鉄(
現 代 史 資 料( 31)
満
一)
み す ず 書 房
重役 会議 決議事 項表紙
重役 会議決議事項 内容(4頁 参照)
処務週報(大 正12年 度)表 紙
第 一 回処 務 週 報(13頁
参 照)
...
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鉄(
現 代 史 資 料( 31)
満
一)
み す ず 書 房
重役 会議 決議事 項表紙
重役 会議決議事項 内容(4頁 参照)
処務週報(大 正12年 度)表 紙
第 一 回処 務 週 報(13頁
参 照)
庶調 情第695号 「 東 支鉄 道附属地移管問題 の経過 」表 紙(346参 照)
奉天特務機 関貴志 弥次郎少将 発 松 岡理事宛 至急報(268頁 参照)
カ ラハ ンよ り張作森 に提示 した要求覚書(中 国文)
同上 訳文送付 につ いて奉天公所長鎌田弥助 よ り松岡理事宛報告(270頁 参照)
黎元洪駆逐事件 につ いて庶務部調査課長 発松 岡理事宛電報(194頁 参照)
伊 藤 武 雄 「支 那 財 政 整 理 案」表
紙(609頁
参照)
凡
例
資 料 は内 容 ・型 式 の上 から 三部 に分 け て整 理 し 、第 一部 は満 鉄経 営 の記 録 文 書 、第 二部 は 断続 的 な 情 報類 、 第 三部 は比
二五年 度 の資 料 を 各年 度 別 に全 3冊 と し て刊 行 す る 予 定 で あ る。
一 本巻 には 一九 二三年 会 計 年 度 にお け る南 満 洲鉄 道 株 式 会 社 (満 鉄 ) 関 係 資 料 を収 録 し た 。引 続 いて 一九 二 四年 度、 一九
二
五
四
三
明 白 な 誤 字 ・誤 植 と思 わ れ る も のは 訂 正 し た が、 他 は 横 に ︹マ マ︺ を附 す る にと ど め た。 外 人 名表 記 の不整 合 は 一々、
漢 字 は略 体 を用 いた。
資 料 原 文 は片 仮 名 タイ プ印 刷 形 式 のも のが大 部 分 であ った が、 平 仮名 に改 め、 そ の際 適 宜 に句 読 点、 濁 点 を加 え た 。
情 報 類 の整 理 区分 と 、 区 分見 出 し は 、 編者 が施 し た も ので あ る。
較 的 ま と ま った調 査 報告 書類 とし た。
六 統 一を試 み て いな い。
本 文 中 の六 ポ イ ント 二行 の編注 ︹ ︺ お よ び、 傍 注 の ︹ ︺ は編 者 の補 記 し たも の であ る。 な お注 は初 出 の場 合 に のみ
八
北 京 公所 、 哈 爾 賓 事務 所 のも のは 、 そ の写 の配 布先 を記 載 し て あ る が、 これ を省 略 し た 。
宛名 中、 社 長 及 庶 務部 長 は 省 略 し た。
七
九
﹁庶 調情 ﹂ と 文 書 番 号 に冠 し てあ る のは、 情 報 係 が摘 要 を作 製 し 、関 係 者 に配布 し たも ので あ る。
付 し 、 以下 略 し た。
十
十 一 付 録中 、 ﹁中 国 政 治 派 閥 表﹂ は外 務省 情 報 部 資 料 、 ﹁ 一九 四二 北三 京一 政九府二閣 僚 表 」 は風 間 阜 著 ﹁近 世中 華 民 国 史 ﹂ よ り採 っ たも ので あ る。
十二
本 巻 の編 集 ・資 料 解 説 は 、伊 藤 武 雄 ・荻 原極 ・藤 井 満 洲 男 が担 当 し た 。
凡例 は し がき
目
次
二
第 二 十 三 回 (大 正 十 二 度 ) 営 業 報 告 書
処 務 週報
一 重 役 会 議記 録
一 六 三
一 一三
一 三
三
資料解説
三
監 事 会 宛 提 出 諸 表 類 (大 正 十 三 年 一月 分 ) 経 理 部
一 七六
満 鉄 ド キ ュメ ン ト類
四
関 東 大震 災 関 係
第 一部
五
六
奉 直 和 議交 渉 及之 れ に伴 う政 情 並 に軍 情
黎 元洪 駆逐 事 件 及曹〓 総 統 賄 選 を めぐ る政 情
二 二 〇
一 九 三
第 二部 情 報 類
七
一八
一七
一六
一五
一四
一三
一二
一一
一〇
東支 鉄 道 関係
中 国鉄 道 関係
満 鉄関 係
其他諸件
哈爾 賓 特 別 区穀 物 税 賦 課 問題 並 東 三省 財 政 関係 諸 件
日露 会 議 関 係 及 其 他 諸 件
東 支 鉄道 附 属 地移 管 問 題
露 支 紛 争 諸件
労 農 露 国 国 内 に於 け る パ ル チザ ン の活 動 状 況 並 同 国 内 の 一般 諸 件
労 農 露 国 の対 中 宣 伝 工 作 と 中 国 官 憲 の対 策
四 九 三
四 六 六
四三 七
四一 八
四 〇 〇
三 九一
三 七 六
二 九 四
二 九一
二 七 八
二 七 二
二 四 九
一九
労農 露 国 鉄道 関 係
五〇 八
反 張作 霖陰 謀 事 件
二〇
中 国経 済 関 係
五一 八
八
二 一
労農 露 国 経 済関 係
五二 六
二 五 五
二二
関東 大震 災関 係
五七 三
露 支 交 渉 と 労 農 代 表 カ ラ ハ ンの 北 満 に於 け る動 静 並 に 之 れ に伴 う 政 情
二三
朝鮮 人 関 係
九
二四
二七
二六
二五
其 他諸 件
露 国白 党 避難 民 関 係
馬賊 関 係
五 九 二
五 八 九
五 八 三
三三
三二
三 一
三〇
二九
二八
大陸 博 物 館建 設 私案 ( 三 田 了 一)
呼倫 貝 爾 産 業公 司 企劃 書 ( 哈爾 賓 事 務所 調 査 課)
満 鉄 と外 蒙古 ( 三 田 了 一)
知 多 烏 蘇 里 鉄 道 の現 状 ( 松 井 石根)
支 那財 政 整 理案 ( 伊藤 武 雄 )
中 華 民 国 憲 法 公 布 に就 て ( 伊藤 武 雄)
黎 総 統 離 京 以 後 の北 京 政 局 ( 北京 公 所)
六 八一
六 七 八
六 四 三
六 三四
六 二 八
六 〇 九
六 〇 六
六 〇一
報告 書類
三四
共 栄 起 業 株 式 会 社 の内 容 ( 庶 務 部調 査 課)
第三部
三五
六 八 六
六 九 六
六 九一
大 正 十 一年 満 洲 の 日 本 側 金 融 概 況 ( 高 久肇 )
直 隷 派 の武 力 統 一策 と 支 那 の現 況 ( 関 東軍 参 謀 部)
南情報 ( 村 田熊 三)
三六 三 七〓 三八
四〇
三九 露 国 の将 来 と 極 東 貿 易 ( 古 沢 幸 吉 )七〇
奉 天 よ り 観 た る 支 那 の乱 局 ( 奉 天特 務機 関 )
七〇 一
五
四六
四五
四四
四三
四二
蒙 古 の現 状 ( 関 東 軍 参謀 部 )
哈 爾 賓 電 業 公 司 の現 況 ( 関 東 軍参 謀 部)
東 清 鉄 道 疑 獄 (ペ キ ン ・デ リ ー ・ ニ ュー ス)
東 支 鉄 道哈 爾 賓 工場概 況 ( 関東 軍 参謀 部 )
極 東 に於 け る 採 金 業 ( 橋 本欣 五郎 )
労 農 西伯 利 の近 状 ( 古 沢 幸 吉 )七
七 六一
七 五 八
七六 五
七 五 二
七四 九
七 四 七
二 七
七 二 二
四七
欧 米 人経 営 文 化事 業 調 査報 告 ( 鞍 山地 方事 務 所 )
四 一 黒 竜 江 及 松 花 江 航 運 史 並 航 運 業 の現 況 ( 関東 軍 参 謀 部)
四八
東支鉄道会社要員系統
一九二 二四 三北 一京 九政府閣僚表
中国政治派閥表
七 九 六
七 九 四
七 九 三
七 九 二
付録
満 洲鉄道概見図 南満洲鉄道株式会社組織表
は し が き
一
南 満 洲 鉄道 株 式 会 社 (満 鉄 ) には 、 そ の四 〇 年 の生 涯 を通 じ て、 蓄積 保 存 され た内 外 公 文書 ・往 復 書簡 ・報 告 書類 が、
汗 牛 充 棟 の量 にた っし て いた が、敗 戦 解 体 によ って、 本 社書 庫 に積 ま れ た まま 残 さ れ た の で、今 日、 日本 人 の手 で これ
を冷 厳 な 歴史 の鑑 に かけ て、 反 芻 省察 の素 材 と す る方 法 は な い。 も し かり に本 社 が 日本 にあ った と し ても、 そ の資 料 文
献 が、 そ のま まわ れ わ れ の手 に残 った かど う か は疑 問 であ る。 と いう のは、 東 京 に あ った 東亜 経 済 調 査 局 の調 査 研 究報 告 書 類 の主要 部 分 が、米 軍 の手 によ って運 び虫 ら れた のだ から 。
それ ゆ え に、 今 こ の ﹁現 代 史 資料 ﹂ に加 え ら れ た オ リジ ナ ルな ﹁満 鉄﹂ 資 料 三巻 は、 現 在 日本 に お い て見 いだ しう る
かぎ り の、 ま た将 来 、 これ だけ ま と ま ったも のが発 掘 さ れ そう も な い ユニー クな満 鉄 記 録 と いえ よう 。 この文 献 の特質
は、 多 角 的 な植 民 地主 義 事 業 者 であ った満 鉄 機 構中 枢 部 の恒 常 生 活 記 録 で あ る点 で、 満 鉄 の素 顔 を見 せ てく れ ると ころ
にあ る。 とく に目 を み はら せ る事件 や、 劇 話 的 興味 をそ そ る も のを ふく ん では いな いが、 これ は これと し て歴 史 の素 材
と し て大 切な こと は いう ま でも な い。 日本 最 大 の独 占 企業 組 織 が、 中 国 民族 主 権 下 の東 北 に、 治外 法 権 と武 力 に守 ら れ
た 植 民 地機 構 の牙 城 と し て盤 居 し、 比較 的 高 水 準 の智 能 と技 術 を 身 に つけ た 日本 民族 が、 植 民者 的 活 動 に献 身 し た歴史
の姿 を 、 エ レメ ン ト のまま に表 現 し て いる。 す で に知 ら れ て いる公 刊 文献 の毎 年 次 ﹁統 計 報 告 書 ﹂、 ま た 一〇 年 ご と に
総 括 編 さん さ れた ﹁十年 史 ﹂ ﹁二十 年 史 ﹂ ﹁三 十 年史 ﹂ な ど は、 総 括 的 に、 か つ広 報的 に、 社 業 推進 の足 跡 を記 録 し て い
る が 、 こ の方 は ど ち ら か と い え ば 静 態 的 な 外 貌 資 料 と 見 る べ き で あ り 、 そ れ に た い し て 、 こ の ﹁満 鉄 ﹂ 資 料 は 、 会 社 中
枢 の 内 面 活 動 を 動 態 的 に と ら え て い る 点 で 、 内 貌 資 料 と い って よ い 。 こ の内 外 両 面 か ら の ア プ ロ ー チ に よ って、 満 鉄 固
有 の 多 岐 多 様 な 動 き に 一 つ の 脈 絡 を 与 え 、 ダ イ ナ ミ ッ ク な 満 鉄 像 を 描 く た め の よ い参 考 に な る 。
二
こ の資 料 は 、 一九 二三 年 四 月 に始 ま り、 二六年 三 月 に終 る会 計年 三 箇 年 の 一貫 し た期 間 の、満 鉄公 文 書 、報 告 、情 報
類 を総 括 し てお り、 所 管 上 か ら見 れば 、当 時 の ﹁社長 室 ﹂ ﹁庶 務 部 ﹂ を 主管 した松 岡 洋 右 理事 に よ って鞅 掌 さ れ た 記 録 であ る。
外 務 官 僚 出 身 の松 岡 洋 右 は 、 三 た び重役 (理 事 ・副 総裁 ・総 裁) とし て満 鉄 に任 を う け た が、 こ の時 期 は最 初 の任 期
にあ た り、 一九 二 一年 七 月 (奇 し くも 中 共成 立 のと き) か ら 二六年 三月 ま で の四年 九 箇 月 に お よ ん で いた。
そ の間 に社 長 (当 時 は社 長 制) は、 早 川 千吉 郎 ・川 村竹 治 ・安広 伴 一郎 と 交代 し た が、松 岡 理事 は 、 この三代 を 通 じ
て、総 括 管 理 部 門 と渉 外 情 報 関 係 を主 裁 し た。 当 時 調 査課 も庶 務 部 に属 し て いた が、 調 査 研究 報 告 は 、 この ﹁資 料 ﹂ の
な か にふく ま れて は いな い。 し た が って、 こ こに フ ァイ ルさ れた資 料 は、 重 役関 係 の文 献 、 社内 外 の公 文書 類、 渉 外 情 報 的 往復 文書 、 一般 情報 類 と いう こと にな る 。
満 鉄 四 〇年 の歴 史 のう ち の三箇 年 は、 そ の全 生涯 にお け る 一区 切 り にはす ぎ な いが、 こ の 一時 期 から 、全 体 に貫 流 し
た満 鉄 型 経 営姿 勢 を 類推 把握 す る こと は可 能 であ る 。 こ の三年 は、 創 立 か ら解 体 ま で の、 ち ょう ど中 間 に位 置 し て お り、
草 創 の明 治時 代 を終 り 、 波瀾 か ら解 体 を前 にし た 昭和 年 代 に入 る以 前 の、 比較 的 平 凡 な 一種 の中 年期 であ ったと いえな
い こと も な い。と ころ が、大 正年 代 の こ の期 間 に照応 す る、 日 中 両国 の国内 情 勢 は決 し て平 凡 では な か った。 年表 的 に
瞥見 し て みよ う。 一九 二三年 の関 東 大 震災 には じ ま る 日本 の三年 。自 然 災害 は大 いに世界 の同 情 を あ つめた が、 同時 に
朝 鮮 人 ・中 国 人 ・解 放 運動 者 の殺 りく 事 件 は、 天 皇制 軍 国 主義 へ の憎 悪 とし て内外 人 心 に沈 澱 した。 復 興 外債 、 軍縮 に
よ って浮 いた財 源 は、 軍事 産 業 の近代 化 、 繊維 産 業 を は じめ と す る産 業構 造 合 理 化 に向 け ら れ、 イ ン フレとデ フ レ の交
錯 矛 盾 によ って、物 価 騰貴 と労 働争 議 ・小 作 争議 が記 録的 に高 ま った 。 日農 、労 働 評 議 会 の活 動 、無 産 政 党 の誕 生 、 日
ソ基 本 条約 の調 印 、普 選 法 の成 立 等 にと もな って、 治 安維 持 法 の同 時 公布 が行 わ れ て、 日 本 民主 化 の前 途 は、 長 期 にわ た って蝕 ま れ つづ け ると いう 時 代 に入 って い った。
中 国 にあ っては、 北 洋軍 閥 間 の内 戦 闘 争 時 代 に あた り、 東 北 の奉 天 軍閥 と、 関 内 の直 隷 軍閥 と の抗 争 がく り かえ さ れ
た。 北 京 中央 政 府 は非 力 にし て フ ィ ク シ ョ ン化 し、 帝 国 主義 列 国 の露 骨 な国 際 管 理風 潮 が公然 化し て いた。辛 亥 革 命 以
来 の南 方革 命 勢 力 は振 わ な か ったが、 一九 二四年 、 孫 文 に よ る国 民党 改組 にあ た って、 中 共党 員 を抱 え こみ、 連 ソ ・労
農 連 合 の基 礎 に た って、 反 帝反 封 建 の国 民革 命 路線 を う ち た てた 。孫 文 歿後 、 中 共 ・中華 全 国 総 工会 ・全 国 学 生連 合 会
等 は、 統 一戦 線 を組 ん で、 五 ・三〇 事件 に結 集 し 、中 国 革命 を世界 的 課 題 にお しあ げ 、 一九 二七年 ﹁大 革 命 時 代﹂ への
発 展 の スタ ートを 切 った 。 し か し ﹁革命 未 成 功﹂ の壁 はあ つく 、 新 民主 主義 革 命 の成 就解 放 ま でには 、 な お四 半世 紀 の 狂 瀾 怒 濤 を く ぐ らな け れば な ら な か った 。
満 鉄 情 報 に現 れた 、 こ の日中 両 国 の情 勢 は、 き わ め て対照 的 で、 そ の反 映 の濃 淡 、 消極 積 極 の面 と 、東 北 の国際 性 な
ら び に地 域 性 に関 連 す る様 相 と が、 記 録 さ れ て いる こと は特 徴 的 であ る。 詳 しく は 解 説 に お い てふ れら れ る であ ろう 。
三
こ の ﹁資 料﹂ が世 にで るま で の経 緯 に つ いて記 し て おく要 が あ る。大 正 末 期 の この記録 文献 が、 昭和 年代 を通 じ て、
戦 争 ・敗 戦 ・戦 後 の長 い変 動 多 い年 月 にわ た って、 不思 議 によく 、松 岡家 に保存 し つづ け ら れ て いた。 そ の意 味 で この 資 料 は ﹁松 岡 文書 ﹂ と いう べき で あ ろう 。
昨年 はじ め、 こ の文 献 の存在 を発 見 し た旧 満 鉄 社員荻 原極 から 、 そ の処 理 に ついて の相 談 をう け た伊 藤 は 、現 存 満 鉄
ド キ ュメ ンツ の稀 少 価値 を思 い、 ﹁みす ず 書房 ﹂ には か り、﹁現 代 史資 料 ﹂ に組 み いれ る承 諾 を え、 さ ら に藤井 満 洲 男 の
協 力 を もと め、 旧 満 鉄社 員 三 人 の手 によ って、 編 集 ・解 説す る こと に な った 。思 え ば因 果 の軌 跡 にた って、 不退 転 の明 日 に備 え る こと は責 務 と も いえ よう か。
資 料整 理 の過 程 で、 三年 を 三 巻 に おさ め る には 、尨 大 すぎ る こと と 、内 容 の軽 いも のは省 略 し ても よ いの では な いか
と いう意 見 も でた が、 現実 の素 顔 を素顔 ら しく 現 す ため に、 あば た も落 す べき では な いと いう こと から、 零 墨 も拾 収 し
て発 表 す べき も のと 考 え 、 でき る だけ 原 形 の保 存 に つと め た つも り であ る。 た だ註 記 ・参 考附 録 は最 小 の必 要 限度 にと
武
雄
どめ て、繁 と冗 を さけ る こと にし た 。編 集 全般 にわ た って、 三人 の合 議 を経 た が、 責 任 を明 か にす る要 あ るも のは 、そ れぞ れ署 名 をし た。
松 岡 文 書 を提 供 し、 そ の利 用 を 無条 件 に許 さ れ た、松 岡 謙 一郎 氏 にた いし、 敬意 と謝意 を表 す る 。
一九 六 六 年 三 月
伊 藤
資 料 解 説
﹁満 鉄 ﹂ と いう題 目 を か かげ て こ こに 一括 収 録 す る資 料 は 、 は し がき にも いわ れ て いる よう に、松 岡 洋右 が満鉄 理事
の任 にあ った当時 、 職 務 上 そ の手許 に集 ま った会 社 の文 書 、 記録 、情 報 、 調査 報 告 の類 に、 か つて 一応 の取 捨 、整 理 が
加 え ら れ たも の のう ち 、幸 に今 日 ま で松 岡家 に保 存 さ れ て いた部 分 であ って、便 宜 上 大 体資 料 成 立 の年 次 に応 じ て これ
を 三巻 に分 割 し た。 従 って全 三巻 を通 じ ては勿 論 、各 巻 それ ぞ れ に つ いても 一貫 し た 特定 の主 題 は なく 、 そ の内容 はき
わ め て多 岐 に亘 って いる が、 大 ま か に い って これ を満 鉄 の社業 に関 す るも のと、 満鉄 が置 かれ て いた国際 的 な 環境 に関 す るも のと に大 別 す る こと が でき よう 。
まず 満 鉄 の社 業 に関す る資 料 に つい て いえ ば 、 この巻 に は会 社 の会 計 年 度 で いう 大 正十 二年度 、 す な わち 一九 二 三年
四 月 から 翌年 三月 ま で の 一年 間 に つい て の資 料 を 収め る。 こ の年 度 に おけ る会 社 の活動 を全 面 的 に 要 約 し て い る の は
﹁第 二十三回 ( 大正十 二年度)営業報告書﹂(一一三頁以下)であ り、 これ を補 充 す るも のと し て、 経 理部 作 成 の各 種 の月 報 を
まとめた ﹁ 監事会宛提出諸表類 ( 大正十三年 一月分)﹂(一六三頁以下)があ る。 比 較的 高 度 の機 密 事 項 に ついて会 社 の首 脳 部 が
審 議 を加 え た経 緯 に つい ては、 ﹁重役会議記録﹂( 三頁以下)が も っと も貴 重 な資 料 であ る が、 惜 し いこと に欠 落 が余 り にも
多 い。 し か し ﹁処務週報﹂(一三頁以下) は完 全 に揃 って いる上 に、 こ れを担 当 す る社 長 室 文書 課 の職 制上 の地位 から見 て、
も っぱ ら会 社 内 部 限 り で処 理 さ れ た問題 は別 と し ても 、 お よ そ会 社首 脳 部 の決 裁 を経 て監 督官 庁 を含 む社 外 と の間 に正
規 の往 来 が あ った事 項 は 、 一応 こ こに網羅 さ れ て いる と思 って よ かろ う。 会 社 の活動 に つい ては このほ か に、 八月 の水
害 に よる鉄 道 の被 害 状 況 と復 旧 活動 ( 四二二頁以下)、 関東 大 震災 に当 っての 日本内 地 への救 援 活動 (一七六頁以下)など 突 発 的 な 事 態 に つい て、 たま たま や やま と ま った記 録 が残 され てい る。
つぎ に満 鉄 の環境 に関 す る資 料 は、大 体 一九 二三年 四月 か ら同 年末 ま で に作 成 さ れ た資 料 を収 め る。満 鉄 の占 め て い
た ﹁大 陸第 一線﹂ の特殊 な地 位 か ら い って、 ひと 口に そ の環 境 と い っても 、 こ れが単 に満 鉄 の鉄 道 沿線 やそ の背 後 地 だ
け でな く、 中 国 の全 域 、極 東 シベ リ アか ら外 蒙 古 におよ ぶ広 大 な 地域 に亘 って の、外 交 、 軍事 、 政 治、 経 済 の全 情 勢 に
よ って形成 され て いたと いう こと は勿論 であ る。 当時 集 積 さ れた 情報 、 大 小 の調 査報 告 のう ち、 す でに失 わ れ た部 分 は
少 く ある ま いが 、 ここ に残 さ れた と ころ だ け に就 いて見 ても、 満 鉄 が そ の環境 を解 明す る ため に払 った努 力 の方 向 と成
果 とは 一応 窺 い知 る こと が でき る。 こ の年 の四月 改 正 され た会 社 の職 制 によ ると 、当 時 満 鉄 が耳 目 と し て いた調 査 、情
報 機 関 は中 国 には、 大連 の本 社 に庶 務 部 調査 課 、 ハルビ ン事 務 所 に調査 課 、北 京 公所 に本 社 調査 課 駐在 員 が あ り、 奉天 、
吉 林 、 鄭家 屯 、〓 南 、 チ チ ハル に置 かれ た各 公 所 も、 中 国 の地元 官 民 と の接触 に当 る か たわ ら情 報 の蒐 集 に努 め た。満
鉄 の鉄 道附 属 地 の行 政 に当 る地 方事 務 所 も 一部 こ の機 能 を 果 し て いた 。嘱 託 そ の他 の名 義 によ る情 報員 が各 地 に散 在 し
て いた こと は いう ま でも な い。関 東 軍 司令 部 、 奉 天、 ハルビ ン、 チチ ハルそ の他 の陸 軍 特 務機 関 、 さて は内務 省 、 朝鮮 総 督 府 の派 遣 員 、駐 在 員 など と の間 にも情 報 が交換 さ れた。
こう いう 経 路 で入手 さ れ た情 報、 調 査資 料 は、確 度 、 精度 、 分 析 や判 断 の水 準 な ど から 見 て、 当 然 のこと な がら 玉石
混 淆 も は な はだ し く、 こ の点 さき に述 べ た社 業 関 係 の資 料 と は全 く趣 きを 異 にす る 。 のち に折 り に触 れ て指摘 す るよう
に、 こ の巻 に収 め た国 際情 勢 に関 す る資 料 のう ち に は、 重要 な史 実 を究 明 す る ため の精 確 な 、 まと ま った史料 とし て独
立 の意 義 を持 つも のも す くな く なく 、 そ のほ か にも比 較 的零 砕 な がら 有効 に傍 証 の用 に供 す る こと のでき る も のも 多 い。
だ が、 こう いう情 報 や 調 査報 告 は、 単 に当 時 の情 勢 そ のも のに つ いて の資 料 であ るば かり ではな い。 これ ら は同 時 に、
情 報 蒐 集 乃至 は 調査 の担 当 者 が 、 ひ い ては 又 これ ら の資料 を利 用 す る満 鉄 そ の他 の当 局 者 が、当 時 どう いう過 程 を経 て、
ど の程度 ま で事態 の実相 に迫 り得 て いた か、 と いう 問 題 を解 明 す る ため の資 料 でも あ る。 こ の意 味 か ら いえ ば、 こ の巻
に散 見 す る いわ ば荒 唐 無 稽 な情 報 も、 正 確 な資 料 と同 じく 、充 分 な 玩味 に値 いす るし、 深 刻 な 教訓 を含 ん で いるも のと
いえ よう 。 ニ セ情報 が広 汎 な市 場 を も って いる のは、 な にも当 時 に限 った こと では な いから であ る。
以 下 項 を分 け て簡 単 に解説 す る のは、 当時 の社 業 あ る いは環 境 の発 展 に つ いて多 少 とも 包 括 的 な説 明 を加 え よう と い
う こと では なく 、 こ の巻 に収 め た資料 、 特 にそ の大 き な部 分 を占 め る いわば ﹁片 紙 隻 字﹂ の類 に若 干 の脈 絡 を添 え、 こ れ を利 用 す る上 で の最 小 限 の手 掛 かり を提 供 し よう と いう のが 目的 である 。一
満 鉄 は 一九 二 三年 四月 、 前 年十 月 就 任 し た社長 川 村 竹治 の下 で創 業 十 六 周年 の春 を迎 え た。 以 後 の 一年間 、 鉄 道 お よ
び港 湾 の設 備 は引 き つづ き着 実 に増 強 さ れ たし、 旅 客 、貨 物 の輸 送 も 活況 を呈 し、 運 輸 収入 は前年 度 に比 し 五 パ ーセ ン
ト の増 加 を見 た。 撫 順炭 鉱 では、 こ の年 度 の出炭 は前 年 に較 べ て約 百 万英 噸 、 二 八 パ ー セ ント強 の増 加 であ り、出 炭 高
の三 分 の 一を占 め る露天 掘 の拡張 計 画 が成 案 化 さ れ ( 九頁)、海 軍 の支持 の下 に進 めら れ て いた頁 岩 油 乾溜 方式 の研 究 も、
年末 イギ リ ス に大 量 の試 料 を送 って 工場試 験 を委 嘱 す る など 摸 索 の歩 を 進 め た (七九頁)。鞍 山 製 鉄所 は年 々欠 損 を続 け
な が ら、 こ の年 度 には独 特 の貧鉱 処 理 方式 の工業 化 が緒 に就 き 、十 月 には銑 鉄 年産 二十 万瓲 を目標 とす る計画 が重役 会
議 を 通過 し た 。要 す る に こ の年 度 、満 鉄 の社 業 は格 別 の波 瀾 も なく 順 調 に伸 長 し た と い え る。 そ の詳 細 は ﹁営 業報 告
書﹂ の記 述 す ると ころ に譲 るが、た だ 一、二念 のた め に補 足 し てお く。 そ の 一つ、満 鉄 は 四月 早 々日本 人 社員 千 二百余 名
の人員 整 理を行 ったが、 一九 二〇 年 の大整 理 当時 とは ち が い社 員 の間 に これと いう動 揺 は見 ら れず 、 撫 順炭 鉱 では十 月
古 城 子坑 の火災 のため中 国 人 労働 者 六 十 九名 の惨 死 者 を出 す 事 故 が あり (一三四頁)、十 二月 に は 工賃 値下 げ に当 って全 坑
に亘 り中 国 人 労働 者 の間 に ﹁多少 の紛 擾﹂ が起 った が、会 社 当 局 の目 から 見 て ﹁労 働 者 と し て の自覚 に立脚 せ る思想 的
傾 向あ る を認 め 難」 い程 度 のも の であ ったと いわ れ る。 社 内 の労 働 問題 に つ いて はそ の後 一九 二 八年 に いた って も、依
然 とし て満 鉄 が ﹁現業員 には未 だ組 織 的 、 団結 的 の組 合 の如 き も のを認 めた る こと な﹂ しと 、 き わめ て楽 観 的 な見 方 を
と って いた こと は注 意 に値 いし よ う。 いま 一つ、会 社 の方針 と は関 係 な いが 、前 年 か ら の日本政 府 の軍 縮 方 針 によ って、
満 鉄 の警 備 に当 る 独立 守備 隊 が撤 廃 さ れ駐 剳師 団 の 一部 が これ に代 る こと にな り、 一九 二三年 初 頭 か ら遼 陽 以南 の守備
隊 二箇大 隊 が内 地 に引 き揚 げ た 。満 鉄 は こ の年 八月 と 翌年 二月 と の二度 に亘 って、 総 理大 臣 、陸 軍 大臣 に撤 退中 止 を申
請 し た (四三、九四頁)。 そ の後 引 き揚 げ は中 止 され 、従 前 の六個 大 隊 のうち 四個 大 隊 が存 置 され る こと に な る。
と ころ で、 こ の時 期 の満 鉄 の活 動 を 貫 く全 体 とし て の傾 向 に つ いて、 一九 一九 年 関東 都 督府 が廃 止 さ れ、 関東 庁 、関
東 軍 、満 鉄 の権 能 が明確 に分 離 し た のち の満 鉄 は、 政党 と の関 係 を深 め る 一方 では 、﹁国策 会 社﹂ とし て よ り も ﹁営利
会 社﹂ とし て の色 彩 を よう やく濃 くし つ つあ ったと 説 か れ る こと が多 い。現 に こ の年 七月 から十 月 に かけ て重役 会 議 そ
の他 の討 議 に、 満 鉄 が鉄道 附 属 地経 営 のた め支 出 し てき た教 育 費 、衛 生 お よ び文 化施 設 費 な ど の いわ ゆ る地 方経 費 は本
来 は 政府 が負 担 す べき も のだ と いう 考 え 方 が現 れ、 つ いに は 一九 二 五年 以後 政 府出 資 への配当 金 を減 額 す る よう 政府 に
上 申 す る決 定 を行 って いる こと ( 七、 一一頁)な ど 、 あ る いは こ の傾 向 の 一つ の現 れ と見 る べき かも 知 れな い。 そ れ にし て
も 、 たと えば 社 外 への営 利 的 な投 資 な ど の部 面 では 、 一九 二七年 山 本 条 太郎 が社長 に就 任 す るま で会 社 の方針 は 一貫 し
て消極 的 であ り、殊 に この年 度 には 、満 洲 にお け る日本 側 の金融 機 関 も整 備 し て満 鉄 が果 す べき役 割 も 変 化 し たと いう
理由 で、株 式 の引 き受 け、資 金 の貸 し 付 けな ど によ る出 資 から、 ﹁有 意 義 な る事 業﹂ に限 り産業 助 成費 で ﹁部 分 的 に 必
要 な る援 助 ﹂ を 与 え る方 針 への転 換 が行 わ れ たと いわ れ る。 こ の年 満鉄 が全 部 あ る いは 一部 を出 資 し て新 設 され た会 社
のう ち、 満 洲 船渠 、 撫 順炭 販 売 の二会 社 は 、 そ れぞ れ直 接 会社 の港 湾、 炭 鉱 事業 の延 長 乃至 は補 充 の役 割 りを果 たす も の に過ぎ な か った。
だ が、 右 に述 べ たよ う な 一般的 な傾 向 と の関連 はと も かく 、 こ の年 度 にお いて特 に留 意 し て おき た いのは 、 のち に項
を 改 め て触 れ る よう に国 際 的 な環 境 が いち じ るしく 厳 し さ を加 え る な か で、 こ れ に対処 す る上 で満鉄 が選 ん だ方 針 であ
る。 こ の方 針 に つい ては 二 つ の側 面 を区 別 す る こと がで き るよう に思 う。
そ の 一つは、 満 鉄 が不 如意 な環境 の下 で、 あ る意 味 で はそ れ だ け にひ とし お、 積 極的 な態 度 を固 持 し て行 く側 面 であ
る。 満 鉄 は この年 度 に、 いわ ゆ る満 蒙 五 鉄 道 の 一つ であ る会 社 の借 款鉄 道 、 四〓 鉄 路 (四平 街 〓南 間 ) の 一部 をな す 鄭
〓 線 (鄭 家 屯〓 南 間) の建 設 を強 力 に押 し進 め、 十 月末 には完 工 にま で漕 ぎ つけ た。 この線 は す で に 一九 一七年 に開 通
し た四 鄭線 と合 わ せ て東部 内 蒙 古深 く 食 い こむ 満 鉄 の培 養線 であり 、 一九 一三年 の日中 秘 密 交換 公 文 で日本側 が得 た 権
利 に基 いて 一九 一九年 満鉄 と北 京政 府 と の間 に借款 契 約 が結 ば れ、前 年 の 一九 二 二年 九月 から満 鉄 の手 で 工事 が進 め ら
れ て いた。 鉄 道建 設 に つ いて の奉 天 政 権 お よ び北京 政 府 と の交 渉 と いう ﹁難 問 ﹂ には、 かね て松 岡 洋 右 が当 って いた が、
こ の年 五月 償 還 期 が到 来 し て切 り替 え が 必要 にな った旧 借款 と以後 の所 要 工事資 金 に関 す る新 借 款 と に つ い て は、 ﹁支
那側 の政 府 対 国会 関 係 及動 も す れば 奉 天側 の誤 解 を招 く虞 あ る﹂(二三頁)点 に 鑑 み て慎 重 な考 慮 が払 わ れた に かか わ ら
ず 、北 京 政 府 の反 応 は鈍 く ( 四五八頁)、 そ の後 の北 京 政 局 の激 動 も か らん で交 渉 は 延引 を 重 ね、 一時 は新 借 款 の成 立 し な
いまま 満 鉄 が工事 費 を 立 て替 え支 出 す ると いう形 で 工事 を続 行 し た ( 五二頁) 。 鄭 〓 線 が 開 通 に 近づ いた九 月 に は、社 内
に ﹁満 蒙 にお け る社線 以 外 の鉄 道 敷 設 の審 査企 画 に関 す る事 項 を掌 理 す る﹂ 交 通委 員 会 が組 織 され て松 岡 が委 員 長 と な
り (五九頁)、 翌年 二月 満鉄 は ﹁満蒙 鉄 道速 成 方 ﹂ に つい て中 国 側 と協 議 を進 め る か ら と 、 日本 の借 款 銀 行団 にあ ら ため
て諒 解 を 求 め て いる ( 九九頁)。 五鉄 道 の 一つ開 海鉄 路 (開原 海 竜 間) に つ いては 一九 二 四年 二 月 にな っても 何 ら 具 体 化
を 見 な か った が (九七頁) 、 交 渉 そ のも のは 一九 二 三年 にも強 力 に進 めら れ て いた こと がう かが わ れ る (四〇七頁)。 以上 一
連 の動 向 か ら見 で、 のち に述 べ る中国 側 の排 日風潮 、 いわゆ る利 権 回収 熱 の高揚 に直 面 し た満 鉄 が、 南満 洲 の懸案 鉄 道
に つ いて は依 然頑 強 にそ の権 益 を 主張 し 、 か つ急速 に これを既 成 事 実化 す るた め に努 力 し た こと があ き ら か であ る。
いま 一つの側面 とし ては、 これ と対 照的 に、 遠 く華 北 や北満 など で の活動 に つい ては、 満 鉄 の側 に 一種 の形勢 観 望 の
姿勢 が目 立 つ。華 北 に つ いては 、 一度 議 に上 った ﹁永 定 河 電 力調 査 の件 ﹂ は ﹁北 京 に伏魔 殿 を設 く る こと は必ず しも 異
議 な き も ⋮⋮ 尚充 分 の研究 考 慮 を要 す る﹂ と いう十 一月 の重役 会 議 の決 議 で ﹁見 合 せ﹂ とな った (七︱八頁) 。 満 鉄 は新 設
の山 東鉱 業 会 社 への出 資 に参 加 す ると いう 形 で(一七〇頁) 、 間 接 に日中 合 弁 の魯 大 鉱 業 公司 への発 言権 を保 留 し た が、 こ
れも 会 社 の立 場 か らす れば、 旧山東 鉄 道 (膠済 鉄 路 、青 島 済 南府 鉄 道) の従 業 員 の 一部 を引 き取 った こと (一四頁)と同
じ く 、 日本 の山東 半 島 から の撤 退 の後 始 末 に過 ぎ な い。魯 大鉱 業 公 司 は 日本 が 一応 返還 し た〓 川 、坊 子 、金 嶺 鎮 の三鉱
山 を経 営 す る こと を目 的 と し た が、創 立早 々か ら中国 側 の山 東 省有 化 の要 求 にさ ら さ れ続 け る (四〇〇頁)。
北 満 に対し ては、 ﹁北満 貨 物南 下 策 ﹂ を主 要 任務 の 一つとす る国際 運 送 会社 を ﹁対 外関 係 上﹂ の 考 慮 か ら ﹁満 鉄 の別
動 隊 ﹂ つま りダ ミ ーと し て、 専 務 取 締役 に小 日山 直 登 を送 り こん で発 足 させ たほ か、 一般 に手 控 え の姿 勢 を と る。 八月
の重 役 会議 は ﹁会 社 の対 北満 方 針 ﹂ を討 議 し た が、 そ の結 論 は、 日中合 弁 銀 行 を ハル ビ ンに新 設 す る必要 は認 め な い、
原 則 と し て北 満 の森 林 には手 を つけ な い、 会社 が松花 江 筋 に極東 運 輸組 合 の名 で所 有 し て いる河船 は売 却 さし つか えな
しと いう も の であ った (五頁) 。 枕木 お よ び坑木 の確保 を必 要 と す る満鉄 にと って林 業 利 権 は特殊 の意義 をも つが 、前 年
中 東 鉄 路 (東 支 鉄道 、 東 清鉄 道) 西部 線 (ハルビ ン マンチ ュリ ア間 ) のイ レ クテ 駅 を中 心 とす る大 興 安 嶺 の森 林 を対 象
に設 立 さ れ た 日、中 、 ロシ ア合 弁 の札 免 採 木 公司 を 見 ても 、 日本 側 出資 者 と し て の満 鉄 が八方 手 を尽 く し た にか か わら
ず (一七、二七頁その他)、 中 国側 が ﹁常 に林 区 の回収 を 目的 と し﹂ た こと な ど主 と し て権 利 関係 の紛糾 から 、経 営 そ のも の
は さら に振 るわ な か った 。森 林 を主 体 とす る吉 林 省 の韓 文 卿家 の財 産 を整 理 す ると いう 名目 で、 この年 同 家 に五 十万 円
の借 款 を与 え た ( 五、七四頁その他)動 機 はあ きら か でな い が、恐 らく 過去 の行 き が か り によ るも のであ ったろ う 。 河船 の
売 却 は ロシア人商 人 と の間 によ う やく 商 談 が成 立 し た が (五 一頁)、中 国 側 が松 花 江筋 での外国 人 船舶 の航 行 を 禁 止 し た
た め に話 は流 れた ( 九七頁)。事 は小 さ いが 中東 鉄路 南 部線 (ハルビ ン長 春間 ) の沿線 で会 社 が所 有 し て い た窰門 電 灯 廠
も収 支償 わず 撤 収 さ れ る (六五、八四頁)。 東 部内 蒙 古 で も八 月 の重役 会 は ﹁蒙 古 に土 地 を 買 入 るる ため蒙 古 産 業 公 司 に出
資 の件﹂ を ﹁尚 研究 す る こと﹂ と見 送 って い る ( 六頁)。 蒙 古産 業 公 司 は 一九 一九年 成 立 し た合弁 会 社 で、 蒙 古 王 公 が土
地 を出資 し、 満鉄 も かね て 日本側 出資 者 に加 わ って いた から、 ここ では投 資 の追 加 が控 えら れ たも の であろ う。
形 勢観 望 は ﹁手控 え﹂ で あ ると 同時 に ﹁時 機 待 ち﹂ でも あ った から、 こ の年 十 一月 ハルビ ン事 務 所 調 査課 の三 田了 一
が提 出 し た ﹁満鉄と外蒙古 ﹂( 六三四頁以下)、﹁呼倫貝爾産業公司企劃書﹂(六四三頁以下)の二報 告 も 、 会 社 の目 から見 て全 く時 宜
を得 な か った も のと いう こと は でき ま い。 三 田は ﹁外 蒙 古 を 英米 人 の活動 のみ に委 し 邦 人 の発 展 の余 地 なき に至 らし む
る こと を防 止 す﹂ るた め、 一方 では 四〓 線 の全 通 を機 に外 蒙 の物 資 の東 部 内蒙 古 への誘 致 を図 り、 他 方 これ に呼 応 し て
北 方 ホ ロンバ イ ルから も 外 蒙 へ触 手 を伸 ば す こと を主 張 し た 。 だ が そ の際 三 田 も、 ﹁現 時 支 那 人 の利 権 回 収 熱 熾 烈 にし
て そ の傾 向 特 に呼 倫 貝 爾 にお いて甚 し﹂ いも のが あ る から 、 ﹁他 の見 て何 事 も な さざ る如 く し て然 も大 々的 に 発 展 の歩
を進 む るが 如 き策 を以 て開 発 に あた る﹂ 方 式 を 勧 め て いる。 し か し、 満 鉄 が遠 く外 蒙 にま で調 査 隊 を派 遣 し た のは そ の
後 一九 二五年 にな ってか ら のこと であ る。 尚 三 田 が同 時 に提 出 し た ﹁大陸博物館建設私案﹂(六七八頁以下)は、 満 鉄 が 政 府
に 対し ﹁対 支 文化 事 業﹂ の 一部 とし て、 ﹁奉 天 そ の他 満蒙 枢 要 地 に満蒙 博 物 館 設 置﹂ を要 望 す る (一〇二頁)と いう 形 で生 か さ れ たよ う で あ る。
二
﹁中 国 に関 す る九国 条 約 ﹂ を根 幹 とす る いわ ゆ る ワ シ ント ン体 制 が成 立 し て から 二年 目 の 一九 二 三年 、 日本 は 第 一次
大 戦 期 にかち 得 た か に見 え た中 国 で の独 占 的 な 地位 を 失 って守 勢 に追 い込 ま れ、 満蒙 で の権 益 を確 保 す る のに全 力 を あ
げ て いた 。前 年 の末 ま で に、 ワ シ ント ン会 議 の内 外 お よ び そ の後 にお け る中 国 と の接 衝 の結 果 、 日本 は 若干 の権 益 を残
し て山東 から 撤 退 し、 関 東 州 お よ び満 鉄附 属 地以 外 にあ る 日本 郵 便 局 を撤 廃 し た 。 一九 一八年 以来 原 、高 橋 、加藤 (友)
の三 内 閣 を通 じ て外務 大 臣 の任 にあ つた 内 田康 哉 は 、 こ の年 も 早 々か ら枢 密 院 お よ び議 会 方面 から ﹁軟 弱外 交 ﹂ の非 難
を 浴 び た 。後 年 の ﹁焦 土 外 交﹂ の当 事 者 と し て の面 影 は な い。 し か し 三月 、 中 国 代理 公 使 廖恩燾 から 二十 一ヵ条 関係 条
約 廃棄 の通告 を受 け た内 田 は 即座 に これ を拒 否 し た 。条 約 の廃棄 と こ の条 約 が な け れば こ の月 租 借 期 間 が満 了 す る はず
であ った関 東 州 の返 還 を要 求 す る中 国 朝野 の声 は、 ワ シ ント ン会 議 でも 一顧 も 与 えら れず 、前 年 以 来排 日運 動 の波 とな
って起 伏 し て いた が、 日本 の正 式 の拒 否 を受 け て 一挙 に高 ま った。 六 月 は じ め には 、長 沙 に入港 し た 日清汽 船 の武陵 丸
が排 日 に遭 ったと いう の で、 日 本 の海 軍 陸 戦隊 が上 陸 し て中国 の民 衆 を殺 傷 し (長 沙事 件 )、排 日は つ いに最 高 潮 に 達
し た。 日貨 ボ イ コ ット の発 展 によ って 六月 日本 の対 中 国貿 易 は前 年 にく ら べ て半 減 し た 。 ボ イ コ ットは 直隸 派 軍 閥 の支
配 の及 ぶ揚 子江 筋 で こと に激 し か った。 五月 か ら 六月 にか け て外 務 省 は く り か えし て中国 政 府 に抗 議 し 、 小幡 酉 吉 にか
わ って中 国駐 在 公 使 と な った 芳 沢謙 吉 は、 七 月着 任 早 々 ﹁排 日 政策 をと る 支那 政 府 は、何 派 の政府 に あれ 、 日本 の好意
を期 待 し 得 な いであ ろ う﹂ と 声 明 し た 。 九月 は じ め に は 日本 船宜 陽 丸 が四 川省 〓 州 下 流 の揚 子江 上 で四川 軍 の襲 撃 を受
け 日本 人 二名 が死 亡 、 二名 が拘 留 され る と いう事 件 が あ った (宜 陽 丸 事 件 )。 こう いう事 態 の推移 のな か で九 月 に起 き
た関 東 大 震 災 は中 国 各 界 の同 情 を集 め 、 北京 をは じ め各 地 で義 捐活 動 が大 々的 に行 わ れた 。 そ の中 には勿 論 、最 近傅 儀
が述 懐 し て いる よう に こ の際 ﹁宣 統 帝 の仁慈 ﹂ を 売 り こん でお こう と いう た ぐ い の打 算 や、要 人 連 の雑 多 な お も わく が
うず ま い て いた こと はう た が いな いが、 いず れ にし ても 対 日感 情 の緩 和 は いち じ る しく 、 ﹁従 来 日 支間 に横 は れ る 暗 雲
は 一掃 せら るべ き か と思 は る る位 ﹂ (五二八頁)で あ った と いわ れ る。 こう いう 動 き の底 に は、 震災 で大 打 撃 を受 け た 日本
は 今後 中国 に対 す る 重圧 を弱 めざ るを 得 な いで あ ろう と いう期 待 も 流 れ て い た ( 五四八頁) 。 だ が こ の同 情 も 期待 も 、震 災
時 にお け る 日本 人革 命 家 、朝 鮮 人 、華 僑 や中 国 人 留 学 生 に対す る虐 殺事 件 の報 が 達 す る に及 ん で、 ま たも強 烈 な 反感 に
転 じ た 。 以 上 の経 過 は ﹁関東大 震災関係﹂( 五二六頁以下) の項 にま と め ら れ た情 報 に詳 し い。 当 時 中国 側 の調 査 で は東京 、 横 浜 で殺 害 さ れ た中国 人 は四 百 三 十 七人 、 行 方 不 明と な った者 四十 六人 に上 った。
だ が排 日 運動 の内幕 は決 し て単 純 で はな か った。 当 時 満 鉄調 査 課 の北京 派 遣 員 伊 藤 武雄 が報 じ た よ う に、 ﹁本 年中 部
支 那 にお け る排 日貨 運動 の精 神 と 北京 に おけ る 先覚 者 を以 て任 ず る者 と の精 神 には 大 な る逕 庭 ﹂ が あ った (五四七頁)。中
国 共 産 党 の機関 誌 ﹁嚮導 ﹂ が発 表 し た 一連 の論 説 は、 旅 順 、 大連 の回収 と 二 十 一ヵ条 の否認 をめ ぐ る運 動 を原 則 的 には
支 持 し な が ら、 強 く そ の弱 点 を 指 摘 し た。 弱 点 と は、 運 動 が日本 帝 国 主義 の勢 力 を排 除 す る ため に アメ リ カ、 イギ リ ス、
フラ ンスな ど帝 国 主 義列 強 の助 力 や調停 を夢 想 し て い る こと 、国 内 の売 国 政府 に反 対 し な いこと 、運 動 の方式 を経 済絶
交 に限 って いる こと な ど で あ った 。﹁嚮 導 ﹂ は四 月 北京 の教 会学 校 が ﹁絶 対 にほ か の政 治 問題 に干 与 し な い﹂ こと を標
榜 し て単 独 で反 日デ モを行 った こと に から ん で、 ﹁あ ら ゆ る日本 帝 国 主 義 に反抗 す る運 動 に は ア メ リ カ帝 国 主 義 が 割 り
こ み、利 用 し、 あ る いは触 発 し 、指 示を 与 え て いる﹂ と 警告 した 。 当時 中 共 の目 から見 て、 震 災 の前 後 を問 わず 、 日本
は す で に アメ リ カ、 イギ リ スと く ら べ れば 中国 の ﹁大害 ﹂ でも な く 、﹁最 大仇 敵 ﹂ でも な か った。 ﹁アメリ カ の中 国 に対
す る 侵略 と圧 迫 と は巧 妙 に掩 飾 さ れ、 体裁 よく 宣 伝 され て い るけ れ ども ﹂、結 局 は ﹁日 本帝 国 主 義 と競 って全 中 国 を 奪
いそ の資 本 の鉄鎖 の下 に置 く﹂ のが目 的 で あ り、 さ し あ た って ﹁アメ リ カ人 の態 度 は イギ リ ス人 の従 来 の態 度 にく ら べ てさ ら に進 攻 的 だ﹂ と いう のが そ の主張 で あ った 。
と ころ で、 日中 関 係 が こう いう 推 移 を たど って いる と き、前 年奉 天 派 の張 作霖 を関 外 に追 い、 ア メリ カ、 イ ギ リ スの
支 持 を背 景 にし て北 京 政府 の実 権 を 握 った直隸 派 軍閥 の勢 威 は 今 や全 盛 期 に達 し て いた 。 同時 に大 小軍 閥 の混戦 はま す
ます 激 し く、 中 国 の分裂 も空 前 の規 模 に達 し た 。各 派 の軍 閥 の背 後 には 列強 、特 に 日本 と アメ リ カと の間 の抗 争 が錯綜
し 、 外 国 か ら中 国 への武 器 輸 出 を禁 止 す る 一九 一九 年 の協 定 は空 文 と な り、 武 器 売 り こみは いさ さ かも衰 えな か った。
北 京 の日本 公 使 館武 官 室 作 成 の ﹁列 国 対支 兵 器 売 込 一覧表 ﹂ (二四五頁以下) は そ の 一端 を示 す が 、 密輸 者 のな か には アメ
リカ ﹁国 務 省 在 支密 偵 ﹂ ま で登場 し た 。 こ の年 四月 以前 の全 国 の政情 、軍 情 は 、﹁直隸 派 の巨 頭曹 〓 は最高 問 題 を提 て政
権 の壟 断 を謀 り 、驍 将 呉 佩 孚 徹底 的 武 力統 一策 を固 持 し て反 直 (隸 )派 を睥 睨 し、 そ の横 暴活 躍 更 に甚 だし き も のあ り﹂
と嘆 ず る関 東 軍 司 令部 の ﹁直隷派の武力統 一策と支那 の現況﹂( 六九六頁以下)が、 一切 を ﹁支 那 一流 の虚 々実 々 の策 略 ﹂で割 り
切 る皮 相 な 見 地 か ら では あ る が、 一応 詳細 に展 望 し て いる。 四 月末 直 隸 派 が曹〓 のお膝 下 保 定 で軍 事 会議 を開 き 、 五月
中 に広 東 、 広 西 を 収 め、そ の後 二十 日 で奉 天 を屠 ると 呼号 し た 翌 日、ア メ リカ 公使 シ ャー マン ( JacobGould Schurman)
は イギ リ ス公使 と同 道 し て保 定 に曹 〓 を訪 れ五 時 間 に亘 って会 談 し た。 そ の主 な内 容 が い わ ゆ る ﹁最 高 問題 ﹂、す な わ
ち 曹 〓 の大 総統 就 任 に諒 解 を与 え た も ので あ った ろう と いう噂 は当 時 から高 か った。 こ の直 後 小幡 酉 吉 と直隸 派 の将 領
王 承 斌 と の会 見 で、 小幡 は ﹁多 忙﹂ のため 曹 〓 に会 え な い がと いい、 王 は シ ャー マンら の訪 問 の結 果曹 が ア メリ カ、 イ
ギ リ ス に傾 く こと は な いと 日 本 側 の ﹁誤解 ﹂ を 解く に努 め た(二二三頁)のも そ の現 れ で ある 。 六月 は じ め シ ャー マ ンは国
務 省 に対 し、 ア メリ カと 親 し い顔 恵 慶 、 顧 維 鈞 ら から 得 た情 報 と し て、 ﹁直隸 派 の計 画 は 、第 一歩 、新 内 閣 を 組 織 し て
顔 が国務 総 理、 顧 が 外交 総 長 に就 任す る、 第 二歩 、 総 統 黎 元洪 を追 う 、第 三歩 、 顔 内 閣 が総 統 の職務 を代 行 す る、 第 四
歩 、 曹〓 を総 統 に選 挙す る にあ る﹂ と報 告 し た 。中 国 の史 家 は こ の計 画 は事 実 上直隸 派 と アメ リ カと の共 同 謀議 に成 っ
たも のだ と評 価 し て いる。 以 後 北 京 の政局 は大筋 に お い ては この方 向 に沿 って進 行 し た。 前 年 六 月迎 えら れ て大 総 統 の
地位 にも ど った黎 元 洪 は、 間 も な く 直隸 派 の看 板 と し て の価 値 を失 い、 一年 目 に北 京 を 追 わ れた 。 こ の騒 動 で、当 時 た
ま た ま北 京 に居合 わせ た松 岡 洋 右 の表 現 を借 りれ ば ﹁現 場 活 動 の衝 に当 ﹂ った のは (二〇 一頁)、 これも ﹁親米 派 ﹂ ( 二 一四
頁)と見 ら れ て いた馮 玉 祥 であ る。 こ の間 の事 情 から、 越 え て十 月 は じめ 、露 骨 き わま る買 収 で狩 り集 めら れ た 国 会 議
員 によ って曹 〓 が 大総 統 に選 挙 さ れ、 ﹁最 高 問 題 ﹂ が ﹁最 低 問題 ﹂ と 化し 去 るま で の経 緯 に つ いて は、﹁黎総統離京以後の
北京政局﹂(六〇 一頁以下) があ る ほか に、多 く の情報 が ﹁黎元洪駆逐事件と曹〓総統賄選をめぐる政情﹂(一九三頁以下) の題 下 に
収 め ら れ て い る。総 統 選 挙 と 同時 に国 会 の憲 法 会 議 が大 車 輪 で審 議 可決 し た ﹁中 華 民国 憲 法﹂ は、 施 行 期 を明 示 し な い
ま ま 十月 十 日 の国慶 節 に公布 さ れ た。 そ の内容 は ﹁ 中華民国憲法公布について﹂( 六〇六︱八頁) に詳 し いが、 ﹁自由 主 義 ﹂憲
法 の体裁 を整 え る こと は、賄 選 の醜 態 を粉 飾 す る ため ば か り でな く 、 アメ リ カ の意 を 迎 え るた め にも 是 非 と も 必要 だ っ た の であ る。
直隸 派 の強 引 な 行動 は、 奉 天 派 を は じ め ひと 口 に反 直隸 派 と いわれ る各派 、各 地 の軍 閥 、政 客 の策 動 を激 化 さ せ た。
賄 選 直 前 の全 国 的 な 政情 の大 体 は 、陸 軍奉 天 特務 機 関 がま と め た ﹁奉天より見 たる支那の乱局﹂( 七〇 一頁以下)に窺 う こと が
でき る。 直隷 派 と そ の支 配 下 の北 京 政府 と が当 面取 り組 ま な け れば な ら な い問 題 は、 まず 、全 国 武 力統 一には ほ ど遠 い
に し ても さし あ た り奉天 派 と の激 突 に備 え る こと であ り、 つ いで は財 政 問題 、 外交 問 題 であ った (二一四頁)。 全 く破 綻 し
Agl en) や 審 計 院 顧 問 パド ゥー ( GeorgePadoux) の案
去 って い た北 京政 府 の財 政 の実 情 に つ い ては、 張 英 華 の ﹁支那財 政整理案﹂( 六〇九頁以下) が詳 し いデ ータ を挙 げ て いる。 こ の整 理 案 そ のも のは 、海 関 総 税 務 司 アグ レ ン ( Si r Fr anci s
が 外 債整 理問 題 に主 眼 を 置 いて いる の に対 し、 これ と あ わせ て政府 の行 政 問 題、 国 内 統 一お よ び軍 隊縮 減 問 題 解決 のた
め の資 金 を捻 出 す る こと を標 榜 し て、 ﹁関 税 二分 五厘 増 徴 よ り生 ず る増 収 を担 保 と し て ﹃十 二億 元 の新 借 款﹄ を起 債 す
る ﹂ と いう 大 風 呂敷 で あ った が、 よ り現 実 的 な 四億 乃至 五億 元 の借款 計 画 、 特 にこ れを前 提 とす る千 二 百万 元 か ら 三千
万 元 の いわゆ る前 貸 金 計 画 は、 す で に前年 の第 一次 奉直 戦 争 で直 隷 派 が勝 った当 時 から繰 り か えし 乱 れ飛 び、 こ の年 の
前 半財 政 総 長 李根 源 も 、 これ を継 い だ張 英 華自 身 も 直隷 派 の軍 費 、政 費 、 賄 選費 調達 のた め奔 走 し た。 す で に前年 十 月
ア メリ カ の覚 書 への回 答 で日本 政 府 は、 北 京政 府 に借款 や前 貸 を 与 え る こと は、 ﹁偶 々支 那 一般 国 民 ト ハ没 交 渉 ナ ル極
メテ 少数 ノ個 人﹂ すな わち 直隷 派 を ﹁利 益 ス ル ニ止 マ﹂ ると いう 理由 で こ れ に反 対し た。 北京 政府 の計 画 は要 す る に前
貸 を受 け て直 隷 派 の急 を賄 う こと に あり 、 アメ リ カが支 持 し 、 日 本 が反 対 す る のも亦 こ の点 であ った 。 五月 はじ め 日本 、
イ ギ リ ス、 ア メリ カ、 フ ラ ン ス の四国 公使 団 が奉 直 再戦 を避 け る よう 中 国 側 に警 告 を 発 し た と き で さ え 、 ﹁英 米 公使 の
真意 は (代 理 公使 ) 吉 田 (伊 三郎 ) 氏 を 欺 瞞 し て借 款 に応 ぜし め ん と し た るも のな るも 幸 に吉 田氏 之 を看 破 し予 防線 を
張 ﹂ った と い う エ ピ ソ ー ド も あ った (二二三頁)。 ﹁最 高 問 題 を 準 備 す る た め に 就 任 し た ﹂ 張 英 華 は 、 新 四 国 借 款 団 に 対 す
る 交 渉 は そ の 一員 で あ る 日 本 の反 対 で 見 こ み が な い と いう の で 、 ﹁日 本 に関 係 の な い﹂ イ ギ リ ス の ク リ ス プ (Cr i sp ︹C.
Bi rc h︺ and C o m pany) 銀 行 団 と の 間 に 一千 万 ポ ンド の借 款 交 渉 を 進 め 、 取 り あ え ず 五 十 万 ポ ン ド の 前 貸 を 受 け る こ と
を希 望 し た が ( 四〇 一頁)、 結 局 実 現 に い た ら な か った 。 こ の年 、 こ の外 に滄 石 (滄 州 石 家 荘 間 )、 正 太 (正 定 太 原 間 )、 同
成 (大 同 成 都 間 )、 道 済 (道 口 済 南 間 ) な ど の 既 成 未 成 の 鉄 道 に つ い て 借 款 交 渉 進 行 の噂 が あ った が ( 四三八︱ 四 一頁)、 大
部 分 は 流 れ た も の と 思 わ れ る 。 も っと も こ のう ち 道 済 鉄 路 に つ い て は 、 当 時 イ ギ リ スと の 間 に 百 五 十 万 ポ ン ド の契 約 が
成 立 し大 い に呉佩 孚 を潤 お し た と の説 も あ る。
外 交 の方 面 で、 この年 の重大 問 題 の 一つが いわ ゆ る臨 城 事 件 であ った こと は いう ま でも な い。 五 月 六 日未 明 津浦 線 を
北 上 し つつあ った特 別 急 行 ブ ルー ・エク スプ レスは 山東 省 の臨 城 駅附 近 で土 匪 千余 人 に襲 撃 さ れ (四三七︱八頁)、 イ ギ リ
ス人 一人 が殺 さ れ外 人 男 女 二十 六人 が拉 致 さ れ た。 北京 政 府 は 外 交団 の強 圧 の下 に軍 隊 を 動 か し て土 匪 と交 渉 し 、 六月
半 ば よう やく 外人 全 部 の救 出 を終 った 。 呉佩 孚 の勢威 を少 からず 傷 け、 北 京 政府 を外 交 上 の窮 地 に陥 れ た こ の事 件 の背
後 に、 一九 二〇年 直 隷 派 に追 わ れ た安福 派 の陰 謀 があ り、 更 にそ の裏 に 日本 の手 が動 い て いると いう 風 説 は当 初 から 流
れ て いた。 事 実、 土 匪 首領 孫 美 瑤 の部 下 の多 く は 、失 脚 し た安 福 系 の前 湖 南督 軍 張 敬 堯 の ﹁残 兵 敗 将 ﹂ で あ り、奉 直 戦
争 で張 作 霖 に呼応 し て失 敗 し た 河南 督 軍趙 〓 の部 下 も 河南 で土 匪 化 し て盛 ん に外人 襲 撃 事 件を 起 こし て いた。 こ の年 張
敬 堯 も趙 〓 の弟 趙傑 も共 に張作 霖 の食 客 であ り、 日本 の軍 部 、 浪 人 と連 絡 し て反直 隷 の運 動 に奔 走 し て い た (二三九、二
四三、四 一七頁)こと を見 れば 、 日本 と親 し い趙 傑 の部 下 が臨 城 事 件 を起 こし たと いう 話 (二三六︱七頁)も 、単 に 浪 人 筋 の
大 言 壮 語 と し て片 づ け るわ け には行 く ま い。 いず れ にし て も こ の事 件 で国 外 の輿論 は湧 き 、 共同 出 兵 、 鉄道 の国際 管 理、
ワ シ ント ン会 議 の諸 決 定 の取 り 消 し など が叫 ば れ、 外 交団 は八 月 北 京 政府 に損 害賠 償 、 将 来 の保 障 (外 人監 督 下 の鉄 道
警 備 )、 責 任 者 の処 罰 を 要求 す る共 同 通牒 を発 し 、中 国 側 は九 月外 人監 督 のく だ りを 除 いて要 求 を受 け 入 れ、 問 題 は 一
応 落 着 し た 。 こ の交渉 で は イギ リ スがも っと も強 硬 であ り、 鉄 道 の運 輸、 会 計 にも外 国 人 を 入 れ、 実 質 上中 国 の全鉄 道
を列 強 の共同 管 理 の下 に置 く こと を 主張 し た が 、 ア メ リ カと 日本 と は 実権 が結 局 イ ギ リ スの手 に帰 す る のを恐 れ て これ
に反 対 し た 。尚 こ の年 中 国 と ア メリ カと の関 係 で は、前 年 十 二月 張 家 口 で ア メリ カ領 事 と組 ん で中 国 商 人 の現 大 洋貨 密
搬 出 に 一役 買 った ア メリ カ人 コルト マ ン (Col tman) が、 これ を 阻 止 し よう と し た中 国 兵 を射 撃 し て逆 に射 殺 さ れ た事
件 (コルト マ ン事 件 ) に つい て交渉 が行 わ れ た が、 ア メリ カ側 は 賠償 金 を半 額 に引 き下 げ る代 り に、 中国 側 を し て無 線
電 信 借 款問 題 を 即時 解 決 す る こと を約 させ た (四〇 一頁)。 一九 二 一年 一月 ア メリ カ の フ ェデ ラ ル無 線電 話 電信 会 社 (Fe
deralW i rel es sTel ephoneandTel egraph Corporati on) は北 京 政府 交 通 部 と の間 に上 海 そ の他 の地 に無 線 電 信施 設 を
建 設 す る契 約 を 結 ん だ が、 既 に 一九 一八年 日本 の三井 洋 行 と海 軍 部 と の間 にも 三十 年 の専 利権 を伴 う 北 通州 (双橋 ) 無
線 電信 所 契 約 が成 立 し て いた た め、 こ の年 は じめ から 日本 は中 国 側 に抗 議 を繰 り か えし て いた の であ る。 七 月末 揚 子 江
の宜昌 上 流 で ア メリ カ船 アリ ス ・ダ ラ ー号 が 四川 軍 に射 撃 され 船 長 以下 三人 負傷 し た事 件 (アリ ス ・ダ ラ ー号事 件 ) も
起 こり 、十 月 には上 海 で在 中国 の ア メリ カ商 業 会 議 所連 合 会 は 大 会 を開 き 、 陸海 軍 の中 国 への増 派 そ の他 の強 硬 な要 求
を盛 った決 議 を 行 って (四〇四︱五頁)少 から ず 中 国 の人 心 を刺 戟 し た。
直 隷 派 支 配 下 の北京 政 府 を め ぐ る動 向 のあ ら ま し は以 上 の通 り だ が、 一九 二 二年 の第 一次奉 直 戦 争 に破 れ た奉 天 派 の
張作 霖 は 、 そ の後 た だち に東 三省 の自 治 を 宣言 し て東 三省 保 安総 司令 を名 乗 り 、直 隷 派 と の関係 で は大 体 に お い て軍備
充 実 に専 念 す る ﹁消極 政 策 ﹂ を と った (六九七頁)。 し か し この年 を 通 じ て奉 直 再戦 の流 説 はと だ え た こと が な く、 四国 公
使 の警告 のあ と を受 け て五月 末 山 海関 で開 か れ た奉 直和 議 会 議 も結 局要 領 を 得 ず (二三〇︱ 一頁)、再 衝 突 が避 けら れな い
こと は明 ら か で あ った が (二四〇頁)、 双 方 と も直 ち に戦 争 に訴 え る準備 はな く 、再 戦 切迫 説 の多 く は、 日 、中 の浪 人 筋 か
ら流 され て いた よう であ る (二一五頁)。 六月 中 旬 天 津 で いわゆ る七 省会 議 (二〇二、六〇五頁)を開 く な ど、 張作 霖 が手 を 尽
く し て段 祺端 、盧 永 祥 、孫 文と の連 絡 を図 って い た こと は勿 論 だ が (一九九頁)、 馮 玉祥 と の間 にも諒 解 が ある と奉 天 派 の
要 人 楊 宇 霆 が 語 って い る こと は (二二九頁)、 翌年 第 二次 奉直 戦 争 で の馬 の行 動 と 思 い合 わ せ て注 意 に値 いす る。 以上 の経
緯 に つ いては ﹁奉直和議交渉及之れに伴う政情並 に軍情﹂(二二〇頁以下)に情 報 が あ る。 日 本政 府 は既 に前 年 十 二月 の閣 議 で、
張 作 霖 の中 央 進 出 の計 画 は まず 失 敗 す るも のと思 わ れ るか ら、﹁張 ノ為 メ及東 三省 ノ治 安維 持 ノタ メ ニ之 ヲ ﹃デ スカ レ ー
ジ﹄ ス ルノ態 度 ヲ持 続 スル﹂ こと に決 定 し て いた が、 こ の年 も こ の態 度 を維 持 し た よ う で あ る。 こ の時 期 には陸 軍 側 に
も積 極 的 な動 き は 見 ら れず 、 十 月中 張 作 霖 が直 隷 軍 の移 動 の激 し さを 伝 え て日本 側 の対策 を訊 し たと き には 、顧 問 本 圧
繁 は ﹁移 動 は積 極 的 な も の では あ る ま い﹂ と張 を ﹁慰 め て置 いた﹂ と いわ れ る (二四二︱三頁) 。 日本 の主 要 な 関 心 は、 張
を し て東 三省 を押 え さ せ、 か つ北 に向 って、 ﹁満 蒙 国 境 ノ防 備 ﹂ を 確 保 さ せ る こ と に あ った 。張 作 霖 の下 で東 三省 は 一
応 平 静 であ り、 名 物 の馬 賊 の動 き も 大 し た こと は な く (五八三頁以下) 、 中 国 の他 の地 域 が大 部 分動 乱 に明 け暮 れ て いる の
と は明 白 な対 照 をな し て いた。 吉 林 の楊 錫 九 を 首領 とす る ﹁反張作霖陰謀事件﹂(二四九頁以下)は 曹 〓 、 呉佩 孚 と関 係 が あ ると い われ た が、 たや す く弾 圧 され てし ま った。
張 作 霖 が日 本 の傀 儡 だと いう こと は内 外 共 に認 め ると ころ で あ った が (四〇三頁)、 日本 側 と し ては絶 えず 張 の動 き に警
戒 の目 を光 ら せ て いた。 六 月北 京 にあ った松 岡 洋 右 が、 呉佩 孚 が閻 錫 山 を通 じ て張 と連 絡 す る恐 れ が あ ると の説 に接 し
て、 そ の ﹁満 蒙 にも影 響 す る処 ﹂ を憂 慮 し 、奉 天 公 所 長鎌 田弥 助 の注意 を喚 起 し た のは そ の現 れ であ る(二〇 一頁)。張 作
霖 も ま た 日本 側 を牽 制 す るた め に イギ リ ス、 アメ リ カと の親 近 を ほ のめ かす こと を忘 れ な か った ( 四 一五頁)。 奉 天 政権 は
排 日 と利 権 回収 と の民 族 主 義 的 な動 き は適 当 に押 え な が ら、 日 本 か ら 支持 と 援 助 を引 き 出 し何 ら か の譲 歩 を かち と って
実 利 を 収 め るた め に は、 これ を利 用 し た 。奉 天 省 長 王 永江 が、 ボ イ コット運動 を唱 えな け れば 中 国 の輿論 に よ って売 国
奴 扱 いさ れ るか ら、 あ る程度 は呼 応 せざ る を得 な いと語 った上 で、従 来 の合 弁事 業 は合 弁 と は名 の み で実 は 日本 人 の事
業 だ か ら、 今後 や るな ら真 の合 弁 で行 か な け れば と説 いて いる のも この意 味 であ る (四一一頁) 。 事 実 大 体 一九 二二年 を期
と し て東 三省 では新 規 の合 弁企 業 の開 設 は ほと ん ど跡 を絶 った 。 大倉 組 が奉 天市 長 曾 有翼 に中 国 側 で計画 中 の市 街 電 車
敷 設 計 画 の合 弁 化 を申 し こん で断 ら れた のも ( 四 一三、五 一〇頁) 、満 鉄 が半 額 近 く投 資 し て いる東 亜 勧 業会 社 が農場 を開 く
に つ いて、 土地問 題 解 決 に便宜 を与 え た と見 ら れ る通遼 知 事 富 明哲 が罷 免 され た のも ( 四〇六頁)、 天 図 鉄路 (天 宝 山上 三
峯 間 )の用 地 買収 が難 行 す る のも (四五七︱八頁)、日本 側 から見 れば 、す べ て奉 天 政権 のこう いう 意 図 のな せ る業 であ った、
殊 に天 図鉄 路 は 、 一九 一八年 日中 合 弁 の契 約 が成 立 し てか ら、 合 弁 は仮 面 に過 ぎ な いと 中国 側 の輿 論 が湧 き 、爾 後 の交
渉 も奉 天 から 北 京 を転 々と し て ま とま らず 、 よう や く前 年 八月 に着 工 し た が、 用 地 の買 収 は そ の 一歩 一歩 で中 国側 住 民
の反 対 に遭 った 。 こ の年 には中 国 側 官 民 の鉄 道 敷 設 計 画 が僅 かな が ら顔 を 出 し は じ め る が (四五八頁以下) 、 日本 と の提 携
は 注意 深 く避 け ら れ て いた 。濱 黒 鉄 路 (ハル ビ ン黒 河間 )あ る いは そ の 一部 とし て の呼 海 線 (呼蘭 海 倫 間)の例 に つ いて
見 て も (四四七頁以下)、 黒 竜 江省 議 会 内 外 で の争 い は、結 局 イギ リ スと ア メ リ カと どち ら の借 款 を求 め る かと いう問 題 に
つ いて であ り、華 俄 道 勝 銀 行 (露 亜 銀行 Pyccko︲ A〓〓a Tck〓〓〓aHK)と 正金 銀 行 と の意 向 は 全 く無 視 さ れ て いた 。 こ の鉄
道 に つ いて は 一九 一六年 中 国政 府 と 道 勝 銀行 と の間 に借款 契 約 が成 立 し て前 貸 金 百 万 ド ルが 支払 われ た が、 ロシ ア革 命
で実 現 は困 難 と な り、 道 勝 銀行 は 一九 一九年 正 金 と 期 限 五 ヵ年 の シ ンジ ケ ート 契約 を結 ん で利 権 の確 保 に努 め た経 緯 が
あ った ので あ る。 な お既 存 の日中 合 弁 企 業 の窮 境 に つ いて は ﹁共栄起業株式会社の内容﹂(六八 一︱五頁)が そ の 一例 を 示 し て
い るし 、中 国 資 本 に よ る官 営 、 民営 企 業 の独自 の動 き に つ いて は、 中 国紙 記 事 の飜 訳 と思 わ れ る ﹁哈爾賓電業公司の現況﹂
( 七五六頁以下) のほ か、﹁中国経済関係﹂( 五〇八頁以下) に 断 片 的 な が ら情 報 資 料 が あ る。 以 上取 り上 げ て来 た事 態 は情 勢 の
一つ の側 面 であ り、 将 来 の波 瀾 への展望 を含 ん では いる が、 ま だ 日本 の南 満 に お け る経 済 力 の決 定 的 な優 勢 を お び や か
す程 度 に達 し て いな いこと は いう ま でも な い。﹁大正十 一年満洲の日本側金 融概況﹂(六八六頁以下)は そ の 一端 に つ いて の資 料 で あ る。
つ いでな が ら、 日本 側 の圧迫 に故 国 を迫 わ れ、 中 国 側 の排 日 風潮 と の板 ば さ み にな り な が ら、 水 田 適 地 を求 め て流 浪
す る朝 鮮 人 農 民 の足 跡 は、長 春 附 近 から (五七八頁)、 こ の年 に は遠 く〓 南 にま で及 ん で いた (六九三︱五頁) 。
おける採 金業﹂(七四七︱八頁)など ソ連 の地方 当 局 や中 東 鉄 路 の業 務 資料 、 あ る いは外 蒙 古 官吏 の語 った ﹁蒙古 の現状﹂( 七五
将 松 井 石根 が報 じ た ﹁知多、烏蘇里鉄道 の現状﹂(六二八頁以下)、在 マ ンチ ュリ ア の陸 軍 大尉 橋本 欣 五 郎 の報 告 し た ﹁極東に
以 後 であ る。 ソ連 、 外蒙 古 の内 部 事 情 に つ い て こ の巻 に お さめ た調 査 報告 お よ び情 報 のう ち に は、在 ハルビ ン の陸 軍 少
あ って (九三頁)、 これ が ﹁露 亜経 済 調 査 叢 書﹂、 ﹁労 農 露 国 研究 叢 書 ﹂ の形 で出 版 され は じ め る のは よ う や く 一九 二 五年
パ ・ロシ アに送 って新 ロシア に関 す る 一千 冊 の資 料 を 蒐 集 し 、 一九 二四年 は じ め から急 い で飜 訳 にか か る と いう程 度 で
ても 、 前年 秋 に は ハルビ ンで旧 オゾ 図書 館 の ロシ ア文 図 書 二 万 冊 を購 入 し、 こ の年 の夏 には十 一名 の 社 員 を ヨ ー ロ ッ
しく 兵 を 進 め て いたと は い っても 、 あ る いは そ れ だ け にな お さ ら、 き わ め て浅 薄 な 、断 片的 なも の であ った。満 鉄 にし
ソ連 と のあ ら た な外 交 的 、経 済 的 接 触 が 必要 と な る な か で、 日 本側 が ソ連 の実体 に つ い て知 る と ころ は、 シベ リ アに久
貌 を 一新 し た が、 同 時 に ソ連 は中 国 と 日本 と に対 し、 従 来 も続 け で来 た 国交 正常 化 のた め の外 交 攻勢 を 一層 強 化 し た。
に緩 衝 国 の役割 り を果 た し た極 東 共 和国 は解 消 し、 年 末 には ソヴ ィ エト社 会 主 義 共 和 国連 邦 が成 立 し て、 ソ連 極東 は面
一九 二 二年 のう ち に、 日本 軍 は北 サ ハリ ンを 残 し て 四年 振 り に シベ リ アか ら撤 退 し 、 ソヴ ィ エト ロシアと 日 本 と の間
三
八︱ 六〇頁) の よ う な 左 派 の ロ シ ア 語 新 聞 記 事 な ど を そ の ま ま 飜 訳 し た も の は 別 と し て 、 い か に も い か が わ し い内 容 の も
の が 含 ま れ て い る 。 ﹁反 共 産 党 員 よ り 在 哈 白 党 某 将 軍 へ の報 告 ﹂ と う た った ﹁労農 西伯 利 の近状 ﹂ (七二七頁以下)は そ の も っ
と も 著 し い 例 で あ る 。 こ れ に 較 べ れ ば 、 ハ ル ビ ン の ロ シ ア 語 紙 ザ リ ャ ー記 者 の手 に 成 る と い う ﹁露 国 の将 来 と極 東 貿 易 ﹂
結 局 、 露 西 亜 は 資 本 主 義 的 民 主 主 義 の政 体 に落 着 く よ り 他 に 途 が あ る ま い ﹂ と い う 見 通 し は 、 そ の 後 の経 過 で く
(七〇五頁以下) は 独 特 の 価 値 を も つ 。 こ の論 文 の ﹁共 産 主 義 は 露 国 農 民 に 固 着 し 居 る 純 ブ ル ジ ョ ア観 念 と は 到 底 相 容 れ ぬ ⋮⋮
つ が え さ れ た け れ ど も 、 実 は こう い う 考 え 方 は 、 新 経 済 政 策 の 実 施 以 後 ﹁ネ ップ は 政 策 で は な く ボ リ シ ェヴ ィ ズ ム の進
化 で あ る ﹂ と 認 め 、 ロ シ ア 共 産 党 の治 下 に お け る 資 本 主 義 の順 調 な 復 活 を 夢 想 し た 亡 命 ロシ ア 人 中 の 一派 ﹁道 標 転 換 派 ﹂
(cM eHoBeXoB〓〓) の 主 張 そ の も の で あ り 、 論 文 の な か で 言 及 さ れ て い る こ の派 有 数 の 理 論 家 ウ ス ト リ ャ ー ロ フ (H .B.Y
cTp〓〓oB)は 、 す で に 一九 二 〇 年 か ら ハ ル ビ ン で 活 動 し て い た 。 こ の 派 の主 張 は ソ連 国 内 のブ ル ジ ョ ア 分 子 の共 鳴 を 呼
ん だ た め 、 レ ー ニ ン は 一九 二 二 年 三 月 の ロ シ ア 共 産 党 第 十 一回 大 会 で 、 特 に ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の名 を あ げ て そ の当 ら な
い 所 以 を 説 い た 。 ザ リ ャ ー の記 者 は レ ー ニ ン の こ の演 説 に も 反 論 を 加 え て い る 。 レ ー ニ ン重 病 の噂 が 伝 え ら れ る お り か
ら 、 ロシ ア 共 産 党 の 党 内 闘 争 の成 り 行 き に つ い て も 、 白 系 筋 の情 報 が み な い た ず ら に混 乱 し て い る (二八八、七 一四頁) の
に 対 し 、 ソ 連 の ロ ス タ (POCTA ロ シ ア 通 信 社 ) 記 者 が 満 鉄 の ハル ビ ン事 務 所 長 古 沢 幸 吉 に 語 った ﹁区 々 の談 片 ﹂ は 、
早 く も 明 確 に レ ー ニ ン の後 継 者 は ス タ ー リ ン以 外 に あ り え な い と 断 定 し て い る 。 同 じ よ う に 、 ﹁労 農 露国 国 内 に お け る パ
ル チザ ン の活動 状 況 並 同 国内 の 一般 諸 件 ﹂(二七八頁以下)、﹁労 農 露国 の対 中 宣 伝 と中 国 官 憲 の対策 ﹂ ( 二七二頁以下) が お さ め る 情 報
の大 部 分 は 、 白 系 ロ シ ア 人 そ の 他 の情 報 ブ ロ ー カ ー の 作 品 だ と 見 て よ い。 こ と に 、 こ れ ら の 項 目 に か ぎ ら ず 他 の 部 分 に
も 散 見 す る が 、 ソ 連 の 正 式 の東 三 省 駐 在 特 別 代 表 と し て ハ ル ビ ン に あ った ポ ゴ ー ヂ ン (B .〓.〓oro〓〓H) の公 館 か ら 洩
れ た と 称 す る 情 報 は 、 こ の意 味 で の ﹁傑 作 ﹂ た る を 失 わ な い 。 尚 ソ 連 、 外 蒙 古 の 国 内 情 況 に つ い て の 情 報 の な か に 、 カ
ム チ ャ ト カ (二八二頁)か ら 黒 竜 江 の金 鉱 ( 七四八頁)、 外 蒙 古 (七五九頁)に い た る ま で 、 随 処 に ア メ リ カ 人 の 活 動 が 見 ら れ る こ と を つ け 加 え て お こう 。
と ころ で、 中 ソ交渉 のた め前 年 八 月 か ら北 京 に滞 在 し て いた ソ連 の特 別全 権 代 表 ヨ ッフ ェは 、北 京 政 府 と の交渉 が外
蒙 問 題 と 中東 鉄 路 問 題 で行 き つま り 、 北京 政 府 部内 も直 隷 派 の内 訌 で混 乱 し て外 交 総 長顧 維 鈞 の腰 が落 ち つかな いな か
で 、参 事 官 ダ フチ ャ ン (〓aBTb〓H) を 代 理 とし て北 京 に残 し たま ま、 こ の年 一月 上海 を経 て 日本 に向 って後 藤 新平 と接
触 し 、五 月 に は ソ連 が ﹁極 東 にお け る漁 業 お よ び海獣 業 に関 す る布 告﹂(二八 一︱二頁)を 発 し た のを 機 と し て 日本 側 の露 領
水 産 組合 と の間 に漁 業 協 定 を結 ん だ のち、 六月 から 七 月末 ま で日 本代 表 川 上 俊彦 と の間 に日 ソ予備 会 談 を進 めた が 、北
サ ハリ ン、 ニ コラ イ ェフス ク事 件 に から ん で交 渉 は 停頓 し、 ソ連 側 か ら会 談 打 ち 切 り を通 告 し て ヨ ッフ ェは帰 国 し た。
こ の会談 に つい て ハルビ ン各 方面 で流 れ て いた観 測 に つ いて は、 松井 石根 の ﹁日露 協 商 に対 す る 哈 市 外 人 側 の意 見 ﹂
(三八二︱九〇頁)が あ る が、 そ のうち たと え ば ﹁哈 市 左党 側 露 人 の観察 ﹂ は、 や は り実 態 を 忠 実 に反 映 し たも のと は いえ な いよ う に思 う 。
ヨ ッフ ェが去 った のち の北 京 政府 は、 ダ フ チ ャ ンに ヨ ッフ ェの帰 来 を促 す 一方 、 三 月 に は王 正 廷 を中 ソ交渉 に専 念 さ
せ る こと に決 定 し 、極 度 の不安 と 焦慮 と のう ち に東 京 で の成 り行 きを 注視 し て いた 。特 に東 三 省 、中 東 鉄 路 を めぐ って、
ソ連 が日 本 に何 も のか を与 え る の では な いかと 恐 れ た の であ る。 ヨ ッフ ェが東 京 で秘書 官 を中 国代 理公 使 廖恩燾 のも と
に派 し て、中 国 の主 権 を そ こな う よ う な こと は あ り得 な いと 伝 え ても 、 北 京 の不安 は 解 け な か った 。結 局北 京政 府 は、
ヨ ッ フ ェは帰 来 せず 、 内輪 の政 情 はま す ます はげ しく 動 揺 す ると いう 事 態 のま ま、 空 し く 七月 末 ソ連 が外 務 人 民委 員 代 理 カ ラ ハ ンを 中国 駐 在 の全権 代 表 に任 命 す るま で の時 期 を過 ご し た。
八 月中 旬 カ ラ ハンは ハルビ ンに到 着 し た が、 カ ラ ハンを迎 えた 当時 の ハルビ ンを中 心 と す る 現 地 の中 ソ関 係 はお よ そ
つぎ のよう な も のであ った 。 一九 二 一年 のはじ め 中東 鉄 路 の附 属 地内 に は 二十 万 の ロシ ア人 が い たと いわ れ る が こ の数
字 には ここ に流 れ こん だ白 系 の将兵 は含 ま れ て いな か った。 一九 二三年 ソ連 筋 では附 属 地 内 に限 らず 北 満 全 部 に在 住 す
る ロシ ア人 の数 を 三十 万と 概 称 し て いる が (二五六頁)、 こ のう ち に は いわ ゆ る中 立 系 も あ ろう から 、 こ の巻 の情報 がひ と
口 に赤 系 と呼 ぶ のは 、労 働 組 合 そ の他 の団 体 に組 織 さ れ て いた約 十 五 万 人 と見 て よ い。 三十 万 のう ち に含 ま れな い反 革
命 派 や 白 軍 の 残 党 の数 は あ き ら か で な い が 、 あ た か も こ の頃 に は 、 前 年 十 月 ヴ ラ ヂ ヴ ォ ス ト ー ク (浦 塩 斯 徳 ) か ら 元 山
に脱 出 し た ヂ ー テ リ ク ス (M .K.〓〓Tep〓x c ) 麾 下 の 亡 命 者 の 一部 千 二 、 三 百 名 が 長 春 に た ま り こ む 騒 ぎ も あ り ( 五八九頁
以下、 一〇六頁)、 大 部 分 が 窮 迫 し て右 往 左 往 し て い た 。 ハ ル ビ ン の ロ シ ア語 新 聞 に は 左 派 の ト リ ブ ー ナ (Tp〓〓yHa)、 ノ ー
ヴ ォ ス チ ・ジ ー ズ ニ (HoBocT〓 〓 〓〓H〓)、 中 立 派 の ザ リ ャ ー (〓ap〓)、 中 東 鉄 路 の 白 系 幹 部 に 近 い ル ス キ ー ・ゴ ー ロ ス
(Pycc〓〓〓 〓o〓oc) な ど が あ った 。 ハ ル ビ ン の ソ 連 系 の機 関 に は 、 さ き に ふ れ た ポ ゴ ー ヂ ン の 代 表 部 の ほ か 、 貿 易 省 極
(ダ リ バ ン ク 〓a〓b〓aHK) も ア メ リ カ 系 の 花 旗 銀 行 (Int er
東 機 構 お よ び 義 勇 艦 隊 (〓 o〓po〓〓oT) の事 務 所 が あ り 、 こ の年 三 月 ア ム ー ル 鉄 道 を 分 割 し て 成 立 し た チ タ鉄 道 お よ び ウ スリ ー鉄道 も代 表 を 置 いて活 溌 に動 いて いたし 、極 東 銀 行
nat i onalBanki ng Corporati on)、 中 華 懋 業 銀 行 (米 支 銀 行T he Chi nese Am eri c an Bank of Comm erce) の ハ ル ビ ン
支 店 と 取 り 引 き す る だ け で な く 、 独 自 の 支 店 開 設 を 急 い で い た (五〇〇、五 一八、五二四頁)。 一般 的 に い っ て 奉 天 側 の軍 警
が 、 ソ 連 側 の機 関 の 活 動 に 制 肘 、 妨 害 を 加 え 、 赤 系 ロ シ ア 人 を 圧 迫 し 、 白 軍 残 党 の 反 ソ 活 動 を 支 持 、 激 励 し て い た こ と
は いう ま で も な い 。 し た が って 中 ソ の間 で は こ の年 も 局 地 的 な 小 紛 争 は 絶 え な か った が 、 な か で も 周 辺 に 多 数 の中 国 人
が 居 住 す る ブ ラ ゴ ヴ ェー シ チ ェ ン ス ク と 黒 河 と の間 の 黒 竜 江 渡 江 手 続 き の問 題 は 六 月 に は 急 に 悪 化 し て 、 黒 竜 江 省 一帯
に軍 憲 が 戒 厳 令 を 布 く と い う 騒 ぎ に な った ( 二九 一頁)。 だ が 最 大 の問 題 は あ く ま で も 中 東 鉄 路 を め ぐ る 紛 争 で あ る 。
十 月 革 命 以 後 中 東 鉄 路 が た ど った 運 命 に つ い て は 渡 辺 嘉 夫 の ﹁東 支 鉄 道 問 題 ﹂ (二九四頁以下) の 要 を 得 た 説 明 に譲 る が
、こ う し た 経 過 で形 成 さ れ た 中 東 鉄 路 の 一九 二 三 年 に お け る 国 際 的 な 地 位 は 世 に も 特 異 な も の で あ った 。 中 東 鉄 路 の組 織
と 運 営 と の 大 綱 は 、 一九 二 〇 年 十 月 中 国 政 府 交 通 部 と 道 勝 銀 行 と の間 に 、 暫 定 的 に 、 つ ま り ﹁中 国 政 府 が 正 式 に ロ シ ア
政 府 を 承 認 し 、 双 方 の間 に 該 鉄 道 に 関 す る 処 理 方 策 を 協 定 す る ま で ﹂ の た め に 結 ば れ た 中 東 鉄 路 続 訂 契 約 (三二 一︱ 二頁)
(こ の資 料 の な か で は 多 く 長 官 又 は 管 理 局 長 と 呼 ば れ る ) オ ス ト
に よ って 規 定 さ れ て い た 。 こ の契 約 に 基 づ い て 中 国 人 督 弁 王 景 春 の 下 に 中 国 人 ロ シ ア 人 同 数 の 理 事 が 置 か れ て い た が 、 営 業 の実 権 は 依 然 と し て 道 勝 銀 行 の任 命 し た 総 支 配 人
ロウ ー モ フ (OcTpoyMoB) の ひ き い る ロ シ ア 人 高 級 幹 部 の 手 に あ り 、 中 国 人 幹 部 は こ の 年 の な か ば に な って よ う や く
﹁す べ て の 文 書 或 は 報 告 類 に は 支 那 人 次 席 も 部 課 長 同 様 之 に署 名 を 要 す る こ と と な る ﹂ 程 度 の 地 位 に お か れ て い た (四
八六頁)。 し か も こ れ ら の ロ シ ア 人 は 課 長 一人 を 除 き す べ て ﹁反 過 激 派 ﹂ だ (四七二頁)と いう 実 情 で あ る 。 こう い う 幹 部 に
対 立 し て 、 ロ シ ア 人 従 業 員 の多 数 は 労 働 組 合 に 組 織 さ れ て い た 。 こ の 巻 の治 安 情 報 に頻 繁 に 顔 を 出 す ド ル コ ム (〓opk
oM)、 ウ チ コ ム ( y〓k oM)、 メ ス ト コ ム (M ecTkoM) は い わ ば そ の 本 部 、 支 部 、 分 支 部 に 当 る 。 鉄 道 附 属 地 に つ い て は 、
中 国 側 は 日 本 の 尻 押 し も あ って 一九 二 〇 年 ま で に そ の警 備 権 、 警 察 権 、 司 法 権 、 行 政 権 を 回 収 し た 。 鉄 道 警 備 の 名 目 の
下 には 東 省鉄 路 護 路軍 が あ り ( 四八 一︱三頁)、 総 司 令 朱 慶 瀾 は 東 省 特 別 区 行 政 長 官 を 兼 ね て い た 。 警 察 系 統 に は 特 別 区 警
察 総 監 理 処 な ら び に鉄 道 警 察 と し て の路 警 処 が あ った が 、 こ れ に属 す る 警 察 官 のう ち 千 二 百 余 名 は 白 系 ロ シ ア 人 で あ り
、 路 警 処 の ハ ル ビ ン で の組 織 を 見 て も 、 そ の 四 つ の 区 の 区 長 は す べ て ロ シ ア 人 、副 区 長 が 中 国 人 と い う 状 態 で あ る ( 四八三
頁)。 ハ ル ビ ン の市 政 の た め に は 特 別 区 市 政 管 理 局 が 置 か れ て い た が 、 こ こ で も 土 木 、 教 育 、 衛 生 等 の 事 業 や 土 地 の 管
理 事 務 は 、 や は り 白 系 ロ シ ア人 が 引 き つづ き 掌 握 し 、 管 理 局 は 単 に ﹁監 督 ﹂ す る に過 ぎ な か った (三五七頁) 。 こ う いう 機
構 の下 で 中 東 鉄 路 が い か に 業 務 を 進 め て いた か に つ い て は 、 局 部 的 で は あ る が 、 そ の 一九 二 三 年 度 予 算 案 (四八九︱九〇
頁)、 ﹁東支 鉄 道 哈爾 賓 工場 概 況 ﹂ ( 七四九頁 以下)、 ﹁ 黒 竜 江 及松 花 江 江 運 史 並航 運 業 の現 況﹂ (七二二頁以下) な ど の資 料 が あ る 。 鉄 道
本 来 の輸 送 の 部 面 で 、 中 東 鉄 路 が ウ スリ ー鉄 道 と 組 ん で 満 鉄 と の間 に 演 ず る 貨 物 の争 奪 戦 、 運 賃 競 争 に つ い て は 、 こ の
年 に も そ の端 緒 は 現 れ て い る が (四七八、四八五、四九三︱ 五〇 一頁)、 本 格 的 に 激 化 す る の は 一九 二 四 年 以 降 だ か ら 、 第 二 巻
の 解 説 に ゆ ず る 。 た だ こ の 年 七 月 、 十 月 と 二 度 ま で も 、 白 系 ロ シ ア人 幹 部 に 対 す る 攻 撃 の材 料 と し て満 鉄 か ら の 収 賄 云 云 が取 りざ た され た こと は記 憶 し て置 いて よ かろ う ( 四二二、四六九︱七 一、四九九頁)。
中 東 鉄 路 に関 す る 北 京 で の 交 渉 が 中 断 し て い る 間 に 、 現 地 の ハ ル ビ ン で は ロ シ ア 人 幹 部 特 に オ ス ト ロウ ー モ フ に 対 す
る 中 国 側 の排 撃 圧 迫 が 強 ま った が 、 北 京 政 府 外 交 部 に 近 い半 官 的 な ペ キ ン ・デ イ リ ー ・ ニ ュ ー ズ も ﹁ 東 清 鉄 道 疑獄 ﹂(七五
二頁)と い う 記 事 で こ れ を 援 護 し た 。 ロ シ ア 人 幹 部 の 間 で も 、 ソ 連 の勢 威 の回 復 に伴 う 中 東 鉄 路 お よ び 道 勝 銀 行 の 将 来
に つ い て の 思 わ く が か ら み内 紛 が 相 つ い だ (四六六頁 以下)が 、 七 月 末 に は カ ラ ハ ン の到 着 を 控 え て 、 中 東 鉄 路 土 地 部 の業
務 に対 し中 国 側 が実 力 で接 収 を進 め ると いう 事 件 が起 こ った。 そ の経 過 に つい て は ﹁ 東支鉄道附属地移管問題﹂( 二九四頁以
下) にき わ め て詳細 な情 報 が あ り、 殊 に庶 務 部 調 査課 の ﹁東 支鉄 道 附 属 地移 管 問 題 の真 相並 経 緯﹂( 三五六頁以下)、 ﹁東 支 鉄
道 附属 地移 管 問 題 の経 過 ﹂ ( 三四六頁以下) が これを系 統 的 に整 理 し て いるか ら ここ で は立 ち 入ら な い。 た だ こ の接 収 問題
に つ いて の各 国 、各 方 面 の態度 は、 同 時 に中 東 鉄 路 そ のも の に つ いて の態 度 だ から 、 簡 単 に ふれ て おく 。 まず ソ連 の主
張 は、 中 東 鉄 路 は本 来 実質 的 に は ロシ ア の国 有 鉄 道 で あ り、 株 式 は ほと ん ど道 勝 銀 行 の名義 にな って い ると は いえ実 は
ロシア政 府 のも ので あ る上 に、 道 勝 銀 行 そ のも のは 一九 二〇 年 十 月中 国 が中 国 駐 在 の旧 ロシ ア外交 官 の礼遇 を停 止 す る
と 同時 に、 ハルビ ン の支店 に フラ ンス国旗 を か かげ白 系 ロシ ア人幹 部 の多 く は パ リ へ逃 亡 し た始末 で あ り、 フラ ンス帝
国 主義 の指 揮 に従う フラ ン ス の 一私 人 企 業 に過 ぎ な いから 、 そ の結 んだ続 訂契 約 や そ の任命 し た ロシ ア人幹 部 を認 め る
こと は でき な い こと、 中 東 鉄路 の問 題 は 中 ソ両 国 の協 議 に よ って解 決 され る べ き で あ って、 そ の時 期 ま で中国 側 の 一方
的 な行 動 は許 され な いこと 、 ワシ ント ン会議 の中 東鉄 路 に関 す る二 つの決 議 の 一つは、 中東 鉄 路 の管 理 権 は 中国 の信 託
の下 にお か れた も のと認 め 、中 国 政 府 の義務 履 行 に つ いて は列 強 は そ の責 任 を問 う 権 利 を保 留 す る と いう のだ が、 ソ連
は ワ シ ント ン会 議 への参 加 を拒 ま れ たし そ の決 議 も認 め な い から 、列 強 の干 渉 を許 す わ け に は行 か な い こと 、 の三 つ に
帰 着 す る。 カ ラ ハンが ハルビ ンで記 者 団 に述 べ た のも こ の趣 旨 を 出 な か った。 北 京 政 府 は本 来 中 東鉄 路 の管 理 に 対す る
中 国側 の地 位 を 強 化す る こと に は異 議 は な いが、 アメ リ カ への気兼 ねも あ り、 奉 天 政 権 の手 にあ る 中 東 鉄 路 の実 権 を
﹁中央 政 府 に還 付﹂ さ せ る こと こそ当 面 の問 題 な のだ か ら (二二五頁) 、 奉 天 派 の 一方 的 な行動 には 反 対 し た。 奉 天政 権 の
狙 い の中 心 は結 局、 カ ラ ハン来 華 前 に実 力 で、 中 東鉄 路 に関 す る交渉 上 の有 利 な地 歩 を占 め て置 こう とす る こと にあ っ
た よう だ。 ア メリ カ は ワ シ ント ン会 議 の決 議 を かざ し て干 渉 の音頭 をと り 、 シ ャー マ ンの ハルビ ンで の強 硬 な演 説 は 奉
天 政権 を驚 かせ た。 日本側 は同 じく 附 属 地 を持 つ満鉄 を含 め て、 鉄道 附 属 地 の現状 変 更 には極 度 に敏 感 であ るば かり で
な く、 中 国 の行動 が列 強 の共同 干 渉 を も た らす 結 果 に な る こと を 恐 れ た。陸 軍 側 の顧 問 は ﹁土地 問題 は当 分 之 を保 留 し 、
勉 め て東 支 線 の現状 を保持 せし む る﹂ よう 張 作霖 を ﹁指 導 し つ つあ り﹂ と 、奉 天 特 務 機 関 の陸 軍 少将 貴 志 弥 次郎 が報 じ
て いる のも (二六八頁)こ の趣 旨 で あ ろ う。 こ の事態 が起 こる前 の こと では あ る が、 道 勝 銀 行 の幹 部 が フラ ンス公使 の意
を受 け て ハルビ ンに来 た 際 、﹁此 際東 支 鉄 道 問題 に関 係 列 国 を引 入 る るに於 て は、単 に利 益 す る は米 国 位 のも のな れ ば ⋮ ⋮﹂ と ハルビ ン総 領 事 山 内 四郎 に語 った (四七三頁) のも興 味 深 い。
一九 一九 年 、 二 〇年 と 二回 にわ た って中 国 に対 し 、 ツ ァー リ時 代 の 一切 の特権 を放 棄 す る ことを 宣 言 し た カラ ハンの
ハルビ ン到 着 に当 って中 国 官 民 の示 し た歓 迎 (二五七頁) 、 さ ては さ き に ふ れた 黒竜 江渡 江 手続 き の問 題 で各 界 を網 羅 し て
生 ま れ た 対露 外 交後 援 会 が、 いま や会 員 挙 って カ ラ ハンを駅 頭 に迎 え、 歓 迎 会 を開 く と いう ﹁矛 盾 ﹂ は 日本 側 を驚 か せ
た( 二六四頁)。 一種 のブ ー ムを ま き お こし た カ ラ ハ ンは 、 土地 部 問 題 の渦 を あ と に し て奉 天 に向 い、 張作 霖 と 二度 に亘 っ
て会 談 し ﹁要 求覚 書 ﹂ を提 出 し た。 事 前 に松 岡 洋 右 は奉 天 の鎌 田弥 助 に宛 て、 ﹁カ ラ ハン氏 滞 奉 中 の行 動 に充 分 注 視 せ
ら れ た し。 又 東支 鉄 道 に就 ては 現状 を維 持 す る に務 め軽 挙 彼 等 の甘言 に乗 ら ざ る様 張 総 司 令 へ可然 注意 し置 かれ た し﹂
と電 命 し た が (二六九頁)、 こ れ に答 え て鎌 田 が松 岡 に送 った情 報 (二六九︱七 一頁)は極 め て正 確 な も ののよう であ る 。 そ の
﹁別 紙 訳文 ﹂ の第 一は恐 ら く カ ラ ハンの発 言 の要 旨 であ り、 第 二は覚 書 の本 文 であ ろう 。 こ の内 容 をそ の後 ハルビ ン事
務 所 長 が ﹁相 当 信 を置 き て可 然 や﹂ と前 置 きし て送 った情 報 (二九二︱三頁)と く ら べ ると 後 者 の荒 唐 さは き わ立 って いる。
張 作霖 は結 局 日本側 の期 待 に そむ かず 、 何 の確 答 も 与 え な いまま う や む や のう ち に カ ラ ハンを北 京 に送 り出 し た が 、 カ
ラ ハ ンと は じ め て会 った翌 々日 、中 東 鉄 路 土 地部 の問 題 で抗 議 に来 た在 奉 天 の領 事団 を引 見 し た と き、 ﹁本 件 は露 支間
の問 題 な れば 他 国 の容 喙 を許 さず ﹂ と答 え 、 ﹁要 ら ぬ御 切 介 な り と の意 を 仄 め か﹂ し た と いう の は (三 一三頁) 、 いか に も
カ ラ ハ ンの議 論 の 口移 し か とも 思 わ れ て面 白 い。 以 上 カ ラ ハンの動 き に つい て の情 報 は 大 体 ﹁露支交渉と労農代表カラハ
ンの北満に於ける動静並 に之れに伴う政情﹂(二五五頁)の項 下 に集 め ら れ て いる。 こ のう ち、 カ ラ ハン の言 動 が張 作 霖 に与 え
る影 響 をお そ れ た松井 石根 が ﹁近来 北満 地 方 に於 け る支 那官 民 の対 日態度 は決 し て可良 な らず 。陽 に親 善 を粧 ひ陰 に事
毎 に帝 国 の利 益を 阻害 す る﹂ 例 が多 いから 、 こ の際 張 に対 し ﹁過 去 の売恩 的 愛 護 政策 に偏 せず 、真 に恩 威並 び行 ﹂ う態 度 をと る こと を主 張 し て いる ( 二六七頁) のに注 意 し て置 き た い。
曹 〓 の賄 選直 前 北 京 入 りを し た カラ ハンは いよ いよ 中 ソ交渉 に乗 り出 す わ け であ る が、 そ の 一方 では、 関 東 大 震災 の
報 に接 し て た だち に日本 に木 材 な ど建 築 材 料 を供 給 す る こと を ソ連 政府 に提議 し 、後 藤 新 平 の内 務 大 臣就 任 にも祝 電 を
送 り( 五五六頁) 、 十 二月 は じめ には 、 ソ連 政 府 は 日本 の震災 罹災 者 に日本 海 沿 岸 の漁 業 権 と ア ムー ル州 、沿 海 州 お よ び サ
ハリ ンの森 林伐 採 権 を与 え る こと を決 定 し た と芳 沢謙 吉 に通知 し た(五六〇頁)。 も っと も ソ連 の史 家 は 、 こ の通 知 は も っ
と前 にお こな わ れ、 十 二月 には ソ連 を怒 ら せ こ の話 の打 ち 切 り を決 定 さ せた 日 本 政府 の回答 (五七 一 ︱二頁)が芳 沢 から カ
ラ ハ ンに通 告 さ れた のだ と い って いる。 いず れ にし ても 本 格的 な対 日交 渉 に備 え て のカ ラ ハン の布 石 は き わめ て積 極 的 に進 め ら れ た。
四
周 知 のよ う に、 一九 二 三年 は中 国 の現代 史 が決 定 的 な転 換 を とげ た年 で あ る。 こ の年 中 国 共産 党 と 中国 国 民 党 と の合
作 は進 ん で革命 統 一戦 線 形成 の準 備 は全 く 成 り 、 翌年 一月 国 民党 は広州 で第 一回 全 国代 表 大 会 を開 い て国 民党 の改組 を
実 行 し、 大 会 宣言 は明確 に連 ソ、 連 共、 扶 助 労農 の 三大 政 策 を か かげ た。 革 命 的 民 主主 義 者 と し て の孫 文 は、 永 い模 索
と彷 徨 と の のち、 中 国 共産 党 の強 力 な援 助 の下 で、 つい に こ の路 線 に到 達 し た の であ る 。 こ の部 面 で の 一年 間 のも っと
も重 要 な 動 き を年 表 風 に見 て も、 一月 には コミ ンテ ル ン執 行委 員会 が国 共 合 作 に つ いて の決 議 をす る。 一月 下 旬 孫文 は
上海 で ヨ ッフ ェと会 談 し て孫 文 ヨ ッフ ェ共 同 宣 言 を発 表 し 、 さ ら に了解 を深 め るた め ひ そ か に廖 仲 凱 を ヨ ッフ ェの日本
訪 問 に随 行 さ せ る。 間 も なく 李 大釗 が国 民党 に加 入 し、 他 の共 産党 員 も続 々それ に つづ く。 二月 はじ め には前 年 か ら続
いた スト ライ キ の波 の絶頂 と な った 京漢 鉄 路 労働 者 の大 スト ライ キ に呉佩 孚 が流 血 の弾 圧 を 下 す (二七 事 件)。 二 月末
孫 文 は広 州 に帰 って広 州 政府 を組 織 す る。 六 月 中 国共 産 党 第 三 回全 国 大会 が広 州 で開 か れ、 専 ら革 命 統 一戦 線 の問題 を
討論 し国 共 合 作 の具 体 的 方針 を練 る。 八 月 には 孫 文 が派 遣 した 蒋介 石 の ミ ッシ ョ ンが マンチ ュリ アを 経 て モ スク ワに向
う 。 九 月 上海 では共 産 党 員 も含 め た国 民党 改 組研 究 の会議 が開 かれ る。 こ の月 孫 文 は ボ ローヂ ン (M.M .〓opo〓〓H) を
国 民 党 中 央執 行 委 員会 の政 治顧 問 に任命 し、 翌 月 ボ ローヂ ンは広 州 に到 着 す る。 十 一月 には国 民党 の改 組宣 言 、党 綱 領
草 案 が発 表 され る 。十 二月広 州政 府 が関 税 剰 余 金 を差 し押 さえ たた め、 アメ リカ、 イギ リ ス、 日 本 そ の他連 合 の艦隊 が 広 州 の白 鵝潭 で ﹁海軍 デ モ﹂ を行 う な ど、 事 態 発展 のテ ンポ はま さ に嵐 のよう に進 ん で いた。
今 日 から み て 一見奇 異 の感 に打 たれ る の は、 こ の重 大 き わま る動 向 が、 本巻 の資 料 にほ と んど 反映 され て いな い こと
で あ る。情 報 がひ と まと め に失 わ れた と も考 え ら れ る。 だ が お そら く そう では あ るま い。 中 国 に関 し て ﹁北 方 軍 閥 の争
闘 を中 国 の政 治 動 向 の本 命 と みな す観 点﹂ は、 ま だま だ頑 強 に情 報 、調 査 の担 当者 の頭 を支 配 し て いた ので あ る。右 に
あげ たよ う な、 や が て は中国 の社 会 を根 柢 から揺 り動 かす 一連 の事態 が進 行 し て いる さな か に、 た と えば関 東 軍 の眼光
は共 産 党 は お ろか 、﹁孫派 の勢 力 微 々とし て真 に省 城内 に出 で﹂(六九八頁)ず と いう 程 度 に止 ま って いた。狭 い意 味 で の、
型 通 り の政治 、 軍事 、 治 安情 報 の域 を脱 し て、多 少 とも 中国 社 会 の実態 に迫 る試 み は、 北京 の伊 藤武 雄 によ って手 が つ
けら れ た 。 こ の巻 の関 東 大震 災 に対 す る中 国 各 界 の動 き を報 じ たと ころ にも そ の片 鱗 が現 れ て いる し、 翌年 に は ﹁北京
満 鉄 月 報﹂ の発 刊 と な って、﹁中 国 に おけ る資 本 主 義発 展 を軸 と し て、 これ に から ま る帝 国 主義 侵 略 史、 国 民 革 命 論 、
革命 政 党 論、 学 生運 動 史 、紡 績 工場 罷 工論 、 中国 ギ ルドな ら び に近 代労 働 組 合論 ﹂ そ の他 の研 究 が蓄 積 され て行 き、 や
が て は こ こから 鈴 江言 一の諸著 も 生 ま れ る。 こう いう 系統 の研 究 が こ の後 も 久 しく 続 け ら れ て行 くと ころ に、 満 鉄 の独
特 の おお ら か さは認 めら れる が、 それ に し ても そ の成 果 は会 社 本来 の使 命 と性 格 と から いえば 、 やは り 一種 の ﹁鬼 子﹂ で あ り、満 鉄 と し て使 い切 れ るも の では な か った と いう ほ か はあ る ま い。
(2) 同 、 一四 一頁
(1) 南満洲鉄道株式会社庶務部調査課編 ﹁南満洲鉄道株式会社第二次十年史﹂、七四二︱三頁
(3) 同 、 五 八 三頁 (4 ) 同 、 五 三 七頁
(5) 同 、 一二 四九 頁 (6) 例 えば 満 史会 編 ﹁満 州 開 発 四 十 年史 ﹂上 巻 、七 七 、 一五 三頁
﹁第 二次 十年 史﹂、九 二七 頁
(7) 南 満 洲 鉄 道 株 式会 社 総 裁 室 弘 報 課 編 ﹁南 満 洲鉄 道 株 式 会 社 三 十年 略 史 ﹂、 六 〇 八頁 (8 ) (9 ) 西春 彦 ﹁回 想 の日本 外 交 ﹂、 一四 頁
(11 ) ﹁第 二次 十年 史 ﹂、 三〇 〇 三頁
﹁三十 年 略 史﹂、六 三 一︱ 二頁
(10) 張 雁 深 ﹁日 本利 用 所 謂 〃合 弁 事業 〃侵 華 的歴 史 ﹂、 一九 五 八 年 北 京 、 一四 八 頁
(12)
﹁第 二次 十年 史 ﹂、 一二 五 八︱ 九頁
(13) 張 雁深 前 掲 、 一 一二頁 (14 )
(16 )
﹁嚮 導 ﹂ 第 一集 、 一九 六 三年 東 京 影 印本 、 一四九 ︱ 五 〇 頁
﹁外交 大 辞 典 ﹂、 一九 六 五 年 台 北覆 印 本 、 一八 九 頁
(15) 愛 新 覚 羅 ・傅 儀 ﹁我 的 前 半 生 ﹂、 一九 六 四年 北 京 、 一六 四頁
(17) (18 ) 同 、 一五 二頁 (19 ) 同 、 二 六 二頁 (20) 同 、 三 三七頁 (21 ) 同 、 一五 〇 頁 (22 ) 同 、 二四 八頁
(23) 劉 大年 ﹁美 国 侵華 史 ﹂、 一九 五 一年 北 京 、 一二九 頁
﹁嚮 導 ﹂ 第 一集 、 二 三 六頁
(24) 外務 省 編 ﹁日 本 外交 年 表 竝 主 要 文書 ﹂ 下 、 二九 ︱ 三〇 頁 (25) (26) 同 、 二〇 九頁 (27) 胡 縄 ﹁帝 国 主 義与 中 国 政 治 ﹂、 一九 六 一年 北 京 、 二〇 〇 頁
(30)
(29)
﹁嚮 導 ﹂ 第 一集 、 二八 二 頁
﹁北 洋 軍 閥統 治 時 期 史 話 ﹂ 第 六冊 、 二二 六頁
﹁嚮 導﹂ 第 一集 、 一八九 頁
(28) 陶菊 隠 ﹁北 洋 軍閥 統 治 時 期 史 話 ﹂ 第 六冊 、 三九 五 八年 北 京 、 二 二 四︱ 三 一頁
(31)
(32) 同 、 三五 三 頁
﹁日本 外 交 年 表 竝主 要 文 書 ﹂ 下 、 三 一頁
(33) 同 、 三 三五 頁 (34)
(38 )
(37 )
(36 )
﹁第 二 次十 年 史 ﹂、 一二五 五頁
﹁満 州開 発 四十 年 史﹂、 四 一 一頁
﹁満 州開 発 四十 年 史﹂、 三 五 四頁 、 ﹁日本 利 用 所 謂 〃合 弁 事業 〃侵 華 的 歴 史 ﹂、 七 三︱ 五頁
﹁日 本利 用 所 謂 〃合弁 事 業 〃 侵 華 的歴 史 ﹂、 一四 六 頁
(35) 同 、 三 二頁
(39 )
同 、 四 六 〇 ︱ 六 一頁
エ リ ・ エ ヌ ・ク タ コ フ ﹁日 ソ 外 交 関 係 史 ﹂ 第 一 巻 、 六 〇 ︱ 六 二 頁
﹂、 一九六三年台北、四〇〇頁
(43 )
M .A. 〓epc〓〓 :〓〓 a〓bH eB ocT o〓H a〓 Pec〓 y〓〓〓ka 〓 K〓T a〓,”M ockB a, 1961,cT p.68 .
従優林到越飛︱
(40 ) B.〓.〓eH 〓H :〓o〓H oe Co〓p aH 〓eCo〓〓HeH 〓e,T .45,MockB a,1964,cT p.657. (41 ) TaM〓e,cT p.93︱94.
(44 )
( 42) 王聿均 ﹁ 中蘇外交的序幕︱
(45 ) TaM 〓e,cT p. 71. ﹁回 想 の 日 本 外 交 ﹂、 一八 頁
(46 )
M .A. 〓ep c〓〓 :“〓 a〓bHeB ocT o〓Ha〓 Pec〓y〓〓〓ka 〓 K〓T a〓”,cT p.235.
(47 ) (48 ) TaM 〓 e,cTp157
﹁満 鉄 に 生 き て ﹂、 九 二 頁
一巻 、 七 〇 頁
(49 )
伊 藤 武 雄
﹁黄 竜 と 東 風 ﹂、 五 九 頁
﹁日 ソ 外 交 関 係 史 ﹂ 第
(51 ) 伊 藤 武 雄
(50 )
(52 )
( 藤 井満 洲 男 )
第 一部
満 鉄 ド キ ュメ ン ト 類
秘
社長室
文書 課長
一 重 役 会 議 記 録一
重役会議 々案 (大正十 二年 四月二十日)
四月二十四日 ( 火曜 日午前 九時半より)重役会議案 (本社 々長室) 一、定例重役会議 の日程決定 の件
(五月四日)
秘
明五日 (土曜 日)重役会議 々案 左の通 一、満洲研究会補助に関す る件 (七月五日)
秘
二、大石橋地方事務所 々管変更 に関す る件 明六日 (金曜日)重役会議案 極秘
一、旅順桟橋竝東港利用 に対す る解決案 の件 ( 鉄道部長提出) (八月八日)
一、重役会議事項決定 の件
三、京城鉄道局十五年勤続者表彰 に関する件 (表彰委員長松岡理事
二、悦来桟 に関する件 (興業部長提出)
一、本年 度追加予算 の件 ( 経 理部長提出)
本日午后 一時 半より社長室 に於 て重役会議開催す。議案左 の通
一、理事合議制実施、各理事担任廃止 に伴 ふ社長決裁文書処理に関
毎週火、土曜日午前九時半より (本社 々長室)
す る件
秘
提出)
一、客貨車 に関す る件 ( 安藤理事提出)
明十七日重役会議案 左の通
(八月十六日)
一、理事、部長、文書 、人事両課長連合事務打合会新設 の件 毎週木曜 日九時半より (重役室) 一、審査役に回付すべき文書及事項決定 の件 一、部長其 の他箇所長 の職務権限制定 の為臨時委員を設く る件
大正十三年九月迄 に三等客車十六輌無蓋貨車六十六輌 ( 約九十四
七月十日臨時重役会議決議事項
を以て適当なる噸数 の船舶 を購買せしめ之 に必要なる資金 を年 八分
を牽制する為 に大連 汽船 をし て不取敢其 の半額五十 万噸輸送 の計画
撫順炭百万噸内地出炭計画 に基 き之 が輸送を円滑 にし 且傭船賃率
備車 として京城 に置き、貨車 は朝鮮線 に貸与を受け渡 し。
万円) を満洲 にて製作 し、客車は釜山奉天間急行及直通三往復 の予 二、社長本社不在 の際 に於 ける文書処理 に関す る件
の利率を以て大連汽船に会社より貸与すること。尚石炭積船として
極秘
地方駐在理事よりは 一応本社 を経伺するを本旨 とし社長 に直接提
三、社長不在中 の社長経伺事項取扱方 の件
創 立費千五百円経費月三百円宛を支出す ること
二、朝鮮総督府山崎事務官哈爾賓 にて鮮人新聞発行 に付寄附 の件
小洋 七千円寄附 のこと
一、回 々教寺院新築寄附 の件
八月十七日重役会議決議事項
大正十二年八月十 七日
午後零時四十分特暗 を以 て発電済)
かるる様御配意を乞 ふ。委細は赤羽理事上京 の上説明すべし (十日
にて決議し た。社長 に於 て御同意ならば予め其 の筋 の内諾 を得 て置
入せしむ。且原価 を土台として手数料を交付し運航 のことに理事会
噸当り約五十五円乃至六十円を以 て資金を貸与し大連汽船 をし て購
高騰 の見込)輸送 を円満 ならしむる為 に差当り五千噸級 三四隻重量
将来最低百万噸石炭輸出 を便 にし且傭船賃率を牽制し (将来賃率
電照 せり。
す る こと、本件 に関しては不取敢松岡理事 の名を以て左 の通社長宛
何噸位 の船を購買す べきかに付 ては販売課長 に依 つて更 に充分考究
秘
文書 課 長
(八月 二十三日)
社長室
明八月 二十四日 (金曜日)重役会議 々案 ( 午前九時半より) 一、会社 の対北満方針 に関す る件 二
秘
重役会議決議事項 大 正 十 二年 五 月 五 日 五 月 五 日 (土 曜 日) 重 役 会議 決 議 事項 左 の通 一、満 洲研 究 協会 に関 す る件 は更 に考究 す る こと と し諾 否決 定 延 期 の こと 二、 大石 橋 地 方事 務 所 長 を鞍 山 地方事 務 所 長 に改 め其 の所 管 区域 を 拡 張 し 遼陽 区 及 鞍山 区 を含 ま し む、 三、 奉 天 、鄭 家 屯 、吉 林 の各 公所 を 地 方事 務 所長 の所 属 よ り除 き 庶 務 部 の管 理 に属 せし む 。
秘
社 長 、島 、中 川 、松 岡 、大 蔵 、 森 各 理 事 、地 方部 長 、文書 課 長
四、 奉 天神 社 建 設費 中 会 社 よ り弐 万 円補 助 の こと、 出席者
大 正 十 二年 七 月十 一日
出 す る を 必要 と す る も のは 其 の写 を本 社 に提出 の こと 。社 長 在 京 中 本 社 を経 ず し て決 裁 さ れた る も のは電 報 又 は書 面 に て本社 に速 報 す る こと 。 四 、朝 鮮 線 要 用 の車 輌 若 干 を満 洲 線 費 用 に て建 造 の件
社長 、松 岡 、大 蔵 、安 藤 、 入 江各 理 事 、 山西 文 書 課長
其 の所 要 金 額 を大 正 十 三年 度予 算 査 定 の際 鉄 道 部 長 よ り提 出 せ し む る こと。 出席者
秘
八 月 二十 一日重 役 会議 決 議 事項
大正 十 二年 八 月 二十 一日
一、 営 口油 房 合 同 会 社 の株 数 の二 分 の 一を引 受 の件
に て貸 付 け、信 託 は之 を 其 の儘 新 合 同 会 社 に貸 付 く る こと とし
イ 、 金 十 五 万円 (現金 は五 万 円 にて よし ) を信 託 に成 るべ く低 利
株 式 は 一切 所有 せざ る こと ロ、 上記 は鮮 銀 の態 度 決 定 後 に持 出 す べき 条件 な るを 以 て本 件 は 片 山 鮮 銀 理 事 の帰 来 を待 て同 氏 と予 め 充 分打 合 せを 為 す こと
出席 者
社 長 、松 岡 、 大蔵 、安 藤 、 入 江各 理事 、 遠藤 経 理 部長 、 興 業 部長
秘
八月 二十 二 日 重役 会 議 決議 事 項
大 正十 二年 八 月 二十 二 日
一、 マ ンチ ユリ アデ ー リ ー ニ ユー ス補 助 の件
以上
大 体 に現状 維 持 とし 此 の際 相 当優 秀 の英 米 人 を 一名 採 用 し満 洲 の
社 長 、大 蔵 、松 岡 各 理事 、高 柳 嘱 託
紹 介 に従 事 せ し む る こと 、 出席者
極秘 八 月 二十 四 日重 役 会議 決 議 事 項
大 正 十 二年 八 月 二十 四 日
満鉄 と し て は新 設 の必要 を 認 めず 。
一、 日支 銀 行 を哈 爾 賓 に新 設 す る件
二、北 満 の森 林 買 収 の件
大体 に は北 満 の森 林 に は手 を 付け ざ る こと と しヴ オ ロ ンツ オ フ丈
細 調査 す る こと 。
け に付 て は充 分 慎 重 研究 す る こと。 尚 吉 林 の韓 家 の土 地 を此 の際 詳
三 、松 花 江 の船 舶 操縦 に関 す る件
二 、 円島 燈 台 新 設 の件
ロ、費 用 は 関東 庁 に於 て負 担 す る を立前 と し満 鉄 は仮 払 の形 式 に
き も極 東 運 輸組 合 の名 前 丈 け に て船 を 一隻 も有 せざ る も尚 露国 の法
は専 ら国 際 運 送 に当 ら しむ る こと。 尚 現在 所 有 の河船 は売 却差 支 な
将 来 松 花 江 の船舶 は買 収 又 は直 接 操 縦 せざ る こと と し河 豆 の吸収
イ、 満 鉄 に於 て成 る べく 早 く之 を建 設 す る こと 。
て 一時 之 を立 替 う る こと 。
十箇 年 年 賦 と し年 三 万円 宛 支 払 は れ たき こと 。
ハ、 関 東 庁 に対 し ては 左 の通 の費 用 の返 済 方 を 要 求 す る こと 。 一
律 に ては 航 行 の権 利 存 続 す る や否 や を ウ ヰデ ル弁護 士 に確 か むる こ と 。
編注、河豆とは河川︺ ︹船 舶輸送による大豆
困 難 な ら関 東 庁 は成 る べく 速 か に予 算 を 取 る こと に尽 力 し 以上
二
其 の成功 の上 は 直 に買 上 ぐ る様 約 束す る こと
大 正十 二年 八月 二十 五 日
極秘
八月 二十 五 日重 役 会 議 決議 事 項 一、北 田正平 申出 の件 社 長 上 京 の上適 当 に決 定 せ ら る る こと 二、満 蒙 勧 業 銀 行設 立 に関 し 宮川 隆 申 出 の件 宮 川 に対 し ては交 渉 に応 ぜ ざ る ことと し善 後策 に付 て岡 田時 太 郎 氏 に協議 す る こと 。 三、技 術委 員 会 に専 任 委 員 を設 く る こと 。 先 づ 人選 を為 し た る 上社 長 の決 裁 を受 く る こと 。 四 、 ニ コラ エ フ金 坑 資 金援 助 の件 今 後 は絶 対 に資 金 の供給 を為 さざ る条 件 の下 に金 一万 円 を更 に融
謝 絶 す る こと
通 す る こと ︹ 冶金︺ 五 、大 華電 気 公 司 に資 金 供 給 の件
尚 研究 す る こと
極秘
六 、蒙 古 に土 地 を買 入 る る為 蒙古 産 業 公 司 に出 資 の件
大 正 十 二年 八 月 二十 八 日
し ては相当便宜を与ふる様会社重役 より交渉 し好意を以て便宜を与
ふること。尚沿線附属 地の日本旅館 に対する資金 の融通其 の他 の件
に付 ては東拓八木理事鮮銀片山理事帰連 の上満鉄 より交渉 して根本 の解決 に力むること。
四、満蒙冷蔵会社事業費貸付 に関する件
本件 に付ては精肉内地輸出 の会社設立 その根 本事業 に対する収支
極秘
以上
の見込 と 一層正確 に調査し大体 に見込 つきた る上更に協議すること。
大正十二年九月三日
九月三日重役会議決議事項
イ、満鉄単独 に行動 せずし て関東庁及市役所 と協力して救済 に尽
一、内 地災害 に対す る応急策 に関す る件
ロ、当方より輸送 の救恤品 に対しては社線 の無賃輸送を為す こと
力す ること
ハ、慰問及下 の関、神戸 、大阪、東 京等 の事務補助竝本社 との連
絡 を図る為入江理事 、佐藤安東鉄道事務所長牧野社会課長外十二、
ニ、会社は食料品其 の他輸送 の為必要 あらば大連汽船 の船 を特別
三名今夜三列車 にて出発陸路東上せしむ ること
ホ、救護班 として尾見大連 医院長引率の下 に約二十名位を以て治
に仕立てて提供する こと。
療材料を携帯東上 せしむる こと。
八 月 二十 八 日 重役 会 議 決 議 事項 一、 開 原 二葉 旅 館改 築 資 金 貸 付 の件
以上 の外満鉄会社として支社員救済及当社員 の内地居住家族救議
の為 の請暇等に対し ては相 当便宜 を計ること。
二、 長 春名 古 屋 旅 館貸 金 整 理 の件
以 上 三件 は何 れ も資 金 の援 助 若 は保 証 は 断 る こと 。但 し東 拓 に 対
三、 大連 傅 家 庄 馬 車鉄 道 補 助 の件
重 役会 決 議
極秘
大 正 十 二年 十月 五 日
る こと
極秘
以上
ト 、此 の際 小 山 内 氏 を社 長 と す る ことと し 副社 長 は 置 かざ る こと
一、撫 順 市 街 地 買収 の件
大 正 十 二年 十 一月 七 日決 議
先 づ予 め 経 理部 長 に於 て関係 各 長 と内容 に付 交 渉 し 、議 纏 ま ら ざ
一、大 正 十 三 年度 予 算 の件
る分 を重 役 会 議 に持 出 す こと 。尚 一件 拾 万 円以 上 の工事 に付 ては 議
表 し其 の立 退 期 限
︹ア キ ・ マ マ︺
と制 定 す る こと 。
イ 、買 収 済 の新市 街 地 に別 紙 図面 の通 操車 場 を設 定 す る こと を発
纏 ま れ るも のと雖 重 役 会 議 に提 出 す る こと 。 興 業 費 総額 は大 体 経 理部 査定 の四 千 七 百 万円 以 内 と す る こと 。 二、 政 府 配 当 金減 額 の件
発表 の時 期 は炭 礦 長 に 一任 す る こと、 同時 に大 瓢 屯 土地 買 収交 渉 を打 切 る こと 。
本 年 は震 災 の関 係 に依 り減 額 方 申 出 づ る を見 合 せ る も満 鉄 が地 方 経 資 の支出 の為 政 府 への配 当 は全 体 に於 て 一割 以 上 に上 る故 明 後年
註
の外 一切 の影 響 を も 包含 せ しむ る も のと す 。
街 の分離 、市 況 の盛 衰 、露 天 掘 設 計其 の他 に関 す る声 明変 更 其
緩 和料 と は炭 礦 当 局 が曾 て住 民 に与 へたる建 築 制 限 、新 旧市
更 に重 役 会 に報 告 の上 決定 す る こと 。
満 足 す べき や は炭 礦 長 に於 て当 該 家 主 と内 交 渉 を遂 げ其 の結 果 を
ハ、 旧 市 街 地 所在 家 屋 所有 者 に対 し ては緩 和 料 は何 程 に て適 当 且
更 に第 三項 の条 件 を以 て改 め て交 渉 す る こと 。
ロ、 旧 市 街 に対 し て は予 て発 表 し た る交 渉 を取消 す こと 、而 し て
大 正十 二年 十 月 八 日
より は 相当 考 慮 せら れ度 き旨 政 府 に上申 す る こと 。
極秘
イ 、満 鉄 に於 て払 込 残額 を全 部 払込 む こと
重役会決議 ︹ 満洲日目新聞社︺ 一、満 日社 整 理 の件
ロ、 従来 満 鉄 と満 日 の間 に締 結 せ ら れ居 たる印 刷 物 に関 す る契 約 は 全 部取 消 す こと ハ、満 鉄 と し ては 印刷 物 は成 る べ く満 日 に注文 す る こと と し満 日
二 、永 定 河電 力調 査 の件 差 当 り見 合 す こと 。
は 余裕 あ る場 合 外 部 よ り特 に希 望 あ る時 に限 り外 部 に注 文 を引 受 く る こと 。
右 に対 し松 岡 理事 へは 赤 羽理 事 名 を 以 て重 役会 決 議 を電信 す る こ と。
ニ、満 日 の印 刷 所 は満 鉄 の所有 な る が将 来 満 日 の整 理 に伴 ひ譚 家 屯 の所 有 家 屋 整 理 を俟 て満 日 の所 有 と す る様考 慮 す る こと 。
経 費 不足 は関 東 庁 其 の他 へ補 給 を依 頼 す べき も の にし て当 社 のみ
三 、法 政学 院 補 助 の件
ヘ、商 工 学 校 の印 刷 機 械 其 の他 を満 日 に買 収 す る こと は尚 研 究 す
ホ 、満 日社 内 の具 体 的 整 理 に付 て は高 柳 嘱託 に 一任 す る こと 。
之 に当るべき にあらず 。然し事情 を斟酌し本年度 に限り其 の不足額 の三分二に該当する約金弐千円を支給する こと。 四、満洲刷子 工業会 社整理 の件 当社は抵当権を執行し物件 を取得し関東庁を除く他 の小口債権者
山西文書課長
以上
に対し ては最少限度 に於て涙金を交付す ること を交渉すること。
大正十 二年十 一月八日 暗号 親展 赤羽理事代
類 一切大至急御送付乞 ふ。 大正十二年十 一月二十 日
極秘
十 一月二十日重役会議決議事項左 の通
実際必要 に迫 れる時期 に於 て相当考慮することとし補助拒絶す る
一、日露協会学校敷 地拡張費補助 の件 こと。
二、満蒙 の経済文化調査費補助 の件
大体六年計画 の 一部を施 行せしむる意味を以て十 三年度 に於 て五
千円を補助し其 の成績如何を見て十四年度以降 の補助 を継続するや 否 やを決定すること
東 京支社 にて 松 岡 理 事殿
三、碾 子山炭礦調査費支出 の件
極秘
以上
尚 二月 に約 五十人 の職雇員を整理し其 の退職慰 労金 は規程による
は本社より約 三十五万円を年度末 に朝鮮線 に補給 すること。
結局 一日 一回となり之 に依 りて約三十万円を節約 し、万 一不足 の際
改め現在 の京城釜山間急行 を延長すること、即 ち京城釜山間急行は
十 三年度朝鮮線減収 に対 し五月 一日より従来 の奉天釜山間急行を
一、朝鮮線十三年度減収対策 の件
十 二月 二十日重役会議決議事項左 の通
大正十 二年 十二月 二十二日
て単純 に比 の意味 に於て調査員 を派遺す ること。
れざ るも北満方面 の地質調査 を遂行す るは本社従来 の希望 なるを以
本炭礦 は本社 の炭業政策 に対し俄 に影響を与う るも のと思料せら
永定河電力調査 の件 に関す る重役会決議 の顛末は不取敢電報を 以て御通知 申上置 たるを以て既 に御承知 のことと存ず るも為念左 北京永定河 の電力問題は重役会議 に於 て左 の通り決したり ﹁北
に復報す。 京 に伏魔殿を設 くることは必ず しも異議 なきも愈之 を実施す るに は尚充分 の考慮 研究 を要する故 本件 は今急 に決定 を見難きに付 そ 以上
松 岡 理 事
於東京支社
ちらにて貴下個 人 の資格 にて相当資本家 へ 一応相談す ることにさ れ度 し﹂ 大正十二年十 一月十日午后 二時発 赤 羽 理事 北京水力電気 の件電見、右 に関 し小職北京 より持ち帰りたる書
極秘
も の の外 六 箇 月分 の本 俸 を 支給 す る こと 。
大 正十 二年 十 二月 二十 二 日 十 二月 二 十 一日重 役会 議 決 議 事 項 左 の通
撫 順 炭礦 調査 委員 会 の案 を認 め 左 の通決 議 す 。
撫 順 炭 礦 露 天掘 の件
以上
︹ ダ ベ ンボ ー ト︺
一、 表 土剥 離 は現 行 の儘 エツ キ ス カ ベ ータ ー によ り レー ルウ エー ・ ト ラ ンスポ ー テ ー シ ヨ ンを行 ふべ き こと (小 沼 、 ダ氏 両 案 共同 様 ) 二、 頁 岩 の採 掘 は 大型 シ ヨベ ルを 用 ひ レー ルウ エー ・ア ツプ ロー チ シ ス テ ムに より 搬出 す べ き こと 。 ( 但 しダ 氏 案 の変 更 し た る も のを 採用す) 三 、採 炭 に は機 械的 設 備 の利 用 を極 力実 験 す る こと 。
一、 旧 市 街及 新 町 に対 す る緩 和 料 の件
近 き将 来 に於 て少 く と も五 六年 内 に は採 炭 によ る地 盤 落 下 に対 す
る 一般 的 賠 償 問 題 が起 らざ る こと を前 提 と し て (梅 野 炭 礦 長 の 見
込 ) 不動 産 所 有 者 全員 に大藪 庶務 課長 案 金 三 十 五万 二千 円 の緩 和料
極秘
以上
を 支給 す る こと 。但 し交 渉 の情 況 に お い ては金 三十 八 万 五千 円位 は 譲 歩す る こと を 認 む 。
大 正十 二年 十 二 月 二十 八 日
十 二月 二十 七 日重 役 会 議決 議 事 項 左 の通
一、沿 線 取 引所 及信 託 会 社 に対 す る当 社方 針 の件
既 定 方針 に依 り暫 く 現状 の儘 経 過 を見 る こと 。
産 業 助成 の意 味 に於 て電 力 原 価 (コスト) 弐銭 五厘 にて供 給 す る
二、紡 績 会社 電 力 料 金 に関 す る件
こと 。
四 、表 土頁 岩 の捨場 は北 方 渾 河 左岸 一帯 の地 とす べき こと 五 、石 炭 は当 分 手積 とし 現 存 の小炭 車 に て炭 層内 に設 け た る ポケ ツ
三、老 虎 灘 電 車 賃 一区制 に関 す る件 尚 調 査研 究 の こと
ト迄 手 押 と し スキ ツプ ・ワイ ンデ イ ング によ り南 山 麓 に捲 揚 ぐ る こ と とす 。(小 沼案 の変 更 案 )
マグ ネ サイ ト を 原料 とす る壁 材 料 スタ ツ コ マンチ ユリ ヤ、 フ レ ス
四 、南 満 鉱 業 会 社 資金 其 の他 ( 拾 万 円) 援 助 に関 す る件
コ マンチ ユリ ヤ等 を大 規 模 に経 済 的 に製 造 し得 るや否 や を技 術 的 に
ヨ ンに より選 炭 場 に集 む る こと。
六、 南 山 麓 に捲 揚 げ た る石炭 は レー ルウ エー ・ト ラ ン スポ ー テ ー シ
七 、 選 炭 場 は坑 の西端 に於 て下 磐 に沿 へる点 に設 く る こと 。
五 、 大連 油 脂 工業 貸 付金 整 理 に関 す る件
こと 。
会 社 に於 て所有 す る かは更 に講 究 の上 有利 な る方法 を以 て処 理す る
得 る様 援 助 す る こと。 援 助方 法 とし て資金 を貸 付 く る か又 は 株式 を
精 密 な る試 験 及審 査 を為 し 、其 の結 果 良 好 な る際 は同 会 社 の成 立 し 以上
八 、 出炭 は 一月 平 均 一万噸 を標 準 と す る も最 大 一万 五千 噸 に応 じ得 る設 備 と なす こと 。
大正十二年十 二月二十 二日 十二月二十 一日重役会議決議事項 左の通
大体 に於 て本 事業 を継続する ことを望むも其 の整理問題 に付 ては
る小学教員を得 るを主 たる目的とし専門学校令 に依 る中等教員養成
を目的とせざ ること。尚詳細は大蔵、赤羽両 理事 に於 て地方部長、
文書 課 長
以上
学務課長 と協議 の上決定す ること
社長室
詳細講究 の上方針を決定す ること。
三 理事 、部長会議 々案 (大正十 二年五月二日)
一、用度課地方派出所 を奉天に試験的 に設置 の件 ( 附)石材採掘
一 鉄道部長提出
明三日 (木曜日)開催 の理事部長打合会 々議 々案左記 の通
秘
六、緞通事業援助 の件 援 助 の方法とし て貸金 を為す ことは見合 せ他より資金 の融通 を得 以上
たる際は或 は其 の利子を補給す るか其 の他運賃、石炭等 の割引 を為
極秘
す かの方法 を以て援助する こと。 大正十 二年 十二月 二十九日 十 二月二十八日重役会議決議事項左 の通 一、奉天 ヤ マトホテル敷地 に関す る件 ミヤ コホテル買収 を必要とする場合 は更 に案 を具して社長 に決裁
用石山所属 は用度課と為す件
を受 くることとし然 らざ る場合は本社重役 に於 て適当 に決定す るこ と
の件
二、地方部庶務課所管事項内 に工事 の請負契約 に関す る事項追加
一、撫順、鞍 山 の地方事務所所管変更 の件
地方部長提出
三、社員表彰延期 に関する件
二、人員整理打切声 明 の件
現行配給制度を改め大体 に於 て各社宅 の家賃 を評価し職務上社宅 二
二、社宅配給制度 に関す る件 の現物給与 を必要 とする者 の外 は借家料 を支給して任意 に会社 の家 屋 に居住せしむる方針 の下 に其 の実行方法 を調査研究 のこと 三、満蒙冷蔵会社 に関す る件
(七月十七日)
弐拾万円 の貸金 を認め同会社 の有す る総ての不動産 を抵当 に提供 せしめ不足額は会社 の義務 に帰す る 一割配当の補給 の前渡金 とす る
地方部提案
要する場合 は、其 の事由 に付既に社長 の決裁を受 けたるものと雖 も
予算 規程第 二十四条 及第 二十五条 に依れば予算 の流用 又は追加 を
一、予算 の流用又は追加 の手続に関する件
か又は 一定額以上 の支出は橋本監査役 の承認を得 せしむるか等適当 の方法 を講究する こと 大体 に於 て保 々学務課長案 に依る三年制を認 め其 の主 旨は優秀な
四、師範学校 に関 する件
四、社長決裁文書 に関し各部長 に於て意見 の相違 ある際はなるべく
に通知 すること。
附箋 の交換 に止 め本会 に提出し協議すること。
三、議案 はな るべく前 以て文書課長宛提出し、文書課長は予め会員
既 に事件 の主管箇所 に於 て流用又は追加 を要すべき事由 に関し、社
更 に認可申請書 を経理部長 に回付す るを要 し、同部長は改 めて案を
長 の決裁を経 たるも のに付 ては事務 の簡捷 と事件 の進捗 を図 る為経
五、今 回の職制改正 に伴 ふ規程 の疑義 及施行上 の不便 の箇 所は次回
具し社長 の決裁 を経たる上予算箇所 に令達 の手続を為す順序な るも、
理部長限り直 に令達 の通知 を為し得 ることに致したし ( 或 は経理部
打合会 に於 て協 議する こと。 (四月 三十日)
長職務専決内規 に此 の権限 を掲げ置くも可なるべし) 理 由
し其 の 一般統轄 は興業部 にあり。
二、沿線各地所在 の電気及瓦斯作業所 は地方事務所 に属せしむ。但
一、販売出張員 は地方事務所長 に属 せしむ。
例 に徴 するに流用又は追加 の事由 に関し、社長 の決裁 を受くる迄 に
三、在大連電気作業所及瓦斯作業所 は大連電気作業所及大連瓦斯作
予算 の流用又は追加 に付事態急を要す る場合多 し。此場合従来 の
同部長 は案 を具し社長 の決裁を受 け、然後令達 を為すま でに少く と
相当 の時間 を要したる上、更 に経 理部長 に対し認可申請書を提出 し
四、興業部に電気 、瓦斯其 の他 の関係技術 を統轄する為技術員を置
用度課地方派出所を奉天 に試験的に設置 の件 は懸案とし関係
一 鞍 山の地方事務は大石橋地方事務所 の所管 に変更 のこと。
二、地方部長提出
部長 に於 て更 に考究
一
一、鉄道部長提出
(五月三日)
く。
業所と改称す。
文書 課 長
も七日間位、長きは 一箇月余 の時 日を要し少からず不便を感 じ居 る
社長室
秘
も のなり。繁文を避く る為 に本案 の如く決定相成 たきも のなり。
四 理事部長打合会議決議事項 (大正十二年 四月 二十六日) 一、当分 の間毎週月曜及木曜 の両日とす。午前九時より本社 々長室 に於 て開催し、遅刻若は不参加者あ る場合 に於 ても制規 の時間通開
く早 く確定す ること
二 三
撫順 の地方事務 に就 ては梅野炭礦長 に於て更 に研究 し成 るべ
催す。 二、部長 、文書課長、人事課長不在 の際 は特 に代 理者 を指定しある
加す ること。
地方部庶務課所管事項内 に工事 の請負契約 に関する事項を追
場合 に於 ては其 の代理者を参加せしむること。
(七 月 五 日) 一、 本 会 議 は自 今 毎 週 木 曜 日 一回 と す 。 (七月 十 二日) 一、文 化 事 業 に対 す る失 費 を 補 ふ為 政 府 より補 助 金 を受 く る か若 は 会 社 よ り政 府 への納 付金 を減 免 す る件 六 月 四 日本 会 議 の決 議 に依 り 将 来 の教 育 費 支 弁 に付 政 府 配 当金 を 廃 し若 は減 じ て会 社 自 ら其 の費 用 を負 担 す る か、 或 は教 育 費 に対 し
︹ 三三︺
部 長 代 理 、 入 江人 事 課長 、 遠 藤 経 理部 長 、 鶴見 地方 部長 代 理 、 山 西 文書 課 長 (八 月 二十 三 日)
一、 朝 鮮 副業 品 共 進 会 参 加 程度 に関 す る件 (興 業 部長 提 出 )
此 の際 特 設 館 の設 置 を断 る こと と な り た る旨 通 知 す る こと 。 三千
二、窰 門電 灯 存 廃 可 否 に関 す る件 (興 業部 長 提 出 )
円程 度 の出 品 を 為 す こと。
満 鉄 と し て は手 を 引 く こと と し、 現 在 の施 設 に就 ては売 却 の方針 を採 る こと。
政 府 の補 助 を 受 く る か何 れ か の方 法 を 選 ぶ に付 、 予 め将 来 の教 育 費 の支 出 に関 す る 興業 費 及 経 費 の予 算 を具 体 的 に調 査 し 、其 の材 料 を
三、 本 社事 務 所 新 築 に関 す る件 ( 庶 務 部 長 提出 ) 新 設 本 館 を 三階 に
興 業 部長 、遠 藤 経 理部 長 、山 西 文 書 課 長 、入 江 人事 課 長
松 岡 、大 蔵 各 理 事 、木 部庶 務 部 長 、藤 根 鉄 道 部長 、貝 瀬
以上
以 て非 公 式 的 に在 京社 長 より 政府 当局 の意 嚮 を尋 ねら れ 度 き為 、本
建 増 しす る こと と し て考 究 のこと 出席者
会 議 の状 況 を在 京 社長 に具 陳 す る こと にな り 居 り しも 、 仮令 非 公 式 と は 言 へ単 に教 育 費 に付 て の み の材料 を提 出 す る場 合 は其 の根 拠 も 薄 弱 な る を 以 て、 寧 ろ此 の際 衛 生 施設 、土 木 施 設其 の他 一般 の文化 施 設 に対 す る将 来 の会社 の失 費 を 調 査 し 、其 の材 料 を具 体 的 に作 成 の上 政 府 に陳 述 す る こと に改 め 、 地 方部 長 に於 て材料 を調 査 す る こ と に決 議 す 。
各 部 に於 て全 体 を通 じ 欠 員 な き場 合 に於 て も特 殊 の技 能 を有 す る
二 、定 員 外 社員 補 充 の件
に欠 員 を 生 じ た る場合 に於 ては定 員 外 社 員 と し て之 を 補 充 す る こと
社 員 、例 へば 船 長 、機 関 士 、病 院 に於 け る医師 、技 術 者 の如 き社 員
を得 。但 し如 此 際 には其 の各 部 に於 け る普 通 社員 若 は特 殊 の補 充 者
松岡 理事 、 貝 瀬興 業 部 長 、築 島 鉄 道 部長 代 理、 佐 田 庶務
と し て定 員 外社 員 の補 充 を認 む るも のと す。
以 外 の社員 を成 る べく 早 く減 員 す るも のとし て、単 に過 渡 期 の便 法
出席者
二
大山埠頭及護岸 寺児溝危 険物保管場 浜町用度 課裏
数
価
量
本年九月迄 に分納
六 二六、九八〇円
十 万樽
大 正 十 二年 三月 一日 よ り向 う 二箇 年 間
三井物産会社
土地 の所有権下附方四月 二日附関東長官 に願書 を差出せり。
官 より許可 を受け埋立 て事を施行したるも のにして竣功 せる左記
二、大連 埋立地下附願提出 の件
は十八箇月 の予告を以て電力供給を廃止す ることを得。
(自 大 正 十 二 年 四 月 七 日至 大 正十 三年 三 月 二十 九 日)
編注 第二回以降︺ ︹同 文に付き省略
処 務 週 報
処務週報
本書発送先 社長、理事会、支社長、主事
第 一回
大 正十 二年 四月 七 日
社 文 雑 二三第 四 一号 の 一
文 書 課 長
長門町地先
社長室
内 外 綿 金 州 工場 に対 す る電 力供 給 契 約案 決 裁
一、内 外 綿 株 式会 社 に電 力 供 給 の件
代
浅野 セメント会社
三、 セメ ント購 入の件
第 二埠頭東部及北部岸壁
第 三埠頭
寺児溝埋立地
九 百 キ ロワ ツト
契約内容 ( 甲 会 社 、 乙内 外 綿 )
乙 は 一箇 年 金 二 万四 千 円 を 毎 月 ス タ ン ヂ ン グ ・チ ヤ ージ
供給限度 料金
納 入期限
と し て甲 に支 払 ふ こと 。
契 約 者
前項 の外 乙は使 用電 量 一キ ロワツ ト時 に付 金 二銭 五厘 の割 を 以 て
契 約有 効 期 間
毎 月 ラ ン ニ ング ・チヤ ー ジと し て甲 に支 払 ふ こと。
満 期後 相 互 に異 議 な き とき は 更 に 二箇 年 間有 効 、 爾 后 亦同 し 。甲
四、豆粕倉庫料金率改正認可申請 現行豆粕倉庫料率は入庫 の日より最初 三十日間 に適
首 題 の件 四月四日附関東長官 に認可申請 を為 せり。 改正 の内容 用 せら るべき率と三十 一日以后 のそれと彼是権衡 を失 し時勢 の進歩 に適 せざる に依 り、 一は両料率 の近接を図 り、 一は計算 上の便宜を 増進 せむ か為、現行料率 に依る収 入に増減 を来 さざる範 囲内 に於 て 之 を改正 せむとす るも のなり。 ︹ 山東鉄道︺ 五、山鉄従事員採用 の件 左記 の通採用 のことに決裁
︹ 京城管理局︺ 朝 鮮 線 は京 管 在 勤 者 と 比較 し 権衡 を失 せざ る範 囲 と し 、年 齢 は四
赴任 旅 費 は 支 給 せ ざ る こと 。
十歳以下。 旅費
処務週報
但 し パ スは之 を発 給 す る こと 。
第 二回
大 正 十 二年 四月 十 四 日
社 文 雑 二 三第 四 一号 の二
現 行 地 売炭 炭 価 は大 正 十年 四月 の改 正 に係 り 、其 の後 一般物 価 の
一、 石 炭 値下 の件
漸 落 に伴 ひ 且増 掘 の結 果 に依 り撫 順 炭 山 元 生産 原 価 も低 落 し 来 り た
八十名 五十 五名
炭
炭
一 ・五 〇
一 ・〇〇
炭 込
順
朝鮮線
撫
る に付 、 左 の通 値下 す る こと に決 裁 (炭種 の下 の金 額 は値 下 金額 ) 一
当社定員問題決定後
人員 満洲線
時期
内訳 採 用者は会社が特 に指定したる者 の外、雇傭員 とす。朝鮮
切 塊
線 は人選 を山鉄 に 一任 方
一〇
車
操
・七 〇
一 ・〇〇
小
切
込
粉
選
炭
一・〇〇
一・五 〇
一 ・〇〇
一 ・〇〇
炭
一〇
二条 切 込
粉
塊
機関士機関方
五
炭
五
工
職
一〇
精 並
各炭 共 極 度 に引 下 げ し あ る関係 も あり 当分 現 状 維持 と し、 各 有
爐 煤 (煙 台 、尾 明 山 、 牛 心 台)
炭
本 渓 湖 炭
普通工業出身程度 の技術者
二
五
社長室経理部方面
二五 三
甲種商業出身程度 の事務員 運輸部方面港湾技術 者事務員其 の他
給料及年齢 山鉄本俸より二割 五分減見当但し専門学校出身者若 は十 一年十 二月に昇給したるも のは或程度迄別途考慮 す。年齢は可 成三十五歳以下。
煙炭値段発表後 の形勢を見 て更 に考慮す ること
本 会 社 は大 正 八 年 五月 資 本 金 五 十 万円 、 四分 の 一払 込 を 以 て設 立
一・〇〇
社 は其 の第 一着 手 と し て、 正金 銀 行 への保証 債 務 を 弁 済 す る こと と
遂 に解 散 の已 む な き に至 り、 近 く解 散 整 理案 も具 体 化 せる を以 て会
金 五 万 円 に対 し 支 払保 証 を為 し来 れ るも 営業 不 振 、 欠 損多 額 に上 り
せ ら れ 、会 社 は 二千株 を引 受 け 及大 正 九 年 六月 より 正 金 よ り の借 入
込 炭 一・五〇
阿金 溝炭 切 炭
四 塊 一・〇〇 五十銭 乃至 一円
と に決 裁 。
し 、 同時 に契 約 に基 き会 社 建物 及 機 器 に対す る抵 当 権 を実 行 す る こ
炭 込
華勝、瓢爾屯炭
粉 五 切
尚 保証 債 務 の大 正十 二年 三 月末 日 に於 け る元 利 合 計 は 金 六万 一千 五 百 四十 四円 余 な り。
四 、大 連 商 業 会 議所 十 二年 度補 助 の件
一万五 千 円補 助方 申出 あ り た る に対 し 調査 月 報 及各 種 調 査 書 類 を
一・〇〇
現状維持
提 供 す る こと を条 件 とし て特 に十 二年度 限 り金 一万 円補 助 す る旨 通
炭
コーライト
但し買 入炭 に付予め礦主 の了解を得 て発表する こと。 六
買付炭 は 一先づ値下率 を前記 の通とせるも礦主と の了解 に依 り多
七 煉
て今後 の新規買入炭 に就 ては収入 に影響なし。本値下 に依る減収 は
少 の加減 あるべく、結局買入価格 の低減丈値下する こととなるを以
五 、安 東 瓦 斯 営業 許 可
知 せ り。
十 一年度 の実績 より推 せば、工業用炭 割戻 の適用を受 くる噸
三百 万円
よ り開 業 せり 。 資本金
三千 株
三月 十 九 日第 一回株 金 払 込 を了 し 二 十 日創 立 総 会 を了 へ四 月 一日
八 、撫 順 炭 販 売会 社 設 立 に関す る件
四月 一日附指 令 第 四 三三 号 を以 て関東 長 官 より 認 可 せ られ た り。
七 、農 業 学 校 設置 認 可
四月 一日附 指令 第 四 三四 号 を以 て関 東長 官 より 認 可 せ られ た り。
六 、公 学 堂 規 則 改正 認 可
せ ら れた り 。
三月 二十 四 日附 申 請 、 安 東瓦 斯 営 業 四 月 四 日附 安 東領 事 より 許可
社内外売炭並各年度末 ストツク評価 等を考慮するときは結 局、二百 四十九万六千百八十二円余とな るも社用炭は之 を考慮 に置かず。純 千四百円とな る見込なり。値下実施期 は発布 の日とす。
減 収、即 ち地売炭 ( 含京管) のみ の減収を見 るときは百三十五万四
地売炭炭価 の値下に伴 ひ従来 の割戻率噸当金 一円 を、噸当金五十
二、工業用炭価割戻率改正 の件
註
銭 に改 むること に決裁
数 は年額約四十五万噸程度 にして、本改正率 に依 れば年額約 二 十 二万五千円の払戻を要 する訳なり。 三、満洲刷子工業会社解散整 理 の件
本会社 の株主及持株 南 昌 洋 行 (野沢組 を合 し)株式 の四五%
満 昌
鉄 同
取締
専務
一
一
一
一 同
監査
同
同
一
一
一〇%
四五%
三 非 物 産 (三菱 を合 し)
南 井 同
重役選出権
鉄
三 菱
満
三 九、南満医学堂卒業無資格者 に対す る医術限地開業 に関す る件
三月 二十八 日附関東長官 に認可申請したる本件 に関し 四月十 一日
八七〇円)
一行 人 員
五月四日大連 に於 て開催 せら るる首題総会 に左 の通取計 のこと に
十 二、帝国瓦斯協会総会 の件
一
決裁。
援助 方法
約七十名 二
一行 に対し満鮮両線内 一等 パ スを発給 し場合 に依り専用車 を
一行旅費補助とし て例年会費 の外 に金 二千円補助 提供す
三
土 産
物
四 扇芳亭又は星 の家 に於 て社長名 を以 て 一行 を招待す
リキ ユー コツプ ( 窯業 工場製)二箇宛、絵葉書、旅行案内、地
五
図、事業概況
附 を以 て、関東庁医師取締規則第十五条 の所謂限地開業 とは、山間 又は土地 の状 況に依り支那人等 に非ざれば不便を感ずる等 の事情あ
経費 総計
三千四百二十円 (専用車料金を含まず) 第三回 処務週報
一
寺児溝 マツチ倉庫新築 工事 (工事費 六九、九〇 一円)
十二年度大連港浚渫 工事 (工事費 二〇八、 一一七円)
事 の借用証 を徴 し立替支出 のこと に決裁 。
満 鉄納首題公司枕木 十万本 の東支鉄道支払運賃引当として左記条 ︹ 市之進︺ 件 に依り金 八万円也を限度 とし て公司より申請 の都度、土井公司理
一、札免採木公司営業資金立替 に関する件
大正十 二年四月二十 一日
社文雑 二三第四 一号 の三
六
僻陬 の地 にして資格ある医師 を得 る能はず、診療 に支障 を生ず るか、 る場合 に於 て、特 に地域及期限を定 め許可す るも のにして、申請 に を認むること能はず。依 て右無資格者 にし て出願 ありたる場合 は其
係 るが如き医師 たる資格なき者 に対しては関東庁全管内 に於 て開業 の都度詮議す べきに付、右 に含み置 かれたき旨 回答ありたり。 十、豆粕倉庫料率改正認可 四月十 一日附指令第 四八 三号を以て関東長官より認可 せられたり。
二
撫順線孤家子撫順間複線土 工橋梁新設 工事 (工事費 一七四、
十 一、工事伺認可
三
期
限
十 二年五月末日限 り
一 息
期限内と雖満鉄 に納入 の枕木十万本代金中 より会社 に於 て随
無利子(期限経過後 は年 一割 の利子を附 し借用証を書替 る こと)
二 利 三 時先取 の上返済金 に充当すること に同意 のこと。 二、鉄嶺電燈局 に発電機及汽罐貸与契約案決裁 の件 発電機
二〇〇 キ ロ 附属品共 一基
一基
契 約内 容 一 二七〇馬力 一、二二三、二五
汽罐 此貸与料年額 貸与 期間 貸与料金 は毎年十 一月 一日〓 に前納 のこと。
自大正十 一年十 一月 一日至大正十六年十月 三十 一日向 五箇年間
二 三
楊木林
記 大連発着 の分
楊木 林
本年四月 一日より楊木林駅 に於 て貨物取扱を開始した
安東発着 の分
追 加理由 る為なり。
五、満洲船渠株 式会社設立 の件
同会社 は三月二十八日第 一回株金払込を了 へ、 二十八日発起人総
札免採木公司 の業務執 行に関し会社 は会社代表者 一名を
前項 理事 は公司定款 に於 て定められたる権限により其 の
業務 を執行するも のとす。但し公司及会社間 の特別事項 に関する事
第 二項
選任 し之を札免採木公司 に対し理事 として派遣す。
第 一項
首題 の件左 の通決裁
七、札免採木公司 の業務 に関し会 社代表者 の権限及事務取扱方 の件
浜町川崎船渠土地建物売買契約三月三十 一日附締結 せり。
船渠会社設立 の上は会社 に於 て買収す へき旨予 て覚書を交換 せし
六、川崎造船所 大連出張所所有物売買契約締結 の件
四 会 社は六箇月前 の予告 を以 て該物件 を返却 せしむる ことを得。 会 を了 へ四月 一日より営業を開始せり。 三、独身社宅 竝集合社宅建物 を火災保険に附す る件 集合社宅竝独身社宅 の主要 なるも の四十 五棟を大連 火災海 上保険 会社 の火災保険 に附する ことに決裁 。 一千分 の二、五
保険価格 は該建物評価 の上決定す。 保険料率
会社満 洲線貨物賃金表中特定運賃率第 一大連及安東 発着特定運賃
四、大連 及安東発着特定 運賃率中 に楊木林追加 の件 に左記を追加 し、大正十二年七月 一日より施行したきに付認可方四 月十六日附鉄道大臣 に申請せり。
九 、長春市場会社為替手形引受 に関する件
す 。従 つて優 先株 の引受困難 なるを以てなり。
一、期限
一、額面
五月十 四日
四万五千円
四日満了 に付、左の通裏書引受 のこと に決裁。
首題会社野村銀行より借入置 ける金 四万五干円 の手形期限四月十
務 に就 ては理事は会社代表者 の資格 を以て左記各号 に依 る取扱を為
公司の定款 に補足及変更 を要するも のあるときは理事会 の決議
記
し、以て相互 の連絡 を期す るも のとす。 一 公司翌年度 の事業計画書及営業収支予算書原 案は予め毎年八月
前予め会社 の承認を要す へき こと。 二 十日迄 に会社 に送付し会社 と打合せ の後、公司 に於 て協議 に附し決
首題公司 に貸付すべき銀十五万元 の残額銀 四万五千元を同公司に
十、赤峰電燈公司貸付金交附 に関す る件
交附 し、合計銀十五万元 に対する借用証を提出 せしむることに決裁。
定 の上は更 に之 を会 社 に送付 し承認を求む ること。又該事業計画書 及収支予算中特 に変更を必要 とす ることあるときは其 の都度予め会
十 一、百封度軌条に関す る件
独逸製百封度軌 条及附属品百拾哩 に関し、若関係国と損害賠償 の
社 の承認を受く るも のとす ( 但し不可抗力 に因 る公司資産減滅 の場 合 は事後即報す ること)
七五円となるを以て外務省方面 に対し右可然取計置く べき旨東京支
問 題惹起 の場合 に於 ては、当社 の蒙 むるべき損害額は金六九 四、八
公司定款 に定む る積立金準備金等 の金額及其 の処分 に関し ては
三
社 に通牒 す。
予 め会社と打合 せの上公司 に於 ける協議 に附す ること。 四
十 二、寒坂嶺耐火粘土採掘権獲得に関し経費支弁 の件
営業費等其 の他新 に資金 の調達を必要 とす る場合は予め会社と
打合 せを要すること。
本件 に関 し金 二千五百 円の支出決裁 の処不足 に付、更 に金 二千五 百円追加支出 のことに決裁。
以下事務上の普通手続 を定 めあるも略す。 第 三項 会社 を代表する理事 か理事会 の決議を経す又は予め会社
五
の承認 を得ず して行 ひたる行為 にし て会社 又は公司 に損害 を与 へた
昨年 一月同家整理資金 とし て金五千円也貸付当時、不取敢貸金整
十四、粛親王家貸金整 理の件
る こと に決裁。
りたるに付、従来と同 一条件を以て大正十三年 三月 二十 一日迫貸付
日を以て貸与期限満了 となるを以て同出張所 より継続借用方申越あ
内務省 下関土木出張所 に貸与中 の泥受船台山丸は本年五月 三十 一
十三、台山丸貸借契約更新 の件
るときは同理事 は其 の責 に任 するも のとす。 八、吉林倉庫金融会社整理 に関す る件 曩 に決裁せられた る整 理案中減資五万円とす る会社 の提案 を減資 理由は利益金 を以 て二万円 の欠損を填補したる上、更 に優先株 の
三万円 とする の提案 に変更 すること に決裁。 発行当初より遡 りて優先配 当を受く ることは 一般株主 に於 て希望せ
附する ことに決裁。
し、転貸期間は大正十二年四月 一日より大正 二十年十 一月三十 日 迄 、但 し協定 の上更新す るを得るも のとす。転貸料年額 一万四千
理 とし置 きたるも今回右を同家整理資金補助 の 一部 として同家 に寄 十五、南満鉱業会社借 入金手形裏書期限延期 の件
大連 に於 て会社 の所有する船渠土地家屋其 の他 の物件貸付 に
関する件
二
円とす。
本年 五月十 日裏書期限満了 の処更 に 一箇年間延期 のこと に決裁 せ り。
とし、貸付期間は大正十二年 四月 一日より満十箇年とす。但し協
契約要旨 貸 付す べき物件は、大連市 に於 て実地引渡す るも の
現在使用 の艀船十七隻 にては荷役上 の完全を期 し難 きに依 り、目
て得た る純利益金 の半額とし、半期決算毎 に計算し、其 の翌月末
議 の上更新する こと を得。貸. 付料 は船渠会社 が借受物使用 により
十六、陸軍省 より艀船 四隻借受 の件 下柳樹屯 に保管中 の陸軍運輸部所有 の艀船五〇〇噸 二隻、 一五〇噸
覚書を交換 せり。
渠会社 に譲渡 し、代金は現品引渡後遅滞 なく会社 に支払う ことに
尚川崎 造船所大連出張所より買収 せる機械器具什器及材料は船
るものとす。
日迄 に支払ふものとす。但 し半期 に付当分金 一万五千円を越 えざ
二隻計 四隻無料 にて借受く ることに決裁。 十七、四月二十 一日会社職制改正発表 第四回 処務週報 大正十二年 四月二十八日
社文雑 二三第四 一号 の四
首題 の件大要左記 に依 り進行す ることに決裁。
四、官有財産経 理移管竝牛荘及安東居留民団行政移管実施 の件 一 行政移管 の形式
株主配当仕払資金引当として金 八百万円也銀行と打 合せ の上、数
一、仕払資金回送 の件 回に分割し六月初旬迄 に東京支社 に電送する ことに決裁 。
1、明治 四十年八月 一日外務省告示第十八号中、牛荘安東両居留
首題 の件金 二万五千円也贈呈す ることとし四月二十三日附川崎造
に之を承諾す ること。
対し ては右公費賦課区域 に加入 の請願 ありた る上領事 の了解 の下
に併合 すること。但し官有地域外 ( 営 口安東各旧市街)居住者 に
附属地と共 に公費賦課区を組織し、安東 に於 ては安東公費賦課区
2、会社 は官有地経理移管地域 に対し営 口に於 ては、営 口牛家屯
民団を削除す る為、外務省告示 の発布を請う こと。
二、川崎造船所大連出張所員 に対し慰労金贈呈 の件
三、満洲船渠会社 に関する契約 の件
船所社長 宛此 の旨通知せり。 首題 の件 左 の如く決裁 転貸すべき物件 は旅順市に於 て現地引渡す るも のと
一 会 社が海軍省より借受 けたる旅順 工場転貸 の件 契約要旨
官有財産 経理移管後 の事務執行方法
1、移管土地 に於 て従来認められたる土地 に対す る個人 の権利は
尊重する精神を以て調査す ること。
三
2、土地建物貸付契約更改 の手続 を為す こと。
3 、 居留 民 団 の財 産 、負 債 、権 利 、義 務 の 一切 は 会社 に移 譲 を受
3、営 口官有土地 に介在 又は隣接せる私有土地居住者 に対しては
く る こと。 之 か実 行 方法 と し ては領 事 に於 て予 め 民団 居 留 民 会 の
4、 民 団役 所 員 及 小 学 校 幼 稚園 其 の他各 事 業 従 事 員 は原 則 とし て
意 見 を徴 す る等 相 当 手続 を 尽す こと 。
従前通 の取扱 を為す へきも其 の土地は此際買収を見合す こと。
首題 の件本年 限り金 四千円也補助す ることに決裁
六、海務協会補助 の件
首題 の件金 四万円也を限度 として支給 のことに決裁 。
五、撫順炭礦 十 一年度事業成績 に対し臨時賞与支給 の件
一応 全 部 引継 ぐ こと と し 、 実際 の処 置 に付 ては 領 事 及 民 団 に協 議
行 政 移 管後 の事 務 執 行 方法
決 定 す る こと 。安 東 官 有 財 産管 理 会 従事 員 亦 之 に準 す 。 二 1 、安 東 は現 在 の地方 事 務 所 を し て元 民 団 行政 事 務 及 官 有財 産 経 理事 務 を取扱 は し む る こと 。 営 口は地 方 事 務所 若 は区 を置 き 、元 民 団 行政 官 有 財 産 経 理 事務
一
担
日歩 二銭八厘
息
保
返済期 日
大正十六年 二月六日
ロ、支払期日 毎年六月、十二月 の二回
イ、利率
利
首題 の件左 の如く決裁
八、南昌洋行 へ金 二十万円也貸与 の件
及 牛 家屯 営 口附 属 地 に於 け る 一切 の地 方 事 務 を 取扱 は しむ る こと 。 七、枕木購入 の件
こと 。
2 、 大正 十 二年度 公 費 予算 は民 団 の分 を参 考 と し て新 に編 成 す る
3 、 公費 賦 課 に付 ては 当 分成 る べく従 来 の民 団 賦 課 程度 を基 準 と
4、 地 方 委員 会 委 員 に就 ては左 の件 に付 、特 別 規 定 (社 則 又 は社
し 、 急遽 な る異 動 を 為 さ ざ る こと 。
新 に地 方委 員 会 委 員 選出 せ ら るる 迄 地方 委 員 会 委 員 を社 長
告 ) を設 く る こ と。 イ 指 名す る こと 。 安 東 公費 賦 課 区 の地方 委員 会 委 員 の定 数 を改 選 期 迄 臨時 に
増員 す る こと 。
ロ
二
元 民団 区 域 居住 者 にし て公 費賦 課 区 居 住 者 と な りし 者 に対
し 、選 挙 人名 簿 調 製 期 日迄 の居 住定 年 限 に不 足 す る 月数 は之 を
三
ハ
特 免 す る こと 。
イ、華勝炭及瓢爾屯炭 の売炭代金 ロ、華勝公司と の華勝炭 一手販売契約権利及華勝炭坑設備土地
該会社新株 一、九五〇引受け のこと に決裁。
しむ ること に決裁 。
一箇年継続留任 せしむ ることとし、北京公所 をして交通部 に交渉 せ
古川達 四郎 の傭聘契約は本年四月三十日を以 て期限満了 に付更 に
十 二、四〓鉄路局運転主任傭聘契約改訂延期 の件
ハ、潤興公司と の瓢爾屯炭 一手販売契約 の権利及瓢爾炭坑設備
等 の 一切 土地等 の 一切、但し ロ、 ハは東拓 に対し担保となり居 るも此 の ニ、華勝公司 に対す る債権
以外は会社 の承認なくして他 の債権 の目的 とせざる こと。
費
一〇〇、二四八円
双廟 子桓勾子間複線土工橋梁新設 工事 工 事
費
一三五、八四〇円 処務 週報
一 撫順 興業会社外四人の所有家屋 ( 棟数 三六、坪数 一、二五〇
炭礦長申出通左 の如く処 理する ことに決裁
二、撫順市 街地別扱家屋買収其 の他 の件
収支及財産状態 を見た る上にて詮議する ことに決裁 。
金 二千二百円也補助する こととし、本年度補助 に関しては該協会 の
前年度同様本年度も金二万六千円也補 助方申出ありたるも不取敢
一、満蒙文化協会補助 の件
大正十二年 五月 五日
社文雑二三第 四 一号 の五
第 五回
工 事
二 電鉄 水源 地星ケ浦間複線増設工事
一
十四、工事伺認可 の件
十三、職制改正報告 に関する件 ︹ 嘉平︺ 首題 の件 四月二十六日内閣総理大臣 、関東長官、土岐監理官、鉄 ︹ 繁三郎︺ 道大臣、井出監現官、朝鮮総督府政務総監宛報告せり。
本債権は会社 か貸与したる前記金二十 万円也 の弁済 を受く迄 は会社 に担保 の儘求償を受 けざ るは勿論 、昨年五月 一日該会社 重役個人保証 を得 て会 社か貸付 たる三十 一万円也 の見込担保と 為す こと。 尚将来会社に於 て華勝炭坑区に付支那側より其 の権利を買収した る際 は会社 の指定 に依 る条件 を以て該鉱区 の斤先料、其 の他 に関す
首題会社 の鮮銀 に有す る債務 四十 万円 に対する大正十 一年 七月 一
る契約 を締結すること の承諾書 を提出 せしむ。 ︹ 撫順︺ 九 、製錬会社債務代払 に関する件 日より大正十二年 一月三十 一日迄 の利息 (日歩 二銭七厘)金 二万三 千 二百 二十円は当社保証 の関係 上当社 に於 て代払し元金は政府 の許 可 を俟ち て支払 ふこと に決裁 。 十 、米国乾燥地農業法調査委託 の件 首題 の件今般欧米各国 へ農業 調査 の為出張 する北海道帝大農学部 とに決裁。
教授時任 一彦氏 に委託し、調査経費 として金 一千五百円也支出 のこ 十 一、公主嶺電燈株式会社新株 引受 の件
曩に認可を得 て実施中 の混合保管大豆 に対す る別扱手数料徴収 の
件中に秣食豆を加 へ大正十二年 七月 一日より実施し度 に付認可方井
尚 興 業 会 社 家 屋 買収 金 額 は 一般 の例 に依 り 、其 の半 額 を 現金
二
出監理官宛申請 せり。
坪 四 四) を金 二十 万 一千 五百 三 十 一円 に て買 収 す る こと 。
に て交 付 す べき も のな る も同 会 社株 主 の大 部 分 は撫 順 市 民 た る の
五、長春商業会議所補助金 の件
従来毎年金三千円宛補助し来 りたるも財界 不況等 の為収入著 しく
関 係 上借 家 人 の緩 和 金 を 一般 家 主 の支 出 す る比率 以上 に出 す こと と な り た る を以 て、 右半 額 金 四 万 円 の外 に金 二千 円也 増 加 し て 支
減少し来 りた るに付増額補助方申出 あり、特 に本年度に限り金 五千
大 石 橋 に於 け る電 力 は 現在 の同 地 発電 所 の状 態 を 以 て し ては 今 日
の金十万円は五月六日支払期日となり居る処 、野村銀行より右期 日
会社 の裏書を以て満洲 日々新聞社 に於て大阪野村銀行より借入中
七、満 日社為替手形書替 の件
首題 の件 に関し金 一万円寄 付のこと に決裁 。
六、安東鮮人普通学校 々舎改築費寄付 の件
寺 院 教 会 (計 六 件 三 三 六坪 八 二) に 対 し ては 此 の際 買 収 せず 。 円補助す ることに決裁 。
払 ふ こと。 三 他 日 市街 移 転 の際 は 、炭 礦 に於 て教会 現 在 建 物 と同 様 のも のを寺 院 教 会指 定 の地 に新 築 す る か又 は新築 費 の実 費 を 買収 す る こと 。
以 上 に需要 に応 ず る能 は ざ る を以 て種 々考究 の結 果 、営 口 より 受 電
に対する二銭七厘 の利息 を前払する代り に別 に 一万円 の手形を振出
限り返済方申出ありたるに付、朝鮮銀行 に借 替ゆることとし十万円
三 、大 石橋 電 力計 画 に関 す る件
す る を最得 策 と認 め左 記 条 項 に基 き営 口水道 電 気 会 社 よ り受 電 す る
し、期 限を 一箇年とし此の 一万円に対し て更 に二銭七厘 の利子を附
大 石橋 営 口間 送 電 線 路架 設 費 七 万 円 は営 口水 道会 社 に於 て負
一
する ことに略交渉纏 りたる趣 を以て右 二口金 十 一万円 の為替手形引
こと に決裁 。
担 す る こと とし 、 之 か資 金 は同 社 に対 し貸 付 の予 定 な る金 二十 万
受方申出 ありたるに付申出通承認す。
其 の後任 とし て同局勤務運輸主任中川増蔵 を会社代表兼運輸主任 に、
吉長満鉄代表兼会計主任加藤赫 二及工務主任清水賢雄を解任 し、
一、吉長鉄路満鉄代表及各主任更任通知 の件
大正十 二年 五月十 二日
社文雑 二三第四 一号 の六
第六回 処務週報
円中 剰 余見 込 額 五 万円 を流 用 せし め 不足 額 二万 円 也 は更 に貸 付 の
本計 画 の電 圧 は三 、 三〇 〇 ボ ルト とす 。 但 し将 来 二、〇〇〇
こと 。
ボ ルト に変 更 の場 合 は 水電 会 社 の負担 に て当 社 通信 線 を反 対 側 に
二
電 力料 金 は大 石 橋変 電 所 渡 二十 万 キ ロ迄 一キ ロに付 十銭 と し 、
移 設 す る こと。 三
そ れ以 上 の分 に対 し ては 当事 者 間 に於 て協 定 す る こと。 四 、混 合保 管 大豆 除 外 品 中秣 食 豆 追 加 の件
谷清 を会計主任 に、村山米男を工務主任 に任命 せし旨五月五日附交
四鄭 公 債 (正 金) 元 金 償 却
三 江 口、曲 家 店 橋 梁 架 桁費 、其 他 改 築費
一、 六 〇〇 、〇〇 〇
一、 〇 九 二、 九 二 七
四 八〇 、 四 一三
大 阪 事 務所 撤 廃 後 の用度 課事 務 を処 理 せ し む る為 、用 度 課 大阪 在
四 、大 阪 在 勤 員 派遣 の件
借 款 手 数料
通総長及吉長鉄路管理局長宛通告 せり。 二、電車等級撤廃 の件 現行電車等級制度 は実行困難 にして取扱 上有名無実 の観あ るを以 て賃金 を片道金五銭往復金十銭、回数券 二十二枚綴を金 一円 に改め
五 、陶 鹿 東 山 学 校費 補 助 の件
所 勤 務 に転 属 し 一切 の事 務 を 同所 に依 頼 す る も のと す 。
追 て本 派 遣 員 は将 来 大 阪鮮 満 案 内 所 設 置 の場 合 は 在勤 員 を全 部同
勤 員 と し て職 員 二 、傭 員 一名派 遣 の こと に決 裁 。
用を要し収 入約四万 一千 八百余円増収 の見込なり。
右等 級撤廃 の結 果は車体内部 の改造費 として概算 三万二千円 の費
等級を撤廃 したき に付認可方五月五日附関東長官 に申請 せり。
三、四〓線 工事借款 に関す る件
昨 年 度 千 三 百 十 円補 助 の処 、学 級 増 加 等 の為 金 一千 円増 額 補 助 方
六 、大 連 特 産 取 引市 場 建 値 問 題 の件
申 出 あ りた る に依 り 、申 出 通 補助 の こ と に決 裁 。
四〓第三次借款は本年 五月三十 一日を以て償還期限到来す るに付 此 の機会 に於 て各別 に締結 せられある借款及今後所要 の鄭〓線建設
蔵 、外 務 両 大 臣 、 拓殖 事 務 局 長 及 関東 長 官 に通知 せ り。
首 題 の件 五 月 八 日附 直 接 内 閣総 理 大 臣 に意 見 書 を提出 し此 の旨大
資金 を 一括 して整理したる上之を切換 へ新借款を締結す ることは四
七 、混 合 保 管 寄 託外 大 豆 中 別 扱手 数 料 改 正 認 可 ( 第 五 回 処務 週 報 参
〓線 に関す る借款関係を単純化する結果となり頗 る妥当 の措置たる も此 の際二千七百万円と言 ふが如き巨額 に見ゆる借款 を成立 せしむ
照)
右 五月 二 日附 申請 の処五 月 八 日附 土 岐 監 理 官 よ り認 可 せ ら れ たり 。
る ことは支那側 の政府対国会関係及動 もす れば奉天側 の誤解を招く に付、政府 へ承認申請 の上結果回答せられ度旨在京木部庶務部長 へ
虞れある事実 に鑑 み左案 を基礎として支那政府と交渉 を開始す る筈 通達せり。
一
会 社 よ り カ シイ ツ ア に対 し金 五 千 八百 二 十 円 の範 囲 内 に於 て
本 件 左記 に依 り解 決 す る こ と に決 裁 。
八 、 遼陽 附 属 地 内 露 国 人私 有 地 に関 す る件
ら れ た る も のな り 。
例 も あ る こ と故 、 当 庁監 理 官 限 り 認可 す べし と のこと に て認 可 せ
追 て本 件 は在 鉄 道 省監 理 官 に申 請 し た るも のな るが 、関 東 庁 に ︹ 海平︺ 於 て は本 件 の如 き は 従来 拓 殖 局 入 江監 理 官 に於 て認 可 し 来 れ る先
八、七三四、七八三円 訳 五 、五六 一、四四三円
第 三次短期借款 一三、七〇〇、〇〇〇 円及鄭〓工事速成借款三、 、〇〇〇円を切離 し今後所要資金 のみの借款 を締結す るこ
借款総額
と。 内
鄭〓十二、十三、年度 工事費
カ シイ ツ アは会 社 に対 し書 面 を以 て将 来共 何 等 の要 求 を為 さ
和 解 金 を 支給 す。 二
カ シイ ツ アは本 件 土 地 に関 す る 一切 の書類 を会 社 に無 償 提 供
ざ る こと を誓 ふ こと。 三
在 遼 陽 第 二号 家 屋 な る も の に対 し て は カ シイ ツ アは 要求 を抛
す る こと 。 四 棄 す る こと。
申 請 せり 。
本 渓 湖煤 鉄 有 限 公 司 大倉 喜 八郎 氏 より 本渓 湖 銑 運 賃 を半 額 に低 減
せり。
中村謙介を推薦す ることに決 し支那政府 に交渉方 ・北京公所 に通牒
現技師長久門雄 二辞任す ることになりたるに付、其 の後任 とし て
二、四〓鉄道技師長推薦 の件
方申 出 あり た る に対 し、 五 月 十 六 日 より 十 月末 日迄 一米噸 に附 二円
三、南満医学会総会費補助 の件
九、 銑 運賃 低 減 の件
七 十 八銭 (噸 哩 一銭 、 四割 四分強 低 減 ) に低減 す る旨 回答 せ り。 但
伺
費
六 四 、 六三 〇 円
処務週報
六、定期借家建設予算 の件
旅順工場料金率と同率なり。
追 て本承認料金は大連 工場は元川崎船渠と、旅順 工場 は元当社
右申出通承認 せり。
五、満洲船渠会社船渠料金制定承認 の件
成 の暁 は金 二万円也寄附す ることに決裁。
寄附金十万円募集及予定通工事を竣成する ことを条件 とし て、竣
四、奉天神社建築営繕費寄附 の件
前例 に依り金 一千百円也補助 のことに決裁 。
し 本運 賃 は 船 積 輸出 に限 り之 を適 用 す るも のと し 、船 積 輸出 せざ る
事
尚 右低 減 運 賃 率 は 鞍山 銑 にも 之 を適 用 す るも のとす 。
場合 は 本特 定 運 賃 と規 定 運 賃 と の差 額 を申 受 く る も のと す 。
十、工
事
遼 陽 丙種 社 宅 新 築 工事 工
第 七回
大 正 十 二年 五 月十 九 日
社 文 雑 二三 第 四 一号 の七
以内 とし、建設建物中丙種四戸建 二棟を連接 して消費組合売店其 の
満洲興業会社定期借家 の建 設は総工費 予算 を金 二百十六万五千円
七 月 一日以 降 列 車 運転 時 刻 の改 正 と同 時 に釜 山奉 天 間 に急 行 列 車
他、同丙種四戸建 一棟 を図書館、倶楽部其 の他 に設計変更す べき旨
一、急 行 料 金 改 正 の件
運 転 開始 に付 、 左 記 の通 急 行 料 金 改 正認 可 方 関 東長 官 及 朝鮮 総 督 へ
円五十四銭を乙に貸与す。
B
共同商会債務償還 に充当する目的を以て総金額四十万九千
同 会 社 に通知 せ り。
首 題 の件 に関 し大 要 左 記 に依 り五 月 十 四 日附契 約 を締 結 し調 印 を
子 担保物 件
利
返済 期限
乙 の札免公司 に対す る持分全部
B は年 一割
A は無利子
一箇年
六 前項貸金 には左 の条件 に依り借用証書を差入れしむ。
七 、日 露 共同 ﹁シ エ﹂ 商会 の残 務 整 理 に関 す る件
札 免採 木 公 司 に対 す る甲 乙 の出 資 は 一九 二 二年 十 一月十 三 日
了 せり (甲満 鉄 、乙 シ エフ チ エ ン コ) 一 現 在 共 同 商会 資 産 表 に依 る総 金 額 三 百 九十 一万 七 百 三十 八円 七 十 六 銭 を 以 て之 に充 当 し 、 且其 の金 額 の多 寡 及 時 価 の如 何 に関 せず
七 共同商会債務中鮮銀、正金、露亜銀行及庄司鐘五郎 に対する
乙は担保物件確保 に関し法規 上必要なる手続を履行す ること。
前 項 資産 表 は 一九 二二年 八月 末 日 現在 調 な るを 以 て本 約 定 調 印
償還及満鉄立替金 の戻 入に関し ては甲は共同商会 の名に於 て乙 に
大 洋 銀 四 百 万 円と 評 定 す 。
代り て之 を処理し、其 の余は乙 に於 て金員受領後 一週間以内 に弁
八 第 六項借用金 を期限内 に全部若 は 一部 を返済せざるときは、
後 六 十 日 以内 に共 同 商会 日露 当 事 者 に依 り 一九 二 二年 十 一月 十 三
甲は乙に何等通告を要 せず し て未払債務 に相当する担保物件を甲
日 現 在 資産 調 書 を 作 製 せ ら れ た ると き は甲 に於 て正当 な りと 認 め
二
の所有 に転帰す。此 の場合 に於ける担保物件 の価値は金 一百万円
済する こと。
百 二十 三 万 五千 七 百 円 と し 一九 二 二年 十 一月 十 三 日現 在 資 産 と の
と評定す。
た るも のに限 り之 を 更 生 す る こと を得 。
差 減 額 は共 同 商 会 の欠損 と認 め、 其 の半 額 は甲 の損 失 に帰 す る を
共 同商 会 の 一九 二 一年 七月 二十 日 に於 け る資 産 総 金 額 は金 四
以 て乙 は 、甲 に該 損 失額 を賠 償 す る こと。
公司定款改正 の有無 に関せず 、変更 せられたる甲乙 の持分 に比例
右 に依り札免公司 に対する甲 乙の持分に変更を生じたるときは、
し同公司 に対する各自 の公称出資額を加除更正し、実質上甲乙両
前 項 乙 の賠 償 額 中 二〇 % は甲 側出 資 者 た る庄 司鐘 五郎 に於 て
其 の求 償 権 を抛 棄 し 、 三〇 % は 庄 司鐘 五郎 に於 て乙 に代 り甲 に賠
三
償 す る を以 て甲 は 乙 に対 し半 額 を 要求 す るも のとす 。
者間 に於 ては其 の変更 の有効 なることを予 め承認す。
札免公司に対し販売方 を依托しある 一九 二二年十 一月十三日
九
共 同 商 会 に於 て 一九 二 二年 十 一月十 三 日現 在 の債 権 債 務 は本
四
現在共同商会 生産材は乙に於 て本約定書第六条に依 り担保物件確
保 に関する法規上必要 なる手続を完了したるときは完全 に乙 の所
前 二項 に依 る賠 償 金 額 八 万 一千 二 百 四十 円 三 十 一銭 を乙 に
A
有 に帰属す。
甲 は乙 の希 望 に依 り左 の貸金 を為 す 。
協 定 に特 別 の定 め な き も のの外 乙 の責 任 と す 。 五
貸与す。
十
乙が完全 に第 六条 に依る手続 を履行したるときは、甲は共同
商会 が其 の経営期間内営業上各種 の妨害及損失 を被りた る事情 に
守 備 隊 撤 退 に伴 ひ不 要 と な り た る瓦 房店 、得 利 寺 、 万家 嶺 、熊 岳
受 托 の件
鑑 み、出資契約書第 七条第 二項 に基 き乙 が甲に対し負担すべき利
余 、建 物 六 千 八 百 六十 九 坪 余返 還 を 受 け 、尚 右 各 地 に於 け る陸 軍所
城 、蓋 平 、 千 山 、遼 陽 、煙 台各 地 に於 け る 土 地十 四 万 六百 三十 三坪
右 会 議 には 職 員 、鶴 見 三 三 を参 加 せし む べ き旨 関 東庁 事 務 総長 に
一四、 第 五 回 東 亜熱 帯 病 学 会 議参 加 の件
有 土地 建 物 の保 管 を依 托 せら れ た る に付 、之 を承 諾 せ り。
益 十五%保証 の責任 を免除す。 八、哈爾濱日日新聞社貸金期限延期 の件 右新聞社 に貸付中 の金三万円本年 二月 二十八日期限満了 の処 、先
一五、 渓 城 鉄 路 公所 員 職 務 死傷 手当 及 退 職 手当 弔 慰 金給 与 内 規 改 正
回答 せり 。
方 の申 出に依り 一箇年間延期 のことに決定したる旨通知し、併せて 既往 一箇年分利子金 三千七百三十 二円四十八銭 も至急整理方通知 せ
右 会 社 が当 社 保 証 の下 に大 阪 野村 銀 行 よ り借 入 れた る金 七 万五 千
一八、 満 洲 市 場 会 社借 款 保 証 の件
る 、金 四 万円 也 引受 の こと に決 裁 。
満 日社 整 理 資 金 と し て同 社 が為替 手 形 を 以 て朝 鮮 銀 行 よ り借 入 る
一七 、満 日社 為 替 手形 引 受 の件
右 認 可 方 五 月 十 七 日附 関 東 長 官 に申 請 せり 。
︱六 、 工業 専 門 学 校 職制 認 可 申 請 の件
満 鉄 現 行 内 規 に対 比す れば 約 二分 の 一額 に相当 す 。
改 正 の内 容 は役 員 に於 て約 二割 増 、 傭員 に於 て約 三割 増 と な り 、
て承認 す 。
渓 城 鉄 路 公 所 よ り の申 請 に対 し 、六 月 一日 よ り施 行 す る も のと し
承 認 の件
り。 九、小平島砂採取場買収 の件 硝 子原料 とし て必要 上、多 田仙之助が官 より許可 を受け居れる小 平島砂採取場 六箇所六百五十坪を多 田に於 て官 に返納 し、会社が完 一〇、撫順市場会社借款 の件
全 に該 権利 を得た る場合 は金五千円也 を同人 に支払 ふことに決裁。 右会 社が野村銀行より会社保証 の下に借入中 の金拾 万円 は、六月 十四日期限満了と共 に返済 の要求を受 けたるに付、之 が借替 の為、 東京支社を通じ、藤 本ビ ルブ ローカに交渉し借款成 立の上 は、従来 一一、十 一年度事業費 、営業収支 予算第 二次更生認可申請 の件
通市場会社建物全部を担保とし保証 を与う ることに決裁。 右 五月十六 日附関東長官経由総 理大臣、鉄道大臣 に認可申請せり。 一二、十 一年度 決算内承認申請 の件
借 替 ゆ る こと と し 、 又家 屋 新 築資 金 と し て新 に金 五 万 円借 入 に付 、
円 は、 五 月 十 四 日 期 限満 了 と 共 に返 還 方 要 求 せ ら れた る に付 、之 を
せり。
右 交 渉 纏 り た る上 は 現市 場 会 社 建物 及新 築 建 物 を担 保 と し て保 証 を
右 五月十六日附関東長官経由総 理大臣、鉄道大臣 に内承認方申請 一三、守備隊撤退後 に於ける陸軍使用土地建物返還及国有財産保管
一九、満洲神職会補助 の件
るも 右 は 重 役個 人 の約束 に係 り 、 且 現在 重役 中 に は既 に 一定 の寄 附
絶 の姿 と な り居 る に付 、本 年 よ り従 前 の通 引続 き 寄附 方 申 出 あ り た
対しては、五箇年期限年利八分附借用金証書を交付 せる処、其 の後
し 、五 月 十 六 日露 側 代表 者 イ ワ ン ・シ エフチ エン コと内 約 を締 結 し、
対 す る公 司 利益 の配 当金 、合 計 年 額 金 四 万 五千 円 を保 証 す る こと と
露 側 の委 任 を受 托 し、毎 年 露 側 理 事 に対 す る公 司 報酬 手 当 及露 側 に
右 公 司 経営 に関 し 、大 正十 一年 十 一月 以降 約 五箇 年 間 当 社 に於 て
二、 札 免採 木 公 司 経 営受 托 の件
金 納 付 済 の向 も あ り、 新 に寄 附 す る こと は断 る旨 回答 せり 。
与うること に決裁。 本年度事業費中 へ金 一千円也補助 のこと に決裁。 二〇、川崎造船所支払金 の件
同 社金融上 の都合 に依 り右金額を限度 とし支払保証方申出 あり、之
之 が調 印 を 了 せ り。
川崎造船所 に支払 ふべき金八十五万六千二百六十五円二十四銭 に
を承諾したる処更に右 にては資金調達 上尚困難 の事情 ある趣 にて為
六九、八五〇円 一六八、七五八円
総
支
収
出
入
七 四 、 四 二 一、 二 七
円 七 七 、 九 八九 、 七 一
三 、 五 六 八、 四 四
大 正 七年 四月 一日 、西 札 魯 特 札 薩克 郡 王大 宝 石 に貸 付 せる元 金 一
五 、 西札 魯 特 王 借 款 回収 の件
大 連 支店 に保 証 状 を送 付 せり 。
一箇 年間 、前 年 同 様 の条 件 に て之 を保 証 す る こと に決 し、横 浜 正 金
に対 し 、昨 年 来 支 払 保証 中 の処 、 更 に大 正十 二年 六月 一日 よ り向 ふ
穀 物 買 付 資 金 と し て同 社 が横 浜 正金 銀 行 よ り借 入 れた る金 十 万 円
四 、長 春 運 輸 会 社 に対す る支 払 保 証 の件
し 、利 益 に於 て 一、八 七 〇 円 余 を増 せり 。
前 年度 と の比較 収 入 六 、 八 一 一円 余 、 支出 四、 九 四 〇円 余 を増
差 引 利 益
総
決 裁 の内 容
右 五月 十 九 日承 認 せり。
替 手形 の様式 にて支払引受方懇請ありたるに付、之 を承諾せり。
九〇、 一八〇円
奉天高等 女学校校舎増築工事
三 、渓 城 鉄 路 公所 十 一年 度 決 算 承 認 の件
一
二 一、工事伺認可 工 事 費
二輛製作工事
旅客列車用G3型 過熱蒸気機関車
同
二 公主嶺丙種 社宅新築 工事 三
一、二〇五、六七〇円 処務週報
十五輛製作 工事
四 貨物列車用 M型過熱蒸気機関車
第 八回
大正十 二年 五月 二十六日
社文雑 二三第 四 一号 の八
同会 に対する重役名義寄附 金 に関 し、右寄附金 は大正九年 以来中
一、済生会寄附金 の件
万 六千 円 は 、 本年 三 月末 期 限到 来 に付 回収 す る ことと し 、 若 不 可能 な ら ば向 う 五 箇年 間 の範 囲 に て更 新 の こと に取 計 ふ べ き旨 、 鄭 家 屯 公 所長 に通 牒 せり 。
大 正 二年 度 及 大 正 五 年 西本 願 寺 に貸 付 け た る計 金 三 万 一千 七百 九
六 、 西 本願 寺 関 東 別 院貸 金 寄 附 の件
十 四円 七 十 四銭 に、利 子 と 共 に同 院 に寄 附 す る こと に決 し 、 五 月 二 十 二 日此 の旨 通知 せ り。 七 、急 行 料 金 改 正 認可 (第 七 回 処 務 週報 参 照 ) 五 月 十 四 日附 指 令 第 八 一四号 を以 て関 東 長 官 より認 可 せ ら れた り 。 八 、 工 業専 門 学 校 職 制 認 可 ( 第 七回 処 務 週報 参 照 ) 五月 二十 二 日附 指 令 第 八 二 七号 を以 て関東 長 官 よ り 認可 せ ら れた り。
契約 期 限
七五、七 四九円 第 三次借款と本借款と の差額 に
対す る手数料 ( 五分五厘)
大正十三年五月三十 一日
五、五六 一、四四三円
八、七三四、七八三円
右借款契約案決裁内容左 の如 し。
十 一、鄭〓線工事速成借款契約締結 の件 借款 金額 訳
年九分五厘
大正十三年 五月三十 一日
一
内
鄭〓線十 二、十三年度 工事費
借 款期 限
四八〇、四 一三
一、六〇〇、〇〇〇
一、〇九 二、九二七
三江 口、及曲家店橋梁架桁費其 の他改築費 四〓公債残存元金償却
借 款利 率
借款手数料 (五分五厘) 二
借款金額 の五分五厘
三
四 借款調達手数料
右 本 年 度 より 奉 天 に設 置 す る こと に決 裁 、 本 研究 所 は当 分 興 業 部
九 、獣 疫 研 究 所 設置 の件
農 務 課 の管 理 に属 す 。
也保証 せる処、更 に 一定条件 を附 して金六十五万円也追加保証 のこ
満洲興業会 社代用社宅建築資金とし て会社 は、既 に金百五十万円
十 二、定 期借家建設資金追加保証 の件
工事費 は工事進捗 に従 ひ随時引出 し得 るも のとす。
万円は、同銀行 の承諾 を得 て、右預金中より会社之を支払 ふ。
民国政府 の横浜正金銀行 に対す る四〓公債残存金、元金百六十
社 に年利七分 にて預金するも のとす。
借款金額中借款調達手数料 を控除したる残額は交付と同時 に会
五 借款交付金及預金
本 年 五 月 三十 一日 償 還 期限 到 来 に付 、契 約 更 新 す る こと と し、 更
一〇 、第 三次 四〓 短 期 借款 契 約 更 新 の件
契 約 の内容 は従 来 と同 一にし て 、唯 金額 期限 を左 の如 く 改 む る
新 契 約 案 決裁 。
金 一五 、 〇 七 七 、 二 四九 円
第 三次 借 款 金額
訳 一三 、 七〇 〇 、〇〇〇 円
右 一箇 年 間 利 子
借 款 金 額
も のと す 。
内
一、 三〇 一、 五 〇〇 円
と に決裁。 十三、共立組定期借家建設予算 の件 右 は金百八万円也 にて予算書至 急作成 せられ度旨通牒 せり。 十四、鳳凰城南満煙草組合補助 の件
第九回 処務週報 社文雑 二三第四 一号 の九 大 正十 二年六月二日 一、四〓鉄道 一時借款契約締結認可 閣総理大臣 より認可 せられたり。
客 年十 一月八日附申請 四〓鉄道 一時借款締結 の件、五月十日附内
二、吉長鉄路局三主任給与協定変更 の件
右組合事業経営資 金として同組 合が東省実業 より金 六万円借 入る る に付 、事業補助 の意味 に於 て、該借 入金 に対する利子金額 ( 年額
一一五、六七四円
一一四、六 一六円
左 の如 し。 俸
給
四百円
四百五十円
六百円
会 社代表兼運輸主任
給
工務主 任 俸
給
会 計主 任 俸
村 谷
当
増 蔵 手
米 男
当
山 手
当
清 手
二百五十円
二百円
二百円
五月 三十 一日附期限到来 に付、之 を切替 ふることとし、右契約案
五、四〓鉄道 一時借款 切替 の件
る ことに決裁。
五百二十八坪を、予算金 二万 一千 七百六十七円の範囲内 にて買収す
湯崗子温泉遊園地拡張用地として、隣接 支那人所有地約 三万七千
四、湯崗子附属地東隣接地買 収 の件
右 五月二十九日附決裁。
三、京城販売所設置 の件
中 川
右協定案五月二十八 日附決裁 、本協定 に依 る三主任 の人名及給与
約五千八百六十円)補助す ること に決裁。 五月二十日附弘報係規程制定せられたるに付、人事課長、直 属箇
十五、弘報係設置 の件 所長、各部長 に通牒せり。
費
安東第 二小学校増築 工事
工 事
奉天六千立方米瓦斯槽 一箇製作 工事
十六、工事伺認可 一 二 六五、五九五円 奉天第 二小学校増築 工事
同 三
六七、〇九四円 奉天中学校 々舎講堂屋内体操場増築 工事
同 四
九 三、七六九円 二二七、四〇六円
鉄嶺鉄嶺河間複線土 工橋梁 其 の他新設工事
同 五 同 同
六 昌図満井間昌図河鉄桁架設工事
決裁 。
も のとす。
契約案 の内容は従来と同 一にして、唯金額、期限を左 の如く改むる
家
右 炭 田試 錐 費 と し て西 宮 房次 郎 に対 し貸 付く る こと とな り あ る金
五 万 円 の残 額 二 万 五千 円 は 、当 方 要 求 の請 書 を提出 せし め 貸 与 のこ と に決 裁 。
一 一、鉄 嶺 電 燈 局 に発電 機 貸 与 の件
也 補 助 す る こと に決 し、 六 月 一日 此 の旨 通 知 せ り。
右 に対 し 一般 事 業費 に金 二千 五 百円 、 編 輯事 業 費 に金 一万 三 千 円
一〇 、南 満 洲 教育 会 経 費 補 助 の件
大正十 一年十月 二日より大正十二年
元金
三、 二〇 一、〇五八円
三、〇〇〇、〇〇〇円
訳
借 款金 額 内
属
三〇坪
一七八坪六三
費
一 一、 二九 五 円
大連 埠 頭 事 務 所増 設 第 一期 工事 事
五〇 、 九 二 五 円
冷蔵 車 五 輛 製 作 工事
七 一、 ︱二 〇 円
瓦 房店 丙 種 社 宅 二十 戸 新 築 工事
工
同
同
処務週報
二 六 七、 八 七 〇 円
大連 第 二埠 頭第 七八 号 倉 庫 改築 第 二期 工事
七 一、 一七 九 円
第 四埠 頭 築 造 工事 の内 捨 石 工事 同
同
第十回
社 文 雑 二三第 四 一号 の 一〇
五
四
三
二
一
一二、 工事 伺 認 可
一台 を貸 付 く る こと に決 裁 。
に対 し 、奉 天 発 電 所残 有 の発 電 機 二百 キ ロ、汽 罐 二百 七十 馬 力 、各
鉄 嶺 に於 け る電 量需 要 の増 加 に応 ず る為 、同 地電 燈 局 よ り の申出
五月三十日迄 の利子 (年九分五厘)
大正十 三年五月三十 一日
厘 の手数料
一一、〇 五〇円 借款金額と の差額 に対する年 五分五
一九〇、〇〇〇円
契約 期限
右五月二十八 日附鉄 監第 七九号を以て朝鮮 総督 より認可 せられた
六、急行料金改正認可 (第七回週報参照) り。 七 、馬仲河昌図間廃線敷 地売戻 の件 右土地約十 二万六千坪 を東清鉄道買収当時 の価格 を以 て、附近村 民 に売戻すことに決裁 。 八、長春高等女学校用建物買収 の件 目下長春高等女学校用として使用中 の共同事務所 は地方事務所増 員 の結 果、他 に移転を要す るに付、差当り三井物産会社 に於て売却 の希望 を有 せる同社事務所建物 が仮校舎として適当 に付、之を金 三
附
二階建延坪
万六千円 にて買収することに決裁 。 建物 の坪数
九、亮珠 河炭田試錐費貸与 の件
大正十二年六月九日 内容左 の如し
一、吉長鉄路局十二年度予算 承認 の件
外 に事 業 費 六 三 三 、 四 三九 円
従来 の補助決定額 一万円五箇年賦払 を、五万円五年賦払 に増額方
二、大連慈恵病院補助 の件
右京管局長 の申請 に依 り五月二十九 日 一部訂正 の上承認せり。
土岐監理官 よりの要求に依 り六月六日之を提出 せり。
五、保証債務調書提出 の件
埠頭倶楽部 より満鉄社員倶楽部新築費中 に金五万円也寄附方申出
六、満鉄社員倶楽部 へ寄附受納 の件
寄附金受 入時間
大正十 二年十 一月 一日
ありたるに付 、受納 のことに決裁。
奉天社員住宅組合代表者よりの願出に依 り、建築資金 として藤本
七、奉天社員住宅組合借入資金保証 の件
ビ ルブ ローカ銀行より借入るる金十五万九百五十円也支払保証す る ことに決裁 。
八、本渓湖発銑運賃低減中追加 の件 (六回週報参照)
本渓湖煤鉄公司 より大連経由輸出銑 の例 に倣 ひ、営 口著運賃 も相
当低減 せられたき旨申出ありたるに付、 一米噸 に付二円十 二銭 ( 噸
申出ありたるも之を断り、特 に本年度限 り前記補助額以外 に金 五千 円補助 のことに決定、此 の旨同院 に通知 せり。
哩 一銭 五厘強割引率 三割九分強) に低減す ること に決 し、此旨同公 九、教育 勅語謄本拝戴方申請 の件
司 に通知せり。
三、大連油脂 工業株式会社保証債務代位弁済 の件 当社保証 の下 に右会社が大阪野村銀行 、鴻池銀行より為替手形 を 以 て借 入れたる、計金 一百万円五月末 日期限到来 に付弁済方申出 あ
新職制左 の如し。 書 課
侃 査 課
李 調
監
理 課
稽
検 課
鞍山中学校及長春竝安東高等女学校 に対す る分、御下賜方関東長 官宛申請せり。
りたる所 、同社は目下経営難 にて到底支払 の資 力なく、目下善後策 講究中に属す るに付、不取敢此際会社 より代位弁済し置く こと に決
総 務 処
右吉長代表 の申請 に依 り承認す。
一〇、吉長鉄路局職 制改正承認 の件
の請書を徴 し居 りた るも、此際不動産 に付 ては順 位第 一番 の抵 当権
尚従来 の保証 に付 ては之 か担保として同会社財産全部 を提供する
裁。
を設定し、動産 は無償譲渡す るの契約 を締結す ることとせり。
文
処長
四、京城鉄道学校及満鉄京城図書館維持財団法人設立承認 の件
運 輸 処
処長 課
査 課
文 牘 審 站 牘 課
処長
車 文
工務 処
務
転 段
課 機
機 務 段
務 課
中 川 増蔵 運
課
材
料 段
工 務 段
車
業
課
課
営
用 度
工 程
長 春 工廠
課
村 山 米 男 養 路 清 清
理 課
谷 課長 ( 兼)谷 澄
計 椅
課
処長 課 課長
牘 庶 務 課
文
会 計 処
警 務 一一、熊岳城温泉聚落地 に関する件
本件 に関し関東庁事務総長 より同庁所管小学校 よりも、本年五十 名参加 承諾方申越 しありた るも、熊岳城 に於 ける設備は会社経営学 るが如 き状態な るを以 て、本年は到底希望 に副 ひ難 き旨回答 せり。
校児童 の収容すら昨年度 に於 ては希望者 の約半部 二百名を収容した
千円 とな る計算 なり。 量
鈴木商 店
五九、七 一三円九四銭
二十七点
埠頭構内第二ホーム発着倉庫新築 工事
約五 一二、五六〇瓩
数 価
一四、軟鋼材購入 の件
者
入
代 納 一
無蓋貨車 一七 一輌改造工事
一五、工事伺認可
二
南満中学堂新築 工事
一八 一、二六〇円
七八、 一九九円
三
一〇八、九五六円 第十 一回 処務週報 社文雑二三第 四 一号 の 一一 大正十二年六 月十六日
二頭
右急行及直通列車用客車 は運転哩 に比例し満鮮両線 にて之 を負担
一、釜山奉天間急行及直通旅客列車用客車新造 に関す る件
緬羊 (メリノー純粋種) 牡
十頭
す ることとし、所要総数百 二十四輌 の内満洲線 に於 ては 二十 五輌を
一二、東支鉄道農事試験場 に種畜寄贈 の件 牝
二頭
右
同
牡
右改正認可方 六月十五日附関東長官 に申請 せり。
二、撫順炭鉱電気供給規程 改正 の件
施設 の改善 に資す ること に決裁。
一等寝台車六輌 三等車十輌 は本年度内 に新造提供し、直通列車旅客
負担す ることとし、内九輌 は現在提供編成中 のも のを之 に充当 し、
豚 (バークシヤー)
一三、興安嶺産材輪出奨励 の為補助 の件 札免採木公司 の申出 に依り、満洲線内貨物規定運賃 の三割 七分五 厘相当額を補助する ことに決裁 。 右運賃割引 に依り、輪出可能量は 一箇年約 一千五百車約三万噸見 当 にして、其 の規定運賃収入は 二十 一万余円、補助額最大約七万九
電燈料金及電力料金壱割乃至 二割値下
四十万円代位弁済する ことに決裁。
て損失 ( 利子) を大ならしむるは不利 に付 、此 の際 、会社鮮銀債務
解 にし て、近く正式許可 の運 びとな る趣 に付 、徒 らに時日を遷延 し
値下 に依 る減収見込年額約 三万円
改正 の内容左 の如し。 一 値下前 の収入年額約十八万円値下割合 一割六歩強 に当 る。
八、海城東語学舎用建物買収 の件
於 て実施 する旨、関東 軍経理部長 に回答 せり。
之を公園 予定地 の 一部 に移転する ことに決 し、右 工事は十三年度 に
奉天忠魂碑現在位置 は適当ならざるを以 て陸軍 と交渉協議 の結果、
七、奉天忠魂碑移転 の件
二
改正 の理由
但し改正料金 に依るも 一箇年尚 三万八千円 の利益 あり。 三 規定制定 当時 より物価低落 せると電力 の需要 に伴 ふ発電量 の増 加 に依り発電費 を低減せる為なり。
支那人をして建築せしめ之を賃借す る予定なりし処、目下附属地内
現在使用建物は教授 上不適当なる為 、本年度 に於 て適当 のものを
同銀行整 理に関し、各関係者間協議 の結果 に基 き、会社貸付金契
に買却 を希望 せる恰好 の支那人建物 あるに付、之 を金五千九百円也
三、教育銀行救済資金貸付契約 の件 約 の内容 にも変更を要するもの生したるに付、之 を更改す ることと
を以て買收し校舎 に使用する ことに決裁。
円及其 の利子を予 て交渉したる所 に依り、現金又は代償物件を以 て
るに付、会社 は奉天悦来棧関係 の立替金三十 五万円 の残金 二十五万
右銀行は大連銀行、遼東銀行 、奉天銀行と合併することになりた
九、満洲商業銀行解散 に付異議申立 の件
本建物 は煉 瓦土磚建 にし て棟数八、総坪数 四百四十坪 なり。
し、更 改契約書 に調印方教育銀行代表者及石本鏆太郎宛通知せり。 四、国際運送重役推薦 の件 右 重役 とし て会社より左記 のも のを推薦する ことに決し、六月二 小 日山 直 登
日此 の旨同会社 へ通知 せり。 専務取締役
武
弁済を受 けざ る限り同銀行 の解散を承認せざ る旨六月十三日通知 せ
三 木
の場合 に準し之を取扱う こととし、右内規案決裁。
運動会役員 にして其 の任務中負傷 したる場合 は、大体公傷者取扱
十 一、運動会役員負傷 の場合取扱方 の件
右六月十 四日金 一万円也同人 に交 付したり。
十、元四〓副局長謝学瀛 に慰労金支給 の件
り。
重
役
村
平 田 驥 一郎
締 役
取締役兼総支配 人 取 査
田 愨 麿
監
五、在満忠死者奉祀 費寄附 の件 本年度より当分 の内毎年金 一万円宛寄附 すること に決 し、此旨関 東軍参謀長宛 通牒 せり。 本件整 理に関 しては官より未 だ許可指令 なきも既 に官 に於 ては了
六、撫順製錬会社鮮銀債務代払 の件
十二、長春社員住宅組合借入資金保証 の件
子五千 三百八十 七円余)は、五月十四日期限到来 したるか、若 し先
大正 七年 五月、蒙古温都爾二公爺 に対し貸付けたる金 二万円 (利
十 五、温都爾 二公爺借款回収 の件
方 に於 て弁済不能 の場合は更 に向二箇年間 の範囲 に於 て契約を更新
右組合 より建築資金として金五万五千円也藤本 ビルブ ローカ銀行 より借 入るるに付、保証方申出ありた るに付、之 を保証 せり。
するか、若は分劃弁済す ることに契約を更改 せしむる ことに取計 ふ
右 に対し満鮮商業会議所聯合会長 より申出 ありたるに対し、可成
十六、撫順炭増掘炭価調節要望 に対し回答 の件
べき旨、鄭家屯公所長 に通知せり。
十 三、拓殖事務局長より左記新設会社 の設立経過報告方申越 ありた 記
るに付、六月十六日附報告書 提出 せり。 左 山東 鉱 業 株 式 会 社
希望 に副ふ様す べき旨回答 せり。
満 洲 紡績 株 式 会 社 国 際 運送 株 式 会 社
十七、土地建物貸付規則中 改正方 の件
則中 一部を改 正し、借地権 の売買、譲渡 、転貸、抵当権 の設定 を許
本件 に付第 二回満洲商業会議所聯合会長 より現行土地建物貸付規
満 洲 船 渠株 式 会 社 撫順炭販売株式会社
右 は事重大 にして殊 に条約其 の他 の関係上御同意致兼 ぬる点あるも、
可 し、併 せて土地払下規則を制定 せられ度旨申出ありたるに対し、
可成来旨 の趣 旨 に副 ふべき旨回答 せり。
同社大正十 一年度営業成績不良 の結果左 の欠損 を生じ配当不能 に
十四、長春運輸会社 に対し補給 の件 陥 りたるに付、予 ての諒解 に基き欠損金及配当金を補給 せられ度旨
七二一 円〇〇〇
費
八 三、二 一七円
手荷物郵便車 一輌 三等車四輌改造工事 工 事
費 費
一三九、 一一一円
八 七、三三二円 第十 二回 処務 週報
工 事
三 長春医院本館 増築其 の他 工事
工 事
二 満洲医科大学 予科本館増築 工事
一
十 八、工事伺認可
申出ありたるに付、之を承認する ことに決裁。 七、四 一八円九六五
尚同社 に対し ては年八分迄 の利 益配当 を保証し居 るものなり。 金
五〇〇円〇〇〇
欠 損 法定積 立金
一〇、〇〇〇円〇〇〇
八〇〇円〇〇〇
一七、九 一八円九六五
金
前期繰越金
計
配 当
別途積 立金
一六、三九七円二四〇 ( 会社 の補給 を要する額)
引 計
差
社文雑 二三第四 一号 の 一二 大正十 二年六月 二十三日 一、百封度軌条購入 の件 右 三十八哩分 ( 附属品共)代価 六十九万三千 七百三十円三十七銭 を以 て京城鉄道局 より購 入 のことに決裁 。 二、救世軍建築費補助 の件 救世軍 より南満本部兼大連小隊用建物 新築費予算金三万五千円 に 対し、会 社より半額補助方申出ありたるに付、申出通 の家屋を竣功
七 、 万国 博 覧 会参 加 五十 年 紀念 博 覧 会 の件
今 秋 東 京 に於 て開 催 せら る る右 博 覧 会 に関東 庁 と共 同参 加 す る こ
と と し、 之 に要 す る費 用 予算 三 万 五千 六 百 円折 半 負 担 の こと に決 し、 此 の旨 関東 庁 に通 知 せり 。
八 、 遼 陽 共 栄 住宅 組 合 借 入資 金 保 証 の件
右組合 ( 社 員 ) に於 て在遼 陽 鮮 銀 より建 築資 金 と し て借 入 る る 、
金 三万 四 千 円也 保 証 す る こと に決 裁 。 九 、 中 学校 生徒 の認 定 に関 す る件
六 月 二 十 一日附 関東 庁経 由 文 部大 臣 に申 請 せり 。
中 学 校 と同 等 以 上 と し て認 定 方 及卒 業者 の文 官 任用 令 上 の認定 方 、
鞍 山 、撫 順 中 学 校 在 学 生徒 及卒 業 者 の他 学 校 入学 若 は転 学 に関 し、
十八日通知 せり。
十 、中 学 校 徴 兵 令 上 の認定 に関 す る件
したる上は該 工事費中に金 一万円補助す ること に決 し、此 の旨六月 三、ゑびす住宅組 合資金借 入債務保証 の件
右 炭 礦 に対 し 会社 は金 二万 円 を支 出 し 、 日 支合 弁 の予約 を為 し 居
十 一、〓 子 山 炭 礦 に関 す る件
右 認定 方 六 月 二 十 一日附 関東 庁 経 由 陸 軍 、 文部 両 大 臣 に申 請 せり 。
右組合 ( 社員) に於 て東京藤本ビ ルブ ローカ銀行より建築資金 と して借 入るる金四万七千円也保証することに決裁 。 四、西 公園運動場設備寄附 の件 右設備 一切寄附方 、六月十九日附大連民政署長申請 せり。
とに決裁。
時申受金、六万五千五百四十九円余 を徴 収することなく貸付く るこ
が陸軍 より譲受けたる、陸軍専用地 の内 一千百十 四坪余は規定 の 一
中 、 其 の 一を認 容 せら れ た し と の申 出 あ り た る に対 し 、吉 林 公所 長
自 由 を 認 む る こと三 公 司単 独 に て自 由 に炭 礦 を経 営 す る こと の三項
上 は合 弁 契約 を締 結 す る こと二 他 の資 本家 よ り資 金 の融 通 を受 く る
らば 一時 資 金 を融 通 せら れ たく 、 尚 不 可能 な らば 、 一吉 会 線 開 通 の
に付 、正 式合 弁 契約 を締 結 し て事 業 を開 始 す る こと 、若 右 不 可能 な
る処 、支 那 側 相 手方 た る高 啓 明 よ り現 状 の儘推 移 す る こと は甚 苦痛
六、大正十 二年度第 一次追加事業計画、事 業費第 一次追加予算認可
東洋協会大連商業学校 に女子部附設 に付、右校舎敷地として会社
五、大連商業学校 女子部校舎敷地貸付 の件
申請 の件
一方 針
高 啓 明 に貸 付 せ る金 弐 万円 を返 済 せし め 一切 の関 係 を打 切 る こ
第
に対 し 左 記方 針 に依 り 交渉 す べき 旨 指 示す 。
右認可方六月十九日附関東庁経由内閣総 理大臣、鉄道大臣宛申請 せり。
と。 第 二方 針
大 正十二年六月三十日
長春、安東両高等女学校転入学 に関す る認定方 、六月二十三日附
一、高等女学校 の転 入学 に関する認定 の件
二、四平街電燈会社増資株引受 の件
関東庁経由文部大臣 に申請 せり。
高 に於 て資金調達 の必要あり、且会社と の従来 の関係 を継続す ることを希望す る場合 は、高 の便宜 に従ひ他 より資金 の調達を為
す べき旨回答 せり。
は資金其 の他 の関係上、今直 に確答致兼 ぬるも可成貴意 に副ふ様致
に関し ては会社 は目下研究中 にし て、具体的計画及其 の時機に付 て
第五回満鮮商業会議所聯合会長 より本件請願ありたるに付、本件
三、商品陳列館建設竝満洲博覧会開催 の件
旨通知せり。
右会社増資株六千株 の内半数三千株 を引受くる こと に決 し、此 の
すは妨けなきも会社 の利益を害 せざるを要す。尚会 社に於 ては吉 会線開通迄は出資金 を追加し、又は合弁開礦す ることを考慮す る 意図なし。 十二、満蒙文化協会補助 の件 前年度同様、本年度限 り金二万六千円也補 助す ることに決裁。 十三、鄭〓線警備拡張 に対し同意 の件 右四〓鉄路督弁 より同意を求 め来りた るに対し調査 の上拡張 を至 拡張 の内容
当と認 め、六月二十二日附同意 の旨回答せり。
年最高払込額 百分 の八 の配当 を保証することに決し、中外絹業 に通
目下創立準備中 の右会社 に対し、事業援助 の為三箇年間年八分 一
百名
四、中外絹業配当保証 の件 自大正十二年 五月至大正十三年六月間
員 数
経費予算
増
知す ると共 に土岐監理官 に報告 せり。
福昌公司所有右 工場は、金 三万三千円を以 て買収することに曩 に
七、塩酸加里工場買収 の件
概算 四千円とす。
魯大板上を経 て、林西 に至る各地 を巡廻診療す ることに決裁、経費
右 七月下旬 より八月下旬 に亘 り、医師 四名を以 て白音太来 より開
六、蒙古方面巡回診療 班派遣 の件
右六月十六日附内閣総 理大臣及鉄道大臣 より追認せられたり。
五、大正十 一年度事業費 予算変更 の件
一二七、二二二元
大洋
一二三、〇〇〇円 八 二、八五六円
長春商業学校寄宿舎新築 工事
工 事 費
鄭〓線太〓間各停車場給水装置新設工事
十四、工事伺認可 一 二 同
第十三回 処務週報 社文雑 二三第四 一号 の 一三
決裁済 の処、買収物件中 、白金板 ( 評価九千五百八十 八円)不足 せ るに付之 を控除し、新 に電解壜 二百三十六箇 (評価千四百八十二円 六十銭 )及雑品 (五十円) を追加する こととし、金 二万五千六百四 円六十銭 にて買収する ことに変更 の件決裁。
第十四回
処務 週報
社文雑 二三第四 一号 の 一四 大正十 二年 七月七日
右金九万二千百 六十 二円六十 六銭也 にて高田商会 より購入 の件決
一、鋼芯 アルミ ニユーム線 外五点購入 の件
二、 エレクトリツク ・パワーシ ヨベル購入の件
裁。
本件剰 余額約百十七万余円 に対する処置 に付、関東軍経理部長 よ
八、大連 軍用地解放契約 に依 る剰余金処置 に関する件
て適当と認め、現在陸軍使用中 の兵営及附属建造物 の移転新築等 を
り右剰 余金額 は、将来鉄道沿線市街経営上必要あり、且関東軍に於
右金十三万三千 三百十二円也 にて三井物産大連 支店 より購入 の件 決裁。
要する場合 に於 ては、其 の経費 の整 理及竣成建造物 の授受等、凡て 大連 に建 設したるも のと同様 の方法 を以 て、之 に充当 したき に付同
三、札免採木公司営業費 立替 の件
又は其 の他適当 の方法を以て、列車警備 の充実方至急詮議 せられ度
沙河十里河間 に於ける列車内馬賊事件 に鑑 み、警察官 の列車警乗
四、列車警備 に関する件
三万四百円とな る。
追て同 公司 に対する会 社貸付金残高 は、右貸付金 を合し約 二十
結果、不取敢金 五万円也貸付く ること に決裁。
右公司より金十七万五千円也貸出方申請 ありたる処、照復 調査の
意を求め来 りたるに対し、市街経営 上兵営 の移転新築等 の必要は会 社 に於 て之 を認め、且発議し、関東軍 に於 ても適当 と認められたる 場 合と解釈 し、之 に同意す る旨六月二十七日附 回答 せり。 共栄住宅組合 より の申出 に対し、会社は特 に社宅 に空屋を生ず る
九、共栄住宅組合空家屋 の件 場合 と雖 、社員 の組合空家借家居住 に対し ては特例 を認め、又組合
若右詮議 にして相当時日を要す る様 の場合 は緊急 の処置 とし て、守
員 の引当 なき空家 に対す る年賦金を会社 に於 て貸付く ることにす べ 一〇、都 ホテル債務代位弁済 の件
十九万三千十七円也本人 に於 て支払能力なき為 の会社 に於 て解決方
は警乗制度 を復活し、七月 一日より実施し、駐剳師団警備 区域 は
追 て本件 は関東庁及軍司令部と打合 せの結果、守備隊配置区域
八日附関東長官宛申請せり。
備兵 の警乗 方関東軍司令官 に協議 の上実 現方配意煩度旨、六月二十
き旨回答 せり。 奉天都 ホテル鶴 岡永太郎が、鮮銀 に対し有 する会社保証 に係 る債
鮮銀 より交渉し来 れるを以 て、具体的整理案 は弁済 を為したる上講
巡察兵 をして巡察 の往路 又は帰路夜間運行 の列車 に乗務警備 する
務 、金十 五万円也及六月 二十八日迄 の利子四万三千十七円也 、計金
ず ること とし、右 十九万三千十七円代位弁済す ること に決裁 。
こととし、 六月二十七日より実施 せり。而して駐剳師団守備 区域
より の借 用金 に対す る保証 を承認す。
曩 に藤 本ビ ルブ ローカ銀行 に対する保証 を取消し、関東庁逓信局
二、奉天社貝住宅組合借入資金保証 の件 (第十回週報参照)
三、満蒙 全書刊行資金貸付期限延期 の件
は前 記の如く警備すと雖、守備兵警乗区域 に比し警備手薄 なる為、 関東庁 に於 て 一、二、三、四列車 に夜間 に限り大連奉天間移動警
三〇七、〇九四円
第四埠頭築造 工事 の内丙埠頭 築造 工事 費 八六、四九六円
満洲医科大学寄宿舎増築工事
工 事 費
第 二回払込未済株式 一千七百株を失権処分し之を 一般 に競売
す ること。右競落 者なき部分 に付 ては会 社は無償 にて之 を引受 く。
一
条件 の大要
右救済方申出 に対し条件を附 して之 に応ず ること に決裁。
八、范家屯電燈会 社救済整理 に関す る件
の援助 は他地方と の振合もあるを以 て 一応拒絶 せり。
右設立援助として三千株引受方発起人より申出 ありたるも、斯 程
七、営 口製油株式会社設立援助謝絶 の件
む) 二万六千八十円也保証 のことに決裁。
右組合 に於 て正隆銀行 より借 入るる建築 資 金 (土 地収 得 費 を含
六、電友住宅組合 ( 社員)借 入金保証 の件
む)金 二万八千九百円也保証 のこと に決裁 。
右組合 に於 て正隆銀行 より借 入るる建築 資 金 (土 地収 得費 を含
五、電 気住宅組合 ( 社員)借 入金保証 の件
合む)工事竣 工の上寄附する こと に決裁。
金五千円 の予算 を以 て会社 に於 て建築 し (室内設備及什器器具 を
四、吉長 倶楽 部増築費寄附 の件
こと に承諾 せり。
蒙全書刊 行未了 の為返済不可能 に付、大正十 二年 十月末日迄 延期 の
満蒙文化協会 に貸付中 の金 二千円也 は六月末日返済期限 の処、満
察を組織 し、五日夜より実行せり。 五、長春協和棧 に対する支払保証 の件 長 春協和棧 に対して保証中 の銀 五十万円也は、六月末日を以て期 間満了に付 、更 に銀十万円を増加 し、銀 六十万円也を大正十二年 七 月 一日より同年十 二月末 日迄、六箇 月間支払保証することに決 し、 正金大連支店宛追保証書 を差入れたり。 六、第十八回社債発行認可 右六月二十 七日附拓秘第 一〇三六号を以 て内閣総理大臣より認可 せら れたり。 イ
七、認 可 工 事
ロ 工 事 第 十五回 処務週報 大正十 二年七月十 四日
社文雑 二三第 四 一号 の 一五
外債 四百万磅募集に付、七月七 日東京支社より内閣総理大臣 に認
一、外債募集 の件 可申請 した る旨、同 日附関東長官 に出状せり。
二 減資 を以 て欠損及減価償却 に充当す。
資本金 を四分 の 一に減少する こと。
通補助 のこと に決裁。
二千円追加補助方申出 あり不止得も のと認 め、本年度限り特 に申出
既 に金 二千円交付済 の処、財界不况 の為会費収入減少し困難 に付、
三
十六、貨 物運賃引下 に関する件
負債整理資金 として会社より金三万五千円を限度とし貸金す
( 利 子年 一割)
四
右第二回満洲商業会議所聯合会長 より の申出 に対し、本件は深甚
の注意と研究 とを続け居 るも現下 の事情 に於 ては直 に、之 に応ず る
前項貸付金 に対し新規増設機械 を担保 に供 せしめ、其 の他 の
不動産 に第 二順位 ( 第 一順位は范家屯銀行) の抵当権を設定 せし
五
費
四〇九、〇 一一円
一五〇、二八九円
三、六六九、四 一五円 第十六回 処務週報
七月十 六日附関東長官経由鉄道大臣宛認可申請 せり。
三、第十 一回日中聯絡会議議定書認可申請 の件
例年 の通金 二千円也補助す。
二、東京大角力 へ補助 の件
正金銀行当座借越限度 五万円保証 せり。
一、満洲 日日新聞社当座勘定借越約定保証 の件
大正十 二年七月二十 一日
社文雑 二三第 四 一号 の 一六
同
三 大連医院新築工事
同
二 方塊製造 工事
工 事
一 奉天鉄道事務所管内線路 一部軌条取替 工事
十七、工事伺認可
ことを得ざる旨 回答し、又関東庁 にも此 の旨答申せり。
社長及主任技術者兼支配人は会社 より推薦す。
むる こと。 六 右大正十 二年度補助金とし て金 二千円也補 助のこと に決裁。
九、鉄嶺商業会 議所補助 の件 十 、奉天遼陽両信託会社合 併 に関す る件 両社役員会 に於 て合併 に付ては何等異議 なき旨決議したるに付、 当社 より合併案 を作製六月二十九 日附之を送付し、七月七日字句 一 部修正 の上、合併 に関する覚 書 の交換を了せり。 十 一、長春頭道溝商務会補助 の件 右昨年度同様金三千円也 補助 のことに決裁 。 十 二、東大陸上競技部招待 に付補助 の件 右金 一千円也補助 のこと に決裁。 右各金 一千円也補助 のこと に決裁。
十三、東大、明大野球部招待 に付補助 の件
市中側より金 一千円以上寄附募集 の上は会社も金 一千円也補助す
十 四、満洲剣 友会補助 の件 る旨通知せり。 十五、営 口商業会議所補助 の件
営 口駅附近所在同人所有土地四千坪 に対 し抵当権を設定したる上
四、穴沢喜壮次 に対する支払保証 の件
金八百円也補 助のこと に決裁。 十 、大興煤 礦 公司株式買収 の件
本件は周文貴 との貸金契約 に依 り早晩買収 を要するも のなるが、
今 回先方 の申出 もあり諸般 の点より見 て、買収する こと有利と認 め
は、三万二千円を限度 として大連仕 向穀類及加工品 の買付資金 とし て支払保証 を為す ことに決定。
らるるに付、株式総数九十二株中半数又は三十七株 を、 一株最高 四
十 一、海城滑石採掘請負資金貸付 の件
千円を以て買収 すること に決裁。
五、三山島無線電話新設 に付出願 の件 七月十八 日附航路標識管理所長宛申請 せり。 六、吉長鉄路局附属小学卒業生 に対し学資金給与 の件
請負人大羽豊治 に対し、同 人所有大連所在土地建物 に抵当権 を設
定 し、金三千円也貸付くる ことに決裁。
吉長 代表 より同鉄路借款契約第十六条 ﹁本路支那人職員又は其 の 子弟 にして会社 の経営せる学校 に入学 を希望するも のあるときは、
価
三菱商事 会 社
八二、〇〇〇円
一台
十 二、物品購 入の件
者
一 蒸 汽旋車直結発電機
会社は友誼 を以 て無報酬 にて入学 せしむ べし﹂ に基 き学資金給与方
代
申出 ありたるに対し、右契約は単 に授業料 を免 除すべしとの趣旨 に して、学資金 を支給するの義 にあらざ るを以 て詮議し難 き旨回答 せ
契 約
約
浜
九五、〇〇〇円 松
価
者
価
三菱商事 会社
一〇 四、 四三二円五六
七百 四十八基
竹
者
五万挺
り。
代
二 枕 木購 入 契
七、営 口買収土地中 の繋争地和解 の件 大正九年十月、小寺壮吉より買収 せし土地中 一部は宮原久太郎 に
代 契
一
工 事
費
五七、三 一七円
電鉄老虎灘春 日町塩田間複線増設工事
十四、工事伺認可
本年度限 二千円増額 四千円補助 のことに決裁。
十三、奉天商業会議所 十二年度補助 の件
約
三 送電鉄柱購入
於 て永租権を有すとて訴訟を提起 したる処、本件 は複雑なる関係 あ りて立証上困難 の点もあり、原告及 小寺 に於ても和解を希望 せるを 以て、約三千円見当 を以 て和解す るの方針を採 ることとし、和解成 立 の上は之 に要 したる 一切 の費用及訴訟費用は小寺 の貸金 に繰 入る ること に決裁 。 八、親和住宅組合 (社員)借 入金保証 の件 建築資金 として正隆銀行 より借入 るる金 二万四十四円也保証 のこ と に決裁。 九、中等学校内地遠征野球団補助 の件
二
鄭〓線仮機関庫新設工事 五二、〇六〇円
す る調査を依嘱し、帰任後報告書を提出す ることを条件として金 一
四、北悟 一水 田買収地変更 に関す る件
千円贈与することに決裁 。
会社連帯保証 の下 に東京信託会社より金十三万円を借入れ、懐徳
県斉家窩棚 に於 て適地 の買収 に着手したる処、同地附 近水田熱勃興
の為地価 昂騰 し買収不能 に付、予定 を変更し鄭白線門達駅附 近に於
編注 一方地 て百方地 ︹約 ︺の買収 を為す の計画 を建 てて手付金等 の支出 三十三町歩
を 了 し 目 下進 行 中 に あ り 。本 件 は 会社 の承 認 を得 ざ るも のな るも 、
及大連 駅附近 に警乗員休憩所 の準備 、三奉天大連 に各十 二名宛 の宿
本件会社申請 に対 し、関東庁より一本年度 所要経費 の負担二奉天
す べき 旨 通牒 せり 。
定 し、 会 社 に供 托 中 の小洋 六 万元 は実 地経 営 に際 し 必要 に応 じ支出
能 を認 め た る上 は之 を承 認 す る こと と し 、尚 買 収 地 は 五十方 地 に限
右 の状 態 に付買 収 見 込 確定 の上 会 社 に於 て実 地 調査 を為 し 、経 営 可
舎準備 、四警乗員座席 の決定、五電信電話 の使用等 に付申出 あり、
五、 朝 鮮 貨物 運 賃 及 料金 規 則 制 定 の件 ︹ 京城鉄道局︺ 京 鉄 局 長申 請 通 七 月 二十 四日 承 認 す 。
秘
処務 週報
一七八、七二〇円
大連東広場跨線橋新設工事
同 三 同 第 十七回 社文雑 二三第四 一号 の 一七 大正十二年 七月 二十八日
之 に対し本件 に要する費用 を会社負担とす ることは主義として断り
一、列車警備 に関す る件
度 きも、本年限り特 に会社 に於 て負担す べく、宿舎 は警乗員 の類別
炭 場 を 設 置 す る こと は 、差 当 り種 々 の関係 に於 て、却 て期 待 に反 す
れ む こと を希 望 す る旨 建議 あ り た る に付 、内 地 各 地 に会 社 自 体 の貯
す る こと 等 に鋭 意 せら れ 、以 て採 炭 販売 両 方 面 に遺 憾 なき を期 せら
之 か輸 送 鉄 道 竝埠 頭 の設 備 を改 善 し 、 且内 地枢 要 地 に貯 炭 所 を設 置
の 一般 的 解放 を実 現 せ ら れ ん こ とを望 む と共 に、曩 に建 議 せ し如 く
り幾 分 改 善 せ ら れた るが如 き も 、尚 此 の際 更 に進 む て名 実 共 に販 売
大 阪 商 業会 議 所 よ り撫 順 炭 販 売 方 法 は 、同 炭 販売 会 社 の設 立 に依
七 、撫 順 炭 に関 す る建 議 に 回答 の件
京 鉄 局 長申 請 通 七 月 二十 四 日承 認 す 。
六 、朝 鮮 線貨 物 特 定 運 賃表 改 正 の件
一日附 回答 せり。
回報を俟 て解決する こと。其 の他 の事項は夫 々手配済 の旨 七月 二十 追 て本年度所要経費 は請願巡査 の振合 に準ず れば、金 二万二千 六百余 円となる計算 なり。 二、長城炭買付 の件 庄林伊之助 の申出 に依 り邦人事業援助 の意味に於 て、大連渡 一等 塊炭金十五円にて 一千屯購入 のことに決裁。 受 渡時期本年七月より九月迄 の間 。 三、調査依嘱の 件 独逸 に視察 の為旅行 する坂本忠恕氏に電動器具竝鉄道用材料 に関
る の結 果 と な る こと と思 惟 せ ら る るも 研究 す べき 旨 回答 せ り。 八 、 四〓 運 輸 主 任古 川 達 四 郎継 続 傭 聘 の件 二箇 年 継 続 す 。 追 て此 の際 俸給 月額 百 円 、 手 当 月額 五 十 円増 額 す るも のとす 。 九 、 さ か き丸 売 買契 約 の件 曩 に金 四 十 万円 を 以 て買 収 す る こと に決 裁済 の処 交 渉 纏 り 、先 方 よ り売 買 契 約 案提 示 に付 、字 句 一部 修 正之 に同意 せ り。 十 、社 債 発 行 及同 元 利 支 払保 証 認 可 方申 請 の件 右 東 京 支 社 よ り内 閣 総 理 大臣 に申 請 し た る旨 、 七 月 二十 三 日 附 関 東 長 官 に出 状 せ り。
製 鉄所 経 理部 に対 し金 三十 万 円 ( 時 価 ) に て買 上げ ら れ度 旨 発 信
十 一、 一万 キ ロ発電 機 売 却 の件
せり。 十 二、競 売 地 区払 下 代未 納 金 に関 す る の件
処務週報 秘
(本 土 地 は明 治 四十 四年 ク ラ ーク ソン商 会 よ り債 権 の担 保 流 れ と
民 政署 長 に回 答 せ り。
な れ る 土地 な り)
第十八回
大 正 十 二年 八 月四 日
社 文 雑 二三第 四 一号 の 一八
一、社 債 元 利 金 支払 保 証 認可 の件 七 月十 四日 附 認可 せら れ た り。 二、第 十九 回社 債発 行 認 可 の件 七 月 十 四 日附 認 可 せ られ た り 。
三、 定 期借 家 建 設 資 金追 加 保 証 の件
共 立 組 に対 し条 件 を附 し限 度 金 八 万 円也 追 加保 証 す る こと に決 定
東 庁 に於 て本件 土 地 の 一部 を旅 順 中 学 校 敷 地拡 張 の為 、使 用 方 内 交
許 可 の儘 今 日 に及 ひ居 る処 、今 般 右 解 決 方照 会 あり 、 然 る に偶 々関
の納 入義 務 あり 、往 年 会 社 よ り未 納 金 免 除方 を官 に願 出 た る も、未
未 納 払 下 代 金 一万 五千 七 百 八十 一円余 及 過怠 金 一万 三 百 四十 四円 余
並 とし て含 炭 量 を三 百 三十 万 屯 と推 定 し 、 金 六十 六 万 円 とす 。
合 計 金 六十 一万 乃至 六十 六 万 円 と な る訳 な り。 全 礦 区 の評 価 は荒 山
貸 付 せ る金 十 三 万 円 を免 除 す る を 以 て、 今 回支 出 す る も のと合 し 、
行 に対 し有 す る債務 二十 八 万 円 を会 社 に引受 け 、 又会 社 が馬 雲亭 に
を 以 て交 渉 す る こと に決 す 。但 し本 炭 礦 買収 金 総額 は華 勝 か南 昌 洋
金 二十 万 円 乃至 二十 五 万 円 を支 出 し て、礦 区 全 部 を買 収 す る方 針
四 、華 勝 炭 礦 買収 方 針 の件
す。
渉 を受 け た るを 以 て、 此 の際 之 か解 決 方 法 と し て該 土 地 に対す る既
旅 順 新 市 街所 在 会 社 所 有 地 九百 七十 三坪 に対 し て は 、官 に対 す る
納 料 金 二 万 二千 五 百 三十 七 円余 、未 払 金 計 ( 過 怠 金 を 含 む) 二 万六
五 、 協 和棧 貸 金 返 済 期限 延 期 の件
の こと に承諾 せ り。
本 年 六 月末 日期 限 の処 、返 済 不 可能 の旨 申 出 に依 り 一箇 年 間 延 期
千 百 二十 五円 を 総 坪数 に按 分 し 、既 納 料 金 に相 当 す る四 百 五十 坪 余 を 会 社所 有 地 とし 、未 納 及 過 怠 金 に相 当 す る 五 百 二十 二坪 余 を中 学 校 敷 地 と し て官 に移 譲 し 、本 件 を 解決 し たき旨 、 七月 二十 五 日旅 順
子 一万 二千百十二円余 は支払 はざ るに付、同人差入 の誓約書 に基き
本船は木蘭県天合利木廠 より買受方申出あり、先方提示 の条件 に
六、極東 運輸組合汽船 ソー コル号売却 の件
(二万六千円以上収入 の見込) を以 て、右債務弁済 に充当すること
熊岳城外 二箇所 に於け る同人経営 の果樹園 を差押 へ、本秋 の収穫物
安東在勤社員 にして社宅又は借家 の無き為 、家族を引纏め得ざる
五、安東 在勤社員 に対し手当支給 の件
謀 総長に送附 せり。
八月七日附内閣総理大臣、陸軍大臣 に申請 し、写を陸軍次官、参
四、独立守備隊撤退中 止申請 の件
経営者大連郊外土地株式会社 に対し金 五百円也補助す。
三、老虎 灘海水浴設備 に付補助 の件
金 二万二千五十円也 を限度 として保証す。
二、友愛住宅組合資金 借入債務保証 の件
に決せり。
依り進 行中 の処、再三条件 の変更を申出 て結 局左記 に依り売却 のこ 船価三万円、三年間 の利 子を三千六百円とし、合計三万三千
とに決 せり。 一 仕払方法、大正十 二年 一万円 (即金)同十三年 一万二千四百
六百円 二 保証、黒竜江省官銀号広信公司 の支払手形を以てす。
円、同十四年 一万 一千二百円 三
第 一期計算 に於 て営業上金 二万八千九百 四十七円余 の欠損を生し
七、満蒙冷蔵会社補給金交付に関する件 たるに付、予て の承認 に基 き金 二万五千円也補給するに決す。 森田彦 三郎 に対する貸 付契約大正十年末を以て期限満了 に付、大
八、炸子窰炭坑貸付 に関 する件
家族を引纏 め得ざ る者金十 二円
ことに決裁。
者 、又は旅館宿 泊を為す者 に対して、当分 の内左記手当を支給する
旅館宿泊者、給額資格 に応じ最低 二十円 より六十円迄
正十二年 一月 一日より 一箇年間貸付料年額金 一千円を以 て継続貸付 のことに決定 せり。
イ 一二四、〇六三円
ロ
沙 河口停車場其 の他 工事
八、満洲 地売炭扱方改正の件
線迄延長 すること に協定 したき に付同意方四〓 局に照会 せり。
曩 に締結 せる四〓線、満洲線間聯絡旅客及手小荷物運輸を、朝鮮
七、四〓 、朝鮮線間手小荷物聯絡運輸協定 の件
同店 の申出 に依 り年七分 に割引 の上、八月 一日完 済せり。
同店貸付金残額 四万七千五百円は大正十 四年十二月完済期限 の処、
六、鈴木商店貸金割引完 済 の件
九、工事伺認可
秘
第十九回 処務週報 社文雑 二三第四 一号 の 一九 大正十 二年 八月十 一日 一、津久居平吉貸金回収 の件 大正三年津久居 に貸付たる元金 一万九千九百 二十三円余及滞納利
価
量
二九、三九〇円
三〇〇箇 物 産
代
商
数
三 井
事
三 菱
同 一の資 本 及 経営 の下 に南 北満 洲 各 市 場 に分 在 し、 同 一事業 に従
入 者
事 す る石炭 消 費 者 に対 し て は、 左記 二項 の内何 れ か を適 用 す る こと
納
一〇 、〇 〇 〇 噸 以 上
三 、〇 〇 〇 噸 以 上
一、 二 〇銭
七 〇銭
三〇 銭
足額約 二百六十五円を会社より補給 することに決裁。
者
価 東 京電 燈株 式 会 社
二 八 六 、 二九 三 円 五〇
T、 E、 C、 百 ボ ルト六 八 七 、 三 五〇 箇
入 枕 木 (東 支型 、 四 〓 線用 )
無蓋貨車百 四十輌製作 工事
九六三、九〇〇円
二九九、五〇〇円
急行用三等客車十輌製作 工事
工 事 費
費
一八九、五四〇 円
六十噸石炭車十五輌製 作工事
工 事
費
一七二、四六〇 円
奉天公所改築工事
工 事
費
二、中国法令飜訳援助の件
秘
支払う ことに決定、之にて東拓立替金関係は全部終了せり。
支払残額十五万五千四百円也 、支払期日八月三十 一日迄 に東拓 へ
一、東亜勧業会社事業費払込 の件
大正十 二年八月十八日
社文雑 二三第四 一号 の二〇
第 二十回 処務週報
工 事
四
三
二
一
所要 見込月額六百三十五円中、三百七十円を社員 に負担 せしめ不
三 〇 、 〇〇 〇 噸 以 上
一二、工事伺認可
一一、東京支社、東亜経済調査局在勤社員昼食料補給 の件
各 地 の内其 の最 消 費 量 大 な る市 場 炭 価 の振 合 を 他 の市 場 消 費
其 の合 計 数 量 を基 本 とし 左 の割 引 を為 す 。
を 得 る こと に改 正 。 一
二 炭 に適 用 す る こと。
金 一万 円也 寄 附 の こと に決 す 。
九 、 学 士会 館 建 設 資金 寄 附 の件
一
納
代
一〇 、 物 品購 入 の件
二
五 七、〇〇〇 円
一 一四 、〇 〇 〇 円
六 万挺
松
三万挺
竹
価 浜
量
者
代 入
枕木 ( 東 支 型 、 四〓 線 用 ) 量
ウ オ ロ ンツ オ フ
スチ ー ルタ イ ヤ
者
価 入
数
納
代
納
数
三
四
改正 の結果 の減収総額 一箇年約 一万 二千九百円、利益金 に対す る 平均割合は 一五%な り。
従来 と同 一条件 に依 り本年度内 月額金五百円也援助支出 すること となれり。
一
毎年度協 定販売 区域内 に於け る会社及公司 の総売上 (山元実
本 渓湖煤鉄公司と大要左 の如く協定 せり。
競争防止 の目的 を以 て満洲内及天津方面 に限り て銑鉄販売 に付 、
八、銑鉄協定販売 の件
万家嶺 に若干 の守備 隊を配置せしめること及得利寺配置 の守備隊
三、附 属地警備 に関 する件 を存続せしむることを関東軍参謀長 に依頼 せり。 四、共和住宅組合借入金保証 の件
販売数量と看做す。
際積出)数量 に付 、会社は其 の六割 を、公司は其 の四割 を各自 の 二
建築資金 (土地取得資金 を含む) 十 一万三千七百三十八円也 を限 度とし て保証す。
協定販売区域内 に於ける販売値段は当分 の間、之を同 一且同
大 口需要 に対し特別 の値 段を定む べき必要 ある場合 は随時協議
条件 とし、必要 に応 じ協議 の上之 を改定し得。
三
す 。奉天省 官用銑 は公司 の自家用銑と看做 す。
会社及公司 の自家用銑 は前項総売上数量 より控除す るも のと
五、大正十 二年度予備費 を以 て予算外 の費途 に充 つるの件 七月三十 一日附総理大臣及鉄道大臣より認可せられたり。 六、海城電燈会社設立承認 の件 大要左記条件 に依り承認 せり。
す。
営業 区域は海城附属地、拡張 の場合は更 に会社 の承認を受 く
一 料金 の規定は会 社 の承認を受 くること。 二
金 二十 一万二千五百円也
十三年度
十 二年度
九九、五〇六円 左 の如く改 正す。
一一、哈爾賓在勤員住宅料定額改正 の件
工 事 費
一〇、遼陽送電線新設 に伴ふ渾 河遼陽間電線路移設工事伺認可
金十 万九千八百二十円也
り。
大正十 二年 、十 三年度継続事業とし、左 の通予算 を追加及決定 せ
九、奉天電鉄敷 設 の件
本協定は大正十 二年八月 一日 より実行す。
四
会社 は何時 にても自己 の評価額 を以 て買収することを得 。
る こと。 三
四 営業 の中止廃止及他 に譲渡せむとす るときは会社 の承認 を受 くる こと。 該会社 の資本金は十五万円也 。 七、会 社関係電燈会社 ( 但し営 口水電会社を除く)電気供給規定改 正 の件 会社直営 の電気 の供給規定改正 と同 一趣旨竝類似 の内容 を以 て首 題供給規定 一部改正し、併せて電燈料金五銭 乃至十銭 の値 下を行 ふ ことに決定 せり。
備考
単 身 者 は前 表 の六割 とす 。
本 改 正 に依 る 一箇 年 支出 の住 宅 料 は総 計 四〇 、 四 七 六円 也 。 一二 、奉 天 忠 魂碑 移 転 に関 す る件 曩 に陸 軍 側 と協 議 せ る移 転 地 は公 園 拡 張 上当 な らざ るを以 て現 公 園 の 一部 に移 転 し た き に付 、同 意 方 関 東 軍 経 理部 長 に照 会 せり 。 一三 、海 外 協 会中 央 会 へ寄 附 の件 調 査書 類 等 を 発行 の都 度 、 会 社 に無 料 提 供 せ し む る こと を条 件 と し て金 一万円 也 寄附 す。
価
八月十五日
平
甚 助
代 入 者
林
納
五万円
納 入期限
左記 により買付方高 田商会大連支店 に委託 せり。
一六、ブリ ンク式窓硝子製造機械購 入に関する件
︹マ マ︺
米 国 にて購 入 す べ き部 分 (Hat Batton atF tl ening を Stone
一、機 械 代 価
噸
数
約 一、 四〇 〇 噸
合 む ) 四 一四、 八 四 〇弗 総
日本 にて購 入 同 意 の分
一〇 、〇〇〇 弗
六 八 、 七〇 〇 弗
運賃 ( 製 造 所 よ り神 戸 迄 ) 一噸 に付 一二弗
全 建 物 及組 立 用 図 代価 二 、支 払 方 法
て支 払 済 )
A 、契 約 と同 時 に金額 の三分 の 一支 払 ふ こと (六月 東 京 支社 に
B i l l
一七 、鉄 嶺 駅 貨物 置 場 用 地 係 争 地解 決 補償 金 支 出 の件
乃 至 三人 の技術 者 を自 己 の工場 に於 て充 分な る教 授 を為 す こと 。
を 負 う て大 連 に出 張 し (大 正 十 三年 夏 )尚 会 社 より派 遣 す る二 人
ブ リ ンク氏 は Bri t ish As sociati on と の契 約 を打 切 り、 全責 任
of La ding
B 、残 額 三分 の 二 の八 割 、大 正 十 二年 八月 よ り 十 二月 迄 五 回 に
C 、残 額 三分 の 二 の二 割 は最 後 の Rai lra o d
亘 り支 払 ふ こと。
に 対 し支 払 ふ こと 。
札 免 公司 より 東 支 鉄道 に木 材 類 を納 入 す る場 合 の納 入 保 証金 は、
一四 、 対東 支 札 免 公 司取 引 契 約保 証 の件
従 来 正金 に依 頼 し保 証 せ し め つ つあ りし が手 数 料 を徴 収 せら れ、 且
に付 、金 三 万円 を 限度 と し哈 爾 賓 事務 所 長 を し て保証 せし む る こと
二 一九
三 、本 機 械 購 入 に関 し ブ リ ンク氏 の附 し た る条 件
更 に会社 よ り正 金 に保 証 状 を差 入 る る を要 す る 等 、可 成 複 雑 不利 益
一五、物 品購 入 の件
となれり。
二 三 カ ラ ツト
ダ イ ヤ モ ンド ボ ーリ ング機 械 竝 同用 ダ イ ヤ モ ンド購 入 の件 附 属 品 共 一組
本件 土地は陸軍 に於 て軍事占領 を為 し、爾来陸軍用地 に編入せら れ会 社に於 て借用使用 せるも のなるが、支那人原所有者と の間 に久 しく其 の所有権 に付係争となり来 れる処、鉄嶺領事 の仲介 に依 り相 当 の涙金 を給し和解す ることとなり、陸軍側より右涙金として金 二 千円会社 に支出方交渉あり、支出 のこと に決す 。本土地は目下陸軍 に対 し会社 より有償譲渡方交渉中 に属し、右金 二千円は譲受 の暁 に は買収費中 に整 理す るも のとす。
秘
第 二十 一回 処務週報 社文雑二三第 四 一号 の二 一 大 正十二年 八月二十 五日 一、運炭船購 入及新造資金貸付 の件
右 の結 果 、警 官 一人 当年 額 一千 七 百 六十 五 円と な り、 九 月 よ り 三
担 方 申 出 あ り 之 を承 諾 す 。
三、 諸 学 校定 員 制 定 の件
校
南満洲 工業学校
一六
一 一八
六〇
小
学
学
堂
校
三五七
家 政 女 学校
一五
五五
一六
九四
園
天
事務 所名
八六五
四八 一
一、二 一八
改正定 員
八六四
四六八
一、二 一五
従 来定員
稚
幼
奉
東
二四
五 一
四三
一七
実業補習学校
日 語 学 堂
公
月 迄 分 総 計 三 万 一千 七百 七十 七円 と な る ( 九 、 一五 二円 増 加 )
学
購入
五三七
左 の如 く制 定 せら れ た り。
等
公費支 弁学 校
中
五隻 新造
教 育 研究 所
五千噸級中古船 二隻
内 地方面運炭船として 二千五百噸級
南 満 医学 堂
工業 専 門 学 校
する こととし、中古船 の購入は大連汽船 をして之 に当らしめ、新造
七五 四、鉄道事務所定員改正 の件
満洲 医科大 学
付、不取敢 一隻を建造 し他 の 一隻 は差当り中古船 を購入して需要 に
左 の通改正せられたり。
は満洲船渠 をし て建造 せしむ。但 し新造 二隻は同時 に建造不可能 に 充 て、第 一船竣工 の上第 二船を新造す。第 二船竣 工の上は右中古船 右購入新造資金は全部会社 より大連汽船会社 に貸付くるものとす。
春
は其 のとき の情 況に依り処分すること。 所要予算金 二百四十五万円
安
五、埠頭事務所旅順出張所開設
長
二、列車警乗 に関す る件 列車警乗警察官費用 に関 し旅費として、月額 一人金五十円追加負
八月十日開設し、船舶 の発著及従来販売課 に於 て直営 せる石炭 の 船積作業を継承す る外、其 の他船舶貨物 の取扱竝其 の附帯業務を兼 掌 せしむ。 六、日鮮満聯絡会議開催 の件 毎年 一回秋季 に会議 を開催することとし、其 の第 一回を本年十月 十日大連本社 に於 て開催 し度 に付同意 せられ度 、又議案は九月 二十 日迄 に提出 せられ度 旨鉄道省 に照会 せり。 七、軍用地移管に関す る件 安東領事 より八月十日臨時民会を召集 し移管 の件を附議し、満場 一致 を以て民団議長と田辺地方部長と交換した る覚書 を承認し、移 管 の実行を行政委員会 に 一任す ることを可決し たる旨通牒ありたり。 不動産信託公社 と境界と付繋争中 の右土地に関し、関東庁土地調
八、大連山城町元露国寺院境界 の件 査部より会社が提出 せる図面は、該地 の境界 を知 る証左とし て依拠 す るに足 らざる に付、他 に的確なるも のを提出 すべき旨照会 あり、 産として引継を受けたるものにして、私有地 の介在 せる事実 を知ら
会 社は本来露西亜 町附属地は浜町海軍用地を除く外、政府 の出資財 ざ りしも、其 の後日本 政府 より露国政府 に右寺院敷 地を贈与せられ
一0、独逸人技師招聘 の件
撫順炭礦低温乾溜装置機械運転 の為、独逸 人技師 一名往復旅行 日
独逸出発 の日より帰着 の日迄 一日金 四円宛 の手当を
数を除き六箇月間傭聘 に決す。 傭聘条件
滞在中 の宿舎及食費 は炭礦負担
支給す。右手当は状況 に依 り 一日六円迄増加す ることを得。
旅費二等往復船車賃及宿泊料 の 一部 を給す。
三八五、八 一五円
一一、熊岳城︱ 二三 一粁間軌条布設替工事伺認可 工 事 費
秘
第 二十 二回 処 務週報 大正十二年九月三日
社文雑二三第四 一号 の二二
関東州 に移籍 のことに決す。
一、さかき丸船籍移転 の件
︹マ マ︺
近 藤 九 一に対す る会社 貸 金 一、 一 一三円 四 九也 の回 収 方 に関 し大
二、近藤九 一貸金返済延期 の件
二 、元 本 は本年 十 二月 二十 日 に金 三 千 円 を、 以 後毎 年 十 二 月 二十
除す ( 期 限 迄 は無 利 息 )
一、貸 金 に対す る期 限 (大 正九 年 十 二月 二十 日 )以 後 の利息 は免
要 左記 の如 く処 理 す る こと に決 す 。
写取り、之 に依 り財産 の整理 を為し来 りたるも のにして、右図面 は
日 に金 五千 円 を支 払 はし む る こと とし 、納 品 代 金 よ り控 除 す 。
たる由聞知 し、大連民政 署に就き事実 を確 め授受証 に添附 の図面 を
九、北満洲︱南満洲︱支那本土間外国貨物保税運送 に関す る件
乃 至 二 十分 の 一を債 務 に充 当 せしむ る こと 。
三 、納 品 代 金 以外 会 社 より受 取金 あ ると き は同 じ く其 の十 分 の 一
絶 対的確 の書証 と認むる回答 せり。 八月 二十二日右 に関し内閣総 理大臣、外務大臣及哈爾賓、長春、 奉天、安東各領事 に報告及通牒せり。
四 、 以 上 の方法 に依 り 大 正十 七年 末 に到 り尚 残 額 あ る と き は、 其
せる名義 人に対し引渡 を為 さしめ、之 に対し支那官憲 に対する 一
残金 の内 一万四千円也 は前項 の手続開始したるときより必要
切 の手続 を責任を以 て完了 せしむること。
と認めたるとき随時交付す ること。
二
の多 少 に拘 らず 其 の時 一時 に決 済 せし む る こと 。 三、 津 久 居 平 吉貸 付 金 処分 の件
三 残金十 八万円也は買収物件 の引渡 を受け、支那官憲 に対す る
本 件 は曩 に差押 処 分 を為 す こ と に決 裁 済 の処 、瓦 房 店 地方 区 長 の
四 華勝炭坑 に関係する売渡人 の債務整理 に関 し竝該炭 坑処分 に
手続 を完了 せしめたる後 に於 て交 付す ること。
対し、他人 より故障 を申出 て物議 生した るときは会社は 一切の責
と に せり 。 一、 大 正 十 一年 十 月 末 に支 払 う べ き筈 な り し金 二、 一 一二円 八〇
申出 に依 り同 区長 をし て、今 一応 左 記 に依 り 回収 方 交 渉 せ し む る こ
は 日歩 三銭 の延 滞 利 子 を附 し、 本 年 十 月 末 日迄 に納 入 せ しむ る こ
六、満洲線貨物賃金表中改正 の件
任を負 はざ ること。
二、 残 金 一万 円 は大 正 十 三年 より 三箇 年 賦 とす る こと 。但 し大 正
と。
け、以上は十斤毎 の計算 を為 せしも鉄道省線及朝鮮線と同様 、五十
従来満洲線 に於ける小口扱貨物 の運賃は、百斤未満は百斤分を受
斤 未満 は五十斤分を、以上は十斤毎 の計算と改む。理由は関係鉄道
十 二年 十 一月 よ り年 一割 の利 子 を附 せ し む る こと 。 三、 同 人 経 営 の熊 岳 城 外 二箇 所 に於 け る 果樹 園 に抵 当権 設 定 す る
配置す ることに決す。
に支障 なからしむる為 、経理部会計課 に定員外職雇員 一〇名 以内を
会社諸課所 に於ける経理事務員 の欠員を直 に補 ひ、社内経 理事務
七、定員外社員存置 の件
本件認可方鉄道大臣宛申請中
の規定統 一を図 ると共 に、連帯運輸 の敏活 に資 せむとするにあり。
こと 。
貸 付 金 二万 四千 百 三十 八 円 四十 九 銭 は 、本 年 六 月 末 日返 済 期 限 な
四、 南 満 鉱 業 会社 貸 付 金期 限 延 期 の件
る が 一箇 年 延 期方 申 出 あ り た る を以 て、会 社 は利 子 一回 分 の即時 納
に他 の 一回 分 の利 子 を 完納 す ると き 爾後 の延期 を詮 議 す る こと に せ
八、西川教授招聘 の件
入 を 条 件 と し 、不 取 敢 本年 十 月 末 日 迄 延期 承諾 し 、 此 の期 限 迄 に更
り。
買 収 物 件 は会 社 の指 定 に依 り 何時 に ても 会 社 又 は会 社 の指定
一〇、水害損害高 の件
佐世保鎮守府司令長官宛認可申請 せり。
九、満洲船渠会社旅順 工場内 に船台 一基新設 の件
曹達 工業調査 の為九州帝大西川教授招聘 のことに決す。
五 、 華 勝炭 坑買 収 金 の 一部 先 渡 に関 す る件 馬 雲 亭 よ り の申 出 に応 じ 、左 記 内 容 の炭 坑 売 渡 証 書 を徴 し買 収 代 金 中 よ り金 二 万円 前 渡 す る こと と し 、内 六千 円 也 即時 交 付 の こと に
一
決裁 。
八 月 五 日 より 八 月 十九 日 に亘 る 水害 損 害 額 調 査 左 の如 し 。
〃 〃 計
大 正十二年 九月八 日
四 七 、 一八〇 円
配 当所得
留保 所得
超 過所得
一四、八九二、二八三円
無し
左 の如く申告 せり。
一、大正十二年度会社所得税申告 に関する件
三四 、〇〇〇 円
二〇、〇三七、 三六八円
一 一三 、 一八〇 円
一、応 急 工事 費 ( 炊 出 費 を含 む) ︹ 鉄道事務所︺ 大連鉄事管内 二〇 、〇〇〇 円 奉天 長春
従 て所得税金額 一、七四六、四八二円五五なり (留保所得配当所 得共 に税率 百分 の五なり)
四 七四 、〇〇 七円
予 算 と対 比 す る とき
けず 、単 に支 那副業加工品数十点 を出品す ること にせり。
らるべき首題 共進会 に対し、会社 は経費及手配 の都合上特設館 を設
本年十月五日より 二十日迄朝鮮農会主催 の下 に京城 に於 て開催 せ
二、朝鮮副業品共進会出品 に関す る件
前 年 度 同 期 間 と比 較 す る と き
七五 四 、 九 二 四円
八 月 一日 よ り五 日迄 の収 入 と比 較 す ると き
二 、水 害 期 間 に於 け る収 入減 (八月 五 日 より 八 月 十 九 日 に 至 る
一
間)
二
三
独 立守備隊撤廃 に伴 ひ小数 の兵力を以て最大 の効果 を得 る守備方
三、鉄道警備 に関す る駐剳師団の考案実施同意 の件
三八 一、 〇 二 一円
二 同
同
四九 四、 二〇 一円
五 八 七、 一八 七 円
八 六 八、 一〇 四 円
答す 。
れたり。会 社は之 に賛意を表 し同時 に之 が実現 に付配慮を請 ふ旨回
法 の 一考案として、第六師団参謀長より移転分遣隊施設案を寄 せら
三
三 、損 害 額 総 計
同
収 入減 一 を採 用 せば
同
安 東 甲 種 及 乙種 社 宅 新築 工事 (工事 費 六 七 、九 五 六円 )
て取扱 ひたるも、 一般非役者 との権衡 を失し且人事関係其 の他諸給
首題派遣員 は従来満洲 に於 ける電燈事業統 一上便宜現職社員とし
四、沿線関係電燈会社派遣員 に非役を命ず るの件
安 東 丙 種 社 宅新 築 工事 (工事 費 一三七 、 八 四四 円 )
一 一、 工事 伺 認 可 の件 一
元金四万二千五百円、期限本年 八月三日 の首題会社 に対する会社
五、鉄嶺取引所信託会 社貸付期限延期 の件
に決す。
二
秘
処務週報
与 を複雑ならしむ るの嫌あるを以 て、非役規程通非役を命 すること
第 二十 三回
社 文雑 二 三第 四 一号 の 二三
貸付金 の返済期限を 一箇年延期 のことに決す。 理由、営業 不振支払不可能な るを以てなり。
第 二十 四 回
大 正 十 二年 九 月十 五 日
秘
処務 週 報
社 文 雑 二三第 四 一号 の 二四
一、極 東 運 輸組 合 所 属 船 と 女学 校 々舎 と の交 換 の件
カ 、 シビ ル、 エニ セイ、 マンジ ユリ ー の四隻 と哈爾 賓 ア ク サ コフ ス
曩 に売 却 の こと に決 裁 の処 、其 の後 交 渉進 捗 せざ り し が最 近 シ ル
二 一〇噸
八月十三日朝来 の暴風雨 の為、会 社埠頭其 の他 に於 て蒙むりし重
六、風浪浸水被害調査 の件
一 流 出石 炭
な る損 害左 の如し。
カ ヤ女 学 校 々舎 と交 換 方 申出 あ り 、之 に応 ず る こと に決 裁 、 交換 物
定 期船 及 仏 国 郵 船繋 留 の関 係 上 、 又倉 庫 は現 在 狭 隘 を告 げ 居 るを 以
川 崎 及 山 下 両汽 船 会 社 よ り使 用方 申 出 あ り た るも 、会 社 上 海 航 路
二 、上 海 桟 橋 及倉 庫 使 用 に関 す る件
件 両 者 評 価 格 各 二十 万 円 と す 。
一二〇〃
損害額調査中
土砂混 入及混炭したるもの 二 〃
上屋 及野積浸入
三 貨 物 浸水
て 、全 部 又 は 一部 の 一定 期 間貸 借 の要 求 には応 じ 得 ざ る も、 左 記 条
浜町 コンクリート工場内西貯炭場内及第三埠頭 に於 て 一部破
損
件 に て使 用 差 支 な き旨 回答 せ り 。
四
五 第 二埠頭第五号倉庫北側、東寺児溝、小崗子及第 四埠頭 に於
四六〇 、八 一八円
大 連 医 院
〃
一日平 均 収 入
一、八 二九 円
一、 二 九 二円
四 、 四〓 線 鄭 〓 間鉄 道 残 工事 費 立 替施 行 の件
瓦斯 作 業 場
こと に決 す 。 開 始時 日 は経 理 部会 計 課 より打 合 の上 決 す 。
同 銀 行 整 理 問 題 の為 中 止 中 の処 、整 理完 了 に付 従 前 の通 開 始 す る
三 、教 育 銀 行 に大連 医院 及 瓦 斯 収 入金 取 扱 方開 始 の件
ハ、繋 船 料 揚 荷料 保 管 料 は会 社所 定 の料金 の 一割 引 のこ と。
同 一結 果 を 生ず る こ とあ る べ き こと。
ロ、 倉 庫 に貨 物保 管 を為 し能 はざ る場 合 は 、事 実 上著 埠 を断 ると
イ、 一般 来 埠船 同 様 の取扱 と す る こと 。
ける工事被害額 一五〇、〇〇
四、〇九九円九六 六 伝馬船被害額 三六、五五六円也
七、寿住宅組合資金借入債務保証 の件決裁 保証 限度
改 正定員数三二四
八、長春医院定員増加 の件決裁
費
六輛新造
外科医長 一名増加
従来定員数 三二三 九、工 事 認 可 工 事
一等寝台車
右 建 設 工事 費 借款 三百 万 円 は 既 に支 出 済 の処、 残 工事所 要 額 四百
ロ、 借
無料
九十六万二千七十 三円は、支那政局動揺 の為未 だ借款契約成立 に至
ハ、 土 地及 建 造 物 の異動 等 に関 す る重 要 なる事 項 は協 議 の上実 施
料
らざ るを以て、会社 に於 て 一時立替施行 のことに決す。 す る こと を得 。
委 託 工事 費 取 扱 規 程 第 八 条 仕払 据 置資 金 五百 円 を 二千 円 に増 加 す 。
八、 軍 用 地解 放 契 約 に基 く委 託 工事 費取 扱 方 回答 の件
ホ、 其 の他 細 部 の事 項 に関 し ては 必要 に応 じ協 議 の上 決 定 す。
ニ、 軍事 上 、借 用 土 地 建 造物 の内 一部 必 要 を 生 じ た ると き は陸 軍
用
五、汽船さかき丸買収報告 の件
側 の要求 に応 ず る の義 務 を有 す 。
曩 に決裁 を経 たる方針 に基 き周文貴と交渉 の結果
九月八日附 川口監理官宛報告せり。 ︹ 礦︺ 六、大興煤鉄 公司株式三十七株買収 の件 イ、不取敢三十 七株を金十四万八千円 (一株 四千円) にて買収す ロ、将来株式半数宛 を所有す るの目的を以て時機 を見 て同公司 の
ること。
本 年 十 月 一日を 以 て移 管 実施 差 支 の有 無 営 口領 事 より 照 会 あ り た
九、 営 口陸 軍 用 地 移 管 実 施 期 に関 す る件
る に付 、会 社 に於 て は右 期 日 に移 管 を受 く る こと と し て準 備中 な る
近く会社 の同意 の下に同公司 の資 本を増額し、会社名義人
一
一〇 、 安東 水 害 見 舞 金 支出 の件
旨 回答 し 、同 時 に此 の旨 関 東長 官 に報告 せり 。
増資を為し、之 に関し大要左記内容 の承諾書 を徴す ること。 竝支那側 の持株 を各半数宛 とし て、支那官憲 に出願する こと。
建
造 物
十箇年
借 家 な き為 、 不 已 得 旅 館 に宿 泊 す る社員 に対 し 当分 之 を適 用す る こ
八拾 円 支給 す る こ と を追 加 し 、八 月 安東 に於 て水害 を蒙 り 社宅 又 は
給額中 に ﹁ 本 俸 百 円 以 上 にし て独 身 者 に は月 額 四十 円、家 族持 に は
曩 に決裁 を経 た る安 東 転 勤 社員 にし て旅 館 宿泊 者 に対 す る手 当 支
一三、 水害 罹 災 社 員 の旅 館 手 当支 給 に関 す る件
り。
八 月 十 二 日南 満 各 地 方 水害 中 国 側 罹災 民 に対 し金 一万 円 也寄 附 せ
一二、 水害 罹 災 者 に対 し 寄附 の件
金 二千 円也 支 出 す 。
一 一、 吉長 鉄 路 局 在 勤 水 害 罹災 者 に義捐 金 支 出 の件
日支 罹災 者 に対 し 金 一万 円 也見 舞 金 と し て支出 す 。
但し此 の出願許可 せられざ るときは従来通 四対六 の割合 の儘と し、増資したる分を各半数宛所有する こと。 二 前 項 の増資及合弁名義人変更 に関し支那官憲 に対す る 一切 の手続は、周文貴をして其 の費用責任に於 て取計はしむること。 三 東 洋炭礦株式会社と大興煤鉄公司と の間 に於 て大正 八年六 月 二十 一日締結 せる追加契約 に拠り、支那側代表 の取得す べき 配当は持 株数 により按分す ること。
三十箇年
七、営 口及安東 に於 ける陸軍所有土地及建 造物借受 に関する件 陸軍提示条件内容 地
イ、借 用 期 間 土
但し協議 の上更新する ことを得
とに決す。
た る藤 井 完 二 に謝 礼 と し て金 一千円 也 贈 呈 の こと に決 す 。
露 坪 及 該 地 上家 屋 一、 二 四〇 延 露 坪 と の交 換 の為 、仲 介 の労 を執 り
一八、 大 正 十 一年 度 消 費 組合 第 四 回営 業 決算 報 告 の件
一四、全国高等女学校長会議延期 の件
一、商 品 滞 貨
大要 左 の如 く報 告 あ りた り 。
関東 地方大震災 の為来年迄延期す ることとなれり。 一五、奥地産豆粕を大連 と共通混合保管 に改変方及南満洲線安東駅
二 、会 社 よ り の借 入 金
一、 六 二 四、 三 二四 円 余
前 年 度 よ り 六十 六 万 余 円減 少
一、 三 二 一、 二 一八 円
発著貨物特定運賃中大豆、豆粕、粟 の三品 に対し 一割以上低減方請 首題 の二件長春商業会議所内在満邦人特産商大会 より請願ありた
願 の件
三、損 益 勘 定
七十 万 一千 九百 余 円 減 少
四、損失繰越高累計
るも会 社に於 ては目 下考究中なるを以て差当り願意 に応じ難き旨 回 答せり。
一三四、六二四円〇七
三、九 二〇円欠損
一六、大連所在各銀行 へ預金限度 の件
第四埠頭建設竝之 に伴 ふ陸上諸施設用地として必要 の為 、首題軍
一九、市内浜町海軍用 地譲受申請 の件
用地 (四千九百七十九坪)譲受け度 旨海軍大臣宛申請せり。
銀 行
行
〃
〃
〃
二 〇 〇 、〇〇〇 円
三、〇〇〇 、〇〇〇 円
四、〇〇〇 、〇〇〇 円
八、〇〇〇 、〇〇〇 円
二 一、政府認可事項
為 一箇年間撤廃を延期す。
限 度 各 一五、〇〇〇 、〇〇〇 円
大連 に於け る総預金額限度 を四千五百万円とし、各銀行 への預金 額範囲を次 の如く定 む。 朝 鮮銀行大連支店 隆 銀 行 〃
撤廃す ること に決す。但し貯炭場同所間線路は同所自用炭運搬 の
二〇、遼陽軽便鉄道撤廃 の件
正 口 銀 行
横 浜正金銀行大連支店 竜 洲 銀
イ、大正十 二年度事業計画及事業費 予算第 一次追加 の件
左記 の通認可せられたり。
満 育
(但 し当分 の内 五 〇 、〇〇〇 円 )
教
ハ、入江理事東亜勧業株式会社取締役 に就任の件
ロ、日中国際聯絡運輸 に関する議定 の件
現在定員四四 改正定員五〇 (武道教師六名
一七 、極 東 運 輸 組合 所 属 船 と土 地家 屋 と の交 換仲 介 者 に謝 礼金 贈 呈
イ、庶務部社会課
二二、定員増加 の件
の件 極 東 運輸 組 合 所 属船 ﹁ダ ル ニー﹂ ﹁バ イ カ ル﹂ ﹁ア ンガ ラ﹂号 及北
定員 とし て編入)
満 運輸 所 属 船 ﹁アゲ ー ル﹂ ﹁キ タゼ ー ヤ﹂ ﹁シ ルカ﹂ 号 と露 人 シヤ ト コフ スキ ー所 有 モ スト ワ ヤ及 ウ チヤ スト コワヤ街 角 土 地 七 四 二 、 五
(医員二名
薬剤員 一名
事務員 一名増加) (京城
ロ、吉林東洋医院 現在定員 (全医院共通定員)三二三 改正定 員三二七 ハ、安東鉄道事務所 現在定員 四八 一 改正定員 四八三
大 さ のも のを 中塊 と し て 塊 炭
鉄道局より安東事務所 へ二名転属せしむ)
小 塊炭 は之 を全 廃 し 、新 に約
二三、撫順中塊炭値段 の件
収 費
三七、四〇〇円 五、〇〇〇円
二、七二四、三六七円 一六
鄭〓線軌道敷設工事 工 事 費
価
大連 工業会 社
八九、二二六円
C型24尺×20尺
六〇〇枚
七 一、七 一八円五七
鄭〓線鄭 太間各駅給 水装置 工事
代 入 者
二七、土地査定不服申請 の件
納
防湿用雨覆
二六、物品購 入の件
同
二
一
二五、工 事 認 可
同
ロ、大石橋水源用地四、五三八坪
買
イ、鞍山市街増用地 の内官有地九 一九、四八〇坪
左 の通買収に決 し予算追加又流用す。
二四、土地買収 の件
と す 。 予算 関係 殆 とな し 。
中 よ り選出 し塊 炭 同 値 と し て販 売 す る こと に せり 。主 と し て輸 出 向
25糎/ 45糎
曩 に申告した る会社所有地山城町四番地と不動産信託 会社所有地
同町二番地 との境界線 に対す る関東庁土地調査部 の査定 によれば、
四番地 の土 地約 四百三十 六坪八合 一勺を減し不動産信託会社所有 地
となし居 るを以 て、関東庁土地審査委員会 に対し査定不服 の申 立を
二八、停車場其 の他 に馬賊襲来 の件
為せり。
本月九日及十日 に廟子溝 及雙廟子桓勾子間複線 工事現場 に馬賊襲
来し、被害少 からざりしを以て鉄道沿線警備 に関 し 一層配慮あり度
二九、社員住宅築建補助内規 に依り承認 されたる者 の住宅組合 設立
旨関東長官及関東軍司令官宛依頼 せり。
客年七月 一日以降本年三月末 日迄 に自宅新築之 に居住する ことを
に関する件
日迄 に申請 するときは、特 に其 の設立を認可する こととなれり。
承認 せられたる社員 にし て、住宅組合設立の認可方を本年九月三十
情報蒐集 に付大阪案 内所 に指示、九月 二日関東震災情報蒐集
三〇、関東 地方震災救恤 に関す る件 一
及案内所員東京派遣 に付電命す。
震災 に関す る方針、九月 三日重役会 に於 て左 の通決定す。
イ 会 社は関東庁市役所 と協力し て応分 の金品を支出し救 済に
二
尽力す。
ロ 当方 より輸送 の救恤品 に対しては社線 の無賃輸送を為 すこ と。
ハ 慰問 及下関、神 戸、大阪、東京等 の事務補助竝本社と の聯
絡を図 る為、入江理事 を団長として社員を派遣す る事。
ニ
し、其 の標準を本俸 二百五十円以上者月収百分 の十五以上、同未
会社は食糧品其 の他 の輸送 の為必要あらば大連汽船 の船 を
特 別に仕立提供す ること。
九月七日左記会社救恤品及 一般救恤品 を積載出
五万二千余枚
豆
針
十五万本
一万六千百袋
百五十本
四包 同 縫
五万枚
袋 糸 大
串
燭
袋 蝋
紙
八百樽 (一斗入)
竹
油
油
製 鍋
麻
麻
ア ンペラ
長順丸出帆
九
満者百分 の十以上 と決定 す。
ホ
救護班として尾見大連 医院長引率 の下 に約 二十名位を以 て
治療材料携帯東上 せしむる こと。 帆す。
以上の外会社 は支社員救済、在満社員 の内 地居住家族救護 の為 三日三列車 にて入江理事外 七十五名陸路東上す。
請暇等 に対しては相当便宜を図 ることとす。 救護団派遣 尾見大連 医院長を長とし医師 一三、薬剤師 二、看護婦 二六、其
三
大阪 へ送金 の件
の他計四十八名を四日バイカル丸 にて震災地 に派遣す。 救 護引当費用其 の他所要費とし て九月 四日金 二万円大阪案 内所
四
鉄
百三十 二万本
醤
各 一台
帰省社員 には 一箇月分月収額を 一箇年間無利子特貸す。
十台
客車、貨物自動車
罹災地に近親 を有す る社員 には希望 に依 り身元保証金 を限
三十罐
に送金す。 イ
東
一万円
二十二万円
四百 五十箇
一万 一千五百枚
ロ
自 転
社員が罹災近親を満洲 に招致せむとす る場合は出発 に要す
罹災社員、同家族救済
度 とし貸与し、身元保証金三百 円に達せざるものは三百円 を限
ガ ソリ ン
五
度 とし て貸与す。 ハ
救恤品総価格概算 料
傭
船
る船車三等賃金及満鮮 パ スを支給す。 九月五日在連重役 一同より天機及御機嫌伺電報 を
載 し出帆す。
十一 泰陽丸出 帆 九月十日左記会社救恤品及 一般市民救恤品 を満
提供す ること に決定し、九月八日監督官庁 に此 の旨報告せり。
救恤費 とし て支出す る金額は差当り
十 救恤費支出額決定報告
天機奉伺
六
九月五日総理大臣、各国務大臣其 の他監督官 に
百万円とし、此 の金額 の範 囲内 に於 て物品を購入し、又は現金を
挨拶電発送
宮内大臣、皇后宮大夫、東宮大夫 に発送す。 七
見舞 電を発す。 八 社員義捐金 各 地毎 に其 の地 一般団体 に加 入醵出す ることと
精
小
毛
松
木
糖
麦
布
板
材
二百袋
二百五十俵
二千 三百八十五袋
一万枚
七百五十枚
六万六千九百本
チ ユ ーブ
タイヤ ー
貨 物自動車
グリー ス油
モビール油
ガ ソリ ン
二百七十九本
二百五十本
四台
十箱
百五十箱
五千箱
料
救護事務局負担 の筈
以上各船 に依 り既 に輸送済 の会社救恤品総額は傭船料を合し金 五
傭 船
八万円
メ 二百八十三万二千八百本
総価格概算
燭 九千枚
十六万円、第三次船満洲丸積載輸送 の予定 にて買付済 のも の約 二十
ラ
蝋 一万斤
紙
万円、外 に傭船料 四万円、計約 八十 万円。
ザ 支那 ソーメ ン 油 十四箇
秘
処務週報
三百貫
第 二十五回
鍋 九百貫
ソーセージ 百 貫
大 煮
大正十二年九月二十 二日
社文雑二三第 四 一号 の二五
豚 百 頭
佃
六百十六袋
塩 牛
七百貫
豆
魚
生
塩 小 百五十五函
罐 布
詰
五十枚
百六箱
二、嘱託将校待遇 の件
す。
定款中株主総会召集時期 四月及十月とあるを六月及十二月に変更
一、満 洲船渠株式会社定款 一部変更 承認 の件
ガ ソリ ン 毛
階
尉
級
三〇〇
二〇〇円
待 遇 額
一二〇
一〇〇円
月 手当
左記 の通制定 せり。
佐
二十 三万円
三万二千五百枚
大
一五〇
総価格概算
ア ンペラ
少
三五〇
救護事務局交 通部 の電命 に依り十三日出帆震災
二万円
佐
船 料
十二 西京丸派遣
中
傭
地に急行 せしむ。同船積載会社救恤品左 の如 し。
中
少
大 将
将
佐 六〇〇
五〇〇
四〇〇 三〇〇
二五〇
一八〇
賞与、旅費 、住宅 は待遇額 に依 り算出 のこと。退職手当は月手 当 に依 り算出支給 のこと。 三、吉長利益金 に関す る件 中日実業は交通部関係電話借款利息回収 の為、吉長利益金 を以 て
大石橋 、鞍山、安東
単 に貨車 の組立駅又は接続設備駅
小 一
大石橋 、開原
大連 、奉天、長春、安東
旅客列車編成駅 の位置及設備 の程度 ( 大中小 に区別)
瓦房店、四平街 、橋頭、鶏 冠山 大
一 小
右契約九月三十 日を以 て期 限満了 に付、更 に向 一箇年間前同様 の
五、横浜正金銀行及朝鮮銀行大連支店と当座借越契約継続 の件 条項 にて継続す ることとなれり。
之 に充当 のことに交通総長と協議成りたる趣情報 ありたるに付、九 月十日北 京公所長をし て交通部 に右利益金 は、大正十年十 二月四〓
六、旅順埠頭用地使用願 に関す る件
二
一
自十 二年度 至十 四年度 に於 て宿舎及工場等 を指定 の位置 に移
元知港事庁舎は可成現状程度に維持する こと。
土 地建物 に対し相当使用料金を附する こと。
ること の条件 にて出願 せし所、佐世保鎮守府参謀長 より
本件 は曩 に一料地無料二地域内 の家屋 は必要 に応 じ随時廃棄し得
局より交通部 へ融通したる銀 二十万元及大正十 一年 十月訂約 の金五 十 万円借款 の償還引当となり居 れるに之 を差 し置き、本利益金を他 の借款 の償還 に充 つるは不穏当なる旨声明 せしめたり。
三
四、満洲線将来 の機関庫竝列車組立駅 の位置 に関する件 会社停車場設備は継承当時 の施設 を襲用し、漸次改増築をなし列
前項宿舎 には移築迄官 に於 て居住を継続す ること。
りたるが、北満貨物及石炭輪送増加 に伴 ひ輪送量増加 し列車 の運転
四
東港北岸岸壁 は何事たりとも無料 にて海軍 の使用に応ず るこ
車運転 の配備も東清時代 の施 設 に大 なる変更を加 へず して今日に至 増加すると共 に、輸送能力増進 の為列車運転 の配備 は新なる企画 を
五
築す ること。
必要とす るに至 れるに依り、満洲線将来 の機 関庫竝組立駅 の位置 を
と。 六
左 の通定める ことに決す。 一 機 関庫位置
に依り三 の移築時期を十三年度 より十 五年度 に亘り施行す ること
軍 に対し、解放する ことに条件変更 の上、再出願方照会ありたる
周水子、蘇家屯
願 し、同参謀長 に対しては一土地建物使用料金は最低率を適用 せ
とし、其 の他は官 の申越 通承諾した佐世保鎮守府司令長官宛再出
元知 港事前 の現上陸場及同所より下の関町 に通ず る道路は海
蘇家屯、開原、 四平街、長春、橋頭、鶏冠山、安東 大
開原、長春 、撫順
大連 、奉夫、周水子、瓦房店、大石橋 、鞍山、
一 貨車 の操車場位置及設備 の程度 ( 大中小 に区別) 中
ら る る こと二 工事 期 も 本年 は 月余 を剰 す のみ に付 、 宿 舎 工場 等 の 移 築 は願 通 十 三年度 自 至十 五年 度 に於 て施 行 のこと に変 更 の上 急 速 許 可 を得 ら る る様 配 意方 回答 せり 。 七 、渓 〓 鉄路 水害 の件 本 年 七月 下旬 より 八 月 中旬 に至 る前 後 三 回 の水 害 に依 り復 旧工 事 費 合 計 六 千 三 百 四十 円 を要 す る損 害 を被 り た る旨 報 告 あ り た り。
九 月 二十 日附 川 口監 理 官宛 出 状 せり 。
︹ 彦治︺
八 、鄭 〓 残 工事 費 立替 支 出 の件 ︵ 第 二十 四 回処 務 週 報 参照 ︶
九 、安 東 駅発 運 賃 低減 の件 曩 に在 満 邦 人特 産物 商 大会 よ り の請 願 に 対 し要 求 に難応 旨 回答 せ
一 受 渡 期限 民国 大正 十 二年 八 月 よ り同 九 月末 日〓 売渡 価格 (一噸 に付) 条
金百三十五円
金九十六円
二 軌
目 板
金二百 四円
継
ボ ールト及 ナツト
物 品 交 付 の都 度交 付 部 分 に対 す る代 価 を支 払 ふ こと。
三 代金支払方法
曩 に三 万 六千 九 百 五 十 六 円也 を限 度 と し て保 証 す る こと に決 裁済
一 一、 寿 住 宅組 合 資 金 借 入債 務 保 証 の件
の処 、組 合 員 三名 脱 退 の為 、 二 万 一千 五 百 五十 円也 を限 度 と し て保
一二、 大 連 ヤ マト ホテ ル増 築 敷 地 貸 付契 約 締 結 に関 す る件
証 す る こと に変 更 し 、大 連 正 隆 銀 行 へ対 し 保 証 状 を差 入 れ た り 。
し が 、関 東長 官 より も意 見 回 示方 照 会 あ り た る に依 り 、安 東 と奥 地 と の 一般 的 運賃 は客 年 十 月 一日 以降 営 口奥 地 間普 通 運 賃 及 大連 奥 地
大 連 ヤ マト ホ テ ル増築 敷 地 とし て市 内播 磨 町 三番 地土 地 三 千 七百
間 特 定 運 賃 の振 合 に依 り 低減 し た るも のな れ ば、 此 の低減 額 以上 減 額 す る こと は大 連 、 営 口に 対 し均 衡 を失 す る こと とな り 、 且満 洲 線
二十 箇 年
十 五 坪貸 付 に付 、 契約 締 結 方 大 連 民 政署 長 よ り申 越 あ りた る に依 り
当分無料
上 に於 て特 別 の運 賃 を 設 定す る と き は安東 、営 口、 大 連 の何 れ にも
料
借 地期 限
設 けざ るべ か らざ る こと と な り、 結 局 現状 と何 等 差 違 な き こと と な
借
調印す。
る べし 。 然 れ ども 朝 鮮総 督 府 及 東 拓 等 にて豆 粕 の使 用 、朝 鮮 米 の内
毎 年 一回 以 上会 社 専 門 技術 者 を し て公 司 坑内 を視 察 せ し む る
右 は煤 鉄 公司 と 協議 の結 果 、 爾 今 左記 に依 り処 理 す る こと と な れ
一三 、本 渓 湖 附 属 地 地盤 沈 降 防 止 に関 す る件
地
地 移 出 又 は満 洲 粟 の輸 入等 に付 、具 体 的計 画 進 捗 せ る場 合 は朝鮮 線 内 運 賃 割 引 の形 式 に於 て之 を幇 助 す る こと に内 定 し 、 目下 其 の方法
一〇 、 六 十 四封 度 軌条 竝附 属 品 を四 〓 に売 渡 の件
研 究 中 な る旨 、九 月 二十 日附 回答 せり 。
一
り。
こと。
鄭 〓 線 工事 用 六 十 四封 度 軌 条 竝 附 属 品百 七 十 哩 分 内 、八 十 五 哩分 は 既 に売渡 し済 な る が 、残 数 の内 七 十 二哩 分 に対 し 左記 要 項 契約 締
二
現 在 附 属 地 坑道 に し て充 填 未済 のも のは 此 の際 充 填 す る こと 。
結 方 四 〓 局長 宛 照 会 せ り。
支 社 に電 報 通知 し、 支 社 よ り震 災 者 に交 付す る こと に取 計 ふ旨 社
将来公司 に於 て附属地下 ( 線路用地を含 む) に進掘する場合
三
長順 、泰 陽 丸 は 九 月十 八 日 横浜 着 、 西 京
処務週報 秘
二、交通委員会組織 に関す る件
九月二十三日を以て期限満了 の処、更 に向う 一箇年間継続保証す。
一、大連 工業株式会社 に対す る債務保証期限延期 に関す る件
大 正十 二年九月二十九 日
社文雑 二三第四 一号 の二六
第二十六回
救 恤 品 輸送 船 到 着
四
内 一般 に通 牒す 。
丸 は同 日 芝 浦 に到 着 せ る旨 通知 あり た り 。
は予め会社 の了解 を得 ること。 四
公司 の作 業 に起因 し地表 に変化 を来し損 害を生 じたる場合 は、
双方立合 ひ其 の原因損害 の程度等 を調査審議し、之 が処理方法 を 決定す ること。 一四、遼陽軽鉄営業廃 止 の件 右 十月 一日限り営業 を廃止し同時 に線路 の撤去を為 す旨関東長官 及遼陽領事宛報告せり。 一五、遼陽電燈公司支配 入推薦 の件 現支配人玉生義郎任期満了 の処、更 に同人を推薦す る旨出状せり。 一六、認 可 工 事
り。
す る為交通委員会を組織 し、松岡理事 を委員長 とし其他委員任命 せ
満蒙 に於ける社線 以外 の鉄道敷 設 の審査企画 に関す る事項 を掌理
九五、〇〇〇円
三、大正十 三年度 東亜同文書院給費生派遣 に関する件
別府診療 所新築 工事
七二、九四〇円
瓦房店益済寮火災跡復旧工事
一 二
第 四埠頭背後地及長門町船留 一部埋立工事
購 地、測量、建 設、地上物件遷移及買収竝遷墳費等 の引当として、
四、鄭〓線 工事費七十五万円仮払 の件
十名派遣 に決す。
三 六三、 一九七円
一七、関東地方震災救恤 に関す る件
概算金七十 五万円也仮払 のこと に決裁 。
社長 の電命 に依り廻航 を中止し、同船 に積
員中より議長を選出 せしむること に改 めたき に付、右規則中関係部
従来地方 区長 をし て地方委員会 の議 長たらしめしも のを、今後委
五、地方委員会規則中 一部改正 の件
満洲丸廻航中止
社長 の電命 に依り九月十 七日三列軍 にて技師
一 建築課長上京
載 予定 の買付物資は当方 に於 て処分することに決 す。 二
分改正認可方、九月二十五日附関東長 官宛申請し、同二十七日附認
震災地 に家族及近親 を有する社員 の送金取扱 、電報為替等 の
三
可 せられたり。
一名を伴 ひ上京す。 取扱開始 せらる る迄 、便宜現金を会計課 に払込ましめ会計課より
十 三年度文書課臨時費予算として金七万円也計 上のことに経 理部
六、朝鮮総督府 工業事門 学校機械科教室建 設費予算 の件
て委託 したき に付、異存 の有無至急 回示方九月 二十九日附関東軍経 理部長宛照会 せり。
四十六株買収 のことにな りた るに付 、将来公司 の増資 の場合 に於
鉄嶺、遼陽及安東 に於 ける軍建造物移築費用中 に考慮す べき旨 、九
線陸軍所要建造物整備 の為支出予定 の金 二十四万円は、別途照会、
営 口、安東陸軍所轄地貸付附帯事業とし て、曩 に内議済 の鉄道沿
二、営 口、安東土地貸付附帯事項 に関す る件
け る覚書 を提出せしめヽ金十八万四千円也 (一株 四千円)支出 のこ
月二十九日附関東軍経理部長宛出状せり。
七、大興煤鉱公司株式 四十六株買 収費支出 の件
長 と打合 せ置きたる旨京城鉄道 局長 へ通知せり。
と に決裁。
三、消費組合定員増加 の件
右 左記要項に依 りホテル主鶴岡永太郎貸金 とし て整 理す ることに
五、奉天 ミヤ コホテル立替金整 理 の件
右金百万円也 、大正十二年 度文書課予算 に追加す。
四、関東地方震災救恤費 予算追加 の件
す。全定員 一一〇名
消費組合南沙河 に派出所増設 に伴ふ要員 として職、雇員三名増貝
八、鳳凰城南満黄煙組合煙草事業 に対し補助金交付期間更正及追加 借 入資金 に対す る利子補 助 の件 右補助金交付期間大正十二年 五月 二十日自至大正十三年 一月 三十 一日を、大正十 二年五月二十日より大正十三年 三月三十 一日迄 と更 正 し、肥料購入費とし て追 加借 入した る金四千円 に対する九月 一日 より十 一月 三十 日に至 る利子金 百三十八円三十 二銭也を補助す。 九、認 可 工 事
一
貸付金額 金 十九 万三千十 七円也 (鮮銀 に代払元利金全部)
決す 。 利
三四九、六四五円九七
二
元利金返済期限
貸付年月日
大正十三年 六月二十八日
大正十 二年六月 二十八日
年 一割 三
息
処務週報
四
担 保 貸付金中十五 万円 には本人所有ミヤ コホテル建物 の上
右土地 二万九千 三百八十三坪 八勺 を金十八万 三千六百 四十四円二
六、奉天十間房陸軍所管 土地有償譲受 に関す る件
は第四順位 の抵当権を設定す。
に第二順位 の抵当権を設定 ( 設定済)残貸付金四万 三千十七円に
五
秘
撫順駅移転竝線路改築 工事 第 二十七回 大正十 二年十月六日
社文雑 二三第四 一号 の二七
鉄嶺陸軍使用地 の内 三万九千 二百九十三坪、遼陽同 一万 二千八百
一、鉄嶺 、遼陽陸軍使用 地 一部返還其 の他 に関する件 四十五坪 及安東守備隊練 兵場 四万七百七十坪 を市街計 画上使用 に付、 地上建造物 は軍 にて必要 のも のは夫 々適当 の場所 に移築若 は新増築 を為し逐 次土地引渡を受 け度、尚工事は総額六十六万二千円以内 に
十五銭也 ( 坪当六円二十五銭 )にて譲受度旨関東軍経理部長 へ出状
一〇、北斗住宅組合資金借入債務保証 の件
証書を差入れたり。
建築資金 一〇 、 一二二円土地収得費四、二四八円八〇計 一四、三
せり。
七〇円八〇銭保証す。
追 て本件土地 の実際価格は二九二、六 四四円二五 (坪当九円九 六) なるも既 に係争解決補償金として、大正十年会社が支出 せる
一一、営 口、安東陸軍用地行政移管 の件
一 遼陽城内西二道街所在土地建物
大連市伏見台 土地建物
大正十二年十月十三日
社文雑二三第 四 一号 の二八秘
第 二十 八回 処務週報
三日限り之 を廃止す。
江尻通信聯絡廃止、東京支社と直接 通信可能となりたるに付十月
横浜は十月五日限 り引揚 入院患者は神奈 川県庁 に引渡 せり。
東京救護 病院開設、九月二十六日より入院患者 の収容を開始す。
一二、関東地方震災 に関する件
十月 一日両地共移管を了せり。
金十万円及本年三月末迄 の利子九千円計十万九千円を実際価格 よ り相殺 し、表面金額 を前記 の如く十 八万余円とせるも のとす。
二 鉄嶺西門外大街所在土地
七、陸軍所管土地建物有償譲受 の件
三
右 土地建物 を時価 に依り価格は後 日協議 し、代金 は大正十三年度 以降三箇年賦 にて納 付す ることとし譲受度 に付、異存なくば契約書 票送付方十月 三日附関東軍経理部長宛照会 せり。 追 て価格は陸軍 にて調査中にて未決定な るも大約六十三万円以 内 の見込。 八、林喜代造氏招聘 の件
敷設権獲得 の為原計画線路 の 一部を増 し三、六五〇米追加許可方
一、奉天電 気鉄道経営許可申請書中 一部変更 の件
十月六日附 関東長官 に出願 せり。右 に依る営業収支事業資金 次の如
本件 は昨年 に引続 き社用機関車、煖房汽罐 に関す る完全燃焼実地 研究 の為 、十日間助手 一名を帯同し来連 を乞 ふことに決し、費用 は
営業 収支
一
純益
一七三、六〇〇円
五六、三六〇円
五三、六四〇円 収入
一一〇、〇〇〇円
し。
計 画
計 画
収入
しむる為滞在日数を三十日間 に延期 し、合計金 一千 一百円也を贈呈
原
新
支出
打 切り六百円を贈呈すること になり居 りたるが、充分研究を完成 せ する ことに変更す。 穀類買 付資金として金 三十万円を限度 とし、大正十二年 十月四日
九、協昌棧矢橋春蔵氏 に対し保 証 の件 より同年 十二月末日迄継続保証する ことに決し、正金大連 支店 へ保
七五、六〇〇円
証 限度 額 三万 円 迄 は同 一方 法 に依 り保 証 す る こと に決 す 。
枕 木 其 の他 の納 入契 約 保 証 に充 当 の こと に承 認 し、 同時 に将 来 も保
六万四千四百 二十四円也
二百組
収
入
一、 二 四 三、 八 九 五 円
一、 四 二 五、 四 一九 円
一八 一、 五 二四 円
出
三 千 四 百円 也 追加 保 証す 。 合 計 保 証額 六 万 九 千 七百 五 十 五 円な り 。
一 一、郊 外 住 宅 組合 資 金 追 加 保 証 の件
十 月 十 日附 会 計検 査院 長 宛 提 出 す 。
一〇 、大 正十 一年度 収 入 、支 出 計算 書 類 提 出 の件
百 五 十 円払 込 を以 て負 債全 額 を償 却 せ し め整 理 す る こと に決 す 。
家 屋 買 収 方申 請 あり た る も同 社 払 込 未 済株 式 全額 金 二十 七 万 三千 七
満 日社 よ り負 債 二十 六 万 三千 八 百 五十 一円 十 二銭 償 却 の為 土 地 、
九 、 満 日 社整 理 の件
十 月 九 日 限 り廃 棄 の こと にし たき 旨 満 日副 社 長 宛 照会 せり 。
八 、印 刷 物特 約 に関 す る覚 書 廃 棄 の件
差 引 利益 金
支
営 業 上 の収 支概 算 は左 の通 な り。
なり。
用 は収 容 能 力 一噸 当 四十 円 の見込 に て総建 設費 見 積 額 は約 八 百 万 円
場所 に同 五 万噸 単 位 の も の各 一箇 建 設 す る こと に決 す 。之 が建設 費
大 達 埠 頭 に収容 能 力 十 万 噸 のも の 一箇 、開 原及 長 春附 属 地 適当 の
七 、 グ レー ン ・エ レヴ エー タ建 設 の件
二千 四 百 一名 に対 し 、金 三千 九 百 八円 支給 す る こと に決 す 。
七 月下 旬 及 八 月 上旬 に於 け る満 洲 線 水 害善 後 関 係 鉄道 部 所 属社 員
六 、 水害 善 後 関 係者 に慰 労 金 支給 の件
九八、〇〇〇円 七 二二、五六〇円
支出
画 一、 一三二、九 四〇円
純益 原 計 画
一 事 業資金 新 計 左 の通改正し大正十二年七月分 より実施す
二、北京留学生 に対する給与額改正の件 一 留学費 一人月額大洋銀七十元 ( 現在六十元) 設)
一年 に満たざる端数 に対しては見学旅費は月割 を以て支給 す。
五十元 (新
留単期間 一年 以上 に亘るときは見学旅費は 一年毎 に分割支給
同
一
一見学旅費 同 一 す。 支度料、留守手当等従前通
満 日株式村上其 一氏持株五千株払込価額を以て買収す。本買収 の
三、満洲日日新聞社株式買収 の件 結果同社株式は全部社持株となれり。買収金額 八万八百七十五円也。 量
大 正十三年 三月中
四、 ハード センター轍叉購入の件 数 額
三井大連支店外三名
価 者
受渡 期限 契 約
五、東支鉄道、札免公司 の取引契約保証 の件 東支は現金積立保 証 の代 りに会 社 の石炭売掛代 の 一部 を留保 する こととし、右代金中 の 一部大洋 一万五千百 四十元を今 回締結せる薪 、
一二、共和住宅組合建築資金借入保証の件 曩 に十 一万三千七百三十 八円也を限度 として保証せしが、更 に土 一三、定員増加 の件
地収得費として 一千九十四円八十銭 也追加保証 せり。
受 渡期 限
註文後 九箇月半
一社員震災地送金取扱中止、震災 地方電報為替取扱開始 せられ
一九、関東地方震災 に関す る件 たるに付十月六日限り中止 せり。
二 救恤品送付 満 洲丸 にて送付すべく買付たる救恤品中 、牛肉
佃煮 、毛布、支那ウド ンは当方 に於 て処分するとせば損害多大な
営 口地方区新設に伴 ひ職雇員十五名増員 す。鞍山地方事務所定員 計 一三六名
十月十 一日午前 十 一時帰着 、直 に傭船を解除 せ り。
三 西京丸帰着
り。
(価格二万九千百八十円) は十月九日出帆哈爾賓丸 に積載送付 せ
るに付之 を送付す ることに決し、内牛肉佃煮 四千 八 百 九十 六貫
年額八百円 の割 にて十月 一日より支給 のこととな る。
一四、営 口地方区長交際費 の件 一五、移転工事委託 の件
四 泰陽丸帰着
大連 ヤ マト ホテ ル増築敷 地上に在 る道路修繕事務所及工作物移転 工事 は金八万三千円 の限度 を以て施行方委託 したき旨、十 月十 一日
傭船を解除 せり。
金五万七千五百五十四円也
費
同 請 負持 の場合
鉄骨鉄板社給 の場合
八八、〇 二五円
八六、九九 一円
処務 週報
会社公費賦課 区に関する諸規程を準用す ること に決す。
一、営 口及安東 旧市街在住邦 人を公費区 へ加 入の件
大正十 二年十月 二十日
社文雑 二三第 四 一号 の二九秘
第 二十九回
工 事
営 口新市街埠頭倉庫新築工事
二〇、調 可 工 事
五張作霖寄附生牛輸送 十 二日出帆神山丸に積載彦島迄輸送す。
十月十二日午前 五時五十分帰着、同日午前九時
一六、奉天神社寄附金内渡 の件
附関東庁事務総長宛照会せり。 寄附予定額 二万円中 工事竣功部分 に対し、金 七千六百三十 四円内 渡す。 一七、范家屯電気株式会社重役其 の他推薦 の件 首題会社整理 に付 ては大体当方 の条件を認容す ること になり、近 く之 に関し株主総会開催 のことになりたるに付、長春地方事務所長 井上信翁、主任技術者其支配人として電気作業所員渡辺信 一、監査 役 とし て長春地方事務所員村手克己 を推薦す。
格
司
福
昌 公
者
一式
一八、遼陽変電所用変圧器及配電器具購入 の件
約
変圧器及配電器具 価 契
一 数
量 三菱商事会社
金 七十五万六千円也
八輛
二、 ミカド型機関車購入 の件 価 大倉商事会社
者
契 約
一代 一 三、奉天住宅組合資金追加借 入保証 の件 新加 入者建 築資金 とし て九千円也追加保証す 。 四、満洲線貨物列車便 に依 る貨物運賃表中改正 の件 九月二十九日附鉄道大臣 より認可 せられたり。 五、鄭家屯 ホテ ルの分館 を〓南 に開設 の件
円 也 補 助す 。 八 、 セ メ ント購 入 の件
一数
代 一契
約
一樽分 五、 八〇
罹 災 貸費 学 生
六、 二〇
袋 入十 五 万樽 分
三井物産会 社
九 三 二 、〇〇〇 円
量
価
〃
者
樽 入 一万樽
大 正 十 三年 度 所 要 の 一部 とし て小野 田 セ メ ント左 の通 購 入す 。
一
一 貸費 修 学 生 (非 役 社員 )罹 災 者 に共 済 金 融 通
九、 関 東 地 方震 災 に関 す る件
田中〓 、木 島 み つ、 堀 内泉 、真 木 邦彦 の四名 に 一般 社 員 と同 様 共
十 月 十 八 日午 前 八時 半 上海 よ り 帰着 、同 九時 傭
左記要項 に依り開設 のこと に決す。
長 順丸 帰 着
三 震 災 救恤品 解 約
満 洲 丸 に て輸 送 す べく 買 付 た る救恤 品送 付
船 を解 除 し 大連 汽 船 に引 渡 せ り。
二
済 金 融 通 の途 を与 う る こと に決 す 。
一充当家屋は会 社 にて年額三百六十円以内 にて借 入れ経営者 に
一 鄭家屯 ホテル経営者 をして経営 せしむ。
借入家屋 を旅館向 に改造す る費 用は総額金三百円以内 にて会
無料貸 与す。 一
開業後 の家屋修繕費は経営者負担 のこと。
り)
社負担 のこと。 旅館用具、什器は現在鄭家屯 ホテ ルにて使用 の過剰品を使 用
支 那 粉 干 (上) 三五 、〇〇〇 斤
二 〇〇 円
一、 六 一三 円
八 、 一四 八 円
十 月 十 三 日出 帆 ば いか る丸 に積 載 左 の通 送 付 す。
二〇 枚
(並 )
計
(一枚 も の) 三、 六 〇 六枚
毛 布 (二枚続 )
同
同
累
計
五 七 五、 四 三 二 円
二 七、 九 九 一円
一八 、 〇 三〇 円
一、 六 五〇 貫
救恤 品 輪送
ひ解 約 す る こと と な れり (外 に解 約 協 定未 済 のも の漬物 外 一点 あ
一
中 止 の為 醤 油外 十 二点 に対 し合 計 一万 一千三 十 五 円 八十 四銭 支払
一
四
六、御真影伝達 の件
新調 せざる こと。 十 月十五日奉天第 二尋常 小学校、奉 天中学校 、奉天高等女学校、 長春商業学校、撫順高等女学校 の五校 へ両陛 下御真影下賜せられた るに付、同日午後 六時本社 に於 て各管理者 へ伝達式を行 へり。 奉天支部大正十二年度 (十月より三月迄)経費 とし て金三千五百
七、文化協会奉天支部経費補助 の件
一五九、 四二〇円
昌図満井間複線軌道敷設其 の他工事
一〇、認 可 工 事 一 事 費
処務週報
一五三、六五七円
大連第 二埠頭七、八号倉庫第 二期第 二回工事
工 二 工 事 費 第三十回 社文雑 二三第四 一号 の三〇秘 大正十 二年十月二十 七日 一、百封度軌条購 入 の件
工
事
費
六 四、 四 六 五 円
第 三十 一回 処務週報 社文雑 二三第 四 一号 の三 一秘 大正十 二年十 一月三日 一、南満医学堂学生定員変更 の件
十月 二十九日附関東長官より認可 せられたり。
二、大正十二年 度事業費予算中 予備費流用 の件
十月 二十二日附内閣総理大臣 より認可せられたり。
建築資金 に対し三万四千 二百六十 円、土地収得費 に対し 一万二千
三、臻嶺路住宅組合資金借入債務保証 の件
て保証 すること に決 す。
七百九十八円四十七銭、計四万七千五十八円四十 七銭也を限度とし
大正十三年度 所要高 の内、年度初頭 工事用として七十哩分 (附属 二、北悟 一水 田経営資金借 入契約期間延期 に関し同意 の件
大正十三年度予算左 の通承認し営業資金 として既往融通金二十 三
る件
四、大正十三年度札免採木公司収支予算承認及営業資金融通に関す
品共)購 入 のこと に決 す。概算額金 一、三 一三、四〇〇円 金十三万円也弁済期限を大 正十 二年九月十九日より向 一箇年間延 期保証する こととせり。
事
費
営 業 収 入
二二 、 五 六六 ・〇〇
八 七 二 、 四 三七 ・七 二
万円 の外猶金 二十七万円 の範囲内 に於 て随時年 一割 の利息を以て融
三、南満医学堂学生定員 の件
入
通す ることに決す。 出
医科大学開校関係上来年度募集す べき第 一学 年 学 生 定員 を半 減
収
(定員五十名)し、邦人学 生は募集 せざる こととしたき に付認可方
支
業
四、林喜代造氏に謝礼贈呈 の件
営 業 支 出
る こと とし 、 若 買手 な き場 合 は営 業 を廃 止 し 、同 地 を 引 上 ぐ る こと
事 業 不 振 欠損 続 出 に付適 当 な る買 手 を 求 め之 に営 業 一切 を譲渡 す
五 、窰 門 電 燈 公 司営 業 廃 止竝 財 産 処 分 に関 す る件
八〇 三 、 四 三 一・七 七
十月 二十五日附関東長官 に申請 せり。 煤烟防止装置に関 し招聘 せし同氏 に対し旅費 の外金 一千円也謝礼 として贈呈す。 許家屯熊岳城間軌条取替 工事
五、認 可 工 事
一実行方法 売却価格 は評価額 一二、八六二円三五より運賃其
に決す。 の他 一、二〇〇円を控除したる残額 一万 一千六百六十三円以上、
西
京
丸
品 量
名
三井物産会 社
金 五 万 八千 円
袋 入 一万樽 分
小野 田 セ メ ント
三 一、 三八〇 ・九 二
数
価
一 一、 物 品 購 入 イ
代
者
一樽 分 五 円 八十銭 替
オ クバ ー コンテ ニア スヒ ルタ ー
約
名
一機
事
約
費
ド ー ア シツ ク ナ ー メカ ンズ ム
三台
三組
三 井 物産 大 連 支店
金 五 万九 千 七 百 八十 四円
発電機
二〇 〇 キ ロ附 属 品共
一基
ド ロツ コダイ ヤ フラ ムポ ンプ
者
価
処 務 週報
一八 五 、 六 五〇 円
第三十二回
器
左記 要 項 に依 り鉄 嶺 電 燈 局 へ賃 貸 す 。
一、発 電 機 及 汽罐 貸 与 に関 す る件
大 正十 二年 十 一月 十 日
社 文雑 二三 第 四 一号 の三 二秘
工
大 連 社 員 倶 楽部 新 築 工事
一二 、認 可 工 事
契
代
ハ 品 名 及 数量
品
契
八組 ( 附 属 品 共)
ロ
金 十 万 五千 七 百 円
十月中 に買手 なき場合は十 一月 一日より撤廃 に
電柱及建物は現 地にて売却 し、残余財産は用度課 にて引受 くるこ 実行 の時期
と。 二
量
着手 のこと。
価
欠損金 五万八百五十 八円
数
撤廃 に依る欠損金及其 の処分方法
三
代
一五、七二〇 ・五八
三 井物 産 大 連 支店
八十三銭は 一時鉄嶺電燈局 の欠損 とし、追て同局関係支那側電燈
丸
一八、四三三 ・六 二
者
事業 の整理を俟て之 が処分を併 せ行 ふこと。
順
丸
約
契
フーラー会社 の申出 に依り金 八千五百円也 にて購入 に決す。
六、大連医院新築 工事用三噸半自動車 一台購入 の件
支那人輸送 に要したる傭船料其 の他合計金七千四十七円三十二銭
七、長順丸傭船料 に関す る件 也 、支払方関東庁経由外務省 に請 求す。 八、予備用軌条購入の註文 に関する件 百封度軌条百哩分 (附属品共)購 入に決す。概算額一、八九三、 二三〇円 購 地費とし て金三十万円也仮払 す。
九、鄭〓線 工事費第 二回仮払 の件
長 陽
左 の通支払 ふことに決裁
一〇、震災救恤品輸送船傭船料等 支払 の件
泰
一
賃 貸 一期
料 間
汽
罐
二七〇馬力
〃
年額 三千四百九十九円二十五銭也 八月 三十 一日向五箇年間
自大正十 二年九月 一日至大正十 七年
一基
計
金
七〇〇、〇〇〇円
十 一月六日社長室 、各部長、東京 支社長及哈爾賓事務所長 へ仮令
六、大 正十 二年度営業収支更正予算 仮令達 の件 達す。
に於 て開催 のことに決す。経費は今秋実行として承認 の 一万五千円
曩 に延期 に決したる題記協議会 明年 四月下旬より六月上旬迄 の間
七、全国高等女学校長協議会開催 の件
を標準 とし て来年度追加予算 とす 。
現在貸付残金は二十四万七千九百円なるが毎 月償還金 一万円を来
二、南 昌洋行貸付金償還延期 に関する件 年三月迄償還猶予方申出 ありたるに依 り承諾す。
価
数 格
量 約金五十万円
十 四連 (二千噸) 一噸に付金 二百五十円
大阪汽車製造会 社 に左 の通製作方註文す。 一
大正十三年 十月 一日 より左側進行 に変更 することに決す。之 に伴
九、電車進行方法 に関する件
五千 七百十円四十七銭也受 入す。
社員共済規程に依 る会社補 助金大正十二年度上半期分金 三十五万
八、社員共済金補助金受入 の件
三、四〓線 三江 口橋 梁用鉄桁購入 の件
一
十月末 日を以 て期間満了 に付、本年度末迄前同様 (大連着噸哩 一
四、本渓湖、立山発銑鉄運賃低減 の件 銭 、営 口着噸哩 一銭 五厘)継続低減 す。
一〇、給炭船購 入準備 の件
ふポイ ント の取替費用は約 三万二千円なり。
来年度購入す べき給炭船 一隻今 より準備す ることに決裁、予算額
五、大正十三年度増備機関車新造材料準備 の件 沙河 口工場 にて建造す べき二十輛の材料左 の通準備す ることに決
金
三五 一、〇〇〇円
九四九、〇〇〇円
四千五百円也 、報酬契約書交付 と同時 に申受度旨高根弁護士より申
手数料として金 一万 一千五百円、旅費手当 として金 三千円計 一万
一一、榊丸求償 に関し高根 弁護士 に対す る報酬 の件
五十万円也。
金
一三輛
料 費
金 一、三〇〇、〇〇〇円
貨物列車用 M型機関車
裁。 材 費 計
工
金
一八九、〇〇〇円
五 一一、〇〇〇円
と海防義会 との求償額 の比 に依り按分負担するも のなり。
追 て右費用 は求償問題解決 の上他 の 一切の訴訟費用と共 に会 社
の結果契約書交付及前記金額支払 ひのことに決す。
出 あり たるに依 り、海防義会及東京海上火災保険会社 と交渉し、其
料 費
金
七輛
材
費
旅客列車用G3型機関車 工
十 一月 二十日より三日間京城 に於 て開催さるる題記会議 に赤 羽理
一二、朝鮮関係在満洲領事官打合会議 の件
一三、関東州外駐在関東庁駐在事務官会議 の件
事外 一名出席可致旨十 一月六日附朝鮮総督府政務総監 へ出状 せり。 十 一月九、十日の両日開催 さるる首題会議 に入江理事、田辺地方 部長、向坊興業部商 工課長、三浦庶務部庶務課員、川西鉄道部貨物 課員出席可致旨十 一月八日附 関東庁事務総長 へ出状 せり。
数 借
料
量
金枕付
二哩五十 三鎖六十節
十 八ポ ンド軽 便軌条
市外李家屯交通公司代表者小開 一次と左記要項賃借契約書 を締結
一四、傅家庄軽便鉄道軌条買 付 に関 する件 す。 一 賃
大 正十二年十 一月十 五日より大正十三年十 一月十 四日に至 る 一
一
箇年 間は金九百六十 一円二十銭、其 の以後大正二十 三年十 一月十 四日迄は年額金 一千五百六十四円三十銭。 追 て賃借料完納 の上は無償 にて賃貸物件 を譲渡 するものとす。
数
品 価
量
名
金 七万百三十三円
三千百 三十箇
瓦斯計量器
一五、物 品 購 入
代
三井物産会社
約
者
契
小崗子分院新設 に伴 ひ職雇員八名増員各医院改正定員 三四六。
一六、定員増加 の件 イ
ロ 営 口及安東民団経営 の小学校竝幼稚園引継 の結果職雇員十六
名増員、公費支弁各学校改正定員数 五五三名。 イ
七 二、六五五円
一一〇、八三二円
H3型機 関車過熱器装置 工事
工 事 費
H1型機関車過熱器装置 工事
一七、認 可 工 事
ロ 同
第三十三回 処務週報 社文雑 二三第四 一号 の三三極秘 大 正十 二年十 一月十 七日
十二月中旬本社 に於 て開催する ことに決す。
一、地方事務所長会議開催 の件
左 の通決す。
二、鄭家屯〓南間石炭値段 の件
炭 は同〇
、 七〇 安
塊 、中 塊炭 は右 より 二 、〇〇 高 粉
三、 震災 関 係諸 費 用 整 理 の件
救恤 解約に伴 ふ賠償金
保険料
関東庁 へ提供す べき百 万円中 にて整 理するも の
左記 に依り整理す ることに決す。
同
一 イ 同
品
ロ 料
ハ 船
其 の他救恤品輸送 に伴 ふ諸費用
ニ 傭 ホ ト 尾見院長 一行救護班諸費
張将軍寄贈生牛輸送費
ヘ青山臨時病院費 チ 入江理事 一行救護団諸費用
二前項百万円以外文書課臨時費 を以て整理するもの イ
外部と の交渉前同断
米噸 に付 一円九十銭 の補助金 を給与すること に決す。 六、認 可 工 事 工 事
費
七八、三六 三円
瓦房店駅構内線路模 様替其 の他 工事
第 三十四回 処務週報 大正十 二年十 一月二十 四日秘
社文雑二三第 四 一号 の三四
同社定款第三十六条第 三号 ﹁ 役員賞与、利益金 の百分 の十以下﹂
一、満洲船渠株式会社定款 一部変更承認 の件
一
韓家財政整 理借款仮契約
を削 除許可方願出ありたるに依り十 一月十七日附承認す。 ︹ 文卿︺ 二、吉林省韓家 に関す る件
金五十万円
社員近親者罹災者呼寄 の為給与
年 一割
罹災社員 に対す る諸手当
額
ロ
子
其 の他臨時費支弁とし て承諾 した るも の
金
ハ
利
ニ
イ
左記要項 に依 り締結す。 ロ
伐採権全部林照十 一葉
四、大連港経由 欧洲向輸出竝日本内 地輸出北満 大豆に対し補 助金給
保
与 の件
ハ担
元利共二箇年据置 二年 の終 に金五千円、 三年 の
ロ 価格
イ 数量
一年間は同 一単価 とし両者協議 の上決す。
大正十三年度 より引続き毎年 一級品三十 万挺以上
左記要項 に依り締結 す。
二 枕木供給仮契約
返済方法
ニ
欧洲向 に対しては哈爾賓以遠各駅発 のも のに限り 一米噸 に付 三円 七十銭、内地輸出 に対し ては哈爾賓以遠より Throhuとgして輪出
終より毎年金 六万円宛を納交 し爾後十年間 に元利完済 のこと。
追 て外部と の交渉 一切は国際運送会社をして之 に当らしむるも
す るも のに限り 一米噸 二円 の範 囲に於 て補助すること に決す 。 のとす。 哈爾賓以遠より Throhuと gして内地向船積 さるるも のに限り 一
五、大連経由内地積出北満豆粕 に対し補助金給 与の件
三
資源開発権保留仮覚書 会社は調査 の上韓家資源開発事業を行ふ〓利を保留 する旨 の仮
覚書 を交換す。 吉黒〓運局局長 との題記契約期限満了 に付大体前契約同様 の条項
編注 、権 は 三、官塩運送特約継続 の件 ︹専 売 の意 ︺
に依 り大 正 十 三年 一月 一日 よ り 向 ふ 三箇 年 の特 約 を締結 す 。
十 一月十九日附内閣総 理大臣及鉄道大臣 へ認可方申請す。
六、大正十二年度営業収支予算更正 に対す る認可申請 の件 七、大正十三年度事業計 画及事業費竝営業収支予算認可申請 の件 十 一月十九日附内閣総理大臣及鉄道大臣 へ認可方申請 す。 八、大連汽船会社 に運炭 船購 入資金貸付 の件 剣 山丸外 二隻 の売買契約保証金 として十九万四千百七十三円也、 九、鉄桁購入 の件
本 年度貸付額 の内渡 とし て、貸 付利率年八分。
代
数 価
量
大阪汽車製 造会社
金四十六万二百六十五円二銭也
十四連 ( 約 一、九 四二英噸 二九)
約
者
契
右六年計画を基礎とし不取敢 一年間 の調査費金 五千円也を明年度
一〇、満蒙 の経済文化調査費補助 の件
残余株式三百五十株 引受及同社より償還 を受くべき金五千円を以
四、四平街電燈株式会 社増資残余株式引受 の件
て第 一回払込に充当す ること先方 の申請 に依り承認す。
五、内地在勤 社員住宅料定額改正 の件
左 の通改正し十 一月 一日より実施 に決 す。
に支出 し 、夫 れ以 降 は更 に協 議 す る こと に決 し た る旨 、 小 田内 通 敏 氏 へ出 状 せ り 。
敷 地 買 収 に 対し 補 助 方若 は敷 地 買 収 の上 貸 付方 願 出 あ り た るも 断
一 一、 日露 協 会 学 校 敷 地拡 張 に付 補 助 の件
り たき 旨 、 同協 会 副 会 頭 へ回答 せり 。
海 面 三十 九 万 八千 平 方米 埋築 許 可 方十 一月 二 十 一日附 関 東長 官 へ
一二、 大連 東寺 児 溝 石 油桟 橋 の東 方海 面 埋築 願 の件
出 願 せり 。
右 金 額 を金 四十 八万 円 と 査定 し十 一月 十 一日附 を以 て救 済整 理
震 災 地 方面 炭 代 支 払 延 期金 額
一三、 撫 順 炭 販売 会 社 に対 す る震 災 善 後策 に関 す る件 ︹ 治右衛門︺ 武 部 専 務 よ り の請 願 に対 し 大略 左 の通協 定 す る こと に決 す 。 一
貸 付金 とす 。
子
償 還方法 利
差損金填補
費
償 還す。
大正十二年十 二月より大正十 四年三月迄 に分割
三、朝鮮地売炭価 一部改正 の件
と の間 に交換 せしめたり。
百 六十五万四千 五百円也 の領収証及預証を北京公所長 をして交通部
九 六、〇〇〇円
一
東京臨時病院従事員中社員外 の医師、薬剤師、事務員 は嘱託
東京臨時病院 は東京支社 に於 て管理す。
病院長は従事員 の勤務を指定 し又監督 を為す。但し事故ある
千八百三十 六円九十九銭支払 の為十、十 一両月分 の家賃五万六千
建 設資金 二百十五万円也 に対す る十 一月末日迄 の利息金九万七
一 南満興業 の分
の通家賃支払前払 ( 賃金 )せり。
南満洲興業株式会社 及株式会社共立組 より題記利息支払 に付、左
七、定期借家建築資金借 入利息支払 に関す る件
大連医院 に事門技術員職員 一名増員 、各医院改正定員数三四七名。
六、定員増加 の件
実績 を挙く る為専任監査役 を置く ことに決す。
会社 に於 て補助し若 は関係す る諸会社を専 心監督し、 一層監査 の
五、会社関係諸会社に専任監査役を設置する件
ときは東京支社庶務課長 をし て代 理せしむ。
三
とす。
二
左 の通決す。
四、東京臨時病院に関す る件
日より実施す。
附 近及其 の以南 の公定相場を七十銭乃至二円八十銭値下し十 二月 一
炭況 の現状 に鑑 み平壌管内及京城管内 の 一部 は其 の儘とし、京城
大正十三年 三月末 日迄 は無利子、同四月 一日よ り同八月末 日迄 は日歩 一銭 一厘 、爾後償 還終了 迄は日歩 二銭
会社対販売会社 の決済金額 と販売会社対消費者 の実際決済金額
二
被害地方面契約残処分
と の差損金 一万六百十七円三銭也填補 のことは謝絶 のこと。 三
引渡不可能 乃至引渡 に危険 なるものは契約を解除し、引取可能 乃至引渡 に危険 なきものは契約継続 のこと。
工 事
遼陽送電 線路新設 工事 に伴ふ遼陽渾河間通信線路工事
一四、認 可 工 事 一
秘
第三十五回 処務週報 社文雑 二三第四 一号 の三五 大正十 二年十二月 一日 一、寿 住宅組合資金借入債務保証 の件 組合員 二名追加加入 に付保証限度 額を建築資金として 一万九千五 百六十円、土 地収得費として 一万 二千九百六円、計金三万二千四百 六十六円也に変更す。 二、鄭〓線工事費借款契約締結 に関し領収 証及預証交換 の件 借款金額より借款調達手数料 (五分五厘 )を控除 せる金額、金七
同銀行 へ保証書 を送付す。
正十三年十二月二十五日迄保証する ことに決し、十 一月 二十九 日附
一
品
量
名
百四十哩分 (米国品 七十哩、白、仏国品各 三
百封度軌条 (附属品共)
代
名
約 者
価
金七十二万 一千五百円也
三十七万挺
吉林並枕木 一級第二種
九万立方呎
米松挽 材
三菱商事大連支店
金十 二万八千百六十円也
が評価額 (競売価格 に依 る評価)と債権額と の差額 は之を免 除す
一 会社 の現 に有す る債権 の弁済として抵当物件 を取得充当し之
金二百二十五万九千九百五十七円六銭也 契
量
十五哩)
数
一二、物 品 購 入
八百十七円八十八銭を支 払ひ其 の差額四万 一千十九円十 一銭 は次 共立組 の分
期家賃引当に日歩 二銭 八厘 の利息 を附し貸金 として前 渡す。 二 建設資金百八万円也借替に要 する割引料金 一万八千八百十 三円 六十銭也、明年 三月末日支払 ふべき家賃引当に日歩 二銭八厘 の利 息を附 し貸金として先払す。
品
価
八、満洲刷子会社整理 に関する件
数
共栄起業株式会社外四名
鈴木 商店大連支店
代
名
約 者
左記要項 に依り整 理す ること に決す。
る こと。
契
二
二 前項取得 に要す る費用は会社 にて負担する こと。
品
量
三菱商事会社大連 支店
三
三 関東庁竝其 の他 の債権者 は残存資産価格 の範囲内 にて債権を
数
者
価
切捨 つる こと に交渉 の こと。
代
九、鉄嶺 大成桟土地問題解決 に関する件
契
約
(鉄嶺駅貨物置場用土 地所有権係争問題)
秘
二、満蒙全書資金返済期限延期 の件
鞍山 に建立すべき支那廟宇 に金 二万五千円也寄附 のことに決す。
一、支那廟宇建立資金寄附 の件
大正十 二年十二月八日
社文雑 二三第四 一号 の三六
第 三十六回 処務週報
鉄嶺領事 の斡旋 に依 り八月 二十五日円満解決せり。 アメリカ ン ・ロコモチーブ会 社設計 、 スリーシリ ンダ ーミカド型
一〇、大正十三年度新造機関車五輛社外註文 の件 (貨物列車用)機関車 五輛製作方註文す。概算額約 六七五、〇〇〇 一一、撫順興業会社借入金借替保証 に関す る件
円。 首題会社 か会社保証 の下 に借入中 の東海銀行より の三十 二万円、 朝鮮銀行よりの三十万円計金六十 二万円を満洲銀行より借替 に付大
満 蒙文化協会 へ貸付中 の題記資金 二千円也大正十三年 三月末 日迄 返済期限を延期す。
二 代
価
り六 円 二十 五銭 )
金十八万三千 六百四十四円 二十五銭也 (坪当
期
面 料
間
積 大正十五年三月末 日迄 は 一箇月金 四百十九円
大正十 二年十二月より満 三十箇年間
二万九百九十坪三合 四勺
一一、四〓第 四次借款契約成立 に関 し領収証交換 の件
九七〇平方米) へ変更方十 二月五日附関東軍経理部長 へ再照会す。
曩 に現在公園地内 へ移転方照会せしが千代田通萩町角 ( 約 一七、
一〇、奉天忠魂碑移転敷地に関する件
一 貸 付
貸 下許可 ありたるに依り左記要項 の貸 付契約 を締結す。
三、板硝子工場用地貸下に関す る件
二
一二、撫順炭販売会 社株式名義書替 に関す る件
一日附交通部と の間 に交換 せしむ。
借款金 一千八百二十万円也 の領収証 を北京公所長 をして五月三十
三 八十銭也 ( 坪当 二銭)
三井物産割当 の内 小林正直氏名義 のもの十株 を同社長三井安之助
爾後 は協議 の上決定す。 四、南満鉱業会社借入金保証期限延期に関 する件
たるも希望 に副ひ兼 ぬる旨回答せり。
公主嶺区地方委員会議長より同会 の決議 に依り題記 の件請願あり
一四、中学校若は師範学校設置方 の件
発起人総代遠山大八郎 より株式半数引受方申出ありたるも謝絶 す。
一三、大連無煙燃料株式会社株式引受謝絶 の件
借 入金 八万円也 に対する手形裏書期間十 二月十日を以て満了 に付、 氏名義 に書替承認す 。 向う 一箇年間継続保証す。 現在時価 の五割増金四万二千九百四十 九円五十銭 にて買収す。
五、撫順 小沼製鉄所買収 の件 六、鞍山宅 地貸付料金免除 の件 大正十三年 三月末日迄継続免除す。
南満鉱業会 社 へ経営委託中 の長春炭礦 ( 石碑嶺及陶家屯)価値決
一五、長春炭 礦試錐費仮払 の件
定 の為 の試錐費 として金 一万八十五円也仮払 を以 て支出 のことに決
職雇員 九名増員、但 し鉄道部より転属 せしめ夏季閑散期 には同部
七、哈爾賓事務所定員増員 の件 へ復 帰せしむるも のとす。
す。
地方、高等両海員審判補佐料として金 一千円也支払に決す。
積
二万九千三百 八十 三坪八勺
Dwigt h a dn LloydS 'i snte gr Mi an che in 四台 代 金 は 実 費計 算
一七、 シンタリ ング ・マシン買 付委託 の件
職員三十四名増員 、改正定員数 一五 二名
一六、中等学校定員増加 の件
八、榊丸船長補佐人故茂木鋼 三氏 に対し補佐料支出 の件
面
左記要項 に依り締結す。
九、奉天十間房陸軍所管土地有償 譲渡 に関す る契約締結 の件 一
に基 き三井物産大連支店 へ買付委託す。 一八、黒山屯種羊場用地買 収契約 に関する件 本契約は来春 三月締結することとし 一応仮契約 を締結し其 の際土 地代金 の中金五万円也を交付す ることとし交渉 するζとに決す。 ︹作 霖 ︺
一九 、鄭〓線 工事費借款成立通知 の件 右 十二月五日附張総司令 に通知 せり。 二〇、輪入小麦運賃割引 に関する件 北米又は濠洲 より買付くる小麦 の大連経由奥 地輸 入運賃を左の通 割 引す。 一 期間、自 大正十 二年十二月十日至大正十三年 八月末日 二 割引額、東支線 哈爾濱以遠着、瓦瓩六十九銭 五厘
ロ
ハ 数
品
契 約
代
数
品
価
量
名
者
価
量
名
金六万七千八百六十 三円九十八銭 也
百封 度軌条用丙形
タイプ レート
満 蒙毛織会社、東京毛織会社
金 七万九千六百七十 二円也
四万六千六百米
大 正十 三年度冬服地及外套 地
一米噸 三円十銭
三円四十銭
五円〇四銭
大正十二年十 二月十五日
社文雑 二三第四 一号 の三七
並枕木
秘
十万枚 代
約 者
三菱商事大連支店
契
二二、認 可 工 事
〃
二円六十 一銭
五九、七 二五円
着 〃
費
着 〃
工 事
大連消費組合本部事務所新築工事
長 着
南満沿線着 開 原 着
二円二十二銭
金 四十五万円也
第三十七回 処務週報
鉄 嶺 〃
春
奉 天 着
名
四、水害寄附金 の件
十 二月八日附川 口監理官 へ出状す。
同家財政整理 の目的 を以 て金五十万円也 の借款契約 を締結 せし旨
三、吉林省韓家借款 に関す る件
各部及直属箇所 より毎年度各 一名宛選抜し出張 せしむ ることに決 す。
支那各地 に於 ける 一般視察 の目的を以て往復共 三箇 月間社長室、
二、支那出張 の件
金 一千円也支給 のこと に決し東京支社長 へ支払方通知 せり。
一、元東支鉄道運輸監督 ライオ スキー氏 に涙金支出 の件
遼 陽
追 つて本割引 の結果輸送増加数量は北満 向十五万噸、南満着十 万噸合計約二十 五万噸 の予想 にし て運賃収入は北満向九十 四万五
価
二十 万挺
千円、南満着 七十万円合計金百六十余 万円増 加とな る見込 なり。 品
札免採木 公 司
数量
代
約 者
二 一、物 品 購 入 イ 契
奉天水災籌賑会 へ金 一千円也寄附す。 五、北沙河 口廟建設費寄附 の件 建築 工事竣功 の上金八千円也寄附す ること に決す。
本費用は当然支那税関 にて負担す べきも のなるも支那税関 には斯
支出 に関す る件
る支出 の費目を有 せざ るを以て、結局鉄道 に於 て之を負担 せざれば
を承認す るを得策 と思料 さるるに付、年額 二万六千七百五十九元二
る こととな るが将来欧露直通運輸再開 の暁を慮 れば、本費用 の負担
十 四仙を東支及当社 に於 て折半負担竝事務室 を提供することとし、
本協定 は打切る の外 なく、 さすれば多年懸案 の本問題も復 々停頓 す 三日
左 の通忌引日数 を改正す。 二日
六、社員忌引内規中改正 の件 一、祖父母、父母、夫、妻 、子
品
者
価
名
金五万 一千 三百五十円也
丸軟 鋼
三菱商事大連支店
金十 一万五千四百九十 二円五十銭也
送電鉄柱
一四、物 品 購 入
り支弁する ことにしたき旨東支鉄道 へ交渉 す。
支出費目は南満東支聯絡貨物に対し徴収せる交通事務費積立金中 よ
一、曾祖父母、孫、兄弟、姉妹 七、 五竜背温泉場建物継続貸付 の件 貸付料を 一箇 月金五百円 に改 正し其 の他は前同様 の条件にて大正
代
名
三菱商事大連支店
場改正定員数三十名 九、親信住宅組合資金借入債務保証 の件 一万七千五百六十 一円二十銭也 を限度として保証す ることに決し ハ
三菱 商事大連支店
六七、三九三円
七百九十 七基 契 約
価
ジ ヨウクラツシヤー
正隆銀行 へ保証書 を差入れたり。 一〇、定期借家建設工事 の内増 工事 に対する資金借入保証 の件
数量
品
者
九台 ( 附属品共)
十 六年九月三十日迄継続貸付す。
代
名
金十二万九千八百九十八円七十 五銭也
南満洲興業株式会社 に対し金拾 二万円也株式会社共立組に対 し金
イ
契 約
量
窓硝子 工場建設 の為技術員四名事務員 一名計五名増員窯業試験 工
品
価
八、定員増加 の件
数
三井物産大連支店
費
一五、認 可 工 事 ︹ 鶏冠山・秋木荘︺ 鶏秋間外 一箇所第 四種軌条敷替 工事 工 事
五百瓲
代
者
数量
四万円也 を保証す。
契 約
並枕木 二十五万挺購入準備 し置く こと に決す。
ロ
一 一、予備軌条用枕木購 入の件
炭 礦消防隊 に専任副監督 一名増員す。
一二、定員増加 の件 一三、保税運送開始 の場合寛城子長春 に派出 の税関吏 に対す る費用
秘
第 三十八回 処務週報 社文雑 二三第 四 一号 の三八 大正十二年十 二月 二十二日 一、営 口水道電気株式会 社貸付金期限延期 に関す る件
器
七四〇 ・一七〇
三、七 三二 .〇〇〇
の外 前 回評 価 洩 れと な り た る
ロ、通 信
イ、電 気 器 具
一五 一、六四三 ・六 五七
五、〇四五 ・四七〇
五七三 ・三〇〇
道 計 計
ハ、水 合
金 一万八千七百五十円也
金五万八千五百円也
与す。
たる際 は原価 を以 て譲渡す。期間内は相当 の料金を徴し本人に貸
とす。
貸付金 二十 八万円也同 一条件 を以 て大正十 三年十 二月末 日迄期限
三
二 土 地借地権 は大正十六年十二月末日迄 に本人より買戻 を申出
記
三 残額金 一万七千 二百五十八円七十四銭 は回収不能 に付、弁済 を免除す ること。
金六千円也
延期す。 翰 紹
奇
二、営 口水道電気株式会社中国側株主貸付金期 限延期 に関する件 李 椿 夏
四 建物其 の他家具什器 一切は利用方法決定迄本人 に無料貸与 の
右貸付金同 一条件 を以て十 二月二十日より向う 一箇年間期限延期
形式を以て管理せしむ。
奉天 に新設 せる支那紡績廠 へ左記炭価 に依り供給す。
五、支那紡績廠炭価 の件
長官 へ申請 せり。
百人、補習科約四十人と改正認可方十 二月十八日附文部大臣及関東
修業年 限を四箇 年とし 一箇年 の補習科を設け生徒定員を本科約四
四、撫順高等女学校規則中 一部改正竝生徒定員変更申請 の件
す。 曩 に代位弁済せし立替金十六万八千九百 二円四十銭也左紀要項 に
三、安東 ホテル立替金整理 に関する件
一二五 、 二 五 九 ・三 一六
一 引取物件及価格は曩 決定 せる
依り整理することとなれり。 イ 、 ホ テ ル建 物
三、 三 五 二 ・七 八〇
撫順切込炭
一三、 九 六 九 ・九 一五
塊炭は右 より 二円高
ロ、煖 房 設 備
二、 二三 五 ・ 一八 六
ハ、電 気 設 備
五、 三 三 一 ・二五 〇
粉炭 は七十銭安
奉天満鉄貨車渡 毎噸金九円五十銭替
ニ、衛 生 設 備
爾今当分 の間左記 を除く外保証 せざ ること に決す。
六、社員住宅組合資金借 入債務保証打 切り の件
ホ、 土 地借 地 権
一四 六 、五 九 八 ・ 一八七
八、 六 六 九 ・七 四〇 計
ヘ、営 業 用 什 器
一 組合組織 の仮認可又は認可を受 けたる組合が保 証認可 を願出 保証認可 を受けたる組合 が其 の未保証額 に対し保証 を願出 で
でた るとき 二 保証債務借替 に対し保 証を願 出でたるとき
たるとき 三 七、南満洲鉄道貨物輸送能力及大連港船舶荷役力増進設備 に関す る 件
第 三十九回 処務週報 大正十三年 一月 七日
社文雑 二三第 四 一号 ノ三九
右従前通手当 月額百五十円にて大正十三年九月迄継続嘱託す。
一、露国人鉱山技師 ステパノ フ嘱託継続 の件
鉄嶺商業会議所会頭より撤廃方請願ありたるも来意 に応じ難
二、消費組合配給品種中第三類品撤廃 の件 き旨 回答す
イ
満洲実業連盟沿線代表 者より第 一類品 に止められ度旨請願あ
りたるも来意 に応 じ難 き旨 回答す
ロ
日本船主協会 より の照会 に対し今後共 一層諸般 の施設 に力を注ぎ 大 に作業能力 を増進 せしむ る所存なる旨 回答し、同時 に大連港施設
紅松杣角
一 総
支
利
出
益
左記 の通承認す。
五 一、三 〇 二 ・九 一
七 五 、四 九 六 ・三 五
三、満洲船渠大正十二年度上半期決算承認 の件
の根本的計画 の概要 を附し関東長官及拓殖事務局長 へ答申 せり。
金 八万九千二百九十五円也
総
八、物 品 購 入 名 浜
二 四 、 一九 三 ・四 四 利 益処 分 案
損害計算書
イ 品 価 共栄起 業会 社
差 引純 利 益
数量九 三、〇〇〇立方呎
代
タイプ レート乙型
松
者
十万枚
竹
名
九、 一九 三 ・四四
一五、〇〇〇 ・〇〇
同社経営方針 として何処迄 も船舶修繕 を主とすること
左記条件 に依 り金 二十万円也払込承認す。
約
量
特 別積 立金
代 約 者
ミカド型機関事
一
修繕用機器 の範囲 に於 て之 を利用する意味 に於 て小型造船 の
契 品
後 期繰越金
契 名
五輛
二
注文 に限り修繕 の余力を以 て引受 を為し得 ること
四、満洲船渠第 二回株式払込 竝造船開始承認 の件
品 量
米貨金三十 万八千七百五十弗也
二
数
金六万四千百三円六十 四銭 也
ロ 価
三菱商事大連支店
ハ 数
価
代
約 者
三井 物 産 会 社
契
三 造船 設 備 とし て将 来株 式 の払 込 を要 求 せざ る こと
スト ツ ク ボ ー ト の建 造 を為 さざ る こと
一〇 、震 災 地 へ図 書 寄 贈 の件
器とす。
営口
一九五 、 三 〇 九坪 二〇
十 一月 契 約 締 結 の枕 木 供 給 契約 に依 る 十 三年 度 分出 材 に関 し之 が
一二 、韓 家 出 材 枕 木 の件
建 築 費 及 土 地 収 得費 と し て金 三 万六 千 五 百 円 を限 度 と し て保 証 す 。
一 一、共 益 住 宅 組 合建 設資 金 借 入債 務 保 証 の件
寄 附 す る こと に決 す 。
経 費 一千 円 を以 て会 社所 蔵 廃 本竝 複 本 を各 図書 館 より蒐 集 製 本 し
四 五 、営 口、安 東 陸 軍 所 轄 土 地建 物 貸 借 契約 締 結 の件
土地
ロ 建物 十年
四 八建 坪 四 〇
二、 一六 二建 坪 四 五
一、 五 一 一、 八 六 三坪 七 二
営口
イ 土 地 三 十年
安東 期間
と に決 す 。
資 金 と し て枕 木 十 万挺 に対 す る代 価 の半額 金 八 万八 千 円也 前 渡 の こ
動機
五百三十円丈値増 す。 八、聖心学園 に寄附 の件 震災復旧費 補助とし て金壱千円也寄附す 。 大正十四年 十二月三十日〓据置大正二十 四年十 二月三十 一日〓月
九、吉林名古屋館簡易食堂設備資金貸付 の件
収
支
入
出
三 九 、 五 八三 ・二 四
一七 、 一八 一・ 一二
五 六 、 七 六四 ・三 六
代 弁 手数 料
人 件 費 其 の他
支
入
出
一七 、 一八 一 ・ 一二
四 四 、 三〇 八 ・三 六
荷 主 よ り徴 収 す る も の
人 件費 其 の他
差引利益額
計
二、 六 六 五 ・二四
九 、 七九 〇 ・七 六
五 四 、〇 九 九 ・ 一二
当 社より支払ふべき手数 料
当 社 欠損 減 少額
三 六 、九 一八 ・〇 〇
収
国 際 運 送代 弁 事 務 請 負 収 支
差 引 欠損 額
本 請 負 に依 る会 社 の損 益 左 の如 し
む る事 に決 し 十 二 月 一日契 約 を締 結 せり 。
埠 頭 事 務所 に於 け る代 弁 業 務 を国 際 運送 株 式 会 社 を し て請 負 はし
一三 、大 連埠 頭 に於 け る代 弁 業務 請 負 契約 の件
契 約 は無 償 と す
建物
安東
十 月 一日附 関 東 軍 経 理 部 長 と左 記 要項 に依 り契 約 を締 結 す 。 一
二
三 四 六 、 瓦房 店 電 燈 株 式 会 社貸 付 金 延 期 の件
十 二 月 を以 て期 限 到来 の処 貸 付金 壱 万弐 千 円 也 の内 金 弐 千 円 は 十
せ る 所電
