 年 に は 大 陸 会 議 (Continental
Congress:
独 立 革 命 に
際 し て 本 国 イ ギ リ ス に 抗 し て 組 織 さ れ た 臨 時 政 府 )の 代 表 と な っ た 。 そ の 後 、 上 院 議 員 (1790∼94)
、 駐 仏 大 使 (1794∼96)
、 バ ー ジ ニ ア 州 知 事 (1799∼1802)
経 て 、1802年
ジ ェ フ ァ ソ ン の 下 で ル イ ジ ア ナ (Louisiana)
ン (Madison,
James)
大 統 領 下 で 国 務 長 官 に な り 、16年
期 こ れ を 務 め た 。23年
買 収 に成 功 。 マ デ ィ ソ の 大 統 領 選 挙 で 当 選 。2
、 有 名 な モ ン ロ ー 主 義 (〓Monroe
ア メ リ カ 外 交 の 基 本 原 理 で あ る 孤 立 主 義 (〓isolationism)
Doctrine)
を 発表 し、
を定 め た 。 そ の 他 、 フ
ロ リ ダ (Florida) 買 収 や カ ナ ダ と の 国 境 設 定 な ど を 行 っ た 。
Montagu-Chelmsford
Reforms(1919)
モ ン タギ ュー 1919年
〓 Government
of India Act
を
・チ ェ ム ズ フ ォ ー ド 改 革
に 制 定 さ れ た イ ン ド統 治 法 の 別 称 。
Monte
Cassino,
Battle
of(1944)
モ ン テ ・カ ッ シ ノ の 戦 い
第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II)末 期 、1943年9
月 の イ タ リア 無 条 件 降 伏 後 、 イ タ リ ア 半 島 を 占領 した ドイ ツ軍 と、 ア フ リ カ 北 岸 か ら上 陸 した 連 合 国 軍 との 会 戦 。 ドイ ツ軍 は こ こ に抵 抗 線 を形 成 し た が 支 え き れ ず 、44年5月
末 に 陥 落 し た 。 こ の 直 後 に ロ ー マ も 陥 落 、 ドイ ツ 軍 は イ タ リ ア 北
部 の み を 占領 下 に お い た 。 Moroccan
Crisis(1905,
1911) モ ロ ッ コ 事 件 フ ラ ン ス 領 モ ロ ッ コ を 舞 台 に 、 フ ラ ン ス と ドイ ツ との 間 で 二
度 にわ た って起 こっ た紛 争。 < 第1次
>1905年
:1904年 の 英 仏 協 商 ( 〓Anglo-French
Entente) に よ っ て 英
仏 が お 互 い の 植 民 地 の 利 害 を 調 停 し、 フ ラ ン ス は モ ロ ッ コ に お け る 優 越 権 を 認 め ら れ た 。 こ れ を 不 満 とす る ドイ ツ ・ウ ィル ヘ ル ム2世
( 〓Wilhelm
II)は1905年
、
モ ロ ッ コ の タ ン ジ ー ル (Tangier) 港 に 突 如 上 陸 し て フ ラ ン ス の 進 出 に 反 対 し た 。 こ の 結 果 、翌 年 に 開 か れ た ア ル ヘ シ ラス 会 議 ( 〓Algeciras
Conference)
でモロ ッ
コ の 領 土 が 画 定 さ れ た が 、 ドイ ツ の 主 張 は 認 め ら れ ず フ ラ ン ス が 有 利 に な っ た 。 タ ン ジ ー ル 事 件 (Tangier Crisis) と も い う 。 < 第2次
>1911年
:モ ロ ッ コ で 蜂 起 した ベ ル ベ ル 人 (Berbers) の 民 族 運 動 に フ ラ
ン ス が 出 兵 し た こ と に 対 して 、 ドイ ツ が ア ガ デ ィ ー ル ( 〓Agadir)
港 に軍 艦 を 派
遣 して 介 入 し よ う と した 。 しか し 、 イ ギ リス が フ ラ ン ス 支 持 を 表 明 し た た め ドイ ツ が 譲 歩 。 これ に よ っ て ドイ ツ の モ ロ ッ コ進 出 が 失 敗 し、1912年
モ ロ ッ コは フ
ラ ン ス の 保 護 国 と な っ た 。 ア ガ デ ィ ー ル 事 件 (Agadir Crisis)と も い う。 〓 Morocco 〓p.283図
Morocco
解6「
ア フ リ カ の分 割」
モ ロ ッコ ア フ リカ 北 西 端 の 立 憲 君 主 国。 東 は ア ル ジ ェ リ ア、 南 は 西 サ ハ ラ
(Western
Sahara)
(Atlantic
Ocean)
に 接
し 、 北 に 地 中 海 (Mediterranean
Sea) 、 西 に 大 西 洋
を 臨 む 。 対 岸 に ス ペ イ ン を 臨 む ジ ブ ラ ル タ ル (〓Gibraltar)
峡 は 軍 事 戦 略 上 の 拠 点 で あ り 、 北 部 地 中 海 岸 の セ ウ タ (Ceuta)
海
と メ リ リ ャ
(Melilla) は 今 も ス ペ イ ン 領 で あ る 。 首 都 ラ バ
ト (Rabat) 。 古 代 フ ェ ニ キ ア
(Phoenicia)
、 ゴ ー ト (Goths)
7世
、 ロ ー マ (Rome)
、 バ ン ダ ル (Bandar)
紀 に ア ラ ブ 人 が 進 出 し て 以 来 イ ス ラ ム 文 化 圏 に 入 っ た 。19世
に支 配 され、
紀 半 ば か らイ
ギ リ ス 、 フ ラ ン ス 、 ス ペ イ ン な ど ヨー ロ ッ パ 列 強 の 侵 略 を 受 け る 。 二 度 に わ た る ドイ ツ
・ フ ラ ン ス 間 の モ ロ ッ コ 事 件 (〓Moroccan
Crisis) の 結 果 、1912年
ン ス の 保 護 国 と さ れ た が 、 そ の 後 も 民 族 運 動 が 活 発 で 、56年 翌 年 、 王 国 に 復 し 、72年
に 新 憲 法 が 承 認 さ れ た 。76年
フ ラ
に 独 立 を果 た した。
西 サハ ラ とモ ー リ タニ ア
(Mauritania) を 分 割 統 治 し た が 、79年 西 サ ハ ラ 全 域 の 領 有 を 主 張 。 隣 国 ア ル ジ ェ リア との 関係 も悪化 して い る。 〓p.283図
解6「 ア フ リ カ の分 割」
〓p.330地
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
Moscow
Olympics(1980)
モ ス ク ワ ・オ リ ン ピ ッ ク 第22回
オ リ ン ピ ッ ク ・モ ス ク ワ大 会 は1980年7月19日
に開
幕 。 旧 ソ連 が 「史 上 最 大 規 模 に し て み せ る 」と 招 致 し た 大 会 で あ っ た が 、 参 加 は 81カ 国 に す ぎ ず 、 ア メ リカ
・ 日本 な ど37カ 国 が 不 参 加 と な っ た 。 前 年 の12月
、
ソ連 が ア フ ガ ニ ス タ ン に 侵 攻 し た こ と に 対 し て 、 ア メ リ カ の カ ー タ ー ( 〓Carter, James
Earl)大 統 領 が 考 え た 対 ソ 制 裁 キ ャ ン ペ ー ン の ひ と つ で 、 西 側 各 国 も こ れ
を 支 持 した 。 政 治 とス ポ ー ツ との 関 係 に 一 石 を 投 じ た オ リ ン ピ ッ ク とな っ た 。 Mozambique
モザ ンビ ーク ア フ リカ 南 東 部 の 共 和 国 。 イ ン ド洋 (Indian Ocean)
ク海 峡 と に 臨 む 。 首 都 マ プ ー ト (Maputo) 。1498年 da
Gama)
の 一 行 が 到 着 し、1505年
trade) が1878年 第2次
以 降 ポ ル トガ ル 人 が 入 植 、 奴 隷 貿 易 (slave
まで 続 け られ た 。1885年
世 界 大 戦 (〓World
War
に 戦 闘 が 行 わ れ た 。1975年
、モ ザ ン ビ ー
、 バ ス コ ・ ダ ・ ガ マ (Vasco
か ら正 式 に ポ ル ト ガ ル 領 と さ れ た が 、
II)後 は 独 立 運 動 が 展 開 し、 ポ ル トガ ル 軍 との 間
共 和 国 と して 独 立 を 果 た した が 、 以 来 マ ル ク ス ・レ ー
ニ ン 主 義 (Leninism) に も とづ く社 会 主 義 政 策 を 進 め よ う とす る政 府 と、 南 ア フ リ カ が 支 援 す る 反 政 府 組 織 の モ ザ ン ビ ー ク民 族 抵 抗 (MNR) と の 間 で 内 戦 が 激 し く な っ た 。92年10月 連
合
モ
Mozambique)
ザ
ン
和 平 協 定 が 結 ば れ 、 よ う や く停 戦 合 意 が 成 立 。94年
ビ ー
ク 活 動 (ONUMOZ:United
Nations
、 国際
Operations
in
の 支 援 で 議 会 選 挙 を 実 施 し、 そ の 後 は 選 挙 で 大 統 領 が 選 出 さ れ て
い る。 〓p.330地 Mughal
図〓 ( 現代 の世 界[国 名 と地 図])
Empire(1526∼1858)
ム ガ ール 帝 国
1526年
か ら1858年
3代 皇 帝 ア クバ ル (Akbar) か ら第6代
まで イ ン ド を 支 配 し た イ ス ラ ム 王 朝 。 第 ア ウ ラ ン グ ゼ ー ブ (Aurangzeb)
に か け て最
も栄 え た が 、そ の 後 衰 退 。17世 紀 か ら イ ギ リス 、 フ ラ ン ス な どの 進 出 が は じ ま り、 イ ン ドの 抵 抗 は1857年 ス に征 服 され た。
〓 India
セ ポ イ の 乱 (〓Indian
Mutiny)
で表 面 化 したが 、 イ ギ リ
Munich
Conference(1938)
ミ ュ ン ヘ ン会 議 1938年9月29日
(〓Hitler,
Adolf)
チ ェ ン バ レ ン (〓Chamberlain, Edouard)
に ミ ュ ン ヘ ン で 行 わ れ た ド イ ツ ・ヒ ト ラ ー
、 イ タ リ ア ・ム ッ ソ リ ー ニ (〓Mussolini, Austen)
、 フ ランス
Benito)
、イ ギ リス ・
・ ダ ラ デ ィ エ (〓Daladier,
に よ る 首 脳 会 議 。 ド イ ツ の ズ デ ー テ ン 地 方 (〓Sudetenland)
占領 計 画
か ら チ ェ コ ス ロバ キ ア と ドイ ツ の 関 係 が 悪 化 し、 戦 争 勃 発 の 危 機 が 生 じ た た め 、 イ ギ リ ス と フ ラ ン ス は 宥 和 政 策 (〓appeasement
policy)
を推 進 して ドイ ツ の 要
求 を 容 認 し た 。 チ ェ ン バ レ ン ら は 帰 国 後 平 和 の 救 済 者 と 称 さ れ た が 、1939年
ヒ
ト ラ ー が チ ェ コ ス ロ バ キ ア解 体 の 挙 に 出 た こ とで 、 宥 和 政 策 は根 底 か ら破 綻 を き た す に 至 る。
Munich
Putsch(1923)
ミュンヘ ン一揆 1923年11月
第1次
世 界 大 戦 (〓World
、 ナ チ ス (〓Nazis) War
が ミ ュ ンヘ ン で起 こ した反 乱 。
I) 後 、 フ ラ ン ス 軍 の ル ー ル 地 方 (〓Ruhr)
占領 に
よ っ て 、 ドイ ツ で は 極 度 の イ ン フ レ が 進 行 し 国 内 が 混 乱 状 態 に あ っ た 。 こ れ に 乗 じ て 、 ヒ トラ ー 18年
(〓Hitler,
Adolf)
の ド イ ツ 革 命 (〓German
和 国 (〓Weimar
Republic)
、 ル ー デ ン ド ル フ (Ludendorff,
Revolution)
Erich)
らは、
に よ って成 立 して い た ワイ マ ール 共
の 打 倒 を図 っ て極 右独 裁 政 権 をた て よ う と した。 し
か し 、 州 警 察 や 国 防 軍 に よ っ て 鎮 圧 さ れ て し ま い 、25年 禁 錮 刑 に 処 さ れ た 。 『我 が 闘 争 』 (〓Mein
Kampf)
に ヒ トラ ー も 逮 捕 さ れ
はそ の とき獄 中 で 書か れ た も
の で あ る。
Munich
Revolution(1919)
ミュ ンヘ ン革 命 1918年10月29日
キ ー ル (Kiel)軍 港 の 水 兵 ら の 反 乱 に よ っ
て は じ ま っ た ド イ ツ 革 命 (〓German
Revolution)
に 至 り 、 独 立 社 会 民 主 党 (USPD: Deutschlands/Independent ナー
(Eisner,
Unabh〓ngige
Social
Democratic
の 波 は 、11月7日
ミ ュ ンヘ ン
Sozialdemokratische Party
Partei
of Germany)
Kurt) 指 揮 の も と 共 和 制 宣 言 が な さ れ た 。19年2月
の ア イ ス
に 入 り、 ア イ ス
ナ ー が 暗 殺 さ れ る と 、 ミ ュ ン ヘ ン で は 左 右 両 派 の 抗 争 が 激 化 す る 中 、 ミ ュ ンヘ ン 革 命 に よ り ドイ ツ 史 上 初 の 詩 人 Workers'
and
Soldiers'
(Council
Republic
in
Munich)
央 政 府 軍 が 派 遣 さ れ 、5月 会
民
主
が 成 立 。4月
Party
Republic)
が 成 立
of
初 頭 に は左 翼 勢力 は鎮圧 され て しま った。 その後 、 社
Germany)
し 、8月
に は ミ ュ ン ヘ ン 評 議 会 共 和 国
な る左 翼 政 権 を樹 立 した 。 し か し 、 ベ ル リ ン 中
党 (SPD:Sozialdemokratische
Democratic
Constitution)
・ 作 家 ら を 主 導 と す る 労 兵 評 議 会 (German
Council)
を 中 心
Partei
Deutschlands/Social
に ワ イ マ ー ル 共 和
国 (〓Weimar
に は 国 民 議 会 に お い て ワ イ マ ー ル 憲 法 (Weimar
が 制 定 され た 。
Mussolini,
Benito(1883∼1945)
ム ッソ リー ニ
イ タ リアの 政治 家 。 首 相 ( 任1922∼43)
。 小 学 校教 師 を し
て い た が 、 ス イ ス 放 浪 中 に イ タ リ ア 社 会 党 (PSI: Italian Socialist Party) に 入 党 。 第1次
世界大戦 ( 〓World
War
I)で は 参 戦 論 者 と な っ た た め 、 党 除 名 。 オ ー ス
ト リ ア 戦 線 に 参 加 し て 負 傷 し た 後 、1919年 命 団 体 を 組 織 し た 。21年 な り、22年
ロ ー マ 進 軍 (March
on
Rome)
正 に よ っ て 絶 対 多 数 を 得 る と 、25年 を 完 成 し た 。35年
イ タ リア
と、40年
Party) に 改 組 し て 自 ら党 首 と
に よ っ て 政 権 を 獲 得 。23年
側 を 支 援 し た 。37年
Pact) を 結 ん で 国 際 連 盟 ( 〓League
War
体制
War) で 侵 攻
と提 携 し、 ス ペ イ ン 内 戦 (〓Spanish
Francisco)
日 独 伊 三 国 同 盟 (〓Tripartite
世界大戦 ( 〓World
の戦 争法 改
労働 組 合 解 散 で フ ァシ ズ ム ( 〓fascism)
・エ チ オ ピ ア戦 争 ( 〓Italo-Abyssinian
を は じめ る とナ チ ス ( 〓Nazis) で は フ ラ ン コ (〓Franco, ( 〓Anti-Comintern
復 員 軍 人 と右 翼 主 義 者 を 集 め て 反 革
フ ァ シス タ党 ( 〓Fascist
Civil War)
日独 伊 防 共 協 定
of Nations) を脱 退 す る
Pact) の 下 、 枢 軸 国 ( 〓Axis) 側 で 第2次
II)に 突 入 。43年
連 合 国 の シ チ リ ア (Sicilia) 島上 陸の 後
に 失 脚 し 、 一 時 は 北 イ タ リ ア 共 和 国 (Italian Social
Republic)
を 樹 立 した が 、 ミ
ラ ノ (Milano) で パ ル チ ザ ン (partisan: ゲ リ ラ の こ と)に 捕 ら え ら れ 銃 殺 さ れ た 。 Mutsuhito,
Emperor(1852∼1912)
睦仁 ( 明治天皇)
第122代
天皇 ( 位1867∼1912)
立 太 子 し て 親 王 の 称 号 を 受 け た 。66年 で 即 位 。68年3月
、 五 箇 条 誓 文 を 発 布 す る と、9月
世 一 元 制 と し た 。69年
。 孝 明 天 皇 の 子 。1860年
、 父 ・ 孝 明 天 皇 の 死 に よ り、 翌67年16歳 に は 元 号 を明 治 に改 元 、 一
江 戸 を 東 京 と 改 め 、 王 政 復 古 を 実 現 し た 。89年
に は大 日
本 帝 国 憲 法 及 び 皇 室 典 範 を 制 定 。 さ ら に90年 教 育 勅 語 の 発 布 で 、 絶 対 主 義 的 天 皇 制 国 家 を つ く り あ げ た 。 日 清 戦 争 (〓Sino-Japanese (〓Russo-Japanese
War) 、 日 露 戦 争
War) 、 韓 国 併 合 に よ っ て 国 権 を 伸 長 し、 帝 国 主 義 的 大 陸 侵
略 の 基礎 を固 めた 。 Mutual
Aid
Agreement(Spain-USA)(1953)
米 西 相 互 防 衛 ・経 済 援 助 協 定 マ ド リー ド条 約 (Treaty of Madrid
と も い う。 ス ペ イ ン は 第2次
世 界 大 戦 (〓World
た が 、 大 戦 前 に フ ラ ン コ (〓Franco,
〓North
Atlantic
)
II)中 は 中 立 を 維 持 し て い
Francisco) 政 権 が ドイ ツや イ タ リア と密 接
な 関 係 に あ っ た こ と か ら 、 国 際 連 合 (〓United 約 機 構 (NATO:
War
Treaty
Nations) へ の 加 入 や 北 大 西 洋 条
Organization)
へ の加 盟 が 認 め られ な
か っ た 。 しか し、 ア メ リ カ は 軍 事 戦 略 上 の 重 要 性 か ら 、1953年
、 スペ イ ンに お
け る 空 ・海 軍 基 地 の 設 置 を 条 件 に こ の 協 定 を 結 ぶ こ と に よ っ て 経 済 援 助 を 行 う こ と を 約 束 し た 。 こ の 結 果 、 ス ペ イ ン の 国 際 社 会 復 帰 が 成 り、55年 際 連 合 に 加 入 した 。
ス ペ イ ン は国
Mutual
Defence
Treaty
(USA-Formosa)(1954)
米 華 相 互防 衛 条約 1954年12月2日
、 ワ シ ン トン に
て 調 印 さ れ た ア メ リ カ と 台 湾 国 民 政 府 との 間 の 相 互 防 衛 条 約 で 、 翌55年 さ れ て 発 効 した 。50年
の 朝 鮮 戦 争 (〓Korean
に批 准
War) 勃 発 後 、 両 国 間 に お い て 交 渉
が 続 け ら れ て きた が 、 台 湾 海 峡 の 緊 張 に よ っ て そ の 締 結 が 決 ま っ た 。 有 効 期 限 は 無 期 限 と さ れ て お り、 外 部 か らの 共 産 主 義 に 対 抗 す る こ と と、 武 力 侵 攻 に 相 互 対 処 す る こ と を 目的 と して い る。 Mutual
Defence
Treaty
(USA-South
Korea)(1953)
米韓 相互 防衛 条 約 朝 鮮 戦 争 (〓Korean
の1953年10月
War) 後
、 ア メ リ カ と韓 国 と の 間 で 調 印 さ れ た 安 全 保 障 条 約 。 ア メ リ カ に
よ る 韓 国 防 衛 の 義 務 を 正 当 化 し、 韓 国 内 に お け る ア メ リ カ 軍 基 地 の 設 定 が 規 定 さ れた 。 Mutual
Security
Pact
(USA-Japan)(1952)
日米安全 保 障 条約 戦 後 日本 の 防 衛 政 策 に お い て 根
幹 を な す 条 約 で 、1951年9月8日
、 第2次
世 界 大戦 ( 〓World
処 理 を 決 め た サ ン フ ラ ン シス コ講 和 条 約 (〓San て 調 印 さ れ 、52年4月28日
Francisco,
War
II)後 の 対 日
Treaty
of)に 付 随 し
に 発 効 し た 。 極 東 の 平 和 維 持 と、 日 本 へ の 外 国 か ら
の 攻 撃 と 内 乱 鎮 圧 を 目的 に、 ア メ リカ 軍 の 国 内 駐 留 を 日本 が 認 め た も の で あ っ た 。 ア メ リ カ 側 は 自衛 力 の 強 化 を 日 本 側 に 要 求 し、60年1月
に は改 訂 条約 が 締 結 さ
れ た 。 こ れ に よ り、ア メ リ カ軍 出 動 に 関 す る事 前 協 議 が 申 し合 わ さ れ る と と も に 、 相 互 防 衛 義 務 を 規 定 して 軍 事 同 盟 色 を強 め た 。 この と き、 国 民 の 反 対 運 動 は 激 化 し 、 岸 信 介 首 相 は 退 陣 に まで 追 い 込 ま れ た 。 条 約 存 続 期 限 は10年 反 対 闘 争 を 恐 れ て1970年 My
Struggle
〓 Mein
『 我 が闘争』
Kampf
以 降 毎 年 自 動 延 長 さ れ る こ と とな っ た 。
とさ れ た が 、
N Nagasaki
長崎 地 名 の 由 来 は 、 貞 応 年 間 (1222∼24) 長 崎 貞 綱 一 族 が こ の 地 を 支 配
し た こ と に よ る 。1571年
ポ ル ト ガ ル の 要 請 に よ り開 港 さ れ て 以 来 発 展 。 鎖 国 時
代 に お い て も 出 島 を構 築 し て 西 欧 文 化 を導 入 し た 。 明 治 に 入 っ て か ら造 船 所 が で き て 近 代 化 を 遂 げ る 。1945年8月9日
、広 島 に続 い て原 爆 が 投下 され て廃 墟 と
化 した。 Namibia
ナ ミビア 共和 国 ア フ リ カ 南 西 部 で 、 北 は ア ン ゴ ラ共 和 国 、 東 は ボ ツ ワ ナ 共 和 国 、 南
は 南 ア フ リ カ 共 和 国 と国 境 を 接 す る 。 人 口210万 ン トフ ク (Windhoek)
。1968年
れ て い た 。 大 航 海 時 代 (Age of Transition: 1485年
人 (2008年 統 計 )。 首 都 は ウ ィ
ま で は 南 西 ア フ リカ (South-West 15∼17世
紀 の探 検
Africa) と呼 ば ・航 海 ブ ー ム )の
、 西 欧 人 と し て は じ め て ポ ル トガ ル 人 が 来 訪 。 そ の 後 、19世
ドイ ツ と イ ギ リ ス の 間 で 植 民 地 抗 争 が 生 じ 、1884年 ス (Walvis) 湾 を 除 い て 植 民 地 化 す る。 第1次 1920年
に 国 際 連 盟 (〓League
South
Africa) の 委 任 統 治 領 ( 〓Mandates)
次 世 界 大 戦 (〓World ( 〓Trust
War
紀に入 ると
ドイ ツが 良港 で あ るボ ル ビ
世 界大 戦 ( 〓World
War
I) 後 、
of Nations) に よ っ て 南 ア フ リ カ 連 邦 (Union
of
と さ れ る が 、 独 立 運 動 が 頻 発 。 第2
II)後 は 国 際 連 合 (〓United
Nations) の 信 託 統 治 領
territory) とな っ た も の の 、 南 ア フ リ カ が 認 め ず 、49年 一 方 的 に 併 合 し
て ア パ ル トヘ イ ト( 〓Apartheid) 機 構 (SWAPO:South-West 争 が は じ ま っ た 。68年
を 実 施 。 これ に対 して62年
Africa
People's
Organisation)
に南 西 ア フ リカ人 民 が結成 され、 武 力 闘
の 国連 総 会 で 南 西 ア フ リカの 称 号 が 認 め られ た が 、 南 ア
フ リ カ は 併 合 統 治 を 継 続 し た 。90年
に 入 っ て よ う や く国 連 監 視 の も と で 制 憲 議
会 選 挙 を 経 て 独 立 を果 た す 。 ボ ル ビ ス 湾 の 領 有 権 争 い は 南 ア フ リ カ との 間 で 続 い た が 、94年
に返 還 さ れ た 。
〓German
South-West
〓p.330地
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
Nanjing/Nanking
Africa(ド
イ ツ 領 南 西 ア フ リ カ)
南京 ( ナ ン キ ン) 中 国 華 東 地 区 北 部 で 、 江 蘇 省 (Jiangsu) の 省 都 。 長 江
(Chang
Jiang) 下 流 の 両 岸 に 位 置 す る水 陸 交 通 の 要 衝 。 三 国 (San-kuo) 時 代 の 呉
(Wu) 以 来 多 く の 王 朝 の 都 と な り 名 称 も さ ま ざ ま に 変 化 (Ming
dynasty)
の と き 南 京 と 改 名 し た 。1842年
終 えて イ ギ リス
・ 清 朝 (Qing
dynasty)
中 に 列 強 各 国 と 結 ん だ 天 津 条 約 (Treaty
of
年 に 共 和 主 義 に よ る 辛 亥 革 命 (〓Chinese Yat-sen/Sun
(〓Chinese
Republic)
shek/Jiang
Jieshih)
(National
Government)
Zhong
Shan)
ア ヘ ン戦 争 )
が起 こ って 清朝 が 倒 され
が 大 総 統 とな っ て 中華 民 国
の 臨 時 政 府 が お か れ た 。27年
に 蒋 介 石 (〓Chiang
Kai-
率 い る国 民 政 府
が 樹 立 さ れ る と 、 中 華 民 国 の 首 都 と な っ た 。37年 War)
日中
に よ っ て 日 本 側 に つ い た 汪 兆 銘 (Wang
政 権 の 首 都 と な っ た が 、 戦 後 国 民 政 府 が こ こ に 復 帰 し た 。 同37年
に よ る 南 京 大 虐 殺 が 行 わ れ て い る 。49年
を of)
に よ っ て 開 港 さ れ た 。1911
Revolution)
の 国 民 党 (〓Kuomintang/Guomindang)
戦 争 (〓Chino-Japanese ming)
Treaty
ア ロ ー 号 事 件 (第2次 Tianjin)
明 朝
Wars)
の 間 で 南 京 条 約 (〓Nanking,
が 結 ば れ る と 列 強 進 出 の 拠 点 と な り 、1858年
た 後 、 孫 文 (〓Sun
し た が 、1368年
ア ヘ ン 戦 争 (〓Opium
Chao、 日本 軍
か ら は 解 放 軍 の 手 に 帰 し、 新 中 国 の 直
轄 市 に な っ た 。 な お 、 南 京 の 英 語 表 記 は 、 現 在 で はNanjingが
一 般 的 に使 わ れ て
い る。
Nanking,
Treaty
of(1842)
南 京条 約
1842年6月 ス と 清 (Qing 州 (Fuzhou)
dynasty)
。 ア ヘ ン 戦 争 (〓Opium
、 厦 門 (Xiamen)
、 寧 波 (Ningbo)
両
・ 賠 償 軍 事 費1200万
列 強 諸 国 の 清 に 対 す Nankingは
Napoleon
Kong)
の5港
、 福 の 開 港 、
の割 譲 、 没収 ア ヘ ン の
両 の支 払、 対 等 国 交 の 原 則 な どを 認 め た。
る 不 平 等 条 約 (unequal
英 語 表 記 で はNanjingと
I/Napoleon
の結 果 、 イ ギ リ
、 上 海 (Shanghai)
公 行 (独 占 的 な 貿 易 商 の 団 体 )の 廃 止 、 香 港 (Hong 補 償 費600万
Wars)
の 間 で 結 ば れ た 講 和 条 約 。 清 は 、 広 州 (Guangzhou)
treaty)
の 先 駆
と な る。 な お、
な る。
Bonaparte(1769∼1821)
ナ ポ レ オ ン1世
(ナ ポ レ オ ン ・
ボ ナ パ ル ト) ナ ポ レオ ン ン ス 皇 帝 (位1804∼14、1815)
。 コ ル シ カ (Corsica)
学 校 に 学 ぶ 。 フ ラ ン ス 革 命 (〓French 王 党 派 を 鎮 圧 し 、1795年
Revolution)
・ ボ ナ パ ル ト。 フ ラ
島 の 小 貴 族 出 身 。 パ リ士 官 で は ツ ー ロ ン (Toulon)
バ ン デ ミ エ ー ル の 反 乱 (Rising
of
Vend〓miaire)
す る と 、 同 年 に 共 和 制 政 治 体 制 と し て 成 立 し た 総 裁 政 府 (〓Directory) れ 、 イ タ リ ア 遠 征 軍 司 令 官 に 任 じ ら れ て 手 腕 を 発 揮 。98年 敗 し た も の の 、99年
ブ リ ュ メ ー ル18日
of) で 総 裁 政 府 を 倒 し て 第1執 1804年 〓French
の クー デ ター
政 (First Consul)
を は じめた
に認 め ら
エ ジ プ ト遠 征 に は 失
(〓Brumaire,
Coup
d'〓tat
と な り 、軍 事 独 裁 の 端 緒 と な っ た 。
皇 帝 に 就 き 、 フ ラ ン ス 最 初 の 帝 政 で あ る 第1帝 Empire)
港 の
を鎮 定
政 (Premier
。 こ の 間 ナ ポ レ オ ン 法 典 (〓Code
Empire:
Napoleon)
制 定 、
学 制
・行 政
・司 法 の 改 革 、 フ ラ ン ス 銀 行 創 設 を 行 っ た 。 全 欧 征 服 を 図 り、 フ ラ ン
ス 産 業 の 振 興 と 市 場 拡 大 の た め 、 ナ ポ レ オ ン 戦 争 (〓Napoleonic 06年
貿 易
を遂 行 。
・ 通 信 な ど イ ギ リス に 対 す る す べ て の ヨ ー ロ ッ パ 市 場 を 閉 鎖 す る 大 陸
封 鎖 令 (Continental
Blockade)
争 (〓Peninsular
War)
を 発 し て イ ギ リ ス に 対 抗 し た 。 しか し、 半 島 戦
に 失 敗 し て14年
に 退 位 、 エ ル バ (Elba) 島 に 流 さ れ た 。15
年 島 を 脱 し て 再 起 し た が 、 ワ ー テ ル ロ ー の 戦 い (〓Waterloo, ス ら の 連 合 軍 に 敗 れ セ ン ト ・ ヘ レ ナ (St. Helena) (〓Hundred
Napoleon
Wars)
Days)
III/Charles
と い わ れ た 。6年
Louis
Battle
of)で イ ギ リ
島 に 流 さ れ て 、 百 日 天 下
後 同島 で没 す 。
Napoleon
Bonaparte(1808∼73)
ナ ポ レ オ ン3
世
フ
ラ ン ス 大 統
(〓Napoleon
領 (任1848∼52)
年 フ ラ ン ス2月
革 命 (〓February
し 、 大 統 領 に 就 任 。51年 帝 と な っ て 第2帝 ン3世
、
皇 帝 (位1852∼70)
I) の 甥 。 ナ ポ レ オ ン1世
・ナポ レオ ン。
ナ
レ オ
ポ
ン1世
の 没 落 後 、 亡 命 生 活 を 送 っ た が 、1848
Revolution)
後 の情 勢 に乗 じて 亡 命先 か ら帰 国
ク ー デ タ ー に よ っ て 反 対 派 の 一 掃 に 成 功 し 、 翌52年
政 (Second
Empire:
と 称 し た の は こ の と き 。60年
の 利 益 擁 護 政 策 を 推 進 し た 。60年
〓French
Empire)
皇
を築 い た。 ナ ポ レオ
ま で の 専 制 支 配 時 代 に 対 外 膨 張 と産 業 資 本 以 降 は 共 和 派 の 批 判 が 強 ま り、 メ キ シ コ干 渉
に 失 敗 し て ド イ ツ ・ビ ス マ ル ク (〓Bismarck, 70年
。
ル イ
、 普 仏 戦 争 (〓Franco-Prussian
War)
Otto
von) の 外 交 政 策 に 圧 倒 さ れ た 。
で セ ダ ン の 戦 い (〓Sedan,
Battle
of)
に 敗 れ て 退 位 。 イ ギ リス へ 亡 命 し て 、 そ こで 没 し た 。
Napoleonic
Empire
〓 French Napoleonic
Empire(
ナ ポ レオ ン帝国
フ ラ ン ス 帝政 )
Wars(1799∼1815)
ナ ポ レ オ ン戦 争
ナ ポ レ オ ン1世 年 以 降1815年
(〓Napoleon
I) が 、 独 裁 を は じ め た1799
に没 落 す る まで に大 陸 諸 国 を相 手 に行 っ た一 連 の 侵 略 戦 争 。 イ ギ
リ ス 艦 隊 と戦 っ た ト ラ フ ァ ル ガ ー 沖 の 海 戦 (〓Trafalgar,
Battle
オ ー ス ト リ ア 連 合 を 撃 退 し た ア ウ ス テ ル リ ッ ツ の 戦 い (〓Austerlitz, プ ロ イ セ ン を 敗 っ た イエ ナ Battle
Narodniki
of) 、 ロ シ ア Battle
・
of) 、
・ ア ウ エ ル シ ュ テ ッ ト の 戦 い (〓Jena-Auerstedt,
of) な ど が 有 名 。
ナ ロ ー ドニ キ ロ シ ア 語 で 人 民 主 義 者 の 意 。19世
紀 後 半 の ロシ ア に現 われ た反 帝
政 、 反 資 本 主 義 社 会 を 唱 え る革 命 運 動 の 一 派 。 「 人 民 の 中 へ 」を ス ロ ー ガ ン に 、 あ く まで も農 民 の 力 で 人 民 の 理 想 とす る社 会 の形 成 を 求 め て 、 青 年 や 学 生 の 支 持 を 得 た。 Nasser,
Gamal
Abdel(1918∼70)
ナ セル
エ ジ プ トの 政 治 家 。 大 統 領 ( 任1956∼70) ロ 陸 軍 士 官 学 校 卒 業 。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
チ ナ戦 争 ( 第1次
〓Middle-East
中 東 戦 争:
War
。1938年
カイ
II)に 従 軍 した 後 、 パ レ ス
Wars) で 負 傷 し、 フ ァル ー ク (King
Farouk) 王 制 へ の 不 信 か ら48年 自 由 将 校 団 (Free Officers) を 結 成 。52年7月
の
エ ジ プ ト革 命 (Egyptian
将
Revolution)
で は 、 ナ ギ ブ (〓Neguib,
軍 を 指 導 者 と し て ク ー デ タ ー に 成 功 し、 国 王 フ ァ ル ー ク1世
Mohammed)
を 国 外 追 放 した。
53年 王 政 廃 止 に と も な っ て54年 首 相 と な り 、 革 命 推 進 に 消 極 的 な ナ ギ ブ 大 統 領 を 追 放 し 、56年
に は 自 ら そ れ に 代 わ っ た 。55年
の バ ン ドン 会 議 (〓Bandung
Conference)
で は ア ラ ブ民 族 主 義 指 導 者 と して 出 席 。56年
ダ ム (Aswan
High
有 化 を 断 行 して ス エ ズ 危 機 (〓Suez て 英 仏 軍 撤 退 の 成 果 を 得 た 。58年 Arab
Republic)
に は ア ス ワ ン ・ハ イ ・
Dam) 建 設 費 用 獲 得 の た め 、 ス エ ズ 運 河 ( 〓Suez
Canal) の 国
Crisis) を 招 い た が 、 国 際 世 論 に も助 け ら れ シ リ ア との 合 邦 、 ア ラ ブ連 合 共 和 国 (〓United
の 成 立 も果 た し、 国 際 的 地 位 を 向 上 させ た 。 しか し、3年
リ ア の 離 脱 や イ ス ラ エ ル と の 敵 対 関 係 に よ り、67年 ラ エ ル に 惨 敗 。 苦 境 に 立 つ 中 、70年
の 第3次
後シ
中東 戦 争 で は イ ス
急死 。
〓Egypt National
Economic
Development
Council
国 民経 済 振 興協 議 会 1961年
(Macmillan,
Maurice
、 イ ギ リス の マ ク ミ ラ ン
Harold) 保 守 党 政 権 で つ く ら れ た 経 済 組 織 。50年 代 末 か
ら60年 頃 に か け て 、 イ ギ リ ス 経 済 は 他 の 西 ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 に 比 べ て 成 長 率 の 鈍 化 を 示 し、 加 え て 国 際 収 支 の 慢 性 的 赤 字 、 イ ン フ レ の 亢 進 、 失 業 者 の 増 加 と い っ た マ イ ナ ス の 諸 因 子 が 相 乗 作 用 を 示 す とい っ た 有 様 で あ っ た 。 こ う し た 沈 滞 経 済 の泥 沼化 を避 け るため に は、 「 計 画 」経 済 を 実 施 す る こ とが 必 要 と考 え られ る よ う に な っ た 。 そ こで 、 マ ク ミ ラ ン 首 相 は61年
、 経 営者 、 労 働 組 合 、 学 識 経 験 者 の
各 代 表 か ら成 る 「国 民 経 済 振 興 協 議 会 」を 設 置 し、 成 長 率 を2.5% か ら4%
に 上昇
させ る こ と を 目標 と し た 。 しか し、 即 効 制 は うす く、 ス キ ャ ン ダ ル 事 件 も 重 な っ て63年10月 National
、 マ ク ミ ラ ン は辞 意 を 表 明 す る こ と とな っ た 。
Health
Service
Act
国民 保険 サ ー ビス法 1946年
Clement
成 立 。 イ ギ リ ス ・ ア ト リ ー (〓Attlee,
Richard) 労 働 党 内 閣 に よ る 福 祉 政 策 の 柱 で 、42年
の ベ バ リ ッジ報 告
(〓Beveridge
Report) に 示 さ れ た 「ゆ りか ご か ら墓 場 ま で (from the
the grave) 」を 実 現 に 移 した もの と い え る。 労 働 党 政 権 ( 〓Labour の 掲 げ る 包 抱 的 社 会 保 障 を 確 立 す る た め の3大
cradle
to
governments)
前 提 、〓 家族 手 当、 〓 国 民 保 険
サ ー ビ ス 、 〓 完 全 雇 用 の う ち の ひ と つ 。46年11月6日
制 定 。 これ に よ って す べ
て の住 民 に無料 で包 抱 的、 か つ地 域 差 の少 な い均 質 な 医療 サ ー ビ スを提 供 す る と い う原 則 の も と 、 病 院 の 国 営 化 ・ス タ ッ フ の 公 務 員 化 、 開 業 医 と国 との 請 負 契 約 の 締 結 に よ り、 経 費 の 大 半 を 国 家 財 源 で ま か な う保 険 医 療 制 度 が 誕 生 し た 。 た だ し医 師 会 の 反 対 は 根 強 く、 実 施 に 移 され た の は2年 Nationalism
の こ とで あ る 。
国 民 主 義 ・国 家 主 義 ・民 族 主 義 (1)国 民 主 義
統
後 の48年7月
:19世 紀 ヨ ー ロ ッパ で 起 こ っ た ドイ ツ や イ タ リ ア の
一 に 代 表 さ れ る よ う に 、 統 一民 族 に よ る 国 家 形 成 を 目 指 す た め の 考 え 方 を 指
す。 (2)国 家 主 義
: 自 国 の 勢 力 を 拡 大 し対 外 侵 略 を 図 っ た 、19世 紀 末 か ら20世 紀 前
半 の 帝 国 主 義 (〓imperialism)
の 時 代 に 用 い ら れ る。
(3)民 族 主 義 :両 世 界 大 戦 後 に 活 発 に 展 開 し た 、 植 民 地 な ど の 独 立 運 動 を 支 え る 考 え 方 と して 使 わ れ る 。
Nationalization
of
〓 Industry,
NATO
産 業 の国 有化
Nationalization
of
北 大西 洋 条約 機 構
〓 North
Nazis
Industry
Atlantic
Treaty
Organization
ナ チ ス 1919年
翌20年
に ド イ ツ 労 働 者 党 (German
国 家 社 会 主 義 ド イ ツ 労 働 者 党 (NSDAP:
Arbeiterpartei/National 21年
に ヒ ト ラ ー
Nationalsozialistを
Socialist (〓Hitler,
Adolf)
Workers'
Party)
Party)
が 党 首 に 就 い て 独 裁
略 し た 呼 称 で あ り 、 ナ チ 党 (Nazi
の 党 員 や 国 民 社 会 主 義 者 (National
Nazism
German
Workers'
Socialist)
と し て 発 足 し、
Nationalsozialistische
Party)
Deutsche と改 称 した 政 党 。
し た。
ドイ ツ 語 の
と も い う。 こ の 政 党
を 指 す こ と も あ る。
ナ チズ ム ヒ ト ラ ー (〓Hitler,
Adolf) 率 い る ナ チ ス
び イ デ オ ロ ギ ー で 、 国 民 社 会 主 義 (National
・ ド イ ツ (〓Nazis)
Socialism)
の運 動 及
な ど と も い う。 ナ チ党
(Nazi Party) 綱 領25カ
条 の 他 、 ヒ ト ラー 著 『我 が 闘 争 ( 〓Mein
Kampf)
』な ど に現
れ て い る 。 ア ー リア 人 種 (Arya)の 優 越 性 を 説 く人 種 論 的 ナ シ ョ ナ リ ズ ム を 展 開 し、 ド イ ツ の 領 土 拡 大 を 合 理 化 し た 。 民 主 主 義 (democracy) (communism) War
と は 相 容 れ ず 、 徹 底 的 に 非 難 し た 。 第2次
II)前 当 時 の社 会 不 安 の 矛 先 を ユ ダ ヤ 人 に 向 け させ る こ と で 中 間 層 の 支 持 を
と りつ け た もの の 、 そ の 本 質 は フ ァ シ ズ ム ( 〓fascism) 義 (〓imperialism) Nazi-Soviet
の典 型 ともい え る帝 国主
的 反 動 の イ デ オ ロ ギ ー と い え よ う。
Pact(1939)
〓Russo-German Neguib,
や 共 産 主 義
世 界 大 戦 (〓World
独 ソ不 可侵 条 約
Non-aggression
Mohammed(1901∼1984)
Pact ナギブ
エ ジ プ トの 軍 人 、 政 治 家 。 エ ジ プ ト共 和 国 初 代 大 統 領 ( 任 1953∼54)
。 ハ ル ツ ー ム (Khartoum)
世 大 学 を 卒 業 。1948年 参 加 後 、52年7月
の 生 ま れ で 、 カ イ ロ (Cairo)の フ ァ ー ド1
パ レ ス チ ナ戦 争 ( 第1次 ナ セ ル (〓Nasser,
中 東 戦 争 :〓Middle-East
Gamal
Abdel)
Officers) と と も に クー デ タ ー を 起 こ し、 フ ァ ル ー ク1世 て エ ジ プ ト革 命 (Egyptian
Revolution)
を 主 導 。53年
Wars)
ら 自 由 将 校 団 (Free
(King Farouk) を 追 放 し
に は エ ジ プ ト共 和 国 の 成 立
と と も に 大 統 領 に 就 任 し 、 新 憲 法 を 発 布 した 。 そ の 他 、 農 地 改 革 や 政 党 解 散 を 行 っ て 旧 体 制 を排 し た が 、 改 革 急 進 派 の ナ セ ル と次 第 に 対 立 す る よ う に な っ た 。 54年2月
ナ セ ル 暗 殺 を 試 み た が 失 敗 し、 失 脚 し た 。 こ れ を 機 に 、 ナ セ ル が 最 高
実 力 者 とな っ て56年 に 大 統 領 就 任 を 果 た し 、 革 命 は 新 段 階 へ と 突 入 して い く。 〓Egypt Nehru,
Pandit
Jawaharlal(1889∼1964)
ネル ー
イ ン ドの 政 治 家 。 共 和 国 初 代 首 相 (任1947∼ 64)。 ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 (Cambridge, ン ド 国 民 会 議 派 (〓Indian ( 〓Gandhi,
Mohandas
University
National
Karamchand)
降 国 民 会 議 派 議 長 を 数 回 務 め 、45年
of)卒 業 後 、 帰 国 し 、1916年
Congress)
と 出 会 い 、 独 立 闘 争 に 活 躍 した 。29年 ま で に9回
イ
に 参 加 し て ガ ン デ ィ ー
投 獄 さ れ て い る 。47年
以
イ ン ド独
立 後 は 首 相 兼 外 相 と して 国 内 建 設 を 指 導 。 社 会 主 義 型 社 会 を 目 標 に 、 経 済5カ
年
計 画 を 推 進 し た 。 外 交 で は 非 同 盟 中 立 主 義 を 唱 え 、 東 西 対 立 に 属 さ な い 第3グ ル ー プ の 指 導 的 存 在 とな っ た 。54年 中 国 の 周 恩 来 ( 〓Chou
En-lai/Zhou
と の 平 和5原
Conference)
則 に も とづ き 、55年 バ ン ドン 会 議 ( 〓Bandung
晩 年 は右 傾 化 と対 米 依 存 が 高 ま り名 望 を 失 っ た 。 〓India
Enlai) を 開催 。
Nelson,
Horatio(1758∼1805)
ネル ソ ン
イ ギ リ ス の 海 軍 提 督 。1770年 ( 〓French
Revolution)
海 軍 入 り。94年
フ ラ ンス革 命
中 の 対 仏 戦 争 に お い て コ ル シ カ (Corsica) 島 攻 略 に 功 を
立 て た が 、 右 眼 を 失 い 、97年
ス ペ イ ン 艦 隊 と の セ ン ト ・ ビ ン セ ン ト (St.
Vincent) 沖 の 海 戦 で は 右 腕 を 失 っ た 。98年
ナ イ ル 河 口 の ア ブ キ ー ル (Aboukir)
湾 に お い て フ ラ ン ス 艦 隊 を 破 り 、エ ジ プ ト遠 征 中 の ナ ポ レ オ ン1世 I)を孤 立 化 さ せ た。1805年
(〓Napoleon
に は地 中 海 艦 隊 司 令 官 と して 、 フ ラ ン ス ・ス ペ イ ン
連 合艦 隊 を トラフ ァル ガ ー沖 の海 戦 ( 〓Trafalgar,
Battle of)に 破 っ て ナ ポ レ オ ン
の イ ギ リ ス 上 陸 作 戦 を 阻 止 し た が 、 自身 も艦 上 で 狙 撃 さ れ 戦 死 した 。 翌 年 に は セ ン ト ・ポ ー ル 寺 院 で 国 葬 が 行 わ れ た 。 NEP
新 経 済政 策
〓New
Economic
Netherlands
Policy
ネ ー デ ル ラ ン ト王 国 (オ ラ ン ダ )
〓Holland Neuilly,
Treaty
of(1919) 第1次
Peace
Settlement)
ヌ イ イ条 約 世 界 大戦 ( 〓World
War
I)後 の パ リ講 和 会 議 (〓Paris
に も とづ い て 、戦 勝 国 と ブ ル ガ リ ア の 間 で 結 ば れ た 講 和 条 約 。
ヌ イ イ は パ リ西 郊 の 地 名 。 同 盟 国 側 ( 敗 戦 国 )を加 え ず に 結 論 を 出 し た パ リ講 和 会 議 の 案 に 、 ブ ル ガ リ ア の 同 意 と 調 印 を 求 め る形 で 成 立 。 これ に よ っ て ブ ル ガ リ ア は ト ラ キ ア (Trakiya) を ギ リ シ ャ に 渡 し 、 さ ら に ユ ー ゴ ス ラ ビ ア に も 領 土 の 一 部 を 割 譲 し た 。 そ の 他 に 軍 備 制 限 や 賠 償 金 が94万 5分 の3に
ポ ン ドとされ たが 、 後 に これ は
軽 減 され た 。
〓Bulgaria 〓Versailles 〓p.278図 New
Deal
system(
ベ ル サ イ ユ 体 制)
解1「 ベ ル サ イ ユ体 制下 の ヨー ロ ッパ」 ニ ュ ー ・デ ィー ル 政 策 1933年F・
ロ ー ズベ ル ト( 〓Roosevelt,
Franklin
Delano) が 大 統 領
就 任 と と も に不 況 克 服 の た め に 推 進 した ア メ リ カ 国 内 の 諸 政 策 。 政 府 の 積 極 的 介 入 に よ り、 自 由 放 任 主 義 経 済 に 修 正 が 加 え られ た 。 銀 行 や 通 貨 の 統 制 、 経 済 危 機 の 会 社 や 個 人 の 救 済 、 農 民 救 済 を 目 的 と す る 農 業 調 整 法 (AAA:
〓Agricultural
Adjustment
Recovery
Act) 、 全 国 産 業 復 興 法 (NIRA:
National
Industrial
Act)
に よ る 企 業 調 整 、 失業 者 の た め の 社 会 保 障 や 雇 用 増 進 の た め の テ ネ シ ー 河 域 開 発 公 社 (TVA:
〓Tennessee
Valley
Authority) の 設 立 な どが 主 要 点 。 こ う した 多 額
の 政 府 資 金 散 布 に よ る人 為 的 景 気 回 復 策 に よ って 、 ア メ リカ 経 済 は世 界 恐 慌 ( 〓Great
Depression)
に よ る経 済 混 乱 を立 て 直 し た が 、 戦 時 経 済 へ と移 行 せ ざ
る を 得 ず 、 本 格 的 な 景 気 回 復 を 達 成 す る こ と は で き な か っ た。 New
Economic
Policy
(NEP)
新経 済政 策 1921年3月
エ ト政 権 の 採 用 し た 経 済 政 策 。20年
、 第10回 共 産 党 大 会 で ソ ビ
頃 、 反革 命軍 との 内戦 や 諸 外 国 の軍 事 干 渉
に 際 して と られ た 経 済 政 策 、 い わ ゆ る 戦 時 共 産 主 義 政 策 (War Communism)
下
の ロシ ア経 済 は破 局 に 瀕 して い た た め 、 農 民 層 を 中 心 に 不 満 が 増 大 して い た 。 そ こ で レー ニ ン ( 〓Lenin,
Vladimir
Ilyich)の 決 断 に よ り、 国 民 経 済 の 中 枢 は 国 家
が 握 りつ つ 、 そ の 枠 内 で 資 本 主 義 的 政 策 を 導 入 して 社 会 主 義 社 会 建 設 の 基 盤 づ く りを 目 指 す 政 策 が 推 進 さ れ た 。 余 剰 生 産 物 の 自 由 販 売 、 小 商 工 業 の 私 営 、 外 貨 導 入 な どが そ うで あ る 。 こ の 結 果 、27年 前 の 経 済 水 準 に 回 復 し、28年 か らの5カ Newly
Industrializing
ま で に 第1次
世界大戦 ( 〓World
War
I)
年 計 画 (Five-Year Plan) に 引 き継 が れ た 。
Economies(NIES)
新 興工 業 経 済地 域 1960年
代 か ら70年 代 に輸 出 主 導 型 の 経
済 政 策 に よ っ て 高 度 経 済 成 長 を し、 国 民 所 得 も 中 進 国 レ ベ ル に 達 した 国 ・地 域 の 総 称 。 ア ジ ア で は韓 国 、 台 湾 、 香 港 、 シ ン ガ ポ ー ル 、 中 南 米 で は ブ ラ ジ ル 、 メ キ シ コ な どが 入 る。80年
代 後 半 以 降 の ア ジ ア 諸 国 の 成 長 は 著 し く、 ア ジ アNIES
と も い わ れ る。 New
York
ニ ュー ヨー ク ア メ リ カ 合 衆 国 北 東 部 に あ る港 市 で 、 合 衆 国 最 大 の 都 市 。 ハ ドソ
ン (Hudson) 川 と イ ー ス ト(East)川 に は さ ま れ た マ ン ハ ッ タ ン (Manhattan) 中 心 に 発 展 。 そ も そ も ヨ ー ロ ッパ 人 と し て1524年
島を
に最 初 にマ ンハ ッタ ン島 を 見
た の は 、 フ ラ ン ス 王 に 派 遣 さ れ た イ タ リ ア 人 の ベ ラ ツ ァ ー ノ (Verrazzano, Giovanni
di)で あ っ た が 、1625年
ム ス テ ル ダ ム (New
Amsterdam)
オ ラ ン ダ が こ の 島 を 貿 易 拠 点 と して ニ ュ ー ア と称 し た 。1664年
イ ギ リス が こ こ を 占 領 し、
と き の 英 国 王 の 弟 ヨ ー ク 公 (York)に 因 ん で ニ ュ ー ヨ ー ク と改 称 さ れ た。1789年 に は ア メ リ カ の 首 府 と な っ た が 、 翌 年 こ れ は フ ィ ラ デ ル フ ィ ア (Philadelphia) へ 移 っ た 。1825年
の エ リ ー 運 河 (Erie Canal) 開 通 に よ っ て 国 際 貿 易 都 市 と し て 発
展 し、 南 北 戦 争 (〓Civil
War) 後 は 工 業 化 が 進 ん だ 。20世
紀 に 入 る と摩 天 楼
(skyscraper) 建 築 が さ か ん に な り、 世 界 の 中 心 地 と な っ た 。 国 際 連 合 (〓United Nations) 本 部 も こ こ に あ る 。 近 年 、 環 境 ・交 通 ・人 種 ・ス ラ ム ・犯 罪 とい っ た
都 市 問 題 が 深 刻 に な っ て い る 。 “Big Apple”
New
Zealand
の 愛 称 を もつ 。
ニ ュ ー ジー ラ ン ド オ セ ア ニ ア 、 南 太 平 洋 に あ る 島 。 主 島 の 南 島 (South
島 (North
Island)
先 住 民 は ポ (Tasman,
Island)
及 び そ の 他 の 小 島 よ り な る 。首 都 は ウ ェ リ ン トン (Wellington)
リ ネ シ ア 系 マ オ リ 族 (Maoris)
Abel
Janszoon)
る と さ れ る 。1769年
。1642年
が 到 着 。 国 名 の 由 来 は オ ラ ン ダ の ゼ ー ラ ン ト州 に あ
に は イ ギ リ ス のJ.ク
ッ ク (Cook,
と な っ て 、 そ の 後 イ ギ リ ス 連 邦 (〓British と な っ た 。 こ の 間1893年
。
オ ラ ン ダ 人 の タ ス マ ン
James)
が 周 航 し 、1840年
以 来 イ ギ リ ス 植 民 地 と な っ た 。 白 人 と マ オ リ 族 の 紛 争 が 続 く 中 、1907年 Commonwealth)
世 界 大 戦 (〓World
太 平 洋 安 全 保 障 条 約 (〓ANZUS
自治領
の 一 員 と して 独 立 国
に は 世 界 初 の 婦 人 参 政 権 が 認 め ら れ 、1898年
年 金 制 が 実 施 さ れ た 。 第2次 1951年
と北
War
に は養 老
II)で は 対 米 依 存 を 高 め た 。
Pact: ア ン ザ ス 条 約 )に 参 加 。 立 憲 王 制 で 、
元 首 は イ ギ リス 国 王 。 〓p.332地
Ngo
Dinh
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Diem(1901∼63)
ゴ ・デ ィ ン ・デ ィ エ ム
ベ ト ナ ム 共 和 国 初 代 大 統 領 (任1955∼63)
。 ア メ リカの援 助 に
頼 り独 裁 政 治 を 行 っ た が 、 腐 敗 政 治 に 反 対 す る ク ー デ タ ー で 暗 殺 され た 。
Nicaragua
ニ カ ラ グア 中 米 の 中 央 部 に あ る 共 和 国 。 首 都 は マ ナ グ ア (Managua)
ジ ュ ラ ス と コ ス タ リ カ に 挟 ま れ て お り 、 東 に カ リ ブ 海 (Caribbean 平 洋 (Pacific 4回
Ocean)
を 臨 む 。1502年
航 海 の 一 行 が 到 着 し 、1522年
、 コ ロ ン ブ ス (Columbus,
American
そ の 後 、1916年 サ
ー 族 (Somoza
Federation)
戦 線 (FSLN:Sandinista
ニ カ ラ グ ア 共 和 国 と して 独 立 。
が 政 権 を 握 っ た 。79年7月 National
第
にな っ
ドル な ど と と も に 中 央 ア メ リ カ 連 邦
を 編 成 。1838年
か ら ア メ リ カ 海 兵 隊 の 占 領 を 受 け る が 、36年 family)
Christopher)
以 降 ス ペ イ ン 人 に 征 服 さ れ た 。1821年
て ス ペ イ ン の 支 配 を 脱 し、 エ ル サ ル バ (Central
。 ホ ン
Sea) 、 西 に 太
Liberation
か ら は親 米 派 ソモ
、 サ ンデ ィニ ス タ民族 解 放
Front)
が革 命 に よ って ソモ サ独 裁
政 権 を 打 倒 し、 新 政 権 を 樹 立 。 しか し左 傾 化 す る 新 政 権 に 対 し て 、 ア メ リ カ の 支 援 を 受 け る 反 政 府 ゲ リ ラ 、 コ ン ト ラ (Contras: 武 装 闘 争 を 開 始 し て 内 戦 に 発 展 。90年 National
Opposition
Union)
の チ ャ モ ロ 女 史 (Chamorro,
が 当 選 。 以 降 、 情 勢 は 比 較 的 安 定 して い る 。 〓p.333地
National
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
Democratic
Front)
が
、 大 統 領 選 挙 で 国 民 野 党 連 合 (UNO: Violeta
Barrios
de)
Nicholas
II(1868∼1918)
ニ コ ラ イ2世 帝 政 ロ シ ア 最 後 の 皇 帝 (位1894∼1917)
3世
(〓Alexander
III)の 長 子 。1891年
大 津 で 起 き た 地 方 巡 査 に よ る 暗 殺 未 遂 事 件 )に 遭 う 。95年 と も に 日 清 戦 争 (〓Sino-Japanese 東 半 島 (Liaodong た 。1904年
Bandao)
War)
・フラ ンス と
を 清 (Qing) に 返 還 す る よ う 要 求 し 、 極 東 進 出 を 図 っ
Revolution)
Grigory
た こ と へ の 反 発 が 強 ま り 、 第1次 Revolution:
War)
を 起 こ し た が 、 翌05年
第1次
ロ
で 内 政 は 混 乱 し た 。 自 らは 政 治 に 関 心 を 示 さ
ず 皇 后 や ラ ス プ ー チ ン (〓Rasputin,
命 (February
、 ドイ ツ
後 の 日本 に 対 し て 三 国 干 渉 を 行 っ て 遼
日 露 戦 争 (〓Russo-Japanese
シ ア 革 命 (〓Russian
。 ア レ ク サ ン ドル
、 皇 太 子 と し て 来 日 中 に 大 津 事 件 (滋 賀 県
Efimovich)
世 界 大 戦 (〓World
〓Russian
Revolution)
らに 内 政 を 一 任 して い
War
I) 中 の17年
に2月
革
が 起 こ り、 退 位 。 シ ベ リ ア へ
送 ら れ た 後 、 ソ ビ エ ト政 府 に よ っ て 処 刑 さ れ た 。
NIES
新興 工 業経 済地 域
〓Newly
Nimitz,
Industrializing
Chester
Economies
William(1885∼1966)
ニ ミ ッツ
ア メ リ カ の 軍 人 。1905年 世 界 大 戦 (〓World
War
海 軍 兵 学 校 卒 業 の 後 、 第1次
I) に 大 西 洋 艦 隊 参 謀 長 と し て 参 加 。41年
隊 司 令 長 官 に な り 、 終 戦 ま で 太 平 洋 戦 争 (〓Pacific
War)
に は太 平 洋艦
を 指 揮 し た 。44年
元 帥
と な る。 作 戦 部 長 の 職 を 務 め 、 海 軍 省 特 別 補 佐 官 と な っ た 。
Nine
Power
Treaty(1922)
9カ
国条 約
ワ シ ン ト ン条 約 の 一 部 。 〓Washington,
Nixon,
Richard
Treaty
of
Milhous(1913∼94)
ニ クソ ン
ア メ リ カ の 政 治 家 。 第37代 リ フ ォ ル ニ ア (California)
学 び 、 弁 護 士 活 動 に 携 わ る 。 そ の 後 、1947年 下 院 議 員 、51年 (〓Eisenhower,
∼53年
62年
∼51年
Dwight
上 院 議 員 を 経 た う え で 、53年 David)
は 民 主 党 (Democratic
大 統 領 (任1969∼74)
州 生 ま れ 。 デ ュ ー ク 大 学 (Duke
University)
共 和 党 (Republican ∼61年
John
の カ リ フ ォ ル ニ ア 州 知 事 選 に も 落 選 し た 。 し か し 、68年
に 指 名 さ れ 、 ハ ン フ リ ー (Humphrey, で は 「法 と 秩 序 (Law
and
Order)
Hubert)
Party)
ア イ ゼ ン ハ ウ ア ー
政 権 の 副 大 統 領 を 務 め た 。60年
Party) の ケ ネ デ ィ (〓Kennedy,
。 カ
で法 律 を
の大 統 領 選 挙 で
Fitzgerald)
に 敗れ 、
共 和 党 大統 領 候 補
を 破 り大 統 領 に 選 出 され た 。 内 政
」と い う 旗 印 を か か げ る 一 方 、 外 交 で は ハ ー バ ー
ド大 学 (Harvard
University) の キ ッ シ ン ジ ャ ー (〓Kissinger,
ブ レ イ ン と し て 登 用 。72年 ( 〓D〓tente:
Henry
Alfred) を
訪 中 、 訪 ソ を 果 た し て 米 中 接 近 と米 ソ の デ タ ン ト
緊 張 緩 和 )を劇 的 に演 出 して み せ た 。 同 年 に 行 わ れ た 大 統 領 選 は 圧
勝 し た も の の 、 翌73年 ( 〓Watergate
に は 民 主 党 本 部 盗 聴 を め ぐ る ウ ォ ー タ ー ゲ ー ト事 件
Affair)が 明 る み に な り、74年
、 史 上 初 の 任 期 中 辞 任 に追 い 込 まれ
た。 Normandy
Landings(1944)
ノル マ ンデ ィ上 陸作 戦 第2次
世 界大 戦 ( 〓World
War
II)中 の1944年6月6日
に 行 わ れ た 、 連 合 軍 に よ る 北 フ ラ ン ス 上 陸 作 戦 。 敵 国 戦 力 を 分 散 さ せ る た め に設 定 さ れ る 、 い わ ゆ る 第2戦
線 (Second
アー 米大 統 領 ( 〓Eisenhower,
Dwight
Front) の 形 成 を 目 指 し て 、 ア イ ゼ ン ハ ウ David) の 指 揮 下 に 展 開 さ れ 、 ア メ リ カ ・
イ ギ リス ・フ ラ ン ス ・ポ ー ラ ン ド軍 が 参 加 した 。 こ れ が 連 合 軍 の 反 攻 作 戦 の 端 緒 を な し 、 フ ラ ン ス 、 ベ ル ギ ー 、 オ ラ ン ダ 解 放 へ と通 じ て い っ た 。 North
Atlantic
Treaty
Organization(NATO)
北 大 西 洋条 約 機構 ナ トー 。 イ ギ リス 、 フ ラ ン ス 、
ベ ル ギ ー 、 オ ラ ン ダ 、 ル ク セ ン ブ ル ク に よ る ブ リ ュ ッ セ ル 条 約 (〓Brussels, Treaty
of)加 盟 国 に ア メ リ カ 、 カ ナ ダ な ど7カ
れ た 北 大 西 洋 条 約 (North ギ リ シ ャ、 トル コ が 、55年
Atlantic
国 が 加 わ っ て 、1949年
に調 印 さ
Treaty) に も とづ く集 団 安 全 保 障 機 構 。52年
西 ドイ ツ が 、82年
ス ペ イ ンが新 た に加 わ った。 対 ソ
軍 事 同 盟 と も い え る が 、50年 代 後 半 か ら足 並 が 乱 れ 、フ ラ ン ス は ド ・ゴー ル ( 〓De Gaulle,
Charles
Andr〓
Joseph
Marie) 政 権 時 代 に ア メ リ カ に反 発 し、66年 軍 事
機 構 よ り 脱 退 し た 。 こ の と き、 本 部 も パ リ か ら ブ リ ュ ッ セ ル へ 移 転 。74年
ギ リ
シ ャ も軍 事 同 盟 か ら脱 退 を宣 言 した 。 外 相 級 の 理 事 会 が 最 高 機 関 で 、 事務 局 、 軍 司 令 部 な ど が あ り、 軍 組 織 は ヨー ロ ッパ 、 大 西 洋 、 英 仏 海 峡 の3部 い る。 近 年 の冷 戦 ( 〓Cold
War) 終 結 を う け 、91年
ソ重 視 か ら地 域 紛 争 対 策 重 視 へ と戦 略 転 換 さ れ た 。 Northern
Ireland
〓Ireland,
Northern
Northern
Rhodesia
〓Rhodesia,
北 ア イル ラ ン ド
北 ロ ーデ シア
Northern
門 に 分 かれ て
ロ ーマ で 開か れ た会議 で、 対
November
Revolution(1917)
ロ シ ア11月
革命
10月 革 命 (October 〓Russian
NPT
Revolution(
Revolution)
の こ と。
ロ シ ア 革命 )
核不 拡 散 条約
〓Nuclear Nuclear
Non-Proliferation
missiles
Treaty
核 ミサ イル ロ ケ ッ トで 発 射 ・運 搬 す る 飛 行 兵 器 で あ る 誘 導 弾 の 弾 頭 に 、
核 兵 器 (〓Nuclear
weapons)
を 付 属 し た も の。 大 別 す る と 弾 道 ミサ イ ル
(ballisticmissiles) と巡 航 ミサ イ ル ( 〓Cruise
missiles) の2種
類 が あ る。 前 者 は 、
い っ た ん 大 気 圏 の 外 に 出 て 地 球 の 引 力 だ け で 飛 ぶ もの で 、 地 上 音 速 の20倍 速 性 と1万km以 weapon)
の高
上 に 及 ぶ 長 距 離 射 程 が 利 点 。 戦 略 核 兵 器 (strategic nuclear
と も 呼 ば れ る 。 一 方 、 後 者 は地 表 や 海 水 面 す れ す れ を 飛 び 、 弾 道 ミ サ
イ ル と比 べ て 速 度 も遅 く射 程 距 離 も短 い の だ が 、 レー ダ ー に察 知 さ れ に くい とい う利 点 を もっ て い る 。 Nuclear
Non-Proliferation
Treaty
(NPT)
核不 拡散 条 約 1968年7月
署 名 、70年3月
発 効 し た 条 約 。 ア メ リカ 、 ロ シ ア 、 イ ギ リ ス 、 フ ラ ン ス 、 中 国 の5カ
に
国以 外 が核
兵 器 を開 発 ・保 有 す る こ とを 防 ぐの を 主 要 な 目 的 と して い る。 イ ン ド、 イ ス ラ エ ル 、 パ キ ス タ ン を 除 く190カ 国 が 締 約 し て い る (2007年5月
現 在 )。 条 約 は5カ
国 の 核 保 有 を 認 め て い る の で 差 別 的 で あ る と非 難 さ れ て お り、 核 保 有 国 は 第6条 の 核 軍 縮 実 施 を 求 め ら れ て い る 。 条 約 運 用 の 検 討 会 議 は5年 年 の 会 議 で は 条 約 有 効 期 限 が25年 Nuclear
weapons
ご と に 行 わ れ 、95
か ら無 期 限 に 延 長 さ れ た 。
核兵 器 原 子核 の 結 合状 態 の変 化 、 す なわ ち核反 応 に よ って生 まれ
る エ ネ ル ギ ー を 利 用 し た 兵 器 の 総 称 。 核 分 裂 を用 い る原 子 爆 弾 と、 核 融 合 を 用 い る 水 素 爆 弾 と が あ る。1940年
まで には実 現 の条 件 が 整 っ て い た が、 は じめ て 実
用 さ れ た の は 、45年8月6日
、 アメ リカ軍 に よって 広 島 に投 下 され た 原 子 爆 弾
で あ る。冷 戦 時 代 ( 〓Cold
War) に は 米 ・ソ と も核 保 有 量 は 増 加 の 一途 で あ っ た が 、
近 年 で は 削 減 の 気 運 が 実 り、1987年12月 約 ( 〓INF,
Treaty
of)が 調 印 さ れ て い る 。
に は 米 ソ二 国 間 で 中 距 離 核 戦 力 全 廃 条
O OAS
米 州機 構
〓Organization
OAU
of American
States
ア フ リカ 統 一 機 構
〓Organization
O'Connell,
of
African
Daniel(1775∼1847)
Unity
ダニ エル
・オ コ ン ネ ル
ア イ ル ラ ン ドの 政 治 家 。 カ ト リ ッ ク 教 徒 で あ る こ と を 理 由 に ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 (Cambridge,
University
of) へ の 入 学 を 拒 否 さ れ 、 フ ラ ン ス へ
留 学 。 帰 国 後 弁 護 士 と し て 活 躍 し 、1829年 Emancipation)
を 成 立 さ せ た 。 後40年
Association) (Dublin)
に は カ ト リ ッ ク 教 徒 解 放 令 (Catholic に ア イ ル ラ ン
ド 分 離 協 会 (Repeal
を 設 立 し 、 ア イ ル ラ ン ド の 独 立 運 動 に 努 力 し た 。41年
ダ ブ リン
市 長 に就 いた もの の 、暴 力 に よ る運 動 を避 け た た め 急進 派 の青 年 ア イ
ル ラ ン ド 党 (Young
Ireland)
と 対 立 。47年
ジ ェ ノ バ (Genoa)
で 死亡 。
〓Ireland
O'Connor,
Feargus
Edward(1794∼1855) 19世
フ ァ ー ガ ス ・オ コ ン ナ ー 紀 前 半 に イギ リスで起 き た、労 働 者 階級 の普
通 選 挙 権 獲 得 な ど を 目 指 す チ ャ ー チ ス ト 運 動 (Chartist 1831年
ア イ ル ラ ン ド 独 立 運 動 に 参 加 。37年
(Northern
General
に発 狂 した。
Sir
Richard(1889∼1981)
オ コンナ ー将 軍
イ ギ リ ス の 軍 人 。1904年6月 任 し 、 西 部 砂 漠 部 隊 司 令 官 と な っ た 。1914年 War I)
の 指 導 者 。 し て 『北 の 星
Star) 』紙 を 発 行 す る な ど 、 チ ャ ー チ ス ト 運 動 を 指 導 し た が 、 成 功 し
な い ま ま52年
O'Connor,
Movement)
よ り急 進 派 を 組 織
に 従 軍 。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
∼18年
第1次
、 エ ジ プ トに 転 世 界 大 戦 (〓World
II)で は 、40年9月
、 リビア に あ っ
た イ タ リ ア 軍 が エ ジ プ ト に 侵 入 し た た め 、 こ れ に 抗 戦 し 勝 利 を 収 め た が 、41年 4月
リ ビ ア の キ レ ナ イ カ (Cyrenaica)
か ら イ ギ リス 軍 を撤 退 さ せ る た め 現 地 へ 急
行 中 、 ドイ ツ部 隊 に 捕 らえ られ た 。 同 年 、 イ タ リ ア へ 追 わ れ て 入 獄 。43年12月 イ タ リ ア の 降 伏 で 自 由 の 身 と な り再 び 軍 に 復 帰 。44年6月 戦 ( 〓Normandy
Landings)
に第8軍
、
ノ ルマ ンデ ィ 上陸 作
団 司 令 官 と し て 参 加 、 翌45年1月
にはイン
ド方 面 に お い て 最 高 軍 司 令 官 を 務 め た 。 同 年 将 軍 に 就 く。
October
Revolution(1917)
〓Russian
October
ロ シ ア10月
Revolution(
War(1973)
ロ シ ア革命 )
10月
戦 争
第4次 〓Middle-East
Oder-Neisse
革命
中 東 戦 争 の こ と。
Wars
Line
オ ー デ ル ・ナ イ セ 線 1945年
の ポ ツダ ム会談 ( 〓Potsdam
Conference)
で設 け ら
れ た ドイ ツ と ポ ー ラ ン ドの 暫 定 的 な 国 境 線 。 チ ェ コ (Czech) に 発 し て バ ル ト海 (Baltic Sea) へ と 注 ぐ オ ー デ ル 川 と そ の 支 流 ナ イ セ 川 を 連 ね る 線 。50年 東 ドイ ツ と ポ ー ラ ン ドは ゲ ル リ ッ ツ条 約 (G〓rlitzTreaty) で 最 終 的 国 境 線 と して 承 認 し た が 、 西 ドイ ツ や 西 側 各 国 は これ を 正 式 に は 認 め な か っ た 。70年 ン ト(Brandt,
西 ドイ ツの ブ ラ
Willy) 政 権 は ポ ー ラ ン ド と の 間 に ワ ル シ ャ ワ 条 約 (〓Warsaw
Pact) を 締 結 し、 こ の 国 境 線 を 了 承 した 。90年
の 統 一 ドイ ツ も オ ー デ ル ・ナ イ セ
線 を ポ ー ラ ン ド と の 国 境 と して 認 め る方 針 を 示 した 。
OEEC
ヨ ー ロ ッパ経 済協 力 機構
〓Organization
Oil
for
Crisis(1973,1980)
European
Economic
Cooperation
石 油 危機 1973年10月
、 第4次
中 東 戦 争 (〓Middle-East
ウ ジ ア ラ ビ ア 主 導 で ア ラ ブ 石 油 輸 出 国 機 構 (OAPEC: Petroleum
Exporting
Countries)
Wars) Organization
〓Organizetion
of
Petroleum
り手 市 場 が 形 成 さ れ 、 石 油 輸
た 。 次 い で78年
Arab
Exporting
Countries)
削 減 とな っ た 。 こ う 出 国 機 構 (OPEC:
は 石 油 価 格 を 約4倍
上 げ た 。 当 時 の 日 本 は 一 次 エ ネ ル ギ ー に 占 め る 石 油 の 割 合 が70% の 石 油 の99.7%
of
が 石 油 戦 略 を 発 動 し た こ と に 端 を 発 す る。 ア メ
リ カ ・オ ラ ン ダ に は 全 面 禁 輸 、 そ の 他 の 諸 国 に 対 し て は5% し て、 供 給 不 足 に よ る 売
に 際 し、 サ
に引 き
近 く あ り、 そ
を輸 入 で ま か な っ て い た た め 、 先 進 国 中 も っ と も混 乱 が 大 き か っ イ ラ ン 革 命 (Iranian
Revolution)
後 の80年
∼81年
に か け て 、
OPECは
石 油 価 格 を1バ
レ ル 当 た り13ド ル か ら40ド ル へ と値 上 げ 、 第2次
石油
危 機 と呼 ば れ た 。 こ れ に よ っ て 省 エ ネ や 代 替 エ ネ ル ギ ー 開 発 が 求 め られ る よ う に な っ た。 Okinawa
沖縄 九 州 の 南 、 台 湾 と の 中 間 に あ る 日本 最 南 西 端 の 県 。 県 庁 所 在 地 は 那
覇 市 。15世
紀 頃 まで は 琉 球 王 国 と称 さ れ た 。1609年
島 津 氏 に 従 属 し、 奄 美 諸 島
を薩 摩 藩 が 直 轄 し た が 、 他 方 清 国 に も朝 貢 し て お り、 形 式 的 に は 明 治 初 年 ま で 王 国 が 存 続 し て い た 。1872年 な っ た。 第2次
琉 球 藩 と な り、79年
世界大戦 ( 〓World
War
正 式 に 日本 領 と な っ て 沖 縄 県 と
II)末 期 に は 日本 で 唯 一 の 戦 場 と な り、
戦 後 は ア メ リ カ 軍 が 占領 、 ア メ リ カ極 東 戦 略 の 基 地 と な っ た 。1972年5月15日
、
沖 縄 返 還 協 定 に よ っ て 日本 領 に 復 帰 し た が 、 基 地 は 依 然 と し て 存 在 して い る 。
OPEC
石 油輸 出国 機構
〓 Organization
Opium
Wars(1840∼42,
of Petroleum
1856∼60)
Exporting
Countries
アヘ ン戦 争
イ ギ リ ス の ア ヘ ン 密 輸 を め ぐ り、 イ ギ リ ス と 清 (Qing dynasty) の 間 に 起 こ っ た 戦 争 。1840年
∼42年
、1856年
て 行 わ れ た が 、 一 般 に 前 者 を ア ヘ ン戦 争 、 後 者 を第2次
∼60年
と二 度 に わ た っ
ア ヘ ン 戦 争 また は ア ロ ー
号 事 件 と い う。 (1)ア ヘ ン戦 争
:1840年
∼42年
。18世 紀 後 半 、 イ ギ リ ス は 対 清 貿 易 で 輸 入 超 過
だ っ た た め 、 イ ン ド産 ア ヘ ン の 密 貿 易 で 銀 の 回 収 を 図 っ た 。 清 は銀 の 大 量 流 出 を 止 め よ う と禁 令 を 出 す が 効 果 な く、 逆 に 銀 の 高 騰 を 招 い た 。1839年
林 則 徐 (Lin
Tse-chu) が 強 硬 策 に 出 て 、 広 東 (Canton) の イ ギ リ ス商 人 か らア ヘ ン を 強 制 没 収 。 イ ギ リス は こ れ を 口 実 に40年 戦 端 を 開 い た。 清 軍 は イ ギ リ ス に 圧 倒 さ れ た た め 、 清 の 和 平 派 が 林 を 退 け て41年 仮 条 約 を 結 ん だ も の の 、 皇 帝 が こ れ を 批 准 せ ず 、 戦 争 が 再 開 さ れ た 。 そ の 後 イ ギ リ ス軍 は 南 京 (〓Nanjing/Nanking) 至 り、 つ い に42年 清 は 降 伏 し て 南 京 条 約 (〓Nanking, 容 は 清 に と っ て 不 利 な 項 目 が 多 い 不 平 等 条 約 (unequal ス
・ ア メ リ カ も こ の 機 会 に 乗 じ て44年
Treaty
を 脅 かす に of)を結 ん だ 。 内
treaty) で あ る 。 フ ラ ン
清 に 対 して 不 平 等 条 約 を結 び 、 イ ギ リ ス
と同様 の 権 利 を得 た。 (2)第2次
ア ヘ ン戦 争 (ア ロ ー 号 事 件 ):1856年
∼60年
。 イギ リス 船籍 の ア ロー
号 (Arrow) 乗 組 員 が 広 東 で 清 国 官 憲 に 逮 捕 さ れ た こ とか ら は じ ま っ た 。 南 京 条 約 締 結 後 、 清 と の 貿 易 関 係 を さ ら に 有 利 に進 め よ う と も くろ ん で い た イ ギ リス や フ ラ ン ス は 、 こ の 事 件 を き っ か け に艦 隊 を 派 遣 し て 広 東 を 占 領 。58年
、 清 国 との
交 渉 に ロ シ ア ・ア メ リカ も参 加 し て 天 津 条 約 (Treaty of Tianjin) を 結 ん だ 。 し か し、59年
条 約 批 准 に 向 か う英 仏 使 節 が 砲 撃 さ れ た た め 再 び 開 戦 と な り、 両 国 連
合 軍 が 北 京 (〓Beijing/Peking)
に 侵 攻 。 ロ シ ア の 調 停 で60年 北 京 条 約 (Treaty
of Peking) が 締 結 され た 。 こ う し て 通 商 の 自 由 が 認 め られ る と 、 西 洋 諸 国 が 本 格 的 に中国 市 場 に進 出。 中 国封 建社 会の 崩壊 とと もに、半 植 民地 的近 代 化 へ の第
一
歩 にな っ た といわ れ る。
Orange
Free
State(1854∼1902)
オ レンジ 自由国
1854年
、 オ ラ ン ダ 系 白 人 の ブ ー ル 人 (Boers) が 南 ア フ リ カ
に 建 て た 国 家 。 イ ギ リ ス 人 に よ っ て 圧 迫 さ れ た 英 領 ケ ー プ 地 方 (Cape) の ブ ー ル 人 が 、 北 方 奥 地 に 移 っ て オ レ ン ジ 、 バ ー ル (Vaal) 両 河 間 に 建 国 し た 。 国 内 に ダ イ ヤ モ ン ド の 鉱 山 が 発 見 さ れ た こ と か ら 、1871年 2次
ブ ー ル 戦 争 (〓Boer
Wars)
後 の1902年
再 び イ ギ リス に 圧 迫 さ れ 、 第
、 イ ギ リ ス に 併 合 さ れ た 。 そ の 後06
年 に 自 治 権 が 認 め ら れ 、10年 に は 南 ア フ リ カ 連 邦 (Union of South Africa) 内 の 一州 と し て オ レ ン ジ 自 由 州 と な っ た 。 州 都 は ブ ル ー ム フ ォ ン テ ー ン (Bloemfontein)
〓 South
。
Africa
Organization
for
European
Economic
Cooperation(OEEC)
ヨ ーロ ッパ経
済 協 力機 構
第2次 世 界大 戦 ( 〓World
War
II)後 の ヨ ー ロ ッ パ の 復 興 を 目指 し、1947年
マ ー シ ャ ル (Marshall, George ( 〓Marshall
アメ リカの
Catlett)国 務 長 官 の 発 表 した マ ー シ ャ ル ・ プ ラ ン
Plan) に も と づ き 、48年
に 設 立 され た 国 際 機 構 。 以 後 、 ア メ リ カ の
援 助 の も と で 西 欧 諸 国 の 経 済 再 建 に 貢 献 した だ け で な く、 加 盟 国 間 の 経 済 協 力 の 基 礎 を築 き、 通 貨 の 交 換 性 を 回 復 さ せ 、 貿 易 の 自 由 化 を 促 し た 。 し か し、58年 自 由 貿 易 地 域 構 想 (European
Free
Trade
Area) の 挫 折 に 伴 う ヨ ー ロ ッ パ の 市 場
分 裂 、先 進 国 と発 展 途 上 国 との 格 差 拡 大 、ア メ リカ の 国 際 収 支 の 悪 化 な ど に よ り、 機 構 を 改 組 す る要 請 が 高 ま っ た 。 こ れ を 受 け 、61年 Organization
for Economic
Cooperation
and
経 済 協 力 開 発 機 構 (OECD:
Development)
へ と発 展 的 解 消
を とげた。
Organization
of
African
Unity(OAU)
ア フ リカ 統 一 機 構
ア フ リカ諸 国の 統 に1963年5月
一と連 帯 を 旗 印
結 成 され た。 主 権 尊 重 、 内戦 不 干渉 、 紛 争 の平 和解 決 、非 同盟 政
策 の 推 進 な ど を 目 的 と して い る。 本 部 は エ チ オ ピ ア の ア ジ ス ア ベ バ (Addis Ababa) 。2002年
に ア フ リカ 連 合 (AU: African
Union) へ と発 展 し た 。 発 足 当 初
30カ 国 だ っ た 加 盟 国 数 は 、09年 現 在53カ 国 。
〓 Africa Organization
of American
States(OAS)
米 州機 構 南 北 ア メ リカ 大 陸 諸 国 の 平 和 と安
全 の 保 障 や 相 互 理 解 促 進 を 目 的 と す る 地 域 協 力 機 構 。1948年4月30日 ビ ア の ボ ゴ タ (Bogota) で 開 か れ た 第9回 Conference:
、 コロ ン
汎 ア メ リ カ 会 議 (Pan American
米 大 陸 諸 国 の 問 題 に つ い て 話 し合 う国 際 会 議 )に お い て 、 米 州 機 構
憲 章 に も とづ い て 調 印 さ れ 、51年
に 発 足 し た 。 事 務 局 は ワ シ ン ト ン に あ り、 外
相 協 議 会 、 理 事 会 、 専 門 部 会 な ど に 分 か れ る 。35カ
国 が 正 式 加 盟 し て お り、 日
本 は オ ブ ザ ー バ ー とな っ て い る。 Organization
of Petroleum
Exporting
Countries(OPEC)
石 油輸 出国機 構 オ ペ ッ ク。1960年
9月 に バ グ ダ ッ ド(Baghdad) で 結 成 さ れ た 、 イ ラ ク、 イ ラ ン 、 ク ウ ェ ー ト、 サ ウ ジ ア ラ ビ ア 、 ベ ネ ズ エ ラ に よ る5大
石 油 輸 出 国 会 議 で 、 国 際 石 油 資 本 に対 す る