賦返済 のこととし年利 一割 を以 て金 五千円也貸付く担保 は建物と什
54P
二月 中 に返 済 残 額 壱 万 円 は同 一条 件 ( 年 一割 ) を 以 て更 に 一箇 年 延 期せり。
と に 契約
七 、 オ リ ー バ ー コン テ ニア スフイ ルタ ー値 増 の件 ( 第 三 十 一回 週報 参 照)
曩 に 金 十 万 五 千 七 百 円 也 を 以 て 購 入 のこ
廻 転 のも の に適 合 す べき 様 ギ ー ヤ ー の部 分改 造 に付 契約 金 を 八千
750
増築建物 の階 下 の 一部 (三八坪)厩舎 ( 新築)第二埠頭待合所 の 一
埠頭事務所増築 工事完成後 に於 て埠頭事務所現在建物 の三階全部、
一九、陸 軍運輪部大連出張所庁舎移 転 に関す る件
室 (一六坪五)及同所階下 ( 倉庫用として約 一〇〇坪)を陸軍運輸
鞍 山製鉄所 工事用 とし て陸 軍省 より借用中 の軽鉄 は大正十三年三
一四、軽鉄材料借用期限延期 の件
日附陸軍大臣 に願書 を提出す。
月三十 一日を以て期限到来 の処更に三箇年借用継続方十二月二十六
部大連出張所用 とし て無償貸与す ることとし関東軍経 理部長 へ通牒
既設 工場 に於 て大規模 の試験 を為 さしむる ことに決 す。
撫順炭礦 に於 ける油母頁岩上中等各 二百五十噸を英国 に送り該地
二〇、油母頁 岩英試験 に関す る件
於 て負担す。
但し運輸部事用部分 の小修繕費及水道、電気、瓦斯料金は陸軍 に
せり。
一五、大連汽船株式会社 に運炭船購 入資金貸付 の件 剣 山丸購 入資金既支出額残額金 二十 四万七千四十円貸付 のことに 決裁せらる因 に剣山丸 に対す る総 支出三十 二万八千八百円なり。 ホルスタイン種牡牛 一頭長春附 属地牛乳搾取業者加藤治作 に貸付
一六、種牡牛貸付 の件 く ることに決す。
金 二万五千円也
金 一万九千円也
試験料
供試材料運賃
撫 順駅 の移転竝線路改築 工事外三十九件総計三、九六七、二 一七
一七、大正十三年度事業費予備費流用認可申請 の件 円也予備費 より流用認可方十 二月二十六 日附内閣総理大臣及鉄道大
試験 に要する経費概算次 の如 し
臣 へ申請す。
旅費
(五燭光相当)及 一三ワツト球 ( 十燭光相当)を存置する こととし
申請後 に於ける 一般経済界 の状況 に鑑 み当分 の内七、五ワツト球
二 一、電気使用規程改正申請書 中 一部追加 の件
計 六万二千円也
金 一万八千円也
国際運送株式会社をして上海埠頭に於 ける貨物 の積卸作業上屋 及
一八、上海埠頭作業請負 の件 倉庫 に於ける貨物 の受 入保管及荷捌き其 の他 の作業 を請負はしむる こと に決す。 該作業 を請負はしめたる結果減ず へき人件費見積 に現 に買弁
右請負 に対し会社は左 の金額 を国際運送 に支給す。 一
本契約期間内作業噸数 が最近 一箇年間 の作業噸数 を超過した
戚永慶 に支給 せる月額手当銀 三百五十弗 を加算したるもの 二
一三 ワツト
七 ・五ワツト
金
八十銭
金 八十 五銭
其 の料金 を左 の通とす ることに追加申請せり。 一灯 一箇 月に付家内 一灯 一箇 月に付家内 線需用家持 の場合 線貸付 の場合 金 五十二銭 金五十 七銭
るときは其 の超過噸数より生ず る会社 の利益 の半額而 して当社と
買弁戚永慶 との間 に締結 したる契約は国際運送会 社に於 て継承す。 二二、満洲医科大学予科学則中 一部改正 の件
大正十二年十 二月 二十六日附関東長官 に認可申請す。 吉黒〓 運局長 の要求 に対し十 二月 二十八日附左記要旨 に依 り回答
二三、運塩 支線敷設 の件
三千五百円三等 二人 一千五百円宛とし東京建築学会大阪 日本建築協
会及大連満洲建築協会 に依頼し懸賞募集 のこと に決す。 二六、奉天鉄道東商租地買収 の件
円) にて買収 のこと に決 し内金十三万七千五百円 を十二年度 に残高
近藤 九 一より該土 地五万五千坪 を金三十 八 万 五千 円 (坪 当 り 七
一 同 局が吉黒官塩輸送統 一上信業運輸股分有限公司をして同局
す。
一時間六百噸 の石炭 を船積し得 る設備 のも のを購入 のことに決 す。
二七、第 一埠頭石炭 船積設備 の件
官塩 一切 の運送 代理を為さしむる件 は異議 なし 普蘭店より陰冷嶺地方に至 る運塩支線布設 の件は同局 に於 て
を十三年度 に於 て支払 ふ こととせり。
二 左記条件承諾 の場合 は会社 に於 て敷設方手配すべし
二八、選鉱法研究方委嘱 の件
従来吉川康 の経営 に依る奉天省瀋陽県 二郷営城子村珠子山石山採
首題 の研究委嘱し金二千五百円也仙台市金属材料研究所本多光太
同局に於 て吉黒官塩を年額六万噸以上 の発送を保証す る こ
二九、珠子山採掘権買収 の件
郎氏 に贈呈す。
と 奉天商塩 の年額 六万噸以上 の発送を信業公司 に於て保証す
イ
ること 吉黒官塩 の運賃率は従来会社 が収得し得る率 とし其 の他 の
ロ ハ
掘権 (大正十二年十月以降八箇年間) を金 二万四千九百 二十八円九 十 一銭也 にて譲受けたり。
貨物 の運賃は会社貨物運賃表 に依 る 三 陰涼嶺海岸 に於 て信業公司が海陸聯絡設備を設け管理する こ
三〇、営 口中国人所有土地買収 の件
営 口花園街西端所在係争土地六、八五四坪五〇五建物十棟 を金 二
と会社 に於 て異議なし会社は前項支線 と相俟 て官塩聯運上便宜 の 手配を為す べし
品
量
名
一隻
給炭 船
万九千七百二十円 にて買収す。
数
価
四 社線蓋平駅 より営 口地方 に至る運 塩支線を信業公司 に於て敷
代
名
約 者
鉄桁用鋼材
サミ ユエルサミ ユエル商会
金 四十八万八千二百 円也 契
三 一、物 品 購 入 イ
ロ
品
設したる場合社線と聯運 の件 は会社異議なし竣成 の暁 は同公司と 打合せ可成的便宜を供与す べし 十二月二十七日附指令第 二〇三三号を以て認可せられたり。
二四、撫 順高等女学校 々則 一部改正 の件
同駅工事 総予算 を金 二百万円とし懸賞金 一等 一人七千円 二等 一人
二五、大連駅新築 工事設計図案懸賞募集 の件
数 価
量 金約 六万九千九百三十二円 七十 一銭也
約五十 一万八百六瓩
と に契約 を締結せり。
料金 及契約 の 一部を改正し大正十六年十二月三十 一日迄継続するこ
進 和
鈴 商 会
商 店
金 一、〇二二、 一五〇 ・三 一六
金 一、九七〇、〇 七〇 .五七八
イ
ロ
品
契 約
代
数
品
価
量
名
者
価
量
名
五六九、三九 四円八七
四十哩
百封度軌条
浜
一八三、五七九円五〇
一八九 、五〇〇立方呎
松杣角材
松 数
竹
代
一〇、物 品 購 入
右 一月十 一日附関東長官 より認可せられたり。
則中 一部改正 の件
九、営 口、遼陽商業学校、南満中学堂、撫順鉱山学校及農業学校規
たき旨請願 ありた るも来意 に応じ難 き旨回答す。
奉天商業会議所会頭石 田武亥より組合売品 を第 一類品 に止められ
八、消費組合品種制限 に関する件
せり。
該経費金二万 一千円 の三分 の 一金七千円也会社より補助することと
仏教連合会 に於 て喇嘛僧十名を三箇年間日本 に留学せしむ るに付
七、蒙古喇嘛僧 日本留学費補助 の件
但 し大正十三年四月 一日より輸送実施 のこと。
証明 あるも のは運賃五割 を低減する こととせり。
国際運送株式会社 の申出 に依り震災地行木材にして罹災地官衙 の
六、京浜地方行震災復興用木材輸送賃低減 の件
代 約 者
木
契
秘
第四十回 処務週報 大正十三年 一月十二日
社文雑二三第 四 一号 ノ四〇 ︱、協昌桟矢橋春蔵 に対す る保証整理 の件 同桟 の債務保証は十二年十月三十日を以て期限到来 に付引続 き保 証 方願出 たるも担保品を整理債務を返済すべき様回答す。 二、第 四次四〓鉄道短期借款及鄭〓線 工事費借款認可申請 の件 大正十 三年 一月七日附総理大臣 へ認可申請す。 三、定期借家本家価格決定 の件 南満 興業会社建築建物
左 の通決定す 株 式会社共同組建築建物
尚南満興業建物 中消費組合及図書館 に改造 せるも のは未決定 とす。 四、自彊会貯金取扱方 の件 同会 の愛国貯金は社費 を以 て之を取扱ひ ( 経費年額約 一〇、六九 六円を要す)身元保証金同様据置 とし社員貯金 と同率 の利子を附す る こと に決定 に付自疆会幹事 に通知 せり。 五、四〓鉄路局と事輛賃貸借 の件 同局と の賃貸借契約 は大正十 一年十 二月末 日を以 て期限到来 の処
契 約
者 処務週報
三菱商事株式会社大連支店
第 四 十 一回 社 文雑 二三 第 四 一号 ノ四 一秘 大 正 十三 年 一月十 九 日
奉 天 鉄道 西 に於 て同 社 商 租 地約 二五 、〇〇〇 坪約 金 六 二 、 五〇 〇
一、奉 天 窯 業 会 社商 租 地 買収 の件
あ るを以て 一時同社に於 て買収し資金 は 一時満鉄 より立替 へ相当 の
利子を徴収す ることとし、同地域埋立実施 の場合 は立替金額を以て 満鉄 に於て之 を買収するものとす。
同市街改正に伴 ふ会社用地 一部道路敷 地に編入方 (大連構外より
三、小崗子市街計画変更 の件
小崗子野積場附 近迄 の沿線)照会 に対し関東庁事務総長宛左 の通回 答 す。
ロ、線路と直角 の十間貫通道路は小崗子海岸埋立後戎克埠頭 に至
イ、線路と平行 の十四間道路付替 の件は異議 なし
る幹 線とな るべきも のなれば十四間幅 としたし
円 同 地 上煉 瓦竈 の移 転 料 金 七 、 五〇 〇 円 同社 貸 付 中 の隣 接 附属 地 上
を以 て買収 す る こと とし 金 三 〇 、〇〇〇 円也 内 払 せ り。
建 物 一〇棟 四 五六坪 五約 金 二 〇 、〇〇〇 円計 約 金 九〇 、〇〇〇 円 也
ハ、小崗子市街電車線 は勾配急 にして危険多 きにより同道路付替
但し本事業 は相当有意義 のも のと認 めらるるに付資金以外 の点 に
き旨回答す。
同事業創業 の為資金 十万円也援助方請願 ありたるも来意 に応じ難
四、西 口幹司計画支那式緞通製織事業 の件
米丈切下げら れたし
と同時 に警察署前 と徳政街との交又点 (頂点) に於 て七米乃至三
二、 大 連 乃木 町海 面乾 船 渠 の件 右 船 渠 は西 森 吉 次 に於 て官 の許 可 を得 ず施 設 せ るも のに付官 は之 が撤 去 を命ず る こと と し たき も 相 当多 額 の費用 を投 じ居 る こと にて も あ り且 将 来 の港 湾 施設 上 の関 係 も あ り此 の際 特 に満鉄 に於 て建 設 費 に付 相 当 補償 を与 へら れ度 旨関 東 庁 よ り照会 あ り左 の如 く回 答 す。 該 船 渠 を利 用 す る必 要 はな き も同 附 近 は護 岸 及 埋 立 の計 画 も あ
於 て依頼を受 けたる際 は講究すべき旨附記す。
り船 渠 のみ に対 し 二 万円 位 の補 償金 は支出 差 支 な し 、尤 も会 社 に 於 て埋 立 実 施迄 は満洲 船 渠 に於 て該 船 渠 を利 用 す る こと に目 下 研
五、関東庁行政協議会設立に関する件
首題 に関し関東庁 より照会あり会社側より副会長 として松岡理事 、
究 中 に付 、 右様 決 定 の上 は機 械 家 屋 も同 社 に買 収 せ し む べき も 、
委員 とし て在本社理事二名其 の他関係部課長十 一名 を選任し同意 の
補 償 額 は船 渠 のみ の場 合 二万 円 、 機械 家 屋等 一切 を合 み た る場 合 三 万 二千 円 を限 度 と し て交 渉 せ ら れ たく 、若 該 金 額 以 上 を要 求 す
旨 回答 せり。 六、天津方面硝 子器販売特約 の件
追 て彼我委員 は 一月十 四日関東庁 に於 て第 一回会合 を催 したり。
る場 合 は断 然 官 命 を 以 て之 を 撤 去 せ しめ ら れ た し。 追 て本 件 船 渠 は満 洲船 渠 に於 ても差 当 り利用 の要 な き も西 森 に於 て支 那 人 に売 却 せむ とす る説 も あ り 、斯 く ては船 渠 会社 経 営 上 支 障
怡興洋行主成瀬久二磨 を窯業試験 工場空洞硝子器天津 方面 の特約 販売 人に指定し契約を締結 せり。 七、国際運送株式会社資金融通 の件 同社営業資金 として金三百万円を限度 とし所要 の都度申出 に依り
利息日歩金二銭
貸付くる ことに契約 を締結す。 契約 の要項左 の如 し イ、貸 付期間満 一箇年間 ロ、貸 付金 は運送及倉庫貨物 に対す る貸付資金及運送取扱貨物 に 対す る運賃其 の他諸費用 の立替資金以外 に流用せざる こと ニ、貸付期限到来 の際 は相互 の協定 により継続す ることを得 右十 二月十五日附川 口監理官宛報告 せり 八、長春運輸会社解散 の件 国際運送株式会社 に併合に付左記金額 を補助し解散 せしむること
会社より借 入金当期末現在高
同十 一年 度下半期末 より減少高
三二四、二六五円九五
一、三〇〇、〇 五八円二三
沙河口工場 に於け る作業能力不足 に依 り十三年度 予算新造貨車 一
一一、大正十三年度新造貨車社外注文 の件
算
一車当り 一四、〇〇〇円
六〇輛
八四〇、〇〇〇円
六〇瓩 石炭車
八五輛 の内六〇輛 を社外 へ註文す ることとせり。 予
種類及数量
本社裏補助事務所附属建物二棟 (陸軍より引継建物)四七坪八七
一二、建物寄附 の件
を左記条件 を附し大連基督青年会 へ寄附す。
一、建物 は大正十三年 二月末迄 に取毀 の上他に搬出 のこと
一、右取毀及搬出費 は青年会 に於 て負担 のこと
右建物 ( 建物原価九五七円四〇、撤去するものとして価格二十三 依り右 の通取計 ひたるものとす。
円九十三銭 )は会社 に於 て近く撤去 を要するものに付先方 の願出 に
金 八〇、〇〇〇 ・〇〇 対長春実業銀行係争資金
奉天 地方水災 に付奉天籌賑会 へ金 壱千円也寄附す。
一三、水災寄附金 の件
に決 し十 二月二十九 日此 の旨通牒す。 金五九 、〇〇〇 ・二七 吉 林官吊売買 に依 る損失
一四、乞丐収容所設置 に付寄附 の件
金約七、九〇〇円 ( 当社持株 に対する配当 の範囲内)解散費用 九 、炸子〓炭坑継続貸付 の件
当 期純 益 金
前期繰越欠損金
四七、八七三円七〇
八六、七五〇 円三七
一三四、六二四円〇七
員 一名を米国 に出張せしむ ることとせり。
十三年度 より開設 の公主嶺仮種羊場種羊購入 に付同試験場 より係
一五、緬羊購 入の件
撫順県知事 に於 て同市街 に乞丐収容所設置 に付所要経費奉票六千 森田彦 三郎 に貸付中 の処大正十二年十二月三十 一日を以 て期限到 来 に付従前と同 一条件を以て向 ふ三箇年間継続貸付くる こととせり。 元 の半額奉票三千元也 (邦貨約 二千 二百五十五円余)寄附 の件承認 す ( 炭礦経費)。 一〇、消費組合大正十二年度上半期決算 の件
差引後期繰越欠損金
予
購 算
入 額
数 四 七、 二 八〇 円〇〇
百 三十 六頭
一六 、 四〓 局 北京 駐 在 員経 費 立 替 の件
輸 送 費 を含 む
十 二年 十 一月 を以 て立替 打 切 り の処更 に十 二 月 よ り向 ふ 一箇 年 間 従来 と同 一条 件 を以 て毎 月 一千 二百 元宛 (従前 通 ) 立 替 ふ る旨 交 通 総 長 に回答 方 北 京公 所 長 に指 示 せり 。
事
費
二〇 五 、 二六 九 円
一七 、 大連 東 広場 跨 線 橋 鉄 桁製 作 工事 認可 工 十 三 年 度 工事 な る も都 合 に依 り本 年 度 に於 て 工事 に着 手 す るも の
佐 世 保鎮 守 府 に認 可申 請 中 の処 十 二年 十 二月 二十 二日附 認 可 せら れ た り。
一月 九 日決 裁 せ り。
三 、産 業 助 成内 規 及 取扱 標 灘 制 定 の件
曩に適 当 な る買 手 あ る場合 は之 に売 渡 し買 手 なき と き は会 社 に引
四 、窰門 電 燈 公司 財 産一 部売 却 の件 (第 三十 一回 週報 参 照)
取 る こと に決定 せ ら れた る処 、 今 回露 人 コスト ロミ ンア リ オリ チ よ
り 外線 のみを金 五 千円 に て ( 評 価 格 一、八 〇 四 円五 〇) 買 受度 旨申
出 たる により 、 同 価格 に て売渡 す こと と し其 の他 の財産 は用 度 課 に 引 取 る こと に手 配 中 な り。
左 記框舎 竣 功 に付受 授 方 照会 あ り承 知 の旨 関東 軍 構 築委 員 長宛 回
とす 。
グ レ ンダ ル、 ウ エツト、 マグ ネ ツ ト セパ レー
五 、大 正 十 二年 度 新築框舎 受領 の件
名
一八 、物 品 購 入 イ 、品
一、細 河七箇所
記
二、東 遼
答す。
量 一三 八、 七 五 〇円〇〇
五 十台
ター 数 格
河
六、大連佐渡町所在社有貸付地 一時申受金決定 の件
五、太 子
四、大范河及第四鉄嶺川
三、第 二中固 及清河
河
価
ガデ リ ウ ー ス商会 大 連 支店
約
処 務週 報
者
契
第四十二回
大 正 十 三年 一月 二十 九 日
社 文 雑 二 三第 四 一号 ノ四 二
佐渡町二十 二番地 の裏側 (表側は従来 より在郷軍人会に貸与)を 円) と決定す 。
貸付 に付 一時申受金を 一平方米金 二十四円 二十銭 (坪 当 り金 八 十
と せ り因 に同船 に対 す る貸 付 総 額 は 四 二七 、 四六 五 円 な り。
七、大連鉄道 事務所電 鉄保線区移管 の件
明地 丸 購 入資 金 既 支出 額 残額 金 三 四一 、 九 七 二円也 貸 付く る こと
一、大 連 汽 船株 式 会 社 に運 炭 船購 入資 金 貸 付 の件
二 、旅 順 船 渠 船 台新 設 の件 (第 二 十 二 回週 報参 照 )
電 気作業所 々属 とするを便宜とするに付之を作業所 に移管する こ 但し重要 なる新設 は線路課 に回議せしむ。
とに決 せり。
年 々水害を被 り地主より損害賠償等 の申 出あり結局買収 するを有
八、太子河避溢橋下流被害 地買収 の件
面 格
積 約八、五〇〇円 ( 畝 四五円以内)
一九二畝 (三四五八〇坪)
利 と認め左記 の通買収する こととせり。 価
大 正 十 五年 度
大 正十 四 年 度
大 正 十 三年 度
六 一、 六 一九
四 一、 六 一九
三 一、 六 一九
二 一、 六一 九 円
七 一、 六 一九
五 一、 六 一九
八 一、 六 一九
大 正 十 六年 度
大 正 十 八年 度
大 正十 七 年 度
大正十九年度
一二 、電 車 車 庫竝 発 電 所 拡 張 用 地貸 下願 の件
一、場
間
数
所
三〇 箇 年
七 、 八 六 〇坪
沙 河 口会 沙 河 口水 源 地附 近
一月 二十 八 日関 東 庁 事 務 総 長 宛願 書 を提 出 す。
大連汽船株式会社 に首題船舶新造竝購 入資金 とし て大正十二年度
︱、期
一、坪
九、運炭船購 入竝新造資金貸 付に関し監理官 に報告 の件 二、〇七五、〇〇〇円、同 十三年度 三七五、〇〇〇円、計 二、四五
乃 木 町 海 面 一五、 一五 三坪
所
壱組
配電 盤 付 七 五 〇 キ ロワ ツト
金 四四 〇 、 七 五四 円
一、場
費
許 可 の日 よ り向 ふ三箇 年 間 事
名
金 六 七 、 九九 〇 円
一四 、物 品 購 入
一、 工
一、 工 事 期 間
得 の為 の出 願 と す)
埋 立度 に付 許 可 方一 月 二十 八 日附 関 東 長 官 宛出 願 せ り ( 単 に権 利 獲
沿岸 貿 易 の発 展 に伴 ふ戎 克 の繋泊竝 荷 役 に便 せ しむ る為 左 記 の通
一三 、海 面 埋 立 の件
〇 、〇〇〇円也貸付くる こととしたる旨 一月二十五日川口監理官 に 報告す。 右規程制定 の際 は制定前予め案文 の内 示を得度旨 一月二十五 日関
一〇、地方委員会委員選挙取締 の件 東庁事務総長 に照会 せり。 一一、学校 生徒学資補給規程中 一部改正竝実施方針 の件 学生 の学資補給は社設立学校出身者 に就 ては学務課、関東庁設立 る処今回規定 の 一部 を改正之 を統 一し且本事務 の全部を学務課 に於
学校出身者 に付 ては人事課 に於 て之を取扱 ひ其 の補給額 も異 にした
量
シ ー メ ン ス会 社 製
品
格
同 期 電 動 発電 機 数
て掌理する ことに改めたり。而し て現在補給中 の学生は中等学校十 し中等 学校 百名、専門学校 八十名 に至 りて止み其 の経費 は右定員充
価
九名、専門学校 二十六名なるが十三年度 以降毎年各二十名宛を逓増 実 の大正十九年度 に於ける金 八万円を限度 とす る予定なり。
契
約
者 処務週報
古河電気工業会社
第四十三回 社 文雑 二三第四 一号 ノ四三 大 正十三年二月二日 土 地百五十坪同地内建物三棟 七十六坪を金 八百 円也 の範囲にて買
一、奉天公所隣接土地家屋買収 の件 収 する こととし交渉中 の処増額申出あり、結局 小洋千九百四十元也 ( 邦貨約金千七百 一円四十九銭) にて買収する ことに決す。 大正 四年五月以降貸付中 の奉天附属地青葉町所在私有建物煉瓦造
二、荒井宗治 に社有建物無償譲渡 の件 亜鉛板葺 二階家一棟百四十五坪 二合は貸 付料金完納 に付同人との契 約 に基き無償譲渡 せり。 三、長春孟家 屯間鉄道復線 用地買収 の件
払 期 日 とす る こと に覚 書 を差 入 れ た り。
十 三年 一月末 日 を以 て期 限 到来 の処 更 に従 来 と 同 一条 件 を以 て大
六 、大 連 工業 株式 会 社 債 務 保 証継 続 の件
正十 四年 一月 末 日迄 継 続 保 証 す 。
曩 に金 七 十 五 万 六千 円也 を 以 て八 輛購 入す る こと に契 約 せる処 材
七 、 ミ カド 型機 関 車 値 増 の件 ( 第 二十 九 回処 務 週 報 参照 )
八、 枕 木購 入取 消 の件
料 改 質 に付 八輛 に て金 二 千 五 百九 十 円丈 値 増 せり 。
曩 に露 国 人 ウ オ ロンツ オ フと契 約 せ る枕 木 十 万挺 は都合 に依 り註 文 を 取 消 し た り。
量
名
壱台
米国 製 マグ ネ チ ツ ク セパ レ ー ター
九 、 物 品購 入 (十 三 年 度 予算 支 弁 )
数
一品
高 田商 会 大連 支 店
六、 三 六 三 円
住 友 製 鋼所 製 其 の他 ステイ ル アク セ ル
価格 者
約
名
契 品
一三 三 箇
二
量
買収交渉纒り土地五十五天地 (七百五十七畝)を金 十 一万四千円
格一
也 にて買収することとし引当予算不足額九 万 一千円は蘇家屯線路買
数
名
者
ド ラ フト ギ ー ヤー
三井 物 産 株 式 会 社 大連 支 店
四 、 八 八 三円 七 〇
価 契
量一
鈴木 商 店 大 連 支店
二 、 〇 二 五円
五組
数
格
ター ビ ン喞 筒 モー タ ー付
者
契 品
名
価 約
約
収引当予算 より 一時流用支弁す。
興業費
四
三品
四、渓城鉄路 公司興業費及営業費予算追 加承認 の件 金 千四百円
営業費
水害復旧費 とし て本年度予算 に左記 の通追加方承認 せり。 金 五千 五百円
定期借家建築資金 とし て保険団 より借入 の同社債務 に対する最終
五、南満洲興業会社借 入金資金 に対す る最終利 子支払期 日の件 利子支払期 日不明に付確定方申出 あり元金 全部返済 の日を該利子支
二台 数
格
量
六、五四五円
八輛分
価
数
十一 品
格
量
名
四四、三八四円
八組
シ ユー パ ー ヒ ータ ー パイ プ
ステ ーボ ー ルト
三、 四六〇円 価
三井物産株式会社大連支店
英国通用電気公司
量 鈴木商店大連支店
者
名
格 機関車用鋼材
契 約
約 者
者 一〇 八点
品
名 二五、〇二四円三〇
契
数
量 三菱商事株式会社大連支店
十
価
格 米国ブダ会社製
約
数 者
契
価 名
名
約 者
価
数 者
格
量
クラ ンク シ ヤ フト外
鈴木 商店大連支店
一〇 、四〇二円
七台
数
十 三 品
契
価
数
約 者
格
量
名
約 者
格
量
一一、三五五円
三 一五箇
五、四八二円
七輛分
ス テイ ボ ー ルト
契 約 名
七点
価
約
契
三井物産株式会社大連支店 十二 品
品
量 六、七八〇円 一〇
契
モ ー タ ー セ ク シ ョン カ ー
数 格
大阪 ホー ン株式会社
価
格
一二、八九四円
高 田商会大連支店外 一店
スプ リ ング
三井物産株式会社大連支店
価 者
契 約 名
ステ イ ルタイ ヤ
品
七組
三〇〇箇
空気制動装置
量
二五、○八三円二八
名
格
量
数 約 者
数
価
ロツ ヘウ エツ ト ベ ル ト セパ レー ター
三菱商事 会 社
三菱 商事会社大連支店外 二店
契
名
者
約
量
二 一、 二〇〇 円
一式
価
数
格
量
八、五 二二円
一台
十五 品
契 名
ゼ ツト コンデ ンシ ング プ ラ ント
品
十 四 品
品
契
五 品
六
七
八
九
数
格
三、 〇 〇〇 キ ロワ ツト
価
名
者
六、五二〇台
二台
横型復動単〓蒸汽喞筒
鈴木 商店大連支店
しき不便 あり、市民より外勤部と同様埠頭建物内 に置かれたき旨要
衆 の便宜 を計 り来れるも徴税事務は本関内 に於 て取扱はるる為甚だ
年八朱
金四万円
も支那 の海関 を以 て我官庁機関 の 一部又は之と同 一性質と看做し取
誤解し且海関 を我関東州官庁 、諸行政機関 と同 一建物内 に併合し恰
部現在 の海関建物 より移転し且其の移転先は日本官庁 の建物なりと
の旨指示せられたる趣なり。総税務司不同意 の理由は大連海関を全
連海関税務司と交渉し同税 務司より総税務 司に申請したる所不同意
て新設埠頭建物 内に徴税事務を取扱 ふ 一部を移転 せしむる こと に大
望 あり、会社亦取引 の遅延より生ず る滞貨を除去す る利益 あるを以
従来海関外勤部を埠頭建物内 に置き貨物 の検査監視 に就 き一般公
三、大連海関 の 一部を埠頭建物内 に移転 に関する件
馬雲亭 へ内渡
量 大倉商事会社大連支店
額
金五千円
十六 品 格
契 約 数 者
約
価 契 第四十四回 処務週報 社文雑二三第 四 一号ノ四四極秘 大正十三年 二月九日 一、 モリ ン廟活仏 に貸金 の件
子
左記 の通 一月二十九 日貸付け借用証を差 入れしめたり。 一、金
の便宜上より其 の必要 とす る 一部分を明年竣 工す べき新設埠頭建物
内 に移転 方を希望するに過ぎざ るも のなるに付総税務司をして我希
扱 ふと の誤解 に基くも のの如 くな るが、本件は前述 の如く全く公衆
通遼第 一〇 二号地基面積六百方丈及同地上家
大正十八年 一月二十 八日
一、利 保
一、返 済 期 限 一、担
望 に応 ぜしむ る様配慮方芳沢公使 に依頼 せり。
従来 の傭聘契約に依 れば技師長は契約 の解除権 を有せず為 に久門
四、四〓局技師長傭聘契約 の件
屋 四十間 右 二月二日附川 口監理官 に報告せり。 二、華勝炭坑買収金内払 の件
技 師長 も解除権を有す ること に改訂 すべく交通部 と交渉したるも同
技 師長 の更任 に当り紛糾 を惹起したることあるに鑑 み、新 に契約 中 馬雲亭 より原 口統太郎に債権譲渡額
左 の通内払 せり。 金 三万六千円
を締結す ることに北京公所長 に指示 せり。
延 を許 さざる事情 もあるを以 て右案 を撤回し従来と同 一内容 の契約
は十二年十二月 一日より就任し居ることにてもあり、契約締結 の遷
意 せず、会社としては原案を支持す ること有利な るも中村新技師長 り謝礼 名義書替運動費とし て
原 口統太郎 に対し炭坑買収 の労 に対し会社 よ
金 三千円
買収 費二十 万円中より各債権者 へ内渡
一金 一万円
金 四万円
五、吉倉貸金担保地契類名義書替費用立替 の件
の構成及停車場其 の他 の設備を施行 し同区間の営業開始 に金力を
中部 端川 、吉州間
咸鏡線南部 退潮、新浦間
五十 二哩七分
三十 二哩四分
注ぐ こと 同
民国新地券規則 に依 り名義書替を要し所要経費約一千五百円立替 一任 し置くときは実行を期 し難き点あるに付担保物件権利保全 の為
八十五哩 一分
方吉倉氏 より申出あり、本件は期日切迫し居り手続 の履行を同氏に
計
二 左記 工区は工事着手後 日浅く解約 に伴 ふ損害補償額も少額 に
俗厚 、新北青間
付解約す ること
水南 、極洞間
十 三年三月末 日
咸鏡線南部 第十三工区
国際運送 に融通す る資金 の哈爾賓に於け る運用 の監督 は哈爾賓事
定せば比 の工区は継続施行 し十四年度 に営業を開始すること有利
るを以て十四年度 に於 て本年度と同程度 の年割額を得るも のと仮
時日を経過し解約 に伴ふ損害補償 は約十五、六万円 の多額を要す
三咸 鏡線南部第十 二工区陽化、俗厚間十 二哩五分は起 工後相当
咸鏡線北部 第十 工区
年 一割
借 用証 を徴し 一時会社に於 て立替ゆることとせり。 子
返 済期限 利 六、軽便鉄道材料貸与期限延期認可 ( 第三十九 回週報参照) 一月三十 一日陸軍次官 より認可 の旨通牒ありたり。
務所運輸課長をして之に当 らしむる こととし右監督内規承認せり。
なるに付不足工費額約五十 万円は本年度 の例に依り立替 の形式に
七、国際運送に対す る資金融通監督 の件
八、東宮殿下御成婚奉祝 万国博覧会参加五十年記念博覧会出品 の件
依り京鉄運用資金 より立替支出し工事 を続行すること。
本博覧会 には関東庁と共同参加 のこと に決定 しありしが関東震災
五 改良費支弁 に属する京城停車場改築 工事は竣工期限 を一箇年
こと。
の為 中止 となりたる処京都市長 より東宮殿下御成婚奉祝 を兼 て更に
一、 一六六円
一〇、二四六円五〇
四 十 二、十三年度立替金 は十四年 以降三箇年間 に償還 を受くる
折半負担額
開催 に付参加方申越あり関東庁と費用折半負担参加 のこととせり。 其 の他社員出張旅費
三二哩 四
十六年度
十四年度
十三年度
尚咸鏡線開通予定割左記 の如し
延期大正十四年 七月竣工せしむ ること 退潮 、新浦間
五哩 五
一二哩 五
京城鉄道局長報告要旨左 の如し
九、京鉄政府委托 工事年額割改定 に伴 ふ処置 の件 関東震災 の為十 三年政府委托 工事支出年額割 一千万円に減額せら
新浦 、俗厚間
十七年度
俗厚 、新北青間
四三哩 二
れたるに付考究 の結果左記 の通取計ふ こと に総督府当局と意見 一致
新 北青 、端川問
せり。 一左記区間は十三年度初頭土 工工事竣成予定 に付右区間 に軌道
雲 社場 、極 洞間
吉 州 、雲 社場間
端 川 、吉 州 間
二 一哩 七
一 一哩 七
九哩六
二三 哩 〇
五 二哩 七
十 四年 度
十 五年度
十 六年度
十 八年 度
十 三年度
二 炭坑 の設備及採炭計 画を変更せむとするときは予 め会社 の承
日迄
覚書 の要項
極 洞 、水 南 間
三石炭採掘に関す る前月分の事業報告を毎月二十日迄 に会社 に
一貸付期限大正十 一年 八月二十三日より大正十七年二月二十八
水 南 、朱 乙間
諾を受く ること
一、〇 陶家屯石碑嶺炭坑管理に関する件
四
提出すること す ること
従来炭坑は撫順炭礦 に於て軽便鉄道 は鉄道部 に於 て各管理し地方 事務及土地 の貸 付は地方部に於 て掌 理し居たるも、事務取扱 の便宜
五前項に依り会社より石本に支払ふべき大正十二年六月 一日以
出炭 は石本自家用 の外総て別 に定む る条件 に依り会社に売却
上軽便鉄道竝電線路電話機は主体たる礦山 の附属設備として同勘定 に振替 へ其 の所管箇所 を興業部 に改め地方事務及土地 の貸付 は従来
して会社 に於 て保管す
六前項 の石炭代金中より更に 一噸 に付金六十銭 を控除し契約書
降 の石炭代金中より 一噸 に付金 七十銭 を控除し之 を別途積立金 と
第三条 の利息金 の 一部 に充当す。控除金額 が利息支払期日に至り
一一、機関車製作工事監督及検査に対し謝礼 の件 汽車製造会社及川崎 に註文 の機関車製作中 に於ける工事及検査を
利息金額より超過したるときは其 の超 過金額 は別途積立金とし会
通地方部所管 のこととせり。
円也贈呈することとせり。
依托 せる鉄道省技師浅 田氏及小河原氏に謝礼として合計金 一千四百
社に於 て保管す
七前 二項 の別途積立金 は契約書第五条 の履行完了 の際は会社は
一二、埠頭倉庫売却 の件
年七分 の利子を附し之を石本 に交付し履行 なきときは会社の所有
埠頭第が 十九 、二十、二十 一号倉庫 の 一部 は大正十三年度線路模様 替 の為支障 とな るに付各支障部分競売 の上撤去する ことに承認 せり
に帰す
鉄道 、港湾、埠頭竝之等附帯事業 の発展 に伴ひ諸般 の施設拡張 の
一四、土地収用に関す る規 則制定方 の件
(三棟合計 五、四 一五坪〇 四) 本炭坑は教育銀行救済 の為石本鏆太郎 に対し貸付けたる金 二十八
必要上民有地に立入り調査を為し又は必要土地を買収する場合往 々
一三、牛心台炭坑貸付 の件 万 一千 二百五十円 の代償 とし て会社 の所有 に帰したるものなるが同
居 るに付 ては至急 土地収用規則を制定 せられ度旨関東長官 に出状 せ
土地建物所有者と の協議困難 にして事業進捗上多大 の支障を来 たし
貸付契約書第六条 に依り同人 に採掘 せしむることとし覚書を差入 れ しむることとせり。
本 件 は 関 東 庁 に於 ても其 の制定 の必要 を 認 め居 る由 に付 之 を促 進
り。
一五 、満 洲 日 日新 聞 第 二十 一回決 算 承 認
す る意 味 に於 て本 申 出 を為 した るも のな り 。
一六 、長 春 中 学 校 設 立請 願 の件
り。
長 春 小学 校 父 兄 会 、長 春 市 民会 、哈 爾賓 居 留 民会 、吉 林居 留 民会
有 志 九十 九 名連 署 を 以 て大 正 十 四年 度 よ り長 春 に中 学 校 を開 設 せら れ度 旨申 出 あ りた り 。
山 元渡 し のと き エレク テ駅 へ支 払 ふべ き運 賃 一挺 に付 六銭 三厘 前
一円 十 八銭 二厘 に訂 正 ( 前 契約 一円 十 五銭 )
納 期 、 十 三年 十 一月 三十 日 (一箇 月 延 期) 山 元支 線 貨 車乗 渡 を金
札 免 公 司 よ り の申出 に依 り 左記 の通 契 約 を訂 正す 。
左 記 の通 承 認 せ り
当 期 総益 金
一七、札 免 公 司 註 文枕 木 単 価 及納 期 訂 正 の件
訳
一金 四 二八 、 二七 〇 円 九 一三
損 益 計 算
内 新 聞収 入
払 の条 件 を追 加 す 。
金 一三 一、五 二〇 円 六八
雑益
一八 、協 和 桟 保 証 継続 の件
印刷収入
当 期 総損 金
に て大 正 十 三年 六 月末 日迄 保証 継 続 す 。
五 三 、七 九 八 円 七八 三
新 聞 経費
金 二四 三 、〇 五 一円 四五
印 刷 経費
金
金 一八 三、 一八 二 円〇 六
当 期 益金
内
三 四 、三 二七 円 二六一
当 期 益金
当 期 繰越 損 失 金
訳
二 七 、七 八 八 円 三 二九
三 、 六五 七 噸
数
総
一九 〇五 年
六 、 二 二五 噸
噸
重 量 噸 数
二〇 、在 満 小学 校 母 国 見 学団 補 助 の件
建造年月日
本 船 の内 容 左 の如 し
(総 価 格 二十 三 万六 千 二 百三 十 五円 ) 大 連汽 船 に貸 付 く 。
運 炭 船 Osw est ry 購 入契 約 保証 金 とし て四万 七 千 二 百 四 十 七 円
一九 、 大連 汽 船 運 炭 船購 入資 金貸 付 の件
の形 式 を 取 り残 り三 十 万 円 に対 し保 証 状 を差 入 るる こと に変 更 せり 。
但 し同 桟 損 失 金 三十 万 円 に対す る分 は 正金 の申越 に依 り手 形 引 受
六 十 万 円 に対 す る保 証 期 間昨 年 末 を以 て満 了 に付 従 来 と同 一条 件
金 二 一七 、四 〇 〇 円五 二 四
一 金 四 〇 〇 、五 八 二 円 五八 四
差 引 金 二七 、 七八 八 円 三二 九
一金
損益金処分
一金
六 、五 三 八 円九 三 二
後 期 繰越 損 失 金
差引
追 て同 社 は 旧臘 株 金 の払込 と 同 時 に内 部 の組 織 を初 め根 本 的 改 革 を断 行 し且 会 計 上 に於 ても同 社 の基 礎 を強 固 な ら しむ る為 創 立 以 来 の不 良 勘 定 を整 理 し従 来 曖昧 な る勘 定 あ り し為会 計 の紊 乱 を来 た し た る も斯 の如 き累 を将 来 に残 さざ る為此 際 之 等 不正 勘 定 を 一掃 し た
一千五百円也補助す (満日主催前年通) 二 一、金州城子瞳間軽便鉄道敷設請願 の件 金州在住劉心田外九名より敷設方請願 あり社に於 ては目下考究中 なるも本件は関東庁 の主管 に属す る旨回答 せり。 二二、長春三宅牧場貸金償還期限変更 の件 同牧場 に貸付けたる金三万円は大正九年十二月より二箇年間据置 き爾後五箇年間 に毎月金五百円宛弁済することとなり居たるも経済
二四、長崎大連間海底電線買上請願 の件
二月六日附逓信大臣、大蔵大臣宛可成速 に買上げられ度旨請願 せ
り。尚関東長官 にも願意達成配慮方出状 せり。 二五、大連中華青年会補助 の件
毎年五千円補助方申出 あり十三年度中 は本補助金 を限とし他に援
追 て将来会社 に於 て同会経費 の不足金 の大部分を負担することは
助 を申出 でざ ることを条件として金 二千五百円也補助す。
困難 に付会費増額、 一般有志 の寄附金等 を集む ることとし経営せら
元本二箇年据置き十 一年十二月 一日より向ふ
関係箇所 の聯絡充分ならざ る憾あるを以 て各関係部課長を網羅し市
会社附属地及之 に準じて取扱ふべき土地 の計画に関し従来社内各
二六、土地協議会設置 の件
九箇月間毎月金 五百円宛、十 二年九月 一日よ
を審議する為土地計画協議会を設置し二月十日より施行す。
街計画各種用地計画及其 の他 一般土地の利用 に関 する重要 なる事項
大正十九年九月三十日限
るる様したき旨申添置けり。 期
界不況 の為実行困難 の趣屡申出 あり、已む を得ざるものと認 め左記 済
の通変更す。 一 弁 弁 済方法
り向ふ七年 一箇 月間毎月金 三百円宛月賦弁済
費
八九、九五五円六〇
本 工事は大屯附近にて破損せし木造有蓋車を生石灰 の輪送に適応
工 事
有蓋車十二輛改造工事
二七、工事伺認可
のこと。延滞 の場合は翌月 一日より日歩四銭 の延滞利子を徴す 右 に伴 ひ会 社が同人 より賃借中なる建物 の賃貸借契約中左 の通変 一 契約期間を大正九年十二月 一日より大正十九年九月三十日迄
更す
二八、十三年度予算 支弁物品購入
す る様鋼製有蓋車 に改造す るものとす。
価
期
格
古河電気 工業大連出張所
二箇月以内
二、五七四円 約
者
契
納
足尾式 ロツクドリル 四台
とす
一
二 建物 の借賃 を最初二箇年間は 一箇月金二百五十円と定め爾後 七年 十箇月間は別途貸付金 三万円也 の月賦弁済 に従ひ漸次之を低 減す 二三、医科大学予科学則中 一部改正 の件 ( 第 三十九回週報参照) 二月七日附指令第 一七六号 を以て認可せられたり。
二
三
一三、五六〇円
一万二千叺 納
価
者
期
格
日本電気会 社
註文後四箇 月間
六四八円
ケーブ ル ヘツト 六箇
火山 灰 格 契
八
価 小島 定 吉 商 店
十三年 三月、四月各半部宛 約
者
期 約
納 契
四、五月各半数
六六、四 一二円
五百枚 格
埠頭型雨覆 期
一
価
二九、物品購入 ( 十 二年度 予算支弁)
二、〇五四円五六
納
二百組
格 註文後五箇月
ボ ルスタースプリ ング 価 大倉 商事会 社 二、七六九円
大 正十三年 二月十六日
改正 定員
四十名
公主嶺仮種羊場設置 の為雇員二名 を増加す。
二、農務課定員増加 の件
定料金 の半額) に減額せり。
工業用汽罐給水 に限り十 三年九月末日迄 一立方米 に付金八銭 (規
一、満洲紡績会社水道給水料金減額 の件
極秘
第 四十五回 処務週報
大 連 工業 会 社
期
註文後十箇月以内
一、二八七円四六
者
者
約 格
註文後六箇 月以内
約
納 契
期
格
五四円
社文雑二三第 四 一号 ノ四五
契
価 三 井 物
二台
納 者
期
産
三百米
価
六丁
契
納
格
註文後百二十日以内
ホ ー ン商 会
約 者
価 期
一九六円五四
算 五千二百七十四円 (オゾ図書飜訳 予算中より支弁)完成期限本年
差当り参考資料とすべきもの数十編 を抄訳出版す ること に決定、予
最 近莫斯科 に於 て購 入せる労農露国 に関する調査資料約 一千部中
三、労農露国 に関す る調査資料飜訳 の件
註文後七十 日間
会
納
信 商
格
三千 一百七十枚
三
約 者
期
門標
契
外科用電 球
契
約
帯鋸
四 捲揚用電動機
五
六
七 価
二月以降半箇年。
納
羽 洋 行
約 者
鳥
契
四、公主嶺機 関区移転善後策 に関す る件 公主嶺機関区移転 に伴ふ善後策 に関し公主嶺地方区長 の申出 に対 し回答 必要 の場合は将来義務 を負 ふ こととなるが如き言質 を与 へざ 獣疫研究所設置 の件 既 に奉天 に設置 のことに確定 せり
る様細 心留意し左記要領 に依り声 明す べき旨通牒 せり。 一 現在 の農学校 を高等農林又は農科大学に昇格 の件 諸般 の事情 上今直 ちに之を予定す ることを
諸種 の関
二 中学校設置 の件
係上之を公主嶺 に設置す ることを予定す ることを得ず 三
し年度末迄 に土地 の獲得 を了し得ざ る場合は代位弁済金 は欠損とし て整 理す ること に決 せり。 七、在満 小売商振興助長 に関する件
長春商業会議所会頭 より在満小売商振興助長 の方策として満洲 の
経済 実相 に適す る仕入機関 を会社に於 て速 に設置 せられ度旨申越あ りたり。
左記 に依り満蒙紹介を為す ことに決 す。経費総額 六千九百五十円
八、京都 万国博覧会 に満蒙紹介 の件
札免公司木材 を以 て休憩所を設置す
計 画内容
の予定なり。 イ
活動写真満蒙 の旅六巻 の内三巻宛 を博覧会開期中毎日映写す
得ず 四
会社事業及満蒙 の紹介 を有意義 にす る為開催中適当なる時期
公主嶺 に於 て採算可能 なる工業援助 の件 採算可能 の見込あ
る工業的企業 を開始する者 ある場合は会社は之 が成立及発展 に対
ロ 会社 は公主嶺 に十三年度 より三百頭
ハ
仮種羊場開設予定 の件
し和当援 助を辞 せず 五
一週間 を満蒙週間とし紹介 に努力す
庁事務総長及関東軍司令官 に請願す。
二月 四日附東京支社より内閣総理大臣宛請願 し二月十四 日附関東
九、独 立守備隊撤退中止及復活請願
風俗行列 を催す
満蒙週間中 には絵葉書及満洲名所巡り等 の印刷物配付し且満蒙
の種羊 を収容し得 る仮種羊場 を開設す る計画 あり公主嶺 の繁栄 に 貢献す る所あるべきを信ず 五、南満興業会社 に漆喰及塗料製造資金貸付 の件 同社減資決行 の上は右資金として金十万円也 を貸付くる こととす る旨二月九 日附同社高木社長に覚書 を交付 せり。 六、北悟 一に対する代位弁済金後始未 の件
の状 況に徴す るに北 に於 て土地 の獲得経営 に覚束 なきを認 めら るる
円十七銭) は十二年 十二月十五日会社 に於 て代位弁済 せる処其 の後
争議多く其 の都度荷主は検査正当ならずとし て東支 に苦情 を持込む
なる為東支鉄道各受寄駅 に於 て出荷主 と検査人との間 に検査 に関 し
十二年度産大豆 が其 の収穫期 に於 て降雨多 かりし結果乾燥不充分
編注 混合︺大豆 に関する東支と の打合会 に関す る件 一〇 、混 保 ︹保 管 の略称
を以 て北より曩 に奉天地方事務所 に供托 せる小洋 六万元 の残額 を回
為之 が解決 の方法 に付協議 したき旨希望申出 あり、之 に応 じ東支側
水田経営資金として保証 せる金 十三万円 (元利合計十三万七百 四
収控除したる残額 に相当す る金額 の借用証 を徴し成行 を見る ことと
四
混保寄託大豆 の等級を定 むる場 合検査 人は必ず標準見本と比
較す るを要する の件
混保寄託大豆の等級決定 に際 し検査人及荷主間 に起 る紛議解
本件 は寄託駅 に派遣 せらるる両鉄道 の代表者之を調査す ること
決 の方法 とし て仲裁委員会を設 くるの件
五
満鉄 は其 の検査人 に対し必要 なる訓令を発する こと
よ り商 業 部次 長 外 二名 来 連 会 社 側 鉄 道部 長 外 関 係者 出 席 二月 一日 よ
混 保 大豆 検 査 に於 け る水 分 含 有 の限 度 を 一定 し之 が検 査 の確
り 二日 間打 合 会 開 催 左 の八項 に付 議 定書 を作 成 調印 せ り。 一 実 を期 す る為 機 械 的 方 法 を採 用 す る の件 A、 一九 二 三年 度 産 大 豆 の水 分 限 度及 品 質 を 左 の如 く 決 定 す る
六 混保不合格大豆及不合格後 再提示 の大豆 に対し検査料徴収に
こと イ 、特 等 品 及 一等 品 の限度 一三 ・二分 の 一% 、 二等 品 一四 %
関する件
イ、満鉄は不合格大豆検査 に対し其 の第 一回検査 の場合 に於て
ロ、 品質 上特 等 品 にし て水分 一三 ・二分 の 一% を超 え 一四 %
ロ、混保不合格大豆提示 の場 合に在 りては東支混保大豆検査規
検査料 を徴収するに反対 せず
に至 るも のは受 託 の際 之 を 一等 品 と し之 と 同 様 の水 分 を含 有
ハ、 大 豆 の品 質 は標 準 見 本 に依 り之 を定 め イ 、 ロに定 めら れ
川 口監理官より設立後 の経過 に付照会あり二月十四日之 に回答す。
一一、国際運送会社 に関する件
満鉄は本件 に反対せず必要 の時期 に其 の検査人を派遣すべし
八 東 支鉄道老少溝埠頭 に混保 の受付を開始する の件
各種 訓令 写を東支 に提供す ることとす
七 満鉄検査人 に対する各種訓令写を東支 に提供す る件
定第 六条 に基き検 査料 を徴収す
す る 一等 品 は之 を二 等 品 とす る こと
た る水 分 の限 度 とは関 せ ざ る を原則 とす B 、水 分含 有 量 一四% を超 え 一六% 以 内 の 一切 の大 豆 は 一九 二 四年 二月 二 十 日迄 混 保 と し て之 を受託 す 、個 し 等 級 は品 質 の如
C、 混 保 受 寄駅 に同 一の検 査機 械 を設 置 す る こと
何 に不拘 二等 品 とす る こと
D 、大 豆 の水分 其 の他 を 測 定 す る機 械 的 方法 は東 支 南満 両鉄 道
名
壱台
瑞西製 タービ ンポ ンプ
︱二、物品購入 (大正十三年度予算支弁) 量
混 保 寄 託 大豆 の斤 量 検 査 に関 し同 一の方法 を採 用 す る の件
農 業 事 門 家 委員 を し て考 究 せ し む
品
二
数
二、二九〇円
満 鉄 検 査 人 及検 査 人 助 手 の 一駅 よ り他 駅 にす る定 時 的 移動 を
一
格
満 鉄 は其 の検査 人 に対 し 検 査 方法 を厳 守 す べ き旨 訓 令 を 発す る
価
名
約 者
こと 三
契
スウパー ヒーターパイプ
高 田商会 大連支店 品
移 動 は可 成 之 を中 止す る こと とす
二
中 止す る件
三
四
五
六
七
価
数 格
量 一四、 八 二 〇 円
三 、〇〇〇 本
量
名
者
一二 八点 、 二五 三 、 八 一九 瓩
機関車用鋼材
住 友 伸 銅 所代 理千 村 商 店
約
品
三菱 商 事 株 式 会 社
三 八 、 四九 二円 七 一
契
数
者
格 約
品
格
量
名
六 、 二 七〇 円
一、 五〇 〇 箇
ド ラ フト スプ リ ング (三〇 噸 貨車 用改 造 型 )
契
価
数
第 四十六回
秘
処 務 週報
社 文 雑 二三 第 四 一号 ノ 四六 大 正 十 三 年 二月 二 十 三 日
二万︱ 五 万屯
カ ガ ン商 会 より 大連 経由 輸 入し た き に付 運 賃割 引 方 申出 あ り四 割
一、輸 入小 麦 運 賃 割 引 の件
同 商 会 輸 入計 画 数 量
引 の こと に承 認 す 。
者
格
量
名
者
八組
エヤ ーブ レー キ エクイ プ メ ント
三 井 物産 株 式 会 社
一三 、 九 三 七円 五 〇
一七 五箇
ス テイ ルタ ー ヤ ー
三 井 物産 株 式 会 社
に決す。
編注 、 ﹁要 訂正 ︺ ﹂ 三、大華電気冶金公司配給物 品 の件︹と 松 岡 添 書 あり
ふ も のと す 。
同 所 員 三名 を常 置 し科 学 検 査 を為 す こと に決 す 。
あ るを 以 て埠 頭 建 物 の 一部 に特 種 設 備 を 加 へ中 央 試験 所 分 室 と し て
しむ る要 あ り、 且 海 外 輸出 農 産 物 の声 価 を高 む る為荷 主 側 の要 望 も
欠 点 あ り 、科 学 的 検 査 の方 法 を も設 け て検 査 の正 確 と権 威 と を保 た
大 豆 及豆 粕 の混 保 検 査 は従 来 肉 眼 鑑定 のみ に依 り居 るも 猶種 々の
二、穀 類開 豆 油 科 学 的 試 験 の件
数
名
四、沙河 口板硝子工場敷地追加貸 下方出願 の件
一箇 当 り 四円 一八
価 約
価
量
一三 、 一九 五円 七 〇
契
品
契
品
大倉商事 会社
前借連接地を左記 の通追加貸下方 二月十六日附大連民政署長 へ出
従来配給 し居 りしも将来は特別物品 の外現品配給を為 さざる こと
尚 本 分室 に於 て は目 下 計 画 中 の豆 油 混 保 の準 備 竝 研究 をも併 せ行
数
者
格 約
約
価
スー パ ー ヒー タ ー パイ プ
契 名
一四、四九〇坪
品
三十箇年
願 せり。 数
七輛 分
限
量
坪
数
期
五、吉林中 日語学校章程改正 の件
大倉商 事会社
二 七 、五 〇 〇 円 者
格 約
価 契
す る場 合 及時 化 其 の他 受渡 の都 合 に依 り配 船輻 輳 し臨 時 船腹 の過
剰 を生 じ た る場 合 は臨機 他 の有 利 の方面 に運 用差 支 な き こと
同校 は日本人 に中国語、中国人子弟 に日本語及簡易 なる商業上 の 智識技術を授 くる夜学校 なりしも大正十三年度より元吉林東洋医院
の な れど も 政策 上 左 記 に依 る こと
二
但 し 万 一時価 が比 較 的 格安 に し て大汽 の金 融 困難 と なり た る
於 て実 際 元 価 と の差 額 を 計算 す
イ 、 一先時 価 を以 て其 の都 度 仮 計 算 を為 し半 期末 又 は年 度末 に
大 汽 、販 売 課 問 運 賃 の清 算 は 其 の都 度 元 価 計算 を為 す べ き も
とし て併置すること に規定 を改正せり。
跡 を校舎 に充 て本科として昼間 の授 業を開始し従来 の夜学校は別科 六、全国中学地理歴史教員協議会開催延期 の件 本年七、八月 の候奉天 に於 て開催予定 の処大正十四年 七、八月 の
ロ、運 賃 元 価 は 左記 よ り成 り其 の他 の費 用 は手 数料 の内 より 大
場 合 は適 宜 協 調 一部 分 を仮払 す
候開催 のこと に変更 し開催 の際 は曩 に会社 が承諾 せしと同様 の便宜 七、〓南停事場位置変更 に関し〓南各界代表 に回答 の件
船価 償 却 金 、 船員 諸 給 与 、船 内 諸 経 費 、修 繕 費 、 保 険料 、炭
汽自 ら之 を支 弁 す る も のと す
供 与方委員長より申出 あり承知 の旨回答せり。 〓南各界代表より〓南停車場 旧位置 (城東〓南) を城外西南 に移
水 其 の他 航 海 用 諸 経費 、船 体 、航 海 、入 出 港 又 は収 入 に対 す る
転 のこととなれ るは全 く会社鉄道部長 の意図 に出 たるものなる旨馬 督弁盧局長 明言し居れりとて其 の真疑 に関し照会 あり、会社は当然
諸 税 諸掛 、其 の他 特 に当 社 に於 て認 めた るも の
一 一、 大連 保 健 浴場 設 備 費 竝 石炭 費 補 助 の件
ば決 定 的 回答 を為 さざ りし 旨 二月 二十 日 事務 総 長 宛 回答 せ り。
り承 知 した き旨 照 会 あり 会 社 は同 線 敷 設 の具 体 的 未 決定 の今 日 な れ
関 東 庁 より首 題 の件 に関 し開 原 振 興期 成会 に対 す る会 社 の回答 振
一〇 、開 海 鉄道 速 成 請 願 に関 す る件
ハ、 手数 料 は毎 航 海 本 船収 得 運賃 の二分 と す
の職責とし て会社責任 の関す る限り借款鉄道 をして真 に鉄道本来 の 目的 を達成せしむ るを念 とし諸事措置 し居 るも、停車場位置 の如き ︹ 熊三︺ は責務以外 にして盧局長 の言 の如き ことなき旨〓南村 田をし て回答 せしめたり。 八、吉長鉄路総 局焼失 の件 二月十 一日午後 八時失火総局 一棟延坪 五三四坪全焼損害 一二五、 八〇〇円なり。
一二 、極 東 運 輸 組 合 所属 船 と女 学 校 々舎 交 換 の件 (第 二十 四 回処 務
六 十 円 宛補 助 す る こと と せ り。
設 備費 とし て金 一万円 也 寄 附 し石 炭 費 補 助 と し て当 分 の間 月 額金
大体左記 の通大汽 と取極む
週 報 参 照)
九、運炭船運用法 竝該運賃清算 に関す る件 一 大連汽船会 社運炭船は原則とし て石炭 の輪送 を為すべきもの
曩 に同組 合 船 シ ル カ、 シビ ル、 エニ セイ、 マンジ ユリ ー の四隻 と
なれども市場運賃格安 にし て運炭船 の予想運賃 より尚割安に利用 せられ而 も運炭船自身 を他 に廻し他貨物 の輸送 に充 つるを有利と
アクサ コフスカヤ女学校 々舎交換 のこと に決 し交渉中 の処最 近支那 請
工 負 者
費
名 百六点 約 二三八、八五二瓩
土運車用鋼材
七四七、八八八円
大連機械製作所
興業部販売課
埠頭事務所
同
同
一二七名
六 一名
現在六六七名
六〇名
改正六七〇名
改正
改正 一二六名
営 口地方区 に独身社宅主事補 一名を置く こととし鞍山地方事務所
二、鞍山地方事務所定員増加 の件
経理部用度課
定員を変更す
上海事務所職制制定 に付同所定員 を九名と定 め右 に伴 ひ左記 の通
一、上海事務所定員制定 の件
大正十三年三月 一日
社文雑 二三第四 一号ノ四七
第四十七回 処務週報
官憲 に於 て松花江に於 ける中国人以外 の外人船舶 の航行を禁 止す る 旨発表したる為先方より取止め申越 しありたり。 二月十六日東京帝国鉄道協会 に於 て臨時株主総会開催、社債金 八
一三、臨時総会 に関す る件 千 万円募集 の件 を決議 す。 世界代表 フヰ ルム ﹁嵐 の孤児﹂ を借入れ大連及沿線各所 にて開映
一四、活動写真開映 の件 する こととせり。所要経費五、七 一〇 円収 入 四、三 五〇 円 (入 場 料)にして不足 額 一、三六〇円也 は慰藉費 より支弁。
量 三〇、八五六円六 一
品
進 電熱炉
大 正十 三年十二月二十 日迄貸付期限 を延期 せり。
定員百 三十六名を百三十七名 に増加す。
格
一組
四、米国 に於け る満蒙宣伝補 助の件
商 会
者 名 三、三四八円
和
価
量
三井物産株式会社大連支店
貸付金十九万円也 は大正十 三年 二月 二十九 日を以て期限到来 の処
品 格
三、営 口水道電気株式会社貸付金期限延期 の件
数 者
商 店
価
及頒 布費 用補助として金五千円也補助 し尚紐育事務所保管 の満蒙宣
旅﹂六巻計十 二巻を貸与す ることとせり。
伝 フヰ ルム六巻及本社保管 (近く紐育保転予定 のも の) の ﹁満蒙 の 五、日華物産共進会 に関す る件
六〇瓲石炭車 一二五輛 ( 社内製作) 工
一、五六二、〇六三円七五
六〇瓲石炭車六〇輛 ( 社外註文主材料社給)
費
外務省 の米国 に於 ける日本紹介事業 に対し活動写真 フヰルム複製
契 約
鈴 木
契 約
数
一五、物品購入 ( 大正十三年度予算支弁) 一
二
一
一六、認 可 工 事
二
大正十三年夏期大連 に於 て首題共進会開催すべきを以 て金七万円
一〇、土地収用規則制定 の件 (第四十四回処務週報参照)
目下研究立案中 にて遠からず制定 の運びに至 るべき旨関東庁内務 局長 より通知 ありたり。
を限度 とし補助方願出 たるも右は民政署、市役所 、商業会議所等 と 合同 にて画策するを有利とすべき趣旨 にて二月五日附代表者 久保通
明治神宮外苑 に建築中 の絵画館壁画として会社より左記 に依 り絵
一一、明治神宮絵画館 へ奉納画 の件
六、民国医学雑誌刊行補助 の件
猷 に回答 せり。
一、画
種
題
洋画
日露役奉天戦図 縦九尺横七尺大
画奉納 のことに決す。 一、画
十 三年度同誌刊行補助 とし て金 二千四百円也補助 す。 七、大連海関 の 一部移転 に関する件 (第 四十四回処務週報参照) ︹ Agl e n,Sir Fra nci s ︺ 総税務司 に交渉方芳沢公使 に依頼中 の所同公使 より アグレ ン
一、執筆家 の選定 と 期
画家決定 の上協定更 めて経伺 のこと
絵 画館落成期た る大正十四年度
正木美術学校長 の意見 を徴し絵 画委員 の承認 を得 て決定 のこ
に於 ては税関 の 一部移転 に異存あるにあらず、個 人とし ては寧 ろ右
一、奉 納
費
移転 は公衆 の為 にも便利な るべしと思考し居るも支那政府としては 司限 りにて諾否を決 し兼 ぬ、然 し公使より外交部 に照会せらるれば
自国行政機関を他国建物内 に置く ことは体面問題 もあるべく総税務
一、経
し二十万円 に達す る迄関東庁満鉄同額出資 のこととしたき に付賛助
皇太子殿下御下賜児童奨学資金 二万円を基金 とし特別財団を設定
一三、児童奨学資金 に関する件
収金 二千四百六十六円四十九銭 は特 に徴収 を免除する こととしたり。
石橋勝浪氏 の大連東京間連絡準備飛行中破損 せし飛行機修理費未
一二、飛行機修 理費取立免除 の件
自然総税務司 の意見 を徴すべく其 の際は賛意を表す るに躊躇せず と のことに付外交 部に照会し置きたる旨回答ありたり。 八、満蒙鉄道速成方 に関す る件 会社 に於 て支那側 と協議し速成を図 り度 に付予め諒解 を得度旨 二 月十 三日附借款銀行団代表小野興銀総裁宛出状せり。 関東軍経理部 に建築委託中 の処竣功 に付 二月十七日 一応会社 に引
九、四平街守備隊宿舎授受 の件
宿
︱四棟
一四棟
三五坪
七四 一坪九
土
地
三、八七三坪 五
其 の他門煉瓦塀附属施設 一切
同附属物置
舎
恩賜金 を以て特別財団を設立し資金利 子を以 て直に事業を開 始す ること
一
追 て本財団 に関 し関東庁決 定意見要領左 の如し。
年目金 一万円寄附 のことに回答す。
渡を受 け同時 に陸軍使用協定家屋として関東軍経 理部長 に引渡 せり。 方関東長官より協議 あり大正十三年度以降四箇年間毎年二万宛第 五 一
二
同 煉瓦塀
建 物
買収建物 の用途は貯炭場事務所 (従来より借家)及貸付建物とす。
六〇間 五〇
三三三坪 五八
同
一一棟
二
建 物
財団資金 の限度 は二十万円とす
三 事業 の種類は関係者 の意見を徴 し追 て決定 する こと 宝来町
五 一坪 五〇
四 事業施設 の範 囲は州内及鉄道附属地 の官 公立学校 、在外指定
(宝来町会社貸付地 三百五十坪 は本契約 成立と共 に返納 せしむ)
二棟
学校 の児童 に関するものに止め、特別 の場合 に限 り其 の以外 の学 校 にも及 ぼす こと
社営 公学堂教員養成 の為十三年度 に於 て公学堂高級卒業生男五名
一九 、旅順師範学堂 に中国人教員養成委託 の件
女二名 を関東庁設立旅順師範 学堂 に委託したきに付承諾方関東庁 に
従来興業部 に於 て管 理し来れ る処旅館事務統 一上鉄道部 の管理に
一四、沿線会社関係旅館事務移管 の件 移す こととな れり。
照会 せり。
出
入 三二、八八八円
四三、五 一七円
五、三九八円
一、四四二円
二〇六円 計
一人当年額 全学年計
十 三年度経費
職務 に従事 せしむ修業年限男四年女三年とす。
本件 に依 る委託生 は全部給費 とし卒業後 五箇年間社 の指定す る
一五、華商内地視察団補助 の件 満蒙文化協会主催華商 二十名内地視察 に付金二千円也同協会 に補 一六、大正十 三年度奉天電鉄営業収支予算 の件
助す。
収
十三年度収支予算左 の通決定す。 支
品
量
名
三点 (六巻)
ワイ ヤロープ
二〇、物品購 入 ( 大正十三年度 予算支弁) 数
一
九、 一七七円二六
一〇、六二九円
三菱 商事会 社
差引利 益
格
一七、遼陽 公学堂及南満中学堂附設南満 医学堂予科廃 止 の件 遼陽公学堂 は同地商業学校設置当時 の計画 に基 き、南満中学堂附
者
約
名
二点 (五〇〇枚
縞目軟鋼板
司 量
公 品
八、二 一六円四三
五七、五〇〇瓩)
数
鈴
店
格
木 商
者
契
価
福 昌
価
九〇〇坪
二
契
土 地 ( 永 租地)
約
設南満医学堂 予科は満洲医科大学設置当時 の計画 に基 き各本年度限 り之 を廃止す。 飯塚 サクより大連語学校 に寄附したる営 口所在土地建物左記 の通
一八、在営 口飯塚 サク所有 土地建物買収 の件
南本街
買収す。代価 四万三千三百四十 三円八銭也
三
四
五
六
七
羽
洋
行
オ イ ル エンヂ ン付 エーヤ ー コンプ レ ッサ ー
鳥
八
ステ イ ー ルパ イプ
軟鋼工型
量
名
溝軟鋼
費
(
木 商
店
三井物産株式会社
一九九、九九六円
東京支社社宅新築及増築工事
二
秘
)
左記事項 に関す る会社 への通信は首席主任に提示し首席主任
き更 に必要 の場合には首席主任 の意見をも聞く こと
一 他主任 の事務に影響する場合は参 考の為其 の主任 の意見を聞
左記 の通内規を定め三月四日附各主任宛通知 せり。
四、四〓局各主任間事務連絡内規制定 の件
二月二十七 日附指令第 三 一七号 にて認可せら る。
三、電気供給規程変更認可 の件 (第三十九回処務週報参照)
り。
同人 に対す る債務保証 は大正十三年三月三十 一日〓保証を延期せ
二、松北興業公司馬忠駿 に対する債務保証延期 の件
皇姑屯附近 に建築 の同校 に金 三百円也寄附す。
一、 マンチ ユリヤ ユニオ ンミツ シヨンスクール建築費寄附 の件
大正十三年三月八日
社文雑 二三第 四 一号ノ四八
第 四十八回 処務週報
工 事
一二 、 六〇 〇米
品
延長
数
名
二点 重量 二六 一瓲 六〇〇瓩 三五、二〇〇円○八
品
鈴
一台
三 五本
店
四点 (九七、四六五瓩)
約
格
量
契
価
数
ガ デ リ ウ ス商会
七 、九 二〇 円
者
者 名
商
名
二 一、認 可 工 事
格 約
量
軟 鋼隅
木
名
鈴 木
量
羽 洋 行
)
価
品
五 、 七六 〇 円
契
数 格
店
価
商
チ ューブ ミ ル、ボ ー ルミ ル
村
住 友 伸 銅 所
一二台 (チ ューブ ミ ル)
千
者
約
名
二 一六、 五 八 八円
契
品 量
鈴
台 (ボ ール ミ ル)
格
量
六
数
者
約
価
品
約 者
契
数
長 三二○米 三点 (延 重 量 五 七、 九 五〇 瓩 商 店
契 品
一一、〇六 一円四七
羽 洋 行
数
格
鳥
価
鳥
店
約 者
鈴 木 商
契
人 事 に関 す る件 、借 款 に関 す る件 、乗 車 証 に関 す る件 、其 の他
に於 て意 見 あ る場 合 は之 に副申 す る こと
中村 技 師 長 を 以 て首 席 主任 と す
重要 な る事 項 三 五 、対 支 文化 事 業 に関 す る件 政 府 の対支 文 化 事業 中 会 社 に於 て満蒙 に施 設 す る ことを希 望 す る
奉 天東 北 大 学 補助 の件
同事 業 と し て左 記 の通決 定 し 三月 一日附 支 社 長 宛 通牒 せり。
奉 天其 の他 満 蒙枢 要 地 に満 蒙 博 物館 設 置 の件
事 業 基金 とし て金 一万 円也寄 附 す 。
六 、在 東 京 日華 学 会 に寄 附 の件
六月 京城 に於 て開 催 の首 題会 議 に左記 の通 提 案 す る こと とし 三月
七 、 日中連 絡 会 議 に関 す る件
弗 の率 を以 て割 増 支 払 ふ こと
九 、大 華 電気 冶 金 公 司資 金 貸 付 の件
金
子
額
年 一割 、 二、 八 月 の両 度 に払 込 む こと
金 十 八 万 一千 円
左記 の通貸 付く る ことと せり 。
利
会 社 の要 求 に依 り何 時 にて も提 供 す る こと
一
保
二
途
大 正 十 四年 三 月 三十 一日 担
大 連 工場応 急 施 設 及東 京 工 具会 社 機械 増 設 費 九 万 円、 必要
費
返 済 期 限
三 イ
ロ
将 来 配 給物 品 代 基金 、 一万 円会 社 に預 り置 く こと (無利 子)
会 社 より の既 配 給物 品 代 支 払引 当 、 八 万 一千 円
の都度 物 品 又 は現 金 に て交付 の こと
ハ
一〇 、 本渓 湖 煤 鉄 公司 構 内 社線 売 却 の件
昨 年 会社 本 線 に沿 ひ同 公 司構 内 に事 用 線 敷設 に付曩 に敷 設 の機 関
事 廻 入 用線 は不 用 に帰 し た る を以 て金 一万 三千 七 百 六十 三 円也 に て
六 日附鉄 道 省 運 輸論 局長 宛 発 信 せり 。
同 公 司 に売 却 す る こと と せ り。
聯 絡 小 荷物 とし て託送 し得 ざ る物 品 又 は 之 を混 入 した る 小荷
一
日中 聯絡 手 荷 物 事 故 調書 様式 改 正 の件 日中 聯絡 小荷 物 用 事故 調書 新 設 の件
大 正 十 三年 四月 一日 より 左記 の通 実施 す る ことと せ り。
一二、 大 連電 車 賃均 一に関 す る件
せ り。
円 の範 囲 にて合 計 金 十 万円 也 同 公司 よ り申 出 の都 度 前 渡 す る こと と
変 更 し大 正 十 三年 三 、 四、 五 、 六月 の四箇 月 間 毎 月 三 万円 乃至 四 万
支払 ふ こと に契 約 締 結 の処 作 業 資金 前 渡方 願 出 によ り契 約 の 一部 を
曩に枕 木 二 十 万挺 納 入 に付 東 支線 運 賃前 渡 、 納品 代 は物 品完 納 后
一 一、札 免 公 司納 入枕木 代 金 前 渡 の件 ( 第 三十 六 回処 務 週 報参 照 )
物 を発 見 し た る場 合 に於 け る取 扱規 定 設定 の件 二 三
大正 十 三年 五月 一日 よ り十 六年 四月 三十 日迄 継 続雇 傭 の ことと し
八 、米 国 人 ダ ベ ンポ ート雇 傭 継続 の件
年額 手 当 米 貨 一万 二千 弗 、社 宅貸 与 僕 婢 及 食 料提 供 の条 件 を改
二 月 一日契 約 を締 結 せ り。 前契 約 と相違 の要 項 左 の如 し。
め て年 額 手 当 二 千弗 とし 尚執 務 時間 が毎 一年 に付 三百 七十 五時 間 若 は 二箇 月 を超 過 し た る場 合 は前 記 手 当 以 外更 に 一箇 月 に付 一千
す
沙 河 口線 (小崗 子 及 伏 見台 経 由 共) 水 源 地迄 を市 中 と均 一賃金 と
老虎 灘 線 は春 日町 李 家 屯間 を緩 衝 地帯 と し市 中 よ り老 虎 灘 に向 ふ
一区と す
場 合 は李 家 屯迄 を 一区 と し老 虎 灘 よ り市 中 に向 ふ場 合 は春 日町迄 を
一三、 二 十 回社 債 発行 に関 す る件 第 二 十 回社 債 発 行 に付 関東 庁 東 京 出張 所 経 由 内閣 総 理 大臣 に認 可 申 請 し た る旨 三 月 七 日附 関東 庁 川 口監 理官 宛出 状 せり 。 一四 、大 正 十 二年 度 営 業 収支 予 算 更 正認 可 の件 二月 二十 二 日附 拓 秘 第 一、 二 一九号 に て認可 せら る 。
一
ド ー ア ・シツ ク ナ ー ・スペ パ ート 三組
名
七 、 ︱三〇 円
品 量
契 約
価
教 者
格
量
サ ミ ユ ル サ ミ ユ ル商 会
七、〇〇〇円
八輛分
第四十九回 処務週報 大 正十三年三月十五日
社文雑 二三第四 一号 ノ四九 一、人事課人事経理事務管掌 の件
社長室 に於 ける人事経理事務は文書課 に於 て掌理す ることに規定
され居 るも人事課に属す る本件事務は便宜上同課 に於 て掌理する こ とに決 定す。 金 一千円也補 助す。
二、在哈露国記者団南満視察補助 の件
加寄附方申出 あり更 に金 二千円也寄附す。
格
コンデ ンシ ング ・ウオ ー タ ー クー リ ング プ ラ
三井 物 産 株 式会 社 大 連 支店
者
量
機 関 車 用蒲 団
三菱 商 事会 社大 連 支店
一組
るも のとす。
より支給す。尚韓家 より社宅料及謝礼として会社支給額を支給 さる
りたるに付之 に非役 を命じ非役期間中は特 に現給及在勤手当を会社
右許可方三月 八日附関東長官宛出願 せり。
許可願 の件 ( 第 四十八回処務週報参照)
庶務部調査課員杉本吉五郎韓文卿家顧問 と傭聘せら るる こととな
名
七輛 分
五、大連電鉄電車料金規程中切符効用 区間変更竝貸切電車料金制定
曩に建築費中 に金 一万円也寄附 したる所 不足 を生じたる趣 にて追
者
ント
三、救世軍大連会館建築寄附 の件 ( 第十二回処務週報参照)
名
数
契 品
四、非役任命者 に俸給手当支給 の件
品 量
四、 二 五 六円
教
数
格
契
価
店
海
商 機 関 車用 蒲 団
野
者
契 品
約
名
約
価 約
一五、 物 品 購 入 (大 正 十 三年 度 予算 )
二
四
五
切符 効 用 区 間変 更 は前 回週 報所 載 沙 河 口及 老虎 灘 均 一制 実 施
追 て本件 は 一
貸 切料 金 は 社内 規 程 と し て は既 に実 施 中 のも のな るも未 だ 関
に伴 ふ も のと す 二 東 庁 の許 可 を得 居 らざ るを 以 て此 の際 許 可 を 受 けむ と す るも のな り
更正予算
原 予 算
二五 、 一〇 三 、 二九 八 円
二五 、五 八 三 、 五三 九 円
三 三 、 二〇 三 、 五 五八 円
三 三 、六 八 三 、 七九 九 円
左 の通承 認 す
六 、京城 鉄 道 局 十 三年 度 営 業収 支 更 正 予算 承 認 の件
収 入 の部
原 予 算
九、定期借家附帯工事価格決定 の件 (第四十回処務週報参照) 左 の通決定す
一三 二、 三 七 〇 円 五〇
二、 一八 八、 三 一〇 ・八 五 八
八 五、 八 六 九 円 七八
図書館倶楽部及消費組合建築物
︹マ マ ︺
計
南満洲興業株式会社定期借家附帯 工事 の 一部 同 累
計
一、〇 八 二、 九 一六 ・六七 六
六 〇 、 七六 六 円 三六
株式会社共立組合定期借家附帯 工事 の 一部 累
尚 未 決 定 のも の 一部分 あ り
一〇 、大 連 市 北崗 子前 海 面 埋 立 の件
同 海 面 埋立 工事 期 間 を大 正 十 四年 四月 一日 より同 二十 年 三 月三 十
更 正 予算
八、 一〇 〇 、 二六 〇 円
一日迄 とし出 願 した る所 、 西 北 の 一部 二千 六百 平 方米 突 を 窯業 試 験
支 出 の部
差 引 損 益
八 、 一〇 〇 、 二 六〇 円
工場 原 料 陸揚 場 とし て至 急 埋 立 の必要 生 じ た る に付 、右 期 間 を大 正
総督 府 納 付金
七 、鉄 道守 備 隊 満 期兵 農 業 移 民 に対 し乗 船 車 賃 割 引取 扱 廃 止 の件
一 一、 日露協 会 大 連 支 部露 語 学 校 経費 補 助 の件
月 十 一日附 関東 長 官宛 出 願 せり 。
十 三年 四月 一日 より 同 二十 年 三 月 三十 一日迄 に変 更 し至 急 許可 方 三
沿 線 鉄 道附 属 地 に於 て農 業 に従事 せむ とす る守 備 隊満 期 兵 及其 の家
邦 人 の満 洲 に於 け る 小農 経営 の実 際 の適 否 を 試 む る 一方法 とし て
族 に対 し最 初 渡 満 の際 に限 り 大正 三年 五月 以 来 乗 船車 賃 五割 引 の取
大 正十 二年 度 に於 て月額 百 八 十 円宛 補 助 し来 れ る処 経 費 不足 に付
一二 、大 正 十 三年 度 公 費支 弁 各 学校 定 員 増加 の件
追 加補 助申出 あ り本年 度 分 とし て更 に金 五 百円 也補 助 す 。
扱 を為 し来 れ るも 其 の成 績 思 は し からず 、 且附 属 地内 農 耕地 減 少 の 為 今 後満 期 兵 を 収容 す る余 裕 全く 絶 無 とな り た るに依 り右取 扱 を 廃
公
小
学
学
堂
校
七名
一六 名
左 の通 増員 す
止 せり 。
鉄 道 部 、地 方 部 及経 理部 の職 制 改 正 に関 し 三 月 十 日附 内閣 総 理 大
八 、職 制改 正 に付 報告 の件
臣 、鉄道 大 臣 、 関東 長 官 、川 口監 理 官 及岡 田監 理 官宛 報 告 せり 。
稚
園
四名 五七七名
五五〇名
幼 正
現 在定 員 改 奉 天電燈営業所撫奉送電所より首題 公司 に電力供給 に付左記要項
一三、遼陽電燈公司と電力供給 契約締結 の件
金
無利子三箇年据置元金 四箇年目より十箇年賦
金二千 七百円
額
貸金 返済方法
尚本医院 には別途累計五万六千三百円 の貸金現存 す
浦港経由内地向輪出北満豆粕 の大連経由 吸収策 として南下豆粕 一
一六、内地向輸出北満産豆粕 に対す る補 助金増加 の件
米噸 に付金 一円九十銭を限度 とし補助し来 りたる処更 に補助金 を 一 一七、古城 子選炭場設備予算 の件
米噸 に付金 九十銭丈増加する こととせり。
の通契約締結 のこととせり。 一
電力料は 一キ ロワツト時 に付金 四銭五厘とし毎翌月十五日迄
会社 の指定する箇所 に払込む こと。電力料 の算定 は同公司幹線 の
同設備は継続事業として十三年度五十万、十四年度百五万円支出
のこととなり居 れる処都合 に依り十三年度内 に大体 の設備を為す こ
満洲紡績会社 (同社社宅 を除く)其 の他 一口六百 キロワツト
各積算電量計表示の総和とし毎月末之 を計算 する こと 二
ととし不足 額金 八十四万 一千円也十三年度 に於 て他 より流 用支出す
が内 二十万円 は馬 の本炭鉱 に関 し負 へる債務 に充当し、 一万円は原
本件 は二十 万円乃至二十五万円 にて買収 のことに曩 に決裁済な る
の上 は馬雲亭 に対し功労金として金 四万円也贈与す ることとせり。
本 月中に於 て名義書換 を為し得 る運 びとなりたるを以 て書換完了
週報参照)
一八、華勝炭鉱買収 に関し馬雲亭 に功労金支出 の件 (第十八回処務
ることとせり。
以上の動力需用家 に対し ては会 社より直接送電 のこと 会社 の都合により直接送電 の右 工場 に至る線路 を電燈公司既設 本契約 の有効期間は送電開始后 一箇年間 とし満期 に至 り其 の
線路 に添架する場合変電所工場 間の線条保修費 は会社負担 のこと 三
何 れかの 一方より異議 の申出 なきときは更に 一箇年間有効 たるこ と 一四、大連汽 船株式会社運炭船購 入資金貸付 の件 (第三十九 回処務 週報参照)
口統太郎 に功労金として贈与し之 に本贈与金四万円を合 し総計二十 五万円 にて結了するものなり。
大山丸 ( 原名剣山丸) に対す る廻航費 、入渠料及登記料 (船舶購 入原価に加算すべきも のとし て)として同社 の申出 に依 り金九千四
務 雑 施
庶
設
部
一、六四二、七〇三円
四月 一日附左 の通令達する ことに決裁せり。
一九 、大正十三年度事業費予算令達 の件
一五、哈爾賓仁寿医院貸金 の件
百九十二円五十三銭也前貸金 と同 一条件を以て貸付くることとせり。 支那官憲 より依頼 せらるる法医学的検査及衛生警察 上の検査を引 受くる為設備費として左 の通貸付くる こととせり。
鉄
船
工
鉄
湾
舶
場
道
四 〇 八 、 三三 〇 円
三、 七 二 七 、 一二五 円
七 二 五 、 五六 〇 円
三 一二 、 八四 四 円
一二、 〇 五 六 、九 五 六 円
部
港 館 一七 、 二三 〇 、 八〇 五 円
道
旅 計
六 五五 、 五 〇 一円
七 、 五 七三 、 八九 九 円
部
地 方 施 設
八 、 二 二九 、 四 〇 〇 円
施
設
雑
総
計
四 四 、 七 一七、 六 三 六 円
奉 天 紅 梅 町鳥 合 八 十 二 よ り消 費 組 合 撤 廃 方 に関 し 嘆願 あり た る も
二 〇、 満 鉄消 費 組 合 撤 廃 に関 す る件
来 意 に応 じ難 き旨 回答 す 。
東京 駐 剳 理 事 に住 宅 料 を給 す る こと とし 借 家賃 は月 額金 二百 円 也
二 一、東 京 駐 剳 理事 住 宅 料 の件
の限度 に於 て社 費支 弁 大 正 十 三 年 四 月 一日以 降 実施 す る こと とな れ
二 二、在 長 春 露 国 窮 民救 済 の件
り。
長 春 領 事 よ り申 出 あ り首 題 窮 民 中 の患者 救 済 資 金 と し て金 一千 円 也補助す。
山 三 、 二 一七、 八 二 七 円
三七 、 一六 六 円
料 に対 し 一キ ロ ワツ ト時 に付金 六厘 以 内 を補 助 とし て大 正 十 三年
一
小
礦 気
一、 六 四 一、 二三 五 円
一、 二 八 四 、 八〇〇 円
遼 陽 満 洲紡 績 株 式 会 社 、金 州内 外 綿 株 式会 社 、 周 水子 満 洲 紡績 株
二三 、 紡 績会 社 使 用 電 力 料 金 に関 す る件
電 斯
業
瓦
十 月 及 同 十 四年 四月 の両 度 に交 付 す る こと ( 本 補 助 の結 果 紡績 会
設
設
八 、 〇 二九 、 八 一五 円
三 、 二 八 八 、九 二三 円
九 三 、 五九 八 円
︹マ マ︺
用電機は六百馬力以上 のも のを設備し電力料金は会社規定 の
毎営業決算期 に於 て事業費営業収支及利益処分等に関す る報
必要 に応じ何時 にても会社 に於 て事業 の内容 に付調査す るも 異議 を述 べざる こと
四
告書 を会社 に提出す ること
三
料金 にて供給する こと
二
社 負 担 竜 力 料 金 は 一キ ロワ ツト時 金 二銭 五 厘見 当 と な る)
大 正 十 三年 四月 一日 より同 十 四年 三 月 三十 一日迄 の使 用電 力
式 会 社 使 用電 力料 金 に付 左 記 要項 の契 約 を 締 結す る こと と せり 。
地 方 施 設
二 一、 三 六 四 円
理
施
設
雑
六 、 二 〇 二、 三 九 二 円
小
施
所
部
計
部
計
方
小 地
興
経 雑
施
撫 順 炭 礦 雑
鉄
鞍 山 製 鉄所 製
前 記 各項 に違 背 し た る と き は何 時 に ても補 助 金 の交 付 を中 止
し又 は交 付済 の補 助 金 の返 還 を要 求 した る場 合 は直 に之 に応 ず る
五
こと
拓 殖 事 務 局長 の照 会 に対 し会 社 の希 望 左 記 の通 三 月 十 四 日附 関 東
二 四、 満 洲 生産 物 優 遇 方 の件
一
免 税 を希 望 す る品 目
庁 経 由 回答 せ り。
大豆 油 、大 豆 油 の硬 化油 、 銑 鉄 、 野蚕 屑 半 製品 、硝 子 器 及 板硝
同鉄路十 一年度 (十 一年 七月 、十二年六月迄)営業収支決算申出 通承認 せり。
尚利益金 中会社 に対する配当額 は銀十 一万八千九十 二円二十九銭
民国政府 に対す る納付額 は四十七 万二千三百六十九円十六銭 なり。
首 題用地として鉄西附属地共同墓地附 近に於ける奉天窯業会社商
二六、奉天獣疫研究所用地買収 の件
転
費
金
額
六二、五〇〇円
名
二、 一九 一円六〇
二〇点 (一六、五六八瓩)
車掌車用鋼材
二〇、〇〇〇円
二、〇〇〇円
七、五〇〇円
二五、〇〇〇坪
四、〇八〇円
四五六坪五
五、〇〇〇坪
算 出根拠
租地 二万五千坪 (一部共同墓地移転引当 地を含 む)を左記に依 り買 名 奉天窯業会社土地商租権買収費
件
収する こと に決す。
同
子 、木 材 (厚 六 十 五 ミ リ メ ート ルを超 えざ る薄板 )、 コー ライ ト 、 獣 肉 及加 工品 、 鳥肉 及加 工品 、 鶏卵 、 マグ ネ サイ ト製 耐 火 及 建築
墓 地 移 転 地 地 均 費 移
煉瓦〓其 の他建設物移転費
材 料 、 ステ アリ ン、 オ レイ ン、 グ リ セリ ン、 鋼材 、 ガ ン ニー嚢 、
地
奉天 窯 業 会 社 建 物 買 収 費
九 ・ 二五 〇 円
一二、 〇 〇 〇 円
墓
毛 織 物 、 野蚕 布 、 黄 麻 布 、同 帆布
大 陸 窯 業 建 物 其 の他 買 収 費
品
量
進
格
真鍮板
価
者
会 名
商
契 約
二点 (一、 一一五瓩)
和 品
量
数
二七、物品購 入 (十三年度 予算支弁) 一
二
教
一 一七、 三 三 〇 円
獣 疫 研 究 所 用 地 地 均 費
関 東 州 及鉄 道 附 属 地 減 免 を受 く べき 期 限 関 税 定 率法 の改 正 に至 る迄 暫 定 規 定 とし て公 布 せし め同 法 改 正
計
関 税 の減免 を受 く べき 地 域
減 税 を希 望 す る品 目
セメ ツト 、皮 革 、曹 達 灰 、 パ ルプ 、大 豆 、粟 、小 麦 、米 、高 梁 二
三
四
関 税 の減 免 を希 望 す る も外 国 と の条 約 上関 税 の減 免 困難 な る地
関 税免 除 の方 法
の場 合 には 比 の趣 旨 を包 含 せ し め たし 五
の払戻 を希 望 す
域 に在 り て は関 税 の減 免 に相 当 す る奨 励金 の下 附 又 は輸 入後 関 税
二五 、吉 長 鉄 路 十 一年度 決 算 承 認 の件
三
四
五
六
価 契 品
約
格
一、五 四 八 円 九 六 店
千
商
者 六 十 一噸 貨 車 用
村
名
二 五 〇箇
ボ ル スタ ー
量 四 三 、 六 二 五円
ト ラツ ク 数 格 店
価 商
六十 一噸 石炭 貨 車 用
鈴
木
者
約 名
契
三月四日附拓秘第 七三号 にて認可せられたり。
一、第 二十回社債発行認可
組合員 一名脱退 に付保証 限度金 四万七千〇五十八円四十七銭 を金
二、臻嶺路住宅組合債務保証変更 の件
四万三千七百 五十八円四十七銭 に変更せり。
拓殖事務局及航空局主催首題研究所新 設第 一期計画資金 (建設費、
三、航空研究所新設資金負担方 の件
経常費 )大正十三年度予算金五十五万円也 に対し会社二十万円、関
ありたるに、付政府十五万円、朝鮮総督府 二十万円、会社及関東庁
品
一二 〇箇
各十万円 の振合 にて支出 のことに交渉方支社長宛通牒す。尚十 四年
鮮総督府当局協議会 に於 て内議 したるに依 り承認方支社長より申越
東庁 十五万円、朝鮮総督府 二十万円 の振合 にて負担方会社関東庁朝
量 二 〇 、九 四〇 円
ボ ル スタ ー
数 格
トラツク
価 店
製鉄所 の事業中 止に伴 ふ 一般 市況 の不振 に鑑 み大正十年以来年 々
商
鈴
件数は四百九十五件、面積 二十八万四千 七百八十 一・二三平方米、
免 除し来 りたる処更 に大正十四年 三月末 日迄免除す、尚現在 の貸 付
四、鞍山宅地貸付料金免除 の件
三井物産会 社
貸付料月額千三百三十四円三十六銭なり。
木
者 ニツケ ル
約 名
一四、 七 二 〇 円
四八 箇
者
フ ロ ント ・ エンド ・ヒ ンヂ
五、奉天外国語学校名称変更 、制度改正及教員増派承認 の件
契 品
格
量
度以降経常費負担方 に付附 記照会 せり。
数
名 八組
ク ロー ム鋼 鍛 成 品
価
品 量
一、 三 八八 円
約
数 格
三井 物 産 会 社
契
価 者
契
一
本科修業年 限二箇年を三箇年 に延長し日本語教授 に加 ふるに
現名称奉天外国語学校を奉天同文商業学校と改称す
三 右 に伴ひ大正十五年度 より日本人教員 一名を増派す経費年額
乙種程度 の商業教育 を施す
二
大正十三年度 より左 の通実施方承認 せり。
約
処務週報 秘
第五十回
社 文 雑 二 三第 四 一号 ノ五 〇 大 正 十 三年 三 月 二十 四 日
費 を以て国際運送株式会社 に譲渡す
四
代弁事務 に供用す る諸帳表及用紙 は会社 に於 て之を作成 し実
千八百円。但 し従来 よりの補助年額金五千五百六十 二円は従来通
代弁事務 の取扱 に関し故意 又は過失 によりて生 じたる会社 の
負担す べき 一切 の責任 は国際運送株式会社其 の責 に任ず る こと
五
補助す るも のとす 六、鞍山神社建築費寄附 の件 六
当事者 の 一方は三箇月以前 の予告 により何時 にても本契約を
解 除す ることを得
一般寄附金二万円 の醵出実行せられ予定工事竣成 の暁 に於 て金 一 万円也寄附す ることとせり。
同 人の借 入金十五万円 に対す る大正十 二年 一月二十七日より大正
一一、山東省同泰煤礦公司主吉田房次郎債務利息代払 の件
は次 の 一箇年之を継続す
とし期限満了 一箇月以前 に当事 者より何等 の予告 を為さざ るとき
七 契約期間は大正十 二年十二月 一日より大正十三年三月末 日迄
七、日本旅行文化協会経費補助 の件 大正十三年度分 とし て金 一千二百円也補助す。 八、国際通信株式会社株式引受 の件 事業拡張 の為資本金十万円を三十 万円 に増資 し現株 一株 に付 一株 宛割当 に付会社は現持株 (百五十株)丈引受くる こととせり。 九 、鉄道守備隊満期兵 に写真帳贈呈の件
あり本人 に於 て差 当り支払 の見込なきに付会社に於 て代払を為す こ
十三年 一月 二十六日迄 の利息 一万八千 円也代位弁済方東拓より請求
呈す。経費千六百円
ととせり。
三月下旬満期帰還兵約千百名 に対 し例年 の通会社沿線写真 帳を贈 一〇、哈爾賓に於 ける代弁事務 を国際運送株 式会社 に請負はしむ る
一二、渓〓鉄路公司大正十三年度興業費及営業費予算承認 の件
一一、三九五円
三月十九 日附左記の通承認 せり 。
の件
八六、四四四円三〇
左記要項 により同事務 を諸負はしむ ることとせり。
興 業
費 営業費収入予算
哈爾賓 に於 て会社 に依託せられたる貨物 の運送及之 に関聯す
る代弁業務は会社 の名 に於 て会社 の規定 に依 り国際運送株 式会社
一
九、九〇九円 二三
七六、五三五円〇七 差 引利益
営業費支出予算
本請負 に対す る報酬とし て会社は会社所定 の代弁 に対する諸
に於 て之を為 す
一三、本渓湖、立山発大連埠頭 、営 口着銑鉄運賃低減 の件 ( 第六、
二
料金 の全額 の外取扱 一件 に付 一円五十銭 を手数料 とし て 一旬毎 に
中継続低減す。
従来通大連埠頭着噸哩 一銭 、営 口着噸哩 一銭 五厘 に大正十三年度
第十、第 三十 二回週報参照)
代弁業務 に関聯し て収入したる諸立替其 の他 は毎日会社 に報
国際運送株式会社 に支払 ふ 三
告 し其 の回収金 は 一旬毎 に会 社に納入する
一四、南満鉱業株式会社貸付金期限延期 の件 同社貸付金 五万円也は大正十二年 九月八日を以て期限到来 の処同 一条件を以て大正十三年 九月八日迄貸 付期限 を延期 せり。 一
浜町船〓仮防波堤築 造工事
一五、認 可 工 事
四四、五 三四円
四五、四六五円
八九、九九九円 営
訳
事 費
負 費
二五〇、六九 七円七〇
三十輛製作 工事 ( 直営)
直
工 事
土運車
請
内
工
二
大正十 三年三月二十九 日
現行急行券 は最 初乗車したる列車 に限り有効 なるを大連長春間急
一、急行列車急行券有効範囲及料金改正 の件
行列車 と奉天釜山間急行列車とを通じ乗車す る旅客 に対しては直通
使用を認むる こととし五月 一日より実施 に付認可方関東長官 に申請
量
名 一〇〇、六七二円 一三
一九連
鉄桁
回 週報 参 照)
二 、大 連 汽 船 株 式会 社 運 炭 船 購 入資 金 貸 付 の件 ( 第 二十 一、 四十 二
表
一 品 格
空気 圧搾機 電動機及石油機 関付
満洲船渠株式会社
金
数 者
正 料
価 名
改
せり (三月二十 六日附 認可 せら る)
契 約
一六、物品購 入 (十三年度予算)
品 量
一二、九九 二円二五
二台
二
十 五 銭 也 、前 と同 一条件 に て貸 付 く る ことと せ り
る こと に決 す 。
大 正 十 三 年 四 月 一日 より同 十 四年 三月 三十 一日迄賃 借 (昼 間 丈) す
同 校 々舎 に充 当 の為 市立 商 工学 校 々舎 を年 額金 五千 七 百 円也 に て
三、 本 社 見習 学 校 々舎賃 借 の件
運炭 船 ク ロスウ エー購 入資 金 と し て金 二十 万 一千 十 三 円 三十
格
竜 鳳 丸 (原 名 明 地丸 )購 入 に伴 ふ附 帯 費金 八千 三 百十 四円 二
数
会
七銭 也 他 と同 一条 件 を以 て貸 付 く る こと と せり。
田 商
ガデリウ ス商会
一
価 約 者
二
契
高
第五十 一回 処務週報 社文雑 二三第 四 一号 ノ五 一 秘
四、消費組合損害賠償金年賦補給 の件
一部抜取売却 の場 合
同
金九四円
金 九 一円
一瓲 に付 金 八〇円五〇
七三円四 一
七四円六 一
二 軟
同
大正十二年四月 に於 ける三入札者平均額 六五円〇四
軟 鋼 U型
鋼 隅
約解除 に伴 ふ損害賠償金三十八万百七十八円十 六銭也 に対し年八分 軟 鋼 I型
同組合 に於 て購 入せる江蘇米 五万石中四万四千八百 四十九石 の契 の利子を附し大正十 二年度より同 二十二年度迄十 一箇年賦 とし毎年 五、鳳鳳城南満黄煙組合事業費補助 の件
一
期
金
限
額
一箇年、利 率年 一割、八月及 二月末日 の両度
金十万円
南満鉱 業会社 に対し左記 の通貸付く ること に決す。
一一、漆喰及塗料製造資金貸付 の件 (第 四十五回週報参照)
申出 ありた るに付 三月二十六日附 承認 せり。
時総会 に於 て金 百五十万円也 (四分 の 一払込) に減資方可決承認方
同社資本金三百万円也 (四分 の 一払込)を二月二十九日の同社臨
一〇 、南満 鉱業株式会社減資承認 の件
於 ては何等計画 し居らざ る旨三月 二十 六日附 回答せり。
画 ありと の支那側情報 に対し関東庁逓信局長 より照会 あり、会社に
満鉄 が費用百二十万円を以て長 哈間 に電話線 を架設 せむとす る計
九 、長哈間電話線架設 に関する件
度末特 に之 を補助 することとせり。 大正十三年度同組合事業奨励金 とし金七千円也補助す。 六、大連駅新築 に付内申 の件 大正十三年度 より工事 に着手 に付承認方三月 二十五 日附関東長官 に内申す。 七、東亜勧業株式会社株式中大倉組引受株を会社及東拓 にて引受方 同社大倉 組持株十万株 を会社 四万株東拓六万株 の割合 にて同社当
の件 期決算終了後に於 て引受くる こととしたきに付東拓 に交渉方支社長 宛通牒せり。
二
に利子を払 込む こと。期 限は双方協議 の上更
沙河 口工場在庫中 の鞍山製鉄 所建設当時 の余材地金類約八百 三十
八 、停滞地金類売却予定価格変 更の件
に延長す るを得 ること。 保
六瓩 は大正十二年 四月 一般当業者 に競争入札 の上売却 せむとした る 担
一二、土地協議会規程中改正 の件 ( 第 四十 四回週報参照)
を設立 し建物内動産を無償会社 に譲渡 すること
位 の抵当権、大連管内夏家河子所在建物 に対し第 一順位 の抵 当権
神奈川県下橘樹郡 田島村所在土地七、六三七坪余 に対し第 二順
三
も予定価格 に達 せざりし為見合 せたるに今回東京葛原商会 より帝都 復興 に使用 の目的 にて払下方申出あり、年 と共 に益品質低 下す べき により左記の通予定価格を変更 し予定価格 の範囲 を下らざ る場合 は 全部ツツ コミ 一山として売却する場合 一瓲 に付 金六〇円
之 を売却する ことに決す。 一
数 格
量
三六、五六〇円
四台
三菱 商 事 会 社
価 者
一式
露天掘選炭機
委員長 を松岡理事に、委員を文書課長各部長 に、幹事 を地方部地
名
方課長 に改め三月二十 五日より施行す。
量
約
品
三井物産大連支店
約 一、 二〇〇、〇〇〇円
契 数
格
一三、予算委員会設置 の件
買付依頼者
価
三
人事課長、各 部長 、撫順炭礦長 、鞍山製鉄所長、幹事は経理部主計
品
量
名
二、〇七〇円
一、〇〇〇箇
ブ レーキ ヘツト
二十四日首題委員会を設置せり。委 員長森理事、委員 は文書課長、
予算 に関す る重要方針 を考査研究 し且予算規程を審査す る為三月
課長とす。
数
三 輪 商
四
格
三月 二十四 日附認可 せら れたり。
者
一四、撫順炭礦電気供給規程認可 ( 第十 一回週報参照)
価
費
費
一九 二、 二六 九 円 二 七
ロ コモ テイ ブ
二 五 一、 一八 四 円
一台
ガソリン
会
契
事
事
量
名
会
約
(第四十九回週報参照)
一五、大連電気鉄道 切符効用区間変更 竝貸切電車料金制定 の件認可 三月二十 四日附認可せられたり。 一六、認 可 工 事
工
清 河 一 金溝子間第 一期複線橋梁新設工事 二 工
桓勾子 間第 一期複線土工橋梁新設工事 〓子 溝
数
商
高
四 、六 一〇 円
安治 川鉄 工所 製
田
格
名
者
品
価 契 品
約
一七 、物 品 購 入 ( 十 三年 度 予算 ) 一
二
電 動 架空 起 重 機
車場 の移転 に着手し、且列車回数 の増加 に伴 ひ列車 運転 の保安 を図
条敷替 及枕木増設 工事は之 を続行し、沙河 口停車場 の新設並撫順停
第 二十 三 回 ( 大 正 十 二 年 度)営 業 報 告 書
極秘
る為 、主要駅に聯動装置及信号機 の増備を為す等諸般 の改良 工事を
三
一 日
に関 しては過年度来 施行し つつありし東寺児溝及小崗子海面埋立工
場 に於 ける機器 の補充 を為す等八百九拾九万八千円 を決算 し、港湾
施行 し、其 の他工場 に於け る構内軌条 の敷設及水源池 の拡張 及各職
自大正十二年 四月
第 二十三回営業報告書 大正十二年度 大連市東公園町
至大正十三年 三月三十 一日 南満洲鉄道株式会社 大正十 二年度 (大正十二年 四月 一日より大正十三年三月三十 一日 至る) の会計を決算 し営業報告書、貸借対照表 、財産目録、損益計
ふる為第三埠頭 の西方 に新 に第 四埠頭 の築造を計画 して、本年度は
事 、大連港浚渫工事 は何 れも之 を続行し、尚大連港将来 の進展 に備
を以 て計画を樹 てたるが、事業 の進捗上約弐千九百拾九万余 円の決
円及前年度繰越約弐千百参拾万円合計五千弐百九拾弐万円 の事 業費
第 一款 総 況 大正十 二年度 に於ける当社 の施設は新規事業費約参千百六拾弐万
ふ諸般 の施設を行 ひて弐百壱 万六千余 円を決算 し、製鉄所 に関して
機械 の購入を為し以 て鋭意出炭増加を図り且、炭礦作業 の進展 に伴
安施設 の改善を為す の外、露天掘を拡張し之 に伴 ふ線路 の新設、諸
て下磐 坑道 を掘進して経済的稼行を為 すと共 に坑道 の保強、坑内保
百八拾弐万千余円を決算し、鉱山 に関しては老虎台坑及新屯坑 に於
第 三埠頭と第 四埠頭 との中間部 たる丙埠頭 の築造 に着手し、其 の他
算 を為したり。其 の主 なるも のを述ぶれば鉄道 に関しては輸送能力
は製鉄事業 の現況に顧 み全然新規事業 の計画を中止し、単 に先年破
一、営業報告書
算書及利益配当計算書を掲げ茲 に株主各位 の承認 を請ふ。
の増進を図 る為、旅客列車用機関車二輌 、貨物列車用機関車九輌及
埠頭各般 の改良を行 ひて荷役作業竝船客 の乗降に便ならしむ る等弐
客貨車八十 五輌 の建造を了し過年度来施行し つつある複線 工事、軌
風機 一基 を増設 し、尚之に必要なる汽罐室 の増築及汽罐二基 の据付
損せる第 一鎔鉱炉 の改築 を続行し、其 の附属設備 とし て風圧強き送
入壱億八千五百六拾九万八千余円、営業費壱億五千九拾万参千円差
加 し、差引益金に於て弐拾八万五千円を減少せり。更 に各事業費 に
に於 て千五百七拾四万弐千円、経費 に於 て千六百弐 万六千余円を増
電気に関 しては大連其 の他各地 の開発 に伴 ひ電燈電力 の需要増加せ
就 てそれを看れば鉄道業 にありては収入九千弐百弐拾七万円、支出
引純益参千四百七拾九万六千円にして、之 を前年度 に比すれば収入
るを以て、大連天 の川発電所 に五十サイクル五千キ ロワット発電装
参千 五百七拾 八万八千円 にして差引五千六百四拾八万弐千円の益金
工事を施行し、且副産物工場 の拡張 を行 ひて八拾六万余 円を決算 し、
置を増設したる外、各 地に於 て諸機械 の増備 を為し、且配電線 の延
瓦斯に関しては大連 に在 りては前年度 に於て第 三期拡張 工事全く竣
加す るあり、結局鉄道収入総額 に於 て四百 四拾五万七千円 の増加を
長を行 ひ又大連市郊外 の急速な る発展 に鑑み、市外線 の延長及複線 を挙 げ得たり。之を前年度 に比す れば収 入に於ては撫順炭 の輸送旺 工事を施行し、且車輌 の新造を行ふ等百五拾 八万八千余円 を決算 し、 盛 なりし為貨車収入 の増加を来 し、加ふるに 一般的 に地方旅客 の増 りたるを以て、本年度 は専ら瓦斯管 の増設を為 し、更 に又前年度着
りたる結果、運転石炭其 の他直接費 の減少 を為し得 たるも、大正十
来 せり。次に経費 に於 ては鋭意之 が節約 に努め作業能率 の増進を図
壱万九千円差引益金七万四千余円 にして前年度 に比し、収入は主 と
次 に港湾業 に在 りては収 入七百八拾九万参千余円、支出七百八拾
二年八月中未曾有 の豪雨出水に遭遇し、之 が為保存費 の増加を来 し
手したる奉天瓦斯新設 工事は製造所 の建設及瓦斯管 の敷設を了りて、
為 した る外、各地ヤ マトホテルに於け る設備 を整 へ約拾四万参千余
し て大連埠頭 に於 ける倉庫貨物 の取扱数減少 したると、上海埠頭 に
大正十 二年十 二月之が営業 を開始し、尚安東 に於 ても大正十二年四
円を決算 せり。而して地方施設 に関し ては医院学校 の新増築 を初め
たると事務費 、総体資分担額 に於 て増加したる為百六十壱 万八千円
各附属地 の道路、給水及排水設備 を施行し、用地 の買収を為 し又窯
於け る収入 の減少 したる為 、七拾八万千余円の減少を来したるに拘
を増加し、差引益金 に於 て弐百八拾参万八千余円を増加 せり。
業試験工場 に於 ては新 に窓硝子工場 の建 設工事 に着手し、八百六拾
らず経費 は総体費 の分担額増加したる為、四拾弐万七千円を増加し
月新 に瓦斯営業 の許可 を受け て之 が施設 に着手 せし等 百拾九万七千
四万八千円を決算 し、其 の他雑施設 に関 しては事務所 ・社宅及社員
余 円を決算 し、旅館に関 しては星 ケ浦避暑客 の為 に貸別荘 の増設 を
倶楽部 の新増築を行 ひて之 に弐百六拾 四万六千円を決算せり。
次に鉱業 に在 りては収 入六千参 百九拾壱 万五千余 円、支出 五千九
差引益金 に於 て百弐拾万八千余円 の減少を来 せり。
百八拾参万七千円差引益金四百七万九千円にして前年度 に比し、売
以上 の事業 に対す る資金としては前年度繰入資金中 の大正十 一年 度持越事業費引充額及第十八回社債手取金額約千八百万円を以 て之
炭成績 一層良好なりし為収入は千七拾七万五千余 円を激増したるも、
出炭増加 に伴ひて経費 も亦千参百四拾壱万弐千余円を増加し、益金
に充当せり。 次 に大正十二年度営業成績 の大略を述 ぶれば大正十二年度営業収
次 に製鉄業 は引続き銑鉄生産費 の低減 に努 め市場 の開拓を図ると
に於 て弐百六拾参万七千余円を減少せり。
るを以て、尚詳細 に就き ては第三款 に於 て事業別に之を述 ぶること とす べし。 重役 の任免
務
大正十二年六月二十七日正四位勲 三等理事島安次郎及正五位勲三
重役 の任免左 の如 し。
未だ損失 の域を脱する能 はず 。収入参 百七拾万四千円支出五百九拾
第 二款 庶
四万五千 円、損金弐百弐拾四万千円、之 を前年度に比すれば収 入参
等理事中川健蔵は孰 れも任期満了 に付退任し、同 日従四位勲四等入
同時 に、尚貧礦処理 の方法 に就 ては研究 大に進 みたるも本年 度も亦
拾壱万七千円増加 し支出 ( 製品原価に於 て著しく減少したる為)は
大正十 二年十二月 二十二日監事小山健 三逝去 せり。
江海平及梅野実は孰 れも理事 を命ぜられたり。
其 の他電気業 に在り ては電燈電力 の需要増加 に基 き逐年順調 の発
六拾四万千円を減少し、損金 に於て九拾 五万七千余 円を減少 せり。
の為益金 に於 て前年度 に比し拾万余円 を減少し、瓦斯業に在 りては
金 九拾参万弐千余 円にして、本年度 は保存費及総体殿分担額 の増加
年六月十五日当会社監理官関東庁事務総長土岐嘉平は大阪府知事 に
任鉄道省監督 局長岡田意 一は当会社監理官を命ぜられ、又大正十 二
弁出繁 三郎は依願本官を免 ぜられたるを以て、同年十 一月 二十日後
大正十二年九月十日当会社監理官鉄道雀監督局長
収 入九拾弐万円、支出六拾壱万参 千円、益金参拾万七千円にし て益
任ぜられたるを以 て、同年十 二月十 六日後 任関東庁事務総長川口彦
監 理官 の更迭
金 に於 て九千円 の増加を見、旅館業 に在りては収 入百壱万七千円支
治は当会社監理官を命 ぜられたり。
達 を辿り て、本年度は収入五百弐万八千円支出 四百九万五千余円益
出 百参拾五万四千円、差引損金参拾参万七千円にし て、前年度 に比
楽町 一丁目 一番地帝国鉄道協会 に於 て、第 二十二回定時株主 総会 を
大正十二年六月十六日東京市麹町区有
開き大正十 一年度 事業報告書、貸借対照表 、財産目録及損益計算書
第 二十二回定時株主 総会
円に上り、医院其 の他収入四百五拾弐万四千円を差引、八百弐拾九
院 、学校、産業 及各種試験事業等に要 せし経費 千弐百八拾弐万千余
し壱 万五千円 の損失増加せり。終りに地方経営 の事業 に在 りては医
万八千円 の支出 にし て前年度 に比し百四拾六万余円 の増加なり。
大正十 三年 二月十六日東京市麹 町区有楽町帝国鉄
事項は之 を社長 に 一任す。
前項社債募集 の時期方法、利子歩合、償還期限其 の他 必要なる
社債金八千万円を募集す。
一、社債募集 の件
道協会 に於 て臨時株主総会 を開き左 の事項 を決議 せり。
臨時株主総会
の承認竝利 益分配案 の決議 を為せり。
尚委託経営 に係 る朝鮮国有鉄道 に在り ては本年度運輸状況は旅客 貨物とも良好にし て、総収入参 千参百七万六千円、前年度 に比し弐 百参拾八万九千円を増加 し、総支出は参 千弐百九拾六万四千円 で前 年 度に比し弐百 四拾九万六千円を増加し、差引会社収得金は前 年度 以上は本年度 に於ける施設竝営業成績 の梗概 を述べたるに過 ぎざ
に比し拾万七千円減じたる拾壱万弐千円なり。
第 十 八次 社 債募 集 の認 可
第 十 八次 社 債 発行
大 正 十 二年 六月 二 十 七 日第 十 八次 社債
大 正十 二年 八 月 一日第 十 次 、第 十 一次、 第 十
募 集 の件 認 可 せら れた り 。
第 十 九次 社 債発 行
大 正十 二年 七 月十 九 日第 十 九 次社 債 英 貨 四百
万 磅 を英 国 倫 敦 に於 て発行 し 、左 記条 件 に依 り株 式会 社 日本 興業 銀
利札附とす。
英 貨 弐 拾 磅 、百 磅 、弐 百 磅 の三種 と し 無記 名
毎 年 一月十 五 日 及 七月 十 五 日 の 二回 に利 札
額 面英 貨 壱 百 傍 に付 八拾 八磅 の割 合 と す 。
一、各 社 債 の金 額
行 を し て其 の金額 を引受 けし む る ことと せ り。
に依 り株 式 会 社 日本 興 業 銀行 外 九 銀 行 を し て引受 けし む る ことと せ
一、発 行 価 格
二次 社債 の 一部償 還 に充 つる為 社 債 金 弐千 万 円 を発 行 し 、 左 の条件
り。
一、利 率
大 正 二十 二年 七月 十 五 日迄 据 置 き 、大 正
三十 七年 七 月十 五 日 に償 還 す 。但 し据置 期 間経 過 後 に於 ては六箇
一、償 還 の方法 及 期 間
算 し た るも のと す 。
五分 の割 合 を以 て計算 し 、 之 に額 面 壱 百磅 に付拾 五志 の金額 を加
と引 換 に各前 半 年 度 分 を支 払 ふも のと す。 但 し第 一回 の利 子 は年
年五分 一、利 子 支払 の方 法
壱 百 円、 五 百 円 、壱 千 円 、 五千 円 、壱 万円 の
一、各 社 債 の金 額
額 面 百 円 に付 現 金応 募 九 拾 五 円乗 換 応 募 九拾 四 円
年 七分
五種 と し無 記名 式 利 札 附 とす 。 一、利 率 一、発 行 価 格 五拾 銭 左 の南 満 洲 鉄道 株 式 会 社 社債 券 は額面 壱 百 円
( 利 札 欠 缺 ) に付 下 記 割合 を以 て払 込 金 に代 用す る こと を得 。
一、証 券 代 用価 格
の件 認 可 せ ら れた り 。 予 算 に関 す る認 可
大 正十 三年 三月 四 日第 二十 次 社債 募 集
大 正 十 一年 度 事 業費 予算 変 更 の件 は大 正十 二
第 二十 次 社債 発 行 の認 可
本社 債 元 利金 の支 払 は政 府之 を保 証 し其 の旨 を
一、政 府 の保 証
月 前 の予 告 を以 て抽 籤 に依 り 一部 償 還 を為 す こと を得 。
九十 九 円 五 拾銭 の割
イ 、第 十 次社 債
ハ、第 十 二次 社 債 九 十九 円 四 拾銭 の割 大 正 十 二年 八 月 一日 よ り 一箇 年据 置 き其
債 券 面 に記載 す 。
ロ、第 十 一次 社 債 九十 九 円 六拾 銭 の割
一、償 還 の方 法 及 期 間
の後 大 正 十 八年 八月 一日迄 に随 時償 還 す る も のとす 。 但 し 一部償 還 は抽 籤 に依 る。
は大 正 十 二年 八月 二十 四 日、 大 正十 二年 度 営 業収 支 予算 更 正 の件 は
年 六月 十 六 日 、大 正 十 二年 度 事業 計 画 及事 業 費予 算 第 一次追 加 の件
毎 年 二月 一日及 八 月 一日 の 二回 に前 半 箇年
一、利 子 支 払 の方 法
大 正 十 二年 七 月 十 四 日第 十 九次 社 債募
職 制 の改 正
大 正十 二年 四 月 二十 一日当 会 社事 務 分 掌規 程 を改 正
支 予 算 の件 は大 正 十 三年 三月 二十 九 日何 れも 政府 の認 可 を得 たり 。
大 正 十 三年 二 月 二十 二 日、 大 正十 三年度 事 業 計画 、 事 業費 及営 業 収
分 を利 札 引換 に支 払 ふも のと す 。但 し償 還 の場 合 に於 て半 箇 年 に
第十 九 次 社債 募 集 の認 可
満 たざ ると き は 日割 を 以 て計算 す。
集 の件 認 可 せ ら れた り 。
し て社長室及庶務部 、鉄道部、地方部 、興業部、経理部 の五部 に改 め、且地方機関を統 一して地方事務所 及鉄道事務所 の二となし、撫 る等 、専 ら事務 の系統 を正し機関を統 一し以 て事 務 の簡捷能率 の増
順炭礦 、鞍山製鉄所 、医科大学及哈爾賓事務所を社長 に直属せしむ
大正十 二年度末株主 人員は壱万弐千拾
後同年 五月五日、同十 三年二月十九 日、同年三月三日職制中 の 一
進 を図 れり。 部 を改正 せり。 株主入員及株式名義書換
弐名 にし て、前年度 に比し参百六拾 六名を増加し、又同年度内株式 名義書換登記株 数は第壱回、第 弐回、第参回募集株式 に於 て拾壱 万
大正十二年度末 に於け る第 一回株金払込領収証 と
千八百四拾壱株 にし て第四回募集株式 に在り ては拾 八万八千弐百六 株券引換未済
株なり。 株券と の引換未済 の株主は、第参 回募集株式 に於 て七名、第 四回募
大正十 三年三月三十 一日現 ( 在 傭員 は三月十五日現在
)
大正十 二年度末 に於ける株金払込未済 の株主 は拾
集株式 に於 て四拾 四名 にして又株券分割 に依る引換未済 の株主 は七 株金払込未済
名 なり。
表
八名 にして此株金六千 六拾円株数四百四株 なり。 社 員
本表 の外京城鉄道 局所属職員千三十六名、雇員 二千三百四十四名、
鉄
道
第 三款 事
業
嘱託九名、傭員九千七百二十 八名あり。
設
第 一節
線路 本年度内 に施行したる改良工事 は前年度 より継続せる蘇
一、施 イ
家屯構内第 一種聯動装置、大連沙河 口間線路勾配変更工事、沙河鎮
駅上下避難線新設 工事等 にし て全部年度内 に竣工せり。尚本年度 に
於 て施行せる主 なる工事は鉄 嶺鉄嶺河間、中固高台子間、開原清 河
間、金溝子馬仲河間、馬仲河昌図間、雙廟子恒勾子間、廟子溝四平
街間及蘇家屯撫順間 の複線土木橋梁新設工事 、田家熊岳城間上り本
線 、万家嶺海城間下り本線及安奉線 の 一部百封度軌条敷設替 工事、
本年度内車輌 の建造を了 せるも のは機関車 に在 りては旅
子桓勾子間、鉄嶺鉄嶺河間復線土木橋梁新設 工事、撫順 駅移転工事
撫順駅移転工事等 にし て以上 の内未竣工 のものは開原清河間、雙廟
車輌
等 なり。
客列車用機関車 ﹁パ シフイ ツク﹂型 二輌、貨物列車用機関車 ﹁デ カ
ロ
ボツト﹂型九輌 、計十 一輌、客車類 に在りては二三等合造客車 三輌、
三等客車十五輌 計十 八輌、貨車類 に在りては無蓋車三十七輌、土運
に於 て製作中 のもの機関車十五輌 、客車類十八輌、貨車類百 四十五
車十 五輌、冷蔵車 五輌 、車掌車十輌計六十七輌 なり。尚年度末現在
其 の他車輌各部 の改造 工事施行 の主 なるものを挙ぐれば機関車 の
輌 なり。 効率 を増進 せしむる為過熱器装置を施 したるも の四十 四輌、其 の他 各種 の取付改良を施 したるも の八十四輌計百 二十八輌 、客車類十九 年度末現在 車輌数
本年度末 に於 ける車輌数 は機関車 三百七十 七
輌、貨車類四百九十 七輌 に対して諸般 の改造工事 を施行 せり。
本年度内施 設 の主 なるも のは沙 河口工場 にありては工場
輌、客車類 三百九十 一輌、貨車類六千二百四十 七輌合計七千十 五輌 工場
なり。 ハ
構内 に鉄道線路を増 設し水源地 の拡張 工事 を施行し、組立職場 に頭 梁起重機 一台を取付、動力室 に電 動機配電盤を取付けたる等、専ら 各職場 の改造竝不足機器 の補 充をなし、遼陽工場に在 りては特 に著
輸
業
しきも のなし。
イ 運
二、営
概況 本年度営業 日数は大正十 二年四月 一日より大正十三年 三月 三十 一日に至 る三百六十六 日にし て、平均営業哩数は六百八十六哩 九分なり。之 を前年度 に比す れば営 業日数 は 一日を、平均営業哩数 は零哩九分を何れも増加せり。而 して運輸収入は旅客貨物共著しく 輸送増加した る為、其 の総額九千弐百弐拾六万九千七百参円六拾 七 銭 に上り、前年 に比 し約五分即ち四百 四拾五万六千 六百七拾四円参 拾 四銭 を増加せり。次 に営業費 は参千五百七拾八万七千五百八拾九 円五銭 にして、前年度 に比し百 六拾壱 万八千三百 四円拾銭 を増加し た るは運転費 、車輌費、運輸費及附属港湾費等 の如き直接経費 に於
て節 約 を見 た るも 、 水 害復 旧 工事 の為 多額 の保 存 費 を支 出 した ると 、
今本 年 度 に於 け る運 輸営 業 成 績 の梗 概 を示 せば 次 の如 し。
事 務費 其他 の間 接 費 に於 て著 し き増 加 を来 した る に因 るも のな り 。
旅客運輸 本年度 に於け る旅客運輸 の平均営業哩数は六百 七十八
哩七分、乗車人員は八百七十 六万二千八百 六十 二人、客車収入は千 参百四拾参 万千八百五拾六円拾四銭 にして之 を前年度 に比すれば平 均営業哩数 は零哩九分、乗車 人員は百拾壱 万七千 七百九十四人、客 車収人 は百四万弐千参百九拾壱円八拾弐銭 を何 れも増加し、更 に之 を 一日 一哩平均に就 て看れば乗車人員は二千三人、客車収人は五拾 四円七銭 にし て前年度 に比し前者 は百六十四人を後者 は参円九拾 九
人
平
均
一車 一 哩 平 均
一
人
員
三六・八
〇・七七八
三一・九
五九・ 五
〇・七六〇
三一・一
〇・〇一八
〇・ 八
二・ 七
金
減
哩
車
減 〇・〇六八
賃
二・四四
一・四五五
乗
二・四四
一・三八七
金 一哩 賃 金
賃
尚本年度客車収入 の総額 は本表乗車賃金 に寝台料金拾参万七千参
弐千六拾 五円四銭及郵 便賃金拾万九千五百五拾壱 円参拾壱銭を合 し
百七円 六銭、急行料金拾九万千四百円八銭 、手小荷物賃金八拾 四万
以は各自共各駅に於 ける三等級近距離旅行者 の著しく増加した るに
銭 を何 れも増加せり。蓋し斯く の如く旅客運輸 の好況 を呈したる所
三、五四七
一哩平均 に就 て観 れば取扱噸数は 一万千七百八十五噸、収 入弐百八
噸、収入は参 百六万四千六百四拾 六円を何 れも増加し更 に之 を 一日
す れば平均営業哩数は零哩九分、取扱噸数 は百 三十二万七千八百三
は七千弐百五十八 万弐千七百五拾 七円弐拾銭 にし て之を前年度 に比
哩九分、貨物取扱噸数は千三百三十七万千 六百七十三噸 、其 の収入
本年度 に於ける貨物運輸 の平均営業哩数は六百八十六
貨物運輸
減
比較 増減
た るも のなり。
度
一、一 四四、九九二
二二、五七六
年
七、三六三、九一一
一、一一七、七九四
前
基くものにし て、 一二等級 に在りては却 て僅少 の減少 をさ へ見 るに 度
二三四、九三〇
七、六四五、〇六八
一九、〇二九
本 年
八、五〇八、九〇三
三、五九五、六〇三
二三、六五一
二等
八、七六二、八六二
二五八、五八一 減
三等
三、〇二八、八〇一
四七三、四二〇、九一三
二 一、一六三、〇一一
二三六、二〇三・七七
四五四、九二四、五七九
四二六、八〇三、八七四
一一四、三二五、一 〇二
減
減
一二七、五八三・九五
三六、〇八一・二一
四二、六八八、一四六
四六、六一 五、〇三九
五十六噸 を増し、社内貨物 は七百十二万六千八百 四十五噸にして前
百二十 四万四千八百二十 八噸 にし て前年度 に比し、二十三万四千百
三六四、八〇二
計
二 等
四九七、六一 二、七二五
一、〇二一、〇七七・七八
前年度 に比 し五拾参万四千六百 四拾弐円参拾弐銭 を減少 し、社内貨
年度 に比し、百九万三千 六百 四十六噸 を増加し、其 の収入 に在 りて
一一・一
物は弐千五百弐拾六万参千弐百弐円八拾九銭 にして、前年度 に比し
一、一九二、三六六・八〇
今取扱貨物 の種 別に就 き概観するに噸数 に在 りては普通貨物 は六
壱円五銭 を何れも増加 せり。
三等
二〇〇、一 二二・五六
九、八六五、五四九・四六
拾 八円六拾九銭 にして前年度 に比し、前者は七百十二噸を後者 は拾
計
八九三、四九三・八三
三、三六二、〇九一
一等
一一、〇五七、九 一 六・二六
減
三 等
二等
減
一等
一等
至れり。今本年度 に於 ける旅客運輸 の状況 を表示すれば次の如し。
乗車人員
延 人 哩
乗車賃金
一八六・五
〇・二六五
は普通貨物 は四千七百参拾壱万九千五百五拾四円参拾壱銭 にして、 一九七 ・六
四・五六〇
一、〇二八、七〇一・六四
員
四・八二五
一一、一二二、八三一・〇一
人
金
三 、一五一、五三二・六五
賃
計
一列 車 一哩 平 均
四百 五拾九万九千弐百八拾八円参拾弐銭を増加 せり。而 して普通貨 物中満洲特産 物 の大宗たる大豆は作柄不良 の為冬期 に於 ける出廻不 振 なりしも前年度 の残荷輸送多く、又豆粕は哈爾賓産 の大連港 へ南 下す るも の著 しく増加せり。而し て其他 の貨物 に在り ては帝都震災 復興材料として北満及吉林材 の輸送繁忙 なりしも高 梁包米 の二品は 著 しく減少 を来 せり。蓋 し此 の二品は前年度 に於 て支那本土 の飢饉
其他
二四、二一 三、二七 一・三三
二一、九二六、七四五・六九
六九、五一八、一一一・二〇
七三四、五四八・三九
二〇、九〇九、三六六・一八
二六、七一五、六〇八・四五減
二一、一三 八、五八八・一八
二九五、三八三・一 七
三、三〇三、九〇五・一 五
四、七八八、八 六七・七六
四、二五四、二 二〇・四四
大豆及豆粕二五、三九二、八〇八・六二
営 業 品
一、〇四九、九三一・五六
数
一二・七五六円
五二〇・八哩
一二・一二三
四八三・ 五
〇・ 六三三
三七・三
三、〇六四、六四六・〇〇
七二、五八二、七五七・二〇
計
社 用 品
貨車 収入 普通 貨物 社内 貨物
入
一列 車 一哩 平 均 噸
に対し大量 の輸送ありしに因 るも のなり。
収
次 に社内貨物特 に営業品 の激増は主 として前年度来引続 き撫順炭
一車 一哩 平 均
〇・五
の需要増加 に伴 ふ必然 の結果 にし て、其 の取扱噸数 は五百八十二万
〇・〇〇三
一七・三
〇・四三三
減
一七・八哩
減 〇・三四四
・四三六円
二三〇・二
数
二二一・六哩
減 〇・〇六
八・六
哩
二・五一
五・七七二
入〇
送
一噸 平 均 輸
収
本
度
名
年
品
二、〇三四、七二八
前
年
度
比 較 増 減
一四六、七四三
減 三九〇、四五五
一〇 、七八三
二二九、〇三〇
九一二、一九九
一七四、八三二
二一、七四四
八、〇九六
八二、二八七
一、八五九、八九六
黍
梁五
六八、八七九五
豆 米
蜀
大
今 取 扱 貨 物 中 重 要 な る も の の 品 名 及 噸 数 を 挙 ぐ れ ば 左 の如 し 。
一 哩
収
・四二八円
噸
比 較増減
二・四五銭
収
年度
一二八、七四八
三六二、九〇 五
入五
四千四百八十 七噸 に上り、前年度 に比し八十五万七千九百六噸を増
前
二、〇七一、五八一
八八八、九六四 二〇四、四八二
減
一、三二七、六〇三
入
し、従 て其 の運賃は弐千参百五拾参万七千参百七拾 八円八拾参 銭 に して、前年度 に比し参百参拾 四万六千六百拾参円七拾銭 を増加 せり。
年 度
今本年度 に於け る貨物運輸 の状況を表示すれば次 の如し。 本 大豆及豆 二粕 、四三四、四八六
、九三九、〇九〇
八三五、五七一
五、一九七、八二八
一二、〇四四、〇七〇
三、八一〇、三四二三
一、〇四〇、〇五三
六、〇八六、七九二
他
一三 、三七一、六七三
其
計
社用品
営業品
貨 物噸 数 普通 貨物 社内 貨物
高 玉
三、六一 六
四、六一〇
一八〇、〇四三
九八、九〇二
二七八、九四五
五九、二七四
粟
五四、六六四
一三 三、六九〇、五 八〇
豆
減
小
七四九、一五一、三一四
大豆及豆粕八八二、八四一、八九四 七七一、〇︱ 八、五七二
一三三 、五九 三、九七 一
四、五五〇
九〇四、六一二、五四三減
他
二九、五〇〇
一七〇、九〇〇、六 一 二
三三、一一六
一、〇七〇、六 一 九、二六九
麦
一、二四一、五 一 九、八八一
花
小
営 業 品
其
貨物延噸 哩 普通 貨物 社内 貨物
落
二〇、三七八
二〇、六七三、三七九
二二、二一 三 一九一、六七〇 、六〇〇
一三八、〇三五
四七、一 二九、〇五九
二六、七六三 二、七七一、五一 二、一八五
一五八、四一三
六七、八〇二、四三八
生 二、九六三、一八二、七八五
雑 穀 及 種 子
社 用 品
計
生 甜 果 葉
野
草
実
菜
菜
二七、三二七
三六、六二五
二八、〇二五
二三 、八八二
二七、二〇 八
五六、四三七
二九、三三四
二〇、〇四二
減
減
一八、六二〇
一六、九六四
煙 棉 減
一、三〇九
三、八四〇 麻
綿 袋
布
三四、二四七
六一、六九一
五八、九五〇
三一、九〇〇
二一七、一〇八
六五、九〇五
六二、三八〇
減
減
二、三四七
一 九〇、四九〇
四、二一四
三、四三〇
七、一 〇一
二、六四九
四〇七、五九八
減
粕
減
類
二三、二一五
減
豆
二〇、五 六六
二八、四四二
紙 平
二九、七二七
一一 九 安
二一、三四一
一九、八一 二
一、六五六
二五、八三六
他
品
鋼
一三、三 七一、五八九
一、〇四〇、〇三三
一二、三三一、五三六
四三九、一 四六
二二、七七九
一七三、四八四
一二、〇四三、七九〇
八三五、三五一
一一、二〇八、四一九
三九二、一九六
二六、三九六
一五二、二〇三
二〇四、六八二
一、一二三、一一七
一、三 二七、七九九
四六、九五〇
三、六一七
品
二一、二八一
計
三、八九一
料
及
計 用
施行事項
減
肥
鉄
一、一九二
薬
銅 及 銅 製 品
工
一三、三二七
四七、一一五
一、三六〇
三、七〇〇
二〇、四一 五
四、二八三
業
一一、一八六
其
一二一、四九〇 六、六二八
社
、四五一
一九、九九五
六八、四五五
三〇、六五七
八四〇、一七六
合
四五六、九四一三三五
八、八〇九 材
繭
六一、八二七
一 〇、九六七
五、一二三 、六七八
七、九六一
七、五〇三
木 炭
四一、六二四
五、九六三、八五四
一一〇、六八〇三
減
減
減
薪 炭
一四五、二九八
五六、八四六
九五、四三三
鉄
石
礦物
四八、八八五
八七、九三〇
四、六一八
類
一四、五 九八
材
石
五〇、三七六
二三、六〇六
一六、一六三
七一、〇六三 三六、八三一
二四、二一八
二三、九九七
一、 同 年 二 月 一日 沙 河 口 信 号 所 を 大 連 駅 沙 河 口 詰 所 に 改 め た り 。
一、 同 日 旅 順 線 の分 岐 点 を 周 水 子 に 改 め た り 。
が 、 同 十 三 年 一月 二 十 四 日 之 を 廃 止 せ り 。
一、 同 年 十 二 月 一日 第 一聯 絡 所 を 廃 止 し 泡 子 涯 聯 絡 所 を 設 置 せ し
一、 同 年 十 月 十 一日 よ り 呉 家 屯 蘇 家 屯 間 複 線 の使 用 を 開 始 せ り 。
属 せし め た り 。
工 務 事 務 所 を 廃 し て 其 の線 路 に 関 す る も の は 之 を 鉄 道 事 務 所 に 附
称 し 、 安 東 鉄 道 事 務 所 増 設 と 同 時 に鉄 道 事 務 所 の管 轄 区 域 を 改 め 、
一、 大 正 十 二 年 四 月 二 十 一日 従 来 の運 輸 事 務 所 を 鉄 道 事 務 所 と 改
営 業 開 始其 他
本 年 度内 満 洲 線 に於 て施 行 した る主 な るも のを挙 ぐ れ ば 次 の如 し 。
砕 石 及 砂 利 六四、九七四
一六、二二七
二六、一九一
四九、七二五
三、六九三
四九、七九七
六三、〇五二
油 一八二、五九一
石 一九 八、七九八 一七、六六七
三、五八八
塩
二六、二三七
減
一四、〇七九
ク
二九、九三〇
ー
ス
コ
灰
四、一六六
ト
二四、四〇三
ン
一七、四七一
メ
二八、五六九
一 五八、七八二
石
塩 干 魚 介 類
セ
煉瓦
一六、〇三三
一、三三八
二二九、八四五
生
減
粉
陶磁器及土器 麦
一九、八六三
二一、六〇五
二〇、〇五六
一〇、二八四
糖
二五、五七八
減
砂
草 類
一 七、〇三五
二八、二八〇
三、〇二一
糸
品
減
油 煙
産
豆 巻 酒 畜 綿
減 す る こと と せ り 。
奉 天 外 五 駅 行 十 入 以上 の団 体 に 対 し三 等 賃金 の四 割 乃至 五割 を 低
一、大正十二年四月 一日 より営 口市内営業所 に於 て営 口駅発撫順
一、同 年 三 月 十 日 よ り四 月 十 五 日迄 奉 天 皇 姑屯 に於 て出 稼 苦 力 に
旅客及手小荷物
対す る鉄 嶺 外 四 駅行 乗 車 券 代売 方 奉 天 大 塚幸 熊 と 契約 せ り。
一、 三月 二十 六 日守 備 隊満 期兵 移 住 者 に対す る割 引乗 車 取 扱 方 は
一、同年 四月十日哈爾賓方面発湯崗子温泉行浴客に対 し長春湯崗 子両駅間温泉割引往復乗車券 の通用期間 を改正せり。
る□ □貨 物 及危 険 品 石油 類 、 燐 寸 、 生石 灰 、 カ ー バイ ト に対 し□
一、 大 正十 二年 四 月 一日大 連 駅 及 安 東 駅 と揚木 林 駅相 互 間 に於 け
物
及 帰 還 各 十 二輛 兵 員 千 百名 宛 を輸 送 せ り 。
三月 三 十 日 よ り大 正 十 三年 四月 二日 に亘 り独 立 守備 交 代 兵派 遣
之 を廃 止 せ り 。
一、同年七月 一日急行列車 券規程中急行料金 を改正 せり。
一、同年五月二十 九日煙台炭坑線 に三等客車 の使用 を開始せり。
竝附随 小荷物 の受託 を開始せり。
一、同年 五月 一日大連埠頭 に於 て大連駅発乗車券 の発売及手荷物
外六駅着出稼苦力割引乗車券を発売 せり。
貨
列車 を運転して、 一般海水浴客 の便を図 り又同月五日より十八日
一、同年七月二日より九月三日迄大連 夏家河子両駅間 に毎 日臨時 迄大連市内各学校生徒 の為夏家河子海水浴行臨時列車 を毎日 一往
対し五割引 三等乗車券を発売せり。
川站 より営 口駅迄直通輸送 せし鄭〓線使用 の苦力三千 四十七名 に
一、同年 八月 二十六日より十月三十日迄十 二回 に亘り〓南線太平
物扱 鮮魚 に対し運賃 を三割低減せり。
一、同年 七月十五日より十 一月三十日迄旅順線各駅発大連着小荷
時 に前 記 規 程 の改 正 に伴 ひ貨 物 取 扱 細 則 中 一部 を 改 正 し 、尚 賃 金
記 を改 め荷 札 の統 一を図 り 、貨 物 に対 す る保 管 責 任 を変 更 し、 同
一、同 年 七 月 一日貨 物 運 送 規 程中 貨 物 留 置 制度 を新 設 し 、貨 物 標
せ り。
一、同 日揚 木 林停 車 場 に於 て貨物 列 車 便 に依 る貨 物 の取扱 を開 始
洲線 各 駅所 に発著 す る馬 糧 高 梁 の運 賃 五 割減 に特 約 せり 。
一、同 日 より 大 正 十 三年 三 月 三 十 一日ま で関東 陸 軍 倉 庫 に対 し満
一、同 日 三十 三 噸 油槽 車 積 豆 油 最 低積 載 重 量 を 三十 噸 に特約 せ り。
︹以上五字原文印刷不明︺ □ □ 特定 を為 せり 。
一、同年九月 一日より三十日迄関東地方震災 に就 て満洲線各 駅震
復運転せり。
に対 し、 二、三等 五割引乗車券 を発売し、且小荷物扱 に依る罹災
災 地に家族又は近親者を有するも のにし て官憲 の証明を有する者
一、 同 年 十 一月 一日貨 物 運賃 表 中 一車扱 一級 品 を 設 定 し之 に伴 ひ
表 中 留 置 料 を制 定 せ り。
一、大正十三年 三月 一日より当分 の内沿線徒歩 の出稼苦力吸収策
一、 同 日 小 口扱 百 斤 計 算単 位 を 五十 斤単 位 に改 正 せり。
特 定 運 賃 及 最低 積 載 噸 数 を 改 め た り。
民救助用食料及建築材料 は貨物扱同様 に賃金五割引 にて輸送 せり。 とし て瓦房店蓋平間、湯崗 子煙台間、鉄嶺公主嶺間必要 の駅 より
一、大正十三年 一月 一日危険貨物運送規程を制定 せり。
会 社 の船舶 に依 り大連埠頭 に陸揚 し、引続き吉林迄運送を要す る
著貨物代弁取扱 に関す る従前 の諸達 を廃止し、日本郵船外二汽船
一、同年八月 一日哈爾賓行貨物運送代弁取扱手続中改正竝吉林発
取扱手続 は之を廃止 せり。
一、大正十二年 四月六日海路各聯絡貨物 に対する鉄道運賃料金 は
聯絡代売 当社所定 の貨物賃金表 に依 る こととし、発著手数料は半額 とし最
聯絡貨物 の代弁取扱箇所竝取扱方法等 を総 て哈爾賓迄運送を要す
小荷物運輸規則を制定 し、大正九年 一月同運輸規則及同取扱手続
低料金は之を適用 せざ ることとせり。
は之を廃 止せり。
一、同 日当社線と吉長鉄路局線と の相互間 に於ける聯絡旅客及手
一、同年 四月二十日満鮮直通貨物運輸規則中 に 一託送書上 に二品
一、同日当社線 と四〓鉄路局線と の相互間 に於ける聯絡旅客 及手
る聯絡貨物 に対する現行取扱方と 一致 せしめたり。
目以上連記し、託送 ありたる場 合に於 ける運賃計算方 を追加 せり。
小荷物運輸規則 を制定 し、大正七年六月同聯絡運輸 の件及同取扱
一、同年四月七日南満東支聯絡運輸 に依 る大連 駅著貨物 の上海転
一、同 日南満東支聯絡運輪 に依 る安東着貨物 の朝鮮線転送代弁手
送代弁手続中代弁品目 を改正せり。
一、同 日当社線国有鉄道連帯運輸施行規則中運賃料金 の計算方を
続を制定 せり。
規則及当社線と四〓鉄路局線 との相互間に於け る聯絡貨物運輸規
一、同日当社線 と吉長鉄路局線 との相互間 に於ける聯絡貨物運輸
手続は之 を廃止 せり。
一、同年 五月十六日当社 と阿波在共同汽船会社及朝鮮郵船会社線
一、同年八月九日当社線と国有鉄道線と の相互間 に於 ける連帯運
則 を改正せり。
改正せり。
一、同年 七月 一日より八月三十 一日迄 に哈爾賓事務所 及万国寝台 車会社 に於 て発売 に係 る長春発湯崗子温泉 割引往復乗車券所持客
一、同年八月十 一日南満東支聯絡運輸 に依る安東駅着貨物 の朝鮮
輸規則中旅客及荷物運送規程を改正 せり。
と の聯絡貨物 の取扱を廃止 せり。
が温泉着後入湯 の都合 に依 り通用期間延長 方該券 の有効期間内 に 湯崗子駅長 に申出ありたるときは、本券 の通用期間を六十 日間延
一、同年八月十五日当社線と鉄道省線と の相互間 に於ける連帯運
線転送代弁手続中に木材 を追 加せり。
一、同年 七月十九日当社線と朝鮮中央鉄道線との相互間 に於 ける
長する ことを得 ることとせり。
混入したる場合 に於ては其 の全部を貴重品と看做す こととせり。
一、同年 八月 二十四日当社線と鉄道省線と の相互間 に於ける貨物
輸規則 の 一部を改正し、 ︱箇 の荷物中 に貴重品と其他 の物品 とを
一、同日当社線 と朝鮮京南鉄道 、南朝鮮鉄道線と の相互間 に於 け
連 帯運輸規則を改正し、従来 の同規則 は準用又は参照規定多 く 一
聯絡旅客及荷物運送規則を改正 せり。 る聯絡旅客及荷物運輸規則 を制定し、従来 の聯絡旅客及荷物 運送
一、同年 九月 一日当社線経由東支鉄道線 と中華民国 々有鉄道京奉、
般通覧 上不便 なりしを以て之を集約 せり。
一、同 日当社線と朝鮮鉄道株式会社線と の相互間 に於ける聯絡旅
け満鮮省 三線直通聯絡 の場合 の統 一を図れり。
聯 し、之 が取扱方を 一致 せしめ又直通貨物 に対する指図規定を設
則改 正竝安東対朝鮮線 方面各駅所港間発着貨物取扱規程制定 に関
一、同 日当社線 と鉄道省線と の相互間 に於 ける連帯運輸規則中諸
客及荷物運輸規則 を制定 せり。
京漢、津浦及滬寧各線と の相互間 に於ける聯絡小荷物運送規則を 一、同日当社線経由吉長鉄路局線と四〓鉄路局線 との相互間 に於
制定 せり。 け る聯絡旅客 及手小荷物運輪規則を制定 せり。
一、同年十月 二十日当社線 と大連汽船上海航路と の相互間 に於け
料金徴収竝割賦方法 を改正 せり。
一、同年十 一月五日当社線 と大連東和汽船天津航路と の相互間 に
る聯絡貨物取扱駅 に四平街 、沙河鎮 の二駅 を追加 せり。
一、同 日当社線経由東支鉄道線と中華 民国 々有鉄道線 と の相互間 一、同年九月 五日より十 二月三十 一日に至 る間 に於て京浜震害 地
に於 ける聯絡旅客及手荷物運輸規則を改 正せり。 方行 き貨物 に対し官公衙、公共又は慈善団体宛救恤寄贈品 にして
一、同日当社線 と日本郵船会 社線と の相互間に於 ける聯絡貨物運
貨物及貴重品聯絡運送規則を制定 せり。
一、同年九月十五日当社線と近海郵船会社線と の相互間 に於ける
五割減 にて輪送せり。
一、同年 二月十五日東支聯絡大連 駅着貨物 の天津、青島 又は上海
於 ける聯絡旅客及荷物 駅に遼陽駅を追加せり。
一、同年 二月 一日当社線 と朝鮮鉄道線及京南鉄道線 との相互間 に
は之 を廃止 せり。
一、大 正十三年 一月 一日、日中聯絡運輸規則を制定 し従前 の諸達
方 の件 は之 を廃止せり。
官公衙 又は地方事務所 の証明ある貨物 は無賃、官公衙公共又は慈
送規則を改正せり。
輸送代弁手続 を制定 せり。
一、同年十 二月十二日長春及寛城子両駅着南満東支聯絡貨物取扱
一、同年九月二十日当社線 と鉄道省線と の相互間 に於ける急行寝
一、同年三月二十日当社線と朝鮮鉄道及京南鉄道線と の相互間に
於ける聯絡貨物 の取扱を当分中止 せり。
台券発売手続 を制定 せり。
於け る聯絡旅客及荷物運輸規 則中満洲線聯絡駅を改正せり。
善団体宛罹災民救助用食糧及建築材料 にし て前 記証明ある貨物 は
一、同年十月 一日安東駅対朝鮮線竝同線経由他鉄道及船路 と聯絡
ロ
転
する各駅所港間発着貨物 の安東駅 に於 ける取扱方は、同駅 を朝鮮
改正 に伴 ふ連絡関係竝冬季貨物輪送量増加 に依り、本年度 に於 ては
運
線 の 一駅と看做し重量貨物割増、保管料 、留置料等を除 き同線 の
列車運転 本年度夏 季 に於 ける運転時刻 は鉄道省線列車運転時刻
一、同 日満鮮直通貨物運輸規則 の改正、朝鮮線貨物運賃及料金規
規定 に依 ることとせり。
夏季 に於 ては省線急行旅客列車と接続 を計 る為 大正十 二年七月 一
ては 一般貨物 の輸送量が前年度 に比較 し大差 なきを以て、貨物列車
改正を行 はず。本改正 に依 る貨物列車 運転 回数は蘇家屯以北 に在 り
関係上撫 順線旅客列車 を混合列車に変更し たる外、其 の運転時刻 の
に亘り貨物列車 の運転時刻 を改正し、旅客列車 に対し ては輸送力 の
日安奉線竝朝鮮線 の列車運転時刻を改正し釜山奉天間に急行旅客列
運転回数も前年度 と同数とし蘇家屯以南及安奉線 に於 ては撫順炭 の
夏季及冬季 の二回に亘 りて改正を行 へり。
が前記急行旅客列車 と の接続関係上奉天長春間混合 第十 二列車は之
車 の 一往復を増発せり。満洲本線 に対して著 しき変更 を為 さざりし
運
転
成 績
列 車
運
転
成 績
陽大連間及撫順線 に於 て二往復 、安奉線竝営 口線 に於 て 一往復 の貨
増発 に伴 ひ前年度貨物列車数 に比し、撫順遼陽間 に於 て四往復、遼
関 車
冬季 に於 ては貨物輸送量 の増加 に鑑み大正十 二年十二月 一日全線
を旅客列車 に改 めたり。
機
ニ
作
物列車を増加 せり。尚本線下り貨物列車 は主 とし て空車回送な るを
本年度 工作製修価格 は金九百七拾四万六千八百四拾 四円八拾 九銭
ホ
倉
庫
今本年度 に於 ける鉄道用車輛 の製修輛数を挙 ぐれば左 の如し。
し て前年度 に比し金千六百拾五円七拾 七銭を減 ぜり。
其 の内社外註文品 の製修価格は金八万七千弐百七拾 七円七拾弐銭 に
にし て、前年度 に比す れば金百四万四千四百参拾壱円拾六銭 を減じ、
工
以 て大連鉄嶺間竝撫順線 に於 ては其 の速度 を混合列車速度 に変更 し 機関車竝貨車 の運用率を増大 せしむる ことに努めたり。又本線中間 車列車は各駅積込時間 の関係上其 の速度 を混合列車速度 に改め各 駅 停車時間 を増加し て取扱 に便 せり。 ︹一二六頁表 の機 関車運転成績、列車運転成績参照︺ 車輛走行哩 の其 の他 とは手荷物、郵便車、食堂車及車掌車 の謂 に し て本表 一列車平均聯結車数 には之 を算入せず。而し て車種別 を合 して之 に符合せざるは合造車輛 の走行車輛 の走行哩を車種別 に在り ては各之を 一輛として計算し、計 に在りては之 が為重復に渉 れる分 線
を控除せるに因 る。 ハ保
数 を減 じて各受持区域 を拡大し、且内容 を充実して従事員 の能 率 の
後 三十 一日 間 と第 三十 一日 以 後 と の利 率 の開 き を大 な ら し め 且 一
一、大 正十 二年 六 月 一日倉 庫 料 金表 中 豆 粕 特約 率 を改 正 し 、入 庫
倉庫 営 業 に関 し 本年 度内 施 行 し た る主 な る事項 左 の如 し 。
増進 に督 めし が線路保存 の状態は概して良好なる成績 を挙げ、殊 に
本年度 に於 ては保線業務 の向上と保存費 の節約を図 る為保線区 の
安奉線 は急行列車 の運転開始と共に 一層線路保存 に努力せり。
一、同 年 十 二月 一日 大 豆 及 豆粕 混 合 保 管 荷繰 期 間 八 日間 なり し を
一、同 年 十 一月 奥 地 産 豆 粕 混合 保管 受 寄 駅 に郭 家 店 を加 ふ。
旬 一口制 を採用 せり 。
の締鋲竝ペイ ント塗替工事、各所枕木取替及砂利補充工事、鉄道教
而し て本年度 に於 て施行したる保存工事 の主 なるも のは橋梁鉄桁 習所寄宿舎改築 工事等なり。
一、 同年 同 日南 満 東支 聯 絡大 豆 混 合 保管 荷 繰 期 間十 二 日間 な り し
七 日間 に改 め たり 。
大 正十 二年八月稀有 の豪雨出水 に遭遇 し線路 の被害箇所少 からず 、 其 の中主な るも のは首山︱遼陽間尤庄 子丁場附近、遼陽︱張台子間、
一、 大 正十 三 年 一月 一日大 正 十 二年産 大 豆 混 合 保管 標 準 見 本 を設
を 十 一日間 に改 め た り 。
東 、 大連 埠 頭 到着 のも のには 検 査 料 を申 し受 けず 、 一車 に付 き拾
定 し 、乾 燥 不 良 に依 り混 合 保 管 不合 格 大 豆 の運 送特 定 、営 口、安
迎水寺丁場附近、范家屯︱大屯間、大屯︱孟家屯間等 にして何れも 築堤崩壊流失し、為 に列車 の運行を阻止す るに至りたるも僅 に七日 間 にし て列車 の運行復旧し漸次復 旧工事を完成せり。
五円 の見舞金を交付す ることとせり。 次 に本年度末大連埠頭構内 に保管せる貨物 の保険金額 は弐千九 百九拾四万千参百円にして、尚本年度内倉庫営業 の取扱 を為す大
其 の裏 にも栗石代用として方塊 の仮据付を為 し、且其 の背面 を埋立
大正十 二年六月十二日旅順港浮 艇桟橋築造工事 に着手し同年八月
てて鉄道線路を敷 設し冬期間輸出石炭 の荷役 に供したり。
本年度施設 の主な るも のは貨物収容力 の増加を図 る為
二十 五日之 を竣功せり。 埠頭設備
倉 庫四棟 六千三百三十 三坪 の新築を了 したる外 、既成倉庫 の増改築
修繕 及整 理を為し、排 水溝及道路 の新設、修繕 、構内詰所 の新築、
修繕竝第 三埠頭豆油船積 用タ ンク五基 の新設、寺児溝桟橋 の改築、
手荷物取扱所 の新築、構 内鉄道線路 の新設竝整理を施行し、尚新築
倉庫 の階 上に設けたる埠頭待合所は跨線橋を除く の外之を竣工し、
大正十三年 二月 二日より其 の使用を開始 せり。其の他荷役作業 の円 業
滑を図る為艀船 四隻、荷 役用機械数種 を購入せり。 営
一、大正十二年 五月 一日大連埠頭 に於て大連駅発満洲線各駅著乗
本年度 内施行 したる主なる事項は左 の如 し。 第 二節 港
来興業部販売課 の直営 に係 る石炭 の船積作業を継承す るの外、船
一、同年八月十 日埠頭事務所旅順出張所 を開設し船舶 の発着及従 本年度内施行したる築港事業 の主 なるも のを挙ぐれば、明
車券 の発売竝手荷物及附随 小荷物 の受託 を開始せり。
築港
設
湾
連 外 二十九駅所 に於 ける貨物 の受払状況は左の如し。
施
本年度 に於 ける港湾収入は七百八拾九万参千弐百五拾 七円 四拾壱
株式会 社に委託 せり。
一、同 年十二月 一日埠頭事務所 に於 ける貨物代弁事務を国際運送
工程 の七割二分 四厘を竣 り、大正七年度中着手したる東寺児溝海面
舶貨物 の取扱竝其 の附帯業務 をも兼営 することとせり。
埋立 工事は七割 三分 一厘 、小崗子海面埋立工事は 二割六分 八厘を竣
銭、港湾経費は七百八拾壱万八千九百七拾八円七拾 九銭 にし て、前
治 四十年度末 よりの継続事業 たる大連湾内浚渫工事は引続 き之 を施
り、更 に大正十 二年五月十六日第三埠頭 の西方 に長さ二百 七十三米
年度 に比し収入は七拾八万千弐百七拾七円弐拾五銭 を減じ、支出は
行し、本年度内千二百四十 七万二千九百四十八立方米を浚渫し、同
の丙埠頭築造 工事 に着 手し、本年度中百五十 三米間 に方塊 を据付け
して、経費 の増加 したるも のは総体費分担額にして他は却 つて著 し
るは主として倉庫貨物 に附帯 せる諸収入及上海 に於ける埠頭収 入に
四拾弐万六千八百拾 六円四拾 六銭 を増加 せり。而 して収入 の減少 せ
九銭、鉄道貨物 運賃参拾万六千九百 七拾四円弐拾八銭を加 へた るも
るものを埠頭収 入とし、貨車積卸料金 に荷繰料百参万千四百円弐拾
以上船舶積卸噸数及貨車積卸噸数 の内訳左 の如し。
のを附属鉄道収 入とす。
今大連埠頭 に於け る著埠船舶及船舶積卸貨物 の取扱状況 を概観す
く減少を来 せり。 れば著埠汽船 の隻数三千五隻、噸数七百九十二万三百九十 六噸 にし て前年度 に比 し、隻数 は百六十六隻を減 じ噸数は十四万八百九十噸 を増加 せり。之入港 船舶 が漸次大型船に代 りつつある傾向を示すも 次 に輸出入貨物 の総噸数は六百十七万二百十八噸 、内輸出は五百
のなり。
に比 し輸出は日本向大豆、豆粕及撫順炭 の積出大に増加したるに拘
二十 六万五千七十五噸 、輸入は九十 万五千百四十三噸 にし て前年度 らず天津上海向雑穀 の移出著しく減少 したる為、僅 に四万二千八百 二十 二噸 の増加に止 り輸入は北満 地方小麦 の不作 に因り麦 粉竝原料 の大輸入ありたる外 一般 に輸 入好況 を呈したる為 、前年度 に比 し十 今本年度 に於ける港湾営業 の成績 の概況を挙ぐれば左 の如し。
八万九百八十九噸を増加 せり。 ︹一二九 ・一三〇頁表参照︺ 港湾経費 の総額は本表金額 に総体費分担額百六拾 四万八千九百八 拾 壱円八拾七銭を合 したる七百八拾壱 万八千九百七拾 八円七拾九銭 尚各地埠頭 に於 ける著離船舶及貨物取扱 の状況を挙ぐれば左 の如
にして前年度 に比し四拾弐万六千八百拾六円四拾 六銭を増せり。
前記船舶積卸料金 に上屋保管料拾七 万七千九拾弐円六銭 を加 へた
し。︹一三 二頁表 の著離船舶数及収 入、貨物取扱噸数及収入参 照︺
著離船舶数及収 入 貨 物 取 扱噸 数 及 収 入
尚営 口及安東 に於 ける鉄道附 属港湾 に関する営業成績を示せば左 の如し。 鉄道附属港湾著離船舶数 及収入
外 に安東 に於 て艀船及小蒸汽船使用料其 の他船舶収入千八百参拾 円六拾六銭あり。 鉄道附属港湾船舶積卸貨物噸数及収入
営 口及安東 に於ける船舶収入金四千参 百六拾四円六銭及貨物取扱
収 入金拾五万弐千六百七拾九円 七拾弐銭と、其 の他収 入金 四千八百
円七拾六銭 とを合算したる金拾 六万千八百四拾 四円五拾 四銭は鉄道
山
附属港湾営業 の総収入金として前年度 に比し壱 万八百弐拾 七円五拾
設
第三節 鉱
参 銭の増収なり。 施
本年度内施行した る採炭設備 の主なるも のは第 二露天
本年度内撫順炭礦 に於け る施 設 の主 なるも の挙ぐれば左 の如し。 採炭設備
掘 に在 りては火薬 の需要増加 せるを以て、従来工業課 の所 管たりし
火薬工場を移管 し造粒室 及造粒機 の改造を行 ひ、更 に千山台 の西方
凹地 に新工場 を築造すること となり各種作業室五棟及炭化炉 一基 の
築造を了り、尚内部据付け諸機械は目下工事中なり。而 して採炭作
業 の進展 に伴 い出炭増加 の為 地山悪しき部分 の採掘を開始 したるが
為 通気故障多きを以 て撒水鉄管 一、五〇〇米 を延長して撒水 に努め
た り 。老 虎台 坑 に在 り て は大 正 十 二年 十月 二十 日 西九 片 附 近 に自然
ス、 コー ルド リ ル の設備 を為 し て之 が使 用 を開 始 し出 炭 増 加 に努 め
其 他 半永 久 的 のポ ンプ座 を新 設 し 、楊 柏 堡 坑 に在 り ても 亦 シ ー メ ン
炭 機 と し て シ ー メ ン ス、 コー ルド リ ルを設 備 し て之 が使 用 を開 始 し
自 然 発 火 に備 へ又 選炭 場 に配電 所 を新 設 せり 。東 郷坑 に在 り て は採
寨 十 九箇 所 、 小瓢 屯 一箇 所 、 古 城子 四箇 所 、竜 鳳 坑 一箇 所 、大 山 坑
所 、進 錐 延 長 百 三十 五米 、 ダ イ ヤ モ ンド ボ ーリ ング に在 り ては 千 金
百 十 五米 、 ロープ ボ ー リ ング に在 り ては 小 瓢屯 一箇 所 、 万達 屋 一箇
達 屋 八箇 所 、老 虎 台 十 四箇 所 、塔 湾 百 五 十 一箇 所 、進 錐 延長 二千 二
る も の五箇所 にし て ハ ンド ボ ーリ ング に在 り て は千 金 寨 八箇 所 、 万
切 羽 運搬 は 二輛 式 な り し も水 流 式 運搬 法 を本 年 度 初 め に切 羽 全 部 に
を施 し新 喞筒 座 築 造 工 事 は期 末 略 完 成 せ り。 新 屯 坑 に在 り ては 従来
運 炭 用 とし て据 付 、新 屯 坑 に在 り て は七 十 五馬 力電 気 捲機 の設 置 及
捲 機 及新 に到着 せ る アイ リ ホ ツク式 セ ー キ ング コ ンベ ヤー を傾 斜 払
台 及 二十 立 方 呎喞 筒 一台 を据 付 け 、老 虎 台 坑 に在 り ては 七 十五 馬 力
り ては 二百 立 方沢 喞 筒 二台 を、東 郷坑 に在 り ては 六十 立 方呎 喞 筒 三
本 年 度内 施 行 し た る機械 設 備 の主 な る も のは 千 金寨 坑 に在
一箇所 、露 天 掘 四箇 所 、進 錐 延 長 三 千四 百 二米 に達 せり 。
亘 り 応用 す る こ と とし 、微 粉 及 砂 硬選 別装 置 に於 て も当 坑 独 特 の新
排 水 ポ ンプ 一台 の据 付等 な り。
機械
発 火 の為 六十 九 名 の殉職 者 を出 す に至 れ る は遺 憾 な り し が、 直 に密
法 を 案出 し て之 を実 施 し其 の成 績 頗 る良 好 な るも未 だ完 成 の域 に至
閉 を 施 し之 が復 旧作 業 を 遂行 し 、 堡 坑 は補 強 工事 と同 時 に改 修 工事
ら ず 。 又充 填 方 法 は大 正 十 一年 度 末 に於 て鉄 管 充填 を全 廃 し ト ラ フ
各坑 搬 出 の石 炭 及 坑内 充 填 用 砂其 の他 材 料輸 出 機 関 た
る電 気 鉄 道 は年 度 末 現 軌 道 延 長 十 三 万八 千 三百 三十 六米 に し て、 前
炭礦鉄道
を以 て研究 の結 果 、 本 年度 初 め より ト ラ フを廃 し 全部 坑 道 直 か流 し
充 填 に改 め たり し が、 ト ラ フ の高 価 な る と磨 滅 の甚 し き を認 め た る
とし 、傾 斜 の差 異 に従 ひ適 当 の位 置 にダ ムを築 造 し磐 の磨 滅 を 防 ぎ
砂 貨車 其 他 三 百 五十 八輛 にし て 、本 年度 の輸 送 取 扱 噸数 は石 炭 五 百
るも のなり 。車 輛 数 は電 気 機 関車 二十 九 輛 客車 六 輛 附随 客 車 十 輛 、
三 十 四 万七 千 二百 九 十 噸 (英 噸 )土 砂 四 百 一万 六千 九 百 九噸 其 他 の
年 度 に比 し 六 百 四十 三米 を延 長 せ し は永 安 台永 安 橋 線 の新 設 等 に依
の比 に非 る な り。 竜 鳳 坑 に在 り ては 上風 竪坑 第 一ク ロ スカ ツト は 大
貨 物 五十 六 万 三 千 三百 二十 五 噸 、乗 客 二百 二万 七千 四 百 八人 な り 。
応 用 し た る に安 全 にし て故 障 無 く 、 且低 廉 な る こと は鉄 管 、 ト ラ フ
り瓦 斯 の噴 出 多 量 な る為 中 止し 、 局部 旋 風 機 及 喞筒 等 全 部 撤 廃 し作
正 十 二年 四 月竪 坑 中 心 よ り 六一三 米 にて本 層 に達 し 、六 二二 米 に至
需 要 の増 加 に伴 ひ供 給管 の延長 敷 設 を施 行 し年 度 末 に於 け
る本枝 管 の延 長 は 五 万 三千 九 十 二米 にし て前年 度 に比 し 六千 七 百 九
瓦斯
註 、砂 場 築 造 工事 は 大 正十 二年 四 月 よ り着 手 し た る が従 来 の築
十 四米 の延 長 な り 。而 し て本 年度 の瓦 斯製 造高 は 二千 六百 九 十 万 七
業 を中 止 せ り。
造 法 と共 の趣 を異 にせ るも の にし て出 来 上 り ポ ケ ツ ト の容 積 は
百 八 十 七瓲 、 タ ー ル百 瓲 を得 た り。 今 瓦 斯製 造 及 供 給源 を挙 ぐ れ ば
千 九 百立 方 呎 、装 炭 量 二千 三 百 六十 二瓲 にし て、 副 産物 は骸 炭 千 三
本 年 度 内 新 に投 錐 せ るも の二 百 八箇 所 、前 年 度 より 継 承 せ
予定 四 万 六千 立 方米 の厖 大 な るも のとす 。 試錐
本年度内施行したる主 なる工事は永安台附近及老虎台支那
左 の如 し。
水道
十 三年度 に完成 の予定 なり。又蒸罐 工場は同年 九月起工し殆 んど完
成 せり。硫酸工場 に在 りては第 二工場焚鉱炉三十 二基分 の建設 工事
を竣 工し、第二工場 ヘルスホフ式廻焼炉据付工事は大正十二年六月
本年度 の営業は大体順調 にし て八月中旬 の大洪水 に依りて 一時運
業
着 手し、年度末九分 二厘 の竣工なり。 営
輸を杜絶 され出炭を阻害 せられし外 、九月下旬老虎台坑 に於ける変
災は久 しく同坑西部 の閉鎖 を余儀無からし めしに不拘、本年度内総
出炭高 は五百 二万九千五百六十 一噸 (英噸)内撫順 は四百九拾二万
九千五百八十五噸、煙台 は九万九千九百七十六噸にして、販売高 は
五百三十 四万六千七百七十四噸なり。之 を前年度に比すれば出炭高
は百十万七千 八百三十四噸 の増加 にして、販売高 は百 一万千三百二
法 は本年度 に入り実施範囲を拡大し其 の実績益 々観 るべきものあり。
前年度 迄 に其 の効果を確証したる傾斜長壁採炭法及水流 し切羽運搬
たると、従事員 一般 の努力緊張 に外ならず 。即ち坑内掘 に在りては
十五噸 の増加 なり。蓋し出炭高 の増加は全く炭礦諸般 の設備完備 し
六十 七米 にし て、本年度内給 水量 は社内五百二十 三万九千八百七十
水及下水 工事等にして、年度末 に於 ける鉄管 の総延長は十五万六百
他面該法 に拠 り難 き天然状態 、即ち炭層厚くして傾斜緩 なる坑内 に
市場等 に送水管及配水管 の敷設竝 スタ ンドパイプ新設、社内外 の給
立方米、社外用二十九万三千八百 五十立方米計五百 五十三万三千七
於 ては前年度来使用 せる截炭機 に依 り成績頗 る良好 にして、更 に本
年度は長壁截炭機 一台 を購入し目下前記 の部分 に於 て大規模 の水平
百 二十 一立方米なり。 本年度内施行したる主 なる工事中竣工したるも のは社宅 三
長壁採掘 を実施する準備中 にあり。露天掘 に在 りては作業 一日平均
営繕
十 一棟 、運炭桟橋 一箇所、其 他各種作業場、附属諸建物等 の新増改
の三分 の 一は実 に露天掘出炭 なりとす 。
出炭五千噸 に上り、前年度 に比し千 五百噸 の増加 にして、総出炭高
而 して先年 来論議 せられたる露天掘拡張計画案 に付大正十二年 五
電 気工場に在りてはリ ム式瓦斯プ ラント低温乾餾装置附加
工事 を起 工し、年度末六分五厘を進行 し、骸炭工場 に在り ては低温
月該案調査委員会を設 け研究甚だ努 めたる結果、 一の解決案を得 た
工業
築 工事 及各種機械 の基礎工事等を施行 せり。
乾餾 工場附属瓦斯工場建設工事 を大正十 二年五月着 工したるが大正
の大半 を失 ひたる 一方炭況不振 となり、且内 地石炭鉱業聯合会は撫
の競争烈しく、又震災 に依り日本炭 の海外市場 に販路 を索むるも の
る を以 て 近 き将 来 に於 ては更 に益 々其 の能 力 は発 揮 せら るべ し 。 而
且 気 候 温暖 な り し為 採 暖 用炭 の売 行 不 振 な り し に拘 は らず 前 年 度 に
多く、南支那方面多少 の減少を免 れざりしも南 洋方面 に於 ては前年
順炭内地輸 入制限 を決議す るありて頗 る苦境に陥 れり。然 るに海外
比 し、 四 十 万噸 の増 加 を 見 た る は主 と し て奉楡 鉄 道 用炭 及奉 天 兵 器
度来撫順炭 の販路拡張 に努 めた る結果、声価益 々加はり殊 に注目す
し て売 炭 に関 し其 の状 況 を略 述 す れば 社 用炭 に在 り て は、 鉄 道 用 炭
廠 其 他 支 那 官場 用 炭 、四〓 線 の運 転 用 炭 等 の増 加 せ ると 、遼 西 地方
べきは新嘉坡 に再 び輸出 の途開けたる等目覚しき活躍 を為し、本年
じて撫順炭 は目覚 しき発展を遂げたりしが、本年度 に於 ては開平炭
及 奥 地 に於 け る需 要 増 加 し 、加 之 本 年 度 初 当炭 価 の値 下 を断 行 し た
度総輸出炭は百九拾 四万噸 に上り前年度 に比し実 に三十六万噸 の増
輸出市場 に在 りては前年度 に於ては、日本炭開平炭 の輸出不振 に乗
る に因 るも のな り 。輸 出 炭 にあ り て は大 正 十 二年 四月 撫 順炭 販 売 会
加なり。而し て船舶焚料炭 にありては会社 は数年来積極方針 の下 に
及 製 鉄 所 用炭 等 を主 と し 九 十八 万 噸 にし て、前 年 度 に比 し九 万 噸 を
社 の営 業 開 始 と 同時 に 、炭 況 の強 調 に乗 じ て新 規 販路 の開 拓 に努 め
極力遠洋航路船 の大連港 吸収 に努め、著 々其 の効を奏 し近年 に於 け
増 加 し 、満 洲 地売 炭 に在 り て は財 界 不 況 の為 諸 工業 用炭 の需 要尠 く 、
た る も、 関 東 地 方 の大 震 災 の影響 を受 け て京 浜 地 方 に於 け る消 費 先
る船舶焚料炭 の増加率 は洵 に顕著 なるも のあり。本年度 に於 ても相 当増加 を予想せるが震災後政府 の船舶徴発、復興材料輸送等 の為廻 港尠 く且特産物 の積取 も不況なりし為結局六十 八万噸 を減少せり。
更 に雑鉱物及雑製品 の受払を示せば左 の如し。
︹一三六頁表参照︺
今石炭受払及販買 の状況 を表示すれば左 の如し。
前表販売高 の内訳を挙 ぐれば次 の如し。
八千弐百八拾 七円弐拾壱銭 、雑製品残高見積金額拾弐万八百七拾 六
金額参百参拾 万四千六百拾弐 円弐銭、雑鉱物残高見積金額 弐拾参 万
ト時 、 電 力 用 は電 車 運 転 用 六 百 四十 一万 千 五百 六 十 一キ ロワ ツト時 、
十 四 万 九 キ ロワツ ト時 、電 燈 用 は六 千 六十 四 万千 四 百 四十 キ ロワツ
七万 六 千 二 百 五 十 四 キ ロワ ツト時 にし て 、内 発電 所内 消 費 量 は 千 七
電 気 工場 に在 り て は本 鉱度 内 総 発 電 量 は 七千 六百 二 十
円九拾壱銭及雑収 入金四万七千百参拾六円八拾 五銭を加算 し、前年
奉 天 送 電 量 五 百 五十 八 万千 八 十 八 キ ロワツ ト時 、其 他動 力 用 四 千 六
附帯工業
度末石炭残高 の見積金額弐百九拾弐 万参千六百 五拾七円九拾弐銭、
モ ニア四 千 二 百 四十 六瓲 、 タ ー ル三 千 九 百 四十 七瓲 を得 た り。 今 其
百九 十 万 二千 百 五十 六 キ ロワ ツト時 な り 。而 し て副 生物 は硫 酸 ア ン
以上石炭 、雑鉱物及雑製品 の販売金額 に本年度末石炭残高 の見積
雑鉱物残高 の見積金額弐拾 弐万八千参百八円四拾銭及雑製品残高 の
の発 電 所 の作 業 成績 及電 燈 電 力 の供 給 状 況 を表 示 す れば 左 の如 し 。
見積金額七万参千 七百八拾 六円七拾 六銭を控除 したる金額 六千参百 九拾壱万五千百拾五円七拾弐銭 は鉱業収入 の総額とす。
発 電 所 成 績 表
次 に硫 酸 工場 に在 り ては本 年 度 内 硫 酸 の製 出 高 は五 十 度硫 酸 九 千 八 十 七瓲 、 六十 六度 硫 酸 五 十 五瓲 にし て硫 化鉄 鉱 の使 用 量 は九 千 二
施
製鉄所
電 燈 及 電 力 供給 状 況
第 四節 設
予定 の九分通り進捗 したり。而し て第 一鎔鉱炉改築 に付 て附属 の設
銑鉄工場 に在り ては前年度 より改築 中 の第 一鋸鉱炉 は
本年度内鞍山製鉄所 に関す る施設 の大要 を挙ぐれば左 の如し。
備 として第 四送風機 (ターボ式圧力二十五封度) 一基 を増設し、副
工場 設備
百 二瓲 、 ピ ツ チ三 千 六 百 五 十 九瓲 、 ク レオ ソー ト油 千 四 百 九十瓲 、
骸 炭 工場 に在 り ては コー ライ ト 一万百 七 十 九瓲 、 低 温 タ ー ル干 二
十 七瓲 な り。
其 の他雑 製 品 等 を 生産 せ り。
餾工場 は 本 年度 に於 て建 家 を築 造 し 、能 力 一日 二十瓲 を目 的 と し て
産 物 工場 に在 り て は創 設 当 時基 礎 工事 のみ に止 め置 きた る タ ー ル蒸
あ り。
ら製 鋼 工場 計 画 に要 す る準 備 的 調査 及 耐 火 物 の調査 研 究 を な し つつ
は十 二年 九 月 以降 製 造課 に於 て引 続 き 研 究 す る ことと し 、同 部 は専
第 二鎔鉱 炉 一基 を操 業 し成 績 極 め て良 好 なり 。而 し て本 年
冷 却 池 を 造 り 、 タ ー ル ス テ ル其 他 之 に附 帯 す る諸 機 械 を据 付 中 な り。 業
営 銑鉄
鉱滓 セ メ ント 工場 に在 り ては鉱滓煉 瓦 工場 一部 の機 械 配 置 を 変 更 し、 鉱滓 貯 蔵 槽 運 搬装 置 及 チ ユウ ブ ミ ルを新 設 し 、 一日 四百 樽 の鉱滓 セ
噸 の増 加 にし て販 売 高 は 一万九 千 三百 十 二噸 の減 少 な り 。蓋 し本 年
千 百 四十 五 噸 な り 。 之 を前 年 度 に比す れば 出銑 量 は五 千 七 百 六十 八
度 総 出 銑 量 は七 万 二 千 三百 十 一噸 ( 英 噸 ) にし て 、販 売 高 は 七 万六
度内 地市 況 は前 半 期 に於 て は鋼 材 の昂騰 に連 れ 、銑 鉄 市 価 も 一割 近
動 力 設 備 に在 り て は前 年 度 よ り 工事 中 の汽鑵 二台 増 設 工事 は 本年
メ ント製 造 設 備 を施 行 し 九 分 通竣 工 し たり 。
に増 築 をな し ド ワイ ト ロイド 式 シ ンタ ー リ ング マシ ン (百瓲 ) 一基
度 内 終 了 に至 らず 。而 し て研 究 部 に在 り ては 従来 の選 鉱 工場 の 一部
日突 発 せ る関 東 大 震 火災 は忽 ち 諸 計画 の中 止 と な り、 需 要 は減 退 し
く値 上 げら る ると 共 に其 の需 要 も 激増 し活 気 を 呈 し た るが 、 九月 一
金 融 は梗 塞 し更 に鋼 材輸 入税 の撤 廃 に依 り外 国 品 の跳 梁 す る所 とな
及 之 に附 帯 す る各種 の設 備 を 施 行 せ り 。 構 内運 搬 設 備 は年 度 末 現 在 運 鉄 鉱 鉄 道線 路 の延長 三 万七 千 八 百 九
て順 調 に之 を販 売 し 、殊 に需 要 先 が阪 神 及 九 州 等 に し て震災 地 と の
市 況斯 の如 き 間 に処 し会 社 は前 年度 よ り開 始 せ る先 物 取 引 は極 め
税 廃 止 を 一縷の光 明 と し て 不安 な る市 況 を呈 し た り。
り 、為 に下 半 期 は殆 ん ど国 内 停 頓 の姿 にて僅 か に三月 末 に於 け る免
十 九 米 、電 車 線 路 の延 長 四千 八 百 五 十 一米 にし て車輛 数 は機 関 車 五 輛 、タ ンク カ ー七輛 、電 車 十 五輛 (鉱 石 運 搬車 七輛 、骸 炭 運 搬 車 八輛 )
更 に当 所 多 年 の懸案 た りし 選 鉱 工場 拡 張問 題 は種 々調 査 の結 果 経
在 り て は年 度 末 現 在 埋設 鉄 管 本 枝 管 の延長 三万 二千 八十 一米 なり 。
モ ータ ー カ ー 一輛にし て 、外 に借 受 貨 車 二十 五輛制 あ り 。水 道 設 備 に
済 的 に有 利 の も のと確 認 せら れ、 大 正 十 三年 度 よ り十 四年 度 に至 る
る為 、波 瀾 多 か りし 本 年 度 の販 売 も差 し た る影 響 を蒙 ら ず し て越 年
関 係 比較 的薄 か りし と 、当 銑 の声 価 が漸 次不 抜 の地盤 を築 く に至 れ
に縁 由 す る 冗費 を 回避 し て相 互 の不利 益 を防 ぎ 大 体 に於 て良 好 の結
一帯 の地 域 を限 り単 価 を均 一とし 、 販売 数 量 の比率 を定 め 以 て競 争
け る惨憺 た る競 争 の成績 に鑑 み予 め 販売 協 定 を 為 し、 満 洲 及北 支 那
二年 六 月 百 三十 噸 炉 一基 を操 業 す る こと とな り し を以 て、 過去 に於
翻 て地売 方面 に於 ては曩 に休 業 中 な り し本 渓 湖煤 鉄 公 司 が大 正十
す るを得 た り。
二箇 年継 続 事 業 と し て大 体 左 記 の施 設 を 為す こと に決 定 せら れた り 。
現 在 高 炉 二基 の操 業 に 必要 な る精 鉱 を生 産 す べ き選 鉱 工場 の
而 し て之 が完 成 の暁 に於 け る銑 鉄 生 産 額 は 二十 万瓲 な り とす 。 イ 設置 ロ 精 鉱 使 用 に依 り銑 鉄 生 産 量 を増 進 す べ き現在 高 炉 二基 及 其 の 附 属 設備 の補 足 竝 副産 物 補 集 工場 の完 成 而 し て従来 研 究 部 に於 て調 査 研 究 し つ つあ りし 選鉱 に関 す る作 業
今本年度作業状況及販売状況を表示す れば左 の如し。
果を得たり。
銑 鉄 工場 作 業成 績
骸炭 工場 作 業成 績
銑
鉄 受
払
表
( 単位英噸 )
販
売
内
訳
表
を撤廃 せり。安東 に在り ては八百馬力汽罐 一基 を増設し、尚汽罐室
設備を新設し、二百五十 キロワツト発電機及 三百五十馬力汽鑵 一基
鉄
本表金額 に本年度末貯蔵見積金額 九拾 七万九千四拾 八円参拾参銭
銑
及雑収入金八百九拾六円四拾八銭を加算 し、前年度末貯蔵見積金額
二百 キ ロベ リ ス エ ンヂ ン 一基 及 バブ コツ ク汽 罐 一基 の撤 去 な し 、奉
ビ ン 一基 の据 付 に着 手 し た る も未 だ竣 工 に至 らず 。奉 天 に在 り て は
車 一輌 を撒水車 に改造せり。而して本年度末 に於 ける軌道及電線路
一部等 に複線 工事を行 ひ、且 つ安全電車十五輌 の組立 を了し貨物電
展 に伴 ひ伏見台水源池間 、本社前寺児溝間、星ケ浦線、老虎灘線 の
本年度大連電気鉄道に関する主 なる施設は市郊外 の発
遼 送電 線 は十 月 下旬 着 手 し た る も未 曾 有 の降 雪 と材 料 配 給 意 の如 く
延長竝車輌数 は軌条 に在 りては六万四千三百四米、電線路 は六万四
電気鉄道
安東 五十 一万五千六百九拾四米 に及 べり。
奉天 四十 五万三千四百六十七米、長春 二十七万三千五百五十 一米、
而 して年度末 に於 ける線条 の延長 は大連百六十 四万七千二十 一米、
の増築 は目下工事中 なり。尚大連其 の他 の電燈及電力供給設備 に在
本 年度 内 各 地 発 電 所 に関 す る施 設 を挙 ぐ れば
気
りては需要 の増 加に伴 ひ、内外線条 の延長及建柱 工事を施行 せり。
電
百拾六万八拾 五円九拾五銭 を控除したる金額参百七拾万参千六百九
設
第五節
拾 円四拾六銭 を製鉄収入 の総額 とす。 施 発 電 所 及 電 燈電 力
な ら ざ り し為 一時 工事 を中 止 し た る も 、三 月 中旬 よ り再 び建 柱 を開
尚奉天 に於 ては目下電軌鉄道 の工事計画中 にして其 の概要を示 せ
千 二百四米車輌数は客車 八十 五輌、貨物車九輌、撒水車 二輌なり。
大 連 に在 り ては天 の川 発 電 所 に五千 キ ロワ ツト能 力 の ス タ ー ルタ ー
ツ ト タ ーボ ジ エネ レー タ ー 一基 、 五 百 馬力 汽 罐 一基 及之 に附 随 す る
始 し 、 本年 度 末 に工程 の過 半 を 竣 工 せ り。 長 春 に在 り て は千 キ ロワ
業
ば軌 道 亘 長 二千 八 百 三十 米 、 延長 五千 二百 七 十 一米 、 車 輌 六輌 なり とす 。 営 本 年 度 内 に於 け る発 電 量 は大連 に在 り ては 三 千 三百 五 十 五 万千 三
ロワツ ト時 、 長 春 に在 り て は六 百 八 万六 百 二 十 八 キ ロワ ツト時 、安
百 八 キ ロワ ツト時 、奉 天 に在 り ては 五百 七 十 一万 八千 六 百 二十 一キ
東 に在 り ては 八 百 六十 八 万千 百 七十 キ ロワ ツト時 にし て何 れ も前 年 度 に比 し 増 加 し た る は各 地 の自 然 的 人 口 の増加 市 区 の膨 張 に因 るも のな り。 而 し て石 炭 消 費 高 は 大連 に在 り ては 四 万 六千 七 百九 拾 六噸 、 奉 天 に在 り ては 百十 一噸 、 長春 に在 り ては 一万千 五百 八 十 七噸 、安
本 年 度 内 に於 け る電 燈 及電 力 の供 給 状 況 左 の如 し 。
東 に在 り ては 一万 二千 三 百 五拾 四噸 な り 。 電燈電力
更 に前表電燈及電 力供給 の社内外別を示 せば左 の如 し。
電気鉄道 本年度内 に於ける大連電気鉄道 の運輸状況を示せば左 の如し。
本 年度 に於 け る瓦 斯製 造高 は大 連 に在 り ては 二億 六千 五百 二十 二
万 二千 七 百 八十 一立 方 呎 、装 炭 量 は 一万 六千 九 百 六 十噸 (英 噸 ) に
し て副 産 物 は骸 炭 一万 三 百 噸 、 コー ル タ ー百 三 万二 千 二百 五 十 九立 、
瓦斯 一万 五 千 六 百 三十 八 立 方 呎 、骸 炭〇 ・六噸 、 コー ルタ ー六 十 一
硫 酸 ア ン モ ニア十 七 万六 千 百瓩 を得 たり 。之 を装 炭 一噸 に割 当 れ ば
以上電燈及電 力 の収 入金四百七万九千参百七拾六円弐拾 六銭 、雷
百 八 十 四立 方 呎 、 装炭 量 は 四百 五 十 八 噸 に し て、副 生物 は骸炭 二百
も のは 三千 六百 七 十 二噸 なり 。 奉 天 に在 り ては 三百 九 十 九 万 六千 三
立 、硫 酸 ア ンモ ニア十 瓩 の割 にて 、前 記 骸 炭 中瓦 斯 製 造 に要 し た る
気 鉄道収 入金九拾参 万七千八百四拾弐 円九拾壱銭 に雑収入金壱 万六
今瓦 斯 製 造 及 供給 高 を挙 ぐ れ ば 左 の如 し 。
り。
四 十立 の割 に て前 記 骸 炭 中瓦 斯 製 造 に要 し た る も のは 百 五十 一噸 な
九十 八 噸 、 コー ルタ ー 一万八 千 二百 十 七 立 を得 たり 。之 を装炭 一噸
斯
に割 当 れば 瓦斯 八 千七 百 三十 五立 方 呎 、 骸炭〇 ・六 噸 、 コー ルタ ー
瓦
百弐拾壱 円七拾参銭を合算したる金額 五百弐万七千八百四拾円九拾
設
第 六節
銭は即ち電気収入 の総額 なり。 施
本年度 内施設 の主な るも のは前年度に於 て略竣工したる大連 に於 したる奉天 に於 ける瓦斯新設 工事 は 一昼夜 の製造能力三十 万立方呎
け る第三期拡張 工事 の残余 工事 を全部完了 し、大正十 一年 五月起工
の精製設備、容量 二十 万立方呎 の瓦斯溜 一基、其 の他建物附属設備
水平式 スルーレト ルトの瓦斯発 生炉 一基、 一昼夜能力五十 万立方呎 一切 の建造 を了し、大正十二年 十二月二十八日より之 が営業 を開始 するに至 れり。尚安東 に於 ても二箇年継続事業として瓦斯新設 工事 に着 手し、本年度は外管 の埋設及構内地均土盛等 を施行せり。而 し て年度末 に於ける埋設鉄管 の総延長は本枝管を合 して大連 に在 りて は十九万千五百八十七米 、鞍山 に在りては二万二千六百三十三米、 業
奉天 に在りては四万千四十 二米 に及 べり。 営
奉天営業所は大正十二年十 二月 二十八日より営業を開始 せり。 本表金額 に本年度末瓦斯 及副産物残高 の見積金額参 万七千九百弐 拾 四円八拾 五銭 (大連参万四千七百弐拾 九円七拾六銭 、奉天参千百 九拾五円九銭)を加算し、前年度 末瓦斯 及副産物残高 の見積金類壱 万九百八拾壱円拾四銭 ( 大連)を控除したる金額九拾壱 万九千五百 更 に前表 の瓦斯供給及収 入の内訳を示せば左 の如し。
六拾五円拾参銭 を瓦斯収 入の総額とす。
施
第 七節 設
旅
館
本 年度 に於 け る施 設 の主 な る も のは大 連 ヤ マト ホテ ルに於 て暖 房
る外 、 長 春 ヤ マト ホ テ ル料 理場 の改 造、 奉 天 ヤ マト ホ テ ル所属 自 動
汽 罐 取 替 工事 を施 行 し 、星 ケ浦 ヤ マト ホ テ ル に別 荘 八棟 を 新築 し た
車 庫 の増築 工事 にし て何 れ も年 度 内 全部 之 を完 成 せ り。 尚 大連 、奉
天 、 長 春 各 ヤ マト ホ テ ル自 動 車 部 に自 動 車 各 一台 を購 入 し た る外 、
本 年 度内 に於 け る営 業 状 況 を挙 ぐ れば 左 の如 し 。
業
各 ヤ マト ホ テ ル に於 て営 業 上必 要 の機 器 を購 入 設備 し た る等 な り。 営
園 、星 ケ浦 、 湯 崗 子 、開 原 、 長 春 に於 け る公 園 に対 し修 繕 及 各種 の
獣場 の障 壁 を 改 築 し た る等 な り 。 公園 に於 ては 大連 北 公 園 、電 気 遊
口に火 葬 場 窯 上 屋 を新 設 し、 鶏 冠山 に墓 地 を 新 設 し た る外 、長 春 屠
本年度 に於 て新 に市区 の計画 を定めたるは得勝台、沙河鎮 の二附
設備 を施 し漸 進 的 に其 の完 備 を図 れ り。
地方事業
属地 にし て、既定 の市区計画を拡張 又は変更を為し たるも のは大連
水
第八節
市東公園町元軍用 地内及 二十里台外 六附属地なり。而し て前年度に
工事 は本年度内 に於 て完成 せざ るを以て翌年 に繰越 したり。又火葬
河口、瓦房店外十 一箇所 に於け る道 路、橋梁、護岸、溝渠等 の施設
護岸 、溝渠等 の新設増築及改築工事 は全部完成したるも、大連、沙
更 に本年度 に於 て着 手したる大連外 二十箇所 に於 ける道路、橋梁、
附 属 地 に於 て水 道 給 水 設 備 工事 を施 し 、尚 田家 、 万 家嶺 、十 里 河 の
東 には 貯 水池 の改 善 及 給 水 区域 の拡 張 を 行 ひ、 沙 河 口、瓦 房 店 外 十
備 を 施 し て給 水 を開 始 し 、 四平 街 に給 水塔 、長 春 に水源 井 掘 鑿 、安
の拡 張 と を図 り、 奉 天 に水 源 井 一箇 所 を増 設 し 、 開 原 に新 水 源 の設
水 道 に関 す る施 設 の主 な る も のは 水源 設 備 の改 善 と市 街 給 水 区域
道
於 て工事未完成 の為繰越施行したる安東公和橋 は全部之 を完成し、
場 に於ては橋頭及連山関 に葬祭場を新設 し、鶏冠山、鳳凰城、草河
道給水箇所は十八箇所 にし て、本年度内給水量は社内 四百十九万九
三附属地 に公共井戸 を新設したる等なり。而 して年度 末に於 ける水
築 工事は年度内 に於 て完成 せざるに依り翌年度 に繰越したり。
棟 の改築 、同看護婦宿舎及奉天医院物理的治療室 、同精神病棟 の新
せる吉林東洋医院 の新築 工事は年度内完成したるも奉天医院伝染病
本年度各医院 に於 ける取扱患者数及其 の収 入 を挙 ぐ れ ば左 の如 し。
り。
連 医院小崗子分院 は同寿医院と命名して専 ら中国人 の治療 に従事 せ
院 と改称し、撫順炭礦診療所 は同年九月撫順医院 に移管 したり。大
次 に大石橋分院は大正十 二年四月営 口医院より分 立して大石橋医
百五十立方米、社外百九十七万五百四立方米、合計 六百十六万千四 院
百五十四立方米なり。 医 医院 に関する本年度内施設 の主な るも のは大連医院 沙河口分院屍 室及四平街医院障壁 の新設、長春医院本館炊事場屍室 の新、増築及 の工事 は年度内 に於 て著手し目下進 工中 に属 す。又前年度 より継続
大連 医院小崗子分院 を新築したる等 にし て継続事業と せる大連医院
外 に撫順診療所及撫順医院出張所 (大正十二年 九月十六日改称) に於 て取扱 ひたる患者 二十 一万七千六百 三人あり。 育
同校 体操場、南満中学堂、長春商業学校 々舎 の新改増築 工事は年度
内 に於 て工事 に着手したるも完成 に至 らざ るを以て翌年度 に繰越し
たり。尚前年度 より繰越施行 せる南満 医学堂校舎 の増築、同病理衛
生細菌教室 の新築工事 は本年度内 に於 て完成せるも、同寄宿舎模様
教
教育 に関する本年度内施設 の主 なるものは本年度新 に著手したる
さんとし、大正十 二年四月 一日熊岳城、公主嶺 の二附属地 に農業学
次 に学校、図書館 の開設等 に関し ては中国人子弟 に農業教育 を施
校を設置したる外、牛荘居留民団経営 の営 口尋常高等小学校を本社
替、同 予備校 の新築工事 は未完了 に付 、是亦翌年度 に繰越したり。
公主嶺 、橋頭 の各幼稚園及南満洲工業専門学校機械 工学科研究室 、
開原尋常高等小学校教室 の増築を首 とし 四平街、長春、鶏冠山、安
長春 、撫順 の各高等女学校、撫順 中学校校舎 の新改増築及運動場 の
に図書館 を新設したる等 にし て、遼陽公学堂及南満中学堂 に附設 せ
経営 に移 し、同校 に家政女学校を併置し、安東 に幼 稚園を、沙 河口
東 、撫順、撫順永安台 の各尋常高等 小学校、四平街公学堂、沙 河口、
たるも奉天第 二尋常 、奉天尋常高等 小学校 々舎、満洲 医科大学寄宿
る南満 医学堂予科は何れも大正十二年限 り之を廃止せり。
新設 、医科大学予科校舎等 の新築 工事 にし て何れも年度内 に完成 し
舎 及附属家屋、同大学予科本館、奉天高等女学校 、奉天中学校 々舎、
本年度末 に於ける学校数及生徒数を挙 ぐれば左 の如し。
本表 の外会 社補助 に依る幼稚園 二箇所日本人幼児九十三人、朝鮮 百五十九人あり。
人教育機関四箇所生徒四百二十六人、中国人教育機関六箇所生徒 四 業
産業 に関す る施設 の主なるも のは公主嶺農事試験場に於 て種子庫
産
及獣疫研究室を新築 したると、熊岳城分場 に於 て野蚕飼育試験 の為
万家嶺守備隊跡 の兵舎及附属建物 竝練兵場 の引継 を受け之 を開始し、
又 一般農業上 に関しては鋭意其 の助長 に努め枢要 の地 に農事試験
尚養蚕室及気象観測台 を増築したる等なり。
場及苗圃試作地、採種 田、原種田竝委託試験地を設置し て各種 の試
験研究 を行 ひ、之と同時 に各種 の方法を講 じて普く指導奨励を為 せ
り。就 中植樹 の事業は前年度 より継続して苗圃 に樹苗 を育成し、之
を風致維持 の為 には前年度同様市街、道路、事務所 、駅社宅、其 の
他諸建物構内 、公園及山野等 の植栽を為 し、鉄道用 地内 の造林 にあ
り ては本線 は瓦房店、大石橋、鞍山、遼陽 の各地方区 に於 て、安奉
線は本渓湖及安東 の地方区 に於 て、又旅順線 の補植 は直接本社 に於
て施 行したり。尚撫順地方 に於 て用材林 三百 二十六万 一千本 の造林
を経営 せり。以上 の植栽 に要したる樹苗 の総数は四百五十九万五千 七百 一本 の多 きに達せり。
此 の外撫順方面 に於 て造林奨励を目的 とし て日華人 に分譲 せる樹
苗は百十二万五千四百四十本 に達 す。而し て本年度 に於 ける農事試
五百 一坪、採種田 一箇所 一万六千二百坪 、原種田二箇所十七万二千
十坪、苗圃十五箇所 六十 二万六千七百五十五坪、試作 地四箇所九万
験場及苗圃等 の面積 を挙ぐ れば農 事試験所 二箇所六十 一万五千百八
地 二万 九 百 九十 坪 、 沙 河 口会 香 炉 屯 に於 て原 料置 場 九 百 二 十 三坪 の
入 其 の他 各種 の調 査 を行 ひ、 工場建 設 の為 沙 河 口 工場 地 区 に於 て敷
又窓 硝 子製 造 計 画 は 大正 十 三 年度 よ り開 始 す る ことと し機 械 の購
業
熔 鋼 炉 、骸 炭 炉 、 瓦 斯発 生 炉 用 硅 石煉 瓦 及 熔鉱 炉 セメ ント 工業 用
一、 耐 火 煉 瓦 工場
営
二名 を米 国及 欧 洲 各 国 に派 遣 せり 。
貸 下 を受 け地 均 工事 に着 手 せり 。而 し て之 が製造 方 法 実 習 の為 社 員
中央試験所
百七十八坪 、外 に委 托試験地十 一箇所 三千 三百坪なり。 本年度 内 に於 て施 行したる主な るも のは元醸造工場及実験室 に据 付けた る電動機 の附属工事 を施し たると本館玄関 の修繕 を行 ひたる
の成績 を 収 め 且優 良 の製 品 を出 す に至 れり 。 既 に鞍 山 製 鉄 所 の熔 鉱
シヤ モ ツト煉 瓦 の品 質 改良 試 験 、 菱 苦 土鉱 焙 焼 法及 苦 土 各 種 煉瓦 の
等なり。尚年度内 に於 ては各種 の試験及研究 を為したる外依頼試験
炉 、熱 風 炉 、骸 炭 炉 用 品 を始 めと し 小 野 田 セ メ ント会 社 、 本 渓湖 煤
製 作 法 研 究 竝煉 瓦 焼 成 に係 る煤 煙 防 止 の方 法 を 研究 し 、何 れ も佳 良
窯業試験工場
件数社用五千二百三十三件、関東庁五百二十三件、 一般公衆千七百
設
五件合 計七千四百六十 一件 なり。 施
す る の盛 況 を 呈 せり 。
煉 瓦 、硅 石煉 瓦 、 マグ ネ サ イ ト煉 瓦 を合 し て約 八千 七十 五 噸 を製 造
鉄 公 司 、 奉天 瓦 斯 製 造 所其 の他 各 所 よ り の註 文 殺到 し、 シヤ モツ ト
一、工場研究部 に於 て空洞硝子器 の理学的 、光学的、顕微鏡的試験
本年度内施設 の主なるも のを挙ぐれば左 の如し。 及板硝子製造上各種 の予備試験を施行する為、顕微鏡写真機其 の他
る こと と し内 一名 は既 に到 着 加 工準 備 中 な り。 又各 種 の硝 子 器 は各
に努 め 、 尚加 工法 改 良 の目的 を以 てボ ヘミ ヤ より優 良 職 工 を雇 傭 す
硝 子 器 の製 造試 験 及 機 械 の設 計 装 置 等 を施 行 し、益 々優 良 品 の製 出
硬 質 硝 子 の熔 融 法 及 焼 入法 、絵 付 セ ード装 飾 法 の研究 其 の他各 種
二、 硝 子 工場
二、耐 火煉瓦 工場
光学的諸機械 の設備 を為 したり。 第五、第 六、第七、第 八号各焼成 窯を修繕 し其 の他空地を整理し て諸原料置場 を新設したり。 三、硝子工場
より の註 文輻 輳 し到 底 之 に応 じ得 ざ る のみ な らず 、 当初 の目 的 た る
地 より の要 求 激増 し 、 殊 に上海 、 天 津 、北 満 地 方 竝南 洋 及 濠 洲 方面
の増 設 、 加 工 工場 の増 設 を計 画 せり 。 本年 度 製 造高 は約 弐 拾 五 万 七
採 算 試 験 施行 上遺 憾 の点尠 か らざ るを 以 て来 年 度 に於 て更 に熔 融窯
前年度より継続施工中 の瓦斯発生炉は年 度内完成したるを以 て鉄 マツプ ル炉 一基 を増設し、更 に各種窯 の修繕 を施し 一時作業 を中止
板張上家を建 設し て作業を開始 せり。尚年度内 に於 て炭 坑火舎焼入 せし第 二号窯熔融窯は本年 二月火入を行ひ作業を開始せり。
土地建物貸付
千円なり。 当会社附属地 の本年度 末地積 は租借地 に於て七百五十八万七千百
二十 一坪 、 租 借 地 外 に於 て七 千 六百 四十 六 万 二千 百 四 坪 、合 計 八 千
五四九
二 、 〇 六九
二〇 、 九九 七
四百 四 万九 千 二百 二 十 五坪 にし て其 の内 貸 付 土 地 の状 況 は 左 の如 し 。
前 年 度
一七 一
尚撫順炭礦所管土地貸付 の件数及坪数 は左 の如し。
又本 年 度 末 に於 け る会 社建 物 は租 借 地 に於 て 三千 三 百 十 一棟 、 二
比較 増 減
一、 一二 四 ・八 五
以 上不 動 産 収 入 金 七拾 九 万七 千 弐百 拾 円 八 拾参 銭 、 勧 業収 入 金 参
弐銭 あ り。
〇 本 表 及 前 表 金 額 の外 土 地 建物 に属 す る雑 収 入金 四百 八拾 五円 八 拾
減
一〇 五、 七 六 五 ・九 七
十 一万九 千 三百 四十 七 坪 、租 借 地外 に於 て 一万 二千 四 十 三棟 、 四十
金
尚 撫 順 炭 礦 の取 扱 に係 る建物 五棟 百 二十 七坪 あ り。
数
料
一万 八百 二 十 二坪 、 合 計 一万 五 千 三百 五 十 四棟 、六 十 三 万 三千 百 七
坪
二三、〇六六
一〇 四、 六四 一 ・ 一二
十 九坪 にし て其 の内 貸 付 家 屋 の状 況左 の如 し 。 棟
数
年
六 二〇
度
本 年 度
万四千八百九拾九円、造林収 入金参万四千 四百六拾 七円五拾五銭、 農事試験場収入金弐万参千七百 八拾参円九拾参銭、医院収入金弐百 四拾 八万五千百七拾九円九拾参銭、水道収入金 四拾万八千四拾 四円 七拾七銭、中央試験所収入金 弐万弐千五百八拾円九拾 壱銭、窯業試 験工場収 入金六拾 万八百 四円七拾 七銭、雑収 入金拾壱万参千 五百八
雑施設 業
収
拾参円九拾七銭、合計金 四百五拾弐万参千五百五拾五円六拾 六銭 は 第 九節
地方収入 の総額なり。
営
鉄 道 収 入 及営 業 費
本年度内施行したる諸建物 に在りては本社本館其 の他事務所 の新
改築 を為し、且 つ四平街其 の他 の各地 に社員倶楽部を新築し、住宅
難 を緩和する為各地 に社宅 の新増築を行ひたる等なり。 第十節 受託経営鉄道
編注、自大正六年 七月三十 一日至大︺ 朝鮮国有鉄道 ︹正 十四年三月三十 一日満鉄受託経営
本年 度 営 業 日数 は大 正 十 二年 四 月 一日 より 大正 十 三 年 三月 三 十 一
営 業 収 支状 況 は 左 の如 し。
日 に至 る 三百 六 十 六 日 、平 均 営 業 哩数 千 百 八 十 三哩 五 分 にし て其 の
一
支
旅客
本年度内平均営業哩は 一、 一八 一哩にし て旅客運輸 の成績
を示せば左 の如し。
貨物
本年度内平均営業 哩数 は千百八拾 三哩五分 にして貨物運輸 成績を示せば左 の如し。
本年度内朝鮮 ホテル外五箇所 に於け る営業状況左 の如し。
倉庫 本年度 に於ける各倉庫 の受 払状況左 の如し。
旅館
二
施 行事 項
一、大 正 十 二年 六 月 五 日職 制 改 正 に依 り局 名 を ﹁ 京 城 鉄 道 局﹂ と
本 年度 内 施 行 し た る主 な るも のを挙 ぐ れば 左 の如 し。
改称せり。
一、 大 正十 二年 七 月 一日釜 山 奉 天 間直 通急 行 列車 一往 復 を 増設 せ
一、同 日京 城 駐 在 理事 の管 理 の下 に京 城 販 売 所 を置 けり 。
一、 大 正 十 二年 九 月 二十 五 日咸 鏡 線南 部 西 湖 津 退潮 間 十 一哩 四分
り。
中 華 民 国 々有 吉 長 鉄 路 局 の分
)
の新 設 線 完成 を告 げ し を 以 て営 業 を 開始 せり 。
自 大 正 十 二年 一 月 一 日 至同 十 二月 三 十 一日 (
吉 長 鉄 路 局 の本 年 度 営 業 日数 は大 正 十 二年 一月 一日 よ り同 年 十 二
月 三十 一日 に至 る 三百 六十 五 日 、営 業 哩 数 は 七十 九 哩 三分 に し て営 業 収 入 の状 況 左 の如 し。
億
円
弐
四億四千万円
弐億四千万円
四百四拾万株 (一株金百円)
増資前 二百万株
弐億弐千万円
資本 金総額
増資額二百四拾万株
弐億弐千万円
内
一般 募集株 二百 二十万株
日本政府持株 二百二十万株
四 千 万 円
弐 千 万 円
募 集済株式 第 二回募集 四十万株
第 一回募集 二十万株
八 千 万 円
壱
六 千 万 円
壱億六千万円
弐 千 万 円 百六十万株
壱億千七百拾五万六千円
円
財産 出資
弐 千 万 円
億 引受 株 式
日本政府持株
募集未済株式六十万株
計
第三回募集 二十万株
旅客 本年度内旅客取扱数 は六十八万七千余人 にして客車収入は 三千余人、収 入は大洋拾 四万四千余元 の増加 を示 せり。 本年度内輸送貨物 の取扱高は八十万七千余噸 (米噸) にし
総益金
第 四回募集八十万株
大洋 八拾弐万九千余元なり。之 を前年度 に比す れば旅客数は十八万 貨物
て貨車収入は大洋弐百弐万四千余元なり。之 を前年度 に比すれば取 を示せり。
扱 高 に於 て三万四千余噸 の増加なるも収入 に於 ては六千余元 の減少 今同鉄道 の大正十 一年 七月 一日より大正十二年 六月 三十日 に至 る 一、銀 九拾四万九千五百 八円四拾銭
一箇年 の損益計算 を挙 ぐれば左 の如し。
第 一回募集株式
払込済株金
四 千 万 円
総損金
弐 千 万 円
一、銀参拾五万九千四拾 六円九拾五銭
第 二回募集株式
弐千四百万円
内
第 三回募集株式
差引銀五拾九万四百六拾壱円四拾 五銭 利 益金
第 四回募集株式
民国政府納付金 当会社収 得金
払込未済株式 日本政府引受株式 第四回募集株式
五千六百万円
弐百八十 四万四千円
参億弐千百拾五万六千円
銀四拾七万弐千参 百六拾九円拾 六銭
計
計
銀拾壱万八千九拾 弐円弐拾九銭 (利益金 二割 )右換算 金拾参万弐千八百五拾参 円八拾弐銭 会
資本及株式 (大正十三年 三月三十 一日現在)
第 四款
右当会社収得金 は本年度当会 社雑益中 に計上 せり。 一
計 社
債
五千八百八拾四万四千円
本年度 に於 ては大正十 二年 八月第十八次社債弐千万円大正十二年
二 七月十九次社債英貨 四百万磅 ( 法定平価参千九百五万弐千円)合計
五千九百五万弐千 円を募集して、第十次第十 一次第十二次社債参千 なり。
五百万円を償還 し、年度末現在 社債発行総額弐億千九百五万弐千円
にし て発行地 は全部東京なり。
備 考 本表は第十九次 (発行地英国倫敦) を除く の外全部内国債 社債発行限度 は現在四億四千万円にして発行余力は弐億弐千九拾 四万八千円を有す。 尚近き将来 に於 て発行す べく既 に株主総会 の決議 を経たるも のに し て何時 にても発行 し得 る金額は九千五百九拾 四万八千円なり。
三 興業費
四 営業収支
大正十二年 四月 二十 一日吉長 鉄路借款第十 一回利 子金拾六万弐千 れ、又大正十二年 九月十三日新奉鉄道借款第 二十八回償還金八千八
五百円及同年十月 二十 一日第十 二回利 子金拾六万弐千五百円を受入
回償還金 八千八百八拾八円八拾 九銭、同利子千七百七拾七円 七拾七
百 八拾八円九拾銭 、同利子弐千円及大正十二年 三月十三日第 二十九 銭 を受入 れたり。 金 四億四千万円也
二、貸借対照表 (大正十三年 三月三十 一日現在)
六千万円也
参億 八千万円也
募集未済株金
現在株金
資 本金 内
三、 財産 目録 ( 大 正 十 三年 三月 三十 一日 現在 )
四、大正十 二年度損益計算書
訳 港
鉄
湾
道
収
入
収 入
本年 度総 益金
一金壱億 八千五百六拾九万八千三百弐拾 四円四拾 壱銭也 内
金 九千弐百弐拾六万九千七百参円六拾 七銭 金 七百八拾九万参千弐百五拾七円四拾壱銭
金参百七拾 万参千六百九拾 円四拾 六銭
金 六千参百九拾壱万五千百拾五円七拾弐銭
製
鉱
鉄 収
業 収
入
入
入
入
入
入
収
収
旅 館
収
収
地 方
電 気
金百壱 万六千九百拾参円八拾九銭
収
瓦 斯
金四百五拾弐 万参千五百五拾五円六拾 六銭
雑
金九拾壱 万九千五百六拾 五円拾参銭
金五百六拾 万五千六百拾弐円弐拾 弐銭
朝鮮 線 益 金
金 五百弐 万七千八百四拾 円九拾銭
金七拾壱 万千弐拾参円九拾 四銭
金 四百九 万五千四百八拾壱円九拾 四銭
金 五百九拾 四万四千五百八拾七円六拾 五銭
金 五千九百 八拾参万六千 五百六拾壱 円九拾七銭
金七百八拾壱万八千九百七拾八円七拾九銭
金参 千五百 七拾八万七千 五百八拾 九円五銭
旅
払 利
方 経
館 経
瓦 斯
電 気
製 鉄
鉱 業
港 湾
鉄 道
経
経
経
経
経
経
息
費
費
費
費
費
費
費
費
益
息 金拾壱 万弐千四拾五円四拾壱銭
本年度 総損 金
金 六拾壱 万弐千八百八拾 四円六拾壱銭
地
入 利
一金壱億 五千九拾万弐千 七百参拾 弐円拾六銭也
金 百参拾 五万参千五百四円参拾参銭
支
訳
金千弐百八拾弐万千参百参拾六円拾五銭
内
金千六百 五拾六万千五百五拾壱円弐拾 四銭
雑
損
金百七拾 六万九千九百四拾参円八拾九銭
社債差額填補金 差引利益金
金 四百参拾 万参百拾弐円五拾四銭
本年度繰 越 金
監
監
理
理
理
理
理
事
事
事
事
事
事
事
事
大 橋新 太郎
馬 越
河
梅
入 江 海
赤
野
俊 六
羽 克
一
実
平
安 藤 又 三郎
森
上 謹
郎
己
内
計金四千百六拾参万五千八百四拾壱 円参拾七銭也
一金 六百八拾四万弐百四拾九円拾弐銭也
一金参千四百七拾九 万五千五百九拾弐円弐拾 五銭也
五、利益配当計算書 大正十 二年度
前年度 繰越 金
監
金参千四百七拾九万五千五百九拾弐円弐拾 五銭也
政府 配 当金
法 定 積 立金
特 別積 立 金
松
川
岡
村
洋 右
竹 治
大正十三年 六月
金百七拾参 万九千七百七拾九円六拾 弐銭也
社債償還積立金
長
公 望
恭 平
金九百参拾参 万七千七百八円也 金 六百弐拾 四万円也
金七百万円也
金 五百万円也
社員 退職積立金
政府以外株主配当金 ( 年六分 の割) 同上第 二配当金 ( 年 四分 の割)
金五拾 万円也
役員 退職手 当
役員賞与並交際費
金 四百拾六万円也
金五拾 万円也
事
大 蔵
翌年 度繰越 金
金拾八万円也 右之通候也
理
社
男爵
南満 洲鉄道株式会社
金六百九拾 七万八千参 百五拾参円七拾五銭也 大正十 三年六月
理事
四
監事会宛提出諸表類
(大正 十 三年 一 月分)経 理部
1. 貯蔵 品受 払 月報
2.未 払 金 受 払 月報
3. 仮 払 金 受 払 月報
4.有
5. 貸 附 金 月 報
6. 生 産 物 受 払 月 報
価証 券月 報
貯
蔵
品
受
払
月
表
大 正13年
1月分
未
払
金
受
払
月
表
大 正13年
1月分
仮
払
金
受
払
月
表
大 正13年
1月分
有
価
証
券
月
表
大 正13年
1月分
貸
附
金
月
表
大正13年
1月 分
大 正13年
1月分
生
産
物
受
払
月 表
五
一阪案第 一四四号
五 、 九 月 二 日午 前 十時 頃 に至 り て朧 げ に東 京 の大災 害 を報 ぜら れ飛 行 機 に依 り観 察 を 企図 せ ら れた り 。
れ或 は首 相遭 難 丸 ビ ル倒 壊 大 官 衙 の焼 失 等 諸 説 紛 々の新 聞号 外 を 発
六 、 諸種 の情 報 に依 り て愈 関 東 地 方 の事 態 の容 易 なら ざ る を報 ぜ ら
せら る 。
七 、 名 古屋 以東 全 く 通信 の途 なく 東京 方 面 の消 息 は到 底 大連 本 社 へ
日曜 日、 且 携行 金 の引 出 し 不能 に て遂 に 一日 を延 ば す る已 む な き に
尚 所 員 を東 京 方 面 へ派遣 状 況 を取 調 べ さ せた く 思 ひ たる も折 悪 く
大阪鮮満案内所
関 東 大震 災 関係
大正十二年十 一月 一日
も通 ぜ ら れ あ らざ るも のと思 は る に付 、 正午 当 地 新聞 社 の報道 を綜
今 回の関東大震災 に関する当所事務経過左 の通 りに付報告す。
至 れり 。
合 し て為念 大連 本 社 へ急電 せ り 。
一、九月 一日正午突発したる地震は当所 にも稀有 の激動を感 じ動揺
震災事務報告
東京支社長殿
時 間比較的長 く附近 の民家は人々皆戸外 に飛出 しどよめき合 へりき。
口 駅迄 通 ず る も戒 厳 令 布 かれ て絶 対 入 京 禁 止 、尚 其後 大宮 迄 し か乗
車 券 を発 売 せず と いう も 兎 も角 東 京 支 社 の状 況 取 調 の為 所 員高 砂 政
八 、九 月 三 日東 海 道 中央 線共 不 通 、東 北線 も荒 川 鉄橋 破 損 、僅 に川
太 郎 出 発 す る こと とし 、 第 四師 団 司 令 部 に出 頭 戒 厳 線 の通 過 に付鶴
の模様 を報じたり。
の旨 を報じたり。
三、午後十時頃第 二の号外 にて東海道鈴川駅陥没以東電信電話不通
見 高 級 副 官 に懇 請 、漸 く 其 の証 明 を受 け 午後 九時 大 阪 駅発 東 上 の途
二、午後三時過 当地 の新聞は逸早く号外を以て近畿北陸地方 の地震
四、続 て横浜 の大火災を報ず。
に就 きたり。 之 より先在阪所員 には高砂上京後東京 の事情 にし て要すれば打電 次第直 に糧食救恤品 の調弁及爾後 の時 々の情報 を本社其他 の関係 の
茲 に諸般 の打合 せをせられたり。高 砂は本社 に此 の情報を 一刻も早
く通ず べく予て打電可能 区域 を勘考し置きたれば即 日信州長野迄打
を当分狸穴 に置 く旨大連 本社 へ発電 せられたる由なるも尚為念長野
支社長は前 日海軍無線電信 に依頼し東京震災 の概況及支社事務所
電 の為急行する こととせり。
より同 一の電報 を打ち置くべき様命 ぜられたり。
向 に打電す べき旨申含 め置き、尚神戸大連汽船出張所主任長阪氏 に 打電 次第何時 にても糧食救恤品輸送 の為又は在京社員及家族避難収
尚其 の場 に於 て支社員中 の罹災者 に対する救護手当のことを決 せ
容 の為 一汽船を傭入れ芝浦 に急航 せしめられたき旨申合 せ快諾 を得 置たり。
夕長野 に向 へり。
付高砂 は之に便乗し附近災害 地を視察し つつ大塚より王子 に出 て同
られ直 に古仁所課長及松崎庶務課員携行配布する こととなりたるに
九、高砂 は名古屋より中央線塩尻、信越線篠 の井 を経由し て乗客大
十 一、九月六日高砂は途中 又往路以上 の万難 を排し大宮 に於ける大
大連 本社 へ高砂出発 及不取敢金壱 万円送附方打電 せり。
ルヂ ングに向 へり。
一行 の大連出発 及途中待合 せ方 を本社及下関案内所と打合 せ其 の消
尚東京 に於 て依頼 せられたる個人 の消息 二三を打電 し、社長夫人
る特別 の救恤手配は之を見合す べき旨打電 せり。
大阪及神戸 へは東京 の模様及社長 の意向を体して在京社員 に対す
打電 し、尚交通状況 に付ても本社及京城鉄道局長 に打電 せり。
高砂 が東京 に於 て視察したる 一般状況を能 ふだけ巨細 に大連 本社 に
着 、直 に曩 に支社長 より大連 へ海軍無線 に託 し発せられた る電報及
混乱 の乗換を切抜け客車 の窓外 に立ち続けて午後六時漸く長野に到
混乱 の中 を漸く九月五日午前十時 田端駅 に到着し 一直線 に丸 の内 ビ 川 口町赤羽間 の荒川鉄橋 は工兵隊 の応急修理に依 り丁度高砂 の乗 車列車 より通じたるなり。 高砂 は正午丸ビ ルに到着直 に四階 の支社及 一階 の鮮満案内所 の内 部を視 、壁天井 の剥落 せる以外社有器物書類 一切 の損害なき ことを 確め、転じ て最も近き麻布狸穴 の満鉄社宅 に向ひたり。 十、狸 穴社宅 には折 よく川村社長 と赤羽理事対坐 せられありたる所 なりしかば直 に見舞 を述 べ無事を祝 し外、在京社員及家族 の安否 を 伺 ひ本社 への通報及阪神 に於ける手配処置 に付上申 したるが、当 日
自動車 あるを幸 ひ古仁所課長 宅に赴 き 一同を迎 へ来 ることとせり。
にも便宜なりと思ひ直 に高砂は辛 ふじて東京駅前 にて見付来 りたる
此際 一同を此所 に集 められ諸般 の打合 せを乞ふ方 、本社 への報告等
今 回の震災 にて長野市 に迂回滞在中 の社長令嬢 二人を保護し て再 び
十 二、斯く て高砂 は本社より の通信 を得次第折柄大連 より帰京 の途
其 の二三に遇 ひ夫 々注意を与 へたり。
て待合居、且篠 の井乗替駅 にて社旗 を携 へて社員 の入京者 を物色し
市外巣鴨 の古仁所課長宅 に主なる係員集合 せる筈 なりと のことに付、 息 及本社 より の通信連絡を図 るべく九月七日及八日半日を長野市 に
古仁所課長宅 にては課長 のみ居 られたるが早速狸穴 に出 向せられ
よ り 六 日 に亘 り 昼 夜 市内 各 所商 店 間 を奔 走 し て漸 く所 要 数量 を 整 へ
阪 に於 て至 急 所 要物 品 材 料 の調弁 方 電 命 あ り 、所 員 和 田 雅 一は 四 日
道 局 等 に電 報 し つ つあり た る が九 月 四 日 本 社 よ り救 護 団出 発 に付 大
十 三、 一方 大 阪案 内 所 に於 て は爾 来 刻 々得 た る情 報 を本 社及 京 城 鉄
たり。
長 令 嬢 一行 の保 護 を依頼 し置 き八 日 夕 方長 野 発 急 拠帰 阪 の途 に就 き
付 同 氏 に本 社 よ り の通信 及 高 砂 の帰 阪 せ る こと を支 社 に報 じ 兼 て社
阪 せ よ と の命 あり 折 よく 九 月 七 日 本 社秘 書 室 牧 氏長 野 に来 り た る に
り 入 江 理事 の電 報 あ り同 理 事 救護 団 を組 織 し て着 阪 、 高 砂 に至 急 帰
入京 の予定 な り し が本 社 より の電 報 中 々来 らず 、 且九 月 八 日 大 阪 よ
二十 二、満 洲より救恤品を積来 る満洲丸其 の他 の汽船事務 に就 ては
清水主 として斡旋 せり。
二十 一、九月十 日救護団 に追送すべき天幕 の買付積送 に付所員和 田
世話入京 の準備注意等夫 々斡旋せり。
二十、九月十 日より十 五日に亘り満洲各地方代表者続来是亦旅館 の
途 に就 きたり。
の状況入京 の準備等 に付注意を与 へたれば皆 々諒承して夫 々上京 の
ルに至 りて撫順炭礦員其 の他 の入京希望者を集 め三回に亘 りて東 京
十九、所員高 砂は九月九日朝入江理事 一行と行違 に帰阪 し直 に堂 ビ
止めて東京 に向ひ出発 せり。
佐せり。
爾後主 とし て大阪残留 の救護団員 に於 て取扱 へるも亦当所員之 を補
二十三、九月十三日所員高砂及星村 は神戸より海路上海丸 にて救護
たり。
用務を帯び兼 ねて神戸滞在中 の社長夫人 一行を護送して上京す、折
十 四 、 九 月 六 日 入江 理事 一行 着 直 に堂 島 ビ ルヂ ング 六階 に救 護 団本
の方 に出 向 き大 阪 の地 理事 情 に委 し き儘 専 ら中 心 と な り て諸 方 に走
部 を 開 設所 員 和 田雅 一、清 水 喜 一郎 、星 村 恆 介 及 小使 小 林 金 次 郎其
柄 の暴風雨帰途船なく不得已中央線 に出 で更 に信越北陸 を迂回し て
十 二日当地残留 の救護団員 は全部東京 に向 て出発 し其 の後 の事務 を
二十四、所員 一同は引続 き救護団 の事務 を補助し居りたるが九月 二
十七日帰阪 せり。
十 五、 九 月 六 日 よ り九 日 迄所 員 清 水 、 星 村 は神 戸 に赴 き 救護 団 用 物
一行 の内 渡 辺 、 小林 及 内 田少 佐 は同 日 直 に東 京 に向 ひ出 発 せ り。
り準 備 斡 旋 大 に努 めた り 。
資 材 料 の調 弁 荷揚 積 送 に付 三井 、商 船 、 税関 、運 送 店 、 旅館 、 駅、
ける中継手続 の為所員清水其 の都度神戸 に出張せり。高砂も亦急送
二十五、爾来 十月中 に亘り大連 より毎航送 り来 る救恤品 の神戸 に於
鉄 道 局等 の間 を 奔走 し為 に星村 の如 きは 一時 健 康 を害 す る に至 れり 。 当所 に引継 たり。
付清 水 星 村 斡 旋 せり 。
十 六 、九 月 七 日 尾 見院 長 一行 の衛 生隊 神 戸 上陸 、是 亦 荷 物其 の他 に
送中継方を神戸及名古屋鉄道局其 の他関係駅に依頼 せり。
下関 にて製 造したる張作霖氏寄贈 の牛肉佃煮 に付ても亦之れが急
を要す る牛肉佃煮樽詰 の中継 に付神戸 に出張 せり。
る 。是 亦 出 迎 旅 館 の世 話 等 を 為 し た り。
十 七 、九 月 八 日 撫 順炭 礦 及 大連 市 の救 護 班着 阪 堂 島 ビ ルヂ ング に 入
十 八 、 九 月九 日朝 入 江理 事 一行 及 尾見 院 長 一行 は団 員 五 名 を 大 阪 に
二十六、救護事務 に付特 別に便宜 を与 へられた る神戸大連汽船出張 の御承認を得夫 々謝 礼招待挨拶等適宜取計 ひたり。
所主任長阪氏及撫順炭販売会社員其 の他鉄道関係 の向 へは入江理事 二十七、今 回の震災 に付当所 にて取扱たる経理事務別紙第 一号 の通
ら れん こと を希 ふ。
震 災 関 係経 理事 務
(別 紙 第 一号 )
脱
ガ
脂
ー
帯
綿
ゼ
枚
巻
〆
反
六、〇 〇 〇
二 七、 八〇 〇
五二
一 一、〇〇 〇
主 な る購 入品
二十八、同じく当所 にて取扱た る救護材料及救恤品 の輸送事務別紙
なり。 第二号 の通 なり。
巾
角
三、 一七 七
三
箱
三〇〇
繃
亜 麻 仁 油紙
組
二十九、震災 に関 する当所員 の出張別紙第三号 の通なり。 の通なり。
三五 口
別
品
救 護 材 料 亜麻仁油紙外
八二
貨 車 二輛 繃 帯 外 一車 亜 麻 仁油 紙 一車
要
一三 、 七〇 二 ・五 五
金額
数
口
二 三、 三 一八 ・五 二
要之今回 の震災 に際し、関東地方 の災害を想見す るに及び、直 に 離阪 上京 の用意 に著手 せるも事実 上決行不能 に陥 り、 三日上京 の途
三七 、 〇 二 一 ・〇 七
扱
賃 切
計
〃
別
無 貸
摘
〃
便
便
救 護 班 一行 と 同船 着
前 記 の材 料 貨 車卸 し、 亜 麻 仁油 紙 三 二個 は 神 戸 に保 管 一 二〇
八二
数
七八口
取 扱場 所
列 車
救 護班 材 料
個
救 護 事 務 金銭 支 払 口数 四 三 口
メ リ ヤ ス手袋
三十、所員高砂 の長野市 より発したる本社 への報 告要領別紙第 四号
名
に就 き得 たるは千載 の遺憾とする処 なり。只僅 に震災突発以来全員 不眠 不休寝食を廃 して全力を傾投 し、万遺漏なきを期 したるを諒 せ
日
大阪荷役所 発送
震 災救 護 材 料 及救 恤 品 輪送 概 況
六
神戸 駅貨物
( 別紙第 二号)
月 九、
七
神 戸 入港
商 船 ば いか る丸 七
一〇 、
備考
八 神
戸
ガ 白
五七三
四〇三
貨 車 五 輛 にて分 送 信 越 廻 田 端 行 一車 危 険 品 、 清 水 港経 由 四車
神 戸 三 井 物産 を介 し買 付
ソ リ ン 米 外
前記材料 及物品
賃 切
列 車
無 貸
神戸駅貨物
便
八
二輛 は 神戸 発 、 四 一〇 列車 に て直送 手 配
電 気 用 品 は羅 洲丸 其 他 は 孟買 丸 継送
清水港経由 二〇
〃
天幕 及属 品
大阪駅発送 恤 類
無 賃 小 荷 物
一〇
船 丸
二 、 一八 一
中
品 外
商 台 救 衣
神戸 入港 肉 詰
兵庫県庁扱 依頼
二七
牛 罐
白米は神戸保管其他三天丸継送
便
四九七
白 米 、麦 粉 は 神 戸 保 管 、其 他 は 三天 丸 継 送
車
品 外
六七五
列 恤 米
品 外
発
関
恤 布
下
救 綿
一 一七 、 〇 二 八
三〇
兵庫県庁扱 依頼
外
四 、 八〇 二
救 白
南
米
外
〃
麦 粉 は神 戸 保 管 、 其 他 は豊 富丸 継 送
貨車 二輛 品 川 宛 信 越 廻 り
白 米 は神 戸 保 管 佃 煮 は神 戸 港 よ り陸 走 、 其 他 は 孟買 丸 継 送 二五五
樺太丸継送 二九 七
六 三七
五、七九九
白米 、麦 粉 は 神 戸 保管 其 他 は遠 江丸 継 送
白
粉
〃 〃
麦
商 船 は る びん 丸
商 台 船 岡 丸
〃
神戸 入港 〃
郵 豊
一
五
〃
船 中 丸
船 丸
七
商 台
〃
不 工 材 外
牛 肉 佃 煮
〃
品 外 〃
〃
恤 物
賃 切
無 貸
救 漬
車 便
列
兵庫県庁扱 に依頼
外
〃
神戸 入港
神戸港 荷扱所
商 船 ば いか る丸
〓
中 丸
〃
素
台
〃
は るび ん 丸
九
一四
神 戸 入 港
〃
一六
〃
一二
二七
台 中 丸 着麦 粉 二 五、 一九 八 袋 は売 却 処分
神 戸 保 管 中 のは るび ん 、台 南 、豊 岡 丸着 白 米 、 七 二〇 叺 、 及 五、 四 九 〇袋 は在 神 戸食 糧 局 出 張 所 へ引渡 し 、 同 台南 、 豊岡 、
張
震
災
事
務
支 社 と 連 絡 及状 況 確 め のた め
者
衛 生 材 料 輸送 の た め
張
京
出
戸
用
神
東
出 張 先
日
四
七
数
月
九
九
日
六︱
資
格
一
太
郎
郎
名
喜
政
氏
水
砂
一
太
件
清
政
郎
介
高
喜
員
秒
〃
水
職
恆
高
村
清
星 〃
引 渡 の た め〃 〃
〃
社 長 夫 人 訪問 状 況 報 告 のた め
四
救 護 団 荷 物 取扱 の ため
〃
三︱
( 別紙第三号)
出 九、 〃 〃
郎
〃
一 一
九
〃
清
高
〃
水
砂
喜
政
一
太
郎
郎
一二
郎
〃
〃
介
ば いか る丸
〃
政
救 恤 品 発送 及森 、 入江 理 事送 迎 の為 め
砂
介
太
郎
恆
太
郎
政
高
太
郎
村
星
一
砂 〃
高
喜
星
〃
水
高
〃
同
郎
〃
〃
〃
清
郎
〃
荷 物 連 絡 及 社長 夫 人 同 行
〃
〃
一
太
〃
赤 羽理 事 出 迎案 内 のた め
〃
〃
政
社 長 夫 人 一行上 京 打 合 のた め
赤 羽理 事送 り、 社 長 出 迎
〃
喜
〃
赤 羽理 事 代 理挨 拶 のた め
〃
砂
〃
五
台 中 丸 積 救 恤品 継 送 のた め
〃
〃
〃
水
一
六
〃
〃
高
一
二 〃
は るび ん丸
〃
清
政
一
〃
台南丸
〃
砂
一三︱ 一七
一
〃
豊 岡 、台 中丸 〃
〃
〃
京
一八
一
〃
〃
〃 東
二三
一
は るび ん 丸
〃
台 中 丸 積救 恤 品 継 送
恆
二五
一
〃
救 恤 品陸 送 手配 〃
戸
〃
村
二七
一
〃
一
神
戸
一
一
一
〃
五
一
神
九
二〇︱ 二 一
〃
一二
一〇 、
一三 一四
一六
二六
(別紙第四号) 九月六日長野局より本社 へ電報した要領 五日朝 入京視察 の後狸 穴にて社長赤 羽理事古仁所 課長 に面会社員 家族共皆無事報告 の為今 此所 に来たが明日再 び入京 の予定、前日支 ことなり。
社長より海軍無線電信 に託し不取敢報 じたが為念左記 再報 せよと の ﹁一日 の強震之 に亜ぐ火災 の為東京下町方面は殆 ど崩壊灰燼 に帰 し死傷算 なく麻布青山方面と其 の接続郊外地は損害 比較的少し、社
伊藤四郎
去 九月 一日東京震災後当所 に於 て鞅掌したる事務大体左記事項 に
下関鮮満案内所
徴発普通 の人は歩く外なし。支社 には特 に自動車 二台ある ( 完) 二
大正十 二年十 一月五日
関案第 八九号
東 京支社庶務課長殿
関 するものにして其主な る事務概要別紙 の通り有之候 此段及報告候
震災事務経過報告 の件
み差当り狸 穴に会し緊急事務を執る ことに決す。今後緊急事項は本
長以下社員家族皆無事 、支社事務所大破損当分執務不能幹部数名 の 信と同 一の方法 に依 り発信す べきも特別扱電 の性質 上屡 々発信不能
皆無事、支社員 に対す る臨時救護手当 二百円乃至百円社長認可食糧
したることは所員 一同 の誠 に欣幸 とする処 に御座候
自覚 し日夜精勤執務 以て当案内所新設 の主旨 に遵ひ聊かながら努力
不勝 手なるにも不拘 小数 の所員 一同協力克 く当案内所 の位置使命を
追 て当所 は震災 の為遽 に事務繁激を来し而 かも開設勿 々にて万事
也
内務省救護 局の配慮を受く ることとした。台湾銀行 明日頃 より開店
大橋馬越 監事宅焼失不取敢見舞し置 けり。早川前 社長宅損害なし
な ること予め承知ありたし﹂(以上支社電再報)
す る予定 に付金銭 の手配 もつく見込、狸穴社宅西洋館 大亀裂崩壊、
一、震災後 に於ける各地連 絡紹介報道 に関す る事項
記
し。通信機関完全なるものなし電 信は長野より各地に通ず、しかし
一、本社、京城鉄道局 に震 災地状況及交通状況通信 に関す る事項
丸ビ ル内外大亀裂剥落今後 の見込立たぬ社 の噐物書類等 一切損害 な 二三日中 には少しでも開通せしむる意気込 にて復 旧に努め つつあり。
以上
一、鮮満各地救護団並震災地行当地通過社員及罹災社員家族其他 一
震災 に関する主 なる事務概要
自九月至十月
一、震災地行救恤品当地中継輸送 に関す る件
般旅客 に為し諸事便宜供 与に関する件
郵便扱はず。川 口町局止 の外なし。之も中央 局残 り居 るから其内何 とかなるべし。東海道少くも二ケ月以上 かかるべし。清水港との連 べし。上野 より望 めば 一望 の焼跡目下不逞漢 の詮議厳しく兵力 に依
絡船 は早く実現すべし。社長赤 羽理事 の旅程 も多分此経路 に依 らる り秩序を保 てり。夜間交 通危険外出者なし。 ガソリン欠乏自動車皆
下関鮮満案 内所
一、戒 厳 令布 かれ 入京 者 一層 困難 に し て其 の条 件 も厳 重 と な りた る
上 を良 しと す る や に つき其 手 配方 松 村 秘 書 官 よ り電 照 あ り直 に下
を 以 て其 の旨 本社 及 京 城 鉄 道 局 に打 電 ︹ 実︺ 一、斎 藤 朝 鮮 総督 本 日京 城 発東 上 に つき 下関 よ り海 陸 何 れ に より東
九月 一日 一、午後 四時頃新聞号外 にて本日午前十 一時五十分頃伊豆方面を中
関 駅長 と共 に協 議 せ り 。
心として大阪以東 大震災 あり各通信機関杜絶詳細不明 の旨報あり 九月四日
たり 九月二日
九月六日
阪 入江 理事 に転 電 。
田
中芬
一、同 秘 書発 電 社 長 初 め 一同 無 事 、 以 上 文書 課 長 より 来電 に就 き 大
ぎず 社 務 は当 分 の内 狸 穴 の社 宅 に て見 る筈 と。
一、平 島 秘書 支 社 損 害 少 な か らざ るも 三名 の軽 傷 者 を出 し た る に過
ル外 部 破壊 支 社 と の連 絡今 尚 不能 の旨来 電 。
一、大 阪 案内 所 より も 前 同様 大 森 氏 談 によ り赤 羽 理事 消 息 並 に丸 ビ
より 初 め て東 京 支 社 の消息 を し る。
入 江 理事 に転 電 方 文書 課 長 よ り来 電 速時 大 阪 に転電 せり 此電 報 に
一、 四 日午 前 八 時 篠 の井販 売 会 社 大 森 氏発 電 支 社員 本社 員 無事 の件
九月五日
の返 電 を なす 。
一、 京城 鉄 道 局 より 斎藤 総 督 東 上 に つき其 方 法 依頼 の電 報来 る承 知
本 社埠 頭 事 務 所職 員
一、 一行 中 左 記 のも の当 案 内 所 事務 応 援 の為 滞 在す る こと に な れり 。
︱、 黒 沢京 城 鉄 道 局次 長 一行 と 同車 大阪 に向 ふ。
旁々今 後 の事 務打 合 を為 す 。 一行 特 急 列 車 にて大 阪 に向 ふ 。
一、本 社 入江 理 事 一行 二十 九 名 震災 救 護 団 を 引率 二便 着 当所 に休 息
慮に不堪大阪案内所 に事実 の真相問合 せの為打電 せり。
一、新聞号外 にて東 京丸 ビ ル倒壊 の報 あり東京支社 の安否 につき憂 一、東京全市 に戒厳令布かれたる ことと並震災 の為列車 の運転変更 の件 、本社及京城鉄道局 に打電 九月三日 一、朝鮮総督府倉橋 文書課長 より入京方法及内鮮 間通信機関連絡等 に付電照あり。 紙以外 通信 の途なき為 一切不明返電 ありたり。
一、大阪案内所 より曩 に依頼 した る東 京方面 の状況は当 地同様新聞 一、下関 駅に到達せる震災 のため列車運転区間及時刻改廃 に関する 件、本社及京城鉄道 局に打電。 一、京城鉄道局 より震災地方状況 につき電照 あり各新聞記事を綜 合 し て報道 せり。 一、近着 の朝 日新聞号外により二日東京 に戒厳令布 かれ糧食携帯者 に限り入京 を許 さずと の海軍省公報 により其 の旨本社 、京城鉄道 局 に打電 せり。 に通知あり直 に其 の旨本社及京城鉄道 局に打電。
一、昨二日より名古屋川 口町線間直通列車相互運転休止 の旨下関駅
局 に打電 。
一、其後 に於 ける震災地方列車運転 に関す る概況、本 社及京城鉄道 一、東京市は公務を帯びたるものの外は絶対 に戒厳区域 に入る事を 許 さざる旨 新聞報道 により本社及京城鉄道局 に打電。 一、満鉄本社震災地救護 団本部 を大阪市大江橋北詰堂島 ビ ル六階 に
特 別 の便 宜 供 与 の可 否 を電 照 し た る処 公 用 以外 の入京 の可否 は不
明 にし て沼 津 より 引 返 し た るも のも あ る 。下関 に来 り し 上 は本 人
の自 由意 志 に委 す る外 な し右 返 電 あり 。
携 帯 大 阪 に向 け 出 発 せ り 。
一、 奉 天救 護 団 石 崎 参 事 一行 当 所 に て事 務 打 合 の上当 地 製 作 の腕 章
一、 長 春代 表 者 稲 葉 氏 一行 当 地通 過 。
一、 開 原救 護 団 小 柳達 士 一行 当 地 に て事 務 打 合 せ の上東 上 。
九 月 十 一日
設置 の旨同団本部より来電 。 一、満洲地方救恤品積載 の長順丸九月七日午後十時三十分大連出帆
漏 なく取計 ひ適宜 の方法 に可成迅速 に送 付方作積 の電報本社文書
︹マ マ︺
く 此 場合 は電 通 す る に つき所 在 官 憲 と協 議 の上貴 方 に於 て万事 遺
あ るも将 来 商 船 又 は 郵船 に依 り貴 地 中継 に て発 送 す るも のあ る べ
一、 大 連 よ り震 災 地 行 救恤 品 は従 来 傭 船 に より 震災 地 に直 送 し つ つ
九月十二日
九月八日 の旨本社文書課長より来電 。 一、撫順炭礦事務所救護 団代表手嶋、藻 原両氏 一行当所 にて打合せ の上東 上。 一、奉天満鉄救護団員より救護員章を当地に製作方依頼 の電報 に接 す。早速其向 に注文せり。
課長 より来 る承知 の旨返電 。 九月十三日
九月九日 一、安東民団代表者近藤 、尾崎両氏外 一行当所 にて休 憩 の上東上。
蒙古生牛百頭 は門司 に陸揚検疫 の上満蒙冷蔵会 社彦島 工場 に於 て
一、泰陽丸本日門司入港 の予報 あり所員 本船 に行く。同船救恤品中
電。
一、六日高砂 氏長野 より発電東京支社 の消息 に つき文書課長 より来 一、大阪高砂 氏長野発電 支社員 一同無事 の旨来電 ありたり。
て工場主任より通知ありたり。
鑵詰 に製 造 の上震災地 へ輸送方大連同所 より通知ありたる趣 を以
報本社文書課長 より来電。
に依 るガソリ ン五〇〇箱自動車 八台 タイヤ其他 一般救恤品積載 の
一、西京丸十三日午後大連 出帆に決す。同船 には救護事務局 の要求
社員生牛陸揚其他 につき門司運送店巴組 にて協議打合 をなす。
右 につき未 だ本社より通知 なきも兎 に角同船乗組 の大連汽船会
一、京浜間線路開通 せり。本社及京城鉄道 局に打電。 九月十日 電。
一、第 二次救恤品積載泰陽 丸本 日午後 三時出帆本社文書課長 より来
し て予め詳細知悉し置く必要あるを以 て大阪救護団本部 に証明等
一、社員入京 の為当地通過するも の多数 に上り証 明等 につき当所 と
一、西京丸本 日午後四時出帆十八日芝浦着 の予定、積荷 は先電 の通 り文書課長 より来電。 九月十 四日 一、前 記泰陽丸積生牛門司陸揚缶詰製造 の件及陸揚費負担 の件 につ き文書課長 に電照せり。
一、缶詰出来 次第荷送人関東庁宛名東京震災救護事務局とし て神戸
なき様取計 ふこと。関東庁長官より山 口県知事門司鉄道局長宛右
中継送付方及下関発送 の上は大阪案内所 に電報し中継に付 き遺漏
に つき便宜供与依頼済 の旨本社文書課長より来電。 九月二十 一日
送 し得 るを以 て其方法を取る ことにつき文書課長 に電照 せり。
一、昨電 にて缶 詰輸送 に付神戸中継 とあるも目下貨車にて田端迄直
連絡船各等乗車券発売す。但し戒厳地帯 に入るため の官憲証明必
一、本日より証明書 の提示を要せず して江尻駅長 に於 て清水東京間
一、十三日泰陽丸揚 の生牛缶詰製造 に付福岡県門司市田 の浦 に於 け
九月十 五日 る屠 殺場使用料及屠殺税等凡 て無税 の取扱を受くる必要上関東 庁
要なり。以上江尻駐在震災事務連絡員小林完 一来電。
長官 より福岡県知事宛右 につき便宜供与依頼 の電 報発送方文書課
一、鉄道省 にては二十 七日清水出帆連絡船より東京を止め横浜 につ
九月 二十六日
長 に打電 せり。 一、西京丸 午後 一時 門司通過 の報 あり。
上江尻小林駐在員 より来電 あり承知 の旨返電す。
ける ことに決定し たから 二十 六日限り当 地通信連絡を廃止す。以
九月十六 日 一、先般来当所震災事務応援 の為来所中 の本社職員 田中芬 本日東京
九月 二十八日
に向け出発。 九月十 七日
報途中通信 不能 に つき区間輸送方依頼。以上小林駐在員宛打電。
一、震 災救護 事務局宛生牛缶詰積貨車 二輛分荷受方東京支社宛 の電
一、震災 地方列車運転変更状況
九月二十 二日
度電照 せり。
一、缶詰至急製造 の必要上屠殺税免除 の件 につき本社文書課長 に再
一、彦島生牛百頭屠殺税免除 の件及牛陸揚 に要す る費用満蒙冷蔵 会
一、山 口県庁 に出頭知事 、内務部長 及産業課長 に面会缶詰輸送 の件
九月二十六日
書課長 より返電。
一、昨電 にて照会した る件 は適宜 の方法を以 て輸送可然取計 ふ様文
本社及京城鉄道局宛打電。
九月十八日 社負担 の旨文書課長 より返電 あり其旨彦島工場 三沢主任 に通知。 九月十九日 一、彦島工場 にて昨 日より缶詰製造 に取かかりおるを以 て送付先受 荷主 の名 につき文書課長 に電照せり。 九月二十日
に つき挨拶せり。 九月二十八日 一、当所彦島 にて製造 の震災 地行牛鑵詰左記 の通 り托送す。
したる上港務部 に行 き高橋港務官に面会検疫 に付依頼せり。
一、神山丸積生牛 の件 に つき門司市役所訪問前 回同様免税方 を依頼 十月十六日
余程小形 なり。陸揚 方に つきては万事下関宮本運輸合名会社 に委
神山丸午後入港本船迄張作霖寄贈 の生牛を見る前 回のも のより 関 東 庁
記 荷送人 嘱せり。
二五五箱
庁
にて左記 の通 り発送 せり。 東
関
記 荷送人
量
一万六千九百三十六斤
四打入 三百五十六箱
東京震災臨時 救護事務局 詰
荷受人 缶 一、斤
十噸
昨 日出来上り本 日下関駅発午前九時十分汐留駅直行第四〇〇列車
一、神山丸積張作霖寄贈蒙古牛九十六頭彦島 にて製造中 の缶詰愈 々
十 月三十 一日
りたるを以 て其旨本社及京城鉄道局 に打電 せり。
一、東海道線全通 のため横浜清水港間運航 の連絡船廃 止の旨公報 あ
十月 二十八日
一、午後四時 三十分中央線開通
十月 二十五日
東京震災臨時救護事務局
以上
荷受人 五百七十 二箱 五五四〇 六号車積 四打入
内 ﹁ニワ﹂ 二六〇九五号車積四打 入 三 一七箱
一、缶詰 ﹁ワ﹂ 第 四〇 二列車 九月二十八 日 一、右救恤品缶詰発送後大阪案内所 には途中梅小路等 に於ける中継 方 に就 き尚東京支社には貨物通知書を送附し荷受方救護事務局 と 打合せ可然頼 む旨書面及電報を発 す。 九月二十九 日 鉄 道局及本社打 電。
一、東海道線 不通箇所徒歩連絡開始並に震災地列車運転概況、京城 一、清 水港芝浦間運航 の連絡船は本 日より清水港横浜間運航に変更 したる旨公報ありたるを以 て其旨本社及京城鉄道局に打電。 十月九日
以上の如く発送 と共 に其旨を本社文書課長及東京支社庶務課長 に
﹁タ﹂五〇四二 一号車積
詰 に製造震災地宛送付の事となりたるに つき万事 取計 ふ旨文書課
一、生牛九六頭張作霖寄贈 のも の十 二日出帆 の神山丸 にて彦島揚缶
打電し尚東京支社庶務課長 に貨物通知書及積荷案内送付可然取計
方 に付き依頼 の電報及書面を発送 せり。尚山 口県、福岡県各内務
長 より来電 ありたり。 十月十三日
部長 宛缶詰輸送 に つき挨拶状 を送付せり。 三 東 京支社森理事 より本社松岡理事 への書信
以上
拝復九月七日御尊書拝誦震災 に付種 々の報道相伝はり候為 め意外
無線電信 にて本社 に打電致候様 の始末 にて通信心ならず相後れ候為
め本社諸氏に意外 の御心配を相掛け侯段誠 に遺憾 に候 へども当時事
情誠 に已むを得ざりし ことに御座候殊 にガ ソリ ン徴発 の為め自動 車
は二日以来全 く其 の用を為さず 五日内務省 より分配を受け て多少 運
転 し得 ることとなり同日狸穴に幹部相寄り不完全ながら救護其他 の
救恤品は陸続送 付せられ殊 に非常 の場合横浜及青山外苑 に於 て臨時
此間本社諸 氏 の機敏なる御取計 に依り衛 生及慰問団を組織せられ
応急事務を見候様 の次第其後 の状況 は既 に御承知被 成侯事と存候
病院を設けて意義 ある社会奉仕 を為す ことを得 たるは満鉄 の為めに
の御心労を相掛 け申候段恐縮 の至 りに奉存候 九月 一日正午 は社長 は狸穴社宅 に赤羽理事 及小生は丸ビ ルに在 り
御同慶措く能 はざ る処 に御座候
森俊 六郎
敬具
支社員 一同異常 の激震とは存 じな がら他 に致方なく凡そ二三十分間
様
十月三日 松岡洋右
益加 はり 三日正午 に至 るも延焼止まず 又京浜間は二日以来鮮人騒ぎ
三年度 より実行する ことに予 て社長 及重役 より地方部長 に御話 あり
五十名 を収容す る件は之 に要す る経費 を十三年度 の予算 に計上し十
東京 に於 て五軒 の寄宿舎を借家し差当 り奉天省出身官私費留学生
野村 正 ︹ 編注 庶 務課 、参 庶事 務部︺
在東京 の東三省出身留学生世話方に関する件
大正十 二年十月十三日
四
右御尊書 に対し御挨拶迄如斯御座候
室内 に在 りて事 の成行 に任 せ稍や震動 の減 退す るを待ちて停車場前 広場 に出 で居 ること時余 に及 ぶも余震止まず到底引続き執務 の途な きを感 じ金庫及帳簿 の始末方 に つき打合を為 した る後支社員 に夫 々 退散を命 じたり是 より先き自動車はあるも運転手見当らず已むを得 秘書役庭 先に避難し居られ三時過ぎ に至 り社長は自 邸に小生は大森
ず 小生は他人 の車 に便乗 して狸穴社宅に向 ひ候社宅 には社長及平島 に帰宅致 し停車場前広場 にて松崎氏より不取敢本社 に打電し置くべ しと の申出 あり宜敷く取計 ひ呉れよと申残 し相別れ申候然 るに此時 既 に交通通信 の機関は全く杜絶し居り打電 の機なかりし ことは後 に 相知り申候 大森帰宅 の際迄はさまで事件 の重大なるを感ぜず 翌日にもならば
にて往来甚だ危険なりしを以 て出京 の機 を得ず四日初め て出 京丸 ビ
平 日の通 り出勤し得 べしと の考 へなりしも帰宅後東京方面火勢は益
ルらを見舞 ひ正午狸穴 に出勤致候是 より先き古仁所課長出勤 し居 り
訳
金 七千弐百円也
内
但家賃 五軒分、 一軒月額 一二〇円 (一軒 に付十人収容、総員 五十
たる所 なるが此 の件 を特 に十三年度 より実行せんとす る理由 は左 の (理由 の 一)
如 し。
督 の下に下宿業を営 ましむ。
人収容 の見込)此 の家賃 を補助し適当なる夫婦者 をし て指導者監
じつつあり故 に本件 の計画は今回 の震災 に依 り 一層必要となり早速
金壱千円也
以上
東京震災 の為 に東京 の支那留学生は生活 上 一層 の不便と不安 を感 着手 せざるべからざ る必要 に迫られ居るなり
右借家 の模様替、修繕費
但指導員嘱託費 一人分月額弐百五拾 円
金参千円也 金参百円也
本件 の計画 は会社 の対支政策上大 に意義 あるも のなるが其 の実行 方法 に至りては余程慎重 に考慮 せざるべからず。之れ留学 生をし て
指導嘱託員旅費及交通費
(理由 の二)
会社 の好意 を疑 ひ却 て反抗 心を起さしむ る処 あるが為なり。然 るに
横浜駐在米国領事孤児 への義捐金 の件
五
今回 の震災 は偶然本件計画 を実行する為 の好機会を与 へたるなり。 今回 の震災 に際し会社は本件計画と同 一の精神 に基き已に在京留学 生 の安否調査其他罹災留学 生の世話を為 し留学生及奉天官憲をし て 会社 の好意 を諒解 せしめたり。此 の機会 に於 て本件計画 を実行し引 続き東 京留学生 の為 に生活上 の世話 を為 さば角 が立たず留学生等も 何等疑 惧の念 を起す ことなく容易 に会社 の好意を諒解す べし。故 に
︹マ マ︺
横浜駐在米国領事 キリヤソフ氏夫妻 が今 回の震災 に依 つて不幸 に
(理由 の三)
今日は本件計画を実行する最適 の機会なりとす。
に堪 へま せん 。目 下 其 二孤 児 は叔 父 君 に当 ら れ る大連 駐 在 米 国領 事
も 二人 の愛 児 を異 境 に遺 し 無 惨 な る最 後 を遂 げ ら れ た事 は寔 に同情
の為 め に多 大 の義捐 を為 さ れ つ つあ る際 では あ り ます が此 の可憐 な
り で同 氏 は当 地 には 因 縁 浅 ら ぬ方 であ り ます 。 皆様 が内 地 震 災救 援
米 両国 親 善 の為 め に尠 から ぬ貢 献 をな さ れ た事 は大 方 の御 承知 の通
にキ リ ヤ ソ フ氏 はバ ラ ンタイ ン氏 の前 任者 と し て大 連 に駐 在 され 日
バ ラ ンタイ ン氏 の下 に引 取 ら れ て其 の庇護 を受 け て居 られ ま す 。曩
在京留学生震災後 の生活及修学 に就き ては奉天官憲 も心配し居 る に付き、此際会社は奉天官憲 の依頼 に依り て留学 生 の世話を始 むる こととせば将来 の為 にも最も好都合なり。本件決裁 の上は奉天官憲 東京 に於け る東三省留学生世話方 に要す十三年度予算
より右 の依頼を会社 に申込ましむること に取計ふ予定なり。 一金壱 万 一千五百円也
同 同
同
同
同
火 曜 会
木 部
遠 和
浜
田 正 稲
杉 野耕 三郎
片
藤 達 田 敬 三
山 義 勝
安 川 和 三郎
同
同
同
同
同
同
向 坊 盛 一郎
木
千
村
秋
鈴 木
佐 藤
根 橋
禎
寛
二 郎
恕
通
所及氏名を御記入願 ひます。
一
二
義 捐 金 醵出 芳名 録
公 望
同
る二孤児 の為め に此際 一掬 の同情を寄 せられん事 を偏 に御願 ひ致す 次第 であります。
昌 子
追而金額 の多少に拘らず御出捐下さる方 は此 の記帳 に其 の金額居
大 蔵 喜 介
同
上
同
次 子
田 恭 輔
ス ミ子
村 井啓 太郎
菊 子
津 田俊 太郎
同
洋 右
キ ミ子
同
満鉄 本社
同
同
同
同
同 同
同
同
田 村
川 村
森
寿 吉
三 島 清 一 岩 藤与 十郎
乙 竹
民
平 塚半 治郎
藤 根
三
竹 治
矢 野久 三郎
土 屋
羊
茂 郎
弥 五郎
一
同
同
同
同
同
同
同
同
同
平高 寅 太郎
大連商業会議所 上 谷
同
原 田猪 太郎
保
武
村
西 田猪之 輔
長浜 哲 三郎
中 島
白
々 隆 矣
浜
小 川
巌
一 郎
栃内 壬 五郎 守
田 中
同
松 岡
龍 子
同
西 恒 郎
幸 子
同
同
黒 崎
堀
達 也
洋
三 山
庫 平
清
亮 作
同
沢 丈 作
同
同
古
満 江子 ト リ子
相 生由 太郎 同
一
正
堀
津村 甚 之助 中 村 光 吉
至 誠
同
佐 藤
同 同
同
平 島 敏 夫 田 辺 敏 行 信 司
入 江 正太郎
政 樹
築 島
同
立 花
同
同 同
信
同
発起 人 (イ ロハ順)
大正十二年九月十八日
進
塚本 貞 次郎 大 蔵 喜 介
昌 子
公 望
浪速町伊予市号 植 田 市 太 郎
監部通四九
田 中
同
Thursda y
A m er ican
菊
子
Plea se
who
so
敬 具
松岡洋右
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gift, t h te o
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thanks kindly
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Consul Service
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子
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上 田恭 輔 印 ︹ 編注,本社秘書役︺
小 生 まで 口頭並 に書 面 を以 て感 謝 の意 を表 せ られ た う
they
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ン夫人より特 に別紙 の如く礼状到来致候に付茲 に御転送申上候
寿 同
千 代
博 津 田俊 太 郎
田
是 松 奥
伊
佐 麿 同
石
同
原 耘
董
同 伊 田 〓 忠
藤
同
村
満蒙 文化協会 笠
大連市役所
田 所 耕
十 二月二日
同 原
キ ミ子
同 江 半 蔵
元大連税関長 丹後町メ区四三 岡 内
次
スミ子 田 恭 輔
村井 啓 太 郎 同 上
夫 同
霧島町ス区四六 相 生 久 夫
四 郎
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相 生
右
相 生 武
子
同
洋
同
龍
shown
松 岡
政 樹
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同
子
子
同
相 生 睦
霧島町ス区四六 森 川 常 三 郎
丈 作
和
満 江 子
古 沢
同
同
相 生由 太郎
野
三
好
町
同
山県通 一三六 大 久 保 寿 三 郎 磐 城 福 田福 三郎
トリ 子
湊
立 花
町 摩
浪 速 守
石見 町八
陳者 過般諸賢 の御讃同を仰ぎ故横浜駐剳米国領事キリヤソフ氏 の
拝啓 可憐 なる孤児 に対し聊か 一片 の同情 を表すべく約七百有十余円 の見 舞金 を贈呈致候処今回児童 の伯母君 に当 る当地米国領事 バランタイ
a
第 二部 A 交
政
済
通
治
部
部
部
門 (二 一︱ 二 二)
門 (一七︱ 二〇 )
門 ( 六︱ 一六)
類
B
経
報
C
社 会 其 他 部 門 (二 三︱ 二七 )
情
D
六
極秘
暗号複文
三
大 正十 二年 六 月 七 日
在北京
松 岡 理 事
更 迭 に関 す る大 総 統 と の不 和 竝 に閣員 間 の不統 一の ため 。
内 閣総 辞 職 ︹ 紹曾︺ 張 内 閣 六 日午 後 総 辞職 す、 未 だ許 さ れず 、原 因 は崇 文 門税 務 監 督
大 正 十 二年 六月 七 日午 後 七時 北 京 公所 電 報 (へ六)
二
要 す る に最 高 問題 に対 す る張 作霖 の態 度 は強 硬 であ る 。
三 、若 し曹〓 が敢 て総 統 たら ん とす るな ら決 し て反 対 も せ ぬ こと
瑞 を適 当 と 認 む る こと
二 、張 作 霖 は副 総 統 た るを願 はず 。総 統 には 孫 文 、副 総 統 には段 祺
黎 元 洪 駆 逐 事 件 及曹〓 総 統 賄 選 を め ぐ る 政 情
大 正 十 二年 六 月 三 日
最 高問 題 に対 す る張作霖 の態度
一 北 京 特 報 (四 ノ 六)
東 三省 議員 は曹〓 の総 統 た る こと には皆 反 対 であ る。過 日曹 鋭 は
張 作 霖系 議員 趙 連琪 談
最 高 問 題 に関 し張 作 霖 に左 の提 議 を為 し た 。 一、曹〓 が総統 とな らば 三 ケ 月内 に張 作霖 を副 統 たら し む る こと 二 、 二 ケ月 内 に呉佩 孚 より 両 湖 巡閲 使 の職 を 回収 す る こと 三 、 二 ケ月 内 に西北 辺防 督 弁 を 取消 す こと 四 、 一ケ月 内 に直 ( 直 隷 ) 魯 (山東 ) 豫 (河南 ) 巡 閲 使 を撤 廃 す る こと 右 に対 し張 作霖 は鮑 貴 卿 に左 の通 り返 答 し た
と 改 む る こと
一、提 議 中 ﹁何 ケ 月内 ﹂ の文 句 は全 部 ﹁総 統 に選 挙 せら るる 以前 ﹂
へ六 五電 に関 し 大 総統 今 日 に至 り 若 し張 総 理 今 夜迄 に帰 任 せざ れ
赤 羽 理 事 宛
しと観 測せらる。右 に対す る呉佩孚 の態度 は未 だ 分 明 せず (へ三
交団 に発 せり。大総統 は今明日中 に公使館 区域又は天津 に逃走すべ
京 の保安 は両名 に於 て之 に任ずるに付安心ありたし云 々の通知を外
在北京
極秘
ば 直 ち に新 総 理 を任 命 す る決 心 をな し 一応 形 式 上 総 統府 より 張 総 理
五 大正十 二年六月八日 午後 八時 内閣員顔触
六
大正十二年 六月十日午前五時五十六分着電
極秘
電報
なるか、右 の内幾 人承諾す るや尚不明、右当分極秘扱 にせられ度 し。
政王克敏 (?)交 通呉毓麟、農商高凌〓、司法張国淦、教育蔡 元培
員顔触 れは外交顧維鈞、内務張志譚、海軍李鼎新 、陸軍馮玉祥 、財
予報 の通り昨夜黎総統自宅 の会議 にて顔恵慶内閣組織承諾す。閣
電報
七)
松 岡 理 事
松 岡 理事
に帰 任 を促 す為 人 を 天津 に派 遣 せり 。 且 大総 統 は憲 法制 定 のた め 今 後 二個 月 丈 職 に留 る のみ な り と の事 を 本 日 全国 に通 電 せ り。 諸 情 報 を綜 合 す る に張総 理は 容 易 に留 任 を肯 ん ぜ ざ る べく 結 局 新総 理 を 迎 ふ る事 と な る可 き が有 力 な る候 補 者 は、 顔 恵慶 、〓 雲 鵬 、呉 景 濂 等 な り 。呉 景 濂 頻 り に大 総 統 に接 近 せ る所 より 見 れ ば或 は結局 同 人 の 任 命 を見 る やも知 れず (今 日 呉景 濂 の出 馬 は聊 か各 方 面 に意 外 の感
四
大正 十 二年 六月 八 日 在北京
を 与 ふ可 き も) 本件 情 報 凡 て社長 に転 電 乞 ふ (へ三 五)
暗号複文
前 電 大 総統 駆 逐 策 は天 津 に在 る曹〓 の弟 曹 鋭 の劃 策 に よ るも のに し て (呉 景濂 は顧 維鈞 総 理案 に加 担運 動 せ る迄 に て大総 統 威 嚇 の陰 ︹ 凌〓︺ 謀 に は預 らず と言 ふ)同 人 の命 を 含 み 辺守 靖 咋 日北 京 へ来 り高 内務
松 岡理 事
其後 呉景濂、顔 恵慶 に反対 の運動 を起し為め に ( 呉)曹 の賛意 を
在北京
さ し め、 他 面公 民 団 な る名 を以 て約 二 百 ( 千 名 と 号 す) の群 衆 を し
総 長 と計 り 、 一面 本 日 月給 不渡 り を 口実 とし て巡 警 に罷 工同 盟 を な
得 て黎総統 を種 々威嚇逃亡 せしめる手段を講じ事態紛糾 の兆あり。 七
て総 統 府 に押寄 せし め 大総 統 の責 任 を問 ひ威 嚇 を 行 は し め朝 来 臨時 保 安 隊 を以 て巡 警 隊 に代 へ尚 午 後 南 苑 よ り馮 玉 祥 の軍 隊 を市 中 に繰 入 る る筈 な り 。本 日馮 玉祥 、王 懐 慶 両名 の名 を以 て巡警 の同 盟 罷 工 は 月給 不 渡 り に よ るも のに し て何 等 政 治的 意 義 を有 せず 、差 当 り北
電報
三年上海商務印書館英文編輯、宣 統三年外務部参議、署理留米学務
処総弁 に歴任し民国 二年 より六年迄駐独公使 に任ぜられ後丁〓、瑞
松 岡 理事
極秘
在北京
大 正十 二年六月十日午後三時 四十五分
直隷省豊潤県人
典 公使等歴任す。 二等大綬嘉禾章 を給 せられ竝 に ﹁ 英華 大辞典﹂ の
顧維鈞 字少川
江蘇省嘉定県人
三十六歳
内務 次長、督弁京都市政事宜 を兼任し七日国務院秘書長 に任ぜられ しが嗣 いで辞職 せり。六年 七月復辟 の際は民政部右侍郎 に任ぜられ
や綏遠道尹 に任 ぜられ四年四月十 七日上大夫 を授けらる。六年 一月
前清 の挙人出身 にし て曾 つて陸軍部郎中候補 たり、民国成立する
二、内務総長 張志譚 字遠伯
著 あり。
へ三七暗電 に関す る巡警 の同盟罷工止み馮玉祥軍 隊 の入城は見合
大正十二年 六月十 一日
八
せとす (へ三八)
暗電複文 松岡 理 事
たり。
在北京 赤 羽理 事殿
三、外交総長
浙江省抗県人
四十五歳
在 日清国留学生監督、翌二十八年駐日清国公使館参賛 となり勲 四等
前清 の挙 人にし て光緒 二十六年留日浙学生監督 とし て東渡 し翌年
四、財政総長 王克敏 字叙魯
氏 が有為 の材 たるを認め其 の女 を以 て娶 せりと 云ふ。
曾 て日露戦争後、唐紹儀米支同盟を策 し専使として渡米するや顧
られ、二等嘉禾章を給与 せらる。
に転じ、六年十 二月玖馬公使 を兼任せり。曾 て上大夫少卿銜を授け
月総統府秘書 に転任す。四年七月墨西哥公使 に、同年十月米国公使
り。此年帰国し唐内閣 の国務院秘書となり外交部秘書 に任じ二年 七
の学位を得 、民国元年 ﹁ 寓華外人伝誌﹂ を著はし博士 の学位を得 た
科 を修む。三十四年卒業 し又政治学、国際法を専攻し宣統元年碩士
年米国 に留学 しクツク学校 に入り三十 一年 コロンビヤ大学 に普通文
初 め上海中西書院、王氏育林学塾、聖約翰大学に修学す。光緒 三
大総統威嚇運動は差当 り頓座 せるも引続き劃策行 はれ内閣組織容 易ならず 、本職明日交通部次長と会見 の結果如何 に依 りては 一旦帰
庶、調査課長
連 するやも知れず御含 み迄、社長 へ転乞ふ (へ三九) 九 庶 調情第 一八八号 ( 大正十二年六月十二日) 内定新内閣員略歴 字駿人 上海人 年 四十六歳
初 め上海聖約翰 大学 、中西書院、同文書院 に学 ぶ。光緒 二十 一年
一、国務総理 顔恵慶
米国 に留学し て教会高等学校 に入り同 二十三年 バージ ニヤ大学 に普 通文科及法律科 を修む。同二十六年学士号を得 て卒業し二十 六年帰 国 せり。嗣 いで上海聖約翰大学教員、同三十 二年南方報編輯、三十
馮氏 は陸建章 の門下生 にし て且深 く基督教 を信じ善 く士 心を得 る
安徽省巣県 人
民国将帥中氏 の右に出 づる者無しと称 せらる。六年 七月京南廊房 に
馮玉祥
いで四川総督趙爾巽 の幕僚 となり、同三十 四年直隷総督楊士驥 の幕
駐屯せしが当時張勲幼帝 の復辟を宣言するや直ち に計を決 して陸氏
八、陸軍総長
僚 に転じ外交事務を担任 せり。宣統二年署理直隷交渉使 に、同三年
旭日章 を贈 らる。同二十 三年帰朝し て度支部外務部等 に勤務し、嗣
六月交渉使 に進補せらる。第 一革命 の際 は直督を補佐して克く地方
に在 りて中央 に対して独立を宣言せしことあり。
を推 して之を討伐せんとす。後段氏立 つの報 を聞き罷 む。湖北武穴
五十歳
政編査館 々員 に歴任す。民国成立後統計局副局長、国務院銓叙局長、
光緒癸卯 の挙人にして徐東海 の門下生なり。曾 て黒竜江候補道憲
字乾若又は仲嘉 湖北省蒲県人
の安 秩を保ち たり。民国 二年辞職し て仏蘭西 に遊 び、同年十月帰津
秋 直隷省滄県人
九 、司法総長 張国淦
し て中法実業銀行 の重役 となり、六年 七月中国銀行総裁 に挙げられ、
字
十 一月財政総長 に任ぜられ中国銀行総裁 、塩務署督弁 を兼任せしが 呉毓麟
七年 三月辞職 せり。 五、交通総長
同院秘書長、参政院参政、内史監行走、同四年四月教育総長 に任じ
五年 六月辞職し農商総長 に任ぜしが、七月又改め て黒竜江省長 に赴
前 清中海軍学堂を出 て海軍部軍 政司建築部科長を命 ぜられ民国成 立後大沽造船所長 に任用 せら る。
任せり。十 一月国務院秘書長 に転じ二等宝光嘉禾章を給与 せられ六
浙江省呉興県人 五十五歳
字孑民 号鶴卿
氏 は儒家 に生れ幼 にして庭訓を受 け齢未 だ而立 に至 らず して進士
一〇、教育総長 蔡 元培
年 七月農商総長 に任 ぜられ嗣 いで辞職 せり。氏は旧学 に造詣深し。
六、農商総長 高凌〓 字 沢〓 直隷省天津 人 ︹マ マ︺
挙 人出身 にし て光緒 三十四年湖 北提学使 に、宣統 二年同省布政使 に昇進 す。 三年春問官 を辞し第 一革命 に当り難を上海 に避けたり。 氏は学識 あり時務 に通 じ温厚篤実 の士なり。後共和党 の幹事となり 六年 九月臨時参議 々員 に選挙 せられたり。
を卒 業、嗣 いで海軍練習生 とし て該 国に居 ること六年 にして帰国せ
前清中福建船学校航海科 を卒業 す。英国 に留学 しグリ ニツチ学校
の青年 は氏 が聡明誠篤 にし て、而し て国難 に感憤し此説を為す に感
吹す。当時章炳麟、鄒容等 と蘇報を発行し其 の説を力唱せしが上海
洋公学 に教鞭を執り実是学舎、愛国女学校を創立し て革命思想 を鼓
て故郷 に帰れり。国 民新学会を起し子弟を教導 せり。嗣 いで上海南
に及第 し翰林院編修 となる。光緒戊戌政変後感ず る所 あり官 を辞し
り。其後海軍 々法司長 、各艦 々長 に歴任 し民国成立後駐〓海軍総 司
じ故 に革命 の論 日に盛 なり。此より漸 く清吏 の忌む所となり所謂蘇
六十 三歳
令 に任ず。第 二革命 の際陳其美等が江南機噐局を攻むるや鄭汝成等
報事件 なるも のあり乃ち去 りて独逸 に留学す。時 に光緒三十二年 な
字承梅 福建省〓候県人
と共 に克 く防守せり。同 四年革命党 の為 に軍艦肇和を奪 はれ為 に免
李鼎新
職 せられしが袁氏後海軍総司令とし て第 一艦隊を率ゐ軍務院と歩 調
り。居 る事五年帰朝 すれば南京政府成立に遇 ひ教育総長 に推 さる。
七、海軍総長
を共 にせり。六年十二月耀威将軍 となり将軍府 に列す。
嗣 いで南北統 一し民国元年 三月唐紹儀内閣成立す るや復教育総長 に 冠南旋す。其後 又独仏 の間 に遊び教育制度を考察 し、五年六月頃城
任 ぜしが同年七月唐氏辞職す るに当 り宋教仁、王正廷諸人と共 に挂 ︹マ マ ︺
死 す る の後 仏 国 よ り帰 り 、同 年 十 二月 北 京 大 学校 長 に任 ぜり 。 氏 は 温 厚 博雅 の君子 人 にし て名利 に淡 く其 の学 術 は古 今 東 西 を兼 ねた り。 今 や育英 事 業 を 以 て自 ら 任 じ たり 。蓋 し徳 行 識 見 民国 稀 に見 る所 、
大 正十 二年 六 月十 三 日
邦 人 の交 を氏 に納 る も の少 か らず 。
一〇
北 京 公 所 電 報 (へ七 三) 黎 総 統天 津 に赴 く
張 内 閣 辞 職後 直 隷派 の圧 迫益 々甚 し き に憤 慨 し 黎大 総 統 は本 日午
大 正 十 二年 六 月十 四 日
後 一時 特 別 列車 に て天 津 に去 れ り。
一 一
天 津 佐 藤 情 報 (一二五)
一二
大正十 二年六月十四日 北京政界紛擾 の経過
北京公所 (一六)
張内閣 の総辞職以来常に気遣はれて居た大総統 の天津落が遂 に実
現して黎元洪 は既電 の通り昨十三日午後 一時 二十分発特別列車 で天
津 へ去 つた。昨年以来屡 〃急を伝 へて居た所謂最高問題は最 近著し
く悪化し、去 六日の張内閣総辞職となつた。其表面 上の理由 とす る
及国会制憲費十 七万元 の支出を命令した事並 に閣議 に於 て決定 せる
所 は大総統が国務総理 の副署 を経ず して駐外公使館 の経費十三万元
を中心 とする府院 の権限争 である。然し裏面 から之を観 れば曹〓擁
保定派 の腹臣薛篤弼 の崇文門税務監督任命 を大総統 が握り潰 した事
立を目的とする保定派陰謀 の第 一歩 である。保定派 は自派 に属す る
呉毓麟、高凌〓 、程克をして張総理に対し常 に非協同的態度 を取ら
しめて居たが此 の問題 に就 ては張総理 と 一致 して総辞職 の挙 に出 で
しめ黎総統をして責任内閣破壊 の汚名 を被 らせ之を 口実 とし て其引
退を迫 らしめんとし たのであ つた。
望む外更 に他意無 き事 を声 明した。
黎総統は之 に対し七 日通電 を発し憲法制定 の 一日も早からん事 を
黎 大 総 統 は六 月 十 三 日午 後 四時 四十 五 分天 津 中 央停 車 場 に到 着 せ ︹ 承斌︺ ︹ 以徳︺ る が王 省 長 、楊 庁 長 、張 紹 曾 、呉 毓 麟 其 他天 津 派 の重要 人物 蝟 集 し
迫した。張総理 の下津した七日午後軍警代表約 二百余名は総統府 に
黎 総 統天 津 到着 当 時 の模 様
周 囲 は 保 安 隊 二個 中隊 を以 て厳 重 警 戒 の上列 車 内 に監 禁 せら れ た。
押寄 せて不払俸給 の支払を要求し大総統をして十六日に四百万元 を ︹ 之〓︺ 支払 ふ事を約 せしめた。然 るに彼等は之を以て満足 せず薜警察総監
張内閣総辞職と同時 に保定派は更 に軍警総罷業を以て大総統を圧
之 れ王 省 長 等 に より総 統 の印綬 交 付 方 強 要 さ れ居 り しも ので十 四日 午 前 四 時 五 十分 同 駅 よ り東 站 に到 り漸 く英 租 界 の自 宅 に入 つた。
王懐慶司令、聶憲藩統領、警察庁行政処長 、両翼総兵等は八日夜警
は 決 し て動 揺 す る の意志 な し。 一年 前 直隷 派 の代表 は天 津 の私 邸 に
ち 本 懐 を達 す る も ので あ る。 然 れ共 法 律 に依 て自 己 の責 任 を卸 す 迄
は更 に北京治安 の責任者たる馮玉祥、王懐慶が辞表 を提出 した。其
斯 く直隷派は有 らゆる手段 を用ひて大総統を圧迫したが十二日に
勢 力 を 以 てし ても退 位 せざ る こと に決 意 せり ( 黎 氏 は更 に荘 厳 な る
悩 ある のみ なり。 予 は 法 律 に準 拠 す る に非ざ れば 外 部 よ り如 何 な る
毎 月 一万元 の経 費 は自 弁 の有 様 に て其 の総 統 とし て得 る も のは只 苦
就 任 以来 已 に 一ケ年 を 過 ぎ る も予 は総 統 の俸 給 を固 辞 し て受 けず 、
於 て予 に来 任 を懇 求 せ る際彼 等 は廃 督 裁 兵 を以 て誓約 せ り。而 し て
察庁 に会合し其結果九日早朝 から総罷業を決行した。 同日又国民大会 が直隷派煽動 の下 に開催 せられ群衆は黎 の自邸 を
理由 とする所は軍警俸給不渡問題 であるが其真意 が圧迫 にある事 は
音 勢 に て曰く )
襲 ふて其退位を迫 つた。
明かである。
友 人 は曹〓 予 に代 らば 江北 各 省 は合 せて 一体 と な す こ とを得 べし と
一四
大 正十 二年 六月 十 六 日 黎 総統 出 京 後 の政 局
北 京公 所 (一七)
威 を感 ず る が為 な り 云 々。
当 す る に足 る。 王克 敏 氏 が財 政 総 長 の任 に就 かざ るは実 に曹 氏 の脅
あ らば 此 の難 関 を 切 り抜 く る こ とを得 べく塩 余 の資 金 は 以 て之 に充
人 ( 曹 〓 ) に ては其 の成 功到 底 望 む べ き にあ らず 。目 下 三四 百 万元
て尚 且 失敗 せり 、況 ん や僅 か に鉄 道 と釐 金 の収 益 を 恃 み 生存 す る小
に比 し更 に甚 し か らん 。精 神 強 幹 な る袁 世凱 が国 庫豊 富 の時 代 に於
食 す る結 果 西南 諸 省 は 必ず 最 後 に公然 独 立 を宣 言 し大 局 の紛 擾 今 日
吾 人 は断 言 せ ん両 ケ 月 以内 に必ず 紛 争 あら ん 、而 し て彼等 は相 呑
予 去 つ て 一武 人曹 〓 之 に代 る は果 し て妥 当 な る べき か、曾 て外国
以上の如 く直隷派 の圧迫は益 々辛辣を極 めて来る ので黎総統も策 の出 づる所 を知らず 、遂 に北京を脱出した。然しながら国会には反
言 へるも事 実 は決 し て然 らず 。
統後任問題は容易 に解決 を見な いであらうと思 はれる。
直隷派 が少 く無く彼等 は今回 の事件 に対して深く憤 つて居るから総
一三
黎総統 の時局観と其 の態度
庶調情第 二二六号 (大正十二年六月十四 日東三省民報掲載)
最高問題 の運動者 は正式選挙容易ならざ ると国会 の金銭問題無効
六月十 一日黎総統 が外国記者 に対し語れる談片 なるとを看取し茲 に背水 の陣 を布けり。蓋 し其 の費 した る金額 の大 半 は運動員 の私腹 を肥せしに過ぎず。之国会議員 は人格比較的 に高 尚 にし て若干議員が収賄 せる者 あるも之 とて決 し て盲然無謀な る選 挙 を行はざればなり。又余自身 の立場は極 めて明瞭なり。即ち余は 二ケ月前已 に辞表を国会 に提出 し若し国会 は其 の辞職 を聴許せば則
十 三 日午 後 一時 下津 した黎 総 統 は 出 京 に先 ち衆 議院 に対 し 左 の如
に就 て既 に法 定数 を失 つた と伝 へら れ て居 る。 一方 保定 派 の意 気 込
し て黎 総 統 擁 護 を計 画 し其 数 約 二百 に達 せん とし 、 国会 は総統 問 題
国会 に於 け る政 学 会 派 、護 法 派 、孫 文 派 、及 奉 天 派等 は続 々下 津
した。
使 す るを 得ず と認 め本 日天 津 に移 る。 特 に茲 に衆 議院 に聞 致 す﹂ と。
も 中 々強 い から総 統 問 題 の将 来 は決 し て平 穏 に は済 ま ぬ であ らう 。
き書 面 を送 つた ﹁逕啓 本 大 総 統 は目 下 北 京 に在 り て職 権 を 自由 に行
黎 総 統 の出 京 は直 ち に天 津 に通報 さ れた ので天 津 派 は監 視 の目 的
張 紹 曾 は保 定派 間 に於 ても不 人気 で あ るか ら到 底 復職 す るに至 る
し た のも注 目 に値 す る。
一五
大 正十 二年 六 月十 六 日午 前 十 時 五十 五分 発
極秘
上海 総 商 会 が此 機 会 に於 て北 方 政府 の否 認 、曹 〓 反 対 の声 を新 に
ま い。
から 王 承 斌 、楊 以 徳 の両 名 を途 中 楊 村 迄 出迎 へし め列 車 の天津 着 を
て押 問答 を続 け た が結 局 翌 十 四 日午 前 四時 に至 つて仏 国 医 院 に入院
待 つて印 授 の引 渡 し を迫 つた 。黎 は容 易 に之 を肯 ん ぜず 停 車 場 に於
一国 の元首 が十 二時 間 にも 亘 つて 一行 政長 官 の為抑 留 せら る る とは
中 の第 二夫人 の手 か ら薜 総 監 に引 渡 され黎 総 統 は初 め て釈放 さ れ た。
王 は釈 放 前 黎 を強 要 し て参 衆 両 院 、 国務 院 、 各省 宛 左 の如 き電 報
言 語道 断 の事 であ る。
﹁ 本 大総 統 は故 に因 り て離 京 し国 会 に向 つて辞職 す 。有 ら ゆ る大
を 発 せ し めた 。
奉 天 公所
電報六〇六
総 統 の職 務 は 法 に依 り て国務 院 より 摂 行 せ よ。 応 さ に即 ち遵 照 す べ
奉 天 派 は 大体 北 京 政 局 の推 移 に対 し傍観 的 態 度 を採 り居 るが只 楊
冲漢 の意 見 を綜 合 す る に、曩 に来奉 し た る孫文 、 盧 永祥 等 の使 者 は
宇 霆 一派 は 乗ず べ き機会 を俟 ち 軍備 の充 実 に余 念 無 き が如 し 。今 于
北 京 政変 と奉 天派 の態 度
し﹂と。 ︹ 克︺ ︹ 英華︺ 国務 院 は十 四 日特 別 閣議 を開 き 高 、李 、程 、張 等 の在 京閣 員 出 席
一、約 法 に依 り国 務 院 にて大 総 統 の職 権 を代 行 す る事
し 左 の二項 を決 議 し て国会 及 全 国 に通告 し た。
せ し も何 等 効 力無 く 、殊 に盧 は 従来 奉 天 派 の為 に謀 り し こと 些 かも
金 さ へあら ば 北伐 易 々た り と唱 へ既 に孫 へ三〇 万 、 盧 へ四 〇 万融 通
一方黎 総 統 は着 津 後 十 三 日附 を以 て農 商 総 長 李根 源 を署 理総 理 に
無 し 。 され ば 今後 南 方 派 に対し ては単 に使 者 の優 遇 位 の程 度 に止 め
二、京 師 の治 安 を軍 医長 官 に て維 持 す る事
任 命 し 、張 紹 曾 の辞 職 を許 し巡 閲 使 、督 軍 廃 止 令 を発 し て僅 か に欝
を 生ず べく 、曹 〓 が大 総統 にな り ても国 務院 の掣 肘 を受 け 人 の配 当
黎 元洪 北 京脱 出 は曹〓 派 の圧迫 に依 るも のな れば 今後 幾 多 の波 瀾
金 力援 助 には 一切応 ぜ ざ る方 針 な り 。
に強 硬 な る態 度 を執 り、 昨年 来 国 会 に提 出 し てあ つた辞職 咨 文 を 撤
憤 を 晴 ら し た。而 し て李 根源 等 政 学 会 一派 の熱 心 な援 助 を受 け て俄
回 し 且 つ脅 迫 され た通 電 は法 例 に照 し 無効 な りと国 会 及全 国 へ通 電
に手 を焼 く べ く、 若 し 呉佩 孚 の希 望 入 れら れ ぬ ことと な れば 其 の恨
駐 外 使 節経 費 問 題
一ケ年 間 未払 と な り居 る該 経 費 に付 き外 交部 より 至急 発 給方 提
議 あ り 、討 議 の結 果 制 憲 費 と併 せ て之 を準備 支 出 す る こと に 一決
二
す。
みは自 然 曹〓 に向 け ら れ勢 ひ天津 洛 陽 両 派 の内訌 起 るは予 想 に難 か ら ず 。奉 天 派 と し て は飽 く迄 冷 静 に其 の推 移 を傍 観 す る に如 かず 。
三
す る こと に決 定追 認 を経 、 外交 部 は直 ち に駐 外各 使 節 に電 報 す 。
該 問 題 は十 六 日院 議 に於 て海 関 建築 費 を以 て毎 月十 三 万元 を支 出
二 、駐 外使 節 費 問題
こと と な る。
基 金 中 よ り商 借 す る こと に議 決 し財 政 部 に於 て之 れが 手続 を為 す
未 払会 費 の 一部 四十 八 万 元 の支出 方 を提議 す 。右 は 塩務 署特 別
国 際 聯 盟会 々費 問 題
に曹〓 が全 国 統 一の目 的 を達 成 し た る暁 には 東 三省 自 治 を取 消 す も
南 北統 一は何 人 も希 望 す る処 にし て支 邦 の為慶 す べき事 な れば 仮 り
可 な り 、又 中 央 よ り人 を派 遣 し来 るも敢 て拒 む所 に非ず 。但 し非 法
尚張 総 司 令 の意 見 を叩 き し に若 し 此際 曹〓 が 大総 統 に公選 され る
大 総 統 の命 数 は頼 む に足 らず旁 々当 分 奉 天 派 の態 度 に変 化 なし 云 々。
と し ても脅 迫 に依 り て大総 統 の印授 を奪 ひ たる責 は免 る能 はず 。支
に当 る に至 るべし と、 暗 に曹〓 の大総 統 た る こ と を欣 ば ざ る が 如
那 は 之 に依 り て益 々混 乱 の状 態 に陥 り結 局 段祺 瑞 出 馬 し て時 局収 拾
盧 永 祥 は黎 元洪 に対 し 一〇 〇 万元 援 助 を請 ひ先 以 て 一〇 万元
張 作霖 は 黎 に対 し 、 黎 、段祺 瑞 の聯 合 を条 件 と し て 二〇 〇 万
六月 十 三 日福 建 孫 伝 芳 は黎 に対 し法 に依 て地位 を支 持 し 以 て
但 し本 日 の出 席 議 員 は 一人 五〇 〇元 づ つ支給 せら れ た り。
六月 十 三日 以後 黎 元 洪 の発 せ る 一切 の命令 、 公 文書 を承 認 せず 。
過す。
参 衆 両議 員出 席 者 四五 二人内 三四 四人 の大多 数 を以 て左 の件 を通
四、 六月 十 六 日議 会 決 議
国 民 の後 援 を待 つべし と電 報 す 。
三
元 を援 助 す る こと を決 定 す 。
二
送 金方 申 越 あ り
一
三、 天 津 政 情
大 正 十 二年 六月 十 六 日
し。
一六
北 京 特報 (三〇 ︱ 六 ) 北 京 政 情
当 日出 席 者 、内 務 、財 政 、司法 、交 通 、海 軍 及 陸 軍 、教 育 、外 交
一、 六 月十 六 日閣 議
一給 料 問 題
部 総長 並馮 玉祥 、 王 懐 慶 、聶 憲 藩 、薛 之〓 、車 慶 雲 等
張 英 華 は 四〇 万元 発給 す べき ことを 述 べた れ ど衆同 意 せず 。依 て張 は更 に王克 敏 と 商議 の結 果節 句 前 先 づ 九十 万 元支 出 す る こと と な り 一同 も満 足 す 。
暗電複文 殿
一七
大正十 二年 六月 二十日
赤 羽 理 事
在北京
松 岡 理事
今 回 の政 変 に際 し馮 玉 祥 が 現場 活 動 の衝 に当 り た るは曹 〓 と の間 に同 人 副 総統 た る の了解 あ るに依 れ り。 呉佩 孚 は今 尚 沈 黙 を守 り つ つあ る処 既 に閻 錫 山 と握 手 し 、閻 錫 山 は 目 下頻 り に張 作 霖 と の提 携
国会議員 の帰奉
奉天公所 (三〇) 大正十二年 六月二十 一日
東 三省選出議員鄭古荘等 は曹〓 の大総統運動 を妨害 せんが為両院
を奉天 に移 さんと策し て居る。之 に対し張作霖 は只徒 らに大局を擾
乱 し奉天派 を不利 に導くも のとなし各議員 に帰奉すベく電明した。
一九
衆議院各派議員協議 の結果七月二十 七日大総統 の選挙を行 ひ、八
大総統選挙期日決定
庶調情第 二六五号 (大正十 二年 六月二十六日泰東日報掲載)
月 一日憲法 を公布し同日大総統 の就任式 を挙行する ことに決定 した。
に努 力 し つ つあ る由 、若 し右 成 功 の暁 には 結局 呉 張 の間 閻 を通 じ て
現 に中部 支 那 に於 け る排 日気 勢 の漸 次峻 烈 と な れ る 形 勢 に 顧 み、
二 一
中 立 の態 度 を採 る こと に 一決 し た 。
完 全 に提 携 す る を俟 つ て相 当 の手段 を講 ず る も遅 か らず と な し暫 く
十 八 名 であ る。彼 等 は張 作霖 と会 見 の結 果 東 三省 側 ほ黎 、段 、 孫 と
︹ 祓 瑞 ︺︹文 ︺
棄 三 省 選出 参 衆両 義 員 中六 月 二十 四 日迄 に密 か に来 奉 し た も のは
東 三省議員 の態度決定
奉天公所情報摘要 (三四) 大正十二年 六月二十七日
二〇
間 接 に連 絡 す る結 果 と な る ベく 延 ては満 蒙 にも影 響 す る処 あら ん 。
ても 亦 呉張 連 絡 の成 行 及 影響 に対 し て は細 心 の注 視 を要 す 。尚 浙 江
満 蒙 に付 て も引続 き細 心 の注意 を要 す と思 考 す る を以 て此点 に関 し
盧 永 祥 と 張作 霖 の提 携 は当 方 に て確 実 な り と伝 へら る。 黎総 統 は 逃
にし て黎 は 与り 知 らず と の こと確 実 な るが如 し 。目 下 の処 国会 は出
走 後 一切 劃策 せず 。同 入 の劃 策 と見 ら るる も のは 一に李 根 源 の飛 躍
席 議 員 容 易 に定 数 に充 つる の見 込無 し 。曹 〓 今 回 の挙 は 一般 に不 評 ︹弥 助 ︺
判 、曹 〓 の野 心 は容 易 に達 成 し 難 し と思 は る。 但 し端 午 財 政 上 の難 関 は兎 も角 切抜 け内 閣 は無 事 継 続 し つ つあ り 。社 長 、鎌 田 へ転 電 乞 ふ (へ四 三)
一八
庶 調 情 第295号(大 正 十 二年 六 月 二十 九 日黄 紙 掲 載) 時 局 に対 す る 三角 同 盟 の内 容 段 祺 瑞 、張 作 霖 、 盧 永祥 の各 代表 が六 月十 七日天 津 に於 て議 決 せ
大正十二年六月二十九日午後五時 四十五分発 大総統選挙問題
奉天公所電報 (六〇六)
奉天省議会臨時会 は流会 した るも北京より帰来せし参衆両議員三
のにして大総統選挙牽制策なり。先般北京 に派遣 され政情調査を逐
十余名に上り之が為今尚活気 を呈し居 れり。今晩張総司令は参衆省
る 三角 同 盟 の内 容 は 次 の如 き も ので あ る。
げて帰来 せし東方社長 の談 に依 れば、まだ奉天側 の傍観態度に変化
議員 の慰労宴を張 る筈。参衆議員 の帰来は張総司令 の招電 に依 るも
孫 逸 仙 が事 を共 にす る は固 よ り望 む処 な る が同 一行 動 を採 ら ざ
無 し、奉天 は今 の処黎元洪擁護 の意志無し、段祺瑞も敢 へて積極行
一、国 会 は南 方 に遷 す こと
る場 合 は 各 別 に計 略 を進 む る こと 。但 し 結 局 は同 一の目 的 に到 達
二 、経 費 は 奉天 、浙 江 両側 に て分担 す る こと
す べ き こと 。
元洪は千二百枚 の大総統印捺押 の原紙を用意し居る故今後 一個年半
題よりも陳烱明 と妥協す るや否 やの当面 の問題 に逢着しをれり。黎
に曹〓 に大総統選挙に飽く迄反対なりと電報 せり。孫文は大総統問
動 に出 でざ るべし、段 の意志は盧永祥に依りて表示されあり盧 は曩
四、 期 を定 め同 時 に態 度 を 発 表す る こと。
使用するを得 べし。曹〓は合法的 には迚も大総統 にはなれざ るべし。
十 八 日迄 に模 様 を返 電 せし む る こと 。
三、 福 建、 湖 南 、陝 西 、新 疆 に人 を 派 遣 し打 合 は せ を為 し、 六 月 二
五 、部 下 には勝 手 に曹 〓 反 対 を唱 へし めざ る こと 。
二三
奉天公所 電 報六〇 七号
大正十二年六月三十日午後三時 四十五分 総統問題と東 三省
に反村なりと看 て奉直和議頼む に足らず と憤慨し居 れりと。曹は 一
他は天津 に在 り張総司令 が議員 を呼び帰 したるを曹〓は大総統選挙
北京を出 でた る東三省参衆両議員は六十名なるが内三十余名帰奉、
極秘
曹〓が失敗すれば大総統 の廃止説有力とならん。
六、 黎 元洪 の復 職 を声 明 し 三箇 月後 国 会 の承 認 を経 て正 式 に其 の辞 職 を許 可 す る こと 。 但 し引 続 き 重任 せざ る こと 。
合 は黎 元洪 を正 式 総 統 に擁 戴 す る こと 。
七 、 万 一某 方面 ( 曹 〓 ) が政 治 上 の権 力 を利 用 し非 常手 段 を 採 る場
八 、其 方 面 が 若 し合 法 的 手段 を以 て其 の目 的 を達 せん とす る場合 は 総統 制 を打 破 し て委 員制 を主 張 す る こと 。 右 の外 重 要 事項 は海 軍 方面 、福 建 、湖 南 、 浙 江及 西方 諸 省 の意 嚮 及 態 度 を確 め た る上 に て決 定 す る こと。
二二
票 一万 円 を惜 まず 、 又 五票 乃至 十 票 を集 め た るも の には 三 万円 を 支 給 す る故 議員 連 は何 れ も北 京 に帰 り た がり居 れり 。之 を 帰 せば 法 定
来不眠症 にかかり居れり。数 日中曹鋭、鮑貴卿来奉すべしと。
大正十 二年 七月十二日
二五
財政総長更迭
北京電報 (一〇〇)
を制 定 し 大総 統 選 挙法 定 数 を 五 分 三以 上 と確 定 す る方 針 あ り 、旁 々
数 に満 つる虞 あり 。現 に曹 〓 は 北京 天 津 に在 る議員 を駆 り て 先憲 法
奉 天 に て は議 員 の操 縦 に頭 を悩 ま し結 局 月 二百 元 づ つ支 給 す る こ と
二六
︹宋 文
奉天公所電報 (六〇 二) 大正十二年 七月十四日午後〇時五分 張景恵、張作霖 に接 近
電報 (六〇三)
大正十二年 七月十四日午後〇時五分
二七
を派 遣 し来 り張 の内 意 を伺 は せ居 れ り 。
天 津 に在 る張景 恵 は張作 霖 に頼 り た き意 志 あり 秘 書 ソ ーブ ンリ ン
林︺
十日附総統令にて王克敏財政総長 に任命され張英華辞職許可 さる。
にせ る が大部 は 上海 に行 く こと と な ら ん。曹 〓 の大総 統 は 早 晩 実現 ︹ 烈臣︺
す べ し 、其 の暁 東 三 省 巡 閲使 を復職 し命 令 を聴 かね ば討 伐 命 令 を下 さ れ ん 、若 し聴 かば 必ず 張 福 来 を吉 林 に据 え孫 督 軍 を 河南 に転 ぜ し め 漸 次黒 竜 江督 軍 をも 更迭 し奉 天派 の地盤 覆 へされ ん 、目 下 東 三省 官 吏 は科 長 級 以 上四 千 数 百名 あ れば何 日迄 も傍 観 も な り難 し 、 今 よ
秘
り 充分 の覚 悟 を以 て準備 す る必 要 あ り と于 冲漢 は語 れ り。
二四 大正十 二年七月四日午前十 一時 四十分 奉天公所 電報 (六〇四) 総統問題 に対す る張作霖 の態度 袁金凱 の話 に依 れば先程曹〓 の使者周夢賢 (副官長)来奉張総司
対もせず 、東三省議員 の帰奉 は自発的なり、彼 は選挙運動 に参与す
行動 には変 化を来さず、楊着奉 の上決定 さるべしと。
為数 日中上海 より来奉する筈 、目下劉恩格帰奉し居 るも東 三省議員
張作霖 の顧問 にて広東 に滞在 し居 る楊大実は上海国会事情説明 の
国会問題と奉天側
奉天公所
るも敢 て止めず 、又強 て之れを引止めもせずと答 へ、其 の会見は不
の仕打 に対し輿論喧 しき折柄此 の議御断 りす、但し援助せぬ代り反
令 に大総統運動助力方を哀願 せしも、黎元洪 の退位 を強要 せし曹〓
得要領 に終れり。黎元洪は金永炎 ( 黎 元洪 の任命 せし陸軍総長)を 派遣し来 り、時局問題 に就 き張総司令 と接洽し居 れるが張氏 は数日
大 正 十 二年 七 月 十四 日
二八 奉天 公 所 (三 七) 東 三 省 籍議 員 の行動 奉 天 教育 庁 長 謝蔭 昌 の談 。 曹 〓 の大 総 統 運 動 が不 人 気 で行 悩 み の状態 にあ る の みな らず 上海
時 局 問 題
二九 長 春 地方 事務 所 (七 〇 )
大 正 十 二年 七 月十 五 日
最 近 奉天 より帰 来 の某 吉 林督 軍 署員 の談 。
を充実 し、万 一に備 ふべ く準 備 の必 要 あ る も当 分 は 一般 の形 勢 観望
ら ざ るも のあり 。 此際 奉 派 と し て は兵備 を整 へ実 力 を 養 ひ財 務内 政
今 回 の政変 に際 し直 派 の横暴 甚 だ し く奉 直 の和議 は永 遠 に望 む可
一、 奉天 派 の態 度
鮮 明 にし て曹 〓 に対 す る反 対 運 動 を画 策 す る こと が賢 明 な る方 法 に
の態度 に出 づ る方 針 な り 。
の国 会 と て権 威 あ るも の の成 立 は期 待 さ れな い から 、殊 更 に旗 幟 を
で抵制 運 動 を為 し て居 る。今 の処 議 員 を 上海 に派 遣 す る必要 に迫 ら
非 る こと は奉 天派 が よく 承知 し て居 る処 で、 成 る可 く目 立 た ぬ方 法
二、 直隷 派 の内 訌
派 中 曹 の総 統 推戴 運 動 に反 対 を なす も の日 に多 き を加 へ、 呉 佩孚 又
曹 〓 の陰 険 にし て譎 詐 な る行 為 に対 し ては非 難 の声 漸 く高 く、 直
れ ては居 な いが 呉景 濂 一派 極 く少 数 を除 く外 、 東 三省 籍議 員 の大 多
ことは省 議 員 石 之 璋 等 の口吻 から も察 せ ら れ る。費 用 は無 論 奉天 政
の真 意 に非 ず 。 皆曹 一派 に計 ら れ たる も のな ら ん。 尚 曹 に対 し護 法
政 変 に慊焉 たらず 。曩 き に曹 を総 統 に推 戴 す べ き通 電 を為 せる も呉
数 をし て 一致 の行 動 を採 り、 上海 に行 か し む る下準 備 は出来 て居 る
府 か ら支出 す る も の であ る 。蓋 し 上海 国 会 の成 立 は怪 し い。若 し成
懲弁 を主張 す るも のあ り、 又殊 に注 目 す べき は 彼聶 憲 藩 、王 承 斌 、
立 し ても委 員 制 を採 るで あ らう 。 又黎 元 洪 は恐 らく南 下 しな い であ
王懐 慶 、薜 之 〓 等 の 一味 に し て、最 近 病 と称 し請暇 し重要会 議 にも
右 参 考 の為 報 告す 。
容 喙 す る こと な く其 の成 行 を観 望 し つつあ り 。
奉 派 に段祺 瑞 の総 統 を要 望 し つ つあ るも段 又此 の乱 局 に対 し何 等
三、段 祺 瑞 の態 度
参 与 せざ る も のの如 く 直派 の分 裂蓋 し 遠 き に非 る べ し。
ら う 。兎 に角 数 日中 に楊 大実 が上 海 か ら来 る筈 で上海 国会 運 動 の真
東 三省 議 員 の北京 を退 去 し た数 は 四十 七名 で北 京 に残留 し て居 る
相 も分 明 す る こ と と思 ふ 。
者 は 呉景 濂 に属す る小 数 に過 ぎ な い。 曩 に山 東 省 議 会 が全 国 聯 合省 議 会 開催 を勧 誘 し来 り省議 会 が賛 成 電 を発 し た事 は事 実 だ が成 立 は期 待 され な い。 田中 玉 が此 の勧 説 に 関 係 あ り と の説 あ るも 恐 らく 事 実 な らざ るべ し。 田中 玉 の独 立説 は 消 息無 き に し も あらず 。
大 正 十 二年 七月 十 七 日
三〇 奉 天 公所 (三九 ) 大 総 統問 題 に対 す る奉直 両 派 の態 度 北 京 よ り奉天 特 務 機 関 への入電 に依 れば直 隷 派 は目 下議 員 買 収 に 全 力 を傾 注 し て居 る が そ れ で効 果 が なけ れ ば国 会 の責 任 を問 ひ、 三
顧 維鈞 の時 局 談 一、閣 員 主 席 輪番 担 当 の件
七 月廿 三 日 の閣議 に於 て高 内 務 総長 は閣員 主 席 (総 理 職代 行 ) を
各 総長 に て 一週 間 づ つ輪 番 担 当 す べき ことを提 議 した が 話 が何 等 纏
つた 訳 で は な い。 余 も外 交 部 所 管 事項 のみ に関 与す る に止 め主 席 な
ど には就 か ぬ こと を 声 明 し て置 いた 。
な れ ば 入京 中 の王 承斌 と も協 議 し 内部 の結 束 を 固 む る こと に努 む べ
に出 づ る方 針 な り と 、 又大 選 運 動 の進 捗 せざ るは結 束 薄 弱 な るが為
ざ れ ば北 戴 河 に引籠 つて今 後 曹 〓 には何 等援 助 を与 へな い積 り だ﹂
し 大総 統 運 動 を中 止 せし め、 以 て局面 の挽 回 を勧 告 し 若 し之 を容 れ
日中 に赴 保 の筈 であ る。 二十 三 日 余 は顔 に面 晤 の際彼 は ﹁ 曹 〓 に対
七月 廿 四 日朝 保 定 より 電 話 を 以 て顔 恵 慶 を招 来 し た た め彼 は 一両
二、 顔恵 慶 の対 曹 〓 態 度
し と 。 目 下鮑 貴 卿 来 奉 し 張作 霖 の助 力 を求 め居 れ る が張 は明 か に断
と主 張 し て居 た 。
ケ 月後 (先 月 十 三 日 よ り起 算 し 九 月十 二日 が 期限 ) に於 て非 常 手 段
り も せ ぬ代 り承 諾 も せず 何 時 も乍 ら の不得 要 領 の態 度 を示 し 居 れ り
三 、高 内 務 総 長 と 呉衆 議 院 議 長 と の不和
要 求 し 、更 に新 国 会 を 召集 し 各 省 と商 議 の上 黎 の帰 京 を促 が し新 総
と 共 に 一面 黎 総 統 駆逐 の主 謀 者 を 懲 弁 し以 て国 民 に弁 明 せ ん こと を
一面国 民 に向 つ て謝 罪 の通 電 を 発 し自 ら国 会擁 護 の錯 誤 を主 張 す る
制 定 に関 し 二 ケ月 間議 員 に猶 予 を与 へ斯 く て若 し成 立 せざ れ ば呉 は
呉 佩 孚 は十 月十 日 を以 て其 の態 度 を表 明す る筈 であ る。 即 ち 憲法
四 、呉 佩 孚 の態 度
る筈 であ る。
之 を拒 ん だ た め で近 く高 の差 金 に依 り 呉攻 撃 の新 聞 記 事 が現 は る
及 塩務 処長 に推 挙 し 、彼 等 に部 署 を 代 理 せし め ん と した 際 、高 は
(註 ) 不和 の原 因 は 最 近呉 よ り胡 鄂 公 を教 育 次長 某 々を農 商 次長
近時 高 凌 〓 と 呉 景濂 と の反 目 甚 だ し く容 易 に融 解 し そう も な い。
と 。 今 回 の運 動 も結 局 徒 労 に終 る べし と観 測 せら る 。
三一 大正十 二年七月廿四 日午後二時 北京公所 電報 ( 庶調情第三六九号) 顧維鈞就任
秘
曩に署 理外交総長 に任命 されたる顧維鈞は昨日午後就任せり。 三二 庶調情第377号 (大正十二年 七月 二十四日、北京特報)
貴 志弥 次 郎
統 の選出を俟 つて彼を退位 せしむ る意嚮 である。 三三 秘
奉天特務機関陸軍少将
奉特報第七四号 大正十二年八月六日
緘 して出馬 の有無を語 らず。蓋し段 にして 一度政界に対す る出馬 の
意思 を放棄す るに於 ては段 に対す る輿望 一朝 にし て民心 を離れ再 び 起 つ能 はざ るに至るを以 てなり。
第 三 の解決 に就 ては結極張作霖 及盧永祥 の武力 に待 つの外無きも
現下直隷派 は浙江討伐 の企図 を有す るを以 て万 一呉佩孚 にし て主 力
を以 て浙 江を撃 つに於 ては各個撃破 の不幸 に陥 るを以て、 一面上海
に在 る林建章 の海軍をして充分長 江下流 の警 備し他方江蘇 をし て緩
に遁げ込み江蘇 は他省軍隊 の容喙を許さず 自省自警 の声明を発す る
衝地帯たらしめんと苦慮したる結果、最近南京 の 一軍艦は林 の旗下
現時局 に対す る段派策士 の企図 現時局に対す る段派策士 の画策 運動 は或は北清 地方 に、或 は長江
中 心とす る政局 の進展 は大 に考慮 を要するも のと信 じ居 れり。呉光
相俟ち て如何 なる事態を惹起す るやも計 り難きを以て、当分上海 を
然りと雖呉佩孚 にし て強固なる態度を以 て江蘇 に臨む時は安徽 と
に至れり。
筋 に相等熱 心に実施せられ居るは衆目 の認むる所 なるも其真 の肚裏 に就 ては多 く之 を知るも の無し。本件 に就き呉光新 と行動を共にし 去 る三日夜奉天発上海 に赴 ける王丕煥 は当機関員に対し左 の如く語 段派 の直隷派 切り崩し策 は概し て左 の三段 に区分し和戦両様 の準
れり。
ると共 に、上海海軍をし て確実に反直隷派 の身方たらしむ るは勿論、
新上海行 の目的も亦段祺瑞 の為 め 一般 の熱 を冷却せしめざ る如くす
三四
佐して各方面 の連絡 に任ず る考案 なり云 々。
該 方面反直隷派 の結束 の為め奔走す るに在 りて、予 ( 王) も彼を補
備 をなし つつあり。 慫慂す。
1、直隷派 の希望する議員法定数を得 せしめざ る為め議員 の離京を
す る場合、之 が成立を不可能 ならしむ。
2、非常国会を招集し臨時制憲 に依り て正式総統選挙 を実現 せんと 3、議員 の任期満 つを待 ち直隷派官憲 の推薦 により曹〓推戴 の挙 に
天津派 の計画
庶調情 第494号 (大正十二年 八月十七日北京特報) 保定より帰京 せる徐邦傑 の談
の分裂 を図り、之 に対し反直派 又武力解決 を決行すること。
出 るか又 は武力解決 に依 りて直隷派 が最高問題 に臨 む時 は直隷派 右第 一、第二項 は概ね所期 の目的を貫徹し段派 の予想に従 ひ順調
目下天津派 の計画し居 る主なる問題 は左 の三件 である。
に進展し、段祺瑞 に対す る支那 及世界 の輿望 は大 に良好なる景況 に 進 み つつあるを以 て段は満 を持 して動 かず 、慎重 に慎 重を重 ね口を
手 中 に握 ら れ、財 政総 長 も亦 王省 長 が保 薦 し た も の で此 の呉 、 王 は
の聯 携 は到 底 成功 し難 き を述 べ項 致中 は総 統選 挙 の権 限 は呉 議 長 の
大 総 統就 任 後 に於 け る弁 法 に言 及 し た が王毓 芝 、熊 炳琦 等 は対 奉天
法 に依 る大 総 統 の選 挙 は最 も望 ま し き処 で ある が之 が不 可 能 の場
共 に奉天 人 な る に観 て も中 央 は奉 天 側 に対 し毫 も他 意 な き次 第 を張
一、 総 統 問 題
れば 最 後 に武 力 解 決 を 行 ふ模 様 であ る。
国 会 の会 期 を延 長 し 、摂 政 内 閣 も其 の任 期 を 延期 す べく 曹〓 は十 月
又 閣員 の増 補 は 九月 十 三日 限 り で あ つて選挙 が該 期 日 後 と な れば
作 霖 に納 得 さ せた ら奉 天 側 に ても 別段 苦 情 が起 るま いと論 じ た。
合 は過 半 数議 員 を以 つ て之 を選 出 す る こと とし 、若 し半 数 に達 せざ
曹〓 は ﹁ 今 と な つ て 総統 と為 らざ れ ば却つ て各 方面 に軽 視 せ ら れ 、
十 日 正式 に就 職 す る こ と に予 め決 定 し た。
総 統 と 為 るも斯 様 な 状 態 では将 来 は覚 束 な い﹂ と 言 へる に対 し 、李 彦 青 は、 黎 元洪 でさ へや つて来 た のだ か ら閣 下 は 大丈 夫 、 心 配 は 入
二、 内 閣 問 題
二 、 馮 玉祥 の言 に依 れば 今 回 の張 財 政 総 長 推薦 者 た る曹 〓 、 辺守靖 、
何 れ の方 法 を採 るべ き や裁 決 を乞 ふ。
駆 逐 せ ば 目立 たず に其 目 的 を達 し得 べし と思考 す 、 張 弧 も同 感 な り 。
自 分 の意 見 では 陸宗 輿 と聯 絡 を結 び新 交 通系 を 以 て安 福 派 の勢 力 を
辺 守靖 は 日本 方面 と聯 絡 し て安 福 派 を援 助 せ しめ む 事 を主 張 す 。
一、 八月 十 七日 高 凌〓 発 曹 〓 宛密 電
時 局 問 題
庶 調 情第 495 号 (大 正十 二年 八 月 十 九 日、 北京 特 報 )
三六
ら ぬと 答 へた。
資 金 調達 を以 て先決 問 題 と為 す 。 三 、時 局収 拾 問 題 奉 天 側 と聯 携 出 来 れ ば好 都 合 な るが之 が不 可 能 の場 合 は対南 方 出 動 見 合 は す べし 。 蓋 し 江蘇 督 軍 斉燮 元 を武 力 を以 て援 助 し て江蘇 を
秘
統 一し 、 王承 斌 を 直隷 山 東河 南 の巡 閲使 たら し む る魂 胆 であ る 。
三五
北 京特 報 (大 正 十 二年 八 月 十 七 日)
大 総 統 選 挙問 題
庶 調情 第 四八 七 号
王 承 斌 、呉 景 濂 は 天津 派 と言 ふよ り も準 奉 天 派 で あ つて、奉 天 派 の 陰 謀 であ る 。
八 月 十 六 日高 凌 〓 、 呉毓 麟 、 王毓 芝 、熊 炳琦 、呉 景 濂 、 聶憲 藩 、 薜 之 〓等 は常 耀 奎 宅 に於 て 、総 統 選 挙問 題 を協 議 し た が其 の結 果 、
三 、 八 月 十 六 日山 東省 議 会 発 国 務 院宛 電 報
す 。 但 第 二十 三師 を天 津 に留 め 単 独赴 任す るは拒 まず 。
王 承 斌 が自 己 の兵 を率 ゐ て山 東 に入 り督 軍 を継 任 す る こと に反 対
呉 景濂 は議 員 の過 半数 を 以 て該 選 挙 を実 行 す る こと に決 定 し、 政 府 に対 し 三 十 万元 の歳費 竝 に議 員 一人 に つき 五千 元 支給 の約 定 書 (半 額 現 金 半額 約 束 手 形 ) を 準備 方 請 求 す る こと とな つた 。更 に曹 〓 は
鮑貴卿 の電報 に依 れば張作霖は時 局問題 に関し成見なく唯 ﹁ 曹〓
四、八月十三日王承斌発国務院宛電報
直隷派は目下内訌 の為保定 、洛陽両派は殆 んど融和出来 ぬ状態 に
在 る。其 の結果保定派は使者 を段祺 瑞 の許 に派遣し時局収拾 に関し
張作霖 の対露態度 は直隷派 に利用 せられざる様 カラ ハンと意志 の
と想はれる。
九月中旬 には東 三省 は勿論段 派に於 ても政変時機 に逢着す ること
して帰京した。
閣問題 は国会成 立後 に非ざれば不可なりと答 へ鮑は何等要領を得ず
退 すべしと論 じ、大総統問題は約法 に拠らざ るべからずと説き、内
真 に和平統 一を希望す るなら須 らく南方 に出張せしめある軍隊を撤
然 れ共直隷派 に何等誠意なきを認めた張 は鮑 に対し直隷派 にして
三、内閣問題
二、大総統問題
一、和平統 一問題
出した。
の希望 通り履行せば東 三省 は相当 の援助 を為すべし﹂と言 つて居 る。 示教を乞 ひ、奉 天にも鮑貴卿を遣 はし、左 の問題 に関す る条件 を提 依 て呉景濂 に転報し、速 かに国会 の人数問題を解決 し目下厦門克復 慮永祥不振 の時機を失 せず切実進行を図 らん ことを望む。 三七 庶調情第5 47号 (大正十二年 八月二十八日北京特報) 直隷派 の議員狩 り集 め運動 八月廿八日高凌〓発曹〓宛電報 ︹マ マ︺
呉景濂 と張伯烈は王承斌及熊炳琦 の尽力 に依り融和し、其 の結果 三百人 の議員 を集む ることが出来 た。尚 日張魯泉等 二十人 を南方 に 派遣し南下議員 に帰京を勧告 せしむ ることとし、其等 の議員 には旅
疎 通を計 り、国境 の安全を図 る為単 に意見 を交換せるに止まり何等
費三百元無賃乗車証 一枚を支給 し、九月七日迄 に帰京せしむ る筈な れば近く四百名 に達する見込 である。而 して之等議員 の買収費は曹
権利問題 に関 する交渉 に触れぬ。
の上更 に二百万元を発給 せんとす。
連絡 の為陸軍整 理処楊中将を上海 に派し、尚今明日中王技師も天津
兵 工廠王技師 の談 に依れば、黎元洪数日内上海 に行くと の電 あり
黎元洪 上海 に赴 かんとす
庶調情第558号 奉天公所長電 ( 大正十二年九月六日後 三時)
三九
〓と商議し先づ直隷省銀行 の保管金百万元 を以 て之 に当 て借款成立
三八 奉天公所長 (大正十二年八月三十日第 六 一号) 時局問題 に関 する呉光新 の談 呉光新が貴志少将 に語 れる時局談 の要領如左
に向 ふ筈、黎 元洪 の金秘書 は目下上海 にあり。 四〇 奉天公所長電 (大正十二年九月六日後 二、五〇発)
大総統選挙問題
庶調情第557号秘
( 奉天特務機関報)
大総統 問題に対す る奉天省議会長白永貞 の観察 一、直隷派 の宿 望
直隷派は仮令内訌ありと雖遠 からず曹〓推戴を断行し非法総統は
実現すべく、続 いて非常国会 を召集 し非法選挙実施 せられ、結局非
法大総統暫 く中央政府 に自派閣員を配置 して統治 の形式を整ふるに
るとに拘らず、奉天側 が関内に出兵す べしと の呉光新 一派 の宣伝 に
多少緊張し て居れるが直隷側にては大総統選挙 が合法たると非法た
佩孚 一派は体好く豹変し て段 祺瑞推戴 の態度 に出 でむ。之れが為 め
曹〓倒滅 の機 運を作 り、更 に民論 の反直気勢昂 るべく、直派中 の呉
斯くなれば張、段 、黎、孫 の各派は 一時 に反対気勢 を揚げ、茲 に
二、反直派 の劃策
至 るであらう。之れ目下王承斌 の運動し つつあるものである。
脅 かされ、強制的 に目下王承斌部下胡旅長 の部隊 を熱河方面 に移動
も〓雲鵬 一派 を介し て呉を味 方に入れ段擁護 の声明を為 さしめ、同
呉 は今より連 りに礼 を尽し て段 の教を請 ひ つつあり、段派 の策士連
大総統選挙は来 る十 日予選二十 日選挙を行ふと伝 へられ奉天側も
于冲漢 の談
せしめ つつあり、選挙後或は奉天側 に対し態度を 一変するやも知 れ
小林少佐報告摘録)
黎 元洪 の南下に対す る各派 の態度左 の如し。
(上海
黎元洪 の南下 と各派 の態度及将来 の観測
奉 夫公所長 (大正十 二年九月二十九日第 七七号)
四三
漸 く民国統 一の機運 に向はむ云 々。
会 を促 し其 の実現 に依り彼は初めて正式大総統 の就任となり、茲 に
能 とにより中 央政府 を組織して民国統治を図 り、次 で正式国会 の開
時 に孫文、黎元洪 に款を通じ東 三省説服 の挙 に出 て、段 の人格と智
ず 云々。
四一
黎元洪上海 に密行
庶調情第58 1号 北京特報 (大正十 二年九月九日) 黎元洪 は九月八日陳宦、荘景珂及東亜医院田村俊次を伴 ひ太古洋 行汽船 に乗り上海 に向 つた。 四二 奉天公所長 (大正十 二年九月二十 二日、第七四号)
民 党 派 は 黎 が 先 に直 隷 派 に擁 立 せら れ 総 統 に就 き た る
際猛 烈 に反 対 し、 今 次 の政変 に際 し ても常 に黎 の南 下 を阻 止 し つ
一、 民党 派
つあ つた も ので今 後 該 党 派 が黎 と共 同 一致 の態 度 に出づ る事 は到
盧 将 軍 も亦 従 来 黎 の南下 を希 望 せ ざ り し者 であ るが既
底 困難 な るべ し と思 は る。 二 、盧 永祥 に南 下 し た る今 日 に於 ては直 接 反 対行 動 を取 るが如 き事 は無 き も
先 に黎 が南 下 を 危 険 と し奉 天 行 を希 望 し た る に対 し、
黎 の実 力 無 き を見 く び り其 行 動 を傍 観 せ ん とす るも の の如 く で あ る。 三 、 張作 霖
段 派 には姚 震 、姚 国楨 等 の少 壮 燥 急 派 と 呉光 新 、 曾毓 雋
張 之 れ を謝 絶 し た る に徴 し ても其 の態 度 は明 か で あ る。 四 、段 派
等 の自 重派 と あり 、前 者 は直 隷 派 大総 統 選 挙 運動 を 重視 し黎 の南 下 に就 き て も多 少 尽 力 す る も 、後 者 は直 派 の運 動 を軽視 し 必ず 不 結 果 に終 るも のと信 じ寧 ろ 孫 、段 、張 三派 の連 絡 を固 め 、徐 ろ に
四四
庶 調 情 第 671 号 ( 大 正 十 二 年 十月 七 日北 京黄 報掲 載 ) 曹 新 総 統 の政 見
保 定派 要 人 の談 に依 れば 曹 総 統 の発 表 せん とす る政 見 綱領 如 左 。
一、 空言 を避 け 切 実 に全 局 の統 一を謀 る こと 。
二 、全 国 の財 政 整 理 を実 行 し決 し て外債 を起 さぬ こと。
三、 華 府 会 議 の決 議 に基 き裁 兵 を実 行 し先 づ 直隷 よ り着 手 す る こと。
四 、職 業 教 育 を提 唱 し 中 、 小学 校 を増 設 し芸 術 技 能 を尊 重す る こと。
四五
大 正 十 二年 十 月 七 日)
五 、 実業 を奨 励 し税 金 を軽 減 し 以 て国 民 生 計 を裕 かな ら し む る事 。
庶 調情 第 6 28 号
総 統 選 挙 と 其後 の北 京 政 界
(ノ ー ス ・チ ヤイ ナ ・ス タ ンダ ー ド
直 派内 部 の紛争 に依 り崩 解 あ る を俟 たん と す る も のの如 く 、黎 の
は、 反直 派 とし て の関係 上 其 の行動 を妨 害 す る も のに非 るも 、黎
総 統 の選 挙 に次 いで副 総 統 の選 挙 、総 理 の任 命 、 新 内 閣 の組 織 、
南 下 に対し ては 一顧 を も与 へず 呉 光新 の如 き は黎 の南 下 に就 き て
の行 動 は寧 ろ彼 等 同 志 の行 動 に障 碍 を与 ふ と言 ひ 居 る程 であ る。
直 隷 、 山 東 、河 南 三省 巡 閲使 の任 命 、議 会 の将 来 、選 挙 運 動 に功 労
て力 あ り と自 負 す る者 は共 に立 つ て相 争 つ て居 る の であ る。衆 議 院
目 下総 理及 閣 僚 の位 置 は保 定 に於 け る争 点 とな り 総 統選 挙 に与 つ
る 方策 は最 も 困難 で あ る。
反 直 隷 派 に対す る今 後 の方針 、殊 に段 、盧 、張 の三角 同 盟 に対す
あ りし 者 の優 遇 等 の問 題 が起 つて来 た 。
之 を要 す る に目 下 黎 の左 右 に在 る は政学 系 に属 す るも のを主 と し 就中 李 根 源 が黎 を傀 儡 と し つ つあ るも の の如 く、 反 直派 中 有 力 な る
れる快 とせず 、何 れも 傍 観 的態 度 を取 れる を 以 て仮 令 上 海政 府 設 立
各派 は黎 が余 り好 人 物 で節 操 を欠 き 小数 の無 力 な る策 士 の傀 儡 とな
す るも時 局 には さし て大 な る反響 無 きも のと 信ず る。
議長 呉景 濂 は内 心 純 政党 内 閣 若 く は保 定 派 を加 へた る半 政 党 内 閣 を 組 織 せ ん と し王 承 斌 、 呉毓 麟 、高 凌 〓等 も亦 有 望 な る総 理 若 は 閣僚 の侯 補 者 と目 せら れ て居 る。 直 隷 山東 河南 巡 閲 使 の候 補 者 に対 す る報 道 は最 も区 々と し て未 だ 何 等 の決定 を見 な い。 王承 斌 は相 当 注 目 さ れ居 る も呉 佩孚 は問 題 に
四六
曹〓 の大総統当選に対する張作霖 の態度
奉天公所長 ( 大正十 二年十月九日第八三号)
極秘
見 るに至らぬ。当分従来 の保境安民、聯省自治 の主張を維持し旁 ら
曹〓 の大総統当選 に対す る張作霖 の態度 は未だ何等徹底的定案 を
(奉天特務機関報)
れば 出 来 得 る限 り呉 を北京 政 界 より 遠 ざ け 、湖 北 湖 南 の巡閲 使 の上
軍備 の充実を急 ぎ形勢 の推移 に従 ひ臨機応変 の処置 に出 んとする模
さ れ て居 な い様 で あ る。 呉佩 孚 の政 治 に対 す る愚 弄 的 態度 よ り考 ふ
に更 に何 等 か の官 名 を附 し て対南 方 派遠 征 を持 続 し、揚 子 江 一帯 の
及 立 憲 主 義 者 た る議 員 の活動 に就 て は 一般 に予 想 を恣 にし 、南 方 派
期 に反 した結果を見 たことは張 の大 に遺憾とする所なるは勿論、曹
蓋 し予 て隠然議員 の離京 を慫慂 し相当努力 して来た に拘 はらず 予
様 である。
形 勢 を 支持 せ し む る が賢 明 な る処 置 であ る 。
の議 員 は上 海 に於 て同 志 と 共 に反 選 挙 運 動 の準 備 を起 し て居 る と も
る後張 の服従し能はざ る大総統令 の発布 に次で対奉天武力解決 の挙
〓総統就任後は南北統 一を声明し、 一歩 一歩直隷派 の地盤 を固め然
議 会 の運 命 も 政界 論 争 の中 心 で あ つ て直 隷派 の議 会 に対 す る態 度
伝 へら れ て居 る。議 員 の中 には 五 千弗 の贈 賄 を受 け て後 、 選挙 の当
済上 の地歩 を鞏固ならしむる処置 に出づ るやも測 り難 きを憂慮し、
中央政府 を背景とする自派実業家を操縦し て外債 を成立せしめ、経
に出 づるやも測り難 き為 、已 に計画準備せ る第二十 七師対第 一師 の
日早 朝 離 京 せ るを途 中 取 押 へら れ て議 会 に送 ら れ た者 が四 十 名許 り
尚 当 日 の選 挙 場 は 予 め充 分 準備 せ ら れ た るも の の如 く 、 投 票 函 の
極力之が抵制策を講ずると共 に表面直隷接近 の仮面 を被り、陰 に在
対抗 演習 を停止し以 て直隷派 の誤解を除く ことに努 め、又直隷派 が
如 き は 二重 底 とし投 票券 は手 早 く之 を抜 き取 り 、 予 め用 意 し た る投
京議員 に気脈 を通じ某 種 の運動を開始 し、直隷派内部 の切崩しに取
あ つた と の事 であ る 。此 等 の議員 に は選 挙 も 全 く 一芝 居 に過 ぎ な か
票 券 を提 出 し て記 録 し た のであ るが出 席 議 員 の数 の如 き も不 正 確 極
掛り段派及南方派 の活躍と相俟 って相提携 して好機 の至 るを待 たん
つた の であ る。
ま るも の で、欠 席 議 員 の代 理 は 別 と し て当 日実 際 の出 席議 員 は四 百
始す ること にでも なれば、是奉天派 の最 も苦痛と感ず る所 であるか
破 の作戦を企図し浙江方面 に対し討逆 の師 を起し て盧永祥討伐 を開
と企図して居 るらし い。然 し直隷派 が若 し 一気呵成に片 つ端より撃
九 十 名 であ つた の であ る。 兎 に角 保 定 派 は選 挙 は遂 行 し た が今後 の難 関 こそ重 大 な る問 題 で あ る。 ( 高島訳)
ら該 方面 に対す る政 局 の緩 和 を図 るは奉 天 派 焦 眉 の急 務 で あ る こと
行 し た事 に対 し て は国 民 一般 深 く 憤 慨 す る処 で、 殊 に最 も無 恥 の者
曹〓 、 王 承斌 、呉 景濂 が 今 回議 員 買 収 の奸 策 を 以 て総 統 選 挙 を逐
て居 る。
珣を相 前 後 し て上 海 に向 け出 発 せし め段 派 の中 堅 盧 永 祥 と聯 絡 し其
を 看 取し 、 目下 之 が対 策 を 講求 中 であ つ て二 、 三日 前 于 沖漢 及 楊 毓
は該 会 議 に出 席 し た る東 三省 籍 議 員 であ る 。彼 等 は全 く国 賊 を 認 め
四九
大 正 十 二年 十 月 十 日
五〇
東 三省 公 民聯 合 会
極秘
同 し て 此 の賊 子 曹〓 を殲 滅 し 以 て天 下 を 安 ん ぜ ん 云 々。
江 の盧 永 祥 、 山 西 の閻 錫 山 に転 電 し て迅 速 に 一切 を 準 備 せし め 共
種 非法 行 為 の罪悪 た る や言 語 に絶 し、 請 ふ らく ば 広 東 の孫 文 、浙
挙 を敢 て せし め遂 に願 望 を 達 し て卒 爾 と し て総 統 に当 選 せ り。 此
今 回保 定 の賊 子曹 〓 が金銭 を 以 て運 動 し議 員 を し て不正 な る選
津 の段 祺 瑞 宛 打電 せ り。
十 月 六 日張 総 司令 は秘 書 長談 国 桓 に命 じ 左記 電 文 を起 稿 せし め 天
曹 〓 殲 滅 に関 す る張 作霖 の密 電
本 社嘱 託 黄 中慧 の許 へ奉 天 よ り左 記 訳 文 の如 き 情報 が達 し た 。
庶調情第六六六号
を除 く こと を声 明 し、 以 て東 三省 民 の真意 を表 明 す る も のであ る。
茲 に東 三省 公 民 を代 表 し 買 収 に応 じ た る之 等 東 三省議 員 を 一律 省籍
て父 と為 す も ので其 の人格 最 も劣 等 な る も の であ る。依 つて本 会 は
の善後 策 を協 議 せし め て居 る。
四七
吉 林 公所 長 (大 正十 二年 十 月 九 日第 九 七 号) 曹 〓 の大総 統 当 選 と吉 林 の反 響 曹 〓 の大 総 統 当選 に関 し吉 林 省議 会 は今 尚沈 黙 を守 つて居 る 。右 に関 し省 議 会 某要 人 の見 解 は左 の如 く であ る 。
免 れ な い。 奉 直戦 は実 現 性 に乏 し く東 三省 は結 局 現 状 維持 に努 む
一、 中央 は暫 く直 派 の天 下 とな るべく 、 奉 天 派 は 一時 不 利 に陥 る を
る外 あ る ま い。 二 、奉 天派 の九 月 二 日附 総 統 選 挙 反 対通 電 は奉 天派 と し ては 最 も拙 策 であ つて徒 に直 派 に 口実 を 与 へた に過 ぎ な か つた のは 遺 憾 で あ
庶、調査課
る。該 通電 は恐 ら く張 学 良 、 楊 宇霆 等 の仕 業 であ らう 。
四八
総統 選 挙 参 加東 三省 議 員 の排斥
庶 調 情 第 664号 (大 正十 二年 十 月 十 日)
九月 五 日 の大 総 統 選 挙 に対 し ては 各 地 に於 て反 対 を表 明 し て居 る が 東 三省 公 民聯 合 会 も 九 月 七 日 の東 三省 民報 紙 上 に左 の声 明 を 為 し
奉 天公 所 長 (大 正十 二年 十月 十 日第 八五 号) 曹 〓 使節 と張 作霖 の会 見
秘
本 日鮑 貴卿 、趙 玉 珂 ( 天 津 鎮守 使 兼 直隷 軍 署 参謀 長 陸 軍 中将 )
十 月 九 日張 作霖 が鎌 田奉 天公 所 長 に語 れ る談
今 回曹 〓 大総 統 に当選 し た に就 て は何 分 の助 力 を願 ふ。 貴 下 を
来 訪 予 に対 し
東 三省 巡 閲使 に復 し 熱 河 を貴 職 の節 制 下 に置 き且 つ副 総 統 に推薦
と曹 〓 の旨 を伝 えた 。之 に対 し 予 は次 の如 く 答 へた。
す べけ れば承 諾 あ り た し。
予 と曹 氏 は親 戚 でも あ る から 助力 は吝 ま ぬ十 分 大任 を遂 行 さ る る様 希 望 す 。尚 南 北 統 一の上 は予 は地 位 に恋 々た る も の でな い。
二、 内 閣 問 題
呉 景濂 に内 定 し て居 る。 王毓 芝 、 高 凌〓 両 氏 の組 閣 説 は時 事 を 識
らざ るも の の言 、顔 恵 慶 は更 に問 題 にな ら ぬ。 王承 斌 は 北京 政 府 に
入 る こと を欲 せな い。結 局 顧維 鈞 をし て署 理 た ら しめ 次 いで呉 景濂 が乗 込 む に相 違 あ る ま い。 三、 軍 事 問 題
反 直 派 の手 配 り が全 く 成 つた と の報 あ り、 何豊 林 は三 日 に盧 永祥
へて居 る ので曹 〓 は依 然 直 魯豫 巡閲 使 を遙 領 し て参 謀 長陸 錦 を 代 理
を訪 問 し て密 議 を凝 らし た し 、奉 天 も演 習 を名 と し て着 々準 備 を整
さ せ、直 隷 督 軍 には王 承 斌 を据 へる であ らう 。
交 団 要 求 の 一、 二 を実 行 し徐 ろ に疏 通 を図 る こと にな つて居 る。
山 東 督軍 田中 玉 に来 京 を 求 め諒 解 せし め る外臨 城 事件 に関 す る外
四、 外 交 問 題
五 、財 政 問 題
野 に下 つて海 外 に出 遊 す る積 りで あ る。但 し理 由 無 く し て兵 を当 方 に差 向 く る様 の こと あ らば 無論 御 相 手 仕 らむ 。 当方 から は 敢 て
り であ るが 曹 は之 を嘉 と し其 の写 を 呉佩 孚 、斉 〓 元 に送 附 せ しめ た
本 月十 日頃 張 志 譚 が曹〓 に献 策 し た時 局 統 一計 画 は概 要 左 記 の通
張 志 譚 の時 局 統 一策
庶 調情 第 7 16 号 ( 大 正十 二年 十 月 十 四 日北 京 特報 )
五二
長 説 は未 だ疑 は し。
局 は賀 徳霖 の次長 代 理 で 一時 を弥 縫 す る で あらう 。 王克 敏 の財政 総
今 後 の最 重 要問 題 であ るが未 だ 一定 の把 握 が無 いら し い。 財 政当
出 兵 は し な い。
五 一
庶 、 調査 課
十 月 六 日星報 (中 立 派) は 左 の如 き記 事 を掲 載 し て居 る。
庶 調情 第66 7 号 (大 正 十 二年 十 月 十 日)
大 総統 選 挙 後 の五大 問 題
呉 景 濂 は唐 継 堯 を 主張 し、 保定 、洛 陽 方面 は王 子珍 を推 薦 し 、洛
一、 副 総 統問 題
陽 では 第 二候 補 とし て段 祺 瑞 、岑 春 〓 を挙 ぐ 。 天津 派 は張 作霖 を、 民 党 は 孫 文 を推 し て居 る。
ち 公然 物 質 的 援 助 を与 へ陳 を し て倒孫 の挙 に当 てし む べ き であ る。
て之 れ に は張 □ 、孫 洪 伊 が最適 任 であ る。 一方 陳 烱 明 に対し ては即
︹ 不 明︺
る程 故 、統 一を策 す る に当 り少 く も 此 の意 見 を尊 重 す る に相 違 な く、
程 であ る。 曹 は 近来 非 常 に張 を 信 任 し事 毎 に張 の意 見 如何 と訊 ね居
臧 致 平 に対し ては宜 しく 聯合 軍 を 以 て駆 逐 を実 行 し以 て浙 江 と の
四 、福 建 方 面
元 、安 徽 馬聯 甲 両 督軍 よ り適 当 に 防備 方 法 を講 ぜし む べ き であ る。
盧 永 祥 、何 豊 林 に 対 し ては宜 しく監 視 主義 を採 る こと で江 蘇 斉〓
三 、浙 江 方 面
﹁中 央 は専 ら 財 政 の整 理 と外交 の聯 絡 と を図 るべ し﹂ と の見地 より
張 が顔 恵 慶 内 閣 を組 織 せむ とし て居 る の も畢 竟 此 の意 見 書中 にあ る
来 た も のと観 察 さ れ る。 時 局統 一案 一、 東 三省 方 面
連 絡 を断 ち奉 天 及 安 福派 の胆 を寒 から し む る に在 る。 而 し て右 は最 も 当務 の急 と為 す も の であ る。
奉 天張 作 霖 は 表 面 和平 を称 へて居 るが既 に密 か に多 数 の兵 を京 奉
五 、段
瑞
線 及 喜 峰 口 一帯 に出動 し て居 る。 中 央 は速 か に之 れが対 策 を講 ぜ ね
祺
ば なら ぬ 。東 三 省 は財 力 充 裕 、 且外 援 の便 を有 す る故 、 張 作霖 を取
段 は現 在 直 参 の兵 力 が な い。 彼 に対 し て は員 を派 し て諒 解 を求 む
れ ば足 る。彼 若 し拒絶 せ ば再 び疎 通 を 図 る を要 せず 。
除 か ぬ内 は直 隷 側 に寧 日無 し 。之 れ が対策 とし ては先 づ礼 を 以 つて 迎 へ然 る後 兵 力 を 以 つて彼 を押 し倒 す にあ る。 近 時奉 軍 の内訌 烈 し
黎 に対 し ては別 段 歯 牙 にか か るに足 ら ね。 其 儘 に放 置 せば自 滅 す
洪
六 、黎
元
き に乗 じ精 鋭 の軍 隊 を 以 つて先 づ錦 〓 方 面 を衝 き 、然 る後 大軍 を以
る であ らう 。
つて長 駆 直 ち に進 撃 し 、中 央 に服 従 す る者 を以 て東 三省 督 軍 た ら し む れ ば 三ケ 月 を出 でず し て目 的 を達 成 し 得 ら れ る。殊 に目 下 日本 は
七、 雲 南 方 面
唐 が 副総 統 た る の慾 望 を利用 し て彼 を動 か し懐 柔 す る を可 とす。 且
あ る。 目下 国 会 議員 は唐 に代 り中央 と打 合 せ を為 さ ん とし て居 るが 、
唐継 堯 は雲 南 に避 在 し 交 通梗 塞 す。 宜 し く懐 柔 政策 を採 るべ き で
震 災 のため張 を援 く る暇 が な い好 機会 であ る 。彼 を此 の儘 に放 置 せ
米 派 の馮 玉 祥 将軍 をし て東 北辺 防 を兼 任 せし め之 れ に当 らし む は最
彼 と 孫文 と は元来 主 張 が同 じ でな いから 唐 をし て孫 を敵 たら しむ れ
ば 其 の驕 気 益 々甚 だし い であら う 。戦 ふは 和す る に優 る。 而 し て親
二、広 東 方 面
も 至当 と考 へる。
ば 中央 は兵 力 を 省 く ことが出 来 る。
呉 佩孚 に 一任 せば 足 る。
八 、 四川 、湖 南 、広 西 方 面
孫 文 は性 来乱 を好 む こと は周 知 の事 であ る が、 国 民 の彼 を 見 棄 て ざ るは革 命 の元 勲 とし て自 ら 一派 を成 し て居 る から で、 二年 此 の方
斯 く の如 く し て中 央 は専 ら財 政整 理 と外 交 上 の聯 絡 と を図 る に努
両 広 に転 戦 し猶 未 だ失 敗 せ ぬ は全 く其 党 派 の少 から ざ る が為 め で あ る。依つ て彼 に対 し ては使 を派 し て切 実 に疎 通 を図 る に在 り 、而 し
む れば 一年 な らず し て統 一の効 を収 め 得 べく 之 を断 行 す るに は 一に
真 の保 境 安 民 を実 現 せ し む るは 張 の為 又三省 民 の為有 利 ば か り でな
け る東 三省 の地位 に復 し平 和 裏 に武 備 の充 実 と内 政 の刷 新 と を図 り 、
論
界
去 を絶 叫 し て三省 議 員 に訴 へ或 は 現国 会 は 偽選 を行 つたも のな れば
在 奉 新 聞 界 の言 論 は 概 し て罵 倒的 で あ つて或 は出 席 議 員 の省 籍 除
二、言
の意 見 を有 し て居 るら し い。
く 外 人 の生 命財 産 の安 全 を保 証 し国 際 的 地 位 を向 上 せ しめ 得 べし と
曹 大総 統 の毅力 と決 心 に待 つ のみ であ る云 々。
五三
曹 〓 の大 総 統 当 選 に対 す る奉天 各 界 の態 度
奉 天公 所 長 ( 大 正 十 二年 十月 十 五 日第 八 七号 )
貴 め 、或 は 東 三省 の収賄 議 員 の罪 を問 ふ て其 家 族 の召還 を叫 ぶ等 大
し 、 又 は議 員 買収 に当 てた支 票 の不払 及 責 任問 題 を叫 ん で直隷 派 を
遠 からず 解 散 せ ら る べき も の であ る と て次 期議 員 の選挙 準 備 を勧 告
張 作 霖 は 形勢 観 望 の間 に武 備 を急 ぎ 時 期 の到 来 を俟 ち 臨機 応 変 の
界
措 置 に出 でむ とし て居 る が心 中頗 る焦 慮 の態 であ る。 蓋 し曹 〓 が元
であ つて東 三省 購 読 者 に反 直 気 分 を煽 つて居 る。
選 の不法 に対 す る憤 懣 と直 隷 派 の横 暴 に対 す る悪 宣伝 とは頗 る激 烈
一、官
の時 期 を 失 し は せ ぬか と判 断 し 居 る から であ る。
足 、俸給 不渡 は遠 からず 各 方 面 の請 求 に遭遇 し財 政 の行 詰 り を来 す
吉黒 両 省 に代表 議 員 召 集電 を発 し 、吉 林 よ り は議員 五 名来 奉 した が
あ り とし 幹 部間 に て内相 談 の結 果 、聯 省 議会 開 催 の必要 を 認 め曩 に
の有 無 に関 し 予 め憂 慮 し 、 三省 の態 度 に付議 会 に於 て討 究 す る必 要
省 議 会 員 は非 常 総 統 を列 国 が承 認 す るや否 や各 省督 軍 省長 等 祝電
三、奉 天 省 議会
首 の地 位 に在 れば 軍事 政 治 経 済共 に直 隷 側 に有 利 に導 き 呉佩 孚 討 滅
但 し 張 の帷 幄 に参 し居 る者 は冷 静 に事 を考 慮 し直 隷 派 は今 回 の非
は勿 論 、 直魯 巡 閲 使後 任 問 題 と 内閣 案 と は内 部 の暗 流 を 増長 せ しめ
黒省 よ りは 一人 も来 らず 為 に催 促電 を出 し た と云 ふ。果 し て外 表 的
法 行 為 によ り民 心 を失 つて居 るか ら輿 論 に攻 め ら る ると 共 に政 費 不
遂 に分 裂 を 生ず べし と認 め、 其 の暁 こ そ反直 派 の共 に蹶 起 す べく 、
在 奉 支 那 人 中 政治 浪 人 と目 せら れ る者 は 或 は 日本 新聞 通 信員 を利
当 分 隠 忍 自 重 し和 平 の間 に直 隷 派 切崩 し の方 途 に出 づ るを得 策 とし 、
用 し 、或 は 下 級軍 官 連 と気 脈 を通 じ奉 直 間 緊 張説 を流 布し 更 に為 し
聯 省議 会 成 立 をす るや未 知 数 であ る。
文 治 派 は更 に消 極 的穏 健 説 を 固持 す る者 が多 く概 し て曹〓 は 困難
得 れ ば再 戦 せし め て 一任事 を為 さ ん と企 図 し種 々 の悪 宣伝 を為 し て
四 、支 那 人 浪 人
な る国 際 的 窮境 より 脱出 せむ 為 必ず や反 直派 の中 堅 た る奉 天 に対し
居 る様 であ る。奉 天 大 阪朝 日特 派員 の如 き も 此 一派 の張 作霖 対直 戦
あ る。
辞 を低 う し て握 手 を求 む べく 然 る とき は 体 よく之 を受 流 す も可 、要
再 び合 従 連 衡運 動 を起 す と同時 に省 境 方 面 の警 戒 に留 意 し 居 る様 で
す れば 一部 要求 を容 れ張 の復 職 を実 現 せし め、去 歳 の奉 直戦 前 に於
宣 伝 が市 場 に及 ぼ し た影 響 は相 当 大 であ る。
布 告 の宣 伝 を 信 じ 、該 紙 に号 外 を発 行 せ しめ た 次第 であ る 。如 斯 悪
辺守 靖 等 は顔 が外 交系 で あり 、 且総 統問 題 には 別段 努 力 せ な か つた
就 て は曩 に天 津 組 の呉毓 麟 、 王承 斌 等 は顔 恵慶 説 を主 張 し た際曹 鋭 、
般 不取 敢高 凌〓 を総 理兼 代 の形式 で任命 し た訳 であ る。 正式 総 理 に
つて否 決 せ ら れ、 呉景 濂 説 が有 勢 にな つた が十 月十 三 日 の総 統府 会
と の理由 で之 に反 対 し 、其 の他督 軍 連 に も不 同意 を唱 ふる も のが あ
五 、実 業 家 及 金融 業 者 前 項 浪 人 の悪 宣伝 に乗 ぜ ら れ且 盧 永祥 通 電 に次 ぐ張 作霖 通電 に依
へ、金 融 業 者 は 金票 を買 進 む等 稍 狼 狽気 味 であ つた が咋今 に至 り 矢
て奉 直再 戦 を 憂 慮 し て居 た矢 先 であ るから 一時実 業 家 は 取引 を手 控
の組 閣 を差 止 め 、彼 は飽 く 迄国 会 に踏 み止 ま る を至 当 な り と主張 し、
尚 張 志譚 は曹 〓 に対 し第 二 の手 段 と し て先 づ呉 に組 閣 せ し め表 面 彼
議 に於 て呉毓 麟 、 王毓 芝 、 張志 譚 、 王承 斌 、 馮 玉祥 等 は再 び呉景 濂
が判 明 した結 果 、稍 冷 静 と な つた が 今尚 奉 軍 最 近 の移 動 を再 戦 準備
を力 保 し て呉 派 の希 望 に副 は し め、然 る後 時機 を看 て彼 を倒 し顔 を
張 秋季 演 習 実 施 の こと を知 り 、又 直 隷出 動 説 が誇 大 の宣伝 た る こと
の行動 と解 す る 者 も あり 、為 に商 取 引 は依 然 渋滞 の状 態 で あ る。
を容 れ呉 に組 閣 せ しむ る こと に内 定 し、 顔 に対 し ては馮 玉 祥 よ り右
し て正 式内 閣 を組 織 せし む べ し と献策 し 、 曹総 統 も信任 さ る彼 の言
為 に奉 天 票 は低 落 の状 態 を続 け取 締厳 重 な るに拘 は らず 市 中 の謡 言
要 す る に奉 天官 民 の態度 は今 尚 多少 疑 心 を蔵 し狼 狽 気味 の嫌 あ り 、
が絶 へぬ。剰 へ日本 新 聞 又支 那 紙 に附 和 雷 同 し て不 謹 慎 な記 事 を載
二、 軍官 配 置 問題
内 情 を通 じ暫 く自 重す べき旨 勧 告 せ しめ た 。
間 にも評判 好 く且 外 交 心理 も 心得 居 れば時 局 問 題解 決 には頗 る都合
祥 を任 命 す る様 申 請 し た 。其 の理由 は彼 の軍 隊 が軍 規 厳粛 にて外 人
十 月十 三 日斉 〓 元 は国 務 院 に対 し 田山東 督 軍 の後 任 には是 非 馮 玉
し 曹 〓 の内 諾 を得 た。
ば ざ ら しめ 、直 隷 山 東 巡 閲使 には 王承 斌 を据 え るを得 策 な り と主 張
南 、 湖北 、 湖 南 の巡 閲 使 に祭 り 上 げ 以 て呉 の勢 力 を 直隷 、 山東 に及
呉 毓麟 の談 に依 れば 天津 会 議 に於 て曹 鋭 、 辺守 靖 等 は呉 佩孚 を河
せ人 心 の鎮静 を見 ぬ のは支 那 の国情 民情 上免 か れ ぬ こと であ るが 日 本 とし ても 此際 何 等 か の方 法 を講ず る必 要 あ らむ と観 測 せら る。
五四
庶 調情 第 7 18 号 (大 正 十 二年 十 月十 六 日 北京 特 報 ) 中 央 政情 余聞 一、組 閣 問 題
好 か る べし と い ふ に在 る 。之 には曹 鋭 も賛 成 し 馮自 身 も 色気 があ る 。
蓋 し斉 が 馮 を極 力 主張 す るは 署 理山 東督 軍 鄭 士琦 と安 福派 と接 近 の
九 月中 旬 の天 津会 議 に於 て曹 〓 若 し 総統 に当 選 せば 張 紹曾 を帰 任 せし め る と い ふ諒 解 の下 に張 派 議 員 全部 を 総統 選 挙 に出席 せし め た
気 味 あり 、将 来 浙 江 方面 に事 起 れば 自分 は中 央 と の連 絡 を絶 た れ る
こと にな る 心配 あ り 、依 て親 密 の間 柄 な る馮 を中 間 に居 て貰 ひた い
も のな る がた め 、張 は合 法 の手 続 を経 ざ れ ば自 分 の職 を解 除 出 来 ぬ 筈 だ と今 尚頑 張 り居 る次 第 で、 曹〓 も張 の解 職 には 手 を焼 き 居 り過
も のと観 測 さ れ る。 盧 永 祥自 身 は浙 江 、福 建 巡 閲使 を望 ん で居 るが 部下 の安 福党 は之
交 計
通 部
五八〇〃
二〇〇〃
日派 の勢 力を駆逐する様英米要 人等と の間 に密約を結ん で居 ると い
馮玉祥部下蒋参謀長 の談に依 れば直隷派は曹〓 の総統在任中は親
五、直隷派 と英米側 の密約
ふ。
陸 錦 は 山 西督 軍 を狙 つて居 る。山 西 省 には元 来 富豪 多 けれ ば現 督
を阻 止 し て居 る。
は容 易 に獲 ら れ ると の見 地 より曹 鋭 も之 に賛 同 し 曹 総統 の諒 解 を得
軍 閻 錫 山 を倒 し該 党 富紳 の財 産 を没 収 せば 一、 〇 〇 〇 万元 位 の財 源
六、呉景濂 の組閣案
ること
3、顔恵慶 の新銀行団承認計画及王克敏 の金法郎追認案 に反対す
2、高 凌〓 の排除
1、政客議員 は入閣せしめず国会 に於て呉 を援助せしめる こと
て陸 は閻 に挑戦 的 態 度 に出 で つ つあ る。 但 し呉 佩 孚 は閻 の駆逐 に賛
三 、副 総 統 問題
成 せ ぬ模 様 であ る。
十 月十 四 日曹 鋭 は曹 総 統 に対 し 次 の如 く 陳述 し た。 鮑 貴 卿 の談 に拠 れば張 作 霖 自 身 では副 総 統 た る こと を望 ん で居 る。
呉佩孚 側
総 統
一人
一人
二人
4、閣員 の按配如左
し め 、中 央 は奉天 に兵 力 を 向く べく唐 若 し不承 諾 の場 合 は奉 天 と聯
一人
依 て唐継 堯 が副 総統 と し て統 一計 画 に同 意 せば唐 をし て孫文 を繋 た
絡 し 一致 し て西 南方 面 に当 る べ き であ る 云 々。
斉〓 元側
一人
蘇
隷
省
省
省
省
三〇 〃
三〇 〃
五五 〃
一〇 〇 〃
一〇 〇 万 元
七、奉天側 の密偵
呉景濂 側
外 交
西 南
系
一人呉毓麟留任
一人顧留任
側
四 、総 統 選 挙費
側
馮玉祥 側
直
西
省
今 回総 統 選 挙 に支 出 し た金 額 は約 五 〇〇 万 元 で 、此 の為 に調 達 し
江
北
政
徽
部
省
四〇 〃
二五 〃
厳令 を下した。
放 ちある故之 れが警戒 のため十月十 三日より軍警 に対し非公式に戒
得 た 金額 は左 の通 り五 八 〇 万元 で ある 。
江
東
安
軍界 の消息 に依 れば奉天派は密偵及暗殺隊六百余人を京津 一帯 に
山
湖
財
庶 調情 第 709号
五五
庶、調査課
( 大 正 十 二年 十月 十 八 日 ノ ー ス ・チヤイ ナ ・ス タ ンダ ード 掲 載) 副 総 統問 題
呉佩孚 は先第 一に奉天問題を解決せん ことを主張 して居 る。而して 王承斌を東 三省巡閲使兼奉天督軍
彼 の時局解決理想案 は左 の如くであ る。
馮玉祥を直隷、山東河南巡閲使兼直隷督軍 呉佩孚を両湖巡閲使 斉〓元を江蘇浙江巡閲使
に派 し て孫文 と陳烱 明 と の仲 裁 に立 たし め 、 又奉 天 と浙 江 にも使 者
味 を有 し て居 な いも のの やう であ る。 併 し事 実 、段 は呉 光新 を広 東
目下 盛 ん に交 渉 中 であ る が段 は自 重 し て動 かず 、 又全 く 政界 には興
派 及 反 直隷 派 共 に老 巧 な る段 の出 馬 を希望 し両 派 は代 表 者 を出 し て
信 頼 も厚 く殊 に軍閥 間 に大 な る勢 力 を 有 し て居 る。 最 近 に至 り直隷
瑞 が 有 力 な る候 補者 であ る ら し い。 段 は現 在 隠遁 し て居 る が 一般 の
王寵恵 を米国公使
施肇基 を総理大臣
趙
劉
〓を湖南督軍
湘を四川督軍
唐継堯を四川、雲南、貴州巡閲使
陸栄廷を雲南督軍
陳烱 明を西広巡閲使
王懐慶を三区巡閲使と為し西北防督辮及検閲使 を撤廃す。
楊増新を西北巡閲使
を遣 はし 、殊 に最 近多 く の政 客 に接 し且 つ近親 者 と政 界 を談 じ居 る
副 総統 の選 挙 は目 下 政 界 に於 け る議論 の中 心 とな つ て居 る が段祺
所 を観 れば全 く 動 か ぬ わけ でも な いら し い。段 の政敵 た る呉佩 孚 は
羅文幹 を財政総長
董
東三省聯省議会は十月十八日新内閣 に対する態度 に関 し討議 した。
某奉天省議会議員談
東 三省議会 の新内閣 に対する態度 (特務機関報)
奉天公所長 (大正十二年十月二十三日第九 一号)
五七
康を司法総長
野 心 とし て は段 の勢 力 を安 徽 よ り駆 逐 し且実 力 を得 さ せな い為 め、
彼 に数 通 私信 を寄 せ て過 去 の失 錯 を詫 びた と の事 であ る。 直隷 派 の
彼 を国 務 総 理 に推 さ ん とし て居 る か、 一般 軍 閥 間 では副 総統 に選 挙 せ んと す る意 気 込 であ る。 (高島 訳 )
五六
庶 調情 第7 41号 (大 正 十 二年 十 月 二十 三日 北京 特 報) 呉佩 孚 の対時 局 策
其結果新内閣 の施政方針 には全然不同意なるも、さりとて問責 はせ
一、 各 国政 府 に対 し中 国 の民意 を尊 重 し て北 京 政府 の借 款 に応 ぜざ
きは 救 国会 の名 義 を 以 つて各 国 に左 の通電 をな さ ん とし て居 る。
張
張 競
志
仁 (部務代理)
譚
三、 今 回北 京 政 府 の発 行 せ る憲 法 発 布紀 念 切手 を購 買 せざ る こと 。
二、 曹〓 を現 地 位 に止 ま ら し めざ る こと に努 む る こ と。
ら ん こと を電 請す る こと 。
ぬ事 に決議した由 である。蓋し東三省 は目下依然として聯省自治区 域 で中央 と断絶し居るを以 て新内閣 を承認す る必要 もなく又之 に干 渉する必要 もな い為 であ る云 々。 五八 庶 調情第7 39号 (大正十 二年十月二十 三日北京特報) 高凌〓 の代 理内閣延長 運動 高凌〓 は北京滞在各督軍代表者に対し代理内閣 の延長方を運動し 且呉景濂 の組閣 に反対す る様慫慂し て居 る。尚高 の閣員補充案 は左 内 務総 長
の如くである。 財 政次長 陸
錦
陸 軍総 長 其他は留任
五九
曹〓当選 に対す る吉林救国会長 の活躍
長春地方事務所長 (大正十二年十月 二十四日第 一二四号) 基督教救国会長李序延は省議会 に於 て反曹 の声揚 るを聞き之 に呼 応 して、本月十六日以来各団体首脳者を歴訪し公民聯合会を組織し て反曹運動 の開始 を説 いて居 る。商農会長は同志糾合 の見込 なきと
七
松岡 理 事 殿
親展
れり。
大正十二年四月 二十四日 第 一四号
二
奉 直 和 議 交 渉 及 之 れ に 伴 う 政 情 並 に 軍 情一