発 言 権 を 拡 大 す る 目的 で 組 織 さ れ た 。 本 部 は ウ ィ ー ン (Vienna) に 置 か れ て い る。 70年 代 の 二 度 に わ た る 石 油 危 機 ( 〓Oil
Crisis)で 価 格 を 大 き く引 き 上 げ 、 国 際 石
油 資 本 か ら価 格 決 定 権 を 奪 回 し た 。 しか し 、80年 代 に 入 る と石 油 需 要 の 伸 び 悩 み と 、 非OPEC産
油 国 (non-OPEC
生 産 シ ェ ア は65%
oil producing
(1973)か ら46%
countries) の 進 出 が 重 な り、
(1988) へ と低 下 。 減 産 協 定 を 結 ぶ な ど し
て い る が 、強 硬 派 と穏 健 派 の 内 部 対 立 は 激 し い 。 現 在 は カ タ ー ル 、イ ン ドネ シ ア 、 リ ビ ア 、 ア ラ ブ 首 長 国 連 邦 、 ア ル ジ ェ リ ア 、 ナ イ ジ ェ リ ア な ど も加 わ り、 計13 カ 国 か ら成 る 。 な お 、OAPECは of Arab Osborne
Petroleum
Exporting
Judgement(1909)
ア ラ ブ 石 油 輸 出 国 機 構 (OAPEC:
オ ズ ボ ー ン判 決 1909年12月
、 イ ギ リ ス で 労 働 組 合 (trade unions) の 一 般
資 金 を 政 治 目 的 に 使 用 す る こ と を 違 法 と し た 最 高 裁 判 決 。06年 リ ス 労 働 党 (〓Labour
の総選挙で イギ
Party) は 大 躍 進 を 果 た し た 。 と こ ろ が 、 翌07年
道 従 業 員 組 合 (Amalgamated る 自 由 党 (〓Liberal
Organization
Countries) の 略称 。
Society
of Railway
Servants) の
Party) 員 の オ ズ ボ ー ン (Osborne,
挙 に お け る 労 働 組 合 の 資 金 運 用 を 告 訴 し た 。08年
Walter
、合 同鉄
一 分 会 書 記 を務 め V.)が 、 こ の 総 選
の 高等 裁 判 所 に お い て 、一 度
は 却 下 さ れ た が 、控 訴 して09年 勝 訴 。こ の 判 決 は労 働 党 に 多 大 な ダ メ ー ジ を 与 え 、 10年 に 行 わ れ た 二 度 の 総 選 挙 で は 自 由 党 勝 利 の 結 果 を 導 い た 。Osborne Decisionと
も い う。
Osman
I オ ス マ ン1世
〓 Othman Ostpolitik
I 東方 政策 西 ドイ ツ の ブ ラ ン ト首 相 (Brandt, Willy) が 推 進 し た 対 東 欧 政 策 。
第2次
世 界 大 戦 (〓World
(〓Adenauer, 1969年
War
II)後 の 西 ドイ ツ の 外 交 基 本 方 針 は 、ア デ ナ ウ ア ー
Konrad) 以 来 一 貫 し て 東 側 諸 国 に 対 し て 対 決 姿 勢 を 示 して い た が 、
の ブ ラ ン ト政 権 誕 生 を 契 機 に転 換 し た 。 対 決
(〓Cold
・封 じ込 め型 の 冷 戦 構 造
War) か ら 、 和 解 ・関 係 改 善 型 の 外 交 へ の 転 換 で あ る 。70年3月19日
は 、 早 く も 東 西 ドイ ツ初 の 首 脳 会 談 が 行 わ れ る に 至 っ た 。 ま た72年 両 ドイ ツ 基 本 条 約 (Basic Treaty) が 仮 調 印 さ れ て い る 。82年 (CDU:
Christian
Democratic
Union
of Germany)
に
末 に、 東 西
キ リ ス ト教 民 主 同 盟
の コ ー ル (Kohl, Helmut) 政
権 下 で も 路 線 の 変 更 は な く、 東 西 統 一 構 想 が よ り現 実 味 を 増 し て 進 行 して い っ た。
Othman
I(1258/59∼1326)
オ ス マ ン1世
オ ス マ ン 王 朝 の 始 祖 (位1299∼1326)
。 エ ル トゥ ル ル
(Ertogrul) の 長 子 で 、 最 初 は 小 辺 境 侯 だ っ た が 、 父 の 死 後 そ の 実 力 を 発 揮 。 1299年
オ ス マ ン 君 侯 領 と し て オ ス マ ン 王 朝 の 独 立 を 宣 言 し、1301年
営 を 開 始 し た と い わ れ る 。1308年
(Sultan: 支 配 者 )が 死 亡 し王 朝 が 消 滅 す る と、 オ ス マ ン1世 (Byzantine
Empire)
に は国家 経
セ ル ジ ュ ー ク (Seljuk)朝 最 後 の ス ル タ ン は ビ ザ ン チ ン帝 国
を 攻 撃 し、 ブ ル サ (Brussa)攻 略 を 最 大 目 的 と し た 。1326年
に は 悲 願 達 成 す る の だ が 、 同 時 に オ ス マ ン1世
自身 も他 界 して し ま い 、 オ ルハ ン
(Orkhan) が 後 継 者 と な っ た 。 半 ば 伝 説 の 帝 王 で あ る オ ス マ ン1世 マ ン ・ トル コ帝 国 (〓Ottoman
Empire)
は 、 以 後1922年
まで623年
の築 いた オ ス 間 続 くの で
あ る。
Ottawa
Conference(1932)
オ タワ会 議
1932年 Commonwealth) ( 〓Rhodesia,
カ ナ ダ の オ タ ワ で 開 か れ た イ ギ リ ス 連 邦 (〓British
の 経 済 会議。 イ ギ リス 本 国 と 自治 領 及 び南 ロー デ シ ア Southern)
とイ ン ドが 参 加 し た 。 世 界 恐 慌 ( 〓Great
Depression)
に対 応 す る た め の 連 邦 内 相 互 貿 易 の 促 進 を 目 的 と し て お り、 連 邦 内 諸 国 に 特 恵 関 税 制 を 適 用 す る と と も に、 連 邦 外 諸 国 に 対 ( 〓protectionism)
紀 以 来 の 自 由 貿 易 (〓Free Economy)
し て は 保 護 貿 易 主 義
が 採 用 さ れ る 旨 、 申 し合 わ され た。 こ う して イ ギ リス は19世
を推 進 した。
Trade) の 伝 統 を 捨 て 、 ブ ロ ッ ク 経 済 政 策 (Block
Ottoman
Empire(1299∼1922)
オ ス マ ン ・ トル コ 帝 国
13世 紀 末 に オ ス マ ン ア (〓Asia
Minor)
(Constantinople: Empire)
を も 含 む 一 大 帝 国 を 築 き 上 げ た が 、17世
紀 初 頭 の青 年
War)
Turk
Revolution)
世 界 大 戦 (〓World
War
い て 敗 れ 、 さ ら に ギ リ シ ャ に も侵 入 さ れ た が 、 ケ マ ル Ataturk)
、 の
に よ って 憲政 が し I) で は ドイ ツ 側 に つ
・ ア タ テ ュ ル ク (〓Kemal
が 国 民 軍 を 指 揮 し て 撃 退 。 ス ル タ ン 制 (〓Sultan:
専 制 君 主 制 )を 廃 し て 、
トル コ共 和 国 が 成 立 した 。
〓 Balkan
Question(
〓 Balkan
Wars(
〓 Eastern
Owen,
紀 以 降 衰 退 。1877年
に敗 れ て ヨー ロ ッパ の領 土 の 多 くを失 っ た。
トル コ 党 革 命 (〓Young
か れ た が 、 ま も な く 挫 折 。 第1次
〓 〓
が小 アジ
現 イ ス タ ン ブ ー ル )に 攻 め 入 っ て 、 ビ ザ ン チ ン 帝 国 (Byzantine
露 土 戦 争 (〓Russo-Turkish
1923年
Turks)
に コ ン ス タン チ ノー プル
を 滅 亡 さ せ た 。16世 紀 の 最 盛 期 に は 、 ロ シ ア 南 端 か ら ウ ィ ー ン (Vienna)
サ ハ ラ (Sahara)
20世
・ ト ル コ 人 (Ottoman
に 建 国 し た イ ス ラ ム 国 家 。1453年
バ ル カ ン問題 )
バ ル カ ン戦争 )
Question(
東 方 問題 )
p.279図
解2「19世
p.328地
図 〓 (現 ト ル コ共 和 国 :現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Robert(1771∼1858)
紀 中頃 の バ ル カ ン情勢 」
ロ バ
ー
ト ・ オ ー ウ ェ ン
イ ギ リ ス の 社 会 主 義 者 、 社 会 運 動 家 。 北 ウ ェ ー ル ズ (Wales)生 ま れ 。 若 く し て 紡 績 工 場 の 支 配 人 を 務 め て 成 功 し、1800年 (Scotland) の ニ ュ ー ラ ナ ー ク (New
以 降 ス コ ッ トラ ン ド
Lanark) に あ る大 紡 績 工 場 の 共 同 所 有 者 と し
て 人 道 主 義 的 経 営 を 行 っ た 。 そ の 後 、 私 財 を 投 じ て 渡 米 し、25年 (Indiana)州 に 「ニ ュ ー ハ ー モ ニ ー が 、4年
(New
Harmony)
イ ンデ ィア ナ
」とい う共 産 社 会 を 創 設 し た
後 に 失 敗 。 帰 国 後 、 婦 人 児 童 労 働 の 制 限 立 法 成 立 に尽 く し 、 ま た 協 同 組
合 を 起 こ し、 一 時 は そ の 指 導 者 に も な っ た 。 しか し、 政 府 の 弾 圧 や 内 部 の 混 乱 な ど に よ り思 う よ う に は い か ず 、 政 治 活 動 か ら は 身 を 引 い た 。 空 想 的 社 会 主 義 者 (Utopian
Socialist) と呼 ば れ て い る。
P Pacific
War(1941∼45)
太 平洋 戦争 第2次
イ ギ リ ス
世 界 大 戦 (〓World
War
II)に お い て 、 日 本 と ア メ リ カ
・ 中 国 な ど の 連 合 軍 が 太 平 洋 を 舞 台 に 交 戦 し た 戦 争 。 日 本 は1940年
独 伊 三 国 同 盟 (〓Tripartite
Pact)
を 結 ん で 中 立 を 捨 て 、41年
(Russo-Japanese
Neutrality
(〓Pearl
攻撃 を 口火 として アメ リカ
Harbor)
日 ソ 中 立 条 約
Pact) で 北 方 の 安 全 を 確 保 す る と 、 同 年 真 珠 湾 ・ イ ギ リス に 宣 戦 布 告 。 戦 線 を 中
国 か ら ア ジ ア 全 域 へ と拡 大 し た 。 当 初 、 日 本 は フ ィ リ ピ ン (Philippines) (Malaya)
、 ジ ャ ワ (Java) 、 ビ ル マ (Burma)
西 太 平 洋 の 制 海 権 を 得 た 。 し か し 、42年 Battle
・ 日
、 ス マ ト ラ (Sumatera)
、マ レー を 占 領 し、
ミ ッ ド ウ ェ ー 海 戦 (〓Midway
Island,
of) 以 降 は 、 連 合 軍 に ま っ た く 押 さ れ ど お し に な り 、 対 中 国 戦 争 と の 両 立
が 日 本 の 国 力 の 限 界 を 超 え て い る こ と が 明 ら か に な っ た 。45年8月
、広 島、 長
崎 に 原 爆 を受 け た 日 本 の 無 条 件 降 伏 で 終 戦 を 迎 え た 。
Pakistan
パ キ ス タン 南 ア ジ ア 西 部 の 共 和 国 。 首 都 は イ ス ラ マ バ ー ド (Islamabad)
イ ン ダ ス 文 明 (Indus
Civilization)
ラ ム 文 化 が 栄 え た 。1947年 ド か ら 分 離 独 立 。56年 い た が 、71年
Dispute)
東 パ キ ス タ ン (East
Commonwealth)
。 古 代 期 に イ ス 内で イ ン
Pakistan)
が バ ン グ ラ デ ィ シ ュ と して 独 立 。 イ
以 上 を 占 め る カ シ ミ ー ル 地 方 の 帰 属 問 題 (〓Kashmir
を め ぐ り 、 イ ン ド と の 間 で 三 度 に わ た る 印 パ 戦 争 (〓India-Pakistan
が 起 こ っ た 。88年
軍 事 独 裁 は (Bhutto,
イ ギ リ ス 連 邦 (〓British
Empire)
共 和 国 と な る 。 イ ン ドを 間 に は さ ん で 東 西 に 分 断 さ れ て
ス ラ ム 教 徒 が 住 民 の7割
War)
や ム ガ ー ル 帝 国 (〓Mughal
の ハ ク (Zia-ul-Haque,
一応 幕 を 閉 じ た が 、90年
Muhammad)
カ ー ン (Khan,
大 統 領 の死 を もって Ishaq)
大 統 領 は ブ ッ
ダ ス 下 流 の カ ラ チ (Karachi)
に お か れ た が 、60年
ワル ピンデ ィ
に 移 さ れ 、 現 在 の イ ス ラ マ バ ー ド に 移 転 し た の が68
(Rawalpindi)
年 の ことで あ る。
〓 India 〓 Bangladesh
〓
p.331地
ト
Ali) 首 相 を 解 任 す る な ど 、 波 乱 は 続 い て い る 模 様 。 首 都 は は じ め イ ン
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
か ら は イ ス ラ マ バ ー ド近 郊 の ラ
Palestine
パ レ スチ ナ
ヨ ル ダ ン (Jordan) 川 西 岸 よ り、 地 中 海 (Mediterranean
Sea) まで の
地 域 の 呼 称 。 ユ ダ ヤ 教 ・キ リ ス ト教 ・イ ス ラ ム 教 の 聖 地 エ ル サ レ ム ( 〓Jerusalem) が あ る。 紀 元 前1200年
頃 エ ジ プ ト か ら シ ナ イ (Sinai)半 島 を 経 て ヘ ブ ラ イ 人
(Hebrews) が モ ー ゼ (Moses) に 率 い られ て 到 着 した 。そ の 後 、ロ ー マ 領 とな る が 、 7世 紀 ア ラ ビ ア 人 (Arabs)が 入 り定 住 し た 。19世 紀 以 降 、 パ レ ス チ ナ の 地 に ユ ダ ヤ 人 (Jews)の 国 家 を つ く る シ オ ニ ズ ム 運 動 ( 〓Zionism) 戦 (〓World
War
領 ( 〓Mandates)
が 高 揚 。 第1次
I) ま で は トル コ領 だ っ た が 、 戦 後1923年 とな る。 大 戦 中 の17年
世界大
イギ リス の 委任統 治
、 イ ギ リスに よっ て ユ ダヤ 人独 立 国 家 の
建 設 を 支 持 す る バ ル フ ォ ア宣 言 ( 〓Balfour
Declaration) が 発 せ られ た 。 し か し、
こ れ に 先 立 ち15年 、 イ ギ リ ス は マ ク マ ホ ン宣 言 ( 〓MacMahon
Declaration)
に
よ っ て ア ラ ブ 人 に も独 立 を 認 め て い た こ とか らバ ル フ ォ ア宣 言 との 間 に 矛 盾 が 生 じ 、 ユ ダ ヤ ・ ア ラ ブ 間 の パ レ ス チ ナ 紛 争 の 発 端 と な っ た 。 第2次 ( 〓World
War
世 界大戦
II)後 の48年 、 国 連 パ レ ス チ ナ 分 割 決 議 に も と づ き ユ ダ ヤ 人 の 国
家 イ ス ラ エ ル が 建 国 さ れ た 。 この 直 後 、 イ ス ラエ ル と これ を 認 め な い ア ラ ブ 諸 国 間 に 第1次
中 東 戦 争 (〓Middle-East
Wars) が 発 生 し、 パ レ ス チ ナ は イ ス ラ エ ル
と ヨ ル ダ ン ・エ ジ プ ト占 領 地 域 と に 分 け られ た 。 イ ス ラエ ル は この 地 域 を ユ ダ ヤ 人 の 郷 土 と主 張 し占 領 地 へ の 入 植 を 強 行 、 祖 国 を 追 わ れ た パ レ ス チ ナ難 民 は200 万 人 を 超 え た と い わ れ る。 そ の 後 た び 重 な る 中 東 戦 争 を 経 て 、79年
イス ラエ ル
とエ ジ プ ト間 に 和 平 が 成 立 。88年 パ レ ス チ ナ 独 立 宣 言 。93年9月13日 エ ル とパ レス チ ナ 解 放 機 構 (PLO:
〓Palestine
Liberation
で 暫 定 自 治 に 関 す る共 同 宣 言 が 調 印 さ れ た が 、2000年
、イスラ
Organization)
との間
以 降 、 再 び イ ス ラエ ル と
パ レ ス チ ナ と の 間 の 紛 争 が 再 燃 す るな ど 、 完 全 解 決 に は 至 っ て い な い 。 〓 Israel
〓
p.331地
Palestine
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Liberation
Organization(PLO)
パ レ スチナ 解放 機 構
パ レスチ ナ 人の 反 イ スラ エ ル運 動 の 統一 機 関 で 、 現 在 の パ レ ス チ ナ (〓Palestine) 1964年
第1回
暫 定 自治 政 府 の 前 身 的 組 織 。
ア ラ ブ 首 脳 会 議 に お い て エ ジ プ ト の ナ セ ル (〓Nasser,
Abdel) 大 統 領 の 指 導 で 結 成 し、 パ レ ス チ ナ 国 民 憲 章 (People's Palestine) が 制 定 さ れ た。 数 派 伐 か ら 構 成 さ れ て い た が 、69年 Fatah:
パ レ ス チ ナ 解 放 運 動 )の 指 導 者 ア ラ フ ァ ト(〓Arafat,
会 議 長 と な っ て か ら 、武 装 ゲ リ ラ闘 争 を 展 開 した 。73年11月 League)
Gamal
Charter
of
に フ ァ タ ハ (Al
Yasser) が 執 行 委 員 ア ラ ブ 連 盟 (〓Arab
諸 国 の 承 認 を 受 け る と 、 翌74年 国 連 オ ブザ ー バ ー 代 表 権 が 与 え ら れ た 。
レバ ノ ン (Lebanon)
を 拠 点 と し て イ ス ラ エ ル に ゲ リ ラ 戦 を しか け た が 、82年
ス ラ エ ル の 大 軍 に 侵 攻 され て 、PLO本
部 は チ ュ ニ ス (Tunis)へ 移 さ れ た 。88年
イ に
は イ ス ラ エ ル に よ る と思 わ れ る 、PLO
No.2の
Jihad) 暗 殺 事 件 が 起 こ っ た が 、 同 年11月
実 力 者 ア ブ ー ・ ジ ハ ー ド (Abu
パ レ スチ ナ独 立 国家 樹 立 宣 言 を発 表 。
これ に よ り、 ア メ リカ も イ ス ラ エ ル の 存 在 承 認 及 び テ ロ 放 棄 の 条 件 を つ け て 、 PLOと
の 直 接 対 話 を 再 開 した 。92年
ア ラ フ ァ ト議 長 遭 難 事 件 で 後 継 者 問 題 が 浮
上し た が 、 国 際 的 に パ レ ス チ ナ 承 認 が 拡 大 の 方 向 で 進 行 して お り、93年9月13 日 イ ス ラエ ル と暫 定 自 治 共 同 宣 言 調 印 に こ ぎ つ け た 。 しか し そ の 後 、 イ ス ラ エ ル に よ る レバ ノ ン 侵 攻 な ど、 不 安 定 な 要 素 が 多 い 。 〓 Palestine
Palmerston,
Henry
John
Temple(1784∼1865)
パ ー マ ス トン
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 首 相 (任1855∼58、59∼ 65) 。 ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 (Cambridge, (〓Tories) 党 (〓Whigs)
University
of)卒 業 後 、1807年
へ転 じ、 グ レー
(〓Grey,
Charles)
ク リ ミ ア 戦 争 (〓Crimean
事 件 (第2次
War)
首 相 と な り、 ロ シ ア と の
を 完 遂 し 、 パ リ 条 約 (〓Paris
再 度 の 首 相 在 任 中 に 死 亡 。 ア ヘ ン 戦 争 (〓Opium ア ヘ ン 戦 争 )、 セ ポ イ の 乱 (〓Indian
ホ イ ッ グ
内 閣 の 外 相 と し て 、 ギ リシ ャ 独
立 を 援 助 し た 。 そ の 後 も 二 度 外 相 を 務 め て い る 。55年
し た 。65年
トー リー 党
か ら 下 院 議 員 と な り 、 海 相 、 陸 相 を 務 め た 。 し か し 、22年
Mutiny)
, Treaty
of) に 同 意
Wars)
、 ア ロー号
な ど を 通 じて 、 ア ジ ア
に お け る イ ギ リス の 権 益 拡 大 に 尽 く した 。
Panama
パナ マ 中央 アメ リカの共 和 国 で 、 コロ ン ビア と コス タ リカ の 中間 に位置 す
る 。 首 都 は パ ナ マ (Panama) 。1502年 岸 を 航 行 し、1513年
コ ロ ン ブ ス (Columbus
に は バ ル ボ ア (Balboa,
Vasco
, Christopher)
が海
N.)が 地 峡 を横 断 し て 太 平 洋
を 確 認 し た 。 そ の 後 、 ス ペ イ ン 植 民 地 を経 て コ ロ ン ビ ア連 邦 の 一 部 とな っ た が 、 1903年
ア メ リカ の 援 助 で 共 和 国 と し て 独 立 を 果 た し た 。 こ の と き、 ア メ リ カ は Canal) 地 帯 の 永 久 租 借 を 約 した が 、 パ ナ マ国 民 の主権 回 復 の 要 望 に よ っ て 、77年9月 の 新 条 約 で は 、2000年 ま で に ア メ リ カ は 運 河 地 帯 パ ナ マ運 河 (〓Panama
使 用 権 を 失 う こ と と な っ た 。 オ マ ー ル ・ ト リ ホ ス (Torrijos, Omar) 来 、 国 防 軍 最 高 司 令 官 の ノ リエ ガ 将 軍 (Norriega,
将軍 事 故死 以
General) の 独 裁 とな っ た が 、
88年 に デ ル ・バ イ ェ (Del Valle)大 統 領 と の 対 立 が 深 ま り、 政 治 的 混 乱 が 生 じ た 。 ア メ リカ は パ ナ マ の 安 定 を 望 む 立 場 か ら、89年12月 エ ガ は失 脚 し た 。2004年
パ ナ マ 侵 攻 を 断 行 し、 ノ リ
、 オ マ ー ル ・ ト リホ ス の 息 子 、 マ ル テ ィ ン ・ トリ ホ ス
(Torrijos, Martin) が 民 主 革 命 党 よ り大 統 領 に就 任 し た 。
〓
p.333地
図〓 (現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
Panama
Canal
パナ マ運 河 パ ナ マ 地 峡 で 、 大 西 洋 と太 平 洋 の コ ロ ン (Colon) −バ ル ボ ア
(Balboa) 間 約40マ ( 〓Lesseps,
イ ル を 結 ぶ 水 門 式 運 河 。 フ ラ ン ス の 外 交 官 レセ ッ プ ス
Ferdinand
Marie
de) が パ ナ マ 運 河 会 社 を 設 立 し て1881年
し た が 、 技 術 的 困 難 や 疫 病 、 経 営 難 な ど で88年 買 収 を め ぐ っ て92年
に フ ラ ン ス 政 界 に波 及 す る疑 獄 事 件 (Panama
展 して 完 全 に 失 敗 に 終 わ っ た 。 こ れ を 受 け て1902年 03年
に 着工
に破 産 。 パ ナマ運 河 会 社 の再 建 ・ Scandal) に 発
ア メ リカが 建 設権 を 得 て 、
コ ロ ン ビ ア 連 邦 か ら 独 立 させ る と 、 そ の 代 償 に 運 河 建 設 予 定 地 の 独 占 的 使
用 権 を 得 た 。 お よ そ3億3000万
ド ル の 巨 費 を 投 じ て14年8月15日
完 成 。 これ に
よ り、 ア メ リ カ は 中 南 米 諸 国 支 配 の 拠 点 を 確 保 す る こ と に 成 功 し た 。77年 条 約 に よ り、1999年12月31日
の新
を もっ てパ ナマ 運河 地 帯 は アメ リカか らパ ナ マ側
に返 還 され た。
〓 Pan
p.333地
Chen
図〓 ( 現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
Lama
パ ン チ ェ ン ・ラ マ
チ ベ ッ ト仏 教 の 最 大 宗 派 ゲ ル ク 派 に お い て ダ ライ ( 〓Dalai
Lama)
に 次 ぐ地 位 を 占 め る化 身 僧 。 パ ン チ ェ ン ・ ラ マ10世
・ ラマ (1938∼
89) は 、 ダ ラ イ ・ ラ マ14世
の1959年
の イ ン ド亡 命 後 も 中 華 人 民 共 和 国 チ ベ ッ ト
自 治 区 に と ど ま っ た 。89年
の 没 後 は 、 中 華 人 民 共 和 国 政 府 と、 ダ ラ イ
・ ラ マ14
世 を 擁 す る チ ベ ッ ト亡 命 政 府 が 、 別 々 の 少 年 を パ ン チ ェ ン ・ ラ マ11世
と して 承
認 して い る。 Pan
Germanism
汎 ゲ ル マ ン主 義 ドイ ツ 民 族 を 統 合 し ドイ ツ帝 国 ( 〓German
Empire)
の も
と で 世 界 進 出 を 進 め よ う と い う 思 想 。 ロ シ ア 中 心 の 汎 ス ラ ブ 主 義 (〓Pan Slavism) と衝 突 し、 バ ル カ ン 問 題 ( 〓Balkan ( 〓World
〓
p.285図
War
Pankhurst,
Question)
が 生 じて 第1次
世 界 大戦
I)を 誘 発 し た 。
解8「
第1次
世 界大 戦 の背 景」
Emmeline(1858∼1928)
パ ンク ハ ー ス ト
イ ギ リス 婦 人 選 挙 運 動 の 女 性 指 導 者 。 マ ンチ ェ ス ター (Manchester) and
生 ま れ 。1903年
、 娘 と と も に 婦 人 社 会 政 治 同 盟 (Women's
Social
Political Union) を 結 成 。 イ ギ リ ス最 初 の 婦 人 選 挙 運 動 を 展 開 し、 暴 力 的 闘
争 の た め再 三 に わ た っ て 投 獄 さ れ た 。 獄 中 で は 、 ハ ン ガ ー ・ス トラ イ キ で 抵 抗 し た。
Pan
Slavism
汎 ス ラブ主 義 ス ラ ブ民 族 の 統 一 と連 帯 を 目 指 す 思 想 と運 動 。 ロ マ ン 主 義
(Romanticism)
的 風 潮 に 乗 じ て 、18世 紀 末 に は じ ま っ た ス ラ ブ 民 族 学 復 興 運 動
を 先 駆 と し、19世
紀 中 頃 か ら政 治 運 動 へ 進 展 。 オ ー ス ト リ ア 、 トル コ の 支 配 か
ら脱 し よ う とす る民 族 独 立 運 動 と、 ロ シ ア の 指 導 下 に ス ラ ブ大 帝 国 の 建 設 の 動 き に で る 帝 国 主 義 的 な ふ た つ の 潮 流 が あ っ た 。 前 者 は バ ル カ ン (Balkan) 半 島 に お い て 汎 ゲ ル マ ン 主義 ( 〓Pan
Germanism)
に 対 抗 す る 民 族 主 義 を あ お り、 そ れ が
後 者 の ロ シ ア 南 下 政 策 と統 合 し て バ ル カ ン 問 題 ( 〓Balkan め 、 第1次
世 界大 戦 ( 〓World
〓p.285図
Paris
解8「 第1次
Commune(1871)
War
を 生 じせ し
世界 大戦 の 背景 」
パ リ ・コ ミ ュ ー ン
普 仏 戦 争 (〓Franco-Prussian (Thiers, Louis 3月18日
Question)
I)へ 突 入 した 。
Adolphe)
か ら5月28日
War) に 対 す る テ ィ エ ー ル
政 府 の 対 独 仮 条 約 に 不 満 を も っ た パ リ市 民 が 、1871年
ま で の 約2カ
月間 、 全 市民 の 選 挙 を行 い 労働 者 階 級 に よ
る 初 の 自 治 政 府 を樹 立 した 。 社 会 主 義 政 策 を 行 お う と した が 、 内 部 対 立 もあ り実 効 は あ ま り な か っ た 。 政 府 軍 は ド イ ツ の 支 援 を 受 け て 「血 の 一 週 間 (Bloody Week) 」と呼 ば れ る 虐 殺 に よ っ て 鎮 圧 した 。
Paris
Peace
Settlement(1919∼20)
パ リ講 和 会 議
第1次 か ら20年8月10日
世 界 大 戦 (〓World
War
が 、 実 際 に は ア メ リ カ 大 統 領 ウ ィ ル ソ ン (〓Wilson, ロ イ ド
・ ジ ョ ー ジ (〓Lloyd
(〓Clemenceau,
Georges
ル ソ ン 提 唱 の14カ Nations)
I) 後 、1919年1月18日
に か け て パ リ で 開 催 さ れ た 講 和 会 議 。 戦 勝27カ
George, Eug〓ne
条 (〓Fourteen
David)
Benjamin) Points)
Woodrow)
国 が 参 加 した 、 イ ギ リス首 相
、 フ ラ ン ス 首 相 ク レマ ン ソ ー の3巨
頭が 会議 を指 導 した。 ウ ィ
を 基 本 と し 、 国 際 連 盟 (〓League
of
の 設 置 を 可 決 した が 、 列 強 の 利 害 が 優 先 して 植 民 地 や 少 数 民 族 の 意 向
は 無 視 さ れ 、 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II)へ 向 け て 新 た な 火 種 を つ く る 形
と な っ て し ま っ た 。 こ の 会 議 の 結 果 に も と づ い て 、 ドイ ツ に対 す る ベ ル サ イ ユ 条 約 (〓Versailles, (〓Saint Treaty
Treaty
Germain,
Treaty
of) 、 オ ー ス
コ に 対 す る セ ー ブ ル 条 約 (〓S〓vres, system( 解1「
・ ジ ェ ル マ ン条 約
of) 、 ブ ル ガ リ ア に 対 す る ヌ イ イ 条 約 (〓Neuilly,
of) 、 ハ ン ガ リ ー に 対 す る ト リ ア ノ ン 条 約 (〓Trianon,
〓Versailles 〓p.278図
トリ ア に対 す るサ ン
Treaty
of)が 結 ば れ た 。
ベ ル サ イ ユ体 制 )
ベ ル サ イ ユ 体 制下 の ヨー ロ ッパ」
Treaty
of) 、 ト ル
Paris,
Treaty
of
パ リ条約
(1)1763年 た7年
戦争( 〓Seven
Years
:英 仏 間 に お け る 植 民 地 争 奪 を 背 景 と して 起 こ っ
War:
1756∼63)
の 後、 イギ リス、 フ ランス 、 スペ
イ ン 間 で 結 ば れ た 条 約 。 北 ア メ リカ に お け る フ ラ ン ス の 領 土 が 奪 わ れ た 。 (2)1783:
ア メ リカ 独 立 戦 争 (〓American
War
of Independence)
後 に 英米 間
で結 ばれ た条 約 。 イ ギ リス は アメ リカの 独立 を認 め た。 (3)1814年
: ナ ポ レ オ ン 戦 争 (〓Napoleonic
Wars) 後 の 同 盟 国 と フ ラ ン ス 間 の
条 約 。 フ ラ ン ス の 国 境 な どが 決 め られ た 。 (4)1815年
: ナ ポ レ オ ン (〓Napoleon
I)が 百 日 天 下 ( 〓Hundred
起 に 失 敗 した 後 、 同 盟 国 と フ ラ ン ス 間 で 結 ば れ た 第2次
Days) で 再
条約 。 フ ランス に は賠 償
金 が 課 せ られ た 。 (5)1856年
:ク リミア戦 争 ( 〓Crimean
War) 後 締 結 。 これ に よ り ヨー ロ ッパ へ
の 進 出 を も く ろ む ロ シ ア の 南 下 政 策 が 阻 止 され た 。 トル コ の 独 立 や ロ シ ア領 土 の 割 譲 な どを決定 。 (6)1898年
:米 西戦 争 ( 〓Spanish-American
War) を 終 結 させ た 条 約 。 ス ペ イ
ン の 領 土 が 奪 わ れ 、 キ ュ ー バ の 独 立 が 認 め られ た 。 (7)1947年
:第2次
世界 大 戦 ( 〓World
War
II)後 、 連 合 国 と イ タ リ ア 、 ル ー マ
ニ ア 、 ハ ン ガ リ ー 、 フ ィ ン ラ ン ド、 ブ ル ガ リ ア の 間 に 結 ば れ た 条 約 。 敗 戦 国 の 賠 償 金 、領 土 割譲 な どが 決 め られ た。 Passchendaele,
Battle
of(1917)
第1次
パ ッセ ンダ ー リの戦 い
世界大 戦 ( 〓World
War
I)の 西 部 戦 線 (Western
Front) で は 、 ベ ル ギ ー の 村 イ ー ペ ル (Ypres)が た び 重 な る激 戦 地 と な っ た が 、 そ の 第3次
の 戦 い の こ と を い う。 イ ギ リ ス に と っ て30万
人 以 上 の 犠 牲 者 を 出 した
最 悪 の 戦 い と し て 、 こ の ベ ル ギ ー の 村 の 名 前 が 知 られ る よ う に な っ た 。 〓Ypres,
Pavelic
Battle
of(イ ー ペ ル の 戦 い )
Ante(1889∼1959)
パベ リチ
ク ロ ア チ ア の 政 治 家 。 ク ロ ア チ ア 民 族 運 動 の 指 導 者 。1932年 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 上 院 議 長 。34年 ル1世
(Aleksandr
大戦 ( 〓World トラー
War
(〓Hitler,
I)暗 殺 に 連 坐 し、 不 在 の ま ま死 刑 宣 告 を 受 け た 。 第2次 II)で は 枢 軸 国 側 ( 〓Axis: Adolf) の 力 に よ っ て41年
した 。 〓Croatia
ア ル ゼ ン チ ンへ 渡 っ た 。49年
世界
ドイ ツ側 )の バ ル カ ン侵 略 後 、 ヒ か ら45年
まで ク ロ ア チ ア の 国 首 と
な っ た 。 戦 後 の 戦 犯 裁 判 で は 死 刑 を 宣 告 さ れ た が 、45年 た 後 、48年
、
、 マ ル セ イ ユ (Marseilles) に お け る ア レ ク サ ン ド
オ ー ス ト リア へ亡 命 し
には ア ルゼ ン チ ンで 亡 命 者 政 府 を樹 立
Peace
Pearl
of
Adrianople(1829)
〓Adrianople,
Peace
Harbor
パ ール
ア ド リア ノ ー プ ル の 和 議
of
・ハ ー バ ー (真 珠 湾 )
ア メ リ カ 合 衆 国 ハ ワ イ (Hawaii) 州 の 湾 。 オ ア フ (Oahu) 島 南 岸 、 ホ ノ ル ル (Honolulu) の 西 方10kmに
位 置 す る。 湾 口 が 狭 く、 湾 内 は 広 い 良 港 で 、
ア メ リ カ 海 軍 の 基 地 が あ る 。1941年12月8日
( ハ ワ イ で は7日
)、 日本 海 軍 の 奇
襲 攻 撃 に よ っ て ア メ リカ 軍 の 太 平 洋 艦 隊 に 大 打 撃 を 与 え 、 これ を 契 機 と して 太 平 洋 戦 争 (〓Pacific War) が 勃 発 、45年8月 Peel,
Sir
Robert(1788∼1850)
日 本 軍 降 伏 で 終 戦 を 迎 え る まで 続 い た 。
ピール
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 首 相 (任1834∼35、41∼46) (〓Conservative フ ォ ー
Party) の 創 設 者 。 ラ ン カ シ ャ
ド 大 学 (Oxford,
(〓Tories)
University
員 と し て 下 院 議 員 と な る 。12年
∼18年
ト リ ッ ク 解 放 に 反 対 し て 治 安 警 察 (police (Liverpool,
Robert
Banks
Jenkinson)
続 く ウ ェ リ ン ト ン (〓Wellington, け て 内 相 。32年 35年
第1次
(Lancashire)
of) 卒 業 後 、1809年
選 挙 法 改 正 (Reform
Laws)
force)
Wellesley)
50年
Law
League(
∼27年
内 閣 で も28年
リバ プ ー ル 内相 を務 め、 ∼30年
に か
∼46年
再 び 首相
∼ と
の 改 正 や 関 税 の 引 き 下 げ を 実 施 す る な ど、 イ ギ に は穀 物 法廃 止 案 を成 立 させ 、
を 推 進 し た が 、 党 内 反 対 派 の た め 首 相 を 辞 した 。
反 穀物 法同 盟)
北平 ( ホ クヘ イ)
〓Beijing(Peking:
Peking
を 設 置 し た。
、 馬 車 か ら の 転 落 とい う不 慮 の 死 を遂 げ た 。
〓Anti-Corn
Peiping
Trade)
トー リ ー 党
Bill) に 反 対 し て 下 野 し た が 、34年
リ ス 産 業 の 世 界 的 地 位 を 築 い た 。 さ ら に 、46年 全 面 的 自 由 貿 易 (〓Free
で
ア イ ル ラ ン ド総 督 に な り 、 カ
首 相 に 就 任 。 こ の 後 在 野 に あ っ て 保 守 党 を 創 設 し 、41年
な っ た 。 穀 物 法 (〓Corn
生 まれ。 オ ックス
、21歳
内 閣 に お い て 、22年
Arthur
。保 守 党
北京 )
北京 ( ベ イ ジ ン / ペ キ ン)
〓Beijing
Peninsular
War(1808∼14)
半 島戦 争 ナ ポ レ オ ン1世
(〓Napoleon
I) の イ ベ リ ア (Iberia) 半 島 侵
略 に 対 す る ス ペ イ ン 、 ポ ル トガ ル 人 の 民 族 独 立 解 放 戦 争 。1807年 は 大 陸 封 鎖 令 (Continental る ポ ル トガ ル を 占 領 。08年
Blockade:
、 ナポ レオ ン
イ ギ リス に 対 す る 市 場 閉 鎖 令 )に 抵 抗 す
兄 の ジ ョ セ フ ・ボ ナ パ ル ト (Bonaparte,
Joseph) を ス
ペ イ ン王 に 任 命 し た こ とに 端 を 発 し、 イ ギ リス の ス ペ イ ン 支 援 の も とで 全 国 的 蜂 起 へ と発 展 した 。 ス ペ イ ン の ゲ リ ラ は フ ラ ン ス軍 を 悩 ませ 、 全 盛 期 の ナ ポ レオ ン 没 落 の 原 因 と な っ た 。 ス ペ イ ン側 で は こ の 戦 争 を 独 立 戦 争 の 名 で 呼 ぶ 。
Perestroika
ペ レ ス トロ イ カ
ロ シ ア 語 で 改 革 、 革 命 を 表 わ す こ と ば 。 元 来 は 建 築 用 語 で 「立 て 直 し」と い っ た 意 味 。 ソ 連 ゴ ル バ チ ョ フ (〓Gorbachev,
Mikhail
Sergeyevich)
政権
の 基 本 方 針 で 、 政 治 ・経 済 ・社 会 ・生 活 ・文 化 に い た る す べ て の 領 域 に お け る改 革 を 指 す 。1970年 Leonid
代 後 半 か ら80年 代 前 半 に か け て の ブ レ ジ ネ フ (〓Brezhnev,
Ilyich)体 制 下 に 停 滞 した 、 ソ 連 社 会 を 全 面 的 に 抜 本 改 革 す る こ とで 、 大
国 ア メ リカ と対 等 の 地 位 を 確 保 し よ う と努 力 し た 。 しか し、 ソ 連 経 済 に 明 る い 兆 し は 見 え て こず 、 エ リ ツ ィ ン (Yeltsin, Boris) ら 急 進 改 革 派 か ら は 批 判 の 声 が 出 た。 〓Glasnost(
Permanent
グ ラ ス ノ ス チ)
Court
of
International
Justice
常 設 国際 司 法裁 判所 1921年
(〓Hague,
The)
に 設 置 さ れ た 、 国 際 連 盟 (〓League
オ
ラ
of Nations)
ン
ダ の
of Justice)
P〓tain,
Nations)
国 際 連 合
の 設 立 と と も に 、 国 際 司 法 裁 判 所 (〓International
Philippe(1856∼1951)
Court
ペ タン
フ ラ ンス の 軍 人 、 政 治 家 。 第1次 I)中 、1916年 英 雄 (a hero
ベ ル ダ ン の戦 い (〓Verdun, at Verdun) 」と称 さ れ た 。18年
反 乱 で は フ ラ ン ス 軍 司 令 官 を 務 め た 。39年
Battle
世 界大 戦 ( 〓World
元 帥 に な り、25年 ∼26年 ∼40年
France)
世 界 大戦 ( 〓World
War
War
of)で 名 声 を 得 、 「ベ ル ダ ン の のモロッコ
に は ス ペ イ ン大 使 と な り、 ド
イ ツ ・ イ タ リ ア に 接 近 す る ス ペ イ ン 総 統 フ ラ ン コ (〓Franco, 渉 に あ た っ た 。 第2次
Francisco)
との交
II)で ドイ ツ 占 領 下 に ビ シ ー 政 府
を 指 導 し、 対 独 協 力 を 行 っ た 。 戦 後 は 死 刑 を 宣 告 さ れ た が 終
身 刑 に 減 刑 さ れ 、 デ ュ ー (d'Yeu)島 に 監 禁 中 に 病 死 し た 。 Philip
グ
に 改 組 され た 。
Henri
(〓Vichy
ー
付 属 の 司法 機 関。
強 制 権 の な い 仲 裁 機 関 で あ っ た た め 、 実 効 力 は な か っ た 。46年 (〓United
ハ
II(1527∼98)
フ ェ リ ペ2世 ス ペ イ ン 王 (位1556∼98)
。 神 聖 ロ ー マ 帝 国 (〓Holy
Roman
Empire)
皇 帝 カ ー ル5世
(Karl V:
ス ペ イ ン 王 カ ル ロ ス1世Carlos
I) と ポ ル ト
ガ ル 王 女 イ ザ ベ ル (Isabel) の 子 。 父 王 よ り ス ペ イ ン 本 国 を は じ め 新 大 陸 植 民 地 、 ミ ラ ノ (Milano)
公 領 、 ナ ポ リ (Napoli) 王 国 、 シ チ リ ア (Sicilia)王 国 、 サ ル ジ ニ
ア (Sardinia)
王 国 、 フ ラ ン シ ュ コ ン テ (Franche
(Nederland)
を 相 続 。 一 方 、 母 方 か ら も ポ ル ト ガ ル 王 国 を 得 た 。1571年
ト の 海 戦 (Battle
of
Lepanto)
Comt〓
)、 ネ ー デ ル ラ ン ト レパ ン
で トル コ を 破 り、 東 方 貿 易 を 手 中 に納 め 、 ス ペ イ
ン 絶 対 王 政 の 黄 金 時 代 を 築 い た 。 熱 烈 な カ ト リ ッ ク教 徒 で あ っ た 王 は 、 た び た び 新 教 弾 圧 を 試 み た 結 果 、 財 政 圧 迫 を 招 き 、1588年
の ア ル マ ダ (Armada)
全 域 に
よ る海 上 権 の 消 失 が 国 力 衰 退 を 決 定 的 な もの と した 。
Philippines
フ ィ リピ ン
ア ジ ア 東 部 、 太 平 洋 (Pacific Ocean)
と南 シ ナ 海 (South
China
の 間 に あ る フ ィ リ ピ ン群 島 よ り成 る。 首 都 マ ニ ラ (Manila) 。 早 くか ら 中 国 ン ド ・ イ ス ラ ム 等 の 文 化 が 伝 わ っ て お り、14世
、 西 欧 人 と し て は じ め て マ ゼ ラ ン (Magellan,
1542年
ス ペ イ ン 皇 太 子 フ ェ リペ2世
ま れ た 。1899年 の 米 西 戦 争 (〓Spanish-American そ の 後 、 第2次 1946年
世 界大戦 ( 〓World
独 立 を 果 た し た 。92年
War
・イ
紀 以 来 イ ス ラム教 が浸 透 した。
1521年
(〓Philip
Sea)
Ferdinand)
が 来 航 し、
II)の 名 に 因 ん で 現 在 の 名 称 が 生 War) の 結 果 、ア メ リカ に 割 譲 。
II)中 に 日 本 軍 に 占 領 さ れ た が 、 戦 後
に な っ て ア メ リ カ 軍 が 撤 退 し た こ とか ら、 よ うや
く米 軍 駐 留 に 終 止 符 が 打 た れ た 。 〓p.332地
Picquart,
図〓 ( 現 代 の世界[国 名 と地 図])
Marie
Georges(1854∼1914)
ピ カ ー ル
フ ラ ン ス の 将 軍 。 情 報 局 長 時 代 、1894年
ドイ ツ へ の
軍 事 機 密 漏 洩 容 疑 で 投 獄 され た ド レ フ ュ ス の 無 罪 を 信 じ、 そ の 弁 護 に 大 き な 役 割 を 果 た す (ド レ フ ュ ス 事 件 :〓Dreyfus
Affair)。 そ の た め 軍 職 を 免 ぜ られ 自 ら も
投 獄 され た。 後 に ドレ フ ュ ス の 証 言 に よ っ て 釈 放 さ れ 復 権 。 ク レ マ ン ソ ー ( 〓Clemenceau, Pitt,
William-the
Georges
Eug〓ne
Elder(1708∼78)
Benjamin)
首 相 の 陸 軍 大 臣 も務 め た 。
大 ピ ッ ト
イ ギ リス の政 治 家。 オ ッ ク ス フォ ー University
of) 卒 業 。1735年
II) と 不 和 に な (〓Seven
Years
下 院 議 員 と な っ た が 、54年
り 、 軍 事 主 計 局 長 官 を 辞 職 。56年 War)
メ リ カ 独 立 革 命 (〓American Empire)
か ら63年
(George
ま で の7年
戦 争
期 に 国 務 大 臣 と して 戦 争 を 指 導 し、 イ ギ リ ス を勝 利 へ と
導 い た 。 戦 争 を 遂 行 さ せ る た め プ ロ イ セ ン (〓Prussia)
(British
ド 大 学 (Oxford,
国 王 ジ ョ ー ジ2世
War
の 建 設 を 図 っ た 。60年
of
Independence) ジ ョ ー ジ3世
に財政 援 助 す る一 方 、 ア に 反 対 (George
し て 大 英 帝 国
III)が 即 位 し た 後 、
61年 辞 職 。66年
連 立 内 閣 を 組 閣 し 、 伯 爵 に 叙 せ られ て 上 院 入 り し た が 、 反 動 化
し て 名 声 を 失 っ た 。 そ の 後 、 在 野 に して 政 府 批 判 を 続 け た 。 Pitt,
William-the
Younger(1759∼1806)
小 ピ ッ ト
イ ギ リ ス の 政 治 家 。 首 相 (任1783∼1801、1804∼ 06) 。 大
ピ
ッ ト (〓Pitt,
(Cambridge,
William-the
University
Elder)
of) に 学 び 、1781年
下 院 議 員 に 当 選 。82年
蔵 相 に 抜 擢 さ れ る と 、 翌83年
り 、 翌 年 の 総 選 挙 に も 大 勝 。 以 後17年 き に 即 応
し、
Democracy)
の 次
トー
男。
ケ ン ブ
に は24歳
の 若 さで 首 相 とな
間 に わ た って 政 権 を維 持 した。 時 代 の 動
リ ー 党 (〓Tories)
へ 転
じ て 「トー
リ ー 民 主 主 義 (Tory
」を 掲 げ 、 内 政 の 確 立 を 目 指 し て 自 由 貿 易 (〓Free
た 。 フ ラ ン ス 革 命 (〓French
リ ッ ジ 大 学
に 弁 護 士 か ら ホ イ ッ グ 党 (〓Whigs)
Revolution)
Trade)
の 拡 大 に 対 し て は 、93年
を採 用 し
ヨー ロ ッパ 諸
国 に よ る 対 仏 大 同 盟 (Coalition)
を 主 唱 し て 反 革 命 戦 争 を 指 導 し た 。1800年
ル ラ ン ド併 合 を 行 っ たが 、 カ
ト リ ッ ク解 放 運 動 を招
(〓George
III)と 対 立 し て01年
盟 を 組 織 し た が 、05年
辞 任 。04年
き、 国 王 ジ
再 び 首 相 に 返 り 咲 き 、 第3回
ア ウ ス テ ル リ ッ ツ の 戦 い (〓Austerlitz,
Battle
ア イ
ョ ー ジ3世 対 仏大 同 of) で 連 合
軍 が ナ ポ レ オ ン に 敗 れ た た め 、 失 意 の う ち に 引 退 した 。 翌 年 病 没 。
Pius
IX(1792∼1878)
ピ ウ ス9世
ロ ー マ教 皇 ( 位1846∼78)
。 ス ポ レ ト大 司 教 、 枢 機 卿 を 経 て
教 皇 位 (Pope) 。 自 由 主 義 者 で 、 は じ め は イ タ リ ア の 統 一 (リ ソ ル ジ メ ン ト : 〓Risorgimento) に 好 意 を 寄 せ て い た が 、 後 に 反 動 化 した た め 、 イ タ リ ア統 一 戦 争 (War 1869年
of the ∼70年
Italian Unification) で は 教 皇 領 (church
state)な ど を 失 っ た 。
に バ チ カ ン 宗 教 会 議 (Vatican Council) を 開 催 し、 イ タ リ ア統 一運
動 に 対 して 教 会 世 俗 権 の 維 持 と教 皇 首 位 権 を 決 議 し た が 、70年
に は イ タ リア軍
に よ っ て ロ ー マ を 占 拠 さ れ 世 俗 権 を ま っ た く失 っ た 。 そ の 後 も ロ ー マ が イ タ リ ア の 首 府 で あ る こ と を認 め な か っ た た め 、イ タ リ ア 国 王 との 間 で 対 立 関 係 が 続 い た 。 71年
ドイ ツ帝 国 ( 〓German
Empire)
が 成 立 す る と、 反 プ ロ テ ス タ ン ト中 央 党 支
援 に ま わ り、 カ トリ ッ ク 抑 圧 策 を と る ビ ス マ ル ク ( 〓Bismarck, 化闘争 ( 〓Kulturkampf) 〓Italy 〓p.282図
PLO
解5「 イ タ リ ア の統 一」
パ レスチ ナ解 放 機構
〓Palestine
Liberation
Otto
von) と文
を 起 こ して 対 立 す る な ど、 教 皇 の 地 位 強 化 に 努 め た 。
Organization
Poincar〓,
Raymond
Nicolas
Landry(1860∼1934)
ポ ア ンカ レ
フ ラ ン ス の 政 治 家 。 大 統 領 (任1913∼ 20) 。 弁 護 士 を 経 て 、1887年 以 来 共 和 派 代 議 士 と して 活 躍 し、93年 ∼95年 帝 国 主 義 的 対 立 の 激 化 す る 中 、1912年
∼13年
に文相 。
首 相 兼 外 相 と して 三 国 協 商
( 〓Triple
Entente) の 強 化 、 仏 陸 海 軍 の 強 化 に 努 力 した 。13年
第3共
Republic:
〓French
世界 大 戦 ( 〓World
War
Republic) の 第9代
大 統 領 に就 任 。第1次
I)で は 敗 北 主 義 を 克 服 し、 戦 勝 を実 現 した 。22年
ル ー ル地 方 ( 〓Ruhr)
の 占 領 を 強 行 して24年
和 政 (Third
再 び 首 相 とな り、 ドイ ツ ・
に 辞 職 。 後26年
に も首 相 兼 蔵 相 とな
り、 通 貨 の 安 定 や 財 政 立 て 直 し に 尽 力 した 。 Point
Four
Program
ポ イ ン ト ・フ ォ ア
1949年
、 ア メ リ カ の トル ー マ ン ( 〓Truman,
Harry
Shippe) 大 統 領 が 発 表 し た 発 展 途 上 国 援 助 計 画 。 年 頭 教 書 に 掲 げ た 施 策 の う ち 、 第4番
め に 示 さ れ た こ と か ら こ の 名 が あ る。50年
援 助 法 (Foreign Assistance の 相 互 安 全 保 障 法 (MSA: Poland
、 これ に も とづ い て対 外経 済
Act) の 制 定 を み た が 、 不 評 で 成 果 が あ が らず 、51年 Mutual
Security
Act) に 吸 収 さ れ た 。
ポー ラン ド 東 ヨ ー ロ ッ パ の 共 和 国 。 首 都 ワ ル シ ャ ワ (Warsaw) 。 住 民 の99%
ポ ー ラ ン ド人 で 、95%
が カ ト リ ッ ク 教 徒 。9世
が
紀 中 頃 統 一 国 家 が 成 立 し、14∼
16世 紀 の ヤ ゲ ロ朝 (Jagiellonowie) で は ハ ン ガ リー 、 リ ト ア ニ ア を 併 合 して 、16 世 紀 末 に は ヨ ー ロ ッ パ 最 大 の 王 国 と な っ た 。1572年 裂 か ら列 強 進 出 を 招 き、18世
ス ト リ ア に 三 度 に わ た っ て領 土 分 割 さ れ 、1795年 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I)後 、1918年
ポ ー ラ ン ド ・ ソ ビ エ ト戦 争 ( 〓Russo-Polish
滅 亡 した。 民 族 運 動 は 活発 で 、
共 和 国 と して 独 立 。20年
48年 共 産 党 が 第1党
世界 大戦 ( 〓World
War
に 躍 進 す る と、52年
春 か らの
War) で は 、 失 地 の 回 復 を 求 め て ロ
シ ア と交 戦 、 国 境 線 の確 定 に 成 功 した 。 しか し、33年 て 分 割 さ れ 、第2次
か ら選 挙 王 政 と な り国 内 分
紀 に 入 る と ロ シ ア 、 プ ロ イ セ ン (〓Prussia) 、 オ ー
ドイ ツ と ソ連 の 侵 入 に よ っ
II)後 ソ連 の 占 領 下 で 独 立 を 回 復 した 。 人 民 共和 国憲 法 が制 定 され た。 経 済 不
振 の 続 く な か 、80年 自主 管 理 労 組 「連 帯 (Solidarity)」が 東 欧 革 命 の 先 導 者 とな り 、 東 欧 初 の 非 共 産 勢 力 に よ る連 立 政 権 が 生 ま れ た 。 西 側 接 近 政 策 が 採 られ 、91年 ヨ ー ロ ッ パ 会 議 (〓Europe,
Council
〓European
Community)
準 加 盟 を成 し
し た 。2004年
欧 州 連 合 (EU: 〓European
of)加 盟 、 ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 (EC: 、92年
に は 旧 ソ連 兵 の 完 全 撤 退 を果 た
Union) 加 盟 。
〓p.278図
解1「 ベ ル サ イ ユ体制 下 の ヨー ロ ッパ 」
〓p.328地
図〓 ( 現代 の 世界[国 名 と地 図])
Polaris
ポ ラ リス ア メ リ カ 海 軍 が 開 発 し た 中 距 離 弾 道 ミ サ イ ル (IRBM:
Range
Ballistic
Missile)
い ら れ る 。1960年 Washington)
Pompidou,
の 名 称 。A-1型
、A-2型
Intermediate-
な ど の 種 類 を も ち 、 潜 水 艦 に用
、 ア メ リ カ の 原 子 力 潜 水 艦 「ジ ョ ー ジ
・ ワ シ ン ト ン 号 (George
」が は じ め て ポ ラ リ ス の 発 射 に 成 功 し た 。
Georges
Jean
Raymond(1911∼74)
ポ ン ピ ドゥー
フ ラ ン ス の 政 治 家 。 第5共 Republic:
〓French
Republic) の 第2代
大 統領 ( 任1969∼74)
和 政 (Fifth
。 エ コ ー ル ・ノ ル
マ ン卒 業 後 は マ ル セ イ ユ (Marseilles) や パ リの 高 校 教 師 を務 め て い た が 、 第2次 世 界 大 戦 (〓World Joseph
War
II)後 、 ド ・ ゴ ー ル (〓De
Marie) の 知 遇 を得 て 政 界 入 り。1954年
Bank) 総 裁 。58年 ( 〓Algerian
∼59年
Charles
Andr〓
ド ・ ゴ ー ル 首 相 の 官 房 長 官。 ア ル ジ ェ リ ア 戦 争
War) で は 停 戦 交 渉 で 和 平 に 功 績 を あ げ、62年
統 領 下 で 首 相 。68年5月 た が 、69年
Gaulle,
ロ ス チ ャ イ ル ド銀 行 (Rothschild
∼68年
ド ・ゴー ル大
パ リで起 こ っ た学 生 運 動 を鎮 圧 した後 、 首相 を辞 任 し
ド ・ゴー ル の 後 継 者 と して 大 統 領 に 選 出 され た 。 イ ギ リ ス の ヨ ー ロ ッ
パ 共 同 体 (EC:
〓European
Community)
加 盟 承 認 や フ ラ ン切 り下 げ な ど経 済 再
建 に成 果 を あ げ たが 、在 任 中 に病 死 。 Poor
Law
救貧法 16世 紀 以 来 、 イ ギ リス 封 建 社 会 の 解 体 に と も な っ て 生 じた 貧 民 を 救
済 し保 護 す る 目 的 で 施 行 さ れ た 法 律 。1563年 に よ る も の が 最 初 。 エ リザ ベ ス1世
イ ギ リ ス王 ヘ ン リー8世
(Elizabeth
I)が1601年
(Henry VIII)
に発 した救 貧 法 は、
従 来 の も の を 集 成 さ れ た 形 で 発 布 さ れ た 。 そ の 後 、何 度 か 改 正 され20世
紀 に至 っ
た が 、 養 老 年 金 制 ・失 業 法 ・国 民 保 険 法 ・国 民 扶 助 制 な ど の 確 立 に よ り、 近 代 的 な 社 会 保 障 制 度 へ と転 換 した 。 Popular
Front
人民 戦 線 1930年
代 半 ば、反 フ ァシ ズム 、反 戦 争 、 民主 主 義 勢 力 の統 一
を 目 指 し て 生 ま れ た 左 翼 運 動 。 共 産 党 を 中 心 に 、 労 働 者 ・農 民 ・中 産 階 級 ・知 識 人 の 参 加 を 呼 び か け 、35年 第7回 こ れ を 受 け て36年
コ ミンテ ル ン ( 〓Comintern)
大 会 で採 択 され た。
に フ ラ ンス とス ペ イ ンで 人民 戦 線 内閣 が 組織 され た が 、 大 き
な 成 果 は あ げ られ な か っ た 。 Population
problems
人 口問 題 1992年6月
て 国 連 環 境 開 発 会 議 (UNCED:
、 リ オ デ ジ ャ ネ イ ロ (Rio de United
Nations
Conference
on
Janeiro)
に お い
Environment
and
Development)
が開 催 され 、地 球環 境 の破 壊 に よる人類 生 存 の 危機 が表 明 さ
れ た 。 そ の 根 本 原 因 に 、 開 発 途 上 国 の 人 口 爆 発 問 題 と そ れ に 伴 う貧 困 が あ る こ と が 理 解 さ れ て い る。 一 方 、 こ れ と は 反 対 に 先 進 国 で は 超 低 出 生 率 に よ る 人 口 減 少 と高 齢 化 が 叫 ば れ て お り、 社 会 問 題 とな っ て い る 。 Portsmouth,
Treaty
of(1905)
ポー ツ マス 条約
1905年9月5日 結 に と も な っ て 締 結 (〓Roosevelt,
さ れ た 講 和 条 約 。 ア メ リ カ 大 統 領T・
Theodore)
ウ ィ ッ テ (〓Witte,
Sergei
Yulievich)
War
(New
Island)
Portuguese
ト
of
Independence)
州 の 南 東 部 に あ り、 ア メ リ カ 独 立 まで は 地 域 の 漁 業 基 地 だ っ た 。 ア メ ドア イ ラ ン
ド
の 各 州 に 同 じ地 名 が み られ る。
colonies
ポル
トガ ル の 植 民 地
1249年 (Reconquista:
ロ ー ズ ベ ル
終
が 出 席 してい る。 な お、 ポー ツ マス は ア メ
Hampshire)
リ カ 国 内 で も バ ー ジ ニ ア (Virginia) 、 オ ハ イ オ (Ohio) 、 ロ ー (Rhode
War)
の 提 唱 に よ り、 日 本 か ら は 小 村 寿 太 郎 、 ロ シ ア か ら は
リカ 、 ニ ュ ー ハ ン プ シ ャ ー 戦 争 ( 〓American
、 日 露 戦 争 (〓Russo-Japanese
、 ス ペ イ ン よ り も 約250年
早 くレ コン キ ス タ
イ ベ リ ア 半 島 に お け る キ リス ト教 徒 の 領 土 奪 回 運 動 )を完 了 し た
ポ ル トガ ル は 、15世 紀 に 入 る と エ ン リケ 航 海 皇 子 (Henry 下 、 積 極 的 に 海 外 へ 進 出 。1480年 を 開発 し、東 は中国
the Navigator) の 指 導
代 、 西 ア フ リカ の 金 取 引 を 元 手 に イ ン ド航 路
・ 日本 、 西 は ブ ラ ジ ル へ と勢 力 を 拡 大 した 。 ア フ リ カ の 金 、
ア ジ ア の 香 料 、ブ ラ ジ ル の 砂 糖 で 首 都 リ ス ボ ン (Lisbon)は 大 い に 栄 え た 。 しか し 、 ス ペ イ ン の 植 民 地 支 配 が 「面 の 支 配 」と す る な ら ば 、 ポ ル トガ ル の そ れ は 「点 の 支 配 」に す ぎ ず 、 次 第 に 他 の 西 欧 諸 国 の 後 塵 を 拝 す る こ と と な っ た 。17世
紀 以 来、
頼 み の 綱 で あ っ た ブ ラ ジ ル と の 取 り引 き も 、 ナ ポ レ オ ン 戦 争 ( 〓Napoleonic Wars) 以 後 沈 滞 。19世
紀 に 入 って ア フ リカ 植 民 地 開 発 が 活 発 化 し、 ア ン ゴ ラ
(Angola) ∼ モ ザ ン ビ ー ク (Mozambique)
を結 ぶ横 断政 策 を試 み た ものの 、 イ ギ
リ ス の 縦 断 政 策 の た め に 失 敗 に 終 わ っ た 。 と は い え 、 イ ギ リス と ドイ ツ の 対 立 を 巧 み に利 用 して 、 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II)後 も、 ア ン ゴ ラ 、 モ ザ ン ビ ー
ク の 他 に イ ン ド西 岸 の ゴ ア (Goa) を は じ め 、 マ カ オ (Macao) 、 東 テ ィ モ ー ル (〓East
Timor) な ど を 植 民 地 と し て 領 有 して い た 。1960年
代 に 入 る と植 民 地 解
放 戦 争 が 各 地 で 勃 発 し、 本 国 財 政 を 圧 迫 。 独 裁 政 権 が 倒 さ れ 内 政 が 自 由 化 さ れ た 74年 の 革 命 (リ ス ボ ン の 春
:Revolution
of Flowers) 以 来 、70年 代 は 植 民 地 独 立
が 相 次 い だ 。 な お 、 マ カ オ に 関 し て は99年 末 、 中 国 へ 返 還 され た 。
Potsdam
Conference(1945)
ポ ツ ダ ム会談 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II) 中 、 米
トル ー マ ン
(〓Truman,
Harry
Shippe)
ス タ ー リ ン (〓Stalin,
・ 英 チ ャ ー チ ル (〓Churchill,
Josef
Vissarionovich)
談 。 ド イ ツ 降 伏 後 の1945年7月17日
Sir Winston)
・ ソ連
に よ っ て 行 わ れ た 最 後 の3巨
∼8月2日
頭 会
、 ベ ル リン近 郊 の ポ ツ ダ ムで 行
われ た。 主 な テー マ は ドイツの 戦後 処 理大 綱 で あ っ た。 と りわ けポ ー ラ ン ドと ド イ ツ の 国 境 問 題 と 、 ドイ ツ か ら の 賠 償 金 取 り立 て 方 法 に 意 見 の 対 立 が み られ た 。 前 者 に 関 し て は ソ 連 の 主 張 ど お り、 オ ー デ ル
・ ナ イ セ 線 (〓Oder-Neisse
と され 、 後 者 に つ い て は 取 り 立 て 積 極 派 の ソ連 と経 済 復 興 を 望 む 米
Line)
・英 と で 折 り
合 わ ず 、 ドイ ツ 分 割 統 治 の 原 因 とな っ た と い え る 。 こ の 他 、 同 時 に 対 日方 針 も議 論 さ れ 、7月26日
ポ ツ ダ ム 宣 言 (〓Potsdam
Declaration)
ギ リ ス 代 表 の チ ャ ー チ ル は途 中 で ア ト リー
(〓Attlee,
を発 した。 なお 、 イ
Clement
Richard)
に交替
して い る 。
Potsdam
Declaration(1945)
ポ ツ ダム 宣言
第2次 日 、 ポ ツ ダ ム 会 談 (〓Potsdam 中国 の蒋 介 石 ( 〓Chiang
世 界 大 戦 (〓World Conference)
Kai-shek/Jiang
War
II)末 期 の1945年7月26
で協 議 され、 ア メ リカ とイギ リスが Jieshih) の 同 意 を 得 て 発 し た 対 日共 同
宣 言 。 日本 に戦 争 の 終 結 を 勧 告 し、 条 件 と して 軍 隊 の 無 条 件 降 伏 ・武 装 解 除 ・戦 犯 処 罰 ・民 主 主 義 の 確 立 ・領 土 規 定 ・連 合 国 に よ る管 理 な どが あ げ ら れ た 。 日本 も御 前 会 議 の 結 果 、8月14日
こ れ を 受 諾 し、8月15日
第2次
世 界 大戦 が終 結 し
た。 Premier
Empire
〓French
Premier
Empire(
Republic
〓French
Preparatory
フ ラ ン ス 第1帝
政
フ ラ ン ス帝政 )
フ ラ ン ス 第1共
Republic(
Disarmament
和政
フ ラ ン ス共和 政 )
Commission(1925∼32)
軍縮 会 議準 備 委 員 会
国際 連 盟 ( 〓League て 設 け られ た 、 ジ ュ ネ ー ブ 軍 縮 会 議 ( 〓Geneva
Disarmament
of Nations) に よ っ Conference)
の予
備 交 渉 機 関 。 国 際 連 盟 は 発 足 当 初 よ り軍 縮 に 力 を 入 れ 、 常 設 軍 事 諮 問 委 員 会 を設 置 した も の の 機 能 せ ず 、1925年12月
新 たに 軍 縮 会議 準備 委 員 会 を つ くった 。 特
筆 す べ き は 、 国 際 連 盟 に 加 わ ら な か っ た ア メ リ カ や ソ 連 、 ドイ ツ も 参 加 し た こ と で 、26年5月
ま ず 「軍 備 と は 何 か 」と い う と こ ろ か ら 審 議 が は じ ま っ た 。27年
に
入 る と 、 フ ラ ン ス か ら軍 縮 条 約 案 、 ソ連 か ら軍 備 全 廃 案 が 提 出 さ れ るが 、 各 国 利
害 の 思 惑 は か み 合 わ ず 成 果 は 得 ら れ な か っ た 。30年12月
よ う や く軍 事 予 算 制 限 、
兵 役 期 限 設 置 、 化 学 ・生 物 兵 器 使 用 禁 止 な ど を 骨 子 とす る 軍 縮 条 約 案 概 要 が 条 件 つ きで ま と ま り、 これ に も と づ い て32年2月
か ら34年 末 まで ジ ュ ネ ー ブ 軍 縮 会
議 が開催 され た。 Preussen
プ ロ イ セ ン (プ ロ シ ア )
〓Prussia
Prison
reform
監 獄改 革 イ ギ リス に お け る中世 以 来 の 非 人 道 的 監 獄 に関 して、 ベ ッ ド
フ ォ ー ドシ ャ ー 州 (Bedfordshire) 長 官 だ っ た ハ ワ ー ド( 〓Howard, に よ り、1774年
John) の 提 唱
下 院 で 決 議 さ れ た 監 獄 改 善 策 の こ と。 ま ず 、 起 訴 猶 予 と な っ た
囚 人 は 無 料 で 釈 放 され る こ と と し、 獄 吏 に 対 す る報 酬 の 支 払 い は 州 税 が あ て られ る こ と に な っ た 。 ま た 、 監 獄 の 壁 と天 井 は 最 低 限 年1回
掃 除 す る こ と、 病 人 に は
病 室 で 治 療 が 施 さ れ る こ と、 衣 服 の な い者 に は そ れ が 支 給 され る こ と な どが 約 さ れ た 。 ハ ワ ー ドは こ れ を 自 費 印 刷 し て 全 イ ン グ ラ ン ドへ と送 っ た の だ が 、 実 際 に は ほ と ん ど改 良 され な か っ た 。 近 年 、 サ ッ チ ャ ー ( 〓Thatcher,
Margaret
Hilda)
政 権 下 に お け る失 業 率 の 増 加 か ら犯 罪 も増 加 し、 監 舎 の 老 朽 化 も あ っ て 監 獄 職 員 の ス トラ イ キ が 発 生 し た 。 し か し、 政 府 は 改 善 策 に は 消 極 姿 勢 を 示 して い る。
Privatization
of
〓Industry,
Prohibition
industry
産 業 の民 営化
Privatization
of
Law(1919∼33)
禁酒 法
1919年
の ボ ル ス テ ッ ド法 (Volstead) と20年 の ア ル コ ー ル 製
造 ・販 売 ・輸 送 を 禁 じ た 憲 法 修 正 第18条
の こ と を 示 す 。1846年
合 衆 国 に お け る 道 徳 的 改 革 運 動 の 結 実 し た も の 。69年
Party) が 結 成 さ れ 、 当 時 の 婦 人 参 政 権 運 動 と 結 合 。93年 (American 違反
Anti-saloon
League)
以 来 、 ア メ リカ
、 禁 酒 党 (Prohibition に は反 酒 場 連 盟
が 発 足 し、26の 禁 酒 州 が 生 ま れ た 。 しか し、
・ 犯 罪 の 続 出 に 及 ん で 撤 廃 を 余 儀 な く さ れ 、33年
憲 法 修 正 第21条
が成 立 し
て 廃 止 とな った。 Protectionism
保 護 貿 易 主義 国 家 が 外 国 貿 易 に 対 し、 関 税 や 非 関 税 障 壁 な ど を 設 け て 制 限 を
加 え る こ とで 国 内 産 業 の 保 護
・育 成 を 図 る政 策 。19世 紀 ドイ ツ の 歴 史 学 派 経 済
学 者 リ ス ト (List, George (GATT: Trade)
〓General
Friedrich)
Agreement
の 提 唱 に よ る。 現 在 は 関 税 貿 易 一般 協 定
on
Tariffs
and
Trade)
で 自 由 貿 易 (〓Free
が 原 則 と され て い る が 、 例 外 的 に 各 国 に 保 護 貿 易 が 認 め ら れ て い る の が
実状 であ る。
Prussia/Preussen(1701∼1918)
プ ロ イセ ン
ド イ ツ 北 東 部 、 バ ル ト海 (Baltic 世 紀 か ら19世
降 ド イ ツ 騎 士 団 (Deutscher ブ ル グ (Brandenburg) 40年
Orden)
の 統 治 化 に お か れ 、1618年
von)
Years
War)
の 統 一 を 成 し遂 げ た 。 1918年
War
な ど で 領 土 を 拡 大 。1862年
が 首 相 に 就 く と 、66年
戦 争 (〓Franco-Prussian
Succession,
War)
王 国 と な り、
the) 、56年7年
普 墺 戦 争 (〓Austro-Prussian
Revolution)
戦
ビ ス マ ル ク (〓Bismarck, War)
、70年
で オ ー ス ト リ ア 、 フ ラ ン ス を 下 し 、71年
ドイ ツ 帝 国 (〓German
の ド イ ツ 革 命 (〓German
of
紀 以
に は ブ ラン デ ン
公 国 と 合 併 し て プ ロ イ セ ン 公 国 と な る 。1701年
オ ー ス ト リ ア 継 承 戦 争 (〓Austrian
争 (〓Seven Otto
Sea) 沿 岸 に あ っ た 王 国 で 、18
紀 後 半 に か け て ヨ ー ロ ッ バ の 強 国 と し て 勢 力 を 誇 っ た 。13世
Empire)
普 仏 ドイ ツ
成 立 後 も権 力 を 維 持 し、
まで存続 。
〓Germany 〓p.281図
解4「
ドイ ツ の 統 一 」
〓p.284図
解7「
ウィー ン体 制下 の ヨー ロ ッパ」
Punjab
パ ンジ ャ ブ地方 イ ン ド北 部 、 パ キ ス タ ン 中 北 部 の 地 方 。 地 名 の 由 来 は 古 代 ペ ル シ ア
語 の 「5つ の 川 」に あ り、 イ ン ダ ス 川 (Indus)と そ の5大 イ ン ダ ス 文 明 (Indus Civilization) 発 祥 の 地 。10世 し て き た 。18世
支 流 流 域 の 平 野 を 占 め る。
紀 頃 か らイス ラ ム文 化 圏 に属
紀 に は シ ー ク (Sikh)王 国 が 建 て ら れ た が 、19世 紀 に 入 っ て 二 度
イ ギ リス との 衝 突 に 敗 れ 、 イ ギ リ ス に 併 合 さ れ た 。1947年
、 イ ン ド ・パ キ ス タ
ン 分 離 独 立 に 際 し て 東 西 の パ ン ジ ャ ブ に 分 か れ る こ とに な り、 西 パ ン ジ ャ ブ は パ キ ス タ ン領 、 東 パ ン ジ ャ ブ は イ ン ド領 と な っ た 。 し か し 、 イ ス ラ ム 教 徒 と ヒ ン ズ ー教 徒 の対 立 か ら住民 の大 移 動が 生 じ、難 民 問題 や 略奪 、虐 殺 が 多発 した。 一 説 で は約25万
人 の 犠 牲 者 が で た と い う。 現 在 で も、 シ ー ク 教 徒 が 独 自 の 国 家 建
国 を 主 張 して テ ロ 活 動 を 繰 り返 す 地 域 で あ る。 〓India 〓Pakistan
Puritan
Revolution(1642∼60)
〓English
Revolution(
ピュ ー リタ ン革命
イ ギ リス革 命 )
Puyi,
Henry(1906∼67)
溥 儀 (ふ ぎ ) 中国
・ 清 朝 (Qing
dynasty)
最 後 の 皇 帝 (位1908∼12)
。帝 号は宣
統 帝 。 同 時 に 、 秦 (Chin)の 始 皇 帝 (Shih-huang-ti) 以 来 続 い た 中 国 帝 政 最 後 の 皇 帝 (the last Emperor) Revolution)
。1908年3歳
で 即 位 した が 、12年
で 清 が 滅 亡 す る と と も に 退 位 。24年
デ ターで 北 京 ( 〓Beijing/Peking) 変 (〓Manchurian
の辛 亥 革 命 ( 〓Chinese
馮 玉 祥 (Feng Yu-hsiang) の クー
を 脱 出 し、 日本 の 保 護 を 受 け た 。31年
Incident) に よ っ て 日 本 が 満 州 国 (Manchukuo)
翌 年 その 執 政 に 就 任 し、34年
同 国 皇 帝 とな っ た 。 第2次
して 裁 か れ た が 、59年
を建 て る と、
世 界大 戦 ( 〓World
II)終 戦 と と も に ソ 連 の ハ バ ロ フ ス ク 収 容 所 に 抑 留 さ れ た 後 、50年
満州 事
War
中国 で戦 犯 と
中 華 人 民 共 和 国 建 国10周 年 の 特 赦 で 釈 放 さ れ た 。 余 世 は
ま っ た くの 一 般 市 民 と して 過 ご し 、 「 悲 劇 の 皇 帝 」と も い わ れ る 。 姓 は 愛 親 覚 羅 。
Q Quebec
ケ ベ ック カ ナ ダ 、 ケ ベ ッ ク 州 の 州 都 。 セ ン ト ・ ロ ー レ ン ス (St. Lawrence)
岸 、 モ ン ト リ オ ー ル (Montreal) テ
ィ エ (Cartier,
Samuel
Jacques)
よ り280km下
流 。1535年
が 訪 れ た 後 、1608年
川北
フラ ンス の探 検 家 カ ル
シ ャ ン プ ラ ン (Champlain,
de) が 交 易 を 開 始 し て 以 来 、 フ ラ ン ス の 新 大 陸 植 民 地 ニ ュ ー フ ラ ン ス
(New
France)
続 く63年
の 首 都 。 英 仏 植 民 地 抗 争 の な か 、1759年
の パ リ 条 約 (〓Paris,
Treaty
ス 議 会 が ケ ベ ッ ク 州 の 境 界 を 拡 大 し た1774年 ア メ リ カ13植
イ ギ リス に 占 領 さ れ る。
of)で カ ナ ダ は イ ギ リ ス 領 と な る 。 イ ギ リ の ケ ベ ッ ク 条 例 (Quebec
Act) は 、
民 地 の 独 立 運 動 を 刺 激 す る こ と と な っ た 。 現 在 も 市 民 の9割
近 く
が フ ラ ン ス 系 カ ト リ ッ ク で あ る こ とか ら 、 た び た び 独 立 運 動 も起 こ っ て い る が 、 1980年
に 続 い て92年
に も この 案 は 投 票 の 結 果 否 決 さ れ て い る 。
〓Canada
Queen
Mary
ク ィ ー ン ・メ ア リー 号 イ ギ リ スの 大 西 洋 横 断 豪 華 客 船 。1930年
ブ ラ ウ ン 造 船 所 が 建 造 に 着 手 し 、36年
ク ラ イ ド河 畔 の ジ ョ ン ・
キ ュ ナ ー ド汽 船 会 社 に よ っ て 北 大 西 洋 航
路 に 処 女 航 海 。 当 時 は イ ギ リス 経 済 蘇 生 の 象 徴 と し て 喝 采 を あ び た 。38年
同航
路 の 航 海 で 、 一 定 区 間 を 最 高 速 で 航 走 した 船 舶 に 与 え ら れ る ブル ー ・リボ ン (Blue Ribbon) 賞 の 記 録 を 樹 立 し 、52年 まで 記 録 を 保 持 し た 。 第2次 War
II)中 は ク ィ ー ン ・ エ リザ ベ ス号 (Queen
と し て 使 用 さ れ る 。 戦 後 、47年 (Southampton)-ニ
世界 大 戦 ( 〓World
Elizabeth) な ど と と も に 軍 輸 送 船
よ り再 び 客 船 と して サ ウ サ ン プ ト ン
ュ ー ヨー ク (New York) 間 に 就 航 した が 、航 空 機 の 発 達 に よ り、
67年 ア メ リカ に 売 却 。現 在 、 カ リ フ ォ ル ニ ア 州 の ロ ン グ ・ビ ー チ (Long Beach) で 、 ホ テ ル 兼 海 事 博 物 館 と し て 使 用 さ れ て い る。 な お 、 第1次 War
I)中 、16年
の ユ トラ ン ト沖 海 戦 (〓Jutland,
世 界 大 戦 (〓World
Battle of)で ドイ ツ軍 に 砲 撃 さ
れ て 沈 没 し た イ ギ リ ス の 巡 洋 戦 艦 に も 、 「ク ィ ー ン ・メ ア リー 号 」と い う 名 が つ け られ て い る。
Quisling,
Vidkun(1887∼1945)
クビ ス リン グ
ノ ル ウ ェ ー の 政 治 家 。 軍 人 出 身 で 、1933年 党 (Nasjonal
Samling/National
Unity)
国 家 社 会主 義 的 政
を 結 成 。 ナ チ ス (〓Nazis)
と も 通 謀 し、
ド イ ツ の ノ ル ウ ェ ー 占 領 を 助 け て 独 裁 者 の 地 位 に 。 第2次 War
世 界 大 戦 (〓World
II)後 、 死 刑 に 処 され た 。 彼 の 名 前 は 売 国 ( 裏 切 り)行 為 の 意 味 に 使 わ れ る。
R Racial
problems
人種問題 19世 紀 の 末 、 帝 国 主 義 (〓imperialism)
の 時 代 に ヨー ロ ッパ
列 強 の 植 民 地 支 配 を 正 当 化 す る イ デ オ ロ ギ ー と して 、 人 種 偏 見 が 広 ま っ た と こ ろ に 深 く由 来 す る 。20世 紀 に 入 り、 ドイ ツ の ナ チ ズ ム (〓Nazism) を 掲 げ て 迫 害 し た こ とは 有 名 。 第2次
世 界大 戦 ( 〓World
War
が 反 ユ ダヤ 主義 II)後 、 こ う し た
過 激 な 人 種 問 題 は 少 な く な っ た とは い え、 完 全 に な くな っ た わ け で は な い 。 1965年
第20回
国 連 総 会 で 人 種 差 別 撤 廃 国 際 条 約 (International
the Elimination
of All Forms
of Racial
Discrimination)
Convention
on
が 満場 一 致 で 決議 され
た に も か か わ ら ず 、 南 ア フ リ カ に お け る 人 種 隔 離 政 策 、 い わ ゆ る ア パ ル トヘ イ ト ( 〓Apartheid) Racial
problems
が よ うや く廃 止 さ れ た は 、1991年 in Germany
人 種 問 題 (ド イ ツ) 第2次
( 〓Nazis)
の こ とで あ る 。
世 界 大 戦 (〓World
War
II)中 、 ナ チ ス
に よ る ユ ダ ヤ 人 (Jews)迫 害 は あ ま り に も 有 名 だ が 、1960年
ら は 右 翼 勢
力 の 国 家
Deutschlands/National
民 主
Democratic
党 (NPD: Party
台 頭 し た 。 近 年 、 ヨ ー ロ ッパ 共 同 体 (EC:
Nationaldemokratische of Germany)
〓European
代後半か Partei
が地 方 選 挙 を 中心 に
Community)
統合 の進 展
や 東 側 陣 営 の 崩 壊 に 伴 う社 会 不 安 を 材 料 に 、 民 族 的 ア イ デ ン テ ィ テ ィ が 高 ま り、 ネ オ ・ ナ チ ズ ム (Neo-nazism)
な ど と い わ れ る極 右 勢 力 が 伸 長 して い る 。 外 国 人
労 働者 排 除 や難 民 の排 斥 に よ る「 秩 序 の 維 持 」を 主 張 し、 若 者 や 失 業 者 、 零 細 自 営 業 者 な ど を 支 持 者 に し て い る 。1992年
に は、戦 後 の復 興 期 以 来 ドイ ツ に在 住 し
て い た ト ル コ 人 ま で も が 放 火 さ れ る に 至 り、 トル コ 人 に よ る デ モ 活 動 が 発 生 し た。 Racial
problems
in USA
人 種 問題 ( ア メ リカ) 「人 種 の る つ ぼ (a melting
pot)」な ど とい わ れ る ア
メ リカ に は、 ヒスパ ニ ッ クや ア ジア 系 ア メ リカ人 、 さ らに 白人 内で も アイ ル ラ ン ド系 ・ユ ダ ヤ 系 ・イ タ リ ア 系 ・ポ ー ラ ン ド系 な どの マ イ ノ リテ ィが 多 数 存 在 して い る。 元 来 こ う し た 多 人 種 社 会 を 誇 り と し て き た は ず の ア メ リ カ だ が 、1920年 代 に は 白 人 優 位 を 主 張 す るKKK(
〓Ku
Klux
Klan) が 伸 張 した 。 そ の 後 、50年
頃 か ら は 黒 人 に 対 す る差 別 撤 廃 を す す め る 公 民 権 運 動 (Civil Rights
Movement)
代
が 盛 り上 が り を み せ 、60年 代 に 入 る と ア メ リ カ 先 住 民 イ ン デ ィ ア ン を 中 心 に 「レ ッ ド ・ パ ワ ー (Red Power) 」が 叫 ば れ た 。 近 年 で は 、 中産 階 級 化 す る黒 人 も 増 え て お り 、黒 人 内 部 の2極
分 化 とい う新 た な 問 題 も生 じ て い る。 白 人 警 官 に よ
る 黒 人 暴 行 事 件 に無 罪 の 判 決 が 下 っ た こ と に 対 し て 、92年4月29日
に 発 生 した
ロ サ ン ゼ ル ス 暴 動 (LA Riot) は 、 主 に 韓 国 系 住 民 に被 害 が 集 中 す る な ど 、 単 に 白 人 対 黒 人 の 図 式 で は解 決 で き な い 、 多 人種 共 存 の 中 に 潜 在 す る 問 題 の 深 刻 さ、 複 雑 さ を 改 め て 浮 き彫 り に し た と い え る 。 Rahman,
Tungku
Abdul(1903∼90)
ラ ーマ ン
マ レ ー シ ア の 政 治 家 。 マ レ ー シ ア 連 邦 初 代 首 相 (任 1963∼70) University
。1919年
イ ギ リ ス に 留 学
し、 ケ ン ブ
リ ッ ジ 大 学 (Cambridge,
of) 卒 。 帰 国 後 、 マ レ ー 人 学 生 協 会 を 指 導