大正十二年 四月 二十三日午後四時発電六〇八号奉天 公所長
駐在軍隊 の大部 は近く匪賊討伐 のため出動 すべき ことを告げ、軍隊
〓遼鎮守使〓朝璽は四月二十三日農、商務会長等を召集し、同地
鄭家屯公所
出発後 の地方警備 に対し奉直戦当時 の如く商団 を組織 せん ことを慫
鄭家屯 の商団組織計画
直 に保定 に至 り 曹〓 と会 見 す る筈 。 直 隷側 も リ、 サ イ、 シ ユル (張
接な る張九卿 を使者 として咋 二十 二日発北京 にやれり。張 は着京後
慂した。
過日来会議 を重ね其結果直隷側 の了解 をとく為 め、曹〓 と関係密
総 司 令 と関 係 深 く奉 天 に て任 官 せし こと あ り) を派 遣 、 今 明 日中 着
第六 一六号
奉天公所長 暗号
秘
大正十二年四月二十 七日午後 四時二五分発午後 五時七分著電
三
右協議 の結果先づ 二〇〇名を募集す ることにな つた模様である。
奉 の筈 。李 は予 め 呉佩 孚 と も逢 ひ猶 張 総 理 より張 総 司 令 宛 書 を托 せ ら れ あ り と。 張 総 理 の文意 は南 北 統 一を さ れし居 る際 奉 直 戦端 を開 く こと は時 局 収 拾 に障 害 あ れ ば意 思 の疎 通 を計 る様 、 尚意 見 あ れば 聞 かさ れ たし 位 の ことな ら ん と察 せら る 。右 様 の次 第 な れ ば目 下 の
の場 合 盧永 祥 の孫 文等 に対 す る体 面 上 、自 治 を取消 し弁 理 奉 天軍 務
処 七 八 分迄 開 戦 には至 るま じ と は思 ふも根 本 的解 決 は望 ま れず 。 今
兼 東 三省 辺務 事 宜等 の名 義 を頂 戴 す る訳 に は行 かざ る べし と 于 は語
湯崗子駅長気附 と観て居 る。
気機械納入 の契約を締結 した。警務処側 では之を兵器弾薬製造機械
六
松岡 理事 殿 兼 て奉天側より北京 に派遣 せる ( 姓 ?)密偵及元農商部司長 ハワ
寛城子 に移駐すべき第 三旅 の不評
大正十二年五月 一日 第二三号 長春 地方事務所
に奉天側 は梢狼狽気味 にて目下盛 に軍隊輸送を開始 せり。于冲漢等
某帰来 、直隷側は戦備 に余念 なく、毒 瓦斯迄用意 せりと報告し、為 の観察 に依 れば、決 して楽観を許 さず 。直隷側使者李際春 の持参 せ
警戒を要す る。
する ことに内定 して居る。 八 大正十 二年五月 二日 第 三号
奉天兵工廠機械輸送 (営 口警務署報)
営口片山情報
今回会見地を天津曹巡閲使署 に変更 した。孫 は五月上旬同地 へ出発
孫烈臣 が山海関 に会見し両派 の意見交換を為す筈 にな つて居 るが、
奉直問題 に関 し曹〓 の調停 に依り直隷側 から王承斌 、奉天側 から
奉直両軍代表 の会 見
長春地方事務所 (大正十二年五月 一日第二〇号)
七
ど馬賊 の帰順兵で、戦闘 には好適ならむも軍事教育浅く粗暴だから
綏芬河 から寛城子 に移駐す ることとなつた張宗昌 の第三旅は殆 ん
し張総理 の書面は 一片 の辞令 に過ぎず 。畢竟奉天側 の軍情視察 の目 的ならんと。尚張総 司令は今夜李 の歓迎宴を開く筈 。 四
奉直戦 に関 する黒竜江省状況
斉 々哈爾公所 ( 大 正十二年四月三十日号外) 一、呉督軍及督軍参謀長 の談 に依 れば奉天側は積極的軍事行動 は採 ら ぬことを言明して居 る。 二、斉 々哈爾第二十 五旅長蔡平本 は全旅 を以 つて決死隊を組織す る こととなり近く喜峰 口方面 へ進発 の筈 。 三、目下省城 で旅長会議開催中 五
安利洋行支那側 へ電気機械納 入
大正十二年五月 一日 第二号 営 口片山情報 営 口安利洋行 ( Ar nhol d&Co. )は奉天支那側 に 四十 万 弗 の電
四 月 二十 日 上海 から 奉天 兵 工廠 武 器製 造 機械 六十 四 梱到 着 、同 月 二十 八、 九 日 の二回 に之 を京 奉 線 で奉天 に輸送 し た。 右 は英 商怡 和 洋 行 の取 扱 に係 る も の で、荷 造 に記載 し た文字 か ら察 す れ ば瑞 典 か、 丁 抹 方面 から 積出 し たも のらし い。
九
営 口片 山情 報 (大 正 十 二年 五 月 二 日第 四号 ) 奉 直 戦 の謡 言 と営 口市 況
山海 関 附 近 一帯 に駐 在 し て居 る将 校 の家族 で営 口に避 難 し て来 る 者 が少 く な い。
一 一
大 正 十 二年 五月 二日 奉 天 軍 の作 戦 準 備
奉 天 公所 (七 )
奉 天督 軍参 謀 処 張 宣 が貴 志 少 将 に語 れ る談
奉 軍 に戒 厳 令 が布告 され た 様 に噂 され て居 るが之 は真 正 の戒 厳 令
一、 戒厳 令 の誤伝
で はな い。目 下 士 卒 の外 出 禁 止竝 に列 車点 検 を行 つて居 る丈 であ る 。
奉 直 戦 説 喧伝 せら る る た め営 口商 家 は仕 入品 の手控 を為 す者 多 く 商 況 一般 不 振 の状 態 であ る 。〓 道尹 は右 開戦 説 が全 く謡 言 に過 ぎざ
二、 軍 隊 教 育
め る計 画 があ る。
(奉天 特務機関報 )
張 総 司 令 は 奉 直開 戦 の場 合 を顧 慮 し各 地 に自 治 義勇 団 を組 織 せ し
四 、 地 方 の治 安 維持
々哈爾 方面 に在 る蔡 平 本 の旅 団 も近 く南 満 に移駐 の筈
綏〓 鎮 守 使張 宗昌 の率 ゆ る旅 団 は 長春 に移 駐す る こと とな り 、斉
三 、北 満 部 隊 の移 駐
あ る か ら目 下適 当 に調 節 し て居 る。
るが此 の為 め に将 卒 が不安 を感 じ逃 亡 を企 てる者 が 増加 す る傾 向 が
奉 直 問 題 が緊 張 し て来 た ため 軍 隊教 育 を急 いで居 る のは事 実 であ
る旨 を〓 告 し 人 心 の動 揺 を防 い で居 る。
一〇
営口 片山 情 報 (大正 十 二 年 五月 二日第 五 号 ) 奉 直 戦 に対す る準 備 ( 営 口警務 署 報 ) 一、 知 事 会 議 綏 中 、興 城 、錦 西 、 義 県 の各 県 知事 は 四月 廿 三 日 から 錦 県 公署 内 で時 局 に対す る警 備 問 題 を協議 し て居 る。 二 、奉 天錦 州間 長 距離 電 話 急 設 王 電 話 局長 は張 総司 令 の命 に依 り昼夜 兼 行 で奉錦 間 の電 話架 設 を
三 、将 校 家族 避 難
行 つて居 る 。
一二
大 正 十 二年 五月 三 日
張 総 司 令 の動 員 準 備命 令
吉 林 公所 (三四 )
張 作霖 は 四月 二十 九 日王 省長 宛左 記 要 旨 の訓 令 を発 した 。 直 軍 側 の進 出 に対 し綏 中 附 近 一帯 各 軍 へは全 力 を 以 て防 禦 す る様 電 命 す ると共 に孫 督軍 を奉 天 に滞留 せし め攻 守 劃 策 に任 ぜ し め て居 る 。依 つて吉 林 軍 警 長 官 に対 し ては部 下 の訓 練 を励 行 せし め 応援 準
大 正 十 二年 五 月 六 日
備 に努 む る様 貴 職 よ り手 配 され た い。
一三
北 京特 報 ( 十 一の五 )
英 米 公 使 の真 意 は吉 田氏 を欺瞞 し て借 款 に応 ぜ し め んと し た るも
せず と言 ふ に折 合 へり 。
一四
︹酉吉 ︺
大 正 十 二年 五月 六 日
秘
のな る も幸 に吉 田氏 之 を看 破 し予防 線 を張 り しな り 。
奉天公訴 ( 八)
( 奉 天 特 務機 関 報)
奉直 問 題 に関 す る小幡 公使 と 王承 斌 と の会 談
が あ るが事 実 全 く 相違 す 。英 米 が如何 程 吹 聴 し た と て曹 は英 米 に
王 、英 米 公使 が保 定 に曹〓 を 訪問 し て以来 曹 は英 米 に傾 いた と の噂
親 しむ こと は せ ぬ。右 に就 いて は曹 は特 に曹 鋭 を経 て小 官 (王)
か ら貴 官 に誤 解 せ ぬ様 伝 へら れ た いと の依 頼 があ つた から御 諒 察 願 ひ た い。
公 、 小官 も 曹師 を往 訪 し た い希望 を持 つて居 た が多忙 の ため時 機 を
得 ぬ のが遺 憾 で あ る。曹 師 の意 思 に付 ては能 く 承知 し て居 り誤 解
奉 直問 題 に関 す る外 交 団 の警 告 と英 米 公使 の魂 胆 四 日 、 日英 米仏 四公 使 団 の奉 直 戦 に関 す る警 告 に就 き て は英 米両
居 る。直 隷 派 が奉 天 を討 伐 す と せ ば昨 年 直 に実 施 す べ き筈 であ る。
王 、 予 も亦 同 感 で あ る。 予 は元 来 奉天 人 で家族 の 一部 は現 に奉天 に
奉 直 再 戦 に付 て は日本 朝 野 皆反 対 の こと と思 ふ。
す る こと が な い から安 心願 ひた い。
︹伊三郎︺
国間に日本 を し て四国借 款に応 ぜし め ん魂 胆 あ り し も の の如 し 。 乃 ち 三 日英 米 仏 公使 は吉 田 代理 公 使 に対 し四 国 にて奉 直 戦 の不 可 を〓 告 せ ん と欲 す 。而 し て若 し 再戦 せば 三 千万 元 の前渡 に応 ぜず と威 嚇 せん 、貴 意 如 何 と問 へり 。吉 田氏 は警 告 に は全 同意 す るも前 渡 の事
ふは 共倒 れ であ る こと も知 つて居 る た め で断 じ て再 戦 す る こと は
な からう 。 現 に奉 直 間 使者 の往 復 あ り、 張師 も戦 意 な き ことを言
之 を敢 行 せ ぬ のは曹 と張 と は公 私 共緊 密 の関 係 があ り 、両 雄相 争
明 も て居 る から 直 隷側 も決 し て進 撃 せ ぬ こと を保 証 す る 。
に触 る る を欲 せず 、 何 とな れ ば若 し開 戦 せば 前 渡 せず と云 ふ は之 を
の事 に関 し ては 日本 政 府 よ り未 だ何 等 の訓 令 にも接 せざ れ ば前 渡 の
反 言 す れ ば、 再 戦 せざ れば前 渡 に応ず と 云 ふ を意味 す 。然 る に前 渡
事 に触 るる能 はず と答 へ、結 局再 戦 せ ば公 使 団 は前 渡 金 問題 に尽 力
し た方 が有 利 と信 ず る。
ら でも衝 突 が起 り勝 で あ る から 、此 際 妥協 し て軍 隊 を相 当 離隔 さ
公 、雙 方戦 意 がな く て も互 に防備 を し て居 れば 前 線 で僅 少 の齟齬 か
勢 呉 の旗 色 を悪 から し め海 軍 の結 束 は益 々西 南 の形勢 をし て呉 に不
力 統 一策 に対 し聯 省自 治 を高 唱 し て之 に対抗 し、 福建 広 東 方面 の形
を要望 す る。
し め るば かり で あ る。依 つて列 国政 府 は断 じ て借 款要 求 に応 ぜ ぬ事
支 那 の政 局 を渾 沌 たら し む る のみ な らず 、益 々時 局 の解 決 を長 延 か
若し列 国 が 之 と借 款契 約 を為 し 、軍 資 金 を供 給 す る様 の場合 は徒 に
北 京 政 府 は全 く 政令 都 門 を 出 でぬ状 態 で 一直 隷 派 の機 関 に過 ぎ ぬ。
大 に日 本 政 府 の留 意 す べ き処 と 思 考す 。
九 月 頃 の形勢 大 に動揺 し擾 乱 意 外 に早 く 勃 発 す るか も知 れぬ 。之 れ
如 斯 江 南 一帯 に反直 熱 熾 ん と な れば 張 作霖 も傍 観 す ま い。即 八 、
利 なら し め て居 る。
筈 であ る。
大 正 十 二年 五月 六 日
王 、 予 も其 のこと は考 慮 中 であ る 。充 分 研究 の上 万全 の策 を講ず る
一五
斉 々哈爾 公所 (五 三)
奉直問 題 ︹俊陞 ︺
呉 黒 竜 江督 軍 は 同省 官 民 代 表者 に対 し 五 月 三日 左 の意 味 の電報 を
な らば 敢 て辞す るも ので はな い。 万 一政 局 に出 た場合 は 日支 国 交 の
自 分 は何 等野 心 はな いが老 躯 猶国 家 の ため に役 に立 つこと が あ る
奉 直問 題 は平 和裡 に解 決 せら る べく決 し て戦 争 は な い。 直隷 側
発 し た。
の李 ( 際 春 ) 代表 は 三 日奉 天 か ら帰 つた 。不 日雙 方 の代 表 者 は山
さ れ て居 る こと と思 ふ から 我 党 の蹶起 は 日本政 府 でも充 分好 意 を以 て迎 へてく れ る こと と信 ず る。
改 善 に最 も意 を注 ぐ べ き こと は 過去 の態 度 に拠 つて日本 側 でも諒 解
此 旨各 方 面 に伝 達 乞 ふ。
一七
大 正 十 二年 五 月 七 日極
奉 直 問題 の推移 (奉 天 特 務機 関 報 )
奉 天 公 所 (一〇 )
秘
海 関 で会 議 す る筈 で あ る。
一六
段祺瑞 の時局談
奉天公所 ( 九) 大正十 二年五月七日秘
一、張 作霖 の談
た模 様 であ る 。
奉 直 問 題 は両 派 代表 の往 来 、 外 交団 の調 停運 動 に依 り稍 々鎮 静 し
殷祺瑞 が天津吉田総領事 に語れる談 直隷派就中呉佩孚 の武力統 一方針鋒鋩を顕 はし四川及南諸省 に政
︹ 茂︺
変起 つて以来反直隷熱 を誘発し、期 せずして各省 の連絡生 し呉 の武
側から孫烈臣を代表 とし山海関 で会見 せしむる話 があ つたが確定 は して居 ない。目下彼我第 一線 は左程接近はして居な いから両軍を適
張九卿 の保定訪問及李際春 の来奉 に依り直隷側 から王承斌 へ奉天
るを 以 て海 関 と張 作霖 と の間 に紛擾 を生 ず べ く気 遣 は れ しも交 渉 の
り 、 同 地 に て山東 丸 に積 換 へた るも のな るが軍 需 品 た る こと 明 か な
問 題 を惹 起 せり 。海 関 吏 の談 に依 れば 右 荷主 は奉 天利 達 洋 行 ( 張作
駅 よ り発送 せら る可 し。
結 果 六 日夕 無 事 解決 せ り。 現品 は利 達洋 行 よ り引 取 人出 張 の上 河北
霖の息子 が経 営 す と称 す ) にし て戸 山 丸 によ り米 国 よ り神 戸迄 積 来
当 の距離迄撤退せしめよと の説は全然杞憂 に過ぎ ぬ。又奉軍 の移動 説 が喧伝 せら るるが之も馬賊 の警備 に過ぎな い。 張宗昌 の率 ゆる旅団 は長春 に依駐する筈 であ つたが之が為小〓芬
一九
哈爾 賓 事 務所 (一七 一)
世 上伝 ふる所 に依 れ ば張 宗昌 は奉 直 の風 雲 急 な る が為 南下 せん と
ポ グ ラ ニー チナ ヤ駐剳 第 六混 成旅 長 張 宗昌 に関 す る件
大 正十 二年 五月 九 日
二、張宗昌旅団 の長春移駐中止 附近 の馬賊猖獗 の模様 あり又赤露 が東支沿線 の支那軍隊を撹乱する 計画も伝はりたる為移動を中 止した。 三、王正廷 の意嚮 王正廷は奉天滞在中で其 の用務 は露支会議 に在 るが、彼 は奉直問
の意 志 あ る も高 士 賓 の残 党 其 の虚 を衝 か ん とす る情 勢 あ る為 出 動 を
題 に関し ては妥協主義 を抱持し奉直兵を収 め協力して赤露 の侵入を 阻止 せむ ことを主張して居 る。( 註、王は六日帰京 の筈)
中 止 し専 ら其 の剿 滅 に従 事 し つ つあり と のこと な るも 本 日特 務 機 関
よ り聞 く 処 に依 れば 過般 朱 護路 総 司 令赴 奉 の際 張作霖 は朱 に対 し自
四、朱慶瀾 、王景春来奉用務
ら進 ん で戦端 を開 く こと なし と堅 く 約 し 、 又護 路 軍 とし ても目 下 東
朱特別区長官及王鉄路督弁来奉 の用務は東支鉄道管理権を中央政 府に還附すべしとの直隷派 の要求 に対する意見開陳竝に赤露 の行動
支 沿線 殊 にポグ ラ の警備 を忽 にす べ からざ る状態 にあれ ば 、張 宗 昌
は頗 る平 穏 の状 態 にあ り と。
二〇
大 正 十 二年 五月 十 一日 (六 一四号 電 報) 奉 天公 所 発十 日午 前 十時 三十 五分
秘
の南 下 は全然 中 止 せら れ た るも のと見 る を至 当 と す べく 目下 東 部線
報告 に在る。 一八 営口外人係情報 (七) 大正十二年五月八日 張作霖 の銅塊輸入 四月六日営 口入港 の日本郵船山東丸 に張作霖 に売込む べき銅塊百 六十七噸搭載 し居 ること海関 の知 る所となり之が陸揚 の可否 に つき
奉直 両添会見 に関 す る件 談 国 桓 、于冲 漢 の談 を綜 合 す る に奉 直時 局 は殆 んど 平 静 に帰 し た る も根 本的 解 決 困難 な れば 何時 決 裂 を 見 る やも知 れず 、 先 に李 際春 来 奉 せし際 双方 よ り代 表 者 を出 し会 見 せし む る こと に下 打 合 せを 為
二二
大 正十 二年 五月 十 一日
め と称 し、 五 月 五日赴 奉 し た が内 実 は総 統 よ り奉 直 和議 調停 の内 命
大総 統 顧問 シ ンプ ソ ンは自 己経 営 に係 る東 方時 報 の資金 調 達 の為
シ ンプ ソ ン赴奉 の目的
北京 公 所 情報 (一三)
代表 者 は 孫烈 臣 と于冲 漢 に定 ま り居 る模 様 な る が直隷 側 は王承 斌 な
を受 け張 作霖 と会 見 す る ため で ある 。
し た るも其 後 先 方 よ り何 等 通知 無 き為 其儘 とな り 居 れ り。 奉天 側 の
り と の噂 専 らな り 。 但 し王 は奉 天 人な れ ば直 隷 側 より警 戒 さ れ呉佩
二三
大 正十 二年 五月 十 一日
王 は東 三省 に野 心 を有 し開 戦 の暁 には東 蒙 方 面 の虚 を衝 き 一挙 通
為 、 王 に之 を 監督 さ せ て居 るも のであ る。
監 視 さ せ たと の消息 は当 ら ぬ。 寧 ろ米 振標 の毅 軍 が危 険 性 を帯 ぶる
せし め つ つあ るは事 実 であ る が、呉佩 孚 が王 を警 戒 し馮 玉祥 に之 を
王懐 慶 の第 十 三師 を熱 河 に移 駐 せし こと及 開 魯 方面 に軍隊 を移動
の使嗾 せ るも ので其 の数 約 三 千 で あ る。
ら れ 、張 海 鵬其 の隊 長 と為 り 此 方面 の守備 に当 つた 。馬 賊 は直 隷軍
昨年 来 熱 河境 界 地 方 の馬 賊 跳 梁 を極 め た ため 新 編遊 撃 馬隊 編 成 せ
奉 天新 編遊撃 馬隊 参 謀長 徳頤 の談
熱 河 方面 に於 け る直 奉 両軍 々情
奉 天情 報 (十 一)
孚 の如 き 極 力反 対 し 居 れ り と の ことな れば多 分 曹 鋭 をし て其衝 に当 ら しむ べし 。 会 見地 は 山海 関 に非ず 。 奉 天側 より 天津 に乗 込 む事 とな る べき も
塩 税及 車輛 を引 渡 す事 を前 提 と せざ る限 り何 人 も 此任 に当 る こと
果 し て如 何 な る程 度 の解 決 を得 るや疑 問 な り。
を好 まざ るべ し 。先 に袁金 凱 が天津 保 定 に使 せ し際既 に口約 せし 処 な るも今 猶 実行 さ れざ る程 な れば 此任 に当 る こと は頗 る難 し と于冲 漢 は談 れり 。
二 一
大正 十 二年 五 月十 一日
英 米 両国 公 使 の京 奉 線 に関 す る声 明
北 京情 報 (一四)
英 米両 国 公使 は五 月初 旬 京 奉 沿 線 を視 察 し た結 果 、奉 直 両派 に対 し 京 奉鉄 道 は外 国 借 款 に関 係 あ れ ば該 鉄 道 に対 す る軍 事 行 動 に は絶 対 反 対す と声 明し た 。
目 下遼 源 には〓 朝 璽 の騎兵 一ケ旅 及 混 成旅 一ケ旅居 るが 守備 が充
遼 を席 捲 せん と す る意 図 が あ るらし い。
分 でな い。
二四
大 正 十 二年 五 月 十 二日
奉 直 問題 に対 す る両派 の主 張
北 京特 報 (二 一の五)
奉 直 協 商 に関 し奉 天側 は五 月 十 日直隷 側 に対 し 左 の条 件 を提 出 し
朱 慶 瀾 の時 局 談
朱 慶 瀾 は 七 日王 景春 と共 に帰 哈 し た が時 局 に就 て松 井 少将 に左 の 如 く語 つた 。
開 戦 は恐 ら く あ るま い。中 央 部其 他 の調停 も あ り意 思疎 通 の道 も
一、奉 直 開 戦 の有 無 に関 す る観 察
つ いた から 近 く 双方 の理解 を見 る事 と信ず る。
呉 督 軍 が奉 天 に抑 留 さ れ且 第 三夫 人 が人質 的 に奉 天 に招 置 され た
二、呉 督 軍 に関 す る謡 言
る。
と の説 は全然 事 実無 根 だ。 呉 は来 る十 五 日頃 黒 竜江 省 に帰 る筈 であ
た。 一、張 作霖 の蒙疆 経 略使 及東 三省 巡 閲 使 の職 権 を 回復 す る こと。
三 、露 支 会議 の開 催 に就 て
二 、東 三 省 文武 官 の更 迭 を行 は ぬ こと 三 、第 二七 、 二八 、 二 九師 団 の損 害 金 を発 給 す る こと
不 明 だ。会 議 地 を哈爾 賓 にす る に就 ては北 京 政 府 の賛 同 を得 る こと
露 支 会 議 は ヨツ フ エの北 京 に来 る期 日不 明 の為 何 時 開催 さ るる か
は頗 る困 難 だ。
四、 今 後 中央 政 府 は政府 直 轄 の第 二七 、 二八 両 師 団 の軍 資 を毎 月 負 担 す る こと
一、 二小問 題 を徐 く外 王 より何 等 聞 いた事 は無 い。
官 と王 督弁 と の間 に意 見 の疎 隔 あ りと の説 もあ る が此 事 に関 し て は
有 す る 一部 白 党 露 人 によ つて誤 り伝 へら れ たも のだ と思 ふ 。又 オ長
﹁オ﹂長 官 の赤 化説 伝 へら る るも 確 証 はな い。恐 ら く彼 は反 感 を
の奉 天 軍 を今 回奉 天 に招 還 し た の みだ 。 ︹ Ocr op yo mb︺ 五 、 オ スト ロー モ フ の近情 に就 て
黒 竜 江省 軍 の南下 を伝 へら る る が東支 沿 線 に派 遣 し て居 つた 一部
遽 に同 地 の警 戒 を撤 す る こと は出 来 な い。
張 宗 昌 の部 下 が赴 奉 す ると の説 があ る が ポグ ラ附 近 は 重要 の地 で
四 、 ポグ ラ第 三旅其 他 の赴 奉説 に就 て
右 に付 直隷 側 の対案 は左 の如 く であ る 。 一、 東 三省 巡閲 使 の職 権 は回復 す るも蒙 彊 経 略 使 の職 権 は 回復 せ ぬ こと 二、 奉天 省 に は中 央政 府 より省 長 を任命 す る こと 三、 吉 、黒 両省 σ官吏 は前 例 に拠 り中央 政 府 よ り任 命 す る こ と 四、 京 奉 線 の車輛 並 に塩 税 を 政府 に還 付す る こと
大正 十 二年 五月 十 五 日
五、 張学 良 を洋 行 せ し め、 楊宇霆 を罷 免 す る こと
二五
哈 爾 賓事 務 所 (一九 八)
六、東支鉄道従業員 の赤化説 に就て 鉄道従業員 が罷業を為す との説あるが彼等 は給料生活者だから自 己 の生活を危 くす る如き事 はするまい。又支那従業員 に共産主義を 宣伝する説もあるが支那人は斯 の如きこと には耳 を傾けないから従 つて其効果もあるま い。 以上彼 の言 は要す るに時 局は平穏無事 だと言ふに過ぎない。而 も 彼 の言説中往 々故意 に平安を装 ふ状 の顕然 たるは争 へな い。 二六 営 口外 人係情報 (一〇) 大正十二年五月十七日 張作霖 の銅塊輸入後報 奉天利達洋行店員羅寿山は銅塊引取 の為め来営し、九日午後七時 五十五分発列車 ( 満鉄) で六十六噸を奉天 に向け輸送し残余九十九
営 口片山情報
噸 は十日午後七時 五十五分発で同様奉天 に発送した。 二七 大正十 二年 五月十七日 第 一二号 奉天兵 工廠機械輸送 五月十日太古洋行取扱汽船 ﹁南昌号﹂ で上海 から奉天兵工廠用機 械 二十四個到着した。今後 二百余個の到着を俟 つて河北 駅より奉天 に輸送す る筈 である。機械 は独逸製品の様 である。
二八
張作霖 の兵員補充策
大正十二年五月十八日 第 三二号
長春地方事務所
張作霖は奉直戦後将来非常 の際 に於ける兵員補充策 とし て奉天省
毎戸 二十〓以上所有者は歩兵 一名、五十〓 以上 は騎兵 一名強制徴集
吉林公所
す る筈 であ つた が、今回時局に鑑み五〓以上歩兵 一名三十〓以上騎 兵 一名 に変更 した。 二九
吉林陸軍 々官教練所開設
大正十二年五月十九日 第 四三号
吉林陸軍 々官教練所は五月十六日開所式 を行 ひ、同 日より教練を
開始した。教育期間は 一ケ年とし右終了者は東 三省講武堂卒業と同
資格 で、第 一期学生は尉官級将校二百名あり、教官は日本留学生多 教 を占め て居 る。 三〇
長春地方事務所 (三四) 大正十二年五月二十 一日 東 三省各督軍対直警備区域
張総司令 は東三省各督軍 の対直警備区域を左 の通り決定した。
一、張 総 司 令 喜 峰 口 、山 海 関 以東 、 営 口以北 奉天 よ り 西 に 一線 を引 き た る以 南 の区域 二 、孫 吉 林 督 軍 奉 天 よ り西 に 一線 を引 き た る 以北 通 遼 に至 る間 の地 域 三 、 呉黒 竜 江 督軍
大正十二年五月二十 一日
四〓 線 以 北 及〓 南 方 面 一帯
三 一
長春 地方事務所 (三四) 奉直軍其 の後 の移動
一、奉軍 は黒竜江騎 兵第 四旅団中 一ケ聯隊 (隊長劉集吾)を〓南 に 出 動せしめ黒竜江支隊司令部を設置 した。
大 正十 二年 五 月 二十 一日
三二
二、直軍 は最近密かに清河門方面 へ二十個大隊を増派した。
吉 林 公所 (四五 )
三三 大正十二年 五月 二十二日 第四六号 吉林警察庁 の武器弾薬輸送
吉林公所
五月十八日吉林警察庁は露国式歩兵銃 二、四〇〇挺実砲四、五〇
〇発を長春 に輸送した。右 は民国 七年東支鉄道長官 ホルワツト将軍
失脚 の際 、支那側は将軍部下を駆逐 し、彼等 の所持 せるも のを押収、
吉林東営 に保管し置けるもので長春保安隊 に支給 するも のだと言 ふ。 三四
大正十二年五月 二十 六日
楊宇霆 の時局談 ( 奉天特務機関報)
奉天公所 (一六)
王正廷、馮 玉祥 が赤化主義 を利用し て政府乗取 の陰謀 ありと の説
竝 に馮玉祥 と張作霖と の接 近に就き楊宇霆 の語 れる処左の如し。
王、馮 の赤 化主義利用説 は未詳な るが王正延が自 己 の力 で奉直間
を融和し南方 とも聯絡し て時局を統 一に導 き現内閣を倒し て国 務総
趙 爾巽 、徐 世 昌 、鮑 貴 卿 等 は 奉 直闘 争 の気 勢 を征 露 、 抗 日 の対外
つ た。 斯 く し て彼 は其 の勢 力 を特 別 区 に拡 張 せん と す る も のら し い。
孚、曹〓等 に対し自己 の立場 を失 ひ張作霖 に対し好意を表す るに至
の野心を以 て奉直開戦説を称 へた が時局が意外 に緩和した為、呉佩
馮王祥、張 作霖 の接近説 は真実だと思ふ。馮は奉天督軍 たらんと
理 たら ん と す る野 望 を有 す る は明 暸 であ る 。
的 方 面 に転 換 せし め 、奉 直 雙 方 の主張 を緩 和 せし め ん とす る企 図 あ
奉 直 和 議 に関 す る趙 爾 巽 等 の企 図
り 。 右 に関 し王 永 江 は 五月 十 三日 王吉 林 省 長 の意 見 を求 め た 。
三五
奉直会議 の件
大正十 二年五月二十五日午後 四時奉天公所電報 (六〇四) 山海関会議 に直隷 側より王承斌 、陸錦、奉天側 より孫烈臣 、于冲 漢代衷 として出席すること に決定 し、当方よりは二十八日出発 の筈 な るが孫は姜登選外二、三名参謀を、于は関海清 、史紀常 を随員 と して同行する希望あり、和議条件 に付きては色 々取沙汰あるも未 だ 漢 は語れり。
何 方等よりも提出し居らず、会見後 に非ざ れば決定 せざ るべしと于冲
三六 大正十 二年五月二十八 日午前十 一時 二十分発奉天公所電 奉直 会議 奉直講和代表 とし て孫烈臣 (姜登選以下数名随行)于冲漢 (関海
秘
清)今朝 四時臨時列車 にて山海関 に向 へり。
三七
北京公所 電 報 (へ三〇)
大正十 二年五月二十九 日午前 九時極 奉直会議開始
奉直講和会議本日より山海関にて開 かれ直隷側代表 王承斌は随員
引 率昨日天津より同地 に赴けり。京奉及四〓 の問題も此際協定 さす
命し、四〓は局長 に交通部推薦 の人を、副局長 に奉天側推薦 の人を
筈 にて京奉 は局長 に奉天側 の唐文高、副局長 に交通部推薦 の人を任
任命することとなるべし との説あり念。
三八
東三省議員会議開催
長春地方事 務所 (四〇) 大正十二年五月二十九日
東 三省陸軍第 二十 一旅長葵永鎮 の談 に依 れば、総 司令張作霖 は東
秘
三省省議会議員代表を奉天に召集し、五月二十九日より奉直和議問 題 其他 に関し討議 する筈。
三九
奉直和議会議 の件
奉天公所 (大正十二年 五月三十 一日午後五時 )
袁金鎧 の談。山海関奉直会見は第 一回李際春、第二回王承斌、第
三回山海関各機関 の招宴 あり、所謂聯歓会修好使王承斌、孫烈臣は
各 自沿道駐紮軍隊を検 閲し奉直間戦争 なき ことを説明する筈なり。
奉天代表 は錦州 に立寄 り今明日中帰奉すべし。尚陸錦は列席 せず。
聯歓修了と共 に李際春 ( 将軍府将軍) より全国 に通電 を発 したり。
要する に今 回の会見は単 に双方 の誤解 を除去するが其 の目的 にて何
等条件なし〇支社すみ。 四〇 大正十二年 六月 一日午後 四時十 五分発奉 天公所電報 (六〇四) 秘
. 奉直会見 に関する袁金凱 の談
山海関会見 に先だち奉天側は張総 司令、孫、呉両督軍、楊宇霆、
張作相 、姜登選、張学良、于冲漢 、談国恒、袁金凱等奉直問題 に関
し意見 を交換 したが衆議 は戦ふか戦 はざ るかの問題 に集中した。其
際 張作霖は飽迄報復を図らんと決 心を示したが袁金凱は進 言し て曰
解決 せんとし両者 の意見 一致し居 らぬ故目的 の達成は疑はし、宜し
く、曹〓 の最高運動は地盤薄弱であり、呉佩孚 は全国統 一後 に之を
く曹 の地盤 が動揺を来す迄隠忍し不即不離 の関係 を持続するが得策
奉直 会議 一行二十八日午後三時山海関着、四時 より会議を開き夜李際春 の
容易 に実行し難 かるべしと言ふ に帰着し、結局根本的解決を避け単
ず 、又自治 を取消して中央 の命 に服す ること及び塩款車輛 の返還は
衆議 も亦実際上仮りに和議成立 しても張氏 の復位復職は確保 され
である云々。
奉直聯歓会議 に列席せし奉天代表は昨夜八時帰奉、于冲漢 の談 。 宴会 に臨 み食後再会 、二十九日午後三時迄続行、十時 地方官商務会 午後 三時 更に会議を開き当夜王承斌招宴 に臨 み、九時 より翌朝三時
に両派 の修好を図る程度 に止むる ことに 一決したのである。
教育各紳士等七十余名と会見、孫烈臣 、王承斌各 一場 の演説を為 し、 迄討議、三十 日山海関各界 の招宴 に列席 双方帰路 に就 く。姜登選は
惶し其堵 に安ずる事 が出来 なか つた。惟 ふに今 は国家多難 の際 で徒
曩 に京津各報が奉直問題 に関し揣摩臆測を逞 ふした為 、四海皆恐
奉直会議 に関する李際春 の通電要旨
奉天公所 (二 一) 大正十二年六月 二日
四二
要す るに今回 の会見 で先づ当分 は奉直間 に戦争 は起 るまい云々。
の労 を執 り会見 の機運を誘致した ことにあ る。
一個旅 を新 に移動 せしに就き、奉 天側 の誤解を解 く為李際春 が調停
尚会見 の直接誘因 は開魯方面 の馬賊討伐 の為直隷派が熱 河方面 の
興城県 に孫烈臣は錦州 に立寄り駐屯軍隊 に奉直意思疎通に関す る訓 議決条 項一最高問題に つきては奉天は反対せず二抑留中 の車輛 は
話を為せり。 交通部と直 接商議す三塩税余款は財政部 と商議す四開魯方面馬賊討 伐 の為新 に熱河より増派 せる 一旅は撤 退す。同馬賊は共同討伐 に附 す五列車旅客検査は互に中止す。猶会議 の結末 に関し李際春より全 国 に通電 を発せり。出席代表奉天孫烈臣、于冲漢二名、直隷 王承斌、 陸錦、尹鎮守使、王参謀長 四名。
四 一
奉天公所 (二〇) 大正十 二年 六月 一日
に干戈を交ふべき時 でな い。乃ち際春は張総理 の旨 を受 け屡次奉直 間 を往復して和議 を計 り、幸 に両派 の賛 同を得 て両派山海関 に会見 し、双方誠意を披瀝し旧好を温 め永久 の和平 を誓 つた。際春親しく 此事に与り実情を海内諸士 に伝 ふ。幸 に諒察 を乞 ふ云々。 四三 奉天公所 (二五) 大正十 二年 六月十 一日 熱河方面最 近の情況 ( 奉天特務機関報 )
︹ 大 作︺
十 名 の搭 載 能 力 を 有 し 、承 喜 間 を 二 日 で下 航 出 来 る。
大正十二年六月二十 日
四四 奉天公所 (二九)
張作霖 の南方時局談 (特務機関報)
六 月 十 八 日張 作霖 が稍楽 観 的 態 度 を 以 て我 顧 問 及 河本 中 佐 に語 り た る南 方 時 局談 の要 旨 左 の如 し 。
王懐慶 は目下北京 に在 りて其 の軍隊 の主力及司令部 を熱河方面 に
たるものにして入福後 一時臧致平等 の段派と交戦状態 に在りしが最
を籍 りて王永泉 一派 と提携し、段派と握手すべき黙契ありて入福し
孫伝芳は湖北 に於け る自己 の地盤危険 に瀕 したる為 め呉佩孚 の力
一、福 建 方 面
移 した。其 の兵力約 一混成旅 である。王這 回の軍隊移駐 の目的は対
近呉光新等 の斡旋 により て王永泉、盧永祥と の間 に諒解 なり、孫伝
一、王懐慶移駐 の目的
奉防備と馬賊討伐 に名を藉り熱河地方 に阿片 を栽培 し経済的基礎 を 備
陳烱明 は反孫運動 に活躍し直隷派 に加担したる結果広東 の形勢 は
二、広 東 方 面
は拡張 せらるる に至 れり。
確立し て将来北京方面 に対す る勢力伸張 を企図して居 るも のらし い。 芳 と段派 との提 携成立 し従 て盧永祥 の地位は安全となり段派 の勢力 二、兵
喜峰 口には僅 か五十名内外 の騎兵が駐在し て居るに過ぎ ぬが馬賊 の横行なく秩序 が維持されて居 る。朝陽 には鎮守使 の隷下 に在る直
勢 となるも依然混乱状態 に在るを免 かれず 。之 が為黎元洪及段祺瑞
一時 民党派危険 に瀕 し、最近孫文派 の恵州帰還 に依り稍有利な る形
隷第四巡防路 三営第四十九団駐屯し て奉天省 との境界 を厳重 に警戒 して居る。凌源附近 には第 二十六旅 司令部 あり、市街及附近 に第 五
︹マ マ︺
作霖 亦陳 に対し内争 の非 なるを説き、対直結束 の必要を主張 せる結
はは各特使を派遣 し南方 の内訌を防止し、対直結束 に強めたると張
設
十 一及第五十二団 が駐屯して居 る。 三、施
果 概 し て反 直 隷 民 に有 利 な る形勢 を招 来 した る が如 し 。然 り と雖 も
孫 文 一派 の実 力 は 到底 頼 む に足 らず 。
熱河地方 の通信連絡は王軍移動後 急 に進歩 し、道路 も立派 に改修
三、湖 南 方 面
︹マ マ ︺
と な つた 。承 徳 より 喜 峰 口 に通 ず る〓 河 の舟 は五 十斤 積 で武 装兵 三
され北京より陸源を経 て朝陽 に至 る道 には路巾 一丈八尺 の自動車道
最 近湖 南 鎮守 使 が趙恒惕 に対 し 独立 を 宣 言 し た るを 以 て近 く程 潜 及譚 延〓 の入省 を見 るや も計 り 難 く従 て江 西 に も亦 挙事 なき を保 し 難 し。
林建 章 の統率 す る海 軍 は結 束 依 然鞏 固 にし て策 応 派 に対し稍 有 利
四、上 海 方 面
な る状況 を呈 し却 て江蘇 に対 し 攻 勢的 態 度 を保 持 し あ る状 態 な り 。
楊 森 は 入川 の当 初 よ り 呉佩 孚 を利用 し て自 己勢 力 の挽 回 に力 め た
五、四 川 方 面
るも 其友 軍 成都 に 入り た る後 は四 川本 位 とな り直 隷 派 に対し 面 従腹 背 の態度 を保 持 し 、最 近 に於 て は在 四川 湖 北 軍排 斥 の態度 に出 で居 るも の の如 く 、或 は再 但樊 辛 等 と提携 し て反 直 の気 勢 を揚 ぐ る に到 る やも計 り難 し 。之 を要 す る に長 江 沿岸 に於 ては今 後 二ケ月 を 出ず し て何 等 か の形 式 を以 て反 直 の運 動 勃発 す べく 、 従 て直 隷派 衰 運 の 時 代 も 久 し からず し て到 来 す る も のと信 ぜら るる のみな らず 、 長 江
吉林公所
ひ以 て経 費 を 節約 す べし 。 又省 城 軍警 の防 備稀 薄 な る べけ れ ば 、奉
第 五 六号
長 春 地 方事 務 所
直 和議 成立 の後 は督 軍 署 を 旧 の如 く吉 林 省 城 に移 駐 せ しむ べし 。
四六
ベ ー カ ー顧問 辞 職
大正 十 二年 六月 二十 一日
東 三 省 保安 総 司令 顧 問 ベ ーカー は今 回 、電 気機 械 其 他軍 用 品 販売
奉 天公 所 電 報
株式 会 社 を組 織 す る こと に決 定 し、 顧 問 を辞 職 し た。
第 七 一三 号
四七
大 正十 二年 七 月 七日
支 那側 の労 農 官吏 招聘 説 に就 て
( 庶 調 情第 二八 一号首 題 情 報 に関 し奉 天公 所 に照会 中 の処 左 の回 答 を得 た り)
一四九 電 返 、楊 総 参 謀長 に就 き事 実 調 べた が少 く も奉 天 には其 の
ふ少 将級 (月 手 当 三〇 〇 円) 一名 雇傭 し、 他 に下 士 以下 十 数 名傭 ひ
事 実 な しと 否 定 せり 。 唯従 来 当 地 には兵 工廠 にウ オラ チ エー スと言
ス キデ ル スキ ーを顧 問 か嘱 託 か に聘傭 せり (于冲 漢 の談 ) と の説 あ
居 るも 、何 れも白 軍 系 統 の者 な り 。東 支 鉄道 に ては スピ ツ チ エ ン、
るも 或 は自 称 顧 問 かも 知 れず 。 大蔵 省 官 吏 を新 た に採 用 せし こと を
第 五 六号
を以 て界 と す る支 那 の南 北 は永 遠 に 一致 す る事能 はざ る べしと 観 測 せ ら る云 々。
四五
大 正十 二年 六月 二十 一日
聴 かず 。労 農 政 府 と の協 定 な ら王 正 廷 関係 せ る筈 な るも目 下 王 は上
新 募 軍隊 裁 撤 の訓 令 六月 十 五 日張 総 司令 発 王 吉 林省 長 宛 訓令 要 旨 。
海 に在 り北 京 政 局混 乱 の際 、右 の事 実 は恐 ら く宣 伝 かと思 ふ。
奉直 関 係 も 旧態 に復 し た る際 な れば 、曩 に吉 林 に て募 集 せ る軍 隊 は須 く裁 撤 し 、年 々増員 し つ つあ つた保 衛警 察 隊 も 同時 に解散 を行
四八
大 正 十 二年 七月 十 一日
第 三 六号
奉 天 解 職軍 官 の再 採用
奉天 公所
東 三省 総 司 令 部 に於 て奉直 戦 後 解 職 した 将 士 の救 済 竝 に軍 官 補 充
秘
五〇 大正十 二年 七月十四日 第六八号 東三省海軍編成
長春 地方事務所
張作霖は予て海軍編成計画中 の処、今回営 口漁業局 の汽船四隻 を
五 一
奉直再戦説 に就て
長春 地方事務所 ( 八五)
奉直時局問題は表面和平を装ふも内実は依然として悪化を続け直
一、浜江道尹葵升談 (二十五日)
大正十二年七月三十 一日
艦 に分乗せしむべく目下着 々準備中 である。
島航警学校 に海軍兵百 二十名を選抜入校せしめ、実務練 習の上各
を目 的 と し て、希 望 者 を 再 び採 用 す る こと と な り予 て募集 中 であ つ 編入し、吉黒江防司令部所属軍艦十 二隻を以て 一艦隊を編成し、保 た が、 七 月 七 日 の締 切迄 に三百 余 名 に達 し 十 一日之 が検 閲 を行 つた 。 安総司令部副官処長李少白を海軍司令 に任命し、尚先に開校 せる葫蘆 追 て其 の中 から選 抜 採 用 す る筈 であ る。
四九
庶 調 情 第37 号5(大 正十 二年 七 月 二十 三 日奉 天 特報 ) 奉天 派 の対時 局 会 議
七 月 二十 二 日張総 司 令 は孫 烈 臣 、 王永 江 、 于 冲漢 、 張作 相 等 軍 政 各 界 の要 路者 三十 六人 を召集 し時 局 対策 を協 議 し た。 同会 議 に於 て 王永 江 等 の文 治 派 は奉 天 自 治主 義 を保持 し 、 中央 、 直 隷派 、段祺 瑞
に努 め、王承斌、馮玉祥 は特殊隊 を以 て新たに四ケ師団を編成せん
系 、 孫 文 系等 とは聯 絡 を採 ら ざ る を可 とし 、 楊宇霆 等 の武 治 派 は 孫 、 隷派 は目下〓州及昌黎方面 にて糧秣其他を徴発し密 かに軍備 の充実 段 、盧 等 と結 合 し て直 隷 派 に抵 たり 以 て南 北 統 一を図 ら ん ことを主
と計画し て居る。
て兵 を整 へ新 たに特殊隊 (山林警察隊、山林遊撃隊、遊撃馬隊) を
奉天派亦之 に対して最近頻りに馬賊 に帰順を命 じ或は募兵を為 し
張 した 。 従 つて王永 江 の自守 主 義 と 武官 側 と は根 本 に於 て意 見 相 反 し方 針 を決 定 す るに至 ら な か つた。 両 三日 中 に再 び討 議す る筈 であ る。
以て四ケ師 団 の編成を計画し奉直間は決 して楽観 を許さぬ状態であ る云 々。
二、吉 材 督軍 公署 委 員李 郷新 談 (二十 六 日) 最 近奉 直 開戦 説 再 び高 ま り つつあ る が愈 々開 戦 の場合 は吉 林軍 は
大 正 十 二年 七 月 三十 一日
第 一 一号
奉 天 兵 工廠 用 機械 類 輸 送 の件
営 口外人 係 情報
七 月 三十 一日営 口着 、税 関 長 ウ オ レ ンは 奉 天政 府 の威圧 に依 り之 を
丁〓 船 ボ リヴ イ ア号 は欧 州 よ り 左記 奉 天兵 工廠 用機 械 類 を積 載 し 、
無 税 無検 査 にて通 関 せし む る こと と な つた 。右 は 営 口対 岸 河北 駅 よ
八 ケ旅 、 少 く と も 五 ケ旅 を出 動 せし む る筈 であ る。 然 し吉 林 軍出 動 後警 備 の手薄 な る に乗 じ 、匪 賊 の横 行 す る虞 あ る故 奉 天当 局 と警 備
類
一、 一八 八箇
三 二 一箇
七 六 二箱
量
械
機
数 機
動
名
り 京奉 線 に て奉 天 に輸 送 す る筈 であ る。
記 地
発
一二 、 〇 一二 担
三、 八 九 三箱
一、 四 四 四個
鉛
量
銅
亜 棒 重
一 一六箱
二 五 二担
六 六 〇、 六六 〇両
量
申 告 価 格 械
三 二箱
一三、 八 六 〇両
二 七、 七 二 〇両
五 〇 四担
申 告 価 格
量
申 告 価 格
重
機 械 及 道具 類
重
機
類
計
棒
品
三、 孫 督 軍談 (二十 七 日)
左 送
ル グ
五三
ゴ ツテ ンブ ルグ
ハ ン ブ
コツ ペ ン ハー ゲ ン
発
打 合 せ の為出 奉 す る 云 々。
昨 今 奉 直時 局 は漸 次悪 化 し 到 底再 戦 は免 れ難 き 状態 で あ る。而 し て目 下 〓南 方 面 の警 備 不充 分 な る為 演 習 を名 とし直 軍 に対 す る防 備 とし て、長 嶺 、 農 安 方 面 に至 急 出動 す べく奉 天 よ り軍 需 品 の到 着 す る のを 待 つて居 る云 々。 因 に軍 需 品 は 二十 八 日 到着 受 領 を 了 し本 軍 は 三十 日午前 出 発 し た が途 中 洪 水 の為 引返 し天 候 の恢復 を待 つて居 る。
最 近 の奉直 時 局 及東 支 東 部 線警 備 問 題悪 化 の為何 時 出 動 命令 に接
四、張 宗昌 談 (二十 七 日)
す る やも 計 り難 く 北満 一帯 の馬 賊 を帰 順 せ し め別 動隊 を編 成 す る計 画 であ る。亦 余 は 万 一の場 合 蒙 古方 面 よ り直 軍 の背 後 を襲 ふ任 務 を 帯 び て居 る云 々。 五 、長 春 に於 け る風 説 曹 〓 は 田山 東 督軍 を免 じ 新 た に王 承 斌 を山 東 督 理 と なし て直 隷 派 の勢 力 を拡 張 し て南 北 聯 絡 を 中断 す ると共 に 一面東 三省 の反奉 派 及 馬 賊 を糾 合 し 、徐 に北 伐 の作 戦 を進 め ん とし て居 る と の風 説 があ る 。
五 二
北 京 特 報 (三 ノ 八) 保 定会 議 の内 容
大正 十 二年 八月 二日
秘
奉 直 戦後 、以 来 天 津 に在 る張 景 恵 は張 作 霖 より度 々帰参 を慫慂 さ
れ しも東 三省 の官 界 は 旧派 人物 を容 れ ざ る 現状 にあ れば 寧 ろ天 津 に
れ直 隷 派 を 擁護 す るも のの如 く 解 せら れ居 る を以 て、 事 情 釈 明旁 々
て暮 す に如 かず と て帰 る を好 まず 。 之 が 為 め張 作霖 より 真意 を疑 は
但 し曹 鋭 、 辺守 靖 、 呉毓 麟 、王 承 斌之 を 分担 調 達 す る こと。
一、 軍 費 一、〇〇〇 万 元 を速 か に準 備 す る こと。
先般 来 秘 書 宋文 林 を派遣 し奉 直 調停 に就 き 尽力 し たき 旨 を 通 ぜ り。
側 が直 隷 側 の誠 意 を疑 ひ相 手 にせ ざ りし 為 め な り。今 回 孫 烈臣 よ り
鮑 貴 卿 の奉直 調 停 運動 は何 時 も 不得 要領 に終 り た る が、 夫 は奉 天
右 に関 し 八 月 三日 中 比営 業 公 司代 表 は天津 に於 て曹 鋭 、 辺守 靖 と
二、 先 づ王 承 斌 の第 二十 三師 、曹 鋭 の第 二十 六師 に対 し津 浦 線 方 面
会 見 の筈
鮑 貴 卿 に対 し直 隷 派 誠意 の具 体 的表 示 と し て、 先 づ最 初 よ り奉 直 の
和 睦 を提 唱 せ ら れ ても其 には応 じ難 し と語 り 、飽 も其 言 を 尤 な り と
与 へ、而 る後和 を講 ず る な ら兎 も角 唯 大 総 統 た らん が為 一時遁 れ の
戦 争 を欲 せ ず平 和 を主張 せ し張 景 恵 に熱 河 、察哈 爾特 別 区 の地位 を
に出 動 準 備 を命 ず る こと 。 但 盧 永 祥 方 面 静穏 に帰 せ ば 王軍 は 済南 に踏 止 ま る も のと す 。又 陳
し 直隷 側 の決意 を促 す 為 め宋 文 林 同道 本 日奉天 を立 つ可 し と 。
調 元 を 上海 護 軍 使 、曹鍈 を徐 州 鎮 守 使 とす る こと。 三、長 江方 面 に厳達 し紐 永建 、顧 忠〓 を逮 捕 す る こと。
五五
関 東軍 参 謀 部
而 し て其 建 築 及 機械 の不足 を補 填 す る ため 更 に約 十 万 円 の予 算 を
械 を購 入 し既 に据 付 に着 せり。
せ るも のの如 く 、 奉天 小 辺 門外 に印刷 所 を設 け 、約 八 万 円 の印 刷 機
な る武器 と心 得 、 新 に機 関新 聞 を発 行 し 、自 己宣 伝 を なす 事 に決 心
傑 一派 は直 隷 派 切崩 し の目 的 を達 成 す る ため には、 宣伝 を以 て良 好
次 相提 携 し つ つあ るも 支 那内 部 に対 す る宣 伝機 関 の欠陥 に鑑 み、趙
最 近直 隷 派 の横暴 極 りな き情 況 を憤 慨 し つ つあ る反直 隷 派 は 、逐
趙 傑 の反 直隷 機 関 新聞 発 行 計 画
大 正 十 二年 八 月 二十 五 日
庶 調 情 第 四九 六 号
四、 奉 天派 に対 し て は馮 玉 祥 を総 司 令 と為 し 先 づ 以 て馮 軍 の 一混 成 旅 張之 江 の部 隊 を〓 州 一帯 に出 動 せし む る こと 。
顔 恵 慶 、王 克 敏愈 々就 任 せ ざ る場 合 は内 閣 よ り財 政 、 農 商 、教 育
五 、 内 閣問 題 に付 ては張 紹 曾擾 乱 の虞 あ れば 改組 せざ るこ と に決 す 。
曹 鋭 は張 弧 を財 政総 長 た ら し め ん こと を主 張 す る も張 は 承諾 せ ぬ。
の三 総 長後 継 者 を物 色 せし め 之 を補 充 す る こと 。
秘
七 、 国 会 に対 し ては 此 の上 呉 景濂 の意 思 を尊 重 す る 必要 な く自 然 の 成 行 に任 せ る こと 。
五四
奉 天 公 所長 電 報 (大 正十 二年 八月 二十 四 日第 六〇 一号 ) 奉直 和 議 問 題
以 て進 捗 せし め つ つあ り 。
ひ て、 呉軍 を挾 撃 す る の策 を講 ぜ し に連 絡 宜 し き を得 ざ りし 為遂 に
年 五月 、奉 直 干戈 を交 ゆ るや 、張 作霖 の股 肱 た る趙 傑 は 河南 軍 を率
時 機 を 逸 し、 張 作霖 亦 怨 を呑 ん で山 海 関 に退 却す る の已 むな き に至
該新 聞 社 の社員 は概 し て趙 傑 の部下 を以 て之 に任ず る筈 にし て、 現 下尚 百 名 の将 校 当 地 にあ る を以 て、之 をし て活 動 せ し む る考案 な
陜 西 に隠 れ弟 趙 傑 は腹 心 を 従 へて其所 に拠 り 再挙 を画 し つ つあ り。
れり 。 呉佩 孚 依 て趙〓 兄 弟 の官 職 を 奪 ひ其 財 産 を横 領 し、 兄 趙〓 は
該 日本 人 は肇 国 会 本 部主 事 岡 崎 鉄首 にし て、昨 年 直隷 方 面 に於 て
るも 、其 背 後 には 日本 人 あ り て之 を操 縦 し つ つあり 。
﹁明春 報 ﹂ を企 図 し蔡 元 培、 呉 景濂 、潘 復 、汪 大燮 等 の同 意 を得 、
め、 本年 五月 遂 に臨 城 事件 を起 し て世界 を震駭 せし め 、延 い て直 隷
然 れど も趙 傑 を 思 ふ十 万 の部 下 は 河南 山 東 に蟄居 し 常 に呉 軍 を苦 し
援 の境 遇 にし て張 作霖 、段 祺 瑞 、黎 元洪 、 孫 文、盧 永祥 、 山西 の閻
派 に対 す る英米 の同 情 を失 墜 せし め た り。 今 や直 隷 派 は全 く 孤立 無
趙 傑 機 関 新聞 発 行 後 の影 響 に就 て は未 だ予想 し能 はざ るも 、山 東
一挙 に屠 る戦 士 は趙 傑 の河 南 軍 な り とす 。吾 人は 日支 両国 の為 に奮
錫 山等 反 直 派 の重囲 に陥 り 、正 に四面 楚 歌 の裡 にあ り 。此 の残 骸 を
て、支 那 人 間 に相 当 連 絡 を有 す るも のな り 。
李 成鐸 、 王 紹 文 、王 侃 等 を発 起 人 と し て該 報発 行 に尽力 せ る人 にし
河 南方 面 の匪賊 間 に相 当勢 力 を有 し 、該 方 面 と の連絡 比較 的頻 繁 の
一掃 せ ん こと を期 す 。 大 正十 二年 八月
五六
日
以 て張 総 司令 が奉直 関 係 に於 て当 方 面 を相 等 重 要視 し居 る を知 る べ
現 在 東 蒙方 面 守備 の奉 天軍 は概 ね 左 の如 く 防 備頗 る厳重 であ る。
本 間 成 勲
介 し 、其 の後援 を以 て氏 の目 的 貫徹 を速 かな らし め 、両 国 の暗 雲 を
闘 す る趙 傑 氏 の勇 気 と意 気 に感 じ 、氏 の人物 を我 邦朝 野 の有 志 に紹
模 様 な るを 以 て、 直 隷 派 に取 り ては多 少 痛痒 を感 ず る な らん か と観 測 せら る 。
支 那 排 日派 の強 敵趙 傑
該 新 聞 発 行 の趣 旨 宣 伝文 左 の如 し。
支 那 排 日団 の巨 頭 は直 隷 派 、特 に呉佩 孚 一派 にし て其 の背 後 に英
し て日 夜戦 々競 々身 辺 の警 備 に腐 心 せし め 、洛 陽 の人 心 為 に不 安 を
米 の辛 辣 な る運 動 の存 す るは 既 に周知 の事実 なり 。然 る に呉佩 孚 を
趙 傑 は 河南 の産 にし て齢 未 だ 不惑 を出 でず 、 其 兄趙 〓 は前 河 南 督
絶 たざ る怪 雄 の存 す る を知 る者尠 し。前 河南 軍 司令 官 趙 傑其 人 な り 。
軍 にし て曩 年 、 日 露戦 役 の際 手兵 の匪 軍 を率 ひ て我満 洲 軍 の最 左 翼
を有 利 な らし め た る功 勘 からず 。 我軍 其 功 労 を賞 し勲 三等 に叙 す 。
し。
東 蒙方 面 に於 け る奉 天軍 の守 備
鄭家 屯 公 所長 (大 正 十 二年 八 月 二十 五 日第 六 六 号)
爾 来 趙〓 は累進 し て北 洋 軍 閥 の大 将 に昇 進 し 河南 の督 軍 とな り 、 弟
に出 没 し 、橋 口支 隊 と策 応 し て屡 々露 軍 を苦 し め 、我 満 洲軍 の戦 況
趙 傑 は河 南 軍 司令 官 と し て共 に河南 全 省 の人望 を博 せ り。 大 正 十 一
一、通遼方面 穆春
東三省騎兵第 一旅
( 尚 近く余糧堡 ( 通遼 の西六十支里) に郭松齢 の 一個旅駐屯すべ しと の噂あり。 ) ( 斉長勝)
一、鄭家屯 東 三省歩兵第 一旅 の第五団 ( 袁 永 翔)及第 四十 九団 一、〓遼鎮守使署 に於 て鄭家屯附近に兵営築造 の計画中 程海峰 (今春帰順)旅撃隊
一、〓南 方面 張海鵬 の遊撃馬隊 一、開通方面 五七
盧永祥砲艦購 入
庶調情第五四 一号 ( 大 正十 二年 八月二十八日北京特報) 庶永祥代表呉永傑 と上海日本商人町野洋行と の間 に百八十 二万元 を以て砲艦二隻 の購入契約 が成立した。 五八 庶調情第5号 42 (大正十二年八月二十九日北京特報)
五九
奉直 問 題 に関 す る孫 呉 両督 軍 の卜籖
長 春 地 方事 務 所 長 ( 大 正 十 二年 九月 九 日第 一〇 四号 )
最 近 孫 呉 両督 軍 は奉 直 開 戦 の可 否 に付奉 天 大清 宮 に於 て神 宣 を卜
西
し た が、其 の宣 文 の中 に左 の字句 が あ つた。 但 し之 は極 秘 にし て居 る と言 ふ。 漸
日 と西 と合 し て曹字 を成 す 。 即 ち曹〓 は今 や落 日 にあ る を意 味 す。
一、 日
二 、挽 長 弓奈 無 力
ばざ るを意 味 す 。
張 を分 析 せ ば長 弓 な り。 張 作霖 は中 原 に鹿 を射 ん とす る も其 力 及
孫 文 は 其 器嘉 な ら ざ る を い ふ。
三 、児雖 有 子非 嘉 質
四 、鄭 伯 弟 空気 急雖 知竟 南 田玉
は呉佩 孚 の敵 に非 ざ る を暗 示 す。
鄭 伯 弟 は段祺 瑞 、南 田玉 は呉佩 孚 (春秋 左 伝 に拠 る) 即 ち段祺 瑞
五 、 一時 不留 神 玉 砕 成
八月 二十七 日江蘇督軍斉燮元の電報に依れば盧永祥は九月十三日
よ り好 漢 が顕 は れ 湘 ( 湖 南 ) に於 て大 局 を定 め ると云 ふ意 味 ら し
以 上五 氏 の如 き は 早晩 没 落 の運 命 にあ るも ので、 結 局秦 (陜西)
秦 中 好孩 童 湘 間好 修 竹 、 竹作 長 〓
直隷派 の国会破壊 に対す る罪状を宣布し、張作霖、唐継堯、閻錫山
い。
反直隷派 の計画
亦之 に策応す べく段祺瑞は十月十 日討逆軍を組織 し自ら総司令とな りて法 に拠 る総統を保護 せんとす。
六〇
大 正 十 二年 九 月十 日 (庶 調情 第 五 九 一号 ) 朝 陽 鎮 守使殷 貴 の死亡
関東 軍 参謀 部
朝陽 鎮 守 使兼 直 隷 第 四 巡防 統 領殷 貴 は数 日前 病 に依 り物 故 せ り と。
六 二
趙 傑南 行 の企 図 (奉 天 特務 機 関 報)
奉天 公 所 長 (大 正十 二年 九 月 二十 日第 七 二号 )極
秘
張 作霖 の食 客 とし て奉 天 に滞 在 中 であ つた趙 傑 は九 月 十 七 日部下
右 に就 て趙 傑参 謀 長 の語 る処 に依 れ ば、 殷 は朝 陽 地 方 に駐 屯 す る こ
し た約 八 万元 の 一部 を以 て上海 に於 て 目下 政 府組 織 に苦慮 し つ つあ
る黎 元洪 を援 助 し 、同 時 に江 西 方 面 に あ る旧部 下と 連 絡 し江 西 に於
約 二十 名 を引 卒 し 上海 に赴 いた 。其 の目的 は 張作霖 を拝倒 し て引出
今 回 の死 によ り直 隷 派 が同 巡 防 隊 を他 地 方 に移 駐 せし めん と せば 、
と十 有 余 年 にし て、 其 の勢 力 牢 乎 とし て抜 く べ から ざ るも のあ り。
殷 の乾 児 と の間 に面 白 か らざ る感 情 の醸 成す る に至 る べき は必 然 に
由 此観 之 張作霖 の南 方 に対 す る企 図 は陰密 に黎 に好 意 を 表 し、 更
て 一旗 挙 げ ん と す る にあ るら し い。
し て、 従 て奉 直 再 戦 の機 会 に際 せば 奉天 派 に於 て、彼 等 乾児 を 操 縦
に段派 を援 助 し て其 の地盤 を江 西迄 拡 張 せ し め、 江西 方 面 よ り湖南
吉 林 省 某 要 人 の観察 談 左 の如 し 。
奉 直 再戦 説
吉 林 公所 長 (大 正 十 二年 九月 二十 五 日第 九 三号 )
六三
る や否 や頗 る疑 問 な り。
居 る が如 く観 察 せら る るも 、趙 傑 の活動 果 し て能 く此 機 会 を作 り得
つて要 す れ ば奉 天 軍 の出 動 を実 現 せし む る の動 機 を作 らん と企 図 し
す る に難 か るざ る べ しと て、奉 天 軍 幹部 は私 か に殷 の死 を悦 び居 れ
鄭家 屯 公 所
方 面 の民 党 と相 策 応 し て直 隷 派 を奔 命 に疲 れし め 、機 の熟 す る を俟
第 七 三号
り 云 々。
六一
大 正十 二年 九 月十 二日 銭 家 店 に兵営 建 築
奉 天 軍 は 通遼 の東 十 四哩 の銭 家 店 に工費 五十 万 元 を以 て兵 営 を 新 築 す る こと に決 定 し 、奉 天 長島 信 兵 衛 は十 四万 元 にて其 の手 間 のみ
該 兵舎 は兵 一千名 、馬 匹 一千 頭 を 収容 し 得 るも のであ る 。
を 請負 つた。
奉 直 両 派 が何 日 か再 衝突 を 為 す は免 れざ る運 命 な る も其 の接 触 の
時 期 に就 ては到 底 予 測 を許 さな い。若 し 此際 直 派 が 目下 の大問 題 た
る大 総 統選 挙 を決 行す る の挙 に出 れば 奉直 間 に 一大 危 機 を招 致 す る は明 かで あ る。 張 作霖 が最 も 恐怖 を感 じ て居 る のは馮 玉祥 で彼 は現 在 直派 の 一大 勢 力 た るも確 固 たる勢 力 地盤 を有 せず 、 若 し直 派 が彼 に奉 天 を 地盤 と し て与 ふべ し と の意 志 を表 示 せ ん か馮 は奮 起 す べ く 、奉 天派 に取
六五
李 際 春 の奉 直 和 議条 件 (奉 天特 務 機 関報 )
奉 天 公所 長 (大 正十 二年 十 月 一日第 七八 号)
あ る。 陸 軍整 理 処長 副 官 の語 る処 に依 れ ば李 の提 出 せる直 隷 派 の希
を し て居 る が雙 方 の意 見 一致 す る に至 らず 両 三 日中 に帰 京 の模様 で
李 際 春 は曹〓 の命 を奉 じ 九月 二十 四 日来 奉 、奉 直 和議 に関 し協 議
近時 伝 ふる が如 く臨 楡 、綏 中 、両 県 地 方 の農 作 の収 穫 を急 ぎ つつ
り て は致 命的 大 問 題 で あ る。
あ るは事 実 であ つて秋 季 大演 習 の準 備 と称 す る も奉 直戦 の準備 行 動
望 条 件 は 左 の如 く であ る。
乙 、直 隷 派 の譲 歩 す べ き件
五 、東 三省 の自治 を取 消 し奉 楡 線 と 塩款 を 返納 す る こと。
四 、 奉直 は固 く同 盟 し協 同 し て万事 に当 る こと。
三 、張 作 霖 は南 方 と の関 係 を絶 つ こと。
二 、総 統 選 挙 に際 し ては張 作 霖 は絶 対不 干渉 た る こと。
と。
一、 張 作霖 は奉 天 派議 員 を 北 京 に帰 し 大総 統 選 挙 に出 場 せ しむ る こ
甲 、 奉天 派 の譲歩 す べき 件
と思 は れ る。
六四
斉 々哈爾 公所 長 ( 大 正 十 二年 九 月 二十 七 日第 一八 七号 ) 黒 竜 江 軍 出動 黒 竜 江 督軍 参 謀 長 王樹 常 は 東 三省 陸 軍秋 期 大 演習 に参 加 の為 左 記 の部 隊 を率 ゐ 、不 日〓 南 に向 ひ暫時 同 地 一帯 に駐 屯 し其 後 演習 地 に
青
山
山
五 、張 作 霖 を副 総 統 に任 ず る こと。
四 、直 隷 派 の占 領 せる武 器 弾薬 を完 全 に返 還 す る こと 。
三、 大 選 終 了後 閣 員 の三分 の 一は奉 天 派 を以 て任 ず る こと 。
而 し て李 は張 作霖 が 甲 の条 件 を 承諾 し 之 を実 行 せ ば 乙 の条件 を実
山
復 す る こと。
一、 張作 霖 の官職 を復 活 す る こと 。
出動 す る こと と なり 目 下準 備 中 であ る。出動 の目 的 は前 述 の如 く 大
石
金
二、 察哈 爾 、綏 遠 、熱 河 の三特 別 行 政 区域 を完 全 に奉天 の節制 下 に
旅
長彭
演 習参 加 と 称 せ ら る るも 、巷 間 直隷 軍 と の万 一に備 ふるも ので あ る
東 三省 陸 軍騎 兵 第 二旅
同 長
張奎
と の噂 盛 ん であ る。
第 四旅
団
出 動 部 隊
同
第十団
砲 兵 第 一団 の二連 砲 入門
同 同
行せむことを申出 て、張作霖 は直隷派 が先以 つて乙 の主要条件を断
品輸 送 の為 め 二百 四十輛 の荷 馬 車臨 時 徴 発 の交 渉 を受 け 、県 警 察 事
尚 錦 県 知事 は錦 州 駐 屯 二十 七師 司 令 部 よ り秋 季演 習 に要す る軍需
一千 袋 、軍 器 七十 余件 錦 州 駅 に到 着 し た と言 ふ。
務 所長 に命 じ 九 月 二十 六 日管 内 六 区 に対 し 、各 区 よ り 四十輛 宛 強 制
行せば甲 の条件を譲歩 せむと回答し、結局相方共相手方 の誠意実現 の真 の和議 は到底其実現覚束無 かるべしと観測される云 々。
六八
反 直 の気 勢漸 く揚 る ( 奉 天 特 務 機関 報 )
奉 天 公所 長 (大 正 十 二年 十 月 三 日第 八〇 号 )
りと 。
送 り 議員 買 収 に当 ら し め、 同時 に盧 の通電 に賛成 の旨 発電 の運 に在
であ る 。奉 天 派 も 亦現 大 洋約 五万 元 を英 租 界 広東 路 に在 る李 思浩 に
の帰京 を阻 み、更 に多 く の議 員 を 北 京 より 脱出 せし む る こと が必要
であ る 。然 し 盧 が此 の通電 の趣 旨 を貫 徹 せし め んと せ ば、 先 づ議 員
開催 し 、老 段 を 推戴 し て統 一の覇 業 に当ら し め んと す る魂 胆 のやう
と謂 ふ に在 るも 、其 の真意 は斯 く し て反 直 の輿 論 を煽 り統 一会 議 を
る は不 法 にし て、 如 斯不 法 選 挙 に依 る総 統 は承 認 す るを 得ず ﹂
﹁ 直 隷 派 が法定 数 に達 せざ る議員 の選 挙 を断 行 し て世 人 を欺 騙 す
右 に就 き 陸 軍整 理 処 某要 路 者 の言 に依 ると盧 の通電 の趣旨 は
何 れも 盧 の通電 に共 鳴 し て起 たし む る に至 つた。
で反 直 の気勢 を煽 り 、黎 、 孫 、譚 、熊 等西 南 各 省政 党 、 政派 をし て
浙 江 廬 永祥 反 直 の通 電 は端 な くも 直 隷派 以 外 の各 派 を し て相 次 い
秘
徴 発 し九 月 三 十 日迄 に錦 州 に送 る事 に手 配 し た と言 ふ。
を看た上自己 の態度 を決せんとし意見 一致 せぬ模様なれば、直奉間
六六 営 口外人係 ( 大正十二年十月 一日第二七号) 奉 天軍密偵 の行動 営 口警務署に就 き聞く処 に依れば九月 二十日東 三省 保安総司令 の 密偵 と称す る者十 七名奉天 より来営 せり。彼等 の友人 に洩 れたる言 に依れば目下呉佩孚 は其 の軍隊 を熱河方面より漸次奉天軍 に接近せ しめて居 る。之 に対し奉天軍 は秋季大演習 に藉 口して軍を山海関方 面 に集中す ると同時 に、熱 河方面直隷軍 の行動 を厳重 に警戒 し両軍 共 に暗 々裡 に戦備を急 いで居る。我等十七名は張総司令 の内命 を受 け上海 に行 き同地 に先着 せる前河南総司令趙傑 の配下となり、直隷 軍を背後 より攪乱する筈 である云々。 因 に彼 等は二十 一日上海に向 け出発した。 六七 営 口外人係情報 (大正十 二年十月 一日第二八号) 奉天軍 の軍需品輸送 今 回の奉天軍秋季大演習軍需品として九月二十五日奉天 より糧食
六九 大正十二年十月十 日 第 一一八号 吉林自治軍 の動静 長春県公署員 の談
長春地方事務所長
吉林自治軍首領楊家蔭は陰謀事件発 覚後、五常、楡樹方面 に潜在 し時期を待 ち つつありし が、最近奉直関係益 々悪化するや好期至れ りとし、過般来密 かに馬賊頭目 ﹁打五軍﹂以下 二百名を吉林県下 に 潜 入せしめ、九月五日長春県下帽児山附 近に潜在 せりとの報に接し 当局 は極力警戒中 である。 七〇 吉 林公所長 (大正十 二年十月十日第九六号) 吉林より奉天 へ軍器輸送
鄭家屯〓遼鎮守使署員 の談に依 れば初め奉天軍 は鄭家屯を中 心と
して大 々的 に演習挙行 の予定なりしが直隷派 の誤解を招く虞れある
により之を中止し、各旅各別 に挙行する こととなり、〓朝璽旅長 の
歩兵第 一旅 (鄭家屯駐屯)十 一月 一日より楊徳生旅長 の歩兵第十四
て居 る。又通遼穆春旅長 の騎兵第 一旅は目下懐徳方面 にて演習中 で
旅 (彰武県駐屯)と康平県 を中心とし て対抗演習を為す ことにな つ あると。 七二
秘
直隷軍 の移動説 と張作霖 の憂慮 (奉天特務機関報)
奉天公所長 (大正十二年十月十六日第八八号)
京津地方 へ派遣した支那側牒報将校 の諸報告を綜合 せば熱河方面
に於 ては朝陽、凌源、喜峰 口 一帯 に散在分駐し て居 た直軍及毅軍は
逐次大隊及聯隊 に集合 し戦闘準備を完了して待命 し、京奉線方面 に
して居 た馮玉祥 の部下第 二十 一旅は去 る九日夜行軍 を開始して天津
於 ては第十五師 の騎兵 三中隊は山海関 に到着し、又北京南苑 に駐屯
東 方盧台及開平東方古治に向 ひ、盧台駐屯第十 三混成旅 は唐山以北
吉 林駅長 の談に依 れば十月九日吉林より奉天 に向け機関銃二〇挺、 小銃 二、五四〇挺 小銃実弾 二五、七〇〇発を輸送 し今後も輸送を継
に赴 き防備 に任ずる こととな つた。尚又十 二日早朝〓雲鶚は部下 一
脅威せられた感 があるが、張作霖は大 に之を憂慮し日本側 の或種 の
右は奉天側諜報将校が段派 の宣伝及直軍秋季演習 の為軍隊移動 に
し、積極的 に車輛 を徴発し出動準備 を為して居 ると いふ。
送を開始し、京漢沿線、彰徳、正定 、石家荘 、は胡景翼 の軍隊分駐
旅 を率 ゐて天津 を通過し漢陽及徳州 の兵工廠 より盛に兵器弾薬 の輸
続する模様 である。 七 一 鄭家屯公所長 ( 大 正十二年十月十 一日第七六号) 鄭家屯附近に於ける奉天軍 の演習
三 、王 丕 煥 を し て漢 口を中 心と し 旧 河南 軍 と連 絡 し て両 湖 地 方 の攪
兆銘 と気 脈 を通 じ呉 佩孚 に対 す る策 を講 ぜ し む。
場 合 には 予 は已 む を 得ず 機 先 を 制 し て敵 を 迎 撃す る為作 戦 行 動 に移
も合 せ討 呉 の機 会 を醸成 せし め 呉光 新 をし て南 北連 衡 策 に努 め し
乱 に努 め、 為 し得 れば在 上海 趙 傑 と提 携 し 江西 に在 る旧 河南 軍 を
政策 を希 望 し ﹁若 し 日本 の力 に依 て之 を制 止す る こと が出 来 ぬ様 の
らざ る べか らず ﹂ と 本 庄顧 問 に語 り帝 国 の意図 を確 め ら れ た いと希
む。
最 近奉 直 時 局 が逐 次 切 迫 し た為 呉 佩孚 は再 び東 三省 切崩 運 動 を 企
呉 佩 孚 の東 三省 切 崩運 動 (奉 天特 務 機 関報 )
奉 天 公所 長 (大 正 十 二年 十 月 二十 二日第 八九 号)
七五
望 し た が顧問 は ﹁恐 ら く斯 く の如 き積 極 的 移動 無 か るべ し﹂ と答 へ 張 を慰 め て置 いたと 言 ふ。
七 三
庶 調情 第73 号6(大正 十 二年十 月 十 七日 北京 特 報 )
第 十 一師 団歩 兵 二 ケ聯 隊 は本 月 十 六 日既 に喜 峰 口 に出動 し た が該
図 し て居 る も の の如 く、 月額 二万 円 の経 費 を以 て多 く の密 偵 将 校 を
直 隷 軍 の対奉 準 備
師 団 の残 部 及 二 十 五混 成 旅団 全 般 に亘 り動 員 中 であ る。 尚豊 台 に総
派 遣 し軍 事 諸 般 の偵 察 をな さ しむ ると 共 に、馬 賊 の操 縦 及 旧式 武 官
第九九号
時 機 に帰 奉 す る様 慫 慂 し て居 る。
七六
大 正 十 二年 十 月 二十 三 日
吉 林 軍 械廠 修 復 に関 す る請 電
吉 林 王省 長 は 張作 霖 に対 し左 記 の如 き請 電 を発 した 。
吉 林 公所 長
奉 天 側 では趙 傑 の反直 行 動 が成 功 し つ つあ る こと を賞 し 、適 当 の
を逆 用 し て居 る有 様 で今 日 の処 別 段 不 利 益 を被 つて は居 ら ぬ。
す る趙 傑 の幕 僚 と連 絡 を執 るも の混 在 し居 り、 奉天 側 では却 て彼 等
の煽 動 に従 事 せし め て居 る。但 し偵 察 武官 中 には奉 天 側 に好 意 を 有
兵 站 部 を設 置 す る こと とな つた 。
七四
段祺 瑞 派 の態度 ( 奉 天 特 務機 関 報 )
奉 天 公 所 長情 報 摘 要 (大正 十 二年 十 月 二十 二 日第 八 九号 )
呉 光 新 の随 員 が貴 志 少 将 に語 れ る談 。 段 は今 遽 に起 つ気 色 なく 直 隷 派 内部 の分 裂 と輿 論 の反 抗 と に依 る 好機 に乗 ぜ む と し て居 る。之 れが た め間 接 に左 の手 配 り を し て居 る 。 一、姚 震 を し て京 津 地 方 の交 通 系 と結 び直 隷 派内 部 の切崩 運 動 に奔 走 せ しむ 。 二 、徐 樹 錚 をし て 上海 を中 心 に浙 江 、 福建 、 安徽 に於 て孫 文代 表 汪
を講ずべし。
は特 に隣接 地の軍警、保甲 と連絡を図り防備 を完全 にする事。
二、駐屯軍隊 の交代は綏 、楡 の辺境 に実施す。各地に分駐す る軍隊
先に吉林旧軍械廠 を修復して銃器弾薬 を製造すべしと の命令 に接 したるも、該廠 には新式武器製造機械皆無な る上熟練 せる技師も居
討滅し安民 の実 を完 ふする事。 七九
大正十 二年十 一月二十二日 北公報第二六号
北京公所長事務取扱
列国対支兵器売 込 一覧表送附 の件
別紙添附
御参考迄 に御送附申上ぐ。
当 地公使館武官室 にて作成したる首題 の 一覧表 入手したるを以て
牛島 吉郎
五、駐屯軍隊交代及冬防計画実行を期 し、東 三省 に横行す る党匪 を
事。
四、各部隊は冬防設備 に関 し討論会 を行ひ、冬防 の参考資料となす
違算 なきを期す る事。
三、各師団本部 は常 に管下諸部隊 の軍需品を充実し、不時 の出動 に
らず 、武器 の製造不可能なる故新式機械 を購入し、技師を招聘す る り支出すべきや御示教 を乞 ふ。
必要ある由 であ るが、右機械購入及技師招聘 に要する資金は何 れよ
七七
斉燮元 の対盧永祥態度 (特務機関報)
奉天公所長 ( 大正十 二年十月二十三日第九二号) 斉燮元 が南京総領事 に語 れる処 に依 れば、斉 は浙江盧永祥を討 た むとせば何時 にても之 を討滅す る事容易な るも ﹁盧﹂より挑戦せぬ 限り戦 を交ふ る意 思はな い。蓋し上海地方は列国関係複雑なれば国 際情誼 を重んじ妄 りに兵を動 かさ ぬのである。又仮 に奉直再戦する とせば奉天軍 の兵力は最大限五ケ師団 なるに対し直隷軍は十 ケ師団 以上 の兵力あ るを以て勝敗は歴然たるものであ る云 々。 七八
東三省自治 に関する張総司令訓電
大正十 二年十月 二十六日 第 一 二 五号 長春地方事務所長 吉林督軍公署承啓官楊怡銓 の談。 十月 二十 一日吉林督軍公署は張総司令 より左記 の訓電 に接 した。 一、近く駐屯軍隊 の交代 を行 ひ従来 の弊害 を除去し、保省自治の途
行
行
用 弾 他 若
兵 関 銃
量
独
込
露
国
津 利
逸
買
主
綏 遠都 統
吉 林 第七混成旅
奉 ( 或は ふ米) 人と も言天
天 伊 太
売
南
要
証 報
告
大正十 二年十月調
考
北
京
三 月 三 十 一日
憲 兵 隊 報
東
電
四月二十 九 日
関
四 月 二 十 日
上 記 の兵 器 は 独 逸 漢堡 よ り大 阪 商船 あ ま ぞ ん丸 に
関 東情 報 第 二 五九 号
る が我 関 東 庁 の手 に よ り輸 入を 禁 止 せ ら る
李 督 軍 は福 州 延 平 間交 通 に使 用 す る の名 義 に て米
人 よ り飛 行 機 十 二台購 入す る予 定 な り (交 通 用 と
称 す る も有 事 の際 軍用 に供 せん と す る は論 を待 た ず)
雲 南 省 に創 立 せ し 航 空処 用 飛 行 機 と し て米 国 より
八台 購 入す る 計 画 な り、 其 三 機 は 已 に仏 領 印 度 支
那 海 防 に到 着 し あ り て 不 日省 城 に到 着 す べし
一部 は省 城 に到 着 せ り と の報 あ り
米 国 と雲 南 と の間 に軽 砲 若 干 購 入 契約 成立 し其 の
二 十箱 (一箱 百 磅 入) を支 那 汽 船景 粤 号 に て七 月
在 上 海 英 商 怡 和 洋 行 は呉 佩 孚 に売却 す可 く 炸 薬 百
雲
湾
南
報
報
右
七 月 十 四 日
同
五月二十 三 日
台
五 月 十 九 日
て輸 送 し、 四 月 二 十 六 日大 連 に入港 し た るも のな
発 二十 日哈 市 通 過 奉 天 に向 へり
弾 薬 を購 入し 貨 車 三台 に積 載 し 四 月 十 九 日ポ グ ラ
吉 林 督 軍 は沿 海 州 方 面 (多 分 米 国 人 な ら ん) よ り
ふ
が 天津 に於 て伊 太 利 人 よ り購 入 せ る も のなり と 言
遠 に輸 送 せり 、 右 兵 器 は綏 遠 都 統庶 務 科 長 趙 国楨
て歩 兵 銃 二千 、 機 関銃 二、 小 銃 弾 百 二十 一万 発 綏
情 報 に依 れ ば 三 月 二 十 八 日夜 豊 台駅 発臨 時 列 車 に
概
列国 対支兵器売込 一覧表 ( 自大正十 一年 一月至大正十二年十月末) 数
二千 二 百 二十 一万 発
八三〇 四〇 万 発
米
雲
省
国
福 建
米
十 二台
八台
ス レー ブ イン
機
南
南
河
雲
商
国
英
米
百 二十箱
若干
薬
砲
機
銃 薬 干
薬
銃 銃 弾
兵 器 の 種 類
歩 機 小
弾
軍 同 其
飛
飛
軽
炸
行 線 電
関 銃
円
匙
弾 銃 弾
機 右 信
兵器製 造機 械
飛 同 無
砲 機 小
小
銃
銃 弾 砲 弾
軍用電話機 及属品
小 小 野 砲
価
格 (五百 万 円)
三台 五台
千 六百 八 五百万
二万 四 千
三百
二万 七 千
太
利 国 国
国
怡 和洋 行
米
伊 仏 仏
津 利
作
作
呉 佩
広
雲
曹
奉
天 伊 太
哈市露 人
奉 張
奉 張
津 利
米 国 慎 昌洋 行
四千 四 百 万 天 伊 太 二四
二万 四 千
孚
東
南
〓
天 天 霖
天 霖
九 日 上海 より 天 津 に輸 送 し 目 下 英租 界 怡 和 洋 行 に
格納 中 な る が不 日河 南 に輸 送 す べ し と言 ふ
兵 器禁 輸 に関 す る 外交 団申 合 せ を広 義 に解 釈 し 軍
用機 械 は其 制 限 外 に あ りと の見 解 の下 に広 東 省 に
於 て は約 五 百 万 元 の兵 器 製 造 機械 を米 国 よ り 購 入 す る に決 定 せ り
香 港 に於 て伊 太 利 よ り購 入 済 な る も 現品 未 着 購 入済 な るも 現 品 搬送 中 にし て未着 仏 人技 師 に て目 下 東城 外 に建 設 中
奉 直戦 後 曹 〓 は 再 戦 を顧 慮 し て天津 伊国 兵 器 を購
入 せ ん と し呂 調 元 を し て斡 旋 せ し め た る結 果 上 記
数 量 を 十 八万 元 にて購 入す る に決 せ り。 但 し 秘 密
を 保持 す る為 購 入後 は伊 国 租 界 よ り曹 家 花 園 に移
し 将来 適 当 の時 機 に於 て韓 家 樹 に移 す計 画 な り と 言ふ 現 品 は米 国 製 なり
最 近軍 事 整 理 処 に於 て購 入 せる 軍用 電 話 機 三 百 及
其 属品 は奉 天 省 と 上海 米 商 慎 昌 洋行 の間 で直 接契 約 に よ る も のと す
最近 に到 り伊 国 兵 器 は安 福 系 の斡 旋 に より て天津
及秦皇 島 にあ るも のを 合 し て 一先 メ キ シ コに売
渡し、 メ キ シ コよ り張 作霖 に売 渡 す こ と と な り
十月下 旬 契 約 成 立 せ り。 其 価格 は五 百 十 万 元 な り と
天
雲
津
南
報
右
報
九月二十四 日
同
天
月
津
日 報
報
右
十 天
九 月 二 十 一日
奉
十
同
無 線 電信 機
小銃火砲 製造機械
銃
価 格 五 十 万元
十五万発
四万 二 千
四百
銃 弾
三万
独
逸
人
抹
シー メ ン ス会 社
丁
露
人
奉
奉
奉
奉
天
天
天
天
奉 天 軍 事整 理所 技 師 呉 梯青 と シ ー メ ン ス会 社 と の
間 に於 て東 三省 無 線 電 信 網 設置 計 画 に基 く 無線 機
械 売 買 契約 中 に し て 不日 成 立 の筈 な りと 言 ふ
小 銃 の外 砲 弾機 関 銃 をも 製 造 し得 る も の にし て価
格 二百 二 十 万 元 と称 し目 下 海 上輸 送 中 に し て十 二 月末頃到着するならん
露 国 陸 軍 少 将 ク レ ルジ エー及 支 那陸 軍 大 佐 楊 卓 の
斡 旋 によ り 哈 市 よ り 上記 の機 械 一万 七 千 元 に て購
︹メ ル ク ロ ー フ ︺
入 し 八月 上 旬 奉 天 に到 着 せ り
浦 汐 ﹁メ﹂ 政 権 と の間 に時 日不 明 な る も爆 弾 十 五
高 士賓 撃 退 後 ポ グ ラに於 て露 国 商 人 よ り買 収 せり
露
万発 購 入 の契 約成 立 、 山 海 関附 近奉 直 戦 当 時 現物
天
到 着 せり
奉
吉 林 督 軍 は 沿海 州 方 面 (多 分米 国 人 な ら ん) よ り
買せり
十 月 中旬 タ ンク (貨 物 自動 車 とも 称 す ) 四個 を購
後 交 渉 不 調 に終 れ り
む こと の交 渉 纏 り手 附 金 二 十万 元 を渡 し た る も其
本 年 五 月米 商 よ り レ ミ ント ン式 銃 を張 作霖 に売 込
人
天
露
奉
天
九 月 上 旬尼 市 に於 て買 収 す
国
奉
天
米
国
奉
二万
米
人
四
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一万
三万
一万
弾 匙 鍬
弾
小銃弾被套 製造機械
小 小
字
爆
砲 円 十
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銃
銃
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報
十 一月 十 八 日
奉
関
弾 銃
砲
爆 機
銃 ト
大
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小 メ
薬
セ
爆
小 銃 機 関 銃 大 砲 小銃、大砲 弾薬(不明)
四万 二四
二門 二千挺 二百磅 若干 六千 六十 六
一四
露
東 明
天
広 陳 〓
天 霖
奉
独 逸 保 屁 洋行
奉 張 作
或 は米 人 ( ) と も言 ふ
露国琿春 附近白軍
米
国
広 東 孫 文政 府
各 種 砲 二〇 約 五、四 五〇 発 米 同 弾 薬 国 一二 国 務 省 在 支 機 関 銃 於上海附近 同 弾 薬 約 二、四 〇 〇発 密 偵 支那各地 に 小 銃 一六七 、〇○ ○ 挺 カ ー ネ ー 対し 一三 六 同 在支 四 ) ( 大 口 径 薬 包 二 六八 、六〇 〇 個 十 年 の人 十 二箱 大 砲 預 備 品 カ ー チ ス式 水上飛行機 右 用 ケデ ス 百馬力発動機
弾 薬 を購 入し 貨 車 三台 に積 載 し四 月 十 九 日 ポグ ラ 発 二十 日哈 市 通 過 奉 天 に 向 へり 右 価格 百十 二 万 一千 元
一、大 正 十 一年 十 二 月 七 日広 東 政 府 の手 に 入 れり
二 、之 が輸 入 に就 ては 英 国側 の斡 旋 後 援 あ り海 関 の通 過 を免 る
三 、本 輸 入 は第 一回 に て更 に爾 後 の輸 入 を企 図 す
一、 大 正 十 二年 一月 三 日海林 発列 車 に て奉 天 に輪 送す
一、 大 砲 輓曳 の為 馬 匹 六〇 頭 を も売 込 め り
遂次売込みたるもの
一、 大 正 十 一年 十 二 月頃 よ り 大 正十 二年 七 月 の間
機 関 によ り行 は れ た り
二、 本 件 は在 上 海米 国 人よ り 成 る武 器 を密 輸 秘密
るも 之 が審 判 の結 果 を発 表 す る処 なし
三、 上 海 米 国 領事 館 は本 秘 密 機 関 の検 挙 を 行 ひ た
数 な るも 此 れ 以 外 に尚 売 込 みあ る や も知 れ ず
四、 上 記 の数字 は米 国 官 憲 の逮 捕状 に示 さ れ た る
大正十 二年 一月十三日 東 報
広
大 正 十 二年 一月 九 日
哈市 諜第 四号
大正十二年 七月十 八日 上海時報 第十七号
大正十二年 一、 大 正 十 二 年 九 月頃 到 着 、 当 時恵 陽 方 面 戦 線 に 九月八日 粤特報 第 九〇号 内 五 六台 を使 用 せ り
八
反 張作 霖陰 謀事 件
と な り 、 ソを 副 司令 と な し其 他 各 重要 職 十 五 六名 を任 命 し 、 土匪 と
聯 絡 を保 ち 軍 隊 を懐 柔 し 、吉 林 官憲 を殺 戮 せ んと せ る陰 謀 にし て事
前 に曝露 し捕 れ た るも のなり と 。 ヤ ウ は 一種 の誇 大妄 想 狂 的 人物 に
し て、吉 林 に於 け る奉 天勢 力 を 駆逐 し、自 ら 重職 を 得 んと せ る も の
第 六 一号
吉林公所
秘
にし て 土匪 と 聯絡 を取 り つ つあり し為 、 此 方面 より 曝露 せ るも のな
大正十二年 七月五日午前十 一時 三十分吉林公所電報 秘 ︹ 樹翰︺ 王省長地位顛覆 の陰謀昨夜発覚 し数名捕縛 されたり。篤 と調 べて
り と言 ふ。 一説 に依 れば此 陰 謀 は 呉佩 孚側 と聯 絡 あ り と言 は る。
三
大 正 十 二年 七 月 七 日
反 張 作 霖陰 謀 に関 し 極力 探 査 せ る も重 要官 吏 は黙 し て其 真 相 を語
秘
電す。 二 大正十二年 七月五日午後 二時四十 六分吉林公所電報
らず 。未 だ確 実 な る消 息 を得 ざ る も 、吉 林警 務 処 及省 長 公 署 秘書 よ
吉 林 の反張 作 霖陰 謀 事 件 後 報
三日夕刻反張作霖陰謀曝露し前江蘇省無錫県知事吉林紳商 セキキ
反張作霖陰謀事件 (電文判 明せず照会中)
ユ ウ 其 子 ハク フ サ ジ ン ケ イ ヨ ホ イ〇 ソ ゼ ウ フ ク 等 は ソ セ ウ フ ク 方 に
り聞 知 せ る処 次 の如 し 。
の人 、 従前 江 蘇省 無 錫 県知 事 、 吉 林省 依 蘭 県知 事 及 署 理依 蘭 道 尹等
陰 謀 主 犯 者 楊夢 齢 (錫 九) 本 年 五十 六歳 、吉 林 省 楡樹 県 秀 水甸 子
於 て多 数 軍警 の為 包 囲拘 引 せ ら れ、 四 日 オ ヨウ にし て四 名長 春 督 軍 署 に送 ら れ たり 。探 知 す る処 に拠 れば同 人等 は 、 吉林 自 治軍 を組 織 し本 部 を 天津 に、支 部 を吉 林 ソゼ ウ フ ク方 に置 き 、 ヤウ 自 ら総 司令
るものにして、彼等作製 の重要職印及楊 の委任状等押 収された。
られたも のであ る。吉林自治軍総司令 の印鑑は曹〓より送附し来 れ
三日 の逮捕当 日は午後十時を期 し吉林省城軍警買収 に対す る費用
を歴 任 し 目下 閑 居 中 な る が、 省 内土 匪 猖 獗 す るも 官憲 無 能 にし て剿
抽出其他 の用件 の為、蘇方 に於 て会議を開催 せんとし、首領集合中
捕 の力 な く 、 民人 は 塗炭 の苦 に沈淪 し つつあ る を常 に慨 嘆 し 之 を救 済 せ んと傲 語 し て居 た 。彼 は本 年 二月 直 隷 地 方 に赴 き た る際 、前 無
吉 林自治軍総司令
錫 知 事 たり し縁 故 に依 り伝 手 を 求 め曹 〓 に会 見 し 、 大 に吉 林 の現 状
字錫九
副司令
之 を聞知せる警務庁長 は、午後六時自ら軍警を率ゐて之を包囲、左 夢 齢
同
旅 長
を慷 慨 し 、曹〓 又暗 に中央 政 府 に対 す る野 心 を仄 かし 、彼 をし て吉
楊
字阜堂
警
同
の元兇七名を逮捕したも のであ る。 蘭 福
吉 林 自 治 軍 団長
林 に在 つ て自 治 軍 を 編 成 し 、現 在 の官 憲 に対抗 し て官界 の革 命 を行
蘇
銘
效 先
同
ふ べ き事 を慫慂 せ る旨 審問 に対 し 供述 を為 し た り と言 ふ。
陳
斌 塵
帰 吉 以来 、該 吉 林 自 治軍 組 織 に奔走 し た るが兵 器 の備 無 き によ り 、
傅
翰 臣
営
長
長
軍 隊募 集 に困 難 を感 じ た る を以 て、彼 の子 伯 浮 が現 に吉 林省 楡 樹 県
胡
処
保 衛 団総 な れ ば 、其 の部 下 二 百余 名 を誘 引 せん と し、 密 信 を以 て曹
趙
次 いで土 匪 を懐 柔 し、 自 治 軍後 援 と為 す と共 に省 城 軍 警 を買 収 せ
務
注、団総は中 〓 の意 図 を 伝達 し遂 に之 を 加 名 せし む る こ とを得 。︹編 国 語 、隊 長 の意︺
役
右七名を警察庁にて訊問 の後更 に省 公署に送致し、警務処長 立会
僕
の上、督軍軍法課長単春淵、吉林高等検察庁長何同春 により審問 せ
永 年
ら吉 林 県 火 口嶺 子裕 昌煤 鉱 に到 り労 働 者 を勧 説 し 、自 治 軍 に加 盟 せ
張
し め 約 二千 名 の同志 を得 た れば伯 浮 に対 し、 右 労働 者 へ供 給す べき
られ、四日午前 七時吉林発列車 にて楊 、蘇、陳 の三名 は長春督軍署
ん と 試 み、 陳 效 先 を予 め自 治 軍旅 長 に任 命 し た。更 に六 月 中 、楊 自
兵 器 の掠奪 を命 じ 、総 てを 曹 〓 に報 告 し事 漸 く 緒 に就 き たれ ば重 要
又四日午前十 一時五十分発列車 にて鍾警務署長及何検察庁長 は急
に押送 せられ、更 に奉天 に護送 せらるる筈 である。
は誤 り)方 を以 て招 募 本 部 及劃 策 所 とな し 、所 要費 用 は蘇 を し て出
職 を任 命 し 、新 任 団営 長 をし て兵 卒 を招 募 せし め 、蘇 蘭 福 ( 蘇常福
究 せず 、総司令 の指令を俟 つて該隊解隊 の上更に逮捕懲罰すべしと
せられたる実跡 (八千元を給与す)あれ共、省長は兵変を恐れて追
仄聞す る処 に依 れば吉 林省長公署保衛隊は全部、彼等 の為 に買収
拠赴奉した。
が あ つた 。然 し重 要官 職 任 命 に際 し、傅 を警 務 処長 に任 じ た る も傅
言 ふ。
な つた が、 彼 は自 治 軍 に加 盟 す る こと を約 し、種 々共 に奔走 す る処
費 せし め た。 然 る に約 十 日 前 、吉 林 県警 察 所 長傅 銘 の偵 知 す る所 と
は、 事 成 立 の上 は省 長 た らん と の野 心 あ り 一方 、楊 は事 成 就 の上 は
一説 に依 れば楊等 は土匪にして楊伯浮 をして各地 に掠奪を為さし
省 長 に、魁 〓 財 務庁 長 に徐 敬 一 ( 〓 霖 ) を推 さん と す る意 思 が あ つ た為 、 傅 の要 求 を拒 絶 し た為 に遂 に傅 に依 り、 吉 林県 知 事 に密 告 せ
行 動 に出 でん と せ るを 、裏 切者 の為 に密 告 せ ら れ捕 へら れし も ので 、
め 、彼 等 は省城 に在 つ て相互 に聯 絡 を取 り機 を見 て、 大 々的 に匪 徒
を為 し たる も のな り と。
を述 べ居 れ り。 吉 林 に於 け る供 述 は拷 問 に より て不 得 已 虚 偽 の申 立
を否 認 し 、反 て彼 の無 錫 県知 事 時 代 曹 〓 に対 し て含 む所 あ り た る旨
延吉 、 琿 春 等 の各 県 に在 り て土 匪 と連 絡 を取 り、楊 の子 楊 伯浮 をし
五常 、 双 城 、阿 城 、樺 甸、 濛 江 、浜 江 、伊 通 、 磐石 、饒 河 、汪 清 、
郭 春 田、 陳香 九、 王文 治 、〓 国 華等 を派遣 し、 吉 林 の楡 樹 、舒 蘭 、
鵬 、関 連 喜 、韓 超起 、馬 万 年 、 〓 宝崑 、 王之 師 、穆 少 卿 、 蒋錫 五 、
楊 の自 白 に依 れば其 の腹 心 胡 徳福 、 安秀 峰 、 恩 祥張 、国 発 、翕 志
捕 は れ者 の小唄 に洩 れず 、曹 〓 と聯絡 が あ つ て吉 林 自治 軍 を組 織 し、
て、深 き根 底 のあ るも の に非 ず と 。
無 能 の官 史 を追 ひ 民人 を 塗炭 よ り救 は ん とす る等 傲 語 せ るも の にし
目 下赴 奉 中 の鍾 庁 長 の帰 吉 を待 つて詳 細 真 相 を捉 へ詳報 す べし 。 暫 く 記 し て後 日 の調 査 を待 つ。
て馬 賊 隊 を組 織 せし め んた め 奔走 し つつあ り と。希 く は右 各 県 に通
電 し至 急 共 犯者 を逮 捕 し、省 城 に送 致 の上厳 重 処罰 し余 党 の蠢 動 を 取 締 る べし 。
四
大 正 十 二年 七 月 九 日午 前 十 一時 五 分第 三〇 号 長春 地 方 事務 所 電 報
ち其 の真 相 を報 告 す べ し。
吉林 公 所
六
大 正十 二年 七 月十 一日
吉 林 公所
に命 じ探 査 逮捕 せし め つ つあり た る処 、 七 月 三日 夜 七時 軍 警 の報 告
し て省 城 を 占領 せん と す、 と あ り之 治 安 を擾 乱 す る も のな れ ば軍 警
匪徒 と結 び 、自 治 軍 を組 織 し 秘 密会 議 を開催 す る こと多 次 、 日 を期
吉 林自 治 軍陰 謀 事 件 布 告 ︹ 蘭︺ 本 年 六 月 二十 九 日 の報 告 に依 れ ば楊 錫 九、 蘇 来福 等 偽 職 名 を用 ひ
第六四号
楊 等 の直隷 方 面 聯絡 は右電 文 を 以 て直 ち に否 定 し得 ず 。 再調 を待
吉 林 反張 作 霖 陰 謀 者 の銃 殺 ︹ 蘭︺ 吉 林自 治 軍 主謀 者 楊 錫 九 、蘇 常 福 の二名 は 張総 司 令 の命 に依 り 、 ︹ 振民︺ 七 日 夜 九時 銃 殺 の刑 に処 せ ら れ、 同共 謀 者 主 要 の人物 王 シ ンミ ンも
第 六 三号
同 夜 九時 過 督軍 公署 附 近 に於 て逮 捕 せ ら れ、 目下 取 調 中 。
五
大 正 十 二年 七月 九 日
反 張 作霖 陰 謀 共 犯 者逮 捕 命 令 七 月 八 日張 総 司令 は吉 林 王省 長 宛 左 の電 命 を発 し た。
に依 れば ﹁省 城文 廟 近 傍蘇 来 福 宅 にて楊 錫 九 、蘇 来 福 、依 国 亭、 陳
押 送 国 事 犯自 治 軍党 首 楊 夢 齢等 の着 奉後 、 直 ち
に軍 法 課 に移 し 厳 重訊 問 の結果 、供述 す る所 貴 方送 附 の供述 書 と 大
鴻 徳 、孫 兆 璧 、張 春 貴 、蕭 峻 峯 等 七 名及傅 保 衡 一名 を捕 縛 す ると共
吉 林 王省 長 鈞 鑒
同 小異 な り 。唯曹 〓 の使 嗾 を受 け直隷 方面 と電 文 の往 復 あ りし こと
辞令 一通 、中 央 政 府 及 各省 に電 致 す べき 通電 一通 を押 収 し たり。 辞
に、全 省 警務 処 長 、 保 衛団 長 、警 察 所 長 委 任辞 令 書 数通 、 空 名営 長
を許 可 し た り。 其 他本 件 に関 し自 己 の不 明 に依 り徒 ら に盲従 せ る者
又陳 鴻 徳 、孫 兆 璧 、張 春 貴 、粛 峻 峯 等 は警 察 庁 に て訊 問 の結 果 保 釈
等 は訊問 或 は逮 捕 の後 、 罪 の軽 重 に依 り て再 び各 箇 処 罰す べく 、 尚
事 件 連累 者 王 振 民 、即 ち 王 子案 と目 下懸 賞 捜 索中 な る趙 俊 、 林 子峯
り名 儀 を乱 用 せ ら れ自 治 軍 各 職 に任命 せら れ た る者 に対 し ては 、此
令 書 の上 部 には ﹁ 特 任 吉 林省 自 治 軍総 司令 楊﹂ 等 の字様 あり 、文 箋
際 審 議 す る こと を免 れず 。 於 此 布告 し 一般 に知 悉 せ しめ 安 ん じ て家
及 封套 には 皆 四寸 方 形 篆 文朱 印 を捺 す。 印 文 は吉 林 自 治 軍総 司令 印
直 ち に係 員 を派 し犯 人 を各 別 に審 問 せ る に、楊 錫 九 は 委任 各 辞令
業 に従 事 し、徒 に驚擾 盲 動 せず 、 他 人 の煽動 に乗 ぜ ら れ法 律 に触 れ、
に 対し ては寛 大 の処置 を取 り 一切 を追 究 せず 。 又楊 錫 九 自 己 の考 よ
の作製 を認 め 、其 の目 的 は自 治 軍 を組織 し、 自 ら総 司 令 と なり 蘇 来
悪 名 を貽 す な き は是 本 督軍 省 長 暴 を除 き、良 民 を安 んず る意 に副 ふ
と記 す﹂ と 。
し、 仁 義軍 等 数 千 人 を以 て五 個混 成 旅 団 を編 成 し て基 本 隊 と な し、
福 を副 司令 に任 じ 、省 政 府 を倒 さ んと企 図 し人 を派 し て匪徒 と結 合
も のな り。 各 自其 の旨 を 体 し違 ふ こと あ るべ からず 。
以 上 の布 告 よ り す る時 は本 件 陰 謀 の波 及 す る処 広 大 にし て、 且 つ
右 布告 す 。
更 に予 め旅 長 督 練 若 干人 を委 任 し た りと供 述 し た り印 鑑 及 信書 の所 在 を詰 問 せ る に、 吉 林省 地西 方 二 十 里半拉 屯 の趙 俊 の家 に匿 し置 き た り と答 へた る が故 に、 連 日 之 を捜 索 せ し めし 結 果 、木 質 角印 一顆 、
と き は、事 実 の拡 大 を来 し収 拾 に困 難 な る こと 、余 党 の蠢 動 を惹起
す る虞 あ るを以 て弥縫 糊 塗 の策 に出 でた るも のと解 す べ く、 元 兇等
深 淵 な るは推 察 す る に難 からず 。吉 林 官憲 は之 を徹 底 的 に追 究 す る
の対直 隷 方 面 と聯 絡 の確 否 未 だ 不 明 なれ 共、 吉 林 人 の吉 林自 治 主義
封 套 、銜 条 、年 月 木 板 三箇 、 誓 約 原稿 一通 、電 文 の草稿 一通 、捺 印
箇 を押 収 し た り。 楊 錫 九 の申 立 に依 れば 該 爆裂 弾 は 一千 二百 箇 を注
発 現 なり と思 料 せら る。
封 套 紙 若 干 を押 収 し た 。翌 日午 後 八時 又趙 俊方 に於 て爆 裂 弾 九 十 二
文 作製 せし め た る も のな り と。 蘇 来 福 の供 述 に依 れば 楊錫 九 の会 議
七
吉 林 公所
五 常 、舒 蘭 、伊 通 各県 知 事 の報 告 に依 れば 、 叛党
楊 錫 九 の子 伯 符 は匪 徒 と結託 し、 九 千余 名 の賊 徒 を五常 舒 蘭 伊 通等
張 総 司令 鈞鑒
吉 林 陰謀 団残 党 の叛 乱 防 備電
大 正 十 二年 七 月 十 四日
第 六 四号
は 、総 て自 家 に於 て開 催 し計 画 の大 様 は略 々之 を知 ると 。以 上 を綜 合 す るに楊 錫 九等 名 儀 を 偽 用し 、 猥 り に印 鑑 を作 製 し 大衆 の匪 徒 と 結 び、 地方 の治安 を乱 す も のに し て明確 な る証拠 あり違 法行 為 たる は 疑 を容 れず 。 且 又多 数 危 険物 を製 造 す。 之 れ全 省 城 人 民 の生 命財 産 を度 外視 し、 心 中 不逞 の企 図 を為 す も のにし て天 人 共 に許 さざ る 所 なり 。若 し早 く之 を捕 獲 せざ れば 其 の禍 の至 る所 計 り 難 し。 是 等 の頑 兇 は毫 も寛 恕 を許 さず 、楊 錫 九 、蘇 来福 二人 は直 ち に銃 殺 に処 し 、 人民 の害 を除 き 法規 を 明 にす 。其 他 依国 章 、 傅 保衡 及 本
各 県 に潜 伏 せし め 、彼 の父 の命 によ り自 治 軍 の外 援 と な し、 種 々劃 問
今 回 の事 件 の内 容 を見 る に其 の中 心人 物 と し て楊 は余 り に小 な
る も、 深 き聯 絡 あり し は往 復 し た る文 書 に依 り明 か なり 。
る如 く見 ゆ るが 、真 の中 心 人物 は彼 以外 に何者 かあ る べし と思 は
策 中 な り し処 彼 の父錫 九 犯 跡曝 露 捕 縛銃 殺 せら れ し と聞 き 、憤 怒 忍
省
長
吉 林有 力 人物 に之 に関 係 せし も のあ る か。
元 省 長徐 〓 林 が 真 の中 心 人 物 な り。
国 会議 員 、省 議 会 員 の数 名 が之 に関 係 あ りし は 明 に て、官 界 に
て は王 交 渉使 、 于 教 育庁 長 、馬実 業 庁 長 之 に関 係 あ り。 為 に楊 等
が将 来 の官吏 配 置 に就 き て も、 此 の三人 だ け は変 動無 き も のと し
て各 現 職 を 与 へ居 れり 。 三 四日 中 に督 軍 帰長 す べ け れば 其 の中 に
三 人 の更 迭 を見 る べく 、帰 長 後 数 日尚 三人 を動 かさざ れば永 く 黙 過 す る意 思 な る べし 。
軍 人側 は于第 十 旅 長 、吉 長 道 督陳 、趙 振 綱 の二人 は其 の往復 文
軍 人側 は如 何 。
れ て、主 な る官 位 は凡 て奉 天 人 に依 て占 有 せら る るを 不満 と す る
要 す る に本 件 の如 き を生 ず る は吉 林 人 が全 く 奉天 人 に圧 迫 せ ら
将 来 の対策 如 何 。
已 に二 三名 は縛 に つけ り 。
発 す る こと あ る可 く、 今 各 県 に亘 り て関 係 者 を捕 縛 し つ つあ り。
彼 等 が楊 等捕 縛 丈 に て終 熄す べし と は思 は れず 。将 来 何 時 か再
を 謀 り つ つあ り と 、果 し て こ の事 あ り や。
或 る方 面 の消 息 に依 れ ば彼 等 の残党 は本 部 を長 春 に移 して再 挙
書 に依 り て本事 件 に関 係 あ る こと 明 な り。
間
答
問
答
問
答
答
貴 下推 測 の通 り にし て之 は絶 対秘 密 にて外 部 に知 ら さざ れ共 、
るが如 何 。
王
極秘
答
び難 く 部 下匪 賊 首 領 を本 月 十 日 、某 地 点 に召 集 し 肆 に掠 奪 を為 し つ
吉 林 公所
問
つあ り。 将 に機 に乗 じ て省 城 を 攻略 し 、 父 の仇 を 報 ぜ んと す る模 様 あ れば 、 目 下警 察 及 保衛 団 に命 じ応 急 防 禦 竝 に追 撃 行動 を執 ら しめ つ つあ れ共 、尚 特 に至 急軍 隊 を 派遣 し協 同 攻撃 に出 でら れた し と、 直 ち に 対策 を 講 じ て手 配 中 に属 す 。
第 六 六号
此 に特 に電 聞 し省 城 警察 の為 軍 隊派 遣 方 至急 高 配 を乞 ふ。 謹 而懇 願 す 。 (七月 十 三 日)
八
大 正 十 二年 七月 十 四 日 吉 林陰 謀 事 件 の真 相
楊 錫 九陰 謀 事 件 は 一時 的 解決 を告 げ た る が真相 を窺 ふ時 は 、其
吉 林 某要 人 の談 。 間
の根 底 頗 る深 く今 回 の解 決 は 、単 に 一時 の弥 縫 に過ぎ ざ る が如 く
然 り 。彼 等 が直 隷 派 よ り現 実 に幾 何 の金額 を得 し や は判 明 せざ
は る る が真 相如 何 。
本 件 は単 に吉 林 人 の運動 に止 ま らず 、 直隷 派 と の関 係 あ りと想
る を 以 て、 凡 ての責 を楊 等 に荷 し 以 て動 揺 を防 げ るも のな り 。
然 り。 本 事件 の真 相 を赤 裸 々に追 究 す る時 は問 題頗 る広 汎 に亘
観 ゆ る が貴 意 如 何 。 答
問
答
く老 人 にし て昔 の栄 華 を復 せ ん とす る も のにし て真 に理想 あ る徒
吉 林 人 の吉 林 たら し めざ る べか らず 。唯 今 回 の事 件 の関係 者 は多
従 つて督練 処 内 備 付 の銃 器 弾 薬 印鑑 等 は九 月 十 五日 以 前 に、 省 長
術 団 の事 務及 剿 匪 事項 は所 轄 県知 事 に於 て処 理す る こと と な つた。
吉 林 省 内保 衛 団 督練 兼 清 郷 〓弁 の職 は爾 後之 を裁 撤 し 、各 県 保
衛 団督 練 兼清 郷 〓 弁 を 一律 撤 廃 す る こと と な つた。 之 に就 き会 議 に ︹ 哈爾賓日日新聞︺ 出 席 し た る吉 林 清 郷 総弁 曹 祖 培 が 恰日 社員 に語 り た る所 次 の如 し 。
よ り起 る ことな れ ば 、永 久 の策 とし て吉 林 人 に相 当地 位 を 与 へ、
の監 督 な り 軍隊 は万 一陰 謀 に加 は る こと無 か る可 し。 只 保衛 団 は
公 署 に冊 報 し同 署 は派 遣 員 を派 し て検 収 す る筈 であ る。
に非 ず 。 只吉 林 の青年 を養 ふを第 一と す 。応 急 策 とし ては保 衛 団
最 も利 用 さ れ易 き を 以 て注 意 せざ るべ か らず 。 只 若 し 奉 直再 発 せば軍 隊 も加 入し て大規 模 の暴 動 を生 ず べき は
長 春 地方 事 務 所
又本 件 に依 り王 省 長 の地 位動 揺 は な か る べし 。
明 か なり 。
九
第 八 四号
吉 林 陰 謀事 件 重 要 人物 処 刑
大 正 十 二年 七 月 三十 一日
吉 林 公所 長
林 子仁 、 王 振 民 の両 名 は 七月 二十 九 日 午前 九時 長 春 三馬 路 刑場 に
第 八 四号
て銃 殺 の刑 に処 せら れた。
一〇
大 正十 二年 八 月 三十 日
吉 林 省 保衛 団 督 練撤 廃 先 に楊 錫 九事 件 善 後 策 の為 、来 吉 し た る孫 督 軍 は 応急 策 と し て保 衛 団 の改 造 を 企 て た るが、 其 結果 王 吉 林省 長 は 四道 区保 衛 団 督練 を 招致 し、 八 月 二十 六 日頃 省 公 署 に於 て会議 を開 き 種 々協 議 の末 、 保
九
露 支 交 渉 と 労 農 代 表 カ ラ ハ ンの北 満 に 於 け る
哈 調第 八 五 号
ージ ン ヘ入電 あり 、支 社 す み (ハ 一五)
三
大 正 十 二年 八 月 十 四 日
︹R〓hco
︹y〓o〓eb〓〓,〓 ︺.〓
れ警 衛 振 り頗 る物 々敷 き も のあ り 。而 し て各 駅 とも露 人 の出 迎 ふ る
同 列 車 に塔 乗警 衛 の任 に当 り、 又各 駅 には 四 五十 人 の兵 員 配 置 せら
里 ま で出 迎ヘ た る護 路 軍総 司 令 副官 長 鄂 雙全 少 将 の率 ゐ る護衛 兵 は、
る列 車 に乗 車 せ る が、 同代 表 は最後 部 専 用 車 に在 り哈 爾賓 より満 洲
本 月十 三 日 、野 口調 査 課員 斉 々哈爾 駅よ り カ ラ ハ ン代表 を乗 せ た
カ ラ ハン代 表 来 哈途 中 沿 線 各 駅警 戒 の情 況
哈 爾賓 事 務 所 長
浦 塩 迄 随行 の予 定 な り 、右 四 月 三十 日 極東 革 命委 員 会 よ り当 地 ポ ゴ
ソ ンは カラ ハンに随 行 しブ 市 よ りは 赤 軍総 司 令 ウ オ レ ー ワイ チ将 軍
︺
H, 発 ブ 市 浦塩 哈 爾 賓 を経 て北 京 に向 う 筈 な る も、着 哈 の日取 不 明 ヤ ン
︹ブ ラ ゴウ ェ シチ ェン スク︺
露支会議 の為四月二十九日知多 に着 いたカラ ハンは五月二日知多
大正十 二年 五月三日午前 七時四五分著 哈爾賓事務所長
動 静 並 に 之 れ に伴 う 政 情一
大 正十 二年 四月 二十 五 日長 春 地方 事 務 所 (一八 ) (在 哈 朝鮮 総 督 府派 遣 員 松島 氏 情 報 ) 労農 政府 に対す る支 那側 の態度 従 来 支 那側 は労農 政 府 に対 し敵 対 的態 度 を持 続 し て来 た が近 来 は 接 近 に努 め て居 る傾 が あ る。露 支 会 議 も成 る可 く 先方 の要 求 を容 れ 其 の実 現 を希 望 し て居 るら し い。 而 し て左 は其 の起 因 と観 ら る る。
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一、莫 斯 科 政 府 は支 那 側 に対 し積 極 的行 動 を採 る こと に決 し た こと。 二、 日露 通商 問 題 が緊 張 し つ つあ る こと。 ︹〓oro3〓〓,B.〓 ︺
べ き諒 解 を得 た形 跡 あ る こと 。
三 、 オ スト ロモ フ長 官 は 労農 代 表 ポ ゴ ー ヂ ン、 ダ ウ チ ヤ ンと 提 携 す
二
者 多 数 、就 中 安 達県 に ては露 人楽 隊 を 以 て歓 迎 に熱 狂 せり。 車 中 刺 であ る。
歓 迎 の外 盛 大 な宴 会 の催 し も あ り、 熱誠 な歓 迎 の辞 も述 べら れ た の
段 差 あ る如 く 、 日露 会 議 及 将来 開 かる べ き露 支 会議 も該代 表 なら ば
表 に対 し、 又 在北 満 露 人 に対 し其 の責 を尽 し た と言 へな いも のと信
な い。而 し て吾 人 は此 の事 に就 て述 べ なけ れ ば 、遠 来 の賓 客 労農 代
然 し吾 人 は尚之 を所 謂 通 り 一遍 の事 と考 へ真 情 の発露 と は取 り得
を通 じ て鄂少 将 を訪 ね代 表 来 哈 の感 想 を叩 き た るに多 く を語 らず 、
好 結 果 を得 べし と語 り 、又満 洲 里 に て交 換 せ る挨拶 を尋 ね た る に、
只 一見 し て温 厚 の紳 士 た るを看 取 し 得 、又 ヨツ フ エ代 表 と 人物 に格
短 時 間 な りし 為 雙 方共 立 入 り た る事 は語 らず 、 単 に極 東 の国 際 関 係
哈 爾 賓 事務 所 長
がど う し ても 接触 しな け れ ば なら ぬ各官 衙 には単 に、支 那 字 を 以 て
る三 十 万 の露 人 を出 来 る丈 け圧 迫 せん とし 居 る か が判 か る。露 国 人
哈 爾賓 の市 街 を歩 いた丈 け で支 那 官憲 が如何 に、 其 の保 護 下 に在
の不 誠意 な態 度 を認 め る の であ る。
而 も吾 人 は 不幸 にし て今 日迄 露 国 及在 北 満露 人 に対 す る支 那官 憲
を提 議 し た。 而 し て之 は吾 が露 西 亜 の真 意 であ る。
然 り 、露 西 亜 は従 来 一度 な らず 支 那 に対 し親 善 関 係 を結 ば ん こと
ず る。
哈 調第 八六 号
が和 平 的 に進 展 せん ことを希 望 す る旨 の外 交 辞 令 に過 ぎ ざ り しと 称 せ り。
四
大 正 十 二年 八 月 十 五 日 カ ラ ハ ンの来 哈 と共産 党 紙 の対支 論 調
カ ラ ハンの来 哈 に際 し支 那官 民 の歓 迎 至 らざ る な き時 に当 り、当
さ せ様 とし て居 る。 又 五 万 の露 人 が貰 はな け れば な ら ぬ居 住許 可 証
表 礼 を掲 げ て居 る許 りか 、其 の他 露 語 の表 札看 板 を悉 く支 那語 に直
汽 船 の松 花 江 航行 を許 さ な か つた り、拉 哈 蘇 々に於 て穀 物 の積 込 に
突 然 ポグ ラ ニチ ナ ヤ に於 け る輸 出 を禁 じ た り、 新 露国 々旗 の下 に
執 つ て居 ら ぬ。
称 し て人 心 を 乱す 、 支 那新 聞 の無 節制 な言論 に対 し て何 等 の処 置 を
新 聞 には圧 迫 を加 へて置 き乍 ら 、 沿 海州 に於 け る支 那 人 の虐殺 な ど
各 種 の不 便 圧迫 横 暴 の応 対、 無 法 な拘 禁 等 は数 ふに遑 無 く 、露 国
が な いが、 昨 日 は カ ラ ハン氏 を駅 頭 に迎 へる こと さ へも禁 じ た。
労働 組 合 や労働 協 業機 関 に対 す る圧迫 に就 て は最 早喋 々す る の要
明 にも露 字 を廃 し様 と し て居 る。
地共 産 派 の新 聞 ト リブ ー ナ紙 は同 じ く 、 カ ラ ハン歓 迎 の辞 を以 て殆 んど 全紙 を埋 め 乍 ら、 一方 の支 那 の対露 関 係 に就 て手 痛 く厭 味 を 並 べ て居 る のは 頗 る皮 肉 であ りま す 。 右 は ポ ゴ ージ ンが是 迄 材料 を集 め置 き、 特 に書 か せた も のと 言 ふ こと であ りま す 。其 の要 を訳 出 し て御 参 考 の為報 告 致 し ます 。
労農 代 表 カ ラ ハ ン氏 は 盛大 な 歓迎 裡 に到 着 し た。 氏 は新 大 露 国 シ ンボ ルで あ つ て東 支 鉄 道 重役 連 迄 も 公式 に歓 迎 さ せず には置 かな か つた 。 支 那官 憲 も無 論 其 の隣国 に対 し 必要 な 敬 意 を払 ひ、 駅頭 に於 け る
無 法 な 干 渉 をし た り 、露 国 に何 等 の通告 もな さず 東 支 土 地課 を奪 取 せ ん とし た りす る総 て の事 は 、露 人 及露 国 の利 益 を尊 重 す る処 置 で
カ ラ ハ ン氏 は莫 斯 科 製 の煙 草 を勧 め 等し く愛 想 良 く語 る。
信 に語 りし 処 を御 参 考 の為報 告 しま す 。
北 満 に於 け る露 国 人 の数 は可成 多 く 、露 国 領 土 を連 接 す る東 支 鉄
から 、 其 の件 に就 いて は何 にも知 ら な い。又 之 れ を批 評 す る こと を
必要 は 少 し も無 い。 予備 会 議 終了 後 自 分 は莫 斯科 を発 つた ので無 い
され て北 京 に赴 任 す る ので、 日 露予 備 会議 終 了 の今 日 、 日本 に赴 く
自 分 の任 務 は ヨツ フ エ氏 に代 り て労農 政 府 の極 東 特 別全 権 に任命
道 の意 義 は露 西亜 に取 つ て重大 な も の であ る。 而 し て露 支 の関係 は
あ らう か。
最 も親 善 で ある か 、然 ら ざ れば全 く協 調 のな い乱 暴 な も のであ る か
も好 ま ぬ。
将 来 の日露 会 議 は 日本 さ へ承 諾す れば 、露 西 亜 は何 時 でも之 に応
の二 つを出 ぬ。
西亜 は誠 心 誠意 だ がど う も 日本 は ロ シア の国 情 が よ く分 らず 、疑 つ
ず る希 望 を今 で も持 つて居 る。 要 す る に日本 の出 方 一つであ る。 露
吾 人 は支 那 の官憲 に対 し露 国 は誠意 を以 て支 那 に対 し 、両 国 の間 に親 善関 係 が設 定 さ れ ん こと を希 望 し て止 ま ぬが、 露 国 及其 の代 表
情 が異 つて、 当時 ロシ アも内 憂 外患 に悩 ま さ れ て居 た が、 今 では政
た り或 は怖 れ た りし て居 る様 だ 。併 大 連 長春 会 議 当時 と今 日 と は事
は 如 何 な る場 合 に於 ても 、盛 大 な 宴会 や熱 烈 な歓 迎 の辞 に迷 は され
治 も産 業 も 着 々と復 活 し つ つあり 、数 年 の後 には 国 力 も充 実 す る筈
る事 な く 、虚 偽 と不意 打 に対 し て は充分 な事 を 確言 す る。 要 す る に吾 人 は過去 に於 け る支 那 官憲 の誠 意 に就 ては 不本 意 乍 ら
なけ れ ば な ら ぬ。 ロシア が外国 に武 力 を用 ひな い事 も外国 が ロシ ア
アと 雖 、屈 伏 的 な条 約 を結 ぶ必要 は 断 じ て無 い。 飽 迄 対等 の関 係 で
であ る故 に、 最 平和 を愛 好 し 、殊東 洋 の隣 邦 と の修 交熱 望 す る ロ シ (堀 江)
に武 力 を 用 ひ な い こと も良 く 分 つて居 る。露 支会 議 は自 分 が北 京 に
着 い た上 で開 く筈 であ る。 若 日露 会 議 あ れ ば無論 日本 へ行 く 。会 議
あ る 。自 分 は 今夜 発 つて哈 爾 賓 に 一日滞 在 し 、 ヨツ フ エ氏 の来 る の
ヨツ フ エ氏 転勤 の理 由 は予 備 交 渉 が済 ん だ のと 、病 気 が重 い為 で
の場 な どは 今 か ら定 め て置 い ては暑 さ の加減 で腐 る であ ら う 。
を 待 ち合 せ るが遅 くな れ ば滞 在 を 延 す だら う 。 云 々と語 り最 後 に自
哈 爾賓 事 務 所長
疑 を持 た ぬ訳 に行 かぬ。 以 上吾 人 の述 べ来 つた事 が将 来 両国 の修 交
哈調 第 九 二号
関 係 に利 益 を 与 へる こと とな れ ば幸 であ る。
五
大 正 十 二年 八 月 十 七 日
八 月 十 二 日朝 カラ ハン満 洲 里着 の際 は 、支 那側 は特 別 の歓 迎 を為
分 は 日本 を大 好 き だ と の愛嬌 を振 り ま いた。
カ ラ ハ ンの満 洲 里通 過 と彼 の談 話
に在 るも の殆 んど 全部 出 迎 へ、 又旅 舎 に衛 兵 を配置 し、 彼 の出 発 前
し 、 哈 爾 賓 よ り は鄂 少将 、 海 拉爾 より は程 督 弁 を始 め満 洲 里 の要 職
歓 迎会 を催 す等 歓 待 至 らざ るな し。 今 カラ ハ ンが同 地 に於 て大毎 通
六
大 正 十 二年 八 月十 七 日
哈 調 第 八 八号
哈 爾賓 事 務所 長
在 哈 支 那 人 のカラ ハン氏 に対 す る希 望 の要 点
︹マ マ ︺
を 以 て、露 支 両国 は平 等 互治 の均衡 主 義 に基 き、 旧 条約 を廃棄 し極
東 国 際 の改 造 を 期 し、 カ ラ ハン氏 の露 支 国際 維 新 並 世界 平 和 の歴 史
咸 豊 十年 (一八 六〇 年 ) の露 支 続 約 十五項 及光
上 に 一大偉 勲 を 立 てら れん こと を希 望 す 。 三、 国境 分 界 問 題
る国 境 分 界協 定 にあ らず 。吉 林 、黒 竜 江及 外 蒙 一帯 の境界 に関 す る
緒 七年 (一八 八 一年 ) の露 支改 訂 条約 二十 項 の如 き は 何 れも 正 当 な
条 約 の如 き は、 別 に詳 細 な る調 査を要 す べき も 、其 の帝 政時 代 に占
露 支会 議 に就 て在 哈 支那 人 の カ ラ ハンに対 し 、要 望 し つ つあ る 与 論 と も見 る べき も のにし て 、支 那 新 聞 に現 れた る も のを綜 合 し て報
又庫 倫 地 方 に於 け る露 軍 は已 に外 蒙 を 通 じ、 白 党 の隻 影 を認 めざ る
領 殖 民 せ る土 地 は挙 げ て全 部 、支 那 に還 付 せら れ ん こと を希 望 す 。 露 国 は 已 に非 侵 略主 義 に基 き 、無 償 還 付
今 日、 露 国 は自 動 的 に之 を撤 退 し支 那 人 の疑 惑 を解 か れん ことを望
一、東 支 鉄 道 の主 権問 題
告 致 し ます 。
む 云 々。
以上
を宣 言 し 且支 那 は東 露 の政変 及 聯 合 国技 術 部 委員 会 に抵抗 し て、 暫
を行 使 せ ら る る領 土内 に在 る を以 て、単 な る借 款鉄 道 と為 す は可 な 七
哈 爾 賓 事務 所 長
ハン歓 迎 に関 し種 々協 議 す る所 等 あり し が、 愈 々親 しく 同 人 の来 哈
るド ル コム員 を放 免 し 東支 購 買 組合 支 部 の閉 鎖 を解 き、 又直 接 カラ
カ ラ ハン来 哈 の報 伝 は る や当 地支 那 官 民 の態 度 は 一変 し 、拘 禁 せ
当 地 支那 人 の カラ ハ ン氏 歓迎 と其 の希 望
大 正 十 二年 八 月十 七 日
哈 調 第 八九 号
時 該 鉄道 を管 理 し つつあ る関 係 にあ り 、而 し て該 鉄 道 は支 那 の主 権
るも 、両 国 の共 有 と為 す 如 き は明 か に統 治 の大 権 を侵 す も のな れば 、 非 侵 略 主義 の原 則 に基 き て此 の際 根 本 的 に解 決 し て、 列 国 の共 管 又 は他 国 の陰 謀 的 野 心 を断 たし めざ る可 か らず 。露 支 会 議 の骨 子 は東 支 鉄 道 問題 の解 決 にあ れば 、特 に此 の点 に関 し カラ ハ ン氏 の諒 解 を 望 む次 第 な り。 但 し経 済 的 には共 益 主義 を尊 重 し て協 定 す る要 あ り と なす 。 一八 九 六年 の露 支 条約 、 一九 〇 一年 の北京 草 約
す る や在 哈 支 那市 民 の名 を以 て、左 記 要旨 の歓 迎 の辞 を致 せ り と の
二、 旧 条約 の廃 棄
及 一九 〇 七年 七 月 三 十日 の日露 協 約 、 同密 約 、 一九 一〇 年 七月 四日
事 です 。 八 月十 四日 国 際協 報 所載 のも のを御 参 考 の為 訳 出報 告 致 し
露 国 ソヴ エート共 和 政府 遠 東 全権 代 表 カ ラ ハン君 、今 日飜 然 とし
ます。
て来 り、 哈爾 賓 市 民 親 し く君 の言論 〓 采 に接 し実 に大 旱 の雲 霓 を得
の日露 条約 、 一九 一二年 七 月 八 日 の日露 密約 、 一九 一六 年 七月 三日
り と雖 も 、要 す る に支 那 領 土 の分 割 又 は勢 力 範 囲 の設 定 に外 なら ざ
の日露 条約 、同 日露 同 盟 密 約 の如 き 、其 の中 一二原 文 未 詳 のも のあ
れば 、極 東 大局 の禍根 にし て将 来 世 界 平 和 の重 心 は此 の極東 に在 る
坦途 を開 かし め ん こと を請 ふ。
よ 。 又善 く 国際 平 等 の開 明主 義 を 体 し両 大 民族 を し て提 携 更新 の
の邦 交 を以 て近代 世 界政 策 平 和 の重 心上 に置 かん こと に努 め ら れ
に世 界 平 和 の機 軸 を 握 れ るも のと為 す べ し。 世 界平 和 の真 精 神 を実
三 、世 界 大 戦起 り 近東 巴爾 幹 半 島 に於 て弱 を併 せ、 小 を攻 め 、 人
らざ る可 からず 。 願 く は貴 代 表 は平 民 外交 の真意 を諒 解 し 、支 露
現 せ ん と欲 せ ば 必ず 支露 国 際 の改造 を重 心勢 力 と為 さざ る べ からず 。
た る の感 あ り、 栄幸 の至 り に堪 へず 。君 の抱 懐 せ る思 想 を知 れば な
此 の重 心 勢 力 の基 礎 確 立 せざ れ ば、 世 界 の大 勢 は終 に光 明 の曙光 を
イ ユ媾 和 の三強 会 議 、 華 盛頓 の五強 会議 は専 断 秘 密 の曖 味 歴 史 に
類 の惨 劇 誠 に有 史 以来 稀 れ に見 る所 のも のた り。 顧 る にヴ エルサ
り。 又 君 は已 に支露 両国 の遠 東 に於 け る 地位 を審 か に せ るを 以 て実
見 る能 はざ ら ん 。市 民 側貴 代 表 の嘗 て此 の地 に永 く滞 在 し、 今 其 の
し て、 人類 平 和 の建 設 を 博 す る に足 らず 。 政論 家 は 常 に遠 東 の将
旧遊 の地 に再来 ら れた るに接 し 、敢 て其 の友 諠 敦 厚 の感 想 と、 平 日 研究 し て得 た る所 と に基 き進 で支露 両 国 に対 し、 最 大 の貢 献 を為 す
せ んと 欲 し、 貴 代 表 の博 愛 正論 に基 く 両国 合作 互 助 の真精 神 を 増
来 を以 て第 二 の近東 と為 す 。市 民 は協 力 し て此 の不評 の声 を 除 去
進 し、務 め て亜 州 大陸 の最 新空 気 をし て世 界 人類 共 同 生活 の新 思
べ き を信 じ 、 茲 に全 市 民 を代 表 し景 仰 欣 慕 の誠 意 を 以 て 、謹 ん で其
一、 全 露 政府 一九 一九年 一九 二 〇年 両 次 の宣 言 には 均 し く貴 代表
四 、哈 爾 賓 は欧 亜 交 通 の大 道 にし て又 貴代 表 旧遊 の地 た り 。鉄 道
潮 中 に波 及 せむ こと を希 望 す 。
の基 礎 的 希 望 を申 明 し 、貴 代 表 の 一覧 を請 ふ次第 な り 。
の責 任 あ る署 名 あ り、 即貴 代 表 は前 に外 交 総長 在 任 中 我 が外 交 部
業 を聯 絡 し 、遠 東 に於 け る大 陸 天然 の富 源 を発 展 せし む る に足 る
交 通 の価 値 と両 国 接壌 の歴 史 を 以 て論 ず れば 尽 く両 国 の経済 的 事
に 通牒 せら れ た る所 な る が 、其 の内 容 は旧露 帝 国 時 代締 結 せ る不 平 等 の条 約 (日露 協 約 を含 む) を破 棄 す と声 明 せ るも の にし て、
以 上 は概 括 的 意 見 を略 陳 せる も のな るが 、貴代 表 は必 らず 能 く 公 明
も のあ り。 又将 来 重要 物 産 は欧 州市 場 の需要 に供給 し得 べ し 。更
又 其 の占 領 及 掠 奪 せ る不 正 権利 は 尽 く之 を還 付す と言 ふ にあ り。
寛 大 の外交 政 策 を 以 て、 支 露 国際 の新 紀 元を完 成 し 、決 し て再 び 帝
此 の際之 を実 行 せ ら れん こと を請 ふ。両 国 は内 乱 の関 係 を 以 て未
際 的 新模 範 を垂 れ ん ことを 信頼 し つつあ り と、 国 内政 変 の如何 を
国時代 の ﹁ 強暴﹂﹁ 掠 奪 ﹂ の侵 略 的 故 智 を踏 襲 し て、 遠 東 の大 勢 を
に望 む らく ば貴 代 表 が こ の原 則 に基 き両 国 の文 化事 業 に対 し努 力
論 ぜず 此 の深 厚 な る信頼 の敬意 は豪 も変 ぜざ るな り。
暗 黒 の中 に引 入れ ざ る べき を信 ず 。茲 に謹 ん で短 辞 を 述 べ以 て歓 迎
闡揚 せ ら れん こと是 な り 。
二、 支 露 両国 は年 来 屡次 政 変 を蒙 り両 大 民族 の感受 せ る苦 痛 は実
の意 を 表 し 並至 誠 至敬 の微 意 を 以 て、 恭 しく ソヴ エー ト新共 和 国 万
だ 具 体 的外 交 形 式成 立 せず と雖 も 、 中華 民 国全 体 の民 意 は 支露 両
に同 病 相憐 む の情 切 な り。 中華 民 国 全 体 は方 に主 権在 民 の旨 に基
歳 、支 露 国 際邦 交 万歳 、貴 全 権 代表 の万歳 を祝 す 云 々
国 の当 局者 が、 其 の至 公 無 私 の方 針 に基 き、 正義 の上 に立 てる国
ふ に支 露 両国 は国 体 を共 にし領 土 隣 接 の関 係 上宜 敷 兄 弟 の如 く な
き 徹 底 的 向上 を 為 さ む が為 奪闘 し新 露 を学 ば ん と し つ つあり 、惟
八
大 正 十 二年 八月 十 七 日
哈 調第 九 三 号
哈 爾賓 事 務 所長
土 地課 の問 題 は最 近発 生 し た問 題 であ るが 已 に、 北 京駐 在 労農 代
表 ダ フ チヤ ン氏 から支 那 政 府 に向 つ て抗 議 、 又 一般 に発 し た宣 言 に
支鉄 道 に関す るも の であ る から 、露 支 両国 に依 り解 決 さる べ き も の
依 て露 国 の態 度 は云 ひ 尽 され て居 る。 土 地課 及 其 の他 の諸問 題 は東
露 支会 議 に於 て短 時 間 に解 決 す る こと が出 来 るも のと確 信 し て居 る。
で、第 三 者 の干 渉 は 許 す べ から ざ るも ので あ る。 余 は之 等 の問 題 は
カ ラ ハンは八 月 十 五日 午後 五時 当 地 新聞 記 者 団 と会 見 し 宣言 め き
此 の次列 国代 表 が治 安 を 害す るも のとし て干 渉 せ るは実 に要 ら ざ る
カ ラ ハ ン氏 対記 者 団談 話 要 領
た るも のを発 表 し ま し たが 、其 の内 容 は要 す る に従来 の夫 れ と同 様 、
る。東 支 鉄 道 が東 三省 内 に敷 設 し てあ る関 係 上 、今 尚 当局 が東 支鉄
御 世話 で あ つて 、彼 等 の真意 は治 安維 持 以 外 に在 る こと は明 か であ
道 に最 も注 意 す るは当 然 であ る が、 余 は北 京 当 局 の意 見 と東 三 省 当
の参 考 に、露 支 各 新 聞所 載 のも のを綜 合 し其 の要 点 を報 告 致 し ます 。 現 在 世 界 の争 点 は已 に大 平洋 に移 れり 。 此 の次 余 (カ ラ ハン自 称
に あら ざ る かを虞 れ る も の であ る。然 し余 は何 と か方 法 を講 じ て能
局 の意 見 と同 じ からざ る に於 て は、 此 の問 題 を 解決 す る に聯 か困 難
露 支 親 善 の押売 と自 家広 告 に過 ぎ ま せん 。然 し 彼 の態 度 を窺知 す る
以 下同 じ ) の極 東 に来 れ る は、実 に日支 露 三国 の幸福 及世 界 平 和 の
又北 京 政府 の態度 は 、北 満 官憲 の態度 に比 し て甚 だ冷 淡 であ るが 、
く之 れを 一致 せし め 、露 支 会 議 を速 に開 く可 く 努力 す る積 り であ る .
維持 を謀 ら んが為 であ る。 殊 に支 那 と の関 係 は最 深 い。両 国 の接壌 地 は数 千 里 に及 び 、若 し能 く和 睦 せば 両 国 の大 幸 であ る。 露 支 両 国
一時 的 の通 商条 約 等 を結 ぶ時 代 は過 ぎ た 。露 国 々内 も整 頓 し て来 て
活 を熱 望 し て居 る から 、遠 から ず 正式 交 渉 が開 かれ る だら う と思 ふ。
漸 次接 近 し て来 て居 り 、 又 日本 の意 嚮 も 上下 を通 じ て 日露 修 交 の復
日露 予 備交 渉 の結 果 充分 では な いが 大連 会 議 以 来 、両 国 の意 志 が
自 分 が北 京 に行 つた ら夫 れも ど う に かな る であ ら う。
は其 の地 位 相 類 す るが 、共 露 国 は 国体 已 に定 ま り、 各項 の事 業 日 に 進歩 し つ つあ るも 、支 那 は政 争 已 まず し て国基 尚 危 険 の中 に あ る。 目 下支 那 の統 一は実 に世界 各 国 の希 塾 す る所 であ るが 、就 中 露 国 の
東 支鉄 道 は露 国 の資 力 に依 つて布 設 さ れた も のであ つて 、商 業 性
之 を希 望 す る こと は最 痛 切 で あ る。 ︹マ マ ︺
今 では 正式 国 交 が開 始 す る のを待 つば かり であ る。然 し交 渉 は飽 迄
質 の機 関 と し て当然 露 国 人 の所 有 に属 す る資 格 大 、鉄 道 は支 那 の国
を有 す る か ら、 支 那 の之 に重大 な 利害 を有 す る のは自 然 であ る。 而
境 内 に在 る から露 支両 国 は領 土 を通 過 し 、経 済 上北 満 に偉大 の意 義
を助 長 す る に過 ぎ ぬ 。露 国 は 之等 国交 関 係 な く と も充 分 に復 興 し得
対 等 であら な け れば なら ぬ。而 も 此 の国 交 の復 活 は露 国 の国 内復 興
る の であ る 云 々。
し て東 支鉄 道 に於 け る両 国 の関 係 は、露 国 の権 利 は鉄 道 に在 り て、 支 那 の権 利 は土 地 に在 ると 言 ふ こと に帰着 す る。 此 の二点 に就 て両 国 の了 解 が あ つたら 一切 の問題 は容 易 に解決 し得 ら れ る と思 ふ 。
九
哈 調第 九 六 号
哈 爾 賓 事 務 所長
二 、先 生 の努 力 に依 り露 支 間 にわ だ かま る障 碍 を 除 去 せ ん こと を
要 請す 。 而 し て露 支 の親 善 を望 ま ん と欲 せ ば 、道 徳 を 重 ん じ て両 国
︹コ ノ ア ト
人 民 の利 益 を 謀 ら ざ る可 から ざ る か 、近 年 浦 塩 、 ヤ ロブ ニヤ等 に於
を催 す 。 席 上主 人側 より中 国 銀 行 傅 家 甸支 配 人 馬 子 元 、吉 林 勺 子 明 、
ー ヂ ン、 ダ フ チヤ ン氏 等 を傅 家 甸 ﹁新 世界 ﹂ に招 き 盛 大 な る歓 迎宴
十 六 日 午 後 二時 当 地 支 那実 業 家 側 約 五 、 六十 名 は カラ ハン及 ポ ゴ
れ ざ る べ し。 今 次貴 下 の来 東 せら れ た るを 幸 ひ事 実 を調 査 し て貴 政
一大障 碍 なり と 思 惟す 。貴 政 府 は遠 隔 の地 に在 り て恐 ら く熟 知 せら
に大 に弊 国 民 の反 感 を誘 起 し つ つあ り。 斯 の如 き は実 に両 国 々交 の
の干渉 す る が如 き は実 支 那 人 は 殆 ん ど生 業 の余 地 な から ん と す。 為
て支那 人 は惨 害 或 は 、虐 待 を 受 け黒 河 に於 ては 重税 を課 し 原文 一枚脱落カ︺ 之 を防 禦 す べし 。例 へば 土 地課 の事 件 に対 し外 人
程 小 川 、 雷 恵南 ( 衆 議 院議 員 ) 等 交 々歓 迎 の辞 を 述 べた る が、今 吉
府 に報 告 せら れ 、速 に支 那 人 民 の待 遇 を改 善 せ ら れ ん こと を望 む。
哈 爾 賓 支那 実 業 家 のカ ラ ハ ン招 宴席 上 の挨 拶
大 正 十 二年 八 月十 七 日
林 省 選 出 衆議 院 議 員 にし て 、傅 家 甸 交 易所 理事 勺 子 明 の希 望 演説 と 、
二 、 カ ラ ハ ン氏 答辞 の要 旨
の条件 は自 ら 協 定 す る に困難 を見 ざ る べし 云 々。
余 満洲 里 に入 るや直 ち に支 那 側 の盛 大 な る歓 迎 を受 け、 今 本席 上
是 れ貴 下 に期 待 す る の二 なり 。 右 に関 し貴 下 の顧 慮 を煩 は さ ば会 議
第 一、 勺 子 明 の希 望 演説 要 領
カ ラ ハ ンの答 辞 と は当 夜最 も興 味 あ る挨 拶 と聞 く 。 仍 て其 の大 要 を
今 回 貴 下 の来 支 に対 し 支 那 人民 の有 す る希 望 甚 だ 多 し と雖 、其 の
に て余 が 一九 一九 年 一九 二〇 年 の両年 に於 て宣言 せ る こと に言 及 せ
左 に報 告 し 参 考 に資 せん とす 。
主 な るも のは 一、貴 下 が曾 つて極 東 全 権代 表 たり し 時 、 一九 一九年
言 を聞 く 。尤 も 当 時 は 外 人 の干 渉 あ り た る際 にて諒 とす べき も 、今
に関 し何 等 の反 響 な く 、 三 四年 を経 過 した る今 日 に於 て始 め て此 の
日 にあ り て は露 支 は直 接能 く提 携 す る こと を 得 べ し 。外 人 は干 渉 を
ら るる を聞 き大 に興味 を増 せ る次 第 な り。 唯 惜 む ら く は当 時 其 の事
に て還 付 す べ し と声 明 せ ら れ 、是 に依 て貴 下 が世 界 的識 見 を有 し 、
せ る不 平 等 な条 約 を全 廃 し 、露 国 の侵 略 せ る支 那 領 土 を悉 く 無 条件
平 和 主 義 を抱 懐 せら る るを窺 知 す る こと を得 。貴 下 の抱 負 は到底 前
好 む故 之 に乗 ぜら れ ぬ様 、今 後 露 支 両 国自 身 に於 て之 に処 し、 外 人 ︹コノアト原文 一枚脱落カ︺ の干 渉 に対 し て は我 輩 極 力 に 理 な き に属
及 二〇 年 の両度 の宣 言 に於 て 、露 西 亜 帝国 時 代 支 那 を強 迫 し て訂 約
代 表 ヨツ フ エ、 ユー リ ン氏等 の及 ぶ所 にあ らず 。 故 に支 那 人民 は前
す 。 本件 は新 露 と関 係 あ る も姑 ら く茲 に論 ぜ ず 。露 支 の事 は露 支会
︺
代 表 を 歓 迎 せず し て貴 下 を歓 迎 せ る所 以亦 是 に在 り 。故 に貴 下 着 哈
議 のと き に於 て之 を解 決 す べく 決 し て第 三者 の干 渉 を許 さず 。縦 令
.〓.
の時 は市 民 は 風雨 を厭 はず 、皆 其 の〓 姿 に接 せん こと を愉 快 と せ り 。
干 渉 を受 く る も露 支 協 力し で之 を非 せば会 議 の障害 と な る が如 き こ
,〓
願 く は 貴 下 始終 民意 を 尊 重 し 、宣 言 を履 行 し露 支 会 議 を速 に成 立 せ
︹〓p〓H
し め 、 以 て第 三者 に乗 ぜ し めざ ら ん こと を希 望 す る次第 な り。
は 在 露貴 国 人 が他 国 に在 る者 よ り も遙 に優 遇 せら れ、 其 の生 活 の自
に在 る支 那 領 事 に就 て問 合 はす所 あ ら ば直 に疑惑 は氷 解 す べ し 。余
事 実 な し 。若 斯 の如 き事 実 あり と せ ば在 哈 代 表 ポ ゴ ー ヂ ン又 は露 領
は 全 く謡 言 にし て 、吾 が仇 敵 の離 間策 に出 た も のに係 り 決 し て其 の
と な かる べ し。 又 此頃 露 領 に於 て 支那 人 が虐 待 さ れ つ つあ り と の説
前 者 の説 に依 る と、 目 下支 那 の政 情 は混 沌 と し て確 固 た る勢 権 の
し て之 と親 善 関係 を結 ぶ べ し とな す も のと 、之 に反 す るも ので あ る。
更 に 二様 に分 かれ て居 る 。 即 ち此 の機会 を利 用 し て労 農 露 国 と会 商
の解 釈 と外 人 の解 釈 と に分 け る事 が出来 る。 而 し て支 那 人 の解 釈 は
い た談 話 は 、 各種 各 様 に解 釈 さ れ て居 る が 、大 体 に於 て之 を支 那 人
け た な らば 、仮 令 列 国 の野 心 の全 部 を排 除 す る こと が出 来 な く と も、
こと が出 来 な い。即 此 の際 隣 国 た る労農 露 国 と結 ん で其 の援 助 を受
や さ ん とし て居 る 。而 も 支那 は独 力 を 以 て此 の列 強 の脅 威 を脱 す る
来 支 す るや貴 国 民 の歓 迎 を受 け 、 且其 の希 望 と好意 を表 示 せ ら れ た
少 く も北 満 に於 け る列 国 の勢 力 を 一掃 す る こと が出 来 る。 之 が露 国
中 心 が無 く 、 列強 は虎 視 眈 々機 会 あら ば乗 じ て、 以 て其 の私腹 を肥
る に対 し 、余 は已 に貴 国 人 より 信 任 せ ら れた るも のと認 め、 当然 其
と速 か に会 商 し て国 誼 を結 ぶ こと の必要 な所 以 であ つて、東 支 鉄 道
由 な る こと亦 他 国 の比 に あら ざ る こと を断 言 す 。斯 の如 く優 遇 す る
の希 望 に背 かざ る べし。 昨 日露 国 の記 者 余 に問 ふて 曰く 、 各 国 は多
が、 露 支 両 国 の共 同 所 有 に帰 し たな ら ば 、列 国 には最 早 干 渉 の理由
は 貴 国 民 を露 国 の良 友 な り と認 む れ ば な り。 今 次 余露 国 を代 表 し て
の政 府 を 承 認 せず 、其 の締 約 有 効 な り や と。 余 之 に答 へて曰 く 、余
く 北 京 政 府 を承 認 せず 、 君 は何 人 と締 約 す る や、 且支 那 人 民 も亦 其
き事 で 、東 支 鉄 道 に関 し て露 支共 同 の敵 が あ る以 上 、同 鉄 道問 題 に
と述 べ て居 る。 此 の事 は 支 那 に取 つては貴 重 で、 且大 い に歓 迎 す べ
カ ラ ハ ンは 此 の宣 言 中 にも 、露 支 共 同 し て列 国 の干 渉 を排 除 し様
上 に於 け る自 己 の目 的 を 充 分 に達 し得 る。
只少 し許 り 東 支鉄 道 上 の露 国 の権 利 を 認 め て やれ ば 、支 那 は同 鉄 道
は出 来 な い から 、露 支 会 商 の成 立 は支 那 には利 があ つて害 はな い。
而 も目 下露 国 の情 態 では 、支 那 に対 し て積 極 的 な政 策 を執 る こと
其 の対支 態 度 は必ず 穏 か にな つて来 る。
が無 くな る の であ る。 尚会 商 の成 立 は日本 に取 つて は非 常 な打撃 で、
哈 爾 賓 事 務所 長
(浜 岡訳 )
の締 約 は 人 民 とす る も のに し て当 然有 効 と認 む 、 且其 の締 約 は 公平
哈調第九五号
に し て疑 問 と困 難 と を発 生 せし め ざ る考 へな り 云 々。
一〇
大 正 十 二年 八月 十 八 日 カ ラ ハンの宣 言 の反 響
関 し て も亦 妥 協 は容 易 であ る。而 し て会 商 の成 立 は早 け れば 早 いだ
八 月 十 五 日新 聞 記者 招 待 席 上 に於 け る カ ラ ハン の宣 言 に就 いて は、
又空 虚 で自家 広 告 であ る と看 る が至 当 の様 に思 は れ ます 。 左 に論 議
特 に支 那 人 間 に種 々論 議 さ れ て居 り ま す が 、畢 竟 日本 牽 制 策 であ り
必要 で あ る と言 ふ に在 つて、会 商 促 進 派 と も言 ふ べき で あ る。
け効 果 が大 き く 、殊 に強 力 な 同盟 者 を得 ん が為 、 此事 は奉 天 側 に最
八月 十 五 日 カ ラ ハンが在 哈 新 聞 記 者 を招 い た席 上 で為 した 宣言 め
の要 点 を綜合 し て御 参考 の為 報 告 致 し ま す。
後 者 は可 成 政 界 に勢 力 を持 つて居 る団 体 であ つて 、露 支 協 調 及 カ
何 れ の点 にも 見出 せ な い。
つて、今 回 の事 件 に対 す る列 国 領 事 の態 度 及 八 月 十 一日附 北 京 に於
問 題 に関 し て述 べ た事 は、 現 労 農 露 国 は同 鉄道 に対 し て持 つて居 ら
一般 の露 支 会 商 に関 し て は言 及 し て居 な い。即 カ ラ ハンが東 支 鉄 道
外 国 人 の観 察 は、 単 に東 支 鉄 道問 題 の み に止 ま つて 、今 の処 未 だ
て発 表 さ れ た覚 書 等 は 将 に此 の間 の消 息 を物 語 つて居 る 。従 つ て露
な い権利 を 基 礎 と し て居 る の で、 旧露 国 が持 つて居 た右 の如 き権 利
之 は即 会 商 不利 論 者 であ る。
支 会 商 の成立 は列 国 殊 に日本 の対 支 圧迫 程 度 を 助 長 す る も の であ る 。
は単 に、列 国 の承 認 す る露 国 が始 め て持 ち 得 る の であ る 。現 在 其 の
ラ ハン の宣 言 に対 し て別箇 の考 を持 つて居 る。 即 北満 及東 支 鉄 道 に
カ ラ ハンは 従前 から 支 那 に助 力 を 致 そう と言 ふ て居 る が、 之 は 単 に
列 国 、殊 に日本 が非 常 な 興味 を持 つて居 る事 は 争 は れ な い事 実 であ
架 空 な言 葉 であ つ て露 国 の真 情 は 、他 国 の事 を顧 る に暇 が無 い許 り
て北 京 政 府 に言 明 し て居 る。 従 つて支 那 も束 支 鉄 道 問題 を露 国 と 単
のは何 処 ま でも有 効 で無 け れ ば な ら ぬ。 而 も列 国 は此 の見 解 に関 し
独 で議 す る こと は絶 対 に出来 な い筈 で、 若 し支 那 が之 を無 視 し て同
様 な露 国 が存 在 し て居 な い の であ る から 、 華府 会 議 の決 議 と言 ふも
之 が為 には最 善 の努 力 を惜 しま な いと言 ふ て居 る こと既 に三 年 であ
鉄道 上 に何 等 か の変 化 を 来 た さ せ 、 又は其 の権 利 の 一部 で も露 国 は
か、自 国 の利 益 擁 護 さ へも覚 束 な い。露 国 が支 那 の主 権 を尊 重 し 、
るが 、而 も事 実 に於 て は吾 が外 蒙 古 を侵 し て居 る。即 露 国 も 亦他 の
以上 の三論 を通 覧 す る と 、第 一の露 支会 商 促 進論 は其 の基 礎 が全
議 を受 け る こと は明 か であ ると言 ふ て居 る 。
勿 論 、第 三 者 に譲 渡 す ると し た ら 必ず 華府 会 議 参 加 国 か ら手 強 き抗
虎 の如 き 列 国 と選 ぶ処 がな い。 カ ラ ハ ンは 一九 二 〇年 以前 に於 け る東 支 鉄 道 上 の権 利 は完全 に之 を露 国 に 回収 す る と 言 つて居 る では な い か。 若 此 の希 望 を入 れ る と し た ら支 那 の得 る処 は何 ん にも 無 い。 只 ホ ル ワツ ト将 軍 の代 り に他
利 用 せん と し て居 る の であ る。若 しも 支 那 が彼 と会 商 し て彼 の要 求
居 る。 要 す る に彼 の宣 言 の内容 は空 虚 で、露 支 会 商 を 日 本牽 制 策 に
那 の主 権 を認 め る と言 ふ こと に就 ては 、至 極 曖 昧 模 糊 の内 に述 べ て
る こと の出 来 な い問 題 で あ る。 従 て第 三 の外 国 人 の観 察 を 以 て正 当
ふ事 は 、如 何 に露 だ け が焦 つても 露 国 の現 況 に照 ら し て如 何 と もす
の如 き 態度 は当 を 得 た も のと言 へぬ。右 決 議 の効 力 を認 めな いと言
が出 来 るが、 而 かも 尚 華府 会 議 の決 議 に全 く 顧慮 を置 い て居 な いか
対論 は政界 の有 力 者 の論 だ け あ つて其 の眼光 の大 な る を認 め る こと
つて、 一顧 の価 値 な き も のと言 は なけ れ ば なら ぬ。而 し て第 二 の反
を 容 れ る と し たら 、 其 の結 果 は反 つて不利 で あ つ て、 一九 二〇 年 露
な るも のと し 、 且 カ ラ ハンの宣 言 な るも のは 畢竟 第 二論 者 の言 の如
く薄 弱 であ る のみな ら ず 、 一般 世 間 の事情 にさ へも 通 じ な い論 であ
亜 銀 行 と の協 約 に依 つ て獲得 し た利 権 さ へも失 はな け れば な ら ぬし 、
く 、 日本 牽 制 策 で あ り 又空 虚 な自 家広 告 と観 る が至 当 だ ら う と判 断
の誰 か が長 官 と な る 丈 で 、斯 く 現時 の状 態 と 異 る如 き こと は到 底 支
又 此 の会 商 成 立 の暁 には 対列 国 関 係 が更 に 一層 不 良 に成 る の であ る 。
那 の認 容 し得 べき こと で な い。 而 も カ ラ ハンは東 支 沿 線 に於 け る支
以 上 の如 き不 利 を 忍 ん で迄 会 商 を行 ひ、 且 之 を 成 立 さ せ る の利 益 は
され る 。
一 一
大 正 十 二年 八 月 十 八日
哈調 第 一〇 三 号
哈 爾 賓 事務 所 長
一九 年 及 一九 二 〇年 の両 度 、東 支鉄 道 無 償 還付 を宣 言 し た 。少 く と
も 支 那 に対 し好 意 を有 す る人 であ る が為 、 一私 人 とし て歓 迎 し た の
実 現 せら る べ き も のと は 思 はざ るも 、少 く と も露 支会 議 に於 て東 支
(堀 江)
で あ る と。 次 に カ ラ ハン代 表 が以 前 、東 支 鉄道 無 償 還 付 を宣 言 し た
か ら と て、 近 き将 来 に開 か る べき 露支 会 議 に於 て自 己 の前 言 を実 行
し て、直 に東 支 鉄 道 を 支 那 に無 償 還 付す べし と も思 はれ ざ る が 如何
鉄 道 問 題 乃至 他 の諸 懸 案 が 、比 較 的 有利 に解 決 せ ら る べし と の希 望
と 問 へる に対 し、 彼 曰 く 、国 際 間 の問 題 に対 し 一私 人 の言 が完 全 に
黒 河問 題 を動 機 に起 つた対露 外交 後 援 会 が カラ ハ ンの来 哈 に際 し
カ ラ ハン代 表 来 哈 と当 地支 那 対 露 外交 後 援 会
て執 つた笑 止 千 万無 定 見 な態度 は 、能 く 此 の種 会合 の内 容 を物 語 る
貴志 弥 次 郎
(野 口)
を有 す る に過 ぎず と語 れ り 。
陸軍少将
大正十二年 八月十八日 奉常報第二六九号 奉天特務機関
一 二
も ので あ りま す 。御 参 考 の為 左記 報 告 致 し ま す 。 先般 黒 河問 題 勃 発 す る や支 那 官 民 の激 昂 極 度 に達 し、 為 に対露 感 情 益 悪 化 し之 が対 策 を講 じ、 且 当 局 を鞭 韃 す ると言 ふ趣 旨 で当 地支 那 商 民 の間 に、 対 露外 交 後 援 会 な る も のが出 来 た事 は既 に御 承知 の 通 り であ る が、 去 る十 三 日 カ ラ ハン代 表 が来 哈 す る や 、当 地 支 那 官 民 は曩 の恨 も さ らり と忘 れ た様 な 態度 で、 該 代 表 の歓 迎 に上 下挙 つ
︺
目 下滞 奉 中 な る メ ルク ー ロフ及 ペ ト ロフ将 軍 一派 将 校 のカ ラ ハン
︹〓
カラ ハン来支 に伴 ふ露支交渉に対する白系露人 の観察
の辞 、 之 に対す る カ ラ ハン代 表 の謝 辞 、何 れ も有 ら ん 限 り の外 交 辞
も 、 帝国 の立 場 とし て 一顧 の価 あ る を以 て参 考 の為 報 告 す 。
来 支 に伴 ふ露 支 交 渉 に関 す る観 察 左 の如 く 、自 己 擁 護 宣 伝 の嫌 あ る
て支 那 一流 のお祭 騒 を 演 じ た。 諸 歓迎 会席 上 に於 け る 支那 側 の歓 迎
令 を交 換 し て居 つて、少 し も問 題 の核 心 に触 れ て居 な い こと は笑 止
題 及 国 境 貿 易問 題 の三 件 にし て、 就 中東 支 鉄 道 問題 に は最 善 の努 力
而 し て彼 が希 望 す る露 支交 渉 の最 大主 眼 は東 支鉄 道 問 題 、 蒙 古問
誠 意 を 以 て交 渉 を遂 行 し得 る や否 や 大 に疑 問 と す る所 な り 。
労 農代 表 カ ラ ハン露 支 交 渉 を 開 始す 可 く来 れ るも の にし て 、彼 が
千 万 であ る。殊 に黒 河 問 題 で奮 起 し た 対露 外 交 後 援 会 の会 員 が、 カ ラ ハ ン代 表 が着 哈 し た 十 三 日 、暴 風 雨 も厭 はず 手 々 に歓迎 旗 を飜 し
は 対露 外 交後 援 会 長 馬 子 元 ( 中 国 銀 行 支店 長 ) を訪 ね 、談 カ ラ ハ ン
遠 来 を犒 ふな ど其 の矛 盾 の甚 し きも の があ つた。 昨 日野 口調 査 課 員
て駅 頭 に之 を迎 へ、 又去 る十 六 日 には 盛 大 な る歓 迎 会 を開 いて其 の
歓 迎 のこ と に及 び た る処 、彼 曰く 、 吾 等 外 交後 援 会 は カ ラ ハン代 表
東 支 鉄 道 問題 の難 関 は、 白系 職 員 及 従業 員 の駆逐 に在 り て ﹁カ﹂
を払 ふ筈 な り 。
を労 農 露 国 の代 表 者 と し て歓 迎 し た の では な く、 カ ラ ハン氏 は 一九
駆逐 し て、 東 支 鉄道 を赤 系 の掌中 に収 む る は、 現 下窮 境 に在 る労 農
蓋 し白 系 の東 支 沿線 に勢 力 を占 む る は、 露 国 平 定 の禍 根 にし て之 を
は張 作 霖 と結 托 し 、之 を利 用 し て白 系 を駆 逐 せん とす るも のな り 。
能 はざ るを 以 て敢 て意 とす る に足 らず 。 又 蒙古 の如 き 辺避 の地 に如
然 る時 は東 三 省 と の国 境 貿 易 は 、支 那 軍 憲 の力 を以 て容 易 に制 限 し
有 耶無 耶 の裡 に軍隊 若 く は之 に代 る可 き 機 関 の配 置 を断 行 す可 く 、
赤露 が例 へ条 約 を誠 実 に実 行 せざ る も、 之 を責 む る に必要 な る権 力
何 に譲 歩 的 明 文 を掲 ぐ るも 、 現下 の如 き 支 那 の混 乱 状態 に於 ては 、
而 し て白 系 幹部 駆 逐 策 を実 現 せ し む る為 め には 、総 統 顧 問 シ ンプ
を行 使 す る事 能 はざ る を以 て、相 等 支 那 の体面 を保 持 せ し め て可 な
政 府 の財 政 上 頗 る緊 要 な るを 以 て な り。
ソ ン等 を甘 言 を 以 て身 方 に引 き込 み 、彼 をし て好意 中 立 の状態 に置
り と の意 見 を有 す る も の の如 し 云 々。
哈 調 第 一〇 七号 哈爾 賓 事 務 所長 ︹ 石根︺ 露 支会 議 の形勢 に関 す る松 井 少将 の観 察
予 て露 支両 国 当 事 者間 に画 策 準備 せ ら れあ り し露 支 会議 は 、這 次
大 正 十 二年 八月 二十 二日
一三
き 、然 る後 、 先張 作 霖 を説 き 、張 を利 用 し て東 支鉄 道 附 属 地返 還 の 代 償 とし て、 白系 幹 部 を 駆 逐 せ し め んと す るも のなり 。 蓋 し白 系 を 駆 逐 し て鉄 道 を赤 露 の手 に収 めば 、 其 経 営 よ り得 る利 益莫 大 な る は
き東 支 鉄 道 会社 の支 出 無 き 限 り、 到 底 其 自 治 不可 能 にし て寧 ろ之 と
勿 論 、 白 系 を根 絶 し て後顧 の患 を除 き得 る のみ な らず 、附 属 地 の如
絶 縁 し て単 に、鉄 道 の営業 のみ に任 ず る を 以 て現 下 の労 農 政 府 に利 益 な るを 以 て なり 。
カ ラ ハン の来 着 に因 り遽 に其 の機 運 を促 し 、 而 か も不 尠 会議 の将 来
に嘱 目 す べ き形 勢 を 馴 致 せ り。 即 ち
又 支 那 側 が附 属 地 を 自 己 の掌 中 に収 む る も、 其 の自治 行 政 に必 要 な る経 費 を捻 出 す るは 頗 る 困難 な る のみ な らず 、 彼 等 は附 属 地 の収
一、 ヨツ フ エの対 日交 渉 の成 果 充 分 な らざ るを看 取 せ る労農 政 府 は 、
の声 援 を冀 ひ つ つあ る の好 機 に投 じ、 先 づ鉾 を転 じ て対支 協 商 を
最 近支 那 の内 外紛 糾 し て列 国 の干 渉 漸 く 来 ら ん とし 、 支 那自 身 他
入 より 更 に利 益 を得 ん と す る を以 て、道 路 の修 繕 も 学校 及 病 院 の経
附 属 地 は所 詮 東 支 鉄 道 会社 に返 還 す る か 、若 く は 国際 市 化 す る の已
試 み、 蒙 古 及東 支 鉄 道 問 題 の解 決 に 一歩 を進 め ん と し能 はざ る も、
営 も 殆 ん ど不 可 能 と な り 、遂 に は列 国 民就 中 日本 国 民 の反 感 を買 ひ 、
む無 き に至 り、 支 那側 折 角 の希望 た る利 権 獲 得 は 無意 味 に終 る可 き
之 に依 り 日本 朝 野 の対 露協 商 企 望 を 煽 動 し て、 日 露 協商 の成 立 を
二、 日露 協 商 の開 催 は 支 那 一般 をし て東 支 鉄 道 及 北 満 地方 諸 問題 に
を 以 て 、 カ ラ ハンは附 属 地 を 多少 の条 件 附 に て返 還 し、 其代 償 と し
東 支 鉄 道 問 題 だ に解 決 せば 国境 通 商 貿 易 も 蒙 古問 題 も勉 め て支 那
関 し 、支 那 の利 益 を侵 害 せら るる こと あ る べし と の杞 憂 を抱 かし
促 進 せん こと を策 せ るに至 れ る の観 あ る こと。
に有 利 な る如 く解 決 に進 む な ら ん と予 想 せ ら る。 蓋 し東 支 線 を 一度
め た る こと 。
て白 党 駆 逐 に勉 む る なら ん 。
自 己 の〓 中 に収 め た る赤党 は 旧条 約 を 楯 と し 、逐 次 警備 権 を要 求 し
労 農 政 府 と の親 善 関 係 によ り尠 く も 、其 の背 後 の安全 を謀 る の急
三 、支 那 政 局 の擾 乱 と 奉直 未 解 の形 勢 が北 京 政 府 及 奉天 側 をし て各
る こと 必ず し も 不可 能 にあ ら ざ る べ し。
直前 の糊 塗 政策 とし て、 少 く も東 支 鉄 道 に関 し、 左 記 の妥 協 を遂 ぐ
能はざ る は勿論 なり と 雖 、 之 を 上述 最 近 の状 勢 よ り察 す れば 、相 互
露 支合 弁 会 社 と し て、 一般 中 支 那鉄 道 の例 に準 じ 経 営 せ し め、 従
一、鉄 道 の経 営 一切 は労 農 政 府 の実 権 に復 帰 せし め 、其 管 理 せ る 一
務 な るを感 知 せし む る に至 りし こと。
労 農 と の妥協 に より 或 程度 の主 権 を回収 し、 一方 列 国 の干 渉 を 排
開 放 せし め、 現在 の特 別 区 域 内 に於 け る司 法 、行 政 、 軍事 一般 の
来 鉄道 会 社 の特有 せ し租 界 地 中 、直 接 鉄 道経 営 に関 係 な き 土地 を
四 、最 近 東 支鉄 道 土 地 課 問 題 が東 三省 当局 を困 惑 せし め 、寧 ろ 一躍
除 せ ん こと を企 つる に至 り し こと 。 五 、東 三省 当 局 の此 窮 状 を 洞察 せ る労 農 政府 は即 、 眼 前 の場 当 り政
実 権 を 支那 側 に回収 す る こと。
譲 り、 不 取敢 東 支 鉄道 に対 す る露 亜 銀行 の実権 を否 認 し 、 現在 の
二、 東 支 鉄道 根 本 の解 決 は将 来 の露 支 会議 に依 る露 国 承 認 の時 期 に
策 と し て、 支 那 に啗 す る に小利 を以 てし 、之 と妥 協 し て東 支 鉄 道 の白 系 露 人 を駆 逐 し て、 先 づ鉄 道 の経 営 を労 農 の手 中 に収 め、 徐
べく 、其 の熟 れ に於 て も労 農 政 府 及東 三 省側 の為 、 目前 の内 外 政策
思 ふ に是 等 妥 協 の程 度 は主 とし て北 京 、 奉 天両 者 協 調 の如 何 に因 る
と。
法 、行 政 、 軍事 等 は暫 く 現 状 を持 続 し て支 那 側 の処理 に委 す る こ
露 支 鉄 道 従業 員 は専 ら労 農 政府 の任 命 に委 し、鉄 道 租 借 区 域 の司
ろ に後図 を策 す る を有 利 とし 、兼 て現 下 の紛 擾 に因 る列 国 の干 渉
因 にカ ラ ハン滞 哈中 支 那 官 憲 と の間 に、幾 何 の諒 解 を遂 げ し や
を 防 止 せ ん こと を 図 る に至 れ る模 様 あ る こと 。
は未 だ探 知 し得 ざ る も 、既 に カ ラ ハンの内 外 人 に発 表 せし 言 動 は 確 に此間 の消 息 を窺 知 す る に至 れ り。 等 其 の主 な る も の にし て 、 カ ラ ハンは今 次 入 京 の途 次 先 づ 奉 天 に於
而 し て是 等 露 支妥 協 の成 立 は列 国 、殊 に帝国 の為 左記 の関 係 を惹 起 す る に至 ら ん 。
と し て多 少 有 利 な る結 果 を召 致 す べ きも のと思 料 せら る る が如 し 。
と奉 天 実権 者 と が協 調 の途 を得 ざ るか、 又 は北 京 政府 当 局 の主 張 す
理 に帰 す る に至 れば 、 是 等 区 域 に於 て許多 邦 人 の投資 経 営 た る事
一、 従来 鉄 道 租借 地竝 哈 爾 賓 其 他 の自 治 区 域 が全 く 、支 那 官 憲 の管
て張 作 霖 と会 し、 意 志 の疎 通 を遂 ぐ る等 に て、 不 日北 京 着 の上 直 に
る所 容 易 に協 調 の見 込 な き に於 ては 、彼 労 農 代 表 は少 く も先 づ 張 作
同 政 府 と の間 に会 商 の歩 を進 む るな る べく 、 将 来 之 に関 し北 京 政 府
霖 と の協商 に依 り 、主 と し て東 支 鉄 道 に関 し上 述 の目 的 を達 成 す る
業 は 不尠 不 安 の地位 に陥 り 、自 然 将 来 の発 展 を妨 げ ら れ、 更 に往
す る ことあ るべし 。
熟 れ の日 か、 本 区域 に於 て外 国 人 の均 霑 せ る諸 特 権 を 回収 せん と
往 既 得 の利 権 を喪 失 す る に至 る べ き のみ な らず 、 支那 官 憲 は 遂 に
蓋 し 由 来露 支 、 殊 に極 東 露 領 当 事 者 及東 三省 政 権 も相 互 の冀 望 す る
斯 く て是 等 露 支 会商 の成 否 如 何 に就 て は遽 に憶 断 し難 きも のあ り、
に努 む べ き乎 と察 せ ら る。
所 を 想察 対 照 せば 、固 よ り而 か く容 易 に其 の 一致 点 を発 見 す る こと
鉄 道 に有 す る債 権 は著 し く不 安 に陥 るべ し 。殊 に露 亜 銀 行 の没 収
二、東 支 鉄道 の経 営 にし て労 農 政 府 の権 力 に帰す る時 は、列 国 の同
る こと 大 な り 。
的 行 為 は之 に投 資 せ る列 国 、主 とし て仏 国 人 の権 利 財 産 を 脅威 す
生 す る列 国 の権 利 財 産 の脅 威 を擁 護 す る為 、列 国 は自 然 更 に真 面
三 、 列 国 の諒 解 な く随 意 に行 は る べ き東 支 鉄 道組 織 の変 更 に伴 ひ発
目 な る抗 議 干 渉 を試 む べく 、延 い て遂 に本 鉄道 の列 国 共 同 管 理 状
一四
大 正十 二年 八 月 二 十 三 日
陸軍少将
至 急 報 第 一三五 号極秘 奉天特務機関
カ ラ ハン に対 す る張 作 霖 の態 度
貴 志 弥 次 郎
渉 を開 始 す る こと 無 か ら しめ んと 計 画 し つつあ り。 予 が ﹁カ﹂ を優
を利 用 し ﹁カ﹂ の奉天 を除 外 し て直 接 北 京 に於 て、 直 隷系 政府 と交
﹁カ﹂ が東 三省 を抱 き込 ま んと す る野 望 に対 し予 (張 ) も亦 、 彼
張 作 霖 が カ ラ ハン に対す る真 意 と し て我 顧 問 に語 る所 次 の如 し 。
果 し て然 ら ば 帝 国 は是 等 不 慮 の形 勢 に応 ぜ ん 為 、 今 に於 て何 等 か の
待 し つ つあ るは 右 目 的 を貫 徹 せ んと す る対 内 策 に過 ぎ ざ る な り。
態 を 再 現 す る に至 る べき虞 あ り。
な る行 動 を抑制 す る に努 む るは可 なり と雖 、 更 に帝 国 は東 三 省 に於
一昨 二十 一日 夜 第 二 回会 見 に於 ても ﹁カ﹂ よ り未 だ何等 具 体的 提
画 策 な か る可 らず 。勿 論 列 国 の協 調 に依 り 、 主 と し て支 那 側 の無 謀
け る特 殊 の地位 に鑑 み、 先 づ張 作 霖 に対 し 充 分 の警 告 を与 え 、 独 り
可 応答 し置 け り 。 又露 支 両国 間 の権利 問 題 は純 然 た る外 交 事項 に属
す るを以 て、 予 は 断然 之 を避 け度 き意 図 な るは 勿論 、 日本 政 府 の意
案 無 く、 単 に東 支 線 上白 党 駆 逐 を希 望 す る 口吻 を洩 せ るも 、 予 は然
嚮 を顧 慮 し、 其 政 策 に順 応 し度 き希望 な るを 以 て 、右 予 の真意 を日
本 問 題 に止 ま らず 、将 来 露 支 会議 全 般 に亘 り 日支 両 国、 殊 に東 三 省
努 む る こ と頗 る緊要 な る べく 、而 か も目 下 の形勢 は逡 巡 機 会 を忽 に
に於 け る相 互 の利益 に適 応 す る如 く 、 諸 般 の関 係 を善 導 す る こと に
す べ から ざ る目 捷 の機 微 の裡 に在 り と思 料 せら る。 尚此 に附 記 す べ
本 政府 に伝 へら れ度 し 云 々。
能 く 此間 の機 微 を穿 ち 、徒 ら に従来 の口頭 禅 に止 ま らず 、過 去 の売
例 に乏 し か らざ る こと にし て、 此際 張 作 霖 に対 す る帝国 の態 度 は 、
度 を確 定 せ ん とす る の要 望 を有 す るは 蓋 ふ べ から ざ る事 実 な るが如
起 因 す べ き も、 尚 帝 国 の対東 支 政 策 を探 知 し、 之 に依 り て自 己 の態
問 題 を露 支 会 議 に提 案 し 、 以 て何 等 か の曙 光 を認 め ん と焦 慮 せる に
背 後 を脅 威 せ ん とす る企 図 を防 圧 し 、 一面 現 下 行詰 ま れ る東 支 土 地
右張 作 霖 の意 図 は 、 一面従 来 直 隷 派 が赤 党 と結托 し て、 張 作霖 の
き は近 来 北 満 地 方 に於 け る支 那 官 民 の対 日態 度 は 決 し て可 良 な ら ず 。
恩 的愛 護 政 策 に偏 せず 、真 に恩 威 並 び 行 ひ て常 に堂 々た る態 度 を 持
し。
陽 に親 善 を粧 ひ陰 に事 毎 に帝 国 の利 益 を阻 碍 せん と す る こと、其 の
し 、更 に列 国 に対 し ても亦 、開 誠 布 公 、毫 も惶 惑 す る所 な から ん こ
故 に我 顧問 に於 て は張 作霖 に対 し、 東支 鉄 道 土 地 問 題 に関 す る東
と 緊要 な る べし 。
三省 官憲 の横 暴 な る挙 措 は、 軈 て張 に対 す る列 国 の同 情 を失 ひ、東
一致 行 動 を採 ら ん こと を望 み、其 の上 に て商 議 す る筈 。尚 同 氏 は 不
貴 志 弥 次 郎
極秘
日北 京 に到 り打 合 せ の上 、 更 に協 議 す べき旨 申 出 でた 。
一六
大正 十 二年 八 月 二十 七 日
陸 軍少 将
名委 員 を会 議 に参列 せ しむ る予 定 な り。
題 に触 れ居 らず 。 万事 北 京 解 決 に委 す可 く 、 之 れ が為 め 奉天 より 二
は単 に概 括 的 彼 れ の意 見 を聴 取 す る に止 ま り 、今 日迄何 等 交 渉 的 問
対露 問 題 に関 し新 聞 紙 上 種 々 の臆 説 を伝 へ居 る も、東 三省 とし て
と な れ る為 め 出 発 を見 合 せ今 猶滞 在 中 な り 。
発 北京 に赴 く 筈 にて 、已 に列 車迄 準 備 せし も 、突 然 ダ フチ ヤ ン病気
本 二十 七 日 于 冲漢 の小 官 に語 る所 に依 れ ば、 カ ラ ハンは 二十 五 日
于 冲 漢 の談
奉 天 特 務機 関
至 急報 第 一三 九号
三省 の国 際 的 地位 を危 殆 に陥 ら し め 、東 支 鉄 道 国 際管 理現 出 を招 来 す 可 き所 以 を説 き 、 此際 張 とし ては 、東 支 沿 線 白 党 を し て飽 く 迄 も 赤 党 と拮抗 し て独 立 せ し む るも 、 乃 至 は完 全 赤 党 化 せ し む るも 共 に 不 利 な るを 以 て、東 支鉄 道 現 幹 部 及 従事 員 をし て不即 不 離 の態度 を 保 持 せし め 、将 来 赤 白 の使 ひ分 け に便 な ら しむ る如 く之 を指 導 せ し む る の必要 な るは勿 論 、現 下 窮 境 に在 る土 地 問 題 は当 分 之 を 保留 し、 勉 め て東 支線 の現 状 を保 持 せし む るを 以 て、 東 三 省殊 に其 統 治者 た
北京特報
る張 の為 め に有 利 な る所 以 を鼓 吹 し て 、此 方 策 を 実 現 せ しむ る如 く 指 導 し つ つあ り。
一五
露 支交 渉 と張 作霖 の態 度
大 正 十 二 年 八月 二十 五 日 (庶 調 情 第 五 二 四号 ) 秘
哈 市 土 地 問 題 の惹 起 は、 内 情 支那 側 に遺 憾 の点 あり 、先 き に朱慶
の上決 行 す 可 し と訓 電 し た る に係 らず 、 張煥 相 等 は軽 挙之 れを決 行
瀾 よ り 本問 題 決 行 に関 す る請 訓 あ り し為 め 、張 作 霖 より は慎 重 調 査
○八月 二十 四 日外 交 部 及中 露 交 渉 督 弁処 発 、奉 天 孔祥 熙 宛電 報 電 報 了 承 、張 作 霖 は東 三省 に関 す る単 純 な る問 題 は 奉天 に於 て解
て必要 のも のな り や否 調 査 中 な り 。 又土 地 問題 は露 支 会議 と切 り放
し 、目 下善 後 処 置 研究 中 に て、 差 当 り東 支 側 の主 張 せ る土 地 は、 果
決 し 、条 約 に関 す る問題 は中 央 の解 決 に帰 す べし 、 と の ことな るも 事 実 上、 東 三省 に関 す る こと即 ち 全 国 に関係 の及 ぶ次 第 にて勢 ひ、
逐 す る如 き ことあ ら ん か 、後 に至 り 支那 側 、 殊 に張 作霖 の為 め多 大
理 の運 命 を惹 起 す可 く 、 又露 国 側 の甘言 に乗 じ 、軽 挙 東 支 白党 を駆
依 て小官 は個 人 と し て本 問 題 解決 の如 何 は 、延 い て東 支線 共 同 管
ち 解決 す る の考 へな り と。
中 央 の裁 可 を経 ぬ訳 にゆ か ぬ。 条 約 問 題 に就 て は接壌 地 域 た る関 係
れ た し。
上 、東 三省 官 憲 の意 嚮 を 尊 重す べき に つき 、張 氏 に此 の意 を伝 へら
カ ラ ハンは張作 霖 に対 し 、中 露 交 渉 に関 し て は張 氏 と 中央 政 府 と
○ 奉天 孔 祥 熙 発外 交 部 及 中 露交 渉 督 弁 処宛 電 報
の不利 な る情 況 に陥 る に至 る 可 き を説 明 し 、 于 より張 作 霖 に進 言 す 可 し と伝 へ置 き た る が 、于 之 れ を承 諾 せ り 。 奉 直 関 係 に就 ては 、鮑貴 卿 は条 件 を 携 へ、調 停 の為 め来 奉 せ るも 、 其 内 情 毫 も誠 意 の認 む可 き も のな き故 、反 て冷 笑 せ ら れ帰 津 せ る状 態 に あり と 。 因 云、 王 景 春 、何 守 仁等 東 支 線 重 職者 の招 致 せ ら れ、 昨 今 奉 天 に あり 、 此 等東 支 重役 連 は本 日 于冲 漢 の宅 に集 り協 議 中 な り し が 、 于
松 岡 理事
は小 官 に対 し 、議 論 多 く喧 々困 た も のなり と歎息 し居 れ り 。
一七
大 正 十 二年 八 月 二十 一日午 前 十 一時 発 電
かも知 れ ぬ。
一九
大 正十 二年 九 月 十 二 日
殿
極秘
鎌 田 弥 助
(外 部 には絶 対 秘密 に願 ひ ます )
奉 天情 報 第 六 九 号
奉天 公 所 長
カ ラ ハンより張 作 霖 に提 示 し た要 求 覚 書送 付 の件
松 岡 理 事
曩 に カ ラ ハン滞 奉 中 同 氏 より 張 作霖 に提 示 し た要 求 覚 書全 文 (訳 文 ) 別紙 を 以 て御 報告 申 上 ま す 。
尚 張作 霖 と カ ラ ハンと の会 談 は 別紙 覚 書 の如 く東 支 鉄道 沿 線 の白
の言 と し て、東 支鉄 道 は支 那 と ロ マノ フ政 府 と の関 係 の上 に立 つも
党 駆 逐 及東 支 鉄 道 問題 が骨 子 で、 両者 間 に交 さ れ た談 話中 カ ラ ハン
の で、道 勝 銀 行 は無 関 係 なり と あ る が、 張作 霖 は ロ マノ フ政 府 と聞
カ ラ ハ ン氏 滞 奉中 の行 動 に充 分 注 視 せ ら れ たし 。 又東 支 鉄 道 に就
く や す か さず 自 分 は多 額 の ロ マノ フ紙 幣 を所 持 し居 る が、 そ の処 置
鎌 田公 所 長 殿
ては現 状 を維 持 す る に努 め軽 挙彼 等 の甘言 に乗 らざ る様 張 総 司令 へ
︹ 辰 一郎︺ ︹ 繁︺ ︹ 武馬︺ 後 日張 作霖 は船 津 総 領 事 、貴 志 少 将 及 本庄 、 町 野両 顧 問 を招 き、
て置 きま す 。
に つき保 証 を与 へ得 る やと 反問 し た相 であ り ます 。念 の為 め附 記 し
可 然 注 意 し 置 か れ たし 。
一八
る。 若 し 不幸 にし てそ れ が事 実 とな り東 三省 の辺境 に脅 威 を受 く る
に於 て直隷 派 が東 三 省 に不利 な る取極 を なし は せ ぬ かと 心配 し て居
は 日本 政 府 の希 望 によ り 特 に問 題 に触 るる こと を 避 け た るが 、北 京
極 秘 に別 紙 カラ ハ ンの提 示 し た覚 書 を 示 し、 カ ラ ハンと の直 接 交 渉
シ ンプ ソ ンは哈 爾賓 に於 て カ ラ ハンを迎 へた際 ﹁カ﹂ よ り 二 万金
北 京 特報
留 を贈 与 さ れ、 奉 天 にて は張 作 霖 よ り四 万 元 ( 昨 冬 四 万 元) を貰 つ
様 な こと の出 来 し た 場合 、 日本 政 府 は自 分 を援 助 し て呉 る る だら う
シ ンプ ソ ンの不評
大 正 十 二年 八月 二十 五 日 ( 庶 調 情第 五 二二 号 )秘
た 。為 之 北 京 外 人 仲間 で は評 判 悪 しく 或 は英 国公 使 から追 払 は れ る
せ る 。 且 つ同 時 に声 明 し なけ れば なら ぬ こと は、 露 亜 道勝 銀 行 が東
力 求 せざ るを得 な いの であ る。露 国 政府 は早 速 人 を派 し て引 継 を さ
路 の建 設 は露 国 々家 の出 資 に よる も の で、所 有 株 券 は皆露 国政 府 の
支 鉄路 に対 す る要 挾 は概 し て合 法 でな く 、毫 も根 拠 がな い。東 支 鉄
か と駄 目 を押 し た の で、総 領 事 は 不 取敢 貴 意 を 政 府 に伝 達 す べ し と
以上
答 へた相 であ り ます 。 御参考迄
も の で、 現 に露 国 々家 銀行 に保 存 し てあ る故 に、 道 勝 銀 行 にはも う
如 何 な る事 情 が あら う と も路 務 に干 与 せし め ては なら ぬ。 以前 に締
(別紙 訳 文 )
結 し た契 約及 該 行 が帝 国覆 滅 後 東 支鉄 路 に関 し て担 任 し た責 務 は 一
東 支 鉄 路 の現状 は既 に こ の通 り で露 国 の利 益 は甚 しく 影 響 を蒙 つ
旧党 は東 支 鉄 路 及特 別 区 に在 り て大 層 勢 力 を占 め て居 る 。露 国 政
て居 る。 ど う か特 別 の御 詮 議 によ り特 別 区行 政 公 署 及支 那 側 董事 等
律 に直 ぐ 様取 消 す べき であ る 。
資 格 なき者 で あ る が露 国 人 だと 自 称 し て 、勝 手 に露 国 の権 利 を侵 取
府 は之 を坐 視 す る訳 に行 か な い。是 非 何 と かし て改 良 し な け れば な
し 、 労 農 政府 及中 国 の権利 を損 害 し 、 且 つ外 人 の協助 を利 用 し て中
に通 知 せら れ て、露 国 政 府 派 遣 の董 事 監察 管 理 局 長 等 に対 し、 現行
ら な い。蓋 し鉄 路 公 司 の露 国 側董 事 よ り路 局 員 は皆 旧党 で、 国 民 の
国 の主 権 を損 害 し、 尚 且 つ任 意 に鉄 路 公金 を利 用 し 、白 党 軍 隊 を扶
章程 によ り て協 助 せ ら れ たし 。
東 支 鉄 路 の契 約 に就 ては将 来 改 め て磋 商 す る こと にし た し 。露 国 新
所 有主 権及 国 民 の利 益 等 に対 し ては、 露 国 と し て十 分 尊 重す べく 、
露 国政 府 は貴 国 と東 支鉄 路 を合 弁 管 理 せ ん とす るも ので 、貴 国 の
助 し て、 露 支 辺境 を擾 乱 せ し め る と言 ふ やう な 行 為 に対 し、 露 国 は
露 国 の対 支 方針 は終 始 一貫親 善 を宗 旨 と し て居 る。然 し露 国 政 府
最 早我 慢 な ら ぬ ので あ る。
の仇 敵 が支 那 領 土 内 に任 意 に露 国 財 産 を 利 用 し 、政 府 に謀 反 し て居
派 の董事 監 察 管 理 局長 等 の名 簿 は間 違 な く後 日御 届 け す る。
双互 誠 意 の表 示 を 期 し た し 。 八 月 三十 一日
カ ラ ハ ン
閣 下 本件 に対 し 格 外 注意 賛 同 下 さ れ て彼 我 の信 用 を維 持 し両 国 民
る こと を知 る以 上 、露 国 政 府 と し て絶 対 坐 視 す る こと は能 き ぬ。 是 を 以 て東 支 鉄 路 問 題 を速 か に解 決 す る必 要 が あ る の であ る。 惟 だ支 那 国 内 の現 状 は合 法総 統 、 合法 内 閣 なく 、 東支 鉄 路 問 題 を北 京 当 局 と 商 議 し よう と 欲 し て も解 決 の見 込 がな い。
余 今 回中 露 会 議 事 宜 を 籌 備 す べく北 京 に赴 く途 中 、東 三 省 を通 過
( 別 紙 訳 文)
露 支会 議 を開 く こと を得 た り とす るも 其 の結 果 は如 何 。其 の決 議 案 を実 行 し得 るや否 や。 東 三省 に於 け る露 国 の利 益 が保 障 さ れ能 ふ
望 す る次 第 な り。
し総 司 令将 軍 と面 謁 し 茲 に鄙 人 の宗 旨 を宣 明 し 、総 司 令 の採納 を希
や 否 や 、及 会 議 の期 限等 の諸問 題 に就 て均 し く再 三研 究 を要 す る こ
貴 方 に対 し東 支 鉄路 現 在 の露 籍 董 事 監 察 管 理局 長 等 の 一律 取 消 を
と で、 さう なれ ば露 国政 府 とし て この上 猶 予 す る ことは能 き ぬ。
し て侵 犯 干 渉 せず 。 在露 中 国 居 留 民 は 一律 に優 に従 つて待 遇 し 、
一、鄙 人敢 て露 国政 府 を代表 し宣 言 す 。中 国領 土主 権 に関 し ては決
以 て中 露 両 国 の交 誼 を 重 んず 。 二 、東 三省 区 域 内 旧党 の踪 跡 甚 だ多 く 、 時 に蠢 動 せん とす る の情 形 あ り。 殊 に露 国新 政 府 に不利 な り。 露 国 新政 府 の東 三省 長 官 に希 望 す る所 は 、著 名 の旧党 首 領 を境 外 に駆逐 す る こと な り。 其 の余 党 に し て若 し 不軌 を図 謀 す る情 形 あら ば 、随 時 法 を設 け て防 遏 消 滅 す る こと 。 三 、東 支 鉄 路 を 中露 両 国 に て合 弁 す る以 上 、道 勝 銀 行 と関 係 を絶 つ こ と。 現 在東 支鉄 路 の露 籍 重要 位 置 、董 事 、 監察 管 理 局 長 等 の如 き 均 しく 旧 党 の占 む る所 な る が、 一律 に分 別 更 迭 す る ことを露 国
哈 爾賓 事 務 所 長
カ ラ ハ ン
謹具
新 政 府 は 希望 す る も のな り 。東 支 鉄 路 は東 三省 の範 囲 内 に在 るを
哈 調 第 二九 四号
以 て特 に東 三省 長 官 と之 を商 量 す 。
二〇
大 正 十 二年 十 二 月十 一日 ダ フ チ ヤ ン来 哈 の件
大 塚 情 報 に依 れば 本 十 日午 後 一時 五 十 五 分労 農 全 権 ラ キ ー チ ンと
カ ラ ハン が本 月中 旬 帰莫 す る に付 き 夫 れ迄 に当 地 に於 け る用 向 を
共 に来 哈 せり 。
済 ま せ北 京 に帰 る予 定 な り と 。(堀 江 )
一〇
趙 エ
玉
ナ
清
三
大 正 十 二年 五 月 四 日
五 月 三 日哈 爾 賓 支 那警 察 本 部 長 は ド ル コム及 ポ コージ ン代 表 に左
支 那 官 憲 の過 激 派 取 締
哈 爾 賓 大塚 情 報 (一四)
主 義 者 と 往 復 し つ つあり 。
四 、長 春 、 元山 、奉 天 間 に於 け る避 難 民中 に過 激 派 混 入し 鮮 人共 産
れ つ つあ り 。
伝 文 書 類 は厳 重 な る 日本 の国境 検 査 を侵 し種 々 の方法 に依 り送 ら
共産 党 員 は あ ら ゆ る困 難 を 冒 し て日 本 入国 を企 て つ つあり 、 又宣
三 、最 近ポ コーヂ ン の使 者 頻 に長 哈 間 を往 復 す 。 彼 等 の談 に依 る に、
を 日本 人 よ り供 給 され つ つあり 。
二 、 モ スクリ チ ン (哈 市 会 帳簿 係 ) は 過激 派 宣 伝 文書 中 英 文 のも の
し。
科 より 北京 に向 へり 。同 氏 の行 動 は露 支 会 議 の大 な る牽 制 た る べ
労 農 露 国 の対 中 宣 伝 工 作 と 中 国 官 憲 の対 策
満鉄支那従業員 に共産主義宣伝説
一大正十二年 四月 二十日 長春地方事務所 (一三) 露国共産党 は支那人を使用し て満鉄支那従業員 に共産主義 を宣伝 元黒河警務所長 リ
し て居る形跡 があ る。左 の者も注意 人物 にな つて居 る。 妻 (露人) 二
露国共産党 の活動
大正十二年 五月 二日 長春地方事務所 (二四) 駐哈朝鮮総督府派遣員松島親造 の情報 に依り観察す る所左 の如 し。 一、 コミサ ルフ将軍は支那軍隊 に共産主義宣伝 の為 四月十七日莫斯
の通牒を発し検閲 の目的 は最近過激派が開放的 に支那 に宣伝 を開始 せる為実施さるる旨を併せて声明 せり。 張総司令 の命 に基き五月 一日より東支沿線 に於け る全ウチ コム の検閲 を執行す。各 ウチ コム所在 地には特 に検閲官 を派遣したり。 検 閲官 は 一般通信及 ウチ コム宛 の電報を検閲し、政治的性質及宣 伝的通信並 に電報は 一切差押 へ哈爾賓警察本部 へ押送す。 右 に対しポ コージンは検閲 は支那を反 つて危険 に陥 るる恐あれば中 止 せられ たき旨 の抗議的通牒 を発したり。 猶ポ コージ ンは三日夜莫斯科政府及び知多委員会 に左 の電報を発 し たり。 ウチ コム検閲は不法と認むるを以 て政府 は支那官憲 に対し最後通 牒 を発す る如き決定的通牒を発 せられたし。 四 長 春地方事務所 ( 大正十 二年五月二十 二日第三五号) 東支沿線 に稽査員配置 張総司令 は東支鉄道沿線 に於ける赤化宣伝防止及軍事上 の取締 を 目的として大尉級 の稽査員七十名を同 沿線 一帯 に配置し た。 五 大正十 二年五月二十五日 哈爾賓事務所 (二四七) (哈爾賓特務機関報)
支 那 共産 党 扶 助 金 の送 附
五 月 十 六 日莫 斯 科 イ ン ター ナ シ ヨナ ル極 東 部 は目 下 北 京 監獄 に入
五 月 二十 一日 北 京 ダ フ チ ヤ ン の許 に送 付 さ れ る筈 で あ る。
獄 中 の支 那 共産 党 員 扶 助 金 二千 留 をポ コージ ン に送 付 し た。 該 金 は
六
哈 爾 賓 大塚 情 報 (二 六)
哈 爾 賓 に過 激派 の宣 伝 監督 機 関 設 置
大 正 十 二年 五月 三 十 日
極 東革 命 委 員 会 の内 命 を帯 び て知 多 よ り来 哈 し た べ ラノ ウ イ チは
五 月 二 十 八 日 ポ コージ ン公舘 に てド ル コム役員 竝職 業 同 盟会 役員 を
ムトラ ン ( 極 東 共 産 党 運 輸管 理 局 ) 設置 に関 す る協 議 を為 し た 。右
召 集 し 、 六 月 二十 日迄 に哈爾 賓 に過 激派 の宣 伝 監督 機 関 た るダ リ コ
に付 い ては 東 支鉄 道 王 督 弁 及 オ スト ロモ フ長 官 も諒 解 し、 事 務所 と
哈爾 賓 大塚 情 報 (二 六)
し て同 鉄 道 庁附 近 の家 屋 を 配給 す る こと を承 諾 し た 。
七
大 正十 二年 五 月 三 十 日
過 激 派 の宣 伝文 配 付
五 月 二十 八 日 ポ コー ジ ン公 舘 に開 催 され た 過激 派 会 合 に於 て知 多
一、支 那文 の も のは支 那 人 チ ヤ オ ( 趙 ?) ウ エン ( 温 ?)銭 の三名
よ り到 着 し た宣 伝 文 を 左 の通 り 処 理す る こと を決 議 し た。
に委 任 し主 とし て東 支 沿線 の支 那労 働 者 及 軍隊 に配 付 す る こと。
二 、朝 鮮 文 のも の並 に日 本 文 のも の若 干 を 朝鮮 人 ス ン ( 宋 ?) に委
日本 文 のも のは六 月 四 日浦 塩 よ り哈 爾 賓 に着 す べき 二名 の日本
任 し元 山 に携行 す る こと 。
人 に交 付 し 主 と し て支 那 南部 地 方 に送 付 す る こと。
九
党員 と主義宣伝 に関す る協議 をし て居る。彼等 の言 に依 れば極東共
極東共産党員金応天外五名は本月初め吉林 に入込み同地在住共産
赤化宣伝員吉林 に入込む (朝鮮総督府通訳官報)
大正十 二年 六月九 日 吉林公所 (五三)
一般住 民 の注意 を喚 起 す 。吾 等 は君 主 政 権 を放 棄 し 共 産党 政 府 を
産党大学校長博楽伊度 は支鮮共産学校を設 立し 一ケ年 七万元 の経費
宣 伝文 の内 容
樹 立 し永 遠 の奴 隷 労働 者 を救 助 せ ん とす るも の であ る。今 や労 農 政
る。
一一
側 にても某国会議員を中心 とし有力 なる共産党団体が組織 され てい
義宣伝を試 みんとするもので漸次奉天、北京に赴き つつあり。支 那
つつあり。之 れ現下支那政府 の危機 に乗じ支那軍隊並民間 に共産主
目 下哈爾賓 の各旅館には多数 の共産党員が滞在し猶陸続 入り込み
支那政局 の不安定 と共産党 の活躍
大正十二年六月十六日 哈爾賓大塚情報 (三七)
一〇
︹マ マ ︺
府 は労農 露 国 労 働 階 級 を現 実 的 に奴隷 よ り開 放 し た。 今 後全 世界 の
を支出 して支鮮赤 化に努めんとす る計画を有す。
を擁 護 す る に極 め て忠 実 で、 眼 中富 豪 も なけ れ ば貧 民 も な く唯 自 由 、
奴 隷 をも解 放 せん と努 力 し て居 る故 に労 農 政 府 は 世界 の労働 者 階級
平 等 を楯 と し、 互 に真情 を以 て交 る こと に在 る。斯 く し て国 家 の管
哈 爾 賓 大 塚 情報 (二九 )
理 は資 本家 の手 中 よ り労 働 者 に移 り 世界 は始 め て光明 に輝 く こと を 思 念 せよ 。
八
大 正十 二年 六月 五 日 東 支 鉄道 沿 線 の純 共 産 党 員 数 六月 四 日 ド ル コム調査
哈 爾 賓 に於 け る純 共産 党 員 は 四 十 名 ( 内 支 那 人 四 、 日本 人 一、鮮 人 五有 り) て外 に東 支 鉄道 沿線 に 六 十 三 名 (内 支 那 人 十 八 、鮮 人 四) 居 る。
札蘭諾爾炭坑 々夫 に対する労農代表 の宣伝
大正十二年六月二十 一日 第 五六号 長春 地方事務所
最 近満洲里駐在労農代表ポ ハリ ンスキーは其 の党員を、札蘭諾爾 炭坑 に派遣し て職 工聯合会を組 織し、炭坑労働者 に対し ﹁他日労農 ポ代表 より執照を受領す べき旨通達 した。之 に対し朱行政長 官は黒
政府 が東支鉄道占領 の際、執照を所持 せざる者 は危険なり﹂ とて、
第二〇号
哈爾賓森情報
竜 江省長 に対し右聯合会解散並露党駆逐 の手配 を為す べく電告 した。 一二 大正十 二年五月二十 七日 労農政府 の対支共産宣伝 五月十 二日満洲里 より の報道 に依れば 知多官憲は共産党及職業団体 に属す る支那 人約五〇〇名を武装 せ しめて武市 (ブラゴ エチ エンスク) に向 ひ出発 せしめた。其目的如
必要 に応じては支那軍隊と故意 に事件 を惹起し、武装襲撃 の
国境 を越 へて支那領土内 に共産宣伝をなさしむ ること。
左。 一
ヤ フ チ コ フ 会員
三〇〇名
二 口実を得 ること。 一三
大正十 二年七月十 日 哈爾賓大塚情報 (四八) 哈爾賓 の過激派機関 会長
七月九 日調査 に係 る哈爾賓 の過激派機関如左 印 刷 工 聯 盟会
工
職〃
シ ヤ ー シ ン
〃
四 五〇 名
〃
鉄
コ
八〇〇 名
ル
〃
マ
フ
〃
デ
二〇 八 名
ン
〃
リ
ル
〃
家庭給仕料 理屋労働 〃 衛生隊従業 者及弁護士 〃
一四 八 名
九〇四名 ラ
〃
〃
〃
〃
フ
者 〃
ド
優 〃
ー
記
四八○○名
一八 ○ ○ 名
カ ルガポ ー ロフ
俳
ポ
〃
〃
リ ソ フ スキ ー 〃
フ
〃
ポ
馬車屋運搬 〃 人夫 仲 仕〃
右聯盟会は総 て哈爾賓聯業同盟 に従属するも ので此 の外東支沿線
尚ド ル コムは七、五〇〇名 の会員あり。
に約八○○○名 の会員を有 す。
一四
共産党 の活躍 (奉天特務機関報)
大正十二年 七月 二十 二日 奉天公所 (四五)
く準備中 。
一、労農露国 は八月十五日莫斯科 に於 て東洋共産党大会 を開催すべ
宣伝に要す る経費十八万金留、朝鮮 に対す る宣伝費十 一万金留 の
二、目下莫斯科 に開催中 の万国共産党大会 に於 て日本共産党組織及 支出を可決 した。
る。又北京在留 の鮮人 にして宣伝 に惑 はされ入党 を志願す る者 が
三、北京留学鮮人学生三百余名 を中心とし共産党組織 の計画中 であ 頗 る多 い。
四、浦塩市議会 に於 て鮮人委員も参加する こととな つた。 一五 大正十二年 七月 二十三日 長春 地方事務所 (七五) 東支沿線 に支那共産党員 配置 在哈市労農政府代表 は今回知多 より支那共産党員 四二名を招聘 し、 満洲里其他各主要地に配置した。
一六
護路軍総司令 の赤党同盟罷 工宣伝員取締訓令
長春地方事務所 (大正十二年 八月 二日第八八号) 護路軍長綏司令張煥相は寛城子東省鉄路軍総司令部特派岳弁事員 偵察員 の報 に依 れば露国赤党 は密 かに東支鉄道 を侵さんと図 り
に左 の訓令を発した。 沿線各 駅に機関を設け同盟罷工及中国 の各種事業 の破壊陰謀 を企
最近在知多 密偵 より張総司令 に達したる情報 に依れば目下知多
張煥相より寛城 子岳弁事員 に達 したる訓令
護 照 無 き も のは種 々凌 辱 を 加 へら れ悲 惨 な る状 態 にあ り、 赤 塔 駐
︹チタ ︺
在住 の中国人 に対す る露当局 の圧迫甚しく、護照検査を厳重 にし
在 支 那 領 事 は 已 に六 月頃 露 当 局 に交 渉 し 之等 を本 国 に送 還 す る為
列 車 の配 給 を 要 求 し た が 二 ケ月 を経 る今 日 猶 配給 の気 配無 く送 還 す る を得 ざ る状 態 にあ り。
猶 最 近孫 文 の代 表 朱 赤鎮 な るも のは黒 河 附 近 の匪 賊 孫継 武 、高
雲 峰 と聯 絡 し、 露 国 よ り軍 需 品 の供 給 を受 け何 事 か企 て つ つあ り。
(第 一二 一号 )
右 の如 く最 近赤 党 の飛躍 甚 しき も のあ り。 此際 充 分 注 意 せ ら れ たし。
一八
長 春 地 方事 務 所 長
寛 城 子 メ スト コ ムの幹 部会 議
大 正十 二年 十 月 九 日附
十 月 十 日 哈爾 賓 ド ル コムよ り の命 令 に依 り幹 部会 議 を開 き 左 の各
一、主 義 宣 伝 上 最 も有 力 な る策 は演 劇 の利用 で あ るが其 の開 催 には
事 項 を討 議 し た 。
接 近 し 、 日本 人 の状 況 調査 の上 更 に方策 を 研 究す る こと 。
三 、宣 伝 劇 の外 日支 両 国 文 の宣 伝 文 を播 布 し 対 日策 と し て日本 人 に
る こと。
二 、右 買 収 費 はド ル コムを通 じ 哈爾 賓 労 農 代表 ラ キ ー チ ンに請 願 す
支 那 官 憲 の検 閲 を要 す る に付 検閲 官 を買 収 す る こと 。
て已 に五六日前知多 より数人 の宣伝員 を派遣し、工夫 に対して罷
第八九号
工を宣伝し て居る由 なれば各 方面 に亘 り特別 の注意あ りたし。 一七
露赤党飛躍 に対する支那側 の訓令
大正十二年八月 三日 長春地方事務所長
因 に最 近 ド ル コム及各 機 関 は主 義 宣 伝 の為 め頻 り に支 那 官憲 の歓 心 を求 め て居 る と の こと であ る 。
一一
大 正 十 二年 四月 二十 七 日
数
一〇 三 名
産
数
共
所
六九 名
党
一七 二名
属
四〇 名 ( 〃
七名 )
一三 二名 ( 内 婦 人 六名 )
労 農 露 国 国 内 に 於 け る パ ル チ ザ ン の活 動 状
欠 計
無
二
長 春 地 方事 務 所 (二五 )
領 し浦 塩 を 攻 略 す る にあり 、 我軍 には 軍資 金 武 器等 皆 無 な る も 一度
ン鉄 橋 を破 壊 し 赤軍 の南北 連 絡 を断 ち然 る後 哈 爾賓 ニ コリ スクを占
歩 を 進 め つ つあ れば 近 く再 挙 す る を得 べし。 白 軍第 一の企 図 はビ キ
目 下 沿海 州 に於 け る白色 バ ルチザ ンは兵 数 約 七 千 に し て着 々其 の
爾 賓 経 由 ポ グ ラ ニーチ ナ ヤに帰 れ り 。同 大 佐 の談 片 左 の如 し 。
着 同 地 滞在 中 のグ レー ポ フト と会 見 、 二十 七 日午 後 九時 発 東 支線 哈
沿 海 州白 色 バ ル チザ ン隊長 エ ムリ ン大 佐 は 四月 二十 六 日元 山 に来
白色 バ ルチザ ンの動 静
大 正十 二年 五 月 三日
補
況 並 同 国 内 の 一般 諸 件一
横 田情 報
一、 ザ バイ カ ル州 に於 け る私 有財 産 不 動産 の国 有編 入 一九 一八年 八月 十 八 日附 全露 中 央 執 行委 員 会 の法 律 に基 き 、昨年 十 一月 十 四 日極 東 革命 委 員 会 の協 賛 を経 た ﹁市 街 地 に於 け る私 有 不 動 産国 有 編 入令 ﹂ は 四月 三 日附 で実 施 さ れ る こと とな つた 。之 がた め知 多 、 ネ ルチ ン スク、 ス テ レテ ン スク其 他 の都 市 で、 稍大 な る建 築 物 は銀 行 、倶 楽部 、 社 寺 は勿 論 外国 人所有 家 屋 迄 も 其 の適 用 を受
新 経 済 政策 に依 り私 有財 産 が認 め ら れ た筈 な る に該令 の実 施 を見
く る こと とな り 、上 記 三都 市 丈 でも既 に五 十余 件 に達 し た。
た るた め市 民 は 一般 労農 憲 法 に不 安 を感 じ て居 る。 二、知 多 市 会議 員 選 挙
員
四 月十 五 日知 多 市会 議 員 選 挙 の結 果 左 の如 く であ る。 議
に加 は り武 器 軍 需品 も容 易 に之 を得 る に至 るべ し。
第 一線 に於 て成功 せ し かば 沿海 州 の住 民、 避 難中 の白 軍将 卒 等 我 軍
三
哈 爾 賓 大 塚情 報 (一五)
西 伯利 亜 に於 け る バ ル チザ ンの活動
大 正十 二年 五 月 五日
︹コザ ツク︺
首 題 の件 に就 き 当 地労 農 公 館 に達 せ る情 報 を綜合 す れば 左 の如 し 。
の を五 日 、左 の如 く労 農 代表 公館 に転電 し て来 た。
一、 (着電 ) 莫 斯科警視 庁 より労 農 政 府各 大 臣 に宛 て報 告 した るも
最 近労 働 者 及農 民等 は 労農 政 府 並 に共 産 党 に対 し鋭 く反 抗 す る
傾 向 を示 し て居 る。 警 視 庁 は 一千 九 百 二十 二年 に於 て反 抗 的態 度
に出 づ る者 七割 に達 せる を認 め た。故 に警視 庁 は労農 政 府 大臣 に
対 し 、労 農 政府 に対 す る反過 激 派 主義 者 を撲 滅 し 、充 分 な る取 締 を講 ぜん こと を提 案 す る 。
一、 ( 情 報 ) 蒙 古 に於 け る赤 軍 は 目 下軍 用道 路 の開〓 、 飛 行機 格 納
赤 軍 の前 衛 は 呉 将軍 のジ リ 県駐 屯 軍 の駐 屯 せ る内 蒙 古 に進 軍 し
庫 の建 設 、無 線 電 信所 並 野 戦電 信 の建 設 を急 ひ でお る。
て居 るが 、 そは赤 軍 と同 駐 屯軍 と の間 に、 秘密 条 約 が締 結 され た
枝 隊 は ア ル タイ スカ ヤ駅 に集 まれ り 。其 兵 数 一万 二千 な り。 而 し
︱、 哥 薩克 、農 民 及脱 走 兵 に因 り て編 成 せら れた る バ ル チザ ン七 個
て此内 五個 支 隊 は ア ルタイ スカ ヤ及 イ ルク ツク の奥 に進 み 二個 枝
為 め であ ると の噂 があ る。
し 、 全部 決 定 を見 た。内 、宣 伝 課 の宣 伝 方法 に関 し て は左 の如 く
ウ チ コム会 長 は今 後 の運 動 計画 に関 し詳 細 な る 一般 計画 表 を提 出
ルテ ー フ、 ス ノ スカ リ ヨク、 ド ンブ ロ フ スキー の諸 氏 であ つた 。
前 月 に引続 き開催 さ れ た。 出席 者 はダ フチ ヤ ン、 ポ ゴ ーヂ ン、 マ
一、 ( 情 報 ) 五月 八 日午 後 八 時 よ り ド ル コムに於 て ウ チ コム会 議 が
も のであ る。
よ り知 多 に帰 来 の上 は 、東 支 沿 線 及蒙 古 に対し積 極 的 活 動 に移 る
経 済状 態 に 一大 変 化 を来 す も のと 予期 さ れ 、 コボ ーゼ フが莫 斯 科
スキ ー及 オ ーカ レ フ諸氏 の莫 斯 科 行 は極東 露 領 並東 支 沿 線 の政 治
一、 ( 情 報 ) 極東 革 命 委員 会 議 長 コボ ー ゼ フ、沿 海 州全 権 代 表 ベ リ
二千 名 が派 遣 さ れ た。
四 月 二十 九 日 ウ ヱル フネ よ り ウ ルガ に労農 第 五 ト ロツ キ ー聯 隊
︹ウ ェル フネ ウ ジ ン ス ク︺
隊 は ト ム ス ク鉄 道 沿 線 に活 動 す る筈 なり 。 二、 四 月 二十 六 日 二個 枝 隊中 の 一個枝 隊 はト ム スク鉄 道 のジ マ駅 を 占領 、守 備 隊 を撃 滅 し 二 日滞 留 し て退 却 せ り。 三、 四月 二十 七 日 イ ル クツ ク州 カ ン スク市 に於 て赤 軍 第 三十 八 カ ザ ン スキ ー聯 隊 に騒 乱 起 り、 兵 は将 校 全 部 を殺 し砲 二門 機 関銃 糧 食 等 を奪 ひバ ルチザ ン に加 はれ り。
哈爾賓大塚情報
四 、 イ ル クツ ク及 ノ オ ニ コラ ヱスク より バ ルチザ ン攻 撃 の為 過激 派 軍 急 派 せ ら る。
四 大正十二年五月七日 第 一六号 極東労農事情
宣 伝 に従 事 す る 一般 秘 書役 はド ル コム附 宣伝 部 長 カ ラ フア コル
決 定 し た。
ブ ト の命 令 に服 従す べし 。 莫 斯 科政 府 は宣 伝 費 用 と し て東 支 沿線 に 三万 五千 余 留 を出 資 し 居 れ るも 、最 近 宣伝 範 囲 拡 張 の為 め 宣伝 費 に不足 を生 ぜ る を以 つ て 、尚 弐 万 五千金 留 の支 出 方 を莫 斯 科政 府 に請 願 す る こと に決 定
六
哈 爾賓 大 塚 情報 (一九 )
沿海 州 の不穏 と官 憲 の対策
大 正 十 二年 五月 十 五 日
沿 海 州 に於 け るバ ルチザ ンは漸 次 其 の勢 力 を拡 大 し 形勢 不 穏 と な ︹Ko〓〓ak,A︺
︹CeMeHob,〓.M. ︺
つた ため ウ ボ レウイ チ総 司 令 官 は ﹁パ﹂ と白 党 と の提 携 を懸 念 し 以
労農 本 国 に帰還 を命 じ本 国 より共 産 党 の将 校 を交 代 せし め て居 る。
前 コルチ ヤク将 軍 及 セミ ヨノ フ将 軍 の部下 であ つた現 赤 軍 の将 校 を
し た。 支 那 官憲 が検 閲官 を設 定 せ し為 め 、 一般 労 農 政府 官 衙 は秘 密 書
七
安 定 を図 つ てい る。
あ る。
挺 の支 給承 諾 を 得 て其 の際 赤軍 に加担 の約 定成 立 し て居 ると の説 が
〇〇〇万元 、 軍服 三、〇〇〇 着 、 銃 二、〇〇〇 挺 、短 銃 一、〇〇〇
に関 し 不逞 鮮 人金 奎 植 、 金 佐鎮 の両頭 目 は知多 政 府 よ り軍 資 金 三 、
知 多政 府 では突 如 東 支 鉄 道 を襲 撃 し て之 を奪 回す る企 画 あ り 。右
大韓 独 立 団 秘書 孔 徳 文 の談
知 多 政 府 の東 支 鉄 道 奪 回企 図 と不 逞 鮮人 の加担 説
( 在 吉 林 朝鮮 総 督 府 通 訳官 報 )
大 正 十 二年 五 月十 五 日
吉林 公 所 (四 一)
ぬも の と信 じ て居 る傾 あ る がた め警 察 署側 は之 が 対策 を 講 じ民 心 の
沿 海 州 の 一般 住 民 は赤 党 官 憲 の態 度 に不満 を抱 き、 所 詮永 続 き せ
類 の郵 送 を禁 じ 、派 遣 員 を 以 つて送 附 せし む 。電 報 の通 信 は 一切 中止する。 一、 ( 情 報 ) 各 ウ チ コム会 長 は五 月 六日 夫 々哈 爾 賓出 発 任 地 に帰 つ た。
横田情報
一、 ( 情 報 ) ダ フチ ヤ ンは 七日 哈爾 賓 発北 京 に極東 陸 軍 政 治 局長 ス ノ コー カリ ヨフは 八 日知 多 に出 発 す る。
五
大 正 十 二年 五 月十 五 日 ( 庶 調 情 第 三 四号 ) 極 東 露 領 に於 け る植 林 計 画
極 東革 命 委 員会 は労 農 共和 国 の法 例 に基 き極 東 露 領内 市 街 地 及其
右 に付知 多 市 にて は国 民植 林 祭 を開 始 し 官憲 の援 助 の下 に、全 市
の近 郊 に、 地 方住 民 が自 発的 に植 林す べき こと を告 示 し た。
民 協 力 し て五 月 二十 五 日其 の実 施 に着 手 す る ことと な つた。
八
横 田情 報
極 東 政 府 と の間 に締 結 せ ら れ た る極 東漁 業 及 海 獣 業 に関 す
極 東 に於 け る漁 業 及 海 獣 業 に関 す る新 法 令
大 正 十 二年 五 月 十 六 日 ( 庶 調 情 第 五 〇号 )
第 一条 る総 て の契 約 は、労 農 政 府 が極東 政府 を 併 合 し た る日 (一九 二 二 年 十 一月十 四 日) よ り無 効 とす 。
第五条 外国臣民 の労農政府領内海上 に於 て漁業権 を得たるものに
し て健康診断書を所有 し、且 つ政府 の発行したる漁業鑑札を所有
する者 の漁船は其 の目的地 に航行するを得。而して右漁船中韃靼 ︹ニ コラ エ フ スク︺
海峡及日本海附近 の漁業権 を得たるものは浦塩に、オホツク海、
のは ペト ロパ ウ ロウ ス ク港 に寄 港 す る義 務 を有 し 、現 在 実 施 さ れ
樺 太 近海 のも の は尼 港 に、 ベ ーリ ング海 、 カ ムチ ヤ ツ カ近海 の も
外 国臣 民 にし て漁業 権 を得 た るも のは其 の海 岸 の貸 附 け ら
つつあ る海 岸 航 行法 及将 来 追 加 せ ら る べき 法 規 に従 ふ こと を要 す 。 第 六条
し漁 業 終 了期 に於 て は該建 物 を移 転 す る か又 は番 人 を置 く こと を
れた る 土 地 に於 て倉 庫 、冷 蔵 庫 、乾 燥 場 其 他 を建 築 す るを得 。但
要 す 。而 し て番 人 は必 ず露 国 人 た るべ し 。外 国 人 の漁 場 冬 営 は如
漁 業 及 海 獣 業 の経 営 権 は労 農 政 府 領 内海 上中 、 日 本 海 々岸
附 近 、 オ ホ ツ ク海 、 ベ ーリ ング海 上 に於 て、 労農 臣 民 及 其 同 盟 国
何 な る理 由 に基 く も許 可 せず 。
第 二条
民 又 は 其他 の外 国 人 に入札 に依 り貸 与 又 は租借 す 。但 し 軍 略 上 の
備考
漁 業終 了 期 は浦 港極 東 漁 業 局 に於 て決 定 す 。
見 地 より 外 国 人 に許 可 せざ る こと あ る或 部 分 的 の小湾 を除 く 。 河
外 国 臣 民 の第 二条 に該 当 す る地 方 に於 て漁撈 、魚 類 精 製 、
労 農 政 府 と の新 契 約 の条 項 中 第 二条 に該 当 す る地帯 に於 け
漁 区租 借 の入 札 其 他 一切 の漁 業 海獣 業 に関 し ては在 浦 潮極
が他 人 に租 借 され た る場 合 に、其 の所 有建 築 物 を 新 租借 者 に譲 渡
す る期 日 を確 定 公示 す 。而 し て該 期 日 迄 に旧租 借 者 は 旧租 借 漁 区
東漁 業 局 に於 て監 理す 。 当 局 にて は入 札 者 の希 望 漁 区 に対 し出 願
第 九条
り 一年 間 の期 限 を以 て租借 す る も のと す 。
る蟹 、 魚 類 及 第 二条 備 考 の特 別区 域 に於 け る鱈 漁 等 は 、入 札 に依
第 八条
捕 獣 、 海 産物 採 取 等 の為使 役 す る人 夫 は其 の国 籍 に制 限 な し 。
第 七条
川 流 域 、 河 口及其 の附 近 は 従来 露 国 移 民 又 は土 人 の子 孫 が移 民 し
考
海 豹 、 猟虎 の捕 獲 には特 別 の許可 を要 す 。
同 盟 国 民 に は特 別 な る条 件 に依 り許 可 す る こと あ る べし 。
外 国 人 に は禁 止 せ ら れ た る地 方 にて も労 農 臣 民 又 は、 其 の
た る か又 は 、移 民 を為 し 得 る地 方 に限 り許 可 せざ る こと あ る べし 。 備 一
二
外 国臣 民 にし て前 条 に該 当 す る 地方 に於 て漁 区 の貸 附 又 は 、
租 借 を受 け た る も のは、 現 行規 定 及 追 加 せ ら る べき法 律 竝 に政 府
第 三条
外 国 臣 民 は租 借 し た る土 地 に於 て魚 類 の精 製 を為 す こと を
が、 漁 業 又 は 養漁 場 に関 し て発 す る命令 に従 ふ こと を要 す 。
の申 出 で無 き と き は新 租 借 者 に其 の建 築 物移 転 の要 求 を為 す の権
す る か又 は 、 他 に移 転 す るか を予 め申 出 づ べ きも のとす 。 若 し其
第 四条
ら る べ き法 律 命令 竝 当 事 者 の命 令 は外 国 人 にも 適 用 せ ら る。
得 。 而 し て労 農露 国 領 内 に実施 せ られ つ つあ る及 将来 に、追 加 せ
利 を与 ふ。 第十条 入札開票 の結果同等 の条件なりし際 は入札当時 に於 て労農
横 田情報
政府と、漁業及海獣業 に就き特別 の諒解ありし国 の国民に許可す。 (知多機関紙所載官報 )
九 大正十 二年五月十七日 (庶調情第 四 一号) カムチヤツカ半島 の近状
浦
潮
潮
金
金
額
額
四 、〇 三七 〃
二〇 一、八 二八 布 度
三 、 四二 七 、〇 三 二留
一、 六四 〇 、〇〇〇 留
二七 、 七 二 七〃
一四 、〇 五 六布 度
ペ ト ロパ ウ ロウ スク税 関経 由 輸出 海 外 向
浦
四 、産 業 状 態
個 人 の 一時 的投 資 が盛 ん であ る。 鑵詰 製 造 所 二十 三 ケ所 、 内 外人
口
の如く である。 三〇 、五二四人
のも と に、 日 本 人 が 経営 し て居 る。 毎年 鑵 詰 製 造 高 九 十 万函 (四打
毎 年 江 鮭 収 獲 数 一億 三千 五 百 万尾 にし て漁 業 の大部 分 は露 人 名 義
所 有 二 ケ所 、 日本 人所 有 二十 一ケ所 。
人 四九〇人
四、五六 一人
カ ムチヤツカ県革 命委員会長 の極東革命委員会 に報告せるも の左 一、人 人
)
)
馬 (一九 二〇年度 )
八〇〇、〇〇〇〃
三、三八八〃
一、五五〇頭
長 に語れる談。
白色 パルチザ ン隊長 エムリ ン大佐の副官 シピーチ ンの長春憲兵隊
赤軍白化 の傾向
大正十 二年 五月十八日 第 三三号 長春地方事務所
一〇
紙 幣 にし て露 貨 は通 用 せず 。大 部 分 は物 々交 換 に よ る。
人 共 に ア ル コー ル の密 売 を し て居 る。貨 幣 は 日本 紙 幣 、 米国 金 貨 、
商 人 は大 部 分 米 人 と 日本 人 であ る。 日 本 人 は行 商 に従事 し 、 日 米
五、商 業 状 態
入 値 六弗 よ り十 弗) で あ る。
土 人
国
〃
二六六ケ村
三五、五七五人
露 外 計
〃
部落 (一九 二〇年度) 家畜 鹿 (
牛 ( 五八
教員 不足 の為現開校数約 三〇
二、学校 普通学校 入
ペト ロバウ ロウ スク税関経由輸入高 (最近三ケ年間)
三、輸 出
一、 近来 イ ンタ ーナ シ ヨナ ル ・パ ルチザ ンを脱 走 し エムリ ン隊 に投 ず る も のが甚 だ多 い。 二 、尼 港 、 スパ ス カ ヤ間 駐 屯 赤 軍 ト ロイ ツ コサ ウ スク隊 長 は白 化 せ ん と す る者 多 く 、 過激 派 より危 険 視 され て居 る。 三 、 ラ スド リ ノ エ附 近 の赤 軍 は グ ロテ コウ オ方 面 の ﹁白 パ﹂ に合 同 実 現 の見 込 であ る 。
対 し合 同 を 勧誘 し つ つあ り 。
四、﹁ 白 パ﹂ は 目 下動 揺 し つ つ あ る元 ﹁ 赤 パ﹂ シ エフチ エ ン コ隊 に
第 二二号
哈爾 賓 大 塚 情 報
五 、赤 軍 は盛 に徴 発 を行 ひ人 民怨 嗟 の的 と な つて居 る 。
一一
大正 十 二年 五 月 十九 日 労 農 政 府 の兵 役 服 務命 令 発 布
十 八 日 ポ コージ ン公 館 に達 し た る電 報 に依 れば 、 労農 政 府 は五 月 十 五 日附 を 以 て 一八九 四年 、 一八九 五年 及 一八 九 六 年 に生 れた 一般 露 国 民 に対 し 、兵 役 に服 す べ き旨 召 集命 令 を発 し た 。之 れ露 国 西 部 国 境 の不穏 竝 に英 国 の露 国 に対す る反応 に備 ふ る為 で あ る。
一 二
大正十 二年 五月二十 一日 第 二七号 哈爾賓大塚情報 沿海州革命委員会長 の後任決 定 沿海州革命委員会長ベリ スキーの後任 として前莫斯科外務省事務
彼 は親 日派 であ る 。
総長 ブ ン ヱ ニー ツ ヱン氏 が任 命 さ れ た。
一三
労農共和国近状
大 正 十 二年 五 月 二十 一日 ( 庶 調 情第 六 三号 )
横田情報
知多 市 民 は ﹁労農 露 国 は植 民 地 と し て支 配 す べ からず ﹂ と の標 語
一、知 多 に於 け る対英 示威 運 動
の下 に対英 示 威 運動 を行 つた 。
前極 東 革 命 委 員会 代 表 コボ ぜ フ氏 の後 任 は パ ウ ロフ氏 に決 定 。前
二、露 国 革 命 委 員会 代 表 の更 迭
浦 潮革 命 委 員 代 表 ベ ル シケ ー氏 の後 任 は、 ク ズネ ツ オ フ氏 に決定 。
両 者共 に労 働 者出 身 の共 産 党員 で あ る。
哈爾賓大塚情報
曩 に国 有 に編 入 さ れ た家 屋 は モ ス コー政 府 の命 令 に依 り、 前所 有
三、国 有 家 屋 の返 還 説
者 に返 還 され る模 様 で あ る。
一四
大正十二年五月 二十 三日 第二三号 知多極東革命委員会新組織
今回極東革 命委員会 の改編と共に極東 の執政上 に大改革 を行ひ、
其 の権限 を拡張して委員を大臣格 と為 した。其 の顔触左 の如し。
ウ
ロ
フ
あり 。 重税 に苦 し み つ つあ る市 民 は 却 つて之 を希 望 し て居 る傾 があ
官
フ
フ
スノ スカ リ ヨフ
ソ コロ フス キ ー
ベ リ ス キ ー
マト ウ ヱ エ フ
ニ コリ ス キ ー
ベ ルナツキ ー
ポ コ ー ジ ン
謀 団 発 覚 せ ら れ、 将 校 以 下 三、〇〇〇 名 捕 縛 さ れ た と の説 が あ る。
莫 斯 科市 に於 け る赤衛 軍 中 執 行 員 に反 旗 を飜 さ んと す る猶 太系 陰
三 、莫 斯 科 方 面
る。
二 、知 多 方 面
土 の三 回と な つた 。
パ る。
臣
ヱ
毎 日運 転 し て居 た浦 塩 ポ グ ラ ニチ ナヤ間 列 車 は 六 月 一日 から 月水
フ
令
臣
ト
委 員 会 代 表 ロ
大
官
レ
シ
司
大
臣
ヤ
臨時 外務 大臣
蔵
次
交 通 部 次 席
副
務
大
委 員 会 次 席
大
軍
ミ
ウボ レウイ チ
内
治
シ
陸軍大臣兼陸 軍総司令 官
陸
ウ ヱルホ エフ
砂 糖 等 であ る。
一六
哈 爾 賓 事 務所
現 在満 洲 上海 で購 入 し つ つあ る主 な るも のは機 械 品 、 機械 油 、及
だと言ふ。
は 更 に西 部 西 比 利 の挽割 麦 約 二千 万留 を購 入 し極 東 に輸 送 す る計 画
に て購 入 し た約 二十 万留 の物 資 を極 東 諸 県 に分 配 した 。最 近 同 組 合
ダ リ ツ エ ント ロ ソ ユーズ は約 五十 万 留 の莫 斯 科 製 作 品 及満 洲 上 海
(哈 爾 賓 特務 機 関 報 )
ダ リ ツ エント ロソ ユーズ (極 東中 央 購 買 組 合 ) の近况
大 正 十 二年 五 月 二十 五 日
第 二 四 七号
知 多 で は軍 籍 に在 る壮 丁 を労農 露 国 の兵 制 に基 き調 査 登録 中 であ
交 通 部 大 臣
政
臣
大
商
務
社会 保安大 臣
マ ル シ ヤ ン
ク
ク ビ
ヤ
極 東 河 川 運輸 大臣
臣
極東 事務 総長 大
ク ラ ス ノ フ
働
労
横田情報
ン
ゴ
ハ
極東国立警視庁長
一五
露 西亜 の近状
大正十 二年 五月 二十四 日 ( 庶調情第 一〇 一号)
浦塩方面 の軍隊内 に反共産気分充満し今 にも突発 せんとする模様
一、浦 塩 方 面
一七
大正十二年 五月 二十五日 第 二四七号 ︹ハバ ロフ スク ︺
哈爾 賓事務所
哈府 に於け る赤軍 の兵力 (哈爾賓特務機関報) 現在哈府 に於け る赤軍 は第 二師団司令部、 二個聯隊 (各聯隊 に機 関銃二個 中隊 あり)技術隊四〇〇名、及砲兵隊 で総兵数約 二、五〇
ル コムは購 買 組 合 擁 護 のた め ボ イ コツ ト を為 す様 宣 伝 し た 。
一九
哈爾 賓 大 塚 情報 (二五)
西 伯 利 亜 に於 け るバ ルチ ザ ン動 静
大 正 十 二年 五 月 二 十 六日
バ ルチザ ン、 アウ エチ キ ン枝 隊 は五 月 十九 日 よ り 二十 二日 にか け
国 境 に退 却 し た 。同 隊 には多 数 の支 那 兵 が参 加 し て居 る。 右 に つき
支 那 国 境 よ り 露領 内 に進 出 し 二 、 三村 落 を占 領 し た が間 もな く支 那
ボ コージ ンは 五 月 二十 六 日朱 慶 瀾 を訪 問 し同 隊 を露 国 に引 渡 方 を交
〇名、大砲 三七門 ( 砲弾豊富) である。 目下哈爾賓 にては 一九〇 一年及 一九〇 二年生 の壮丁 を徴収して居
本 会
員
一〇六、〇六九名
三七九、二九八名
現在 の全露 共産党会員数如左
全露 共産党現況 ( 莫斯科 イズウ エースチヤ紙報)
大正十二年 五月二十 七日附 哈爾賓森情報 (二〇)
二〇
渉した。
哈 爾 賓 大塚 情 報
る。原因 不明なるも沿海県 にて目下小銃弾欠乏し中央部 より三百万
一八
第 二四 号
発 を輸送中 であ る。
露西亜時事
大 正 十 二年 五月 二十 五 日
露 支 会議 に対 す る参 考書 類 をポ コージ ン代 表 に渡 し た。
一、 極 東革 命 委 員 会 外務 大臣 次 席 コルゾ フは 二 十 四 日知多 より来 哈、
員
右党員中純 労働者 は三八、九% であ る。又脱党者相次ぎ昨年 六月
準 会
来 哈 、 ポ コージ ン代 表 と露 支 会 議 に関 し会 見 、同 夜 帰 京 し た 。
二 、 北 京 ヨツ フ エ代表 副 秘 書 役 クリ チ ツ キ ーは 二十 三 日朝 北 京 よ り
す る事 の愚を覚 り帰農す るも のが多 い。
の如 きは脱党者 の数 が新入党員 の五倍を算 した。 一般 に党務 に狂奔
り 知多 に開 設 、 哈爾 賓 、浦 塩 、 上海 に支 店 を開 設 の筈 。
三 、 極東 実 業 銀 行 ( 本 店 支 配 人 ク ラ スノ シ チ ヨコ フ) は六 月 一日 よ
沿 線 で鉄 道 従 事 員 の為 め に食 糧 雑貨 を供 給 す る こと とな つた 。 ド
四 、 日本 アジ アト レヂ ング商 会 は東 支 鉄 道 庁 の許 可 を得 、東 支 鉄道
二一
大 正 十 二年 六 月 五 日
哈 爾賓 大塚 情 報 (二九)
白 色 バ ルチザ ン の情勢 バ ルチ ザ ンの アウ エチ キ ン枝 隊 副 官 ロ モフは募 兵 の為 来 哈 、 六月
〃
六日
〃
知多 着
第 二 一五 号
発
哈爾賓着
浦塩着
二十二日
〃 七日
七 月 一日
〃
白 軍将 校 の画 策
大 正 十 二年 六 月 十 四 日
二三
レベデ フ及 ア ノ フリ ヱ フ等 指 揮 の下 にブ ラ ゴ ヱチ ヱ ンス ク、 ポ グ ラ
三 日迄 に二百 八 十 四名 を募 集 し た 。 ﹁ア﹂ 枝 隊 の兵 員 目 下 三 千 名 、
ニチナ ヤ間 に配 置 せ ら れ 、六 月 四 日 には鳥 蘇 里 鉄道 のホ ル ワ ツト駅
哈 爾 賓 大 塚情 報
白 軍 の ク レリ ジ エ将 軍 は セメ ヨノ フ将 軍 の代 表 者 サ ウ イ ツキ将 軍
と共 に六 月 十 二 日 哈爾 賓 に到着 した 。彼 等 は多 額 の金 銭 を哈爾 賓 露
附 近 を 襲 ひ共 産 党 及赤 軍 を殺 戮 し 支 那領 土 内 に退却 し た。赤 軍 は目
支 那官 憲 の過 激派 宣 伝伝 取締厳重
下 ﹁白 バ﹂ の全 滅 に努 力 し支 那 側 と も交 渉 中 。
募 集 せり と 伝 ふ 。
二四 大 正 十 二年 六月 十 五 日 反 過激 派 現 況
極秘
露 国帝 政 派 の内 訌 (哈市 エピ ス コ フ牧 師 への来 信 )
ト ム スキ ー出 発
であ る 。然 る に最 近 米国 の大 富豪 フオ ルド は帝 政 運 動 のた め五 〇 〇
の三 名 にて 一般 の声 望 を収 め将 来 王位 に擬 せ ら れ居 るは ﹁ニ ﹂ 大公
ル ・ウ ラ ジ ミ ロウ イ ツ チ大公 、 ド ウ ミト リ ー ・パ ウ ロウ イ ツ チ大 公
露 国帝 政 派 の中 心人 物 は ニ コライ ・ニ コライ ウ イ ツ チ大公 、 キリ
一、
長 春地 方 事務 所 (五 〇 )
に在 り、 既 に赤 十字 社 は六 月十 二日迄 に二、〇〇〇 余 名 の義勇 兵 を
国 赤 十 字 社 に引 渡 し た が、 其 の目 的 は反 労 農 軍 の義勇 兵 を募集 す る
六 月 三 日東 支 鉄 道 王督 弁 は ド ル コム会 長 ワ ルカ ノ フに対 し 次 の如 く 予 告 し た。 若 し ド ル コムが東 支 鉄 道 沿 線 に於 て宣 伝 事 業 を な さば 沿 線 に於
哈 爾 賓 大塚 情 報
け る過 激 派 機 関 の閉 鎖 を命 じ ド ル コム全 役 員 を逮 捕 す べ し 。
二二 第 三 三号
露 西 亜陸 軍 大 臣 の西比 利 検 閲
大 正十 二年 六 月 十 日
六月十日 十 五日
イ ルク ツ ク着
露 西 亜 陸 軍大 臣 ト ロツキ ー は左 記 日 程 に依 り西 比利 を検 閲 す る筈 。
〃
旨 申 越 し た る為 め 、﹁キ﹂ 大 公 は第 一の近 親 者 と し て法 律 上 王 位 に
万 円 を寄 附 し 、 ロ マノ フ王 家 よ り帝 政 運 動 の首 領 者 を定 め ら れ た き
英
仏
伊
国
国
利
六 〇 万元
七 〇 万元
一〇 〇 万 元
日
波
印
本
蘭
度
三万 元
二〇 万 元
一〇 万 元
位 継 承 の争 議 を惹 起 し て居 る 。然 し大 勢 は ﹁ニ﹂ 大 公優 勢 で あ つて
王 位 継 承 の権 を授 け ら れ た り と発 表 した 。之 れ が為 め 三者 の間 に王
之 赤 化宣 伝 の行 ひ易 き所 以 にし て日本 に対し ては容 易 に之 を敢 行 し
て然 る後 虫之 に生 ず 、朝 鮮 に独 立 風潮 あ り、 中 国 に兵 匪 の禍 が あ る。
限 に宣 伝 費 を支 出 し得 る こと にな つ て居 る。 蓋 し物 は必 ず 先腐 敗 し
而 し て中 国及 朝 鮮 に対 す る宣 伝 を最 も 重要 視 し 心要 に応 じ て無 制
太
就 く べき 権 利 を有 す と主 張 し 、 ﹁ド﹂ 大 公 は ニ コラ イ皇 帝 在 世 当 時
将 来 王 位 に就 かざ る迄 も 対過 激 派 戦 の総 司令 官 に推 戴 す る こと に決
二三万元
るも の左 の如 し 。
〃
1 、 ブ ルツ キ ス の ﹁パ﹂ 2 、 オ ウ エチキ ン
〃
兵力
二〇 〇
三〇 〇
現 在 沿海 県 に散 在 の白 ﹁パ﹂ は 志 気極 め て旺 盛 であ る。其 の主 な
て、 敵 の武 器 弾 薬 を 獲得 す る こと を 心掛 け て居 る 。
白 ﹁パ﹂ は出 動 以 来 大部 隊 と の戦 闘 を避 け大出 動 の準 備 中 で あ つ
無 根 であ る 。
ンの白 ﹁パ﹂ が赤 軍 の為 進 撃 せら れ、 支 那領 土 に退却 せ りと の噂 は
白 色 ﹁パ﹂ が沿 興 凱 湖 村落 を占 領 せ るは事 実 であ る。 オウ エチ キ
一、 白 色 パ ルチザ ン状 況
某 白 色 パ ルチ ザ ン幹 部 の報 道
ポ グ ラ ニチ ナ ヤ方 面 の赤 白 軍 状 況 ( 松 井 少 将報 )
大 正 十 二年 六月 十 九 日
二六
し 居 る と言 ふ。
克
哈 爾賓 事 務 所
得 ざ るは其 の計 上 予算 の少 額 な る に看 て 明 か であ る。
一〇〇 万元
第 三 八〇 号
二 、 哈市 に於 て白 党代 表 会 議 開 催 計 画 ( 白 党 有 力者 談 ) 在 哈市 白 党 有 力 者発 起 とな り 七月 一日同 地 に白党 代 表 者 会 議 開催 し 白 党将 来 の運 動 方法 を協 議 す る筈 であ る。
長 春 滞 在 中 の白 軍将 卒 三十 四 名 は ﹁ 白 バ﹂ に加 入 せ んた め 六 月十
三 、 白派 バ ル チザ ン加 入志 願 者 の北行 (長 春 憲兵 隊 報 )
日 哈爾 賓 に向 つた 。彼 等 は先 哈 市 を距 る七 十 二露 里 の某 部落 に在 る ﹁ 白 バ﹂ 派 遣員 の下 に到 り 然 る後 ﹁バ﹂ 隊 に参 加 す る予 定 で あ る。
二五
大正十二年 六月十六日附国際協報掲載
庶調情第二二〇号 労農露国 の赤化宣伝費 労農露国 の世界各国 に対す る宣伝費は毎年 三〇〇万元にし て本年
逸
捷
度 は特 に右 の外共産党基金 及党員 の寄附金中四〇〇万元の臨時支出 独
を計上しあり其内訳如左。
〃 一五 〇
一二 〇
病 重きを看て左党 は政権を自派 の手中 に収 めんとし、右党圧迫策を
右 二派は新経済政策実施後其 の確執漸 次強烈となり近頃 レニンの
〃
3 、 エ ム リ ン 〃 〃 ︹ニ コリ ス ク︺
〃
三〇〇
党
レ ニ ン、 スタ ーリ ン、 カ ーメ ネ フ、 カリ ー ニ ン、 ク
ト ロツ キ ー、ブ ハー リ ン、 ジ ノウ エフ、
二九
哈 爾賓 大 塚 情 報
軍 五 万 あり 、 其中 には ロテ シ ユ兵 、 マジ ヤ ル兵 及支 那 兵 も含 ま
極 東 兵 力 の現状
大 正 十 二年 六月 二十 一日
る。
で、其 の配 備 は 浦 潮約 一万 二千 、知 多 一万 、 ハバ ロフ スク七 千 で あ
れ てゐ る。 而 し て最 も兵 力 の集 中 し居 るは知 多 ハバ ロフス ク及浦 潮
赤
第三九号
バ ロフスクに移転 を開始する こととな つた。
知多極東革命委員会は莫斯科政府 の命令 に依 り、七月一 日より ハ
極東革命委員会移転決定
大正十 二年 六月 二十 一日 第 三九号 哈爾賓大塚情報
二八
共 に外資 の輸 入 に依 り産業 の開発 に向はんとす る形勢 にあり。
党 に有利なれば今後益 々新経済政策を保持 し商業区域 を拡張す ると
原来左党側 は大半無智者なるが右党側 は知識階級 の者多く大勢右
た為却 つて不利 の立場 に陥り急 に民間 の人望 を失した。
講 じたが左党側 は北方森林許可に伴 ふ収賄事実を右党 に看破せられ
4 、 ド ウ ノ フ
〃
( 最 も優 秀 にて浦 潮 尼 市間 の鉄 道 破 壊計 画中 ) 5 、 シヤ リ ヤ エフ
沿海 県 殊 に興 凱湖 附 近 の露 民 は概 し て反 過 激派 分 子 が 多 く 、而 し
二 、沿 海 県 住 民 の色 彩
て朝鮮 人 は悉 く 過激 派 と言 つ て良 い。 三 、赤 軍 の兵 力 兵 力 八〇〇
市
1 、尼 〃 乗 馬 隊 二個 中 隊
一五〇 (歩 兵)
2 、 グ ロテ コー
一
義 勇 兵 五 〇名 装 甲列 車
乗 馬 隊 二個 中 隊 歩 兵 一、〇〇〇 名
士 官 学 校 生徒 二〇 〇 名 であ る が目 下 出動 中
潮
3 、浦
哈 爾 賓 公 所 (三 九 五)
4、 ス パ ス ク
二七
露 国 共産 党 の内 争
大 正十 二年 六 月 二十 一日
左 党
露 国 共 産 党 には左 の 二派 あ り
右
イ バ シ エフ
三〇 大 正 十 二年 八 月 二十 日
哈 調 第 一〇 四号
き を得 べ き やと質 問 した る と ころ 、 カ ー メネ フは大 立物 には相 違 な
き は何 人 か、 カ ー メ ネ フは如 何 、 又彼 な く んば 国 運 の進 展 に影 響 な
き も、要 す る に左右 両 派 の調 和 役 た り、 聯 盟 の中 枢 を掌 理 す る の器
に あらず 。然 ら ば何 人 が レ ー ニ ンの後継 者 た る べ きや言 へば まず 、
的 軋 轢 に存 在 せず や と質 問 し た る に氏 は、 右 は素 よ り弱 点 には相 違
スキ ー氏 が 小職 と会 談 の際 、 小職 は労農 露 国 の弱 点 は人種 的 、民 族
過 般 カラ ハ ン氏 一行 当 地滞 在 中 、 駐 日 ロ スタ通 信 員 ウ ヲ ズ ネ セ ン
対 し て は全 幅 の同 情 と信 任 を払 ひ つ つあ る も、 新顔 に対 し て は兎角
き も 、彼 は元来 親 分 肌 に し て、多 年 自 身 と 生死 を 共 にし た る同 志 に
な り 。 レ ー ニ ンの偉 大 にし て中 心 人物 た る こと は今 更 言 ふ の必要 な
将 来 の ソヴ エート 共和 国 は彼 の指 揮 の下 に立 つべ き こと を疑 はざ る
索 の産 (ジ ヨルジ ヤ人) な るも其 の識見 力 量 共 に群 を 抜 け り。蓋 し
スタ ーリ ンに指 を屈 せざ るべ からず 。彼 は年歯 四拾 に満 たず 、高 加
な き も、這 般 の事態 は既 に過去 のも の に属 せ る こと と思 ふ。何 とな
哈爾 賓 事 務 所長
れ ば現 在 の労 農 政 権 は昨 年 十 二月末 ソヴ エー ト共和 国 大 会 議 に於 て
を伸 ばす 機 会 を得 ず し て 不平 を 抱 くも の少 な からず 。此 の点 よ りす
疎 遠 の感 あ り。去 れば新 進 有 為 の人材 も御 大 の眼 に留 まらず 。 驥足
ソヴ エート共 和 国 の近状 に関 す る件
聯 盟 組 織 を確 立 し 、 民種 的 自 治制 が益 々鞏 固 とな り 、各 民 種 は各 自
れば レー ニン の隠 退 は 却 て国 運 の開 弘 に裨 益 あ りと も見 ら れざ る に
に其 の国 語 、宗 教 、 生活 を導 き得 る を以 て 、何 等 不安 の有 得 べ き筈 な け れ ばな り 。聯 盟 の盟 主 は ソヴ エート ロシアな る こと勿 論 にし て、
あら ず と語 れり 。
尚 芸術 界 の消 息 に就 ては国 立 劇 場 は 入場 料 に制 限 あ れば 、毎 年 欠
其 の主 脳 者 は各 民 種 よ り成 り 、多 少 主 義 政 見 に於 て異 る と ころ な き にあ ら ざ るも 、 そ は何 れ の場 合 にも免 る べ からざ る こと にし て、之
せぎ 此 の欠損 を 補 ひ つ つあ り 。私 設 劇場 は相 当 の収 益 あ り て帝制 時
損 のみ な れば 各場 附 俳 優 は政 府 の許 可 を受 け 、交 る交 る外 国 に出 稼
代 より も繁 盛 し居 れ り。 唯 鑑賞 眼 が 一般 的 にな り た るだ け趣 味 の低
に依 り て ソヴ エー ト共 和国 聯 盟 の決 裂 を見 るが如 き は有 り得 べか ら
農 民 と の結 合 を如 何 にな す べ き やな り 。欧 露 の秩 序 は漸 次改 善 せ ら
ク シ ヨ ンが 保存 せら る る に止 ま らず 、 富豪 の私有 物 を没 収 し て陳列
下 せ るは争 ふ の余 地 なし 。美 術 館 、 博物 館 の如 き は単 に旧時 の コレ
ざ ると ころな り 。但 し現 下吾 人 の重 大視 す る問題 は、 工業 労 働者 と
れ、 西 欧 諸国 と の関 係 も 少 康 を得 居 る有 様 な れ ば 、極東 問 題 の処 理
右 は区 々 の談 片 に過 ぎざ るも御 参 考 迄 に報 告 す 。
し あ れば 一層 の美 観 を呈 し つ つあ り云 々と語 れり 。
は さま で焦 せ る にも及 ば ぬと 思 ふ 云 々と述 べ、暗 に対 日交 渉 に余祐 あ る を示 す の語 気 あ り たり 。 尚 小 職 は レー ニン の健 康 に就 き尋 ね た る に同 氏 は 、 カ ラ ハ ン 一行 の出 発 の時 分 、 レ ー ニ ンは新 聞 を読 み得 る だけ に健 康 を回復 し た る も 、今 後 の活 動 は覚 束 な から ん と答 へた る に付 、然 らば 彼 に代 るべ
三 一
大 正十 二年 九 月 二十 七 日
第 一八 五号
斉 々哈 爾 公所 長
極 東 革 命委 員会 哈府 移 転 と 黒竜 県 革命 委 員 会廃 止
其事 務 を 開始 す べく目 下準 備 中 な り。移 転 後 の事務 統 轄 は黒 竜県
一、在 チ タ極東 革 命 委員 会 は ハバ ロ フス クに移 転 し 、十 月 一日 よ り
浦 塩 斯 徳 は特 別 行 政 区 とし て独 立す べし と言 ふ 。
沿海 県 及 勘察 加 の三 県 なり 。
二、在 ブ ラゴ エシ チ エン スク市 黒 竜県 革 命委 員 会 は 八 月 二十 四 日限
第 二 二一 号
斉 々哈 爾 公 所長
り廃 止 せら れ 、新 に黒 竜県 革 命 委員 会 長 モ コ ロヴ ツ チ就 任 せり 。
三二 大 正十 二年 十 月 二十 日 ハバ ロフ スク駐 在支 那 領 事 の報 告
露 国 は内 乱発 生 以来 織物 の供 給 を支 那 に仰 い で居 た が、 各 地 の織
一、露 国 に於 け る織 布業
布 工場 も咋 年頃 より 漸 く復 活 し 生産 品 を 市場 に出 す様 にな つた 。然 し 品質 粗 悪 な る上 価格 不廉 な る為 売行 捗 々し からず 、目 下 労 農 政府 は 盛 ん に中 国商 品 排 斥 の提 倡 を な し居 れば支 那 織 物 の輸 出 に大影 響 を 及 し て居 る。 二 、 ウ ス リ ー地 方 農作 不良 ウ スリ ー地方 農 作 は昨 年 に比 し約 十 分 の六減 収 で、 小 麦 の如 き は
殆 んど 結実 せず 。為 め に労農 政 府 は馬鈴 薯 の麦粉 代 用 を奨 励 し て居
る が、 一般 人 民は支 那 より の食 糧 輸 入 を熱 望 し て居 る 。
一二
一
露支 紛争 諸 件
︹ 御影︺
哈 爾賓 森 情報 (二〇 )
浦 塩 駐在 支 那 領事 の抗 議
大 正 十 二年 五 月 二十 七 日
駐 浦塩 支 那領 事 は特 別 区長 官 朱慶 瀾 に対 し 左 の通 牒 を し た。
ブ ラ ゴ エチ エ ンス ク黒 河間 の渡 江問 題 は久 し き 以前 より懸 案 とな
哈爾 賓 森 情報
ら ぬ為 同 公司 より 直接 露 側 に交 渉 す る ことと な つた。
付 き、 交 通部 を経 て北 京 労農 政 府 代 表 に交 渉 中 で あ るが 、捗 々し か
一
第 一〇 四号
り 、武 市 より黒 河 に入 ら ん とす る も のは 、哈 府 に赴 き査 証 局 の許 可
武 市黒 河間 の渡 江問 題 不 調
大 正十 二年 六月 十 九 日
の護 照給 付 には其 登 録 に際 し六 留 六 十哥 を徴 収 し 、出 国 入国 の際 に
を得 ざ る べか らざ る為 、其 の煩 に堪 えず交 渉 中 であ つたが 、 六月 十
沿 海州 で は外国 人 に対 し甚 だし い重税 を課 し て いる。 即 ち支 那 人
は 更 に税 を課 し て居 る。依 つて支 那政 府 も亦在 支 露 人 に対 し同 様 の
四
を 為 し 、黒 竜 江省 一円 も 之 れ に応 じ軍 憲 は戒 厳 令 を 布 く に至 つた。
よ り の国 境 閉 鎖 は更 に継 続 す る筈 に て、 黒 河商 務会 は 対露 不売 同 盟
五 日 の会 議決 裂 し該 案 を中 央 政 府 に移 す こと にな る 。従 て六 月 一日
課 税 を為 す べき で あ る。
二 長春 地方事務所
戌通公司 の汽船抑留問題解決難
大正十 二年 六月十三日 第四七号
哈爾賓戌通航業 公司は曩 に露国官憲 の為抑留 された汽船返還方 に
黒 河に於ける課税問題
大正十 二年九月 二十 日 第 一七四号
斉 々哈爾公所長
九月十八日黒河道 尹宋文郁より黒竜江省長公署 に達 した報告によ
哈 爾 賓 事務 所 長
れば、近来露国官民は努 めて露支親善 を計らんとす る傾向あり、両
哈 調 第 一六 七号 秘
国 の交通、商業 は近く恢復す べしと言 ふ。 五 大 正 十 二年 九 月 二十 五 日 露 支 妥 協説 に関 す る件 張 煥 相 が労 農 側 と妥 協 し 、 赤衛 軍 を東 西国 境 両 駅 へ引 入 るべ し と
のも のと見 ら れざ る にあ らず 。 相 当信 を置 き て可 然 や に思 考 せ ら る。
案
軍 事 協 定
兎 に角 御参 考 の為 右 二案 訳 文併 せ て御送 附 致 し ま す。
( 別紙)
議
万 よ り成 る 一軍 を派 遣 す べ き義 務 を有 す 。
一、張 作 霖 の要 求 ある と き は露 国 は直 ち に軍司 令 官 の指 揮 す る十 五
べ き広 範 囲 の手段 を 取 る こと 。
二 、張 作 霖 は直 に東 三省 に於 け る外国 人 の不法 権 利 及行 為 を除 去 す
三、 張作 霖 は直 に日本 に対 し東 三省 に於 け る二十 一箇 条 の撤 廃 を要 求 す る こと。
四、 露 軍 は 支那 軍 事当 局 の指 示 に依 り各 兵 営 に配置 す る こと 。
の情 報 に関 し、 本 月十 四日 発 哈第 五九 号拙 電 を以 て不取 敢 報 告 し置 き た る が、其 の後 各 方面 に就 き内 探 を進 む る に、 ポ グ ラ ニチナ ヤ方
東 支 鉄 道
五 、奉 天 に露支 高 級 軍 人 より成 る総 司令 部 を設 く る こと 。
案
一、東 支 鉄 道 は条 約 に定 めら れ た る期 間 は露 国 に属す 。
議
面 に於 ては 、烏 蘇 里 地 方 イ ア ン附 近 の白 系 コザ ツ クが労 農 政 府 に対 し 不平 を抱 き隙 を窺 ひ つ つあ り、 又満 洲 里 方面 に於 ては、 アリ シ ヤ、
二 、露 亜 銀 行 が投 資 せ る東 支 鉄 道株 は露 国同 銀 行 と協 定 の上之 を引
コザ ツ クが 前 者同 様 の態 度 を持 し 居 る より 、到 底 赤 衛軍 の進 出 は 不 可 能 な り と の こと を明 か にし たり 。右 は労 農側 よ り出 でた る情 報 に
五 、東 支 鉄道 の守 備 は露 支 両国 よ り半数 宛 出 す 聯合 軍 に依 り て行 ふ。
露 国 之 を支 那 に還付 す 。
四、東 支鉄 道 が列 国及 東 支鉄 道 当 局 の政 策 に依 り獲 得 せ る土 地 は、
那 政府 に賠 償 す 。
三 、支 那政 府 が東 支 鉄 道管 理中 蒙 り た る総 て の損 害 は 、露 国之 を支
取 る こと。
付 十分 信 を置 く に足 るべ し と思 考 せ ら る。 尚 本件 に関 聯 し張 作 霖 と カ ラ ハンと の間 に持 上 りし 露 支 軍事 協 定 及 東 支 鉄道 協 定 の両草 案 入 手 し た る処 、軍 事 協定 案 の内 容 は露 支 両 国 何 れも実 行 不可 能 の条項 のみ に し て、右 は赤派 の間 牒 が 、目 本 と 張 作 霖 間 の関 係 を離 間 せん と す る浅 薄 な る宣 伝 に過 ぎ ず 。 素 よ り架 空 のも のと考 へら るる も之 に反 し 、東 支協 定 案 は特 に露 国 側 の主 張 と し ては 条 理整 然 の観 あ り、 目 下本 問 題 の解 決 案 と し て は頗 る妥当
六 、東 支 鉄 道 守 備 隊 司令 官 には露 人を 、 其 の副 司令 には 支 那 人 を任 命 す。
大正十 二年十 月二十 日 第二二二号 満洲里税関長捕縛
斉 々哈爾公所長
英人 ク ロツケツトは十月十五日第十八号駅附近視察 中、露国官憲 の
満洲里護路軍哈満司令万福麟 の報告 によれば、満 洲里新任税関長
八 、東 支 鉄 道 管 理 局 長 には露 人 を 、其 の副 長 には支 那 人 を任 命 す。
釈明電報 により放還 された。
為捕縛 せられ知多 に押送されむとし たが、護路軍総司令及税務司 の
七 、東 支 鉄 道 督 弁 は 支 那 人 とし 、其 の副 督 弁 は露 人 とす 。
一〇 、東 支 鉄 道 の従 業 員 は露 国 人 八割 支 那 人 二割 、労 働 者 は露 国 人
本件 は目下支那官憲より赤露代表 に厳重交渉中 である。
九 、 各部 課 長 に は露 人 を任 命 す 。
六 割支 那 人 四割 とす 。 一 一、東 支 鉄 道 が露 国 に引渡 さ る れば露 国 は直 に蒙 古 よ り撤 兵 す 。 然 れ共 同 地 に は目 下 臨時 蒙 古 革 命政 府 あ るを 以 て 、之 れと の交渉 は 支 那 官憲 之 を行 ふ。 一二、支 那 官 憲 は北 満 に於 け る外 国 人 の総 て の経 済的 勢 力 を根 絶 す。 一三 、総 て の露 支 通 商 関係 事 項 は 露支 会 議 に於 て解決 せら るる こと。 一四 、黒 竜 江及 松 花 江 に於 け る商 船 の航 行 は各 自 国 々旗 の下 になす ことを得 。 一五 、 支 那官 憲 は東 三 省 に居 住 し 白軍 に属 す る避 難 民 を露 軍 に引渡 す こと 。露 国 は之 等 避 難 民 に対 し 大赦 を行 ふ。
と。
一六、東 支 鉄道 附 属 地 に於 け る政 権 は 現在 の如 く 支 那 のも の た る こ
一七、東 支 鉄道 附 属 地 に於 け る裁 判 は 旧時 の儘 たる こと 。 一八 、 哈爾 賓 市 及 東 支 鉄 道 沿線 に於 け る裁 判 は 露 国 の裁 判 た る こと。 一九 、東 支 鉄道 が露 国 に引渡 さ る ると同 時 に通 貨 は露 貨 とす 。
六
一三
一
次
十 一、東支鉄道借款問題
十 二、東支鉄道問題 に対する帝国 の立場 十四、結
論
十 三、東支 の財政共同管理
六、聯合監理協約 の廃止
五、華府 会議 に於け る決議
四、華 府会議専門委員会 の意見
三、支那 の東支鉄道監理
二、鉄道委員会及技術部 の態度及鉄道監理の意義
得 て、露 国 の内政干渉 を避け、其鉄道規則を尊重し経営者 に何等 の
と企図したりしも、日米間数次 の交渉 の後 、終 に関係列国 の賛同を
鉄道経営 の全権 を握らしめ、以 て極東共通 の関鑰 を其掌中 に収 めん
し て其 の業務 を鞅掌し つつありたる、 ステーブ ンス氏をして同地方
初米国は露 国鉄道 の首脳者 を罷免し、既 に西 比利亜鉄道 の従事員と
必要 に迫 られ、日米間 に数次 の交渉を経 て成立 せるも のなるが、最
出兵 の結 果、軍 の策動 地域 に於ける鉄道 の運行 を完全 に維持す るの
秘
一、聯合鉄道管理協約成立 の経緯
七、露支両国 の東支鉄道条約 上の関係
改革を行 はず、該鉄道 の運行状態を改良すべく監督 を行ふ の意味 に
渡 辺嘉 夫
束 支鉄 道 附属 地移 管 問 題
大正十二年 七月十八日 庶調情第三四〇号 目
東 支鉄道問題
八、労農政府 の東支鉄道 に対す る態度
於 て、監理協約 の成立を見るに至れるものなり。
対東支及西比利亜鉄道 の聯合監理協約は、所謂聯合国 の西比利亜
九、現東支鉄道幹部 の立場
一、聯合鉄道管理協約成立 の経緯
十、東支鉄道 監理権 の帰着
本 協 約 の成 立 に就 て は当 時極 東 に勢 力 を有 し たり し コルチ ヤ ク政
権 を露 国 の交 渉 団 体 と認 め 、其 代 表 者 をし て鉄 道 委 員 会 及技 術 部 の
委員 に列 せし め た る は当 時 の事 情 の然 ら し め た る も のな り。
聯合監 理協約 に由 る鉄道委員会及技術部 は、当初前項 の主旨 に従
二、鉄道委員会及技術部 の態度及鉄道監理 の意義 ひ鉄道運行 の改善 に努 めたりしも、千九百 二十年 の初 に於 て米国其
革 命 以 後 極 東露 国 の政 情 は 混沌 と し て其 の帰着 す る処 を知 らず 。
三 、支 那 の東 支 鉄道 管 理
︹ウ ス リ ー鉄 道 ︺
他 の聯合国 の撤兵したる後、其守備 区域 は漸次縮少 せられ、其勢 力
事 実 上露 国 政 権 と 認 む べ きも のな き に至 りた る を以 て、 支那 政 府 は
殊 に コ ルチ ヤ ツ ク政権 の崩 壊 (千 九百 十 九年 末) 以 来 、極 東 に於 て
範 囲 は終 に東 支 鉄 道 の外 、僅 か に烏 鉄 の 一部 に限 ら る る に至 り 、而 も烏 鉄 に対 し ては 沿海 州政 状 不 安 定 の為 、 技 術 部 と し て充 分 監督 の
る聯合 国 の軍 事輸 送 は 、僅 少 の日本 軍関 係 のも の のみ とな り し を 以
こと能 は ざ りし と 言 へ、運 行 状 態 は 大 に改 良 せら れ 且 つ同 線 に於 け
然 る に其 後 東 支 鉄道 は其 財 政 状態 に於 て こ そ尚窮 迫 の域 を 脱す る
那 政府 は自 ら露 国 政府 に代 り て其 東 支 鉄 道 に対 し て有 す る権 利 を占
道 は其 条 約 及 定款 に従 ひ、 完全 に事 を行 ふ事 能 はざ るが故 、 一時支
た る如 く 、 露 国 の正当 政 府 と 認 む べ きも のな き 現状 に於 て、 東 支鉄
に至 れ り。 詳 言 す れば 支 那 の主 張 す る処 は 、協 定 文 の前 提 に記 され
銀 行 と所 謂 東 支 鉄道 続 訂 協 約 を締 結 (千 九 百 二十 年 十 月 二 日) す る
此機 会 に乗 じ て自 ら露 国 政 府 に代 り て東 支 鉄 道 を管 理 す べく 、露 亜
実 を挙 げ る こと能 は ざ る に至 りし を 以 て聯 合 監 理協 約 は事 実 上 、東
て、技 術 部 は成 立 の当初 と自 然 其 活動 の趣 を異 にし 、成 立 の際 日 米
有 し 、其 責 任 を 尽 さ ん とす と言 ふ に あ り。
支 鉄道 に対し て のみ適 用 せら る ゝ状 態 とな れり 。
間 に交 換 せら れ た る覚 書 に記 述 の主旨 に従 ひ、 主 と し て東 支 鉄道 に
蓋 し極 東 西 比利 亜 の政 情 前記 の如 き 時 に際 し 、前 項 記 述 の関 係 の
対 す る露 国 の利 益 擁護 を目 的 とし て行 動 す る に至 れ り 。 当時 支 那 政 府 は露 亜 銀行 と所 謂東 支 鉄 道 続 訂 契約 を締 結 し 、露 国
一時 的 に東 支 鉄 道 の管 理 を自 ら 行 は ん とす るは 一面 理 由 の存 す るも
下 にあ り た る東 支 鉄道 に対 し支 那政 府 が、露 亜 銀行 と の協 力 に依 り
のと謂 ふ を得 べ し 。
政 府 に代 り て東 支 鉄 道 を管 理 す る の態 度 を取 る に至 り たり し も 、之
四 、 華府 会 議 専 門 委員 会 の意 見
固 より聯 合 国 の公 式 に聞 知 せざ り し処 な る を以 て 、技 術 部 は 依然 東 支 鉄道 の保 護 者 を 以 て自 任 し 、 聯 合 国軍 隊 の撤 退後 尚 上記 の態 度 を
単 に其 監 督 を行 ふ の主 旨 に由 る べき こと を声 明 し あ る が故 、 鉄道 委
り 鉄道 経 営 の全 責 任 を其 手 中 に収 め ん とす る の方針 は採 用 せら れず 、
那 を 除 き た る各 国 委員 の 一致 を 見 た り。 然 る に該意 見 は支 那委 員 の
て、 一時 的 に列 国 の委 員 管 理 の下 にあ る も のと 言 ふ意 見 に対 し、 支
各 委 員 よ り種 々 の意見 出 で た るも 、結 局 東 支 鉄 道 は露 国 の財 産 にし
東 支鉄 道 問 題 に関 す る華 府 会 議 専門 委 員 会 に於 て、 日米仏 支 等 の
以 て其 活 動 を継 続 し居 り たり 。 然 れ共 従 来 本 監 理協 約 は前 記 の如 く 、
員 会 は露 国 政 府 に代 り 、東 支 (及 西 比利 亜 ) 鉄 道 の監 理権 を 掌 握 し
反 対 あ り た る為 、 総務 委 員 会 に於 て採 用 せら る る に至 らざ り き。
主 と し て軍 事 上 の必要 に由 り て生 じ 、而 も米 国 の提 案 な る露 国 に代
た るも のにあ ら ざ る は言 ふ迄 も な し。
華府 会 議 に於 て東 支 鉄 道 問 題 は結 局何 等 の決 定 を見 る に至 らざ り
五 、華 府 会 議 に於 け る決 議
の管 理権 を占 有 す る 以 上 、列 国 は之 を支 那 の信 托 の下 に置 か れた る
し も 、総 委 員 会 に於 て採 用 せら れ た る決 議 の 一は、 支 那 が東 支鉄 道
も のと認 め、 従 て之 に由 り て生 ず る支 那 政 府 の義務 履 行 に関 し 、其 責 任 を主 張 す る の権利 を保 留 す る こと を決 議 し た る も の にし て、支 那 を除 き た る列 国 は 之 を 承認 す る こと とな れ り。 上 記 の決 議 に由 れ ば列 国 は、 露 国 の政 情 及 極 東 に於 け る四 囲 の情 況 上 、東 支 鉄 道 に対 す る支那 の 一時 的管 理 を 事 情 止 む を得 ざ るも の
之 を前 項 専 門 委 員 会 の意 見 と対 照 す れば 大 な る径 庭 あ る を見 る べ
と認 め た る も の の如 く解 釈 せ ら る。
1 、株 式 は殆 ん ど全 部 露 亜 銀 行 の名 義 とな り居 るも 実 は露 国 政 府
露 国 政府 の権 利其 他 の関 係
に対 し て 一定 料 金 を支 那 政 府 に支払 ふ こと等 。
府 の公文 書 の無 賃輸 送 及 軍 事 輸 送料 金 を 半減 とす る こと 、及 電 報
会 社 が支 那 政府 に対 し て負 ふ処 の義 務 の主 な るも のは、 支 那 政
無 償 譲 渡 を受 く る権 利
2 、営 業 開 始後 三十 六 年 に於 て鉄 道 を買 収 し 及 八十 年 後 に於 て其
裁 を任 命 す る 権利
1 、会 社 が支 那 政府 に対 し て負 ふ処 の義 務 の遂 行 を 監 督す る為 総
東 支 鉄 道 に対 す る支 那 政 府 の権利
す れ ば次 の如 し 。 一
二
三
2 、露 国政 府 は四億 乃至 五 億 の東 支 債 券 の所 有 者 なり 。
のも のなり 。
3 、東 支 の債 券 発行 に就 て は其 都度 露 国 大 蔵 大臣 の許 可 を受 く る
く 、 而 し如 此 決 議 が 支 那 政府 に取 り て寧 ろ好 都 合 の点 あ り し は明 に
り た るも のと 見 るを 得 べし 。
し て、 此 の決 議 が因 を 為 し て終 に聯 合 監理 協 約 は廃 止 せ ら る る に至
前 各項 記 述 の如 き 関 係 を有 し た りし 対東 支 鉄 道 の聯 合国 監 督 機 関
何 れ も東 支 鉄 道 が露 国 々有 鉄 道 と同 様 のも のと見 做 され あ る こ
の連絡 其 他 の技術 的 関 係 竝 運 賃 及輸 送 等 に関 す る規 定 な る が、
4 、東 支 鉄 道 条 例第 三条 一項 乃 至 八項 は其運 行 、 露 国 々有 鉄 道 と
を要 し、 其 返 済及 利 子支 払 に関 し露 国 政 府 の保 証 あり 。
は、 米 国 の提 案 に基 き 昨年 十月 、 日 本 の撤 兵 を機 会 と し列 国 協定 の
と を 示 す も のな り 。
六 、 聯 合 監理 協 約 の廃 止
し、 而 し て前 項 華 府 会 議 決議 の主 旨 に基 き、 支 那 政 府 が如 何 に其 責
下 に廃 止 の こと に決 定 せ ら れ た り。 蓋 し列 国 は自 ら 監 督 の責 任 を 辞
要 之 東 支鉄 道 条 例 は東 支 鉄 道 が満 洲 に於 け る露 国 の事 業 た る こと を説 明 す るも のな り。
任 を尽 す や を監 視 せん と す る も の にし て、 茲 に支 那 政 府 は前 記露 亜 銀 行 と の協 定 に基 き 、 事 実 上 独立 し て東支 鉄 道 の管 理 を行 ふ に至 れ
八 、 労 農 政府 の東 支 鉄 道 に対す る態 度
政 府 と露 亜銀 行 と の続 訂 協約 締 結 に何 等関 係 せざ り し労 農 政 府 が、
東 支 鉄道 に関 す る条 約 上 の露 支 関 係 上記 の如 く な る を以 て、支 那
る も のと観 る を得 べし 。 七、 露 支 両国 の東 支 鉄 道 条 約 上 の関 係 条 約 及 条例 上 よ り見 たる東 支 鉄 道 に対す る露 支 両 国 の関 係 を摘 記
支 那 の東 支鉄 道 管 理 に就 て 云爾 せ ん と欲 す る は当 然 のこ とな る も、 今 日迄 彼等 は未 だ其 機 会 を得 ざ り し なり 。然 る に帝 国 の撤 兵 以後 労 農 政 府 は知多 及 浦 塩 の政 権 を併合 し 、手 を 極東 に延 し得 る に至 り た る を以 て、 茲 に愈 々彼 等 は経 済 的 にも、 政 治 的 にも 最 重要 な る東 支 鉄道 問 題 の解決 に手 を下す に至 れり 。然 れど も俄 に其管 理 を自 己 の
二
一
且 つ支 那 政府 に対し て東 支鉄 道 経 営 の当 を得 ざ る を抗 議 し、 総
浦 潮埠 頭 及其 設 備 を東 支 よ り奪 ひ烏 鉄 の附 属 た らし め
烏 鉄 をし て東 支 鉄 道 と の直 通 連 絡廃 止 を声 明 せ しめ
手中 に収 む る の難 き を見 て先 づ
三
政 府勢 力 の東 支 に侵 入 す る こと を防 が ん とし つ つあり 。
支 那政 府 はも と条 約 に由 り東 支 鉄道 管 理 の権 利 を有 す る も の に非
十 、東 支 鉄 道 監 理 権 の帰 著
ざ るも 、今 は所 謂 続訂 協 約 及華 府 会 議 の決 議 を理由 とし 、露 国 政 府
の承 認 以 前 に其 管 理 を放 棄 せ ざ る や言 を 待 たず 。労 農 政 府 と し ては
東 支 の経 営 を其 掌 中 に収 む る の要 あ る は言 ふ迄 もな き処 なれ ど も、
て彼 等 の大 に恐 る ゝ処 な り。 近 来 往 々労 農 政 府 が武 力 を 以 て、東 支
該問 題 の為 支 那 の反 感 を買 ふは 、 よ り大 な る 目的 の為 不利 な り とし
の奪 回 を企 て つ つあ る如 く伝 へら る ゝも、 上 記 の関 係 上武 力 的 回収
る は見 易 き道 理 なり 。去 りと て労 農 政 府 が東 支 を支 那 の手 に委 し て
事 情 も あ り、 好 成 績 を挙 げ得 ざ る こと を知 る が故 彼 等 の之 を行 はざ
は彼等 に取 り て頗 る不 得 策 な る のみ な らず 、 其 沿線 守 備 の困 難 な る
置 は其 可 否 及目 的 の如何 は別 問 題 と し て、東 支 鉄 道 を 以 て自 己 の財
顧 みざ るも の にあら ざ る は、 現 に彼 等 が近来 取 る に至 りた る前 項 の
支 配 人 の変 更 及 会 計検 査 を為 さ し め ん こと等 を申 出 た り。 之等 の処
産 な りと 主 張 す る の見 地 よ り出 でた る は言 ふ迄 もな し 。
露 亜 銀 行系 の人 物 が東 支 の幹 部 を占 有 す る は東 支鉄 道 の株 の殆 ん
カ ラ ハン の宣 言 不 実行 方 、管 理局 長 の逮捕 及 東 支鉄 道 会 計検 査 の申
問 題 を利 用 し た る こと 一再 な らず 。蓋 し千 九 百 十九 年 に於 け る所謂
由 来協 商 上 の掛 引 は露 人 の常 習 にし て 、従 来露 支 の協 商 に於 て東支
然 らば 労 農 政府 は将 来東 支 鉄 道 に対 し如 何 な る処 置 を採 るべ き や。
記 述 の態 度 に徴 し て明 な りと す 。
九 、現 東 支 鉄道 幹 部 の立場 現 在 の東 支 鉄道 幹 部 は露 亜銀 行 系 の人物 にし て、何 れも反 過 激 派
ど全 部 が同 銀行 の名 義 な る が為 なり 。然 れど も其 の実 際 の出 資 者 が
出 、浦 塩 埠頭 の移 管 等 皆其 の例 にし て、何 れ も敵 本主 義 に出 で た る
に属 す る が故 、 労農 政府 と相善 か らざ るは言 ふ迄 も なし 。
露 国 政府 た るは争 ふ べ から ざ る こと にし て、該 関 係 に就 て は両 者 間
し。
農 政 府 承認 以前 に於 て強 て之 を其 手 中 に収 め んとす る こと な かる べ
以 て之 を支 那 と の協 商 に利 用 せん と す る こと あ る べき も、 列 国 の労
故 に今 後 も 労 農政 府 は恐 らく 常 に東 支 鉄 道 に対 す る権 利 を 主張 し、
は 明瞭 なり 。
に書 類 の交 換 あ り た るも 目 下該 書 類 の所 在 は明 な らず と 伝 へら る。 之 等 の関係 上 現東 支 鉄 道 幹 部 は其 位 置 の頗 る不 安 な るを覚 ゆ る が 故 、 寧 ろ 支 那 と の続 訂協 約 に由 り支 那 の管 理権 を主張 し、 其位 置 の 安 全 を計 ら ん とす るは自 然 な り 。故 に同 系 に属 す る者 は華 府 会議 の 決 議 を 以 て列国 が支 那 の東 支 管 理 権 を認 めた る の証 と な し、 且 つ聯 合 監督 協 約 の廃 止 は更 に之 を裏 書 せ る も のな り と主 張 し 、以 て労農
伝 ふ る処 に由 れば 労 農 政府 は 支那 政 府 に対 し東 支 の露 支 共 同 管 理
之 れ第 三国 が露支 の諒 解 を得 て東 支 に適 当 な る財 政 監督 機 関 を設 置
法 を定 め以 て東支 に優越 な る権 利 を設 定 せ ん こと に焦 慮 し つ つあ り 。
目下 支 那 政府 は列 国 の労 農 政府 承認 以前 に於 て、 対東 支管 理 の弁
す る問 題 な り 。
す る こと なき を信 ず 。 上 記種 々の事情 よ りし て東 支 鉄 道 の管 理は 当
す る為 、利 用 し得 べ き機 会 の 一な るべし 。
を申 出 た りと 。仮 に之 を事実 な り とす るも 支 那 の反 対 に由 り其 成 立
来 に於 て其 截 然 た る解決 を見 ん こ と難 事 な り とす。
分 渾 沌 と し て、 其 帰著 す る処 を知 ら ざ る の状 態 に在 る べく 、 近 き将
帝 国 とし て何 れ の日 か東 支 に財 政 的援 助 を与 ふ る の要 あ りと せば
を提 唱 し事 実 上東 支 と の関 係 を絶 つに至 りた る も、 何時 其 政 策 に変
速 に之 れ が対 策 を定 む るを要 す 。 米 国 は自 ら進 ん で監 理協 約 の廃 止
十 一、東 支鉄 道 借 款 問題 東 支 の財 政 は整 理 資 金 の供 給 なく し ては 日 に月 に悪 化 す べき状 態
化 を来 す や も測 り難 し。 如 此 し て本 問題 の解決 に他 の第 三国 の卒 先
に在 り、 而 し て其 の管 理者 が露 支何 れ な る にせ よ彼 等 自身 に於 て 、 該 資 金調 達 の途 な き こと明 な り。故 に東 支 幹 部 は常 に資金 の調達 に
な め た ると 同様 な る苦境 に陥 る ことな き を保 せず 。前 轍 に鑑 み帝 国
定 に当 り 、帝 国 が米 国 と対 等 の位 置 を得 ん とし て、甚 だ し き困難 を
と し て深 く 考慮 す べき 点 な りと 思考 す 。
手 を著 く る も のあ ら む か、 嘗て 東 支 及西 比 利 亜鉄 道 の監 理協 約 の協
及東 支 沿線 の視 察 を な す こと と な り たり 。然 れど も 対東 支 の商 業 的
せ ん ことを 企 図 し つ つあり し が終 に本年 一月 、 上記 銀 行 団 は哈 爾 賓
投 資 は現 下 の経 済 状 態 よ り見 て困難 な る のみ なら ず 、其 の監 理 の帰
焦 慮 し、 昨 年 来 対支 四国 借款 銀 行 団 に嘱 目 し て、 之 を哈爾 賓 に招 致
著 す る処 明 な らざ る点 よ り見 るも 此投 資 団 の敢 てす る処 に あらず 。
対 東 支 の財 政的 援 助 は帝 国 の単 独 にて為 す こと困難 な る のみ なら
十 三 、東 支 の財 政共 同 管 理
ず 、 他 日債 権 承 認 に付 て問 題生 ず る場 合 等 を想 像 せば他 と共同 し て
如 此 にし東 支 の財 政 益悪 化 し其 運 行 完 全 な らざ る に至 らば 、其 最 も 大 な る影 響 を受 く るも のは我 帝 国 た るは 言 を待 たず 。
之 に当 る を可 と す べし 。
乃 ち適 当 な る機 会 に於 て他 の 一二関 係 国 と 共 に露 支 の諒 解 を 得 て
十 二、東 支 鉄 道 問題 に対 す る帝 国 の関 係
東 支 に財 政 権援 助 を与 へ、 充 分 な る財 政 上 の監 督 を為 し以 て東 支 の
東 支鉄 道 の為 最 も大 な る影響 を受 く る も のは帝 国 な るが故 、 帝 国 と し ては他 の例 に倣 ひ徒 に傍 観 の態 度 を取 る こと を得 ず 。而 し て今
経 営 上 に容 喙 す る の機 会 を作 る を可 な り と思 考す 。
東 支 の財 政 は窮 迫 の状 態 に在 りと 雖 、半 年 又 は 一年 の後直 ち に破
ら 伝 へら るる今 日東 支 に対す る此種 の監 督機 関 設 置 は、 其 四囲 の情
嫌 ふべく 、 良策 に非ず と の説 も あ る べし と雖 、 支 那 の財 政共 管 説 す
を 以 て内 地 の鉄 道 に対 し、 此種 の導 火線 とな るも のな り とし て之 を
如 此 せば事 実 上東 支 の財 政 共 同管 理 と な るべ く 、而 し て支 那 は之
後 帝 国 の東 支 問 題 に関 係 し得 る の途 は 、其 の財政 を援 助 し 以 て財 政
産 す る の状 態 には あ らず 。 且 つ支 那 は第 三国 殊 に日本 単 独 の東 支 に
及 経 営 上 に或 種 の監督 を行 ふ の外 な し と思 考 す 。
対 す る投 資 を 欲 せず 故 に、 可能 的 な る投 資 の時機 及 方 法 は熟 慮 を要
論
勢 に鑑 み 止 む を得 ざ る こと な る べし 。 十 四、結
す る財 源 を得 ん が為 、 両度 に亘 り本 件 を 張作 霖 に建 策 す る処 あ り、
と難 か る べし 。而 し て支 那 が独 力 を以 て完 全 に委 任管 理 の責 任 を尽
の労 農 政 府 承認 問 題 と関 聯 す るも のにし て、俄 に之 が決 定 を見 る こ
道 問題 に 対 し ては殆 ん ど権威 無 く 、 一方奉 天 側 の対 東 支鉄 道 関 係 は
硬 な る抗 議 を 提 出す る心 要 が あ る。現 状 より せ ば北 京 政府 は東 支鉄
も 累 を及 す 次 第 な れば 、 此際 領 事団 を動 かし哈 爾 賓 及 奉天 に於 て強
無 く し て利 権 の回収 を断 行す るは 、東 支 鉄道 に限 らず 一般 外国 人 に
支 那 側 が東 支鉄 道 に対 し万 事 国際 条 規 を無 視 し、何 等 合 法的 根 拠
遂 に張 の意 を動 かし て之 を決 行 す る こと に内 定 した模 様 であ る。
し 、東 支 を完全 な る世界 交 通 路 と し て維 持 せ ん こと の困難 な るは想
近 来 益緊 密 の度 を 加 へつつあ り、 労農 政府 も這 中 の消 息 を看 取 し 、
要 之露 支 間 の東 支 鉄道 問 題 の解 決 は 、露 国 の日 支通 商 問 題 及列 国
の惧 あ る は他 の鉄 道 の実 例 に見 て明 なり 。
労 農 政 府 は反 革 命 派 た る現東 支鉄 道 幹部 追 払 策 と し て、寧 ろ支 那
二、 支 那 側 の圧 迫 に対す る労農 政 府 の態 度
外 視 す る ことな く彼 に依 て適 当 の対 策 を講 ず る こと が肝要 で ある 。
る際 な れ ば、 東 支 鉄道 問 題 に関 係 を有 す る列 国 政府 も、張 作 霖 を度
カ ラ ハン若 は チ チ エーリ ンを代 表 と し て奉 夫 に款 を通 ぜん と し て居
像 に難 か らず 。加 之 一朝 内 乱 発 生 の場 合 、 其軍 憲 の為悪 用 せら る ゝ
又労 農 政 府 が近 き将来 に東 支 の管 理 を其 掌中 に収 め完 全 な る経 営
由 是 観 之 、帝 国 の東 支鉄 道 対 策 は露 支 両 国 の充 分 な る諒 解 を 得 て、
を行 ふ こ と の難 事 た るや亦 明 な り 。
其財 政整 理資 金 を供 給 し 、財 政 監 督 の機 関 を 設 く ると 同時 に経 営 上
側 の圧 迫 を歓 迎 し て居 る観 が あ る。 労 農側 は支 那 の無 力 な る ことを
し め、 其 の上 にて巧 に機会 を捉 へ、例 へば 沿線 の馬賊 蜂 起 等 に藉 口
知 り居 る故 、先 づ支 那 側 をし て眼 の上 の瘤 た る現 露側 幹 部 を排 除 せ
し 、 一挙 に東 支 鉄道 を 占領 す るが如 き手 段 に出 づ べく 、目 下 満洲 里
及 ポグ ラ ニチナ ヤ附 近 には有 力 な る赤 衛 軍 が駐 屯 し て居 る から 、露
支会 商 の開 かる る場 合 は背 後 の威 力 とし て意 義 あ る役割 を演 ず る こ と と な らむ 。
く 、張 は労 農 側 に最 も接 近 し居 るも のな ると 同時 に排 外運 動 の指 導
煥 相 と会 見 し居 るは 、国 境封 鎖 の善後 処 置 に関 す る打 合 せ と見 る べ
目 下 哈 爾 賓 に滞在 中 の赤 衛 軍 司令 官 ウボ ー レー ウ エツ チ が数 次 張
東 支 鉄 道 土地 部 の年 収 は四 百 万乃 至 五 百 万金 留 あ る為 、 支那 側 は
者 で あ る。
哈爾賓事務所
而 し て帝 国 は前 例 に鑑 み卒 先 之 が実 行 を図 ら ざ る べ からず と 認 む。
に或程 度 の監 督 を行 ふ に在 り とす 。
二 大正十二年七月二十八日 第 五〇 の 一号秘 ︹〓OH〓aTT〓 ︺
東支鉄道 に対す る支那側 の圧迫 七 月 廿 八 日ゴ ンダ ツ チ密談 要 領
久 し き 以前 よ り之 を手 中 に収 め度 いと 希 望 し て居 た も のであ る が、
一、 支 那 官憲 の東 支鉄 道 土 地部 奪 取 計 画
最 近 護路 軍 司 令張 煥 相 将 軍 は財 政 難出 に苦 し ん で居 た護 路 軍経 費 に対
三 、 ペ ル ロ フ技 師 の東 支 鉄 道長 官 説 に就 て 之 は訛 伝 と思 ふ。形 式上 から し て も北 京 に於 け る東 支株 主 総会 に 於 て長 官 の任 命 を為 す べ き が至 当 で 、該 任 命 は到 底 実 行 し難 き処 で あ る。 但 し オ スト ロモ フは支 那 側 の極 力 排 斥 す る 処 な れ ば 、 ﹁オ﹂ に休 暇 を与 へ、兪 仁 鳳 を し て ﹁オ﹂不 在 中 の代 理 たら し め、﹁オ﹂は 其 の儘 罷 免 さ れる こと とな る であ ら う。 四 、 哈爾 賓 地 方 の暴 動 予言
第 五 〇 の二号秘
哈 爾 賓 事務 所
支 那 の排 外 運動 の結 果 、本 年 八 、 九 月頃 哈 爾 賓 地 方 に拳匪 事 件 類 似 の騒動 が起 るで あ らう 。
三 大 正 十 二年 七月 二十 八 日 支那 側 の東 支 鉄 道土 地 部奪 取 計 画 の裏 面 ゴ ンダ ツ チ の談 。 支 那 側 が該 問 題 の解 決 を急 ぐ 理由 は労 農 代 表 チ チ エーリ ン若 は カ ラ ハンが、 八 月廿 一日哈 爾賓 通 過 第 一着 に奉 天 を訪 問 の予定 な れ ば 其 れ迄 に極 り を附 け ん と す る為 であ る。
上 対策 を講 ず る考 であ る。
長 春 地方 事 務所
亜 銀 行 支配 人プ チ ヒ ユー ゲ ナ ンに電 報 し 、同 氏 の来 哈 を俟 ち熟議 の
四
午後 五時 第 四九 号電 報
支 那 側 の東 支 鉄 道 土 地関 係 書類 武 力占 領
大 正 十 二年 八月 一日
護 路参 謀 長 は張 作 霖 の命 令 な りと て昨 日 オ スト ロモ フを訪問 し、
東 支 沿線 以外 の土 地全 部 を 支那 に返 還 を迫 り 、領 事 団 の抗 議 によ り
極秘
哈 爾 賓事 務 所長
奉 天 に照会 の上 、 本 日武 力 を 以 て ゴ ンダ ツ チ の管 掌 せる 土地 関係 重
哈 調第 五 八 号
要 書 類 室 を占 領 し 目 下紛 擾 中 な り と。
五
大 正十 二年 八 月 三 日
東 支 鉄道 附 属 地 回収 問 題 経緯
ので あ る)
( 備 考 、 本 記事 は八 月 三 日迄 の事 件 の推移 を記 録 し たも
は 温和 な人 間 で何 事 も事端 を醸 す 様 な こと を 避 け ん とす る傾 あ り 、
問 題 は東 支 附 属 地 内 に設 定 し あ る各 国 人 の土 地 権 にも 関係 を 及 ぼす
三 日間 に事 件 は予 想 の如 く展 開 し て形 勢 穏 かな らざ るも のあ り 、本
は客 月 二十 八 日哈 調 第 五 〇号 を 以 て報 告 し て置 きま し た が其 の後 二、
当 地支 那 軍憲 が東 支 鉄 道土 地 部 を自 己 の掌 中 に収 む る企 あ る こと
該 問 題 に対 し ても同 意 を 与 ふる に躊 躇 し た為 、 直接 張 総 司 令 に建 策
重 大 事件 に付 、 当 所各 課 員 は各 方 面 に つき意 見 を求 め、 又 は情 報 の
元来 該 問 題 は曩 に張 煥相 よ り朱 慶瀾 に相 談 し た も の であ る が、 朱
る こと は事 実 で、李 は ゴ ンダ ツ チ の後 釜 を狙 つて居 る。
蒐 集 に従事 し ま し た ので今 日迄 の分 を整 理し 、 本報 告 書 に纏 め 茲 に
す る に至 つたも ので あ る。尚 本 件 には朱 の顧 問 李家 鰲 が関 係 し て居
本 件 は重 大 問 題 な れば 本 社 ダ ニレ フ スキ ー及 オ長 官 より在 北 京 露
東 支 鉄 道 護路 軍 は朱 慶瀾 大 将 を 総 司令 と し 、張 煥 相中 将 を 参謀 長
側 の圧 迫 を 歓 迎 し つ つあ る の観 が あ つた。
兼 長 綏 司 令 官 と し 、兵 力約 四旅 団 、実 兵 数 約 一万、 之 が維 持 費中 毎
因
支 那側 が常 に東 支 鉄 道 の回収 に焦 心 し 、露 国側 の勢 力 及権 利 を制
出 し て居 る。 併 し軍 隊 の俸 給 食 糧 等 に対 す る経 費 は支 那側 の負担 で
年 東 支 より 軍 隊輸 送 費 、 兵舎 其 の他 の現 物 を 以 て四 百 万弗 以 上 を支
一、原
提 出 す る次 第 で あ りま す 。
が、 最 近 に至 り其 の鋒 鋩 特 に顕 著 な る に至 つた。
政 的各 機 関 を管 理す る機 関 で 、朱 慶 瀾 が其 の長官 を兼 ね て居 る。東
軍 隊 以外 に東省 特 別 区 行政 長 官 公 所 あ り、 民政 及 租 税 に関 す る行
詰 り 、之 れ丈 け が 民間 よ り徴 収 せら るる訳 であ る。
限 せん と し て種 々の計 画 を な し つつあ る こと は 一般 周 知 の事 実 なる
鉄 道 長官 各 部長 権限 の制限 並 に支 那側 各 次 席 の割 込 策 等 は其 の 一
瀾 の名 を 以 て張 作 霖 の命 と称 し 、東 支鉄 道 附 属 地 を 回収 せん と し翌
たら し む る も の であ る。
支 土 地 部 の移 管 は即 行 政 長官 の隷 下 一局 を新 設 し 、張 煥 相氏 を 局長
例 であ る。而 し て七月 三十 一日支 那 軍憲 は東 省 特 別 区行 政 長官 朱 慶
八 月 一日 には是 を 一般 に公 布 し て居 る (布告 文 は後章 に あり ) 日米
な る 地歩 を占 め置 かん と の考 へも あ る が、東 省 特 別 区 即東 支 鉄 道附
支 那各 団 体 の排 外 熱 と 、来 る べき露 支 会 議 に際 し、 予 め自 己 に有利
然 らば 支 那側 が突 如 斯 く の如 き計 画 に出 でた る近 因 を考 察 す る に
常 に排 外各 団体 を繰 縦 し居 るも のと認 め ら れ、 当市 の商会 と は最 も
参 謀 長 た らざ るを得 ぬ、 是 は彼 の心 竊 に平 かな ら ぬ処 であ る。 彼 は
浜 江 鎮 守使 を兼 ね て居 るも 、護 路 軍 に於 て は朱大 将 の下 に名実 共 に
司 令 の権能 を行 ひ来 た の であ る。 彼 は今長 綏 司令 、第 十 八旅 団 長 、
就 任 前 は統 督 軍 の下 に護 路 軍参 謀 長 の職 に居 り乍 ら 、実際 上同 軍総
張 煥 相 は嘗 て日本 士 官 学校 の出 身 で策 士 肌 の人物 であ る。 朱 慶瀾
英 仏 四国 領事 の抗 議 に依 り目 下行 悩 み の状態 に あ るが 、既 に発 表 し た る以 上 仮令 其 の事 が違 法 と す る も何 と か善 後 策 を講 ぜざ る訳 に行
属 地内 外 の警 備 費 と し て、傅 家 甸其 の他 支 那商 の上 納 金多 額 に上 り、
が あ る。
密 接 な 関 係 を持 つて居 る の で、其 の勢 力 を利 用 し て活 動 す る の形 跡
かず 、当 局 の苦 心 察 す べ きも のが あ る。
一同 困難 を感 じ居 る処 よ り年 々多額 の収 入 あ る土 地 部 を 、支 那 官憲
露 国 側 東 支 重役連 の言 を綜 合 す る に、今 回 の問 題 に は張 煥相 と 李
の管 理 に移 し 之 を以 て国家 各 自 の負 担 を免 れ ん とし た のが有 力 な る
家 鰲 (旧浦 潮 総 領 事 、浜 江 道 尹 、特 別 区 高等 審 判長 、現 在 朱行 政 長
入 (年 額 四 百 万円 ) に取 ら ん為 、 又李 は年来 相 好 からざ るゴ ンダ ツ
素 因 を な し居 ると伝 へら る 。其 の他 或 程 度 迄 各個 人 の利害 関 係 にも
チ氏 を除 かん為 の計 画 で、 初 め朱 慶 瀾 に相談 せる も朱 が兎角 煮 へ切
官 の外 交 顧問 ) と が主 謀 者 で、 即張 は護路 軍 の維持 費 を土 地部 の収
支 那側 は今 の露 西 亜 側 東支 幹 部 が白 派 に属 し 、孤 立 無援 な る に乗
立 脚 し て居 る こと は言 ふま で もな い。即 此 等 の事 情 から今 次 東 支 に
じ 是 れ を圧 迫 し て今 の中 に出 来 る丈 け自 己 の勢 力 を 拡 げ 、利 権 を獲
らざ る によ り 、張 は 奉天 に至 り直 接 に張 作霖 に建 策 し 、命 令 を下 さ
対 す る支 那 側 の圧迫 を 観 察す る必要 が あ る。
得 し置 か んと し労 農 側 は 此等 の現東 支 幹 部 追 払 ひ策 と し て寧 ろ支 那
拠 れ ば 、張 作 霖 氏 が最 後 の命 令 を発 し た のは 、李 家 鰲 の意 見 に出 た
し た のであ ると言 はれ て居 る。 併 し支 那 側 一重役 (何 某) の内 話 に
は 左 の通 り で支 那 側 の違 法 行為 を明 白 に言 明し て居 る。
銀 行 極東 総 支 配 人 プ チ フ ユゲ ナ ンが 当 地支 那 官憲 に提 出 せ る抗 議 書
て元 より適 法 に行 は れ たも ので はな い。 本 問 題突 発 直 後在 北 京露 亜
余 は東 支 鉄 道 株主 にし て 一九 二〇年 十 月 二日附 中 国 政府 と露 亜
も のと も見 ら れ る の であ る。 其 の他 労 農 代 表 キ セ リ ヨフが本 年 末迄
る資 格 を 以 て、 貴 職 の東 支鉄 道 土 地 部奪 取 は不法 行 為 にし て、東
銀 行 間 に締 結 せら れ た る臨時 協 約 の署 名者 た る露 亜 銀 行代 表 者 た
には 日露 の協 約 成立 し 、労農 政 府 は東 支 鉄 道 に対 し て全 く自 由 の行
の神経 を過 敏 な ら し め、 日露 協 約 成 立前 に東 支 の有 力 機関 た る土 地
支 鉄 道会 社 の権 利 及之 に伴 ふ支 那 政 府 の義 務 を直 接 毀損 す るも の
動 を と る こと に就 て 、 日本 の認 容 を得 べし と 公言 し た こと も支 那 人
部 の裁 撤 を企 てし む る に至 れ るも のと見 ら れ る の であ る。
依 つて余 は東 支 鉄道 株 主 及同 鉄 道 社 債券 所 持 者 の権利 を回復 し、
な る こと を茲 に言 明す 。
扨 て本 問 題 の本質 を考 ふ る に支 那側 に何 等 適法 の権 利 な き こと は
二、 不 法 行 為
明 であ る。 而 かも支 那 側 の理由 と す る所 は、 東支 鉄 道 は鉄 道 の経営
の損 害 求償 に就 き 凡 ゆ る手段 を講 ず べ し 。 又貴 職今 回 の行 為 は適
且貴 職 の行為 に より て将 来受 く る東 支 鉄 道株 主 及同 社 債券 所 有 者
法 の委 任 に拠 るも のに非 ざ る が故 に貴 職自 ら責 任 を負 ふべき も の
上 必 要 な土 地 を租 借 す る こと を得 るも 、何 等 之 に直 接 関係 なき 広 大 な る土 地 を領 有 し 、剰 さ へ之 を他 に転貸 し て利得 を収 む る が如 き は
な り。
率 の地代 を支 払 ひ買 収 した も のであ つて 、其 の金 額 は実 に 一千 万 金
東 支鉄 道 管 理 局土 地 部長 ゴ ンダ ツ チ氏 の管 掌す る所 で あ る。同 氏 は
千 万留 、 一年 の収 入 約 三百 万円 で あ る。 其 の面 積 は次 の通 で あ つ て
東 支鉄 道 の附 属 地 は総 計 約 二十 万町 歩 、 設 立当 時 の買 収価 格 約 一
三 、東 支 土 地 部 の内 容
不 可解 な りと 言 ふ に あ る様 であ る。 然 る に東 支鉄 道 は其 の建 設 を 為 す に当 り 、官 有 地 は条 約 に拠 り正 当 に之 を獲 得 し 、又 民有 地 は 一々
留 に達 し、 此 等 土 地譲 渡 に関 す る正 当 証拠 書 類 は東 支 鉄道 庁 に現 在
帝 政派 の随 一人 とし て 、往 年 黒竜 総 督 と し て支 那 人 に対 し 圧迫 を 加
地 方 長官 の特 派 せ る委 員 並 地主 等 と 商 議 し 、当時 と し ては 比較 的 高
保 存 さ れあ り 、 且清 朝 政府 と の交 渉 中 に は東 支 の領 有 す べ き土 地 は 、
一、石 頭 河子 林 場
博 克 図 駅南 六十 五露 里 に在 り面 積 七 万三 千デ
面 積 八 万 五千 三 百 七 十デ シ ヤチ ーナ
シヤ チ ーナ
二 、 チ ヨー ル林 場
右 の外 左 記 三箇 所 の林場 をも管 理 し て居 る。
︹ 次 頁 表 、東 支附 属 地 の面積 参 照 ︺
へた 人 であ る。
必要 な る土 地 及 文化 施 設 に必要 な る土 地 をも 併 せ て之 を所 有 し得 る
単 に鉄道 経 営 上直 接 必要 のも の以 外 に戦 略 上 より見 たる沿 線 守 備 に
こと と なり 居 り 、是 亦 議 事録 中 に記載 し あ れば旁 々支 那側 の主 張 は 全 然根 拠 を な さ な い。 最 近支 那 軍 憲 が哈 爾 賓 区 に於 て約 四 百デ シ ヤチ ン (残 れ る部 分 の 約 二割 に相 当 ) の鉄 道 附 属 地 を勝 手 に処 分 し た事 実 があ る が、 是 と
日) を見 る に至 つた の であ る。
あ らざ る他 の命 令 に は決 し て服 従 せざ る こと 。
東支附属地 の面積
先是 事 態 頗 る 重大 な ら ん とす るやダ ニレ フ スキ ー副総 裁 及 オ スト
五 、露 西 亜側 の対策
ロモー フ局長 よ り、 在 北 京露 亜 銀 行極 東 総 支配 人プ チ ヒ ユーゲ ナ ン
に電 報 し、 至 急来 哈 を 乞 ひ し が同 氏 は 七月 三 十 一日 来 哈 し た。
兼 て巴 里 露 亜 銀行 本 店 と事 務 打 合 せ の為 出 張中 な り し 、東 支 理事
プ シ ユカ ロフ氏 も帰 途 北 京 に立 寄 り ﹁プ﹂ と同 行 帰 哈 し た。而 し て
即 日露 西 亜 側 のみ に て会 議 を開 き対策 を密 議 し た るが 、其 の決 定事
一、露 西 亜 側 は団 結 し て確 固 不 動 の態 度 を と る こと 。
項 と し て内 聞 せる所 に よれ ば大 要 左 の如 く であ る。
三 、 万 一の場 合 は領 事 団 に通 知 し 援 助 を乞 ふこと 。
二 、地 券 は決 し て支 那 側 に引 渡 さ ざ る こと 。東 支 理 事会 の決 議 に 三 、松 花 江林 場 ( 岔林河)
哈 爾 賓 を距 る松 花 江下 流 二百 二十 三
露 里 に在 り、 面積 三万 一千 五百 九 十 五デ シ ヤ チ ーナ
而 し て第 三項 に対 し ては露 西 亜 側 は最 も大 な る希 望 を托 し居 た る
道 の管 理 を委 任 す る ことと な り居 れ る のみな れ ば 、同 会議 に参 加 の
華 府会 議 の決 議 に よ れば 、 正当 の露 西亜 政 府出 現 迄 支那 に東 支鉄
は言 を待 たず 。
東 支鉄 道 管 理 局 ( 支 社 ) 内 に在 る重要 機 関 は 土 地部 であ る 。土 地 部 の権 能 は広 大 な も ので宛 か も植 民 政府 の観 が あ る。 就 中 土 地部 の
列 強 は東 支 の現 状 に大 な る変 化 を来 す が如 き手 段 に反 対 す べ きも の
重 要 事務 は附 属 地 の貸 下 、 移住 者 の増加 を謀 り商 工各 業 の発展 を期
も のと見 て差 支 な い。
す る こと等 で あ る。即 我 満 鉄 の地 方 部 と大 同 小異 の事 務 を 管掌 す る
︹四郎 ︺
は支 那 側 が 翌 三十 一日 正午 を期 し 、土 地 部 の引 渡 を受 く べく張 煥 相
七 月 三 十 日夜 プ チ ユゲ ナ ンよ り山 内 総領 事 より面 会 を求 め 、プ 氏
六、 四 国領 事 の活 躍
とな し と確 信 し ゐた る模 様 であ つた。
と の観 測 を下 し 、関 係 列 国 は本 問 題 に対 し決 し て等 閑 に看 過 す る こ
東 支 附 属 地 の回 収 に関 す る最 初 の通達 は今 から約 一箇 月 以前 に奉
四、 奉 天 よ り の土 地 課裁 撤 命令
天 から朱 慶瀾 に与 へら れた が 、朱 は時機 尚 早 であ る と返 事 し た や に
日帰 哈 せ る東支 監 査 役楊 卓 の齎 ら せ る訓令 に拠 り 形勢 を急 転 直 下 し、
氏 東 支 支 社 へ出 張 せ ん とし 形 勢 切迫 し居 る に付 、何 と か援 助 の手 段
伝 へら る 。其 の後 屡 次督 促 があ り結 局本 月 二十 八 日 の電 命 並 二十 九
七月 二十 九 日東 省 特 別 区行 政長 官 公 署 布 告 第 六 号 の発 布 (八 月 一
を講 ぜ ら れ た しと 懇願 す るが こと あ つた 。茲 に於 て三 十 一日 午 前 十
務 を引 渡 す に必要 な る命 令 を発 せ ら れ たし と 要 求 し 、﹁オ﹂局 長 は
の通 告 にも命 令 にも接 せざ るが故 に、之 に応 ず る こと能 はず と答 へ
は此 の問 題 に関 し て本社 理 事 会 よ りも 亦 、株 主 総 会 よ りも何 等 公 式
た。 此 の緊 張 しき つた場 面 に四国 領 事 が ﹁オ﹂ 氏 に面 会 のた めと 称
之 に対 し 頗 る慇 懃 では あ る が然 か も断 乎 た る態 度 で、今 日迄管 理 局
プ ス氏 、仏 国 領 事 ブ ロ ンド 氏集 つて密 議 を こらし た 。其 の結 果 右 四
し案 内 を 以 て 入り 来 つた。 此 の領 事 団 の来 訪 は支 那官 憲 には勿 論 鉄
時 半 山 内 総領 事 は其 の官 邸 に緊急 領 事 会 議 を開 き、領 事 団 主 席 た る
国 領 事 は華 府 会 議 に於 け る東 支 鉄 道 に関 す る取 極 書 の精 神 並 一九 二
同 氏 の外 三大 国 代 表者 、即 米 国領 事 ヘ ンソ ン氏 、英 国領 事 フイ リ ツ
〇 年 支 那外 交 部 よ り受 け たる同 文 通 牒 の内 容 に鑑 み 、東 支 会議 の権
ツ チ等 の諸 氏 も呼 び込 まれ た 。
道 当 局 にも全 く 意 外 で あ つた 。同 席 には更 にプ チ ユゲ ナ ン、 ゴ ンダ
︹マ マ︺
利 を擁 護 す る為 支 那官 憲 に対 し抗 議 を提 出 し て其 の反 省 を促 し 、若
目 下東 支 鉄 道 に対し 支 那側 が執 ら う と し て居 る手段 は 非常 に重
領 事 団 の名 を 以 て次 の要 旨 の宣 言 をし た 。
英 領 事 フイ リ ツプ ス氏 は 支 那語 に堪能 な る処 よ り山 内 領 事 に代 り 、
聴 かざ れ ば適 当 の手段 を取 るべ し と決 議 し た。 而 し て本 件 は素 よ り 突 発 的 のも のなれ ば夫 々本 国 政府 の訓 令 を仰 ぐ の暇 な く、 各領 事 は 自 己 の責 任 を以 て処 理す る こと と な つた ので あ る。依 て会 議 後 午前 十 一時 二十分 四国 領事 は朱 慶 瀾 大将 を 護 路軍 司 令 部 に訪 問 し 、東 支 土 地部 移 管 の噂 あ る が果 し て事 実 と す れ ば 、其 の及 ぼす 処 頗広 汎複
のも ので は無 い。 支那 から東 支 に租 借 さ し て居 る土地 を 期限 経 過
前 に取 り 上 げ様 と す る こと は、 一八 九 六年 露 支 間 に結 ば れ た条 約
大 な 問題 で 、如 何 な る こと が あ つても 地方 官 憲 で決 定 し 得 る性 質
し て之 を 不問 に附 す る こと能 はず と述 べた る に、 朱 は 此 の手 段 は張
雑 にし て国際 上重 大 な る問 題 を惹 起 す るに至 る べく 、関 係 列 国 は決
尚 此 の支 那側 の行動 は各 国 が承 認 す る正 当 政 府 が露 国 に出 来 る
違 反 であ る。
迄 東 支 鉄 道 は 、総 てに於 て現状 を維持 し なけ れ ば なら な いと言 ふ、
ので あ ると答 へ、 何等 要 領 を得難 き に付 徒 ら に時 間 を費 し東 支 支 社
作 霖 も よし と言 ひ、 王督 弁 も 同意 な れば 自 分 は之 を断 行 せん と す る
の急 に後 れん ことを 恐 れ 、正 午 を過 ぐ る十数 分 にし て四国 領 事 は同
以 上 の理由 に依 り列 国 代表 者 は、 支 那官 憲 の土 地部 撤 廃及 移 管
議 の決 議 にも全 く 抵触 す るも のであ る 。
各 国 代表 者 と支 那 の公 式 代表 者 と の間 に決 議 署 名 さ れた 、華 府 会
予定 の如 く 三十 一日 正午東 支 管 理局 には張 煥 相 と 交渉 局 員 李 紹源
所 を去 り東 支 管理 局 に向 つた の であ る。
が来 て オ スト ロ モフ局長 の室 に入 つた。 其 の入 口 の戸扉 には モ ーゼ
の処 置 に対 し抗 議 を申 立 てる 。而 し て其 の旨 奉 天張 作 霖 氏 に電 報 し 請 訓 あ る べし と 。
事 のリ フ テ ル氏 がや つて来 た。 此 の人 々 の面 前 で張 煥 相 は管 理 局長
は 只 上官 よ り受 領 し た命 令 を遂 行す る の義 務 が あ る の み と 述 べ、
之 に対 し張 煥 相 は問 題性 質 の審議 は自 分 の与 り知 ら ざ る処 で、自 分
其 の後 間 も なく 局長 室 には 本 社副 督 弁 のダ ニレ フ スキ ー技 師 と理
ル銃 を帯 び た 一、二 の従卒 が立 番 し て居 た 。
に対 し、 明 八月 一日自 分 を長 と す る土 地 管 理局 に対 し 、土 地 部 の業
﹁オ﹂ 長官 に対し 、 明 日土 地 部引 継 の為 に来 る べし と言 ひ置 き同 所
れば 土 地部 の業 務 の多 く は純 行 政 性質 を有 し 、追 加 条 約第 六 条東 支
及 権 利 の獲 得 にし て荀 も政 治的 性 質 を有 す るも のは、 之 を厳 禁 す る
鉄 道 会 社 の権 利 及 任務 は商 業的 性 質 を 超越 す る ことな く 、其 の行動
東 支 附属 地 は鉄 道 建 設当 時 約 一千 万留 の資 金 を投 じ 、支 那 人 よ り
も のな り と の明 文 に反 す る こと 明な り 。故 に東 支鉄 道 土 地部 は保安
を立 去 つた 。
購 入 した も ので官 衙 の証 明 あ る地 券其 の他 の書 類 は現 に東 支 管 理 局
総 司令 の電 報 に依 り廃 止 せら る べき も のとす 。
業 務 にし て商 業 的性 質 を有 し 、条 約 に抵 触 せざ る も のは出 来 得 る限
守 使 を任命 し、 業 務 の引 継 及開 始 は本年 八月 一日 と定 む 。土 地 部 の
行 政 長 官公 署 は東 省 特 別 区域 地畝 管 理局 を 設 け、 局 長 と し て張鎮
に保 存 され てあ る の で、 土 地 に関 す る権 利 を主 張 す る に絶 対有 力 な
にて は支 那 は之 れ が押 収 を もな し兼 ね間 敷 き模 様 な れ ば 、東 支 当 局
る証 拠 物 な れ ば、 支 那 は是 等 書 類 の引 継 を 切望 し居 り 、昨 今 の形勢
の陳 情 に依 り 四国 領 事 は 此等 書 類 の格 納 し あ る書 庫 に対 し、 官 印 を
り鉄 道 に残置 し置 く べ し。
布 告す るも のな り 。
瀾
一方 東 支沿 線 各 駅 の地方 部出 張所 に対 し て は、 八月 一日 よ り 一律
慶
に其 の職 務 を停 止 し 、直 に沿線 の軍 警 を 以 て適 当 に監 視 保護 し、其
東 省 特 別 区域 行 政 長 官大 将
中 華 民国 十 二年 七月 廿 九 日
公署 を設 け あ り て、 東 支 鉄道 土 地 部 の業 務 は右 行 政 長 官 公署 の業 務
の特別 区 地畝 管 理 局 に て沿 線 土 地接 収 方法 を確 定 し た後 に、始 め て
朱
あ る べし 。各 種施 設 に対 す る 回答 及 通 告 の外 本 書 を以 て 一般 住 民 に
旧露 国 職員 は相 当 の職 に充 つる為 特 別 区域 土 地局 に招 聘す る こと
其 効 力 を有 す るも のとす 。
尚 各 国 民 の借 用 せ る土 地 にし て合 法 的契 約 を 有す るも のは従 前 通
以 て封 印 を施 し問 題 解決 ま で厳 重 に保 管 す る こと とな つた。
張 鎮 守使 ( 煥 相 ) は卅 一日四 国 領 事 の抗 議 あ りし に拘 らず 、 八 月
七 、支 那 軍憲 の採 れ る手段
一日東 省 特 別 区域 行 政 長 官朱 慶 瀾 大将 の名 を 以 て、 市 の各 所 竝 各 新
(第六号)
聞 に左 の布 告 文 を発 表 し た 。
布告
東 省 特 別 区 域行 政 長 官 公署 は本 書 を以 て布告 す 。 当 公 署 は東 支鉄 道 督弁 公署 より東 三省 保 安総 司 令 の電 報 を示 せ る
に抵 触 す る こと甚 しく 、 又 明 か に領 土 上 の権利 は全 く 地 方官 憲 に属
書 面 を受 領 せ り 。即 ち其 の電 報 に 曰く ﹁東 省特 別 区域 には行 政 長 官
す べ きも のな り と言 ふ当 初 の条 約 の趣 旨 に反 す。 而 し て将 来 に於 て
受 渡 に着 手 す る筈 であ る と の こと だ。
度 著 しく 強 硬 とな り 、 理事 会 の命 令 以 外 一切 の指図 を受 けず と固執
み 事務 の引継 を迫 つた が 、鉄 道 当局 は四 国領 事 の抗 議 もあ り其 の態
尚前 記 布告 の発 表 と共 に張 煥 相氏 は同 日東 支 鉄 道 土地 課 に乗 り込
以 上 の如 き 現 況 を維 持 す る こと は吾 が最 高 権利 を侵 害 す る の大 な る も のな るを 以 て 、東 支 鉄 道管 理 局 (支社 ) に対 し 、其 の土 地部 を 廃 し之 を行 政 長 官 公署 に引 継 ぐ べく 交 渉 を開 始 す べ し﹂ 尚之 と同 時 に土 地部 に与 へら れ た る指 令 を受 領 せり 。右 指 令 に依
し たる ため 張 氏 は何 等 要 領 を得 ず し て引 取 つた 。 支 那側 は今 回 の運 動 が容 易 に成 立 つべき も のと軽 視 し た る処 、 四
り起 つた の でなく東 三省 の中 央機 関 た る奉 天 に発 し て居 る。
元 来 土地 課 の業 務 は 一九 二〇 年東 支 鉄道 続 訂 契約 第 六条 に基
の気 味 に て朱 慶 瀾 氏 より領 事 団 に回答 し た る内 政 干 渉 拒絶 (八 月 二
あ り て特 別区 の統治 に悪 影響 を与 へつ つあ る の事 実 を認 む 。
範 囲 を 超 へ移 民 政策 に利 用 せ ら れ、行 政 上 にま で其権 限 を及 ぼ し
き 、営 業 関係 に属 す べき も ので あ る。然 る に同 課 の業 務 は営 業 の
イ
日秘 電 哈 第 二 七号 参 照 ) の文 書 の取 戻 や、蔡 道 尹及 張 煥 相氏 の山内
の みな らず 、 現 に土 地 課 長 と し て不 公平 な る処 置 多く 、 且 私利 を
ロ
国領 事 の結 束 に依 り て意 外 の暗 礁 に乗 上 げ た る の観 あり 、多 少狼 狽
総 領事 訪 問 、温 路 警 署 長 の米 国 領事 訪 問 に て何 等 か の解決 点 を見出
現 土 地課 長 ゴ ンダ ツ チは極 東 総督 時 代支 那 人 を常 に虐 待 せ る
さ ん とす る等 、支 那 側 苦 心 の態 明白 であ る。而 し て張 煥相 氏 は山 内
営 み 一般支 那 人 よ り著 し く憎 悪 せら れ て居 る。
如 き公 共 の土地 を 除 き、 之 を行 政 長 官 の新 設 せ る支 那側 特 別 区 地畝
総 領事 の勧告 に従 ひ、 八 月 二 日、 日本 領 事館 に於 て午 前午 後 の二 回
尚 土 地部 に於 て行 政 的事 務 を管 掌す る は違 法 な る に付 、右 関 係 業務
ツ チ のみ を放 逐 し其 他 の職 員 は従 来 の通勤 務 せし む る こと とす る の
管 理 局 に移 管 し 、 ゴ ンダ ツ チに代 ふる に張 煥相 を局長 とし 、 ゴ ンダ
以 上 の理由 に基 き鉄 道 の営業 上必 要 な る土 地及 学 校 、病 院 用 地 の
に限 り之 を差 止 め、 東 省特 別 区行政 長 官 の管 轄 に移 し 、鉄 道 営業 に
四国 領 事 と会 見 し、 張 は今 回 の事 は 一商事 会 社 とな れ る東 支 鉄道 が、
直接 関 係 の土 地管 理 には干 渉 せざ る も の にし て、 東 支 の組 織 に変 革 を与 へんとす るも の にあ らず と 陳弁 大 に努 め たり 。 即 ち張 氏 の こ の
の明文 と は 、其 の緩 急 の程 度 に於 て著 し く距 離 があ り 、明 か に支 那
せ しむ べし と の意 味 に て、 朱 長 官 の布 告文 中 東 支 土 地部 を廃 止す と
る如 く特 別 区内 に於 け る外国 人 にし て、 合 法 の契 約 に基 き 租借 せ る
に関 す る新 規 則 は新 に発 表 せ ら るべ き も、 要す る に布告 に明 示 し あ
に移 管 し た れば と て将 来 の弁法 に何 等異 な る こと は な い。 何 れ弁 法
土 地 課移 管 の精 神 は前 述 の如 く 、 従 て東 支鉄 道 庁 よ り之 を 支 那側
で あ る。
側 の譲 歩 と見 ら るる ので あ る。尚 八 月 二 日埠 頭 区 の某 官 衙 に東 省 特
陳 弁 は土 地部 を両 分 し 一を支 那 に収 め、 他 は其 儘 東 支 土 地課 に留 置
別 区 地 畝管 理局 の看 板 掲 揚 せら れ た るも、 東 支 が事 務 の引 継 をな さ
せん とす る者 に対 し ても 従来 と 等 し く之 を貸 与 す べく 、 唯 貸与 者 が
東 支 鉄道 庁 に非ず し て支 那 行 政 長 官 に属 す る地 畝 局 とな り し のみ で
も の に対 し ては 従来 の租 借 権 を認 む る のみ なら ず 、将 来 土 地 を租 借
は単 に体面 修 飾 上 一時 を糊 塗 す る支 那 一流 の慣 用 手段 にあ らず やと
ざ る限 り 、何 等 実務 を執 行 す る こと能 はざ るは 言 ふ ま でも な く、右
も観 測 せ ら る。
て土 地課 移 管 に関 す る説 明 を与 へ、 且交渉 員 を派 し て更 に説 明 を 加
今 回領 事 団 に対 し ては朱 長 官 よ り其 の訪 問 に際 し、行 政長 官 とし
ある。
支 那側 某 要 人 に就 き説 明 を求 めた処 、今 回発 表 さ れた 土 地移 管 の
へた る の みな らず 、 土地 移 管 に関 す る布告 を送附 し た。然 る に領 事
八 、 支 那側 の言 分
こと は既 に 一ケ 月 に亘 り て審 議 され た ので、問 題 は北 京中 央 政 府 よ
労農 との提携 を議すると言 ふことで、労農側 は此機会 を利用して哈
つた。 三日迄 の情報 によると哈市露国商業会議所も秘密会を開 き、
爾賓 の白系露 人を其 の傘下 に糾合 し、支那側 の出様 一つでは非常手
労農側 と相提携 し、同歩調 の下に行動 せんと深く決 すると ころがあ
るも のにして領事 団が土地課 の書類 に封印 を行な へゐが如きは其 の
段 に訴 へても露国 の利益 を擁護せんとする形勢 である (八月三日発
団 は単 にゴ ンダ ツチ側 の言 を信 じて、行 政長官 の言を信 ぜざるは甚
理由を解 するに苦 しむ。之等 の事 が遂 に中央政府 の問題なるが如 き
だ遺憾とす る所 である。今 回の土地課移管問題 の如きは内政 に関す
事 あるとも、支那側としては公明 の立場 にあるも のなりと信ず るの
秘電哈第二九号参照)
露支合弁 の東支鉄道 に民政を司 る土地課な るも のの存在 は、明 に
告ぐ﹂ の題下 に左 の如く掲載 した。
八月 一日、国際協報 は ﹁土地課移管 に当 り敬 て駐哈外国領事団に
十、支那新聞 の論調
である。 オスト ロウモフは理事会議 の決議 に基 き、本社 から の命令あるに 非ざれば土地課 の移管 は承認し難 しと言 ふも、行政長官として理事 会議 の命 令に聴従すべき必要を認 めず、又理事会議 の同意を経 んと
中国 の統治主権を藐視し、地方行政を妨礙する非法機関たらずんば
すれば彼等 は故意 に開会 を避け、或は不利 なる議決を行 ふべきや明 か である。既 に張作霖 の命 令に基き王督弁 の同意 を得たる今 日、強
政長官を置 きたるは、当局が東支沿線 の安全を重視し、各国居留民
蓋し東省自ら警察 、司法、郵政等 の整備以後、特 に民政 を司る行
表示せり。
依 り之 が管理を接掌 せるも のにし て国家最高 の主権統 一独立 の旨 を
あらず。東支鉄道 の路権を支那 に回収せる当時 に於 ては、当 に法に
オ スト ロウ モフが強 いて移管 に反対す るに於 ては、当方も断然た
いて理事会議を必要 とせざるは明 かである。 る処置 に出づる考 へである。又 ゴンダツチが若本社 の命令に非ざれ る のみだ。但し移管 に関して武力を使用す るが如き事は絶 対にな い。
をし て独立領域駐在国最高統治 の保障 を受けしむる所以にして、外
ば解職 を承認せず と主張す るに於 ては日限 を定め て彼 に退去 を命ず 九、労農代表 の態度
の苦衷は各友邦 の斉く諒とする処なるべし。今 土地課 の管領を接受
した るは終始此 の主義 の逐次漸進 せるものにして、以 て特別区域 の
国居留民をし て寸毫も不安 の念 を与 へしめざるなり。想ふに此 の種
安寧秩序 の完成を期す るも のなり。
土 地課解散問題 に就 ては労農側 は非常 に重大 に考 へて居る。労農 ふ情報があつた ので 一時沈静 の態度 であ つた。併し布告第六号 の発
代表 公館 には卅 一日朝迄は支那側 が土地課奪取を思ひ止ま つたと云 表 に依 りす つかり様子が変 つた。労 農代表 は張作霖 の命令に対し て
附属特別設置 の専管民政機関たるなり。之を治むるに或は地方警察
く道路 の開鑿、曰く住居 の規畫 等即ち之 なり。約言すれば東支鉄道
抑も土地課 の管掌 たるや曰く、土地 の払下、曰く捐税 の徴収、曰
八月 一日、事件 の詳細 に関し て労 農公館 より莫斯科及北京に電報
抗 議するに決し、相当 の抗 議が朱慶瀾に手交された筈 である。 が発 せら れたと言 ふことである。尚東支露国側は本問題 に関しては
の監 理注 意 を 以 てし 、 或 は 公共 市 政 の管 理 を 以 てす る が為 に両 々相 衝 突 す る の嫌 あ り 、故 に特 別 区 の行 政 下 に置 かず んば 必 ず や権 限 上 混 淆 を来 す の悩 み を生 ぜ ん 。厳 格 に之 を論 ぜ ん か 、完 全 に我 が領 土
一 東支鉄道原訂 の正副契約文 には ﹁中国 の主権を尊重す﹂ の明
聴せられん ことを。
合弁契約第六条 には ﹁凡公司建造経理防護鉄路所必需之地﹂又
文を記載す。
曰く、﹁専為鉄路之用﹂ と記載 あり。之等 の ﹁必需﹂﹁ 専用﹂と称
︹マ マ︺
の行 政内 に在 り て 、第 二国 の参 加 ﹁ 侵 〓﹂ 或 は ﹁干渉 ﹂ 等 の悪 意 は
実 に哈爾賓 の統治を破壊す る変例 たり。もし永遠 に旧露帝国殖民の
す る名詞 の定義は、当然厳格 に営業範囲 を以 て標準となすも のな
続訂契約第六条 には ﹁ 厳行限制於商業範囲内所有 一切政治事
旗幟を掲 ぐるに於 ては、極東平和 の大局は即ち永遠に地方 の治安曝 二
り。此 の項領事団諸賢 の留意を切望す。
正誼を主張する各友邦 と賢明なる駐在各領事は、克 く此 の管掌移
烈 の種子を隠伏する こととならん。
更 に是 れ原訂続訂 の契約成文 に違背し居るに非らず や。人有 り如
見做す や、是 れ明かに地方行政を侵犯するものに非ずして何ぞ。
ありて税捐 の徴収、市政 の経営 を為すは之鉄道営業範囲内 の事と
(此 の間東支鉄道附属 地の外国鉄道附属地に此し、其 の面積余り
何 に之 を曲弁せんとするも何 の詞が出づ可き。此 の項又領事団 の
項均応禁止﹂の文あり。然 るに今土地課 が特別区行政管轄 の内 に
に過多なるを数字を列挙し痛論し、旧露国帝国 の違 法、侵略 の野
注意 を払はれ度き所 なりとす。
動 を諒承し公明を以て望 まれん ことを切望し、併せ て極端 の援助と
心顕然見る可しと論 ず)
親 切なる同情を与 へられんことを。
欧州大戦平和克復以後列強 は、以前占領 せる弱小諸国 の土地を返
各友邦 の東支鉄道 の債権上 に関係を有 せら るる人は自己の債
権上 の利益 より見 を起し、之 に反 対す るの辞 をなさんとするもの
三
もあらんも、単 に機関移転 に過ぎざ れば須く吾人接管以後 に於 て
還 せる例甚だ多 し。再び太平洋会議、九国協定 、四国新協約 の精神 信条と為 せり。今土地課 が私 に我国土を〓むるは同 一事と見做 し得
の租 地財産 の所有権 に対しては、終始保障を声明するを以て寸毫
も事務員 に対す る行政手続 は依然 とし て変化なく、各友邦居留民
を徴す るに ﹁ 吾国 の領土を尊重 し完全 に主権 の独立 を与ふ﹂ を以て べし。想 ふに世界 の大勢を洞察 し極東平和を擁護す る為 に、夙 に愛
も損害を掛くるが如き事無 し。
護正義 を以 て志 と為す領事団 に在りては、必ず や此 の意味 の阻害を
四
を論じ、将 に来らんとす る露 支会議 に於 て東支鉄道 の主 権問題は、
( 最 後 に各国領事団が英露協約 に藉口して詰問す るに過ぎざる事
正 に保持 の態度 を執り決 して変更或は路務を妨害する ことなし。
凡そ鉄道界内 の鉄路財産営業範囲必要 の用地は、仍ち終始厳
為 し、公然我邦人士 の領地収回統治完成の主張を敵視 せざるものと 吾 が隣邦 の賢 明なる外交家 よ、眼光大きく正誼保全 に放ち、終始
信ず。 暴露 の伝統的侵略野心 を慫慂す ること勿 れ。 茲 に再 び謹んで土地課接管 の意義を簡単 に列挙せんとす。幸 に清
双方 の協議 に拠 りて解決 し得 べく、根本 一立 せば枝葉 の問題は刀を
ざるも、昨六日楊宇霆 の言 に依 れば東支鉄道長官 オスト ロウモフ及
付及鉄道附属地内居住者 の利益を増加するに在 りしが、万般 の施設 宛 も 一殖 民政府 の観を呈し、ゴ ンダ ツチの横暴 に対して華人 の敢 て
最 も吾 が主権を侵害 せる の甚しきものなり。元来土地課 は土地 の貸
して本件は、王景春及張煥相等 の報告 に基 き充分研究 の結果之を認
る悪辣なる人物なるを以 て、其私怨的報仇 の意味 をも有するも のに
ブ ラゴ エシ エンスク附近 に於ける三十三ケ村 の支那人部落 を追放 せ
特別区行政長官 の管轄下 に入るるは、支那 の主権を回収するも のな
の実現 に過ぎざる不都合極まる横暴なるを以て、該村落 を回収して
落を建設し、断じて支那人を容れざ るは侵略主義 の発露 、殖民政策
属地以外に、 オスト ロモフ村及ゴ ンダツチ村とも称すべき居留民部
土地課長 ゴ ンダ ツチは従来は勿論、現今に於 ても条約 に無 き鉄道附
八月 一日東 三省商報は ﹁土地課 (地畝処) の回収﹂ と題し左 の如
迎 へて解き得 べしと結 べり) く掲載した。
抗奪する者 なかりき。東支鉄道 が吾国 により回収せられて以来附属
可する事 とし、命 令実施 せしめたるも のなれば、当方としては該報
露国が東支鉄道を掌握 せる時代 に設けたる鉄路管 理局土地課は、
地内 の事 物殆 んど特別区行政長官 の管理 に帰 し、該 土地課 の如きも
而 して哈市 に於 ては既 に支那側 より列国領事団に対し懇 切に説明
るは勿 論、抑もゴ ンダ ツチなるも のは今 を去る二十年前 、黒河対岸
当然存在する の余地なきものなり。今般奉天当局が断然之 が撤回命
告 を信 頼し、飽く迄 も素志を断行す る考案 なりと。
︹マ マ ︺
令 を発したるは誠 に機宜の処置と言 ふ可く、亦国権を保持す る所 以
せる結果、米国領事 は既 に我意 を諒 として我主張 に同意 せるも、日
に吾国
の官庁 に属す るものにして、今回 の撤回は当然 の帰結 にし て何等顧
なり。東 支鉄道建設 の契約を観 るに土地 の主権は元より完全
本領事は更 に上司 の意図を仰ぐ事 となれる由云 々。
居る土地 にして、 回収は決 して不法 に非ず、協約 に基く監理権には
せんとす る土地は協約 に基 く鉄道附属地でなく、露国側 が土地課 を して勝手 に拡張 せしめ、オ スト ロモフ村、ゴ ンダツチ村等と命名 し
当 地支那側官憲 の東支鉄道附属地外土地回収理由を聞く に、回収
支那側 の露鉄土地部回収理由
大正十二年八月八日 第六 一五号電 報 奉天公所長
七
慮するを要 せざ るも のなり。只事件 が複 雑にし て又責任重く且国家 多事 の秋なれば此 の度 の改革は慎重 に各方面 の形勢 を洞察して事 に
貴 志 弥次 郎
極秘
処 せざ れば有終 の美を収むる事難 からん耳。 六 大正十 二年八月七日 至急報第 一一七号 奉天特務機関陸軍少将 哈市土地問題 に対する楊宇霆 の談 張作霖病気 の為め哈市土地問題 に対す る彼 の意図 を確むる事能は
虐 殺 せ し男 な り 。其 れが今 土 地係 とし て存 在 し而 も勝手 に占有 す る
聯 か も抵 触 せず 。 ゴ ンダ ツ チは義 和 団 事 件 に当 り約 三 万 の支那 人 を
支 両 民族 自 身 に於 て も亦 均 し く此 等資 産 資格 を除 く を 以 て前提 とな
利 益 上 に於 て此 の特 殊 的 勢力 範 囲 な るも の の存 在 を願 はず 。即 ち 露
手 段 た るな り 。欧 州 大 戦 及華 府 会議 両 度 の教 訓 は 勿論 、国 際 の平 等
哈 爾賓 事 務所 長
此 等 の行動 に制 限或 は厳 重禁 止 を為 さず ん ば何 れ の日 か、 東 支 鉄道
に於 て公然 其 の職 務 とし て管 掌 す る は純 然 た る政 治 行動 と認 め ら る。
行 者 と為 す所 以 は、 鉄 路 営業 に必要 な る土 地以 外 の土 地を 、 地畝 処
三 、 以上 吾 人 の希 望 条件 は之 を地 方長 官 と公 所 督弁 に責 め 切実 の執
責 任 は当 然長 官 及 督弁 よ り 切実 履行 す べ き も のな り。
と を明 か にす る を希 望 し 、其 の秩序 を保 ち常 態 を安 定 せし む る の全
別 待遇 を為 す を以 て敝 団 は、 職 責規 定 に基 き当 然徹 底 的 管 理 と限 界
事 務 を執 行す る のみ な らず 又 屡 々宗 主 権 を有 す る中 国 人 に対 し、差
二 、商 民 は 地畝 処 の職 掌 権 限 甚膨 大 にし て土 地 の貸 付 を為 し、 行政
当 局 に要求 す 。
る地 畝 処 に関 し厳 重 な る取締 を為 し 、竝 権 限縮 少 の必要 な る処置 を
す 。 事極 東 平 和 の前 途 に繋 る を以 て 、此 の極 端 に政 治 的意 味 を含 め
哈 爾 賓 事 務所 長
の忍 ぶ可 から ざ る所 な り と語 り居 れ り。
第 三四号 電 報
土 地 内 に支 那 人 の居 住 を拒 否 し、 有 らゆ る虐待 を加 ゆ る事 は支那 側
八
大 正 十 二年 八月 八 日 支那 側 の露 鉄 土地 部 回収 に関 す る件 奉 天 公所 電 報 、 オ スト ロウ モフ村 、 ゴ ンダ ツ チ村 は当 市 埠頭区 に
哈 調 第 九 四号
隣 接 せ る鉄道 附 属 地 に属 し無論 協 約 の範 囲 に在 るも のとす 。念 。
九
大 正 十 二年 八 月 十 七日
四、 鉄 道営 業 上 必要 なら ざ る土 地を 地畝 処 に於 て管 理 す るは 政 治的
の伝 統 的殖 民 政策 を除 去 す る ことを得 む や。
今 回特 別 区 行政 長 官 が地畝 管 理局 を 設 立 し 、張 鎮 守 使 をし て其 の
地 畝 処事 件 に関 し 哈爾 賓 紳商 よ り各 国領 事 に送 る の書
局 長 た ら し めた るは実 に地 方 の民 意 を重 んじ 、 国家 の主 権 を熱 心愛
官 は な るべく 現 状 を維 持 せん が為 に、 林場 と鉄路 営 業 に必要 の用 地
も の にし て、 地 方行 政 を整 理 す る の必要 な る処置 た り。但 し行 政長
為 せる を 以 て、 当 局 とし て当然 之 を継 続 主 持 す べ きな り 。先 般 紳 商
と は依 然 鉄路 局 の直接 管 理 に属 せし め 、其 の余 は行 政 処 分 に依 り て
性 質 を 帯 ぶ るを 以 て 、已 む を得 ず 其 の 一部 分 を 地畝 管 理局 に引 継 ぐ
各 団 体代 表 は貴 領 事団 を訪問 し、 内容 実 状 を具 陳 し た る に貴 領 事 団
五 、国 際 平等 の利 益 を顧 慮 し 、各 友 邦 居留 民 の住居 財産 は其 の合 理
自 由 に之 を処 理 す 。
護 す る の念 慮 の然 ら しむ る処 なり 。商 民既 に前 に路 権 回 収 の請 願 を
の厚 意諒 解 を蒙 り た り。 茲 に謹 ん で再 び左 の意 見 を述 べ ん とす 。希
的契 約 によ る も のは 凡 て有 効 と為す 。 紳商 等 前 に既 に示 を長 官 に請
く は推 察 せら れ ん こと を 。 一、 旧露 国 の東 支 鉄道 に於 け る殖 民政 策 は元 来 帝国 侵 略主 義 の惨酷
ひ、併 せ て切 実 の解 釈 を保留 す るを声 明す 。 各 友邦 の居留 民 は已 に 財 産 の変 更 問 題 を過 慮 す る の必要 な く 、従 て当 然外 交 問題 を発 生 せ
六、 局長 張 煥 相 は 七月 三十 一日命 を奉 じ て、 地 畝管 理局 を管 理す る
ざ るを 以 て、 貴 領事 団 は同情 的諒 解 を 与 へら れむ こと を切 望 す。
こと と な り た るを 以 て、 通 訳 一、 二人 を伴 ひ往 き て誠 意 を 以 て協 議 し事 情 を説 明 せり 。此 の手続 は 些 かも合 理的 ならざ る はな し 。八 月 一日 は 正 に正 式 引継 の期 な れ ば 、 オ局 長 は其 の期 に先 じ て情 況 を公 司 に報 告 し、 期 を定 め て引 継 を 為す べき筈 な る に之 を為 さず 、遂 に 貴 領 事 団 の誤 解 を惹 起 し、貴 領 事 団 は七 月 卅 一日該 処 の重 要 書類 に 対し 封 印 を施 せ り。故 に張 局長 は八 月 一日事 務 開始 後 、地 畝 処 に赴
大 仏 国 駐 哈領 事
一〇
大 正 十 二年 八 月十 七 曰
哈 調 第 一〇 二号
東 支 土 地部 移 管 問題 に関 す る件
哈爾 賓 事務 所 長
( 山根)
右 に関 し当 所山 内 調 査 課長 が本 日東 支 理 事 プ シ ユカ ロフ氏 を訪 問
プ シ ユカ ロフ氏 談
し 聴 き得 た る所 を左 に報 告 しま す 。
契 約 第 六 条 に依 り、其 の行 政 の尊厳 を統 一す る為 に特 に厳 重 取締 を
七、 地 畝 処職 掌 と地 方行 政 とは 相抵 触 す るを 以 て地 方 政府 は、続 訂
オ局 長 其 の責 に任 す 可 きも の にし て遺 憾 に堪 へず 。
領 事 団 に よ り封印 さ れた る 地券 を 取 出 し調 ぶる ことを意 味 す る故 、
別 し た し と申 込 み 、支 那側 重役 は 重 役会 に て此 の申 込 を支 持 せ し も、
然 東 支 の鉄 道 用 地 た るべ き も のと 、 鉄道 営 業 に不 必要 の土 地 と を 区
も未 だ何 事 も決 定 し得 な い。支 那 側 官憲 は東 支 支社 土 地部 に つき当
東 支 土 地 課移 管 問 題 発 生 以来 十 五 日間 、毎 日 重役 会議 を開催 す る
為 さむ と す。 且今 回 の管 理 権 移 転 の手 続 は省 政 府 と 地 方当 局 と は、
を取 調 べ得 る程度 に止 め る ことを 主 張 し て居 る。斯 く せ ば極 め て総
露 西 亜側 重 役 は 此 の申 込 を断 然 拒絶 し 、単 に本社 に於 て必要 の こと
き調 査商 議 せざ るを得 ざ る に至 れ り。貴 領 事 団 の此 の意 外 の行 動 は
既 に認 め て地 方 行 政 に害 あ りと な し自 ら処 理 を行 ひた る は当 然 な り。
を 出 し計 十 名 の内 七名 賛 成 せざ れば 何事 も決 定 し得 ざ る ことと な り
元 来露 亜 銀 行 と支 那 政 府 と の条 約 に よ れば 、露 支 よ り重 役 五 人宛
主 張 を捨 てず 会議 は毎 日 同 じ こと を繰 返 し て居 る。
恐 も なく 安 全 であ る (八 月 十 日電 リ ヒテ ルの談 参 照 )斯 て双 方其 の
体 的 説 明 に て足 り 、彼 等 に要 領 を得 せ し め ぬ のみ ならず 封 印 を破 る
本 件 の性 質 は司 法 、 路警 、 護 路 軍等 と同 じ か らざ る に依 り、 中央 政 府 の命 令 を仰 ぐ の必要 を認 めず 。 以 上 の意 見 は実 に民意 の帰 納 す る処 たり 。尚 希 く は其 苦 衷 御洞 察 の上 、 正 義 を主 持 し随 時 各 外 国 居留 民 に通知 し、 切 に御 援 助賜 らば
大英 国 駐 哈 領事
に て、従 て何 日会 議 す るも決 定 せず 懸 案 と な つて居 る。
居 る に、 露 支 双 方共 各 団 結 し居 れば 七名 同 一意 見 とな る こと不可 能
感 激之 に過 ぎ ず 。
大 米 国駐 哈 領事
大 日本 駐 哈 総領 事
元来 王督 弁 は 奉天 系 にあ らず 北 京 出 で あ る から 、其 の位置 擁 護 上 張 作霖 の御 機 嫌 を と る こと に是 れ日 も足 ら ず 、 此度 の附 属 地 回収 の 如 き も王 督 弁 と 張煥 相 が計画 し張 作 霖 に建 言 した のであ る。 王督 弁 の病気 は其 れ 程 重 か らざ るも満 洲 里 か ら帰 ら ず 、 わざ と 避 け て居 る
若 東 支 鉄 道 が 貸付 土地 を持 て居 る のが不 合 法 な らば 、 王督 弁 が そ
の であ つて電 報 にて土 地課 を支 那 官憲 に引 渡 せと命 令 し て来 て い る。
の儘 過 去 二ケ年 間何 故 閑 却 し て居 た のか、 職 務怠 慢 と言 は ね ばな ら ぬで は な いか 。 我 々露 西亜 重 役 は 一致 団結 し て、支 那 官 憲 が何 と言 た つて土 地 課
カラ ハ ンは本 夜 哈 市 出発 奉 天 に赴 き張 作霖 と交 渉す る そう だ が到 底 両者 の意 見 一致 せな い であ らう 。
一 一
大正十二年八月二十 一日 第 五五号 奉天公所長
(東報掲載)
東支鉄道土地問題 に関す る四国領事と張作霖 との会見 ︹マ マ︺
( 哈 爾 賓駐 在 ) 英 米 日仏 総 領 事 は東 支 土 地問 題 に関 し昨 二十 日午
公使 は外 交 部 に抗 議 を な し 、 一方 駐奉 領 事 に速 に友誼 的 態 度 を 以 て
先 づ英 国 総領 事 発 言 し て曰く 、 中東 路 地 畝処 の件 に関 し北 京各 国
後 五時 張 総 司令 と会 見 せ り。
さり と て労農 に下 ら ば術 策ず く め の彼 等 の こ と故 将 来 ど う さ れ る か
の利 益 を保 全 す る為 に其 の真相 を求知 せざ る を得 ざ るも のにし て 、
張 将 軍 の本 件 に対す る意 志 を聴 取 す る様 命 ぜ り。 各国 と し ては株 主
斯 く 我 々は 支 那 か ら 圧迫 さ れ る から是 に頼 る こと は絶 対 に出 来 ず 、
を渡 す も の では な い。
わ から ぬ から そ れ も出 来 ず 双方 に敵 を受 け た様 な も のであ る。只 頼
決 定 し な い のは 全 く や り切 れ な い。然 し な がら 我 々は従 前 通 土地 課
が鉄道 プ ロパ ア の こと は 一つも無 く 、土 地 移 管問 題 許 り討議 し然 も
濃 厚 にな つた こと は困 つた こと であ る 。十 五 日間 も会 議 を し て居 る
勢 に変 化 があ ら う 。 と に角東 支 が鉄 道 営業 そ つち のけ で政 治 的色 彩
乍 然 労 農 が 承 認 さ れ正 当 政府 と な る時 は別 で、其 の際 は東 支 の形
事情 も ある か ら東 支 鉄 道 は現 状 に て推 移 す る こと が出 来 ると思 ふ。
合 中国 側 は 必然 悶 着 に悩 ま さ れん 。実 の処 此際 整 理 を決 行 す る 必要
対 し勝 手 に期限 を経 過 し て租 与 せ るが 、将来 之 を 回 収 せ んと す る場
露 国 殖 民地 を設 定 せり 。 又 地畝 租 用 は期 限 付 た る に該 処 は、 外 人 に
商 業 の範 囲 に限 ら れ政治 施 設 を為 す を得 ざ る に拘 らず 之 に違 反 し て
処 の前 任 者 に条 約 を破壊 し 、弁 理 上不 都 合 の廉 あ り、原 約 によ れば
な るが 、折 角来 訪 され た るに就 て は自 分 の責任 上 回答 す べし 。 地畝
区 域 は朱 慶 瀾 、吉 林 省 は孫 副司 令 ( 烈 臣 ) と 王省 長 ( 樹 翰 ) の管 轄
張 総司 令 答 へて 曰く 、 本件 は該 地 方官 に属 す る も のに し て中東 路
の権 利 を無 視 し 一概 に没 収 す る も の にあら ず や と。
畢 竟 今 回張 煥相 を管 理 地 畝処 長 に任命 し、 官吏 の交迭 行 ふは 外国 人
る所 は 四大 強 国 あ る のみ であ る。 ︹マ マ︺
我 々が団 結 し て居 て列 国 が後 援 し て呉 る れば 、 支那 官 憲 は兵 力 に
の仕事 を継 続 し て居 る から斯 く 不得 要 領 に日 を送 つて居 る間 は要 す
訴 ふ る こと は敢 て せ な し、 又労 農 露 国 と雖 目 下 干 戈 を動 かし得 な い
る に我 々の勝 であ る。
問 せり 。
し と 警 告 せ りと 。 猶領 事 団 は 本 日 午後 三時 本 問題 に関 し孫 烈 臣 を訪
哈 爾賓 事 務 所長
に迫 ら れ居 る所 以 な り。 該 処 は中 国 人 民 の土 地 を強 奪 す る為 人民 の
一三
大 正 十 二年 八 月 二十 三 日
哈 調 第 一 一〇 号
苦 痛 は甚 大 にし て皆 回収 清 理 を主 張 し 居 れ り 。 先是 朱 慶 瀾 、 王景 春 来 奉 し 人 民 の輿 論 を報 告 し た れば 当 時 夫 々回 任 弁 理す る様 命 じ置 け り。 其 後 如何 な り居 れ り や、 尚 未 だ 詳細 の報
原約 に依 れば 中露 両国 人 民 に限 り中 東 路 株 主 と な る こと を 得 、他
告 に接 せざ るな り 。
右報告します。
地 畝 局 に関 す る近 況
綏 芬 河 駅 及 斉 々哈 爾 駅 の支 那側 商 会 は此 の程 行 政長 官 公 署 朱 将軍
国 は絶 対指 を染 む る の余地 なし 。中 国 の株 主 の 一方 た れば 当 然自 国 側 株 主 の利 益 を保 持 せ ん と欲 す るも のに て露 国側 株 主 が其 利 益 を保
七名 露 人 四名 ( 内 二名 は 旧土 地課 に在 勤 せ る者 ) に過 ぎ ざ る が 、将
課 接 収 後 已 に地代 とし て四千 余 元 を 徴 収 し、 目 下事 務 員 は 支 那 人十
更 に同 局 に至 り文 書 係 馮惟 徳 な る者 に就 き聞 く所 に よれ ば 、土 地
実 行 を見 る に至 る であ ら う と。
謀 る為 、 当 地 及各 駅 に分 局 を設 置 す る計画 を立 てた れば 、 不 日其 の
使 用 す る こと と なり 、更 に地 畝 局 張 局長 に於 ては内 外 商 民 の便 宜 を
す る者 多 く手 狭 とな り た る に依 り、 承宜 処 を後 庭 に移 し其 の全 部 を
一部 を 以 て其 の事 務所 に充 て居 た るが 土地 に関 す る声 明 の為 、出 頭
又 行 政長 官 公 署 地 畝 局 に於 て も該 局開 設 以 来 、長 官 公署 承 宜 処 の
寄 せた と のこ と であ る。
て最初 の計 画 を 堅 持 し目 的 を達 せら れ ん こと を祈 る﹂ 云 々 の電 報 を
商 会 は 、 八月 一日 よ り 一律 に鉄 道庁 の地租 徴 収 を拒 絶 し居 れ るを 以
行 ふ こと に せら れ た る は、 実 に民意 に合 せ るも の にし て特 別 区 の各
され甚 し き損 害 を蒙 り居 た るが 、今 回之 を 回 収 し て自 ら其 の管 理 を
に宛 て ﹁従 来 鉄道 庁 土 地 課 に於 て、我 政 権 を侵 し苛酷 な る地 租 を徴
持 せ ん と 欲 す る と同 理 な り。 中東 路 局 と該 地 人 民 の感 情 保 持 の為 、中 露 株 主 の真 正 の利 益 保 持 の為 清 理 を断 行 せざ るを得 ざ るな り と 。 仏 国 領 事 曰 く 、王 景 春 、朱 慶 瀾 と 地 畝処 と不 和 の為 此処 置 を 見 た りと 。 米 国 領 事 曰 く 、手 続 上錯 誤 あ り、董 事会 に て議 決 す べ き が至 当 に
奉 天 公所 長
て特 に 一軍 官 を し て奪 取 せ し め た るは 間違 な りと 。
一二
第 六〇 六号
東 支 土 地 問題 に関 す る奉天 領 事 団 と張 作 霖 の会 見
大 正十 二年 八 月 二十 二 日
東 支 土 地 問 題 に関 す る 一昨 日 の領 事 団 、張 作 霖 の会 見 に於 て仏 領
喙 を許 さず と答 弁 し 、要 ら ぬ御 切介 な りと の意 を仄 め か せり 。 日本
事 最 も鋭 く 斬 込 み た る が、 張 は本件 は露 支 間 の問 題 な れば 他国 の容
領 事 は兎 に角 華 府 会 議 の決 議 もあ る事 故 、 慎 重 に考 慮 あ つ て然 る可
来 相 当 人員 の増 加 を為す こ とと な り居 り、 現 に職制 (総 務 、 調査 、
へ置 く こと を提 議 す る こと 。是 等 主 権侵 害 の こと を論 議 す るは重 役
う に、 新 設 の地畝 管 理 局 に付 何 等 言 及 し て無 く 、露 西 亜 側 の主張 通
が 一致 す ま いと言 つて居 り ま し た が、 上 の決 議 事 項 を見 ても 判 る や
此 の前 御話 し たと き に支 那 側 の主張 が強 く し て、到 底 露 支 の意 見
確 め る こと を督 弁 に要 求 す る こと 。
料 とし て重役 会 に論 議 す る為 に、 之 等 の命 令 の詳 細 を支 那 官憲 に付
四、 土 地 課業 務 停 止 命 令 の不 明確 に鑑 み 、次 の株 主 総 会 に報告 の材
対 す る説 明 に必要 な 処 の凡 て の材 料 と 及手 紙 を本 社 に備 へ置 く こと。
会 の権 限 外 な る を述 ぶ る こと 。督弁 の代 表 者 の調 査 及適 当 の官憲 に
し や否 やを 確 め る に必 要 な る 、凡 て の材料 を東 支 本社 の事 務 所 に備
哈 爾 賓 事 務 所長
( 浜岡)
経 租 の三科 に分 つ) を擬 定 し 、経 費 を予 算 し て特 別 区 行 政 長官 に提
哈 調第 一 一二号
出 し あ れ ば不 日其 の認可 を得 べ き筈 で あ ると 。
一四
大 正 十 二年 八月 二十 三 日 東支 土 地移 管 問題 に関 す る東 支 重 役 会 議決 議 の件 右 に関 し本 日当 所 山内 調 査 課長 が東 支 鉄 道 理事 リ ヒ テ ル氏 を訪 問
督 弁 兪 人 鳳 に交 付 し ま し た 。 ( 兪 氏 は張 作 霖 の急 電 に接 し 二 十 二 日
り に決 定 し た ので あ りま す 。此 の決 定 書 を督 弁 の代 理 であ る処 の副
リ ヒテ ル氏 の談
し て聞 き得 た る こ とを 左 に御 報告 致 し ます 。
土 地 移管 問 題 発 生 以来 二十 日間 許 り連 日重 役 会議 を開 会 し ま し た
一、 土 地移 管 問 題 と支 那 地方 官憲 が東 支 鉄 道 が附 属 地 を租 借 し 居 る
津 領 事 は未 だ着 任草 々 で事 情 も分 ら ぬ け れ ど も、能 く取 調 べた 上 で
事 に、 尽 力 方 を交 渉 しま し た ら皆 大 いに同 情 され ま し た。 日 本 の船
私 は事 態 が 重 大 だ と思 つ て先 日来 奉 天 に赴 い て同 地 の日 英 仏米 領
夜 奉 天 に赴 け り)
こと は 、 一八 九 六年 の条約 の六 条 及 一九 二〇 年 の追 加 条 約 の六 項 に
が却 々議 が纏 らず 、 昨 日下 記 の如 き決 定 を見 ま し た。
牴 触 す る も ので あ ると の主 張 を督 弁 に取 次 ぐ こと 。而 し て直 ち に適
ます 。
露 亜 銀 行 の極 東 代 表 プ チ ヒ ユーゲ ネ ン氏 は明 日 哈爾 賓 を 出 発 さ れ
何 と かす る と いう話 であ り ま し た。
法 の方 法 に依 て此 の問題 を決 着 さ せ る方 法 を採 る こと を督 弁 に要 求 す る こと 。
を講 ず ると いふ 、不 得 要領 の決 議 を 為 す に止 め可 成 現状 を 以 て推 移
以 是 観 之 、 二十 日 間 に亘 り し東 支 重役 会 議 も事情 を取 調 べる方 法
と。
す る意 向 な るが如 し。
二 、 凡 て の材 料 の為 に此 の方 法 を 次 回 の東 支 株 主総 会 に提 出 す る こ
三 、支 那官 憲 が東 支 鉄道 は支 那 と結 ん だ処 の現協 約 に反 し て 不 必要 の土 地 を使 用 し 、 且 支那 の主 権 を侵 害 し て居 る と 云 ふ主 張 を為 す に 鑑 み 、 此 の点 を明 確 にす る為 に東 支 鉄 道 が支 那政 府 の権 利 を尊 重 せ
一五
大 正 十 二年 八月 二十 四 日 陸軍少将
至 急 報第 一三六 号 貴 志 弥 次 郎
奉天特務機関
東 支 土 地問 題 に関 す る奉 天領 事 団 と支 那側 の接 衝 奉 天領 事 団 は本 問 題 に関 し 二十 日張 作 霖 と会 見 し 、 二十 二日 孫 烈
否疑はしく、要す るに本問題 は猶若干紛糾す るも のと察せらる。
東支理事 にして而も東支線 の事情 に通じ、比較 的穏当な る意見 を
有す る兪人鳳は張作霖 の招電 に依 り昨 二十三日朝哈市 より来奉せり。 一六
長春地方事務所長
地区監察官 ウオネ センスキーの許 に至り、地区事務所及其 の事務 の
八月十九 日哈爾賓護路軍総司令部附支那将校二名、東支線窰門駅
支那官憲 の窰門 地区事務所引渡要求
大正十二年八月二十 四日 第 一〇 一号
張 作霖 と の会 見 に於 て彼 れ は頗 る強 硬 な る態 度 を 示 し 、領 事 団 若
臣 の説 明 を聴 取 せし が其 内 容 左 の如 し。
し 干 渉 の意 味 を有 す るも のと せば 、 予 は本 件 に関 し 絶 対 に語 る を欲
渡を拒絶したるに、彼等 は武力を以 てしても遂行す ることを明言し、
せず 。 然 し 説 明 を聴 取 す る の意 思 なれ ば相 当 事 情 を説 明 す可 し と て、 引渡を要求 した。﹁ ウ﹂ は長官 より何 等 の命令 に接 せざ る を以 て引 東 支 線 に於 け る露 国 側 の横 暴 を説 き、 土 地 回収 は対 権 利 上 至当 の処
事務所より書類を押 収し、家屋 に封印を施して哈爾賓 に引返 した。 一七
置 な りと て、断 然 領 事 団 の警告 を刎 ね 附 け た り と。 本 会 見 に於 て主 と し て仏 領 事 は 躍起 とな り 抗議 し た るも 相 手 と せず 、 其 通訳 た りし 交 渉 員 の如 き は 通訳 を避 け た る状 態 な り と 。
大正十 二年 八月 二十五日 庶調情第 四九五号秘 関東軍参謀部
孫 烈 臣 と の会 見 に於 け るも 亦同 様 、 孫 は 強硬 な る所 見 を述 べ露 国 側 は 、最 近 に於 ても亦 已 に許 す可 から ざ る不法 行 為 (安 達 土 地問 題
北京 の官吏 及社会 の有力者大多数 は土地課 に関する満洲支那官憲 の
華府会議 に支那代表として出席し条約 に調印せる顧大臣を始 め、
東支鉄道土地課移管問題 に関する北京政府 の態度
て領 事 団 は若 干 華府 会 議 を〓 と し種 々警 告 せ る結 果 、 遂 に本問 題 を
件 を指 す も のな ら ん) あ りと て土 地 回収 の至当 な るを 主 張 せ り 。依
更 に東 支 理 事 会 に於 て討 議 決 定 す る こと に定 め た り と。
るも のなりと認 め、斯 の如 き行為 は支那大総統若は其 の代理者 の権
利 にし て地方官憲 の為す所 に非ず。而も今 回の満洲官憲 の行為 は、
行為 に反対なり。北京は奉天 の行為を以て中央政府 の権利を侵害 せ
他 の諸地方 の為 に悪例を残す ものにして、寧ろ支那をし て無政府状
本 件 に関 し 支 那側 の採 り たる傍 若 無 人 の態度 は、 支 那 側 理事 中 に
れ て反 対 し能 は ざ る状 況 にあ れ ば 、仮 ひ理 事会 を開 く も果 て領 事 団
も反 対 者 多 し。然 し 此等 理 事 は張 作 霖 竝 に配下 高 級 将 校 の威勢 に恐
希 望 に副 ふ如 き 妥協 点 を見 出 す や否 や、 又 露国 側 理事 は出席 す る や
際 如何 にな つて居 る か判 りま せ ん から 今 日 は 、貴 官 から親 しく 目
尚顧外務大臣 の該問題 に関 する観察 の大要 は次 の如し。
態 に導くも のなりと観察し つつあり。 りま し た 。 ﹂
下 如何 の状 態 に在 るか 、 そ の真 相 を聞 かし て貰 ひ た いと 思 つて参
す が、 支 那側 で設 け ら れ た 地畝 管 理 局 で は 、何 によ り て事 務 を取
山 ﹁ 東 支 附 属 地 に関 す る書類 は領 事 団 で封印 し たと の こと であ り ま
貴 下 の聞 か れ ん とす るは ど の点 です か﹂
朱 ﹁土 地 課 の問 題 に就 い ては布 告 其 他 で大 体 公 表 し て あり ま す が、
露支会議開催 の為労農露国代表 が来支するを以 て、奉天 は東支鉄 道 土地課 の回収を急ぎ たるなり。 然 れ共斯 の如き行為 は華府条約及千八百九十六年 の条約 に違反す るも のにして、且又支那政府を難境 に陥 れ、露国に支那 の侵 略的行 為を非難 せしむ べき動機 を与ふるも のなり。
朱 ﹁ 書 類 の引 継 は未 だ受 け ま せ ぬ が支 那 側 にも別 に附 属 地 に関 す る
ら し て居 ま す か﹂
竝通商 及税関等 の諸問題に触 るべきものにし て、之 と同時 に又東支
から夫 等 によ り 調査 し進 行 せし め て居 ま す 。 ﹂
地 図 や表 な ど あ り ます 。其 他 人 民 か ら声 明 し て来 る向 も あ りま す
露 支会議 は赤軍 の蒙古撤退及支那共和国 の 一地方と認む ること、 鉄道問題をも協定 せざ るべからず 。然 るに今 回に於ける奉天 の行為
山 ﹁ 其 の回収 せら れ た る土 地 に在 る鉄 道 会 社 及其 他 各 国 人 の建 物 等
(此 の答 は稍 々曖 昧 の様 に聞 へた )。
朱 ﹁評 価 に依 り 支払 ふ こと と な る でし よ う﹂
も時 価 を 以 て支 払 は るる こと とな り ます か﹂
山 ﹁地 代 を返 還 せら る る場合 買 入当 時 の価 格 に依 ら る る や、 そ れ と
た証 拠 が あ れ ば無論 、其 の地 代 は 返還 す る筈 です 。 ﹂
ま す 。 其 の回収 し た土 地 にし て、鉄 道 会 社 で買収 当時 地 代 を払 つ
収 し 、其 の土 地を 今 回 設 け た地畝 管 理局 に於 て管 理す る のであ り
社 の土 地課 に於 て依 然 之 れ を取扱 ひ 、鉄 道 に不用 の土 地 のみ を回
朱 ﹁回収 と言 ふも 、鉄 道 に実 際 必要 の土 地 は 従来 の儘 と し 、鉄 道 会
れ丈減 ず る ことと な ると思 ひま す が如 何 です か﹂
の事 です が、 是 を今 回収 せら るる に於 ては 、東 支 鉄 道 は財 産 を 夫
山 ﹁ 最 初 東 支 鉄 道 が 土 地 を買 入 るる に就 ては 、壱 千 万円 を投 じた と
は千九百二十年 の支那共和国大総統 の命令 、竝華府会議 の協定 に基 く支那 の東支鉄道管理権を失 はしむるも のなり。 又条約違反 は東支管理上欧露巴及労農露国 の支那 に対す る信用を 失す るも のなり。顧外務大臣 は右 の観察 に基 き奉天 に対し、 カラ ハ ンの到着前 に該問題 を平和 に解決す べき希望 を提議せり。 一八 大正十 二年八月二十九日 哈調第 一二五号 哈爾賓事務所長 土地移管問題 に関す る朱慶瀾大将 の談 八月 二十三日山内調査課長 が朱慶瀾大将を護路軍司令 部 に訪問 し て、土地課移管問題 に就 き聞き得 た処 の要点を左 に御報告致します。 本問題 の貴任者 の言 丈け に傾聴 に値す ると思ひます。 山 ﹁土地課移管問題 に就て各報告 や新聞等 によりて見まし ても、実
に対 し て は如何 に せら る る の です か﹂
た か ら、 此 の不 必要 の土地 を新 設 地畝 管理 局 にて 取扱 ふと 言 ふ の
の念 尚強 き も のと観 測 さ る。尚 参 考 の為 黒竜 江 省 購 地契 約 の全文 を
依 之観 是 、 支 那側 は 純 然 た る鉄 道用 地 以外 の附 属 地 を 回収 せ んと
であ り ます 。 一向 不 合 理 な こと でな いと信 じ て居 ま す﹂
等 影 響 す る所 は あ り ま せ ぬ。只 回収 し た土 地 の主 権 が支 那側 に移
朱 ﹁合 法 の契 約 は総 べ て有 効 と認 め る のです から 、其 の建 物 に は何
る の です か ら、其 の地 租 の如 き従 来鉄 道 会 社 に納 め つ つあ り し も
飜 訳 の上添 付 す 。
あり 。
く此 次 契約 の範 囲内 に限 り永 遠 に拡 張 せざ る も のと す 。
一、此 次 契約 締 結 後彼 此 永 遠 に遵 守 し 、鉄 道会 社 必 要 の土 地は 均 し
章程
表 ダ ニエ ルと約 定 せ る黒 竜 江省 内東 支 鉄道 必要 土 地購 買 に関 す る
黒 竜 江会 議 専 員宋 小 濂 と東 支 鉄 道会 社 総弁 ホ ル ワ ット の全 権代
東 支 鉄道 会 社 購 地契 約
が、右 は本 社 調査 課 編 纂 ( 南 満 鉄道 関 係条 約 集 ) 五 九頁 に収録 し
吉 林 省 内 東 支鉄 道 用 地購 買 契 約 は黒 竜 江省 の分 と 大同 小 異 な る
の を、 以後 支 那 側 の地畝 管 理局 に納 付 す れば よ い のです ﹂ 朱 慶 瀾 は更 に稍 や 亢奮 の状 態 で左 記 の如 き こと を 語 つた。
な つた のは露 国 側 で、条 約 や契 約 に反 し て附 属 地 を拡 張 し て我 主
朱 ﹁元 来 此次 支 那 側 で地 畝 管 理局 を設 け て附 属 地 を 回収 す る こと に
権 を侵 害 す る故 、 是 を 回収 す る のであ つ て在 住 民 には何 等 の影響 を与 へず 、極 め て公平 な る処置 で あ る の に領 事 団 で、 オ スト ロウ モフ や ゴ ンダ ッチ等 、白 党 の 一方 の主 張 のみ を信 じ て 、土 地 課 の 書 類 を封 印 す る が如 き は実 に其 の意 を得 な いです 。 殊 に 日本 が常 に 口 に日支 親 善 を唱 へな がら 、今 回 の事 に関 し 支 那側 の云 ふ こと を毫 も 信 じな い のは最 も不 可解 であ り ます 。
二 、黒 竜 江省 所 有 土 地 は西満 洲 里以 西鉄 道 の支那 境 内 に入 る所 を起
領 事 団 で書類 を封 印 し た こと は 一時 、 支 那側 でも 不便 を感 ず る 所 で あり ま す。 黒 竜 江省 や吉 林省 ( 元 の 巡 撫 衙 門 、 今 の省 長 公
点 と し 、東 は哈 爾賓 松 花 江北 岸 石 当 に至 り て 止ま り 、合 計 必 要地
割 当 は 別 に明 細 表 を附 し 、 区別 を明 か にせ る後 会 社 よ り溝 渠 を掘
十 二万 六千 〓 (一〓 は我 七 ・四三 四 二 四段 ) とし 、各 駅及 線 路 の
り て境 界 を作 り 、代 価 を支 払 ひた る後 は直 に会 社 の財 産 とな し、
署 ) 及 北 京 政府 に、 証拠 書 類 は 充分 あ る から結 局 に於 て は何 等差
土 地 買 収 の当 時 、吉 林 杜 道 尹及 黒 竜 江 会専 員 宋 小濂 と東 支鉄 道
鉄 道 敷 設原 契 約 に依 り て処 理す 。
支 はあ り ま せ ぬ。
代 表 ダ ニ エルと の間 に、各 別 に締 結 さ れた る購 地契 約 に依 れ ば 、
其 の代償 を未 だ 支払 はざ る も のは 地価 を左 記 三等 に分 つ。
三 、鉄 道 会社 需 要 の民有 地 は従 前 已 に価 を支払 ひ た るも のは別 と し、
甲、熟地 ( 既 開 懇 地) 石 当 即 ち背 江 子 は毎 〓露 貨
拡張 出 来 な い こと にな つて居 ま す 。然 る に東 支 は必 要 以外 の土 地
鉄 道 に必 要 な る土 地 に限 る こと と 、長 期 貸出 不 可 能 にて 且永 遠 に
を占 有 し貸 付 け て居 ま す。 それ のみな ら ず 正当 の借 地権 あ る支 那
六十 留 人 を追 払 ふ例 さ へ屡 々あ り、 是 等 の支 那 人 よ り訴 が数多 あり ま し
同 三十 三
量 し 、成 べく高 価 を給 し 以 て移 転建 造 に便 す べき も の とす 。
果樹 、菜 園 、井 戸 、 樹木 、墳 墓 は 均 しく会 社 より 現在 の情 況 を酌
十 五留
し て跨 越 し、 均 しく 支 那官 吏 と 立 会 の上 視 察 し船 舶 の通 行 に妨 害
八 、 河 に臨 む 鉄 道線 路 にし て凡 そ 船 舶 の通 過 す る河 道 に は橋 梁 を架
の必需 に係 り 迂 回し 難 き事 情 あ る時 は、其 の用 ゆ る移 転 の家 屋 、
対青 山 、斉 々哈 爾 、 富 勒爾 基 同
二十 留
二十 五留
十 三留
但 し其 地 域 は前 記 に関 し実 際 上 必要 の範 囲内 に限 ら る るも のと
有 地 を購 入 す る ことを得 。
時 支 那官 庁 に照会 し共 同 踏査 し 、 其 の承 認 を経 た る後 始 め て其 所
を 欠 乏 せ る処 及鉄 道 の浸水 を防 禦 す る必 要 あ る場合 は、 均 し く随
な き 様設 計 す る を要 す 。並 に此 次占 有 地 域 内 に沙 石 、石 灰 、用 水
同
十留
同
四十 留
煙 土屯 、庫 々勒
同
同
石当
石当
対青 山 、斉 々哈 爾 、 富 勒爾 基
乙 、契 約 済荒 地
煙 土屯 、庫 々勒 丙 、有 水 荒 地 対 青 山 、斉 々哈爾 、富 勒爾 基 、煙 土 屯 、庫 々勒 同 四 、鉄 道 会 社所 有 の官 有 地 は 代価 を要 す るも其 の等級 を分 たず 、毎 〓 平 均価 格 を露貨 八 留 とし 、 公有 地 も 亦之 に準 じ 、有 す る 一切 の
九 、鉄 道 会 社 所有 の官 有 地及 民 有 地内 の材木 に対 し て は別 に会 社 よ
す。
五 、鉄 道 の大 小各 駅 は支 那 官吏 と立 会 の上 、地 勢 を視 察 し て境 界 を
り価 を給 し 、 又鉱 物 産出 地 に対 し て は別 に処 理 方法 を議 す る を要
地 価 は大 量 完 了後 交 付 す べ き も のと す 。
設 く る時 、駅 に近 き地 方 に於 て極 力 方法 を講 じ 、支 那 商 民 の為 に
十 、鉄 道 会 社 占 有 地域 内 に於 け る家 屋 は、 本契 約 調印 の日 よ り原 所
し 、 均し く 此 次契 約 の内 に含 まず 。
て自 ら経 営 す 。
充 分 用 ゆ る に足 る便 利 な る 地域 を留 め 、此 の地域 は支 那官 商 に於
六 、鉄道 の各 大 駅満 洲 里 、 海拉 爾 、斉 々哈爾 、 安達 、対 青山 の五ケ
る場 合 は 移 転 せし む べ き も、其 の場 合 は本 契 約第 七条 に照 し て処
有 者 に従 来 の如 く 三年 間 其 の居 住 を許 し 、若 し会 社 に於 て 必要 あ
確 に調 査 し 、此 次 所定 の総 数 を越 ゆ る能 はず 。各 人 民 の地価 を受
各 駅 の地域 は其 の地価 の既 に支 給 せら れた る と否 と を論 ぜず 明
官 吏 より 巡撫 に 一通提 出 し て保 存 に備 ふ べき も のと す 。
量 し 、境 界 を劃 分 し 地図 を作 成 し並 に各 駅 の面積 表 を附 し、 支 那
派 し 、地 勢 を視 察 し 所用 土 地 を表 に按 じ て各 駅 の〓 数 を 明白 に丈
十 一、東 支 鉄道 会 社 及契 約 当 事 者 た る支 那官 吏 と各 土 地 丈量 委 員 を
理 す べし 。
処 の如 き は均 し く駅 本 屋 に隣 近 せ る処 に支 那 官 庁建 築 用 地 と し て 相 当 の地域 を留存 し 、 並 に沿線 各 駅 に鉄 道 交 渉 分局 の敷 地 を留 存 し 置 く べ きも のとす 。 此 二種 の土 地 に対し ては 支那 官 吏自 ら経 理 す るを 以 て会 社 は代 価 を支払 を要 せざ る も唯 、 公衆 の治安 を妨 ぐ るを得 ず 。 七 、 鉄道 各 駅境内 に墳 墓 村 落市 街 ある時 は原 訂 鉄道 契 約 第 二条 に照 し 、皆 方 法 を設 け て迂 回 し其 の既 に価 を給 し た るも のは土 地 を 返 還 し 、均 し く 此次 支 払 ふべ き地 価 よ り控 除 し 、若 其 地 にし て鉄 道
会 し、支那官吏 より員 を派し て立会 の上之 を処理し、其 の地価支
十二、鉄道会社 に於 て人民の地価支給を続行 せる時 は支那官吏 に照
領 せる証書 も総数と差異なきや否やを調査し公平 に処理す べし。
二十 九 日浜 江報 に在 りま し た か ら之 に関 し浜 岡調 査 課員 が山 内 総領
し た の に対 し、 先 日 左記 内 容 を有 す る返 信 を寄 こしま し た と、 八 月
総 領 事 か ら、 東省 特 別 区 朱長 官 に宛 てて質 問 的書 面 を送 つて居 り ま
事 に就 き聴 き得 た る処 を、 其 の返 信 の内 容 と併 せ て御報 告 致 し ま す。
反 し 、且 国 家 の行 政 を侵 犯 す る も のであ り ます か ら 、続 訂契 約 第 六
と になり ま し た のは 、該 課 の掌 る各 項 の事 務 が多 く原 訂 の契 約 に違
知 し まし た が 、此 次 の我 国 が東支 鉄 道 庁 土 地課 の職 掌 を裁 撤す る こ
貴 領 事 から 一九 二 二年 八 月 九 日附 の公信 に接 し ま し て其 の趣 は承
返 信 の内 容
給証書及地図には均しく、支那官吏 より捺印し之れを証明すべき も のとす。 十三、此次 の契 約締結後は従前鉄路交渉局総弁周冕と鉄道会社と締 結せる土地契約は直 に之れを廃棄す。
条 に記 載 し あ る ﹁支 那政 府 は随時 厳 重 に取締 る こと得 ﹂ と の規 定 に
十四、本契約は露支両文を以て二通を作成し、彼此署名捺印したる 後 一通 を黒竜江巡撫衙門に保存し、 一通を東支鉄道会社 に保存し
のは 、引 継 を慎重 に取 扱 は ん が為 であ つて、 田 の新 に登 記 を要 す る
︹マ マ ︺
る所 は あ りま せ ん。 張 局長 が前 に人 を派 し て土 地 課 と打 合 せを し た
て居 る も のは 総 て有 効 であ つて、 内 外商 民 等 の権 利 には毫 も影 響 あ
に布 告 し ま し た。 但 従前 該 土 地 課 と借 地 に関 し合 法 の契 約 を締 結 し
依 り て其 の職 掌 中 違 背 の部 分 を裁 撤 す る ことと し 、既 に内 外商 民 等
疑義 ある時は支那文 を以て正文とす。 一九 大正十二年八月三十日午後八時十五分 第七六号 奉天公所長
所 以 も 又、 内 外 人 民 の利 権 を保 証 せん が為 であ つて均 し く正 当 な取
米国公使 一行赴哈
扱 方 であ り ます 。要 す る に此 の事 は全 く我 が国 の内 政 に属 し て居 り
未 だ何 等 の処置 を取 つて居 な い。更 に書 面 を や つ ても朱 慶 瀾 は頭 が
ま す れば 、 総領 事 は 其 の返 信 は 確 に受 取 つたけ れ 共、 それ に対 し て
右 に関 し て山 内 総領 事 を訪 問 し て其 の意 見 を 聞 き まし た 処 に依 り
山 内 総領 事 の態 度
ます 。 云 々
れ ど も、真 相 の未 だ 明 かな らざ る やを 恐 れ て茲 に 回答 す る の であ り
ます から 、貴 総領 事 の来 翰 抗議 に対 し ては元来 回答 の義務 はな いけ
米国公使 一行五名奉天着 ヤ マトホテルにて奉天駐在 の米国領事及
極秘 哈爾賓事務所長
張交渉 署長等 と晩餐 を共 にし、今夜五列車 にて哈市 へ向け立 つ念。 二〇 大正十 二年九月三日 哈調第 一二七号
東支土地課問題 に関 し行政長官公署より山内首 席領事 に致 せる通信 の内容と山内領事 の態度 東支鉄道土地課移管問題 に関し日英米仏四国領事を代表 して山内
堅 く な つて居 て其 の効 力 も な い様 であ るし 、 且書 面 でや れ ば矢 張 自
モフ管 理 局長 以 下 各課 長 総 出 で随 行 案 内説 明 の労 に当 つて居 て、東
同 公使 が東 部 線 視察 の感想 と し て 一般 新 聞 記者 に語 る所 は、 同 鉄
部 線 の各 所 に於 て多大 の歓迎 を受 け て居 る。
の発 達 し た米 国 に於 てす ら稀 に見 る所 で あ ると言 ふ普 通 一般 の外 交
道 が良 好 なる 状 態 に在 り、殊 に乗 行 し た列 車 ソツ ク ス の如 きは 鉄 道
と支 那 側 では其 の名 義 人 に重 き を置 い て居 る様 で、 自 分 のみ憎 ま れ
分 の名 義 を 以 てし な け れば な ら な いし、何 時 も自 分 の名義 を用 ふる
だ から 今 其 の必要 も な い様 な の であ の回 答 に対 し て未 だ其 の儘 にし
役 に立 つのも あま り面白 く なく 、 且奉 天 の領事 団 が交 渉 を し出 す 、
て居 る。 但 此 の土 地 課 の問 題 が完 全 に支 那 側 の主 張 の通 り移 管 され
の各種 工場 、 農 事 試験 所 其 の他 の施 設 に は非 常 の注意 を払 つて居 る
的 辞 令 で、何 等 真 相 に触 れ て居 な いが 、沿 線 に於 け る東 支 鉄 道 経 営
二二
哈 調第 一三六号
米 国 公 使 の動 静 と 土 地課 の問題
大 正 十 二年 九 月 五 日
(掘 江)
此 の次 往 復 途中 に於 て オ スト ロー モウ局 長 は 一刻 も公 使 の左右 を離
待 せ ん とし た が 、公 使 は 国喪 期 間 中 に在 りと て其 の宴 会 に出席 せず 、
後 六時 ポ ク ラ ニ チナ ヤ に到着 し、 張宗 昌 氏 か ら宴 を張 り て公使 を招
米国 公 使 は 三十 一日午後 十 一時 十 五分 哈爾 賓 を出発 し (翌 日) 午
し てあ りま し た か ら飜 訳 し て御 報 告致 しま す 。
標 題 に関 し 本 日 (四 日 ) の国 際 協報 に大要 左 記 の如 き記 事 が掲 載
哈 爾賓 事 務所 長
に非 常 な興 味 と 心 配 を以 て待 つて居 る所 であ る。
米 国 の対東 支 政 策 と な つて現 は れ て来 る かは露 支 幹部 は勿 論 、 一般
し 、 更 に北 京 に帰 つて本 国 政府 に如何 な る報告 をな し 、其 の結 果 が
西 部線 の旅 行 は約 三 日間 の予定 であ る が其 の後 彼 が哈 爾 賓 に帰着
と の こと であ る。
る こ と にな る と、南 満 の鉄 道 附 属 地 に影響 を及 ぼし て日本 の不 利 と な る から 、自 分 とし ては成 る可 く表 面 に立 つこ とは 避 け ん とし つ つ
調 査 課情 報 係
九月 七 日 庶調 情 第 五 五 四
あ る が、裏 面 で は領 事 団 を操 縦 し て支 那側 の今 度 の移管 に対 し ては
(大 正 十 二年 九 月 八 日
引 続 き反 対 せ しめ 様 と し て居 る云 々。
哈 爾 賓事 務 所 長
号 左 記情 報 は極 秘扱 に願 ひま す 。 一、東 支 鉄 道 土 地問 題 に関 す る 山 内 総領 事 の態度 )
二 一
大 正 十 二年 九月 四 日 哈 調 第 一三〇 号 ︹ Sc hurma n,Jab c, o Gou l d︺ 米国 公 使 シ ユル マ ン氏 の行 動
シ ユル マ ン氏 は未 だ沿 線 旅行 中 であ つて未 だ 之 と言 ふ て特別 に報 告 す る資 料 が あり ま せん が 、昨 二 日東部 線 の視察 を終 つて帰 着 し ま
米 国 公使 シ ユル マ ン氏 は咋 九月 二 日夕 方 東 部線 の視 察 を 終 り帰 哈
し た機 会 に左 記 の件 御 報 告 致 しま す 。
し 、 更 に今 朝 西 部線 の視 察 に赴 い た。 同 公使 には フテ ギ ユゲ ン支 那官 憲 及東 支 鉄 露 支幹 部 竝 オ スト ロウ
れず 、時 々鉄 道 庁 の功 績 を述 べ、露 人 に よ り て経営 す るに非 ら ざ れ ば 不 可 な る旨 を 告 げ、 ゴ ンダ ツ チ氏 は 公使 が哈 爾賓 に帰 る時 一面坡 から乗 車 し て、 二時 間 に亘 つて密談 し た が多 分 土 地課 の問 題 に関 し て であ らう 。 次 に土 地課 の こと に関 し乗 車 中 の温路 警 処 長 と の間 に左 の如 き問
二三
大正十二. 年九月六日 哈調第 一三八号 束支鉄道続訂契約 に関する件
哈爾賓事務所長
此度支那側で東支鉄道 の土地課移管を要求 せる契約上 の根拠 は常
に 一九二〇年北京 で露亜銀行 の代表 と締結せる続訂契約を盾 にし つ
つある様 であります から今該続訂 を支那文より飜訳し為御参考供貴
此 の次 支 那 が 回収 し て自 ら 管 理 す る こと と せ るは鉄 道 に必
題 が行 は れ た と記載 し てあ り ます 。
覧。
温処長
要 以 外 の土 地 で、従 前 鉄道 庁 で代 つ て管 理 し つ つあ つた も のを 回
支那政府は東支鉄道に対し 一、庫平銀五百万両を以て株券を買入
東支鉄道管 理続訂契約
収 し て自国 で管 理 せ んと す る も の であ つて、 借 地 人 に対 し ては 従 来 の規 則 を変 更す るも ので はあ り ま せん 。
れ光緒 二十二年 (一八九六年)七月 二十五日露清道勝銀行 ( 現在 の
米 国 の西 方 に数 条 の鉄 道 があ つて西 側 に占有 し て居 る土 地 が
甚 だ多 いけ れど も、 米 国 は地 方 を 発達 せ しむ る見 地 から鉄 道 側 に
公使
露亜銀行) と合弁を以て東支鉄道 を建設経営すべき契約を結 び、二、
東支鉄道会 社が支那政府 に支払ふべき五百万両 の元利竝支那が該鉄
向 つて 回収 を要 求 し た こと はあ り ま せん 。
道 に援助せる種 々の債権関係を有 し、三、露国 の政治素乱 の為該鉄
此 の鉄 道 は米 国 の鉄 道 と事情 を異 にし て居 り、 此 の鉄 道 は
資 本 は露 国 から出 し て居 る け れど も 土 地 は支 那 の領 土 で あ つて、
温処長
道 の管理及秩序維持 の能力を失ひ、 四、支那政府は領土主権 の関係
支鉄道合弁契約及会社原有現行章程 に依 りて与 へられたる特権を執
該契約及現行章程 に規定 せる各項 の職権竝光緒二十二年締結 せる東
月二日)正式 に該銀行に通知し、支那政府 は暫時露国政府 に代 つて
上述 の理由及責任を有す るを以て支那政府は特 に (一九二〇年十
の種 々なる関係を有せり。
保護及 一切 の秩序整頓 に対し、均しく責任 を負はざ る可からざ る等
を以て該鉄道附属地内 の治安、世界公共交通 の維持竝該鉄道財産 の
且 回収 す るは 歴年 来 彼 れ が侵 占 せ る土 地 であ りま す 。 現在 事 此 れ に至 るか ら は 一解 決 の方 法 を 商議 す る こと が至当
正当 の手続 に依 り理事 会 に於 て解 決 す るが よ からう と思 ふ 云
解 決 の方法 は如何 にす べき で せう か 。
で あ り 且必要 であ ると思 は れ る。
公使
温 処長 公使 云。
(浜 岡)
行す ることに決定し、此次露国政府 に代 つて其 の職権を執行す る期
限は支那政府 が正式 に露国政府を承認 し、竝彼此該鉄道 に関する弁 ることとし、民国九年 十月 二日支那政府は交通部より支那政府 を代
法を商定する迄なる ことを声 明し、特 に本契約を続訂し遵守 に資す 表せる者を特派し、北京道勝銀行 (現在 の露亜銀行及以後改組 の同 銀行) の臨時巴里に設置せる道勝銀行本店代表者と双方同意を以て 以下 の条項を締結し、 一八九六年 の東支鉄道続訂契約と為す。 那政府に支払ふべき各 々債務を同額 の鉄道債権 を以 て支那政府 に
一、東支鉄道会社 (以下会社 と称す) は本契約調印後努 めて速 に支
に詳記す。
交付す。此 の債権 の性質は別に書翰 を以 て声明す。其 の債務を左 甲 、原契約第十二条 に照し該会社 の鉄道敷設完成 し汽車開通 の日 に於 て支那政府 に交付すべき庫平銀 五百万両 乙、前項五百万両に対す る利子は鉄道開通 の日より起算 し 一九 二 計算を以て算出する こと。
〇年迄 の間契約章程第十六款 に照し毎年六分 の割合を以て複利 一九二 一年より有する前項 の債務は上文甲乙両項 の総数 に照 し、 毎年利子 五分を給 し毎半ケ年 に 一回支払 ひ該鉄道債権 は支那 の鉄 道買戻 の時 に至 り、全部償還す るか或 は鉄道買戻金中より控除す 前記 の債務 に対して発行する鉄道債権 は該鉄道 の動産及不動産
るも のとす。
る時 は督弁 の決定 す る処 に依 る。
三 、 理事会 の法 定 入数 は七 人 を 以 て最 少限 度 と し 一切 の議 決 は少 く
も 理事 七 人 の同 意 を得 て執 行 の効 力 を 生ず るも のとす 。
命 す る を得 。其 の総稽 察 (監 査役 議 長 ) は此 の五人 中 よ り選 挙 す。
四 、 支那 政 府 は稽 察 局 ( 監 査 役 ) 定員 五 人内 に支 那稽 察 員 二名 を任
但 し支 那 人 に限 る。
五 、該 鉄道 管 理 に便 す る為有 ゆ る露支 両 国 人 は均 し く公 平 に配 置 し、
同 等 の待 遇 を受 けし む べ き も のとす 。
に商 業 の範 囲 内 に制 限 し 、 一切 の政治 に亘 る事 項 は均 し く禁 止 す
六 、会 社 は 以後 有 ゆ る権 利 及有 ゆ る職 務 は何項 を論 ぜず 均 し く厳 重
べし 。 且 支那 政 府 は随 時 厳 重 に取 締 る こと を得 。
哈 爾賓 事 務 所長
( 浜 岡 訳)
る露 支 東 支鉄 道 会社 契 約 及会 社原 有 の章 程 にし て本 契約 と抵触 せ
七 、凡 光 緒 二十 二年 七 月 二十 五 日即 西暦 一八 九 六年 九 月 二日締 結 せ
哈 調 一四七 号
ざ る も のは均 しく有 効 と為 す 。
二四
大 正十 二年 九 月 十 日
土 地課 問題 の近 況 と東 支 鉄 道側 と米 公使 と の会 見
首 題 の件 に関 し 九月 四 日 ゴ ンダ ツ チが当 地松 井 少将 に語 つた処 を 御 報 告 致 し ます 。
題 の発 生 以来 殊 に張 作霖 が朱 長 官 の行 為 に関 し、 四国 外 交団 及 其
一、朱 長 官 と張 煥 相 と は元来 互 に反 目 し居 り た るも 、最 近土 地課 問
を以 て担保と為す。 る理事四人を任命することを得。該理事 は必ず しも株主たるを要
の他 の外国 代 表 者 に対 し 、朱 長 官 が奉 天 の意 中 を了解 し居 らざ る
二、理事会は理事九人 の内督弁 を除き支 那政府は支那 の国籍 を有す せず。露 国人理事は露人 より自由 に選挙 し、若支露投票数平均せ
結果 な りと 釈 明 せ り と の情 報 以来 、朱 長 官 は張 作 霖 の不徹 底 な る 態度 を忌 み、 又張 煥 相 も同 様 の感 を抱 く に至 り両 者 は茲 に妥 協 す る に至 れ り。
張 作霖 は哈 市 支 那官 憲 の土 地課 に関 す る処 置 に対 し、 何等 反 対 せ
二、 最 近 奉天 よ り帰哈 せ る兪 人鳳 及 袁金 鎧 は朱 長官 及 張 煥相 に対し 、
と の情 報 あ り。
ず 大 に慎 重 に該 問題 を進 捗 せ ん こと を希 望 し つ つあ りと 伝 へた り
三 、昨 三日 朱長 官 は張煥 相 、 兪 入鳳 、 袁 金鎧 、李 家 鰲 と会 議 に於 て 土地 課 問題 に関 し ては飽 く 迄 も最 初 の支 那側 の方 針 を断 行 す べく 、 決 し て東 支側 に対 し 譲歩 せず と言 明 せり 。
東京 震 災 事件 の為 中 止 せ り)
週 間後 に帰 哈 し、 正 式 に辞 表 を 提出 す べく断 じ て留 任 せず と の意
六、 王景 春 よ り 二、 三日前 某 支 那 理事 に宛 て た る書 面 に依 れ ば約 三
向 な り。 又情 報 に依 れ ば李 家 鰲 は北 京 よ り至 急 北京 に出 張 を命 ぜ
︹マ マ︺
ら れ た りと 。或 は李 は 王景 春 の後 任者 た ら しむ る計 画 な るや も測 ら れず 。
七、 最 近奉 天 よ り帰 行 し 目 下米 公 使 に同 石 中 な る プ チ ヒ ユゲナ ン の
に土 地課 問 題 に関 し ては 悉 く其 の真 相 を知 らず と。
談 に依 れば 、在 奉天 領 事 団 は東 支 に対 し余 り に興 味 を有 せず 。殊
八 、要 す る に米 公使 を初 め領 事団 等 が問 題 の真 相 を解 し居 らざ る は 、
べ し。依 つて予 は 此 の際 米 公使 に其 の真 相 を報 告 し、問 題 の正 当
哈 市 支 那官 憲 が張 作霖 に対 し適 確 の報告 を為 し居 らざ る所 以 な る
哈 調 第 一四 八 号
な る解 決 を求 め ん とす る も のな り。
四 、朱 長 官 は最 近哈 市 公 証人 組 合 に対 し 、 土 地課 と の新契 約 に対 し
に支 払 はざ る こと を命 令 せ り。 尚支 那 官 憲 を 沿線 に出張 せし め 、
二五
大 正 十 二年 九 月 十 日
シ ユ ル マン米 公使 の演説 と其 の反 響 ( 其 の 一)
哈 爾賓 事 務 所長
何等 関 与 せざ る こと、 又哈 市 地 方裁 判 所 に対 し地 料 を東 支 土 地 課
同 様 の処 置 を為 し つ つあ り。 五、 予 は米 国 公 使 シ ユー ル マ ンとは 石頭 河 子 に於 て会 見 し 、列 車 の 進 行 中約 二時 間 に亘 り米 公使 に土 地 課 に関 連 す る情 報 を報 告 せ り。 米 公 使 は従 来 支 那側 よ り土 地課 問 題 に関 し虚 報 を 聞 き得 た る も の
東 支鉄 道 沿 線 視 察 か ら哈 爾賓 に帰 つた シ ユル マン公 使 は各 種 の招
の如 し 。 即 彼 は支 那 が 回収 せん とす る土 地 は、 東 支鉄 道 が条約 の 範 囲 を越 え支 那 人 より強 収 せる土 地 あ り て、之 を 還 付 せし め ん と
関 し支 那側 に取 つて甚 だ 不利 で、恰 も法 廷 に於 け る裁 判 官 の判 決 の
も のは甚 だ広 汎 で、 而 か も其 の全部 が悉 く東 支 鉄道 土 地 管 理問 題 に
如 き感 を起 さし む るも のが あ る。 随 て其 の反 響 は大 き く有 利 な側 に
宴 に臨 ん で各 種 の演 説 を行 つた が 、東 支鉄 道 主 催招 宴 席 上 に於 け る
の視 察 中 にし て 、 日本領 事 を除 く外 二国 領 事 及露 亜 銀行 極 東 総 支
立 つた東 支 鉄道 露 国 幹 部 及 一般 露 西亜 人は 竊 か に会 心 の笑 みを漏 ら
す る も のと 了解 し居 れ り。 然 る に予 の詳 細 の報 告 に依 り始 め て其
配 人 プ チ ヒ ユゲ ナ ン等 が同 行 し た る を以 て、更 に土 地課 問 題 の真
の真 相 を理 解 し 、支 那 官憲 の不 法 な る を認 め た り。 彼 は目 下 西 線
相 を 明瞭 な らし む る に至 る べし 。 (日本 領 事 も 同行 の筈 な り し も
し、 領事 団 は吾 が意 を得 た り と なし て居 る が、 之 に反 し支 那側 の狼
な か つた。 而 し て此 の紛争 と言 ふも のは大抵 の場合 地方 の状況 に依
鉄 道 側 と官 権 と の間 に は避 く べ から ざ る紛争 が起 つた こと も見 逃 さ
つ て、主 とし て貨 物 発 送者 に対 す る差 別的 待 遇 や苛 重 な貨 物旅 客 運
狽 は 一通 で無 く 、朱 慶 瀾 の如 き は即座 に立 つ て卓 を た た いて弁 明 を 試 み、米 公使 の言 は斯 く の如 き 席 上 で述 ぶ べき 性質 の も の でな い、
賃 や 、政 策 や 鉄道 の与 へる影 響 に起 因 し て居 る。
議 の価値 も又 想 ふ べき であ ると 述 べ、 支 那 側 新聞 も亦 同 一の論 調 を
無 法 な り と か為 す は矛盾 の甚 だ し き も の で、斯 く ては 華 府会 議 の決
分 は記 憶 す る 。而 し て自 分 の考 へに依 るとデ モク ラ シイ と 言 ふ こと
般 与論 を喚 起 し 、尚 其 の予 防 的 法律 さ へも出 来 た こと があ る のを 自
に当 つた の であ る。 政 権 や鉄 道 側 の努 力 の現 はれ た こと に就 ては 一
此 等 の事 件 は北 米 合 衆国 に於 ては国 立特 別 鉄 道委 員 会 が解 決 の任
而 も 一方 主 権 を尊 重 し 平 和 を高 唱 し つ つ、 他 方 今 回支 那 が必要 に迫
以 て大 いに其 の不法 を鳴 し 、 こ の問題 は露 支会 議 に於 て解決 さ るべ
は 、充 分 に行 は れな い時 に は運 輸或 は生産 に関 す る集合 資本 の大 き
ら れ民意 を尊 重 し て実 行 せ ん とす る土 地 移 管 を 以 て、 条 約違 反 と か
き も の、 又未 解決 の間 は 支 那当 局 に於 て臨 時 的 に処 決 す べきも ので
な脅 威 と言 ふ も のが常 に存 在 す る の であ る。
然 る に自分 は東 支鉄 道 に於 ては貨 物 発送 者 に対す る関係 や 、土 地
あ つて、 第 三者 た る各国 が其 の意 見 を述 ぶ る は可 な るも 、干 渉 が ま
に依 つて利害 のある こと や、 又 は車 輛 の使 用 に関 し て紛争 が起 つた
し き如 き 言 動 は、 露 支両 国 に於 て決 し て之 認容 す べき も のに非 らず 、
と言 ふ こと を聞 かな い。 此 の事 は北 米 合衆 国 では非 常 に良 い こと と
思 は れ、 米国 で は運賃 が高 す ぎ る と言 は れ る代 り に、 東支 鉄 道 が貨
米 公使 が斯 かる矛 盾 の意 見 を述 ぶ る に至 つた のは露 人側 の宣 伝 に乗
尚 米 公 使 の各 所 演 説 の概 要 及 オ スト ロー モフ、 仏 国領 事 の歓 迎 の
はれ て居 る こ と に対 し て非常 に驚 く こと であ らう 。 然 し東 支 鉄 道 が
物 を吸 収 す る為 と事 業 に貢 献 せ ん が為 取 つた 、低 率 運 賃 が悪 いと書
つた為 であ る と攻 撃 し て居 る。
た 左記 東 支招 宴 席 上 に於 け る米 国 公 使 の演説 全 訳 御参 考 の為御 送 付
道 の欠 損 に就 ては何 等 の責 任 を負 はな いこと にな つて居 る 。而 し て
を与 へると共 に、如 何 な る場 合 に於 ても鉄道 建 設 後 八 十年 間 は、鉄
第 十 二条 に依 つ て支 那 政 府 は右 会 社 に鉄 道 を根 拠 とす る総 て の権利
鉄 道 の建 設及 営 業 を なす べ き東 支 鉄道 会 社 と 言 ふも のが出 来 、其 の
一八 九 六年 支 那政 府 は露 支銀 行 と条 約 を 結 び 、其 の条 約 に依 つて
越 し て居 な い。
に過 去 に属 し、 現在 の管 理 局 は厳 重 に条 約 の精 神 を 守 つて権 限 を超
国 策 の遂 行 に努 め て居 ると の議 は、米 国 人 の知 る範 囲 に於 ては事 既
辞 並新 聞 の論 調 に就 て は後 便 を 以 て報告 致 しま す が 、問 題 を惹 起 し
致 しま す 。 東 支招 宴 席 上 に於 け る在 支 米 国 公使 シ ユル マン氏 の演説 自 分 は東 支 鉄 道 の旅行 に当 り特 別 列車 を出 し て貰 つた好 意 を感 謝 し 、 且同鉄 道 の現 状 が非 常 に良 好 の域 に在 る こと を祝 福 し つ つ、 鉄
明す る如 く 、新 地方 の開 発 に偉 大 な効 果 のあ る こと に想 到 し た の で
道 と言 ふも のが北 米合 衆 国 や加 奈 汰 や ア ルゼ ンチ ン の歴 史 に於 て証
あ つた。 尚 自分 は鉄 道 と言 ふも のが相 当 な効 果 を地 方 に表 し た にも拘 らず 、
政府 で補足し て来 たのであ つた。即東支沿線 には露国政府 は莫大な
は鉄 道 に実 際 あれ 丈 け の土 地 が 必要 であ る か否 か、 又鉄 道 と支 那 政
条 約 を結 ぶ こと が 必要 であ つた か否 やと言 ふ ことを 問 は な い。自 分
府 と の間 の条 約 に鉄 道 に直 接 必要 な 土 地 と、 其 の他 の目 的 に使 用 す
会社 は永 い年 月随分な損失を受け、而も其 の損失は周知 の如く露国 金額 を投じ て居 る。斯くの如く銀行 の背後 には露国が有 つて、其 の
の事 に関 す る抗 議 が正当 であ る か否 かを 研究 し よう と し な い。 或 者
に同 一の論 調 を以 て支 那 官 憲 の態 度 は 正当 であ る が其 の処 置 が悪 い
る土 地 と が区 別 され て あ つた か否 か の問 題 を追及 し な い。自 分 は 此
と自 分 に告 げ た。 又 他 の者 は 支那 側 の行為 は全 く不 正 当 だ と告 げ た。
政策 は大陸上莫斯科︱浦塩間 に、支那領土を経 て鉄道を敷設する こ を引 き受けたものはな い。此 の間 に於 て支那は其 の鉄道上 に於ける
とに在 つた。此 の露国 は現在 に於 ては消滅し、国際間 に於 て其 の後 司法 上 の権利を拡張 し出した。此 の状況を調整す る為 に各国 は華府
自 分 は 之等 の こと を 不問 にし て他 の論拠 に依 る のであ る。
自 分 は誰 か に依 つて又 或 経路 で非 常 重大 な事件 が起 つた と言 ふ こ
に会 し、支那 に非常な優先権 を与 へて外国株主、債券所有者及鉄道
と と、 又吾 々平 和 を愛 好 し 且 正当 な る判 断 力 を持 つて居 る も のは 土
に関す る債権者に対す る総 ての責務 を支那 に負は せることに決議し た のである。従 つて支那には鉄道建設 に当 つて締結 された条約 に依
際 紛 争 の基 と なら な い様 にし なけ れば な ら ぬと言 ふ こと を考 へる の
地 に関 す る紛 争 に依 つて、支 那 にも 鉄道 にも 損失 が起 ら な い様 に国
此 の華府会議 の政策 に基 いて英仏 日米 の四国は、先に地方官憲 の
り生ず る鉄道 の所有及管理 に関する責 が生じて来た のである。 取 つた処置と東支鉄道土地課を取り上げ、之 を新支那地畝管理局 の
の事 件 の発 生 前 の状況 を 考 へて見 る必要 あ ると思 ふ。而 し て此 の事
を満 足 に決 した いと 思 ふ。然 らば 夫 れを如 何 にす べき か と言 ふ に、
であ る。私 は 支 那 も外 国 人 も鉄 道 も 萬来 る丈 以前 に立 ち返 つて、 此
した。此 の列国 の通告は鉄道事業 の状態 に変化 を起し、其 の結果正
を不 可 能 で あ ると 言 ふ が、自 分 は強 い希 望 と正当 な判断 力 を持 つて
根 本 原 則 と各 方 面 の異 議 を度 外 し な い様 にす る のであ る。 諸 君 は之
管掌 に移 さんとする希望が不当 であると言ふ ことを支那政府 に通告 義 と華府会議 の決議 が打破 される ことに基 いたも のである。而して
い る人 に は何 事 も 可能 であ る と考 へる。文 明 の人 々は 譲歩 や正義 の
尚此 の通告中 には外国 の利害 に影響 のある支那 の義務観念 に就て、 此 の支那政府 の行為 に依 つて列国 の間 に疑 を生じな いとも限らない
議 の上 で意 見 の相 違 を除 去 す る の であ る。
根 本 主 義 は侵 す べ か らず と 言 ふ、 唯 一の条 件 を持 つた妥 協 に依 て会
斯く の如く吾 々は支那及列国並東支鉄道 の利害が覆 へされる状況
と附言して居 る。
自分は今日迄 二十年間鉄道が管理し て来 た土地 に関す る書類が総
主 権 の不可 侵 な こと であ る。若 し も鉄 道 が何 か支 那 政 府 と の条 約 以
私 は 先 づ第 一に次 の事 を答 へる。 即 如何 なる場 合 に於 て も支 那 の
諸 君 は如 何 な る原 則 に就 て言 ふ の であ る かと問 ふだ らう 。
て正当なものであり、又価値があるも のかと言ふ ことは論じない。
外 の こと をし た と し たら 、 夫 れ は支 那主 権 の侵害 であ つて、 其 の事
にあると考 へるのである。
自分は支 那官憲と東支鉄道と の間 に或土地を譲り渡す こと に就 て、
分 は華 府 会 議 の支 那 に関 す る根 木 目 的 と結 果 と は、 更 に支 那 の政治
力 を持 たう と す る企 図 と希 望 と に全 然 同 情 を有 す るも ので ある 。自
柄 を調 査 し 改 め なけ れ ば なら ぬ。自 分 は 支 那 国民 が其 の領 土 上 に権
を憎 む こと に於 て 一分 時 たり と雖 なし得 べ から ざ る所 でな け れば な
と し ては其 古 い立 派 な文 化 や秩序 と公 平 を愛 す る こと 、 戦争 や暴 力
る 。之 に反 す る行 動 は野 蛮 の方法 に退歩 す るも ので あ るか ら 、支 那
蓋 し法 則 と 正義 の保護 機 関 は 会議 及 審 査 並問 題 の公平 な る判 断 であ
遂 に非常 な危 険 を齎 らす も ので あら う 。即 何 人 と雖 支 那 が条 約 を破
行政 及 領 土 の保 全 確 定 なら し む る こと に在 つたと 言 ふ事 を、 満足 を
棄 し、或 は武 力 を 以 て国 際 的 且政 策 的問 題 の解 決 に、 最 上 の原 則 で
ら ぬ。 而 も支 那 人 の理想 及 感情 上 に反 し て起 る此 の種 事 件 の進 行 は
次 で自 分 は条 約 と 言 ふも のは之 を締 結 し た も の に義 務 あり と言 ふ
以 て諸 君 に喚 想 させ る のであ る。
こと は、 各 民族 に依 つて守 ら な け れば な ら ぬ道 徳 上 の原 則 であ る こ
あ ると考 へて居 ると自 分 に確信 を与 へ得 な い の であ る。
が有 利 であ つても 売買 の契 約 と言 ふも のは実 行 さ れ なけ れ ば な ら ぬ。
る こと が出 来 ぬ。 商 業 上 に於 ても同 様 で、 仮令 契 約 を破 棄 す る こと
害 と 言 ふ こ と に対 す る権 利 を有 す る のであ る。此 の原 則 は単 に支 那
る利 益 に対 し権 利 を有 し 、 又之 と同様 条 約 も 亦之 を保 証 す べき 無 迫
と を総 て述 べた ので あ る。 支那 は此 の原 則 の設定 に依 つて与 えら れ
自 分 は自 分 の考 へで今 度 の問 題 に関す る根 本原 則 であ る と思 ふ こ
と を諸 君 に注意 し な け れば な ら ぬ。 自 分 には隣 人 の所 に在 る自 己所
正 義 は 何処 迄 も正 義 で あ つて 人 々は 其 の要 求 に服 従 しな け れ ば なら
の主 権許 り でな く 、未 だ充 分 に鉄 道運 輸 の便宜 と改 善 に使 用 され て
有 物 が隣 人 に比し て尚 一層 欲 し い。 然 し 右 の原 則 に依 つて夫 れ を取
ぬ。
さな いの であ る 。最 重 大 な事 柄 は利害 関 係 を有 す る両 国間 に出 来 上
居 な いと は言 へ、鉄 道 が土 地 を管 理す る と言 ふ こと にも迫 害 を 及 ぼ
つ て居 る条 約 を 、相 互 の同意 な く し て変 更 す る と言 ふ こと にあ る 。
第 三 に自 分 は不 等 不利 な 条約 又 は 契 約 は相 互 同意 の上 で、始 め て
の経 路 は会 議 又は意 見 の交換 であ る。若 し も支 那 の地方 官憲 が之 迄
此 の事 に就 ては他 の事 件 に関 す ると同 様 、 北米 合 衆国 の経 験 は 支 那
改 訂 変 更 さ る も ので あ ると いう こと に注意 し た い。而 し て其 の自 然
ら、 其 の原 因 を述 べ問 題 の審 議 の重 要 な る べき を建 議 し て、鉄 道 本
条 約 に基 い て、 鉄道 管 理 に属 し て居 る某 土 地 を取 り返 し た か つたな
与 へて居 た 。現 代 の人 々は此 の政策 を 不 正当 な も のと考 へて居 る が、
過去 に於 て米 国 政 府 は 鉄道 及 共 同組 合 に土地 や採金 地 や森 林等 を
に取 つて燈 台 で あ る。
の土 地 を鉄 道 が保全 し来 つた処 の条 約 が、 将 来無 効 であ る とし た ら
社 に交渉 し なけ れ ば なら な か つた の であら う 。 又若 しも今 日迄 鉄 道
条約 の不 備 な 点 は記 録 され、 且 総 て の問 題 が好意 的 に審議 さ れ る如
め に唯 一無 二 の手 段 であ る と考 へて居 た のであ る。自 分 は吾 々と吾
吾 々の祖 先 は当 時 地 方 に不足 であ つた運輸 事 業 や、経 済 的 発達 のた
第 四 に支 那 の為 にも 文化 の為 に も行 ふ べ からざ る 一物 が あ る こと
に就 て意 見 の相 違 があ る に拘 らず 、 既 に過 去 に於 て与 へら れ た土 地
吾 の祖 先 と何 れ が賢 な る やを論 じ な い。然 し米 国 に於 ては 此 の問 題
く参 考 人 の意 見 を確 め な け れば な ら ぬ。
を言 明し て憚 ら ぬ。 夫 れ は即 法則 と正 義 を 武 力 に代 え る こと であ る。
或 は其 の他自 然 の富 は返 却 せら る べ きも ので な いと言 ふ こと に皆 が 同 意 を す る。 然 し人 間界 の仕 事 に於 ては 個 人 の立 場 、 即支 那 人 の所 謂 人 格 の保
自 分 は総 て の文 明社 会 の基 礎 で あり 、 又政 策 及 人類 文 化 の根 拠 で
丈 、此 の解 決 法 に対す る覚 悟 は強 い訳 であ る。
の場 合 に於 ては既 に支 那 官憲 、 外 国 人及 鉄 道 に依 つて、各 々手 段 方
其 の解 決 は其 の条 約 条文 の解 釈 と両 者 の信 任 す る適 当 な 且 、権 威 あ
府 と東 支 鉄道 会 社 の間 に結 ば れ た条 約 から起 つた のであ る 。而 し て
づ其 の根拠 の無 い こと を言 ひ出 す も の であ る。今 度 の紛争 は支 那 政
契 約 に依 る賠 償 要求 に関 す る法 律 の判決 を否 む も のは 、何 時 も 先
あ る法 則 に依 る こと を言 ふ こと を以 て此 の方 法 と なす ので あ る。
法 が講 ぜ られ て居 る。 而 し て彼 等 は既 に或 程度 迄 相 互 に連 鎖 を有 す
存 及 一般 的 政 事原 則 と言 ふ こと を考慮 に置 かな けれ ば な ら ぬ。 今度
る ので あ るが 、而 も自 分 は平 和 に且 堅実 に問題 は未 だ 解決 さ れ て居
い。諸 君 は中 華 民 国 と欧 亜 米 列強 の役 者 の演 ず るド ラ マの実 見 者 で
諸 君 よ、 此 の問 題 は単 に鉄 道会 社 と支 那 一地 方 と の間 の問題 でな
る 人 々の争 議 点 の審 査 に依 つて行 は れな け れば な ら ぬ。
あ る。 此 の争 は或 幾 十 万 エーカ ー の土 地 争 ひ に止 ま らな い。諸 君 は
最 も重 要 な のは将 来 何 人 も問 題 を 紛糾 さ せ る様 な手 段 を執 らな い
な いと考 へる。
こと に在 る。 此 の こと は非常 な 必要 な こと であ り又 急 を要 す る こと
決 に譲 ら ん こと を乞 ふ時 に当 り 、 文 明世 界 の意 思 を高 唱 す る ので あ
諸 君、 自 分 は諸 君 に本 問 題 の解決 を審 査 、会 議 、 条文 、 合法 的 解
義 に関 す る文 明世 界 に起 つた大 問題 の 一つ であ る。
非常 な大 問 題 を惹 起 さ れ た ので あ る の で、 此 の問 題 は力 と 法 と の正
であ る。 然 ら ば如 何 にせば 良 きや と の諸 君 の問 に対 し自 分 は次 の如 く答 へ る。
る。而 し て尚 其 の他 総 て の国 々も 此 の大 法 則 に遵 ふべ きを 乞 ふ の で
自 分 は 此度 支 那官 憲 に依 つて新 設 され た が鉄 道当 局 に依 つて承 認 され な い地畝 局 が 一時 其 の事 業 を停 止 し 、支 那 官憲 が根 拠 と原 因 と
ある。
(堀 江)
の本 社 に要 求 す る迄 待 つこと を要 す ると考 へる。
二六
哈 爾賓 事 務 所長
説 及 其 の反 響 の概 要 に就 ては取 敢 ず 報告 し て置 きま し た が、尚 左 に
哈 調第 一四八 号 で東 支招 宴 席 上 に於 け る シ ユル マン米 国 公使 の演
米 国 公 使 の演 説 と 其 の反 響 (其 の二)
大 正 十 二年 九 月 十 日
哈 調第 一四九 号
を 示 し て 、今 日迄東 支 鉄 道 の管 理 に属 し て居 た 土 地 の支 配権 を、 其
自 分 は 両者 が急 速 に胸 襟 を開 いて問 題 の審 議 を始 め る こと を進 言 す る。而 し て自 分 は其 の会 議 が良 好 な る結 果 を齎 らす こと 、 及会 議 に列 す る 人 々が事 実 の正 当 な判 断 、妥 協的 精 神 、 公平 及 正 義 に準 拠 す べき こと を希 望 す る のであ る。 若 し も 談合 会 議 の結 果 不 幸 にし て争 議 の満 足 な る解 決 を 得 ら れ な いとす れ ば 、其 の時 は 一つの公 開 さ れ た解決 方 法 が残 る の であ る。 而 し て両 者 の中 自 己 の主 張 が 正義 で あ ると言 ふ確信 が強 け れ ば強 い
の招 宴 席 上 に於 て、 通 り 一偏 の外 交 的 辞令 の挨 拶 を な し、 其夕 刻 の
米 国 公使 は 八月 五 日哈 爾 賓帰 哈 、 翌 六 日午 後 一時 支 那 側 官民 主 催
友 情 を 以 て 一団 と な り 、此 の不可 思 議 と も言 ふべ き協 力 団体 は常 に
を発 見 さ れた に違 ひ な い。吾 領 事 団員 は皆 異 口同音 に吾等 は親 し き
か つた と信 ず る。 閣下 は此 の地 に只 だ領 事 団 と 言 ふも のが あ る こと
国 各 別 の領 事 館 と言 ふ も のは無 いと 言 ふ こと を認 め ざ る訳 に行 かな
し 閣 下 の旅 行 が満 洲 の事 情 に関 す る知 識 を深 め ん が為 であ ると 言 ふ
東 支 の招 宴 に臨 ん だ のであ り ます 。 而 し て当 夜 は 先 づ主 人側 とし て
世 界 の使 途 た りし 、貴 国 大 統領 ハーデ ング氏 の ﹁暴 力 を 用 ひず 、 暴
以 上 、 一の事 実 に就 て黙 過 す る わけ に行 か ぬ。閣 下 は 哈爾 賓 には各
兪 人 鳳 立 つて歓 迎 の辞 を述 べ、ダ ニレ フ スキ ー、 オ スト ロウ ー モフ、
力 より 秩序 を保 護 す﹂ と言 ふ信条 を奉 じ て 一般利 害 の関 す る所 に注
当 地 に於 け る各種 の演 説 ( 東 支 招 宴 席上 の も のを除 く ) 朱慶 瀾 の弁
陳 翰 之 に次 ぎ シ ユル マン公 使 の演 説 とな り 、最 後 に朱慶 瀾 の辞 が あ
意 を払 つて居 る。
解 演説 及支 露 新 聞紙 の論 調 等 を御 報 告致 し ます 。
つた と の こと で、 之 に仏 国 領 事 の稍 々厭 味 あ る歓 迎 の辞 に加 へて 、
此 の信条 は 吾 等 を感 激 せし め 且強 固 に団 結 せ し め、 共 に喜 怒 哀 楽
此 の状 況 を 頭 に画 き次 の各 種 演説 及新 聞 の論 調 を読 む と 、眼 前 一場
を別 たし め る の みな らず 、今 日衷 心 から吾 々の席 に米 国 公使 の在 る
と言 ふ こと を歓 迎 し 、 又公 使 を呼 ん で ﹁吾 等 の使者 ﹂ と名 づけ る権
尚 同 公 使 が翌 七 日在 哈米 国 人主 催 の午 餐 会 に臨 み てな せ る演 説 は 、
の活 劇 彷 彿 た る も のが あ り ます 。
少 しく 自 家 宣 伝 の気 味 が あ りま す が御 参 考 のた め併 せ て御 報 告 致 し
国 際 協報 所 載
川 に至 り、 今 又哈 爾 賓 に来 りま し て支 那 官憲 国 民 の熱 誠 な る招 待 を
光 栄 とす る所 で あり ま す 。私 は近来 各 地 を遊 歴 し 、広 東 、 上海 、四
私 の今 日貴 国 各 界 の招 待 を 承 け て此 の盛 宴 に臨 む を得 た のは誠 に
(九 月 六 日午 後 一時 )
支 那側 民 間 主 催招 宴 席 上 に於 け る米 公 使 の演 説
利 を与 へる。 東 支 招 宴席 上 に於 け る仏 国領 事 歓 迎 の辞
ま す。
例 ふ る に物 の無 い大 災 害 が日 本 に起 つた ため吾 等 の友邦 日本 は 本
公使 閣 下
夕 此席 に列 す る こと が出 来 な い。 従 て自 分 を吾領 事 団 の主 席 者 と し
閣 下 は当 地 に来 る や否 や目 下 各 種 論議 さ れ て居 る東 支 鉄道 の事 業
た。支 米 両 国 の斯 く の如 き良 好 な る現 象 あ る所 以 は 、蓋 し 米 国 が支
受 け 、到 る処 で両 国 親善 の意 を 表 示 せら れ て非 常 に愉 快 を 感 じ まし
て謹 ん で閣 下 に対 し歓 迎 の辞 を述 べる 。
に就 て充 分 な る観 察 を され た の であ つて、 既 に鉄 道 の状 況 に就 て判
那 に在 つて従来 他 国 の如 き侵 略 的野 心 を有 せず 、 凡 そ力 の及 ぶ 限 り
断 を下 し得 ら る る ので あ る。閣 下 の広範 な知 識 と偉 大 な経 験 と は東 支 鉄 道 が今 日迄 、 最 大 の不 屈不 撓 の努 力 を以 て事業 を経 営 し て来 た
為 で あ り ます 。 且支 米 両 国 は単 に政 体 が同 じ く 共和 であ る の みな ら
支 那 の国 権 を 尊 重 し、 互 助 の精 神 を 以 て相提 携 せん こと を欲 す る が
自 分 は自 分 の事 に就 て言 辞 を弄 す る のを甚 だ具 合悪 く思 ふが 、然
こ とを能 く 正当 の判断 を与 へる も のと 思 ふ。
北 満 の地積 は 二百 三十 哩 エー カ ー程 あ る が東 支 鉄 道 敷設 前 は 約 百
︹ママ︺
五 十 万 で全 く交 通機 関 を有 せず 、 只 河 川 の岸 を往 来 し て居 た の であ
東 支 鉄道 の建 設 は米 国 が大 パ ナ マ運 河 を開鑿 し た如 く 、露 国 が世
ず 、其 の他 類似 の点 が甚 だ多 いのと 、支 那 が貿 易 経 済 に重 き を置 く
界 交 通 圏 の 一部 と し て亜 細 亜大 陸 を鉄 道 を以 て横 断 し た も の であ つ
る。
て整 然 と し て進 行す る こと が出 来 る 。米 国 は支 那 の前 代 に於 け る が
が如 く米 国 も そう であ る。支 那 は 文章 を以 て官吏 を採 用 し教 育 を 重
如 き 科 挙 の制 は無 か つたけ れ ども 、教 育 事 業 の経 営 及其 の経 費 の拠
て、 地 方 に活 気 を 与 へ移 民主 とし て支 那人 の来 往 を便 に し、 支 那 及
視 し て居 る。 教育 あ る者 は事 務 を執 る 上 に必 らず 一定 の方 針 を 立 つ
出 に対 し て は人 民 は皆 喜 ん で此 に当 る こと を 辞 せな い ので あ る。其
か つた。李 鴻 章 と ウ イ ツテ と の偉 大 な条 約 の結 果 、無 人 の北 満 の曠
外 国 資 本 を注 入 し 、商 工業 を興 し新 都市 の建 設 に貢 献 す る こと が多
野 は世界 的 生 活 及文 明 と連 鎖 せし め た のであ る。 二十 五年 紀念 式 に
の他 此 の類 の事 が頗 る多 い。支 那 は 近来 数 十年 の専 制 を推 倒 し て、
した 広東 、 四 川 、東 三省 の各 地は 皆 中央 より 離 れ て独 立 し自 治 の期
な文 化 的 地方 と な つた ので あ つ て、 鉄道 建 設 は各 未 開 地 に於 て常 に
於 け る張 作 霖 の祝 詞 に依 る と、 流 刑 場 た りし北 満 は 支那 に於 て有 数
共 和 を組 織 せる が国 基 が未 だ充 分 に安 定 し て居 な い。 最 近私 が遊 歴
こと が出 来 るけ れど も 、 此 の種 の困難 は米 国 も又 嘗 つて経 験 し た こ
和 国 を完 成 し て居 りま す 。想 ふ に支那 の現在 は即 聯 邦制 度 胚 胎時 代
比 利 世界 大 鉄 道 の通 過路 と し て、其 の連 鎖 た る こと共 に自然 の結 果
持 つて居 な か つた。 而 し て人 口 の増 加 は東支 鉄 道 の根 本 目 的 た る西
した 露亜 銀 行 も 又露 国 も広 義 に於 け る地 方殖 民 と いふ特 別 の目 的 を
最 初露 支 間 に結 ば れた条 約 に基 い て鉄 道 を建 設 し 、 又営 業 を し出
現 はす様 な結 果 を齎 らし た のであ る 。
間 にあ る。 此 の 一時 を以 て見 ても 支 那 の国 歩 の困 難 な る こ とを知 る
とが あ りま す 。米 国 が始 め独 立し た時 は僅 か に十 三 省 に過 ぎ な か つ
であ つて、 将 来或 は米 国 と同 様 の国家 を形 成 す る やも知 れま せ ん。
た が、 現 に四 十 二省 の広 き に及 び各 省 自 治 を実 行 し て 一聯 邦 制 の共
る所 以 であ り ま す。 現 在私 の希 望 す る所 は支 那 に有 力 な る 一政府 の
両 国 は類 似 の点 が甚 だ多 い。此 れ が為 両 国 を し て日 に親 善 な ら しむ
ン セツ シ ヨンの期 間 丈会 社 の使 用 に供 せ ら れる様 にな つた のであ る
スタ ン地 方 に於 て曠 大な 土 地 を持 つて居 る し、 又附 属 地帯 は単 に コ
て持 つた こと はな い。夫 れは露 西 亜 自 身 が欧 羅 巴 、西 比利 、 ト ルケ
ざ る こと であ る が、 鉄道 会 社 は 地方 を露 西亜 化 せ ん とす る者 は決 し
︹マ マ ︺
大商 工業 中 心 地 を作 る為 に、 大 な る貢 献 を なし た ことは争 ふ べ から
や都 市 建 設 の為 、 附 属 地生 活 を順 調 にす る為 、 哈爾 賓 、満 洲里 等 の
然 し鉄 道 会 社 が附 属 地 の行 政 を 司 つて居 る為 に、 地方 の為 、 村 落
と し漸 次 に行 は れた ので あ る。
速 に組 織 せら れ ん こと 是 で あ りま す 。謹 ん で盃 を 挙 げ て中 華 民国 及 国 民 諸 君 の寿 を祈 りま す。 東 支 招宴 席 上 に於 け る オ スト ロー モ フの挨拶 (九月 六 日 タ) 米 国 公使 閣 下及 諸 君 自 分 が歓 迎 の辞 を 述 ぶ る に当 つて先 づ吾 等 の居 住す る地 方 の状 況 及東 支鉄 道 の歴史 に就 て数 言 を費す こ とを許 され よ。
一部 を遂 行 し た のであ る。
か ら 、前 記 の如 き口 的 は全 然 な か つた。露 国 及露 亜 銀 行 は 一般 人 類
め よ り東 支 鉄道 の事 業 に参 加 し 、有 名 な る ス チーブ ン ス技 師 を長 と
命 が蒙 つた傷 手 を恢 復 し つつあ る。 米 国 は他 の列 強 と共 に大 戦 の初
一般 世界 が経 済 的 不振 の時 に在 る に拘 らず 、北 満 は大 戦 及露 国革
て材 料 を 以 て東 支 鉄道 を補 助 し 、更 に華 府 会議 に於 ては鉄 道 の困難
す る専 門 家 を送 り、 大西 比 利 鉄道 に援 助 を与 へた。 米国 は金銭 を 以
の幸 福 の為 及露 国 と極 東 地 力 と を連 絡 す る為 に、 世界 的 文 明事 業 の
世界 大戦 及 之 に次 ぐ露 国 革 命 に依 つて、鉄 道 は 大打 撃 を蒙 り其 の
な る立 場 及 事業 に就 て、多 大 の注意 を払 つた ので ある 。 又今 度 は職
歩 行 は動 揺 した 。鉄 道 の経 済 は戦 争 革 命 に対す る勢 力 の集 中 に荒 廃 し 、露 国紙 幣 の暴 落 は文化 事 業 の為 特別 の後援 を必要 と し た。鉄 道
治 的 援 助 を受 け得 な くな つた こ と であ る。 此 の困 難 の時 期 に当 つて
東 支 鉄道 が最 も窮 境 に陥 つた のは 露国 に国 内戦 が起 つて、 其 の政
吾 等 は大 米 国代 表 者 た る閣 下 が将 来 に於 ては 一般 民 族 幸福 の為 に
有 す る露 支 両 国 が 以 て金科 玉条 と しな け れ ばな ら ぬも のと信 ず る。
し て深 く 感 動 せ し む るも のであ る。自 分 は鉄 道 の運 命 に就 て利 害 を
等 鉄道 従 事 員 並東 支 鉄道 の現 状 維持 延 い て改 良 に就 て心 を配 る者 を
閣 下 の注 意 、閣 下 の鋭 き質 問 及鉄 道 の各 方 画 に対 す る観 察 は 、吾
の財 政 に影 響 を及 ぼ し 一九 一〇 年 に於 て営 業 収 入 があ つたけ れ ど も、 務 多端 の折 柄閣 下 親 し く当 地 に来 つて鉄 道 の事業 及 関係 を視 察 し た。 夫 れは極 く 小額 で附 属 地経 営 に依 る不足 を満 た す に足 らず 。 此 の不
露 亜 銀 行 は最 善 の努 力 を 尽 し 、支 那 政府 と 一八 九 六年 条約 追 加 暫 定
二十世 紀 に於 て世界 が嘗 め た総 て の不 幸 の後 に於 て人 類 は其 の如
吾 等 の事 業 に対 し 注意 と援 助 を与 へん こと を希 望 す る次 第 で あ る。
足 は 定 款 に依 り露 国 政 府 が補 足 し て居 た の であ る。
の条 約 を 承 認 し、 支 那政 府 は 正当 な 且各国 から 承知 され る政 府 が出
何 な るも のな るを問 はず 、 苟 も自 己 の文 化 及経 済 的価 値 を 一歩 たり
契 約 も結 び 、鉄 道 会社 も 附 属 地内 に政党 争 や政争 が起 ら な い様 に此
来 る迄 、 一時 附 属 地 内 の行 政 を行 ふ様 にな つた の であ る。 一九 二 一
充 分 の歓 を尽 く さ んと思 つて居 た のが料 らず も 、只今 の様 な 演説 を
本 日 は公 使 も予 も 同 じく 東 支鉄 道 の賓 客 と し て列席 し たも ので、
対 し、 朱 長 官 は即 座 に次 の如 き弁 明 を為 した 。
米 国 公使 が東 支 鉄道 の招 宴 の席 上 土 地 回収 に就 て為 し たる 演説 に
米 国 公使 の演説 に対 す る朱 長 官 の答 辞
支鉄 道 に払 ら は れた る注 意 と時 日 に深 謝 の意 を表 す る のであ る 。
自 分 は 茲 に盃 を挙 げ米 国 公使 及 其 の随 員 の健 康 を祈 る と共 に、東
と も退歩 せ しむ べか らざ る責任 があ る。
経済 方面 の恢復 をな す べき か如何 に し て作 業 能 力 を向 上 す べ き か、
年 か ら会 社 の総 て の注意 は商業 上 に傾 注 さ れ、 又如 何 にし ても技 術
従事 員 の規 律 を緊 張 す る には 如何 にす べき か と言 ふ こと に熱 中 し た ので あ る。 而 し て此 程鉄 道 が其 の附 属 の商 工業 を援 助 せん が為 、 其 の作 業 能 力 を 向上 す る事 に努 力 し た こと は 此迄 に無 いの であ る。 自 分 は閣 下 が現 状 を視 察 され会 社 の努 力 が正 当 の方面 に傾 注 さ れ
条 約 国 た る露 支両 国 、露 亜 銀 行 のた め に、 此処 に新富 源 地 方 を建 設
拝 聴 し た事 は吾 人 の最 も不 快 を 感ず る処 であ る 。貴 国 は平 素 正義 を
て居 り、 又 鉄 道事 業 の向 上 及 商業 の発 展 並 に会 社 の利 益 の みな らず 、
せ ん と努 力 し つ つあ る事 を承 認 され た事 と信 ず る。
が中 国 の主 権 は 之 を尊 重 せざ る べか らず 同時 に、所 有契 約 に関 し て
国 及 貴 公使 の名声 を甚 しく傷 く るも ので あ ると思 ふ。吾 人は貴 公使
高 唱 し 、貴 公 使 は平 和 を 愛 せ ら るる のに斯 る言 辞 を 為 さ る るは 、貴
す る米国 をし て他 人 の虚 構 より 免 れ し め、並 に此 の問 題 の真 相 を世
人 の名義 で以 上 の諸 点 を詳 細 に諒 解 せ しむ べく 、 又平 素 正義 を高 唱
精 密 の観 察 を遂 げ、 人 の偏 言 を 聞 き て軽 々 に評 断 を加 へざ ら ん こと
を審 か に し て居 ら れ ぬ こと と思 ふが 、予 は貴 公使 が公平 の眼 を 以 て
か、貴 公使 は遠 方 より 初 て此 の地 に来 ら れた ので、 恐 ら く其 の真 相
た。東 支鉄 道 の附 属 地 問 題 に関 し ては究 竟 誰 が契 約 に違 反 し て居 る
であ る が 、今 と な つては之 も大 に疑惑 を感 ぜざ るを 得 ぬ こと と な つ
事 会 は 一営 業 的経 済 機関 で あ つて 、此 度 の土 地 回収 は支 那 の行 政 的
職 権 を停 止 す べ しと 言 へる が如 き は頗 る矛盾 した説 で ある 。鉄 道 理
す べ き であ ると言 ひ、 又該 問 題 の解 決 す る迄 は支 那 の地畝管 理局 は
一方 に於 て土 地課 の問題 は 、東 支鉄 道 の重役 会 議 で法 に依 り て解 決
米 国 公使 が華府 会 議 の議 決 案 及支 那 の主 権 を尊 重 す と言 ひ な がら
九 月 八 日哈 爾賓 晨 光 報
東 支 招 宴席 上 米 公使 演 説 に対す る支 那紙 の評 論
界 に明白 なら し む べく 書 を米 公 使 に送 つた と言 ふ。
を 切望 す る。違 約 の罪 は中 国 に非ず し て他 人 に あり 、中 国 は領 土 の
は雙 方 よ り之 を遵 守 せざ る べ から ず と の言 に対 し て深 く感 銘 し た の
主 権 を鞏 固 にす ると言 ふ見 地 から当 然 、 今 回 の回 収 を行 ひ之 を管 理
両 国 の当 局 で正式 の解決 を為 す べ き も、其 の解 決 せざ る間 は支 那 当
や否 や は疑 問 と せね ば なら ぬ。 此 の問 題 は露 支 会議 に提 出 し て露 支
一語 は畢 竟 之 を如 何 に解 釈 す るか 、斯 く な れ ば ワ シ ント ン会 議 の決
局 に於 て臨時 的 に処決 す べき であ つて、第 三者 が 此 の問題 に対 し意
職権 の行 使 であ る の に対し 理 事 会 が 、比 の問 題 を解 決 す る資 格 あ り
議 案 も其 の価値 た るや亦 想 ふべ き で あ る。 又中 国 が附 属 地 の 一部 を
見 を述 ぶ るは可 な るも 、若 し 干 渉 せ んと す る が如 き あ らば 、露 支 両
す る必 要 を 感 じ たも ので、 之 を 不合 理 であ る と せば中 国 主 権尊 重 の
の意 味 が あ つた 様 であ る が、今 や此 の問題 は雙 方 が諒 解 の下 に委 員
回収 せん と し、 そ の理由 を董事 会 に提 出 し て無 理 に承 諾 せし め たと
で あ る。 現 に先 般 土 地回 収 を や つた時 も張 局 長 は 、鉄 道 当局 と和 平
此 の問 題 で董 事 会 の露 支 雙 方 が 云 々と 云 ふ が如 き事 は嘗 て無 いこと
会 せ しめ な い様 にポ グ ラ ニチナ ヤ に行 かし め、其 の間 種 々土 地 課 の
であ つた のを 六時間 の時 間 の経 済 にな ると称 へて、 王 督弁 に前 に面
露 人 や露 亜銀 行 の人 々で全 く 公使 を包 囲 し て、最 初 満 洲 里 に行 く筈
の意 見 を述 ぶ る に至 つた のは 、 公使 が哈爾 賓 に到着 す るや鉄 道 側 の
国 に於 て決 し て之 を承 認 す べき も のでな い。 米 国公 使 が斯 か る矛盾
の裏 に打 合 を遂 げ 、寸 毫 も 武力 を用 ゆ る の挙 に出 でな か つた事 は事
問 題 で自 己 の方 に有 利 な る宣 伝 に力 め 、之 に惑 は さ れた為 であ る 云
を派 し て調 査 せし め 、以 て将来 土 地管 理 の根 拠 を制 定 し て居 る ので 、
でな い のに貴 公使 が、 流言 を誤 聞 し て述 べら るる言 辞 に対 し ては 予
実 明 瞭 であ る。 此等 の宴 席 に此 種 の国際 問 題 は論 ず べき筋 合 のも の
シ ユル マ ンの演説 に対 す る支 那 人 の態 度 、 と題 し大 要次 の如 く述
ル スキ ー ・ゴ ロス ( 右党)
云。
も 亦 弁 明 を加 へざ るを 得 ぬ処 であ る。 此 の 一番 の舌 戦 で満場 不快 裏 に散会 し た。 聞 けば 朱長 官 は更 に個
此 の遠 隔 の北 方 の地 に於 てかく も 大多 数 の米 国 人 と相 会 す る を得
(九月 七 日)
米 公 使 の演説 は非常 に支 那 人 を驚 か した 。支 那 人 は米 国 公 使 の演
べ ん に、
の国 民 よ り も多 数 の会員 を有 す る は、 余 の誇 と す る処 にし て未 だ米
国 人 の支 那領 土 殊 に哈爾 賓 に進 出 した る が 、極 め て最 近 のこと な る
た る は喜 悦 の至 であ る。 哈 爾賓 ク ラブ に於 ては米 国 人 は他 の いず れ
を 思 ひ合 せ て愉 快 に感ず 。余 が見物 なし 得 る所 又 見物 せん と欲 す る
説 は列 強 の意 見 を代 表 せ る も のと 思 ひ乍 ら 、 其 の意 見 の最 も強 硬 な
那 人 も 、臨 城 事 件 や土 地 課問 題 以 来 内 政干 渉 の張 本 人と し て、 支 那
所 は到 る所 に領 事 其 他 の官 吏 以 外 に米 国 居留 民 を 見 る こと を得 、 而
る こと を認 め た 。之 が為従 来 米 国 を 以 て唯 一の味 方 と 信 じ て居 た支
から 非 常 に憎 ま れ る様 にな つた。 然 し 支那 人 は北京 政 府 の無 力 と張
も 是 等居 留 民 は 夫 々 一大 団 体 をな し、 而 て余 は其 の団 体 の頭 首 た る
光 栄 を有 す 。 余 は彼 等 がな し つ つあ る 一切 を 見 る こと を好 み 、 又彼
作 霖 の実力 を比 較 し 、米 公使 が帰 途 奉 天 に立 寄 り更 に熱 誠 の上、 円
ザ リ ヤ (中立 ) は ﹁外 国 人 の干 渉 ﹂と 題 し て左 の如 く記 し た 。
満 な る解 決 法 を発 見 す るだ ら う と信 じ て居 る 云 々。
等 の活 動 、成 功 の跡 を聞 かん とす るは勿 論 、 彼等 の不幸 失 敗 に つき
二三 の新 聞 の如 く、 東 支鉄 道 が国 際 管 理 とな る と言 ふや う な臆 測 を
は 布教 師 団 な り とす 。彼 等 は多 く の事 業 を成 就 し何事 も 活動 力 を必
の中最 も 大 な る集 団 にし て、 而 も早 く よ り支 那 領 土 に来 り た るも の
大 体 支 那 に於 け る吾 等 米 国 人 は 三或 は 四 の集 団 に分 る べし 。是 等
て も耳 を傾 く るは 余 の欲 す る所 で ある 。
吾 人 の意 に合 す る や否 や は別 問 題 と し て、 外国 人 が満 洲 の問題 に
逞 ふす る のは早計 で ある 。列 強 裏 面 の暗 闘 は到底 此 の如 き盲 想 の実
要 とし た る事 物 は 、彼 等 に依 つて 一切可 能 と な され来 た ので あ る。
注 目 し て来 た。米 国 公 使 の来 哈 は明 かに之 を 証明 す る。然 しな が ら
現 を 許 さ な い。 現 に 日本 の如 き は沈 黙 の裡 に直接 支 那 と 握 手 し、 英
総 てが献 身 と 利 他 に外 な ら な いから で あ る。彼 等 は支 那 領 土 に於 て
而 し て彼 等 は 米 国 人 が誇 るに足 るや う な仕事 を なし つ つあ る 。蓋 し
は早 速 土 地 問題 を 解決 し列 国 の野 心 の 口実 を 一掃 せ ねば なら な い云
領 土 に 一切 の理 想 と す る事 物 を齎 ら そ う と努 め て居 る のであ る。米
と衝 突 し て居 る間 は外 国 の干 渉 を免 れる ことは出 来 な い故 に、 両 国
云。 ︹ ノーウォスチ・ジーズニ︺ ノ ー ロオジ ーズ ニは モ ロト氏 の寄稿 せ る ﹁満 洲 に於 け る政 治 の大
を信 仰 す るも のであ る 。彼 等 は 第 一人 者 で あ つて他 の集 団 よ りも よ
国 人は 常 に理想 の事物 に向 つ て 一身 を 捧 げ て居 るし 、 余 は熱 心 に之
米 の支 那侵 略 を排 斥 し て居 る 。然 し乍 ら色 々な 問題 で支 那 と露 西 亜
颶風 ﹂ と 題 す る長 大 な る論 文 を 掲 げ 、世 界 の勢 力 地 帯内 に厳 然 た る
り 以上 に、 米国 の思 想 と文 物 を移植 す る こと には貢 献 して来 た の で
金 儲 け を し よう と は し て居 な い。 労 務 を惜 まず 献 身 的 に働 い て此 の
労 農 国 の存 在 せ る こと 、労 農 露 国 は 華盛 頓 会議 に何 等 の責 任 義 務 を
あ る が 、而 も 支 那 に新 し き社 会 組織 を起 し た報 酬 と し て、彼 等 布 教
師 は 果 し て他 の外国 人集 団 よ り もよ り多 く の、分 前 を獲 た かど う か
有 せ ざ る こと 、露 支 両 国 以外 に東 支 鉄道 問 題 に容 嘴 し 得 べ き国 の有
米 公使 の米国 商 業 会 議所 午 餐 会 席 上 に於 け る演 説
り得 べか らざ る こと を反覆 し た。
腹 蔵 な く 申 す な らば 諸 君 は先 に余 が述 べた集 団 、 即 ち 教師 、布 教 師 、
廿 三年 以 前 余 が此 の地 に来 た 当時 に は かか る事 情 は 見 ら れな か つた 。
国 民 の注 目 せざ る を得 ぬ程 、 重 要 な地 位 を獲 得 す る に至 つた の で、
哈 爾 賓 にも 其 の点 を証 明 す る若 干 の機 関 が あ る のであ る。
は余 の疑 とす る所 で あ る。
何 人 も哈 爾 賓 に来 る者 は 哈爾 賓 が支 那 の 一部分 で あ ると言 ふ よ り も 、欧 大 陸 の 一部分 で あ ると 感 ぜざ るを 得 な い。余 は鉄 道 沿 線 の旅
し て居 る こと に対 し て無 関 心 では居 ら れな いで あら う 。諸 君 の仕事
社 会 事 業 家 、 医術 家 の如 き集 団 の人 々の如 く 、諸 君 方 が支 那 に貢 献
る と言 ふ こと は事 実 で あ る が、然 し彼 等 の奉仕 は彼 等 が支 那 から 得
を な し来 り 、其 の中 に は之 がた め に多 額 の産 を成 し た るも のさ へあ
而 も 他 面 に於 て は米 国 の実業 家 が支 那 のた め に非 常 に有 益 な貢 献
を起 さし め る ので あ る。
は利 潤 を 聯 想 せ し め 且 、愛 他 利 他 の念 に非ず し て仕 事 に利 己 的 な念
行 に於 て其 の感 を得 た のであ る。余 は何 故 に布教 事 業 其 のも のが 余 り 世間 に認 め ら れな い のかと 思 ふ 。 次 に第 二 の集 団 と し て吾 々は 教師 社 会 事 業 家 及衛 生医 術 に従事 す
布 教 師 と関 係 し て居 つた も の で、 現在 尚 之 に関 係 し て居 るも のも あ
る 人 々 の 一団 体 を 挙 げ る こと が出来 る。 是 等 の人 々は元 は いず れ も
る が 、既 に支 那 の立派 な重 要 々素 と な つて居 るも のも あ る。顕 著 な
一の仕 事 が改 善 さ れ拡 張 され れ ば さ れる程 其 の当 時 者 が思 慮 あ る
た収 入 の割 合 云 々と は全 然 別 問 題 だ と言 ふ点 に注 意 し た い のであ る 。
も のな ら 、 金 儲 よ り も社 会 のた め に尽 す と 言 ふ こと を 考 へ及 ぶ であ
る 新 し き実 例 を挙 げ る な らば ロツ ク フ エラ ー の医科 大 学 を含 む であ
て居 り 、其 の維 持費 た る や年 と 共 に増 加 さ れ つ つあ る。
ら う 。之 は文 化 移植 のた め に基 金 と し て五 百 万 弗 の多 額 が授 与 さ れ
の為 に尽 す な ら ば同 時 に金 儲 も な し得 ると 言 ふ こと を忘 れ ては居 な
い。之 は余 が 今 日迄 に知 得 し た る商 業 上 の 一変 化 であ る。往 時 金 儲
ら う。 勿 論 彼 等 は金 儲 を忘 れ る訳 で は な いが 一方 に於 て若 し 、社 会
は 実業 家 の唯 一の目 的 とす る所 であ つたけ れ 共 、今 日 に於 ては彼 等
此 の建 設物 に類 し て吾 々は南 京 に於 け る同 様 の大学 、広 東 其 他 の
に逢 ふ人 は、 誰 一人 と し て米 国 人 が支 那 の生 命 と 文 明 に貢 献 し て、
進 歩 し た る社 会 の事 業 で あ る。 支 那 を歩 き廻 つ て是 等 総 て の事 業 家
都 市 の基 督 教 大 学 を有 し て居 る。是 等 は いず れも 一流 のも の にし て
之 を誇 り とす る こと を感 ぜざ るを得 な い。 彼 等 は支 那 に米 国 の教 育
余 が合 衆 国大 使 とし て仕 事 を す る如 く 、是 等 一切 の集 団 を打 つ て
は 社会 奉 仕 を な す と同 時 に金 儲 を な さ んと 欲 す るも の であ る。
の範 を齎 し、 又 近代 科 学 、 医 学 の実 を示 し 且 衛 生法 を齎 し つ つあ る 。
次 に吾 人 は第 三 の集 団 とし て ﹁現代 の集 団 ﹂ と で も名 付 け る べ き
め に有 益 な る事 業 を し て居 る国 のな い こと は 信 じ て疑 はな い のであ
余 は諸 君 と共 鳴 す る こと と思 ふ。世 界 何 れ の他国 と雖 如 斯 支那 の た
あ る こと を 得 意 と す る大 な る理 由 を持 つて ゐる ﹂と い ふ言 に対し 、
一丸 とし た い。而 し て ﹁吾 人 は 米 国及 米 国 民 が支 那 の為 に尽 し つ つ
も のを面 前 に見 る こと が出 来 る ので あ る。 人 一度 米 合 衆 国 の支 那 に
る。
是 乃 ち米 国 が支 那 に尽 し た社 会 奉仕 の高 尚 な も ので あ る。
て近世 の ことな るを知 る で あら う 。 さ れば 吾 々は是 最 近 数 年 間 に他
於 け る事 業 を思 へば 、夫 が偉 大 且重 要 な る原 動 力 と な り た るは極 め
前 述 の通 り諸 所 を歩 き廻 つて我 同邦 の人 々 に逢 ふと如 上 の言 は肯 か れ る の であ る。 余 は到 る所 同胞 の人 々から 受 け る歓 迎 を有 難 く感
行 為 に対 し て共 同抗 議 を申 込 ん だ の であ る。 是 等 の抗 議 は既 に公表
部局 に関 す る問題 に対 し て本 国 政府 のた め に抗 議 の理由 を述 べる 以
余 が賓 客 と し て招 待 され た 鉄道 庁 の宴席 上 で、 其 の鉄 道 の重 要 な
せ ら れ、 今 亦 此処 に公 表 せら れ た の であ る。
外 に 、余 に と つて更 に採 る べき途 が あ つた で あら う か 、之 が 一番自
謝 し た い。議 長 よ、 余 は米 国 大 使 のた め に貴 下 が 考 へら れ る以 上 に
で あ る。其 米国 民 は 此処 に居 る彼 大使 のため に午餐 を共 にし て下 さ
哈 爾 賓 に於 て、多 数 の米 国 民 と 会 合 を な し得 た 喜 悦 を禁 じ得 な い の
に長 広 舌 を列 べ た。 併 し尚 余 は昨 夜 の演 説 が 二、 三 注意 さ れ た こと
とか 、或 は米 国 大使 は卑 怯 者 であ る と か思 ふで あら う 。
那 国 民 及哈 爾 賓 の全 市 民 は必 ず や米 国 は、 此 の問 題 から 逃 げ た のだ
余 が何 事 を語 らず 一言 なく し て哈爾 賓 を 去 つたな ら ば 、 朱将 軍 及 支
外 に何 等 の途 は な い のであ る。若 し朱 将 軍 が 明 か に好 ま れ る よう に 、
然 で あ つた の であ る。 緊 急 且 止 む を得 ざ る余 の義 務 と し ては勧 告 以
が あ る から 、 夫 に対 し て感 謝 の意 を表 さ な く て は着 席 す る こと が出
か か る場 合 に人 は演説 を期 待 され る も のでな いと 思 ふ が、 余 は 既
つ た のであ る 。欣 喜 雀躍 、故 郷 に帰 ら し む る の感 を催 す る の であ る。
来 ぬ 。余 は昨 夜 、余 が御話 し た ことが 諸 君 の御 判 断 によ れば 正 し く 、
是 等 の仮 定 は 一と し て正 し いも の ではな い。余 は言 は ね ば な らな
朱 将 軍 は昨 夜数 言 を述 べ ら れ た が、 余 は有 難 く拝 聴 し た と言 ふ の
ら であ る。 明 日余 は 鉄 道長 官 代 理 と午食 を共 にす る から 委 細 を知 る
を さ れた こと を悦 ん だ と言 ふ の は、余 は将 軍 の見 解 を看 破 し得 た か
か つた から言 つた ので あ る。 併 し前 述 の通 り余 は昨 夜 朱 将 軍 が演 説
は 其 の御 話 から余 は 、支 那 の見 解 に つい て得 た所 があ つた か ら であ
て幸 福 に思 ふも のであ る 。
米 国 の主 義 と す る所 であ り 、 又米 国 の政 策 で あ る と言 ふ こと を知 つ
る 。其 の御 話 し の中 で米 国 大使 は東 支 鉄 道 の宴 会 席 上 で、 支 那 の問
余 は之 以 上諸 君 の御 暇 を つぶし た く はな い。諸 君 は各 自 の仕 事 に
こと が出来 やう し 、 尚 充分 に此問 題 に つい て話 を交 へる であ らう 。
ため に乾 杯 し よう 。
二七
第 一〇 五号 土 地課 移 管 問 題 と寛 城 子
大 正 十 二年 九 月十 日
長 春 地 方事 務 所 長
余 は此 の有 難 い歓 迎 と午 食 に対 し 厚意 を述 べ諸 君 の健 康 と幸 福 の
御 帰 り の こと と思 ふ。
題 に つ いて論 議 し た と 云 ふ意 外 の御 言 葉 を述 べ ら れ た が、若 し今 後 余 が 朱将 軍 に御答 す る機 会 を得 た なら ば 、 次 の様 に申 上 げ た い ので あ る 。乃 ち ﹁斯 か る場 合 の こと で あ る から貴 下 の意 外 の言葉 には余 も驚 く の外 はな い、 と申 す のは宴 会 で支 那 の問 題 を話 し合 つた と言 ふ こと は米 国 大使 とし て、極 め て自 然 な こと で あ つたば かり で なく
て余 は既 に 一週間 前 、 余 の本国 政 府 のた め に支 那 政 府 に対 し 、其 の
職 務 上止 む を得 ざ る責 任 のあ つた も の であ る﹂ と。 此 の理由 か らし
行 為 に対 し て抗議 を申 込 ん だ ので あ る。而 し て 又 二 日前 には英 国 、 仏 国 、 日本 の同僚 と相 連 絡 し て 、此 の四 ケ国 政 府 の為 に支 那政 府 の
を全部携帯寛城子 に引揚げ た。寛城子支那側 にては九月十五日より
は之れを拒絶し、翌日窰門土地課出張所長 と打合せ の上、土地書類
称し、土 地課 の書類を全部支那側 に引続 ぐべしと 要求 した。﹁マ﹂
支鉄道土地課監視人 マルゴノフの事務所 に到り、護路総司令 の命 と
八月二十 四日寛城 子警察分署長は巡警 四名 を引率 し、突然同地東
を按配せんとす る意嚮 にて又該問題は露支会議と分離 し、地方的 に
に苦心し て居 る。然し地畝局 の取消は絶対に為 さず 、多少其 の権限
支那側 の体面 も毀損せざる範囲 にて露鉄と適当 の妥協 点を発見する
題 に関し進退両難 の苦境 に陥 つて居 るが、兎 に角領事 団の顔も立て
九月二十日張煥相が貴志少将 に語れ る談 に依れば、目下彼は該問
三〇
大正十二年九月 二十七日 第七六号 秘 朱慶瀾 の時 局談
朱慶瀾 が貴志、本庄両少将 に語れる談
奉天公所長
哈爾賓 にて解決 せんとして居 る。
哈爾賓事務所長
地畝局出張所を開設 する模様 である。 二八 大正十 二年九月十八日 哈調第 一六 一号 土 地課問題解決説 ザリヤ紙 は九月十 七日夕刊及十八日朝刊 に、土地課問題円満解決
首題 の件 に関し当 地ザリヤ紙報を御報告致します。
本件 は白党 の誇大 なる宣伝等 の為決行困難 の状態 に陥り、自分 の
一、東支鉄道土地移管問題
立場も甚 だ面白からず、辞職を仕度 いと思 つて居 る。
近き にありとし、当地支那官憲は既 に新地畝管理局を解散すべき命 を受けたるを以 て最 近右 は実行せらるべく、支那側譲歩 の条件 とし
二、北満鮮人問題
三一
東支南部沿線支那人 の態度
大正十 二年九月二十 七日 第 一一四号
長春 地方事務所長
行為多 き為之を制 止した迄 で、病院 に撤退を命 じた事等はない。
ぬ地方 に恣 に居留民会 を組織し、納税 を怠り禁制品 を扱ふ等 の不正
東支沿線鮮人圧迫 の噂 もあ るが、元来鮮人は居住を許可 して居ら
ては一土 地課を本社 に移す こと二 ゴ ンダツチを廃 し、土地課長 とし て支那 人を任命する こととし、尚右新課長 には前最高審判長 にして、 ( 掘 江)
現行政長官公署顧問李家鰲 の呼声最 も高しと報じ居 れり。真偽取調 中 二九 極秘 奉天公所長 東支土地問題 に対す る張煥相 の態度
大正十 二年九月 二十 一日 第七二号
一帯 の支那宮 民は自国勢力 を自負し、邦人 に対し横柄 なる態度を示
東支鉄道土 地移管問題発生以来、東支南部線窰門 を中 心とし附近 とを望む。
協議 し之を為され度し。尚本件 に就 ては随時本職 に報告 せられん こ
て調査完了 の上之 を決定す べく、調査手続 は 一切貴職 に於 て適当 に
次 言 二、土地移管問題 の経過概要
一、緒
目
松岡 理 事 殿
藤 森 竜雄
庶務部、調査課
(大正十 二年九月 二十 一日)
東支鉄道附属地移管問題と其 の満鉄 に及 ぼす影響
三三
し、 日本は震災 の為国勢衰 へたれば満鉄附属地も東支 沿線 と同 一運 命 に陥 るべし、などと豪語 して居 る。 三二
︹ 盛 一︺
大正十 二年九月二十七日 第 一七〇号 哈爾賓事務所長 東支鉄道附属地移管問題 の現況 九 月 廿 六 日東 支 鉄 道 管 理 局余 副 局 長 が佐 々木 参 事 に語 れ る談 に依 れ ば 、該 問 題 は雙 方 より 委員 を派 し て内容 を調 査 し 、 鉄 道庁 の所 管 に属 せ しむ るを至 当 と す る も のは従 前 通 り土 地 課 の管 理 に属 せし め 、
三、土地移管問題 の真相
否 らざ る も のは 支那 側 地 畝 管 理 局 の所 管 に移 す こと と な つた由 。
九 月廿 日張 作霖 よ り朱 長 官 、王 督 弁 及兪 副督 弁 に宛 て左 の電 命 が
尚 九月 二十 三 日 の国 際 協 報 には左 の如 き 記事 が掲 載 され て居 る。
四、附属地回収 の当否
六、領事団 の抗議 と華府会議 の決議
五、 一九 二〇年東支鉄道管理続 訂契約 七、駐支労農代表 の反駁
東 支鉄 道 土 地 課 の管 掌 事 務 は多 く、 我 国 の領 土 主 権 を 侵害 す るも
あ つた。
の で支那 が之 を 回収 管 理 す るは当 然 の事 であ る が、 鉄 道 用 地 と其 れ
八、結
論
以 外 の附 属 地 と を 明瞭 に調 査 し て 、該 問 題 を解 決 し易 から し め度 く 、
言
んだ。そして早くも鉄道 の争奪戦 が過激派 と反過激派と の間 のみな
一九 一七年 三月露西亜 に起 つた革命 の影響は遠く東支鉄道 に迄及
一、緒
其 の解決 を見 る迄 は鉄 道 用 地 に属 せ ぬ土 地貸 下 げ事 務 は、東 省 特 別 区 地 畝管 理 局 の承 認 を経 た る上 に て行 ふ こと と し 、地 畝 局 設置 後 土 地 貸 下 げ に付 、 同 局 の承 認 を経 ぬ者 は総 て無 効 と し て、 雙 方 の権 限
将 来鉄 道 用 地 と 其他 の附 属 地 と を如 何 に区劃 す べき か に就 ては総
を 明 確 にし 以 つて紛 糾 を免 れし め たし 。
に顕 は れた如 く簡 単 な も の では な い。 な る程 支 那 は露 西 亜 の革 命 以
め た 。然 し な がら 鉄道 及鉄 道 地帯 内 に於 け る両 国 の権 利 関 係 は表 面
利権 の回収 に着 々成 功 し、 殆 んど名 実 共 に東 支 鉄道 を自 己 の手 に納
府 と其 の反 対派 と の争 を巧 み に利 用 し て、曾 つ て北 満 に於 て失 つた
らず 、 支 那 と露 西亜 と の間 にも起 つた 。殊 に支 那 は露 西亜 の革 命 政
し て次 の様 な布 告 を出 し た。
東 支鉄 道 に至 り て暴 力 を以 て土 地課 の占 領 を断 行 し た の であ る。 そ
然 し乍 ら 支那 は右 の拒 絶 にも拘 はらず 張 煥 相 以 下数 名 の幕 僚 は 、
如 き 重大 事 件 を自 己 一人 にて決定 す る こと が出 来 な い﹂ と答 へた 。
附 属 地 は鉄 道布 設 当 時相 当 の対価 を支 払 つた も の であり 、 又斯 く の
東 省 鉄 道 公 司事 宜 公所 督 弁 よ り来 函 を受領 せり 。其 の来函 に依 れ
ば 同 公所 は東 三省 保 安総 司 令 よ り の来 電 に ﹁東 路 境内 の事 宜 は業 に
来鉄 道 の監 理権 を握 り 、或 は鉄道 附 属 地 帯内 の警察 権 、 兵 権 及司 法 権 を 回収 し た け れ共 、 実際 上 鉄道 の営 業 其 のも のは露 人 の手 に存 し、
の地 畝処 一切 の権 限 は 、査 す る に行 政 長 官 と接 触 す る処 あ り、 又 原
行 政長 官 を特設 し て管 理 に任 ぜ し め た るが 、凡 有 る東 支 鉄路 局 原 有
訂 契約 所 載 の土地 主 権 は完 全 に地方 官 庁 の属 す る規 定 と 顕 か に符 合
又附 属 地内 にあ る土 木 教育 衛 生等 の事 業 や 土 地 に関 す る諸種 の事 務
せず 。随 つて此 儘 にて推 移 せば 我主 権 を妨害 す る こと甚 だ し い。 応
は依 然 露 人 の手 にあ つた。 就 中附 属 地 の土 地問 題 に就 ては 依然 露 人 が実 権 を握 つて居 た ので あ つ て之 が亦 今 回支 那 が争 の種 を 撒 いた中
に通盤 籌 劃 せざ る べか らず 。 即路 局 に向 つて速 刻該 路 敷 設 の地 畝 処
を 撤廃 せ ん こと を提 議 し、 所管 事 宜 は改 め て行 政 長官 に収 回 せよ ﹂
心 の問 題 であ る。
支 那 は前露 帝 国 没 落 以来 東 支鉄 道 地帯 に於 け る利 権 の回 収運 動 に
二 、土 地移 管問 題 の経 過概 要
竝 に地 畝 処職 掌 の 一件 も既 に本 署 に到着 せり 。 査す る に地畝 処 職
とあり
掌 に記載 せ る各 条 は多 く行 政事 項 に属 す 。東 省 鉄路 管 理続 訂 契 約第
理権 の回収 を計 画 し て居 た。 そ し て東 三 省護 路 軍 副 司令張 煥 相、 東
着 々成 功 し て来 た が、更 に何 等 か の機 会 に於 て鉄道 附 属 地 の土 地管
六 条 に は将 来公 司 一切 の権 利 及 一切 の義 務 は何 項 た るを論 ぜず 、商
業 範 囲内 に於 て制 限 厳行 し、苟 も政 事 に亘 る事 項 は均 し く之 を厳禁
支鉄 道 督 弁 王景 春 、 特 別区 行 政 長官 朱 慶 瀾等 が主 と し て此 の計画 を
彼 等 は予 ね て密 議 の上、 張 東 三省 保 安 総 司令 に鉄 道 附 属 地 の管 理
進 め て居 た のであ る 。
て東 三省 保 安総 司 令 の電 飭 に遵 然 し、 路 局設 く る処 の地 畝処 は之 を
撤 消 し た る上 、本 署 設 立 の東 三省 特 別 区 地 畝処 管 理局 に於 て、 鎮 守
す べ く規 定 せり。 即 地畝 処 の規 定 は顕 か に右 第 六 条 に規 定 せ るを 以
東 支 鉄 道 に対 し て附 属 地 の委 譲 を要 求 す る と共 に、張 煥 相 自 ら鉄 道
使 張煥 相 を派 し て該 局 々長 を兼 任 せし め 、本 年 八 月 一日 よ り引続 き
権 回収 を建 言 し、 遂 に張 作 霖 を動 か し て愈 々其 の実現 運 動 に着 手 し
長 官 オ スト ロ モフを訪 ね て ﹁張作 霖 の命令 に基 き鉄 道 の営 業 に関 係
実 行 せし む 。唯 従 前 の地畝 処 の該 管 事 宜 にし て営 業 部 に専 属 し 、規
た 。即 ち去 る七月 卅 一日張 作 霖 の命 を受 く る や、 翌 八月 一日 直 ち に
な き土 地 は之 を不 必要 と認 め 、支 那 側 に於 て之 を管 理し 度 き ﹂旨 を
約 に背 かざ る も の は路局 に酌 廃 し て之 を 保留 す 。 即曾 つて各 国 人 民
︹マ マ ︺
申 出 た。 オ長 官 は無 論 斯 く の如 き要 求 を拒 絶 す る と共 に ﹁ 東支鉄道
為 に反 対す る ので あ つて 、之 を以 て露 国 が現 在 の東 支 鉄 道 事業 管 理
労 農露 国 が東 支 鉄 道 用 地問 題 に抗 議 す る のは 唯 支那 当 局 の単 独 行
駐支 労 農 代表 代 理ダ フチ ヤ ン の声 明 書
律 に契 約有 効 とす 。 又其 の旧 来 の露 人 にし て特 別 区 地畝管 理局 の任
に転 租 し た る地 畝 にし て、 凡 て租 借 契 約 に依 り契 約 した る も の は 一
命 を受 け た る職 員 は 旧 に照 ら し て弁 事 せ しむ 。函 復 竝 に各 地機 関 に
を承 認 せ るも のと視 る事 は出 来 な い。東 支 鉄 道 は露 国 の国有 財 産 で
り て同 庁 承 認 の下 に土 地課 重 要 書類 の保 管倉 庫 に封 印 し て、 以 て支
事団 は直 ち に支 那 側 に対 し て抗議 す ると 同時 に、 鉄道 庁 土 地 課 に至
支 那 が右 の如 き 手 段 を東 支 鉄道 に対 し て採 る や、 一方 在 哈爾 賓 領
の間 に訂結 した露 亜 銀 行 が鉄道 に対 す る権 利 を放 棄 し た契 約 の如 き
は承 認 す る こと は出 来 な い。例 へば 一九 二〇年 交 通部 と露 亜銀 行 と
ず し て為 し た鉄 道 及 鉄 道 の地位 に対す る如何 な る施設 も、露 国 政 府
鉄 道 の地位 を変 更 す る こと が出 来 る のであ る。 露 国政 府 の許可 を得
あ るか ら、 露 国政 府 の指 示 と許 可 を得 た後 に於 て始 め て、革 命 前 の
︹マ マ ︺
分行 し て知 照 す る の外 、中 外 商 民等 に布告 し て 一律 知 悉 せ し む﹂
那 の暴 行 を阻 止 し た。 然 し尚 も支 那 は之 を 顧 みな い ので、 遂 に領 事
も 、露 国 政府 の許 可無 く し ては法 律 上無 効 と認 む。何 と な れば該 銀
団 は之 を北 京 に移 し て正 式 に外 交 団 よ り北 京 政府 に抗議 を提 出 せ し め ん とす る に至 つた ので あ る。
と が出 来 な い から で あ る。 現在 鉄 道 の管 理 者 は露 国 の敵 (白 色 ) で
行 は鉄 道 に対し 、如 何 な る権利 も亦 、如 何 な る協 約 にも署 名 す る こ
あ つて、露 国 々民 の財 産 を窃 取 し て居 る の であ る。故 に吾 人 は鉄 道
支 那 は右 領事 団 の態 度 が鞏 固 と な る や最 初 の主 張 を 変 じ て、 ﹁ 支
総 弁 オ スト ロ モフ其他 数 人を免 職 逮 捕 せ ん こと を要 求 し た の であ る
那 官憲 は主 と し て鉄 道 其 のも の に干 渉 せず故 に会 社 が、現 に使 用 し つつあ る附 属 地 には干 渉 せざ るも 実際 上 、 会 社 が使 用 し居 ら ざ る附
く妥 当 を 失 し て居 て、 露 国 政府 は直接 の損 失 を受 け て居 る。露 国 政
が 、而 も 今 日尚 鉄道 は彼 等 の手 にあり、 其 の鉄 道 用 地 内 の処 置 も多
府 は帝 政 時代 の侵 略政 策 を抛 棄 し、支 那 の主 権 を害 す るも のは露 支
属 地 は全 部 之 を支 那 官 憲 の監 理下 に置 く べし ﹂ と の折衷 案 を出 す に
支 那 が土 地 回収 運 動 に着 手 した 当時 北 京 に在 つた労農 政 府 代表 ダ
至 つた。 そし て土 地 管 理 の事 務 は 八 月 五 日 より開 始 し た。
フ チ ヤンは 、 在 哈代 表 ポ ゴ ジ ン氏 に宛 て大 要 左 の主 旨 の下 に反 対 の
つて居 る列強 が、 此 の問 題 に対 し横槍 的 に干 渉 す る のは何 等 理 由 無
道 に対 し て莫 大 な 錯誤 を為 し 、 且労 農露 国 に対 し非 友 誼 的態 度 を取
条 約締 結 の時 必ず 之 を取 消 す つも り で居 るが 、而 も支 那 政府 は該 鉄
﹁ 東 支 鉄 道 問 題 は露 支 協 定 に依 るべ き も の であ つて支 那 官 憲 の単
態 度 を表 示 し た 。
独 行 動 は認 め る こと が出 来 な い。露 国 は支 那 今 回 の斯 く の如 き 行動
ダ フチ ヤ ンは 又別 に 一の声 明 書 を 出 し て労農 露 西 亜 の態 度 を 明 か
勿 論 、投 資 銀行 等 の機 関 を藉 り て間 接 に干 渉 す る こと も出来 な い。
解 決す る こと が出 来 る 。第 三 者 が直 接干 渉 す る こと が出 来 な い のは
き も の であ る。 東 支鉄 道 問 題 は唯 露 国 と支 那 の二国 に於 て の み商議
にし た 。該 問 題 は斯 く の如 く し て目 下尚 両 国 及領 事 団 の間 に未 解決
露 国政 府 は絶 対 に列 国 の干 渉 を拒 絶 す る態 度 を 堅持 し て居 る。 華 府
に反 対 し て之 を取 消 さ ねば な らな い。 ﹂
の状 態 に置 かれ て居 る。
会 議 には露 国 は参加 し て居 な い から該 会 議 の決議 が露 国 を拘 束 す る
支 那 政府 が斯 く の如 き露 国 政 府 と 協調 を経 ざ る早 急 な態 度 に出 づ
こと は出 来 な い。
然 し乍 ら支 那 が斯 く の如 き運 動 を為 す 実 際 上 の動 機 即裏 面 の理由
は何 処 にあ る か、之 を研 究 す る こと も亦 必 要 であ る。 そ れは かう で
先 づ支 那 は東支 鉄 道 に於 て有 利 な 地歩 を 占 め て、 正 に開 かれ んと
あ る。
余 は斯 か る偶然 の事 柄 よ り支 那 国 民 に対 し露 国 と の接 近 提 携 の必
し て 一局 を 設 け、 其 の局 長 に張煥 相 を任 命 せ んと し た こと であ る。
収 し て自 己 の野心 を満 さ んと し た こと 、 及東 支 鉄道 の土 地 課を 移 管
を も支配 し て居 な い状態 で あ つた から 、 こ こに東 支鉄 道 附 属地 を 回
す る露 支 会 議 に備 へんと し た こと 、現 在 の東 省 特 別 区行 政 長官 で あ
るは列 国 の干 渉 を呼 び起 し 、鉄 道 事業 に関 す る施 設 状 態 を悪 化 な さ
要 を感 ぜし む る に到 る事 を希 望 し て止 まず 。何 と な れ ば支 那 は露 国
又 他 に支 那 は鉄 道 附 属 地内 の警察 権 は先 に 一九 二〇年 四 月之 を 回 収
し む る も の であ る。 斯 か る干 渉 は 先 づ第 一に引 い ては支 那 の不利 益
政府 と 云 ふも のに就 て真 に真 実 友愛 な る友 を得 べき も の であ る から
る朱慶 瀾 大 将 は名 こそ行政 長 官 であ る が、 実質 に於 て は尺 寸 の地 区
であ る 。
を醸 す 所 以 であ る。
三、 土 地移 管 問題 の真 相
て居 たが 、 一般 支 那 人 の財 政 を苦 し め た為 其 の反 対熱 盛 とな る や、
し た が、其 の警 備 費 に窮 す る為 多 額 の上納 金 を支 那 商 民 よ り徴収 し
支 那 は 今 回東 支附 属 地 回 収 を志 した が、 其 の当初 に あ つて は、 東
当 せん と し た こと で あ る。之 等 の事 が裏 面 に於 け る主要 な る原因 と
支 鉄 道 庁 の 一部 であ る土 地 課 の占 領 にあ つた。 即 ち土 地 課 を占 領 す
が、途 中 で領 事 団 の抗 議 に遭 つて稍 々其 の主 張 を変 じ て、現 に鉄道
な り て、其 の表面 上 の根拠 を続 訂契 約 第 六 条 に求 め て今 回 の如 き運
ら る る鉄道 附 属 地 の土 地 貸 付料 を自 己 の手 に入 れ、 之 を警 備 費 に充
の為 に不 必要 な る土 地 、 又 は使 用 し て居 な い土 地を 回 収す る の であ
四、附 属 地 回収 の当 否
動 を起 し た の であ る。
緩 和策 と し て土 地 課 を占 領 し て年 々 二百 万円 以 上 の収 入 あり と伝 へ
ると 弁解 をし た 。 そし て右 の主 張 を なす 根 拠 を何 に求 め た かと 言 ふ
る こと に依 て、 鉄道 附 属 地 全 部 を奪 取 つて やら う と の意志 が あ つた
と 、 そ れ は 一九 二〇 年 十 月 二 日支 那 政府 と露 亜銀 行 と が結 ん だ東支
会 社 の権 限 は将来 凡 て の点 に於 て商 業 の範 囲 内 に のみ限 定 し、
要 な るも のと し て露 西亜 は獲 得 し 、 又 支那 は之 を認 めた も の であ る。
は 有償 に て獲 得 した も の であ つて、附 属 地 は無論 鉄 道 の便 益 の為 必
鉄 道会 社 条 約第 六 条 に基 い て、露 西 亜 が支 那政 府 よ り無償 にて、 又
元来 東支 鉄道 の附 属 地 は 一八 九 六年 八 月露 清 間 に結 ば れ た る東 清
会 社 が政 治 的性 質 を 帯 ぶ る行 動 を取 り若 は政 治 上 の権 利 を 獲得 す
そ し て附属 地全 体 に対 し ては露 西 亜 が行 政 権 を行 使 す る こと も出 来
鉄 道 に関 す る続 訂 契 約第 六条
る事 は 一切之 を禁 止す べし 。支 那 政 府 は随 時 厳 重 に之 を取 締 る こ
る のであ る。 第 六条 に は次 の如 く規 定 し て居 る。
と を得 。 と言 ふ条 文 であ る。
﹁ 該会社 ( 東 支鉄 道 会 社) が鉄道 を建 造 経 理 し防 護 す る為 必要 な
夫れは条約違反 である。
権 を否認することは出来な い。若し之を否認し妨害する ことあれば
次 に鉄道会社は、会社創立当時此 の条約 に基 いて鉄道 の為必要な
る地所 又 は 鉄 道附 近 に於 て河土 、 石塊 、 石 炭 を開 採 す る為 要 せ る 地 所 にし て、官 有 地 なる と き は清 国 政府 より之 を下 附 し 地価 を納
の場 所 に就 ては 別 に弁 法 を 定 む る を除 く の外 、総 て該 会 社 の収 入
信 線 を設 け自 ら経 理 し て専 ら鉄 道 の用 に供 す るを准 す 。鉱 脈開 採
地 租 を免 じ 、該 会 社 一年 に経 理 し て各 種 の家 屋 を建 造 し 竝 に、 電
黒竜江省内東清鉄道用地購買契約がそれ である。此 の両契約 の第 一
条約を結 んで買収して居 る。即ち吉林省内東清鉄道用 地購買契約及
布設以後新 に必要 を生じた土地は 一九〇七年露西亜が支那と改め て
いて鉄道 の為必要な土地を予定して買 つて置 いた のであ る。又鉄道
る事を口実として奪取することは出来な い。総 て皆会社 が条約 に基
て支那が不必要或は使用 せざる の故だとか、又は営業 の範囲を越ゆ
即 乗 客及 貨 物 の転 運 より 得 る所 の料 金 竝 に電 報 の収 入 は 総 て 一切
条は ﹁ 鉄道会社 の需要地は此 の契 約以外 には再 び拡張 しない﹂ こと
る土地を買 収、其他 の方法 で獲得 したも のであ つて、之を今 に至り
の税 金釐 金 を免ず ﹂
を約束して居る。故 に東支鉄道会社の鉄道 用地は 一八九六年 の東清
む るを要 せず 、民 有 地な ると き は時 価 に依 り 一時 又 は年 賦 を以 て
右 の条約 文 は原 文 であ る漢 文 を訳 した も のであ つて字 句 は 甚 だ曖
該 会 社 より 地 主 に地価 を 支払 ふ べし 。而 し て該 会 社 の地 租 は総 て
昧 な点 があ る。 今 其 の中 重 要 な点 の英 訳 を摘 出 す ると左 の通 り で あ
てよい。 それならば之 に基 いて買 つた土地に対 しては支那は何等 の
absr o i g l hu tte口実 aを nd l回 u収 sす iゐ ve 以てe すx るcも こと が出来な い。若し東清鉄道会社 が右
landa sndbui gば s、之 of oは r正 t当 s, つl たd とi すnれ に対a しl てl は支s那 の理由 を以 て抗議を提出す
lands.t T he he に C掲 oげ mた p条 an l拠 lらず ha 約y や契w 約iに しv てe 別 に根拠無くし て買 つた土地があ
its
the of
these
operate f t or he る tこ eと lが e出 g来 ra eら cば es sa るg 。h 何とnな 一八 九r 六y 年 の条約第六条 及 一九〇七年
on
and
て、現在 の鉄道 用地は総て右 の 一条約 二契約に依 つて買 つたと言 つ
鉄道会社第六条 と右 に掲げた両契約以外 には買収出来 ないのであつ
construct
have
該 会社 一手 に経 理 し て各 種 の家 屋 を建 造 し竝 に電 信 線 を 設 け専
る。
will
ら鉄 道 の用 に供 す る を准 す 云 々。 Company
to
administration
The of ri gh t
o l i f ne.the
construct
の二契約 は説明する迄も無く、鉄道布設当時及 一九〇七年 に契約 を
to
needs
the
結 んだ当時 に於て、之 を基礎として土地を買収す る事が出来 るので
l ik ewi se
右 の訳 文 を原 文 と 照 し合 せ て考 へると 、会 社 は附 属 地 に於 て絶 対
殊 に 一八九六年 の条約第六条 を広く解釈し て、鉄道 の為必要なる
的 にし て且 、排 他 的 の権利 を行 使 す る こと が出 来 ると言 つて居 る か あ つて、 一部 の論者 の如く此 の 一条約二契約を基 として、将来永く ら 、之 は明 か に附 属 地 に於 け る行 政権 の行使 を認 め て居 る の であ る。 無制限 に土地を買ひ得 るとは言 へな い。 だ から支 那 が露 西 亜 の鉄道 で あ る東 支 鉄 道 会 社 が附 属 地 に行 ふ行 政
土 地 の買収 の必要 を 生 じ た時 、 何 時 で も会 社 が之 を基 とし て 土 地 を
五、 一九 二〇 年 東支 鉄 道 管 理続 訂 契 約
理す る こと を 特 に附 記 し て居 る。
故 に右 条 約 は狭 く解 釈 し て鉄道 建 設当 時 のみ とす べき であ る。 又
ぶ る行 動 を 採 り 、若 しく は政 治 上 の権 利 を獲 得 す る ことは 一切之 を
凡 て の点 に於 て商業 の範 囲内 に のみ限 定 し 、会 社 が政治 的 性 質 を帯
行 と の間 に結 ん だ 、東 省鉄 路 管 理 続 訂 契約 第 六条 の ﹁ 会 社 の権 限 は
た。 そし て理 由 を主 と し て 一九 二〇 年 十 月 二 日、 支 那政 府 と露 亜 銀
支 那 は東 支 鉄 道 の附 属 地 を 回収 せ んと し て 八月 一日 布告 文 を 発 し
(露 亜 銀 行 と 支那 と の契 約 )
買 収 す る事 が出 来 る と せば 、 支 那 は鉄 道 布 設 当時 か ら将 来 永 き期 間 に亘 り て莫 大 の義 務 を負 は され 、自 国領 土 内 に外 国 の行 政 区域 を無 制 限 に拡張 さ る る憂 が あ る から 斯 く の如 き条約 は決 し て結 ば な いで
斯 く の如 き意 味 な れ ば こそ後 に至 り て 一九 〇 七年 の土 地 購 買契 約 を
あ らう 。
結 ん だ ので あ つて 、若 し第 六 条 を広 く解 釈 し 、実 際 之 に依 り て土 地
禁 止 す べし ﹂ 云 々の字 句 にお いて お る。
然 し右 の理 由 を主 張 す る前 に 、 一九 二 〇年 に結 ん だ続 訂 契 約 が果
の買 収 が行 へるな ら ば、 特 に 一九 〇 七年 の契 約 を結 ぶ要 は な い。
し て有 効 な も のかど う かと言 ふ こと を 考慮 す べき で あ る。 自 分 は こ
故 に露 西 亜 即 ち東 支 鉄 道 会 社 が右 一条 約 二契 約 に基 かず し て、 勝
の続 訂 契 約 を 以 て甚 だ疑問 の多 い寧 ろ 無効 な も のと し て取 扱 ひ度 い。
行 は 一八 九 六年 八月 に、露 西 亜 と 清 国 と の間 に結 ば れ た露 亜 銀行 組
手 に支 那人 から 土 地 を買 つて之 を処 分し 、 此 の上 に行 政 権 を及 ぼし
合 に関 す る契 約 に基 い て設 立 され た も ので あ つて 、清 国 は 庫平 銀 五
な ぜ な ら ば元 来 露 亜 銀 行 そ のも の が甚 だ疑 はし いも のであ る。該 銀
伝 ふ る所 に依 る と会 社 は 附 属 地 と別 に勝 手 に土 地を 買 収 し、 之 を
た る実例 あ りと せ ん か、 之 は 会 社 が 不法 で あ つて支 那 側 よ り抗 議 を
拡 張 し て オ スト ロ モ フ村 、 ゴ ンダ ツチ村 と命 名 せ る村 落 が あ る そう
百 万 両 を 株金 に差 入 れ て、 組 合 営 業 を なす こと と し た の であ る。 そ
申 込 ま れ ても仕 方 がな い。
で あ る 。 そし て支 那 は之 を 以 て 不法 の土 地 買収 と なし抗 議 し て居 る
し て該 銀 行 の目 的 は東 亜 に於 け る貿 易 の業 務 を営 む にあ つた 。
然 し な がら そ れは単 な る表 面 の理由 であ つ て実 際 上 は露 西亜 が政
と の事 で あ る。 又会 社 の方 では右 の村 落 用 地 の買 収 を 不法 に非 ず と 言 つて居 る そう で、 何 れ が真 で あ る か不 明 であ る が、 若 し右 の村 落
ら な か つた。 然 し之 を行 はん がた め に露 西 亜 が表 面 上 、 他国 の領 土
て直路 清 領 を通 過 す る がた め 、是 非 清 領 土 内 に鉄 道 を 布設 せ ねば な
策 上 斯 く の如 き銀 行 を設 立 し た の であ る。 即 ち露 西 亜 は 西 伯利 亜 よ
尚 会 社 が 一九〇 七年 に買 つた土 地 は其 の上 に行 政 権 が 及 ぶも のと
に鉄 道 を布 く こと は不 穏 当 であ る が為 、 こ こ に露 亜 銀 行 を設 立 し て
り 浦 塩 に至 る鉄 道 の布設 を計 画 し た が 、後 黒 竜江 沿 岸 の迂 廻 を避 け
解 し て よ い。 即ち 同 契 約 第 二条 で は買 収後 は 、会 社 の所属 とし て鉄
之 に清 国 をし て庫平 銀 五百 万 両 を差 入 れし め 、清 国 と 該 銀行 とが 共
用 地 が附 属 地 の範 囲 外 で且 、条 約 に依 ら ず 勝手 に拡 張 し た も の であ
道 布 設 当 時 の契 約 と 同 じ く処 理す るも のな り と明 記 し て居 る。 但之
れ ば 、無 論 不法 とし て支 那 が抗 議 を申 込 む のは無 理 では な い。
等 買 収 地 に近接 し て清 国 の官 有 地 を保留 し て之 を 清 国 の官 憲 に て管
に其 の保管証券 に対し ては露亜銀行 が将来、東支鉄道 に対して名儀
せることとして、其実株券全部 を露国 の国立銀行 に預 けさした。国
鉄道会社をして株券を発行 せしめ 、其 の株券全部を露清銀行 が買収
同出資 で満洲横断鉄道を建設 せんとす る形式を取 つた。そして東支
る大総統令 を出した事 も多少 の議論 があるが、然 しかく の如きは露
状 のまま管 理すべきも のだと思 ふ。無論支那が東支鉄道管 理に関す
総統令 によ つて、支 那が露西亜 の正統政府を認むる迄、成 る可く現
ことを止めて、 一九二〇年十月九日発布 の東支鉄道管理 に関す る大
故 に支那 はあくまでも斯く の如き不条理をも つて東支 に干渉す る
国混乱 の場合而 かも自国領 土内 に於ける利害関係上止むを得ざ る処
立 銀行 は之 に対して保管証書を露亜銀行 に差入れたのであるが、更 上 の株主 たることを利用して、株主 の権利を主張 しな いと言 ふ誓約
るや、在哈市各国領事は (日、英、米、仏)直ち に支那 に抗議 をし
上 にも述 べた様 に支那が突然東支鉄道土地課 の乗取り策 に着手す
置として、支那 のとりたる策 を正当とし て認めねばならん。 書 の如きも のを作 りて、之を再 び露国国立銀行 に差入れさしたと言 われて居 る。之 を思 ふにかく の如 きは明 かに 一種 の詐欺行為 にして、 六、領事団 の抗議と華府 会議 の決議 露 亜銀行 は即ち露西亜 が東支鉄 道 のために使 つた 一つの傀 儡であ
たが、抑も各国 が東支鉄道 に対す る如何 なる関係 によ つて、斯く の
露国 が清国 を瞞着 せんとしたも のであ る。 る。若 し此 の説 が真 であ つたならば、露亜銀行は何等東支鉄道 に対
が、東支鉄道 に関し てなした決議 によるのであ る。この決議 は二つ
如 き抗議を出 したか。それは 一九 二二年 二月四日華盛頓 に於 て各国
に分 れて居 る。 一は支那を含 んだ各 国が東支鉄道 に関し てなした決
し て株主と しての権利 を主張する ことが出来な い。又事実上、露西
議 と、支那を除 いた以外 の各国 によつてなした決議 である。前者 に
亜は東支鉄道布設及其 の経営 のため に総 て国庫より莫大な金額 を支 て居な い。支那は 一九 二〇年 の続 訂契約 を基礎とす るも、右 の如く
出して居 るのであ つて、露亜銀行は少 しも東支 の株券を事実所有 し
東支鉄道を其 の利害関係者 のため に保全す るに付 ては、鉄道 に
よると次 の様 に決議し て居る。
と。業務 の能率 を上げ るため職員 の選任に 一層留意す ること。且
対 し竝其運用及使用 に従事する職員 に対し 一層 の保護 を与ふるこ
理すべき権限なき露亜銀行 が同様 に、東 支 の株主 にあらざ る支那と
何 等東支 の株主としての権利なき露亜銀行、又東 支鉄道 の権利 を代 単独 にて結 んだ契 約は無効 であ つて、斯 くの如き契約 を理由として
支那国以外 の諸国は東支鉄道 に関する決議 を協定す るに当 り、
又後 の決議 は左 の通 りである。
本問題は適当 なる外交機関を通じ速 かに処理 せらるべし。
ことを要 す。
鉄道財産 の浪費 を妨ぐ るため資金 の使 用を 一層経済的ならしむ る
支那が東支 に干渉することは、甚 だしき無暴な ことだと言ふ事 が出 来 る。 然 しながら暫く之 を許すとす るも支那 と露西亜とが結んだ続 訂契 約第六条 の、鉄道 の業務 を以 て商業 の範囲 のみに制限した事 は、 一 八九六年 の東支鉄道条約第六条 に違反す るも のであつて、支那 は露 西亜と結 んだ国際条約上 の義務を勝手 に蹂躙したものである。
東支鉄道会社 の株主、社債 券所有人及債権者 たる外国人 に対す る 義務 の履行又は不履行 に関 しては支那国之が責任 を負ふべき事 を 今後主張す るの権利 を留保す。 ︹マ マ ︺
前 記諸国 は右責任 を以 て該鉄道 の占有及管理 に対す る支那国政 府 の権 力行 使 より生 ず る (前 記 諸 国 は此 の義 務 を 以 て信 託 の性 質 を有 す る も のと 思惟 す ) に由 来 す る も のと 思惟 す 。 即 ち 支 那 は各 国 と 共 に東 支 鉄 道 及 鉄 道 の従 事 員 を 保護 す る義 務 を 有 し 、 支 那単 独 に て鉄 道 を経 済 上 不利 な る状 態 に置 く こと は出 来 な い。 又 各 国 は別 に東 支 鉄道 の債 権 者 と し て支 那 に対 し て 、支 那 が責 任 を負 ふべ き ことを 主張 す る権 利 をも つて居 る の であ る 。実 際 上 、
所 有 権 を 有 し て居 る。
二 、 一九 二〇 年 三 月支 那 が同 鉄 道 沿 線 に於 け る露 軍 の武装 解 除 を し
た の は不 法 であ る 。支 那 が 大総 統 令 を以 て同 鉄 道 に関 し て為 し た る声 明 も不 法 であ る。
三 、 一九 二〇 年 十 月支 那 と露 亜 銀行 と の間 に締結 さ れた る東 支 鉄 道 に関 す る条 約 は無効 で あ る。
四 、 一九 二 二年 四月 華 盛頓 極 東 委員 会 に於 て東 支鉄 道 に関 し て なし た 九 ケ国 協 定 は不 法 であ る。
五 、 従 つて最 近 附 属 地 回収 に つき 日英 米 仏 四 ケ国 が支 那 に対 し てな
せ る抗 議 も何 等 そ の権 利 な きも の であ る。
右 の声 明 を 以 て露 西 亜 の言 ふ と ころ に亦 多 大 の理由 の存 す る こと
以 て協 定 す べ きも の であ る。
六 、東 支 鉄 道 に関 す る諸 懸案 は露 支 両 国 が他 を交 へず 友 誼 的精 神 を
き西 伯 利 全 線 に約 三億 余 万 円 の価 格 に相 当 す る輪 転 材 料 を供 給 し て
各 国 は東 支 鉄道 に対 し ては莫 大 な債 券 関 係 を有 つて いる 。米 国 の如
ゐ る。 又 聯 合 軍出 兵 後 に於 て 日米 は八 百 万 円 、英 仏 は凡 て四百 万円
に多 大 の資 金 を投 じ て居 る の であり 、 又事 実鉄 道 は 露 西亜 のも の で
を認 め ねば な ら な い。 露 西亜 は名 儀 上 も 、実 質 上 に於 て も東 支 鉄道
あ る 。単 独 に鉄 道 を処 分 す べ き で あ る。然 し革 命 以 来 露西 亜 は鉄 道
の出 資 を し て居 る。 満 鉄 も多 額 の石 炭 を供 給 し て居 る。 之 れ等 の債
せ ら れ た る後 、 解決 を つく べ き も ので あ つて、決 し て支 那 一国 の所
権 関 係 は未 だ充 分整 理 され て居 な い。露 西 亜 が統 一政 府 と し て承 認
が有す る諸 種 の利 権 を抛 棄 す ると声 明 し た事 も あ り、 且 今 日 の様 に
を 顧 み る こと も 出来 な い。 又 実 際露 西 亜 は 曾 つて支 那 に於 て露 西 亜
複 雑 な国 際 関 係 を生 じ た以 上 、 鉄道 の処 理 に就 て は露 西 亜単 独 の処
し 、 一九 二〇 年 の大総 統 令 に よ つ て露 国 が承 認 さ れ る ま で鉄道 を管
分 を 認 む る こと は出 来 な い。 支 那 が 大総 統 令 を 以 て鉄 道 の管 理 を声
存 にて鉄 道 を自 由 にす る こと は出 来 な い。 支 那 は之 等 の関 係 を考 慮
を認 め て居 る の であ る 。
理 せ ね ば な ら な い。 又各 国 も非 常 の場 合 已 むを 得 な い手 段 と し て之
明 し た事 、及 華 府 会 議 の決 議 は已 む を得 な いも のと し て吾 々は認 め
銀 行 と の契約 は無 効 であ る と いふ こと を認 む るが 、今 回支 那 の鉄道
し て、 鉄 道 が露 西 亜 のも ので あり 、 一九 二〇 年 に結 ん だ支 那 と露 亜
ず には 居 ら れ な い。 吾 々は た だあ く ま で も露 西亜 の正 当 な る主張 と
七 、 駐 支労 農 代 表 の反 駁 露 西 亜 の駐支 代 表 は 先 き にも誌 し た声 明書 を公 にし た が 、之 と 共
一、東 支 鉄 道 の所 有 権 は 労農 露 国 に属 し 、露 国 は単 独 にて同 鉄 道 の
に別 に次 の様 な諸 項 に亘 つ て支 那及 各 国 の態度 を難 じ て居 る。
に関 す る干 渉 は 不 法 な も のと し て露 西 亜 のため にも 、各 国 が支 那 に
第 二 の問 題 と し て は条 約 及特 定 契 約 によ らず し て、買 収 し た土 地
東 支鉄 道 は あく ま で も露 西 亜 のも のと し て認 む る と とも に、之 が
七年 の黒 竜 江 及吉 林 両 省 に於 け る土 地購 買 契 約 に より て 、土 地 の買
り と言 ひ得 る 。 な ぜな ら ば 会社 はす で に 一八九 六 年 の条 約 及 一九〇
の移 管 であ る が 、之 は大 い に支 那 とし て は主 張 す べき正 しき論 拠 な
処 分 に就 て は露 支 を主 とす る こと を認 め 、之 に各国 が利 害関 係 のあ
抗 議 す る ことが 正 し き も の であ る と言 ひ度 い。
る 範 囲 に於 て適 当 の干 渉 をな す こと は敢 て不 当 では あ るま い。
今 も尚 之 によ つて土 地 を買 収 す る も のと す る こ と は不合 理 であ る 。
る 。前 にも 一度 述 べ た如 く 一八九 六 年 の条 約 第 六 条 を広 く 解 し て 、
収 を な した の であ つて、 之 れ 以外 には土 地 の買 収 は出 来 な い筈 で あ
論
ね ば なら ん 。例 へば ゴ ンダ ツチ村 オ スト ロ モフ村 の如 き は単 に民 間
故 に若 し斯 く の如 き土 地 が事 実 あ れば 、支 那 の主 張 は正 し いと言 は
以 上数 項 に亘 つて詳 細 論 じ た が今 回 の土 地 問 題 は要 す る に左 の二
八 、結
一、 鉄道 附 属 地全 体 の引 渡 を要 求 し た場 合
の 一私 人 と 勝 手 に契 約 し て買 つたも ので あ れば 之 は 不法 であ つて 、
項 の点 に帰 し 得 る様 であ る。
二、条 約 及 特 定 契約 によら ず し て買収 し た土 地 に関 す る場合
地 の上 に行 政権 を及 ぼす こと は尚 更 不 当 で あ る。 (支那 で は 自 国 人
之 が返 還 を要 求 す る こと は無 理 で は ある ま い。 況 ん や かく の如 き土
た ると 外 国 人 た る とを 問 はず 一切 の土 地所 有 権 を 許 さず 。 唯布 教 の
そ し て今 右 の事 項 を更 に分析 研 究 し て見 る に、第 一の問題 は支 那
た め にす る場 合 のみ キリ スト教 会 に之 を許 す )
が鉄 道 附 属 地 全部 の返 還 を要求 す る こと は、 鉄 道会 社 の有 す る 土 地 そ のも の、 即 私有 地全 体 の所有 権 の移 転 を要 求 す る や、 又 は土 地 の
而 し て若 し斯 く の如 き事 実 が存 在 し 、 そ れ が支 那 のため に有 利 に
上 に行 は る る行 政権 のみ を要 求 す る や の問 題 に分 つこと が出 来 る 。 然 し東 支 鉄 道 会 社 は もと も と条 約 によ り て附 属 地 を買 収 、其 他 の方
法 で得 たも の であ つて、 之 が返 還 を求 む る こと は 元 より 不可 で あ り 、 解 決 され ( 実 際 支 那 は 之 を有 利 に解 決 す る根 拠 があ る) たな らば 、
現 在 南満 鉄 道 会 社 の附属 地 は、 厳格 に言 ふと 露 西亜 から 譲渡 され
更 に条 約 に基 いた行 政 権 を 要求 す る こ と も不 可 であ る。唯 一九 二〇
す る のみな ら ば 又考 ふ べき余 地 が あ る 。然 かも 之 れ はす で に管 理令
た当 時 の状 態 に於 て存 在 す べ き であ つて、 若 し そ の当 時 以後 条 約 に
一、 東支 土 地移 管 問 題 の満 鉄 に及 ぼす 影 響
を出 した 以 上 、事 実 支 那 が管 理 し て居 る筈 であ る と考 ふ事 が出 来 る
よら ず 、特 定 の協 約 にも よ らず し て買収 し た土 地 、例 へば 支那 個 人
満 鉄 の附属 地 に於 ても 又 大 いに問 題 と さ れ る。
ので 、今 更 斯 く の如 き要 求 は出 来 な い筈 であ る 。 又附 属 地全 体 の要
の名 儀 を利 用 し て買 収 し た 土 地 の如 き は明 か に条 約 と牴 触 す る も の
年 の管 理 に関 す る大 総 統 令 に基 いて 、附 属 地 行 政権 其 他 土 地 を管 理
求 は結 局 土 地 課 の移 管 と 同 じ で あ つて、 又 土 地 課 の移 管 は結 局 附 属
で、 支 那 よ り抗 議 を され ても反 駁 す る こと は出 来 な い。
日本 は 日露 講 和 条 約 によ り て露 国 の有 し て居 た 権利 を譲 受 け た の
地 金 体 の要 求 と解 し得 る の であ る 。支 那 今 回 の要求 が如 何 な る程 度 迄 明 か に要 求 の内 容 を区 別 し て居 る か甚 だし く 不 明瞭 に思 は れ る。
に新 た に土 地 を獲 得 す る に就 て特 別 の取極 も な い。 只 撫 順炭 礦 用 地
の拡 張 をし て居 る が、 之 は 甚 だ曖 昧 で余 り 正当 と は言 へな い。 又 別
て ゐな い。普 通 に は東 清 鉄 道条 約 第 六条 によ つて、 今 日 も尚 附 属 地
る。 然 し新 た に附 属 地 を拡 張 す る場 合 に土 地 を獲 得 す る根 拠 を 定 め
であ る から 、満 鉄 は 無論 東 支 鉄 道 の有 す る権 利 を持 つて居 た の であ
二、督 軍更迭問題
未 だ退職 する模様無し云 々。
当分善後策竝 に名誉恢復 に頭 を悩ます事ならん。但し現今 に於 ては
況 の推移 を考慮せず 一個 の考を以 て敢行 せるは愚 の骨頂と云ふべく、
年前露国 が内憂外患対外交渉 の気力無 き際ならば兎も角 、四囲 の情
今回 の土地課問題も正 に其 の欠点 を裏書す るも のにして、二、三
今次 の大演習 は長春附近に行 はるるも のにして予は騎兵五ケ団砲
は特 別 の取 極 があ る 。 又鞍 山 の製 鉄 所 用 地 も 日支 条 約 に依 り て商 租
地発安達 に全軍 を集合 せしめ、軍隊 は同地より陸行伏隆泉、懐徳方
兵 二ケ連を率 ゐて之 に参加すべく、行動は予定を変更 し来 る四日当
権 を 設定 し た様 にも思 は れ る が、之 も瞭 然 と し な い。頗 る曖昧 で あ る。而 し て鞍 山 用 地 の上 に は満 鉄 行政 権 が及 ん で居 る。 これ は他 日
ケ月 の予定なり。 三五
一、地方長官公署 に於 て東支鉄道会 社 の占用せる土地は、支那政府
東支鉄道会社は所管 土地 の件 に関し今左 の如く議決せり。
督弁公署は東 支鉄道会社 より左記 の如き書面 に接したり。
東支督弁公署発行行政長官公署宛通牒
愈 々土地課 の書類調査 に着手する こととな つた。
左記東支督弁 公署 の通牒 に基き左 の委員を以て調査委員会を組織 し、
該問題が行悩 みの状態 に在 つたが、今回九月廿日張作霖 の来電及
東 支鉄道土地移管問題 の現状
大正十二年十月十日 第 一八五号
哈爾賓事務所
面 に向 ひ、予は汽車 にて窰門 に至り陸路伏隆泉 に向ふべく往復約 一
支 那 よ り抗 議 を され る憂 が な いと は言 へな い。之 等 の点 に就 ては更
余 は東 支 土 地 移管 問 題 の満 鉄 に及 ぼす 影 響 を単 に 一般 的 に
に実 際 の研究 をす る必 要 が あら う 。 附記
の出 来 な い事 を附 言 す る 。
且 、 抽 象 的 に論 じ た。実 際 上 の調 査 を経 た上 でな く ば明 かな 解答
三四
呉督 軍 の時 局談 片
斉 々哈爾 公所 長 (大 正十 二年 九 月 三十 日第 一九 〇 号)
呉 督 軍 二十 八日 帰 城 、 廿 九 日公 所訪 問 し た り。 時 局 に関 す る談 話 左 の如 し 。 一、 東 支 鉄道 土地 課 問 題
な る事 を無 考 に行 ふ こと あり 、為 に上 下 の反感 を買 ふ こと多 く 四川
の締結 せる契約 に違背 し且、支那 の主権を妨害 せる所 ありと認む
朱 慶 瀾 は常 に公 平 無 私 を 標榜 し つつあ る も欠 点 とし ては時 に突 飛
を逐 は れ広 東 に失 敗 し黒 竜 江 を逃 出 せ る等 皆其 の欠 点 の発露 な り。
権限外なる ことを声 明す。唯会社内 に於 て督弁 の代表者 に之を提
を証明するに便す。但理事会は主権問題を討論す るは、理事会 の
切 の必要資料を提出 して会社が、支那 の主権を尊重 せざるや否 や
と のことなるに因 り、之 が解釈を為す目的を以て、之 に関する 一
管 せ しめ 支 那 側 は 地畝 管 理 局 を設 置 し 、浜 江鎮 守 使張 煥 相 を し て其
午 東 支 鉄 道 長 官 オ スト ロモ フと会 見 の上 、鉄 道附 属 地 を支 那側 に移
行 支 店 長 プ チ ヒ ユー ゲ ナ ンは午 後 三時 に至 り、 支 那側 が 三十 一日正
て も之 れ を 予 知 し て居 た が 、此 日北 京 よ り着 哈 し た る、 北 京露 亜 銀
該 問 題 に関 す る支 那側 の画 策 に付 て は露 亜 銀行 及 東 支 鉄道 側 に於
七月三十日
の局 長 に任 じ八 月 一日 よ り之 れ を施 行 す る こ と に内定 せ る こと を探
を承認す。 二、土地課主管事項移 交 の要求 に就 ては明瞭を欠く点種 々ある に依
訪 問 し て保 護 を 懇 願 し た。
知 し 、直 ち に仏 国領 事 に之 れを報 告 す る と共 に同 夜 、 日本 総 領 事 を
出し其 の調査 に資し、竝 に相当官署 に於 て 一切 の解釈を為す こと
り、督弁と官署 との間 に於 て意見 の交換 を行 ひ、前項要求 の確実
第四科長 郭
中
楊
福
福
文
世
陽
徳 (副委員長)
〓 (委 員 長)
綿
柄
震
属 地移 管 問 題 は鉄道 側 と合 議 の上 、合 法 的 に施 行 す るを 至当 とし単
四国 領 事 は 、 午前 十時 三十 分会 合 し て先 づ朱 慶 瀾 を訪 問 し、 鉄道 附
二 、哈 爾 賓 四国 領 事 団 の行 動
件 に関 す る新聞 の論 評 を 禁 止 し た 。
従 来 東 支 鉄道 土 地課 の行 つて居 た業 務 を継 承 す る こと を布告 し 、本
側
議 石 惟
福
那
総務処長
諮 書 馮
紹
希
一、 支
七 月 三十 一日
なる範囲を査明して理事会 の審査 を経たる後株主総会 に報告す。 依 て右 の趣通牒し御回答を請 ふ。
秘 長
素
に対 し て前 述同 様 の抗 議 を為 し 、且張 作 霖 に対 し更 に打 電 請 訓 す べ
次 に領 事 団 は鉄 道 庁 にオ長 官 を訪 ひ 、丁 度 会 見中 で あ つた張 煥 相
と す る に過 ぎず と 主張 す 。
庁 には其 の本 務 に必 要 な らざ る土 地 が有 るか ら 、之 を回 収整 理 せん
張 作霖 の命 令 であ つて東 支 督 弁 王景 春 も 同意 す る処 であ り 、 且鉄 道
独 意 志 を以 つて之 を強 要 す るは 不 当 なり と抗 議 し、 之 れ に対 し朱 は 、
露 亜 銀 行 ﹁プ ﹂ の報 道 に依 り 、哈 爾 賓 に於 け る日 、英 、米 、仏 の
東 省特 別 区 行 政 長 官朱 慶 瀾 は、 支那 側 に於 て 地畝 管 理 局 を新 設 し 、
東支 鉄 道 側 科 朱
士
東 支督弁公署側
行政長官 公署側 飜 訳 員
陸
手
呉
技
庶務部、調査課
同
三六
東支鉄道附属 地移管問題 の経過
大正十二年十月十八日 庶調情第 六九五号秘 該問題発生後 に於ける経過概要 如左
要 求 す 。其 の状 況 は左 記 ゴ ンダ ツ チ の報 告 通 り であ る 。尚 張 煥相 は
時 三十 分 張 煥 相 は土 地 課 に臨 み 、自 ら課 長 の席 に就 き業 務 の引継 を
鉄道庁 は土地買収当時 の地権 に関 する重要書類 を支那側 に押収 さ
こと を約 し 、 且 総領 事 の忠 告 に依 り 、曩 に総領 事 に送附 せ る回答 書
夕方 日本 総 領 事 を訪 問 し て意 見 を交 換 し 、 二 日領 事 団 と会 見 す べ き
きと忠告 し、張 は之 を承諾した。 れる虞 れあるを以て、領事団 に其 の保護 を懇願せるため、領事 団は
を 一先 づ撤 回 し て辞 去 した 。
本国政府 に請訓する迄臨機 の処置として之等 の書類 に封印を行 ふ こ
成 る様貴長官 より御下命 相成度、本総領事竝英、米、仏各領事各 々
拝啓 張煥相旅長 の東支鉄道土地課引継 の儀 に就ては暫時延期相
理 の業 務 を担 当 す る も のな る こと を宣 言 し 、 且今 日以 後 土 地課 の存
居 た 。張 は先 づ 予 に 一礼 し た後 、 朱将 軍 の命 によ り本 日 よ り土 地 管
及 交 渉局 科 長 李 紹 興 、市 政 局 通 報 局長 其 他 十 二名 の支 那 人 を従 へて
八 月 一日午 前 十時 半 、張 煥 相 は戸 を排 し て入 り来 り、彼 は 二露 人
ゴ ンダ ツ チ の報 告
本国 に報告し、当該各国公使 に於 ても充分取調 の上更 に交渉す べく
在 な け れば 総 べ てを彼 に引 き渡 す 様要 求 した 。
の如き照会 を発した。
ととし、日本総領事 は各国領事を代表し、朱行政長官 に対し大要 左
此段及照会候也
出 す る や張 は、 予 の椅 子 を取 つ て其 の席 に就 き 、本 日以 後 土 地課 の
の委 員 に対 し他 の場 所 に於 て会 議 を継続 せむ こと を要 求 し 、全 部 退
事 務室 に於 ては 、業 務 上 に関 し 多 人数 集 合 し て居 たが 、彼 は之 等
︹マ マ︺
三、朱行政長官 の回答 前記総領事 の照会 に対し朱行政長官 の七月三十 一日附 回答要旨は 拝復貴領事 七月三十 一日附御照会 の件拝承 、東支鉄道 土地課引継
全 業 務 は自 ら担 任 す る を以 て 一切 引 渡 す べ き こと を要 求 し た 。之 に
次 の如くである。 の儀 は、元来東支鉄道管理続訂協約第六条 の規定 に基き処理せる儀
の命 令 を執 行 す る も ので あ る、 本 日 以後 自 ら 土 地課 の業 務 を執 ると
対 し 予 は長 官 なき 限 り之 に応 じ兼 ね る旨 応 酬 し た が 、彼 は 行政 長 官
宣 言 し 、多 数 の随 行 者 に導 か れ て各 室 を巡 視 し 、本 日以 後 自 ら土 地
に付 、純然たる我国内政 の範囲 に属す るも のにて該案は既 に公布し
課 の長 た る べ き こと を各 職 員 に告 知 し た。
期 を定め て引継をなさしめ、且交渉員 に命 じ其 の旨照会済なれば猶 予致 し難く候 に付此段及回答候也。
巡 視 を終 る や後 は 予 を尊 重 す べき こと を述 べ、他 の雇 傭 人 は残 留 、
言した。
に在 り 、該 室 には長 官 の承 認 あ る に非 ざ れば 出 入 し得 ざ る こと を断
団 の封 印 し た金 庫 の所 在 を問 ふ た。 此 の時 予 は金 庫 は記 録 所 の別 室
巡 視 終 る や階 下 に降 り土 地課 の記 録所 を視 察 し 且 、三 十 一日領 事
四、東支督弁王景春 の移管要求 王督弁は此日兪人鳳と聯名 を以 てオスト ロモフ長官 に対し、土地
那 側
八月 一日
課 を支那側 に移管 せしむべく要求した。 一、支
支那側は領事団 の抗議 に頓着 なく予定 の行動 に移り、此日午前十
局 を開 き官 印 を 使 用 し事 務 を執 る こと とな つた 。故 に従来 東 支 鉄
本局 長 は曩 に東 省 特 別 区 行 政 長官 の委 令 を奉 じ たれ ば本 日 より
東 省特 別 区地 畝 管 理 局 布告
次 で予 の机 上 に到達 し た書 類 を見 、彼 は通 訳 の補 助 に依 り之 を 点
道 土 地課 に於 て取扱 つた事 務 の中 、全 く 営業 の範 囲 に属 し契 約 に
辞 職 共 に彼 等 の自 由 意 志 に任 す べき こと を訓 諭 す る様 予 に要 求 し た 。
に点 検 す べ く 、 且本 日 以後 一書 面 と雖 も彼 の印 章 な く し て発 送 す べ
検 し 其 の 一部 に 対 し ては自 ら註 記 な ど し 、他 の書 類 は後 刻 更 に綿 密
違 背 せざ るも の の外 は 、悉 く 其 の業 務 を引 継 ぎ本 局 に於 て管 理す
し居 るを 聞 き出 て行っ た が 、其 の去 る に臨 み猶 土 地課 の廃 止 、地 畝
午 後 一時 彼 は長 官 室 に於 て 、 プ チ ヒ ユー ゲ ナ ンが彼 と会 見 を希 望
印 証 明 を受 く れ ば 従前 通 り貸 下 ぐ べ し 。又 今 後借 地希 望 、借 地料
と 認 めざ るも のと 承知 あ り たく 、 本局 に出 頭 し て登 記 を申 請 し捺
鉄 道会 社 と締 結 せる土 地貸 借 契 約 は新 に本 局 に登 記 せざ れ ば有 効
局 の旧家 屋 に事 務 処 を開 設 し た に依 つて、 内 外 人 にし て従前 東 支
政 長官 公 署 より 一般 に告 知 せ る通 り で あ る。 本 局 は現 に市 政 管 理
を 締結 せ る も のは 引続 き有 効 と為 す 。本 件 に就 て は既 に特 別 区行
る。尚 内 外 人 にし て本 局 の引 継 以前 該 土 地 課 と 、合 法 の租 借 契 約
から ざ る こと を宣 言 し た 。 彼 は 又来 訪 者 あ るを 知 り し時 、 一従 者 の言 に従 ひ本 日 は接 見 せ ぬ、 訪 問 者 は 明 日以 後 に され た し と宣 言 し た 。 彼 は 此 の間 土 地 課 の閉 鎖竝 に諸 問 題 は 総 て彼 自身 処 理 す べ き こと
局 の設 置 を断 言 し 、明 朝 九時 出 務 訪 問 者 を引 見 し 土 地 課 の管 理業 務
納 入境 界 に関 す る紛議 等 土地 に関 す る 一切 の事 項 は本 局 に於 て取
を繰 返 し 言 及し た。
を続 行 す べく予 告 し た。 之 れ に対し 予 は再 び長 官 の認 可 な く ば如 何
扱 ふべ き に つき 決 し て違 背 し ては な ら ぬ。 特 に布 告 す 。
東 省 特 別 区 行政 公 署 地 畝管 理局
支 那新 聞 の報 ず る処 に依 れば 此 の日 、張 作霖 は 哈爾 賓 支 那当 局 に
二、 鉄 道 庁 側
中 華 民国 十 二年 八 月 二 日
な る書 類 と雖 も彼 に引 渡 す こと が出 来 ぬと反 覆 し た 。
側
以 上 の如 き状 況 に て土 地課 の業 務 は 既 に執 行 し難 き状 態 にあ る。
那
八月二日 一、支
張 煥 相 は 此 の日午 前 九 時 土 地課 に出 務 す べく 声 明 し て居 た が、 前 日 日本 領 事 と会 見 の結 果 之 を中 止し 、午 前 四国 領事 と会 見 し 、午 後
哈 市 に派 し て援 助 させ る 。北 京 の交 通 、外 交 両 部 に対 し ては報 告 の
に非 ざ れ ば 、遅 疑 す る こと なく 之 を断 行 す べし 。右 に関 し 孫督 軍 を
土 地 課業 務 の移 管 は支 那 の内 政 に属 し 、領事 団 の干 渉 す べ き限 り
対 し て左 の意 味 の電 報 を送 つた。
に出 席 し て意 見 を交 換 し た。其 の結 果 領事 団 に敬 意 を 表 し暫 く土 地
必 要 がな い。国 事 多 難 の際 東 三省 人 民 は 三省 の事 に努 力 せば可 な り。
鎮 守 使 公 署 に於 て各 界 人 士 を集 め て会 議 し 、午 後 三時 再 び領 事 会 議
に特 別 区 地 畝管 理局 を開 設 し 、全 く 鉄 道 庁側 と離 れ て業 務 を開 始 す
東 支鉄 道 庁 は土 地 課 の問 題 が解 決 さ る る迄 一時 該課 の業 務 を中 止
課 の事 務 執 行 を見 合 は せ る こと とし 、 之 に代 ゆ る に特 別 区行 政 庁 内
る こと と な り左 の布 告 を出 し た 。
す べき 旨勤 務 員 に通告 し た 。 八月三日
土 地 課 移 管問 題 に対 し哈 爾賓 領 事 団 の執 り たる処 置 に関 し外 務 省
一、日 本 政府 の訓 電到 着
よ り総 領事 宛 左 の来 電 があ つた 。 領 事 団 の執 つた処 置 は機宜 に適 し た も のと認 め之 を追認 す る。 而 し て政府 は四 国 の現 況 上東 支 鉄 道 の現 状 維持 を希 望 す る に より 、 列 国 領事 と協 調 を保 ち 適宜 措 置 せよ 。 二 、張 煥 相代 理 と オ長 官 の会見 此 日 張 煥 相代 理 は ﹁オ﹂長 官 を訪問 し 、本 問 題 を如 何 に処 置 す べ き かを 相談 的 に質問 し たが 、之 に対 す る ﹁オ﹂長 官 の回答 は次 の如 く であ る 。 本 問題 に関 す る命 令 は張作 霖 より出 た も の でな い。約 二 ケ月 前 張
二
一
借地料金 は総 て地畝局 に支払 ふべく鉄道庁 に支払 ひたるものは
将来土地 の貸借は総 て地畝局に於て行 ふ。
土地問題 に関連 する鉄道庁 の処置 に対す る 一切の訴訟は地畝局
無効とす。 三
に提出すべし。
孫督軍は士卒五百四十五名顧問以下 の随員三十名 を帯同 し、政情
四、孫督軍哈爾賓着 視察と称して午後六時着哈す。
﹁オ﹂長官 が米国領事より聴取せし処 に依れば、土地課問題 に関
五 、米国政府 の訓令到着
八月四日
しては徹底的 に支那側 へ抗議す る様本国 の訓令が到着したと言ふ。
改 造 し て今 回 の移 管命 令 を出 し た も ので 、問 題 の直 接 関 係者 は王 督
と主張したが、露国側理事は、支那官憲 の会社に対する不法要求を
不法なる ことを認め、而して領事団 の抗議 に対しては内政干渉なり
を見 るに至 らず、唯支那側理事 も支那官憲 の土地課 に対する行動 が
東支鉄道本社理事 は該問題 に関し臨時会議を開いたが、何等決定
一、東支鉄道理事会 の態度
弁 と張煥 相 であ る 。故 に本問 題 を円満 に解 決 す る ため には之 等 関係
作 霖 は 王景 春 に対 し土 地 課 の調 査 を命 じ た に過 ぎ な いが 、王 は 之 を
者 と 善後 策 を講 じ 、張 作 霖 の名 を出 さざ るを可 とす 。 又支 那 官憲 の
に非ず と主張した。
撤回せしめ、東支鉄道 の利益を保護せんとするものなれば内政干渉
2、該問題 が北京政府及在北京外交団と の間 に解決される迄 は哈爾
に対す る領事団の態度を是認すること。
1、支那官憲 の土地課横領 に対 して抗議する こと及支那官憲 の行為
此日午後米国商業会議所は会議を開 き左 の決議 をなした。
二、米国商業会議所 の決議
新 設 し た 地畝 管 理 局其 のも のに関 し て は何 等 反 対 せず 。苟 も行 政長
ろ当 然 で あ るが 、之 が為 め鉄 道 庁 の土 地課 を廃 止し 、其 の所 有権 を
官 公 署 と し て交 通 、土 地 、村 落 等 を管 理す る部 局 を有 す る こと は寧
回 収 せ ん とす る ことは 明白 な不 法 行為 であ る 。 三 、 地 畝管 理局 の新 命 令 八 月 二 日開 設 し た特 別 区 地畝 管 理局 は此 日更 に次 の命 令 を発 布 し た。
賓 支那 官 憲 の行動 を抑 制 す る こと 。 3、本 決 議 文 の写 を在 哈 米国 額事 、北 京 米 国 公使 、 米 国外 務員 、在 支 米国 統 一商議 会 等 に送附 す る こと。
側
ば 、此 日協 議 の上爾 后 は在 哈各 国 領事 団 と し て行 動 を起す こと に議 決 した 。 那
英 国商 議 会 は 該問 題 に対 す る 四国 領事 の態 度 に共 鳴 し 、支 那 政府
申込 む 。之 に対 し ﹁ゴ﹂ は 自 己 の権 限 外な る こと を述 べ、其 の旨 オ
ゴ ンダ ツ チを訪 問 し 、土 地 課 往復 書翰 の調 査 を許 可 せら れ む こと を
此 日午前 十 時 朱長 官 の顧 問 鄂雙 全 及 ア フ アナ シ エフは通 訳 を伴 ひ
二、 支
及列 国 公使 が熟 考 す る迄 之 が実 行 を抑制 し、 且該 問 題 を在 北 京 英国
フ あ り、 鄂 は約 一時 間 に亘 り会 談 せる も要 領 を得 ず 、 七 日 よ り書 類
長 官 に伝 ふ。 其 の際 長 官 室 には理 事 リ ヒテ ル及監 査 委 員 クズ ネ ツ オ
三 、英 国 商 議会 の決 議
公使 に報 告 し 、 円満 な る解決 を与 え る こと に努 力 方 請 願 の件 を決 議
下満 洲 里 に病 気 静 養 中 な る王 督弁 の帰 任 を促 さむ こと を決議 した。
午 後 二時 朱 長 官 以 下 十数 名 の高 官 、督 弁 公 所 に会 同 討 議 し 、尚 目
の調 査 を行 ふ ため 適 当 の室 配 給方 を申述 べ退 去 す 。
し た。 八月 五 日
二日 以来 業 務 を停 止 し て居 た土 地 課 は其 後 支那 側 より の直 接 圧迫
一、鉄 道 庁 側
八月 七 日 一、鉄 道 庁 側
此 日午 前 鉄道 長 官 室 に於 て開催 し たる幹 部 会 に於 て、 カ ラ ハン の
側
来 哈迄 は支 那側 に対 し決 し て譲歩 せざ る こと 。若 し外 国 領 事 が支 那
那
な く再 び業 務 を執 る こ とと な る。
奉 天 よ り の通 報 に依 れば 該問 題 は張 総 司令 が王督 弁 及 張煥 相 等 の
側 を援 助 す る様 の場合 あ らば 、露 国 側 は飽 迄 一致 し て自 国 の利 益擁
二 、支
憾 とし 、献 策 者 の行為 を憤 慨 し居 ると 言 ふ。
献 策 を採 用 実 施 し た も ので、張 作 霖 は領 事 団 の抗議 を受 け た る を遺
護 に努 む べく 、 オ スト ロ モ フ及 理事 会 は無 条 件 にて労 農 政府 の命令
事
団
従 来 四国 に過 ぎ な か つた領 事団 は更 に他 の各 国 全領 事 を 加 へ、午
二 、領
の表 明 を与 へたと いふ 。
に解 決 す べ く 、支 那官 憲 の土 地課 乗 取 り は 一時 的 のも の に過 ぎ ぬと
にて 、 カ ラ ハンは政 府 の決 定 的訓 令 を携 へ居 り、該 問 題 は露 国 独特
ジ ンを訪 問 、前 記 決 議 を 通告 した が ﹁ポ﹂ は領 事 団 の援 助 は 不必要
に服 従す べし と決 議 し た 。当 日午 後 ﹁オ﹂ 長 官 等 は労 農 代 表 ポゴ ー
三 、英 、仏 両 国 の訓 電 到 着 英 仏 両本 国 は 領事 団 の採 り た る措 置 を至 当 と し 、猶 将 来協 岡 し て
団
該問 題 の解 決 に努 力 す べ き旨 回 訓 し た。 八月六日 事
従 来 四国 領 事 の採 つた態 度 は 、主 と し て条 約 に違 反 す る支 那 の行
一、領
に土地 課 を移 管 せむ と し 、各国 居 留 民 の利 権 を脅威 す る に至 り たれ
動 を反 省 せし め ん た め で あ つた が、 支 那側 は之 れを顧 みず 、強 制 的
前 十 一時 より具 体 的 方 法 を協 議 す 。各 国 領 事 も従 来 四 国領 事 の執 つ
た る は勿 論 、 同会 議 の主催 者 たる米 国 政 府 を侮 辱 す るも の であ つて、
米 国 領事 は 、支 那 側 の行 為 が華 府 会 議 の国際 条 約 を破 棄 す るも の
二、 米 国領 事 の態 度
若 支 那 が飽 迄 之 を実 現 せん と せば米 国 も 亦 直接 米 国 に関 係 ある米 支
た 処置 を是 認 し 、将 来 一致 の行 動 を採 る べき こと を声 明 す ると 共 に 各 自支 那側 に抗 議書 を提 出 し、 且 朱長 官 に対 し勧 告 書 を発 す る こと
側
巴 里 よ り の電 報 及軍 人 側 の発 意 に依 り、 近 く東 支 鉄道 株 主 会議 の
一、鉄 道 庁 側
八月九日
条約 を破 棄 す べ し と言 明 し た。
と な つた 。 ︹ママ︺
又領 事 団 は支 那側 の態 度 依然 強 硬 に て新 地 畝 管 理局 の業務 を実 施 せ んと す る こと に関 し 、之 を米 国 公 使 団 に詳 報 し 、同 地 にて之 れ が
那
に ては 、支 那 側 は最後 の手 段 と し て土 地課 を東 支鉄 道 本 社 の直 轄 に
開 催 を 企図 し て居 る が支 那 側 は之 を避 け て居 る 。而 し て鉄 道 側 内部
三 、支
解 決 を為 す べく 尚 重 ね て朱長 官 に抗 議 す る こ とを決 議 した 。
支 那 官 憲 は 四国 領事 の抗 議 に対 し 、最 初 は内 政 干渉 の見 解 に依 り
く 且本 社 に於 け る支 那側 の勢 力 は 、支 社 よ り大 な れ ば画 策 上有 利 と
移 す こと を企 図 す べ く 、然 る時 は領 事 団 は之 れ に抗 議 を行 ふ余 地 な
飽 迄 土 地 課 の移 管 を実 行 せん と す る意 気 込 み で あ つた が、 四 囲 の情 況 に鑑 み、自 己 の体 面 を辱 め ざ る程 度 に妥 協 し之 を解決 せむ 徴 候見
支 那 官憲 と連 絡 を と り支 那 側 の利 益 を擁 護 して居 る。 支 那側 重役 は
王 督弁 はジ ヤ ライ ノ ー ル に転 地 療養 中 に つき兪 人 鳳 督弁 に代 り、
テ ル及兪 人 鳳 会弁 よ り得 た る会 議 の情 況 は左 の如 く であ る。
該 問 題 に関 し鉄 道 庁 内 にては連 日 重役 会 を開 催 し て居 る が、 リ ヒ
東 支 鉄 道 重役 会 議
な る べし と論 及す る に至 る。
ゆ 。即 ち夕刻 支 那 側 実 業家 代 表 は領 事 団 と 会 見 し意 見 の交 換 を提議 し て来 た が、之 等 実 業 団 は支 那 官憲 特 に滞 哈 中 な る孫 督軍 の意 を 体
側
し た も のと推 定 され て居 る。
那
八月 八 日 一、支
会 見 、意 見 の交 換 を為 す 。彼 等 は領 事 団 の積 極 行動 の中 止 方 を提 議
あ る。露 支 両側 重 役 主張 の要 点次 の如 し 。
露 西 亜側 重 役 と 同意 見 な るも支 那 官 憲 に気 兼 ね し沈 黙 を守 る状態 で
支 那側 実 業 家 代表 哈 爾 賓中 国 銀 行 行長 以下 七 名 は此 日四 国領 事 と
した が、領 事 団 は支 那 にし て行 動 を中 止 せ ぼ更 に考慮 すべ し と答 へ
一
べ きも のな る こと 。
会 社 定款 に基 き重役 会 に於 て支 那 政 府 を代 表 す る督 弁 に移 牒 す
此 の問 題 は重 役 会議 の権 限外 な る こと 。
露 西亜 側 重役 の主 張
た。 次 で午後 八時 浜 江商 会 に於 て此 等 実 業 代表 を主 体 とす る協議 会
二
開 催 せら れ 、討 議 の結 果 該 問 題 は鉄 道 庁 と 交渉 す る必要 を認 めず 、 国 家 を代 表 す る督弁 にし て理事 長 た る王景 春 に交 渉 し 、彼 を し て会
る こと に決 定 、即時 満 洲 里 に打 電 した 。
社 に命 令 弁 理 せし む る に如 かず と なし 、至 急 王督 弁 の帰 哈 を 電請 す
三 四 五
督弁 の指名す る代表等は東支鉄道本社に つき該問題 を取調ぶ 支 那 側 の地畝 管 理 局 の総 て の発令 は停 止 す る こと 。
る こと 。
督 弁 及露 亜 銀 行 代 表 等 によ つて 此 の本 件 が解 決 され る迄 土 地課 は従 来 の如 く仕 事 を継 続 す る こと 。 支那 側 重 役 の主 張 同意 督弁 の代表 者等 は哈 爾 賓東 支 鉄 道 支 社土 地 課 に於 て之 れ を取 調
当 分 の内 土 地 課 は純 然 た る鉄道 用 地 に関 し て のみ其 の仕事 を為
る こと 。
支 那側 地 畝 局 の発 令 は停 止 し三 の研 究進 行 中 は新 発 令 を為 さざ
べ研究 す る こと 。
一二 三
四
五 す こと 。
支 那 側 重役 の要 求 は 東支 鉄 道 土 地課 に於 け る仕 事 の邪 魔 とな る
これ に対 し露 西 亜 側 は 左 の理 由 によ り同 意 せず 。
び張 作霖 に見 えず と称 し て居 る。支 那 側 実業 団代 表 は 此 日鉄 道側 理
の能 否 を電 照 した 。
事 と会 見 し た が妥協 点 に達 す るを 得ず 。孫 督 軍 は王 督 弁 に対 し帰 哈
八月 十 日
労 農 代表 ポ ゴ ージ ンは該 問 題 に関 し支 那 に抗議 せず 、 又 四国領 事
一般 露 人 も附 属 地 を 支那 側 に回収 せら る る より は 寧 ろ、労 農 政府
の干渉 には 絶 対反 対 の旨支 那 官憲 に通 告 し た と言 ふ 。
那
側
の管 理下 に移 さ ん こと を望 む に至 る。 二 、支
八 、 九両 日土 地課 移 管 に関 す る行 動 を絶 対 に中 止 し て居 た が遂 に
妥 協 を 発見 す る に至 らず 。 更 に十 二日迄 三 日 間之 れ を継 続 す る こと となる。
哈 爾 賓各 界 の有 志 は国 民 一致 の主 張 と徹 底 的援 助 を必要 と認 め、
三 、鉄 道 庁 側
全 国 各 界 に檄 を飛 ばす こと と な る。
ヤ 、横 道 河 子 、窰 門 、海 拉 爾等 に於 け る東 支 鉄道 土地 課 の支 部 竝派
三
土 地貸 下 の仕 事 は支 那官 憲 に移 るべ き こと 。
研 究 唯数 日 にし て、突 然 新 令 を出 す虞 れ あ る こと 。
此 日沿線 よ り東 支鉄 道 庁 に達 した る電 報 に依 れぱ 、 ポ グ ラ ニチ ナ
四
こと。
五
側
に於 て之 を支 那政 府 を代 表 す る督弁 に移 牒 す べき も ので あ る。
此 の問 題 は重役 会 議 の権 限外 であ る。 故 に会 社 定 款 に基 き重 役 会
日 迄露 支 重 役 間 に概 ね意 見 の 一致 し た点 は 次 の如 く で あ る。
同 じ くす るも のあ るも 、官 憲 を 恐 れ て発 言 し得 ざ る状況 であ る。 今
重役 間 に於 て意 見 の懸隔 甚 だし く 、支 那 重役 中 には露 国 側 と意 見 を
問 題 発 生 以来 屡 々開催 せ られ た鉄 道 重役 会 議 も露 国 側 及 支那 側 の
出 所 は、 支 那官 憲 のた め強 制 的 に業 務 を停 止 せ ら れ た。
那
斯 く て雙 方 相譲 らず 未 だ に決 定 を見 ず 。 二、支
支 那側 ば 表 面 依然 強 硬 な る態 度 を持 し て居 るが 、其 の内 情 は頗 る 行 詰 り進 退 両 難 の立 場 に在 り 、其 の間 孫督 軍 の努力 に依 り其 の態 度 稍 々緩 和 さ れた 様 で あ るが 、朱 長 官 、張 煥 相 共 に神 経 過 敏 にな り張 の如 き は 、若 し 該問 題 にし て目的 達 成 し得 ざ れば断 然 職 を辞 し、 再
八月 十 一日 側
一、 支
那
側
此 日行 政 長 官 公 署 に於 て朱長 官 、孫 督 軍 、張 煥 相 、兪 人鳳 、袁 金
凱 、何 守仁 、馬 市 政局 長 等 二十 余 名 の会 議 あ り 、兪 会弁 の提 議 に 一
国
ポ ゴ ー ジ ンは此 日 オ長官 と会 見 し カラ ハン の意 見 と し て、 今後 オ
部 の修 正 を 加 へ、 概 ね左 の事項 を決 定 し会 弁 は之 に基 き問 題 を処 理
一、露
長 官 が労農 露 国 と協 調 し て鉄 道 を処 理 し 、且 之 れ を支 那政 府 竝露 亜
行 政長 官公 署 及督 弁 公 所 よ り鉄道 庁 に人 を派 遣 し て土 地 課 の内
該 調 査期 間 鉄 道庁 土 地 課 は暫 く 土 地貸 付 を停 止 す る こと 。
容 を 調 査 し移 管 商議 の準 備 と なす こと 。
該 調 査期 間 支 那側 地 畝 局 の業 務 は猶 続 行 す る こと 。
東 支 鉄 道庁 の土 地課 及 支 那 側 の地 畝 管 理局 雙 方共 差 し当 り 二週 間其
一
張 煥 相 等 の行 為 は国 際 協定 に違 反 す る こと
は左 の如 く であ る 。
を附 議決 定 し、 四 公使 連 署 の上之 を外交 総 長 に提 出 し た 。其 の内 容
北 京 四 国 公使 は此 の日米 国公 使 館 に会 し、米 国公 使起 草 の抗 議 文
二、 北京 公 使 団 の抗 議
三
二
一
す る こと に決 し た 。
又 労 農代 表 は 一般 鉄 道 従業 員 に対 し て も同 様勧 誘 を試 み んと す る
銀 行 に対 し て声 明 せ ん こと を希 望 し たが 、 オ長官 は之 を拒 絶 し た 。
意 図 を有 し、 オ長 官 は幹 部 と協 議 の上 此 の勧 誘 に応ず る従 業 員 は 一
側
切 免 職 す る の決 心 をな す 。 ︹ ダフチャン︺ ド ウ チ ヤ ン着 哈 す 。 那
の業 務 を停 止す る こと を議決 す 。又 孫督 軍 、実業 団 等 よ り王 督 弁 の
朱慶 瀾緊 急 会 議 を開 催 、 ド ウ チ ヤ ン之 に参 列す 。 両者 協 議 の結 果
二 、支
帰 還 方 を電 請 し て居 た が、 此 日病 状 不 良 にし て帰 哈 し得 ざ る旨 返 電
該 問 題 よ り生 ず る関 係 国 民 の損 害 に対し ては支 那 政府 は当然 其
右 の趣 四 国領 事 に対 し ても夫 々訓 令 し哈 爾 賓領 事 団 と歩 調 を 一に
の責 を 負 ふべ き こと
二 側
あり。 道
し強 硬 の態 度 を執 る こと とな る 。
支 那 側 重役 の意 嚮
三、鉄
連 日会議 の結 果 、支 那 側 重 役 の意 嚮 は 、 双方 よ り委 員 を出 し て土
三 、支 那 側 の領 事 団 に対す る態 度
哈 爾 賓 蔡 交渉 員 は此 の日、領 事 団 の再抗 議 に対 す る回 答 を為 す 。
地課 の業 務 の実 状 を 調査 し、 鉄道 庁 の所管 とす る を至 当 とす る も の
其 の内 容 は 一九 二〇年 対露 亜 銀行 協 約 に依 る支 那側 の当然 の処 置 に
は従 来 通 り 土 地課 に残 し、 行 政長 官 公 署 の所 管 と す るを妥 当 とす る
て列 国 の容 喙す る理由 な きも ので あ ると いふ にあ る。
那
側
も のは官 公署 に移 管 す る こと と し 、其 の間 妥 協 点 を見 出 す外 良 策 な
一 、支
八月 十 三 日
か る べく 、 これ には 二、 三 ケ月 の日子 を要 す べ け れば 王督 弁 も帰 哈
八月十二日
の上接 衝 す る を可 と す 、と いふ に略 意 見纏 まる 。
国
側
吉 林 孫 督軍 は此 日帰 任 す 。 二 、露
側
カ ラ ハン哈 爾 賓 に到 着 す 。
那
八月十四日 一、支
側
東 支 鉄 道支 那 側 理 事 袁金 鎧 は該問 題 報告 の為 奉天 に赴 く 。 国
此 日白 系露 字新 聞 は国際 信 義 の重大 な る こと、 華府 会 議 の依然 有
二、露
ので 、第 三者 た る列 国 は干 渉 す る権 利 がな いと い ふ にあ つた 。而 し
側
て 此 の説 は支 那 側 と し て強 硬 の態 度 を採 ら し む る素 因 を為 し た。
道
八月 十 六 日
此 日 オ長官 の談 に依 れ ば該 問題 の交渉 は総 て奉 天 に移 さ れた模 様
一、鉄
で、之 れ に対 し彼 は 列国 就 中 日本 側 の強 硬 な る態 度 を要 望 し、自 ら
も 飽迄 鉄 道庁 の為 め に努 力 す べ し と語 る 。尚 土 地課 の業 務 は従来 通 り 実行 し て居 る。
兪 人 鳳 に 一任 す る旨 通 告 あ り。
満 洲里 に於 け る王 督弁 よ りは自 己 の不在 中 会 社 の全 業務 は副督 弁
二 、労 農露 国側
効 な る こと を 論 じ 、且 支 那 は華 府会 議 を尊 重 し て、労 農 露 国 が世 界 各 国 よ り承 認 せ ら る る迄 、東 支 鉄道 問 題 に関す る露 国 と の交渉 を延
四国 領 事 が土 地 課 の撤 廃 、 地畝 局 の開設 に関 し抗 議 し た る由 な
督 弁 公所 に左 の照 会 あり 。
北 京外 交 部 は 、過 般 四 国 公使 の提 出 し た る覚 書 に関 し 、東 支 鉄道
一、北京 支 那 政府 側
八 月十 八 日
カ ラ ハン奉 天 に出 発 す 。
八 月十 七 日
るを 以 て其 の責 任 甚 だ重 大 で あ る。
国 に於 て為 す べ き も の であ る。然 し今 日 は既 に外 力 の干渉 を受 け居
性 質 上露 支 両 国 の財 産 な れ ば其 の所 有 権 に対す る処 分 は 当然 露 支 両
東 支鉄 道 は露 国 の敷 設 せ るも の、土 地権 は依 然 支那 に在 るも ので 、
意 味 の演 説 を為 す 。
カラ ハンは 此 日支 那 実業 団 体 よ り招 待 せ られ 、該 問 題 に関 し 左 の
期 す べ きも のな るべ し と論 じた 。
十 三 、十 四 日両 日 に亘 り幹 部 会議 を開 き 、督 弁 代 理兪 人 鳳 は支 那
三、鉄 道 庁 側
側 提案 の支 持 に努 め た が、鉄 道 庁 は土 地 課 業務 の 一時 停 止 を肯 せず 、
八月 十 五 日 那
側
唯 新 た に土 地 を貸 付 く る こと のみ 一時 停 止 す べき こと 、承 諾 し た。
一、支
奉 天情 報 に依 れば 、張作 霖 は ﹁ 該 問 題 は鉄道 と何 等 関係 な き 土 地 を 回収 せ んと す る も の にて 、領 事 団 の抗 議 を受 く べ き性 質 のも ので なく 、中 国 の態 度 は合 法 的 な れば 目的 を貫 徹 す る意 思 を有 し 、領 事 団 も事情 判 明 す る に従 ひ之 を了 解 す べ し﹂ と主 張 し て居 る。 二、労 農 露 国側 此 の日 カラ ハンは 日 、露 、 支 新聞 記 者 を引 見 し て意 見 を発 表 した が、彼 の説 に依 れば該 問題 は露 支両 国 間 の交 渉 に依 り解 決 す べき も
あり た し 。
るが 、本 件 は貴督 弁 より何 等 報 告 な し 、依 つて其 の事情 詳 細 報 告
社事 務 所 に備 へ置 く こと を提 議 す る こと 。尚 ほ之等 主 権 侵 害 に関
せ し や否 や を確 む る必要 あり 、之 れ等 の総 て の資 料 を東 支鉄 道 本
み 、此 点 を 明確 な ら し む る ため鉄 道 庁 は 、支 那 政府 の権利 を尊 重
土 地課 業 務 停 止命 令 の明確 な ら ざ る に鑑 み、 次 の株 主 総 会 に報
す る こと を論 議 す る は重役 会 の権 限外 な る こと を述 ぶ る こと 。
告 す べ き資 料 と し て支 那側 の命 令 を詳 細 支那 官 憲 に確 む る こと を 督 弁 に要 求 す る こと。
要 す る に事 情 を 取調 べ る方法 を講ず る と いふ不 得 要 領 の決 議 に止
め、 成 る可 く 現 状 を 以 つて推 移 す る意 嚮 であ る 。該 決 定書 は副督 弁
四
三 、鉄 道 庁 側 オ長 官 、 ゴ ンダ ツ チ等 の態 度 依然 強 硬 にて支 那 側 よ り強 制 的 退去 命 令 を受 く る迄 は 、自 発 的 に現 職 を退 か ぬと称 へつ つあ り。 (﹁オ﹂
八月 十 九 日
長官 の契 約 は 明年 二月 を以 て満 期 と な る)
一、鉄 道 庁 側
兪 人 鳳 に交 付 され た 。
カラ ハンと 張作 霖 と の接 触 に関 し在 奉 四国領 事 の態 度 其他 を視察 のた め 、奉 天 に差遣 せら れ た る理 事 リ ヒテ ルは 、此 日 帰 来同 氏 は奉
九 月 二十 六 日
交 渉 も之 にて打 切 り の姿 とな る。
該 交 渉 は 地方 的 に哈爾 賓 に於 て解 決 す る こと と な り、 奉天 に於 け る
編注、詳細第 張 作 霖 に陳 述 し た ると略 同 様 の警 告 を なす 。︹ 一 一に掲 ぐ ︺其 の結果
此 日 、 四国 領 事 団 は奉 天陸 軍 整 理 処 に於 て孫吉 林 督 軍 と会 見 し 、
二、 奉 天領 事 団 と 孫烈 臣 と の会 見
八月 二十 日
天 領事 団 が該 問 題 の真 相 を理 解 し居 ら ぬ と報 告す 。
此 日 駐 奉 四国 領 事団 は張作 霖 と会 見 し該 問 題 に関 し友 誼的 態 度 を 以 て張 氏 に警 告 す る処 があ つた。 八 月 二十 二日
容 を 調 査 し、 鉄道 庁 の所管 に属 せ し む るを至 当 と す る も のは 、従 来
れ る談 に依 れ ば 、該 問 題 は鉄 道庁 及支 那 側 双方 より委 員 を 派 し て内
此 日 、東 支鉄 道 管 理 局余 局 長 が当 社 哈爾 賓 事 務 所 佐 々木 参事 に語
支 那 地 方官 憲 の主張 は東 支 鉄道 が 一八 九 六年 の条 約 第 六条 及 一
通 り 土 地課 の管 理 に属 せし め 、否 らざ るも のは支 那 側 地畝 管 理局 の
該 問 題 に関 し此 日鉄 道 庁 重 役 会 は左 の決定 を為 し た。
一、鉄 道 庁 側
一
九 二〇 年 の追 加 条 約第 六項 と に牴 触 し て居 る と いふ に帰 着 す る こ
所 管 に移 す こと にな つた と いふ。
るも のと観 測 す るも のが多 い。而 し て支 那 側 地畝 管 理局 は 一旦看 板
果 し て其 の解 釈 一致 す べき や頗 る疑 問 で あ つて 、所 詮竜 頭 蛇 尾 に終
該 交 渉問 題 は斯 の如く 内 容調 査 の上 双方 の管 掌 を定 む る とし て も
と を王 督 弁 に取 次 ぎ 、之 れを 解決 す る為適 当 の方法 を講 ず る こと
適 当 の解 決 方法 は 次 回 の東 支株 主 総 会 に提 出 す る こと。
を要 求 す る こと 。 二
東 支 鉄 道 は 、支 那 と締 結 した る現 協 約 に反 し て不 必要 の土 地 を 使 用 し 、且 支 那 の主 権 を侵 害 し て居 ると いふ支 那官 憲 の主 張 に鑑
三
務 を執行して居り、東支鉄道 土地課も依然業務を執 つて居 るが、之
計課長張福齢以下科員 四名、書記四名、露語通訳二名 の陣容 にて業
を掲げた以上、表面 は依然強硬 の態度を持 し、総務科長鄂雙全、会
五 、北 京 政 府 の態 度
四 、領 事 団 に対す る哈爾 賓 紳 商 の陳 述
三 、東 支 鉄 道督 弁 王 景春 の態 度
三
二
一
兪
プ チ ヒ ユゲ ナ ン
オ スト ロ モフ
ダ ニレ フ スキ ー
弁
四
リ ヒ テ ル 第 八 、労 農 政 府 の態 度
会 五
一、 オ スト ロモ フ長 官 の見 解
第 七 、東 支 鉄道 側 の態 度
秘 庶務部調査課
れが為め借金人は金融逼迫 の折柄此 の露支抗争を幸 、殆んど借地料 を納付するも のがな い状態 である。 三七 大正十 二年十月十八日 庶 調情第六九四号 東支鉄道附属地移管問題 の真相並経緯 次
第 九 、白 党 露 人 の観 察
目 第 一、鉄道附属地行政 の沿革
第 十 、外 交 団 の抗議
三 、駐 奉 領 事 団 と孫 烈 臣 と の会見
二、駐 奉 領 事 団 の張 作 霖 に対 す る警 告
一、 北京 駐 在 四 国公 使 の通 告
第 二、東支鉄道 土地課 の内容 第 四、移管計画 の主謀者
四 、 米国 公 使 シ ユル マン の主 張
第 三、移管問題発生の素因並目的 第 五、支那側 の移管要求 の論拠 一、地方官憲 の態度
状
む ると共 に自治 制 の行 は れざ る地 方 の経 営機 関 とな し 、民 政部 長 の
其 の行政 機 関 と し て民 政 部 を置 き 、附 属 地自 治 制 の監 督 機 関 たら し
露 国革 命 前東 支 鉄 道 は 其 の附 属 地 に於 け る 一般 行政 権 を保 有 し 、
第 一 鉄 道 附 属 地行 政 の沿革
第 十 二、現
第 十 一、露 支 両 国新 聞 の論 調
第六、支那側 の態度 護路軍参謀長張煥相
二 特別区行政長官朱慶瀾
一
三 吉林督軍孫烈臣 四 護路軍総司令部冷参議 五 東 三省総司令張作霖 二、 カラ ハンの宣言 に依る影響
下 に民政 部 (警察 部 を含 む ) 土 地部 、交 渉部 、教 育 部 、 寺 院部 、新
成 立 迄 支 那 に於 て臨 時 掌握 し 、会 社 の権 限 は商 業 の範 囲 内 に限定 せ
を 見 る に至 つた。 其 の結 果 東 支 鉄 道 の管 理権 は将来 露 国 統 一政 府 の
て張 作霖 に叛 乱 を企 て、北 満 の形 勢 不穏 とな れ る機 に乗 じ支 那 側 は 、
更 に大 正 八年 七 月 、哈 爾 賓 及 南 部線 に於 け る鉄 道 従 事 員 の賃 銀問 ︹ 恩遠︺ ︹ 士賓︺ 題 に関 し同 盟 罷 業 勃発 し 、 一面 孟 吉林 督 軍 の股 肱高 中 将 が手 兵 を 以
内 に入 る る に至 つた 。
支 那側 は内 外 人 の保 護 並 秩 序 維持 に藉 口し 、初 め て其 軍 隊 を附 属 地
て東 支 鉄 道 側 の警 備 を不 可 能 の状 態 に導 き 、大 正 六年 十 二月十 八 日、
東 省 鉄 路督 弁 公 署 を設置 し 、該 督 弁 は東 支 鉄 道 条 約 に拠 り、鉄 道 弁
項 等 は 支那 側 の管 掌 に移 つた。 又 支 那側 にては 之 と殆 んど 同時 に、
が 新 設 さ れ る こと と な り 、附 属 地 自治 制 の監督 並 に警 察 に関 す る事
其 の結 果 東 支 鉄道 民政 部 は 廃 止 せ ら れ、 同 部 に属 し た る土 地 部 、 教
属 せ し附 属 地 の市 政 事 項 を 、 支那 側 に於 て管 理 す る こと を声 明 し 、
て、 東 省特 別 区市 政 管 理 局 を設 立 し、 従来 東 支 鉄道 民政 部 の管 理 に
て附 属 地 の司 法 権 を 回 収 し 、次 で大 正 十年 二月 五 日附 大 総 統令 を 以
更 に十 二月 二日 には東 省 特 別 区高 等 、地 方 審判 庁 の設 立 を見 、以
那側 の唯 一の論 拠 は 、此 の第 六 条 の存 在 にあ る こと であ る 。
な つた 。茲 に特 に注 意 を要 す る は今 回 の附 属 地移 管問 題 に関 す る支
ら れ (第 六 条 )、而 し て会 社 は露 支 両 国 民 を平 等 に使 用 す る こ と に
聞発 行 部 、 医 務衛 生 部 、 獣 医 防疫 部 を設 け て附 属 地 内 の行 政事 務 を 総 括 し て居 た。 然 る に露 国 の革命 は支 那 をし て対露 利 権 の回収 に好 機 を与 え 、 先 づ 鉄 道 長官 ホル ワ ツト将 軍 の駆 逐 策 と し て 、巧 に過激 派 を操 縦 し 労
沿 線 武 力 の充実 と其 の統 一に 一歩 を進 め 、八 月 一日 大 総 統令 を以 て
理 交 渉 一切 の事 務 を監 督 す る こと とな つた 。但 し 附属 地自 治 制 監督
工会 を使嗾 し て ﹁ホ﹂長 官 及 び、 其 与党 と の争 端 を滋 か ら し め、 以
哈爾 賓 に東 省鉄 路 護 路 軍 総 司令 部 を新 設 し 、沿 線 守 備 の実権 を手 中
越 え て大 正 九年 過 激 派 の勢 力東 漸 の結 果 オ ム スク政 府 滅 亡 し 、極
実 上 今 日迄 単 に自 治制 の監 督 を な す に過 ぎ ざ る状 態 に在 つた。
反 対 あ り、 為 に行 政 官 庁 た る権能 を充 分 発 揮 せ しむ る に至 らず 、 事
官 庁 とし て市 政管 理局 を 設 置 し た事 に就 ては 、当 時 既 に列 国 間 にも
育部 、 医務 衛 生部 、獣 医 防 疫 部等 を総 轄 す るた め 、総務 部 な る機 関
に収 む る こと と な つた 。
三 月 に至 り鉄 道 従 事員 及 政 治 団 体 等 三十 団 体 聯 合 の革 命 運 動 起 り た
第二
東 支 鉄 道 土 地 課 の内 容
ゆ る機 会 に於 て利 権 回収 を 企図 し つつあ る も の であ る 。
上 述 の如 く 支 那 側 は東 支 鉄 道 に対 し得 隴 望 蜀 の態 度 を以 て 、有 ら
東 に於 て も政 変起 り た る ため東 支 鉄道 地帯 は孤 立 の状 態 に陥 り 、 且
れば 、支 那側 は之 の機 会 を利 用 し、 武 力 を以 て 一挙 に露 国 警 察 権 の 撤 廃 、 鉄 道 守備 隊 の武 装 解除 を迫 り 、 三 月十 八 日遂 に其 の目 的 を達 し た。
貸 下 に関 す る事 項 、自 治 制 の設 定 な き附 属 地 に於 け る公 課金 の徴 収 、
東 支 鉄 道 土 地 課 は 、鉄 道 附 属 地内 に於 け る 地 区計 画 及整 理 、 土 地
共 に、新 に仏 国 の保護 下 に入 れ る露 亜 銀 行 と の間 に、東 支 鉄 道 の組
会 社 所有 林 場 の管 理等 を管 掌 し 、其 の取 扱 に係 る 一ケ年 の収 入少 く
斯 く て支 那 は露 国 公 使 の露 国 代表 権 を認 めざ る こ と を声 明 す る と
織 変 更 に関 す る暫 行新 協 定 締 結 の議 を進 め 、 十 月 二 日該 協 約 の調 印
と も約 二百 万 円 に達 し、 社 内 に於 け る 重要 な る機 関 であ つて課 長 は
せ ら れ 、其 の警 備費 と し て東 支鉄 道 会 社 より 毎年 約 四 百 万 円支 出
煥 相 中 将 を参 謀 長 とす る東 支鉄 道 護 路 軍 (実兵 数 約 一万 ) に警 備
さ れ て居 る が、 軍 隊 の俸 給 、食 糧 費 等 は支 那 側 の自 弁 に係 る た め、
其 の財源 に窮 し、 張 煥相 等 の支 那 官憲 は自 己 の利害 問 題 もあ り 、
土 地課 の管 理 に属 す る鉄道 附 属 地 の面積 は左 記 の如 く約 二十 万 町
問 題 の ゴ ンダ ツ チ であ る 。
歩 あ り 、而 し て之 れ を収 容 す る た め支 那 側 に支 出 した 金 額 は約 一千
洲 賓
里
三 、 七 二五 〃
一二 、 二 一九 〃
居 た こと。
四 、朱 行 政 長 官 の外 交顧 問 李 家 鰲 は 土 地課 長 ゴ ンダ ツ チを 排斥 し て
に於 て移 管 を希 望 し た る こと 。
れ る結 果 、 商 民 は不 尠 苦 痛 を感 じ居 り 、 上納 金 を軽 減 せ しむ る上
三、 護 路 軍 経費 の不 足 額 は勢 、地 方 支 那 商 民 の上 納 金 に依 り支 弁 さ
を 緩 和 せ む と し た る こと 。
多 額 の収 益 あ る土 地 課 を支 那 側 の管 理 に移 し 、 以 て涸 渇 せる財 政
満 爾 河
附 属 地 面積
万留 と称 へら れ て居 る。
哈 芬
四 、〇 〇 〇 町歩
綏 六 六六 〃 九 三、 八 七 〇 〃
に護 路 軍参 謀 長 の職 に居 り な がら 、 実際 上同 軍 総 司令 の権 能 を有
五 、 朱慶 瀾 が護 路 軍 総 司令 就 任 以 前 に於 て は、張 煥相 は孫 督 軍 の下
子
哈 爾 賓︱ 満 洲 里間 四〇 、 九 七 五 〃
城
綏芬河間
寛
〃︱
石 頭 河 子 林場
三 一、 五九 五 〃
七 三 、〇〇〇 〃
八 五 、 三 七〇 デ シヤ チ ー ナ
の勢 力 を 拡 張 せ む と図 り たる こと。
ため 、 張 は 土 地課 を乗 り 取 り自 ら之 に長 と な り、 其 の方 面 に自 己
ま り 、往 時 の如 き羽 振 り が利 かず 両 者間 に は反 目 の気 味 が あ つた
し 頗 る得 意 であ つたが 、今 は朱 大 将 の下 に ては 一参 謀 長 た る に止
五 一、 四 六 七 〃
二〇七、〇 二二
長春 間七
計
〃︱
合
〃
チ ヨー ル〃
右 の外左 記 三箇 所 の林 場 あ り 一
松花江
六 、土 地 課 長 ゴ ンダ ツ チは 極東 総 督 時 代 甚 だ し く支 那 人 を虐 待 し 、
三
に排 斥 され 居 る こと。
土 地課 長 とし ても支 那 人 側 に対 し不 公 平 の処 置 あり と て、支 那 側
移 管 問題 発 生 の素 因 並目 的
一八 九 、 九 六 五〃
二
計 第三
合
支 那 側 が今 回 の挙 に出 た こと に付 各種 の情 報 を綜 合 す る に、 概 ね
政 上 に も及 び、東 省特 別 区 に於 け る支 那 側 の統 治 に牴 触 す る も の
は純 然 た る営 業 の範 囲 に限 ら る べ き筈 な る に実 際 は 、其 の権 限 行
七 、 一九 二〇 年 の東 支鉄 道 続 訂 契約 第 六条 に拠 れ ば、 土 地課 の業 務
一、近 時 益 々熱 度 を加 へつ つあ る支 那排 外 熱 の発露 。
であ る と の論 調 は 、支 那 官 憲 を 共鳴 せ しめ た る こと 。
左 の事 情 が其 の素 因 を成 し て居 る。
二 、東 省 特 別 区即 ち東 支 鉄 道附 属 地 内 外 は朱 慶 瀾 を 総 司令 と し、 張
側 は 之 を圧 迫 し て此際 可 及 的 自 己 の勢 力 を会 社 内 部 に扶 植 し て利
八 、東 支鉄 道 露 国側 幹 部 が白 党 に属 し 、孤 立 無援 な る に乗 じ、 支 那
にあ る。
政 長 官 は職 掌柄 、当 の責 任 者 と し て飽 迄 矢 面 に立 た ねば な ら ぬ立 場
監 察 役 楊 卓 も関 係 し た こと は事 実 の様 であ る 。何 れ にし ても 、 朱行
支那側 の移管要 求 の論拠
支 那 側 が鉄 道附 属 地 の移 管 を要 求 す る主 な る論 拠 は左 の二点 に在
第五
権 を獲 得 し置 かん と し 、労 農 側 は現 幹部 追 払 策 と し て寧 ろ、 支 那 側 の此 の圧迫 を歓 迎 す る傾 が あ つた こと 。
一、東 清 鉄 道 条約 第 六条 の解 釈
る。
九 、露 支 会議 前 支 那 側 は東 支鉄 道 問 題 に対 し 予 め 、支 那側 に有 利 な る地 歩 を 占 め置 か ん とす る魂胆 あ り、而 し て カ ラ ハン来 支 の報 道
ツ チを 排除 し て、彼 の管 掌 す る土 地 課 を乗 取 り 自 ら 其 の局 長 たら む
事 、浜 江道 尹 、 特 別 区高 等 審 判 長 歴 任) が年 来 相 好 か らざ る ゴ ンダ
該 問 題 は元 来 東省 特 別 区 行 政 長 官 公署 外 交 顧問 李 家 鰲 (浦 塩 総領
地 にし て直接 営 業 に関 係 あ る地 所 に限 定 し 、其 以 外会 社 は営 利 のた
造 、 経 理 の字 句 を狭 義 に解 し 、線 路 用 地 、 駅、 事 務 所及 宿 舎 等 の敷
て該 会 社 よ り 地主 に地 価 を支 払 ふ べし ﹂ と あ るを 、支 那 側 は 此 の建
を納 む る を要 せず 。 民有 地 な ると き は 時価 に依 り 一時 又 は年 賦 を以
す る 地所 に し て、官 有 地 な る時 は清 国 政府 よ り之 れ を下 附 し 、地 価
る地所 、 又 は鉄 道附 近 に於 て沙 土 、石 塊 、石 炭等 を開 採 す る た め要
該 条項 中 ﹁東 清鉄 道 会 社 が鉄 道 を建 造経 理 し防 護 す るた め 必要 な
に該 計 画 の決 行 を促 した る こと 。 而 し て移 管問 題 の目 的 は 土 地 課 の収 入 捲 上 げ を実 益 とす る対東 支 鉄道 利 権 回収 に在 る と観 ら れ て居 る 。
と の野 望 を懐 き、 特 別 区行 政長 官 朱 慶瀾 に之 を献 策 し た こと が動 機
め人 民 に貸 下 げ居 る如 き 土 地 は、 該 条 約 の適 用 外 に属 し会 社 が之 を
移 管計 画 の主 謀 者
で あ つて、張 煥 相 も 亦 自 己 の栄 達 を図 ら ん が ため 同 様 の宿 望 あり 、
り収 用 した も のな れば 、 之 れ を 回収 し支 那 にて管 理 す べ き も の であ
収 用 す べき も のでな い、殊 に斯 か る土 地 は殆 んど 半強 制 的 に支 那 よ
第四
李 と共 に之 を朱 長 官 に勧 告 し た る た め、 朱 は深 く 事 理 を 考究 せず 其
る、 而 し て斯 か る土 地 を収 用 し た際 代 償 と し て金 を支 那 に支 払 つて
の意 見 に盲 従 し て之 れを 張 作霖 に申 請 し 、 更 に張 煥 相 は 奉 天 に赴 き
蓋 し拡 張 し得 べ き鉄 道 附 属 地 の限 度 に就 ては支 那 側 の主 張 をも 尊
居 る証 拠 が あれ ば 、之 れを 返 還 す る と言 ふ ので あ る。
重 す べ き余 地 があ り とす るも 、既 に相当 の買 収費 を支 出 し て 双方 合
直 接 張 作 霖 に陳 述 し て諒 解 を 得 、張 作 霖 は 朱慶 瀾 に許 可 を 与 ふ る こ
即 ち問 題 の主謀 者 は李 、 張 であ つて、 策 士張 煥 相 は発 頭 人 た る李
意 の上収 用 し、 而 か も 二十 五 ケ年 間 無 事 経 過 し来 れ る附 属 地 に対 し 、
と と な り、 朱 は遂 に之 れ を決 行 す る に至 つたも の であ る。
を 出 し抜 き自 ら表 面 に現 は れ た る画 策者 と なり 、遂 に目 的 通 り 地 畝
ては 、東 支 鉄 道 側 は勿 論 列 国 間 に於 ても絶 対 す る処 であ つて、 之 れ
既 往 に溯 り非 法 と し て突 如 之 れを 回 収 せ ん とす る が如 き 暴挙 に対 し
管 理 局 長 を命 ぜ ら れ る に至 つた も ので あ る。 又 張 煥 相 は該 問 題 に就 き 日頃 露 国 側幹 部 の態 度 に飽 き足 らず 思 つ
︹反 対︺
て居 る。東 支 総 〓 王 景 春 に謀 り た るは勿 論 であ つ て、東 支 鉄 道 会 社
がため其 の国際信義 を疑 はれ居る有様 である。
右 に関し東 三省保安総 司令 は鉄道庁附属土地課 の取消 を電命 して
即ち ﹁ 東支鉄道会社の 権限は商業 の範 囲 に限定し、政治 に渉 る 一切
民国九年十月露亜銀行 と支那政府間 に締結 せる続訂契約第六条、
地 にして合法 のも のは 一切之 を有効 とし て継承す。又従来 の露国職
反 せぬも のは、斟酌 して鉄道庁 に存置すべく、各国人民 に転貸 の土
但 し従来土地 の管掌事項中 専ら営業 に属する部分 であ つて契約 に違
相 を以 て局長を兼任 せしめ、本年八月 一日より之れが引継を行 ふ。
来 たに依 つて、本署は東省特別区地畝管 理局 を設置し、鎮守使張煥
の行為は之を禁止 し、而して支那政府は随時厳重 に取締る こと﹂ の
二、東支鉄道続 訂契約第六条 の適用
条項ある に拘 らず、東支鉄道土地課 が、附属地内 に於 て実施 しつつ
に各官庁 に告知すると共 に中外商民 一般 に布告す。
瀾
員 は特別区地畝局 の指示 を受け、従前通 り業務を継続せしめるσ茲
慶
ある業務 は、支 那側行政長官 の職権 を侵害するもので、右 は該条項
朱
﹁今 回地畝管理局を設立した のは、公理より出 たも ので、決して
之 れは支那側 に於 ける代表的主張 と観 られる。
尚張煥相 が八月 二日哈爾賓四領事団 に対し左 の如く論述したが、
東 省特別区行政長官
中華 民国十 二年 七月 二十九日
に基 き当然之れを特別区行政公署 の管理 に移す べきも のであるとい ふ のであ る。 右 の理由 の下 に朱行政長官 は先づ七月二十九日附 を以 て左記布告 を為した。 東省特別区行政公署布告
土地を整 理し、其 の権限 を分 たんためであつて、外国人 の正当 なる
露 人を軽視 し、其 の権利を侵害 する意 ではな い。鉄道局 に対 しては
東支鉄道督弁公所 の来翰、竝六月 二十日附東 三省保安総司全 米電 に依 れば、東支鉄道附属地 に於 ける行政事務 は、既 に特別区行政公
蓋し民国 九年続訂契約成立 の結果、該鉄道処長等 は露支両国側 よ
借地契約 に対しては引続 き有効 とするものである。
署を特設管理 せしめて居 る。然 る に同長官と東支鉄道土地課と の権 限 に重大 なる齟齬あり、且旧条約中 には土地主権 は完全 に中国地方 官庁 に属する旨規定して居 る。故 に完全 なる計画準備 を為したる上、
り平等 に任用されること にな つた筈なる に、正処長 は専ら露 人を採
侵 して勝手 に土地 の処分を行ふ様 にな つた。抑 も鉄道用地 には 一定
も のは之 れを実行せず、然も漸 次帝国主義を発揮し、我国 の主権を
用 し、副処長 に漸く支那人を当 らしめ る等 の状態 で、支那側 の得 た
査す るに土地課 の業務を多 く行政事項 に属す。東 支鉄道管理続訂
の限度 がある。事務所、駅、職 員宿舎、材料置場、倉庫等 の用地は
処 は唯第六条 の利益 のみとな つた。然 るに露国側は支那側 の利ある
第 六条 に依れば、将来 に於 ける東支鉄道 会社 の権利及義務 は、厳重
鉄道事務 上当然必要 のものであ るが、商業経営、 一般人民民住地、
とのことである。
に商業 の範囲 に制限 されて居 る故 、之 に牴触す るも のは該続約 の趣
鉄道当局 に対し て該 鉄道土地課 の取消を提議し、其 の 一切の業務を 行政長官 に於 て管理し、且土地課 の職掌を謄写して本署 に送付 せよ
旨 に基 き処弁すべきである。
此 の外 張 作 霖 、朱 行 政 長官 、孫 吉 林督 軍等 支 那 地 方官 憲 の主張 も
之 れを衍 し た に過 ぎ ぬ。 要 す る に前 記続 訂 契約 第 六 条 及原 条 約第 六
︹マ
或 は営 利 の為 め に貸 下 ぐ る土 地等 は条 約 上収 用 し 得 べ き も ので な い。 マ︺
今 該 会 社 の収用 す る土 地 を計算 す る に、其 の十 七 分 の五 は経 理 、法
支 那側 の態 度
線 、土 砂 、 石塊 、 石炭 採 掘 等 の土 地、 其 余 の十 七分 の十 二は悉 く之
る。
該 問 題 に関 し直接 関 係 す る主 な る支 那官 憲 の態 度 は次 の如 く で あ
一、 地 方官 憲 の態度
第六
条 が唯 一の論 拠 と な つて居 る 。
を 人民 に貸 付 け て居 る 。而 し て支 那 人 に貸 付 け ある も のも益 々地代 を増 徴 し 、 租借 地 内 よ り強 制 的 に引 越 させ様 とし て居 る。 又附 近 の 未 建 設 の地 には村 落 を 設 け て貸 付 け、 然 も支 那 人 には貸 付 け を肯 ん ぜず 、 之 れを オ スト ロモ フ村 、 ゴ ンダ ツ チ村 等 と名 付 け、表 面鉄 道
別 区内 の民 事 を該 公 署 に於 て露 支 両国 民 に公 平 に取 扱 ふ こと と な り、
支 那 は如 斯苛 政 に対 し遂 に特 別 区行 政 長官 公 署 を 設置 し、 以 て特
件 が中央 政 府 の問題 と な る様 な こと が あ つ ても、 支 那 側 とし ては依
し、 書 類 に封 印 す る が如 き は其 の理由 を解 す る に苦 し む。 若 し も本
張 煥 相 は ﹁該 問題 は全 然 内政 に関 す るも の で各 国 領 事 が之 に干 渉
護路 軍 参 謀長 張 煥 相
支 那 の土 地 行政 権 竝 各 国在 留 民 利 益保 持 の見 地 より 已 む を得ず 地畝
き本 社 の命 令 がな け れば 移管 を承 認 し難 いと言 ふも 、行 政 長官 は理
然 公 明 の立 場 にあ る も のと信 ず る。 又鉄 道 庁側 は理事 会 の決議 に基
一
管 理局 を設 立 し、 主 と し て其 の任 に当 ら し め、 会 社 と支 那 側 と の権
用 地 に為 す も実 は露 国 の植 民 地 を設 置 し て居 る有 様 であ る。
限 を分 劃 し、 且 つ契 約 に違 反 せ る用地 の管 理 を 回収 す る こと と な つ
る﹂ と 強硬 の態 度 を持 し て居 た が、 今 日 の如 きデ リケ ー ト の問題 と
た も の で ある 。又 地 畝 管 理局 設 立 の議 は、 六月 下 旬 上 司 の電 命 に依
な つては、 全 く 進 退両 難 の苦 境 に陥 り 、兎 に角 領 事 団 の顔 も 立 て支
にし て強 て移 管 に反 対 せば 、 日 を限 り彼 等 に退 去 を 命 ず る迄 で あ
運 と な つた ので あ る。 但 し此 の局 を設 け ても各 国 人 従来 の正 当 な る
那側 の体面 も毀 損 せ ぬ範 囲 にて鉄 道庁 と、適 当 の妥 協 点 を発 見す る
事 会 の命 令 に聴 従 す る必 要 を認 め ぬ。若 し ﹁オ﹂ 長 官 及 ゴ ンダ ツ チ
借 地契 約 は、 引続 き有 効 であり 、 又鉄 道 庁 と の間 に契約 し た人 々 の
り 計画 し たも ので あ るが 、事 重 大 な る ため慎 重考 慮 し 今漸 く 発表 の
借 地 は、 支 那 側 も従 来 通 り貸 与 す る も の で、唯 管 理 者 の異 動 に過ぎ
に苦 心 し居 る有 様 で あ る。然 し支 那側 の地 畝局 の取 消 は絶 対 に為 さ
議 と 分離 し地 方 的 に哈 爾 賓 に於 て解決 せん と し て居 る 。
ず 、 多 少其 の権 限 を按 配 せ ん とす る意 嚮 窺 は れ、 又 該問 題 は露 支 会
ぬも の で ある 。 尚 手 続 き に於 て不 法 な り と の非難 も聞 く が 、行 政 長官 は特 別 区 の
二
最高 官 で あ つて 、地 畝 管 理局 は 特 別区 行 政長 官 の管轄 に属 す る も の
八 月 二十 三日彼 は哈 爾 賓山 内 課長 に話 し た意 見 は概 ね左 の如 きも
特 別 区 行 政長 官 朱 慶瀾
であ れば 、 朱長 官 は続 訂契 約 第 六条 中 ﹃行政 事 項 に亘 る は禁 止 し厳
の であ る。
重 取締 る べし﹄ と の条 件 を履 行 す る も の で、禁 止 施 行 の機 関 と し て 毫 も違 反 行 為 と は認 め ぬ。 ﹂
際 必要 の土 地 は 従来 の儘 土 地 課 に於 て取扱 ひ、 鉄道 に不 用 の土 地 の
社 に対 し 、支 那 の主 権 を行 使 した に過 ぎ ぬ のに領事 団 の干 渉 は不 可
態 度 は 朱 に比 し 一層 強 硬 で あ つて 、支 那 の管 轄 下 に於 け る 一営 利会
該 問 題 に対 す る孫 督 軍 の意 見 は朱 慶 瀾 と略 同 様 で あ るが 、其 対 外
吉 林 督 軍孫 烈 臣
み今 回新 設 の地 畝 局 に於 て管 理 す るも ので あ る。而 し て其 の回収 す
解 であ つて若 し、外 国 人 側 及鉄 道 庁側 が之 れ を理 解 せ ぬ と あれば 其
三
る土 地 に て会 社 が之 を収 用 当 時 地代 を払 つた証 拠 が あ れば 、無 論 地
大 体 は行 政 公 署 の布 告 通 り であ る。従 つて回 収 と い ふも鉄 道 に実
代 は返 還 す る積 り であ る 。即 ち 回収 す る土 地 の主 権 が支 那 側 に移 る
れ迄 であ る と主 張 し 、妥 協 的方 針 を採 る意 思 がな い模 様 で ある 。
更 に同 氏 が松 井 少将 に語 つた左 の談 話 に依 て彼 の態度 を知 る こと
のみ で従 来 の合 法 的契 約 は総 て有効 と認 め 、唯 移 管 の結 果 地 租等 は
に反 し で附 属 地 を拡 張 し、 我主 権 を侵 害 し た か ら で あ つて、 在 住 民
し 露 支窮 民 を虐待 し私 利 を図 るた め 、人 民 より 屡 々怨 嗟 の声 を聞 く
件 の如 き問 題 を惹 起 させ た人 物 にて、 現今 猶 彼 は悪 辣 な る手段 を弄
土 地課 長 ゴ ンダ ツ チは極 東 総督 時 代支 那 人 を虐 待 し、 六十 四屯事
が出 来 る。
に何 等 影 響 が及 ば ぬ極 め て公平 の処 置 であ る の に、領 事 団 では オ ス
有 様 であ つて、 土 地課 移管 に関 し領 事 団 の干 渉 を 見 る に至 つた のは
元 来 此次 附 属 地 を回 収 す る こと にな つた のは 、露 側 で条 約 や契約
支 那 側 の地 畝管 理局 に納 付す る こと になる 。
ト ロモフや ゴ ンダ ツ チ等 の白 党 露 人 の主張 のみを 信 じ て、 土 地課 の
不 思 議 であ る。 又 七月 三 十 日移 管命 令 を発 し、 八 月 一日 より之 を実
施 し た支 那側 の行動 を非 難 す る向 も あ る様 であ る が、土 地 課移 管 に
書 類 を封 印 す る如 き は其 の意 を得 ぬ 。殊 に日本 は 口 に日支 親善 を唱
東 支鉄 道 購 地契 約 に拠 れ ば、 其 の買 収 地 は鉄 道 に必 要 な るも のに
関 し ては既 に二ケ 月 以前 鉄道 庁 に通 告 し て居 る。 然 る に彼 等 は何 等
へな が ら、今 回支 那 側 の言 を毫 も信 ぜ ぬ のか 不可 解 であ る。
適 当 の処 置 を執 らず 放 任 し て居 るも のであ る。 外 国 側 に予 告 せ ぬ と
の論 評 も 耳 にす るが、 之 れ 元来 支 那内 政 上 の事 で、 支那 の管 轄下 に
て居 る 。然 る に鉄 道 庁 は 必要 以 外 の土 地を占 有 し居 る のみ ならず 、 正 当 借 地権 あ る支 那 人 を追 払 ふ例 さ へ屡 々耳 にす る の で、之 等鉄 道
も特 別 区 内 に於 け る諸 外 国 入 に対 し 従来 と何 等 異 る影響 を及 さず 、
在 る 一営利 会 社 に対 し、 支 那 の主 権 を行 使 し た に過 ぎ ぬ 。其 の内 容
限 る こと及 長 期貸 付 不 可能 にて且 永遠 に拡 張 出来 ぬ こと に規 定 さ れ
用地 以 外 の土 地 を支 那 側 に移管 す るも ので、決 し て不 合 理 で はな い
を 免 ぜら れ た が、東 三省 総 司令 と し て立 派 に統 治 権 を行 つて居 ると
之 れは極 め て形 式 に拘 泥 し た も の で、張 作霖 は北 京 政府 より 巡閲 使
行 政 長 官 は北 京 政 府 の正 式 任命 し た も の に非 ず と謂 ふ者 も ある が、
其 の儘 継 承す るも のなれ ば之 れ が通告 の必要 を認 め ぬ 。更 に特 別 区
と信 じ て居 る 。 斯 如朱 は 該問 題 に対 し強 硬 の態 度 を持 し 、張 作 霖 の不徹 底 な る態
又 今 回米 国公 使 シ ユル マ ンが哈爾 賓 に於 て該 問 題 に関 し支 那側 に
同 様 の理屈 であ る 。尚 露 人側 に対 し ても 入道 上 の博愛 精 神 に基 き公
度 を心中 不満 に思 つて居 る様 であ る 。
は彼 の強 硬 の態 度 を 裏書 す るも ので あ る。
不 利 の演 説 を為 し た際 、彼 は非 常 の憤 怒 を 以 て公 使 を 攻撃 し た こと
平 の立 場 に於 て、 其 の生命 財産 の保 護 に任 ず るは勿 論 であ つて、鉄
チを罷 免 し李 家 鰲 を 其 の後 任 た ら しめ 、張 煥 相 は問 題 を惹 き起 せ る
し 、 以 て外 交 団 の抗 議 を避 け以 て他 日交 渉 の余 地 を残 し、 ゴ ンダ ツ
あ るも のと観 察 せ ら れ て居 る様 であ る 。
発 頭 人 と し て適 当 の個 所 に転 ぜ しむ る意 嚮 あり と の風 説 が、 可能 性
道 庁 幹部 に対 し ても手 荒 き処 置 に出 つ る如 き こと は せ ぬ。 四 護 路軍 総 司令 部 冷 参議
三
二
露 国 が帝 政時 代 侵 略 手段 を以 て支 那 よ り取 得 し た る土 地 は全 部
支 那 に於 で露 国商 人 の獲 得 した る諸 種 の特権 及 露 国官 民 の治外
団 匪 事件 の賠 償金 は完 全 に支 那 に還 付 す 。
は悉 く 無報 酬 にて支 那 に還 付 す。
東 支 鉄道 其 他満 洲 地方 に於 て、 支 那 より 取 得 し た る諸 種 の利権
之 を抛 棄 し 、該 土 地 の統 治 に関 し ては該 地住 民 の自 決 に任 かす 。
一
を以 て 、左 記 条件 の下 に通商 講 和 を為 さむ こと を提 議 し た。
一九 二〇 年 春 、労 農 政 府 は支 那 政府 に対 し 外交 委 員 カ ラ ハンの名
二、 カラ ハ ンの宣言 に依 る影 響
該 問題 は支 那 の領 土 内 に於 け る 一営 利 会 社 に対す る支 那主 権 の行 使 に過 ぎ ぬ。 従 つて将 来 中央 に於 け る外 交 上 の問 題 と は なら ぬ筈 で
露国 政 府 な るも の は未 だ全 然 列 国 よ り承 認 さ れ て居 らず 、東 支 鉄
あ る。
道 は 民国 九 年露 亜銀 行 及 支那 政 府 間 の契 約 に依 り 一営利 会 社 にな つ た も の で、東 三省 自治 の状 態 に在 る今 日 、総 司 令 張作 霖 の指 示 に基 き行 政 長 官 の命 令 を以 て、 支 那 の主 権 行使 に障 碍 あ る不 合 理 な る点 を改 め る も の で、東 支 督 弁 王景 春 が之 に同 意 し た 以上 形 式 に於 て、
東 三省 総 司令 張 作霖
土 地 課 の継 承 は成 立 し たも ので あ る、 と主 張 し て い る。 五
而 し て右 に関 し て は冒 頭 に於 て資 本主 義 の羅 絆 より 離脱 し、 人類
法 権 は撤 廃 す 。
を仰 いだ も のな ら ん も、 彼 と し て も露 支 交 渉前 東 支 鉄 道 に対 し 可 及
自 由 平等 の為 め嫌 ふ べ き労農 政 府 の主 義 を陳述 す るた め、 支 那国 民
四
的 有利 の地 歩 を占 め置 かん とす 宿 望 あり 、 偶 カ ラ ハン来 支 決 定 の報
該 問題 は元 来 在 哈爾 賓 支 那官 憲 等 の企 図 に出 で 、張 総 司令 の裁 可
道 は次項 の如 く愈 々其 の決 意 を促 し、遂 に之 を 哈爾 賓 の地方 官 憲 よ
の少 な か らず 、 政府 と し ては当 時何 等 態 度 を表 明 せな か つた が 、該
は義 侠 的行 為 とし て之 を賞 讃 し、 労農 政 府 を 承認 す べし と論 じ た も
︹マ マ︺
り断 行 せし め た も のと観 測 せら れて居 る が、問 題 紛 糾 し て今 や之 が た め自 己 の立場 を失 ふ如 き場 合 と な つた ので、 老 獪 な る彼 は領 事 団
に動 いた が、 聯合 国 の手 前自 重 の態度 を採 る こと にな つた の であ る。
兎 に角 該 宣 言 は 支那 が東 支鉄 道 に対す る利権 回収 に好 言 質 を 与 え た
提 案 を衆 議 院 に廻付 附 議 せし め、 利権 回収 の甘 言 に眩惑 し て食 指 大
自 己 の責 任 を軽 減 せし め む とす る傾 向 があ る が、 自 己 と し ても既 に
も の で、而 も 今 回露 支 交 渉 に関 し 御本 尊 の ﹁カ﹂ が派遣 せら れ た こ
に対 し て は巧 な る遁 辞 を 以 て之 を 哈爾 賓 に於 け る地 方問 題 と な し、
抜 いた刃 は其 の儘 納 む る訳 にも 行 かず 、張 煥 相 等 に命 じ支 那側 の体
とは 該鉄 道 問 題 を解 決 す る 上 に於 て最 も好機 とす る処 であ り 、 且東
三 省側 に於 て は彼 が、 北 京 に赴 き該 問 題 を協 定 す る 以前 に於 て、 同
面 を損 せ ぬ限 り に於 て之 が切 抜 策 を講 ぜ し め つ つあ る有 様 であ る。 而 し て之 が妥協 策 とし て別 項 ( 第 十 二) の如 く 土 地課 を本 社内 に移
償 還 に依 り放 棄 せ ら るべ き も のた る こと を約 し て居 る が、 同項 は光
契 約 第 二条 に於 て東 支鉄 道 の財 産 とな り居 る土 地 は、 買 収価 格 の
緒 二十 二年 露 支 両国 相 互間 に成 立 し た基 本 契約 に関 係 し、 該 契約 第
鉄道 に対 し優 越 の地歩 を占 め置 く の有 利 な る を痛 感 し 、土 地移 管 問
三、東 支 鉄道 督 弁 王景 春 の態 度
以 上 に依 り会 社 は前 記 目的 以 外 の土 地 に対 し、 自 己 の自 由意 志 を
る ﹂ と記 載 され て居 る。
会 社 は必 要 に応 じ、 之等 の土 地 を自 由 に処 理す る権 能 を譲 渡 せ ら
を供 給 す る為 め必 要 な る線 路附 近 の土 地 は会 社 の為 め に提 供 せら れ、
六 条 にて極 め て明 白 に ﹁鉄道 建 設 、 運転 、 線 路保 護 及砂 石 、 石炭 等
題 を断 行 す る に至 ら し め た も のと観 察 され て居 る。
七 月 三十 日 王景 春 及 兪 人鳳 は連 名 を 以 て オ スト ロ モフ長 官 に左記
七月 二十 日鄙 人 は保 安 総 司 令張 作 霖 より次 の電 報 を受 領 し た。
通 告 を発 した 。
東 支 鉄道 附 属 地 の管 理事 務 に関 し ては、 曩 に特 別 区行 政長 官 の職
以 て之 を 処 理す る の権 能 な く、 又 擅 に土 地 の用 途 を変 換 す べき も の
を制 定 した 。故 に現 に存 在 す る土 地課 の権能 及活 動 は該 行 政長 官 の 権 威 を侵 害 す る も の であ る のみな らず 、地 方 管理 の事 務 は総 て地方
で な い こと を知 る べく 、 土 地課 の職 務 は契 約 に違 反 す る も の であ る。
以 上 の見 解 及 七月 二十 日附張 総 司 令 の来 電 に依 り、 鄙 人 は将来 材
主 権 者 の専 行 す べき も ので 、鉄 道 建 設 に関 す る契 約 に対 し ても其 の
れ たる土 地 に対 し て のみ 、私 用 に供す る こと を得 べ き であ つて、 土
料 供 給等 の ため鉄 道 其 のも の に必要 に て且 、行 政長 官 より 許可 せら
存 在 は 矛盾 す る こと明 白 であ る。 斯 の如 き権 利 侵害 に対 し余 は 土 地課 の全 廃 及 土 地管 理 に対す る全
王
人
景
鳳
春
に拠 つて努 力 し つつあ る は勿論 で あ る。 近来 各 方面 に於 て種 々 の誤
今 回土 地 課 回収 の件 に就 て は鄙 人 等 国家 の主 権 を重 じ 、当 然 の道
東 支 鉄 道督 弁 公所 布 告
斯 く し て督 弁 公 所 に ては 左 の布 告 を為 す に至 つた 。
兪
貴官 が右 に達 し 必要 な る訓 令 を出 さむ こと を要 請 す 。
な つた。
下 に地 畝 管 理局 を設置 し 、張煥 相 に其 の局 長 を兼 掌 せ し む る こと と
鄙 人 の電 報 報 告 に対 し 、張 作 霖 は 八月 一日 よ り特 別 区行 政 長官 の
地 課 は廃 止 す べき も のと認 む。
事務 を、行 政 長 官 の独 占的 職 務 た ら しむ る為 め、 鉄道 庁 に対 し適 当 な る方 法 に付 て考 慮 せむ こと を要望 す。而 し て貴 官 の提 案 及 努力 は
ら れた し。
朱 行 政長 官 の方 策 と 一致 す る様 全 力 を尽 し て其 の目 的 の遂 行 を期 せ
其 後 朱長 官 と 共 に土 地 課 の業 務 に関 し詳 細 取 調 べ た処 、其 の業 務 は概 ね地方 自 治機 関 の管 理 す べ き業 務 に属 し、専 ら 地方 行政 執 政 者 の管 掌 た る べ きも ので あ る こと が判 つた 。依 つて現 に鉄 道 の財 産 と され てあ る土 地 は 、 当 に契 約 文 と 一致 調 和 せ しむ べ き も のと思 惟 す 。 尚 本件 に付朱 長 官 の意 見 を求 め た が左 の如 く 語 つた 。 予 は土 地 課 の職 権 は 大都 分 行 政 長官 に返 還 せ ら るべ き も のた る の
の業 務 には関 係 な きも のと認 む 。
みな らず 、 土 地課 の業 務 は行 政 機 関 の主 権 を侵 害 し、而 も鉄 道本 来
訂 契約 第 六条 に依 り厳 重取 締 を な す 必要 があ る。
旧露 国 の東 支 鉄 道 に於 け る殖 民 政 策 は極 端 な る侵 略 主 義 にて 、
く も の と観 察 され て居 る。 茲 に顧 外 交 総 長 の観 察 を示 せげ 大 要 左 の
今 回 の行 為 は 地 方 に悪 例 を残 す も の で、 支 那 を し て無 政府 状 態 に導
の如 き行 為 は 当然 大総 統 若 く は其 の代 理者 の為 す べき権 限 であ り、
を し て居 る。 即 ち其 行 為 は中央 政 府 の職 権 を侵 害 し た も の で、斯 く
め北 京 官 界 の有 力 者 は、 該問 題 に対 す る満 洲支 那 官 憲 の行 為 に反 対
華 府 会 議 に支 那 代 表 と し て出 席 し 、 条 約 に調 印 し た顧 外 交総 長 始
五、 北 京 政 府 の態 度
め行 へる芝居 な り と伝 へら れ て居 る。
解 を醸 し居 る が其 の経 過情 形 判 明 せば 自 ら了 解 す べ く 、敢 て弁 護 す
春
斯 く の如 く であ るが 一説 に は右 は紳 商 等 の自 発的 に出 た も のでな
景 鳳
る ま で もな い。要 す る に現在 進 行 中 の方 針 は唯 国 家 主 義 に基 く も の
王 人
く 、 張煥 相 は民 論 に基 き移 管 問 題 を 主 張 し た こと を裏 書 せ し む る た
東 支 督 弁 公 所 兪
な れ ば将 来 如何 な る結 果 を来 す と も各 界 の人士 宜 し く 諒 せ ら れ た い。
四、領 事 団 に対 す る 哈爾 賓 紳 商 の陳 述 該問 題 に関 し哈爾 賓 紳 商 は 、 同 地 日 、英 、 米 、仏 領 事 に宛 て 左 の
つて差 当 り最 も政 治 的意 味 を含 む 土 地課 に厳 重 な る取 締 を為 し其
支 鉄道 土 地課 の回 収 を急 いだも ので あ る。 然 し其 の行 為 は華 府 条 約
露 支 会 議 開 催 のた め労 農 露 国 代表 が来 支 し た た め、 奉天 官 憲 は東
如 く で あ る。
な く 、 宗 主権 を有 す る中 国 人 に対 し 差 別的 待 遇 を為 す は宜 し く な
及 一八 九 六年 の東 清鉄 道 条 約 に違反 し たも の で、之 が ため支 那 政 府
を 難境 に陥 れ、 露 国 に支 那 の侵 略 的行 為 を非 難 せ しむ る動 機 を与 へ
此 の行為 は 一九 二 〇年 の支 那 大 総 統 の命 令 竝 華府 会 議 の協 定 に基
たも ので あ る。
く 支 那 の東 支 鉄 道 管 理 権 を失 は しむ る に至 るも ので あ り、 且条 約 違
反 は列 国 及労 農 露 国 の支 那 に対 す る信 用 を失 墜 せし む るも ので あ る。
合 理 的 で あ つた が 、列 国 領 事 団 の誤解 を招 いた のは遺 憾 であ る。
局長 張 煥 相 は 命 を奉 じ誠 意 を 以 て協 議 し事情 を説 明 し た こと は
団 の抗 議 に関 し、 該 問 題 の内 情 を知 悉 す る必 要 あ る に つき事 件 の内
府 とし ては関 知 せざ る処 な り と逃 げ 、 一方 奉 天 官憲 に対し ては外 交
し 、右 に就 て は奉 天 地 方 官憲 よ り何 等 報告 に接 し 居 らず 、 従 つて政
尚 外 交 部 は北 京 外 交 団 よ り該 問 題 に対 し警 告 を 与 へられ た る に対
土 地課 の職 掌 と 地方 行 政 と は 相抵 触 す るを以 て、 地 方 政府 は続
居留 民 と の間 には 、外 交 問 題 を 生 ず る様 の こと は な い。
各 支 那 居 留 民 の合 理的 契 約 に依 る も のは 、総 て有 効 な れ ば外 国
地 は従 来 通 り 鉄道 庁 の直 接 管 理 に属 せし む る も の であ る 。
然 し成 る べく現 状 を維 持 せ ん た め林 場 、 及鉄 道 営 業 に必要 な用
る は純 然 た る政治 行 為 と 認 め る 。
鉄 道 営業 に必要 な る土 地 以外 の土 地 を 、 土地 課 にて 公然 管 掌 す
い。
土 地 課 は 土 地 の貸 付 を為 し、 行 政 事 務 を執 行 し て居 るば かり で
の権 限 を縮 少 す べき であ る。
華 府 会 議 の精 神 に悖 り極 東 平 和 の前 途 を危 く す る も の で あ る。依
事 情 を 具陳 し諒 解 を 求 め た。 一
二
三
四
五
六
右 に依 つて観 れば 北京 政 府 に於 ては、 奉 天側 官 憲 の政 府 を 無視 し
容 詳 細報 告 方 電 命 し た 。
東 支 鉄 通 側 の態 度
た る僭越 的 行 為 に対 し反 対 し て居 る ことは 明 か であ る 。 第七 一、 オ スト ロ モフ長 官 の見解 七月 三 十 日朱 行 政 長 官 の布告 竝 王督弁 の通 告 に対 し ﹁オ﹂ 長 官 の
斯 か る強 制 的 挙 動 は非 文 明 的 で あ つて、 第 三 者 の権 利 を侵害 す る
も ので ある か ら速 か に法 を 設 け て之 を解 決 し、 以 て執 務 員 の難 儀 を
除去 さ れむ こと を希 望 す 。 若 し之 れ がた め契 約 者 間 に損 害 を来 す如
き場 合 は、 支 那側 に対 し損 害 賠 償 を要 求 す る は当 然 であ る 。所 詮会
プ チ ヒ ユゲ ナ ン
社 の命 令 な き以 上 は 断 じ て引 渡 す こと は出 来 ぬ 。 三
本 社 理事 会 、株 主 総会 等 の協 議 竝東 支 鉄 道 対支 那政 府 の条 約 を尊 重
、 斯 く の如 き 重 大問 題 は自 分 一個 人 に て解 決 す べき も の では な い。
穏 当 であ る。会 社 は既 に民 営 な れば 民営 の手 続 に依 つて解 決 し て も
当 然 会 社 と協 議 す べ きも の であ つて、強 制 的 に回収 せむ と す る は不
実 に其 の意 を得 ぬ。 仮 令 支 那官 憲 が共 の長 官 の命 が あ つた と し ても
支 那 側 が会 社 と 打 合 せ を為 さず し て強 制 的 に之 を回 収 す る如 きは
し 、 共 の命 令 に基 き解 決 す べき も の であ る。 元来 本 鉄 道 は 華府 会 議
宜 し い。 然 ら ざ れ ば正 当 に宣 布 し て公 論 に決 し よう 。強 威 を以 て執
見 解 は左 の如く で あ る。
に於 て列国 代 表 者 の決 議 に依 り、列 国 の承 認 す る露 西 亜 政 府 の樹立
行 し強 力 を以 て会 社 を脅 迫 す るも のな わば 承認 は出来 ぬ 。
予 は全 株 主 の名 儀 を代 表 し て茲 に支 那 側 に抗 議 す 。 即 ち強 制 的 に
す る迄 現状 の儘 支 那 が之 を管 理す る こと にな つた迄 であ る。 東 支鉄 道 の租 借 地 に対 し ては 会 社 は 一千 万留 を支 払 つたも ので、 其 の所有
土 地 課引 渡 管 理 を執 行 す る は非 法 の行 動 であ つて、 一九 二〇 年 十 月
会
弁
会 社 は重 役 会 議 を開 き 土 地課 の権限 に就 て討論 せ んと し て居 る。
四兪
負 は ね ば なら ぬと 述 べ た 。
要 求 し更 に強 制 受 管 の際 受 け た る損 失 は、 受管 人 に於 て共 の責 任 を
方 法 を設 け て、 各 株 主 の受 け た る損 失 を恢 復 し 、又 必ず 損 害 賠 償 を
締 結 の契 約 に違 反 し た も のと認 む 。斯 か る利権 侵 害 に対 し ては 必 ず
権 は東 支 鉄道 にあ る こと は勿 論 であ る か ら、 支 那 官憲 に対 し 飽 く迄 自 己 の所 信 を主 張 す る考 で、之 がた め には長 官 の職 を も惜 む も の で な い。 而 し て本 問 題 の発 起 人 は王 督弁 及張 煥 相 であ る こと は明 白 で
更 に露 側 重役 連 が張 煥 相 に対し 抗争 し た要 点 を挙 ぐ れば 次 の如 く
あ る 云 々。
ダ ニレ フ スキ ー
であ る。 一
故 に其 の結 果 を俟 ち 再 び 地 畝管 理局 と 一切 の事 項 を協 議 を為 さむ 。
又 会 社 にて は既 に総 会 を 召集 し て此事 を討 議 せむ とす る意 思 も あ る。
該命 令 は会 社 の権 利 に抵 触 す る故 承 認 は出 来 ぬ。 且 会 社 よ り何 等 の命 令 に接 せぬ 以 上之 れ を引渡 す こと は断 然 出 来 ぬ。 又支 那 側 地 畝
土 地 課 の包 括 す る行 政 方 面 の事 項 は宜 しく 八 月 一日以 降 停 止 す る
管 理局 の発 す る 一切 の命 令 は効 力 を生 ぜ ぬ こと を声 明 す 。 オ スト ロモ フ
故 に其 れ迄 は暫 く 土 地 課 を 移管 せ ぬ様 にさ れ た い。
二
リ ヒ テ ル
が宜 し い。 五 ﹁オ﹂ 長 官 ﹁ダ ﹂会 弁 等 と同 意 見 であ る 。尚 理事 プ シカ リ ヨフ の 談。 支 那 官 憲 は 土 地課 に就 き当 然 鉄 道 用 地 た る べ き土 地 と 、鉄 道 営業 に不 必 要 な るも のとを 区 別 せ ぬ こと を 申 込 み 、支 那 側 重役 も重 役会 に於 て之 を支持 し て居 るが、 之 れ曩 に領 事団 よ り封 印 さ れ た地 券 の
一挙 に東 支 鉄 道 を 占 領 す る が如 き 手段 に出 づ べ く 、目 下満 洲 里 及 ポ
ク ラ ニチ ナ ヤ附 近 に駐屯 の赤 衛軍 が背 後 の威 力 と し て意 義 あ る役 割
唯 政策 上北 京 労 農 代表 ド ウ チ ヤ ンよ り外 交 に対 し次 の様 な覚 書 を
を 演 ず る も のと観 られ て居 る。
在 哈爾 賓 労 農 代 表 の報 に依 れば 、出 先 の支 那 官憲 は東 支鉄 道 土 地
手交した。
労 農政 府 特 派 金 権 は 外交 部 に対 し 、東 支 鉄 道 に関 す る総 て の問 題
課 及 鉄道 庁 に獲 得 され て居 る附 属 地 を引 渡 す べき命 令 を発 し た 。
は 唯露 支 交 渉 に より て のみ解決 せ ら る べ きも の で、支 那 側 一方 に て
取 出 し を 意 味 す る も の であ る か ら、露 人 側 重役 は之 を拒 絶 し 単 に本 社 に於 て必 要 な る事 項 を 取調 べ得 る程 度 に止 め る こと を主 張 した も
為 され る行 動 は露 国 政 府 に於 て許 容 さ る べき も のでな い こと を通 告
す ると同 時 に既 に発 せ ら れ た る命 令 が直 ち に取 消 さ れ ん こと を要 求
吾 人 は支 那 官 憲 が東 支鉄 道 の現状 を破 壊 せん と す る の行為 に抗 議
す る。
役 を出 し 、 計 十名 の重 役 中 七名 の同 意 がな け れば 何 事 も決 定 し得 ぬ
し 、 外交 部 が露 支 関 係 を悪 化 す べ き鉄 道 に関 す る如 何 な る行 動 をも
元 来 露 亜 銀行 と支 那 政 府 と の契 約 に依 れ ば 、露 支 両 側各 五名 の重
ので あ る。
と不 可 能 であ つて 、幾 度 会議 す る と も決 定 せ ぬ は知 れ て いる 。斯 く
規 定 で あ るか ら 、露 支 各 々団 結 し あ る現 状 では 七名 の同意 を得 る こ
要 す る に支 那側 重役 中 にも露 側 重 役 の主張 を是 と認 む る も のあ る
の で、 即 ち支 那 側 の行 動 に妨 害 を加 へる こと は不 必要 で、 支 那 が東
表 面 上 であ つて 、真 意 は 支 那側 の企 図 を寧 ろ 逆 に利用 せ んとす るも
斯 く の如 く支 那 地 方 官憲 の企 図 に関 し北 京 政 府 に抗 議 をし た のは
許 さざ る様 希 望 す るも の であ る。
も 、支 那 官 憲 に気 兼 ねし て敢 て賛 同 す るも のな く、 結 局 別項 八月 七
し て東 支 鉄 道 は現 状 を以 て推 移 す る を得 べ き も のと 認 め る 。
日 の会 議 の如 く唯 ﹁本 件 は 重役 会 議 の権 限 外 な る こと ﹂ の 一主 張 の み 双方 一致 し た迄 であ る 。
こと とな る ので、 労 農 側 に非常 に有 利 であ る。 露 亜銀 行 の勢 力 は全
支 鉄 道 と争 ふ結 果 、 露 亜 銀行 の勢 力 が鉄 道 側 から 著 し く排 除 さ れ る
く 無 くな り 支 那側 が鉄 道 財 産 を無 理 に其 の手 中 に収 め ん とす る時 に
労農 政 府 の態度
労 農 政 府 は 反革 命 派 た る現東 支鉄 道 幹 部 追 払策 とし て、寧 ろ支 那
ん為 の抗 議 で、傍 観 の態 度 を採 り た い のは本 意 であ る 。
及 び、 始 め て支 那側 に対 し積 極 的 手 段 に出 ん とす る引 か かり を着 け
第八
側 の圧 迫 を歓 迎 し て居 る観 が あ る 。労 農 側 は 支 那 の無 力 な る こと を
唯 然 し 該 事件 に関 し列 国 代表 の干 渉 し た こと に就 ては労 農 側 には
知 り居 る故 、 先 づ支 那 側 とし て眼 の上 の瘤 た る現露 側 幹 部 を排 除 せ し め、 其 の上 に て巧 に機 会 を捉 へ、 例 へば 沿 線 馬賊 蜂 起等 に藉 口し
聞 を し て列 国 干渉 反 対 及 東 支 鉄道 当 局 よ り 、列 国 代 表 者 の態 度 を非
であ る と の主 張 を裏 切 る こと に な る の で、此 の点 にも苦 心 し赤 派 新
は悉 く露 支間 の問 題 で、 列 国 の干 渉 は露 支 両 国 の主 権 を害 す るも の
反 す る も のと主 張 す る こと は 、労 農 側 に於 て東 支 鉄 道 に関 す る問 題
甚 だ しく不 利 であ る。 即 ち北 京 外 交 団 は該 問 題 を華 府会 議 の決 議 に
縁 し て単 に鉄 道 の営 業 に任 ず るは 労農 政 府 の非 常 な る利 益 であ る。
会 社 の支 出 な き限 り 、 到底 其 の自 治 は 不可 能 であ つて、 寧 ろ之 と絶
白 党 の根 絶 に依 り後 顧 の患 を除 き得 べ く、附 属 地 の如 き は東 支 鉄道
を 赤露 の手 に収 む る は 、其 の経 営 に依 つて得 る利 益 莫 大 な る は勿論 、
幹 部 を駆 逐 せし め ん とす るも ので あ る。 而 し て白 党 を 駆逐 し て鉄 道
側 も充 分 其 の目 的 を達 成 し得 ず 、 鉄 道庁 側 も白 系 有 力 者 及露 亜 銀 行
道 庁 側 何 れ に も甚 だ し く有 利 の結 果 を招 来 す るを 欲 せず 、 結 局支 那
し 、 他 日露 支 会議 の問 題 た らし め む とす る魂 胆 ら しく 、支 那側 、鉄
要 す る に労 農側 は荒 々し き 抗議 を為 す こと な く形 勢 の推 移 を観 望
少 の条 件付 にて支 那 に返還 し 、其 の代償 とし て白党 駆 逐 に努 め る こ
望 た る 利権 獲 得 は 無意 味 に終 るべ き を以 て、 カ ラ ハンは附 属 地 を多
鉄道 会 社 に返 還 す る か 、又 は国 際管 理 の已 む な き に至 り 、折 角 の希
績 上 らず 結 局 、列 国 民就 中 日本 人 の反 感 を買 ひ 、附 属 地 は所 詮東 支
益 を得 んと す る結 果 、道 路 の修繕 、学 校 、病 院 等 の諸施 設 も自然 成
な る経費 を捻 出 す る は頗 る困難 で、 彼 等 は附 風 地 の収 入 より 更 に利
又 支 那 側 が附 属 地 を 自 己 の掌 中 に収 む る と も其 の自 治 行 政 に必 要
の勢 力 減 退 を希 望 し て居 るが如 く 、 領事 団 の支 那 側 に対 す る抗 議 に
難 す べ き気 勢 を煽 る様 訓 令 し た と のこと であ る 。
対 し ても 、 左党 新 聞 を通 じ 之 を非 難 し 、列 国干 渉 の例 を 開く こと を
べ き機 関 の配 置 を断 行 す べ く 、然 る時 は東 三省 と の国境 貿 易 は支 那
を盾 に逐 次警 備 権 を 要 求 し 、有 耶 無 耶 の裡 に軍 隊 若 く は之 に代 は る
とと 思 ふ。斯 く し て東 支線 を 一度 自 己 の掌 中 に収 め た上 は 、旧 条 約
白 党 露 人 の観 察
欲 せ ぬ模様 で あ る。 第九
白 党 メ ル ク ロー フ及 ペ ト ロフ将 軍 一派 は 此 の問 題 を左 の如 く観 察
ラ ハンは張 作 霖 と結 托 し 、之 を利 用 し て白 党 を駆逐 せ ん とす るも の
行使 す る事 を得 ざ る べけ れば 、相 当 支 那 の体面 を保 持 せ しむ る為 蒙
は 、赤 露 が条 約 を誠 実 に実 行 せず と も之 を責 む る に必要 な る権 力 を
地 は如 何 な る譲 歩 的 文 明 を 掲 ぐ る も、 現 下 の如 き支 那 の混 乱状 態 で
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軍 憲 の力 を 以 て容 易 に制 圧 を 加 へら れ ざ る べく 、 蒙古 の如 き 辺鄙 の
で あ る。蓋 し白 党 の東 支 沿線 に勢 力 を占 む る は露 国平 定 の禍 根 であ
古 問 題 も国 境 通 商 貿 易問 題 も、 成 る可 く 支 那 に有 利 な る様解 決 を進
元 来東 支 鉄 道 問 題 の難 関 は白 党 社員 の駆 逐 にあ り 、今 回来 支 のカ
し て居 る。
つて 、之 が駆 逐 は現 下 窮境 に在 る労農 政 府 の財 政 上頗 る緊 急 時 であ
外 交 団 の抗 議
該 事 件 の突 発 の頭 緒 に於 て在 哈爾 賓 領 事 団 は 、同 地 地方 官 憲 に対
第十
も の と観 測 す 。
む べく 、要 す る に土 地課 問 題 は露 支 交渉 に尠 な か らず 利 用 せら る る
而 し て其 の駆 逐 策 を実 現 せ し め るた め には 、総 統 顧 問 シ ンプ ソ ン
る。
等 を 甘言 に て味 方 に引 込 み、彼 を し て好 意 中 立 の態 度 を執 ら し め、 然 る後張 作 霖 を 説 き之 を利 用 し て東 支 鉄 道附 属 地返 還 の代償 に白 党
公使 に移牒し、四国公使団より北京政府 に抗議す る運とな つた。
切り抜 け得た事 は前述 の通りであるが、同領事団 は更 に之を北京各
し抗議 を申込み且機宜 の処置を執 り、為 に東支鉄道側は其 の難関 を
管 理 に関 す る公 文 書 類 一切 の引 渡 を強 要 せ り。
関 し ては 如何 な るも の に拘 ら ず 契 約 の訂結 を禁 止 す と声 明 し 、土 地
理 処 に借 地券 の登 記 を要 求 し、 尚 東 支 鉄道 会 社 に対 し、 自 今 土地 に
を発 し て鉄道 附 属 地 に於 け る外 国 人 及 支那 人 の借 地者 に対 し 、新 管
列 国 を し て疑 惑 の念 を起 さし め 、 外 国 利害 関 係 者 に対す る確 乎 た る
吾 等 は 支 那当 局 の該 行動 に鑑 み支 那 政府 の方 針 な るも のは 、協 約
な り。
鉄 道 の所 有 と其 の管 理 に於 て は後 見 者 た る権 利 を有 す る に過 ぎざ る
以 上 の義務 は協 約 に基 く も のにし て該協 約 に依 れ ば、 支 那 政府 は
る を以 てな り 。
社 債 所 有 者 、債 権 者 に対す る義 務 の履 行 不履 行 の責 任 者 と見 做 さ る
蓋 し華 府会 議 の決 議 に照 ら し支 那 政 府 は東 支 鉄道 会 社 の外 国株 主 、
害 関 係 を有 す る列 国 を し て不 安 なら しむ るも のな り 。
東 支 鉄 道 業 務 上斯 く の如 き過 激 な る変 更 を為 す は 、鉄 道 擁 護 上利
り。
に与 へし 注意 に対し 、 貴政 府 が答 弁 せら れ ん こと を通 告 す るも のな
ことを 望 み 、 且下 記 連 署 四国 及 哈 市 領 事 団 が右 事件 に就 き 支 那当 局
仍 て下 記連 署 者 は貴 政府 に対 し 上 記 の事 情 を真 摯 に考 察 せら れ ん
一、北京駐在四国公使 の通告 該問題 に関し北京駐在日、英、米 、仏 の四国公使 は連署を以て支 那政府 に左 の通告 を発した。 下記署名 の米、仏 、英、日公使 は 一九 二二年十月三十日附を以て 提出 した浦塩国際技術委員会 の撤廃 に関する覚書 、竝哈爾賓技術会 を通牒 し、以 て東支鉄道 の利益 に抵触す る今 回 の事件 に対し貴政府
議 の撤廃 に関する覚書 に照らし、東支鉄道擁護 上各本国政府 の意嚮 の注意 を促す の光栄 を有す。 一九 二三年七月 三十日哈爾賓日本総領事、米 、英各領事は張煥相 将軍 が八月 一日より東支鉄道土地課 を其 の管 理に移 して新 に地畝管 理局 なるも のを設置 せんとするを知 りたり。 尚該問題 に関し同 日支那当局より東支鉄道長官 にも通牒する処 あ 仍 て上記領事団及鉄道長官竝に北京露 亜銀行総裁は同鉄道株主 を
り。 代表 し、土地移管 は東支鉄道 の定款 に違 反し、且現在 の権利を無視
責 任 を負 ふ も のな るや を疑 ふ も のな り 。
仏 国 公使
米 国 公使
カ ・デ ・フ レリ ナ
ヤ コフ ・グ リド ・シ ユル マン
す。
査 を 為 し 各本 国 政 府 の不安 を 一掃 せら れ む ことを 通牒 す る光 栄 を有
仍 て下 記連 署 者 は 本覚 書 を貴 政 府 に提出 し、貴 政 府 が真 摯 な る調
し、又華府会議 に於け る決 議 の精神 に違 背する行動な ることを指摘 し以 て支那当局 の斯く の如き方策 に対し抗議す る処ありたり。 然 るに張 煥相氏 は右 の抗議 に拘 らず、八月 一日土地課 の移管 を断 着手す ること能 はず、結局其儘 と為 れるが支那軍憲 の代表二名 は土
行 したるが、上記領事団 の干渉 に依 り彼 は土地課 の公文書類占領 に 地課 に入り役員 の椅子を占め、随意 に地畝処 の事務を開始し、布告
吉
ロナ ー リド ・マクリ 謙
芳
沢
日本 公 使
英国公使
二、駐 奉 領 事 団 の張 作霖 に対 す る警 告
土 地 課 は 支那 人 民 の土 地 に対 し て任意 強 奪 を行 ひ 、人 民 の苦 痛
多 大 であ つ て、皆 其 の回 収整 理 を主張 し て巳 まず 。過 般 朱長 官 が
な る べき を看 取 し た公 使 団 は本 国 の訓 令 を経 て直接 張 作 霖 に交 渉 す
在 の如 き奉 直 関 係 に於 ては政 府 とし て も確 定 的 解決 を与 ふ こ と困難
官 憲 の 一存 に出 たも の で、政 府 は関知 せざ るも のだ と主 張 し 、 且 現
会 社 及 露支 両 国 株 主 の真 利 益 を確 保 し 、且 該 人 民 の感 情 を も顧 慮 の
て当然 自 己 の利 益 を保 護 す る権 利 あ り、 又 条 約 を保 持 し 、東 支 鉄 道
鉄道 株主 と な るを得 、他 国 は絶 対 に参 加 は出来 ぬ 、支 那 は株 主 とし
か 未 だ報 告 に接 せ ぬと空 呆 け 、原 契 約 に拠 れば露支 両 国 民 の み東 支
張 作 霖 は更 に語 を継 ぎ 該 問 題 は 、爾 後 朱 慶瀾 等 は如何 に弁 理 し た
三
る こと と な つた 。即 ち 九 月 二十 日 奉天 日英 米 仏 四 国領 事 は聯 袂 、張
る弁 理を な す 様命 令 し て置 いた 。
来 奉 し て人 民 の輿 論 を報 告 し た に依 つ て予 は 、彼 に帰 任 後 適 当 な
作 霖 を訪問 し 、先 づ英 国 総領 事 発 言 し 、 土地 課 の問題 は北 京 公 使 団
上 に於 て断 然 土 地 課 を 回収 し て、 整 理 を実 行 せ ざ るを 得 ぬと声 言 し
前 項 の如 く北 京 公 使 団 は北 京 政府 に抗 議 し た が 、該 事 件 は 東 三省
よ り外 交 部 に抗 議 し た が、更 に駐 奉 各領 事 をし て東 三省 最 高 官 憲 の
は東 支 鉄 道会 社 重役 会 議 の議 決 を経 るべ き も の であ る の に、突 如 一
を欠 ける為 斯 か る事 件 を惹 起 し た のだ﹂と提 言 し、米 国 領事 は ﹁ 本件
之 に対 し仏 国 領 事 は ﹁王督 弁 と朱 長官 は土 地 課 に つき 意 見 の 一致
た。
該 事 件 の真 相 を 確 む る 必要 あ る が、 此 頃 突然 張 煥 相 を 地 畝 局 長 に任
を打 明 け ら れた き旨 を述 べ、列 国 とし ては各 株 主 の利 益 保安 のた め
意 見 を友 誼 的 に質 問 せ しめ る こと とな つた も の であ れ ば 、其 の真 意
や 如何 と厳 問 し た 処 、張 は之 に答 へて、 本件 は主 管 地 方 宮 朱慶 瀾之
命 し た こと は、 究竟 の目 的 は 外 国 人 の権 利 一切 を没 収 す る意 思 な り
と陳 説 し 、 日 本領 事 は ﹁兎 に角 本 件 は 華府 会 議 もあ る こと故慎 重 に
武 官 を局 長 に任 じ 、之 を 強奪 す る は手続 上錯 誤 あり 且不 当 であ る﹂
た が 、領 事 団 の質 問 に対 し、 略張 作 霖 と同 様 の答 弁 を為 し た。 即 ち
駐 奉領 事 団 は 九 月 二十 二日陸 軍整 理処 に於 て孫 吉 林督 軍 と会 見 し
三 、駐 奉 領 事 団 と 孫烈 臣 と の会 見
考 慮 あ つて然 る べ し﹂ と 警 告 し結 局 、 当 日 は要 領 を得 ず 退 散 し た 。
に当 り直 接 関 知 せ ぬが 、諸 氏 は 態 々来 訪 され た ので あ れば 代 つて答 弁 を 為す べ し と て左 の如 く釈 明 し た。 東 支 鉄 道 土 地 課員 は条 約 を 無 視 し不 当 の処 置 を為 し た。 即 ち原
を 得 ざ る筈 な る に、露 国当 局 は之 れ に違 反 し て之 を開 拓 し 露 国 殖
つた 迄 で あ る。 之 に対 し今 日領 事 団 と し て抗 議 を申 込 ま る る は其 の
委 託 さ れ た形 と な つた の で、 支 那 は此 の権 限 に拠 つて今 次移 管 を行
東 支鉄 道 は列 国 共 同管 理 の後 、華 府 会 議 の声 明 に依 り 一時 支 那 に
約 言 せば 、
長 期 を 以 てし て居 る 。斯 く て支 那 が将 来 回 収 に際 し非 常 な紛 糾 を
土 地 の使 用 は元 来 年 限 あ る の に、該 課 は 之 を外 人 に貸 与 す る に
民 地 と な し た。 之 明 か に条 約 の破壊 で あ る。
条 約 に拠 れば 附 属 地 の使 用 は 商業 に限 り、 政治 的 施 設 を為 す こと
一
二
招 く べ し 。故 に此 際 断然 之 を整 理 を為 さざ るを得 ぬ も の であ る 。
意 を得 な い。同 鉄道 の用 地 は本 来 鉄道 に必要 とす る附 属 地 で あ る筈
し 、国 際 上 の権 利 竝東 支 鉄道 既 得 権 を脅 威 す る最 も甚 だ し いも のと
頗 る重 大 な るを 認 め た 。全 く 支 那 地方 官 憲 の行動 は国 際 信義 に悖 反
認 む る 。吾 人 は 今更 、事 新 ら し く東 支 附 属 地 の所 有 権 が東 支 鉄 道 の
な る に、 近来 露 側 は 政治 上 に迄 其 の権 限 を拡 張 し て居 る。支 那 は主 権 及 人 民 の利 益保 全 の為積 弊 を整 理す るも ので あ る。
い。 又東 支 附 属 地 の 一部 返 還 に関 し 、支 那 政 府 と東 支 鉄道 当局 と の
有 す る有 効 期 間 中 、毫 も他 よ り 侵害 せ ら れざ る こと は論ず る迄 も な
間 に 一致 を見 得 るや否 やを観 る価 値 も な い。 又東 支 附 属 地 が鉄 道 営
と い ふ に在 つた。 之 に対 し領 事 団 は 、
ば 、支 那 人 の申出 の み を聞 い て官 憲 が高 圧 的 に処 分 す る のは好 く な
必 要 な らざ る土 地 と の区 別 を 明確 に規 定 し あ り や否 や等 は毫 も詮 議
業 上 必要 な り や否 や 、支 那 政府 と の協 約 中 に鉄道 に必 要 な る土 地 と
仮 令 条 約 の解 釈 は斯 く あ ると し て も東 支 鉄道 は国 際 的 鉄道 であ れ
い。同 鉄 道 には露 支 両 国 の理事 が 五人 づ つ居 れ ば重 役 会 議 を開 いた
さむ と す る意 思 でも な い。
の限 り で はな い。 又 余 は此 の声 明 に於 て支 那 に対 し恩 恵 的要 求 を為
上 で何 と か解 決 せ る の が至 当 で な い か。 と詰 問 し た処 、孫 は結 局 之 を諒 と し、 哈爾 賓 の交 渉 に移 す こと に 手 筈 す る こと と な り、 奉 天 の交 渉 も 一先 打 切 り と な つた。
る に拘 らず 、 猶 頑強 に共 の説 を固 持 せ ば、 唯 兵力 に訴 へる のみ であ
支 那 の地方 官 憲 が為 した 行動 は其 の第 一歩 に於 て既 に不法 非 違 な
﹁シ﹂ 氏 は 九 月六 日哈 爾 賓 に於 て東 支 鉄 道 会社 に招 待 せら れ席 上
四 、米 国 公 使 シ ユル マン の主張
る 。然 し斯 か る兵力 の使 用 は 所謂 野 蛮 時 代 に復帰 す るも ので余 は 之
恐 る可 き最 後 の結果 を考 慮 せ ざ る晴 は 、支 那 は実 に極 端 な る危 殆 に
該 問 題 に関 し 演 説 を為 し、 支 那側 よ り非 常 な る反 感 を買 つた 。其 の
瀕 す る も のと 断 言 せ ねば な ら ぬ 。支 那 官 憲 は 相手 と何 等 の交 渉 を も
を 好 まず 、支 那 国 民 乃至 支 那官 憲 の思 想 や感情 が毫 も 変 化 せず 、 且
曩 に華 府 会 議 に於 て支 那 は有 ゆ る利 権 回 収 の為 、東 支 鉄 道 の管 理
経 ず に、恣 に其 協約 を変 更 せ む とす る態 度 に出 た ことは 、余 の最 も
要 点 は 左 の如 く で あ る。
約中 に包 含 せら れ た東 支 鉄 道 沿線 行 政 及 共 所 有権 を侵 害 せざ るべ し と いふ支 那 政 府 代表 の声 明 を 信 じ 、支 那 の管 理権 を或 期 間 承 認 す る
の事 と信 ず る。 然 る に支 那 は其 の要 求 を貫 徹 す る迄 は土 地 課 の事 務
解 釈 に苦 む処 であ つて 、東 支 鉄道 が承 認 す るを欲 せざ るは蓋 し当 然
権 獲 得 を提 案 し た が、 其 の結 果東 支 鉄 道 創 設 当時 に締 結 せら れ た条
に至 つた 。然 る に支 那 政 府 の地 方官 憲 は、 最 近 恣 に東 支 鉄 道 土 地 課 を廃 し 、之 を新 設 の地畝 管 理 局 に奪 取 せ ん と企 て るに至 り、 日 、 英 、
に抗 議 し た 。而 し て四国 政 府 の抗 議 し た支 那 地 方 官 憲 の命 令 的 行 為
と は 即 ち強 者 が弱 者 に対し 正 義 及法 理 に訴 へて其 所 有 権 を 確定 す る
ざ るを得 ざ る決 定 的 解決 方 法 の展 開 を 見 る に至 る で あら う 。其 方 法
不 幸 にし て其 交 渉 が 円満 な る結 果 を得 ざ る時 は 、結 局 両 者 が 承認 せ
余 は両 者 の間 に充 分 な る且 淡 泊 な る意 見 の交換 を希 望 す る 。若 し
を 殆 ん ど休 止 同 様 の状 態 に置 かむ とす る は抑 何 の為 であ る か 。
は 東 支 鉄道 自 体 の基 礎 の動 揺 を来 し打 撃 を与 ふ る のみ な らず 、 華 府
米 、 仏 の四国 政 府 は其 の行 動 が不 法 非違 な る こと を 厳 重 に支 那 政 府
会 議 の協 定 精神 に背 馳 す る こと甚 しく 、 且列 国 に及 ぼ す利 害 関 係 が
し て調 査 せ し め 、以 て将来 土 地管 理 の根 拠 を制 定 し て居 る ので あ る。
現 に先 般 土 地 回収 を や つた時 も張 局 長 は鉄 道 当 局 と 和平 裡 に打 合 せ
を遂 げ 、寸 毫 も武 力 を用 ふる挙 に出 でな か つた事 は事 実 明 白 で あ る。
紳 士 よ該 問 題 は単 に東 支 鉄道 対支 那 地 方 官憲 の問 題 では な い。実
事 であ る。
に支 那 の革 命 に累 を 及 ぼし 、 欧 州列 強 、 亜 細亜 、米 国 等 に係 る重 大
公使 が流 書 を 誤聞 し て述 べ ら れ る言 辞 に対 し て は予 も亦 弁 明 を加 へ
此等 の宴 席 に此種 の国 際 問題 は諭 ず べき筋 合 のも ので な い の に、 貴
右 に対 し朱 長 官 は 即座 に左 の反 駁演 説 を為 し た 。
問 題 た る こと を 記憶 せ よ。 云 々
ざ る を得 ぬ次 第 で あ る。
第 十 一 露 支 両 国 新 聞 の論 調
本 日 は公 使 も 余 も 同 じく 東 支 鉄道 の賓 客 と し て列 席 し たも ので、
一
充 分 の歓 を尽 さ んと 思 つて居 た ので あ る が、料 らず も 唯 今 の様 な演 説 を拝聴 し た こと は 吾 人 の最 も 不 快 を感 ず る処 であ る。 貴 国 は平 素
め 北京 朝 野 の有 力者 皆 非 難 を し て居 る。 蓋 し該 行 動 は中 央 政 府 の
1 、該 問 題 に関 す る奉 天 官 憲 の行 動 に対 し ては 、外 交 総長 顧 維鈞 初
﹁ルー ス キ ー ・ゴ ー ロス﹂ (八、 九 )
る は、貴 国 及貴 公 使 の名声 を甚 し く傷 く るも のと 思 ふ 。吾 人 は 貴 公
正 義 を高唱 し 、貴 公 使 は平 和 を愛 せら る る の に斯 か る言 辞 を 為 さる
し た の であ る が 、今 と な つて は之 も大 に疑 惑 を感 ぜざ る を得 ぬ こと
対 し ては 双方 よ り之 を 遵守 せざ る べか らず と の言 に対 し て深 く 感銘
今 回 の露 支 交 渉 に於 て支 那 の占 領 的 行 動 非 難 の理由 を 与 へ、 露 国
会 議 の決 議 を破 り 、 一八 九 六年 締 結 の露 支協 約 を無 視 し たも の で、
す べ き カ ラ ハン の来 着 を見 越 し た も のな ら む も 、斯 の如 きは 華府
2 、 奉 天官 憲 が該 問題 を速 行 し た こ とは 、 露支 会 議 代 表 と し て上 京
権 威 を無 視 した も ので、 根 本的 に不 法 の行為 であ る。
と な つた 。東 支 鉄 道 の附 属 地問 題 に関 し ては畢 竟 誰 が契 約 に違 反 し
使 が中 国 の主 権 は之 を 尊 重 せざ る べか らず 、 同 時 に有 ら ゆ る契 約 に
て居 る か、貴 公 使 は遠 方 よ り初 め て此 地 に来 ら れた ので 恐ら く 共 真
且 穏 健的 であ つて、支 那 政 府 に認 容 さ る る こと は疑 は ぬ 。
﹁ノ ーウ オ スチ ・ジ ーズ ニ ﹂ (八 、 一〇 )
二
側 に有力 な る優 越権 を与 ふ るも のと い ふ べき であ る。
以 て精 密 の観 察 を遂 げ 、 人 の偏 言 を聞 い て軽 々に評断 を加 へざ ら む
1 、 東 支鉄 道 土 地 課 移管 問 題 に関 す る北 京 露 国 全権 の覚書 は、 正 当
相 を審 ら か にし て居 ら れ ぬ こと と思 ふが 、予 は貴 公使 が 公平 の眼 を
こと を切望 す る 。違 約 の罰 は中 国 に非ず し て他 人 に在 り 、中 国 は領 土 の主 権 を 鞏固 にす ると いふ見 地 から 当然 今 回 の回収 を行 ひ、 之 を 管 理す る必 要 を感 じ たも ので 、之 を不 合 理 で あ ると せ ば 、中 国 主 権
の み解決 し得 たも ので 、奉 天 支 那官 憲 よ り出 でた独 断 的 行動 は労
2 、 抑 も東 支 鉄 道 に関聯 す る総 て の問 題 は 、露 支 交渉 の方法 を以 て
農 政 府 の断 じ て許 容 し能 はざ る処 で あ る。
尊 重 の 一語 は畢 竟之 を如 何 に解 釈 す るか 、斯 く なれ ば ワ シ ント ン会
一部 を回 収 せむ と し其 理 由 を 理事 会 に提 出 し て無 理 に承 諾 せ し めた
で あ るが 、 我全 権 の見 解 は 一八 九 六年 八 月 二十 七 日付 の露 支協 約
3 、外 国領 事 団抗 議 の見解 は、 華 府 会議 に於 け る決 議 に基 いた も の
議 の決 議 案 も其 の価 値 た るや亦 想 ふ べき であ る。 又 中国 が附 属 地 の
と の意 味 に聞 き取 れ た が、 今 や 此問 題 は双方 が諒 解 の下 に委 員 を派
三
に準拠 し たも ので あ る。 白 系新 聞 諭 調 概要 吟 市 白系 露 字 新 聞 は事 件 発 生 以来 屡 々支 那側 の不 法 を論 議 し た が、 要 す る に其 の基 礎 は ﹁ 該 問 題 は 全 く奉 天 側 の独 断 的 画策 せ るも ので、 契 約 に違 反 す る極 め て重 大 な問 題 で あ る、 列国 外 交 団 は斯 く の如 き 支 那官 憲 の不 法行 為 に対 し て は同意 す べき も のに非 ざ る は勿 論 国際
国際 協 報 (八 、 一)
条 約 の破 壊 を看過 し ま い﹂ と い ふ に在 る。 四
の領 地 回収 の主 張 を敵 視 せざ るも のと信 ず る。
今土 地課 移 管 の意 義 を 簡単 に述 ぶ れば 左 の通 り であ る 。
1 、東 支 鉄 道 原 訂 の正 副契 約 文 には ﹁ 中 国 の主 権 を 尊 重す ﹂ の明文
合 弁契 約 第 六条 に は ﹁必要 之 地 ﹂ ﹁ 専 為 鉄路 之 用 ﹂ と の字 句 が
を記載 し て居 る。
あ る。之 即 ち厳 格 に営 業 範 囲 を以 て限度 とし た も の であ る。
2 、続 訂 契約 第 六 条 には ﹁ 厳 行 限制 於 商業 範 囲 内所 有 一切政 治 事項
政 の経 営 を為 す は 明 か に地 方 行政 を侵 犯す るも ので あ る。
均 応 禁 止 ﹂ と あ るが 、特 別 区 行政 管 轄 内 に在 つて税 捐 の徴 収 、市
る者 あ らむ も 、単 に機 関 の移 転 に止 まり 、租 借 地財 産 の所有 権 に
3 、東 支 鉄 道 に債 権 を有 す る外 国 人 は自 己 の利 益 上 よ り反 対 を唱 へ
敬 て領 事 団 に告 ぐ 露 支合 弁 の東 支 鉄道 会 社 に民政 を司 る土 地課 な るも の の存 在 は、
い。
対 し て は終 始 保障 を声 明す べく 、寸 毫 も 、損 害 を 及 ぼす こと はな
明 に中 国 の統 治 権 を 無視 し、 地方 行 政 の障 碍 とな る非 法 機 関 で なけ れ ば なら ぬ。東 支 鉄 道 の路 権 を 支那 に回収 し た当 時 に於 ては 、当 に
露 国 が東支 鉄 道 を掌 握 せ る時代 に設 け た土 地 課 は最 も我国 の主 権
東 三省商 報 (八 、 一)
持 の態 度 を執 り 、決 し て変更 或 は路 務 を妨 害 す る こと は な い。
を侵 害 した も のであ る 。元 来 土 地課 は土 地 の貸 付 及鉄 道 附 属 地居 住
五
4、鉄 道界 内 の鉄路 財 産 、営 業 上必要 の用 地 は 、仍 ち 終始 厳 正 に保
法 に依 り 之 が管 理 を接掌 し たも ので、 国 家最 高 の主 権 を明 か に表 示 した。 蓋 し東 省 の警 察 、司 法 、郵 政 の整備 以 後 特 に民政 を司 る行 政 長官
治 の保障 を受 け し む る所 以 で あ つて今 回土 地 課 の移 管 は 此 の主 義 を
者 の利 益 を 増加 す る に在 つた が、 万般 の施 設 は 一殖 民政 府 の観 を呈
を 置 いた のは 、東 支 沿 線 の安全 を重視 し 、各 国居 留 民 を し て最 高 統
も の であ る 。賢 明 な る各 国 領事 は克 く之 れ を諒 承 し親 切 な る援 助 と
漸 進 し た も の で、 茲 に初 め て特 別 区域 の安 寧 秩 序 を完 成 せむ とす る
れ て以来 、附 属 地内 の事物 は殆 んど特 別 区行 政 長 官 の管理 に帰 し、
し 、 ゴ ンダ ツ チは横 暴 を極 め た。而 し て東支 鉄 道 が我国 に回 収 せら
惟 ふ に欧 洲大 戦 平和 克 復 後 、列 強 は 以前 占 領 せる弱 小 諸 国 の土 地
同 情 と を与 へら れ た い。
が断 然 之 が撤 回 命令 を発 し た のは誠 に機 宜 の処 置 と いふ も の で、亦
該 土 地 課 の如 き も当 然 其 の存 在 を失 ふべき 筈 であ る。今 般 奉 天当 局
国権 を保持 す る所 以 で あ る。東 支 鉄 道建 設 の契 約 を看 る も 、今 回 の
を返 還 せる例 は多 い。更 に大 平洋 会 議 等 の精 神 に徴 す る も ﹁吾国 の
正 義 を愛 護 す る領 事 団 にあ り ては 、此 の世 界 の大 勢 を 洞察 し 、 我国
領 土 を尊 重 し完 全 に主 権 の独 立 を与 ふ﹂ を 以 つて信条 と な つ て居 る。
撤回 は 当然 の帰 結 で あ つて何 等顧 慮 を要 せ ぬ も の であ る。唯 事 件 が 複 雑 であ つて責 任重 く 且国家 多 事 の秋 で あ る から 、慎 重 に各方 面 の
状
共 他 の諸 支 那 紙 の論 調 も 概 ね前 二者 と大 同 小 異 であ る。
形 勢 を 洞察 し て事 を処 さね ば有 終 の美 は獲 ら れぬ 。
現
東 支鉄 道 土 地 課 の管 掌事 務 は多 く我 国 の領 土 主 権 を侵 害 す る も の
が あ つた。
で、支 那 が之 を 回収 管 理 す るは 当然 の事 であ る が、鉄 道 用 地 と其 れ
の解決 を見 る迄 は鉄 道 用 地 に属 せ ぬ土 地 貸 下 げ事 務 は東 省 特別 区地
以 外 の附 属 地 と を明 瞭 に調 査 し て該 問 題 を解決 し易 ら し め度 く 、其
畝 管 理局 の承 認 を経 た上 にて行 ふ ことと し 、 地畝 管 理局 設 置後 土 地
第十 二 要 す る に支 那 側 は最 初 の期 得 に反 し 東支 鉄 道 露 側幹 部 竝 に列 国 の
貸 下 げ に つき 同 局 の承 認 を経 ぬ者 は総 て無 効 と し て双方 の権 限 を明
官 憲 の横 暴 な る措 置 は軈 て張 に対 す る列 国 の同情 を失 ひ、東 三省 の
右 に関 し 目下 張 作 霖 の顧 問等 は彼 に向 ひ 、該問 題 に対 す る東 三省
も のと想 は れ る 。
居 る が、 之 れが為 め直接 間 接 支 那将 来 の為 め尠 な か らず 不 利 を招 く
如斯 目 下 の情 勢 では 所詮 支 那 側 の不 成 功 に終 るも のと観 測 さ れ て
れ む こと を望 む 。
に協 議 し之 れを為 さ れ度 し 。尚 本 件 に就 いて は随 時本 職 に報告 せ ら
総 て調査 完 了 の上之 を決 定 す べく 、調 査 手 続 は 一切貴 職 に於 て適 当
将 来鉄 道 用 地 と其 他 の附 属 地 と を如 何 に区劃 す べき か に就 いて は
確 にし 、 以 つて紛糾 を免 れ しめ た し 。
猛 烈 な 抗議 に遭 ひ、到 底 其 の目的 を達 す る こと能 は ざ る を看 取 し、 結 局 巧 妙 な る遁 辞 を 以 つて之 れを 哈爾 賓 に於 け る地 方問 題 とし て解 決 せ む とす る魂 胆 ら し く 、発 頭 人 の張 煥 相 も今 や該 問 題 に関 し全 く 進 退 両 難 の苦 境 に陥 つて居 る が、之 が切 抜 策 と し て領事 団 の顔 も立 ち 、支 那 側 の体 面 も毀 損 せざ る範 囲 に て適 当 の妥 協 点 を発 見 す る に 苦 心 し居 る模 様 であ る が 、之 れが妥 協 策 と し て左 記 条件 の下 に解 決 せら るべ し と の情 報 もあ る 。 一、 土 地課 を東 支鉄 道 本 社 内 に移 す こと 。 二、 土 地課 長 ゴ ンダ ツ チを 罷免 し李 家鰲 又 は他 の適 当 な る支 那人 を 後 任 たら し む る こと 。 而 し て張 煥 相 も該 問 題 を惹 起 せ る責 任者 と し て転 職 の風 説 も伝 つ
は概 ね白 党 系 ) を し て飽 迄 赤党 と拮 抗 し て独 立 せ しむ る ことも 、 又
き所 以 を説 き 、此 の際 張 とし て は東 支 沿線 白 党 ( 東 支 鉄 道露 側 幹 部
国 際 的 地 位 を危 殆 に陥 らし め 、東 支 鉄道 国 際 管 理 の現 出 を招 来 す べ
兎 も角 現 在 では鉄 道 庁 及支 那 側 双 方 よ り委員 を派 し て土 地課 の内
は之 を赤党 化 せし む る も共 に不 利 であ つて、 現幹 部 及 従事 員 を し て
て居 る 。
のは其 の儘 と し 、否 ら ざ る も のは 支 那側 地 畝 局 に移 管 す る と いふ こ
容 を調 査 し、其 の上 に て鉄 道 庁 の所 管 に属 せ し む る を至 当 とす る も
当 分 之 を保 留 し、努 め て東 支鉄 道 の現状 を保 持 せ しむ るを 以 て、東
く 之 を指 導 せし む る の必 要 な る は勿 論 、現 下 窮境 に在 る土 地問 題 は
不 即 不離 の態 度 を保持 せし め 、将 来 赤党 の使 分 け に便 な ら しむ る如
尚 国 際 協 報 には左 の記事 が掲 載 さ れ た。
と にな つて居 る 。
九 月 二十 日張 作霖 よ り朱 長 官 、 王督 弁 及兪 副 督 弁 に宛 て左 の電 命
三 省殊 に其 の統 治 者 た る張 の為 め に有 利 な る所 以 を 鼓 吹 し其 の方 策 を 実 現 せ しむ る如 く指 導 し て居 る。
一四
大 正 十 二年 五月 十 六 日
哈爾 賓 大 塚情 報
五 月 二十 一日知 多 を出 発 す る筈 であ る。
三
加 藤 首 相 が自 発 的 に労 農 露 国 承認 問 題 を解 決 せ んと し 、後 藤 子 も
知 多 機関 新 聞 の日露 協 商 に対す る論 調
大 正 十 二年 五 月 二十 日 ( 庶 調 情 第 五 五号 )
哈爾 賓 横 田情 報
日露 会 議 準備 委 員 に任 命 され た ク リ ヨノ フ技 師 及外 務官 吏 三名 は 、
日露 会議 準備 委員 出 発
日 露 会 議 関 係 及 其 他 諸 件一
第 二 〇号
浦 塩 拘 留 邦 人 の処 分 ポ コージ ン公 館 に達 せる電 報 。 浦 塩 で労 農 官憲 に拘 禁 され て居 た 加賀 美 内 務事 務 官 は 、浦 塩 日本 領 事 が今 後 浦 塩 で同 氏 に諜 報勤 務 を さ せ ぬと の保 障 の下 に 、五 月十
松 井 大 尉 は 取 調 べ の上 五 月十 五 日釈 放 され た 。
七 日 釈放 され る こと に決 定 し た。
る所 であ る。
僚 友 ヨツ フ エ氏 を招 き自 ら其 の衝 に当 り つ つあ る は吾 人 の欣 幸 と す
哈 爾賓 大 塚 情報
英 同 盟 を廃 棄 せし め 、更 に支 那 よ り漸 次 日本 の勢 力 を 駆逐 し つつあ
飜 つて政情 の変 転 を考 察 す る に米 国 は ワシ ント ン会議 に於 て、 日
中 議 会 に於 て言 明 せる処 と は其 の趣 意 全 く相 反 し て居 る 。
以 て敏 速 に通商 協 約 を締 結 せん とす るも のの如 く 、内 田外 相 が三 月
加 藤 首 相 の声 明 に依 れば 日本 政 府 は 労農 政 府 を確 認 し 、新 条 項 を
中島 は表 面 共産 党 員 を装 ひ 、過 激 派 の機 密 を 日本 に通報 し て居 る
第 二 二号
事 実判 明し 、 五 月十 五 日銃 殺 を宣 告 さ れた 。
二
大 正十 二年 五 月十 九 日
る が故 に、 日本 は露 国 と国 交 回復 の得 策 な る こと を知 る に至 つた。 又 日本 は 目下 の不 況 を緩 和 せ ん とす る ことも 修 交 に与 つ て力 があ る。 然 れ共 日 本側 の唯 一の欠 点 は 、自 己 の正当 と認 め た る こと は総 て之 れ正 当 な り とし 、露 国 に対 し 応諾 を強 ゆ る こと であ る。之 れ大 連 長 春 会 議 の決 裂 を見 る に至 つた原 因 で、要 す る に日露 協商 に当 つては 、
第 二 二五 号
哈 爾 賓 事務 所
日本 は此 の欠 点 を捨 て相 互 平等 の権 利 を以 て開 始す べき で あ る。
四
大 正 十 二 年 五月 二十 二 日 労農 政 府 の日露 通 商希 望
五 月 廿 一日来 哈 し た労 農 露 西亜 極 東 交通 部 代 表 カ ルネ ー エ フ及 極 東 鉄 道 船 舶商 事 派 遣 員 プ チ ヤ ロフ スキ ー両 氏 が、 日露 通 商 に就 て語 れ ると ころ左 の如 し 。 日露 通商 開 始 も極 め て近 き将 来 にあ る こと と信 ず る。最 近労 農 政 府 と 西欧 諸 国 と の国 際 関 係 面白 からざ る を以 て、此 際 政府 は速
第 二 三、 二 五号
五
哈爾 賓 大 塚情 報
大 正 十 二年 五 月 二十 三、 二十 四 日
労農露 国 の対 日好 意
哈爾 賓 ポ コージ ン公舘 は 五月 二十 日附 を 以 て莫 斯 科 政府 より 左 の 電 命 に接 し た 。
露 国 及 極東 露 領 に於 け る 日本 人 に対 し ては 1 、監 督 を緩 和 す る こと。 2 、自 由 に移 動 を許 可 す る こと 。
第 二 七号
哈爾 賓 大塚 情 報
3 、重 大 な る 犯罪 と 見做 し たる時 のみ拘禁 逮 捕 す る こと 。
六
大 正十 二年 五 月 三十 一日
中 島 、武 藤 の両 人 は遂 に五 月 二十 三日夜 浦 塩 監獄 に於 て銃 殺 さ れ
浦 塩 に於 け る日本 人 の銃 殺
は ん と し て居 る。 即莫 斯 科 政府 は 日露通 商 開 始 の近 き を 予期 し 居
た 。邦 人 は猶 該 監 獄 に七名 、 イ ルク ツ ク監獄 に二名 監禁 せら れ 居 り 、
か に日 本 と通 商 を開 始 し 、 西伯 利 及 欧露 の物 質欠 乏 を徹 底 的 に補
る が如 く 、我 等 は今 回満 鉄 及東 支 鉄 道 の輸 送 能力 の調 査 を命 ぜ ら
此等 は近 く知 多 国 立 警察 庁 に収容 さ れ る筈 にあ る。
尚 極東 露 領 の鉄道 (殊 に黒 竜 鉄 道 ) は破 損 程度 甚 し き を以 て、 七
れ 来 哈 し たも ので あ る。
之 が修 理材 料 を購 入 し度 い希 望 も 有 し て居 る。
庶 調 情 第 一九 二号
大 正十 二年 六月 十 二日
哈 爾賓 大 塚情 報 (三四 )
社 会 主義 者 佐 野 学 の行 衛 (哈 爾賓 労 農代 表 公 舘 調) 佐 野 学 は東 京 よ り北 京 に密 行 し十 一日 同 地発 十 四 日 哈爾 賓 着 の予
佐
佐
田
藤
野
ア
サ ル
ハ キ
ロ ス
フ
ガ ウ リ イ ル ・ソ ロビ ヨフ
定 。 佐 藤 、岡 田 の両 名 も 同行 す る筈 であ る。彼 等 の露 名如 左 。
岡 更 に在東 京 ヨツ フ エ秘 書 役 よ り十 一日夜 ポゴ ージ ンに達 し た電 報 に依 れば 、 佐 野 は六 月 七 日 日本 を出 発 し十 二 日北 京到 着 の予定 で六
哈 爾 賓 大塚 情 報
月 十 四 日、 五 日頃 北 京 を発 し哈爾 賓 を経 て知 多 及 莫 斯科 に向 ふ べき
第 三 四号
を 以 て査 証 其 他 の準 備 を請 ふ。
八
大 正 十 二年 六月 十 二 日 日露 予 備 会議 委 員 任命
日露 予備 会 議 は 七 月十 五 日東 京 に於 て開 催 の筈 にな つ て居 るが 、
表
田中 外 務 次 官
後
川
藤
上
新
俊
平
彦
側
佐
本 代
員
日
委 員 は左 の如 く 任 命 さ れた 。
補
松平 欧米局長
委 同
補
代
員
佐
表
ア ン ト ノ フ
カ
ヨ
ラ
ツ
ハ
フ
ン
エ
露 西 亜 側
委
クー ルスキー
ポ
コ ー ジ ン
同
哈 爾 賓 大塚 情 報 (三五)
同
九
大 正十 二年 六月 十 四 日
社 会 主義 者 佐 野学 の行 動 六月 十 三日 ポ コージ ン着 電
佐野 学 は六 月十 二 日北 京 に到 着 六月 十 六 日北 京 発哈 爾 賓 を経 て知
哈爾 賓 労 農 側 の言 に依 れ ば同 氏 は 六月 二十 五 日よ り知 多 に開 会 せ
多 に向 ふ。
ら るる第 三国 際 共産 党 会 議 に列 席 し併 せ て日本 社 会主 義 結 社 よ り莫
を目 的 と し て居 る模 様 であ る 。
哈爾 賓 大塚 情 報
斯 科 第 三国 際 共産 党 に対 す る資 金 の供 給 、 事業 の指導 並 に重 要書 類
一〇
第 三 八号 日露 会 議 と 宣伝 中 止
大 正十 二年 六月 十 九 日
莫 斯 科片 山 潜 より哈 爾 賓 労 農 公館 に達 した る報 に依 れば 、 最 近 日
集 せ ら る べく 、目 下 計 画中 な る 日 本 の策 動 準備 、朝 鮮 の政 変計 画 其
露 会議 開 始 せ ら る る に つき、 在 支 那 日本 共産 党 員 は全 部 莫 斯科 に召
つ労農 露 国 の実 状 を視 察 せ る川 上 公使 が、 日本 の代表 とな つた のは
歩 を為 す とも 其 成 立 を希望 し て居 る 。特 に露 国 の事情 に通 暁 し、 且
観 し 、甚 だし き 屈辱 と特殊 の犠 牲 を払 は ぬ限 り、 或 る程 度 ま で の譲
る。
一三
第 四六 号
奉天公所
交 渉 上 一層 好 都 合 に し て、同 会 議 の成 立 を 信ず る 一資 料 とな つて居
他 一般 の宣 伝 は会 議 終 了 迄中 止 す る筈 。 因 に片 山 潜 は露 国 臣 民 と し て重 要 な る職 務 に参 与 し て居 る。
一一
大正十二年 六月二十五日 長春地方事務所 (五八)
露国共産党幹部は莫斯科 に於 て樺太売却問題 に関す る協議会を開
根 底 無 き暴 論 多 し )
側 に対 し要 求 す べき 条件 とし て述 べた る も の概 ね 左 の如 し。 ( 註、
今 回 の日露 協 商 に対 し支 那官 憲 の意 見 を叩 き た る に、 日本 が露 国
支那 官 憲 の日露 通 商 観 ( 奉 天 特務 機 関 報)
大 正 十 二年 七月 二十 四 日
催した。而して哈市左党諸機関 に意見を徴せし にジダーフは ハイド
樺太売却問題に関する哈市左党側 の意見
(北満特務機関報)
ルコムを代表 し、樺太売却は アラ スカ半島売却 と同様 に露国 の為め
こと。
5 、尼 港 事 件 の賠 償 と し て東 支 鉄道 南 部 線 を満 鉄 に譲 渡 せし む る
4 、極 東 に於 け る海 上 及 江上 には全 然 兵 備 を施 さざ る こと 。
軍 事 施 設 を為 さざ る こと。
浦 塩 の現要 塞 は完全 に破 壊 し 、 日本 も朝 鮮 国境 及 樺 太 に同 様
明 せし む る こと。
3 、沿 海 州就 中 浦 塩 及露 支 国境 に軍 事 的施 設 を為 さざ る ことを声
と。
2 、鳥 拉爾 以東 中 央亜 細 亜 に於 け る機会 均等 主 義 を採 ら し む る こ
1 、沿 海 州 を開 放 し 浦塩 を自由 貿 易 港 た ら しむ る こと 。
一、軍 憲側 の 観察
哈爾賓大塚情報
有害 であると主張し、職業同盟会側 は目下 の財政改善 の為め之 を売 却すべし と主張 した。 一二 大正十二年七月三日 第四四号
日露会議 に対する労農露国民 の観察 六月三十日莫斯科 より哈爾賓 に帰着 した前 ドル コム秘書役ジブ ロ 今次 の日露会議 の成行如何 に関しては莫斯科政府並に莫斯科市民
フ氏 の談。 一般 に重大なる注意 を喚起して居るが、 一般 に其 の成立を期待 し楽
6 、黒 竜 江 の自 由 航 行 を認 めし む る こと 。
治
派
7 、極 東露 領 に於 け る 不逞 鮮 人 の武 装 を 解 除 せし む る こと 。 二、文 1 、 日露 通 商 は自 由 貿易 を本 旨 と し、 各 税 関 の税 率 を統 一せ し む る こと 。
の自 由 を 許 さし む る こと。
2 、極 東 露 領 及中 央 亜細 亜 の門 戸開 放 、 機 会均 等 主 義 を認 め 居住
な らし め 、露 国 政 府 に於 て之 に相当 の保 護 を与 ふ る ことを 保障
3 、烏 蘇 里 、黒 竜 、西 伯 利各 鉄 道 沿線 に於 け る企 業 、投 資 を 自由
せ しむ る こと。
と。
4 、 沿海 州 の沿岸 漁 業 は適 当 の条 件 を附 し て自 由 出 漁 せ しむ る こ
る こと 。
5 、黒 竜 江 其他 極 東 露 領 内水 域 の漁 業 も両 国相 互 の自 由 なら し む
6 、北 樺 太 は 日露 間 の協 定 如 何 に拘 らず 列 国民 の居住 を も自由 な ら しむ る こと 。
哈 調 第 一五八 号
哈爾 賓 事 務所 長
7 、露 国 が 以上 の条 件 を認 めた る とき は 日 本 は進 ん で労 農 政府 を 承 認 す る こと 。
一四
大 正十 二年 九 月十 七 日
哈 爾賓 労 農 代 表 の北 満 日本 人 に対 す る意 見 書 写 首 題 の件 に関 し在 哈 大久 保 内 務事 務 官 の入 手 し た るも の御 参 考 の
為 左 に報 告 致 しま す 。
当 地 労 農代 表 た り し ポ ゴ ージ ンが北 満 に対 す る 日本 人 の状 況 及 対
策 に関 し 意 見書 を 知多 に提 出 し た る が其 の写 次 の如 き な り。
︹マ マ︺
題 目 、 日本 人 の東 支 沿 線 に於 け る行 動 及其 の政策 に関 す る件
我 が赤 軍 が沿 海 州 に入 りた る後 の日 本 人は 東 支 沿線 に於 て政 策 、
即 ち経 済 上 に於 け る地位 は益 々強 固 と な り、 満 洲全 部 に其 の勢 力 を
振 へり。其 の道 程 三 あ り。 第 一は哈 爾 賓 を中 心 と し て沿 線 に資 本 を
政府 が数 百 万円 を 投 下 し て経 済戦 に当 ら し め つ つあ り。
投 下 せ る ことな り 。即 ち南 満 線 よ り漸 次 北 に向 ひ東 支 線 に入 り て、
第 二は 日本 官 憲 よ り派 遣 せ る諸機 関 によ り微 細 の点 に至 る迄 も 調
る 日米 両 国競 争 に際 し米 国 に 一歩 も譲 ら ざ ら んと し つ つあ り。 此 の
査 し て、 他 日 の 日露接 近 の準 備 に忙 は し く、 他 日満 洲 及 極東 に於 け
間 に処 し 吾 人 は朝 鮮 に於 て活 動 せ ん とし 、 日本 社 会党 と結 び て努 力
し つ つあ り て我 が北京 使 節 は 露 支国 民 の接 近 に努 力 し、 南 支那 社 会
に努 め て支 那人 に日本 人 と の間 を疎 隔 す るに は支 那社 会 党 を利 用 せ
編注、傍︺ 党 をし て日 本 を排 斥 す べく 運 動 を 起 さし め た り。︹点 は松岡 露支接近
り 。而 し て日本 人 の我等 の動 作 を 監視 す る こと厳 重 な り。
第 三は 、 日本 軍 事探 偵 とも 称 す べ き軍 事使 節 の範 囲 、即 ち哈 爾 賓
及 沿線 に於 け る使 用 人 は 、ポ ク ラ ニチ ナ ヤ、 チ チ ハル、 満 洲 里等 に
の計 画 の下 に働 き つ つあ り。 殊 に伝家 甸 に重要 機 関 を設 け 、支 那 軍
於 て活 動 し 、 日本 外 交家 と対 抗 し つ つあ り。 日本 軍閥 殊 に参 謀 本 部
人 、 人民 、 白軍 残 党 の間 に勢 力 を ば拡 張 し つ つあり 。尚 支 那外 交 官
と の間 に接 近 し つつあ り て、 東 支 沿線 の不 秩序 、即 ち 日本 人 の危 険 、
日 本 人所 有 財産 に対 す る脅 迫 を俟 ち 且希 望 し つ つあり 。外 国 軍隊 は
全 然 此 の地 方 に駐 在す るも のなく 、亦 駐 在 せ し む る こと は容 易 にあ
三、 露 国 避難 民 に就 いて
地問 題 に就 て は欧 洲特 に倫 敦 にては 多 大 の注 意 を払 つ て居 る。
長 春 地 方事 務所 長
北 公報 第 三〇 号
機 関 の活 動 に就 て は追 つて報 導 す べ し。
一六
大 正 十 二年 十 一月 二十 九 日
日露 、 露 支両 会 議 と露 支 代表 の動 静
支 会 議 は、 其 後支 那 側 に於 て カ ラ ハン氏 の態度 に対 し 不満 を 表す る
労農 露 国 極 東 代表 カ ラ ハン氏 の来 京 以来 開催 説 伝 へら れ居 た る露
北 京 公所 長
の巴 里御 着 は多 大 の注 意 を以 て迎 へら れた り 。尚 西欧 の近状 及我党
最 近 ニ コラ エヴ イ チ大公 殿 下 ニツ ツ ア市 よ り巴 里 に来 ら れ、 殿 下
四 、欧 洲 に於 け る帝 政 派 の状 況
救 済 に就 き て は最 善 の策 を取 ら れ た し。
支 那 に於 け る露 国 避難 民 の窮 状 に は深 く遺 憾 の意 を 表す 。彼 等 の
らず 。 故 に日本 軍 によら ざ る を得 ず 。而 し て日本 は之 に対 し て準 備
の軍 事 的 行 動 を起 す を得 べし 。
す る処 あ り。長 春 に於 け る準備 即 ち 之 な り。 一朝 事 あ れば直 ち に其
斯 く の如 く 三方 面 よ りし て日本 は東 支沿 線 に向 ひ つ つあ り 。我 等 は 此 の三点 に注目 を怠 らず 。 土 地問 題 に付 ては 我等 は更 に注目 を怠
カ ラ ハ ン到着 迄 は東 支 線 問 題 は勿 論 、 土 地問 題 は外 国 外 交官 の動
らず 同 時 に、諸 外 国 外交 官 等 の行 動 も 注意 し つつあ り 。
庶 調 情第 六 二六号
作 を詳 知 す る に止 め、 我 等は 現 状 を保 持 す る に努 む べ し。
一五
大 正十 二年 九 月 二十 九 日
在 巴 里露 国 帝 政高 等 議 院長 マ ル コフ の書 信
し て、露 国 に対 し共 同 動 作 を執 ら ん 事 を策 し 、此 目 的 を以 て本 日当
者 多 く 、目 下 の所開 期 不定 な る為 支 那代 表 王 正廷 氏 は 日本 と 相策 応
マ ル コ フ八 月 五 日附 巴 里 より 長春 避 難 民 ド ムラ チ エーフ に宛 て た る書 信 左 の如 し 。
カラ ハ ン氏 は 日露 、露 支両 会 議 当 分開 催 の見込 無 き為 、 一時 帰 国
地出 発赴 奉 し 、 張作霖 に謁 し た る後 日 本 に赴 く筈 な り 。
し来春 再 び来 京 す べし と の説 外 間 に伝 へら るる も、同 氏秘 書 シ ユヴ
露 国 が将 来 極東 に於 て盟約 を結 ぶ べ き国 は 日本 な るべ きは論 を俟
一、 日露 会 商 に就 て
一致 点 を見 出 さ ん とす るは誤 れ るも甚 し き も ので日露 会 商 も 結 局何
ア ルサ ロ ン及 当 地労 農 公館 情 報 部主 任 レベ テ フ両 氏 は貴 島 所員 に対
た ざ る も 、帝 政主 義 た る日本 と共 産主 義 たる露 国 と会 商 し、 相 互 に
し、 カ ラ ハ ン氏 は 二 三 ケ月後 適 当 な る時 期 を見 て渡 日 の希望 を有 し 、
もし居 らず と語 れ り。 恐 ら く誤 報 な ら んと 思惟 せら る 。
目 下其 準 備 をな し居 れ り。執 行 委 員会 議 云 々は其 の必要 も 無 く希 望
等 得 る処 無 く し て終 結 を告 ぐ る であら う 。
今 や支 那 は自 力 を以 ては国 内 の整 理 す ら為 し得 ざ る に拘 らず 、徒
二 、東 支 土 地 問題 に就 て
ら に事 を好 み紛紜 を醸 し外 国 の干渉 を招 き つ つあり 、今 回 の東 支土
一七
次
哈調 第 四 六号
秘
日露 協 商 に対 す る哈 市 外人 側 の意 見
大 正十 二年 八 月 三 日
目
哈爾 賓事 務 所 長
在哈市
陸軍 少 将
日露 協 商 に対 す る哈 市 外 人側 の意 見
一、 哈市 左 党 側露 人 の観 察
松 井 石 根
日露 会 議 の開 催 に際 し 従来 労農 露 国 の政 治経 済 並社 会 生 活 を研 究 ︹ ヴ︺ し 、 且又 露 国 左党 機 関 例 へば外 国貿 易 (ワネ シト ルグ) 中 央購 買 組
合 (ツ エ ント ロソ ユーズ ) 万国 職業 同 盟 会 (プ ロフイ ンテ ル ン) 及
研 究 し つ つあ るが 、又 彼 等 の対 日感 情 が如 何 な る情 況 にあ るか を考
其 の他諸 結 社 の哈市 に於 け る代 表者 等 が、如 何 に 日本 の実 情 を注 意
1 、 日 本 に於 け る経 済 界 の窮 迫
一、 哈 市 左党 側露 人 の観 察
の国 内 を脱 し居 ら ざ る こと は吾 人 の均 しく 認 む る所 な り 。日 本 の商
商 工業 の停 滞 は 近代 に於 け る世 界共 通 の事 実 にし て、 日本 も 又其
日本 に於 け る経 済 界 の窮 迫
察 し 、今 回 の日露 交渉 に関 す る所 見 と し て次 の如 く 述 べ ん。
4、 日露 問 題 を先決 とす る 理由
工業 は欧 洲 大 戦 以 来 日本 軍 の出 兵 当時 迄 は実 に繁 栄 の極 度 なり し も、
1
2、露 国 の政情
5 、 日露 協 商 に依 る日 本 の利 得
爾 後 漸 次衰 頽 に傾 き遂 に実 業界 に於 け る企 業 の縮 少 、 加 之官 衙 に於
3 、露 国 の利 得
6 、 日露 協 商 は 如何 にし て行 は るべ き や
け る人員 の縮 少 等 の実 現 を見 、是 が為 失職 者 は 著 しく 増 加 せり 。如
7 、 共産 党 の活 動 二 、右 党 露 人 の日露交 渉 観
な りと す 。
斯 日本 の経 済界 の逼迫 は 日露 通商 の必要 を叫 ば し む る に至 れ るも の
2
伝
1、 日 露協 商 は果 し て好結 果 を齎 す べ き や
露 国 の革 命 は遂 に ソヴ エト政 権 を樹 立 せり 。該 政 権 は元来 チ エカ
2、 宣 三 、無 所属 露 人 の日露 協 商観
露 国 の政 情
四、 日 露 交渉 に対 す る英 米 人 の観 察
を終 了 し得 た るな り 。其 の結果 ソヴ エト露 は内 政 の整 理 と同 様 に又
五 、支 那側 の観 察
首 題 の件 に関す る当 地松 井 少将 の調 査 御 参 考迄 送 付す 。
た るは 周 知 の事 実 にし て、 革命 以来 五箇 年 の苦 戦奮 闘 に依 り国 内戦
即 ち現在 のゴ スポ リト (国 家 政治 本 部 ) の支 援 に依 り て維持 せら れ
(別紙 )
に於 け る有 力 な る隣接 国 たる 日本 と 通商 を開 始 せ ん と せ るは勿 論 な
逼 迫 状 況 に在 る現 在 の財 政 を改 善 す る 必要 を痛 切 に感 じ 、先 づ 極 東
大 正十 二年 七月 二十 五日
対 日関 係 に於 ては 、彼 等 が自 然 的富 源 の貯蔵 庫 と看做 し つ つあ る極
東 に於 け る漁 業 、 森 林業 、 鉱 山業 及農 耕 業 の コ ンセツ シ ヨンを 日本
り。 3
る、自 国 の経 済的 勢 力 を大 に伸 張 し 得 る は勿論 な るべ し。 是 れ 又 日
人 に譲 与 す べ し。 若 し是 れ が実 現 の暁 には 日本 は少 く も極 東 に於 け
露 国 の利 得
斯 の如 く し て日露 交 渉 が 今 回開 始 せ ら る る こと は明 白 な り 。労 農
右 の如 き 所 諭 に依 れば 、露 国 は日 露協 商 に依 り て自国 の領 土 に日
本 の対露 協 商 の主 眼 たらざ る べ からず 。
露 国 は 日露 協 商 に依 り て何 物 を獲 んと す る や、是 素 よ り政府 当 局 者 の秘 密 にし て吾 人 の断 言 す る能 はざ るも のな り と雖 、尠 く も一 極 東
本 の勢 力 を殊 更 に輸 入し 、恰 も 自 己 の主 義 方針 を 一変 せ る感 あ る も
に於 け る対外 関 係 を完 全 な らし む る こと 、二 之 れ に依 り て労農 露 国
是 れ労農 政 府 が 、自 己 の対外 根 本 政 策 、即 世界 革命 実現 の為 には 、
日本 が種 々の コン セツ シ ヨンを得 て投資 す る に至 れば 、勢 ひ日 本支
が看 過 す べ からざ る は即 外 人 の殖 民 問題 な り。若 日露協 商 が実 現 し、
時 的 方便 と し て外 国 の資 本 を露 国 に輸 入 せ んとす る に在 り、 尚吾 人
先 づ 国内 の財 政状 態 を改善 す る の必 要 な る を自覚 し居 る が故 に、 一
が極 東 住 民 間 に於 て経 済並 に政 治 上大 な る発 展 を 為 さ ん とす る こと
日露 問 題 を先 決 と せ ん とす る 理由
こと丈 けは 明瞭 なり 。
三東 支 鉄 道 を根 本 条 件 とす る露 支会 議 の開催 の為 、極 め て有 利 な る
4
那 及 朝 鮮 の労 働 者 が露 国 に移 住す べき は当 然 な り。 然 ら ば尠 く も極
労 農 政 府 が極 東 に於 て露 国 の圏 外 には日本 の存 在 以 外 に何 も のを も認 め ざ る を以 て 、先 づ 日露 問 題 を 解決 せん とす る こと は豪も 疑 な
東 に於 て、 一大 労働 社会 の実現 も亦 自 然 な りと言 ふ べし 。而 し て此
ア に対 抗 せ し めん と す るは 即是 れ共 産 主義 者 の使 命 な り 。 日本 の労
し。若 日露 通 商条 約 が締 結 せ られ た る暁 には 、支 那 商 人 は露 国 側 の
働 者 は ソヴ エー ト露 国領 内 に於 て先 づ 、 共産 主 義 に依 り て指 導 せら
の労 働 社会 をし て万国 職 業 同盟 会 の綱 領 に依 り て指 導 し 、ブ ルジ ヨ
6
る る露 国 労働 者 の精 神的 、 且 又物 質 的 生 活 を実 現 す べく 、 且現 在 日
圧迫 を受 く る に至 る。 且露 国 が渾 沌状 態 にあ る支 那 政 府 に対 し、 更
日 露 協 商 に依 り て 日本 が如何 な る利 益 を得 べき や は予言 し難 し と
本 に於 け る共産 主 義 及社 会 主 義者 等 は、 日露 国 境 開放 に依 り て露 国
に 一層 強 硬 な る態度 に出ず る べき や 当然 な り 。
雖 、 現 在 の労 農 露国 の情 況 よ り推 察 す る に、 現在 労 農 政府 は財 政 的
日露 協 商 に依 る日本 の利 得
窮 迫 のド ン底 に在 り て、 住 民 の生 活 難 は益 々其 の度 を加 へつ つあ る
汲 た り。然 る に政 府 は住 民 の生活 の安 定 を与 ふべ く 、露 国 の商 工業
実 生 活 を以 て為 し得 るな り。 支 那 朝鮮 の労 働者 は敢 て論 ず る に足 ら
更 に露 国 の使命 とす る共産 思 想 の宣伝 を単 に言 語 に於 て のみ な らず
るも 、其 の裏面 に於 て其 の投 資 に依 る収 益 を 日本 と 二分 す る を得 。
要 す る に露国 は 日本 の投 資 に依 り て、 日 本 の勢 力 を極 東 に伸 張 す
に出 入上 大 に自 由 を 得 る に至 るべ し。
を開 発 す べ き充 分 な資 金 を有 せず 、 従 つて種 々 の コンセ ツ シ ヨ ンの
主要 な動 機 を 一掃 せん が為 、 現在 の財 政的 窮 迫 を改 善 せ んと し て汲
故 に、 労農 政 権 は 住 民 の生 活難 、 即 反 政府 的 思想 を 民間 に惹 起す る
譲 与 を条 件 と し て外 国 の投 資 を仰 が んとす る も のな り。 而 し て先 づ
て自 己 の使 命 とす る労 農露 国 に於 てを や。 斯 の如 く 日露 協 商 に対 す
少 く も其 の愛 国 心 の稀 薄 と な れる は事 実 な り 。而 も 之 れ何 等 彼等 に
模範 者 た る独 逸 人 が多 年露 国 に居住 せ る為 、同 化 と迄 は行 かざ る も
べ からざ る事 実 な り 。現 に帝 政 時代 に於 て愛 国心 を 以 て他 の民 族 の
ず 。 又 日本 の労働 者 と雖 、露 国 労働 者 に同 化 せ ら れ行く こと は免 る
是 労 農政 府 が 日露 協商 を切 望す る 一因 なり と 云 ふ べし 。
し、 直接 連 絡 を 通 ぜ ん が為 には外 国通 商 関 係 を樹 立 せざ るべ か らず 。
す に至 れ り。然 る に正 式 に外国 に高 級 職 業 同盟 会 を通 じ て共産 主 義 ︹ 原文ノママ︺ の宣 伝 を為 す に至 れり 。然 る に正 式 に外 国 に万国 職業 同 盟 会 を設 置
窮 乏 に鑑 み、 主 と し て万 国 職業 同 盟会 を通 じ て共 産 主義 の宣伝 を為
動 をな し つつあ る は明 白 な る事 実 な り。 然 る に最 近 に於 ては国 庫 の
物 交 換 の形 式 に於 て行 は る べき も のな り 。現 在露 国 に於 ては僅 少 の
が全 然 購買 力 を有 せざ る こと は明 かな り 。従 つて最 初 日露 協 商 は物
現 在 露 国 の財 政 の窮 迫 殊 に住 民 の生活 難 は前述 の如 く し て、 住 民
6
は 飽く 迄 も 其 の使 命 と す る所 、 即世 界 革命 と赤 化 に対 し陰 に陽 に勇
が反 日政 策 を放 棄 せる も のな り と は断 じ て言 ふを許 さず 。労農 政府
露 予備 交 渉 の開 始 及 左党 言 論 界 の対 日 論 調 の変 更 を以 て、労 農 政府
言 論 界 の対 日態 度 を之 に便 す る如 く 指 導 し つ つあ り て、要 す る に日
待 せ る第 三 日露 会 議 の開 催 運動 を行 ふと同 時 に、 一方 に於 ては 左党
撃 的 論 説 を見 ざ るな り 。要 之労 農 政府 は ヨツ フ エの渡 日 に依 り て期
に於 ては ヨツ フ エの渡 日以 来態 度 を 一変 し、殆 ん ど日本 に対 す る攻
従 来 反 日宣 伝 を 為 し来 れる極 東 に於 け る ( 露 国側 )言 論 界 (左党 )
思 想 の宣 伝 を行 は ざ りし 当時 に於 てな り。 況 や現 在 の如 く 宣 伝 を 以
る概 括 的見 地 より す れば 、 日本 は之 に依 り て物質 的 利益 を得 ると 雖 、
一部 を除 く 外 は悉 く 国営 事 業 な る を以 て 、此 の物 々交 換 も英 露 通 商
往邁 進 す るも のな り 。
日露 協 商 は如 何 に し て行 は るべ き や
に於 け ると 同 様 に、 日露 合 弁 の営 業 機 関 に依 り て行 は るべ き な り。
精 神 的 には共 産 化 を伴 ふ べき も のな り 。
即 日本 側 は 其 の製 作 品 を露 国 に輸 出 し 、露 国 側 は之 を地 方 に売 却 す 。
対 日関 係 に於 て は先 づ朝 鮮 を 赤化 す べし。 元 来 朝鮮 人 は同 化 性 を
過 激派 と妥 協 し居 るも の尠 からず 。労 農 政府 は多 数 の鮮 人 を共 産 党
有 す る も の にし て彼 等 を赤 化 す る は容 易 なり 。 殊 に日本 に併 合 せら
学 校 に入学 せ し め、 彼 等 に共 産 思想 を吹 き込 み、 且愛 国 心 を鼓 舞 し 、
共 産 党 の活 動
も の にし て、 是 れ が為 住 民 の反共 産 思 想 の熱 烈 な る ことは事 実 な り。
7
又露 国側 は 日 本 に生 産 品 を輸 出す べし 。
故 に共産 党 に依 り て掌 握 せら る る現 労農 政府 は、 反共 産 思 想 の緩 和
以 て朝 鮮 革 命 運動 に従 事 せ し め んとす 。 哈市 左 党 側 の有 力者 等 は日
れし以 来 、 所謂 不逞 鮮 人若 く は 朝鮮 独 立 団 な るも のを露領 に組 織 し 、
及 労農 国 の承 認 を得 んと し て、 対外 国 通 商 を開 始 せ ん とす るも のな
つつあ り。
露 協 商 を 以 て、 共産 思 想 を 日本 に伝播 す る最 善 の方便 な りと看做 し
露 国 の財 政 的逼 迫 及 住 民 の生活 難 は共産 党 政 権 の施 政 方 針 に基 く
り 。殊 に労 農 政府 が前 述 の如 く世 界 革 命 を 実現 せん とす るは 、彼 の
故 に若 日本 が対 露協 商 を締結 す ると き は先 づ 、過 激 派 の対 日陰 謀
根 本 目的 に し て是 れ が為 には国内 の財 政 困難 を も省 みず 、 莫 大 な経 費 を投 じ 万国 共 産党 又は 万国 職 業 同盟 会 を手先 とし 、世 界 的 赤 化運
にあ らず 。故 に吾 人 は 現労 農 政 府 と の 一切 の交 渉 を 不満 と認 む る も
と は 世 界 一般 の認 む る所 に し て、真 の露 国 民 の意 志 を代 表 す る も の
現在 の露 国 政 権 が多 数 の猶 太 人 に依 り て掌 握 せ ら る るも のな る こ
帝 政主 義 且反 日宣 伝 が広 く 民 間 に於 て行 は れ た る露 国 に於 て 、日 本
数 の日本 人 が露 国 に移 住 す る に至 る べ し。然 る に共 産 党 に依 り て反
及 原因 た る や無 論 な り。 又 之 と同 時 に 日露協 商 実 現 の際 は 、勢 ひ多
し 、 且又 日本 が 曾 て敵 視 せる共 産 思 想 を、 日本 に伝 播 せ しむ る動機
斯 く の如 く 日露 交 渉 は 日露 親 善 の切 望 者 た る真 の露 国民 を反 日化
又反 日 的 煽 動 に努 力 し つ つあ るな り 。
のな り 。 現 に日露 交 渉 の如 き は然 り 。是 れ第 一に日 露親 善 を切 望 す
の移 住 者 が果 し て如何 な る境 遇 に陥 る べき や 、実 に寒 心 に堪 えざ る
と 正 反 対 な る帝 政 主義 の撲 滅 を 企 て 、共 産 思 想 を宣 伝 す ると同 時 に、
る真 の露 国 民 の意 志 に基 け る も の にあ らず し て、 自 称露 国 代 表 者 た
な り 。将 来 露 人 の対 外 人関 係 は 頗 る寛 大 なり と 雖、 其 の奥底 には何
に対 し予 め是 れ が対 抗 策 を講 究 せざ る べか らず 。
る猶 太 人 の陰 謀 に基 因 し 、第 二 に 日本 が露 国 の困 難 に乗 じ自 国 の為 、
人 も犯 す べ か らざ る愛 郷心 を有 す る は事 実 な り て、 而 も西 伯利 及 極
二 、右 党 露 人 の日露 交 渉 観
べ から ず 。
而 も 犯罪 分 子 を以 て網 羅 せ ら る不 正 の政 権 なり 。故 に吾 人 即真 の露
らず し て 、早 晩 是 れ が撲 滅 の時 機 が到 来 す べ きも のな る を知 らざ る
ざ る べ か らず 。 現在 に於 て日 本 は現 労 農 政権 は永 続 す べ き も の にあ
の災 禍 を顧 り 見ず し て刻 下 の利 益 に没 頭 す る は蓋 し 不得 の策 と言 は
国 民 の生 活 を 安定 なら し め ん が為 に努 力す べき も のな り と雖 、将 来
抑 国 家 の政権 な るも のは何 れ の国 を問 はず 皆 自国 の利 益 を尊 重 し、
れ居 るを 以 て 、 日本 の移 住 民 は必 然逆 境 に陥 るべ き な り。
東 に於 ては 巧妙 な る共産 党 の宣 伝 法 に依 り て、反 日思 想 が伝 播 せら
有 利 な る協 約 を締 結 せ んと す る野 心 に拠 り て開催 せら れ た る や疑 ふ
日本 国 民 が概 し て現 露 国 の実情 に通 暁 し 居 らず と雖 、尠 く も 日本 政府 は労 農 政 権 の何 者 た る や、其 の思 想 及 根 本 目的 如 何 、 並 に真 の 露 国 民 の対 労 農 政府 関 係 等 に関 し て熟 知 し居 るは勿 論 な る べし 。
国 民 は列 国 の対 労農 交 渉 を以 て、 不法 と認 む るは 当然 の理 な るべ し 。
前 述 の如 く 現 露国 政権 は猶 太 の陰謀 に依 り て実 現 せ る も の にし て、
若 日 露 交渉 が具 体 化 し 、何 等 か の条 約 を締 結 す ると き は 、単 に其 の
べ か らず 。
又列 国 の対 労農 策 の誠 意 を疑 ひ つ つあ るな り 。殊 に日 本 の如 き は自
是 れ が 正 当 の交 渉 な り と認 め ざ る のみ ならず 、真 の 日露 親善 を希 望
念 が決 し て絶 滅 し居 らず 、 故 に吾 人右 党 側 は 日露 交 渉 に関 し 、勿 論
是 皮 相 的服 従 にし て 、彼 等 の心底 に露 国 の所 有 者 が帝 王 な り と の観
露 国 の農 民 は共産 党 の脅 威 圧迫 を受 け彼等 の施 政 に屈従 し居 るも 、
条 約 が不法 な りと 否 認 せ ら る る の みな らず 、是 れ露 国 民 の反 感 を 益
国 の対 露 策 を 一変 し、 労 農 露 国 と提 携 を 試 み つ つあり 、是 れ が為 露
す るも のと し て、 日露 政 府 当 局 者 に対 し更 に 一考 を促 さん と す るも
増 長 す るも のなり 。 現 在露 国 民間 に於 ては反 猶 太 熱 愈熾 にし て、 且
き に非 ざ るも ) 日本 政 府 の誠 実 を疑 ひ、漸 次反 日感 情 を抱 く に至 れ
のな り 。
国 右 党 分 子 は (或 は世 界 の大勢 並 日本 の実情 に通 暁 し 居 らざ る感 な
り。 加 之 、労 農 国 即 過 激 派 は仮 令 日露 交渉 を為 す と 雖 、自 己 の思 想
日 露 通 商 条 約 の締 結 は共産 党 の 日本 に於 け る思 想 の宣 伝 を 可能 な
に於 て絶 対 に行 はざ る こと を条 件 とす べ き も 、是 れ英 露 通 商 条約 の
ら しむ るも のな り 。或 は条 約 締 結 の際 、 共産 思 想 の宣 伝 を 日 本内 地
日露 協 商 は果 し て好 結 果 を齎 す べ き や
労 農 露 国 は種 々 の物 質 の欠 乏 し 居 る こと は事 実 にし て、 政 権 は外
一
国 の製作 品 を輸 入 し 、 又国 内 の諸 工 場 の製 造 力 の復 旧 に努 め つ つあ
す る も のに あら ず 。尤 も其 の当初 に於 ては 公然 の宣 伝 は行 はざ る べ
き も 、通 商 の結 果種 々派 遣 員 が日本 に入 り 込 む べく 、而 も彼 等 の根
結 果 に照 らし ても 明白 な る如 く 、共 産 主義 者 は到 底 此 の条 件 を履 行
本 目 的 が共 産 思 想 の宣 伝 にし て、 且世 界 プ ロレタ ーリ革 命 の実 現 を
るも 、 政府 は所 要 の経 費 を有 せず 、 又 一般 住 民 の購買 力 が殆 ん ど 皆
実 行 す る の外 、他 に方法 な き は勿 論 な り 。露 国 は元来 主 とし て生 産
以 て自 己 の理想 使命 とす る以 上 、単 に通 商 業 務 のみ に没 頭 す るが如
無 の状 態 にあ るを 以 て、 日露 協 商 な るも のは結 局物 々交 換 に依 つて
て微 弱 にし て 、又 農 耕 力 と 雖農 耕 機 械 の欠 乏 と労 働力 の不 足 のた め 、
物 及 農 産物 を外 国 に輸出 し来 り た るも 、 現在 の露 国 の生 産 力 は極 め
が具 体 化 す る は無 論 な り。 其 の方法 に関 し て多 く の実例 あ り。 職 業
き は絶 対 にあ る可 からず 。 彼 等 は秘 密 準 備 的 宣伝 を 行 ひ、 漸 次是 れ
同 盟 会 の如 き これな り 。彼 等 は日 本 に於 け るプ ロ レタ ーリ を後 援 し 、
外 国 に輸出 す べ き余 裕 を有 せざ る状 態 にあ り、 是 即労 農 政 府 が諸 事
的 に事 業 を 開 発 せ ん とす る者 な き為 な り 。故 に日露 協 商 は物 々交 換
と雖 、 内 面 に於 て は直 接間 接 に反 政 府的 思 想 を 吹込 み、漸 次彼 等 を
所 謂 職 業 同盟 会 の如 き も のを組 織 し 、表 面 何 等 政治 的 色 彩 を有 せず
業 を国 営 と し 、 且 又住 民 並農 民 に対 す る賦 課税 の過 重 な る為 、 自 発
によ り て行 は るべ し と雖 、 現在 に於 て は充 分交 換 す べ き 現物 な きを
朝 鮮 人 間 に於 け る宣 伝 は敢 て多 言 の必要 なく 現 に大 規模 に行 は れ
し て赤 化 す る に至 る べし 。
以 て 、勢 ひ日 本 人 に種 々 の コン セツ シ ヨ ンを譲 与 し、 以 て先 づ生 産 力 の復 旧 を計 らざ る べ からず 。然 れ ど も露 国 の諸 工場 を 始 め と し、
を要 し、 加 ふる に交 通 殊 に鉄道 の不完 全 等 の為 、事 業 の進捗 極 め て
自 然 富 源 採 掘 の設備 は甚 し く破 壊 せ ら れ居 るを 以 て、 先 づ之 が修 理
益 を占 む る に至 る迄 は莫 大 の投 資 と 日数 とを要 す べし 。尚 吾 人 が特
す るも 、 日本 は断 じ て彼 等 の奸 策 を知 らざ るも のにあ らず 。否 寧 ろ
え てな さざ る は、 露 国 猶太 外 交 が如何奸 計 を以 て 日本 を 左右 せん と
最 後 に右 党 露 人 が現在 日露 交 渉 に対 し、 殆 ん ど何 等 の非 難 をも 敢
つ つあ り 。
に日本 人 に対 し て注意 せ んと す る は、 即 労 農政 府 と国 民 の反 目 なり 。
彼 等 を 観 破 し居 るを 以 て該 交 渉 が 、 円満 な る解決 を為 し得 るも の に
困難 な り。 従 て日本 が獲 得 せる コン セツ シ ヨンを開 拓 し 、相 当 の利
国 民 は政 権 の横 暴 を憎 悪 し 、 政 権 は脅 威 圧 迫 に依 り て僅 か に国 民 の
非 ず と推 測 し居 る所 以 な り 。
伝
し て且 富源 の無 限 な る こと に依 り 、世 界 経 済 界 に於 て重要 な る意 義
露 国 の農 工業 は比 較 的未 開 の状 態 にあ りと 雖 、其 の面 積 が広 汎 に
三、 無 所 属露 人 の 日露 協商 観
反 感 を抑 制 し つ つあ る状 態 な り 。斯 く の如 く 国 民 が憎 悪 し つ つあ る 政 権 を 対手 とす る日本 人 の コン セ ツ シ ヨ ンに対 し 、果 し て彼 等 が好
宣
感 を抱 き是 れを歓 迎 す べき や極 め て疑 問 な り 。 二
は当然 の策と言 はざ るべからず。日本 が極東露領を自 国の為 に利用
係 を有す る 一国 として、現在 の露国と の相互関係を解決 せんとする
定 し能はざる事実なり。此意味 に於て日本 は露国と密接 なる利害関
を有し、且列国 と密接なる利害関係を保持し来 れる ことは何人も否
東 に扶 殖 せ んと す る目 的 より 生 ぜ る も のと せば 、 寧 ろ是 れ単 に目 前
露 協 商 は 日本 が極 東 の富 を開 拓 し 以 て自 国 の経 済 的 勢 力 を広 く 、 極
を 欠 き 、凡 て が詐 欺的 に し て毫 も信 用 を措 く能 はざ る な り 。故 に日
を行 ふ べき 資 金 を も有 せず 、 加之 、其 の対外 政 策 の如 き は悉 く 誠 実
し、其 の富 源を開拓 せしむべきなり。要す るに日本が其 の経済状態
府 の責 任 を認 め、其 の他 樺 太 の売 却 及 極 東 に於 け る コン セツ シ ヨン
れ 、露 国 が帝 政 時 代 の旧条 約 を も 承 認 し、 尼港 事 件 に対 す る労 農 政
仮 り に日本 が対露 交渉 を円 満 に解決 し、或 条 約 が両 国 に締 結 せら
の利 益獲 得 の為 にし て、 日 本 帝 国 の国 威 を 失墜 せ るも のな りと 言 ふ
を改善 せんが為 、露国殊 に極東露領 に著 眼す るは自然 の然 らしむる
の譲 渡 等 が実 現 せり と言 ふも 、果 し て其 の結果 は如 何 な る べ き や。
も敢 て過 言 な らざ る べし 。
所なり。眼前に斯 の如き無限 にし て且未開発 の富を有 する日本は、
露 国 は多 く の損 害賠 償 をな す べ き資 力 を 有 せず 、 国 内 の工業 を復 旧
す べきことは、日本 が該地方 の生産物を求 むると同時 に、自国 の製
自国 の利益 の為 に是 が開拓 に努力 せざ る可 からず 。而 して日本 が是
作物 を売却すべく、又人口稠密な る日本 は大 に極東 に移住民を出た
を実行せんとせば、先づ露国と の相互関係 を円満 に解決 し以 て莫大
す べ き実 力 なく 、 且 又政 権 其 のも のが未 だ動 揺 し、 而 も 国 民 の多 数
が 反 政 府的 感 情 を抱 き つ つあ る今 日 に於 て、 ヨツ フ エ若 く は其 の 一
の資金を投 ぜざ る可からず 。
な り 。 斯 く の如 き条 約 は 一時 的 のも のにし て而 も何 等 信 頼 す べ から
味 の者 に依 り て調 印 せ ら れた る 日露 協 約 に対 し 、如 何 にし て露 国 は
ざ るも のな り。 且 将来 斯 く の如 き 条 約 は寧 ろ却 て 、日 露 親 善 を障 害
烏蘇里及沿海地方は日本人の為 に最 適当 なる殖民地 にして気候も
然 るに未 だ日露間 に於 ては正規堅実なる経済上 の相互関係 が樹立
す べき 重 大条 件 と変 ず る や も測 ら れず 。故 に今 日 に於 ては 日露 協 商
条 約 を 誠実 に実 行 せ ら る べ き保 証 を 与 へ得 べ き や。 勿 論 是 れ不 可 能
し て居らず 。其 の原因は多 々あるべきも敢 て茲 に述 ぶる必要 を認め
は 是 れ が実 行 の困 難 な る の みな ら ず 、大 い に危 険 性 を有 す る も のな
比較的温和なり。而も面積広大な るを以て数千万 の移 民を扶殖し得
ず。而し て正当 なる政権及国家機関 の整頓 し居 たる革命 前 の露国も、
べく、是 に依りて日本 の受 くる利益は甚 大なるべし。
日本 とは左程密接 なる経済的相互関係を有 せざ りき。況んや現労農
産 思 想 の宣 伝 の為 には露 国 の全 力 を 傾注 す るも のにし て到 底之 を防
に依 り で 一層 増 大 す る も のな り 。彼 等 は其 の理想 とす る世 界 並 に共
止 す る能 はざ るな り 。例 へば 英 露 協 商中 に於 け る共 産 党 の印度 赤 化
り と 言 はざ る可 ら ず 。而 も此 の危 険 は労 農 露 国即 共産 党 の赤 化宣 伝
現在 の労農政府 は未だ列国より承認せられず、又国内 に於 ては 一
政府 の如き無誠実 なる政府 に依 りて指導せらるるも のと、日本 が正
般住民 の反感 を買 ひ、剰 へ社会主義者間 には反政権的傾向を見 る状
運 動 の如 き は最 近 に於 け る且 明 白 な る実 例 な り。
規 の条約を締結す るは極めて難事なるべし。
態なり。又財政は極度 に逼迫し生産力 はなく、且又大 々的外国貿易
故 に吾 人 は 日本 に対 し、 日 本 が極 東露 領 と密接 な る利 害 関 係 を有
に終 る べ きや 、 即 ち 日本 が国際 関 係 に拘 泥 せず 、 単 独 に承 認 す べき
や甚 だ疑 問 と す るも のなり 。 又露 国 が旧債 を認 め 是 れ が支 那 の義 務
個 人 と し て該 交 渉 に於 て労農 露 国 の承 認問 題 が果 し て如 何 な る結 果
協約 す る を廃 し、寧 ろ将 来 に於 け る真 の 日露 親 善 を確 立 す べき を待
に於 て 日本 は 、 如何 な る形 式 に於 て利 権 を獲 得 す べき や は別 問 題 と
を負 ふ べ きや も 重大 問 題 な り 。而 し て 日露 協 商 が実 現 せ ら れ た る暁
す る と雖 、斯 の如 き浮 薄 な 而 も無 誠 意 な る現 労 農政 府 を対 手 と し て
ち 、今 暫 し形 勢 観望 す るを 必要 と す る に非 ず や 、更 に熟 考 を求 め ん
英 字 新 聞 ル シア ン ・デ リ ー ニ ユー ス社 長 ペ ーゼ ー氏 は、 該問 題 に
ざ る は 、即 ち 利 権 の獲 得 と 同 時 に労 働 者 問 題 の惹 起 す る こと なり 。
権 を得 る に至 ら ば其 の利 益 甚 大 な り と言 ふべ し。 只 茲 に忘 却 を許 さ
し て 、若 し樺 太 北半 島 を買 収 し 、極 東 に於 て鉱 山 森 林 及漁 業 等 の利
とす る も のな り 。
関 し て は充 分 研 究 し居 らず 従 て之 に対す る英 人 の観 察 に就 いて は勿
又 日本 の労 働 者 を移 住 せし む る や ?