(〓World
War
Organization) (〓British
II)後 、 統 を結成
一マ レ ー 国 民 組 織 (UMNO:
し、1951年
Commonwealth)
し た 。 第2次
United
Malays
に は そ の 党 首 に 就 い た 。57年
、 マ レ ー シ ア 連 邦 (Federation
も に 首 相 と な っ た 。69年
National
、 イ ギ リス 連 邦
内 の 独 立 国 、 マ ラ ヤ 連 邦 (Federation
首 相 兼 外 相 に 就 任 。63年
世 界 大 戦
of Malaya)
of Malaysia)
の
の発 足 と と
中 国 系 住 民 と マ レ ー 人 の 対 立 か ら 党 内 分 裂 を 招 き 、70
年 首 相 を 辞 任 。 「マ レ ー シ ア の 父 」と も 呼 ば れ る 。 〓Malaysia
Rajk,
L〓szl〓(1909∼49)
ラ イ ク
ハ ン ガ リ ー の 政 治 家 。 ブ タ ペ ス ト大 学 に 在 学 中 、 共 産 党 の 非 合 法 組 織 と 接 触 が あ り 、1931年
入 党 。37年
に 参 加 し 、41年
世 界 大 戦 (〓World
帰 国 。 第2次
を 指 導 し た が 、44年
の ス ペ イ ン 内 戦 (〓Spanish
逮 捕 さ れ た 。 戦 後46年
War
Civil
に は 内 相 、49年
に は外 相 を歴任 。 し
か し 、 当 時 ソ 連 中 心 の 国 際 共 産 主 義 に 反 発 し て ス タ ー リ ン (〓Stalin, Vissarionovich) 49年
と 衝 突 し て い た テ ィ ト ー 主 義 (〓Titoism)
処 刑 さ れ た 。 ス タ ー リ ン の 死 後56年
War)
II) 中 は 対 ド イ ツ 抵 抗 運 動
Josef
の 同 調 者 とさ れ て、
に 、 名 誉 回 復 され て い る 。
〓Hungary
Rapallo,
Treaty
of
ラパ ロ条約 (1)1920年11月
ウ メ (〓Fiume/Rijeka)
:イ タ リ ア と ユ ー ゴ ス ラ ビ ア が 結 ん だ フ ィ
に 関 す る条 約 。 両 国 間 の 係 争 の地 で あ っ た フ ィ ウ メ の 一
部 を ユ ー ゴ領 と し 、 他 を 独 立 自 由 国 と す る こ とを 定 め た 。 (2)1922年4月 Genoa)
: ジ ェ ノ バ 世 界 経 済 会 議 (World
の折 、 イ タ リア
Economic
Conference
at
・ ジ ェ ノ バ近 郊 の 町 ラパ ロ に お い て ドイ ツ と ソ 連 の 間 で
結 ば れ た 条 約 。 当 時 、 ベ ル サ イ ユ 体 制 (〓Versailles
system)
下 で 圧 迫 され て い
た 両 国 は 英 仏 に 対 抗 す る 意 味 か ら 、 外 交 ・領 事 関 係 の 即 時 再 開 、 通 商 ・経 済 関 係 に お け る最 恵 国 待 遇 、 相 互 賠 償 請 求 権 の 放 棄 な ど を 約 した 。 ジ ェ ノ バ 世 界 経 済 会 議 で は 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I)後 の ヨ ー ロ ッ パ 経 済 に つ い て そ の 復 興
計 画 が 協 議 さ れ た が 、 ラ パ ロ 条 約 に よ っ て ソ連 と ドイ ツ が 接 近 した こ と以 外 に 見 るべ き成 果 は な く、 失 敗 に 終 わ っ た 。 Rasputin,
Grigory
Efimovich(1871∼1916)
ラ ス プー チ ン
ロシ アの修 道僧 。 シベ リア貧 農 の 出で 、 各地 の 修 道 院 を 遍 歴 し た 後 、1905年
ニ コ ラ イ2世
(〓Nicholas
II)の 皇 太 子 の 病 を 治 し
た こ とか ら、 皇 帝 と ドイ ツ 出 身 の 皇 后 の 信 任 を得 て 宮 廷 に 入 り こ み 、 勢 力 を も っ た 。 ツ ァ ー リ ズ ム (tsarizm: 専 制 君 主 権 力 )強 化 の た め 、 親 独 派 と 結 ん で ドイ ツ の た め に 第1次
世 界大 戦 ( 〓World
War
I)の 講 和 策 を 企 て た が 、 戦 争 反 対 派 貴
族 の 一 派 に よ って 暗殺 され た。 Reagan,
Ronald
Wilson(1911∼2004)
レー ガ ン
ア メ リ カ の 政 治 家 。 第40代 ノ イ (Illinois) 州 出 身 で 、1937年 66年
∼64年
カ リ フ ォ ル ニ ア (California)
の 間 に 俳 優 と し て50本
州 知 事 と な り 、70年
大 統 領 選 挙 で は 共 和 党 (Republican リ カ の 夢 」を 掲 げ て 現 職 の カ ー タ ー
大 統 領 (任1981∼89)
。 イ リ
もの 映 画 に出 演。
に は 再 選 さ れ た 。80年
の
Party) か ら 出 馬 し 、 「強 い ア メ リ カ 」 「ア メ (〓Carter,
James
Earl) を 破 り 当 選 。 内 政 で
は 大 幅 減 税 、 社 会 福 祉 予 算 削 減 、 規 制 緩 和 な ど供 給 重 視 の 経 済 政 策 、 い わ ゆ る レ ー ガ ノ ミ ッ ク ス (Reaganomics)
を 展 開 し、 イ ン フ レ 抑 制 に は 一 応 の 効 果 を み
た 。 し か し 同 時 に 、 戦 略 防 衛 構 想 (SDI:
〓Strategic
Defense
Initiative)
き く 国 防 予 算 を 増 や し た 。 こ の 結 果 、 貿 易 と 財 政 の 「双 子 の 赤 字 (twin を抱 え こんで し まっ た。 外交 で は、 反 共
・強 硬 路 線 を と り、 場 合 に よ っ て は 第3
世 界 の 反 共 ゲ リ ラ も 支 援 し た 。 し か し 、86年
レ イ キ ャ ビ ッ ク (Reykjavik)
れ た 米 ソ 首 脳 会 談 に よ り 対 ソ 関 係 は 大 き く 好 転 。 翌87年 戦 力 全 廃 条 約 (〓INF,
Renunciation
of
War,
Treaty
Treaty
な ど大
deficits) 」
で行 わ
ワ シ ン ト ンで 中距 離 核
of) が 締 結 さ れ た 。
for
the(1928)
パ リ不 戦 条 約
ケ ロ ッ グ ・ブ リ ア ン 協 定 の こ と 。 〓Kellogg-Briand
Reparation
problem
Pact
ドイツ賠 償 問題 第1次
世界大戦 ( 〓World
War
I)後 、 ドイ ツ の 連 合 国 に
対 す る 賠 償 支 払 い に 関 す る諸 問 題 で 、1920年 代 最 大 の 国 際 問 題 とい え る 。1912年 、 賠 償 総 額 は ベ ル サ イ ユ 条 約 (〓Versailles,
Treaty
of)に も とづ き1320億
金 マル ク
と さ れ た が 、 ドイ ツ に は これ を 支 払 う能 力 が な く、23年 に は フ ラ ン ス に よ る ル ー ル 地 方 (〓Ruhr) ( 〓Dawes
占 領 を 招 い て ド イ ツ 経 済 は 破 局 に 瀕 し た 。24年
Plan) 、30年
れ た が 、 結 局31年
の ヤ ン グ 案 (〓Young
フーバ ー
( 〓Hoover,
バー・ モ ラ ト リ ア ム (〓Hoover た 。 翌32年
の ドー ズ 案
Plan) に よ っ て 賠 償 の 緩 和 が 図 ら
Herbert
Moratorium)
Clark) 米 大 統 領 に よ っ て フ ー
が 出 さ れ 、1年
に は ロ ー ザ ン ヌ会 議 ( 〓Lausanne
Conference)
間 の支 払延 期 とな っ で大 幅 な 削減 が な さ
れ る に 至 っ た 。 しか し 、 こ の 直 後 に ヒ ト ラ ー ( 〓Hitler, Adolf) が 政 権 を 握 り、 賠 償 問 題 は 消 滅 さ せ ら れ る の だ が 、 そ の ひ と つ の 背 景 に 、 賠 償 金 支 払 い に関 す る連 合 国 側 の 強 硬 姿 勢 に 対 し て ドイ ツ 国 民 の 不 満 が あ っ た こ と も否 定 で き な い 。 Representation
of the People
Act(1918)
人 民代 表 法
1918年 法 で 、21歳
に 成 立 した イ ギ リ ス 最 初 の 普 通 選 挙
以 上 の 全 青 年 男 子 と30歳 以 上 の 婦 人 に も選 挙 権 が 拡 張 さ れ た 。 こ の
結 果 新 た に 参 政 権 を 得 た 女 性 の 数 は 約850万
人 に の ぼ っ た 。28年
に は 、21歳
以
上 の 男 女 す べ て に 対 して 普 通 選 挙 権 が 認 め ら れ た 。
Restoration
王政 復 古 < イ
Revolution: ら1660年
ギ
リ ス >1660年
〓English
∼88年
Revolution)
: ピ ュ ー
に 崩 壊 。 代 わ っ て チ ャ ー ル ズ2世
(Charles
〓English
< フ ラ ン ス >1814年
Revolution) ∼30年
年 に ブ ル ボ ン (Bourbon) 旧 貴 族
と資 本 家
Revolution)
Rhineland
名 誉 革 命 (Glorious
が起 こって専 制政 治 は終結 す る。
: ナ ポ レ オ ン1世
朝 の ル イ18世
・ 労 働 者 階 級
命 (Puritan
II)が 王 位 に つ い て 王 政 が 復
活 し た 。 国 政 は 次 第 に 王 権 絶 対 へ と 逆 戻 り し た た め 、88年 Revolution:
リ タ ン 革
に よって成 立 した共 和政 が、 内政 の 混乱 か
(Louis
(〓Napoleon
I) が 没 落 し た1814
XVIII)に よ る 王 政 が 復 活 し た こ と 。
と の 対 立 が 深 ま り、30年
に7月
革 命 (〓July
で 蜂 起 した パ リ市 民 に 倒 さ れ た 。
ラインラン ト ドイ ツ 、 ラ イ ン 川 中 部 及 び 下 部 沿 岸 地 帯 の 総 称 。 フ ラ ン ス 領 で あ っ
た ナ ポ レ オ ン時 代 (1804∼15) に 近 代 化 が 進 み 、 ナ ポ レ オ ン (〓Napoleon 脚 後 の 善 後 策 が 話 し合 わ れ た ウ ィ ー ン 会 議 ( 〓Vienna に プ ロ イ セ ン領 とな っ た 。1919年 イ ユ条 約 ( 〓Versailles,
Treaty
占 領 に ゆ だ ね られ た 。30年 は 撤 兵 し た が 、36年 Treaties (〓World
第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I)後 の ベ ル サ
Plan) の 成 立 に 伴 っ て 連 合 国 側
・ ド イ ツ (〓Nazis) は ロ カ ル ノ 条 約 (〓Locarno,
of)を 破 棄 して 軍 隊 を 進 駐 し、 戦 略 上 の 優 位 を 得 た 。 第2次 War
I)失
の 後 、1815年
of)で 、 ラ イ ン左 岸 は 非 武 装 化 され 、 連 合 国 側 の
の ヤ ン グ 案 (〓Young
ナチス
Congress)
世界大 戦
II)後 は 一 時 北 と南 に分 割 さ れ 、 北 は イ ギ リス 占領 地 区 に 、 南 は
フ ラ ン ス 占領 地 区 と され て い た 。 〓p.281図
解4「
ドイ ツ の統 一」
〓p.278図
解1「
ベ ル サ イ ユ体 制 下 の ヨ ー ロッパ 」
Rhodes,
Cecil
John(1853∼1902)
セ シ ル ・ロ ー ズ
イ ギ リス の植 民 地 政 治 家。 牧 師 の 子 と して 生 ま れ た が 、 1870年
南 ア フ リ カ へ 移 住 。 ロ ス チ ャ イ ル ド財 閥 (The
フ リカ の 金
Rothschilds)
植 民 地 (〓Cape
Colony)
首 相 と な る 。90年
ズ の 名 か ら ロ ー デ シ ア 植 民 地 (〓Rhodesia) 共 和 国 (〓Transvaal 失 脚 。 第2次
Republic)
∼93年
∼96年
トラン スバ ー ル
に対 して侵 略 戦 争 を行 い 、 内外 の 非 難 を浴 び て
ブ ー ル 戦 争 (〓Boer
University
ケー プ
、 中央 ア フ リカ を征 服 。 ロー
を 形 成 。95年
Wars)
中 、 ケ ー プ タ ウ ン (Cape
南 ア フ リカ政 策 は本 国 政 府 に 引 き継 が れ た。 オ ッ クス フ ォー
Rhodesia
と結 ん で 南 ア
・ ダ イ ヤ モ ン ド産 業 を 独 占 。 そ の 資 金 力 を 背 景 と し て 、90年
Town)
で病 死 。
ド 大 学 (Oxford,
of) へ 多 額 の 資 金 を 寄 贈 し た こ と で も 知 ら れ る 。
ロー デ シア ア フ リ カ 南 部 の 内 陸 地 に あ っ た イ ギ リ ス植 民 地 。 元 来 ア ラ ブ 商 人 や ポ
ル ト ガ ル 人 ら に よ っ て 貿 易 対 象 品 の 略 奪 地 と な っ て い た 。19世 ベ ル ギ ー 、 イ ギ リ ス な ど が 侵 入 し た が 、 結 局1889年 Cecil
John)
が イ ギ リ ス 南 ア フ リ カ 会 社 (British
て 征 服 。95年
セ シ ル
South
を 境 に 南 ロ ー デ シ ア (〓Rhodesia,
抗 に あ い 、63年
〓p.283図
Rhodesia
〓Central
Rhodesia,
、 ザ ン ベ ジ (Zambezi)
川
と 北 ロ ー デ シ ア (〓Rhodesia,
に 南 北 ロ ー デ シ ア とニ ヤ サ ラ ン ド
北 ロ ー デ シ ア は ザ ン ビ ア 共 和 国 (Republic
of
に 独 立 し ジ ン バ ブ エ 共 和 国 (Republic
とな った 。 解6「
and
を率 い
を 形 成 。 し か し、 白 人 中 心 の 国 家 だ っ た た め 黒 人 住 民 の 反
解 体 。64年
と し て 独 立 。 南 ロ ー デ シ ア は80年
of Zimbabwe)
Company)
現 マ ラ ウ イ 共 和 国 )が 合 体 し て 中 央 ア フ リ カ 連 邦 (〓Central
Federation)
Zambia)
Southern)
に 分 け ら れ た 。 そ の 後 、53年
(Nyasaland: African
Africa
、 彼 の 名 に ち な ん で 「ロ ー デ シ ア 」と 命 名 さ れ た 。 そ の 後 、 鉄 道 建
設 や 金 鉱 発 見 も 加 わ り 、 急 速 に 開 発 が 進 ん だ 。1911年
Northern)
紀 後 半 に 、 ド イ ツ、
・ ロ ー ズ (〓Rhodes,
ア フ リ カ の分 割」
Nyasaland,
African
Northern
Federation
Federation(
of
ロ ー デ シ ア ・ニ ヤ サ ラ ン ド 連 邦
中央 ア フ リカ連 邦 )
北 ローデ シア 南 部 ア フ リカ の 北 辺 に 位 置 し て お り、 現 在 の ザ ン ビ ア 共 和
国 。18世 1889年
紀 の ポ ル ト ガ ル 人 遠 征 に 続 い て 、19世
紀 後 半 に は イ ギ リ ス が 侵 入 し、
、 鉱 山 採 掘 の た め 北 ロ ー デ シ ア 全 域 を 支 配 下 に お い た 。1924年
直 轄 植 民 地 と な る 。25年 デ シ ア (〓Rhodesia,
に 発 見 さ れ た 銅 山 の 収 入 を 目 的 と し て 、53年
Southern)
、 イ ギ リ ス 領 ニ ヤ サ ラ ン ド (Nyasaland:
ウ イ 共 和 国 )と と も に 中 央 ア フ リ カ 連 邦 (〓Central し た が 、63年
イ ギ リス には南 ロー
解 体 。 翌64年10月24日
African
現 マ ラ
Federation)
ザ ン ビ ア 共 和 国 (Republic
を結 成
of Zambia)
と し
て独 立 した。 〓Zambia
Rhodesia,
Southern
南 ローデ シ ア ア フ リ カ 南 部 の 内 陸 に 位 置 して お り、 現 在 の ジ ン バ ブ エ 共 和
国 。1889年 53年
以 来 イ ギ リ ス の 支 配 下 に 入 り 、1923年
イ ギ リスの 自治植 民地 とな る。
に は 北 ロ ー デ シ ア 、 ニ ヤ サ ラ ン ド (Nyasaland:
央 ア フ リ カ 連 邦 (〓Central
African
Federation)
織 だ っ た た め 黒 人 ア フ リ カ 人 の 抵 抗 が 強 く 、63年 別 政 策 を 継 承 し た ま ま65年 70年
解 体 。 南 ロー デ シ アは 人種 差
独 立 を 宣 言 し た た め 、国 連 の 経 済 制 裁 の 対 象 と な っ た 。
共 和 政 へ 移 行 。 内 戦 を 経 て 、79年
ハ ウ ス 会 議 (〓Lancaster
現 マ ラ ウ イ 共 和 国 )と の 中
が 成 立 。 し か し、 白 人 優 位 の 組
House
て ジ ン バ ブ エ 共 和 国 (Republic
イ ギ リス の調 停 に よ っ て ラ ン カ ス タ ー ・
Canference) of
が 開 か れ 、 翌80年
Zimbabwe)
独 立 選挙 に よっ
と して イ ギ リス よ り正 式 に 独 立 し
た。 〓Zimbabwe
Riga,
Treaty
of(1921)
リガ条 約 1921年3月
War)
。 ポ ー ラ ン ド
・ ソ ビ エ ト 戦 争 (〓Russo-Polish
後 の 両 国 の 国 境 に 関 す る 条 約 。 西 部 ウ ク ラ イ ナ (Ukraine)
(White
Russia)
(〓World
War
世 界 大 戦
II)開 始 と 同 時 に ソ 連 が 同 地 域 に 進 入 、 占 領 し た 。 リ ガ は 現 在 の
ラ ト ビ ア (〓Latvia)
Risorgimento
、 西 部 白 ロ シ ア
の 領 有 が ポ ー ラ ン ド に 認 め ら れ た 。 し か し 、 第2次
の首 都 。
リ ソ ル ジ メ ン ト (イ タ リ ア 統 一 運 動 ) 19世 紀 イ タ リ ア に 起 き た 独 立 を 求 め る 統 一 運 動 の こ と を い う 。
中 世 以 降 、 小 国 の 分 立 状 態 と 外 国 の 支 配 が 続 い て い た イ タ リ ア で は 、1789年 ら の フ ラ ン ス 革 命 (〓French (〓February
Revolution)
義 運 動 が 起 こ っ た 。1848年
Revolution)
や1848年
の フ ラ ン ス2月
の 影 響 で 、 自 由 主 義 (〓liberalism)
か 革 命
に も と づ く民 族 主
以 降 、 オ ー ス ト リ ア を 相 手 に サ ル ジ ニ ア (Sardinia)
王 国 を 中 心 と し て イ タ リ ア 統 一 戦 争 (War 年 に は ロ ン バ ル ジ ア (Lombardia)
of the
を 奪 回 し 、61年
Italian
Unification)
を 展 開 。59
イ タ リ ア 王 国 を 樹 立 した 。 そ
の 後 、70年
ま で に は ベ ネ チ ア (Venezia)
と ロ ー マ 教 皇 領 (church
state) の 併 合 に
成 功 し、 イ タ リ ア の 統 一 は完 成 し た 。 〓Italy 〓Pius
IX(ピ
〓p.282図
ウ ス9世) 解5「
Rome-Berlin
イ タ リ ア の 統一 」
Axis
ベ ル リ ン ・ロ ー マ 枢 軸 ナ チ ス
(〓Fascist
Party)
・ ド イ ツ (〓Nazis)
と フ ァシ ス タ
と の 間 に 協 定 さ れ た 、 フ ァ シ ズ ム (〓fascism)
た 政 治 的 提 携 。1936年10月
、 国 際 連 盟 (〓League
of
・ イ タ リ ア
強 化 を 目的 と し
Nations)
、 イ ギ リス 、 フ
ラ ン ス、 ソ 連 に 対 抗 す る こ とを 約 す る議 定 書 が 調 印 さ れ 、 ム ッ ソ リ ー ニ (〓Mussolini,
Benito)
が イ タ リ ア と ド イ ツ を 称 し て 「枢 軸 (the
の が 由 来 。 後 に 日 本 も 含 め て 、 日 独 伊 三 国 同 盟 (〓Tripartite
Axis) 」と 呼 ん だ
Pact) へ と 発 展 し 、
枢 軸 国 を 形 成 し て い く。 〓Axis(
Rome,
枢 軸 国 )
Treaty
of(1957)
ロ ーマ条 約
1957年 ダ 、 ル ク セ ン ブ ル ク の6カ 体 (EEC: 〓European 一 の 共 同 市 場 を12年 に 新
Rommel,
Community)
し た 。EECは
、68年7月
∼41年
ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 (EC:
ロ ン メル
ド イ ツ の 軍 人 。 第1次
40年
に
とな った。
Erwin(1891∼1944)
ナ チ ス (〓Nazis)
に 発 効 し た 「ヨ ー ロ ッ パ 経 済 共 同
Economic Community) を 設 立 す る 条 約 」。EECと い う単 間 で 完 成 す る こ とを 第一 目的 と して お り 、 戦 後 の 国 際 経 済
し い 活 力 を 導 入
〓European
に フラ ンス 、西 ドイツ 、 イ タ リア、 ベ ル ギー 、 オ ラ ン 国 で 調 印 さ れ 、58年
党 員 と な り1938年
世 界 大 戦 (〓World
ヒ ト ラ ー (〓Hitler,
フ ラ ン ス や 北 ア フ リ カ な ど を 転 戦 し 、42年
War Adolf)
I) に 参 加 し た 後 、 の親 衛 隊 長 とな る。
に 元 帥 。44年
、 ドイ ツ 防
衛 軍 総 司 令 官 とな っ た が 、 ヒ トラ ー 暗 殺 未 遂 事 件 に加 担 した と して 同 年 ヒ ト ラ ー に よ っ て 自殺 さ せ ら れ た と い う 。
Roosevelt,
Franklin
Delano(1882∼1945)
フ ラ ン ク リ ン ・ロ ー ズ ベ ル
ア メ リ カ の 政 治 家 。 第32代 45) 。
ニ
University)
ュ ー
ヨ ー
ク (New
York)
州 生
、 コ ロ ン ビ ア 大 学 (Columbia
ま れ。
ハ
University)
転 じ て ニ ュ ー ヨ ー ク 州 上 院 議 員 と な る (1911∼13) Woodrow)
ー バ
ト
大 統 領 (任1933∼ ー
ド 大
学 (Harvard
で法 律 を修 め 、弁護 士か ら 。 ウ ィ ル ソ ン (〓Wilson,
大 統 領 の と き 、 海 軍 次 官 に 任 命 さ れ 、1920年
民 主 党 (Democratic
Party)
の 副 大 統 領 候 補 と な る が 落 選 。 小 児 麻 痺 で 一 時 政 界 か ら 退 い た が 、29年
ニ ュ ー ヨ ー ク 州 知 事 と し て 復 活 。32年 (Republican
Party) の フ ー バ ー
慌 (〓Great
Depression)
Clark)
を破 り当選。 世 界 恐 Deal) 政 策 に 着 手
進 し た 。 一 方 、 外 交 で は30年
(〓Hoover,
・復 興 事 業 、 産 業 統 制 、 農 業 調 整 な ど の 政 策 を 推
代 末 ま で は 中 立 を保 ち つ つ 、 い わ ゆ る 善 隣 外 交 を
世 界 大 戦 (〓World
真 珠 湾 (〓Pearl
Harbor)
Herbert
War
II)で は 連 合 国 を 援 助 し て い た が 、41年
Roosevelt,
し つ つ 、 カ イ ロ (Cairo) 、 テ ヘ ラ ン
、 ヤ ル タ (Yalta) の 諸 会 談 に も 出 席 し 、 国 際 連 合 (〓United
の 基 盤 を 固 め た 。44年
、 大 統 領4選
Theodore(1858∼1919)
1881年
York)
∼84年
セ オ ドア ・ロ ー ズ ベ ル ト 大 統 領 (任1901∼09)
市 生 ま れ 。 ハ ー バ ー ド 大 学 (Harvard
共 和 党 (Republican
一 時 政界 を離 れ た が
Nations)
を果 た したが、 翌 年 、急逝 。
ア メ リ カ の 政 治 家 。 第26代 ヨ ー ク (New
Party)
、 ハ リ ソ ン (Harrison,
。 ニ ュ ー
University)
卒 業 後 、
の ニ ュー ヨー ク州下 院 議 員 とな っ た。 Benjamin)
大 統 領 の 官 吏 制度 改革 委
員 に 任 命 さ れ る と 、97年
か ら は 海 軍 次 官 と な る 。 米 西 戦 争 (〓Spanish-American
War)
ニ ュ ー ヨ ー ク 州 知 事 。1900年
に 功 を た て 、99年
た が 、01年
の
奇襲 を機 に軍 事 面 で 指導 力 を 発揮 した。 また、 戦 後 の
平 和 構 想 に 尽 力 し、 ソ 連 と の 協 調 を 重 視 (Teheran)
と な り、 共 和 党
対 策 と し て ニ ュ ー ・ デ ィ ー ル (〓New
し、 財 政 支 出 の 拡 大 に よ る救 済
展 開 。 第2次
に は民 主 党 大 統 領 候 補
マ ッ キ ン レ ー (〓McKinley,
William)
副 大 統 領 候 補 と して 当 選 し
大統 領 暗殺 に ともな い大 統領 へ
昇 格 。 独 占 企 業 合 同 (trusts)の 抑 制 、 資 源 保 存 、 鉄 道 運 賃 の 規 制 な ど に 当 た っ た 。 外 交 で は 、 モ ン ロ ー 主 義 (〓Monroe (Carribean Canal) War)
建 設 権 を 得 た 。04年
Party)
・ ナ シ ョ ナ リ ズ ム (New
を 結 成
(Democratic
Table
を 拡 大 解 釈
再 選 さ れ る と 、 翌05年
を 調 停 し 、 ノ ー ベ ル 平 和 賞 (Nobel
に 「ニ ュ ー
Round
Doctrine)
し て カ リ ブ 海
Sea) へ 進 出 し 、 パ ナ マ の 独 立 を 助 け て パ ナ マ 運 河 (〓Panama
して 大 統 領 選 Party)
Peace
日 露 戦 争 (〓Russo-Japanese Prize) を 受 賞 し た 。 引 退 後12年
Nationalism)
」を 旗 印 に 革 新 党 (Progressive
に い ど み、 共 和 党 以 上 の 票 を 集 め た が 、 民 主 党
ウ ィ ル ソ ン (〓Wilson,
Conference(1930∼32) 第1次
Woodrow)
イギ リ ス
に敗 北 。
・イ ン ド 円 卓 会 議
世 界 大 戦 (〓World
War
I) 後 、 イ ン ドの 反 英
主 義 を 抑 え る た め 、 イ ギ リ ス の 政 党 代 表 と イ ン ド代 表 と の 間 で ロ ン ド ン に お い て 3回
に わ た っ て 行 わ れ た 会 議 。 第1回
9月
∼12月
。 第3回
は32年11月
国 民 会 議 派 (〓Indian Mohandas
Karamchand)
National
∼12月
は1930年10月
∼31年1月
に 開 催 さ れ た 。 第2回
Congress)
。 第2回
代 表 と して ガ ン ジ ー
が 出 席 し た が 、 残 り の 前 後2回
は31年
会議 に は、 イ ン ド (〓Gandhi,
は イ ン ド国 民 会 議 派 不
在 の ま ま 開 か れ た た め に 、か え っ て イ ン ド の 不 統 一 性 を 浮 き 彫 り に し て し ま っ た 。
こ れ ら の 会 議 結 果 が33年 (〓Government
に 白 書 と し て ま と め ら れ る と、35年
の イ ン ド統 治 法
of India Act) に 組 み 込 ま れ て 成 立 の 運 び とな っ た 。
〓India
Ruhr
ル ール 地方 ドイ ツ 北 西 部 に あ る ヨ ー ロ ッパ 最 大 の 鉱 工 業 地 帯 。19世 紀 の 後 半 か ら 発
展 し、 ド イ ツ 経 済 を 動 か し た 。 第1次 賠 償金 支 払不 履 行 ( 〓Reparation
世 界 大 戦 (〓World
problem)
War
を 口実 に 、1923年
I)後 、 ドイ ツ の フ ラ ン ス ・ベ ル ギ ー
に 占 領 さ れ た 。 ドイ ツ 住 民 は 官 民 一 体 で サ ボ タ ー ジ ュ戦 術 に 出 た た め 、 イ ン フ レ ー シ ョ ン が 激 化 し た 。24年 の 撤 退 が 決 定 、25年
ドー ズ 案 ( 〓Dawes
Plan) 成 立 を う け て フ ラ ン ス 軍
完 了 し た 。 現 在 で も、 エ ッセ ン (Essen)や デ ュ ッセ ル ドル フ
(Dusseldorf) は ル ー ル 地 方 の 中 心 都 市 と して 存 在 す る。 Rumania
ル ーマ ニ ア ヨ ー ロ ッパ 南 東 部 に 位 置 し、バ ル カ ン (Balkan)半 島 北 東 部 を 占 め る 。
首 都 は ブ カ レ ス ト(Bucharest) 。2世
紀 に ロ ー マ 帝 国 (Roman
Empire) 領 とな っ
て 以 来 、 ス ラ ブ (Slavs)、 ゲ ル マ ン (Germans) 、 マ ジ ャ ー ル (Magyars) 等 の 諸 民 族 に 征 服 さ れ 、13∼14世 (Wallachia) の2侯
紀 に ル ー マ ニ ア 人 が モ ル ダ ビ ア (Mordavia)
国 を 建 国 。1856年
得 る と 、露 土 戦 争 (〓Russo-Turkish マ ニ ア 王 国 とな っ た 。 第1次
パ リ条 約 ( 〓Paris,
Treaty
・ワ ラ キ ア
of)で 自治 権 を
War) に 乗 じ て77年 独 立 を 宣 言 し、81年 ル ー
世界大戦 ( 〓World
が 、 戦 後 も 民 族 問 題 な どが 続 い た 。 第2次
War
I)で は 連 合 国 側 に つ い た
世界大戦 ( 〓World
国 (〓Axis) 側 に つ い て ドイ ツ に 接 近 し た が 、1944年
War
II)で は 枢 軸
ソ連 に 敗 北 し、 共 産 党
・社
会 党 勢 力 が 伸 長 し た 。47年 に は王 制 を廃 して 人 民 共 和 国 を 宣 言 。 ソ 連 ・ 東欧 ブロッ ク の 一 員 で あ っ た が 、 社 会 主 義 体 制 崩 壊 の な か 、89年 流 血 革 命 で チ ャ ウ シ ェ ス ク (〓Ceausescu,
Nicolae) 体 制 か ら イ リエ ス ク (Iliescu, Ion)体 制 に移 行 。 同 時
に 国 名 か ら 「共 和 国 (Republic) 」が 削 除 さ れ た 。2007年 〓European Union) に 加 盟 。 〓p.328地 Russia
に 欧 州 連 合 (EU:
図〓 ( 現代 の世 界[国 名 と地図])
ロ シア 旧 ソ 連 、 現 在 の 独 立 国 家 共 同 体 (CIS:
Independent
〓Commonwealth
of
States) の う ち 、 ロ シ ア 連 邦 を構 成 す る最 大 の 共 和 国 。 ヨ ー ロ ッパ
か ら シ ベ リ ア ま で 、 東 西9000kmに
も及 ぶ 。 首 都 は モ ス ク ワ (Moscow)
。4∼6
世 紀 に か け て ス ラ ブ 民 族 (Slavs)が こ の 地 に 入 り、 ドニ エ プ ル (Dnieper) 川 上 流 に 公 国 が 生 ま れ た 。13世 公 国 (Grand
Duchy
紀 に は モ ン ゴ ル の 侵 入 を 受 け た が 、 次 第 に モ ス ク ワ大
of Moscow)
が 伸 長 し、1480年
イ ワ ン3世
(Ivan III) が独立
を 果 た し て 専 制 君 主 制 を は じ め た 。 イ ワ ン4世 す め ら れ 、17世
(Ivan IV) の 頃 シ ベ リ ア 開 拓 も す
紀 に 成 立 し た ロ マ ノ フ (Romanov)
朝 は 、 ピ ョ ー ト ル1世
(Pyotr
I) の 時 代 に 絶 対 王 制 を 極 め る 。 そ の 後 、 封 建 制 の も と で 農 奴 制 (serfdom) 化 さ れ 、 国 内 の 近 代 化 に 手 間 取 っ た 。1853年 の ク リ ミ ア 戦 争 (〓Crimean (Emancipation
of
消 さ れ ず 、70年 1904年
the
War)
に 敗 北 。 こ れ を 機 に 、61年
農 奴 解 放 令
Serfs) を 発 す る な ど 近 代 化 に 努 め た が 、 農 民 の 不 満 は 解
代 に は 人 民 主 義 運 動 が 起 こ っ た。
、 極 東 へ の 進 出 を 目 指 し て 日 露 戦 争 (〓Russo-Japanese
War)
た が 、 翌 年 敗 戦 、 同 時 に 皇 帝 へ の 不 満 を 募 ら せ た 民 衆 に よ っ て 第1次 (〓Russian 1917年
が強
トル コ へ の 進 出 を も く ろ ん だ は ず
Revolution)
が 起 こ っ た 。 第1次
世 界 大 戦 (〓World
、 革 命 運 動 に よ っ て レ ー ニ ン (〓Lenin,
が 成 立 し 、300年
Vladimir
間 に わ た っ た ロ シ ア 帝 国 (Russian
エ ト社 会 主 義 共 和 国 連 邦 (USSR:
Union
of Soviet
た 。 近 年 、 ゴ ル バ チ ョ フ (〓Gorbachev, カ 政 策 (〓perestroika)
Mikhail
に よ る 独 立 国 家 共 同 体 (CIS:
Empire) Socialist
I) 中 の
が 崩 壊 。22年 Republics)
Sergeyevich)
ソ連 は 分離 、解 体
Commonwealth
War
Ilyich) の 共 産 主 義 政 権
が 硬 直 化 した共産 党 体 制 を打 破
協 力 を 必 ず し も 得 ら れ ず 、91年12月
を起 こ し
ロシ ア革 命
ソ ビ
が誕 生 し
の ペ レス トロ イ
した も の の 、 各 共 産 国 の ・消 滅 し、緩 や か な結 束
of Independent
States) へ と 移 行
し た 。 しか し、 共 和 国 間 の イ ニ シ ア チ ブ 争 い 、 民 族 問 題 、 市 場 経 済 導 入 に と も な う 混 乱 な ど新 た な難 問 が 山 積 し て い る。 〓Balkan
Question(
バ ル カ ン問題 )
〓Eastern
Question(
〓p.279図
解2「19世
〓p.278図
解1「
ベ ル サ イ ユ 体 制 下 の ヨー ロ ッパ 」
〓p.285図
解8「
第1次
〓p.331地
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Russian
東 方問 題) 紀中 頃の バ ル カ ン情 勢」
Revolution(1905,
世 界 大戦 の背 景」
1917)
ロ シア革 命
ロ シ ア 帝 国 (Russian
Empire)
を倒 した、世 界 史 上 初 の社 会
主義 革 命。 < 第1次 1月
ロ シ ア 革 命 >1905年
: 日 露 戦 争 (〓Russo-Japanese
、 首 都 サ ン ク ト ペ テ ル ブ ル ク (St. Petersburg)
の 労 働 者14万 Sunday)
人 が 軍 隊 に 狙 撃 さ れ 、3,000人
(October
中 の1905年
以 上 が 死 傷 し た 。 血 の 日 曜 日 (Bloody
と呼 ば れ る こ の 事 件 を 契 機 に 、 労 働 者 の ゼ ネ ス トが 全 国 に 波 及 し て 市 民
革 命 へ と 発 展 。 同 年12月 < 第2次
War)
で議 会 の召 集 を 求 めて 行進 中
の 武 装 蜂 起 が 政 府 に 鎮 圧 さ れ て 、 革 命 は 失 敗 に終 わ る 。
ロ シ ア 革 命 >1917年 Revolution)
:2月
革 命 (February
Revolution)
が あ る が 、 史 上 初 の 社 会 主 義 革 命 で あ る10月
を 指 す 場 合 が 多 い 。 ロ シ ア 歴 の2月
、10月
が3月
、11月
と10月
革 命
革 命 の こ と
に相 当 す る こ とか ら、
3月 革 命 、11月
革 命 と も い わ れ る 。 第1次
世 界大 戦 ( 〓World
国 主 義 世 界 の 矛 盾 を 深 め た ロ シ ア 社 会 に お い て 、17年3月
War
I)に よ り帝
(ロ シ ア 歴2月
)に 婦
人 労 働 者 を 中 心 に 食 料 危 機 に 対 す る 民 衆 デ モ が 起 こ り、 これ が 全 国 に 拡 大 して 革 命 と な り軍 隊 と衝 突 。 兵 士 の 反 乱 に ま で 発 展 して ニ コ ラ イ2世 が 退 位 。300年
に も及 ん だ ロ マ ノ フ (Romanov)
ブ ル ジ ョ ワ ジ ー (Bourgeoisie:
( 〓Nicholas
市 民 階 級 )に よ る臨 時 政 府 が 成 立 し、 兵 士 ・労 働
者 に よ る ソ ビエ ト (Soviet: 評 議 会 )と の 二 重 権 力 状 態 が 生 ま れ た 。 同 年4月 命 先 か ら戻 っ た ボ リ シェ ビ キ ( 〓Bolsheviks: レ ー ニ ン (〓Lenin,
Vladimir
II)
王 朝 支 配 が 終 わ っ た。 そ の後 、
、亡
革 命 的 社 会 民 主 主 義 者 )の 指 導 者
Ilyich)は 、 す べ て の 権 力 を ソ ビ エ トに 集 中 させ る
こ とを 説 い た 「4月 テ ー ゼ (April Theses) 」を 発 表 。 的 確 な 指 導 に よ っ て ソ ビ エ ト 内 で の 勢 力 拡 大 に 成 功 し 、11月7日
(ロ シ ア 暦10月
)臨 時 政 府 を 打 倒 して 社 会 主
義 政 権 を 樹 立 した 。 Russo-German
Non-aggression
Pact(1939)
独 ソ不 可 侵条 約
第2次 1939年
世 界 大戦 ( 〓World
、 ドイ ツ外 相 リ ッベ ン トロ ー プ (Ribbentrop,
委 員 モ ロ ト フ (〓Molotov,
Vyacheslav
ミュ ンヘ ン会 談 ( 〓Munich
Conference)
政 策 (Appeasement
Joachim)
Mikhailovich)
War
II)直 前 の
と ソ連 外 務 人 民
の 間 で 結 ば れ た条 約 。
に よ るイ ギ リス ・ フラ ン スの対 独 宥 和
policy) に 乗 じ て 、 ヒ ト ラ ー ( 〓Hitler, Adolf) は39年
チェ
コ ス ロ バ キ ア を 併 合 し、 ポ ー ラ ン ド進 出 を 目 前 に して い た 。 イ ギ リ ス ・フ ラ ン ス 両 国 は 態 度 を 改 め 、 ソ連 へ の 接 近 を 試 み た が こ れ は 失 敗 に 終 わ っ た 。 ソ 連 の ス タ ー リ ン (〓Stalin,
Josef
Vissarionovich)
は 切 迫 した 戦 争 を 前 に 時 間 を 稼 ぐ意
味 か ら 、 一 方 ド イ ツ の ヒ ト ラー も イ ギ リ ス ・フ ラ ン ス と の 交 戦 前 に 東 方 の ソ連 と の 協 調 関 係 を 望 む と い う 思 惑 か ら、 両 国 に 妥 協 の 余 地 が 生 じ 、 条 約 の 締 結 と な っ た 。 こ の 条 約 成 立 の1週
間 後 、 ヒ ト ラ ー の ポ ー ラ ン ド侵 攻 が は じ ま り、 第2次
界 大 戦 が 勃 発 す る 。 有 効 期 間 は10年 間 と さ れ て い た の だ が 、41年
世
の独 ソ戦 で 破
棄 さ れ る こ と とな る 。 Russo-Japanese
War(1904∼05)
日露 戦 争
ロ シ ア の 極 東 へ の 南 下 政 策 と、 日 本 の 朝 鮮 政 策 を め ぐ る両 国 の 衝 突 。 日清 戦 争 ( 〓Sino-Japanese て い た ロ シ ア は 、1895年 遼 東 半 島 (Liaodong
War) 後 、 イ ギ リ ス と の 対 立 を 深 め
フ ラ ン ス ・ドイ ツ と と も に 日本 に 対 し て 三 国 干 渉 を 行 い 、
Bandao)
を 清 へ 返 還 す る よ う要 求 、 満 州 ( 〓Manchuria)
略 の 糸 口 と し よ う と した 。1900年
の義 和 団 事件 ( 〓Boxer
侵
Rising) 以 来 、 ロ シ ア
の 勢 力 は 朝 鮮 半 島 に も 及 ぶ よ う に な っ た た め 、04年 、 日 英 同 盟 (〓AngloJapanese
Alliance) を 背 景 に 日 本 は ロ シ ア に 宣 戦 し た。05年
に は 東郷 平 八 郎率
い る連 合 艦 隊 が ロ シ ア の バ ル テ ィ ッ ク艦 隊 に圧 勝 し優 勢 と な っ た が 、 日本 の 国 力
で は 戦 争 継 続 は 無 理 で あ っ た 。 一 方 、 ロ シ ア も ロ シ ア 革 命 (〓Russian Revolution)
に と も な う 国 内 情 勢 の 悪 化 か ら 、 ア メ リ カ 大 統 領T・
(〓Roosevelt, Treaty
Theodore)
の 斡 旋 を 受 け て 、05年
ロ ーズ ベ ル ト
ポ ー ツ マ ス 条 約 (〓Portsmouth,
of) が 成 立 し た 。 以 後 ロ シ ア は 西 へ 転 じ て バ ル カ ン (Balkan)
半 島へ 南 下、
ま た 日本 は 大 陸 進 出 の 機 を うか が う こ と に な る。
Russo-Polish
War(1920∼21)
ポ ー ラ ン ド ・ ソ ビ エ ト戦 争
第1次
世 界 大 戦 (〓World
て 独 立 を 獲 得 し た ポ ー ラ ン ド は 、1920年
War
I) 後 、 連 合 国 の 支 持 に よ っ
フ ラ ン ス の 支 持 も あ っ て 、18世
紀 旧 王
国 時 代 に 奪 わ れ た 失 地 の 回 復 を 求 め て 内 乱 中 の ソ ビ エ ト ・ロ シ ア へ 侵 入 。 キ エ フ (Kiev) ま で 攻 め 入 っ た が 、 赤 軍 (Red レ ー ニ ン (〓Lenin, Davidovich) (Warsaw)
Vladimir
Ilyich)
Army:
は 革 命 家
一時 は
ソ 連 陸 軍 )も 反 攻 を 開 始 す る 。 トロ ツ キ ー
(〓Trotsky,
Lev
ら の 慎 重 論 に も か か わ ら ず 進 軍 を 続 け た もの の、 ワ ル シ ャ ワ 郊 外 で フ ラ ン ス 支 援 の ポ ー ラ ン ド軍 に 敗 れ た 。 そ の 後 、 膠 着 状 態 が 続
い た が 、21年3月
ウ ク ラ イ ナ (Ukraine)
境 を 確 定 す る こ と で 、 リ ガ 条 約 (〓Riga,
と 白 ロ シ ア (White Treaty
国 は ひ と ま ず 国 内 構 築 に 向 か っ た が 、 第2次
Russia)
を 折 半 して 国
of) が 成 立 し た 。 こ の 結 果 、 両
世 界 大 戦 (〓World
War
II)で 領 土
問 題 が 再 燃 した 。 〓Poland
Russo-Turkish
War(1877∼78)
露 土 戦 争 (ロ シ ア ・ ト ル コ 戦 争 )
バ ル カ ン (Balkan) ル コ (〓Ottoman
Empire)
の ス ラ ブ 系 民 族 (Slavs) が オ ス マ ン
の 弾 圧 に 対 し て 起 こ し た 反 乱 を 機 会 に 、1877年
を も く ろ む ロ シ ア が こ れ を 支 援 し て 開 戦 。 ト ル コ が 完 敗 し た 。 戦 後 、78年 ス テ フ ァ ノ 条 約 (〓San
Stefano,
Treaty
・ト 南 下
に サ ン ・
of)が 結 ば れ 、 ロ シ ア は ブ ル ガ リ ア の 領
土 を 拡 大 して これ を 保 護 下 に お い た 。 しか し、 ロ シ ア の 進 出 を 恐 れ る オ ー ス ト リ ア 、 イ ギ リ ス の 反 対 に あ い 、 ド イ ツ の 首 相 ビ ス マ ル ク (〓Bismarck, の 調 停 に よ っ て78年
ベ ル リ ン 会 議 (〓Berlin,
ア は バ ル カ ン進 出 に 失 敗 し た 。 〓p.279図
解2「19世
紀 中頃 の バ ル カ ン情勢 」
Congress
Otto
von)
of) が 開 か れ 、 結 局 ロ シ
S Saar(Saarland)
ザ ー ル地 方 フ ラ ン ス と ドイ ツの 国境 地 帯 に あ る ヨー ロ ッパ 有 数 の 鉱 工 業
地 帯 。 石 炭 な ど の 重 要 資 源 を 産 出 。 仏 独 間 で 長 年 領 有 の 争 い が 続 い た が 、1957 年 に 西 ドイ ツ に 帰 属 。 〓p.278図
Sadat,
解1「
Mohammed
ベ ル サ イ ユ体 制下 の ヨー ロ ッパ 」
Anwar(1918∼81)
サ ダ ト エ ジ プ トの 軍 人 、 政 治 家 、 大 統 領 (任1970∼81)
ナ セ ル (〓Nasser,
Gamal
Abdel)
。
大 統 領 急 死 後 、 大 統 領 に就 任 。 対 イ ス ラ エ ル 闘
争 を 演 じ た ナ セ ル と は 異 な る 路 線 を う ち だ し、 イ ス ラ エ ル と の 和 平 に 努 め 、 1979年3月
に エ ジ プ ト
・ イ ス ラ エ ル 平 和 条 約 (Egypt-Israel
Peace
結 し た 。 し か し 、 ア ラ ブ 強 硬 派 か ら 裏 切 り と み な さ れ 、81年
Treaty)
を締
カ イ ロ (Cairo) に て
イス ラム原 理主 義 者 に暗 殺 された 。 〓Egypt
Saigon
サ イゴ ン ベ ト ナ ム 南 部 コ ー チ シ ナ (Cochin
ン ス 軍 が 占 領 。62年
た 。 現 在 の ホ ー ・ チ ・ ミ ン 市 (〓Ho 〓Viet
Saint
China)
の サ イ ゴ ン 条 約 (Treaty Chi
Minh
の 中 心 都 市 で 、1859年
of Saigon)
フ ラ
に よ りフラ ンス領 とされ
City) 。
Nam
Germain,
Treaty
of(1919)
サ ン ・ジ ェ ル マ ン 条 約
1919年9月
、 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I) 後
の 連 合 国 対 オ ー ス ト リ ア の 講 和 条 約 。 オ ー ス ト リ ア 領 域 内 で ポ ー ラ ン ド、 チ ェ コ 、 セ ル ブ ・ク ロ ア ー ト ・ス ロ ベ ー ヌ (Serb ハ ン ガ リ ー が 独 立 し た 。 ま た 、18世
Croat
Slovene:
ユ ー ゴ ス ラ ビ ア の 前 身 )、
紀 後 半 以 来 、 イ タ リア が オ ー ス トリ アか ら
の 奪 回 を 目 指 し て い た “未 回 収 の イ タ リ ア (Italia irredenta)
”と 呼 ば れ る 一 連 の 地
帯 を イ タ リ ア に 割 譲 し た 。 これ に よ っ て オ ー ス ト リア は 面 積 に減 少 。 〓Paris
Peace
〓Versailles
Settlement( system(
パ
リ講 和 会 議 )
ベ ル サ イ ユ体 制 )
・人 口 が 約4分
の1
〓p.278図
Salazar,
解1「
Ant〓nio
ベ ル サ イ ユ 体 制 下 の ヨ ー ロ ッパ 」
de
Oliveira(1889∼1970)
サ ラザ ール ポ ル トガ ル の 政 治 家 、 首 相 (任1932∼68)
首 相 就 任 後 に 国 家 統 一 党 (Portuguese (〓fascism)
National
Union)
と カ ト リ ッ ク の 精 神 に も と づ く 憲 法 を 発 布 、事
め た 。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
実 上 の独 裁政 をは じ
II)で は 中 立 を 表 明 し つ つ も 、 連 合 国 側 を
支 援 。 戦 後 は ア メ リ カ に 接 近 し て 北 大 西 洋 条 約 機 構 (NATO: Treaty
Organization)
Salisbury,
Robert
。
を 組 織 し、 フ ァ シ ズ ム
〓North
Atlantic
に も加 盟 し た。
Gascoyne-Cecil(1830∼1903)
ソール ズベ リ
イ ギ リ ス の 政 治 家 、 首 相 (任1885∼92、95∼ 1902)
。1881年
に 保 守 党 (〓Conservative
Party)
の 党 首 に 就 任 、85年
以 後3回
組 閣 し、 大 半 を 外 相 と兼 任 し た。 ア フ リ カ 分 割 を 推 進 し た ほ か 、 対 外 関 係 に お け る 孤 立 政 策 と し て 「光 栄 あ る 孤 立 (〓Splendid 1902年
の 日 英 同 盟 (〓Anglo-Japanese
Isolation)
Alliance)
」を 維 持 し て い た が 、
に よ っ て そ の 政 策 を 放 棄 し た。
古 典 的 な 保 守 主 義 者 、 平 和 的 な帝 国 主 義 者 な ど と評 され た 。
SALT(Strategic
Arms
Limitation
Talks)
戦略 兵器 削減 交 渉 ソ ル ト。 米 ソ 間 の 戦 略 兵 器 ・基 地 ・
兵 器 運 搬 手 段 総 数 な ど の 制 限 に 関 す る 協 定 。 冷 戦 (〓Cold 1972年5月
にSALT
I、79年6月
にSALT
War)
時 代 終 結 後 、
IIが 調 印 さ れ た 。 し か し 、79年12月
の ソ 連 に よ る ア フ ガ ニ ス タ ン 侵 攻 を 理 由 に 、 ア メ リ カ は 批 准 せ ず 、85年 限 切 れ で 失 効 。86年11月
San
Francisco
Conference(1945)
サ ン フ ラ ン シ ス コ会 議 1945年4月
War
II) の 勝 利 を 目 前 に 、 連 合 国50カ
(〓Charter
San
Francisco,
of the
Treaty
United
Nations)
of(1951)
∼6月
。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
国 の 代 表 が 集 ま り、 国 際 連 合 憲 章
を採択 。
サ ンフラ ン シス コ講和 条約 1951年9月
II)の 戦 後 処 理 と し て 、 ア メ リ カ な ど48カ
調 印 。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
国 が 参 加 し た 対 日 平 和 条 約 。52年4月
発 効 。 中 ・ ソ な ど の 共 産 圏 は 含 ま な い 。 日 本 は 、 朝 鮮 ・台 湾 土 権 を放 棄 、 沖縄
末 に期
、 ア メ リカ の 協 定 違 反 に よ り事 実 上 廃 案 。
・南 樺 太
・千 島 の 領
・奄 美 大 島 ・小 笠 原 諸 島 は 暫 定 米 施 政 下 に お か れ た 。 日 本 は こ
れ に よ り主 権 を 回 復 した 。
San
Stefano,
Treaty
of(1878)
サ ン ・ス テ フ ァ ノ 条 約 1878年
に結 ばれ た露 土戦 争 ( 〓Russo-Turkish
War)
の 講 和 条 約 。 帝 政 ロ シ ア は 領 土 を 拡 大 して 地 中 海 進 出 が な るか に 見 え た が 、 イ ギ リス
・ オ ー ス ト リ ア が 反 対 。 ド イ ツ が 仲 介 し た ベ ル リ ン 会 議 (〓Berlin,
Congress Sarajevo
of)に お い て 、 ロ シ ア の 南 下 政 策 は 阻 止 され た 。 サ ラエ ボ 現 ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ (旧 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 連 邦 の ひ とつ )の 首
都 。 近 年 、 鉄 鋼 ・石 油 化 学 工 業 が 発 達 して い る。 Sarajevo,
Assassination
at(1914)
サ ラ エボ 事件
1914年6月28日 ガ リ ー 帝 国 (〓Austro-Hungarian ト(〓Franz
Ferdinand)
、 サ ラ エ ボ で オ ー ス トリ ア ・ハ ン
Empire) の 皇 太 子 フ ラ ン ツ ・ フ ェ ル デ ィ ナ ン
が セ ル ビ ア 人 青 年 に よ っ て 暗 殺 さ れ た 事 件 。1908年
オ ー ス ト リア が ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ ( 〓Bosnia
and
Herzegovina)
に
を併合
し て 以 来 高 ま っ て い た 、セ ル ビ ア ( 〓Serbia) の 反 オ ー ス ト リ ア 感 情 が 直 接 の 原 因 。 こ の 事 件 を 契 機 に 同 年6月
か ら7月
第1次
War
世 界 大 戦 (〓World
に か け て ヨ ー ロ ッパ の 緊 張 が 一 気 に 高 ま り、
I)勃 発 の 導 火 線 と な っ た 。7月28日
セ ル ビア を 支援
す る ロ シ アが 参 戦 。 オ ー ス ト リ ア と 同 盟 を 結 ぶ ドイ ツ は8月1日
ロ シ ア に 、 同3
日 に は フ ラ ン ス に 宣 戦 。 イ ギ リス は4日 〓p.285図 Saudi
オー ス トリ
ア ・ ハ ン ガ リー 帝 国 が セ ル ビ ア に 宣 戦 布 告 し た の に 対 し、29日
解8「 第1次
Arabia
に 対 独 参 戦 を 表 明 し て 大 戦 に突 入 した 。
世 界大 戦 の背 景」
サ ウ ジア ラ ビア王 国 首 都 リヤ ド(Riyadh) 。 人 口2529万
サ ウ ド( 〓Ibn
Saud) が1927年
人 (2008年 統 計 )。 イ ブ ン ・
に ヘ ジ ャ ズ ・ナ ジ ド王 国 (Hejaz and
32年 に サ ウ ジ ア ラ ビ ア と改 称 し た。 ア ラ ビ ア 半 島 の80%
Nejd) を 建 国 。
を 占め る国 土 の 大 半 は
砂 漠 で あ る。 石 油 産 出 国 で 、 埋 蔵 量 は 世 界 最 大 。 ペ ル シ ャ 湾 岸 (Persian
Gulf) の
6国 (サ ウ ジ ア ラ ビ ア 、 ク ウ ェ ー ト、 ア ラ ブ 首 長 国 連 邦 、 バ ー レ ー ン、 カ タ ー ル 、 オ マ ー ン )に よ る湾 岸 協 力 会 議 (GCC: 中 東 和 平 問 題 で は 穏 健 派 だ が 、87年
Gulf Cooperation
Council) の 中 心 的 存 在 。
に は イ ス ラ ム 教 シ ー ア (Shia)派 の イ ラ ン 巡
礼 団 (Iranian Pilgrims) が メ ッカ (Mecca) で 反 米 デ モ を 行 い 、 警 官 隊 と の 衝 突 で 402名
が 死 亡 す る事 件 が 起 き 、 以 後 イ ラ ン と 断 交 した が 歩 み 寄 りの 兆 し が み ら れ
て い る。 現 在 、 エ ジ プ トと と も に ア ラ ブ の 結 束 強 化 を 図 っ て い る 。 〓Hejaz 〓p.331地
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
Schlieffen
Plan
シ ュ リ ー フ エ ン ・プ ラ ン ド イ ツ 陸 軍 参 謀 総 長 シ ュ リ ー フ ェ ン (Schlieffen,
von) が 、 ロ シ ア
Alfred
Graf
・ フ ラ ン ス と の 同 時 両 面 戦 争 の 対 策 と し て 立 案 し 、1905年
に確
定 した 作 戦 計 画 。 ま ず 、 ベ ル ギ ー 、 オ ラ ン ダ を 突 破 して フ ラ ン ス 軍 を 急 襲 包 囲 壊 滅 し 、次 い で た だ ち に ロ シ ア 軍 に あ た る と い う も の で 、第1次 War
世 界 大 戦 (〓World
I) で は 修 正 の う え 実 施 さ れ た が 、 ロ シ ア 軍 の 迅 速 な 動 員 と 連 合 軍 の 抵 抗 に
あ って挫 折 した。
Schuman,
Robert(1886∼1963)
ロ ベ ー ル ・シ ュ ー マ ン
フ ラ ン ス の 政 治 家 、 首 相 (任1947∼48) ど 歴 任 。1950年
、 シ ュー マ ン
・ プ ラ ン (Schuman
鉱 に 関 す る 両 国 の 共 同 運 営 構 想 を 提 案 し た 結 果 、51年 同 体 (ECSC: ヨ ー
ロ
〓European
ッ パ
原
子
力
共
Steel
体 (EURATOM:
ッ パ
済
共
の 成 立 に つ な が っ た 。 そ し て67年 Community)
同
体 (EEC:
Atomic
〓European
に 上 記3者
SEATO
East
Empire
〓French
Second
Asia
Empire(
〓International
Republic
〓French
Treaty
Organization
フ ラ ン ス 第2帝
International
Second
Initiative
東南 ア ジア条 約機 構
〓South
Second
Defense
政
フ ラ ン ス帝政 )
第2イ
Congress
ン タ ー ナ シ ョナ ル
of
フ ラ ン ス 第2共
Republic(
Socialists(
和 政
フ ラ ン ス 共和 政 )
Energy Economic
が 統 合 して ヨ ー ロ ッ
が発 足 した。
戦 略 防衛 構 想
〓Strategic
・外 相 な
が 成 立 。 さ ら に これ が
〓European
Community)
〓European
経
・首 相
として 、仏 独 の石 炭鉄
に ヨー ロ ッ パ 石 炭 鉄 鋼 共
Community)
、
SDI
ロ
同
and
Community)
パ 共 同 体 (EC:
ヨ ー
Coal
。蔵 相
Plan)
国 際 社会 主義 者 大会 )
Second
World
〓World
Sedan,
War(1939∼45)
War
Battle
第2次
II
of(1870)
セ ダンの 戦 い 1870年9月
ナ ポ レ オ ン3世
、 普 仏 戦 争 (〓Franco-Prussian
(〓Napoleon
戦 い 。 ナ ポ レ オ ン3世 〓French
Empire)
〓French
Republic)
〓p.281図
世 界大 戦
解4「
Self-determination,
War)
に おい て、
III)率 い る フ ラ ン ス 軍 が プ ロ イ セ ン 軍 に 包 囲 さ れ た は 捕 虜 と な り 、 フ ラ ン ス 第2帝
は 崩 壊 、2日
後 パ
リ で 第3共
政 (Second 和 政 (Third
Empire: Republic:
が 成 立 した 。
ドイ ツ の 統一 」
principle
of
民 族 自決 主 義 民 族 は 自 らの 発 展 を 自 主 的 に 決 定 す べ き で あ
る と い う 主 張 。 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I) の 戦 後 処 理 に お い て 特 に 問 題
と さ れ た が 、 英 仏 な どの 戦 勝 国 の 利 害 に お さ れ て 完 全 に は 実 現 せ ず 、 独 立 を認 め られ た 東 欧 の 諸 小 国 も不 安 定 な 状 態 を続 け た 。
Sepoy
Rebellion(1857)
〓Indian
Serbia
セポ イ の乱
Mutiny
セル ビア 1878年
に 露 土 戦 争 (〓Russo-Turkish
ス ラ ブ 系 (Slavs) の 小 国 。1945年
War)
の 結果
トル コ か ら 独 立 した
以 降 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 連 邦 の1共
和 国 と な る 。90
年 代 に 入 っ て 激化 した 民族 紛 争 に よっ て 、ユ ー ゴ ス ラ ビア社 会 主 義 連 邦 共 和 国 (Socialist
Federal
Republic
of Yugoslavia:
旧 ユ ー ゴ )が 解 体 す る と 、92年
にモ
ン テ ネ グ ロ (Montenegro)
と と も に 新 た に ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 連 邦 共 和 国 (Federal
Republic
新 ユ ー ゴ )を 結 成 。 し か し2003年
ビ ア
of Yugoslavia:
・ モ ン テ ネ グ ロ (Serbia
共 和 国 (Republic
of
Serbia)
and
Montenegro)
of Kosovo)
が 誕 生 。 そ の 後06年
と し て 独 立 宣 言 を し た 。 人 口 約803万
計 )。 モ ン テ ネ グ ロ 共 和 国 (Republic 国 (Republic
に は解 体 され 、セ ル
of
Montenegro)
は セ ル ビ ア か ら08年
も06年
にセ ル ビ ア 人 (2008年
統
独 立 。 コソ ボ共 和
に 分 離 独 立 した 。
〓Yugoslavia
Seven
Years
War(1756∼63) 1756年
7年
戦 争
か ら の7年
間、 イ ギ リス 、 フ ラ ンス、 ロ シ アな どを
巻 き こ ん で オ ー ス ト リ ア と プ ロ イ セ ン (〓Prussia) ア 継 承 戦 争 (〓Austrian
Succession,
奪 わ れ た オ ー ス トリ ア 打 っ て フ ラ ンス
War
of
が交 戦 した戦 争。 オー ス トリ
the) で プ ロ イ セ ン に 領 土 の 一 部 を
・ ハ プ ス ブ ル ク (Habsburg)
・ ブ ル ボ ン (Bourbon)
家 は 、 歴 史 的 対 立 に終 止 符 を
朝 と 協 力 して プ ロ イ セ ン と 対 戦 。 植 民 地
争 奪 を め ぐ っ て フ ラ ン ス と対 立 し て い た イ ギ リ ス が プ ロ イ セ ン に 、 プ ロ イ セ ン の 台 頭 を 警 戒 す る ロ シ ア が オ ー ス ト リ ア に そ れ ぞ れ 加 勢 し た 。63年
、 プ ロ イセ ン
の勝 利 で終結 。
S〓vres,
Treaty
of(1920)
セ ーブル 条約
1920年8月
に 締 結 さ れ た 第1次
後 の 連 合 国 対 ト ル コ (〓Ottoman
Empire)
世 界 大 戦 (〓World
War
I)
の 講 和 条 約 。 トル コ に 対 し て 、 連 合 国
へ の 領 土 割 譲 、 ダ ー ダ ネ ル ス (〓Dardanelles)
海 峡 ・ ボ ス ポ ラ ス (Bosporus)
海峡
の 開 放 、治 外 法 権 な ど を 認 め さ せ る内 容 と し た 。 これ を 苛 酷 と し て 、ム ス タ フ ァ ・ ケ マ ル (〓Kemal,
Mustafa)
れ る に 至 り 、23年7月
率 い る トル コ の 民 族 主 義 運 動 に よ っ て 批 准 が 拒 否 さ
の ロ ー ザ ン ヌ 条 約 (〓Lausanne,
Treaty
of)で そ の 主 要 部
分 は破棄 され た。 〓Paris
Peace
〓Versailles
Settlement( system(
Shimonoseki,
Treaty
パ リ講 和 会 議 )
ベ ル サ イ ユ体 制 )
of(1895)
下 関条 約
1895年4月 War)
に 終 結 し た 日 清 戦 争 (〓Sino-Japanese
の 講 和 条 約 。 朝 鮮 の 完 全 独 立 、 遼 東 半 島 (Liaodong
(〓Taiwan/Formosa) す る 賠 償 金2億
、 澎 湖 諸 島 (Penghu
Liedao)
Bandao)
、 台 湾
の 日 本 へ の 割 譲 、 日本 に 対
両 の 支 払 、 日 本 の 通 商 上 の 特 権 承 認 な ど を 決 定 した 。 しか し、 遼
東 半 島 は 、 極 東 政 策 を 進 め る ロ シ ア と こ れ に 同 調 す る フ ラ ン ス 、 イ ギ リス の 反 対 を 受 け て (三 国 干 渉 )、 清 へ 返 還 さ れ る こ と に な っ た 。
Showa
Emperor
昭和天 皇
〓Hirohito, Siegfried
Emperor
Line
ジ ー ク フ リ ー ト線 (1)第1次
世 界 大 戦 (〓World
軍 が 築 い た 西 部 戦 線 (Western 地 。18年 (2)第2次
Front:
War
I)中 、1917年
初 め に ドイツ
ドイ ツ西 部 国 境 側 の 戦 線 )の 強 固 な 防 御 陣
に連合 軍 が突 破。 世界 大 戦 ( 〓World
で 至 る 、400kmに
War
II)前 の 独 仏 国 境 か ら北 部 の オ ラ ン ダ 国 境 ま
及 ぶ ド イ ツ 軍 の 要 塞 陣 地 。 フ ラ ン ス の マ ジ ノ線 (〓Maginot
Line) に 対 向 。1945年2月
Singapore
に 連 合 軍 が 突 破 した 。
シン ガポ ー ル マ レ ー 半 島 最 南 端 の 島 国 。1819年
Stamford)
に よ っ て 東 イ ン ド 会 社 (〓East
1965年8月
Company)
of
Malaysia)
に マ レ ー シ ア 連 邦 (Federation
邦 (〓British
Commonwealth)
統 計 )。59年
か ら93年
、 イ ギ リ ス 人 ラ ッ フ ル ズ (Raffles,
India
の支 配
下に お か れ る 。
か ら離 脱 、 イ ギ リ ス 連
加 盟 の 完 全 独 立 国 と な る 。 人 口449万
現 在 に 至 る ま で 、 人 民 行 動 党 (People's
リ ー ・ク ア ン ユ ー (Lee Kuan
Yew)
人 (2008年
Action
Party)
の
が 首 相 を 務 め る。 民 主 社 会 主 義 を 掲 げ 、 中 立 ・
非 同 盟 政 策 を と っ て い る が 、 自 由 貿 易 基 地 と し て 繁 栄 す る 一 方 、70年 業 化 を 推 進 し て 高 い 経 済 成 長 を 実 現 。90年
代 に は工
に 中 国 との 国 交 を 樹 立 し た。
〓Malaysia 〓p.332地
Sinn
Fein
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Party
シ ン ・フ ェ イ ン 党 1905年
政 党 。 デ
・ バ レ ラ (De
(〓Easter
Rebellion)
会 (Dail/Irish
頃 に 組 織 さ れ た ア イ ル ラ ン ドの 独 立 を 目 指 す 革 命 的
Valera,
Eamon)
の 主 導 の も と 、16年
で 勢 力 拡 大 。18年
Parliament)
の イー ス ター蜂 起
の 総 選 挙 で 勝 利 す る と 、 ア イ ル ラ ン ド議
を つ く っ て イ ギ リ ス 政 府 に 独 立 を 要 求 し た 。22年
ギ リ ス 自 治 領 ア イ ル ラ ン ド 自 由 国 (〓Irish
Free
裂 。 右 派 の ア イ ル ラ ン ド統 一 党 (Clan-a-Gael:
State) の 成 立 と と も に2派 ク ラン
・ナ
イ に分
・ ゲ ー ル )は ア イ ル ラ
ン ド 自 由 国 の 政 権 を 握 っ た 。 完 全 独 立 を 求 め る 左 派 は デ ・バ レ ラ を 党 首 と し て ア イ ル ラ ン ド共 和 党 (Fianna
Fail/Republican
員 の 多 く を 吸 収 し て 運 動 を 続 け 、32年 党 は 一 時 勢 力 が 減 退 し た が 、57年
Party)
を結 成 。 シ ン
に は4議
と 結 び つ き が 強 く 、 現 在 で はIRAの
・ フ ェイ ン
席 を獲 得 。 南 北 ア イ ル ラ ン ドの 統 一
を 求 め る 武 装 過 激 集 団 の ア イ ル ラ ン ド 共 和 国 軍 (IRA: Army)
・ フ ェ イ ン党
政 権 を 獲 得 した 。 残 っ た シ ン
Irish
Republican
政 治部 門 とな って い る。
〓Ireland 〓Ireland,
Northern
Sino-Japanese
War(1894∼95)
日清 戦 争 1894年8月
国 (Qing
dynasty)
∼95年4月
。 朝 鮮 支 配 を め ぐ る 日本 と清
と の 戦 争 。 朝 鮮 の 内 乱 を 機 に 両 国 軍 が 出 兵 した 。 日 本 軍 は 海
陸 両 面 で 清 軍 を 圧 倒 し た 。 戦 後 、 日 本 は 各 国 と の 不 平 等 条 約 (unequal 破 棄 して 、 資 本 主 義 〓Shimonoseki,
treaty) を
・軍 国 主 義 の コ ー ス を 歩 み 、 清 は 列 強 の 侵 略 の 的 と な っ た 。
Treaty
of( 下 関 条 約 )
Six Day
War(1967)
6日 戦 争 1967年6月5日
∼6月10日
。 第3次
中東戦 争 ( 〓Middle-East
Wars) と も い う。 ア ラ ブ 、 イ ス ラ エ ル と これ を 各 々 支 援 す る ソ 連 、 ア メ リ カ との 間 で 勃 発 し た 。 イ ス ラ エ ル は6日 理 事 会 (UNSC:
United
Nations
た が 実 施 さ れ ず 、70年8月 〓Middle-East
Socialism
間 で ア ラ ブ 諸 国 に 圧 勝 。11月 Security
に国 連安 全保 障
Council) は イ ス ラエ ル の 撤 退 を 採 択 し
に停 戦 。
Wars( 中 東 戦 争 )
in one
country
一 国社 会 主義 論 ソ連 の よ う な 広 大 な 国 で は 一 国 だ け で 社 会 主 義 に
進 み う る、 とす る 主 張 。 西 欧 革 命 退 潮 の 段 階 か ら ス タ ー リ ン (〓Stalin, Vissarionovich)
が 傾 倒 し 、1925年
Josef
の 党 大 会 で 本 決 ま り し た 後 は 、 ソ ビ エ ト社 会
主 義 建設 の 基 本思 想 とな った。 Somaliland
ソマ リラ ン ド ア フ リ カ 東 北 部 、 紅 海 (Red Sea) 入 口 の 要 港 ジ ブ チ (Djibouti)を
含 む 地 域 。 元 来 ソ マ リ ア の 一 部 で あ る が 、1882年 と した 。1977年 〓p.283図 Somme,
解6「 ア フ リカ の分 割 」
Battle
of the(1916)
ソ ンム の戦 い
第1次 ら11月18日
世 界 大 戦 (〓World
War
I)中 の1916年6月24日
か
まで、 北 フ ラ ンスの ソ ンム川 流 域 で 行 わ れ た、 ドイ ツ軍 に対 す る連
合 国 軍 に よ る最 初 の 大 反 攻 戦 。5カ ツ 軍60万
に フラ ン スが 侵 入 し、保 護 領
に ジ ブ チ 共 和 国 と し て 独 立 して い る 。 首 都 は ジ ブ チ 。
月 間 の 長 期 に わ た り、 連 合 国 軍90万
、 ドイ
に 及 ぶ死 傷 者 を 出 した が、 勝 敗 は決 せ ず。 イ ギ リス軍 の戦 車 、 両 軍 の
戦 闘 機 が は じ め て 実 戦 に参 加 し た 。 South
Africa
南 ア フ リカ 首 都 プ レ トリ ア (Pretoria)。 人 口4883万
年 、 オ ラ ン ダ 東 イ ン ド会 社 (〓East ケ ー プ 植 民 地 (〓Cape
India
Company)
Colony) が 建 設 さ れ る と、 移 住 し て き た オ ラ ン ダ 農 民 た
ち は ブ ー ル 人 (Boers) と し て 定 着 し た 。1814年 Congress)
の 結 果 イ ギ リ ス領 へ 移 行 、72年
支 配 に 抗 し て 奥 地 に 逃 れ た ブ ー ル 人 は52年 Republic)
、54年
人 (2008年 統 計 )。1652 に よっ て ア フ リカ南 端 に
オ レンジ 自 由国 ( 〓Orange
ウ ィ ー ン 会 議 (〓Vienna
に は 自 治 領 とな っ た 。 一 方 、 イ ギ リス トラン スバ ー ル共 和 国 ( 〓Transvaal Free
State)を 建 設 。 そ の 後 、 この
両 国 に 発 見 さ れ た 世 界 最 大 級 の ダ イ ヤ モ ン ド鉱 と 金 鉱 を 目 当 て に イ ギ リス が 侵 略 。 二 度 の ブ ー ル戦 争 ( 〓Boer
Wars) に 敗 れ て 、1902年
イ ギ リス に併 合 さ れ た 。
10年
に は 、 ト ラ ン ス バ ー ル 、 オ レ ン ジ 、 ケ ー プ 、 ナ タ ー ル (Natal) の4州
る 南 ア フ リ カ 連 邦 (Union 31日
of
South
、 こ れ を 離 脱 し て 南 ア フ リ カ 共 和 国 (Republic
し た 。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
of
South
、 デ ク ラ ー ク (De
Klerk,
に 服 し て い た 黒 人 最 高 指 導 者 マ ン デ ラ (〓Mandela, に は ア パ ル ト ヘ イ ト政 策 を 廃 止 。94年
フ リ カ 民 族 会 議 (ANC:
〓African
と して 独 立
National
ア パ
代 後 半 に 高 ま り、 国 際 的 非 難
領 が は じ め て 黒 人 側 と の 対 話 路 線 を と っ た 。90年3月
91年6月
Africa)
II)後 、 人 種 差 別 法 (〓Appartheid:
ル ト ヘ イ ト)を 次 々 に 制 定 。 黒 人 勢 力 の 反 発 は80年 や 経 済 制 裁 を 恐 れ た 政 府 は89年
か らな
Africa) を 形 成 し て 自 治 領 に 移 行 。61年5月
Frederik
Willem)
大統
には政 治 犯 として 終 身刑 Nelson
Rolihlahla)
を 釈放 。
総 選 挙 実 施 。 マ ン デ ラ率 い るア
Congress)
が 勝 ち初 の 黒 人大 統 領 が
誕 生 し た 。 そ の 後 イ ギ リ ス連 邦 と国 連 に 復 帰 し た 。 〓p.283図
解6「
〓p.330地
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
South
African
〓Boer South
ア フ リカ の分 割」
War(1880∼81,
Wars(
America
1899∼1902)
南 ア フ リ カ 戦 争 (南 ア 戦 争 )
ブー ル戦 争 ) 南 ア メ リカ 南 ア メ リ カ 大 陸 。15∼16世
紀 の 約100年
間 に 南 ア メ リカの ほ と
ん ど の 大 西 洋 岸 が ス ペ イ ン人 に よ っ て 探 検 さ れ 、 そ れ を き っ か け と し て 植 民 地 化 さ れ た 。 こ れ ら の 南 米 諸 国 は 、 ス ペ イ ン か ら は1810年 1822年
以 降 、 ポ ル トガ ル か ら は
以 降 に相 次 い で 独 立 を 勝 ち とっ た 。 現 在 は 政 情 不 安 を 抱 え な が ら も鉱 農
両 資 源 を 利 用 し発 展 を 図 っ て い る。 〓p.334地 South
East
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図]) Asia
Treaty
Organization(SEATO)
東 南 ア ジア 条約 機構 シ ア トー 。1954年9月
英 仏 豪 、 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド、 フ ィ リピ ン 、 タ イ 、 パ キ ス タ ン の8カ 反 共 軍 事 同 盟 。 ジ ュ ネ ー ブ協 定 (〓Geneva
Agreements)
後 の 太 平 洋 、東 南 ア ジ
ア に お け る民 族 解 放 闘 争 ・共 産 主 義 勢 力 に 備 え た 。77年 解 消 。 Southern
Rhodesia
〓Rhodesia,
南 ローデ シア
Southern
成立。米 国 が加 盟 す る
South
Manchuria
Railway
南 満 州鉄 道 満 州 (〓Manchuria)
(Harbin) −大 連 (Dalian)間 の 鉄 道 。1901年 日 露 戦 争 (〓Russo-Japanese (Changchun)
に 建 設 さ れ た ハ ル ビ ン
に ロ シ ア 管 理 下 で 開 通 した が 、05年
War) に よ っ て 、 戦 勝 国 で あ る 日 本 に 長 春
−大 連 間 が 割 譲 さ れ た 。 そ の 後 、 日 本 は06年 に 南 満 州 鉄 道 株 式 会
社 を設 立 、積 極的 に大 陸 進 出 を図 っ た。 South-West
Africa
南西 ア フ リカ 現 ナ ミビ ア共 和国 。
〓Namibia
Space
Exploration
宇宙 探検 1957年10月
打 ち 上げ か ら は じ ま り、 第2弾 に よ る 宇 宙 飛 行 。 第3弾
、 ソ 連 に よ る ス プ ー トニ ク1号 は61年4月
の ソ連
(Sputnik I)の
・ ガ ガ ー リ ン (Gagarin, Yuri)
は ア メ リ カ の ア ポ ロ11号 (Apollo
11) が 達 成 し た 宇 宙 飛
行 士 に よ る 月 面 着 陸 成 功 で あ っ た 。そ の 後 も先 進 諸 国 に よ り ロ ケ ッ ト、人 工 衛 星 、 宇 宙 船 な ど を 使 っ て の 開 発 事 業 が さ か ん に続 け ら れ て い る。 Spanish-American
War(1898)
米西 戦争 ( ア メ リ カ ・ス ペ イ ン 戦 争 ) キ ュ ー バ に お け る 反 ス ペ イ ン独 立 運 動 と ハ バ ナ
(Havana) 湾 内 で の 米 艦 メ イ ン号 (Maine) の 爆 沈 事 件 を 口実 に 、1898年
ア メ リカ
が ス ペ イ ン に 開 戦 。4カ
に パ リで
月 で ア メ リ カ は 一 方 的 に 勝 利 を 収 め た 。12月
講 和 が 成 立 し、 キ ュ ー バ の独 立 と フ ィ リ ピ ン 、 プ エ ル ト リ コ、 グ ァ ム の ア メ リ カ へ の割 譲 が決 定 した。
Spanish
Civil War(1936∼39)
スペ イ ン内戦
1936年7月
か ら39年3月
教 会 に支 持 され た フ ラ ン コ( 〓Franco,
。 右 翼 ・反 共 和 派 の 軍 部 ・地 主 ・
Francisco)
の モ ロ ッ コ反乱 で は じ ま る。
ドイ ツ ・イ タ リア が 反 乱 軍 を 支 援 した 。 イ ギ リ ス の 援 助 を 得 ら れ な か っ た 政 府 側 は 内 部 対 立 の 深 ま り も あ っ て 戦 力 が 低 下 し、 結 果 は マ ド リー ド(Madrid) を 占 領 した反 乱 軍 が勝利 。 フ ラ ンコ は人 民戦線 内閣 ( 〓Popular
Front) を 崩 壊 さ せ て 総
統 と な り、 フ ァシ ズ ム ( 〓fascism) 政 策 を 推 進 した 。 Spanish
Succession,
War
of the(1701∼13)
ス ペ イン継 承 戦争
ス ペ イ ン 王 位 を め ぐ っ て イ ギ リ ス ・オ ラ ン ダ ・ オ ー ス ト リア の 同 盟 と フ ラ ン ス ・ ス ペ イ ンが 争 っ た 戦 争 。1700年 王 ル イ14世
(〓Louis
XIV) の 孫 フ ェ リペ5世
、 フ ラン ス国
(Felipe V) は 、 ス ペ イ ン 国 王 カ ル ロ
ス2世
(Carlos
II)の 遺 言 に よ っ て ス ペ イ ン の 王 位 を 相 続 し た 。 こ れ に 対 し、 フ
ラ ン ス 勢 力 の 拡 大 を 恐 れ る イ ギ リ ス が オ ラ ン ダ ・オ ー ス ト リ ア と結 ん で 宣 戦 し た 。 戦 争 は イ ギ リ ス 側 優 位 の う ち に 終 結 し 、1713年 Treaty
of) に よ っ て カ ル ロ ス2世
ユ ト レ ヒ ト 条 約 (〓Utrecht,
の 王 位 は 認 め られ た も の の 、 フ ラ ン ス
・スペ イ
ンは領土 の一 部 を失 った。
Spartakusbund(Spartakus
League)
スパ ル タク ス団 第1次
1914年
世 界 大 戦 (〓World
に す べ て の戦 争 協 力 を 拒 否 して結 成 され た、
Sozialdemokratische Germany)
Partei
Deutschlands/Social
内 の 左 翼 少 数 派 結 社 。17年
(USPD:
Unabh〓ngige
Independent
Democratic
Party
Revolution)
府 の エ ー ベ ル ト (Ebert,
Friedrich)
Agencies/Specialised
〓United
Splendid
Germany)
Communist
後 の19年1月
Parry
of
Deutschlands/
の 結 成 に 加 わ り 、18年 Party)
を 創 立 した 。
に ドイ
、 議 会 制 を 進 め よ う と した 臨 時 政
政 権 に 反 対 し、 社 会 主 義 革 命 を 目 指 し て 蜂 起
し た が 政 府 に よ っ て 鎮 圧 さ れ た (Spartacist
Specialised
Democratic
Partei
of
他 勢 力 と 合 わ せ て ド イ ツ 共 産 党 (German ツ 革 命 (〓German
I) 勃 発 直 後 、
、党 内反 戦 急進 派 と ともに独 立 社 会 民主 党
Sozialdemokratische
Social
War
ド イ ツ 社 会 民 主 党 (SPD:
Rising)
Nations
。
国際 連合
Nations
Isolation
光 栄 あ る孤立 19世
紀 後 半 に イ ギ リ ス が と っ た 外 交 政 策 。 ヨ ー ロ ッパ 大 陸
の 国 際 関 係 を 傍 観 し、 各 国 と の 間 で 同 盟 協 定 を 結 ば な い こ とを 誇 り と し た 独 立 政 策 を 指 す 。 し か し 、19世
紀 末 か ら 世 界 的 に 帝 国 主 義 (〓imperialism)
が 台頭 し、
ドイ ツ 、 フ ラ ン ス 、 イ タ リア 、 ロ シ ア な どの 対 立 が 激 し さ を増 す と 、 イ ギ リ ス は 国 際 的 地 位 確 保 の た め に こ の 政 策 を 放 棄 。1902年 Alliance)
を は じ め 、04年
(〓Anglo-Russian
Sri
Lanka
Entente)
Entente)
を 結 ん で 三 国 協 商 (〓Triple
Entente)
、07年
英 露 協 商
を形 成 した。
ス リラ ンカ
〓Ceylon(
SS
の 日 英 同 盟 (〓Anglo-Japanese
英 仏 協 商 (〓Anglo-French
セ イ ロ ン)
地 対 地 ミサ イル 旧 ソ 連 製 の 地 対 地 (surface-to-surface)
ミサ イ ル に つ け ら れ る北 大 西 洋 条
約 機 構 (NATO:
Stalingrad
〓North
Atlantic
Treaty
Organization)
の記 号 。
ス ター リン グラ ー ド ロ シ ア 南 部 ボ ル ガ (Volga) 川 下 流 の 大 工 業 都 市 。1956年
リ ン 批 判 を 機 に ボ ル ゴ グ ラ ー ド (Volgograd)
Stalingrad,
Battle
of(1942∼43)
ス タ ー リ ン グ ラ ー ドの 戦 い
第2次 翌 年1月
に か けて の
ラ ー ド (Volgograd)
ドイ ツ
の ス タ ー
と改 名 。
世 界 大 戦 (〓World
War
II)中 の1942年8月
か ら
・ ソ連 間 の 決 戦 。 ス タ ー リ ン グ ラ ー ドは 現 ボ ル ゴ グ
。 当 初 は ド イ ツ 軍 の 攻 勢 に よ り 激 し い 市 街 戦 が 続 い た が 、11
月 よ り ソ連 軍 の 逆 包 囲 に よ っ て ドイ ツ は 壊 滅 的 打 撃 を 受 け 、 ソ 連 の 全 面 反 攻 の 口 火 となっ た。
Stalin,
Josef
Vissarionovich(1879∼1953)
ス ター リン ソ連 の 政 治 家 、 ソ連 共 産 党 の 最 高 指 導 者 、 首
相 (任1941∼53)
。1898年
Workers'
に 入 党 。1905年
期
Party)
に は、
レ ー ニ
ロ シ ア 社 会 民 主 労 働 党 (Russian
ン (〓Lenin,
か ら17年 Vladimir
Social
の ロ シ ア 革 命 (〓Russian Ilyich)
の
も
と で
Democratic Revolution)
ボ
リ シ
ェ ビ キ
(〓Bolsheviks: 革 命 的 社 会 民 主 主 義 者 )に 属 し て 活 動 し た 。 レ ー ニ ン の 死 後 、 一 国 社 会 主 義 論 (〓Socialism in one country) を主 張 。 世 界的 規模 の永 久革 命 を 唱 え る トロ ツ キ ー
(〓Trotsky,
次 々 と 追 放 し た 。30年 大 粛 清 (〓Great
Lev
Davidovich)
代 初 め か ら53年
Purges)
を 失 脚 させ 、 次 い で 対 立 者 を
に 没 す るまで 独 裁 政 治 を 行 い 、反 対 派 の
を 含 め 、 強 引 な 社 会 主 義 化 路 線 を 進 め る 。 死 後 、56年
に は フ ル シ チ ョ フ (〓Khrushchev,
Nikita
Sergeyevich)
に よっ て そ の強権 的指
導 の 誤 り が 指 摘 さ れ 、 東 欧 諸 国 に も 「ス タ ー リ ン 批 判 」が 進 行 し た 。
START
戦 略 兵 器削 減 交渉
〓Strategic
Star
Wars
Arms
of
Talks
ス ター ウ ォー ズ
〓Strategic
Statute
Reduction
Defense
Initiative(SDI)
Westminster(1931)
〓Westminster,
Statute
ウ エ ス ト ミ ン ス ター 憲 章
of
Stolypin,
Pyotr
Arkadievich(1862∼1911)
ス トル イ ピ ン
ロ シ ア の 政 治 家 、 首 相 (任1906∼11)
。1906年
首
相 就 任 後 は 、 労 働 者 や 農 民 の 政 治 的 権 利 を 奪 う な ど 、 革 命 運 動 を 弾 圧 す る反 動 政 治 を 展 開 し た 。 一 方 、 富 農 育 成 の た め に 農 業 改 革 に 着 手 し、 ミー ル (Mir: 農 村 共 同 体 )を 解 散 し た 。 そ の 結 果 、 農 業 の 発 展 は 促 進 さ れ た が 、 保 守 派 と の 対 立 が 深 ま り、 キ エ フ (Kiev)に て 暗 殺 さ れ た 。 Stop-go
policies
ス ト ッ プ ・ア ン ド ・ゴ ー 政 策 国 際 収 支 が 悪 化 す れ ば 引 き 締 め 政 策 を と り、 改 善 され れ ば
引 き締 め を 緩 和 す る 政 策 。1950年
代 か ら70年 代 初 期 に か け て 、 イ ギ リ ス の 保 守
党 内 閣 の 時 代 に よ く論 じ られ た 。 Strategic
Arms
Reduction
Talks(START)
戦略 兵 器 削減 交 渉 米 ソ間 で1982年
に 条 約 調 印 。 両 国 の 戦 略 攻 撃 兵 器 を 、 条 約 発 効 か ら7年
に 開 始 さ れ 、91年
間 の う ち に3段
階 に分 け
て 同 水 準 で 削 減 す る とい う も の 。 Strategic
Defense
Initiative(SDI)
戦 略 防衛 構 想 1983年
に米 レーガ ン ( 〓Reagan,
Ronald
Wilson) 大 統 領 が 提 唱 した 対 ソ 防 衛 構 想 。 大 気 圏 外 に ま で 防 衛 体 制 を広 げ た た め 「ス タ ー ウ ォ ー ズ (Star Wars) 」構 想 と も い う 。 ソ連 ま た は 、 冷 戦 ( 〓Cold War) 終 結 後 に お い て は 第 三 世 界 か ら の 攻 撃 を 想 定 し て 、 弾 道 ミサ イ ル の 防 御 シ ス テ ム を 宇 宙 空 間 に 設 置 す る と い う も の 。 宇 宙 兵 器 の 開 発 も含 ま れ る。 Stresa
Conference(1935)
ス トレーザ会 議 1935年4月
、 イ ギ リス ・フ ラ ン ス ・イ タ リ ア の 三 国 に よ っ
て 北 イ タ リ ア の ス ト レ ー ザ で 開 か れ た 会 議 。 ドイ ツ が ベ ル サ イ ユ 条 約 ( 〓Versailles,
Treaty
of)を犯 して 再 軍 備 を 図 っ た こ と、 オ ー ス ト リア の 独 立 問
題 、 東 ヨ ー ロ ッパ に お け る バ ル カ ン 情 勢 な ど を 論 議 。 ドイ ツ の 脅 威 に 備 え る た め の 計 画 も 話 し合 わ れ た 。 〓Stresa Stresa
Front
Front (ス ト レー ザ 戦 線) ス トレーザ戦 線 1935年4月
、 ス トレーザ 会議 ( 〓Stresa
Conference)
で発表 さ
れ た 、 ドイ ツ の 再 軍 備 に 対 抗 す る イ ギ リ ス ・フ ラ ン ス ・イ タ リ ア 三 国 の 協 力 戦 線 。 数 カ 月 間 展 開 し た が 、 同 年10月
イ タ リアの エ チ オ ピ ア侵 略 ( 〓Italo-Abyssinian
War) で 崩 壊 。 そ の 後 、 逆 に ドイ ツ と イ タ リ ア は 接 近 す る こ と に な る 。
Stresemann,
Gustav
(1878∼1929)
シ ュ トレー ゼマ ン
ド イ ツ の 政 治 家 。 首 相 (任1923) (National
Liberals)
党 首 と な る 。18年
的 協 調 論 者 に 転 向 し 、 ド イ ツ 人 民 党 (People's 11月
Party)
ま で 短 期 間 な が ら 首 相 を 務 め た 後 、29年
Plan) の 受 諾
。1917年
、 国 民 自由 党
の 帝 政 崩 壊 後 、 君 主 主 義 者 か ら共 和 主 義
・ 採 用 、 国 際 連 盟 (〓League
を 組 織 し た 。23年8月
か ら
ま で 外 相 と し て ヤ ン グ 案 (〓Young
of Nations)
へ の加 入 な ど、 西 方 列 強 、
特 に 対 仏 関 係 改 善 に 尽 力 した 。
Strike
ス トラ イ キ
〓General
Strike( ゼ ネ ス ト)
Sudetenland
ズ デ ーテ ン地 方 チ ェ コ の 北 西 部 で 、 ドイ ツ と国 境 を 接 す る帯 状 地 方 。19世
紀以
来 チ ェ コ と ドイ ツの 民 族 的 紛 争 の 舞 台 と な る。 ナ チ ス ・ ドイ ツ ( 〓Nazis) 台 頭 後 の1938年
、 ミュ ン ヘ ン 会 議 ( 〓Munich
に 割 譲 さ れ る こ と に な り、 第2次
Conference)
世界 大 戦 ( 〓World
に お い て こ の 地 方 が ドイ ツ War
II)後 、 再 び チ ェ コ 領
に 戻 っ た 。 以 降 チ ェ コ共 和 国 と ドイ ツ 間 で 外 交 問 題 とな っ て い るが 解 決 に む か い つつ あ る とされ る。 〓Czechoslovakia
Suez
Canal
ス エズ 運河 エ ジ プ トに あ る 地 中 海 (Mediterranean
結 ぶ 全 長160kmの de) が1858年
Sea) と 紅 海 (Red Sea) を
運 河 。 フ ラ ン ス の レ セ ッ プ ス (〓Lesseps,
に 国 際 ス エ ズ 運 河 会 社 を 設 立 して 着 工 、69年
エ ジ プ ト は 財 政 破 綻 し て 、75年
Ferdinand
Marie
に 開 通 し た。 そ の 後
に イ ギ リ ス に よ っ て エ ジ プ トが 保 有 し て い た 運
河 会 社 の 持 株 が 買 収 され 、 イ ギ リ ス の エ ジ プ ト支 配 の 要 とな っ た 。82年 兵 権 を 得 た が 、 第2次
世 界大 戦 ( 〓World
に よ り イ ギ リ ス は撤 収 。56年
War
II)後 の1954年
エ ジ プ ト ・ ナセ ル ( 〓Nasser,
に は駐
、民 族運 動 の 高揚 Gamal
Abdel) 大 統
領 の ス エ ズ 運 河 国 有 化 宣 言 に 対 し、 フ ラ ン ス ・ イ ス ラ エ ル と と も に ス エ ズ 戦 争 ( 〓Suez
Crisis) を 引 き起 こ し た が 、 国 連 決 議 に よ り失 敗 し た 。 現 在 は エ ジ プ ト
の 国有 。 〓p.330地 Suez
図〓 ( 現代 の世 界[国 名 と地 図])
Crisis(1956∼57)
ス エズ戦 争
1956年10月 ( 〓Middle-East
か ら57年3月
に か け て 行 わ れ た 第2次
Wars) の こ と。 エ ジ プ トの ナ セ ル (〓Nasser,
Gamal
中 東戦争 Abdel) 大
統 領 に よ る ス エ ズ 運 河 (〓Suez
Canal) の 国 有 化 宣 言 に 対 し、 イ ス ラ エ ル 、 続 い
て 英 仏 軍 が エ ジ プ トに 出 兵 。 しか し 、 国 際 的 非 難 を 浴 び た た め 、 ス エ ズ 運 河 は エ ジ プ トの 国 有 化 の も と で 運 営 され る こ と とな っ た 。 〓Middle-East 〓p.330地 Suharto,
Wars( 中 東 戦 争 ) 図〓 ( 現代 の世 界[国 名 と地 図])
General(1921∼2008)
ス ハ ル ト将 軍
イ ン ドネ シ ア の 軍 人 、 政 治 家 、 大 統 領 ( 任1968∼98) 年 、 共 産 党 に よ る ク ー デ タ ー 「9月30日 のスカルノ( 〓Sukarno, 68年 共 和 国 第2代
Achmed)
。65
事 件 (9.30 Incident) 」を鎮 圧 し、 容 共 派
大 統 領 の 権 限 を 剥 奪 。67年 大 統 領 代 行 に 就 き 、
大 統 領 に 就 任 。 そ の 後 、 ス カ ル ノ の 親 ソ ・ 親 中 国 路 線 か ら転
じて反 共 路線 を進 め た。 〓Indonesia Sukarno,
Achmed(1901∼1970)
ス カル ノ
イ ン ドネ シ ア の 民 族 運 動 指 導 者 、 政 治 家 、 共 和 国 初 代 大 統 領 (任1945∼67)
。第2次
世 界 大戦 ( 〓World
初 代 大 統 領 に就 任 し て オ ラ ン ダ と戦 い 、49年 の バ ラ ン ス の 上 に立 っ た が 、65年 (〓Suharto,
War
II)後 の1945年
に独 立 を宣 言 、
に 完 全 独 立 。 軍 部 と 左 派 (共 産 党 )
軍 部 ク ー デ タ ー で 没 落 。67年
に スハ ル ト将 軍
General) に よ っ て 失 脚 した 。
〓Indonesia Sultan
スル タン イ ス ラ ム 世 界 に お い て 支 配 者 を 意 味 す る 称 号 。 専 制 君 主 の こ と。
Summit
Meeting(1955)
ジ ュ ネ ー ブ4巨
1955年7月
カ ・ イ ギ リ ス ・ フ ラ ン ス ・ ソ 連 の4大 (〓World
War
頭会 談
ジ ュ ネ ー ブ (Geneva) に お い て 開 催 さ れ た 、 ア メ リ 国 に よ る政 府 首 脳 会 談 。 第2次
世界大戦
II)後 の ド イ ツ 問 題 、 ヨー ロ ッ パ の 安 全 保 障 、 軍 縮 、 東 西 交 流 の
4項 目 に つ い て 論 議 。 ドイ ツ問 題 は 対 立 が 深 刻 で 結 論 は 出 な か っ た が 、 戦 争 の 無 意 味 さ を 認 識 す る こ と で 一 致 した 。 Sun
Yat-sen/Sun
Zhong
Shan(1866∼1925)
孫文 ( 孫逸 仙 )
中 国 革 命 の 指 導 者 。1894年 に て 興 中 会 (Save China (Revolutionary (democracy)
Alliance)
League)
を 結 成 。1905年
、 ハ ワ イ (Hawaii)
に は 日本 で 中 国 革 命 同 盟 会
を 組 織 。 民 族 主 義 (nationalism) 、 民 権 主 義
、 民 生 主 義 (people's
livelihood) か ら な る 三 民 主 義 (Three
People's
Principles) を 唱 え て 革 命 諸 勢 力 を 結 集 。11年
Revolution)
成功 後 、 中華 民国 ( 〓Chinese
の 辛 亥 革 命 (〓Chinese
Republic) の 臨 時 総 統 に 就 い た が 、 ほ
ど な く袁 世 凱 (Yuan Shih-kai) に 委 譲 。 の ち 独 裁 を は じ め た 袁 に 追 わ れ て 亡 命 し、 秘 密 結 社 中 華 革 命 党 を 組 織 した 。19年 Guomindang)
に は 同 党 を 中 国 国 民 党 (〓Kuomintang/
に 改 組 し、 広 東 (Canton) を 中 心 に軍 閥 打 倒 、 中 国 統 一 の 運 動 を 続
けた 。 Sykes-Picot
Agreement(1916)
サ イ ク ス ・ピ コ 協 定 1916年5月
に結 ば れ たイ ギ リス ・フラ ンス ・ロシ ア
に よ る トル コ 領 の 分 割 協 定 。 パ レ ス チ ナ (〓Palestine) の 国 際 管 理 も約 し た 、 秘 密 条 約 の 代 表 と さ れ る 。 ア ラ ビ ア 人 の 独 立 運 動 を 支 持 した15年 言 (〓MacMahon
Declaration)
の マ クマ ホ ン宣
と 内 容 が 矛 盾 す る こ の 協 定 は 、17年11月
にロ シ
ア 革 命 政 権 に よ っ て 暴 露 さ れ ア ラ ブ を 憤 激 させ た 。 Syndicalism
サ ン デ ィ カ リズ ム 労 働 組 合 主 義 。 議 会 主 義 を 否 定 して 労 働 組 合 (trade unions) の 直
接 行 動 に よ る 革 命 を 行 い 、 生 産 手 段 の 共 有 化 を 実 現 し よ う と す る 立 場 。19世
紀
末 か ら20世 紀 初 頭 に フ ラ ン ス を 中 心 に イ タ リア 、 ス ペ イ ン な ど で 盛 ん とな っ た 。 Syria
シ リア 首 都 ダ マ ス カ ス (Damascus)
フ ラ ンスの 委任 統 治領 ( 〓mandates) ラ ブ連合 共和 国 ( 〓United
Arab
。 人 口2045万 、44年
(2008年 統 計 )。1920年
に 独 立 。58年
以降
、 エ ジ プ ト と組 ん で ア
Republic) を 結 成 した が 、61年
分 離。 農 業 国で
あ る が 、 近 年 石 油 の 生 産 と輸 出 が 増 加 。 ア メ リ カ 合 衆 国 主 導 の 中 東 和 平 に 反 対 す る ア ラブ急進 派 で あ る。 〓p.331地
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
T Taft,
William
Howard(1857∼1930)
タフ ト
第27代 (Republican
ア メ リ カ 大 統 領 (任1909∼13)
。 共 和 党
Party) 。 ト ラ ス ト(trust: 独 占 企 業 合 同 )の 規 制 、 累 進 所 得 税 制 、
上 院 議 員 直 接 選 挙 制 の 実 現 に 努 め 、 対 外 的 に は 借 款 供 与 や 債 権 の 肩 代 わ りな ど資 本 力 を 背 景 とす る ドル 外 交 (Dollar Diplomacy)
を展 開 。 極 東、 ラテ ン ・ ア メ リ
カ を中心 に帝 国主 義 的 な支 配 力 の行使 を展 開 した。 Taisho
Emperor
〓Yoshihito,
大正 天皇
Emperor
Taiwan/Formosa
∼1945年
台 湾 (フ ォル モ ー サ ) 中 国 本 土 南 東 の 島 々 で 中 心 都 市 は 台 北 (Taipei)。1895年 ま で 日 本 の 植 民 地 。49年 中 国 共 産 党 と の 内 戦 に 敗 れ た 蒋 介 石 ( 〓Chiang
Kai-shek/Jiang
Jieshih) の 国 民 党 ( 〓Kuomintang/Guomindang)
以 後 中 華 民 国 (Republic Republic
of China)
政 府 が 移 り、
と し て 本 土 の 中 華 人 民 共 和 国 (People's
of China) と対 立 。 ア ジ ア の 新 興 工 業 地 域 と し て 経 済 発 展 を 遂 げ て い
る。 〓p.332地 Taliban
図〓 ( 現代 の 世界[国 名 と地 図])
タ リバ ン 本 来 は イ ス ラ ム 神 学 校 学 生 お よ び 求 道 者 の 意 味 。 現 在 は 、 ソ連 の ア
フガ ニ ス タ ン ( 〓Afghanistan)
侵 攻 か ら生 ま れ た 武 装 集 団 を 指 す 。 伝 統 的 イ ス ラ
ム 国 家 を 建 設 し よ う と ア フ ガ ニ ス タ ン全 土 の 制 圧 を 目標 と して い る 。2001年3 月 、5世
紀 ご ろ造 られ た バ ー ミ ヤ ン (Bamiyan) 仏 教 遺 跡 、 石 仏2体
を破壊 した。
ま た 同 年 起 こ っ た ア メ リカ 同 時 多 発 テ ロの 主 犯 とみ られ る ア ル カ イ ダ (〓Al-Qaeda)
を か く ま い 、 そ の 結 果NATO軍
とア フガ ニ ス タ ン の 北 部 同盟 に
よ っ て タ リバ ン に よ る 政 府 は 崩 壊 に 追 い込 まれ た 。 Tanganyika
タン ガニ ー カ ア フ リカ 東 部 、 イ ン ド洋 に 面 す る地 域 。1890年
ドイ ツ 領 と な り、
第1次 64年
世 界 大 戦 (〓World
War
I) 後 は イ ギ リ ス の 支 配 を 受 け た 。1962年
に ザ ン ジ バ ル (〓Zanzibar)
Republic
of Tanzania)
と な る。
〓German
East
Africa(
〓p.283図
解6「
ア フ リ カ の分 割 」
Tangier
Crisis(1905)
〓Moroccan
ドイ ツ 領 東 ア フ リ カ )
タ ンジ ール 事件
Crisis( 第1次
Tannenburg,
Battle
モ ロ ッコ事件 )
of(1914)
タ ンネ ンベル クの戦 い
第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
日 、 ド イ ツ の 将 軍 ヒ ン デ ン ブ ル ク (〓Hindenburg, ア の 大 軍 を 東 プ ロ イ セ ン (East 部 戦 線 (Eastern
Tanzania
独 立 。
と 統 合 し て タ ン ザ ニ ア 連 合 共 和 国 (United
Front)
Prussia)
の脅威 を
I) 初 期 の1914年8月29
Paul
von)
が 、侵 入 した ロ シ
の タ ン ネ ンベ ル ク 付 近 で 包 囲 撃 滅 し、 東
一 掃 した 。
タンザ ニア 首 都 ダ ル エ ス サ ラ ー ム (Dar
計 )。1964年
に ザ ン ジ バ ル (〓Zanzibar)
を 統 合 し て タ ン ザ ニ ア 連 合 共 和 国 (United
es
Salaam)
。 人 口4146万
人 (2008年
と タ ン ガ ニ ー カ (〓Tanganyika) Republic
of
Tanzania)
統
の両 国
と な り、 現 在
に 至 っ て い る 。 社 会 主 義 に よ る 自 力 更 生 を 目指 す が 経 済 が 破 綻 し、 民 営 化 ・自 由 化 の政 策 に転 じて い る。 〓German
East
〓p.330地
図〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Tariffs
Africa(
ドイ ツ領東 ア フ リカ)
関税 国 境 を 通 過 す る 商 品 に 課 せ ら れ る 税 金 。 輸 入 税 (import
(export
tariff) ・ 通 過 税 (re-exportation
す る 財 政 関 税 (revenue (protective
Teheran
tariff) と 国 内 産 業 の 保 護 を 目 的
と す
る 保 護 関 税
tariff) と が あ る 。
Conference(1943)
テヘ ラン会議 第2次
世 界 大 戦 (〓World
War
II)中 の1943年11月
月 まで 、 イ ラ ン の 首 都 テ ヘ ラ ン で 開 催 さ れ た。 米 (〓Roosevelt, Winston)
tariff) ・ 輸 出 税
tariff)な ど か ら な る 。 財 政 収 入 を 目 的 と
、 ソ連
Franklin
Delano)
、 英
・ チ ャ ー チ ル 首 相 (〓Churchill,
・ ス タ ー リ ン 首 相 (〓Stalin,
に 敵 戦 力 を 分 散 さ せ る た め の 第2戦
か ら12
・F・ ロ ー ズ べ ル ト 大 統 領
線 (Second
Josef
Vissarionovich)
Front)
Sir
が 参加 。 主
の 設 定 に つ い て 協 議 した 。
44年5月
に ノルマ ンデ ィ上 陸 作戦 ( 〓Normandy
Landings)
を実 行 に移 す こ とを
約 束 。 ソ 連 の 対 日参 戦 も約 され た 。 Teng
Hsaio-Ping(1904∼97)
〓Deng
Tennessee
〓小 平
Xiaoping
Valley
Authority(TVA)
テ ネ シー 渓谷 開 発公 社 1933年
、 ア メ リカ南東 部 の テ ネ シ ー渓 谷
に 設 立 。 民 間 企 業 の 電 力 独 占 を 規 制 し、 政 府 企 業 に よ る 総 合 開 発 を 目指 し た 。 世 界 恐 慌 (〓Great (〓Roosevelt,
Depression)
Franklin
後 の 経 済 再 建 策 と し てF・ ロ ー ズ ベ ル ト
Delano) 大 統 領 が 進 め た ニ ュ ー ・ デ ィ ー ル 政 策 ( 〓New
Deal) の ひ と つ で 、 失 業 の 吸 収 ・生 産 の 増 大 ・消 費 物 価 の 低 下 に 効 が あ っ た 。 Thailand
タイ イ ン ドシ ナ 半 島 中 部 の 立 憲 君 主 国 。 首 都 バ ン コ ク (Bangkok) 。 人 口
6776万
人 (2008年 統 計 )。 周 辺 諸 国 が 欧 米 諸 国 の 植 民 地 と な る 中 で 、 緩 衝 国 と し
て 独 立 を 保 ち 続 け た 。 米 作 を 主 産 業 と す る 一 方 、 工 業 化 も促 進 し て い る 。 〓p.332地 Thatcher,
図〓 ( 現 代 の世 界[国 名 と地 図])
Margaret
Hilda(1925∼)
サ ッチ ャー
イ ギ リ ス の 政 治 家 、 首 相 (任1979∼90) (〓Conservative
Party) 。1982年
の フ ォ ー ク ラ ン ド紛 争 ( 〓Falkland
。 保 守党 War) で は
強 硬 路 線 を と り、内 政 で も 福 祉 の 切 り下 げ な ど を 断 交 して 「 鉄 の 女 」の 異 名 を と る。 戦 後 異 例 の 長 期 政 権 を 維 持 し て き た が 、89年 頃 よ り 内 外 政 策 が 破 綻 、 急 速 に 支 持 基 盤 を失 った 。 Third
International
〓Comintern(
Third
Reich
〓German
Third
Republic
第3イ
ン ター ナ シ ョナル
コ ミ ン テ ル ン)
ド イ ツ 第3帝
Empire(
国
ドイ ツ 帝 国 )
フ ラ ン ス 第3共
和 政
〓French
3-B
Republic(
Policy
3B政
フ ラ ン ス共 和政 )
策 ドイ ツの 帝 国 主 義 政 策 。 ベ ル
(Byzantium) め 、3都
、 バ グ ダ ー ド (Baghdad)
市 の 頭 文 字 に 因 ん で 名 づ け ら れ た 。 イ ギ リ ス の3C政
と 争 っ て 第1次
世 界 大 戦 (〓World
〓Berlin-Baghdad 〓p.285図
3-C
リ ン (Berlin) 、 ビ ザ ン チ ン
を 結 ぶ 地 域 を 中 心 に 支 配 を も くろ ん だ た
Railway(
解8「
Policy
3C政
第1次
War
ベ ル リン
策 (〓3-C
Policy)
I) に 至 る 対 立 を 生 ん だ 。 ・バ グ ダ ー ド 鉄 道 )
世 界大 戦 の背 景」
策 イ ギ リ ス の 帝 国 主 義 政 策 。 エ ジ プ ト の カ イ ロ (Cairo) 、 南 ア フ
リ カ の ケ ー プ タ ウ ン (Cape
Town)
、 イ ン ド の カ ル カ ッ タ (Calcutta)
を 支 配 下 に お こ う と し た 。 ド イ ツ の3B( 界 大 戦 (〓World
War
〓p.285図
第1次
Three
解8「
Emperors'
〓3-B
Policy)
を結 ぶ地 帯
政 策 に 対 立 し 、 第1次
世
I) を 招 い た 。 世 界大 戦 の背景 」
Battle(1805)
三 帝会 戦
ア ウス テ ル リ ッ ツ の 戦 い の こ と。 〓Austerlitz,
Three
Battle
Emperors'
of
Entente(1873)
三帝 協約
1873年
、 ド イ ツ ・ ウ ィ ル ヘ ル ム1世
オ ー ス ト リ ア ・ フ ラ ン ツ ・ ヨ ー ゼ フ1世 ン ド ル2世 War)
(〓Alexander
II)の3皇
(〓Ftanz
Josef
(〓Wilhelm
帝 間 で 締 結 。 普 仏 戦 争 (〓Franco-Prussian
の 後 、 フ ラ ン ス の 復 讐 に 備 え て ド イ ツ 首 相 ビ ス マ ル ク (〓Bismarck,
von) が 画 策 し た 保 障 政 策 の 柱 と い わ れ る 。 ほ ど な く 弱 体 化 し 、81年 (Three
Emperors'
I) 、
I) 、 ロ シ ア ・ ア レ ク サ
League/Dreikaiserbund)
Otto
の 三 帝 同盟
に 引 き 継 が れ た 。 三 帝 同 盟 は87年
解散 。 〓Dual
Three
Alliance,
Emperors'
〓Three
Titoism
1879(
ド イ ツ ・オ ー ス ト リ ア 二 国 同 盟 )
League(1881)
Emperors'
Entente(
三帝 同盟
三 帝協 約 )
テ ィ トー 主 義 共 産 主 義 諸 国 の 指 導 者 の 一 部 に み ら れ た 、 反 ス タ ー リ ン (〓Stalin,
Josef
Vissarionovich)
、 反 ソ 連 中 心 共 産 主 義 の 動 き。 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア の 政 治 家
テ ィ トー ( 〓Tito) に 代 表 さ れ 、 ハ ン ガ リー の ラ イ ク (〓Rajk, Tito(Josip
Broz)(1892∼1980)
L〓szl〓)ら が い る。
テ ィ トー (ヨ シ ップ ・ブ ロ ズ )
旧 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア の 軍 人 、 政 治 家 、 大 統 領 (任1953∼ 80)。共 産 主 義 者 と し て 第2次
世 界大 戦 ( 〓World
ユ ー ゴ の 解 放 に 尽 力 し た 。 戦 後 は45年 め た が 、 ス タ ー リ ン (〓Stalin, た め 、48年
Josef
War
II)中 か ら ドイ ツ に 抵 抗 し、
に首相 とな っ て社 会主 義 国家 の 建設 に努 Vissarionovich)
コ ミン フォ ルム ( 〓Cominform)
支 配 を 早 くか ら 拒 否 し た
よ り追 放 され た 。53年
ユ ー ゴス ラ ビ
ア連 邦 初 代 大統 領 に就 任 。 対 外的 に は東 西対 立 に属 さ ない 第三 勢 力 として中立 路 線 を 保 ち 、61年
以 降 は 非 同 盟 主 義 の 中 心 と して 活 躍 した 。 対 内 的 に も独 自 の 社
会 主 義 路 線 を 進 め た 。 ス タ ー リ ン 死 後 の56年 あ だ 名 で 、 本 名 はJosip
に ソ 連 と国 交 を 回 復 。 テ ィ トー は
Broz。
〓Yugoslavia Tojo,
General
Hideki(1884∼1948)
東条 英 機
日本 の 政 治 家 、 陸 軍 軍 人 。1941年 平洋戦争 ( 〓Pacific に 辞 職 。 第2次
世界大戦 ( 〓World
が 未 遂 に 終 わ る。48年A級 International Tories
首 相 とな るが、 太
War) に お け る サ イ パ ン (Saipan)失 陥 の 責 任 を 問 わ れ 、44年
Military
War
II)後 、45年9月
に ピ ス トル 自 殺 を 図 る
戦 犯 と し て 極 東 国 際 軍 事 裁 判 (Tokyo
Tribunal
Tribunal/
for the Far East) で 絞 首 刑 を 宣 告 さ れ た 。
トー リー 党 イ ギ リ ス 保 守 党 (〓Conservative
まっ た、 貴 族 (〓Whigs) Trafalgar,
・大 地 主
Panty) の 前 身 。17世
紀末 頃 か らは じ
・僧 侶 な どの支 持 層 を もつ 王 権 派 の政 党。 ホ イ ッ グ党
と対 立 関 係 に あ っ た 。
Battle
of(1805)
トラ フ ァル ガ ー 沖 の 海 戦
1805年10月
、 ネル ソン ( 〓Nelson,
Horatio) 率 い る イ ギ リ
ス 艦 隊 が 、 ス ペ イ ン の トラ フ ァル ガ ー 岬 沖 の 海 上 で フ ラ ン ス ・ス ペ イ ン 連 合 艦 隊 を敗 った 戦 い。 ナ ポ レオ ン ( 〓Napoleon
I)の イ ギ リ ス 上 陸 が 阻 止 さ れ た 。 ネ ル
ソ ン は この 戦 いで 戦死 。 〓Napoleonic Traps-Siberian
Wars( ナ ポ レ オ ン戦 争 ) Railway
シ ベ リア鉄 道 旧 ソ連 領 内 を東 西 に 走 る世 界 最 長 の 鉄 道 。 フ ラ ン ス
資 本 を 背 景 と し て1891年
か ら 工 事 が は じ ま り、1905年
まで に 東 清 鉄 道
(〓Chinese
Eastern
Railway)
を結ぶ 線 が完 成 。 シ ベ リア開 発
・極 東 政 策 推 進 に
重 要 な 役 割 を 果 た した 。
Transvaal
Republic(1852∼1902)
トラ ン スバ ー ル 共 和 国
ポ ル ト ガ ル 領 ケ ー プ 植 民 地 (〓Cape
Colony)
に 入 植 した オ
ラ ン ダ 系 白 人 の ブ ー ル 人 (Boers) が 建 国 し た 。 ケ ー プ 植 民 地 が1814年 議 (〓Vienna
Congress)
ウ ィ ー ン会
に よ っ て イ ギ リス 領 と な っ た の に と も な い 、 イ ギ リ ス
支 配 を 嫌 っ た ブ ー ル 人 が こ こ を 離 れ て 独 自 の 共 和 国 を 樹 立 、52年
イ ギ リス も こ
れ を 認 め た 。 しか し、 ダ イ ヤ モ ン ドや 金 が 発 見 さ れ た こ と か ら イ ギ リ ス の 侵 略 を 受 け 、 二 度 の ブ ー ル 戦 争 (〓Boer に は 旧 南 ア フ リ カ 連 邦 (Union
of
Wars)
を 経 て 、1902年
South
Africa)
イ ギ リ ス に 併 合 。10年
の 一 州 と な り 、 現 在 は南 ア フ リ
カ 共 和 国 の 一 部 に な り、 北 部 に 位 置 して い る 。 〓South
Treaties
Africa
of
Locarno(1925)
〓Locarno,
Treaty
for
Treaties
the
ロカ ル ノ条約
of
Renunciation
of
War(1928)
パ リ不 戦 条 約
ケ ロ ッ グ ・ブ リ ア ン協 定 の こ と。 〓Kellogg-Briand
Treaty
of
Austrian
〓Austrian
Treaty
of
〓Berlin,
Treaty
of
Pact
State
Treaty
of
〓Brussels,
ベ ル リン条 約
of
Brest-Litovsk(1918)
Treaty
Brussels(1948)
Treaty
オ ー ス ト リア 国 家 条 約
Treaty
Berlin(1878,1926)
〓Brest-Litovsk,
Treaty
State(1955)
ブ レ ス ト ・リ トフ ス ク 条 約
of
ブ リ ュ ッセル条 約 ( 西 ヨー ロ ッパ連合 条約 )
of
Treaty
of
Bucharest(1918)
〓Bucharest,
Treaty
of
〓INF,
Treaty
Treaty
Treaty
Lausanne(1923)
Treaty
Paris(1763,
〓Paris,
Treaty
Treaty
of
Treaty
of
〓Rapallo,
ヌ イ イ条約
of
1783,
1814,
Treaty
Rapallo(1920,
Treaty
1815,
1856,
1898,
of
Portsmouth(1905)
〓Portsmouth,
ド ン 条 約
of
Neuilly(1919)
of
ロ ン
南 京 条 約
Treaty
〓Neuilly,
1915)
of
Nanking(1842)
〓Nanking,
Treaty
, 1913,
Treaty
of
of
of
London(1831
〓London,
Treaty
ロ ーザ ン ヌ条 約
Treaty
of
Treaty
中 距離 核 戦力 全 廃 条約
of
〓Lausanne,
Treaty
of
INF(1987)
of
ブ カ レ ス ト条 約
ポ ー ツ マ ス条 約
of
1922)
of
ラパ ロ条約
1947)
パ
リ 条 約
Treaty
of
Riga(1921)
〓Riga,
Treaty
of
Treaty
of
Treaty
Saint
〓Saint
Treaty
of
San
of
San
Germain(1919)
of
Treaty
サ ンフラ ン シ スコ講 和 条約
Treaty
of
Treaty
サ ン ステ フ ァ ノ条約
of
セ ー ブル条 約
of
Shimonoseki(1895)
of
Treaty
Trianon(1920)
〓Trianon,
Treaty
of
Stefano(1878)
〓Shimonoseki,
Treaty
Treaty
S〓vres(1920)
of
サ ン ジ ェ ル マ ン条 約
Francisco(1951)
Stefano,
〓S〓vres,
Treaty
of
Francisco,
〓San
Treaty
ロ ーマ条 約
Germain,
〓San
Treaty
of
Rome(1957)
〓Rome,
Treaty
リガ条 約
of
Treaty
Treaty
of
ト リア ノ ン 条 約
of
Utrecht(1713)
〓Utrecht,
下関 条約
ユ ト レ ヒ ト条 約
of
Treaty
of
Versailles(1919)
〓Versailles,
Treaty
of
Treaty
ベル サ イユ 条 約
of
Washington(1921)
〓Washington,
ワ シ ン トン 条 約
Treaty
Trianon,Treaty
of
of(1920)
トリアノ ン条 約
1920年6月
調 印 。 第1次
世 界 大 戦 (〓World
War
I) 後 の
連 合 国 側 とハ ン ガ リー との 講 和 条 約 。 ル ー マ ニ ア 、 ユ ー ゴ 、 チ ェ コ に 領 土 を 割 譲 し 、 ハ ン ガ リ ー の 面 積 は3分 〓Paris
Peace
〓Versailles
Settlement( system(
〓p.278図
Trieste
解1「
の1、 パ
人 口 は5分
の1に
減 少 した 。
リ講 和 会 議 )
ベ ル サ イ ユ体 制 )
ベ ル サ イ ユ 体 制 下 の ヨ ー ロ ッパ 」
トリエ ステ
ア ド リ ア 海 (Adriatic Sea) 北 東 岸 の 一 地 域 。 “未 回 収 の イ タ リ ア (Italia irredenta) ”と 呼 ば れ る オ ー ス ト リ ア 領 の 一 部 で あ っ た が 、 第1次 ( 〓World
War
ユ ー ゴ ス ラ ビ ア と の 国 境 地 帯 に 位 置 し て い る こ と か ら、 第2次 ( 〓World 1954年
War
世界 大戦
I)で オ ー ス ト リ アが 敗 れ た た め イ タ リ ア に 奪 回 さ れ た 。 し か し、 世 界 大 戦
II)後 、 そ の 一 部 が ユ ー ゴ に よ っ て 占領 さ れ 国 際 問 題 と な っ た 。
に は イ タ リア ・ ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 間 で 、 同 地 域 を 両 国 で 分 割 す る合 意 が 成
立 して い る。 〓p.282図
Tripartite
解5「 イ タ リア の 統一 」
Pact(1940)
日独 伊 三 国 同 盟
ドイ ツ ・ イ タ リア ・ 日本 間 に お い て1940年 同 盟 。 第2次
世界大戦 ( 〓World
合 国 側 と対 戦 し た 。37年
War
II)で ア メ リ カ
に成 立 した軍 事
・イ ギ リス を 中心 とす る連
の 日独 伊 防 共 協 定 ( 〓Anti-Comintern
Pact) が 発 展 し た
もの。 Triple
Alliance(1882)
三 国 同盟
1882年
か ら1915年
ま で 続 い た ドイ ツ ・オ ー ス ト リ ア ・イ タ リ ア
間 の 秘 密 軍 事 同 盟 。 ドイ ツ と オ ー ス ト リ ア は ロ シ ア に 対 抗 す る た め 、1879年 国 同盟 ( 〓Dual
二
Alliance) を 結 ん で い た が 、 これ を踏 ま え て イ タ リ ア が フ ラ ン ス
に 対 抗 す る 目 的 で 両 国 に 三 国 同 盟 を 持 ち か け た。 ドイ ツ ・ ビ ス マ ル ク
(〓Bismarck,
Otto
von) 外 交 が 目指 し た保 障 機 構 の 中 軸 を な す 軍 事 的 相 互 援 助
条 約 で も あ る 。 イ ギ リス ・フ ラ ン ス ・ロ シ ア に よ っ て 結 ば れ た 三 国 協 商 ( 〓Triple Entente) と の 間 で 対 立 が 続 い た が 、 第1次
世 界大 戦 ( 〓World
War
I)開 戦 後 、
イ タ リ ア が 脱 退 し て 崩 壊 し た。 〓p.285図
Triple
解8「 第1次 世 界 大戦 の 背景」
Entente
三 国協 商 1894年
英
仏
協
ロ シア
商 (〓Anglo-French
Entente)
・ フ ラ ン ス 二 国 同 盟 (〓Dual Entente)
、07年
英
露
協
Alliance)
、1904年
商 ( 〓Anglo-Russian
に よ っ て 形 成 さ れ た イ ギ リ ス ・フ ラ ン ス ・ロ シ ア 間 の 協 力 体 制 。 ド イ ツ ・
オ ー ス トリア
・ イ タ リ ア の 三 国 同 盟 (〓Triple
な 性 格 を も つ に 至 っ た 。17年
Alliance)
ロ シ ア 革 命 (〓Russian
に対 抗 し、軍 事 同盟 的
Revolution)
に よっ て帝 政
ロシ アが 崩壊 す る と ともに解 消。 〓p.285図
解8「
Tripolitanian
第1次
世界 大戦 の 背景」
War(1911∼12)
ト リ ポ リ戦 争
イ タ リ ア ・ トル コ戦 争 の こ と。 〓Italo-Turkish
Trotsky,
Lev
War
Davidovich(1879∼1940)
トロ ツ キ ー
ロ シ ア の 革 命 家 。1917年 Vladimir (October
Ilyich) を 助 け て ロ シ ア 革 命 (〓Russian Revolution)
レ ー ニ ン (〓Lenin, に お け る10月
革 命
を 遂 行 し、 新 政 権 で は 初 代 外 務 人 民 委 員 と して 対 独 講 和
全 権 と な っ た 。 内 戦 時 に は 赤 衛 軍 (Red
Army)
者 と み ら れ た が 、 ス タ ー リ ン (〓Stalin,
Josef
29年
、
Revolution)
を 創 設 して 活 躍 。 レ ー ニ ン の 後 継 Vissarionovich)
派 か ら憎 ま れ て
国 外 追 放 と な る 。 以 後 は 国 外 で 反 ス タ ー リ ン 運 動 に 努 め た が 、40年
に メ キ
シ コに お いて暗 殺 され た。
Truman
Doctrine(1947)
トル ー マ ン 宣 言 1947年3月
Shippe)
、 ア メ リ カ 大 統 領 ト ル ー マ ン (〓Truman,
Harry
が 表 明 し た 、 共 産 主 義 勢 力 の 侵 略 を 受 け る ギ リ シ ャ ・ トル コ へ の 援 助 宣
言 。 従 来 の 外 交 的 孤 立 主 義 (〓isolationism)
か ら転 じ て 、 反 共 と世 界 秩 序 の構 築
に お け る ア メ リカ の 責 任 を 自 認 。 戦 後 ヨ ー ロ ッパ の 復 興 援 助 と して マ ー シ ャ ル プ ラ ン (〓Marshall
Plan)
を 発 す る な ど、 対
Policy) 」を と り 、 冷 戦 (〓Cold
War)
ソ 「封
じ 込 め 政 策 (Containment
が激 化 す るこ ととな った。
Truman,
Harry
Shippe(1884∼1972)
トル ー マ ン
民 主 党 (Democratic (任1945∼53)
。1945年
、F・
ロー ズ ベル
統 領 の 急 死 で 副 大 統 領 よ り 昇 格 、48年
Party) 出 身 の ア メ リ カ 第33代 ト (〓Roosevelt,
Policy)
Doctrine)
territory
Tunisia
世 界 大 戦 (〓World
の 委 任 統 治 領 (〓Mandates)
(〓United
、 外 に は共 産 圏 に対 す る
を とっ た。
信 託 統 治領 第2次
Nations)
大
War)
を、 内 に は社 会 保 障 や最 低賃 金 制 度 の確 立
を 目 指 し た フ ェ ア ・デ ィ ー ル 政 策 (Fair Deal)
Trust
大 統領
Delano)
に 再 選 さ れ た 。 米 ソ の 冷 戦 (〓Cold
の 中 で ト ル ー マ ン 主 義 を 宣 言 し (〓Truman 封 じ 込 め 政 策 (Containment
Franklin
Nations)
War
II)後 、 国 際 連 合 (〓League
に 代 わ っ て 設
の 信 託 統 治 地 域 。trusteeshipと
of
け ら れ た、 国 際 連 盟
も い う。
チ ュニ ジ ア 北 ア フ リ カ 中 央 部 、 首 都 チ ュ ニ ス (Tunis)。 人 口1044万
計 )。 古 代 都 市 国 家 カ ル タ ゴ (Carthago) の 地 を 含 む 。1881年 と な り、1956年
王 国 と して 独 立 、57年
70年 代 か ら は 自 由 主 義
人 (2008年 統
フラ ンス の保 護 領
に共 和 国 とな る。社 会 主 義 化 を進 め た が、
・ 穏 健 路 線 に 転 換 。 しか し 、 石 油 不 況 の た め 国 際 収 支 が
悪 化 して か ら は 、 反 政 府 暴 動 が 頻 発 。 現 在 も複 数 政 党 制 導 入 な ど、 自 由 化 を 模 索 して い る。 〓p.283図
解6「 ア フ リカ の 分割 」
〓p.330地
図〓 ( 現代 の 世界[国 名 と地 図])
TVA
テ ネ シー 渓 谷開 発 公社
〓Tennessee
Valley
Authority
U U-2
Affair(1960)
U2型
機 事件
1960年5月
、 トル コ 基 地 か ら飛 び 立 っ た ア メ リ カ軍 の 偵 察 機 が
ソ 連 の 領 空 に 侵 入 し た た め 、 ソ 連 は モ ス ク ワ 近 くで こ れ を 撃 墜 、 操 縦 士 を 捕 ま え た 。 フル チ シ ョ フ ( 〓Khrushchev,
Nikita
Sergeyevich)
首 相 が こ れ に憤 り 、 同
年 に 予 定 さ れ て い た 米 ・ソ ・英 ・仏 首 脳 に よ る パ リ 巨 頭 会 談 (Summit
Meeting)
は中 止 となっ た。
U-boat
Uボ
ー ト
ド イ ツ で 開 発 さ れ た 潜 水 艦 。 ドイ ツ は両 世 界 大 戦 を 通 じて 水 上 艦 隊 よ り も 潜 水 艦 で 連 合 軍 に 対 抗 し た 。 第2次 ボ ー ト の 大 戦 成 果 は1942年
世 界 大 戦 (〓World
War
II)に お け るU
に 最 高 と な り、 対 英 米 艦 隊 の 撃 沈 量 は 造 船 量 を 上
回 っ て い た 。 しか し、 や が て 連 合 軍 の 対 潜 水 艦 準 備 が 整 うに つ れ 、Uボ
ー ト作 戦
の 効 果 は 減 退 して い っ た 。 Uganda
ウガ ンダ ア フ リ カ 中 央 内 部 に あ る 共 和 国 。 首 都 カ ン パ ラ (Kampala) 。 人 口
3190万
人 (2008年 統 計 )。19世 紀 末 よ り イ ギ リス の 保 護 領 、1962年 に 独 立 。 以 後 、
内 戦 が 続 い て 国 土 は 荒 廃 し て お り、 国 際 通 貨 基 金 (IMF: Monetary
〓International
Fund) の 援 助 を 経 て 経 済 復 興 を 図 り、 マ ク ロ 経 済 は 安 定 し つ つ あ る 。
コ ー ヒー が 主 産 物 。 〓p.283図
解6「 ア フ リカ の分割 」
〓p.330地
図〓 ( 現代 の 世界[国 名 と地 図])
Ulster
アル ス タ ー地方 ア イ ル ラ ン ド島 東 北 部 の 北 方 。17世
紀 に イ ン グ ラ ン ド人 及 び ス コ ッ ト
ラ ン ド人 の 新 教 徒 (プ ロ テ ス タ ン ト)が 植 民 し た 。も と も と9州 か ら な る地 域 だ が 、 こ の う ち プ ロ テ ス タ ン ト系 の6州
は 、1922年
ア イ ル ラ ン ド自 由 国 ( 〓Irish
Free
State)成 立 の 際 に イ ギ リ ス 王 国 内 に と ど ま り、 北 ア イ ル ラ ン ド を 形 成 した 。 残 り 3州 は ア イ ル ラ ン ド国 内 に お い て ア ル ス タ ー 地 方 を 継 承 し て い る 。 北 ア イ ル ラ ン ド内 の 少 数 派 カ ト リ ッ ク教 徒 は 、 ア ル ス タ ー 義 勇 軍 (Ulster Volunteer 〓Irish
Republican
Army)
Force:
を 結 成 して プ ロ テ ス タ ン トに 対 抗 。 南 北 統 一 を 求 め
る テ ロ 抗 争 が90年
代 よ り続 い て い る 。
〓Ireland 〓Ireland,
Ulster
Northern(
Volunteer
北 ア イ ル ラ ン ド)
Force
アル ス タ ー義 勇軍 ア イ ル ラ ン ド共 和 国 軍 (Irish Republican
Army)
の 前
身。 〓IRA
Umberto
II(1904∼83)
ウ ン ベ ル ト2世
イ タ リ ア 王 国 最 後 の 国 王 (位1946.5∼6)
。1946年5月
に
即 位 す る が 、 同 年 連 合 国 占領 下 で 人 民 投 票 を 実 施 した 結 果 、 共 和 制 の 採 用 が 決 定 さ れ た 。 そ の た め 王 制 は 廃 止 され 、 ウ ン ベ ル ト2世 は 短 期 間 で 王 位 を 離 れ ポ ル ト ガ ル に亡 命 した。
UN
国際 連 合
〓United
UNCED
Nations
地 球 サ ミッ ト
〓United
UNDC
Nations
Conference
of
Environment
and
Development
国連 軍 縮 委 員会
〓United
Nations
Underdevelopment
Disarmament
countries/Developing
Commission
countries
発 展途 上 国
先 進 資 本 主 義 国 (Advanced
nations) に
比 べ て 経 済 の 発 展 が 遅 れ て い る 国 。 国 民 所 得 が 低 い こ と、 モ ノ カ ル チ ャ ー (monoculture:
単作 農 法 ) 経 済 の 傾 向 が 強 い こ と、 経 済 の 対 外 依 存 度 が 大 き い こ
と 、 古 い 伝 統 的 な 社 会 構 造 が 残 存 して い る こ と、 第2次
世 界 大 戦 (〓World
II)後 に 独 立 し た 新 興 独 立 国 が 多 い こ と 、 な ど を 特 色 とす る 。 世 界 の 約80% た る120カ
UNESCO
国 あ ま りが 該 当 す る。
国連 教 育科 学 文化 機 関
War にあ
〓United
UNICEF
Nations
Scientific
and
Cultural
Organization
国連 児童 基金
〓United
United
Educational,
Nations
Arab
International
Republic
Children's
Emergency
Fund
ア ラブ連 合共 和 国 1958年2月
、 エ ジ プ ト とシ リ ア が 合 邦 して 成 立 。 初
代 大 統 領 に は エ ジ プ トの ナ セ ル (〓Nasser, ブ 主 義 の 前 進 と さ れ た が 、61年
Gamal
Abdel) 大 統 領 が 就 任 。 大 ア ラ
に シ リ ア が 離 脱 し て 解 消 。 エ ジ プ ト は71年
こ の 名 称 を 継 承 した 後 、 エ ジ プ ト ・ア ラ ブ 共 和 国 (Arab Republic
まで
of Egypt) と改
称 して 現 在 に 至 る 。 〓Egypt
United
Front
(1924∼27,
1937∼46)
国 共 合 作
中 国 国 民 党 (〓Kuomintang/Guomindang) (Chinese
Communist
Party) との 協 力 体 制 。1924年
と中国共産 党
∼27年
の 第1次
は 反 帝 国 主 義 的 民 族 運 動 を 展 開 、 国 民 革 命 を 推 進 した 。26年 の た め の 北 伐 (Northern Kai-shek/Jiang
Expedition)
国共 合 作 で
か ら北 方軍 閥 打 倒
を 行 っ た が 、 途 中27年 に 蒋 介 石 (〓Chiang
Jieshih) の ク ー デ タ ー に よ っ て 両 党 は 分 裂 し た (国 共 分 裂 )。 第
2次 国 共 合 作 は1937年
∼46年 。36年
西 安 事 件 (〓Xi'an
日 本 の 進 出 に 対 す る抗 日 統 一 戦 線 を 展 開 。 第2次
Incident) を機 に 成 立 し、
世界 大 戦 ( 〓World
War
II)後 、
指 導 権 争 い か ら再 び 分 裂 した 。 United
Nations
(UN)
国 際連 合 サ
Conference)
さ れ 、1945年10月24日 で は192カ
ン
フ
ラ
ン
シ ス
に お い て 国 際 連 合 憲 章 (〓Charter
コ 会
of
the
議 ( 〓San
United
に 発 足 し た 。 当 初 の 加 盟 国 は51カ
国 。2009年5月
の 失 敗 に 鑑 み て 、 安 全 保 障 理 事 会 (UNSC:
Council)
の 権 限 を強 化 。 大 国 の 発 言 力 が 大 き か っ た が 、 ア ジ ア
の 加 盟 な ど で 大 国 の 力 は50年
Nations
が採 択 現 在
国 が 加 盟 し て い る 。 平 和 維 持 を 大 目 的 と し 、 国 際 連 盟 (〓League
Nations)
United
Francisco
Nations)
Conference
of
United
Nations
of
Security
・ ア フ リ カ諸 国
代 後 半 か ら低 下 し た 。
Environment
and
Development
(UNCED)
地球 サ ミ ッ ト
環 境 と開 発 に 関 す る 国 連 会 議 。 国 際 連 合 (UN:
〓United
Nations) の
主 催 に よ り、1992年6月 開 催 され 、172カ が 延 べ 約4万
ブ ラ ジ ル の リオ ・ デ ・ ジ ャ ネ イ ロ (Rio de Janeiro) で
国 の 代 表 や 首 脳 、 さ ら に 多 数 のNGOな
人 に 上 っ た 空 前 の 大 会 議 。72年
どが 参 加 し、 参 加 者 数
に ス ト ッ ク ホ ル ム (Stockholm)
で
行 わ れ た 国 連 人 間 環 境 会 議 の20周 年 を 記 念 し、 地 球 環 境 問 題 へ の 関 心 の 高 ま り を 背 景 に 、 国 際 的 合 意 を 目 指 した 。 United
Nations
〓World
United
Disarmament
Disarmament
Nations
Commission(UNDC)
Conference
Educational,
(UNESCO)
国連 軍 縮 委 員会
Scientific
and
Cultural
Organization
国連 教 育 科学 文 化 機関
ユ ネ ス コ。 国 連 ( 〓United
Nations) の 専 門 機 関 。 国 際 交 流 を 通 し
て 、 教 育 ・科 学 ・文 化 の 面 で 世 界 の 平 和 と安 全 に 貢 献 す る こ と を 目 的 と す る 。 本 部 所 在 地 は パ リ。 United
Nations
International
Children's
Emergency
Fund(UNICEF)
国連
児 童 基金 ユ ニ セ フ 。 国 連 (〓United
Nations)
総 会 に お い て 承 認 され た 特 別 機 関 の ひ とつ 。 発 展
途 上 国 (〓Underdevelopment
countries)
の 児童 の 緊急 援 助 の ため に、薬 品
・ミ
ル ク な どの 提 供 を 行 っ て い る 。 本 部 所 在 地 は ニ ュ ー ヨ ー ク 。
Urabi
Pasha
〓Arabi
U
ア ラ ー ビ ー ・パ シ ャ
Pasha
Thant(1909∼74)
ウ ー ・タ ン ト ビ ル マ (〓Burma:
Secretary-General:
任1962∼71)
(〓Hammarskj〓ld, 翌 年 第3代
Utrecht,
Treaty
現 ミ ャ ン マ ー 連 邦 )の 政 治 家 、 国 連 事 務 総 長 (UN
Dag)
。1961年10月
、
ハ
マ
ー
シ
事 務 総 長 に就 任 。 中 国の 国連 加 盟 を実 現 した。
of(1713)
ユ ト レ ヒ ト条 約
ス ペ イ ン継 承 戦 争 の 終 結 に よ っ て 結 ばれ た 条 約 。 〓Spanish
Succession,
ョ
ル
ド
国 連 事 務 総 長 の 飛 行 機 事 故 死 で 暫 定 事 務 総 長 と な る。
War
of
the
V Velasques,
Diego
de
Silva
y(1599∼1660)
ベ ラスケ ス
王権 支 配 に よる絶 対主 義 ( 〓absolutism)
時代
に お け る ス ペ イ ン画 派 の 代 表 。 宮 廷 画 家 と して 、 光 線 の 表 現 に 新 工 夫 を凝 ら し た 肖 像 画 ・風 景 画 が 多 い。
Venezuela
ベ ネズエ ラ 南 ア メ リ カ 大 陸 北 部 の 共 和 国 。 首 都 カ ラ カ ス (Caracas)
2812万
人 (2008年
国 (Gran
統 計 )。1819年
Colombia)
を 構 成 し 、30年
る 石 油 の 大 生 産 国 と な る 。1999年 リ バ ル 共 和 国 (Bolivarian 〓p.334地
Verdun,
。 人 口
に ス ペ イ ン の 支 配 を 脱 して 大 コ ロ ン ビ ア 共 和 に 分 離 独 立 し た 。1919年
以降 、 南米 にお け
、 新 憲 法 発 効 に よ り、 国 名 は ベ ネ ズ エ ラ
Republic
of Venezuela)
・ボ
に な っ た。
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Battle
of(1916)
ベ ル ダ ンの戦 い
第1次 12月8日
世 界 大 戦 (〓World
War
I)中 の1916年2月21日
∼
、 フ ラ ンス の ベ ル ダ ン要 塞 をめ ぐ る独仏 の激 戦 。 北 フ ラ ンス か らパ リ
へ 向 か う ドイ ツ軍 に 対 し、 ペ タ ン (〓P〓tain,
Henri
Philippe) 将 軍 下 の 仏 軍 が 要
塞 を 死 守 。 両 軍 と も35万 人 前 後 の 死 傷 者 を 出 し た 。 Versailles
system
ベ ルサ イユ体 制 第1次
サ イ ユ 条 約 (〓Versailles,
世界 大戦 ( 〓World Treaty
フ ラ ン ス が 国 際 連 盟 (〓League
War
I) 後 、1919年
に結 ばれ た ベ ル
of) を 中 心 に 確 立 さ れ た 国 際 秩 序 。 イ ギ リ ス of Nations)
し か し 、 実 態 は 賠 償 問 題 (〓Reparation
・
の主 導権 を握 って 国 際強 調 を唱 え た。
problem)
を め ぐるフ ラ ンス
・ ドイ ツ の
確 執 、 ア メ リ カ の 国 際 連 盟 不 参 加 な ど の 不 確 定 要 素 が 多 く、 敗 戦 国 ドイ ツ と共 産 主 義 の 台 頭 を 牽 制 す る 戦 勝 国 優 先 の 安 全 保 障 体 制 だ っ た と い え る 。大 戦 後 、サ ン ・ ジ ェ ル マ ン 条 約 (〓Saint
Germain,
of)、 ト リ ア ノ ン 条 約 (〓Trianon,
Treaty Treaty
of) 、 ヌ イ イ 条 約 (〓Neuilly, of) 、 セ ー ブ ル 条 約 (〓S〓vres,
of) の 成 立 に よ っ て 国 際 秩 序 が 形 成 さ れ た 。 し か し 、1929年
Treaty Treaty
世 界 恐 慌 (〓Great
Depression)
の 激 化 で 経 済 が 破 綻 す る と と も に政 情 が 混 乱 。 台 頭 す る フ ァ シ ズ ム
(〓fascism)
に お さ れ て 、1936年
ヒ トラ ー
(〓Hitler,
Adolf)
の ラ イ ン ラ ン ト
(〓Rhineland) 〓Paris
進 駐 を 機 に ベ ル サ イ ユ 体 制 は 崩 壊 した 。
Peace
〓p.278図
Versailles,
Settlement(
解1「
Treaty
パ リ講 和 会 議 )
ベ ル サ イ ユ体 制下 の ヨー ロ ッパ」
of(1919)
ベ ル サ イユ 条 約
1919年6月 ( 〓World Peace
War
ベ ル サ イ ユ 宮 殿 で 調 印 さ れ た 、 第1次
世 界大 戦
I)後 の 連 合 国 側 と ドイ ツ との 講 和 条 約 。 パ リ講 和 会 議 ( 〓Paris
Settlement)
に よ っ て 成 立 した 。 ドイ ツ は ポ ー ラ ン ド、 ベ ル ギ ー 、 チ ェ コ 、
リ トア ニ ア に 領 土 の 一 部 を 割 譲 し、 フ ラ ン ス に は ア ル ザ ス ・ ロ レ ー ヌ 地 方 (〓Alsace-Lorraine) (〓Saar) ( 〓League の1割
を 返 還 。 フ ラ ン ス との 国 境 に あ る鉱 工 業 地 帯 ザ ー ル
と 、 バ ル ト 海 沿 岸 の 港 湾 都 市 ダ ン ツ ィ ヒ (〓Danzig)
of Nations) の 管 理 下 に お か れ た 。 これ に よ り、 ドイ ツ は 面 積
・人 口
を 喪 失 。 そ の 他 海 外 植 民 地 の 喪 失 、オ ー ス ト リ ア との 合 併 厳 禁 、軍 備 制 限 、
賠 償 金 な どの 内 容 を 含 ん だ 。 条 約 の第1編 〓p.278図 Vichy
は国 際連 盟
は 国 際 連 盟 の 規 約 と な っ て い る。
解1「 ベ ル サ イ ユ体制 下 の ヨー ロ ッパ」
France
ビシ ー政 府 第2次
世界 大 戦 ( 〓World
War
II)中 に設 け ら れ て い た フ ラ ン ス
の 親 独 臨 時 政 権 。 本 土 の 半 分 以 上 を ドイ ツ に 占領 され た フ ラ ン ス は 、1940年6 月22日
ド イ ツ に 降 伏 。 同 年 、 全 権 を 掌 握 し た ペ タ ン 元 帥 (〓P〓tain,
Henri
Philippe) は ナ チ ス ・ ドイ ツ (〓Nazis) に協 力 。 フ ラ ン ス 中 部 の 温 泉 地 ビ シ ー を 臨 時 の 首 都 と して 、 親 独 政 権 を樹 立 し た 。44年 Victoria,
Queen(1879∼1901)
ビ ク ト リア 女 王
イ ギ リ ス 女 王 (位1837∼1901) Era)
と呼 ば れ る、政 治
Empire)
消滅 。
。 ビ ク ト リ ア 時 代 (Victorian
・ 経 済 と も に め ざ ま し い 発 展 を 遂 げ た 大 英 帝 国 (British
の 黄 金 時 代 を 現 出 し た 。1877年
以 降 は イ ン ド 皇 帝 (Empress
of
India)
を兼 ね た。
Vienna
Congress(1814∼15)
ウ ィ ーン会 議
1814年9月 Revolution)
か ら15年6月
と ナ ポ レ オ ン戦 争 ( 〓Napoleonic
に か け て 、 フ ラ ン ス 革 命 (〓French Wars) の 処 理 の た め に ウ ィ ー ン で
開 か れ た 国 際 会 議 。 革 命 や 戦 争 で 変 動 し た 領 土 ・主 権 を も との 状 態 に回 復 し よ う と い う正 統 主 義 (legitimism) と ヨ ー ロ ッパ 諸 国 の 勢 力 均 衡 と を 二 大 原 則 と して 進 め ら れ た が 、 大 国 の 利 益 に 応 じ た 領 土 変 更 が 大 半 を 占 め た 。 そ の た め、 会 議 の 中 心 とな っ た イ ギ リ ス 、 ロ シ ア 、 オ ー ス ト リ ア 、 プ ロ イ セ ン の 間 で 利 害 が 対 立 して い た が 、 ナ ポ レ オ ン1世
( 〓Napoleon
I)が 流 刑 地 エ ル バ (Elba)島 を 脱 出 し た と
の 報 を き っ か け に 妥 協 が 成 立 。15年6月 Vienna
Congress)
ト (〓Rhineland) Colony)
を 、 イ ギ リ ス は セ イ ロ ン (〓Ceylon)
を 獲 得 。
Confederation)
Viet
、 各 国 は ウ ィ ー ン 議 定 書 (Treaty
を 締 結 し た 。 こ の 結 果 、 プ ロ イ セ ン (〓Prussia)
プ ロ イ セ ン、 オ ー ス
of
は ラ イ ンラ ン
、 ケ ー プ 植 民 地 (〓Cape
ト リ ア は
ド イ ツ 連
邦 (〓German
を 形 成 し 、 ウ ィ ー ン 体 制 と呼 ば れ る保 守 体 制 が 敷 か れ た 。
〓p.284図
解7「
ウ ィー ン体制 下 の ヨーロ ッパ 」
Cong
ベ トコ ン 南 ベ ト ナ ム 解 放 民 族 戦 線 (National
結 成 。 南 ベ ト ナ ム (ベ ト ナ ム 共 和 国 の干 渉 とゴ
・デ ィ ン
組 織 され た 。 愛 国
:Republic
・ デ ィ エ ム (〓Ngo
・民 主
Liberation of
Dinh
Viet
Diem)
Front) Nam)
。1960年12月
にお け るア メ リカ
政 権 の 悪 政 に抗 す る た め に
・平 和 を 求 め る 共 産 主 義 者 ・民 族 主 義 者 か ら 仏 教 徒
・カ
ト リ ッ ク 教 徒 ま で を 内 包 し た 、 民 族 ・民 主 統 一 戦 線 。 善 戦 し て 解 放 区 を 拡 大 し た 。 〓Vietnam
Viet
War(
Minh
ベ トナ ム戦争 )
ベ ト ミ ン (越 盟 ) ベ ト ナ ム 独 立 同 盟 。1941年5月
ン (〓Ho
Chi
Minh)
結 成 の民族 統 一戦 線 。 ホ ー
が 指 導 し 対 日 武 装 抵 抗 を 展 開 。45年9月
し た ベ ト ナ ム 民 主 共 和 国 (Democratic
Republic
of Viet
Viet
Nam
Viet
Front)
・ ミ
に独 立 宣 言 を 果 た
Nam)
の 主 体 とな る。 植
民 地 支 配 を も く ろ む フ ラ ン ス に 対 す る 闘 争 の 主 力 と な り 、51年 線 (Lien
・チ
ベ トナ ム 祖 国 戦
に発 展解 消 。
ベ トナ ム イ ン ドシ ナ 半 島 東 半 分 を 占 め る社 会 主 義 共 和 国。 首 都 ハ ノ イ
(Hanoi) 。 人 口8854万 Wars)
人 (2008年
(〓French (〓World
Inda-China) War
Minh)
Nam)
ナ ポ レ オ ン 戦 争 (〓Napoleonic
か ら は フ ラ ンス 領 イ ン ドシ ナ 連 邦
の 一 部 と し て 植 民 地 支 配 を 受 け た 。 第2次
II) 中 は ベ ト ミ ン (〓Viet
日 武 装 闘 争 の 結 果 、1945年9月 Viet
統 計 )。1858年
に よ っ て フ ラ ン ス に 侵 入 さ れ 、87年
Minh)
に ベ ト ナ ム 民 主 共 和 国 (Democratic
と して 独 立 宣 言 を発
世 界 大 戦
を結成 して民 族 運 動 を展 開。 抗
した。 大 統 領 は ホ ー ・ チ
Republic
・ ミ ン (〓Ho
of Chi
。 独 立 後、 植 民 地 支 配 の 復 権 を 目指 す フ ラ ンス との 間 に イ ン ドシ ナ戦 争
(〓Indo-China
War)
よ っ て 北 緯17度
に 停 戦 ラ イ ン が 設 け ら れ 、 北 ベ ト ナ ム (ベ ト ナ ム 民 主 共 和 国 )と
が 勃 発 。54年
南 ベ ト ナ ム (ベ ト ナ ム 共 和 国 ム で は55年 Diem)
ジ ュ ネ ー ブ 協 定 (〓Geneva
:Republic
of
、 ア メ リカ の 支 援 を 受 け る ゴ
首 相 が バ オ ダ イ (〓Bao
Viet
Nam)
・ デ ィ ン
Agreements)
に
に 分 断 さ れ た 。 南 ベ トナ ・ デ ィ エ ム (〓Ngo
Dinh
Dai) を 追 放 し て 大 統 領 に 就 任 、 独 裁 を 開 始 し た 。
ベ ト ナ ム 統 一 と 解 放 の た め に 結 成 さ れ た ベ ト コ ン (〓Viet
Cong)
は、政 府 軍
・ア
メ リ カ に 抵 抗 して 長 期 に わ た る 内 戦 に 突 入 し 、65年 (〓Vietnam
War) が 続 い た 。76年7月
主 義 共 和 国 (Socialist Republic
か ら73年
まで ベ トナム戦 争
に 南 北 の 統 一 が 実 現 して 、 ベ トナ ム 社 会
of Viet
Nam)
が 誕 生 。 現 在 は 経 済 の ドイ モ イ
(Doi Moi) と呼 ば れ る 刷 新 政 策 を 図 っ て い ろ 。 〓p.332地 Vietnam
図〓 ( 現代 の世界[国 名 と地 図])
War(1965∼75)
ベ トナ ム 戦 争
1965年2月
か ら75年4月
カ の 侵略 に 対 す るベ トナ ムの 防 衛 Republic
の サ イ ゴ ン陥落 まで続 いた 、 ア メ リ
・ 解 放 戦 争 。 南 ベ トナ ム (ベ ト ナ ム 共 和 国
of Viet Nam) の ゴ ・ デ ィ ン ・ デ ィ エ ム ( 〓Ngo
Dinh
:
Diem) 大 統 領 を
支 援 し反 共 軍 事 体 制 を 築 こ う とす る ア メ リ カ に 対 し て 、 共 産 主 義 者 ・民 族 主 義 者 ら は 、60年
に 南 ベ トナ ム 解 放 民 族 戦 線 ( 〓Viet
ラ 戦 を 展 開 。 こ の 内 戦 時 期 を 経 て 、65年 主共 和 国
:Democratic
Republic
Cong:
ベ トコ ン)を 結 成 して ゲ リ
、 ア メ リカ 軍 は 北 ベ トナ ム ( ベ トナ ム 民
of Viet
Nam)
に対 して も、 ベ ト コ ン 支 援 を 阻
止 す る た め に 北 爆 を 開 始 、 大 幅 に 兵 力 を 増 強 し た 。67年 力 は 約53万
人 に達 し、 朝 鮮 戦 争 ( 〓Korean
に は ア メ リカ軍 側 の兵
War) の 規 模 を超 え た 。 ア メ リ カ参 戦
に対 す る 世 界 の 非 難 は 大 き く、 戦 線 が 泥 沼 化 す る 中 で 国 際 的 に も孤 立 。 ア メ リ カ の 経 済 や 社 会 的 道 義 は 低 下 し、 そ の 威 信 を 失 墜 さ せ た 。68年
か らパ リ で 和 平 会
談 に 入 り73年 に停 戦 協 定 が 成 立 、 米 軍 は撤 兵 した 。 Vittorio
Emanuele
II(1820∼78)
ビ ッ ト リ オ ・エ マ ヌ エ レ2世 ビ ク トル
も い う。 サ ル ジ ニ ア 王 ( 位1849∼61)
・ エ マ ヌ エ ル (Victor Emanuel)
、 初 代 イ タ リア国 王 ( 位1861∼78)
と
。1849
年 父 王 を 継 い で サ ル ジ ニ ア (Sardegna) の 王 位 を 継 ぐ と、 首 相 に カ ブ ー ル (Cavour,
Camillo
Benso
di)を 起 用 して 近 代 化 に 努 め た 。 イ タ リ ア 統 一 戦 争
(War of the Italian Unification) を 起 こ して オ ー ス ト リ ア を 敗 り、61年
イ タ リア
王 国 の成 立 を導 き、 初代 国 王 とな った。 〓Risorgimento( 〓p.282図 Vittorio
リ ソ ル ジ メ ン ト :イ タ リ ア 統 一 運 動 )
解5「 イ タ リア の統一 」
Emanuele
III(1869∼1947)
い う。 イ タ リア国王 ( 位1900∼46)
ビ ッ トリ オ ・エ マ ヌ エ レ3世 ビ ク トル
・ エ マ ヌ エ ル (Victor Emanuel)
。 第1次
世 界大 戦 ( 〓World
危 機 に 際 して フ ァ シ ズ ム (〓fascism)
War
とも
I)後 の 社 会
内 閣 の 成 立 を助 け た が 、 逆 に 国 王 権 力 を 削
減 さ れ る 。戦 後 は 国 王 の フ ァ シ ズ ム へ の 責 任 を 問 わ れ 、1946年
に正 式 に 退 位 し た 。
同 年 イ タ リ ア は 共 和 国 と な り、 サ ル ジ ニ ア (Sardegna) 王 国 時 代 か ら 君 臨 し た サ ボ ー イ ア (Savoy) 王 家 の 支 配 は 終 了 し た 。
W Walesa,
Lech(1943∼)
ワ レサ
ポ ー ラ ン ドの 政 治 家 、 連 帯 (Solidarity)議 長 、 大 統 領 ( 任1990∼ 95)。1980年
、民 主 化 運 動 の 中 心 と な っ た 自 主 管 理 労 働 組 合 「連 帯 」の 議 長 に 就 任 。
81年 末 か ら は約1年
間 拘 留 さ れ る が 、 釈 放 後 に は 「連 帯 」復 権 を 要 求 、 複 数 政 党
制 が 導 入 さ れ た 後 、90年 Peace
に 大 統 領 と な っ た 。83年 、 ノ ー ベ ル 平 和 賞 (Nobel
Prize)受 賞 。
〓Poland Wall
Street
〓Great
War
in
of
the
the
〓Austrian
Warsaw
世 界 恐慌
Depression
〓Pacific
War
Crash
Pacific(1941∼45)
太平 洋 戦争
War
Austrian
Succession(1740∼48)
Succession,
Pact(1955)
War
the
ワル シャ ワ条約 東 欧8カ
Assistance
of
オ ー ス トリ ア 継 承 戦 争
Treaty)
国 友 好 相 互 援 助 条 約 (Eastern
。1955年5月
European
ス ロ バ キ ア 、 ハ ン ガ リ ー 、 ル ー マ ニ ア 、 ブ ル ガ リ ア 、 ア ル バ ニ ア の8カ 軍 事 協 定 。 条 約 に も とづ き ワ ル シ ャ ワ 条 約 機 構 (Warsaw を 結 成 し 、 北 大 西 洋 条 約 機 構 (NATO:
〓North
や 西 ド イ ツ の 再 軍 備 に 対 抗 し た 。91年7月1日
Washington
Conference(1921∼22) 第1次
Mutual
調 印 。 ソ 連 、 ポ ー ラ ン ド、 東 ド イ ツ 、 チ ェ コ
Atlastic
Treaty
国 に よ る
Organization)
Treaty
Organization)
、加盟 国首 脳会 議 に よ って解 体 。
ワ シ ン トン 会 議 世 界 大 戦 (〓World
る た め 、 米 大 統 領 ハ ー デ ィ ン グ (Harding,
Warren
War
I) 後 の 極 東 情 勢 に 対 応 す
Gamaliel)
の 提 唱 で開 催 され
た 。 海 軍 軍 縮 条 約 (Washington
Naval
Treaty)
Pacific
、4カ
国 条 約 (Four
Power
Trealy)
、9カ
Treaty)
国 条 約 (Nine
Power
を締 結 。 こ れ に よ っ て 、 戦 後
の ア メ リ カ の 国 際 的 発 言 力 が 増 大 し た。
〓 Washington,
Washington
Treaty
Naval
of( ワ シ ン ト ン 条 約 )
Treaty(1922)
ワ シ ン トン 海 軍 軍 縮 条 約
ワシ ン トン条約 の一 部 。
〓 Washington,
Washington,
Treaty
Treaty
of
of(1921)
ワ シ ン トン 条 約
第1次
世 界 大 戦 (〓World
た ワ シ ン ト ン 会 議 (〓Washington ア メ リカ ・日 本 の9カ
War
Conference)
I) 後 、1921年
・
・フ ラ ン ス ・イ タ リ ア ・ポ ル ト ガ ル ・ベ ル ギ ー ・ オ ラ ン ダ ・ 中 国
国 が 参 加 し た 。 次 の3条
約 に よ っ て 構 成 され て い る。
〓 ワ シ ン ト ン 海 軍 軍 縮 条 約 (Washington
Naval
Treaty)
日 ・仏 ・伊 の 主 力 艦 隊 保 有 比 を5:3:3:1.67:1.67と 〓9カ
に開催 され
で採 択 され た条 約 。 イ ギ リス
国 条 約 (Nine
Power
Treaty)
:1922年
:1922年
調 印。 英
・米
・
定 めた。
調 印 。 中 国の 主 権
・ 独 立 を尊 重 、
領 土 保 全 、 機 会 均 等 、 門 戸 開 放 を 約 した 。 〓4カ
国 条 約 (Four
Power
Pacific
Treaty)
:1921年
調 印。 米
・英
・仏
・ 日が 、
太 平 洋 域 の 領 土 と権 益 の 相 互 尊 重 な ど を 約 した 。
Watergate
Affair(1973)
ウ ォ ー タ ー ゲ ー ト事 件 1972年6月
Party)
の ア メ リ カ 大 統 領 選 挙 の 際 、 共 和 党 (Republican
の 現 職 大 統 領 で あ っ た ニ ク ソ ン (〓Nixon,
主 党 (Democratic
Party)
の 事 務 所 (Watergate
Richard Building)
Milhous)
が 、政 敵 民
に盗聴 器 を設 置 す る よ
う 指 示 し て い た こ と が 発 覚 し て 起 こ っ た 、 政 治 ス キ ャ ン ダ ル 事 件 。73年 化 し 、74年
Waterloo,
上 院 で の 弾 劾 裁 判 に お い て 大 統 領 が 解 任 され る 結 果 とな っ た 。
Battle
of(1815)
ワー テル ロー の戦 い 1815年6月
ス
に問 題
・プ ロイ セ ン
、 ナ ポ レ オ ン1世
・ オ ラ ン ダ 連 合 軍 と の 戦 い 。14年
さ れ て い た ナ ポ レ オ ン は 、翌15年
(〓Napoleon
I) と イ ギ リ
の 失 脚 後 エ ル バ (Elba) 島 に 流
再 起 を 図 っ て 脱 出 、パ リ に 戻 っ て 帝 位 に 復 した 。
しか し 、 ブ リ ュ ッセ ル 南 東 の 地 ワ ー テ ル ロ ー で 連 合 軍 と 交 戦 、 これ に 敗 れ て セ ン ト ・ヘ レ ナ (St. Helena)
〓 Hundred
島 に流 さ れ た 。
Days( ナ ポ レ オ ン 百 日 天 下 )
Webb,
Sidney
and
Beatrice
ウ ェ ッブ夫妻 夫
妻
:Beatrice
Webb
Potter
:Sidney
James
Webb
(1859∼1947)
(1858∼1943)
イ ギ リ ス の 社 会 民 主 主 義 者
・ 社 会 学 者 。 夫 シ ド ニ ー は 、 労 働 党 (〓Labour
Party) の 前 身 で あ る 社 会 主 義 者 団 体 フ ェ ビ ア ン 協 会 (Fabian
Society)
指 導 し た 。 マ ク ド ナ ル ド (〓MacDonald,
労働 党 内閣 で 商相
植 民 相 を 歴 任 。 妻 は 労 働 組 合 (trade
James unions)
Ramsay)
、 救 貧 法 (〓Poor
Law)
を理 論 的 に ・
な どの 研 究
で 知 ら れ 、 夫 妻 で 協 力 し て 著 作 活 動 な どを 行 っ た 。
Weimar
Republic
ワ イマ ール共 和 国 1918年
の ド イ ツ 革 命 (〓German
ド イ ツ 共 和 国 の 通 称 。19年 Constitution)
、
Revolution)
後 に成 立 した
ド イ ツ 国 憲 法 (ワ イ マ ー ル 憲 法
が ワ イ マ ー ル の 国 民 議 会 (National
Assembly)
:Weimar
に お い て制 定 され
た こ と に 因 ん で い る 。 民 主 的 憲 法 で あ っ た が 、 実 際 は ブ ル ジ ョ ワ 民 主 主 義 ・形 式 的 議 会 主 義 の 枠 を 出 ず 、 左 翼 革 命 と右 翼 反 動 に 揺 さ ぶ ら れ つ つ 自 ら 右 傾 化 し、 33年
ヒ トラー
(〓Hitler,
Adolf)
内 閣 の 成 立 に よ っ て ナ チ ス (〓Nazis)
に 倒 され
た。
Wellington,
Arthur
Wellesley
(1769∼1852)
ウ ェ リ ン トン
イ ギ リ ス の 軍 人 、 政 治 家 、 首 相 (任1828∼30) 1815年 Battle
ナ ポ レ オ ン (〓Napoleon
。
I) 軍 と の ワ ー テ ル ロ ー の 戦 い (〓Waterloo,
of) で は 、 イ ギ リ ス 軍 司 令 官 と し て パ リ を 再 占 領 。 こ れ に よ っ て ナ ポ レ オ
ン の 百 日 天 下 (〓Hundred (〓Vienna
Congress)
Days)
は 終 わ っ た 。1814年
か ら の ウ ィ ー ン会 議
で は 全 権 大 使 を 務 め て 、 後 に 首 相 と な り保 守 政 界 の 長 老
と して 重 き を な した 。
Wesley,
John
(1703∼91)
ウ ェス リー
イ ギ リ ス の 神 学 者 で 、 メ ソ ジ ス ト (Methodist) 1738年
教 会 の 創 始 者 。
、 信 仰 の 規 律 を 重 ん じ る プ ロ テ ス タ ン トの 一 派、 モ ラ ビ ア 兄 弟 団
(Moravian
Brethren)
の 影 響 を 受 け て 回 心 し、 以 後 イ ギ リ ス 各 地 で 伝 道 。 愛 に お
け る人 間 の 完 全 性 に つ い て 説 (〓Anglican
Church)
く。 彼 の 経 験 主 義 的 運 動 は イ ギ リ ス 国 教 会
に は 認 め ら れ な か っ た た め 、 メ ソ ジ ス ト運 動 を 起 こ し た 。
死 後 、 こ の 運 動 は 国 教 会 か ら分 離 した 。
Western
European
Union(WEU)(1955)
西 ヨ ー ロ ッパ 連 合 1955年5月
欧 連 合 と も い う 。48年
に 結 ば れ た イ ギ リス
・ フ ランス
発 足 。 西欧 同盟 、 西 ・ ベ ネ ル クス 三 国 に よ る
ブ リ ュ ッ セ ル 条 約 (〓Brussels,
Treaty
of)が 発 展 的 に 解 消 し、54年11月
西 ドイ ツ 、
イ タ リ ア を 加 盟 国 に 、 ア メ リ カ 、 カ ナ ダ を提 携 国 と し て 加 え て 成 立 。 翌 年 正 式 発 足 し た。 軍 事 〓North
West
・ 経 済 に お け る 相 互 協 力 を う た い 、 北 大 西 洋 条 約 機 構 (NATO:
Atlantic
Germany
Irian
Organization)
との 関 係 も 深 い
。
西 ドイ ツ
〓Germany,
West
Treaty
West
西 イ リア ン オ ー ス ト ラ リ ア 北 方 に 位 置 す る ニ ュ ー ギ ニ ア (New
西 部 。1828年 〓p.332地
Westminster,
Guinea)
島 の
に オ ラ ン ダ が 領 有 した 。 現 在 は イ ン ドネ シ ア 領 。 図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
Statute
of(1931)
ウ ェ ス トミ ン ス タ ー 憲 章 1926年
で 発 せ ら れ た 宣 言 を31年
の イ ギ リ ス 帝 国 議 会 (Imperial
Conference)
に立 法 化 した もの。 本 国 と自治 領 とは平 等 で 王 に対 す
る 共 通 の 忠 誠 で 結 ば れ る 、 と 規 定 し た 。 こ れ に よ り 、 イ ギ リ ス 帝 国 (〓British Empire)
に 代 わ っ て イ ギ リ ス 連 邦 (〓British
は 、 カ ナ ダ 、 ア イ ル ラ ン ド 自 由 国 (〓Irish ジ ー ラ ン ド 、 南 ア フ リ カ 連 邦 (Union ド (New
WEU
Foundland)
of
Commonwealth) Free
South
が成 立 。 自治領 と
State) 、 オ ー ス ト ラ リ ア 、 ニ ュ ー Africa)
、ニ ュー フ ァウ ン ドラ ン
を指 す 。
西 ヨ ー ロ ッパ 連 合
〓Western Whigs
European
Union
ホ イ ッグ 党 イ ギ リス 自 由 党 (〓Liberal
Party) の 前 身 。17世 紀 後 半 か ら トー リ ー 党
( 〓Tories) と対 立 し た 政 党 。 王 権 派 の トー リー 党 に 対 し て 民 権 を 主 張 した 。 WHO