単 に露 国 及 支 那 労働 者 のみ に依 り て其 の事 業 を開 拓 せ し む る や、 将
四 、 日露 交 渉 に対す る英 米 人 の観 察
論 の こと、 米 人 の意 見 と雖 到 底代 表 的 に 回答 し能 はず と の前提 の下
日露 交 渉 が開 始 せ ら れた る こと は 日露 両 国 が隣 接 国 とし て、 又極
者 及失 職 者 の多 数 な る に鑑 みれ ば 、 日本 よ り労 働 者 を 極東 竝 西 伯 利
現在 の日本 内 地 に於 け る労 働
に大 要 次 の如 く 語 れり 。
も若 し 日本 労 働 者 にし て殖 民 の根 本 条 件 た る 、同 化 心 を有 せず 自 我
を張 る が如 き 場 合 は 、 日露 労働 者 間 に紛議 を惹 起 す る のみ な らず 、
奥 地 に移 住 せし む る を可 と す べ く 、之 物質 上有 利 な るべ し 。然 れ ど
又 一般 露 国 人 の反感 を買 ふべ し 。又 一方 に於 て或 る程度 迄 思 想 の悪
東 に於 て密 接 な る利 害 関 係 を有 し将 又両 国 の協 商 が 、現 在 日露 の為
に露 国 の 一般 状 態 は何 等 改 善 せ ら る る こと な く 、殊 に交 通 の如 き は
農 露 国 に於 ては 其 の財 政 が 甚 だ し く逼 迫 し 、 而 も諸 情 報 を 綜合 す る
至 極 必要 な る関 係 上当 然 の事 実 な り と言 はざ る可 らず 。 殊 に現在 労
漸 次 退 歩 し 居 るも の の如 し 。曩 に英 露 通 商 の実 現 に努 力 し 、今 又 対
て自 己 の本 務 と す れば なり 。故 に 日本 労働 者 の移 住 に関 し ては 大 な
化 な る も の が到 底免 る可 らず 。蓋 し露 国 政府 は共 産 思 想 の宣 伝 を 以
る考 慮 を要 す るも のなり 。
日協 商 を実 行 せん とす る露 国 の目的 は 、逼 迫 せ る財 政 を改 善 せ ん と す る に在 るや 無論 なり 。故 に従来 一般 よ り労 農露 国 の対 外 政策 が無
共 産 思 想 の宣 伝 は現 在 に於 ても各 国 に秘 密 派 遣 員 を派 し、 其 の土
地 の主 義 者 と 連 絡 し凡 ゆ る方法 を以 て行 は れ つつあ り 。況 ん や協 商
誠 意 な りと 看 做 さ れた るも 、今 回 の日露 交 渉 に対す る彼 の熊度 は慎 重 にし て、 大 に可能 性 を有 す る も のと推 察 す る は寧 ろ妥 当 な る べ し。
が実 現 せら れ 国境 開 放 の時 に於 ては 、 益其 の活 動 を拡 張 す るも のと
く とも 米 国 は僅 か少 数 者 を除 く外 は 悉 く米 露 通 商 を 切望 す るも の に
米 国 が 日露 交 渉 に対 し如何 な る意 見 を有 す る やは いざ 知 らず 、尠
認 めざ る を得 ず 。
然 る に 一方 日本 の之 に対 す る態 度 如 何 は 充 分明 白 なら ざ る も 、其 の提 示 条 件 よ り察 す る に日本 と し て 、正 当 の処置 にし て敢 て非 難 を 許 さざ るも のな り。 斯 の如 く 両 国 の交 渉 に対 す る態 度 が慎 重 にし て 且 正 当 な る だ け 、円 満 な る可 能 性 あ りと 言 は ざ る べ からず 。只 予 は
し て、 只 其 の時 機 の到 来 を待 ち つ つあり 。然 れ ども 米政 府 が屡 々声 明す る如 く 、米 国 は 現労 農 露 国 を承 認 し、 又 は之 と 交渉 す るも のに あ らず 。 是 れ労 農 露 国 が締 結 条 約 を無 視 す る ことを 以 て、 何 等 徳義
2 、露 西 亜側 には 誠意 な し、 縦 し 一時 交 渉 の成 立 を 見 るも 其 の実 施
に於 て円満 な る結 果 を見 るや否 や は大 に疑 問 と せ ら る。
を整 へた る後 に於 て徐 ろ に開 か れ た るも の にし て、 一般 国 民 の与 論
1 に就 て日本 は 今 回 の交 渉 を開 始 す る に対し 、 予 め慎 重 な る準 備
側 は会議 の経 過 に対 し多 大 の注意 を払 ひ つ つあり 。
3 、会 議 の結 果 は自 然北 満 の政 情 に大 な る影響 を 及 ぼす べく 、支 那
ら ん。 然 れ ど も米 国 も亦 日本 も最 近 に於 て良 く了 解 し来 れ るは 予 の
米 国 は東 洋 に於 け る発 展 上 日本 の競 争 者 な り と伝 へら る るは 事 実 な
よ り観 察 す る も成 立 の可 能 性 を有 す るも のと認 む る を至 当 とす と 言
上 の犯 罪 と思 はず 、 又 旧債 を支 払 ふ べ き義 務 を認 めざ る所 以 な り 。
大 に喜 ぶ所 な り。 日 本 が極 東 に経 済 的 勢 力 を伸 張 す るは当 然 の こと
ふ に あり 。
策 を弄 し て誠 意 の認 む べ きも のな し 、従 て日露 の交 渉 に於 て も露 国
2 に就 て は露 人 側 当局 が従 来外 国 に対 す る態 度 を見 る に、常 に術
にし て、 又現 に是 れ を実 行 し つ つあり 。 米 国 も是 と 同様 に勢 力 の伸
当 局 に誠意 を求 め ん とす るは 困難 な る べく 、縦 し交 渉 は 成 立す るも
張 に努 力 せざ る可 ら ざ る も、 米 国民 が概 し て極 東 及 支那 の情 況 に関 す る知 識 を有 せず 、 従 て現 在 に於 て も是 れ を重 要 視 し勢 力 の伸 張 に
東 支 問 題 は昨 今 露 亜 銀行 支 那 及労 農 露 国 間 に種 々 の意 見 あ るも 、
等 の点 に就 て は支 那側 とし ては 、当 然 注意 せざ る可 らざ る のみな ら
る関 係 を有 す る、 諸種 の問 題 に大 な る影響 を及 ぼ す に至 る べく 、之
3 に就 て は 、日露 交渉 の結 果 は勢 ひ東支 鉄 道 其 他北 満 政情 に大 な
の第 三 目的 に利 用 せ ら る る に非 る か。
其 の実 行 は不 誠意 にし て、 結 局 日本 は露 国 の為 に欺 瞞 せら れ、 彼 等
従 事 す るも の極 め て尠 し。 要 す る に現 米 国 政府 の対極 東 政策 は極 め て消 極 的 な り。然 れ ど も 米 大 統 領 の更 迭 と共 に其 の政 策 が 一変 す る を 以 て、 吾 人は 今 日 の米
米 国 は 素 よ り東 支 鉄道 は露 国 政 府 によ り て敷 設 せら れ た るも のにし
と言 ふ にあ り。
ず 、 追 て開 か れん とす る露 支会 議 に於 け る多 大 の参 考 と も な るべ し
国 の政 策 が明 日如 何 に変 更 す べき や を断 言 す る能 はず 。
て 、飽 く 迄 も露 国 民 の所 有 な り と認 む るも のな り。然 れど も 如何 に
る が、充 分 な る意 見 を発 表 す る も のな き も 、要 す る に左 の三点 に 一
馬 子 元 、露 支 会 議 準備 委 員 哈市 代 表蔡懋 星其 他 に就 き意 見 を求 め た
支 那側 の意 見 と し て朱 慶 瀾 、王 正 廷 、 王景 春 、 哈市 中 国 銀行 々長
満 の政情 に不 安 を感 じ つ つあ り て、 有利 に之 を解 決 せん と苦 慮 し つ
支 那 側 の対 露 態度 は表 面 頗 る強 硬 な るも のあ り と雖 、 内 心 に於 て北
の懸 隔 を感 知 し 、遂 に同 会議 の開 催 は停 頓 を見 る に至 れ り。 而 し て
ヨツ フ エが北 京滞 在 中 に於 け る露 支 交渉 に関 す る両 者 意見 には多 大
に対 し 、東 支 鉄道 其 他 重 要問 題 に就 き協 定 す る所 あ らん と せし が 、
以 上 要す る に支 那側 は列強 が露 国 を未 だ承 認 せざ る に先立 ち露 国
し て東 支 が支 那 の手 を放 れ露 国 に復 帰 す べ き や は断言 し難 し 。
致す。
五 、 支 那側 の観 察
1 、日 露 交 渉 は成 立 の機 運 に在 るも のと 認む 。
つあ るは察 す る に難 か らざ ると露 支 会 議 の開 催 が尚 懸案 中 に あり し
る結 果 を齎 す べき と 日本 側 の態 度 の略判 明 し あり し際 、其 の交渉 は
際 、 ヨツ フ エは対 支交 渉 の困難 と対 日交渉 が当 然 対支 交 渉 に有利 な
必 ず し も 困難 な らざ る を予 想 し遂 に渡 日す る に至 り 、其 の結果 は支 那 に先 立 ち 日露 間 に予 備 交 渉 の開 始 を 見 、支 那 側 と し ては聊 か軽 視
を有 せず 、然 れど も 日露 交 渉 に続 き て当 然 実 現 せ ら る べき露 支 会 議
侮 辱 せら れ た る の感 あり て、 一般 支 那 人 は勿 論 日露 会 議 に対 し好 感
に際 し 、支 那 側 の要 求 の大 な る だけ其 の解 決 極 め て困 難 な る べき を 予 想 し 、今 日 先 づ 日本 側 と の諒 解接 近 を必 要 と し つ つあ る は事 実 と 考 へら る。
一五
あ る に鑑 み、 今 回 は警 察 処員 李 済 東 な るも のを 日本領 事 館 、 商 業会
尤 も警 察 署側 にて は曩 に土 地部 移 管問 題 にて失 敗 を嘗 め た る経験
を黙 認 せ んと の意嚮 を有 す る者 す ら あ り。
な かる べ しと の観 測 を為 し 、此 の問 題 を左 迄 重大 視 し居 らず 或 は之
北 満 一帯 に於 て殆 ど現 物 の売 買 を為 さざ る邦 商 筋 には 左 した る影 響
日 本側 特 産 商 に於 て は此 の課 税 が売 手負 担 な るが故 に現 在 の如 く
哈爾賓 特 別区 穀物 税賦 課問 題並 東 三省 財政 関 係 諸件
哈 調 第 一八 四号 (大 正十 二年 十 月十 日 哈爾 賓 事 務所 長 )
議 所 其 の他 日 本側 有 力 者 を 歴訪 し、 外 人 には 課税 せざ る べ き旨 を説
特 別 区警 察 総 管 理処 長糧 捐 (穀 物税 )賦 課 の件 特 別 区 警 察総 管 理 処長 は特 別 区内 警 察 署 の経 費 年額 約 四十 万 円 の
明し 予 め諒 解 を 得 る こと に努 め た り。之 に関 し邦 人 側 は本 月 二日商
言 にし て何等 の権 威 な く 、仮 に外 人 に対 し て免 税す と せば甚 だ不徹
不足 を来 す に就 き之 が填 補 策 に苦 心し つ つあ りし が最 近 に至 り行 政
底 な る徴 税方 法 に て早晩 外 人 にも課 税 す る こと と な る べく 、 且布 告
長 官公 署 の許 可 を得 て東 支 各 駅 よ り積 出 す穀 類 (製品 を含 まず ) に
本件 に就 ては 当 地特 産 商就 中 支 露側 の反 対 を受 け徴 税 延期 中 の処 、
の主 旨 は原則 上 商 埠 地 の外 人 にも課 税 す る も のと見 做 す の外 無 く 、
し た る李 な る者 の外国 人 に対 し て は課 税 せず と の説 明 は 一警 察 員 の
本 月 一日 よ り愈 々実 行 す と の こと にて支 那 側 は益 々反 対 の意 を 固 め
而 も警 察 処 が課 税 す るは形 式 を誤 り居 れり 。商 人 の立 場 は 少 く とも
業 会 議 所 に於 て評議 会 を開 き 本問 題 を 討議 し た る が、 警察 よ り派 遣
つ つあ り 、 又附 属 地課 税 問題 には常 に反 対 し来 り た る東 支鉄 道 は 今
不利 にし て納 税 の手 続 も亦 煩 雑 と な れ り。加 ふ る に曾 て安達 長 春 等
対 し 、八 月 十 七 日東 省 特別 区警察 総 管 理 処 長温 応 星 の名 を以 て別紙
回 の課税 を沿 線 経 済状 態 に重大 な る影 響 を及 す も のとな し、 反 対 の
に於 て も同 様 の問 題 起 り た る際 抗議 を なせ る先 例 も あ り、 今 回 の課
訳 文 の通 公 布 を発 し、 九 月十 五 日 よ り課 税 を実 施 す る ことと せ り 。
の気勢 を示 し居 れ り。
意 を 示 し斯 る問 題 は予 め 鉄道 側 と協議 す べき筈 のも のな り と て抗 議
税 は 須 く抗 議 す べ し と言 ふ 正論 者多 か りし も 、 又 一面 には特 別 区警 察 費 不 足 せ る為 其 の補 充 に関 し当 局 の苦 衷 す べく 、且 先 回 の土 地課 問 題 は列 国 の反 対 に て行悩 み た る関係 上今 回 は黙 認 す べし と の政策 論 を な す者 あ り 、結 局 会議 所 は 目 下本 問題 研 究中 と の回答 を支 那警
は 特産 物 関 係業 者 の蒙 る影 響 甚 大 な れば 軽 々に承 認す べき に非 ず 、
て警 察 経 費 の不 足 を 填補 す る財源 をな す も のな り と言 ふも 、吾 等 特
殊 に 一貨 車 大洋 七 元 を徴 す る如 き は無 謀 も甚 し 。 元 々此 の収 入 を以
産 物 商 の みが警 察 の保護 を受 け居 るも のに あら ざ れば 吾 々 のみ の負
担 とす るは 不合 理 な り 。而 し 日本 側 に於 て は是 を黙 認 せん とす る の
北 満 原 穀 類 の課 税 区域 外 の市場 に於 け る競 争 力 薄 弱 とな る事 。
会 、糧 業 公会 、 油 房 公会 及 び特産 商 等 は数 度 の協 議 を な し 、 一方東
ず 一率 に取扱 はん と す る の 二点 にあ り、依 て埠頭 区、 傅 家甸 両 商 務
今 課税 認 容 の結 果 其 の影 響 す る処 を考 ふ る に
察 署 に送 り暫 く形 勢 を 見 る こと と し て解 散 せ り。
一 邦 商 に税金 の負 担 なく とも 手続 面 倒 な り 。
支 沿 線 の特 産 商 に檄 を飛 ば し其 の来 哈 を促 し、 一致 し て税 率 の軽減 、
べ く 、問 題 とす べき 点 は税 率 過 重 な る こと及 び穀 類 の何 た る を問 は
二
生産 者側 即 ち農家 に ては 穀類 を比較 的安 く売 る事 と な り、収 入
消 費 者側 にては税 金 の幾 分 を転 嫁 せら る る の虞 あ り。
傾 向 もあ り 、支 那 商 と し て も全然 是 に応 ぜず と 言 ふ訳 には行 かざ る
三
東 省 特別 区 警 察 総管 理〓 告
穀 類 の差 別 を当 局 に建 議 す る こと に決 せ り と言 ふ。
哈 爾賓 八区 貨車 積 の際 徴税 さ る るが故 に哈 爾賓 油 房 原 料 は無 税
内 務 部 及吉 黒 両省 の補 助 によ り職 務 遂行 上 支障 を来 さ ざ り しも補 助
全 を期 せ ん と欲 せ ば尚 一段 の努 力 を 必要 とす 。本 警 察創 設 の当初 は
特 別 区警 察 は 屡 次 の整 理 を経 て今 や略 其 の形 式 整 ひた る も更 に完
な る に反 し、 大連 油 房 原料 は税 金 を課 せら るる こと にな る為 、 大
虞 あり 。
鉄 道 業者 側 より 見 れば 輸 出穀 類 に対す る運 賃 負 担能 力 減 少す る
を減 ず る が故 に或 は出 穀 量減 退を 来 す虞 あ り。
四
五
六
連 油 房 は北 満 大豆 の消 費 を手 控 ふ る傾 向 を生 じ 、其 の結果 南 行 大
に警察 は商 民 保護 の為 に設 けら れた る も の にし て、商 民 は其 の保 護
を 亨 く る の権利 を有 す る と共 に又納 税 の義 務 を有 す 。前 任 処長 は以
停 止 せ ら る る に及 び て警 察 費 は異 常 の不 足 を告 ぐ る に至 れ り。惟 ふ
由 此観 之 課 税 の結 果 は 諸方 面 に悪 影 響 を 及 ぼ す場 合 多 く し て何等
豆 の輸 送 量 を減 ず る虞 あ り。
利 益 を齎 らす ことな かる べし と観測 せら るべ く 、満 鉄 と し ても 課税
り し が、 北 路 及哈 爾賓 等 の地 は同 一区 域 にあり な が ら尚 之 が徴 収 を
前 よ り東 南 両 沿線 に糧捐 (穀 物 税 ) を課 し て以 て警 察 費 に充当 し居
為 さざ るは 甚 だ統 一を欠 く を以 て 、茲 に全線 統 一し た る弁 法 を定 め 、
によ り蒙 る影響 少 から ざ る様 思 は る る に就 き 当 地商 業 会議 所 の協議
東 支 鉄 道 によ り他 駅 に輸 送 す る穀 物 に対 し 一百 布度 大 洋 七 拾銭 、 一
会 に於 て は課 税 拒 絶 説 を採 るを 妥当 な り と信 ず 。 又支 露 に在 り ては 此 の課 税 の影響 す る処 重 大 なり とし 昨 今 之 が対
千 布 度 積 一貨 車 に対 し大 洋 七 元 の税 を徴 収 し て警 察 費 を填 補 し 、 若
し剰 余 あ る場 合 は特 別 区 の教 育経 費 に充 て人 材教 養 の資 と なす 、 是
策 に就 き関係 業 者 は 大分 頭 を 痛 め居 れり と の事 に て、 野 口調 査 課員 は 先 日支 那特 産 商 を訪 問 し て其 の意 嚮 を糺 し た る に曰 く、 此 の問 題
甚 大 な る が故 に已 に行 政官 公 署 の許 可 を得 て九 月 十 五 日 よ り実 行す
れ 人 民 の負 担 左 程大 な らず し て警察 行 政 及 教育 の前 途 に裨益 す る処
る る為 で決 し て今 回 の穀 物 課税 に関 係 はな い の であ る。
百姓 が冬 の閑散 期 に自家 用 の馬車 と人 馬 を無 為 に放 置 す る ことを 免
ね ば なら ぬ。而 も 尚 便利 な る汽 車 輸 送 を避 け て馬 車輸 送 を なす は 小
依 て貨 車 によ り穀 物 を他 駅 に輸 送 せ んと す るも のは特 別 区 警察 収
温
応
星
線 (本年 四月 頃竣 成 せり )等 を設 け 、 従来 哈 爾賓 に集 つた特産 物 を
松 北 鎮 を 一大 市場 と なし 、 取引 所 、 倉庫 、東 支鉄 道 本線 から の引 込
る の であ る が、 一昨 年 の頃 黒竜 江 当 局 は哈 爾 賓 に松 北市 制 局 を設 け
千 の馬車 が松 北 鎮 を通 過 し て松 花 江 氷 上 を渡 り哈爾 賓 で集 散 し て居
特 産 物 の呑 吐 口 であ り、 従 来結 氷 期 に至 れ ば特産 物 を 積載 した数 百
松 北 鎮 は傅 家甸 の対岸 で黒竜 江 省 に属 し呼 蘭 、綏 化 、海 倫 方 面 の
松 北 鎮 (哈 爾賓 傅 家甸 対岸 ) に於 て穀 物 税 不徴 の件
哈爾 賓 事務 所 長 (大 正十 二年 十 二月 三 日 哈調 第 二七六 号)
三
る こと に決 定 せ り。
処長
税 処 に数量 を 報告 し、 納税 を為 し受 領 証 を 取 り て検 査 に便 な ら し む
右〓 告 す
べく各 位 違 反 あ る べ からず 。
二
哈爾 賓 事 務 所長 ( 大 正 十 二年 十 一月 二十 八 日哈 調 第 二 六七 号 ) 穀物税 ( 警 察 税 ) と馬 車 輪 送 本 日 の国 際協 報 に首 題 の記 事 が あ り ます か ら御 参 考迄 に訳 文 を送
此 の地 に吸収 し て対岸 傅 家甸 と対 抗 せ ん と の計 画 を建 て目 下着 々と
て の課税 を免 除 す る こと にし た の で、将 来 非常 な発 展 を来 す で あ ら
実 現 の歩 を進 め て居 る 一方 、此 の地 の発 展 策 と し て向 ふ五 箇年 間 総
附 し ます 。 車 支 鉄 道 附 属 地内 に於 て徴 収 し て居 る穀物 税 は最初 中外 商 人間 に
今 般穀 物 課 税問 題 が起 り種 々 の物 議 を醸 し最 近 漸 く解 決 し た こ と
う と傅家甸 の支那 商 筋 では相 当 注 目 し て居 る様 であ る。
は疑 義 を抱 く者 も あ つた が、 当 局 の切 な る釈 明 の結果 現在 支 障無 く 徴 収 し得 る こと とな つた が、 近 来 此 の課 税 を免 れ ん と し て、 馬車 に 因 る穀 物 輪 送 が非 常 な 発達 をな し就 中 最 も 盛 んな のは窰 門 、長 春 間
は屡 次報 告 し た通 であ る が、 前 記松 北鎮 への引 込 線 か ら積出 す 穀 類
一時 的 であ つても 其 の影 響 す る処 は大 き いも ので、 即 一方松 北 鎮 の
に対 し ては 現在 例 の穀物 税 を徴 収 し て居 な い。此 の徴 税 免 除 が例 へ
と 云 ふ事 だ が其 の真 否 は尚 不 明 で あ る。 汽 車 輸 送 と馬 車 輪 送 の利 便 を比較 し て見 る に仮令 一貨 車 六 円 の税
ば仮 り に馬車 一台 が二 、〇〇〇 斤 を輸 送 し得 るも のとす れ ば僅 か に
であ る。 若 之 が永 久 的 のも の であ る とす れ ば哈 爾 賓 は殆 ん ど死 滅 の
発 展 を促 進 す ると 同 時 に 一方 哈 爾賓 の特 産 市況 に衰微 を来 す は勿 論
を課 せら れ ても汽 車 輸送 が利 益 であ る こと は勿 論 であ る。 何 と な れ
穀 物 税 四 十銭 を省 き得 る の み で、而 も莫 大 な る時間 と労 力 と を費 さ
運 命 に陥 る で あら う 。 此 の徴 税 免 除 の原 因 が前 記 の松 北 鎮 発展 策 とし て の諸 税 免除 に あ
月十 日 哈調 第 一八 四号 を以 て報 告 し た処 であ る が、 左 に本 問 題 其後
で あ るか ら現 在 課 税 し て居 な い が、 現状 の儘 永 久 に放 置 す る こと は
ば 今 回 の穀 物 課 税 の趣 旨 に相当 せざ る土 地 で、余 の職 権 の及 ば ぬ処
発 展 策 に因 るも ので はな く 、該 地 は黒 竜 江 省 に属 し 特別 区域 外 な れ
署長 温応 星 を訪 問 し た るが 、彼 の云 ふ処 に依 れば 徴 税免 除 の原 因 は
目 も立 て、吾 等 の負担 も軽 減 す る様 な妥 協 点 を 見出 そ う で はな いか
あ ると 云 ふ以 上 、無 碍 に拒絶 す る訳 にも ゆく ま いから 支那 当 局 の面
多 々あ り且 地 方 保安 の任 に当 る警 察経 費 の不足 を填補 す る が目 的 で
る原 因 に就 い ては支 那 当 局 の苦 衷 も察 し てや り、 又 同情 す べき 点 も
は全然 拒 絶 す べ し と主 張 す るも のも あ つた が、 又 一方 事 茲 に至 り た
な 税 で、 謂 は ば 一種の悪 税 であ る から 日 、支 、 露 其他 の関 係者 間 に
前報 告 にも述 べ た如 く 元来 今 回 の穀 物税 ( 警 察税 ) は頗 る不 合 理
の成行 に関 し更 に報告 せ んと す 。
哈 爾 賓 の盛 衰 に影 響 す る と ころ甚 大 で あ る から 目下 黒 竜 江当 局 と交
と の説 を なす 者 も 多数 あ つた 。斯 く て 一ケ月 以 上 に亘 り 支那 側 、露
る か 、又 他 の原因 に よ るも のな る か を確 め る べく 特 別区 警 察総 管理
渉 中 であ る 。此 の交 渉 も近 々纏 り そう で あ る から其 の暁 には特 別 区
支 那側 は初 か ら自 国 内 の事 でも あ り全 然拒 絶 す べ し と の意 見 を有
に至 つた ので あ る。
国 側 、日 本側 或 は領事 団 と公 式非 公 式 に夫 々熟 議折 衝 を重 ね て今 日
内 同 様 徴 税 す る積 り であ る と。 尚 前 述 の如 く松 北 鎮 は黒 竜 江当 局 が非 常 に力 こぶ を入 れ て居 り其
す る者 は殆 ん ど なく 、 只 一千布 度 七 元 と言 ふ税 率 が余 り に高 き を失
の発 展 策 と し て総 て の税 金 をも免 除 し て居 る程 であ り 、又 哈爾 賓 に 於 け る有 力 な る支 那人 (例 へば 馬 忠駿 の如 き ) に し て該 地 に土 地家
す る から之 を引 下 げ様 とし た のであ る。 尤 も其 の引 下率 に就 ては 三
日本側 に於 ては商 業 会議 所 で数 度 の相 談 会 を開 いた が、 こ の課税
円五 十銭 と言 ひ、 五円 と云 ひ相 当 意 見 の相 違 は あ つた様 で あ る。
に相 当 利害 関 係 があ り乍 ら 二 、 三 の人 を除 い ては猛 烈 な る反 対 者 も
なく 、 特 に正 式 の決 議 を留 保 し 、結 局課 税 によ り て些 し た る影 響 も
な いとす れば 黙 認 し様 で はな いか位 な態 度 を採 つて いた ので ある 。
露 国 側 で も商 業会 議 所 で相談 会 を開 いた様 であ る が如何 な る結果
哈爾 賓 事 務所 長
(野 口)
屋 を 有 し居 る者 多数 あ れば 、温 氏 の云 ふ如 く 黒竜 江 当 局 と の交 渉 が
四
秘
大 正 十 二年 十 二 月 七 日
無 難 に解 決 す るか 甚 だ疑 問 であ る。
哈 調 第 二 三 六号
曩 に特 別 区警 察 総 管 理処 長温 応 星 が警 察 経 費 不足 の填 補策 と し て
て山 内 総領 事 の名 を 以 て再 三 支 那当 局 に抗 議 を提 出 し て、穀 物 税 は
を得 た かは知 る こと を得 な い。 又領 事 団 は別 紙 の如 く 首席 領 事 と し
穀 物 税 其 後 の成行 に関 す る件
東 支 鉄 道 貨 車輸 送 によ る毅 物 に対 し課 税 の布 告 を な し、 九 月十 五 日
断 じ て承 認 す る こと は出 来 ぬと主 張 し て居 る。 之 に対 す る支 那 当 局
よ り実 施 せ ん と し て計 らず も 日 、支 、露 、英 、 丁 等 の特 産物 取 扱 の 各 関 係 者 よ り猛 烈 な る反 対を受 け行 悩 の状態 に陥 り た る こと は 、十
人 の積 荷 に対 し ては勿 論 の こと 、又 支 那商 人 が 外 人 の名義 を藉 りて
の問 題 に対 し て如 何 な る態 度 に出 る かは 不明 であ る が、 恐 らく 名 義
の弁 明 は頗 る不得 要領 で外 人 に徴 税 しな い、売 主 に課税 す る ので あ
上 の外 人 の積 荷 に対 し ては 勿論 事 実 外 人 の積 荷 に対 し ても無 制 限 に
く今 回 の穀 物 税 は 全 く不 徹 底 な も の にあ る の であ る。 今後 支 那 が此
て十 月 一日 から実 施 す と声 明 し、 併 し て売 買 の細 則 も規 定 し て発 表
課 税 を免 除 し て積 込 ま しむ る も のとは 思 は れ ぬ。斯 う な れ ば支 那 一
積 出 す場 合 も課 税 を免 ず る こと とな り 、 乃ち 前 報告 にも述 べ た る如
し た 。然 し現 在積 荷 の手続 、売 買 の形式 等 を調 ふ る に実 際 は今 に徴
る と の 一点 張 であ る。 一方 支 那 当 局 は十 一月 に入 り て別 紙 の如 き布
税 を実 行 し居 らず 、積 荷 の際 其 の数量 を控 へて警 察 に報 告 し、愈 々
め た り、或 は其 他 の妨害 を加 へ結 局 は六 元 の税 を 払 つても輸 送 の迅
流 の手 段 に訴 へて鉄道 当 局 に圧 迫 を加 へ貨 車 の配給 を不 可能 なら し
告 を発 し、 税 率 を大 豆 、 小麦 は六 元 に、 其 他 の雑 穀 は 二元 に引 下 げ
の証 拠 書 に よ りて売 買 し て居 る。
( 野 口)
貨車 (一〇 〇〇 布 度 積 ) に付 き 大 洋 七元 を警 察 費 と し て課 税 し 、九
吾 等 領 事 団 は温 処長 が発 し た る東 支 鉄 道 に依 り積出 さ るる穀 類 一
十月 十 二日 (英 文訳 )
領事 団 の交 渉員蔡 運 升 に致 せ る照会
至 る の では あ るま いか と思 は る 。 以上
速 を期 す る 方 が得 策 と言 ふ様 な事 で、 結 局泣 寝 入 に課 税 に服 す る に
徴税 を す る と いふ時 其 の控 へた る数量 に応 じ て納 税 す る と 云 ふ 一種
以 上 の如 く 布告 に は十 月 一日よ り実 施 す と声 明 しな が ら 、尚 実 際 に於 て徴 税 し居 らざ るは如 何 な る理 由 に よ るか 不 明 なる も 、或 は領 事 団 の鼻 息 を窺 ひ居 る に非 らず やと も推 測 せら る 。数 日来 朱 長 官 は 日 本商 業 会 議 所副 会 頭 岩 永浩 氏 (哈 商専 務 会 頭 目下 欠 員 ) を招 き 課 税問 題 に関 し種 々会 議 し た る由 な るが 、朱 長 官 は岩 永 氏 に対 し 今 回
月 十 五 日 より実 施 す と 云 ふ布 告 に対し て大 に異 議 のあ る こと を通 告
愈 課税 を実 施 す る様 にし た に就 ては 可然 御 諒 解 を願 ひた いと同時 に、 日 本商 業 会 議 所 に於 ても是 非 承 認 を 仰ぎ た いも ので ある と の相 談 に
二 三 の外 国商 は此 の突 然 の課 税 に対 し 各自 国 領 事 に猛 烈 な る反 対
し ます 。
の意 を示 し 居 る向 もあ り 、乃 ち 如 何 に弁 明 せ ら るる も この不合 理 の
対 し 、岩 永 氏 は今 回貴 当 局 が警察 経 費捻 出 の手 段 と し て穀 物 税 を 課
賛 成 と 迄 は言 へざ る が 一私 人 と し ては黙 認 す べ き考 へであ る。 而 し
せ ら る る に至 りた る動 機 に就 ては 、 事情 諒 とす べ き も のあ る が故 に
元 来 今 回 の課 税 は 不合 理極 ま る も の であ る から 公 に会 議 所 と し て承
課 税 を為 す 警察 首 脳 者 の行 為 を承 認す る こと が出 来 な いと云 ふ外 国
るも ので、 延 ては北 満 の発展 を阻 害 す る も のと観 察 し て居 る。 尚又
限 ら る る も のと す るも穀 物 の売 買 には 不可 避 的 に痛 切 な影 響 を受 く
吾等 領 事 団 は既 に声 明 せら れ た様 に この課税 が単 に支 那 商 のみ に
商 の意 志 を領事 団 の名 に於 て貴 下 に御 伝 達 し ます 。
認 す る こと は絶 対 に出 来 ぬと答 へて辞去 し た る由 。 又領 事 団 が今 後如 何 な る態度 に出 るか は不 明 であ る が、 支那 当 局
にも ゆ か ぬで あろ う 。そ し て結 局 は有 耶無 耶 の内 に黙 認 し た形 に な
に於 て外 人 に は課税 せず と声 明 し て居 る か ら、 これ 以上 追 求す る訳
り は せ ぬ かと思 は る 。只 残 る問題 は外 人 には課 税 せぬ と言 ふ以 上外
難 く な い処 であ る が、是 は吾 等 の乍 遺 憾 承 認 し得 ざ る処 であ る故 に、
温 処 長 が 先般 発 し た る布 告 は之 れを変 更 す る こと甚 だ 困難 な り と の
貴 下 の提 出 せら れ た る意 見 な るも のを聞 き吾 等 は不尠 驚異 を感 じ た。
昨 日貴 長 官 が英 、丁 両 国領 事 と穀物 税 問題 を討 議 せ ら れた る際 、
駐 哈 山 内総 領 事 兼 首席 領 事 の朱 行 政長 官 に致 せ る照 会
吾 等 は沿 線 の各警 察 に対 し尚 此 の上外 国 商 人 の利 益 に抵 触 す る こと
御 意 見 な るも 、如 斯 布 告 は外 国 商 諸般 の利 益 に甚 大 な る影 響 あ る の
比 の課 税 は 外 国商 人 に対 し ても適 用 せ ん と の企 図 ある こと は想 像 に
な き様 、 不 取 敢何 等 か の訓 示が 伝達 せ ら る るも のと信 じ て居 る ので
を提 出 す 。更 に外国 商 とし て は此 の代 徴 の不 可能 であ る と共 に、又
徴 を要求 せら るる が如 き 、 此 の布 告 に対 し て領 事 団 は厳 重 な る抗 議
み ならず 、 又外 国商 に対 し て も支 那警 官 の名義 を以 て課税 金額 の代
ある。
交 渉 員蔡 運升 が領事 団 に致 せ る 回答 (十月 三十 日附 ) 貴 代表 よ り本年 十 月 十 二日御 書 面 に接 しま し た の で直 にそれ に対 す る指 令 を仰 ぐ べ く 、東 省特 別 区 行 政長 官 公 署 に提 出 し て置 き ま し
新 穀 物 税 は仮 令 何 れ の方 面 か ら徴 収 せ ら るる も合 法 と認 む る こと は
吾 等領 事 団 は十 月十 二 日交 渉 員 宛 の照 会 中 にも声 明 し た る如 く、
之 を欲 せざ るも のな る こと を声 明す 。
提 出 に係 る書 面 は承 知 し た が此 の穀 物 税 は 元来 売主 か ら徴 す る
たと ころ、 今 第 七 一二号附 を以 て左 記 の如 き指 令 に接 し ま した 。
の であ つて、 外 国商 人 は 只便 宜 上 其 の税 金 を徴 収 す る に過 ぎ ぬ の
た る が如 き は、 其 の方 法 極 め て 不合 理 で 且亦 異 例 で あ つて、 吾等 領
事 団 は断 じ て其 の実施 を外 国商 に及 ぼ す こと に同意 し 得 ざ るも ので
出 来 な い。況 ん や温処 長 が外国 商 に対 し て徴税 の代 行 を要 求 せら れ
支 障 は な か つた 。況 ん や現在 の税 率 は之 れを東 部 線 に於 て従 来 徴
であ る。 東 部 線 に於 ては 已 に之 を 実行 し て 一年 余 を経 過 し何 等 の
収 せる も のに比較 す れば 已 に 三分 の二 に減 ぜ ら れ て居 る 。其 の商
処 はな い。此 次 之 れ を南 部線 及 西 部 線 に及 ぼし 、其 の収 入 を以 て
目 下沿 線 に於 け る外国 商 と支 那 人 と の取引 は全 く停 頓 の状態 に陥 り 、
を拘 留 せ るが如 き は 、已 に紛擾 と不 便 と を発 生 せ る実 例 が あ る ので、
いとす るも 、現 に沿線 に於 て徴 税 の代 行 を拒 絶 し た外 国 商 の代 理 人
原 来 此 の課 税 は外国 商 の利 益 に影 響 を 及 ぼす 意 に出 た も の では な
あ る。
警 察 及教 育 の拡 張費 の補 助 に充 つる こと は、 実 に中 外 人 民 を保 護
民 を救 恤 す る上 に於 て已 に周 到 であ り 地 方 の商業 に何等 影 響 す る
の税 金 は軽 微 であ つて裨 益す る処 は誠 に多 い。其 の領事 団 の 云為
し貧 民 の子 弟 を教育 す る に資 す るも ので あ つて、其 の徴 収 す る処
命 ぜ ら れん こと を要求 す るも ので あ る。 乃ち 外 国商 に徴 税 の代 行 を
こんな 事情 だ から吾 等 領 事 団 は貴 下 が温 処 長 に対 し、 左 の事 項 を
更 によ り以 上 の面 倒 が今 後 出 来 せ んと も限 ら ず 。
て 回答 し少 し も誤 解 せし め て は いけ な い云 々。
為 さ し めん とす る意志 を放 棄 せ しむ る こと、 同 時 に沿 線 の各 警 察 に
す る処 の各 節 は之 れ を論 議す る の必要 は な い。直 に委曲 の詞 を以
右 の趣 指令 に接 し ま し た から左 様 御 承知 を願 ひま す。
対 し今 後 再 び外 国 商 の利 益 に影響 を与 ふる が如 き こと なき様 、 明白
な る諭 示 を伝 達 す る こと。 以 上 謹 で照会 す 。
東 省 特 別 区警 察 総 管 理 処布 告 (十 一月
日附 )
当 処 は 先般 東 支鉄 道 全 線 劃 一の弁 法 に依 り輸出 穀 類 一貨車 一千 布
五
第 二九 号
吉 林 公所
る商 務 会 代 表 及特 産 関 係業 者 よ り、 税 率軽 減 に対 し 屡 次懇 切を極 め
よ り愈 々実 行 せん と せ し も 、哈 爾 賓 、安 達 、昂 々渓 其 他 各 駅 に於 け
省 長 に対 し 、孫 督 軍 の違法 行 為 を非 難 す ると 共 に、 官 憲 の不 取 締 を
暴 騰 を 来 す に到 つた 。依 つて吉 林総 商 会 及 工農 会 は 四 月廿 三 日吉林
言 明 し 、市 場 に於 て多 額 の現 銀 を購 入 し た る者 あ るた め、 銀 相場 は
四月 十 九 、 二 十、 廿 一日 三 日間 に亘 り吉 林 孫 督軍 の委 嘱 に依 ると
孫 督 軍 の現銀 購 入 委嘱 に関 す る商 農 工会 の詰 問
大 正 十 二年 四月 二十 六 日
た る陳 情 を接 受 し た り。 因 て当局 は商 民 の便益 を図 る の見 地 よ り、
詰 問 し、 之 を省 議 会 の問題 と為 す べ き旨 警 告 し た。
度 に対 し 、穀 物 税 大 洋 七元 を徴 収 す る旨 の布 告 を な し、 九 月十 五 日
特 に大 豆 、 小麦 の両 種 に対 し ては 一貨 車 大 洋 七元 を六 元 に、又 雑 穀
六
従来 本 処 に於 て徴 収 し 居 た る警 察 税 (穀物 税 と同 じ ) は新 設 の税
常 に不足 を告 げ、 中央 税 款 の如 き は過 去 三 年間 未 送 の儘 で、 其額 大
吉 林 省 は連 年 の災 害 に て徴 収税 金 も年 々減 少 し 所 要 の軍 政 各費 も
発した。
吉 林 王 省 長 は中 央 税 款送 附 困 難 の事情 に付 張 総 司令 に左 の電 報 を
吉 林省 の中 央 送 款 不能
大 正 十 二年 五月 二十 八 日
吉 林 公所
類 に対 し ては 七元 を 二元 に軽 減 し 、改 て十 月 一日 よ り 一律 に是 が実 行 をな し 以 て商 民 の意 に添 は んと す 。 穀 類 積 込 は現行 法 に依 るが ( 売 手 に代 り て税 金 を納 付) 或 は 売主 が納 税 済 の領 収 証 によ り検 査 を受 く る こと と し、 買 主 の領 収 証 は 一 切 効 力 を発 生せず 。売 主 が代 金 を受 取 る場 合 は 必ず 買 主 に対 し納 税 済 の受領 書 を交 付 す べく 、受 領 書 面 の数 量 と受 渡 し積 荷 数量 と は 一 致 せざ る べか らず 。 若 し 一致 せざ れば買 主 は支 払 を な し得 ざ る も の
捐 処 に移 管 す 。 以 上 は行 政 長 官 公署 に報 告 す る と同 時 に各 区 警 察 署
な い。 若 し 強 いて送 金 す る と せば 借 款 の外 な いが 、目 下 各 銀行 共 貸
洋 九 十 余 万 元 に達 し て居 る状 態 で、 目下 の財源 で は到 底送 款 は覚 束
とす 。
に通 知 し て本 規 則 を施 行 せし む べき を以 て、 沿線 各 地 の特産 商 亦 一
指 示乞 ふ。
出 中 止 の場 合 で 、之 も亦 不 可能 であ る 。依 つて如 何 取 計 ふべ き や御
律 本 規 則 を遵 奉 し 、納 税 の形 勢 を 観望 し或 は 遅疑 す る等 の事 あ る べ
右布告す。
から ず 。
七
吉林省地方公債発行計画
大正十二年六月十五日 第五 一号 吉林督軍署稽査官談
長春地方事務所
孫吉林督軍 は先般奉天会議 に於 て吉林省地方公債 五〇〇万元発行 に関する協議 を遂げ、省議会通過 の上は直 に実施 の筈 にて諸般 の準 備 が整 つて居 る。 八 大正十 二年六月二十 一日 第 五六号 長春 地方事務所
及 交 通 銀 行 と商 議 の上 、永 衡 官 銀 号 よ り現 大 洋票 一、〇〇〇 万元 を
発 行 し 、東 三省 一円 に流 通 せ しむ る こと とし 既 に印 刷 に着 手 せ り。
を預 金 し 、之 を引 当 に各 銀行 よ り該 兌換 券 を流 通 せし む る も ので、
不 日其 の流 通 に関 す る 布 告 あ る筈 。右 は官 銀 号 よ り各 銀行 に現 大 洋
長 春 地方 事 務 所
額 面 十 元 、 五元 、 一元 の三種 で ある 。
一〇
第六三号
吉 林 省 城 に於 け る木 材銷 場税 課 徴弁 法
大 正十 二年 七 月 五 日
吉 林 財 政 庁 は省 城 木 税 局 に左 の如 き 木材 銷 場 税徴 収 弁 法 案 九 ケ条
を 示 し之 が施 行 に関 し審 査 を 求 め た。 木 材 銷場 税 法 九 ケ条
税 を徴 収 す 。 但 し省 城 の木 材 商 よ り購 入 せ しも の にし て既 に発 貨
車 外運 す る も の或 は当 地 に て小売 す るも のを論 ぜ ず 、 二割 の銷 場
一、外 来 商 人 にし て山 元或 は流 江中 木 材 を購 入来 省 せ し も のは 、装
東 三省官銀号は張作霖 の命 に依 り公済平市銭号 に銅貨 を鋳造 せし
単 に証 印 あ るも のは 再徴 せず 。
東三省 官銀号銅貨鋳造 めて居 たが五月二十九日五百万元 の鋳造を終 つた。近く新銅貨 の流
り代 理納 税 した る後 に非 ざ れば積 載 せし めず 。 其 自 ら装 車 外 運 せ
四 、外 来 商 人 にし て運 送 会 社 の手 を経 て出境 す ると き は 、該 会 社 よ
其 の当 地 に於 て販売 す る も のは売 価 に依 り徴 収 す 。
三、収 税 額 は木 材商 が木 税 局 に於 て評 価 せ る納 税 数 目 によ り徴 収 す 。
す る と き は、 代 理購 入 の各 商 人 よ り納 税 す べし 。
二、省 城 に於 け る木 材 商 が外 来 木材 商 の為 に各 種 の木 材 を代 理 購買
通を見 る筈。
九 吉林公所
吉林永衡官銀号員談。
ん と す る も のは該 税 を完 納 し、本 税 局 より 運送 許 可 証 を受 領 し 始
吉林官銀号 の現大洋兌換券発行計画
大正十 二年六月二十七日 第 五七号
吉林官憲は吉林省金融 の根本的改善を図らんため、中国 、東 三省、
め て出境 す る こと を得 。
税 局 に て運 票 を受 領 す べし 。 木 税 局 は銷 場 税 票 を検 明 し 運送 許 可
五 、 外来 商 人 にし て木 材 を運 送 出境 せ ん と せば銷 場 税 を 完 納 し 、木
証 を発給 す 。其 の際 銷 場 税 票 並 に運単 に捺 印 し 以 て後 日 の証 とす 。 六 、 外 来商 人 にし て当 地 に於 て木 材 小売 販 売 の際 、納 む る銷場 税 票 は 随 時 局 に於 て登 録 廃棄 し、 外 運 の際 転 用 す る こと を防 止 す 。 七 、 外 来 商 人 にし て若 し脱 税 等 の こと あ る とき 或 は転 運 公 司 又 は当 地 木 材 商 と連 絡 し 、匿 税 等 の こと あ る と きは 一律 懲 罰 す 。 八 、 此 種 の木 材 銷 場 税 にし て省 城 内 に於 て納 税 す る も のは、省 城 税 捐 局 に於 て徴 収 す 。
一二
中 国 銀 行 紙幣 増 発 に対 す る抗 議
大 正十 二年 七 月 十 七 日 (庶 調情 第 三七 六 号 )
秘
奉 天特 報
奉 天中 国 銀 行 に於 て新 た に紙 幣 一、〇〇〇 万元 発 行 の こと が、東
三 省 銀号 等 の探 知 す る処 と な り 、市 面 を紊 乱 せ しむ るも のと し て張
に対 し 、右 発 行 準備 金 とし て至 急 五百 万元 を 現送 す べく 、否 らざ れ
総 司令 に之 が禁 止 を請 求 し た 。依 て総 司 令 は直 に新 財 政総 長 王 克 敏
第七五号
奉 天 公 所長
ば 該紙 幣 の行 使 を禁 止す べし と電 告 し た。
一三
大 正 十 二年 九月 二十 七 日 東 三省 貨 幣 統 一案
東 三省 官銀 号 員 の談 に依 れば 、 奉 天省 長 王 永 江及 于 冲漢 等 の巨頭
は東 三省 の貨 幣 統 一実 施 に関 し、 左 の考案 を有 し て居 る。
幣 を準 備 し 、吉 林 永 衡 銀号 、黒 竜 広 信銀 号 発 行 の紙 幣 を回 収す る
一、 奉 天 官 銀 号 よ り吉 黒 両省 に分 号 を 設置 し各 奉 大 洋 二百 万 元 の紙
長 春 地 方事 務 所
九 、 木 材 集散 の地 方 には当 分 税 捐 局 よ り出 張 員 を 派 し て巡 回稽 査 し 納 税 を督 促 す。
一 一
第九二号
東 三省 官 銀 号総牟劉 尚 清 は張 作霖 の内命 を受 け、 通 貨 暴落 竝 に財
東 三省 官銀 号 大 洋 票 発行
大 正 十 二年 八 月 六 日
界 不 況 の為 逼 迫 せ る金 融 緩 和 策 と し て、 東 三省 に於 け る地 方通 貨 を
三 、永 衡 及 広 信 両銀 号 を何 れ も東 三省 官銀 号 の分 号 と 改称 す る こと 。
二 、東 三省 は総 て 一律 に奉 大 洋紙 幣 を使 用 す る こと 。
こと。
美 鈔 公 司 に て印刷 中 の処 、 此 程 百 万 元 の印 刷 を 終 り長 春 にも 十 万元
統 一す る こと と し 、大 洋 票 (現 大 洋 と同 価 格 )発 行 を 計 画 し 、米 国
送 り 来 り 、現 に市 中 に流 通 し て居 る。該 紙 幣 は紙質 優 良 にし て偽 造
四 、 各 省 の銀 号 商 号 は自 号 の紙 幣 を発 行 せ ぬ こと。
因 に今 回発 行 せる も のは十 元 、 五 元 、 一元 の 三種 で あ る。
不 可 能 であ る と云 ふ 。
一
一六
其 他 諸 件
中国関係 ( 除 東 三省 )一 北 京 公所 (五 )
二
大正 十 二年 五 月 二 日
( 大 正 十 二年 四 月 二十 七日晨 報 掲 載 )
魯 大公 司 成 立 の経 緯 並 近 状
魯 大 公 司 の創 立 が計 画 さ れ た のは 民国 十 一年 春 、 華 府会 議 の将 に
終 らむ とす る時 で、 当 時 の国 務 総 理〓 雲鵬 は趙 爾 巽其 他 の山 東 人 に
いと の提 議 が あ つた が 、省 議 会 では 同公 司 に日 本 資金 が入 つて居 る
魯 大 公司 は曩 に山東 省 議 会 に対 し同 公 司 資 本 の半 分 を 省 有 に し た
件 を 支 那側 に紹 介 し た。其 の金 額 は 金 七十 五 万 円 で あ るが 条 件 の折
門 野 重 九郎 が創 立 委 員 を代 表 し て北 京 に来 り 、満 鉄 より資 金 借 入 の
も の であ る が条 件 苛酷 のた め 一時立 消 とな つた 。然 る に昨 秋 大 倉 組
案 を作 成 させ ると 共 に 日本 から 金 六十 五 万 円 の借 款 を為 さ む とし た
密 嘱 し、 山 東 軍閥 と聯 絡 を 取 り山 東 人 自弁 を標 榜 し て農 商 部 に特 許
と言 ふ理由 で之 を承 認 せざ る の みな らず 、其 の関 係鉱 山 は完全 に省
合 が付 かず 未 だ に資 金 の交 付 は し て居 な い。又 中国 側 の持 株 十 万株
(四 月 廿 三 日晨 報記 事 摘 録 )
北 京 公 所 (四 )大 正 十 二年 四月 二十 五 日 ︹ 鉱業︺ 魯 大 公 司 に対 す る山 東省 議 会 の意 嚮
す る こ とを 可決 し た。
有 と為 す べ き を政 府 に要請 す ると 共に 其 の売 国 的 行為 の内 情 を摘 発
に達 せず 、 然 も 設 立費 は已 に六 万 二千 元 に達 し て居 る。如 斯 公 司 の
第 一回払 込 に依 り百 二十 五 万 元 の資 金 が あ る べき 筈 だ が実 収 十 万 元
くか問題とされて居る。
大正十二年五月二十二日
成立はしたも のの資金 欠乏し、如之内争激烈 なれば今後如何 に成行
三 北京特報
︹ Col tman︺
庶調情 九 一号 コルト マン事 件譲 歩 コルト マ ン事 件 は馮 玉祥 の調 停 に依 り米 国 は要 求 賠 償 金 を 半 減 (二五 、〇〇〇 弗 ) す る筈 で あ る。之 れ支 那 が無 線 電 信 問 題 に対 し
極秘
︹ 肇基︺
大 正 十 二年 五 月三 十 一日
米 国 の主 張 を容 れた結 果 と思 惟 す 。
四
北 京 特 報 (五 五 の五 ) 米 支無 線電 信 問 題 進捗 外 交 部 通 商 司 の密 談
米 支 無 線 電 信 問題 は閣 議 の結 果 交 通 部 よ り 直接 施 公 使 宛 左 の意 味 の電 報 を発 す る こと と な つた 。
五
北京特報 (五の六) 大正十二年 六月 三日 塩税剰余金庫券発行決定
五月二日の閣議 にて塩税剰余国庫証券 一、四〇〇万元可決 せられ
昨 日財政部は之 が処理を命 ぜら れた。右 は明年 四月以後 の塩税剰余
六
大正十 二年 六月二十三日
金 を担保とし毎月 七〇万元づ つ償還するものである。
︹Crisp︺
北京特報 (三九 の六) クリスプ借款問題
六月二十日駐英代理公使宋兆華より財政部宛左 の電 報あり。
記
クリ スプより借款条件 に関し左 の申越あり、如何回答致す べきや 左
指示乞ふ。
金額 壱千 万磅 内 五百万磅は英米 旧債償還、五百万磅は現金 担保
手取九十 交付方法並用途
利息 年 八分
過 ぎ ぬ。唯 政 府 は臨 城 土匪 問 題 に忙 殺 さ れ て居 る か ら今 暫 く 猶 予 を
該 契 約 は事 実 上履 行 す る こと にな つて居 り今 は単 に時 日 の問 題 に
乞 ひ 、其 内 着 工期 日 を決 定 し たき意 嚮 で あ る。依 つて米 国 政 府 に対
一は北京軍警維持費 とする こと。
分 の三は議員歳費、制憲費 に、五分 の 一は海外使節費 に、五分 の
国会 の同意 を得調印 の上五十万磅 を交付し、五
し て は 予 め其 の意 を含 め て安 意 せ し め度 く 、 尚 当 方 に て は其 の間 に
塩税剰余金
日 本 の抗 議 を撤 回 せ し む る方 法 を も 講ず る考 であ る 。
九月更 に五十万磅を交付し其 の用途は国会 の議決 に依 り国会維
持費、軍警維持費、政費、使節費、留学生費等 に適当 に分配する
大なる関係 を有し て居 つたが遂 に之を支那 に還付す るに至 つた。然
華盛頓会議迄は日本も山東半島及膠済鉄道を領有し、商業方面 に
顕著となりて延 いては国内商業を大に助成したのである。
残額は債券売出後之 を全部交付す ること。
こと。
揚子江流域 は多年 の間英 国 の勢力範囲 であ つて日本 の勢力は極 め
線 が既 に敷設されて居る。
る鉄道 に依 り福建を開拓する ことである。南昌 には九江 に至る接続
る。即ち漢陽 の鉄及石炭 を永久 に領有すること及福州 より南昌 に至
揚子江流域及其 の南部 に於 て日本は少く共 二箇 の目的を有 して居
居 るも同様 であ る。
れ共尚南満鉄道を支配して居 るから には実際上南満全部を領有 して
調 査課 長
右国会に提議し通過 の上 は直 に計 画を進行すべし。
大正十二年 七月 二十日
七 庶調情第 三四七号 庶務部 支那 に於 ける日本 の覇権 (ニユーヨーク ・パブリツク ・
北部 、中部、南 部 の各中心人物は張作霖、呉佩孚 、孫文 であるが
共和政府としての目下 の支 那は帝政時代よりも遙 かに国威を失墜 して居 る。
るも のである。斯く内部 へ内部 へと侵 入し て飽 く事を知らぬ日本 の
せる利権 に依り、北部 は南満鉄道に依 り各 々支那 の商業 を支配 し得
ることを得 れば、南東部 の商権は勿論 、中部 及北東部は山東 に残有
獲得 し、宛然英米 と対等 の地位 に立つに至 つた。若し日本 にし て其
て微 々た るも のであつたが今や独逸 が會 つて享有したる商権を全部
彼 等 の中央政府 に干与せんとす るは何 れも自 己将来 の地盤 を鞏固 に
勢力は遂 に支那 に於 て有利 なる総 ての利権を獲得す るのであらう。
レヂヤー 大正十 二年 六月十 二目掲載)
せんとする手段 に過ぎぬ。勿論尨大なる支那国民中 には此等 の権威
若し揚子江流域 が全部 日本 の勢力範囲 に帰したならば上海 に於 ける
の大宝庫 も白人 の企図 し得ざ りし方法 に依り日本人 が開拓するやも
欧米人は其 の位置を保持 するには大 に苦闘しなければなら ぬ。四川
の地盤 を鞏固 にし台湾 の要塞 に依 りて豊饒なる福建 の背 地を支配す
は何等 の変化もな い。解散 せら れたる軍隊 は土匪と変 り依然国内を
者 或は北京政府を全然 知らな い者もあるが彼等 の数 千年来 の生活 に 紛擾 に導く のみである。無政府状態 の結果 とし て悧巧な支那人 は商 の貿易は長足 の進歩を遂げ現在 の支那 にし て完全なる行政 の行 はる
業上 の経 営を条約港 に集中し て居 る。国内 の混乱せるに反 し条約港
の機会を捕ふるに汲 々とし て居る。現在日本 の領有 せるも のは名義
日本は今 や支那政界 の混乱状態 に乗 じ奉天を中心 とし て資 源獲得
計り知れず 。
あ る。最近廿年間 に於 て支那 の鉄道は急 速なる発達を為し、殊 に英
は南満鉄道 のみであるが沿線 一帯 の広大なる地域、炭礦、農工地等
るは税 関 のみである事 は支那 の国民性 を能く語るも のと言 ふべき で 米仏白等が鉄道敷設 に関する特権を得たる結果鉄道制度 の発達更 に
を包 容 し 、事 実 上 南長 城 よ り北 長 春 に至 る全 商 権 を掌 握 し て居 ると 言 ふも 過 言 ではな い。 北 京 政府 よ り奉 天 最 高機 関 に与 ふ る命 令 も奉 天 に於 け る 日本 当 局 者 及 張 作霖 の承 認 を得 な け れ ば何 等 の権 威 も有 し な い の であ る 。言 ふ迄 も なく 張作 霖 は 日本 の傀 儡 で あ つ て兵 力 は相 当 に有 す る も満 洲 を完 全 に支 配 す る に は少 からず 日本 の援 助 に依 頼 し て居 る ので あ る。 併 し目 下 は 悲境 に陥 つて居 ると言 つても よ い。即 ち労 農 政 府 の勢 力 が完 全 に浦 塩 を支 配 し て居 る為 何 時 に ても 東支 鉄 道 の運 輸 力 を衰 へ
息 を支払ひ て信用 を高め之 を条件 として〓豊銀行 より 一百万元を
四、税務司と商議 し九六公債 を代理保管せしめ又同公債第 一回 の利 借出す こと。
五、交通部と七銀行間 に三十 万元 の借款を起し結 局合計 二百万元 を
( 註、別報 に依 れば曹〓 は十七 日王克敏に対し七銀行と の借款 は
調達する こと。
呉毓麟と協議速 かに解決方電告 せるが如し)
朱
鉄
国
有
方
欽
昭
璽
済
軾
張弧 は左 の任命 を為す筈 である。
六、担任者物 色 塩務署長
鴻
し め る こ とを 得 る のであ る。之 に対抗 す る為 日本 の援 助 を 求 む れば
管部次長
何
訓
︹マ マ︺
要 す る に支 那自 身 が自 国 民 を完 全 に統 治 す る のでな け れ ば在 支 外
総務庁長
沈
最 早 彼 は永 久 に日本 の奴 隷 と な る で あら う 。
人 に加 へら れ た危 害 は忽 ち列 国 の干 渉 を 惹 起 し紛 乱 の裡 に日本 は好
張
言 ふ。 一、借款金額
左
秘 北京情報 (大正十 二年八月二十 一日)
二百万元
記
て目下交通部 に対し左記大連塘沽海底電線敷設借款 の交渉中なりと
天津建築請負業者三谷為吉 は岡崎邦輔 、押川方義両者 の代表 とし
大連塘沽間海底電線敷設借款
庶調情第四九七号
九
公債司長
大 正 十 二年 八月 十 九 日
庫蔵司長
秘
機 会 を 獲得 す る の であ る 。
八
張財 政 総長 の財 政計 画
北 京 特 報 (庶 調情 四九 二 )
劉 式 程 の談 に依 れば 張 弧 の財 政 計 画 左 の如 し 。
と。
一、 六 、 七 月分 の塩 税 剰余 金 を引 き 取 り 八 月分 の 一部 を前 借 す る こ
二、 塩 税 準備 金 七百 万 元 の中 一百 万 元 を引 き出 す こと 。
と。
三、 天 津 電 車 公司 の銅 元 を北 京 に送 付 し銅 元票 の兌 換 を救 済 す る こ
限 期 間中 は其 の管 理 を 日本 に委 任 す る こ と。
三 十個 年
調 印 と同 時 に 一百 万元 を前渡 す る こ と。
な ら ぬ。
と言 ひ、 全 く 支那 が共 和 政 府 と な つて以来 の軍 政 不統 一の結果 に外
子 江上 海 に於 て は米 人 の貨 物 、客 船 焼却 せ られ 、 近く は 宣陽 丸 事 件
一、 仕払 方法 一、 期 理
華 府 会 議 に参 与 し た る各 国 が、 支那 に対 し て協 同 方 策 を講 ず る に
延 い ては華 府 会 議 の主 唱 者 た る関 係 上慎 重 な る考 慮 を 要 す る。
大 脅 威 と言 はな け れ ば な ら ぬ。 殊 に米 国 は其 の極 東 政 策 と通 商 関 係、
あ る。斯 の如 き 軍政 の不 統 一は 唯 に極 東 に限 らず 全 世 界 に対 す る 一
が 此 の大 兵 を自 己 の支 配 下 に置 き得 ざ る事 が支 那 混 乱 の根 本 原 因 で
遂 に今 日 の如 き 百 三十 余 万 と言 ふ大 軍 と な つた の であ る 。北 京政 府
の後 列 国 の反 対 あ る に拘 ら ず 各督 軍 は競 ふ て新 兵 を補 充 し た為 に、
昨 年 二月 一日 の華 府 会 議 に於 て支 那 の裁 兵 案 が議決 せら れ た が其
一、 管
一〇
北 京特 報 (大 正 十 二年 十 月 三 日庶 調 情 第 六 六 二号 ) 駐 露 支 那 外交 代 表 決 定 十 月 二 日閣 議 の結 果 駐 露 外 交 代表 と し て当分 李 家 鰲 を莫 斯科 に派 遣 す る こと に決 定 し た。
至 るま で、 米国 は自 ら米 国 人 の権 利 を保 護 し な け れば な ら ぬ 。即 ち
李 は東 省 特 別 区 高等 審 判 庁 長 兼特 別 区行 政 公署 顧 問 にし て今 回東
目 下 の策 と し て は条 約 の範 囲内 に於 て陸 海 軍 駐剳 隊 を最 大限 ま で増
在 支 米 国 商 業会 議 所 聯 合 会 は 十月 十 七 日 上海 に於 て開催 せ ら れ た。
の収 入 と な るを 以 て此 の対 策 を論 議 し た。同 時 に特 税 海 関税 会 議 、
北 京 政府 各 省 に於 け る烟 草 、 石 油 其他 に対 す る不 法 税 金 は総 て督 軍
海 軍 省 に対 し建 議 す る処 があ つた 。次 に各省 の不 法 課税 に就 き 、反
に使 用す べ き船艦 は東 洋 根 拠 地 に於 て建 造す べき 旨 、商 業 会 議所 は
国 公使 に揚 子 江其 の他 の航 行 河 に海 軍 増 置 の通 告 あ り 、而 し て之 れ
し む る ことも 目下 の急 務 であ る 。既 に華 府国 務 省 及海 軍 省 は 駐支 米
の駐 剳 隊 を増大 し、 太 平 洋 艦 隊支 那 派 遣 隊及 揚 子 江守 備 隊 を充 実 せ
加 す る こと であ つて、 一九 〇 一年 団 匪事 件 協 定 書 に依 る北京 及 天 津
支 鉄 道 土 地移 管 問 題 に関 係 し ゴ ンダ ツ チに代 り 土 地課 長 たら む と の
一 一
噂 あり し 人 で あ る。
庶 調 情 第 七 二 七号 在 上海 米 国 商 業 会 議所 聯 合 会 の論議
軍政 の統 一不 能 に し て、 外 人 の生 命 財 産 を保 証 し 得 ざ る目 下 の北
﹁マ ニラ﹂商 業 会 議所 代 表 は 、米 人 に所 得 税 を課 す る目 下 の財 政
及 支 那 内 地 に於 け る米 人新 聞 機 関 改良 の件 等 を 議 す る に至 つた が
(十 月 十八 日 ノ ー ス ・チ ヤイ ナ ・デ ー リ ー ・ニ ユーズ )
京 政 府 に対し て当 日論 議 せら れた る所 は大 体 次 の如 きも の であ つた。
の政 策 に強 く反 対 し 、右 は極 東 に於 て活動 す る米 人 に対 す る 一大 障
臨 城 事件 以 来 四川 に於 て宣 教 師 二 名殺 戮 せら れ 、河 南 湖 北 に於 て 起 つた 暴 動 は遂 に 一カ ト リ ツ ク教 牧師 及 二婦 人宣 教 師 を殺 害 し 、揚
碍 であ る と述 べ た。之 れ は マ ニラ総 督 ウ ツド 氏 の賛 成 せし処 で あ る と 伝 え ら れ て居 る。
( 高島訳)
鉄道 共 同管 理 問 題 に関 し ては 外交 団 より 確 た る通 知 無 き 為 め当 日 は何 等 論 議 す る に至 ら な か つた 。
二
東 三省 関 係一
東省特別 区行政長官公署職制報告 の件
哈公第八七号 大正十 二年 四月 二十日 哈爾賓公所長
東省鉄路軍総 司令朱慶瀾大将 を長官とす る東省特別 区行政長官公
署新設は本年四月 一日已 に発表 ありたるも内部 の職制 は漸く此 の程
政務庁 々長
東省特別区行政長官
孫
蔡
朱
縄
運
慶
武
升
瀾
燕堂
品三
子樵
決定 せるを以 て茲 に報告す。
書
〓
劭青
秘
廷
瀏
陳
硯孫
李訥
劉
荀
〓裳
同
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伯泉
総務科 々長
雲
希古
〓青
煥
声
英庭
承
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庚
呉
李
汝
国
周
尚
福
唐
秀山
光 股長
内務科 々長
鄒
幹
朱
教育実業科 々長
鐘
費
陳宜処主任
楊
股長
電務処主任
二
大 正 十 二年 四月 二十 三 日 奉 天 会 議 の決 定 方 針
北 京 特報
四月 廿 二 日王 正 廷発 総 統 宛 報 告内 容
装 の儘 観 望 主 義 を採 る こと 。
一、広 東 、福 建 、 浙 江 に於 け る直軍 の形 勢 が確 定す る迄 は奉 軍 は 武
二、 呉佩 孚 、 馮 玉 祥 が 巡閲 使 及 検 閲使 を罷 免 さる る迄 は東 三省 も 聯 省自 治 の態 度 を 持続 す る こと 。 三 、旅 大 回収 問 題 に対 し ては 成 行 に任 す こと 。 即 ち 日本 の反感 を招 か ぬた め積 極 的 に力 争 せず 、 一方 民間 の回 収運 動 に対 し ても敢 て反 対 も せず 、 以 て国 民 の疑 惑 を免 る る こと 。
三
大 正 十 二年 四月 二十 七 日
奉 天 省 王永 江 の辞 意
吉 林公 所 (三 〇 )
四月 廿 五 日 王奉 天 省 長 は辞 任 の決 心 を認 め た る左 記 要旨 の書 面 を 吉 林省 長 に寄 せ た 。 奉 直 両 軍 対峙 し風 雲 急 な る際 張 総 司令 は専 断 で各 地農 商 民 に道路 の修築 を命 じ た 。右 は人 民 を塗 炭 の苦 み に陥 ら しむ るも のであ る か ら其 の事 理 を詳 述し て其 の中 止 を勧 告 し た が聴 き入 れ ら れ ぬ のみ な らず 却 つ て激 怒 に触 れ た 。依 つて辞意 を決 し た。
四 長春 地方事務所情報摘要 (二七) 宗社党員逮捕
大正十二年 五月五日
四月十九 日農安県城内 で宗社党総司令包志修及副司令遅耀廷 の委
任状 を所持する院占清外 二名 の宗社党員 が逮捕 された。 五
大正十二年五月十 日 通遼知事更迭 の件
鄭家屯公所 (二〇)
通遼知事富明哲氏は四 日附罷免査弁 に附 せら れ後任奉天財務庁科
富知事罷免 の理由は不明なるも、目下問題となれる東亜勧業会社
員富維驥氏本 日同地着任 の筈。
先 に 一日当地〓昌道尹公署交渉科員閻家〓、軍警約 三十名を従 へ
買収 の自在丸農場 の件 の如 き亦 一原因な るべし。
〓農場 に到 り場内日本人 の直ち に退去す べきを命 じ、若 し聴かざ れ
ば兵力 に訴 ふ可しと威嚇 せし事あり。而し て今 又知事更迭あり、恐
らく本件 と何等か の関係 ある可く、知事 の査弁 により本件が 一問題
とな るは疑 なかるべし。斯く ては勧業会社は本土地問題 解決 に付き 益 々困難 を感ずべし。
六
大正十二年五月十 一日
吉林警務処長及清 郷局長 の辞職申出
吉林公所 (三八) 吉林警務 処長鐘毓及清 郷局長曹祖培は王省長 に対し同時 に辞表を 提出した。右 は清郷事務 に関す る中飽事件 に関聯して居 る。
大正十二年五月十五日
七
奉天公所 (一四)
通遼県知事富明哲罷免原因 (奉天漢字新聞掲載) 五月四日奉天省長公署より到達した電令 は左 の通りである。
八 鄭家 屯公所 (二三)
大正十 二年 五月 二十 一日
通遼警察所長更迭 ︹マ マ︺
富 通遼県知事 と共 に同地警察所長趙玉齢も亦革職 せられ後任とし
て奉天 より張学成来任 した。伝聞す るに新所長 は数日前 より趙所長
を拘禁 して居 ると言 ふ。拘禁理由 は不詳。 九
奉天公所
張作霖 の日本新聞記者団歓迎演説
大正十二年五月二十 六日 第十七号
は、王永江 の起草 したもので、其 の論旨は日本が奉天省 に於け る既
丁鑑修交渉署員 の談 に拠 れば、張作霖 の日本新聞記者団歓迎演説
省 に帰 り査弁 を俟 つべし。
のである。両国は互 に誠心 を開き公道 に則り、共存共栄 の目的達 成
得権を執拗 に主張する事 は、 日支両国 の親善を甚 だしく阻害するも
該知事 は操守信じ難 く政務を弛廃し且失職 の事情 あれば応 に本 其 の内情概 ね左 の如し。
たも のであ る。
大正十二年五月廿八日午後 五時 吉林公所電報
一〇
暗 に開海線敷設、奉天馬鉄問題等 も今少し淡泊にあり度 き旨を諷 し
を図るべき で、之れには記者諸氏 の適当な る指導 を仰ぐと力説し、
一、数年間蒙 古の荒地整 理に依り上等地百余方地を蓄積 し、該県署 編注 、 一方 地 は四 五 設 置 せ ら れ て以 来 又 巨 万 の資 産 を 造 つた 。︹〓 ︺ 、 約 三 三町 歩 、
︹マ マ ︺
二、 金 融紊 乱 の極 に達 す る も商 家 と妥協 し公 令 を無 視 し て私 帖 発 行 を 取締 ら ぬ 。
訟 案 件 の渋 滞 甚 だし い。
三 、 柔 懦 にし て悪 人 を信 じ易 く 収 賄 の情 事 が多 い、 従 つて移 民 刑 訴
四 、 必 要 の施 設 を放 置 し 阿 片売 買 、 賭場 開 設等 に意 を注 いで居 る。
吉林実業庁長 馬俊顕昨日死去後任未 定。
一 一
鄭家屯公所 (二五) 大 正十 二年五月 三十日 新任通遼知事及警察所長 の閲歴 新任通遼知事富維驥 は法政事門学校出身 で奉天高等文官試験 に合 格し居り奉天財政庁 に勤務し ていたが王永江 の推薦 で就任したもの である。 ︹ママ︺
同地警務所長 に任命 された張学仁 は元歩兵少 佐で、張作霖 と遠縁 に当り之 も王 の推 薦で趙 の後任とな つたも のである。 一二 大正十二年五月三十 日
呉俊陞通遼視察説
鄭家屯公所 (二四)
目下在奉中 の呉俊陞は両三日中 に個 人経営事業視察 のため通遼に 赴く筈 である。 一三
前 通遼知事釈放請願
大正十二年 五月卅 一日 鄭家屯公所 (二五) 前通遼知事富明哲は新知事富維驥 の来任と共 に県署 に拘禁 された
為 め通 遼 農 、商 、学 各 界 集 議 の上新 知事 に対 し 一先 づ同 氏 の拘 禁 を
解 き査 弁 を 俟 た し めら れ度 し と懇 願 し た が釈放 されず 今 猶 拘 禁 中 。
前 警 察 署長 趙 玉 齢 も 亦 拘 禁中 で あ つた が農 商 各 会 の保 証 によ り漸 く釈 放 され 査弁 を待 つて居 る。
一四
大 正 十 二年 六月 一日 午後 四時 廿 分 奉天 公 所 電報 (六 〇 三 ) 奉 天 省 議 会 開 会決 定
久 し く休 会 中 な り し奉 天 省 議 会 は議 員 法定 数 に達 せ し を 以 て 三〇
日茶 話会 を開 き 、 十 一日 よ り開 会 す る こと に決 せ り。 議 案中 対 外 的
のも の二十 一条 、露 支 会 議 、 対 内的 のも の借 款 整 理 、 奉 天市 政 、 奉
大 正 十 二年 六月 二日 午 後 六時
直 善 後策 、 外 人 の保 護 等 四〇 余件 な りと 。
一五
鄭 家 屯 公 所 電 報 (二九 ) 呉 俊 陞 通遼 視 察
黒 竜 江 督 軍呉 俊 陞 氏 本 日 午前 十 一時 半 着 列車 にて当 地 を通 過 し通
遼 に赴 け り 。 明 日当 地 に来 り 一泊 の上出 立 す と 云 ふ。
一六
鄭 家 屯 公所 電 報 (一四)
大正十二年六月四日午前十 一時十五分発 呉俊陞氏動静 一昨 日通遼 に赴きし呉俊陞督軍は昨日当地 に来 り 一泊、本 日午前 六時五十分発列車 にて当地発奉天に向 へり。 一七
大正十 二年六月十 一日午前十 一時 二十分発
奉天公所電報 (六〇 一) 孫源江商埠警察局長 に任命 安奉鉄路警察局長孫源江は曩 に辞表 を呈出 しありしが許可せられ
極秘
ず、新 に商埠警察局長 に任命 せられ今 日引継 をなせり。 一八
奉 天省議会 の時局問題協議
大正十二年 六月十三日 第二六号 奉天公所
奉天省議会 は予定 の如く六月十 一日開会したが出席議員法定数に
あ つて、 目下 新 進 武 官 が兵 器 購 入、 軍 隊訓 練 に余 念 なき は 此 の間 の
消息 を語 るも のであ る。此 の際吾 人 は省 民 の幸福 と東 三省 平 和 の為 、
如何 な る行 動 を採 る べき か慎 重 な る考 究 を要 す る云 々。 二 、北 京 政 変 の将 来
北 京 電 報 に依 れば 黎 総統 は早晩 徐 世 昌 と同 一の運 命 に陥 るな き を
保 し難 く、 北 京天 津 地 方 の秩 序 は著 しく 紊乱 し、 対外 関 係 は 益 々悪
化 す る も のと覚 悟 せ ねば な ら ぬ。 又奉 天 は新 た に生 ま れ る中央 政 府
及 大総 統 に対 し 、如 何 な る態 度 に出 づ べき か 、之 亦深 甚 の考 慮 を要 す る 云 々。
二十 一箇 条 問題 は他 省 に於 ては如 何 な る論 議 を為 し、 如 何 程抵 制
三 、 対 二十 一箇 条 問 題 態度
運 動 を実 施 し ても東 三省就 中 奉 天省 の地 位 は特 別 の関 係 に在 れ ば、
到 底之 に響 応 し て起 つ訳 に行 か ぬ。目 下 北 京政 界渾 沌 とし て大総 統
は 野 に下 ら ん と し 、奉 直 和議 は未 だ成 立 せぬ を以 て東 三省 殊 に奉 天
省 と し て は、 右 両問 題 の解 決 を俟 ち徐 う に与論 に訴 へ、 各 処 の同 意
々 。
を 求 め然 る後 要 す れば 提案 も し て抗 議 を行 ひ解 決 す る よ り外 な い云
も 、 対 日抗 議 に対 し同 意 を求 め て来 た が、 奉天 省議 会 の之 に対 す る
最 近長 沙 に於 け る突 発 事件 に関 し 湖南 督 軍趙 恒惕 は奉 天 に対 し て
四 、 対長 沙 問 題態 度
態 度 は 、 二十 一箇 条 問 題 と殆 んど 同 一で、 之 に干 与 の限 り でな い。
達 せず、依 て委員会 となし時局問題 に関す る意 見 の交換を為すに止 一、奉 直 問 題
めた。協議 の模様如左。
よき 拒 絶 を以 て返電 を発 す る こと に意 見 概 ね 一致 し た模 様 であ る 。
湖 南 は須 く中 央 政府 と商 議 し 、国 際 法 に照 し て処 理 せば 足 ると 、体
︹マ マ ︺
奉直問題は先般山海関 に於 ける聯歓 に依 て 一時 小康状態 に在るが、
(奉 天特 務 機 関 報)
奉 直 派 の真意 は最高 問 題 の解 決 と共 に、張 作霖 を副 総 統 に祭 り上 げ 、 之 に依 て張 の兵 権 を奪 はん と す る に在 るは奉 天 軍閥 の熟知 す る所 で
一九
奉天市政公所役員決定
大正十二年六月十 三日 第 二八号 (孫祖昌 の談)
奉天公所
の模 様 で あ る。
二 一
大 正十 二年 六月 十 五 日 王永 江 の対 日観
第 七 四号
秘
関 東 軍参 謀 部
煦
樹
珍
非 ず 。 最 近学 生 等 が単 に 理論 に依 り て該 条 約 の撤 廃 及 旅 大 回収 を絶
間 に於 て解 決 す べき事 項 に属 し 、地 方行 政 機 関 の干 与 す べき 限 り に
二十 一ケ条 問 題 は元来 国 際 問題 にし て、 日 本 政府 と 北 京政 府 と の
六月 十 二 日奉 天 省長 王永 江 が顧 問岩 間 徳 也 に内 談 せ る処 左 の如 し。
張 彦
叫 しあ る も 、之 単 純 な る 理論 にし て政治 家 に執 り て直 に外交 問題 と
一、 二十 一ケ条 問 題
弁 于 宗 翼
良
総 理 〓 有
て之 を解決 せ ん とす る も 、現中 央 政 府 の如 き実 力 なく 動 揺甚 し き 現
を害 し、 東 三省 の蒙 る利 害 は 夥 し きも のなり 。 仮令 又 我 が政 府 に於
誤 れ る のみ なら ず 、強 ひ て之 に対 し声 を大 にす る とき は 日本 の感情
条 問 題 に関 し て東 三省 に於 て之 を解決 せ んと す る は 既 に其 本 末 を
し 、国 民 の幸 福 を招来 す るを 本旨 と為 す も のな り 。然 る に二十 一ケ
民 の現 状 と実 力 に鑑 み 、周 囲 の国 際 関係 を考慮 し 、利 害 得失 を打 算
な し、 之 を解 決 し得 る も のに非 ず 。 抑 々政 治 は国 家 統 治機 関 地 方国
曾
学
協 魯
奉天市政公所 の役員は左 の通り決定 した。
坐 弁 市 長
因 に曾有翼 が特 に斯 る監督官 を設けたるは将来土地収用、市区改 正等 の際責任を回避 せんとする魂胆 である。 二〇 大正十二年 六月十四日
吉林督軍署 一部 の吉林移駐並官界移動説
吉林公所 ( 五四)
吉林各地は土匪横行 し古長鎮守使撤廃 のため省長 の警備手薄 となり
奉直和解 し吉林督軍署が長春 に駐在する の必要薄 らぎたると 一方
を 回収 し 満 鉄 を〓 ひ得 る とす るも 、之 に依 り て東 三省 の受 く る利 益
逢 着 す る も亦 東 三省 な り とす 。故 に、仮 令 経 済 上 の実 力 あ り て旅 大
起 さ ん か、 日支 間 の国 交 は遂 に悪 化 し 、 此 の際 第 一困 難 な る境 遇 に
国 民外 交 後援 会 等 の力 に依 り て解 決 せ ん とし て、到 る所 抵制 運 動 を
状 に於 ては 到底 其 の解決 不可 能 な るは 見易 き 道 理 な り。 之 を無 理 に
居 れば督軍署 一部を以前 の如 く吉林 に移駐 する計画 あり、又此際省
(吉林督軍署某 通訳官 の談)
内重要官吏 の大更迭行 はるる筈 にて人選に付き張総司令側 と協議中
力 あ り と雖 其 力 を民 治 方面 に使 用 し 、内 政 を革 新 し 地方 文 化 の発 達
は頗 る貧 弱 な る の みな らず 、 其 の維 持 す ら 困難 な り。仮 令 買 収 の能
に際 し ては其 の資 金無 く、 運転 不 可能 と な る こと多 き のみ なら ず 、
資 本 金 を 集 め得 たる と き は、既 に其 の大半 を 消耗 し、 愈 々事 業 開 始
結 び、真 の合 弁 事 業 を起 し以 て在 満 地 方資 源 の開発 を な し 、国 利 民
去 り と て欧 米 人 の提 携 も 多 く は実 施 困難 な る を 以 て勢 ひ 日本 人 と
仮 令 成 立 す る も爾 後経 営 其 の宜 しき を得 ざ る為利 益 な き は勿 論 、維
而 し て国 民 の実 力 出来 、国 家 の基 礎鞏 固 と な る に於 て は如 何 な る
福 の増進 を企 図 し度 く、 之 が為 所 謂 日 本 の真 の実 業 家 と 直接 提 携 し
持 す る困難 な る状 態 に陥 るを常 とす 。
国際 問 題 を も 、対 等 の情 勢 を以 て解 決 し得 るに至 る可く 、 然 る時 日
と殖 産 工業 の勃興 と を促 し 、 三省 一般 の民 度 を高 上 せ しめ 、 以 て国
本 は自 主 的 に該 条 約 を撤 廃 す る の時 機 来 るべ し と信 ず 。然 りと雖 、
の方 法 と し て 日本 官憲 は実 業 に干 与 せざ るを 常習 とす る も、 支 那側
て事 業 を経 営 し 、 以 て 三省 内部 の実 力培 養 に資 せ んと す 。之 が実施
民 の幸 福 を図 る の勝 れ る に如 かず 。
現下 の支 那 の輿 論 は 該問 題 を唱 へざ れば 売 国奴 と な す の情 況 な る を
宣 明 し 、 三省 人民 の思想 を緩 和 す る の策 に出 でざ る可 から ざ る苦 衷
す るを適 当 なり と信 ず 云 々。
し 得 る の能 力 無 き を以 て、 日本 側 と結 び共 栄 の実 を発 揮 し得 る如 く
は現 下 地 方統 治 に要 す る財 源少 き と実 業 家 の実 力 日本 と 対等 に出 資
︹マ マ ︺
以 て、 某 程度 に之 に響 応 し て円 滑 に該 問題 に対す る東 三省 の立場 を
を諒 せ ら れ度 し云 々。
従 来 日支合 弁 事業 と称 す るも のは多 く 日本 人 事業 に合 弁 の名義 を 二二
長 春 地 方事 務 所
奉 天省 城 市 政施 行 に関 し 王省 長 代 理曩 に曾有 翼 を市 長 に任命 し極
第 五〇 号
二、 日 支合 弁 事 業
る利 益 は皆 日本 人 のみ にし て、支 那 人 は単 に斡旋 の労 を 執 り た る者
附 し た る のみ にし て実 際 の日 支合 弁 に非ず 。従 つ て該 事 業 よ り受 く
等 が其 の報 酬 とし て 、時 と し て巨 万 の利 を得 た る者 あ るも多 く は皆
力 市 政計 画 を立案 せし め あ りし が、今 回曾 市長 は参事 等 協 議 の上 、
奉 天 市 政施 行 方針
大 正 十 二年 六月 十 六 日
面 に於 け る両 破 落戸 の仲 介結 託 に依 るも の多 き結 果 、 真 面 目 な る支
市 政計 画 の大綱 を草 案 し 王省 長 代 理 に提 出 許可 を得 た る を以 て、之
無 の状 況 に あ り、而 し て合 弁事 業 と称 す る も の の多 く は 、 日支 両 方
りと す 。従 て将 来 と雖 如 斯合 弁 事 業 は 、其 の工業 た ると 、鉱 業 た る
那 人 の不快 に感 じ、 従 て其 の実 成 績 は遺 憾 乍 ら 不充 分 な る の状 態 な
に依 り市 政 を実 行 す る こと に決定 せ りと 。
区
割
全 市 を 五 区 に分 ち 中 、東 、 西 、南 、 北 区 と称 す 。
一、地
該 市 政 計 画 大綱 左 の如 し 。
と、農 業 た ると を問 はず 、支 那 官 民 の均 しく 希望 せざ る所 な りと す 。 况 ん や文 明 的 化学 工芸 を要 す るも の に於 ては 、 日本 と提携 す る の概 し て高 価 な る に於 ては益 々考 慮 を要 す 。 然 り と雖 単 に支 那 人 のみ の経 営 に墓 く事 業 も亦 多 く は失 敗 に帰 し、
二、電 車 施 設 之 を十 期 に分 つ
三 、水 道 施 設 十 期 に分 つ。
四、教 育 事 業 小学 教育 十期 に分ち全市学齢児童 二万人 ( 就学児童 五千人、未就学児童
一
一万五千人) を今後毎期 一千五百人宛募集し、十年後全市 に教育 図 書
館
を普及せしむ。 二
施 設
ロ、図書館 の新設
イ、旧図書館 の改良 三 雑
イ、 雑 ニ、 改
良
劇
誌
ホ、 展
ロ、 宣
左記 施 設 を為 す 。
五 、慈 善 事 業
覧
伝
ハ、活 動 写 真
場
ヘ、講
演
会
ロ、 住 宅 塵 芥
ホ、救 済 市 場
ロ、 同 善堂 (貧 民学 校 施療 施 食 )
園
所
蓄
ニ、貯
院
ハ、 盲 唖 学 校
イ、 医
公
便
イ 、 旧公 園 の改善
イ、 理髪 業 者 の消 毒
特 別営 業 衛 生 取 締
室 内 衛 生
イ、 市 街 塵 芥
塵 芥 処 分
共 同 便所 及 私 用 便所 の設 置
ロ、新 公 園 の創 設
ヘ、街 路 放 尿 及汚 水 投 棄 の禁 止
ホ、料 理 店 内部 の改 革
ニ、洋 車 停 車場 設 置
ハ、露 店 営業 取 締
ロ、広 告 板 及障 碍 物 の整 頓
イ 、道 路 保護 及 街 路 の植 樹
市 街 衛 生
六 、衛 生 事 業 一
二
三
四
五 六
ロ、 浴場 清 潔 及 消 毒
屠 料 場
獣 場
尚赤塚前総領事は宮越前警察署長を市政公所顧問 に推薦し、王省
電車 は差当 り右収入 の限度内 にて進行する計画である。
査し、若し不法の行為あれば容赦なく摘発し て之を審判庁 に報告処
奉天省長 は省内各地方 に巡察員 を派遣し、地方官 の執政状態を精
鄭家屯警察所韓崑桐談
奉天省長各地 に巡察官派遣
大正十 二年六月二十日 第 二六号 鄭家屯公所
二四
長 の承諾を受 け月手当百五十万元内外 ならんと。
︹正 助 ︺
七 肥
奉天公所長
八 二三
奉 天市政計画
大正十二年 九月三日 第六二号 九月三日奉天市長曾有翼 の談 。 換 したが、王省長 の意思も承知し居る こと故 、合弁 のことは到底見
弁す る筈 にて鄭家屯 にも多数 入込 んで居 る。
九月二日大倉代表川本氏来訪、奉天電車合弁 の件 に関 し意見を交 込 なき旨を告げ、将来市 政事務 に関し民会長 とし ての援助 を求めて
二五
置 いた。 電車道 の為 の市区改正は多額 の費用 を要し到底不可能 なれば、本 月 一日の市政委員会決議 に従 ひ、旧街路 による こと に略決定し、電 が、何 れも格好 の見積 である。目下高 田商会 の信用程度を照会中で
車 は狭軌 とし高 田商会、 シーメンス、慎昌洋行 より見積を徴したる
浜江鎮守使張煥相及其 の部下を奉天 に移駐し奉天第六旅長郭松齢
浜江及綏〓鎮守使移動説
長春地方事務所 (五七) 大 正十 二年六月 二十三日
会 弁以下 の反対を受け居れば、契約 の成不成 は未だ予断し難 い ( 高
の後任 に第 二旅長張学良を、其部下 を綏芬河 に移駐し て綏〓鎮守使
及其 の部下 を之 に代 らしめ、又第 三旅長張宗昌を奉天 に呼 び寄せ其
あるが近く、其代表来奉する筈。但 し高 田商会 は紡紗廠 の紛紜より 田、シーメンス見積共 に二〇万元、慎昌洋行 見積 二十余 万元)。市
二六
を兼任せしむ る説 あり。
の事業中今回教育庁より小学校七校を引継ぎ、警察庁より衛生事務 を引受け、其他同善堂 も管理す ること にな つて居 る。又目下計画中 市 の財務は警察庁より接収 せし家屋税其他収 入年額二十余 万元 の
の公立病院も行 々は市経営に移す筈であ る。 外、省庫 より多少 の補助を受く ることにな つて居 る。
大 正十 二年 六 月 二十 七 日
王永 江 排斥 の風 聞 ( 奉 天 特 務機 関 報 )
奉 天 公所 (三 四)
奉 天 議会 員 談 北 京 参衆 議 員 及奉 天 省 議会 員 中 王 永江 が理 財 の才 能 あ り と 云 は る る も苛 税 を徴 収 す る に過 ぎず 、其 の政治 刷 新 た る や党 を 結 び て其 の 禄 位 を厚 くす る迄 にて何 等 善政 の見 るべ きも のが な い。 依 て大 会 を
あ る。
哈 爾賓 事 務 所
開 催 し斯 か る冗 員 の取 締 が必要 で あ ると て王 の排 斥 を主 張 す る者 が
第 一二号
二七
大 正 十 二年 七 月十 日 哈 爾賓 に対 露 外交 後 援 会 成 立
七 月 八 日哈 爾賓 傅 家甸 に於 て三十 五団 体 よ り成 る ﹁ 国 民 対 露 外交
会 弁 死 去 の為 移 動 を来 し たる も のな り 。尚 丁夢 武 氏 は已 に当 地出 発
大 正 十 二年 七 月 二十 三 日
斉 々哈 爾 に赴 任 せ りと言 ふ。
二九
吉 林 官界 移 動 説
長春 地 方 事 務所 (七四 )
孫吉 林 督 軍 は督 軍 専 任 と な り、省 長 は朱慶 瀾 の兼 職 と し其 他 二三
の大官 更 迭 す べ し と の説 が あ る。 右 は今 回 の陰 謀 事件 が動 機 と なり
大 正 十 二年 七月 三十 一日
三〇
省 内 の革 新 を図 ら んと す る張 総 司 令 の意 嚮 ら し い。
吉 林 公所 (六 九 )
吉 林省 長 公 署 要 人談
吉 林 官 界 移 動 の件
孫 督軍 が吉 林 省 辞任 の意 あ る は事実 に て目下 張 総 司令 に対 し之 が
後 援会 ﹂ 成 立 し た。 其 の主 旨 は 国家 精 神 を 本 とし て対露 外 交 を 援 助 し 、 以 て円 満 に目 的 を達 成 せし め ん とす る に在 り、 此 の会 長 には同
模様もある。
三 一
り該 省長 に昇 任 す る や も知 れ ぬ。 吉長 道 尹 栄厚 は遼瀋 道 尹 に転任 の
に て実 現 す ると は思 は れ ぬ。浜 江 道 尹蔡 運 升 は張 総 司令 の希望 も あ
申 請 中 であ る。 但 し朱 慶 瀾 の省 長 兼任 説 は軍 民分 治 の趣 旨 に背 く訳
地 中 国銀 行 長 馬子 元 推戴 さ れた 。
二八
大 正 十 二年 七月 十 四 日
哈 爾賓 松 北 市 政 局長 更 迭
哈 爾賓 事 務 所 (一九 )
松 北市 政 局長 丁 夢 武氏 (字 聘 三 )広 信 公 司総 弁 と な り 、松 黒 両 江 郵 政 局長 趙 延宸 (字 寿山 )松 北 市 政局 長 と な れ り。 右 は広 信 公 司李
吉 林 公所 (七 〇)
大 正十 二年 八 月 二日
孫 督 軍赴 吉 用 件 孫 督 軍 は 七月 廿九 日 吉 林 に来 り八 月 一日長 春 に帰 つた 。来 吉 の用 件 に付某 要 人 の語 る所 左 の如 し。 孫 督 軍来 吉 の用件 は別 に重大 なも ので はな い。唯 先 般 の陰 謀 事 件 に付 其 の善 後 策 を協 議 し た ので眼 目 は保 衛 団 の改 造 であ る。先 般 の
米官憲及紳商 を招宴する意嚮を有 し、更 に日本側とも親善 を期する
ため重要官民を招待する予定 である。 三三
務 と す る処 で此 点 に関 し ては言 明 し難 いが孫 督 軍 と王 省 長 と自 分 と
推薦 し未だ何れとも決定せず、或は当分張寿増を任命 することとな
推薦 し居 るも、王省長及楊総参議は元哈爾賓東三省銀行長陳廷絜を
故交渉署長 史紀常氏 の後任 とし て張総司令 は元浜江道尹張寿増を
奉天交渉署長 の後任問題
奉天公所電報 (六〇九) 大正十二年八月六日
の協 議 で大体 の成案 は出 来 た 。右 の他某 省 議 会 議 員 が吉 林省 城 水 道
るやも知れず 。張は目下滞奉中なり。
如 き 事 件 発 生 の際最 も 利 用 さ れ易 い危 険 を有 す る 保衛 団 の改 造 は急
問 題 に就 て督 軍 に質 問 し た る に督 軍 は 水道 敷 設 の資金 あら ば吉 会 鉄
三四
大正十 二年九月三日
七月 三 十 一日張 作霖 が阪 東 顧問 に語 れ る談 に依 れ ば 、英国 皇 帝 が
は近く官界 に移動あるべしと報じたるが趙振綱は先 日免職 せられ、
談として、王交渉使、吉長道督練趙振綱等 が該問題 に関係 あり、或
先般楊錫九 の謀反事件 に関す る吉公報第六六号 の報告に某要人の
王交渉使 の辞表提出及其他 の官界移動説
吉林公所長 (八六)
駐 支 同 国 公使 に対 し現 下 混 乱 せ る支 那 の時 局 を収 拾 し得 るも のは張
王交渉使 は督軍 の覚目出度 からず遂 に辞表 を提出 したり。之 に付某
奉 天 公所
道 を 敷 設 し度 いと答 へた 。
第 四 九号
三二
大 正 十 二年 八月 六 日
作 霖 の外 な け れば 、張 を後 援 し て彼 を大 成 せ しむ べ し と の訓電 を発
要人は語りて曰く、交渉使 の辞表提出は其 の名目 を病気としたるを
英 米 の対 張作 霖 態 度
せ る旨 、 在 支各 外 字紙 に報 道 せ ら れ、 米 国亦 之 に倣 ひ同 様 の態 度 を
は吉林法政学校長劉氏 を挙げんとし つつあれ共、今直ち に王氏 の辞
以て未だ直 ちに之を聴許する に至 らず。其 の後任 に就きては王省長
職実現 せば督軍 の希望 により蔡浜江道尹交渉使として吉林に帰る可
示 し た る ため、 昨 今駐 奉 英 国 領 事初 め英 米 人 が祝 賀 の意 味 で来訪 す
右 の実 否 は不 明 な る も本 件 は 奉 天派 就 中張 作 霖 に好感 情 を 与 へた
る も の が多 いと の こと で ある 。
こと は事 実 で、張 は欧米 人と 握 手 す る の必要 を認 め た ら しく 近 く欧
若 し実 現 す れば 吉 林省 民 の幸福 であ る が朱 慶 瀾 は寧 ろ黒 竜 江省 に適
の風 説 も あ る位 であ る。 目 下擡 頭 せる朱 慶 瀾 の吉 林 督軍 説 の如 き も
三八
〓 南 派 出員 (一 一五 ) 張 馬隊 統 領 官出 奉
三九
吉 林 公 所長 ( 九七) 吉 林官 界 移 動説
庁長 に転 任 せ し む る意嚮 があ る 。
道 尹 は財 政 庁長 と し、馬 実 業 庁長 を採 金 局長 に、 孫財 政 庁長 を実 業
原 因 し て王代 理省 長 は 、鐘 を浜 江道 尹 に、宋 常 廷 を警 務 処長 に、 蔡
鐘 警 務 処長 は無 能 に し て且 つ清 郷 局 曹 総弁 と軋 轢絶 え ず 、此 等 に
大 正 十 二年 十 月 十 五 日
る警 備 打合 会 に列 席 の為 であ る 。
要 務 は 西北 の辺 防 、露 西 亜 の蒙 古侵 略 、直 隷 軍 の辺 境 侵 入 に対 す
二十 九 日出 発 鄭 家 屯経 由 奉 天 に赴 け り。
〓 南 駐在 第 一馬 隊統 領 官 張海 鵬 は張 総 司令 より の招 電 に依 り九 月
大 正 十 二年 九 月 二十 九 日
能 性 を有 す と思 は る 、云 々。
任 な るべ く 、万 一孫督 軍 移 動 す る とせ ば後 任 と し ては張 作 相多 少 可
し。尚鐘警察処長は該事件 の最後迄之 を知 らざ りしは職務怠慢なり
大正十二年九月二十日
と て督軍 の覚 目出度 からず。或は浜江道尹 〓転ずべしと。 三五 斉 々哈爾公所長 (一七三) 竜江道 尹内定 黒竜 江督軍総参議兼竜江道尹董吉慶 は九月十六 日逝去 せる為第 二 十九師参謀長 張興仁其 の後任 に内定した。 三六
通遼県署移転説
鄭家屯公所長 (大正十 二年九月 二十三日第七五号) 奉天省長 より通遼 (白音太来)県知事 に宛て県署を銭家屯 に移 転 すべき旨命令せりとの風説 がある。 三七 吉林公所長 (大正十二年九月 二十五日第九二号) 孫吉林督軍 の移動説 最近孫督軍移動説 二三新聞紙上 に散見するも同説は何等根拠ある
吉 林省議会某要人談 ものでなく孫督軍は多忙 なれば専任省長として袁金鎧を任命すると
四〇 長春地方事務所長 (一二〇) 綏 寧鎮守使弁公処設置
大正十二年十月十八日
東支東部線綏芬河駐屯中 の綏 寧鎮守使張宗昌 は今 回長春北門外商 埠 地東 三馬路 に弁公処を設置し両三日前左記 の如く処長以下三名着 綏 寧鎮守使署弁公処長
高
明 名
洲
斉
任した。而し て該公処は軍需品購入受領積換其他 の連 絡機関 である。
二
員
燮
弁 事
王
外
上副官歩兵少校
同
四 一 天津汽船電報 ( 庶調情第七二九号) 大正十二年十月二十五日 張敬堯来満 ( 同氏は元湖南督軍にて直隷派 に追はれ野 に下り目下張作霖 の客
張敬堯明朝 (二十六日)長 平丸 にて貴地着。 分 になつて居 る)
一七
一
満 鉄 関 係
ジ ャ ーナ ル ・オヴ ・コ マー ス
四 月 二十 八 日
大 正 十 二年 四 月 二十 八 日 ( 庶 調 情 第 一六 〇 号)
( 本 件 は ハ ルピ ン特 電 と し て米 国 内各 地 の新 聞 に広 く掲
米 国 新 聞 の満 鉄 社 債 反 対記 事
載 され た) 哈爾賓 米 国 商 業会 議 所 は紐 育 ナ シ ョナ ル ・シ テ ィー ・カ ンパ ニー が 一千 万弗 の満 鉄 社債 に応 ず る こと は、満 蒙 の門 戸開 放 に隙 害 とな る旨 ワシ ント ン政 府 に通 電 した 。之 に関 し ナ シ ョナ ル ・シテ ィー ・ カ ンパ ニーで は東 拓 の二 千 万弗 社債 と共 に目 下 審議 中 であ る 。
二
大 正 十 二年 六月 二十 三 日午 前 一一時 三〇 分発
午後
三時 三九分著
文書 課長
二十 二日奉 天発 二列車沙河十里河間運転中車中 にて馬賊 の為め二
松 岡 理事 殿
七時 一五分発
本社 理事
等客二名 日支各 一重傷を負 はされ其他乗客金員を掠奪 さる。 三 着暗電第二十八号
午後十 一時三五分著
大正十二年 六月二十三日午後
松 岡 理事 殿
今 回の沙河十里河間に於ける列車内馬賊事件は新聞紙等 に於 て頗
の範囲 にて発表す ることとせり御含 み迄 。会社は今回の馬賊事件 に
る誇大 に報道 せら るる虞 あり協議 の結果社各機関 は歩調を 一にし左
とし ては 本件 顛 末 を 関係 当 局 に報告 し 且将 来 の警 備 に関 し ては警 察
柄 な るを 以 て此 の際 徒 に事 を 重 大 に伝 う る ことは 避 け たし 。 尚本 社
に非 ず し て斯 の如 き事 件 は内 地 又 は其 の他 に於 ても 間 々発 生 す る事
ず 、 素 より最 近 に於 け る臨 城 土匪 事 件 の如 き も のと 比較 す べ き も の
視 る の傾 き あ るも今 回 の馬賊 は集 団 的 に列 車 を襲 撃 し た るも のに非
鉄 道 部 に於 て夫 々手 配 を為 し つ つあ り 。而 し て世間 は本 件 を 過大 に
付 被害 者 に対 し ては深 甚 の同 情 を表 す。 目 下 其 の善 後 措 置 に付 ては
人 民 を騒 がさ し め る こと を敢 て黙許 し て居 る。 胡 匪 は華 兵 の追 撃 が
得 ら る る こと を只 管 望 ん で居 る 。 それ で浪 人 が胡 匪 に武 器 を供 給 し 、
日本 人 は我 東 三 省 を物 に せん とし て我 地方 の治安 が乱 れ 、 口実 が
(廿 五 日) 胡 匪 と浪 人
勦 匪 の必要 な から ん 云 々。
守 備 隊 を撤 退 せし め 、華 人 にて管 理 保護 の責 に任 ず れば主 権 統 一し
この事件 を根 拠 と し て 日本 政府 に厳 重抗 議 し、南 満 線 の還附 を迫 り、
日人 は固 よ り胡 匪 が東 三省 の治 安 を撹 乱 す る ことを 望 む も の であ
す る日浪 人 を 一掃 す る こと で あ る。
策 とは言 は れ ぬ。根 本 策 は南 満 線 を 回収 し 、胡 匪 を援 助 し たり庇 護
旅 長 を司 令 に任 ず る など 其苦 心 察 す る に余 り あ る がそ れ は未 だ根 本
現 に当 局 は塩 、長 、 輝 、柳 、 海 、通 諸 県 を特 別 勦 匪 区 と定 め 、蔡
地 を取 消 さな け れば 如何 に痛 勦 し ても粛 清 は望 ま れぬ 。
人 の庇 護 あ る から であ る 。 され ば南 満 線 を 一日も 早 く 回収 し 、附 属
華 当 局 は勦 匪 に力 め て居 るが 匪勢 は 一向衰 へぬと言 ふ のは 、 日浪
急 な れば直 ぐ 日人 の所謂 附 属 地 に庇 ま は れ始 末 に了 へぬ。
奉天公所
乃至 軍 隊 当 局 と打 合 せ相 当 調 査 研究 を 遂 げ 此 の種 の事 故 防 止 に付 相
第 三 二号
当 の措 置 を講 ず る積 り な り。
四
大 正 十 二年 六月 二十 六 日
満 鉄 列 車 内強 盗 事 件 に 対す る ﹁ 東 報 ﹂ の暴 論
る が、自 己 に不 利 を来 す とは思 つて居 な い処 か今 回 の掠 奪事 件 は 明
(註 、東 報 は張 作 霖 の息 子張 学 良 の機 関 紙 な り) (廿 四 日) 日人 の南 満 線 管 理 は占 領 の性 質 を有 す 。国 際 正義 よ り
我 当 局 は南 満 旅 客保 護 の為 に、当 然 日政 府 に向 つて厳 重交 渉 し 、
か に天 罰 で 、自 業自 得 で ある 。
曠職 従 業 員 の懲 弁 、 国 際 正義 に基 き南 満線 の還 附 を要 求 す べ き であ
言 へば 我 よ り夙 に回 収 す べき であ つた 。然 し 日人 の管 理宜 し き を得
如 く 華 人 の或 は及 ば ざ る所 なら ん 。処 が 今 回 の馬 賊 事件 に より 華 人
る 云 々。
旅 客 の利 便 と す る所 にし て其 の施 設 の完善 な る こと は 日人 の誇 る が
乗 客 は重 傷 を 負 ひ、 且 つ生命 を危 ぶ ま れ て居 る 。 日守 備隊 は何 を な
五
し居 る や。 満 鉄当 局 は弁解 の言 葉 あ り や。 南 満線 に依 る華 人 旅 客 は 頗 る多 数 な る が、今 後 こ の鉄 道 に乗 る ことは 命懸 け の覚 悟 がな け れ
吾 当 局 は南 満 交 通 を維 持 せ ん が為 には之 が危 険状 態 を放 任 せず 、
ば と て も危 く て乗 れな い。
満鉄豆油混保成 立難 の原因
大正十 二年六月二十六日 第 四 一八号 哈爾賓事務所
然 る に満 鉄 の豆 格 験 査 は手 続 を簡 略 な ら し め る見 地 よ り、 単 に上
常 に 三、 四 十銭 の開 き あ る は、 即其 の品質 複 雑 な るが為 で ある。
関 し某 有 力 支那 商 人 の言 に拠 れば 、満 鉄 は豆 油 混保 の タ ンク を設 け 、
聯合会 にては其 の創設を不必要 と認め之 に反対 の意見 を有す。右に
反 て下 等 品 が特 等 品 に優 る こと が あ り、其 の方 法 が頗 る杜 撰 で全 く
等 と なす 。之 が為 に特 等品 が往 々にし て其 の搾 油 量 下等 品 に及 ばず 、
小 を分 ち其 の大 にし て円 き も のを特 等 と し 、 小 にし て扁 き も のを下
乾湿 程 度 と言 ふ が如 き 重要 事 項 を無 視 し 、単 に皮 色 の明暗 、 粒 の大
六月廿三日国際協報掲載 。
油 房業 者 に其 の使 用 方 を提 唱 し来 り 、会 議 討 論 し た る事 あ るも 結果
優 劣 を弁 じ 得 ぬ。 油 房業 者 が現 豆 の買 付 を為 す 場 合 、時 に同 一の価
き為 豆 価 の差額 は公 平 を期 し難 い。満 鉄 の豆格 験 査 法 は豆 の含油 量 、
は、多 数 の不賛 成 に遇 ひ て成 立 す る に至 ら な か つた。 数 日前 満 鉄 は
格 を 以 て特 等 、中 等 品 を措 き反 て下 等 品 を買 入 れ、 或 る は割 高 の野
中 下 の三等 に分 ち 各 等 の差 額 を僅 か に五銭 と した 。 此 の級 の分類 少
再 び ヤ マト ホテ ルに取 引 組合 、油 房 聯合 会 及 輸 出商 業 会 、 重要 物 産
積 品 を さ へ買 込む こと あ る は、 上述 せる満 鉄 の混 保 験査 が殆 ど信 用
満鉄 は早 く よ り豆 油 の混合 保 管 を為 さ んと す る の議 あ る も、 油房
が、油 房 聯 合会 代 表 委 員 全部 は之 に反 対 し、 満 鉄 よ り提 出 し た タ ン
同 業組 合 の各委 員 を招 待 し 、 豆油 混 保 に関 す る会議 討 論 を為 し たる
ク使 用 の条 件等 口 を緘 し て語 らず 、斯 の如 き 問 題 に対 し ては宛 然 参
は混 保 品 以 外 の豆 を 買 入 る る方 が、 混 保 の所 謂 る特 等 、 中 等 品買 付
現 豆 の買 手 は如 何 な る豆 を買 入 る ると も彼 等 の自由 で、 下 等品 或
す べ き価 値 な き こと を証 す 。
の場 合 の様 な思 は ぬ損 失 を蒙 る事 が少 いが、 現 物受 渡 の際 幾多 の不
加 研究 の必 要 な し と の態 度 に出 でた 。蓋 し 既 往 に於 け る大豆 豆 粕 混 保 の苦 き経 験 あ れば 其 の轍 を履 む こと を戒 め た に外 な らず 。 近 年油
利 益 を蒙 り つ つあ る。売 手 は故意 に 一、 二銭 高 値 に特 等 品 を買 付 け 、
或 は中 等 品 と同 一価格 に て特 等品 を買 入 れ、 現 物 引渡 期 迄 五銭 の差
房 業者 が大 豆豆 粕 の混 保 に依 り受 け た損 害 は実 に名 状 す べ から ざ る
混保 の倉 庫成 立 当 時 は売 買 双 方 均 しく 之 を便 利 なり と称 し た が 、
も のがあ る。
を招 く こと を知 るも 、取 引 所 の規 則 に制 限 せら れ斯 の如 き 不都 合 を
金 利 益 を保 留 す ると言 ふ遣 り方 を採 る為 、買 手 に於 て は明 かに損 失
甘 受 せ ねば な ら ぬ。油 房 業 者 が豆 粕 を売 出 す 際 に、現 物 を 多量 に有
時 日 の経 過 と共 に弊害 続 出 し 、 只 混保 と言 ふ名詞 を 耳 にす るだ に厭
す る大 豆 は 其 の品 質 を仔 細 に研 究 せば 数 十種 を下 ら ぬ。其 の最 も優
気 がさす 。 試 み に大 豆 に就 て混 保 の害 を論ず る に、 北 満洲 より産 出
秀 な るも のは 一担 より 十 一、 二斤 の油 を 搾出 し得 るも 、其 の劣等 な
ひ換 ふ る等 、取 引 頻繁 で其 の都度 若 干 の損 失 を招 き 、更 に又取 引 所
す る場 合 は相 場 の変動 を恐 れ之 れ を転 売し 、 又時 に先 物 を 現物 に買
状 を審 か にせず 、 却 て彼 等 油 房業 者 を仲買 営 業 者 と誤 認 し 問 屋税 を
よ り は手 数料 を徴 収 せ ら る ると言 ふ状 態 で あ る。官 署 は此 の間 の実
るは搾 油 僅 か に 七、 八 斤 であ る。 従来 油 房 業 者 は最 も知 識 経 験 深 き 者 を撰 ん で大豆 の買 入 れ に当 ら し め 、含 油量 の多 少 、 乾 湿 の程 度 を 鑑 識 し て価 格 の高 低 を 定 め て居 つた 。毎 日 の相 場 に依 れ ば上 下 等品
に基因す るも ので、之 れに依る損失 は枚挙 に遑 ない。
〃
一六分著
( 野 口訳)
強要し て居る。 こと此処 に至 れるは皆満鉄 の混保験査が不完全な る
六
〃
大正十二年 七月三十 一日午後八時 一〇分発 奉 天検車 区長
桓 勾子 駅 長
一昨日深井子駅脱線事故原因車軸折損 は古疵 の為 なり。 七 大正十 二年九月十 二日午前〇時 三五分発 午前 四時 三〇分著電
八
午前 五時著電
大正十二年九月十 二日午前 一時十分発
雙廟子駅長 、同保線 区助役
桓勾子雙廟 子間第 二黒祖子橋梁夜業中十名 より成 る馬賊襲来今衝
突中 と午後十 一時桓勾子駅長 よりの報 に依 り同二十分守備兵二十名
警務署員 二名現場 に ハンド カーにて行く詳細不明後 より知らす。 九
雙廟子駅長、同保線 区助役
一分著電
大正十二年九月十二日午前 二時二五分発 午前五時
黒祖子橋梁馬賊襲来 の件午後八時三十分 より午後十時三十分間 に
於 て時機を窺 ひ来 るも双方衝突 の結果遂に撃退さる、賊は八名にし
黒祖子 に馬賊襲来 の件 十 一日午後十時雙廟子桓勾子間五六三粁八〇〇米第 二黒祖子川橋
て小銃五挺携 帯す、線路其 の他人 に被害無 し、午前 二時帰着す。 一〇 大正十 二年九月十二日午前 三時発
午前 四時 三五分著電
桓 勾子 駅長
梁複線 工事現場大倉組 に武器携帯せる約十名 の馬賊らしき者襲来、 現場員発砲 せしに之 に応 じ来 りし に依り直 に関係 の向 に通報、不取 敢雙廟子より兵員出動方依頼す ると共に当地よりも午後三十分 兵 一 名警務署員 一名現場 に急行す。其 の後 の模様不明なるも午前〇時 当 駅着巡廻将校 の報 に依れば現場異状無しと言 ふ、甚 だし き被害無 き も のの如し委細あと。
哈爾賓事務所長
午前二時 三十五分出動員帰来匪賊は既 に逃走後 の由 、線路其 の他 何等被害無 し。
一 一
哈調第 一九〇号 秘
藤根鉄道部長 の東支鉄道視察 が捲起した問題 の経緯
大 正十 二年十月十 二日 首題 の件 に関 し左記報告致 します。
刊 、 ザ リ ヤ紙 の記事 は東 支 鉄道 経 済 調 査 局長 ミ ハイ ロフ氏 が某 目 的
を 以 て書 いた 中傷 的 記事 で あ つ て、 ミ ハイ ロフ氏 は 常 に両 刀 を 使 ひ、
小 刀細 工 を行 ふ人 間 で あ つて、 昨年 の長 春会 議 の際 も其 の手 段 で満
鉄 か ら或 種 の利 得 を 収 め た と か の噂 あり と報 じ た。
此 の報 は 日頃 ミ ハイ ロ フ氏 の遣 口を快 く 思 つて居無 か つた 露 字 新
聞 の為 に同 氏 攻 撃 の好材 料 とな つて、 労 農 機関 紙 ト リブ ー ナ紙 は 勿
て ミ ハイ ロフ の収 賄 を 攻撃 し、 殊 にト リブ ーナ紙 の如 き は オ スト ロ
論 、 鉄道 御 用 紙 ル ー スキ ー ・ゴ ー ロ ス紙 迄 も右 哈 日 の記 事 を訳 出 し
更 に ミ ハイ ロフ氏 と 第 八 区油 房 と の間 に絡 は る醜 聞 を も素 破 抜 いた 。
ウ モ フ氏 をも 引 き 出 し て 、東 支 鉄道 幹 部 の無 節 操 を痛 烈 に攻 撃 し 、
斯 く し て藤 根 部 長 の密約 問 題 は 今 では殆 ん ど跡 形 も無 く消 え て、 ミ
藤根鉄道部長 が東支鉄道西部及東部線 の視察 を終 へて帰 哈した十 の来哈 は単なる視察 でなく、東支鉄道と密約 を結ば んが為 めであ つ
月 一日夕刊ザリヤ紙 は突然 ﹁ 満鉄 の秘密計画﹂ と題し て、藤根部長
ハイ ロ フ氏 の収 賄 問 題 が喧 しく 論議 さ れ る様 にな り、 同氏 も 其 の体
東 支 本 線 発穀 物 に対 し満 鉄 が承 認 せる 六 哥 の払 戻 を取 消 さし む
大 連 及 エゲ ルシ エリド行 貨 物 運賃 の改 正
つあ り と の こと だ 。
面 上 遂 にト リブ ー ナ紙 を相 手 取 り 名誉 回 復 の訴 を起 さん と憤 怒 し つ
︹〓 rep〓 e〓〓〓︺
て、 二
七時
分著
既報 咸 鏡 南 部 線 被 害中 高 原 永 興間 一日第 一〇 三列車 よ り永 興 馬場
〃
大 正 十 二年 八月 一日午前 三時 四 〇 分発
一二
無 いと関 係 各 新 聞 に取消 文 を発 し た。
尚 当事 務 所 では 満 鉄 が ミ ハイ ロフ氏 に対 し て贈 賄 な ど した こと は
一
る を 以 て主 要 な 目 的 とし て居 る 。此 の目 的 を達 せ ん が為 め満 鉄 は更 に 東 支鉄 道 に対 し 百 万円 の前渡 を なす の であ る 。斯 く の如 き こと は東 支 鉄道 の みな らず 露 支 特 産 商 及油 房 業 者 の為 にも大 い に不利 な るを 以 て、宜 し く 此 の南 方 よ り の進 撃 に対 し 備 へざ る べ からず と報 道 し た。 此 の報 道 は直 ち に 日及 支 新 聞 に翻 訳 され 、時 恰 も 特 産出 廻期 を眼
間 は来 三 日第 一〇 三 列車 よ り何 れ も開 通 の見 込 、 而 し て右 永 興 馬場
竜 山 運輸 事 務 所長
支 人特 産 商 間 の大問 題 と なり し を以 て、 当事 務 所 に就 ては事 実 の無
前 に控 え て居 る こと と て、東 支 鳥 蘇 里 両 鉄道 関 係 者 は 勿論 、当 地 露
根 な る旨 を各新 聞社 に申 遣 り し に、 三 日 哈爾 賓 日 日新 聞紙 は 一日夕
間 は減水せざ れば徒歩連絡見込 つかず故開 通迄下り列車 は高原上り 列車 は旺場 より何 れも折返 し運転 とす、今 又旺場駅構内 も浸水した、 ︹ 京元線︺
四〇鎖附近浸水し福渓剣払浪間 八六哩 一七鎖附近築堤崩壊す、月井
京元福渓剣払浪間竜山起 点八五哩 二〇鎖附 近及剣払浪洗浦間九 一哩
営 業 課長
通区間 なし、曩 に報 せし京元線其 の他 の支線 不通箇処尚開通不明。 一五
四〇分著
〃
大正十 二年八月二日午前 一一時 二五分発
京鉄
より開通 の見込、炭坑線は今 の所開通不明 。 一六
二時 一〇分発
一〇時 二九分著
竜山運輸事務所長
より、以北明日第 一〇三列車 より、平壌鎮南浦線本 日第五〇六列車
二浦線昨第六〇九列車より開通、京元線元山駅迄本夜第 一〇八列車
平壌西浦間本朝第 六列車より開通し、釜山安東間列車全通す。又兼
水害 の為不通中 の京義線平壌附近五〓山長湍間昨第 四列車 より、
〃
七五鎖より 一二九哩五鎖間及安辺葛麻間 一三四哩五五鎖附近、線路
里平康間七二哩及七三哩五五鎖附近線路 浸水、南 山安 辺間 一二八哩 流出し漣川大光里間亦不通 とな る、結局京元線は元山漣川間、咸鏡 南部線は高原新上間不通 となれり、雨今尚止まず 、復旧見込立 たず。 一三 大正十二年 八月 一日午後 二時二十分著 京城 鉄道 局長 大同江氾濫 の為昨夜平壌駅構内及市中 一円浸水し又中和力浦 間線 路水害を蒙 り列車運転不能 とな れり、今朝 八時頃 より雨止み漸 次減
一七
部線永興馬場間三日第 一〇三列車 より開通 の見込。
開通 に付今日元山発第 一〇八列車 より直通運転す、不通区間咸鏡南
元山高山間不通箇所今日午後十時四十分復 旧、是 にて京元線全部
〃
水し つつあるも今 の処復 旧見込立たぬ、其 の外京元線、咸興、平南、 大正十 二年八月二日午後 炭礦各線 に於 ても数箇所 に水害を受 け何 れも列車運転中止中なり。 一四 大正十二年 八月 一日午後十 一時四〇分著 京 鉄 局長 京義線平壌駅附近水害不通 の処午後四時 、又〓山長端間平壌 西浦 間午後 十時開通、四列車、五列車 より開通、之にて目下 の処本線 不
大正十二年 八月 三日午前 十時 三五分著 京 鉄 局長 水害不通箇処其 の後 極力応急 工事を進 め平南 線は昨 二日午後五時 全 区間開通、炭礦線は昨日午後 八時半 寺洞駅迄開通、残区間寺洞 勝 湖 里間は降雨 の為復旧遅延明四日朝開通 の見込、又京 元線 は昨午後
営 業 課長
十 一時十五分復旧、之 にて同線全部開通、咸鏡南部線 不通区間永 興、
京鉄
馬場間は今日午後六時頃 迄に開通 の見込 なり。 一八 大正十二年 八月 三日午後四時 三十分著 竜山
二〇
大正十 二年八月四日午後 一時 一一分著
京 鉄 局長 水害不通区間中咸鏡南部線は昨午後六時 四十五分、炭礦線 は今 日
京城鉄道局 長
午前 九時三十分何 れも復旧之にて全線開通 せり。 二一
大正十二年八月十 三日午後六時 五〇分発
午後八時 二〇分著
京義線嶺美雲 田間水害、軌条面十尺浸水し漸次減水し つつあるも
京義線中和力浦間第 一列車通過後線路浸水不通、第 四列車は平壌 より第三列車 、第三列車 は中和 より第 四列車となり折返し た、開通
通せり。
復 旧の見込立たず 。徒歩連絡不能 の所八月十 四日午後 七時五十分開
一五分著
四七分著
大正十二年八月二日午後九時四〇分発
二二
て。
〃
〃
つあり、作業 に差支 へなし。
本日午後 六時より洪水 、機関区構内全部浸水し今雨歇み水減り つ
瓦房店機関区長
見込未定なるも第 二列車は遅延 の儘 直通せしむる予定 、委細後報 に
一九
〃
大正十二年 八月 三日午後七時 一〇分発
竜山運輸事務所長 不通中 の咸鏡南部線永興馬場間本日午後 六時三十五分復 旧し第 一 〇 三列車 より直通運転 す、是 にて管内全部開通す。
二三
午前六時 一一分著
大正十二年八月七日午前三時 発 長春鉄道事務所長 昨午後より大雨 の為范家屯大屯間及大屯孟家屯間築堤浸水 に付第
今復雨模様となりたるが霽るれば明 日中 に孰 れをか (范家屯大屯間
早く復旧 の見込)開通 し徒歩連絡扱 ひを為す見込。 二五
大正十二年 八月 七日午前 八時 一五分発
長 春検 車区長
昨臨第八〇〇列車脱線箇所 は大屯孟家屯間孟家屯河橋梁南方四〇
三 一分著
〇米突 (六八八粁九〇〇米突 )にして右側 に脱線顛覆 し居 れり、車
〃
も、其 の後工事材料輸送と線路視察を兼 ねたる十 一時三十分長春発
〃
臨第 八〇〇列車 ( 機関車 一、有蓋貨車 一、車掌車 一)は十 二時四十
輛 に差 したる損傷なきも附近線路は約 一哩間 水に洗はれ、脱線現場
一二列車以後現場注意徐行運転を為し第六列車迄は無事通過したる
五分孟家屯大屯間 六八八粁附 近に到りしとき全部脱線顛覆す (乗組
二六
大正十 二年八月八日午前 二時 一二分著
長春鉄道事務所長
り、車輛 は線路 の恢復 次第引揚ぐべきも当分復旧の見込なし。
南 方五〇〇米突 の箇所約五〇米突程は路盤欠壊河流 となり水勢旺な
十 二時以後降雨止みたるも右区間中築堤流失箇所あり、減水 せざ
員全員無事)。 る為 今 の所開通及旅客 の接続等見込立 たぬ、依 て第 一一列車は公主 嶺より第 八列車、第五列車 は第二列車 となり何 れも折返し運転し以 北各列車運転休止 の予定 。 二四
孟家屯大屯間築堤流失箇所 に仮橋 を架けて大屯范家屯間被害状況
の視察 に向 ひし に67 8粁附近大屯寄第 一の被害箇所 は築堤 の流失約60
すれば予定 の如く工事を進 め先電 の通本 日中 に徒歩連絡 の設備 を了
台迄築堤 の流失大小6箇所 あり、被害 の程度大なり、本朝迄に減水
大正十 二年八月七日午前七時著 大屯范家屯間六七六粁六より六七七粁六間線路洗 はれ五〇米 づつ
し得 る見込 み。
米、水深 2米乃至3米 あり、水勢 激甚にし て徒歩不可能なり、新開
三箇 所築堤流失、大屯孟家屯間六八八粁より六八九粁間築堤 半ば崩
長春鉄道事務所長
れ五〇米 づ つ二箇 所流失 、未だ水減 ぜぬ為今日列車運転見込なし、
昨 日第 3列車及第1列車は公主嶺 より第4列車及第6列車 となり
ル組立 て軌条桁架設三米突経間八 (一)箇所、同じく経間四 (一)
り尚引続 き作業中 にて、大屯孟家屯間 は 一粁二〇〇米突 にてサ ンド
に伴 ひ公主嶺 よりアツ シユ運搬撒 布春き固め目下五〇〇米突出来上
孟家屯大屯間、大屯范家屯間被害箇所減水したるも何 れも被害区
午後 十 一時著
大正十 二年八月八日午後 十時 二〇分発
二九
にて何れも明朝第五列車 より開通せしむ る見込 にて努力中なり。
箇所、軌条 布設 に伴ひ長春 より アツ シユ運搬撒布、軌条布設作業中
5列車 は公主嶺より第8列車 及第 2列車となり折返し運転 せしむ。
長春鉄道事務所
折 返したが、本日も公主嶺長春間各列車運転休止し、第11列車及第
二七 大正十二年八月八日午前 一一時 二〇分電話 孟家屯 大屯間六八八粁間 二箇所 の被害箇所は能う べくんば本 日長 春発急行第 四列車を通したき意気組 を以て極力此の方面 の仮橋 又は
間長 きと築堤崩壊、路盤狭く築堤下は道悪 しく徒歩聯絡 は困難 にて
長春鉄道事務所長
るも降雨なき限 り遅くとも本日夕刻迄 には此 の区間 を開通 せしむる
仮線敷設 の工事 を急ぎ つつあり、工程或 は多少 の違算 なきを保せざ 予定なり、而 して該区間開通 の暁は范家屯大屯間被害箇所前後 一粁
第 七列車 は第十二列車 となり折返し運転せしむ。
又公主嶺 より第 三列車は第 四列車となり、第 一列車 は第六列車 、
本夜中 工事督励し天気晴 れたる故明朝第五列車 より開通さす見込み。
るは今 の処確定し難きも明後十日中 の予定なり。
半 の距離徒歩接続を以 て旅客 の連絡を計 る、尚全部列車 の開通を見
二八 三〇 大正十二年八月九日午前 四時電話
関 子万家嶺間第 二列車通過後今 日の出水 にて第 一西南屯河上り線
午後 一一時 二〇分著
大正十 二年 八月八日午後 一〇時 一〇分発
范家屯 にてタグ ロ 范家屯大屯間被害箇所 一粁 にて軌 道及道床流失、築堤所 々流失、
大連鉄道事務所長
復 旧工事はサ ンド ルを組立 て十箇所軌条桁架設経間 三米突 一箇、三
て取敢ず右 二箇所間の線路を切換 へ単線運転 にて今万家嶺駅 にて開
橋梁 及盖家屯河下り線橋梁 の裾石垣洗はれ線路不通となりたるを以
︹田畔 ︺
米突 二、二箇所、小なる築堤決潰は土嚢積重ね留めとし、軌条布設
通待合中 の急行第四列車 より列車運転 せしむ。而 して第四列車 は右 線路切換 工事終了せ るを以て万家嶺駅を三時間八分延発 せり。
長春鉄道事務所長
大屯孟家屯間不通箇所 の中大なる決潰箇所は午後零時二〇分試運
転したる結果良好なりしも小な る決潰箇所 は試運転 の結果幾分沈下
し良好 ならざ るに付更 に土盛手当 の上同 二時 二〇分試運転を行 ひ漸
く結果良好、之 にて孟家屯范家屯間不通個所全部の開通を見るに至
れり、依 て第八列車 より各列車遅延 の儘運転 せしめる、上り列車 は
三一
第八列車 は七時間第二列車 は六時間第四列車 は 一時間下 り列車は第
三四
大連 鉄道事務所長
五列車 八時間第 一列車 は七時間第 三列車は五時間延 の予定。
大正十 二年八月九日午前六時 二五分発 安東 保線 区長
午前八時 二 一分 降 雨 の為蛤蟆塘駅構内 (安奉線 )浸水し軌条面 を超過するも運転 に差支なし。
大 正十 二年 八月九日午後八時電話
朝来単線運転中 の関子万家嶺 間第 一西南屯河及盖家屯河橋梁被害
三二 大正十二年 八月九日午前九時 四〇分発
り第七四列車より複線 に復す。
箇所応急修理を加 へ午後五時 二十分試運転を了し下り第二三列車上 長春鉄道事務所長
三五
午後 五時 二 一分著
大正十二年 八月十日午前 四時 二五分発
大屯間六八八粁附近 にて後 部より第 三輛目貨車 の前部二輛脱線し午
第 二六列車時刻 により運転 せる第 七四列車午前〇時三〇分孟家屯
長春鉄道事務所長
午後十時 三十分著 被害箇所は昨夜徹宵応急工事 を進めたる結果范家屯大屯間 は本朝 午前 七時四十五分試運転を了し、孟家屯范家屯間も午前 十時 三十分 試運転 を行う、此結果 を待ち て各列車は徐行運転 を以 て全部開通す、 今第 五列車 は范家屯 駅に、第八列車 は長春駅に待合 せ中。 三三 大正十二年 八月九日午後 二時 四五分発
前 四時復旧す。 三六 大正十二年八月十二日午後〇時発 〇時三五分著
三八
十分発
午前 七時 二〇分著
大正十二年 八月十三日午前 六時
安東鉄道事務所長
三〇米突流 失、深 さ不明、南〓橋頭間 一七七附近四〇〇米突浸水、
昨 日来豪雨 の為細河増水、草河 口祁家 堡間細河 一号橋北側築堤約
線路上 二尺、築堤八〇米突深さ約 一米半、其 の他草河口橋頭間被害
本渓湖軽便鉄道 昨夜 より沿線 に豪雨あり今猶やまず、本連 崗河堤防決潰 の影響 を
多数 にて雨猶やまず、減水模様 により各所共本 日第二〇 一列車 より
三九
破損 に付連山関守備隊 に応援を依頼 せり。
屯間二〇 五列車はなきも のとし て取扱す。又細河増水約十尺、堤防
通知する迄旅客列車 は何 れも草 河口橋頭 より折返 し運転し橋頭蘇家
第二〇 四列車は橋 頭より第二〇 三列車となり折返し運転し、何分 の
開 通の見込 み、依 て安東発第二〇 三列車は草河 口より第 二〇四列車 、
受け本線 八哩附近浸水 の為線路破壊、列車運転不能 となれり、復 旧
安東鉄道事務所長
両三日 の見込 み。 三七 大正十 二年 八月十三日発 十 四日八時三三分著 昨夜来 の豪雨今朝九時 より南 の風暴風雨と変じ居り平水より十 四 レベ ルに及 び、六道溝及 び江岸通住宅全部浸水軒下 に及 ぶ、支那家
尺 、カサギより八尺、防水堤上端 一尺五寸 まで増水、 ヤードは軌 上
午前 七時五 一分著
大正十二年 八月十 三日午前 六時 四〇分発
︹マ マ︺
本渓湖保線 区長
は桁 下 一〇 乃至 八米 突 に及 、猶 増 水 し 流木 其 の他桁 に激 突 し 運 転危
太 子 河増 水 七米 五 、 桁 下 一米 突 七 、橋 脚 川 上 に於 て水 の セギ ル所
屋増水軒下 二、三尺 に至 るも の多 く、沙河鎮貨物 ヤード レベ ル四尺 に至り、社宅床迄浸水被害其 の他後より報ず。草河 口祁家堡間、南 の見込。
〓橋頭間線路流失、応急 工事予定 の通 り今日201列車 まで竣 工の予定
険 に付 、 一九 二列 車 よ り運 転休 止 す 、 又 流木 の為 通 信線 一部 切 断 さ
れ残 りも危険 の状 態にあり、其 の外濾水所浸水 し給水不能となれり。 四〇 大正十二年 八月十三日午前八時著 鞍山駅長
奉天
レウ、 ソカホクチ
︹遼陽、蘇家屯保線区長︺
今尚増水 しつつあるを以 て復旧 の見込立たず。 四 一 大正十二年八月十三日午前八時著
連 日降雨 の為各 河共増水し つつあり今迄 の結果 は湯崗子千山間三
︹ 保線区長︺
〇〇粁附近 切取約 一〇〇〇平方米欠壊 の虞 あり、又遼陽張台子間三
鞍山 ホクチ 豪雨 の為構内 二号十 二号ポイ ント間堤防地盤約 一〇〇米欠壊し運
三八粁 三〇〇米附近上下線共築堤崩 れ線路 不通復旧 の見込立たず 。
渾河増水十七沢 に及び渾 楡線 一粁五〇〇米間浸水五寸、今尚増水
り本線 に着 発せしむ。又九番線崩壊危険 の為北寄停留空車十輌八番
し つつあり、依 て奉天渾河間第 二〇 二列車 より上り線 に依 る単線 運
転 不能、依 つて上 り各列車は二号 四号 一〇号 一二号ポイント使用下
カウラン積線路下 に顛覆墜落 せり、尚空車 二輌あるも何 れにも危険
線 に換 へ、尚南寄盈車五、空車 二輌手押 入換 の際五輌目当駅到着車
転施行外各所共警戒中、立山 駅上り本線及立山鞍山間上り線不通 に
程
度
太 子河増水築堤崩壊不通
四二
大正十二年 八月十三日午前八時 一分
沙河屯河増水せるも運転 に支障 なし。
電話
て各列車は何れも 一時間十五粁 の徐行を要す、又万家嶺関子間第 一
配中、又太平山沙崗間各橋梁とも増水し橋桁と水面僅かに 一尺 にし
沙崗蓋平間王家崗 子河増水し上下線不通となり目下折返 し運転手
大連 テジ
︹鉄道事務所︺
一団下水逆流 して 一尺五寸 出水し浸水家屋 あれ共極力防水中。
付第 一七九列車 より下り線 による単線運転施行す、遼陽駅附 近社宅
の為手押 入換不能、死傷者 なし。
害
八月十三日午前八時 現在 (鉄道部) 被
同
上 り線 不 通下 り 線 に よ り単 線 運 転
太子河増水運転不能
線路上約 二尺浸水運転 不能
上 り 線
線
下 り線 不 通上 り 線 に よ り単 線 運 転
同
単
下 り 線
上下線共 王家崗子河増水不通
上 下 線
〇満洲線水害不通箇所 区 間 沙 河 蓋 平間 遼 陽 張台子間 立 山 鞍 山間 渾 河間 奉 天 連 山関 橋 頭間 本渓湖 福 金間
四三 大正十二年 八月十三日発 十 四日午前八時二十分著 安東地方事務所長 昨夜来 の降雨 にて鴨緑江汎濫し平時 に比し約 二十尺 の増水なり、 両岸 一帯、六道溝及下六道溝は全部浸水し、避難 民は不取敢安東尋 常小学校 、安東劇場 、駅等 に収容 し目下焚出準備中、水は益 々増加 の見込なり。 四四 大正十二年八月十 三日午前八時三五分発 午前 九時 五三分著
遼陽にて
梅 野 理事
太子河汎濫 の為昨夜大連発 の列車 より線 路不通、直 に現場 を視察
せる に太子河橋及避溢橋無事なるも其 の以北 一哩 に亘り浸 水し 一部
線路 (二百尺) の流失あり、目下減水 の模様無し、減水せざ れば開
通 の見 込立たず、蓋平附近も線路不通と の事、吾は鞍山 に引返す。 四六
大正十二年 八月十三日午前九時四〇分発
沙河鎮駅長、安東保線区長
十四日午後七時五五分
沙 河鎮 駅下り線全線浸水し枕木を没す、尚刻 々増水 し つつあり、
本渓湖渓〓鉄路
又沙河鎮蛤蟆塘間四〇八粁附近約 三〇〇米突浸水し線路 レベルを超 し列車 運転危険。
四七 大正十 二年八月十三日午前十時発
鞍山 駅 長 遼陽張台子間三三八粁 ( 迎 水寺社宅前)附近線路約七〇米流失、
午前 八時現場視察状況左 の通 尚同 以北 一哩以上浸水、土砂流失 の箇所ある見込、流 失箇所復旧は
て詳細再報す、当分列車 の運転を休止す。
以上 に及、交 通、通信全く杜絶し被害大な る見込なり、減 水を待ち
太子河本流 三十尺以上増水 の為軽鉄沿線中、河沿 の箇所浸水十尺
十四日午後 八時著
目下降雨歇まず見込 たたぬ。 四五 大正十 二年 八月十三日午前九時三五分
四八 大正十 二年八月十 三日午前 一〇時 二〇分発 午前 一一時著 長春
︹ 鉄 道 事 務所長︺ テ ジ チ
奉天鉄道事務所長
鉄嶺河平頂堡間 、平頂堡中固間下り線 不良 に付第二五列車 二区間 共上り線 に依る単線運転施行。 四九 大正十二年 八月十 三日午前十時 三五分発 十四日午後 八時 一八分著 昨夜来降雨 の為渾河奉天間三九 三粁三〇〇米より三九 四粁五〇〇 米間土坪約 一二〇〇、奉天文官屯間三九九粁五〇〇米 より六〇〇米 間土坪約三〇〇、四〇五粁八〇〇米より四〇六粁 三〇〇米間土坪 一 ︹マ マ ︺ 〇、〇何れも下 り線築堤 スリ ハナより崩壊 の為運転不能、尚渾 河奉 天間は午後 四時、奉天文官屯間 は午後 三時何れも復 旧の見込なるも 今尚降雨激 しき為崩壊区域拡大 の傾向あり。
五〇 大正十二年 八月十三日午前 一一時三〇分発
十四日午後 六時 三十五分著
奉天鉄道事務所長
虎石台新城子間 四二二粁 一〇〇米 より三〇〇米、四二八粁 九〇〇
米より 一〇〇米 、新城子新台 子間 四四〇粁 一五〇米 より 一〇〇米下
り線築堤崩れ の為各列車 一時間六哩速度運転。新城子新台子間 四三
二粁附近線路不良 に付上り線 に依 る単線運転中 の所午後四時復 旧、 第 八列車より開通。 五 一
大正十 二年八月十 三日午後〇時 二五分発
安東地方区長、保線区長
十四日午後九時五〇分著
降雨 の為鴨緑 江増水し北 江岸線 レール ・レベ ルを超 へ木材流れ来
りて線路を閉塞 せり。又新義州 に停留中 の貨車 六十輛は フロアー迄 浸水す。 五二
午
九時 一二分著
︹ 脱字︺ 大正十二年 八月十三日午 一時三〇分発
蘇家屯保線区長
撫順線蘇家屯楡樹台間六粁四〇〇米附近六〇〇米出水 の為破損、
列車運転 不能、今増 水中 なるを以て復 旧見込み立 たず。
五三
十五日午前 三時十四分
大正十二年 八月十 三日午後 二時 三十分発
長春鉄道事務所長
長 春鉄道事務所長
正午情報、開原河未 だ減水せず、極力応急手当中なるも本日中 に
安東鉄道事務所長
は列車運転不能、第 七列車第 二列車は徒歩連絡、第 四列車 は運休 、 其 の他箇所異状なし、各地晴。 五六
午後四時 五五分著
大正十 二年八月十四日午後 二時四五分発
午後 一時管内状況、今猶 雨やまず各所漸次増水し つつあり、開原 河九尺五寸 、清河八尺四寸 、耿火油房 河四尺五寸、心開合河 一尺八
五七
十五日最大満潮時 も昨日 の如き被害なき見込なり。
山手 一帯 を除き軒下迄浸水す、昨夜来当地奥地共天候恢復 せしも明
し得 たり、六道溝市街全部浸水せしも昨 日より 一尺低し、支那街は
テ ンバ (?) 一尺迄浸水、虹橋附近 一部欠壊 の虞 れあるも漸く防 止
岸昨 日より五、六寸低く支那街は反対 に七、八寸高く、市街防水堤
当 地水害昨日干潮 に伴 ひ漸次減水す、今朝来満潮 に従 ひ増水量 江
寸平頂堡中固間 (山頭堡附 近)危険 の箇所あり警戒中 、廟子溝駅北 側避難線切取箇所崩壊、下 り避難線 一部埋没せしも本線 に異状なし、 猶下 り信 号機 と第 一号転轍器 との間 の線路不良警戒中。 五四
午後十 一時著
大正十二年 八月十四日午前 四時 二五分発 奉天鉄道事務所長 昨日来乱石山得勝台間線路浸水、単線運転中 の所第 七 一列車 より 複線 に復 旧。
十分発
十 四日午後九時 二〇分著
大正十 二年八月十三日午後三時
連 日の降雨 にて渾 河増水昨夜より急激 に増し本朝十時最 大高位十
五五
五尺 (大正 七年 より 一尺 五寸高し) に達す。其 の後漸次減 水の状 に
撫順炭礦土木課長 午後 二時四〇分著
大正十二年 八月十四日午後〇時三五分発
四時 三〇分発
て三時間 に 一尺下る、而し雨尚止 まず。 五八 大正十二年 八月十四日午後 午後十 一時五〇分著 蘇家屯保線区長 蘇家屯渾河間 三八 二粁三〇〇米附近 ( 蘇家屯駅上り場内信号機附 近)浸水 の為上下線共不通なりし が、其 の後減水したるを以て復 旧 工事 に取掛り、下 り線は今朝七時復旧せしめ試運転 の結果良好 、上
遼陽 にて
田 畔
り線 は午後四時復旧す。何 れも当分運転速度 一時間 一二粁。 五九
分著
大 正十 二年八月十 四日午後 四時 三五分発 十五日午前 五時〇
首山遼陽間水害 二二八粁 より約 一粁間軌道 々床流失、築堤欠壊 は ︹マ マ ︺
上 り線 二〇米、下り線 一〇〇米、応急工事 は上り線枕木 サンド ル軌 条桁架設三米 三スパン流失軟道を移転し十 五日午前九時迄 に上 り線 を開通列車 を通したき予定 。 六〇
分著
大正十二年八月十四日午後四時 三五分発 十五日午前六時〇
遼陽 にて
田 畔
遼陽以北 の被害箇所は未 だ減水せず 工事困難なるを以て、長距離
なるも仮足場 を造り、徒歩連絡を十 五日午前 十時開通なす見込み に
て作業中、線路 の復旧は四、五日を要す。 六 一
午後八時四五分著
大正十 二年 八月十四日午後 四時十五分発
安東鉄道事務所長
沙河鎮蛤蟆塘間不通箇所開通は今より三日を要す る見込なり、通
三、列車 の客車 を其 の儘現場迄進め第 五列車は第 二列車、第 一列車
知す る迄旅客手 小荷物は現場 ツ ロリ ー接続とし、京義線第 五、 一、
四時四五分
開原 にて
田 辺
は第六列車 、第 三列車は第 四列車となり折返 し運 転 す。( 安東現場 間 は安奉線列車番号 に依る) 六二 大正十二年 八月十四日午後
午後十 一時十 一分
開原河北橋台右袖石 垣より以北二〇米突 の箇所枕木すれす れ迄築
五分発
堤洗 はれ今猶増水中 に付軌条掛け る事 は困難 にて殊 に増水中 にて徒 歩聯絡も危 険なり。 六三 大正十二年八月十四日午後七時 午後七時 四七分著
十分著
大正十 二年 八月十四日午後十時五〇分発 十五日午前 二時
蘇家屯木材防腐場主任
開原
田
辺 氏
昨夜来 の出水にて工場 内浸水 、午前十時 より減水し始め午後 四時 二尺減水、被害程度後報。 六六
大正十二年 八月十四日午後十 一時 十五分発
蓋平保線区長 、大連鉄道事務所長 蓋平沙崗間不通箇所北現場 二〇七粁第四〇列車 にて試運転 の結果
二時十五分著
十五日午前
二列車を通したき予定 にて工事 を進め つつあり。
良好、二〇六粁附近は十五日午後十時迄 に上り線 を開通 せしめ明第
落 し五〇五粁五〇六粁 に至 る浸水箇所 に対す る応急 工事は水深大 に して二〇尺 に及 ぶ為普通 の方法 に拠り難 く、崩 壊箇所は シート、 レ
開原河北橋台袖石垣崩壊 、之 に続 いて築堤二〇米突枕木端 まで崩 六四
六七
大正十二年八月十 五日午前八時十五分発
午前十時 二十分著
安東鉄道事務所長
しめ得 べく明 一日を以 て列車を開通せしめたき見込み。
り。列車 の運転 は到底不能 にして本夕五時頃 より徒歩聯絡を開始せ
ールを附し て当 て内部 に麻袋砂利等を凝 め込 み漸く之 を防ぎ つつあ
午後八時著
大正十 二年八月十 四日午後七時 三五分発 長春鉄道事務所長 午後 六時状 況開原 河水深二〇尺あ るも減水 し始めた、築堤破壊防 禦 に努 め本日第七列車第 二列車 の徒歩聯絡無事、明日第十 一列車第 六列車 も徒歩 乗換 へとし、以下第 一列車第 八列車は遅れても直通せ ざる見込 み、平頂堡中固間は本 日第七列車 より複線運転す 。
六五
沙 河鎮駅附 近支那街 一面海となり何れも軒下迄浸水、社宅 は床下
二、三寸迄浸水、駅本屋は安全、社宅と の通路満水 の為渡船を航行 す、社員家族は駅本屋 に避難中、線路被害箇所は安東駅上り場内信 号機外約四〇〇米突 (元宝川前後)間干潮時枕木上まで、満潮時 に は軌条面 一尺 五寸 に上る、本 日最大満潮時午後 一時 を経過 せざれば 開通見込立たず、旅客は浸水線路間ツ ロリーに乗 せて聯絡中。 六八 大正十 二年八月十五日午後〇時三五分発 午後三時 三〇分著 奉天鉄道事務所長 不通中 の渾楡 線渾河楡樹台間線路 は本日第 一五五列車より開通す、 遼陽張台子間不通箇所 は本朝遼陽 より第 一列車 を特発し て徒歩聯絡 を開始 し以北第七列車として継承す、之 に依 て十三日夜来停滞 の北 向旅客約六百名は全部離遼す。又遼陽首山間線路は本日第七列車 よ り開始 せしむる予定。因 に遼陽張台子間 の徒歩区間は約 三粁なり。 六九 大正十二年 八月十五日午後 一時 発 午後 二時 四六分著 長春鉄道事務所長
七〇
五分発
三〇分著
大正十 二年八月十 五日午後三時 同
奉天鉄道事務所長
長春鉄道事務所長
京奉線 水害不通 の所今日より全通 の旨通知あり。 七 一
大正十二年八月十五日午後五時十五分発
午後七時五〇分著
遼 陽 駅長
得勝台鉄嶺間第七 一列車、鉄嶺 河平頂堡間第 一列車 より複線運転 に復す。 七二
大正十 二年 八月十五日午後六時 三十分電 話
首山遼陽間不通箇所上 り線は午後五時 半試運転 の結果開通す。依
て首山 に待 合せ中 の第 七列車 の直通運転を開始し同列車午後六時遼
開原金溝子間水害現場 ( 開原河)午後 一時十分試運転 の結果良好 、 陽 に到着す。 第 一列車 より開通。
七三
三〇分著
大正十二年 八月十五日午後九時二〇分発 奉天鉄道事務所長 渾河奉天下り線十五日午後六時復 旧第五列車より複線運転 に復す。
開 原 金溝子間 不 沙 河鎮間 同 蛤蟆塘
通 上
七五
目 下徒 歩 接続 中 、 徒 歩 区間 約 一粁、 十 五
日午 後 四 時線 路 開 通 の見 込
奉 天鉄道事務所長
目 下徒 歩 接 続 (ツ ロリ ー使 用 )、 十 六 日
線 路開 通 の見込
大正十 二年 八月十七日午後 四時発 午 後五時著
遼陽張台子間水害現場徒歩聯絡は明十八日 より左 の通り、而 して
七四 大正十二年 八月十五日午前九時五五分発
復
旧
見
目下 徒 歩 接続 、 徒 歩 区 間約 五〇 米 、 上 り 線 は 十 五 日午 後 一〇 時 開 通 の予定 十 五 日夕 刻 よ り上 り線 に依 る 単線 運 転 開
( 第八、九列車 は旅客 のみ、手小荷物は扱 はず )、十九 日は徒 歩 区
間約 一町 に短縮 し第六と第 一列車、第 一〇列車と第 七列車、第八列
八月 二十日鉄道部 より電話
七六
車 と第九列車 、第 二列車と第 五列車 ( 第 二、五列車 は旅客 のみ、手 荷物 は扱はず)
列車開通
十 五 日午 前 よ り 徒歩 接 続 開 始 す、 徒 歩 区
ず。
て全線開通 せる訳なり、但し徐行 区間あるを以て多少 の遅 延を免 れ
徒歩聯絡中 の遼陽張台子間は本 日午前六時 より列車開通す。之 に 間約 二粁 、 線 路 復 旧 は 四、 五 日を 要 す
始 の見 込
は臨第六二〇 と第 一列車、第 一〇と第七列車、第 八列車と第九列車
線路開通は二十 日午後 の見込。十八日は徒歩区間約十町、接続列車 安東鉄道事務所長
午後三時五〇分著
被害程 度
込
沙河鎮上り場内信号機附近水害箇 所復旧、本日第二 一〇列車より
間 上下線不通
の
各列車直通運転 せしむ、旅客荷物 の取扱平常 に復 す。
区 崗 平間
〇八月十 五日現在 水害不通 ( 鉄道部) 沙 蓋
上
上
山 陽間 同 同
首 遼 遼 陽 張台子間
一
中国
庶 調情 第 九〇 号
一八
調 査課 情 報 係
中 国 鉄道関 係
(除 東 三 省 ) 鉄 道 関 係
津 浦 鉄 道 米国 よ り車輛 購 入 (四 月十 七 日 ニ ュー ヨー ク ・タイ ム ス摘 録 ) 支 那 の政治 、経 済状 態 は絶 えず 動 揺 し つ つあ る に も拘 らず 最 近 六
subsidiary
Co.of
那 の車輛注文 は漸次多 からんとす る傾向 に在る。 二
籌防鉄路水患委員会新設
北京公所 ( 六) 大正十二年 五月三日
(高島訳)
曩 に交通部内 に職 工保育研究会 、籌還内外債委員会、購料審査委
が新設 された。之は全国鉄道 の水害防止 に関する調査を目的とする
員会 、籌還未成鉄路委員会等設置 されたが更 に籌防鉄路水患委員会 も のであ る。 Car三 an
六日午前 二時津浦線臨城駅 にて土匪 一千人上 り急行列車を襲 ひ外
臨 城事件
大正十二年五月七日午後 四時三〇分 北京公所長
the d American
ケ月 間 に於 け る国 有 鉄道 の進歩 は大 に見 る べき も のが ある 。最 近 米 国鉄 道 車 輛製 作 所 ( A
Foundry) は C津 o浦 .鉄 道 会 社 の注 文 に応 じ 一等 、 二等 、 三等 車 各 十輛 、展 望車 、寝 台車 、食 堂 車各 五輛 、専 用 車 三輛 を納 入 し た。 此
更 に車 輛 、機 関 車 軌 道等 の注 文 あ る見 込 で あ る。従 来 少 な か つた支
等 は全 部 プ ル マン式 で其 の装 置 には鉄 道当 局 、 旅客 共 に大 に満 足 し
国 人 一名射殺され他 の乗客 二名重傷 を負 へり (へ三十 二) 四 大正十二年 五月廿九日附青島情報摘要 (一三) 膠済鉄道夜行列車運転中止 交通部は津浦線 に於 ける土匪襲来を懸念 し五月二十七日以来膠済 鉄道 の夜行列車運転中止 して居 る。
北京情報 ( 大正十二年八月二十 一日)
五 庶調情第四九八号 滄石鉄道借款問題 天津報 に依れば約十日前 に英、仏、白 、伊 の四会社代表と津浦線 局長孫鳳藻 、京漢線局長趙継賢と の間 に 一百 二十五万磅 の滄石鉄道 借款 が調印され調印後 三週間内に二十万磅 を前渡 する筈 である。但 し交通総長 呉毓麟は如何 なる理由 に由りてか調印 を肯ぜ ぬため其 の
秘
註、滄石鉄道は津浦線滄州と京漢線石家荘と の連絡線 で民国六年
成立は未だ疑問 に属す。 六月交通部 にて経営することとな つたも のである。 六 庶調情第 五四〇号 北京特報 ( 大正十二年 八月三十 日)
正 太 鉄道 借 款
正 太 (正定 太 原 間 )鉄 道 借款 契 約 は 七銀 行 と の間 に来 週調 印 の筈 、
七
北京特報 ( 大 正 十 二年 九 月 九 日)
秘
金 額 は百 拾 六 万元 にて百 万元 は財 政部 、十 六 万 元 は交 通部 に振 り向 け るも の であ る。
庶 調 情 第 五 八 三号
同成 鉄 道 英 国借 款 の内容
該 借 款 は前 政 治 討論 会 副 会 長陳 則 民 及益 世 報 記 者顔 沢祺 等 の計 画
一、計 画 竝 現状
せ る も の にて衆 議 院議 長 呉景濂 も関 係 あ り英 国 側代 表 者 と数 次 会 見
る形 勢 にあ り 。
せ る も陳 、顔 相 互 の権 利関 係 一致 せざ る等 の為 め 不調 に終 ら んと す
相 手 方 は英 国 三十 一銀 行 組 合 にて クリ スプ借 款 団 とも 関係 あ り 。
二 、借 款 相 手方
件
借 款 金額 は六 百 万磅 利 率 八 分 にて仮 調印 後 四 分 一、 即 百五 十 万磅
三 、条
を前 渡 し 国会 通 過 の上本 契 約 を締 結 す る も の で若 し国 会 不通 過 の場
合 は前 渡 金 を 三 回 に返 還す るも のとす 。
一、 地 畝 公 司
又附 帯 事業 とし て左記 四企業 公司 を 設立 す る こと。
二 、土 木 材料 工程 公司 三 、採 運 沿線 産 貨 公 司
四、同 成 銀 行 八
調査課派遣員
北調派情三号 大正十 二年九月十 一日 北京公所 交通部 の直轄 四鉄道防護計画
伊藤 武 雄
防護分担次 の如 し 護
区 域
甲 、京 漢 線 路 防
担 保防 護 部隊
鄭 州 以南 至 武 勝 関 陸軍第十四師派遣防護並に湖北軍隊連絡協防 鄭 州以北黄河橋 至新郷県車站 陸軍第二十 四師第四八旅 々長蘇世栄派隊防護 新 郷県 以 北 至 淇 県 河南馬燦林旅派隊防護
淇 県 以 北 至 順 徳 陜軍胡景翼師 派隊防護並直省駐軍聯絡協防
共同警備反対 の声 を挙げしめ、政府は剿匪正副司令任命在留外人保
問題となり つつある際、支那側 とし ては極力之を拒 まんとし各界 に
鄂 境武 勝 関 至 漢 口 漢 口杜鎮守 使及駐孝感番旅長所属歩隊防護
保 定 以北 至 長 辛 店 陸軍第十四混成旅派隊防護
正 定 以 北 至 保 定 陸軍第五混成旅第十 一団派隊防護
順 徳 以 北 至 正 定 陜軍胡景翼師派隊防護
護命令 の公布、交通部内 に鉄路警備事務処 の設置等着 々其歩 を進め
乙、隴 海 線 路 護並 に 蘭 封 以 東 豫東鎮守使 派隊防徐 州陳鎮守使軍隊聯絡協防 蘭 封 以 西 至 鄭 州 陸軍第二四師蘇旅之功団派隊保護
臨城事件発生 について列国鉄道共管 の第 一歩として鉄道警備案が
居 たるに、昨十日発表す ると ころによれば交通部当局 と曹〓 と磋商
鄭州 以西至 〓師
の結果、京漢、隴海、京奉、津浦 の四路を四大防護 区域とし、毎路 を若干段 に分ち、毎段 に責任軍隊を配置し防護を分担 させる こと に
丙 、京 奉 鉄 路
〓 師 以西 至 観 音 堂 第 二十師より第 三師子及酌派隊伍 は防護
河南林起鵬旅 派隊防護
した。 臨城事件は曹〓 の責任域内 に起 り其善後策 は彼 に最終責任ありと
自 軍 糧 城 至 唐 山 陸軍第十三混成旅派隊防護
いふべく、又聞くが如 くんば右 予定防護区域内 に奉天系 の手が廻 つ て居 ると噂されて居 る ので彼 の自衛上も亦黙視するを得ざる状態 に
自 昌 黎 至 山 海 関 蘇楡鎮守使派隊防護
自 唐 山 至 昌 黎 陸軍第十五師派隊防護
従来交通部 の鉄路警備事務処は護路警察 のみであ つたと ころ今度
在 るのである。
に遂行する ことが出来 ると言ふ回答 を外交団 になす準備と見られぬ
自 興 滴 鎮 至 徳 県 陸軍第 二十三師王旅長維城撥隊扼要駐守
自 良 王 荘 至 青 県 陸 軍第 二十六師派隊扼要駐守
丁、津 浦 線 路
でもな いが動機 の如何 は免も角 も将来外交団と の交渉 に於ける支那
自 徳 州 至 桑 梓 店 山東陸軍第七混成旅担任保護
の計画 にて正規軍隊 が配属されたので、将来 の警備 については完全
の立場 を有利 に導く ことは確 である。
自 〓 口橋 至 呉 村 〓州鎮守使及守備隊保護
第五師担任保護
之 を拒絶 したり。右成立 の旨伝 へらるるは全く反直派 の宣伝にし て
代表より借款締結 の申出は有りたるも其時機 に非ずと考 ふるを以 て
交 通総長及次長 に問合 せたる に何 れも其成立 を否認し、四国会社
自 曲 阜 至 韓荘 安徽第五旅第 二団第 三営担任保護
北 公報第 二四号
一〇
大正十 二年九月廿八日
北京公所長事務取扱 鉄路警備処 の護路計画
力を有す る游撃隊を編成して目前 の安全維持 に当らしむる事 。
情勢 を充分 に偵察 せしめ且現在 巡警中 より若干名を選抜し戦闘能
丙、新募巡警未卒業以前 には交通部 より各鉄路 局に訓令して土匪 の
の増進 を計らしむ。
訓練 に当らしめ又各鉄道現在 の巡警中より講習生を選抜して学識
乙、路警教練所 を設けて鉄路警備 事務処 の管轄下 に置 き新募巡警 の
二、各鉄道巡警隊を指揮監督す る事
計 る事
一、各鉄路沿線地方文武長官 と聯絡を計り軍隊 に依 る鉄道警備を
せしむ
甲、鉄路警備事務処を以て全国路警 の最高機関とし左 の職務を管掌
期待重 きに鑑み最近下記 の案を立 て交 通部当局 へ提出したり。
先 に交通部内 に設けられたる鉄路警備処 にては外交団其他よりの
牛島吉 郎
最近新聞紙上 に伝 へら るる同成鉄道借款 (大同成都間六百万磅英国
自 曹 村 至 固鎮
借款)と共 に虚伝なりと確言 し居れり。
︹ 不明︺
自曹老集新橋□処 至蚌埠 安徽第 一旅第 一団第 三営担任保護 自 蚌 埠 至 明 光 安徽第 一旅第 一団第 二営担任保護 自 明 光 至 烏 依 安徽第 一旅第 一団第 一営担任保護 同上
自 利 国 駅 至 徐 州 徐 海鎮守使より派隊守備 自 徐 州 至 夾 溝 記
自 花 淇 営 至 浦 口 江〓鎮守使輪派省担保衛団之れを担任す 附 防護 す。
一、津 浦線皖 (安徽)境固鎮は安徽第三旅第二団第 一営 の 一連駐紮 一、皖境張 八嶺三界管店箇処は共 に山地 にして素 より盗匪出没 の区 域とす。故 に夜行 の着駅時は皖 より路警 を増派し軍隊と協同防備 す。 一、徐 州より臨城 に至 る間は匪警区域とす。毎日特別急行 及普通急 以上
行列車の南北行 に対し て各該駅 より警備隊を派 して警 備せしむ。
九
滄石鉄道借款 に関する件
北京公所長 (大正十二年九月二十 一日第 二二号) 首題 に関 し北京公所 に其真疑照会中であ つたが左の回答 あり。
丁 、 交通 部 は今後 旅 客 貨 物 運輸 の安全 を謀 る為 全 力 を尽 す可 く 左 記 四 項 を各 鉄 路 局 に訓 令 す 可 し。
鉄道 の接続するもの)借款契約締結 の好機 を有し若 し内閣延長 に決
一書類あり。内容不明なるも約 七、八百字より成 る福公司宛 の借
(註、別報 に拠れば本月十三日晩交通部内 にて極秘 に取扱 はれた
定 せば之 に調印すべしと称し て居 る。
款契約書類 にて金額 は確 かに百三十五万磅なりしと 云ふ。此 の事
一、各 駅 、 鉄 橋 及其 他 の建 築 物 には警 備 兵 を駐 在 せし む る事 。 二、各 列 車 毎 に 一車 を聯 結 し て護 衛 兵 を乗 組 ま しむ る事 。
実は本件と符合す。但し高内閣延長 の掛引きとも観られる。) 一三
北京公所長事務取扱
大正十 二年 十 一月廿四日
牛島 吉 郎
三、沿 線 各 町 村 に密 偵 を 派遣 し て常 に土 匪 の情 勢 を偵 察 せし め 軍
北公報第二八号
膠済鉄道車務処長継続傭聘 の件
に於 ては近く線路及橋梁改築 工事 に着手する関係上其継続 を便とす
秘
隊 及 駅長 に報 告 し て防 備 に便 なら し む る事 。 四 、活 動 性 及 戦 闘力 を有 す る游 撃隊 を編 制 す る事 。
一一
同成鉄道借款問題
庶調情第五三九号 北京特報 ( 大正十二年九月 二十九 日)
る為、今般更 に半年間位継続傭聘 の事 に契約成立 したる旨、昨日午
膠済鉄道現車務処長大村卓 一氏は近く傭聘契約満期 の処、同鉄道
呉景濂 より転報ありたる陳策 の同成 ( 大同成都間)鉄道借款案は
八月二十九日曹〓発高凌〓、呉毓麟宛電報 一 日本金二千万円二英金 二百万磅何れ でも我国 に有利 なるも のを撰
右御参考迄 に御報告申上ぐ。
後大村氏より当地鉄道省駐在所 に入電 ありたり。
一四
北京公所長事務取扱
北公報第二七号 大正十二年十 一月二十 二日
京漢鉄路局職 工奨励規定送附 の件
京漢鉄路局 にては今春 の大罷業以来職 工の取締を励行す ると共に
牛 島 吉郎
び之を決定す べく交通部 は該借款 に反対 の由な るも目下財政行詰り
秘
の場合なれば 一、二 の借款は已むを得ざるべし、速 かに協議決行を 望む。 一二 庶調情第七三八号 北京特報 ( 大正十二年十月十八日) 道済鉄道借款計画 高内閣は目下百三十五万磅 の道済鉄道 (済南 より道 口に至 り京漢
他方其懐柔 に努 め居れるが今般 別紙 の通り職 工奨励規定を設 くるに 文なりとて本職 に内示 したる所を御参考迄に御送附申上ぐ。
決 し近く交通部令を以て公布す可しと の事 なり。某交通部員 が其原 京漢鉄路局職 工奨励規定
昇 格
職工 の奨励は請負を除く外凡 て本規定 に依りて弁理す。 三
第 一条 給
職工 の奨励は事実 の軽 重 に依り て之 を左 の三に分 つ 二 昇 五拾仙 以上数元 に至る
前条第 一項は 一時奨励金及年末奨励金 の二 に分 つ。
奨励金
第 二条 一 第三条 一時奨励金 左 の事実有る者 は其軽重 に応 じ 一時奨励金を給与す。
年末奨励金は第 七条 の規定 に照し弁理す 第四条 一 材料節約、時間短縮 の能力有る者
第 四条 、第 八第 九 両 項 に因 る死傷 者 は鉄路 撫 恤章 程 の救済
賞与す。 第 六条
職 工 にし て規 程 を謹 守 し服 務 に勉 励 す る者 は毎年 末 運 輸純
金 を受 く るを得
益 を参 酌 し 服 務満 六 個 月 の者 は 一人 当金 額 の全部 を、満 三個 月 の
第 七条
者 は其 半 額 を支 給 す 。 三個 月 未満 者 及曾 つて懲戒 処 分 を受 けた る
左 記各 項 の 一に該 当 す る者 は 一級 又 は 二級 昇 給 せ しむ る事
に申 請 し て之 を支 給 す る こと を得 。
者 には之 を 支給 せず 。但 し 後 者 の内 情状 軽 き者 は課 所長 よ り本 局
第 八条
二年 以 上 勤続 者 にし て職 務 に尽 瘁 し成 績 顕著 な る者
を得 。 一
機 械 及 器 具 を発 明 又 は改 良 し て公 用 に供 した る者
左 記 各 項 の 一に該 当 す る者 は昇格 せ しむ る ことを得
二 第 九条
技 芸 優 秀 にし て且 つ勤 勉 な る者
二 緊急工事 、難工事等 に際 し労を辞 せず して勤勉する者
一
工作速度迅速 にし て普通人 に倍す る者
三
職 工 にし て本 規 定 に依 り表 彰 す 可 き者 あ る時 は所 属長 事 実
特殊 の技 能 を具 す る者 第 十条
二
しめたる者
四 罷業等 に際 し之 に加はらず能く命令 に服従し以 て之 を終熄せ
を 詳 記 し金 額 を酌 定 し て処 長 に申 請 し処 長 は事 情 の軽 重 に従 ひ金
一年内運転中事故 を生 ぜざる者
職 工 にし て昇給 せし む可 き者 有 る時 は所 属 長 よ り服 務 成
五
定す。
第 十 三条
職 工 にし て昇格 せし む可 き者 有 る時 は所属 長 より処 長 を
本 規 定 にし て事 情 に適合 せざ るも の有 る時 は随時 之 を改
経 て申 請 し 局 長之 を決 定す 。
第 十 二条
績 及年 限 を具 し俸 給 所管 個 所 長 を経 て申 請 し局 長之 を決定 す。
第 十 一条
額 を決 定 し局 長之 を支給 す 。
耗量少き者
六 機関手、火夫 にして機関車 の種類 に照し機械油 の 一公里当消 七 機関手火夫 にして 一公里百噸当石炭消費量少き者 八 特別事故 に遭遇し或 は危険を冒 して公務 を全うせしめたる者 九 運転手又は線路工にし て軌道及他建築物 の危険を防止し又は 前条 に列挙したる外事実 の之 に相当す る者は前条 に準 じて
之 を排除したる者 第五条
第十四条
北京公所長事務取扱
大正十 二年十 一月廿七日
一五
本規定 は公布 の日より之を実行す。
北公報第二九号 京漢鉄路局職工懲戒規程送付 の件
牛 島吉 郎
京漢鉄路局 に於 て職 工奨励規定 を制定 したる事 は先 に御報告申上 げたるが今回更 に職 工懲戒規定 を制定し十 一月附交通公報紙上 にて
凡そ本路各種従業員 の懲戒処分は法律 の規定を犯したる為
京漢鉄路職工懲戒規定
之を発表したり。其原文訳出 の上御参考迄 に御送附申上ぐ。 第 一条
減 俸
三
黜
格︹ 編注降格 ︺ 四 免
従業員 の懲戒 は分 つて左 の四種 とな る。 二
職
之 を法廷 の裁判 に附す可き者を除く外凡て本規定 に依り て之 を行 ふ。 第 二条 俸
罰俸は其情状 の軽重 に従 ひ二角以上五元以下として 一回之 を
前条 の罰俸、減俸、黜格は左の規定 に従 ひて之を行 ふ。
一 罰 一
第三条
減俸は 一級及 二級とし其情状 の軽重 に従 ひて之 を酌定す。其
行 ふ。 二
期限は 一箇月以上六箇月以下とす。
前条 の処分 を受けたる者 は六個月以内奨励金及加俸 を請求
は原階級 に恢復す るを得 。
三 黜格処分を受けたる者六個月経過後功績 の見 る可き者有 る時 第四条
するを得ず。
左記各項 の 一に該当す る者は罰俸 に処す。
一 指揮 に服 せざる者
第五条
就業時間 に遅刻 し或 は就業中怠惰なる者
二 襟章を佩 びずして作業場 に立入りたる者
六
五
新聞雑誌等を閲読して作業 を妨害す る者
作業場内 に於て喫烟する者
作業場内 に於て大声放歌 する者
四 就業中擅 に作業 地位を離るる者
三
七
八 材料 を浪費 したる者 九 同僚を罵倒 し侮辱したる者
十 公物を遺失 し又は誤 つて破壊したる者
十一 虚病を用 ひて請暇し医員 の為看破 せられたる者 十二 作業拙劣 にして遅延する者 十三 就業時間中戯謔を弄する者
十四 終業時間 に達 せざ る前作業 を停止し退出する者
十五 就業時間外 に於 て作業場 に逗留する者 一 服務規則を守 らざる者
第 六条 左記各項 の 一に該当す る者は減俸 に処す。
二 作業中注意 を欠きたる為軽微なる事故を発生せしめたる者
三 運転中機関及車輌 を焼毀したる者
四 運転 に際 し注意を欠 きたる為事故を生じたるも格別 の損害無
左記各項 の 一に該当する者 は黜格 に処す。
かりし者 第 七条
二
一
重 要 な る公 用物 を遺 失 し た る者
私 物 を製 造 す る者
作 業場 内 の図面 類 を公 用 に非 ず し て帯 出 す る者
手 芸未 熟 にし て任 に勝 えざ る者
十五 黜格処分を受け たる後重 ねて渦失 を犯したる者
十四 作業場内 に宣伝ビ ラを貼付する者
十三 屡 々過失を犯し訓戒 を受くるも改悛せざ る者
前数条列挙以外 の罪 に就 いては其情状 の軽重を酌量し前数
三
第十条
工長級 に属す る者 にして懲戒 に処す可 き者は本規定 に照し
条 に照して之を懲弁す。
第九条
四 主 任 の許 可 を得 ず し て無用 の者 を作 業 場 内 に立 ち 入ら し め た る者
五
主動者 は処分 に該当せざるも免 職す
処分する外左記各項 に照し処分す。
工人を煽動して非を為す者 は黜格す
工人と共犯する者 は同罪 に処す
一 二
機 関 手 、火 夫 危険 信 号 を無 視 し た るも其 情 状 較 に軽 き者
三
六
左 記 各項 の 一に該 当 す る者 は免 職 に処 す 。
四
措 置 当 を失 した る為 事 変 を発 生 し且 つ人命 を殺傷 す る に至 ら
第 八条 作 業 場 の規 則 を守 らず し て場 内 の秩 序 を乱 す者
七
一
上級 者 の命 を聴 せず 又 は侮 辱 を加 へて憚 らざ る者
本 分 を守 らず し て事 端 を生 じ 衆 を煽 動 し て暴 行 を 行 ひ た る者
八
七
六
五
四
作 業 に注 意 を 欠 き た る為 重 大な る危 険 を発 生 せ し めた る者
擅 に作 業 を放擲 す る事 十 五 日を超 す る者
公物 を窃 し た る者
賄 賂 を収受 し た る者
刑 事 処 分 を受 け た る者
鴉 片 を吸 飲 す る者
ざ る も損 害 を生 じ た る者
二
九
重 要 公務 に際 し命 令 に遵 はざ る者
罰俸及減俸者は係主任より事実を詳述して上申し所管個
黜格及免職者は係主任より事実を詳述上申 し所管個所長
減俸以上 の処分を受けたる者 にして其寃罪たる確証を有
第十 六条 本規定 は公布 の日より実行す。
第十五条 本規定 に不備 の点有る時は随時改正するを得。
反省 せしむ。
を却下する の外処轄長官 に移牒 し其情状 に従ひて罰を加重 し或は
第十四条 管理局は職 工の申訴 を審査し若し虚偽 の事実有 る時は之
主管 処 の処分 に対し不服有 る時は管理局 に対し申訴す可し。
する者 は管轄順序 に遵 ひ上級個所長 に申訴するを得。
第十三条
之を処分す。個所長 は其都度之を局長 に報告す可し。
第十二条
所長之 を処分す。個所長は毎月之 を局長 に報告すべし。
第十 一条
す
取締不行届な る者は罰俸 に処す。罰俸額は 一元以上数十元と
三
十
十一 機 関手 、 火 夫 危険 信 号 を無 視 し た る為 事 故 を発 生 せし め其 情 状較 に重 き者
且 つ損 害 を生 じた る者
十二 措 置 当 を失 し た る為 重 大 な る事 変 を 発 生 し人 命 に死 傷 を 生 じ
一六 北公報第 三十二号 大正十二年十 二月十 一日 北京公所長事務取扱 新設交通部路警総局 の組織及職員
牛 島 吉 郎
交通部 に於 ては国有各鉄道警察事務整 理 の目的を以て路警総局を 設けたり。其 の組織並 に職員左 の如し。
路 警 総 局 に職 員 を置 く事 左 の如 し 。
局長 一名 、 副 局長 二名 、 秘 書 二名 、 会 計 主任 二名 、庶 務 主 任 一名 、
第 二条
科 長 三名 、科 員十 乃 至 十 五 名 、事 務 員 十名 以 内 、勤 務 督 察長 一名 、
秘 書 、庶 務 主 任 、 会 計 主 任、 科 長 、科 員 、 勤 務督 察 長 及督 察
局 長 副 局長 は部 長 之 を 任命 す 。
路 警 総 局職 員 の任 命 は 左列 の規定 に依 り 之 を行 ふ。
同督 察 員 三 名
甲
第 三条
乙
員、事務員 は局長 より部長 に申請し て之 を任命 す。但し乙項職
交通部は国有各鉄路警察事務 の整頓を図 る為路警総局 を置 く。
第 四条
路警総局 の事務 の便宜 を計 る為現在交通部員 をし て局務を
路警総局 は書類清書 の為雇員を使用するを得 。
員 は交通部現在職員より任命す。
一
路警総局 に局長 一名副局長 二名を置 き部長 の命令を承け て鉄路
甲、交通部路警総局組織大綱 二
路警総局 の経費は部 の認可を経て国有各鉄路 に按 分負担 せ
本条例 は公布 の日より之を施行す。
長
兪
銭
銭
瑞
道
誠
錫
宗
包
年
培
棟、 胡
宝、 郭 克
沢 及王
金鏞
興
広
兼任 書
呉
文 鳴
路政局長
四、会 計 主 任
三、秘
胡
一、局長
五、庶 務 主 任
唐
二、副 局
六、第 一科 々長
士 煕
七、第 二科 々長
専任
右規定 に依 り交通部は本月十 日左 の通り職員を任命 せり。
第 八条
第 七条 路警総局弁事職掌は別 に之を定む。
しむ。
第 六条
兼 ねしむるを得。
第 五条
鉄路警察 の任務区分左 の如し。
警察 に関 する 一切 の事務 を管理せしむ。 三
各段毎に駐箚し線路、停車場、工場等を守衛 し秩 保安隊 を組織し各列車 に乗務して事故 の発生 を防
序 を維持す。
甲 固定警察 乙 遊動警察
ぎ必要 に応じ鉄路警備督弁 の指揮を受けて土匪剿討 に従事す。 四 各路 々局 の警察 処は該路局長 の管理 に属する 一切の警察事務 の 外 正 に路警総局 の指揮 を受く可 し。 五 路警総局は教練所 を設け各部警察官兵を選抜 して随時 入所補習 せしめ並 に資格を具 ふる警察官兵 を養成し以て補充用 に備 ふ。 乙、交通部路警総局組織条例 路警総局は交通部 に直隷 し国有鉄路 一切 の警察事務を管理
し所属機関を統轄す。
第 一条
八、第 三科 々長
北公報第 三三号
周 亜 一七
夫
大正十 二年十二月十 一日 北京公所長事務取扱
牛 島吉 郎
む。科員 の数は国務総理 の許可を経 て督弁之 を決定す。
総理 の許可 を経 て督弁之 を決定す。
第六条 本処 に顧問、総視察、視察及稽核を置 くを得、其数 は国務
前項 の人員は必要 に応 じ外国人を聘用 して之 に充 つるを得。
第 七条 本処 々務 の繁簡 に応 じ雇員を使用す るを得。
線路 の防備 に関 し必要あるときは督弁、幇弁 は軍隊指揮 派
凡て督弁 より任命す。聘用或 は任命は凡て国務院 に報告するを要
第 八条 本 処職員 は顧問及外国顧問を督弁 より聘用す るを除く の他 す。
督弁鉄路警備事宜処条例 の成立 先 に護路督弁唐在礼 の任命以来其権限 に関し署理国務総理高凌〓
第九条
鉄路警備事宜 に関す る本処 の会議 にして交通部及其附属
本処弁事細則及職員 の俸給は督弁 の申請 に依 り決定す。
るを得。
機関 に関係有 る時は交通部及当該機関 に通知し職員 の出席を求む
第十 一条
揮派遣 し 一面交通部 に報告す るを得 。
第十条 線路 の防備 に関 し必要 ある時 は督弁、幇弁は 一面路警 を指
遣するを得。但し所管長官 に通知す るを要す。
と の間 に種 々折衝中 なりしが高氏は事外交 に関す るの故 を以 て唐氏 を説得 して就任を肯 んぜしむるに至れり。警備事宜処条例 は法制局 督弁鉄路警備事宜処は国務院 に直隷 し国有各鉄路 の警備事
の修正 を経 て本月四日閣議を通過 せり。原文 左の如し。 第 一条 務を管理 し常駐護路軍隊を指揮す。 前項常駐護路軍隊は本処 より国務総理 に申請 の際軍部と協議し
第 十二条
本条例 は大総統批准 の日より之を施行す。
本処鉄路警備事務 に関 し各官暑及各地方軍 民長官と関係 第十三条
機密事項 及各科 に属 せざ る事 を処 理す
有 る場合 は督弁 は各官署長官 と協議 の上処理す可きものとす。
本処 に督弁 一名を置き大総統之 れを任命し処務 を処理せし
第十四条
陸軍両旅 を以 て之 に充 つ。 む。
第 二条
本処 に幇弁 二名を置 き常駐護路軍隊 の旅長を以て之 に充 て
大総統之を任命 し督弁を補助 して警備事務 を処理せしむ。
第 三条
防備事務 を処理す
本処 に左 の各科を置 く。
第 一科
文書、会計及庶務を処理す
第四条 第二科
本処 に科長三名、科員若干名 を置 き各科 の事務を分掌 せし
第三科 第五条
二
東 三省 鉄 道 関係
第 一四 〇 号
(賓 黒 鉄 道 )一
大 正 十 二年 五月 三 日
哈 爾 賓 事務 所
松 北 鎮 引 込 線 に対す る フ オ ン ・ゴ イ ヱル の態 度 本 引 込線 は将 来 賓黒 鉄 道 の起 点 た る べく 露 亜 銀行 側 は頗 る重 要 視 し居 た る に拘 ら ず 、 同 銀行 代 表 フオ ン ・ゴ イ エル氏 は五 月 一日開 通 式 に於 て左 の如 き 演 説 を な し、 其 論 旨 、態 度 頗 る曖 昧 な るは 以外 な
賓黒鉄道 に関する日本留学生 の警告
五月五日黒竜江省留日学生同郷会から斉 々哈爾 及各会 に宛 て、賓
黒鉄道敷設 に関す る左記要旨 の警告書を郵送し て来 たが全部郵便局
に没収された。 ︹ 正雄︺ 満鉄は倭賊早川を斉 々哈爾 に派遣し賓黒鉄道敷設運動を行 つて
居 る。之 には省議会議員 が買収 されて居 ると の説 もある。日本 の
極秘
を組織し て専 ら北侵を企図して居 る。依 て充分警戒 を加 へなけ れ
野望は実 に飽く ことを知 らぬも ので、近頃著名 の富豪連は黒竜会
右警告 する。
ば国家 に大なる禍 とな る。
三
耿之光 一派 の賓黒鉄道敷設計画
大正十二年五月十 八日 第五九号 斉 々哈爾公所長
し目的 を果 さなか つたが、目下 又綏遠城駅長 ( 京綏鉄道、方瑞豊)
り。
を介し某洋行 ( 泰和洋行 ?)と借款契約 の諒解 を得、来 るべき議会
黒竜江省議員耿之光 は昨年泰和洋行と結び賓黒鉄道敷設計画を為
賓 黒 鉄道 の敷 設 権 は 支那 政 府 が露 亜 銀 行 に附 与 し た るも のな る
フ オ ン ・ゴ イ エル の演 説要 旨
も、 欧 州 大戦 の勃 発 と 共 に 一時 中 止 せ ら れ たり 。然 れ共 鉄道 と 地
四
大正十二年 五月 二十二日 斉公第六四号
斉 々哈爾公所長
馬忠駿 は依然米国 の借款 に奔走 して居 る。
に之を提出 して馬忠駿等 の計画 に抜駆け せんと交渉を進 めて居 る。
斉 々哈 爾 公所
し。 今 日 開 通 せ る引 込 線 が将 来 延 長 せ ん ことを 切望 す 。
第五二号
秘
方 と の関 係 は何 人 が之 を敷 設 す るも 民福 の増 進 に何 等 変 る こと な
二
大 正十 二年 五 月 六 日
有 す と称 す るも、 反 対 党 の首領 孫 廷 の如 き は 必ず 之 に反 対し 切崩 運
き 、来 る議 会 に於 て は相 当 紛擾 を 見 る べく 耿案 の通 過尚 ほ楽 観 を許
動 を開 始 す べく 、 又衷 心 より 外資 排斥 を称 ふ る議 員 も あ る可 き に つ
賓 黒 線 に関 す る件 五 月 十 八 日附 斉 公 第 五 九号 を以 て報 告 せ る耿 之 光 が某 洋 行 より借
さず 。
款 、賓 黒線 を修 築 せ んと 奔走 し つ つあ る件 に関 し 、曾 て江 省 議 員 及
馬 忠駿 の借 款
馬 忠 駿 は某 米 商 より賓 黒線 敷 設 資 金 と し て大 洋 八百 五 十 万元 借 入
要 す る に耿 は露 亜 銀 行 関係 等 は念 頭 にな き が如 く 、仮 り に耿 案 が
方 奔 走 中 な る由 。
六
日 迄 に延 期 し た るも尚 ほ開 会 の運 に至 らず 。 目 下 の処 開 期 不明 なり 。
省 議会 は 五月 一日開 会 の予 定 な り し も議 員 数 半数 に達 せず 、 十 五
省議 会 開 期
省 議 会 秘 書 に歴 任 し、 現 に当 地 に於 て弁 護 士 を開 業 し 耿之 光 と親 交 五
耿 之 光 の努 力
あ る周 裕 民 の語 る所 、 斉 公 第 五九 号 を裏 書 す るも のと し て報 告 す 。 一 耿 之 光 は昨年 某 英 商 (泰 和洋 行 ?) と連 絡 を取 ら んと し て馬 忠 駿 、 スキデ ル ス キ ー 一派 の妨 害 に遭 ひ果 さざ り し為 め彼 今 回 の計 画 は、
所謂某洋行
馬 忠駿 への腹 癒 の意 味 に於 て甚 大 な る努 力 を な し つ つあ り 。 二
相 手 方 た る某 洋 行 は 其名 を失 し た る も、 英 本 国鉄 道 の三 分 の二 は
り て結 局 徒 労 に帰 す る に非 ざ る な き か。
議 会 を通 過 す る とす るも 馬忠 駿 の妨 害 、露 亜 銀 行 の反 対等 の起 る あ
五
哈爾 賓 事務 所
其 の出 資 建 設 に係 ると 言 は る る程 の大 会 社 な る由 にて、 耿 は 綏遠 駅
呼蘭 海 倫 間 約 百 六十 哩
大 洋 八百 万 元
耿 之 光 の借 款 案 借 款 金 額
賓 黒 鉄 道敷 設 問 題
大 正十 二年 五 月 二十 六 日
鉄 道 布設 区間 起 工後 三 ケ年 間
工 期 限
竣
五 ケ年 間
札免 公 司 李 理事 長 談
同
耿之 光 が英 商 泰 和洋 行 に投 資 せし め んと し て努 力 し 居 る は事 実 で
馬 忠 駿 は露 国 に投資 せ し め ん とし て苦 心 し て居 る。
耿 は 日本 の投 資 には絶 対 に反 対 であ る。
あ るが未 だ何 等 端緒 を開 い た訳 では な い。
運輸収支 の剰余金、黒竜江全省 に 一〓 に付 二
借款返済期限
返済充当金 省 議 会 と 耿 之光 案
角 の地捐 を課したる所得全額
第 二 六 七号
長 を介 し て右 会 社 北 京 支店 と交 渉 し つ つあり 。 三
四
耿 之光 は由 来 向背 明 か ならず 、 都 合 の好 き 方 に傾 く人 物 と し て議 員 間 には余 り評 判 よ からざ るも 、今 や議 長 梁 声徳 等 と党 を 同 ふ し努 力 遊 説 の結 果 、 四 十 名 の議 員 中今 日 に於 て既 に半 数 以上 の賛成 者 を
六
大 正 十 二年 五 月 二十 九 日 賓 黒 鉄 道 敷設 問 題 馬忠駿談。
第 二六 九 号
哈爾賓事務所
斉 公第 六九 号
斉 々哈 爾 公所 長
当 地 郵便 電 信 検 閲 係 は 五月 二十 八 日斉 々哈 爾 到着 郵 便 中 に黒竜 江
秘
斉 々哈爾 の地 方 庁 は 同 地 を経 由 せ し め ん こと を熱 望 し て居 る。
過 す る こと とな る。
八
大 正 十 二年 六月 三日
省 学 生 同啓 と し て、 呼蘭 郵局 の消 印 あ る省 城 各 機関 並 に団 体 に宛 た
賓 黒線 問 題 と 省 議 会議 員 の暗 闘
ん とし て居 ると の説 は昨 秋起 つた話 であ る が、 昨 今 再 び之 に就 い て
耿 之 光 が英 商 泰和 洋 行 に呼 蘭 海 倫 間 の鉄 道 敷 設 資 金 を投 下 せし め
奔 走 し て居 るや否 や は自 分 は知 ら な い。耿 が如 何 に努 力 し ても泰 和
あ る。
つき 諸 氏 の注 意 を 喚起 し、 彼 等 の此 の挙 を防 止 せ ん とす るも ので
す る世 人 の注 目 を 彼 に転 ぜ し めん と し て居 る。之 等 の悪 辣 行為 に
議 会 長 を 日本 側 より 収 賄 し た りと 誣 指 し て、 自 己 の収 賄 事 実 に対
而 も彼 等 は自 己 の悪 計 を掩 は ん が為 、種 々の謡言 を放 ち 、 又梁 省
を 計 画 し て居 る。 之 には交 渉 局 総 弁 馬忠 駿 が非常 に奔 走 し て居 る。
結 托 し 、満 鉄 早 川 社長 よ り各 自 三 万 元 を収 賄 し て外 資 に拠 り敷 設
己 の利 を計 り近 来 潘 万超 、 孫 廷 、 王雅 平 、 程 紹濂 等 の悪 劣 議員 と
を敷 設 す る こと にな つて居 た 。然 る に劉 鳳 池 は鬼 心狼 性 、専 ら自
於是 二年 以 前 より省 議 会 は自 ら 資 金 を調 達 し、純 然 た る商 弁 で之
反 対起 り、 次 で露 国 内乱 勃 発 し た為 、該 計 画 は中 止 の姿 と な つた。
設契 約 を締 結 し た る も の であ るが 、其 後 省 議 会 竝地 方 有 力者 よ り
賓 黒 鉄 道 は往 年露 国 人 の圧迫 に依 り政 府 と 露亜 銀 行 と の間 に敷
檄文内容 ( 要 点、 庶 務 部 調 査課 訳 )
る賓 黒鉄 道 関 係 檄 文 数 十通 を発 見 し 、当 所 は其 の 一通 を入 手 せ り。
で あ る。 自 分 が ( 馬 忠 駿 )米 国 よ り の借款 を計 画 し て居 ると の説 は
洋 行 の投 資 は 実 現出 来 な い。 又日 本 の投資 に反 対 し て居 る のは事 実
呉 督 軍 が外 資 を忌 む と の説 が あ る が外資 に拠 ら な け れ ば敷 設 は出
事 実 無 根 であ る。
来 まい。 賓 黒 線 を 改 め 斉黒 線 ( 斉 々哈爾 黒 河 線 ) とす る 云 々 の説 も あ る が、
哈 爾 賓森 情 報
態 々未 開 の土 地 を通 過 せし む る必 要 を認 め な い。
七
第 二〇 号
賓 黒 鉄 道 敷説 に関 す る件
大 正 十 二年 六 月 一日
(五 、 一二、 ルー スキ ー ・ゴ ー ロ ス掲 載 ) 賓 黒 鉄 道 は 多 分安 達 、 呼蘭 、綏 化 、 ケ ー シヤ ン (克山 ?) を経 由 敷 設 せら る べく 、右 実 施 の暁 は四 、 二二 一万布 度 余 の雑 穀 産 地 を通
黒 竜 江 学 生同 啓 由 来 黒竜 江省 議 会 内 には 二派 あ り て常 に暗 闘 を な し つ つあ り 、 一 は衆 議 院 議員 〓星 凡 を背 景 と し、 議 長 梁声 徳 議 員 耿 之 光及 金 純 徳 等 を首 領 株 と す るも のにし て、 一は衆 議院 議 員 劉 鳳 池 、 代 理教 育 庁 長 王賓 童 等 を 背 景 と し 、副 議 長 潘万 超 、議 員孫 廷 、王 景 山 、程 紹 濂 等 を 首領 株 とす るも のな り。 右檄 文 が梁 議 長 の冤 を雪 ぎ 竟 ら劉 鳳 池 の悪 劣行 為 を摘 発 す る に見 て、 梁 議長 一派 が反 対党 た る劉 を陥 れ ん が為 め 、学 生 の名 を利 用 し て賓 黒 線 問題 を担 ぎ 出 し た るも の にし て 、賓 黒 線 問題 を主 と す るも
九
耿之光 の賓黒鉄道敷設案否決
大正十 二年六月八日 第 七 一号 斉 々哈爾公所
極秘
黒竜江省議会 は六月五日開会 せられ耿之光 の賓黒鉄道敷 設案 は否
耿 は議会開会前 二十余名 ( 議員総数四十名) の賛成者 を得、其 の
決せられた。
通過を予想し て居たが、五月末反対派たる劉鳳池等を攻繋 せる檄文
ひ、又学生聯合会は神聖 なる学生 の名を党争 に利用 せるを憤慨して、
配付せられたる為、彼等 の反感 を買 ひ急拠 反対党 の切崩 し運動を行
之 が対抗方法 を講じたる為該案賛成者 の動揺を来 し、遂 に少数を以
の に非 ざ る こと明 白 な るが 、馬 忠 駿 を も 攻撃 し つつあ る点 より し て
し つ つあ る こと を 知 る を得 べく 、然 も 外 資 移 入 を 攻撃 す る点 よ り見
耿 之 光又 は 金 純徳 の如 き、 馬 に快 から ざ る賓黒 線 計 画 者 が直 接 関 係
て否決 せらるるに至 つたも のである。
一〇
耿之光 の賓 黒鉄道敷設案内容
大正十二年六月十八日 第七九号
斉 々哈爾公所
秘
尚議会 にては委員 を挙げ檄文 の出所 を取調ぶる事 を議決した。
て其 の関 係 者 が耿 之 光 に非 ず し て 、省 内 籌 款 の主 唱者 た る梁 議 長 及 金 純 徳 の所 業 な る こと を推 知 す る に難 か らず 。 本 件 に関 し劉 一派 の某 小職 に語 る処 左 の如 し 。 反 対 派 が 無根 の事 実 を捏 造 し神 聖 な る学 生 の名 を利 用 し て人身 攻 撃 を なす が如 き 、其 の卑 劣 驚 く に堪 へぬ 。彼 等 にし て如 斯 態 度 に出 づ に於 ては 吾党 と し ても 之 に報 ゆ る所 あ る べ し 。即 ち議 会 に提 出 さ る る賓 黒 線 問 題 は 耿案 、 金 案其 他 反 対 党 の立 案 に係 るも の は、 善悪
黒竜江省議会員耿之光 が昨年来英商泰和洋行 と折衝して賓黒鉄道
せらるるに至 つたことは既報 の通りなるが、其 の敷設案 の内容 は左
敷設 の計画 を立 て、五月二十九日之 を省議会 に建議したが遂 に否決
に拘 は らず 一切 之 を否 決 す る にあ り 云 々。 尚 ほ省 城 の学 生 は 近 く大 会 を開 き学 生 の名 を党 争 の具 に利 用 し た
呼嫩鉄路呼海 (呼蘭海倫)線敷 設請負仮契約案
の如 きものである。
るも のを糾 弾 せ んと息 巻 き居 れ る が、 右 は劉 党 の代 理 教 育庁 長 の御
ざ る か。
手 のも のと し て、 復 た神 聖 な る学 生 を党 争 の具 に利 用 す る も のに非
千 九 百 二十 二年 八月 二十 一日 呼 嫩 鉄路 公司 (以 下 公 司 と称 す ) と
イ 、 沿線 各 駅 に施 設 す る家 屋 数 、 構 造 及其 の配 置
ロ、使 用 す べき 車 輌 及機 器 の種 類 並数 量 、機 械 の馬 力 及 使 用年 限
ニ、 枕 木 、軌 条 及 土 工 の設備
ハ、 鉄 橋 の形 状 記
北 京 英 商泰 和 洋行 (以 下洋 行 と 称 す ) と の間 に左 記鉄 道 敷 設 請 負 契
左
約 を為 す 。
八、 呼 蘭間 鉄 道 敷 設 工事 は 二 ケ年 を以 て竣 工期 限 と し 、 一駅 よ り 次
各 駅備 付 の車 輌 種 別 及数 量
駅 に到 る 一区 間 竣 工毎 に之 を公 司 に引 継 管 理 せし め以 て 一部 の開
ホ
二、 公 司 は 哈爾 賓 よ り海倫 地方 に達 す る鉄 道 を敷 設 し 、東 支 鉄 道 と
通 に便 な ら しむ 。 而 し て営 業 員 は全 部 公 司 に て任 用す 。
一、 該 契 約 は 仮契 約 とす 。
接 続 せし む る目 的 を以 て呼 蘭 の南 東支 鉄 道 北 廟 台 子 を起 点 とし 、
同
同
同
残
百
百
百
額
万元
万元
万元
提出者
耿 之 光
趙 伯 裔
李 伯 英
呂 鴻 兆
因 に該案 を省 議 会 に提議 し た る際 の関 係者 を挙 ぐ れば 如 左 。
以上
十 五 、該 契 約 案 中 不 備 の点 あ ると き は 正式 契 約 締 結 の際 之 を補 修 す 。
を保存す。
十 四 、該 契 約 案 は 中 、英 両 国 文 を 以 て各 二通 を作 成 し、 雙 方各 一通
十 三 、海 嫩 線 敷 設請 負 工事 の場 合 も 之 を準 用 す 。
関 す る 一切 の予算 を 編成 し て雙 方 同意 の後 正 式 契約 を締 結 す 。
十 二 、洋 行 が以 上 各 条項 承 認 の上 初 め て実 測 に着 手 し、 鉄 道建 設 に
こと 。
十 一、 正式 契 約 調 印 の時 、洋 行 は 確 実 な る銀 行 の保 証 状 を差 入 る る
十 、 工事請 負 費 は借 款 の嫌 を避 く る為 無利 息 とす 。
る こと を得 。
るべ し 。但 公 司 よ り若 干 の技 師 を派 し て 工事 の進 行 を監 督 せ しむ
九 、 工事 請 負 期 間 内 に於 け る 一切 の 工事 は洋 行 の計 画通 り実 施 せ ら
該 鉄 道 建 設 材 料運 搬 に付 ては 運賃 は 課 せず 。
海 倫 に到 る約 四百 四十支 里 の鉄 道 を敷 設 せん がた め 、洋 行 に之 が 敷 設 工事 を請 負 はし む 。但 し 所 要 資金 は洋 行 よ り 立替 へし め、 該 鉄 道 を 以 て其 の支 払 の担 保 に当 つる も の とす 。 三 、 軌 条 は 五呎 或 は四 呎 五吋 弱 と す 。
四方台、乾字 三行頭井 の四中駅を設置 し、又其 の起 点地は 一総駅
︹ マ マ︺
四 、該 鉄道 沿線 内 に呼蘭 、綏 化 、海 倫 の三大 駅 、沈 家 窩 、興 隆 鎮 、
と為す。 付す。但正式契約調印 の上は洋行は、該定金 に年五分 の利息 を附
五、該 契約調 印の際公司は洋行 に対し定金 とし て大洋銀 五千元 を交 し元利金 共之 を公司 に返還す。
二箇年同
同
大洋銀 五十万元
三箇年同
第 一期 正式契約調印 の時、
六、公司は左の方法 に依 り洋行 に立替金 を返還す。
第三期 同
四箇年同
第 二期 着 工後 一箇年経過時
同
第四期 同 第五期
七、左記五項 は之 を正式契約内 に訂明する こと。
賛成者
宋 寿 彭
譚英 多 麟
金 毓 庚
陳 連悦 李 宗 元
張 中正
李 広有
劉
慶 劉 淑文
富権 忠 利
韓樹 霖 双
斌 尤 世 廉
徐 景耀 李 李楽 山
〓
昭
融
陳 九韶
哈爾賓事務所
宋 景 文
一 一
賓黒鉄道問題現状
大正十二年 六月 二十五日 第 四 一六号
哈爾 賓 事 務所 長
目 下 議 員 の帰 郷中 のも の多 く尚 耿 之 光 一派 の反 対運 動 劃 策 中 な る が如 し。 草案 内容 探 査 中 。
一三
哈 調第 一〇 八 号 呼 海 鉄 道 敷 設 に関 す る件
大 正 十 二年 八 月 二 十 二 日
右 鉄道 を急 速 に敷設 せ ん がた め資 金 は各省 よ り募 集 し 、已 に準 備
処 を省議 会 内 に設 け其 の実 行 に著 手 し たと の報 が、 八 月 二十 二日 国
際 協 報 に見 えま す 。真 偽 目 下 取 調 べ中 です が 不取 敢 報 告 致 し ます 。
間 を 一段 と し て敷 設 せ ん ことを 決議 し、 全 線 を 三区 に分 ち松 北 鎮 廟
今 聞 く所 に よ れば黒 竜 江省 議 会 は賓 黒 鉄 道 に対 し、 先 づ呼 蘭 海 倫
黒竜江省会議員某 の語る処 に依れば賓黒鉄道問題 に付ては呉督軍
台 子 小 駅 (6 2待 避 駅 ) を起 点 と し て呼 蘭 駅 の西 、黄 旗 屯 に至 る間 を
札免公司李 理事長談。 自身何等意見 を有 せず、 一切を省議会 に委任協議 せしめ つつあるが
第 一区 と為 し、 其 の距 離 四十 支 里 、西 黄 旗 屯 より東 北 に向 ひ沈 家 窩
を 三大 駅 と な し、 沈 家 窩 堡 、興 隆 鎮 、 乾字 三井 、 四 方台 の四 中 駅 を
業 地 より募 集す る こと と し、 全 線 に七 駅 を設 け 、 呼蘭 、綏 化 、海 倫
二万 元 、合 計 八百 八 十 万 元 を要 す る計 算 に て、 其 の費 用 は国 内各 商
離 二百 支 里全 線 四百 四 十 支 里 にし て橋 梁 、 駅 を合 し平 均 一支 里 に付
農 鎮 、 乾字 三井 、 頭井 を 経 て海 倫 に至 る間 を第 三区 と為 し 、其 の距
二区 と 為 し 、其 の距離 二 百支 里 、綏 化 よ り西 口子 に向 ひ四 方台 、興
堡 を経 て 、 巴彦 県 の興隆 鎮 に達 し 大平 橋 を過 ぎ て綏 化 に至 る間 を第
秘
るやも計り難 きも其 の借款償還 に関し憂慮 して居 る。
斉公第 一〇三号斉 々哈爾公所長
省議会 に於ても何等定見がない。現在 の模様 では米資を入 るるに至
一二 大正十 二年 七月十六日 賓黒線 に関す る件
準備 に従 事 中 であ ると 。
置 く計 画 にて 、現 に準 備 処 を黒 竜 江 省 議 会内 に設 け 、目 下 正 に進 行
屡報 の如く馬忠駿 と某米人との賓黒線敷設借款計画は最近機熟し、 今 回資本金三千万元 を以 て哈爾賓海倫間及墨爾根合同敷設計画草案
(浜 岡 )
並 に弁法、馬忠駿より当地省長公署 に到来 、本 日十 三日之 が為 め省 議会開会す可き計画之処、議員数不足 にて会議 を見ず に終れり。
一四 大正十二年 八月 二十七日 第 五〇五号 東京支社長 賓黒鉄道借款問題 に対す る正金銀行側 の態度
極秘
(調査部、情報係)
露亜銀行及正金銀行間 に於 ける賓黒鉄道借款問題 の現状 に付き照
記
会中 の処左 の回答 あり。 左
本件 に関し正金銀行小 田切氏及外務省栗野課長 の談左 の如 し。 小 田切氏曰く、本問題 に付 ては其後露亜銀行北京支店長プチ ヒゲ ナ ンに対し、正金側 の意見として予 ねての露亜 と正金と の契約 を支 那 に於 て承認せざる限 り、露亜 の前貸金 の 一半 を肩代りする ことは ︹マ マ ︺
絶 対に不可能とするを以て、仮令前渡金督促 の結果支那 の弁済 とな り 、延 いて 一切 の契 約 を破 棄 す る の止む を 得 ざ る場 合 と な るも のは、
勢 を観 望 す る の外 、何 等 之 に関 し積 極 的 の手 段 を採 り居 らず 、 又採
る べき 時 期 に非 ず 。 尤 も将 来 時 宜 に依 り 如何 にし て も従 来 の方針 の
本省 と し ても同 線 の経 済 的 価値 を重 要 視 す る の見 地 に於 て、 他 に適
下 に於 ては 結局 実 現 不 可 能 な り と の事 情 生 ぜ る場合 に、指 示 は 勿論
当 の方 策 あり て而 も其 の方 策 にし て若 し 可能 性 あり と せば 、 正 金 其
他 の諒 解 の下 に改 め て考 慮 を払 ふ こと を辞 せず 。是 の故 に同 線 に関
し現在 及将 来 と も露 亜 の権 利 を 侵害 せ ら る る慮 あり 、 且 つ真 面 目 に
具 体 化 す る が如 き 場合 に至 らば 本省 と し ても 正金 に対 し 、 従来 の成
要 す る に問 題 は目 下 の所 何 れも 成 行 一任 とす る の形 なり と 御承 知
行 上 之 にサ ツ ポ ート を 与 ふ る の意 志 あ る こと を諒 解 さ れた し と。
願 ひ たし 。
一五
議 会 にて取 調 べ の結 果 、 事 実 に非 る こと判 明す 。多 分曩 に省 議 会 に
八月 廿 二日 哈爾 賓 事 務 所情 報 第 一〇 八 号首 題 の件 に付 、黒 竜 江省
斉 々哈爾 公 所長
本問 題 の経 過 は今 尚昨 今 の如 く 何 等 の進 展 を見 ず 、察 す る に此際 露
て否 決 さ れた 耿之 光 一派 の敷設 案 が再 び省議 会 に提 出 さ れ る噂 あ れ
呼海 ( 呼 蘭 海 倫 間 )鉄 道 敷 設 説 事 実 に非 ず
大 正十 二年 八 月 二十 八 日 ( 庶 調 情 第 五五 一号 )
亜 は該 問 題 に手 を染 め ん よ り は寧 ろ 現状 維 持 を 得 策 と し従 て前貸 金
ば 国際 協 報 が之 を誤 報 し た も のと想 は る。
成 行 に 一任 す る の外 な し と の意 味 を 以 て回 答 を発 し た る より 以来 、
の督 促 等 の手 段 に出 でざ る儘 、 今 日 に至 れ るも のな ら ん か。勿 論 支
哈 調 第 一三 四号
一六
大 正 十 二年 九 月 七 日
哈 爾 賓事 務 所 長
那 の現 状 よ り見 れ ば 本 問題 の進 展 は 近 き将 来 に於 ては殆 んど絶 望 の
転 じ て外 務 省 栗 野 氏 は 曰 く 、大 体 小 田 切氏 の言 の如 く目 下 停 頓 の
姿なりと。
形 にし て勿 論 、問 題 の進展 は何 等 見 るべ き も のな く 、唯 本 省 とし て は現 在 に於 ては、 万 事 露 亜 と 正金 の契 約 を支 持 す る の方 針 の下 に形
賓 黒 鉄道 に関 す る件
一償 還 不能 の場 合 に於 て も直 ち に鉄 道 を奪 取 せ ら る る の虞 も な か る
べし 。 吾 人 は何 れ の国 が出 資 す るも 可 な り 。要 は速 か に鉄 道 を修 築
し 北 満 の富 源 を開 発 す るを希 望 す る旨慫 慂 した る に、 李 維 周 氏 亦 大
賓 黒 鉄 道 問題 に関 し 佐 々木 参 事 が札免 公司 理 事 長 李 維 周氏 よ り聴 取 せ ると ころ 左 の如 し 。
為 参 考 馬 忠 駿 が省 議 会 に提出 せ る ﹁呼嫩 鉄 路 建 設大 綱 ﹂ 訳 文 及 八
いに賛 成 し其 の旨 省 議 会 議 員 に伝 ふ べし と答 へた り 。
﹁呼 海 鉄 路 興修 の遮 行 ﹂ と題 す る記 事 は 、黒 竜 江 省 議 会長 梁 子 明
一、 八 月 二十 二 日当 地 国 際 協報 其 の他 二三漢 字 新 聞 紙 に 現 れ た る
月 二十 二 日 当 地国 際 協 報 其 の他 二 三漢 字 新聞 に現 は れ た る ﹁呼 海 鉄
告す 。
編注 、哈調第 一〇 八号 ( 本文四 路興修 の進行﹂︹五 二頁参照)と同 一に付き省略︺と題 す る記事訳文添付報
等 が夢 想 す る だ け に て何 等 の具 体 案 あ る にあ らず 。 金 純徳 (字 希 斉 ) は東 清 鉄道 よ り レ ー ル其 の他 の建 設 材料 を借 入 れ修築 せ んと
限 度 と なす 。 五 、 本 鉄 路 の工事 は江 省 政 府 よ り
管
呂
良
核
仏
米 商 保 大 文銭 工廠
け 期 を分 ち て受 取 り、 常 に年 一割 の利 子 を附 し 期 を分 ち て返 還 す。
六 、 本 鉄 路 の建 設 及材 料 購 入等 一切 の費 用 は総 て美 商 よ り立 替 を受
負 契 約 は 別 に之 を定 む 。
省 政 府 は委 員 を派 遣 し 局 を設 け完 全 に監 督 をな す権 利 あり 、 該請
(Bol duruP hi l adel phia以下 単 に米 商 と称 す 。)請 負 は し め 江
︹マ マ︺
祁
四 、 本鉄 路 の建 設 及 材料 購 入等 一切 の費 用 は約 大洋 三 千 万 元 を 以 て
点 と なす 。
三 、本 鉄 路 は黒 竜 江 呼蘭 県 松 北 市場 馬 船 口を起 点 とし 嫩 江県 城 を終
に完 全 な る自 主 権 あ り 。
二 、本 鉄 路 の建 設 管 理 は黒 竜 江 省 政府 (以 下単 に江 省 政 府 と称 す )
一、本 鉄 路 は之 を 呼嫩 鉄 路 と称 す 。
呼 嫩鉄 路 建 設 大 綱
企 て た るも 果 さ ざ りし 為 、 近来 は梁 議 長 の此 の意 見 に賛 成 し居 る が如 し 。 ︹印刷 不明 ︺
二 、曩 に馬 忠 駿 の提 出 せ る呼 嫩鉄 路 大 綱 は省 議 会 に於 け る形 勢頗 る □ □□ □ □ □ し 該案 を撤 回 せり 、該 案 に記 名 せ る蒋 恩 波 と言 ふ は
六 歳 の青 年 な り。管 良 仏 、 祁 呂 核 と言 ふ は其 の何 人 な る を知 らず 、
最 近米 国 より 帰 り 、現 に馬 忠 駿 宅 と頻 繁 に往 来 し つ つあ る 二十 五 、
或 は 外 国 人 な ら ん。馬 忠 駿 案 に対 し省 議 会 の最 も 反 対 せ る は ﹁ 第 七 項米 商 立替 金 は江省 政 府 の名 儀 にて借 款 し、 本 鉄 路所 属 林 産 を 以 て担 保 と な し、 収益 を以 て元 利 を償 還 す ﹂ と言 ふ点 にあ り、 若 し 収 益 な か り せば 如何 にし て元 利 を償 還す べ き や、 此 の場 合 に於 ては 鉄 道 は米 人 の手 中 に帰 す る に至 るな き や 。 三、 現在 に於 て は金純 徳 案、 耿 之 光案 、馬 忠 駿 案 共 に省議 会 を通 過 す る に至 らず 。本 問 題 は全 く 五 里 霧 中 を彷 徨 せり 。 四、 姚 斉 鉄 道 の如 きは 軍事 上其 の必 要 あ ら ん も商 業 上 何等 の価 値 な し。 尚 佐 々木 参事 が本 件 借 款 を 日英 米 三国 の共 同 出 資 に依 るか 、日 英 米 仏 四国 の共 同出 資 に依 る こと と せば 相 互牽 制 す る こ とを得 て、 万
該立替金契約 は別 に之を定 む。 七、米商立替金 は江省 政府 の名義 にて借款 し本鉄路所属財産を以て 担保となし収益を以 て元利 を償還す。 権限は別 に之 を定む。
八、本鉄路は借款返済 の日まで米国人二名 を聘し監察員 となす其 の
一八
第 二 二 六号
斉 々哈爾 公 所 長
黒 竜 江省 議 会 と馬 忠 駿 の賓黒 線 敷 設 案
大 正 十 二年 十 月 二十 三 日
其 後 議 員 の登 会 、 法 定数 に達 せざ る為 め延 期 に延期 を重 ね 、辛 ふじ
黒 竜 江 省議 会 は八 月 二十 日 開 会 式 を挙 げ 会 期 を 六十 日と定 め た が、
一年 を超ゆ るを得ず本項は米商其 の責 に任ず べきも のにして請負
九、本鉄路全線 の工事 は三年 を以 て完成す若 し延期する ことあ るも
て数 日 前 第 一回正 式 会議 を開 き、更 に二十 日間 の会 期 延 長 を 宣告 し
呂
良
核
仏
秘
様 な く 、今 次 の議会 には問 題 と な ら ぬ であ ら う 。
一九
哈 調 第 二 七 一号
露 亜 銀 行極 東 総 支配 人 プ ル ー ラ ー氏 来 哈 と
大 正 十 二年 十 一月 二十 八 日
賓 黒 鉄 道問 題 に関 す る件
し て聴 き得 た る処 を左 に御 報 告 致 しま す 。
山 内 調 査 課 長 が本 日 (廿 六 日) 東 支 鉄道 理事 プ シカ ロ フ氏 を訪 問
哈 爾 賓事 務 所 長
之 を馬 忠 駿 に返 送 し た が其後 今 に至 るま で馬 忠 駿 より何 等 提 出 の模
た際 、議 会 は該案 を杜 撰 極 る も のと し て省 長 公 署 に返 付 し、 省長 は
般 議 員 に歓 迎 せ ら れず 、 先 に省 長 公 署 より同 案 を議会 に回附 せら れ
賓 黒 線 に関 す る馬 忠 駿 案 は、 耿 之 光 案 に比 し巨資 を要 す る為 め 一
る。
る を恐 れ開 会 を欲 せざ る と に依 り此 儘閉 会 す る に至 る 事 と 思 は れ
た が、 議 員 の帰 郷 者 多 数 な る と梁議 長 が自 己 の不信 任 案 を提出 さ る
契約書内 に別に之 を定む。
管
( 浜岡)
一〇、本鉄路 の工事 は 一区域 の竣 工毎 に江省 政府 より委員 を派遣し
祁
米商 と立会 の上検収 し以 て運転営業 に便 にす。
︱七
賓黒斉 〓線と黒竜江省議会
大正十二年 九月 二十五日 第 九 一号 吉林公所長 吉林省議会某要人談 吉林省議会より賓黒、斉 〓二線 に関し黒竜江省議会 に照会した る に左 の如き回答を得 たり。 一、賓黒線 に就 ては先般来省議会 の問題となりしも最近 に至 つては 遂 に布設否決せらる。 二、斉〓線 に関しては省議会は未 だ何等与り知らず。
オ スト ロ モフ長 官 過 日 マ ニラ北 京 方面 よ り当 地 に帰任 の際 に、
露 亜 銀 行極 東 総 支 配 人 プ ルー ラ ー氏 と 一緒 に見 えた そ う です が、
山内
露 亜 銀 行 極 東 代表 には従 来 二人 あ つてプ チ ヒ ユゲ ネ ン氏 は北
プ ル ーラ ー氏 は如 何 な る人 です か。 プ氏 京 にあ つて、 政 治 外交 上 の事 を代 表 し 、 プ ルー ラ ー氏 は 上海 にあ
て居 り ま す 。 一月 の末 にラ ー ンド ラ氏 が 哈爾 賓 に来 ます から其 の
北 京 に帰 つて来 たな ら ば 、 ラ ー ンド ラ氏 は巴 里 に帰 る こと にな つ
賓 黒鉄 道 に就 て貴 方 は如 何 思 ひま す か。
時 に賓 黒鉄 道 建 設 速 成 に就 き手 段 を 講ず る筈 です 。 山内
東 支鉄 道 と し ては之 が速 成 を熱 望 し て居 り ます 。 此 の鉄 道敷
設 の暁 には穀 類 の哈 爾 賓 に集 る も の が非常 に増 加 す る こと でし よ
プ氏
う 。其 の内 約 三分 の二 は 大連 に南 下 す るで し よう か ら満 鉄 も 、賓
つ て総 理 、財 政 方 面 を担 任 し て居 り ま す 。此 の度 プ チ ヒ ユゲ ネ ン 氏 は 一箇 年 の休 暇 に て仏 国 に帰 つた から今 は、 プ ル ーラ ー氏 がプ
権 の仲 間 入 り を し て居 る から露 亜 銀 行 と 同格 の権 利 が あり ま す 。
壱 百 万 弗 の弁償 を得 な け れ ば な り ま せん 。横 浜 正 金銀 行 は此 の特
か らし て、露 亜 銀 行 は 此 の鉄 道 敷 設 に仲 間 入 りす る か 、又 は此 の
銀 行 は 此 の特 権 を得 る為 に自 己 の金 を壱 百 万弗 支払 つて居 りま す
一つは 鉄 道敷 設 の特 権 は露 亜 銀 行 が所 有す る事 です 。 そう し て
賓 黒 鉄 道敷 設 問 題 には 二 つ の局 面 が有 り ます 。
黒 鉄 道 敷 設 に就 て は利 益 を得 る だら う と 思 ひま す 。
プ ルー ラ ー氏 の来 哈 は賓 黒 鉄 道 問題 の為 めと 言 ふ噂 が有 りま
チ ヒ ユゲ ネ ン氏 の仕 事 も兼 ね て居 り ま す 。 山内 す が、真 実 です か。 東 支 鉄道 及 露 亜 銀 行 は賓 黒 鉄 道 建 設 を熱 望 し て居 り ます けれ
ま せん 。 只彼 は 此 の度 プ チ ヒ ユゲ ネ ン氏 の仕 事 も引 受 け た か ら、
ど も 、 プ ルー ラ ー氏 の来 哈 は、 決 し て其 の問 題 には 触 れ て は居 り
プ氏
哈 爾 賓 の 一般 情 勢 を視 察 し 且 、当 地 支 店 の銀 行 業 務 を監 査 に来 た
余 程 以 前 に露 亜 銀 行 と横浜 正金 銀 行 の北京 代 表 者 が 、賓 黒 鉄 道
建 設 の事 に就 て更 に話 を進 め た け れ共 、 正金 銀 行 は余 り気 乗 り が
の で外 の目的 は あり ま せん 。彼 は今 ド ホイ ヤー の家 に泊 つて居 り
露 亜 銀行 極 東 支 配 人 と し て 巴里 から ラ ー ンド ラ氏 が 北京 に見
ます が明 後 日朝 帰 りま す 。 山内
第 二 の局 面 は支 那 人 であ り ま す 。吾 々は支 那 人 に対 し て賓 黒 鉄
せ ぬ様 な 風 で あ り まし た 。
し た け れ共 、彼 は何 時 でも支 那 の主 権 を 云 々し て、露 亜 銀 行 の得
道 建 設 の必 要 と そう し て営業 上 の収 益 多 か る べき こと を力 説 し ま
た る特 権 を無 視 し て自 分 で鉄 道 を建 設 しよ う と言 つて居 りま す 。
ラ ー ンド ラ氏 は北 京 事務 所 の支 配 人 で政 治 方 面 の代 表 と な る
え るそ う です が真 実 です か 。
哈爾 賓 にも来 る筈 にな つて居 つて、 多 分 一月 の終 り に来 哈 す る こ
為 に巴 里 を出 発 し て、 上 海 に十 二月 二十 三 日 に着 い て視察 の為 に
プ氏
と でし よう 。彼 は露 亜 銀 行 の理事 とし て北京 に駐 在 す る の です か
許 せ し め る事 は 困難 な る立 場 に有 り ます 。
要 す る に支 那 人 を し て吾 々 が此 の鉄 道 建 設 に着 手 す る ちと を認
然 乍 ら支 那 人 には充 分 の資 本 も 無 し適 当 の人物 も居 り ま せ ん。
ら極 東 の総 て の仕 事 を監 督 す る事 に な る でし よう 。 彼 は 北 京 に七 年 間 も居 つ て支 那通 で あり ま す 。 一箇 年 後 にプ チ ヒ ユゲ ネ ン氏 が
露 亜銀行 は特権を有 し乍ら建設 に着手す る事 は出来 ません。着 賓黒鉄道 問題 に就 て 一つの新し い発展 は、当地 のスキデ ルスキ
手しようとす れば支那 の軍隊 が来 て邪魔 をす るでしよう。 ー氏 が斉 々哈爾 の呉督 軍と合同して、十 八箇月前 に此 の鉄道 の建
二 大正十 二年五月四日
奉 天 公所
最 近京奉線山海関 に於 て直通せざ る噂あり取調べたる処其事実な し、右 は 一日朝山海関 に於 て約五時間停滞したる誤聞なら ん、尚奉
設 に就 て北京政府 から新 たな る特権を得 た事 であります。其 の際
楡鉄路局長竝幹部 か溝幇子 に赴 けるは劉副局長 の母葬儀 の為 にて何
に、露亜銀行と正金銀行とは北京政府 に抗議 を致しまして 一時此 の企は中止せられました。然乍ら私は呉督軍 とスキデ ルスキー氏
等時局 に関係なし。 三 大正十 二年五月十 一日 第三九号 天図鉄道用地買収難
四〓鉄道問題
大正十二年 五月十二日 第 四号電報 哈爾賓地方事務所
四
ぜ ぬ為 、王省長は之 が措置 に関し張総司令 の指示 を仰 いだ。
収 の通告 を発したが、彼等 は日支合弁 に対し強硬 に反対し買収 に応
王吉林省長は延吉道 尹と審議 の上地方民 に対し、天図鉄道用地買
吉林公所
は尚此 の計画を断念しな いものと見 て居 ります。 (其 他 鉄 道 )一
大正十 二年五月二日午後三時 一五分著 北 京 公所 長 一日より京奉線山海関 にて打 切りとなり運転不正確 となれり (へ 京奉線奉天駅長 に問合せたるに本件 の如き事 実なく平素の通運
二六) 転し居 、平常と異なる運転を為すとき は ヨルダー氏 より直 に通知 (旅客課註記)
す ることに成り居 る趣 に付其 の旨北京公所 に通じ確 め中なり為念
露 亜銀行極東支配人 ( 北京駐在)プチ ユゲ ニエン、四〓鉄道 に関
し両三日来哈すべしと言ふ。本日東支 より同氏出迎 の為 クズネ ツオ
北 京特 報 (四 〇 の五)
フ、ブ ヤ ノフ スキ ー、 エリ テ コフ氏 チ ヨ (長 春 ?) に行 く 。
五
大 正 十 二年 五 月 二十 二 日 鄭 〓線 工事 に関 す る件
様慎重 に取扱はれたし。 七 大正十 二年五月卅 一日
于冲漢 より長春東 三省官銀分号宛通牒
奉海鉄道敷設計画
長春地方事務所 (四 一)
満 鉄 より 左 の申 越 し あ り取 調 乞 ふ。
奉天海竜間鉄道敷設 に関し五月二十五日発起人奉天儲蓄会長張恵
五月 二十 日交 通 部発 外交 部 宛 通 牒
鄭 〓鉄 道敷 設 工事 は既 に四十 哩 竣 工し て居 る。 若 し之 を中 止 す る
の予定を以て其 の沿線 六七〇余支里を調査せしめて居 る。何 れ調査
に於 て は雙 方 共 不利 な る故 、 工事 を継 続 す る こと に同意 せ られ た く 、 霖、興業銀行姜行長等 と共 に協議 の結果、〓宗煕をして約 一ケ月間 万 事 来 京中 の松 岡 理事 と協 議 願 ふ 。
て送附す べく予め通知す。
張 作霖 より 王吉 林 省 長 宛 返 電要 旨 。
弁とする余裕 なく最 早中止 せられたものと思ふ。又民間 に於 て敷設
支那側 の奉天海竜間鉄道敷設計画は目下 の財政状態 にては到底官
于冲漢談
奉海鉄道実現見込無し
大正十二年六月九日 奉天公所 (二四)
八
﹁ 詳細奉天公所 に照会中﹂
結了 の上は官商合弁 で株式募集 に着手 の筈 である。募集章程 は追 つ
吉林公所
右 に対す る回 答
第 四九 号
本 件 は交 通 部 主 管 のも のな れば 工事 の進 行 に付 ては貴 部 に於 て決 定 せら るべ し 。
六
大 正 十 二年 五 月 二十 五日
天 図鉄 道 は 日本 に其 の敷 設 を許 可 した も の の民 地 は 敢 て 日本 人 の
す るとしても此 の財界不況 の場合実現覚束なし。曩 に馬竜潭 は王省
天 図 鉄道 用 地買 収 に対 す る官 憲 の底 意
が其 の土 地譲 渡 を肯 ん ぜ ぬ由 な れ ば 、宜 しく之 に藉 口し て其 の敷 設
長 より該鉄道敷設資金 二、 七〇〇万元の内 一〇〇万元 の募集引受を
占 用 と し て譲 渡 す る ことを 願 ふ も のでな い。来 電 に依 れ ば 沿線 住 民
を阻 止 し可 成 之 を 延 引 せ しむ るが よ い。 但 し外交 上 の事 端 を醸 さ ぬ
依頼 されたが満募 の公算 なしと澪して居た。 九 大正十二年 六月十四日 庶調情第二二八号 庶 、調査課長 (東三省民報掲載)
支 那当局 の鉄道防護令 ︹マ マ︺
一〇
第 十 五号
北 京 公所
吉 長 鉄 道中 国 職 員 優 待 制度 実 現
大 正 十 二年 六 月 十 六 日
六 月十 二 日北京 京 報 掲 載 記 事概 要
吉 長 鉄 路 局 にて は民 国 七 年 新契 約 実 施 以来 重 要 位置 は悉 く 日本 人
は本 総 司 令 は素 よ り重 責 を感 じ、 孜 々と し て整 頓 に努 め幾 多 の施
に在 り て、中 外 交 通 頻 繁 の区域 なり 。依 て護 路 安 民 の件 に関 し て
に之 を負 はざ る べ から ず 。 我 が東 三 省 は 辺彊 に於 け る枢 要 の位 置
査 す る に交 通 は国 家 の命 脈 にし て之 が維 持 保 護 の責 任 は国 民 共
途 を開 かし め ん こ と を交 渉 し た 。然 る に加 藤 代 表 は遷 延 之 事 と し不
藤 代 表 に向 ひ 、満 鉄 と の契 約 附 帯 条 件 に基 き、 中国 人 を優 待昇 進 の
為陰 忍 し て居 た 。於 之 魏 局 長 は就 任 後 此 の情 勢 を察 知 し遂 に満 鉄 加
下 に在 り て、堪 え可 から ざ る圧迫 を受 け て来 たが 、借 款 関 係 あ る が
の占 む る所 と な り、 中 国 職 員 は学 識 経 験 の有 無 に拘 はら ず 其 の支 配
設 を行 へり 。然 れど も 現 下青 苗 の繁 茂 期 に当 り匪 徒出 没 に対 す る
し た為 、満 鉄 も代 表 を 更迭 し解 決 を 計 る様 にな り 、中 川 新 代表 は制
得 要 領 であ り、 一方 魏 局長 は終 始 一貫其 の態 度 を改 めず 強 硬 に主 張
省長 王 岷 源 氏 は 左記 東 三省 保 安総 司 令 部 の照 会 を許 可 し た り。
整 備 或 は 行 き届 かざ る結果 、 意 外 の事 変 を惹 起 せず と も限 ら ざ れ ば 、今 後 沿線 に駐 在 す る各 軍 及 地方 巡警 に対 し 特 に鉄 道 を 厳 重 に
む る こと と し た。 之 即 ち魏 局 長 外 交 の勝 利 に外 な ら ぬ云 々。
度 を改 革 し て中 国 職 員 を 課長 、廠 長 、段 長 等 重要 地位 の半 を占 めし
第 一駅
告した。 臥 虎
屯
第 六駅
金
山
鄭〓線駅名左 の通り決定 し、馬督弁は之 を東三省各重要官庁 に通
鄭〓線 駅名決定
大正十二年 六月 二十 一日 庶調情第 二五〇号 ( 東 三省民報掲載)
一 一
警 護 せ し め 以 て旅 行 者 を安 ん ぜし め た し。 尚 署 長 公 署 は 左記 注 意 を附 記 せり 。 曩 に津 浦 線 臨 城 土 匪掠 奪 事 件 発 生 し累 を外 人 に及 ぼ せ るを 以 て、 本 公 暑 は曾 つて 一般 関 係 者 に対 し 鉄道 防 護 に関 す る注 意 を与 へ置 き た るが、 保 甲 総 弁 警 務処 、東 辺 、 遼瀋 、 〓 昌 三道 尹 、各 県 知事 、省 城 、 安東 、営 口 三警 務庁 、各 商 埠 警察 局 は須 ら く 之 を実 施 し 、所 属 官 庁 を督 飭 し て管 内 の鉄 路 に対 し 、 切実 に防 護 を 加 へ以 て旅 行 者 を 安 ん ぜざ る べ からず 云 々。
第 三駅
第二駅
衛 問
三
茂
前
台
林
林
甸
第十駅
第九駅
第八駅
第 七駅
鴻
辺
大
豊
興 鎮
服
川
庫
四、事 務 の主管者を欠きたる こと
三、職 工及苦力 が募兵 に応 じたること
二、関内より材料運搬 の杜 絶
平
第 四駅
本年 三月解氷期 に至り錦県義 県間各駅 の建物 を竣成し、尚義県大浚
理局 に入る に及 び、錦朝線 の内部 を整頓すると同時 に工事を督励し
昨年十月に至 り京奉管 理局正局長唐梓華、同副局長柳昌年が奉管
第 五駅 一二
河鉄橋架設 に着手 し、工夫四百余名 を使役して両岸 より同時 に起 工 し六月下旬橋脚成 り、七月之 に橋梁 を架設し、八月上旬枕木及軌道
距 る二十支里 の周家屯 に運転し て居 たが、同 地方は降雨 の為 め 一部
義県附近 の鉄道 は昨年既 に竣工し現 に工事材料輪送車 は義県駅を
を取付け同月十九日架橋全く成 り開通試験を行 つた結果良好 である。
該軽便鉄道敷設 の件 は既報 の通り岫巌県知 事より奉天省長 へ申請
岫巌海城間軽便問題
安東地方事務所長 (大正十二年九月 一一日第 一七四八号)
中 であるが右は南荘 河県、北海城県とも聯接 の関係 あるため若し三
工事容易 にて、此処を過 ぐれば隧道を開鑿し再び四十支里 の石炭礦
此鉄橋 にして竣成せば北票 を過ぎ曲折 せる約十支 里の山路あるも
あ るが難 工事 なるが故 に速成 は期し難 き状況 にある。
期限 にて某請負者 に請負 はしめ、張総司令は之が速成 を督促し つつ
せねばならぬため、之 れが橋梁架設 には現大洋 六十万元、二箇年 の
余 、広 さ八支里 に及ぶ ことあり。蓋 し朝陽 に達 するには此河を通過
ても 一丈 に過ぎず 。若 し降雨あ れば忽 ち 一帯は湖水 と化し水深 二丈
大浚河 は毎年氾濫 して多大 の損害 を被 るも平時は最も深 き箇所 に
二十支 里 の北票 ( 石炭鉱所在地)迄完成す る筈 である。
の大板 に達 せらるべく、目下 の予定 によれば結氷期迄 には大板 より
事材料輸送中なれば、十月下旬 には材料輸送車 は義県より五十支里
に達 せらるべし。而 して該隧道 は近 々鑿通する見込 にて頻 りに其 工
県知事及商民が合同 の手続 せば将来紛議 も醸 さず或は許可 されんも、 破壊 せら れ目下水道橋梁架設中なれば本月中 には朝陽寺附近 の隧道 一県 のみの計画 にては省長 の許可甚だ困難 の模様 である。 一三 奉天公所長 (大正十 二年九月 一一日第六八号) 最近 に於ける錦朝鉄道情況 ( 庶 、調査課より の照会 に対す る報告) 一、工事 の状態 京奉鉄道 の支線たる錦朝 ( 錦州朝陽間)鉄道は奉直戦争当時其影 響を受 け或部分 の工事 は全く停止 せられ、 一部 の小工事 のみは引続 き起 工せられたが殆 んど中止 の有様 とな つた。是 れ左の理由 に因 る。 一、財政 の困難
区 を 経 て五 十支 里 の平 地 を過 ぎ 朝 陽 県 に達 す る こと が出 来 る 。従 来
を 取 扱 は しむ る に至 つた 。 信
二
電
所 に達 す。
話
搬 出 す る穀 類 は 春 冬 両期 は毎 日 百余 噸 に達 す る が、 昨 今 は最 も閑 散
着 手 し た が 、種 々 の事 情 に捉 はれ 遂 に之 を広 軌鉄 道 に変 更 し た。 途
初 運 炭 用軽 便 鉄 道 を敷 設 す べ き計 画 の下 に民 国 十年 二月 よ り測 量 に
京 奉 線 の支 線 た る虎 濠 ( 打 虎 山 八道 濠 間 六十 四 支 里強 )鉄 道 は最
一、 目 下 の状 態
( 庶 、 調 査 課 よ り の照 会 に対 す る報 告 )
虎 濠 鉄道 の情 况
奉天 公 所 長 (大 正十 二年 九 月 十 一日第 六 八 号)
一四
鉄 道 用 電 話 は錦 県 駅構 内 より終 点 周家 屯 に至 り更 に北 票 鉱 区 事務
三
錦 県 駅構 内 より 七 里河 子 駅 、義 県等 を経 て北 票 炭 礦 区 に達 す 。
電
の計 画 に依 れば 本 年 冬 期迄 に は朝 陽 県迄 開 通 し得 る 見 込 で あ つたが 目 下 の状 況 では如 何 に努 力 す る も十 三年 冬 期 以 前 に開 通 の見 込 無 し 。 故 に若 し 材料 、財 力 にし て聊 に ても欠 く る所 あ れ ば竣 工 の期 は 予測
因 に現在 使 用 し つつあ る材 料 は 奉直 戦 前 天 津 方 面 よ り輸 送 し 来 つ
し 難 い。
た も ので 、今 や其 大 部分 は義 県 大 浚 河鉄 道 に使 用 し余 す 所 少 数 だ と 言 ふ。 二 、運 行 状 態 現 に錦 朝 線 の運 行 は毎 日午 前 七 時 三十 分 義 県発 十 一時 三十 分錦 州 着 と午 後 二時 三十 分 錦州 発 同 五 時 三十 分 義 県着 と の往 復 混 合列 車 を 運 転 し て居 る。 而 し て 一列 車 の乗 客 は百 余 名 、其 他 雑 貨 、 土産 物 及
な る時 季 な れば 二 、 三日 中 僅 か に十 乃 至 二 十噸 に過 ぎ ぬ故 に目 下 は
建 築 用 小形 材 料 を 積 載す る こと 毎 日平 均 十 噸 内外 に て、 又義 県 よ り
毎 日午 前 六時 義 県 発貨 物 車 五 、 六輛 を連 結 す る 一列 車 を 運 行 す る の
中 は 道 路概 し て平 坦 且 大 河 を通 過 す る必要 なき 為 工事 比 較 的進 捗 し、
自 打 虎 山 至 黒山
〃
奉 票 三角 四角
自 黒 山 至 八道 濠
車 一輛 を連 結 す る のみ で其 各 駅間 の乗 車 賃 次 の如 し。
の竣 成 を見 、 同 月 廿 一日開 通 式 を挙 行 し た。而 し て毎列 車 に 三等 客
停 止 し 、本 年 解 氷 す る を俟 ち て再 び 工事 を急 ぎ 、 七月 に至 り て全 部
成 し 直 に建 築 材 料 及石 炭 輸 送 を 開始 し た 。結 氷期 に入 り 一時 工事 を
十 一年 十月 其半 部 に亘 る道 路 、橋 梁 、所 要 建 物 及電 信 、電 話 等 を完
便
三 、通 信 の状 態
み で あ る。而 し て錦 県 よ り セメ ント、鉄 器 、木 材 等 の各 建 築 材 料 を
郵
積載 し て周家 屯 ( 終 点 ) に復 行 し て居 る 。
一
往 時 錦州 義 県 間 に郵便 物 伝 送 は 脚 夫 が両 県 境 の七 里河 子 に到 り 互 に郵 便 物 を交 換 し て帰来 し て居 た が 、民 国 十年 十 月錦 義 間 の開 通 す る に及 び脚 夫 を便 乗 し て伝 送 せし む る様 にな り 、 翌十 一月 始 め て錦 県 郵便 局 よ り管 理 局 を経 て交 通 部 に上申 し 錦朝 線 郵 務 員 を 置 いて之
自打虎山至〃
〃
七角
午前
七時 打虎山発 午前十時三十分
又目下 の発着時間は左の如し。 七時 同 八道濠発 午後 二時三十分
午後十時三十分
午後 午前十 一時
開原掏鹿間軽便鉄道敷設を計画 し、奉天実業庁、奉天省長公署及奉
六月既 に認可し、奉天警務処よりも不日認可 の筈で右認可あり次第
天警務処 に出頭中 の処奉天実業庁 はまる三月、奉天省長公署は去 る
工事 に着手 せんとして居 る。尚目下独逸製 七〇馬力牽引力 一〇〇噸
八道濠著 同
の小形機関車を註 文す べく考慮中 である。 其 の内容 は左 の通りである。
打虎山著
同
同
離
掏鹿電燈 公司主任
東豊 県同
西豊 県同
開 原掏鹿間
西安県同
開拓長途鉄軌汽車股分有限公司
海竜県同
株式
開原県省議員
王
王
魏
謝
楊
康
徳
肇
酒
鼎
耀
作
康
豊
秋
臣
宗
民
同
を阜 新 、綏 東 を経 て熱 河境 内 に延長 方 提 議 す る者 も あ つた が 、現 に
同
称
奉小洋
︹マ マ︺
熱 河 は 直隷 派 の勢 力 下 にあ る ため 目下 の所 実 行 は 困難 であ る 。猶 新
同
織
九、〇〇〇株
同
同
翌
午 後 十 一時
立 屯 に延 長 す べ しと の説 を主 張 す る者 あり 。 此 工事 は早 晩起 工 せ ら
同代表者
金
記
る る に至 ら む 。何 とな れ ば新 立 屯 は著 名 の地 で阜 新 県 とは経 済 上密
一、距
数
左
接 の関 係 を有 し 、且 つ孫 烈臣 、 張 九卿 、張 海 鵬 等 の郷 里 は何 れ も新
一、名 本
発起 人
立屯 管 内 にあ り 、最 近 に至 り 一層豊 富 の地 と な つた か ら、 同 地商 会
一、組 式
二 、将 来 に於 け る計 画
よ りも 之 が 延長 を張 総 司令 に申 請 し て其 の許 可 を受 け、 既 に測量 を
一、資
虎 濠 線 は既 に全 通 し内 部 の設 備 も着 々整 頓 し つ つあり 、将 来 は之
了 り目 下 虎 濠 線 に依 て 工事材 料 を 輸 送 し つ つあれ ば 、本 年 内 には新
一、株
五〇元
四五〇、〇〇〇元
︹マ マ︺
立屯 迄 開 通 せし む る意 気 込 み であ つて 、之 が開 通後 は更 に新 邱 、阜
九〇、〇〇〇元 (払込済)
︹マ マ ︺
新 方 面 へ延 長 す る計 画 だと言 ふ。
一、一株 の金額
斉 々哈爾公所長 (大正十二年九月三十日第九 一号)
一六
一、第 一回払込額
一五
開 原 掏鹿 間 軽 便 鉄道 敷 設
開 原 地 方 区 長 (大正 十 二年 九月 二十 二 日第 一六 九 号)
西 豊 県 掏鹿 電 燈 公 司 主 任 王徳 厚 氏 の談 に依 れば 今年 春 左 記 の通 り
〓 斉 鉄 道 に関 す る呉 督 軍 の談 〓 斉 鉄 道 が軍事 上経 済 上 必 要 な る事 は充 分認 む る所 に し て其 敷 設 の 一日も 早 から ん事 を希望 す る次 第 な るが 、弁 法 に関 し て は資 金 調
す る に至 り 、若 し此 の線 に し て更 に斉 々哈 爾 に延長 せら れ ん か、
々哈爾 四平 街 間 の距離 は哈 爾 賓 を経 由 せば 五 百 六十 八露 里 な る が、
斉 々哈 爾 対青 山 間 の輸 送貨 物 は勢 必ず 皆 無 とな る べ きな り 。 又斉
達 の関 係 も あ り種 々研究 を要 す べく将 来 貴 殿 (早 川 ) の力 に待 つも
商 業 部 の調査 に依 れ ば〓 南 府 斉 々哈爾 線 敷 設 せら れ た る暁 は 、必
年 々増 加 の傾 向 あ るを 以 て注 意 を払 は ざ る可 からざ るな り 。更 に
間 の輸 出 貨物 は余 り多 からざ れ ども 統 計 の示 す 所 によ れば 、 概 ね
収 せ ら る る に至 る べ し。 現状 を 以 て之 を論ず れば 満 洲 里斉 々哈爾
る訳 な る を以 て、満 洲 里 小 蒿 子間 の貨 物 も殆 んど 全 部 を此 線 に吸
哈 爾賓 公 所 長
〓 南府 経 由 に よれ ば 五百 十 五 露 里 にし て、 五 十 三露 里 短縮 せ ら る
第 一九 一号
の多 か ら ん 云 々。
一七
大 正十 二年 十 月 十 三 日
四〓 線 開 通 の期 近 づ け る を以 て東 鉄 に及 ぼす 影響 に就 き 東 支 幹 部
し東 支 鉄 道 に於 て之 と対 抗 せ ん と欲 す れば 、 左記 の方法 に依 ら ざ
甚 大 に し て、 運賃 四百 万 元以 上 の減 収 を見 るべ し。 此 の形 勢 に対
家 畜輸 送 も少 な からざ る数 に上 れ ば、 東 支 鉄道 の蒙 る影響 は頗 る
ず 東支 鉄 道 より 二千 六百 万 布 度 の穀 物 輸 送 を 奪取 せら れ 、 此 の外
は深 甚 な る注意 を払 ひ居 り、 当 所 にて も予 め 内 探中 な る が右 に関 し 、
四 〓 線 に 対す る東鉄 幹 部 の対 抗 策
十 月 七 日 ﹁上海 新 聞報 ﹂ は左 記 訳 文 の通 報 導 せ るを 以 て不 取 敢 報告 す 。尚 右 に関 す る東鉄 幹 部 の意 向 十分 判 明 の上追 報 す べし 。
一、 稍 や危 険 な れ ども 〓斉 線 に対 し 東 支 鉄道 よ り出資 す る か、 又
る可 から ず 。
は何 等 か の方法 に より 之 に割 込 む こと 。 斯く の如 く せば 東 支鉄 道
四〓 線 近 く 開 通 し将 来 更 に〓斉 線 敷 設 せら る る に於 ては東 支 鉄 道 の大 打 繋 な り と て大 に之 を憂 慮 し 、 東 支鉄 道 技 術 (?)、商 業
よ り其 の輸 送 貨 物 を奪 は る ると す る も 、東 支 鉄道 に於 ても南 満 線
二、東 支 鉄 道 の培 養支 線 を敷 設 す る こと 。即 ち 哈爾 賓 、綏 化 、 海
と 同 等 の利 益 分 配 を受 く べし 。
四 平 街 、鄭 家 屯 、 〓南 府 線 は其 の距 離 合 計 三百露 里 な る が、 其
倫 線 及斉 々哈 爾 嫩 江線 (即 ち 賓 黒線 ) の如 き是 にし て、 此等 の線
の両 部 は聯 合 し て、 之 れ に関 す る左 記 要旨 の対 策 的意 見 書 を東 支
の間 二百 二十 露 里 は 已 に営 業 を開 始 し 、而 し て其 の余 の八 十 露里
鉄 道 本 社 に提 出 せり と 。
も 亦本 年 夏 季 中 に於 て完 成 し 、 秋季 に は全 線 の開 通 を見 る こと と
す べ し。
三、 現 在 の森林 支 線 を 撤 去 し総 て之 を 本 線 の培 養 支線 に改 む る こ
路 を東 支 線 と聯 絡 せ しめ ば 、 地方 の開 発 を促 し貨 物 の輸 送 を増 加
距 離 は 二百 二十露 里 にし て、安 達 長 春 間 は約 三百露 里 な り 。若 し
と。
な り居 れ り 。然 るに安 達 駅 (東 支鉄 道 西 部 線 ) よ り〓 南 府 に至 る
一旦 四〓 線 開 通 せ ば馬 車輸 送 を 以 て、 〓 南 駅 に至 るも の必ず 増 加
れば満 鉄 の許 可 せ るが 如 き代 理 店 ( 国 際 運 送 会 社 を指 す か) を設
四、何 等 か の方 法 を 以 て荷 主 に特 権 を与 ふ る こと 。 万已 む を得 ざ
二、本 問 題 及東 支 鉄 道 に及 ぼ す危 険 を除 去す る方 法 を討 究 す る為 、
を通 告す る こと 。
線 を斉 々哈 爾 に延長 せら るる に於 ては 東支 鉄 道 に絶 大 の影 響 あ る
一八
大 正十 二年 十 月 二十 日
鄭 〓線 仮 営 業 に関 す る件
第 七 七号
鄭家 屯 公 所長
鉄 道 管 理局 代 表 を 以 て委 員 会 を組 織 す る こと 。
ダ ニレ フ スキ ー、兪 仁 鳳 の両 会弁 、 リ ヒ テ ル、何 守 仁 の両 理 事 及
く べし 。 以上 の各 項 に対し ては 東支 鉄 道 に於 て自 ら其 の敷 設 に当 る か、 或 は其 の敷 設 に参 与 す べし 。而 し て其 の 一期 敷 設 を斉 々哈 爾 泰 来
す べし 。 哈爾 賓 綏 化 間 は九 十露 里 にし て斉 々哈 爾 泰 来 間 は七 十 五
線 及哈 爾賓 綏 化線 と し、 第 二期 敷 設 を 泰来 〓 南 間 及綏 化海 倫 間 と
露 里 なれ ば 、若 し東 支 鉄 道 よ り技 術 上 の援 助 を与 へ且 つ軌 条 、 車 輛 、機 関 車等 を貸 与 せば 、毎 露 里 の敷 設 費 は 三万 元 に過 ぎざ るを
四 〓鉄 路 鄭 〓線 本 年 八 月 仮営 業 開 始 後 の成 績 如 左 。
以 て、第 一期 の敷 設費 合 計 約 五 百 万元 に て足 る なり 。 而 し て此 の
但 し こ れは 旅客 のみ の分 で貨 物 は鄭 家屯 から 少 量 の入込 雑 荷 あ る
鄭 〓線 (仮 営 業 )旅 客 輸 送 人 員 一覧
追 て本 表 は 今 日迄 未 だ何 処 にも発 表 し てゐ な いと の こと であ る 。
外 殆 ん ど皆 無 と の こと であ る。
線 路 の敷 設 は 殊 に黒竜 江省 及 東 支鉄 道 と密 接 の関 係 あ るを 以 て、
る。若 し其 の経 費 の調達 に困 難 な り と せば 、露 支 両 国 間 の個 人 よ
該 省 と東 支 鉄 道 と 聯 合 一致 し て共同 進 行 を 策 す べ き も のと信 ぜ ら
し其 の完 成 に当 ら し む べ し。 若 し何 等 か の事 情 に依 り東支 鉄 道 が
り 其 の投 資 に任 ぜ し め 、露 支 両 国人 を 以 て培養 線 敷 設 会 社 を組 織
該 鉄道 の敷 設 及 将 来 の経 営 に参 与 す る こと 能 はざ れば 、何 人 が此 の二鉄 道 を敷 設 す る を論 ぜず 、東 支 鉄 道 は之 に極 力 に反 対 し て東 支 鉄道 の利 益 を擁 護 せ ざ る可 からず 。而 し て 一方 支 那 政 府 に対 し 若 し該 鉄 道 が全 く 他 人 の手 に敷 設 せ ら る る が如 き ことあ ら ば 、東 支 鉄道 は勢 必 ず 運賃 の減 収 を 来 す を以 て、 支 那政 府 設 置 の各 機 関 に対 す る補 助 金 に影 響 す べき を 通告 す べし 云 々。 尚 右 の意 見 書 に対 し 会 社側 に ては 已 に会 議 を 開 き左 記 二項 を議 決 せり と 。 一、督 弁 に請 ふ て支 那 政府 各 官 憲 に対 し今 秋 完成 の四平 街 〓南 府
一九 大正十二年十 一月八日 哈爾賓事務所長
斉〓鉄道敷設問題 に関す る件
哈調第 二三八号
︹ 誠 一郎 ︺
十 一月六日 の国際協報 に首題 に関する記事 がありましたから其 の 要旨 を抄訳して御報告致します。 斉〓鉄道敷設問題 と呉督軍 十 一月 一日呉 督 軍 は坂 東 顧 問 と 同伴 山 崎 斉 々哈爾 領 事 を訪 問 し談 、 〓 斉 鉄道 に及 ぶ や呉 氏 は 曰 く ﹁四 〓鉄 道 の開 通 せ る今 日余 は 〓斉 鉄 道 の 一日 も早 く 敷 設 せ ら れ む こと を望 む。 余 は 〓南 に生 ひ立 ち た る 者 な るが 毎 次〓 南 に帰省 す る時 常 に数 日 を其 の旅 行 に費 せり 。其 の 文 明 の利 器 な きは 単 に多 く の時 間 を徒 費 しす る のみ なら ず実 に満 蒙 天 然 の富 源 を開 発 す る能 はず 。是 れ 三省 の 一大 欠 点 と称 す可 き也 。 該 路 布設 の経 費 に就 き て は余 已 に成算 あり ﹂ 云 々と。
一
一九
東 支鉄 道 関係
東 支鉄 道 長 官 排斥 問 題 並 同鉄 道 幹 部 間 の内 紛一
哈爾賓 公所 (七九) ( 大正十二年 四月十八日)
露亜 銀 行 支 店 長 フオ ン ・ゴイ エ ルの松 井少 将 に語 れ る談 。
オ スト ロ モフ排 斥 問題 哈爾 賓
一、支那側 の ﹁オ﹂ に対する反感
東支鉄道内部支那人側が ﹁オ﹂を排斥して居る ことは事実 である。
之 れ同氏 が自 負心強 きこと、秘 密裡 に政治問題 に触 れ過激派と連絡
し居 るに基く、王景春 は同氏排斥 の材料蒐集 に努め朱慶瀾、張作霖 も彼 の態度 に不満 の模様 である。
抑 も ﹁オ﹂ は巴里 の露亜銀行本店から派遣 されたもので銀行 の信
二、露亜銀行と ﹁オ﹂ の関係
任厚く技量も認められて居 るから支那側が的確な証拠 なし に感情 問
東支鉄道露支幹部 の軋轢 東支鉄道支那側幹部 は最近露側 を圧迫する こと著しきため露側幹
へず支那則 の横暴 に関す る情報を本店 に送 つて居る。
大正十 二年 五月十 一日
題 で之 を排除 せんとせば飽迄留任を主張する であ らう。﹁オ﹂は絶
三 哈爾賓事務所 (一八七)
秘
部は日本 を利用して之 を牽制せんとし、重役プシカリ ヨフは巴里 に
大正十二年 四月 二十 一日
赴く途中 日本外務省亜細亜局長を訪問 し右 に関し援助を求 めた。
二 哈爾賓公所 (九三)
一
オ スト ロモ フ排 斥 運 動
﹁オ﹂ 排 斥 の近因
ゴ ンダ ツ チ の談
最 近 ﹁オ﹂長 官 と王 督 弁 、朱 慶 瀾 初 め 支 那側 要 人 と の間 に感 情 の 疎 隔 甚 し いが其 の近因 概 ね左 の如 し。
﹁オ﹂ の開 催 せ る大 慈 善 会 の全 収 入 が欧露 へ送 附 され た事 実 があ
一、 ﹁オ﹂ が労農 政 府 側 に款 を 通 じ居 る 傾 向 が あ り 、即 ち 四 月 中
る。
る態 度 は懇 切 を極 め た こと。
二 、過 般 の聯 合鉄 道 会 議 に当 り知 多烏 鉄 代表 に対 し ﹁オ﹂ の表 示 せ
三 、 旧職 員 を罷 免 し赤 化 人 物 を之 に代 ら し め ん とす る こと。 四、 猶 太 系 特産 輸 出 商 に種 々 の特 典 を 与 ふ る こと 。 五、 ﹁オ﹂ は 一時 盛 に鉄 道 施設 の改 善 を 主張 せ し が近 来検 査 の結 果 寧 ろ反 証 を挙げ 得 る こと 。
﹁オ﹂ 罷免 の手 段
す る態 度 乱 暴 な る為 露 人 間 に於 け る評 判 も不 良 な る こと。
六 、 ﹁オ﹂ は支 那 側 よ り 圧迫 さ る る結 果 神 経 過 敏 と な り、 部 下 に対
二
過 日王 景 春 、朱 慶 瀾 が奉 天行 に際 し 東 支鉄 道 問 題 を 中 心 とす る露 支 会 議 に関 す る協 議 中 ﹁オ﹂罷 免 の 一項 あ り し こと を 内 聞す 。 ﹁オ﹂ の後 任 と し て目 せ ら れ居 るは現 会 弁 兪 仁 鳳 及 現 副 長 官 オ ツ フ エ ン
四
東 支鉄 道 幹 部 の暗 闘 (松 井 少 将報 )
哈 爾 賓 事務 所 (三 九 二) ( 大 正 十 二年 六月 二十 日)
最 近東 支 鉄 道 庁 内 に露 亜 銀 行 を中 心 とし て種 々の暗 闘 行 は れ つ つ
あ るは事 実 で あ る。右 に関 しゴ ンダ ツ チ の談如 左 。
哈 市 露 亜 銀行 支 店 長 ド ホ イ ヤ ーは 近 く渡 仏 す る は事 実 であ る が東
一、 ド ホ イ ヤ ー理 事 罷免 説
支 鉄 道 理事 を罷 む る噂 は事 実 であ る ま い。
近 来 オ スト ロモ フ長 官 と ﹁ド﹂ と の間 柄 面白 から ず 。曩 に ﹁オ﹂
二 、 オ長官 と ド ホイ ヤーと の不和
は 巴 里 に於 け る露 亜 銀行 理 事 会議 に ﹁ド ﹂ を悪 様 に通 信 し た ことが
あ る。更 に最 近 オ派 の理 事 プ シカ リ ヨフは ﹁オ﹂ の意 を含 み仏 国 に
於 て ﹁ド﹂ の悪 声 を放 ち た るた め露 亜 銀 行 の幹 部 は 之 れ を 怪 み、
﹁オ﹂ よ り の通信 を 其 の儘 ﹁ド ﹂の手 許 に電 報 し て来 た。 ﹁ド﹂は大
に驚 き彼 自 身 仏 国 本 店 に赴 き事情 を具 陳 し てあ べ こべ に ﹁オ﹂ を攻
る こと に決 定 し て いる。
撃 せん が た め 目下 各 方 面 よ り ﹁オ﹂ の攻 撃 材料 を蒐 集 し 近 く出 発 す
三 、 プ チギ ユナ ンと オ長 官
迄 ﹁オ﹂ 長 官 に休 暇 を 与 へ、前 記 両 名 中 の 一名 に臨 時 長官 事 務 を取
係 に因 り彼 是 意見 を 異 にし相 互 排 斥 を企 て つ つあ るは 事 実 であ つて
四 、 要 す る に近来 東 支 鉄道 幹 部 が東 支鉄 道 の将来 と労 農 政 府 と の関
一目 的 を 以 て渡 仏 す るや も知 れ ぬ。
北 京 露 亜 銀行 支 店 長 ﹁プ﹂ も ﹁オ﹂ と善 からず 。 或 は ﹁ド﹂ と同
扱 は しむ る こと とす べ く 其 の実 現 は東 支 二十 五年 記 念 祭 終了 後 と観
ブ ルグ で、 其 の更 迭 は形 式 上株 主 総 会 の賛 同 を要 す る為 、先 づ 夫 れ
測 さ れ る。
オ長 官 及 プ シカ リ ヨフ、 リ ヒテ ル両 理事 派 は漸 次 労農 政 府 側 に接 近
し居 る有様 にて彼 と の関係 極 め て良 好 な り﹂ と 。更 に庄 司 氏 は昨 日
﹁ 目 下 支 那 側 の土 地 回収 熱 熾 な る に加 へ支 那官 憲 は財 政 難 の為 年 額
態 々ゴ氏 を訪 問 し彼 に対 す る支 那 側 の態度 を糺 し た る に ゴ 氏 曰 く
約参 百 万留 の収 入 あ る東 支 鉄 道 土 地係 の事 務 を取 上 げ て 、附 属 地軍
し て東 支 鉄 道 の露 国 勢 力 を恢 復 せ んと し 、 ド ホ イ ヤ ー、 プ チ ギ ユナ
隊 の維 持 費 を 得 ん とす る希 望 あ る事 は事 実 にし て、 近時 張 煥 相 、 楊
ン等露 亜 銀 行 側 は東 支 鉄 道 内 に於 て大 部 を占 む る反 労 農 派 と協 力 し て労農 勢 力 の浸潤 を防 ぎ 、 可成 的 支 那 側 の圧 迫 を緩 和 し つ つ現 状 を
王 オ間 の確執 は益 々強 烈 を加 へ王 は 公 然 オ長 官 を 信頼 せず と声 明
模 様 なり と 。尚 ﹁ 最 近 話 のあ る農 業 問 題 には こ の影 響 無 か る べ き
り察 す る に当 地露 亜 銀 行 は 既 に支 那 側 の計 画 に つき巴 里 に打電 せ る
出 づ べき も無 力 な れば 不利 の点 多 し﹂ と 。庄 司 氏 は ゴ氏 の 口振 り よ
画 に勿 論 反 対す る考 にて 、 オ長 官 を初 め露 西 亜 側 理事 も同 じ態 度 に
ず ﹂ と 。庄 司 氏 は 之 に対す る ゴ氏 の対策 を糺 し た る に ﹁余 は此 の計
の内命 を齎 せ りと の噂 あ る際 右 の計 画 は漸 次具 体 化 す る や も 知 れ
る計 画 に て、 数 日 前 奉天 よ り帰 哈 せ る張 煥 相 は張 作 霖 より朱 慶 瀾 へ
卓外 、某 の 三将軍 は ゴ氏 の辛 辣振 を 口実 に右 の事 務 を 取 上 げ んと す
維 持 せ ん とす る にあ るら し い。
五
哈 爾 賓 大 塚情 報 (四 一) ( 大 正 十 二年 六 月 二 十六 日 )
す る に至 つ た。 従 て王 は 近 く オ長 官 の権 限 を縮 少 す る方 針 に て﹁オ﹂
東 支 鉄道 王 督 弁 と オ長 官 の確 執
が 独断 に て何 等 の契 約 も締 結 し得 ぬ こと とす る筈 で其 の結 果 両者 の
や﹂ と庄 司 氏 の問 に対し ゴ氏 は ﹁要 は歩 調 を早 む る を 有 利 と す べ
哈爾 賓 大 塚 情 報 (四 三) (大 正 十 二年 六月 三十 日)
七
終 了 す る迄 当分 実 行 を 延 期 せ よと の内 命 あり た る旨 なり 。委 細 文 。
土 地 係 の事 務 を取 上 ぐ べ し と命 ぜ るも、 期 日 を経 て再 び日露 会 議 の
リ ヤ記者 の語 る処 に依 れば 今 より 約 二週 間 前張 作 霖 は朱慶 瀾 に対 し
務 を 取 上 げ、 此 の収 入 を軍 費 に振 向 けむ と す る傾 向 あ り 。然 れ共 ザ
に支 那文 官 側 と の間 良好 な るも将 軍 連 は ゴ氏 を排 斥 し て土 地 係 の事
し ﹂ と答 へたる趣 大蔵 理 事 へ特 に御 伝 へ乞 ふ と の こと な り。要 す る
何 れ か 一方 の辞 職 を見 る やも測 ら れ ぬ。
六
哈 爾 賓 調 査 課長 電 報 (一二)
支 那 側 のゴ ンダ ツ チ排 斥 問 題
(大 正 十 二年 七月 十 三 日午 後 一時 四 十 五分 )
ゴ ンダ ツ チ排 斥 の件 に関 し十 一日庄 司 氏参 事 会 より の帰 途 李 昌 元 よ り聴 け る処 に依 れば ﹁支 那側 と ゴ氏 と の関 係 近時 良 好 にて 王督 弁 朱慶 瀾 等 も地 方 部 に関 す る支 那側 の苦 情 、陳 情等 は其 儘 ゴ 氏 に伝 へ 居 り 、 又 ゴ氏 も フー、 ジ ユン、 セイ を市 参 事 会 員 と為 す こと に賛 成
東支鉄道王督弁 とオ長官 との確執 東支鉄道王督弁 とオ長官 との確執 は最近益 々其 の度を加 へつつあ るは事実 である。 王は前督弁宋小濂 の後 任とし て任命 せられたものであるが彼は鉄 道 に関 しては宋 に比し多少経験と知識と を有するため、自ら監督者 た る地位 を利用してオ長官 の鉄道施設 に干渉を試 み、 オ長官も亦其 の賦与せられたる権限を楯 にとり彼 に反抗的態度 を示 した。之 がた
るも王督弁 の満洲里療養は唯表面 の名目で、内実 は七月五日満洲里
に於け る直通会議を監視す ると共 にオ長官 の意図を取調べ彼 を排除
す る資料を獲得せんとす るに外ならぬ様であ る。 八
より二十万乃至 二十五万円を貰ひ、露国 の利 益を満鉄 に売 つたと言
七月 二十三日のザリヤ紙 は突如オ長官が昨年長春会議 の際日本側
秘
府側 に接 近す る態度を執る様 になつたため王は 一層監視的眼光 を以
ふ記事 を掲載した。之は ヨツフ エの執筆したもので本年 一月頃労農
露紙 のオスト ロモフ長官攻撃
哈爾賓事務所 (六 一七)大正十二年 七月三十 日
て彼を注視す るに至 つた。於之約 一ケ月前露亜銀行某重役は両者を
め両者 は互 に面白 からぬ感情を抱持して居た折 柄、 オ長官 が労農政
調停して融和せしめた ことにな つて居 るが、其 の融和 たるや表面 の
政府機関紙イズウ エスチヤ の記事を転載したものである。
悪化し、王はオを鉄道長官 に据 え置くが如 きは東支鉄道 の過激派化
ど独断的 に之 を決定 したため、両者間 の感情も此処 に至 つて著 しく
亜銀行 一部 の声援を得 て盛 に之 れが東支鉄道幹部割込 に運動し殆 ん
は最初より之 に反対し て居たが、 オ長官 は労農代表或 は株主たる露
社を相当取締方依頼 した処、彼は長春会議 に参加 せる兪 人鳳理事 に
むると共 に朱将軍 を訪問 の上、事 実無根 の捏造記事を掲載する新聞
り、右 に対し古沢所長代理は 一方新聞に取消文 (左記)を掲載せし
間接 に満鉄も攻撃 された ことであるから相当の手配乞ふとの依頼 あ
爾賓 の支那官憲 に何等 かの指 図を与 ふるが如き こと不可能 なりや、
べき何等 かの方法 なきや、都合 にては満鉄本社より張作霖 を通じ哈
オ長官は直ちに哈爾賓事務所 へ秘書役を派しザ リヤ紙主筆を罰す
みにて内心は互 に相含む処あり以 て時機 を窺 つて居 た のである。
を迅速 ならしむるものであると声明す ると同時 に、 オ長官 の排斥運
然 るに東支鉄道に労農代表 二名を入社 せしむ ることに関しては王
動 を為す意志顕著とな つた。而 してオ長官 が欧露直 通列車 の運転 に
前記取消文 をザ リヤ及 ルースキー ・ゴーロスの両社 に寄 せたもの
も親しく問合せ の上警察 の方 へ何分 の通達を為す べしと答 へた。
なれど後者は未 だ掲載せず。想 ふにザリヤ社 より オ長官 に広告料 と
を以 て露 国領土内に之を抑留 せんとする前提 にて、オ長官及労農政
熱 心な るは全く新造客車を国境外 に出 し、以 て露国 に何等か の名目 府間 に既 に黙契 あるものと王は確信して居 るし、又満洲里駅 に滞留
尚 オ長官は本社 へこの顛末 を報告 (左記)した。
して纏 まりたる金員を請求 せる際之 を拒絶 した復讎らし い。
は其 の意図 の存する証拠 であると看做して居 る。之等 の事情 より観
客貨車 の豊富なるに拘らず時 々空貨車 を満洲里 に運行 し居るが如き
は之 を根 拠 地 とし 、唯 一の財 源 とす る に至 つた のであ る。加 ふ るに
ト将 軍 より其 の管 理 を譲 渡 せ ら れ 、比較 的 経 済 上強 固 な る が為 白 軍
オ スト ロ モフ技 師 及 東 支幹 部 に対 す る ヨツ フ エ氏 の批 評
て鉄 道 に蟠 踞す る露西 亜 人 は鉄 道 と は何 等関 係 のな い、 例 へば 旧白
該 鉄 道 は帝 政時 代 の露 人養 育院 と化 し避 難所 と な る に至 つた。 而 し
掲 載 記 事
日露 会議 の進捗 、 露 支会 議 の気 運 熟 せ る今 日莫 斯 科 イ ズ ウ エス チ
更 に東 支 鉄道 は浦 塩 の自 称 政 権 近 く は ヂ テリ ク ス輩 に到 るま で にも
系 西 伯 利 政 府 の議 長 た りし ヴ オ ロゴ ツト スキ イ の如 き者 のみ であ る。
ヤ紙 一七 一九 号 に掲 載 せ る ヨツ フ エの論 文 は ソヴ イ エト露 西亜 公 式 代 表 公 式機 関 の意 向 とし て時 節 柄 最 も注 目 に値す る。 以 下該 記 事 を
物質 的 援 助 を 与 へた。同 時 に此等 保 守 或 は反 革 命 の為 の所謂 理想 的
︹〓〓 〓ep〓x c, M 〓 K.︺
簡 約 す れ ば 、目 下東 京 に於 て ヨツ フ エ、川 上 の友 誼 的 交 渉 は順 調 に 行 は れ て居 る が而 し乍 ら 彼 ヨツ フ エが莫 斯 科 市 民 (読 者 ) の前 に致
露 西 亜 の労動 者 は飢 餓 と寒気 の為 に斃 れ居 る の際 鉄 道 当事 者 は増
行動 以外 東 支鉄 道 は自 己 の幸福 自 己 の営 利 のため に も活 動 し た。
世 界の 奪取 者 は何 れも東 支鉄 道 を 略取 せ んと機 会 を待 つて居 る。
せ る言 葉 に斯 の如 き も のが あ る。
而 し て日 本 は生 来 独特 の盗 癖 を以 て之 を奪 取 せん と試 み た。而 し て
こと で も苟 も鉄 道 幹 部 の有 益 と す る所 のも のは何 事 で も敢 てし た の
増 其懐 を肥 し 、而 し て此 間 有 す る 不法 行 為 の而 かも鉄 道 に不利 なる
人 には彼 の有 名 な る強 盗 ホ ルヴ ア ツト に代 る に之 又嘗 て露 西亜 より
東 支 管 理 局 は露 西亜 白 衛 軍 の手 中 に帰す 、管 理 局長 即 ち 鉄道 総 支 配
更 に管 理 局 (支 社) の段 にな ると 其 批評 も酷 であ る。 ヨツ フ エ曰く 、
術 委 員 会 は組 織 せ ら れ、 本 社 は支 那 人及 露 西 亜 人 を以 て組織 さ れた 。
二拾 万円 乃 至 二十 五 万 円 を収賄 し た こと が明 かと な つた ので今 日愈
た か と言 ふ こと は、現 局 長 オ スト ロ モフは此 協 約 に際 し、 日本 より
自 任す る露 西亜 人 が何 故 に自 国 の利益 を犠牲 とし て 日本 の為 に謀 つ
に優 先 権 を与 ふ る やう な協 定 を 南満 鉄 道 と協 定 し た。 愛 国 者 を以 て
東 支 鉄 道 は見 す 々 々自 家 の利 益 を見 捨 てて浦 塩 を犠 牲 と し 、大 連
であ る。
逃 亡 せ る帝政 露 西亜 の領 袖 、収 賄 者 且 つ盗 坊 であ る オ スト ロ モフ技
の領 土 を占 領 し た。 加 之東 支鉄 道 営 業状 態 監 視 の名 の下 に聯 合 国 技
事 実 に於 て極 東 に蟠 踞 し 自 己 の軍 隊 を 以 て東 支 鉄道 の通 過 せる支 那
師 巴 里 より任 命さ る。
は労 農 政 権 側 に鞍 替 す る の必要 を認 めた も の の元来 東 支 鉄道 の甘 き
状態 に変 化 す る や、 此間 の消 息 を察 知 せ る鉄 道 の策 略 家 又 は重 役 等
愈 氷 解 され た訳 であ る。 而 か も極 東 の政治 状 態 が白 軍 の為 不利 なる
易 と し て懐 中 し 、収 賄 は 公 々然 と行 は る。 尚 ほ 且 つ全 沿海 州 は日 本
汁 を味 ふた彼 等 は見苦 しく も空 手 で労 農露 国 に帰 るも 不 本意 なれ ば
鉄 道 幹 部 は全 く白 系 露 人 を 以 て成 り鉄 面 皮 にも恥 ず べ き収 入を 易
占 領 軍 の擁 護 のも と に白 軍 の手 中 にあ り旁 々東 支 鉄 道 は政 治 的 目 的
は何 ふな る こと やら そ れは 読者 の判 断 に委 せ る。
ヨツ フ エの評 論 は右 の通 り であ る が露 支会 議 の結 果 東 支鉄 道 問題
働 け る間 丈 け は残 つて見 よう と し て居 る のであ る 。
東 支 鉄道 は最初 の鉄 道 支配 人 (長 官) にし て嘗 ては極 東 執 政官 と
の為 に利 用 せら る 。
自 称 し 以 て労 農露 西 亜 に対す る兵 力 干渉 者 の 一員 とな れ る ホ ル ワツ
東 支 鉄 道 監 理局 長
一九 二三 年 七月 二十 五 日第 一 一八 、 三 八 一号 ( 親展) 宛
記事 は輸 出 及輸 入運 賃 率 に関 し漫筆 等 に於 て当 鉄道 を攻 撃 せし と同
様許 す べ からざ るも のに有 之 候 故 、 茲 に特 別 区長 官 に御 交 渉 の上鉄
道 当局 に対 す る名 誉 毀 損 に対 し責 任者 を厳罰 に所 す る様 本 社 に御 頼
こと に し て住 民 の名 誉 は 出版 法 に依 て擁 護 さ る る が至当 のこと に有
何 れ の国 に於 ても 新 聞紙 が右 様 の挙 に出 る こと は許 す べ からざ る
致 す 次第 に候 。
長 に対 し悪 宣 伝 を為 す ことと相 成 侯 、殊 に ト リブ ナ 、 ザ リ ヤー及 ヴ
之候 。況 ん や 地方 側 に最 も関 係 深 き鉄 道 当事 者 は右 様 の誣 告 に対 し
最 近 当 地新 聞 の 一部 は当 管 理局 長 及 鉄 道 当局 者 就 中管 理局
東支鉄道 本社
エチ ルナ ヤ ・ザ リヤ ー紙 の如 き暴 戻極 ま る言 辞 を弄 し 、中 にも後 者
拝啓
の如 き は鉄道 当 事 者 に同 情 を 装 ひな がら敢 て此 挙 に出 る次 第 に候 。
何等 の擁 護 を 受 けざ る理由 は無 之 事 と存 候 。
対 す る意 見 と し て、東 支 幹 部 は収 賄 及 公金 費 消 を事 と す る如 き記 事
と存 候 。
之 、従 て右 様 の挙 に出 る新 聞 は当然 廃 刊 を命 ぜら れ て然 る べき も の
さん とす るも のに候 故 、決 し て之 を黙 々に附 す べき筋 合 のも のに無
思 ふ に今 回 の如 き 挙動 は鉄 道 の名 誉 を毀損 し以 て社 内 の秩 序 を紊
小職 は別 に此 等 記 事 に就 き 一々記 載 す る訳 に は無 之候 も唯 七 月 二十
を莫 斯科 イズ ウ エスチ ヤ紙第 一七 一九 号 よ り の転載 有 之 候 、右 は既
三 日発 行 ザ リ ヤ ー第 八十 六 号紙 上 に ヨツ フ エ氏 の東 支 鉄 道 主脳 者 に
に数 ケ月 前発 行 に係 る も の に候 故 、 今 日之 を転 載 す る が如 き は其 責
哈爾 賓 事 務所 よ りザ リ ヤ ー社 宛 取消 文 (訳文 )
管 理局 長 オ スト ロモ フ署 名
拝啓
任 を労 農露 国 内 に発 行 す る新 聞 に転 嫁 し て紙 上 に於 て当 管 理 局 の名 誉 を毀 損 せん とす る も の に候 。若 当 地 の新 聞 に右 様 の記 事 掲載 す る
本年 七月 廿 三 日貴 紙 第 八 六号 に ﹁ヨツ フ エのオ スト ロ モフ
如 き場 合 は其 筆 者 は 必ず 相 当 の制 裁 を受 く べき は勿 論 の こと に候 。
技 師 及東 支 幹部 に対 す る批 評 ﹂ と 題 し莫 斯 科 イズ ウ エスチ ヤ紙 転載
然 る処 弊 社 は長 春 会 議 に於 て は主 と し て東 支 鉄 道 本社 代 表 を 対手
と し て御 掲 載 の記 事 中 にオ スト ロモ フ技 師 は 日本 より収 賄 せり と有
と致 候 も の に て特 に管 理 局 長 と交 渉 せし も の に無 之 候事 は周 知 の事
次 に本 月 二十 五 日 ト リブ ナ第 五八 号紙 上 に は ﹁ 露 亜 銀 行 と オ スト
元 来 社 債問 題 の如 き何 れ の銀 行 と 社債 を取 極 める や の権 限 は当 監
な れ ば、 上 記 の如 き事 実 の有 候 ふ べき筈 無 く 其 の捏 造 た る こと は明
之 候 が右 は結 局満 鉄 が贈賄 せ り と解 せ ら る る次第 に候 。
理局 に無 之 、当 局 は ﹁イ ンタ ー ナ シ ヨナ ル ・バ ンキ ング ・コー ポ レ
白 に候 。元 来 右様 の記 事 は弊 社 の名 誉毀 損 と も相 成 候事 故 一般 の誤
ロ モフ﹂ と題 す る記事 を掲 げ当 鉄 道 が社 員 退 職 慰 労金 及 義 務貯 金 支
ー シ ヨン﹂ と社 債 に関 す る交 渉 を報告 し 、其 の後 同銀 行 の提出 せ る
払 の為 計 画 せ る社 債 に就 き牽強 附 会 の説 を唱 ひ居 候 。
り に候 。依 て当 監 理局 とし て は成 るべく 早 く 本 問題 の実 行 を計 りし
第 六 〇 五号
条 件 を移 牒致 せし に過 ぎ ざ り し こと は本 社 に於 ても篤 と御 承知 の通
七 月 二十 七 日
解 を避 く る為 本文 を貴 紙 に御 掲 載 御 取消 相 成度 此 段 得貴 意 候 也
に過 ぎず し て其 決 定 は本 社 の権 限 に有 之 候 。 要 す る にトリ ブ ナ紙 の
九
宛
大 正 十 二年 八月 廿 四 日 哈 爾賓
事 務 所 長
哈 爾賓 事 務 所 長
(ルー スキ ー ・ゴ ロス社 宛 の分 も文 意 右 に同 じ)
ザ リ ヤ新 聞 社
哈 調 第 一一三号
ゴ ンダ ツ チ のオ スト ロ モフ観 附 東 支 高 級部 員 の態 度 ゴ ンダ ツ チ がオ スト ロウ ー モフ の時局 に対 す る立 場 を 個 人的 に観
れま す か ら左 に御 参 考 に供 しま す 。
察 し て松井 少 将 に語 りた る処 は確 か に穿 つた と ころ があ ると思 考 さ
オ スト ロウ ー モ フ長 官 は従 業 員 一般 よ り左 党視 せら る る程 労 農露 国 に対 し好 感 を有 す る者 の如 き態 度 な り た るも最 近 に於 ては極 め て 強 固 にし て毫 も譲 歩 的 態度 な し。 又今 回土 地 課移 管 問 題 に関 連 す る
の不 法 要求 を撤 回 せし め ん とし つ つあ り、 要 之彼 の態 度 は彼 の境遇
彼 の支 那側 に対 す る態 度 の如 きも 大 に頑 強 にし て飽 ま でも 支那 官 憲
の然 ら し む るも のな るべ し。 彼 の長 官 と し て の契 約 期 限 も 明年 二月 に満 期 日 な り。彼 の失 職 も自 然 にし て而 も彼 は労 農 露 国 と 妥協 し能 は ざ る境遇 に在 り、 然 る に若 し支 那官 憲 が彼 の契 約 期 限 満 期前 に於 て彼 を 当地 より退 去 せし む る時 は露 亜 銀 行 は彼 を保 護 す べ き義 務 あ
ては自 然 失 職 に非 ず し て寧 ろ支 那 官憲 の為 強 制的 に退 職 せ し めら る
り 、 又 相当 の報酬 を与 へざ る べ からず 故 に オ スト ロー モ フ長 官 と し
る方 が有 利 な り 。故 に此 の際 彼 が露 支 両 国 に対 し頑 強 な る態 度 に出
又 東 支 高級 部 員 も (カ リナ運 輸 課長 ) を除 く 外 は反 過 激派 主 義 者
て仏 国 の ﹁イ ン テ レ スト ﹂ の為 に努 力 せ んと す る は当 然 の策 なり 。
予 (ゴ ンダ ツ チ) も又 支 那側 の強 制 的退 去 命令 を受 く るま では自
に し て断 じ て過 激 派 と共 鳴 す る者 に非ず 。
発 的 には 現職 を去 らず 、若 し 予 が辞 職 せん か是 れ支 那 官 憲 に対 す る
譲 歩 的 処 置 と看 做 さ る べく 、 且 又是 れが在 哈 右 党 に及 ぼす影 響 も 甚
大 な るべ し 。故 に予 は最 後 ま で現 職 に忠実 な ら ん とす 。
二
東 支 鉄 道 と 露 亜 銀 行一
大正十二年 五月三十 一日 第五五 の五 北京特報 支那側 の東 支鉄道政策と露亜銀行 の態度
極秘
五月三十 日王景春 発交通部 (王正廷、兪会弁連名)宛電報
将 来露 国 も亦 口を藉 つて抗 撃 す る こと であ ら う。 此 の危 機 に当 り迅
速 対 策 を講 ぜな け れ ば如 何 な る変 化 を来 す か計 ら れ ぬ。依 つて至 急
哈 爾 賓事 務 所 長
午 後 七時 三 十 八 分電 報
適 宜 の処置 を執 ら れ た し。
二
大 正 十 二年 六月 四日
東 支鉄 道 問 題
(庶 調情 第 一四 七 号)
在 支 仏 蘭西 公 使 が吉 田代 理公 使 に語 れ る処 によ れ ば、 最 近支 那 が
︹プ チ ヒ ュゲ ン︺
北京 露 亜 銀 行 ﹁貝 ﹂代 表 は こん な事 を言 つ て居 る。 即 ち支 那 は東
那 の横 暴 を制 す る こと 如何 と の議 あ り て、 仏 政 府 よ り公 使 の意 見 を
徴 し来 れる に付 、公 使 は プ チ ヒ ユゲ ナ ンを哈 爾 賓 に差 遣 之 が 研究 を
東 支 鉄 道 を 圧迫 す る こと益 々甚 敷 に鑑 み、 此 際 常置 委 員 を設 け、 支
為 さ しむ る に至 れり と の こと な る が、 ﹁プ﹂ が離 哈 に際 し 山 内総 領
支 鉄道 に関 し事 毎 に露 国 の権 利 を侵 害 し て居 る 。原 来 露 亜 銀行 と支
を 保護 す る と言 ふ こと に あ つた の で、支 那 側 が其 の趣 旨 に基 き弁 理
那 政府 と の間 に締 結 さ れ た、 東 支 鉄道 訂 契 約 な る も のは露 国 の国 権
す る な ら銀 行 も協 助 す る か、 然 らざ れば 政 府 に楯 衝 く 訳 に行 か ぬ か
事 に内 談 せ る処 に依 れば 、若 し此 際 東 支鉄 道 問 題 に関 係 列 国 を引 入
て過 激 派 側 と 商議 し た計 画 を嗅 ぎ 着 け 、之 に対 し て機 先 を制 し たも
る権 利 を維 持 し難 い こと を看 取 し たか 、其 れ とも 王正 廷 が哈 爾 賓 に
惟 ふ に彼 は過 激 派 側 と の妥 協 に失 敗 し た た め銀 行 が東 支 鉄 道 に有 す
の模 様 で あ る。 之 等 の こと は未 だ 彼 の口 か ら聞 いた事 がな か つた 。
不 得 要領 で確 答 を 与 へな い。 唯 軍 警 、督 弁 及 支 那 従業 員 に関 し 不 満
フ の仕 事 に干 渉 せざ る べ し と約 せ る が、 ﹁プ ﹂ は更 に 王 に対 し 支 那
れ て ﹁プ﹂ の主 張 せ る ジ エネ ラ ル マネ ージ ヤ ーと し て のオ スト ロモ
国 を 糾合 し て、 支那 の責 任 を問 ふべ しと 警 告 し た る処 、 王 は大 に折
那 側 が之 を改 め ざ る に於 ては 、仏 政 府 は ワ シ ント ン会議 参 加 関 係列
春 に面会 の上 支 那側 の態 度 が続 訂 条 件 に違 反 の点 を指摘 し、 若 し支
を制 し 、而 し て経 営 を円 滑 な ら しむ るよ り外 策 な き に付 、 最 初 王景
く 迄 一九 二〇年 北京 政 府 と の続 約 に基 き権 限外 に渉 る支 那 側 の行 為
るる に於 ては 、単 に利 益 す る は米 国 位 のも のなれ ば露 亜 銀 行 は 、飽
ら 先 づ該 契 約 から脱 退 し て責 任 を免 れ る よ り外 に道 がな い。
のとも 観 ら る る。 要 す る に此 の挙 は重 要 問題 であ つ て、若 し 彼 が契
側 重 役 に対 し ては努 め て其 体 面 を 尊 重 し、 余 り専 断 に渉 り却 て干 渉
そ こで余 は彼 に権 利 を侵 害 す と は 何事 を指 す かと質 問 し て見 た が
の責 任 が 一層 重 く な り各 国 も我 先 き に権 利 を主 張 す る であ らう し、
約 を脱 退 し 支 那 が露 国 の権 利 を侵 害 す と 言 ひ振 らし た場 合 は、 吾 国
の端 を繁 か らし め ざ る様 注 意 し 置 き た る趣 な り〇 ド ホ イ ヤ ー のオ ス と の関係 軋 轢 せ るは両 人 の性 行 の相達 もあ り 又 ﹁ド ﹂ は銀行 重 役 と 東 支 鉄道 重 役 と を兼 ね た る為 め 、問 題 に依 り取 捨 し苦 む こと尠 から ず 、旁 王 と の間 に意 志 阻 隔 せ るも のな ら ん 。 ﹁ド﹂ の 最 近 巴 里 に赴 ︹マ マ︺
く は 東支 鉄 道 の事 情 具 申 にあ る も彼 は再 び帰 任 せざ る べし 。其 の意 露 亜 銀行 哈 爾 賓 支 配 人 は現 在 埠 頭 区主 任 ブ ヤノ フ スキ ーと し 、其 力
哈爾賓支配人
四
長 春 地 方事 務 所
ブ ヤ ノ フ ス キー
第 六 八号
露亜 銀 行 の近 況 (北満 特 務 機 関報 )
大 正 十 二年 七 月十 四 日
1 、露 人 大株 主 バ ト ーリ ン副総 裁 に任命 せら る 。
株 中 よ り其 の半 分 を 過激 派 に譲 渡 せ ん と せり 。
5 、 バト ー リ ンは過 激 派 と の協 調 を 極力 主 張 し 、銀 行 の持 株 は 八千
央 部 の対過 激 派 策 に 一致 せ る も のと見 る べし 。
独 断 的政 策 を為 し 来 り た る も、 今 回 の約 束 に依 り て先 露 亜銀 行 中
来 バト ー リ ンは 露 亜銀 行 の有 力 者 に何 等 協議 す る こと な く 、全 く
4 、 バト ー リ ンは 個 人 的 対 過激 派 政 策 は行 はざ る こと を約 束す 。 従
3 、 ゴイ エルの後 任 は レ ンド ル。
2 、 バト ーリ ンの右 手 た る ブ ラデ ヤ ン スキ ーは 理事 に任 命 せ ら る。
哈爾 賓 事 務 所
話 を 綜合 す る に王 の位 置 は当 分 安全 と言 ふべ し〇 社 長 す み 。
第 四 一 一号
量 不足 の時 は ﹁プ ﹂ が北 京 より 時 々出 張 し て 助力 す る べし と〇 右 談
三
露 亜 銀 行 の新政 策
大 正 十 二年 六 月 二十 五 日
六 月 二十 一日 ザ リ ヤ紙 の報 道 に依 れば 、露 亜 銀 行 側 プ チ ロ フ、 バ
6 、 同 銀行 は正 に共 産党 化 せ んと し つ つあり 。
トリ ン及 労 農 露 西 亜側 ク ラ ツ シ ン間 に、露 亜 銀 行 及 東 支 鉄道 に関 す る協 調殆 んど 成 立 し、 日露 通 商 並 に露 支 会議 を機 と し 、 露亜 銀 行 の
提 議 せ り。 是 銀 行 の現 在 組 織 を 改 革 せん と し つ つあ る を 語 る も の
7 、 バ ト ー リ ン 一派 は ペ テ ログ ラ ード に於 て株 主 総 会 を 開催 す べく
ト
リ
フ
ン
張 せり 。而 し て彼 の主 張 は時 勢 に通 ぜ るも のと せら れ た り。
の分 子 を更 迭 せし め 、 以 て過 激 派 と 一定 の条 約 を締 結 す べ し と主
8 、 プ チ ロ フは其 の中庸 を執 り、 現在 の理 事 を変 更 せず 行 員 の 一部
なり。
バ
ロ
如何 に し て過激 派 と条 約 を 締 結す べき や、 何 人 を 理事 と し て 一
チ
ブ ラ ヂ ンスキ ー他
般 よ り歓 迎 せら る べ き や、 将 亦極 東 政 策 上複 雑 な る難 問題 を如 何
キ ン スブ ル グ
レ ンド ル ( 弟)
プ
レ ン ド ル (兄)
の通 り変 動 す る筈 であ る。
積 極 的政 策 を行 は ん とし て居 る 。而 し て右 改 革 の結 果 最 高幹 部 は左
副総裁
露 亜 銀 行総 裁
重役
中 央 本 社長
同 極東総支配人
午後 二時四〇分発電
にして解決す べき や等 の諸項 が重大問題 として注意 せられ つつあ り。 五 哈爾賓事務所
十 三日来哈 の露亜銀行支配人プチ ヒゲ ナン氏は北京対外関係あり
大正十 二年五月十二日 其 の為来哈延期 せり念
六 大正十二年六月十九日 第三八号 哈爾賓大塚情報 露 亜銀行 の異動 東支鉄 道 に労農側代表参与せる為め、支那 に於け る露亜銀行各支 店 に大異 動ある筈 で、巴里本店 は労農 政府 と協定 の下 に異動 を行 ひ、 る模 様である。
在支那露 亜銀行支店と労農露国 々銀行と の間 に行員 の入換 が行はれ
七 大正十二年 六月 二十六日 第四 一号 哈爾賓大塚情報 露亜銀行総裁 の莫斯科入 六月 二十五日労農代表公館莫 斯科電報 に依れば、露亜銀行総裁 に して、東支鉄道株主たるプチ ロフは六月 二十三日巴里 より莫斯科 に
﹁プ﹂ は 労農 露 国 に東 支 鉄道 を譲 渡 さん と せ る主 唱者 なれ ば 注 目
到着 し た。
を要 す。
三
第 六八 号
其 他 諸 件一
大 正 十 二年 四月 十 六 日
哈爾 賓 事 務所
東 支 鉄 道 内 部 の近状 (特 務機 関 報 ) ゴ ンダ ツ チ談
﹁オ﹂ に各 方面 よ り の反 対 を 自覚 し、 自己 の地 位 に対 し不 安 を感
四、 プ シ カリ ヨ フの旅 行 と ﹁オ﹂ の陰謀
じ たる た め今 回 唯 一の味 方 で あ る ﹁プ﹂ を 二 ケ月 の予 定 で米 国 及 仏
国 派 遣 し 、米 国 では有 力者 間 に東 支鉄 道 の財 政 困難 に対 し 、米 資 の
援 助 必 要 な る ことを 主帳 せし め、 仏 国 で は露 亜 銀行 に対 し ﹁オ﹂ を
後 援 す る様 宣伝 せ しめ る筈 だ と言 ふ。
最 近哈 市 露 亜 銀 行支 店 長 ド ホイ ヤ ーと ﹁オ﹂ と の関 係 は従 前 の如
五 、露 亜 銀 行 の ﹁オ﹂ 問 題 に対 す る態 度
く 親密 で な い。 東 支鉄 道 の財 政 挽 回上 労 農政 府 に接 近 せ ん とす る主
に支 那 に媚 び つ つあ る状 態 で、 ﹁オ﹂ の如 く 積極 的 親 露 態 度 は執 れ
義 丈 け は 双方 一致 す る も 、露 亜 銀 行 は支 那 に於 て何 等 余 力 な く、 常
ぬ。 支 那側 の ﹁オ﹂ 排斥 に付 て も傍 観 の姿 にあ る。
労 農 政 府 の秘 密派 遣 員 は 東 支鉄 道 労 働 者 を煽 動 し同 盟 罷 工竝 鉄 橋
一、 労 農 政 府 派道 員 等 の同 盟罷 工計 画
破壊 を企 て居 る形跡 あ り。 ウ チ コムも之 と 相 俟 つて積 極 的 罷 工運 動
六 、 鉄道 長 官 候 補 者
東 支 鉄 道長 官 代 理交 迭 内定
哈爾 賓 公 所 (七 七) (大 正 十 二年 四月 十 八 日)
二
瀾 が反 対 し居 る故 実 現 困難 と思 は る 。
﹁オ﹂ は ﹁ジ ﹂ を 次席 秘 書 に採用 せ んと し居 るは 事 実 だ が、 朱慶
七 、 ジダ ー ノ フ の ﹁オ﹂ 秘 書 問 題
バ ノ フ スキ ー及 コズ ロ フス キ ーは此 の候補 者 にな つ て居 る。
於 て露 人 長 官 を 必要 と せば自 己掌 中 の露 技 師 を推 挙 す る筈 で、 ガ ラ
王 景 春 は ﹁オ﹂ の後 継 者 と し て会 弁兪 人 鳳 を推 薦 し、 若 し 形式 に
を 為 し居 る こと も否 定 し難 く 、 又莫 斯 科 宣 伝 学校 卒 業 の支 那 人 は支 那 労 働 者間 に赤 化 運動 を行 ひ、 露 過激 派 と策 応 し て居 る形 跡 が あ る。 朱慶 瀾 は反 対 分 子 を駆 遂 し得 る点 に於 て過 激 派 の此 の挙 を寧 ろ希 望 し居 るら し い。
オ長 官 は支 那 側 の反 対 に対 し、 自 己 の失 脚 を予 想 し労 農 政 府 に立
二、 オ スト ロ モフ長 官 と労 農 政 府 と の接 近
脚 地 を獲 ん が ため 、 財 政改 善等 の理 由 の下 に之 に取 入 つ て居 る傾 が あ る。 三、 支 那側 の ﹁オ﹂ 排 斥 王 景 春 、 朱慶 瀾 等 の ﹁オ﹂ 反 対益 強 烈 と な り、 六月 下 旬 の総 会 で 愈 々徹 底 的 排 斥 を断 行 せ ん とし て居 る。 露 側幹 部 中 で も ﹁オ﹂ の味 方 は 只 プ シ カ リ ヨフと リ ヒテ ル の二 人 の み であ る。
現 に長 官代 理 を し て居 る オ フ エ ンベ ルグ は 近 く辞 任 し支 社汽 車 課 長 カリ ナ其 の後 任 に内 定 。
三
五
哈爾賓事務所
東支鉄道 沿線 に於ける労農政府は権力 の拡張
大正十二年 五月 一日 第 一二九号
哈市ド ル コム員 の談 に依れば、極東革命委員会は四月 一日附 で莫
斯科政府 から、政府 の権力を東支鉄道沿線 に拡張すべき命 を受けた
哈爾 賓 公所 (九 六)
ため、今後哈市 に県知事 に相当する行政官を置く筈 で、外交事務依
大 正 十 二年 四 月 廿 一日 東 支 鉄 道 組織 の改 造説
然 ポゴージンが担任する模様 である。
東支鉄道視察団 ウイト フ技師 一行十 一日榊丸で大連 へ出発した。
東支鉄道視察団 一行来連
大正十二年 五月十 一日 第十 二号 青島情報
七
鉄道長官等参列 せり、委細文。
引込線 の開通式を挙行 せり、王東支鉄道督弁、朱行政長官、オ東支
五月 一日松北市政局長、商農殖業 公司経理レウ氏 の主催 にて松北鎮
大正十二年 五月三日 午前七時 二四分著
六
ル ーボ ル紙 所 載莫 斯 科 通 信
長 春 地 方事 務 所
哈爾賓事務所長
東 支 鉄 道 に対 す る露 西 亜 の権 利 復 活 に関 し露 支 両 国間 に 一協 約 が 締 結 され た 。此 の露 側 の代 表 は露 亜 銀 行総 裁 プ チ ー ロ フで、 其 の骨 子 は同 社 を露 支 両 国 人 よ り成 る 一株 式 会 社 に改 造 す るも ので、 新 会
第 一六 号
社 の会 計 監 督 権 は大 株 主 と な る労 農 政 府 に帰 す る も の であ る。
四
大 正 十 二年 四月 二 十 四 日
労 農 政 府 代表 ポ コー ヂ ン の抱負 在 哈 爾賓 労 農 政 府 代表 ポ コー ヂ ンは過 日各 地 代 表 者 六十 余 名 を 召 集 し て秘密 会 を開 き 、 哈爾 賓 を外 交 中 心 た らし む る企 図 、 竝 に各 方 面 の情 報 を蒐 集 し て、知 多 革 命 委 員 会 と の連 絡 を 密 接 な ら しむ ると 共 に、 一層 共産 主 義 の宣伝 に努 力 す べき こと に付 自 己 の抱 負 を 述 べ た。
八
大 正 十 二年 五 月十 一日
第 一四 号
満 洲 里、 免 渡 河 、博 克 図 、 札 蘭屯 、安 達 、窰 門 、 一面坡 、穆 稜 、 ポ グ ラ ニチ ナ ヤ
長
一、存 置す べ き ウ チ コム (六 ケ所 ) 会
マ ル シ ヱ フ
哈爾 賓 森 情 報
シ ユリ ジ ヱン コ
爾
コ スケ エン コ
イ ミヤ レ コフ
拉
斉 々哈 爾
海
第二
哈 爾 賓第一
ウ チ コム名
〃
東 支線 労 働 者 職業 同 盟 状 況
一月 中 及 び 二 月 二十 五 日迄 二〇 〇 なり 。同 盟 は国 際 労働 同 盟 に加 入
東 支 沿線 職 業 同 盟 新加 入者 昨 年 十 一月 、 四 二五 、 十 二月 、 三 二〇 、
せ り。 同 会 よ り ソヴ エト労 働 者 中 央 協 議 会 に送 り た る電 報 左 の如 し 。
コ
マ
ル
東 支 鉄道 公 私 商 工業 従業 員 二〇 〇 〇余 人 を会 員 と す る本 同 盟 は 、
シヤボ ワ ロフ
十 八 日開 催 、 主 と し て東 支沿 線 一帯 に於 け る宣 伝事 業 に
大 正十 二年 五月 二十 三 日
十 九 日開 催 、 前 日 の費 用 増額 の件 を電 報 にて政 府 に要 願
哈爾 賓 事 務所 (二 三 一)
一〇
す る事 に議 決 し た 。
第 四日
事 を要 求 し た 。
関 す る協 議 を為 し 、宣 伝 部 長 よ り宣 伝費 用 を四 万 五 千円 に増額 す る
第三日
を 任 命派 遣 し た。
一、 東 支 沿線 の各 駅 に地 方委 員 会 を 置 き 、尚 沿 線 に政 治 指 導者 三名
子
寛
哈 爾 賓 大塚 情 報
城
横 道 河 子
︹マ マ︺
其 所 属 す る中 央 協 議会 を歓 迎 し む ソヴ エト労 働 者 同 盟 及国 際 労 働 者 同 盟 及 国 際労 働 同盟 に加 入す 。 猶 レー ニンに対 し ては 、本 会 は労 農 政 権 の確 立 の為 め犠 牲 と な る を辞 せず と電 報 せり 。
第 二 二号
同 会 幹 部 シ エ ル コブ の言 に依 れば 同 会 は 目下 三、 八 五 三留 の準 備 金 を有 す と 。
九
大 正十 二年 五 月十 九 日
哈 爾賓 に於 け る職 業 同 盟 会 議 五 月 十 六 日第 一日 目 の会 合 をな し た職 業 同盟 会 議 は 、 同 日別 に重
五 月 廿 二 日東 支 鉄 道 庁 商 業 部 で北 満 貨物 の浦 塩 エゲ リ セリド埠 頭
露 鉄 の北満 貨物 浦 塩 吸 引計 画
討 議 し た。 決 定事 項 左 の如 く で あ る。
吸引 策 に関 す る会 議 を開 いた 。会 議 の主 な る点 は浦 塩 に於 け る各 銀
要 な決 議 な く引 続 き 十 七 日第 二 日目 の会 議 を開 き ウ チ コムに関 し て
一、 廃 止 す べ き ウ チ コム ( 九 ケ所 )
行 の閉 鎖 以来 、 輸 出業 者 に対 す る短 期 金 融 の途 杜絶 せ る ため 、貨 物 は 依然 南 下 の傾 向 あ る に依 り、 烏 蘇 里鉄 道 と 協 力 し同 地 に金 融機 関
大正十二年五月三十 一日
設 置 の必要 を認 め之 が善 後 策 を講 ぜ ん とす る も の であ る。
一 一
哈爾賓大塚情報 (二七) 東支鉄道督弁所 の改造説 北京政府 と北京駐在ダ フチヤンと の協定 に拠り東支鉄道督弁所 は 近く其 の組織 を改造する筈 である。
長春地方事務所
右 の結果労農政府側 の代表者二名 を督弁所 に参与 せしむ る模様 で ある。 一二 大正十 二年五月三十 一日 第四二号 東支鉄道西部線 にペスト発 生説
一三
露鉄 二十五周年祝賀会
大正十二年 六月 一日 午後三時
奉天公所電報 (六〇 二)
東支鉄道 にて近く開業 二十五周年祝賀式を挙行し之 を記念するた
め、初代総裁許景澄 の名 を以て欧露各学校 に、李鴻 章及建設担任露
国技師長 の名を以て、哈市各学校 に奨学資金各数万元を寄附 し、又
〇〇〇元を支給する筈 。全体 の費用 を五〇万元に計上し株主総会 に
前記技師長を祝賀会 に招待す る筈 にて、本国よりの旅費として二、
哈爾賓森情報
提出 せしむ其 の半額 に削減 されたり ( 袁金鎧談)
第二 一号
一四 大正十二年 六月 一日 東支鉄道時事
二、 エゲ リシ エリド埠頭輸出貨物急減 し大連行激増し つつあり。
〇〇万布度購入 の件 を可決した。
一、東支鉄道 重役会 は鉄道用として撫順炭六〇〇万布度、蘇城炭二
三、王督弁 は露支問題調査 のため近く浦塩 に赴く筈。
支那側情報 に依れば東支鉄道西部線海拉爾 の東方牙克石駅を距 る 七支 里科索諾爾村居住露人猟師莫爾抽夫 は、五月二十三日俄 に発病
一五 大正十 二年六月五日 第二九号
哈爾賓大塚情報
同居者三名亦感染した。同 地警察署は札蘭屯 の医師 に診察 せしめ た が、肺 ペストと診断したれば即時東支鉄道管理局長 に打電 し、副医 官労斯羅福 外助手 二名急派されたが、同医師も右同様真 正肺 ペ スト と診断した。患者 は四名共死亡した。
東 支 鉄 道 労 農代 表 参 加 の折 衝 東 支 鉄道 長 官 オ スト ロモフは 六 月 四 日 ポ ゴ ー ジ ン代 表 を訪 問 し 、
哈 爾 賓 大 塚情 報
東 支鉄 道 監 査局 に参 加 す べ き労 農 代 表 の人選 其 他 に関 し協 議 し た。 王 督 弁 と も打 合 せ中 。
第 三 三号
一六
大 正 十 二年 六 月 十 日 哈爾 賓 労 農 代表 更 迭 哈爾 賓 労 農 代 表 ポ ゴ ージ ンは 二 ケ月 間 の賜 暇 を得 、 六月 二十 日 離 哈 の筈 。之 が為 ポグ ラ ニチ ナ ヤ労農 全 権 キ セ リ ヨフ、 哈爾 賓 駐 在 臨
或 る重 要 任務 に服 す る模 様 で、 日露 及露 支 会 議 にも 参 与 す る も のと
時 代表 を命 ぜ ら れ た 。﹁ポ﹂ は 再 び 帰哈 せざ る べく 、外 国 に 於 け る
観 測 さ れ る。
一七
大 正 十 二年 六月 十 四 日 (三五 ) 哈爾 賓 大 塚 情 報 ド ル コム会 議 の決 議 六 月 十 三 日 哈爾 賓 ド ル コム会 議 に於 て決 議 せ る条 項 如 左。
経 済 不如 意 に付 役員 の俸 給 を減 額 す る こと、 右 の結果 会 長 月 額
一、 財 政 問 題
一四〇 金 留 (一〇 留 減 )、秘 書 役 一二〇 金留 (五留 減 ) と な る 。 二、 教 育 問 題
東 支 鉄 道 沿 線 の主要 駅 に学 校 を開 設 し 労農 本 国 に於 け る と同 一 の学 科 を教 授 す る こと 。
ウ チ コム秘 書 役 の宣 伝 兼 務 を解 き宣 伝 事 務 は 東 支沿 線 に於 け る 三
三、宣 伝 機 関
個 処 の宣 伝 部 に専 属 せし む る こと 。
東支 沿線 に於 け るウ チ コム事 務所 は 七月 一日 よ り左 の八 ケ処 に
四 、 ウ チ コム事 務 所 減 少
海 拉爾 、博克 図 、 斉 々哈爾 、横 道 河 子、 ポグ ラ ニチ ナ ヤ、寛 城
減 少 す る こと。
子、哈爾賓
大 正十 二年 六月 十 五 日
一八
東 支 鉄 道 時事
哈市 森 情 報 (二三 )
た る輸 出 雑 穀 二〇 〇 万布 度
一、東 支 鉄 道 所 属 船舶 によ り過 去 二 ケ月 間 に於 て哈 市 に送 り出 され
此金 額 一〇 万 留 は東 支 鉄 道 の減 収 とな る。該 金 額 は 従 来鉄 道 附 属
二 、 六月 一日以 降 東 支鉄 道 の商 業 に対 す る課 税 権 は支 那 之 を回 収 し
地 帯内 に於 け る村落 建 設費 に充 当 さ れ たも ので あ る。
三 、東 支 鉄 道 は今 般 雑 穀 のバ ラ輸 送開 始 の計 画 が あ る。
一九
大 正 十 二年 六月 十 六日
第 三 七号哈
満 洲 里 に於 け る鉄 道会 議
爾 賓 大 塚情 報
六 月 二十 五 日満 洲 里 に於 て知 多 、東 支 、 烏 蘇 里 の三 鉄道 代 表 者 会
去 る 一年 前 、即 ち大 正十 一年 五 、六 月 頃 に於 け る護 路 一般 の状 況 次
一、東 支 東 線
の如 し。
知 多 極東 革 命委 員 会 交 通 部長
ト ナ
フ
オ スト ロー モ フ
ペ ロノ ウ イ チ
運 転 に関 す る協議 を為 す 筈 であ る。 出席 代 表 如 左 。
備す。
を以 て編 成 し た る特 種 部 隊 ) 八営 等 を以 て哈 市 及東 部 線 一帯 を守
長 張 煥 相 ) を 以 て主 体 とし 、 補充 営 一営 及山 林遊 撃 隊 ( 帰順馬賊
張 煥 相 哈綏 司 令 た り。 混 成第 十 九 旅 ( 現 在 の第 十 八旅 にし て旅
官 イ ー
議 を開 催 す る こと に決 定 し た。 該 会 議 に於 て浦 塩 、莫 斯 科間 の直 通