世 界保 健 機 構
〓World
Wilhelm
Health
I(1797∼1888)
Organization
ウ ィ ル ヘ ル ム1世 プ ロ イ セ ン 王 (位1861∼88)
。 英 語 で はWilliam
I。
ドイ
ツ帝 国 初 代 皇 帝 ( 位1871∼88)
。1858年
以 降 摂政 。 プ ロ イセ ン ( 〓Prussia) 王 に
即 位 後 、 兵 制 改 革 を 企 て て 議 会 の 産 業 資 本 家 層 と対 立 。 首 相 に ビ ス マ ル ク (〓Bismarck,
Otto
von) を 起 用 し て 軍 備 拡 張 を 強 行 、 鉄 血 政 策 ( 〓Blood
Iron) を 推 進 した 。71年
ドイ ツ 統 一 に 成 功 し ドイ ツ帝 国 (〓German
and
Empire)
を
建 国 、 初 代 皇 帝 とな っ た 。 Wilhelm
II(1859∼1941)
ウ ィル ヘ ル ム2世 プ ロ イ セ ン王 ・ ドイ ツ皇 帝 ( 位1888∼1918)
William
II。1890年
。英語では
に 内 外 政 策 を め ぐっ て 対 立 して い た ビ ス マ ル ク (〓Bismarck,
Otto von) を 引 退 さ せ て 親 政 と し、 積 極 的 な 世 界 政 策 ・軍 備 拡 張 を 展 開 。 や が て イ ギ リ ス と の 対 立 を 深 め た 。 第1次
世界大戦 ( 〓World
War
I)に 敗 れ て 、 オ ラ
ン ダへ 亡 命 。
William
I(German)
〓Wilhelm
William
ウ ィル ヘ ル ム1世
I
II(German)
〓Wilhelm
Wilson,
ウ ィ ル ヘ ル ム2世
II
Harold(1916∼95)
ハ ロ ル ド ・ウ ィ ル ソ ン イ ギ リス の 政 治 家
(〓Labour
Party) 。 第1次
・ 首 相 (任1964∼70、74∼76)
内 閣 で は 、 デ フ レ 政 策 の 強 化 、 ポ ン ド切 り 下 げ 、 国
防 費 削 減 、 鉄 鉱 産 業 再 国 有 化 法 案 (〓Industry, 第2次
Wilson,
。 労 働 党
Nationalization
of) な ど を 実 現 。
内 閣 で も軍 事 費 削 減 な どで 斜 陽 大 国 の 経 済 地 盤 沈 下 防 止 に 努 力 した 。
Woodrow(1856∼1924)
ウ ッ ドロ ー
・ウ ィ ル ソ ン
ア メ リ カ の 政 治 家 、 第28代 (Democratic
。 民 主 党
Party) 。 国 内 で は 、 関 税 引 き 下 げ 、 反 ト ラ ス ト 法 制 定 な ど 新 自 由
主 義 を 唱 え た 。 ま た 、 国 際 的 に は 第1次 カ 条 (〓Fourteen 和 賞 (Nobel
大 統 領 (任1913∼21)
Peace
世 界 大 戦 (〓World
War
Points) の 和 平 案 の 提 唱 者 と し て 名 を 高 め 、1919年 Prize) を 受 賞 。 しか し 、 イ ギ リ ス
I) に お け る14 ノー ベ ル平
・ フラン スの帝 国 主 義 的要
求 を 認 め ざ る を え な く な り、 そ の 理 想 主 義 は 色 あ せ た 。
Witte,
Sergei
Yulievich(1849∼1915)
ウ ィッテ
ヴ ィ ッ テ と もい う。 ロ シ ア の 政 治 家 。 蔵 相 と して 外 資 の
導 入 、 金 本 位 制 の 確 立 、 シ ベ リ ア 鉄 道 (〓Trans-Siberian
Railway)
資 本 主 義 の 発 展 に 貢 献 し た が 、 武 力 に よ る 満 州 (〓Manchuria) 1903年
蔵 相 を 辞 任 。05年
約 (〓Portsmouth,
日 露 戦 争 (〓Russo-Japanese
Treaty
の敷 設 に努 め、 支 配 に 反 対 して
War)
後 の ポー ツマ ス条
of)の 締 結 に 際 し て 、 全 権 大 使 と し て 交 渉 を 有 利 に 進
め た。
World
Bank
世界 銀 行 国
Reconstruction Nations)
際
and
復
興
開
発
銀
Development)
行 (IBRD:
の
〓International
こ と 。1947年
Bank
for
設 立 。 国 連 (〓United
の専 門 機 関 で あ る。 資 本 金 は加 盟 国 に割 り当 て られ、 戦 災 国 の 復 興 と
発 展 途 上 国 開 発 の 融 資 を 目 的 と す る。 〓Bretton
World
Woods
Disarmament
Agreement(
ブ レ ト ン ・ウ ッ ズ 協 定 )
Conference
国連 軍 縮委 員 会 安 全 保 障 理 事 会 (UNSC:
Security
United
Nations
Council) の 補 助 機 関 の ひ とつ 。 一般 軍 縮 と核 兵 器 管 理 の た め に 、1952
年 以 降 活動 を開始 した。 World
Economic
〓Great
World
Crisis 世 界 恐 慌
Depression
Health
Organization(WHO)
世 界保 健 機 構 1948年
( 〓United
に 発 足 し た、 国 連
Nations) の 専 門 機 関 の ひ とつ 。 各 国 に お け る 保 健 事 業 の 指 導 調 整 、
国 連 衛 生 条 約 の 提 案 ・勧 告 、 医 薬 品 の 国 際 的 標 準 化 、 人 口 問 題 の 研 究 調 査 な ど を 目 的 と して い る 。 World
War
I(1914∼18)
第1次
世界大戦
1914年7月28日
か ら18年11月11日
を 中 心 に 起 こ っ た 最 初 の 世 界 戦 争 。19世
まで、 主 に ヨー ロ ッパ
紀 以 来 、 帝 国 主 義 (〓imperialism)
諸 国
の対 立図 式 は、 以 下 に示 す よ うな重層 的側 面 を もって い た。 〓
ド イ ツ 、 イ タ リ ア 、 オ ー ス ト リ ア の 三 国 同 盟 (〓Triple
フ ラ ン ス 、 ロ シ ア の 三 国 協 商 (〓Triple 〓 ロ シ ア の 汎 ス ラ ブ 主 義 (〓Pan 主 義 (〓Pan
Alliance)
対 イ ギ リス 、
Entente)
Slavism)
対 ドイ ツ ・ オ ー ス ト リ ア の 汎 ゲ ル マ ン
Germanism)
〓 イ ギ リ ス の3C政
策 (〓3-C
Policy)
対 ド イ ツ の3B政
策 (〓3-B
Policy)
〓 ドイ ツ と フ ラ ンス の 歴 史 的 対 立 〓 オ ース トリア とロシ ア の利害 関 係 な ど で あ る 。 こ れ ら 諸 対 立 の 緊 張 が 、14年
に セ ル ビ ア (〓Serbia)
とオー ス ト リ
ア と の 民 族 対 立 に よ っ て 引 き 起 こ さ れ た サ ラ エ ボ 事 件 (〓Sarajevo, Assassination
at)で 爆 発 。 イ ギ リ ス 、 フ ラ ン ス 、 ロ シ ア 、 セ ル ビ ア の 協 商 国 対
ドイ ツ 、 オ ー ス ト リ ア、 ハ ン ガ リー の 同 盟 国 の 世 界 大 戦 へ と発 展 し た 。 前 者 に は 日 本 ・イ タ リ ア ・ル ー マ ニ ア が 、 後 者 に は トル コ ・ブ ル ガ リ ア が 参 加 して 戦 争 は 拡 大 、 泥 沼 化 した 。17年4月 命 (〓Russian
Revolution)
の ア メ リカ 参 戦 で 均 衡 が く ず れ 、 同 年 ロ シ ア に 革 が 起 こ り、 翌18年9月
に ブ ル ガ リ ア 、10月
に トル コ
が 降 伏 し た 。 続 い て10月 末 ドイ ツ ・ オ ー ス ト リア に 革 命 が 起 こ り、11月 降 伏 し 終 戦 とな っ た 。19年 パ リ講 和 会 議 ( 〓Paris サ イ ユ 条 約 (〓Versailles,
Treaty
Peace
Settlement) が 開 催 され 、 ベ ル
of)を 中 心 とす るベ ル サ イ ユ 体 制 (〓Versailles
system) が 確 立 さ れ た 。 〓Balkan
Question(
バ ル カ ン問題 )
〓Eastern
Question(
〓p.278図
解1「 ベ ル サ イ ユ 体制 下 の ヨー ロ ッパ 」
〓p.285図
解8「 第1次 世 界 大戦 の背 景」
World
War
東 方問 題)
II(1939∼45)
第2次
世 界 大戦
1939年9月1日
∼45年8月15日
ん で 行 わ れ た 、 連 合 国 側 と枢 軸 国 側 ( 〓Axis:
。 地 球 上の 大 部 分 を 巻 き 込
日独 伊 )の 史 上 最 大 の 戦 争 。
〓 イ ギ リ ス ・ フ ラ ン ス ・ア メ リ カ な ど の 帝 国 主 義 (〓imperialism)
に対 す る、 日
独 伊 な ど枢 軸 国 家 群 の フ ァシ ズ ム ( 〓fascism) に よ る世 界 再 分 割 戦 争 〓 フ ァシ ズ ム に 対 す る、 ソ 連 を 含 む 全 連 合 国 に よ る民 主 主 義 の 戦 い 〓 フ ァ シ ズ ム の 侵 略 と支 配 に 対 す る 諸 民 族 の 独 立 と抵 抗 の 戦 い と い う3面
か ら と ら え る こ と が で き る。 帝 国 主 義 国 、 枢 軸 国 、 諸 民 族 が 複 雑 に 結
合 ・対 立 して 発 展 して い っ た 。 戦 況 は、 初 期 は 枢 軸 側 が 優 勢 で あ りな が ら 、 最 終 的 に はそ の完 敗 に終 わ っ た。 〓Pacific 〓Potsdam 〓San 〓Yalta
War( 太 平 洋 戦 争 ) Conference(
Francisco
ポ ツ ダ ム 会談 )
Conference(
Conference(
サ ン フ ラ ン ス ス コ会 議)
ヤ ル タ会談 )
X Xi'an
Incident(1936)
西 安 事件 1936年12月12日
(〓Chiang
Kai-shek/Jiang
Jieshih)
、 中 国
の 西 安 (Xi'an/Sian)
で 蒋 介
が 監 禁 さ れ た 事 件 。 張 学 良 (Chang
liang) が 、 国 民 党 (〓Kuomintang/Guomindang)
石
Hsueh-
と共 産 党 の 内 戦 を 停 止 させ 、
日本 の 進 出 に 対 す る 挙 国 抗 日 を 図 ろ う と し て 実 行 し た もの で 、 両 党 が 和 平 案 に 合 意 し て 事 件 は 解 決 。 こ れ を 機 に 国 共 合 作 (〓United 戦 線 が結 成 され た。
Front)
が 成 立 し、 対 日 統 一
Y Yalta
Conference(1945)
ヤル タ会 談
1945年2月 て 行 わ れ た 第2次
、 ア メ リカ ・ イ ギ リ ス ・ ソ 連 三 国 の 首 脳 に よ っ
世 界 大 戦 (〓World
War
II)の 戦 後 処 理 に 関 す る 会 議 。 ポ ー ラ
ン ド ・バ ル カ ン問 題 で は 、 英 ソ の 対 立 が 表 面 化 した 。 公 表 さ れ た 協 定 で は 米 ソ 英 仏 に よ る 敗 戦 ドイ ツ の4国
管 理 、 ドイ ツ 戦 犯 の 裁 判 、 ドイ ツ の 非 武 装 化 な どが 発
表 さ れ 、 秘 密 協 定 で は ソ連 の 対 日 参 戦 な どが 決 定 さ れ た 。 Yemen
イエ メ ン ア ラ ビ ア 半 島 南 西 端 に 位 置 す る 共 和 国 。 首 都 サ ヌ ア (San'a)。 イ エ メ ン
人 民 民主 共 和 国 ( 南 イ エ メ ン :People's Democratic メ ン ・ ア ラ ブ共 和 国 (北 イ エ メ ン :Yemen エ メ ン 共 和 国 (Republic
of Yemen)
計 )。 北 イ エ メ ン は1918年 に 移 行 し た が 、70年
Republic
of Yemen)
Republic) が1990年
と し て 成 立 した 。 人 口2307万
トル コ か ら独 立 、62年
とイエ
に統合 、 イ 人 (2008年 統
に 革 命 に よ っ て 王 制 か ら共 和 制
に イ エ メ ン ・ ア ラ ブ 共 和 国 と な る ま で 王 政 派 との 内 戦 が 続
い た 。 一 方 、 南 イ エ メ ン は 、1839年 とな っ た 港 湾 都 市 ア デ ン ( 〓Aden) た 国 家 で あ る 。70年
Arab
以 降 イ ギ リ ス の 直 轄 植 民 地 (Crown が 、 ア ラ ブ 民 族 主 義 を 掲 げ て1967年
colony) に独立 し
に 新 憲 法 を 制 定 して イ エ メ ン 人 民 民 主 共 和 国 と な っ た 。 オ
アシ スの 灌 漑農 業 が 中心。 〓p.331地
Yoshihito,
図〓 ( 現 代 の世 界[国名 と地 図])
Emperor(1879∼1926)
嘉 仁 (大 正 天 皇 )
日 本 の 第123代
天皇 ( 位1912∼26)
は疾 患 の た め 皇 太 子 で あ る裕 仁 親 王 ( 〓Hirohito,
Young
Plan(1930)
。 即 位 後 、1922年
Emperor)
ヤ ング案 1929年
に 成 立 し 、30年
に 調 印 さ れ た 第1次
世 界 大 戦 (〓World
I) 後 の ド イ ツ に 対 す る 新 賠 償 案 。 ア メ リ カ の 財 政 家 ヤ ン グ (Young, と す る 委 員 会 で 作 成 。 ド ー ズ 案 (〓Dawes 金 マ ル
ク に 削 減 、59年
Depression)
か ら
が 摂 政 とな った。
の た め 、31年
間 払 い に 緩 和
War を長
Plan) を 修 正 し て 賠 償 総 額 を 約358億 し た。
に は 米 大 統 領 フー バ ー
よ っ て フ ー バ ー ・ モ ラ ト リ ア ム (〓Hoover
Owen)
し か
し 、 世 界 恐 慌 (〓Great
(〓Hoover,
Moratorium)
Herbert
Clark)
に
が 出 され、 支払 開 始 は
1年
間 延 期 さ れ た 。 さ ら に 、32年
で30億
に ロ ー ザ ン ヌ 会 議 (〓Lausanne
金 マ ル ク に 修 正 さ れ た が 、33年
に ヒ トラー
(〓Hitler,
Conference) Adolf)
に よ って
一
方 的 に破 棄 され た。 〓Reparation
Young
problem(
Turk
賠 償 問題 )
Revolution(1908)
青年
トル コ 党 革 命
サ ロ ニ カ 革 命 と も い う。1908年
、 ギ リシ ャのサ ロニ カ
(Salonika) に お け る 軍 の 蜂 起 で 、 ア ブ デ ュ ル ・ハ ミ ト2世 に よ る専 制 支 配 か らオ ス マ ン ・ ト ル コ帝 国 ( 〓Ottoman 復 活 を も た ら し た 無 血 革 命 。 青 年 トル コ 党 (Young
( 〓Abdul
Empire) Turk
Hamid
II)
に 憲 法 と議 会 の
Party) 内 閣 を 組 織 し、
11年 間 政 権 を担 当 す る が 、 次 第 に 党 独 裁 と な っ て ドイ ツ に も接 近 し た 。 第1次 世界大戦 ( 〓World
Ypres,
Battle
War
of(1914,
I)の 敗 北 で 失 脚 。
1915,
第1次
1917)
イ ー ペ ル の 戦 い
世 界 大戦 ( 〓World
War
I)中 、 ベ ル ギ ー の 都 市 イ ー ペ
ル に お け る ドイ ツ軍 と フ ラ ン ス 軍 と の 会 戦 。1915年4月
∼5月
の会 戦 で は毒 ガ
ス が 使 用 さ れ た 。 イ ー ペ ル は ド イ ツ と連 合 軍 と の た び 重 な る激 戦 地 と な っ た 。 17年 の 第3次
会 戦 は パ ッ セ ン ダ ー リ の 戦 い (〓Passchendaele,
Battle
of)と呼 ば
れ る。
Yugoslavia
ユ ー ゴ スラ ビア ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 社 会 主 義 連 邦 共 和 国 (旧 ユ ー ゴ
Federal
Republic
of Yugoslavia)
は 、 東 欧 、 バ ル カ ン (Balkan)
年 ま で 存 在 し た 連 邦 国 。 今 で は セ ル ビ ア (〓Serbia) ロ ベ ニ ア (Slovenia)
半 島 西 部 に1991
、 ク ロ ア チ ア (Croatia)
、 ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ (〓Bosnia
マ ケ ド ニ ア (Macedonia)
:Socialist
、 モ ン テ ネ グ ロ (Montenegro)
and
、 ス
Herzegovina)
、 コ ソ ボ (Kosovo)
、 の7
共 和 国 で 構 成 さ れ て い る。 当 初 の 首 都 は現 在 の セ ル ビ ア 共 和 国 の 首 都 で あ る ベ オ グ ラ ー ド (Beograd)
。 第1次
支 配 か ら 脱 し た 。 第2次
世 界 大 戦 (〓World
世 界 大 戦 (〓World
占 領 さ れ た 後 、 社 会 主 義 者 の テ ィ (partisan:
トー
ゲ リ ラ の こ と )闘 争 を 経 て 、1945年
War War
I) 直 後 の1918年
に トル コ
II)中 に 、 ド イ ツ 、 イ タ リ ア に
(〓Tito)
を 中 心
に 独 立 。1963年
とす る パ ル チ ザ ン に 国 名 を 改 称 し、
ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 社 会 主 義 連 邦 共 和 国 (旧 ユ ー ゴ ) と な り 、 市 場 社 会 主 義 (Market Socialism)
路 線 を 歩 ん だ 。 テ ィ トー の 死 後 、 連 邦 内 に 民 族 問 題 が 生 じ 、 内 戦 が 勃
発 。1991年
の ク ロア チ ア とス ロベ ニ アの独 立 を 契機 に 旧ユ ー ゴの 連邦 は 事 実 上
解 体 、 セ ル ビ ア と モ ン テ ネ グ ロ が 新 た に ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 連 邦 共 和 国 (Federal Republic
of Yugoslavia)
は解 体 され 、 セ ル ビ ア
、 い わ ゆ る 「新 ユ ー ゴ 」を92年
に 建 国 し た が 、2003年
・ モ ン テ ネ グ ロ が 誕 生 。 そ の 後2006年
に
には モ ンテネ グロ
が 独 立 し た 。 ま た マ ケ ド ニ ア は1991年 独 立 し た 。2008年
、 ボ ス ニ ア
に は ア ル バ ニ ア (Albania)
・ ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ は2002年
に
系住民 の 多 い コ ソボが セ ル ビ アよ り
独 立 を宣 言 し て 今 日 に 至 っ て い る。 現 在 は ユ ー ゴ ス ラ ビ ア と 呼 ぶ 国 は 存 在 し な い。 〓Balkan
Question(
バ ル カ ン問題 )
〓Eastern
Question(
〓p.278図
解1「
東 方問題 )
〓p.328地
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
ベ ル サ イ ユ 体 制 下 の ヨー ロ ッ パ 」
Z Zaire
ザ イ ール 現 コ ン ゴ 民 主 共 和 国 (Democratic
コ ン ゴ 自 由 国 (Congo
Free
に コ ン ゴ 共 和 国 (Republic Crisis) が 発 生 し5年 (People's Zaire)
Republic
of Congo)
Republic
of the
Congo)
Congo)
。1885年
に
と し て ベ ル ギ ー 国 王 の 私 有 地 と な る 。1960年 と し て 独 立 。 独 立 直 後 、 コ ン ゴ 動 乱 (Congo
間 に わ た っ て 混 乱 が 続 い た 。69年 of
に 改 称 。97年
State)
と 称 し た が 、71年
コ ン ゴ 人 民 共 和 国
ザ イ ー ル 共 和 国 (Republic
of
に コ ン ゴ民 主 共 和 国 と な っ た 。
〓Congo 〓p.330地
Zambia
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と 地 図])
ザ ンビ ア ア フ リ カ 中 南 部 の 共 和 国 。 首 都 ル サ カ (Lusaka)
(2008年 Northern)
統 計 )。19世
と 呼 ば れ る 。1953年
に 南 ロ ー デ シ ア (〓Rhodesia,
バ ブ エ )、 ニ ヤ サ ラ ン ド (Nyasaland: フ リ カ 連 邦 (〓Central
African
に ザ ン ビ ア 共 和 国 (Republic 〓p.330地
Zanzibar
。 人 口1215万
Southern:
Federation) of Zambia)
を 形 成 。 民 族 運 動 が 激 化 し て 、64年 と し て 独 立 した 。
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
ザ ンジバ ル
の ク ー デ タ ー で 人 民 共 和 国 を 宣 言 、8月
(〓Tanganyika) Tanzania)
とな る。
Zhou
解6「
Enlai(1898∼1976)
〓Chou
En-lai
ア フ リ カ の分 割」
周 恩来
に独 立。
に 隣 国 タ ン ガ ニ ー カ
と 統 合 し て 現 在 の タ ン ザ ニ ア 連 合 共 和 国 (United
〓Tanzania 〓p.283図
現 ジ ン
現 マ ラ ウ イ )と と も に 、 イ ギ リ ス 領 中 央 ア
ア フ リ カ 東 海 域 の 島 国 。 イ ギ リ ス の 保 護 領 だ っ た が 、1963年 64年1月
人
紀 前 半 よ り イ ギ リ ス が 支 配 、 北 ロ ー デ シ ア (〓Rhodesia,
Republic
of
Zimbabwe
ジ ンバ ブ エ 南 ア フ リ カ の 共 和 国 。 首 都 ハ ラ レ (Harare)
年 統 計 )。1911年
以 来 南 ロ ー デ シ ア (〓Rhodesia,
年 旧 イ ギ リ ス領 中 央 ア フ リ カ 連 邦 ( 〓Central 65年
、 白 人 国 家 ロ ー デ シ ア (〓Rhodesia)
政 策 を 行 っ た 。 ゲ リ ラ 戦 の 後 、80年 of Zimbabwe)
African と し て 一方
人 (2008
と 呼 ば れ た が 、53
Federation)
の 一部
と な る。
的 に 独 立 を宣 言 、 人 種 差 別
に 黒 人 支 配 の 現 ジ ン バ ブ エ 共 和 国 (Republic
が成 立。
〓p.330地
Zionism
。 人 口1348万
Southern)
図 〓 (現 代 の 世 界[国 名 と地 図])
シ オニ ズム ユ ダ ヤ 人 (Jews)の 祖 先 の 地 、 パ レ ス チ ナ ( 〓Palestine) に ユ ダ ヤ 人 国
家 を 創 設 し よ う とす る 運 動 。1897年 Congress)
以 後 高 揚 し、1948年
に 開 か れ た 第1回
シ オ ニ ス ト大 会 ( 〓Zionist
の イ ス ラ エ ル 建 国 で そ の 目標 は達 成 さ れ た 。 し
か し、 一 方 で は 多 くの パ レ ス チ ナ の ア ラ ブ 人 (Arabs)が 祖 先 の 地 を 失 い 、 今 日 の 両 民 族 の 激 しい 対 立 を 生 ん だ 。 〓Israel
Zionist
Congress
シ オ ニ ス ト会 議 1897年
オ ニ ズ ム (〓Zionism)
Zola,
〓mile
(1840∼1902)
、 第1回
が 大 会 が バ ー ゼ ル (Basle) で 開 催 。 以 後 、 シ
運 動 が 盛 ん とな っ た 。
エ
ミ ー ル
・ ゾ ラ
フ ラ ン ス 自 然 主 義 文 学 の 代 表 作 家 。 社 会 の 矛 盾 を と りあ げ、 1894年
か ら の ド レ フ ュ ス 事 件 (〓Dreyfus
Affair)で は 、 人 間 と真 実 の た め の 論 陣
を は っ て ド レ フ ュ ス を 擁 護 し、 国 民 を 啓 発 し た 。
略語 見 出 し語 と して扱 われ て いる本 項 の略 語 以外 に も、用 語 解説 の本 文 で触 れ られ てい る略 語 は索 引に掲 載 され て い るので 参 照 の こと。 AAA
農 業 調 整 法
AIDS
エ イズ ( 後 天 性 免 疫 不 全 症 候 群 ) ⇒Acquired
⇒Agricultural
Adjustment
ANC
ア フ リカ 民 族 会 議
⇒African
APEC
ア ジ ア 太 平 洋 経 済 協 力
⇒Asia-Pacific
Economic
ASEAN10
東 南 ア ジ ア 諸 国 連 合10
⇒Association
of South-East
CENTO
中 央 条 約 機 構
⇒Central
Treaty
CIA
ア メ リカ 中 央 情 報 局
⇒Central
Intelligence
CIS
独 立 国 家 共 同 体
⇒Commonwealth
EC
ヨ ー ロッ パ 共 同 体
⇒European
Community
ECM
ヨ ー ロ ッパ 共 同 市 場
⇒European
Common
ECSC
ヨ ー ロ ッパ 石 炭 鉄 鋼 共 同 体
⇒European
Coal
EDC
ヨ ー ロ ッパ 防 衛 共 同 体
⇒European
Defence
EEC
ヨ ー ロ ッパ 経 済 共 同 体
⇒European
Economic
EFTA
ヨ ー ロ ッパ 自 由 貿 易 連 合
⇒European
Free
EU
欧 州 連 合 / ヨ ー ロ ッパ 連 合
⇒European
Union
EURATOM
ヨ ー ロ ッパ 原 子 力 共 同 体
⇒European
Atomic
GATT
ガ ット(関 税 貿 易 一 般 協 定 )
⇒General
Agreement
GCSE
中 等 教 育 修 了 証 書 試 験
⇒General
Certificate
IAEA
国 際 原 子 力 機 関
⇒International
Atomic
IBRD
国 際 復 興 開 発 銀 行
⇒International
Bank
Immune
Act
Deficiency
National
Syndrome
Congress Cooperation Asian
Nations
Agency
of Independent
States
Market and
Steel
Community
Community Community
Trade
Association
Energy on
Community Tariffs
and
of Secondary Energy
Agency
for Reconstruction
ILO
国 際 労 働 機 構
⇒International
ILP
独 立 労 働 党
⇒Independent
Labour
Organization
IMF
国 際 通 貨 基 金
⇒International
IRA
ア イル ラ ン ド共 和 国 軍
⇒Irish
KKK
ク ー ・ク ラ ック ス ・ク ラ ン
⇒Ku
METO
中 東 条 約 機 構
⇒Middle
NATO
北 大 西 洋 条 約 機 構
⇒North
NEP
新 経 済 政 策
⇒New
NIES
新 興 工 業 経 済 地 域
⇒Newly
NPT
核 不 拡 散 条 約
⇒Nuclear
OAS
米 州 機 構
⇒Organization
of American
OAU
ア フ リカ 統 一 機 構
⇒Organization
of African
Labour
Party
Monetary
Republican
Fund
Army
Klan East
Treaty
Atlantic Economic
Trade Education
Development
Klux
10
Organization
Organization
Treaty
Organization
Policy
Industrializing
Economies
Non-Proliferation
Treaty States Unity
and
OEEC
ヨ ー ロ ッパ 経 済 協 力 機 構
⇒Organization
for European
Economic
of Petroleum
Exporting
Cooperation OPEC
石 油 輸 出 国 機 構
⇒Organization
PLO
パ レ ス チ ナ 解 放 機 構
⇒Palestine
Liberation
SALT
戦 略 兵 器 削 減 交 渉
⇒Strategic
Arms
SDI
戦 略 防 衛 構 想
⇒Strategic
Defense
SEATO
東 南 ア ジ ア 条 約 機 構
⇒South
START
戦 略 兵 器 削 減 交 渉
⇒Strategic
TVA
テ ネ シー 河 域 開 発 公 社
⇒Tennessee
UN
国 際 連 合
⇒United
Nations
UNCED
地 球 サ ミット(国 連 環 境 開 発 会 議 ) ⇒United
Nations
East
Limitation
Asia Arms Valley
Countries
Organization Talks
Initiative Treaty
Organization
Reduction
Talks
Authority
Conference
of Environment
and
Development UNDC
国 連 軍 縮 委 員 会
⇒United
Nations
Disarmament
UNESCO
国 連 教 育 科 学 文 化 機 関
⇒United
Nations
Educational,
Cultural UNICEF
国 連 児 童 基 金
Organization
⇒United
Nations
Emergency WEU
西 ヨ ー ロ ッパ 連 合
⇒Western
WHO
世 界 保 健 機 構
⇒World
Commission Scientific
International
Fund European
Health
Union
Organization
Children's
and
●図 解 ● ● 欧 州 近 代 史 年 表[1600∼2003]● ● 西 洋 人 名 ・地 名 対 照 表 ●
●現代 の世 界[国 名 と地 図]● ● イギ リスお よび国 際バ カ ロ レア にお ける歴史 教 育 ● ●ア メ リカ とイギ リスの 教 育制度 につ いての情 報源 ●
図 解1〓
ベ ル サ イ ユ 体 制 下 の ヨ ー ロ ッパ
● 図 解1[ベ ● 第1次
ル サ イ ユ 体 制 下 の ヨ ー ロ ッ パ]【 解 説 】 世 界 大 戦 後 に お け る ヨ ー ロ ッパ 各 国 の 国 境 線 を表 わ す
● パ リ講 和 会 議 に基 づ く1919年
か らの 各種 条 約 の 締 結 に よ り国 境 地 図 が大 き く変 化 した
● 斜 線 部 の フ ィ ン ラ ン ド、 エ ス トニ ア 、 ラ トビ ア 、 リ トア ニ ア は1917年 ● ザ ー ル 地 方 (Saar)、 ダ ン ツ ィ ヒ (Danzig)は1935年 ● ラ イ ン ラ ン ト(Rhineland) は1936年 ●Plebiscite
ロ シア 革 命 の 際 に 独 立
ま で国 際 連 盟 管 理 地 域 と な る
まで非武装地 帯 となる
Areas= 住 民 投 票 に よ っ て帰 属 を決 定 し た地 域
● 現 在 の ヨ ー ロ ッ パ 国 境 は[地 図1]を
参照
●本 書の 関連項 目 ⇒Alsace-Lorraine Paris
Peace
Versailles
Austro-Hungarian Settlement
system
Empire
Rhineland Versailles,
Danzig Saar
Treaty
of
World
War
I
図解2〓 19世 紀 中頃 のバ ルカ ン情 勢
● 塗 りつ ぶ された部 分 は1821年
にお けるオスマ ン ・トル コ帝 国 の 勢 力範 囲 を示 す
● 現 在 の バ ル カン諸 国 の 位 置 関係 は、 資 料[現 代 の 世 界 :地 図1]を 参 照 ● 本 書 の 関 連 項 目 ⇒Balkan
Question
⇒Eastern
Question
⇒Ottoman
Empire
図 解3〓
イ ギ リス の 労 働 争 議 (1910年 ∼12年
)
● 図解 上 の ストライキは主 に 下 記 のような産 業 労 働 者 によるもの fireman= 火 夫
miner= 炭 鉱 夫
seaman=
weaver= 織 工
docker= 港 湾 労 働 者
tradesman=
suffragette= 婦 人 参 政 権 論 者
水 夫
railwayman=
鉄道 員
小売商 人
boilermaker= 汽 罐 工 作 夫
● イギ リスでは19世 紀 末 か ら20世 紀 はじめ にかけて 労 働 組 合 運 動 とともにストライキ運 動 (ゼ ネスト)が 活発 化 す る。 本 書 の 関 連 項 目 ⇒General
Strike
図 解4〓
ドイ ツ の統 一(1818年
∼1871年)
war
German
of
1866=
普 仏
Prussia
Germany
German
tion
German
Empire
Confedera
Franco-Prussian
⇒Austro-Prussian
War
War
● 本 書 の関 連 項 目
照
代 の 世 界 :地 図1]参
[現
● 現 在 の ドイ ツ は 資 料
国 の 成 立 を 果 た した
戦 争 で 統 一 ドイ ツ 帝
織 し、1871年
に 北 ドイ ツ 連 邦 を組
年 の 普 墺 戦 争 を機
● プ ロ イ セ ン は1866
北 ドイツ 連 邦
Confederation=
●North
普 墺 戦 争
●the
した 年
イセ ン (ドイツ )が 領 有
● 図 解 上 の 数字 はプロ
図 解5〓
●1870年
イ タ リア の 統 一 (1859年 ∼1870年
)
の イタリア 統 一 完 成 までに 獲 得 した地 域 と年 号 を表 わ して いる
●TyrolとIstriaは1919年
に獲得
●Victor Emmanuel=Vittorio
Emanuele
II 1861年
イタリア 王 国 成 立 とともに 初 代 国 王 に就 く
● 現 在 のイタリア の地 図 は資 料[現 代 の世 界 :地 図1]を 参 照 ● 本 書 の 関 連 項 目 ⇒Italy ⇒Risorgimento
⇒Trieste ⇒Vittorio Emanuele
II
図 解6〓
ア フ リ カ の 分 割 (1880年 ∼1914年
)
● 各 地 域 の 数 字 は ( )内の 国 に領 有 された年 を表 わ す。 ( )内 の 国 名 は下 記 参 照 Br=イギリス Fr=フランス Germ= ドイツ It= イタリア Port=ポル トガル Sp= スペ イン ● 斜 線 部 分 は1914年
に おけるイギ リスの保 護 国 または 自治 領
● 矢 印 は列 強 に よる領 土 拡 張 の方 向 を示 す ● 現 在 の ア フリカの地 図 は資 料[現 代 の 世 界 :地 図2]を 参 照 ● 本 書 の 関 連 項 目 ⇒Africa 下 記 の 地 域 につ い ても本 書 の 見 出し語 として解 説 されてい る Abyssinia(Ethiopia)
Aden
Algeria
Cameroons
Congo
Egypt
Eritrea
Fashoda
Gold
Kenya
Morocco
Rhodesia
Somaliland
Tanganyika
Tunisia
Uganda
Zanzibar
South
Coast Africa
Incident
German
South-West Africa
図 解7〓
ウ ィ ー ン体 制 下 の ヨ ー ロ ッパ か らの ウィー ン
照
Confederation
Vienna Congress
Prussia
German
⇒Austria
● 本書の関連項 目
地 図1]参
は 資 料[現 代 の 世 界 :
● 現 在 の ヨー ロ ッパ 国 境
はドイツ連 邦 を形 成
● オーストリア 、 プロイセン
定
中 心 となっ て領 土 を策
ス トリア、 プ ロイセ ン が
● イギ リス、 ロシ ア、 オー
勢 を表 わしている
会 議 後 の ヨー ロッパ 情
●1814年
図解8〓
第1次 世界 大戦の背景 世 界 大 戦 に至 る
Alliance=
三 国
Entente=
三 国
Germanism
Pan
Entente Slavism
Pan
Triple
I Alliance
War Triple
⇒World
● 本 書 の 関 連 項 目
た年 号
に 同 盟 関 係 が 結 ばれ
れ た 数 字 は、 各 国 間
● 図 解 上 矢 印 に 併 記 さ
ス ・ロ シア )
協 商 (イギ リス ・フ ラ ン
●Triple
オ ー ス トリア )
同 盟 ( ドイツ ・イタ リア ・
●Triple
表 わす
台 とし た 対 立 の 図 式 を
ま で の ヨ ー ロ ッパ を 舞
● 第1次
欧州近代史年表 [1600∼2003]
〓 本 書 の 見 出 し語 を 中 心 に 、1600年 か ら2003年 〓
まで の 主 だ っ た項 目を取 り上 げ た。
各項 目● の 前 の 数 字 は発 生 月 を 示 す 。 月の 不 明 な項 目( ○ 印 )は 各 年 の 末尾 に ま と め
た。 〓 条 約 、 紛争 な ど国 際 的 な もの以 外 の 項 目 には 、[ ]に 該 当 す る 国名 を記 した。 〓 参 照 す べ き本 書 の見 出 し語 が あ る場 合 に は、 〓で 示 した。 見 出 し語 の 表 記 の 短 縮 形 を使 用 して い る場 合 が あ る。 〓 年 表 中 頻 繁 に 見 られ る 「 第1次 世 界 大 戦 」 「 第2次 世 界 大 戦 」に は 〓を付 して い な い こ とが あ る。 そ れ ぞ れ 、見 出 し語[World War I][World War II]を 参照 され た い。 〓 事件 名 な どの 和 文 ・英 文表 記 は、 本 書 見 出 し語 及 び解 説文 中 の表 記 に準 じて い る。
1600
○[英]東
イ ン ド会 社 設 立(∼1858)
1601
○[英]救
貧 法 制 定
1602
○[オ
ランダ]東 イ ン ド会 社 設 立(∼1800)
以 後 、 オ ラ ン ダ 領 東 イ ン ドを形 成 す る(∼1945) 1603
○[英]ス
チ ュ ア ー ト朝 成 立(∼49、1660∼1714)
1604
○[仏]東
イ ン ド会 社 設 立(∼1770)
1618
○30年
〓East
India
Company 〓Poor
〓East
India
〓Dutch
〓East
Law
Company East
India
Indies
Company
戦 争 は じ ま る(∼48)
○[プ
ロイセ ン]プ ロ イ セ ン 公 国 成 立
〓Prussia
1635
○[仏]30年
1642
○[英]ピ ュ ー リ タ ン 革 命(∼60) 〓English Revolution 49年 に は 国 王 チ ャー ル ズ1世 が 処 刑 され て 共 和 政 宣 言 が な され る
1643 1648
○[仏]ル ○
戦 争 に参 加
イ14世 即 位(∼1715)
〓Louis
XIV
ウ ェ ス トフ ァ リ ア 条 約 30年 戦 争 が 終 わ り、 ス イ ス 、 オ ラ ン ダの 独 立 が 承 認 さ れ る
○[仏]フ ロ ン ドの 乱(∼53) 王 権 支 配 に 対 して 貴族 が 反 乱 を 起 す
1652
○
1653
○[英]ク
第1次 イ ギ リ ス ・オ ラ ン ダ 戦 争(∼54) 制 海 権 を め ぐ っ て 交 戦 。 イギ リ スが 勝 利
○[オ
ラ ンダ]ケ ー プ 植 民 地 を 建 設 ロ ム ウ ェ ル の 独 裁 政 治 は じ ま る
〓Cape
Colony
〓Cromwell,
O.
1660
5●[英]王 政 復 古(∼88) 〓Restoration チ ャー ル ズ2世 即 位 で は じ ま り、88年 の 名 誉 革 命 で 終 結 〓English Revolution
1664
○[英]オ ラ ン ダ領 ニ ュー ア ム ス テ ル ダ ム を占領 ニ ュ ー ヨー ク と改 称 す る
1665
○
1667
○
第2次
〓New
York
イ ギ リ ス ・オ ラ ン ダ 戦 争(∼67)
イ ギ リ スは ニ ュ ー ヨ ー ク を獲 得 した が 、 東 イ ン ド諸 島 の 支 配 権 を 放 棄 ネ ー デ ル ラ ン ト侵 略 戦 争(∼68) 仏 ル イ14世 が ス ペ イ ン領 ネ ー デ ル ラ ン トに侵 入
1672
○
第3次
○
オ ラ ン ダ 戦 争(∼78)
〓Louis
XIV
〓Louis
XIV
イ ギ リ ス ・オ ラ ン ダ 戦 争(∼74)
仏 ル イ14世 が オ ラ ン ダ を侵 略
1688
○[英]名 誉 革 命(∼89) 王政 復 古 が 終 わ り立 憲 君 主 政 が 確 立 され る
1689
○
〓English
Revolution 〓Restoration
フ ァ ル ツ 継 承 戦 争(∼97) 仏 ル イ14世 が イ ギ リ ス と交 戦
〓Louis
XIV
1700
○
北 方 戦 争(∼21) ロ シ ア が ス ウ ェ ー デ ン と交 戦 、 南 下 侵 略 を 図 る
1701
○
ス ペ イ ン 継 承 戦 争(∼13) 〓Spanish Succession, War of the ス ベ イ ン 王位 を め ぐっ て 英 ・オ ラ ン ダ ・オ ー ス ト リ ア と仏 ・ス ペ イ ンが 交 戦
○[プ
ロ イセ ン]プ ロ イ セ ン王 国 成 立(∼1918)
1713
○
1714
○[英]ハ
1740
○
1748
10●
ユ トレ ヒ ト条 約 ス ペ イ ン継 承 戦 争 が 終 結
〓Prussia
〓Utrecht,
Treaty
ノ ー バ ー 朝 成 立(∼1901)
オ ー ス ト リ ア 継 承 戦 争(∼48) マ リ ア ・テ レ ジ ア が 王 位 を継 承
of
〓Britain
〓Austrian
Succession,
War
of the
ア ー ヘ ンの和 約 オ ー ス ト リ ア継 承 戦 争 終結 。 プ ロ イセ ン 、 オ ー ス ト リ アの 対 立 激 化
1756
○7年 戦 争(∼63) 〓Seven Years War イ ギ リ ス、 フ ラ ン ス、 ロ シ ア等 を 巻 き こ み オ ー ス トリ ア とプ ロ イ セ ン が 交 戦
1760
○[英]ジ
1763
○
ョ ー ジ3世
即 位(∼1820)
パ リ 条 約 7年 戦 争 終 結 。 イ ギ リ スが カ ナ ダ 、 フ ロ リ ダ等 を領 有
〓George 〓Paris, Treaty
III of
1774
○[米]第1回 ○[仏]ル
17754● 1776
大 陸 会 議 開 催
ア メ リ カ 独 立 戦 争(∼83) 7●[米]独
17839●
〓American
War
of Independence
〓American
War
of Independence
イ16世 即 位(∼92)
立宣言
パ リ条 約
〓Paris, Treaty
of
イ ギ リス が ア メ リカ の 独 立 を 承 認 12●[英]ピ 1788
1789
ッ ト (小 )内 閣 成 立(∼1801) ー ス トラ リ ア を 流 刑 植 民 地 と す る(∼1840)
○[米]ア
メ リ カ合衆 国憲 法 発 布 シ ン トン が 初 代 大 統 領 に 就 任(∼97)
5●[仏]フ
ラ ン ス 革 命(∼99)
5●[仏]三
部 会 召 集
〓French
Revolution
6●[仏]「
テ ニ ス コ ー トの 誓 い 」で 立 憲 国 民 議 会 創 設
〓French
Revolution
7●[仏]バ
ス テ ィ ー ユ 牢 獄 襲 撃
〓French
Revolution
8●[仏]人
権 宣 言
〓French
Revolution
憲 君 主 制 確 立
〓French
Revolution
ロ ン ド派 内 閣 結 成 で 王 政 廃 止
〓French
Revolution
10●[仏]立
1792
3●[仏]ジ 9●[仏]第1共 1●[仏]国 2●
1794
〓Australia
4●[米]ワ
1791
1793
〓Pitt, W. -the Younger
○[英]オ
〓French
和 政 は じ ま る(∼1804)
Revolution
〓French
王 ル イ16世 処 刑
第1回 対 仏 大 同 盟(∼95) イギ リスを中心 にフランス革命軍 に対抗
Republic
〓French
Revolution
〓French
Revolution
6●[仏]ジ
ャ コ バ ン 派 の 恐 怖 政 治 は じ ま る(∼94)
〓French
Revolution
7●[仏]テ
ル ミ ドー ル の 反 動 ク ー デ タ ー
〓French
Revolution
ジ ャ コバ ン派 が 失 脚 1795
10●[仏]総 裁 政 府 成 立(∼99) フ ラ ン ス革 命 の 最 終段 階 に お い て 成 立
1799
11●[仏]ブ
リ ュ メ ー ル18日
12●[仏]ナ
ポ レ オ ン が 執 政 政 府 を樹 立(∼1804)
○[仏]ナ ○
第2回
の ク ー デ タ ー
〓Directory
〓Brumaire
ポ レ オ ン 戦 争 で 大 陸 侵 略 開 始(∼1815)
, Coup
〓Napoleon
d'〓tat of
I 〓Consulate
〓Napoleonic
Wars
対 仏 大 同 盟(∼1800)
イ ギ リス を 中 心 に ロ シ ア 、 オ ー ス ト リア が ナ ポ レ オ ン軍 に 対 抗
1800
○[ア
1804
3●[仏]ナ
イル ラ ン ド]統 一 令 に よ っ て イ ギ リ ス に 併 合 ポ レ オ ン法 典 制 定
〓Ireland 〓Code
5●[仏]第1帝 政 は じ ま る(∼14) 〓French ナ ポ レ オ ン 皇 帝 誕 生 と同 時 に成 立 、14年 の 失 脚 と と も に 崩 壊
Napoleon Empire
第1共 5●[英]ピ ○[ハ
1805
8●
和政 が 終 わ る
〓French
ッ ト(小 )内 閣 成 立(∼06)
Republic
〓Pitt, W.-the
Younger
イ チ]ラ テ ン ・ア メ リ カ 初 の 独 立 国 と な る
〓Haiti
第3回 対仏大同盟 ア ウ ス テ ル リ ッ ツの 戦 い に 敗れ て 同 盟 崩 壊
10●
トラ フ ァ ル ガ ー 沖 の 海 戦
〓Austerlitz,
Battle of
〓Trafalgar,
Battle of
イ ギ リ ス艦 隊 が ナ ポ レ オ ン の上 陸 を 阻 止 12●
1806
8● 10●
11●
1808
5●
ア ウ ス テ ル リ ッ ツ の 戦 い ナ ポ レオ ン が 、 ロ シ ア ・オ ー ス トリ ア 連 合軍 を撃 破 神 聖 ロ ー マ 帝 国 消 滅
〓Austerlitz,
〓Holy
Battle
Roman
Empire
イ エ ナ ・ア ウ エ ル シ ュ テ ッ トの 戦 い 〓Jena-Auerstedt, ナ ポ レ オ ン が プ ロ イ セ ン を 倒 して ヨー ロ ッパ 支 配 を 確 立 ナ ポ レ オ ン が 大 陸 封 鎖 令 発 令
of
Battle of
〓Napoleon
半 島 戦 争(∼14)
I
〓Peninsular
War
ス ペ イ ン 、 ポ ル トガ ル の 反 攻 で ナ ポ レ オ ン軍 を 撃 退 1809
1811 1812
○ 第4回 対仏 大 同 盟 ナ ポレオ ンの大 陸封 鎖 令に対抗
○[コ 4●
ロ ン ビア]ス ペ イ ン か ら独 立
〓Colombia
イ ギ リ ス ・ア メ リ カ 戦 争(∼14) イ ギ リ スの 海 上 封 鎖 ・通 商 妨 害 が 原 因 で 開 戦
1813 1814
○
4●
第5回 対 仏 大 同 盟(∼15) ヨ ー ロ ッパ 連 合 軍 が ナ ポ レ オ ンを 打 倒 第1次
パ リ 条 約
〓Paris, Treaty
ナ ポ レ オ ン 戦 争 を 収 拾 5●
ナ ポ レ オ ン1世
〓Napoleonic
失 脚
〓Napoleon
半 島 戦 争 に 敗 れ て エ ル バ (Elba)島 に 流 刑 5●[仏]王 政 復 古(∼30) ル イ18世 即 位 で は じ ま り、30年 の7月 9●
1815
3● 6●
〓Peninsular
ウ ィ ー ン 会 議(∼15) フ ラ ン ス革 命 と ナ ポ レ オ ン戦 争 の 処 理 を 協議
〓Vienna
流 刑 中 の ナ ポ レ オ ン が 脱 出 、 帝 位 に 復 す
〓Waterloo,
〓Vienna
〓German
11●
第2次
パ リ 条 約
I
Battle of
〓Hundred
ウ ィ ー ン 議 定 書 締 結 プ ロ イ セ ン、 オ ー ス ト リア な どが ド イ ツ連 邦 を形 成
ケ ー プ 植 民 地 が イギ リス 領 と な る
Congress
〓Napoleon
ワ ー テ ル ロ ー の 戦 い
オ ー ス トリ ア が ダ ル マ テ ィ ア を領 有
I War
〓Restoration 〓July Revolution
革 命 で 終 結
ナ ポ レ オ ンが 敗 れ 、 百 日天 下 が 終 わ る 6●
of
Wars
Days
Congress
Confederation 〓Dalmatia 〓South
Africa
〓Paris, Treaty
of
ナ ポ レオ ン百 日天 下後 に 締 結 ○[英]穀
。 フ ラ ン ス に は 賠 償 金 が 課 せ られ た
物 法 制 定 (∼46)
〓Corn
1816
○[ア
1817
○[米]モ
1818
○[チ
リ]ス ペ イ ン か ら独 立
1819
○[コ
ロ ン ビア]大 コ ロ ン ビ ア 共 和 国 成 立 (∼30)
1821
○
ル ゼ ンチ ン]ス ペ イ ン か ら独 立
Laws
〓Argentina
ン ロ ー 大 統 領 就 任 (∼25)
〓Monroe,
J.
〓Chile
ギ リ シ ャ独 立 戦 争 (∼29)
〓Colombia
〓Greek
War
of Independence
○ 中 央 ア メ リカ連 邦 成 立 エ ルサ ル バ ドル 、 ニ カ ラ グ ア な ど が スペ イ ン の支 配 を 脱 して編 成
1822 1823
1●[ギ
リシ ャ]ト ル コ か らの 独 立 を 宣 言
12●[米]モ
ン ロ ー 宣 言
〓Monroe
Doctrine
孤 立 ・不 干 渉 主 義 を 外 交 の 基 本 方 針 とす る
1825
○[ボ
1827
○[英]カ
ニ ン グ 内 閣 成 立
1828
○[英]ウ
ェ リ ン トン 内 閣 成 立 (∼30)
1829
9●
リビア]ス ペ イ ン か ら 独 立
ア
〓Bolivia
ド リ ア ノ ー プ ル の 和 議
〓Canning,
G.
〓Wellington,
A.
〓Adrianople,
ギ リシ ャ独 立 戦 争 後 の ロ シ ア の 領 土 を画 定
〓Greek
War
Peace
of
of Independence
トル コが ギ リシ ャの 独 立 を 承 認 ○[ア
1830
イルラ ン ド]カ トリ ッ ク 教 徒 解 放 令 成 立
7●[仏]7月 革 命 パ リ民 衆 の 蜂 起 に よ っ て 復 古 王政 が 崩 壊 7●[仏]7月 王 政 成 立 (∼48) 7月 革 命 で 成 立、48年 の2月 10●[ベ
○[仏]ア
ル ジ ェ リ ア を侵 略
○[英]グ
レ ー 内 閣 成 立 (∼34)
○
ロ ン ド ン 条 約
1834
○[英]第1次
1837
○[英]ビ
1838
○
1839
○[英]反
3●
〓Algeria 〓Grey,
ネ ズエ ラ]大 コ ロ ン ビ ア 共 和 国 か ら 分 離 独 立
イ ギ リス ・フ ラ ン ス ・ロ シ ア
184 0
〓July Monarchy 〓February Revolution
ル ギー]独 立 宣 言
○[ベ
1831
革 命 で 崩 壊
〓July Revolution 〓Restoration
〓London,
ピ ー ル 内 閣 成 立 (∼35)
of
〓Peel, Sir R. 〓Victoria,
第1次 ア フ ガ ン 戦 争 (∼42) イ ギ リスが ア フ ガ ニ ス タ ン に 敗 北
ア ヘ ン 戦 争 (∼42)
Treaty
・ド イ ツ ・オー ス トリ アが ベ ル ギ ー の 独 立 を 承 認
ク トリア女 王 即 位 ( ∼1901)
穀 物 法 同 盟 結 成
C.
〓Venezuela
〓Afghan
〓Anti-Corn
Law
〓Opium
Queen Wars
League
Wars
ア ヘ ン密 輸 を め ぐ って イ ギ リス と清 が 対 戦 ○[英]ニ 1841
1842 1846
6●
〓New
ピ ー ル 内 閣 成 立 (∼46)
Zealand
〓Peel, Sir R.
南 京 条 約 〓Nanking, Treaty of ア ヘ ン戦 争 が 終 結 し、 イ ギ リ ス は 清 に 不 平 等 条 約 を 強 要 〓Opium Wars
○[英]穀 ○
1848
ュ ー ジ ー ラ ン ドを 植 民 地 と す る (∼1907)
○[英]第2次
物 法 廃 止
〓Corn
Laws
ア メ リ カ ・ メ キ シ コ 戦 争 (∼48) ア メ リカ の テ キ サ ス併 合 を め ぐ っ て 交 戦
1●[独]マ
ル ク ス 、 エ ン ゲ ル ス が 『共 産 党 宣 言 』発 表
2●[仏]2月 革 命 パ リの 共 和 主 義 者 らが7月 2●[仏]第2共
王 政 を 打 倒
〓Marx, 〓February Revolution 〓July Monarchy
和 政 は じ ま る (∼52)
〓French
3●[独]3月 革 命 〓March フ ラ ン ス2月 革 命 の 影 響 で 発 生 し た が11月 に は 制 圧 〓February 12●[仏]ナ
ポ レ オ ン3世
K.
が 大 統 領 に 就 任
Republic Revolution Revolution
〓Napoleon
III
○[伊]イ タ リ ア 統 一 運 動 が 激 化 〓Risorgimento サ ル ジ ニ ア を 中 心 に 自由 主 義 に も とづ く民 族 主 義 運 動 が 起 こ る ○[コ
1852
スタ リカ]ス ペ イ ン か ら独 立
〓Costa
12●[仏]第2帝 政 は じ ま る (∼70) ナ ポ レ オ ン3世 が 帝 位 に つ い て 成 立 、70年 の 失 脚 で 崩 壊 第2共 ○[南
1853
○
1854
○[南
1855
○[英]パ
1856
1●
和 政 が 終 わ る
ア フ リカ]ト ラ ン ス バ ー ル 共 和 国 建 国
Rica
〓French Empire 〓Napoleon III 〓French
Republic
〓Trausvaal
Republic
ク リ ミ ア 戦 争 (∼56) 〓Crimean ロ シ ア が トル コ ・イ ギ リ ス ・フ ラ ン ス ・サ ル ジニ ア 連 合 軍 に 敗 北 ア フ リカ]オ レ ン ジ 自 由 国 建 設 (∼1902) ー マ ス
ト ン 内 閣 成 立 (∼58、59∼65)
パ リ条 約
〓Orange
War
Free State
〓Palmerston,
H.
〓Paris, Treaty
of
ク リ ミ ア戦 争 終 結 、 トル コ の 独 立 とロ シ ア領 土 の 割 譲 な どを 決 定 〓Crimean 9●
第2次
ア ヘ ン 戦 争 (ア ロ ー 号 事 件 ) ( ∼60)
〓Opium
War Wars
英 仏が清 に侵攻、 西洋列強 の中国 市場進 出がは じま る
1857 1858
5●[イ ン ド]セ ポ イ の 乱 (∼59) イ ギ リ ス軍 が イ ン ドの 反英 運 動 を 鎮 圧 11●[イ
ン ド]ム ガ ー ル 帝 国 滅 亡
○[仏]国
1861
2●[露]ア 3●[伊]イ
際 ス エ ズ 運 河 会 社 設 立
レ ク サ ン ドル2世 タ リア 王 国 樹 立
が 農 奴 解 放 令 発 布
〓Indian
〓Mughal 〓Suez
Mutiny
Empire Canal
〓Alexander
II
〓Italy
ビ ッ トリオ ・エ マ ヌエ レ2世 ○[プ
が 初 代 国 王 に (∼78)
ロイセ ン]ウ ィ ル ヘ ル ム1世
○[米]リ
〓Vittorio
Emanuele
即 位 (∼88)
〓Wilhelm
I
〓Lincoln,
A.
ン カ ー ン 大 統 領 就 任 (∼65)
○[米]ア メ リ カ 南 北 戦 争 (∼65) 南 部11州 が ア メ リ カ盟 邦 を 結 成 して 北 軍 と対 した が 敗 北 1862
1863 1864
9●[プ
ロ イセ ン]ビ ス マ ル ク が 首 相 兼 外 相 と な る
1●[米]リ
〓Civil War
〓Bismarck,
ロ イセ ン]デ ン マ ー ク 領 シ ュ レ ス ビ ヒ ・ホ ル シ ュ タ イ ン を 併 合 〓
国 際 労働 者 協 会 ( 第1イ
1865
4●[米]リ
1866
6●
Denmark
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル )創 設 (∼76) 〓International
Workingmen's
Association
ン カ ー ン大 統 領 暗 殺
〓Lincoln,
3●[カ ○[オ
人 差 別 組 織 ク ー ・ク ラ ッ ク ス ・ク ラ ン 結 成
〓
Ku
War
Klux
ナダ]イギ リス 自治 領 カナ ダ連 邦 成 立 ース トリア]オ ー ス ト リ ア ・ハ ン ガ リ ー 二 重 帝 国 成 立 (∼1918)
2●[英]第1次 12●[英]第1次
1869
○[伊]バ ○
1870
Klan
〓Canada
〓Austro-Hungarian
1868
A.
普 墺 戦 争 (プ ロ イ セ ン ・オ ー ス ト リ ア ) 〓Austro-Prussian オ ー ス ト リア 敗 戦 。 プ ロ イ セ ン が 北 ドイ ツ 連 邦 を組 織
○[米]黒 1867
O. von
ンカ ー ン の奴 隷 解 放 宣 言
6●[プ
○
II
Empire
デ ィ ズ レ ー リ保 守 党 内 閣 成 立
〓Disraeli, B.
グ ラ ッ ドス ト ン 自 由 党 内 閣 成 立 (∼74) チ カ ン 宗 教 会 議 で ピ ウ ス9世
〓Gladstone,
が イ タ リ ア 統 一 に 反 対
ス エ ズ 運 河 開 通
〓Suez
7●
エ ム ス 電 報 事 件 ビ スマ ル ク が フ ラ ンス を挑 発 し て普 仏 戦 争 を 誘 発
7●
普 仏 戦 争 (プ ロ イ セ ン ・ フ ラ ン ス ) (∼71)
9●
セ ダ ン の 戦 い
W.
〓Pius
〓Ems
IX
Canal
Dispatch
〓Franco-Prussian 〓Sedan,
War Battle of
普 仏 戦 争 に お い て プロ イ セ ンが フ ラ ン ス軍 を 包 囲 撃 退 ナ ポ レオ ン3世 9●[仏]第3共
ナ ポ レオ ン3世 第2帝 ○[伊]ロ 1871
1●[独]ド
が 退 位 し、 イ ギ リス ヘ 亡命
〓Napoleon
和 政 は じ ま る (∼1940) 失 脚 で 成 立 、1940年
〓French
の ドイ ツ 占領 で 崩 壊
〓French
Empire
政終わ る ー マ 教 皇 領 併 合 で イ タ リ ア の 統 一 が 完 成
〓Risorgimento
イツ 帝 国成 立 ( ∼1918)
プ ロ イ セ ンが 普 仏戦 争 に 勝 っ て ドイ ツ 国 家 を統 一 ウ ィ ル ヘ ル ム1世
〓German
が初 代 皇帝 とな る (∼88)
フ ラ ン ク フ ル ト講 和 条 約
Empire
〓Franco-Prussian
3●[仏]パ リ ・ コ ミ ュ ー ン 「血 の 一 週 間 」に よ っ て 労 働 者 階 級 の 蜂 起 が 鎮 圧 さ れ る 5●
III
Republic
〓Wilhelm 〓Paris
Commune
War I
普 仏戦 争 が 終 結
〓Franco-Prussian
仏 は ア ル ザ ス ・ロ レー ヌ地 域 を割 譲
War
〓Alsace-Lorraine
○[独]ビ ス マ ル ク が 文 化 闘 争 で カ トリ ッ ク を 抑 圧 (∼80) 〓Kulturkampf カ ト リ ッ ク系 の 西 南 ド イ ツが プ ロ テ ス タン トの プ ロ イセ ン と敵 対 1872 1873
○[南 6●
ア フ リカ]イ ギ リ ス の 自 治 領 と な る
三 帝 協 約 (∼81)
〓South 〓Three
Africa
Emperors'
Entente
ドイ ツ ・オ ー ス ト リア ・ロ シ ア の 皇 帝 が 結 ん だ 対 仏 同 盟
1874
○[英]第2次
1875
○[英]エ
1876
○[ト
1877
4●
デ ィ ズ レ ー リ内 閣 成 立 (∼80)
〓Disraeli,
ジ プ トか ら ス エ ズ 運 河 会 社 株 を 買 収
〓Suez
ル コ]ミ ドハ ト憲 法 発 布
○[イ
3●
Pasha
〓Russo-Turkish
War
ン ド]英領 イ ン ド帝 国 成 立
〓India
英 ビ ク ト リア 女 王 が イ ン ド皇 帝 を兼 任 1878
Canal
〓Midhat
露 土 戦 争 (ロ シ ア ・ トル コ ) (∼78) バ ル カ ン南 下 を も くろ む ロ シ ア が トル コ と開 戦
B.
〓Victoria,
サ ン ・ ス テ フ ァ ノ 条 約
〓San
露 土 戦 争 が 終 結
Stefano,
Queen
Treaty
〓Russo-Turkish
of War
ロ シ ア は ブ ル ガ リア の 領 土 を 拡 大
6●
ベ ル リ ン 会 議 開 催
〓Berlin,
Congress
of
オ ー ス ト リア が ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ の 行 政 権 を 獲 得 〓Bosnia セ ル ビ ア 、 モ ン テ ネ グ ロ 、 ル ー マ ニ アの 独 立 が 承 認 され る
and
Herzegovina
ブ ル ガ リア が トル コ主 権 下 の 自 治 国 と な る 10●[独]ビ 11●
ス マ ル ク が 社 会 主 義 者 鎮 圧 法 制 定
第2次
〓Bismarck,
ア フ ガ ン 戦 争 (∼80)
O. von
〓Afghan
Wars
イ ギ リス が ア フガ ニ ス タ ンを 保 護 国 と す る 1879
10●
二 国 同 盟 (ド イ ツ
・ オ ー ス ト リ ア )
〓Dual
ビ ス マ ル ク 主 導 に よ る 対 ロ シ ア 軍 事 同 盟
1880
4●[英]第2次 ○
1881
6●
グ ラ ッ ド ス トン 内 閣 成 立 (∼85)
○[露]ア
レ ク サ ン ドル2世
von
W.
〓Boer Wars 〓Transvaal Republic 〓Three Emperors' 〓Three Emperors'
暗 殺
○[仏]パ ナ マ 運 河 建 設 着 工 1903年 に は ア メ リ カ が 建 設 権 を 継 承 ○[エ
O.
〓Gladstone,
第1次 ブ ー ル 戦 争 (∼81) ト ラ ン スバ ー ル 共 和 国 が イ ギ リス か ら独 立 回 復 三 帝 同 盟 (∼87) 73年 の 三帝 協 約 か ら移 行
Alliance
〓Bismarck,
ジプ ト]ア ラ ー ビ ー ・パ シ ャ の 反 乱 (∼82)
League Entente
〓Alexander 〓Panama
II
〓Arabi
Canal
Pasha
イ ギリスに よって鎮圧 される 1882
5●
三 国 同 盟 (∼1915) ドイ ツ ・オ ー ス ト リ ア ・イ タ リ ア 間 の 秘 密 軍 事 同 盟
〓Triple
Alliance
79年
の ド イ ツ ・ オ ー ス ト リ ア 二 国 同 盟 か ら 発 展
イ ギ リ ス ・フ ラ ン ス ・ロ シ ア の 三 国 協 商 と 対 立
1884
7●
清 仏 戦 争 (∼85) フ ラ ン スが ベ トナ ムの 主 権 を め ぐっ て 中 国 と交 戦
○[独]ド
イ ツ 領 南 西 ア フ リ カ を 形 成 (∼1919
6●[英]第1次 ○[独]ド
1886
1887
Entente
South-West
○[イ
ン ド]イ ン ド国 民 会 議 派 創 設
2●[英]第3次
〓German
〓Indian
ア イ ル ラ ン ド 自治 法 案 否 決
7●[英]第2次
ソ ー ル ズ ベ リ 内 閣 成 立 (∼92)
地 中 海 協 定
East
R.
Africa
〓Congo
グ ラ ッ ドス ト ン 内 閣 成 立
6●[英]第1次
Africa
〓Salisbury,
イ ツ領 東 ア フ リカ を形成 ( ∼1920)
ル ギー]コ ン ゴ 自 由 国 建 設 (∼1908)
Indo-China
)
ソ ー ル ズ ベ リ 内 閣 成 立 (∼86)
○[ベ
6●
Alliance
〓French
〓German
1885
〓Dual 〓Triple
National
Congress
〓Gladstone, 〓Home
W.
Rule
Bill
〓Salisbury, 〓Mediterranean
R.
Agreement
ド イツが イ タ リア ・オー ス トリ ア ・イ ギ リ ス に よ る地 中 海 維 持 を画 策 ○[仏]フ
1888 1889
6●[独]ウ ○
ラ ン ス 領 イ ン ドシ ナ 連 邦 を 形 成 ( ∼54) ィ ル ヘ ル ム2世
〓French
国 際 社 会 主 義 者 大 会 (第2イ
〓Wilhelm
1890
3●[独]ビ
1892
8●[英]第4次
1893
○[英]独
ベ リ ア 鉄 道 着 工
8●
〓Bismarck,
O. von
〓Trans-Siberian
グ ラ ッ ドス トン 内 閣 成 立 (∼94)
Railway
〓Gladstone,
立 労 働 党 創 設
○[英]第2次 1●
of Socialists 〓Rhodesia
ス マ ル ク が 首 相 辞 任
○[露]シ
1894
Congress
ーデ シア]イ ギ リ ス が 南 ア フ リ カ 会 社 設 立
1891
II
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル )創 設 (∼1914) 〓International
○[ロ
Indo-China
即 位 (∼1918)
W. 〓ILP
ア イ ル ラ ン ド自 治 法 案 否 決
〓Home
二 国 同 盟 (ロ シ ア ・フ ラ ン ス ) ドイ ツ ・オ ー ス ト リア ・イ タ リ アの 三 国 同 盟 に対 抗 日 清 戦 争 (∼95)
Rule
Bill
〓Dual Alliance 〓Triple Alliance 〓Sino-Japanese
War
朝 鮮 支 配 を め ぐ っ て 日本 と清 が 交 戦 10●[仏]ド
レ フ ュ ス 事 件 (∼06)
〓Dreyfus
Affair
軍 部 機 密 文 書 を め ぐる 不 当 逮 捕 に共 和 主 義 者 が反 発 ○[露]ニ ○[中
1895
4●
コ ラ イ2世
が 帝 政 ロ シ ア 最 後 の 皇 帝 に つ く (∼1917) 〓Nicholas
国]孫 文 が ハ ワ イ で 興 中 会 を結 成
下 関 条 約 日清 戦 争 が 終 結 し、 朝 鮮 が 独 立
12●
第1次
イ タ リ ア ・エ チ オ ピ ア 戦 争 (∼96)
イ タ リア が エ チ オ ピ ア の 侵 略 に 失 敗
〓Sun 〓Shimonoseki,
II
Yat-sen Treaty
of
〓Sino-Japanese
War
〓Italo-Abyssinian
War
6●[英]ソ ○[マ
1897
3●[米]マ ○
1898
ー ル ズ ベ リ 内 閣 成 立 (∼1902)
〓Salisbury,
レー シア]イ ギ リ ス 領 マ ラ ヤ 連 邦 を 組 織
〓Malaya,
ッ キ ン レ ー 大 統 領 に 就 任 (1901)
of
〓McKinley,
第1回 シ オ ニ ス ト会 議 開 催 ユ ダ ヤ 人 国 家 の 創 設 を 目 指 す シ オ ニ ズ ム運 動 に発 展
4●
R.
Federation
米 西 戦 争 (ア メ リ カ ・ス ペ イ ン )
W.
〓Zionism
〓Spanish-American
War
キ ュ ー バ 独 立 運 動 を 口実 に ア メ リ カが ス ペ イ ン に 開 戦 9●
フ ァ シ ョ ダ 事 件
〓Fashoda
Incident
ア フ リカ 植 民 地 戦 略 を め ぐ って フ ラ ン ス ・イ ギ リス が 衝 突 12●
パ リ条 約
〓Paris, Treaty
of
米 西 戦 争 が 終 結 、 ス ペ イ ン は キ ュ ー バ の独 立 を承 認
1899
10●
第2次
ブ ー ル 戦 争 (∼1902)
〓Boer
Wars
イ ギ リス が ト ラ ン ス バ ー ル 共 和 国 と オ レ ンジ 自 由 国 を 侵 略 〓Transvaal
1900
4●
Republic
〓Orange
義 和 団 事 件 (∼01) 中 国 の 外 国 勢 力 排 斥 運 動 が 列 強8カ
12●
Free
〓Boxer
State
Rising
国 の連 合 軍 に よ っ て 鎮 圧
イ タ リ ア ・フ ラ ン ス 協 商 伊 は トル コ領 トリポ リに 対 して 、 仏 は モ ロ ッ コ に 対 して 優 越 権 が認 め ら れ た
○[英]労
働代表委員会結成
独 立 労 働 党 、 フ ェ ビ ア ン協 会、 社 会 民 主連 盟 な どが 協 力
1901
1●[豪]英 3●[中
1902
1●
領 オ ー ス トラ リア 連 邦 成 立 国]東 清 鉄 道 完 成
9●[米]セ
〓ILP
〓Australia 〓Chinese
オ ドア ・ル ー ズ ベ ル ト大 統 領 就 任 (∼09)
Eastern
Railway
〓Roosevelt,
日英 同盟 ( ∼21) 〓Anglo-Japanese イ ギ リス が 対 外 基 本 政 策 の 「光 栄 あ る孤 立 」を 放 棄 して 締 結
Alliance
〓Splendid
1903
1●[パ
ナ マ]米 の 援 助 で コ ロ ン ビ ア 連 邦 か ら独 立
2● 4●
日 露戦 争 ( ∼05) 英 仏 協 商
Isolation
〓Panama
代 償 と して ア メ リ カ が パ ナ マ運 河 の 独 占 的 使 用 権 を 獲 得
1904
T.
〓Panama
Canal
〓Russo-Japanese 〓Anglo-French
War Entente
モ ロ ッ コ に お け る フ ラ ン ス の優 越 権 、 イ ギ リ ス の エ ジ プ ト支 配 な ど承 認
1905
1●[露]第1次 ロ シ ア 革 命 〓Russian 「血 の 日 曜 日事 件 」を機 に 全 国 に 波 及 す る が12月 に 鎮 圧
Revolution
3●
第1次
モ ロ ッ コ 事 件
〓Moroccan
Crisis
フ ラ ン ス の モ ロ ッ コ進 出 に 対 して ドイ ツ が 反 対 9●
ポ ー ツ マ ス 条 約
〓Portsmouth,
ア メ リ カ の 提 唱 で 日 露 戦 争 が 終 結 12●[英]キ
1906
1●
ャ ン ベ ル ・バ ナ マ ン 内 閣 成 立
1●[仏]ク
1907
8●
Crisis
〓Clemenceau,
働 代 表 委 員 会 が 労 働 党 に 改 称 〓Labour
〓Anglo-Russian
三 国 協 商 成 立 (∼17) 1894年
露 仏 同 盟 、1904年
Entente
〓Triple 英 仏 協 商 、1907年
〓Franco-Russian
Entente
英 露 協 商 に よ って 形 成
Alliance
〓Anglo-French
Entente
〓Anglo-Russian ド イ ツ ・オ ー ス ト リ ア ・イ タ リ ア の 三 国 同 盟 に 対 抗
1908
4●[英]ア
ス キ ス 内 閣 成 立 (∼16)
Turk
10●[オ
ース トリア]ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ を併 合
10●[ブ
ル ガ リア]ト ル コ か ら独 立
10●[ベ
ルギ ー]コ ン ゴ を 領 有
12●[中
国]溥 儀 が 帝 政 中 国 最 後 の 皇 帝 と な る (∼12)
〓Bosnia
1911
3●[米]タ
5●[南
7●
Alliance
〓Asquith,
ル コ]青 年 トル コ 党 革 命 〓Young 無 血 革 命 で 専 制 支 配 か ら立 憲 政 治 へ 移 行
1910
Entente
〓Triple
7●[ト
1909
and
第2次
モ ロ ッ コ事 件
H.
Revolution
Herzegovina 〓Bulgaria 〓Congo 〓Puyi,
フ ト大 統 領 に 就 任 (∼13)
ア フ リカ]南 ア フ リ カ 連 邦 を形 成
G. Party
英 露 協 商
8●
Conference
〓Moroccan
レマ ン ソ ー 首 相 就 任 (∼09)
2●[英]労
Sir H.
〓Algeciras
モ ロ ッコ 事 件 を収 拾
of War
(∼08) 〓Campbell-Bannerman,
ア ル ヘ シ ラ ス 会 議 第1次
Treaty
〓Russo-Japanese
Henry
〓Taft, W.
〓South
〓Moroccan
Africa
Crisis
ドイ ツ が モ ロ ッ コ 進 出 に失 敗 8●[英]議 9●
10●[中
会 法 成 立
イ タ リア ・ トル コ戦 争 (∼12) トル コが イ タ リア の ト リポ リ領 有 を 承 認 国]辛 亥 革 命 〓Chinese 清 朝 が 倒 れ て 中 国 帝 政 が終 わ る
〓Asquith, 〓Italo-Turkish
H. War
Revolution
1912
1●[中
国]中 華 民 国 建 国 宣 言
〓Chinese
孫 文 が 中華 民 国 臨 時 総 統 に 就 任
Republic
〓Sun
Yat-sen
孫 文 に代 わ り袁 世 凱 が 大 総 統 と な る 3●
バ ル カ ン 同 盟 結 成 セ ル ビ ア 、 ギ リ シ ャ 、 ブ ル ガ リ ア、 モ ン テ ネ グ ロで 構 成
3●[仏]モ 10●
第1次
〓Balkan
League
ロ ッコ を保 護 国 とす る バ ル カ ン 戦 争 (∼13)
〓Balkan
Wars
トル コが バ ル カ ン諸 国 に敗 北 11●
英 仏 海 軍 協 定
12●
ロ ン ド ン会 議 ( ∼13)
〓Anglo-French
Naval
第1次 バ ル カ ン戦 争 の 休 戦 に つ い て 協 議 ロ ン ドン条 約 で ヨ ー ロ ッパ の トル コ領 が 激 減
1913
1●[仏]ポ 3●[米]ウ 6●
第2次 第1次
1914
6●[英]第3次
Agreement
〓London
Conference
〓Balkan Wars 〓London, Treaty of
ア ン カ レ大 統 領 に 就 任 (∼20)
〓Poincar〓,
R.
〓Wilson,
W.
ッ ドロ ー ・ウ ィ ル ソ ン 大 統 領 に 就 任 (∼21) バ ル カ ン 戦 争
〓Balkan
Wars
バ ル カ ン戦 争 の領 土 配 分 を め ぐ って ブ ル ガ リア が 大 敗
ア イ ル ラ ン ド 自 治 法 案 成 立
〓Home
6●
サ ラ エ ボ 事 件 〓Sarajevo, オ ー ス ト リア の 皇 太 子 が セ ル ビ ア 人 青 年 に よ っ て暗 殺
7●
第1次
世 界 大 戦 勃 発 (∼18)
Rule
Bill
Assassination
at
〓World
War
I
オ ー ス ト リア が セ ル ビア に宣 戦 布 告 8●[独]ロ
シ ア ・フ ラ ン ス に 宣 戦 布 告
8●[英]ド
イ ツ に宣 戦 布 告
8●
パ ナ マ 運 河 完 成
8●
タ ンネ ン ベル クの 戦 い ( 独 ・露 :第1次
〓Panama
9●
マ ル ヌ の戦 い ( 独 ・仏 :第1次
〓
10●
イ ー ペ ル の 戦 い (独 ・仏
12●
フ ォ ー ク ラ ン ド海 戦 (独 ・英
Tannenburg,
世 界 大 戦 )
:第1次
4●
ガ リ ポ リ作 戦 ( ∼16) 第1次
4●
of
Battle
of
Islands,
Battle of the
〓Gallipoli
Campaign
世 界 大 戦 中 トル コ の反 撃 に連 合 国 軍 が 撤 退
ロ ン ドン 条 約 秘 密条 約 で イ タ リア の 第1次
9●[英]マ
〓Ypres,
of
Battle
世界大戦) 〓Falkland
1915
Battle
〓Marne,
世 界 大 戦 ) (∼17)
:第1次
Canal
世界大戦)
〓London,
Treaty
of the
世界 大戦参戦 を決定
ク マ ホ ン 宣 言 で ア ラ ビ ア 人 の 独 立 運 動 を支 持 〓MacMahon
Declaration
1916
2●
ベ ル ダ ンの戦 い ( 独 ・仏
:第1次
世 界 大 戦 )
〓Verdun,
Battle of
4●[ア
イル ラ ン ド]イ ー ス タ ー 蜂 起 〓Easter イ ギ リス か ら の 独 立 を求 め る シ ン ・フ ェ イ ン党 が 武 装 蜂 起
5●
サ イ ク ス ・ピ コ協 定
Rebellion
〓Sykes-Picot
Agreement
英 仏 露 が トル コ領 の 分 割 とパ レ ス チ ナ の 国 際 管 理 を 約 す 5●
ユ トラ ン ド沖 の 海 戦 ( 独
7●
ソ ン ム の 戦 い (独 ・連 合 国 :第1次
12●[英]ロ
1917
・英 :第1次
世 界 大 戦 ) 世 界 大 戦 )
〓Jutland,
〓Somme,
イ ド ・ジ ョ ー ジ 内 閣 成 立 (∼22)
〓Lloyd,
3●[露]2月 革 命 ニ コ ライ2世 の 退 位 で 王 朝 支 配 が 終 わ る 4●[露]レ 4● 7●[フ
〓Russian
〓Lenin,
V.
世 界 大 戦 にア メ リ カ参 戦
ィ ンラン ド]ロ シ ア か ら の 独 立 宣 言
11●[露]10月
G.
Revolution
ー ニ ン が 「4月 テ ー ゼ 」を発 表
第1次
Battle of
Battle of the
〓Finland
革 命
〓Russian
Revolution
ル フ ォ ア 宣 言 で ユ ダ ヤ 人 国 家 の 建 設 を認 め る 〓 Balfour
Declaration
レー ニ ン の 指 導 で 社 会 主 義 政 権 を樹 立 11●[英]バ
15年 の マ ク マ フ ォ ン宣 言 との 矛 盾 が 問 題 化
1918
1●14カ
条 平 和 再 建 構 想
米 ・ウ ィル ソ ン大 統領 が 第1次 2●[英]人 3●
〓Fourteen
〓Representation
ブ レ ス ト ・ リ トフ ス ク 条 約
10●[ハ
11●
of the People
〓Brest-Litovsk,
〓Bucharest,
バ ル カ ン 戦 争 が 終 結
ェコ スロバ キ ァ]独 立 宣 言 ドイ ツ 降 伏 で 第1次
11●[独]ド
W. Act
Treaty
of
Treaty
of
〓Balkan
ンガ リー]ハ ン ガ リ ー 革 命 で オ ー ス ト リ ア か ら分 離 独 立
10●[チ
Points
〓Wilson,
世 界 大 戦 中 ドイ ツ 、 オ ー ス ト リア ・ソ 連 が 単 独 講 和
ブ カ レ ス ト条 約 第2次
Declaration
世 界 大 戦 の 戦 後 処 理 を提 唱
民 代 表 法 (普 通 選 挙 法 )成 立
第1次 8●
〓MacMahon
Wars
〓Hungary
〓Czechoslovakia
世 界 大 戦終 わ る
イ ツ 革 命
〓German
Revolution
民主主義革 命に よって帝政が崩 壊
1919
11●[ポ
ー ラン ド]共和 国 と し て 独 立 宣 言
12●[ユ
ー ゴ]セ ル ブ ・ ク ロ ア ー ト ・ス ロ ベ ー ン 王 国 成 立
〓Poland 〓Yugoslavia
1●[独]ス パ ル タ ク ス蜂 起 〓Spartakusbund 左翼急進 派スパ ル タクス団 に よる社会 主義 革命が鎮 圧さ れ る 1●[独]ド 1●
イ ツ労働 者 党 (ナ チ ス の前 身 )発 足
パ リ講 和 会 議 ( ∼20)
〓Nazis 〓Paris
Peace
Settlement
米 英 仏 を 中 心 に 第1次
世 界 大 戦 の 戦 後 処 理 を 討 議
〓World
国 際 連 盟 の 設 置 を 可 決 1●[米]禁
酒 法 制 定 (∼33)
3●[伊]フ
ァ シ ス タ 党 結 成 (∼43)
〓League
War
〓Prohibition
Law
〓Fascist
Party
3●
コ ミ ン テ ル ン (第3イ
4●[イ
ン ド]ア ム リ ッ ツ ァ ー 事 件 イ ギ リ ス が イ ン ドの 独 立 運 動 を 弾 圧
〓Amritsar
5●
ギ リ シ ャ ・ トル コ 戦 争 (∼22)
〓Greco-Turkish
War
〓Afghan
Wars
第1次 5●
第3次
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル )創 設 (∼43)
I
of Nations
〓Comintern Massacre
世 界 大 戦 の 戦 勝 国 ギ リシ ャが トル コ領 に侵 攻 ア フ ガ ン 戦 争
ア フ ガ ニ ス タ ン が イ ギ リス か らの 独 立 を 求 め て 交 戦 6●
ベ ル サ イ ユ 条 約
〓Versailles, Treaty
of
連 合 国 が ドイ ツ の 領 土 を 割 譲 、 軍 備 制 限 、賠 償 金 な ど を 決 定 英 仏 主 導 の も とに ベ ル サ イ ユ 体 制 を 確 立 8●[独]ワ
〓Versailles
イ マ ー ル 憲 法 制 定
〓Weimar
ドイ ツ革 命 に よ っ て ワ イ マ ー ル 共 和 国 が 発 足 9●
サ ン ・ジ ェ ル マ ン 条 約
Republic
〓German 〓Saint
system
Revolution
Germain,
Treaty
of
オ ー ス トリ ア か ら ポ ー ラ ン ド、 チ ェ コ、 セ ル ブ ・ク ロ ア ー ト ・ス ロ ベ ー ヌ 、 ハ ンガ リーが独立 10●[中
国]孫 文 が 国 民 党 を 組 織
11●
12●[英]イ
1920
1●
8●
Yat-sen
ン ド統 治 法 制 定
of India
〓League
ト リ ア ノ ン 条 約 〓Trianon, ハ ンガ リー が ル ー マ ニ ア 、 ユ ー ゴ 、 チ ェ コ に 領 土 を割 譲
of Nations
Treaty
of
〓S〓vres, Treaty
of
連 合 国 が トル コの 領 土 割 譲 を 決 め る が 、 トル コ は 条 約 の 批 准 を 拒 否 23年 の ロー ザ ン ヌ条 約 で トル コ が領 土 を 回 復 〓Lausanne, Treaty
of
セ ー ブ ル 条 約
東 欧 で 小 協 商 の 形 成 は じ ま る チ ェ コ ス ロバ キ ア ・ユ ー ゴ ス ラ ビ ア ・ル ー マ ニ ア で 構 成
9●
フ ラ ン ス ・ベ ル ギ ー 防 衛 同 盟 (∼36) ラ パ ロ 条 約
〓Little Entente
〓Franco-Belgian 〓Rapallo,
フ ィ ウ メ が ユ ー ゴ ス ラ ビ ア領 と な る ○
Act
ル コ]ア ン カ ラ に トル コ 大 国 民 会 議 開 設
8●
11●
〓Kuomintang
〓Government
国 際 連 盟 発 足 (∼46)
4●[ト 6●
〓Sun
ヌ イ イ 条 約 〓Neuilly, Treaty of パ リ講 和 会 議 に も と づ き ブ ル ガ リ ア の 処 分 を 決 定 〓Paris Peace Settlement
ポ ー ラ ン ド ・ソ ビ エ ト戦 争 (∼21)
Alliance Treaty
of
〓Fiume 〓Russo-Polish
War
ポ ー ラ ン ドが 領 土 回 復 を 求 め て ソ ビエ トに 侵 入
1921
2●
フ ラ ン ス ・ポ ー ラ ン ド防 衛 同 盟
〓Franco-Polish
Alliance
3●[ソ
連]新 経 済 政 策 は じ ま る レー ニ ン が 破 局 した ロ シ ア経 済 を再 建
3●
リ ガ 条 約 ポ ー ラ ン ド ・ソ ビ エ ト戦 争 が 終 結
7●[独]ヒ 11●
〓New
Economic Policy 〓Lenin, V.