長 オ リ
運 転 課長
長
官
シ ユ シ コ フ
イ シ ユー ニン
ア ンド リ ヤ ノ フ スキ ー
他
沿線 に配置 せら れ た る奉 天 軍 は勦 匪 等 に対 し臨 時 護 路 軍 を援 助
四 、其
他 沿線 駐 屯 の黒 省 軍 隊 を以 て西部 線 一帯 を守 備 す 。
万福 麟 を 哈満 司令 とし 、 其 部下 た る現 第 十 五 旅 を主 体 と し、其
三 、東 支 西 線
の指 揮 に属 し南 部 線 一帯 を守 備 す。
張 煥 相 哈長 司 令 た り。 吉 林 省軍 隊 より独 立 団 を派 遣 し て張 煥 相
二、東 支 南 線
営 業 課長 カ
東支鉄道
車 輛 科長 ミ ハ イ ロ フ
長
カナ ワー ロフ
官
経 済 課長 知多鉄道
烏蘇里鉄道 運 転 課長
す。
以 上 の如 く 当時 の護 路 は指 揮 系統 を異 にす る各種 の軍 隊 に依 りて
行 は れ 、而 も素 質 劣 悪 な る部 隊 を混 ず るも のあり 、 又東 南線 には 哈
東支 鉄 道 は其 の延長 の大 な る に比 し護 路軍 の兵 力 少 く 、従来 其 の
は大 動揺 を来 し た るも 、時 恰 も奉直 戦 一段落 を告 げ た る時機 な りし
て海 林 四方 地 区 に拡 大 し 、主 と し て馬 賊 よ り成 る山 林遊 撃 隊 の如 き
蘆 永貴 一派 の反乱 は、 数 日な ら ず し て東 部線 方 面 の護 路 軍 を風 靡 し
が偶 々大正 十 一年 五月 下旬 ポグ ラ ニー チナ ヤに於 て突 発 せし高 士 賓 、
市 を中 心 とし て 一部 日 本軍 の駐 屯 す る あり 、情 況頗 る錯 綜 し あ りし
警 備 は吉 林 督 軍孫 烈 臣 を 総司 令 と し 、吉 黒 両省 軍 隊 、護 路 軍 、 山林
関 東 軍 参謀 部
ワ ー ル ギ チ
第 三一三 号
車輛課長
二〇
大 正 十 二年 六 月十 九 日秘
遊 撃隊 、奉 天軍 等 各 種 の部隊 を以 て之 に任 じ 、而 も 其 間統 一甚 だ不
を以 て、混 雑 中 にも 東 三各 省 の余裕 あ る軍隊 を東 部線 地方 に集 中 す
東 支 鉄道 警 備 の概 況 (哈 爾 賓報 )
完 全 にし て、護 路 の任 務遂 行 上 不 便 不利尠 か らざ るも のあり 。今 を
る を得 、勦 匪 司令張 宗 昌 の指 揮 又機 宜 に適 し、辛 ふ じ て擾 乱 を東 部 線 の 一部 に局 限す るを得 た り。然 れ ども 之 が為 北満 の警 備 に 一大脅 威 を 与 へ、 山 林遊 撃 隊 の 一部 は戦 渦 に投 じ て消 滅 せ り。茲 に於 て勦
ラ ニーチ ナ ヤ に駐 屯 し て 、馬 賊 の懐 柔 、 新 軍 の編 成 に従 事 し て混 成
匪 の為奉 天 より特 派 せら れ た る中将 張 宗 昌 は動 乱 平定 後 引 続 き ボ ク
旅 の完 成 を 一任 し 、次 で昨 年末 専 任 護路 軍 総 司令 とし て大 将 朱 慶 瀾 の就 任 を見 る に至 れ り。而 し て昨 冬 以来 露 国 方面 の情 況 不穏 を伝 へ ら る るや 、北 満 の諸 星 奉 天 に会 し て北満警 備 問題 を討 議 す る こと 数 次 に及 び た る も、財 政 其 他 の事情 に拘束 せ られ て遽 に新 軍 を編 成 し 護 路 軍 を充 実 す るを得 ず 。 僅 か に 一部 の軍 隊 を護 路 軍 総 司 令 の直 接 隷 下 に属 し 、 且若 干 の特 種 部 隊 を編 成 し得 た る に過 ぎず し て今 日 に 至 れ り。 即 ち 現在 に於 け る護 路 一帯 の状 況次 の如 し 。 一、護 路 軍 総 司令 朱慶 瀾 、参 謀長 張 煥 相 東南 線 方 面 、長綏 司令 張 煥 相 、 同 副司 令張 宗 昌
︹マ マ ︺
○ 混 成 第十 五 旅 ( 長 万 福麟 、 歩 兵 二団 を以 て基 幹 とす ) は主 力 を 以 て満洲 里 に位 置 す 。
○ 混 成 第 十 七旅 ( 長 張 明 九兵騎兵 各 一団 を以 て基幹 とす ) は海 拉 爾 以 東 を守 備 す 。 二、其 他 の部 隊
綏 司 令 の指 揮 に属 す 。
○ 南 部 線 は吉 省 混 成第 八 、二 十 六両 旅 の 一部 隊 を以 て守 備 し 、長
○ 西部 線 にあ り ては 前 記護 路 軍 の不 足 を補 ふ に沿線 に於 け る黒 省 軍隊 の 一部 を 以 てす 。
問 題 に因 し て目下 帰 南 し あ り。
○ 其 他奉 天 軍 の若 干 部 隊 を特 派 せら れあ り し も最 近 に於 け る奉 直
と す る企 図 あ り。 現 に哈市 に於 て訓 練 中 。
○ 又 別 に鉄 道 隊 を編 成 し 、所 要 に応 じ護 路軍 自 ら列 車 を運 行 せ ん
以上 鉄 道警 備 の現況 を 一年前 のも の に比較 す る時 は 、護 路 軍総 司
関 し て不 穏 な る情 報頻 発 せら る る や、 或 は従 来 護 路軍 の主体 たり し
の の外 、形 体 上大 な る進 歩 を認 めず と雖 、本 春 来 労農 露 国 の言 動 に
のと言 ふべ く 、其 の他 に於 ては 独力 列 車 運行 の用意 に着 手 した る も
令 の専 任 及 之 が直 轄部 隊 の設置 等 、稍 々統 一整 理 の緒 に就き た る も
○ 混 成第 三旅 ( 長 張 宗 昌 、歩 兵 三 団 、砲 、 工兵 独 立営 、炸 弾 隊 等
混 成第 十 八旅 を師 団 に拡 張 せん と す る の企図 あ るを伝 へら れ、 又 は
其 以東 横 道 河子 に至 る 間 を守 備 す。
○ 混成 第 十 八旅 (長 張煥 相 、 歩 兵 二団 を基 幹 とす ) を 以 て哈 市 及
より成 る) は馬橋 河 以東 を守 備 し 、主 力 を以 てポ グ ラ ニー チナ
職 工 の罷 業 に備 ふ る為 、 之 れ が取 締 を厳 にす ると 共 に支 那 人職 工を
ヤ に位 置 す 。
準 備 し 、若 は 諸 隊 を督 励 し て之 が訓練 に努 め警 備 を厳 にす る等 、 用
哈 満 司令 万福 麟 、同 副 司今 張 明 九
近 時露 人 の胡 匪操 縦 説 、国 境 方 面 に於 け る白 、 赤 両党 の抗 争 あり、
を得ず 。
意 甚 だ 周到 な るも のあ るも、 其 の実質 に於 ては特 異 の進 歩 を認 む る
○ 中 東護 路軍 補 充団 (三 営) は海 林牡 丹 江 間 を守 備 す 。
る) は穆 稜 馬 橋 河間 を守備 す。
○ 韓 支隊 (山 林遊 撃 隊 の 一種 にし て第 一支 隊 と も称 し 三 営 よ りな
西 部方 面
○ 山 林 遊撃 隊 (四営 ) は 小嶺 ヤブ ロ ニヤ間 を守 備 す 。
る所 に匪賊 の蟠居す るあるも之 が討伐意 の如くならず、 一方最近再
又季節既に馬賊 の跳梁期 に入り、殊 に東部線地方 にあり ては緑林至
事項 に干与せず)は哈市並鉄道全線 の警備を管掌す。而して哈市警
将温応星)哈爾賓 に位置 し、路警処 ( 鉄道関係事項 に限り 一般行政
なるも のあり、現在路警処長は特別区警察総管理処長之を兼 ね ( 少
鉄道 の警備 は全線を六段 に分ち各段 に正副段長を置き て支那人之
備 は之を四区に分ち停車場其他鉄道関係 の工場 、建築物、材料等を
に当り専ら鉄道及鉄道関係 の工場建築物、材料を守護し (以上内勤)
炎 せし奉直再開戦説 に因し、又は阿片栽培期 に際 し、官兵 の離隊逃
問題 を誘発 せんとす るに至り、満洲支那官憲 の各 地鉄道警備剿匪司
且列車並停車場 を監視 して旅客 の保護秩序 の維持 (以上外勤)等に
守護し正区長 に露人を、副区長 に支那人を任用す。
令 を任命して馬賊 の大討伐 を行はんとし、或は労農露国 に抗議す る
任ず。其 配置区分左 の如 し。
走し て匪賊 に転化す るも の尠 からず 、鉄道 の警備 上甚だ憂慮すべき
等焦慮 大 いに努め、現 に朱慶瀾は鉄道全線 に飭令 して、私 服探偵を
も のありしが、偶 々津浦線臨城事件勃発し、遂 に国際外交 上の重大
増加し、各 地駐屯 の部隊 には臨時選抜員 を特派して、往来 の旅客 に
管
安
五
一 一
五
公 署 公駐所 派出所 所 在 地 の数 の数
充実を謀らんとし、現 に哈市に於 て募兵中なる部隊左 の如 し。 混成第十八旅
区 域
哈 市 安 達 東稽 子 至三 姓
三
一〇
同
稜
四
四
五
轄 自
斉 々哈 爾
二
最善 の注意 を払ひ、厳密 に各列車を点検 せしむるあり、又 一面 に於
一、 哈 爾賓
自 薩爾 図
海拉 爾
六
ては各隊を戒飭して訓練 に努 め、逃走 に依 る欠員 を補充して部隊 の
二、 博 克 図
自 伊勤 克 特 至 満 洲 里
四
穆
四
達
三、 満 洲 里
横道河子
第 四十四団
站
張 家湾
至 興 安嶺
第三旅第 二十八団
奉軍混成第六旅第 四十八団
自阿什河至横道河子
同
自三
春
至五 五、 五
自 五家子 至長
石 六、 寛 城 子
二一
長春地方事務所 (五三) 大正十二年 六月十九日
站
四 、 一面 坡
同 混成第九旅 四十二団
而も今回の募兵 は従前 に比して甚だ振 はず、本 月初旬ポ クラ (第 三旅) に向 ひ百五十名、依蘭 ( 第九旅) に向ひ百名を送付し得 たる 以上所述 の如く鉄道 の警備 は専ら軍隊 に依 りある の外、別 に鉄道
のみにして、尚募兵続行中なり。 警察即ち所謂路警なるも のあり。元来北満 地方 の警察機関としては る行政機関 の 一部として、特 別区警察並鉄道警備 に専任す る路警処
支那固有 の警察庁 の外、東清租借地即ち東 支鉄道附属の地帯に於け
東支鉄道 の農事試 験所開設 オスト ロモフ長官は昨年来東支鉄道沿線 に農事試験場設置計画を
東支鉄道東部線視察者談
主 産
産 未 だ見るべきも のなし
牛、羊 、豚
大豆其他農産物
一、哈爾賓試験場
立 て既 に左記三ケ所 に開設した。
成 績
副
尚松 北鎮 に於 て市 政 局 に属 す る 土地 は其 の 三分 の二、殖 産 公 司所
スキ ー此 の工事 を請 負 ひ測 量 中 の模 様 であ る。
哈爾 賓 事 務 所
属 の土 地 は其 の三分 の 一程 売 約 済 であ る。
二三
第 三九 〇 号
知 多 、 東 支鉄 道 連 絡会 議 の内 容
大 正 十 二年 六 月 二十 日
る協 定 にて大 袈 裟 のも の でな い。但 し同 氏 は 欧亜 の旅客 が印 度洋 を
東 支 両 鉄道 連 絡 会議 は単 に満 洲 里 駅 に於 け る電 信 其 他 の取 扱 に関 す
オ スト ロモ フ の談 に依 れ ば、 近 く満 洲 里 に開 催 せら るべ き 知多 、
小麦、高梁
水田
二、 セイ河試験場 (牡丹江沿岸) 主 産
と附 言 し た。
畜産
大正 十 二年 六月 二十 六 日
二四
廻 らず 、可 成 的 西 伯利 鉄 道 に依 る様 、旅 客 の直 通 連 絡 を完 成 し たし
小麦
哈爾 賓 大塚 情 報
を得 る見込 主 産 目下準備中 に属す
爾賓 に到着 し た。 其 の要 務 は 欧州 戦 争 並革 命 乱 に際 し、東 支 鉄 道 に
極 東 革命 委 員 会 交 通部 次 官 オ シ ヱイ ンは六 月 二十 五日 知多 より哈
革命 委 員 会 対東 支 鉄 道 車輌 返 還 要求
第 四 一号
昨年初 作にて成績挙らざりしも本年は相当好結果
副 産 成 績
副 産
三、安達試験場
成 績 二二
到着 せ る客 車 を露 国 鉄 道 に返 還 せ んと す る交 渉 に在 り、 二十 六、 七
一等 客車
一九 〃
一〇輛
日 に亘 り ﹁オ ﹂長 官 と交 渉 し つ つあ るが其 の車輌 は左 の如 く であ る。
松北市政局総務主任劉応桂 の談 に依れば近く松北鎮 の東部 に引込
二等 〃
松北鎮引込線敷設 の件
哈爾賓事務所 (三八九) 大正十 二年六月二十日
線を布設し埠頭方面と既設総站 との連絡をとることとなり スキデ ル
所 に依 れば、東 支鉄路 は貨物吸収 の為 め近く奉天 に営業所を開設せ
目下滞奉中 のスピイツセンが当所嘱託ボイプ ロフ ニコフに語りし
東支鉄道 の南満貨物吸収計画
九輛
二六輛 一六輛
三等客車 〃
一二等合造客車 二三等
んとし、右所長 に元斉 々哈爾領事 ア フアナ シエフ内定 し居 り成績に
依りて営 口、大連 にも増設 の計 画ありと。
三七輛 一一七輛
〃
計
二七 哈調第六号 大 正十 二年七月六日
哈爾賓事務所
東支江岸輸送事務所開設 の件
東支鉄 にては八区入江 の口に予 ねて建 設中なりし東支鉄道船舶部
調 査 課長
四 等
二五 大正十二年六月三十日 第四三号 哈爾賓大塚情報 東支鉄道 に対す る車輛 返還問題解決 ︹マ マ ︺
東支鉄道より露 国に返還すべき車輛 に関し、極東交通部長代理 ク リオミ エイン及東 支鉄道長官オ スト ロモフと の間 に交渉中 であ つた
一二等合造客車
一等客車
三輛
五輛
四輛
四輛
し て、個 人貨物 の引受 けは当分之を拉哈蘇 々ま でと制限す。されど
なけれども、事務開始後 は引受貨物保管 の為倉庫業をも兼 ねる筈 に
の出張所竣 工したれば、近日中 に松花 江川筋 に於ける貨物 の発送及
二等客車
八輛
が左の通り返還 すること に決定 した。
二三等合造客車
き注目 に値すべし。(堀内竹 二郎)
豆 (荷主 シビリ スキー ・カ ンパニ外)三十 万布度以上に及べるが如
今 日迄拉哈蘇 々に水路輸送 ( 哈府陸揚浦塩 ﹁エ﹂埠頭輸出) せる大
を哈爾賓 に搬 入せずし て当会社 の鉄道輸送使命 と相反し、事実既に
近来屡 々噂せられたる東支船舶部 が松花 江川筋 に於 ける輪送貨物
の分をも取扱 ふべし。
調査したる処 に拠 れば同所 には目下番人 のみ にして何等の施設も
到着 の事務取扱を開始す べし。
三等客車
大正十二年 七月三日午後四時二分
四八輛
一八輛
若黒竜江水運官庁営業所 が黒竜江輸送 に付保障 を付くれば黒竜江行
四等客車 計
二六 奉天公所発電報 (六〇 三)
二八 哈爾賓事務所 (五) 大 正十 二年七月六日 札頼諾爾炭坑直営決定
大 正 十 二年 七月 十 四 日
第 六九 号
長 春 地 方事 務 所
東 支鉄 道 に関 す る王景 春 の談 片 ( 松 井 少将 報 )
近 々満 洲 里 にて露 支 間 に鉄 道 会 議 が開 催 され る も 、斯 く の如 き は
無 意 義 な り 。其 の必 要 を認 めず 。 又 嘗 て東 支 鉄 道庁 に労 農 露 国代 表
詳細なる視察 を遂げ、七月三日帰哈 の上重役会議を開 き之 が討議 を
す る に王 督 弁 の断言 は露 亜 銀 行及 東 支 鉄道 露 人 側 の態 度 の如 何 に関
オ スト ロモ フ及 び ゴ ンダ ツ チ の語 りた る所 に見 る も事 実 にし て、要
ざ る可 らず と 断 言 せ り。 然 れ共東 支 鉄 道 が この提議 に接 し たる は 、
に入 る こと な し 。斯 の如 き こと あり と せば こは露 支 会 議 解 決 後 な ら
者 二名 を参 加 せ し め んと す る露 国 の提 議 に関 し 、労 農 代 表 を鉄道 庁
為 せるが、彼 は従来 の請負制度 の経営 を廃し て爾 今土地部鉱業係 の
過般王景春 が病気保養 と称し札頼諾爾滞在中、同地 の炭坑 に就 き
直営 とする ことの有利なるを主張 せる結果、五日 の会議 に於 て愈 々
せず 、 右 提議 に対 し支 那 側 の労農 露 国 に対 す る決 意 を示 す も のと観
三一
大 正 十 二年 八月 十 六 日
哈爾 賓 事 務 所長
八 月十 六 日 当 所山 内 調査 課 長 が東 支 鉄 道長 官 オ スト ロ モ フ氏 を訪
今 後 労 農 政 権 の指 揮 に服 従勧 誘 の件
哈 爾 賓 労 農代 表 よ り東 支 重役 に対 し
哈 調第 九 一号
に堅 く提 携 し労 農露 国 に乗 ぜら れざ る こと を 切望 す る旨 を語 りた り 。
に他 国 の間 隙 に乗 ぜ ん とし つ つあ る現 状 を述 べ、 爾 来 日支 両 国 は 互
る旨 を語 り、 露 西亜 側 の誠 意 に乏 しき こと及 欧 州 に於 け る各 国 が互
も のと し、 支 邦 側 は 一般 に其 の経 過 に対 し多 大 の注意 を払 ひ つ つあ
尚 彼 は日露 会 議 に関 し其 の結果 は東 支鉄 道 にも 関 係 を及 ぼす べ き
測 す る を至 当 と す 。
之 を東支鉄道 の直営とする こと に決定した。 二九
哈爾賓調査課長
大 正十 二年 七月十 二日 午後 四時 二五分発電報 (二四) 東支鉄道支那側役員 の権限拡張 今 日確実なる筋 より得 たる所 に依れば昨日東支鉄道本社 より各 部 課長宛各部下支那人次席 の権限 に関する通告 を為 せり。之 に依 れば 総 ての文書或 は報告類 には支那人次席も部課長同様之 に署名を要 す 右通告文全訳、後 より送 る。
る こととなり 一見両頭政治 の観 を呈す。
三〇
問 し て聴 き得 た る こと を左 に御 報告 致 し ま す。
に在 北京 労 農 代 表 ダ フ チ ヤ ンの談 と し て 、私 は 不合 理 に東 支 鉄 道 の
な 条 件附 な らば 絶 対 に面 会 す る こと が出 来 ぬと 答 へま し た。 尚 私 は
な ら ば会 ふ こと が出 来 るけ れど も 彼等 の指 揮 命 令 を聞 く と 云 ふ やう
てと ても満 洲 里 迄 は行 け な い、 沿 線 ま で出 迎 へす る か 又 は哈 爾 賓 で
く な ら ば将 来 援 助 し や う と の こと でし た 。 だ から 私 は今 用 事 が多 く
いと の こと でし た 。 そ う し て私 が彼等 を承 認 し彼 等 の指 揮 命 令 を聴
東 洋 に来 る カ ラ ハン氏 が私 に満 洲 里 に出 て貰 つ て其処 で是 非 会 ひ度
ま し た か ら会 つ て見 ま し た が、 此 の度 労 農 極 東 よ り極 東 全 権 と し て
本 月十 二日 に在 哈爾 賓 の労 豊 代表 ボ ゴ ージ ン氏 が私 に面 会 を 求 め
ぎ て居 る 。私 の宣 言 は彼 等 の想 ふ如 く大 反 響 は あ り ま せ ん。私 の宣
の職 務 を実 行 す るば か り で あ る。 労農 官 憲 は私 の位 置 を大 き く見 過
政 治 の考 へは毛 頭 な い。 総 支 配 人 の権 限 に て椅 子 に坐 り、 総支 配 人
支 配 人 と し て其 の株 主総 会 に招 かれ て総 支 配 人 と な つた者 であ つて
と 再 言 し まし た。 だ か ら私 は自 分 は政 治 に は関係 せな い営 業会 社 の
宣 言 を し て貰 ひた い、 そう し た な ら ば労 農 の為 に非 常 に効 力 が あ る
た ら 、哈 爾 賓 の外 国 人 と領 事 団 、 支 那官 憲 、露 亜銀 行 に対 し て此 の
農 と 共 に働 く な ら ば誰 に向 つて其 の宣 言 をす る のです かと問 ひま し
ハン の働 を助 く ると の こと でし た 。 そ れ から 、第 三 の問 題 と し て労
い ふ宣 言 を し たな ら ば労 農 の為 に非 常 に為 にな る のみな らず 、 カ ラ
ツ フ エは北 京 時 代 に私 を捕 縛 し な く て は いかん と言 つて世 の中 を騒
言 は広 告 と世 の中 を 騒 がす 位 の こと に て効 力 は 毛頭 あ りま せ ん。 ヨ
先 方 の言 ふ こと は諒 解 に苦 しむ 処 であ つて、 第 一丁度 其 の日 の新 聞
長 官 と な り 、露 国 の利 害 関係 に全 然 反 す る行 動 をな し つ つあ ると の
がし た のみ に て却 て世間 の信 用 を 失 ひ ま し た。 此 の度 の彼 は 日本 に
記 事 があ り ま した 。 自 分 は決 し て掠奪 的 に東 支 の長官 にな つた の で
と同 様 の こと をす るな ら ば全 く 効 果 が無 いであ ら う。 若 も カ ラ ハン
は な く し て株 主 総 会 の招 き に依 つて合 法 的 にな つた も ので あ る。 而
が真 面 目 な考 を以 て来 る な らば 長 く 哈爾 賓 に居 る人 々に会 つ てよ く
に引 揚 げ ま し た。 今 度 カ ラ ハ ンが極 東全 権 とし て来 て も若 ヨツ フ エ
と 思 ふ ので あ りま す 。 ダ フチ ヤ ンの話 の如 く 掠 奪 的 に長 官 にな つ て
意 見 を聞 き 、 一般 の状 況 を 研究 す る必要 が あ りま す 。兎 に角 カ ラ ハ
於 ても単 に世 の中 を 騒 がす のみ に て何 等 の効 も 立 て る こと も出 来 ず
金 を 沢山 取 込 ん で居 ると いふ やう な こと を労 農 の人 々が考 へて居 る
ンが単 に広 告 的 に又 世 の中 を騒 がす た め に来 て、 私 を も それ に引 入
し て就任 以来 過 去 二年半 は 一生 懸 命 に働 いた から東 支 鉄 道 の成 績 は
な ら ば自 分 は会 ふ のは いや だ と言 ひま し た。 所 がポ ゴ ージ ンは吾 々
れ る積 り な ら ば私 は反 対 であ る。 若 も真 面 目 に やる積 り なら ば私 も
其 の間 上 つて居 る と信 じ ま す。 少 く と も決 し て悪 く は な つて居 ら ん
ンが 云ふ た のは政 略 上 の手 段 で あ つ て労農 の者 は私 の為 に充 分 考 へ
は決 し てそ う言 ふ こと は 考 へて居 ら な い、今 の様 な こと をダ フチ ヤ
ら よ から う と思 ふ。 私 は今 年 で 四十 三歳 にな りま す が各 国 に居 住 し
た経 験 も あ り世 の中 の事 情 は よく 知 つ て居 る。 だ から私 は極 東 にて
其 の積 り で意 見 を述 べ 、其 の他 私 以 外 の人 々 の意 見 も充 分 聞 かれ た
各 国 の相 互 の利 害 関 係 が 共 通 す る様 にし た いと言 ふ考 へに て此 処 で
て居 つて将 来 私 に対 す る批難 を除 く た め に努 力 す ると の答 へで あり
夫 れか ら第 二 の問 題 と し て何 故 自 分 は労 農 と提 携 し て居 る宣 言 が
ました。
必 要 であ る か と聞 き ま し た ら、 私 が労農 を承 認 し 其 の指 揮 に従 ふと
る利 害 関 係 が あ る かを よ く知 つて居 り ま す。 だ から 何卒 真 面 目 な 考
仕 事 を し て居 る の であ り ます 。 私 は極 東 に て労 農露 国 が如 何 に大 な
あ り ま せう 。
に会 ひ、 そ れ から 後 に北 京 へ行 く筈 です 。東 支 問 題 が主 た る題 目 で
カ ラ ハンは目 下 哈 爾賓 に居 りま す が是 れか ら奉 天 に行 つて張 作 霖
私 を東 支 鉄 道 の総 支 配 人 の位 置 から退 かし め る こと に付 二国 は同
へで、 よく 事情 を研 究 し てか ら仕 事 を され た ら よ かろ う 。若 不真 面 目 なら 会 ふ のは い やだ と答 へまし た 。 で、 ポ ゴ ージ ン氏 は夫 れ では
間 の人 に言 ひ振 ら した かも知 れ な い の であ り ます 。 私 は露 亜 銀 行 と
にも行 かな か つた。 若 も 行 つた ら私 が労農 露 国 と提 携 し て働 くと 世
斯 う 云 ふ次第 で カ ラ ハン の哈 爾 賓 到着 の際 に も私 は 停車 場 へ迎 へ
満 に浸 入 し来 れ ると 同様 の方 法 で以 て今 日 北満 に乗 込 み 来 り 、同 様
度 いと は 生涯 の希 望 であ り ます が、露 国 が二十 五年 前 に冒 険 的 に北
あ る そう です が私 は露 西 亜 人 であ るから 露 西亜 の利 益 にな る様 にし
と は 考 へら れま せん 。私 が労 農 露 国 と暗 に手 を握 つて居 ると の噂 が
一点 を見 出 す やも 知 れ ま せ ん が、 其 の他 の こと に は同 一点 を見 出 す
支 那政 府 と の条 約 に依 り 与 へら れた る明 文 を基 礎 と し て働 く のであ
の冒 険 の仕 事 をす る こと は時 代 錯 誤 に付 、 今 は単 に経 済 的 に活 動 す
仕 方 がな いと言 つて別 れ ま し た。
り ます 。 私 は戦 闘 なく し て此 の陣 地 を 捨 て る やう な こと は決 し てあ
は私 の此 の考 と同 様 の考 を 以 て やら ん とす る な らば 自 分 は彼 等 を助
ん、 そ う し て露 国 は日本 と 共同 し な く て は いけ な い。 若 も労 農 露 国
く る に吝 か なら ぬ の であ る 。要 す るに相 手 の考 へ 一つ であ る 。私 は
べ き 秋 だ と思 つて居 ま す 。 それ には東 支 鉄 道 は支 那 に還 し て は いか
り ます 。 若 も吾 々が東 支 を退 いたな ら ば後 は乱 脈 にな ると 思 ひま す 。
り ま せ ん。 吾 々に は武 力 がな いから 武 力 で のぞ まれ た な ら ば仕 方 が
だ か ら私 は此 の際 列 国 の援 助 を希 望 し て居 り ま し て、 就 中 日本 の助
東 支 鉄道 の権 利 が寸 毫 も侵 か されず に露 国 に還 さ れ東 洋 に於 て 日露
あ り ま せ ん。 そう でな い限 り は飽 く 迄 も 此処 に踏 み止 ま る覚 悟 であ
力 を 切望 し て居 り ます 。 私 がポ ゴ ージ ンと の会 見 の経 過 は直 ち に露
提 携 の実 現 せ ん こと を希 望 しま す 。
昨 年夏 長 春 に て開 かれ た る満 鉄 東支 運 賃 会議 に て貴 方 (山内 ) は
西 亜側 の幹 部 に報 告 し ま し た 。 そう し た ら露 西 亜 側 重 役 は皆 私 と同 様 の考 へであ り ま し て、 団 結 し て決 し て労農 に降 らず と決 心 し て居
い に討 議 し ま し た が其 の時 に貴 方 は御 承 知 の通 り私 は飽 く迄 も露 国
満 鉄 の代 表 の 一人 であ り 、私 も東 支 の代 表 の 一人 とし て列席 し て大
の鉄 道 の利 益 を守 る こと に努 めま し た。 併 し乍 ら大 き な 問 題 に関 し
り ます 。 共 の点 に付 て は意 見 の相 違 の影 す ら あ り ま せん 。労 農 露 国
た る 重役 を置 く こと とな つた な らば 、 私 は彼 等 新 重 役 の前 に進 ん で
て日 本 の利益 を害 せん な ど の考 へは 一つも あ り ま せ ん。極 東 に於 て
と 支那 と接 近 し 、此 の 二ケ 国 にて東 支 鉄 道 を自 由 にし 労農 の指 命 し
ポ ツケ ツ ト に手 を 入 れ何 の合 法 的 の基 礎 の下 に来 れ る やと難 詰 し て
東 支 土 地 部移 管 問 題
日 露 は飽 く迄 も提 携 し な け れば な ら ん と 云ふ こと は充 分 考 へて居 り
人 であ る から総 て の従 業 員 を 私 の命 を何 時 で も 必ず 聞 く 様 に手 の中
ます。
嘲 笑す る積 り です 。私 は合 法 的 の基 礎 の下 に在 る東 支 鉄 道 の総 支 配
に握 つてあ り ま す。
取 敢 えず 報 告 す 。
せざ る べ から ざ る を 以 て差 引 二百 八万 金 留 の欠 損 を生ず る次 第 な り。
三 六 、〇 七〇 、 二 二五 〃
二 、 二八 一、 七八 九 〃
三 三、 七 八 八 、 四三 六金 留
一九 二三 年度 東 支 鉄 道 収支 予算 案
右 に関 し オ スト ロ モフは次 の様 に語 り ま し た。
収 入 之 部
此 の問 題 は 全 く奉 天 に移 さ れ て同 地 に て目下 詮 議 され て居 りま す 。 だ から奉 天 に於 け る列 国 就中 日本 の官 憲 及 貴 社 の人 達 が支 那側 に対 し て強 硬 の態 度 を 執 ら れ ん こと を 切望 しま す 。東 支 の附 属 地 が支 那 運
入
運輸 以外 収 入
収
に掠 奪 さ れ た暁 には 満鉄 の附 属 地 回収 問 題 が起 る で あ りま せう 。 日
合
輸
本 には 武 力 が あ る から 易 々と は渡 す ま いけ れ ども法 理 上 の理 論 は 同
費
八 二 八、 〇 五 三〃
二五 、 三 九 六、 四 六 九〃
計
様 であ り ま す 。張 作 霖 は東 支 鉄 道 には合 法 の附 属 地 以 外 に不 合 理 の
社
費
四 、 八 六八 、 一 一八金 留
本
費
支 出 之 部
社
土 地 を買 収 し所 有 せ る故 之 を取 上げ よと命 令 し たま でで 、合 法 の附
支
属 地 を取 上 げ ると命 令 した 訳 で は な いと言 つ て居 る そう だ が彼 の取
学
課
つた此 の逃 途 は 実 に甘 い。 私 は張 作 霖 の此 の言 に依 り彼 が実 際 此 の
務
命 令 を発 し た の に出 先 の官 憲 が勝 手 に命 令 を作 り替 へた こと と し て
三 六 〇 、〇 〇 〇 〃
九 一、 七 九 〇 〃
寺
二四 一、 五 二四 〃
一、五 八 七 、 一八 八 〃
費 哈 爾 賓 市 及沿 線 市 街 地 警察 費
算 計
二 、 六九 七 、〇 八三 〃
三 三 、 三 七 三、 一四 二〃
予
益
別 合
考
差
引
欠
損
二、〇 八 一、 三 六〇 〃
四、 七 七九 、 一九〇 〃
特 別勘 定 に依 る支 出 ( 護 路 軍 費 、裁 判 所 費 、監 獄 維 持 費等 )
純
特
鉄 道 警 察 費
院
の であ る と信 じま す 。
其 の責 任者 とし て張煥 相 中 将 と 王督弁 を罰 す るが最 も策 の得 た る も
大正 十 二年 八 月十 八日
三二
東 支 鉄 道 土 地部 の仕事 は従 来 の如 く実 行 し て居 る 。
哈調 第 九 九 号
一九 二三 年度 東 支 鉄 道 収支 予算 案 報 告 東 支鉄 道 の 一九 二 三年 度 の収 支 予算 案 は目 下編 成 審 議 中 な る も、
一、 運 輸 以外 の収 入 中 九 八 六、 四六 八金 留 は附 帯事 業 収 入 と す。
二 、支 社 費 中 一、九 六〇 、 二 八 三金 留 は新 工事 費 とす 。
備
三 、本 社 費 中 四 、〇 〇 〇 、〇〇〇 金 留 は諸 債 務 に対 す る利 息 と恩 給
東 支 本 社経 理課 よ り 内密 に入 手 せる 予算 案 に拠 れ ば 、別 表 に示 す如
二百 七 十 万留 の純 益 な る も、 特 別 勘定 に依 る支 出 即鉄 道 守 備 、 裁 判
く 収 入 約 三千 六百 七 万金 留 、 支 出 約 三千 三百 三 十 七 万金 留 にし て約
所 、 監 獄 諸費 等 支 那 官 憲 に交 付 す 可 き金 額 四百 七 十 八 万金 留 を 控 除
の支 払 に充 当 し 二〇 〇 、 〇〇 〇 金 留 は 王督弁 公 署 費 に充当 す 。
官 憲 の重 な る者 之 を見 送 り たり 。 編注、傍︺ ラキ ー チ ンの経 歴大 要︹点 は松岡
猶 太 人 にし て当 年 三 十 五 、六 歳 な り。 一九 一七年 共 産党 に入 党 し
四 、哈 爾 賓 市 及沿 線 市 街 地警 察 費 と鉄 道書 察 費 と は全 部 支那 官 憲 へ 交 付 す るも のとす 。 故 に本年 度 の予算 に於 て支 那 官 憲 が鉄 道 守 備
エフ ス クに居 り た る こと あ り 。浦 塩 外交 部 長 た り し者 な るが 、ウ ク
てよ り 労農 監 督 省 に勤 務 し 、其 の後 ウ ク ライ ナ及 ノ ー ウオ ニ コライ
三四
関東軍参謀部 ( 大 正 十 二年 十月 二日) 東支鉄道問題
庶 調情 第 六 五 二
こと あ るを 以 て当 地 に於 ても宣 伝 方 面 に活 動 す る こと と思料 せら る
ライ ナ及 ノ ー ウ オ ニ コライ エ フス ク当時 共 産 主義 宣 伝 に奔走 し た る
及附 属 地 警 察及 裁 判 諸 費 と し て鉄 道 収 入 中 よ り受 領 す べ き金 額 は
哈 爾 賓 事務 所 長
総計 六、 七 二六 、 三七 八 金留 に し て鉄 道 収 入 の約 二割 に相 当 す 。
三三
哈 調 第 一五 九 号
哈爾 賓 労 農 代 表 の交 迭 附 新 代 表 ラキ ー チ ンの略 歴
大 正 十 二年 九 月 十 七 日
首 題 の件 に関 し左 記 御報 告 致 し ま す 。
ゴ ンダ ツ チ が奉天 よ り得 た る情 報 に依 れ ば今 回東 支 鉄道 督弁 王景
当 地 露 国代 表 パ ゴ ージ ンは今 回莫 斯 科 に引 揚 げ 命 令 を受 け 、 其 の 後 任 とし て浦 潮 外 交 部長 ラキ ー チ ン ・ブ ラウ ン客 月 二十 七 日着 哈 し
一人 に て兼 任 せし む べ く協 議 中 であ る。
春 の辞 職問題 に関 連 し 、東 支 鉄 道 督弁 と 東 三 省特 別 区行 政長 官 と を
又東 三省 各 督 軍 よ り 一名 の代 表 者 を撰 定 し 理事 と し て東 支 鉄 道 本
た が 、事 務 打 合 せ の為 カ ラ ハン の招 電 によ り翌 日奉 天 に到 り今 月 三
社 に入 れ込 ま しめ 、 而 し て従来 の土 地課 を 本 社 に移 す計 画 中 であ る
日帰 哈 し た り 。 パ ゴ ージ ンと は 四 日事 務 の引継 ぎ を為 し 、 五 日 より 執 務 す る こと と な れ り。職 業 組 合 幹 部 よ り 本年 八月 迄 の事務 成 績 を
三五
第 一七 八号
回東 支 鉄 道 土 地課 回収 問 題 勃 発 に際 し 、殆 ん ど白 党 系 な る同鉄 道 幹
哈 市 特 別 区警 察 管 理 処 内 の消息 とし て伝 へら るる 処 に拠 れ ば 、今
東支 沿線 露 人 警 察 官 の廃 止 計 画 ( 松 井 少 将報 )
大 正 十 二年 十 月 五 日
哈爾 賓 公 所長
聴 取 し、 又 当 地支 那 行 政 長 官朱 慶 瀾 大 将 を 訪 問 し て交 迭 の挨 拶 を為
代 表 交 迭 に関 し 一説 によ れ ば 、 ラ キ ー チ ン遠 か らず 再 び他 に転 任
す等 、新 代 表 振 を発 揮 し 居 れ り。
す べ く、 多 分 北 京 に行 き カ ラ ハン の部 下 た るべ く 、当 地 代表 には現
記長 ユージ ンは職 業 組 合 に居 り し が目 下 ポ ク ラ ニチ ナ ヤ露 国代 表 の
書 記長 マル テ ノ フ任 命 さ る る筈 に て近 く 発 表 あ るべし と。尚 又前 書
パ ゴ ージ ンは本 月十 日 浦 塩 に向 け出 発 、 其 の際 ラ キ ー チ ン及支 那
許 にあ り て教 育係 主 任 と な り居 れ り。
在 東 支 沿 線 に勤務 中 の露 人 警察 官 吏 ( 殆 んど 白党 系 ) を 近 く退 職す
部等 が列 国 の援助 を利 用 し 、支 那 政府 の行 政 を妨 害 せし に鑑 み 、現
当 並恩 給 支 給 額 を見 る に左 の通 り な り。
月 一日 より 一月半 に派 遣 員 八 百十 一名 を算 し 、之 等 従業 員 の解 傭手
右 警察 官 吏 は 現在 約 一、 二〇 〇 名 あ り 、朱 長 官 の帰 哈 を俟 つ て愈
る事 に決 し 、温 処長 を し て調 査 せし め つ つあ る模様 であ る。
々確定 す べし と 云 ふ 。
三六
哈 爾 賓 事 務 所 電報 (一九 ) (大 正 十 二年 十 月 十 六 日午 後 三 時 半着 )
露 鉄 経 済 調 査 局員 の語 る所 に拠 れば ミ ハイ ロ フは辞 職 し其 の後 任
て計 七 四九 千留 な り。 此 の外 に尚 東 支 恩 給係 とし ては先 き に支払 決
べ き従 業 員 の恩給 証 書額 は 、東 支 五 一〇 千留 、烏 鉄 二 三九 千留 にし
東 支 恩 給 係 が 一九 二三年 十 一月 よ り 一九 二 四年 五 月 ま で に支 払 ふ
ミ ハイ ロ フ辞 職 説
は 同 局員 ゼ フイ ー ロ フ ( 旧 オ ム ス ク政 府 五統 領 の 一入 にし て ミ ハイ
哈爾 賓 事 務 所 長
留 と せり 。
そ れ以 上 の恩 給額 に対 し ては第 一回 目 に於 ては 最 高 支払 額 を五 〇〇
て如 斯 恩 給 証書 に対 す る支払 限度 は 五〇 〇留 ま でと し、 千 五 百 又 は
留 以上 のも のは内 五〇 % を 次 回 の支 払 期 に払 出 す こと と せり 。而 し
烏 鉄 従 業員 の分 は 五十 留未 満 のも の に対 し ては 現金 払 とし 、 五十
て取 扱 へり 。
成 る委 員 会 を 設 け、 該 委 員会 は恩 給 の支 払 に対 し 左 の如 き方法 を 以
来 せ り。 さ れ ば之 が窮 状 切抜 策 と し て恩給 係 、 検 察 官並 庶 務 部 よ り
最 近 東 支 恩 給係 に ては 現金 支 払 が増 加 し 、其 の支 払 に特 に難 渋 を
べ から ず 。
定 せ る手 当 額 一、 二 四九 千留 の中 五 〇 〇 千留 を現 金 に て支 払 はざ る
ロ フ の親 友 ) な ら ん と。 ( 註 、露 鉄 経 済 局長 ﹁ミ﹂ は 今 回収 賄 問 題 等 に関 し 各 露 字新 聞 に
哈 調 第 二 七 五号
さ れ る様 にな つた ことは 既報 (調情 六九 〇) の通 り であ る)
喧 しく 論 議 せ ら れ之 が為 東 支 鉄 道幹 部 金 体 の無 節 操 を痛 烈 に攻 撃
三七
大 正 十 二年 十 二 月 一日
東 支 鉄 道 に於 け る恩 給 金 (又 は養 老 金 ) に関 す る件
東 支 鉄道 恩 給 係 は恩 給 証 書 千留 未満 の分 の支 払 ひ を為 し つ つあ る が、
本 月 二十 一日 ルツ スキ ー ・ゴ ー ロ ス紙 の報 ず る所 に拠 れば 、 目下
東 支 鉄道 烏 鉄 派 遣員 は殆 ん ど同 時 に給 与 を受 け つ つあ り。而 し て十
現 今烏 鉄 従業 員 に対 す る払 出 勘 定 法 は右 の通 な る も 、東 支 従 業員 に対 し ては尚 新 方 法 を と る ことと な る が 、此 の方 法 に対し ては 未 だ 長 官 の認 可 を得 ず にあ り 。 ( 堀内)
一
二〇
ウ ス リ ー鉄 道
労農 露国 鉄 道関 係
一大正十 二年五月十 六日 第 二〇号 哈爾賓大塚情報 烏鉄長官 の罷免 烏蘇里鉄道長官 カステル技師は極東革命委員会 の決議 に依 り其 の 職 を免 ぜられ、莫斯科交通部附 となつた。 其 の原因 は過激派に対抗的態度 を執り信用 を失 つたからである。 二 大正十二年 六月十三日 ( 庶調情第二二九号)浦潮高畑情報 烏蘇里鉄道 の運転縮少と速力増大
従 来 毎 日運 転 し て居 た浦 潮 満 洲 里 間並 浦 塩 哈府 間 の列車 運転 は六
月 一日 より 一週 三 回と な り 、 一方 速 力 を増 大 な ら し む るた めデ カボ
哈 調 第 七号
哈 爾 賓事 務 所 調 査課 長
ー ト式 機 関車 一〇 台 を 知多 に請 求 し、 近 日到 着 の筈 であ る。
三
大 正 十 二年 七 月 六 日
烏 蘇 里 、東 支連 絡 石 炭 運賃 引 下 げ の件
最 近東 支 管 理 局 よ り同 本 社 宛 提 出 せ ら れた る烏 蘇 里 、東 支 連 絡 石
炭 値 下 げ に関 し左 の如 き消 息 あ り 。
目 下烏 蘇 里 、東 支連 絡 運 賃 タリ フは 一九 二 一年 一月 一日 よ り施 行
のも の にし て該 タ リ フに拠 ると き は 、
烏 蘇 里線 各 駅発 哈 爾賓 到着 のも の に対 し ては特 定 賃 率 第 十 七号 の
A を適 用 し て、布 度 露 里 百分 の 一哥 ( 金 留 ) を徴 収 し 、 東 支各 駅 到
着 のも の に対 し て は、 特定 第十 七号 の八十 分 の 一哥 ( 金 留 ) を徴 し、
其 の運 賃 率 に多 少 一方 に のみ偏 し た る傾 あ り て、徒 ら に撫 順炭 の為
に乗 ぜら る る虞 あ りと し て 、鳥 蘇 里 炭 坑側 に もひ そ かに其 の不 当 を 鳴 ら す も のさ へあり き 。今 左 に 一九 二二年 度 に於 け る東 支 各 駅 へ到
〃
三五 三 千布 度
一〇 〇%
一 一%
一、 烏 鉄 発 送
着 せ る石 炭 の数 量 を示 さ ん に、
六三六 〃
五 七%
特 定 第 十 七号 に依 る東 部 線 各 駅着
〃
三 二%
特 定 第 十 七号 A に依 る哈 爾 賓 管 区着 一 二 八
計
一、 一一七
合
特 定第 十 七号 に依 る 西部 線 各 駅着
二、満 鉄 発 送 (撫 順炭 )
不
三 九 四千 布 度 明
東 部 各 駅着
三八四
〃
哈 爾 賓 管 区着 西 部 線 各 駅着
而 し て今 回 連 絡運 賃 タリ フ の値 下 げ 改 正 案 に拠 る とき は 、烏 蘇 里 線 中 浦 潮 、 カ ンガウ ス、 ペ ル ワ ヤ レチ カ、 セダ ンカ 、 ウ ーゴ リ ナ ヤ の各 駅 よ り東 支 各 駅 に至 る タリ フは百 分 の 一哥 (金 留 ) と し 、 ニ コ リ スク、 リボ フ ツイ の各 駅 よ り東 支 東 部 線各 駅 に至 るタ リ フを九 十 三分 の 一哥 と し 、同 じく西 部 、南 部 各 線 に至 る分 を 百 分 の 一哥 に迄
今 左 に現 行 タリ フと 改 正 タ リ フと を 比較 し て見 ん に、
引 下 げ ん とす る も の な り 。 ( 哈 爾 賓 管 区 は現 行 タリ フと同 じ)
︹下 段 の表 参 照 ︺
◎鳥 蘇 里 鉄道 カ ンガウ ス駅発 送 の場 合
右 は 本 社 に て認 可 の上 は直 に実 施 せ ら る べし 。
四
大正十二年 七月十八日 ( 庶調情第 四〇六号)浦潮高畑情報
︹エゲ ルシ ェリド ︺
鳥鉄 の輸出貨物 に対する成績
烏鉄 商 業 部 の癸 表 に依 れば鳥 鉄 が ﹁エ﹂埠 頭 を管 理 し て以 来 、即
ち昨 年 十 二月 七 日 以後 本 年 五 月 廿 五日 迄 に ﹁エ﹂ 埠頭 に到 着 し た輸
別 にす れば 左 の如 し。
出 穀 類 は 合 計 二九 、 三 八六 、 八 二〇 布度 ( 約 四七 四 千噸 ) で之 を月
一月
五 、 一三 五 、 一八 五 〃
五 、 一九 一、 三 三三 〃
四 、 二八 二 、六 五 〇 〃
一九 〃
一七 〃
一九 〃
二 、八 八 五 、九 四三布 度 二三 斤
二月
十 二月
三月
五月
四月 五 、 九 八 二 、 二四 九 〃
五 、 九 〇 九 、 四四 八 〃 一七 〃
二五 〃
該 工事 は 目下 二百 人 以 上 の人 夫 を使 役 し 、 工事 を急 ぎ居 れ ば予 定
三 、黒 竜 江 鉄 橋復 旧 工事 に就 て
の期 日即 ち明年 春 解 氷 期 迄 には完 成 の確信 が あ る。
二九 、 四 一〇 、 六 〇 七〃
二八 、 六 一〇 、 一四〇 布 度
の望 を嘱 す る に足 る。 輸 送能 力 に就 て は世 人 の要 求 以 上 に増 大 す る
烏鉄 の営 業 的 将来 及 之 に伴 ふ財 政 上 の将 来 は実 に有 望 にし て多 大
四 、沿 線 視 察 に対す る感 想 に就 て
一九 一六年
三 二 、〇〇〇 、 〇 〇 〇 〃
然 る に過 去 に於 け る同埠 頭 一ケ年 の取 扱 量 を 見 る に左 の如 し 。
一九 一七年
六
哈 爾 賓事 務 所
車 に達 し た が、朱 将 軍 の電 命 に接 し 七月 十 八 日 より 解放 され 目 下
一、 ﹁ポ﹂ 国 境 は 支 那側 の封 鎖 命令 に依 り停 滞輸 出 貨 物 一時 二百貨
ポ グ ラ ニチナ ヤ以 東 に於 け る運 輸 状 況
大 正 十 二年 七月 二十 八 日
第 四 三号
予 定 で着 々実 行 に指 を染 む る積 り で あ る。
一九 二 二年 之 を例 年 と 比較 す れば 本年 度 は僅 か に半 年 で已 に前 年 度 の 一ケ年 分 を輸 送 し た 訳 で あ る。 而 し て昨 年 十 二 月 よ り本 年 五 月迄 の間 に浦 潮 よ り東 支 各 駅 に積 出 し た貨 物 は僅 に七 〇千 布 度 に過 ぎ な い。
五
新 任 烏 鉄長 官 シウ シ コフの談 片
大正 十 二年 七 月十 九 日 ( 庶 調情 第 四〇 四号 ) 浦 潮 高 畑情 報
二、 ﹁ポ﹂ 駅 に ては輸 出 貨 物 に何等 関 税 を徴 し て居 ら ぬ。
順 調 に輸 送 され て居 る。
三 、 ﹁ポ ﹂以 東 の輪 転材 料 は目 下 殆 ん ど烏 鉄 のも の のみ で あ る。
﹁シ﹂ が沿 線視 察 の途 浦 潮 に来 り新 聞 記者 と会 見 せ し際 の談 片 左 の如 し 。
り許 可 を 得 ね ば なら ぬ 。
七、 沿 海 州 に入 ら んと す る者 は、 哈 爾 賓若 は ﹁ポ ﹂ の労 農 代表 者 よ
も順 調 に行 は れ て居 る。
六、 ﹁ポ ﹂ よ り浦 潮 方面 への電 報 は 自 由 に取 扱 は れ 、郵 便物 の交 換
要す。
五、 沿 海 州 に貨 物 を輸 送 す る場 合 は 、其 の都 度 労農 代 表者 の許 可 を
四、 ﹁ポ ﹂駅 よ り浦 潮 向地 方 貨 物 は 商 況閑 散 の為 殆 んど な い。
一、烏 鉄 庁 を 哈府 よ り浦 潮 に移 転 の問 題 に就 て 成 程 浦 潮 は 極東 商 業 の中 心 地 な る も地勢 よ りす れ ば 哈府 を以 て中 心 と す べく 、 命令 訓 令 等 の遅 延 は通 信 機 関 の不 備 に原因 す る も の で、 本 部 は鋭 意 此 が改 善 に努 力 し 居 れ ば目 下 此 の移 転 問 題 は 考 へ居 らず 。 又其 の意 志 は な い。
此 の問 題 は目下 莫 斯 科 に於 て研 究 中 にし て、 実 際 の解決 を見 る は
二 、浦 潮 莫 斯 科間 直 通 連 絡 問 題 に就 て
早 く も本 年 の秋 以後 であ ら う 。
七
﹁ 十 二年 八月 二十 日
調査課
交通係 ( 古閑)
布 設 計 画 を伝 へら る る エフゲ ニ ヱフカ 、 ハ ンカ湖 畔 間鉄 道 の位 置 ︹ 次頁︺
別紙 情 報 に依 て布 設 計 画 を 伝 ら る る頭 書 区間 の鉄 道 は左記 附 図 に 示 す如 く 布 設 さ る る も のと思 は る 。該 線 は従 来 屡 々布 設 を提 唱 さ れ た る地方 で あ つて、附 近 は波 状 草原 地 帯 で地味 極 め て肥 沃 であ る。 ハンカ湖 は魚 を 多 量 に産 し沿 岸 地 方 は農 林産 の豊 饒 地 帯 であ る か ら、 湖 上交 通 機 関 の整 備 と相俟 つ て同 線 は将 来有 望 な る鉄 道 と察 せ ら る る。
浦 潮高 畑情 報
因 に別 紙 情報 にあ る ﹁エウ ゲ ー ウ フ カ﹂ は ﹁エフゲ ニエ フカ﹂ の 誤 なら む 。
八
大正 十 二年 七 月 二 十 日 (庶 調情 第 四〇 五 号)
カ駅 より 湖 畔迄 約 二三 十露 里 の軽 便 鉄道 を敷 設 し 、烏 鉄 と連絡 を図
貨 物 輸 送 予定 数 量 は穀 物 と湖 水 の魚類 で約 百 万 布度 で、 鉄道 の敷
ら んと 計 画 し 近 日中 実 地踏 査 を行 ふ筈 であ る。
設 と共 に漸 次増 加 の見 込 であ る。
政 府 が 此 の建 設 を国 庫 の費 用 を以 てす る か官 民合 同 の株 式会 社 と
哈 爾 賓 事務 所 長
す る かは確 定 し な い が恐 ら く後 者 と す る事 と思 は る。
九
哈 調第 一八 二号
烏 鉄 長 官 シ ユシ コフ氏 来 哈 の目的 に就 て
大 正 十 二年 十 月 八 日
過 般 烏蘇 里鉄 道 長 官 シ ユシ コフ技 師来 哈 し、 本年 度 に於 け る北 満
特 産 物 の運 輸 に関 し 東 支鉄 道 幹 部 と 種 々な る協 商 を行 ひ、 且来 哈 に
際 し 当 地 の主 な る露 国側 特 産 商 を訪 問 し 、北 満貨 物 の吸 集 に奔 走 せ
る旨 仄 聞 せ る に付 、 山内 調 査課 長 が東支 側 幹 部 並 に特 産 商 側 に就 て
其 の真 相 を確 め た ると ころ を左 に報 告す 。
﹁烏 鉄長 官 過 般 来 哈 し 北満 貨 物 吸 集 を策 せり と新 聞 記 事 あ る も、
一、 東 行運 賃 問 題 に関 す る東 支 長 官 竝 に商 業 部 長 の談 。
ハ ンカ湖 附 近 は烏 蘇 里 地 方 に於 け る地味 最 も沃 饒 の地 で農 産 物 多
定 に基 き 、決 し て烏 鉄 の右 様 に関 す る提 議 に対 し 認容 す るが如 き こ
諒 解 な く ば 不可 能 事 にし て、又 東 支 と し て は今 日長 春 運 賃 会議 の協
烏 鉄 に於 て仮 り に も運賃 の割 引 を行 は ん とす る に当 り ては 、東 支 の
く 、本 年 の如 き も輸 出 業 者 争 ふ て 此 の地 方 の大 豆 買 付 を 為 し 、 エウ
と を為 し得 ず 。仮 り に支 社 に於 て許 容 す る も本 社 にて承 認 せざ る が
ハン カ湖 畔 エウ ゲ ーウ フカ 駅間 軽 便鉄 道 敷 設 計 画
ゲ ー ウ フ カ駅 に搬 出 し、 同 駅 よ り烏 蘇 里 に依 り ﹁エ﹂ 埠頭 に輸 送 し
故 に結 局秘 密 割 引 は不 可能 な り。 又 同長 官 よ り満 鉄 と東 支 と に会 議
開 催 せら る る場 合 は烏 蘇 里鉄 道 も参 加 し た し と の希 望 を申 出 た り 。
て居 る。 政 府 当 局 も最 近愈 々此 の地 方 の有 望 な るに着 目 し 、 エウ ゲ ーネ フ
或 は 又留 タ リ フ壱 円〇 六銭 は高 き に過 ぐ る故 、満 鉄 の率 壱 円〇 参 銭
先 に対 し て は予 め 右 目減 り量 丈損 失 とし て売 ら ざ る可 か ら ず と 言
足 の為 野 積 保 管等 を行 ふ の結 果 不尠 ざ る 欠斤 を生 ず る が故 に、 取 引
﹁エ﹂ 埠 頭 に於 ては完 備 せる広 大 な る、殊 に船 積 に便利 な る倉 庫 を
の割 に計 算 し居 ると言 ふ。 之 に反 し て東 行 の場 合 は 途 中 積 替 無 く
ふ 。而 し て カ バー ルキ ン商会 の目 減 見積 量 は 一布 度 に就 き〇 ・四銭
五 厘 と平 均 出 来ず や と の提 議 あ り し も皆 拒 絶 せり 。又 東 支 、烏 蘇 里
因 に留 タ リ フ日本 金 換 算 率 一 ・〇 六 円 は過 般 の関 東 地 震 の影響 に
鉄 道 連絡 運 賃 の発 駅 に於 け る徴 収 は実 行 し つ つあ り と。
依 り、 円価 の暴落 あ り た る際 も 依然 と し て此 の率 を維 持 し た り 。而 し て又留 タ リ フ発 行 の際 は取 扱 銀 行 に壱 銭 の 口銭 を支 払 ふも個 人 に
き第 三者 の荷 物 と 混同 せざ る様 に区 画 し あ れば 非 常 に好 都 合 な り と
有 し 且各 商 会 の置場 等 は荷 主 側 の便 利 を 計 り、 鉄 道 側之 を 一定 し 置
だ 当 地露 人 側 特 産 商 は東 行 の積出出 に絶 対 安 全 を期 す る こと を得 ざ る
去 り な がら 以 上 の利 害 関 係 は夫 々有 る可 き も、 実 際 に於 ては 尚未
言 ふ﹂
る の記事 散 見 す るが 、這 は鳥 鉄 が当 地 の大 会 社 を 利用 し、 小麦 を買
安 達 、長 春 の主 要 駅 に派 出 所 を設 け 、北 満 貨 物 の浦港 輸 出 を 勧誘 す
が故 に、異 口同 音何 れも 本 年 も大 連 港 積 出 し を計 画 し居 る こと を 表
最後 に烏 鉄 商業 部出出 張 所 設 定 に関 し 、当 地 新 聞 に烏 鉄 は斉 々哈 爾 、
は 口銭 を支 払 はず 。
収 せ ん為 に沿 線 に人 を派 遣 せ る こと あ り た るを 誤 報 せ る にあ らず や
り 。尚 其 の内 容 に就 て詳 細 に説 明 を徴 し た る と ころ に依 れ ば、烏 鉄
此度 烏 鉄 長 官 は東 支長 官 と 車輛 交 換 に関 し別 紙 の如 き協 定 を な せ
三 、烏 鉄 長 官 と東 支長 官 と の協定
意 し居 れ り。
要 之烏 蘇 黒 鉄 道長 官 は東 行 運 賃 問題 に就 て は何 書成 功 せず 、単 に
と﹂
後 記 貨車 交 換 に関 す る協 定 を なし た る のみな り。
と 交替 に東 支 鉄 道 は ロシ ヤ製 小型 有 蓋 貨 車 (一〇 〇 〇布 度 ) 四 百輛
﹁烏鉄 長 官 シ ユシ コフ技 師 は来 哈 に際 し露 支 側 の特 産 商 並 輸 入貿
二、 貨物 東 行 に関 す る露 人側 特 産 商 の談 。
を烏 鉄 に引 渡 し且 将来 東 行 輸 出貨 物 の繁 忙 と な り たる場 合 は ロシ ヤ
一〇 〇桶 の四軸 附 大型 ア メ リ カ貨 車 (二四 〇〇 布 度 ) を引 継 し 、右
せ る が、其 の実 否 に就 き カ バ ー ル キ ン、 シべ ー リ スキ ー、 ワ ツサ ー
製 小型 有蓋 貨 車 二〇 〇輛 を烏 鉄 に引 渡 す こと を協 約 し た り と言 ふ。
は東 支 へ四〇 〇輛 の二軸 附 小 型 ア メリ カ式貨 車 (一二 〇 〇布 度 ) 及
ルド 、 ソ スキ ン商会 等 の店 主 に面 会 し其 の真 相 を伺 ひ た る に、金 然
易 商 と屡 々会 見 し 、 北満 貨 物 の吸 集 に奔 馳 せ る等 の記 事 新 聞 に散 見
り。
右 様 の如 き事 実 な く 、只 之 等 は 一種 の宣 伝 に過 ぎ ざ る も のと 判 明 せ
烏 鉄 よ り東 支 へ
前 述 の両 鉄 道 間 の車輛 引 継 車数 の内 容 を 左 に略 記 せ ば
汽鑵 車 は全 然 烏 鉄 に引 渡 す こと無 き由 な り 。
尚 因 に前 記 各 商会 に就 き東 行 南 行 の輸 出 積 出 し に於 け る各着 港保 管 其 他 に関 す る設備 上 の主 な る利害 関 係 に就 て洩 れ聞 く に、南 行 大 連 経 由 の場 合 は 先 づ長 審 駅 の積 替 があ り、 大 連 埠頭 に於 ては倉 庫 不
東 支 より烏 鉄 へ
豊 富 な る北 満 の天然 物 は爾 来 満 鉄 、 東 支鉄 、烏 鉄 の三鉄 道 が輸送
し て居 る のであ るが 、此 の三 路 は鼎 立 の状態 に在 り て両 々相 下 らず 、
満 鉄 の経 営 宜 しき が為 近年 北 満 貨物 の大 半 は 吸 収 せ ら れ て居 る。 是
地 勢 上 か ら言 へば 無論 東 行 が優 勢 の地位 を 占 め て居 る けれ ど も、 只
れ が為 烏 鉄 局 長 シ シ コフ氏 は前 月来 来 哈 し て、 東行 貨物 の運賃 軽 減
年 来利 害 衝 突 の為 南行 、東 行 の競 争 は逐 日 猛 烈 の度 を加 へて居 る。
為 め な り と言 ふ。 又 ア メリ カ式 貨 車 を 烏鉄 よ り提 供 を受 け ん と せ る
以 上烏 鉄 よ り車 数 に於 て よ り多 く 提供 す る を承 諾 せ る 理由 は、使
理 由 は 、 東 部線 に介 在 せ る三個 の山 の難 所 を 通過 す る に好都 合 なら
極 力 奔走 し た結 果 、 大 部貨 物 東 行 の機 運 を作 つた 一方 、東 支 共新 協
載 貨 の保 証、 手 続 の簡略 、荷 役 の取締 等 の好 餌 を 以 て露 支 商 人間 に
ひ 古 し の来 修 繕 貨車 を引 継 ぐ に反 し 、東 支 は完 全 な る賃 車 を引 渡 す
しむ る為 に、前 記 エー ヤ ーブ レー キ付 ア メリ カ式 貨 車 を 利 用 せ んと
約 を訂 結 し て利 益 の均衡 を図 る こと と し た為 、満 鉄 は非 常 な 恐慌 を
す る に あ りと 言 ふ。 右 ア メリ カ製 小 型 貨 車 は 一二〇 〇 布度 な る が故 に此 の三輛 分 ︱ 三
聯 絡会 議 で規 定 し た 六哥 の割 戻 制 を取 消 し て満鉄 の負 担 で軽 減 せ ん
動 費 を遣 つて東 行 南行 の運 賃 を 相等 し て烏 鉄 と の競 争 を企 て、 一方
と し て居 る。 是 れは東 支 の命 脈 に関 す る重 大問 題 な ので当 局 は若 し
感 じ 先般 藤 根 鉄 道 部長 は旅 行 の仮 名 で来 哈 し 、東 支 に対 し多 額 の運
布 度 は東 支 ア メリ カ式 小型 貨 車 三車 、 一二 〇〇 布 度 の三倍 三六 〇 〇
こ の要 求 を容 る れば 、自 己 の利 益 を手 を拱 て人 に譲 る も の であ ると
六 〇 〇 布度 は 、南 満 東 支聯 絡 積 替 の場 合 は南 満 車 二輛 に該当 す るも
布 度 と な る が故 に、 是 に依 り東 支 は 一車 に就 て 二〇 布度 多 く徴 収 す
な し 、 此 の要 求 を拒絶 し た と言 ふ。是 れ に よ つて見 る も満 鉄 の南 行
のな る が 、満 鉄 の 一車 は 一八 三〇 布 度 にて是 が 二車 分即 ち 三六 六 〇
る こと と し て不 足 の六 〇布 度 分 支 払 ひ に充 て 、以 て大連 行聯 絡 貨 物
競 争 が如 何 に猛 烈 であ る か が解 る。
一 一
大 正十 二年十月二十 二日 哈調第 一九八号
哈爾賓事務所長
定 を 見 ず帰 任 せり と 報 じ あ り。 ( 情 報 係 山 崎 ))
依 れば 、烏 鉄 長 官 は東 支鉄 道 と車 輛 交 換 の契 約 を な せ る外何 等 協
長 が該 問題 に関 し 東 支鉄 道 幹 部 並 に特 産 物 商 に就 き確 め た る処 に
( 註 、 十 月 八日 哈爾 賓 事 務 所 情報 ( 第 一二八 号) に は山 内 調査 課
を積載 の場 合 は空 積 を 全然 な か らし め 、非 常 な る利 益 を得 る結 果 と
哈爾賓事務所長
な る が故 に特 に撰 びた る も のと言 ふ。
一〇 大正十 二年十月二十 日 第 二〇 一号
北満運輸 に対す る満鉄、東支、烏鉄 の競争 哈爾賓東三省 商報 は十月 二十日 ﹁鉄道競争 の北満運輸﹂と題 し大 対策 に深甚な る注意 を払 つて居る 一証と見 る事が出来 やう。
要 左 の如き記事を掲 げて居 るが、之 は哈爾賓市民が満鉄 の北満特産
烏 蘇 里 鉄道 タ リ フ留 事 情 首 題 の件 に関 し在 哈烏 鉄 商 業 部 出張 所 長 の打 明 話 を 左 に報 告 し ま す。 烏 蘇 里鉄 道 は百 六 円 のタ リ フ留 を在 哈露 国 特 産 巨 商 に対 し て のみ 百 円 に て売 り捌 く 。 ダ リバ ン ク の株 主 た る露 国特 産 業 者 は タリ フ留 を 買 ふた め に は、 烏 鉄 の扶 助 料証 書 を以 てす る 。 然 る に扶 助料 証 書 の市 価 は 現 時 千円 に対 し 四 百 八十 円 であ る。 扶 助料 証 書 を買 集 め て居 る仲 買 人 フア イ ニツキ ー は特 産商 か ら 二 分 の口銭 を取 つて居 る。
烏 鉄 対 満鉄 関 係 に関 す る件
当 所 山 内 調 炎 課長 が本 日烏 鉄 長 官 シウ シ コフ氏 に面会 し て聞 き得
追 て同 氏 は烏 鉄 予算 を携 え て モ ス コー に行 く途 中 当市 に立 寄 つた
た る処 を左 に報 告致 しま す 。
の です が 、都 合 に依 り 一旦 ハバ ロ フス ク に引返 し更 に黒 竜 江線 によ り モ ス コー に向 ふ筈 であ りま す 。
﹁南 満鉄 道 と烏 蘇 爪 鉄道 と は其 北 満 に対 す る根 本 使 命 に於 て既 に
烏 鉄 長官 シ ユシ コフ氏 談 。
非 常 な 差 が あ る と思 ふ。即 ち私 の考 へを以 てす れ ば満 鉄 は北満 の穀
類 を 日本 内 地 に輸 送 し て、 日本 の食 糧問 題 を緩 和 し 且 日本 の北満 に
ダ リ バ ンクは 此 の仕 事 のため 一割 五分 の手 数 料 を特 産 商 から 取 り 、 対 す る殖 民 政 策 を実 施 す る の重任 を有 す る が、 烏 蘇 里鉄 道 は 単 に輸
る に過 ぎ ぬ。 従 つて若 し 北満 の貨 物 が両鉄 道 の 一方 に の み輸 送 さ れ
た と し たら 、 烏鉄 は単 に財 政 上 に不 利 を来 す と い ふ のみ であ るが 、
送 貨 物 を北 満 に得 て 、其 の財 政 情 態 を少 し なり と も良 く し よ う とす
満 鉄 は全 く反 対 で有形 無 形 の重 大 な る損 失 を蒙 る の であ る。 即 ち 国
に対 し て 一分 の 口銭 を与 へる の であ る 。 右 の如 く に し て烏 鉄 のタ リ フ留 は百 円 よ り も更 に三割 四分 程 廉 く
又 特 産商 は其 の手 続 を成 る べく 早 く し て貰 ふ ため に、 ダ リバ ンク員
な る の であ る。 然 し烏鉄 は決 し て損 を し て居 ら ぬ。 夫 れ は烏 鉄 旧時
内 の食 糧 問 題 を 調 節 し得 ざ る のみ ならず 植 民政 策 に最 大影 響 を受 け、
︹マ マ︺
代 の扶 助 料其 基 金 が東 支 に 在 つて 、之 は米 支銀 行出 に保 管︻ さ れ てあ るか
日本 政府 が満 鉄 に課 す る政 策 の変 更 とも な ら な け れば な ら ぬ。
哈爾 賓 事 務所 長
一方 が全 く 北満 の貨 物 を 失 ふ と言 ふ こと は決 し て起 る べ き筈 がなく
然 し之 れは極 端 な例 を 取 つた の で私 の考 へを 以 てす れば 両鉄 道 の
与 え るも の で無 いと いふ こと を信 じ て居 る。
満 に対 す る両 鉄 道 競 争 に敗 れた 時 に於 て も之 れ が自 鉄 道 に政 命 傷 を
乍 然烏 鉄 が ソヴ エト政 府 の有 で、即 ち 国 有 であ る以 上 は た と へ北
し 得 べ き も ので無 い こと は万 々承知 し て居 る。
烏 蘇 里鉄 道 は其 の財z 政a 、設 備 其 他 万端 の点 に於 て到底 満鉄 に対 抗
ら烏 鉄 は 東 支 への支 払 を 此 の扶 助 料 証 書 でし て居 る。而 し て東 支 は 無論 割 引 な し に此 の証 書 を受 け取 る。 斯 く てダ リ バ ンクは 利 益 を見 、特 産 巨 商 は廉 い烏 鉄 タリ フ留 を 得
哈 調第 三 二〇 号
ら れ る から 、貨 物 も自 然 東行 す る と言 ふ こと に な る の であ る。
一二
大 正 十 二年 十 二月 二十 一日
或 る 一部 は 必ず 東 に、 他 の 一品 は 必ず 南 に流 れ る の で只 競 争 に依 つ て東 行 若 く は南 行 す る 一部 分 が あ る のみ であ る。 而 し て此 の 一部 に 対 す る競 争 は遂 に両 鉄 道 の収 入 を減 ず る のみ な らず 、 第 三者 を し て
其 処 で両 鉄道 の妥 協 問 題 に な る が、 両 鉄 道 が満 足 す る条件 の下 に
利 益 さ せ る こと が少 く な い。
成 立 さ せ る こと が決 し て不 可能 の こと では な いと思 ふ。 而 し て無 条 件 と言 ふ に至 つて は今 別 に具体 的 案 もな いが 、鳥 蘇 里鉄 道 の状 況 と 立 場 が前 記 の如 く で あ る から自 分 の方 では 左 程 六敷 し いも の ではな い。
二
其
他 諸 件一
第 九 四号 黒竜 江支 流 水 運 調 査
大 正 十 二年 四 月 二十 一日
哈爾 賓 公所
黒 竜 江支 流 で未 だ余 り利 用 さ れ て居 ら ぬ可 航 水路 は左 の如 く で あ
で は運 賃 を荷 主 の希 望 通 り に秘 密 に割 引 し て居 る と か、 或 は国 際 運
な る だら う 。 尚 自 分 は当 地 に来 て未 だ 三 四日 にし か な ら ぬ が、満 鉄
ミ
河
一、 ア ムク ン河
一、 ウ スリ ー河
一、 ア ルグ ン河
一、 オ ノ ン 河
一、 シ ル カ 河
一二 九 〃
三七〇 〃
四八 二 〃
九〇 四 〃
六 五〇 〃
一五 二露 里
る。 但 し 吃 水 二呎 とす 。
送 会 社 が船 賃 を 安 くす る とか言 ふ ことを 耳 にし た 。当 市 鳥 鉄営 業 所
一、 ト
只 満 鉄 の方 の事 情 は之 に反 し て総 て が官 僚 式 に面 倒 に出 来 てい る
にも殆 ん ど毎 日 の様 に商 人 が申 出 で 、烏 鉄 の運賃 割 引 を慫 慂 し て居
河
か ら 、自 分 の考 へで は此 の妥協 が成 立 す る事 が あ つて も来年 春期 に
る有 様 で あ る﹂ 云 々 ( 堀江)
ン
三七 〇 〃
六五〃
一、 デ
一、 ウ ルカ ン河
河
三 、 三七 七 〃
一八 五 〃
七五〃
七五〃
一三〇 〃
ル
河
一、 ク
一、 ウ ル ミ 河
ラ
一、 ツ ング ー ズ カ河
計
一、 ビ
二 哈爾賓事務所
本 年 中 に約 五十 の主 要 な る鉄 道 橋 の修 理 を 完 成 す べく 予 定 し あり 。
哈 府 鉄 道 橋 の修 築 は本 年 九 月 一日 ま でに完 了 の予 定 にし て経 費予
右 橋 梁 の中 には哈 府 鉄 橋 、ビ ラ、ア ル ハラ、ト ミ間 の鉄 道 橋 等 包含 す 。
而 し て爆 破 せら れ た る桁 材 の新 造 は露 国内 工場 に ては 不可 能 な る
算 八十 万金 留 な り 。
て加 工 せ る木 製 桁 材 を用 ひ んと す る も の の如 く 、斯 く し て本 冬 期 に
を 以 て 、 河岸 上 にあ る も のを 破 損 の個 所 に移 し 、河 岸 上 には鉄 材 に
労農露西亜 の運 輸状態
大正十二年五月 二十 六日 第二六四号 現労農露西亜鉄道 ほ輪転材料及燃料 の不足 (ド ンバ ス炭坑 の採炭
て用 を為 さざ る に至 る べ し と言 ふ 。
ざ るを 以 て甚 だ憂 ふべ き状 態 に在 り 、此 儘 に て進 ま ん か全 部 破壊 し
二、 汽鑵 車 、 客 貨 車 は殆 んど 修 理 せ ら れず 、 又修 築 の意 志 を も有 せ
せ ら る る か、 減 少 せ ら る る か又 は不 規 則 に実 施 せら るべ し 。
築 せら る べし 。 従 て右 改 築 諸 作 業 の実 施 中 は鉄 道 の運 行 は 一時 中 止
鉄 道 を数 区 に区 分 し て枕 木 の交 換 を企 図 し あ り 、又 諸 ト ンネ ルも修
は可 能 な るべ し と。 以 上 不 良 部分 の修 理 及鉄 道 橋 改 築 の外 、全 黒竜
等 諸鉄 道 橋 の為 には、 建 設 当時 基 礎 工事 を為 し あ るを 以 て木 橋架 設
壊 す べく 、是 等 は完 全 な る木 橋 に換 え ん とす 。技 師 の言 に依 れ ば此
道 橋 は、 現在 枕 木 を 流 用 せ る簡 単 な る板 橋 な るを 以 て解 氷 と共 に破
於 け る鉄道 橋 の使 用 を 予 期 し あ り。 ビ ラ、 ア ル ハラ、 ト ミ其他 の鉄
能力減退)、政府 の鉄道 に対す る経費削減 並に国内産業 の不 振等 の ため衰微 の極 に達 して居 る。 依 つて政府は鉄道 を其 の重要 の程度 に依 つて三種 に分ち、主要な る鉄道 のみに力を注 いで居 る。 現在黒竜江航行 の船舶積載能力総計 八〇〇万布度 にて、既に貨物
哈爾賓事務所
輸送 タリ フも定められ最 近浦塩航路 をも開く筈 である。 三 大正十 二年五月九日 第 一六六号
( 密偵 をして鉄道技師 より聞かしめたるも の)
黒竜州鉄道 の情況
而 かも 黒竜 鉄 道 を 後 貝加 爾 及 鳥 蘇 里鉄 道 に併 合 し た る目 的 の 一は 、
三 、黒 竜 州 に於 け る鉄 道 従 業員 は ソヴ エー ト政 府 の厳 重 な る規律 に
同 鉄 道 の輪 転 材 料 を 沿 海州 、後 貝 加爾 方面 に流 用 す る に有 りし と言
一、前黒竜州鉄道 ( 現在黒竜州鉄道 は後貝加爾 及鳥蘇里鉄道に分割
慣 熟 せず 、 屡 々八時 間 以 上 の労働 を課 せ ら れ たり と て不 平 を起 し 、
併合せられ独立 の鉄道局を有せず) は現時解氷後 に於ける鉄道修理 枕木、薪材其他多数 の材料を全鉄道沿線 に卸下中な り。本準備 は
ふ を以 て見 れ ば 、 一般 極 東 に於 け る輪 転材 料 の欠 乏 を察 知 し 得 べし 。
資金欠乏 の為 一時殆んど中絶 の姿 なりし が、最 近中央方面より の援
又 収賄 盛 にし て鉄道 の荷 物 を託 送 せ んと す る も のは贈賄 す る にあ ら
の為大規模 なる準備作業 に従事す。
助 を受け再興 せら るるに至 れり。
ず んば 目 的 を達 せず 。 称 し て 曰く ﹁ 塗 油 料 二十 乃至 四十 留 ﹂ と 。是 れ がた め 近 く従 業 員 陶 汰 及欧 露 と の入替 行 は るべ き模 様 な り 。
極 東露 領 に於 け る鉄道 運 輸 状 況 (特務 機 関 報 )
最 近知 多 に開 催 し た る鉄 道会 議 に於 け る極 東 交 通 部長 ニ コリ スキ
は面 目 を 一新 す べし 。 但 し本 夏 季 に於 ては 一時 悲 惨 な る状 態 に陥 る
事 大 に進 捗 し 、知 多 機 関 庫 及組 立 工場 に於 て之 が修 理 を行 ひ 、完 成
今 春 鉄 道 従業 員 及 労 働 者 の賃 金 を増 額 し た結 果 、機 関 車 の修 理 工
ー技 師 の報 道 と し て哈 市 左 党側 よ り得 た る情 報 如 左 。
べく 、 現 に若 干 の橋 梁 は汽 鑵車 の運 行 に堪 えず 客 車 は著 しく 動 揺 を
四、 右改 善 の諸 事 業 実 行 せ ら る れば本 冬 期 に於 け る 黒竜 鉄 道 の運 行
感ず。
エ フス ク及 オ ム スク の機 関庫 に て修 理 中 であ る。
革 命 闘 争 当時 破 損 し た機 関車 及 車 輛 は 浦塩 、知 多 、 ノ ウ ニ コラ イ
の後 続 々各 地 に送 つて居 る。
四
現 在 極 東 交通 部 管 内 に於 け る機 関 車 の数 は確 定 せ ぬ が、各 鉄 道 の
〃
車輛
三〇〇
一六〇
四〇〇
〃
〃
機関車
一〇乃 至 八
四乃 至 五
一〇
運 輸 能 力 を 挙 ぐ れ ば次 の如 く で あ る。 知 多 鉄 道
〃
哈 爾 賓 事 務所
旧 黒 竜鉄 道
第 二 四七 号
一
鳥 蘇 里鉄 道
大 正 十 二 年 五 月 二十 五 日
二
極 東露 領 に於 け る鉄 道 情 況 (哈爾 賓 特 務 機 関報 )
三
木
次 に極 東 交 通 部 管 内 に於 け る車 輛 は 七 、〇〇〇 で あ つて、其 内 大
一、枕
知 多 旧 黒竜 及 鳥 蘇 里 の枕 木 の不 完 全 な る も の極 め て多 く 、極東 交
路
アルホリフス
知多 鉄道
〃
車輛
五九九、四
二〇〇、四
るが為 である。 六
機関車
五乃至六
烏蘇里鉄道 の運転車輛 の多数 なのは、浦塩 より の輸送貨物多数な
烏蘇里鉄道
︹マ マ︺
て居 る車輛 は極 め て少 数 で次 に示 す 如 し 。
以 上 は 必要 の場 合 の運 転 能 力 で、 目 下 は輸 送 貨物 不 足 の為 運 転 し
修 理 を要 す る も の二、五〇〇 、 小修 理 を要 す るも の 一、〇〇〇で あ る。
通 部 は 本年 中 に約 百 十 万本 を取 換 え る計 画 であ る。 二 、線
線 路 は 比較 的 完 全 で哈 府 と尼 市 間 を除 く 外 は急 速 修 理 を要 せな い。 橋
オ ノ ン鉄 橋
哈爾賓事務所
ウ ラ リ ー鉄 橋
大 修 理 を要 す るも の多 く到 底 本 年 中 に完 了 の見 込 が な い。 其 の主
三 、鉄
キ ー鉄 橋
な るも の左 の如 し 。 ア ムー ル鉄 橋
五 大正十二年 五月三十日 第 二七七 (一)号
大 正 十 二年 五月 三十 日
第 二七 七 (二) 号
哈 爾賓 事 務 所
極 東 露 領 に於 け る鉄 道 用 燃 料 (哈爾 賓 特 務 機 関 報) 極東 交 通部 管 区 鉄 道 線 路 の延 長 は 四 、 一三 三露 里 で、其 六 一% は 石 炭 を 他 の三九 % は薪 を燃 料 とし て居 る。 知 多 鉄 道 は 一ケ月 五、 一 七 五 、 八〇 八布 度 の石炭 を要 し、烏 蘇 里鉄 道 は五 、 八 〇 四 、 一七 〇 布 度 を 要 す る。 而 し て五 月 一日現 在 知 、烏 両 鉄 道 の貯 炭 は 一ケ月 半 分 の数 量 に過 ぎ ぬ。 目 下 ハラノ ー ル炭 坑 が採 炭 を中 止 さ せ る為 、最 近 石炭 採 掘 量 減 少 し て居 る が、 チ エル ノ フ スキ ー炭坑 に於 て近 来 設 備 を完 全 し、 ハラ ノ ー ル炭 坑 よ り多 数 の工 夫 を移 集 し居 る故 、 六 月初 旬 よ り採 炭量 も 大 に増 加 す る見 込 であ る。
七
大 正十 二年 五 月 三 十 日 (庶 調 情 第 一三 四号 ) 哈爾 賓 事 務 所 一、知 多 鉄 道 の椿 事 (五 月 二十 六 日知 多 新 聞 掲 載) 浦 塩 発 黒 竜 州 経 由知 多 行 三 号 郵便 列 車 が廿 四 日午 前 十 一時 クイ ン カ河鉄 橋 通 過 の際 、線 路 故 障 の為 め脱 線 河 中 に落 下 し 、乗 客 中即 死 者 二 八名 、 重 傷 者 四 〇 名 、軽 傷 者 六〇 名 は 発 見 せ ら れ他 は行 方 不 明 で あ る。 原 因 は赤 白 両党 の闘 争 によ り破 壊 せら れ た鉄 橋 が充 分 修 繕 を施 さ れ て居 な か つた為 めら し い。
ゼイ ヤ河 、 セ レ ンガ河 氾濫 し 、 ス ワボ ド ニ ンス、 ゼイ ス地方 は大
二 、黒 竜 州 の大 水 害
洪 水 と な り損 害 多 大 の見 込 。
三 、極 東 内 時 間 制 定 ( 廿 六 日知 多 発表 )
モ ス コー に対 す る時 差
極 東革 命 委 員 会 は露 領 に於 け る時 間 を左 の通 り制 定 し た。
知多 四時 三 十 三分 、哈 府 (ハバ ロフ ス ク) 五時 五 十 八分 、 浦 塩
長 春 地 方事 務 所
五 時 四十 六分 、 哈市 五時 二十 六 分
八
第四五号 ア ム ー ル鉄 橋 修 理 着 手
大 正 十 二年 六 月 十 三 日
ア ムー ル鉄橋 修 理 工事 は六 月 一日 よ り向十 一ケ月 間 を 以 て完 了 す
る 予定 で既 に着 工 し た。 極 東 交 通 部 の予 算 に拠 れば 其 の修 繕 費 金貨
第 三 六 九号
哈爾 賓 事 務所
五 十 三 万六 千留 で あ つて、 極 東 交 通部 は毎 月 五 万留 を供 給 す る筈 で ある。
九
大 正十 二年 六 月十 六 日
労農 政府 の西 伯 利 鉄 道破 壊 計 画 六月 十 六 日 ソウ エト 紙 報 道
西 伯利 革 命委 員 会 は イ ルク ー ツ ク、 オ ムス ク間複 線 中 の 一部 を取
外 し 、露 本 国鉄 道 の用 に供 す べく 軌 道移 送 命 令 を 発 し た。 為 之既 に
西 伯 利鉄 道 の破 壌 工事 は 開 始 せ ら れ、逐 次移 送 され つ つあ る ( 真偽
取調中)
一〇
大 正 十 二年 七月 二 十 三 日
第 三 八号
ニ コラ エフ スカ ヤ鉄 道 の改 称
哈爾 賓 事 務 所
﹁ニ﹂鉄 道 (ペ ト ログ ラ ード︱ 莫 斯 科 間 ) は今 回 オ ク チヤブ リ ー ス カ ヤ鉄 道 と改 称 さ れ た。
関 東 軍 参謀 部
右は ﹁ 十 月鉄 道 ﹂ の意 味 で 一九 一七年 十 月革 命 の際 活動 し た こと を 記念 す る為 であ る 。
一 一
第 三 七 五 (一) 号
労農 露 国 の交 通 一般 状 況
大 正 十 二年 七月 二十 七 日
今 次 の全 露 中 央 執 行委 員 会 に於 て交 通 省 の提 出 せ んと す る交 通 現
交 通 業務 の指 導 は 今 や中 央 部 よ り漸 次 地 方 当 局 の指 導 に転移 し 、
在 状 況 報告 を見 る に左 の如 し 。
各 地 鉄道 の地方 機 関 と し て は其 の地鉄 道 に於 て組 織 さ れ た る庁 とす 。 又 海 運 及 江 河水 運 も 其 の地方 に於 て各 統 治 の機関 を組 織 しあ り 、現 時 国 営 海洋 汽 船 組 合 は 巴羅 的 、 白 海 、黒 海 、 アゾ フ海 及 裏 海 の四汽
江 河 航 運 はヴ オ ル ガ、 セ エ エ ロ ・ザ ー パ ド ノ エ、 セ エ エル ノ エ、
船組合あり。
ド ン ・クバ ン ス コ エ、 ド ネ ープ ル ス コエ、西 西 伯 利 及黒 竜 江 の七 国
交 通系 に於 け る右 の如 き 改 革 は業 務 の堅 確 と従 業 員 の減 縮 を来 す
営 汽 船組 合 あ り。
に至 り 、 一九 二 一年 度 全従 業 員 百 七 十 万 を算 し た る に、現 在 に於 て
は七 十 万 を算 す る に過 ぎざ る を以 て、交 通 省 の管 内 の全 従業 員 数 は 戦 前 に比 し反 つて少 数 と な れ り。
一九 二 二年 末 現 在 共和 国 の鉄 道 全 網 に於 け る機 関 車 数 は 一万九 千
機 関車 に就 て
三百 十 七 台 な り し が、今 年 三月 末 には 一万 九 千 七百 七 十台 に増 加 せ
尚 一九 二 二年 末 に於 け る完 全 機 関車 の数 を示 せば 七 千 百 八 十五 台
り。 此 の増 加 は主 と し て外 国 註 文 品 の到着 し たる に因 るも のとす 。
な りし が本 年 六月 に至 り 八千 九 台 に達 せ り。 此 に於 て共 和 国 の機 関
工場 の事 業 も倍 々発 展 し つ つあ る こと を知 る に足 る。 又 修 理済 予 備
機 関 車 の数 は 一九 二 二年 に於 て は千 九 百 五十 七台 な りし が 、現 在 に
も多 数 に上 り あ り。
於 ては 二千百 四台 に増加 し あ り、 此 外半 修 理 行程 に在 る機 関車 の数
貨 物 車 輛 に就 て
今 秋 の収穫 物 の国 内 需要 輸 送 及 外 国 行輸 送 を見越 し、 今 秋 迄 に約
四万 車 の修 理 を完 成 す る予定 な るを 以 て 、今 秋 に至 らば 貨 車 全数 は
輸 出 入 港 の修築 に就 て
約 十 二万 輛 を算 す る に至 る べし 。
穀 類 の海 外 輸出 港 の修 築 に就 て も目 下腐 心 し つ つあ る所 な る が 、
上し あ り。
現 在 の輸 出 港 は南 方 の九 ケ所 と し 、之 が修 築 費 と し て 一千 万 留 を計
燃 料 に就 て
燃料 用 薪 供 給 状 況 は最 近大 に順 境 と なり 、 今 冬季 用 の八 九% は既 に運搬 配 給 を了 し あ り 。但 し 石炭 の状 況 は遺 憾乍 ら不 振 と す 。 財 政 に就 て 財 政 上 に就 ては 各 地方 一帯 に厳 達 し て経費 節約 し、 収 入 の改 善 増 加 を期 し つつあ り 。 さ れ ば交 通 部 に於 ける財 政状 態 漸 次順 境 の域 に
第 三 七 五 (二) 号
関 東 軍 参謀 部
進 み来 り、 今 年 は国庫 補 助 金 は 五% を減 少 し得 る見 込 な り 。
一二
大 正十 二年 七 月 二十 七 日 極 東 交 通 現 況 一般
交 通 部 設 計 局 の最 近技 術 会 議 に於 て 、極東 に於 け る鉄 道 竝 に江 河
極 東 管 区 鉄 道 の貨物 運 転 状 況 は漸 次 順 境 に発展 し つつあ り 、而 し
航 運状 態 及 営 業 状 況 に関 す る報 告 あ り、 今 左 に其 の大 要 を報 ず べし 。
て今 年 一月 中 の積 載貨 車 数 は 一昼夜 平 均 四 百 二輛 な りし が 、 四月 に
は此 の半 数 に等 し く、 更 に黒 竜 鉄 道 に在 り て は約 此 の 一五% に過 ぎ
至 る や五 百 十 四 輛 に増 加 し た る を見 る。 さ れ ど鳥 蘇 里 鉄 道 に在 り て
るも 現在 の営 業 に支 障 を来 す が如 き程 度 に非 る な り。 交 通 発展 策
仍 て技 術 会 議 は鉄 道 経済 状 態 の具体 的 調 査 及営 業 上 の諸問 題 を其
の地 に於 て解 決 す る為 、特 に全 権委 員 を介 す る を 以 て必 要 な りと 認
極 東 江 河運 航 状 態
め たり 。
今 年 当初 に於 け る極東 管 区江 河 汽船 数 は三 百 五 十六 隻 にし て、 此
の汽 船 の技 術部 に関 係 す る状 態 は 比較 的 良 好 にし て、 其 の積 載 噸 数
は現 在 の需 要 を充 し て尚 余 裕 あ り 。
国 営 黒 竜汽 船 組 合 の営 業 状 態 は革 命 後 二、 三 年間 は極 て不振 なり
し も、 今 や漸 次 発 展 の域 に向 ひ つ つあ り。 而 し て将 来 黒 竜汽 船 の使
命 は輸 出 向貨 物 の輸 送 にあ る も のと観 察 せら る。
一三
欧露 極 東 間 航 海 開始 計 画
︹ 誠 一︺ 大 正 十 二年 七月 二十 九 日 ( 庶 調 情 第 四〇 三号 )浦 塩高 畑 情報
最 近 月 に至 り輪 転 状 態 は漸 次 悪 化 し来 り、 特 に烏蘇 里鉄 道 に於 て
輪 転 材 料 の状 態
燐 寸 、石 油 、酒 類 、金 物 、薬 品 、塩 等 を均 一ケ年 位 の期 限 を 以 て委
産 業 ト ラ ストと 国 立 汽船 会 社 と 契約 し、 砂 糖 、織 物 、 皮 革 、紙 類 、
を 要 す る結 果 、 欧 露 極東 航 路 を 計 画 し、 先 づ 欧露 に於 け る国 立 各 種
漸 次 回復 し幾 分 余 力 を 生 じ た のと 、 一方 極 東 の物 資 欠 乏 し之 が補 充
欧 洲大 戦 の結 果 全 く 中絶 した 欧露 極 東 航 路 は 、最 近 欧 露 の各 産 業
然 り とす (機 関 車 の状 態 )。又 知多 鉄 道 に於 ても 貨 車状 況 は 甚 し く
ず。
不 足 あ り。 され ど 更 に 一層 不 況 にあ る は黒 竜 鉄 道 にし て、 此 の鉄道
に於 て 、各 種 産 業 ト ラ ストと 政府 当 局 と 協 議会 を開 く 筈 であ る。
は 今尚 建 設 完 成 の域 に達 せざ る を 以 て総 て の点 に於 て不 備 を 免 れず 。 託 と し て引 受 け極 東 市 場 に出 さ む とし 、 此 に関 し 七月 十 九 日莫 斯 科 輪 転 材 料 の修 理 は各 鉄 道 共 其 の所 在 地 方 の工 場 に於 て鋭 意 実 行 中 な
一四
莫斯科浦潮間直通列車復興計画
大正十二年十月 二日 ( 庶調情第六五三号)関東軍参謀部 浦潮︱哈爾賓︱莫斯科間 の直通列車復興 に関 する会議 に参列 の為、 知多 に出張中 の万国寝台監査官助役 アルツ ユニンツは最近帰哈 せる が、彼 の言 に依れば該会議 は極 めて円満な る結果 を得、明年 正月頃 より運行 せしむ る筈 であ る。
二 一 中 国 経 済 関 係一
邦商 の支那塩輸出計画
大正十二年 八月 二十 一日 ( 庶調情第四九九号)北京特報 原辰治と支那側 との間 に交渉中なる支那塩輸出草案は左 の如くで
産額は 一ケ年 三百万担 の輸出力なく (普通百万噸)、之 に 五十 万
元 の前渡 を為す は日本側 とし て余 り有利ならざ るため調印を手控 え て居る。
伊 藤 武雄
一千万担
今 次京浜震災 に際 し四日の閣議 を以 つて肉及鶏卵 の輸 入税を免除
調査課派遣員
量 三ケ年
した ことは既知 の通りである。雛卵 の外部供給 は大部分 が支那であ
北京公所
一、数 限
塘沾渡 一噸八元、 コンミツシヨン 一元計九元
る こと亦既知 の通りであ る。
大正十二年九月十 一日
一、期 格
一百五十万元
北調派三号
一、価 金
支那卵対 日本輸出概況
但 し調印 と同時 に二十 万元第 一回船積 の際三十 万元
る。専売局 の買 上代十六円五十銭 なるを以 て差引 一噸三円 の利益
本迄 の運賃四円合計十三円五十銭 ( 金銀相場同 一とし仮定 )とな
に民関係あり、此 の外菓子製造 に使用する所 の数も亦甚 だ少ならず。
浜方面 の料理館或 はホテルの如 きは需要最 も著 しく雛卵消費率 の上
近来各大都市 に於 ける雛卵需要 の数は逐年増加し、就中東京、横
(晨 報)
となる計算なるも、銀貨騰貴せば利益減少するは勿論、長蘆塩製
査す るに塘沾渡 一噸九元なれば船積料 一噸五十銭、塘沾 より日
一、前 渡
あ る。
二
故 に 日本 は自 国 の産 出 高 を 以 ては未 だ充 分 に其 の需 要 を 満 たす こと
よ り輸 入 す るも の第 一位 を占 む 。横 浜 港 の調 査 に よ れば 昨年 中 の総
能 はざ るを 以 て遂 に外 国 より 購 入 せざ るを得 ず 。而 し て其 の中 中 国
輸 入数 は十 二 万 九千 三百 五 十 二担 に し て価 額 五百 三十 三 万 一千 余 元 な り とす 。本 年 一月 以 降 七 月 末 に至 る現 在 の状態 は約 前 年 の価 額 に 比 し て 二割 を増 加 す 。
通遼電燈廠 の工事竣工を告げ試験 の結果 は良好 である。燃料到着 次第開燈 の筈。 五
大 正十 二年四月二十八 日 第 二四五号 安東地方事務所
の石炭層発見され、岫巌居住 于竜光 は資金百 二十万円を投じ て採掘
鳳城県竜王廟北方 二十支里石頭嶺子附近地下九十尺 の処 に約五尺
鳳城県下石炭層発見 ( 安東警務署報 )
以 て輸 入 は 非常 に減 少 す 。 秋 に至 る に及 び 又 大 いに増 加 を見 る例 な
す ることとなり、目下四十名 の苦力を使行 して試掘 に着手し て居 る。
而 し て例年 中 七、 八 、 九 月 の気 候 酷 暑 の時 に至 れば腐 敗 し易 き を
り 。本 年 の輸 入数 量 は前 年 に比 し約 十 四 万担 を減 ず る、 し か も価 額
六
見 された。右 は品質佳良、礦量亦豊富 で火薬製造に好適 のも のなれ
東辺道尹公署総務科長 の談 に依れば、鳳城県榛子溝 に硫〓礦 が発
鳳城県下 に硫〓鉱発見
大正十二年 五月十日 第 三六 二号 安東地方事務所
王 知 事 は鳳 凰 城 商 務 会 に対 し予 て設 立計 画 中 であ つた同 地 電 燈 会
ば、該県知事 は官督商弁で之 を採掘方奉天省長 に申請中 である (安
安東 地方 事 務 所
は逆 行 し て五 十 六 万余 元 を 増 加す 。 云 々
三
第 一七 二号
社 の起 工を促 せ るた め 、愈 々近 日中 に着手 す る筈 であ る 。該 会 社 は
鳳 鳳城 電 燈 会 社 の工事 着 手
大 正 十 二年 四 月 二十 日
資 本 金 十 万 円 の株 式 組 織 と 為 し 、安 東 よ り電 力 の供 給 を受 け んと す
通遼電燈廠営業開始
大正十二年 五月十日 第十九号 鄭家屯公所
七
東警務署報)
鄭 家 屯 公所
る希 望 あ り 。点 燈 希 望 者約 三 、〇〇〇 名 の見 込 だと言 ふ 。
四
通 遼電 燈 廠 開 燈
大 正 十 二年 四月 二十 四 日
通 遼 電 燈廠 は 五月 一日 から正 式 に営業 を開 始 し た成 績 は極 め て良 好 だ と言 ふ 。 米 人 技師 は同 廠 を引揚 げ帰 奉 し 、 支 那 人技 師 李 精 一之 に代 る。
八
大 正 十 二年 五月 十 四 日午 後 四時 十 分 奉天 公 所 発 電 報 (六〇 ) 奉天 支 那 側 電 鉄計 画
劉愛 賢 当 選 し た 。
一〇
大 正 十 二年 五 月 二 十 五 日
第 二 四 六号
(五 、 二 三 、国 際協 報 掲 載 )
東 三省製 粉業 の衰 退 と 其 の救 済 策
哈爾 賓 事 務所
東 三省 に於 け る製 粉 業 は 数年 来 萎 微 し て振 はず 、若 し適 当 の維 持
策 を講 じ て之 を 救 済 せ なけ れ ば非 常 な悲境 に陥 る に依 り、 哈 爾 賓同
業会 々長 張 廷 閣 、副 会 長 曲 瑞 芝 は行 政 長 官 に対し 陳情 書 を提 出 し た 。
曾 電 燈廠 長 の談 。 当 地無 軌 電 車 は昨年 末 王 廠 長 と天 津 潤 富 洋行 ウ オ テイ ング と の間 に請負 契 約 成 立 し 居 り 、今 回 運 転車 一〇 輛 、客 車
1 、昨 年 七 月露 国 が新 税 制発 布 以来 麦粉 一布 度 (三十 支 斤 ) に
因
付 金 留 六〇 哥 を徴 収 せら れ 、 小麦 は 欧 州戦 前 一布度 三三 哥 の輸
原
其 の原 因 及 救 済 策 は 次 の如 く であ る 。
の市 街 道路 に沿 ひ裏 側 に別 に電 車 道 路 を修 築 す る こと に決 定 、第 一
入税 を課 せら れ た の で、 新令 発 布 の結 果 之 が免 税 を行 つた た め 、
一
一〇 輛 (一〇 組 ) を 注文 し 、経 路 は城壁 外 の濠 を 埋 め環 城 鉄 道 と為
期 工事 を大 西 門 よ り附 属 地境 界 に到 る線 と 、小 西 辺門 よ り附 属 地境
小麦 輸 入 を 奨励 し麦 粉 輸 入 を阻 止す る こと とな つた。
し 、 南 、東 、 北 関 より各 辺門 に、 西 関 よ り附 属 地 界 に到 る線 を 従来
界 に到 る 二線 を右 辺 門間 の土城 壁 を 利用 し て連 接 す る も のと し 既 に
2 、小 麦 の輸 入激 増 は引 い て原 料 不 足 を来 し、 製産 費 益 々暴 騰
ず 、東 西 北 の三路 は露 領 であ る か ら、露 国国 税 の抑 制 を受 け 殆
4 、東 三省 に於 け る製 粉 業 の現 勢 は南 路 は米 国 品 と競 争 が 出来
税 政 策 に依 り国 内 事 業 の保護 を為 し 得 ぬ から であ る。
る の に、米 国製 品 の需 要 を見 る は原 料高 価 のた め と、 支 那 の関
3 、元 来 東 三省 は 小麦 の産 地 で舶 来 麦粉 の輸 入 を要 せ ぬ筈 であ
輸 出 を困 難 な ら し め た。
し て、 其 の露領 輸 出 を悲 境 に陥 らし た 。加 之 関 税 の増 加 は 愈 々
工費 及 スチ ー ム ロー ラー等 合 計 約 四 〇余 万 円要 す る見 込 云 々。
奉天公所
測 量 を 終 へた り。 右 車輛 一〇組 、 架 空線 、車 庫 、停 留 場 其 他 建 築 土
九
第 一五 号
奉 天 総 商 会 及 工務 総 会 の併合
大 正 十 二年 五 月 二十 日
奉 天 工務 総 会 は 王省 長 の発 議 に基 き総 商 会 に併 合 す る こと と な り、 役 員 選挙 の結 果 、 正会 長 魯 宗 煦 、 副会 長 薛 永 来 (元 工 務 総 会 長 )、
んど 哈爾 賓 一帯 に供 給 す る に過 ぎ ぬ 。然 る に哈市 に は製 粉 会 社 二十 一の多 き に達 す 。 斯 く の如 く にし て哈 市製 粉 界 は続 々事 業 を停 止 し 、之 を継 続 す る も 一ケ年僅 々数 ケ月 の製 造 を為 す に過 ぎ ぬ 。此 の儘 に放 任 せば
救
済
策
自 然 閉 鎖 を 余儀 なく され る こと とな る 。 二 右 に対 す る救 済 策 と し ては綏 芬 河 、満 洲 里 から 輸 出 せ ら る る満 洲 小 麦 に関税 若 干 を課 し 、露 国 の関税 政 策 に対 抗 す る こと であ る 。
一 一
大 正十 二年 五 月 二十 一日
長 春 に於 け る四 月 中商 況
長 春 事 務 所 (四 五 一)
吉長連絡
長春駅扱
一〇 二 、 二 七 二〃
二九 、 二 七九 〃
三 八 、 一二七 〃
三四 、 八 六六 噸
一、 四 月 中 大 豆発 送 数 量
計
東支連絡 合
(客 月 に比 し 四 五、 三 四 六噸 の減 少) 二 、朝 鮮 向 粟 は引 続 き旺 盛 を極 む
合
計
九 、 一七 四 〃
(客 月 に 比 し 一一四噸 の増 加 )
て前 月末 に比 し七 百 俵 の減 少 な り 。
三、綿 糸布 は 月初 一時 好調 を呈 せし も月 末 は在荷 役 二千 九 百俵 にし
より三十 日 一四八吊二〇 に漸落せしも銀票 には殆 んど異動なし。
編注、省 の発︺は 需要 期 経 過 のた め四 日 一四 一吊 四 、 貨 幣市 場 、官 帖 ︹行 する紙幣
一二
郭家 店に支那新市街設定計画
大正十 二年 五月二十八日 第 三八号 長春地方事務所
梨樹県知事 尹松寿は大正九年以来郭家店附属地隣接地約八万坪を
ト し支那市街新設 を計画し、之 を民間に払下げ来住者 には三ケ年間
安東領事通牒
地税 を免除する条件 の下に移住を奨励して居る。 一三 大 正十 二年六月五日 第 一二五号
(註、本件は曩 に安東地方事務所情報として概要供覧済
鳳城県下石頭嶺子附 近無煙炭坑試 掘 の件
九 五 七〃
四、 九 八 三噸
山 なるもの無煙炭 を発見 し、客年九月以来 旧法 に依り開採 に従事せ
鳳城県竜廟北方二十支里 の石頭嶺子附 近 に於 て、支那人技師于清
のも のなり)
長春駅扱
しが、最近 に至り漸 く地下五十尺 を掘下げ炭層 の 一部 に到達し目下
四月 中 積 出 数量
吉長連絡
三、二三四〃
東支連絡
盛 に爆薬を使用 し開掘中なり。該地 は丘陵地にして上部は赤土を以
長春 支那取引所改組
長 春支那取引所は計画通 り官商合弁 の株式会社に改組し、六月五
日附 を以 て王吉林省長 に認可願を提出 した。右は既 に張総司令 の諒
て掩はれ砂礫 の下 に炭 層ありて略平壌寺洞 の無煙炭と状態 を 一にす。 試掘出願者は岫巌県人于竜光 と称し、現に奉天城内 に居住 せり。公
一、目
面
金
的
一株三十元 (二分 の 一払込)
大洋銀 三十万元
長春貨幣 の交易
録
一、資 本
摘
解あ ることなれば不日許可 せら るべし。
及炭質 の良否は、専門技 師 の鑑定 を俟 つに非ざ れば遽 に断言 し難き
一、額
して東辺鎮守使湯玉麟 其他武宮連 の後援あり。而 して出炭量 の多寡
称資金五十万元 にし て 一株百元 、五千株 に分 つ。使役坑夫 二十名 に
も相当有望なるものの如 し。此 地鳳凰城よりは陸路百八十支里 にし
奉天公所
支那 に輸入せらるる日本品は粗悪高価なるを以 て、之 が輸入防 止の
奉天省西豊県大〓疽商務会長及有力者数名 は同地県公署 に集合 し、
支那織布 工場設立計画
大正十 二年六月二十 一日 第 五六号 長春地方事務所
一七
け んとす る計画 あり。
も のを組織し輸出入貨物を評価 して其 の価格を統 一し以 て競争 を避
信洋行 (米)、安利洋行 ( 英) の発起 に依 り輸入貨評価聯 合会 な る
近来支那側 の諸 工業勃興と共 に各機械 の輸入旺盛 となりし為 め慎
英米 輸入商 の輸入品評価聯合会組織計画
長春地方事務所 (五六) 大正十 二年 六月 二十 一日
一六
て交通不便なるも、大洋河流域 に近く炭坑所在 地より江岸 小塔子迄 は其 の距離僅かに八支里 にして、土地平坦なる故運炭軌道 を布設す る の便あり。又同地点より河口大孤山附近 に至 る水路は約 一百支里
第二七号
余 あるも、満潮 を利用し水運 の便 あるにより運炭上頗 る有利なり。 一四 大 正十 二年六月十 三日 奉天紡紗廠近く開 業 (紡紗廠長孫祖昌 の談 ) 奉天紡紗廠 は四百五十万元 の資本 にては原計画完成 の見込無き為、 計画 一部 に変更 を加 へ二週間内 に試運転を為す筈 であ る。 原棉 は黒山 、北鎮、遼 陽産 を用 ひ外棉は使用 せずと云ふ。 一五 長春地方事務所 (大正十二年 六月 二十日第五五号)
為め自国諸工業 の発展を図 り第 一歩 として、同地 に資本金五拾万円
哈爾賓事務所
にて株式組織 の織布 工場を設立す ることに決 した。 一八 大正十二年六月二十 三日 第四〇 五号 松北鎮取引所創設問題
二〇
第六八号
長 春 地 方事 務 所
準 備 中 であ る開 原 製 糸 工場設 立計 画
大 正十 二年 七 月 十 四 日
奉天 省 西 豊 県 地 方 よ り開 原 を 経 て上海 、 芝罘 に輸 出 せら る る柞 蚕
繭 は年額 四億 個 (一千 個 大洋 六元 内 外 ) に達 し 、之 を原料 と す る製
な るも 、 資 金其 他 の関 係 に て実 現 を見 な か つたが 、今 回開 原 啓柄 寅
糸 工場 を開 原 に設 置 す る の有 望 な るは 夙 に 日支 人間 に唱 へら れ し処
は 支那 人 有 志 と謀 り 工場 設 立 を計 画 中 であ る。 右 計 画 に依 れば敷 地
哈爾賓傅家甸交易所 理事談
二 千坪 を要 し 、 目下 之 が買 収 運動 中 で若 し附 属 地 内 に買 収 不 可能 の
松北鎮に取引所創設 の件 に つき殖産公司 、広信公司、松北市政局 三者間 に競争甚 だし かつたが、殖産公司 は王永江、張学良、談国恒
時 は他 に求 む る筈 で あ る。
鄭家 屯 公 所
を得 るに至らず除外 せられ、広信側と市政局と の間 に折衝 を重 ねた
二 一
第 二 七号
等奉天側有 力者 の後援あるも、省 を異 にす る関係 にて呉督軍 の諒解 結果 、資本金五拾 万円、 一株金五拾円半額払込 とし、広信公司 二、 〇〇〇株、市政局 八、〇〇〇株 の割合 にする こと に妥協成立 し、六 月二十日呉督軍 の許可 を得直ちに工事 に着 手 の筈 、尚該取引所問題
鄭 白線 荒 地 払 下 説 に就 て
大 正 十 二 年 七月 十 六 日
本 年 二 月頃 鄭 白 線 門 達 駅附 近達 爾 罕 楊 王所 領 の荒 地払 下 の噂 あ り、
右 に関 し 楊 王府 内 外 事 務 を掌 握 し居 る恩 氏 よ り聴 く処 に依 れば 、右
牧 地 と の境 界 判 明 せざ る為 、 温 王 は 此 の開 放 を好 ま ざ る こと、 及 白
る 河南 の土 地約 一〇 〇 方 地 (約 三 三〇 〇 町歩 ) であ る が、 温 都爾 王
荒 地 は モ ロ ホ シ ヨー (鄭家 屯 、大 罕 より各 六十 支 里) よ り大 牢 に至
鳳城県王知事 は六月二十 一日各区官を県公署 に召集 し、安東 電燈
ぬ。 又楊 王 は自 己 負債 整 理 の為 、某 日本 人 より借 款 の計 画 が あ る が
音 太来 の天 恵 地 局韓 局長 の収 監 等 の為 、未 だ 其 の運 び に至 つて居 ら
安東地方事務所
に関 し重大関係を有するものは苑静波、傅尽臣 の両氏 である。 一九 大正十二年 六月二十七日 第八八四号
廠建設資金を至急募集す る様命令した。然 れども地方農家 は陰暦十
安東 支那電燈廠建設問題
一月の収穫期に入らざれば到底応募し難 い現状 に在る。
第 六八 号
該 土地問 題 に は関 係 が な いと 言 ふ。
二二
大 正十 二年 七 月 二十 五 日 密 山 炭礦 合 弁 の件
吉林公所
長春支那官憲と蒙古王間 の争議
蒙古郭爾斯旗王は清国乾隆年間 より長春県城内外 の土地六万畝を
与今日に至 れるが、現今該土地 の 一部 は城内、商埠地目抜 の場所と
養兵 用地 とし て 一畝 に附 一ケ年吉林大洋五銭 の割合 で支那官憲 に貸
なれる為市街地 に限り家屋間敷 一間 に付五十銭 に値上げ方を蒙古王
より支那官憲 に要求 せるも何等 の回答 を与 へぬ為、今度 は城内商務
商務総会 、開埠局其他 の関係者 は七月七日より数 回集合協議 の結果、
総会其他 の公共関係 に対 し強硬なる抗議 を申込 んで来た。之 に対し
蒙古王 の勢力微弱なるを侮 り要求を拒絶 したと言 ふ。
七月 廿 四 日吉 林省 長 公 署 の会 議 に於 て吉 林 省 及 露 人 ケ レ ン スキ ー
よ り は、 右 合 弁案 を実 行 す べ き旨 返 電 があ つた 。
然 し商務総会 は蒙古王 の道理正 しき要求 を其儘拒絶 せば重大 なる
間 の密 山 炭 礦 合 弁案 は否 決 せ ら れ、 其 の旨孫 督 軍 に報 告 し た が督 軍
原来 、該 案 の否決 は王 省長 の反 対 に基 因 し た も の で、 表面 の理 由
あると。
争議 を惹起せん事を虞れ何等 かの方法 で円満 に解決す べく苦 心中 で
哈爾賓事務所
一、炭 礦 合 弁 の如 き問 題 は、 地 方民 自 ら 之 に当 る べ き で性 質 上省 の
二四
北満小麦 の被害
大 正十二年七月三十 一日
第五二号
としては
経 営 は 不可 で あ る こと 。 二 、 ケ レ ン スキ ーは 目下 資 本 欠 乏 し居 れば合 弁 の暁 は 、更 に他国 の 資 本 を 入 る る に至 る べ く 、為 之 問題 を滋 く す る虞 あ る こと。 等 であ る が内 実 は外 人 と合 弁 の結 果 複 雑 な る対外 問 題 を惹 起 し、
哈爾賓 に於 ては数日来小麦相場暴騰を続け 一布度 に付き三十銭 の
自 己 の地位 に動 揺 を 来 さ む こと を気 遣 つた も のら し い。 尚 孫 督 軍 は該 合 弁 事 業 の総 弁 と し て黒 竜 江 省 督 軍 の秘書 魏 縄武 を
る。
又伝聞す る所 に拠 れば北満 一帯 も此 の種 の被害甚大なる見込 であ
地域 は殆 んど全滅 の状態とな つた為 であ る。
高値 を示 して居 る。暴騰 の原因は、小麦 の茎幹 に 一種 黒色 の黴を生 じ、半分以下 の部分黒色 に変じ て腐蝕 し、哈市 を中心 に五百支里 の
大 正 十 二年 七月 三 十 日
推 薦 し た と伝 へら れ 、 王省 長 も 自 己 の責 任 と な ら ぬ 上 は合 弁 に賛 同 す る模 様 であ る。
二三
長 春 地 方事 務 所 (八 一)
二五
大 正十 二年 八 月十 六日
第 九九 号
長 春 地方 事 務 所長
土 地 商租 に関 し排 日 的告 示 (長 春 領事 館 報 ) 八月 十 日 懐 徳 県下 各 要 所 に奉 天省 長 より の電 命 な り と称 し左 記 の
奉 天 省 長 公署 よ り新 民 、台 安 、錦 西 、 興城 、義 県 、昌 図 、梨 樹 、
如 き排 日 的 告 示 あ りた り。
通遼 、懐 徳 、 黒 山 、錦 県 、 北 鎮 、綏 中 、 盤 山 、法 庫 、唐 平 、遼 源 、 〓安 、鎮 東 、 〓 南 、安 広 、 双 山 、開 通 、 突 泉 、胆 楡 各 県知 事 に宛 てた電 命 に依 れ ば 、近 来 日 韓 人 に対 し民 間 の土地 家 屋 を租 与す る に自 由 契 約 を以 てし 、甚 しき に至 つて は永 租 又 は抵 当 と な し毫 も 主権 の喪 失 を顧 みず 、甚 だ憂 慮 に堪 えな い。爾 后 私 に外 人 と租 借 契約 を為 す も のあ ら ば厳 重 取 締 を励 行 せ よと 。 本 県 公署 は右 の如 き電 命 に接 し た れば 茲 に取締 弁 法 を規 定 し 、
吉 林 公所 長
若 し今 後 民 間 の土 地家 屋 を私 に外国 人 に租 与 す る も のは 該 土 地家
第八五号
屋 を没 収 し相 当 処 罰 す る 云 々。
二六
大 正 十 二年 九 月 三 日
せ ら れ 、更 に督 軍 よ り合 弁 督 促 の電 あ り た るが 、其 後 省議 会 副 議 長
劉 氏 の談 に依 れば 、 王省 長 は合 弁 実行 の決 意 を氏 に漏 し た る が尚 地
方 民 の反 対 を恐 れ て遅疑 せ る由 に て、先 年 の磐 石 県 の銅 山 に つき 合
弁 の議 あ る とき は 地 方 民 の反 対 あ り 、省 議 会 の否 決 に会 ひた れば 彼
は之 れを 恐 る る如 し と 。尚 実 業 庁 長 馬徳 里氏 は 先般 の会 議 以来 該 問
関 東 軍参 謀 部
題 に つき何 等 話 なく 、 目 下懸 案 中 な る が 近く 最 后 の決 定 を見 る可 し と語 り居 れ り 。
二七
大 正 十 二年 九 月十 日 (庶 調情 第 五九 一号 ) 支 那 側 阿片 輸 入 取 締
奉 天 省 長 公署 は奉 省 隣接 特別 区 に於 け る罌 粟 栽 培 に関 し、其 の阿
片 煙 輸 入 防 止 取締 に付 本 月 六 日附 該 区 隣 接義 県 、 北鎮 、彰 武 、錦 西 、
現 に聞 く 処 に依 れば 、熱 、察 、綏 特 別 区 に於 ては本 年 罌 粟栽 培
綏 中 、通 遼 、 黒山 、興 城 、 新 民 の各 県 知 事宛 左 の如 く訓 令 せり 。
を放 任 し、熱 河 、朝 陽 の 一県 に於 け る罌粟 の植 種 四 万畝 を 下 らず
と言 ふ。 之 を 三 区 に及 ぼす時 は其 の数 実 に巨 額 に達 す べ し。 而 し
て該 区 の煙 土 は 必ず 四方 へ搬 出 消 費 せら る べ く、 隣 接 我奉 省 各県
民 は必 ず其 の害 毒 を受 く る に至 ら ん。 既 に本 省 に於 ては禁 煙 を実
各 県 は厳 重警 察 を督 励 し随 時 検 査 を行 ひ、密 売 者 は之 を検 挙 没 収
特 別 な る注 意 を 為 す に非 ら ざ れ ば来 源 を根 絶 す る に足 らず 。 依 て
陽 に奉 じ陰 に違 ふ者 なき を 保 せず 。 今 隣境 倒 行 逆 施 の時 に当 り 、
行 し粛 清 を極 め つ つあ るも 、 日 久 しけ れば 又 人民 利害 の関 す る処
吉 公 報 第 六 十 八号 に て報告 せ し如 く 、 ケ レ ンス キ ー対吉 林 省 密山
ケ レ ン スキ ーと 吉 林省 と の密 山炭 坑 合 弁 後 聞
炭 坑合 弁 の件 は 、先 に省 長 公署 会 議 に て王省 長 の反 対 に依 り て否決
鄭家屯 公所長
以 て特別なる厳懲 を為し、而 して査禁 の状況 は随時報告す べし。 二八
鄭〓線臥虎屯蒙地移管 の件
大正十 二年九月十 二日 第七四号 鄭〓線鄭家屯 の次 駅臥虎屯は元来蒙古温都爾親 王の領地であるが、 今回奉天省長 の認可 を経 て市街地百九十二号地 (約 五十七町歩) を 支那側 に払下ぐる こととなり、遼源県 に移 管される筈 である。但し 毎号価格奉票九十三元なりと いふ。 二九 哈爾賓事務所長 (大正十二年九月二十八日第 一七二号) 英米 人頻 に黒竜州方面 の金鉱 に活動す 右 に関 し在黒河某 日本 人より左 の如き報道を得 ましたから御参考 迄 に報告致 します。 近来英米 人の黒竜江露 支両側 に亘り金鉱調査試掘 のため往来頻り ︹マ マ︺
に多 く 主 と し て黒 河 を根 拠 と し て活動 し つつあ り 。東 三省 技 人米 人 シ ユート ンは其 の同 僚 ロー ソン、 フラ ウ ラ ー及 ギ リ シヤ人 フヰ ヨラ ー ト ス等 を し て支 那 側庫 瑪 、漠 河 方 面 の調 査 を な さし め つ つあ るが
ケ ート 団 の英 人 調 査員 は モス ク ワよ り来 黒 し 黒竜 県 一帯 を調 査 す る
得 て続 々ゼ ー ア方面 踏 査 試 掘 中 な り 。此 の外 最 近 ロ ンド ン ・シ ンジ
尚 米 人 フレ ン チ調 査 員 一行 も 支 那側 方 面 に入 る べく 来黒 す と云 ふ。
と言 ふ。
三〇
大 正 十 二年 九 月 二十 九 日
〓 南新 市 街 及市 場 開 設 計 画
〓 南 派 出員 (一 一三 )
〓 南 居 住 の〓 雨 亭 、斐 東 閣 等 発 起 と な り遊 撃 馬隊 統 領 張海 鵬 と連
絡 を とり 、 小東 門 外 よ り大 東 門 外 に至 る 一帯 の地 に商 舗 、戯 場 、 妓
館 等 の建 築 を計 画 し 、 已 に 五十 余 天 地 の敷 地 を買 収 し開 拓 に着 手 し
て居 る。 又 先 に奉 天 より史 某 な る者 来 〓 し、 大南 門 外 停車 場 敷 地 よ
り 小南 門 外 に至 る 一帯 の地 を 一天 地 に付 小洋 一千元 、七 百 元 、 五百
元 の相 場 に て已 に 二百 余 天 地 を買 収 し引続 き買 収 中 であ る。探 聞 す
る処 に依 れ ば史 某 は奉 天官 吏 等 と提 携 し株 式 組 織 にて商 舗 及 市場 を
大正十二年十月十二日
編 注 、 一天 地 開設 す る の計 画 であ ると 。︹は ︺ 一三 、七 畝
三一 〓南派出所 (一二九)
の発展を予期し、現 に董裕舟 を派遣して大南門外及 小東門外 ( 停車
在奉天陸軍第二旅旅長張学良 (張作霖 の長男) は将来〓南商埠地
〓南商埠地買収情況
ツ テ ルは アダ ム スを長 と す る米 国 シベ リ ア金 鉱 シ ンジ ケ ート団 資 金
新 鉱 発 見 の場 合 は米 支合 弁 を以 て事 業着 手 の契 約 な り と 。又 米 人 ヘ
四百 万弗 を有 す る調 査 員 な る が、 既 に知 多 極 東 革 命 委員 会 の許 可 を
場 附 近 ) 一帯 の土地 を買 収 さ せ つ つあ る が 、董 裕 舟 は 目下 公 裕 富 に 三、収
倍 に高 騰 す 。
〓 南 派出 所
為 す も の多 し 。
将 来 地価 の高 騰 、商 業 の殷 盛 を予 期 し 土 地 の買 収 、家 屋 の建 築 を
四、 一般 情 勢
穀 類 収穫 平 均 五、 六 分作 に収 穫 期 は多 少 遅 延 の見 込
穫
寄 寓 し、 已 に四拾 余 天 地 の買 収 を了 し 、尚 極力 買 収 に着 手 し て居 る。 地 価 は 一天 地 一等 七 五〇 元 よ り 八〇〇 元 、 二等 地 五〇 〇 元 よ り 五五
第 一四 〇 号
〇 元 、 三等 地 三 五 〇 元 よ り四〇 〇 元 であ る。
三二
大 正 十 二年 十 月 十 七 日 〓 南 近県 農 村 救済 に関 す る件
鎮 東 、突 泉 、安 広 、 胆楡 、開 通 の五県 は本 年 収 穫 不良 にし て商 民 、 農 戸 等 の困 難甚 だ しき 為 め 、各 県 知事 は情 を具 し て奉 天 王省 長 に救 済 方 を請 願 し た が、 今 回之 れを 聴 許 し東 三省 官 銀 号 よ り小 洋 一万 五
三三
大 正十 二年 十 月 十九 日
千 元 を発 給 す る ことと な つた。
〓 南 情 況
〓 南 派 出 所 (一三 九)
融
金 融 梗 塞 し各 商 店 は銀 行 に 対 し資 金 及 利息 の回収 を二 ケ年 間 延 期
一、金
方 を交 渉 中 、 此 の中秋 節 の難 関 に は各 銀 行 の延 期 回 収 承諾 に依 り閉 倒 し た る商 店 無 し 。
〓南 地方 今 後 の発展 を見 越 し 地価 は本 年 二 、 三月 頃 の二倍 乃至 四
二 、 地価 の高 騰
労 農 露 国 経 済 関 係一
那政府 に於て許可 せなか つた が、目下同銀行代表 カ スパルソンは哈
二二
極東銀行哈爾賓支店開設準備
大正十二年 五月十四日 第 一九 一号 哈爾賓事務所
爾賓 で之 が開設 に関し盛 に奔走し て居 る。同時 に彼 は花旗銀行 (イ
労農政権が哈爾賓 に極東銀行支店を開設す ることに就 ては之迄支 一、波斯及露国間 の自由貿易開始
大正十 二年五月七日 哈爾賓横 田情報
ンターナシ ヨナル ・バ ンキ ング ・コーポレーシ ヨン) に数十万円の
供託金 を納付し、之を以 て露 人顧客 に対し花旗銀行仲介人 の下に穀
労農商務官庁 に於 て波斯及露 国間 に自由 貿易を開始する事 を決議 せり。
在哈知多鉄道営業所代表ブヂア ロフスキーの言 に依 れば、該 支店
物輸送短期資金其 の他各種 の貸付 を為して居 る。
開設は既 に許可せられ之 が事務所 に充当すべき前莫斯科銀行 の建物
沿海州アーチンス コイ郡 ローゴ フトルス コイ村 の鮮人は其会議 に
二、朝鮮人 の請願 於 て徴兵、課税等 一般露国民 と同様に取扱 ふ条件 にて帰化すること
を修繕中 である。
る発展 の見込 だと言ふ。
筈 で既 に当地輸出業者 の多数 より短期資金貸付 の顧客を得、将来頗
該支店 の準備金は二五〇万留 で、特 に東行穀物資金 に当 てらるる
を労農政府 に請願すべしと決議せり。 三、元山及吉林地方 に避難 せる白軍残党 は近時ポグラ ニチナヤ地方 に集中し つつある様子なり。 二
三
浦塩鮮銀券 の金貨引換問題
大正十二年 六月十三日 (庶調情第 二三〇号)浦塩高畑情報 沿海県財 政部は曩 に浦塩外国銀行 に対 し、六月 一日以後は露 貨本
ば浦塩政権 が、鮮銀券 の流通禁 止を企図し居 るは事実なるも、右は 到底 不可能 の現状 に在 る。 五
本年 一月より六月 一日 に至 る期間内 に於 て満洲里経由露国 に輸入
哈爾 賓森情報
せられた物資数量は、五四七、〇八〇布度 で全部穀物 である。又露
対露貿易近況
大正十 二年七月五日 第二六号
券 を七月十五日限 り金貨 に引換方令達せるに依 り、鮮銀は国立銀行
国より沿線 に輸出 せられたも のは木材、鉄及石炭 を主とし其 の数量
位 に依り営業する こと並 に朝鮮銀行 に対しては同地方流通 の該銀行 を経 て知多当局 へ該令達 の実行不可能なる ことを詳述 し、飽迄強制
七三六、二〇三布度 である。但 し輸出高は昨年 に比 し半減 の状態 で ある。
実施 の意思なるやを確めたる処、之 に対し当分現状 の儘 にて可な る 蓋 し浦塩商業会議所 にても該問題は実行不可能 にし て、之 を強要
表者及民間実業家 より選挙 し、会員以外 の者 と雖之 に出 入取引 を為
義を有 する諸官衙及商工業者 にし て、其 の役員 の如きも諸官省 の代
営利的投機的取引所とは全 く其 の趣を異 にし、之 が会員 は経済的意
機関 たると同時 に商取引 を監督保証するも のにして、我国 に於 ける
会議所 と取引所とを合併したるが如 き業務を営 み、経済 の発達調査
鎖 し之 に代 つて商品取引所 の開設 を命じたるが、此 の取引所 は商業
労農政府は本年 二月十日法令 を発 し、極東各地 の商業会議所 を閉
浦塩商品取引所 の設立
大正十二年 七月九 目 (庶調情第三〇六号)浦塩高畑情報
六
旨 回答あり。 す るは外国銀行 に閉鎖 を命ず るも同様なりと為 し、現在 の如 き貨幣 制度 の統 一せられざ る際、外国紙幣 の流通は当然 なりと の意見 を発 表 し居 り、六月 一日以後外国銀行 の露貨本位営業 の件 も未だ に実行 され居らぬ状態なれば、財政部 の之等 の令達は実行至難と観測 せら る。
四 大正十二年六月二十五日 第 四 一二号 哈爾賓事務所 浦塩政権 は六月三十日限り日本紙幣 の流 通を差止め、違反者 は処
浦塩鮮銀券流通禁令実行不可能 分 を受く る旨露紙 に報ぜられ居 るも、哈市鮮 銀副支配人 の言 に依 れ
す 事 を 得 、 一般 商 取 引 は 之 に登 録 す べ き規 定 に し て、当 地 に於 ても
日委 員長 プ ト ケ ー ウイ チ以下 委 員 三 十 四 名出 席 、創 立総 会 を開 き今
此 発 令 以 来定 款 の作 成 其 他之 が開 設 準備 に着 手 し大 体決 定 、 本 月 二
四
の品質 を保 証 す る権 威 あ る証 明書 の発 行 を 為 す こと。
北満 洲 に於 け る農 産 物 買附 の為 商 業 機 関 と 密接 な る関係 を結 び 、
其 の地方 に於 て買 付 け た る商 品 に付 、荷 主 に対 し各 種 の便 宜 を与
へ、浦 塩 エゲ ル シ エリ ド に引 付 け る事 、 之 が為 に は東 支鉄 道 銀 行
浦 潮 に於 け る外 国銀 行 と の相 互関 係 を調 整 し 、北 満 より の輸 出
後 の方針 に つき協 議 し 、役 員 の選 挙 、 会 費 の制 定 等 を為 し た るが 、
五
及 哈 爾 賓 の商 業 団 体 と 必要 な る接触 を為 す 事 。
に 対し 、 将 に労 農 露 国 の大洋 に面 す る港 湾 た る浦 塩 に於 け る取 引所
委 員 長 は新 に開 設 さ るべ き取 引 所 の後 来 の事 業 及 地 方 商 工業 の発達
を 必要 とし 、通 過 輸 入 貨物 に就 て は欧 州 大戦 以 前 に於 て は東 支 、烏
金 融 に外 国資 金 の調達 を計 る こと 。
浦 潮 商 品 取引 所 は露 国 商 工業 の名 声 を 回復 す べく 、 確実 な る方 針
る感 を呈 した る も 、現 時 に於 て は此 の輸 入 は全 部 大 連 経由 とな り東
鉄 の運 賃 制 度好 か りし 為 、 浦塩 は全 北 満 洲 に対 す る唯 一の輸 入 港 た
の任 務 に付 、大 体 左 の如 き意 見 を述 べ た り 。
を 以 て進 み、吾 人 と商 業 関 係 を結 ば ん とす る各 国 に向 つて 、我 取 引
支 、烏 鉄 は西 部線 に必 要 な る貨 車 配 給 に際 し空 車 を廻 送 す る が如 き
所 の権 威 を認 め し む べ く努 力 し 、特 に浦 潮 は 外 国市 場 と密接 な る関 係 を有 す る主 要 港 湾 な る を以 て取引 所 は、 唯 に内 国 市 場 のみ なら ず
き 貨物 の取 扱 容 易 とな り、 従 つ て浦 潮 への輸 入 も発 達 す る に至 るべ
打 撃 を受 け居 れ る が、 取 引 所 の開 設 と共 に浦 潮 は、 満 洲 へ輸 入 す べ
内 国市 場 に対 す る荷 動 に関 し 浦潮 は、 欧 洲 大戦 前 に於 ては極 東 及
し と信 ず 。
世 界 の市 場 と 、順 調 な る関 係 の設定 に留 意 せざ る べ から ざ る も の に
沿 海 州 地 方 商取 引 の発 展
し て其 の将 来 の任務 は 、
北 満 貨 物 の通 過貿 易 増 長
西 比 利 の 一部 に対 し 、海 路 露 国 港 湾 竝 に外 国 より 、 又 は陸 路満 洲 、
一
蒙 古 、露 国 よ り輸 入 し た る貨 物 の供給 の港 た り し が此 後 発達 す べき
二
の 二方針 に向 つ て努力 す る にあ り 、 此 の目 的 達 成 、殊 に浦 塩 を し て
沿 海 州 地 方 の産 業 は、我 取 引 所 を通 じ て外 国 と の商 業 取 引 を開 拓 す
へ、 大輸 出 業 者 に対 し て は船 積 数 量 不足 等 の場 合 に小数 量 と雖 容
浦 潮 商品 取 引 は 小 荷主 に対 し て未契 約 の商 品 の商 売 に便 宜 を 与
四 五布 度 、 石炭 三 一八 、 一〇 八布 度 、燕 麦 五 、〇〇〇 布度 、 亜 麻 仁 ︹ 向日葵︺ 二 一三、 五 七 五 布度 、 麻 種 八 九 、 一二 一布 度 、 日向 種 子 二 、 四九 四
三 布度 、 鮭 筋 子 三 、四 二 七布 度 、 生 皮 六 、 六 六 三布度 、各 種 毛 皮 二
木 (白 楊 丸 太 を含 む ) 一、 五 二 一、 四 九 九布 度 、魚 類 三 八七 、 九 二
る を要 し 、 今 一九 二二年 度 に於 け る沿海 州 よ り輸出 を見 る に各 種 材
浦 塩 商品 取 引 所 は大 連 に於 け る日 本 取 引所 と平 衡 を保 ち 、穀 物
易 に買 付得 る様 便 利 な る機 関 た るべ き こと 。
布度 、豆 粕 六 七 、 四 三 五布度 、亜 麻 仁 粕 四 、 一八 六布 度 、麩 五、 九
易 にす る こと 。
満 洲 輸 出 の主 要 品 た る大 豆 を国境 地域 よ り沿 海 州 への輸 入 を容
通 過 輸出 港 とし て重 大 な る意 義 を有 せ し め ん が為 には 一
二
三
商 品 の為 に欧 洲 市 場 に於 け る標 準 を定 め 、 世界 の市 場 の為 に商 品
〇〇 布度 、獣 骨 及肥 料 三 七 、 八 二 三布 度 、葉 煙 草 二、 二 七 一布 度 等
任理事に推薦 せり。
マイオ フイ ス、プリ ンネル、オ ルフオメツ、ジ スト レールの四名常
右 に関し チチ ンスキー ・プーチの報ずる所左 の通報告します。
極東 林業政策情報送附 の件
大正十 二年九月六日哈 調第 一四二号哈 爾賓事務所長
七
の事業 の性質 に付研究する こととせり。
尚取引所 は証券取引部 の開設を計 画し居 れるが、之は商品取引所
に し て、 従 来 の状 況 より推 せ ば此 後 沿 海 州産 物 は増 加 し輸 出 は益 々 発 達 す べく 、 浦 潮 と西 比 利 と の連 絡 復 興 は浦 潮 をし て極 東 西 比利 産 毛 皮 の輸 出 中 心 地 た らし め 、世 界 の毛 皮 市場 た ら しむ べ く 、之 が順 序 と し て最 近 に於 て浦 潮 に極東 西 比利 産 毛 皮 の競 売 所 を設 立 す る必 要 あ り 、而 し て此 の設 立 は地 方 経 済界 を賑 は し 、外 国 資 本 家 の注 意
のた ら し む べし と 説 き 、結 論 に於 て 地方 商 工業 発達 の為 、 商 品 取引
を喚 起 し引 て我 が 取引 所 をし て商 業 中 心 機 関 と し て益 々面 目 あ るも
次 いで書 記長 は五 月 二十 九 日 承 認 さ れ た る定 款 を朗 読 し 会 費 を定
所 の効 果 あ る活 動 と成 功 を希 望 せ り。
に関 し演説し、極東経済会議 も林業問題解決 に関しては概して彼 の
数 日前極東 経済会議 にて極東林業トラ スト理事長 ア ニシモフ林業
一等 、 二等 鑑 札 に由 る商 業 経 営 者
む る 乙と とな り 。
一等 、 二等 、 三 等鑑 札 に由 る工 業経 営 者
一、林業発展計画
其 の概要次 の如 し。
説 に同意せり。
会 費 一ケ年 五十 留 、 入会 金 二十 留 其 の他 の商 工業 者 は会 費 一ケ年 二十 五留 、 入会 金 十 留 と規 定 し、
を主 とし て外国市場 に輸出するに便利なる地方 に於 ける森林 に集 中
国営林業 の業務計画 の如きも能 く前記 の状態 を参酌 し、其 の注意
極東 は無限 の森林 を有するも其 の多くは交通不便 の地に在りて、
ロー メ ツ、 県購 買 組 合 よ り ゴ ー ル スト キ ン、 国 立 銀 行 よ り バ ルヰ シ
せざ るべ からず 。外国市場 を確実 に吾人 の手中 に把握し、資金亦充
次 に役 員 の選挙 に移 り 、外 国 貿 易 局 よ りデ イ スト レ ル、極 東 貿 易 局
ニ コー フ、極 東 銀 行 よ り マイ オ フイ ス、県 財 政 部 よ り ウイ ト ル氏 を、
実す るに至りし場合 に於 て始 めて漸次遠隔 せる地方 に於 ける森林に
めて少く年 々成長す る木材を需 め用ゆる に足らず 。
個 人 経 営 者 よ り ア ルベ ル ス (ク ンスト ア リ ベ ル ス商 会 主 )、 シ ン ケ
国外 に輸出するため甚 だしく困難 なる状態にあり、国内 の需要亦極
ウイチ ( 木 材業 元 商業 会議 所 会 長 )、 プ リ ンネ ル (船舶 輸 出 入 業 元
に沿海及黒竜県方面 の事業 及輸出 に主力を集注し、次 で中部黒竜及
其 の手を及 ぼすを得 べし。此 の見 地よりして森林伐採計画 は、第 一
より プ レイ ス マン、市 役 所 よ りネ ポ ム ニヤ ス キ ー、国 家 石 炭 企 業所
和 蘭 、 瑞 西領 事 ) の三氏 を選 挙 し 、尚 此 の役 員 欠 員 の場 合 に於 け る
より プ ト チ ー ウイ チ、中 央 購 買 組 合 (セ ント ロソ ユーズ ) より オ フ
各 候 補 者 を選 定 、 検 査員 三名 を 其 の以外 に任 命 し 、上 記 役 員 中 よ り
而 し て我林 業 計 画 を樹 つる に際 し ては先 づ 第 一に国 営 林 業資 本 の
黒 竜 江 上 流 竝後 員 加爾 、 沿貝 加 爾 の森 林 に及 ぼす を可 とす 。
状 態 、 外 国市 場 に於 け る 販路 竝 需要 の状 況 に関 し て充 分 な る考慮 を 払 ふを 要 す 。
国 営 林 業 の順 調 な る発達 を期 す る ため には コ ンセツ シ ヨ ン政 策 は
三 、 コン セ ツ シ ヨ ン政 策
即 ち最 も有望 にし て有 利 な る森 林 は之 を国 営 林 業 の手 中 に残 し 、
次 の如 き 原 則 の下 に行 は れ ざ る べ からず 。
運 転資 本 亦 少額 なり 。 凡 て木 材 は半 製 品 の形 式 (桁 、 タ ルキ、角 材
既 にソヴ エート 聯 邦共 和 国 の最 高 機 関 (コン セツ シ ヨン本部 ・人 民
純 然 た る外 国 コン セツ シ ヨン のも の と に分 つ。而 し て此 分類 方 法 は
其 の他 の森 林 は之 を政 府 の参加 す る混 合 会 社 に利 用 せ し む る も のと 、
等 ) に於 て輸 出 す る こと 必要 な り。 故 に漸 次 資 金 を有 す る に至 ら ば
の請 願 に依 る) に依 り処 理 せ ら れ つ つあ り。
委 員 会 及 労 働 及 国防 ソヴ エート等 に於 て最高 経済 会 議 の中央 林 業 庁
国 営 林 業開 始 後 未 だ 充 分 な る資 金 を有 せず し て、 工場 設 備 整 はず
キ ジ及 カ チ の両 湖 地 方 、 尼港 、 イ マン、 ウ スリ ー等 の利便 な る地 に
れ り 。之 等 の工場 は前 記 の如 く市 場 不 況 のた め金 力 を尽 す を得 ず し
進 に関 す る案 を人 民 委員 会 及 国 防 ソヴ エー ト に提出 し て審議 を求 め
最 高 経 済会 議 中 央 林 業庁 は前 記 の諸問 題 及 其 他極 東 の木 材輸 出 促
達 に対 し て保 証 を与 ふ る も の にあ らず 。
両 県 に於 て) 各 種 の公賦 課 竝 関 税 等 の高 率 な る こと は林 業 の急速 発
在 の諸状 況 即 ち 鉄 道賃 銀 、 切株 税 (〓O〓e〓 )H( b 殊l にe 沿 海 、 沿黒 竜
単 に国 営 林 業 発 達 の為 に は尚 数 多 の方 法 を採 らざ る べか らず 。現
四 、木 材 輸 出 増 進 手段
木 材 加 工場 を設 置 せざ るべ か らず 。 其 他 将来 に於 ては 世界 の我 国 木 材 需 要 の状 況 を考 慮 し 、 且之 等 の市 場 に販路 を求 め るた め に は、 尚
二 、林 業 の現業
精 密 な る製 材 工場 及 木 材 化学 工場 を設 置 す る の要 あ り 。
今 年 は国 内市 場 の需 要 極 め て少 額 な りし た め沿 貝 加 爾 県 (オ ノ ホ
て各 製 材 所 共其 の 一部 作 業 し あ り し の みな る が 、凡 て製 材所 の 一部
た り。
イ 及 ホ ホ ツイ ) 竝黒 竜 県 に於 け る製 材 所 は閉 鎖す る の止 む な き に至
作 業 は結 局 欠損 とな るを 以 て前 記 の如 く 閉 鎖 せ る な り。斯 く の如 く
五、 将来 の予想
前 記 の諸問 題 に し て有 利 に解 決 せら れ たら ん には 、勿 論 我 極東 の
沿 貝加 爾 県 の二 工場 及 後 貝 加爾 県 の 二 工場 閉 鎖 せら れ、 目下 は知 多
林 業 は単 に極 東 に於 て のみな ら ず 、 全露 国 中 に於 て目 覚 し き位 置 を
工場 の み全能 力 に於 て作 業 し あ り て、 国 内 及満 洲 地 方 の需 要 に応 じ あ り 。黒 竜 県 に於 ても 三 工場 中 の 二 は閉 鎖 せ ら れ て ス ラゼ フス キ ー
占 む る に至 る べ し。 何 と な れば 概 し て極 東 の森 林 は 日本 、 支 那 、濠
極 東 林 業 其 の業 務 を 開始 せ る第 一年 の八 ケ月 間 に於 て其 の殆 ん ど
置 しあ るを 以 て な り。
洲 、 阿非 利 加等 年 々 一億 留 以 上 の需 要額 を有 す る世 界 市 場 に近 く位
工場 の み 一部 的 に作 業 し あ り 。 尚 明 年度 即 ち 一九 二四年 中 に は イ マン及 ビ キ ンに於 け る 旧 ス キデ ル スキ ー工場 、哈 府 工場 竝新 に装 備 せら れ た る ウ ス リー 工場 等 外 国 市 場 に輸 出 す る ため 作 業 を開 始 す る に至 る べ し。
運 転資 本 を有 せ ざ りし にも 拘 らず 、約 三百 万 クー ボ フ ート の木 材 を 輸 出 し得 た り。来 る べき 一九 二 四年 度 に於 て吾 人 は少 く も 一千 万 ク
牧
金 畜
額
一、七五九千留 (但し 一プ ード十哥 の割)
て牧畜 の収入年 一、○○ 五千留 とす 。
一〇、〇五 一千留 としたり。是 より約 一割 の収入を得るものとし
確実な る統計を得 るに至らず 。依 つて参酌 に依り黒竜県内家畜
四
の輸 出額 を近 き 将 来 に於 て、平 均 一年 四千 万 乃 至 五千 万 ク ーボ フ ー
五
ー ボ フー ト以 上 の輸 出 を為 さん こと を予 想 し あ り。 而 し て吾 人 は此
ト に〓 上 さざ るべ か らず 。 之 に対 す る計 画 は 已 に極 東 林 業 に於 て作
月なり)凡 ての木材輸出業務 は此中央木材輸出本部と協定しありて、 已 に極東 に於 ても此 の輸出本部 の代表 を有したり。
八 大正十 二年九月 二十七日 第 一八六号 斉 々哈爾公所長 ︹ブ ラ ゴ エチ エン ス ク︺
黒竜県農村収入情况と税額制定 九月十日十 一日両日在ブラゴ ヱ市黒竜県行政委員会総会発表摘訳。
一四、五二七千プード 八、九三○千留
薪材 の製造 による収 入 一、五○○千留
以上農村収入総額 一五、六三三千留
右 の収 入に対し単 一税賦課総額二、五○○千留 なり。 穀物類植付面積
二八四千デ シヤーチン
二、千九 百二十三年農 作予想 (県税務委員会調査) 燕麦四 一% 燕麦五五%
一六、 二五○千 プード
内 小麦 五二% 右 収穫予想
内小麦 三五%
一、七○○千留
なり。
九 、七五○千留 (但プ ード六〇哥 の割)
五、○ 三六〃
額
一六、五二六〃
右 金
副業収入 同
野菜類売 上予想額 以上農村 収入同
二十三年度は天候不順 の為黒竜江岸 一帯不作、平作 に比し七割弱
穀
物 税
右 課税 額
全 収 入額
九○三千留
一五、六三三千留
とのことなれば、右予定 の収入を挙げ得 るや疑 はし。
穫 量 額
一七、五六八千 プード
一、七 一七千留 (収穫量不明)
金
量
草
額
三、千九百 二十二年農村収入と課税
金 牧 収
穫
オレーフ樹 種子及馬鈴薯
収
穀物類 (小麦、燕麦、裸麦、蕎麦等)
一、千九百二十二年 (大正十 一年)農村収入 一
二 三
林産物販売
製 せ ら れ あ り て、今 後 は英 仏 、 和 蘭等 の欧 洲 諸 国 に輸 出 す べ く計 画 編 注 、 一ク ー ボ フ ート は 一立 方米
〕
極 東林業 が中 央木材 輸出本部 に加はりて以来 ( 加 はりしは本年 六
中なり。
〔
隠 匿 者 罰金
一三 八 〃
つあ り。
露 人 は安 達 に出 張 、各 工場 を訪 問 、消 費 量 を調 査 、購 入 を勧 誘 し つ
も の の如 く 、 十 月十 三 日哈爾 賓 コム メ ル チ エスカ ヤ街 三十 二号 地某
四 、〇〇〇 千 プ ード
二 、五 〇 〇 千 プ ード
(別
紙) 金
肩書 の件 別 紙 の通報 告 す 。
極 東 銀 行 の内 情
大 正十 二年 十 月 十 八 日哈
一〇
五〇〃
なり
三〇〃 一、 三 九 一〃
春 蒔 用種 子 と し て
五 、〇〇〇 〃
本
爾 賓 事 務所 長
税
別 計
豊 民食 糧 とし て
調 第 一九 七号哈
一般 国 民 税 戸 合 全 収 入 に対 す る九% に当 る 四、 千 九 百 二十 四年 の農 村 財 政 予 想
家 畜食 糧 とし て 四七五〃
千 九 百 二十 三 年度 予 想収 入額 一六 、 五 二 六千 プ ード にし て、
市 場移 出 可 能 額
留 にな つた 。出 資 の割 合 は政 府 一、 ツ エント ロサ ユーズ其 の他 の機
労農 政 府 の財 政 部 は 、昨 年 五 万金 留 を出 資 し資 本 金 は之 で参 百 万
一、資
九 、 七 一二、 二〇 四留
関 六 、個 人 三と な る 。本 年 一月 現在 の現 金 は 六十 万 留 で他 は動 、 不
農 民 収 入総 額
動 産 であ る。 資 金 は僅 でも 、 当 地 の支 店 は驚 く やう な突 飛 な活 動 を
穀 物 以 外野 菜 及 副 業 収 入
七 、 七 一二、 三 〇 四 〃
二 、〇〇〇 、〇〇〇 〃
一 税
単
百 万留 、知 多 向 荷為 替 五百 万 留 を 取組 ん で居 る。
年 ) の利 益 は弐 拾 五 万留 を算 し 、 又本 年 上 半 期 に は浦 潮向 荷 為 替 八
昨 年 末 イ ンタ ーナ シ ヨナ ルと為 替 取 引 を 開 始す 。昨 年 中 (設 立 の
二、昨 年 の仕 事
する。
純 農 民収 入
斉 々哈爾 公 所 長
右 の外採 金 、漁 猟 等 の収 入 あ る を以 て農 村 一戸 平 均純 収 入 二〇 〇
第 二 一 一号
留 以上 とな る べし (以 上 )
九
大 正十 二年 十 月十 五 日
れた の で 一策 を案 じ 、当 地 特 産 有 力筋 ソ ー ス キ ン、 カバ ー ルキ ン、
今年 六 月当 地 に支店 設 置 方 を支 那官 憲 に掛 合 つた が、体 良 く断 ら
三 、 当 地 支店 の開 設
安達 よ り の報告 に よれ ば 東 支鉄 道 と鳥 鉄 と の了 解 な り 蘇 城炭 の運
ロバ ート 、 ノ ウ オ メイ ステ ル等 に 一枚 手 形 信 用貸 (見 返 証 文附 ) を
蘇 城 炭 販路 拡 張
賃 低 下 せ る ため 、該 炭 販 路 の安 達 ま で拡 張 す る計 画 をな し つ つあ る
し て名 のみ の株主 にな つて貰 ひ 、六 月 十 四 日資 本 金 五拾 万留 の ﹁極
六、花旗銀行と の関係
之をせぬ方針 である云 々。
けて儲けた。尚西部線発東行物 にも金融をす るが東部線発 の物 には
過般花旗銀行に対し ては鳥蘇里地方 の代理店を引受けようと申込
東 商業 銀行 ﹂ を作 り、 定款 の認 可 を受 け る〓 、当 分 当 地官 憲 の仮 認
配 人 と な り、 元 鳥鉄 当 地 商業 部 出張 所 長 プ ジ ヤ ロフ スキ ーや 元 モス
ので不調に終 つたといふ。
んだが、紐育本店 は、赤系銀行と の取引は成る可く手控 へる意向な
可 でキ タ イ ス カヤ街 元 モ ス コー銀行 跡 に店 を出 し、 ガ スパ ル ソ ン支
コー銀 行 当地 支 店長 次 席 ポ グ レ ペー ツ キ ー等 、錚 々た る名 士揃 の幹
かに九万留 しか送 れなかつたと言 ふから内輪は火 の車 である。
方面 の信用薄弱 で、最近知多より武市為替拾弐万留を組 んだが、僅
ち注目 に価 する。
右 は当地極東銀行支配人 の打 明話 であつて烏鉄 の北満対策と相俟
ので、 尼 港行 は百 万布 度 の予定 が僅 か に八 万 布度 を出 し 、哈 府 行 は
金 を貸 付 け る位 であ る。昨 年 の春 は 此 の式 で ソ ー スキ ンに金 融 を 付
南 部線 諸 駅 のやう な東 南行 運賃 の開 き の少 な い所 の大 豆 や小 麦 に資
であ る 。只 当 行 とし て多 少 活動 の余 地 あ る は、 例 へば 哈爾 賓 に近 い
ら ん 。 さり と て当 行 は 目下 後 者 から 資 金 の融 通 を受 け る こと は困難
歩 二銭 五厘 ) と言 ふ安 い利 息 で貸 す から 、当 行 は後 者 とは競 争 にな
銭) と い ふ少 し高 い金利 を取 る が、 イ ンタ ー ナ シ ヨナ ルは九 分 (日
さ ねば 引 合 は ん。 尤 も鮮 銀 は普 通荷 主 から 一割 九 厘 五 毛 (日 歩 三
か ら借 りれ ば年 一割 の金 利 を取 られ る か ら、 荷 主 へは 一割 四分 で貸
物 に は尠 く と も 四、 五百 万 留 を準 備 せ ねば な ら ん 。此 の資 金 を他 方
支 配 人 の言 に拠 れ ば現 在 百 五十 万留 の資 金 を運転 し得 る も、 東 行
五、 金 繰 難 と東 行 物 に対 す る金 融
八% 、 哈 府向 一五 % のきめ で、 其 の外 に幾 分 の手数 料 を取 つた。
五拾 万布 度 の予 定 が 一布 度 も出 て居 ら ん。 当 地 の金 利 は尼 港 向 年 一
久 原 商 事 に金 融 を付 け る契 約 をし た が 、支 那 官憲 が下 航 を差 止 め た
る。小資本 の割 に各所 に手を拡げた勢 か、知多、ウ エルフネ、武市
同行 の本年八月 一日現在預金高 は本支店を併 せ四百五拾万留 であ
七、資金薄 で知多 辺は不信用
部 は烏 鉄 と連 絡 を取 り、 前記 の株主 を対 手 に此 の冬 一儲 けし よ う と 昨 今 向 鉢 巻 の体 であ る。 編 注 、川 豆 と は 四、 尼 港 向川 豆 河 船輸送 の大豆
〕
本 年 六 月 から 九 月〓 の三箇 月 間 に於 て、 尼 港 と哈 府 行川 豆 に対 し、
〔
関 東 大 震 災 関 係一
調 査 課 情報 係
二三
庶 調情 第 五 四 九号 日本 震災 に拠 る各 地 の反 響 営 口片 山 電報 (九 月 五 日午後 三時 )
支 那 側 重 な る実 業家 は商務 総 会 を 通 じ慰 問 者続 々来 訪 、 便宜 供 与
欧 米 人 の重 な る者 税 関 長 及英 国 領 事 及英 国商 業 会議 所 、 外 人倶 楽
方申 出 あり 。
部代 表 者 何 れ も領 事 館 を慰 問 せ り。
営 口片 山電 報 (九 月 五日 午 後 六時 )
東 洋 綿 花出 張 所 に つき聴 け ば当 地 に於 て数 日来 邦 貨下 落 の結 果 棉
安 東 在 住者 は 一般 に母国 一大危 機 に瀕 せ り救 はざ る べ からず と憂
安 東 地 方事 務 所 電報 (九 月 五 日午 後 七時 )
糸布 取 引 頗 る活 況 を 呈 し つつあ り。
三 日午 前 一四 四元 、午 後 一四 三 元 三三 と な り四 日午 前 一四 二元 二 〇、
営 口 は金 一〇 〇 円 に対 し奉 天票 相 場 一日迄 一四 七元 上 下 な りし も
午 後 一三八 元 とな り更 に 五日午 前 一二 八元 と な り た る が午 後 に至 り
災 の結 果 穀 類 の需 要 あ る べき と見 込 み価格 を 引締 め つつあ り、 支 那
営 口 日本領 事 館 よ り聴 く 処 に依 れば支 那 商 人 の機 敏 な るも のは震
営 口片 山 電報 (九 月 五 日午後 四時 二十 分 )
剛 健 倹 力 行 を精 神 とす る 一大 団 結 を 造 ら んと熱 心 に奔 走 し 居 れ り。
地有 力 者 は其 他 代表 的 人 士 の賛 同 を 求 め近 日 此機 会 を利 用 し て質 実
設 の真 摯 な る運 動 を起 す も のあ り、 太 田秀 次 郎 、杉 原佐 一郎 等 の当
虞 れ、 為 め に物 質 文 明 の大 破壊 を現 実 に体 験 し た る為 精 神 的 日本建
帯 に移 転 す べ し と唱 ふ るも のあ り、而 し て 一面 社 会 主義 者 の跋扈 を
慮 し つ つあ り。 又 中央 政 府 所在 地た る帝 都 は此機 に於 て安 全 な る地
官 憲 道尹 以 下全 部 昨今 に かけ て 日本領 事 館 に慰 問 に来 るも の絶 へず
一三 二元 五 〇 に もり返 へす 。
頗 る同情 と好 意 を表 し、 道尹 は物 質 必要 の際 は支 那 側 にて出 来 る限
支 那 側 には 日本 全滅 等 の流言蜚 語連 り に行 は る るも時 々刻 々明白 と
︹ 勤︺
り の便宜 を供 与 す べき に つき容 赦 な く申 越 さ れ たし と の申 出 あ り 。
な り来 れ る惨 害 の真 相 を知 るに つれ漸 次 平 静 に赴 き つつあ り。 朝 鮮 人 は 表面 何 等動 揺 なき も のの如 く今 回 の惨 事 に対 し て は甚 た し く無 関 心 な り。 経 済 的 には当 地 木材 業 は相 当活 況 を 呈 し原 木 及製 材 約 一割 騰 貴 し 、
営 口外 人係 電 報 ( 大 正 十 二年 九 月 六 日午前 十 一時 十 分 発)
営 口 に於 け る六 日朝 金 対 奉 天 票 百 三十 四 円 五十銭 な り、震 災 前 当
地 に於 け る米 相 場 は 一俵 九 円 五 十銭 乃 至 十 円 のも のが昨 今 十 一円 五
十銭 見 当 、商 業 会 議 所 に就 き 聞 く に当地 邦 人扱 の米 在 荷 百 五十 石 、
ず 。豆 粕 の取 引 は目 下 中 止 の已 む なき に到 り居 れる を以 て価格 の変
し。 邦 人向 日常品 相 場 未 だ変 動 な し 。支 那 側 も大 に同情 し知事 よ り
るも 目下 救恤 方法 手 配 中 な り。 罹 災 地 に近 親 を有 す る も の比較 的 少
震災 の報 は三 日 に知 れ渡 り居 留 民 は災 害 の余 り に大 な る に荘 然 た
鄭家 屯 公所 長 電 報 (大正 十 二年 九 月 六 日午前 十 一時 四十 分発 )
注 文中 のも のを併 せ て 五百 石 乃 至 六 百石 な り と言 ふ 。
動 を知 る由 な し 。 又柞 蚕 糸 は取 引時 期 既 に終 え たり 。銀 相 場 は支 那
救 済 に関 し申 込 あ り、 道尹 よ りも 見 舞 の挨 拶 あ り、 経済 界 には相 当
の採木 公 司 対木 材 業 組合 と の悶着 も此 際 容易 に解 決 さ れ るや も知 れ
従 て此 の際 従来 のスト ツクを 整 理 せ んと 盛 に製 材 を開 始 し 、懸 案 中
し金 一三〇 円 な り しも 本 日 は 一三 五円 六 〇銭 とな れ り 。其 他 一般 の
商 人側 に て 一般 に金 票 の暴 落 を 予 想 し、 昨 日迄 現 物銀 一〇 〇 両 に対
影 響 あ り て本 月 二 日金 対 小洋 相 場 百 四 十五 元 八十 銭 な りし も 五 日 に
的 の吉長 日報 も頻 り に 日本 に同 情 す る の言 説 を掲 げ 全 然排 日的 記事
済 団 を組織 せ り、北 京 に ては画 家 の 一団画 会 を開 き 一千余 点 の画 を
方法 を研究 し つつあ り、 天津 にて は段祺 瑞 主 唱 し民 国 を代 表 す る救
東 京 附 近震 災 に対 し当 地 方朝 野 共 深 甚 な る同情 を表 し何 れも救 済
北 京 公所 電 報 ( 大 正 十 二年 九月 六 日午前 十 時 四十 五 分発 )
は百 三 十 一元 五 十銭 に昇 騰 し雑 穀 類 も稍 騰 貴 せ り。
物 価 には目 下 左程 影 響 な し。 吉 林 公所 長 電報 ( 九 月 五 日午 後 七時 四十 五分 )
な し。 省 長始 め各 庁長 等 今 回 の日本 に於 け る災害 に同 情 せ る も の の
売 り義捐 金 に当 つる筈 、熊 希齢 、顔 景 慶 、王 懐慶 、馮 玉祥 等 を中 心
吉 林 に於 け る内 地災 害 の影 響 は多 く言 ふ に足 らず 。新 聞 界 は 排 日
こと に決 定 した る旨 電 報 あ り 、吉 林省 も之 がた め尽 力 中 な り。
場 変 更 な し 。其 他 物 価 は輸 入 品 は騰 貴 し た る も当 地生 産 品 は変 化 な
民 税 金 の六倍 乃至 十 倍 づ つ の義捐 金 を集 め る事 とな れ り 。当 地 正金
な せり 。 排 日 の空 気 之 れ にて 一掃 さる る と思 は る。日 本人 間 にも居 留
つあ り 、北 京 の学 生 団 体 は今 後 排 日 の文 字 を 一切 使 用 せ ぬ申 合 せを
晨 報 、益 世報 、 京 報 の如 き 新 聞 す ら社 説 及 び記事 共同 情 を寄 せ つ
出 、防 穀 令 の 一部 解禁 其 の他 の方法 を講 し つ つあ り 。
と す る救済 会 の計 画 あ り、 国 務院 にても 不取 敢 二十 万弗 の救恤 金 支
如 く、張 総 司 令 よ り今 回東 三省 金 体 にて麦 粉 一万俵 及 牛百 頭 を 贈 る
経 済 的 方面 に於 ては金 融 方面 は多 少 の変 化 あ り、 一日は小 洋 金 票 一円 に付 洋 一四 四元 な り しが 二 日 一四 二元 、 三 日 一四 二 元、 四 日 一
し 。尚 昨 日商 議 会 に て総務 商 会 の秘 密 会 議 を催 し日本 の災害 に依 り
支 店 には 正金 銀 行 の小 口兌換 請 求 者 多 数 あ るも 一時 的 現象 と思 は る 。
三 九元 、 五 日 一二七 元 と下 落 し つ つあ り 。此 の中現 大 洋 と洋 と の相
る様警 告 す る に決 し たり と言 ふ。
其 の金 融 に大変 化 を来 す べき に付此 際 金 票 を所 有 し て損 害 を受 けざ
長 春 地 方事 務 所長 電 報 (大 正十 二年 九月 六 日午後 一時 二十分 発 ) 東 京 附 近震 災 に依 り 当地 方 面 は政 治 的 に は著 し き反 響 な き も市 中 邦 貨 下 落 を称 ふ るも のあり 、食 糧 物 価騰 貴 の傾 向 あ り、 関東 庁 暴 利 取 締 令 に依 り銀 行 団 の貸 付 手 控 と哈 市 正金 取 付 の為 、当 地 正金 よ り
于冲 漢 は今 回 の震 災 に対 し金 三千 円 を義捐 本 日総 領事 を経 て手続
上海 埠頭 支所 長 電 ( 大 正 十 二年 九 月 六 日午 後 四時 四 十 二分 発 )
せ り。
大 震 災 に対す る当市 中 外 人 の同 情 甚 大 にし て従来 日支 間 に横 は れ
る暗雲 は 一掃 せら るべ き か と思 は る る位 な り。
母国 震 災 の新 聞 報 道誇 張 に過 ぎ た るた め支 那 人中 には金 票 が軈 て
奉 天公 所長 電 報 (大正 十 二年 九 月七 日午 後 三時 二十 分)
二百 万 円 現金 送 附 等 にて市 場 頓 に緊 張 す 。范 家 屯 取引 所 は頭 暴落 に
し つ つあ り 。
理 屈 を陳 べ頻 り に悪 宣伝 を なし 居 る も のあ り。
留 同 様無 価 値 と な り日本 と の商 取 引 は全 然 破滅 な りな ど尤 もら し く
依 り取 引停 止す 。 思想 界 何 等 影響 な し 。支 那 側 は多 大 の同 情 を表 は
天 津 正金 銀 行 は取 付 に遭 へり、 天津 の東 三省 官銀 号
奉 天 公所 長 電 報 (大 正十 二年 九 月 六 日午 後 二時 三 五分 発 ) 于 沖 漢 の談
分号 は預金 四 十万 元 の引出 可 否 に就 き問 合 せ あり し が其 要 無 し と返
金 下落 の外 影響 認 めぬ 。
陽
瓦 房 店
遼
る。
災 害 に対 し在 住 支 那 入 は誠 意 同情 を表 し義捐 金 の申出 を 為 し て い
金 下落 の外影 響 認 め ぬ 。
山
鞍
鞍 山地 方 事務 所 長 ( 大 正 十 二年 九月 七 日第 一五 七四 )
の預 金 を引 出 した るも 翌 日又預 入 せり と 。
電 せ りと 、猶 聞 く 所 に依 れば 支那 商 業 銀行 は当 地 鮮銀 よ り四 十 万 円
奉天公所電報 ( 大 正 十 二年 九 月 六 日午後 二時 五 十 分発 ) 支 那 側 の震 災 に対 す る反 響 は既 報 せし 通 り な るが 日本 側 の模様 左
一 各 銀 行 は貸 出出 を 停 止 せり
復 州知 事 、熊 岳 城 支 那側 代 表 者 は深 厚 な る同 情 を表 し て いる。 瓦
に
二 取 引 所 は昨 日 より 立合 を休 止 せ り
麦 粉 、米 等 は売 惜 し みな し 、買 付 困難 に て代 金 支払 には 金 票 よ り
筈 、 一般 に至 情 を捧 げ て居 る。
房 店 附属 地 に ては支 那 側 の義捐 金 募集 終 り八 日地 方事 務 所 へ提 出 の
三 材 木 、米 其他 食 糧 品 の市 価稍 騰 貴 せ り 四 一般 の市 況活 気 を 呈 し居 れ り 五 此 以 外食 糧 品 買 占 を為 す も の出 でた る為 本 日九 時警 務 署 に主 要
奉 天 票 を歓 迎 す る傾 が あ る。 一部 には今 回 の震 災 は日本 没 落 の前 程
商 品 取 扱 商 を集 め暴 利取 締 の警 告 を与 へた り 六 商 業 会 議 所経 済 上 の対 応 策協 議 の為 八 日議 員 会 を開 く筈 にて本
松 本電 情 報 ( 大 正 十 二年 九月 八 日午 後 九時 発 )
な りと の悪 宣 伝 を 放 つ者 もあ る 。 青島
日各 議 員 に通知 を発 せ り。 奉 天 公所 長 電報 (大 正 十 二年 九 月 六 日午 後 三時 半 )
電 見た。東京震災 の報 に接す るや人心 一時不安 に襲れしも政治上 には悪影響なし。支那人は多大 の同情 を表し官憲始め商務総会率先
二
日本震害 に関する支那紙 の論調
奉天公所長 (大正十二年九月六 日 第 六三号)
し て義捐金 の募集 に着手し、却 つて排日の感情を緩和せり。欧米人 も亦同様にて米国人は逸早く運送店 に糧食を積入れ四日既 に横浜 に
の詳報を得な いが変災後人民は生活 に苦 しみ此機 に乗 じ革命を企図
連日に亘 る日本震災 の惨状聞く に忍 びぬ。報道は区 々で未だ震害
九月六日の東三省民報は日本震災 に関 し左 の如く論 じている。
直航し、日本人義捐金は既 に五万円 に達 せんとし牛肉佃煮其他を買 入 れ被害地に急送手続中なり。 経済上には銀貨 一時 一一八円となれるも本日は一〇四円に下れり。 食糧 品は約 一割 方騰貴 せり。流言 に依 り正金 は支那人 の預金引出 し及 び愚民 の銀券引換 へに忙殺 されたるも輸出資金豊富 の為何等影
一朝 一夕 に之を救息する ことは出来 ないが、中国人民は同文同種 の
す るの端 を開 いた。常理を以 て之を測 るに日本 の天災、人事紛擾 は
臨時救済策、永 久善後策 に就 ては吾国 は応にその智能 を尽して上下
関係 に於 て此緊急事 に当り救災恤憐 の責任 の大半を負 ふべきであ る。
響無く既に本 日は平常 に復 せり。 一般輸出 は減退 の見込。 大正十二年九月十二日
中国人民は性来寛大慈善 が有 る、先年露国の旱災に当 つては巨額
一心人道 の為 につくさねばなら ぬ。
の救恤を為した。今次 の日本 の災害 は露国 のそれ に比 し数倍も重く、
震災 に依る反響
鞍山地方事務所 ( 第 一、五七四号)
加之中日両国は民族関係もある故天然 の親愛性有り。吾人は必ず 一
山
鞍
層 の救済 に尽力す べきである。
一旦下落 した金 相場 も漸次昇騰 せり。在住支那人代表者来所し義 捐金 の送付方 を依頼 し現金約三百円本日午後届け来 る筈 、又上り高
しては中国 の責 任が他国よりも比較的 に重 い。又往事世界有事 の際
救災恤憐 の事 は世界文明国共同 の事業 ではあるが東亜 の事変 に対
大 石
亜細亜問題 については常 に日本 の意響 に倚つて来た。故 に列国会議
橋
特 に言ふべき反響なきも白米は仕入値 の騰貴 に伴 ひ漸次高くなり
の為計 つたことが少くな い。而し て今 や此奇災 に罹る、将来国歩艱
席上に於 て日本 は常 に亜細亜 の主 人公 として自任し、殊 に東亜名誉
を義捐する目的を以て支那芝居開催本日より五日間興行 の筈。
上米 一叺十 一円なり。営 口に於 て需要多き綿糸先月 二百十 五円見当
ならず惹いては東亜 の大不幸事 である。東亜各国が往時 日本によ つ
難挙げて言 ふべからざ る状態 で、此れ実 に日本 の大不幸事なるのみ
な りしも目下 二百三十六円位 なり、粗布 一反八円四十銭 なりし が目 下九円なり。
日本 を擁護 す べき か 、而 し て喪 失 せ る元 気 を 八年 十年 にし て依復 せ
て光 栄 を得 た以 上 今後 如何 に し て日本 を 救 済 す べき か 、如 何 に し て
日本 に不 利 な る報 道 及宣 伝 を為 す べく申 合 せた様 であ る 。
ひ て語 る所 に依 れば 、埠 頭 区露 字 新 聞 は概 し て此 の機会 を利 用 し て
ルー ス キ ー ・ゴ ー ロ ス紙 ( 右 党 紙 )記 者 が本 日直 接当 事 務所 を訪
然 る に吾 国 内 を 顧 み る に軍閥 輩 の争 利 争 権 に依 る北京紊 乱 の状 態
しむ る こと は之 れ唯 中 国 の責 任 であ つて他 国 の任 では な い。
然 しな が ら中 国 には今 日猶 ほ吾 と 同志 の者 少 な からず 、愛 国 の精
著 しく減 退す るだ らう な ど の悪 宣 伝 をな し 、又 差 当 り 日貨 を暴 落 さ
も此 の機 会 を利 用 し て、 日 本 が経 済 上 に根 本 的 致 命傷 を蒙 り国 力 は
今 回 の大 震 災 に際 し 当 地外 字 新 聞殊 に支 那 及 左傾 露 字 新聞 は早 く
大 正 十 二年 九月 五日
哈 調 第 一三五号
神 に基 き 其愛 を 日本 に及 ぼし 世界 に拡 む る こと 又難 事 に非 ず 。嗚 呼
に放 た ぬは真 に傷 心 痛哭 す べ き事 であ る。
は 日本変 災 後 の状 態 と異 な らず 。 眼 前利 害 のみ を知 つ て眼光 を 国 外
吾 人 が東 亜 を救 ひ世 界 を済 ひ而 し て漢 族 の光 彩 を発 揚 せん と欲 す る
せ様 な ど企 図 す る者 も少 く な い様 な傾 向 が あ りま す 。御 参 老 の為 今
期 す べ からず と結 べり 。 ( 堀江)
日 子 を要 す べく 当 分 日本 の対 内外 殊 に対満 洲積 極 的 経済 上 の活 動 は
此際 挙 国 一致此 の難 局 に処 す る なら ん も而 も経 済 的 恢復 には多 数 の
下落 等 は全 く あ り得 べ か らざ る こと に属 す と論 じ、更 に 日本 国 民 は
段 に於 ては仮 令 今 回 日本 の受 け た る損 害 が如 何程 大 な りと も 日貨 の
災 によ り 日本 国 民 の蒙 りた る 不幸 に対 し先 づ深 大 の同 情 を表 し、 中
ザ リ ヤ紙 は九 月 三 日夕 刊 に於 て ﹁ 惨 害 の結 果 ﹂ と題 し て東海 道 震
後 逐 次 当 地新 聞 の論 調 を御 報告 致 します 。
編注、本紙は︺ は 此秋 であ る。蹶 起 せん こと を望 む 。︹張 学良経営
三
哈 爾 賓 事務 所 長
東 海 道 震災 に対 す る哈 爾賓 外 字新 聞 の論 調
(大正 十 二年 九月 四日第 一二九 号 ) 哈爾 賓 の露 字新 聞 ザ リ ヤ、 ルー ポ ル、 ノ ー ウ オ スチ ・ジ ーズ ニ紙 は 二 日午 後 五 時各 号 外 を発 行 し震 災 に関 す る東 方 其他 通 信 及若 干 想
ひ て陛 下 の安 否不 明 にし て災 害 の為 葉 山 に於 て崩 御 の確 な る可 き 事
紙 ノ ーウ オ ス チ ・ジ ーズ ニ紙 は赤 色 紙 を 、 ルーポ ル紙 は桃 色紙 を用
て震 災 に関 す る情 報 を報 道 し 、其 の社説 に於 て は帝 国主 義 を 以 て固
九月 四 日ノ ー ウ オ スチ ・ジ ーズ ニ紙 は第 一面 及 二面 の全 部 を挙 げ
大正 十 二年 九 月 五 日
哈 調第 一三 七号
を 、 又ザ リ ヤ紙 は 日本 の経 済 的打 撃 は甚 大 で其復 活 は最 少 限十 年 を
め ら れた 日 本 の政 治 、経 済 其 の他 の諸機 関 が根 本 的 に破 壊 され昨 日
の報 道 は 一様 であ つて市 場 の景況 も事 実摘 録 に止 つて居 る が、 左 党
像 記 事竝 事 実 に対す る当 地銭 市場 の景 況 を報 道 し て居 る。 概 し て其
要 す べし と 報 じ て い る。
迄世 界 を横 行活 歩 し て隣国 を脅 威 し居 た国 も 今 や気 息 奄 々と し て人
り 一〇、 八 三 に下落 し た が幸 に 正金銀 石 に於 て之 を維 持せ んと し 現
ら れざ る によ り当 地 の人 心 定 ま らず 、 之 が為 に金 票 は 一〇 、 一八 よ
た 。震 災 の詳 状 が明瞭 とな つた後 は平 常 に復 す る こと であ らう 。為
銀 を売出 し て多 く の金 票 を買 入 れ た の で市 中 の相場稍 や穏 固 と な つ
︹マ マ︺
道 に訴 へ救 助 を乞 ふ有 様 にな つた 。而 し て今 の処 衷 心 の同 情 を表 し
つて露 国 は決 し て世 人 の考 ふ如 き 人道 の敵 でなく 友 であ ると 日露 関
又当 地 の巨 商福 田組 等 は此度 震 災 の報 を得 て其 の支 配 人 は色 を 失
替 は未 だ震 災 の為 に何 等 の影 響 を受 け て居 な い。
真実 の友 邦 た り得 るも のは蓋 し日 本 が 三度 迄 握 手 を求 め た露 国 であ
係 の設 定 を 暗 に勧 告 し 、又 日本 国 民 は臥薪 嘗胆 的 努 力 の徳 があ る か
ひ 、前 日来 皆 飲食 進 まず 日 本総 領 事 山内 四郎 は前 日来 客 を謝 絶 し て
ら 必ず や鋭 々其 の国 家 を再 び堅 固 に再 興 建 設 す るは 明 か な事 であ る が 、旧 式 の首脳 を失 つた今 日 を機 会 に宜 く 一般 民 衆 の国 家 とし な け
面 会 をし な いと の こと であ る﹂ と 報 じ 、又 哈 爾 浜晨 光 報 は朝 鮮 銀行
を請 ふた と報 じ 、更 に其 の鉄 欄 に於 て ﹁ 痛 快 と なす も の誰 ぞ﹂ と題
が為 該銀 行 前 の秩 序 大 に乱 れ、 日本 領事 は朱長 官 に其 の秩 序 の維 持
の哈 爾賓 支 店 は 日本 震 災 の影 響 を受 け て外 人に 取付 け ら れ昨 日 は之
れば なら ぬ 、 と陰 に主 義的 宣 伝 を為 し て居 る 。
害程 度 は不 明 であ る が千古 未 曾 有 の惨 害 であ る こと は疑 ふ余 地 な く
し ﹁日本帝 国 主義 者 は此 の数 十 年 来 強暴 の慣 用手 段 を 以 て中 国 に勝
同 日 トリ ブ ー ナ紙 の社 説 は、 今 回 の震 災 に依 り日 本 の蒙 りた る損
い。大 災 害 に対 し ては常 に各 方 面 か ら大 き な同 情 が寄 せら れ るも の
ち朝 鮮 、台 湾 を 取 り後 露 国 を討 つて我 が満 洲 を侵 略 す 。 民国 四年袁
其 の恢 復 の為 め 日本 国 民 は幾 年 か非 常 な辛 酸 を嘗 め な け れば な ら な
であ つて吾 人 は今 回 も 世界 の隅 々か ら 日本 国 々民 に対 し て各 種 の援
我国 の承認 を強迫 す 。 朝 鮮 、台 湾 及 中国 の人 民痛 恨 せざ るは な し 。
世 凱 国 に叛 し て帝 王 と称 す る の時 更 に我 に向 て二十 一箇 条 を提 出 し、
更 に大連 旅 順 を無 理 に把持 し て中 国 に返 還 せざ るな り 。恰 も好 し、
助 が致 され る こと を確 信す る、 而 し て東 支 沿線 に於 け る吾 労 働 階級
を通 じ て 一様 に蒙 つた のであ るが 、 一番 の痛 手 は 労働 階 級 即 ち 我露
て大 地震 起 り生命 、財 産 の損 失 其 の数 を知 らず 。知 らず 日本 帝国 主
災 禍 天 上 よ り来 る 、悪 の為 に悪 を得 た る の観 あ り。 昨 日東 京等 に於
此 の国 民 的惨 禍 を記 憶 し なけ れ ば な らな い。 又此 の惨 禍 は上 下階 級
国民 の同輩 であ る こと は勿 論 であ る 。吾 人東 支 沿 線露 国 労 働 者 は 日
震 災突 発 の報 を伝 え出 し てから 三 日外 字 新 聞殊 に露 字新 聞 の論 は
大 正 十 二年 九 月 六 日
哈 調 第 一三〇 号
義 者 に最 後 の覚 悟 あ り や否 や﹂ 云 々な る暴 論 を 吐 い て居 る。
本 に振 りか か つた災 害 に呼 応 し 、 日本 労働 者 の預 り知 らざ る兵力 干
な援 助 を与 へ得 な か つた こと 等 は忘 れ て彼 等 を救 済 す べき であ る 。
渉 や又 言 論機 関 の罪 に依 つて吾 国 に襲 つた饑 飢 に際 し て彼 等 が必要
即 ち即 刻 救護 委 員 会 を組 織 し大 不幸 に陥 つた 日本 労働 階 級 に同胞 的
同 日国 際協 報 は ﹁当 地 の金 票 相場 は従来 大連 の電 報 に依 り て定 ま
此 の有史 以来 の大惨 事 に対 し頗 る真 面 目 に な つ て来 ま し た が支 那 紙
援 助 の手 を 延 ば さな け れば な ら ぬ 、 と論 じ て いる 。
り つ つあ つた が昨 日は 日本 震 災 の報 に接 し 且大 連 の金 票 相 場 が立 て
場 を乱 し 日本 貨 幣 を 当地 方 か ら 一掃 し様 とし て居 る様 であ りま す 。
中 には表 面 同 情 を 寄 せ て裏 面 に於 ては尚 悪 辣 な宣 伝 を 行 つて銭鈔 市
表 せざ るべ から ず と結 ん で居 る 。
は再 び還 らず 、 宜 し く政 見 、 人種 、 民族 の見 地 を離 れ て吊 惜 の意 を
し 、 と論 じ損 害 は 国民 の努 力 に依 り何 時 かは恢 復 せ ん も幾 多 の生 霊
の有 名無 実 の兌換 金票 は決 し て常 態 を保 つこと は出 来 な い、此 の 二
今 度 の打 撃 を受 け て以後 は金融 界 は 勢大 恐 慌 を免 れな い。殊 に 日本
から 一般 穀 類 取 扱業 者 は十 分慎 重 な 態度 を取 ら ね ばな ら ぬ 。 日本 は
れた ので両 三 日来穀 類 の相 場 は総 て哈爾 賓 に立 て られ る様 にな つた
日本 の震 災 の報 が伝 は つ てから 大 連取 引 所 は関 東 庁 か ら封 鎖 せら
ひ親 子 妻 兄弟 を尋 ね つ つ 一片 のパ ンを得 んが為 に焦 土 の上を 排 つて
し なけ れ ば なら ぬ。即 ち 災害 に会 つた無 数 の日本 国 民 は家 や食 を失
策 を講 じ て経 済 界 の安 定 を謀 る べき も 、吾 人 は尚 焦眉 の問 題 を解 決
に在 る 日本 を失 ふに於 て は非常 な る打 撃 を蒙 る べき を 以 て其 の救 済
の益 大 な る を知 るに当 つて、世 界 は 茲 に国際 経 済 関係 上 重要 の位 置
る を報 じ 、社 説 に於 て は震 災後 報 の到着 と共 に 日本 の受 けた る損 害
五 日 ノ ーウ オ スチ ・ジ ーズ ニ紙 は 、 日本 行 大豆 の需 用 の激 減 し た
左 に各紙 の論 調 御報 告 致 し ます 。
日以 来 金票 の相 場 は大 に下 落 し た が之 は下 落 の初 め であ つて将 来 何
いる の であ る。 吾 人 は 日本 国 民 を愛 せざ る こと に対 し て も 日本 政府
五 日哈 爾 賓晨 光所 載
処 ま で下落 す るか 分 ら な いか ら大 に注意 し なけ れ ばな ら な い。 又 此
て不可 とし な い、 然 し 此 の天 災 に依 る悲 惨 な活 画を 眼 前 に於 て吾 人
政 策 を彼 是 れ言 ふ こと も亦 単 に自 国 の事 のみ に没 頭 す る こと も決 し
は どう し ても吾 人 の良 心 に余 は うえ た る者 に食 を与 へた りと 語 を以
の地 方 の大 豆 は 日本 が最 大 の消 費 地 であ る が日 本 は今 回 の震 災 で 一
て満 足 を与 へな い訳 に行 か ぬ、露 国 の図民 には敵 は な く 又露 人 も決
時 買 収 の能 力 がな く な る から 我大 豆 は影 響 を免 れ な い故 に此 の地 の 大 豆 は漸 次下 落 し つ つあ ると の こと で あ る、 云 々。又 此度 の 日本
し て今 前 日本 人 の敵 でな か つた 。嘗 つ てお互 に戈を 取 つて血 を流 し
た のは国民 の罪 にあ らず し て為 政 者 であ る、吾 人は ど う し ても 日本
︹マ マ︺
る ことは 困難 であ る。又 此 地 に在 住 す る 日本 人 は今 次 の凶報 に接 し
打 撃 に対 し ては 苦 心 回復 に努 力 す るも十 年 間 を費 し ても 旧態 に復 す
て よ り非常 に人 心恟 々とし て甚 しき は痛 苦 流 涕 す る者 さ へあり 数 日
国 民殊 に其 の労 働 階級 を救 は な けれ ば な ら ぬ、東 支 沿線 に於 け る吾
て已 まな か つた両 国親 善 関 係 の契 子 と な るか も知 れな いの であ る と
には居 ら れ ぬ、 而 し て 此 の吾 等 の手 が或 は爾 来 日露 両 国 民 の渇 望 し
等 の経 済 状態 も随 分苦 し いも のであ るが此 際 救 ひ の手 を差 延 ばさず
四 日 ル スキ ー ・ゴ ー ロス紙 は今 回 日本 が軍 事 上 に蒙 り た る損 害 は
非 常 な同 情的 な論 調 を な し て居 る。 (堀江 )
( 浜岡)
来 旅 装 を整 へて帰 国 す る者 五 百 人 の多 き を下 ら ぬ と の こと であ る。
り た る日本 国 民 に対 し吊 詞 を 呈す ると共 に受 け た る損 害 は当 分 復 活
哈 調第 一四 三号
莫 大 であ る と報 じ 社説 に於 て、有 史 以来 未 だ見 ざ る程度 の震 災 を 蒙
さ る べく も非 ず 、 従 て其 の対外 政 策 は全 く消極 的 とな り極 東 大 陸 に 利 害 関 係 を有 す る列 強 も勿 論 此 の機 に於 て政 策 を変 更 す る に至 るべ
大 正十 二年 九月 六 日
対 し て我国 民は救 済 の暇 な く慈 善 の挙 に出 づ る能 は ざ る べき は断 言
る。 日本 人 は東 省 に於 て経 済 的 発 展 を企 て余力 を遺 さ る る の有 様 で
す べき で あ る。殊 に商 人 が 此 の時 に当 り最 も注 意 す べ き は金 票 で あ
金 票 下 落 に就 て
あ る が、現 に本 国 が此 の災 害 に遭 ひ た る以 上金 票 の暴落 は必 至 の こ
国 際協 報 (六 日)
と にし て金 融 に大 関係 を有 す る を以 て 我商 人 は最 も慎 重 な態 度 を取
金 票 の下 落 に対し 市 内 に は頻 に東 京 方 面 の災 害 の影響 であ ると伝 へ、甚 しき に至 つては 金票 は第 二 の ルーブ ルと な る であら う と言 て
ら ねば な ら ぬ、 云 々。(浜 岡 )
︹マ マ︺
五億 五 千 万 、歳 出十 四億 二 千 万円 で差 引 六億 三千 万円 の剰 余 を来 し
居 る が之 は実 に無 稽 極 ま る も のであ る 。 日本 の昨 年 の歳 入総 額 二十
ど為 替 のみ を取 扱 ひ金 融 上 の策 源 地 は 倫敦 、紐育 両 地 で、該 両 地 に
今 回 の日本 の大 災害 に対 し て は全 世 界 の人士 を挙 げ て深 く之 を悲
東 三省 商報 時 評 (六 日)
て居 る、横 浜 は正金 銀 行 本 金庫 の所在 地 で あ るけ れ ども横 浜 は殆 ん
準 備 せ る現 金 貨 は 六億 の多 き に達 し て居 る。 今 回 日本 銀行 と提 携 せ
す べ から ざ る処 であ る。 目 下 の消 息 に依 れば 只東 京 市 のみ に ても 〓
に格 別 の援 助 を与 へ速 か に之 が救 済 の方法 を講ず る事 は 一刻 も猶 予
べ て 五億 以 上多 額 の準備 があ る ので、 満 洲 の金 票 に対し て日 本当 局
々と し助 を 求む るも の実 に二百 余 万人 、其 の他各 地は 尚詳 細 な る報
悼 せざ るな く、 吾 国 又同 文 同種 の関 係 、 地壌 相接 す る の故 を以 て更
に決 し て之 が随 時 下落 す る こと を放 任 し な いで当 然之 が維持 の方 法
やを知 らず 。今 や両 師団 の兵 士糧 食 の輸 送 に任 じ居 れ りと 聞く も 尚
告 な きも 之 等風 に食 ひ露 に宿 り 日 に さら さ れ雨 にぬ る る者幾 何 あ る
ん と し て居 る処 か ら見 れば 金 票 に は決 し て何 等 の影 響 も あ る ま い。
を講 ず る筈 だ から 、 一般 商 人 は人 の揺 言 に惑 は され損 失 を 招 く様 な
又東 京 金 庫 には正 貨 十億 五 千 万 の準 備 金 あ り、 現 銀貨 は 現金 貨 に較
事 のな い様 希望 す る。 ( 野 口)
普 遍 的 に之 を供給 す るは不 可 能 な る べく 、 日 に 一碗 の粥 を 得 る者 は
実 に万幸 に属 す と言 ふべし 。 人類 の悲 惨 事 之 に過 ぐ る も のあ ら ん や。
又 米 価騰 貴 し て之 を供 給 せ んと す る も能 はず 。 一升 の米 に数 円 を用
ふ るも購 ふ べき 地 なし 。欧 米 各 国 亦救 済 の計画 あ ら ん も救 急望 み難
商 人 の注意 す べき も のあり
東 陲商 報 (六 日) 時 評欄 所 載
日本 今次 の天災 は詳 細 な る状 況 は 尚 ほ調 査 を俟 た ねば なら ぬけ れ
た る種 々 の対支 政 策 に憾 を抱 き之 に反 対す る者 あら ん も 、這 は災 を
は距 離 近 く急 救 の計 誠 に容 易 な り。惟 ふ に或 る者 は平 日 日本 が執 り
救 ひ隣 を 恤 む の美 挙 を知 らざ る者 な り 。如 何 に恩 怨 の念 あ るも若 し
く 今 一週間 を経 過 せば 餓 人野 に満 つべ く悲 惨更 に劇 し か らむ 。吾 国
日本 は 我 と親善 を称 ふけ れ ど も国 際的 種 々の関 係 に因 り感 情 の悪
夫 れ災 を 幸 と し禍 を楽 みと す る は、 乃 ち義 を見 て為 さ ざ る者 にし て
ど も 其 の災 害 の猛 烈 にし て損 失 の大 な る こと は各 新 聞 の伝 ふる所 に
い こと は 此 の上 も な い。 一事 件 解 決 せる か と思 へば又 一事 件 起 り て
依 つて明 か であ る 。
今 や経 済 絶交 に至 つて益 々猛 烈 を極 め て居 る。 此度 の重 大 な災 害 に
之 誠 に吾 大 国 民 の態 度 を失 す る も のと 言 ふ べし 。 ( 野 口)
ザ リ ヤタ 刊 ( 五 日)
大 正 十 二年 九 月 八 日
七 日、 国際 協 報 、 日本 震災 後 の金融 問 題 と題 し左 の如 き記 事 を掲
今 次 日本 に於 て空前 の震災 発 生 し金 融 上亦 非常 な 恐慌 を起 し た。
げ て居 る。
今 当地 銀 行公 会 の上海 よ り接 し た電 報 に よれ ば 上海 の日本 正金 銀行
今 回 の震 災 地方 は日本 の経済 的 中 心 でも 工業 中 心 でも 無 く又 日本 銀 行 も安 全 であ るし 、 そ れか ら今 度 の惨害 から 日本 が恢 復 す る のは
は 六 日 に兌換 を停 止 し た と の こと であ る。 束 省 に流 通 し て居 る朝 鮮
ザ リ ヤ朝 刊 (六 日)
を 以 て金 票 を 回収 し て維 持 に力 め て いる から 六 日 には 又少 しく 高騰
し て〇 、 八 四 に至 つた 。今 真 相 不明 の為 と該 銀 行 で 二百 万円 の現金
銀 行 の金 票 二億 数 千 万 円 に達 し て居 つ て震 災 の悲 報 来 る や直 に下落
決 し て困 難 でな いと報 じ 、正 貨準 備 額 を 挙 げ て居 る。
莫 斯科 電 報 と し て チ エチ ユロ ンが博 覧 会 日本 代表 に会 つて今 回 の
るに至 る や金 票 の相 場 は 恐ら く 暴落 す るに至 るだ らう云 々。
し て〇 、八 六 五 に上 つた が銀 行 界 の消 息 に よ れば 一度 真相 が暴 露 す
︹チ チ エリ ン︺
震 災 に対 し 衷 心 よ り の同 情 を表 し 且露 国 は 此 の際 出来 る限 り の援 助
六 日 ザ リ ヤタ刊 は東 京 に食 糧 暴動 起 り憲 兵抜 刀し て之 を鎮 圧 す と
し て居 る 。(浜岡 )
二 の舞 に遇 は ざ る様 注 意 す る こと が肝 要 であ る と述 べ た云 々と記 載
日本 今 回 の震 災 は金 融 界 に大 影 響 を及 ぼす べ け れば各 人 は露 国 留 の
又同 紙 上 に朱 慶 瀾 大 将 は昨 日当 地有 志 の会 合 せる賑 災 会 の席 上 で
を 惜 し ま な いと語 つた こと を報 じ 、社 説 に於 ては如 何 に政 府 が努 力
ると 論 じ て いる 。
す ると も此 の機 会 に於 て日本 の組織 が社 会 化す るは自 然 の帰 趨 であ
ル ー スキ ー ・ゴ ー ロス (六 日) 社 説 に於 て 日本 の外 国貿 易 数 字 を挙 げ 今 日迄 日本 が最 も密 接 な 関 係 を持 つて い る のは亜 細 亜 大陸 と 米国 で あ る事 を指摘 し 、国 力 恢 復
る こと は争 は れな いが、 而 も経 済 上 の習 慣 等 に依 つ て 一時 的 の現 象
手 段 を講 じ其 の東 洋 に軍 艦 を有 す る も のは 水 及食 糧 品 を満載 し て 日
し、 社説 に於 ては此 の大 災 害 に際 し支 、米 、仏 等 の列 国 は之 が急 援
七 日 ザ リ ヤ朝刊 は東 京 横浜 震 災情 況 写真 を 四 日大阪 毎 日 よ り転 載
報ず。
を利 用 し て永 久 に日本 を 駆 逐す ると 言 ふ こと は出 来 な いと述 べ て居
本 に急 行 し て居 る。吾 人 満 洲 に在 る者 に徒 ら に 日本 よ り諸貨 物 に対
の為 此 の舞台 から 一時 日本 が姿 を没 し 、米 国 が亜 細 亜 大陸 に活 動 す
る 。ト リブ ー ナ、 ノ ーウ オ スチ ・ジ ーズ ニ紙等 の赤色 及 左傾 新 聞 は
す る需 用 の激 増 す る こと のみ考 へて援 助 の実 を忘 れ て はな ら ぬ と論
尚露 紙 は皆 一様 に今 回下落 し かか つた 日本 貨 は昨 六 日 に至 り引 戻
じ て居 る 。
単 に災 害 の報 導 を なす のみ で特 別 の記 事 が無 い。(以 上堀 江 )
哈 調 第 一四 五号
し て来 て金 融 界 は平 穏 に帰 し つつあ る而 し て之 が真 の事情 であ る と
災 如 き で大 変 動 来 す も のと は思 は れ ぬ。 今度 の震 災 は成 る程 一大 事
問 題 は 日本 に政治 上 の革命 等 が起 つた場 合 は 一大 変 動免 れ難 き も震
定 し つつあ る の で恢復 に全 力 を注 ぐ だ らう し是 に就 ては国 際 債 を募
し て居 り 、東 京 横 浜 は政 治 商業 の中 心 で あ る。 此度 の震 災 は漸 次鎮
言 へぬ。 日 本 は近 来 工業 立 国 の政 策 を 立 て大阪 を以 て其 の策 源 地 と
で はな く 一部分 が損 失 を来 し た と て直 ち に根本 が覆 滅 し た も のと は
した 心 配 は な から う 。又 今 回 の震 災 の如 き は 一時 的 で永 久 的 のも の
変 であ る が僥 倖 にも銀 行 は 此 の災 を免 れた ら しく 必 然 此 の問 題 も 大
述 べ て居 る 。(堀 江 )
九 月 七 日晨 光
大 正 十 二年 九月 十 二 日
哈調 第 一五 〇号
同情 と聯 想
る が如 き感 な き能 はず 。家 屋 倒壊 し城 市 灰燼 し て親 族 、朋 友 、貴 賎
東洋 の有 力 国 で あ るか ら 必ず や各 国 は 援 助 を与 へる に違 ひ な い。斯
集 す る に違 ひな い。 又 日本 は各 国 と の関 係 浅 か ら ぬも のが あ るし 又
余 は 日本新 聞 の災害 記 事 を 読 み て驚 愕憮 然 宛 も 吾 身此 の災 に遇 へ
貧富 、賢 愚 老 弱 の此 の災 に遇 へる者 幾 十 百 万 な るを 知 らず 。 尊厳 偉
く て外 資 は 流 入 し金 融 は当 然活 気 を呈 す る であ らう 。 又 元来 工業 と
観 を極 めし 宮城 や学 府 或 は 一切 の財 宝 悉 く 灰燼 し て四 周 を俯 仰 し痛 哭 す る態 、 悲 惨 の極 みな り。 途 上 に見 る 日本居 留 民 の顔 色 の悲壮 な
業 地 は完 金 に無 事 であ る から恢 復 も亦 容易 であ らう 。 一体 日本 の此
度 の災 害 は人 間 に例 へる と重 病 に罹 つた 様 なも ので死 な ぬ限 り元 気
金 融 と は其 の関 係 甚 だ密 接 な る も のがあ る が今 回 の震 災 に日本 の工
日 本 が この災 厄 に遇 へる に よ り遂 に之 を 破 裂 せし む るに至 れり 、乃
恢 復 は容 易 で只余 病 の併 発 を恐 る る も の であ る。金 票 将 来 の趨 勢 は
る、即 ち昔 日 の怨 恨 は 今 や釈 然 と し て人 類 の同情 は期 せず し て相 一
ち 往年 朝 鮮 独 立運 動 の起 り た る際群 集 せ る男 女呼 号 し て遂 に兇 刃 に
が之 等 の事 業 家 が再 び 狼 狽 恐慌 の悲 劇 を演 じな い こと を希 望す る。
須 ら く時 日 の経 過 を視 て決 す べき であ る。余 は投機 事 業 家 ではな い
致 せ し共 、 我 が胸 中 平 素 よ り 日人 に対す る悲憤 の 一事 を蔵 せし が今
ふだ に今 尚 戦慄 せざ る能 はず 。 最 近富 士 の活動 は そも何 を意 味 す る
目 下 市況 凋 落 の際 な れば事 実 の真 相 を研 め無 益 の挙 に出 でざ れば 是
倒 れ 延吉 県 竜 井村 の帰 化鮮 人亦焚 殺 せら る るに至 れり 。其 の惨状 思
大 幸 と 云 ふ べき であ る。 ( 野 口)
大 正 十 二年 九 月 十 四 日
実 地 視察 談 とし て伝 へら るる所 に よれ ば、 東京 の国庫 に貯 存 し て あ
十 一日国 際 協 報 雑報 欄 に米 国 救 済艦 隊 艦 長 ﹁ア ント ルオ ン﹂氏 の
哈 爾 賓 事務 所 長
や。想 ふ て此 に至 れば 其 の悲 や益深 し。 思 ふに延 吉 の鮮 人、 東 京 の
東 三 省商 報
哈 調 第 一五 六号
日人 倶 に人 類 にし て元 々何 れ に異 る処 あ ら ん。今 や此 の天災 に遇 ひ 共 に落涙 す る に平 時 何 を 以 て斯 く 殺 生相 虐 く るか 、是 大 愚 にあ らず
九月八日
る の具焼毀 に算 な し と云 ふ 、 又痛 快 な らず や。
し て何 ぞ 。又 新聞 に依 れ ば軍 港 、 火薬 庫 、砲 兵 工廠 等 人類 を殺戳 す
震 災 後 の金 票 問 題
日本震 災 後 の金 票 問 題 は 一般 人 士 の最 も注 意 す る処 であ る が此 の
は遠 から ず 金融 界 に多大 の悪影 響 を及 ぼす で あ らう 云 々と述 べ 、社
つた現 金 は 金 部 消滅 し て其 の金 庫 所 在 地 は 不 明 であ る と、 此 の事 実
て其 の外交 の退 嬰主 義 に陥 る ことは 明 であ る。 ﹂ (堀 江 )
の外 債 は 日本 の従来 執 つて来 た独 立 不羈 の行 動 を著 し く束 縛 し 従 つ
の こと であ るが せめ て五 百 万 か 一千 万元 を醵 出 せね ば不 体 裁 であ る
説欄 に於 て ﹁ 今 回 の日本 の震災 に支 那 政 府 か ら 二十 万元 寄 附 す る と
﹁今 回 日本 に起 れ る災 害 は実 に全世 界 を驚 倒 せし め伊 、 希 両 国す
九 月 十 四 日ザ リヤ紙
らも 其 の眼前 の国交 を忘 却 し た か の如 く であ る。此 の如 き大 事 変 は
と し 大 いに救済 に努 め ねば な ら ぬ﹂ と主 張 し 、又 十 三 日 より 他 の各 新 聞 に率 先 し て該 新 聞社 自 ら発 起 者 とな り 義捐 金 の募 集 広 告 を出 し
古 来 往 々にし て国 民 に大 き な刺 戟 を 与 へ物 質 的 の損 害 は此 精 神 的 の
因 に本 新 聞 は当 地 に於 て は比較 的有 力 な 新 聞 で今 回 の震 災 は殊 に
て いる。
道 上座 視 す る こと は出来 な い。 旅 大問 題 やら 二十 一箇 条 問 題 の為 に
十 三 日東 隆 商報 時 評欄 に ﹁日本 此次 の震 災 は実 に空前 の惨 禍 で人
を 一にし た いも の であ る。 而 も 此 の心 は未 だ世 の中 に忘 れ ら れ て居
同 一に喜 ば し め る言 葉 がな いな ら せめ て葬 の鐘 の音 で でも 万人 の心
の憎 悪 が 一瞬 時 でも 止 ん で然 るべき であ る。 若 し も世 界 の全 人 類 を
は止 ま ぬ ので あ る。実 に此 の様 な時 こそ世 の中 に始 終 絶 へな い各種
が あ る。 又此 の様 な時 期 に当 つて全 世界 も又 罹 災国 の援 助 を せず に
向 上 に依 つて直 ぐ に償 はれ る許 でな く反 て諸 般 の大 発 展 とな る こと
は 経 済絶 交 を持 つて対抗 す る こと にな つたけ れ共 慈善 事 業 には 国境
注 意 し毎 日震災 に関 す る報 導 を掲 げ て居 る。
は 無 いか ら国 際問 題 の為 に躊 躇 し ては な らな い。況 ん や 日支 両 国 は 東 亜 の主 人公 であ る から 此弱 肉 強 食 の時 代 に於 て大 に提 携 し て東 亜
いで い る。支 那 が饑餓 に苦 し ん だ時 、露 西 亜 が地震 不 作 で悩 んだ時
な か つた 。米 国 も露 西亜 も支 那 も其 の他総 て の国 も 日本 の救 援 に急
世界 の各 国 は救 け の手 を伸 ば す こと を忘 れな か つた。 人 よ り も多 く
の幸福 を促 進 せね ばな ら ぬ の であ るか ら国 民 は 日本 救済事 業 に対 し 大 に発奮 す べき であ る﹂ 云 々と 評 し て居 る。
日本 の御 蔭 を蒙 つて居 る支 那 と露 西 亜 は其 の負 債 を償 ふべ き時 であ
今 度 吾 社 で義捐 金 品 受附 を開 始 した 。他 人 の苦 を見 て同情 心を起
る。
し 日本震 災 の模様 を語 つて 曰く 、 今 回 日本 震災 の損 害 は実 に多 大 で
る人 は奮 つて此 の挙 に呼 応 せよ 。 ﹂ (堀 江)
し得 るも の、何 時 かは 人 の援 け を藉 ら な け れば な ら ぬ時 のあ るを 知
﹁ 在 横 浜 前 ロスタ通信 員 ア ント リ ー ノ フは 九 月十 二 日当 地 に帰着
九 月 十 二 日ト リブ ーナ紙 は左 の通報 ず 。
あ るが質 実 にし て而 も 団結 力 に富 む 日本 国 民 の美 風 は遠 か らず 其 の
に し て案ず る に無 学 な る耶 蘇 教信 者 の手記 らし く其 の文意 は先 に哈
左 記 訳 文 の本 文 は 昨 十 日 日本 商業 会 議所 入 口 に貼 付 せら れ たも の
損 害 を償 ひ得 る であら う 、而 し て 世評 の様 に日本 が世 界経 済 界 から 其 の姿 を没 す るな どと 言 ふ こと は有 り得 べ から ざ る こと で あ る。 然 し 日本 が如 何 に努 力 し た と て其 の復活 のため には単 に内債 の み にて は出 来 得 な いこと で勢 ひ外債 に依 る こと とな る であら う 。而 し て此
爾 賓最 光 に掲載 せ られ た る も のと類 似 せり 。原 文 拙 にし て翻 訳 に苦
線 電 台 に達 せる も の最 も 早 し) 深 甚 の同 情 を表 せざ る はな し 。
し (日本 電 報 通信 及 三 井 の手 に より 北京 郊外 に立 てら れた る双橋 無
二 外 交 系 の機 関 紙京 報 は第 一面 の大 部 分 を割 き て報 道 し社 説 に於
は逸 早 く義捐 金募 集 を開 始 し た 。
日本皇 帝 及 摂 政 王 の身 辺 危 険 を伝 へて稍非 難 あ りし も 三 日紙 上 に
一 東 方時 報 (フア ー ・イ ー スタ ン ・タイ ム ス) は 二 日号 外 を 以 て
し む 点 あ り。 上帝 ﹁キ リ スト﹂ を し て諭 示 せ しむ
国 を し て死 地 に陥 れし め中 国 を欺 く こと甚 大 な り 天何 ん ぞ此 の不 合
倭 奴 最後 の通 牒 を発 し て中国 に強要 す る に二 十 一箇 条 を 以 てし 中
理 を容 れ んや 上帝 茲 に罪 を下 し て水火 の災 害 を倭 奴 に蒙 らし め彼 等
日本 今 回 の大 震 災 は 全 世界 を驚駭 せし め東 西 古 今未 曾 有 の惨 劇
日 本国 民 に同情 す (天 災革 命 を誘 導 せざ る か)
て論 じ て曰 く
金 を蒐 め て狼 を救 は ん とす狼 救 はれ て再 び 壮 大 とな ら ば 却 て中 国 民
であ る 、告 人 は東 隣 邦 民 に対 し熱 烈 の同 情 を禁 ず る能 はず 。 日本
京報
をし て覚 醒 し て善 に帰 ら し め んと す中 国 の民由 来 徳 義 に厚 く 常 に其
の肉 を食 は ん歎 す べ し中 国 人 下賎 の性 多 く来 だ必ず し も是 を以 て善
こと な き や、 若 し奇 異 変 動 にし て発 生 した り と せば 吾 に影 響 す る
上 下 の伝 統 的 政治 思 想 は将 に今 次 天 然力 によ り て革 命 を誘 導 す る
の主 旨 を改 めざ るを以 て逆 子死 し て却 て是 を悲 む の心 あ り茲 に寄附
行 と な さず 救 へる狼 の為 め に己 の身 を 亡 ぼし 上 帝 か倭 奴 を責 む る に
三
本 首 相 及東 京 、大 阪 、 名 古 屋 、横 浜各 市 長 を通 じ 日本国 民 に慰 問
全 部 を 割 き報 道最 も詳 細 を極 め し こと当 日第 一にし て 四 日 には山
日本 人 に排 日新 聞 と 目 せら れ来 た研究 系 の晨報 も 三 日第 一面 の
これ を思 へば無 限 の恐懼 あ り、云 々 (邵 瓢萍 )
外 の こと によ り て最 も 利害 関 係 あ るも のは 我国 であ る。
らず 。天 災驟 か に至 る によ り或 は其 の改 革 を促 さん 、若 し 此 の意
であ る。嗚 呼 日本 国 家 の基 礎 を保持 す る こと堅 からず と言 ふ べ か
あ ら ば正 に我国 民 の同情 の血 涙 を振 ひ共 に此 の問 題 を研 究 す べき
す る こと を得 ん やと 言 ふ も、 か り に若 し 一分 の力 を よく 致 すも の
討 論 す ると ころ のも のは我 国 の如 き貧 弱 な国家 のよく 隣邦 を救 助
と ころ如 何 、東 亜前 途 注 意 す べ き重 大 な る こと は この劈頭 の 一大
大 災 を以 てし 中国 を助 く る に勇 気 を伸 張 す る の意 に背 く然 る に中 国
伝
問 題 に て我国 民 の対岸 の火 視 す る こと許 さざ る も のであ る 。目 前
裡
は却 て倭 狼 を賑恤 し上 帝 を し て煩 悶 せし め福 祉 を中 国 に賜 ふを願 は
北京 ( 伊 藤 武 雄)
夢
ず 吾 か同 胞 痛 感 せよ爾 等 尚愛 国 の思想 あり や否 や 上 帝赤 子 を警 戒 す る の書 中 華 民国 十 二年 九月 九 日 夜
四
大 正十 二年 九月 四日
論
日本 震 災 に対す る北京 の同情
﹁日 本震 災 に対す る北 京各 界 の同 情 ﹂報 告 いた し ます 。
北 調 第 一号
一、 輿
北 京 言論 界 の重 な る も のは 三日 大見 出 し を 以 て 日本 の震 災 を報 道
電 報 を 発 し三 日 の社 説 次 の如 し 。
今 次 の日本 大 地震 は世 界 ま れ に見 る所 の巨災 にし て聞 く も の之
を決 定 し た 。北 京 にて は 一九 二 一年 日本 が支 那 の水災 救 済 委 員 会 を
及食 糧 、衣 服 を上 海及 漢 口よ り汽 船 二艘 に満 載 し て出 発 せし む る事
本 の震 災 救 助 に つき協 議 し財 政 部 よ り 二十 万元 救恤 金 贈 呈 、慰 問 使
高凌〓 を首 班 とす る摂 政内 閣 は昨 日午後 四時 臨時 閣 議 を開 会 、日
二、支 那 政 府 方面
れ が為 め に側 然 た らざ るを得 ず 。昨 日得 る所 の消 息 によ り て推 測
組 織 せ る に鑑 み北 京 に 日本 震災 救 済 委員 会 を組 織 せん と し つつあ り
晨 報 ﹁日本 震災 ﹂
す る に其 の災 状 の重大 は、 す な はち 昔年 の 一世 を驚 動 せし紐 育 、
使 を 立 て たり 。因 に芳 沢 公使 は支 那 に対 し防 穀 令 の解 禁 乃至 制 限 を
外 交部 は 日本 政府 に慰問 電 を発 し交 通 部 は昨 同日本 公 使館 に慰問
上海 商 務 総 会 も救恤 方法 を講 ぜ ん とし つ つあ り。
(凌啓 鴻 、 王 元震 )
伊 太利 の大 地震 も亦 其 の比 にあ らず 、物 質 上 の損害 固 より計 算 し 難 く居 民 の死傷 も亦 恐 らく 世 界 最高 の記 録 を為 さん 。吾 人 は 此 の
であ る 。
惨 劇 に対 し謹 ん で国 民 を代 表 し 最 も真 摯 な る同 情 を表 示す るも の
吾 人 は我国 民 が宜 し く 速 か に急 賑会 を組 織 し巨 款 を募集 し大 規
三 、外
交 渉 中 と伝 へら る 。
贈 し 、 万 一災 後 時疫 の発 生等 の事 あら ば之 れ亦 当 に赤 十 字会 の医
し 。露 国 カ ラ ハン氏 も 亦甚 大 の具体 的 同情 を寄 せた るは 日本 政 府 の
と し て英 米 人 の同情 少 な から ざ る は彼等 の国 民性 に見 て当 然 と す べ
東 方 時報 (シ ンプ ソ ン経 営) の先頭 第 一に義捐 金 を募 集 せし を首
側
模 の救 護 団 を特 派 し応 急 救災 し並 に確 実 に災 状 を調 査 せん ことを
護 班 を派 遣 す べ し。兎 も角 も 此 の場 合 金額 多 く 派遣 す る所 の人員
人
主 張 す 。 若 し糧 食 被服 等 に欠 乏 を来 す が如 き 事 あ らば 尽 く之 を輸
も衆 に し て、時 期 愈 々速 な れ ば則 ち救 済 の範 囲 も愈 々広 く 、 従 つ
其 の二
北 京 公 所 長
以上
対露 飢饉 救 済 に 対し てと れ ると ころと 対照 し て興味 な き に あ らず 。
一政 府 方 面
日本 震 災 に対 す る北 京 各 界 の同 情
大 正 十 二年 九 月 七 日
五
て其 の効 果 も亦 大 な ら ん。是 れ独 り救災恤 隣 の義 に応 ず る所 のも の のみ ならず 、又 人道 を尊 重 す る者 の坐視 す る に忍 びざ る所 な り。 又 我国 の居 留 民 も東 京 、横 浜 、 大阪 、 各所 に居 住 す る者 約 四 千余 人 あ り 、而 し て彼 れ等 も亦 今 次 の災 害 を蒙 り損 害 必ず 大 な ら ん。 本 国 人 に対 し て も亦 別 に出 款 の法 に より て速 に救済 を謀 り 我 が海 外 の同 胞 をし て無 告 の民 とな ら しむ る勿 れ 。 云 々 ( 淵泉) 四 支 那 紙 、 外紙 が以 上 の如 く な る に 日本唯 一漢 字紙 順 天 時 報 は何 の意 味 か極 め て貧 弱 な る報 道 を な せ る に止 ま る、 恐 らく 故意 の做 事 と 思 は る るが 日本 式外 交 と の非 難 あり 。
国務 院 に於 て特 別 会 議 を開 、日災 救 恤 に対 し 左 の 五 項 を 議 決 す (四 日 ) 一、駐 日代弁 張 元節 に打電 し罹 災 実情 の調 査 並 に日本 政 府 に向 つ て
二
遽 救 済 に赴 かし め並 に我 国 居留 民 学 生等 の罹 災 せ るも のを運 回 すべし。 議 会 方 面
昨 日 (四 日) 憲 法会 議 延会 宣 告 の後 参 会者 定 員 に充 たざ る を以 て
て 日本 両議 院 、 内 閣総 理大 臣 及各 罹 災 区市 長 等 に打 電 し 中 国全 国 人
談 話 会 と し 日本 の震災 救 恤 に付協 議 す る所 あり 、 参衆 両院 聯 名 を以
慰 問 を命 す 。 二 、駐 神 戸 総 領事 に打 電 し急 遽 罹災 区 の調 査 報告 を命 す 。
三
教 育界 方 面
民 を代 表 し慰 問 の意 を表 す 。
三 、弐 拾 万 元 撥款 命 令 を頒 布 し専 ら救 恤 の用 に備 ふ。
し政 府 と 一致進 行 せん こと を勧告 す 。
四 、各 省 長 官 は紳 商 聯 合会 、地 方団 体 等 に対 し 日災 救済 大会 を組 織
北 京 国立 事 門 以 上 八校 教 職員 代 表 聯 席会 議 を開 き金 代 表満 場 一致
一、 北 京単 界 聯 合 し北 京 学 界 日本 震 災 急賑 会 を組 織 す 。
を以 て左 の八項 を議 決 す 。
五 、商 船 を 派遣 し糧 食 、薬 品 を運送 し並 に赤 十字 救 護 班 を赴 日 せ し め更 に各 名流 に檄 し 外交 総 長 顧氏 邸 に協 議会 を開 く 、 四 日 の協 議
省 区 に通 令 し 一斉 に義捐 金 を募 り救 済 に充 つ。
ロ 閣議 に於 て已 でに議 決 し た る財 政 部 よ り の撥 款 を除 く の外 各
イ 政府 よ り救 済 恤隣 の旨 を頒 布 し 並 に特 員 を 派 し て慰 問 す。
六 、 先 づ聯 席会 議 よ り八 校 に通 知 し 共同 し て義 金 を募 る 。
五 、遊 園 演 戯 及成 績 展 覧会 を挙 行 す 。
四、 急遽 公 私立 各 学 校 及 学 生聯 合 会 と交 渉 す 。
三、 急遽 校 務 討論 会 及 各 小 中学 校 教 職員 聯 合 会 と交 渉 す 。
は 糧食 を購 入 し て輸 送 す 。
二、 急遽 本 会 よ り籌 款 の方 法 を講 じ先 づ為 替 を 以 て 日本 に送 致 し或
会 参 会 者 は閣 員 の外 、王 懐 慶 、聶 憲 藩 、車 慶 雲 、 劉之 竜 、 馮 玉祥 (代 理 )熊 希齢 、 孫賓 、 汪 大燮 、顔 恵慶 、 王正 廷 、銭 能 訓 、蔡 廷
ハ 江 、浙 、 皖 三省 に電 令 し白 米 三十 万石 を日本 に輸 贈 し商 民 よ
七 、聯 席 会 議代 表 全 体 を発 起 員 とし 以 て各 校公 同 弁 理 に便 す 。
幹 、 憚賓 恵 等 二十 余 人協 議 の結 果 左 の数 項 を議 決 す 。
り 承弁 し並 に糧 食 輸 出禁 令 を解 除 す。
八 、本 週 土 曜 日 (八 日)午 後 二時 第 一次籌 備会 を開 く 。
以 上八 項 議決 の結 果 北京 各 学 校 に宛 て右 の旨 を伝達 し た。 此 の外
ニ日災 救 済 会 の組 織 は 本 日 (四 日 )参 会 者 已 でに発 起 人 とな り
北 京大 学 校 長蒋 夢 麟 氏 よ り京 都 帝 大 を通 じ各 罹 災 学校 に対 し慰 問 電
並 に華 洋 義 賑会 、 赤 十字 会 、 銀行 界 、 軍 警界 、新 聞 界 、商 会 、 各 慈 善 団 に対 し 一致加 入 を檄 す 。
従来 の排 日派 も此 の際 一切 のわ だ かま り を投 棄 て協 力 し て日災 救
四学 生 方 面
を 発 せ り。
つ堅 な るも の 一艘 乃 至 二艘 を 派遣 し、 先 づ第 一に糧食 薬 品 と 同
ホ 政 府 よ り は即 ち 前次 独 、 奥 よ り収 回 し た る汽 船 の中 最 も大 且
時 に赤 十 字会 、 藍 十字 会 、 女 子十 字 会 等 の男 女 会 員 を搭 載 し急
五 日午 後 四時 各 処 銀行 公会 に電 し 、 一方 銀行 界 の
恤 に努 力 す る こと に決 せ りと 聞 く。 五 各 団 体 方面 1 、 銀 行 公会
派 を超 越 し て此 の際出 来 得 る限 り の救 助 を なす こと を申 し合 せた り。
先 年 渡 日 以来 日本 人 に恩 顧 を受 け た る名 優 梅蘭 芳 は今 次 日本 の
7 、梅 蘭 芳 の義 捐 劇
真 光 劇 場 に行 ふ由 。
震 災 に対 し非 常 に同情 し、 六 日全 国 俳優 に飛 檄 し全 国 芸界 助 賑 大
8 、其 の他曹〓 氏 は 四 万元 を義 捐 し日災 民 並 華僑 及 留 学生 に恤 し、
を待 たず 先 づ拾 万 元 を籌 撥 し中 三万 元 を以 て米 粉 を購 入 し即 刻 日
要 人 劉 茘 孫氏 方 に於 て談 合 し救 済 は急 を要 す る を 以 て各 処 の返 電
2、 世 界 赤 十字 会
張 作 霖 氏麦 粉 生 牛 を恤 し、 梁 啓超 、孫 洪 伊 等 亦救 恤 義 捐 に関 し各
会 を組 織 し 、自 ら は来 る十 五 、十 六 日第 一回 の義 捐 興 業 を東 安 門
を講 求 す 。豪 雨 を冒 し て参会 す る者 二百 余 人 、会 長 銭 能 訓氏 よ り
方 面 同 志 に通 電 を発 す る等 支 那稀 に見 る の同情 を示 し て居 る。
同 会 は 五 日全 体 大会 を召 集 し 日災 救 済 の方 法
最 近 日本災 状 と開会 の目 的 を宣 し赤 十字 総 会 発起 とな り義捐 を集
9 、駐 日公使 兼 震災 慰 問 使 た る注 栄賓 に先 つて施 履 本 代 理公 使 は
本 に運 送 す る こと に決 し 、 余 は各 処 を待 つて再 び弁 法 す べ し と。
め 糧 食 を送 り速 に救 済 す べ き を謂 ひ、次 いで江朝 宗 、 王 芝祥 、王
昨 夕 (六 日) 京 奉線 に より東 上 した 。
︹マ マ︺
人 文 、 万闢 、賀 徳薫 氏 等発 起 討 論 し 其 の結 果数 項 を議 決 し斉 しく
六 新 聞 界 の所 論
国 界 に拘泥 す るな 、呉 越 視 す るな 、積 極 的 な れ
日災 救恤 の為 め に奮 起 す 。
益世 報 の積極 論
3 、 日災 救 済 会 王 元震 、凌 啓鴻 、王慰 高 、李 士烱 、高 聘 陞 、陳毓 華 、 余懐 清 、
曩に排 日 派 とし て知 ら れ て居 た北 京益 世 報 は 日本 の震 災発 生 以 来
と。
人道 主 義 か 極力 日本 の同 情 論 を唱 へて居 る が今 六 日 の社 説 に は殊 に
日) 趣意 書 を発表 せり 。
藩 鼎 新 、蘇 景 由 、李 之 夷 の諸 氏 日災救 済 会 発 起 人 とな り昨 日 (四
4 、 華僑 実 業 会 、北 京 華僑 実 業 協 進会 は来 る 九月 同 会事 務 所 に於
積 極 的 救 済論 を載 せた 。其 の大要 は次 の如 し 。
(前 半 省略 ) 我 国 の平 時 に於 け る穀物 の輸 出禁 止 は実 に鎖 国 時 代
て救 済方 法 に関 す る協議 会 を開 く 筈 に て各 団体 に通 知 を発 送 し 其
の遺 策 であ る 、今 回 日本 の災変 に より数 百 万 の人 民 は食 物 に窮 し て
の代 表 者 の参 加 を求 め つ つあ り。 5 、 北 京市 民 発 起 に て日災 救 済 大 会 を組 織 し 四 日午 後 一時 中 央 公
寧 ろ 日本側 か ら希 望 せ ら れな い前 に各種 の救 済 と共 に無条 件 で穀物
居 る、 而 も 我国 内 は穀 物 を禁 輸 し なけ れ ばな ら な い状 況 ではな い。
の禁 輸 を解 く べ きも のだ と思 ふ 。吾 人 の政 府 に希 望 す る所 を約 言 す
園 に籌 備会 議 を開 き商議 す る所 あ り た り。
段 祺 瑞氏 の住 宅 に張 勲 、〓 雲 鵬 、 並 に直 隷系 天 律 派 の巨頭 曹〓 、
れ ば左 の三項 で あ る。
6 、 天津 電 話 によ れば 本 日 (六 日)午 後 天 律 日本 租 界 に住 居 せ る
其 の他各 派 の重要 人 物会 合 し、 日本 の震 災 に対 し国 を挙 げ政 党 政
一、 政 府 は 所 定 の二十 万 元 を増 額 し現 金或 は賑 災 券 を論 ぜず 五 百 万 元 乃 至 一千 万 元 と なす べ き で あ る。
と は関 係 な し 、今 や日 本 国 民 の遭 難 に対 し て は先聖 先賢 の示 す と こ
ろ人 類 相 互同 情 の精 神 に従 ひ隣 邦 の巨災 を救 はざ る べ か らず 。
政 府 の発す る所 は僅 か に二十 万元 也 、米 国 東 洋艦 隊 の二十 四時 間
中 に赴 き 一赤 十 字 会 が五 百 万米 弗 を捐 す る に対 し 恥 づ る ことな き や 、
二 、 一部 の商 船 及 大部 分 の軍 艦 を廻 航 せし め て救 済 品 輸送 の用 に供 す べし 、 而 し て友 誼 上 の事 に於 て は決 し て欧米 各 国 の後 に落 ち て
国 民 は紛 々擾 々とし て開 会 、打 電 、做 文章 に忙 し く新 聞社 の材料 と
な る の み、災 民 の園 中 飢 餓 に鵠 立 す る に何 の益 があ ら う か 。
はな ら ぬ。
宣 言 は やめ よ 、開 会 演 説電 報 を以 て責 を塞 ぐ こと を 止 め よ 、合 議
三 、適 当 な時 期 に於 て若 し或 は 日本 の災 変 に因 る事 を指 示 す る に し て も勉 め て穀 物 の輸 出 禁 止 を解 く旨 速 に公 表 し外 人 をし て我国 の
一致個 々随 時義 捐 す る と ころ を 正金 銀 行 に交 附 し 陸 続 〓 寄す べし 。
イ人 に比 し 、 独立 運 動 の終始 やむ べ か らざ る事 を説 き 、平 時 に於 て
在 日本 の朝鮮 人 の少 な か らざ る こと 、朝 鮮 人 の革命 的 性 格 を マレ
し 妨害 を加 へざ る こと を希 望 す る と述 べ、 支 那政 府 の伝 統 政策 た る
の地 方 政治 家 や軍 閥 が自 己 の野 心 のた め に こ の人 類 の災 害救 助 に対
に於 て日本 の支 那 に食 糧 補 給 を期 待 す るは 当然 の こと にし て 、支 那
三 、 四 、五 、 六連 日社 説 を以 て日災 を論 じ つ つあ り 。 四 日 の社 説
ペ キ ン ・テ ン シ ン ・タイ ム ス ( 天津英国)
のな り 。
るべ き を窮 酸 の学 生 等 に其 の責 を担 は しむ る は笑 を万 邦 に の こす も
此 れ等 の こと在 野 要 人 国 中 元 老名 流 富豪 大賈 の合 力 し て之 れを 図
偏 僻 し た政 策 に対 し 此 の上 懐疑 を継 続 せ しめ ては なら な い言 々。 東 方 時報 (フア ー ・イ ー スタ ン ・タ イ ム ス) 日 本 よ り来 る電 報 中 に散 見 す る如 く朝 鮮 人 は此 の際 不 祥 な 行 動 を なし つ つあ る も の の如 し 。本 日 の東 方時 報 は ﹁日本 に於 け る朝 鮮 の
さ へ如 此 彼 等 は 日本 人士 が此 の天 災 に遭遇 し彼 等 を顧 み る能 はざ る
革命 家 ﹂ と題 し大 要 次 の如 き事 を 掲 げ た り。
に際 し必 ず や之 れ に乗 ず べ き は 明 であ る。吾 人 は此 の問 題 に対 し 一
る場 合 何 人 か国 の相 異 や人種 の区 別 を 論 じ て居 ら れ やう 、今 次 の日
四 日 の社説 ﹁ヘルプ 、 ジ ヤパ ン﹂ と題 し自 然 が 人類 に対 し 挑戦 す
人類 的 災 害 に対 し直 ち に行 動 す る であ らう 。
敏 にし て周到 な る指 示 を乞 は ねば な ら ぬ、 吾 人 は何 事 によ らず この
て居 る、願 くば 事 情 と 処置 に つい て最 も通 暁 せる筈 の日本 官 憲 の機
六 日 の社説 は吾 人 は あ ら ゆ る救 済 方法 に対 し 已 に精 神 的 に準 備 し
ノ ー ス ・チ ヤイ ナ ・スタ ー (天津 米 国 )
穀 物 の禁輸 を この際解 禁 し て 日本 を救 はむ こと を望 む と 結 ん だ。
次 の事 変 鎮 定 後 に於 て其 の禍 は恐 らく 京 城 に蔓 延 し将 に重大 な る時
言 を費 す の徒 爾 な らざ るを 思 ひ こ こに 一言 す る も の であ る 。即 ち 今
局 を演 出 せ ん。 社 会 日報 (現 時 北京 に於 て直隷 派 に買 収 せ ら れざ る唯 一の新 聞 と 称 せ ら る る も の) ﹁日 本 の震 災 に関 し政 府 と 国 民 に告 ぐ ﹂ と題 し 嘗 つて 日本 は我 を侮 蔑 し我 が内 乱 を助 成 せし こと 一再 な らざ り し も 、 こは少 数 軍 閥 及 野 心政 治 家 のなす こと にし て大 部 分 の 一般 国 民
る、 何 人 が其 の救 助 に躊 躇 せん や 。 日本 は今 世界 何 れ の国 民 も古 今
本 の災 害 は 正 に自 然 の人間 に対 し てな し た る最 も暴 虐 な る悲劇 であ
史 上 に経験 し た こと なき 大 災禍 に見 舞 は れた が 日本 人 は元来 英 雄 的 血 潮 と勇 気 を持 つて居 る が故 に此 の災 禍 に屈 す る こと はな いが全 世 界 の同情 と助 力 は 正 に彼 れ等 に致 さ る べき であ る。 ペキ ン ・デ ーリ ー ・ニウ ス ( 北京英国) 六 日社 説 は 日本 の将 来 は疑 も な く大 打 繋 を受 け る、 商業 、 工業 、 美 術 、学 術 共 に其 の発 達 に大障 害 を見 る こと は 明 であ る。勿 論 これ
は単 に 日子 のみ でなく 非 常 な国 民 の克 己 と努 力 と共働 と を要 す る こ
等 の再 建 の為 め に要 す る日 子 は少 く な いが、 これを再 建 す る為 め に
と勿 論 であ る 。 さあ れ 、現 下 日本 に対 し全 世 界 の友誼 的 同 情 は最 も 必要 であ る 、殊 に 日本海 と支 那 海 と 大平 洋 の彼 方 よ り は最 も 緊 切 で あ る支 那 、露 国 、米 国 は機 会 と義 務 と同 時 にも つも のと言 ふべ き で
も 提供 す る こと を総 支 配 人 ネ ーサ ンに よ り申 し 出 でら る。
二、 開〓 礦 務 総 局 は其 の所 属 船 舶 を救 護 品運 輸 の用 に何 時 た りと
置 を命 じ たり 。
三 一、露 本 国 政 府 は 日本 震 災 救 助 を決 定 し浦 塩 政 憲 に対 し機 宜 の処
向 つて申 込 あ り 。
二 、在 支 交 渉委 員 カラ ハ ンは或 具 体 的救 助 方 法 に つき 日本 当 局 に
(伊 藤 武 雄)
其 の他個 人 と し て新 聞 社 其 の他 に捐金 を投 ず る者 非 常 に 多 し 。
日本 震 災 に 対す る支 那 紙 の論 調
奉 天 公所 長 情 報 ( 大 正十 二年 九 月 七 日第 六 五号 、 六 六号 )
九 月 六 日東 報及 七 日東 三 省 民報 は左 の記 事 を掲 載 し て居 る、何 者
か か る。幸 に此 の三 国 は其 の機 会 を のが さざ る意 思 を表 し た 。出 来
て人 類 に対 し て か かる好 機 会 は又 と な い、 日本 の運 命 は正 に これ に
た、 大 口取 引 は買 方 がな い、 日本 銀行 紙 幣 発 行額 は 三十 七 億 に 上 つ
よ り百 二十 七 元迄 にな つた 。尚 相 場 は立 てら れ ても立 会 は休 止 さ れ
金 票 の信用 は 日来 日本 大 災 の影 響 を受 け て暴落 を来 し百 四 十 八元
金 票 の信 用 日 に下落
か の悪 宣 伝 と 思 は る 。
る だけ早 く そし て日本 人 民 をし て こ の大 打 撃 か ら復 興 の希望 と確 信
て居 る こと は 日本 各 雑 誌 の記 載 す る所 であ る 、 日本 政 府 の国庫 金 は
あ る 。過 去 の行 き がか り のす べ てを忘 れ て只 現 在 と未 来 の みに 対 し
と を即 刻喚 起 さ せよ 。
国 債 より も遙 か に少 額 であ る 。而 も 日本 銀行 準備 金 は発 行 紙幣 総 額
し 横 浜 正金 準 備 金 は 悉 く海 中 に沈 没 した 事 は 已 に碓 実 であ る。 日本
た な ら ば留 布 の二 の舞 を踏 む事 は極 りき つて居 る。 日本 銀行 が全 滅
底 維 持 し難 い、 中 国 人 民 に し て此 の信 用 にな ら な い金 票 を 持 つて居
るだ ら う 。金 票 の下 落 す る のは当然 であ る、中 国 人 側 のみ にて は到
の三 分 の 一に も足 らず 。 現 に此 準 備金 総 額 は預 金 の払 戻 にも不 足 す
在 支諸 外 国 人 の同情 一 一、米 国 東 洋 艦 隊 は在 北 京 公使 館 の医 官 を同 乗 させ 薬 材 を積 載 し て 四 日 マニ ラを出 発 し 二十 四時 間 以 内 に達 す る筈 。 二 、在 北 京米 国 商 業 会 議 所 は其 の積 立金 の半 額 を以 て即刻 義 捐 金 に充 つる こと を決 議 し た 。 二 一、在 天津 英 国 商 業 会 議所 又 義 捐 金 募集 中 。
京 全市 に て五 十億 円 の損 失 であ る 。横 浜 は 商業 の枢 要 地 であ る か ら
な ん か問 題 でな い。紙 幣 の信 用 と富 力 と の関 係 は大 であ る 。今 次 東
果 し て陥 没 し た と す れば そ れ こそ 日本 全 国 の破 産 であ つて金 票 相 場
が東 京 は目 下 革 命運 動 防 止 の際 と て此 の真 否 を確 む る余 裕 がな い。
銀 行 の準 備金 が地 震 によ り 地中 に陥 没 し た かど う かは断 定 出 来 な い
一面 東 亜 大 局 に影 響 す る こと 明 か な り。 而 し て来 る べき新 変 動 は 之
り 。今 次 の天 災 は箕 豆 同 焼 の関係 に て其 の国 力 に衰 退 を来 せば 自 ら
し て は野 心 無 し と は言 はざ るも其 の対 外 の功 績 は正 に大 な るも のあ
を敢 て施 さし めず 。 近 年 日 本 人 は モ ン ロー主 義 を唱 へ同 州 の国 に対
る ことな く 、欧 米 各 国 を し て東 亜 に そ の人 あ る を知 ら し め兼 併 の謀
ては遂 に欧米 各 国 と頡 頏 、聯 裾 竝 駕 す る こと を得 て之 に先 んせ し め
シヤ ム、 ビ ル マ、 安 南 、 印 度 は東 亜 の諸 国 に非 ず 。而 も相 継 で他
又吾 人 が憂 た らざ る べ からず 。
洲 に隷 属 し完 全 自主 の国 は僅 に日本 と中 国 あ る のみ。 然 れ共 我 国 民
一度 此 の損 失 を 見 れ ば市 場 流 通 の紙 幣 価 格 は大 暴 落 を来 し 維持 益 困
先是 日貨 抵 制 の際 国内 は左 程 の影 響 を受 け な か つた が金 票 は約 五
難 な ら ん。
割 方下 落 し た 。今 次金 票 下 落 は根 本空 虚 の問題 に起 因 し て居 る 。 三
天 災 人 禍何 国 と雖 非 るは な し 。然 れ 共未 だ 日本 今 次 の災 禍 の如 く
あ る中 日両国 は同 志 打 を為 し た り。 仮令 従 前 日本 が 独力 に て 一切 を
る の み にし て何 等 実 際 の親 善 に裨 益 す る所 なく 亜 洲 を支 持 す る能 力
らず 。 所謂 二十 一ケ条 問 題 、旅 大 問 題等 は我 国 に悪 感 を抱 か し め た
て同 洲 同文 同 種 の中 国 に対 し徒 に相 残害 す るを知 り て相 惜 し む と知
陸 を 共 同支 持 し 居 れ り 。遺 憾 乍 ら 既往 に於 ては軍 閥 の謀 に誤 まら れ
は 自強 の道 を 知 らず 。徒 ら に内争 を事 とし 日本 に頼 り て漸 く亜 洲 大
日本 震 災 に対す る支 那 紙 の論 調
年 や 五年 では恢 復 は 容易 で なか ら う 。
六六号
甚 し き は な し 。地 震 、 海嘯 、大 火 一時 に起 り名 勝 の地 、 重要 の地 を
な ら しむ る に若 かざ りし な り 。今 日本 は今 次 の災 害 に よ り国 力 を減
支 持 し得 た り と認 む るも其 情 弱 く 勢 単 な れば 同 心 協 力 し其 力 を巨 大
一、 東 三省 民報 は九 月 七 日 の紙 上 に於 て左 の如 く 論 じ て居 る。
挙 げ て壊 尽 し 其 の損 失 数億 に達 し死 傷 者 無 数 な り。 明治 維 新 後 五十
じ 局面 の変 動 は到 底 免 れ ざ る所 な り。 而 し て我 国 共 管 の声 亦 日 に喧
年 の精 華 は〓 喪 し て殆 んど 尽 き た り。 而 し て我 国 の横 浜 居留 民、 東
し 。 日本 の為 、中 国 の為 此 後 実際 の親 善 の方図 に出 でざ る べか らず 。
理 の退譲 に より障 害 一掃 さ るれ ば親 善 は自 ら見 舞 はれ 、相 共 に提 携
亜 の異 災 な り。 吾 人 は人 類 と し て の同 情 を抱 く 以 上 に更 に同 文同 種
し て休 養 生 息 し 、東 亜 自 主 の局 を永 く保 持 す る ことを 得 ん 。而 し て
京 留 学 生 も亦 多 く は 其難 に罹 れ り 。痛 哉 、 惨哉 、 日本 の奇禍 は亦 東
思 ふ に 日本 は 維 新 改革 以 来 数 十年 間 既 に兢 々自 強 し屡 幸 運 に会 し
従 前 の両国 間 不和 の病 原 た る二十 一ケ条 、旅 大 問 題 の如 き自 動 的 合
た り 。 日清 日露 の両 役 に よ り其 強 大 の名 始 め て四海 に揚 り、 次 で欧
の故 を 以 て外 人 に侮 ら れ、 日本 は元 気 喪 失 の折 、恐 ら く 独力 以 て大
日 本 も亦 漸 次 元気 を恢 復 す る こと を得 べし 。然 らざ れ ば 我国 は貧 弱
の関 係 を有 す るを 以 て 一掬 傷 心 の涙 を灑 がざ る を得 ざ るな り 。
一意 其商 業 を経 営 す る事 を得 て其 富力 日 々に増 加 せ り。 今 日 に至 つ
洲戦 争 に当 り ては 東 亜 に遠 居 す る故 と我 国 混 乱 の際 な りし と によ り
地と なら ん 。 ビ ル マ、 印度 の各 国 に於 て前 者 の鑑 あ り 。痛 心 せざ る
局を支 持 し得 ざ る べし 。然 らば 即 ち 東 亜 の全 洲 は悉 く 他 人種 の殖 民
育 総 長 )湯 璽 和 、 北 京 医学 会 々長 候毓 〓 、陸 軍 々医 学 校 々長 戴 〓
の活 動 も亦 盛 にし て先 発隊 は既 に七 日北 京 医学 専 門 学 校 長 (旧教
米 国赤 十 字 社 の敏活 に し て豊 富 な同 情 に刺 戟 さ れ中 国 赤 十字 社
出 発 し た。 赤 十字 社 は銀 二万 元 を 日本 赤 十字 社 に医薬 料 と し て寄
内 一隊 は十 日南 京 よ り出 帆 せ る華 甲 号 に て救 恤 衣糧 薬品 と共 に
経 由 罹 災 地 に向 ひ 、尚 ほ上 海 よ り 二医隊 の出 発 す る筈 で あ る。
齢 、伝 染 病 々院 長 厳 智 鐘 、前 山 東 医学 校 々長 孫 柳渓 の諸 氏 は 朝鮮
べけ んや 。 之 を以 て記者 は 日本 の震 災 に対 し深 く哀 悼 同 情 の意 を 表 し適 宜 の 方法 を 以 て援 助 を 与 へん と欲 す 。 固 よ り吾 人 の当 然 為 す べ き ことな
急 の事 にて 、依 て以 て従来 の態 度 を 一変 す る事 を希 望 せざ るを 得ず 。
附 を決 議 し湯 氏 一行 帯 同 した 。
り。 而 し て今 後 の自保 す る所 以 と 日 本 の共 保 す る所 以 と は均 し く緊
共存 共 栄 の実 を挙 ぐ るは 中 日 の幸 た る のみな ら ず東 亜 の幸 な り。 あ
ロ、中 国 華 洋 義 賑 救災 会
ハ、京 師 地方 官 商 聯 合 日災協 賑 会
し情 状 を視 察 さ せる こと を決 定 し た。
十 二 日北 京 公 園 に総 会 を開 き 労之 常 (前 交 通次 長 ) を 日 本 に派
あ、 天 災 は 不幸 事 な り 。吾 人 一度 日本 各 地 の惨 情 を 想 像す れば 代 つ
何 の補 ふ所 な き も望 む ら く ば 人事 を尽 し て天 災 を弥 補 、天 災 の禍 た
て之 が為 に痛 惜 の情 禁 ず るを得 ず 。 徒 に痛 惜 の念 を深 うす れば と て
る に至 らざ ら ん こと を庶 ふも のな り。 而 し て国 家 の元 気恢 復 し竟 に
薜 之 〓 (崇 文門 税 関 監 督 )、 孫学 任 、高 金釗 (総商 会 長 ) の 名 に
王懐慶 ( 衛 戌 総 司令 )、聶 憲 藩 ( 歩 軍 統 領 )、劉 夢 康 (京 兆府 尹)、
於 て檄 し 各界 よ り徴 収 の こと 。
︹マ
は災 禍 を忘 る るに至 ら し め益 其勢 を 比隣 に拡 大 し て以 て補 償 の計 と す べ し 。吾 人 は 知 る 。比 隣 未 だ 必ず しも 図 る べ から ず 。 而 も 日本 自 マ︺
残 の故 を 以 て共 に他 人 の所 有 にな り同 じく 灰燼 に帰 せ んと す 。是 れ
ヘ、外 交 部 日災 救 恤 会
以上 四割 五 分 、 八百 元 以 上 五割 の割 であ る。
四百 元 以 上 三割 、五 百 元 以 上 三割 五分 、六 百 元 以上 四割 、 七 百元
割 、 百 元 以上 一割 五 分 、 二百 元 以 上 二割 、 三 百元 以 上 二 割 五分 、
金 を 徴収 す る こと を決 定 し た。 其 の割 合 は職 員 月 俸 五 十 元 以 上 一
交 通部 は特 に 日本 に関 係 深 き も のあ るを 以 て部 員 全 体 よ り義 捐
ホ、交 通 部 日災 救恤 会
委 員 会 の決 議 に よ り協 会 員 の救 恤 を檄 す 。
ニ、北 京 弁護 士 会
北 京 公 所 長
即 ち 記 者 が天 災 を哀 悼 す る の余 り危 懼 の意 な し と せざ るな り 。中 日 明 達 の君 子斯 言 を以 て如 何 とな す 。
六
大 正十 二年 九 月十 四 日調
日本 震 災 に対 す る支 那 各 界 の同 情 (其 の三) 一、 イ 、 中国 赤 十字 社
外 交 部 も亦外 交 上 の見 地 より部 内 に義 捐 を徴収 す る。 ト 、教 育 部 日災 救 恤 会 北 京 国立 八校 の発 起 によ る 日災救 恤 会 は 十 日美 術事 門 学 校 に第
教 職員 は月 俸 百分 の三 、学 生 は中学 生 以 上 二角 (二 十
二回 委員 会 を開 き 一、醵金
王 正 廷 を校 長 と す る同 校 は 日本 国 民 に対 し慰 電 を発 す 。
ワ、中 国 大学 生 日災救 恤 会
帝
二 、個 人 的 のも の 統
貧 窮 せ る清 室 は 日本 今 回 の奇災 を聞 き非 常 に傷 心 し 貧窮 の中 に
イ 、宣
一万元 と重 宝 (真 珠 、首 飾 、 花瓶 等 ) 二十 余 種時 価 二十余 万元 に
︹マ マ ︺
仙 )、 小 学 生 は 一角 を各 醵金 す る こと を市 内 各学 校 に通 達 し て徴
瑞
ロ、段
相 当す る も のを 公使 宛 に義 捐 し 北京 界 の美 挙 と 称 せら れ て いる。
安福 系 の総 大 将 た る同 氏 は各 界 に飛 檄 し て義 捐 を募 りし こと前
祺
収 し本 会 に送 達 さ せ る。 職員 は 二週間 以内 に学 生 は四 週間 以 内 に
二 、 日内 に旅芸 大 会 を開 き 其 の収 入 全 部 を挙 げ て捐 す る こと。
自 由 に義 捐 す る こと。
(段 氏 一万元 ) を集 め るを 得 、中 十 万 元は 正金 銀 行 に託 し 、 二 万
回報 告 の如 く であ る が氏 の元老 とし て の努力 に より忽 ち十 二 万 元
地
庸
継
氏
賢
津
京漢 鉄 道 局 長 の同 氏 は 一千 元 を救 恤 し 日本 公 使館 に托 し た 。
ニ、趙
生 の善 後 策 を な す と て十 日 日本 に向 ひ発足 せ り。
前 留 日学 生 監督 たり し同 氏 は自 ら 日本 に赴 き 当局 を慰問 し留 学
ハ、江
閻錫 山 、 何豊 林 、盧 永祥 、周 学 煕 、張 勲 、〓 雲 鵬 の諸 氏 で あ る。
元 、張 作霖 、張 載 揚 、岑 春 〓 、馬 聯 甲 、 田中 玉 、呉 佩孚 、曹 〓 、
段 氏 の飛檄 に対 し賛 同 返電 せる は王克 敏 、銭 能 訓 、聶 憲 藩 、 呂 調
元 は必要 な る物 資 を購 入し て日本 領 事 の手 によ り発送 せら る る筈 。
三 、 日本 国 民 に対 し て慰 電 を発 す る こと 。
チ、審 計 院 (会計 検 査院 ) 日災 救恤 会
四 、 日災 救 恤規 定 十 二 ケ条 の承 認 。
院 内 に て義捐 金 を集 め る こと を決 定 す 。 リ、国 民外 交 同志 会 日災 救 恤 会 顔 恵慶 を首 席 と し て開 会 し対 日糧食 輸 出 に つい て関税 免 除 の件 を当 局 に進 言 す る こと を決 議 す 。 ヌ、国 民 外交 協 会 日災 救 恤会 熊 希 齢 を首 席 と し て 日災恤 捐 を決議 し新 聞界 を し て檄 せ しめ る。 ル、各 省 旅京 同 郷 会 日災 救恤 会
一、天
各
貴 州 、 湖南 、 広 西 、陜 西 は既 に開会 討 議 し 四川 、福 建 、湖 北 、 江 蘇 、 浙 江 、広 東 は 奔走 中 。
イ、 実 力者 楊 以 徳 ( 警 察 庁長 )官 民 の代 表 的 人士 を会 合 し救 恤 を
五 日 の閣議 に よる各 省 への飛檄 によ り天 津 にては
ヲ、中 国 書 画研 究 会 日災 救 恤会 日本 人 に知友 多 き 同会 は其 作 品 を陳 列 し て其 売 上 を挙 げ て救 恤 に資 せ ん とす る も の であ る。
な さ せ る。
チ、 上 海教 育 会 日災 救 恤 会
ト、 江蘇 教 育 会 日災 救 恤 会
省 教 育会 、上 海 県教 育 局 、 宝山 県教 育 局 、中 華 学 芸局 、 寰球 学
ロ、 王承 斌 ( 直 隷 省長 ) は 五 万 元 を恤 し 三 万元 を 日本 罹災 民 に二
学 、 商 科大 学 、中 華 武術 会 体 育師 範 、青 年 会 学生 部 、第 一高 等学
聯 合 会 、 上海 県 教 育 会 、同 済 大学 、 第 二師 範 、〓 南学 校 、南 洋医
生 会 、 江蘇 童 子 軍 聯 合会 、中 華職 業 学校 、 南 洋大学 、 上海 童 子軍
五 日 閣議 によ る飛 檄 によ り
校 、 代 表者 会 同 し て義捐 を決 議す 。
海
万 元 を留 学 生 並 に華 僑救 済 費 と し て支 出 す る。
イ 、商 務 総 会 は米 三 千包 、 麦 粉 一万 包 を第 一次 に汽船 新 銘 号 に積
二、 上
載 せ し め八 口 上海 を出 帆 し 、 次 で米 一万包 、麦 粉 二万包 を準 備 し
リ、 何 豊 林 の勧 誘
は 五千 元 を捐 す。
松 滬 護 軍使 の何 氏 は 区内 軍 警各 機 関 に函 し て義 捐 をす す め自 ら
各商 人 より の捐 金 六 万 一千 元 を 即刻 集 め得 た。
各 界 日災 救 恤 の聯 合会 であ る中国 済 生 会所 寄 の山芋 百 担 、果 物
ロ、 上海 中 国 協済 会 日災 救 恤 会
ヌ、杜 錫 珪 の勧 誘
三、杭
州
上海 々軍 司令 の同 氏 は 部下 に義 捐 を誘 ふ。
五 十担 、青 蘿 干 二十担 、鹹 菜 三 十鑵 、醤 菜 五十 鑵 、雑 物 数 十担 を 七 日発 送 す 。
(上海 に於 け る浪 人政 客 によ り組 織 せら れ排 日運動 の 一中 心 と
ハ、救 国 十 人会 日災 救恤 会
人類 同 情 の立 場 より看 過 し 得 ざ るを 以 て救 済 に対 し迅 速 研究 をす
ニ、杭 州銀 行 公会
ハ、杭 州商 総 会
ロ、浙 江省 教 育 会
イ 、盧 永 祥 は 一万元 を捐 し各 機関 に義捐 を勧 む 。
る と て会 合 し 、 日本 の要 求 す る も のは 一、食 糧 、 二 、薬 品 な りと
ヘ、 医 師門 薬剤士公会
ホ 、杭 州学 生聯 合 会
な り来 れ るも の) は 日本 の政 策 に始 終 反 対 し来 れ る も今 次 の災 は
く なら ざ らむ も本会 々員 二千 余 人各 個 人名 義 を以 て無 告 の民 を救
京
馬 聯 甲 の通電 六、 熱 、察 特 別 区域
五、 安 徽
通電 し 各機 関 に捐 を す す む。
五 日 の閣議 の決 定 によ り江 蘇督 軍 斉燮 元 、 省長 韓 品 鈞 の名 に於 て
四 、南
報 ぜら るを 以 て米穀 は恐 ら く中 国 今 年 の荒 歉 を以 て彼 の要 求 の如
恤 す るは 本会 の趣旨 に反 せず と。 ニ、 中 華書 局 同 人進 徳 会 日災 救 恤 会 ホ、 上海 銀 行 公会 日災 救 恤会 二万 元 を上 海 中国 協 済会 に托 し送 る。 ヘ、 紹 興同 郷 会 日災 救 恤会
の対支 外 交 は 一生 面 を展 開 し た。 山東 の還 附 、駐 屯 軍 の半 減 等 着 々
際 し て居 た こと が主 な る原 因 と せね ば な ら ぬ。華 府 会議 の際 に日本
みな らず 対 日 感情 の漸 次 昔 日 の如 く な らず 即 ち対 日感 情 が 一転機 に
田中 玉 の通電 に て四 万 元 を捐 す
巡閲 使 王懐 慶 の通電 綏 遠 馬 福 祥 の通電 七 、山 東
る に、 日本 は 其 政策 上 これ に全 然 賛 成 し得 ざ る立 場 に在 り、 支 那自
も のが英 国 によ つで 提 議 せ ら れ所 謂共 管 の第 一歩 を発 足 す るも のな
最 近 の問 題 と し ては、 臨 城事 件 によ り て起 つた官 営鉄 道 警 備 案 な る
に ては歓 迎 せら る る こと であ る) は 渇者 に水 を与 ふ る の効 験 あ り。
化 事業 費 とし て計 上 (文 化侵 略 には 相異 な いけ れ共支 那 現在 の状 態
か つた 。然 る に最 近 の対 支政 策 の具 体 的表 現 と し て の拳 匪 賠 款 を文
心 暗鬼 を出 さし む る の種 を除 かず 新 政策 は よ く未 だ徹 底 す るを得 な
の態度 及 日本 の東 亜 に於 け る指 導 的 地位 のた め に、 支那 人を し て疑
支 那 の主 権 侵 害 行為 を悔 い改 め た。而 し乍 ら其 の政 策 は過 去 の日本
蔡 成勲 の通電
( 伊 藤 武雄 )
八 、 江西 九 、哈 爾 賓
七
張 煥 相 の通電 、暴 利 取締 、東 支 鉄道 従 業員 の捐金
北 調 四号 北 京 公所 長
日本 震 災 に対 す る北 京 各 界 の心理
大 正十 二年 九月 十 一日調
身 は固 よ り不 賛 成 な るを 以 て 、 日本 と支 那 と は他 国 に対 し 著 し く利
ろ へ今度 の震 災 突発 し、 期 せず し て支那 の国論 一致 、 日本 援 助 を表
害 緊 切 の立 場 に在 る こと が漸 次 一般 支那 人 に認 識 され来 り居 ると こ
( 伊藤武雄) 日 本未 曾 有 の震 災 に際 し て北 京 各界 の同 情 は皆 衷 心 よ り出 でた る
加 之本 年 中 部 支 那 に於 け る排 日貨 運動 の精神 と北 京 に於 け る先覚
現 した ので あ る。
も のな る ことは疑 ふ余 地 な し。 各 新 聞 の論 調皆 最 大 級 の慰 藉 の辞 を 述 べ 、 日本 震 災 と言 はず し て人 類 の不幸 と感 じ て人 類 の 一部 分 の不
れ を外 にし て存在 せず と論 じ た。
幸 に対 し て各 部 分 が其 の急 に赴 く は これ人 道 に外 ならず 、 人道 は こ
す るは適 当 な方 法 に非 ず と思惟 し て居 た際 な れば (日本 に対 し気 の
ンチ ヤは支 那 改 造 運動 の方 向 と し て単 に日本 の経 済 政 策 の み に反 対
者 を以 て任 ず る者 と の精 神 には大 な る逕 庭 あ り 。北 京 のイ ン テリ ゲ
交 上 の行 掛 り を全 然顧 慮 す る の閑 なき程 の惻 隠 の情 を興 さ し め た る
客 に快 く 思 つて いな か つた 一種 の反 動 的気 分 と し て 日本 の天 災 ︱ 人
毒 とは 思 はざ るま でも外 交 政策 に没頭 し て内政 を顧 み ぬ中 部 支 那政
其 の惨 害 が世界 稀 に見 ると ころな りけ れば 、従 来 両 国 間 の政 治 外
こと確 実 であ る。 各新 聞 皆 かか る惨 害 に対 し ては国 境 の区 別、 人種
点 あ り。 且 つ彼 等 の対 日感 情 に於 て悪 感 を有 す るは 日本 の侵 略 的 政
災 に あら ざ る) に対 し て は満 腔 の同 情 を 天真 に披 瀝 し た と見 るべ き
の相 異 を 顧 み るべ く 、 あま り に事 は痛 ま し く残 虐 で人 間 は 挙 げ て自 然 の挑 戦 に応 ぜ ねば な ら ぬと 一致 論 じ た 。 而 しな がら支 那 人 心 の この同情 は単 に惨 害 の極 め て残 虐 な り し の
ても西 洋 人 よ り も親 し さ を増 さ しむ るは自 然 の人情 な るを 以 て王 侯 、
客 及 軍 閥 に在 り て平民 た る日本 人 には 少 く も同 文同 種 の感情 のみ に
人 を通 じ取 引 を通 じ少 な からず 存在 す るを 以 て日 本 人今 次 の利 害 休
如 と し て黙 視す るわ け には ゆ かぬ 。近 接関 係 の生 む自 然 の人情 は 個
両者 の緊 密 な る関 係 は 一度 一方 に重 大 事件 の発 生す る場合 他 方 は 晏
ぬ。各 個 人 に つい ても 、経 済 取 引 に ついても 、 政治 関 係 に つい ても
務 に迄 習 慣 化 され て居 る。支 那 よ り強 国 であ り侵 略 的 であ つた為 め
相 当 の救恤 に尽 力 す る は や が て中 央 舞台 に立 た む とす る時 日本 の好
直 隷 派 の連 中 、 大将 曹 仲 三 が即刻 四 万元 を 捐 し た を始 め とし て各 地
亦 興 味 あ る事 実 を見 る。 排 日運動 の後 援 をし て居 ると見 ら れ て居 た
以 上 は支 那 全般 的 に見 て の見解 であ るが これ を部 分的 に見 る とき
捐 の如 き其 の著 し い例 であ る 。
戚 に関 心す る こと少 く な い のは当然 と言 ふ べ き であ る。 旧 清室 の義
平 民 の別 な く 一様 に罹 災 した今 次 の災 厄 に 対 し て対 日本 人 と し て の
他 の原 因 と し て中 華自 大 の国 民性 は弱 者 を憐 む こと を名 誉 と 心得
同 情 を披 瀝 し た のであ る。
る こと非 常 に厚 い。 富者 の貧 者 に対 す る態度 は支 那 に於 ては 慣 習的
に常 に危 惧 の念 の去 らな か つた と ころ へ此 の異災害 が日本 の中 枢 部
に極 め て自 然 に慈 善 的 に出 来 て居 る。 富 者 の権 利 た る こと が遂 に義
を襲 う た為 め に、 日本 の国力 が低 下 せ ぬま でも侵 略 より も内 政 に忙
感 なく ん ば 万事 に不 都合 な る こと を知 れ る を以 て な り。
面 目 の躍 如 た る も の があ る 。安 福系 の大将 段 合 肥 が天 津 に於 て非常
直 隷 派 に 対抗 す る奉天 は彼 に数 倍 す る義 捐 振 り を発 揮 す ると ころ
し か るべ き こと を想 像 し て 一種 の安 心 を覚 へた る こと 事実 に し て、
な奔 走 を見 せ た るは 彼 の在 来 の関 係 と共 に近 き 将来 に飛 躍 せむ 一歩
或 は 日本 が支 那 と同 一水 準 に ま で来 る こと を想 像 し た かも知 れ ぬ。 其 の時 は対等 の資 格 に於 て共同 す べ く 若 し くは 不幸 な る同僚 に憐 憫
又 一つ支 那 の上下 が感 奮 し た直 接 の動 機 の 一と 見 る べき は 一昨 年
と 見 る は誤 り 歟 。
の北 支那 饑 饉 に於 け る 日本 の義 捐 及 医隊 の活 動 に対 す る返 礼 とし て
と同 情 とを垂 れ る こと は権 利 と考 へた かも知 れ ぬ。 この こと は明 に
今 次震 災 起 るや太 平 洋 の彼 岸 な る米 国 は其 の性 来 の同 情 を 熾烈 に
新聞 論 調 に看 取 せら る 。
発揮し ( 米 国 人 と 云 ふ奴 は金 のあ り余 る故 か慈 善 的 な こと が大好 き
支 那 赤 十字 社 其 の他 の活 動 が促 され た こと も事 実 であ る。
済 振 り に刺 戟 され、 地 理 的 近接 の義 務 と同 文 同種 の誼 と き ふ こと 、
支 方 針 を転 回せ し め た ことは 明 な事 実 であ るが 一般 支 那人 は従来 に
を打 開 す べ き こと は想 像 に難 くな い。 日本 は華 府 会 議 の際 に其 の対
要 之 に転 機 を 伺 ひ つ つあ つた 日支 関係 が これ を機 会 と し て新 生面
な国 民 で あ る。 而 も今 次 の如 き 場合 は何 百 万 弗義 捐 し て も 日本 と の
中 日親 善 と 云 ふ こと を押売 ら れ でな く自 主 的 に唱 道 す る の会 心 さ よ
理 に現 れ た事 実 も 亦 これ を語 る。然 るに こ の天 災 は少 く も 一時 日本
懲 り て容易 に親 和 を示 す ことを し なか つた。今 年 春 に於 け る排 日 心
貿 易 に て回収 す る は容 易 で あ る) た る 人道 的義 捐 振 りと敏 活 な る救
り し て体面 上米 国 に劣 らず 行 動 せね ば なら ぬと いふ古 から の自 負 心
を打 撃 す る こと甚 しく 支 那 の合 力 を衷 心仰 が ねば な ら ぬ破 目 に立 ち
上熱 心 に努 力 した こと も争 は れ ぬ。 何 と言 つ ても 日本 と支 那 と は地 理 的 近接 の生 む親 近関 係 は争 は れ
至 ら し め た 日本 人 は 心 か ら支 那 に頭 を下 げ る こと は恥 辱 と思 ふ の不
あ る が不 幸 は種 々 の疎 隔 を 生 ぜ し め る。 一は 人類 の能 力 は 必ず や自
り証 明 さ れ た け れ共 、第 二点 は遂 に吾 が信 条 の誤 り な るを 示 さ れた 。
る に吾 人 の主 張 第 一点 は完 全 に日災 救 済 に現 れ た中 国 人 の心理 によ
自 然 界 の災 害 は竟 に避 免 の道 がな い。但 し今 日 の科学 は尚 ほ幼 稚 と
然界 を支 配 す ると いふ の であ る。然 る に今 次 日本 の災変 によ り て見
人 も 列国 と 日本 と が支 那 に対 す る関 係 の何 処 に相 異 あ る かを自 覚 し
心 得 が あ つた 。然 る に今 や そ ん な見 栄 を顧 る べく あ ま り に打 撃 は 強
日 本 が空 威 張 りを す て て (威 張 ら れ る ことは 支 那 人 に 大 苦 痛 で あ
は 人類 全 体 の責 任 と し て共 同防 禦 線 に移 動 せむ こと を 。
称 す べく 前 途努 力 の余 地 は少 くな い。吾 人 は こ の機 に於 て望 む らく
い。 日支 の関 係 が赤 裸 にな つて結 び つく には よ い機 会 であ る。 支 那
る) 協 力 す る こと に努力 す るな ら 寧 ろ喜 ん で共働 戦 線 に立 つ こと は
支 那 の 日本 に対 す る救 済 に奮 起 せ るは 亦 已 に 一切平 時 の外 交 政治
明 す る に足 るも ので あ る。
国 家 、種 属 、 政治 外 交 関 係 の能 く制 肘 し得 る と ころ でな いこと を証
を得 ば 人 類 の大幸 福 でな け れば な ら ぬ。 人類 互 助同 情 の必 要 は 一切
き であ る 。 この経 験 を 以 て全 世 界 人 類 将来 の進 路 を方 向 付 け る こと
越 しな け れ ば なら ぬ。惟 正 に人 類 同情 互 助 の精 神 を以 て標 準 とす べ
れ 人 類 同情 互 助 の進歩 の力 であ る 。当 に こ の時 は国 境 と 種 属 と を超
突 発 し た る と 一様 であ る。 人 類 は 竭力 こ れを救 済 せね ば な ら ぬ。 こ
日本 今 次 空 前 の災 変 を被 り し こと は世 界 人類 の 一部 に不幸 病 患 の
二 、京 報 (六 日) 我 国 は 宜 し く国 際 救 済 協 会 を発 起 す べ し
近 接 の利 害 の上 より言 ふ も今 日 は 日本 を疎 遠 す るよ り も親 近 す る の
八
北 京 公所 長
有 利 な る時 期 で あ る こと に思 ひ至 ると見 る こと は 全然 誤 り では な い。
北調六号 大 正 十 二年 九 月 十 五 日
日 本震 災 と 日本将 来 を論 ず る代 表 的 支 那 新聞 の論 調 一、京 報 (七 日) 日本 奇災 と吾 人 日本 奇 災 発 生後 吾 人 は 競 て救 済 運 動 に努 め て居 る、 其 心 た るや 糸 毫 と雖 も他 の禍 を幸 と す る の念 はな い、 悲愴 の同 情 は 顕然 とし て世
際 救 済協 会 を発 起 す べ き で あ る。 此際 日本 乃 至英 国 、 米 国 、仏 国 、
関 係 を超 越 し地 理 上 の利 便 によ り 此時 宜 し く速 に各 国 に提議 し て国
これ吾 人民 族性 の称 す に足 るべ き と ころ にあ らざ ら む や 此 れ謂 ふ
の人 類 は 地 理 上格 別 近接 の縁 故 によ つ て各 国 に提 議 す る資格 と義 務
露 国 、中 国 と言 ふ勿 れ 。 一切種 属 国家 の観 念 を打 破 し て我国 一部 分
界 に示 さ れ て居 る 。
ま でも な く人 類 互助 本 能 の自 然 に発 露 す るも ので あ る。 今 次 の救 済
に平 時 の阻 礙 す る外 交 案 件 等 は暫 時 消 滅 さ し て提 出 せず 。先 づ 全力
以 て ﹁全 人類 ﹂ の ﹁一部 人類 ﹂ 救 済 の目的 を達 せ む ことを 期 す故
と を有 す 。
運 動 は 実 に人 類 の義 務 責 任 で決 し て遊 戯 半 分 の慈善 で はな い。甲 午
吾 人 は 信条 とし て常 に次 の 二条 を宣 言 し て来 た事 は平 民 、 大学 生
以 後 の不幸 の瘢 痕 は意 ふ に将 に之 れ よ り洗 滌 され る に至 る であ ら う。
諸 氏 の知 悉 す る如 く であ る。 即 ち 一は 人類 は本 来 互 助 相愛 の も の で
を甘 じ て負 ふ べ き であ る 。
き であ る。 我国 多 数 人 民 は こ の時 速 に各国 と手 を携 へて莫 大 な義 務
け で あ るけ れ共 人類 道 徳 の進 展 向 上 には極 め て大貢 献 あ ると 言 ふべ
新紀 元 とな る こと を得 ば 日本 人 は不 幸 にし て重 大 の犠 牲 を払 つた わ
を 尽 し て天 然 と戦 は ねば な ら ぬ 。全 世 界 人類 の同 情 互 助 、進 歩 の 一
精 神 のあ ると き に あ り て始 め て進 歩 があ る の で ある 。 これ即 ち 其 の
国 一致 の必 要 を感 ぜし む る に足 る。 凡 そ 一民族 は惟 々此 れ等 が創 業
の間 に於 て同 じ く 明治 初 年 の緊 強 厳 粛 の気 に返 へら し め、 又深 く挙
にあ らざ るな り 。然 る に此 の度 の災害 は全 体 の 日本 人 を し て 一刹 那
英 紙 の 日本震 災 の影 響 を論 ぜ る を読 んで 。
つて 生ず と 雖 も而 も半 ば 遊 戯的 気 分 を含 む 。真 正 の精神 的 高 潮 は 必
て務 と なす 。夫 れ 人 の所 謂 思想 、主 義 の如 き も のは 固 よ り信 仰 によ
新 旧 の人 物 皆 一斉 に客 気 を 屏除 し空 論 を滅 絶 し た だ国 力 の恢 復 を 以
日本 年 来 の思想 混 沌 と し て新 旧激 争 す 。 し か も今 次災 害 によ つて
一な り。
マ ンチ エスタ ー ・ガ ーヂ ヤ ンは英 国 著名 の大 新聞 で あ る が同紙 は
ず や 此 れ等 大打 撃 、大 患 難 の後 に始 め て能 く之 れを 見 る べし 。 此 れ
三 、中 華 新報 (上海 ) 六 日
よ つて生 す べ き国 際 間 の影 響 に論 及 し て居 る。 然 れ共 吾 人 の見 る所
昨 日 日本 震災 の事 を論 じ 、推 し て将 来 太平 洋 上 国力 の比例 の変 更 に
此 れ即 ち 英 紙 の所 謂 影 響 な り 。然 れ共 吾 人 は 日本 の挙 国 的精 神 に信
抑 々日本 の損 失 とす る所 は物 質 的 方 面 即 ち資 本 富 力 と軍 備 等 な り。
即 ち 其 の二な り 。
日本 の立 国 に何 等 の障 碍 な く而 し て精 神的 方 面 は却 つて其 の進歩 を
頼 す 。当 に是 れ に よ つて平 和主 義 を篤 信 し 、更 に人 類 互 助 の必 要 と
日本 の損失 実 に莫 大 であ る 。然 も物 質方 面 に就 いて論 ず れば尚 ほ
は尚 此 れ に異 る も の があ る 。
促 す べ し 。禍 も転 じ て福 と な る。要 は 其 の国 民 の決 心如 何 にあ る の
争 権 奪 利 の卑劣 と を実 感 し 、其 の外 交 方針 と国 民 の感 情 はま さ に是
夫 れ自 守 に余 り あ る日 本 を し て更 に平 和 建 国 の 一途 に努 力 せ しむ
れ に よ つて 一種 新 傾 向 、 新 精神 を帯 ぶ べ し 。
み。 今 次 震 災 の経 済 的 影響 は固 よ り非 常 甚大 であ る 。然 れ共 其 の工業
れ ば則 ち 国 力損 す と雖 も何 の障 碍 か之 れ あ ら ん。 これ即 ち其 の三な
の中 心 は 関西 を主 と す 。 又 日本 は近年 地方 発 達 し農 村 繁 栄 せ るが故 に此 の度 の打 撃 は重 し と雖 も而 も未 だ 其 の基 礎 を傷 く る に至 らず 。
り。
抑 々吾 人 よ り言 へば 世界 各 民 族 は其 の精 神 上 ま さ に皆 一種 の新 刺
此 れ猶 不幸 中 の幸 と君 ふ べし 。 新東 京 の建 設 に至 り て は固 よ り 旦夕 の間 によ くす る事 に非 ず 。而 し て都 市 の美 観 も亦 恢 復 に汲 々す る を
を思 はば 誰 か能 く何 時意 外 の奇 災 な き を保 せ ん や。況 ん や天 は徒 ら
戟 を受 く べ し 。仮 令 災 禍 を幸 楽 す る人 あ り とす るも 一度 天 道 の無 情
来 数次 の戦 勝 に狃 れ経 済 の発 達 に及 び庶 俗奢 靡 を極 め驕態 に浸 酔 す 。
の 一なり 。
に災 せず 。寧 ろ 人 そ の者 が禍 す る に於 てを や。 中 国 の如 きは則 ち其
其 の精 神 上 の影 響 は即 ち 常 に有 益 な るも のに非 ず 。 第 一日本 は年
要 せざ る なり 。
故 に政 党 は権 を弄 し富 豪 は 利 を擅 にし 精 神 早 く已 で に明治 維 新 の旧
夫れ人類 の職分は永 く敬虔 の心を抱 き以 て共 に世界 人類 の福祉増
一部 の民衆 間 に存 せ る に依 るも のな り 。
と も気 脈 を通 じ て機 を見 て暴 虐 の挙 に出 でん とす る も のあ り と の説
来在 京 の不 逞 鮮 人 が 上海 、西 比 利 方 面 の不 逞 鮮 人及 邦 人 の不穏 分 子
一〇
北 京 公 所長
支 那 の輿 論 殊 に排 日運 動 の 一中 心 た りし は 北方 に於 ては主 とし て
大 杉 及 朝 鮮 人殺 戮 事 件 と支 那輿 論
大 正 十 二年 九 月 二十 二 日調
北調 八 号
非 常 な る 混乱 中 止 む を得 ざ り しも のな り。
或 は鮮 人 と誤 認 せら れ し者 に て邦 人 又多 数 同 様 の難 に遭 ひ居 れ り 。
五 、支 那 人中 傷 害 せら れ し者 数 名 あ り し も第 二 の混 乱 の渦 中 に あ り、
五千 名 に上 る 。内 百 名 は 已 に安 んじ て復 旧事 業 に服 し つ つあ り 。
る保護 を加 へ適 当 の場 所 に収 容 し て衣食 を給 し つ つあり 。 其 数目 下
善 を 尽 し て鮮 人 救 護 に努 め、 軍 隊 、警 察 、 団 体 、個 人等 に て充分 な
四 、 一部 不 逞 者 を 除 き 一般 鮮 人 は 純 良 にし て震災 後 直 ち に官 憲 は最
進 に努力す るにあり。試 に三分間 に世界 一等 の商埠 を全滅 せしめ得
( 伊藤武雄)
るを観 れば則我国 の争権攘利 の流 の如 き亦即刻 に停止し得 るにあら ず や。 国際間其 の理又何 ぞ同じからざらん。云 々
九 関東 軍参謀部 (大正十二年九月二十 日第 一四九号)極秘 震災地 に於 ける鮮人虐殺 の真相
陸軍次官
首題に関 し東京陸軍当局 より関東軍参謀部 に達 したる情報左 の如 し。 (九 月 二十 日着参諜次長発電報) 一、 災 害 に際 し 一部 鮮 人 は石 油 、 爆 弾等 を用 ひ火 災 の蔓 延を 計 り毒 を井 中 に投 じ或 は掠 奪強 姦 を為 す 等 暴行 の事 実 あ り 。 又避 難 路 上 の
学 生 運動 で あ つた 。学 生運 動 の中 心 は主 と し て所 謂 新 人系 統 に よ つ
橋 梁 及 船 橋 無 船電 信 局 の爆 破 を企 てた る形 跡 あ り。 引続 き犯 行 の調 査 中 にし て焼 打 に関 す る鮮 人 の爆 薬 等 発 見 せ ら れ つ つあ り 。
て率 ら れ る も の であ る 。
が本 年 如斯 騒 いだ時 北 方 の鳴 を鎮 め て居 た のは 、 日本 の事 は 日本 の
本 に民 主的 勢 力 が相 当 支配 す る こと を知 つた か ら で あ る。南 方支 那
北 京 に於 け る排 日 運動 が華 府 会 議 以来 、盲 動 し なく な つた のは 日
二 、大 震 災 に続 き て起 り た る大 火 災 の当時 は民 衆 の興 奮 其極 に達 し
一層 の混 乱 を生 じ 一般 罹 災 民 にし て傷 害 せら れ た る者 尠 からず 。其
自 由 主 義者 に信 頼 し て可 な り と 云 ふ心 理 が働 いて居 た こと は拒 ま れ
第 一項 の如 き 鮮 人 の現 行 或 は諸 種 の誤 解 風 説 の為 雑 沓 せ る民衆 間 に
三 、鮮 人 の暴 行 に関 す る風 説 は震 災 地 及 其 附 近極 度 に興 奮 せ る 民心
な い事 実 で あ る。 大 正 八年 排 日 の急 先鋒 た りし陳 独秀 一派 の如 き は
後 鮮 人 に し て現 行 犯其 他 の事情 に て殺 傷 せら れ た る者 あ る見 込 な り。
に大 な る刺 戟 を 与 へ 一時 に伝播 し其 噂 更 に風評 を 生 じ たり 。蓋 し従
本 年 の南 方排 日運 動 に は反 感 を さ へ抱 い て、 其 の機 関 紙 上 にて南 方
朝 野 の胆 気 を 百倍 に せし め 、無 残 な る 天然 と力 戦 せ し む に足 る。 さ
日本 を 救 護 す る の みな らず 、全 人 類 の同 情 の精 神 を固 め て以 て日本
の尚 ほ小 な る を覚 る べし 。 一戦 し て人定 ま り天 に勝 つ こと固 より絶
れ ば 日本 の被 る災 害 は重 し と雖 も全 世界 の同 情 に比較 す れば 天 然力
学 生 の商 人 の先 棒 と な って居 る こと を罵 つて居 る程 であ る。 而 し て震 災 日本 を見 舞 ふ や又 対 日感 情 は著 し く好 化 し て 日、支 、
鳴 呼 然 るに 不幸 、大 不 幸 、天 災 に次 いで直 ち に人禍 至 ら んと は 。
へて不 可 能 の こと に あらず 。
露 これ よ り益 々深 く健 全 な る 日支提 携 の前 途 これ よ り開 かれ む と北 大 教 授 李 大釗 は言 へり。 然 る に こ の度 大 杉殺 害 事 件 伝 は る や (残 虐 な る詳 報 の達 す る前 ) 李 大釗 の北京 新 聞 記 者 に語 る と ころ に拠 れば 日本 は 正 に恐 怖 時代 に
す る所 に よれ ば無 辜 の朝 鮮 国 人 の多 数 を殺 害 せ れた り と 。吾 人 は無
無 政府 主 義 者 大 杉 栄氏 を殺 し 、社 会 主 義 者堺 利 彦 君 を 殺 し、 又 伝聞
政府 主 義 者 にあ らず 、社 会 主義 者 にあ らず 、 又朝 鮮 人 に対 日独 立革
︹マ マ ︺
入ら む と す る か と前 提 し て ﹁北 京 に在 る無 政 府主 義 者 は恐 ら く 示威
を発 し て弔 意 を表 す る積 で あ る﹂ と 。
運 動 をす る で あ らう 、吾 々も亦 軍 閥 の害 毒 を憎 む同 志 と共 に宣言 書
め る人 にし て、 日本 の資本 の支 那 を 開 拓す る こと を歓 迎 す る主 張 を
を有 つ人 であ る 。 日本 の事 情 には よ く 徹底 し 日本 人 の美 点 を常 に賞
に驚倒 せ しむ 。 其 の責 任 の個 人 に出 でた る と政 府 の方 針 に出 でた る
此 れ等 の事 実 は 大 半確 証 挙 げ ら れ つ つあ り 、真 に人 を し て其 の蛮 横
際 に当 り決 し て獣 性 の行 動 の発 生 あ るべ か らず 。然 る に不幸 にし て
び た る を思 ひ将 に全 人 類 の力 を合 し て天然 力 と摶 戦 せざ る可 ら ざ る
命 を鼓 吹 す る者 にも あ らざ るも 、只 人 類 の進 化 已 で に 二十 世 紀 に及
有 す る人 な る も軍 閥 に対 し て は極 端 な 憎悪 を も つ人 であ る。 恐 ら く
と を問 はず 、 世 界 を し て等 し く 日本 国 民 及 び国 家 の人 格 上 に大 疑問
李 氏 は学 生運 動 に於 け る直 接 関 係 は持 た ぬ が間接 には大 な る勢 力
これ よ り察 す る も 一時 軟化 し た学 生 運 動 の硬 化 す る は免 れ ぬ こと で
を投 げ かく る に充 分 で あ る。
日本 当 局 両 三 日 来 の施 設 を視 、又 一二日本 人 の弁 白 す る所 (在 北
あら う 。 曩 に国 家 種 別 を超 越 し て人 類 愛 に より行 動 せ よと論 じ た京 報 は 本
京 大阪 朝 日特 派 員 の自 分 に宛 てたも の) を 以 て見 れば 、吾 人 は此 の
挙 の日本 政 府 の密 令 に依 つて行 は れた も のに あ らざ る こと を願 ふ こ
日 ﹁ 厳 重 抗 議 ﹂ と題 し 、社 長邵 飄 萍 氏 は論 じ て曰 く 、 日本 の国 家 、 国 民 の人 格 は 大 な る疑問 に し て人 を し て其 野 蛮 に驚 倒 せ し め、 全 世 界 は起 て朝 鮮 人 の保 護 を願 は しむ る こと を想 像 さ せ事 実 上 日本 の前
一、 日本 当 局 は 此 際震 災 に当 り 此 の類 の行為 を防 止 す るに 已 で に無
と 甚 だ し 。但 し 下 の条 々は諸 君 と共 に研 究 の余 地 あり 。
れ を 以 て み れば 偶 発事 件 と 認 む る能 はず 。 政府 当 局 の密令 に出 づ
二、殺 人事 件 は 一次 に 上 らず 横殺 せら るる も のは 一人 に止 らず 。 こ
能 力 な りし や 否 や 。
途 の大 不 利 た ら む。 古 語 に ﹁天災 流 行 、何 国 蔑 有 ﹂ と 言 ふ こと あ り 。故 に世 界 各国 は 今 次 日本 の奇災 に対 し 平常 の外 交 関 係 如何 を不問 に附 し国 界 種 界 の 区別 を超 越 し て 一致 同 情援 助 をな し 、 但 に物 質 の 一部 を犠 牲 にし て
る と認 めざ ら ん と 欲す る も亦 安 ん ぞ得 べけ ん や 。
も ので 已 で に絶 へて無 類 とす べ か らず 。 吾 人 旬 日以 来 の各項 の報
三 、 目下 国 外 に伝 播 す る許 多 の不 幸 の事 実 中或 は秘 密 中 に埋 没 す る
告 を綜合 す る に更 に之 れ に増 した る残 虐 行 為 な し と保 証 す る能 は ず。 四 、仮 り に日本 政 府 当 局 を し て全 く情 を 知 らず と 仮定 す るも 、 日本 の高 級 軍 人 ( 将 校 ) に より教 育 を受 け た る も の の此 の残 虐 の兇 行
庶 調 情 第 六〇 五号
一 一
張学 良 のバザ ー準備
奉 天 公所 長 (大 正 十 二年 九 月 二 十 一日第 七 三号 )
( 伊藤武雄)
ん と欲 す るも能 はず 。此 れ特 殊階 級 の人 獣 と言 ふ可 き か。
に ては新 旧 武 術 や新 旧 劇 を 演 じ て 一般 の縦 覧 に供 し 、其 の入 場料 及
の寄 贈 書 籍 を売 出 し、 又 収蔵 家 の書 画 骨 董 を借 入 れ て陳 列 し、構 内
日間 宮 殿 に於 て開 催 の筈 であ る が、 各 大商 店 よ り の出品 及 各界 よ り
張 学 良 発起 奉 天 第 二、 六旅 主 催 のバ ザ ー は陰 暦 八 月十 九 日 よ り三
本 報 が 正義 人道 によ り て厳厲 抗 議 を提 出 せ ん と欲 す る所 以 のも の
物 品売 上金 を 日本震 災 及 奉 天 水災 に義 捐 せん とす るも ので目 下専 ら
を連 続 す るとす れ ば、 吾 人 一度 日本 軍 人 を念 はば よ く危 惧 せざ ら
は 兇 犯 の処分 に対 し 重 視 す る に止 らず 。蓋 し 此 の種 の兇 行 は 普 通所
準 備 中 で あ る。
︱二
る のみ に ては 日本 国 家 及 び 国 民 の負 ふ所 の大 耻 辱 を銷 去 す る に足 ら
北調九号
日 本 震災 と支 那 の産 業
大 正 十 二年 九月 二十 六 日
ミラ ード ・レヴ ュウ 二十 六 の四号 は日 本震 災 の支 那 に及 ぼ せ る影
北 京 公 所長
謂 ﹁法 律 ﹂ の救 済 を施 す べ き所 に あらず 。兇 犯 を極 法 に よ り懲 治 す
ず 。吾 人 の目的 は全 世 界 の注意 を喚 起 し て未 だ人 禍 の毒 手 に遇 はざ る者 (未 だ尽殺 せ ら れざ る朝 鮮 人 ) に対 し て宜 しく 日 本 の為 す 所 を 監 視 す べき であ る 。 此 の事 件 の影 響 を老 へ吾 人 の 日本人 に注意 を与 へた き は 、 一大 杉 死 す る も 必ず や無 数 の大 杉 生 るべ く 、 一堺 死 し て無 数 の堺出 現 す べ
る あら ん ことを 。
く 、 一部朝 鮮 人 死 す るも無 数 の鮮 人 已 で に死 せ る鮮 人 に つ い で死 す
を載 せ て居 る。簡 便 を尚 び 今北 京 の支 那新 聞 星 報 が之 を ひ い て社 論
と し たも のを 御紹 介 しま す 。後 便 に て上海 に於 て事 実 上数 字 にあ ら
響 を論 じ チ ヤー レ ス ・ダ イ レー氏 (Mr .Charl es Dai l l ey) の論 文
は れ た る記 録 を御 報 しま す 。 ( 伊藤武雄)
竊 に恐 る らく は 日本 の社 会 これよ り危 ふ から ん 。故 に此 の事 は実
く大 杉 栄 等 は却 つて之 れ に依 り千 古 不朽 の名 を 残 す で あら う 。 愚 な
際 上 日本 にと り て極 め て不利 益 を残 さ ん 。吾 人 の推 測 を俟 つ迄 も な
る哉 日本 人 。
ミ ラー ド 。レヴ ユウ の社 論 に曰 く 。 日本 の震 災 は其 の損害 極 め て 甚 大 であ る。 而 し て中 国 に対 し て最 も重 要 な る影 響 あり 。 蓋 し 日本 は此 の三十 年 内 外 に於 て其 の発 展 の勢 力 を 大 いに中 国 境 内 に注 集 し た り 。茲 に日 本 の中国 に対 す る未 来 の影響 を 研究 せ んと 欲 せ ば先 づ
此 次 の災 害 区 域 は甚 だ広 く 、 当 地英 米 商 人 の称 す る所 に拠 れば 、
日本 現在 の状 況 を 明 に せざ る可 らず 。
幾 んど 二 万方 英 里 を〓 め再 興 費 は実 に 日本金 百億 、米 弗 五 十億 に至 り再 興 に要 す る期 限 は 二十 年 乃 至 三十 年 な ら ん と。
産 業 は幾 ん ど日 本 人 が収 買 し て道 す所 な く而 し て各 処 商埠 も亦 同類
一説 に は中 国 に投 資 せ る資 本 を収 回す べ し と謂 ひ 、 又 一説 には 日
の挙 動 あ り 。此 次 大災 は 先 づ之 れ に影 響 す べ し 。
本 は将 に中 国 にあ る所 の財 政 の地 位 を保守 し而 し て国 内 の建 設 は外 債 に俟 た ん と謂 ひ つ つあ り。
日 本 の外 債 募 集 の可 能 な る こと は已 に英米 財 政 界 の態 度 の中 に之
夫 れ 日本 は 一島 国 を 以 て勉 め て列強 と争峙 し其 の人 民 の負 担 は已
れ を 証 明 し て居 るが国 民 の負 担 は 益 々重 く な る べし 。
で に重 き に勝 へざ る所 、加 之 物 価 、 工資 の高 き こと遠 く東 亜 諸 国 の
上 に在 る 。今 次 又 復外 債 を募 る こと は殊 に易 き こと にあ らざ るな り 。
只 此 の問 題 を解 決 す べ き 一方 法 あ り 、則 ち其 の陸 海 軍 を削 減 す る こ
チ ヤー レ ス ・ダ イ レー民 の報 ず る所 によ れ ば則 ち東 京 市 のみ に て も三 十年 の久 し き を費 す べし 。 棉業 界 の受 く る所 の損 失 に至 り て は
と 之 れ な り 。然 ら ば之 れ即 ち 日 本 の華 府 会議 に於 け る時 の態 度 を 証 編 注 、 工資 は中 す る も の な り 。︹国 ︺ 語 、賃 金 の意
則 ち全 国 錘数 は已 に其 の四分 の 一を損 し、 其 の災 前 の状 況 に恢 復 せ んと 欲 せ ば之 れ又 こ こに十 二 ケ年 以後 を俟 ち 日本 金 一億 を 費 す べし 。
本 は 恐 ら く先 づ 其 の軍 港 、砲 台 を恢 復 し て然 る後 実業 の整 頓 に従事
然 れ共 上 項 の政策 は断 じ て之 が事 実 を 見 る能 はざ る べ し。 且 つ日
又 チ ヤー レ ス ・ダ イ レー氏 の言 ふ所 に拠 れ ば 日本 人罹 災 区 再興 の
す べ し 。果 し て然 ら ば則 ち政 治 改良 問 題 は恐 ら く 将 に之 に随 つて起
云々
方 針 は現 に 二説 あ り 。則 ち 一説 は急 進 派 にし て主 と し て外 債 を募 集
此 の旧 都 再 興 の時 に際 し て機 に乗 じ 旧政 府 改 造 の要 求 の発 生 せざ
し て速 に建 設 す べ し と 云 ひ、 一説 は緩 進 的 に し て内 債 を 挙 げ て逐 漸
る こと は免 れ難 か る べし 。然 ら ば則 ち 此次 の大 災 は或 は将 に日 本政
の政府 の行 動 に対 し て は決 し て充 分 の同情 を表 示 せず 。
日 必ず 能 く中 国 に於 け る経 営 に影 響 を及 ぼ す も の也 。其 の影 響 の最
治 大問 題 の解決 催 促 の媒 介 と な ら んも 亦未 だ知 るべ か らざ るな り 。
る べ し矣 。 日本 の避 難 民及 び通 信員 の論 調 に よ つて之 を観 ず れ ば其
重 要 な る点 は財 政 に如 く も のは莫 し 。 朝鮮 の如 き 、 満 洲 の如 き 、或
に進 行す べし と 云 ふ に あり 。 而 し て孰 れに 向 ふ か に論 な く 日本 は他
は 中国 各 部 の如 き其 の投 ず る所 の資 本 の大 な る こと 固 よ り論 な き こ
こ の間 にあ り て最 も注 意 す べ き 一事 あ り 。則 ち最 先 に 日本 に赴 き た
船 新 銘 号 な り 。上 海 総 商 会 の此 次 の挙 動 は全 国 を し て其 の千載 一遇
る賑 災 船 の こと な り。 こは 中国 の上海 総 商 会 の派遣 せ し招 商 局 の汽
と で あ る。之 れ を中 国 に就 て計 る に当 時 五億 乃 至 十 億 の数 に達 す 。 而 も て其 の投 資 の種 類 は 即 ち政 府 借 款 あ り、 官 商 実業 借款 あり 、紡 績 業 、路 鉱借 款 あり 。 又 上海 方 面 に付 いて論 ず れ ば 近年 来 沿 江 地 の
九月四日
九 月 六 日 モ ス コー にて政 府 当 路 者及
二 、 日本 震 災 救助 特 別 委 員 会
一九 二三 年
る の念 な し と雖 も 、而 も 此 の時 機 を利 用 し て以 て其 の貪 官 汚 吏 に押
東部 長 ド ーブ スキ ー氏 (MrDaobs ky) を委 員長 と し た。
財 政 並 に外 国 貿易 委 員 会 の代 表者 に より組 織 さ れ外 国貿 易 委 員会 極
の時 機 た る覚 悟 せ しめ た る な る べ し。 中 国敢 て他 人 の災 禍 を幸 楽 す
借 せ ら る る所 の産 業 を 恢 復 せ ん と し、而 し て英 米 等 の国 の在 中 国各
に 日本 に赴 き食 糧 及 其 他積 載 品 を出 来 る丈 け日 本 に陸揚 し て救 恤 す
本 罹 災 者 救 護問 題 を討 議 し 、現 在 太 平洋 に在 る露 国 の全 汽 船 は直 ち
四 、露 国 人 民 執行 委 員 会 ( Co unci lofPeopl e' sCommi s s ar s) は 日
る救 助 をな す こと の決 議 を し た 。
三 、各 種 労 働 組合 及 社 会 主 義 団体 は災 害犠 牲 者 達 にと り応 急 必要 な
本救 済 のた め に蒐 集 す る こと に成 功 し た 。
初 の数 日中 に 一九 二 三年 発 行 の二億 留 (日本 貨 に換 算 百 万円 ) が 日
震 災 の報露 国内 に伝 はり 一般同 情 が国内 に喚 起 され 、委 員 会 は最
商 界 も亦 此 の時 機 を藉 り て以 て其 の地 位 を鞏 固 にす べ し とな し 、華
一三
て応 々此 の事実 を見 るを 得 べ き な り。 云 々
府 会 議 を し て 一種 合 作 調 停 の精 神 たら し め ん とす 。極 東 商 業 上 に於
北調十号 大 正 十 二年 九 月 二十 八 日調 北 京 公所 長
る こと を命 令 し た。 其 の席 上 チ チ エリ ンは声 明 し て ﹁ 此 際 日本 は吾
人 に於 て最 も真 摯 な友 情 を発 見 す る であ らう ﹂ と 、 其 の結 果 浦塩 を
日 本震 災 と露 国 の同 情 一、 九 月 四 日 、 ソヴ イ エツ ト社 会 主 義聯 邦 共 和 国 の外 務 委 員長 チチ
又 浦 塩 官憲 は 日本 救 済 のた め に能 ふ限 り のこと を 臨機 なす こと は
れ た。
日本 罹 災 者救 恤 の ため に其積 載 品 を 出来 る丈 け 陸 揚 す る様 に命 ぜ ら
ツプ ・コンパ ニー の汽 船 シ ムビ ル ス ク号 は途 中 よ り 日本 に引 返 し、
エリ ン氏 の日本 外 務 大 臣宛 見 舞 電 報 外務大臣
発 し て オデ ツ サ に向 ひ つ つあ つた ス テー ト ・ト レ ード ・ス テー ム シ
東京
ソヴ イ エツ ト聯 邦政 府 ソヴ イ エツ ト共 和 国 の勤勉 な る人 民 の名 に於 て 日本 人 民 に対 し 、勤 勉 な る日本 人民 多 年 苦 心集 積 さ れ た結 果 の今 次大 震災 によ り 一朝 に破 壊 さ れ た る こと に対 し深 甚 の同 情
汽 船 レ ニン号 が 一千 噸 の食 料 品 と衛 生材 料 及 多 大 の薬 品 とを積 載
既 知 の通 り であ る。
日本 人 民 の罹 災 者及 彼 等 の受 け た る恐 ろ し き試 み に対 し非 常 に
し て八 日開往 日本 に向 ひ 、 日 本 の横 浜 に到 着 し 日本 戒厳 司 令 部 の手
を表す。
遺 憾 に思 ふ。斯 く 残酷 に災 難 し た 日本 の犠牲 者 に対 し て出 来 得 る
に陸 揚 を拒絶 さ れ た こと は既 知 の通 り であ る。
日本 政 府 当 局 は右 の退 去命 令 に ついて は与 り 知 ら ず し て戒 厳 司令
限 り の救 助 を 与 ふる こと が決 議 され た こと を報 告す 。 エ ル ・チ チ エ リ ン
︹ママ︺
露 国 ロスタ通 信 東 京 支 局長 マツ キ オ ン氏 の談 に よれ ば同 船 の横浜
部 の専 断 であ つた こ と が新 聞 紙 によ り報 ぜ ら れ た。
る代表 者 を信 認 す る こと を光 栄 とす るよ り も寧 ろ試 練 の時 期 に在
の表 示 た ると 同時 に露 国 問 題 に対す る貴 下 の政 策 の是 認 さ れた 証
貴 下 の任 命 は 今 回 の惨 期 に際 し貴 国 が貴 下 に対 す る特別 の信 認
る こと を思 ひま す 。
し た こと を 承認 し 、国 民 の真 意 が誤 解 され た ことを 遺 憾 と し て居 る
入 港 の際 ソヴ イ エツ ト聯 邦 共 和 国代 表 者 の露 骨 に不 謹 慎 な言 葉 を弄
と。
一九 二 三年
九 月十 一日
エル ・カラ ハン
ら む こと を吾 人 が非 常 な熱 烈 を 以 て期 待 す る こと を御 許 し下 さ い。
貴 下 に対 す る最 高 の尊 敬 と 共 に日露 両 国 友好 の 日 が 一日 も早 か
拠 と認 め度 いと 思 ひ ます 。
ニウ ル シ ヤは露 国 汽 船 の横 浜陸 揚 最 初 の試 み が失 敗 し た ことは極 東 の露 国 民 に全 露 国 新 聞 紙 を 通 じ て非 常 な印 象 を与 へた 。多 く の人 は 日本 官 憲 によ り こ の際 に於 て露 国 民 の真 の罹 災 者 を救 助 せ んと す る意 志 が了 解 さ れな か つた も のと認 め て居 る 。殊 に露 国救 済 の企 て
尚 カラ ハン氏 は 日 本震 災 の報 を 北京 に て得 る と同 時 に、当 時 来 京
こと に つ いて中 央 政府 に慫 慂 し た る旨 を通 じ た 。
中 の後藤 子 の秘 書 森 氏 を通 じ て日 本 に木 材 等 の建 築 材 料 供給 をな す
が チチ エリ ン の宣 言 後 に於 て拒 絶 さ れた こと は更 に了 解 に苦 しむ と 。 彼 の宣 言 と は 、 日本 人 が此 の震 災 の不 幸 に よ り経 験 し た恐 ろし き 損
一四
し 益 々希 望 を抱 か し む る も のと 想 像 せら れ て居 る 。
庶 調情 第 六 四三 号
( 伊藤武雄)
二 十 一日 カ ラ ハン氏 の 日本 公 使 館訪 問 会 談 は 日露 交 渉 の前 途 に対
失 に屈 せず 、各 人 が日 本 が列 強 問 に於 け る政 治 的 重 要 さ に つい て少 の危 険 を も 来 さな い こと 、落 伍 す る如 き こと のな い こと を充 分 自信 し なけ れ ば なら ぬと 。 レ ニン号 によ り て送 ら れ た救 恤 品 は単 な る準 備 的 のも の で日 本都 市 再 興 のた め の各 種資 料殊 に木 材 及 其 他建 築 材 料 を 日 本 に供 給 す る
外 交 上 に つい て云 え ば チチ エリ ン氏 の宣 言 に見 る 通 り両 国 の通商
便 宜 を 充 分 に持 つ て居 る 。
の後 藤 子爵 の内 相 就任 に つき寄 せら れ た電 報 中 にも こ の事 は窺 ひ知
関 係 を望 む や切 な る も のが あ る。 在 支那 全 権 委 員 カラ ハ ン氏 が日本
本 日 私 は在 北 京 日 本 公使 か ら貴 下 の内 相 就 任 の旨 の報 告 を 受 け
し慈 善 劇 を催 ふ し約 大 洋 四千 元 を籌 出 す る事 に決 定 。都 交渉 員 委 員
万 元 の内 十 六万 五 千元 を負 担 し た る が、 今 回 又 日災 救 済籌 備 会 を起
東 都 災 害 に関 し 当 地官 民 の同情 多 大 にし て 、曩 に東 三省 捐 金 五 十
日本 震 災 に対す る黒 竜 江官 民 の同 情
斉 々哈 爾 公 所長 (大 正 十 二年 九 月 二十 七 日第 一八 八 号)
ま し た 。衷 心 御 祝申 上 げ ます 。貴 国艱 難 の際 貴 下 が 政府 閣 員 と な
ら れる 。
ら れ し ことは非 常 な名 誉 と思 ひま す 。貴 国 民 の運命 は其 の最 良 な
一五
北 京公 所 長
長 と な り 二十 七 日 よ り二十 九 日迄 四 日間 徳 魁茶 園 に て開演 す る筈 。
北調 十 一号 大 正十 二年 十 月 六 日調 日本震 災 後 上海 商 況 の変動 (九 月 二十 二日 中 外経 済 週 刊) 一、 対 日本 為替 及 日 本紙 幣
二 、米 及 麦 粉
尚 二分 三厘 の下 落 であ る。
震 災 の報 伝 は る や日本 に糧米 輸 送 の声 盛 に起 り 、各 公団 が賑 災 も
て 、広 東 幇 ( 広 東 商 人 の団 体 ) が香 港 より接 受 せる電 信 に、在 香 港
未 だ確 実 に解 禁 の消 息 を得 ざ る を 以 て何等 の処 置 に出 で難 い時 に於
の米 は 日本 商人 よ り全 部買 占 め ら れ広 東 省 は や が て糧 食 の欠 乏 を見
る な ら んと あ り し を以 て広 東 幇 は し き り に買 進 み、 六 日 に至 り商 総
会 が 日本 に米 を送 く る こと を決議 し 、八 日招 商 局 汽船 新 銘 号 は六 千
ふり糧 米 市 場立 緊 り最 近 江西 米 は 一坦 半 元 、其 他 四 五角 より 一元 の