〓Riga, Treaty of 〓Russo-Polish War
トラ ー が ナ チ ス 党 首 に 就 い て 独 裁 開 始
ワ シ ン トン会 議 (∼22)
〓Hitler, A. 〓Washington
Conference
英 米 な ど9カ 国 が第1次 世 界 大 戦 後 の 極 東 情 勢 を 協 議 ワシ ン トン 条 約 (海 軍 軍 縮 条 約 ・9カ 国 条 約 ・4カ 国 条 約 )を 採 択 〓Washington,
○ 常 設 国 際 司法 裁 判 所 設 置 (∼46) 〓Permanent 国際連盟 の付属機 関 として発 足
1922
2●[エ
〓Egypt
ラ パ ロ条 約 ドイ ツ とソ 連 が ベ ルサ イ ユ 体 制 に対 抗
10●[伊]ム 11●
〓Rapallo, Treaty of 〓Versailles system
ッ ソ リー ニ独 裁 政 権 誕 生 ( ∼43)
〓Mussolini,
ロ ー ザ ン ヌ 会 議 (∼23)
〓Lausanne
ギ リシ ャ ・ トル コ戦 争 を 収 拾 11●[英]ロ
〓Greco-Turkish
連]ソビ エ ト社 会 主 義 共 和 国連 邦 誕 生 イル ラ ン ド]ア イ ル ラ ン ド自 由 国 成 立 (∼37)
〓Irish Free
State
〓Lausanne, Treaty of 〓S〓vres, Treaty of
ル コ]ケ マ ル が 共 和 国 初 代 大 統 領 に 就 任 ( ∼38)
〓Kemal,
ュ ン ヘ ン一 揆
〓Munich
M.
Putsch
ナ チ ス が反 乱 した が制 圧 き れ 、 ヒ ト ラー は逮 捕 さ れ る 〓Nazis〓Hitler,
1 924
1●[英]初 1●[中
の 労 働 党 政 権 、 第1次 国]第1次
マ ク ドナ ル ド内 閣 成 立 〓MacDonald,
国 共 合 作 (∼27)
〓United
国 民 党 が共 産 党 とと もに 国 民 革 命 軍 を 組 織 4●
1925
10●
A.
J. R. Front
〓Kuomintang
ドー ズ 案 発 表 ア メ リカ が 第1次
A.
〓Russia
ロ ー ザ ン ヌ 条 約 セ ー ブ ル条 約 が 改 訂 さ れ トル コ領 土 の 一 部 が 回 復
11●[独]ミ
War
〓Law,
12●[ア
10●[ト
B.
Conference
ー内 閣 成立 ( ∼23)
12●[ソ
7●
of
Court of International Justice
ジ プ ト]イ ギ リ ス か ら 独 立
4●
1923
Treaty
〓Dawes
Plan
世 界 大 戦 に お け る ドイ ツ の 賠 償 金 支 払 い 計 画 を 提 案
ロ カ ル ノ条 約
〓Locarno,
Treaties
of
フ ラ ン ス ・ ドイ ツ ・ベ ル ギ ー ・イ ギ リ ス ・イ タ リア ・ポ ー ラ ン ド ・チ ェ コス ロ バ キ ア7カ 国 に よ る安 全 保 障 体 制 ○
軍 縮 会 議 準 備 委 員 会 発 足 (∼32) 〓Preparatory
Disarmament
commission
ジ ュ ネ ー ブ 軍 縮 会 議 の 予 備 機 関 と して 設 置 〓Geneva
1926
4●
Disarmament
ベ ル リ ン 条 約 締 結 (ドイ ツ ・ソ 連 ) 1941年 ヒ ト ラー に よ る ソ ビ エ ト攻 撃 で 失 効
5●[英]労 7●[中
〓Berlin, Treaty of 〓Hitler , A.
働 組 合 員 に よ る ゼ ネ ス ト
〓General
国]蒋 介 石 が 北 伐 を 開 始
9●[独]国
〓Chiang
Strike
Kai-shek
際連盟 に加入
4●[中 国]蒋介 石 が ク ーデ タ ー で 南京 国 民政 府 樹 立 国民 党が反共 宣言 を発 して共産党 と分 離 ( 国共分裂 )
1927
Conference
〓Chiang Kai-shek 〓Kuomintang
1928
6●[中
国]蒋 介 石 に よ る 北 伐 が 完 了
〓Chiang
Kai-shek
蒋 介 石 は 国 民 政 府 首 席 に就 任 (∼48) 7●[英]男 8●
女 平 等 普 通 選 挙 法 実 施
〓Baldwin,
ケ ロ ッ グ ・ブ リ ア ン 協 定 (パ リ 不 戦 条 約 )
〓Kellogg-Briand
S. Pact
米 仏 間 の 不 戦 条 約 か ら発 展 して63カ 国 が 加 入 11●[ソ
連]第1次5カ
年 計 画 は じ ま る (∼32)
農 業 の コル ホ ー ズ 化 が 進 展
1929
2●
ラ テ ラ ン 条 約 1870年
3●[米]フ 5●[英]第2次 10●
1930
1●
1●
1931
〓Lateran
farm
Treaty
以 来 の イ タ リ ア王 国 と ロ ー マ 教 皇 の 対 立 を収 拾 ー バ ー 大 統 領 就 任 (∼33)
〓Hoover,
マ ク ドナ ル ド内 閣 成 立 (∼31)
H.
〓MacDonald,
世 界 恐 慌 ニ ュ ー ヨー ク ・ウ オ ー ル 街 で 株 式 大 暴 落
〓Great
J.R.
Depression
ヤ ン グ 案 発 表
〓Young
Plan
ドー ズ 案 を 修 正 して ドイ ツ に 対 す る 新 賠 償 案 を提 示
〓Dawes
Plan
ロ ン ドン 海 軍 軍 縮 会 議 ワ シ ン ト ン海 軍 軍 縮 条 約 を改 訂
10●
〓Collective
第1回
6●[米]フ
イ ギ リ ス ・イ ン ド円 卓 会 議 (∼31)
〓London
Naval
〓Washington 〓Round
ー バ ー ・モ ラ ト リア ム 発 表
Table
〓Hoover
Conference Naval
Treaty
Conference
Moratorium
米 ・フ ー バ ー 大 統 領 が ドイ ツ の 賠 償 金 支 払 猶 予 を 決 定 8●[英]第3次
マ ク ドナ ル ド内 閣 成 立 (∼35)
9●
第2回
イ ギ リ ス ・イ ン ド円 卓 会 議
9●
満 州 事 変 (∼32)
〓MacDonald, 〓Round
Table
〓Manchurian
J.R.
Conference Incident
日本 軍 が 侵 攻 し て 満 州 国 を樹 立 リ ッ トン調 査 団 が 日本 の 侵 略行 為 を調 査 ( ∼32) 9●
第2回
12●[英]ウ
イ ギ リ ス ・イ ン ド円 卓 会 議
〓Lytton 〓Round
ェ ス ト ミ ン ス タ ー 憲 章 制 定
ジ ュ ネ ー ブ軍 縮 会 議 (∼34)
Conference
〓Westminster,
イ ギ リス帝 国 に代 わ っ て イ ギ リス 連 邦 が 成 立
1932 2●
Commission
Table
〓British
〓Geneva
Statute
of
Commonwealth
Disarmament
Conference
61カ 国 が 参 加 した が ドイ ツ が 脱 退 して成 果 な く終 結 6●
7●
ロ ー ザ ン ヌ 会 議 ドイ ツ の賠 償 問 題 を討 議
〓Lausanne
オ タ ワ 会 議
Conference
〓Ottawa
Conference
世 界 恐 慌 対 策 と して イ ギ リス が ブ ロ ッ ク経 済 政 策 を 推 進 〓Great 9●[サ 11●
1933
Depression
ウ ジア ラ ビア]イ ブ ン ・サ ウ ド初 代 国 王 とな る (∼53) 第3回
1●[独]ナ
イ ギ リ ス ・イ ン ド円 卓 会 議
チ ス 第1党
ド イ ツ第3帝
〓Round
に 躍 進 、 ヒ トラ ー 首 相 就 任
〓German
ラ ン ク リ ン ・ル ー ズ ベ ル ト大 統 領 就 任 (∼45)
3●[米]ニ
ュ ー ・デ ィ ー ル 政 策 は じ ま る
世 界 恐 慌 対 策 と し て政 府 が 自 由 放 任 主 義 経 済 を 修 正
〓Roosevelt,
日 本 が 国際 連 盟 脱 退
7●4大
国 条 約 イ タ リ ア の主 唱 で イ ギ リス ・フ ラ ン ス ・ドイ ツが 参 加
〓Great
〓Four
A.
Empire
〓New
3●
Saud
Conference
〓Nazis〓Hitler,
国 は じま る (∼45)
3●[米]フ
10●
〓Ibn Table
F. D. Deal
Depression
Power
Pact
ドイ ツ が 国際 連 盟 脱 退
11●[ソ 連]第2次5カ 年 計 画 は じ まる ( ∼37) 農業 の集団 化 をほぼ達 成
1934
1●
ド イ ツ ・ポ ー ラ ン ド不 可 侵 条 約 (∼39) 〓German-Polish
Non-aggression
Pact
東 欧 にお け る フ ラ ン ス の 対 独 安 全 保 障 体 制 に 対 抗 5●[キ
ューバ]ア メ リ カ か ら 独 立
10●[中
〓Cuba
国]長 征 (∼35)
〓Long
毛 沢 東 が 共 産 党 軍 の大 移 動 を指 揮
19
35 3●[独]再
〓Mao
軍 備 を宣 言
ドイ ツは べ ル サ イ ユ 条 約 を 破 棄 4●
March Tse-tung
〓Versailles,
ス ト レ ー ザ 会 議
〓Stresa
Treaty
of
Conference
イ ギ リス ・フ ラ ンス ・イ タ リ アが ドイ ツ の再 軍 備 に対 抗 5●
仏 ソ相 互 援 助 条 約
〓Franco-Russian
ドイ ツの 台 頭 を 懸 念 して 締 結
Treaty
of Mutual
Assistance
6●
イ ギ リ ス ・ ド イ ツ 海 軍 協 定
8●
第7回
10●
1936
〓Anglo-German
第2次 イ タ リア ・エ チ オ ピ ア 戦 争 (∼36) イ タ リア は エ チ オ ピ ア の 併 合 を宣 言
3●[独]ラ
6●[仏]ブ
Agreement
〓Popular
Front
〓Italo-Abyssinian
War
イ ン ラ ン トへ 進 駐
〓Rhineland
ド イ ツ は ロ カ ル ノ 条 約 を 破 棄
7●[ス
Naval
コ ミ ン テ ル ン 大 会 で 人 民 戦 線 運 動 を採 択
〓Locarno,
ル ム 人 民 戦 線 内 閣 成 立 (∼37)
Treaties
of
〓Blum,
L.
〓Spanish
ベ ル リ ン ・ ロ ー マ 枢 軸 形 成
〓Rome-Berlin
10●
ペ イ ン]ス ペ イ ン 内 戦 (∼39) フ ラ ン コ率 い る反 乱 軍 が 勝 利
Civil War 〓Franco, F.
ドイ ツ ・イ タ リア が フ ァ シ ズ ム 強 化 を 目的 に 提 携 12●[中
1937
国]西 安 事 件
5●[英]ネ
〓Xi'an
ビ ル ・チ ェ ン バ レ ン 内 閣 成 立 (∼40)
6●[ア
Axis
〓fascism Incident
〓Chamberlain,
イル ラ ン ド]エ ー ル 共 和 国 成 立
7●
N. 〓Eire
日 中 戦 争 (∼45)
〓Sino-Japanese
War
盧溝 橋での衝 突事件 を機 に全面 戦争 に突 入 9●[中
国]第2次
国 共 合 作 (∼46)
〓United
西 安 事 件 を機 に 国 民 党 と共 産 党 が 抗 日統 一 戦 線 を 展 開 11●
日 独 伊 防 共 協 定 1940年 に は 日独 伊 三 国 同盟 に発 展
12●[伊]国
1938
3●[独]オ
〓Anti-Comintern 〓Tripartite
ラ デ ィ エ 内 閣 成 立
〓Daladier, 〓Munich
英 仏 独 伊 首 脳 会 談 で ドイ ツ の ズデ ー テ ン地 方 併 合 を承 認 連]第3次5カ
3●
Pact Pact
際連盟脱退
ミ ュ ン ヘ ン 会 議
9●[ソ
1939
Front Incident
ー ス ト リ ア を併 合 (∼45)
4●[仏]ダ 9●
〓Xi'an
ペ イ ン]フ ラ ン コ総 統 就 任 (∼75)
4●[伊]ア
〓Sudetenland
年 計 画 は じ ま る (∼42)
ドイ ツ に よ っ て チ ェ コ ス ロ バ キ ア が 解 体
3●[ス
E.
Conference
〓Czechoslovakia 〓Franco,
ル バ ニ ア を 併 合
8●
独 ソ 不 可 侵 条 約 (∼41)
9●
第2次 世 界 大 戦 勃 発 (∼45) ドイ ツが ポ ー ラ ン ドへ 進 軍
F.
〓Albania 〓Russo-German
イ ギ リ ス ・フ ラ ン ス が ドイ ツ に 宣 戦 布 告
Non-aggression
〓World
Pact
War
II
1940
5●
ド イ ツ 軍 が マ ジ ノ 線 を 突 破
5●
英 仏 軍 ダ ン ケ ル ク か ら撤 退
〓Maginot
5●[英]チ
ャ ー チ ル 内 閣 成 立 (∼45)
6●[伊]イ
ギ リ ス ・フ ラ ン ス に 宣 戦 布 告
6●[仏]パ
〓Churchill,
リ 陥 落 、 ドイ ツ 軍 が 占 領
ドイ ツ 占領 下 で 親 独 政 権 ビ シ ー政 府 を 樹 立 ( ∼44) 6●[仏]ド
バ トル ・オ ブ ・ブ リテ ン (独 ・英 :第2次
9●
日 独 伊 三 国 同 盟 37年 の 日独 伊 防 共 協 定 か ら発 展
6●
France
〓Free
French
世 界 大 戦 ) 〓Britain, Battle of 〓Tripartite 〓Anti-Comintern
トナム]ホ ー ・ チ ・ ミ ン が ベ トミ ン 結 成
5●[ソ
Sir W.
〓Vichy
・ ゴ ー ル 将 軍 が 自 由 フ ラ ン ス を 組 織
8●
1941 5●[ベ
Line
〓Dunkirk
Pact Pact
〓Viet
連]ス タ ー リ ン首 相 に 就 任 (∼53)
Minh
〓Stalin, J.
独 ソ開 戦 ドイ ツ は独 ソ不 可 侵 条 約 を 破 棄
8●
〓Russo-German
Non-aggression
大 西 洋 憲 章 発 表
〓Atlantic
Pact Charter
イ ギ リス ・ア メ リカ 首 脳 が 洋 上 会 談 で発 表 12●
日 本 軍 が 真 珠 湾 を 奇 襲
12●
太 平 洋 戦 争 は じ ま る (∼45) 第2次
1942
6●
〓Pearl Harbor 〓Pacific War
世 界 大 戦 中 、 日本 と連 合 軍 が 太 平 洋 を 舞 台 に 交 戦
8●
ミ ッ ド ウ ェ ー 海 戦 (日 ・米 :第2次
世 界 大 戦 ) 〓Midway
ス タ ー リ ン グ ラ ー ドの 戦 い (独 ・ソ :第2次
Island,
世界 大 戦 ) 〓Stalingrad,
11●[英]社 12●
1943
会 保 険 に 関 す る ビバ レ ッ ジ 報 告 提 出
1●
大西洋の戦い ( 独 ・英 :第2次
9●
世 界 大 戦 )(∼43) 〓Atlantic,
〓Casablanca
Report
Battle of the
Conference
世 界 大 戦 の 作 戦 を協 議
イ タ リア 降伏
11●
テ ヘ ラ ン 会 議 米 英 ソ首 脳 が ノル マ ン デ ィ上 陸 作 戦 な ど を協 議
11●[レ
1944 3●[シ
Battle of
〓Beveridge
カ サ ブ ラ ン カ 会 談 米 英 首 脳 が 第2次
Battle of
〓Teheran
Conference
〓Normandy
Landings
バノ ン]フ ラ ン ス か ら独 立
〓Lebanon
リア]フ ラ ン ス か ら独 立
5●
モ ン テ ・カ ッ シ ノ の 戦 い (独 ・連 合 国 :第2次
6●
ノ ル マ ン デ ィ 上 陸 作 戦
〓Syria 世界大戦) 〓Monte
第2次
世 界 大 戦 で 連 合 軍 が 本 格 的反 攻 開 始
Cassino,
〓Normandy
Battle of Landings
7●
ブ レ トン ・ウ ッ ズ 協 定
〓Bretton
Woods
国際通 貨基金 、国際復 興開発銀 行の設置 を決定 8●
ダ ン バ ー トン ・オ ー ク ス 会 議
Agreement
〓IMF〓IBRD
〓Dumbarton
Oaks
Conference
米英 中 ソが第2次 世界 対戦後 の平和保 障計画 を策定 8●
1945
パ リ解 放
2●
ヤ ル タ 会 談
〓Yalta
Conference
米英 ソ首脳 が第2次 世界大戦 の戦後 処理 を討 議 3●
ア ラ ブ 連 盟 結 成
〓Arab
League
エ ジ プ ト、 シ リ ア 、 レバ ノ ン 、 イ ラ ク、 ヨ ル ダ ン、 サ ウ ジ ア ラ ビ ア な どが 参 加
4●[米]ト 4●
ル ー マ ン大 統 領 に就 任 ( ∼53)
〓Truman,
サ ン フ ラ ン シ ス コ 会 議
〓San
Francisco
H.
Conference
連 合 国50カ 国 の 代 表 が 国際 連 合 憲 章 を採 択 〓Charter 5●
of the United
7●[英]ア 7●
ト リ ー 内 閣 成 立 (∼51)
〓Attlee,
ポ ツ ダ ム 会 談
〓Potsdam
Conference
ポ ツ ダ ム 宣 言 で 日本 の 無 条件 降 伏 を 勧 告
〓Potsdam
Declaration
8●
広 島 ・長 崎 に 原 爆 投 下
8●
日 本 降 伏 で 第2次
8●[イ
9●[ベ
トナ ム]ベ
〓Indonesia 〓Sukarno,
トナ ム 民 主 共 和 国 と して 独 立 宣 言
鮮]北 緯38度
3●[ヨ
7●[フ
〓Korea 〓Jordan 〓Fulton 〓Iron
ィ リピ ン]日 本 軍 の 占 領 か ら解 放 さ れ 独 立
Speech Curtain
〓Philippines
和 政 は じ ま る (∼58)
〓French
Republic
イ ン ド シ ナ 戦 争 (∼54) 〓Indo-China ベ トナ ム 民 主 共 和 国 が イ ン ドシ ナ 支配 を も く ろむ フ ラ ン ス に 抵 抗
○[英]国 民 保 険 サ ー ビ ス 法 成 立 〓National ベ バ リ ッジ 報 告 の 「ゆ りか ご か ら墓 場 まで 」を実 現 国 際 司 法 裁 判 所 設 立 常 設国際 司法裁判 所 に代わって設 立 〓Permanent
Minh
Nations
線 で 南 北 に 分 断
英 ・チ ャ ー チ ル 前 首 相 の フ ル トン 演 説 「鉄 の カ ー テ ン」で 東 西 冷 戦 体 制 の 幕 開 け を示 唆
10●[仏]第4共
○
Chi
〓United
ル ダ ン]イ ギ リ ス か ら独 立
3●
12●
〓Ho
国 際 連 合 発 足
2●[朝
A.
〓Viet Nam
ホ ー ・チ ・ミン が 初 代 国 家 首席 に 就 任 10●
C.
世 界 大戦 終 わ る
ン ドネ シア]オ ラ ン ダ よ り独 立 宣 言 ス カ ル ノが 共 和 国 初 代 大 統 領 に就 任 (∼67)
1946
Nations
ドイ ツ 降 伏
〓International Court
War
Health Service Act 〓Beveridge Report Court
of International
of Justice Justice
1947
2●
パ リ条 約 調 印
〓Paris, Treaty
of
イ タ リ ア、 ル ー マ ニ ア 、 ハ ンガ リー 、 フ ィ ン ラ ン ド、 ブル ガ リ ア の敗 戦 処 理 3●[米]ト
ル ー マ ン 宣 言
〓Truman
Doctrine
外交 的孤 立 主義か ら転 じて冷戦 ・反 共政策 を推 進 6●[米]マ
〓Cold War
ー シ ャ ル ・プ ラ ン 発 表
〓Marshall
Plan
ヨ ーロ ッパ復 興の ため アメ リカが 資本進 出 8●[イ 9●
ン ド]イン ド連 邦 とパ キ ス タ ン に分 離 独 立
米 州 相 互 援 助 条 約
〓Inter-American
〓India
Treaty
of Reciprocal
Assistance
南北 アメ リカ諸国 の集団安全 保障 を図 る 10●
第1次
イ ン ド ・パ キ ス タ ン 戦 争 (∼48)
〓India-Pakistan
国 連 調 停 に よ っ て カ シ ミ ー ル 地 方 を 分 断
1948
War
〓Kashmir
10●
コ ミ ン フ ォ ル ム (第4イ
10●
関 税貿 易 一 般 協 定 ( ガ ッ ト) 調 印
〓GATT
11●
国 際 連 合 がパ レ ス チ ナ 分割 決 議
〓Palestine
1●[ビ 3●
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル )創 設 (∼56)
Dispute
ルマ]イ ギ リス連 邦 か ら独 立
〓Burma
ブ リ ュ ッ セ ル 条 約 1955年
4●
〓Cominform
〓Brussels,
Treaty
に 西 ヨー ロ ッパ 連 合 に 発 展
of
〓WEU
ヨ ー ロ ッパ 経 済 協 力機 構 設 立
〓OEEC
マ ー シ ャ ル ・プ ラ ン に も とづ き西 欧 経 済 を再 建
〓Marshall
Plan
62年 に経 済協 力開発機 構 (OECD)へ発展
4● 米 州機 構成立
〓OAS
南北 アメ リカ大 陸諸国 の相 互理 解 を促進 5●[イ
ス ラエル]建 国 宣 言
5●
第1次
〓Israel
中 東 戦 争 (ア ラ ブ ・ユ ダ ヤ 戦 争 ) (∼49)
〓Middle-East
Wars
イ ス ラエ ル の 独 立 宣 言 を 機 に ア ラ ブ諸 国 が開 戦 。 イ ス ラ エ ル 勝 利 ヨ ル ダ ンが エ ル サ レ ム の 旧市 を 、 イ ス ラ エ ル が 新 市 を 領 有 〓Jerusalem
1949
1● 東 欧 経 済 相 互 援助 会 議 (コ メ コ ン)設 立 (∼91) 東 欧 共 産 圏9カ 2●[米]ポ
〓COMECON
国 が ア メ リ カの マ ー シ ャ ル ・プ ラ ン に 対 抗 〓Marshall
イ ン ト ・ フ ォ ア 計 画 発 表
〓Point
トル ー マ ン 大 統 領 が 発 表 した 発 展 途 上 国 援 助 計 画 3●[カ
H.
〓Canada
イ ルラ ン ド]イ ギ リ ス 連 邦 よ り 脱 し て 完 全 独 立
〓Ireland
北 大 西 洋 条 約 機 構 (ナ トー )調 印
〓NATO
ブ リュ ッセ ル 条 約 に ア メ リカ 、 カ ナ ダ等 が 加 わ っ て 成 立 〓Brussels,
Treaty
5●[独]西
ド イ ツ (ドイ ツ連 邦 共 和 国 )成 立 (∼90)
10●[独]東
ドイ ツ (ド イ ツ 民 主 共 和 国 )成 立 (∼90)
10●[中
Plan
Program
〓Truman,
ナ ダ]イ ギ リ ス 連 邦 か ら 完 全 独 立
4●[ア 4●
Four
国]中 華 人 民 共 和 国 樹 立 周 恩 来 が 初 代 首 相 に 就 任 (∼76)
〓Germany, 〓Germany,
〓Chou
of
West East
〓Chinese Republic En-lai/Zhou Enlai
12●
蒋 介 石 は 台 湾 に逃 れ て 中 華 民 国 を 継 承
〓Taiwan
ハ ー グ 円卓 会 議 オ ラ ン ダ が イ ン ドネ シ ア の 独 立 を承 認
〓Indonesia
1●[イ
1951
ン ド]共 和 国 へ 移 行
〓India
2●
中 ソ友 好 同 盟 条 約 締 結
6●
朝 鮮 戦 争 (∼53)
9●
サ ン フ ラ ン シ ス コ 講 和 条 約
〓Korean
〓San
Francisco,
War
Treaty
of
ア メ リカ な ど48カ 国 が 参 加 。 日本 が 主 権 を 回 復 9●
日 米 安 全 保 障 条 約
〓Mutual
Security
サ ン フ ラ ン シ ス コ講 和 条 約 に 付 随 して 調 印 、52年 9●
Pact (USA-Japan)
か ら発 効
ア ン ザ ス 条 約
〓ANZUS
Pact
オ ー ス トラ リア ・ニ ュー ジ ー ラ ン ド ・ア メ リカ が 太 平 洋 安 全 保 障 の た め 締 結 10●[英]チ
1952
2●[英]エ
ャ ー チ ル 内 閣 成 立 (∼55)
5●
リ ザ ベ ス2世
〓Churchill,
即 位
〓Elizabeth
II
ヨ ー ロ ッ パ 防 衛 共 同 体 構 想 〓EDC ヨ ー ロ ッ パ 統 一 軍 、 西 ドイ ツ再 軍 備 な ど提 案 され た が フ ラ ン ス の 拒 否 で 挫 折
7●[エ
ジプ ト]エ ジ プ ト革 命
〓Egypt
自 由 将 校 団 の ク ー デ タ ー に よ っ て 国 王 フ ァ ル ー ク1世 8●
1953
Sir W.
を国外追放
ヨ ー ロ ッ パ 石 炭 鉄 鋼 共 同 体 発 足
1●[米]ア
〓ECSC
イ ゼ ン ハ ウ ア ー 大 統 領 に 就 任 (∼61)
〓Eisenhower,
1●[ユ
ー ゴス ラ ビア]テ ィ トー が 初 代 大 統 領 に 就 任 (∼80)
3●[ソ
連]マ レ ン コ フ 首 相 に 就 任 (∼55)
6●[エ
ジ プ ト]王 政 を 廃 し、 共 和 政 へ 移 行
〓Malenkov,
朝 鮮 戦 争 休 戦 協 定 が成 立
9●
米 西 相 互 防 衛 ・経 済 援 助 協 定
〓Neguib,
〓Mutual
G.
〓Egypt
ナギ ブが初代大 統領 に就任 ( ∼54) 7●
D.
〓Tito
Aid
Agreement
M.
(Spain-USA)
ア メ リカ ・ス ペ イ ンが マ ド リ ー ド条 約 締 結 10●
米 韓 相 互 防 衛 条 約
10●[ロ
〓Mutual
Defence
Treaty
(USA-South
ー デ シア]中 央 ア フ リ カ 連 邦 形 成 (∼63) 〓Central
African
南 北 ロ ー デ シ ア とニ ヤ サ ラ ン ドが 合 体
1954
3●[米]ビ
Korea) Federation 〓Rhodesia
キ ニ 環 礁 で 水 爆 実 験
4●
ジ ュ ネ ー ブ 会 議
5●
デ ィ エ ン ビ エ ン フ ー の 戦 い
〓Bikini 〓Geneva 〓Dien
Bien
Conference Phu,
Battle of
フ ラ ン ス 軍 が ベ トナ ム に 敗 れ て イ ン ドシ ナ戦 争 休 戦 へ 7●
ジ ュ ネ ー ブ 協 定 締 結
〓Indo-China
〓Geneva
イ ン ドシ ナ 戦 争 が 休 戦
War
Agreements
〓Indo-China
War
フ ラ ン ス が ベ トナ ム 、 カ ンボ ジ ア 、 ラ オ ス の 独 立 承 認 ベ トナ ム が 北 緯19度 線 を 境 に 南 北 に分 断 8●
バ ル カ ン 同 盟 締 結 (トル コ ・ギ リ シ ャ ・ユ ー ゴ ス ラ ビ ア ) 〓Balkan
9●
東 南 ア ジ ア 条 約 機 構 (シ ア トー )発 足 (∼77)
11●[ア
19 5 5
ル ジェ リア]ア ル ジ ェ リ ア 民 族 解 放 戦 線 結 成
11●
ア ル ジ ェ リ ア 戦 争 (∼62)
12●
米 華 相 互 防 衛 条 約
2●
Pact
〓SEATO 〓FLN 〓Algerian
〓Mutual
Defence
Treaty
バ グ ダ ー ド条 約
War
(USA-Formosa)
〓Baghdad
Pact
同 年11月 、 中 東 条 約 機 構 (メ トー )に発 展 4●
バ ン ド ン 会 議 (ア ジ ア ・ア フ リ カ 会 議 )
〓Bandung
Conference
ア ジ ア ・ア フ リカ29カ 国 首 脳 会 議 で 平 和10原 則 を確 認 4●[英]イ 5●
ー デ ン 内 閣 成 立 (∼57)
東 欧8カ 5●
〓Eden,
ワ ル シ ャ ワ 条 約 機 構 発 足 (∼91)
〓Warsaw
国 が 北 大 西 洋 条 約 機 構 に対 抗
オ ー ス ト リ ア 国 家 条 約
R. Pact
〓NATO 〓Austrian
State
Treaty
オ ー ス ト リ アが 永 世 中 立 国 と して 独 立 5●
7●
西 ヨ ー ロ ッ パ 連 合 発 足 48年 の ブ リ ュ ッセ ル条 約 か ら発 展 ジ ュ ネ ー ブ4巨 米 英 仏 ソ4大
1956
2●[ソ
頭 会 談
連]フ ル シ チ ョ フ が ス タ ー リ ン 批 判 ロッ コ]フ ラ ン ス か ら 独 立
3●[チ
ュニ ジア]フ ラ ン ス か ら独 立
6●[エ
ジプ ト]ナ セ ル が 大 統 領 に 就 任 (∼70)
7●[エ
ジプ ト]ス エ ズ 運 河 国 有 化 宣 言 第2次
中 東 戦 争 (ス エ ズ 戦 争 ) (∼57)
エ ジ プ トの スエ ズ 運 河 国 有 化 宣 言 が 契 機 に 10●[ハ
1957
3●
〓WEU Treaty of
〓Summit
Meeting
国 に よ る政 府 首脳 会 談
3●[モ
10●
〓Brussels,
〓Khrushchev, 〓Morocco
〓Tunisia 〓Nasser, 〓Suez 〓Middle-East
3●[ガ
ー ナ]イ ギ リ ス 連 邦 の 自 治 領 と し て 独 立
8●[マ
レー シア]イ ギ リ ス 連 邦 内 の 独 立 国 と な る
G.
Canal Wars
〓Suez
ンガ リー]ハ ン ガ リ ー 動 乱
ロ ー マ 条 約 ヨ ー ロ ッパ 経 済 共 同 体 の 設 立 を 決 定
N.
Canal
〓Hungary
〓Rome,
Treaty of 〓EEC 〓Ghana 〓Malaysia
1958
1●
ヨ ー ロ ッパ原 子 力共 同体 発 足
〓EURATOM
ア ラ ブ連 合共 和 国成 立 ( ∼71) 〓United エ ジ プ トと シ リア が 合 邦 して成 立 。 シ リ ア は61年 に 離 脱
Arab
2●
3●[ソ
連]フ ル シ チ ョ フ 首 相 就 任 (∼64)
10●[仏]第5共 和 政 は じ ま る ド ・ゴ ー ル 将 軍 が憲 法 を制 定 して 成 立 ○[中 国]大 躍 進 政 策 毛 沢 東 が 急 進 的 な社 会 主 義 運 動 を推 進
1959
1●
Republic
〓Khrushchev, 〓French 〓De 〓Great
Leap 〓Mao
Forward Tse-tung
ヨ ー ロ ッ パ 経 済 共 同 体 発 足
1●[仏]ド
・ゴ ー ル 大 統 領 就 任
1●[キ 8●
〓EEC 〓De
Gaulle,
ュ ーバ]キ ュ ー バ 革 命
中 央 条 約 機 構 結 成 (セ ン トー ) ( ∼79)
N.
Republic Gaulle, C.
C.
〓Cuba 〓CENTO
中 東 条約 機 構 (メ トー )か らイ ラ ク が 脱 退 した た め改 称 9●
1960
キ ャ ン プ ・デ ー ビ ッ ド米 ソ 首 脳 会 談
5●U2型
機 事 件
〓Camp
David
〓U-2
Affair
米 軍 偵 察 機 が ソ連 領 空 を 侵 犯 。 パ リ 巨頭 会 談 が 中 止 に 7●
ヨ ー ロ ッ パ 自 由 貿 易 連 合 設 立
7●[コ
ンゴ]コ ン ゴ 動 乱
8●[キ
プロ ス]イ ギ リス か ら 独 立
9●
〓EFTA 〓Congo 〓Cyprus
石 油 輸 出 国 機 構 結 成
12●[ベ ○
トナ ム]南 ベ トナ ム で ベ ト コ ン 結 成
〓OPEC 〓Viet Cong
ア フ リ カ の 年 (African Year) 1960年 内 に下 記17カ 国 が 独 立 を獲 得
〓Africa
オ ー トボ ル タ 、 ガ ボ ン 、 カ メ ル ー ン、 コ ー トジ ボ ア ー ル 、 コ ン ゴ共 和 国 、 コ ン ゴ 民 主 共 和 国 (旧 ザ イ ー ル)、 セ ネ ガ ル 、 ソマ リア 、 ダ オ メー 、 チ ャ ド、 中 央 ア フ リカ 、 トー ゴ 、 ナ イ ジ ェ リ ア 、 ニ ジ ェ ー ル、 マ ダ ガ ス カル 、 マ リ、 モ ー リ タ ニア
1961
1●[米]ケ 5●[南
1962
7●[ア 10●
ネ デ ィ 大 統 領 就 任 (∼63) ア フ リカ]共 和 国 と して イ ギ リ ス 連 邦 か ら独 立
〓Kennedy, 〓South
J.F. Africa
ル ジ ェリア]フ ラ ン ス か ら独 立 キ ュ ー バ 危 機
〓Cuban
Crisis
ミサ イ ル 基 地 建 設 をめ ぐっ て 米 ソ間 に 核 戦 争 の 緊 張 が 高 ま る
1963
5●
ア フ リ カ 統 一 機 構 結 成 ア フ リカ 諸 国 の 統 一 と連 帯 を 推 進
〓OAU
9●[マ
1964
レー シア]マ レ ー シ ア 連 邦 成 立 ラ ー マ ン が マ レ ー シ ア連 邦 初 代 首 相 に 就 任 (∼70)
11●[米]ケ
ネ デ ィ 大 統 領 暗 殺
11●[米]ジ
ョ ン ソ ン 大 統 領 就 任 (∼69)
〓Malaysia 〓Rahman, T. 〓Kennedy,
J.F.
〓Johnson,
L
12●[ケ
ニア]イ ギ リ ス か ら 独 立
12●[ザ
ンジバ ル]イ ギ リ ス か ら独 立
〓Zanzibar
ンザ ニア]タ ン ザ ニ ア 連 合 共 和 国 成 立
〓Tanzania
4●[タ
〓Kenya
ザ ン ジ バ ル と タ ンガ ニ ー カが 統 合 5●
パ レ ス チ ナ 解 放 機 構 結 成
7●[米]公
民 権 法 制 定
10●[英]第1次
1965
〓PLO 〓Civil Rights
ウ ィ ル ソ ン 内 閣 成 立 (∼70)
10●[ソ
連]コ ス イ ギ ン 首 相 に 就 任 (∼80)
10●[ソ
連]ブ レ ジ ネ フ 書 記 長 に 就 任 (∼82)
10●[北
ロー デ シア]ザ ン ビ ア 共 和 国 と して 独 立
2●
H.
〓Kosygin,
A.
〓Brezhnev,
L.
〓Rhodesia,
ベ トナ ム 戦 争 (∼75)
Acts
〓Wilson,
Northern
〓Vietnam
War
ア メ リカ が 北 爆 を 開 始 、 南 ベ トナ ム は ゲ リ ラ戦 を展 開 8●[シ
ンガ ポー ル]マ レ ー シ ア 連 邦 か ら分 離 独 立
9●
1966
1●[イ
第2次
イ ン ド ・パ キ ス タ ン 戦 争
ン ド]イ ン デ ィ ラ ・ガ ン ジ ー 首 相 就 任 (∼84)
5●[中
国]文 化 大 革 命 (∼77) 毛 沢 東 が 反 毛 分 子 を排 斥
1967
〓Singapore 〓India-Pakistan
2●[タ
〓Gandhi,
ンザ ニア]ア ル ー シ ャ宣 言 で 社 会 主 義 化 発 表 ビ ア フ ラ 内 戦 (∼70) ナ イ ジ ェ リ ア の 内 戦 に イ ギ リス ・ソ連 が 介 入
6●
第3次
中 東 戦 争 (6日 間 戦 争 )
〓Arusha
Declaration
〓Biafra
Civil War
〓Middle-East
6日 間 で イ ス ラ エ ルが ア ラ ブ に 圧 勝 エ ルサ レム 旧市 を含 む ヨ ル ダ ン川 西 岸 を イ ス ラ エ ル が 併 合
Wars
〓Jerusalem
ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 発 足 〓EC ヨ ー ロ ッパ 石 炭 鉄 鉱 共 同 体 、 ヨ ー ロ ッパ 経 済 共 同 体 、 ヨー ロ ッ パ 原 子 力 共 同 体 が 統 合
8●
東 南 ア ジ ア 諸 国 連 合 (ASEAN)
11●[イ
1968
S.I.
〓Cultural Revolution 〓Mao Tse-tung
5●
7●
War
3●[イ
〓ECSC〓EEC〓EURATOM 結成
エ メン]南 イ エ メ ン が イ ギ リ ス か ら独 立
ン ドネ シア]ス ハ ル トが 大 統 領 に 就 任
〓Yemen
〓Suharto,
General
4●[米]黒 8●
1969
人 解 放 運 動 の 指 導 者 キ ン グ 牧 師 暗 殺
「プ ラ ハ の 春 」で ソ 連 軍 等 が チ ェ コ ス ロ バ キ ア を 占 領
1●[米]ニ
9●[ア
1971
〓Nixon,
ン ピ ド ゥ ー 大 統 領 に 就 任 (∼74)
6●[英]ピ
ー ス 内 閣成 立 ( ∼74)
12●
使 関 係 法 制 定
1●
イ ギ リ ス 、 ア イ ル ラ ン ド、 デ ン マ ー ク がEC加 戦 略 兵 器 削 減 交 渉 (米 ソ )
5●[セ
1973
Relations
盟
ォ ー タ ー ゲ ー ト事 件 問 題 化
〓EC 〓SALT 〓Ceylon
〓Vietnam 〓Watergate
政 治 ス キ ャ ン ダ ルで ニ ク ソ ン 大 統 領 弾 劾 10●
第4次
11●
第1次
War
〓Bangladesh
ベ トナ ム 戦 争 停 戦 協 定 が 成 立
4●[米]ウ
Act
〓India-Pakistan
イロ ン]ス リ ラ ン カ に 改 称
1●
M.
〓Bangladesh 〓Industrial
第3次 イ ン ド ・パ キ ス タ ン 戦 争 パ キスタンが降伏
5●
E.
〓Sadat
東 パ キ ス タ ン はバ ン グ ラ デ シ ュ と して 独 立 獲 得
1972
G.
〓Heath,
ング ラデ シュ]独 立 宣 言
8●[英]労
R.
〓Pompidou,
ラブ連 合]サ ダ トが 大 統 領 に 就 任 (∼81)
3●[バ
M.L.
〓Czechoslovakia
クソ ン大統 領 に就 任 ( ∼74)
6●[仏]ポ
1970
〓King,
中 東 戦 争 (10月 戦 争 )
War Affair
〓Nixon, 〓Middle-East
R.
Wars
ア ラ ブ諸 国 が 領 土 の 一部 を奪 回
第4次
1974
3●[英]第3次 8●[米]フ
1975
4●
石 油 危 機
〓Oil Crisis
中 東 戦 争 を機 に石 油 価 格 が 高 騰
ウ ィ ル ソ ン 内 閣 成 立 (∼76)
〓Wilson,
ォ ー ド大 統 領 就 任 (∼77)
ベ トナ ム 戦 争 終 結
H.
〓Ford,
〓Vietnam
G.
War
解放軍 によってサ イゴンが陥落 、政府軍 が降伏 した 6●[モ 7●
ザ ン ビー ク]ポ ル トガ ル か ら 独 立 ヘ ル シ ン キ 宣 言
〓Mozambique 〓Helsinki
Agreement
全 欧 安 保 首脳 会 議 で 東 西 緊 張 緩 和 を採 択 11● 1976
第1回
4●[英]キ 4●[カ
先 進 国 首 脳 会 議 、 フ ラ ン スで 開 催 ャ ラ ハ ン 内 閣 成 立 (∼79)
ンボジ ア]ポ ル ・ポ ト政 権 成 立
〓Callaghan, 〓Cambodia
J.
7●[ベ
トナ ム]南 北 統 一 で ベ トナ ム 社 会 主 義 共 和 国 誕 生
9●[中
1977
1978
国]毛 沢 東 国 家 首 席 死 亡
1●[米]カ
9●
ー タ ー 大 統 領 就 任 (∼81)
キ ャ ン プ ・デ ー ビ ッ ド3カ
ンボ ジア]ヘ ン ・サ ム リ ン 政 権 樹 立
3●[イ
ラ ン]イ ラ ン 革 命
9●
〓Camp
〓Iran
ッ チ ャ ー 内 閣 成 立 (∼90)
〓Thatcher, 〓Lancaster
House
〓Rhodesia
連]ア フ ガ ニ ス タ ン に 侵 攻
4●[南
〓Afghanistan
ローデ シア]ジ ンバ ブ エ 共 和 国 と し て 独 立
9●[ポ
〓Rhodesia,
ー ラ ン ド]ワ レ サ が 「連 帯 」議 長 に 就 任
9●
M.
Conference
イ ギ リス が ロー デ シ ア の 内戦 を調 停
1980
David
〓Cambodia
ラ ン カ ス タ ー ・ハ ウ ス 会 議
12●[ソ
J.
脳が 中東和平協議
1●[カ
5●[英]サ
Nam
Tse-tung
〓Carter,
国 首 脳 会 談
米 ・エ ジ プ ト ・ イス ラエ ル の3首
1979
〓Viet 〓Mao
Southern 〓Walesa,
イ ラ ン ・イ ラ ク 戦 争 (∼88)
〓Iran-Iraq
L. War
イ ラ ク軍 が イ ラ ン南 西 部 に 侵 入 ○
1981
第2次
1●[ギ
リ シャ]ECに
10●[米]レ
1982
5●
7● 9●
1984
〓Reagan,
R.
War) 始 ま る
加 盟
〓NATO
ス リラ ン カ で タ ミル 人過 激 派 と政 府 軍 の 武 力衝 突 が続 発
〓Ceylon
大 韓 航 空機 、領 空侵 犯 で ソ連 空 軍 機 に 撃 墜 され る
2●[中
7●[ソ 11●[中
〓Greece 年 計 画 を発 表
国]初 の 潜 水 艦 発 射 ミ サ イ ル 実 験 に 成 功
12●
1985
加 盟
フ ォ ー ク ラ ン ド戦 争 (Folkland
10●[中
〓Oil Crisis
ー ガ ン 米 大 統 領 が 核 戦 力5カ
5●[西]NATOに
1983
石 油 危 機 (∼81)
国]〓 小 平 が ― 国 家 二 制 度 の 台 湾 統 一 案 を 提 起 〓Deng Xiaoping/Teng 香 港 返 還 の 中 英 共 同 声 明 発 表
連]ゴ ル バ チ ョ フ 書 記 長 が5カ 国]ア ジ ア 開 発 銀 行 に 加 盟
〓Hong
Kong〓Deng
Hsaio-Ping Xiaoping
月 の 核 実 験 停 止 声 明 〓Gorbachev,
M.
1986
1●
ス ペ イ ン 、 ポ ル トガ ル がECに
1●[米]ス 4●
1987
加 盟
〓EC
ペ ー ス シ ャ トル 、 チ ャ レ ン ジ ャ ー の 打 ち 上 げ 失 敗
チ ェ ル ノ ブ イ リ原 子 力 発 電 所 事 故 発 生
4●[中
〓Chernobyl
国]中国 とポ ル トガル が マ カオ 返 還 共 同 声 明発 表 〓Portuguese
12●
米 ソ 、 中 距 離 核 戦 力 全 廃 条 約 に 調 印
12●[イ
colonies
〓INF,
Treaty
ま る
1988
2●[ソ
世 界 大 戦 中 に 強制 収 容 され た 日系 人 への 補 償 法 成立
ルマ]国軍 が 武 力 で全 権 掌 握 、 国家 法 秩 序 回 復 評 議 会 創 設
連]ア フ ガ ニ ス タ ン か ら完 全 撤 退 国]北 京 で 天 安 門 事 件 起 こ る
6●[ビ
ル マ]国 名 を ミ ャ ン マ ー 連 邦 と 改 め る
7●[ビ
ル マ]ア ウ ン ・サ ン ・ス ー ・チ ー (Aung
〓Beijing 〓Burma San
Su Kyi) を 自 宅 軟 禁 〓Burma
11●[独]東
西 ドイ ツ で 国 境 開 放 、 ベ ル リ ン の 壁 崩 壊
12●[米]パ
ナ マ に 侵 攻
連]ゴ ル バ チ ョ フ 書 記 長 が 大 統 領 就 任
8●[イ
〓Germany 〓Panama
ーマ ニア]チ ャ ウ シ ェ ス ク政 権 崩 壊
3●[ソ
〓Burma
〓Afghanistan
6●[中
12●[ル
1990
〓Intifada
8●[米]第2次 9●[ビ
1989
of
スラ エル]ヨ ル ダ ン 川 西 岸 で パ レ ス テ ィ ナ 人 に よ る イ ン テ ィ フ ァ ー ダ 始
〓Ceausescu,
〓Gorbachev,
ラ ク]ク ウ ェ ー トに 侵 攻
8●[独]東 10●[独]東 10●[シ 10●
N.
M. 〓Iraq
西 ドイ ツ の 新 首 都 ベ ル リ ン に 決 定
〓Berlin
西 ドイ ツ が 正 式 に 独 立
〓Germany
ンガ ポー ル]中 国 と の 国 交 樹 立
〓Singapore
バ ル ト三 国 (リ トア ニ ア ・エ ス トニ ア ・ラ ト ビ ア )が 相 次 い で ソ 連 よ り離 脱 独立 を宣言
1991
1●
米 軍 主 体 の 多 国 籍 軍 の イ ラ ク 空 爆 開 始 (湾 岸 戦 争 )石 油 施 設 破 壊
2●
イ ラ ク 降 伏 に よ り湾 岸 戦 争 終 結
3●[モ
War
ンゴ ル]モ ン ゴ ル 文 字 復 活 を 決 定
4●[台]憲 4●
〓Gulf
法 の 大 陸 政 権 敵 視 条 項 を 廃 止
〓Taiwan
グ ル ジ ア 共 和 国 の独 立 宣言
6●
コ メ コ ン の 解 散
7●
ワ ル シ ャ ワ 条 約 機 構 (Warsaw
〓COMECON Treaty
Organization)
解 散 〓Warsaw
Pact
7●[ソ
連]エ
7●
リ ツ ィ ン (Elitsin
,
Boris
Nikolaevich)
米 ソ が 戦 略 兵 器 削 減 条 約 (START
10●
が大統領就任
1) 調 印
〓START
ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ゴ ビ ナ が 旧 ユ ー ゴ か ら独 立 〓Bosnia
11●ECは 12●[ソ
and
Herzegovina
、 欧 州 連 合 創 設 決 定
〓EU
連]ウ ク ラ イ ナ 、 ベ ラ ル ー シ ・ロ シ ア も 独 立 、 ソ 連 は 独 立 国 家 共 同 体 創 設 条 約 に 調 印
1992
1●
〓CIS
北 朝 鮮 、 国 際 原 子 力 機 関 と 核 査 察 協 定 調 印
2●EC、
〓IAEA
マ ー ス ト リ ヒ ト条 約 調 印
〓Maastricht
正 式 に は 、 ヨ ー ロ ッ パ 連 合 条 約 (Treaty on
European
Treaty
Union)
4●
セ ル ビ ア ・モ ン テ ネ グ ロ が 、 新 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 連 邦 (新 ユ ー ゴ )創 立 〓Yugoslavia
6●
ブ ラ ジ ル の リ オ デ ジ ャ ネ イ ロ で 地 球 サ ミ ッ ト、 国 連 環 境 開 発 会 議 開 催 〓UNCED
8●
中韓国交回復
1●
チ ェ コ と ス ロバ キア の分 離 独 立
1●
米 露 、 第2次 戦 略 兵 器 削 減 交 渉 (START) に調 印
9●
パ レス チ ナ暫 定 自治 協 定調 印
11●
1994
〓PLO
欧 州 連 合 (EU)成 立 ( 前 年 、 マ ー ス トリヒ ト条 約 調 印 )
3●
〓Bosnia
5●
パ レ ス チ ナ 暫 定 自 治 政 府 発 足
6●
米 軍 、 パ ナ マ 運 河 か ら撤 退 開 始
6●
北 朝 鮮 、IAEAを
12●[露]チ
1●
and
Herzegovina 〓Palestine 〓Panama
脱 退
〓IAEA
ェ チ ェン に侵 攻
ス ウ ェ ー デ ン 、 フ ィ ン ラ ン ド、 オ ー ス ト リ ア がEUに
5●[中
加 盟
〓EU
国]ダ ラ イ ・ラ マ が パ ン チ ェ ン ・ラ マ 認 定 を 拒 否 〓Dalai
Lama〓Pan
Chen
Lama
7●
ミ ャ ン マ ー 、 ア ウ ン ・サ ン ・ス ー ・チ ー を 自 宅 軟 禁 か ら解 放 〓Burma
7●
ベ トナ ム がASEANに
11●[米]ベ
1996
〓EU
モ ス リ ム 人 (政 府 中 心 )、 ク ロ ア チ ア 人 の ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ゴ ビ ナ 連 邦 樹 立
1995
〓START
5●
〓ASEAN 〓Viet
10 Nam
国 際サ ッカ ー連 盟 が ワ ー ル ドカ ッ プの 日韓 共 催 を決 定
8●[露]チ 9●
加 盟
トナ ム と 国 交 正 常 化
ェ チ ェン との休 戦 協 定 調 印
タ リバ ンが ア フ ガ ニ ス タ ンの 首 都 カ ブ ール を制 圧
〓Taliban
12●
1997
ペ ル ー で ゲ リラ が 日本 大 使 館 占拠
7●
香 港 が 中 国 へ 返還 され る 特 別 行 政 区 と し て 香 港 は50年 間 資 本 主 義 体 制 (一 国 二 制 度 )
8●
1998
カ ン ボ ジ ア で 人 民 党 の ― 党 支 配
4●[英]北
韓 国領 海 で 北 朝鮮 の潜 水艦 発 見
8●
ケ ニ ア とタ ンザ ニ ア の米 大使 館 同 時爆 破 テ ロ事 件 起 き る 日本 、 北 朝鮮 の ミサ イル発 射 を公表
1●EUの
う ち11カ
〓Korea
国 が ユ ー ロ使 用 開 始
〓EU
、 ベ オ グ ラ ー ド を 空 爆
〓Yugoslavia
国]北 京 で 法 輪 功 が 座 込 み
5●NATO軍 7●
〓India
韓 国 、 日本 映 画 解禁
4●[中
〓Beijing
、 ベ オ グ ラ ー ドの 中 国 大 使 館 誤 爆
李 登 輝 、中 台 関 係 を 「国 と 国 と の 関 係 」と 発 言
〓Li Denghui
10●
東 テ ィ モ ー ル 暫 定 行 政 機 構 の 設 立
〓East
11●
米 中 、 中 国 のWTO加
12●
北 ア イ ル ラ ン ド で 自 治 政 府 発 足
12●
ポ ル トガ ル 領 マ カ オ が 中 国 に 返 還
1●
6● 10●
〓Ireland 〓Portuguese
colonies
が イ ン ドに 亡 命 、 ダ ラ イ ・ラ マ と会 う 〓 Dalai Lama
ー チ ン、 ロ シ ア大 統 領 に選 出 され る
北 朝 鮮 の 平 壌 で南 北 朝 鮮 首 脳 会 談 開 催 イ ス ラ エ ル の 西 岸 ・ガ ザ 地 区 で 第2次
1●[米]ブ
イ ン テ ィ フ ァ ー ダ 始 ま る 〓Intifada
ッ シュ、 米 大 統 領 に就 任
2●
米 英 軍 、 イ ラ ク を爆 撃
3●
ア フ ガ ニ ス タ ン の タ リバ ン が バ ー ミ ヤ ン の 石 佛 を 破 壊
6●
ネ パ ー ル 、 国 王 ・王 族 殺 害 事 件 起 き る
6●
パ キ ス タ ン 新 大 統 領 に ム シ ャ ラ フ が 就 任
9-11●[米]ア
〓Iraq 〓Taliban
〓Pakistan
メ リカ同 時 多 発 テ ロ 発 生 で ニ ュ ー ヨ ー ク の 世界 貿 易 セ ン ター ビ ル
倒 壊 10●
Timor
盟 に合 意
チ ベ ッ ト仏 教 の カ ル マ バ17世
3●[露]プ
2001
〓Ireland
イ ン ド、 地下 核 実験 。 パ キ ス タ ン も初 の地 下 核 実験 実 施
3●NATO軍
2000
ア イ ル ラ ン ドとの 和平 案 に 合 意
6●
10●
1999
Kong
〓Cambodia
5●
8●
〓Hong
米 英 軍 、 ア フ ガ ニ ス タ ン 空 爆 開 始
〓Al-Qaeda 〓Afghanistan
11●WTO閣
2002
1● ユ ー ロの 流 通 始 ま る 2●
米 英 、 未 臨界 核 実験 行 う。
5●
瀋 陽 の 日本総 領 事館 に北 朝 鮮 人5人
5●
東 テ ィモ ー ル の 独立
5●
米 露 、 戦 略攻 撃 戦 力削 減 条 約 に調 印
5●[露]ロ 6●
7● 10●
シア 、NATOに
〓EU
が駆 け込 み 〓East Timor
準 加 盟
〓NATO
ア フガ ニ ス タ ンに暫 定 政 府 発 足
6●2006年
2003
僚 会 議 、 中 国 の 加 盟承 認
〓Afghanistan
の ロ シ ア ・サ ミ ッ ト開 催 決 定 。G8完
ア フ リ カ連 合 (AU)発 足
成へ 〓OAU
バ リ島 で 爆破 事 件発 生
3●
米 英 軍 に よ る イ ラ ク 攻 撃 開 始
4●
バ ク ダ ー ド陥 落 、 フ セ イ ン 政 権 崩 壊
4●
新 型 肺 炎SARS、
各 国 に 拡 大 。WHOが
〓Iraq 〓Hussein, 香 港 ・広 東 へ の 渡 航 自 粛 勧 告
S.
西洋人名 ・地名 対照表 〓
〓*は
(羅 )ラ テ ン 語
(西 )ス ペ イ ン語
(伊 )イ タ リ ア 語
(蘭 )オ ラ ン ダ 語
(露 )ロ シ ア 語
(希 )ギ リ シ ア 語
(ポ )ポ ル ト ガ ル 語
(ス )ス ウ ェ ー デ ン 語
女性 名
●人 名
●地名
現 代 の 世 界[国 名 と地 図] 〓 和 文 及 び 英 文 の 名 称 は 外 務 省 資 料 を 参 考 と し た (2009年6月
)。
〓 ○ 印 は 本 書 の 見 出 し語 と し て 取 り上 げ た 国 。 見 出 し 語 と 表 記 が 異 な る 場 合 は 、 → で 示 し た (例 : ミ ャ ン マ ー 連 邦 →Burma) 〓 各 地 域 は 地 図1∼8(p.328∼
。
)に 対 応 し て い る。 た だ し、*印
の 国 は地 図 に 掲 載 さ れ
て い な い 。 ま た 、 トル コ は 地 図 〓 (ヨ ー ロ ッ パ )を 参 照 の こ と。 〓 台 湾 は 国 と は 認 め ら れ て い な い が 取 り 上げ た 。 〓 NIS諸
国 (New
Independent
States) は 、 旧 ソ 連 の う ち バ ル ト三 国 を 除 く独 立12カ
の こ と。
○ ハ ン ガ リ ー 共 和 国 1 ヨ ー
ロ
ッ パ
Republic
○ ア ル バ ニ ア 共 和 国 Republic
of
Albania
Republic
ア ン ド ラ 公 国 Principality ○ オ ー ス
○
of
Andorra
of
○
Austria
○
Belgium
of
○
Bulgaria
of
○
○
Czech
Croatia
→Yugoslavia
Kosovo
トビ ア 共 和 国 of
Principality
→Czechoslovakia
Republic
Latvia
of
Liechtenstein
リ トア ニ ア 共 和 国 Republic
of
Lithuania
ル ク セ ン ブ ル ク 大 公 国
Kingdom
of
Grand
エ ス
トニ ア 共 和 国 of
Denmark
Duchy
Estonia
Republic
フ ィ ン ラ ン
ド共 和 国
モ ナ コ 公 国
Republic
Finland
of
French
○ ギ リ シ ャ 共 和 国 Hellenic
of
City
of
Monaco
○ オ ラ ン ダ 王 国 of
Germany
Kingdom →Greece
Republic
the
Malta
→Yugoslavia
Montenegro
of
the
→Holland Netherlands
ノ ル ウ ェ ー 王 国 Kingdom
バ チ カ ン市 国 State
of
Principality
ド イ ツ 連 邦 共 和 国 Republic
Luxembourg
○ モ ン テ ネ グ ロ 共 和 国
Republic
Federal
of
マ ル タ 共 和 国
フ ラ ン ス 共 和 国
○
ラ
of
デ ン マ ー ク 王 国
Republic ○
Italy
リ ヒ テ ン シ ュ タ イ ン 公 国
○ チ ェ コ共 和 国 The
of
コ ソ ボ 共 和 国
Republic
ク ロ ア チ ア 共 和 国 Republic
Iceland ド
イ タ リ ア 共 和 国
Republic
ブ ル ガ リ ア 共 和 国 Republic
○
○
of
of
ア イ ル ラ ン
Republic
○ ベ ル ギ ー 王 国 Kingdom
Hungary ド共 和 国
Ireland
トリ ア 共 和 国
Republic
of
ア イ ス ラ ン
of
Norway
○ ポ ー ラ ン ド共 和 国 of
Vatican
Republic
of
Poland
国
ポ ル
トガ ル 共 和 国
Portuguese
Central
Republic
チ ャ
Republic
○ ル ー マ ニ ア Romania
of
Chad
サ ン マ リ ノ 共 和 国
Union
Republic
コ ン ゴ 共 和 国
of
Republic
San
Marino
of
Slovak
of
Comoros
Republic
→Yugoslavia
Serbia
of
Congo
○ コ ン ゴ 民 主 共 和 国
ス ロ バ キ ア 共 和 国 The
Democratic
→Czechoslovakia
Republic
コ ー
Republic
ス ロ ベ ニ ア 共 和 国
Republic
ジ ブ チ 共 和 国
of
Slovenia
ス ペ イ ン
of
Bosnia
Great
Britain
and
・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ
○
Republic
Equatorial
Guinea
of
Eritrea
エ チ オ ピ ア 連 邦 民 主 共 和 国 Democratic
Republic
of
Ethiopia
ガ ボ ン共 和 国 Gabonese
Herzegovina
Yugoslav
of
Federal
Republic
ガ ン ビ ア 共 和 国
ドニ ア 旧 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 共 和 国
Former
Egypt
エ リ ト リ ア 国 State
→Britain of
Ireland
and
Republic
Republic
(グレー トブ リテ ン及 び 北 ア イル ラン ド連 合 王 国 ) ○ ボ ス ニ ア
Djibouti
赤 道 ギ ニ ア 共 和 国
○ イ ギ リ ス
Northern
of
of
○
Kingdom
Congo
d'Ivoire
Arab
Sweden
Confederation
United
C〓te
ト ・ア ラ ブ 共 和 国
ス イ ス 連 邦 Swiss
the
○ エ ジ プ
ス ウ ェ ー デ ン 王 国 Kingdom
of
Republic
Spain
of
ト ジ ボ ワ ー ル 共 和 国
Republic
マ ケ
Republic
コ モ ロ 連 合
○ セ ル ビ ア 共 和 国
○
African ド共 和 国
of
Macedonia
Republic
of
the
Gambia
○ ガ ー ナ 共 和 国 Republic
of
Ghana
2 ア フ リ カ ギ ニ ア 共 和 国
○ ア ル ジ ェ リア 民 主 人 民 共 和 国 Democratic People's Republic of Algeria ア ン ゴ ラ共 和 国 Republic of Angola
Republic
of
Guinea
ギ ニ ア ビ サ ウ 共 和 国 Republic
of
Guinea-Bissau
○ ケ ニ ア 共 和 国
ベ ニ ン共 和 国 Republic
of Benin
ボ ツ ワ ナ共 和 国 Republic of Botswana ブルキナファソ Burkina Faso
Republic レ ソ
of
Kingdom リベ
Kenya
ト王 国 of
Lesotho
リア 共 和 国
Republic
of
Liberia
○ 大 リビ ア ・ア ラ ブ社 会 主 義 人 民 ジ ャマ ー ヒリーヤ 国
ブ ル ン ジ 共和 国 Republic of Burundi ○ カメルーン共和国 Republic of Cameroon
The
Great
Arab
Socialist
Jamahiriya
マ ダ ガ ス カ ル 共 和 国 Republic
of
カーボベルデ共和国 Republic of Cape Verde
Republic
中 央 ア フ リ カ共 和 国
マ リ 共 和 国
Madagascar
マ ラ ウ イ 共 和 国 of
Malawi
People's
Libyan →Libya
Republic
of
Mali
モ ー リ タ ニ ア Islamic
Republic
Republic
of
3 NIS諸
Mauritania
Republic
Republic
of
Kingdom
Mauritius
of
Republic
Morocco
of
Republic
of
Azerbaijan
Armenia
Republic
ベ ル ラ ー シ 共 和 国
Mozambique
Republic
of
Belarus
グ ル ジ ア
Namibia
Georgia
ニ ジ ェ ー ル 共 和 国
カ ザ フ ス タ ン 共 和 国
Republic
Republic
of
Niger
of
Kazakhstan
ナ イ ジ ェ リ ア 連 邦 共 和 国
キ ル ギ ス 共 和 国
Federal
Kyrgyz
Republic
of
Nigeria
ル ワ ン ダ 共 和 国
モ ル
Republic
of
サ ン トメ
・プ リ ン シ ペ 民 主 共 和 国
Democratic
Rwanda
Republic
of
S〓o
of
Senegal
of
of
Sierra
of
ウ ズ ベ キ ス タ ン 共 和 国 Republic
of
ス ワ ジ ラ ン Kingdom
4 中 東
South
Africa
Sudan
of
of
Togo
ブ ー タ ン王 国 Kingdom of Bhutan
Tunisia
○ キ プ ロ ス共 和 国 Republic of Cyprus
ウ ガ ン ダ 共 和 国 Republic
of
Uganda
タ ン ザ ニ ア 連 合 共 和 国 United
Republic
of
○ ザ ン ビ ア 共 和 国 Republic
of
of Bahrain
○ バ ン グ ラデ シ ュ人 民 共 和 国 People's Republic of Bangladesh
チ ュ ニ ジ ア 共 和 国 Republic
・イ ン ド
○ ア フ ガ ニ ス タ ン ・イ ス ラ ム 国 Islamic State of Afghanistan
Kingdom
Swaziland
トー ゴ 共 和 国 Republic
Uzbekistan
バ ー レー ン王 国
ド王 国
of
of
Republic
ス ー ダ ン 共 和 国 Republic
Tajikikistan
ウ ク ラ イ ナ
Leone
Democratic
Republic
of
Ukraine
○ 南 ア フ リ カ 共 和 国 The
Russia
Turkmenistan
Seychelles
ソ マ リ ア 民 主 共 和 国 Somali
Moldova
トル ク メ ニ ス タ ン
シ エ ラ レ オ ネ 共 和 国 Republic
and
of
ロ シ ア
Republic
セ イ シ ェ ル 共 和 国 Republic
Tom〓
○
タ ジ キ ス タ ン 共 和 国
セ ネ ガ ル 共 和 国 Republic
Republic ドバ 共 和 国
Republic
Pr〓ncipe
○
of
ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン 共 和 国
○ ナ ミ ビ ア 共 和 国
○
国
ア ル メ ニ ア 共 和 国
○ モ ザ ン ビ ー ク 共 和 国
○
Zimbabwe
モ ー リ シ ャ ス 共 和 国
○ モ ロ ッ コ 王 国
○
of
・イ ス ラ ム 共 和 国
Zambia
ジ ン バ ブ エ 共 和 国
Tanzania
○ イン ド India ○ イ ラ ン ・イ ス ラ ム 共 和 国 Islamic Republic of Iran ○ イ ラ ク共 和 国 Republic of Iraq
○ イ ス ラ エ ル 国 State
of
朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 Democratic
Israel
○ ヨ ル ダ ン ・ ハ シ ェ ミ ッ ト王 国 Hashemite
Kingdom
ク ウ ェ ー State ○
of
of
Lao
ト国 Kuwait
Mongolia
Federal
Lebanon ○
Democratic
Sultanate
Republic
○ of
Nepal
of
Islamic
○
・イ ス ラ ム 共 和 国 of
of
Saudi
Arabia
○ ベ
Singapore
of
Thailand
Democratic
Republic
Socialist
Republic
Timor-
of
Sri
Republic
of
Viet
Nam
○ 台 湾 Taiwan
シ リ ア
・ア ラ ブ 共 和 国
Syrian
Arab
of
6 オ セ
Republic
トル コ 共 和 国
→Ottoman
Empire
ア
○ オ ー ス
ニ
ア
トラ リ ア 連 邦
Australia
Turkey
ア ラ ブ 首 長 国 連 邦
フ ィ ジ ー 諸 島 共 和 国
United
Republic
Arab
Emirates
of
of
the
Fiji Islands
キ リ バ ス 共 和 国
○ イ エ メ ン 共 和 国 Republic
of
トナ ム 社 会 主 義 共 和 国
Socialist
Lanka
Republic
of
Leste
ス リラ ン カ 民 主 社 会 主 義 共 和 国 →Ceylon Democratic
○
Philippines
タ イ 王 国
The
Qatar
サ ウ ジ ア ラ ビ ア 王 国 Kingdom
the
○ 東 テ ィ モ ー ル 民 主 共 和 国
カ タ ー ル 国 of
of
シ ン ガ ポ ー ル 共 和 国
Kingdom
Pakistan
→Burma
Myanmar
フ ィ リ ピ ン 共 和 国
Republic
Oman
Republic
State
of
Republic ○
○ パ キ ス タ ン
Republic
ミ ャ ン マ ー 連 邦 Union
Maldives
オ マ ー ン 国
○
Democratic
モ ン ゴ ル 国
of
Korea
Malaysia
ネ パ ー ル 連 邦 民 主 共 和 国
○
People's
Republic
Republic
of
○ マ レ ー シ ア
レ バ ノ ン 共 和 国 of
( 北 朝 鮮 )
Republic
○ ラ オ ス 人 民 民 主 共 和 国
Jordan
モ ル デ ィ ブ 共 和 国
○
People's
Republic
Yemen
of
Kiribati
マ ー シ ャ ル 諸 島 共 和 国
5 アジア東 部
Republic
ブ ル ネ イ ・ダ ル サ ラ ー ム 国 Brunei Darussalam
○ イ ン ドネ シ ア 共 和 国 Republic of Indonesia 日本 国 Japan 大韓民 国 Republic of Korea
Marshall
Islands
States
of
Micronesia
ナ ウ ル 共 和 国 Republic ○
of China
the
ミ ク ロ ネ シ ア 連 邦 Federated
○ カ ンボ ジア 王 国 Kingdom of Cambodia 中華人民共和 国 People's Republic
of
of
Nauru
ニ ュ ー ジ ー ラ ン New
ド
Zealand
パ ラ オ 共 和 国 Republic
of
Palau
パ プ ア ニ ュ ー ギ ニ ア 独 立 国 Independent
State
of
Papua
サ モ ア 独 立 国 Independent
State
of
Samoa
New
Guinea
ソ ロ モ ン 諸 島 Solomon
Republic
Islands
トン ガ 王 国 Kingdom
Saint
of
Tonga
セ ン
ツ バ ル
Panama トフ ァ ー ・ ネ イ ビ ス
Christopher
and
Nevis
トル シ ア
Saint
Tuvalu
Lucia
セ ン トビ ン セ ン ト及 び グ レ ナ デ ィ ー ン 諸 島
バ ヌ ア ツ 共 和 国 Republic
of
Saint
Vanuatu
ア ン テ ィ グ ア Antigua
and
Vincent
and
ト リ ニ ダ ー
7 北 ア メ リカ ・中 米 ・バ ー ブ ー ダ
Republic
the
Grenadines
ド ・ トバ ゴ 共 和 国
of
Trinidad
and
Tobago
ア メ リ カ 合 衆 国 United
States
of
America
Barbuda
8 南 ア メ リ カ
バ ハ マ 国 Commonwealth バ ル バ
of
セ ン ト ク リ ス
of
the
Bahamas
ドス
Barbados
○ ア ル ゼ ン チ ン共 和 国 Argentine Republic ○ ボ リビ ア共 和 国 Republic of Bolivia
ベ リ ー ス Belize
ブラ ジ ル連 邦 共 和 国 Federative Republic of Brazil
○ カ ナ ダ Canada
○ チ リ共 和 国 Republic of Chile
○ コ ス タ リ カ 共 和 国 Republic
of
Costa
Rica
○ キ ュ ー バ 共 和 国 Republic
of
Cuba
○ コロ ン ビ ア共 和 国 Republic of Colombia エ ク ア ドル 共 和 国
ド ミ ニ カ 国
Republic
Commonwealth
of
of Ecuador
Dominica
ガ イ ア ナ共 和 国 ○
ド ミ ニ カ 共 和 国 Dominican
○
○
Republic
エ ル サ ル バ
ドル 共 和 国
Republic
El
of
Salvador
Republic
of Guyana
パ ラ グ ア イ共 和 国 Republic
of Paraguay
グ レ ナ ダ
ペ ル ー共 和 国
Grenada
Republic
グ ア テ マ ラ 共 和 国
ス リナ ム 共 和 国
Republic
of
Guatemala
Republic
of Peru
of Suriname
○ ハ イ チ 共 和 国 Republic
of
ウル グ ア イ東 方 共 和 国
Haiti
ホ ン ジ ュ ラ ス 共 和 国 Republic
of
Honduras
Bolivarian
ジ ャ マ イ カ
メ キ シ コ 合 衆 国 Mexican
States
○ ニ カ ラ グ ア 共 和 国 Republic
Republic
of Uruguay
Republic
of Venezuela 〓Venezuela
Jamaica
United
Oriental
○ ベ ネ ズ エ ラ ・ボ リ バ ル 共 和 国
of
Nicaragua
○ パ ナ マ 共 和 国
● オ ー ス トラ リア 、 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド、 パ プ ア ニ ュ ー ギ ニ ア 以 外 の オ セ ア ニ ア 諸 国 は 掲 載 して い な い
イギ リスおよび 国際 バ カ ロレア における
歴史教育 千 里 国 際 学 園 ・社 会科 教 諭
ダ ッ タ ・シ ャ ミ
海外の学校 で歴史 の授業 を受けるために この 本 を 手 に す る 人 の 中 に は 、 海 外 の 学 校 や イ ン ター ナ シ ョナ ル ・ス クー ル で は 、 人 類 の 歴 史 の どの 部 分 を 、 ど の よ う に 教 え て い るか に 興 味 を も っ て い る 人 も 多 い と思 わ れ る 。 ま た 自 分 自 身 、 あ るい は 子 弟 が 海 外 の 学 校 に 通 っ て い る 人 ・通 う予 定 の 人 も い る で あ ろ う。 事 前 に ど ん な 準 備 や 予 習 を した 方 が よ い か ? こ こ で は 、 (1)イ ギ リ ス お よ び 国 際 バ カ ロ レ ア (IB: International
Baccalaureate)
の
歴 史 教 育 に お い て 重 視 され る ス キ ル 、 (2)シ ラ バ ス の 主 な 項 目 を 紹 介 す る。 グ ロ ー バ ル 社 会 の 今 日、IBは 世 界 的 に 最 も 広 が りを 見 せ て い る教 育 プ ロ グ ラ ム で あ り、 直 接 導 入 さ れ て い な くて も そ の 考 え 方 を 取 り入 れ て い る学 校 が 年 々 増 え て い る。 イ ギ リ ス の 教 育 制 度 は 世 界 の 多 くの 地 域 に 影 響 を 与 え て き た 。 イ ギ リス の ナ シ ョ ナ ル ・カ リ キ ュ ラ ム (National 重 要 な 柱 と さ れ て い る 。5歳 GCE-Aレ
Curriculum)
に お い て 歴 史 (History)は
か ら14歳 ま で は 必 修 科 目 で あ り、 そ の 後 もGCSE、
ベ ル 、 お よ び 国 際 バ カ ロ レ ア (IB) な どの 試 験 にHistoryを
選 択 す る生徒
が多 い。 帰 国 生 に 聞 い て み る と、 実 際 に海 外 へ 渡 っ た と き 、 や は り最 初 の 歴 史 の 授 業 で 時 代 名 か ら苦 労 し て し ま う こ とが 多 く、 事 前 準 備 の 段 階 か ら歴 史 の 時 間 で 出 て く る英 単 語 を あ る程 度 把 握 し て お く こ とが 心 強 さ に 結 び つ く と い う。 こ こ で は 、 い くつ か の ス キ ル (skills) には あえ て英 語 表 記 を使 うが 、 これ は 海外 で勉 強 され る 人 に は で き る 限 り早 く英 語 表 記 に慣 れ て ほ し い とい う理 由 か らで あ る 。 ま た 、 カ リキ ュ ラ ム ・シ ラバ ス に 登 場 す る具 体 的 な 項 目 も同 様 に 英 語 表 記 の と こ ろ も あ る が 、 こ ち ら も徐 々 に 英 語 の 方 に 慣 れ て い た だ き た い 。
以 下 の 考 え 方 ・ス キ ル は 、 世 界 の 多 くの 学 校 に 共 通 す る項 目 で あ る。 海 外 へ 行 く前 か ら完 ぺ き に 準 備 して お く と い う よ り も 、 現 地 で 同 世 代 の 人 と 同 じ よ う に じ っ く り身 に つ け て も ら い た い もの で もあ る。 ・Knowledge
and
understanding:
知 識 と理 解 。暗 記 の み よ り も分 析 (analysis)、
物 事 の 原因 ・Chronological
・影 響 (reasons/origins and effects) を 理 解 す る こ と が 重 視 さ れ る 。 understanding: 時 代 順 に物 事 の流 れ を理 解 す る 。 with different periods and regions: 他 の地 域 、 他 の 時 代 との 結
・Connections びつ きを分析
・理 解 す る 。
・Understanding
the
present
through
the
past:
過 去 の 分 析 で 現 在 を よ り深 く
理 解 す る視 点 。 こ れ は 歴 史 教 育 を よ り意 味 あ る もの に す る 。 ・Historical
interpretation:
・Enquiry:
歴 史 に は 様 々 な 解 釈 が あ る と い う視 点
。
問 い か ら始 め
、 調 べ て 追 究 す る力 。 様 々 な 資 料 か ら歴 史 を 調 べ 、 学 ん で い く力 。
・Source
analysis:
・Source
evaluation:
高 学 年 に な る と、 資 料 自 体 の 使 え る と こ ろ や 問 題 点 も 分 析
し て い く。 ・Information
and
Communication
タ ー ネ ッ ト、CD-ROM、 ・Organization 及 びICTで
Technology(ICT)
:コ ン ピ ュ ー タ ー
、 イ ン
お よび その他 の電 子 メ デ ィ アを活 用 す る力 。
and
communication:
学 習 す る 内 容 を整 理 し、 ま た 口 頭 、 文 章 、
伝 え る力。
各 キ ー ・ス テ ー ジ で 学 習 す る項 目 下 記 の 年 齢 は 各 キ ー ・ス テ ー ジ (Key Stage) の 開 始 お よ び 終 了 時 の もの で あ る。 例 え ば 、9月1日
の 学 年 開 始 時 点 で6歳
だ と一 般 的 に はYear
2に な る。 各 学 年 で
具 体 的 に 学 習 す る項 目 に は 地 域 や 学 校 に よ っ て 差 が あ る が 、 一 般 的 な もの を 紹 介 し よ う。
I.
Key
Historical
Stage
1: 小 学 校 低 学 年 5歳
Enquiryの
(Year
ス テ ー ジ が 始 ま る 。Historical
1)∼7歳
Enquiryと
(Year
2)
は 「歴 史 的探 求 」
を 意 味 す る。 イ ギ リ ス 、IBお よ び 世 界 中 の 小 学 校 か ら高 校 まで 、 さ ま ざ ま な カ リ キ ュ ラ ム で 近 年 こ の 考 え 方 が 重 視 さ れ て い る 。 多 く の 学 校 で は 教 師 が 児 童 に 「過 去 」に 関 して 質 問 す る こ と を う な が す こ と か ら始 ま る。 過 去 か ら 現 在 ま で の 時 間 の 流 れ が あ る こ と を 理 解 す る た め 、 まず 自分 、 家 族 、 住 ん で い る地 域 な ど を 題 材 に す る 。 そ し て 児 童 が 慣 れ て くる と イ ギ リ ス や 世 界 へ と 範 囲 を 広 げ て い く。 児 童 が “before, after, long
time
ago,
past”な ど の 単 語 を 正 確 に 使 え る よ う に し、 過
去 と い っ て も 時 期 ・時代 に よ っ て は 、 人 間 の 暮 ら しが 異 な る こ と を理 解 し て い く。 具 体 的 な 事 例 は 、 過 去 の 人 物 、 子 ど も、 物 語 、 過 去 か ら今 も続 く行 事 (オ リ ン ピ ッ ク 、 記 念 日 、 な ど )な ど 、 学 校 に よ っ て も違 う が 、 写 真 、 本 、 音 楽 、 映 像 、 ウ ェ ブ サ イ トな ど さ ま ざ ま な 資 料 で 過 去 を 見 て い く。 博 物 館 ・歴 史 的 建 物 の 見 学 も 実 施 され る。
II. Key
Stage
2: 小 学 校 修 了 ま で 7歳
(Year
3) ∼11歳
(Year
6)
こ の ス テ ー ジ か ら 具 体 的 な 歴 史 の 単 元 が 始 ま る。 古 代 ギ リシ ャ ・ヨ ー ロ ッ パ 時 代 か ら1930年
代 以降 まで の イ ギ リス史 が 中心 とな るが、 それ 以 外 の地 域 の 古 代
社 会 も学 習 す る。 とは い え 、 全 体 を 網 羅 的 に 学 習 す る の で は な く、 あ る 程 度 の 全 体 像 (overview) を 理 解 した 上 で 、 下 記 の1∼4の
テ ー マ か ら学 校 、 教 師 、 時 に
は 生 徒 が 自 ら 詳 し く調 べ る テ ー マ を 選 ん で い く。Chronological
understanding
と して は 人 物 、 出 来 事 、 歴 史 的 変 化 な ど を 正 確 な時 代 と結 び つ け ら れ る か ど うか が 問 わ れ る。 Key
Stage
2期 に 渡 英 予 定 の 場 合 は 、 ま ず は イ ギ リス 史 の 全 体 像 お よ び 下 記 の
テ ー マ を 簡 単 に予 習 して お く こ と を 勧 め る 。 1.
Local
history
study:
地 域 史 の学 習
学 校 が 所 在 す る地 域 が 、 さ ま ざ ま な 出 来 事 や 人 物 か ら影 響 を受 け な が ら ど の よ う に 変 化 して き た か 。 2.
British
history
study:
こ れ は 主 に3つ
呼 ば れ る 。England以 れ る 。3つ A.
イ ギ リス 史 の学 習
の 大 き な 部 分 に 分 け ら れ 、three 外 にIreland,
British
Scotlandお
history
よ びWalesも
studiesと 適 宜 題 材 に さ
の 分 野 を 簡 単 に 説 明 し て お こ う。
Romans,
Anglo-Saxons
and
Vikings:
ロ ー マ 人 、 ア ン グ ロ ・サ ク ソ ン 人 、
バ イ キ ン グ が イ ギ リ ス に 渡 り 、 定 住 し た 時 代 。 主 に 紀 元 前1世
紀 か ら11
世 紀 ま で だ が 、 そ の 後 に 与 え た 影 響 も考 え て い く。 a)
Roman
Conquest
and
Settlement
in
Britain:
ロ ー マ 人 に よ る征 服 お
よび定 住 化 。 これが イ ギ リス に どん な影 響 を与 えた か、 交通 や 町 な ど の 発 達 も 含 め な が ら 見 て い く。 b)
Effects
of
Anglo-Saxon
Settlements:
ア ン グ ロ ・サ ク ソ ン 人 の 定 住 化
に よ る 影 響 。 キ リ ス ト教 へ の 改 宗 が 進 ん で い く 様 子 、 こ れ に よ る 生 活 の 変 化 、 地 域 に あ る ア ン グ ロ ・サ ク ソ ン 定 住 地 な ど も 題 材 に す る 。 c)
Viking
Raids
and
Settlement:
バイ キ ングの侵 略 お よび 定住 化。 歴 史
的 な 出来 事 と ともに イ ギ リス全 体 お よび地 域 への 影響 を重 点 的 に学 ぶ 。 上 記3つ hlstorical
を 見 て い
くが、 そ の 中 で も ひ とつ を 特 に 深
knowledge、understanding、
く学
習 ・分 析 し 、
ま た はinterpretation、enquiryの
ス キ
ル を磨 い て い く。 B.
Britain
and
the
wider
world
in
Tudor
times:
ギ リ ス お よ び 当 時 の 世 界 (15世 紀 か ら17世 マ 法 王 と の 決 別 、 ヘ ン リ ー8世 Moore)
、 エ リ ザ べ スI世
(Henry
(Elizabeth
チ ュー ダー 王朝 時代 の イ
紀 初 期 ま で )。 イ ギ リ ス の ロ ー VIII) 、
ト ー マ ス ・ モ ア (Thomas
I)や シ ェ ー ク ス ピ ア (Shakespeare)
も 登 場 す る。 貴 族 の み な ら ず 、 職 人 、 農 民 な ど一 般 人 の 生 活 、 ア ジ ア 、 ア フ リカ 、 ア メ リ カ との 貿 易 、 冒 険 心 あ ふ れ る船 乗 りの 話 な ど も 出 て く る の で 歴 史 の 時 間 を 楽 しみ に 待 つ 生 徒 も多 い 。 C.
Either Victorian
Britain or Britain since
ス (19世 紀 後 半 )、 ま た は1930年
1930: ビ ク ト リ ア 時 代 の イ ギ リ
以 降 の イ ギ リ ス 、 こ の ど ち ら か ひ とつ 学
習 す る 。 ビ ク ト リ ア 時 代 の イ ギ リス を 選 択 し た 場 合 、 こ の 時 代 の 出 来 事 、 重 要 人 物 や 発 明 家 の 話 が た くさ ん 登 場 す る 。 そ れ ら の 人 物 が 当 時 の 暮 ら し や 制 度 に ど ん な影 響 を 与 え た か が 重 視 され る。 ビ ク トリ ア 女 王 や 電 話 を 発 明 した ア レ クサ ン ダ ー ・グ ラ ハ ム ・ベ ル (Alexander
Graham
Bell)の 話
は特 に 盛 り上 が る。 産 業 革 命 に よ っ て 栄 え た 工 場 や 町 、 工 場 建 設 の 影 響 や 交 通 の 発 達 が も た ら し た 生 活 の 変 化 も 学 習 す る 。1930年 を 選 択 し た 場 合 、 第2次
以 降 の イ ギ リス
世 界 大 戦 が イ ギ リ ス 人 の 生 活 に 与 え た 影 響 、 『ナ
ル ニ ア 国 物 語 』に も 出 て くる 疎 開 、 配 給 制 や 軍 人 の 生 活 、 地 域 と戦 争 、 戦 時 中 の 技 術 の 発 展 な ど を 勉 強 す る。 戦 争 以 外 の テ ー マ と して は 、 社 会 、 技 術 の 変 化 の 影 響 に つ い て な ど が 多 い 。 世 界 恐 慌 の 難 し い話 を わ か りや す く 学 ん だ り、 ラ ジ オ 、 映 画 、 テ レ ビ、 自動 車 の よ う な 商 品 の 普 及 が も た ら し た 影 響 を 考 え た りす る。 3.
A
European
History
study―Ancient
Greece:
ヨ ー ロ ッ パ 史 の 学 習 (古 代 ギ
リシ ャ時 代 ) 古 代 ギ リ シ ャの信仰 、 神話 、 生 活様 式、 美 術 、建 築 、都 市 、教 育 、 遊 び、 オ リ ン ピ ッ ク 、 劇 、 船 、 戦 争 か ら い くつ か の 要 素 を 学 習 す る が 、 こ こ で もや は り 古 代 文 明 と 現 代 と の つ な が り を 考 え て い く。 ア テ ネ (Athens) (Sparta) の 都 市 国 家 や ア レ ク サ ン ダ ー 大 王 (Alexander
the
、 スパ ル タ
Great)
は どこの
学 校 の 授 業 で も登 場 す る。 4.
A
World
History
Study:
世 界史 の 学 習
過 去 の 社 会 に つ い て 下 記 の リ ス トか ら ひ とつ 選 択 し、 そ の 重 要 な 要 素 を 学 ぶ。 Ancient
Egypt:
Ancient
Sumer:
Assyrian Indus The
古代 エ ジ プ ト 古 代 シ ュ メー ル
Empire: Valley:
Maya,
ア ッ シ リア 帝 国
イ ン ダ ス ・バ レ ー (イ ン ダ ス 文 明 ) Benin
or
the
Aztecs:
マ ヤ 、 ベ ニ ン 王 国 (13世 紀 ご ろ 西 ア フ リ
カ ・ナ イ ジ ェ リ ア に 建 て ら れ た 王 国 )ま た は メ キ シ コ の ア ス テ カ
III. Key
Stage
3: 中 学 修 了 ま で 11歳
こ の ス テ ー ジ で は 大 き く 分 け て 次 の3つ
(Year 7) ∼14歳
のBritish
studies、
(Year
9)
ひ と つ のEuropean
study、 1.
お よ び2つ
Britain
のWorld
1066-1500:
studiesが 1066年
中心 とな る。
か ら1500年
まで の王 朝 。 政 治 史 や、 社 会 と文
か ら1750年
ま で の 政 治 史 (国 王 や 国 会 の 関 係 )、
化 の 変 化 も詳 し く見 て い く。 2.
Britain
1500-1750:
1500年
他 の 欧 州 諸 国 と の 関 係 や 海 外 貿 易 (東 イ ン ド 会 社 技 術
:East
India
Company)
、
・科 学 の 発 展 (ニ ュ ー ト ン 、 ボ イ ル 、 ハ レ ー な ど の 活 躍 )、 や 宗 教 ・社 会
の 変 化 を 見 て い く。 3.
Britain
1750-1900:
(colonization)
18世
紀 半 ば か ら19世
紀。 政 治 史 とと も に植 民 地 支 配
お よ び 産 業 化 (industrialization)
が 中 心 的 な テ ー マ と な る。
国 に よ っ て 同 じ 出 来 事 を 違 う 言 葉 で 表 す こ と もhistorical
interpretation(
歴
史 の さ ま ざ ま な 解 釈 )の 学 習 対 象 と な る 。 例 え ば 、 ア メ リ カ の 独 立 戦 争 (War of
American
Independence)
は ア メ リカ 革 命 と し て カ リ キ ュ ラ ム に登 場 す
る が 、 授 業 で は この 出 来 事 を イ ギ リ ス ・ア メ リ カ両 側 の 立 場 で 見 る こ とが 多 い 。 イ ン ド、 ア フ リ カ 、 東 南 ア ジ ア の 植 民 地 支 配 に 関 し て も 同 様 で あ る 。 ジ ェ ー ム ズ ・ ワ ッ ト (James Darwin)
な ど 数 多 くの 科 学 者
Dickens) 4.
Watt)
、 チ ャ ー ル ズ ・ ダ ー ウ ィ ン (Charles
・発 明 家 や チ ャ ー ル ズ ・ デ ィ ケ ン ズ (Charles
の よ う な 文 化 人 の 学 習 も 行 わ れ る。
European
study
before
1914:
1914年
以 前 の ヨ ー ロ ッパ の 歴 史 か ら ひ とつ
の 重 要 な 時 代 や 出 来 事 を 詳 し く見 て い く。 実 に 選 択 肢 の 多 い 単 元 だ が 、 ヨ ー ロ ッ パ の 新 石 器 時 代 、 ロ ー マ 帝 国 、 十 字 軍 (Crusades) (Renaissance) Year
War)
、 オ ス マ ン 帝 国 (Ottoman
、 フ ラ ン ス 革 命 (French
(Napoleonic
、 ル ネ サ ン ス
Empire)
、 三 十 年 戦 争 (The
Revolution)
、 ナ ポ レ オ ン1世
Thirty 時 代
Era) が よ く 選 ば れ る 。 フ ラ ン ス 、 ス ペ イ ン 、 ド イ ツ 、 イ タ リ
ア の 近 代 史 が 学 習 さ れ る こ と も あ る。
5.
A World
study
before
1900:
Key
Stage
2で 選 択 され て い な い テ ー マ か ら 、
19世 紀 以 前 の 世 界 史 を ひ とつ 学 習 す る 。 ア ジ ア 、 ア メ リ カ 、 ア フ リ カ 、 オ ー ス トラ リ ア の 中 か ら ひ と つ の 時 代 の 政 治 、 社 会 、 文 化 が 選 ば れ る。 中 国 、 イ ン ド、 日本 の 江 戸 時 代 ( 海 外 で はTokugawa
JapanやTokugawa
Periodと
呼 ば れ て い る )、 ペ ル ー 、 ア メ リ カ 大 陸 の 先 住 民 、 の 中 か ら選 択 さ れ る こ と が 多 い 。 ア フ リ カ に つ い て 学 習 す る学 校 も あ る。 6.
A World
study
after 1900:
1900年
以 降 の 世 界 史 か ら重 要 な 人 物 、 出 来 事 、
テ ー マ を ひ とつ 選 び 、 そ れ が イ ギ リ ス 、 ヨ ー ロ ッ パ や 全 世 界 に ど ん な 影 響 を 与 え た か を 分 析 して い く。 次 の 中 か ら選 ば れ る こ とが 多 い 。
〈人 物 〉 Adolf Joseph
Hitler: V.
ヒ トラー
Stalin:
ス ター リン
Mahatma
Gandhi:
Franklin Mao
D.
Tse-tung:
Martin
ガ ン ジ ー (ガ ン デ ィ ー )
Roosevelt:
Luther
ルー ズベ ル ト
毛 沢東 King:
キ ン グ牧 師
〈出 来 事 〉 First World Russian
War:
第1次
世 界 大戦
Revolution:
ロ シ ア革 命
Rise
of Nazi
Rise
of Japan
as a World
Power:
Rise
of Modern
China:
中国 の 台頭
Vietnam Fall
Germany:
War:
of the
ナ チ ス ・ ドイ ツ の 台 頭 日本の 台頭
ベ トナ ム 戦 争
Berlin
Wall:
ベ ル リンの壁 の 崩壊
そ の 他 の テ ー マ と して は、 女性 史 、 国連 、 ヨー ロ ッパ 諸 国 の 帝 国 の 崩 壊 、 EU、
文 化 、 美 術 、 科 学 、 技 術 、 通 信 技 術 の 変 化 な ど が 選 ば れ る こ と もあ る 。
IV. Key Stage 4: GCSE(14∼16歳
) か らIB(16∼18歳
) まで
14歳 か ら18歳 ま で の 時 期 に 海 外 の 現 地 校 や イ ン ター ナ シ ョナ ル ・ス ク ー ル へ 就 学 予 定 の 人 に は 、 日 本 語 ま た は 簡 単 な 英 語 で 書 か れ た20世 紀 を わ か りや す く 解 説 し た 本 を 事 前 に 読 ん で お くこ と を強 く勧 め る 。GCSE、GCE-Aレ
べ ル 、IBに
は ペ ー パ ー 試 験 も あ る が 、 近 年 で は 生 徒 が 歴 史 に 深 く興 味 を も ち続 け る よ う に 学 習 し て い く こ と も重 視 さ れ て い る 。 イ ギ リス や 、GSCEを
採 用 す る旧 イギ リス領
の 地 域 、 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ・ス ク ー ル で 就 学 予 定 の 生 徒 は 試 験 準 備 よ り も ま ず は 歴 史 を 深 く分 析 す る 楽 し み を 味 わ っ て も ら い た い 。 な お 、2010年
か らは新 シ
ラバ ス とな る の で 注 意 が 必 要 だ 。
GCSEに
つ い て
History
A、B、Cの3つ
Bの み に な る 。AとBそ Course(Unit 〈History School
の 選 択 肢 が 、2010年 れ ぞ れ にShort
Course(
1, 2&3)が あ る 。 つ ま り、Unit
Specification History
か ら はHistory 下 記 のUnit 2はFull
Specification
A、
1と3の み )お よ びFull
Courseで
の み 学習 す る。
A〉
Projectと
な る。Aの 方 が 学 校 に よ っ て 学 習 内 容 が 違 っ て く る
部 分 が 多 い 。Bを 選 択 す る学 校 が 多 い と 言 わ れ て い る た め 、Aの 学 習 項 目 を 英 語 表 記 で 簡 単 に 紹 介 し よ う。
Unit
1は 下 記 の1Aと1Bか Unit
1A:
Medicine
Unit
1B:
Media
Unit
ら ひ とつ 選 択 さ れ る。 Through Through
2は 下 記 の2A∼2Dか Unit
2A:
The
Unit
2B:
Britain,
Unit
2C:
Elizabethan
Unit
2D:
Germany,
Unit
Time ら ひ とつ 選 択 され る。
American
3はHistorical
Time
West,
1840-1895
1815-1851 England,
1558-1603
1919-1945
Enquiry-History
Around
Us。
イ ギ リス 史 の 中 で も地 域
や 史 跡 の 研 究 と な る。
〈History 主 に20世 Bと
Specification
B〉
紀 の 歴 史 が 学 習 内 容 と な る 。 ま た 、IB HistoryもHistory
Specification
重 な る部分 が 多 い。 Unit
1:
International
Relations:
(国 際 関 係 :20世
Conflict
and
Peace
in the
20th
Century
紀 の 戦 争 と平 和 )
Part
1:
Origins
of the
Part
2:
Peacemaking
First World
War(
第1次
世 界 大戦 の原 因 )
多 方 面 か ら深 く原 因 を 追 究 して い く。 1918-19,
League
of
Nations(1918-19年
の戦 後 処理 、 国 際連 盟 ) これ らの 問 題 点 を学 習 す る。 Part
3:
Hitler's World Part
foreign War(ヒ
policy
and
the
origins
ト ラ ー の 外 交 政 策 、 第2次
of
the
Second
世 界 大 戦 の 原 因)
2に あ る 問 題 点 に 加 え て 、 ド イ ツ で の 動 き が ヨ ー ロ ッ
パ で の 世 界 大 戦 の 原 因 と な っ た こ と を 理 解 し て い く。 Part
4:
Origins
of the
Cold
War,
1945-55(1945-55年
の 冷戦 の
原 因 ) ア メ リ カ ・イ ギ リ ス と ソ 連 の 関 係 悪 化 を ヤ ル タ ・ ポ ツ ダ ム 会 談 (Yalta and Potsdam Conferences) 、軍 事競 争 、 東 ヨ ー ロ ッ パ の 出 来 事 と朝 鮮 戦 争 な どで 見 て い く 。 Part
5:
Crises
of the
Cold
War
1955-70(1955-70年
の 冷 戦 中の
危機 ) 冷 戦 の 危 機 、 難 局 に つ い て 学 習 す る 。 ハ ン ガ リー 、 核 軍 備 競 争 、 ベ ル リンの壁 、 ミサイ ル競 争 、宇 宙 開 発競 争 、 キ ュ ー バ ・ミ サ イ ル 危 機 、 チ ェ コ ス ロ バ キ ア 問 題 な ど 。 Part
6:
Failure 91
of Detente
and
Collapse
of Communism
1970-
(1970-91年
の 、 デ タ ン ト失 敗 と 共 産 主 義 の 崩 壊 )
冷戦 中 の国 際 関係 の緊 張 緩和 、 お よ び共産 主 義 の崩 壊 につ い て 見 て い く。SALT
2や
ゴ ル バ チ ョ フ (Gorbachev)
ソ連 の ア フガ ニ ス タ ン侵 攻 か ら の 時 代 、 ソ連 の 崩 壊 、 ベ ル リ
ンの壁 の崩壊 お よび東 ヨー ロ ッパ諸 国 で共 産 主 義 が滅 び て い く様 子 を 映 像 と と も に 理 解 す る。 Unit
2:
Twentieth
Century
下 記 の20世
紀 の テ ー マ の う ち 、Section
か ら2つ
Depth
Studies Aか
ら ひ と つ 、Section
B
を 詳 し く学 習 す る 。 (こ こ か ら は 対 象 が 高 学 年 と な り あ る
程 度 の 英 語 力 が 必 要 とな るた め 、 具 体 的 な 項 目 は 英 語 表 記 の み と す る )。 Section
A:
・From
下 記 の3つ
Tsar
・Weimar ・The Section
か らひ とつ選 択 す る
to Communism:
Germany Roaring
B:
20s:
USA
Dictatorship:
・Hitler's
Germany
・The
USA
選 択 す る
USSR
, 1924-41
, 1929-39
and
Relations
, 1919-29
か ら2つ
・Stalin's
・Race
, 1914-24
, 1919-29
下 記 の7つ
・Depression
Russia
the
New
in the
and
Deal:
USA
VietNam:
The
USA
, 1929-41
, 1955-68 Failure
Abroad
and
at
Home,
1964-75 ・Britain: ・The Unit
3:
Historical 20世 2つ
IBに
The
Middle
Challenge
in Northern
Ireland
, 1960-86
East , 1956-79
Enquiry―British
History
紀 の イ ギ リ ス の 中 か ら4つ を 学 習 す る 。 こ の4つ
の テ ー マ が指 定 され、 そ の 中か ら
のテ ー マ は毎年 新 た に発 表 され る。
つ い て
以 前 か らinternational
studentsに
はGCE-Aレ
べ ル よ り もIBを
勧 め ら れ て い る 。 近 年 で は イ ギ リ ス の 現 地 校 で もIBを
選 択 す るこ とが
選 択 す る学 校 が 増 え 続 け て
い る 。 世 界 中 の イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ・ス ク ー ル で はIBを
選 択 す る学 校 が ほ とん ど
で あ る。 ヨー ロ ッパ 、 ア メ リ カ 、 カ ナ ダ 、 シ ン ガ ポ ー ル 、 オ ー ス ト ラ リ ア な ど の 私 立 学 校 で もIBを
選 ぶ と こ ろ が 増 え て い る 。 日 本 国 内 で もIBは
で あ り 、 現 在 は 日 本 や 世 界 の 大 学 で も 評 価 が 高 い 。IBの
注 目 の プ ロ グラム
ス キル と して は この項 目
の 冒 頭 に 述 べ た も の が 重 視 さ れ る 。 授 業 は大 学 の ゼ ミの よ う な も の に な る こ とが
多
く、 世 界 の 学 生 と と も に 学 ぶ こ と に 挑 戦
Historyの Diploma
Program(IBDP)
〈Standard
間 の
の 部 分 だ が 、 学 習 の 大 き な項 目 は 以 下 の 通 りで あ る 。
1:
コー ス
。
資 料 分 析 が 中 心 。 政 治 漫 画 な ど も 多 数 登 場 す る 。 下 記 か ら ひ とつ 選 択 。 Peacemaking, The
Paper
場 合、
level〉
一 般 的 に は1年 Paper
し て い た だ き た い 。IBの
シ ラ バ ス が は っ き り と 定 ま っ て い る の は 大 学 入 学 直 前 の2年
peacekeeping―international
Arab-Israeli
conflict in crisis
下 記 か ら2つ
を20世
2:
Communism
relations
1918-36
1945-79
1976-89
紀 に 限 っ て 詳 し く学 習 す る 。 各topicをGCSEに
あ
る よ うな具 体例 で学 習 す る。 Topic
1: Causes,
Topic
2:
Democratic
Topic
3:
Origins
Topic
4:
Nationalist
party
Topic
〈Higher 2年 Paper
5:
practices
and
effects
of wars
states-challenges and
development
and
responses
of authoritarian
and
single-
states
Asia
and
The
Cold
and
independence
post-1945
Central
movements and
Eastern
in European
Africa
and
states
War
Level〉 間 コ ー ス 。 上 記 に 加 え てPaper 3:
18世
紀 か ら20世
3が あ る 。
紀 ま で の ア ジ ア ・オ セ ア ニ ア 、 北 ・南 米 大 陸 、 ア フ リ
カ 、 ヨ ー ロ ッ パ ・中 東 の4つ
か ら ひ と つ のregionを
選 択 す る 。Region
ご と に 指 定 さ れ て い る数 多 くの 項 目 の 中 か ら 自 由 に 選 択
し、 地 域 を 深
く 理 解 し て い く 。 高 い レ ベ ル のdebateやdiscussion、presentationを す る カ も 身 に つ く。 さ ら に 、Standard
level、Higher
levelに
共 通 して 学 ぶ もの に は 以 下 の も の が
あ る。
〈Historical Standardお
Investigation〉 よ びHigher
あ る テ ー マ ひ とつ を 研 究 Investigationで
Levelの
生 徒 一 人 一 人 が 教 師 の 指 導 を 受 け な が ら興 味
・報 告 す る 。 歴 史 の 授 業 に 合 わ せ て 、Historical
培 わ れ る ス キル は大 学生
ま な 分 野 で 役 立 つ と 多 く の 元IB生
・社 会 人 に な っ て も 歴 史 以 外 の さ ま ざ
徒 は 語 る。
アメリカ とイギ リスの教 育 制 度 につ いての
情報源 こ こで は ア メ リ カ とイ ギ リ ス の 教 育 制 度 を知 る た め の ウ ェ ブ サ イ トを紹 介 す る。 各 国の教 育 制 度 に つ いて は 必 要 に 応 じて 最 新 情 報 を確 認 して お き た い 。
日 米 教 育 委 員 会 (日本 語 ) URL:
http://www.fulbright.jp/
日 米 両 国 政 府 が 共 同 運 営 管 理 す る 、 日本 で 唯 一 の 公 的 ア メ リ カ 留 学 相 談 機 関 の ウ ェ ブ サ イ ト。 ア メ リ カ の 教 育 事 情 の ほ か 、 主 に 大 学 ・大 学 院 留 学 な ど に 関 す る 情 報 を 得 る こ とが で き る 。
Embassy URL:
of
the
United
States
Japan(
日本 語 )
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/jusaj-main.html
上 記 ア ド レ ス の 「ア メ リ カ 早 分 か り 」と い う ウ ェ ブ サ イ トが ア メ リ カ 大 使 館 (http://japan.usembassy.gov/tj-main.html)
の ウ ェブ サ
イ トか ら リ ン ク さ れ て い る 。 ア メ リ カ で の 生 活 を 詳 し く解 説 して お り、 分 権 化 さ れ た ア メ リ カ の 教 育 制 度 が 説 明 さ れ て い る 。
Study URL:
in the
USA(
日本 語 )
http://www.studyusa.com/japanese/
ア メ リカへ の留 学 につ い て幅 広 い情 報 を網 羅 してい る。 この 中 の http://www.studyusa.com/japanese/articles/understanding.asp で は 、 ア メリ カの教 育 シス テ ムの概 要 につ い て解 説 して い る。
National URL:
Center
for
Education
Statistics(
英 語 )
http://nces.ed.gov/
ア メ リ カ 教 育 省 (U.S. Department ed.gov/index.jhtml)
of Education:
http://www.
か ら リ ン ク し て い る ウ ェ ブ サ イ ト。 ア メ リ カ
の 教 育 に 関 す る さ ま ざ ま な デ ー タ が 集 め られ て い る 。
駐 日英国大使館 (日本語) URL:
http://ukinjapan.fco.gov.uk/ja/
イギ リス の文 化 、社 会 な どは もち ろ ん、 留学 、 教 育 に関 す る最 新 情 報 を得 る こ とが で きる。 英 国外 務 省 が提 供す る奨 学 金 制 度 につ い て の 情 報 も あ る 。 留 学 に役 立 つ リ ン ク 集 も充 実 し て い る。
Education
URL:
UK(
日本 語 )
http://www.educationuk.jp/
ブ リ テ ィ ッ シ ュ ・カ ウ ン シ ル に よ る イ ギ リ ス 留 学 希 望 者 向 け の サ イ ト。 イ ギ リス で の 生 活 全 般 や 留 学 に つ い て の 情 報 、 学 校 情 報 が 掲 載 されて い る。
Qualifications URL: イ
and
Curriculum
Authority(
英 語 )
http://www.qca.org.uk/ ギ
リ
Families)
ス
教
育
省 (Department
for
Children,
Schools,
and
か ら 提 供 さ れ て い る ウ ェ ブ サ イ ト。 イ ギ リ ス で の 進 学 に
必 要 な 各 種 試 験 に つ い て の 情 報 が 詳 し く解 説 さ れ て い る 。
TeacherNet( URL:
英 語 )
http://www.teachernet.gov.uk/
イギ リス政 府 の 教育 政 策 の 最 新情 報 や 、 教 育全 般 につ い て の情 報 が 網 羅 さ れ て い る 。 こ の 中 のhttp://www.teachernet.gov.uk/ educationoverview/か 域 のGovernment
ら は 、 イ ン グ ラ ン ド、 ウ ェ ー ル ズ な ど各 地 departments(ministries
of education)
へ も リ ン
ク さ れ て い る の で 、 そ れ ぞ れ に 異 な る 教 育 制 度 に つ い て も調 べ る こ とが で き る 。
SPACE
ALC( 日本 語 )
http://www.alc.co.jp/ 語 学 に 関 す る 情 報 を 網 羅 す る ア ル ク の ポ ー タ ル サ イ ト。 留 学 の コ ー ナ ー に は、 英語 圏 の学 校 、教 育 制 度 、 各種 試 験 な どに つ い て の 情 報 が 掲 載 され て い る 。
索 引 (日本 語 ) 下 記 に は、本 書 で見 出 し語 と して取 り上 げた歴 史用 語 を 日本語 で 検 索で きる 索引 を掲 載 した。 「 〓 」とと もに 記 さ れて い るも の は、 英 語 での 名称 が複 数 あ り、 本項 目 と参照 項 目 に分 けて いる場 合 の本 項 目 であ る。 従 って 解 説 を 読 み たい 場合 は 「 〓 」で 示 した項 目 を参 照 され た い。本文 中に フル ネー ムで 日本 語表 記され た人 名 につ いて は、フ ァ ミ リー ・ネー ムを 索 引の基 準 と し、 それ 以外 の情 報 は ( )で囲 んだ 。
あ
アデン 2
Aden ア ド リ ア ノ ー プ ル の和 議
ア イ ゼ ンハ ウ ア ー Eisenhower, IT革
Dwight
David
Peace
70
命
IT Revolution
ア トリ ー
126
ア パ ル トヘ イ ト
Attlee,
Ireland
IRA Republican
Army
124
ア ビ シ ニ ア
127
Abyssinia
Home
Rule Rule
127
Bill
Free
Battle
23 of
ア ブ デ ュ ル Abdul
15
4
Conference
4
APEC
11
〓Asia-Pacific
Economic
Cooperation
14
Herbert
Henry
14
Forum
Mustafa
Kemal
Mustafa
Konrad
3
OAU
189 of African
Unity
192
ア フ リカ 民 族 会 議 ANC
Opium
域 フ ォ ー ラ ム (ARF) Regional
8 National
Congress
Wars
13
ア ム リッ ツ ァー 事 件
14
ア メ リカ 中 央 情 報 局
Amritsar
139
4
191
Massacre
8
CIA
〓 Central
ア デ ナ ウ ア ー (コ ン ラ ー ト ) Adenauer,
1
ア ヘ ン戦 争
ア タ テ ュ ル ク (ケ マ ル )
〓Kemal,
II
Africa
〓African
ア ス キ ス (ハ ー バ ー ト ・ヘ ン リ ー )
Ataturk
Hamid
〓Organization
ア ジ ア 太 平 洋 経 済 協 力
ASEAN
3
・ハ ミ ト2世
ア フ リカ 統 一 機構
・ア フ リ カ 会 議
ASEAN地
Wars 9 Wars
ア フ リカ
Agadir
Asquith,
3
〓Afghan
of Austerlitz
Afro-Asian
1 73
Anglo-Afghan
127
ア ガ デ ィー ル
ア ジ ア
11
ア フ ガ ン 戦 争
State
〓Austerlitz,
15
Afghanistan
ア ウ ス テ ル リ ッ ツ の 戦 い Battle
Richard
ア フ ガ ニ ス タ ン
112
ア イ ル ラ ン ド自 由 国 Irish
2
〓Ethiopia
ア イ ル ラ ン ド 自治 法 案
〓Home
Clement
of
Apartheid
ア イ ル ラ ン ド共 和 国 軍
〓Irish
202
Peace
131
ア イ ル ラ ン ド
Irish
of Adrianople
〓Adrianople,
2
45
Intelligence
ア メ リカ独 立戦 争
Agency
41
American
War
of
Independence
8
アメ リカ南北 戦争 American
Civil
〓Civil
War
7
War
Khan,
〓Khan,
Mohammed
Mohammed
ア ラ ー ビー Urabi
Ayub
Pasha
アル バニ ア
Argentina
13
Albania
141
5
アル フ ォ ン ソ13世 Alfonso
12
XIII
Algeciras
Alaska
5
Conference
War
III
12
ア レク サ ン ドル2世
12
アンカ ラ
Alexander
ア ラ ブ ・イ ス ラ エ ル 戦 争
〓Arab-Jewish
War
12
〓Middle-East
Wars
169
6
ア レク サ ン ドル3世 Alexander
ア ラ フ ァ ト議 長 Yasser
6
アルヘ シラス会議
アラスカ
Arab-Israeli
255
254
18
257
Pasha
Arafat,
Force
Ulster
ア ル ゼ ンチ ン
・パ シ ヤ
〓Arabi
Volunteer
46
ハ ー ン (ム ハ ン マ ド ・ア ユ ー ブ ) Ayub
Ulster
アル スター地 方
6
II
5
Ankara
10
アン ゴラ Angola
アラ ブ諸 国連盟 League
of Arab
〓Arab
League
States
10
アンザ ス条約
151 12
ANZUS
Pact
11
ア ン ドロ ポ フ
アラ ブ民族 Arabs
12
Andropov,
Yuri
Vladimirovich
8
ア ラ ブ ・ユ ダ ヤ 戦 争 Arab-Jewish
War
12
い
アラ ブ連 合共和 国 United
Arab
Republic
256
ア ラブ連 盟 Arab
イー スター蜂起
League
12
アルー シャ宣 言 Arusha
Declaration
13
アル カイダ
Rebellion
66
Eden,
Robert
Anthony,
Earl
of Avon
68
イー ペルの戦 い
Al-Qaeda
7
Alsace-Lorraine
アル スター義 勇軍
25 of
271
6
イ エ ナ ・ア ウ エ ル シ ュ タ ッ トの 戦 い
Jesuits
Battle
7
アル ジェ リア民族解 放戦線 FLN
Battle
イエ ズス会
アル ジェ リア戦争 War
of Ypres
7
アル ジェ リア Algeria
Battle 〓Ypres,
ア ル ザ ス ・ロ レー ヌ地 方
Algerian
Easter
イー デン
133
of
Jena-Auerstedt
〓Jena-Auerstedt,
23 Battle
of
132
イエメ ン 80
Yemen
硫黄 島
270
Iwo
Jima
131
イン ド India
イ ギ リス Britain
Indian
イ ギ リ ス ・ア イ ル ラ ン ド協 定 Anglo-Irish
Agreement
9
Table
Conference
222
Indo-China
Revolution
71
Church
8
イ ギ リ ス ・ドイ ツ 海 軍協 定 Anglo-German
Naval
119
War
119
Act
118
〓Government
of India
Act
100
イ ン ドネ シ ア
Agreement
9
イギ リス連邦
Indonesia
119
イ ン ド ・パ キ ス タ ン 戦 争
Commonwealth
of Nations
〓British
118
イン ド統治 法 India
イギ リス国教 会 Anglican
Congress
イ ン ドシ ナ 戦 争
イギ リス革命 English
National
イ ン ドシ ナ Indo-China
イ ギ リ ス ・イ ン ド円 卓 会 議 Round
117
イン ド国民会議派
33
49
Commonwealth
34
India-Pakistan
War
118
イン フ レ Inflation
イ ス ラエ ル Israel
121
128
イ タ リア Italy
130
う
イ タ リ ア ・エ チ オ ピ ア戦 争 Italo-Abyssinian
War
129
ウ イ ー ン会 議
129
ウィ ッテ
130
ウ ィ ル ソ ン (ウ ッ ド ロー )
Vienna
イ タ リ ア統 一 戦 争 Italian
Unification,
War
of
the
Witte,
イ タ リ ア ・トル コ戦 争 Italo-Turkish
War
一 国社会主義 論 Socialism
in one
Yulievich
266
164
ウ ィ ル ヘ ル ム1世
Harold
William 116
イ ラク
266
Woodrow
ウ ィ ル ソ ン (ハ ロ ル ド)
イ ブ ン ・サ ウ ド Saud
259
234
Wilson,
Mandates
266
I(German)
266
I
265
〓Wilhelm
ウィルヘル ム2世
Iraq
125
William
II(German)
266
II
266
〓Wilhelm
イ ラン Iran
124
イ ラ ン ・イ ラ ク 戦 争 Iran-Iraq
War
Internationals
ウ ー ・タ ン ト U
125
Thant
124
イ ン テ ィフ ァ ー ダ
257
ウ エ ス トミ ン ス タ ー 憲 章 Statute
イ ン タ ー ナ シ ョナ ル
Intifada
Sergei
Wilson, country
委任 統治
Ibn
Congress
of Westminster
〓Westminster,
Statute
238 of
265
ウ ェ ス リー 124
Wesley,
John
264
Edward
ウェッブ夫妻 Webb,
Sidney
and
エム ス電報事件
Wellesley
264
エ リザ ス ・ロ ー ト リ ン ゲ ン 地 方
263
エ リザ ベ ス2世
254
エ リトリア
236
エ ル サ レム
Ems
Wellington,
Arthur
Dispatch
71
Elsa〓-Lothringen
ウ ォ ー ター ゲ ー ト事 件 Affair
Elizabeth
ウガンダ Uganda
71
II
70
Eritrea
宇 宙探検 Space
68
269
ウ ェ リン トン
Watergate
VIII
Beatrice
Exploration
Jerusalem
ウ ン ベ ル ト2世 Umberto
72
II
132
255
お え 黄金海岸 Gold
エイズ ( 後天 性免疫 不全症候 群) AIDS 〓Acquired
Immune
1
オ ー ウ ェ ン (ロ バ ー ト )
9
オ ー ス トラ リ ア
9
オ ース トリア
Restoration
Owen,
英仏海 軍協定 Anglo-French
Naval
Agreement
Anglo-French
Entente
Robert
195
15
Austria
英露協 商 Anglo-Russian
Entente
10
Sea
2
エ ール共和 国
16
オ ー ス トリ ア 継 承 戦 争 War
エ ーゲ海
of the
〓Austrian
Austrian
Succession
Succession,
War
70
Treaty
of Austrian
〓Austrian
エ オカ EOKA
State
State Treaty
オ ー ス ト リア ・ハ ン ガ リー 帝 国
69
オ ー デ ル ・ナ イ セ 線
Austro-Hungarian
Egypt
Oder-Neisse
エ ス トニ ア Estonia
Empire
Line
16
沖縄
73
オ コンナー将軍
73
オ コ ン ナ ー (フ ァ ー ガ ス )
Okinawa
Ethiopia
エチオ ピア戦争
O'Connor,
War War
129
O'Connor,
248
17
190
72
エチオ ピア
〓Italo-Abyssinian
262 the
16
72
エ ジプ ト
エ ド ワ ー ド8世
of
オ ー ス ト リア 国 家 条 約
Eire
Ethiopian
218
Australia
英仏協 商
Aegean
98
王政復古
Deficiency
Syndrome
Coast
5
191
General
Feargus
Sir
Richard
Edward
オ コ ン ネ ル (ダ ニ エ ル )
189
189
O'Connell,
Daniel
189
Osborne
Judgement
193
オ ス マ ン1世 Osman
囲 い 込 み 運 動 (エ ン ク ロ ー ジ ャ ー ) Agriculture
オ ズ ボ ー ン 判 決
enclosures 71
カ サ ブ ラ ン カ会 談
I
194
〓Othman
I
Casablanca
Conference
194
カ シ ミ ー ル 帰 属 問題
Empire
195
カ ス ト ロ (フ ィ デ ル )
Conference
194
カ タ ロ ニ ア
111
カ チ ン の 森 大 虐 殺
Kashmir
オ ス マ ン ・ トル コ帝 国 Ottoman
40
Dispute
Castro,
オ タ ワ会 議 Ottawa
5
〓Enclosures
138
Fidel
40
Catalonia
オ ラ ン ダ Holland
Katyn
オ ラ ン ダ 領 東 イ ン ド Dutch
East
Indies
64
Free
Massacre
138
ガ ッ ト GATT
オ レ ン ジ 自 由 国 Orange
40
State
192
91
〓General
Agreement
on
Tariffs and
Trade
91
カ ッ プ Kapp,
か
Wolfgang
137
カ ナ ダ Canada
カ ー ス ト制 度 Caste
system
カ ニ ン グ (ジ ョ ー ジ )
53
カ メ ル ー ン
Canning,
カ ー ゾ ン Curzon,
George
Nathaniel
Curzon
Line
ガ リ ポ リ作 戦
39
監 獄 改 革
Gallipoli James
Earl
Prison
カ ー ダ ー ル K〓d〓r, J〓nos
Campaign
reform
97
ガ ン ジ ー (マ ハ ー ト マ ) Gandhi,
カ ー ル1世 I
137
188
〓Nuclear
Non-Proliferation
Treaty
188
核 兵 器
Mohandas
Indira
Karamchand
90
89
Rajiv
90
関 税 Tariffs
244
広 東 weapons
〓Nuclear
weapons
15
Canton
188
ガ ンベ ッ タ
188
カ ン ボ ジ ア
Gambetta,
核 ミ サ イ ル Nuclear
Shrimati
ガ ン ジ ー (ラ ジ ブ ) Gandhi,
核 不 拡 散 条約 NPT
210
ガ ン ジ ー (イ ン デ ィ ラ ) Gandhi,
Ghana
89
137
ガ ー ナ
Atomic
39
38
53
カ ー タ ー
Karl
George
Cameroon
カ ー ゾ ン 線
Carter,
38
40
missiles
39
L〓on
89
Cambodia
37
ギ リシ ャ独 立 戦 争 Greek
War
of
Independence
102
ギ リシ ャ ・トル コ戦 争 Greco-Turkish
き
War
101
ギ ル バ ー ト諸 島 Gilbert
北 アイ ル ラ ン ド Northern
Ireland
〓Ireland,
187
Northern
127
北 大 西 洋 条 約 機 構
Atlantic
Treaty
Organization
King,
187
禁 酒 法
〓Rhodesia,
Northern
Alfred
Law
210
グ ア テ マ ラ Horatio
Herbert
143
Guatemala
104
グ ア ム
Cyprus
53
キ ャ ラ ハ ン (ジ ェ ー ム ズ ) Callaghan, キ ヤ ン プ Camp
James
37
38
・バ ナ マ ン (サ ー
Queen
Mary
Sir Henry
38
141 Klux
186
Klan
145
Vidkun
213
ク ビ ス リ ン グ Quisling,
Treaty
213
KKK 〓Ku
・ヘ ン リ ー )
国 条 約 Power
103
ク ー ・ ク ラ ッ ク ス ・ク ラ ン
David
Campbell-Bannerman,
Guam ク ィ ー ン ・メ ア リー 号
・デ ー ビ ッ ド
キ ャ ン ベ ル
グ ラ ス ノ ス チ Glasnost
キ ュ ー バ Cuba
52
Cuban
98
グ ラ ッ ドス トン Gladstone,
キ ュ ー バ 危 機 Crisis
52
Law
207
William
Education
Act
Ulysses
ク リ ミ ア 戦 争
49
ビル
Crimean
Communism
Protocol
146
102
War
51
Bill
46
ク ル ド人 Kurd
ギ リ シ ャ
100
・ク リ ン ト ン
Clinton,
京 都 議 定 書
Simpson
51
68
共 産 主 義
98
ク リ ミ ア Crimea
教 育 法
Ewart
グ ラ ン ト Grant,
救 貧 法
Greece
142
142
キ プ ロ ス
Kyoto
Luther
く
Henry
Kitchener,
Poor
Martin
・キ ン グ )
219
キ ッチ ナ ー
Nine
32 ・ル ー サ ー
187
キ ッ シ ン ジ ヤ ー
9カ
Rising
Prohibition
Rhodesia
Kissinger,
Boxer
181
北 ロー デ シ ア Northern
97
キ ン グ 牧 師 (マ ー テ ィ ン
NATO 〓North
Islands
義 和 団 事 件
グ レー
146
Grey,
Charles
103
Kemal
Ataturk
〓Kemal,
グ レ ナ ダ Grenada
102
ク レ マ ン ソー
139
Mustafa
139
ゲ リラ guerrilla
Clemenceau,
Georges
Eug〓ne
Benjamin
46 グ レ ン ビ ル (ウ ィ リ ア ム ) Grenville,
William
Guernica
104
ケ レ ン ス キ ー
Wyndham
103
グ レ ン ビ ル (ジ ョ ー ジ ) Grenville,
104
ゲ ル ニ カ
Kerensky,
Alexander
Fyodorovich
141
ケ ロ ッ グ ・ブ リ ア ン 協 定
George
103
Kellogg-Briand
Pact
138
ク ロ ア チ ア Croatia
51
ク ロ ム ウ ェル
こ
Cromwell,
Oliver
52
軍 縮
光 栄 あ る孤 立
Disarmament
60
軍 縮 会 議 準 備 委 員 会 Preparatory
Splendid
Isolation
237
公 民 権 法
Disarmament
Commission
Civil 209
Rights
Acts
45
コ ー カ サ ス Caucasus
40
ゴ ー ドン Gordon,
け
Charles
George
99
国 際 原 子 力 機 関 IAEA
ゲ イ ツ ケ ル Gaitskell,
Hugh
Todd
Naylor
116
89
〓International
141
国 際 司 法 裁 判 所
Atomic
Energy
Agency 122
ケ イ ン ズ Keynes,
John
Maynard
International
ケ ー プ 植 民 地 Cape
Colony
39
Gestapo
96
Justice
Kenya
140
ケ ニ ヤ ッ タ Kenyatta,
Congress
of Socialists
122
116
〓International
Monetary
Fund
123
国 際 復 興 開 発 銀 行 Jomo
140
John
Fitzgerald
IBRD
116
〓International
ケ ネ デ ィ (ジ ョ ン ・F) Kennedy,
123
国 際 通 貨 基 金 IMF
ケ ニ ア
139
and
Quebec
213
Mustafa ・ア タ テ ュ ル ク
139
for Reconstruction
Bank
122 267
国 際 連 合 Specialised
ケ マ ル
Bank
Development
〓World
ケ ベ ツ ク
ケ マ ル
of
国 際 社 会 主 義 者 大 会 International
ゲ シ ュ タ ポ
Kemal,
Court
Agencies/Specialised
Nations
237
UN
255
〓United
Nations
256
国 際 連 合 憲 章 Charter
United ゴ
of the
United
Nations
92
国 際 連 盟
Front
256
・デ ィ ン ・デ ィ エ ム Ngo
Dinh
Diem
185
コ ミ ン テ ル ン
League
of Nations
151
国 際 労 働 機 構 ILO 〓International
Labour
Organisation
Communist
123
〓Comintern
International
Workingmen's
Association
49 48
Communist 124
国 民 経 済 振 興 協 議 会
Information
Bureau
〓Cominform
Economic
Development
Council 180
・国 家 主 義
48
Gomulka,
Wladyslaw
99
コ メ コ ン COMECON
・民 族 主 義
Nationalism
181
48
孤 立 主 義 Isolationism
国 民 党 ( 中 国 ) Guomindang
105
〓Kuomintang
145
国 民 保 険 サ ー ビス 法 Health
49
ゴ ム ル カ
National
International
コ ミ ン フ ォ ル ム
国 民 主 義
48
116
国 際 労 働 者 協 会
National
Comintern コ ミ ン テ ル ン
128
コ ル シ カ 島 Corsica
50
コ ル チ ャー ク Service
Act
180
穀 物 法
Kolchak,
Alexander
Vasilievich
143
Sergeyevich
99
ゴ ル バ チ ョフ
Corn
Laws
50
国 連 教 育 科 学 文 化 機 関 UNESCO
255
〓United and
Nations
Cultural
Educational,
Scientific
Organization
Nations
257
Kolkhoz
(Kulals) farm
Commission
コ ロ ン ボ 257
Disarmament
Conference
267
UNICEF
47
47
・プ ラ ン
Colombo
Plan
47
コ ン ゴ Congo
国 連 児 童 基 金
143
コ ロ ン ビ ア Colombia
Disarmament
(UNDC) 〓World
Mikhail
〓Collective
国 連 軍 縮 委 員 会 United
Gorbachev, コ ル ホ ーズ
49
255
〓United
Nations
Emergency
International
Fund
Children's 257
さ
コ ス イ ギ ン Kosygin,
Alexei
Nikolayevich
144
コ ス タ リ カ Costa
Saar
国 共 合 作
(Saarland)
Rica
51
ザ イ ー ル
Sea
29
サ イ ク ス
黒 海 Black
ザ ー ル 地 方
Zaire
227
273 ・ピ コ 協 定
Sykes-Picot
Agreement
242
サ イ ゴ ン
三 帝 協 約
Saigon
227
Three
サ ウ ジ ア ラ ビア 王 国 Saudi
Arabia
229
〓Three
Sadat,
Mohammed
Anwar
227
Hilda
245
229
Sarajevo,
Assassination
at
229
246
246
Entente
246
Salazar,
273
策
3-B
Policy
246
サ ン フ ラ ン シ ス コ会 議 Ant〓nio
de
Oliveira
228
San
産 業 革 命
Francisco
Conference
228
サ ン フ ラ ン シ ス コ講 和 条約
Industrial
Revolution
120
Treaty
Nationalization 〓Industry,
of Industry Nationalization
of
of Industry Privatization
228
210 of
121
ジ ー ク フ リー ト線 Siegfried
Entente
252
Alliance
251
Line
Jellicoe,
Zionist 246
250
Congress
274
Treaty
of
Dead
227
7年
Zanzibar
274
死 海
ザ ン ジ バ ル 273
Sea
57
戦 争
Seven
サ ンス テ フ ァ ノ条 約
Years
War
231
ジ ブ ラ ル タ ル
Treaty
of San
Stefano
〓San
Stefano,
Treaty
250 of
Gibraltar
229
97
シ ベ リア 鉄 道 Trans-Siberian
酸 性 雨 Rain
1
Battle
246
サ ンデ ィ カ リ ズム
Railway
247
下 関 条 約 Treaty
三 帝 会 戦 Emperors'
132
Zionism
Germain
Germain,
Rushworth
シ オ ニ ズ ム
サ ン ジ ェ ル マ ン 条 約 of Saint
John
シ オ ニ ス ト会 議
策 Policy
232
ジ ェ リ コー
三 国 同 盟
Syndicalism
250 of
121
三 国協 商
〓Saint
Treaty
し
Privatization
Treaty
Francisco
Francisco,
181
産 業 の 民 営化
〓Industry,
of San
〓 San
産 業 の 国 有 化
Three
League
Emperors'
Zambia 3B政
サ ラ ザ ー ル
Acid
Emperors'
〓 Three
サ ラ エ ボ 事件
3-C
League
ザ ン ビ ア
Sarajevo
Triple
62
Emperors'
Three Margaret
サ ラ エ ボ
Triple
246
三 帝 同 盟
サ ツ チ ャ ー Thatcher,
Entente
Dreikaiserbund
サ ダ ト
3C政
Emperors'
三 帝 同 盟
of Shimonoseki
〓Shimonoseki,
Treaty
250 of
232
ジ ャ コ バ イ ト蜂 起 242
Jacobite
Risings
132
Little
周 恩 来 Zhou
Enlai
〓Chou 10月
273
En-lai
44
October
War
〓Middle-East
Wars
190
昭 和 天 皇 Showa
154
Mercantilism
security
47
ジ ョ ン ソ ン
Party
154
French
85
シ ン ガ ポ ー ル
Schuman,
Robert
230
Points
81
シ ュ ト レー ゼ マ ン Gustav
240
Conference
Disarmament
人 種 問 題
93
problems
problems
230
missiles
52
信 託 統 治 領
13
ジ ン ナ ー
Roman
Trust
Minor
Jieshih Kai-shek
134 43
in USA
215
in Germany
215
Empire
112
territory
Jinnah,
蒋 介 石
215
神 聖 ロ ー マ帝 国 Holy
小 ア ジ ア
207
人 種 問 題 (ドイ ツ )
Plan
巡 航 ミ サ イ ル
problems
184
人 種 問 題 (ア メ リ カ )
Racial
シ ュ リ ー フ ェ ン ・プ ラ ン
Economies
problems
Racial 241
184
186
Industrializing
Racial Conference
Policy
新興工 業経済地域 NIES
92
頭 会 談
Meeting
Cruise
Economic
人 口 問 題
ジ ュ ネ ー ブ 軍 縮 会 議
Schlieffen
183
〓 New
Population
Agreements
Summit
新 経 済 政 策
92
ジ ュ ネ ー ブ 協 定
ジ ュ ネ ー ブ4巨
233
〓 Newly
ジ ュ ネ ー ブ 会 議
Geneva
44
NEP
条 平 和 再 建 構 想
Stresemann,
Revolution
Singapore
シ ュ ー マ ン (ロ ベ ー ル )
Geneva
134
242
辛 亥 革 命 Chinese
Trade
Geneva
Baines
シ リア
84
自 由 貿 易
〓Chiang
Lyndon
47
Syria
自由 フ ラ ン ス
Fourteen
93
Conferences
Johnson,
Liberal
109
III
植 民 地 会 議
自由 党
232
Emperor
Colonial
Collective
小 協 商
Justice
ジ ョ ー ジ3世
168
集 団 安 全 保 障
Jiang
of International
Emperor
George
重 商 主 義
Asia
Court
〓Hirohito,
Liberalism
14カ
Permanent
169
自 由 主 義
Free
156
203
戦 争
Free
Entente
常 設 国 際 司 法 裁 判 所
Muhammad
253
Ali
139
ジ ン バ ブ エ Zimbabwe シ ン ・フ ェ イ ン 党
274
Sinn
Fein
Party
233
ス ハ ル ト将 軍
207
ス ペ イ ン 継 承 戦 争
218
ス ペ イ ン 内 戦
Suharto,
人 民 戦 線 Popular
Front
General
Spanish
人 民 代 表 法 Representation
of the
People
Act
241
Succession,
Spanish
Civil
War
of the
236
War
236
ス リラ ン カ Sri Lanka
す
237
〓Ceylon
Axis/Axis
41
ス ル タ ン
枢 軸 国 (す う じ く こ く ) Powers
18
Sultan
241
スエ ズ 運 河 Suez
Canal
240
せ
ス エ ズ 戦 争 Suez
Crisis
240
ス カ ル ノ
西 安 事 件
Sukarno,
Achmed
241
スタ ー ウ ォー ズ Star
238 Defense
Initiative
239
Josef
Vissarionovich
238
セ ー ブ ル 条 約 Treaty
of Stalingrad Battle
29 of
238
Sudetenland
240
policies
239
Strike
240 Strike
92
Arkadievich
239
Conference
239
Front
239
Spartakusbund(Spartakus
262 Crisis
League)
237
267
Depression
100
Bank
267
世 界 保 健 機 構 WHO
265 Health
Organization
267
石 油 危機 Crisis
190
石 油 輸 出 国 機 構
〓 Organization Countries
ス パ ル タ ク ス 団
232
Crash
Economic
OPEC
ス ト レー ザ 戦 線 Stresa
of
世 界 銀 行
Oil
ス ト レ ー ザ 会 議 Stresa
Street
World
〓World
ス トル イ ピ ン
250
Treaty
世 界 恐 慌
World
ス トラ イ キ
Pyotr
271
of S〓vres
〓Great
ス ト ッ プ ・ ア ン ド ・ゴ ー 政 策
〓General
Revolution
41
〓S〓vres,
Wall
ズ デ ー テ ン地 方
Stolypin,
Turk
セ イ ロ ン
ス タ ー リ ン グ ラ ー ドの 戦 い
〓Stalingrad,
152
Ceylon
Stalingrad
Stop-go
Lebensraum(Living-space)
238
ス タ ー リ ン グ ラ ー ド
Battle
269
青 年 トル コ党 革 命 Young
ス タ ー リ ン Stalin,
Incident
(国 民 )生 活 圏
Wars
〓Strategic
Xi'an
セ ダ ン の 戦 い
191
of Petroleum
Exporting 193
Battle
of Sedan
〓Sedan,
24
Battle
of
た
231
絶 対 主 義
ダ ー ダ ネ ル ス海 峡
Absolutism
1
ゼ ネ ス ト (総 罷 業 ) General
Strike
92
Rebellion
〓Indian
56
Derby,
Edward
Henry
Smith
Stanley,
15th
セ ポ イ の 乱 Sepoy
Dardanelles ダ ー ビ ー15世
231
Mutiny
118
59
ダ ー ビ ー14世 Derby,
Edward
Geoffrey
Smith
Stanley,
14th
セ ル ビ ア Serbia
231
Thailand
戦 略 兵 器 削減 交 渉 SALT(Strategic
Arms
Limitation
Talks)
第1イ
228
START
238 Arms
245
ン タ ー ナ シ ョナ ル
First International
〓 International
戦 略 兵 器 削 減 交 渉
〓 Strategic
59
タ イ
Reduction
Talks
239
Association 第1次
230
〓 Strategic
Defense
Initiative
239
〓 World
War
War
80 267
I
大 英 帝 国 British 第3イ
そ
124
世 界 大 戦
First World
戦略 防衛構 想 SDI
80
Workingmen's
Empire
34
ン タ ー ナ シ ョナ ル
Third
International
245
48
〓 Comintern 大 粛 清
相 互 援 助 条 約 案 Draft
Treaty
of Mutual
Assistance
61
Great
Purges
101
大 正 天 皇
総 統 F〓hrer
88
Salisbury,
Robert
Gascoyne-Cecil
228
大 西 洋 憲 章
234
大 西 洋 の 戦 い
Atlantic
ソ マ リ ラ ン ド Somaliland
Battle
ゾ ラ (エ ミ ー ル ) 〓mile
274
Yat-sen/Sun
Zhong
Shan
241
of
〓 Somme,
the
Somme
Battle
of the
24 234
243
Emperor
270
Charter
of the
Atlantic,
15
Atlantic Battle
24
of
the
14
ン タ ー ナ シ ョ ナ ル
Second
〓
ソ ン ム の 戦 い Battle
〓 第2イ
孫 文 (孫 逸 仙 ) Sun
Emperor
〓 Yoshihito,
ソ ー ル ズ ベ リ
Zola,
Taisho
International
International
第2次
Congress
230 of
Socialists
122
世 界 大 戦
Second
〓 World
World War
War II
231 268
大 博 覧 会 Great
Exhibition
100
太 平 洋 戦 争 War
ち
in the
〓 Pacific
Pacific
262
War
196
チ ェ ・ゲ バ ラ
101
チ ェ コ ス ロ バ キ ア
Guevara,
大 躍 進 政 策 Great 第4イ
Leap
Forward
International
82
〓 Cominform
48
台 湾 (フ ォ ル モ ー サ ) 243
ダ ヌ ン ツ ィオ
54
チ ェル ノ ブ イ リ Chernobyl
43
Chamberlain,
Austen
42
チ ェ ン バ レ ン (ジ ョ セ フ )
D'Annunzio,
Gabriele
56
タ フ ト
Chamberlain,
Joseph
42
チ ェ ン バ レ ン (ネ ビ ル ) William
Howard
243
ダ ブ リ ン
Chamberlain,
Neville
42
地 球 サ ミ ッ ト
Dublin
63
ダ ラ イ
・ラ マ
Dalai
Lama
55
ダ ラ デ ィ エ Edouard
55
タ リバ ン 243
ダ ル マ テ ィ ア
Nations
Environment
and
Conference
of
Development
256
SS
237
Mediterranean
Agreement
167
チ ャ ー チ ル (ウ ィ ン ス ト ン )
Dalmatia
55
ダ レス
Churchill,
Sir Winston
45
チ ャ ウ シ ェ ス ク
Dulles,
John
Foster
63
タ ン ガ ニ ー カ
Ceausescu,
Nicolae
41
中 央 ア フ リ カ連 邦
Tanganyika
293
ダ ン ケ ル ク
Central
African
Federation
41
中 央 条 約 機 構
Dunkirk
64
CENTO
〓
タ ン ザ ニ ア Tanzania
Tangier
Crisis
244
中距 離 核 戦 力 全 廃 条 約 Treaty of INF
172
〓 INF,
Danzig
56
タ ン ネ ン ベ ル ク の 戦 い of Tannenburg
Tannenburg,
24
Battle
of
244
・オ ー ク ス 会 議 Oaks
Conference
Organization
中華 民 国
ダ ン ツ ィ ヒ
ダ ン バ ー トン
Treaty
Chinese
Crisis
〓 Moroccan
41
Central
244
タ ン ジ ー ル事 件
Dumbarton
255
〓 United
地 中海 協 定
Taliban
Battle
UNCED
地 対 地 ミサ イ ル
Daladier,
〓
104
チ ェ ン バ レ ン (オ ー ス テ ィ ン )
Taiwan/Formosa
Taft,
Che
Czechoslovakia
ン ター ナ シ ョナ ル
Fourth
Ernesto
Republic
Treaty
44
249
of
122
中等教育修 了証書試験 GCSE 〓 General
91
Certificate of Secondary
Education
91
中 東 条 約 機 構 (メ ト ー ) 63
Middle
East
41
Treaty
Organization(METO)
169
デ ン マ ー ク
〓 Baghdad
Pact
19
Denmark
58
中 東 戦 争 Middle-East
Wars
169 と
中 東 和 平 会 議 (マ ド リ ー ド 会 議 ) Madrid
Peace
Conference
162
チ ュ ニ ジ ア
ドイ ツ
Tunisia
253
長 征
Germany
95
ドイ ツ 革 命
Long
March
159
朝 鮮
German
Revolution
ド イ ツ3月
Korea
144
朝 鮮 戦 争
March
Revolution
ド ィ ツ 第3帝
Korean
War
144
Third
Chile
43
166
国
Reich
〓 German
チ リ
94
革 命
245
Empire
94
ドイ ツ帝 国 German
Empire
94
ドイ ツ 賠 償 問 題 Reparation
て
problem
217
ドイ ツ ・ポ ー ラ ン ド 不 可 侵 条 約 German-Polish
デ ィエ ン ビエ ン フ ー の 戦 い Battle
of Dien
〓 Dien
Bien
Bien Phu,
Phu Battle
23 of
60
帝 国 主 義 Imperialism
117
Disraeli,
Benjamin
Tito,(Josip
61
German
South-West
Africa
95
German
East
Broz)
247
93
German
Confederation
93
Tojo,
General
Hideki
247
〓 小 平
Titoism
246
Teng
Hsaio-Ping
〓 Deng
デ タ ン ト D〓tente
60
Iron
29
245
Xiaoping
58
東 清 鉄 道 Chinese
鉄 血 政 策 and
Africa
東 条英 機
テ ィ トー 主 義
Eastern
Railway
43
東 南 ア ジ ア 条 約 機 構 SEATO
鉄 の カ ー テ ン Curtain
128
〓 South
230
East Asia Treaty
Organization 235
テ ネ シ ー 渓 谷 開 発 公 社 TVA
253
〓 Tennessee
Valley
Authority
245
Conference
東 南 ア ジ ア 諸 国 連 合10 ASEAN10 〓 Association
テ ヘ ラ ン会 議 Teheran
94
ドイ ツ連 邦
テ ィ ト ー (ヨ シ ッ プ ・ブ ロ ズ )
Iron
Pact
ドイ ツ領 東 ア フ リカ
デ ィズ レー リ
Blood
Non-aggression
ドイ ツ領 南 西 ア フ リカ
244
Nations
10
of South-East
13 Asian 14
トル ー マ ン 宣 言
東 方 政 策 Ostpolitik
194
Truman
Doctrine
252
トル ー マ ン
東 方 問 題 Eastern
Question
66
Truman,
Harry
Shippe
253
ド レ フ ュ ス 事 件
ドー ズ 案 Dawes
Plan
57
トー リー 党
Dreyfus
Affair
62
トロ ツ キ ー
Tories
247
Trotsky,
Lev
Davidovich
252
独 墺 同 盟 (ド イ ツ ・オ ー ス ト リ ア 同 盟 ) Austro-German
Alliance
17 な
独 ソ 不 可 侵 条 約 Nazi-Soviet
Pact
〓Russo-German
182 Non-aggression
Pact
長 崎
225 独 立 国 家 共 同 体 CIS
45
〓Commonwealth
of Independent
States
ILP
116
〓Independent
Labour
Party
117
Gaulle,
Charles
Andr〓
Joseph
Marie
ド ・ゴ ー ル 将 軍 Gaulle,
General
Gaulle,
C.
Charles
Andr〓
57 Joseph
of Trafalgar
181
〓Trafalgar,
181 (ナ ポ レ オ ン ・ボ ナ パ ル ト )
Napoleon
I/Napoleon
Napoleon
III/Charles
Bonaparte
178
61
ナ ポ レオ ン 帝 国
Battle
of
ナ ポ レオ ン 百 日 天 下
248
ナ ポ レオ ン法 典
250
ナ ミ ビア 共 和 国
Code
Treaty
Empire
247
ト リア ノ ン条 約 of Trianon of
Empire
〓French
Hundred
Republic
Wars
Napoleonic 24
251
ト リエ ス テ
Louis
Napoleon 179
ナ ポ レオ ン 戦 争
トラ ン ス バ ー ル 共 和 国
Days
Napoleon
Namibia
179
179 85
114
46
177
ナ ロー ドニ キ
Trieste
251
ト リポ リ戦 争 Tripolitanian
Nazis ナ チ ズ ム
57
トラ フ ァル ガ ー 沖 の 海 戦
〓Trianon,
180
Abdel
Napoleonic
Republic
Treaty
Gamal
Bonaparte
ドミ ニ カ 共 和 国
Transvaal
Nasser,
ナ ポ レ オ ン3世
Marie
Battle
182
ナ ポ レ オ ン1世
57
Dominican
Mohammed
Nazism
ド ・ゴ ール
〓De
Neguib,
ナ チ ス
独 立 労 働 党
De
177
ナ セ ル
49
De
Nagasaki ナ ギ ブ
Narodniki
179
南 京 (ナ ン キ ン ) War
252
Nanjing/Nanking
177
Chino-Japanese
南 京 条 約 Treaty
of Nanking
〓Nanking,
249
Treaty
of
178
War
44
ニ ミ ッ ツ Nimitz,
Chester
William
186
ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド
南 西 ア フ リ カ South-West
Africa
236
New ニ ュ ー New
Zealand
185
・デ イ ー ル 政 策 Deal
183
ニ ュ ー ヨ ー ク
に
New
York
184
ニ カ ラ グ ア Nicaragua
185
ニ ク ソ ン
ぬ
Nixon,
Richard
Milhous
186
二 国 同 盟 (ド イ ツ ・オ ー ス ト リ ア ) Dual
Alliance
ヌ イ イ 条 約 62
二 国 同 盟 (ロ シ ア ・フ ラ ン ス ) Dual
Alliance
Treaty
Treaty
183
of Neuilly
〓Neuilly, II
of
ヌ イ イ 条 約 62
ニ コ ラ イ2世 Nicholas
Neuilly,
Treaty
249 of
183
186
西 イ リ ア ン West
Irian
265
ね
西 ドイ ツ West
Germany
〓Germany,
265 West
96
二 重 帝 国 Dual
Monarchy
of
Austria-Hungary
63
Netherlands
183
〓Holland
111
ネ ル ー Nehru,
西 ヨー ロ ッパ 連 合 WEU
265
〓Western
ネ ー デ ル ラ ン ト王 国 ( オ ラ ンダ )
European
Union
264
Pandit
Jawaharlal
182
ネ ル ソ ン Nelson,
Horatio
183
日 英 同 盟 Anglo-Japanese
Alliance
10
日 独 伊 三 国 同 盟 Tripartite
の
Pact
251
日 独 伊 防 共 協 定 Anti-Comintern
農 業 革 命 Pact
10
日 米 安 全 保 障 条 約 Mutual
Security
Pact
(USA-Japan)
176
War
225
日中 戦 争
5
War
233
1 Adjustment
Act
4
ノ ル マ ン デ ィ上 陸 作 戦 Normandy
日 清 戦 争 Sino-Japanese
Revolution
AAA 〓Agricultural
日 露 戦 争 Russo-Japanese
Agricultural 農 業 調 整 法
Landings
187
Panama
は
198
パ ナ マ 運 河 Panama
ハ ー グ Hague,
The
パ ベ リチ
107
ハ マ ー シ ョル ド
Pavelic
ハ ー デ ィ Hardie,
James
Keir
Palmerston,
Henry
John
Temple
Mohammed
Ayub
パ リ ・コ ミ ュ ー ン
〓Paris
107
Settlement
200
in Paris
49
Commune
200
パ リ条 約
Haiti
106
Haile
Selassie
I
106
Dai
22
Pakistan
196
Bakunin,
Michael
19
Baghdad
Pact
19
for the
Renunciation
〓 Kellog-Briand
of War
Pact
248 138
Balkans
20
Balkan
Wars
21
Balkan
League
20
バ ル カ ン同 盟
ハ ス キ ソン Huskisson,
William
115
Balkan
Pact
20
バ ル カ ン問 題
バ ス ク 国 家 Basque
country
22
of
Passchendaele
〓Passchendaele,
Balkan
Question
20
バ ル チ ス タ ン 地 方
パ ッセ ンダ ー リの 戦 い
Battle
24 of
201
Baluchistan
Underdevelopment/Developing countries
21
バ ル フ ォ ア Balfour,
発 展 途 上 国
Arthur
James
19
バ ル フ ォ ア 宣 言 255
Balfour
Declaration
19
パ レ ス チ ナ
バ テ ィ ス タ y Zaldivar,
Fulgencio
22
Palestine
197
パ レス チ ナ 解 放 機 構
バ ト ラ ー Butler,
Battle
201
パ リ不 戦 条 約
バ ル カ ン 同 盟
バ グ ダ ー ド条 約
バ トル
249 of
バ ル カ ン 戦 争
バ ク ー ニ ン
Batista
Treaty
バ ル カ ン 諸 国
パ キ ス タ ン
Battle
of Paris
Paris,
Treaty
・ダ イ
Bao
Treaty
〓
ハ イ レ ・セ ラ シ エ1世
〓
Peace
Communes 141
ハ イ チ
Richard
・オ ブ
Austen
36
Battle
23 of
PLO
〓
・ブ リ テ ン
of Britain
Britain,
パナ マ
Dag
202
ハ ー ン (ム ハ ン マ ド ・ア ユ ー ブ )
バ オ
201
パ リ講 和 会 議 Paris
Harbor
Khan,
Ante
198
・ハ ー バ ー (真 珠 湾 )
Pearl
199
Hammarskj〓ld,
パ ー マ ス トン
パ ー ル
Canal
106
33
Palestine
205 Liberation
Organization
197
ハ ワ ー ド Howard, ハ ワ イ
John
114
Hawaii
107
東 プ ロ イ セ ン
114
ビ キ ニ 環 礁
East
ハ ン ガ リー Hungary
Emmeline
199
Bangladesh
199
ビ ス マ ル ク
Law
League
11
Punjab
211
Otto
Slavism
200
29
Younger
205
Elder
204
ピ ッ ト (大 )
ビ ッ ト リ オ ・エ マ ヌ エ レ3世 Vittorio
パ ン チ ェ ン ・ラ マ
Emanuele
III
Lama
199
ビ ッ ト リ オ ・エ マ ヌ エ レ2世
War
202
ヒ ト ラ ー (ア ド ル フ )
Vittorio
半 島 戦 争
Hitler,
バ ン ドン 会 議 Bandung
von
ピ ッ ト (小 )
Pitt, William-the
汎 ス ラ ブ 主 義
Peninsular
259
Pitt, William-the
パ ン ジ ャ ブ 地 方
Chen
259
France
Bismarck,
反 穀 物 法 同 盟
Pan
Queen
ビ シ ー 政 府 Vichy
Germanism
Pan
ビ ク ト リ ア女 王
21
汎 ゲ ル マ ン 主 義
Anti-Corn
28
Victoria,
バ ン グ ラ デ シ ュ
Pan
67
Bikini
パ ン ク ハ ー ス ト Pankhurst,
Prussia
Conference
21
Emanuele
II
Adolf
261
261
110
ビバ レッ ジ Beveridge,
William
Henry
28
ビバ レ ッジ 報 告 書 Beveridge
ひ
Report
28
百 花 斉 放 Hundred
ビア フ ラ 内 戦 Biafran
Civil
War
28
Home,
ヒ ー ス (エ ド ワ ー ド ) Heath,
Edward
Richard
George
108
Sir Robert
202
IX
205
Marie
Georges
204
India
Company
66
Timor
67
Germany
〓 Germany,
Revolution
〓 English
211
Revolution
71
Burma
35
Hiroshima
110
Hirohito,
Emperor
109
Hinduism
109
ヒン デ ン ブ ル グ
東 ドイ ツ East
112
ヒン ズ ー 教
東 テ ィ モ ー ル East
Douglas
裕 仁 (昭 和 天 皇 )
東 イ ン ド会 社 East
Sir Alec
広 島
ピカ ー ル Picquart,
114
ビ ル マ
ピ ウ ス9世 Pius
Campaign
ピ ュ ー リタ ン 革 命 Puritan
ピー ル Peel,
Flowers
ヒ ュ ー ム
66 East
96
Hindenburg,
Paul
von
ビ ン ・ラ デ ィ ン (オ サ マ )
109
Bin
Laden,
Osama
28
ブ カ レ ス ト条 約 Treaty
〓 ふ
of Bucharest
Bucharest,
Treaty
249 of
34
溥 儀 (ふ ぎ ) Puyi,
フ ァ イ サ ル1世 Feisal
I
79
Party
77
fascism
77
Incident
78
Fiume/Rijeka
George
204
フ ラ ン コ Franco,
Finland
79
Herbert
Clark
113
Moratorium
113
Wars
30
II
203
Ferdinand
War
of the
Falkland Islands,
Islands of
the
War
Gerald
Premier
77
〓 French
Republic
81
Empire Empire
86
209 85
和 政 79
Republic
フ ラ ン ス 第3共
86
和 政
Republic
〓 French
209
政
Fifth Republic
Third
フ ォ ル モ ー サ Formosa
60
フ ラ ン ス 第5共
81
135
和 政
Republic
〓 French Rudolph
86
50
〓 French
24
フ ォ ー ド
86
135
Revolution
Premier
77
82
フ ラ ン ス 執 政 政 府
フ ラ ン ス 第1帝
Battle
83
革 命
フ ラ ン ス 第1共
フ ォ ー ク ラ ン ド紛 争 Falkland
フ ラ ン ス7月
84
17
Mutual
王政
Monarchy
Directory
I
フ ォ ー ク ラ ン ド海 戦
Falkland
Republic
フ ラ ン ス 総 裁 政 府
普 墺 戦 争 (プ ロ イ セ ン ・オ ー ス ト リ ア 戦 争 )
Battle
Revolution
84
フ ラ ン ツ ・ ヨ ー ゼ フ1世
Austro-Prussian
War
Consulate
フ ラ ン ツ ・フ ェ ル デ ィナ ン ト
of
83
フ ラ ン ス7月
July
フ ェ リ ペ2世
Josef
35
フ ラ ン ス 共 和 政
July
ブ ー ル 戦 争
Franz
Treaty
Francisco
French
フ ー バ ー ・モ ラ ト リ ア ム
Franz
Walker
フ ラ ン ス 革 命 French
フ ー バ ー
Philip
115
Herbert
Franco-Russian
普 仏 戦 争
フ ィ ン ラ ン ド
Hoover
76
Saddam
Franco-Prussian
Philippines
Ford,
Bush,
80
フ ィ リ ピン
〓
Hussein,
Assistance
フ ィ ウ メ / リエ カ
Hoover,
Movement
仏 ソ相 互 援 助 条 約
フ ァ シ ョダ 事 件
Boer
Evangelical
ブ ッ シ ュ (ジ ョ ー ジ )
フ ァ シ ズ ム
Fashoda
212
フ セ イ ン (サ ダ ム )
フ ァ シ ス タ 党 Fascist
Henry
福 音 復 興 運 動
Republic
245 86
フ ラ ン ス 第2共 Second
Treaty
和 政
Republic
〓 French
230
Republic
フ ラ ン ス 第2帝 Second
86
〓 French
230
Empire
Fourth
85
和 政
Republic
〓 French
82
Republic
86
Empire
フ ラ ン ス2月
Brest-Litovsk
Woods
32
Agreement
32
Preussen
210
〓
211
Prussia
プ ロ レタ リ ア 文 化 大 革 命 Great
Proletarian
Cultural
文 化 大 革 命
78
文 化 闘 争
Cultural
Revolution
Alliance
101
Revolution
53
Revolution
53
Kulturkampf
フ ラ ン ス ・ベ ル ギ ー 防 衛 同 盟 Franco-Belgian
of
プ ロ イ セ ン (プ ロ シ ア )
Cultural
Revolution
248
Treaty
・ウ ッ ズ 協 定
85
革 命
February
ブ レ トン
〓
フ ラ ン ス 帝 政 French
of
Brest-Litovsk,
Bretton
政
Empire
フ ラ ン ス 第4共
〓
145
82
フ ラ ン ス ・ポ ー ラ ン ド 防 衛 同 盟 Franco-Polish
Alliance
83
へ
フ ラ ン ス 領 イ ン ドシ ナ French
Indo-China
85
Aristide
33
Briand,
フ リ ー ド リ ッ ヒ3世 Friedrich
Treaty
87
of Brussels
〓 Brussels,
Treaty
ブ リ ュ メ ー ル18日
248 of
34
d'〓tat of Brumaire Coup
d'〓tat
51 of
34
Nikolai
Alexandrovich
34
Defence
Treaty
(USA-South 176
米 州 機 構 OAS
189 of American
States
Bulgaria
35
193
米 州 相 互 援 助 条 約 Inter-American
Treaty
of
Reciprocal 122
北 京 (ベ イ ジ ン / ペ キ ン ) Peking
ブ ル ガ リア
202
〓 Beijing
25
ヘ イ ス テ ィン グ ズ
フ ル シ チ ョ フ Khrushchev,
Nikita
Sergeyevich
142
フ ル トン 演 説
Hastings,
Warren
107
米 西 戦 争 (ア メ リ カ ・ス ペ イ ン 戦 争 )
Speech
88
ブ ル ム (レ オ ン )
Spanish-American 米 西 相 互 防 衛
L〓on
30
Mutual
Aid
War
236
・経 済 援 助 協 定 Agreement
(Spain-USA)
175
ヘ ジ ャ ズ
ブ レ ジ ネ フ Brezhnev,
(USA-Formosa)
Assistance
Bulganin,
Blum,
Mutual
〓 Organization
ブ ル ガ ー ニ ン
Fulton
Treaty
Korea)
の クー デ タ ー
〓 Brumaire,
Defence
176 米 韓 相 互 防 衛 条 約
III
ブ リ ュ ッ セ ル 条 約 (西 ヨ ー ロ ッ パ 連 合 条 約 )
Coup
米 華 相 互 防 衛 条 約 Mutual
ブ リ ア ン
Leonid
Ilyich
ブ レ ス ト ・リ トフ ス ク 条 約
32
Hejaz ペ タ ン
108
P〓tain,
Henri
Philippe
203
ペ レス トロ イ カ
260
ベ ン ガ ル 地 方
260
ベ ン サ ム
Perestroika
ベ ト コ ン Viet
Cong
Bengal
ベ トナ ム Viet
203
Nam
Bentham,
ベ トナ ム 戦 争 Vietnam
26
War
Jeremy
26
261
ベ ト ミ ン ( 越 盟 ) Viet
Minh
260
ほ
ベ ネ ズ エ ラ Venezuela
258
Benelux
countries
26
ベ バ ン Aneurin
27
ベ ラ ス ケ ス
Nicolas
Landry
Diego
de
Silva
y
258
265
ポ イ ン ト ・フ ォ ア
ホ ー ア
Four
Program
Beria,
Lavrenti
Pavlovich
26
ベ ル ギ ー
ホ ー ・チ Ho
Belgium
25
Treaty
of
Versailles
Versailles,
Treaty
251 of
259
Versailles
system
258
Agreement
108
べ ル ダ ン の戦 い Battle
25
Battle
of
258
ベ ル リ ン Berlin
26
Chi
Minh
City
111
Treaty
of Portsmouth
Portsmouth,
Treaty
249 of
208
ポ ー ラ ン ド 206
ポ ー ラ ン ド ・ソ ビ エ ト戦 争 War
226
ボ ー ル ドウ ィ ン Baldwin,
Stanley
Congress
of
Berlin,
of
27
19
202 25
保 護 貿 易 主 義 Protectionism
Berlin Treaty
248 of
27
Berlin-Baghdad
Railway
27
ベ ル リン ・ロ ー マ 枢 軸 Axis
Conservative Conservative
governments Party
50 50
ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ Bosnia
221
210
保 守 党 内 閣 (イ ギ リ ス )
〓
ベ ル リ ン ・バ グ ダ ー ド鉄 道
Rome-Berlin
Peiping
〓 Beijing
ベ ル リ ン条 約 Treaty
111
北 平 (ホ ク ヘ イ )
ベ ル リ ン会 議 Berlin,
Minh
Russo-Polish
of Verdun
〓 Verdun,
・ミ ン (胡 志 明 )
Poland
ヘ ル シ ン キ宣 言 Helsinki
110
ポ ー ツ マ ス 条約
〓
ベ ル サ イ ユ体 制
Chi
Pact
ホ ー チ ミ ン市 Ho
ベ ル サ イ ユ条 約
206
・ラ バ ル 案
Hoare-Laval
ベ リヤ
206
ホ イ ッグ 党
Point
Velasques,
〓
Raymond
Whigs
Bevan,
〓
ポ ア ン カ レ Poincar〓,
ベ ネ ル ク ス諸 国
and
Herzegovina
ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ 併 合 問 題
31
Bosnian
Crisis
32
マ ッ カ ー シ ー
208
マ ッ キ ン レー
209
マ ネ タ リ ズ ム
McCarthy,
ポ ツ ダ ム 会 談 Potsdam
Conference
McKinley,
ポ ツ ダ ム 宣 言 Potsdam
Declaration
Raymond
William
Bohemia
30
and
Malaya,
Moravia,
Protectorate
of 31
カ ー ル
Federation
207
Battle
Bolivia
31
ポ ル トガ ル の 植 民 地
166
Thomas
Robert
164
of Marne
〓Marne,
23
Battle
of
166
マ レー シ ア
colonies
208
ホ ロ コ ー ス ト
Malaysia
163
マ レ ン コ フ
Holocaust
112
香 港 (ホ ン コ ン )
Malenkov,
Georgi
Maksimilianovich
163
満 州
Kong
113
ポ ン ピ ドゥ ー Pompidou,
Heinrich
マ ル ヌ の 戦 い
ボ リ ビア
Portuguese
Karl
Malthus, 31
163
マ ル サ ス
ボ リシ ェ ビキ Bolsheviks
of
・マ ル ク ス
Marx,
ポ ラ リス Polaris
170
マ ラ ヤ 連 邦
ボ ヘ ミ ア ・モ ラ ビ ア 保 護 領 Bohemia
167
167
Monetarism
ボ ヘ ミ ア
Hong
Joseph
Manchuria
164
満 州 事 変 Georges
Jean
Raymond
207
Manchurian
Incident
164
マ ンデ ラ Mandela,
Nelson
Rolihlahla
165
ま
マ ー シ ャ ル Marshall
・プ ラ ン
み
Plan
166
マ ー ス ト リ ヒ ト条 約 Maastricht
ミ ッ ドウ ェ ー 海 戦
Treaty
161
MacDonald,
James
Ramsay
161
MacMahon,
Sir Arthur
Henry
〓MacMahon,
Sir Arthur
Henry
162
South 〓Boer
Africa
African Wars
162
南 ア メ リ カ
161
南 満 州 鉄 道
South Douglas
23 of
170
169
南 ア フ リカ 戦 争 ( 南 ア 戦 争 )
マ ッカ ー サ ー MacArthur,
Pasha
162
マ ジ ノ線 Line
Battle
南 ア フ リカ South
Declaration
Island
Island,
162
マ ク マ ホ ン 宣 言 MacMahon
of Midway
ミ ド ハ ト ・パ シ ャ Midhat
マ ク マ ホ ン
Maginot
Battle
〓 Midway
マ ク ドナ ル ド
America
234
War
235 30
235
South
Manchuria
Railway
236
南 ロ ー デ シア Southern
Mozambique モ ス ク ワ ・オ リ ン ピ ッ ク
Rhodesia
〓Rhodesia,
Southern
235
Moscow
220
モ ル トケ
Putsch
Helmuth
Johannes
Ludwig
von 170
モ ロ ッ コ
Conference
174
ミ ュ ンヘ ン 革 命 Munich
173
174
ミ ュ ンヘ ン 会 議 Munich
Olympics
Moltke,
ミ ュ ン ヘ ン 一 揆 Munich
173
Morocco
172
モ ロ ッ コ事 件
Revolution
174
民主 主 義
Moroccan
Crisis
172
モ ロ トフ
Democracy
57
民 族 自決 主 義
Molotov,
Vyacheslav
Mikhailovich
170
モ ン タ ギ ュ ー ・チ ェ ム ズ フ ォ ー ド改 革
Self-determination,
principle
of
231
Montagu-Chelmsford モ ン テ Battle
of Monte
〓Monte
む
Reforms
171
・カ ッ シ ノ の 戦 い Cassino
Cassino,
Battle
24 of
172
モ ン ロ ー (ジ ェ ー ム ズ ) 6日
Monroe,
戦 争
Six
Day
War
234
Monroe
ム ガ ー ル 帝 国 Mughal
James
Empire
171
モ ン ロ ー 主 義 Doctrine
171
173
ム ッ ソ リ ー ニ Mussolini,
Benito
175
や
睦 仁 (明 治 天 皇 ) Mutsuhito,
Emperor
175
ヤ ル タ 会 談 Yalta
Conference
270
ヤ ン グ 案 Young
め
Plan
270
名 誉 革 命 Glorious
Revolution
〓English
Revolution
98
メ ン シ ェ ビ キ Mensheviks
ゆ
71 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 168
Jugoslavia
135
〓Yugoslavia
271
U2型
Uボ
Affair
254
ー ト
U-boat
毛 沢 東 Mao
機 事 件
U-2
も
Tse-tung
モ ザ ン ビ ー ク
165
254
宥 和 (ゆ う わ )政 策 Appeasement
policy
11
EDC
ユ ダ ヤ 人 Jews
133
ユ ト ラ ン ド沖 の 海 戦 Battle
of
23
Battle
of
135
ユ ト レ ヒ ト条 約 Treaty
Community
75
EU
73
〓 European
Union
76
嘉 仁 ( 大 正 天 皇 )
of Utrecht
〓Utrecht,
Defence
ヨーロ ッパ連合/ 欧州連合
Jutland
〓Jutland,
68
〓 European
Treaty
250 of
Yoshihito,
257
ヨル ダ ン
135
4カ
ユ ン カ ー
Emperor
270
Jordan
Junkers
134
国 条 約
Four
Power
Pacific
〓 Washington, よ
4大
Treaty
Treaty
81
of
263
国 条 約
Four
Power
Pact
81
ヨ ー ロ ッ パ 会 議 Council
〓
of Europe
Europe,
51
Council
of
76
ら
ヨー ロッパ共 同市場 ECM
67
〓 European
Common
Market
74
ヨー ロッパ共 同体 67 Community
74
EEC
69 Economic
Community
75
ヨ ー ロ ッ パ 経 済 協 力機 構 190 for European
Economic
Cooperation
192
74 Atomic
Energy
Community 74
Trade
Association
ヨー ロッパ石 炭鉄鋼 共同体 ECSC Coal
and
218
ラ オ ス Laos
148
Rasputin,
Grigory
Lateran
Efimovich
217
Treaty
149
・ア メ リ カ
Latin
America
149
Latvia
Steel
69
Treaty
76
〓
149
of Rapallo
Rapallo,
ラ ン カ ス タ ー
68 Community
Lancaster
Treaty
249 of
216
・ハ ウ ス 会 議 House
Conference
148
ラ ン ズ ダ ウ ン 74
ヨー ロッパ防衛 共同 体
216
ラパ ロ 条 約
EFTA
〓 European
L〓szl〓
ラ ト ビア
ヨー ロッパ 自由貿 易連合
Free
Rajk,
ライ ン ラ ン ト
ラ テ ン
EURATOM
〓 European
216
ラ テ ラ ン条 約
ヨ ー ロ ッ パ 原 子 力 共 同 体
〓 European
Abdul
ラ ス プ ー チ ン
OEEC
〓 Organization
Tungku
Rhineland
ヨー ロッパ経済 共 同体
〓 European
Rahman, ラ イ ク
EC
〓 European
ラー マ ン
Lansdowne,
5th
Marquess
of
148
〓Leyte
り
Gulf,
Battle
of
154
レー ガ ン Reagan,
リー プ ク ネ ヒ ト Liebknecht,
Karl
156
Ronald
Wilson
217
Vladimir
Ilyich
153
レー ニ ン Lenin,
リガ 条 約 Treaty
of Riga
〓Riga,
Treaty
250 of
220
リ ソ ル ジ メ ン ト (イ タ リ ア 統 一 運 動 ) Risorgimento
Leopold
III
154
レセ ッ プ ス 220
リ ッ トン 調 査 団 Lytton
レ オ ポ ル ド3世
Lesseps,
Ferdinand
Marie
de
154
レニ ン グ ラ ー ド
Commission
160
Leningrad
153
レバ ノ ン
李 登 輝 Li Denghui/Lee
Teng-hui
155
Lebanon
152
リ ビ ア Libya
155
リ ビア 戦 争 Libyan
ろ
War
155
〓Italo-Turkish
War
130
Livingstone,
David
157
George,
Abraham
156
David
157
労 使 関 係 法 Industrial
リン カ ー ン Lincoln,
ロ イ ド ・ジ ョ ー ジ Lloyd
リビ ン グ ス トン
Relations
Act
120
労 働 党 Labour
Party
147
労 働 党 内 閣 Labour
る
governments
147
ロ ー Law,
ル イ14世 Louis
XIV
159
Lausanne
ル ー マ ニ ア Rumania
223
Ruhr
223
Patrice
160
151
Conference
150
Conference
150
ロ ー ザ ン ヌ条 約 Treaty
ル ム ン バ ( パ ト リ ス )
Bonar
ロ ー ザ ン ヌ 会 議 (1932) Lausanne
ル ー ル 地 方
Lumumba,
Andrew
ロ ー ザ ン ヌ 会 議 (1922∼23)
of Lausanne
〓Lausanne,
Treaty
249 of
150
ロ ー ズ (セ シ ル ) Rhodes, れ
Roosevelt,
219
Theodore
222
ロ ー ズ ベ ル ト (フ ラ ン ク リ ン ) War
46
of Leyte
Roosevelt,
Franklin
Delano
221
ロ ー デ シア
レイ テ 湾 の 戦 い Battle
John
ロ ー ズ ベ ル ト (セ オ ド ア )
冷 戦 Cold
Cecil
Gulf
23
Rhodesia
219
ロ ー デ シ ア ・ニ ヤ サ ラ ン ド 連 邦 Federation
of Rhodesia
〓Central
African
and
わ Nyasaland
Federation
79 41
Treaty
of Rome
〓Rome,
250
Treaty
of
Thomas
Edward
Battle
151
『我 が 闘 争 』 My
of Locarno
〓Locarno,
248
Treaties
of
157
Russia
223
Russian
Revolution
ロ シ ア3月
224
〓Russian
Revolution
ロ シ ア11月
ロ シ ア10月
〓Russian
Revolution
February
Revolution
〓Russian
188
ワ レサ
190
湾 岸 戦 争
224
Gulf
224
露 土 戦 争 (ロ シ ア ・ ト ル コ 戦 争 ) War
226
露 仏 同 盟 (ロ シ ア ・ フ ラ ン ス 同 盟 ) Franco-Russian
〓 Dual
Alliance
Alliance
83 62
ロ ン ド ン 会 議 London
Conference
158
ロ ン ドン 海 軍 軍 縮 会 議 London
Naval
Conference
158
ロ ン ドン 条 約 of London
〓 London,
Treaty
249 of
158
ロ ン メ ル Erwin
221
Treaty
of Washington
ワ ル シ ャ ワ条 約
79
Revolution
Russo-Turkish
Naval
224
革 命
262
263
ワ シ ン トン 条 約
Walesa,
Revolution
ロ シ ア2月
Conference
〓 Washington,
革 命
October
168
ワ シ ン トン海 軍 軍 縮 条 約
Warsaw
Revolution
176
Kampf
166
革 命
November
264
ワ シ ン トン 会 議
Treaty
革 命 Revolution
263
Struggle
〓 Mein
Washington
ロ シ ア 革 命
25 of
Republic
Washington
ロ シ ア
Rommel,
Waterloo
ワ イ マ ー ル 共 和 国
ロ カ ル ノ 条 約
Treaty
of
Waterloo,
Weimar
Lawrence,
March
〓
221
ロ ー レ ン ス
Treaties
ワ ー テ ル ロ ー の 戦 い Battle
ロ ー マ 条 約
Treaty
251 of
263
Pact
262
Lech
262
War
105
索引 ( 英 語) 下 記 に は、本 書 で用 語解 説 で触 れ られ て いる歴 史 用語 とそ の掲 載 ペー ジを記 し、 ア スタ リス ク が付 い てい るペ ー ジで は見 出 し語 と して扱 わ れて いる。
A AAA
1
Abbas
108
Abbeville Abdul
57 II
169,
271
Jihad
154,
168,
258
198 1,
73
Rain
1 Deficiency
Syndrome
(AIDS)
1 Act
of
Addis
Union
126
Ababa
73,
Aden
2,
Adenauer,
192
2,
Peace Sea
Advanced
55,
6
Algerian
War
Sea
Afghan
Africa
3
African
National
African
Union
African
Year
Afro-Asian
26
Congress
(ANC)
165,
192
21
Age
of
Imperialism
Age
of
Transition Spiro
Agricultural
enclosures Mahmoud
5
Akbar
101,
Act 5,
121
5
4,
183
Yuri
Angkor
Thom
Angkor
Vat
Vladimirovich
172,
142
8,
Alaska
5,
171
Alaungpaya 5,
124
76,
264
9
149 Entente
237,
9,
10,
19,
Naval
Agreement
Naval
Anglo-Irish
Agreement
Ankara Ann
148,
9
9
Alliance
10,
19,
148,
225,
237 Entente
Anglo-Saxons
272
78,
9
Agreement
3,
9,
10,
252
Angola
63,
252
Anglo-French
35
I 201
33,
Wars
Anglo-Russian
Intifada
8
37
Church
228,
Al-Aqsa
8 111
37
Anglo-German 125
171,
71
Anglo-French (AAA)
93,
150
Anglo-America 81
8,
8
Anglo-Japanese 173
Alabama
Aleksandr
177
Theodore
Ahmadinejad,
19
Anatolia
Anglo-Afghan
Revolution
Agriculture
Albania
117
193
7
Independence
106,
Anglican
Adjustment
Agricultural
AIDS
172
Servants 210
144
Andropov,
172 4,
War
Massacre
Andrew 4,
Railway
208
anarchist
ANC
4
4,
235
of
League
of
Amsterdam
4,
259
134
Amritsar
101
Agnew,
204,
57
104
Society
Amnokgang
Government
Crisis
83,
Pedro
201,
3
Conference
Agadir
243
7,
War
158
207
134
28,
Civil
243
on
7,
American
28,
3,
League
3,
Amman
Fragment
Agadir
Muslim
American
3,
Wars
Afyon
India
251
102,
86,
Committee
128,
56,
80,
43
Reparations
Anti-saloon
14,
57,
Salvador
Allied
Amalgamated
7
Afghan
7,
American
2,
Afghanistan
6,
102
255
172
6
2,
80,
nations
6, 125
Alsace-Lorraine
194
of
13
6
Conference
Alvarado,
Konrad
Adrianople,
Aegean
129,
246
186
Agreement
Al-Qaeda 106,
270
Adriatic
XIII
Algeria
All
6,
197
Allende,
Immune
5
Raoul
Algier
Acquired
A
Fatah
Alger
97
Acid
III 6,
Algeciras 1,
Accra
Alexander
Alfonsin,
183
Abyssinia
II 5,
Alfonso
Absolutism Abu
1,
134
Aboukir
I
Alexander
Al
Hamid
Abdullah
Alexander
71
33, 10,
208
10,
10,
63
101,
139,
150
38,
63,
237,
Anti-Comintern
Pact
Anti-Corn
Law
Anti-Fascist
10,
League
18, 11,
People's
175,
251
50
Freedom
League
Austrian
State
Austrian
Succession,
211,
(AFPFL)
35
Treaty
group
Anti-socialist ANZUS
Law
29
11,
15,
11,
165,
Pact
Apartheid
4, 11
Apollo
11
177,
215
9,
11,
19,
42,
45,
55,
68,
Theses Sea
Arabi
Pasha
153,
Arabia
225
12,
Arab-Jewish
Axis,
69,
Arab
League
12,
Arab
Republic
of
12, 133,
116,
197
Egypt
256
3,
12,
133,
152,
Arafat,
Yasser
12,
197
18
Khan,
Baghdad
169
Baghdad
197,
27,
125,
Pact
19,
Bakunin, 274
199
Balboa,
Vasco
Declaration
13
181 13 Forum 13,
29,
Economic
Asmara
148,
Herbert
(APEC)
14
Henry
14,
45,
66,
112,
127,
of
South-East
Asian
Nations
(ASEAN)
120
Balkan
Pact
Balkan
Question
of
South-East
(ASEAN10)
Sates Sea
Aswan Ataturk
High
Asian
Nations
Bangkok
Athenae
Kemal
102
Battle
Atlantic
Charter
Atlantic
of
Ocean
Atomic
Clement
14
97,
172
Richard
15,
28,
45,
89,
121,
34,
99,
128,
21,
reforme 22,
Basque
104
Basque
country
Batavia
22
64 Zaldivar,
Fulgencio
Ankara
10
Austerlitz,
Battle
Battle
of
Austerlitz
Battle
of
Britain
Austria Austrian
16 Empire
16
205
182
96,194
y
179,
180,
274
of
15,
190,
40
Battle of
153,
78
Batista
15
143,
260
173
Australia
158
45,
209
180,
130,
162
Aurangzeb
147,
35,
150 79,
Treaty
Basle
15
21,
21
Dai
271
200
245
Basic
15 3,
weapons
Attlee,
the
199,
101
Barcelona
142
Atlantic,
226,
188
21,
de
Bao
Atlanta
66,
Conference
Banquet
14
197
223,
21
20,
73,
Bangladesh
Mustafa
200,
243
180
139
Ataturk
162 162,
172
Bandung
Dam
128,
128,
130,
20,
5,
Bandirma
10
102,
20,
19,
158
56,
Bamiyan
14
13,
19,
missiles
Baltic
162
20
Wars
Baltic
42, 19,
20,
20,
Bandar
Association
198
66,
League
ballistic
124
19,
35,
Baluchistan
157
Association
268
246
James
Balkan
Balkan
195 Cooperation
72
Asquith,
84,
41
N.