包 を積 み出 し米 市 場 愈 々緊 張 し 、 且解 禁 の噂 は米 業者 の投 機 心 をあ
間 に於 て上 騰 し雑 穀 亦 数角 毎 の騰 貴 を見 た 。今 後 輸出 が継 続 せら る
日本 震 災 後 上海 の人 心 は至 極 恐慌 を来 し 、九 月 四 日金 相 場 の下 落 五 両余 を示 し 日本 より の入電 な く価 牌 の掲掛 なく 取引 相 場 は早朝 の
る に於 て は市 況更 に緊 るべ し。
国 内 商 人 又機 に乗 じ て操 縦 利 を壟 断 せ む とし社 会 生 計 に対 し て は些
荷 あ り し と雖 も市 面 依 然 不安 にし て七 日 の価前 数 日 に比較 し て高 く 、
二万 包 を連 日賑災 す る の計 画 あ り、市 価 には か に張 り 、洋 粉 大 口着
麦 粉 に於 ては米 程 には あ らざ るも緊 り気 味 は免 れず 。各 団 が麦 粉
売 り 六 十九 両 七 五 、買 ひ 六十 九 両 五銭 、 市 中相 場 も 亦浮 動 不 定 、午 後 最 終場 売 り六十 九 両 、買 ひ 六十 八 両 七五 に下 る。 当 日支 那 商 及仲 買 人 の売 出 三百 万金 円 の巨額 。 九 月 五 日上 海金 塊 相 場下 落 九両 余 を示 し、 取引 相 場晨 晩 共 に更 に
の思 慮 を加 ふ る ことな け れ ば、 小 民 の生 活 に影 響 す る こと 大 な れば
下 落 、売 り六 十 七両 七 銭 五買 ひ六 十 八両 五銭 の暴 落 。 六 日売 り六 十 八両 買 六 十 七両 七 五 。
繭
充 分 注意 す るを 要 す 。
ざ る を見 越 し支 那 に向 へるも ので あ る。
で其 の補 ひ のため に上海 市 場 に来 るも のと欧 米 糸荘 が日 本 に得 ら れ
二 つあ り 、 一は 日本 の糸 商 が欧 米 糸 商 と約 定 済 の本 月 分 を焼 いた の
市 場 の活 気 を呈 し 最 近 には 需要 に応 じ き ら ぬ有 様 であ る 。其 の原 因
横 浜 が 生糸 集 中 の市 場 な る を以 て在 浜 生 糸 全 部駄 目 になり 、 上海
三、 糸
七 日売 り六 十 八両 三銭 七 五 、買 六 十 八両 二銭 五稍 持直 ほ した る も 九 月 一日 に比 す れ ば売 に於 て 一両 六銭 二 五、 買 に於 て 一両 五銭 の下 落 であ る 。 之 れ によ つて見 る に日 本貨 物 の中 国輸 入 は必ず や減少 を免 れず 、 日本 為 替 が当 分持 直 し不 可能 で あら う か ら。 日本 紙幣 は東 京 地方 帰 国 者 、赴 日者 の需 要 によ り稍 販路 増 加 し 、 最 近 の市価 は九角 五分 二 であ る が九 月 一日 の九角 七分 五 に比す れ ば
製糸 四 日相場 は 一担 二 三十 両騰 貴 し 、 五 日 は甚 し き騰 貴 な く 、六
には 一両 二銭 乃至 一両 九銭 下 落 、 五 、六 両 日 は外綿 平和 によ り後 一
上 海夏 物 市 場 は震 報 後売 気 付 き 三 日 には 三銭 乃 至 六銭 下 落 、四 日
棉 花 市 場 亦 売気 烈 く 日商 の転 売 を忍 ぶ こと 人 の注意 を集 め幸 に六
を開 き下 落 大 。
品 の下 風 大 にし て 三 日 の間 に十 余 元 を落 ち 上海 の日本 商 は大 口売 り
れず 。大 阪 三品 紗 は六 日始 め て入電 し大 阪 の銀 塊緊 張 し之 が ため 三
両 余 を恢 復 し最 近 は平 穏 で あ る。但 し先 月 に比 す れ ば低 落数 銭 を 免
日は 八九 十 両騰 貴 し 、 七 日は 又甚 しく 騰貴 し て百 両 とな り、 八 日最 上 品 は 二千 両 に達 し た 。 これ に よ つて見 る に 五 日間 の騰 貴 四 五百 余 両 であ る。其 の他 の各 糸 亦 同様 の激 騰 を 示す 。 前 途見 当 付 かざ るも
蓋 し横 浜 の生 糸 全 部焼 失 し た り とす る も僅 か五 万 一千 余包 にす ぎ
のあり 。
ず 。 日本 生 糸輸 出 毎 月 三 万包 ( 包 は担 ) であ る から僅 か 一ケ 月半 分
影 響 し 、災 区 各 工場 の製 造 品 は細 糸 な るを 以 て支 那 紡績 に及 ぼす 影
す 。 当業 者 の言 に よ れば 日本 震 災 民 百 万 の服装 補 充 は 必ず や原 棉 に
七両 日米 棉 上 騰 百余 磅 にし て 日商 の転 売気 一時 息 む 。各 幇 は買 気 増
長 野 等 の各 製 糸 場 にあ る粗 製糸 甚 だ多 く 、 一二ケ 月後 に於 て は原 状
響 少 か らむ 。 日商 は海 外 に 工場 を移 し十 六番 以下 の粗 糸 製 造 の策 を
の焼 失 であ り、 而 も 地方 農 民 手中 にあ る も の其 の他信 州 、名 古 屋 、
を恢 復 す る と見 ざ るべ から ず 。然 らば 上海 の好 況 も亦 永 続 せざ る や
放棄 しな い。之 に よ つ て見 る に今 後棉 市場 は尚 上 騰 の見 込 であ る。
も知 れず 。 乾 繭 市場 亦 高 騰 し 、安 徽 春乾 繭 近 三 日中 五 百 担出 荷 あ り 、毎 担 五
五 、建 築 材 料
日本 家 屋 の損 失 其 の数 を知 ら ず臨 時 急 設 を要 す る も の多 し 、故 に
六十 両 を高 め無 錫 春繭 亦 三四百 担 出荷 あ り、 二百 六十 両高 め気 勢 尚 張 り つ つあ り。
頗 る 上騰 し 、其 の内 鉄 材 最甚 し。 上海 に在 る存 貨 は凡 て日商 によ り
材料 の需 要 大 。 上海 に在 る 日商 皆電 をう け材 料 を 集 め 上海市 場 一時
絹 織物 市 場 も 亦 影響 を被 り買 筋 は買 込 を停 止 し た。 牛 荘幇 は已 に
買取 ら れ又 は商 談 中 であ る も の市中 の四 五 で ある 。英 亜 鉛 及各 種英
四 、綱 緞 綿 花
め現 今 の市 場 閑散 と い ふべ く秋 季 の販 路 打 撃 を う くべ く而 し て日 貨
停 止 の電 を打 ち其 の他 幇 も 亦慎 重 主義 をと り静 に市 況 を待 ち 居 るた
の有 様 に て連 日問 屋 筋 発売 の意 思 なく 、 小売 筋 及 客筋 も亦 日本 為替
し、 二十号 の如 き は災 前 に於 て十 二両 に過 ぎ な か つた が今 では十 三
も販 路 は英 国 品 に及 ぼず 。 故 に日商 の買出 気 盛 な る を以 て従 つて高 価
ざ る有 様 で あ る。米 国 亜鉛 は元来 英 国 の夫 れ に比す れば稍 高 かり し
であ る。 近 日毎 担 四銭 乃至 六 銭前 後 を 増 し市 上 在荷 も容 易 に手 放 さ
亜鉛 板 の最 上騰 せざ るも の に ても災 前 の市 価 に比較 す れば天 地 の差
の開 き大 な る た め夏 物 の価 格 動揺 不定 に鑑 み 日本 の冬 物 も恐 ら く下
最 甚 し 。震 災前 に於 け る日貨 の活 動 甚 し く震 報 一度 伝 り て商 状 停頓
落 の勢 な ら む を恐 れ て居 る 。日本 震 災 は東 京 を中 心 とす るも其 の附
両 二銭 に達 し 、 亜鉛 板 の屋 根 用 はバ ラツ ク の屋 根 に必 要品 に て近 日
市 中 にて売 買 及 売約 の品 は 已 に五百 余箱 に達 し 、 二十 四号 、 二十 六
近 の織 物 工場 多 から ず 。大 阪神 戸 の在荷 十 万以 上 あ り、 将 来支 那 市 場 に至 り廉 売 され ん こと を予想 す るも のの如 し 。
以上、価格亦上騰せり。米国角 釘、新鉄条、鋼条鉄 、宝盒錫等亦上
の重要品 にて日商頻りに買集め つつあり。已 に売約済 のも の三千桶
号 、二十八号 の上騰は最大 であり、 フラ ンス釘、米国釘亦建築材料
悼会を催 さむとしたが前日突然開会 を十 一日迄延期することとな つ
業家 の重だちたる者発起となり、去 る四日傅家甸支那劇場 に於て追
の議起り各漢字新聞社 、傅家旬、埠頭区各商務会、銀行団、其他実
今回日本震災 により遭難せる自国人 の為 に追悼会を催 さんとする
た。 この突然 の延期 の原因に就 て発起者側 では準備が整 はな いから
騰 し日商は四方 に手をまわし買集中と言ふ。
と称し て居たが、其 の間当地官憲から の追悼会 を導火線 に復 又排日
騒ぎの勃発せぬ ことを恐れて或種 の干渉を加 へたるものと想像 し得
べき理由 がある。それは山内総領事 が張煥相 と会談 せる際、談追悼
会 に及 び総領事 が参列したき希望を述 べたる処張 の曰く、今回の追
悼会は吾等官 辺の与り知 る処 でないが貴 下等 が参列 さるべき程 の事
もあるま いと暗 に其 の参列を希望 せざる意 を洩らしたと の事 である。
運助が行 はれた際 に比し頗る静粛 であ つた事は、当地 に於け る支那
の想像 に反 し、従来屡行 はれた旅大回収乃至 二十 一ケ条撤廃 の示威
以上
木材市況は尚平穏なり。惟ふに日本 の木材既 に無きを以て今後建
一六
らば上騰は明ならむ。
築 の場合 には須く上海方面 に於 ても木材 を買入れざ るべからず、然
庶調情七四二号
高凌〓は ﹁日本震災 に対す る支那側 の義捐金 に関しては日本政府
側 の対外関係多端なる折柄此上事端を滋 くする ことを恐れ極度 の干
ことを恐れた のによるものであると思はる。又今回 の追悼会 が吾等
是 は張が追悼会場 で猛烈なる排 同気勢が揚 り日本人 に危害の及ばぬ
に於 て何等感激し居らず﹂ と主張したる結果、北京官界 にて募集中
震災義捐金 に対する高凌〓 の態度
大正十二年十月十八日 北京特報
の義 捐金 を打ち切り、既に応募せる 一万五千元 は被害支那学生救済
渉 を加 へたるも のと思 はる。
であ つたが、今回の地震 に際し王君 の罹災同胞救済 に尽力するを見
那労働者共済会長 王希天君の行動は久しく日本人 の深 く注意 する処
朝鮮人殺害を名として到る所 に華人を捕 へて危害を加 へた。留 日支
るが、地震 によりて秩序大に乱 るるや青年団或 は自警団等を組織し
今回の日本震災は天禍 に属し て人類 の能く抵抗し能 はざ る処 であ
受けな い。今開会 の辞 として霍占 一氏 の為したる演説左の如し。
会場 に於 て為された演説 の如きも平常 に比し余 り激烈 な文句を見
費 に 一万元、被害支那商民救恤費 に五千元配給す ることに変更し孫
一七
宝〓 に右処理方を委嘱した。
哈調第二四九号 留日支那人追悼会開催 の件
大正十二年十 一月十 四日 哈爾賓事務所長
に生 存 の望 な し 。 日本 人 は斯 く し て華 人 を 殺害 した ので あ る。殺 さ
手 に移 さ れ今 に踪 跡 不 明 であ る。各 方 面 か ら の報 告 を綜 合 す れ ば已
て更 に日本 人 の怒 を増 し 、 九月 九 日警 察 の手 に捕 へら れ其 後軍 閥 の
と の見 地 に基 き中 央 日 本救 済 委 員会 は種 々の方 策 を 研究 した る後 次
策 は震 災 民 を し て自 己 の労働 に因 り運 命 の開 拓 を図 ら しむ る に在 り
国 に亘 る義 金 募集 も亦 引続 き行 は れ つつあ り 。然 れ ど も最 良 の救 済
れた 者 は皆 愛 国 の志 士 で あ る。本 日 の追悼 会 は吾 等 の脳 裏 に 一の深
の如 き生 産 的 方法 を採 用 す る に決 し たり 。
ふ。
︹マ マ︺
芳沢公使 より右 に対し未 だ何等 の回答を発 せず。 一九
大 正十二年十 二月二十 二日
北公報第三四号
北京公所長事務取扱
芳沢公使 カラ ハン代表会見 の内容
震災民救助 に関する露国政府 の提議は当時直ちに政府 へ伝達された
本月五日附労農露 国代表 カラハン氏より芳沢公使 へ手交 せる日本
牛島 吉郎
煩 と失費 とを避けんが為特に委員を日本 に派遣す るに決 したりと言
而し て露国政府は罹災民が 一度渡航 して調査及許可申請 に従ふの
取計願度し (下畧)
結 する機能 を賦与せられたり。右貴政府 より罹災 民 一般 に周知方御
中央 日本救済委員会 の極東課は右 に関す る契約 を罹災民代表と締
て総面積 五十万デ シヤチンの林区を許可する事
日本震災民 に刻し七割五分引 を以 て黒竜江省沿海州及樺太 に於
所 の漁 業 区 を許 可 す る事
日本 震 災 民 に対 し 七割 五 分 引 を以 て日本 海 沿 岸 に於 け る 七十個
一
牛 島 吉 郎
二
刻 な る印 象 を留 めた 。乃 ち吾 等 は起 て帝 国主 義 に抵 抗 せな け れば な ら ぬ。 そし て最 後 の日的 を達 せ な け れば な ら ぬ。是 死者 の霊 を慰 む る唯 一の途 であ る。 尚 当 日 寄 せ られ た輓 聯 中 最 も不 快 の感 を起 さし む るは 当 地警 察 総 管 理処 長 温 応星 のも のな り。 左 に訳 す れ ば 強 国 公 理無 く祖 国 奥 援 無 し哀 し い哉 、僑 胞 の生 死 何 ぞ螻 蟻 に殊
一八
北京 公 所長 事 務 取 扱
な ら ぬ、天 災 に死 せず し て惨 殺 に偏 死 す 、 帰来 魂 魄 寃 を雪 ぐ 且 ら く邦 人 に看 よ。
北 公第 三十 一号 大 正十 二年 十 二月 七 日
日本震 災 民 に対す る労農 露 国 政府 の 漁業 権 森 林伐 採 権 賦 与 の提 議 当 地 駐在 労 農露 国 政 府 極東 全 権 代表 カ ラ ハン氏 は中 央 日本 救済 委 員 会 の決 議 に従 ひ て発 せる莫 斯 科 政府 の訓 令 に依 り、 本 月 五 日芳 沢 公 使 に大要 左 の如 き 通 知 を致 し東京 への伝達 を依 頼 せり。 御 承知 の如 く弊 政 府 は貴 国 今 回 の震 災 に 対 し深 甚 の同 情 を表 し全
労 農 露 国 は何 辺 の森 林区 を日 本震 災 民 に提供 せん とす るか
権 代 表 カ ラ ハン の我 芳 沢 公使 に声 明 せ る処 に拠 れば 労農 露 国 は沿 海
労農 露 国 の日本 震 災 民 に対 す る義 捐 に関 し過 般 在 北京 同 国極 東 全
州 の日本 海 岸 に面 す 漁 区 七〇 個 所 及 沿海 州 、黒 竜 州 に於 け る森 林 純
る が最 近 政府 よ り の訓 令 を接 受 し た る芳 沢 公 使 は昨 日 カ ラ ハン氏 を
ロン氏 に就 き貴 島 所員 が聞 き得 た る内 容大 略 左 の如 し 。
総 面 積 五十 万デ シヤ ー チナ の林 区 の伐採 を許 可す ると の事 であ る 。
訪問 し て之 に関 し懇 談 す る所 あ り た り。 カ ラ ハン氏 秘 書 シ ユワ ルサ
之 に対 し カ ラ ハ ン氏 は通 牒 中 にあ る通 り 七割 五 分 引 な る旨 答 へた
一、芳 沢公 使 は漁 区 及 林 区 の租 借料 割 引率 に付 更 に念 を押 し た る が
然 る に極 東 に於 け る森 林 は広 大 な るも のにし て其 の総面 積 は 二二 、
院 の如 き政 府 代表 機 関 或 は個 人 的組 合 又 は会 社 も亦 此特 権 を獲 得
を 地方 別 にす れ ば 日 本海 岸 に面 す る地 帯 六 、〇 〇〇 、〇〇〇 デ シ ヤ
あ る林 区域 は 一六 、〇〇〇 、〇〇〇 デ シヤ ー チナ であ る 。更 に之 れ
一六 二、〇 〇 〇デ シヤ ー チナ に達 し 、 コンセ ッシ ョン契 約 可能 性 の
り。
し 得 、但 し露 国 政府 が此 計 画 を発 表 し た る意 思 は全 く震 災 民救 助
〇デ シ ヤ ーチ ナ及 ウ スリ河 及 び其 の支 流 沿岸 一帯 四、 四 四 二、〇〇
ーチ ナ、 ハバ ロフ スク下 流 よ り黒 竜 江 両岸 一帯 一 一、 七 二〇 、〇〇
二、 通 牒中 に は震 災 民 に限 り権 利 を賦 与 す る旨 記 載 し あ る も、 復 興
に存 す る を以 て、 此等 の組 合 又 は会 社 が独 占 的行 動 に出 で或 は巨
〇 デ シ ヤ ーチ ナ であ る か。 労農 露 国 は果 し て如何 な る地 帯 を如 何 な
が此際 此 の 一帯 の林 区 域 の状 態 を 研究 す る ことは 興味 あ る問題 な る
る期 間 及 び条 件 を 以 て 日本 震災 民 に譲 渡 す る の であ る か不 明 であ る
ン氏 より答 へた り 。
利 を博 せ ん とす る が如 き は極 力 防 止 せ ら る可 き も のな る旨 カ ラ ハ
三 、其 他 細微 な る点 は東 京 特 派員 と の間 に協 定 せ ら る可 き も のな り。
観
岡本調査課員誌す
次 に北 方 聖 オ リ ガ湾 一帯 は該 湾 へ注 ぐ アバ ク モフカ河 の流域 と共
る。
を産 し特 に セ レブ ナ ヤ ン ナヤ地 方 には良 質 の〓 及 び被 木 用 材 を産 す
ア メリ カ湾 に注 ぐ ス ーチ ヤ ン河 及其 支 流 々域 には更 に多 く の木 材
枕 木 用良 材 を産 し 且 つ川 の流 れ は木材 流 下 に適 す る。
ぐ マイ エ河 、 チ ム ヘ河 の流 域 には莫 大 な る紅松 、〓 、塩 地 、楓 其 他
今 太平 洋 岸浦 塩 方 面 よ り逐 次 其 の状 態 を述 べ ん に、 ウ スリ湾 に注
一、 概
注 、 一デ シ ャー チ ナ は ︹編一、 ︺ 〇 〇 二 ヘク タ ル
を 思 ひ当 課 に有 す る資 料 を綜 合 し て参 考 に供す る こと にし た 。
右 会 見 の内 容 は直 ち に政 府 へ報 告 せら れ た れば何 等 か の指令 到 着
二〇
哈 爾 賓事 務 所 長
次 第 芳 沢 公使 は更 に具体 的 交渉 に着 手 す可 し と の事 な り 。
哈 調 第 三 三九 号 大 正 十 三年 一月 十 七 日
極 東 の森 林状 態 送附 の件 労 農 露国 が日本 震 災 民 に提 供 せん とす る極 東 の森 林 が如 何 な る も の かを 知 る の参考 書 とし て御 送 附 致 しま す 。
に亘 り紅 松 及 び常 緑 樹 を産 す る。更 に北 方 チ ユチ ヘ湾 及 チ ユチ ヘ河
林 の良 材 を流 下 す る こと が出来 る 。此 の官 有 林 は数 十 デ シヤ ー チ ン
に頗 る良 材 に豊 富 であ り更 に該 河 の流 れ を利 用 し ウ ラ ヒ ン スク官 有
四 ケ月 であ る が砕 氷 船 を用 ゆ れ ば船 舶 の出 入自 由 であ る)
特 許 地 帯 な り 。(イ ムペ ラ ート ル湾 は自 然 の良港 にし て結 氷 期 は 三
此 の地 帯 は 三井 会 社 、原 合 名会 社 及 オ ー スト ラリ ヤ の ス レー会 社 の
ト ル ス カヤ湾 一帯 は紅 松 、椴 松 、 蝦夷 松 、落 葉 松 の建 築 用 材 に富 み
域 は広 大 な る森 林 地 帯 であ る。但 し 木材 輸 出 の良 港 に乏 し く頗 る不
シ ユルク 、ダ ツ タ、 ダ ツ港 、 ツ ミ ン、 フ ツ、 アク ル、 ムリ諸 川流
の 一帯 には紅 松 、椴 松 、蝦 夷松 を産 し 、 チ ユチ ヘ礦 山 に至 る鉄 道 を
便 であ る。 ツ チ ニン河 及其 の支流 フ ツ河流 域 一帯 は落 葉 松 、 エゾ松 、
利 用 す る こと が出 来 る。更 に北方 チギ ツト湾 は北風 、 南 風 を受 けず
の莫 大な る産 地 であ る。 ペ レ ンベ 河 の流 域 には莫 大 な る紅 松 、椴 松 、
紅 松 の産 額 は頗 る莫 大 であ る。 次 にデ ルネ イ湾 一帯 は紅 松 、蝦 夷 松
椴 松 の建 築 材 に富 み其 他白 楊 を産す 。
更 に北 方 に亘 つてヴ エリ カ ヤ、 ケ マ、 コル ンベ、 ア ムク、 ク フチ
かも キ ジ河 を 通 じ て キジ 湖 とデ カ スト リ湾 と を運 河 を 以 て通ず る可
夷 松 、椴 松 密 生 し 、其 の立樹 の質 に於 て沿海 州 第 一と称 せら る 。而
デ カ ストリ湾 よ り キジ湖 間 の 一帯 は世界 三大 の 一と称 せ ら れ 、蝦
︹マ マ︺
蝦 夷 松 を産 す 。
ン、 タ ボ ベ の 一帯 は又 莫 大 な る良 材 の産 地 であ る が、良 港 に乏 し く
ア ムー ル河 下 流 の右 岸 一帯 は莫 大 な る エゾ松 、椴 松 属 の産 地 で あ
能 性 あ り 。其 の暁 には此 の 一帯 は最 も興 味 あ る 地帯 であ る。
木 材 輸出 に不 便 であ る 。 上 述 の地方 には幾 多 の木 材流 下 に適 す る河 川 あ り従来 降雨 の如 何
る。 ア ムー ル河 キジ湖 より 上流 地 方右 岸 に沿 ひ 、 サ ラ ヌ河 、 マチ ト
により て水量 の増 減 を来 たし 且 つ急流 且 つ浅 瀬 に富 み木 材 流 下 は不 可 能 と 称 せ ら れ てあ る が、 日本 人 は容 易 に之 れを利 用 し て居 る も の
ヴ ヤ河 一帯 の特 許 地 帯 に は エゾ松 、椴 松 、 紅 松 の立 樹 に富 む。
スカ ヤ官 有 林 、 ド ンド ン河 に沿 ふ オ ニユイ スカヤ官 有 林 、 オヴ オ ル、
更 に上流 フ ンガ リ ー河 に沿 ふウ オズ セ ンス カヤ及 びイ ノ ケ ンチ エ
であ る。 サ マル カよ り ムラ シカ岬 に至 る 地帯 は 日本 人 特 許 地帯 にし
ム ヘン及 ネ ンブ ヴ ア河 に沿 ふ地帯 には紅 松 、 エゾ松 、 椴松 、〓 、塩
て良 材 を産 し良 港 に富 む 。サ マ ルカ及 サ マー ル カ河 の 一帯 は莫 大 な る紅 松 、椴 松 、 蝦 夷松 を産 し大 倉 秋 田林 業 会 社 之 れ が伐 採権 を有 し
更 に上流 ハバ ロフ スク に面 し て ア ム ー ル河 左 岸 よ り クー ル河 、 ウ
地 の良 材 に富 む 。
地域 は 立樹 豊 富 にし て未 だ完全 に調 査 さ れ あらず 。沿 海 州森 林 局 の
一帯 には 莫大 な る紅 松 及落 葉 松 を産 す 。
ルミ河 に沿 ふ 一帯 、 ゴ リ ン河 に沿 ふ 一帯 、ボ リ シ エ、 オツ セリ ナヤ
ネ リ マ河 一帯 の特許 地 帯 は目 下 原合 名 会 社 に属 し て居 る が、 此 の
目下 伐 採 に従事 し つ つあ る。
調 査員 も 五 十露 里 、 六十 露 里 よ り奥 地 を踏 破 せし こと な く 、僅 か に
帯 は紅 松 及高 価 な る常 緑 樹 を産 し無 尽 蔵 と称 せら る 。此 の 一帯 の森
ウ ス リ河 及其 の支流 ホー ル河 、ビ キ ン河 、 イ マ ン河 、 ウ ラ ヘ河 一
土 人狩 猟家 に よ り其 の消 息 を得 る のみ であ る。 唯其 の質 に於 て前 者
ボ オ チ ヤ河流 域 一帯 及 イ ンペ ラ ート ル ニチ ヤ河流 域 、 イ ム ペ ラ ー
に劣 る。
林 は頗 る良 質 に て建築 材 に適 す 。 其 他 ブ ー レ河 の 一帯 、 ゼ ー ヤ地方 、 セ レム チ ン地方 、 チ エル ニヤ ク地 方 、ビ ル地方 の森 林 は又 良 材頗 る豊 富 で あ る。 更 に之 れは伐 採 及輸 出 に適 す る立 樹 の数及 び運 搬路 の如 何 によ り て三 十 七 コン セ ッシ ョン林区 に区 分 し て居 る 。即 ち 州
之等 コ ンセ ッ シ ョ ン林区 の良 材 は直 接 日本海 に搬出 し得 るを以 て
大 建 築 に用 ゆ る こと が出来 る。
外 国 市場 に売 捌 く に頗 る好 都 合 の地域 にあ る。此 の十 五個 林 区 の総
面 積 は 四 、 四〇〇 、〇〇〇 デ シ ヤ ーチ ナ に て凡 て 日本海 に沿 ひ金 角
岬 よりデ カ スト リ湾 に至 る地 域 であ る 。但 し第 十 五 林 区 の み テ ルナ
第 一コン セ ッシ ョン林 区 (ム ラ ージ カ岬 )
官 有 林場
ー湾 北 部 に位 す 。
日本 海 に沿 ふト ウ ム ニン、ダ ー タ河 の東 方 に位 す 。面 積 一三〇 、
一五 コン セ ッシ ョン林 区
海
同
同
沿
一
一五 コンセ ッシ ッ ン林 区
四
沿 黒 竜 州 州
黒
竜
後 貝 加爾 州
ゾ松 、椴 松 、紅 松 及 落 葉松 繁 生す 。 一ケ年 予想 伐採 高 二、 九 六〇 、
ト ウ ム ニン河上 流 に位 す 。面 積 三〇〇 、〇〇〇 デ シヤー チ ナ、 エ
第 二 コン セ ッシ ョン林 区 (ト ウ ム ニン河 上 流域 )
平均 金 貨 四哥 なり 。
の予 想 伐採 高 一、 六〇 〇 、〇〇〇 立 方 尺 にし て伐 採 料 一立 方 尺 に付
〇〇〇 デ シヤ ー チナ 、樅 、椴 松 、 紅松 、及 び落 葉 松 繁 生す 。 一ケ年
二
同
沿 貝 加爾 州
二 、 コ ンセ ッシ ョン林 区地 方 別 状態
で あ る。 次 に各 林 区 に亘 つて其 の状 態 を記 す る こと と す る。
イ 、沿 海 州 コ ンセ ッシ ョン林 区
〇〇〇 立 方 尺 にし て、伐 採 料 一立 方 尺 に付平 均 金貨 四哥 な り 。
此 の林 区 に繁 生 す る立 樹 は主 と し て紅松 、 落 葉松 、椴 松 、蝦 夷 松 であ る 。而 し て紅 松 は各 林 区 に亘 つて少 数づ つ エゾ 松 或 は落 葉 松 の
エゾ 松 、椴 松 、樅 、銀 樅 、紅 松 、落 葉 松 繁 生 す。 一ケ年 予 想 伐採 高
トウ ム ニ ン河 上流 西 方 に位 す 。面 積 三 二〇 、〇〇〇 デ シ ヤー チ ナ、
第 三 コ ンセ ッ シ ョ ン林区 (西 ト ウ ム ニン)
繁 生中 に点 在 し て居 る。但 し イ ムペ ラ ート ル湾 北 部 に於 ては紅 松 の みを見 る のみ 。
四 、 一八 六 、〇〇〇 立 方 尺 に し て伐 採料 一立 方尺 に付平 均 金 貨 四哥
紅 松 は其 質 、其 の太 さ に於 て ( 例 へば 樹齢 二〇〇 年 、幹 長 四〇〇 ア ル シ ン、太 さ十 一ヴ エルシ ヨク ( 身 長 の高 さ 辺))実 に 莫 大 な る
面積 二六〇 、〇〇〇 デ シヤ ーチ ナ 、 エゾ松 、椴 松 、紅 松 及 び落 葉松
第 三 コン セ ッシ ョン林 区 の南方 ト ウリ ン、ダ ータ河 の西方 に位 す 。
第 四 コン セ ッシ ョン林 区 (ム ー リ)
な り。
注 、 一ア ル シ ンは〇 、 七 一 一米 需 用 に供 す る こと が出 来 る 。︹編一ヴ ︺ ェル シ ョ クは 四 、 四 四五 糎
蝦 夷 松 及椴 松 は主 と し て韃 靼 海 峡 に沿 ふ シ ホト ・アリ ン山 脈 に繁 生 し 、 木質 及 パ ルプ とし て利 用 され る 。又 此 の林区 に於 け る落 葉 松
ク (身 長 の高 さ にて) に達 す る も の があ る。 落 葉松 は耐 湿性 に富 み
は頗 る良 質 に て樹 齢 二 〇〇 年 、 幹長 三〇 ア ルシ ン、太 さヴ エルシ ヨ
繁 生す 。 一ケ年 予 想 伐 採高 三、 三〇 〇 、〇 〇〇 立 方 尺 にし て伐採 料 付 平 均金 貨 四哥 な り。
ケ年 予想 伐 採 高 一、〇〇〇 、〇〇〇 立 方 尺 にし で伐採 料 一立 方尺 に
第 五 コン セ ッシ ョン林 区 (東 部 ト ウ ム ニ ン)
一立 方 尺 に付 平 均 金 貨 四哥 な り 。
日本海 に沿 ひ 、 イ ン ペ ラート ル湾畔 第 八 、第 九 コン セ ッシ ョ ン林
第 十 コンセ ッシ ョ ン林 区 (ハー チヤ)
区 の南 方 に位 す 。面 積 二八〇 、〇 〇〇 デ シ ヤ ーチ ナ、 エゾ 松 、椴 松 、
ト ウ ム ニン、ダ ー タ河 上流 に位 す。 面積 一三〇 、〇〇〇 デ シヤ ー チナ 、 エゾ松 、椴 松 、 紅松 及 落 葉松 繁 生 す 。 一ケ年 予想 伐 採 高 一、
日本 海 に沿 ひ第 十 コンセ ッシ ョン の林 区 の南 方 に位 す 。面 積 五 五
第 十 一 コンセ ッシ ョ ン林 区 (コツ ピ)
尺 にし て伐 採 料 一立方 尺 に付平 均 金貨 四哥 な り 。
九 八〇 、〇〇〇 立 方 尺 にし て伐 採料 一立 方 尺 に付 平 均金 貨 四哥 な り 。 紅 松 及 び落 葉 松繁 生す 。 一ケ年 予 想伐 採 高 三 、 七 四〇 、〇〇〇 立 方 第 六 コン セ ッシ ョ ン林 区 (ア クー ル)
ヤ ー チナ、 エゾ松 、椴 松 、紅 松 、 及 び落 葉 松繁 生 す 。 一ケ年 予 想 伐
一ケ年 予 想伐 採 高 七 、 二六〇 、〇〇〇 立 方尺 にし て伐 採料 一立 方 尺
〇 、〇〇〇 デ シ ヤ ーチ ナ、 エゾ 松 、椴 松 、 紅 松 及 び落 葉松 繁 生 す 。
ト ヴ ム ニン、ダ ー タ河 中流 西 方 に位 す 。 面 積 一七〇 、〇〇〇 デ シ
採高 二 、 二〇〇 、〇 〇 〇 立 方尺 にし て伐 採 料 一立 方 尺 に付 き平 均金
日本 海 に面 し第 十 一 コンセ ッシ ョン林 区 の南 方 に位 す 。面 積 二 二
第 十 二 コン セ ッシ ョン林 区 (ボ ツ チ)
に付平 均金 貨 四哥 な り 。
貨 四哥 なり 。 第 七 コ ンセ ッ シ ョ ン林 区 (シ ユルク ー ム) 日本海 の沿 岸 に沿 ひ、 第 五 コ ンセ ッシ ョ ン林区 の東 方 に位 す 。 樅 、
一ケ年 予 想 伐採 高 二、 八八〇 、〇 〇 〇 立 方尺 にし て伐 採 料 一立 方 尺
〇 、〇 〇〇 デ シヤ ー チナ 、 エゾ 松 、椴 松 、紅 松 及 び落 葉 松繁 生 す 。
銀 樅 、紅 松 及 落葉 松 繁 生 す ( 面 積 一六〇 、〇〇〇 デ シ ヤ ー チ ナ)。 一ケ年 予想 伐 採高 二 、 二〇〇 、〇〇〇 立 方 尺 に し て伐採 料 一立 方 尺
日本 海 に面 し第 十 二 コンセ ッ シ ョン林 区 の南 方 に位 す 。面 積 九 〇 、
第 十 三 コン セ ッシ ョン林 区 (ネ リ マ)
に付平 均 金貨 四哥 な り 。
に付 き平 均 金 貨 四哥 なり 。 第 八 コ ンセ ッ シ ョン林 区 (フート ウ ー) 沿 アム ー ル東 部 州境 に接 近 し第 六 コン セ ッシ ョ ン林 区 の南 方 に位
〇〇〇 デ シ ヤー チ ナ、 エゾ 松 、椴 松 、 紅松 及 び落葉 松 繁 生す 。 一ケ
す (面積 六八〇 、〇〇〇 デ シヤ ー チナ)。 エゾ松 、椴 松 、紅 松 及 落 葉 松繁 生す 。 一ケ年 予想 伐 採高 八、 八〇〇 、〇 〇 〇 立 方尺 にし て伐
サ マルガ 地域 に位 し第 十 三 コンセ ッシ ョ ン林 区 に南 接 、西 端 州 境 、
第 十 四 コン セ ッシ ョン林 区 (サ マルガ )
平 均金 貨 四 哥 な り。
年 予想 伐 採 高 一〇 〇 、〇〇〇 立 方尺 にし て、伐 採 料 一立 方尺 に付 き
第 九 コ ンセ ッ シ ョン林 区 (ブ コタ、ヴ イ ニー ナ)
採 料 一立方 尺 に付 き平 均 金 貨 四哥 な り。
日 本海 に沿 ひイ ムベ ラ ート ル スキ ー湾 の北 方 に位 す 。面 積 八 〇 、 〇〇〇 デ シ ヤ ーチ ナ、 エゾ 松 、椴 松 、紅 松 、及 び落 葉 松 繁 生 す 。 一
方 尺 に し て伐採 料 一立 方 尺 に付 き 平均 金 貨 四哥 な り。
松 、紅 松 及 落 葉松 繁 生 す 。 一ケ年 予想 伐 採 高 八 、五 八〇 、〇〇〇 立
東 部 日本海 に面 す 。面 積 六五〇 、〇〇〇 デ シ ヤー チ ナ、 エゾ 松 、椴
来る 。之 等 林 区 か ら の材木 搬 出 は黒 竜 江 によ る。 尚 ほ南 部林 区 にあ
松及落 葉 松 は 之 れ を張 木 に利 用 し 或 は丸 太 と し て輸 出 す る こと が出
プ及 木 質 工業 の大 な る発達 に資 す る こと が出 来 る の であ る。 尚 ほ紅
りて ウ ス リ河 の上 流 中 流 に沿 ひ エゾ 松 、紅 松 、落 葉 松 等 の良 材 繁 生
高価 な る良 材 に富 み且 つ水路 、鉄 路 の運 搬 に便 な るを 以 て此 の地 方
し其 他 塩 地 、 楡 、黄 蘗 、菩 提 樹 、 胡 桃 、デ イ マル フ ア ント 、赤 松等
に於 て は各 種 の製 材 工業 及 び化 学 的木 材 工業 を起 す こと が出 来 る。
第 十 五 ロン セ ッシ ョン林区 (タ、カ ヘ マ)
カ ヘ マ河 流 域 に位 す 。 面 積 四〇〇 、〇〇〇 デ シ ヤー チ ナ、 エゾ 松 、
沿黒 竜州 十 五 コン セ ッシ ョン林 区 の総面 積 は 九、 三 八 〇 、〇 〇 〇デ
テ ルネ入 江 の北 方 、 南 ヴ エリケ ム スク村 、北 ムイ ソ フカ村 間 、 タ、
椴 松 、、紅 松 及 び落 葉 松 繁 生す 。 一ケ年 予 想 伐 採高 五、 二八〇 、〇〇
ニ コラ ヱフ スク林 区
シ ヤー チ ナ であ る。
〇 立 方 尺 にし て伐 採 料 一立 方尺 に付 平 均金 貨 四 哥 な り。
ン林 区 は 日本 海 に面 し或 は 河川 流 域 に位 す るを 以 て之 等 林 区 の木 材
黒 竜 江最 下 流右 側 に位 す 。面 積 二九〇 、 〇 〇〇 デ シ ヤ ーチ ナ、 エ
第 一コ ンセ ッ シ ョ ン林 区 (ア ク タ湖 営 業 区域 )
以 上述 べた る十 五 ケ コン セ ッシ ョン林 区 の 内 九 ケ の コン セ ッシ ョ
は 運 搬 及輸 出 に容 易 であ る。以 上 の調査 は 二〇 〇 、〇〇〇 デ シヤ ー
五、 〇 〇〇 立 方 尺 にし て伐 採料 一立 方尺 に付 平均 金 貨 四 哥 な り。
ゾ松 、椴 松 及 び主 と し て落 葉 松 を 生ず 。 一ケ年 予 想 伐 採高 一、〇 三
チ ナ に亘 つて為 され た も の であ る。 最 近之 等 林 区 は露 人側 其 他外 国 企 業 者側 よ り垂 涎 お かざ る も のが あ る。
沿 ア ム ー ル地 方 コン セッ シ ョン林 区 に繁 生す る樹木 は地 理 の関 係
チナ 、 エゾ 松 、椴 松 及 落 葉松 繁 生 し 、少 数 の紅 松 混 生 す 。 一ケ年 予
黒 竜 江 の下 流 に位 し 日本海 に沿 ふ。面 積 一九〇 、〇 〇 〇デ シ ヤ ー
第 二 コ ンセ ッ シ ョ ン林 区 (キジ 湖 及 カ チ湖営 業 区 域 )
上 種 々雑 多 に て何 れ も高 価 な る良 材 のみ で あ る。最 北 部 林 区 には落
想伐 採 高 六九 〇 、〇 〇 〇 立 方 尺 にし て伐 採 料 一立 方尺 に付 平均 金 貨
ロ、 沿 ア ムー ル地 方 コ ンセ ッ シ ョン林 区
葉 松 の繁 生中 に エゾ松 及 椴 松 の灌 木あ り 、樅 の如 き は樹 齢 一五〇 年
四哥 な り。
車 等 の製 作 に用 ゆ る こと が出 来 る。此 等 林 区 よ り の木材 搬 出 は キジ
を混 生 す 。 一ケ年 予 想伐 採 高 一、 一 一五 、〇 〇 〇立 方尺 にし で伐 採
二 一〇 、〇〇〇 デ シ ヤー チ ナ、 エゾ 松 、落 葉 松 及 少数 の椴 松及 紅 松
第 二 コン セ ッシ ョン林 区 の南 方 に位 し東 部 は 日本 海 に沿 ふ。 面 積
第 三 コン セ ッシ ョン林 区 (ソ フイ ス カヤ)
に し て樹 長九 ア ル シ ン、太 さ 五 ヴ エル シ ヨク に達 す る も のあ り 。椴
湖 畔 よ りデ カ スト リ湾 に至 る鉄 道 を敷 設 し之 れ によ る こと が最 も便
料 一立 方 尺 に付 き平 均金 貨 四哥 な り。
松 は良 質 な らざ るも 落 葉松 は頗 る良 質 にて 、丸 太 鉱 山 用材 、 寝 台列
及 落 葉松 繁 生 す 。而 し て主 と し て エゾ 松 、 椴 松繁 生 す るを 以 てパ ル
利 にし て且 つ費 用 安 価 な り。 南 部 林 にあ つて は エゾ 松 、椴 松 、紅 松
右 三林 区 は未 だ 調 査未 了 な る も黒 竜 江 の水 利 あ る を以 て伐採 に頗 る便利 であ る。 目 下 之 の林 区 に対 し ては契 約 希 望 者 あ り。
第 八 コ ンセ ッ シ ョン林区 (コリ ンス カ ヤ)
九 九〇 、 〇〇〇 立 方 尺 にし て伐 採 料 一立 方尺 に付平 均 金 貨 四哥 な り。
し て エゾ 松 、紅 松 、落 葉松 繁 生 す 、其 他 少数 の椴 松 、白 楊 、樺 類 、
黒 竜 江 左 側 に位 す 。面 積 一、 一七〇 、〇 〇 〇 デ シ ヤ ー チナ、 主 と
菩 提 樹 及 槲 混 生 す 。 一ケ年 予 想 伐採 額 一、 三 五五 、〇 〇 〇 立方 尺 に
下黒 竜 江 林 区 第 四 コン セ ッシ ョン林 区 (サ ラ ス営 業 区域 )
黒 竜 江 の左 側第 八 コン セ ッシ ョン林 区 の南 部 に位 す。 面積 五〇 〇 、
第 九 コ ンセ ッシ ョ ン林 区 (バリ シ ヤ ヤ アツ チ エリ スカ ヤ)
し て伐 採 料 一立 方尺 に付平 均 金 貨 四哥 な り。
ア ムー ル河 の右 側 第 三 コン セツ シ ヨン林 区 の南 西 に位 す 。面 積 五 〇 〇 、〇 〇 〇デ シ ヤ ーチ ナ。 主 と し て エゾ 松、 紅 松 、落 葉 松繁 生す 。 其 他 少数 の椴 松、 樺 類 、菩 提 樹 、白 楊 を産 す 。 一ケ 年 予想 伐 採高 二、
白 楊 、樺 類 、 椴 松 、〓 及菩 提 樹 混 生す 。 一ケ年 予 想伐 採 高 八 〇 〇、
〇〇〇 デ シヤ ー チナ、 主 と し て エゾ 松 、 紅松 、 落 葉松 繁 生 し少 数 の
五 三 〇 、〇 〇 〇立 方 尺 にし て伐採 料 一立 方 尺 に付 平 均金 貨 四哥 な り。 第 五 コンセ ソシ ョン林 区 (マチト ーヴ ヤ及 ホ ミ湖 )
第 十 コンセ ッシ ョン林 区 (オボ ル ・ネ ンブ ト ウ ムウ ー ヘン営 業 区
ク ー ル、 ウ ル ミ林区
希 望 者 あ り。
の両 岸 流 域 に位 し ニ コラ エフ スク に至 る搬 出頗 る便 な り 。目 下契 約
以 上 六 個 の コン セ ッシ ョン林 区 は屡 々調 査 せ ら れ、何 れも 黒 竜江
〇 〇 〇 立 方尺 にし て伐 採 料 一立 方 尺 に付 平 均 金貨 四哥 な り。
黒 竜 江右 側 第 四 コン セ ッシ ョン の南 方 に位す 。 面 積 五 四〇 、〇 〇 〇 デ シ ヤー チナ、 主 とし て エゾ 松 、紅 松 及 落葉 松 繁 生 し共 他 少 数 の 椴 松 、樺 類 、〓 、白 楊 、菩 提 樹 混 生 す 。 一ケ年 予 想 伐 採高 二、 四 三 〇 、〇〇〇 立 方 尺 にし て伐 採料 一立 方尺 に付 平 均金 貨 四哥 な り。 第 六 コンセ ッ シ ョン林 区 (ウ オズ ネ セ ンスカ ヤ 、イ ノケ ンチ エフ スカ ヤ) 第 五 コンセ ッ シ ョン林 区南 方 、 南 部 は ド ンド ナ 河 の流 域 に沿 ひ 、
域)
オボ ー ル ・ネ ムブ ト ー ムウ ー ヘン河 の流 域 よ り シ ホト ・アリ ン 山 脈 に至 る林 区 、面 積 九 七〇 、〇 〇 〇デ シヤ ー チナ、 主 と し て エゾ松 、
酉 部 は黒 竜 江 に沿 ふ 。面 積 九 九〇 、 〇〇〇 デ シ ヤー チ ナ、主 とし て
混 生す 。 一ケ年 予 想伐 採 高 三 、 二 二六 、〇〇〇 立 方尺 にし て伐 採 料
樅 、紅 松 及落 葉 松繁 生し 共 他少 数 の椴 松 、樺 類 、〓 、 白 楊 、菩 提 樹
紅 松 及 び落葉 松 繁 生 し其 他 少数 の椴 松 、樺 類 、菩 提 樹 、白 楊 混 生す 。
第 十 一コン セ ッシ ョン林 区 (ホル ス カヤ ・ダ ーチ ヤ)
ベ レヤ ス ラ フ ス ニ ヱ林 区
付 き平 均 金 貨 四哥 な り 。
一ケ年 の伐 採高 一、 八 四〇 、〇 〇〇 立 方 尺 にし て伐 採 料 一立方 尺 に
一立方 尺 に付 平 均金 貨 四哥 な り。
ド ンド ナ 河流 域 に位 し 西 部 は黒 竜 江 右岸 に達 す 。面 積 八 九〇 、〇
第 七 コン セ ッシ ョン林 区 (オ ニ ユイ スカ ヤ)
の樺 類 、菩 提 樹 、椴 松、 白 楊 及 び〓 混 生 す 。 一ケ年 予 想 伐 採高 二、
〇 〇デ シ ヤー チナ 、主 とし て エゾ 松 、紅 松 、落 葉 松繁 生 し 其他 少 数
ウ スリ河 支 流 ホ リ河 の上流 々域 に位 す 。面 積 一、 一二〇 、〇 〇 〇 デ シ ヤ ーチ ナ、主 と し て エゾ松 、紅 松 、倭 落 葉 松繁 生 し、 少数 の〓 、
フ ア ント は比 較 的多 し。 一ケ年 予 想 伐採 高 五 、 五 二〇 、〇 〇〇 立方
第 十 五 コンセ ッシ ョ ン林 区 ( ヴ ア ク スナ ヤ ・ダ ー チ ヤ)
ム ラヴ イ エフ ・ア ム ー ル ス コ エ林 区
尺 にし て伐 採 料 一立 方尺 に付平 均 金 貨 四哥 なり 。
予想 伐 採 高 六、 四 四〇 、〇 〇〇 立 方尺 にし て伐 採 料 一立方 尺 に付平
塩 地、楡 、黄 蘗 、菩 提樹 、胡 桃 、デ イ モ ルフ ア ント混 生 す 。 一ケ年
区 の南 方 に位 す。 面積 四 五〇 、〇〇〇 デ シヤ ー チナ、 エゾ松 、 紅 松
ウ スリ 河支 流 、ヴ ア カ ア河 の流 域 に位 し第 十 四 コン セ ッシ ョン林
ヴ ヤ セ ム ス コ ヱ林 区
繁 生 し、〓 、塩 地 、楡 、 黄 蘗 、胡 桃 、菩 提 樹 、デ イ モ ル フア ント 混
均 金 貨 四哥 な り 。
第 十 二 コンセ ッシ ョン林区 (ミタ イ スカ ヤ ・ダ ーチ ヤ)
生 し、 落葉 松 は少 し 。 一ケ 年 予想 伐 採 高 二、 〇 七〇 、〇〇〇 立 方 尺
スリ其 他 ) の両 流 域 に位 す る を以 て木 材 の運 搬 は之 等 河 川 を利 用 し
之 等 コン セ ッシ ョン林 区 は極 東 の生 脈 た る黒 竜 江及 其 の支 流 (ウ
に し て、伐 採 料 一立 方尺 に付 平 均金 貨 四哥 なり 。
ウ スリ河 左側 同 河支 流 ホ リ河 流域 に位 す 。面 積 三 五 〇、 〇 〇 〇デ
〓 、塩 地 、楡 、黄 蘗 、 菩 提 樹 、胡 桃 、デ イ モ ルフ ア ント は他 林 区 よ
ニ コラ エフ スク港 に至 る に便 な り 。南 方 林 区 の運搬 はウ スリ河 によ
シヤ ー チナ、 主 と し て エゾ 松 、 紅松 繁 生 し 、少 数 の落 葉 松 混 生 す 。
り 比較 的 多 く産 す 。 一ケ年 予 想 伐採 高 二、 五 三〇 、〇〇 〇 立 方 尺 に
り浦 塩 に至 る を得 、之 等 林 区 は之 れま で屡 々調 査 せら れ 目下 露 西 亜
し て伐 採 料 一立方 尺 に付 平 均金 貨 四哥 なり 。 ビ キ ン ス コ ヱ林 区
人或 は外 国 人 の契 約 希望 者 あ り 。
〇 、〇 〇〇 デ シヤ ー チナ 、主 とし て エゾ 松 、紅 松 繁 生 し少 数 の落 葉
に し て其 他 紅松 混 生 す。 林 区 の南 部 には黄 蘗 、西 洋胡 桃 、 塩地 、 〓 、
こ の唯 一の コンセ ッ シ ョン林 区 に繁 生 す る 。主 と し て エゾ松 、 椴 松
黒 竜 江 州 の広 大 な る範 囲 に亘 り覆 ふ森 林 の内 最 も価 値 あ る樹 木 が
黒 竜 江 コンセ ッ シ ョン林 区
第 十 三 コン セ ッシ ョン林 区 (ビ キ ン スカ ヤ ・ダ ー チ ヤ)
松 混生 す 。其 他 〓 、 塩 地 、楡 、 黄 蘗 、胡 桃 、デ イ モ ル フア ント比較
白 楓 、 繁生 す るを 以 て此 の コンセ ッシ ョン地 区 に於 ては 之等 木 材 を
第 十 ニ コンセ ッシ ョン林 区南 東 、 ビ キ ン河流 域 に位 す。 面 積 七〇
的 多 し。 一ケ年 予 想 伐 採 高 一、 六 〇 一、〇〇〇 立方 尺 にし て伐 採料
以 て木 質或 は パ ルプ の林 工業 発展 す べく 、紅 松 は外 国 市 場 に輸 出 す
一立方 尺 に付 平 均 金 貨 四哥 な り 。 イ マ ンス コエ林 区
ハ、 ア ル ハルス コ エ及 ビ ル ス コ エ林 区
る こと が出 来 る。
ロ ンド ニ地 方 )
A、 コンセ ッシ ョン林 区 (ア ム ー ル鉄道 に肢 る 、 ク ンド ウ ー ル、
ウ ス リ河支 流 イ マン河流 域 に位 し第 十 三 コ ンセ ッ シ ョ ン林 区 の南 方 に位 す 。面 積 一、 二〇 〇 、〇 〇〇 デ シヤ ー チナ 、 エゾ 松 、紅 松 繁
第 十 四 コンセ ッシ ョン林 区 (イ マ ンスカ ヤ ・ダ ー チ ヤ)
生 し落 葉 松混 生 す 。〓 、塩 地 、 楡 、黄 蘗 、胡 桃 、菩 提 樹、 デ イ モル
鉄 道線 路 の両側 十 六 露 里 に亘 り南 棄 は黒 竜 江 に面 し 北 方 ア ル ハル ア ク シ ン ス コ エ林 区
及 ビ ル河 に面 す 。面 積 二四〇 、〇〇〇 デ シ ヤ ーチ ナ、 主 と し て エゾ
ア ノ ン河 の支 流 イ リ河 の上流 々域 に位 す 。面 積 二〇 〇 、〇〇〇 デ
シ ヤ ー チナ 、赤 松 及落 葉 松 繁 生す 。 一ケ年 予想 伐 採 高 二 五〇 、〇〇
第 一コン セ ッシ ョン林 区 (イ リ ンスカ ヤ ・ダ ー チ ヤ)
ケ年 予想 伐採 高 三、 九 六〇 、〇〇〇 立 方 尺 にし て伐 採 料 一立 方 尺 に
松 、椴 松 、 紅松 其 他 少 数 の黄 蘗 、槲 、白 楓 、塩 地 、 胡 桃 を産 す 。 一
〇 立 方 尺 にし て伐 採料 一立 方 尺 に付 平均 金 貨 三哥 なり 。
均 一立 方尺 に付 金 貨 三哥 な り 。
す 。 一ケ年 予想 伐 採高 一、 五 〇〇 、〇〇〇 立 方 尺 にし て、伐 採 料 平
松 及 落 葉松 の雑 林 にし て、 其 他少 数 の樺 類 、胡桃 、白 楊 、柳 類 を産
ア ノ ン河 支 流 々域 に位 す 。面 積 三三〇 、〇 〇〇 デ シ ヤー チ ナ、赤
第 二 コン セ ッシ ョン林 区 (アノ ンスカ ヤ ・ダ ー チ ヤ)
付 平 均金 貨 四 哥 な り。 此 の林 区 は 運搬 容 易 、 且 つ契 約希 望 者 多 数 あ り 、既 に調査 済 な り 。 ニ、後 貝 加 爾 地方 コ ンセ ッシ ョン林 区 此 の地方 林 区 の立 木 は殆 ん ど前 同 様 であ る。即 ち 主 と し て紅 松 及
此 の林 区 に産 す る松 は枝 節 多 く 、樹 齢 一五〇 年 に達 し 、其 の太 さ
落 葉松 繁 生 し 其他 少 数 の樺 類 、胡 桃 、白 楊 を産 す 。
ア ルグ ン河 と シ ルカ河 と の三角 州 に位 す 。面 積 六 七〇 、〇 〇〇 デ
シ ルキ ン ス コ エ林 区
落 葉 松 は 凡 て良 材 にし て枝 節 な く 、丸 太 と す る こと が出 来 る。 此
シ ヤ ーチ ナ 、主 と し て赤 松 と落 葉 松 と の雑 林 な り。 一ケ年 予想 伐採
は身長 の高 さ に於 て八 乃至 十 ヴ エル シ ヨク に達 し、 概 し て四分 の三
の林 区 より出 る木 材 及 木材 製 品 の搬 出 はイ ン コーダ 、 シ ルク、 オ ノ
高 二、 七〇 〇 、〇〇〇 立 方 尺 に し て伐採 料 一立 方 尺 に付平 均 金 貨 三
第 三 コン セ ッシ ョン林 区 (ア ルグ ン スカ ヤ ・ダ ー チ ヤ)
ン、 ア ルグ ン の諸 川 に沿 ひ黒 竜 江 に出 て ニ コラ エフ ス ク港 に至 る こ
サ ーゼ ン毎 に枝 節 を有 す る を以 て美 術 工芸 品 の製 作 に適 せず 。
と が出 来 る。而 し ニ コラ エ フス ク迄 の水 路長 く且 つ黒 竜 州或 は 沿黒
以 上 の各 林 区 共 調査 未 了 、目 下 の処契 約 希望 者 なき も最 近其 の希
付 き 平均 金 貨 三 哥 な り。
ケ年 予想 伐 採 高 一、 二〇〇 、〇〇〇 立 方 尺 にし て伐 採料 一立 方 尺 に
主 と し て赤 松 及 落葉 松 の雑 林 にし て共 他 少 数 の樺 及 胡桃 を産 す 。 一
イ ン コタ河 上 流 々域 に位 す 。面 積 三 一〇、〇 〇〇 デ シヤ ー チナ 、
ヤ)
第 四 コン セ ッシ ョン林 区 (ヴ エル フネイ ン コチ ンスカ ヤ ・ダ ーチ
イ ン コチ ンス コ エ林 区
哥なり。
の水路 輸 送 は 困難 であ る。従 つて他 の コン セ ッシ ョン林区 に比較 し
竜 州 地方 の林 区 より 出 る木 材 頗 る多 き を以 つて、 此 の地方 林 区 よ り
て非 常 に不 利 の状 態 にあ る。 斯 く の如 き状 態 な るを以 て此 の地方 コン セ ッシ ョン林区 よ り の木 材搬 出 はザ バ イ カ ル鉄 道 を経 由 す る を最 上 と し、 即 ち ザ バ そ カ ル鉄 道 と東 支 鉄道 と の間 に共通 運 賃 を制 定 し之 れ に より て満州 里 に搬 出 せ るを最 も 便利 とす る。因 に此 の地方 林 区 は 目下 コン セ ッシ ョン契 約 を な し得 べ き も の四 林 区 あ り。
て主 とし て赤 松 及 落 葉松 の雑 林 であ る。 南方 林 区 には少 数 の エゾ松 、
当 地 方 コン セ ッシ ョン林 区 を覆 ふ立 木 は ザ バイ カ ル地方 と 同 様 に
方 に於 ては 一、 四 二〇 、〇〇〇 デ シ ヤー チ ナ、 予想 伐 採高 五、 六 五
シ ヤ ーチ ナ、 予想 伐 採 高 三 、九 六 〇 、〇〇〇 立 方尺 、 ザ バ イ カ ル地
三 、 四 四〇 、〇〇〇 立 方 尺 、黒 竜 洲 地方 に於 ては 二 四〇 、〇〇 〇 デ
沿 黒 竜 洲 に於 ては九 、 三 八〇 、〇〇〇 デ シ ヤ ーチ ナ、 予想 伐 採高 三
沿 海 洲 に於 け る コ ンセ ソシ ョン契 約 予定 地 区 は 四 、四〇 〇 、〇〇〇
紅 松 、椴 松 を産 す。 輸 出 は主 と し て松 のみ であ つ て、 ザ バイ カ ル州
〇 、 〇 〇〇 立 方 尺 、沿 バ イ カ ル地方 に於 ては七 四 五 、〇 〇〇 デ シ ヤ
デ シ ヤー チ ナ、 一ケ年 の予想 伐 採 高 五 八、 〇 四 〇 、〇〇〇 立 方尺 、
産 よ りも 余 程良 質 であ る 。松 は建 築 用 、 指物 用 及 薪 と し て需 要多 し。
ホ、沿 バイ カ ル地 方 コン セ ッシ ョ ン林 区
落 葉松 は需 要 少 く、 電 柱 或 は薪 と し て の需 要 あ る のみ で あ る。 此 の
ンセ ッシ ョ ン林 区 域 一六 、 二 二 五、 〇 〇〇 デ シヤ ーチナ 、 一ケ年 予
ー チ ナ、予 想 伐採 高 七、〇〇〇 、〇 〇〇 立 方 尺 にて以 上総 計 可能 コ
望 者 あ る見 込 。
て産す る木 材 は ザ バイ カ ル鉄 道 を利 用 し て外国 市 場 に輸 出 す る こと
地 方 に於 て ロン セ ッシ ョン契 約 の可 能 性 あ る林 区 は 僅 か に 二個 に し
が出来 る。
に依 れば 、其 の立樹 の状 態 及 び運 搬 路 よ り見 て最 も有 望 と 思は れ る
扨 て極東 の森 林 状態 は上 述 の如 く であ る が、 私 が先 年 実察 せ る処
論
第 一コ ンセ ッシ ョ ン林 区 (キ コート ウ ルキイ ンス カ ヤ ・ダ ー チ ヤ)
地帯 はデ カ ストリ湾 よ り キジ 湖 に至 る 一帯 で あ る。 此 の地 帯は 主 と
三、 結
想 伐 採 高 一〇 八 、〇 九〇 、 〇 〇〇 立 方 尺 で あ る。
バ イ カ ル湖 畔 キ コ、 ト ウ ルケ及 ハイ ム ー河流 域 に位 す。 面 積 二 四
し て紅 松 、 エゾ 松 、椴 松 の良 材繁 茂 し未 だ 且 つて斧 鉞 を 入 れら れず 。
バ ツグ ズ イ ン ス コ エ林 区
一ケ年 予 想 伐 採 高 三、〇〇〇 、〇 〇〇 立 方 尺 にし て伐 採料 一立 方 尺
世 界 三 大美 林 の 一つと称 せら れ て居 る。交 通路 に於 ても 黒竜 江 に通
五 、〇〇 〇 デ シヤ ー チ ナ、赤 松 、 エゾ松 、落 葉松 及 び椴 松 繁 生 す 。
に付平 均 金 貨 三哥 な り。 此 の林 区 は既 に調 査 済 に て目 下契 約 希 望者
し てデ カ スト リ湾 に通ず る運 河 を開 〓 す る こと は 容 易 であ り、 且 つ
ず る キジ湖 よ り輸 出 す る の便 あ り 。更 に キジ湖 に注 ぐ キジ 河 を延 長
且 つキジ湖 岸 よりデ カ スト リ湾 に至 る約 八 里既 に露 国 の極東 政 策 の .
デ カ スト リ湾 は天 然 の良 港 に て数 万噸 の汽 船 を容 るる こと が出 来 る。
チ コイ ス コ エ林区
あり 。
チ コイ 河上 流 に位 す 。面積 五〇 〇 、〇〇〇 デ シヤ ー チナ 、松 、紅
遺 物 たる 軍用 道 路 あ る を以 て、之 れ に鉄 道 を敷 設 す るも 木材 を運 搬
第 二 コン セ ッシ ョン林 区 (ヴ エル フネ チ コ エスカ ヤ ・ダ ー チ ヤ)
松 及 落葉 松 繁 生 す 。 一ケ年 予想 伐 採高 四、〇〇〇 、〇 〇 〇立 方 尺 に
す る に容 易 であ る。
処 に於 て若 し露 国 が此 の地帯 の森 林伐 採 権 を提 供 せば 日本 は復 興 用
更 にデ カ スト リ湾埠 頭 地 帯 に製 材 工場 を建 設 す る こと を得 る。 此
し て、伐 採 料 一立 方 尺 に付 平均 金 貨 二哥 な り。 目下 契 約希 望 者 な く 調 査未 了 な り。 林 区 の状 態 は次 上述 べた る如 く であ る が、 之 れ を総 括 し見 る に、
良 材 を安 価 に且 つ迅 速 に得 る こと と 思 ふ。 顧 る に 日本震 災 勃 発 当 時労 農 露 国内 を旅 行 し つ つあ つた私 は彼 の 国 民 の寄 せ た同 情 に対 し て感 謝 の情 を禁 じ得 ざ る程 で あ つた 。彼 の
ソヴ エート政 府 の 日本罹 災 民 を 目的 とす る 沿海 州 特設 利 権提 供
に対す る在 北京 日本 公 使 の覚 書 に関 し共 産 党機 関 紙 ト リブ ーナ の
の同 情 の結晶 とし て現 は れた 総 金額 は実 に数 百万 円 に達 す ると の事
能 ふ限 り の拠 金 に応 ぜ る こと は親 しく 実 見 せ る処 であ る。 而 し て此
つ政 府 の義 捐〓 金 の命 令 に接 す る や彼 等 は粗 衣 粗 食 に甘 んじ な がら
侮 辱 す る も のな り と て憤 慨 し 、 口 を極 め て 日本 政府 の態 度 を批 難 攻
る社 説 に於 て右 回 答 の内 容 は ソヴ エート政 府 の同情 を蹂 躙 し露 国 を
芳 沢 公使 の回答 的 覚 書 を掲 ぐ る と共 に ﹁ 震 災 に乗 ず る投機 ﹂ と題 す
当 地 ト リブ ーナ紙 は ソヴ エー ト政 府 の本 利 権提 供 に対 す る在 北 京
社 説 大要 (二 月 十 二 日)
で あ る。 然 る に極東 革命 委 員 会 は此 の機 に乗 じ対 日共産 主 義 宣伝 の
撃 し て居 り ます 。 例 に依 つて例 の如 き 共産 党 外 交家 の応酬 振 り では
国 民 は 国 内至 る処 に於 て私 を 見 る や雲 集 し て同 情 の言 辞 を 寄 せ、 且
目的 で レ ー ニ ン号 を 二度 迄 も派 遣 し た と の風説 を耳 にし た。 此 の事
あ りま す が時 局 柄 其 の大 要 を御 参 考 迄 に報 告 し ま す。
﹁日本政 府 が ソヴ エー ト露 国 の人道 的提 供 に対 す る態 度 は今 回 北
が誤 伝 なれ ば兎 に角 真 であ ると せ ば極 東 革 命委 員 会 の措 置 は 露 国 々 民 の真 意 に反す る次 第 であ つて、現 に旅 行 中 レー ニン号事 件 に関 し
ー ト政 府 の同 情 に対す る驚 く べ き皮 肉 で曾 て 日本ブ ルジ ユア が支
京 日本 公使 の覚 書 に依 て表 明 せら れ た が 、右 覚 書 の内 容 は ソヴ エ
那 に提 し た有 名 な る 二十 一箇 条 に酷 似 す る も のあ り。 今 次 日本 当
に何 れ も右 は 政府 の命 令 不徹 底 に起 因 す るも ので国 民 の意 思 では な いと述 べ て居 る。此 度 の カ ラ ハン の声 明 に拠 り許 可 せん と伝 へら れ
あ る。
局 の態 度 は礼 譲 及 品位 の 一切 の限 界 を踏 み越 え て憚 らざ る も の で
彼 国 の人 々か ら質 問 を 受 け た際 の私 は宣 伝 に関す る風 説 を反 問 せ る
る五 十 万デ シ ヤー チ ナ の林 区 は露 国 と し て は経済 的 影 響 の比較 的 尠
(岡 本稿 )
本 問題 に於 て単 に日本 企 業家 と ソヴ エー ト政 府 間 の ﹁正直 な る仲
交 渉 の際 援 助 を 与 ふ べし ﹂ と声 明 せ る を以 て見 れば 、 日本 政 府 は
日本 政 府 は 北 京 に来 る日本 の企 業代 表 者 に対 し ﹁本 件 に関 す る
き を得 な い。
団 ﹂ に賃貸 す る の途 に出 で た る放埒 不遜 の態度 に至 つては 一言 無
論 ぜず とす る も 、露 国提 供 の森 林 及漁 業 特 権 を 漫 然 ﹁一の企 業
の公共 社 会 力 を利 用 す る の必 要 を認 め な か つた こと は暫 く 措 いて
吾 人 は 日本 政 府 が ソヴ エート の救 援 提 議 を利 用 す る に当 り自 国
い小 区 域 の提 供 に過 ぎ ぬ の であ る が、 我当 局 と し て は両 国 民 の友 好 親 善 を 期 し労 々震後 に於 け る材 価 の調 節策 を も十 分考 慮 し た 上受 く
二 一
哈 爾 浜事 務 所 長
べき 国 民 の好 意 は決 し て拒 絶 す べき も の ではな か ら う かと 想 は れ る。
哈調 第 四〇 五号 大 正十 三 年 二月 十 三 日
と を 回避 せる 理由 は前 述 せ る 日本 の覚 書 の内容 を検 討 す れば 分 明
け て居 るが 、斯 く 日本 政府 が自 国 の罹 災 民救 助 に直 接 干 与す る こ
買 人﹂ た る の役 割 を自 発的 に引 受 け た の で直 接 衝 に当 る ことを 避
ら れ た る露 国天 然 富源 開 拓 の特権 は 、畢 竟 す る に日 本 の搾 取階 級
こと と の条 項 であ る 。是 に由 て観 れば 罹 災 せ る 日本 国民 に附 与 せ
後 者 に生産 品 売 上 げ の 一割 に当 る利 潤 を 保障 す るを条 件 と す べき
最 後 の条項 即 ち露 国政 府 及 日本 企業 家 間 に締 結 せら れ たる契 約 は 、
若此 の種 の条 件 が 日本 政府 の名 を 以 て提出 せ ら れ たと せば 如 何
す る。
民 の負 担 た るべ き外 債 の交 渉 をな し つ つあ る今 日、 ソヴ エート政
らず 従 順 、 寧 ろ奴 隷 的 卑屈 の態 度 を 以 て ワ シ ント ン政府 と 日 本国
日本 政 府 は 北米 移 民 問題 に於 て米 国 より 受 けた 一切 の侮 辱 に拘
に利 益 を齎 ら せね ば な ら ぬ こと に な る。
業 家団 ﹂ て ふ屏風 を通 じ て斯 様 な旁若 無 人 の条 件 を提 出 せ し め た
府 の寛 仁な る提 供 に対 し ては同 政 府 が未 承 認 の故 を以 て前 述 の様
に謙譲 な る人士 と雖 反 感 を起 さず に は居 ら れ ま い。 是 を 以 て ﹁企
も ので あ るが 、併 し国 家 及 国 民 の不 幸 に乗 じ て投 機 を営 ま ん とす
な 侮 辱 的態 度 にて応 酬 し ても差 支 へ無 いと 思 惟 し てお るら し い。
併 も 吾 人は 斯様 な 条 件 に 対 し ソヴ エート 政府 が自 国民 の不 幸 に
先 づ企 業 経 営 の期 限 、利権 の価 格 及形 式 等 に関 す る 一切 の条 件 は凡 て日本 政 府 の ﹁ 商 業 能 力﹂ の卓越 を示 し て居 る が、 毫 も罹 災
乗 ず る貪欲 の徒 に夫 れ相 応 の応 答 を 与 へん こと を期 待す るも ので
る 日本 政 府 の掠 奪 的 面 容 は 此 の屏 風 を透 じ てあ り あ り と窺 は れ る。
民 救済 の希 望 を 裏書 し て居 な い。又 ソヴ エート 政府 が輸 出税 、屯
あ る。 未承 認 の国 は只 に 日本 国民 の みな らず 露国 国 民 の為 貪 婪飽
(竹 内)
[ 原 文 ノ マ マ]
税 、旅 券 交 付 手 数 料等 幾 多 国税 及 公 共 税 の免 除 を許 可 せ ん こと を
く無 き 承認 国 のブ ルヂ ユア に対 し反 撃 を加 へねば な ら な い﹂ と 。
夫 れ か ら露 国 政 府 に 一定 の換 算 率 ( 金 一留 に付 円 一円〇 三銭 )
希 望 す る条 項 等 も 著 し い例 であ る。
を以 て日 本 の紙 幣 を納 め んと す る条 項 に至 つて は其 の破 廉 恥 な る 他 に例 を 見 な いと ころ で あ る。之 将 に再 び沿 海 州 に貨 幣干 渉 を試 み んと す る も の であ り 、又 日本 の国 際 的 信用 失 墜 し 円 価 の相 場 確 実 なら ざ る今 日、 支 払 上 日本 紙 幣 の強 制 的受 入 を要 求 す る が如 き は自 国 の不幸 に乗 ず る日本 資 本 の投 機 と謂 はず し て亦何 と評 し よ
次 に企 業終 了 後 企 業 家 の財 産 を露 国 に譲渡 せず 之 を 無税 に て輸
う か。
出 せ んと 欲 す る のは 、 日本 政 府 及 ブ ルジ ユア階 級 の小 商 人根 性 を 能 く暴 露 し た も のであ る 。然 も投機 的 破 廉恥 の骨 頂 と 称す べき は
二四
吉林公所 (二二)
大正十二年 四月十九日
朝 鮮 人 関 係一
不逞鮮 人金佐鎮 一派 の陰謀 〓古塔方面に潜在す る金佐鎮 は高麗共産党金圭植 の手 を経 て労農 政府 より資金、武器 の供給を受け鉄道沿線 の親 日鮮人尽滅 、朝鮮大 哈爾賓 、長春、吉林 、奉天等に入込 んだと言 ふ。
官連 の暗殺、官庁 の破壊を行はんとする陰謀 あり、之が手先 は已 に 右不逞団 は総数 三六〇名 で六十班 に分れ 一人四個づ つの爆弾 を携 帯する ことにな つて居 る。 二 大正十二年 四月廿 一日
吉林 に於ける義烈団 一味 の行動
吉 林公所 (二六)
吉林 には北京義烈団 の 一味と称する李漢竜、朴英準、金世鎮、鄭
の暗殺、官衙 の破壊を行 はんため拳銃 及爆弾 を携帯し て朝鮮 に入り、
昌烈、劉錦山 の五名が居 り、内金、鄭、劉 の三名は四月八日頃大官
残り の者も先方 の来信を俟 つて発程する ことにな つて居 る。 三 大正十 二年四月廿三日 大塚通報 (九) 朝鮮革命委員会組織
哈爾賓
知多及浦塩 に朝鮮革命委員会組織 せら れ極東露領 に於ける朝鮮人
は金部共産党 に加入すべきことを厳達 し之 に肯ぜない者は厳罰 に処
する旨〓告 した。右 の結果四月二十日 一二〇名 の違反者逮捕 せられ
て朝鮮革命裁判所 に押送 せられ浦塩 の朝鮮居留民会長は四月廿 一日
銃殺 された。 四
吉林公所 (三 一)
大正十二年 四月廿 八日 韓人自治地帯設定計画 不逞鮮人朴観海 、鄭安立等 の計画 した韓人自治地帯設定 の件 は支 那官憲 の諒解を得る に至 らず。善後策老慮中。 五
吉林公所 (三二)
大 正十 二年四月卅日 朝鮮光復団代表者 の会合 満洲各 地に於け る光復団代表者は五日初旬斉 々哈爾竜江県 に会合 す る筈 である。該団は露西亜共産党と提携し て朝鮮 に過激主義を宣 低し朝鮮 の独立 を図らんとす るも のである。 六 大正十二年五月 一日 間琿鮮人大会 に対す る吉林側 の意見
吉林 公所 (三三)
間琿大会 に吉林側 も賛同されたしと言 ふに対し吉林鄭安立は同大
を獲得 し徐 に時機 を待 つ意見なりと回答 せり。
会 に関係 せず、支那領内 の鮮人全体は支那に入籍 を請 ひ鮮人自治権
七
吉林公所 (四〇)
大正十 二年五月十 五日
金応〓 の決 死隊組織 (在吉林朝鮮総督府通訳官報)
金応〓 一味 の吉林不逞鮮人は露領李東輝より金銭 の援助 を得 て吉
林 に軍令部 を設置し、 一方高麗共産党及義烈団と連絡を執り朝鮮独
立運動 の為決死隊 を組 織して目的 の遂行 を期し ている。 八
哈繭賓大塚情報 (二〇)
大正十 二年五月十六日 高麗青年党首領 の逮捕
昨年 十月以来哈爾賓、北京、知多等 に於 て共産主義 の宣 伝を行 つ
て居た高麗青年労働党 の首領姜世益 ( 露名 ニコライ ・カン)は五月
右 に つき在哈労農政府代表 ポ コージ ンは朱慶瀾に対し左記抗議的
十 四日日本官憲 に逮捕 された。
一、 ニコライ ・カンは露国臣民なれば釈放に つき尽力を望む。
要 求を為 し釈放 に尽力方依頼した。
に対 し 抗議 を望 む 。
二 、 日 本官 憲 は露 国臣 民 フイ リポ ウ イ チ の家 宅捜 索 を行 は ん と せ る
三、 支 那 領 土 内 に於 け る外 国 人 の不 法 行為 に対 し 支 那官 憲 の態 度 は 軟 弱 であ る。 向後 も 東 支 沿線 の露 国 臣 民 の保 護 に関 し遺 憾 な き 方 法 を講 ぜ ら れ た い。
一〇
大 正十 二年 五 月 十 九 日
北 京 ド ウ チ ヤ ン発
大杉 栄 の朝 鮮 攪 乱企 図
哈爾 賓 大 塚 情 報 (二 二)
支 那 人 シ ユイ ロウは 五 月十 八 月 北 京 よ り上 海 へ向 け出 発 し た 。彼
長 春 地方 事 務 所 (三 七)
大 正十 二年 五 月 廿 五 日
︱二
銃 を所 持 し 同 方 面 で軍 資金 一万元 を聚 集 す る も のら し い。
〓 南 (通 遼 と も 云 ふ) 方面 に向 つた 風説 が あ る。彼 等 は モーゼ ル拳
五 月 十 四 日不 逞 鮮 人 十 四名 四平 街 方 面 よ り鄭 家 屯 に来 り、 十五 日
不逞 鮮 人東 蒙 古 にて軍 資 金 聚 集説
鄭家 屯公 所 (二二)
大 正十 二年 五 月 廿 一日
一一
シ ユイ ロウ は大 杉 栄 の偽名 で あ る。
は朝 鮮 人 団 体 を組 織 し 朝 鮮攪 乱 を企 図 し て居 る。
哈爾 賓 ポ ゴ ージ ン宛 電 報
︱、 日本 官 憲 は姜世 益 を日 本 臣 民 と し て逮 捕 し た も の であ る 。
右 に対 し朱 慶 瀾 は左 の如 く 回答 し た。
二 、 ﹁フ﹂ 家 宅 捜索 に付 ては 其 の事 実 を認 め な いが厳 重 取 調 べ る 。
揮 官 た る以 上 不法 行 為 に対 し て は内 外 人 に区別 なく 職 権 を行 使 す
三 、支 那 官 憲 の態度 軟 弱 云 々は誤 つて居 る。 余 は東 支 沿 線 の保 安 指
る 。若 し彼 は支那 領 土 で宣 伝 を行 つた 事 実 が判 明 せば 余 も亦 之 を 処罰 する。
九
大 正 十 二年 五月 十 八 日 吉 林 公 所 (四 二) 吉 林 一字 会 内 容 吉 林 一字 会 は朝 鮮 独 立 光 復 を目 的 とし 大 正 八年 同 地 に設 立 せ ら れ た も ので独 立 団 と全 然 同 一の行動 を執 つ て居 る 。其 の首領 は李 時 一、 孫 一民 で会 員 七十 二名 あり 、彼 等 は独 立 の基礎 が産 業 、 学 事 の奨 励 に あ り と し目 下 額穆 県 退 博 站 附 近 に二百 〓 、 五 常 県内 に百 四 十〓 の 土 地 を買 収 所 有 し て居 る 。
共 鐘
産 〃
〃
週
〃
月
三
二
回
回
刊
尹
金 河球
尹〓 英
未
共産党機関紙
〃
義烈団第 二爆弾輸送計画 暁
浦
月
詳 〃
義烈団は曩 に爆弾輸送 に失敗 したが今回再 び之 れを計画 し沿海州 鋒
〃
〃
独立 標 榜
先 人 新 聞
週
〃 ( 休 刊 中)
〃 月
刊
共産 党 機 関 紙
〃
京
津
旬
〓
金 圭煥
詳
天
〃
李
不
吉 林 額穆県
北
河
一月 二 回
週
朴容萬
革
県
刊
独 立 公 報
黒
多
刊
国 民 会 寄別
寛
〃 報
知
某
報
崔 由
者
完 〃 鐘
朴
自
働
刊
警
大正十 二年五月 廿五日
一四
労
塩
黒竜江地方から上海迄已 に拳銃 及爆弾 の輪送 を了し、上海 より営 口 韓
金圭煥
主
海
迄船 にて輸送 せんとしたが警戒厳重な るが為 め之を変更して、上海
一週 三 回
主 事
松島氏調査) 別
独 立 標榜
〃
行
金承 学
報
西間島
刊 刊
新
韓 族 新 報
発行地 週
義
より 一先づ海路秦皇島迄運搬し漸次朝鮮 に輸送す る計画を立 て已 に 第 二極楽丸 と称す る石炭 運搬船 を買収して居 る。 ︱三
長春地方事務所 (三六)
大正十二年 五月廿四日
海
(朝鮮総督府派遣員
鮮 人独立運動及共産主義宣伝機関調
名 上
称
独 立 新 聞
金〓 載
"
西伯利亜 に韓人自治地帯設定 の運動 ( 吉林特務機関報)
吉林公所 (四八) 刊
申采 五
方自治団を組織 せんとしたが、該計画は支那 の司法行政権 を侵害す
〃
月
刊
る嫌あ るため支那官憲 の諒解 を得 るに至らず結 局失敗 に終 つた。爾
朴殷 植
週
不
〃
〃
〃
一月 二 三回
〃
来鄭等 の 一味は朴観海、金永哲等 と謀 り第 二の計画として武力 に拠
〃
新 韓 公 論 〃
刊
〃
共 産 主義 標 榜
独 立 新 聞
韓 〃
週
尹〓 英
東輝、血誠団総裁李範允及金 佐鎮等と提携其 の歩 を進めて居 る。更
り西伯利亜を占領 し其地 に韓 人自治地帯を建設せんとし、在露領李
曩 に鄭安立等 は満洲在住支那帰化鮮人を以て東三省内に韓人 の地
露国帰化鮮人太元善、鄭安立 の談
新 〃
玄 正鍵
支那 に 対 す る宣 伝
上海タイ ムス 〃
大
上 海 公 論
〃
不詳
報 曜
詳
報
闘 火
回
〃 二
金〓 奉
報
週
〃
正
〃
〃
生
活
金 河球
新
に又 右目 的 遂 行 には白 軍 を 取 り入 るる こと の得 策 な るを 認 め 、 ヂ テ
総
務
太
元
善
一、 朝 鮮 民族 の海 外発 展 と 産 業 の基 礎 確立 を 図 る こと
二
知 多 に於 け る朝鮮 人状 況
吉林 公 所 (五 五)
大 正 十 二年 六 月 十 一日
一六
五、殖 産開 拓 地 点 は露 支 国境 とす
募集 す
四、 資 金 は鄭 安 立自 ら朝 鮮 に赴 き 日本官 憲 の諒 解 を得 て 一般 より
三、 中 華 民国 の国 民軍 編 成 を 期 と し韓 国軍 を編成 す る こと
二、 韓 国独 立光 復 を期 す
目 的 竝計 画
リ ツ ク ス将 軍 の部 下 太 元喜 は対 白 交渉 委 員 、鄭 は対 日交 渉 委 員 と し
︹マ マ︺
て其 の方 の運 動 を も行 つて居 る。
一五
吉 林 公 所 (五 三)
大 正十 二年 六 月 四 日
鮮 人自 治 問 題 の現状 と韓 族殖 産 協 会 組織 計 画 東 三省 に於 け る鮮 人自 治 問 題 は資 金 調達 不 如意 、支 那 官 憲 の不 同 意 等 の為 実現 し難 き 現情 に在 り殊 に該問 題 関 係 中 に も左 の三派 あり て相 互 の意 見 一致 せず 。 朴 観 海 、尹 牧 山 、金 永 哲等 に し て赤 露 軍 に拠 ら んと す
の西 伯 利 亜 出兵 に際 し之 を労働 会 と改 め 、翌 年 日本 軍 の撤退 と共 に
一、 赤 党 派
更 に韓 族 会 と改 称 し た 。同 会 は朴 善 道 を会 長 と し 上海 仮 政府 の支 配
知 多 には 十余 年 前 よ り韓 人 民会 が設 置 さ れ て居 た が大 正 八年 日本
るも の
李章 寧 、劉 礼 均 、孫 一民等 に して支 那 側 に拠 ら んと す
下 に在 つて朝 鮮 独 立 を図 つて居 た が、反 対 派 の共 産 党員 は之 を親 日
るも の 二、 中 国派
鄭安 立、李廷秀 、太元喜等 にして日本宮憲 の諒解を得
︹ママ︺
三、持続派
鄭
永
安
哲
立
つて いる。
目 下会 長 は李 成 に し て会 員 五十 余名 あ り而 し て会員 は労 農者 に限
織 す る に至 った。
党 な り と て極 力 攻撃 し遂 に之 を解 散 せ し め て新 た に労 農 同 盟会 を組
て白露軍と結合 せんとす るも の。 於是鄭安立は自治問題 の進行を図ると共 に在支露同胞 の安定竝光 復事業 の遂行上在外韓族殖産協会を組織し、以て各自 一致行動を執
金
員
会 長
役
らん ことを主張し概 ね同意 を得 るに至 つた。其 の役員竝計画如左 一
副会長
一七
関東軍参謀 部 (三〇九)
大 正十二年六月十六日 長春附 近鮮人 の本年水田植付状況 (長春憲兵隊報) 長春朝鮮人民会 の調査を基 礎とし鮮農 民に就き調査す るに、本年 長春附近六県下 に於 ける水田植付状況左記 の如く、天候順調な れば 記
一反歩平均籾 三石総計十 二万 一千 一百石収穫 の見込 であ る。 左
考
本表 の外小地域 の水田耕作者各地に在 るも省略す。
備
一八
吉 林 公 所 (五九 )
大 正 十 二年 六 月 二十 六 日
吉 林 に於 け る不 逞 鮮 人 の会 合 ( 長 春 警 務署 報 )
北 満東 支 沿線 及 沿海 州 各 地 に在 る不逞 鮮 人代 表 者 は 五 月中 旬 よ り
吉 林 省 城 に集 中 し つ つあ つた が六 月十 六 日 の会 合 に於 て左 の決 議 を 為 した 。
同 支 部 を設 置 す る こと
一、 吉 林県 樺 皮 廠 南方 二十 支 里新 安村 に独 立 団本 部 、海 林 、浦 塩 に
二、 軍資 金 の大 募 集 を為 す こと
三、 日露 通商 会 議 を極 力 妨害 し之 を中 止 せし む る こと
四、長春 には日支官憲 の動静 を内偵するため連絡員を派遣 すること 鉄 金
金
孫
賛
洋
秉
憲
錫
〓
河
東
事 実 な る も新聞 記 事 の鮮 人蜂 起 説 は事 実 無根 な り。唯 数 日前 鮮 人同
電 見 、白 音 太来 方 面 水 田 が旱 魃 の為 め殆 ん ど悲観 の状 態 に在 るは
( 註 、 本 件 に関 し 鄭家 屯 公 所 に真 相 問 合 の処 此 回答 を得 た り)
二〇
義 烈 団顧 問 安 漢
而して該会議 に列席 せる主 なる者左 の如 し
北路軍政署義勇隊長 朴 炳
武
社 を 上海 に置 き孫 逸 仙 を 社長 、鮮 人 呂運 享 を副 社 長 に推 載 す るも の
画 中 で あ つた 中韓 互 助 社 支 都 は愈 〓設置 す る こと とな る 。同 社 は 本
来該方面人民疲憊し所期 の目的を貫徹する事 を得ず 。新 に他方面 に
摩隊は従来専ら鮮内及西間島 に於 て軍資金を募集し居 りたるも、近
在奉天元独立団幹部 の言及其他 の密偵報 を綜合するに統義府及天
( 特務機関報)
不逞鮮人団統義府 の満鉄沿線 に軍資金募集拡張策
奉天公所長 ( 大正十二年 八月十三日第五三号)
二 一
同 誤伝 せし も のな るべ し 。
白 音 太来 鮮 人 蜂起 説 に就 て
鄭 家 屯 公 所電 報 (一六)
大 正 十 二年 七 月 十九 日午後〇 時 五十 分 発
北路軍政署参謀長 李
て 日本 人 一名 入浴 中 脳溢 血 に て死亡 せし 事実 あり 。 恐 らく 此等 を混
志 酒 の上 の喧嘩 に て 一名 殴打 さ れ死 亡 し 、 又 二三 日前 大 倉 組農 場 に
団 長
上海仮政府外事課長 金 哲
血
極東共産党宣伝部長 永
天
革命軍編成社長 金 立
応
吉林鮮人団幹部 安
上
鄭
同
一九
大 正十 二年 七 月十 二 日 長 春 地 方 事 務所 (六 六 ) 吉 林 に中韓 互 助 社 支 部設 置
で、 其 の主 義 は中 日韓 三 国 の協 調 に依 り東 亜平 和 を維 持 せざ るべ か
哈爾賓方面 に派遣し更に鉄嶺、開原方面に武装団体約百名を派遣し
於 て資源 を調達す ることとし、農民 に変装した る団員 を奉天、長春、
吉 林在 住 高 麗共 産 党 交 通 部長 金 永 哲 、及 吉長 日報 記 者 呉仁 華 の計
らざ る に、 目 下 日本 の併合 下 に在 るは不 当 であ る から宜 しく 独 立 を
資金 を強要し居 れり。
計 るべ しと 言 ふ に在 る。
二二
吉 林 公所 長 (大 正十 二年 八月 二十 四 日第 八 一号 )
上海 仮 政 府 大統 領 李 承晩 の最 も信 任 せ る配下 柳 世 光 (年 四十 歳
朝 鮮忠 清 道 忠 消郡 出 身 、十 年 以 上米 国 に在 り し者 ) 目下 多 数 の同
志 と 共 に上 海 仮政 府 の維 持 擁 護 に努 力 し つつあ るも 、運 動 資金 欠
乏 のた め活 動 意 の如 く な らざ るを 憂 へ、政 府財 務 局長 李 時 栄 及国
務 院 議長 李 東 寧 等 と相 謀 り 、臨 城 の事件 に倣 ひ奉 天安 東 間 の旅 客
列 車 を襲 撃 せば 一回少 く も 四、 五 万 円 の資 金 を得 る事容 易 な り と
吉 林 省長 の朝 鮮 人 隠匿 軍 器 取 締 王吉 林 省 長 は張 総 司令 に左 の如 く電 報 した 。
一の 二名 に命 じ 、 七 月初 旬 安東 方 面 に特派 し安奉 線 の警 備 状 況 及
へた る に同 人 も 此計 画 に賛 成し 、 直 に彼 の配 下 な る金宇 鎮 、 金 太
襲 撃 地 点 等 を実 査 せし む ると共 に、 西 間島 統 義府 及 義 軍府 に対 し
し、 満鉄 列 事 襲 撃策 を立 て之 が実 行 を在 上海義 烈 団 長金 元 鳳 に伝
人郷長 は匪 賊 防 禦 の為 め 日本 領 事 館 より配 給 さ れ た りと 答 へた り。
延 吉道 尹陶 の報 告 に拠 れ ば最 近延 吉 、長 春 各 県 の鮮 人 等 は各 戸 に
以 て日 本領 事 に照会 し事 実 を確 めた る に鮮 人等 密 蔵 の銃 器弾 薬 は日
て独 力 運 動資 金 意 の如 く募 集出 来 ざ る為 大 いに金 元鳳 の提 案 に共
聯 合 行 動 を謀 りた る に、 同 府 に於 ても 目 下鮮 内 及西 間島 方 面 に於
銃 器 を隠 匿 し 居 る を以 て該銃 器 の用 途 及購 入 先 を訊 問 し た る に、鮮
本 領 事 よ り供 給 し た る も のに非 ず 。 又 其用 途 に就 て も全 然 関知 せず 。
す る計画 な りと言 ふ。
警 備 厳 重 な るを 以 て秋季 収 穫後 、即 晩 秋 或 は初 冬 にかけ着 手実 行
尚之 が実 行 期 に関 し ては 目下 高粱 繁 茂 し 馬 賊警 戒 の為 日支 軍警 の
を 以 て 一応 報告 及 打 合 せ の為 前 記 三名 は 目 下上 海 に出 張 中 な り と。
同 志 数 十 人 を指 導 し て右 実 行 準備 中 な り し が、 最 近概 ね完 了 せ る
に あ る義 烈 団員 徐 範 錫 、崔 用徳 、張 志 淵等 主 と し て之 に参 与し 、
財 力等 を精 査 せし め三而 し て該 計 画 の策 源 地 は北 京 にし て、同 地
守 備 兵 の駐 屯情 況 、 日支 警 察 及支 那 軍 隊 の実 力 、沿 線 鮮 人農 戸 の
及安 東 方 面 に派 遣 し て、列 車警 備 の状 況 、警 乗 兵 の交 代 、 駅沿 線
鳴 し 、直 ち に運 動 を 開始 し目 下多 数 の密偵 を奉 天 、撫 順 、本 渓 湖
如 何 様 に取締 ら るる も干 渉 せず と の回答 に接 し た り。 査 す る に銃 器 密 蔵数 は鮮 人 戸数 数 千 に達 す るを以 て少 く と も 一万
右 報 告 に接 した る を以 て不 取 敢厳 重 取締 方 命 令 せ る が尚 総 司令 の
を下 ら ざ るべ し 。右如 何 様 に処 理 す べき や御 指 示乞 ふ 。
御 示教 を 仰 ぐ 。
二三
義烈団 の満鉄列車襲撃計画 ( 奉天特務機関報 )
奉天公所長 ( 大正十二年 九月七 日第 六四号) 義烈団 の満鉄列車襲撃計画 に付元独立団幹部員が上海方面 より探 知したる処左 の如し。事実 は頗 る疑 はしきも東京震災 の折柄注意 を 要することと思ふ。
二四
二六
分 れて内訌 を生じ、創造派 の巨頭元世運、金圭植等 は政府員 五十余
不逞鮮人 の組織 に成 る上海仮政府は目下改造派、創造派の二派 に
際各 地の同志 に通報 し奮起する ことに決 議した。 一方支那学生と提
社会主義者及独立団 と聯絡し着 々運動を進行し つつあるを以 て、此
今回 の日本震災 に乗 じて独立を決行すべく、已 に東京 に於 ては日本
九月五日吉林省城在住 の主なる不逞鮮人十 四五名集合密議を凝し
日本震災と在 満不逞鮮人 の行動 (警務署報)
長春地方事務所長 (大正十 二年九月十四日第 一一〇号)
名 と共 に八月廿日頃迄 に尼市に赴 き、同市長 ステ エパ ニエンコの援
携し二十 一個条問題 に依 り紛擾を惹起 せしむるため目下吉長日報記
不逞鮮人尼市 に仮政府設置計画 (長春憲兵隊報)
長春 地方事務所 (大正十 二年九月十日第 一〇六号)
助 を受け て同市 に仮政府を創設し、沿海 州及南満洲を統 一す べく計
左 団 体 名
樺
根
記 拠
甸
県
地
朴 相 録 南 相復
中 心人物
考
馬賊帰順者 八〇名あり
〇名 内 四 〇名 は軍 人 外 に
樺林学校を設立す生徒六
備
吉林 を中心とす る不逞鮮人中 日本震災 の機 に乗じ独立復興を企図 して居 るも のが少くな いが其 の主な る団体 は左 の如 くであ る。
不逞鮮人 の動静
吉林公所長 (大正十 二年九月十九日第八十九号)
二七
者 呉任華を介し支那側を煽動せしむ る計画中 であ る。
画中 であ る。 二五
在 満不逞鮮 人団 の陰 謀
長春地方事務所長 (大正十二年九月十四日第 一〇九号) 吉林より来長 せる某鮮 人談 不逞鮮人団は八月二十九日敦化県山城 子に於 て秘密会議を開き南 北満洲及 西伯利方面 に散在す る鮮人を統 一し、本年 十月 一日京城に 挙行される共進会を利用 し独立運動を決行す る事 に決 した。 猶不逞 鮮人首領朴観海が人に洩した処 に依 れば共進会開会を機会 に大臣を暗殺し新築総督府 を破壊するため五十名を特派す ることと し、其 一隊 は已 に臨江県方面 に向け出発した云 々。 韓 族 会
軍 政署
高麗東洋 会
大韓独立 普光団
同
額穆 県 各 区
李 朴 金 羅
陶頼 昭附 近 洪 李 朴 金 舒蘭県白旗屯 農安県城磐 石県仙人洞 雙陽 県 高子台
錫 商 佐 仲
淳 昌 京 源
珠 浩 鎮 昭
介 極 淑 燮
武 術 の教練 を主 とす 陰 暦 八 月 中旬 北 満 有 志 大 会 を 開催 陰謀 計 画 の筈 労 働 学 校 を開 設 し主 と し 漢 文 及 武 術 を 教授 す
北路軍政署参謀長黄海 の談 に依 れば、同署司令官金佐鎮 、鉄血団
と称 し伊通、楡樹県方面 の取締不行届なるに乗 じ鮮人良民を強迫 し
金品 を強要 しつつあるが九月十五 日義烈団員 と称する張豪外三名は
本年度水 田収穫 を調査し運動費徴収方 に付計画中 にし て各地 の不逞 団 と連絡 あるも のの如く である。
二、額穆県 に於 て李青天 の設立 せる武官学校 にては、尼港駐在赤軍
所属鮮人大尉林哲竜 の紹介 にて露式歩兵銃四十 二挺、弾薬八千発を 派)方に隠匿し居ると言 ふ。
買収 し、九月中 旬取引 を終り額穆県蛟河居住金炳農及金光正 (長老
三、統義府 は本年 京城 に開催 の共進会 を機会とし暗殺団及官公署破
壊隊を組織 し、九月中旬準備完 成し、尹公玉、石敬文等五名 は既 に
国境を越 へ義州方面 に入り、李珉俊、金載琉等五名 は現 に安東 旧市
従属せる鮮人独立軍約 八百名と連絡交渉中 にて、協調済次第十月中
目小竜子 (部下約五百名)、董開 山 ( 部下約二百名)及曩 に赤 軍 に
革 命竝第三国際共産党と連絡 の為め吉林を訪問し、金永哲 一派 と会
は沿海州よりザバイ カルに至 る鮮人機関 の現況を報告 し、高麗共産
四、呉昌煥 (上海仮政府創造派)と朴宗根 (西伯利朝鮮 人教育代表)
し つつあり。
街 に滞在 、義州崔某 ( 食料品行商者)を利用 して爆弾及弾薬 を密送
旬迄 に安図県某嶺 に集合、大隊を編成し て 一斉 に朝鮮国境を突破す
合 の上馬普、金東奎相携 へて額穆県 に赴 けり。
長 孫奎東 、大韓独立義勇軍団長李範允等は東支沿線 に出没 の馬賊頭
べき計画中 にて目下其 の準備を急 いでいる。 二八 大正十 二年十月十 一日附 最近 の不逞鮮人 の動静
長春地方事務所 第 一一九号 一、磐石県下 に根拠 を有する不逞鮮人は義烈団、独立団或は復興団
二五
大正十二年 四月廿四日 団練制度発布
長春地方事務所 (一四)
馬 賊 関 係一
北京政府 は土匪 の徹底的討伐を期す るため今回団練制度を発布し た。即ち各省 に団督 一名を置き各県 には団練局を設置 して各管内 の 土匪討伐 に任ず るもので、団練 の編成其他施行 に関 しては各 省に於 て規定す ることにな つて居 る。 二 大 正十 二年四月二十六日 露赤党 の馬賊利用
長春地方事務所 (一九)
露 赤党は従来馬賊及不逞鮮人を利用 して自党勢力 の伸張 を図り居
ること明かで、在 哈爾賓 ポゴーヂ ンも本年 一月以来数名 の委員を密
山 、雙陽 、伊通各県 に派 し同方面馬賊 の頭目と会見 せしめ、赤化運
動 に関する協議を為した事実 があ る。 三
長春地方事務所 (二二)
大 正十 二年四月卅日 農安県に馬賊襲来
農安県西方に約 三〇〇名 の馬賊団現はれ、討伐 に向 つた官兵五〇
名は之 に包囲攻繋 せられ即死五名 、負傷者二名 を出して県城 に退却
した。賊 は〓南方面 に引揚げた模様である。 四
終 り賊勢は愈 々熾烈とな つた。目下同地方 に盤踞せる賊数は約 二、
督軍署は四月下旬委員を派して彼等 に帰順 を交渉せしめたが不調 に
〇〇〇 であるが吉林当局は軍警手薄 の為 め討伐困難 の状態 にある。
大正十二年五月十四日 望奎県城 に馬賊襲来
七
斉 々哈爾公所 (五七号) 五月十 一日午前三時約 七〇〇名より成る馬賊 団望奎県城を襲 ひ掠 奪 を恣 にした上、県知事宋延恩を人質とし二、〇〇〇万吊 の取戻金
吉林公所 (四六)
大 正十 二年五月廿二日
提 供方 を命じ西方に引揚げ た。 右に対 し陳旅長は知事 の奪回 に向 ひ十三日漸く之 を取戻したと言
訓令 を発した。
張作霖 の日本人逮捕命令
吉林公所 (四七)
大 正十 二年 五月廿 四日
八
顧慮 し各県知事 、保衛団、督練並 に設治員 に対し之が防備 に関す る
︹マ マ ︺
吉林省長 は今後繁茂期 に入ると共 に省内各地 の匪賊猖獗すべきを
馬賊防備 に対する吉 林省長 の訓令
ふ。城内広信公司支店 、税捐局其他大商店 の被害夥 しき模様 である。 五
長春 地方事務所 (三二)
大正十 二年五月十八日 馬賊 帰 順 吉林省五常県 に盤踞 して居た馬賊頭目天下好 (二代目)即ち劉 万 臣 は五月八日部下三百 五十名と共に第十旅于〓澂 に投降し 一ケ営 を 編成 して営長 に任命 された。
し之 を操縦し居 ること事実らしい。依 つて討伐隊に命 じ右 日本人
諸種 の情報 を綜合す るに各 地の大馬賊団中 には必ず 日本人混入
五月廿 一日張作霖 は吉林省長宛密電内容
を逮捕し対日交渉 の証拠たらしむることに努力 せられたく、併せ
六
吉林公所 (四四)
て吉林省在住 日本人 の職業調査を励行 されたい。
大 正十 二年五月十九日 吉林附近馬賊状況 四月以来額穆 県蛟河及吉林県東南部 一帯馬賊 の跳梁甚だしく吉林
九
安 陽 県 下 に土 匪 割拠 京 漢鉄 道 局 発 交 通部 宛 報 告
安 陽 県西 方 に朱迪 華 な る土匪 首 領 あ り自 ら 崇禎 皇 帝 第 八世 の孫 と
て居 る。 又魏 存 義 な るも のは開 国 大 元帥 と称 し気 〓 を揚 げ て居 る。
称 し 神伯 頂 山 を根 拠 とし て義 旗 を挙 げ 、大 明 文治 元年 の年 号 を用 ひ
斉 公 六八 号
一二
大 正 十 二年 六 月 二 日
大 正 十 二年 六月 十 一日
一三
く 伝 達 せ り と 云 ふ。
早 川 正 雄
日電 報 を 以 て江 省 各旅 に対 し各 一営 を抽 出 省 城 に集 合 、命 を待 つべ
今 日な れ ば 近く 督 軍 は帰 任 、自 ら兵 を率 いて討 伐 をな す べく 二 十 九
こと を希 望 す る旨 の勧 告 文 を提 出 せり 。奉 直関 係 も稍緩 和 され た る
梁 に委 し省 民 の困苦 は 一方 なら ざ るに付 、至 急帰 任 勦 匪 に努 力 せ ん
し 、 該督 軍 が久 し く任 地 を 離 れ て奉 天 に在 る為 め、 省 内 は匪 賊 の跳
督 軍署 副 官 の談 に依 れ ば 、黒 竜 江 選出 衆 議院 議 員 等 は呉 督 軍 に対
呉督 軍 帰 来 自 ら勦 匪 せん とす
斉 々哈 爾 公所 長
五 月 二十 四 日該 県 に於 け る馬旅 長 部 下 の兵 変 も之 と関 係 あ るら し い。
大正十 二年 五月廿六日 馬賊跳梁 に関す る件 (吉林特務機関報)
吉林公所 (五〇) 拉法河地方 に駐剳 せる軍隊 が全部引揚げた結果同地方は馬賊 の跳 梁甚しく、殊 に松江林業公司、富寧造紙会社等に対し て木材 の搬出 を妨害する為 、富寧造紙会 社は吉林総領事館 に対 し該地方安寧保 持 の為、討伐隊派遣方 を願出 でた。馬賊の重なる頭目 は西辺好及江東 好等 である。 一〇
長春地方事務所 (三九)
大正十 二年五月廿八日 公主嶺支那市街 の土壁築造 公主嶺支那市街 では馬賊 に対す る防備策として市街 の三方 に土壁 を繞 らす こととなり既 に着工している。
一一
北 京 特 報 (五五 ノ 五)
大 正 十 二年 五月 卅 一日
在 支 外 国 人保 護 令
長 春 地 方事 務 所 (三 二)
記
吉 林 省 公署 は在 支 外 国 人 保 護 に関 し外 交 部 よ り 左 の訓令 に接 し た 。 左 一、 匪 賊 の禍 を懸念 せら る る地方 には外 国 人 の旅 行 を禁 止 し旅 行 免 状 を発給 せ ぬ こと 。 二、 匪 賊跳 梁 の地方 に居 住 す る外 国 人 は其 の国籍 氏 名 を其 の地 方 の 警 察 署 又 は地 方 官 に届 出 で保 護 を受 け しむ る こと。
五 十 支 里以 外 に旅 行 を為 す こと を 禁ず 。
三 、匪 賊 の跳 梁 せざ る地 方 に在 住 の外国 人 も地 方官 の許可 無 く し て
一四
長 春 地方 事 務所 (五 二)
大 正 十 二年 六 月十 六 日
匪賊 討 伐弁 法 出 づ
一五
大 正十 二年 六月 二 十五 日
慶 城 県 帰順 馬 賊 を 旅 団 に編 入す
斉 々哈爾 公所
過 般慶 城 県 下 に て投 降 し た馬 賊 は其 の数 一千 余 に達 し たが、 今 回
之 に林 甸県 駐 防補 充 団 を 合併 し て 一個 旅 団 を編 成 す る こと と な り、
督 軍 顧問 陳 錫 武 が旅 長 に任 ぜ ら れ る筈 で あ る。
一六
大 正十 二年 七月 十 日
安 奉 沿 線 の馬賊 襲 来 説
安 東 地方 事 務 所 (一〇 〇 八)
草 河 口 駅長 の通報 に依 れ ば最 近 同 地方 支 那 人間 に馬賊 襲 来 説喧 伝
次 の如 く で あ る。
せ られ 、 民間 一般 不安 を感 じ て居 る。今 右 噂 の出 た根拠 を挙 ぐ れば
た。
名 の 一団 は漸 次南 下 し て鳳城 県 及本 渓 県 の境 界 に在 る天 橋溝 に出
一、寛 甸県 太 平哨 に於 て民家 を焼 き払 ひ掠 奪 を為 した 馬賊 約 二 八〇
吉 林 督軍 署 は保 安 総 司令 よ り左 記 匪賊 討 伐 弁法 の実施 を命 ぜ ら れ
一、 匪賊 討 伐 に従 事 す る軍隊 は同 一地 に常 駐 す べ からず
一味 の馬 賊 団約 三十 八 名 は靉 陽城 に於 て民家 二戸 を焼 き払 ひ 人質
馬 夫 二名 の言 に依 れば 、靉 陽 附 近 に根 拠 を有 す る文竜 山 、夏 永 山
二、 鳳城 県 、 靉陽 県 荒 地 及 本渓 県岔 路 子 北 溝 よ り草 河 口に来着 せ る
現 し鳳 凰 城 よ り討 伐 隊 出 動 し て いる 。
二、 匪賊 の軍 器 を押 収 し た る とき は即 時 詳 細 報告 す る こと 三、 匪賊 に随 従 せ る も のは帰 順 を 許 さず 以 つ て軍 規 の振 粛 を期 す る こと
持 す る こと
四 、匪 賊 討 伐 期間 内 は軍 民 を論 ぜず 均 し く該 弁 法 を適 用 し 軍権 を保
三名 を拉 致 し て南 下 し岔路 子 北 溝附 近 に到着 し たと の こと で彼 等
哈 爾 賓 事 務所 (三 六)
三 、 七 月 七 日午 後 三時 本 渓 県高 梁 畑 よ り帰 来 せる草 河 口永 昌 公司 員
殺 せ る外 不評 官 吏 の免 職 、馬 賊 に内 通嫌 疑 あ る武 官 の銃 殺 等 相当 峻
十余 名 射 殺 、 二十 余 名負 傷 せし め 、十 余 名 の捕 虜 を其 の場 に於 て銃
呉 督 軍 は管 内 巡 視 を続 行 中 であ る が訥 河県 及克 山 県 に於 て馬 賊 三
呉督 軍 の管 内 巡視 (松 井少 将 報 )
の談 に依 れば 、軍 服 を着 し銃 器 を 所持 せ る約 三十 名 の馬賊 は六 日
烈 振 を発 揮 し て居 る。
は軍 服 を着 用 し長 銃 又 は モー ゼ ル拳 銃 を所持 し て居 た と 云 ふ。
午後 八時 人 質 六 、 七名 を連 行 し本 渓 県高 梁 畑東 方 よ り西 方 へ通 過
徴 し て軍 器弾 薬 を 購 入 し、 昔時 の兵 農 法 により 乱起 れば 兵 とな り 平
防 ぐ 為 め 、各 所 属 に命 令 し 一律 に聯 荘 会 を設 け各 地商 民 よ り費 用 を
る状 態 であ る。 故 に軍 警 の及 ばざ る所 を補 ひ又 外 人 の暴挙 を未 然 に
な く 防禦 にす ら 充 分 なら ず 。匪 賊 を剿捕 す る が如 きは望 む べ から ざ
徒 党 を組 ま んと 企 て て居 る。然 る に各 地 の軍 警甚 だ微 弱 にし て威 力
張 総司 令 の電報 に依 れば 目下 匪 徒 猖獗 を極 め加 る に外 人隙 を 覗 ひ
王 吉林 省 長 に対 す る孫 督 軍 の訓 電
孫 督 軍 の聯 荘 会 設 置 に関 す る訓令
吉 林 公所 長 (大 正十 二年 八 月 二十 四 日 、第 八 二号 )
一九
し た こと を 目撃 し た と言 ふ。 四、 鳳 城 県長 山 子 知 人 よ り草 河 口雑 貨 商張 憲 文 な る者 に通 知 せ る処 に依 れば同 地附 近 に約 一四 〇 名 の馬 賊団 が草 河 口方 面 に向 ひ た る 由。 五 、本 渓 県 藍 河峪 附 近 に鮮 入 約 四十 名 を混 入 せ る約 一四〇 名 の馬 賊 出 現 の噂 あ り 。
一七
大 正十 二年 七 月 十 六 日 安東 地方 事 務 所電 報 (六 五)
本 月 十三 日午 前 二時 六道 江中 江 鎮支 那 人 部 落 に六 名 よ り成 る馬賊
静 に帰 せ ば農 と な る の制 を 設 け、 民 を し て各 村 鎮 を自 衛 せ し め んと
中 江 鎮 に馬賊 襲 来
襲来 、金 品 を奪 ひ逃 走 せり 。損 害 は軽 微 な るも当 地 警 務署 は支 那 官
欲 す 。是 護 国護 家 一挙 両 得 の美 挙 と云 ふべ しと あ り。
二〇
右 の趣 遅滞 な く各 所 属 に命令 し処 理 せら るべ し 。
憲 と協 力 し て目 下厳 探 中 、委 細 文 。
一八
大 正 十 二年 七月 廿 一日
長春地方事務所長 ( 大正十二年九月十三 日、第 一〇八号) 吉林省匪賊討伐情況視察員派遣 ﹁ 各 地駐屯軍警 の匪賊討伐方法適 否、軍警 の行動及匪賊被害 の状
九月三日奉天滞在中 の孫督軍は吉参謀長 に対し左の電命 をした。 況を内査す るため各道区 に特別視察員 を派遣すべし﹂ 右訓令 に基き吉参謀長は九月九 日左 の視察員を任命派遣 した。
二二 大正十 二年十月二十日 吉林省城警備隊編成
長春地方事務所長 (一二二)
〃
〃 趙慶春
張経緯
李景泉 〃
〃
〃
現在吉林省城駐屯中 の第 八旅歩兵第三営 に遊撃隊 二営 を加 へ、新に
在 軍隊 の指揮権なく不便尠からざ る為 、王省長は孫督軍と協議し、
吉林省城は警備手薄 なる為附 近の馬賊跋扈甚だしきも省長 には駐
〃 〃
載恩厚外 二名
〃
副官少佐
吉長 〃
浜 江道区 依蘭
た。
警備隊 を編成し省長 の指揮下 に隷属せしむ る事とし既 に之を実施し
延吉 二一
王省長 の匪徒勦捕請電
吉林公所長 (大正十 二年十月五日第 九四号) 王省長 は匪徒剿捕 に関し張総司令 に左 の如き請電 を発 した。 最 近各地商民より吉林省議会 に対し目下秋季穀物収穫 の際農民保 護 の為匪徒剿捕を遂行せられたしと頻 りに要請するも、現在吉林省 の軍隊 竝巡警共に貧弱 で剿匪 は頗 る困難 である故 に、此際先づ人を 派し て大匪賊を鎮撫 し之を以て小匪徒 を剿捕せしめ、然 る後 に鎮定 したる大匪徒を軍隊 に編入すれば何等政費 を要せず して匪徒 を剿捕 す るを得べし。右 愚案 に対し御示教を仰ぐ。
二六
近 時 支 那官 憲 の白 軍避 難 民 に対 す る待 遇 苛酷 な る に憤 慨 、避 難 民
二 、靴 工場
三 、婦 人手 工場
曩 にヂ テ リ ツ ク ス将 軍 の命 を 受 け て来 長 し たド ムラ チ エー フ少将
長 春 露 国 避難 民 の軋 轢
長 春 地 方事 務 所 (二 九、 三 〇 )
大 正 十 二年 五月 十 二 日
三
を設 け 不便 の気 合 を 他 に転 化 せん と試 み つ つあり 。
一、 中 小学 校
とし て
中 怨 嗟 の声 を発 す る も の漸 く 多 く 、 ヂ テ リ ツク ス将 軍 は之 が鎮 静策
露 国 白 党 避 難 民 関 係一
大正十二年 四月二十日 吉林公所 (二五) 労農政府 の白軍避難民帰国勧誘 労農政府 は四月十三日労農代表 ワサリン外 五名 の委員 をして吉林 督軍及省長 を訪問 せしめ政府は白軍避難民 の帰国 に対し ては将来 の 安全 を保証す る旨申出 た結果帰国者 が非常 に多くな つた。 委員 は又避難軍 人 の肩章を剥離 して支那側所定 の記章 を佩用 せし めた。ヂテリ ツク ス将軍も該記章 を佩用して居 るが部下兵士 には将 軍を赤軍 に内応して居 るも のと考 へ反感 を抱くも のがある。
は 従来 の委 員 会 を解 散 し新 た に十名 の委 員 よ り成 る委 員 会 を組 織 し
た が 、最 近該 委 員会 に金 銭 上 の悪 評 高 まり し為 め 之 が精 査 を行 つた 。
の決 議 文 を元 山委 員 会 長 レベデ フ将 軍 並 に長 春 憲 兵分 隊 及 警 務署 に
然 る に五 月三 日委員 会 同 し ﹁ド ﹂少 将 排 斥 の決 議 を な し、 左 記要 旨
二
ヂテリツクス将軍 の避難民鎮静策
大正十 二年 五月 一日附吉林公所 (三四)
決 議 要 項
提出した。
一、従 来 委 員会 は避 難 民 の整 理 に局限 さ れ て居 た が、 避 難 民 は 次第 に悲 境 に陥 り つ つあ る 現状 に鑑 み 、之 が救 済 並 に秩 序 維 持 の為 め
エー フは 権 威 者 た る の資 格 な し 。依 つて其 の資格 を剥 奪 す る こと 。
各 地 委 員 会 と協 同 し 積極 的 処 置 を採 る 必要 あり 、然 る にド ムラ チ
二 、長 春 委 員 会 を 元山 委 員会 の支 部 と す る こと。
五
知多 行露国避難民 の処置
大正十二年 五月十五 日 大塚情報 (一九)
元山及吉林方面 の露国避難民で本年 一月以降三月迄 に哈爾賓経由
に収容 し、十三名銃殺 されて九六名残 つて居 る。兵卒及婦女は炭坑
知多 に送還 されたものは 一、四五八名ある。其 の中将校は陸軍官舎 ︹ka〓MbIKOb,
で四ケ月間無賃作業 に従事 させた上郷里 に送還す ることにな つて居
︹CeMeH︺ ob
之 を 要 す る に今 回 の軋 轢 は委 員 等 が ﹁ド﹂ 少 将 排斥 に依 り金 銭問
る。
N ︺
コフ系 と の二 派 あ り て互 に反 目 し現 委 員 の多 数 は ﹁セ﹂ 系 に属 す る
困却 の折柄 一方朝鮮総督府 の避難民救済費予算 が七月卅 一日を以 て
在 来 の露国避難民は其数 一千数百名 に達し日支当局共其 の救済 に
長春露国避難民情 况
長 春地方事務所 (八二)
大正十二年 七月卅 一日
六
題 の責 任 を 免 れ ん と した る こと と避 難 民 中 セミ ヨノ フ系 と カ ル ムイ
に起 因 し たも の であ る。
四
大 正 十 二年 五 月 十 二 日 長 春 地方 事 務 所 (三 一)
露 国 避 難 民 に対 す る支 那 官 憲 の態 度 日 に苛酷 とな り ヂデ リ ツ ク ス
は其 の収容 の場所 にさ へ窮 し居 る状態 なるが我が官憲は目下東支鉄
打切とな つた為、元山方面 より更 に続 々汽車便 にて来長し当局 にて
露 国 避 難 民 赤化 の傾 向
将 軍為 に吉 林 より 上海 に去 り 、加 之 避 難 民 救済 委 員 会 に内 訌 を生 じ
九六〇 (附属地)
在来滞長 避難 民数
六三 ( 衛生列車収容)
二〇〇 ( 城内)
道 に交渉 し露本国 に送還 の手配中 である。
た結 果 避 難 民 は今 や進 退 両難 の窮 状 に陥 つ て居 る。 一方 此 の機 に乗 じ赤 党 は巧 妙 な る手段 を以 て彼 等 に赤 化 宣 伝 を試 み つつあ る が為 赤 化 せん とす る者 漸 く多 から ん と す る傾 向 が あ る 。
一五〇 ( 寛城子)
計
一、 三 七 三名
本 月 廿 六 日 より 廿 九 日迄 に元 山 方 面 よ り来 長 せ る者
七
大 正 十 二年 七 月卅 一日 長 春 地 方事 務 所 (八 三)
の集 合 を許 可 し彼 等 の行 動 に何 等 制 肘 を 加 へざ る に至 る べ きを 期 待
せ ら れ、 東 支 は赤軍 の守 備 下 に入 り 、猶 其 他支 那 官 憲 が全 ウ チ コム
グ レー ボ フ中 将 は最 近白 軍 の前 進 を悲 観 し元山 に在 る露 船 四隻 及
慫 慂 し 、 同時 に ﹁支 那 官憲 が十 一月 一日 よ り護 照 の有 無 に拘 はら ず
支 鉄 道 南 部 沿線 居 住 露 国避 難 民 を労 農 露国 に送 還 方極 力 支 那 官憲 に
寛 城 子 メ スト コム (旧 ウ チ コム) は哈 爾 賓 ド ル コム の命 に依 り東
四七八 し つ つあり 。
九
同 船 搭載 中 の武 器弾 薬 等 を売 却 し 、 ア ニシ モ フ少将 をポ グ ラ に、 秘
露 国 避 難 民 の送 還 計 画
長 春 地方 事 務 所長 ( 大 正 十 二年 十 月 五 日第 一 一七 号 )
書 シバ ロツ トイ ワノ フ博 士 を 海拉 爾 に派 遣 し 、自 分 は哈 爾 賓 に赴 き
避 難 民 を 断 然 沿線 より追 放 す べし ﹂ と の説 を流布 し つつあ り 。
元山 避 難 民 幹 部 の態 度
当 分 形勢 を観 望 し 、再 挙 の見 込 な し と せば 適 当 の地点 に亡 命 す る計 画 中 で あ る。
八
最 近 の寛城 子 ウ チ コム支部 動 静
長 春 地 方事 務 所長 ( 大 正 十 二年 九 月 三 日第 一〇 二号 )
一、 近時 寛 城 子 ウ チ コム委 員 は長 春 在 住 の白 軍避 難 民 に対 し 、労 農
かず 帰 還 を欲 し な い。尚 最 近 過激 派 密 偵 は 避難 民 に対 し 盛 に反 日観
露 国 に帰 還 を 宣伝 し つ つあ るも 、避 難 民 は ウ チ コム の保 証 に信 を置
念 を皷 吹 し、 為 に避 難 民 間 には 日 本官 憲 が近 く避 難 民 を 労農 露 国 へ 強 制 輸 送 す るな ら ん と風 評 行 は れ つ つあ り。 一、東 支沿 線 に散在 す る過 激 派 は 近 く労 農 露 国 と支 那 間 に協定 締 結
二七
一 長春地方事務所
其 他 諸 件
大 正十 二年四月二十 四日 第 一五号 猶太人 シオ ン団長春支部設置
哈爾賓猶太人 シオ ン団 は四月十 六日長春に支部を設置することと な つた。 シオ ン団 の目的は猶太国 の建設 に在 るが其 の目的達 成には現在 の る。
社 会制度 を破壊する意味 に於て資本主義と戦 ふ ことを モツトーとす
二
午 後〇 時 四 一分著
大 正十 二年五月二日午前 一一時 一〇分発 哈爾 賓事務所長
哈爾賓事務所長
支那官憲 の取締厳重なり七為昨日のメイデ ー至極平穏 に経過せり。 三 大正十二年五月七日午後九時三四分
哈爾賓国辱紀念大会 は傅家店支那公園 にて開 かれ相当 の群集を見 た るも何等気勢揚らず至 て平穏。 四
〓南 、大賚間無線 電信開始
大正十二年 五月十四日 第五七号 斉 々哈爾公所
〓南、大賚 に於ける無線電台落成し、五月十 一日通信を開始した。
シオ ン主 義
五
大 正十 二年 五 月十 六 日
第 三 一号
長 春 地方 事 務 所
元 シオ ン団 哈爾 賓 支 部 員 イ リ ザ ウ エー タ ・モメ ヨー ノ ーナ ガ ーグ
シ オ ン主 義 運動 は猶 太 民 族 のため に公法 に拠 り確 保 せ ら る。 故 国
談。
を パ レ スチ ナ に建設 す るを 目的 とす る も の であ る 。該 主義 は十 八 世 紀 の初 期 先 覚 者 に依 つて唱 導 せ ら れ、 一八 九 七年 第 一回 万国 猶 太 人 大 会 を瑞 西 に開催 し爾 来 民 族 は結 束 し て其 の目的 の達 成 に努 力 し て 居る。 該 主 義 は左 の通 り 三派 に分 か れ て居 る。 一、 シ オ ン主 義︱有 産 階 級︱ 猶 太君 主 主義 二 、半 シオ ン主 義 三 、ブ ンド主 義 ︱無 産 階 級︱ 共 産主 義
第 一一号
営 口片 山情 報
哈爾 賓 支 部 は会員 約 一万 人 あ り 、支 那 官 憲 も今 は何 等 圧迫 を加 へ ぬ様 に な つた 。
六
大 正 十 二年 五 月 十 七 日 奉錦電話開通
支 那 側 は電信 柱 を利 用 し て奉 天 錦 州 間 の長 距 離 電 話 を架 設 し、 五
月九日開 通した。 七
大正十二年 五月 二十五日午後 四時 奉天公所電報 奉 天東北大学設立費調達難
支那官憲は東北大学設立費 の出処 に窮 し、庚子賠款中より支出を
受けたき希望 あり、史紀常 より総領事 に交渉する筈なりと教育庁長 は語 れり。 八
大正十二年 五月二十八日 第 一八号 奉天公所 道徳研究会総会
昨 二十七日道徳研究会開催 せられ、基督教 青年会員、日本留学出
身者等有識 階級者多数参会した。会長張志良 の開会辞 に次 いで、東
京高 工出身杜乾学 は支那国民の団結心 に乏 しく旅大問題等も遂 に有
耶無耶 に葬 られた こと に対して悲憤慷慨 の演説をした。
同会は会員 の醵金及 一般寄附金を以て先づ貧児学校 を開設 する筈 である。 九
大 正十 二年 五月 二十八日 第 一九号 奉天公所
東 三省海外留学生出身者 の雑誌刊行計画 東三省 の海外留学生出身者同志 で ﹁新東方雑誌﹂ と称す る月刊雑 誌 の計画がある。発起 人は民治倶進 会幹事高健国 等で、主 に日本留 学出身 者 である。 一〇 奉天公所
哈爾賓 大連間 日支無線電信連絡協定 ( 奉天特務機 関報)
大正十 二年六月八日 第 二四号
かに記載す ることを得。
並に和文片仮名及四個 の数 字を以 て構成せられたる支那語 の何 れ
線電信 処と の間に交換すべき電報 は、本連絡 に適用せらるるも の
三、大連湾無線電信局経由逓信局管内 日本電信局と哈爾賓東三省無 とす。 イ
和文片仮名
四、官 用及商業用無線電報料金は左記 の通りとす。
と。墨銀 三十仙 と附 加料金五仙
1、 一通 に対する最少限 は本文中片仮名十五字 を超過せざ るこ
普通支那語 一語 に付五仙と附加料金 一仙
2、本 文中片仮名五字を附 加或は其端数墨銀七仙附加料金 一仙
ハ 暗語支那語及欧文 (羅馬綴 の日本語を含 む) 一語に付、墨銀
ロ
東 三省無線電信は奉直戦後 、全部陸軍整 理処 工務処 の管轄 に属 し たが、其 の経営困難 なると軍事用として通信貧弱な るため、之 を改
五、新聞無線電報は前記料金 の半額 とす。
九仙 と附加料金 一仙
善し て日支間 一般通信 の 一部 を処理する必要を認め、六月五日関東 庁逓信局経 理課長 田村謙次郎 と工務処長張宣及無線電信課長呉梯青 尚右は 一時的協約 に過ぎざ るも支那側 にて交通部と の間 に相当 の
との間 に、左 の仮協約 の成立 を見 るに到 つた。
上海 に於 ける兌換 銀行相場 の割合 に依 り、前記墨銀 に対する料金
六、前記日本電信局に於 て取扱ひたる無線電報料金 は毎三ケ月間 の、
を換算したる日本通貨 に徴収 せら るるものとす 。
処 に支給す べき前記附加料金を除き等分 に分割す べきも のとす。
七、両主管庁 に依り徴収 せられたる料金 は東三省 民国電政管理弁事
大連哈爾賓間無線電 信連絡協定 ( 飜訳)
諒解有 る故、当分有効 に継続するものと観測 される。 公衆通信 に利用す る為め日本帝国関東庁逓信局と中華 民国東 三省
八、勘定 の精算 は墨銀 にて成 さるるも のとす。
無線電信管理処は、大連湾無線電信局と哈爾賓東三省無線電信処と の間 に、無 線電信連絡 の方法に依 り官用商 用及新聞無線電報 を交換
の、何れか へ中国銀行 へ翌月二十 日迄に交付すべきものにして、
生ず る精算 は場合 に依り、大連 にて支那 、又は奉天 にては日本 へ
計算 の確定 は各月 の終 りに行 はるるも のとす。而 して右 の結果
九、(註、本項意味不明)
一、特 に定めたるも のを除き国際無線電信条約 の規定及業務規則 は
す る双方 の希望 を表示し、左記条項 を協定 す。 本通信 に適用せらるるも のとす 。 二、該無線電報は国際無線電信上 の通信 に対し許可せられたる国語
右 銀 行 は 一方 の他 の主 管 庁 に該 金 額 を預 金 と す る も のと す 。
数 、 料 金 を記 入 す る ﹁ 発 送 ﹂ 及 ﹁来 着 ﹂ の二部 に分 ち た る無 線 電
一〇 、 各 無線 電 報 に対 し 、発 信 局 、著 信 局 、 種類 、番 号 、 日附 、語
報 料 金 表 は 、両 国 主 管庁 翌 月 十 日迄 に交 換 せ ら る べ きも のとす 。 一 一、 両 国無 線 電 信 局 に使 用 せら る取 扱 時 間 、 波 長 及他 の必要 な る
一二
東北大学 に外国人講師傭聘
大正十 二年七月 二十八 日 第 四七号 奉天公所
東北大学講師 とし て独逸人ライペル ( 曾 て北京大学講師たり)及
教育庁某科員 の談。
一二、 本 協定 は効 力 発 生 の日 より 六 ケ月 有 効 と す 。但 し 五 ケ月 の終
主任呉家象、大学長汪兆潘、同趙厚達等によりて行 はれた。因 に汪
米 人 一名 ( 名 を詳 にせず)傭聘 された。人選 は奉天省長公署第 四科
細 目 は別 に定 めら るべ き も のと す 。
り に於 て双方 又 は 一方 よ り協 定 破棄 の通 知 を 発 せざ る場 合 は 次 の
欧米留学 出身又は北京大学出 である。
文法科教援は十五名位決定して居 るが、内東京帝大出 二名、他は
学期開始は予定 の八月廿三日より延期せられむ。
科九五名採用 された。
先般東北大学 予科学生 の入学試験行はれ、文法科 一二〇名、理 工
奉天省視学耿煕鈞談。
奉天東 北大学現況
大正十 二年七月三十 一日 第 四八号 奉天公所
一三
は米国、趙は独逸留学出身である。
六 ケ 月 間有 効 とす 。 以後 順 次 之 に準 ず 。 一三 、 本協 定 は双 方 各 一通 、 二通 を作 成 す るも のと す。
日本 帝国 関 東 庁 逓信 局 長
一四 、 本協 定 は千 九 百 二十 三年 (月 日記 入な し ) よ り有 効 と す 。
中華 民国 東 三 省 無電 管 局 総 弁
一一
大正十 二年六月十 三日 第 四六号 長春地方事務所 長春青年会籌備会組織計画 六月 七日長春に於 て余日章博士 の提唱 せる利権 回収、国貨維持 に 関す る演説は同地官民を刺戟せる為 か、長春勧学所長張麟閣、商務 総会副会長王荊山外 三名発起 となり、米 国宣教師後援 の下に長春青 年会籌備会 を組織 する計画がある。
一四
大正十二年 九月 一日 午後六時十五分著電
哈爾賓事務所長
て其 の損害僅 少にし て止まな い。尚 この外十 一道街 より十七道街 に
穀物 に及ぼせる被害等 を概算するとほぼ損 害百万円以上に達す る見
至 る埠頭野積場 の浸水 (一部分は溜水 の出来ざ るも の) の薪、木材 、
右 の表 に於 て見 るときは第 二松花江の最高水度は八月十八日の七
今左 に七月廿日以降 の松花 江の水勢を示さんに
ある。
支那官憲にては松北鎮 の罹災住民救済 に尽力し義損金 を募集し つつ
等 より観察するときは俄かに減水を見る こと不可能 にして、当地方
今期 の洪水 は今 の処嫩 江の増水、第 二松花江の水勢 の衰 へざ る点
込 である。
松 花江昨 日迄尚幾分増水し加ふるに昨夜多少 の風雨 ありし為 、露
哈爾 賓事務所長
鉄組立工場 地域提防決潰 し、同工場 及発電所其他浸水七尺 に及び大 混乱中、傅家 甸は幸に安全なり。 一五 大正十 二年九月十 二日 哈調第 一五二号 松花江 の大洪水 に就 て 右 に関 しては先に電報を以て取敢ず報告して置 きましたが左に調 査 の結果 を重 ねて御報告致します。 本年六月以降松花江は降雨頻りにして水量弥益し、加之解氷以来
一、出水 の状況 僅 か の期間 の減水を見た るのみであ つた ので、七月に入りては、既 に三姓浅瀬 の水深表五呎 (実水深六呎︱ 普通水深五呎以上な るとき は松花 江洪水と見 て差支 なし)を示し、八月 に至りては (廿三日以 後)水深七呎 ( 実水深八呎) に達し嫩 江第 二松花江 の会流点附近、 松花江下流 の草原区、吉林 の水源地方は氾濫著しく、八月下旬 (二 十 六日)より哈爾賓附近 の江岸沿域 の侵水甚 しく、特 に廿九 日以後 傅家旬埠頭は危険 に瀕し、同夜松北鎮埠頭には数 ケ所 の潰壊個所 を 生 じ、就中呼蘭製糖下手提防 の潰壊 の結果、濁流驀 々松北鎮市街裏 流失数十戸 に及 び、傅家旬十 七道街よ り四家 子に至 る間亦浸水甚 し
八 ・八四米突、嫩 江の最高水度は七月廿五日 の七四 ・四二米突 、松
手 を衝き、侵水五呎 に達 し、同埠頭附近 に散在 せる支那民家 の倒壊 く 、哈爾賓製材 工場、双合盛皮革廠、戊通船舶修繕 工場を始 めとし
し て、 尚 之 を 一九〇 九 年 の洪水 に比 す と き は更 に 一呎 三分 の 二吋 の
花 江 の最 高 水度 は九 月 一日 の六 二、 一五米 突 (水 深 二 八 ・六 吋 ) に
無 線 電 信 台 を設 置 せ んと計 画 し、 位 置 選定 の為 九 月 廿 一日奉 天無 線
の通 話 中 な り し が、 今 回営 口練 兵 場 ( 営 口 旧市 街 南方 ) 南 側広 場 に
奉 天 無線 電 信 隊 に ては予 て よ り営 口河北 駅 附 近 に て軍 用 無線 電 信
1896〃 1899〃
1901〃
1909〃 1910〃
1910〃
1923〃
〔マ マ 〕
の木材 の流失等 で、其 の損害は実 に巨額 に達 するであらう。尚今 回
小羅勒墨 、砂河子、湯 旺河各埠頭 の薪 の漂泳 、其 の他大羅墨 西北河 の洪水にては松花江下流 の支流 は甚 しく増水せず、随 つて其 の沿域 の災害 は僅少 であ る。( 堀内) 一六 大正十二年 九月十八日 第 一七 一号 斉 々哈爾 公所 斉 々哈爾領事更迭 斉 々哈爾領事山崎誠 一郎氏帰朝を命 ぜられ後 任は現福州在 勤副領 事中野勇吉氏 に決定す。 一七
営 口無線電信台設備計画
大正十二年十月 一日 第廿六号 営 口外人係情報
筈 な りと 。
一八
大 正十 二年 十 月十 三 日
六間 な る由 。
一九
大 正十 二年 十 月十 六 日
営 口外 人係 情 報
哈爾 賓 事 務 所
排 日 にあ るら しく 、 材 料 は哈 爾 賓 無 線電 信 所 及 ロイ テ ル通 信 等 から
は北 京 シ ンプ ソ ンよ り出 て居 る 。而 し て発 行 目 的 は直 隷 派 の宣 伝 と
線 電 信 所 顧問 シム プ ソ ン ( 在 北 京 シ ンプ ソ ンの弟 ) で あ つて 、資 金
二〇 頁 ) が発 行 せ ら れ て居 る。 経 営 者 は某 墺 人 、 監督 者 は哈爾 賓 無
哈 爾 賓 に於 て約 一ケ月 半前 よ り フ エータ ーな る日刊 露 字 新 聞 ( 約
フ エータ ー通 信 発 行 の件
第 一九 六号
日起 工、約 三 週間 に て竣 工 の筈 。尚 建築 物 は百 尺 の電 柱 二本 、家 屋
営 口 に於 け る無 線 電 信 台 の地点 は旧 市街 西 端 鍋橋 街 に て十 月 十 三
営 口無線 電 信 台 設 置後 聞
第 二 七号
し て は已 に奉 天総 司 令 に申 請 中 な れば許 可 あり 次第 工場 に着 手 す る
電 信 隊 長蔡 斌来 営 せり 。同 人 の談 に依 れ ば営 口無 線電 信 台 設置 に関
高 水 にし て、 一九 一四年 度 に 比 し て尚 一呎 八分 の六 吋 の低 水 で あ る。 因 に松 花 江 近 代 の洪 水 を示 せ ば左 の如 く で あ る。
1895〃
尚松花江下流域 の水害 は岔林河、南天門 の木材流失、徳墨立 、大、
1861年
出 る のが主 で、 大 毎及 ジ ヤパ ンアド バ タイ ザ ー の記 事 で、排 日 の材 料 にな るも のは悉 く飜 訳 掲載 し て居 る。 但 し新 聞 社 以 外 に は配 布 せ ず。
第 三部
報 告 書 類
二八
の であ つた に拘 らず 極 め て微 温 的 な も の に終 り、 肝 腎 の司 令 官 た る
る。過 日 の軍 警 罷業 、 公民 団 の黎 邸 包 囲 等 が 天津 組 の注 文 に依 た も
共 に他 を圧 す る に足 らず 。 稍 も す れ ば漸 進 派 に制 せら る る傾 向 が あ
黎 総 統離 京 以後 の北 京 政 局
大正十二年 六月二十六日 北京公所 (一八) 黎総統離京以後 の北京政局 次
馮 玉 祥 の態 度 が煮 え 切 ら な か つた のも両 派 の足 並 の揃 は な か つた 為
目 一、直 隸派 の態度
曹 〓 は大 総 統放 逐 、 北 京城 内 の秩 序紊 乱 に依 つて国 会 及 外交 団 の
三、 国 会 に対 し擁 護 を表 示 し 並 に各 種 の謡 言 を極 力 取 締 る事
二、 曹 〓 は軽 々しく 入京 す べ か らず
一、 玉 懐慶 、馮 玉 祥 の二 人 を し て京 師治 安 の責 に任 ぜし む る事
議 した 。
黎 下津 の報 が保 定 に達 す る や王毓 芝 は曹 〓 に対 し て左 の三項 を建
と 観 ら れ な い事 も な い。
論
二、国会 の態度 三、輿 一、直隸派 の態度 這次政変 の敵役 たる曹〓 の態度如何は呉佩孚 の態度と共 に最 も注
同 情 を失 は ん 事 を恐 れ て居 た際 で あ つた か ら、直 ち に王 の言 を容 れ
意 に値す る。曹〓が大総統 の位 に野心 を有する ことは昨年 の奉直戦 き来 つた地盤 を 一挙 にして崩壊せしむ る基となる可 きを恐れ燃 ゆる
争 以来何 人も疑は ぬ所 であるが老巧な彼 は性急な運動 は却て多年築
馮玉 祥 及 薜 警 察総 監 宛 左 の如 き訓 電 を発 し た。
れ ば極 力 保 護 せら れ度 、 又協 力 し て治 安 の維 持 、 公使 館 及 外 国 居留
相次 ぎ 首 都 の人 心 恐慌 に陥 ら ん事 を恐 る。国 会 は 国家 法 律 の根 元 な
﹁大 総 統 本 日下 津 の報 に接 し た る が過 日来 内 閣 総辞 職 、 元首 離京
が如き野 心を抑え て容易 に動 かうとしない。従 て彼 の周囲 には漸進 進派たる曹鋭、辺守 靖、張志譚を中心とした所謂 天津組 である。曹
論 が可成有力な様 である。今回主として陰謀を画策 したも のは最急 鋭 は曹〓 の実弟 である関係上特殊 の地歩 を占め ては居 るが智謀 徳望
事 は事実 で あ る。
う 。 然 し な がら 此 暗 闘 が曹 〓 擁 立 の進 捗 に大 な る障 害 を な し て居 る
から ざ る関 係 を有 す る か ら其 分 裂 が 一朝 にし て起 る事 は な いで あら
洛 陽 派 の不和 は久 し いも のでは あ る が各 派 共曹 〓 に対 し ては離 るべ
り法 に依 り解 決 せ よ と意 見 を発 表 し た、 曹〓 は各 方 面 の訪客 に対 し
次 で十 五 日附 を 以 て通 電 を発 し総 統 問 題 に関 し て は万 事 は国 会 よ
民 の保 護 に任 じ 以 て首 都 の尊 厳 を維 持 せら れ た し﹂ と 。
て も同 様 な 意 見 を発 表 し て いる が之 れ彼 が飽 く迄 汚 名 を 避 け んと す
か ら結 局 止 む を得 ず と し て表 面 に立 つた で あ らう が、後 述 の如 く 内
志 ではな か つた 様 で あ る。然 し今 日 とな つ ては乗 り懸 つた船 であ る
と を欲 し て居 た のであ つ て、今 回 の黎 放 逐 の如 き も必 ず し も彼 の意
を 得 る時 機 の到来 を待 ち た いと望 み、 性 急 に約 法 上 の総統 た らん こ
続 続 議員 の下 津 を 見 、十 五 日 には既 に両 院 を合 し て其 数 百 七十 名 に
ど 全 部 下津 し て終 つた 。此 他 奉 天 派、 政 学 会 派 、孫 文 派 、浙 江 派 等
り 監 視 を附 し て其 離 京 を阻 止 し て居 た に拘 らず 、今 日 に於 て は殆 ん
北 京 を去 る べし と 決 議 し た程 であ る か ら黎 派議 員 に対 し ては早 く よ
黎 総統 擁 護 派 議 員 は去 九 日緊 急会 議 を開 き 若 し総 統 離 京 せ ば共 に
二、 国 会 の態 度
外 の与論 は彼 の総 統 就 任 に激 し く 反論 し 、 且 つ国 会 に於 け る曹 〓擁
た ( 議 員 総 数 八 百 七十 人 在 京 議員 数 五百 三 十 人) 十 六 日 の国 会 は総
達 し 、北 京 国 会 は総 統 問 題 に対 す る法 定 数 五 百 八十 人 を 失 つて終 つ
る意 嚮 から 出 た も の であ る。彼 は出 来 得 る 限 り合 法 的 な 国会 の推 挙
々困 難 な 様 で あ る。 従 て曹 〓 擁 立 は 尋常 の手 段 では 成功 しな いだ ら
立 派 は案 外 少数 で あり多 額 の金 額 を投 ず る も其 買 収 と足 止 めと は仲
な らず と伝 へら れ て居 る 。彼 は 十 六 日附 を以 て兎 も角 ﹁国 務院 の総
謀 が予 め彼 に何 の通知 無 く し て行 は れ た事 に対 し て 心中 の憤 激 一方
ては 時機 尚 早 と し て平素 から 反 対 であ つた が、 殊 に天津 派 今 回 の陰
員 四分 の三 の同意 を得 る事 は 目下 の処 殆 ん ど絶 望 であ る から であ る 。
は反 対 す る議 員 が多 い から 法定 通 り両院 各 三分 の二 の出 席 、出 席 議
つて は 一層 困難 で あ ろう 。 蓋 し黎 の辞 職 には賛 成 す る も曹 の就 任 に
し て居 る。 斯 く総 統 辞 職 問 題 の解 決 さ へ容 易 でな いが其 の選 挙 に至
た 。然 し反 直 隸派 は此 会 が法定 数 不 足 の故 を以 て無 効 であ ると 宣 言
聯 合 会 を開 き 、 十 三 日以 後 黎 の発 す る命 令 を 以 て無 効 な り と決 議 し
統 辞 職問 題 を解決 す る手 筈 であ つた が法 定 数 不足 の為 止 む なく 両 院
統 職 権代 行 に賛 成 ﹂ な る旨 通電 し た が 、 一方 には蕭 耀 南 及 張福 来 と
次 に注意 す べき は呉 佩孚 の態度 であ る 。呉 は曹 の総 統 擁 立 に対 し
う と思 は れ る 。
共 に軍 警 罷 業 貴 任者 の処 罰 要求 を通 電 し且 つ病 と称 し て三 週間 の休
し て行 政委 員 会 を組 織 す べ し と主 張 す る者 も尠 く な い 。天 津 派 は表
面 上 憲法 制 定 を第 一の急 務 な りと 称 し て制 憲 費 を支 出 し 或 は端 午 節
斯 く の如 き形 勢 で あ るか ら 張善 、 白 逾桓 、楮 輔 成 等有 力 な る議 員 に
を 名 と し て買 収 す る等極 力 懐 柔 に努 め て は居 るが愈 々絶 望 と な つた
暇 を請 う た 。 呉 馮 の不 和 が 此機 会 に斯 く露 骨 に表 現 され た事 は直 隸
じ て間 接 に張作 霖 と結 ば ん とす と の情 報 も あ る位 であ る 。張 呉 の両
ら 内 閣 を し て (其 内 閣 自身 の存 続 が既 に違 法 であ る) 国 会 を解 散 せ
派 分裂 の徴 と し て注 目 に値 す る 。右 に関 し彼 が山 西 督 軍 閻錫 山 を通
も之 亦 直 隸 派内 の暗 闘 を語 るも の であ る 。直 隸 派 内 に於 け る天 津 派 、
者 が従 来 の行懸 り を捨 てて此 際 握 手 す べ し と は俄 に信 じ難 いけ れ ど
し め直 隸 派 督 軍 の推 戴 に依 り臨 時 大 総 統 の名 の下 に曹 〓 の出 馬 を見 る で あら う と 予測 せら れ る 。此 点 に関 し 衆 議院 議 長 呉 景濂 は曹 〓 に 対 し制 憲 の人 数 は総 統 選 挙 の人数 と同 一であ る か ら速 か に制 憲 費 を 支 出 さ れ度 し 、制 憲 後 余 は 馬驤 を し て総 統 選挙 に関 す る臨時 動 議 を 提 出 せ しめ 、 一方 王乃 昌 を し て 公 民団 に通 告 し て議 会 を包 囲 し 、総 統 選 挙 迄 は解 散 す る能 は ざ ら し む べ し と提 議 し た と伝 へら れ て居 る。 在 上 海 の唐 紹儀 及 国 会 議 員等 は護 法 議 員 の 一日 も速 か に北京 を去 ら ん こと を通 電 し た が廿 一日 には滞 津 中 の反 直 隸 派議 員 八 十 五名 の
﹁咋 夏 直 隸 派軍 閥 は大 法 を 天 下 に示 し法 統 の恢 復 に賛 成 し た るを
連 名 を以 て左 の如 き宣 言 を 発 し て国会 の上 海 移 転 を発 表 した 。
に貪 暴 既 に性 と な り詭 詐 百出 、初 め は武 力 を 以 て和 平 を破壊 し継 い
以 て吾 人 は 其 過 を悔 ひ正 軌 に遵 つて新 機 を啓 か ん事 を希 つた 。然 る
一 二 三
北京は軍閥 の暴力 に包 囲せられ国会は自由 に職権を行使する能
乱事未 だ勘定 せざ る以前は暫 く国会を上海 に移し職権 を行使し
はず 、故 に同人相率 ゐて離京す 。
乱事平定し首都 の秩序恢復 せらるるに至 らば国会は北京 に還 つ
て大法を定む。
楮輔成、玉辰 、王用賓、白逾桓等百八十五名署
六月十四 日以後北京偽国務院 の対外対内 一切 の行動 は均しく無
て開会す。 効 に属す。
四
( 離京国会議員 名)
斯 くて国会は再 び南北 に分裂す るに至 つたのである。而 して在京
中 の曹〓派議員中主 なる政派は左 の通り である。
( 追録)
統 一会、壬戊倶楽部、聯 社、均社、明徳社、平民社等
全民社、新民社 、石〓馬三号倶楽部、憲法研究会、郡治社、法
や軍 警 流 民 を 煽動 し て之 を 脅迫 し 、帝 都 を以 て第 二 の臨 城 と な し其
で金 銭 を 以 て憲法 制 定 を 左 右 し 、元 首 の其 意 の如 くな ら ざ る を知 る
既 に出 京 す るや復 た列 車 内 に監 察 す る事 十 二時 間 至 らざ る無 き の凌
在上海国会議員団 は十六日緊急会議を開き左 の四項を決議した。
三
二
曹呉馮 に阿付す る者を公敵 と認む
曹呉私設政府 の否認並 に納税拒否
北京偽国会 の否認
合法議員を合集 し適当なる地 に自由なる国会 を開くこと
辱 を加 へた 。 又高 凌 〓 等 は 既 に免 職 さ れな が ら尚 ほ閣 員 と冒 称 し て
而 し て国 会 は 暴力 を以 て却 か さ れ十 六 日両 院 会合 会 を以 て非 法 の決
五
大 総 統 の財 務 を摂 行 す る、 鳴呼 北京 は何 の地 ぞ 、位 を奪 ふは何 者 ぞ、 一
の復 辟 と 共 に国家 非 常 の不幸 事件 とな す 。 而 し て政 変 後 国会 議 員 の
議 を なす に至 つた。 吾 人 は今 や此 度 の政 変 を 認 め て袁 の帝制 、張 勲
心なのは上海 であ つて同地では商会聯合会 が十四日国民会議 の召集 、
輿論 は大部分は猛烈 に反曹〓 の態度を表示して居る。其 の最も熱
論
の忍 び難 き所 な り 。故 に決 然 と し て離 京 し別 に救 済 を計 ら ん とす 。
曹〓 の大総統就任反対、納税拒否 を決議したのを手始めとして各 新
三、輿
謹 し ん で四 事 を以 て国 民 に宣告 し今 次 事 変 の由 来 と同 人 等 の急 起 糾
身 辺 は不 当 の圧迫 を受 け て職務 を遂 行 す る に便 な らず 、 血気 有 る者
正 せ る苦 衷 を 知 ら しむ 。
逐 ひ北 京 は既 に無 政 府状 態 に陥 つた か ら法 律 を云 々す べき連 が無
及 総統 選挙 の機 能 が無 い、殊 に督 軍 団叛 魁 の使 嗾 を受 け て総 統 を
江 西自 治 会
在 本埠 の同 会 が十 五 日各 団 体 に向 け法 統 は初 めよ
等 非法 議 員 と 伍 し て差 を貽 す な か れ﹂ と電 告 し た 。
い、 依 て我 が合 法 議員 は即 日相 率 ひ て退 京 せら れ ん事 を望 む、 此
は京 津 日 日新 聞 の報 道 が最 も要 領 を 得 て居 る か ら次 に採録 す る。 上 海 総 商会 は十 四 日附 参 衆 両 院 に宛 て打 電 し て云 ふ ﹁ 総統内閣 は約 法 上 重要 機 関 であ つて全 国 民 の委 託 を受 け て政 務 を総 攬 す る も のな れ ば其 の出 所 進 退 は最 も慎 重 を 要 す る 。然 る に自 由 に来 去
行 せし め て羞 を中 外 に貽 し た のは 実 に委託 に背 いた も ので あ る。
発 せず 一謀 を廻 はさず し て遂 に政 府 を 空虚 と な さし め 、狐 鼠 を 横
州 政府 は固 と民 治 主義 に依 り て組 織 さ れた も ので其 の実 力 は即 ち
す るに あ る。 或 は広 州 政 府 の実 力 不足 を憂 ふる も のあ ら ん も 、広
之 れを略 言 す れば 広州 政 府 に加 担 し て臨 城 掠 奪 の罪 魁 曹〓 を抵 制
国 際 地位 を保 持 す る が為 め に積 極 的救 急 弁 法 を採 ら ねば な ら ぬ。
り根拠 なく 事 実 上 自 ら消 滅 せ るも の であ る。 吾 人 は政 治 を維 持 し
茲 に現状 を維 持 し国 法 を申 明 す る為 め に 公等 が軽 々し く職 守 を 棄
吾 人 の実 力 であ る。 現在 其 の基 礎薄 弱 な るも 、之 れ を拡 大 し て鞏
し て財 権 を置 いて顧 み な い。 公 等 は 咫 尺 の間 に在 り な が ら 一議 を
つるを 許 さ な い。然 ら ざ れば 全 国 人 民 が尊 崇 す る所 の人物 数 人 を
固 と す る事 は出 来 得 る 。別 に 一政府 を建 設 す るは差 閊 な き も現 今
蒋 、章 両 氏 の痛 論
蒋智由氏は ﹁ 北 京 政 府 及国 会 を承認 せざ る
局 を定 め よう ﹂ と 、十 五 日全 国 の各 工団 に向 つて発 表 し た 。
民 国 の元 勲 孫 文 先 生 を推 し て政 権 を暫 摂 せし め 以 て民 命 を救 ひ大
内 外 の痛 恨 を受 け て居 れ ば我 国 民 は 一致 し て厳 に彼 を排 斥す べく 、
大 位 を 覬覦 し政 権 を窃 ま んと す る。曹 〓 は臨 城 事件 の罪魁 で深 く
工商 会 は ﹁北 京 軍閥 、政 党 は互 に結 託 し て怪劇 を演 出 し曹 〓 は
際 放 談高 論 す るも のは寧 ろ国 を誤 ら ん と の通 電 を発 した 。
の時 期 に際 し ては 徒 に軍 閥 の爪 牙 と な り終 ら ん恐 れ があ る 。此 の
別 に推 挙 し て政 務 を 暫 摂 せ しめ て危 局 を維 持 せむ 。議 員 全 体 は 此
在 上海 護 法 議 員 は 十 六 日愷 自 遍 路議 員 通 信 処 に於 て宣 言 を発 表
宣言した。
界 の人 民 に よ り て中 央行 政 委 員 制 を組 織 す る より 外 に道 な し ﹂ と
劇 を 傍観 放 任 せば 愈 演出 し て愈 劇 甚 と な る べく 急 亡 を救 ふ には 各
とも交 渉 し来 る十 八 日 旧端 午 節 を 期 し て大 会 を開 催 し ﹁ 政 治 の悪
国 民 救 国大 会 の代 表 柏文 蔚 、徐 濂 、 李 登 輝 諸氏 十 七名 は各 団 体
際 自 ら僥 倖 を謀 つ ては なら ぬ。 特 に電 告す る。﹂
五
四
聞 各 団 体 等 は凡 て北 京 政 府否 認 曹 〓 反 対 を唱 へて居 る。之 に関 し て
一
二
三
し た 。其 要 旨 に拠 れ ば総 統 制 は 未 だ支 那 に適 合 せぬ から 中 央 行 政 委員 会 を組 織 し 、之 れ約 法 上 の統 治 権 を行 使 せし め んと す るに あ
我 中 国 を永 遠 に乱 れ し め終 に滅 亡 に終 らし む るも の であ る 。余 は
理 由 を述 べ て云 ふ。今 次 の政 変 は悖 徳 悪 例 を 貽 し た も の であ つて
熊克 武 、張 作霖 諸氏 を推 挙 せん と す る希 望 であ る 。又 該 通 信 処 よ
昨 年既 に北 京 政 府 及国 会 を共 に僣 偽 であ ると し て排 斥 し た 。今 若
六
り 昨十 四 日在 北 京護 法 議 員 に向 け ﹁ 北 京 の現 国会 は既 に解 職 せ る
し 総 理 が摂 政 と な り非 法 選 挙 に由 り て某 を総 統 と せば 、之 れ が為
る 。而 し て此 行 政委 員 とし ては章 太炎 、唐 継 堯 、段 祺 瑞 、 盧 永 祥 、
議 員 を 混 淆 し居 れば 真 正 な る国 会 を認 む る事 は出 来 ぬ。 従 て制 憲
理由 がない。目下在上海 の合法議員 は退京 の合法議員別 に 一組織
依 つ て成 りし も の であ つて真 正 な内 閣 では な い。大 政 を摂 行 す る
伐 す べ き であ る﹂ と 。 又章 太 炎 氏 は ﹁張 内閣 は非 法 国会 の同 意 に
国 会 が国 政 を 司 る の であ つて、皆 国 賊 を 以 て論 ず べ く国 人 共 に討
世英 (前安徽省長)等会合して今後 の方針 を協議 した。
表)、熊 (孫文代表)、岑 ( 岑春〓代表)、盧小嘉 (盧永祥 代表) 、許
には楊宇霆 (張作霖代表)、姚震 ( 段祺瑞代表) 、饒漢祥 (黎元洪代
来 を待 つて居 るも のと想はれる。去十八日天津に開 かれた七省会議
居 るが、盧永祥 の態度は即ち張 の態度と観 て差支なく、唯時機 の到
︹マ マ ︺
をなさんと督促して居る。依 て各省 は大法を根拠とし正義を堅持 せん事 を望む﹂と て孫文及雲南、四川、湖南 、貴州各省長、奉天 張司令 、浙江盧督弁 に通電 を発した。 七 各路商界総聯合会は十三 日付国民自決弁法とし て左の三項を決 一、在 北京文武官中 より比較的国民 の輿望あるものを推挙 し暫く
議し て全国 に向け通告した。 現状を維持せしむ ると共 に、 一面全国より国 民会議を召集し徳望 あるものを公推 して 一国務委員会を組織し以て国是を処理 せしめ 且 つ 一切の紛糾を解決する。 二、臨城 の禍首曹〓 を総統 に継任せしむるが如きは国民が全然承 認せざる旨を中外 に通告す る。若し甘じ て彼 に附従する者あらば 桀を助 くるも のにし て国民全体から断然之れを棄 てよう。 三、政局未定前 に各種 の租税 を納付 せず。税務司より引渡すべき 塩税 、関税剰余金を当分 の間、北京政府に交付 せざる様求むる事 四、、 反直隸派聯合 の進行 直隸派今 回の挙は永らく雌伏 して居 た反直隸各派 の蹶起 に好口実 を与 へた。黎は下津早 々直隸派 の横暴 を各方面 に通電 した が、其 後 四角同盟が将 に成ら んとすと伝 へらる。孫文は既 に討 直を声明し浙
黎 に同情 すると いふよりも寧ろ反曹〓 の立場 から黎、段、張、孫 の 江 の盧永祥と結んだ。張作霖 は保境安民 の外他意無きを声明はして
二九
伊藤 武 雄
法会議 は五百四十七人の出席 ﹁国権﹂ の章 を議し、十日 の双十節 に
定数を超過し曹〓 四百八十票を以て正式合法 に当選した。六日の憲
中 華 民 国 憲 法 公 布 に就 て
調査課北京派遣員
北 調派情 第十 二号 大正十二年十月二十 日
八両日を以 て両院各三十人 の条文整理委員を以て日曜 にも勉強して
大総統就任式までに発 布せんと大馬力をかけ、八日の憲法会議は五
憲法 の成立 直隸系 のプ ログラ ムに依り本年六月黎総統逐はれて離京し四名 の
整理を完了し、八日遂 に第三読会 をも通過せしめて可決確定 し ﹁民
中華民国憲法公布 に就 いて
国務員摂行内閣 を標榜 して劃策 し議会は離京議員 のために決定数 に
国憲法﹂ の名称 を ﹁中華民国憲法﹂ と改称 して目出度完成 したので
百五十二人を以て成立 し、六 日に全部二読会を通過 せる憲法 、七、
ゆる努 力 にも不拘常会すら成立 せず、憲法会議 も流会すること四十
達 せず、直派反直派との間 に議員争奪烈 しく行はれ北京議会 はあら
混乱を見 るかと思はれしも十月 に入りて直派 の運動俄然活気を呈し、
十箇年を経て根本法 が曲りなりにも完成したのである。本憲法 の条
十名 の憲法起草委員を選挙し、憲法起草委 員会を成立させてより満
是 を顧 るに抑も民国二年六月三十 日民国第 一国会 が両院 より各 三
ある。十日 の憲法会議 に於 て公布 。
反直派最後 の努力 も甲斐なく直派 の大選 一票 五千元 の振舞成功し、
ることなく憲法会議 に提出 したも のである。起草委員会 は七月二十
章 は民国二年十 一月三日所謂天壇憲法草案として草案 の説 明を附 す
三回 に及び、摂行期限 の三ケ月 は切れ議員は法定数を得 ず 一時は大
十月二日の憲法会議は五百 一人 の出席 を以 て法定数 に不足す ること ︹ 権︺
法 に先ち て起草 せられ (九月十三日、十六日)、十月四日 に第 三読
第七章第 七十二条乃至第七十八条は袁世凱 の圧迫 により全部 の憲
一日より十月三十 一日までに三十三回会議審査した のであ る。
僅 に二十 一人、三日は両院共常会成立し四日には憲法会議 (五百二 十 七人)成立し、中央集会 か聯省自治か にて民国六年 以来大問 題た る ﹁地方制度﹂ の 一部 通過し、五日には大総統選挙会 となり五百八 十 四人 の出 席議員を以て投票し、第 一回投票 にて四百 四十三票 の法
会 を通 過 し、 憲 法会 議 は憲 法 の 一部 分 と し て宣 布 し 其 七 日 に袁 の正
い (但 し其 内 容 は草 案 の地 方制 度 中 の条項 を含 む) これ は支 那 憲法
の精 華 たる中 央 地 方事 情 の劃 定 を な せる も の であ る 。第 六章 の国会
に於 て草 案 には両 院議 員 の国 務員 兼 任 を 許 す こと英 国 日本 の如 く で
式 総 統 の選挙 を見 た も の であ る。 其 後 国 会 は袁 氏 の新 約 法 に圧迫 せら れ た が民 国 五年 六 月袁 死 し、
り 解 散権 の七 十 五条 と衝 突 し後 者 を無 意 味 にす る。 第 七章 は 已 に発
の議 員 任 期 延長 は前述 の通 り であ る が、 これ が益 世 報 の指 摘 し た通
布 せら れ た るも の。 第 八章 の国 務 総 理任 命 のみ が衆 議院 の同 意 を要
あ つた のを 、正 文 には米 国 式 に全 然 宮 吏 兼 任 を許 さ ぬ。 第 四 十九 条
審 議会 を開 き国 権 、 主権 、国 土 、国 会 、 国務 院 、法 院 、法 律 、会 計 、
す る こと とな り臨 時 約 法 の如 き全 国 務員 の両院 の同 意 と比 す れ ば大
黎 元洪 総 統 の下 に旧約 法 復 活 し 、国 会 再 開 し九 月 五 日 より 憲法 会 議
憲 法修 正 解 釈 の各 章 は 二読 会 を 通過 し たが 地方 制度 の 一章 は 民党 と
総 統 にと つて好都 合 であ る 。第 九 、 第 十章 は 大差 なく第 十 一章 の審
継 続開 会 され 、 六年 六 月 四 日ま でに 四十 六 回 を会議 し 、四 十 二 回 の
だ。
の ﹁省 自治 法 ﹂ を認 めた こと は省 憲 の精 神 を軟 化 し て採 た も の で苦
計 院 長 を参 議 院 よ り選 挙 す れ ば新 し い。第 十 二章 の第 一百 二十 五条
研 究系 其 他 の間 に激 論 を見 、督 軍 の圧 迫 によ る議 会 解散 さ れ て止 ん
南 下議 員 非 常 国会 制 憲 の こと進 行 せず 昨 年 十 月十 七 日 よ り回 復 せ
序 を経 ざ れ ば其 効 力減 せず と 防護 し て居 る。草 案 にあ つた ﹁国 会 委
は効 力 の規定 なく 、 従 て第 一百 四十 一条 の革 命 事変 あ るも 正式 の順
心 の存 す る と ころ で あら う 。第 十 三章 の憲 法 の修 正 解 釈力 は草案 に
る旧 国会 の下 に憲法 会 議 第 三 回目 を 継続 し、 審議 会 十 五 回憲 法 会議 七十 七 回 ( 其 内 流会 四十 三 回)、 五 日 に総 統 選 挙 成 り、 八 日 に 憲 法
と の起 草 委員 会 は 成立 せず 新 に指 命 せら る) よ り新 草 案 提出 さ れ省
会 議 は 問 題 た る地 方制 度 は起 草 委 員 会 (六月 の離京 議 員 のた め にも
発 布後 の輿論
員 会 ﹂ の 一章 は正 文 には削 られ た 。
ろ であ る が 、と も かく 表 面 は合 法 的 に成立 した憲 法 であ る が故 に南
ず し て去 つた段派 、浙 江 派 、黎 元 洪 一派 の承 認 せざ るは論 なき と こ
終 始北 方 政 府 に反 対 し来 れ る護 法 政府 た る孫 文 系 及直 隸 系 と合 は
憲 の 二字 を聯 邦 制 に近 しと し て省 自 治 法 に改 め、 十 三章 全 部 第 三読
せし め た。
会 の通過 を 見 、十 日 の憲法 会 議 は遂 に之 を 宣布 し 新 総統 をし て宣 誓
又 四 日 の憲 法会 議 は特 に今 度 の議 会 の ため に生 ぜ る事情 に よる議 員 任 期 延長 案 を第 四十 九 条 と し て挿 入 し た。
ば 大 選 は主 にし て制憲 は従 な る を 以 て憲 法 を見 る こと、 湖 南省 憲 の
( 南 北 の争 は護 法 の争 を表 面 の理由 と す る が故 に)直 隸 派 よ り言 へ
夫 の如 き こと あら む も 、 と もか く中 外 に標榜 せざ るべ から ざ る立 場
北 の抗 争 も表 面 上 は最 重 要 な る 一争 点 を解 決 し た も の と い ふ べ く
条 に ﹁尊 崇孔 子 ﹂ ﹁信教 自 由 ﹂ を 並 べた るに草 案 は ﹁孔 子 を 修 身 の
と 事 実 に よ り其 を全 然 反古 とす る こと は出 来 ぬ こと勿 論 であ る。 然
これ を草 案 と対 照す ると前 文及 第 一章 は原 案 通 り第 二章 の主 権 は
大本 とす ﹂ と称 し義 務 教 育 と 並 べ てあ つた。 所謂 ﹁尊 孔 条 項﹂ の削
草 案 には な い。 第 三章 は草 案 通 り、 第 四章 亦 大 体草 案 通 り 、但 第 十
除 で あ る。第 十 四 条 の人民 自 由権 も新 し い。第 五章 国権 は全 部新 し
れ ば軍 備縮 少 (軍 費 予算 は 全支 出 の四分 の 一と いう 如 き ) の如 き は 最 も重 要 な有 意 義 な仕 事 であ る 。夫 に対 す る直 隸 一統 の事業 を監 視 す る こと は有 用 な仕 事 であ る 。 され ど憲 法 に対 す る反 対非 難 は少 くな い。十 日 の晨報 は施 行 期 の
る に大選 の手 段 と し て軽 々数 日 に間 に合 せも のか の様 に創 定 した こ
明 示 な き憲 法 に つ いて批難 し 、益 世報 は国 家根 本 た る憲 法 を制 定 す
と は 絶 対反 対 だ と (事 実 上十 二年 の懸案 を 大選 前 後 三 日 に 一気 に片 附 け た政 治 的 環境 の産 物 であ ると 、憲 法 修 正論 を 主 張 し)。憲 法起 草 委 員長 であ つた湯 〓 (離 京議 員 ) は買 収 贈賄 等 の犯 罪団 の手 に成 た 憲 法 には絶 対 反 対す る、 か か る憲法 には 絶 対 に尊 厳 な く国 民 は擁
又 憲法 条 章中 に勲 章 授 与権 を刪 除 した た め議 員 贈 勲 に困 つて居 る
護 の責 を負 ふ能 はず と。
第 四十 九 条 の延長 任 期条 文 のた め に第 七 十五 条 の解 散 規 定 が薄 弱
と 伝 へら る。
にな る こと は前述 せ る通 り であ る。 施 行期 に関 し て衆 議 院議 員鄧 毓 怡 は意 見書 を議 院 に提 出 し て、施 行 に関 す る附 則 を続 定 せ ね ば実 行 す る こと が出 来 ぬ。夫 に は チ エツ ク ス ロバ キ ア の先 例 に做 ひ 、憲 法施 行 法 を制 定 し 、憲 法 会 議 の可 決
尚 草案 と し て提 出 せら れ たも のに ﹁ 教 育 ﹂ と ﹁生計 ﹂ の二章 が あ
を ま ち これ を運 用す べし と 。
り 、新 時 代 精 神 を加 味 せむ とし た も の であ るが尚 討 議 を 完 成 せず 発 表 を 見 な か つた 。
三〇
︹ Padoux G, ︺
伊藤 武 雄
支 那財 政整 理案
北京調査課派遣員
大正十二年十 一月十日 北調第 二号 支 那財政整理案 支 那 の財 政 整 理 案 にし て成 り しも の に曩 に ヂ ・パ ド ウ氏 案 ︵調 査
ふ るに絶 えず相 競 て中 央 に対 し其 供 餉 を 強請 す るを 以 て事 態 を 益 々
央 に当然 拐 送す べ き収 入 を 差押 へて送 ら ざ る の みな らず 、 これ に加
悪 化 し 、絶 望 的 な ら しむ る こと は 当然 で ある 。国 庫 は欠 乏 し国 債 の
償 還 遅 滞 は続 出 す る 。此 事 実 にし て継 続 す る間 は如 何 な る救 済 の方
紛 乱 と の整 理 に俟 たな け れば な ら ぬ。 す な わち 換 言 す れば 現在 の財
然 し 乍 ら 他 の点 より 見 れば 統 一と裁 兵夫 自 身 が懸 て財 政 の困難 と
法 を講ず る も成 功 の見 込 は立 たな い。
近 く 北 京米 国 商 業 会 議 所 の整 理案 (北 調派 調 第 六 号 ) あ り今 こ こ に
時 報 三 巻 三号 ) あ り総 税 務司 ア グ レ ン の内 債 整 理基 金 維 持 覚 書 あ り
報 告 せ んと す る前 財 政 討 論委 員 会 委 員 長 張英 華 (現 幣 制局 総 裁 ) に
政難 は国 内 統 一と軍 隊 裁 撤 を実 行 す る こと な く し ては救 は れな い。
解 決 す る にあ ら ざ れば 実 現 さ せ る こと は出来 な い。 故 に財 政 問 題 は
然 し乍 ら統 一と裁 兵 と は財 政組 織 を確 実 な る基 礎 の上 におく こと を
よ り立 て られ た 案 も亦 其 の 一つで あ る。 本 案 の特 長 と す る と ころ は財 政整 理 と国 内 統 一方 策 と の関 係 を明
が財政組織改造確立 の根本的先決条件であることを認識す ること に
る こと に より現 状 の 一般 的検 討 を以 て これ を開 始 す る 。
政 府 の収 支表 を作 製 し 其平 均 額 と現在 中央 政 府 所要 経費 と を 比較 す
を以 て先 づ 一九 一九年 、 一九 二〇 年 、 一九 二 一年 の三 ケ年 間 の中 央
救 済 策 を講 ず るた め に吾 人 は 第 一に 一般 事 態 を了 解 す る 必要 あ る
国 内統 一と軍 隊 裁 撤 よ り重 大 にし て緊 喫 な 問 題 で あ る。
にし各 機 関 の未 払給 料 額 の比 較 的 正確 な数 字 を 示 し た こと であ る 。 支 那 財 政 の改 造
一致す る。 この認識を推論 すれば現在 の財政難と殆んど収拾すべか
支 那 の財政状態を研究す る者は何 人も国内 の統 一と軍隊 の裁撤 と
らざ る政治状態 とは各省が国家収 入を裁留 して自家用 に流用す る当 然 の結果たる害悪 に外 なら ぬ。各省官憲は中央政府を支持す べく中
第
一
自1919至1921関
(註)支
位 千 元)
出 下 に は海 常 関 の行 政 費 及 団 匪賠 款 の善 後 借 款餓 災 救済 基金 の 行 政 費及 特 に承 認 され た る費 目 を含 む残 高 は 勿 論夫 が各 税 関 に 分散 して居 た時 に は僅 少額 に分 れ て 居 た もので あ る
第 自1919至1921年
(註)支
表
税 収 入 の収 支 表(単
二
表
間 塩 税 収 入 の収 支 額(単
位 千 元)
出下 には 該収 入 を担 保 とす る 内外 債 の 減債 基 金 及行 政費 及 各 省 の費 消 及 西 南 省 の裁 留 額 を含 む
第 1919∼1921年
三
表
烟 酒税 収 支表(単
位 千元)
第
四
表
1919∼1921印 花 税 収 支 表(単
(註)奉
天 、吉 林 、 浙 江 、湖 北 、陜 西 、新疆 各 省 は中央 政 府 に取 立 て た収 入 の一 部 を拘 留 して居 る もの と想 像 せ られ て 居 る。其 等 金額 は約 百 万 元 に達 す る筈 で あ るが全 部地 方 官憲 に裁 留 せ られ てい る。
第 五 表 1919∼1921年 地 租(公 賦)収 支 表(単
(註)純
位 千 元)
位 千元)
収 益 は 目下 北 京 政府 に入 らず。 但 各 省 に流 用 され て居 る もの と考 へ 得 るのみ
第 六 表 1919∼1921年 北 京落 地 税 収 支 表(単
位 千 元)
第
八
表
表 九
(単位千元)
政府 が各機関 に対 して負 ふ未払金額 は下表 に示す如く である。
解 せんと欲せば考 慮に入れなければならぬ。
意 を向け ることは不可能 であるけれども吾 人が財政現状を完全 に了
払債務を負うて居 る。政府は現在に於 ては この款目 に対し即急な注
加之政府は尚 一九 一五年以来 累積 した軍警政費及 一般行政費 の未
なることは政府 の財政現状 の確実 に近 い数字 である。
○○○元 の収 入不足を見、年九 三、六〇〇、○○○元の収 入不足 と
○、○○○元 に達 する ことを知 る。斯 くて政府は毎 月七、八〇〇、
えな いこと、支出 は毎 月約九、〇〇〇、〇〇〇元、年 一〇八、○○
上記数字を 一瞥 すると政府 の年収は 一四、三七〇 、○○○元を越
第
位千元) 支出の概観(単 (単位 千 元)
第 七 表 1919∼1921年 平均 の徴税 収 入 と 中央 政府 の 財 政現 状(毎 月 の収 支)
行政及軍警支払経費延滞額 A
B
a 大 総 統 府 b 内閣 費 e □□□□ 〔 印刷不明〕
部
部
行
c 会計検査院
軍
警
費(単
位千元)
政
費(No.1)(単
位千 元)
d 行 政 裁 判所 …十 二 年 憲 法 に は 平 政院 裁 撤
行
政
費(No.2)
上表 は1922年 八 月末 現 在 の 軍 政 両機 関 に対 す る延 滞 支 払 を示 す。 完 全 に今 日 ま で の 額 数 を得 む とせ ば昨 年 九 月 以 降 を加 算 せ ね ば な らぬ。 如 上延 滞 支払 の原 因 は上 表 と次 に示 す表 とを比 較 す れ ば容 易 に 明 に す る こ と を得 る。 次表 の数 省 に裁 留 私用 せ られ た額 を示 す。
各省裁留収入及軍警並 に行政未 払費比較表 (単 位 千元)
上 表 の末 尾 二項 数 字 を見 れ ば 一年 間 に各 省 に裁 留 さ れた 収 入 を 以
内外 債 の中 適 当 な る担保 を有 す るも のは夫 々其 担保 に依 り 保証 さ
が 他 の目 的 に流 用 さ れ た為 め 、 或 は契 約 さ れた担 保 物 より 予 期 の如
上 し た も の の中 には頭 初 に於 ては 全 然 無担 保 でな く と も或 は担 保 物
れ て居 る を以 て此種 の問 題 から は 除 外 す る。 今 無担 保 借 款 と し て計
各 自 に裁 留 さ れた収 入 が斯 く 重 大 な意 義 を有 す る のみな ら ず 、 こ の
て過 去 八年 間 に積 だ未 済 支 払 額 を決 済 す る に足 る ことを 示 し て居 る 。
二表 を仔 細 に研 究す れ ば吾 人 は直 ち に次 の事 実 を知 る こと が出 来 る 。
ア ード に な つた も のを含 む。
く 債務 を カ バ ーす る程 充分 な価 値 を 生 じ な か つた た め に ア ン セキ ユ
此種 の債 務 の或 るも のは充 分 に保 証 さ れ て居 るけ れ ど も他 のも の
一支 払 未 済 の原 因 が何 に よ る か二 延 滞金 額 の大 部 分 は何 処 に在 るか
は担 保 充 分 な らず 、 或 は 不公 平 な る担 保 を有 す 等 財 政 上適 当 な 保 証
三 国 家 収 入 の資 源 は殆 ん ど全 く 各 省 の裁 留 に因 り 影 響 せ ら る る こと 。 行 政 及 軍事 費 額 の支 払 遅 延 は既 に甚 し い。若 し 現 状 のま ま推 移 す
第十一表
(A)
250.270
有担保公債 (1) 関税収 入を担保 とす る公債 (2) 関税剰余金 を担保 とす る公債
(単 位 千 元)
1,410,000
総 額
1,660,270 (B)
266,043 (1)
228,481
82,450
無担保公債 無 担 保 外 債 (2) 無 担 保 内 債 (3) 遅 延 利 子
額 を示 す 。 (1923) □ □□ 算 入 した。 〔 不明〕
今 迄 債 務 支 払 の遅 滞 は既 に可 な り の面 倒 と紛 乱 とを 起 し て居 る。
らう 。
も重 利 の複 す る こと は国 庫 の負 担 に堪 ゆ べ か らざ る こと と な る であ
く 延 期 の商 訂 す ら困 難 と 思 は る 。然 し乍 ら仮 り に これ を可 能 と し て
通 り に元利 を完 済 す る こと は現 在 に於 ては 明 に不 可 能 で あ る。 恐 ら
相 当 の時 日 が あ る。 是 等 凡 て の債 務 償 還 に当 り原 訂条 件 に従 ひ期 限
既 に償 還 期 限 に達 し て居 るし 、或 も のは早 晩 達 す べ く或 も のは未 だ
子 を加 算 し て約 五 七 六 、九 七 〇 、 〇 〇〇 元 に達 す る 。其 中 或 も のは
第 十 八表 に拠 れ ば支 那政 府 の無 担 保内 外 債 務総 額 は本 年度 迄 の利
る前 に無 担 保 債 務 を 区分 表 示 す る こと の必 要 は言 ふ迄 もな い。
は許 さ れな い。如 何 な る方策 が執 り得 ら る る又執 る ベき か を討 議 す
護 す るた め に事 態 を救 済 す る確 定 的 政 策 な し に其 日送 り を なす こと
政 府 の経 費 は如 何 様 であ らう と も其 面 目 を維 持 し 国家 的 信 用 を 保
て居 る。
施 及 二 分 五 厘附 加 税 実 施 によ る増 収 関 税 の 一部 を以 て保 証 せむ と焦
を得 て居 な い。是 等 不 利 益 な 地位 に在 る債 権 者 は現 実 五分 関 税 の実
れば 其 額 は 日 日増 加 の 一方 で あ る。 当 座 唯 一の切 抜 策 は過 去 の延 滞
(C) 有 担 保 、 無 担 保公 債 の元 利 総 額2,237,244
は 暫 時 其儘 に擱 置 し 、 将来 支払 ふ べき も の全部 に対 し 考慮 す る こと を 第 一と す る に在 る。
年九 月末現在 の未済残 1922
(註) 上 表 の
576,974
額 総
下 表 は無 担保 内 外 債 を 示 す も の であ る 。
有担保及無担保の内外債
第十二表 無 担 保 内債
第十三表 短 期 内 外債 整 理 委 員 会 に て是 認 せ られ た短 期 公債 概
計
表
第十四表 銀 行 及 銀 号 よ りの債 務 を利 率 に よ る 分類表 第 十五 表 各機 関 が其 経 費 支払 のた め に発行 せ る 国庫 証 券
第 十六 表(其 無
担
保
一) 外
債
第 十 六 表(其
(註)契
二)
約 に 於 て利 率 □ 〔 印□ 刷□□ 歩 勘定 な る もの□ □ 年 利 率□ □ □ せ り。 不明〕 〔 印刷不明〕 〔 印刷不明〕
第十七表 支払遅滞 の墺国借款
第十八表 無担保借款概観
用 ふ る こと に反 対 し て居 る。
外交 団 は政 府 に抗 議 を呈 出 し て関 税 剰余 金 の全 部 を内 債 整 理 基 金 に
て何 等 か の方 策 が為 さ れな け れ ばな ら ぬ。否 れば 事 態 は益 々悪 化 し
の計 画 と い ふべ き も のであ る。何 故 なら 何 れ も支 那 に対 す る借 款 債
等 の案 は彼 等 の関 係 す る限 り に於 て は妥 当 と言 ひ得 べ き も 全 く彼 等
は ﹁ 支 那 の財 政改 造 と支 那 政 府 現在 債 務 整 理 ﹂案 を刻 作 し た が 、 夫
税 剰 余 金 を 国 債整 理 に使 用 ﹂ す る旨 の覚 書 を発 表 し、 ヂ ・パド ウ 氏
念 に満 ち て居 る。 サ ー ・フ ラ ン シ ス ・アグ レ ン ( 総 税 務 司 ) は ﹁関
撤 廃 を条 件 と す る 一割 二分 五 厘 輸 入税 よ り生 ず る収 入と 衝 突 し な い
ら ぬ 。即 二分 五 厘附 加税 を担 保 と す る借 款 は 如何 な る場 合 にも釐 金
にも信 ぜし め るた め に次 の如 き意 味 の声 明 を 一般 に対し 発 せね ば な
整 理 に充 て 、然 る後 行 政費 と裁 兵 費 に向 け る上述 方策 の必 要 を何 人
を起債 す る を最 上 の方 法 とす る。 夫 の手 取 金 を 以 て第 一に内 外債 の
税 二分 五厘 増 徴 よ り生 ず る増 収 を担 保 と し て ﹁十 二億 元 の新 借款 ﹂
於 是 支 那財 政 問 題 の根 本的 解 決 を 期 す る方 策 に就 き考 慮 す る に関
続 け る こと は 明 で あ る。
権 のみ の計 画 にて支 那 政 府 と し て の行 政 問題 、国 内 統 一及 軍隊 裁 撤
と 。 この方 策 は 詳細 の説 明 を附 し議 会 に提 出 し借 款 目 的 、 元金 額 、
外 国 の債 権 者 は其 債 務 償 還 を迫 責 し列 国 は其 償 還 に対 し て疑 惑 の
の方 策 を実 現 す る資 金 を 籌出 す る の問 題 には全 然 触 れ 得 な いか ら で
利 率 、 手 取 金 の使 途 等 を明 に せね ば なら ぬ。然 る と き列 国 政府 は外
現 実 五分 実 施 よ り生 ず る関 税剰 余 の増 加 は疾 く の昔 充 用 せ ら れ た。
ある。
を第 一に現存 無 担保 内 外 債 の減債 基 金 に向 け る こと を保 証 し、 次 に
を承 認 す べ く 会 合 す る に至 る であ らう 。 同 時 に政 府 は附 加 税 の収 入
交 団 を通 じ て関 税 特 別 会 議 開 催 の要 求 に従 ひ 二分 五厘 附 加 税 の徴 収
後 に於 て塩 税剰 余 、印 花 税 、煙 酒 税 が公 然 中央 政 府 の目 的 に利 用 さ
火急 に必 要 な行 政費 に向 け 軍 隊裁 撤 を実 現 す る に必 要 な資 金 に供 す
全 般 的 根 本 整 理 が講 ぜ ら る る に非 れ ば仮 設 ひ借 款 問 題 が解 決 さ れ た
れ得 る に至 る暁 に於 てす ら 夫 等財 源 が軍 閥 の飽 く なき 強 請 に吸 ひ取
べ き であ る 。増 徴 収 入 の費途 は偏 に華府 会 議 の目 的 と精 神 に適 合 す
益 国 家 の安泰 に貢 献 す る であ らう 。
困 難 の業 では あ るま い。斯 の案 が実 行 さ る る こと が 早 け れば 早 い程
る こと が証 明 さ れ たな れば 一般 の是 認 と其 提 案 の支持 を得 る こと は
に対 し 有 効 であ る 。支 那 財 政 の改 造 と 蘇 生 に対 し 基 礎 を おく も のた
る様 にす べ き であ る 。其案 にし て実 行 の可能 性 あり 又 一般 現 状 救 済
ら れ て財 政 改 造 に何 等 実質 的 貢献 を なし 得 な い結 果 を 将 来 す る で あ らう 。 是 に因 り何 故 サ ー ・フラ ンシ ス ・アグ レ ンや ヂ ・パド ウ氏 に
た こと と 思 ふ。
依 り立 てら れ た整 理案 が熱 と力 を以 て進 行 せざ りし 理 由 が 明 に な つ
然 る に政府 は行 政 費 の工 面 に苦 み国 民 は到 底 均 衡 のと れ 得 な い跛 行 予 算 に面 し 、 且軍 隊 裁 撤 を 実行 す るた め には緊 急 な 費 用 を要 す る
如 き 莫 大 な も のは殊 に激烈 な反 対 に遇 ふ で あら う 。夫 に対 し て は次
新 借 款 を起 す に当 り 惹起 す る かも 知 れ な い障 害 は 十 二億 と いう が
で あ る。 斯 く の如 き事 情 の下 に諸 種 の障 害 を除 い て完全 な る救 済 に
の如 く言 ふ こと が出 来 る。起 債 借 款 の反 対 せら れ或 は支 持 せら る る
を以 て現 在 国債 々務 の支払 に向 け る資金 は何 程 も余 さ な い のは当 然
資 す べき案 を得 る こと は殆 ど不 可能 であ る 。 さ れど 時局 は危 急 にし
か は借 款 額 によ る に あらず し て起 債 目 的 及 効 果 に依 て決 せら る べ き
考 へらるべき第 二点は斯 る大借款 の担保如何 の問題 である。関税
承認 せむ ことを希望するも のであ る。
及関余は既 に民国四十九年 (一九六〇)末 に亘 て内外債 の元利償還
も のであ ると 。 若 し 夫 が単 に 一時 の財 政 難 を 切 抜 け る行 政 費 の如 き も ので あ るな ら ば其 額 が如何 に寡 少 な り と雖 も 反 対 さ れ ても 止 む を
十六億 六千 五百万元 の担保 に充当されて居 る。若 し吾人 が関税増徴
収入 の現状 と既 に其上に当 てられた賦課 に関して研究 しなければな
資金を以て新借款 の減債基金 に使 用せんとするならば、第 一に関税
ら ぬ。次表 は毎年 の関税収 入と関 税剰余金 の状態 と其 を担保とす る
ら む には如 何 に其 額 が大 にし ても 当 に支 持 さる べ き で あ る。支 那 の 財 政 状 態 は 今 や正 に危 機 に立 て居 る。何 等 か実 際 有 効 にし て 一時 的
得 な い。然 る に若 し夫 が財 政 の根 本 問 題 の解決 に資 す が如 き も のな
糊 塗 策 乃 至 地 方的 必 要 を 充 たす 如 き 弥 縫 策 以外 の方 法 を 施 す に非 れ
内外債 償還状態 を示すも のである。
故 に国 民 一般 は事 態 を弁 識 し斯 る大規 模 の整 理 の得 策 な る ことを
ば 我 国 の国 家 生命 夫 自 身 が危 殆 に瀕 す る の であ る 。
第十九表 関税収入及 関税剰余 を以て内外債償 還に充つ る割当額(単 位千元)
従来毎年関税収 入が内外債務償 還に向けられ得 る額 を知 つた上 は
以上 の収 入 を増 加 し得 べく 、内 輪 に見 積 ても 三百 万 元 と な り本 年度
年 度 収 入を 八 千 五 百 万元 と す る 。夫 に貿 易 の膨 張 によ り年 三百 万 元
華 盛 頓 会 議 によ り決 定 さ れた関 税 特 別 会議 が本 年 中 に開催 さ れ附
関 税 収 入 は 八千 八 百 万元 とな るべ き であ る。
吾人 の問題とするところは、現実 五分課税及二分五厘増徴 の実施 よ り挙げられる増収関税収入総額 である。其結果 により総収入と総支 出額とを突き合 せること により目 下考慮中 の新借款 の償還 に対し毎 一九二二年度 の関税収入総額 は約 七千七百万元であ つた。夫 を根
度 概 算 (八千 八 百 万 元) を基 数 と し て現 実 五 分税 実 施 の結 果 (正 月
総 額 は恐 らく 本 年度 徴 収 額 を超 過 す べき であ る 。第 一に 一九 二三 年
加 税 徴 収 が 一九 二 四年 三月 より実 施 さ れ るな ら ば来 年 度 の関 税 収 入
拠として 一九二三年度 の収入概算 をなし得、先 づ前記七千七百 万元
よ り 三 月 に至 る) 収 入 二百 万元 を 加 へ、其 上 に 一九 二 四年 四 月 より
年如何程使用し得るかを見出し得 るであらう。
に加ふるに現実五分税実施 の結果 による増収 八百万元を算入して本
第 二十 表 内外 債 務 に対 す る現存 割 充 金 の残額 の関 税 剰 余金 (単 位 百 万元)
第 二 十 一表 十 二億 元 六 分 公債 の年 賦 償 還 表 関税 剰 余 金 を以 て三 十 個 年 間 に は償 還 し得 る見 込(単
位 千 元)
実 施 さ るべ き附 加 税 収 入加 ふ れば 論 理 的 に計 算 す れ ば 五 分税 収 入 の
五 、収 入 の単 一資源 を 以 て担 保 に指 定 す る こと に より 自 余 凡 て の収
の最 確 実 な も のを 以 て担 保 に指 定 す る こと は寧 ろ自然 であ る。
該 借款 の詳 細 は ほぼ次 の如 く 計 画 す る。 借款 を 十 二 億 元 と す る
と が最 上策 と思 は る。
上記 五項 の見 地 によ り関 税 収 入 を 以 て新 借款 の単 一担保 とす る こ
入源 は政 府 の自 由 な処 分 と支 配 に残 され る筈 で あ る。
半 額 、即 四 千 二百 五十 万 元 と計 算 せら る べき であ る が附 加税 最 初 の 実 施 な るた め 予期 の如 き収 入 を上 げ得 な いと 見 、 内輪 に見 積 り附 加 税 に依 る増加 額 と し て二 千 八百 万 元 だ け を計 上 す る こと にす る。 此
と き は 一九 二 四年 度 の関税 収 入 は 一億 二千 百 万 元 に達 す る であ ら う 。
等 二項 の増 収款 目 に貿 易 の自 然 増 加 によ る三 百 万 元 の増 加 を加 ふる
注 意 す べき こと は二 分 五厘 附 加 税 は釐 金 撤 廃 前 に課 税 す る こ とを
な い。 吾 人 は関 税 を担 保 と す る借 款 利 率 を考 察 し て確 実 な る担 保附
者 は従 来 の無 担保 借 款 債 権 者 の被 た如 き 不確 実 な危 険 に遇 ふ こと は
分とする ( 利 率 は比 較 的 低 いが新 借 款 は担 保 が確 実 で あ るか ら債 権
(小額 に て は現 下 の必要 には不 充 分 であ る から で あ る) 年 利率 を 六
承 認 さ れ て居 る こと であ る 。釐 金 の撤廃 さ れ た暁 には 関 税 は 一割 二
借 款 の利率 は高 利 率 を要 し な い こと を知 る) 借 款 期限 は長 き に過 ぎ
以後 同 様 にし て関 税 収 入 は毎 年 計 上 せ ら れ得 る。
な く処 分 す る こと が出 来 、 其処 分 は釐 金 撤廃 の進 行 を 遅 延 さす こと
分 五厘 に引 上 げ ら れ る。 故 に附 加 税 から の収 入金 は釐 金 撤廃 に関 係
開 始 す るも 元金 支 払 は 一九 三 二年 より開 始 し全 額 を 三十 年 内 に償 還
ては な ら ぬ 。多 く も 三十 年 以内 を よし とす 。利 子 の支 払 は本 年 よ り
次 表 は毎 年 の関 税 収 入 概算 及 関 税 収 入 及関 税 剰 余 の上 に課 せら れ
は な いであ ら う 。
上述 委 員 会 は 借 款 の決 定 と同 時 に当 然 組 織 さ る べき も ので あ る。
︹ 第 二十 二 、 二十 三表 参 照 ︺
団 体 から 構 成 せ ら る べ き で ある 。 下表 の如 き構 成 では如 何 。
其 責 に任 ず る必要 が あ る。 委 員会 の成 員 は第 一に新借 款 に関 係 す る
減 債 基 金 及 新借 款 の手 取 金 の管 理 に関 し て は特 別委 員 会 を組 織 し
費。
外 無 担 保 債 務 の整 理 、 二、 一年 分 行 政 経費 の必 須 額 、 三 、裁 兵 統 一
を完 う す る 。 本借 款 の手 取 金 は全 然 次 の使 途 に振 り向 け る。 一、 内
︹ 第 二十 、 二十 一表 参 照 ︺
た支 出 額 及 新 借款 償 還 に利 用 し得 べき 毎年 の残 額 を 示 す も ので あ る。
関 税 収 入 のみ が何 故 新 借 款 の償 還 に充 てら れ たか と いふ理 由 を次
一、 正確 な 統計 によ つ て示 さ れ る関 税 収 入 は利 用 し 易 い のと収 入 そ
に列 挙 す る。
れ自 身 が内 外債 権 者 に最 も信 用 さ れ易 い こと に因 る。
三 、仮 設 ひ支 那政 府 が現 在 に於 て関 税 剰 余 を借 款 償 還 に指定 し な い
を許 さ れな い こと 。該 借 款 の手 取金 を引 出 さ ん とす る時 は何 時 たり
借 款 手 取 金 の幾 分 と 雖 も本 委 員 会 の承 認 文 書 な し には 処 分 す る こと
二 、許 多 の借款 が既 に関 税 剰余 を担 保 と し て居 る。
と し て も外 国 人 は関 税 特 別会 議 に際 し て斯 る要 求 を な す こと は見
と も財 政 部 は国 務 院 に提 議 をな し 、国 務 院 にて其 提 議 の容 れ ら れた
易 い。 四 、改 造 整 理案 の主 要 目 的 が国 家 信 用 の保 持 を眼 目 と す る 以上 収 入
第二十二表 減 債 基 金並 に起 債 事 務 に当 るべ き公 債 委 員 会 の構 成 総
裁
一
人 委 員 会 に て 互 選
副
総
委
裁
一 人
員
数 資 格
委
員
の
委
員
の 名
称
委員会 の存在期間 委 員会所 在 地
債権 者 の代 表 者 、閣 員 、銀 行 家 、 総 税 務 司 、 商務 総 会 、 衆議 院 議 長
減債基金及起債事務公債委 員会 債 務 が充 分 完全 に償 還 しあ る時 ま で存 続 す
北
京
第二十三表 未 済 現 存 無 担保 借 款 の 利 率 に よる分 類 表(単
(註)原
契 約 に 日月 割 の利 率 を も年 利 率 に換 算 す
位千 元)
時 には 夫 を議 会 に送 り其 承 認 を 求 め 、然 る後 に該資 金 を引 出 す べ き
の利 子支 払 に充 当 し得 る に充 分 な剰 余 を 見 た と き に は其額 を未 来 の
な ら ぬ 。若 し 関 税収 入 が吾 人 の予定 以 上 に上 り不 足 の発 生 予定年 間
必要 に留 保 す る こと が出 来 る。然 し乍 ら 不足 の生 じ た る場 合 には該
承 認 文 書 を委 員 会 に求 む べ きも のと す る。 こ の場 合 資 金 の如 何 な る
公債 利 子支 払 に留保 さ れ た潤 沢 な資 金 が役 立 つで あ らう 。
或 は故 障 の起 る か も知 れ な い こと は既 に支 払 の遅 滞 せる借 款 と 支
ら ぬ。
払 期 限 の達 せむ と す る借 款 と尚未 だ期 限 の来 ぬ借 款 とを 同 一形 式 に
部 分 と雖 も 又如 何 な る使 途 と雖 も 流 用 す る こと は絶 対排 斥 せね ば な
公 債 発 行 の割 引 及 利 子控 除 資 金 の保管 に関 す る問 題 は債 権 者 と 商
ま と め む とす る こと の困難 から であ る。 夫 に対 し ては次 の方法 を 以
てす る即事 実 は上述 の如 く で ある が第 一に凡 て未済 借 款 は 期限 到 未
り に定 期 に元利 の支 払 を受 け得 る新 借 款 と 切換 へる こと の利 益 を信
到 に関 せず 結 局 展 期 せ ざ る べ から ざ る状 勢 に在 る こと を注 意 せ ねば
訂 す る こと が出 来 る。債 権 者 が彼 等 の現在 所 持 す る無 担 保 借 款 の代
し む る こと は 困難 な業 では な いと思 ふ。勿 論 割 引 の定 率 を決 す る に
ず れ ば、 本案 の支 持 を決 心 し極 め て僅 な割 引 を以 て新 公債 を受 領 せ
は 原 公債 利 率 に相 当 の考 慮 を払 は ねば な ら ぬ。 因 に残存 無 担 保 債 務
よ りも 寧 ろ 不払 の確 実 であ る如 き も のと仮 令 原 契 約 に よ るよ り も何
時 た りと も確 実 な 支 払 を得 る如 き も のと の間 に於 ては債 権 者 に と つ
な ら ぬ。現 在 の条 件 下 に て は期 限 が 到来 し ても 支 払 の不 確 実 と い ふ
今 上述 列 挙 借款 の利 率 の平均 を と つて見 る に年 一割 六 分 に当 り現
を 其利 率 に従 て表 示す る こと 次 の通 り であ る 。
以 上 の利 率 を 附 さ れ て居 たし 、其 九六 公 債 は手 取 八 四 で発 行 さ れ た
仏 法 で あ るが如 き然 り。如 何 に し て凡 てを支 那 通 貨 に直 す かは 明 に
成 て居 る。 或 る も のは英 磅 を 条件 とし或 も のは米 弗 であ り或 も のは
通 貨 の問 題 も亦 相 当 の面倒 を生 ず る。 現存 借 款 は各種 の通貨 よ り
て は後 者 の前 者 に優 り て喜 ば る る こと は疑 なき と ころ であ る。
事 実 に鑑 み、 六 分利 附 整 理 新 公債 は完 全 に保 証 せ ら る るを 以 て恐ら
弱 な担 保 の九 千 六 百 万元 公 債 に よ り整 理 され た短 期 借 款 は全 て 八分
存 債務 総 額 の八割 以 上は 最 低利 率 八分 で皆 夫 以 上 であ る。 比較 的 薄
く 手 取 八〇 以 上 に て発 行 す る こと を期 待 し得 る であ らう 。 斯 の新 公
り適 当 な 条 件 を得 る希 望 があ る 。結 局 双 方 に公 平 に正 当 な了解 に達
容 易 な業 では な い。 然 し 債 権 者 と虚 心 胆懐 を以 て討 議 す る こと に よ
し得 ら る るも のと思 ふ。 新 借 款 の手 取 金 は次 の目 的 に分 けら れ次 の
債 が仮 り に平 均 手 取 九〇 、 即 額 面 百元 に対 し 旧債 務 額 面 九 〇 元 に相 当 す べ く発 行 さ る る な れば 整 理 公債 総 額 は六億 四 千 四百 万元 と な る
た
ち
発行すべき新整理公債$644,000,0 00
於て割引かるる額すなわ
利息の規則的に支払はるることを保証する
( 2 ) 新公債発行の時に
利子の償還に対して
( 1 ) 未済現存の無担 保借款及本年(1923)末迄の
案 に よ つて分 配 せ ら る る。
第 二十 一表 によ り関 税 剰 余 金 を 以 て新 整 理 公債 支 払 に充 つる と き
筈 であ る。
は 不 足 す る。 殊 に最 初 八年 間 は 不 足す る。 其 不足 総 額 は 二億 一千 八 百 万元 に達 す る。新 借 款 は不 足 額 保証 のため に整 理公 債 手 取金 中 よ り 二億 一千 八百 万 元 を控 除 し て借 款委 員 会 へ寄 託 し て お かな け れば
め に保 留 さ るる もの ( 3) 1 923年 七 月 よ り 1924 年 六 月迄 の行 政 費
( 4) 国内統一裁兵実現 に要す る資金 計
$ 250, 000, 000
$ 92, 000, 000
$ 218, 000, 000
きは収入を増加す ること勿論 である。例 へば塩税 の改革 のみ にても
上 の改革 を実行 し、煙酒税其他 の改造を行 ふことが出来 る。然 ると
ぬ。其上正確 に保証 された 一年分 の行政費を以 てすれば其間 に財政
九千二百万元 を 一年分 の行政費としてとる計算は多過 るかも知れ
一、軍隊裁撤 を実行するの資金 も調達 せらるるわけ である。各省 で
り 現存 の困難 を突破し て国家 をし て財政的 にも政治的 にも確固 たる
要す るに現状 は危険と雖も絶望 ではない。理智的愛国的努力によ
増す ことが出来 る。
自分 の案 によれば或種 の改良 をなす ことにより年六千 万元 の多 きを
$ 1, 204, 000, 000
若し前述 の案 が採用せられたならば残存 借款 が考慮せらるるのみ
徴収せらるる国家収入は規定通 り北京 に拐送 せら るることを期待す
基礎 の上 に置 くこと が出来るといふも のであ る。
ならず 政府 の行政費も 一時支弁 せら るる ことが出来 る。其 上国内統
る ことも出来 る。財政 的錯綜 は斯くて整 理せられそ こで政府 は其注 意 を建 設計画 に向ける ことが出来 る。 間接 には この事が交 通部借款 の適当な解決 を導く であらう。若し 交通部 の支配下 に在 る収 入が切実 に収納 されたなら政府の平生行政 費 支弁 に差支 ふる ことなく交通借款は充分保証 されるであらう。斯 ることがわかる。
く て無担 保借款 の解決 が交通部借款 の解決 を容易 にするに与 て力あ 問題 は二億 五千万元 の額 が裁兵目的に対 し充分なりや否 やである。 軍隊 の正確なる数と未払軍費 の正確なる数 とが明 にな つて居 ないが 吾人は名 目上 の数字 に従 ひ軍隊数を百二十 万と計算する。仮り に四 十万人を百二十万 の総 数中 から裁撤するとして各人 に月十元 の割 で 支払ひ、未払給料を 一ケ年 とす るときは其金額 は 一億九千 二百万元 に達 する。若 し彼等軍兵 が裁撤 に当り二ケ月分を割増支給 せら るる とす ると三千 二百万元を要す る。臨 時特別費 二千万元と裁兵事務費 さま で無理なものではないと思 ふ。
六百万元を見 るときは計算は丁度適合す る。上 の数 字に基く計算は
関 車
︹ 石根︺
松 井少 将 報
十一 、国 民 戦 の為 破損 せ る区域 の修 理
左 記 は知多 鉄 道 長 官 アド リ ア ノ フ スキ ー及 極 東 交 通部 長 イ ワ ノ フ
抑 も黒 竜鉄 道 の状 態 が不 完 全 な る為 、千 九 百 二 十 二年 十 一月該 鉄
割 管 理 され た る事 を知 ら ざ る可 か らず 。
称 が千 九百 二十 三年 三 月 一日 より廃 せら れ 、 知多 及 烏 蘇 里 鉄道 に分
極 東交 通 部 管 内諸 鉄 道 の現 状 を 知 ら ん が為 には先 づ 黒竜 鉄 道 の名
せ ら れ た るも のな り。
よ り得 たる情 報 とし て、東 支 鉄 道 機 関 雑誌 ﹁満 洲 経 済事 報 ﹂ に掲 載
三 一 知 多 烏 蘇 里 鉄 道 の現 状
在哈
大正十 二年六月三十 日 ( 庶 調情第三〇四号)
次
知多鳥蘇里鉄道 の現状 目 一、三月 に於 ける知 、鳥鉄道 の輸送状況 1、知多鉄道 の輸送状況 二、機 車
2、鳥蘇里鉄 道 の輸送状況 三、貨
四、貨物 一列車 の平均車輌数及貨物輸送高
を任 命 す る に 至 れ り。 殊 に又食 糧 税 及 播種 用 の穀 物 百 五十 万 布度 の
道 の状 況 調 査 及列 車 の運 転 を適 確 な ら しむ る目 的 を 以 て、 特 別委 員
輸送 の必 要 の存 せ り 。其 の結 果各 方 面 に欠 陥 を発 見 し 、営 業 部 其 他
五、作業機関車及車輌 の 一日平均走行露 里 七、採 用 速 力
能 力 五 十車 な り し を 以 て百 五十車 を増 加 し 、列 車 の遅 延 を少 から し
多 数 人員 の淘 汰 を行 ひ、 又 管 理 上 の善 後 策 を適 用 し、 一昼夜 の発 車
六、知、鳥両鉄 の輸送能力と実際 の貨物輸送 との比較
料
め 、 斯 く し て該 鉄 道 を隣 接 鉄 道 に隷 属 せし む べ く 二分 す る事 に決 定
八、車 輌 生 活 九、燃
十、旅 客 列 車
し 、 三 月 一日 より ク セ ニ エフ ス カ ヤ駅 よ り ウ シ ユム ン駅 迄 (約 七 百 五 十 露 里 ) を 知多 鉄 道 に、又 ウ シ ユム ン駅 より ポ ク ロ フカ駅 (哈 府 西 方 ) 迄 (約 八百 五十露 里) を烏 蘇 里鉄 道 に合 併 せり 。 一、 三 月 に於 け る知 、烏 鉄 道 の輸 送状 況
計
六五七
五 四 四 ・〇
右 の如 く三 月 の輸 送 高 は其 の要 求 の八十 三 プ ロ セ ント に相当 し、
二月 に於 て は 一日 の要 求高 は 四〇 三 ・七 車 にし て 、実 際 に輸送 せ る
四、 五 九 〇 車
輸送要求高
四 、 一八 五 車
実 際 の輸 送 高
1 、知 多 鉄 道 の輸 送状 況
も のは 四 三〇 車 な り 。 即 ち 一〇 九 プ ロ セ ント に相 当 す るも のな り。
六 、〇〇〇 車
本 年 三 月 に於 け る知 、烏 鉄 道 の 一昼夜 の輸 送 は 、輸 入品 を 減 少 せ
二月
烏 蘇 里 鉄 道 の輸 出 貨物 輸送 高 は 二月 に於 ては 三 、 六 六 七貨 車 な り
に於 け る総 数 は九 八 三 とな る)斯 く の如 く 知多 鉄道 の輸 送 が増 加 せ
三 十 車 (二月 ) 及 三 一 ・七車 (三 月 ) な り。 (註 、移 入 貨 車 の三月
其 他 別 に知 多 鉄 道 が 隣接 鉄 道 よ り移 入 せ る貨車 の数 は、 一日平 均
ん が為 、 満 洲 里駅 に於 て各 種 税 金 率 を増 加 せ る に関 せず 、 二月 の輸
三月
し も 、 三 月 に於 ては 六 、〇 三 一貨 車 に達 せ り。 穀 物 税 の輸 送 の為 割
るは 黒竜 鉄 道 の 一部 を 併合 せ る に依 るも のな り 。
五 、〇 六〇 車
の為 (三 月 二十 九 日)輸 送 の減 少 を 見 る に至 れり 。
送 に比 較 し 百車 輛 の増加 を見 た り 。然 る に 三月 に至 り黒 竜 江 の解 氷
る数 は 三 百 十 一貨 車 な り 。今 両 鉄 道 の三 月 に於 け る知 、烏 両 鉄 道 所
輸 送貨 物 の主 な る も のは 政 府 の貨 物 にし て、 一日 の輸 送 平均 は 一、
当 てた る 両 鉄道 の車 輛 は 五百 二十 二車 な り し も、 実 際 輸送 せら れた
属 車 輛 の輸 送 高 は次 の如 し。
知 多 鉄道 長 官 アド リア ノ フ ス キ ー の言 に依 れ ば 、 三月 には労 農 政
各種 貨物
三〇〇
一九
〇 ・五
三 一〇 ・〇
四 ・八
フネ ジ ン スク より モ クゾ ン迄 の各 駅 に於 け る材木 及 枕 木 等 約 七十 万
政府 の輸 送 が極 め て多 数 な りし は タ タ ウ ロウ オ の森 林 地 及 ウ エル
よ り の輸 送 が増 加 せ る を以 て、知 多鉄 道 の三 月 の収 入 は 二 月 よ り多
従 来 よ り も満 洲 里 よ り の輸 入 は減 少 せ る も、 三 月 七 日以 来 欧露 方 面
( 註 、残 余 の三 三 プ ロ セ ント に関 し て は記 載 せ ら れず )
府 が満 洲里 よ り の食 糧 品其 他 種 々 の輸 入品 に対 し関 税 を 上 げ た る為
〇 九 六車 、即 ち知 多 鉄 道 の全 輸 送 高 の六 四 プ ロ セ ントな り 。
六五
︱
二 ・七
鉄道経済課
二
四 ・六
三 二 ・〇
六 四・ 一
九
実際輸送高
陸 軍交通部 ︱
輸送要求高 ( 車輛数)
外国 貿易
最 高経済機関
ツ エント ロソ ユーズ
一一
五八
2 、烏 蘇 里 鉄 道 の輸 送 状 況
本 を 沿線 に輸 送 せ る為 な り。
し と言 ふ 。
局
料
一二五 ・〇
県供給委員会
一九三
燃
個人 の貨物
規 定運賃 に依 る
一三 、 七 一〇 (四 五 七)
五 、 七〇 〇 (一九 〇 ) 一一、 二 八 一 (三 七 六 ・〇 )
六 、 四 二 一 (二 一四 ・ 一)
実 際 の輸 送高 (括 孤内 は 一日平 均)
二月
輸送要求高
三月 其他 別 に鳥 鉄 が隣 接 鉄 道 よ り移 入 せ る車 輛 は 、 一日 平均 二 二 三車 (三月 ) 及 一五 八 車 (二月 ) な り 。 ( 註 、移 入貨 車 三 月 に於 け る総 数 は 六、 九 一三 と な る) ︹ 浦塩埠頭︺ 三月 に於 け る鳥 鉄 の輸 送 の増 加 し 居 るは 、東 支 鉄道 よ り エゲ ル シ エリド に向 ふ輸 送 が 増 加 した 事 及 黒 竜 鉄道 と の併合 に依 るも のな り。 輪 送貨 物 の大 多 数 は 政 府 のも のにし て、 一日 の平 均輸 送 は 二〇 一・ 二車 、即 ち総 輸送 高 の五 三 プ ロセ ント な り 。個 人 の私 物 輸 送 は 一〇 二 ・六車 、即 ち 二 七 プ ロセ ント な り。 三 月 の輸 送 高 は 二 月 に比 し 殆
車
ん ど 二倍 に近 し 。 関
1、知 多 鉄 道
二 、機
知多鉄道 の組立工場 の作業 は昨年度 に比し大 に伸張 し、現在機 関 の大修繕月三台を行 ふ能力あり。尚該鉄道 に併合 せる黒竜線 に配給 すべき輪転材料 を目下修繕 中なり。 2、鳥蘇里鉄道
三 月 に於 ては機 関車 の大 修繕 な し 。 車 1、 知 多 鉄 道
三 、貨
2 、 鳥 蘇 里 鉄道
一列車 に於ける車輛数
三二
四、貨物 一列車 の平均車輛数 及貨物輸送高 (三月中) 知多 鉄道
知多 鉄道
烏 蘇里鉄道 〃
貨物輸送高 三七、九三〇布度
三 一、三〇七布度
一列車 に於け る車輛数
三四
鳥蘇 里鉄道 五、作業機関車及車輛 の 一日平均走行露里 ︹ 編注、一露里は 一 粁弱︺
三月 に於 ける増加は暖気 の到来と且又作業機関車及貨車 の数 が減 少 せられたるに依 るも のなり。
鳥 蘇 里鉄 道 の速 力 の減 退 は鉄 橋 の焼 失 等 に原 因 す るも のな り。 八 、車 輛 生 活
三 月 一日頃 に於 て車輛 生 活 に充 当 せ ら れ た るも のは 、 知 多鉄 道 に
於 ては 二 七 四車 、 又 烏蘇 里鉄 道 に於 ては 三 四九 車 な りき 。然 る に 三
せり 。其 原 因 は黒 竜 鉄道 庁 が廃 せら れ 、其 の従 業 員 が知 多 及 哈府 に
月 中 に於 て知 多 鉄 道 は 更 に 一 一四 車 、 又鳥 蘇 里 鉄 道 は六 八 車 を増 加
九 、燃
料 ︹編注、一ー ク ボ 一立 は米︺ 方
分 割 移 転 せ る為 、 其 の輸 送 に配 給 せら れ た る にあ り。
バ ガ ル スキ ー炭 坑 等 よ り石 炭 を 得 。 又薪 は主 と し て タ タウ ロウ オ森
は チ エルノ フ スキ ー 、 ハラ ノ ル スキ ー、 ハリ ヤ ンチ ン スキ ー及 ア ル
(註、数字 は単 に標準を示した るも のなるべし)
六、知 、烏両鉄道 の輸送能力 と実際 の貨物輸送と の比較
燃 料 は概 し て充 分 にし て将 来 に対 す る 不足 を 感 ぜざ る状 況 にあ り。
烏蘇里鉄道 が輸送貨物 の増加及東支鉄道経由貨車を採用 せるに拘
知 多 鉄 道 は千 九 百 二 十︱ 二十 三年度 に於 て燃 料 を不 足 せず 。該 鉄 道
らず、其実際 の輸送能力 の減少 を見たるは黒竜鉄道 の最 も輸送 の微
な ら ず 、 又黒 竜 鉄 道 西線 に毎 月 三 十 万布 度 以上 の石 炭 を支 給 せ り。
林 よ り供 給 せら れ た り。 之 に依 り て該鉄 道 は其 の需 要 を充 せ る のみ
七 、採 用速力 (露里)
弱な る九百四十 四露里 の線路 を併合せる為なり。
キ ー炭 坑 は 火災 発 生 の為 何 れ も採 炭 を休 止 し つつあ り 。鉄 道 は目 下
目 下 ア ルバ ガ ル スキ ー炭 坑 は駅 と の連 絡 不便 の為 、 又 ハラ ノ ー ル ス
燃 料 の消 費 減 少法 に関 し考 案 中 な り。 又 石炭 及薪 の混 合燃 料問 題 に
採 用 す る案 もあ り 。 チ エル ノ フ スキ ー の石 炭 は 一布 度 の契 約 値段 は
関 し て も研 究 を進 め つ つあり 。 且又 チ エルノ フス キ ー の石 炭 のみ を
知 多鉄 道 に於 け る旅 客 列 車 の遅 延時 間 は従 来 に此 し 三月 に於 ては
月 に於 け る平 均 乗 客 は 六 八 ・四八 プ ロ セント にし て、 又莫 斯 科︱ 浦
収 容力 の増 加 は 列 車 に於 け る座 席 を増 加 せ る に依 る も のな り 。三
十 、旅 客 列 車
六 ・五哥 な り。
一列 車 に就 き 、平 均 一時 間 三十 五 分 を縮 少 し、 又鳥 蘇 里鉄 道 に於 て
潮 間 急 行列 車 第 一、 第 二列車 の乗 客 は 六 二 ・二 〇 プ ロ セ ント な り。
国民戦 の為破損 せら れたる区域及線路 の修 理大工事は、先づ旧黒
十 一、国民戦 の為破損せる区域 の修理
編注 、 内 部 よ り︺ 賃 を 以 て 、 二人 用 の ク ツペ︹鎖 錠可能寝台車 を配 給 す る に至 るべ し 。
三 等 に分 た ん とす るも のな り。 尚 又希 望 者 に対 し ては 一等 車 の乗 車
二 等 を 一等 に併 合 し 、而 し て三 等 及 四等 を其儘 保存 し 、以 て車 輛 を
即 ち現 在 の車 輛 は 四等 に分 れ 居 る も 、 バネ 仕掛 の座 席 を有 す る 一、
如 く改 革 せん と し つ つあ り。
二分 せ るも 、極 東 交通 部 管 内 の鉄 道 に於 ては之 を応 用 せず し て次 の
国 に於 ては 車輛 は バ ネ仕 掛 の座 席 を有 す る も のと、 板 敷 のも のと に
知 多 鉄 道 は 目下 旅 客 列 車 の運 転 に関 し種 々改 革 考 案 中 な り。 又 露 本
は 四時 間 四十 九 分 に縮 少 せ り。 是 れ暖 気 の到 来 に基 く も のな り。 1 、 知多 鉄 道 の客 車 数 は次 の如 し 。
︹ママ︺
知多 鉄 道 に於 け る客 車 八 十 二 輛 の増 加 は 烏 蘇 里鉄 道 より 到 着 せ る も の、 及露 国 所 属 鉄 道 に返 送 す べ き も のを算 入せ る為 な り 。 2 、知多 鉄 道 の客 車 の収 容 力 の増 加
に至 る線路は、昨年已 に六十露 里 の速力を以 て通行 し得る程度に復
竜鉄道 より開始する計画なり。旧知多 鉄道及黒竜線 のクセネフカ駅
旧せり。本年は該区域 を以 て枕木 の取替及敷石 の整 理を行ふに止 ま
るべし。今回併合せる黒竜線 に於 ては破損 の箇所も多数 にして大修
理 を要 す べ く 、鉄 橋 の如 き は 一時 列 車 の通 行 を可 能 な ら し めん が為 、
の改 善 を必 要 と す。 又 ス レ テ ン スク線 (百 七 十 五露 里 ) の軽 線 路 を
仮 橋 を架 設 す べ し。 其 他 黒竜 線 に於 ては給 水 所 機 関 庫 及鉄 道 材 料 等
重線 路 に取 替 へて 、本 年 中 に完了 す る計 画 な り 。是 れデ カボ ード 式 機 関 車 の通 行 を可能 な らし め んが為 なり 。
例
目
三
( 甘珠児廟会 の移転問題顛末)
4 鉄道運賃 の割引 外蒙古調査 序
吾曹満蒙開発 の声を聞 くや久しと雖其 の中外蒙古 は土地遠隔な る
外蒙古 の大勢
上其 の開拓 は決 して等閑に附すべからざ る也。
開発 の余地充 分あり て、我国 に無限 の原料供給地たるべく、我立国
の故を以て由来閑却 されたり。然れども其 の畜産 、鉱産 に富 み将来
外蒙古 に於け る各国 の活動
三 田了 一
満 鉄 と外 蒙古
(庶調情第八五八号)
山内勝雄
三二
次
満鉄と外蒙古
大正十二年十 一月 秘
序 凡 一
第 一、外蒙古開拓 の意 義と価値 二 外蒙古 と日本及満鉄
大正十二年十 一月
論ず る処傾聴 に値す。識者 の 一読を乞ふ。
調査課長
満鉄哈爾賓事務所
山 内勝 雄
課員三田了 一は着実真摯 の蒙古研究家 にして其 の外蒙古開拓策 を
満鉄 の背後 地として重要 なる土地となり開拓を要するや切也。
而し て四〓線完成し鉄路〓南、白音 太来迄開通せる今日に於 ては
三
外蒙開拓 の経路及其 の方策
第 二、外蒙古 の開拓策 一
外蒙古 の廟会と廟会 の助成発達 1 地理上より注意すべき点
二
2 宗教上より注意 すべき点 3 政治的方面より考 ふべき こと
凡
例
一、本 書 は蒙 古 開 拓 に関 す る緒 論 的 の報 告 であ る。
拓 をな す 必要 切 にし て急 な る も のあ る を報 告 す 。
一、 本報 告 は外 蒙 古 開拓 の意 義 と 価値 を 明 に し我 国 と し て外 蒙 古開
し 、最 効 果 あら し む べ き か に就 き概 略 を報 告 す 。
一、 本書 は如 何 な る方法 と手 段 と を 以 て せば 外 蒙 古 開 拓 を最 容 易 に
改 め て報 告 す 。
一、 外蒙 古 開 拓 策 に就 き具 体的 詳 細 の事 項 に亘 り ては各 項 別 に稿 を
一、 本報 告 書 中 廟 会 の助成 発 達 と 言 ふ項 に関 し ては 当所 調査 時 報第
大 正 十 二年 十 一月
二 号所 掲 の甘 珠 児 廟 会 事情 を参 照 あ り た し。
産物 の豊 富 な る こと は夙 に世 人 に周知 せら るる処 に し て、 将来 開 発
若 此 の地 に文 明 の光 を通 し て運 輸 交通 の便 を開 き 、積 極 的 に未 開
を待 つべき 無 限 の天 然 の宝 庫 であ る。
外蒙 古 に於 け る各 国 の活 動
の宝庫 を開 拓 す る時 は世 界 の進 運 に貢献 す る処 至 大 な る も のあ る べ き は瞭 で あ る。 二
清 朝 の蒙 古 を征 服 す る や王 公 を優 遇 し、 他 方喇 嘛 教 を利 用 し て専
ら 懐 柔 に つと め、 今 日 に至 る 二百 余年 間 蒙 古 を 暗 黒世 界 の裡 に置 き 、
蒙 古 民族 を蒙 味 愚 鈍 に導 き広 漠 た る平野 に永 く 埋 没 せ し め、 遂 に立
斯 の如 く し て外 蒙 古 の地 を恰 も 数 千年 前 の原 始 状態 と異 るな き有
つ能 はざ る に至 ら し め た のであ る 。
様 に居 ら し め た る間 に、露 国 の勢 力 は次 第 に東 漸 し て西 暦 一六 四 〇
年頃 には哈 拉 哈 地 方 と交 易 を開 く に至 り 、 一七 〇 〇年 頃 に は露 人 は
恰 克 図 よ り庫 倫 を 経 て北京 に来 れ るも のあ り、 其 の後 一七 二〇年 に
は露 人 の為 に庫 倫 を 開放 し て通 商 を 公許 す る に至 り 、外 蒙 古 に於 け
一
る露 人 の地位 は愈 々確実 と なり た るが 、当 時 彼 等 の望 む所 は毛 皮 の
三 田 了
第 一、外 蒙 古 開 拓 の意 義 と価 値
満 鉄哈 爾 賓 事 務所 調 査 課 員
外 蒙 古 の大勢
交 易 にあ り其 の後 も 露 人 の蒙 古 に於 け る活 動 は貿 易 に限 ら れ た るも
一
蒙 古 は 支 那本 部 の北 方 に位置 し満 洲 の西 方 に連 り、 西 は中 央 亜 細
に民 国 と な る や蒙 古 を指嗾 し て独 立 を 宣言 せ しめ 、露 国 と の関 係 は
彼 等 の蒙 古 に居 る こと 久 し き、 遂 に蒙 古 に根 底 深 き 地位 を築 き 、 先
一層 密 接 の度 を加 へ、近 く 露 西亜 の混 乱 に際 し反 過 激 派 軍外 蒙 に拠
の包 容 す る人 口は僅 か に百 五 十 万 人 を算 す る のみ。 中 央 部 に戈壁 の
つて事 を起 す や 、遂 に兵 を 進 め て之 を 討伐 し 、名 を構 へて庫 倫 を占
亜 に接 し 北 は西 比利 亜 に境 す 。其 の面 積 実 に百 三十 六 万 方 哩 に及 其
のを外 蒙 古 と言 ふ 。
の自 由 な る交 通 を許 さず し て物 資 を労 農 露 西亜 外 に輸 出 す る ことを
領 し、 遂 に外 蒙古 を し て完 全 に労 農 露 西 亜 の政 権 下 に置 き 、外 部 と
大 砂 漠 東 西 に延 び て其 の南 方 にあ る地 を 内蒙 古 と言 ひ、 北 に居 る も
中 央部 の沙漠 地帯 を除 き ては牧 草 よく 繁 茂 し 牛 、馬 、 羊 、駱 駝 等
阻 害 し てお る 現状 で あ る。
の生 畜 よく 飼 養 せ ら れ 、家 畜 並 其 の生 産 品 た る獣皮 、獣 毛 の産 見 る べ き も の あ り。其 の他 金 、 銀 、 銅 、鉄 、 石 炭 、 塩 及天 然 曹 達 等 の鉱
ゆ るも の に対 し て重税 を課 し て苛 斂誅 求 行 はざ るな く 、 日常 必需 品
労 農 政権 下 にあ る庫 倫 政 府 は外 蒙 古 人 に対 し て日 常 生活 上 のあ ら
の言 ふ が如 く 、開 拓 す る程 の価 値 なき と 思惟 せら れ た る によ るも の
の地 た る にも拘 らず 、 今 日 ま で何 等 顧 ら れざ りし 所 以 のも のは論 者
来 の為 寒 心 の外 なし 。 外蒙 古 は満 洲東 部 内 蒙 古 に接 壌 す る前 途 有 望
な し と なす も の あ るが 、斯 の如 く し て棄 て て顧 ら れざ るは 我国 の将
に其 の理 由 を明 にす る こと は 今後 の外 蒙 古開 拓 上 必 要 の ことな るべ
な る べき も 、 他 に何 か原 因 す る処 あり た るも のとな す 外 はな い。茲
を得 る こと に も困 難 を嘗 め つ つあ る を以 て 、愚 鈍 な る蒙古 人 も労 農
露 西 亜 の外 蒙 古 に於 け る関 係 は右 に述 ぶ るが如 く 既 に久 し く し て
政 権 の覊絆 を脱 す る こと を望 ん で居 る こと は 明 であ る。
近 時行 詰 り の状 態 であ る。然 る に近時 英 米商 人 の外 蒙 古 に於 け る活
く信 ず る を 以 て、 左 に列 記 す る こと にす 。
に家 畜 に親 みを 有 せず 、 畜 産品 の取 扱 を な す こと を好 ま ぬ傾 向 が
今 日迄 蒙 古所 産品 とし ては畜 産 品 に限 ら る 。然 る に邦 人 は 一般
古 に対 す る 知識 の浅 き こと 。
邦 人 と し て外 蒙 の調 査研 究 をな し た る も のな く 、 一般 人 が 外蒙
があ つた と言 ふ こと 。
日露 両 国 間 協 定 によ り外 蒙 古 は露 国 の勢 力範 囲 な りと 云 ふ諒 解
動 は実 に見 るべ き も のあ り。 米 商 は南 方 の門 戸 た る張 家 口、 帰 化城
イ
ハ
ロ
等 京綏 鉄道 方 面 より発 展 し て、 既 に根 底深 く 動 す べ か らざ る も のが あ る。 又 北方 門 戸 た る呼 倫 貝 爾 方 面 より も英 米 商 の活 動 実 に目 醒 ま し きも のあ り 、漸 次 蒙 古 奥 地深 く動 す べか らざ る地 歩 を 開 拓 し て居 る のは明 であ る 。 独 り 日本 人 は外 蒙 古 に接 壌 し た る 地位 にあ り な が ら何 等 為 す処 な
あ る 。従 て畜 産 品 を原 料 と す る 工業 も ま だ発 達 す る に至 らず 、 邦
く 、邦 人 の外 蒙古 に於 け る地 歩 全然 認 む る こと は出 来 ぬ。 斯 の如 く し て今 日 の機 を 逸 せ ば邦 人 には 永遠 に外蒙 古 を開 拓 す る時 は来 る こ
遠 大 な る目 的 に向 つ て進 み、 堅 忍持 久 の精 神 を 必要 とす る事 業 に
眼前 の小利 を追 ふも の多 く 、 一般 に堅 実 味 薄 く外 蒙 古 開拓 の如 く
満 洲地 方 に活 動 す る邦 人 は 一獲 千金 を夢 み るも の にあ らざ れば 、
人 と し て外 蒙 古 発 展 上 に特 別 の便 宜 なし 。 ニ
と あ ら ざ る べく 、可 惜 富 源 は外 人 の手 に の み委 し て は何 時 ま でも開
け る大 な る使 命 を完 うす る も の にあ らず 。吾 至 要 な る原 料 供 給 地 に
対 し ては之 に従 事 し 得 る忍 耐 力 な し 。
発 せら るる ことな き に至 る は知 るべ き で あ る。 斯 く て は我 東 亜 に於
し て又 満 鉄 の将 来 あ る背 後 地 を永 久 に失 ふ に至 るべ く 、国 家 百 年 の
も撤 廃 せら れ た る を以 て、 日露 間 の協 定 は最 早 尊 重 す る要 な く 、外
然 に華 盛頓 会議 以来 各 国 の対支 政 策 は 一変 せら れ 、所 謂 勢 力範 囲
価 値 も な き も のと し て全 然関 心 事 外 にお か し めた ので あ る。
一般邦 人 を し て外 蒙 古 の経営 は言 ふべく し て行 ふ べ から ず 、 又其 の
将 来 を考 へ急 速 に適 当 な る開 発 策 の講 ぜ ら れ ん こと を 切 に望 む も の
外 蒙 古 と 日 本 及満 鉄
右 の如 き次 第 に て外 蒙 古 と境 を接 し な がら 之 に近づ く機 会 なく 、 三
で あ る。
外 蒙 古 は 満 洲 を離 る る こと遠 く 土 地 砂漠 にあら ざ れ ば広 漠 た る草 原 にし て、 住 民 の密 度 は稀薄 にし て 、其 の性 質 は蒙 昧 愚 鈍 な る を以 て、其 の開 拓 には至 大 の困難 に遭 遇 す べく 、強 いて開 拓 に当 る価 値
︹マ マ︺
蒙 古積 極 的開 発 に当 るを 我満 蒙 開 拓 の使命 を完 う し 、我 立 国 の基 礎
一
外 蒙 開拓 の経 路及 其 の方策
拓 せら れ ず 、生 畜 は 全 く天 然 の儘 に放 任 せ ら れ て放 牧 せら れ 、古 来
外 蒙 の地 は金 、 銀 、銅 、 鉄 、食 塩 、 天 然曹 達 等 の地下 の蔵 未 だ開
大 体 に於 て南 北 に通 じ 、外 蒙 の物 資 は多 く張 家 口、帰 化 城 等南 方 の
接 壌 す る地 方 よ り歩 を進 む べき は勿 論 であ る が、外 蒙 古 の通商 路 は
の手 に て開発 せら るべ き地 であ る。 外蒙 古 の開 拓 には東 部内 蒙 古 に
我 蒙 古 の経 営 は我南 満 及 東 部蒙 古 の開 拓 の延長 にし て、当 然 邦 人
何 等 の改 良 の施 され た る も のな き を以 て、其 所 産 品 は質 劣 悪 にし て
れ て居 る故 に、外 家 古 の物 資 を 先 づ東 方 の市 場 た る白音 太来 、〓 南
市 場 に集 り 、東 部 内 蒙古 の市 場 に集 るも のは極 め て 一小 部 分 に限 ら
を鞏 固 にす るも ので あ る。
今 日 の 工業原 料 とし て改 良 の余 地至 大 であ る。即 牧 畜 方法 の改 善 、
等 に誘 致 す る策 を と り、外 蒙 古 よ り内 蒙 古 に通 ず る通商 路 を新 に設
優 良家 畜 の普 及等 、 事 と し て開 拓 を待 た ぬも のな し。 然 し て開 拓 の 結 果 は直 接 我 国 に無 限 の原料 供 給 地 た る べく 、 我立 国 上外 蒙 古 の開
定 す る こと が肝要 で ある 。
い に学 ぶ べき こと であ る 。然 し 不自 然 な る人為 的 の策 に より て外 蒙
庫倫 と張 家 口 の間 に先 づ 通信 路 を設 定 し た る が如 き 故智 は此 の際 大
露 国 が外 蒙 古経 営 をな す に際 し て も通 商路 の開 設 には最 も注 意 し 、
拓 は 正 に必要 な る こと であ る。 外蒙 古 の開 拓 は 右 の如 く 立国 上 の必 要 事 た る のみ な らず 、 満 鉄 の背 後 地 と し て鉄 道 経営 の将来 て ふ見 地
今 日 経営 上 よ り外 蒙 古 開 拓 の価 値 な し とす るは我 立 場 を顧 慮 せず
より も注 意 せな け れば な ら な い処 であ る。
かん とす る は至難 のこと にし て其 の実 を 挙 ぐ る こと 難 し。 宜 く地 方
古 の物 資 を東 部内 蒙 古 に誘 致 し 、白 音 太 来 、〓 南 方 面 に通 商路 を導
の実 状 蒙 古 人 の心 理 等 を仔 細 に研 究 し て極 め て自 然 的 で、 無 理 のな
外 蒙古 の実 情 を も究 めず し て言 ふ無責 任 の言 な り とす る譏 り は免 る
い方策 に よ る こと は最 肝要 であ る。 此 の見 地 に於 て蒙古 人 の信 仰 を
こと は出 来 ぬ故 に、徒 ら に躊 躇 逡 巡 す る こと な く 、 日本 の立国 を 鞏
ては 世 界 の進 運 に貢 献 す る処 あ らん が為 、 よく 現状 に策 応 し て、 積
固 にす る為 、満 鉄 の将 来 の為 、蒙 古 及 蒙古 人 の幸福 増 進 の為 、引 い
捕 へ、又 蒙 古 人 の移 動 並 に蒙 古 の通商 貿 易 上最 重 要 の地位 にあ る喇
事 業 に従事 す るも のあ るも 其 の組 織 宜敷 を得ず 。其 の当事 者 亦其 の
せ しむ る こと が肝 要 で あ る。現 在 内 蒙古 地 方 よ り外 蒙 方 面 に対 す る
内 蒙 方 面 に於 け る邦 人 の活 動 を組 織 的 に し、 外蒙 経 営 の方 策 に合 致
右 の如 く し て廟 会 の発 達 助成 を計 り て外 蒙 開発 の路 を開 く と共 に、
第 一歩 と し て最 有意 義 な る策 で あ る。
物 資 の誘 致 の路 と な し、 次第 に深 く開 発 の歩 を進 む るは外 蒙開 拓 の
嘛 教 の廟 の祭 典 に於 け る定 期 市 、所 謂 廟会 の助 成 発 達 を図 り て外 蒙
極 的 に徹 底 し て開 発 の歩 を 進 め ら れ ん こと を切 望 す る も の であ る。 第 二 、外 蒙 古 の開 拓 策 我 満 蒙 の経 営 に著 手 し て既 に十 数 年 に及 び 、満 洲及 東 部 内蒙 古 の 開拓 の跡 は実 に顕 著 な る も の であ る。 更 に今 後は 進 て未 開 の接 壌 地 方 に向 つて開 拓 の歩 を進 め て行 か な け れば な ら ぬ。 先 に記 す る処 に より 既 に我 外 蒙古 開 拓 の意義 と価 値 は明 にな つた。 此 の上 は如何 な る方 面 によ り如 何 な る方 法 を 以 て外 蒙 古経 営 の歩 を 進 む べ き かを慎 重 に考 慮す る は今 日 の最 重 大 な る問 題 で あ る。
の点 は先 づ注 意 し な け れば な ら ぬ故 に、内 家 古 方面 に於 け る現 存 の
人 を得 ず 。外 蒙 古 に対す る積 極的 発 展 には何 等資 す る処 がな い。 此
対 外蒙 開 発機 関 を 充 実 す る こと が先 必 要 の こと であ る。 然 し 内蒙 古
板
上
大 板 上 は白 音 太来 の西 方林 西附 近 の黄 河 の沿 岸 にあ り、廟 会 開 期
一、 大
本廟 会 に於 け る廟 市 は 往古 は賑 盛 を極 めた る も のな る が今 日 は多
を旧 暦 六 月 一日よ り六 月 十 五 日 に至 る間 とす 。
少 衰 微 し た る傾 が あ る。
方 面 よ り外蒙 古 の開 拓 に歩 を進 む る には今 日 ま で何 等見 るべ き基 礎 な き を以 て、外 蒙 古 の原始 的 経 済状 態 よ り 考 へ開 拓 の実 を得 る こと
一、多 倫 諾 爾
右 の外 哈 拉 哈 ユク ヂ ユル廟 に於 け る廟 会 は 七 月 一日 か ら開 か れ盛
れ市場 の性 質 も大 分 変 化 し た が、 尚定 期 市場 の取 引 盛 に行 は る。
人 は 此 の地 を単 に喇嘛 廟 又 は廟 上 と称 す 。 近時 此 の地方 は開 墾 せら
多倫 諾 爾 は内 蒙 古 に於 け る蒙 古 人 の尊 信厚 き喇嘛 の廟 あ り、 蒙 古
廟 会 の開 期 は旧 七 月 一日 より 七 月十 五 日 に至 る間 であ る。
通ず る地 位 に当 る。
多 論 諾 爾 は張 家 口 の北 方 門戸 た る地 に し て内 外蒙 古 の重要 地 点 に
は至難 であ る。 茲 に於 て外蒙 の開 拓 に特 に便 利 にし て重 要 の地 位 にあ る呼倫 貝爾 及 京綏 鉄 路 方 面 よ り、 先 づ適 当 の組 織 、 規 模 、方 策 によ り外 蒙 古奥 ︹マ マ︺
地 に地歩 を据 え 、内 蒙 古 方面 よ りす る進 出 に対 し仲 継 を な し、 中 部
要 な こと で注 意 す べ き点 で ある 。
外 蒙 古 に向 つて進 む 、我 外 蒙 古 の経 営 を容 易 な ら しむ る ことは 最 必
右 の見 地 に より 以下 内 蒙 古 に於 け る廟 会 の発達 策 に就 き記 す る こ と と し、内 蒙 古 方 面 及北 方 呼 倫 貝爾 方面 並 に南 方張 家 口、 帰化 城 方
市 し 、 一年 を 通 じ て出 廻 る も の でな い故 に、出 廻 期 又 は特 別 の地方
外蒙 古 の住 民 は游 牧 を 生業 と な す を以 て其 の生 産 品 は季 節 的 に出
成発 達 を 訂 る は誠 に目下 の急 務 であ る。 今此 の種 の定 期 市場 とし て
速 に満 鉄 の背 後 地 と し て最 価値 あ る地 を選 定 し 、積 極 的 に廟 会 の助
市 場 を よ く利 用 す る は外 蒙 開拓 上 最 意義 あ る こと であ る。茲 に於 て
分 行 は れ 、蒙 古 貿 易 の主 要 部分 を占 む る を以 て、廟 会 に於 け る定 期
蒙 古 に於 け る物 資 の交 易 は右 の如 き廟 の祭典 た る廟 会 に於 て大 部
に取 引 が行 は れ て居 る。
的 事情 の下 に物 資 の集 中期 に於 て施 行 せら るる喇 嘛 の廟 の祭 典 は 、
具備 せざ るべ から ざ る要 点 に就 き記 す れ ば次 の通 り であ る 。
外 蒙 古 の廟 会 と 廟会 の助 成 発達
廟 に参 詣 す るも の が余 剰 品 を持 ち 寄 り て互 に交 易 す る定 期 市場 と し
1
二
面 よ り の経済 的方 策 に就 き ては各 別 に稿 を改 め て報 告す る積 で あ る。
て非 常 な発 達 を為 し 、此 の市 の定 期 市 は外 蒙 古 に於 け る物 資 の移動
を 放牧 す る に充 分 な る余 地 あ る こと を必 要 とす 。故 に廟 会市 場 とし
用 品 を購 入す る も のな る を以 て廟 会 市 場 と し ては 、附 近 の地 に生 畜
イ 、元 来廟 会 に於 け る取 引 は蒙 古 人 が畜産 品 を売 却 し、彼 等 の日
地 理 上 よ り注 意 す べ き点
上極 め て重 要 な る 地位 にあ り 、外 蒙 古 の開 発 上最 注 意 し な けれ ば な
今 内蒙 古 関 係 地帯 に於 け る此 の種 の主 要 定 期市 場 を見 る に次 の通
ら ぬ処 で あ る。
で あ る。
なら ぬ 。其 の結 果廟 会 市 場 と し ては 、鉄 道 沿 線 を 離 れ た適 当 の地点
て適 当 な る状 態 に開墾 す る ことな く存 置 せし め 得 る地 位 でな け れば
て は現 に既 墾 以 外 の地 区 であ る こと を 必要 と し 、将 来 廟 会市 場 とし
にあるかを知 ることが出来る。
在地 の地理的条件と の関係が、廟会 の隆盛 に如何 に密接不離 の関 係
け る取引 は見 るべきものはな い。之 に依 て見るも廟会 の隆盛と廟所
会は盛大な るを常とす るも気 候の都合上之 に反す るときは廟会 に於
け れ ば な ら ぬ。 即 生畜 の大 群 を送 る為 に鉄 道 に通 ず る適 当 な る草 地
ればなら ぬ。
場 に於 ける取引を考 ふるに当り 一層其 の宗教的見地 を重要視しなけ
来るも のではな い。特 に蒙古 の商取引の重要部分を占むる廟会 の市
外蒙 の地 を開発するに当り外蒙古人 の信仰を無視 しては何事も出
2 宗教的方面より注意すべきこと
を選 定 し な けれ ば な ら ぬ。 ロ、右 の如 く廟 会 附 近 の地 に生 畜 を収 容 す る地 域 を要 す る外 に、
を存 し 、途 中 三 里 乃至 四里 毎 に飲 料 水 を給 す る設 備 をな し 、 生畜 の
外 蒙 古 よ り廟 に通 じ廟 よ り鉄道 ま で生畜 を送 る為 に特 別 の設備 がな
輸 送 に便 す る こと が必 要 であ る。
な け れ ば なら ぬ。蒙 古 人 の生畜 を游 牧 し て夏 季 の低 地 に て牧 草 よく
件 を具 備 す る外 、家 畜 の来 集 に便 利 な る地 勢 を 自然 的 に備 へて置 か
盛ならしむる ことが出来る。如斯して数年繰返す時は遂には外蒙古
き につくが如く蒙古人は遠 近より廟会 に来集し、自然物資 の交易 を
利用して有力なる喇嘛僧を招聘し て廟会 を開くときは、恰 も水 の低
蒙古人は喇嘛 教を信仰する こと誠 に深く其 の独特 の迷信 より喇嘛 を尊信す ること実 に計 るべからざるものあり。故 に其 の信仰心理を
ハ、廟 会 を設 定 し外 蒙 物 資 を吸 収 せ ん為 には 右 の如 き特 別 な る条
場 に出 し て有 利 に売 却 せ んとす るも のな るを 以 て、夏 季 生畜 の大 群
繁 茂 し 、飲 料 水 の豊 富 な る 地 に家 畜 を追 ひ、 生 畜 の肥 満 し た る時 市
を 其 の地 方 に導 き 、其 の集 中 した る時 に廟 会 を 開 催 し て、其 の取 引
甘 珠 児 廟 の如 き は呼 倫 湖 、貝 爾湖 及 其 の 一帯 沼 湖 多 き を附 近 に有
自由 なる交通阻害 せられ、隣接せる哈拉哈地方 の住民さ へも甘珠児
昌を計らんと策 した る事実 がある。即外蒙古 は庫倫 の労農政府 より
嘛廟 の活仏を招聘 して、哈拉哈地方 の住民を招来し甘珠児廟会 の隆
本年甘珠児廟会 に際し呼倫貝爾蒙古 政庁は壱万五千元を投 じて喇
の物資 の移動 の流 れを満鉄関係地帯 に導く に到 るは瞭であ る。
し 、牧 草 よく繁 茂 しケ ル ロ ン河 、哈 拉 哈 河 に沿 う て自 然 甘珠 児 廟 一
を便 す る に足 る だ け の地 位 に あれ ば よ い。
帯 の低 地 に集 る べ き状 態 にあ るを 以 て、 甘 珠 児廟 が今 日 の如 き隆 盛
廟 に行 ふことを得ざりしを以 て、有力なる喇嘛僧を招聘し て蒙古人
して其 の計画実 現す るに至 らず。甘珠児廟 の盛をなし得ざりしが如
然 るに 一万五千円 のみにては其 の喇嘛招聘 の目的を達するを得ず
らしめんと企たのであ る。
の信仰 を利用し、庫倫政府 のなす如何 なる交通阻害 政策 をも無為な
を極 め た るは尤 で あ る。 巴爾 虎 に於 け る ヂブ チ ン廟 は其 の祭 典 の行 は る る季 を気 候 の変 化
こと とな るも気 候 の変 化 は年 々 一定 す るも の にあ らず 。歳 に よ り遅
によ り家 畜 の南 方 より 北 方 に移 動 す る際 、 通 過 す ると き に開 催 す る
速 は免 れ ぬ故 に家 畜 の通 過 の期 と廟 会 と が丁度 一致 す ると き は、 廟
外 蒙 の生産 品 の輪 出 せら るる は夏 季 にし て冬 季 は全 然輸 出 せら る
る を見 ず 。其 の大宗 た る獣 皮 獣 毛 の市場 に現 はる る は六 、 七 月 の候
に し て、廟 会 に於 て多 く取 引 せ ら る る生畜 は夏 季 の牧 草 に て飼 養 せ
政 治 的 方面 よ り考 ふ べき こと
き は此 の際 参考 とし て注 意 す べ き こと であ る。
廟 会 開 設 に地 の利 を得 、宗 教 的用 心 も 周 到 な りと す る も廟 会 に往
ら れ て、最 肥 満 し た る 八、 九 月 の候 な る を以 て、 一般 に満 洲 特 産 物
3
大 な る発 達 を阻 害 す る も のあ るべ し。 故 に地 方 の支 那 及蒙 古 の要 路
復 す る道 路危 険 な るか 、廟 会 に於 け る徴 税 苛酷 に ては 遂 に廟 会 の盛
べき 最 低 運賃 を以 て輸 送 す るは 、鉄 道 運輸 政 策 上 、 又満 鉄 の背 後 地
故 に関 係鉄 道 会 社 は夏 期 間 に出 廻 る外蒙 古 所 産 品 を営 業 上許 さ る
の出 廻 期 と 一致 せず 、鉄 道 輸 送 の最 閑 散期 に行 は る る も の であ る。
引市 場 及 そ れ よ り鉄 道 に通ず る路 上 に於 け る不法 な る徴税 をな さ し
の開 拓 上 、 又満 鉄 の使 命 た る満蒙 の開 発 上 、実 に意 義 あ る ことな る
者 と もよ く 連絡 を持 し 、安 寧 の確 保 に つと め取 引 交 通 を便 にし 、 取
めず 、其 の経路 に より 取引 をな す こと に特 別 の利 便 を与 ふる こと に
外 蒙 古 の開 拓 は支 那 の為 にも蒙 古 人 の向 上幸 福 の増 進 の為 にも 目
を以 て此 の点 充 分 考 慮 せ ら るべ き であ る。
昨 年 甘 珠 児廟 に於 て買 付 けた る馬 匹 を哈 爾賓 、長 春 方 面 に搬 出 す
つと めな け れば な ら ぬ 。
る に際 し、 興安 嶺 に於 て馬 賊 の為 に拉 去 せら れ 不慮 の損 害 を蒙 り た
も の では な い。 四〓鉄 路 局 の当 事者 と協 調 す るは勿 論 関 係 の地方 官
民 とも 力 を合 せ て、 此 の大 事 業 の成 就 の為 に つと め なけ れ ば なら ぬ 。
下 の緊 急 事 で あ る。然 其 の開 拓 は邦 人 の力 のみ にて は成 就 し得 べき
を怕 れ、 呼 倫貝 爾 当 局 は甘 珠 児廟 会 に出 場 す べ き地 方 の商 人 に、 往
る ことあ り 。其 の結 果本 年 の甘 珠児 廟 の取 引 に悪 影 響 を 及 ぼす べ き
復途 中 の通 路 は絶 対 安 全 を保 持 す べき を 以 て、商 人 は安 心 し て甘 珠
斯 く し て廟 を選定 し た る上 は蒙 古 人 の尊 敬 の中 心 た る庫倫 の活仏
るも 策 の得 な るも ので あ る。
な ると き は、 現 に盛 大 な る廟会 とし て知 ら る る大板 上 の地 を選 定 す
必 要 と す るも 、 右 の如 き理 想 的 の地 位 にあ る廟 を選 定 す る こと不能
珠 穆 沁 の富 源 を 開拓 す るた め に 、北 方 に偏 し た る地 位 にあ る こと を
ら るべ き廟 は満 鉄 、 四〓 路 の供 配 圏 にあ り て、 車臣 汗 、 哈拉 哈 、 鳥
に考 慮 せ ら るべ き で 、徒 に姑息 の策 を弄 す べき でな い。其 の選 定 せ
は、 先 に述 べた る自 然 的 人 為 的 に具 備 す べき 要 件 を も参 酌 し て慎 重
然 し て定 期 市 場 と なす べき廟 を内 蒙 古 の何 れ の地 に選 定 す べき か
は充 分 注意 す べき であ る。
内 蒙 古 に於 て廟 会 の定 期 市 場 の助成 発達 を策 す る に当 り ても 此 の点
児 廟 会 に出 場取 引 す べ き を広 告 し て、 往 復 途 中 の馬 賊 の危 険 な き を
鉄 道 運賃 の割 引
保 証 した る が如 き 、 よ く其 の真 相 を語 る に足 る も のが あ る。 4
廟 会 は 外蒙 地 帯 に近く 設 け ら る るを 以 て廟 会 に於 て取 引 せ ら れ た る物 資 を海 港 に送 るに は、 長距 離 間 鉄道 輸 送 に よら な け れば な ら ぬ 故 に、 自然 鉄 道 運 賃 を多 額 に要 し、 其 の為 に其 の道 に よ り外蒙 物 資 が輸 出 せ ら る る こと が不 能 と な るは 免 る こと が出 来ず 、外 蒙 の開 拓 を阻 害 す る のであ る故 に、 海拉 爾 、 満 洲 里方 面 より 外蒙 地 方 の物 資 を輸 送 す る東 支 鉄道 は、 其 の運 賃 に特別 の割 引 を な し 、鉄 道営 業 政 策 に併 せ て外 蒙 物資 の吸 集 を策 し て居 る 。
にし て宜 し き を得 ば 容易 に活 仏 を 招 来す る こと を得 。斯 く し て庫倫
を 其 の廟 会 に招 聘 す べ き で あ る。本 年 の甘 珠児 廟 会 に喇 嘛廟 の活 仏
五、移 転 に よ り て満 洲 里 の商 業 の殷 盛 を期 し得 。
四、蒙 古 人中 に甘 珠 児廟 の希 望 者 多 き こと。
三 、満 洲 里 は後 貝 加爾 、巴 爾 虎 及 哈 拉哈 の貿 易 上 の中 心 地 に位 す 。
較 的高 価 に売 却 し 得 ると 共 に、彼 等 の必 需 品 を廉 価 に購 入 し得 。
六 、移 転 に よ り て蒙 古 人 は自 家 の家 畜 を甘 珠 児爾 に於 け る よ りも 比
を 一万 五 千 円 を投 じ て招 聘 せ んと し た る例 あ る に見 て 、其 の招 聘策
の活 仏 の招 聘 に成 功 せ ば 、車 臣 汗 、 哈拉 哈 の住 民 は確 実 に内 蒙 古 方
シ等 之 に和 し、 之 が実 現 に就 き て商 業会 議 所 の後 援 を求 め た る処 、
等 にし て蒙 古 民 間 の有 力 者 ソ ク ラ タ ・ダ ヘー ヱ フ及 喇嘛 僧 ケ ツプ
七 、 小資 本 貿 易 業 者 も定 期 市 を利 用 し得 。
面 に招 致 す る こと を得 べ く 、当 初 の目的 を達 成 す る こ と期 し て待 つ
考
べき であ る 。 備 甘 珠 児廟 会 の移 転問 題 顛 末
と為 し 、役 員 会 に於 て之 を可 決 し 、 更 に諸 般 の援 助 並 便宜 の供 与 方
会 議 所 は之 を以 て満 洲 里 の経 済 的 発展 に資 す る大 な るも のあ るべ し
に関 し満 洲 里市 役 所 に要 請 し 、 一方東 支 鉄 道 庁 の了 解 を 得 る に努 め
甘 珠 児 廟 会 に行 は る る定 期市 を東 支鉄 道 の沿 線 に移 転 し て商 取 引
た の であ る 。然 し て其 の移 転 の要 件 と し て彼 等 の考 へた る処 は
を便 に せん と す る も のあ り 、東 支 鉄 道 当局 者 は其 の運 輸 政 策 より 常 に此 の種 の計 画 に和 し、 其 の実 現 に つと め た る跡 あ る も今 日 に至 る
せ ん とす る計 画 は古 く より あ り た るも 、 種 々 の関 係 よ り所 期 の功 を
6 、 満洲 里商 工業 者 の後 援
5 、 支那 海 関 に税 率低 減 又 は免 除 の請 願
4 、東 支 鉄 道 の経 済 的援 助 の要 請
3 、 大井 戸 、 貯 水 池 及市 場 への溝 渠 の開 渫
2 、喇 嘛 僧 及 蒙 古 商 人 の宿 舎建 設
1 、蒙 古 神 廟 の建 立
ま で何 等 目 的 は達 成 せら れ て居 ら ぬ。 此 の甘 珠 児 廟 の移 転 問 題 の経 過 は内 蒙古 に於 け る廟 会 の助 成 発 達 策 に参 考 す べき処 あ る を以 て、左 に大 体 の顛 末 を記 す こと に し た。
収 む る こ と を得 ざ り し が、 一九 二 一年 に至 り当 時 の臚 浜 県 (満 洲 里 )
元 来 本計 画 は単 に理論 的 に案 出 し た る も の の如 く 、甘 珠児 廟 会 の
東 支 鉄 道 の沿線 の主 要 駅 に定 期 市 を開 設 し 、外 蒙 古 の物 資 を吸 収
知 事 趙 春 芳 は、甘 珠 爾 定 期 市 を満 洲 里 に移 転 せ ん こと を提 唱 す る に
今 日 の如 く発 達 した る所 以 を知 ら ず 、蒙 古 に於 け る自 然 的 人為 的 の
至 り 、本 問 題 は 一層 世 人 の注意 を牽 く こと と な った 。今 本問 題 の計 画者 の甘 珠 爾 定 期市 移 転 の理由 とす る処 を 見 る に次 の通 であ る 。
関 係 を 無視 し た るも のに し て到 底 実 現 し得 る処 でな い。 果 せ る かな
に満 洲 里 の如 き 一般 蒙古 人 に何 等 関係 な き地 に移 転 す ると言 ふ が
一、 神 廟 の移 転 又 は 新建 立 は蒙 古 人 の宗 教 上 の重 大問 題 にし て 、特
一般 蒙 古 人 は そ れ に対 し反 対 の声 を 大 に し
一、蒙 古 の政 情 近時 不安 定 にし て 且経 済 状 態混 沌 の為 、 匪賊 横 行 し 商 人 は大 な る不 安 を感 ず 。
分 給 す る に足 らず 。
二 、 甘珠 児 附 近 は 水溜 多 き も是 を 以 ては 家 畜 に必 要 な る飲 料 水 を充
如 き は到 底 肯 定 す る こと は出 来 ぬ。 二、 家 畜及 畜 産 品 の比較 的 多 く 産出 す る巴 爾 虎 地 方 の蒙 古 王族 は移 転 に反 対意 見 を有 す 。 三 、 満 洲 里 には家 畜 の来 集 には 最 必要 な る河 川 湖沼 を欠 く 。 茲 に於 て満 洲里 商 業 会議 所 は此 の反対 意 見 に満 足 を与 へるべ く 、
肝要 であ る 。外 蒙 古 の調 査 は現 存 の資 料 に より 調 査 をな し 、之 に合
であ る。 外蒙 古 の調 査 資 料 と し ては露 西亜 帝 政 時 代 に発 行 せら れ た
せて 調 査 隊 を出 し各 方 面 に亘 つて完 全 な る調 査 を 期 す る こと が 必要
る露 文 資 料 に多 き を以 て、 先 づ満 鉄 哈 爾賓 事 務 所 調 査課 に て直 ち に
め 、蒙 古 の中 央 政府 と連 絡 を保 ち 、我 が外蒙 の開 拓 を善 導 す る こと
右 の如 く 調 査 の歩 を進 む ると共 に庫 倫 に満 鉄 社 員 を派 遣 駐 在 せし
古 方面 より の事 業 の進 捗 に伴 ひ協 調 し て調 査 の歩 を進 む べ き であ る 。
露 文資 料 によ る調査 に着 手 し 、現 地 調 査 は呼 倫 貝 爾 産業 公 司 及 内蒙
次 い でブ リ ヤ ー ト種 策 士 にし て甘 珠児 廟 の定 期 市 の海 拉 爾 移 転 を
種 々対 策 を講 じ た る も遂 に徒 労 に帰 し頓 座 す る に至 つた。
唱 へ、支 那 官 憲 を動 し、 東 支鉄 道 当 局 の援 助 を得 て目 的 を達 成 せん
が必 要 であ る。
の関 鍵 を把 握 した る結 果 と な るべ く 、此 の点 は外 蒙 古 開 拓 上最 注 意
此 の地 の要 路 者 と よ く連 絡 を保持 す る こと を 得 ば 、自 然 外蒙 古 開 拓
庫倫 は外 蒙 古 に於 け る政 治 、宗 教 、 経 済 上 の中 心地 な る を以 て、
と計 りた り し に 、海 拉 爾 の関係 官 民 に於 て大 に之 に和 す るも のあ り 、
多 く 、無 数 の家 畜 を収 容 す る こと を得 るを 以 て、 此 の地 を市 場 に選
す べき 点 で あ る。
呼 倫 貝 爾 督 弁 公 署程 督 弁 の如 き は、 海 拉爾 の市 街 の西 方 に当 り沼 地
同 よ り十 五 日ま で、 此 地 に於 て市 場 を開 き 、更 に 八月 一日 よ り従 来
の人 選 には充 分 慎 重 に考慮 せ ら るべ き は勿 論 であ る 。
庫 倫 に駐 在 す るも のは右 の如 き使 命 を有 す るも のな るを 以 て 、其
定 し て甘 珠 児 廟 を移 転 せず と も 、甘 珠 児廟 会 に先 き立 ち 旧暦 七月 一
の如 く甘 珠 児 に於 て市場 を開 く ことと な さば 、取 引 上 の利便 よ り甘 珠 児廟 に於 け る定 期 市 は自 然 海 拉爾 に移 転 す る結 果 を得 るに至 るも
然 し 此 の種 の考 は 定期 市 場 と し て具 備 す べ き要 件 を無 視 し 、外 蒙
せ ら れ、 我立 国 の基 礎 も 鞏 固 の度 を加 へる こと が出 来 る。 右概 要 を
民 の幸 福 の増 進 に寄 与 す る処 あ るべ く 、 ここ に至 つて我 使 命 も達 成
る時 は、漸 次 外 蒙 古 の富源 は開 拓 せ ら れ、 世 界 の進 運 に伴 ひ其 の住
斯 の如 く し て外 内 相 呼応 し組 織 的 に徹 底 し て自 然 の道 に従 て進 む
古 買出 者 の立 場 のみ を見 て游 牧 に際 す る蒙 古 人 の移 動 関 係 並廟 会 に
報 告 し外 蒙 古開 拓 の緒 の開 か れ ん こと の 一日も 速 な る を切 望 す 。
のと信 じ て居 る様 であ る。
き に述 べ た る満 洲 里 に於 け る場 合 と同 じ理 由 に依 り 、甘 珠 児廟 会 移
於 け る蒙 古 人 の立 場 を も注 意 せざ る に よ るも の にし て 、本 計 画 も先
三
外蒙古調査
転 の功 を収 め得 るも の でな い。
外 蒙 古 の事 情 は未 だ 我国 人 には 多 く知 ら れざ るを 以 て、組 織的 に 外 蒙 古 全般 に亘 り て調 査 し て、 徹 底 し て外 蒙 古 開 拓 を策 す る こと が
三三
大 正十 二年十 一月
次
秘 哈爾賓事務所
査
課
人 ロ、支 那 人
イ、露
ハ、其他 の外国人
呼倫貝爾 の地位
イ、邦 人の地歩樹立 の要
四 呼 倫貝爾 に邦人 の地歩を樹立す べし
呼倫貝爾 に地歩樹立 の要
二 海 拉爾 の対蒙古貿易事情
一
調
呼 倫 貝爾産 業 公 司企 劃書
満鉄
呼倫貝爾産業公司企劃書 目 一 呼倫貝爾及外蒙古開拓策
呼倫貝爾産業公司創立要旨 二
呼倫貝爾産業公司 の創立及創業
呼倫貝爾 の地位地勢竝気候風土
第 一、緒
ニ、定期市 に於 て取引す る場合
ハ、取引 の仲介をなすも の
ロ、蒙 古所産品 の買 付のみをなすもの
すもの
イ、蒙 古人の需要する商品 を販売し他方蒙古産品 の買付をな
一般 事 情
第 二、呼倫貝爾 に於け る貿易事情
ロ、呼倫貝爾産業公司を創 立す べし
三
呼倫貝爾産業公司創立趣意書
四 起業目論 見書
呼倫貝爾 の開拓沿革
呼倫貝爾産業公司企業説明書 一
呼倫貝爾 に於け る各国 人の状況
論
二
イ、蒙古物資 の買出 のみなすも の
三 満 洲里 の対蒙古貿易事情
三
一
四
ロ、蒙古 人が自ら其 の生産品を満洲里に持参する場合 ハ、蒙古 人向物資を販売す るも の 毛
呼倫 貝爾 の移出品 イ、羊 牛
呼倫貝爾 の対蒙古移入品
ロ、生
呼 倫 貝爾 は黒 竜 江省 の西 部 興 安嶺 よ り露 領 に境 す る 一帯 の地 にし
て 、外 蒙 古 に通 ず る北 方 の門 戸 にて 、対 蒙 古 貿 易盛 ん に行 は る。 其
呼 倫 貝爾 に地歩 樹 立 の要
の主 要 な る都 市 は海 拉 爾 及満 洲 里 な り 。 二
進 め、 外蒙 開 拓 を徹 底 し吾 国 の使 命 を完 ふせ し む 。
イ、 内 蒙古 方 面 より す る我 開 発 と呼 応 し 、呼 倫 貝爾 より も開 拓 を
ハ、 満 鉄背 後 地 の開 拓
第三、呼倫貝爾産業公司 の創立並経営 に就き 創
ニ、本 邦 商品 の販 路 の開拓
五
創立当初 に於 ける営業範 囲並附帯事業
ホ 、蒙 古 人 に対す る文 化事 業 を指 導 啓発 す 。
す。
一 経営 の組織
ロ、 我 国 の有 利 な る原 料供 給 地 を確 保 し 、我 立 国 の基 礎 を 安泰 に
二
経 営方法
b 、自 動 事 運 輸 業
a、畜 産 製 造 工 業
ハ、貿 易 業 に より基 礎 の出 来 た る第 二期 に於 て なす べ き業 務
c、在 留 邦 人 の善 導
b 、蒙 古 人 需要 品 の改 良 本 邦商 品 の販 路 拡張
a、牧 畜 業
貿 易 業 の附 随業 務
ロ、第 一期 の事 業 と し て貿 易 業 を経 営 す 。
イ 、産 業 的 開 拓 を標 榜 し 呼 倫 貝爾 産 業 公 司 を創 立 す 。
呼 倫 貝 爾 及 外蒙 古 開 拓 策
至 ら しむ る こと を防 止 す 。
ヘ、 地方 の調 査
立
三
三
四
査 課
イ、貿易業 の経営
調
ト、 外 蒙 古 を英 米 人 の活動 のみ に委 し 、邦 人 の発展 の余 地 な き に
哈爾賓事務所
ロ、牧畜業 の経営 ハ、蒙古人需要物資 の改良 ニ、畜産製造工業 の経営 ホ、自動車運輸業 の経営 ヘ、開墾事業 の経営 論
ト、調査其 の他 の公共事業 第 四、結
呼倫貝爾産業公司企劃書 満鉄 呼倫 貝爾産業公司創 立要旨 呼倫貝爾 の地位
四
恨 を百 年 の後 に残 す は期 し て待 つべく 、邦 家 の将 来 の為 寒 心 の外 あ
確 立 し つ つあ り 。此 の状 態 にて推 移 せば遂 に外 蒙 開 拓 の途 を逸 し、
と し て立 国 上 最 も 重要 視 す べ き 地 た るは 勿論 、満 鉄 の背 後 地 と し て
況 や外 蒙 古 は地 上 の産 地 下 の蔵 は か るべ か らず 。 我 が原 料 供 給 地
らざ る なり 。
c、開 墾 事 業
業
d 、優 良家 畜 の普 及 e、 漁 f 、 文 化事 業 の指 導 啓 発 呼倫 貝 爾産 業 公 司 の創 立及 創 業
茲 に於 て外 蒙 古 開 拓 の 一部 使命 を担 任 す べ く呼 倫 貝 爾 に産 業 公 司
内蒙 古 に接 壌 し、 我 が開 拓 を な す 必要 切 な るも のあ る に於 て お や。
を創 立 し 、内 蒙 古 方面 より の開 拓 と相 呼 応 し て徹 底 し て外蒙 古 の開
未 だ 深 き に至 らざ る今 日 、然 も此 の地方 の政 権 者 た る支 那 官 憲
発 を策 せ ん とす るも のな り。
イ、 此 地 方 に於 け る露 人勢 力 凋 落 し 、 英米 の勢 力 侵 入 せ んと し て
に程 督 弁 の如 き親 日 の士 あ り、 又蒙 古政 庁 には 成庁 長 の如 き蒙
未 だ原 始 的 域 を脱 せ ざ る を以 て、 よ く そ れ に適 合 し た る組 織 と方 法
元来 呼 倫 貝 爾 及 外蒙 古 は未 開 の地 に し て其 の経 済 状 態 も 幼稚 に て、
古 人 に珍 し き進 歩 せ る思想 を有 す る士 あ り 、呼 倫 貝爾 に於 け る 最 高 官 憲 に斯 の如 き 士 を有 す る此 際 創立 し て斯 業 の礎 を確 立 す 。
を 以 て開 発 に当 る にあ らざ れば 遂 に其 の目 的 を達 成 す る こと能 はず 。
ロ、本 公 司 は株 式 組 織 とな し蒙 古 輸 出 入商 品 に関 係 あ る も の の内 株 主 を求 め 、満 蒙 の開 発 に特 別 の使 命 を有 す る満 鉄 の後 援 を要
其 の他 此 の地 方 の国 際関 係 も複 雑 にし て特 別 の事 情 の下 にあ る を以
営む。
以上
一、 本 公 司 は 呼倫 貝 爾 竝 外蒙 古 に対 す る貿 易 業 及 之 に附 随 の業 務 を
起 業 目論 見 書
を期 す 。
大 な る使命 を完 ふす る こと を任 と す る 此 の呼 倫 貝爾 産 業 公 司 の創 立
此 の遠 大 な る目 的 に向 ひ組 織 的 に呼倫 貝 爾 竝 外蒙 古 の開 拓 てふ重
の助 成 発達 を計 り外 蒙 古開 拓 の地 歩 を樹 立 す るも のな り。
め 、漸 次牧 畜 業 、 開 墾事 業 、畜 産 製 造業 、漁 業 等 を経 営 し 、 又 は其
蒙 古 貿 易業 を営 み蒙 古所 産 品 の輸出 、我 国 産 品 の販 路 の開 拓 に つと
て、 本 公司 は純 全 た る営 利 を目 的 と し 、先 づ有 利 にし て有 望 な る対
す。
以上
ハ、創 業 に際 し て は周 囲 の事 情 を参 酌 し て充 分 注 意 し外形 よ りも 実質 を得 る に つとむ 。
呼 倫 貝爾 産 業 公司 創 立 趣 意 書 呼 倫 貝爾 に邦 人 の地歩 を築 き 外蒙 古 の開 拓 に当 る は我 が目 下 の急
満 蒙 の開 発 は我 が大 な る使 命 な り 。然 る に満蒙 と言 へば 満 洲 及東
務なり。
部 内 蒙古 のみ に限 り 外蒙 古 の開 発 に思 ひ及 ぶも のな し 。斯 の如 く邦 人 が自 ら限 り て狭 く蟄 居 せ る間 に、英 米 商 人 の外蒙 古 に於 け る活 動 は 実 に見 る べき も のあ り て、 漸 次 牢固 と し て抜 く べ か らざ る地 位 を
一、本公司は機 を得て漸次呼倫貝爾及外蒙古 に於 ける 一般産業 の助 長発達 を計 る。 一、本 地方 の実情に鑑 み本公司 の創立 に際し ては外形よりも其 の実 を得 る こと につとむ。 一、本 公司 の資本金は壱百万円とし第 一回払込金弐拾五万円を以 て 業務 を開始し、本店 を海拉爾 に置 き、支店を哈爾賓、満洲 里、庫 倫 に設 く。
訳
金 五万六千七百円也 一円とす)
牛皮壱 万枚重量 六千三百布度売上代毎布度当り九元 (銀 一元 を
商品購入代
竜頭級 五万反毎反当 り十三円九十銭
綿布売上代、双童級十 四万反毎反当り十円
一金 弐百九 万五千円也
支出 の部 一金弐百七拾参万弐百四十 円也 内 訳
一金弐百六拾 四万壱千弐百円也
一・一〇円とす)
支那人十名毎月 一人平均五十円
日本人四名露人二名毎月 一人平均 二百円
職雇員給料 金 壱万四千四百円也
訳 金 六千円也
内
一金弐 万九千四拾円也
竜頭級 五万反、 一反当り十三円七十八銭
双童級十四万反、 一反当り九円五十七銭
金 弐百弐 万八千八百円也
綿布購入代
羊毛 五十四万封度購 入費、毎封度当り参 十 六銭 ( 銀 一元 を金
金拾九 万四千四百円也
一〇円とす)
生牛壱万頭購 入費、毎頭当 り四十 一円八十銭 ( 銀 一元を金 一・
内
資本金総額
一、企業費予算書及営業収支予算書 次 の如し。 起業費予算書 一金壱百万円也 内
金 四拾壱万八千円也
運転資金
第 一回払込金
什器及諸設備費
訳
金弐拾四万壱千円也
内
一金弐拾五万円也
金 七千円也 創立費
営 業収支予算
金弐千円也 収入 の部 内
一金 弐百八拾弐万参千七百円也
壱 万頭分 の生牛肉重量三十八万貫売上代毎貫当り 一円二十銭
金 四拾五万六千円也
羊毛 五十四万封度売上、毎封度当 り四十銭
金 弐拾壱万六千円也
引
一金六万円也
蒙古及支那人傭員毎月 一人平均 三十円
営業費
金八千六百 四拾円也 差
黒 竜 江 の支 流額 爾 古 納 河 によ り て露 領 と境 を接 し、 南 は呼 倫 湖 、貝
爾 湖 に及 び、其 の間 興 安 嶺 に源 を発 し 、西流 し て額 爾 古 納 河 及呼 倫 、
我 樺太 と緯 度 を同 ふ し 、台 湾 と 殆 ん ど同 経 度 に位 置 す 。
貝 爾 両 湖 に流 入 す る 河川 の流 域 九 千余 方里 に亘 る 一帯 の地 にし て 、
一金 六千円也 別途積立金
法定積立金
は 打続 く広 漠 た る草 原 を なす 。
を な し て蜒 々西 方 に向 つて流 れ、 稀 に森 林 を見 る こと あ るも 、大 部
地勢 は高 原 をな し 、大 興 安 嶺 より出 でた る山 脈 は極 く緩 な る勾配
一金 四万円也 役員賞与金
一金壱千五百円也
退職手当基金
る を以 て、興 安 嶺 の東麓 と気 候 に大 な る差 異 あり 。十 月末 に結 氷 し
呼 倫 貝爾 の開 拓 沿 革
蒙 古 と通 商 を開 始 す る に至 れり 。然 る に其 の頃 支 那 には清 朝 興 り、
固 め 、十 七世 紀 末葉 に は彼 等 は 隊商 を組 織 し呼 倫 貝 爾 を経 て支 那 、
と な か りし が 、其 頃 露 国 の東 漸 あ り 、彼 は要 害 に砦 を築 き て 地歩 を
呼 倫 貝 爾 地 方 は十 七世 紀 の中葉 頃 ま では何 等 世 人 の注意 を惹 く こ
二
大 な るも のあ り た るな り 。
如 斯 地 位気 候 風 土 は 今 日 ま で呼 倫 貝 爾 の開 発 を阻 害 し た る こと至
て最低 零 下 五十 度 を 下 る場 合 少 からず 。
四 月 中 旬 に至 り解 氷 を 見 る 。其 間 実 に六 ケ月 に亘 り 、寒 風 凛 烈 にし
次期繰越金
株主配当金 (一割配当)
考
一金壱万五千九百六拾 円也
一金弐万五千円也
此 地 は大 興 安 嶺 を 背 と な し 、北 西 比 利亜 、 蒙 古 を ま とも に控 へお
一金 五千円也
利益金 の処分
一金 九万参千四百 六拾円也
備 一、本書は第 一期計画 なり。 なり。
二、流動資本 の多きは事業 の性質 、地方 の特別事情 に適合 せんが為 三、本会社 の取扱商品 は 一般輸出 入品 に及 ぶも のなるも本計画書 は
次 第 に其 の領 を拡 げ 、北 方 黒 竜 江省 を定 め、 西北 方 興 安 嶺 を越 え て
主要商品 に限る。 四、秤量 の標準は各種品別 に需要地 の慣習 による。
哈 拉哈 を併 合 し 、遂 に呼 倫 貝 爾 に其 の勢 力 を及 ぼ し 、直 接露 国 と交
五、物品価格 は受渡地 に於 ける値段なり。
た るも のな り 。然 る に其 の後 呼 倫 貝 爾 の所 属 は依然 漠然 とし て明 な
一六 九 八年 両 国 は ネ ルチ ン スク に会 商 し、 以 て今 日 の国 境 を 定 め
渉 を開 く に至 れ り。
ら ず 。露 人 及露 領 の住 民 ブ リ ヤ ー ト の如 き或 は吉 拉 林 の金 鉱 を経 営
第 一、緒論 (呼倫貝爾 に邦人 の地歩樹立 の要 )
呼倫 貝爾産業公司企業説 明書 一
呼倫貝爾 の地位地勢竝気候風土
呼倫貝爾 は黒竜江省西部 の地 にして東方興安嶺 を境 とし、西方 は
は之 が対 応 策 と し て満 洲族 の官 吏 を 駐 在 せ し め、 守備 軍 を派 遣 し屯
し 、或 は 漁 猟牧 畜 に従事 す る等 盛 に此 地 に侵 入し た る を以 て、 清朝
又 当 り得 べ からざ る なり 。
又 支 那 人 の発 展 の為 、支 那 自身 呼 倫 貝爾 の開 拓 に当 る べく も あ らず
徒 ら に利 権 回 収 の声 を大 にし て叫 ぶ のみ にし て、 蒙古 人 の幸 福 の為
日 に増 加 の有 様 にて 、未 だ呼倫 貝 爾 の将来 を推 察 す る ことは 不 可能
に扶 殖 し た る勢力 も侮 り難 く 、加 之 英米 人 の此 方 面 に活 躍 す るも の
呼 倫 貝 爾 は 右 に述 ぶ る如 く今 や支 那勢 力 下 にあ るも 、露 人 の此 地
田的 農 民 を移 住 せし め 、当 時 興 安 嶺 の東 麓 に居 住 せ し め、 ソ ロン種 、 タ ホリ種 等 を移 住 せし め 、 一つ は露 清 国境 の監 視 を な し、 他 面 に又
な り。 今 此 処 に於 け る露 支 人 現在 の活動 の概 要 を 見 る に次 の如 し 。
清 国 の勢 力 の扶 殖 に つと めた り 。 如 斯 呼倫 貝爾 に於 け る露 清 両 国 勢 力 の消長 あ りた る も、 此 地 は 辺
人
呼 倫 貝爾 に於 け る各 国 人 の状 況 イ、 露
現 在 此 地 に居 住 す る露 人 は主 と し て東 支鉄 道 布 設 せ ら れ てよ り移
三
境 に位 置 す る を以 て未 だ積 極 的 に其 の開発 を策 し た る こと な く 、 加 之 此 地 に居 住す る住 民 は主 と し て蒙 古 族 に し て生 業 と し て は極 め て
オ ロチ ヨン種 に至 り ては 、専 ら 狩 猟 を 以 て業 とす るも のさ へあ り て
近時 露 国 の革 命 によ り過 激 派 の難 を避 け て後 貝 加 爾 地方 よ り此 地 に
住 せ るも の にし て 、 ユダ ヤ人 、 タ タ ー ル人 、ブ リ ヤー ト 人等 多 し 。
幼 稚 な る牧 畜業 を有 す る のみ。 又 シ ヤ ー マ ン教 を奉ず る ソ ロ ン種 、
一般 に民 度 極 め て低 く 、原 始 的 人 類 生 活 の域 を脱 せず 。其 の人 口も
ことは 期 し て待 つべか らず 。
次 第 に減 少 す る傾 向 あ り 。如 斯 種 族 によ り て呼 倫 貝爾 の開 発 をな す
支 那 の勢 力 を全 然 此 地 よ り駆 逐 し 、呼 倫 貝爾 の独 立 を宣 せし め 正 に
脱 せし め 、 次 いで 一九 一五年 呼倫 貝 爾 に関 し て露 支条 約 を締 結 し 、
支 那 の政 変 に乗 じ 、露 国 は呼 倫 貝 爾 の住 民 を煽 動 し て支那 の覊 絆 を
至 り、 此 の地 方 に於 け る露 国 の勢 力 は頓 に加 は り、 更 に 一九 一 一年
絡 の鉄 道 通 過 地 と し て、 此地 は世 界 交 通 史上 重 要 の位 置 を占 む る に
し 、 一九 〇 二年 に は既 に竣 工し 、 呼 倫 貝爾 の中 部 を 横断 し 、欧 亜 聯
同 事 業 の形 式 を と り 、英 米 国旗 を掲 揚 し て事 業 経 営 の安 全 を保 た ん
す べき も の にし て 、 ユダ ヤ人 の如 き英米 に於 け る同教 徒 を引 入 れ 共
常 に脅 か され つ つあ りと 雖 、蒙 古 開 発 に対 す る熱 心 と努 力 は実 に賞
貨 暴 落 の難 に会 ひ 、支 那 の利権 回収 熱 の犠牲 と なり 、営 業 の安 否 は
の間 に抜 く べ から ざ る勢 力 を有 し優 越 せる 地歩 を占 む る も、 先 に露
る商 人 す く な か らず 。彼 等 は露 国 の崩 壊 し た る今 日 に於 ても蒙 古 人
を相 手 と す る商売 にし て、 海拉 爾 、満 洲 里 に は対 蒙古 貿 易 に従 事 す
彼 等 は皆 鉄 道 沿線 に居 住 す る も の にし て、東 支 鉄道 の駅員 竝 之 等
来 り しも の少 からず 。
積 極 的 に呼 倫貝 爾 の開発 に当 ら ん と し た る が、 其 の緒 に就 かず し て
然 る に 一八九 六年 東 支鉄 道 条 約 締 結 せら れ 、翌 一八 九 七年 に起 工
露 国 の崩 壊 に会 し、 其 の隙 に乗 じ て民 国政 府 は其 の実 権 を回 復 し 、
又 近 く 露 領 よ り避 難 し た るも のに至 り ては稀 に財 産事 業 を携 へ来
とす る が如 く 、彼 等 の此 地 方 に於 け る将 来 は見 るべ き も の あ るべ し 。
り て 、此 地 に於 て其 の経 営 を な し つつあ るも のあ るも 、大 部 分 は其
一九 二 〇年 一月 二十 五 日大 総 統 令 を 以 て呼 倫 貝 爾 の自 治 取 消 を中外 に声 明 し 、呼倫 貝 爾 は 又完 全 に民 国 の治 下 に帰 し た る も、 支 那 人 は
今 や見 る べき な く伊 仏 人 にし て大 規 模 に事 業 を 経 営す るも のあ るも 、
英 米 人 の此 地 に着 目 す る に至 り しは 欧 洲大 戦 以来 の こと にし て、
なし。
の日 の生 活 にも 常 に不 安 を 感 ぜ るも の のみ にし て茲 に言 を費 す要 を
人
炭 坑 業 、雑 貨 小売 業 等 の如 き特 種 のも のな るを 以 て茲 に記 す る の要 那
認 めず 。 ロ、支
の開 発 を策 す る 対蒙 古 貿 易 会社 の如 き之 な り。然 し て是 等 の計 画 も
蒙古 の家 畜 を原料 とす る大 規模 の鑵 詰製 造 業 の如 き、徹 底 的 に蒙古
十 八 世紀 の中 葉 よ り露 人 の侵 入 に対 す る適 応 策 と し て清 朝 の満 洲 人 の移 住 を奨 励 し た る に始 ま る も、 彼 等 の生 活 を支 持 す る充 分 な る
既 に着 手 の運 び に至 りし も のあ りし も 、突 然 露 国 の崩 壊 す るあ り て
生業 な か り しを 以 て、其 の後 見 る べき移 民 もな か り し が、東 支 鉄 道 の開 通 し て以 来 急激 に増 加 し満 洲 、山東 、直 隷 、山 西 の諸 地 よ り来
其 の目標 と せし市 場 を失 ひ 、中 止 の止 む なき に至 れ るも のあり 。
辿 り て原 料 を 仕 入 れ んと し て天 津 辺 り の商 人 に求 め、 天津 地 方 の英
商 露 商等 の手 を通 じ て之 を購 入 した る も のも 、彼 等 同 国 人 の関 係 を
然 るに他 面 英米 本 国 の産 業 の整 理 復 興 に伴 れ 、其 の原 料 も従来 邦
り住 す る も の 日 に増 加 す る に至 れ り。
蒙 対 露 貿易 に従 事 せ る も の の外其 の勢 力見 る べき も のなし 。 実 に呼
然 し て彼 等 は主 と し て鉄 道 沿線 に居 住 し海 拉 爾 、満 洲 里 に於 て対
倫 貝 爾 を し て今 日 あ ら しめ 、 呼 倫貝 爾 の支 那 人 に今 日 の勢 力 あ らし
る に至 れ るも のに し て、彼 等 の強 味 と す る処 は本 国 に特 別 の背 景 を
て、支 那 人 を使 用 し て蒙 古所 産 の物 産 を直 接 に買 付 け本 国 に輸 出 す
有 す る にあ り て、 蒙 古 人 の間 に直 接 勢力 を扶殖 す る程 の ことは未 だ
米 商 は張 家 口に於 け る対蒙 古 貿 易 の経験 に より海 拉 爾 、満 洲 里 に於
西 方 面 に於 け る対蒙 貿易 の経 験 地位 を 基礎 とし て、着 々其 の経 済 上
な さ ざ る が如 きも 、 今 日 のまま に放 任す る時 は彼 等 は鞏 固 な る背 景
めた るは東 支 鉄 道 の賜 なり と雖 、彼 等 支那 人 が東支 鉄道 の露 国 の勢
の地 歩 を固 め た る功 は実 に賞 す べき も のあ り。 然 り と雖 十 年 一日 の
を 以 て漸 次 蒙 古奥 地 に開 拓 を進 む るに至 るべ く彼 等 の将 来 も実 に 恐
力 下 に属 し 、多 大 の圧迫 を 享 け た る際 にあ り ても張 家 口、多 倫 、林
を改 む る ことな き が如 く にし て、遂 に呼倫 貝 爾 の開 拓 に付 彼等 に多
如 く 其 の業 を守 り経 済 状 態 の進 歩 に従 ひて其 の営業 組 織 、 営 業方 法
呼 倫 貝爾 に邦 人 の地歩 を 樹 立 す べし
るべ き も のあ り。 英 米 人 の呼 倫 貝 爾 に於 け る活 動 は注 目 の要 あ り 。
イ 、邦 人 の地 歩 樹 立 の要
軍 の駐屯 した る こと あ る のみ にし て、其 の撤退 後 も絶 へて何物 も止
邦 人 の発 展 如 何 と見 る に、過 去 に於 て露 西 亜 の混 乱 に際 し、 一時 皇
り 、露 支 人 竝英 米 人 の活 動 状 態 を 観 た り。 飜 つて此 の地方 に於 け る
以 上記 す る処 に依 り呼倫 貝爾 開 拓 の沿 革 を 明 にし 、其 の現状 を知
四
くを 期 す る こと能 はず 。加 之 民 国官 憲 は目 前 の施 政 に汲 々と し て蒙 古 人 の幸福 向上 を 計 る こと な く 、彼等 は支 那 官 憲 に近 づく を 恐 る る 状 態 にし て 、蒙 古 人 心 は 日 に支 那 に離 反 し つ つあ り 、斯 の如 き状 態 にて何 ん ぞ呼 倫 貝爾 の開 拓 を 完 ふ し得 べ け ん や。
呼 倫 貝 爾 に於 け る其 他 の外 国 人 に て勢力 を扶 殖 し た るも のは主 と
ハ、 其他 の外 国 人
し て英 米 人 にし て、 戦 前独 逸 人 の活 動 目覚 ま しき も のあ りた るも、
めず 。僅 に国恥 を曝 す賤 業 に従事 す るも のと、 二 、 三 の小 商 人 と あ る のみ にし て未 だ曾 て識 者 の 一顧 も与 へた る も のな し 。斯 の如 き は 我 国威 の伸 展 の上 よ り見 るも 、 又我 国 の存 立 の上 よ り見 るも誠 に慨
言 をな す も の呼 倫 貝爾 は 辺域 に位 置 し 且 つ全 然 未 開 の地な る を 以
歎 の外 あ ら ざ るな り。
て、南 満 竝 北 満 にな さざ る べ からざ る こと にし て未 だ達 成 せら れざ るも の多 々あ る際 、敢 て其 の開 発 に当 ら ん とす る は早 計 と なす も の
ロ
ハ
ニ
蒙 古 所 産 の物 資 にし て本 邦 工業 に有 利 に用 ひ得 べ く し て、 買付
こと を得 べ き な り。
に困難 な る為 未 だ用 ひら れざ るも のあ るを 以 て、 此 の地 に邦 人 の
本 邦商 品 にし て蒙 古 に販路 を開 拓 し得 べ く し て、 未 だ其 の便 を
地歩 を確 立 す る時 は如 斯物 資 も利 用 の途 を得 べし 。
此 の地 に出 づ る物 資 は 地 理 的関 係 上大 体 に於 て西 比 利 、欧 露 に
得 ざ るも のも之 によ り て新 に販 路 を 開拓 し 得 るも の少 からず 。
有 利 に、容 易 に販路 を求 め得 べき も 、今 日 の場 合 邦 人 の地歩 を造
らざ る に於 ては 、其 の方 面 に輸 出 の途 の開 け た る時 に於 て も傍 観
あ るも 、我 関 東 州 は関 東 州 あ つて の関 東 州 にあ らず 。満 洲 あ つ て の 関 東 州 な り。 南満 洲 、 北 満 は勿 論 内外 蒙 古 、西 比利 亜 あ つて の南満
を結 ぶ に意 義 ある処 に し て、 対露 貿 易 に確 実 な る地 歩 を 造 り 、や
す る外 な か る べく 、今 日此 処 に地 歩 を樹 立 す るは外 蒙 と 西 比利 亜
ざ る こと は枚 挙 に遑 あ らざ る が、主 要 の事 に就 き後 段 に述 ぶ る処
更 に進 ん で蒙 古 の開 拓 、蒙 古 人 の幸福 向 上 の為 な さざ る べ から
が て本 邦 と西 比 利 亜 と を結 ぶ に資 す る処 あ る べし 。
洲 な る を考 ふ る に及 び て、其 の誤 れ る こと も自 ら判 明 す べ し。宜 敷
ホ
今 に於 て思 を こ こに致 し 策 す るな き に於 ては 、恨 を百 年 の後 に残 す こと 火 を睹 るよ り も瞭 な り 。近 時 北 満 云 々 の言 を なす も の哈 爾 賓 其 の附 近 の吉 黒 両 省 一帯 を指 す のみ にし て、 黒 竜 江省 には 興 安嶺 を 越 え て呼倫 貝 爾 の地 あ る に思 ひ及 ば ざ る も のあ り 。今 日 の場 合 特 に注
又呼 倫 貝爾 竝 其 の接 壌 の地 方 一帯 は未 だ完 全 な る調 査 の行 は れ
あ る べき を 以 て此 処 に是 を省 略 す 。
た る こと な く 、中央 部 を横 断 せ る東 支 鉄道 の沿線 を遠 く 離 れ ては
ヘ
呼 倫 貝爾 は外 蒙 古 に於 け る北方 の門戸 にし て此 の地を 経 由 し て総 て
のあ る べし 。故 に呼 倫 貝爾 の徹底 的調 査 は焦 眉 の急 に属 す る も、
地下 の蔵未 だ開 かれざ るも のあ る べく 、地 上 の産 亦 知 ら れ ざ るも
実 に所 謂 北 満 は呼 倫 貝 爾 あ つて始 め て其 の価 値 の大 を 加 ふ。 即 ち
意 せざ る べ からず 。
の物 資 は外 蒙 古 に呑 吐 せら る。 又 西 方 は西 比 利 亜 に接 壌 せ る地 位 に
の利 権 回収熱 の熾 ん な る際 、強 いて之 に当 る は策 の得 た るも のに
奥 地 は鼠 賊横 行 絶 えず し て調 査 に至 大 の危 険 を伴 ひ 、又 支 那 人心
あ る関係 上 、 此 の地 は西 比利 亜 開 発 に対 し ても 重要 な る地位 にあ り 、 今 此 の見 地 に於 て呼 倫 貝 爾 に於 け る邦 人 の地歩 樹 立 の為 に齎 す 結 果
然 る に若 し 此地 に邦 人 の地 歩 の樹 てら れ た るも のあ る時 は 、不
あ らざ るな り 。
知 不識 の間 に所 有 資 源 竝蒙 古 開 発 の為 の事 業 に就 ても徹 底 し て調
外蒙 古 の門戸 た る呼 倫 貝爾 の地 よ り積 極 的 に外 蒙 古 の開 発 に当
に就 き主 要 な るも のを記 す れば 左 の如 し。 イ
るも のにし て、内 外 両 蒙 古 より 相 並 び進 み て蒙 古 開 拓 も徹 底 す る
り て こそ、 一層 今 日 の内蒙 古 方 面 よ りす る我 開拓 に意 義 あ らし む
ト
業 たる を要 件 とす べき も 、呼 倫 貝 爾 及関 係 地 方 は全 く 原始 状 態 にあ
を 必要 とす 。然 し て経 済 機関 とし て経営 す る為 に は、収 支 相 償 ふ事
る機 関 は、 少 し も政 治 的 の色 彩 を有 せず 純 然 た る経 済機 関 たる こと
斯 の如 くし て始 め て呼 倫 貝爾 の開 発 及蒙 古 、 西 比利 亜 に発 展 せ
り 、経 済 組 織 も単 純 な るを 以 て有 利有 望 な る事業 の経 営 に は、 又特
査 す る に困 難 な らず 。
ざ るべ からざ る我国 策 遂 行 の為 に最 も有 為 な る手 段 を機 宜 に応 じ
済 状 態 に適 合 し 、着 手 に容 易 に し て開発 の目 的 を最 もよ く達 成 す べ
茲 に於 て呼 倫 貝爾 の産 業 の助 成 発 達 を標 榜 し 、当 初 は 此 の地 方経
別 の注意 あら ざ る べ からず 。
て採 る こと を得 べ し 。 呼倫 貝爾 に地 歩 を得 た る結 果 、其 他 の蒙 支 官 民 竝露 人 と完 全 に
す るも 容易 に其 の目 的 に向 つ て驀 進 す る こと を 得 べ し。 (従来 邦
の輸 出 竝我 国 産 品 の販 路 の開 拓 に つと め 、呼 倫 貝爾 及 外蒙 古 開 発 の
き 対 蒙 古貿 易 を経 営 す べ き呼 倫貝 爾 産業 公 司 を設 立 し、蒙 古 所 産 品
意 思 の疎 通 を計 り置 き得 るを 以 て、 積 極 的 に開 拓 す る必 要 に際 会
人 の支 那 に於 け る発 展 に は常 に此 の用 意 を欠 くを 以 て事 業 の遂 行
対 蒙 古貿 易 を経 営 す る に於 て は何 等特 種 の利権 も之 を 必要 と せず 、
地 歩 の樹 立 を計 る べ し。
に困 難 を感 じ つつあ り 、注 意 せざ るべ か らず ) 呼 倫 貝爾 に於 け る露 人 の地 位 は露 国 の崩 解 と共 に昔 日 の観 を止 めず 。 支 那官 民 は徒 に利 権 回 収 を叫 び て積 極 的 に開 発 に当 ら ん と
を煽 る こと なく 、今 日 の事 情 の許 す 限 り の規 模 と組 織 を 以 てす れ ば
機 会 均 等 を 以 て驀 進 し、 民 国 の利 権 回収 熱 に牴 触 し て彼 等 の猜 疑 心
事 業 の著手 竝 経 営 の困 難 、 危険 を感 ず る ことな く し て完 全 に所 期 の
せず 、 又 当 り得 ず 。 独 り英 米 両国 人 は虎 視 耽 々と し て其 の勢 力 の
邦 人 の呼 倫 貝 爾 に於 け る地 歩 の樹 立 は 今 日 の此 の秋 に あり 。然
扶 殖 に焦慮 せ るも の の如 き も 未 だ実 に収 む る に至 らず 。
し て其 の結 果 齎 す 処 は先 に述 ぶる が如 く頗 る意 義 あ り 、価 値 大 な
せざ るべ か らざ る を 以 て、 や が て此 の方面 より も抜 く べ からざ る地
目 的 を達 成 す べし 。 又貿 易 業 の経 営 には当 然 蒙 古奥 地 に牧畜 を経 営
位 を確 立 す る に至 る べく 、 又 蒙古 奥 地 にて安 価 に買 付け た る物 資 を
る も の あり 。記 し て茲 に至 り如斯 重 要 な る事 の今 日ま で何 等 顧 ら れざ りし を怪 み、 一日 も速 か に確 固 た る邦 人 の地 歩 の据 えら れ ん
原 料 と す る時 は、 今 日 の如 き事 情 の下 にあ り ても有 利 に畜 産業 製 造
ず な さざ る べ からず 。茲 に至 れ ば各 方 面 相関 連 し て呼 倫 貝 爾、 外 蒙
工業 を経営 す る こと を得 べし 。更 に進 ん で移 民 開墾 も之 に伴 つて必
こと を希 はざ るを得 ず 。
呼倫 貝 爾 に於 け る我 が 地歩 樹 立 は満 蒙 の開 発 の為 一日 も忽 にな し
も 対蒙 古 貿易 事 業 の着 手 に は現 在 の状 態 に て正 確 に、安 全 に経 営 せ
更 に西 比 利 亜 に向 つ て徹 底 し て開 拓 の歩 を進 む る こと を得 べ し。 然
ロ、呼倫 貝爾 産 業 公 司 を創 立 す べし
かは充 分 考 慮 す べき こと に し て、 其 の如 何 は直 ち に其 の使 命 の成 否
つ其 の事業 を□ □ □ □□ □ り ては広 く深 く各 方 面 に関係 を結 ばざ る
︹印刷不明︺
ら れ得 る規 模 に よ るも のな るを 以 て大 な る資 本 も之 を 必要 とせず 且
得 ざ る処 なり 。然 し今 日如何 な る方法 を採 つて其 の実 現 を計 るべ き
蓋 し呼 倫 貝爾 は既 に述 べ た る が如 き実 情 な る を以 て其 の開 発 に当
に影響 す る処 で ある 。
蒙 古 人 は勿 論 支那 竝 支 那 人 の幸 福 を増 進 す る に至 る べき 、呼 倫 貝 爾
に着 手 し安 全確 実 に事 業 経営 し得 、 同時 に我 国威 の発 揚 に資 し、 又
の為 に、 天 与 の好 機 に際 会 し 又我 国 策 の必 要 に策 応 し、斯 く も容 易
使 命 を全 ふす る こと を得 べ し 。呼 倫 貝爾 に於 け る邦 人 の地歩 の樹 立
べ からざ るを 以 て 、調 査 情 報 の機 関 と し て も最 も容 易 に完 全 に其 の
に対 し て は林 西、 赤 峰等 を経 て錦 州 、白 音 太来 、〓 南 の諸地 に集 散
天 津 に通 じ 、漠 南 一帯 の物 資 は全 部 此路 によ り て輸 出 せ ら る。東 方
ず る門 戸 あ り 、南 方 には張 家 口、帰 化 城 等 あ り て京綏 鉄道 によ り て
一つは北 方 よ り は現 に露 西 亜 の侵 入 の経 路 た る恰 克 図 よ り庫倫 に通
此 の広 漠 た る蒙 古 一帯 に対 す る貿易 は呼倫 貝 爾 よ り す るも のと尚
情 の許 す 範 囲 に於 て宜 しく 策 し 将来 に備 ふる処 あら ざ る べ からず 。
呼倫 貝爾 に行 は る る対 蒙古 貿 易 は 興 安嶺 の西麓 の錫 林 郭勒 盟 の鳥
地 は呼 倫 貝 爾 方面 と其 の貿易 の性 質 を異 にす る傾 向 あ り 。
す る も内 蒙 古 一帯 が漸 次農 耕 地 と し て開 墾 せ ら る る関 係 上 、是 等 の
産 業 公司 創 立 せ ら れ ん こと を切 望 す 。 右 の見 地 によ り先 づ 呼 倫 貝爾 の対 蒙古 貿 易 に就 き次 編 に於 て仔 細 を記 し 、其 の現状 を明 にし 、更 に呼 倫貝 爾 産 業 公 司 の創 立 竝経 営 上
第 二 、呼 倫 貝爾 に於 け る貿易 事 情
注意 す べき 点 に就 き記 す る所 あ るべ し 。
此 地 の対 蒙 古貿 易 は 東 支鉄 道 沿 線 の海 拉 爾 、 満洲 里 両 地 に於 て行
珠 穆 沁 地方 、 哈拉 哈 、 車臣 汗 に亘 る漠北 東 部 一帯 の地 方 に及 ぶ。
は る る処 な り。蒙 古 人 は 彼等 の生 産 す る家 畜 又 は畜 産 品 を 此両 地 に
一般 事 情
蒙 古 は南 方 は支 那 本 部 と連 り、 北 は阿 爾 泰 山 脈 により て露 領 西 比
一
を有 す る支 那 商 及外 商 にし て、其 の店 員 に現 銀 又 は蒙 古 人 の需 要 す
る物 資 を 携帯 せし め て蒙 古 奥 地 に派 遣 し 、 そ れと交 換 に蒙 古所 産 品
搬 出 し て、彼 等 日用品 を購 入 し て帰 るを常 とす るも 、又 此 地 に商 店
を買 付 け 、此 の両 地 に搬 出 す る を業 とす る も のあ り 、斯 の如 く し て
利 亜 に接 壌 し 、北 緯 三十 七 度 よ り五 十 三度 に至 り 、東 経 八 十 五度 よ
て南 北分 た れ、所 謂 漠 南 漢 北 の地 と な る。 砂 漠 地 帯 を除 き ては 、牧
対 蒙 古 貿 易 は行 は る。
り 百 二十 六度 に亘 る広 漠 た る地域 にし て中 央 部 に戈壁 の大 砂漠 横 り
草 よ く繁 茂 し 牧畜 盛 ん に行 は れ て畜 産物 の産 見 るべ き も のあ り 、金 、
蒙 古 よ り海 拉 爾 、満 洲 里 に集 ま るも のは家 畜 及畜 産 品 にし て、 欧
銀 、銅 、鉄 、 石炭 等 鉱 産 物 の豊 富 に埋蔵 せ ら る る こと も周 知 の こと に属 し 、開 拓 を待 つも の切 な るも のあ り。
た るも の多額 に上 り し が 、露 西 亜 の混 乱 状態 に陥 り て以来 此 の方 面
洲 大 戦 中 是等 の地 方 に集 中 し た るも の の遠 く欧 露 方面 に輸 送 せ られ
に 対す る輸出 の途 を失 ひ て、 近 時 は北 満 、 沿海 州 方 面 に輸 出 せ ら る
宜 な る哉 、露 国 は早 く よ り 此 の地 に着 目 し て其 の勢 力 の扶殖 に つ
を占 領 し て完 全 に其 の勢 力下 に納 む るに至 り、 外 蒙 の物 資 を独 り縦
に増 加 し、 此 地 の畜産 品 に し て欧米 に輸 出 せ ら る るも の日 に増 加 の
る の み。 近時 英 米 商 人 の此 地 に入 り て対 露 貿易 に従事 す るも の次第
と め 近 く露 国 の崩 壊 す るや 、労 農 政 府 は種 々の名 を構 へて遂 に外 蒙
にし 他 の地 方 よ り の通 商 交 通 を阻 害 し つ つあ るも 、労 農 政 府 の外 蒙
傾 向 あ り。
古 占領 は蒙 古 人 に永 久 的 幸福 を齎 す 所 以 に あらず 、 又 四囲 の事 情 も 其 の永 久的 占 領 を許 さず 。 や が て常 態 に復 帰 す べ き を以 て今 日 の事
移 入 は主 と し て支 那 人 の取 扱 ふ処 な り。綿 糸 布 は 上海 及 日本 産 品 に
此 地 の移 入品 は棉 布 、雑 穀 等蒙 古 人 日常 生活 の必需 品 にし て其 の
は 生畜 な ら ば暫 く 之 を奥 地 に て放 牧 飼 養 せざ るべ か らず 。羊 毛 、 皮
物 資 を 有 せざ る際 は自 然 長 期 の掛 売 をな す外 な く 、又 買 出 た る物 資
人 は貨 幣 によ る貯 蓄 の途 を有 せざ る を以 て、時 機 に よ り彼等 の搬 出
得 ざ る が如 く資 金 の運 転 を阻 害 し 、其 の結 果 比較 的多 額 の運転 資 金
な る銀 行 な き を以 て哈 爾 賓 に至 ら ざ れば それ を現 金 に代 へる ことを
革 等 の畜 産 品 に て直 ち に汽 車 輸 送 す る場 合 に於 ても 、此 地 には完 全
し て 、営 口及 哈爾 賓 の支那 商 人 の手 を経 て此 地 に輸 送 せ ら れ、 又穀
呼 倫 貝爾 給 配 圏 一帯 の住 民 は游 牧 を以 て生業 とな し 、其 の経 済 状
類 は北 満 の産 品 にし て哈爾 賓 、 斉 々哈 爾 地 方 よ り供 給 を受 く。
態 も未 だ幼 稚 にし て交 易 は主 とし て物 々交換 に よ り て行 は れた り し
を 備 へざ るべ か らざ る が如 く 不 利 不便 の点 あ り。
那 人 の如 き商 業 上 特 別 の才 能 を有 す るに あら ざ れ ば、 容 易 に蒙 古 人
域 を脱 し た り と言 ふべ からず 。故 に蒙 古人 と の取 引 は至難 にし て支
る為 貨 幣 の使 用 に不便 を 感ず る も の の如 く 、 未 だ 一般 に物 々交 換 の
等 の間 には貨 幣 に対 す る観 念 徹底 せず 。数 に対 す る頭 脳 を も有 せざ
地 位 に はあ らず 。蒙 古 及蒙 古 人 の上 に至 大 至 強 の動 かす べ から ざ る
き 蒙古 人 の信 用 を博 せん か 、蒙 古 貿 易 の性 質 上 そは 単 な る貿 易 上 の
斯 の如 く し て呼 倫 貝 爾 の蒙 古 貿 易 によ り其 の給 配 圏 に吾 が地 歩 を築
支 那 人 を使 用 す る に於 ては、 対 蒙 古貿 易 業 も難 事 にあ らざ るな り。