5,
Balkans
13
193,
Stanley
Balkan
191
3,
223,
19,
Declaration
Minor
83,
18
Michael
Balboa
Balfour
204
Asia-Pacific
29,
29
Arthur
Asia
17,
43
Balfour,
Regional
17,
Mohammed
161
ASEAN
84,
221
Patricio
Arkansas
ASEAN10
54,
119
Powers
Baldwin,
Arya
31,
211
201,
13
Arusha
16,
175,
Argentina
Arrow
17,
B
169
12,
Arabs
Armada
132,
132
12,
War
16,
62
16,
170, 22,
35,
the
Azov
War
109,
League 10,
Ayub
117
Arab-Israeli
95,
Aylwin,
225
16,
229
Axis/Axis
policy 174,
17,
War
93,
Axis
appeasement 110,
156,
87,
235
the
Empire
Austro-Prussian
185
236
Appartheid
April
114,
Awami
APEC
Alliance
Austro-Hungarian
164
of
232
Austro-German
anti-party
16 War
22,
23 23
Battle
of
Dien
Battle
of
Jena-Auerstedt
Bien
Phu
23 23
40
211
Bloemfontein
Battle
of
Jutland
Battle
of
Lepanto
Battle
of
Leyte
Battle
of
Marne
23
Battle
of
Midway
Island
Battle
of
Monte
Battle
of
Passchendaele
Battle
of
Sedan
Battle
of
Stalingrad
Battle
of
Tannenburg
24
Bogota
Battle
of
the
Atlantic
24
Bohemia
Battle
of
the
Falkland
Islands
Battle
of
the
Somme
24
Battle
of
Trafalgar
Battle
of
Verdun
Battle
of
Waterloo
Battle
of
Ypres
Baudouin Bay
23 204
Blood
Gulf
23
Bloody
Blue
24
Blum,
24
Boers
Cassino
24
119
47,
38 37,
43,
44,
146,
165,
192,
212 25,26
Bella,
Mohammed
Benelux
countries
Bengal
26,
7, 26,
53,
80
34,
107,
117
Joseph
and
Berlin-Baghdad
226,
Berlin,
of
Crisis 2,
Wall
27,
29,
31,
35,
61,
62,
27,
Beveridge,
89
William 196
Biafran
Civil
War
Biartitz
28,
180
Henry
Ali
28,
Bismarck,
Otto 87,
94,
252,
3,
von 95,
145,
7,
7,
28
Sea
Blair,
Anthony
Block
Economy
32,
2,
14,
29,
Charles 100,
232
132,
164,
190,
194
225
109 40
Brahmanism
109
Brahmaputra
26
Brandenburg
211
Brandt,
Willy
60, Treaty
Woods
of
32
Agreement
Leonid
Ilyich
Briand,
Aristide
Bright,
John
32,
91,
123
32,
99,
142,
8,
145,
17, 168,
27,
29,
179,
29,
205,
62,
211,
35,
40,
Lyndon 194
51,
71, 226,
33,
128 33 Battle
of
Broadcasting
British
Commonwealth
196,
70,
94,
216, Empire
British
South
56,
143
Brown,
148
Brumaire, Brussa
33 Corporation
97,
102,
Coup 194
126,
15,
34,
140,
84
34,
163,
35,
185,
265 33,
Africa
James
(BBC)
11,
233,
British
147,
138
11
British
42,
266
Black
218,
32
Britain,
28
Osama
229,
64
Rising
Britain
28
Laden,
84,
232
225
Brighton
28
83
Bikini
31,
203
28,
Bhutto,
27,
142
169,
Brezhnev,
96 130
Report
238
32
151,
135,
Bretton
95,
Aneurin
246,
246
27
27,
Silvio
Beveridge
83,
166,
27
27,
Berlusconi, Bevan,
156,
31, 29,
Brest-Litovsk, of
17,
University
Brahmana
229
Treaty
Berlin
96,
Railway
Congress
72,
26
5 95,
225,
203
Herzegovina
Brahma Pavlovich
27,
170,
163
Bourgogne
172
26,
168,
96
bourgeoisie
64
Boxing
Berlin
153,
46
271
Vitus
48,
135,
48,
Berlin,
31,
6,
Beograd
Bering,
31
90
Affair
Boxer
Lavrenti
of 258
47
Bourbon
26
Beria,
31,
Boulanger
Jeremy
Berbers
219,
31
Bosporus
Bentham,
108,
Protectorate of Venezuela
Simon
Boston
Ben
Moravia,
Republic
Bosnian
25,
Belgium
192,
271
210
Menachem
Beijing/Peking
157,
193
and
Bosnia
114,
143,
30
Bonaparte,
61
Bedfordshire
248 42,
248
Borneo
Beaconsfield
Bin
39,
Bombay
152
Begin,
30,
Bon
Bengal
Bayrut
Wars
Bolsheviks
25
55 234,
Bolivia 25
30, 192,
Bolivar,
24
266
200
39,
Bolivarian
25
29,
213
L〓on
Bohemia
I 154
of
Week
234,
24
29, 224
Ribbon
Boer 24
Iron
Sunday
Bloody 23
192
and
34,
34,
204,
259,
Company
Gordon d'〓tat
147, of
265
219
34,
148 60,
87,
178
39, 194,
Brussels
25
Brussels,
Treaty
of
Bucharest
48,
Bucharest,
Treaty
Budapest
114
Buenos
64,
75,
187,
265
of
21,
34
13
Nikolai
Bulgaria
35
Alexandrovich
34,
142,
163
168 82
Burma
21,
Bush,
George
Butler
Act
119,
196,
Herbert
257
Walker
35,
38
68
Richard
Austen
Empire
Byzantium
36,
6,
27,
29,
68,
35,
91
56,
194,
195
246
C Giovanni 12,
38
69,
80,
154,
162,
182,
222,
227,
246
California
186,
Callaghan,
217
James
37,
37
Cambridge,
University 198,
Cameroon
147
of
205,
90,
103,
141,
Sir
David
38,
70,
Henry
38,
157
129
38 Confederation
Canberra
Canton
Cape
39,
103,
39,
191,
242
159,
Cape
Colony
4,
Cape
Town
219,
The
Caracas
39,
219,
234,
248,
260
246
II 237 James
52,
3,
Casablanca Sea
Catalonia Catholic Caucasus Cavour, Ceausescu,
106,
97,
38,
39,
81,
185 41 19,41
Education(CSE)
12,
21,
41,
47,
91
260
Austen
42,
179
Chamberlain,
Joseph
42,
42,
Chamberlain,
Neville
11,
Chamorro,
Violeta
Champlain,
Samuel
Changchun
43,
42,
de
185
Barrios de
157
42,
68,
112
213
Hsueh-liang
Chang
Jiang
236
Chang
269
177 165
Charles
71
Charles
I 52,
Charles
II 71,
Charles
X
Charter,
of
164,
Chartist
71 218
6,
135
the
United
Nations
Movement
15,
42,
64,
228,
189
37
Chernenko,
Uschinovich
Chernobyl
43
Chiang
Ching-kuo
Chiang
Kai-shek/Jiang 159,
Constantin
146,
99
155 Jieshih
165,
178,
University
209, of
25,
243,
43,
256,
44,
269
170
212
Chinese
Communist
Chinese
Eastern
Chinese
Republic
Party
43,
Railway
44,
43,
43,
44,
58,
165,
256
247
44,
145,
164,
178,
Revolution
109,
23,
173,
40,
118 52,
109
217
di 41,
Republic
261 223
44,
44,
178,
212,
165
War
43,
En-lai/Zhou Democratic
96,
44,
Enlai
165,
21,
Union
of
44,
178 53,
Germany
182 (CDU)
194
Churchill,
Sir
Winston
88,
128,
147,
91,
church
City
Benso
43,
state
130,
15, 209,
205,
244 221
45
CIS 45
189
99
Nicolae
Soviet
Chino-Japanese
CIA
Emancipation
39,
242
222
2,
40
40
Camillo
273,
172
Christian
124
40,
40,
Secondary
Chamberlain,
Chou
213
40,
Fidel
185,
253
Conference
system
104,
Agency(CIA)36,
Organization(CENTO)
97,
Chinese
Jacques
Castro
102,
Earl
Carthago
Federation
of
Chinese
Carter,
220,
242
Sea
Caspian
Treaty
Chin
167
Carlos
219,
Chile 43
115
258
Caribbean
Cartier,
Central
Chicago,
George
192
Captal,
Intelligence
146,
39
15
Canning,
American
Central
Chenla
38
Canadian
Caste
59,
216
Campbell-Bannerman,
Canada
41,
256
Cambodia
189,
Federation
Central
Changsha
151,
246 Calcutta
Camp
African
Ceuta
35,
Byzantine
145
41
Ceylon
Burgos
182,
126
Certificate
bullionism
Cairo
Party
274
Bulganin,
Gaboto,
33,
Center
Central
167
Butler,
Celts
CENTO
223
Aires
Buffalo
34,
128
Civic
Forum
Civil
Rights
54 Acts
45,
140
28,
40,
42,
45,
68,
Civil
Rights
Civil
War
Movement 39,
46,
Clan-a-Gael
100,
215
145,
156,
Continental 167,
184
Cook,
76 Georges 200,
Eug〓ne
Clemens
XIV
Clinton,
Bill
46,
133 46
Richard
Cochin
11
China
227
Napoleon
Colbert,
46,
178
Jean-Baptiste War
140,
36,
162,
46,
67,
159
63,
70,
60,
166,
187,
188,
92,
194,
96,
104,
228,
128,
239,
252,
collective
ownership
distribution, Collective
of
and
means
exchange
security
Colombia
the
of
production,
117
47
47
Colombo
Plan 47
Colon
199
Colonial
Conferences
47
Columbia
University
70,
Columbus,
221
of Europe
Council
of Ministers
Council
Republic
48 48,
247
Comintern
48,
153,
Committee
49,
99,
Safety
of
Independent
223,
185,
198
87 States
(CIS)
224
Commonwealth Commonwealth
Prime
49
Ministers
Conference
47
in Paris 49
Communism
49,
operations 21,
Communist
Information
Communist
International
Communist
Manifesto
Communist
Party
31
States
of
Confederate Congo
25,
Congo
49,
Crisis
154,
107,
governments
Conservative
Party
19,
68,
98,
61,
202,
Constantine
I
Constantinople Constantinus Consulate
69,
228,
245,
46,
157,
51,
50,
Containment
Policy
Continental
Blockade
6,
31,
Cromwell,
Oliver
55,
crown
colony
Cruise
missiles
Cuba
52
Cuban
Crisis
108,
37, 112,
247
87
252, 179,
203
224
71,
126
188
52,
52,
60,
45,
Curzon,
George
Line
53,
Nathaniel
53,
151
Cyrenaica
189
Czech
190
140
53,
58,
101,
166
145
Curzon
53,
53
53
54
54,
143
21 127,
160
233 Edouard
Lama
Dalian
43,
Dallas
140
Dalmatia
42, 147,
45, 151,
50,
195
174
199
236
159
79,
242
126
D'Annunzio,
Dar es
55,
55,
55,
Danes
Dawes 253
201,
100
Struggle
Dawes, 86,
198,
152
40,
Gabriele
56,
56,
80
259
Dardanelles 151,
63,
52,
Cultural
Danzig
102,
99,
270
151,
Revolution
Damascus
36,
52,
Cultural
Dalai
(MNC)
33,
84,
80
2,
133,
30,
51,
271
Croatian
Daladier,
50
I 133 34,
156
160
101 79,
41
D
273
Conservative
59,
War
Croatia
Dail
Congo Free State 49, 273 Congolese National Movement
155,
51
Crimean
Dacca
America
174
51
49
49
167
78, 50,
48,
48,
75
29
Crimea
Czechs Bureau
48
158
Czechoslovakia
182
Assistance
51
d'〓tat of Brumaire
Cyprus
of Nations
Communes
106,
207
of Public
Commonwealth
102,
Economic
in Munich
Crystal Palace
61,
Cominform
51 Mutual
Crusade
Christopher
COMECON
125
Council
Creta
47
202
for
covert
86
183
Council
Crim farm
50,
178,
Rica
Coup
253
Collective
53,
50,
Costa
General
185
58 11,
Cossack
36,
171
Estate
107,
Laws
Corsica
8,
the
James
Corn
205
Cobden,
Code
Benjamin
204
Coalition
of
Copenhagen
Clemenceau, 157,
Congress
Convocation
233
Clapham
Cold
142,
2,
29,
56,
Salaam
244
Charles
57
Plan 57,
218,
Dead
Sea
57
Dead
Sea Scrolls 57
89,
223,
102,
270
139,
151,
232
Declaration
of
Independence
Declaration
of
Rights
of
the
Declaration De
Gaulle, 60,
80,
De
Klerk,
84,
Gaulle,
Del
86,
187,
man
87
Joseph
Valle
57,
222,
East
Indies
War
159
235
182,
Dutch War
253,
39,
263,
46,
81,
Republic
of
Germany
Democratic
Republic
of
the
Congo
Republic
of
Viet
Nam
119,
261
111,
260,
Xiaoping/Teng
Denmark
139,
186,
of
Korea 95,
144 96
49,
50,
22,
Hsaio-Ping
53,
60,
273 85,
58
58
Depression,
the
Derby,
Edward
59,
61
Derby,
Edward
Great
59
Geoffrey
East
Smith
Henry
60,
Deutscher
108,
Stanley,
14th
De
Valera,
Eamon
Dharamsala
55
Bien
Dili
67
15th
59
67,
72,
149,
Eastern
European
Eastern
Front
Eastern
Question
Eastern
Roman
Easter
Rebellion
East
Frankish
East
Germany
East
India
111
233
60,
119
Directory
34,
50,
Disarmament
60,
86,
87,
178
Disraeli,
60 Benjamin
Djibouti
59,
61,
Dnieper
Dodecanese
54
Moi
85,
91
Dominican Donau
2,
107
35
Treaty
of
Mutual
Dreikaiserbund
Assistance
62,
Affair
Dreyfus,
61,
30,
Alfred
EC
Commissions
EC
Court
46,
62,
78,
6,
10,
Monarchy
of
Austria-Hungary
of
66,
125,
Prussia
67
Duke
of
Edinburgh
Duke
of
Windsor
Duke
University John
29,
189
84,
251,
252 17,
63
69 186
109,
100,
Peace
141
107,
196
237
75
67
68
Robert of
Anthony,
Nantes
Earl
of
Avon
68
159
Act
36,
68,
91
71 VIII
68
Charles
Edward
Geoffrey
Edward,
James
132
59 132
69 69 33
69
Egyptian
civilization
Egyptian
Revolution
70,
Peace
69,
180,
182
227
127
Dwight David
Kurt 114,
3
Treaty
126,
Eisenhower, 186, 187 Elba
the 141
68
Edward,
Eisner, 63
66,
208
Justice
Egypt-Israel
128
244
Consequences of
Eire 70,
Foster
62,
118,
Journal
Egypt
Alliance
64,
75
of
Egbert
62
Dual
63,
274
26, 137,
Economic
EEC
204,
39,
234
Economic
EFTA
Dual
Dublin
61
246
233
103
Friedrich
Edward 243
Republic
21,
67,
Edward
261
Diplomacy
26,
67,
Education Round
126, 95
67
Edict
151
Development
55 66,
233,
School
Eden,
Alexander
262
69
63,
118,
Prussia
EDC
223
Dobcek,
Treaty
66
Pakistan
ECSC
98
234
Assistance
66,
Company
East
EC 167
Mutual 244
Kingdom
East
Ebert,
Battle of
144
Empire
117,
Eaton
Phu,
Sea 66
ECM
Duchy
Independence
Easter
East Timor
211
70
materialism
Dien
Stanley,
187
56,
Val〓ra
dialectic
Smith 143,
Orden
De
Dreyfus
120
184 China
111,
D〓tente
Dollar
of
64,
203
East
Democratic
Democratic
134,
266 Republic
Doha
64
E
241
36,
People's
Deng
of
Dutch 11,
63
223
Dutch
Willem
Party
92,
Treaty
Dusseldorf
57
Democratic
Dunes,
57,
Conference
198
Democratic
Draft
7,
d'Yeu
Democracy
Doi
Dunkirk,
Marie
30
221,
Oaks 64
207
C.
Frederik
Delagoa
of
Andr〓
General
Dumbarton Dunkirk
rights
Charles
De
8
72
174 179,
259,
263
38, 63, 70,
142,
Elbe
135
Eleven
plus
examination
68
Falkland
Islands,
Falkland
War Address
Elizabeth
I 207
Farewell
Elizabeth
II 70
fascism
Elsaβ-Lothringen
7,
71
Emancipation
of
Emancipation
Proclamation
Empress
the
of India
Ems
Dispatch
Enclosures
5,
Engels,
Serfs
71,
170,
33,
52,
63,
71,
132,
218
Erie
53, 72 Canal
184
Eritrea
72,
Eritrean
Liberation
73
Eritrean
People's
Ershad
22
Front
(ELF)
Liberation
72
Front
(EPLF)
72
194
Essen Estonia
ETA
150
Ethiopian
War
EU
73,
129
Euro
74
European
Atomic
Energy
(EURATOM)
74,
European
74,
Central
European 74,
and
75,
European
75,
Bank
Coal
74,
Community 230
(ECB)
Steel
161
Community
(ECSC)
79,
153,
Germany
25,
Federal
Republic
of
Yugoslavia
231,
Federation
of
Malaya
Federation
of
Malaysia
Federation
of
Rhodesia
Feisal
126,
Market
(ECM)
74,
75
V
74,
(EDC)
Community
75,
76,
European
Free
Trade
Area
European
Free
Trade
Association
European
Parliament
European
Security
European
Union
115, Europe,
150,
108,
206,
World 7
35,
53,
253
75,
76,
76,
206
War
80
79,
76
124
80,
216
184
Rudolph
39,
43,
Four
Power
Act
44,
146,
Pact
151,
6,
Francisco
22,
War 109,
Treaty Parliament
175,
82,
71,
179,
200,
62, of 166
203,
236
83
7, 29,
170,
Alliance
I 15
86
82 82,
Alliance
Franco-Russian
Franz
82,
204
Franco-Russian
Frankfurt
266
103
Alliance
95,
243 263
82
30,
James
Comt〓
94,
81,
200,
48,
Republic
Franco,
232,
10,
81 81,
International
Franche
143
165,
Treaty
Points
Charles
81,
206
81,
Pacific
Franco-Prussian
264
207
171
Power
Fourth
86,
178
47,
Assistance
89,
147,
79
64
Gerald
Franco-Polish
244
117,
112
Franco-Belgian
F Deal
59,
94,
25,
Four
Fox,
41,
7, 80
Florida
Fourth 108
223
Movement
Society
76
233
167
80,
56,
6,
Ford,
79,
50,
Plan
Fourteen
76
76
tariff
26,
230
(EFTA)
57,
34,
Formosa 2,
192
75,
of
evangelicalism
221,
Conference (EU)
161,
Council
Evangelical
86,
75
(EEC)
216,
79
FIS
Community
163,
Nyasaland
Andreas
Republic
First
Economic
120, and
233
Reich
Defence
271
216
Ludwig Fail
First
European
111
212
International
Eurupean
96
I 84
Flandre
161
95,
236
Yu-hsiang
Consul
Foreign
(ECU)
168,
I 79
First
Unit
166,
151
First
Currency
Fair
31,
Netherland
European
Fabian
(露)
Five-Year
Common
135,
224
of
FLN
export
Revolution
of
European Community (EC) 26, 51, 59, 74, 74, 75, 76, 79, 102, 108, 126, 206, 207, 215, 221, 230
57,
86,
Fiume/Rijeka
230
221
78,
Republic
Fifth
80
175,
19,
Finland
EURATOM
149,
Republic
Fianna
73
175,
143
(仏)
Feuerbach, 73
129,
78,
129,
268
Revolution
Ferdinand
22
Ethiopia
77,
109,
261,
Federal
Feng
72,
100,
258,
Federal
Felipe
223
77,
186,
Feisal
Ertogrul
77
220
February
72
the 245
82,
236,
Incident
179,
120
77,
228,
Party
Fashoda
167
Movement
EOKA
Fascist
of
122, 128
30,
221,
February
Revolution
Enosis
224 46
83
Friedrich
English
6,
259
71,
18,
182,
Battle 77,
Mutual
83, 211,
85,
86,
231,
87, 246
83 Assistance
83
Franz
II 84
Franz
Ferdinand
84,
84,
Franz
Josef
84,
246
Free
French
57,
Free
Officers
69,
Free
Trade
202,
Geneva
I 84,
Empire
French
Indo-China
French
Republic 206,
French
76,
50,
85,
6,
207,
169,
French
85,
98,
89,
178,
119,
30,
50,
25,
178,
Friedman,
from
91,
115,
194,
149, 57,
179,
231
260
78,
85,
86,
87,
231 60,
183,
Union
86,
205,
86,
220,
93,
106,
259
170
III 87 the
cradle
Fronde
to
the
grave
148,
180
159
Front
de
Geneva
Conference
Geneva
Disarmament
Genoa
189
gentry
52
Geopolitics
FUCINPEC
Nationale
George
III 93,
George
V
George
VI
George
Washington
7
East
Speech
Funam
37
G 155
Gaitskell,
236
Hugh
Todd
Galicia
82
Gallipoli
Campaign
Gambetta,
L〓on
Gandhi,
89
Karamchand
89,
117,
118,
Rajiv Sanjey
Gandhi,
Shrimati
Ganges
90,
90,
Indira
90,
90
Garda
Four
Workers'
and
German
Workers'
Party
Germany
95
Germany,
East
Germany,
West
Gestapo
96
3,
Ghaza
124,
84,
94,
88,
94,
Pact
94
95,
Africa
94,
95,
135,
137,
156,
95
29 Soldiers'
Council
110,
174
181
96 2,
96
97 129
111 97,
172
Islands
97
133
Girondins
87
Gladstone,
William
Ewart
60,
61,
98,
99,
112,
154 Glasnost Glorious
56
91,
on
Tariffs
and
Trade
(GATT)
General
Certificate
of
Education
(GCE)
General
Certificate
of
Secondary
Education
91
91
General
Headquarters
General
Secretary
General
Strike
92,
161
General
Theory
of
Employment,
141
Goering,
8,
Coast
97,
Gold
Rush
15
gold
standard
and
99, Gordon,
63,
71,
98,
132,
218
96
98
167
Wladyslaw
Hope
Gorbachev, Interest,
33,
Hermann
Gold
Good
99
138
129
Gomulka,
109
99,
208
Golan
211
98,
Revolution
Goa
Agreement
Money
83,
156
Ghana
91
(GCSE)
260
223
German
91
85,
93,
264
unification
GCSE
General
237, 130,
GATT Gda〓sk
94,
German
56
17,
266
South-West
gild
53
29,
211,
German
Gilbert
26 of
211,
Gibraltar
118
90
237
Non-aggression
Gia-dinh
Gandhi,
209
93
Revolution
Gettysburg
222
Gandhi,
Gang
89
89
Mohandas
182,
Naylor
93,
205
16,
26,
205,
Germans
58
92
95
Fulton
178
92,
Party
Empire
174,
68,
204,
Africa
199,
German
Yuri
235,
207
German
110
Gagarin,
119,
142
Confederation
Fuhrer
Gaddafi
111,
70
Germania
128
103,
Communist
German-Polish
Fyn
93,
68
German
109,
38
37,
German
88
Fuzhou
92,
204
39,
F〓hrer
88,
241 86,
153
II 93,
German
Lib〓ration
158,
Conference
George
Georgia
149
Milton
Friedrich
85,
85,
Revolution
115,
182
59,
123,
Agreements
260
211
French
89,
180,
91,
Geneva
229
84
46,
205,
137,
98
66 Mikhail
138,
153,
Charles
Sergeyevich 203,
60,
George
224 99,
143
96,
98,
G〓rlitz
Trealy
Goths
190
172
Government
India
of
the
Government
of
people
people,
100,
by
the
223
Gran
Colombia
Grand
Duchy
people,
for
the
Ulysses
258
Simpson
100
19,
42,
161,
Great
Exhibition
Great
Leap
Great
Proletarian
Greet
Purges
26,
Great
Socialist
People's
Great
95,
194,
100, 222,
245,
258,
100 166
Cultural
53,
101
238 Libyan
Arab
Jamahiriya,
Society
War
101,
139,
War
of
greenhouse
Independence
2,
gas(GHG)
Grenville,
George
103,
Grenville,
William
Wyndham
Grey,
Charles
59,
Gross
National
Product
group Guam
leadership 103 39,
Guatemala
104 22,
guerrilla
104
of
107,
202,
133,
Hegel,
Cooperation
Gulf
War
Samrin
Henry
VIII
Henry
the
115,
229
125,
126,
146,
155,
243,
256,
44,
105,
145,
159,
165,
269
178,
16,
Haile
25, 106,
Selassie
30,
54,
123,
I 73,
112,
203
109,
Dag
107,
144 13,
61,
93
Hanseatic
League
2,
9,
27,
88,
93,
94,
109,
218,
221,
225,
258,
264,
271
Pact
Hoare,
Samuel
Ho
Chi
Minh
Ho
Chi
Minh
110, 174,
181,
112,
203
110 110
22,
85,
City 106,
Holocaust
111,
111,
111,
119,
260
227
111
112
Roman
Empire
Rule
Bill
126, Sir
16,
14,
127,
Alec
Honecker,
84,
42,
148,
Erich
94,
60,
61,
151,
155
Douglas
95, 66,
98,
103,
150,
218,
112
96
broker
29
Kong
113, 107,
178
Herbert
202 Clank
113,
113,
270 Moratorium
Howard, 56
106
73
201,
Hoover,
244
270
168,
Hoover
260 33,
109,
163,
222,
Hanover
Harare 274
257
110,
158,
Hong
106
109,
110
Honolulu
Hammarskj〓ld,
Hanoi
232
88,
134
156,
honest
Haiti 106 Han
114,
von
152,
Home,
The
97
Paul
Adolf
112,
Hague,
153
150,
H Habsburg
208
113,
Holy
52
207
Emperor
Home
Habana
229
108
Heirich
Holland 43,
167
73
Hoare-Laval
162 Guomindang 242,
8,
Hispaniola
Council(GCC)
116,
Navigator
Rudolf
Hinduism
104
120
37
Hiroshima
105,
Friedrich
Agreement
Heng
Historiai
36,
113,
79
171
98
108,
116 Nejd
Hirohito,
Che
241 George
164
108,
Hitler,
134
40
Wilhelm
and
Hindenburg,
178
222
197
Georg
198
159
Gulf
167,
Richard
Himmler,
163
221,
153
University
Hess, 103
104
97,
Guizhou
103
103,
Ernesto
Guinea
102
Jordan
Hawaii
Herodotos
102
Guernica
102,
146
Grenada
Guangzhou
of
Havana,
Helsinki
150
187,
107
Karl
Helsinki
102
142,
236
Hejaz
134
Greco-Turkish
Guevara,
Kingdom Warren
Hejaz
147
134
Heilongjiang
155
Greek
222
Hebrews
Revolution
101,
262
139,
Heath,Edward 101,
117,
Benjamin
Havana
110,
107,
Gamaliel
University
Haushofer,
91,
184,
Forward
Greece
Harrison,
Hastings,
223
270
The
Keir
Warren
Hashemite
Moscow
150,
236
Hashemite
47, of
147,
James
Harding,
68
Depression
113,
43,
Hardie,
Harvard
school
Great
59,
156
Grammar
Grant,
Act
Harbin
113,
Hua
John
Huang
Kuo-feng
114,
Hai
53
144
210
113,
150,
218,
270
Hudson
184
Indo-China War
Huguenot
159
Human
Immunodeficiency
Humphrey,
Virus
Hubert
Hunan
165
Hundred
Days
Hundred
Flowers
(HIV)
2
Indonesia
186
179,
201,
Campaign
National
Hungaeian
Revolution
Hungarian
Socialist
264 114
Rising
115,
114 Workers'
108,
Party
137
Hussein,
Industrial
Revolution
119,
163,
36,
120, 4,
120
5,
33,
71,
76,
120,
Nationalization
Industry,
Privatization
of of
15,
121,
147,
266
121
121
Treaty
of
122,
188,
Treaty
217
of Reciprocal
Assistance
122 105,
115,
126
Intermediate-Range
30
Park
111,
211
Act
Industry,
Inter-American
115
Saddam Wars
Hyde
162
William
196,
Relations
Inflation
Ali
Huskisson,
Hussite
Civilization
INF, ibn
92,
169
79
Husayn,
86,
211
Industrial
137
114
Huns
70,
119
Indus Indus
114,
Hungarian
Hungary
60,
260
Ballistic
Intermediate-range
100
Missile
Nuclear
International
Atomic
(IRBM)
Force(INF)
Energy
207 122
Agency
(IAEA)
122
I
International
IAEA
116
Iberia
97,
Ibn
Rashid
Ibn
Saud
202
116,
229
116 Conflict
with 133
Ignatius
de
Loyola
IIiescu,
Ion
223
156,
ILO
116
ILP
116
IMF
China
142
47,
61,
International
Court
International
Labour
48,
the
122
Elimination
Discrimination of
Justice
of
215
106,
Organization
Military
Tribunal
Monetary
for
Fund
123,
203
(ILO)
123
the
East
Far
(IMF)
32, 123,
117,
265
155,
181,
182,
275,
237,
124,
113
(ILP)
92,
107,
117,
Independent
Social
(USPD)
174,
Democratic
Party
of
Germany
237
Indiana
IRA
124
Iran
124 Pilgrims
Iranian
Revolution
Iraq 118 195
3,
Act
100
Indian
Empire
26,
35,
Indian
Mutiny
67,
117,
Indian
National
Congress
Irish 117,
119
118, 90,
198
117,
118,
134,
222 Ocean
3, War
196
117,
173 22,
118,
118,
138,
141,
119
State
254,
190 126
127 70,
112,
126,
127,
127,
128,
265
Irish
Home
Irish
Land
Irish
Nationalist
Irish
Parliament
Irish
Republican
Irkutsk
125, 125,
125
Northern
254,
21,
125,
126
Free
233,
173,
19, 115,
105,
Ireland,
Councils
229
War
Ireland
Indian
19,
145
Iranian
Iran-Iraq
117 Act
151 Association
124
Iowa
Party
Commission
167
43
161
Indo-China
Workingmen's
Adolf
Labour
Lucia-Pakistan
International
Ioffe,
144
Independent 147,
Straits
Intifada
Inchon
124
International
244
Empire
182,
on
Racial
Internationals
tariff
India
Socialists
247
268
India
267
254
imperialism
Inca
and
122,
,152
217
Conference
267,
of
International
144
import
of
Convention
Forms
International
Imperial
Indian
52,
116
Imna
32,
Congress
International All
Ideological
Reconstruction
,153
108,
Illinois
for (IBRD)
International
116
Ibo 28 IBRD
Bank
Development
Rule Acts
255 143
127 112 Party
66
127,
233
Army
(IRA)
127,
127,
233,
48,
Iron
Curtain
Isabel
45,
88,
Kabul
Islamabad
196
Islamic
138
Kalahari
109 171,
105, 10,
Istria
128,
124,
Istanbul
252
56,
169
Kapp
227,
Italian-French
251
Socialist
Italian
Social
Italian
Unification,
130
Party(PSI)
175
Republic
175
War
Italo-Abyssinian
of
War
73,
129 106,
110,
129,
139,
239
Italy
War
21,
130,
155,
158
130
Revolution
Ivan
131
Karl
I 137
Karl
V
Karl
VI
Karl
Ludwig
17 84
Dispute
117,
Massacre
118,
Pact
Kellogg,
Billings
Kemal,
Ivan
IV
Kemal
Iwo
Jima
Frank Ataturk
33,
196
139,
56,
Pash
138 138
139,
Mustafa
Kennedy,
138,
138
Kellogg-Briand
Kemal
131
196
204
Kashmir
III 223 224
137
134,
Katyn
Italo-Turkish
137
Wolfgang
Karachi
Entente
Italian
254
Putsch
Kapp,
irredenta
175,
I 107
Kampala
139,
157
67
Kamehameha
128
159
Italia
137
Desert
Kaliningrad
Isolationism Israel
3
K〓d〓r,J〓nos
fundamentalism
Islamism
IT
K
128
204
150,
101,
151,
139,
232
52,
134,
195
139
John
Fitzgerald
139,
142,
186
J
Kennedy,
Jacobins Jacobite
Risings
132
Jagiellonowie 120
James
II 72,
Jaures,
132
Jean
Java
64,
Leon 67,
Jefferson,
196
John
Jena-Auerstedt,
132
Battle 128,
Iesuits
African
National
Kenyatta,
Jomo
Kerensky,
Alexander
of
132,
132,
134,
179
197
133,
Jiang
Jieshih
133,
197,
215,
274
43,
44,
134,
25,
209,
243,
Jiangsu
177
Jiangxi
159,
256,
146,
159,
269
165,
Soviet
Jinnah,
Khan,
Mohammed
Ali
Johannesburg Johnson, Jordan
Lyndon 129,
Empire Republic
Khmer
Rouge
Baines
134,
140,
143
197
Monarchy
July
Revolution 109,
Justinianus
86,
25, 135,
78,
135, 135,
135 135,
137
58
Jutland,
Battle
135,
213
226,
8,
238,
32,
254
239
Kikuyu
Central of
Prussia
of
the
King,
163,
140 Association
Farouk
Netherlands 180,
111
182
Luther
College
Kitchener,
140
67
69,
Martin
Kirov
132,
145,
174
43,
Kissinger, of
142,
94,
King's
I 55
Jutland
218
Sergeyevich
Kingdom
King
125
Nikita
139,
Kingdom 78,
37
37
Ayatollah
Kikuyu
135
July
37
37
Kiev
134,
141
182
Khmer
Kiel
165
Jugoslavia
Junkers
134
166
125
Ayub
99,
Khmer
70,
Jacques
171
196
Khrushchev,
Muhammad
Joffre,
141
141,
Ayatollah Ishaq
164
140 140
140 Fyodorovich
Maynard
Khan,
Khomeini,
45
(KADU) (KANU)
8
Khmers 165
Union Union
140,
John
Khartoum
Jews
Jiangxi
Democratic
Kenya
Khamenei,
133
178,
African
KGB
171
Rushworth
Jerusalem
140
Kenya
Keynes,
Thomas
Jellicoe,
Jilin
30
139
156
Kenya
206
Jakarta
Josef
Kentucky
87
142
141
101 Henry Horatio
Alfred Herhert
60,
142, 78,
187 143
38,
52,
KKK
141
Lawrence
Klan
145
Lawrence,
Kodok
78
Kohl,
Helmut
194
Kolchak,
Alexander
Kolkhoz
(Kulals)
Korea
144
Korean
War
Vasilievich 47,
of
of
Arab
League
of
Nations
271
Kosygin,
Alexei
Kowloon
144,
144,
161,
163,
167,
176,
Nikolayevich
33,
144
128,
129,
151,
177,
200,
203,
209,
221,
Lebanon
152,
Kuklos
145
Ku
Klan
Teng-hui
(KKK)
145,
29,
178,
145,
215
205
Kurdistan
242,
243, 146
256,
44,
145,
159,
144,
146
governments Party
II 49 III 154 Ferdinand
L'〓tat,
c'est
147,
14,
15,
121,
147,
161,
27,
33,
180
155,
37, 157,
45,
50,
161,
193,
89, 264,
Representation
Laissez-faire
Committee
Nyasa
Lake
Tanganyika
Bandao
202
Lancaster
House
Lansdowne,
Conference
5th
Xang
148,
Marquess
of
220
155
Libyan
War
Lin
Tse-chu
149
America
149,
73,
Lausanne
212
149,
171
Conference
Lausanne,
Treaty
150, of
56,
232
Law, Law
150, 139,
218, 150,
271 150,
Pierre and
Order
Andrew of
Return
186 Bonar 133
151
146,
155
98,
112,
148
156
46,
156
166
47
Friedrich
210
150
Entente
82,
Shao-chi
53,
Liverpool
115
Liverpool,
Robert
156 165
Banks
David
Lloyd
George,
loan
57
Jenkinson
4,
Treaties
Lolland
58
of
202
157
David
Locarno,
London
110
59, 265
260
73,
Lombardia
Laval, Law
102,
50, 193,
208
Livingstone,
220
240
191
George
Little
Treaty
53,
154,
148
216
199,
155
Walter
Laos
Latvia
Front
Piao
Lithuania
the
130,
Abraham
57
Emperor,
220
45,
161,
42,
Karl
Lin
Liu
166,
Teng-hui
Viet
Laon
31
232
42,
157,
Denghui/Lee
List,
38,
154,
Unionists
Lisbon
149
225,
154,
14,
148,
Lipmann,
148
154,
154
186,
1, 78,
Party
Lincoln, 157
de
164
Libya
Lien
157
Lancashire
of
153,
252
164
Liebknecht,
147
169
Lake
Battle
Liberal
Li
48,
Marie 159
Gulf,
31, 238,
moi
liberalism
266
Latin
168,
173
226,
Leopold
Liaoning
Labour
117,
225,
Liaodong
Labour
Lateran
153,
152
llyich
224,
147,
Riot
258,
155
111,
Leopold
L
last
175,
256,
153
48,
Liberal
Paz
146,
Liaodong
115
Protocol
Lan
253,
233
Vladimir
Leyte
269
146 105,
Labour
240,
95,
259
Lesseps, 43,
126,
115,
107,
93, 164,
156
184,
Kuomintang/Guomindang
Kyoto
Lee
163
Kulturkampf
Kuwait
83, 160,
197
Yew
Lenin,
Lumpur
165,
Kuan
Leningrad
40
Kurd
Lee
Leninism
Kshatriya
Klux
81,
157,
(Living-space)
Leipzig
51
73
Kuala
79,
123,
legitimism
113 Khan
Krone
61,
42,
151
110,
143
144
Krim
151
12,
259 70,
Kosovo
LA
States
Lebensraum
Ko-ryo
151 Edward
League
143
261
La
Arabia
Thomas
14,
33,
127,
42,
151,
84,
157,
94,
220
33
London
Conference
158,
London
Dock
92,
London
Naval
Strike
Conference
158 117 158,
162
157,
200
218
London,
Treaty
London,
University
of
Long
Beach
213
Long
March
45, 58,
Lon
Nol
21,
25,
82,
158
Manchukuo
of
60,
89,
140
Manchuria
164,
Manchurian
Incident
159,
165
Mandates
Louis
Mountbatten
Lord
Protector
Louis
XIV
132,
Louis
XVI
87
Louis
XVIII
159,
236
Luang
Prabang
Ludendorff,
Mao
78, 135
160
March
Revolulion Polo
43
Mariana
Marmara
Treaty
59,
75,
76,
126,
130,
Douglas
MaCarthyism
70,
154,
MacDonald, Macedonia
Ramsay
21,
MacMahon
102,
42,
158,
20,
Patrice
MacMahon,
Sir
Macmillan,
de
162,
Henry
Madison,
James
Madras
90
113,
162
82,
154,
236
Conference
Ferdinand
Maginot,
Andre
Maginot
Line
Magyars
17,
Mahatma
89
Maine
236
Malay
119,
Malaya
103, 162
Karl
114,
232 223
Mary
72
163
Malenkov,
Georgi
of
163
Maksimilianovich
4
34,
163
Robert
164
79,
Media
124
115,
199
Raymond
167
167 167,
108,
116,
222
229
108
Mediterranean
Agreement
Mediterranean
Sea
97,
102,
Mein
Kampf
Mein
Kampf
Melilla
Memphis
Menem,
166
140
William
Mecca
Menchu,
124,
159
Joseph
185
49,
104
Jules
tariff
77
11,
19,
173
McKinley
Managua
252
142
165
Campaigns
McCarthy,
Malvinas
Manchester
122,
Civilization
melting Thomas
Day
139
Mau
56,
Federation
Jr.'s
192 192,
38
Medina
163
166,
Heinrich
McKinley,
162,
Malaysia
Malthus,
114,
Marx,
196
Malaya,
King
166,
48,
168
Mazarin,
204
167
170
Catlett 48,
Luther
Maya 162
66
Magellan,
Martin
Mau
166,
207
Massachusetts
171
109,
166,
George
Maryland
180
137,
44
of
Mauritania
Peace
Magellan
108,
Harold
165
271
Plan
Marxism
89
Arthur
Maurice
Madrid
129,
78,
201,
Martov 108,
242
MacMahon,
Madrid
264
271
Declaration 197,
161,
159,
28
Marshall,
147,
114,
152
Marshall
James
162,
161
167
235
17
Battle
Marshall
MacArthur,
165,
29
Marseilles
161
208
177,
175
Bridge
Maronite
Macao
Mali
Rome
Socialism
Marne,
Maastricht
164,
11,
58,101,
Theresia
Market
M
152,
103
Maria
160
134,
78 on
L〓shun
Victor
53,
March
Marco
Lytton.
133,
173
273
164
95,
Rolihlahla
Tse-tung
Lusaka
160,
164,
43
Marchand
174
Luxemburg 26 Lytton Commission
164,
185
Maputo
149
Patrice
267 160,
204
Maoris
Erich
236, 139,
184
Manila
8, 171
Philippe
94,
Nelson
Manzhouli
Louis
225, 44,
253
Mandela,
218
Louisiana
242,
Manhattan
XIII 159
164,
38,
197,
128
52
Louis
212
212
37
Lord
Lumumba,
164,
Mensheviks
128, 110, (My
152, 152,
Struggle)
172 pot
215 142
Rigoberta Carlos
104 13
168
167
2, 3,
9,
14,
155, 174,
29,
172, 181 168
40,
50,
197,
240
53,
mercantilism
8,
Mesopotamia
79,
Mesopotamian
85,
159,
125
Multilateral Munich
76 War
Empirc
Michigan,
Middle
28,
of
East
97,
81
103
Treaty
Putsch
Munich
Revolution
muslim
Organization
Wars 180,
12,
182,
Midhat
Constitution
Midhat
Pasha
Midway
(METO)
Milano
175,
Miners
107
Ming
126,
197, 1,
1,
Island,
69,
190,
19,
129,
234,
133,
134,
240
170
169
Battle
of
talks
Conference
138,
85,
173,
196
91
11,
42,
55,
113,
174,
225,
170,
196
204
110,
168,
174
174
134
Mussolini,
Benito
174,
169,
trade
Munich
169
Middle-East
118,
69
240
104
University
Micronesia
156
117,
Ali
110
Munich
Mexican-American Mcxican
Empire
Muhammad
9, 264
Methodists
175,
77,
80,
81,
129,
130,
149,
221
Mutsuhito,
Emperor
175
Mutual
Aid
Mutual
Defence
Treaty
(USA-Formosa)
Mutual
Defence
Treaty
(USA-South
Mutual
Security
Act
Mutual
Security
My
Agreement
(Spain-USA)
(MSA)
Pact
Struggle
175 176 Korea)
176
206
(USA-Japan)
176
176
25
Ming
dynasty
Mir
239
178
8
Missouri MNR
■ N Nagasaki
Mississippi 88,
Seko
Mohammed
50,
Pahlavi
Helmuth
Johannes
Moltke,
Helmuth
Karl
von
170
170
170
monoculture
255
Monroe
Doctrine
Monroe,
James
128,
128,
171,
171,
171,
Cassino,
Battle 20,
Montgomery
27,
of 52,
100,
171
172
Bus
Montreal
271
Boycott
142
Convention
Moravian
Brethren
56
172
Morrison,
Herbert
Moscow
98,
6,
130,
172,
Stanley
Olympics
Moscow
State
Moses
197
89,
172
121
247,
Napoleon
III 51,
Napoleon
III/Charles
46,
132,
177,
264
71,
78,
191
178,
50,
191
51,
179,
263,
60,
183,
83,
86, 202,
178
85,
Louis
85,
201,
Bonaparte
Napoleonic
Empire
Napoleonic
Wars
16,
201,
208,
179,
179,
173,
86,
89,
Napoleon
231
Bonaparte
69
Muhamnmad
Husni 148
179
25,
64,
79,
259,
85,
93,
130,
260
204 Giorgio
Napopleonic
Wars 6,
19,
130 93 153,
Samling Gamal
240,
256
Natal
235
179
213 Abdel
69,
87,
180,
National
Assembly
National
Convention
139,
National
Democratic
Front
National
Democratic
Party
182,
197,
227,
264
87
Nationaldemokratische
99
208
Simpson
85,
Napolitano,
(NPD)
Robert
259,
146, 178,
185 of
Germany
(NPD)
215
173
University
Mozambique Wallis
4,
223
Moscow
39,
I/Napoleon
Nasser,
264
223 Crisis
Morocco
34, 114,
Napoleon
Nasjonal
Montreux
Moroccan
218,
113,
15,
112,
Narodniki
213
Mordavia
106,
Napoli
231,
142
Montgomery
222
171
Reforms
Montenegro
I
87,
44,
of
179 39,
Montagu-Chelmsford
Mubarak,
Ludwig
Bernhard
225
25,
Treaty
Napoleon 170,
140
Monetarism
Mrs.
125
Mikhailovich
Moltke,
Mombasa
177
Nanking,
Reza
Monte
140
Nanjing/Nanking
160
68
Vyacheslav
177
137
Namibia
school
Molotov,
Imre
Nairobi
128
Sese
Modern
110,
Nagy,
173
Mobutu,
Mugabe,
Mughal
Civilization
Methodist
41,
168
133
69
Partei
Deutschlands
215
National
Economic
National
Government
Development
National
Government
National
Health
of Service
Council
43,
146,
178
Cambodia Act
28,
37 180
180
National
Industrial
National
League
Recovery for
nationalism
78,
181,
Nationalization
of
183 35
Liberation
Front
National
Opposition
Union
National
Socialism
National
Socialist
National
Socialist
181
260 (UNO)
185
Workers'
Party
Deutsche
10,
Arbeiterpartei
73,
78,
110,
112,
168,
174,
175,
181,
240,
259,
264
Nazi-Soviet Nederland
129,
88,
133,
181,
94,
142,
213,
95,
150,
215,
218,
96, 152,
Pandit
69,
180,
182
21,
45,
Jawaharlal
90,
117,
118,
182 Nei
Monggol
Nejd
Autonomous
Region
Nelson,
Horatio
183,
Neo-classical
Economics
Neo-nazism
215
NEP
247
Benjamin
Netherlands Neuilly,
26, Treaty
Amsterdam
New
Deal
New
Delhi
New
Economic
New
Foundland
New
France
New
Frontier
New
Guinea
New
Hampshire
New
Harmony Win
New
183
of
New
4,
100,
258
183,
222,
245
(NEP)
153,
184
265
139
208
General
55,
104,
107,
90 193
North
Atlantic
Treaty
47,
57,
59,
64,
238,
187,
190,
244
198
Treaty
187 Organization
73,
262,
75,
79,
(NATO)
96,
150,
2,
175,
187,
265
Northern
Expedition
Northern
Ireland
Northern
Rhodesia
Northern
Star
25, 128,
43,
146,
256
187
187 189
North
German
Confederation
North
Island
185
North
Sea
North
Wales
9,
64,
106,
17,
29,
93,
95
111
151 Revolution
188
188
Nuclear
missiles
Nuclear
Non-Proliferation
Nuclear
weapons
188 Treaty 188,
41,
219,
Julius
107,
OAS
189
OAU
(NPT)
188
188
220,
273
Kambarage
13
4,
189 Daniel
O'Connor,
Feargus
Edward
O'Connor,
General
Sir
October
Revolution
190,
224,
October 195
New
Nationalism
New
York
137,
Economies
(NIES)
222 143,
213,
185 I 6
221,
222
260,
261
War
189 168,
190,
209
190 208
Crisis
108,
Okinawa
Ontario
153,
169,190
138
Omsk
189
Richard
252
Odrodzenie
Ohio
189
141,
Line
Oil 185,
126,
Oder-Neisse
OEEC 184,
185
Diem
184
202
O'Connell,
195
35
Nicaragua
186,
■ O
265
Zealand
143,
266
70,
Atlantic
Nyerere,
213
Dinh
42,
countries
North
Oahu
Industrializing
Nicholas
200,
141,
Policy
Ngo
33
Nyasaland
183,
117
New
139,
184
Lanark
Newly
Landings
NPT
129
33, 262,
producing
Normans
November 171
183
Netanyahu,
Ne
164
116
11,
222,
Normandy
221,
204
Mohammed
Nehru,
83,
182
25,
Neguib,
81,
215
Pact
81,
33
228,
181,
60,
movement oil
Norriega,
181
109,
77,
143,
Norman
104,
Nazism
Prize
142,
non-cooperation
213
42,
263
Milhous
Peace
non-OPEC
181,
9,
Richard
123,
181
Party
186
186,
178
Nobel
181
102
Nazis
William
Treaty
263
181
Nazi
225
157
Power
Nixon,
German
Unity
217,
Chester
Ningbo
181
186,
186 73,
Nine
181
Nationalsozialistische
Navarino
53
Nile
240
110,
NATO
II
Nicosia
Nimitz,
National
National
Nicholas
NIES
241
Liberals
(NSDAP)
(NIRA) (NLD)
Industry
National
(NSDAP)
Act
Democracy
191 143 39
123,
125,
190,
193
170,
187,
OPEC
Pan
191
open
door
policy
Opium
Wars
Orange
Free
113,
178,
State
30,
Organization
for
191, 192,
for
Cooperation
European
Unity
of
African
Organization
of
American
Organization
of Arab
Countries
(OAPEC)
(OPEC)
190,
(OAU)
Paris
Peace
States
(OAS)
193
190,
183,
Treaties
193
199,
46,
64,
198,
51,
cabinet 175,
Battle
Patten,
Christpher
Paulus
III
of
Peace
of
Frankfurt
83
Peace
of
Lausanne
130
Peace
of
Westphalia
193
Osman
I
194
Ostpolitik
60,
194
Ostpreussen I
Ottawa
38 162,
56,
150,
66,
1, 2,
69,
152,
155,
Turks
Owen,
10,
20,
21,
31,
101,
102,
108,
114,
158,
169,
194,
195,
35,
Sir
112,
133, 226,
25,
of
151,
Pacific
Ocean
Pacific
War
59,
202,
68,
204,
185, 109,
25,
37,
89,
90,
98,
Democratic
People's
Front
people's
livelihood
People's
Party
People's
Republic
103,
165,
219
204 149,
154,
161,
186,
196,
202,
of
197,
124,
128,
Organization
133,
197,
(PLO)
197,
12,
197 Henry
John
Temple
98,
Conference 198,
Panama
Canal
Panama
Scandal American Chen
Yemen
2,
198
69,
198 154,
198,
159, Conference
Lama
199
199,
222
193
197
Republic
of
China
25,
50,
Republic
of
Congo
People's
Republic
of
Kampuchea
People's
Republic
of
Southern
Peres,
270
241
of
People's
Shimon
44,
45,
58,
146,
98,
99,
Court 152,
203,
of
224
state
Domingo
Persia
124,
Persian
Gulf
P〓tain,
Henri
Justice
16,
25,
82
13
125 229 Philippe
Petrograd
153,
84,
170 144 184
Philip
II
Philip
Mountbatten
Phoenicia
2
203
Juan
Phnom
37 Yemen
International
neutral
Peron,
273
129
203,
Philippines
199
Palestine
240
Philadelphia
160
202
101
Phan-mun-jom
3
Pan
202,
90
permanently 20,
Liberation
Pan
192,
243
123,
19,
233
People's
274
Panama
165,
179,
Communes
Permanent
12,
Pan-African
146,
44,
104,
Charter
196
Palestine
Pamir
202
Party
People's
125
Palmerston,
154,
232
War
People's
144
Pakistan
129,
159 222
98,
43,
Liedao
Perestroika
242,
59,
232,
247 Paekche
Palestine
271
202
134,
P
Pahlavi
111, 202,
Robert
Action
195
University
108,
201,
202
196,
People's
76
Oxford,
33
201
51,
195
Robert
Oxford
Peel,
Penghu
194
271 Ottoman
Harbor
Peninsular
Empire
53,
223
212
I 112
Ottoman
Pearl
Peking
194
Conference
Otto
Ante
Peiping
67
Othman
Ottawa
193
213,
133
Adrianople
V.
141,
113
of
Walter
201,
system
Peace
Judgement
83,
271
143
Osborne,
81,
14
Orkney
Osborne
79,
8,
Act
Pavelic
193
267
268
194
Decision
267
200
259,
Orkhan
Osborne
200,
167,
200,
of
Passchendaele, Countries
200,
75
Treaty
partisan
193 Exporting
199,
Settlement
162,
parliamentary
Exporting
66, 124,
Parliament
192
66, 199
20,
Commune
Paris
Petroleum
Petroleum
Slavism
Paris
Paris,
192
20,
Emmeline
151,
Economic
(OEEC)
of
and
192
Organization
Organization
234
Cooperation
(OECD)
Organization
Pan
198
38,
Economic
Development
Germanism
Pankhurst,
167
204 70
196,
Penh
204
37 3,
97,
152,
172
203,
258,
259
106,
Picquart,
Marie
Pitt,
William-the
Pitt,
William-the
Pius
IX
145,
Pius
XI
149
Georges
Younger
209, 93,
205
103,
205
33
Plassey,
Battle
of
Ren〓
PLO
103,
205
Plantagenet
Pleven,
204
Elder
67
Jean
75
205 Raymond
Four
Nicolas
Program
Poland
Polaris
Pot
Puyi,
Henry
Pyotr
I 73,
207,
Jean
Raymond
57,
207
264
205
Popular
27,
30,
48,
55,
82,
111,
207,
236 problems
Port-au-Prince
Portuguese
National
208,
Union
267
Declaration
190,
109,
208,
110,
209
209,
209
54
Rajendra
117
170 Empire
Premier
Republic
Preparatory
50,
85,
50,
86,
86,
Disarmament
President
of
Pretoria
234
Preussen
the
178,
87,
209
209
33,
209
99
39,
213 213
Elizabeth
Queen
Mary
6
Prince
of
Wales
68
of
164 210
Industry
Progressive
Party
Prohibition
Law
Prohibition
Party
121,
210
222 210
49,
210
Quisling,
Vidkun
178,
191,
212,
172
Racial
problems
in
Germany
Racial
problems
in
USA
215
Radical
Socialist
Raffles,
Stamford Mujibur Tungku
46,
59,
85,
91,
151,
216,
Matyas Treaty
137 of
tariff
244
Proudhon,
Pierre
Joseph
Provisonal
Republican 7, 135, 266
16,
17,
145,
26, 166,
44 29, 167,
56,
58,
204,
83, 206,
186,
217
217 Ronald
Wilson 97,
Red
Army
Red
Guards
red
menace
Red
Power
Red
Sea
36,
217,
144,
159,
165,
226,
252
167 216 234,
240
tariff
Bill
244
202
Terror
87
museum
152
of
War,
problem
Repeal
Association
Report
on
Treaty 113,
the
217
217,
for
223,
258
Social
and
Allied
189 Insurance
28 Representation
239
53
2, 72,
of
39,
208
143,
Reparation
Government
Prussia/Preussen
260,
19
216
Efimovich
196
Renunciation
protective
216
246
Grigory
Reign
194,
22 Abdul
L〓szl〓
Rakosi,
55
233
Rahman,
Rapallo,
215 215
Party
Rahman,
religious
132,
85 213
problems
Reform
124 42,
232,
164,
Racial
re-exportation
210
95,
44,
157 Francois
Reconquista
114,
protectionism
39,
213
Quesnay,
Reagan,
Population
reform
proletariat
155
213
Reaganomics
Rivera
94,
32,
Act
Rasputin,
210 de
Privatization
Muhammed
dynasty
Rawalpindi
of
64
Muammar
Rajk,
Commission
Presidium
Primo
Principle
218
186
Rabat
228
15,
Spring
226,
208
Conference
Premier
211,
R of
colonies
Pravda
71,
207
Portuguese
Potsdam
63,
224 of
Queen
106
Portsmouth,Treaty
Potsdam
52,
212 153,
Quelimane
Front
Population
33,
Treaty
Quebec
Poor
211,
144
233
Georges
93,
Revolution
Pusan
Quebec
Law
211 71
Puritan
Qing
Pompidou,
Prison
52,
Qing
107
Prasad,
118,
9,
Q
94
37
Prague
8,
202
Polynesian
Pope
Punjab Puritan
Qadhafi,
force
68 167
206
207
police
Rico
206
Corridor
Pol
Landry
206
Poland
school
Pyrenees,
Poincar〓, Point
Public Puerto
of
the
People
Act
218
Services
Republic
223
Republican
Rommel,
Party
113,
139,
35,
156,
39,
167,
46,
186,
63,
217,
70,
81,
222,
100,
233,
243,
263 Republic
of
Biafra
28
Republic
of
China
243
Republic
of
Congo
Republic
of
Indonesia
Republic
of
Ireland
Republic
of
Korea
Republic
of
Kosovo
Republic
of
Montenegro
Republic
of
Serbia
Republic
of
South
Republic
of
Viet
Republic
of
Yemen
Republic
of
Zaire
Republic
of
Zambia
Republic
of
Zimbabwe
Restoration
of
Reykjavik
217
7,
83,
Rhineland
Empire Revolution
135,
273
153,
252,
268
274
144,
Russian
241
208
Rhodesia,
167
259,
219,
219
219,
274
219, Nyasaland,
Federation
of
219,
273
Southern
41,
194,
219,
220,
Joachim
Richmond
225
Rio
de
Rio
Pact
of
220,
80,
226
Neutrality
Pact
Russo-Japanese
War
143,
222,
224,
122,
207,
219
220,
94,
205,
220
163
Sadat,
Mohammed
225
196 164,
175,
186,
267
220,
1, 20,
226 27,
35,
195,
223,
111,
224,
133,
225
154, Axis of
172 18, 75,
82, 221
221
69,
227
227 Treaty
of
200,
227,
258
101 109 Ant〓nio
de
Robert
139,
(Strategic
Oliveira
228
Gascoyne-Cecil
42,
98,
148,
223
271 Arms
Limitation
Talks)
228
154 270 National
Liberation
Front
(FSLN)
185 Sandwich
200
38,
247
Sandinista 130,
Anwar
Germain,
San'a
3,
227
195
Samar
144
Empire
Treaty
31,
259
Sabah
SALT
229
Rome-Berlin
Party
228
178
130,
130,
238,
231
(Saarland)
Salonika
Jo-son
Rome
236,
206,
War
229,
Saar
257
122
Romanticism
43,
225,
War
Salisbury,
Vend〓miaire
Romanov
Workers'
141,
225,
238
Russo-Japanese
Salazar,
216
Risorgimento
Roman
114,
224,
170,
Saipan
Janeiro
Riyadh
111,
48
Sakti
of
83, 224,
Pact
Sakarya
56,
48,
186,
Pact
Saint
82
Treaty
31, 170,
Non-agreement
Saigon
85
100
Rijeka
223
Non-aggression
S Saar
219,
David
Riga,
218,
Russo-German
226,
41,
Ribbentrop,
149
206,
Democratic
168,
Sahara
Riga
106,
208
274
Ricardo,
65,
Russo-German
260
Northern
Rhodesia,
Hague
224
168,
Russo-Polish
218,
222
the
98
Social
153,
John
and
Ri-tsi
220,
218
145,
226
134, in
174,
Russian
261
Russo-Turkish
148,
Rhodesia
162,
Russian
219,
45,
223
270
148,
157,
Cecil
Rhodesia
121,
273 220,
40,
8
223
260,
84
Island
Rising
84
208,
84,
Rhodes,
Rifs
Act
Rudolf
John
219,
222,
Conference
Russia
111,
38,
219
Russell,
2, 50,
235
92,
208,
Conference
Rowlatt
Ruhr
39,
15,
253
207
the
Table
Rumania
22,
Zeitung
Rhine
273,
Bank
112
Rheinische
Rome,
231
125
Rheinbund
Theodore
4,
245,
120
231 Africa
244,
Rothschild
128
231
Flowers
Shah
127,
144
Alliance
Revolution
Rhode
126,
Delano
221,
Roosevelt,
244
Revolutionary
183,
Round-Table
70,
71,
113,
Round
65
Nam
tariff
Reza
273
221
Franklin
Rothschilds,
50,
33,
revenue
Erwin
Roosevelt,
Islands
107
San
Francisco
Conference
San
Francisco,
Treaty
San
Jose
San-kuo
51 177
of
43, 176,
63, 228
64,
228,
256
San
Stefano,
Treaty
Santiago
of
Santo
Domingo
Saracen Saracens
97
Sarajevo
84,
Sarajevo,
69,
229
Shastri,
130
Sarawak
163
Sardegna
51,
Sardinia
204,
Saronikos
229 20,
31,
84,
229,
268
229
League
Schlieffen, Schlieffen
17, Graf
87
von
166,
Plan
Schuman,
58,
170,
230
230
74,
230
195
Marmara
56
Front
Second
International
Second
Reich
Second
Republic
85,
Second
World
86,
187,
89,
179,
230,
231
244 230
85,
86,
230
231
State
143
Police
96
of
83,
179,
231 of
231
3 , 12
Serb
Croat
Serbia Serbs
and 31,
serfdom
27,
31, 158,
227 231,
268,
231
39,
64,
201,
204,
150,
211,
231
Liberal
Darwinism
Social
Democratic
Federation(SDF)
Social
Democratic
Party
of
159
Shandong
32
Shanghai
43,
56,
101,
139,
150,
200,
152
174,
117,
232,
147
155
Party
156,
of
Germany(SPD)
95,
237
49 in
one
counry
Federal
234,
Republic
Socialist
Republic
Socialist
Revolutionary
of
of
Unity
Viet
Nam Party
Party
96
35
Solidarity
56,
206,
262
234
Somme,
Battle
Somoza
family
Son
178
Democrat
Democratic 122,
Somaliland
258
151
Social
Sofiya 34,
231
85
101,
Socialist
War
226,
238
Yugoslavia
231,
271
224
Seven
223,
and
271
55
Treaty
155
234
Social
Socialist
229,
Montenegro
51
Shaanxi
109
Socialism
52,
Sevastopol'
S〓vres,
Party
232,
271
Smrti
96,
Slovene
Years
225,
54
Adam
Social
241
20,
186,
173
55,
socialism
Incident
Serbia
4,
17,
Smith,
231
118
9.30
175,
184
trade
Smyrna
principle
Rebellion
sepoys
233
110,
169,
Slovakias
194
Sepoy
128,
58
Slovenia 78,
Self-determination,
Semites
127,
149
War
War
Slavs 122,
War
Battle
126,
85,
109
Day
slave
94
of
66,
War
skyscraper
Second
Seljuk
Party
Sjelland
230 Empire
State
197
233
Fein
Siva Six
Second
Sedan,
129,
233
161,
Secretary
153 69,
Sino-Japanese
230
Secret
144
Sinn
97
Scotland
118
Sino-French
Robert
Schutzstaffel
37
17
Singapore
230
232
211
Sinai
170,
204 163,
Norodom
Simbirsk
Plan
Schuman
175,
Line
Silla
Alfred
SEATO
159 130,
Silesia 154
232
232
269
Sikhism
79
of
Emperor
Sikh
35
99
229 212
Sihanouk,
241
Schleswig-Holstein
of
Showa
125 Amvrosievich
Treaty
Sicilia
116,
Pasha
Sea
152,
Siegfried
Scandinavia
SDI
125,
Sichuan
220
Maung
Sayyid
Eduard
Sian 261
261
Saw
Waterway
Shimonoseki, at
130,
Arabia
Savoy
90
Shevardnadze, Shia
158
China
Lal
Shatt-al-Arab
Shih-huang-ti 137,
Assassination
Saudi
226,
61
Empire
Save
27,
43
Thanh
of
the
234
185
37
South
Africa
4,
South
African
War
234 30,
235
111, 141,
261 168
South
Amcrica
235
Southampton South
China
South
Sea
East
16,
Strasbourg
213
Arms
209
Strategic
Defense
Organization(SEATO)
strategic
119,
Asia
Treaty
235
Southern
Rhodesia
South
Island
South
Manchuria
235
185 43,
Africa
95,
South-West
Africa
People's
(SWAPO)
177,
236
236 Organisation
177
Alliance
Treaty Partei
95,
96,
Exploration
122,
156,
45
240
Stuart
33,
174,
103,
167,
201,
204,
71,
War
22,
30,
82,
104,
175,
216,
Canal
4,
Crisis
War
of
the
25,
64,
97,
159,
236 Spartacist
Rising
156,
237
68,
Suifenhe
Specialised
League)
156,237
Agencies/Specialised
Splendid
Isolation
Sputnik
10,
228,
237
237
1,
Sri
Lanka
41,
Srinagar
41
237
237 171
Stalingrad
110,
238
Stalingrad,
Battle
of
Josef 145,
163,
247,
252
Stanford
Henry
START
238 238,
of
City
of
Stettin
4,
234,
49
149
Helena
St.
238
Lawrence
179,
263
213
of
St.
Petersburg
St.
Petersburg
the
107
Arkadievich
policies
Storming
swaraj
90
48,
153, State
254
Shan
44,
145,
178,
of
Cambodia(SNC)
237
238,
19,
242
244,
T William
Howard
243
79
Hu
157 243 Rebellion
99
Emperor
243 43,
7,
87
Oliver
Tamils
42
Tarawa Tariffs 141
Tasman,
146,
244,
273
72 165
93, 6,
243,
172
Crisis
Tannenburg,
224
44,
243
Tambo,
172, Battle
Tanzania
University
242
242
101,
Tangier 239
239 Bastille
241 241
241,
Council
Agreement
Tangier
Pyotr
70,
Zhong
Tanganyika
University
Stolypin,
109
Tallin
257
Stockholm
Surya
Taliban
114,
241, 195,
159
Taiwan/Formosa
102
Stockholm
120,
194,
35,
National
Taisho
128
St.
21,
240 241
76
Yat-sen/Sun
Taiping Vatican
99
George's
Sun
Tai
239 of
180,
152
Ta'if
Westminster
St.
King
Taipei
Wars
Stavropol
225,
45,
113
Morton
State Statute
Schools
Taft,
Star
the
Sunday
Syria 26,
216,
University
Stanley,
Stop-go
238
209,
240,
241,
169,
syndicalism
Vissarionovich
246,
169,
196
Sykes-Picot
142,
180,
120,
surface-to-surface
stagflation
154,
37
138
Stalin,
169,
139,
Meeting
Supreme
Jayewardeneprakotte
151,
241
I 236
Sri
69,
43
Sunni
Nations
63,
240
61,
Achmed
Summit
Sun
Spartakusbund(Spartakus
59,
General
Sumatera Succession,
174,
241
Sultan
236
240
132
11,
Sukarno,
Civil
239
40
Suez
6,
239,
183
Suharto,
War
239
239
Vincent
240,
237
239
217,
188
9,
Custav
Strike
Suez
236
Spanish
SS
Front
Deutschlands(SPD)
236
Spanish-American
Spanish
weapon
Stresa
Sudra
Sozialdemokratische
222,
nuclear Conference
Sudetenland
Soviet-Chinese
Talks(START)
Initiative(SDI)
Stresa
St.
225
Space
Reduction
Stresemann, Railway
South-West
Soviet
76
Strategic
244 of
109,
244 97 244 Abel
Janszoon
185
244
165,
232,
243
Technical
School
Teheran
124,
Teheran
68
222
Conference
Teng
Hsaio-Ping
Tennessee Tennessee
Valley Oath
Terror,
the
23,
Test-Ban Texas
134,
245
Treaty
of
Bucharest
Treaty
of
INF
Treaty
of
Lausanne
Treaty
of
London
249
Treaty
of
Madrid
175
Treaty
of
Nanking
Treaty
of
Neuilly
Treaty
of
Paris
Treaty
of
Peking
of
Portsmouth
184,
245
140,
142
245
128, the
58,
87
Margaret 148,
Hilda
210,
greatest
9,
37,
91,
108,
121,
245
Treaty
happiness
of
the
greatest
number
Treaty
26 Thermidoream Thiers,
Reaction Louis
Estate
Third
International
Third
Reich
Third
Republic
Thirty
87
Adolphe
Third
200
86 48,
94,
Years
245 86,
War
3-B
Policy
27,
3-C
Policy
246,
245
109, 85,
89,
16,
206,
30,
54,
246,
267
246, 246,
245
112,
159
267
Emperors'
Battle
Three
Emperors'
Entente
246
Three
Emperors'
League
29,
Three
People's
15,
Principles Incident
Timur
231,
111,
Three
Tiananmen
246
246,
246
241
58
10
Tirana
Titoism
216,
246
Broz)
Togoland
97
Tojo,
247,
Hideki
Tribunal
Toledo
271
Tomahawk
247
Rome
of
Saigon
Treaty
of
Saint
247
52 50,
Treaty
of
Treaty Treaty
98,
103,
198,
202,
205,
247,
Martin
Torrijos,
Omar
198 198
Democracy
Toulon
61,
205
178
Tours
Union
trade
unions
Trafalgar,
Congress 193,
Battle
Trakiya
21,
of
151,
Trans-Siberian
of
San
Stefano
of
S〓vres
Treaty
of
Shimonoseki
Treaty
of
Tianjin
Treaty
of
Trianon
250
Treaty
of
Utrecht
250
of
Versailles
of
Vienna
Treaty
of
Washington
Treaty
on
of
Treaty
for
Treaty
of
158,
Locarno
248
247,
38,
European
128,
159,
Pact
of 248
War
138,
18,
175,
10,
29,
62,
9,
258
196, 84,
221, 130,
251 159,
251,
62 10,
63,
159,
206,
237,
238,
252
252,
267 130,
155 War
Trotsky,
Lev
Trujillo,
Rafael
Truman
Doctrine
Turkish
251,
267
Tripoli
Tunisia
200,
251
Alliance
252 226,
Leonidas
Harry 209,
130,
Davidovich
252, Shippe
252,
61 253 63,
88,
161,
166,
Cyprus
72
253
243 222 territory
165,
177,
253
217 33,
169
Tung-san-sheng
248
161
10,
Entente
Tudor 248
of
Emperors'Entente
Tunis
Renunciation State
234,
Union
159 Treaty
Trust
267
219,
260
251
167
tsarizm
6, 30,
Austrian
247
183
Republic
the
183,
251
Triple
trusts
192
Congress
Triple
trust
250 78,
Treaty
264
250
250
Treaty
92
179,
Railway
Transvaal Treaties
242,
227 250
206,
Trade
250
250
Truman,
89
249 250
Francisco
Tripolitanian
Torrijos,
192 249
San
252,
93,
249 249
Germain
252,
265
Tory
of
Treaty
Tripartite
82
Tories
Treaty
Triple
General
Tokyo
Rapallo Riga
Trieste 246,
249
113,
of
Trier
Tito(Josip
249
249
of
Trianon,
159
248
249
Treaty
Trentino
5
Tirol
248
Brussels
140
Thailand Thatcher,
248
of
87
Treaty
Brest-Litovsk
Treaty
Authority(TVA)
court
Berlin
of
244
145
Tennis
of
Treaty 170, 53,
142,
Treaty
197,
164 253
253 Republic
of
Northern
167,
TVA
253
twin
United
deficits
217
UN U
Affair
U-boat
70,
14,
Uganda
254
220,
Ulster
66,
Volunteer II
Umtata
165
UN
127,
151,
Force
127,
255
237
255,
treaty
221
Venezuela 191,
233
256
Union
of
Malaya
163
Union
of
South
Union
of
the
Union
of
Utrecht
United
Arab
United
Front
30,
Socialist
39,
177,
192,
235,
United
Kingdom
Republics(USSR)
Netherlands 111
180,
242,
165,
256,
Britain
and
146,
Great
256 269 Northern
33 National
105,
120,
122,
177,
184,
203,
Nations
42, 123, 222,
60,
149,
253,
256,
Conference
Nations
234,
91,
Nations
Operations
259,
268
Vichy
France
Victor
Emanuel
184
83,
110,
Falls
150,
216,258,
Queen
61,
Vienna
16,
137,
101,
Security
109,
259,
Vientiane
149
Viet
Cong
260,
Nam
13,
and
Vietnam
War
Virginia
Transitional
25,
37 Tanzania
244,
273
134,
261,
208
II 261 III
Volga
153,
238 238,
238
210 90
W 195
Walesa,
Lech
Street
239,
218,
234,
195
78,
260,
Emanuele
Wall
193, 55,
260
260
Vittorio
Wales
100,
259
261 119,
109
Wallachia 94,
39,
260, 111,
39,
171,
V.P.Singh
in
203,
83, 218,
259
166,
Emanuele
Volstead
Authority
87,
Vittorio
Volgograd
123,
86,
264
Viet
Council(UNSC)
84,
82,
217,
259
Congress
257
56,
200,
261
Victoria,
Children's
27,
157
267
Mozambique
55,
Era
Vishnu
9,
157,
Victorian
257,
and
7,
261,
85,
257
in
30,
Minh
267
of
di
156,
173
Nations
Republic
258,
Viet
256
Scientific
International
Nations
258
of
152,
175,
Commission
Fund(UNICEF)
Nations
256,
Treaty 123,
165,
Environment
Organization(UNESCO)
Cambodia(UNTAC) United
73,
152,
207,
Educational,
(UNUMOZ) United
72,
256,
of
Disarmament
Emergency
258
203
82,
109,
248,
257
Nations
Cultural
63,
138,
Development(UNCED)
United
Versailles,
Organization(UMNO)
216 Nations(UN)
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United
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49,
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Republic 43,
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268
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258
Verdun,
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257
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Diego
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237,
173
Council
countries/Developing
of
97,
6
Gama
257
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248,
da
55
Union
64,
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Venetia
178,
195 of
192
Vatican
255
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United
Treaty
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United
Utrecht,
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255
UNESCO
26
Socialist
V
Partei 174,
Underdevelopment
91
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Sozialdemokratische
unequal
257
257
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United
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Deutschlands(USPD)
Union
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257
254
255
Unabh〓ngige
107,
Round
utilitarianism
226
126,
Umberto
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137
35
Uruguay
160
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Ulster
254
140,
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Workers'Party Secretary-General
262
223 100
261
261
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Street
Walvis
Crash
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262
Windhoek
177
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178
War
Communism
153,
War
in
the
262
War
of
Devolution
War
of
Independence
War
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the
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League
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War
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the
Roses
63
Pacific
Warsaw
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Warsaw
Treaty
184
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205,
56
Witte,
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79,
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Washington
D.C.
38,
Disarmament
World
Economic
Conference
World
Economic
Crisis
World
Health
World
War
Washington
Naval
Washington,
Treaty
8,
128,
Treaty of 39,
Affair
Watergate
Building
263
81,
Waterloo,
Battle
114,
and
187,
Beatrice
263,
Weimar
Constitution
Weimar
Republic
welfare
state
264
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185
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John
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European
Western
Front
135,
Western
Roman
Empire
Western
Sahara
West
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West
India
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Indies
West
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116,
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107,
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57,
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20, 55,
263
115,
19, 53,
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103,
267 17, 50,
World
Wellesley
16, 46,
36
Wellington
14, 45,
264
174,
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174, 94,
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267
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267 at
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of
263,
Conference
32,
263
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World
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262
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196
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Zimbabwe
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National
Union(ZANU)
Zimbabwe
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People's
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133,
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62,
197, 274,
274
274, 274
274
148 148
新装版
留学 応援
英和学習基本用語辞典 欧州近代史
シ リー ズ
1994年11月20日
初版発 行
2009年7月22日
改 訂 新 装 版 初 版 第1刷
発行
用 語 監 修 ・解 説 藤 澤 皖
編
集 小 川 淳 子
校
正 和 田 優 子 / 小 森 里 美 /Peter
伊藤 文子 D
T
Branscombe/Joel
Weinberg
P 株 式 会 社 秀 文 社
AD・ デザイ ン 株 式 会 社 デ ィー ビ ー ・ワ ー ク ス 印 刷 ・製 本 大 日 本 印 刷 株 式 会 社
発 行 人 平 本 照 麿 発 行 所 株 式 会 社 ア ル ク 〒168-8611
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TEL:
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カ ス タ マ ー サ ー ビス 部 )
●落 丁 本 、 乱丁 本 が発 生 した場 合 は 、弊 社 に て お取 り替 えい た してお りま す。 弊 社 カ ス タ マ ーサ ー ビス部 ( 電 話 :03-3327-1101 受 付 時 間 :平 日9時 ∼17時 )まで ご相 談 くだ さい。 ●定 価 は カ バ ー に表 示 して あ りま す。 〓Kan
Fujisawa,
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ALC
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in Japan
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