業 者 よ りも 優位 な る特 別 の地 位 を持 し 、其 の経 営 に当 り よく蒙 古 人 、
も 、蒙 古 人 の日常 必 需 品 の供 給 、蒙 古 所 産 品 の販 路 に 一般蒙 古 貿 易
右 に述 ぶる如 く 対蒙 古貿 易 に従事 す る には至 大 の不 便 不利 存 す る
が、 近 時銀 塊 、銀 貨 も漸 次 用 ひら るる に至 り 、又 海 拉爾 、 満 洲 里 及
と の取 引 を な し得 ざ る べし 。 且 つ彼 等 と の取 引 には当然 蒙 古 語 を必
其 の附 近 の地 方 の蒙 古 人 間 には紙 幣 も流 通 す る こと あ る も 、未 だ 彼
要 とす る を 以 て之 を 解 せざ れ ば対 蒙 古貿 易 に干 与 す る に不便 少 から
地 位 を築 きた る も のと な り 、 や が て蒙 古 の積極 的開 拓 に偉 大 な る原
海 拉 爾 の対蒙 古 貿 易事 情
ず 。 従 て山 西 人、 直 隷 人 の如 き南 方 面 よ り対 蒙 古貿 易 に久 し く経 験
二
動 と な る や明 な り 。
蒙 古 所 産 品 は主 とし て畜 産 物 な る を以 て 一ケ年 を通 じ て平均 し て
を有 す るも のが、 主 と し て此 地 の蒙 古 貿易 に従事 せ るも の の如 し。
外 国 貿易 地と し て開 放 さら れ 、其 の人 口約 二万 人 にし て支 那 人 は其
海 拉爾 は呼 倫 貝爾 の中 央部 鉄 道 の線 路 の南 方 に沿 ふ て市 街 を な し 、
機 に よ り て取引 の種 類 、数 量 の偏 す る嫌 あ る点 は 、蒙古 貿 易 の経 営
の大 部分 を占 め 、露 人 三 千余 人其 他 外 人 五十 余 名 、邦 人 は賤 業 に従
出 市 を見 る ことな く 、羊 毛 の取引 、皮 革 の取 引 、 生畜 の取 引等 各 時
に不便 不 利 と す る処 な り 。
旧市 街 は海 拉 爾 城 内 に あり 、蒙 古人 を 相手 とす る支 那 の商 売 は概 ね
事 す るも の大 部 を占 め七 十名 を算 す る のみ。 市 街 は新 旧 二分 せら れ 、
る市 街 地 にし て、蒙 古 貿 易 に従 事 す る露 商其 他 の外 国 商 は概 ね此 地
此 地 に て営 業 す 。新 市 街 は 旧城 内 と 鉄 道線 路 と の間 に構 成 せら れた
先 に記 す る が如 く 蒙古 に於 け る物 資 の買 付 は大 体 に於 て物 々交 換
置 かざ る べ からず 。且買 付 に対 す る競 争 よ り物 資 の出 廻 り前 に買 付
によ る も のな る を以 て其 の買 付 対価 とな す べき 物 資 は常 に之 を備 へ
約 定 を なし 、 対価 の 一部 又 は全 部 を前 渡 し す るを 常 とす 。 加 之蒙 古
に営 業所 を有 す 。 近時 新 に此 地 に商店 を建 築 す るも の次 第 に増 加 し 、
1 、 海拉 爾 に商店 を構 へ商 品 を陳列 し て蒙 古 人 の来 り て購 入す る を
あり。
用 品 を備 へお き て其 の地 に於 て取 引す るも の
2、海 拉 爾 に店舗 を有 し更 に奥 地 一定 の地 に人 を派 し 、蒙 古 人 の日
待 つも の
海 拉 爾 の殷 盛 を集 め ん とす る傾 向 あ り。 海 拉爾 は清 初 以来 此 の地 方 の政 治 的中 心地 と し て発 達 し た る処 な りし が 、 一九〇 二年東 支 鉄 道 の開 通 し て後 は、 一層顕 著 な る発 展 を 呈 し哈拉 哈 、車 臣 汗 、烏 珠 穆沁 地 方 に対す る貿 易 市場 とし て対 蒙 古
右 の内 1は 海 拉爾 の対蒙 古 貿 易 商 の大 部 を占 む るも のに し て百数
3、商 品 を携 へて蒙 古 人 の游 牧 を 追 ひ て各 地 を売 り廻 る も の
に及 び後 者 は三 十余 戸 を算 す 。此 種 の商 店 の内 に は満 洲 の他 の地 方
十 戸 を数 ふ。 彼 等 は主 と し て山 西 人 、直 隷 人 にし て前 者 は 七十 余戸
の国 境 駅 と し て長 足 の進 歩 を な し、 次第 に各 種 商 業 上 の機関 も備 り
貿 易 の此 方 面 に於 け る唯 一の門 戸 たり し が、 近 時 満洲 里 が東 支 鉄 道
た るを 以 て 、海 拉 爾 の対蒙 古貿 易 に対 す る地 位 を 次第 に奪 ひ 、海 拉
に見 るが如 く 山 東 人少 な き は注 意 す べ き現 象 な り。
爾 より も 地 理的 に関係 有 利 の地位 にあ る呼 倫 貝 爾 西部 地 方 竝車 臣 汗
彼 等 は東 支 鉄道 布 設 の当初 張 家 口等 より の対蒙 古 貿 易 に経 験 を有
等 に対 す る貿 易 は次第 に満 洲 里 に移 ら ん と し たり 。
す るも のの此 地 に来 り て開業 し た るも の にし て、彼 等 は皆 此 の地 に
此 の種 の商 売 の内 に は更 に二種 に分 つこと を得 べし 。
加 之海 拉 爾 が政 治的 中 心地 た る関 係 上 、巴 布 札 布事 件 、呼 倫 貝 爾
其 の 一は蒙 古 人 の 日用 品 を販 売 す る傍 ら 彼 等 を止 宿 せ しむ る設 備
開 店 以来 二十 年 の経 歴 を有 す る も のな り。
易 は益 々満 洲 里 に吸収 せ られ し が 、未 だ海 拉 爾 の蒙古 貿 易 に於 け る
の横 行絶 えず し て蒙 古 と の間 に安 全 な る交 通 保 し 難 く 、海拉 爾 の貿
地 位 は動 かす べ からず 。依 然此 地 方 に於 け る最 大 門戸 にし て近 時 満
を有 す る も の にし て 、他 は蒙 古 人 を 止宿 せし む る こと な く単 に彼 等
の独 立問 題 等 の為 度 々争 乱 の中 心 とな り 、続 いて其 の奥 地 一帯 匪 賊
洲 里 の 一般 的衰 微 に つれ大 な る蒙 古 貿易 商 にし て海拉 爾 に移 る も の
売 の大部 分 は 前 者 に属 し、後 者 は新 し く蒙 古 人間 に使 用 せ ら る る に
の日 用品 の販 売 のみ をな す も の之 な り 。此 の地 の斯 業 に従 事 す る商
海 拉爾 に於 け る蒙古 貿 易 は其 の取 引 の相 手 方 によ り、 又 は取 引 の
あ り。
範 囲 によ り種 々之 を観 る こと を得 べき も 、茲 には 対蒙 古 貿易 の方 法
者 百 数 十戸 皆 類 を同 ふす 。
大 小 多寡 あ る のみ にし て、殆 んど 総 て同 様 の形 式 の構 へにし て同 業
前 者 に属 す る商 売 は商店 の構 造 、設 備 、 取扱 商 品 の種 類 其 の他 に
販 売 す る が如 き 小規 模 に経営 す るも のなり 。
も の、或 は 支 那 人 の需 要 す る商 品 を陳 列 し 、傍 ら蒙 古 人向 の雑貨 を
蒙 古 人 の需 要 す る商 品 を販売 し 、他 方 蒙 古産 品 の買 付 をな
至 り し 日本 、 西 洋雑 貨 或 は 装飾 品 、仏 具 等 の特種 商 品 の販 売 をな す
イ
より観 て其 の実 情 を明 にす べ し。
す もの 此種 の取 引 に従事 す るも のは直接 蒙 古 人と 取 引関 係 を 有す る も の にし て、 主 とし て支 那 人 の干 与 す る処 な り。 此 内 更 に左 の如 き 数 種
す。 家 屋 は店 と客 間 と其 の背 後 に続 く 蒙 古 人 止宿 の為 の数 個 の小室
道 路 に面 し て商 店 を構 へ 一側 に必ず 生 畜 諸車 の出 入 の為 の門 を有
A、 商 売 の構 へ
今 是 等 商売 の特 徴 とす る処 に付少 しく 記 す る処 あ る べし 。
の持 参 品 の販 売 を止 宿 せ る商 店 に托 し て帰 る こと あり 。 此 の場 合 委
場 合 によ り ては容 易 に買 主 を発 見 す る こと 能 はず 、遂 に蒙 古 人 は其
牧 をな す 。 其 の間 蒙 古 人 に対 し ては 概 ね止 宿料 を徴 す る ことな し 。
ま る ま では 蒙 古 人 は其 の店 内 に宿 泊 し 、生 畜 の場 合 は 毎 日附 近 に放
又彼 等 の 日用 品 の買 込 み に便 宜 を 計 る も のと す 。斯 く し て買 主 の定
託 を受 け た る商店 は適 当 に之 を販 売 し て彼 等 に対 す る売 掛 代 に充 当
よ りな り 、 必ず 広 き 中庭 を有 す 。 B、 店 の 設 備
し 、剰 余 あ ら ば之 を保 管 す る こと勿 論 な り。
棉 布 、茶 、煙 草 、雑 貨類 は 商 品棚 に陳 列 す 。商 品 棚 は高 さ六 尺 以
従 ひ 口座 を設 け、 取 引毎 に日附 、品 名 、 価 格 を記 載 し 、毎 年未 決 済
底 〓 、或 は 壬 戊年 外 域来 往 底 〓等 各 地方 別 に帳 簿 を作 成 し、 人名 に
支 那 商 人 の貸 借 整 理 は大 体 得 意 先 の地 方 別 に従 ひ、 壬戊 年 西南 屯
し。
換 す る こと な き も、 蒙 古 人は そ れ に対 し て絶 対 信 用 せ る も の の如
し て は支 那 商 人 が 一方 的 に記 録 に止 む る のみ に し て、 別 に書 類 を交
斯 の如 く し て互 に貸借 相 連 続 し て絶 ゆ る ことな し 。 此 の貸 借 に対
家 屋 は道路 に面 し て小窓 を有 す る の みな る を 以 て採光 充 分 な らず 。 一隅 に商 品 の陳 列 棚 を有 し、 其 の前 に店 員 の通行 出 来 る だけ の通路 の間 隔 を 置 き て三 尺高 さ の台 を 造 り、 商 品 を置 く用 に供 し又 客 と商 品棚 と の隔 とな す 。
上 、深 さ 一尺 余 の枠 に碁 盤 目 に、 二尺 四角 余 の棚 を連 続 し て造 り た
C、商 品 の陳 列
る も のな り 。 そ の陳 列 には何 等 の技 巧 を 凝 す ことな く 、無 雑 作 に各
額 を後 期 に繰 越す も のとす 。
右 に記 す る が如 く互 に信 用 を重 じ て取 引 す るを 以 て彼 等 の交 易 は
品種 別 に積 上 げ た るも のにし て顧客 の商 品選 択 に何等 の便 を 有 せず 。
比 較 的 公 正 に行 はれ 愚昧 な る蒙 古 人 には 支 那商 人 と の貿 易 の為 には
況 ん や顧 客 の購 買 心 を煽 る が如 き陳 列 法 は絶 対 にな し 。装 飾 品 其 の 他 の小 雑 貨 は台 の上 に硝 子 蓋 付 の箱 に入 れ陳 列 す るを 一般 と す 。帯
か か る営 業組 織 は幸 と い ふ べし 。
2 に属 す る も のは 之 を常 撥 子 と称 し、 数 人 の店 員 に多 量 の商品 を
紐類 の長 き も のは台 の上部 に天 井 よ り懸 下 せ り 。馬 具類 等 は 周 囲 の
携 帯 せし め て奥 地 一定 の地 に派遣 し 、天 幕 を構 へて商 品 を陳 列 し附
壁 に吊 す を常 とす 。 雑穀 、 小 麦 粉等 は店 の空 所 に適 宜堆 積 す る のみ。 一般 に商 品 の陳 列 に付 き て は何 等 の考 慮 を 費 さ れた る も のな く 、蒙
近 の住 民 の日常 の需 要 に応 ず る も のにし て、交 易 によ り得 たる家 畜
ず 。此 の地 に ては大 利 号 、〓 長 盛 等 が其 の主 な る も のな り 。
のな り。 此 の種 の経 営方法 は大 資 本 を要 す るを 以 て其 の数 も多 から
は之 を附 近 に放 牧 す るも のにし て 、交 易 の傍 ら牧 畜 業 を経 営 す る も
古 人 の必 要 とす るも のを備 へ置 く と言 ふ に過 ぎ ず 。
に積 載 し たる ま ま、 直 ち に其 の得意 先 とせ る商 店 の内 に引 込 み買主
蒙 古 よ り其 の生 産 品 を携 帯 し 来 れ るも のは 生畜 又 は畜 産 品 を車輛
を待 つ。 茲 に於 て其 の支 那 商 人 は其 の販 売 に対 し て媒介 の労 を と り、
と す るを 以 て、 か か る幼畜 は之 を 常撥 子 に持 参 し て養育 の困 難 と 、
る傾 あり 。冬 期 蒙 古 人 は出 産 し た ば かり の家 畜 を養 育 す る こと 至 難
営 む処 な り。 即 此 の方法 は現 銀 を携 帯 し て物 資 の買 付 を なす も のに
前 者 は直 接蒙 古 人 に就 き て買 出 す も のな る を 以 て多 く の支 那 人 の
輸移 出 す る場 合
蒙 古 奥 地 よ り買 出 のみ をな す場 合
其 の死 亡 の危 険 よ り蒙 る損 害 な か ら し め然 も 其 の交 易 によ り日 用 品
し て、普 通 代金 の 一部 を支 払 ひ残 額 は海 拉爾 に於 て決 済 す るも のな
蒙 古 奥 地 に於 て直接 買 付 を な さず し て海 拉 爾 の在 荷 を買集 め て
を得 る利 益 あ り。 か かる幼 畜 に対 し て は常 撥 子 は特 別 の設 備 を 有 す
り 。 此 の種 の取 引 は近 時 発展 に属 し 、物 品 携帯 の不 便 に代 る為 に行
2
る を以 て養 育 も之 を全 う す る こと を得 べし 。 如斯 相 互 に益 す る が 如
は るる も のな る が 、交 易 に際 し物 品 よ り も不利 の場 合 多 く、 且 現銀
1
き其 の 一例 な り。 又 物 資 の買 付 並 地 方民 と の接触 と言 ふ見 地 に於 て
携 帯 の不便 と危 険 は免 れざ る を以 て未 だ 一般 的 に行 は るる に至 らず 。
蒙 古 人 は自 己 の居 住 地 の近 く に常 撥 子 のあ る は彼 等 の日用 品 を 得
も 、此 の常 撥 子 は最 有 効 な る方 法 にし て、 今 日 の蒙 古 貿易 の実 情 に
皮 革 、獣 毛 類 の取引 の如 き特 種 商 品 の取 引 に用 ひら る る場 合 多 し。
る に も、 又其 の生 産 品 を販 売 す る にも利 便 な る為 之 を大 いに歓 迎 す
照 し て最 適 当 な る発 展 方法 とす べ し 。今 日 にあ り て は常 撥子 の買 付
然 し 此 の方 法 によ り て買 付 けら るる も のは 全 取引 額 の三割 に及 ばず
︹マ マ︺
た る生 畜 の牧畜 法 は、 蒙古 人 の牧 畜 方法 と何 等異 る処 な く 、搬 出 に
し て、他 の七 割 は依 然 物 々交 換 によ る も のと な さざ るべ から ず 。
2 の海 拉 爾 市場 の在 貨 を集 め て哈爾 賓 方 面 又 は欧 米 に輸 出 す るは
便 利 の為 に単 に蒙 古 人 の牧畜 の延 長 と し てな さ ざ る に過 ぎざ るが 、 将来 牧 畜 方 法 の改 良 進 歩 を計 る為 に最便 宜 あ るべ く吾 人 の注 意 せざ
人 の需 要 す る商品 を携 帯 し て 、蒙 古 人 の放 牧 せ る 地方 を巡 廻 し て彼
の商 店 を出 す資 力 なき も のか 、又 は 此 の地 の商店 員 にし て自 ら 蒙 古
3 の種 類 に属 す る も のは出 撥 子 と言 は る る処 のも の にし て、 独 立
も のを集 め て輸移 出 す るも のな るを 以 て此 の種 のも のを 2 の部 類 に
あ ら ず 。支 那 仲買 人又 は出 撥 子 の約定 値 段 に て海 拉 爾 に搬 出 し た る
撥 子 に前渡 し て買 出 をな す も 、彼 等 は奥 地 蒙古 人 と直 接 取引 す る に
爾 出 廻 り前 に買 付 、物 資 の代 価 の 一部 又 は全 部 を支 那 仲 買人 又 は出
主 とし て 、露 人其 の他 の外 人 の営 む処 とす 。彼 等 は蒙 古物 資 の海拉
等 に商 品 を 販 売 し 、 又彼 等 の生 産 品 を買 付 く るも のなり 。外 蒙 古 に
属 せし む る も誤 には あら ざ る べし 。彼 等 は今 日 ま で此 の地方 の蒙古
る べ か らざ る処 な り。
於 て徹 底 し て商品 の買 付 を為 すた め には此 の方 法 も最 有 効 にし て注
ハ
取引 の仲介 をな す も の
べ からず 。
を開 設 す る傾 向 あ り、 此 の現象 は何物 を語 るも のか大 に警 戒 せざ る
を 有 す る に過 ぎ ざ りし が 、此 の種 の英 米 有 力商 人 が近 時支 店 出 張所
奥 地 に深 き関 係 を有 せず 。 且此 の地 に店 舗 を設 く る こと なく 取 引店
蒙 古 所産 品 の買 付 のみを な す も の
意 せざ るべ からざ る方 法 な り 。 ロ
海 拉爾 に於 け る 対蒙 古 貿 易 に従 事 せる も の にし て蒙 古 人 の必 需 品 の販 売 をな さず し て専 ら 蒙 古所 産 品 の買 付 の みを なす も のあり 。 此 の種 のも の は左 の二種 に分 つ こと を 得 べ し。
然 に必要 を生 ず る に至 れ る も の にし て、此 の種 の商 店 は尚 将 来 発 達
徳 和 永 店 等 是 な り 。此 の種 の仲 介業 者 は蒙 古 貿 易 の進 歩 に伴 ひ、自
近 開 業 し た る西 門 外 の吉 興 昌 牛 馬商 店 及 北 門 外 の源豊 浅牛 馬 商 店 に
海 拉 爾 に於 け る蒙 古 貿 易 の仲 介業 は極 め て最 近 の発 達 に属 し 、最
出 す る も のと す 。
し て甘 珠 児 廟 に行 き、 蒙 古官 憲 の監 督 の下 に各 々交 易 し畜 産 品 を搬
賃 四元 乃 至 四元 五角 ) に雑穀 、 布 類 、 雑 貨等 蒙 古 人 の日用 品 を積載
の人 を 派 し 、 五、 六十 車 よ り百 数 十 車 (一車 二十 布度 積 み、 其 の運
五 日頃 よ り当 地 の百 余 戸 の蒙 古 貿 易 商 は 四 、五 名 よ り多 き は十 数名
海 拉 爾 の対 蒙 古 貿 易額 に就 き ては 正確 な る統 計 を有 せざ るを 以 て
見 地 に於 ても 重 要 視 せざ るべ からざ る処 な り 。
実 に此 の廟 会 は呼 倫 具 爾 の蒙 古貿 易 に於 ても 又全 蒙 古 の貿 易 て ふ
の余 地 大 な る も のあ り 。是 等 仲 介 業 者 は大 体 に於 て蒙 古 人 の搬 出 し た る家 畜 並蒙 古 に輸 入 せ ら る る雑 貨 の取引 の仲 介 をな す を業 とす る も の にし て、直 接 蒙 古 奥 地 と の取 引 に仲介 の労 を と る こと 少 な し。
並 税 局 にて調 査 し た る処 によ り推 算 す る に 一ケ年 七百 万 元 に及 ぶ べ
今 後 の研 究 に待 ち て知 らざ るべ からざ る処 な るも 、鉄 道 の輸 送統 計
此 の種 の商店 は店 内 に頗 る広 大 な る地 積 を擁 し 、牛 馬 の飼 料 を も備 へおき 、 蒙 古 人 の搬 出 し た る家 畜 又 は民 国 人 の持 参 し た る雑 貨 を其
銀 行 等 あ る も 一部 商 人 の利用 す る のみ にし て営 業 の確 実 を欠 き未 だ
の機 関 と し て は見 るべ き も のな く 、金 融 機 関 とし て広 信 公 司 、露 亜
会 議 所 を有 し各 々其 の利 益 の擁 護 に つと め つ つあ り 。其 の他 貿 易 上
海 拉爾 の支 那 商 は 新 旧市 街 に各 々 一つの商 務 会 を 、 又露 商 は商 業
し。
の院 内 に収 容 し 、支 那 人 、 蒙 古 人 を 止宿 せし む る 設 備 もな し て彼 等 のた め に売 買 の媒介 の労 を と り 、 そ れ に対 し て手 数料 を徴 す る も の な り。 手 数 料 は 一取 引 に対 し 五 分 と せ るも 、 実 際 は 場合 に応 じ 二 分
蒙 古 人 の経 済 状態 の進 歩 せ る今 日 此 の種 の商 店 を利 用 す るも の次
ま で の間 に尚 低 率 に特 定 す る が如 し 。
第 に増 加 し つ つあ る を 以 て、 此 の種 の営 業 は顕 著 な る発 達 を為 す べ
海 拉 爾 の蒙 古 貿 易 は 一時政 治 的 原 因 の動 乱 等 によ り阻 害 せ られ た
一般 に広 く 用 を なす に至 らず 。
定 期 市 に於 て取 引 す る場 合
る こと あ り し も 、蒙 古 人 に対 す る海 拉 爾 の貿易 の地 位 は依 然 とし て
ニ
く蒙 古 貿易 に益 す る処 大 な る も のあ る べ し。
海 拉 爾 の対蒙 古 貿易 に於 て定 期 市 に於 け る取 引 は看 過 す る を得 ざ
会 に際 し て は内 外 蒙 古各 地 よ り物 資 を携帯 し て参 会 し 、実 に盛 な る
の北 に沿 う て鉄 道附 属 地 に発 達 し 、 人 口約 一万 五千 余 を 有 し 、其 の
満 洲 里 は東 支 鉄道 の国 境 停車 場 の所 在 地 にし て其 の市街 は停 車 場
満 洲 里 の対蒙 古 貿 易 事情
動 かす べ から ざ る も の あり 。 此 の状 態 には変 化 す る こと な か るべ し 。
市 を 為 す 。甘 珠 児 廟 は海 拉 爾 の西 南 方 四 百支 里 の処 に位 置 し 、牛 車
地 は 一八九 七 年 東 支鉄 道 の敷 設 せ ら る る に至 り て初 め て其 の存 在 を
内 支 那 人、 露 人 其 の大部 を 占 め 、邦 人 は百 余 名 を算 す る のみ 。此 の
三
る処 にし て 、甘 珠 児 廟 の廟 会 に当 り て行 は る る市 は其 の盛 大 な る こ
に て四 日、 馬車 に て三 日 、轎 車 に て 二日 に て到 着 し得 、 自動 車 なら
と に於 て広 く知 ら るる 処 に し て、 陰 暦 八 月 一日 よ り五 日 間 に亘 る廟
ば 一日 に て往 復 す る こと を得 べ し。 此 の廟 会 に当 り ては 七 月 二十 四
認 め ら れ た る も の にし て 、 一九 〇 五年 に は外 国 貿 易地 と し て開 放 せ
発 達 に資 す る処 な かり し が、 先 き に欧 洲 大 戦 の勃発 し、 遂 に露 国 の
に至 れば 契 約 品 を集 め て満 洲 里 に搬 出 す る こと海 拉爾 に於 け る場 合
村 長 の指 図 を受 け、 其 の保 証 を必 要 と す る場 合 あ り 。斯 し て出 廻 期
又 は全 部 を 交 付 し売 買 の契 約 をな す を 常 とす 。 此 の契 約 に際 し て は
又多 量 の物 資 の買 出 を な す場 合 には物 資 の出 廻 り前 に代 価 の 一部 、
を買 集 す るも のにし て主 と し て露 人 の営 む処 なり 。
崩 壊 す る に至 り て、 此 の地 は西 伯利 亜 方 面 に対 す る貿 易 の中継 地 と
ら れた る も、 唯 国 境 駅 と し て通 過 貿 易行 は る る に過ぎ ず 、 満 洲 里 の
し て漸 く其 の存 在 を 認 め ら る る に至 り、 蒙 古 貿 易 に対 す る地位 を漸
に同 じ 。此 の方 法 に よ る貿 易 は当 地 の蒙 古貿 易 の大 部分 を占 む る も
然 し近 時 此 の地方 に ては 手 付金 の みを と り て品 物 の受 渡 を な さざ
のな り。
地 方 及 外蒙 古 車 臣 汗 に亘 る 一帯 な り 。先 き に海 拉爾 地 方 の貿 易 を 一
る物 資 は更 に露 人、 英 米 人 の手 に よ り て輸 移 出 せら るるも 、 こは既
る も のあり て不慮 の損 失 を蒙 る場 合 あり 。斯 くし て満洲 里 に集 り た
満 洲 里 の蒙 古 貿 易 の給 配 圏 は 其 の地 理的 関 係 上 、呼 倫 貝 爾 の国 境
次 開 拓 す る に至 れり 。
あ り、 其 の他 国 境 地 方 の不安 並 に海 拉爾 の蒙 古 貿 易 の復 活 及後 に述
蒙 古 人 が自 ら 其 の生産 品 を満 洲 里 に持 参 す る場 合
奥 地 蒙 古 人 の生産 品 を 共同 し て搬 出 す る場 合 あ り 。此 の際 にあ り
ロ
に海 拉 爾 の項 に於 て記 した る処 あ るを 以 て ここ に省 略す 。
時 此 の地 に 吸収 す る に至 り し が、 今 日 に於 て外 蒙 は労 農 政 権 の下 に
ぶ る が如 き満 洲 里 の支 那貿 易 商 の不 信等 原 因 を な し此 の地 の蒙 古 貿
ても海 拉 爾 に於 け る場 合 と 異 り、 彼 等 は 一定 の得 意 先 を有 す る に あ
易 は昔 日 の盛 を見 るべ か らず 。 満 洲 里 の蒙 古 貿 易 は最 近 の建 設 にか か り、 海拉 爾 の如 き 久 し き歴 史 を 有 す る も の にあ らず 。 此 の地 の蒙
らざ る を以 て、 一定 せ る搬 出 先 の目 標 あ る に あら ず 。 且自 ら其 の持
参家 畜 を満 洲 里 に持 ち込 む時 は 、支 那 官憲 に不 当 の税 を課 せ ら る る
に し て、支 那 人露 人 にあ り ても 一九 一六年 の欧 洲戦 の当 初 開 業 し た
を 恐 れ、 彼 等 は敢 て之 を 満 洲 里 の市 場 に持 参 せず し て、郊 外 附 近 の
古 貿 易 に従 事 す るも のは支 那 人 、 露 人並 近 く侵 入 し た る英 米 の商 人
満 洲 里 一帯 に は古 く 西 伯利 亜 より移 住 し たブ リ ヤー ト族 多 く居 住
る も の にし て 、古 き も の にても 開 業 以来 七年 を越 え た る も の少 し 。
数 の観 念 に乏 し き を以 て、 現銀 の分 配 に関 し て彼 等 の間 に大争 闘 の
受 渡 を なし 、 現金 は満 洲 里 に於 て支 払 ふ も のと す 。 一般 に蒙 古 人 は
地 に置 き買 主 を 其処 に誘 致 し 、売 買 の契約 成 立 の上 は直 ち に現物 の
此 の地 方 に住 す る蒙 古 人 の経 済 状 態 は海 拉 爾 より も甚 しく 進歩 し 、
し、 然 も此 の地方 一帯 に露 西 亜 の文 化 に接 す る こと多 か りし を 以 て 、
り。 今 之 を前 節 に於 け る場 合 と等 し く取 引 方 法 を 明 に し、 仔細 に此
貨 幣 の如 き も広 く 通 用 せ ら る るも の の如 く 自 然 貿 易 も甚 し く進 歩 せ
蒙 古 人 向物 資 を販 売 す るも の
蒙 古 人 の需 要 す る物 資 を販 売 す る商 店 は支 那 人 の経 営 す る処 に し
ハ
見 る も海 拉 爾 に於 け るそ れ と大 差 あ るを知 る こと を得 べし 。
醜 を満 洲 里 街頭 に於 て演ず る場 合 少 からず 、斯 く の如 き貿 易組 織 に
蒙 古 物 資 の買 出 の みな す も の
の地 の蒙 古 貿 易 に付 観 る処 あ るべ し 。 イ
直 接奥 地 の蒙 古 人 ( ブ リ ヤ ート 人 を含 む ) に就 き て彼 等 の生産 品
て 、 其 の販 売 す る商品 は海 拉 爾 に於 け る それ と類 を同 じ ふす るも 、
の購 買 心 を煽 るが如 く し 、上 等 品 に対 し ては硝 子戸 を 用 ふる が如
陳 列法 の如 きも 非 常 に進 歩 し、 僅 少 の商 品 を広 い面 積 に列 べ顧 客
く し て海 拉 爾 に於 け る も のと 甚 し く異 る処 あ り 。
其 の営 業 状 態 に於 ては全 く 趣 を 異 にす 。 此 の種 の商 店 は 三道 街 の 一 部 に集 り て 、其 の戸 数 は十 数 戸 を算 す る の み。海 拉爾 に於 け るも の
麦 粉 、 雑 穀 類 等 は是 等 一般 の商 店 に は備 へた る も のな く他 に専
右 に述 ぶ る処 によ り て も満 洲 里 の対蒙 古 人 商店 の性 質 の大概 を知
門 的 の商店 あ り。
4
る こと を得 。 之 に従 事 す る山 西 人 、直 隸 人 の如 く蒙 古 貿 易 に特 別 の
満 洲 里 に於 ては是 等 商 店 は 一定 の蒙 古 人 の得 意 先 を有 せざ るを
と異 る 点 を掲 ぐ れ ば 次 の如 し 。
以 て現 銀 に て販売 し、 海 拉 爾 に於 け る が如 く掛 売 す る こと な し 。
1
人 は慇 懃 に之 を待 遇 し 不 信 の こと をな さ ざ る も 、満 洲 里 に於 ては
従 て其 の商 法 は非 常 に異 る処 あ り 。海 拉 爾 に於 ては顧 客 た る蒙 古
を維 持 し得 る に見 ても ( 朝 鮮 商 店 は 経営 難 の為 大 正 十 二年 閉店 ) 此
に伍 し て数 年 来 朝 鮮 商店 と号 し て蒙 古 人向 雑 貨 を販 売 し 、 よ く経 営
経験 を 必要 とす る こと なく 、 此 の地 に於 て は朝鮮 人 にし て彼等 の間
の地 の斯 業 が如 何 に海 拉 爾 のそ れ と異 る かを知 る こと を得 べ し。 彼
然 らず し て、彼 等 は不 正 の暴利 を食 ら ん と し 、値 段 の掛 引 を為 し 、 為 に蒙 古 人 は 一つ の物 品 を 買 ふ に も数 戸 の商 店 を素 見 し て後 に漸
等 に は以 前 常 撥 子 、出 撥 子 を 蒙古 奥 地 に出 し た るも の少 か らざ りし
く 、 彼 等 を宿 泊 せし め る設 備 を有 す る も のは極 め て稀 な り 。彼 等
古 人 の 一定 せ る得 意 先 を 有 せざ る為蒙 古 人 を宿 泊 せし め る こと な
助 長 す る何 等 の作 用 を も用 せず 。 又満 洲 里 市街 の西 端 に臚 浜 県 官 立
広 信 公 司 、東 三省 銀 行 、露 亜 銀行 、借 款 銀 行等 あ るも 、蒙 古 貿 易 を
支 那 商 に各 々商 業 会 議 所 、商 務 会 を有 す る のみ。 金 融機 関 と し て は
商 業 機 関 と し て は海 拉 爾 と等 し く何 等 見 るべき も のな く 、露 商 、
が近 時 は これ も な き が如 し 。
る蒙 古 人 を 減少 せ しめ た る こと計 るべ か らず 。 満 洲 里 に於 て は商 店 が 広 大 な る地 積 を擁 す る も のな く 、単 に物
く 買 ふ が如 く 、彼 等 の間 に誠意 と信 頼 な し 。其 の結 果 満 洲 里 に来
2
蒙 古 人 の止宿 の為 には市 街 地 の両 端 に露 人経 営 の蒙 古 人宿 三戸 あ
を有 す る にあ らず し て、 満 洲 里 に於 け る家 畜 取 引 に対 し て売 買 手 数
牲 畜 市 場 と 称 す る官 設 の機 関 あ る も 、家 畜 市場 と し て完 全 な る設 備
品 を陳 列 し て売 買 を為 す 店 と 、店 員 の為 の小室 を有 す る のみ 。蒙
り 。 其 の宿 は単 に彼 等 を宿 泊 せし む る のみ に し て、 室 に床 の設 備
料 の名 義 を 以 て 、売 主 より 取 引高 の 一分 、買 主 より 二分 を徴 す る の
を な し横 臥 す る に足 る だ け の地 位 を与 へら れ 一泊 十銭 を要 す る の み 。 泊 り客 多 く し て室 内 に収 容 す る こと を得 ざ る時 は 、庭 内 に ユ
み にし て、商 業 機 関 の名 を 以 てす る 一の徴 税 機 関 た るに過 ぎ ず 。
満 洲 里 の是 等 商店 の有 す る商 品 は繻 子 、 緞 子 、 天鵝 絨 、 ク ロー
るが 、其 の為 に此 の地 の蒙 古 貿 易 に従 事す る支 那商 人 が之 に乗 じ て
と、 附 近 住 民 の経 済 状 態 の進 歩 せ る為 取 引組 織 も 進 歩 し た るも のな
之 を要 す る に満 洲 里 の対蒙 古 貿 易 は海拉 爾 より も新 し く開 け た る
ルタ ( 蒙 古 人 の遊 牧 に用 ゆ る天 幕 ) を設 備 し 之 に収容 す 。又 彼 等
ム鞣 革 等 、 海 拉爾 にて見 ざ る上等 品 、 奢 侈 品 多 き が如 し 。商 品 の
自 ら持 参 の ユル タを其 の庭 内 に張 り て そ れ に泊 る こと あ り。 3
を阻 害 し た る こと 計 るべ から ず 。加 之 此 の地 の給 配 圏 た る外 蒙 は 労
不 正 の利 を 計 り、 以 て奥 地 蒙 古 人 の信 を失 ひ此 の地 の蒙 古 貿 易 発展
満洲 里 に於 て のみ の貿 易 にあ ら ざ る なり 。 其 の両 地 には 対蒙 古 の貿
値 な し とす る は早計 な り。 何 んと な れば 呼倫 貝爾 の貿 易 は海 拉 爾 、
し て満 洲 里 の対 蒙 古 貿易 は目 下殆 ん ど中 止 の状 態 にあ り 、将 来 に於
林郭 爾 地方 に至 り ては 、積 出 市 場 の市 価 の三 割 乃至 四割 低 価 にあ り。
ひ て 、其 の価 格 は 次 第 に逓 減 す るも のにし て、哈 拉 哈 、 車 臣汗 、錫
哈 倫 貝 爾 移 輸 出 畜産 品 の価 格 は海 拉 爾 、 満 洲 里 よ り遠 ざ か る に従
易 あ る を忘 るべ か らず 。故 に呼倫 貝爾 の移出 品 の吾 が商 品 と し て の
て も蒙 古 人 の間 に 一度 び信 用 を失 ひ た る満 洲 里 の蒙古 貿 易 は 之 を挽
然 も原 産 地 よ り積出 地 ま で運 賃 諸 掛 によ り て其 の差 額 を 生 ず る も の
農 政権 の下 にあ り 、 又此 の地 が 国境 に あ る関 係 上 出市 の為 往 復 の途
回 す る こと 至 難 に属 し 、然 も 蒙古 人 を広 く誘 致 す るだ け の特 別 の貿
らず 、然 ら ざ れば呼 倫 員 爾 の貿 易 の存 在 あ ら ざ れ ば なり 。
易組 織 を も有 せざ るを 以 て、 今後 此 の地 の蒙 古 貿 易 を発 達 せし む る
にあ らず し て 、先 に述 べ た る が如 き貿 易 組 織 が ( 二 のロ 並 三 のイ 参
価 値 を決 す る には 、 此 の地 の対蒙 古 貿 易 に発 足 し て考 察 せ ざ る べ か
特 別 の事 情 なし 。 故 に満 洲 里 の蒙 古 貿 易 は地 理 的 に関 係 深 き 地 方 に
照 )如 斯 結 果 を齎 す も のな り。 蒙古 物 資 の買出 に右 の如 き 現象 あ る
上 過激 派 の難 を免 れ ん と し て、敢 て 此 の地 に物 資 を搬 出 せん と す る
対 し て現 銀 を持 参 し て蒙 古 産 品 を買 出 す 前 記 イ の策 に於 て其 の将 来
のみ な らず 、蒙 古 人 の需 要 す る物 資 を奥 地 に移 入 す る場 合 に於 て も、
も の少 くし て海 拉爾 に集 るも の増 加 し つ つあり 。 右 に述 ぶ るが 如 く
を見 出 す の み にし て、呼 倫 貝 爾 の蒙 古 貿 易 の中 心 市場 た る海 拉 爾 の
移出 の場 合 と反 対 に距 離 が遠 ざ か るに従 ひ売 価 騰貴 す べき を 以 て 、
其 の貿 易 に は 二重 の利 益 を齎 す も のな り。 此 の特 別 の現 象 を度 外視
呼 倫 貝 爾 の移出 品
四
地 位 を根 底 よ り覆 す こと能 はざ る な り。
し て呼倫 貝 爾 の貿 易 を 語 る べ から ず 。
し 、 今 日 の事 情 の下 に邦 人 の対蒙 古 貿易 業 経 営 の余 地 あ る こと を知
抑 々本編 の目 的 とす る処 は呼 倫 貝 爾 に於 け る蒙 古 貿易 事 情 を 明 に
呼 倫 貝爾 よ り移 出 せ ら る る蒙 古物 産 は生 畜 並 獣 皮 、獣 毛 、 家 畜 品 に限 る。従 て此 の地 の輸 出 畜 産 品 の主 要 な る も の の状 態 を明 に せば 、 移出 品 の全 部 に付 大 体 の傾 向 を 知 る こと を得 べし 。
るを 目 的 とす るも のな る を 以 て、 其 の見 地 に於 て 一二重 要 商 品 に付 、
他 の地 方 よ り輸 移 出 せら る る同 種 のも のと 、需 要 地 に於 け る優 劣 並
呼倫 貝爾 の移 出 品 は蒙 古 人 の原 始 的 に 生産 す る処 な る を以 て、 品 質 の優 良 な らざ るは 事実 な り。然 れ ど も今 日迄 伝 へら る る が如 き不
経営 上呼 倫 貝 爾 の移 出畜 産 品 の吾 商 品 と し て の価 値 を 明 に せ ば 足
毛
邦 入 の呼倫 貝爾 の輸 移 出 取扱 に対 す る余 地 の有 無 を 知 り 、貿 易 業 務
羊
良 のも のに あら ず 。 羊 毛 の如 き 張家 口方 面 よ り輸 出 せら る る も の に
イ
呼 倫 貝 爾 に於 け る緬 羊 は 元 来採 毛 の目 的 を以 て牧 畜 す る も の にあ
る。
比 し 、 品質 に於 ても 何等 遜 色 な き は 毛織 物 工場 に於 て実 際上 証 明 せ ら れた る処 な り。 又 移出 に際 し所 要 の運 賃 諸掛 に於 ても 莫 大 の額 を 要 す る こと は事 実 な り 。然 之 を 以 て直 ち に他 の地方 より 移出 せ ら る る同 種 商品 に対 抗 す る こと を得 ず 、 邦 人 の取扱 ふ貿 易 品 と し て の価
す 。 従 て其 の質 にも何 等 の改 善 を 施 さ れ た るも のな く 、採 毛 の方法
らず 。肉 用 を目 的 と し其 の羊 毛 を輸 出 す る に至 り し は最 近 の事 に属
布 度 に付 二元 乃 至 二 元 五角 に過 ぎず 。
す る に よ り て三 、 四割 に及 ぶ。 羊毛 の価 格 は距 離 に より て異 る も 一
地 方 に て見 る が如 く 、斤 量 を増 加 す る た め砂 土 を 混ず る が如 き こと
選 毛 によ り て其 の欠 点 を補 ひ得 べ し 。此 の地 の羊 毛 に は支 那 の他 の
光 沢 、 弾力 を有 せざ る白 色 の死 毛 を有 す るを 最 大 な る欠 点 とす る も
険 に遭 遇 す る こと なく 、蒙 古 人 の責 にて安 全 に運 送 せら るる も のと
を要 す。 多 く の場 合 蒙 古 人 の牛 車 を利 用 す るも途 中 に於 て馬賊 の危
地 方 に よ り事 情 によ り其 の率 を 異 にす るも 、 一哩 に付 二 仙 乃至 三仙
のと す。 一牛 車 輌 の積 載 量 は十 八布 度 乃至 二十布 度 にし て、運 賃 は
斯 く し て買 付 け ら れ た る羊 毛 は牛 車 に積 載 し て市 場 に搬 出 す る も
を な さ ざ る を以 て、洗 毛後 の歩留 り優 に五 割 四 分 を 有 し品 質 の悪 し
す 。然 し 此 の場 合支 那 商 人 は自 己 の買 付 た るも のを又 他 に買収 せ ら
にも其 の方 法 宜 し き を得 ざ る為 に羊 毛 の品 質 に影 響 す る処 至 大 にて、
き を 補 ふ に足 るも のあ り 。此 の地 の羊毛 は質 硬 き を 以 て用 途 によ り
る る こと を恐 れ 店員 を派 し て遠 く之 を迎 ふ るを常 とす 。
斯 く し て出 市 し た る羊 毛 は海 拉 爾市 街 の東 方 に沿 う て流 る る伊 敏
ては 寧 ろ大 な る価 値 を有 す 。 即 堅 固 な る毛 織 物 原料 に供 す る場 合 又 優 等 羅 紗 を織 る場 合 混 毛 に使 用 す るが如 き、 又 絨 毯 等 の原 料 と し て
浮 べ其 の中 央 部 に長 さ 六尺 巾 三 尺 の穴 をう が ち 、 そ れ に羊 毛 を受 け
す 。洗 毛 工場 は何 等 特 別 の設 備 を有 す る にあ らず し て、 河 上 に筏 を
ン、 ス ミ ルノ ー フ等 数 箇 の洗 毛 工場 に於 て洗 滌 し 移 出 す る も のと
割 を 三等 品 とす る こと を得 べし 。之 を南 満 産 の羊 毛 並 び に天津 よ り
河 の両 岸 にあ る アク チ ユー リ ン、 ビ ー テ ル マン、 ヤ コビ 、 ゾ ルガイ
輸 出 せ ら る る も の に比較 す る に 一、 二等 品 にあ り ては何 等 の遜 色 な
る容 器 を嵌 め 、流 水 に攪 拌 し つつ洗 滌 し、 そ れ を地 上 数 尺 の高 さ に
り区 分 す る に 全量 の四 割 は 一等 品 にし て 、 三割 は 二 等品 、余 り の三
し 。 三等 品 に あり ては例 の死 毛 を多 く有 す る為 特 別 の製 品 の原料 に
張 渡 せ る針 金 に掛 け て乾 燥 し、 必要 に応 じ各 品種 に選 別 し、 九布 度
最適 当 し た る も のな り 。呼 倫 貝爾 よ り移 出 せら る る羊 毛 を品 質 によ
一頭 の採 毛 量 は成 羊 にて 二斤 を得 べ く 、多 きも の に至 り て は五 斤 に
使 用 す る を可 とす 。 此 の地 方 に於 ては 六月 の頃 一回 の剪 毛 をな す 。
は 神戸 に送 り て改 装 す る も のと す 。
て梱包 す る設 備 を 有 せ ざ る を以 て欧 米 に輸 出 す る も のは之 を 天津 又
乃 至十 一布 度 に麻袋 に包 み鉄 帯 を 施 し て発 送 す 。 此 の地 には 水圧 に
の初 め にし て 八月 末 に終 る も のと す るも 、売 買 は既 に三 四月 頃 に締
及 ぶ も のあ り 。剪 毛 せら れ て海 拉 爾 、満 洲 里 の市 場 に出 廻 る は七 月
洗 毛 、乾 燥 選 別
洗 滌場 借 用 料
費 一布度 に付 元
・五〇
・ 一〇
今 海 拉爾 に於 け る羊 毛発 送 ま で の諸 掛 を見 る に次 の如 し (東支 鉄 道 調 べ)
結 せら れ、羊 毛 の数 量 と価 格 を協 定 し手 附 金 を交 付 す るも のと す 。 右 の如 く売 買 の開 始 され て後 、契 約 が締 結 せら れ愈 々市場 に搬 出 す
洗
滌
るま では 三 四 ケ月 を 有 す る を以 て、 奥 地買 出 人仲 買 人 等 の間 に激 烈 な る競 走 の行 は るる を常 とす 。其 の間奥 地 仲 買 人 の収 益 と な るも の 羊 毛 購 入 よ り 一割 余 、携 帯 し た る蒙 古 人需 要 のも のを 物 々交換 に供
憲 兵 手数 料 輸 出 に付其 の他 の諸 掛
・二 五
送 高
発
毛
送
高
毛 発
・三 五
費
爾
羊
・ 一〇
造
拉
里 駅
荷
海
洲
獣 医 及附 属 地税
駅 羊
満
費 税
支那課税 消 搬出及積込料
一布度原価二元として 五分
・〇 六
・二二
︹マ マ︺
呼 倫 貝 爾 よ り輸 出 せら る る羊 毛 は右 の表 に記 す るが 如 く 、両 地 の 発 送 高 重 複 せ るを以 て直 ち に近 き呼 倫 貝 爾 の発 送 高 を見 る為 には 、
よ り海 拉 爾 に発 送 す る も のは該 地 にて洗 滌 し て、再 び発 送 せ ら る る
満 洲 里発 送 高 の内 よ り海 拉 爾 よ り の満 洲 里 行 の量 を除 き 、 又満 洲 里
も の大 部 分 な るべ き を以 て、 海 拉爾 の発 送 高 の内 よ り満 洲 里 よ り来 れ る羊 毛 の洗 滌 のた め失 は る る五 〇 % を除 きた るも のを 、海 拉 爾 の 発 送 高 の内 よ り引 去 り し も のを 以 て真 の海 拉 爾 の発送 高 と なす 。 か
︹下 段 表参 照 ︺
く し て両 駅 の実 際 の発 送高 を見 る に次 の如 し。
此 の表 によ つて見 ら る るが如 く呼 倫 貝爾 よ り移 輸 出 せ ら る る羊 毛
前 掲 諸 表 を 一覧 す る に より て呼 倫 貝 爾 の貿 易 の最 近 の大勢 を知 る
使用せられて、呼倫貝爾 の物資を輸送す る余裕 なくし て次第に其 の
出せられし が同年欧洲大戦勃発し てより西伯利 亜鉄道は軍事輸送 に
一九 一三年ま では呼倫貝爾 の羊 毛は後貝加爾鉄道 により露領 に輸
く仔細 に玩味する処 あるべし。
こと を得 べく 、 他 の移 輸 出 も 大 体 か か る状 態 な り と なす も誤 り に あ
は毎 年 五 、 六 万布 度 を算 す 。
ら ざ る を以 て、 今 日迄 の貿 易 の傾 向 を明 にす る為 、本 表 に就 き 少 し
数 を減 じ 、 一九 一七年 以後 は後 貝 加爾 方 面 に発 送 せ ら る る も の全 く 其 の後 を絶 つに至 れ り 。是 に代 り て 一九 一四 年 よ り満 鉄 方面 に発 送 せ ら る る も の次 第 に増 加 し、 一九 一七年 には 呼 倫 貝爾 輸 出 羊 毛 の全 部 は満 鉄 方面 に輸 送 せ ら る る に至 り 、呼 倫 貝 爾 の貿 易系 統 は こ こ に
呼 倫 貝 爾羊 毛 と錦 州羊 毛 と の奉 天 に於 け る価 値 を 比較 す る為 、 某
価 値 を 明 にす る こと を得 べ し。
同
・六〇
三 〇 ・〇〇
・四 一 一
一四 ・八〇
八 ・〇〇
・三 五
一 ・ 一五
六 ・五 〇
毛 織 会 社 の大 正十 一年 八 月 に於 け る実 際 買付 の記 録 によ り記 す る処
海拉爾羊毛
あ るべ し 。
海 拉 爾 奉天 間 鉄 道 運賃 諸掛
呼倫 貝 爾 の羊 毛 は斯 く し て後 貝 加爾 方面 よ り満 鉄 方 面 に吸収 せら
全 く 一変 せり 。
れ た る も のな る が、 此 の現象 は邦 人 の呼 倫 貝 爾 貿 易 に従事 し た る が
海 拉 爾 買 付値 段 ( 買 付 諸掛 を含 む ) 一布度 に付
為 にあ らず 。 又 其 の物 資 を 日本 市 場 にて消 化 す る為 にも あ らず し て、
計
同 合
荷 造 費 並諸 税
英米 商 人 が満 鉄 を 経 て之 を天 津 に送 り 、 そ れよ り更 に欧米 に輸 出 し た る に よ る。 其 の間邦 人 は拱 手 傍観 し てな す 処 な く 、海 拉 爾 、 満 洲
奉 天着 一布 度 に対す る原 価
洗 上 げ 一布 度
里等 の市 場 を 素 見 す る も のあ るも 、呼 倫 貝 爾 の物 資 吾 が用 とな す に
錦 州 羊 毛
あ り し に於 てお や 。斯 の如 く観 て茲 に至 り 、邦 人 の愚 さ、 不 熱 心 さ
百 斤 に付
・ 一〇
二 ・五〇
〃 運 賃 諸 掛 (税金 込 ) 〃
・三〇
門 屋 口 銭
〃
計
費
〃
造
費
・三六 一八 三
八 四 ・ 一二
三 三 ・六 五
荷
合
荷造用麻袋代 雑
洗 上百 斤 値段
〃
・ 一五
〃
〃
錦 州買 付 値 段
足 らず とな す 。然 も当 時 皇 軍 此 の地 に駐 屯 し 邦 人 の発 展 に至 大 の便
が茲 に本 項 の問 題 に立 ち 帰 り 、呼 倫 貝 爾 に於 け る羊 毛 の吾 が商品 と
驚 く の外 な く 、唖 然 た ら ざ る を得 ざ るな り 。少 しく 岐 路 に入 り た る
し て の価 値 如何 を明 に せざ る べ から ず 。 其 の為 に は南 満 洲 及 天津 よ り輸 出 せ ら る る羊 毛 と 、 呼倫 貝 爾 より のそ れ と比 較 す れば足 る。 茲 に於 てそ れ を比 較 す る為 に代 表 的 の地 位 に於 け る場 合 を採 る ことと すべし。 錦 州 は内 蒙 古 の羊 毛 の市 場 と し て古 よ り其 の名高 し 。然 し て此 の
奉 天 着 一布度 に対 す る 原 価
銭 一厘 にし て、 錦 州 羊毛 は 三十 六 銭 一厘 八毛 三 な る を以 て、 一見 海
右 二表 を 比較 す るに奉 天 着 一布 度 に対 す る原 価 、海 拉 爾 は 四 十 一
@155
地 に集 り た る羊 毛 は二 つ の経 路 によ り て輸 出 せら る 。 一つは鉄 路 天 津 に出 で他 は鉄 路 奉 天 経由 朝 鮮 鉄 道 によ り 日本 に輸 出 せら る。 故 に 錦 州 羊 毛 の奉 天 に於 け る も のと、 呼倫 貝爾 羊 毛 の奉 天着 のも のと 比 較 せば 、呼 倫 貝 爾 に於 け る吾 貿 易 の対 日本 輸 出 商 品 と し て の羊 毛 の
S$G¥
拉 爾 羊 毛 は と ても錦 州羊 毛 の敵 にあ らざ る が如 き も 之皮 相 の観 にす
不 誠意 不熱 心誠 に慨 歎 の限 り にし て、 斯 く の如 く し て日支 共 存 共 栄
呼 倫 貝 爾 に吾 が蒙 古 貿 易業 経 営 の余 地 大 な る も のあ る は前 項 の記
牛
す る処 にて証 す る に余 あ る も 、尚 一つ目 下 我 国食 糧 問題 囂 しく し て
生
をも 予 期 し得 べ から ず 。 我国 の将 来 の為寒 心 の外 あ ら ざ る なり 。
む のみ な らず 、其 の買 付値 段 は所 謂 海拉 爾 市 価 にし て蒙 古 貿 易 の市
蒙 古 牛 の世論 に上 る に至 れ る折 柄 、 我 要 求 に対す る呼 倫 貝爾 の牛 の
ロ
ぎず し て、今 日迄 邦 人 は ここま で観 て皆 海 拉 爾 羊 毛 を放 棄 した るな
価 にあ ら ざ る な り。 然 し て該 社 員 の買 付 の為 に出 張 し た る は八 月 な
り 。 即 海拉 爾 買 付 値 段 の内 に は買 付 の為 の社 員 数 人 の出 張 旅 費 を含
るを 以 て、 八 月 は既 に羊 毛取 引 の完 了 し た る後 にし て、出 廻 は あ る
価 値 如 何 を 明 に せざ るべ か らず 。
現 に彼 等 の買 付前 後 に於 け る海 拉 爾 の羊 毛 市価 が 一布 度 五 元内 外 な
に過 敏 な る民 国商 人 が市 価 釣 上 に躊 躇 せざ るは極 め て明 な る理 な り 。
其 の時 に当 り大 毛 織 物 会 社 の数 名 の社 員 が乗 込 む に於 ては、 商 機
既 に将 来 之 に多 き を期 す る べ から ず 。 即 大 正 七年 頃 の輸 出 牛 の平 均
鮮 に於 ても 今 日 以上 の供 給 を なす 余 地 な く 、青 島 の如 き に至 り ても
著 な る増 加 を なす に拘 らず 牛 の生 産 には 限 り あ り、 我 本 土 は勿 論 朝
頭 を青 島 よ り輸 入し て漸 く我 需 要 を完 う す 。然 る に我 需要 は年 々顕
其 の内 日 本産 牛 は十 万 頭 にし て、 他 の五 万頭 は朝 鮮 半島 、余 り五 万
我 国 の牛 の消 費 量 は 近時 非 常 に増 加 し て 一ケ年 二十 万頭 を消 費 す 。
と も総 て既 に買 主 を有 し市 場 に あ るも のは輸 出 に堪 へざ る不 良 品 な
り し に見 て、彼 等 の買 付 値 段 が不 当 に高 価 な り し は知 るべ きな り。
り。
加 之 買 出 の為 一時 的 に出 張 す る のみな ると き は 民国 政 府 に対す る租
に は 六歳 四 分 、 十年 に は六歳 二分 な る に見 て、我 牛 肉 需要 に多 大 の
年 齢 八 歳 余 り な り し が其 の後 次第 に逓 減 し 、 八年 には 七歳 余 、 九 年
困難 な るべ し 。
貢 献 をな し た る青 島 牛 に将来 、今 日 の程 度 の供給 を期 待 す る も或 は
税 に規 定 の額 を負 担 せざ るべ か らざ るは 勿 論 、運 賃 其 の他 の諸 掛 に
し関 係 方 面 に よく連 絡 を有 す る時 は 、租 税 の如 き も或 る程 度 ま で免
於 て も免 れ得 る負 担 を も忍 ば ざ る べ から ず 。然 る に若 し此 地 に定 住
ぜ ら る る途 あ り 。東 支 運 賃 な ど も 現 に露 、 英 、米 人 のな せ る が如 く
し て、錦 州 羊 毛 の三 十 六銭 余 な る に比 し て如 何 に有利 な るか 知 る べ
元 五角 とす る時 は 奉 天着 一布 度 に対 す る原 価 は 二 十 七銭 六 厘 七毛 に
出 の運 賃 諸 掛 を加算 す る も毎 布度 価格 三元 五角 に及 ばず 。 若仮 に三
か か る特 別 の事 情 を考 慮 の内 に加 へず と も蒙 古 奥地 に て買 付 て搬
牛 は如 何 な る地 位関 係 にあ るか 、吾 商 品 と し て の価 値 如 何 を 明 に せ
等 の計 画 並 本 邦 の需 要 に対 し て、呼 倫 貝 爾 の対 蒙古 貿 易 に ょり集 る
牛 を満 鉄 沿 線 に拉致 し て肥 育 し 本邦 に輸 送 せん と す る も のな り 。是
期 す る べ から ず し て 、結 局 遠 く外 蒙 古 に其 の供給 を仰 ぎ 、 外蒙 の生
農 耕 地 とし て開 墾 せ ら れ居 るを 以 て 、此 の地 方 よ り多 大 の供給 を予
適 し た るも のを 失 はず 。 然 る に其 の牛 の原 産 地 た る南 満 並 内蒙 古 は
茲 に於 て近 時 南満 方 面 よ り 牛 の輸 出 の計 画 あ る を聞 く 。誠 に時 宜
き な り 。斯 く も有 利 に利 用 し得 る資 源 を何 故 今 日迄 外 人等 の跋 扈 の
特 別 割 引 契 約 をな す途 もあ り 得 べ し 。
ま ま に放 任 し た るか 怪 しむ 外 な く 、 一般 に邦 人 の事業 経 営 に対 す る
ざ るべ か らず 。 呼倫 貝爾 より移 出 す る蒙 古 牛 の其 の給 配 圏 内 に於 け る頭 数 を東 支
一五 〇 、〇〇〇 頭
鉄 道 の調査 に就 き て見 る に次 の如 し 。 呼 倫 貝 爾 一六 五 、 七 二 四〃
臣 三 、〇〇〇 、〇〇〇 〃
汗
車 錫 林 郭 勒 是 等 の地 方 に於 け る牛 は労 役 の為 に飼 養 す る も の にあ らず し て、 蒙 古 人 が其 の飲 料 た る牛 乳 を 得 る為 並 場 合 によ り肉 を食 料 に供 す る 為 原始 的 に遊 牧 す る も のな るを 以 て 、我 国 の僅 少 な る需要 に対 し て は殆 んど 無 制限 に供 給 す る こと を得 べく 、 此 の点 南 満 方面 と趣 を 異 にす 。 今 肉牛 て ふ点 より 見 る に此 の地 は 牧草 を追 う て遊 牧 す るも の に し て他 に何 等 の飼 料 を 供す る こと を得 ず 。 冬 季 の寒気 凛 烈 にし て 天 恵 も豊 な らざ る にも拘 らず 、牧 草 のみ を食 し てよ く そ れ を肉 と脂 肪 に変 化 し速 か に成長 肥満 す る を特徴 と し、 成 牛 は 重量 二十 三布 度 、 二 十 六布 度 (九 十貫 乃 至 百 貫 目 ) に及 ぶ。 適 当 な る飼 料 を 与 へる と き は非 常 に速 に肥 育 の目 的 を達 す る こと を得 べ し。 然 る に呼 倫 貝 爾 に は何 等特 別 の飼 料 も な く 、特 別 の手 段 を と らざ れば 肥育 も不 可能 な る を以 て 、適 当 の時 機 の到来 す るま で今 日 の事 情 のま ま商 品 と し て輸 出 す る外 あ ら ざ る な り 。南 満 に て計 画 のも のは鉄 道 沿 線 に出 で 肥 育 を な し、 本 邦 の家 庭 用 とし て輸出 す る も のな る を 以 て、 此 点 に
牧 草 のみ に よ り て成 長 し た る のみ に て肥 育 を施 さざ る呼倫 貝爾 よ
於 て吾 呼 倫 貝 爾 の牛 の移 輸 出 は 南満 に於 け るそ れ と事 情 を異 にす 。
り移 出 す る牛 は脂 肪 黄 色 を呈 し 、肉 の組 織 も粗 な る を以 て我国 の家 庭 用 に供す る には 適 せざ る も 、罐 詰 の製 造 原料 と し ては極 め て好 適
な り 。罐 詰 製 造 に は牛肉 を 熟煮 せ ざ る べか ら ざ る が、 其 の際 青 島牛
な ら ば 五〇 % の減 量 をな す も 、 此 の地 の蒙古 牛 にあ り ては 四〇 % の
減 量 を もな さず 。之 に依 て観 る に 此 の地 の牛 肉 の罐 詰 原料 に如 何 に 適 当 せ る かを知 る こと を 得 べ し 。
我 国 の牛肉 罐 詰 の製 造 せ ら る る は大 和煮 を主 とす る も 、 それ に消
費 す る牛 肉 は広 島 地 方 の罐 詰製 造 業 者 のみ に て 一ケ 月 七百 頭 を算 す 。
全 国 を通 じ ては 一ケ年 消 費 一万頭 を超 ゆ る も のあ る べ き を以 て、呼
倫 貝 爾 の安 価 にし て善 良 な る罐 詰 原 料 を供 給 す るは斯 業 者 の為 には
の輸 出状 況 を見 、 他 の地方 よ り輸 出 せ ら る る牛 と 比較 し て呼倫 貝爾
至 大 な る福 音 た るを 失 はず 。今 東 支 鉄道 の統 計 によ り呼 倫 貝 爾 の牛
の牛 の価 値 を明 にす る処 あ る べし 。
右 の表 によ り て見 る時 は 、 呼倫 貝爾 よ り汽 車 に て発 送 せら れ た る
に於 け る牛 の数 多 き に比 し て其 の発送 高 過少 な り。 其 の原因 に就 き
牛 の十 ケ年 平 均 頭 数 は 二 万 五千 頭 に過 ぎず し て 、呼 倫 貝爾 給 配 圏 内
を 以 て、商 品 とし て充 分 の価 値 あ るや 計 り難 し。 故 に屠 殺 し て輸出
以 て、 生牛 のまま 輸 送 す る時 は多 額 の運賃 を負 担 せざ る べ から ざ る
呼倫 貝爾 よ り牛 を 移輸 出 す る に は鉄道 便 に よら ざ る べ から ざ るを
此 の場 合 他 の地 方 より輸 出 す るも の に比較 し て充分 商 品 と し て有
ては適 確 な る事 は将 来 の研究 に俟 た ざ る べ か らざ る が、 牛 の生 畜 た
利 に輸 出 し得 る や否 やを 明 に せざ るべ か らず 。 茲 に於 て南 満 方 面 よ
す るを有 利 とす べ し 。
牧 し つ つ遠 隔 の地 に送 ら る る も のな る べ く 、輸 出 牛 の如 き特 別 の目
り 蒙 古牛 を輸 出 す る場 合 と 比較 し て本邦 市 場 に於 け る優 劣 を 知 る こ
る 関 係 上 現 に海 拉 爾 斉 々哈爾 間 鉄 道 に沿 ひ て陸 路 輸 送 す る が如 く遊
る も のな る べし 。
生牛解 体比較
と と なす べし 。
的 を有 す る も の にあ ら ざ る限 り、 鉄道 輸 送 に よ るも のな き に起 因 す
元 来 此 の地 方 に於 け る牛 の増 殖 率 は 三 三% (東 支鉄 道 調 べ) にし て 、呼 倫 貝 爾 の勢 力 範囲 た る車 臣 汗 の 一部 、 錫 林 郭勒 盟 の 一部 並呼 倫 貝 爾 一帯 の牛 の数 は 七 三 五、 七 二 四頭 な るを 以 て 一ケ年 の増 殖 二 十 二 万余 頭 な り 。其 の半 数 を牡 牛 とす るも 十 一万頭 にし て、 老 牡牛 を 加 算 す ると き は屠 殺可 能 の総 数 は十 六 七 万頭 に上 る べき を 以 て 、 一ケ年 移 輸 出 し 得 る も のは十 万頭 を下 ら ざ る べ し 。即 我 国 の需 要 に は無 制 限 に応 じ 得 る所 以 な り 。 牛 の買 付 を な す には露 人 は早 春 、隊 をな し て銀 塊 を持 参 し て奥 地 に入 り買 集 す る を常 とす るも 、此 の買 付 方 法 は 当 を得 た るも のとな す べ からず 。羊 毛 買 付 に於 け る場 合 と 同 じ く蒙 古 の実 状 に適 し た る 方 法 を 採 ら ざ れ ば有 利 に買 付 を なし 得 ざ る な り。 海 拉 爾 に於 け る市 価 は 重 量約 二十 四、五 布 度 の生 牛 に て、一頭 四十 元 を 唱 へつ つあ るも 、 奥 地 にて の買 付 価 格 は買 出 の巧 拙 によ り て決 せら るる も のな るも 、 晩 秋 初 春 の候 に物 々交換 によ り て買出 す時 は非 常 に安価 に買 出 す こ と を得 べ し。 其 他 の畜産 品 と同 程 度 に安 価 に買 付 ると な さば 三 割 乃 至 五割 底 価 に買 付 るを得 べ きを 以 て、之 を奥 地 の適 当 の処 に放 牧 し 、 必要 に際 し て市 場 に搬出 す ると き は 三十 元 以 内 に て積 出 す こと 得 。
備
考
一、呼 倫 貝 爾 の生 牛解 体 の数 字 は該 地 に て調 査 のも のを本 と し 、東 支鉄 道 調 及 哈 爾 賓屠 殺場 統 計 を参 酌 し た り。 南 満 牛 は南 満 に於 け る内蒙 古 牛 の場 合 生牛 解 体 の数 字 にし て鉄 嶺 の満 蒙殖 産 会 社 の記 録 及長 春 地 方 事 務 所 調等 を参 酌 し 大連 着 の値 段 を 示 す 。
考)
一貫 目当 り生 肉 大連 着 原 価
一、 一四六
理想 と し ては 生牛 肉 を白 布 ア ンペ ラ に て荷 造 をす るを 可 とす る
( 備
鑵 詰 肉 の需 要 期 に入 り た る十 月末 結 氷 期 に輸出 を始 め 三 月 に移
も 此 の計 算 には 此 れ を省 略 せり 。
な か る べ し。
る時 は荷 造 をな さず と も特 別 の注意 を以 てせ ば汽 車 輸 送 には支 障
為 、 他 の副 産 物 の買 入 価格 を買 入 生 牛価 格 よ り控 除 し た る も のな
一、 屠 殺 の際 の生 肉 の価 格 と は両 地 に於 け る生 肉 の価 格 を比 較 す る
右 に記 す る が如 く呼 倫 貝爾 の牛 の買 付価 格 は低廉 な るも 輸 出 に は
此 の呼 倫貝 爾 の生 牛肉 を船 積 の為 鉄 道便 によ り大 連 ま で輸 送 し た
な る こと を得 べ し。 然 も 羊毛 の項 に於 て述 べ た るが如 く実 際 に於 て
け る内 蒙 古牛 の大 連 輸 出 原価 一円 二十銭 な る に比 す れ ば尚 多 少 廉価
原 価 は 一円 十 四銭 六厘 の高 価 に及 ぶも 、之 を先 に掲 げ た る南 満 に於
多 額 の運賃 費 、税 金 を 課 せ ら る るを 以 て 、生 肉 一貫 目当 り大 連 輸出
り。呼 倫 貝 爾 に於 け る血骨 は換 価 し 得 ざ る も の と せり 。
る場 合 、 南満 牛 と如 何 な る関 係 に あ る やを 明 にせ ば 日本 市場 に於 け
一、金 銀 換算 金 一〇 〇 に対 し て銀 九 〇 と す 。
る 両者 の優 劣 を知 る ことを 得 べ し。
一元
あ るを 以 て、南 満 に於 け るも のよ りは 一層 有 為 に日 本市 場 に供 給 す
く る途 も あ り得 べく 、 又 東支 鉄 道 運 賃 にも多 少 の割 引 を受 く る余 地
は此 の数 字 の示 す 程 の負 担 を為 す必 要 な く 、当 然 或 程 度 の免 税 を受
一頭 分
一元
る こと を 得 べ し 。
海 拉 爾 より 大連 ま で の生 牛 肉 一頭 分 運 賃 諸 掛
一元
有 す る も 、本 編 は邦 人 の呼 倫 貝爾 に於 け る 地歩 樹 立 の余 地 の有 無 を
獣 医検 査 料 〃
三 ・五 五
見 、将 来 の傾 向 を 明 にす る にあ り。 然 し て右 記 す る処 の羊 毛 、生 牛
費
二 ・二 二
殺
屠 〃
六 ・七 九
二 二 ・二 二
呼 倫 貝 爾 の対蒙 古 移 入品
品 にし て穀 類 綿 布 を 其 の大宗 と なす 。
呼倫 貝爾 よ り蒙 古 に移 入 せら るる も のは蒙 古 人 の 日常 生活 の必 需
五
は 他 日 の報 告 に譲 る こと とす べ し 。
肉 に関 す る項 は其 の目 的 を達 す るに充 分 な り と思 惟 す るを 以 て、 余
四 三 ・五 五
・ 一七
三 ・二 四
・五 七
呼 倫 貝 爾 の貿 易業 に於 け る移 輸出 品 と し て は未 だ記 す べ き多 く を
民 国 課税 (出 市 の際 ) 八分 (一頭 四十 元 と見 る)
附 属 地 税
)
〃
一車 扱 一頭 分 生牛 肉 に付
民 国 課税 (屠 殺 の際 ) 五分 ( 海 拉爾 寛 城 子 間 運 賃 東 支 運賃 諸 掛 寛 城 子 よ り大 連 迄 の運賃
海 拉 爾 に於 け る 一頭 分 生牛 肉 三十 八貫 価 格
南 満 運賃 諸 掛
大連着原価
移 入雑 貨 品 に対 し ても 有望 な る将 来 を有 す るも のあ る が こ こに は
に於 け る相 当 加 工品 の 一般 小売 値 段 と を比 較 す れば 次 の如 し 。
爾 の綿 布 の市価 を知 る為 哈爾 賓 の卸売 相 場 (十 一月 中 ) と呼 倫 貝爾
のは稀 にし て、 多 く は 五丈 三丈 或 は 一丈 六 尺余 のも のあ り。 呼 倫 貝
巾 二 九 ・五吋 、 長 四〇 碼 、 重量 一四布度
の経 営 に当 る際 商品 とし て の価 値 を 明 にす る に止 む 。 元来 蒙 古 人 と 竜頭
巾 三〇 ・五吋 、長 四〇 碼 哈 爾 賓 七 ・四〇
呼 倫 貝 爾 一 一 ・二 〇
哈 爾 賓 一 一円 、呼 倫 貝爾 一八 元 双童
本 編 の目的 とす る処 に従 ひ 、綿 布 に就 邦 人 の呼 倫 貝爾 に於 て貿易 業
の貿 易 は 現在 同 等 の事 情 の下 にあ るも の の間 に行 は る る売 買 にあ ら ず し て 、常 に蒙 古 人 の取 引 の相 手 方 た る支 那 人 の利 益 の為 に計 ら れ て今 日 に至 れ るも のな るを以 て 、民 国 人 よ り供 給 せ ら る るも のは又
に必要 な る要 求 は第 二 に置 か れ たる が如 き 、 又 蒙古 人 の環 境 単 調 な
麗 にし て価 格 の高 価 な るも の多 き も 、品 質 堅 固 てふ彼 等 の実際 生 活
は 薄 鼠色 に染 色 せ ら れ 、 一丈 五 六尺 に切断 し て丁寧 に白 紙 にて包 み
の間 に広 く用 ひら るる は怪 む 外 あ らざ るな り。 毛市 布 は概 ね鼠 色 又
3毛市 布 、即 金 巾 に し て精 巧 品 に属 す る も のな る が 、之 が蒙 古 人
2花旗 布 、大 体 打 連 布 に同 じ
右 によ り て呼 倫 貝 爾 の市 価 の大 概 も知 る こと を得 べ し。
る為 濃 厚 な る色 彩 を好 む こと は自然 な る が、 支 那 人 の それ に対す る
商 品 と なす 。
る綿 布 に於 ても亦 然 り。 即蒙 古 に輸 入 せ ら る るも のは 一般 に外 観 美
彼 等 の実 際 生 活 に適 合 せざ る傾 向 あ るは 明 な り。 こ こに記 せん とす
こと頗 る親 切 を欠 き 、外 見 染 色 美麗 な る も直 ち に退 色 す る を常 と す
一般 に布 を 購 入 し て自 裁 縫 す る が如 し 。此 の地 の商 店 にて は綿 布 は
6右 の外 支 那式 の衣 服 に仕 立 た るも のを商 品 と し て陳 列 す るも 、
に用 ふ。
5 中尺 布 、 小 巾 にし て長 さ三十 尺 な り 。織 方粗 にし て喇嘛 の祭 礼
般 に之 を備 へざ る が如 し。
4 土布 、多 く は 上海 物 にし て紺 色 、赤 色等 のも のあ るも 貿易 商 一
るが如 き大 概 斯 の如 し 。 こ こ に支 那 人 の狡 滑 な る を責 む る と同 時 に 一面蒙 古 人 の欠点 をも数 ふ る こと を忘 る べか ら ざ る べし 。 支 那 人 によ り て此 の地 よ り蒙 古 に移 入 せら る る綿 布 は総 て支 那 人 の仲 買 商 によ り て此 の地 に運 ば る。古 く は 天津 北京 方 面 よ り移 入 せ ら れ た る も のな るが 、 近時 は営 口哈 爾 賓 の支 那商 人 が日本 綿 布 上海
此 の地 方 に て最 多 く 販売 せら るる も の を観 るに 1打 連 布 、即 綾 織 に
一丈 五六 尺 を要 す 。 故 に此 の地 の商 人 は前 以 て其 の長 さ に切断 し て
蒙 古 人 の註 文 によ り て切売 す るも のに し て 一着 の衣 服 を調 製 す る に
綿 布 を蒙 古 向 に加 工 し 、此 地 に運 び 一般 対 蒙 古貿 易 商 に販 売 せら る 。
の太 綾 織 も 少 か らず 。白 地 のま ま此 の地 に来 れ るも のは少 く し て、
て呼 倫 貝爾 に送 ら る るも のな る を 以 て、其 の間 に多 大 の利 益 を壟 断
我 国 よ り輸 出 綿 布 は 先 に記 す る が如 く 支 那人 によ り て加 工 せ ら れ
陳 列 せ るも のあ り。
し て 一般 に双童 印 等 の細 綾 の売 行最 も よき が如 く 、 竜頭 印 鳳 凰 印等
る も のあ り 。染 色 の際 適 当 の長 さ に切 断 せ る為 、商 品 とし て店舗 に
多 く は薄 鼠 色紺 色 等 に染 色 し 青色 、赤 色 、海 茶 色 、茜 色 等 に染 め た
陳 列 せら れ た るも のは長 さ 一定 せず し て、原 の長 さ の十 丈 を 有 す も
仔 細 に玩 味 し て直 ち に蒙 古 貿 易 の商 品 に供 し得 る が如 く し て、直 接
の好 む色 彩 を研 究 し て堅固 な る染 色 をな し 、 又蒙 古 人 の嗜 好 要 求 を
によ り て明 な り。 故 に此 の地 の貿 易 に従 事 す る に当 り て先 づ 蒙古 人
せ る ことは前 掲 の 一般 小売 相 場 と哈 爾 賓 卸売 相場 と を比 較 し た る処
の特 別 事情 に適 応 し て最 も容 易 に創 業 し 、又 最 有 効 に経 営 し得 るか
を開 始 し 、完 全 に所期 の目 的 に進 み得 るか 、如 何 にせば 対蒙 古 貿 易
齎 す 利 益 に就 き て 一瞥 し 、更 に進 て如 何 にせば 最容 易 に対蒙 古 貿 易
処 によ り て 明な り 。茲 に於 て呼 倫 貝 爾 に於 け る対蒙 古 貿 易業 の直 接
当 初 の目標 とす る呼倫 貝 爾 に於 け る対蒙 古 貿 易 事業 はさ き に配 す る
の不便 不利 を 免 れ ん為 彼 等 は此 地 に支 店 又 は出 張 所 を 開 設 した き希
人 等 の手 を通 じ て高 価 に其 の物 資 を買 付 け つ つあ る現状 なり 。是 等
を使 用 せ んと す る も、 未 だ之 を得 る に途 な く し て遂 に支 那 人 又 は露
並 其 の他 の住 民 を益 す る のみな らず 、本 邦企 業 家 にし て蒙 古所 産 品
呼 倫 貝 爾 は其 の 一帯 は勿 論 外 蒙 の開 発 に当 る も のな る を以 て支 那
に付記 せざ る べ か らず 。
呼倫 貝爾 に販 路 を開 く と き は 一般 貿 易 業 者 並 蒙古 人 を利 す る こと 大 な る も のあ るべし 。 一つに綿 布輸 入 に限 ら ず 今 日 ま で此 の地 に輸 入
の輸 入貿 易 は邦 人 の努 力 を俟 つ こと大 な るも のあ り。
せ ら る る商 品 は等 しく 如斯 研 究 改 良 を要 せざ る も のな く 、呼 倫 貝 爾
右 記 す る処 によ り て本編 の目 的 とす る処 を 達成 し た るも のと 信 ず
呼 倫 貝爾 は我貿 易 業 経 営 に 地理 的有 利 の地 位 にあ らざ る を以 て、
るを 以 て 一般 商 品 の市 況 は他 日 の報 告 を期 す 。
得 んと せば 一時 的 に買 出 の為 に出 張 す る の み にて は全 然 其 の目 的 を
あらず し て出 廻 り は 一時 的 に限 られ 、然 も安 価 に優 良 な る原 料 品 を
達 し得 ざ る こと は 先 に貿 易事 情 に就 き記 す る処 にて明 か なり 。 茲 に
望 を有 す るも 、彼 等 の要 求 す る物 資 は 一年 を 通 じ て出 市 す るも のに
に行 ふ処 な り)、 支那 官 憲 と の関 係 は 特 に尊 重 し て事 業 経 営 の妨 害
於 て今 日呼倫 貝 爾 産業 公 司 設立 せら る る は蒙 古貿 易 に関係 あ るべ き
其 の貿 易 の生 命 た る東 支 鉄道 当 局 と 常 に了 解 を保 ち (東 支鉄 道 は呼
と な る ことな から し め、 且 過大 の租 税負 担 を免 ぜ ら る る途 を求 めざ
倫 貝 爾 の貿 易 の助長 にあ ら ゆ る努 力 を惜 まず 運 賃 の割 引 政策 等 は常
る べ からず 。実 に呼 倫 貝 爾 に於 け る邦 人 の蒙 古 貿 易 は確 実 安全 有 利
是 等 事 業家 の切 望 す る処 な り 。
た る綿 糸 布 、 雑 貨 は主 とし て本 邦 産 品 な り。 然 し て是 等 のも のは従
之 を 他方 此 の地 の輸 入 貿 易 に就 て見 る も今 日 此 の地 の輸 入 の大宗
有 望 に之 に当 る こと を得 べ し 。呼 倫 貝爾 に於 け る貿 易 進 歩 の為 、 又
る も のあ り 。此 の秋 に当 り邦 人 た るも の此 の地 に進 まざ るべ か らず 。
蒙 古 人 の向 上 の為 、邦 人 の此 の地 に於 け る 地歩 樹 立 を待 つも の切 な
来 支 那 人 、露 人 及 英米 人 の手 を通 じ て蒙 古 に移 入 せら れ た るも のに
之 を哈 爾 賓、 営 口地 方 に て買 付其 間 仲介 商 に利 益 を壟 断 せ ら れた る
其 の結 果蒙 古 貿 易 に従 事 す る支 那 人 等 は其 の貿 易 に必 要 な る物 資 は、
に於 て、 一般 経 済 組織 と あま り懸 隔 せる関 係 上 之 に当 る こと を得ず 。
し て、邦 人 に て直 接輸 入 の途 を開 かん とす るも蒙 古 貿 易 方法 、組 織
開 拓 せざ る べ からず 。大 な る将 来 を開 く為 に。 第 三、呼 倫 貝 爾 産業 公 司 の創 立 並経 営 に就 き
の急 にし て 、其 の目的 を達 成 す る為 には 此 の地 に於 て産 業 公 司 を創
呼 倫 貝爾 に於 け る邦 人 の地歩 確 立 の要 は満 蒙 の開発 の為 実 に焦 眉
設 す るを最 捷 径 と す る こと は既 に述 べた る処 なり 。然 し て該 公司 の
3 株主 は蒙古貿易 に関係あるべき企業家即満蒙毛織会社、哈爾賓
を求 め、満蒙 の開発 に特別 の使命 を有する満鉄又は東拓等 の後援
皮革会社、日本内地 に於 ける罐詰製造会社並紡績業者等 の間に之
こと尠 からず。 今此地 に本邦貿易会社 の設立 せらるる時は直接此 の地にて邦品を
販路開拓等 を今日まで実行せんとして未 だ着手することを得ざ りし
又之 を貿易業経営 の立場 より見るも蒙古所産物資利用及本邦品 の
但呼倫貝爾 に於 ける事業 の性質上資金 の運転緩慢 にして然も原始
歩 を進む ることを得 て其 の本来 の目的任務に向 ふことを得べし。
経営上 の危 険不安 は絶対に之を防止し安全に確実 に有利 に其 の地
4 開業 の当初 に於 ては特別の営業関係 の範囲に於 て之 を経営せば、
を必要とす。
購買する ことを得 。彼等 一般対蒙古貿易業者 の上に齎す便益 は至大 なる のみならず 、本邦品 の販路 の拡張 の為 にも資す ること計 るべか
多 くの希望を糾合 し、 一組織 の下 に不断 に営業 を継続し得 ることと
べからず。尚又積極的進展 の必要 に際 しては何時 にても資金を得
社会 に対する事業なるを以て、流動資本を比較的多額 に備 へざ る
らず 。
なるべく、安金 に確実 に所期 の目的 に向 つて進 むことを得 べし。如
る途 をも有 せざ るべからず。
斯呼倫貝爾 に於ける産業公司 の設立は何 れの方面 より見るも必要欠
全然考慮 の内 に加 へられざ りしが如きも、此 の地方の商取引が原
5 商号及商標に就き ては従来此地 に営業 せる露、支外 人の間 には
くべからざるも のにし て、実 に此 の計画 は我が満蒙開発 の使命を徹 くも有望 にし て必要な る呼倫貝爾 に於け る産業 公司 の創立 せら るる 立
手段 を講ずるも不可なかるべく、此 の点 に就 ては相当 の注意を
後者 は開業 の当初 にのみ必要な ることなるを以 て、他 に適当 の
二、支那人 に対しては営業 の性質を明示するものたる こと。然 し
ること。
一、呼 び良く聞 き良き名称にし て蒙古 人の記憶 に印し易 きも のた
には左 の点 に注意す るを要す。
るだけ 一層此 の点 は考慮せられざるべからざる処なり。其 の決定
始的域を脱せず、其 の住民たる蒙古人は未開 にし て其 の性単純 な
底 する上 に於 ても又営利事業 とし ても実 に洋 々たる将来を有す。か
創
事 一日も速 かならむことを切望するも のなり。 一
1 事業 の性質 上創立 に当りては本邦 人を株主とす る株式組織 を便 とす るもさまたげなし。
利 とす るも、事業 の伸展 に従 ひ蒙古 人、支那人其 の他外人を株主 2 現時支那人 の利権回収熱熾烈 にて其 の傾向特 に呼倫貝爾 に於 て 本公司 は純然たる営利会社なるべく、営業所 の如 きも壮広 なる建
甚 しく、外人 の活動 に猜疑 の眼を以て対 せんとす る際なるを以 て、
る。対蒙古貿易 も次第 に進化 の傾向あるを以て、現時 呼倫貝爾 に
6 設備とし ては事務所 の外 に輸出入品 を保管す べき倉庫 あれば足
払 へば深く顧慮す る要 なし。
て質素 に開業 することを要す。然らざ れば事業 の経営を阻害する
物 を新築する ことなく、当初 は借家にて可なるを以 て外形 は極め 事件 の突発す ること必定なり。
行 は る る営 業 組 織 に のみ従 ふ必要 なく そ れ に適 合 した る制 度 を 定
之 を行 は んと す る が如 き は最 其 の策 を得 ざ る も のにし て所 期 の功 を
ロ、獣 皮 、 獣 毛 の買 付 並 販売
しむ るを 可 とす 。 今 此 の貿 易 業 経 営 に付 営業 所 を設置 す べき 処 並其
付 た る家 畜 の牧 畜 には 信 用 あ る民 国 人、 蒙古 人 を使 用 し て之 に当 ら
人 は経 営 監督 に当 る少 数 のも の に止 め、 直接 物 資 の販売 、買 付 並買
随 て先 づ 此 の貿 易 業 の経営 組 織 に於 ても最 此 の点 を参 酌 し、 日本
応 し呼 倫 貝 爾 の者 とし て其 の経 営 開発 に当 ら ざ る べか らず 。
収 む る こと 能 はざ る べし 。宜 敷 呼 倫 貝爾 及 外蒙 古 の特 別 の事 情 に順 創立 当初 に於 け る営 業 範囲 並 附 帯 事 業
む。 二
ハ、 牧畜 業 の経 営
イ 、 生牛 馬 羊 の買 付 並販 売
ニ、蒙 古 人 の需要 す る雑 貨 、食 料 品 の販 売
支
本
店
店
満 洲 里 、哈 爾 賓 、庫 倫
海拉爾
ホ、資 源 調 査 情 報発 送 ヘ、 各種 公 共 事 業 に対 し 各 方面 に連 絡 を持 す
海 拉 爾 の南 方 巴 爾虎 管 内 及呼 倫 湖 沿 岸
の事 業 管轄 の範 囲 に付 左 に略 記 す べ し。
ト 、在 留 邦 人 善導
出 張所
海 拉爾 は呼 倫 貝爾 に於 け る民 国官 憲 及蒙 古 政 庁 の所 在 地 にし て、
右 に列 挙 す る処 を見 る に営 業 の範 囲 頗 る広 大 にし て経 営 には其 の 繁 に堪 へざ る べく想 像 せら るるも 、 是 等 の内 一を為 さ ば他 は 従 つて
経 営 の安 全 を計 り 、 又 一方 満 洲 里 にも 支 店 を設 け海 拉 爾 と 並 び進 む
民 と連 絡 を保 ち 、 又蒙 古 政 庁 と 特 別 の関係 を つく り て事業 の発 展 並
且 対 蒙古 貿 易 の中 心 地 た る を以 て此 の地 に本 拠 を 置 き、 常 に民国 官
物 々交 換 な る を以 て外 蒙 生 産品 を 買 付 け た る とき は反 対 に彼 地 の住
経 営 に当ら ざ るべ か らざ る も のにし て、即 平 時 奥 地 に於 け る取引 は
民 の必需 品 を 供 付す る必要 が あ る。 又 買付 け た る物 資 は主 と し て生
時 は 徹底 し て蒙 古 貿易 に従 事 す る こと を得 べし 。 尚満 洲 里 に於 ては
経 営 の組 織
物 々交 換 によ り買 付 た る も のを此 の地 に て放牧 し 、又 其 の地 に蒙 古
し て当 ら し め 、民 国 人 に商 品 を携 帯 せ し め て蒙 古 に派 し 、奥 地 に て
巴爾 虎 及 呼倫 湖 畔 に牧 場 を設 定 し 、其 の経 営 には民 国 人蒙 古 人 を
機 関 の開 設 せ ら る るま で事 業経 営 に要 す る資 金 に関 す る処 理 を為 す 。
並蒙 古 への輸 入品 の買 付 に当 る に あり 。 又呼 倫 貝爾 に完 全 な る金 融
爾 と満 洲 、 沿 海 州 、 日本 等 と連 絡 を保 つにあ り 。 即蒙 古 産 品 の販 売
開 く こと を計 ら ざ る べ から ず 。哈 爾 賓 の支 店 に ては主 とし て呼 倫 貝
知 多 政府 と の連 絡 を得 る こと に つとめ 、彼 と安 全 確実 に取 引 の途 を
畜 な る を以 て之 を牧 畜 せざ る べか ら ざ る が如 く 、互 に相 連 鎖 す る も のに し て等 し く 呼倫 貝 爾 に於 け る 貿 易 業 の当 然 干与 せざ るべ から ざ る も の に属 す る の みな らず 、 此 の範 囲 の経 営 に当 り て始 め て本 来 の 目的 の達 成 に進 み得 べ きな り 。尚 詳 細 に亘 り ては後 に経 営 に付 記 す
三
る に当 り 自分 明す べ き を以 て之 を省 略 す 。
呼 倫 貝爾 並 其 の関 係 地 一帯 の経 済 状 態 は未 だ全 く 原 始的 域 を脱 せ ざ るを 以 て、 其 の開 発 に当 る に際 し ても よ く其 の点 を顧 慮 し て、徒 ら に他 の進 歩 せ る地 方 に て行 は る る方 策 を其 の儘 此 の地 に移 し て 、
倫 湖 畔 の牧 場 に ては漸 次 に漁業 を経 営 し魚 類 の利 用方 法 に就 研 究 す 。
人 の日 用品 をも 此 の地 に備 へ置 き て附 近住 民 の需 要 に応 ぜ し む。 呼
て対 蒙 古貿 易 の経営 に対 す るは 一層 安 全 な る方法 により て大 量 の取
交 換 を主 とす る取引 方 法 は 現 に 一般 に行 は る る処 な るも 、邦 人 と し
す ると き は匪 賊 の為 不 測 の難 を蒙 む る こと免 るべ からず 。 此 の物 々
地 にし て通 商 の安 金 は確 保 せら れず 、多 量 の物 資 多 額 の現 銀 を携 帯
引 をな す こと を期 せざ るべ か らず 。 茲 に於 て物 品 の買 付 を奥 地 に て
買 集 め た る蒙 古所 産 品 は必要 に応 じ て之 を海 拉 爾 、満 洲 里 に搬 出
なす も 決済 は海 拉爾 、 満 洲 里 にてな す こと とす べ き なり 。 此 の方 法
し 、哈 爾 賓 支店 をし て 日本 及 満 洲 に於 け る特 別 関 係業 者 に供給 し、 そ れ を基 礎 と し て北満 、沿 海 州 一帯 に販 路 を開 拓 す る は勿 論 、産 業
に依 る為 には蒙 古 人 の間 に絶 大 の信 用 を得 る こと 必要 な り 。其 の為
に は奥 地 にて買 付 け た る物 資 に対す る支 払 を確 実有 利 に せば足 る こ
公 司自 ら 又 は関 係 商 人 を通 じ て欧米 の市 場 に販 路 を 求 む る こと も亦
と な るも 、先 に述 べ た る如 く保 守 的 な る蒙 古 人 に 一朝 一夕 に其 の方
忘 る べ からず 。 四
経 営 方 法
呼倫 貝 爾 に於 け る貿 易 業 と し て今直 ち に経営 せざ るべ から ざ る も
法 に より て大量 の取引 に至 る こと言 ふべ く し て実 行 不可 能 な り。 然
公 共 的 方 面 に分 ち最 初 に着 手 す べき 事業 より 順 次 に記 す 。将 来 の経
蒙古 官 憲 は 邦 人 に対 し て非 常 に好 意 を有 し 、 そ れ に接 近す る に便 利
有 す る を以 て其 の勢 力 と信 用 を対蒙 古貿 易 に利 用 す るに あり 。現 に
そ は蒙 古 官 憲 の利 用 な り。 蒙 古 官憲 は蒙 古 人 の間 には至 大 の勢 力 を
し こ こに邦 人 の為 に のみ残 され た る唯 一の策 あ るを忘 る べ からず 。
のと 、漸 次 に着 手 し て可 な る も のと あ る べき も開 業 の当初 より着 手
営 に待 つべき 事 業 に対 し ては記 す る処 、 理想 論 た る嫌 な き に し もあ
の状 態 にあ るを 以 て、 蒙古 の有 力 者 を事 業 の 一員 と す る こと 得 れば
す べき範 囲 に就 ては既 に列挙 し た る処 な れば 、 ここ には営 利 的 方 面 、
らざ るも 、 こは 単 に有 望 な る事 業 の大 概 を紹 介 し た るま でに し て無
払 方法 とし て は彼 等蒙 古 人 の需要 す る物 資 を備 へお き てそ れを 引換
す る こと と な さざ る べ か らず 。奥 地 に於 て買 付 け た る物 資 の代 価支
き場 合 に応 じ て蒙 古 人間 に通 用 す る に至 れ る銀 貨 並銀 塊 を以 て取引
を有 せざ るを以 て此 の地 の現 状 に従 ひ、 取引 の基礎 を物 々交換 に お
呼 倫 貝爾 に於 ては未 だ商 業機 関 完 備 せず 、 商 取引 上 に何 等 の便 益
成 就 を期 す べ き にあ らざ るな り 。如 斯 周 囲 と の関 係 を宜 敷 持 し よく
と も密 接 な る関 係 を常 に持 せざ る べ からず し て、 一気 呵 成 に目 的 の
唯 民国 人 の邦 人 の活 動 に対 す る猜 疑 偏 見 を免 るる為 には 、 民国 官 民
蒙 古 要 人 に対 し ては適 当 な る利益 を割 与 せば 容 易 に行 は る る処 な り 。
権 威 を 有 し 、取 引 を容 易 な ら しむ る に大 な る効果 を収 む べ し。 其 の
は 一見 児戯 に類 す る が如 き も蒙 古 人 に対 し ては此 の保 証 が至 大 な る
け る蒙古 政 庁 の要 人 の保 証 のみ に て其 の目 的 を達 し得 べ し。 如斯 策
可 。然 し対 民 国 の関 係 上其 の事 不 可能 な る場 合 には 、奥 地 取 引 に於
論 将 来 一層深 き 研究 を要 す る処 なり 。
にそ れ を交 付 す る か、 又 は現 銀 を与 へる こと とす べ き も、 原 則 と し
貿 易 会 社 た る機 能 を発 揮 す る為 には先 づ 堅 固 な る礎 を据 え、 民国 人
貿 易 業 の経営
ては買 付 物資 に対す る代価 の支 払 は海 拉 爾 、満 洲 里 の積 出 地 に於 て
イ
之 を為 す こと と せざ るべ から ず 。何 とな れ ば蒙 古 奥 地 は全 く 未 開 の
を 利 用 せ る此 の策 に より て 、蒙 古 人 の心 底 に 一と 度 深 く食 ひ入 る時
あ ら ざ る べし 。如 斯 貿 易会 社 自 身 の確 固 た る信 用 と 蒙 古 人 の心 理 と
心 の趣 く処 を察 し て之 に処 し 、徐 々 に進 む に於 て は さし て難 事 には
が如 く 不 安 を感 ぜら る る が如 き も 現 に此 の方 法 は蒙 古 奥 地 に て事 実
応 じ蒙 古 人 に牧 畜 を委 託 す るも 可 な り。 如斯 は不誠 意 の経営 法 た る
於 て民国 人 又 は蒙 古 人 の名 に より て牧 畜 す る も のな り。 然 し場 合 に
究 に待 つ外 あ ら ざ るな り 。故 に買 付 け た る家 畜 は前記 出 張所 附 近 に
然 如 斯 原始 的 の策 を以 て終始 す べき も のには あ らず し て、 他 方 此
行 は る る処 な り。
の地 の開墾 に伴 れ容 易 に飼 料 も得 ら る る に至 るべ きを 以 て、 漸 次 最
は動 す べ から ざ る も のと な り、 や が て蒙 古 開拓 に対 し至 大 な る勢 力
又蒙 古 貿 易 には通 信機 関 の備 へら れ るな く進 歩 せ る今 日 の経済 社
進 歩 し た る方 法 によ り て之 を大 規 模 に経営 し 、蒙 古 家畜 の肥 育 事業 、
と な る こと 期 し て待 つべ きな り 。
以 て 不測 の利 害 成 敗 は免 れず 。如 斯 事 情 に対 し ても交 通 機 関 と し て
畜 種 改 良事 業 等 徹底 し て並 び行 ひ、蒙 古 の畜 産業 に 一新 紀 元 を劃 す
会 と連 絡 を と る こと 不 可能 と せ ら れ 、全然 別個 の経 済 系 統 にあ る を
は自 動 車 を備 へ (英 、米 、 露 商 人 にし て之 を有 す る も のあ り )更 に
蒙 古 人需 要 物 資 の改良
る だけ の用 意 あら ざ る べ からず 。
て、 其 の製 法 品質 に改 善 の余 地 の存 す る も の誠 に尠 からず 。 例 へば
蒙 古 人 の需 要 す る商 品 は 今 日 ま で民 国商 人 の製 造 供給 す る処 にし
ハ
他方 通 信機 関 とし て伝 書 鳩 を 利用 す るも妙 策 な る べく 、 交 通 の不便 な る地 に之 を補 足 す る機 関 を 備 ふ る に於 て は経営 上 の便 益 大 な る も のあ るべ し 。 如 斯 仔細 に考 察 す る時 は 蒙 古貿 易 の改善 発 達 を策 す べ き 余 地未 だ 計 る べ からず 。
蒙 古 人 の生 活嗜 好 に深 く立 入 り て蒙古 人 の使用 品 と し て製 造 せ ら れ
日常 使用 品 の構 造 、模 様等 も全 く 民 国 人 の考案 にな る も の にし て 、
に は古来 の幼 稚 な る方 法 を墨 守 し 、忽 ち退 色 す る を常 とす 。 其 の他
赤 、 黄 、青 、藍 等 に染 色 せ る布 類 は彼 等 の必要 品 なる が、 其 の染 色
奥 地 にて買 付 た る家 畜 は直 ち に之 を搬 出 す る ことな く 奥 地出 張 所
た るも の にあ らざ るな り 。 元来 蒙 古 人 の嗜 好 は頗 る単 純 にし て生 活
牧 畜 業 の経営
附 近 に於 て放 牧 し 、 必要 に応 じ て必 要 の頭 数 だ け搬 出 す る も のな り 。
も 野 な るを 以 て 、質 堅 固 にし て彼 等 の生 活 の要 求 に応 ず るも のを供
ロ
とは彼 等 の歓 迎 す る処 にし て、 買 集 め た る家 畜 を其 の地 区 に放 牧 す
給 せ ば、 彼 等 の歓 心 を得 る に充 分 にし て信 用 を博 す る こと 容易 な り。
蒙 古 人 は己 の牧 場 に 近く彼 等 の日用 品 を供 給 す べき 貿 易 商 の入 る こ
るも彼 等 の痛 痒 を感 ぜざ る処 な り 。
を 加 ふ るを 理 想 とす べ き も、 現 在 の事 情 に於 ては 飼料 其 の他 の関 係
に其 の需要 す るも のに改 良 進歩 の余 地 大 にし て、 対蒙 輸出 品 の改 良
の生活 に必要 のも のを新 に供 給 す る途 を開 く べく 、彼 等 の向上 と 共
彼 等 の現 に使 用 し つつあ る も の の改 善 し 得 るも のあ るべ く 、又 彼 等
更 に 一歩 立 入 り て彼 等 の生 活 に就 研究 す る時 は原 始状 態 にあ る だけ 、
上全 然 其 の実施 を期 す べ から ず し て 、今 日 の場 合 大 体彼 等 蒙 古 人 の
牧 畜 の経 営 には進 歩 せ る智 識 を応 用 し て其 の方法 に根 底 よ り改善
牧 畜 方 法 に従 ひ 、出 来得 る限 り の改 善 策 を講 じ、其 の余 は他 日 の研
は 実 に興 味 あ る 大事 業 た る を失 はず 。 此 の使 命 を全 う す る も貿 易会 社 の重 大 な る責 務 な り。
ホ
自 動車 運 輸 業 の経 営
方 今 自 動車 運 輸 業 非常 に発 達 し米 国 等 にては 汽車 輸 送 と競 争 す る
せ る交 通 機 関 を 必要 と す る場 合 多 き 地方 にし て至 る処自 動 車 の運 行
に至 れ る今 日 、蒙 古 の如 き未 だ 鉄道 を敷 設 す る に至 らず 、 然 も進 歩
にも何 等 の障 碍 な き を以 て 、自 動 車 輸送 によ り て蒙 古開 拓 の緒 を開
畜産 製 造 工業 の経営
従 来 蒙 古産 品 は奥 地買 出商 により 輸 出 地 に持 出 し其 の儘 搬出 せら
く は 最策 の得 た る も のと言 ふ べし 。呼 倫 貝 爾 よ り先 づ庫 倫 と結 び 、
ニ
れ た るも のな る が、 元来 原 料 の製 法 其 の他 総 て原 始 的 な るを 以 て、
ね如 斯 、 茲 に於 て我 が貿 易 の買 付方 法 の進 歩 に伴 ひ て畜 産 製 造 工業
実 に蒙 古奥 地 に充 分 な る自 動車 交 通 網 の設 定 は蒙 古 の積 極 的開 発 に、
車 交 通網 を設 定 す る に より て蒙 古 開 発 に至 大 な る効 果 を収 む べし 。
張 家 口、更 に又 〓南 、 赤 峰等 と も結 ぶ べく 、内 地蒙 古 に縦 横 に自動
漸 次 に庫 倫張 家 口間 、或 は古 来 の通 路 に より海 拉 爾 よ り庫 倫 を 経 て
其 の原 料 の品 質 頗 粗悪 にし て羊 毛 の如 き多 量 の挾 雑物 を有 し 、運 搬
の経 営 は頗 る有 望 の処 な り。 現 在 の海 拉爾 、満 洲 里 に於 け る市価 に
第 一歩 を 印 す るも のとす るも過 言 にあ らざ るべ く 、茲 に至 り て こそ
其 の他 取 引 も 不便 を 感ず る こと尠 から ず 。他 の蒙 古 所産 の物 資 も概
ては、 多 額 の課 税 を負 担 し ては 之 を優 良 な る工業 原 料 と し て使 用す
然 し此 の自 動車 運 輸 業 の如 き 事業 は突 然 蒙 古 に入 り て之 を 経営 せ ん
内 外 蒙 古 相呼 応 し て、徹 底 し て蒙 古 開 拓 の緒 に就 く こと を 得 べし 。
る こと不 可 能 な るも 、奥 地 原 住 者 よ り直 接 買 付 をな す 時 は非 常 に安
とす るも 内 外 の事 情 錯綜 せ る今 日決 し て之 に着 手 し得 るも のに あ ら
価 な る原 料 を使 用 す るを得 べし 。 此 の地 に於 て蒙 古 貿 易 を次 第 に徹 底 し て経 営 す る時 は 原料 も非 常
ず 。直 ち に外交 問 題 と な り結 局 不 成 に終 るべ き は火 を睹 るよ り も瞭
ら 他 の依 頼 に応 じ て旅 客 貨物 の輸 送 を なし 、他 面 に又 運行 区 域 を 次
に安 価 に供 給 す る ことを得 ら る る為 、畜 産 製 造 工業 経 営 の余 地 も大
第 に広 くす る が如 く漸 次 其 の自 動 車 運輸 業 を 拡張 し、 次第 に理 想 に
な り 。然 る に今呼 倫 貝 爾 に根 拠 を据 え貿 易 業 に自 動 車 を使 用 す る傍
然 此 の場 合 注 意 す べ きは 此 の地 の原 料 の質 不 良 な る こと 、 並 に其
とな り 、現 状 に て経 営 不能 の工業 も有 利 に之 を 経営 す る こと を得 る
の製 品 の種 類 、販 路 よ り考察 す る こと を 必要 とし 、徒 ら に 工場 の経
こと を得 べ し。
向 ふ に於 て は何 等 の問 題 も 惹起 す る こと なく 当初 の目 的 を達 成 す る
に至 る べ し。
敗 に終 る べき は明 であ る。 此 の見 地 に於 て海 拉 爾 に て皮 革 製 造 を業
営 企 劃 をな す時 は かか る特 別 の事 情 の下 にあ る地 に於 て は必 らず 失
蒙 人 の需 要 す るも のを 製造 す るも のな るが 、 近時 資 金 不足 の為 経営
な く最 大 な る効 果 を 収 む る こと を得 べし 。
礎 の鞏 固 な る事 業 と言 ふ べく 、 又 無益 に至大 の労 費 を徒 費 す る こと
拡 張 す る こと は不 可能 な り。否 如斯 にし て築 き た る事 業 こそ真 に基
今 日 支 那 に ては 如斯 手 段 を採 らざ る以 上我 地歩 を新 に植 え そ れを
難 に陥 り つ つあ る を以 て、 そ れ に投 資 し て畜 産製 造 業 経営 上 の基礎
と す る露 人 ア コー ル氏 経営 の 工場 は設 備 最 完全 にし て、此 の附 近露 、
を 造 るが如 きは最 策 を得 た る も のとす 。
呼倫 貝爾 産 業 公司 は蒙 古 内地 に於 け る自 動車 運 輸 経 営 てふ重 且大 な る使命 を担 ふ こと を忘 る べ から ず 。
の病疫 の流 行 には蒙 古 人 は施 す 策 を 知 らざ るを 以 て此 の地 の牧 畜業
に至 大 の脅 威 な り。 茲 に於 て多 少 の労 費 を惜 まず し てそ れ に予 防注
るべ し 。蒙 古 人 間 に は教 育医 療 等 の対支 文 化事 業 に対 し ても 当 局 を
︹マ マ ︺
射 を施 し其 の危 険 を救 ふ時 は彼 等 を利 し や が て我 を益 す るも のと な
呼 倫貝 爾 は土 地 辺域 に位 置 し 且寒 気強 き を以 て未 だ積 極 的 に開 墾
指 導 し 、蒙 古 人 の幸 福 向 上 のた め資 す る処 あ ら ざ るべ か らず 。 斯 く
開 墾 事業 の経 営
に当 り た る こと な き も地 味 肥沃 な る地 方多 く し て耕 作 不 可能 に は あ
観 来 れ ば蒙 古 人 の向 上 の為呼 倫 貝 爾 、 外蒙 古 開発 の為 為 さざ るべ か
ヘ
の如 き栽 培 期 間 の短 きも のなら ば 充 分 に成 長 し得 る は確 実 にし て近
論
ら ず 。現 に野 菜 、馬 鈴 薯 等至 る処 栽 培 せ ら るる に見 て燕 麦 、小 麦 等
結
今 や北 満 は 我 が南 満 の生命 た る地位 にあ り 、然 し て北 満 は 呼倫 貝
第四
ら ざ る こと実 に枚 挙 に遑 あ らざ るな り。
然 し蒙 古 の地 を開 墾 す る と き は彼 等住 民 の牧畜 を不 可能 なら し む
時 幾多 の試 作 に見 ても 明 な り。
るを 以 て、 曾 つて内 蒙 古 地 方 の開 墾 に於 け る場 合 の如 く事 業 の経 営
の意義 と価 値 に大 を加 ふ。満 蒙 の開 発 て ふ我 が大 な る使 命 を 完 ふす
爾 に拠 り て以 て蒙古 並 西 比利 亜 に伸 展 す る途 あ る によ り、 更 に北満
る為速 に呼 倫 貝爾 の地 に我地 歩 を確 立 せざ る べ からず 。今 日此 の地
を 阻害 す るも のあ る べく想 像 せら るる も、 蒙古 政 庁 に成 徳氏 の如 き 士 が其 の要 路 にあ る間 に、語 る に理 と利 を以 て せば 容 易 に此 の事 業
邦 人 の地 歩 樹 立 の策 と し 此 の地 に於 て産 業 公司 を設 立 し、 外 蒙古 呼
に我 地歩 を樹 立 す る には 正 に此 の時 を得 た り 。茲 に於 て呼 倫 貝爾 に
斯 し て呼倫 貝爾 の地 に於 て先 づ 生 畜飼 料 を供 給 す る こと を得 る に
倫 貝爾 の特 別事 情 に適 応 し て最 容易 に有効 に創 業 し 、外 蒙 古 開拓 の
を遂 行 す る ことを 得 べ し。
べく 、 呼倫 貝爾 の開発 に 一新 紀 元 を画 す るも のと 言 ふ べし 。
蒙 古 貿 易 全体 に於 け る呼 倫 貝爾 の貿 易 の地位 は見 る べき な き も、
至 ら ん か、家 畜 の優 良 種 を普 及 す る が如 き こと も容 易 に達 成 せ ら る
調 査 其 の他 の公 共事 業
目 的 を最 多 く達 成 す る こと肝 要 な り。
ト
調 査 情報 の機 関 と し ては 呼倫 貝 爾 に於 け る貿 易会 社 の 一の大 な る
城 等 の南 方市 場 よ りす る も呼 倫 貝爾 に拠 れば より容 易 に其 の目 的 に
し ては 地 理的 に関 係薄 く、 且内 外 勢 力 の既 に確 定 せ る張 家 口 、帰 化
今 日邦 人 と し て蒙 古 貿易 並 蒙古 の徹 底 し た る開 発 を策 す る第 一歩 と
事 者 と連 絡 を保 ち之 をな し 、林 業 、 漁業 、鉱 業 等資 源 の開 発 に機 宜
向 ひ、最 有効 に所 期 の結 果 を齎 す こと を得 べし 、内 蒙 方 面 よ り の開
使 命 な り。 故 に社 内 に調 査 の専 任 のも のを置 き 、 よ く営 業 方面 の当
の処 置 を とら し め 、蒙 古 、 西 比利 亜 方面 に対 す る国 力 の伸展 に 一般
拓 と相俟 て 一層 外蒙 古 の開拓 を徹 底 す る こと を 得 べし 。然 し て外 蒙
動 車 運輸 業 然 り、開 墾 事 業 亦然 り、 一々枚挙 に遑 あ らず 。是 等 の事
古 には事 とし て我開 発 を 待 たざ るも のな し。 畜 産製 造 工業然 り、 自
を指 導 せ しむ る処 あら ざ る べ から ず 。 其 の他 蒙 古 人 の原 始 的 な る牧 畜 法 を 調査 研 究 し て彼 等 の要 求 す る 処 に従 ひ畜 種 を改 良 し 牧畜 方 法 を 向 上 せ し めざ る べ からず 。又 家 畜
む る も可 な り 。要 は産 業 公 司 に し て其 の地歩 を 鞏固 にせば 他 は自 ら
業 公司 自 ら 之 が経 営 に当 るも可 なり 。 他 を適 宜 誘導 し て之 に当 ら し
業 は此 の地 の開 発 の為 皆 当然 な さざ る べ か らざ る処 な るを 以 て、産
東 部 内 蒙 古 、 や が て西 比利 亜 方 面 より も同 様 の方策 に よ り蒙 古開 発
と し て次 第 に蒙 古 奥 地 に向 つて開 拓 の歩 を進 め 、漸 次 に張 家 口又 は
如 斯 用 意 を 以 て呼 倫 貝爾 に動 す べか らざ る地歩 を築 き 、 そ れ を基
以 てす 。然 し言 の時 は既 に遠 き昔 に過 ぎ去 り、 今 日 は其 の真 摯 な る
言 を な す も の 口を 開 け ば 日支 親 善 、同 文 同 種 、 日支 共 存 等 の語 を
の実 を揚 げ ざ る べ からず 。
営 の上 に多 大 の困 難 の横 は れ る も のあ る べし 。 然 し露 人 の勢 力 凋 落
画 は最 も意 義 を有 し 、満 蒙 の開 発 の為 に正 に必 要 な る こと と信 ず 。
実 行 の時 期 に入 る。 此 の見 地 に於 ても呼 倫貝爾 産業 公 司 の創 立 の計
然 し呼 倫 貝爾 は未 だ邦 人 の足 跡 を 印 せ ざ る処 な る を 以 て、 事 業 経
容 易 に成 し 得 ら る る処 な り 。
し英 米 の勢 力侵 入 し て未 だ深 き に至 ら ざ る時 に際 し 、幸 に も支 那 官
日 の速 に来 ら ん こと を切望 し て止 ま ず 。
満 蒙 開 発 てふ重 且大 な る 我使 命 の達 成 の為 呼倫 貝爾 産 業 公 司創 立 の
憲 に程 督 弁 の如 き親 日 の士 あ り。 又蒙 古 政庁 には 成庁 長 の如 き 蒙 古 人 とし ては 珍 し く進 歩 せ る思 想 を有 す る士 あり 、呼 倫 貝爾 に於 け る
(三 田)
( 終)
最 高 官 憲 に斯 の如 き士 を 有す る を以 て 此 の際 斯 業 の礎 を確 立 す る こ と に つと め 、直 接 其 の公 司 の経 営 に当 る べき 人物 に し て宜 敷 を 得 、 其 の使 命 を完 う す る為 に必要 な る背景 と組 織 を 以 て し、 其 の経 営運 用 を誤 な か らざ る に於 ては所 期 の目的 を成 就 す る こと期 し て待 つべ
呼 倫 貝爾 産 業 公 司 は 此 の地 方 に於 け る支 那 の官 民 、 蒙 古 人 、露 人
きなり。
等 と 常 に意 思 の疎 通 を計 る に つと め、 其 の事 業 の進 展 に障 碍 を 生 ぜ し め ざ る こと最 肝 要 な り 。尚 又 邦 人 の支 那 開 発 に対 す る過 去 の事 実 に見 る に 、 一気 呵 成 に終 局 の目 的 に進 ま んと し て事 あ やま る こと 比 々と し て皆 然 りと 言 ふ も過 言 にあ らず 。 宜敷 慎 重 に事 を 計 り 、 周囲 の事情 の許 す 範 囲 に於 て其 の経 営 に当 り着 実 に歩 を進 め、 他 の見 て 何 事 も な さざ る が如 く し て然 も 大 々的 に発 展 の歩 を進 む る が如 き策 を 以 て開 発 にあ た る を 理想 と せ ざ る べ からず 、呼 倫 貝 爾 の如 き特 別 の事情 の下 にあ る地 方 に於 て如 斯 重大 の使命 を完 う せん が為 に は特 に然 る を見 る最 注 意 せざ るべ からず 。
大 陸博 物館 建設 私 案
哈爾賓事務所
三四
大正十二年十 一月 大陸博物館建設私案
る 地 方 の博 物 を蒐 集 し た る 一大博 物 館 を建 設 せ ん こと を望 む。
満 蒙 を中 心 と し て大 陸 開 発 の歩 を進 む る為 には 先 づ そ れ等 の地 方
国 に は未 だ 斯 の如 き機 関 備 らず 、随 て大 陸 の事情 は徹 底 し て邦 人 に
に於 け る天 然 の資 源 の調 査 研 究 を なす こと が肝 要 であ る。 然 る に我
我 が満蒙 の経営 に着 手して以来既 に久しき に亘るも未 だ其 の開拓
序 徹底する に至 らざ るは識者 の等しく憂慮する処 である。今や過去 に
の状 態 を観 察 す る の み であ る。又 企 業 の為 調 査 を為 す も のあ るも全
知 ら る る こと な く、 偶 大 陸 の地 を踏 む も汽 車 の車窓 よ り眺 め て皮 相
る方面より徹底し て大陸 の開拓 に当らんとする時 に際会し、課員三
於け る満蒙 経営上 の欠陥 を補填し、且は世界 の思潮 に順応して有ゆ
の開 発 を阻 害 し て お る状 態 であ る。 斯 の如 く し て大 陸 の開 拓 を期 す
般 に亘 り ては そ れ を基 礎 と し て計 画 を進 む るを 以 て事 を誤 り、 大陸
し、 徹 底 し て満 蒙 の開 拓 に当 ら ん とす る風 潮 が近 時 我 が朝 野 の間 に
今 日 ま で久 し く満 蒙 の開 発 を阻 害 した る原 因 と な り た る処 を 除 去
二
挙 ぐ る こと は正 に必要 な こと であ る 。
係 一帯 の大 陸 を徹底 し て紹 介 し、資 本 家 を誘 導 し て満 蒙 開 拓 の実 を
る 一大博 物 館 を満 洲 の政治 文 化 の中 心 た る奉 天 に建 設 し 、満 蒙 並 関
茲 に於 て大 陸 の天 然 物 を組 織 的 に調査 研 究 し其 の結 果 を 陳列 し た
るは 百年 河清 を待 つに類 す る も の であ る。
田了 一は満蒙 の紹介並我 が大陸 の産業的開拓を指導啓発する機関と
満 鉄哈爾賓事務所 調査課長
三 田了 一
山 内 勝 雄
し て大陸博物館 の建設 に付論ず る処正 に首肯す べきも のあり。茲 に 識者 の 一顧 を煩す所以 である。
案
大正十 二年十 一月
私 一
満 鉄は満洲蒙古 を中心とし広 く支那、西伯利亜、中央 亜細亜 に亘
の樹 立 を建 議 す る等 の こと あ り。 是 等 の傾 向 は満 蒙 開 拓 の将 来 の為
て開 拓 を徹 底 せし め んと す る議 あ りと 聴 く 。又 民 間 に於 ても産 業 策
め 、 又 政府 の要 路 に於 ても根 本 的 に日 支 両 国間 に蟠 る懸案 を解 決 し
漲 り 或 は満 蒙 の宣 伝 を計 り 、有 ゆ る手段 を講 じ て満蒙 の紹 介 に つと
ぬ。三
的 知 識 を得 ら れ、 大 陸 開拓 の指 針 とな さ し め る様 にし なけ れば な ら
列 し て 一般 に供 覧 し 、 之 を参 観 せば 満蒙 開 発 に必要 な る有 ゆ る基 礎
し、満 蒙 並 関 係 地 帯 に存 す る天 然 物 を組 織 的 に調 査 研究 し、 之 を陳
設 なく 、 依 然 一般 人士 は車 窓 よ り眺 め た る皮相 の観 を以 て満 足 す る
然 る に満 蒙 には是 等 の傾 向 を有 効 に善 導 す る ことを 得 るだ け の施
は此 の際多 額 の資 金 を投 下 す る ことな く 、満 鉄 が過 去 十数 年 間 地 質
一夕 に完 成 を期 し得 るも の では な い故 に、本 博 物 館 の建 設 に当 り て
館 を建 設 す る には、 幾 多 の日 子 と多 額 の費 用 を 必 要 とす べ く、 一朝
大 陸 を徹 底 的 に紹 介 し満 蒙 開 拓 の指針 と な るま で に充 実 し た博物
誠 に慶 賀 の至 り で あ る。
外 はな く 、広 く深 く徹 底 し て満 蒙 を紹 介 し 開拓 を助 成 せし む る に足
調 査 所 、農 業 試 験 所 、 中央 試験 所 其 の他 の調 査 機 関 に於 て調 査 研 究
る施 設 を 欠 いて居 る。
満 鉄 が南 満 及東 部 内 蒙 古 に於 て今 日ま で調 査 研 究 し て得 た る処 は
し た る処 を 一ケ所 に纏 め て視察 者 に観 覧 せ しむ る程 度 のも の でよ い。
我 国 は 其 の立 国 上将 来 は 工業 の発 達 を 計 ら な け れば な ら ぬ。然 し て其 の工 業 原 料 は隣 接 の支 那 、西 伯 利 亜 の 一帯 よ り仰 な け れ ば なら
を利 用 し得 るも の は 一部 の人 士 に限 ら れ て居 る。 斯 の如 く高 貴 な る
誠 に僅 少 でな い。 然 る に之 を 一般 に供覧 す る何 等 の設備 も なく 、 之
ぬ故 に、 是 等 地 帯 の鉱 物 、 動 植物 其 の他 のも のを組 織 的 に調 査 研究 し、 我 が産 業 の発 達 を計 り亜細 亜 大 陸 の開 拓 を策 す る は立 国 上 よ り
で な い。 宜 し く博 物 館 を 築 設 し て今 日ま で調査 し て得 た る処 を陳 列
調査 研 究 の結 果 を死 蔵 し ては 満蒙 の開 発 を促 進 す る所 以 と な るも の
も必 要 の こと であ る。
し て広 く世 界 人士 に供 覧 し 、 満蒙 開 拓 の資 金 を世 界 に求 め 我使 命 の
米 国 の博 物 館 の如 き は各 方面 の専 門 家 を 網羅 し て探 険 隊 を組 織 し、
国 のみ な らず 各 国 に於 て も此 の種 の研 究 は積 極 的 に進 め られ てお る 。
外 蒙 古 に於 け る博物 を蒐 集 した る が如 き最 近 の事 実 も あ る。 独 り米
達成 に つと め な け れ ばな ら ぬ。四
今 日有 ゆ る方 策 に より 日本 内 地 に向 つ て満 蒙 の宣 伝 行 は れ つ つあ
ら 、 亜細 亜 大 陸 は我 国 に於 ては 組 織 的 に調査 研 究 せ ら れ て は居 ら ぬ。
る方 面 に調 査 研 究 の歩 を進 め、 博 物 館 とし て の面 目 の充 実 に つとめ
る処 を集 め て簡 単 な る博 物 館 を 建 設 し た る上 は 、次 第 に組 織的 有 ゆ
満 蒙 の宣 伝 に策 応 し て満 蒙 紹 介 の為 満 鉄 が今 日 ま で調 査 研究 し た
上 是 等隣 接 地域 よ り工業 原 料 を 仰 がざ る べ から ざ る 地位 にあ り な が
然 る に我 国 は大 陸 に隣 り し それ を開 拓 す べき 使 命 を有 し、 然 も 立 国
るも 、 宣 伝 と同 時 に満 蒙 に其 の紹 介 に必 要 な る設 備 を 有 せざ れば 、
我 国 の使 命 とし て並 我立 国 の必 要 よ りし て今 日 は南 満 洲 及東 部内
な け れ ば な ら ぬ。
満 蒙 の開 拓 を使 命 とす る満鉄 は此 の見 地 に於 て 一大 博 物 館 を建 設
満 蒙 の宣 伝 を有 意 義 なら し め其 の効 果 を収 む る こと は出 来 ぬ 。
蒙 古 の開 拓 のみ を以 て満 足 し て居 る こと は出 来 ぬ。 将 来 は 斯 る限 ら れ た る範 囲 を脱 し て北 浦 、外 蒙 古 、 支 那本 部 、西 伯 利 亜各 地 に於 け る未 開 の地 の開 拓 に つと め な け れば な ら ぬ 。故 に大 陸 の開 発 を目 的 と す る此 の博 物 館 は満 蒙 並其 の隣 接 地 帯 に限 らず 、 広 く 大陸 一帯 に
斯 く し て本 博 物 館 と し て の面 目 を 充 実 せば 我 が 大陸 経営 の指導 機
亘 り て調 査 研 究 す る こと を使 命 とな さな け れ ばな ら ぬ 。
今 や関 東 の災 害 の復 興 に関 連 し て世 人 の注 意 の満 蒙 に傾 注 せら れ
関 とし て我使 命 の達成 に資 す る処 至 大 であ る。
た る時 に当 り 、満 蒙 並 大陸 を徹 底 し て紹 介 す る大陸 博 物 館 の建 設 せ
我 が立 国 の基 礎 を鞏 固 にす る為 大陸 の開 発 の為 敢 て識 者 の 一顧 を
ら れ ん こと は現 在 並将 来 を通 じ て切要 のこと であ る。
乞 ふ。
三五
秘 調 査課 長
五百万円
出
興林公司
豊材公司
公 司 名
吉
長
林
春
本 店 所在地
吉
支
有限公司
店
林
所在地
百 万 円
資
森 林及木 材 販売
業
同
百 万 円
同
務 大 倉 系
系
同
製 紙業 木材販売
華林公司
同
統
三 井 系
同
黄川公司
共栄 起 業株 式会 社 の内 容
共栄起業株式会社 の内容
次
王子製紙
森林木材
同
同
同
同
富寧造紙
同
一般財界膨脹時代前記諸会社以外、三菱 三井会社等 が満洲林業 に
庶務部
大正十 二年六月二十五 日 庶調情第 二三号
目 一、 成 立 経 過概 要 二 、会 社 と 五公 司 の関 係 三 、投 資 方 法 と割 当
款
四 、商 業 登 記要 項 五 、定
共栄起業株式会社 の内容 三井系及大倉系 の左記五公司 は本支店 を吉林省城 に置 き、吉林省
三菱三井 の如 きは林場投資 の回収整理 に止 め、遂 に吉林 を引揚げた
関係 の投資額 は実 に巨額 に上りた るも予期 の成績を挙ぐ るに至らず。
一、成立経過概要 内 に於ける多種 の森林伐採 、木材販売等 を経営 し来りたるが之 れを
るが右五公司も殆 ど同様 の運命 にて、今 日迄辛 ふじ て持続し来れり。
統 一す る為め日本側出資 の合同 を図らんとする計画 に出 でたるもの な り。
因 る影響 を受 け た ると 、林 場 投 資 の方法 が唯 一時 の好 景 気 に煽 ら れ
之 が原 因 は 一般 経 済界 の不振 に伴 ひ 、木 材 の低 落 、建 築 界 の不 況 に
両系 より平等 に選出し、従来 の日本側主任者を取締役其他に任命せ
款 記載 の各種事業 に着手す べし。各重役は公平 を意味する点 に於て り。
武 義
た る不 完 全 な りし 為 め 、今 日 に至 り て林 場資 金 の回 収難 は勿 論 な る
北 村
務 元富寧造紙公司専務吉林在勤
徳
常
彼 末
雄
豊材公司専務 理事長春在勤
が 、 一面 匪 賊 の為 め予 想 の木 材 切出 さ へ困難 と なり 、 加之 内 地 及 北 支 那方 面 木 材市 場 には 戦 後米 国 材 輸 入 に圧倒 せ ら れ、 尚最 近 沿海 州
取締役兼支配人
細
然 る に従 来 前記 各 公 司 は事 業 上及 販 売 上 に猛 烈 な る競 争 を継 続 し
及 北満 材 の輸 入 を見 る に至 り 、吉 林 木 材 界 は 益 々窮 地 に陥 れ り。
薗 村 楠 太郎
市
華林公司経理吉林在勤
従来五公司に投資 せる不動産 は八百五十 万円 とし登記を了したる
野 喜
来 り、常 に暗 闘 絶 えざ る も最 早 之 を許 さざ る の状態 と なり 、 雙方 共
豊材公司理事長長春在 勤
が、別 に回収容易 の流動的不動産百五十万円を優先株とし七月中 に
三、投資方法と割当
に不利 益 を同 感 せ る両 系 投 資 者 は其 弊 を除 か んと す る の目 的 にて将
と を議 し 、大 正 十 一年 其合 同 経 営 を計 画 せ る も、 事 実 上之 等 五 公 司
来 相謀 り歩 調 を 一に し 、内 地 及 満 鮮 、北 支 那 木 材市 場 に対 抗 せん こ
は合 弁 事 業 にし て支 那法 人 と し て、 支 那 政府 登 録 法 に依 り登 記 を経
増資 の筈なり。 大倉系
四割 七分
三割 八分
三井系
四割六分
四割四分
一、商
号
株式会社設立 店
長春北門外商埠大街北頭
共栄起業株式会社
四、商業登記要項
尚 以上 の資金 五公司 に対す る割当 の対比は未 だ決定せず。
大倉系
壱千万円に増資後
三井系
右投資額 の出 資負担割当
た る も のな れ ば 、中 日合 弁 公 司 又 は合 同 を 許 さざ る の事情 あ り 、 且 つ成績 不 良 の各 公司 が合 同 せ ば益 々不 成 績 に終 る の点 も 顧 慮 し 、旁 々合同 説 を打 切 り、 這 般 新 に両系 投 資 者 が林 業 其 他 に関 す る投 資 合 同 を 基礎 と せ る 一大 会 社 を組 織 し 、既 往 将 来 共 五 公司 に関 す る 日 本 側 出 資 は本 会 社 に投 ぜ し め積 極 的 方針 を採 る こと と せ り。 随 て前 記
二、 会 社 と 五公 司 の関 係
五 公 司 は依 然 従 来 の事 業 を存 続 す る こと と な れ るな り。
同 会 社 は 五公 司 に対 す る 日本 側 出 資 者 の合 同 会 社 と見 る べく 、 従
公 司 に投 資 の形 式 を取 り株 券 に て割 当 て、 今 後増 資 等 に要 す る資 金
一、本
来 五 公 司 に投 資 せ る資 金 を会 社 に移 し 資 本 金 に繰 入 れ、更 に之 を各
は債 務 の方法 に依 るも の にし て各 会 計 は 独 立 とす 。 第 一期 に於 て は之 等 各 公 司 の資 金 整 理 を 行 ふ 。第 二期 に於 て は定
的
店 一、林業 の経営及木材 の売買
吉林省城 二道碼頭 一、監査役 の氏名
薗 村 楠 太 郎
幾 太 郎
田 邦
一、支
飯
一、目
林
彦
二、木材 の保管業務経営
款
本会社は共 栄起業株式会社 ( 中華民国 に於 ては共栄起業公 司) と称す。
第 一条
第 一章
五、定
右大正十二年 六月十 一日在長春日本領事館 に於 て登記完了 せり。
三、製材業及製紙業 の経営 四、鉄道 の経営 五、電気事業 の経営 六、前 五号 に掲ぐ る事 業に関す る資 金 の貸 付 及取立代弁業務並 に営業 の目的を達する為 め、之 れに関聯す る諸般 の事務を営み又は
本会社は左 の営業 を為すを以て其 の目的 とす。但し営業 の
一、資 本 総 額
一、設立年 月日 金壱千円
八百六十万円
大正十二年 六月 一日
三、製作業及製紙業 の経営
二、木材保管業務 の経営
一、林業 の経営及木材 の売買
為 す ことを得。
目的 を達す るが為 め之 れに関聯する諸般 の事業を営 み又は出資 を
第二条
一、 一株 金 額 金壱千円
四、鉄道 の経営
出資 を為す こと
一、各株払込額
の広告 の為め選定 したる新聞紙 に掲載す
本社所在地を管轄す る登記所 に於 て登記事項
五、電気事業 の経営
一、広 告 方 法 一、取締役 の氏名
本会社 の資本金 は壱千万円とす。
六、前五号 に掲ぐ る事業 に関す る資金 の貸付及取立代弁業務 第 三条
本会社は本店 を長春 に支店 を吉林 に置 く。但し取締役会 の
藤 原 銀 次 郎 門野 重 九 郎
第 四条
雄
義
第六条
株
式
本会社 の広 告は本店所轄登記所 の公告する新聞紙を以てす。
本会社 の株式は優先株普通株とし 一株 の金額 を壱千円とす。
第 二章
第五条
決議 を以 て便宜 の地に支店又は出張所 を置く ことあ るべし。
小笠原 菊次 郎
徳
市
村 武
河野 久 太 郎 北
野 喜
彼 末 細
第 七条
本会社 の株式 は総 て記名株 とし 一株券十株券百株券千株券
の請求書 を差出し新株券 の交付を請求すべし。此場合 に於 て本会
を経るも異議を申出づ るも のなき時 は新株券を交付し爾後 旧株券
社は請求書 の費用を以 て其 の旨 を公告 し其 の公告 の日より三十 日
株金第 一回 の払込 みは 一株 に付 き金額金壱 千円とす。
の四種 とす。 第 八条
一枚 に付き金拾五銭
株券 の名義書換新株券 の交 付に就 ては左 の手数料を徴収
を無効 とす。
一、株券名義書換
一枚 に付き金参拾銭
株式名義書換は毎年十 一月 一日より定時株主総会終結 の
株主総会 に於 て決議 を為すに当 り可否同量 の時は議長 の
本会社 の定期株主総会 は毎年 一月之れを招集す。
株主 総会 第十七条
株主代理人を以て其議決権を行使 せんとす るときは其 の
株主総会 の議長は社長之 に任 じ社長事故 あるときは副社
株主総会 の議長 は会議を延期し又は会場 を移す ことを
株主総会 に於 て決議したる事項は其 の要領を決議録 に 印し本会社 に保存す。
記載し、議長及出席せる取締役監査役及出席株主 二名以上署 名捺
第 二十二条
得。
第 二十 一条
長 又は取締役之 に任ず 。
第 二十条
代理人は本会社 の株主 たる ことを要す。
第十九条
決 する所 に依 る。
第十八条
第 三章
其 の総会終結 の日ま で亦同じ。
日まで之 れを停止す。臨時株主総会招集 の通知を発 したる日より
第十六条
一、新株券 の発行
す。
第十五条
株金 の払 込を怠 りたるも のは払込み期日 の翌 日より払込完
了の日迄金壱百円に付き 一日金 四銭 の割合を以て計算し たる延滞
第 九条
株主は氏名住所及印鑑 を本会社 に届出づべし。其 の変更あ
利息及 び之れが為 に生 じたる費 用を支払 ふべし。 第 十条 りたるとき亦同じ。株主本会社より郵便到達日数 七日以内 の地域 に住居 せざ るときは、此 の地域 内に仮住所を定め本会社 に届出づ 第 二項 の届出を怠 りたる為書類 の不到着、又は遅 延を生ずる こ
べし。其 の変更ありたるとき亦同 じ。
本会社 の株式 を取得し又は株券記載 の氏名 を変更した る
とあるも本会社は其 の責 に任ぜず 。 第十 一条
も のが、名義書換 を請求す るには株券 の裏面 に記名捺印し、本会 社所定 の請求書を添 へて差出すべし。但し株式譲受 の場合 は譲受 人と の連署を以 てし、其他 の場合 は本会社 の適当と認む る証明書 を添付す べし。 第十二条 払込期日を遅延した る為 延滞利息 の支払其他 の債務を生 じたる株式 に対しては該債務 の完済 に至 るま で名義書換又 は払込 み記 入 の請求 に応ぜず。 株券を毀損 したる者又は株券 を分合せんとす るも のは其 株券を紛失 又は滅失したるものは其 の事由 並に株券 の種
の株券 に請求書を添 へ新株券と の交換 を求む ることを得。
第十三条 第十四条
類番号を詳記し本会社 に於 て適 当と認 むる二人以上 の保証人連署
第四章
役
員
取締役 は二十株 以上監査役は十株以上有す る株主中 よ
第 二十三条 本会社 の取締役 は八名以内監査役 は二名以内 とす。 第 二十 四条 取締役在任中各其 の所 有株式 二十株 を監査役 に供託 す
り之 れを選出す。 第二十五条 べし。 前項 の株券は本人退職す るも其 の期に属す る決算 に対 し株主総 取締役 の任期は就任後第三回、監査役 の任期 は就任後
会 の承認を得 たる後 に非 ざれば之 れを受 け戻す ことを得ず。 第 二十六条
査役 の 一部 のみ選任す る時は其 の任期は他 の在任取締又は監査役
第 二回の定時株主総会終局 の時 を以て終了す。但し取締役 又は監
取締役 又は監査役 に欠員 あるも法定 の人員を欠かざ る
の残 り任期 に同 じ。 第二十七条
取締役は社長副社長常務を互選し て社務 を主掌せしむ
時 は補欠選挙を為 さず。 ることを得。
第 二十八条
計
算
本会社は相談役又は顧問を置 くことを得。
第五章
第 二十九条
本会社 の営業年度 は毎年十 一月 一日に始まり翌年十月三
十 一日に終るも のとす。
第 三十条
本会社 は毎年度 の終 りに計算を為 し総収入金 より諸経
百分の五以上
費 及損失金を控除 したる残額 を利益金とし、左 の通り之れを処分
第 三十 一条
一、法定積立金
す。
一、株主配当金
一、役員賞与金及交際費
若干
百分 の十以内
附
則
株主配当金 は毎年度決算期 日現在 の株主 に之れに配当
前項 の規定は特別 の積立を為 し又は次期 へ繰越す ことを妨げず 。 第三十二条 す。
本会社 の負担 に帰すべき創立費用は金 五千円以内とす。
第 六章 第三十三条
本会社初期 の計算 は次期 の計算 と合併 することを得。 大正十二年 六月
第三十四条
三六
大 正十 二年 十 一月調
次
替
金
高
久
肇
四、預
替
金
各地銀行券流通高
十 一年 の満洲金銀券流通高 ( 単位 円)
大正十 一年 の金銀券市場流通高左 の如 くであ る。
一
六、大連 の十 一年度金融
五、為
三、不動産金融
大 正 十 一年 満 洲 の 日 本 側 金 融 概 況
庶 務 部 調 査課
大 正 十 一年 満 洲 の日本 側 金 融 概 況
目
出
一、各 地銀 行 券 流 通高 二 、貸
四 、預
三 、 不動 産 金 融
五 、為 六 、大 連 の十 一年 度 金 融
大 正十 一年 に於 け る全 満 洲 の日 本側 金 融 統 計 に就 い ては 未 だ 発表 せら れ た る も の がな い。仍 て大 連 商業 会 議 所 及各 銀 行 の調 査 を 基 礎 と し て其 現状 を概 記 す れ ば左 の如 く で あ る。
出
一、各 地銀 行 券 流通 高 二 、貸
今大 正四年以降各年末 に於 ける金銀券流通高を示 せば
出
満洲 の金銀券歴年流通高 ( 単位円)
二 貸
満洲 に於け る本邦普通銀行八十 一行 の大正十 一年末貸出高 は金 二 八百元)混計 二億 七千九百万円にして前年末に比し金千六十万円小
億 六千 八百万円、銀九百三十万円、小洋銭百七十 万円 (外 に地方貸 洋銭 四十 万円 の増加 に対し銀三百 万円 の貸出減少 を見 た。如斯 は大 連取引所 の建値が金 に変更 されたる結果銀資金 の需要 を減じた結果 と見 るべきであらう。試 みに大正七年以降各年末 満洲総貸出高を見 れば次の如く である。(単位千円)
本表は千円以下 を切捨てたるを以 て合計 は表中 の混計 と合 致 せず。
備考
之を満洲主要都市 に於 ける百分率より見 れば
︹マ マ︺
即 ち 金 銀 両 勘定 に於 ては 大 連嶄 然 と優 し 、 小洋 銭 勘 定 にて は開 原 、
奉 天 、 四平 街 が多 い。 更 に其 貸出 高 を担 保 別 に見 れば
三
不動産金融
東拓会社 の大正十 一年末貸出高 次 の如く である。
之 を大正七年末 以降貸出高と対照す れば (単位 千円)
而し て不動産貸付高は独り東拓 のみに非ず して 一般銀行又は其他 の商事会社 にても之を行ふて居 る。右 の中商事会社貸 付高 は不 明な
預
金
るも十 一年末普通銀行貸出高は前述 の如く混計七千五百万円に達す る。 四
本邦普通銀行八十 一行 の大正十 一年末預金高 は金 一億九百万円、
銀 一千 八十万円、小洋 銭百九十万円、露貨百二十 万円、混計 一億二
千三百 七十万円 にして、前年末に比 し銀十 二万円 の減少を告げしも
金 三百 六十万円、小洋銭十七万円 の増加を見た。今大正七年以降 の
満洲総預金高を示せば (単位千円)
考
一、 大 正 十 一年 末 に露 貨 百 二十 一万 七 千 留 あ る も同 年 小洋 銭 勘定
備
中 に混 入 せり 。
ざ るも のあ る も混 計 の場 合 は表 中 数 字 を基 礎 とす 。
二、 本 表 は 千位 以下 切 捨 た る為 め各 勘 定 合計 と表 中 の混計 と 合 は
右 預 金 高 を 地 方別 よ り見 れば
即 ち預 金 に於 て も金 銀 勘 定 は大 連 を首 と す る が小 洋 銭 勘定 の みは 開 原 、 四平 街 、 奉天 、哈 爾 賓 、鉄岺 等 の順 序 と な つて居 る 。
備考
小洋銭 の分は之を略す
而し て為替 の種類は各地向 の分 にては送金為替六割 四分、代金取
替
立 三割六分、各 地より受 の分 は送金為替 六割七分、代金取立三割 三
為
満 洲 に於 け る為替 取 扱 銀 行 は 七十 一行 にし て取 扱 高各 地 に向 け た
五
る分 混 計 十 三 億 二千 三百 万 円 、各 地 より 受 け た る分 十 一億 五千 万円
大連 の十 一年 度金融
分 の割合 である。(高久調)
一
竜 口銀 行
正 隆 銀 行
正 金 支 店
鮮 銀 支 店
二九 、 八 五六
一六 、 三 八三
一九 、 六 七 二
三 一、〇 三五
四 四 、 三八 九
二 一・二
一 一・六
三 ・八
二 一・九
三 一・五%
鮮 銀 支 店
一八 、 三 八〇
一九 、 四 八八
二四 ・四
二 五 ・九
預 金 高 (混計 七 五、 三 一 一千 円 )
其 他 銀 行
貸 出 高 (混計 一四 一、 三 三五 千 円)
を含む) に於 ける預金貸出高 の各勘定を混計し て通覧するに
次 に大連各銀行 の十 一年度十九行 ( 香 上、東中国、交通 の各銀行
六
に達 し 、十 年 に比 し何 れも 増 加 を 示 し た。 試 に其 の取 扱 高 を 示 せば ( 単 位 千円 )
次 に右為替取扱高を各主要都市別 に百分率を示せば左 の如く であ る。 二
正 金 支 店
八、五九 一
一七 、 六 三 〇 一一 ・四
二三 ・四
一四 ・九
正 隆 銀 行
一 一、 二 二 二
竜 口銀 行 其 他 銀 行 右 に依 れ ば大連 に於 け る銀 行 は鮮 銀、 正 金 の二支 店 が牛 耳 を把 持 せ る こと は免 れな い事 実 で あり 、 之 に 対 し正 隆 、 竜 口 の 二本店 銀 行 が併 進 し て伍 し つつあ る状 態 であ る。
三 七〓
次
〓 南情 報
大正十二年五月五日 調情第 二六号
目
村 田熊 三
南 情 報
秘 〓南派出所
唐
宝
孔
士
淮
山
陞
支
連長 (中隊長)
〃
〃
〃
〃
営長 (大隊長)
名 李
連
現 職
郭
名
劉
本
楽
天 容 (倫)
天 下
華
響 九 江
馬賊頭目 の称号
中
にし て各其任地 に在り。而し て当地軍界 には四月下旬 に於 て奉天 よ
以上軍官任命 に対する辞令 は未 だ奉天 より到着 せざ るも最早確定的
一、〓南軍界 と馬賊 の消息 二、鄭〓線 工事 の進捗
り多数 の弾薬 (三十車 ?)其他 の軍需品 を搬入したる形跡 あり、尚
三、〓南電燈問題 四、〓南 に於ける鮮 人移住問題
来 に於 て奉直再戦 の場 合 には勉 めて京奉沿線地方を避 けて其雌雄を
開魯 に駐兵 の増員を行ひ つつありと言 ふ。由是観之奉天軍 は近き将
は前記奉天軍 の使嗾したる馬賊 の開魯襲撃 に刺戟されたるにや漸次
近く南方 より奉天軍 の入〓増加 を見るなら んと言 ふ。而し て直隷軍 今春張 作霖 の内命を奉じ程海峰指揮 の下 に熱河管域に在 る開魯県
一、〓南軍界介と馬賊 の消息 城を襲撃したる蒙匪頭目九江楽及天容 等 の馬賊団は、過 る三月入〓
東蒙 の野 に決 せんとす るも のの如し。
馬賊討伐 の目的 を以 て三月下旬鄭家屯より入〓した〓旅長 は張総
いて出動 せず とも伝 へらる。
一説 には〓南 に於け る奉軍 は只軍備を整 へ待機 の姿勢 に在 りて強
後本方面 に於 ける軍団長と交歓 の上愈 々和解成り、是等帰順馬賊を 以 て 一団 (聯隊 )を編成し、前記 の程某は其団 長 に各頭 目 は営 長 (大隊長)として目下安広県及其 一部は開通県地方 に駐在 し在り、 其主な る頭目 の人名左 の如 し
其 部 下 と共 に当 地 を引 上 げ 帰 郷 せ り。 是 より 先 き妥 協 の目 的 を 以 て
司令 よ り の招 電 に接 し、 奉 天軍 事 会 議 に参 加 す べ く 四月 中 旬 に於 て
新局 長 の独 断 を以 てす る人 員 淘汰 整 理 を 顧慮 し、 自 己 不 在 間 に如 何
倉 組 工事 担 当 区 域 以 外 に於 ては之 を見 ざ る の状 況 に在 り 、蓋 し同 局
る鄭 〓 線 工事 同 局 監視 員 の如 き も 口袋 (離鄭 二三 哩 ) 以南 、即 ち 大
な る変 動 あ ら んか を疑 惧 し て他出 を逡 巡 躊 躇す る に因 るも のな り。
他 の頭 目 と其 に 一時 〓 南 に入 り た る蒙 匪 の 一頭 目黒 塔 は、 鄭家 屯 よ り〓 旅 長 の入 〓 す る を聞 き風 を喰 つて逸 脱 し た る も、 其 部 下 の内 百
に従事 し 、又 全 線 に於 け る暗 渠 六十 余 ケ所 に要 す る木 材 併 に電 柱 用
し つ つあ り。 即 ち 大 平川 以南 には諸 所 に山 東苦 力 の孜 々と し て土 工
材 の運 搬 は長 春 阿 川組 の担 当 す る所 にし て、是 等 材 料 の 一部 は運 搬
然 れ 共 同線 工事 は 其担 任 者 た る東 亜 土木 公 司 の手 に依 り て着 々進 捗
し た る為 、黒 塔 の家 族 も 同 類 の蒙 匪 二十 余 名 及其 飼 養 の畜 類 ( 羊数
又前 記 頭 目 九 江楽 等 の帰 順 に依 て黒 塔 の根 拠 地 ( 胆 楡 県 北 部 )発 覚
百頭 駱駝 数 頭 ) と共 に官 兵 に奪 取 せ ら れ て四 月 下旬 鄭 家 屯 へ護 送 さ
十 七名 は官 兵 に欺 か れ て帰 順 後 当市 内 に於 て悉 く斬 罪 に処 せ ら れ、
れ た り。
同 鉄 道附 属 の電 話 は 四月 下 旬 に於 て ハル モノ ト (離 鄭 三 六 哩 )迄
を引 上 げ て帰 任 の途 に就 け り。
の処 置 に依 り て已 に其大 部 分 の配置 を了 し 、同 店 員 は五 月 三 日本 地
途 中馬 賊 の横 行 襲 来 等 に依 り て 一時 散 逸 し た る も同 店 出 張 員 の臨 機
今 や黒 塔 は官兵 に対 す る憤懣 遣 る瀬 なく 義 弟 天邦 と共 に残 党 二百
開 通 し あ り 。今 後故 障 な き場 合 に在 り て は予定 の如 く 六 月 には 四〓
四 十 名 を率 ゐ て随 時 随 所 に出 没 し 、金 品 の掠 奪 は勿 論 時 に男 子 の睾
し て姙娠 不 能 に了 ら しむ る等 残 忍 至 らざ るな く 、本 方 面 の住 民 を し
丸 を抜 き取 り或 は婦 女 子 を 姦 し た る上 其 局 部 を刳 り又 は腹 部 を 切開
間 通 話 可能 と な り、 十 月 には〓 南 迄 の線 路 開 通 し機 関 車 の運 行 を見 る に至 る べ し。
て戦 慄 せし め つ つあり 。 上記 馬 賊 等 は其 掠 奪 し た る牛馬 を開 魯 西 方 約 四 十支 里 の地 点 に於
前 記 山東 苦 力 は総 て ア ンペ ラ の掛 け 小屋 内 に居 住 し其 常 食 た る 玉
に於 ては 現金 の支 給 を受 く る こ とな く 、之 が受 渡 に就 て は天津 に於
蜀 黍 は 悉 く 之 を携 行 し あ り 、 工賃 は 一日 六十銭 位 に相 当 し総 て現 地
て毎 頭 約 十 七 、 八元 に て之 を売 り渡 す と言 ふ (黒 塔遭 遇 者 の実 話 )。 尚 ほ黒 塔 の言 に依 れば 本 県 城 内 に於 て屠 ら れ た黒 塔 の部 下 前 記 百
〓 南 電 燈資 金 は企 業 予定 額 約 八 万 元 と し外 資 に依 らず 、 内 三 万
元 を当 地 市 民 の負 担 と し 其大 部 分 は東 三省 官 銀 号出 資 負 担 の こと
1
任 後 内 密 に探 査 し た る結 果 左記 の情 況 に在 り。
〓 南 電 燈問 題 に関 し ては 曩 に報 導 し た る こと あ り し も最 近 小 職帰
三 、〓 南 電 燈問 題
け る彼 等 苦力 の総 請 負 業 者 の許 に て弁 理す ると 言 へり。
十 七 名 は馬 賊 新 募 の蒙 古 壮 丁 にし て比 較 的 罪 な かり し も のな り と言
つ て掠 奪 し或 は 人間 の頭 脳 及 心 臓 が 一種 の妙 薬 な り と の迷 信 の下 に
ふ 。是 等 百 余 名 の馘 首 され た る 日 、当 市 民 中 には死 刑 者 の衣 服 を競
之 を 拾 ひ取 り、市 中 の某 医 師 其 他 へ持 来 つて買 収 の勧 誘 に努 め た る 者 あ り。 二、鄭 〓 線 工 事 の進 捗 四〓 鉄 路 局 内 に は常 に内 訌 あ る も の の如 く之 が為 今 期 起 工 さ れ た
万慶長財東
〓南福合長総理
奉天儲蓄会長
奉天東三省官銀号
張
韓
李
張
単
林
海
墨
栄
恵
宝
臣
薄
書
鵬
林
浦
林
山
る予約なりしも、彼等 が護照を携行 しあらざる為、瓦房 の支那官 憲
梁 及粟は当初 地主 より彼等 に貸 与し収穫時 に至 り之を地主 に返還す
彼等鮮農中 には今尚農具を所持 せざ るも のあり、又其糧食たる高
好地方 に在 り、同地季徳勝 の所有 に係り已墾地四方地強なりと言 ふ。
〓南県城 を距 る西北百二十支里なる瓦房の北十支 里〓児河沿岸大冐
備を整 へ、漸く本地方 に到着し得たるものにして、其農耕 予定地 は
他同地より移住 に要 する車馬費等合計 三百 二十余元 を借入れて諸準
知しある同地居住 の支那人柳景堯 に示談 の上、種籾 四石 の購入費其
協同購入したるも尚不足な るを以て、水田事業 の有利なる ことを熟
以て今春 一同移住 を思 ひ立ち、予め白音太来 に於 て種籾十三支石を
〃 旅団長 王 恩 川
児河沿岸 に於 て地質水利共 に良好な る地点を確実 に探査し得たるを
〃 天恩 地局顧問 李 俊
に内定したるものの如し。
〃 商務会長 濬
2 電燈発起者 の人名下 の如 し
〃 栄
拒む に至 れり。茲 に於 て彼等 は殆んど窮境 に陥り目下本県公署 に対
ると共 に其前途 の不安なるに想到し、最近 に至り急拠食糧 の貸与を
より駆逐 されんとす る傾向あ るに依 り、地主は官憲 の意図 を考慮す
左 愚
農務会長 稚
〃 教育会長 王
〃 〃 焼鍋店主
し居住許可証 の発給を嘆願 し つつあり。県公署は之 に対し、 一時下
3 右企業 に関す る申請は去 る四月上旬 に於 て前記発起 人連名 にて 奉天省長 へ其手続 を了 せりと言 ふ。
示 (訳文)
是等外国人 の農業経営 を許可 せざる のみならず 、又護照を携行 せざ
来れるも、該農民等 の原籍は朝鮮 に属す るを以て本県管内 に於 ては
本県大冒好地方に於 て水 田耕作 の為居住上 の護照 の発給 を請求し
大冒好地方に於 て水 田耕作 の為護照請求者 に関す る件 に就き告 示
掲
の如き告示を其門前 に掲示したり。
東 三省官銀号 が果 して十数万元 を〓南電 燈企業 に投資し得 るや否 やは疑問 の数 に属す るも、予て同行 は紙幣濫発 の傾向あるに依 り或 は逐次 に之を発行出資す るやも計 り難しと観測す るも のあり、附記 し て以て今後 の成り行きを見 んとす。 最近鮮農鄭某外其同 郷者 五十 一名 ( 十 一戸)は水田耕作 の目的を
るも のに在 りては管内 の遊歴をも禁 止す るを恒例 とす るを以て速 に
四、〓南 に於け る鮮人移 住問題 以 て通遼及桓仁両県地方より当地方 に移住 し来れり。之 を以 て〓南
本県管外 に退出す るを要す。若し之 に違反するも のあらば警察 に命 じて駆逐せしむべし。 以上
地方 に於ける鮮人移住 の嚆矢となす。 彼等鮮農窮 民は先年来 〓南地方 に水田適 地の存在する風評を耳 に し彼等 の中其 一名 は已 に昨年現地視察 の為其撰 に当り て来〓 し、〓
中華民国十二年 四月廿九日
〓 南県公 署
疋
挺
二十元
十 二元
に本社 に対す る彼等 の請願 を電報し、所見をも具 したるも最単本年
戸主
慶尚北道永川郡清鏡面魯洞
戸主
慶北栄陽郡石甫面抱山洞
慶 南居昌郡邑内局下里 戸主 慶南密陽郡梅田面遠香洞
金
錫
(四十六歳)
(三十三歳)
外妻子二名
(四十 一歳)
外 に家族等七名
祚
峰
成
前
允
雲
秋
敬
木
(三十二歳)
外 に家族等五名
金
洪
外に家族三名
(四十七歳)
外に妻子 二名
(三十 四歳)
外 に家族等 三名
朴
鄭
大
は水稲作付 の時機 を逸しあるを以 て只今後 の問題 は彼等 の生計 を如
因 に彼等 の身元 の概要を記すれば左 の如し
何 にすべきやに在 り。
原籍 朝鮮慶北清道郡外西面九佐洞
にし て、 又護 照 の如 き は 外 人旅 行 者 の支 那官 憲 に対 す る 一種 の
前居住地 奉天省桓仁県四道河子
の
附言 右告示 の内容 を見 るに本 県知事は全然日支条約 を解せざ るも 保護請求券 に等 しきものなるにも拘はらず 、恰 も之 を旅行券 の如
二十二元
拾
鐘
く解釈 しあるは大 なる誤解なりと考 ふ。
二十五元
四
戸主
戸主
慶北青道郡清水面明渓洞
〓
尚 ほ仄 かに聞く所 に依 れば本県知事 は省長 の内意 を受けて別 に数
十二元
〓
十五元
二十 一元
戸主
現住地 〓南県瓦房 (以下何 れも皆同 じ)
名 の鮮農 を招致し て水 田の試作 は着手 せんとし つつあ り、是等 の鮮 人は当市中 に於 て前記 の鮮人と邂逅し て如上 の事実 を語りたるに依 り、瓦房 に在る鮮 人は早速再び県公署 に至り彼等 の窮状を訴 ふる所 あり、之 が為前記掲 示のみは之 を撤去するに至 れり。
五 百斤
壱 枚 二十八元
彼等 が入〓後当所 に貸付を申込 みた る金品左 の如し。
拾 個
綿
三台 分
石
席 拾
十元
大 広 賃
十五車分
豆
葦 缸 挺
大
水 拾
木 草
塩
ス コツ プ
馬 車 金
百元也
三十五元
燃 料
計弐
現
合
当所としては上記鮮農 の救済 に関 し鄭家屯領事 館に急報す ると共
戸主
慶北永川郡北安面道川洞
上
春
和
応
徳
洛
慶北醴泉郡知宝面京津洞
同
全
鄭
雲
景
慶南晋州大坪面大坪里
鄭
雲
花
戸主
戸主
鄭
春
慶北栄陽郡石甫面抱山洞
戸主
宋
戸主
五、〓南地方 に於ける官営苗圃 の創設
(四十 二歳) 外 に妻 子二名
四 名
(三十二歳) 外
六 名
(四 十 歳 ) 外
五 名
(三十六歳 ) 外
(三 十 歳) 外 に妻 一名
輓 近〓南 に於 ては官営苗圃 を開設するに決定し其地点 は北門 外五 支里附 近に於 て当初 の地積五天地を撰び、先づ植樹栽培 を試みんと し つつあり。同苗圃は勧学所長孫鏡如を其主任とし崔少吾な るも の を技師 に任命 せり。崔技師 は元本渓湖煤鉄礦局在勤員 にして奉天農 尚ほ〓南 に於け る苗圃 の成績 に依 り〓安 、安広、鎮東 、開通、胆
林学校卒業生なり。 楡、突泉 六県 にも漸次試作 をなす の予定 にして其資金 は七県合弁な りと言 ふ。
三八
︹マ マ ︺
統 一の大 旆 を 擁 し 、勢 威 忽 ち長 江 を越 え て巨擘 遠 く福 建 、広 東 に伸
び 、次 て四 川 を併 せ遂 に 西南 の局 面 を縦断 し て中 原 の覇 業 将 ら ん と
す 。飜 て反 直 派 の情 を観 る に北 方 の雄 張 作霖 も戦 敗 の傷 痍 未 だ癒 へ
廷 、浙 江 の盧 永祥 等 あ り と雖 寧 ろ保 身 に汲 々とし 、 独 り段 派 の策 士
秘 関東軍参謀部
直 隷 派 の武 力 統 一策 と 支 那 の現 況
大正十二年 六月十八日 庶調情第二九八号 次
直隷派 の武力統 一策 と支那 の現況 目 建 省
等暗 中 飛 躍 を 試 む る も の あ るも 老獪 な る段 祺 瑞 未 だ出蘆 を肯 ぜず 、
ず 、 又南 方 孫 文 再度 の回粤 も未 だ 共 の威 令整 はず 、 其 の他桂 の陸 栄
二、福 東 省
一、北方東三省 方面 三、広
反直 派 の色 彩微 々と し て頗 る振 はざ るも のな り。
此 間 直 隷 派 の巨 頭 曹 〓 は最 高問 題 を提 て政 権 の壟 断 を謀 り、驍 将
西 省
呉佩 孚 徹 底 的 武力 統 一策 を固 持 し て反 直 派 を睥 睨 し、 其 の横 暴 活 躍
省
四、広 州 省
五、雲 南 六、貴
更 に甚 だし き も のあ り。 彼 の四 月 二十 九 日保 定 軍 事 会議 に於 て彼 が
五月 一日よ り 一ケ月 にし て両 広 を収 め西 南 の克 復 を 待 て直 に直 、魯 、
省
七、四 川 西 省
せ る が如 き 、如 何 に彼 等 が得意 の頂 上 に在 る やを 察 す る に足 る。真
豫 の大 軍 を 率 ゐ奉 天 を衝 かば 二十 日 にし て之 を屠 るを得 べ しと豪 語
八、江 省
ら んと す 。而 し て此 の難 局 を彼 等 が如何 に し て打 開 せ ん とす るや 、
匪 事 件 の突 発 は真 に直 隷 派 の 一大 打 撃 にし て列 国 の圧迫 干 渉 将 に到
に直 隷 派 の全 盛 時 代 と謂 ふべ し 。然 る に好 事 魔 多 く 五月 五 日臨 城 土
省 省
徽 江
九、湖 南 十、安 十 一、浙
奉直戦 に於 て奉軍 を 一蹴し之 を関外に駆逐 せる直隷派は茲 に武力
又反直派 が此好機 に乗じ如何 に局面 の転回を策す るや、支那 一流 の
百 方 自 己擁 護 の策 に腐 心 せ り。
共 に款 を 地方 に通 じ 、 且盧 永 祥 と 呼応 し て在 〓 孫伝 芳 の入 〓 に備 へ、
内 閣 の孫 伝 芳 を福 建 軍 務 督 理 に任 命 す るや 、孫 勇 躍 省境 を追 ひ、後
江 西 軍 務 督 理蔡 成 勲 と 一時反 目 の情 に在 り し も 、大 正 十 二年 三月張
援 〓 軍 の総 司 令 孫 伝 芳 は 入〓 後 徒 ら に〓 内 に止 り て動 かず 、 為 に
虚 々実 々の策 略は将 に刮目に値すべし。茲 に直隷派武力統 一策上よ り観 たる支那 の現況 を述ぶれば左 の如し。 直隷派 の武力統 一策 が先づ北守南進 の法を講 ぜんと奉張亦敗戦後
妥 協 し て王 は越 て 入〓 し、 四 月十 二 日福 州 を収 め て王 永泉 を追 ひ後
一、北方東 三省方面 の軍備充実 を計 り努 めて消極的政策 を把持 せる為 、北方東 三省方面
妥協 して王は孫 に服 す。
雖、尚地方王献臣 の自治軍、厦門 の臧致平軍或は南〓 の李烈鈞軍等
此 の如 くして福建は呉佩孚 を背 景とせる孫伝芳 の入〓を見たりと
地方 に移 る。
四月東 粤 に位置 せし李 烈鈞軍と妥協 して其 の位置を転換し漸 く東粤
平軍と の衝突を回避し、途を〓粤〓 辺境道 に採りて南〓 に迂 回し、
是 より先 二月初旬帰粤 を決行せし許崇智軍は泉州 に至り次で臧致
︹ 原 文 ノ マ マ︺
は 一時 奉直関係緊張し再戦説喧伝 せられしと雖概して流言蜚語 に終 り、最 近山海関 の聯歓 に依 り暫く小康を得 たるが如 く大勢昨年奉直 戦後と変化なし。 二、福 建 省
を宣言 し督軍 李厚基 を追 へり。因 て曹〓、呉佩孚 は直 に江西 の常徳
肱 たる許崇智と結び急拠福建 に浸 入して建 国軍政府 の名を以て独立
互 に割拠して反孫 の旗幟を飜 し群雄割拠 の状 を呈し其 の帰趨察し難
大正十 一年 十月段祺瑞 の智嚢 として知られたる徐樹錚は孫文 の股
盛 の毅軍 を福建 に派道 し、更 に湖北援〓軍を編成 し、長江游総 司令
きものあり。
るを認め、遂 に十二月二日夜福州を去 りて上海 に向ひ、建国軍政府
明 の策 を講じ つつありしも、爾後両者 の確執は遂 に爆発し八月五日
大正十 一年六月孫文 は帰粤後 北伐軍 を全部出〓 せしめ専 ら対陳烱
三、広 東 省
孫伝芳 を総司令とし、江西を経 て福建 に進 入し之 を回復 せしむ。
も自然 に消滅 せり。徐 の退〓後福建は旬 日を出ずして許崇智、王永
の施 す べ きな く 、 九 日広 東 を脱 出 し て香 港 に逃 れ次 で上海 に走 る。
両 雄 は粤 軍 の有 と な り 、許 崇智 軍 亦 敗 退 し 大勢 孫 文 に非 にし て又 策
徐樹 錚は 一旦福州 に入り独立を宣言せしも四囲 の情勢自己 に非 な
泉等未 だ全〓 の攻略 を終らざ るに既 に暗 闘を始め、王永泉 は浙江 の
民 国 九年 以来 苦 心 惨 怛築 き上 た る孫 文 の地 盤 も 一朝 にし て陳 烱 明 の
︹マ マ︺
盧永祥 と結 んで排許 を策し、外 には援〓軍省境 に迫り、内には王献 臣 上杭 に拠 り、臧致平厦門を根拠 として回〓を謀 り此くして全省 を
為 覆 滅 せ ら る る に至 れり 。
に至 り 、広 西 東 北 部 に割 拠 せし 沈鴻 英 軍 は俄 然陳 烱 明 に対 し敵 対 行
陳 復 活 後 の広 東 は 暫 く 小康 を得 つ つあ りし が大 正 十 一年 十 二月 末
挙 て混乱紛糾 の巷 と化 せり。然る に大正十 二年 一月末俄然広東 に政 以 て、王永泉独 り福州に在 りて実権を掌握 し、海 軍薩鎮泳と結ぶと
変 あるや許崇智は急拠帰粤 の必要 を感 じ全軍を提 て帰途 に就きしを
此 く し て陳 軍 は 四面 楚 歌 裡 に陥 り志 気 沮 喪 し 、遂 に広 東 を捨 て て 一
動 を開 始 し、〓 、桂 の聯 合 軍 及魏 邦 平 等 と 相 通 じ て広 東 省城 に迫 る。
こと 能 はず 、孫 派 の勢 力微 々とし て真 に省 城 内 に出 でざ る の情 に在
は皆 内 心陳 烱 明 に心 を寄 せ 、南 〓 の許崇 智 軍 は為 に省 城 に招致 す る
機 間 一髪 の裡 に在 りし も聯 軍 殊 に〓 軍 の策 戦 宜 し き を得 、逐次 沈 軍
り、 此 時 に当 り 四月 中 旬 沈鴻 英 は俄 然立 て攻 撃 を開始 し 、広東 の危
沈 鴻英 及 〓 桂 聯 軍 は広 東 領 有 以 来 一の統 一者 な く無 節 制 の状 態 に
の巨 手 に支 へら れ た る蔡 成 勲 の援 助 あ る を 以 て容 易 に楽 観 は許 さざ
を北 方 韻 関 方 面 に圧 迫 し つ つあり 、然 れ共 沈 鴻 英 の背 後 には 呉佩 孚
月 五 日恵 州 に退 き 茲 に再 び広東 の政変 を見 る に至 れ り。
在 りし が 一月 二十 六 日沈 は俄 に其 の態 度 を変 し、 先 づ魏 邦 平 を捕 縛
る も のあ り 。
し 、次 いで 民党 派 の駆 逐 圧 迫 を開 始 す 。之 が為 胡漢 民等 民 党系 の要 人 は僅 に身 を以 て逃 れ 、 此 の如 く し て苦 心陳 烱 明 を追 ひし 民 党 は再
之 を要 す る に現下 の広 東 政情 は北 方 の沈 鴻 英 軍 、広 東 の民 軍及 〓
紛 糾 の極 に在 り て将 来 呉 佩 孚 の援 助 に依 り沈 軍 の捲 土 重来 を 見 る や、
桂 の聯 軍 、海 豊 の陳 烱 明 軍 、東 粤 の許崇 智 軍 等 相 分離 割 拠 し て混乱
将 又孫 文 の威 望 に依 り て再 度 回粤 の偉業 を 見 る や否 や頗 る興 味 あ る
此 間 陳 烱 明 は海 豊 に在 り て再 挙 を謀 り 、汕 頭 の洪 兆麟 は李 烈 鈞 と
び政 学系 の沈 鴻 英 の為 追 は る る に至 れ り 。
相 通 じ て広東 回復 を企 図 し福 建 の許 崇 智 亦 回粤 を策 し 、広 東 の政 局
陳 烱 明 を 駆逐 せ し客 軍 就 中沈 軍 は爾 後 暴威 を振 ひ て 民党 系 を 圧迫
は益 々混 乱 を呈 す る に至 れ り。
桂 林 一帯 を風 靡 し 一大 勢 力 を張 り つつあ り し沈 鴻 英 軍 は〓 桂 聯 軍
四、広 西 省
省 民 の反 感 に会 し て其 の目 的 を達 し能 はざ る のみな らず 、 二月 上 句
と 相 結 び 、俄 然 其 の態度 を鮮 明 し て十 一年 末 対粤 行 動 を 開始 し、 一
問 題 な り。
遂 に魏 邦 平 を 釈放 し以 て白 雲山 を領 有 す る の外 、北 江 及西 江流 域 に
月 入 粤 す る や東 部 広 西 の客 軍 は 全 く其 の跡 を 絶 ち 、林 俊 延 の自 治 軍
し 、 一意 広 東 の実 権 を掌 握 せ し こと を努 め し も〓 民 軍 の反 対 及 広東
に期 し 二月 十 九 日 先 き に上 海 に走 り し孫 文 も 再 び凱 旋 将軍 の観 を 以
自 ら撤 退 す る の已 む なき に至 れ り。 此 に於 て広東 は再 び 民党 の掌 中
五 、雲 南 省
依 り統 一せ ら る る に至 るべ し。
次 自 治 軍系 を圧 迫 し つ つあ る を以 て将 来 広 西 は 再 び陸 栄 廷 の 一派 に
し稍 政 局 の安 定 を来 せ り 。然 れど も 三月 以 来 陸 栄 廷 一派 の声 威 は漸
は 刀 に衂 らず し て広 西全 土 を恢復 し 、陸 栄 廷 一派 と協 同 全省 を統 轄
一度 広 東 を退 き た る沈 鴻 英 は 表面 北京 政 府 任命 の広 東督 理 を辞 退
て大歓 迎 裡 に帰 粤 せ り。
し つ つ暗 に款 を 呉 佩孚 に通 じ、 白雲 山 の要 地 と 兵 工廠 を占 領 し て常 に孫 派 を脅 威 し、 孫 派 は漸 く 朱 培徳 の〓 軍 、 劉 雲寰 の粤 軍 に支 へら
へ、 以 て回〓 の理由 を作 る に腐 心 し或 は省 内 外 の〓 軍 の買 収 に努 む
専 心 回〓 の策 を 廻 し或 は省 長 の土 匪 を煽 動 し て顧 の施 政 に妨害 を加
︹マ マ︺
大 正 十年 二月 顧 品 珍 の為 一敗 地 に塗 れ た る唐 継 堯 は香 港 亡命 以 来
他 方 潮山 地 方 に在 ては 旧援 〓 軍 を 指揮 せ る李 烈鈞 軍 も真 の部 下 は
れ僅 か に小康 を持 し つ つ四月 に入 れ り 。
〓 軍 頼 世〓 の混 成 一旅 のみ にし て微 力 用 ゆ る に足 らず 、又 他 の粤軍
る等 、其 の機 の熟 す るを 待 ち つ つあ りし が会 々孫 文 の北伐 軍 桂 林 附
貴 州 に進 入 し劉 の点 軍 と聯 合 し て袁 軍 を撃 破 し 、 三月 十 一日遂 に貴
らずとなし在〓劉顕 世を援助 して貴州政略を企図す。〓軍は二月末 ︹マ マ︺
近 に集 中 す る や、唐 は之 に参 加 す る と称 し 、十 年末 途 を梧 州 に採 り
は再 び雲 貴 両省 の実 権 を掌 握 せり 。 而 し て将 来 彼 が長 江 沿 岸 に出 動
を策 す るや 、或 は西 広 方 面 に伸 手 す るや将 又雲 貴 を 以 て満 足 す る や
陽 を政 略 し 四月 劉 顕 世 入 て省 長 の職 に就 く。 此 く の如 く し て唐 継 堯
特 に注 目 に価 す 。最 近 孫唐 両 氏 の連 絡 成 るを伝 ふ。唐 継 堯 の将来 果
次 で柳 州 に転 じ、 民党 一派 の反 対 を排 し て十 一年 二月 遂 に雲南 に前
三 月 十 一日文 山 を 、 十 三 日蒙 自 を 、 十 四 日阿迷 を占 領 し次 で二 十 二
し て如 何 。
進 を 開始 し 、 二十 五 日雲 南 省 境 な る広 南 を 占領 し茲 に兵 力 を集 中 し、
日宜 良 を収 め て怨 敵 顧 品珍 を朴 し 、 二十 五 日官 民 の盛 大 な る歓 迎裡
軍 ( 長 、楊 森 ) は 重慶 を中 心 と し 、 互 に対 立 暗闘 を継続 し其 の間 一
劉 成勲 ) の川 北 辺防 軍 は成 都 を中 心 と し、 劉 湘 ( 総 司令 )派 の第 二
四川 省 は大 正 十年 以来 熊 克 武 の第 一軍 ( 長 、但 懋 辛 )第 三軍 ( 長、
七、四 川 省
に 一年 目 に雲 南城 に入 り茲 に全 く 回 〓 の目 的 を達 成 せ り。 唐 継 堯 は 回〓 後 直 に両広 統 一及 顧 品 珍 の残 党 剿滅 のた め広 西 出 動
派 と策 応 し 唐 継 堯 を司 令 と し進 発 を準 備 せ し が 一月末 広 東 の政 変 生
を策 せし も 四 囲 の情 勢 之 を許 さざ りし が 、大 正 十 二年 一月 陸 栄 廷 一
ず る に乗 じ 西 広統 一の機 到 れ り と なし 更 に胡 若 愚 を総 指 揮 官 とし て
骨 と な り 、遂 に熊 派 は劉 総 司 令 の各 軍 に対 す る駐 防 地 の配 当頗 る偏
張 一弛 あ り し が、 十 一年 三月 但 軍綏 定 よ り順 慶 に移 りし 以来 益 々露
然 る に其 後 広 西 の政 局 安 定 し陸 栄 廷 の勢 力恢 復 の曙 光 を認 め た る
らざ る為 衝突 を怖 れ、 劉 湘 は 一意 内 争 の危 機 を 外 征 に依 り て脱 せ ん
第 二軍 系 に於 ては 兵 力 に於 て遜 色 あ る のみな らず 、軍 の配 置良 好 な
出 動 す る に決 せ り。
と広 東 政 局 意 外 に速 に民 党 の手 に帰 し た るを以 て唐 氏 は 茲 に省 外 出 ︹ 袁︺ 兵 を中 止 せ しも 時 恰 も貴 州 祖 銘 駆逐 の好 機 な り し を以 て劉顕 世 を援
く 五月 遂 に其 の職 を辞 す る に至 れ り。
と画 策 大 に努 む る所 あ り し も 、奉 天 軍 の失 敗 によ り策 の施 す べ き な
頗 な るを摘 発 し、 苛 酷 な る要 求 を提 出 し密 に重慶 攻撃 を計 画 せ し が、
助 の為 兵 を転 用 し 、 三月 完 全 に回〓 の偉 業 を建 て 、茲 に漸 く雲 南 の
六、貴 州 省
政 局安 定 す る に至 れ り。
為 に唐 は此 の不 信 の行為 に 対 し憤 慨措 く能 はざ る も のあ りし も 、時
十 二年 一月 袁 は唐 の命 な り と称 し 胡旅 の武 装 を解 除 し之 を押 収 せ り 。
の願 を唐 継 堯 に致 し 、唐 は貴 州 省 長袁 祖 銘 に之 が 通過 を依 頼 せし に 、
対 し行 動 を開 始 せ る を以 て直 に兵 力 を重 慶 方面 に転 用 し 、重 慶 西 方
滅 す 。然 る に在成 都 の四川 聯 合軍 は劉 世 勲 を総 司 令 と し て第 二軍 に
は第 二軍 を指 揮 し先 づ第 一軍 を綏 定 附 近 に於 て攻 撃 し 、殆 ど之 を 殲
る 。依 て呉 佩孚 は武 力 統 一策 の第 一歩 と し て楊 森 軍 を援 助 す 。楊 森
此 に於 て両者 の暗 闘 益 々甚 だ し く 七月 両 派遂 に干 戈 を交 ふる に至
恰 も 両広 活 動 準 備 中 な り し を以 て袁 と事 を構 ふる を欲 せざ り し が 、
に於 て激 戦 を交 へし も楊 森 軍 戦利 あ らず 、僅 に鄧 錫 侯 と 一時 的 休 戦
孫 文 の北 伐 軍 失 敗 後在 桂 〓 軍 朱 培徳 の部 下胡 国秀 は十 一年 秋 帰〓
政 情 の変 遷 に伴 ひ西 広出 動 を中 止 す る に至 り し を 以 て好 機 逸 す べ か
広 東 北伐 軍 の 入〓 に際 し督 軍 陳 光 遠無 能 にし て防 備 の任 を 全 う し
八 、江 西 省
に当 り先 に敗戦 せ し第 一軍 の主 力 は万 県 方面 に進 出 し て楊森 軍 の退
む。 而 し て蔡 は 入〓 後 省 民 の反 対 を蒙 り し も種 々術策 を弄 し自 己勢
能 はざ るを 以 て北 京 政 府 は 六月 之 を罷免 し蔡 成 勲 を し て之 に代 ら し
を約 し万 県 に後 退 し、 湖 北 の援 軍 を得 て再挙 を謀 ら んと す 。此 の時
路 を遮 断 し た る為 め楊 森 軍 は 四分 五裂 惨 怛 た る光 景 を以 て戦 乱 の局
大 正十 一年 末援 〓総 司 令 と し て孫 伝 芳 の入〓 以 来 両者 の間 頗 る緊
力 の扶 殖 に腐 心 せ り。
を結 び、 八 月楊 森 は僅 に身 を 以 て宜 昌 に逃 る 。 四川 の戦 乱終 局 を告 ぐ る も総 司 令 劉 成 勲微 力 にし て群 雄 を統 禦 す る に足 らず 。爾 後 第 一
静 にし て益 々直 隷 派 の後 援 を持 し自 派 勢 力 の増 殖 に努 め つ つあ り。
張 し 不安 の情 切 な る も のあり し も 、三 月 中 旬孫 の入 〓 以来 極 め て安
軍 系 の但 懋 辛 派 と 第 三軍 系 の鄧 錫 侯派 と互 に暗 闘 を開 始 し 、 再 び 四
棟 の職 を免 ず る や、 茲 に川 内 勢 力 の均衡 を覆 し再 び全 川 の戦 乱 を 勃
川 の政 局 上 に 一暗 響 を生 ぜし が、 十 二年 一月 劉 成勲 の第 七師 長 陳 国
曖 昧 な る態 度 を持 し つ つあ り し が孫 文 の失 脚 後 は 巧 に呉 佩孚 に通 じ
湖 南総 司 令 趙 恒惕 は孫 文 の北 伐 軍 入〓 当 時 は 其 の勢 威 に屈 し頗 る
九、湖 南 省
十 一年 八 月楊 森 の失 敗 に因 り征 川 の目 的 を果 さず 虎 視耽 々機 の至
発 す る に至 れり 。
る を伺 ひ し 呉佩 孚 は、 十 二年 二月 征 川 軍 の編 成 を行 ひ 一挙 四川 の攻
自 治 の名 に隠 れ て呉 の頤 使 に甘 じ つ つあ り。
七 日督 軍 を免 じ馬 聯 甲 を安 徽軍 務 事 宜 に任命 せり 。
徽 督 軍 張 文 生 は徐 に通 じ たる の故 を以 て呉佩 孚 は直 に政 府 に強要 し
大 正 十 一年 十 月 徐 樹 錚 の福建 に進 入 し建 国 軍 政 府 を樹 立 す る や安
一〇 、安 徽 省
略 を企 図 せ り 。即 ち湖 北 援 川軍 総 司 令 王 汝勤 、副 司 令 楊森 等 を し て 鄙 西 よ り 援 川 陝 西軍 総 司 令 呉新 田、 反 甘 軍 を し て北 方 より 袁 祖銘 軍 を し て南 方 よ り貴 州 、 湖 北 、陜 西 、 甘 粛 の四路 合 撃 を策 す 。 湖 北 援 川 軍 の先 登 楊 森 は呉佩 孚 の督 促 に依 り 、 二月 中 旬 其 の行 動 を開 始 し て入 川 し 二月 末 万県 を収 め 、 三月 二 十 二 日次 で梁 山 を占 領
浙 江 の盧 永 祥 は段 系 唯 一の中 心勢 力 にし て孫 派 及 奉 天 と通 じ将来
十 一、浙 江 省
是 れ より 先 川 軍鄧 錫 侯 は陳 師長 の免 職 に憤 り 反劉 成 勲 軍 を 起 し鋭
の政 局 を支 配 せ ん とす る反 直 隷 派 の有 力 者 な る も、 最 近 呉佩 孚 の圧
し更 に但 懋 辛 軍 を撃 破 し て四 月 六 日重 慶 を 陥 れ其 の勢 破 竹 の如 し 。
意 北進 成 都 に迫 り し も遂 に聯 合 軍 の為 め東 北 方 に撃 退 せら れ 一時 和
を講 じ つ つあ り と言 ふ。然 れ ど も今 や盧 永 祥 、 直隷 派 の斉燮 元 、馬
れん とす る の傾 向 にあ る を以 て、盧 は目 下 恐惶 を来 し頻 り に 対直 策
聯 甲 、蔡 成勲 及 孫 伝 芳 等 の包 囲 の裡 に在 る を以 て彼 れ将 来 の運 命開
迫 漸 次強 大 と な り て其 の地位 頗 る危 く動 も す れ ば何 豊 林 の為 に奪 は
三 日遂 に之 を攻 略 し 、劉 成 勲 逃 亡 し 茲 に四川 の乱 局 を結 び 、爾 後 直
を乞 ふ の窮 境 に陥 り し も、 時 恰 も援 西 軍 の先 頭 劉存 厚 軍 の援 助 に会
隷 派 軍閥 を背 景 とす る王汝 勤 、楊 森 、 劉存 厚 の政 客 将 士 によ り支 配
拓 蓋 し 至難 な る も のあ ら ん乎 。
し 捲 土重 来 頻 り に聯合 軍 を撃 破 し 勝 に乗 じ て長 駆 成都 に迫 り、 四 月
せら る る に至 れ り。
三九
秘 奉天公所長
第 一、支 那 直 隷 派 の内 脈
て は天 津 派 は 依然 非 常 手 段 を主 張 し 、洛 陽 派 は正 式 選挙 を標 榜 し 、
一、曹 〓 推 戴 運動 は直 隷 派 一致 の主 義 な り と雖 、 其 方法 手 段 に至 り
奉 天 よ り 観 た る 支 那 の乱 局
大正十二年九月二十 日 第 七十 一号 奉天 より観 たる支那 の乱局 (奉天特務機関報)
致 の歩 調 をと る事 能 はず 、 殊 に最 近 呉佩 孚 が王 承 斌 一派 の対奉 妥 協
保 定 派 は中 立 態度 を保 持 し 、 更 に馮 玉祥 一派 の攪 乱 策 あ り て遂 に 一
行動 に対す る感情 上行 違 あり て現 下 呉、 王 両者 の反 感 著 し く、 為 に
次
第 一、支那直隸派 の内脈
曹総 統 選 挙 問 題 は停 頓 状 態 にあ る も 、 辺守靖 、呉 景 濂 等 の躍起 運 動
論
目
第二、段派 の企図
あ るを 以 て同 派 一般 の観 察 は局 面 転換 の時 期 も 近 から んと多 少 の望
緒
第三、孫文 の作戦
を 嘱 し つ つあ る状 況 にあ る が如 し 。
如 し。 然 り と 雖呉 は依然 武 力主 義 を放 棄 せず 人 材 少 き呉 は最 近 人材
る ため 、 呉 は 目下 進 退 両難 の情 況 に陥 り 大 に悲 憤 慷慨 し居 るも の の
あ るも の の如 く、 殊 に呉 の武 力 統 一に多少 不 平 な る保 定 派 の脅 威 あ
は 目 下 援 湘軍 の組 織 及其 司令 官 の人 選 竝 に経 費 問 題 に付 大 に煩 悶 し
湖 南 趙 恒惕 の失 脚 す る等 概 し て呉 佩 孚 の希 望 を裏 切 り た る為 め 、呉
二、 直 隷派 の対 西 南 武力 統 一策 は 四 川楊 森 の戦 況有 利 な ら ざ る と、
第四、雲南唐継堯 の企 図 論 言
第五、奉天派 の態度 結 緒
来 さんとする傾向 を示し、我実業界 に於ても相当憂慮 する者漸次増
登 用 に努 力 す る と共 に隠 然 直隷 派 の大 同 団結 を企 画 し 、頻 り に対 奉
最 近奉直再戦説擡頭し、茲 に人心動揺して市場動もすれば変調を
たる諸報 を綜合 し、渾沌 たる支那時局 の概況 を窺はんとす。
加 し つつあるを以 て、奉天 に於 て日支両方面就中支那側 より知 り得
ものの如きも、彼 の言を信 じて攻勢作戦 を絶叫するも のは最早第三
威嚇を試み、朝夕軍隊訓練 の間 に於 て大に志気 の振作 に努力 し居 る
作戦を鼓吹して人心を繋 ぐと共 に盛んに新兵器採用説 を唱 へて奉天
る の機 会 を窺 ひ あり と 雖 も 、経 済 力 と兵 力 な き為 め未 だ旗 揚 の時 期
心 と し て盧 永 祥 と の連 衡 を策 し、 以 て老 段 を推 戴 し て天 下 に号 令 す
心 と し 老段 周 囲 の策 士 を し て直 接天 津 派 牽制 に力 め、 南 は 上海 を中
盤 拡大 に努 力 せし め つ つあり 。要 す る に段派 の策 略 は 北 は天 津 を 中
に達 せ ざ る が如 し。
師及洛陽駐屯部隊 の 一部 に過 ぎずし て、其他 の直隷軍は寧 ろ奉軍 の 新兵器採用宣伝 に驚愕し、数次 の軍事会議 に於け る団隊長多数 の意
孫 派 作 戦 の光 明 は譚 延 〓 長 沙 に進 入 し て 、孫 文 は 此 を以 て民 党 の
第 三 、孫 文 の作戦
三、直隷派 の対浙 江策 は江、浙和平妥協 に依 りて 一頓挫を来し、孫
成 功 と 認 め 此機 を利 用 し て東 は陳 烱 明 と妥 協 し て背後 の安 全 を 図 り 、
見 は厳防 にし て意気頗 る衰 へたるに似たり。
更 に石 井 兵 工 廠 を督 励 し て兵 器弾 薬 の充実 を企 図 し 、 以 て広 東 軍 の
主 力 を湖 南 に、 一部 を江 西 に進 め東 方 福建 よ りす る段 派 の応 援 並 に
伝芳 の福建帰還は勿論 、安徽江蘇聯合軍 の浙 江進撃 を始めとし直隷 然 れども黎元洪 の上海落は再び直隷派 の対南策 に 一段 の緊張味 を
に全 力 を傾倒 し てあ るが如 し。
西 方雲 南 軍 の東 進 と相 協 力 し て茲 に江 南 の統 一を夢 み、鋭 意 其 実 現
軍 の対南進出 は全部沙汰已 みの姿 となれり。
一歩 として奉天威嚇 の必要 上奉直再戦説 の宣伝を演ず るに至 れり。
る為 、 現 下段 派 策 士 大 に仲 介 の労 を と り 、西 省 の和 親 に努 力 し居 る
然 り と雖 陳 烱 明 必ず し も孫 文 の要 求 を容 る るや否 や目 下未 知 数 な
添 へ、廬永祥討伐 の声 は再 び直隷 派内 の 一角 に擡頭 し、其実行 の第 斯 の如くして直隷派は内部 の結束鞏固 ならざ るに腹背敵 を受け進 退 両難 の苦境 に陥 れり。
も其 実 現 予測 し難 く 、 雲南 軍 又共 同 の敵 直 隷 派推 倒 には 其 主 義 を同
も見 え ざ る を 以 て、 孫 派 の企 図 は孫 文 の声 明 す るが如 く 長 江 以 北 に
う す と 雖 、利 害 関 係 の 一致 せざ る所 あ る を以 て最 後 迄 信 頼 し 得 べ く
第 二、段派 の企図 段派現在 の企図 は、其中堅勢力 たる浙 江盧永祥を支持 し之 を根拠
進 出 す るは 恐 ら く不 可 能 な る が如 く観 測 せ ら る。
とし且之を後援 として、上海 仮政府建設を可能 ならしめ黎派 を直派 の矢面 に立 たしめ、此間老段 蹶起 の機会を捕捉 せんと企 図しあるが
しめて江西 に対す る李烈鈞 一派の攻勢を容易 ならしめ以 て南北両方
の勢力 を誇張 して奉直再戦を咆吼 し、他面福建王、臧妥協 を成立 せ
真疑 判 明 せざ るも 若 し事 実 なら ん か 、支 那 西 南 の豊 庫 四 川 の盆 地 は
を挽 回 し て楊 森 の重慶 撤 退 説 を見 る に至 れり 、確 報 に接 せざ る為 め
弟 唐 継 虞 を 前 敵 総司 令 と し て四川 進 入を断 行 し、 為 に四川 軍 は敗 勢
雲 貴 両 省 を 勢 力下 に収 め た る唐 継 堯 は 、今 や其 野 心 を満 す 為 め 実
第 四 、雲 南 唐 継 堯 の企 図
軍資 金 及 軍 需 品 の欠 乏 せ る現況 に於 て殊 に然 り。
面 より直隷 派を脅威 し、此間徐樹錚 をして江蘇、安徽方面より直隷
之 が為 一面奉天張作霖と の往復 を頻繁 にし之 との連絡を計り、張
如 し。
派内部 の分裂を画 せしむ ると共に、呉光新 一味 をして浙江方面 の地
北 満 に対 す る労農 政府 の企 図 に留 意 し、 殊 に カラ ハ ンの北京 政 府 と
束 し て軍 事 行 動 を な し得 べし と観 測 せら る。 然 り と雖 も張作 霖 は又
工業 は漸 次 進 歩 し つ つあ るを 以 て 、張 作 霖 にし て断 然 立 てば相 当 結
ら し め得 る や否 頗 る疑 な き能 は ず 、呉 佩 孚 の 四川統 一の意 図 全 然放
の交 渉 、直 隷 派 と の握 手 を憂慮 し 相当 の処 置 を講 じ居 るも 、老 獪 な
禍 あ り し に似 合 はず 省 財 政 は依 然 豊 富 な る為 め 、奉 天 に於 け る軍事
棄 せら れず 四川貴 州両 省 内 に於 け る反 唐 派 現 存 す る現 在 及 将 来 に於
る カ ラ ハ ンの態度 豹 変 す るな き を保 し 難 き を 以 て、 流 石 の作 霖 も当
唐 の援 助 に より て 四川 人 の四 川 と化 し たり と 雖 も、 四 川 軍 果 し て雲
て雲 南 軍 の前 途 は必ず し も楽 観 を許 さざ る も のあ り 、 況 ん や雲 南 軍
南 軍 の功 を認 め て将 来 同 軍 に好 意 を表 し雲 南 軍 の湖 南 進 入 を 容 易 な
の軍 資 金 及兵 器 弾 薬 の欠乏 は作 戦 を持 久 す る の能 力 な き に於 てを や 。
論
分満 を持 し て動 か ざ る も のと推 断 せ ら る。
に し て、協 同 作 戦 を期 待 す る事 能 はず 、何 づ れ も権 謀 策 を弄 し自 ら
ず 、反 直 隷 派 亦 互 に利 害 相 一致 せ ざ る為 め円満 な る策 応 著 し く困 難
派 分 裂 愈 著 大 と な り 、為 に統 一軍 を動 か さん とす るも 意 の如 く なら
事 件 善 後 処 置 に列 国干 渉 を誘致 し 、西 南 武 力統 一蹉 跌 し て直 隷 系 政
支 那 の現 状 は直 隷 派 は大 総統 推 戴 運 動 に内訌 を生 じ て以来 、臨 城
結
自 己 の弱 点 を看 破 せる唐 は之 が救 済 策 と し て款 を広 西 に通 じ、 使 を 広 東 孫文 の許 に派遣 し 、協 同 直 派 に当 ら ん事 を議 し 現 下互 に諒 解 し あ るが 如 き も、 其 持続 性 は堅 固 なら ざ る に似 た りと伝 へら る るを 以 て 、江 南 の統 一は得 て望 む べ か らず 。
関 内 の形 勢逐 次 悪 化 し 、直 隷 派 の内 訌愈 顕 著 とな り 、段 、 孫 の擡
第 五 、 奉 天 派 の態 度
頭 に有 利 な る形 勢 を 馴 致 せ る を看 破 せ る 張作 霖 は老段 の蹶 起 も遠 か
く 直隷 派 討 伐 義 軍 の統 一的 出 動 を 見 る事 な か るべ く 、従 て奉 直 再戦
らざ る も のと判 断 し 一戦 免 が る べ からず と焦 慮 し、 日 夜軍 隊 の練 成 、 損 す る事 な く他 を 傷 け て最 後 の勝 利 を得 んと企 図 し あ るを 以 て 、近
る の不利 あ り。 故 に直隷 派 亦 当 分 現状 を支 持 し 外 力 の援 助 を 利 用 し
は 近 く実 現 の可 能 性 な き に似 た り 。 さ りと て直 隷 派 亦 此 機 に乗 じ て
自 派 の結 束 成 る を待 ち て総統 選 挙 を敢 行 す る か、 若 く は 当分 摂 政 々
軍 備 充 実 を督励 し 、或 は呉督 軍 を統 監 と し騎 兵演 習 を 実施 せ しめ ん
然 り と雖 陸 軍整 理処 を初 め と し保 安 総 司令 部 は平 和 の気 分漲 り惰
治 の名 によ り て無 政 府 状態 を持 続 す る の外 な き が如 き も 、黎 元洪 一
無 理 に曹 〓 推 戴 を 断 行 せ ん か支 那 全体 の与 望 を失 ひ反 直 隷 派 の気 勢
気 満 々 の状 にし て、 さ き に検 閲 又 巡視 を励 行 せ し時 代 に比 し 士気 旺
派 の上 海 仮 政府 建 設 は端 な く も直 隷 派 の中央 政 府 建 設 の意 志 を鞏固
と し 、或 各 隊 の対抗 演 習 及 仮設 敵 演 習 を 行 は し め んと す る等 大 に部
盛 な らざ る の感 あ り 、尤 も奉 軍 の中 堅 と称 せら る る第 二、 第 六旅 は
な ら しめ た る傾 向 を馴 致 せる が如 きを 以 て、直 隷 派 は 万難 を排 し て
を 益 向上 せ しむ る に過 ぎざ る は勿 論 、却 て反 直 派 の結 束 を固 め しむ
暁 暮 の候熱 心 に教 練 を実 施 し、 京 奉 沿線 の駐 屯 部隊 亦 昨 春 奉 直戦 の
曹 〓 推 戴 に格段 の努 力 を 払 ふ べく 然 る時 は不 時 の事変 を突 発 す る動
下 を鞭 韃 し、 又 兵 工廠 の如 き自 ら其 作 業 の進 捗 を視 察 し て職 工 の能
失 敗 に鑑 み戦 前 に比 し梢 熱 心 に訓練 を実 施 し 、又東 三省 巨 頭 の融 和
率 向上 を図 る等 今 や内 心 大 に得意 の状 況 に在 り 。
も 比 較 的 良好 な る に加 へて、 王 永 江 の内 政 逐 次 革新 向 上し 水 災 の惨
機 を形 成 す る事 なき を 保 し難 き も のと 観 測 せら る。
四〇
次
露紙ザ リヤ某記者述
本 篇 は 曾 つて当 公 所 の為 ﹁東 支 鉄 道 の政 治 的 地位 ﹂ を起 草 し て呉
は到 底 相容 れ ぬ ⋮⋮ 結 局 、露 西 亜 は資 本主 義 的 民 主 々義 の政 体 に落
明 に叙 述 し ﹁ 共 産 主 義 は露 国 農 民 に固 着 し居 る純 ブ ルジ ヨア観 念 と
産 主 義 の政策 よ り、 今 日 の新 経 済 政 策 に遷 移 し来 れ る経 路 を最 も平
点 であ つた 。記 者 は、 労農 革 命 政 権 の樹立 当 時 に於 け る純 理論 的 共
主 と し て謎 の露 国 の未 来 を如 何 に観 察 す る か が当 方 の知 ら んとす る
れた ザ リヤ の記 者 某氏 に嘱 し 、改 め て執筆 し て貰 つたも の であ る。
露 国 の将 来 と 極 東 貿 易
古沢幸吉
露国 の将 来と極東貿易
大正十二年 四月十六日 哈爾賓事務所長
目 序 言
着 く より 他 に途 があ るま い﹂ と断 定 し て居 る。 こ の所 論 は果 し て 正
緒
第 一編 露 国 の将 来 一、露 国 に於 ける共産主義 の歴史は即ち其 の発達史である
鵠 を得 て居 る か何 う かは 固 よ り吾 人 の妄断 を許 さ ん が 、兎 に角筆 者
が努 め て批評 家 的 態 度 を持 し 、客 観 的 に問 題 を取 扱 ひ つ つあ る こと
二、露国 に於 ける事実上 の土地所有者たる農民と政府 と の最
は、 大 体 に於 て所 論 の公平 を失 は な か つた所 以 であ る。 末 段 の極 東
初 の衝突
古 沢 幸 吉
貿 易 観 は 理論 に偏 し て実 際 に稍 々疎 き 感 がす る。
露 国 の将 来 言
現 下 の労農 露 国 は既 に 一九 一八年 乃 至 一九 一九年 の露 西 亜 に非 ず 。
緒
第 一編
三、政府最 初 の譲歩即ち経済的後 退
極東貿易 の前途
四、労農政権 の進化 は余儀 ないこと である 結 論 第 二編 序
千 九百 十 七 年末 、過 激 派 (又 は彼 等 の自 称 す る共 産 党 ) の 一派 が
能 性 を帯 び て来 た。 将 来 は如 何 、改 善 の度 が益 々加 は る であ らう 。
の露 国 は如 何 、総 ては 復 興 の機 運 にあ り、 生 活 も困 難 では あ る が可
一九 一八年 の露 国 は 如何 、 恐怖 と 破壊 と 死 と に満 ち て居 た 。現 今
さ へ認 め ら る る事 であ る 。
大 な 国 の主 権 を掌 握 し て立 てる 人 々の こと は世 界 周知 の こと で あ る。
此 の改 善復 興 は同 一の共産 政 府 の下 に在 り て完 う せ ら れ、 又 は完 う
露 国 政権 を掌 握 す る に至 り、破 壊 と放 肆 と が猛 威 を振 へる時 代 に厖
ツ ク、ブ ハーリ ン、 リ トヴ イ ー ノ ブ、 ヨツ フ エ、 チ チ エリ ン、其 の
せら る る であ らう か。 然 り 、同 一政 府委 員 の下 にす ら完 う せ ら れ な
是 れ 即 レー ニン、 ト ロツ キ ー、 カ ー メネ フ、 ジ ノ ーヴ イ エフ、 ラデ
他 の輩 で あ る。 そ れ か ら今 ま で既 に五 年 余 り も 経過 し た。 此 の五年
け れば な ら ん 。
必要 に応 じ 、彼 等 は自 己 の目 的 を棄 て得 ると 共 に、臨 機 応 変 、各 の
問 題 は簡 単 であ る。 即 ち 共産 党 は頗 る融 通 の利 く特 性 があ る か ら
は 実 に苦 痛 の時 代 であ つた。然 る に今 尚 露 国 支 配者 と し て立 てる は、
情 況 に対 応 す る こと が出来 る のであ る。茲 に彼 等 の威 力 があ り 、 又
依 然 彼 ら の共 産 党 であ る。 露 国 は依 然 と し て社 会 主義 ソヴ エート共
エカ ー﹂ ( 特 別 高 等委 員 会 で国 事高 等 探 偵 局 即 ち ゴ スポ リ ト オ ク ラ
和 国 と名 づけ ら れ彼 の赤 旗 、 五角 星 、彼 の標 語 、彼 の恐 るべ き ﹁チ
労 農 政 権 は 常 に国 民 の間 に自 己 を擁護 す る支 柱 と社 会 的 根拠 と を
是 に依 り て長 い間 政 権 を掌 握 し得 る理由 を説 明 し得 ら る る の であ る。
持 て居 る、 又 さう なけ れ ば な らむ 。 な ん とな れ ば露 国 の共 産 党 に、
ナ の前 身 ) は 依 然 と し て存 在 を続 け て居 る の であ る。 一体 、 現在 の
う にも思 は れ る。而 し て幾 百 万 の露 国 移 住 民 が 全 世界 に露 国 の内 情
る か ら であ る。 レー ニンは 第 十 一回 共産 党 大 会 の席 上 で ﹁国 民 の各
若 し国 民側 より の後 援 がな け れ ば立 ち所 に撲 滅 せら る る程 少 数 であ
露 西 亜 は 一九 一八 年 乃至 一九 一九年 の頃 と少 し も変 つて居 ら な いや
を 宣 伝 し つ つあ り 。而 し て彼 等 の多 く は 外 国 に於 て 、 今尚 貧 窮 な生
を正 当 に発 表 し さ ヘす れば 国 家 を支 配 す る こと が出 来 る﹂ と述 べ た
階 級 に対 す る吾 人 は大 海 の 一滴 に等 し く 、吾 人 は 国 民 の認 識 す る処
活 を続 け 、苦 痛 と 不 潔 な筋 肉 労働 に堪 え 、 飢 え と寒 さ に甘 ん じ 、外
の想 ふ て居 る こと は果 し て正常 であら う か 、或 は 又 、実 際 、 五箇 年
第 一、露 国 に於 け る共 産 主義 の歴 史 は 即 ち其 の発
要 し な い程 明 ら か で あ る。
が 、之 れは レ ー ニ ンの率 直 と 淡白 と を証 す る も の で此 以上 の説 明 を
国 人 の仁 愛 にす が り 、故 国 に帰 る こと を 恐 れ て居 る が 、此 等 移住 民
間 露 国 の内 情 に変 化 が な か つた で あら う か。 外 国 に て読 ま るる労 農 露 国 の新 聞紙 又 は 書 信 或 は露 国 より来 れ る 人 の談 に拠 つて露 国 現下 の状 況 を詳 細 に解 剖 研 究 し て見 ると 、遺 憾
達 史 であ る
最 後 の理想 た る社 会 主 義 国 家 の建 設 を急速 に実 施 し 得 る も のと 信 じ
共 産 党 は 社 会 民主 党 で マルク ス論 者 で あ る が、 過 激派 は マルク ス
今 露 国 に於 け る共 産 党 政 権 の歴 史 を少 し研 究 し て見 よう 。
に比 す れば 余 程 好 況 に到 達 した ので あ る。 最 も 注意 す べ き 一事 は露
露 国 は未 だ甚 だ 苦境 に在 るが 、 恐 る べき 過 激 主義 の発 生 し た 当年
にし て右 の質 問 に対 し否 と答 へる よ り外 は な い ので あ る。
国 の国情 が 、将 来 益 々急 速 度 で改 善 せ ら るべ し と 云 ふ暁 光 、 否確 信
あ る が其 の道 程 は長 い。 要 す る に最 初 、 現今 で は各 国 通有 の資 本 主
て居 た の であ る。 マル ク スは国 家 の経 済 的進 化 の計 画 を作 し た の で
折 る か或 は頭 を砕 く よ り 外 は な いの であ る。
社 会 主 義 国家 に到 達 せ ん と試 み た の であ る から 、其 の結 果 は両 足 を
辿 ら ず 、 又岩 壁 を迂 廻 す る の順 序 を択 ばず し て、資 本 主 義 国家 より
過 激 派 は長 い間 前 額 を 以 て岩 壁 を打砕 か んと し た のであ る け れど
義 が あ る。資 本 主 義 は漸 次 発達 向上 し 、 益深 刻 とな り 、国 家 の各 工 場 を シ ンヂケ ー ト化 又 はト ラ スト化 せし め 、遂 に向 上 は頂 点 迄 達 す
過 去 の苦 き経 験 に依 り て、彼 等 は社 会 主義 の理 想 に到 達 す る の途
も 、前 額 に幾 多 の腫 瘤 を 造 り に造 り、始 め て此 の如 き考 慮 を棄 てな
は 、岩 壁 を 迂 廻す る の外 な き を信 じ、頭 を砕 き 突 進 す る の手 段 を棄
け れば な ら ぬ こと に気附 いた のであ る 。
す る。 此 の両期 の間 に労 働 階級 は漸 次 発 達 し て組 織 的 と な り 、其 の
る に到 る。 個 人 ト ラ ス ト及 シ ンヂ ケ ート 制度 の後 は 国家 資 本 主 義 と
頭 角 を上 げ 、遂 に政 権 を自 己 の掌 中 に掌 握 す る に至 る。斯 く て諸 企
て 、迂 廻 せ ん と し た の であ る。 其 処 で露 国 に於 け る共 産 党 の歴 史 に
な る。 然 し て国 家 は国 家 経済 に干 渉 し、 先 づ個 人 の大 事 業 を国 有 と
業 は労 働 者 の支 配 に属 す る ので あ る が、 是 れ 即 ち、 プ ロレタ リ ア の
や は別 問 題 と し 、若 し 果 し て実 現 し 得 べ き も のと す れ ば 、 そ れ に到
現 代 に於 て直 ち に如 斯 国家 制 度 が実 現 し得 ら る可 き も のな る や否
金 銭 の必 要 は全 く なく な る⋮ ⋮ 一言 にし て言 へば現 世 の極 楽 であ る。
て の人 は 労働 し 、各 人 は自 己 に要 す るも のを無 代 で国家 よ り受 取 り 、
あ る兵 士 も同 様 戦 場 の露 と消 え、 軍隊 は専 ら 農 民 と市 民 と 、革 命 思
隊 の方 を見 る と主 な る将 校 は大 部 分戦 争 に倒 れ 、軍 規 の正 し い教 育
自 己 の味 方 に入 れ、 反皇 帝 、反 政 府 の煽 動 に努 め た のであ る。 又 軍
声 を洩 し て居 た。 戦 争中 を利 用 し 彼等 は ゼ ー ム スト ウ オ や市 町等 を
た る智識 階級 は 一九 一七年 に及 び、殊 に皇 帝 及 び 政府 に対 し 不満 の
た 時 に起 つた の であ る 。国 家 は疲 弊 困憊 し、 常 に革 命気 分 を有 し居
露 国 に於 け る革 命 は 、 対独 戦 争 に依 り 、各 方 面 と も著 し く緊 張 し
帰 らう 。
達 す る には 可成 り長 い時 日と行 程 を経 な け れ ば なら ぬ。然 る に共 産
想 を抱 いた青 年 士 官 と よ り成 つて居 た 。
で自 由 と な り軍 隊 の要 無 く国 民 の選 挙 し た 人 々は国 家 を支 配 し、 総
専 制 であ る。 これ に次 い で社 会 主 義 的 制 度 に改 めら れ、各 人 が平 等
ん に、 此 処 に高 い 一つ の岩壁 が あ つて 、其 の 一方 に資 本主 義 の王 国
は主 人 を失 ひ 、家 業 は荒 廃 に帰 し た ので あ る。
長 く続 いた戦 争 は 国 民 を疲 労 の極 に達 せし め 国内 到 る処 の家 庭 で
党 は 一時 に之 れ に到達 せん と し た の であ る。 今 、例 を ひ いて説 明 せ
が あり 、 他 方 に社 会 主 義 の極 楽 があ る と す る。 岩 壁 の 一方 よ り他 方 に移 ら む と す る には 、 此 の岩 壁 は無 限 に長 いも の では な いから 、 其
然 る に共産 党 は此 の岩壁 を飛 び超 え ん と し 、或 は単 に自 己 の前 額
ると 国 民 の各 階 級 を通 じ て政 府 を援 助 し よう と す る も のは な い。 そ
みと な つた 。遂 に導 火線 も間 も 無 く点 火 せら れ た のであ る。 斯 う な
革 命 勃発 の機 は熟 し た 。 そ れ が為 に は唯 何 か の導 火 線 を要 す る の
を以 て岩 壁 を打 壊 は さん と し 、又 は 其 処 に穴 を造 つ て他面 へ渡 ら む
こで臨時 政 府 が樹 立 せ ら れ 、最 後 の勝 利 を得 るま で聯 合 国 と協 同 し
の岩 壁 を 迂 廻す れば よ い ので あ る。
と した の であ る。換 言 す れば 、 共 産党 は国 家 資 本 主 義 と い ふ道 程 を
て戦 争 を継 続 せ んと し た 。是 れ即 ち資 本 階 級 の民主 政 府 であ る。然
ふ べし と約 束 した ので あ る。
あ る。 だ か ら、 過激 派 は麺 麭 と平 和 と、 而 し て農 民 には 、土 地 を与
彼 等 は潮 流 に逆 う と は し な か つた 。 と言 ふ のは彼 等 は 若 し此 の潮
し 、当 時 此 の政 府 と 対 抗 し て労 働 者 及 兵卒 代 議 員 会 議 ( 労兵会)な る も のが存 在 し 、共 産 党 は右 会 議 の発 生 の時 より 之 れ に参 加 した 。
く儘 に行 動 し 、国 民 の間 に権 威 を得 ると共 に国 民 の統 卒 者 た る こと
る べき を熟 知 し て居 た か ら であ る。故 に彼 等 は 潮流 に従 ひ 、風 の吹
語 は 、主 と し て農 民 、労 働 者 、軍 隊 側 より同 感 を以 て歓 迎 せ ら れ た
の承認 を得 た 。換 言 す れば 社 会 的根 拠 を得 た の であ る 。此 の根 拠 は
流 に逆 行 す る が如 き こと あ らば 、 此 の大 暴 風 は立 所 に彼 等 を葬 り去
が、知 識 階 級 は左 様 では な か つた 。 け れ共 、 知識 階 級 な るも のは極
であ る 。而 し て之 は同 時 に 一大威 力 であ つた 。 レ ー ニン、 ト ロツキ
即 ち革 命 の当 初 に於 け る無 暴 と残 虐 と に満 つる下 層社 会 であ つた の
共産 党 が此 の会 議 に伏 在 し て居 つた 為 に労 兵 会 は直 ち に反政 府 的 行
め て少 数 であ り 、勢 力 の点 に於 て農 民労 働 者 の夫 れ と同 日 の比 で は
動 に出 で、其 の主 義 の貫徹 を計 つた ので あ る。 労 兵 会 及 過激 派 の標
な か つた。
露 国 よ り外 国 へ移 住 せ る人 々も 又 、外 国 の政 府 も今 日迄 忘 る る こ
ーは 此 の威 力 を 利 用 し此 の下 層 社会 を意 の如 く に繰 つた の であ る 。
と の出 来 な い恐 るべ き標 語 、 ボ リ シ エヴ イ ズ ム の群 集 籠絡 の標 語 も
農 民 は農 地 の狭 隘 に苦 し み つつあ る が故 に過激 派 は ﹁ 土 地 は総 て
此 の時 代 に出 た ので あ る 。
農 民 に与 え よ﹂ と叫 び、労 働 者 の利 得少 な いと き は 、過 激 派 は工 場 は労 働 者 に譲 渡 す る こと を約 束 した 。 又軍 隊 が戦 争 の為 疲 労 せ る時 、
理 想 で あ つた か 、勿 論 そう では無 い。 過激 派 が露 国 に於 て社 会主 義
何 が為 に共 産 党 に此 の政権 が 必要 であ るか 、 露 国 は彼 等 の最高 の
主 義 者 、 個 人主 義 者 竝 反 過激 派 の運 動 を樸 滅 す る こと が出来 た。
斯 く て共産 党 が露 国 の政権 を掌 握 す る に至 り、極 左 党 た る無 政 府
過激派は ﹁ 銃 剣 を地 上 に投 げ棄 て よ、平 和 は立 ち 処 に至 ら む﹂ と 叫 び 、更 に附 言 し て ﹁塹 壕 よ り速 か に故 郷 に帰 れ、 然 らざ れ ば諸 士 は 大 地主 の領 地分 配 に遅 る可 し﹂ と 。
陥 り 、何 人 と 雖 彼等 の行 動 を阻 止 す る こと は出 来 な か つた 。露 国 が
では無 い。 共 産党 の最 高 の理 想 は世 界 の社会 的革 命 で、全 世 界 を 社
制 度 を創 設 せ ん と し た のは 事 実 で あ る が、其 れ が彼 等 の最 終 の目 的
彼 等 の煽 動 の効 果 は着 々と し て挙 つた 。 国 民 と軍 隊 は混 沌状 態 に
深 淵 の道 程 を 辿 り つ つあ る に気附 き それ を 止 め ん と し、 大 暴風 を静
も過 激 派 が何 う し て政 権 を掌 握 し 得 た か と い ふ に、 彼等 は よく 人 気
大 な も ので あ る。露 国 は彼 等 の策 源 地 であ ると共 に他 の国 に対す る
本 主 義 国 へ進 出 す る根 拠 地 で なけ れ ば なら ぬ。彼 等 の理 想 は実 に遠
ると 共 に未 来 も亦 左様 で無 け れば な ら ぬ。 故 に露 国 は共産 党 が各 資
会 主義 の要 領 に従 つて改 造 す る こと であ つた し、 又 現在 も左 様 であ
め ん と した る将 校 、技 師 其 の他 一般 知 識 階 級 の人 々は過 激 派 の使 嗾 に依 り殺 害 せら れ た のであ る。
に投 ず る道 を知 つて居 た が為 であ る。即 ち 農 民 、 労 働者 及軍 隊 の欲
試 練 場 でな け れ ばな ら な か つた の であ る。 露 国 の支 配 に依 つて共 産
斯 く し て臨 時 政 府 は倒 れ 、過 激 派 が政 権 を掌 握 す る に至 つた 。 抑
す るも のを総 て与 へむ こと を約 す ると いふ こと が必 要 であ つた の で
彼 等 の経 験 、 レー ニ ンの所謂 惑 星 的 経 験 と な つた。露 西 亜 は実 に其
産 党 中 には在 朝 政治 家 が居 ら な か つた か ら で あ る。露 国 の共 産 化 は
党 は国 家 の支 配法 を学 ば な け れば な ら な か つた の であ る。 それ は共
遣 せ ら れ た。 新 聞 紙 は買 収 せ ら れ 、個 人 も 団 体 も買 収 せら れ、 各 国
貨或 は外 国 貨 幣 又 は貴 金 属等 の莫 大 な る資 金 を携 帯 し た宣 伝 員 が差
し て進 ん だ。 其 の 一着 手 と し て 、先 づ 第 一に工業 の発達 し た国 に金
程 富 裕 とな つた 。共 産 党 は是 等 の資 金 を 擁 し世 界 的 革 命 の放 火 者 と
に於 け る ソヴ エト 天 国 が謳 歌 せ ら る る やう にな つた。 共産 党 は 一六
政 府 に反 抗 す る 一大煽 動 運 動 が 開始 せ ら る る に及 び、 到 る処 で露 国
の犠 牲 とな つた ので あ る。 マ ルク スの説 に拠 る と、 工 業 の発 達 盛 ん な る国 、 従 つて プ ロレ タ
独 乙 に於 け る スパ ル タカ ス団 の運 動 、英 国 、 仏 国其 他 の国 々に於
か つた 。
若 し負 け れ ば 一切 のも のは固 より自 分 の首 を も失 は なけ れ ば なら な
勝 負 を 為 す が如 く 金銭 を惜 ま な か つた 。若 し勝 てば世 界 革 命 で あ る。
リ ア の威 力 強 大 にし て其 の数 大 な る国 に於 て最 も速 か に社 会 主 義 を 実 施 し 得 ら る るも ので あ る。 然 る に、露 国 は農 民 国 、農 業 国 であ つて工 業 国 で はな い。過 激 派 は是 に気附 か な か つた 訳 で はな い。彼 等 は農 民 国 た る露 西 亜 に共 産 主義 を 実現 す る事 は 困難 で あ る こと を認 識 し居 た が為 、 常 に世 界 革
動 乱 、 土 耳古 に於 け るケ マル ・パ ー シ ヤ運 動 の如 き 、或 は其 他 の諸
け る同 盟 罷 業 、或 は愛 蘭 独立 運 動 の如 き 、又 埃 及 、 印度 等 に於 け る
先 頃 、 左翼 共 産 党 の 一首 領 た るブ ハー リ ンが民衆 の前 に於 て為 せ
国 に於 け る混 乱 、動 揺 等 は総 て露 国 の資金 に依 つて行 は れた も のな
命 の途 に出 でんと す る ので あ る。
る演 説 中 、左 の如 く 謂 つて居 る ﹁吾 人 の最 も困 難 と す る所 は、 吾 人
る こと を確 言 す る事 が出 来 る 。
革 命 の当 初 数年 間 は、 国 民 が戦 前 の豊 富 な遺 物 に依 つて自 活 の途
聯 合 国 の厳 重 な る監視 下 にあ る こと竝 独 乙 人 の気 質 が細 心 で軽 卒 盲
にな り 、或 は国 民精 神 が向 上 し 政府 及 軍 閥 が跋扈 し 、独墺 両国 では
つた 。戦 争 の勝 利 者 と し て聯合 諸国 で は軍 国 主義 や国 家主 義 が盛 ん
然 し 、 一六 勝 負 は失 敗 に帰 し 、遂 に世 界 革命 の焔 は燃 え 上ら な か
と な る が如 き 国 民 の運 動 には進 ん で後 援 し た のであ る。
し 、或 は政 府 を 窮 地 に陥 れ し む る が如 き 行動 、又 は革 命誘 致 の原因
過激 派 、即 ち イ ンタ ー ナ シオ ナ リ スト は諸 外 国 内 に無秩 序 を誘 導
が農 民 を 大多 数 とし 、 且 つ資 本 主 義 国家 に包 囲 せら る る時 代 遅 れ の 破 壊 し た農 民 国 で共 産 主義 を実 現 し つ つあ る事 であ る﹂ と。 農 民 を有 す る国 な ら ば未 だ し も の事 であ る が、 露 西亜 の周 囲 には 資 本 主 義 制 度 の各 国 が存在 せ る事 は彼 等 の頗 る苦 痛 と す る所 であ る。
を立 て 、地 方 に於 け る政 権 は 思 ふ が儘 支 配 し た当 時 、 第 三莫 斯 科 イ
動 せな い のと 、 且 つ彼 等 は誰 より も好 く露 国 の事 情 を知 つ て居 た の
唯 一の希 望 は 世界 的 革命 であ る。
ンタ ー ナ シ ヨナ ル の指 導 の任 を合 せ負 う た中 央 政 権 は 、各 国 に於 て
如 斯 、 共産 党 の所 謂 世界 革命 は 不 成 功 に帰 した の であ る。 此 の事
で、 共 産 党 の煽 動 には乗 らな か つた 。
世界 的 革 命 を勃発 せ しむ 可 く総 て の手 段 を 講 じ た の であ る 。 国 庫 は総 て共産 党 の手 中 に掌 握 せ ら れ、 総 て の私 有 財 産 、金 銭 、 貴 重 品 の類 は掠 奪 手段 を以 て彼等 の手 に移 り、共 産 党 は類 例 の無 い
は、彼 等 自 身 、 誰 より も 先 に之 に気附 き 、 一時 露 国革 命 の閃 光 を世
の出 馬 は大 好 感 を以 て迎 へら れ 、始 め 共産 党 に反 対 せ る知 識階 級 も
漸 次共 産 党 と 接 近 す る が如 き傾 向 を帯 び て来 た。 ブ ル シー ロフ の将
露 国 の為 に戦 はざ る可 からず ﹂ と述 べ た のであ つた 。ブ ル シー ロフ
露 国 の国 情 に変 化 を来 た さ んと し た のは此 の時 であ つた 。 一時 赤
校 に対す る宣 言 は 現今 発 達 し つ つあ る融 和 的思 想 の発 端 と見 る可 き
界 に及 ぼす 考 を棄 てた の であ る。
色 露 国 は白 党 よ り脅 威 を受 け、 少 数 な が ら も軍 規 に満 て る白 軍 は 、
つた のであ るが 、 以下 吾 人 は吾 人 の為 に、 よ り以 上 興味 あ る経 済的
是 迄 、 吾 人 は革 命露 国 の政治 方 面 や 、 共産 党 の行動 に関 し論 じ来
であ る。
方 面 に移 ら う と す る の であ る。
し た事 も あ つた。 於 是 軍隊 編 成 の必要 が認 めら れ、党 の主 義 綱 領 の
赤 軍 と自 称 す る脱 営 兵 、労 働 者 及 農 民 よ り成 る武装 団 を各 所 に繋退
上 に於 て 、反 軍 国 主 義 者 た る共 産 党 は 、赤 衛 正 規 軍 の編 成 に着 手 し
し た。 又 一面 に於 て軍 隊 は 、食 糧 品 其 他 の問 題 に対 し著 し く 有 利 な
頼 しな か つた為 、 将 校 には看 視 役 と し て共 産 党 員 を附 け て置 く 事 と
処 分 、或 は将 校 団 の編 成等 が出 来 た 。然 し 、自 然 共産 党 は将 校 に信
ち 市役 所 の支 配 に移 さ れ た。商 店 は閉 鎖 せ ら れ 、各 人 に対 し て切符
は 政府 の徴 発 す る処 とな つた 。市 の建 築 物 や私 有 の家 屋 は、 市 有 即
皆 国 民金 体 の所 有 た る こと を発 表 し た。 又 銀行 は閉 鎖 せら れ、 金 庫
大 地主 が所 有 し て居 た土 地 、修 道 院 所 有 地 、帝 室 御 料 地 及官 有 地 は
各 工場 は労 働 者 の手 に渡 り 、彼 等 の任 意 に支 配 管 理 す る処 と な り、
現 し よう とし た 。
過激 派 は マル ク ス論 者 と し て経 済 界 に於 て も直 ち に社会 主 義 を実
た の であ る が、 彼 等 は事 実 政 権 を掌握 し得 たと 共 に、国 民 は彼 等 を 自 己 の主 宰者 と認 め居 た こと と て、 正規 軍 の編 成 に成功 し た。 赤 軍 の軍 紀 維 持 に対 し て は あら ゆ る手 段 が講 ぜら れ た。 先 づ 群集
位 置 に置 か れ た と同時 に、他 面 に於 て厳 格 な る軍 律 を敷 き 、 些 細 な
籠 絡 的 標語 は勿 論 、 帝 政時 代 の軍 隊 す ら未 だ曾 て知 ら な か つた 懲罰
過 失 や 犯罪 でも 直 ち に厳 罰 に処 し た 。而 か も之 が彼 等 の唯 一の懲戒
住 民 は数 ケ の階級 に分 類 せら れ 、各 階 級 毎 に種 類 の異 れ る切 符 を受
バ タ ー、 砂 糖 、織 物 、靴 其 他 に 対す る切 符 を受 け取 る事 とな つた 。
如 斯 、大 な る努 力 の賜 物 とし て軍隊 が編 成 せら れ 、到 る処 の戦 線
け て居 つた。 切符 交 附 方 法 も共 産 党 の当 事 者 は最 も多 く 、次 い で軍
制度 ( 勿 論 都 市 に於 て であ るが) が実 施 せ ら れ 、各 人 は〓 麭 、肉 、
に於 て白 党 を撲 滅 し た のであ る。 此 の際 、吾 人 の記 憶 せね ば な ら ぬ
﹁ 労 働 せざ るも のは食 ふ可 か らず ﹂ と 言 ふ標語 に基 き 、 切符 を 貰 ふ
隊 、労 働 者 、 従業 員 と言 ふ順序 で あ つた 。各 人 は労 働 の義 務 を 有 し
処 分 であ つた。
のは 対波 蘭 戦 争 であ る 。波 蘭 が対露 宣 戦 を布 告 し た る時 、 吾 人 は労
が な いや う に思惟 せら れ た ので あ る。併 し実 際 の結果 を見 ると 、監
如 斯 、 総 てが マ ルク ス の理論 に従 て実 行 せ ら れ、 事 実金 銭 の必要
こと が出 来 な か つた。
農 政府 に刃 向 ふ者 は皆 、波 蘭 と協 力 し て過 激 派 及露 国 に反抗 す べ き
の であ る。 ウ ラ ンゲ ルは波 蘭 に味 方 し、 後 波 蘭 か ら棄 てら れ た の に
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か 、或 は又 過 激 派 と協 同 し て露 国 の為 に戦 ふべ き か の間 題 に迷 つた ︹〓pycn〓o〓,A︺ .A
反 し 、露 国 の有 名 な老 将 軍 ブ ル シー ロフは ﹁仮令 過 激 派 と雖 も共 に
視 の眼 を離 れ た労働 者 は 工場 を支 配 監 理 す る途 を知 らず 、 又 自 ら働
し な け れば な ら ぬ﹂ とす れ ば何 処 に於 て労 働 す べ き か、 慣 れざ る雪
於 て も殺 人 、 強迫 等 行 はれ 、商 工業 は絶 滅 され 、住 民 は只 毎 日 の〓
掃除 や塵 埃 掃 除 に従 事 し たり 、或 は婦 人 、 子 供等 が塹 壕 を 掘 つた り、
麭 を得 る事 のみ に吸 々とす るや う に な つた。 ﹁ 食 は ん が為 に は 労 働
又 は労 農 政 府 の機 関 に勤 めた り し て居 た が、 是等 の役 所 にも余 り に
か な く と も 切符 は貰 へる の であ る か ら、 敢 て労 す る者 無 く 、 八 時 間
には市 場 に出 す べ き 物 も無 く 、 機 械 の 一部 は窃 取 し 尽 さ れ、 労 働 者
労働 時 間 も主 とし て談話 や集 会 等 で過 し て居 た。 斯 く し て製 造 工場
の不 注 意 又 は取 扱 を 知 らざ る が為 常 に破 壊 せら れ て居 た 。市 場 には
人 が多 く 、 一人 で出 来 る仕 事 にも数 人 の人 が居 る ので、 何 を し て よ
労働 し た ので あ る。 然 し役 所 より 貰 ふ切符 のみ では足 りな い ので 、
て是 等 幾 百 万 と言 ふ無 為 の人 々は 切符 を得 、 食 は ん が為 に勤 め 且 つ
い のか分 ら な い程 であ つた。 故 に事 務 は益 繁 文褥 礼 を極 め た 。而 し
新 製 品 無 く 旧貯 蔵 品 を以 て取 引 し て居 た 。
農 民 は 地主 の土 地 を 奪 つた。 千 九 百 十 七年 末 の 一、 二箇 月 間 に於
石 炭 坑 は満 水 し鎔 鉱 炉 は全 く 火 を 消 す に至 つた 。
て、 豊 富 な 文庫 を蔵 し て居 た地 主 の家 は家 具 と共 に焼 き払 は れ、 良
私 か に農 民 よ り食物 を購 入し な け れ ば な らな か つた 。
女 子 、老 人又 は 幼 者 のみ が農作 に従 事 し 、 従 つて其 の成 績 は振 はな
れ は未 だ大 問 題 では な い。最 も重 要 な 点 は 、欧 州 戦 乱 中 専 ら弱 き婦
は 、農 民 は僅 か に猫 額 大 の地面 を領 し得 た に過 ぎ な か つた 。然 し こ
幾 百 デ シ ヤ チイ ー ナ も所 有 し 、農 業 地 の極 め て狭 少 な る北部 地方 で
な る所 有 地 の有 つた南 部 地 方 の各 県 に於 ては 、農 民 は 最 良 の地 面 を
勝 手 に自 分 の欲す る だけ 奪 取 し て居 た 。其 の結 果 、以 前幾 多 の広 汎
数 も増 加 す る と共 に政 府 は切 符 以 外 に給 料 の支 払 を為 す こと と な り、
義 国家 に於 て不 必要 と 認 め ら れ て居 た金 銭 が必要 と な り、 漸 次其 の
少 量 の馬 鈴 薯 とか 、麦 粉 と かを 手 に入 れ た の であ る 。斯 く て社 会 主
は 小袋 を提 げ て村 に到 り 、物 品 と か莫 大 な る金銭 と引 換 に農 民 か ら
る。此 処 に至 つて ﹁小袋 時 代 ﹂ が 現出 せ ら る る に至 つた。 即 ち市 民
品 の価 格 を引 上 げ 、 遂 に は全 く 市 中 ヘの食 糧 搬出 を停 止 し た事 で あ
農 民 は 必要 な物 品 や商 品 を手 に入 る る事 が出 来ず 、為 に〓 麭 や食 糧
事無 く 、如 何 程 金銭 を出 し ても何 一つ買 ふ可 き物 も無 か つた が為 、
彼 等 の為 に最 も 恐怖 す べき 一事 は 、都 市 の工場 は何 一つ生産 す る
種 の牛 や 馬 は無 智 無 謀 な者 の手 に依 つて屠 殺 せら れ、 工場 は破 壊 せ
か つた の であ る 。然 る に男 子 で戦 死 し 或 は不具 者 とな る事 を免 れ た
ら れ、 農 具 は打 砕 か れた 。 地主 の土 地 は誰 も均 等 に分 配 す る者 なく
者 は怠 慢 と なり革命 の謳 歌 者 と な り、 掠 奪 的行 為 が彼 等 の常 習手 段
みな し に運 転 せら れ、 留 の価 格 は急 転直 下 した 。哥 、留 、 十留 、 百
従 つ て物 価 は騰 貴 し給 料 も増 加 さ れ た 。是 が為紙 幣 の印 刷 機械 は休
に は百 万 と言 ふ に至 つた 。
留 の紙 幣 は既 に数 ふ る者無 く 、留 の単位 は 千と な り 、十 万 と な り終
広 汎 な る耕 地 は 全 く雑 草 の生 ゆ る儘 に放 棄 せ ら れ 、土 地 を も て余
と な つて自 己 の所 有 す る土 地 を耕 作 しな か つた ので あ る。
す 事 と な り 、村 落 には淫 風 盛 ん と な り、 怠 け 者 、無 頼 漢 、飲 酒 家等
到 る処 に恐 怖 と破 壊 と無 秩 序 と を演出 し た。 然 し 予備 貯 蔵 品 の尽
が村 を統 治 す る委 員 と な つて居 る。斯 く し て露 国 の各 村 落 に ては飲 酒 、掠 奪 、殺 人 、 放 蕩 が勢 を猛 ふす る に至 つた ので あ る。 又 都 市 に
き果 てた ので はな く 、 情 況 も危 機 に瀕 せ り と言 ふ の では な い が、 予 備 品 にも限 り あ る訳 であ る。 都 市 で は〓 麭 が無 く な つた の で政府 は食 糧 分 配 制度 を実 施 し な け れば な らな か つた 。 さ う し て各 県 、郡 、町 、 村 は 収穫 穀 物 の余 剰 を 全 部無 代 で政 府 に引渡 さ なけ れ ば な ら な か つた。於 是 、経 験 の無 い
暴 動 軍 が破 れ共 産 党 政府 が依 然 存在 を続 け 得 た のは 一に暴動 軍 の
編 成 が 不完 全 で あ ると 共 に、 政 府 は之 に対 し 、 残酷 な る圧迫 手 段 を
講 じ た か ら であ る。労 農 政 府 が斯 の如 き 大 軍 隊 を維 持 し て居 た のは
白 軍 側 よ り の威 嚇 があ る事 と 隣境 小国 より も 脅 威 を受 け て居 つたが
凡 そ物 事 は自 然 の成 行 を辿 る ことを 免 れ な い。其 処 で労農 政 府 も
為 であ る。
大 努 力 を以 て食 糧 分配 制 度 ⋮ ⋮約 言 す れ ば農 民 よ り の穀 物 の 徴 発
且 つ又曚 昧 な る政 府 は償 ふ べか らざ る大 失 策 をし た のであ る。夫 れ は 政府 が農 民 の私 有権 を没 収 し た事 で 、農 民 に取 つて は最 も痛 手 と
⋮ ⋮ は完 全 と言 ふ には 至 ら な か つたが兎 に角 実 施 せ ら れ た の であ る。
た の であ る 。
民 側 より の実 際 の援 助 を受 く る政 権 でな け れ ば不 可能 の事 を了解 し
茲 に於 て か当局 は 、露 国 に於 て堅 実 な る政 府 を創 設 せ んと せ ば農
益 譲 歩 の軌 道 に接 近 せし め た ので あ る。
大 努 力 を以 て討伐 し た ク ロン シ ユタ ツト の大暴 動 の如 き 政府 を し て
歩 す可 き か を実 行 し なけ れ ば な ら な い破 目 にな つた の であ る。 殊 に
て も頭 の砕 け る のも顧 みず 前額 を 以 て岩 壁 を打 砕 く べき か 、或 は譲
社会 主義 化 す る こと は容 易 な も のでな い。 斯 う な ると 労 農政 府 と し
元 来露 国 に は農 民 が全 人 口 の九割 以 上 を 占 め て居 る位 であ る から 、
れ た も のが非 常 な 難 事 であ る こと を了 解 す る こと が出 来 た。
あ るか 、或 は又 、 露 国 の社 会 主 義 化 は さま で困 難 な らず と思惟 せら
出 来 た。 政 府 は農 民 と 衝 突 し た経 験 か ら し て始 め て、農 民は何 者 で
農 民 も 此 の経 験 から 悧 口に立 廻 り 、政 府 も又 総 てを了 解 す る事 が
少 す る のみ であ つた。
余 剰 穀 物 を 出 さ な い事 に努 め た。 斯 く し て露 国 に於 け る耕 作 は 益減
於 茲 、農 民 は自 己 と家 族 と を給 養 し得 る だ け の穀 物 を 播 く事 にし て、
す る所 であ る 。 第 二 、露 国 に於 け る事 実 上 の土 地 所有 者 た る農 民 と政 府 と の最 初 の衝 突 農 民 が軍 隊 又 は村 落 に在 つて革 命 を 歓 迎 し た のは社 会主 義 の理 想 を達 成 せ ん が為 ではな い。彼 等 は そん な も のは全 く 知 ら な い。 即 ち 彼 ら は平 和 と 土 地 と自 由 と〓 麭 とを 得 ん が為 、革 命 を 謳歌 し た の で あ る。 共産 党 の首 領 は 永 く外 国 に避 難 し て居 つた関 係 上 、露 西 亜 農 民即ち、此 の ﹁ 偉 大 な る唖者 ﹂ の性質 を知 ら な か つた 。彼 等 の精 神 はブ ルジ オ ア的 で、彼 等 の思 想 は ﹁ 俺 は お前 に触 ら な いから 、 お 前 も俺 に触 つて呉 れ るな ﹂ と言 ふ にあ つた の で あ るが 、 共産 党 は 農 民 の此 の真 意 を知 ら な い為 、政 府 と 農 民 と の第 一の衝突 を起 さね ば な ら ぬ様 にな つた 。 農 民 は穀 物 の搬 出 を中 止し た 為 、政 府 は軍 隊 を派 遣 し武 力 で穀 物 を 徴 発 せ ねば な ら な か つた。戦 線 か ら帰 郷 し た兵士 は武 器 弾薬 を持 ち 帰 つた の で農 民 は之 に対 抗 せ ん と し て武 装 し た 。或 る村 の如 き は 機 関銃 さ へ持 つ て居 た 。斯 く て武 装 せ る農 民 は武 力 を以 て軍 隊 に反 抗 し始 め た 。於 茲 、国 内 の各 処 に暴 動 の蜂起 を見 る に至 つた。
の倒 壊 を免 れ な い、 故 に政府 は譲 歩 せね ば な らむ ﹂ と 言 う て居 る。
ウ スト リ ヤー ロフ博 士 は ﹁農 民 と 争 ふ可 から ず 、 若 し争 へば 政 府
る こと を意 味 す る の であ る。吾 人 は今 国家 生産 事 業 或 は農 民及 労 働
⋮⋮ 。 之 れ は 即 ち商 業 の自 内 であ る。 商 業 の自 由 と は資 本 主 義 に帰
の政 府 を維持 す る こ と は不可 能 で あ る。取 引 の自 由 と は何 であ る か
︹Yctp〓〓ob,H ︺.B
共 産 主 義 の理論 は、 於 茲 、露 国 の実 社会 と衝 突 し、 夫 れ が実 施 不 可
者 の貧 窮 、滅 亡 、疲 労 困 憊 を 眼前 に見 、 万難 を排 し て生産 事 業 の発
達 向 上 に尽 さね ば なら む 。是 が為 に は 一時 総 て のも の の屈 従 に甘 ん
能 な る こと を 証拠 立 てた の であ る。 第 三 、政 府 最 初 の譲 歩 、 即 ち 経済 的 後 退
の頂 上 より 後 退 しな け れ ば な ら ぬ事 と な つた 。共 産党 は資 本 主 義 に
じな け れ ば な ら ぬ﹂ と 。於 是 、共 産 党 政権 は経 済 上 の都 合 で、 革 命
屈 従 す る こと は彼 等 の理 想 に反 す る から と言 ふ の で肯 ん ぜな か つた
共 産 党 を代 表 す る レ ー ニン等 の大 功績 と も言 ふ べき は 、右 の事 情
然 し 過 失 を認 め た許 り では足 らな い。認 め た以 上 は 夫 れ を実 行 せね
食 糧 分 配 制度 は撤 廃 せら れ 、 そ れ に代 つて食 糧 税 な る も の が賦 課
け れ共 、 実 際 生活 の上 に於 て余 儀 なく 屈服 し なけ れ ば な ら な か つた 。
を諒 解 す る と 共 に、 公 然 、 ﹁ 吾 人 は誤 れ り﹂ と告 白 し た 事 で あ る。
ば な ら ぬ。 そ こで過 激 派 は譲 歩 手 段 を 以 て之 れを 実 現 し た の であ る。
せら る る事 にな り、 各 県 、郡 、郷 、 村 は国 家 が指定 す る定 量 の穀 物
当 時 国 内 の経 済 状 態 は 窮 地 に陥 り 、 国家 と国 民 は滅 亡 の域 に彷 徨 ひ 、
を納 付 し な け れ ばな ら な い。食 糧 税 制度 は食 糧 分 配制 度 に比 べ る と
物 は家 族 に必要 な丈 作 り 、余 剰 穀 物 は作 らな い様 にし た が為 、実 際
労農 政府 が持 つて立 つた世 界 革 命 の希望 は既 に画 餅 に帰 し た の で、
に於 て食 糧 税 な るも の の徴 収 は金 く 不可 能 であ つた。 加 之 、 最 も豊
露 国 共産 党 政 府 は 一時 、自 分 の主 義 理想 を実 現 す る事 を断 念 し た 。
白 軍 は既 に 恐 る る に足 らず 、労 農 政府 は到 る処 の戦線 に於 て白 軍
沃 な る幾 多 の地方 に於 て旱 魃 続 き 、 到 る処 一滴 の降 雨 さ へ無 く 、河
き は 余 程 軽易 で あ つた 。然 し 、 これ は 良制 度 であ つて も、 実 際 上 に
を 撃滅 し 、驍 将 レ ー ニン、 ト ロツ キ ー其 他 は自 己 の政権 を存 続 せ し
川 は 涸 渇 し 、作 物 は乾 燥 の為 枯 死 し 、 地面 は石 の如 く 堅 く 亀 裂 を生
さう し て政 府 は譲 歩 手 段 を執 つた の であ る が、 此 の時 か ら露 国 は復
む る為 と 、或 は彼 等 が常 に理 想 と す る も の を後 日 に於 て実 現 せん と
ず る に至 つた。 それ が為 収 穫 確 実 と 予想 せら れ た少 量 の穀 物 さ へも
支 障 を 来 し た 。 それ は 前述 し た通 り 農 民 は耕 地 を著 しく 削 減 し 、作
す る為 か 、露 国 に於 け る平 和 的 経 済 の建 設 に従 事 し始 め た の であ る。
興時 代 と も称 す べき 新 時代 に 入 つた ので あ る。
其 の経 済 政 策 な るも のは既 に共 産 主義 の主 義 主 張 に依 る も の では な
取 れず 、終 に前 古未 曾 有 の飢 饉 と な り 、住 民 や政 府 は 一大 苦 悶 を嘗
共 産 党 は自 身 の手 で自 己 の主 義 に反 す る資 本 主義 を露 国 に植 え 付
の政策 の 一層 の譲歩 を しな け れ ば な らな か つた。
其 の結 果 政 府 は余 儀 なく 外 国 に援 助 を乞 ふ事 とな り 斯 く し て自 己
め る事 と な つた。
か つた 。
﹁ 吾 人 は中 流 農 民階 級 を満 足 せ し めな け れ ば な ら ぬ とと も に取 引
レー ニ ンは第 十 回 ソヴ エト大会 に於 て左 の如 く述 べ て居 る。
の自 由 を許 さな け れば な ら ん 。左 なく ば 、 吾 人 は経 済 的 立 場 よ り 、 世界 革 命 の実 現 未 だ遠 き将 来 に在 る今 日、露 国 に於 て プ ロレタ リ ア
の実 施 を発 表 し 、商 業 の自 由 を許 し 、小 企 業 及家 屋 は始 め管 理局 に、
け ね ば なら な か つた。 斯 く て政府 は 、公 然 、新 経済 政 策 即 ち ネ ツプ
こ と は少 し でも歴 史 や経済 に通 じ た人 には明 白 であ る。
一九 二 二年 三 月 六 日第 十 一回共 産 党 大会 の席 上 レー ニ ンは ﹁ 経済
レー ニンは 聡 明 な人 で各 般 の事 情 に精 通 し た人 であ る。 察 す る に
の事 を言 う た の であら う か 、恐 らく 左 う で はな か らう 。
レー ニ ンは右 の言 辞 を以 て新経 済 政 策 に尠 か らず 不満 の念 を 抱 き居
上 の後 退 は終 了 せ り﹂ と 供 述 し た。 抑 も レー ニ ンは自 信 があ つて此
は 各 処 に於 て、 共 産党 当 事 者 が声 明 す る如 く 総 て 一時 的 のも ので、
た る極 左 翼 共 産 党員 を単 に慰撫 し たと 言 う て も誤 りは無 い事 と 思 ふ。
後 個 人 と言 ふ順 序 で、旧 所 有 者 に返還 し た。 斯 く て共 産 党 政府 は余
且又 群 集 籠 絡的 標 語 の下 に実 施 せら れ た の は勿 論 であ る。 賢 明 な る
岩 壁 の例 に再 び帰 つて説 明 せ ん に、 共 産 主義 を実 現 す る事 に性 急
儀 なく根 本 の主 張 を棄 て る こと と な つた の であ る 。然 し此 等 の行 動
マキ アヴ エリ ーは ﹁国家 の統 治 法 を変 更 す る に際 し て は成 る可 く 旧
であ つた レー ニ ン、 ト ロツ キー 、 ルイ コフ、 カ リ ニン、 チ チ エリ ン
習 慣 若 く は 外形 を 一時 に破 壊 す べか ら ず ﹂ と説 いた が 、 レ ー ニンは 之 れを 記 憶 し て居 た の であ る。
の であ る 。然 し尚 有 力 な る共産 党 中 に は ﹁共産 主 義 の純 正 な る主 義
こと を悟 り始 め て迂 回 の途 を撰 び 、新 経 済 政策 を実 施 す る に至 つた
思 想 を廃 棄 す る能 はず﹂ と為 す 鬼 武者 も あ つて前 額 を 以 て岩 壁 を打
其 の他共 産 党 の大 多 数 は前 額 を 以 て岩 壁 を打破 る の到底 不可 能 な る
経 済 政 策 の実施 を中 止 す るが如 き事 あら ば 、政 府 は自 己 の存 在 を 失
破 ら んと す る の行 動 を続 け んと決 心 し た の であ る 。斯 の派 の者 はラ
﹁個 人 主 義 へ乗 り出 し た 以 上 は其 の道 に進 む べし 、 人為 的 に拘束
ふ であら う 。何 と な れば 、 民衆 は新 経 済 政策 に極 度 の興味 を懐 き 、
は出 来 な い﹂ と ウ スト リ ヤー ロ フ博 士 は 述 べ て居 る。 若 し政 府 が新
自 己 の経 済 状態 の復 興 は 一に新 経済 政 策 に依 つて実 現 せ ら る べき で
デ ツ ク、 ブ ハー リ ン、 ラ ー リ ン其 他 の徒 党 であ る。殊 にラ ー リ ン の
動 は労 農 政 府 の意 思 に依 り て 、中 止 せら る可 き も の で無 いと言 ふ事
領 と 認 め ら る る レ ー ニン の加 担 す る 一派 が遙 か に優 越 し て居 た事 を
だと 認 め 、極 力 夫 れと 闘 つた の であ る 。併 し 共産 党 の内 でも其 の首
是 等 の極 左翼 共 産 党 は 、新 経 済 政策 は彼 等 に取 り最 も危 険 な害 敵
如 き は其 の徒 党 中 の者 す ら彼 を半 狂 人 と言 う て居 る程 であ る。
であ る 。実 生活 及 共 の法 則 は各 人 の意 志 よ り も強 く 、如 何 に意 志 の
茲 に注 意 す べ き は、 資 本主 義 への復 帰 が開 始 せら れ 、共 の復 帰 運
あ る と思 惟 し て居 た が為 であ る 。
強 い人 で も これ に は勝 て ぬ ので あ る。
こと は誰 し も等 しく 欲 せざ る処 であ る 。 そ こ で、 レ ー ニンは自 己 の
一言せね ば な ら ぬ。 固 よ り同 一主義 者 に し て二 派 に分 立 し相 互 争 ふ
新 経済 政 策 は 、是 れ即 ち共 産 主 義 と言 ふ幻想 的概 念 に対す る実 生
親 友 であ る と同 時 に又害 敵 でも あ る者 を慰 撫 す る為 に ﹁後退 は終 了
第 四 、労 農 政 権 の進 化 は余 儀 な い こと であ る
活 の勝 利 であ る。而 し て共産 党 は此 の譲 歩 は 一時 的 のも のに し て、
せ り﹂ と 供 述 し た のであ る 。
然 し、 事 実 は是 に反 し 、後 退 が終 了 し な い のみ か 、今 日迄 譲 歩 を
経 済 上 の後 退 は 随意 中 止 し 得 るも のな りと て自 身 を慰 撫 し て居 る が、 彼 等 の此 の事 に対 す る成 功 た るや甚 だ疑 は し い のであ る。之 れ位 の
継 続 し て居 る。斯 く て新 経 済 政策 は益 其 の根 底 を深 く す る に至 つた
﹁ 露 国 の現 状 を 解 剖 す る とき は 、労 農 政 府 が ク ロ ンシ ター ト の騒
の であ る。
算 す れ ば 、露 国 に於 け る物 価 は未 曾有 の安 価 であ る。
吾 人 は於 茲 、最 も至 難 に し て且 又露 国 経 済 界 の弱 点 と も言 ふ可 き 財 政 問 題 に言 及 せ ね ば な ら ん。
其 の金 銭 は世 界 的革 命 の宣 伝 と か 、 又 は国 内 の宣 伝 の為 に費 消 さ れ
革 命 の当 初 、即 ち 研磨 時 代 に於 ては政 府 は 金銭 を惜 し ま な か つた。
来 る。 又共 産 主義 熱 の冷 却 し つ つあ る処 には実 生 活 が自然 に復 興 し
た の であ る。 労 農 政府 は幾 十 万 の学 校 を開 設 し、 無 料義 務 教 育 を施
動 鎮 圧後 、益 其 の勢 力 を拡 張 す る の余 儀 な き に至 れ るを 知 る事 が出
つ つあ る﹂ 斯 は融 和運 動 の指 導 者 た るウ スト リ ヤ ロフ博士 の言 であ
国家 の食 糧 切 符 に依 り生 活 を し て来 た し、 又市 民 の全 部 と 、農 民 の
行 せ ん と し 、又 各都 市 にも 多 数 の大 学 を開 設 し た。露 西亜 の市 民 は 、
時 代 は 変 遷 し 、 一九 二一 年 は既 に 一九 一八年 及 一九年 の夫 れ では
大 部 分 は食 糧 切 符 以外 に給 料 を支 給 せら れ つ つあ つた ので 、政 府 は
る。
無 か つた 。 古 き貯 蔵 品 を 食 ひ 尽 し 、使 用 し 尽し 、 金 銭 は費 消 し尽 さ
ので あ る。 是 等 の二 つの原因 に依 り て留紙 幣 の価 値 が急 転 的 に落 下
し た事 は了 解 に難 く な い。 政府 は当 初 金 銭 の通 用 を廃 止 す る希望 を
莫 大 な金 貨 の予 備 を費 ひ尽 し 、準 備 のな い のに紙 幣 の乱 発 を や つた
有 し て居 た が為 、此 等 の こと に付 少 しも憂 慮 す る処 がな か つた 。然
れ 、外 国 の労働 階 級 より 後 援 を受 く る望 み と ても な く 、社 会 主 義 の
に急 変 を 来 し た の であ る 。若 し順 を追 う て 一九 二 一年 よ り 二三 年 に
幻 影 も、革 命 の夢 も、 一朝 にし て消 え 去り遂 に恐 る可 き露 国 の病疾
至 る間 の労 農 露国 の新 聞 を辿 つて行 つた なら ば 、 如何 に頑 固 な る過
事 とな つた の であ る。是 が為 政 府 は断 乎 た る手段 を執 つた 。 そ こで
し 一旦資 本 主 義 に復 帰 す る に及 び政 府 は 相場 の高 騰 と迄 は行 か な く
政 府 は益 共産 主 義 を放 棄 す る事 と な り 、斯 く て教 育 は料 金 制 度 と な
と も 、少 く と も停 止 す る処 を知 らざ る留 の低 落 を喰 止む る事 、換 言
個 人資 本 は認 め ら れ 、合 同 せら れ 、又 取 引所 は事 業 を開 始 し 、幾
り、 国 家 は劇 場 、学 校 、 工場 等 に対 す る補 助 を金 然 廃 棄 し始 め た。
激 派 と 雖 も 、露 国 の病 気 に急 変 があ つて 、其 の容 体 は 日 を迫 つ て恢
多 の銀 行 は開 設 せ ら れ つ つあ る の であ る。 諸 新聞 紙 は幾 多 の料 理店 、
政 府 は 一面 に於 ては 此 等 の補 助 を 廃 止 し て出 資 を少 く す ると と も に、
復 し 、 其 の経 済 情 態 は改 善 せら れ つ つあ る を認 め ざ る を得 な い であ
カ ー フ エ、 商 店 等 の広 告 を掲 載 し 、商 品 を 販売 す る特 種 の機関 が設
す れば 、 確 定 的相 場 の確立 に対 し て全 力 を傾 注 し な け れば な ら な い
置 せ ら る る に至 つた事 を報 道 し て居 る。 最 近 、莫 斯 科 、 ペト ログ ラ
と かを 徴 収 す る こと にな つた。
他 面 に於 て は収 入 の増 加 を計 り、之 が為 幾 多 の国 税 とか 又 は賦 課 税
らう。
ー ド其 の他 の労農 露 国 の大 都 市 に滞 在 し た る露 西 亜 人 や外 国 人 は等
国 家資 本 主 義 と いふ範 囲内 で経 済 政策 を樹 立 す る事 はプ ロ レタ リ ア
第 十 一回共 産 党 大会 に於 て、 従 来 の譲 歩 の みで は猶 足 らず 、且 つ
し く 、同 地 に於 ては高 価 であ る が如 何 な る品物 で も手 に入 ら ぬ事 は 無 いと証 言 し て居 る。 尤 も労農 紙 幣 にす れば 高 価 では あ るが 、金 貨 若 く は 外 国貨 幣 に換
政府 の国 策変 更 は 一九 二 二年 三 月 六 日 ﹁後 退 は終 了 せり ﹂ と言 ふ
国際 関 係 を結 ぶ の必要 を充 分 に認 め て居 る。 さ れば露 西 亜 は従 来殆
で あ る。 労 農 政 府 は例 へ極 端 な る資 本 主 義国 家 なり と す るも 、 対 外
亜自 身 が、 革 命 が陥 れ たド ン底 か ら自 力 で這 ひ出 る事 は到 底 不 可能
然 し如 何 に研 究 の度 を進 む る と も、 国 際 的援 助 を受 け な い で露 西
レ ー ニン の供 述 あり た る後 と 雖 、行 動 を中 止 す る こと が無 か つた 。
ん ど総 て の国 際会 議 に参 加 し 、 国家 若 く は個 人資 本 家 と条 約 を締 結
の国家 に は不 成 功 であ る こと が明 か に証 拠 立 てら れ た の であ る。
後 退 は停 止す る事 を知 らざ る のみ か猶 今 日迄 継 続 せ ら れ つ つあ る 。
紙 幣 十 万留 に等 しく 、 一九 二 三年度 の紙 幣 一留 は 一九 二 二年 度 の千
日迄 二 回程 繰 返 され た 。例 へば 、 一九 二 二年 度 の紙 幣 一留 は往 時 の
に留 紙 幣 の価 値 を金 貨 と 均等 にす る こと。 新 紙 幣 と の交 換 は既 に今
を 防 止 す る こと 、 二 旧紙 幣 を新 紙 幣 に交 換 し、 数 回之 れ を繰 返 し遂
略 に過 ぎ な い。 即 ち仏 国 をし て英 国 が露 国 に於 け る優 越 権 を得 るを
セツ シ ヨ ンの如 き皆是 れ単 な る虚 構 で各 国 の野 心 を 刺戟 せ ん為 の策
ワ ンダ ー リ ツプ ヘ譲 渡 せ る利 権 の如 き 、或 は又 シ ンク レ ル の コン
本 の流 入 を希 望 し つ つあ る事 実 を決 し て告白 し な か つた ので あ る。
又何 か其 の他 の原 因 に拠 つて であ る か、 彼 等 は露 西 亜自 身 が外 国 資
然 し、 共 産 党 は自 己 の無 能 を全 世 界 に暴露 す るを恥 ぢ た為 か或 は
せ ん こと を 企 図 し た。
斯 く て労 農 政 府 は財 政的 復 興 に関 し 凡 そ左 の如 き計 画 を樹 てた の
留 に等 し い事 にな つ て居 る。 然 し政府 は 一九 二二年 中 の数 箇 月 間 に
恐 れ し め、 日本 を し て米 国 と の競 争 を恐 れし め ん為 め に過ぎ な い の
であ る 。即 ち、一 留紙 幣 の相 場 を確 定 す る こと 、 竝其 の価 値 の低 落
紙 幣 価値 の低 落 を防 止 す る こと を 得 た が 、要 す る に、相 場 の確 立 に
政府 は資 本 階 級 や知 識 階 級 と 融和 し 、専 門 の技 師 、財 政 家 、 経済
ら な いの であ つて 、例 へば 聯合 国側 よ り労農 政 府 の公式 承認 がな く
挙 げ て掛 引 をす るけ れ ど も、結 局有 らゆ る こと に同意 し なけ れば な
で あ る。 現 下 の露 西亜 政 府 当 局 は 、常 に甚 し く懸 値 を言 ひ、 全 力 を
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対 し ては 不成 功 を以 て終 つたと いふ も 不可 な し であ る 。
る が破 壊 の程 度 は容 易 に処 理 す る こと の出 来 な い程大 き いも ので あ
論
国 際 的 関 係 を 結 び付 け んと す る露 西 亜 の企 図 に関 し て は他 日稿 を
結
と も 、通 商 条 約 のみ は締 結 し な け れば な ら な いと言 ふ情 況 であ る。
学 者等 を有 力 な 地 位 に招 聘 す るな ど 、 あら ゆ る手段 を講 じ た ので あ
つた 。共 産 党 は 此 処 に於 て施 政 方法 を研 究 す る必要 を感 ず ると 共 に
之 を隠 蔽 す る こと な く卒 直 に告 白 し た 。 ソヴ エー ト大 会 の席 上彼 は
を与 ふ る事 にせ む 。
改 め て論 じ て見 た いと思 ふか ら茲 に は右 に論 じ て来 り し も の に結論
従 来 大誤 謬 をな せる を認 識 し得 た ので あ る。 而 し て レー ニ ンは全 然
タリ ヤ の文 化 を創 造 せ んと し た 。夫 を創 造 せん が為 に は、 吾 々共 産
繰 返 し て 曰く ﹁吾 人 は幾 多 の愚 昧 な る所 業 を 為 せ り 。吾 人 は プ ロ レ
向 け んと し た共産 党 の企 図 は 、全 く反 対 の結 果 を齎 し た事 が認 めら
露 国 現 下 の情 勢 を観 察 す れ ば 、露 西 亜 を改 造 し自己 の欲 す る処 に
為 政首 脳 者 の 口よ り斯 の如 き 言 辞 を聞 く 事 は 極 め て価 値 あ る事 で 又
れ る 。彼 等 は露 西 亜 に於 て国 際主 義 の精 神 を鼓 吹 せん こと を望 ん で
党 は先 づ単 純 な 資 本階 級 の文 化 を研 究 せね ば な ら ぬ﹂ と述 べ て居 る。
特 別 の注 意 が是 に払 は れ たも の であ る事 を 認 め ね ば なら ぬ。
し 来 り殆 んど 末 曾有 の程 度 に達 し、 対 波蘭 戦 争 中 の如 き に於 て殊 に
には所 謂 国家 的精 神 が発 達 し た のであ る。愛 国 的 精 神 は極 め て高 調
居 た が、 白系 運 動 や外 国 の干 渉 等 に対 す る闘 争 が続 いた為 、露 西 亜
運 に在 り 、 且又 復 興 せ ん こと を 焦 慮 し 、各 国 と の通 商 を行 ひ 、且 つ
然 し 、極 度 迄 破 壊 せ ら れ 、赤 貧 と な つた露 国 は 、今 や漸 次復 興 の機
ろ 国 家的 資 本 主 義 よ り も純 資 本 主 義 に近 いと言 つて よ い位 で あ る。
経 済的 見 地 から言 へば 、現 今 の露 西 亜 は殆 ん ど資 本 主義 国 で、 寧
て生 ず べ き問 題 であ る が 、若 し之 が勃 発 す ると せ ば、 勿 論総 て のも
将 来 は如 何 ⋮ ⋮ 世界 的革 命 の有 無 は各 国 政 府 の能 不 能 如何 に依 り
協 商 を結 ば んと し つ つあ る の であ る 。
夫 れ が発 露 を 見 た のであ る 。 共産 主 義 の露 西亜 は戦 争 や軍 国主 義 の精 神 を排 斥 し た け れ ども 資
のは 転倒 し なけ れ ば な ら ぬ。 又 総 て他 の国 家 は 、露 西 亜 が革 命 勃 発
本 主義 の隣 邦 に包 囲 せ られ 居 るが為 、 ソヴ エー ト政 府 は 其 の主 張 に 反 し 、 旧時 と 同 様 に大 軍 隊 を維 持 しな け れ ば な らな か つた ので あ る。
戦 争 の勃 発 しな い こと を祈 る処 であ る 。若 し然 ら ば 、露 国 政府 の態
界 的 革 命 の如 き は 、有 り得 べ き事 では な いと 思 ふが 、新 た に世 界 的
後 の二 三年 間 嘗 め て来 た と同 一の憂 目 を見 な け れ ばな ら ん 。然 し世
私有 を排 し、 資産 階 級 を撲 滅 し た政 府 は 、其 の富 源 を 他 人 に譲 り 以 て新 た に資 産 階 級 を創 造 し た ので あ る。 宗教 に対す る圧 迫 は 、国 民 の間 に極 め て緊 張 し た真 面 目 な宗 教 心 を 植 付 け た の であ る 。
れ ぬ。 或 は 又憲 法 会議 の開設 を見 るか も知 れ ん。然 し それ が無 くと
将 来 に於 て寧 ろ右 党 に偏 す る も のが政 府委 員 と し て参 政 す る か も知
な し た。 今後 と雖 尚 幾 多 の譲 歩 に甘 んず る で あら う。 故 に或 は 近き
主 義 化 せ し む る が如 き は到 底 思 ひ も よ ら ぬ事 にな つた。 是 れ 共産 党
も露 国 政 府 は漸 次 堅 実 と な り 、知 識 階 級 の協 力 者 と し て国家 の需 要
度 変 更 は尚 ほ継 続 せら る る に相 違 な い。共 産 党 は既 に大 な る譲 歩 を
に取 つ ては不 愉 快 の事 では あ るが 、最 も重 要 視 す べ き事 で、 兎 に角 、
に応 ず 可 き 海外 露 国 移 住 民 の大 多 数 の為 に も、 将 又早 晩 露 国 政府 を
政 府 は 私有 権 を取 上 げ た が為 、却 つて国 民 の各 階 級 殊 に農 民 の間
露 西 亜 は 農国 で あ る こと を忘 れ ては な ら ぬ。 然 ら ば露 西 亜 に於 て発
承 認 す べき 運命 に あ る其 の他 の聯 合 国 の為 に も承 認 せ ら る る政 府 と
に私 有 権 の本 能 性 を 発 揮 せ し め、其 の結 果 彼 等 を共 産 主 義 又 は社 会
達 せ んと し た共 産 主 義 の齎 ら せ るも のは何 ぞ やと言 へば 其 の術語 と
上 から 見 れ ば 現今 の露 西亜 は 、社 会 主義 的 共 和 政 体 であ る が、 これ
乎 た る純 ブ ルジ ヨア観念 と衝 突 し 見 事 に破 れ た の であ る。 更 に政 治
も 絶望 とす る処 であ る が若 し此 の事 が起 り 得 べ き も のと し たな ら ば 、
産党 政 府 を倒壊 す る が如 き 事 ⋮ ⋮此 の事 に対 し ては 白党 主 脳 者 と雖
若 し又 、死 滅 し た白 系 運 動 が復 興 し来 り、或 る外 国 の後 援 の下 に共
斯 く し て、露 西 亜 は現 実 的 に資 本 主 義 的 民主 国 と な る であ ら う 。
成 る可 しと 信ず る の であ る。
社 会 革 命 に 対す る夢 想 と言 ふ より外 に無 いの であ る。 実 質 上 か ら言 へば 革 命 の露 西 亜 は個 人 の所 有 権 を 認 む るブ ルジ ヨ
は恐 る る に足 ら む。 何 と な れ ば統 治 者 は国 民 でな く 一党 派 であ る以
其 の結 果 は右 に述 べ た る も のと 同 じ事 にな ら ね ばな ら ぬ。 或 は露 国
ア国 に変 遷 し た に過 ぎ な い。而 し て共産 主 義 は露 国 農 民 の懐 け る確
上真 正 の民 主 国 と も言 へぬ のであ る。
国 の復 興 を速 成 す べ き かと 言 ふ事 は甚 だ断 言 し難 い の であ る。 兎 に
に立脚 せ るも ので な けれ ば な らむ 。 果 し て然 ら ば 如何 な る政 府 が露
の政 体 は他 の形式 を執 る かも知 れ ぬ が其 の内 実 は資 本 主 義 民主 々義
る事 を頗 る危 険 視 し つ つあ る にも拘 らず 、 労農 露 国 と交 渉 を遂 げ 条
某 国 の如 き は 、資 本 主 義 国家 と共 産 主 義 国家 と の間 に協 約 を締 結 す
事 と な る。 其 の結果 と し て、各 人 の注 意 が先 づ露 国 に向 け ら れ、 某
生産 品 の販 路 や原料 品 の獲 得 の為 に何 れ か の市 場 を 求 め ね ばな ら ぬ
を 増 し 、国 内 の秩序 を乱 す 虞 があ る から であ る。 斯 う な る と、 勢 ひ
又 極 最 近迄 殺 人及 掠 奪 者 の集 団 な り 、巣 窟 な り と し て嫌 忌 せ ら れ た
故 に各 国 は是 を認識 し 、従 前 の露 国 封鎖 も中 止 せら るる に至 つた。
る こと で又 露 国 自 身 の為 に も 、或 は 他 の国 の為 に も必要 な事 で あ る。
露 国 と他 の聯 合 国 と の間 に通 商 を復 興 せ しむ る事 は避 く可 か らざ
約 を結 ぶ に至 れる は 、当 然 の成 行 と言 ふ べき で あ る。
る。 極 東 貿易 の前 途
角 露 国 に於 け る共産 主 義 は 既 に真 髄 を 失 つた こと は 明 か な事 実 であ
第 二編
胆 を砕 い て居 る。 又戦 争 中 自 国 の工業 を発 達 せ し めた 米 国 と 日本 は 、
撃 を 与 え た。 植 民 地 と対 外 貿 易 と を失 へる独逸 は輸 出 業 の復 興 に心
労 農 政 府 の代 表 者 は 、各 国 と の国 際会 議 に臨 席 し 、各 国 代 表者 に彼
世 界 戦 争 と露 国革 命と は 世界 の経 済 上 に又各 国 の商 工 業 に 一大 打
に市 場 の開 拓 を 切望 し て居 る。然 る に経済 的破 壊 の苦 境 に立 至 れ る
最 近 五 六箇 年 間 に求 め得 た る販 路市 場 を 維 持 せ ん こと に努 め 、尚 更
等 と 協 商 を為 す に至 つた 。 又独 逸 、 土 耳古 、英 国 の如 き 国 は既 に露
れ に対 し 急 が な いけ れ ど も 、主 義 上 協約 の締 結 を 必要 と認 む る時 は、
露 国 は世 界 取 引 市 場 よ り全 く 切 り離 され て居 る 。併 し戦 前 の露 国 は
勿 論 迅 速 に之 を決 行 す る の機 運 に あ るが 、何 と言 う て も米 国 は 他 の
国 と 通 商条 約 を締 結 し 、其 の他 の国 、例 へば フィ ンラ ンド 、瑞 西 の
層 深 か ら し め、 これ よ り受 く る打 撃 は各 聯 合国 の等 しく 痛 感 す る処
国 々 より も 、比 較 的 経 済 上好 况 に あ る。然 る に日 本 に於 て は販 路市
如 き は、 之 れ が協 商 中 で、仏 国 は条 約 締結 の探 り を 入 れ、 米 国 は是
であ る。殊 に幾 多 の工場 を新 設 し 、労 働 者 の数 を増 し、 工業 の発 達
露 西亜 が 一時 世 界 市場 に参 加 せざ る事 は、世 界 の経 済 的 混 乱 を 一
を完 成 せ し め た国 家 に取 り ては 尚 更此 の打 撃 の程度 は大 であ る 。戦
回露 国 と 通 商条 約 を締結 せ ん と試 み、 今 や第 三 回 の日露 会 商 を 開催
場 を獲 得 す る こと は 最 も緊 急 問 題 と な つて居 る。 日本 は既 に前 後 二
外 国 工芸 品 の大 需 要 国 で あ ると 共 に各 国 原 料品 の大 供 給 国 であ つた。
争 に直 接参 加 し な か つた他 の国 々は、 此 の機 に乗 じ、 戦 争 に忙 殺 せ
て、 原 料 品 を輸 出 し 工業 製 品 を輸 入 し て居 た の であ る 。
元 来 、 露 国 は農 業 国 で 工業 国 で な い から 、戦 前 にあ り て も主 と し
あ る。
が故 に、 本条 約 は 日本 に対 し 果 し て何 物 を齎 す やを 説 明す る の要 が
す る道 程 にあ る。 抑 も 日露 通商 は 日本 に取 り極 め て重大 問 題 であ る
ら れ て居 た国 に代 ら ん と し 、自 国 の工業 を 極度 迄 発 達 せ しめ た ので
今 や工業 製 品 の過 剰 を来 し、 供給 多 く 需 要尠 く 、生 産 の程度 を縮
ある。
政 治 上 又 は経 済 上 の観 察 を以 てす れば 、 生 産 を制 限 す る事 は望 ま
減 す るか 又 は新 た に販路 を耕 さね ばな ら ぬ心境 に到 達 し た の であ る。
し く 無 い事 であ る。 と言 ふ のは 、是 が直 接 の結 果 と し て失 職 者 の数
露 国 の工 業 は 、中 部 、 南部 、西 部露 西亜 に集 中 統 合 せら れ て居 て、 西 伯 利 と 極 東 に於 け る製 造 工業 の発達 は 極 め て遅 々た るも ので、 戦 前 欧 露 よ り工 業製 品 の供 給 を受 け、 一部 を 外 国 よ り輸 入し て居 た。
に突 如 と し て戦 乱 は勃 発 し て露 国 通 商 は 中止 せら れ 、他 国 は自 国品
殆 んど露 国 の対 外 貿 易 を 独占 し て居 つた と言 ふ こと が出 来 る。 然 る
は北 氷 洋 及 白海 を経 た の であ る が 、大 部 分 は太 平 洋 岸 の各 港 、 殊 に
加 ふる にバ ル チ ツ ク海 及 黒海 は閉 鎖 せ ら れ、 露 国 への輸 入 は 一部
を露 国 へ供 給 し得 る やう にな つた。
浦 塩 を経 て輸送 せ ら れ ねば な ら ぬ事 と な り 、 日、 米 の為 に は有 利 と
今 や欧 露 より 西 伯利 への 工業 品 の輸 入 は 、 今 後 尚長 い間 復 興 す べ き 見 込 なく 、勢 ひ西 伯利 及 極 東 は 、支 那 、 日 本 、米 国 又 は 一部 欧州 諸
米 国 は戦 前主 と し て綿 花 、農 具 等 総 額 四千 万 弗 を露 国 に輸 入し て
な つた の であ る。
国 よ り の輸 入を 仰 が ね ばな ら ぬ情 勢 にあ る。 之 に代 ふ る に西 伯利 及 極 東 は木 材 、魚 類 、鉱 石 、皮 革 、 獣 毛其 の
は 一九 一四年 露 国 に各 種 商 品 一千 万円 、 一九 一五年 には 七千 八 百 万
居 た が、 一九 一六年 に は右 金額 を 三億 弗 迄増 加 した の であ る。 日本
他農 産 物 を供 給 す る こと が出 来 る。 加 之 、露 国 経済 界 は極 度 迄破 壊 せ ら れ た る に拘 らず 、西 伯 利 は 未 だ国 内 の各 地 方中 比較 的 破 壊 の度
円 、 一九 一六年 には 一億 一千 七 百 万円 を輸 入 し た。 而 し て独 逸 品 と
が少 い。 今 や露 国 は復 興 に向 ひ つ つあ る が、殊 に生産 工業 より も遙 か に速 か に復 興 の機運 に向 つ て居 る のは農 業 であ る 。従 つて西伯 利
の競 争 な き 為 、 日本 の工業 は 迅速 に発 達 し た のであ る。
革 命勃 発 後 、外 国 への送 金 を厳 禁 す る法 令 が発 布 せら れ た 。此 の事
一九 一六 年末 に及 び贅 沢 品 輸 入禁 令 が発布 せ ら れ、 一九 一七年 の
は輸 出 す べき も のを有 し て い ると同 時 に、 工業 生 産品 、即 ち 織物 、
が為 、西 伯 利 に第 一着 に手 を出 す も のは競 争 者 も 無 き広 汎 な る市場
雑 貨 、化 学製 品 、 農 具其 他 の供 給 を受 く る事 を期待 し つ つあ る。 之
に総 額 七千 四百 万 円 の商 品 を 輸 入 し た に過 ぎ な い。 而 して其 の後 は
益減 少 を示 し 一九 二 〇年 に は僅 か に二千 三 百 万 円 、 一九 二 一年 には
は 対 日貿 易 上 に確 かに著 しき 影響 を与 へ、 一九 一七 年 中 日本 は露 国
約 一千 四百 万 円 の輸 入 に過 ぎ な か つた が、 労農 露 国 の沿 海 州占 領 後 、
を 獲 得 し 得 る事 と て、莫 大 な る利益 を占 む る事 が出 来 る 。唯 之 が為
に於 け る物 価 は外 国 貨 を 以 てす れば極 め て安 いの であ る 。更 に 日露
と 共 に、価 格 の点 に於 て適 当 な も の でな け れば な ら ぬ。蓋 し 、露 国
此 の数字 は益 減 少 し た の であ る。 然 る に 日本 の工業 は依 然 と し て発
には 、其 の工業 製 品 は品 質 に於 て西 伯 利 住 民 の需 要 を 満足 せ しむ る
通 商 の過 去 を尚 詳 細 に究 む る に、戦 前 に於 け る 日露 通 商 は極 め て微
物 も 無 い。米 国 は露 西 亜 と の取 引 を 為 さ ざ る に反 し 、独 逸 は 自 国品
日 本商 品 の販 路 市 場 と し て 、欧 露 西 伯利 及 極 東 に優 れ たも のは何
身 も 認 め て居 る。
の上 に於 て 、独 、 英 、米 の製 品 の敵 では な い こと を 日本 の経 済家 自
達 し来 り生 産 品 の販 路 を 求 む る必 要 が あ る。 尤 も 日本 工業 品 は品 質 ︹マ マ︺
微 セ るも ので 、 日本 より露 西 亜 への輸 入額 は 五百 万 乃 至 六 百 万円 で あ つた 。 其 の原 因 とし ては 、両 国 了解 の境 尠 く又 日本 の工業 未 だ発 達 せず 、 其 の製 品 の質 は極 め て粗 悪 な も の であ つた事 な ど であ る が、
ら であ る。即 ち 独逸 は 一八 九 四年 及 一九 〇 四年 通商 条 約 締 結 の結 果
然 し主 要 な 原 因 は 、露 国 対 外貿 易 の六 〇 % は 独 逸 の掌 中 に在 つた か
革 命前 に於 て は、 日本 よ り露 国 への主 要 な る輸 出 品 、 銅 及 銅製 品 、
命 後 其 の輸 出 商 は 一般 に減 少 した け れ ど も露 国 の主 要 な る需要 品 は
青 銅 、亜 鉛 、精 製皮 革 製 品 、 薬 品 、毛 織 物 及 綿織 物 等 であ つた。 革
を供 給 せ ん事 に努 め、 既 に極東 の各 港 には 独逸 品 を満 載 せる商 船 が 到 着 し つ つあ る。 其 の商品 た る や品 質優 良 にし て、 独 逸 の馬 克 相 場
課 せ ら れ つつあ る為 であ る。 又戦 争 の結 果 独逸 商 品 の数 は極 度 迄 減
に在 る 、と言 ふ のは独 逸 か ら の輸 入品 に対 し て は、 過 大 な 輸出 税 が
逸 は自 国 経 済界 の頽 廃 の為 充 分 な需 要 を 満 たす ことは 出 来 な い状 態
日本 は目 下幾 多 の優 越 点 を有 し て居 る事 を忘 れ て はな ら ぬ。即 ち独
発 し続 いて同 胞 戦起 る に及 び、 露 国 に於 け る此 の種 の工 業 は殆 んど
業 製 品 の輪 入 は大 し た も ので はな か つた の であ る 。然 る に、革 命 勃
毛 織 及綿 織 工業 は国内 の需 要 を充 分満 足 せ しめ得 た る が為 、織 物 工
変 つた のは如 何 な る原 因 に依 る の であ る か、 是 れ革 命 前 には 欧露 の
薬 品 、 石 炭 、葡 萄 酒 、麦 酒 等 之 れ に次 いで居 た。抑 も斯 く 需 要品 の
他 の商 品 に変 遷 し綿 布 類 が第 一位 を占 め 、衣 類 、靴 、 メ リ ヤ ス類 、
少 し て居 る。 一方 日本 は露 国 に接 近 し 、極 め て短 期 間 に注 文 に応 ず
破 壊 せら れ 、之 れ が恢 復 に は尚 幾 多 の歳 月 を要 す る のであ る。為 に
独 逸 品 は勿 論 日本 品 の敵 であ つて、競 争 に堪 へ得 るも ので あ る が、
下落 し た る為 価格 も低 廉 であ る。
る 事 が出 来 、 日本 の資 本 は戦 前 の夫 れ に比 し倍 加 し て居 る。其 他 極
西 伯 利 は 此 の種 の生 産 品 を要 求 し つ つあ る の であ る 。
入高 は輸 出 に比 し余 程 高 調 を 示 さ ね ばな ら な い事 は誰 し も 会得 す る
時 に急進 発 展 す る も の では な い。 然 し て始 め は 日本 より露 国 への輸
地 よ り 一時 救 ふ絶 対的 威 力 を 有す る も の では な い。勿 論 、 通商 は 一
若 し 日露 通 商条 約 が成 立 し た とす る も条 約 は 日露 両 国 を 経 済 的窮
な るも のな る が故 に、 茲 に此 の問 題 に関す る事 は避 け よう と 思 ふ。
ざ る処 であ る が 、此 の問 題 は極 め て広 汎 な る範 囲 に亘 り 而 か も重 大
林 業 、 石 油採 集 業 、 鉱 山業 等 の コン セツ シ ヨンを得 可 き は疑 を容 れ
来 る であ ら う 。対 露 通商 条 約 締 結 後 、 日本 は幾 多 の利 権 即 ち 漁業 、
日本 商 人 は之 に代 ふ る に各 種 原 料 品 、農 産 物 、毛皮 類 を得 る事 が出
貨 、 米 、砂 糖 、燐 寸 、煙 草 、蝋 燭 、 文 房具 、食 器 類 であ る。 而 し て
せ る商 品 以外 に西 伯 利 へ輸 入 せら るべ き も のは 、農 具 、新 聞 紙 、雑
綿 布 類 が常 に第 一位 を 示 し居 た る革命 中 、 日本 よ り露 西 亜 へ輸 出
東 及西 比利 亜 の住 民 は、幾 分 日本 品 に慣 れ 居 る な ど、 日 本 の為 に は 有 利 な点 が多 い ので あ る。 然 し此 の二三年 間 に於 て は 日本 は多 く を
処 であ る。 そ れ は 日本 の工 業 が完 備 せ る に反 し、 露 国 に於 て は農 業
望 む べ からず 。
す ら極 度 迄 破 壊 せ ら れ て居 るが為 で あ る。然 し将 来 に於 け る 日露 通
論
露 国 は革 命 の為 破 壊 せ ら れ た が、 今 や復 興 の機 運 にあ る。露 国 は
結
経 済 状態 の復 興 、 又 は運 輪 状 態 の向 上、 改 善 又 は私 有 権 、 私有 財 産
であ る。 世 界 の経済 的 行詰 り は、 露 国 の協 力 無 く て は恢 復 せしむ る
農 民 を 信 頼 し 、個 人 の私有 権 を拡 張 し来 り漸 次 鞏固 とな る こと は明
商 は 、年 々向 上発 達 す 可 し と 予言 す る こと が出 来 る。露 国 に於 け る
の確 実 と成 る に及 び 、商 業 は 発達 し来 り 必 ず見 る べき も のが あ る で
こと は出 来 な い。 日露 間 の通 商 条 約 締 結 は是 非 共 必要 で、 日本 は真
あ ら う 。然 らば 日本 は此 際 何 物 を供 給 し得 るや 、西 伯 利 に要 す る も のは何 で あ るか 。
(終 )
先 に之 を決 行 す る方 有利 で あ る。然 し 日本 は是 に対 し 一時 に多 く を 望 む 可 き で な い。
庶 務 部調 査 課 長
は 黒 竜 湾 の沿 岸 に浦潮 市 建 設 の基 礎 を置 き 、他 面 黒 竜 沿岸 に於 ては
漸 次 農 民移 民 を創 始 せ り。 爾 来 六十 五年 間 大殖 民 と 文 化事 業 と には、
庶 調 情 第 三 一六号
四 一 黒 竜 江 及 松 花 江 航 運 史 並 航 運 業 の現 況
大 正 十 二年 六月 三 十 日 ル ス キ ー ・ゴ ー ロス掲 載
露 国 々民 一天 禀 を 以 て実 行 し 来 れ る も のとす 。
航 行 船 舶 は 五隻 の官 船 を 算 す る に至 り、 一八七 二年 には政 府 の補 助
建 造 し 、黒 竜 江 の航 運 を開 始 し た る が、降 て 一八 五 七年 には黒 竜 江
之 よ り前 一八五 四年 シ ル キ ン スキ ー工場 に於 ては 汽船 アルグ ニを
関 東 軍 参 謀 部 訳
黒竜江及松花江航 運史並航 運業 の現況 一八 五〇 年 (七 三年 前 ) 八月 一日 ネ フ スキ ー提 督 の黒 竜 口尼 港 原
︹ネ ヴ ェ リ ス コ イ ︺
頭 に、初 め て露 国 々旗 を樹 てし 以 来 、黒 竜 江 は海 洋船 舶 の航 行 に適
下 に 、黒 竜 汽 船組 合 の創 立 を 見 、汽 船 一二隻 を以 て定期 航 運 業 を開
更 に 一八 九 二年 に は黒 竜 汽船 貿 易 会 社 の創 立 を 見 、完 全 な る現代
始せり。
一八 五八 年 五 月 十 六 日〓 琿 条約 に依 り露 支 国境 を設 定 し 、其 の結 果
江流 域 には 個 人 の所 有 に属 す る船 舶 は馬 力 一二 、〇〇〇 を有 す る汽
式 の客 船 及 荷 物 の航 運 を開 始 す る に至 り 、又 一八 九 五年 に於 ては同
一八 五 五年 六 月 十 四 日黒 竜 江全 北岸 は露 国 と連 繁 を取 るに至 り、
す る こと を知 れ り 。
沿 黒竜 地 方 及 黒竜 江 は露 国 に併 合 せら れ 、 茲 に締 約 両 国 の利 益 を尊
る に至 れり 。
船 五 、六 隻 、貨 物 七〇 〇 、〇〇〇 噸 を積 載 し得 る荷 船 六 四隻 を算 す
重 し 、黒 竜 江系 大 部 の流 域 は露 国 の所 有 に帰 せ り 。即 ち 此 に於 て露 国 は世 界 最 大 河 の第 十 位 な る大 河 を獲 た る な り 。而 し て十 六 の支 流
二〇 隻 、 荷 船 三 六七 隻 の大数 に激 増 せ り 。而 し て木 造船 は主 と し て
業 、林 業 、農 業等 の発 展状 況 に伴 ひ 、逐 次 大 発 展 を招 来 し、汽 船 三
黒 竜 江 航 運 界 は 一九 一 一年 に至 るや北 満 に於 け る移 民 の増加 及 漁
を有 す る黒 竜 江 の汽 船 航 行 距離 は 一〇 、 〇 九 五露 里 にし て、黒 竜 本 流 のみ の航 行可 能 距 離 は 二、 六 四 四露 里 、其 の流 域 地 方 の面 積 は 一、 七 二 二、 一三 八平 方 露 里 に達 す 。 一八 五 八年 ゼイ ス キー 河 口には 武 市 の建 設 を見 、 又 一八六 〇 年 に
武 市 に於 て建 造 せら れ 、此 他 の汽船 及 機 械 、機 関 等 は露 国 に於 ては
スキ ー 工場 に於 ては 一〇 隻 の河 川砲 艦 も建 造 し 、 一九 〇 六年 には バ
護 に焦 慮 し、 茲 に黒 竜 艦 隊 の建 設 を開 始 し 、 一九〇 三 年 ソ ル モー フ
ル チチ エ スキ ー工場 亦 八隻 の装 甲浅 吃 水艦 を 建 造 し、 一九〇 七年 に
ソ ル モー フ ス キ ー及 ウ オ ツ キ ン スキ ー 工場 に於 て製 造 せら れ 、 又白 国 ジ オ シ コツ ケ リリ会 社 及 英 国 アー レ ン マク レ ロ ン会 社 に注 文 さ れ
航 運業 の隆 盛 を喚 起 し た る主 要 原 因 は 、 一九 一 一年 よ り同 一三年 に
し て黒 竜 水 路 署 も 一九 一 一年 より 一九 一五年 に亘 り 五年 間 の事 業 計
ダ ツチ ー を長 官 と す る黒 竜 遠 征 隊組 織 せ ら れ、 又其 の事 業 の 一部 と
一九 一〇 年 及 一九 一 一年 極 東 調 査 の目的 を以 て エ ン ・エル ・ゴ ン
は 黒竜 江 湾 用 と し て 四隻 の砲 艦 建 造 の註 文 を 受 け た り。
亘 る間 、殖 民 の激 増 を見 た る に在 り 、当 時 黒 竜鉄 道 の建 設 及 運 賃 の
の事業 は熱 心 に実 行 せ ら れた るも 、 一九 一四 年 に至 り欧 洲 大戦 の勃
画 を 立 て 、其 の経 費 と し て 一九 、 五 〇 〇千 留 を支 出 せ り。而 し て此
黒竜 江 流 域 に於 て造 船業 の最 旺 盛 な りし 時 代 は 一九 一二年 にし て 、
た り。
に与 て力 あ り し も のと す。
低 率 、其 他 政 府 の航 運 業 に対 す る間断 なき 援 助 等 は 、斯 界 の大発 展
黒 竜航 運 界 に取 り 大影 響 を受 く る に至 れ り。 今 左 に黒 竜 江航 運 界 に
後 段 に於 て述 ぶ る 一新 期 を劃 す る に至 り 、爰 に戦 前 及 戦後 革 命 期 中 、
発 に際 会 し、 黒 竜 江流 域 航 運 界 の歴 史 上 に は全露 国 と共 に、吾 人 が
水 路 署 当 局 の間 断 な き 監督 の下 に航 路標 識 を設 け浚 渫 を為 し、 或 は
及 ぼせ し影 響 の史 的 重要 事 項 を 記 す れ ば 、
此外 航 運界 の改 善 策 と し て黒 竜 江 水流 及 砂 洲等 を調 査 し、 又 黒 竜
船 舶繋 留浮 標 を設 け 、 又尼 港 経 由 黒 竜流 域 系 の貨物 輸出 事 業 及 定 期
1 、 一八九 七 年 東 支鉄 道 会 社 が必要 上英 国 に船 舶 を註 文 し た る当 時 、
流 域船 主 が東 支 鉄 道 の建 築 用 材 料 の輸送 を 一層低 利 を以 て応 じ た
郵 便貨 物 、航 路 維 持 費 と し て国 庫 の直 接 援 助 等 は 、 之 れ皆 航 運 界 を
ら ん には、 航 運 界 は 一層 の大 発 展 を な し た るも のな るべ し 。斯 る
発 展 せ し め た る所 以 と す 。 又流 域 に於 け る金 礦 業 の迅速 な る発 展 は 、 物 質 及食 糧 品 の供 給 を 促進 し 、且 殖 民 の急 速 な る発 展 は農 産 物 の有
2、 一九 〇〇 年 の拳 匪 事変 は黒 竜 流 域 に於 け る航運 界 を衰 微 せ し め、
尚 今 日 も競 争 の止 む な き状 態 に遭 遇 し あ る所 以 とす 。
状 況 な り し を以 て船 主 側 は甚 大 な る利 潤 を喪 失 し た る のみ な らず 、
利 な る販 路 を拡 張 せ しむ る に至 りし な り。 黒 竜 貨物 輸 送 会 社 の 一九 〇 〇年度 輸 送貨 物 数 量 は 二〇 百 万布 度 百 に上 り 、 一九 〇 六年 度 三〇 百 万布 度 、 一九 一 一年 には 一躍 し て八〇 百 万 布 度 を突 破 せ る状 況 な り し 。次 に 一九 一 一年 に於 け る乗 客 運 輸
3 、 一九 〇 四年 の日露 戦 争時 に於 け る黒竜 航 運 用船 舶 は殆 ん ど戦 役
殆 んど物 資 の転 換 を 停頓 せ し めた り 。
量 も主 要 支流 を合 し 二、〇 一二 、 四三 四布 度 に達 し 、林 業 界 の発 展
の使 用 に従 事 し、 一九 〇 六年 末 時 よ り 一九 〇 七年 に於 ては戦 役 の
状 況 を 見 る に支 流 を合 し六 二 九 、八 六 七 に 上 り、 荷 船 の運 送 貨 物 数
も目 覚 し く 木材 の浮 流 高 は 一九〇 〇 年 四 百 万布 度 、 一九 一 一年 には
結 果 と し て 、商 工 業 界 の不 景 気 を 招 来 し自 然 航 運界 の不 振 を惹 起 せり 。
一七 百 万 布度 に 一躍 せ り。 極 東 地 方殖 民 上露 国 政 府 は 水路 には 莫大 な る経 費 を投 じ 、其 の保
大 な る資 金 の流 入 あり し に依 り、 黒竜 上流 に至 る物 資 の輸 送 は大
4、 黒 竜鉄 道 の建 設 開 始 と 共 に、 特 に 一九 〇 八 年 より は極 東 に は莫
査材料なきを以て、之 が詳細 を記す るを得ざ るも、国立黒竜水路運
現下黒竜江流域 は露 国人 の掌中 に在るも、之 に関 する確実なる調
汽船 三五隻、荷船六 一隻、個 人所有汽船三隻な るは明瞭 にして、之
輸部 の支配下 に在 る全国民船舶中、今年 の航運 に使 用し得 るも のは、
5 、 一九 一四年 欧 洲 大 戦 の宣戦 に際 会 す る や 、黒 竜 流系 露 国 人個 人
れ即 ち黒竜江 に於 て露国人 の掌中 に残留す る汽船 の全数 なるを知 る
に振 興 し 、爾 来 欧 州 大 戦時 迄 此 状 態 を持 続 せ り。
所 有 商品 は悉 く 動 員 せ ら れ たり 。 然 れ ど も東 方 より移 輸 入貨 物 の
に足 る。
花 江哈爾賓迄往復 の航行を経営し来 りしが、 一八九七年及同八年 に
東支鉄道会社 の船舶を所有 せざ りし以前 に於 ては、黒竜江より松
輸 送 に て繁 劇 を極 めた り 。 斯 く て 一九 一七年 黒 竜 貿 易汽 船 会 社 は前 年 以 上 の成 績 を 挙げ んと し大 に劃 策 す る と ころあ り 、然 る に 一九 一〇年 以 来 支 那 人 は黒 竜 江
会社 は、 一八九七年英国 に四〇〇馬力を有 する同型汽船 の 一五隻、
始 し前者は大 に衰弱す るに至れり。而して既 に述べし如 く東支鉄道
よ り松 花 江 用 と し て船 舶 購 入 の注 文 続発 せ る の状 況 に至 り し を以 て、 至 り東支鉄道会社は松花江航 運業 の大発展 を期し、汽船 の建造を開 露 国 政 府 は露 国船 舶 を保 護 す る政 策 より 、 一九 一五年 十 一月 二 日及
一九 一七年 に至 り露 国 革命 勃 発 し 、同 年 末 に は ソヴ エート政 権 は
に在 ては始終 一貫 して活動し、 一九 二二年秋季迄就役せり。而し て
右注文汽船は 一八九八年 より航運 を開始 し、東支鉄道 の建設時代
︹マ
一九 一六年 一月十 六 日、 同 五 月六 日附 を 以 て戦 時 中 は 外 国 々旗 掲 揚 マ︺
と に露 国船 舶 の転 移 を制 限 す る旨 の法律 を 公布 し、 二年 間 此法 律 を
の浚渫船 一隻及黒竜江連絡船として七〇乃至 一〇〇馬力 を有す る汽
鋼鉄製荷船四〇隻 、又仏国 には 一〇〇馬力 の汽船二隻 、 一五〇馬力
黒 竜 に迄 其 の勢 力 を及 ぼし 来 れ り。 此 に於 て或 船 主 の如 き は自 己 所
東支鉄道会社 の水運業経営開始時後 、此等船舶 は 一九〇二年 よりは
し。
有 船 の喪失 を危 惧 し、 早 く も武 、 哈 よ り哈 市 に引 揚 げ 来 り て 、支 那
したるが、換言すれば此期 よりは鉄道 の職 務労 役 (建 設 材料 の運
松花 江流域各埠頭 に於 て、東支鉄道行個人貨物 の哈爾賓輸送に従事
船 二隻及木造荷船 一九隻を註文せり。
有 効 と せり 。之 れ即 ち 露 国 船舶 の売 却 を禁 止す る趣 旨 に外 な らざ り
人或 は日本 人 に売 却 す るも の続 出 せし が 、 一九 一九 年 の 一ケ年 に於
東 支鉄道会社 の航 運業 と併合し て露国人会社及個 人船主も活動 し
搬)より営業上 の補 助勤務 に移動したるも のと言 ふべきなり。
て汽 船 六 四隻 、荷 船 四七 隻 の売 却 を見 た る状 況 な り。 其 の後 内 乱 戦 の結 果 多 数 の船 舶 を滅 却 し 、 現 に哈 府 を距 る三 十露 里 の地 点 に於 て
て活動し来 りしものは単 に東支鉄道会社 の航運部 のみとす。而して
来りたるが、今 日迄松花江航運業 に於て所謂、純露国 人の事業とし
も リ ユク ス及 カナ ウ イ ノ の 二汽船 の沈 没 し あ る を知 る。 一九 一七年 末 政権 のソヴ エー ト に移 り し 当時 、黒 竜 江 船 隊 の編 成
東支鉄道会社 が航運事業を開始す るや、松花江流 域及其 の北部地方
内 に属 せし 船 舶数 は 二〇 八 隻 、 四 六、 一三 五 馬力 、積 載 噸 数 一、 八 〇 七 、 五〇 〇 布度 、牽 引 能 力 六 、 二 一九 、 五 〇 〇布 度 な りし 。
に於 ては忽ち殖 民を見 るに至 りたるが、此地方 は元来 支那南方 の人
の繁劇を促進し、又哈爾賓及松花江埠頭 には露国人及外国 人 の輸出
耕 地を増し、農産物 の余剰を生 じ茲 に輸出物資を見、勢 ひ地方交通
余 の三 六% は支 那戎 克 及 支 那 在 来 の交 通 方 法 に依 り しも のとす 。
人 会 社及 個 人所有 船 の輸 送 率 は 二四% 、東 支 鉄道 会 社 船 四〇 % 、残
送 に係 り し も のな る こと を知 る に足 る。 更 に之 を% 別 と す れ ば 、個
以 上 の統 計 を 見 る に輸 送 貨物 の大部 分 は、東 支鉄 道 会 社船 舶 の輸
口稠密な る地方 に比 し 一層豊饒 なるを以て、自由移 民政策 と相俟 て
商館 の建設を見 るに至 れり。今 左に松花江航運界 に於ける数年間 の
ー プ、 フシ フキ ン兄 弟 等 の所有 に係 る も の若 干 を算 す る も、 要 す る
を挙 ぐ れば 、 パラ ー ト ル組 合 の汽 船 二、 荷 船 四及 モ ロー フ、 ウ ラ ソ
鉄 道 会 社 航 運 部 な り と言 ふを得 べ く、 而 し て此 他 の露 国 人 の所 有 数
斯 る状 況 な る を以 て松 花 江 の航 運 界 唯 一の権 威 者 と し て は、 東 支
展 せざ る のみな らず 反 て欠 損 を招 き あ る状 態 な り。
而 し て ウ ー ツ ン会 社 は経 営 宜 し き を得 ず 現 在 に於 ては 、其 の事 業 発
中 外国 人 に売 却 さ れ た る汽 船 全 数 は 六 二隻 、荷 船 四七 隻 に上 れ り。
テ チ ユ コー フ等 よ り汽 船 三 一隻 、荷 船 二〇 隻 を購 買 し た る が、 同 年
経 営 に係 り 、 一九 一八年 露 国 商 館 オ バ リ ン、 ソー ス キ ン、 ト バ ーズ 、
支 那 人 の経 営 に係 る株 式 会 社 ウ ー ツ ンにし て、 此 の会 社 は半 政 府 的
以 上 の外 現 在松 花 江航 運 界 に於 て 一流 の地位 を占 め在 るも の は、
に 一任 せら れ、更 に 一九 〇 九年 よ り は支 那 税 関 の事 業 に転 移 せり 。
の便 を計 れ り。降 て 一九 〇 七年 に至 る や此 等 の事 業 は東 支 鉄 道 会 社
行 監 督官 憲 を設 け し 以来 航 路 標識 を設 け、 或 は障 害 物 を排 除 し航 行
露 国交 通 省 は 一九 〇 四年 特 に松 花 江 の自 由航 行 の命 令 を発 し、 航
貨物輻輳状況を示せば
内穀類数量 左の如し。
前記転換数量中、東支鉄道会社所属船舶 にて輸送 せし数量を示せ ば
に従 前 露 国 人 の所 有 せし 大部 分 は 、今 や已 に支 那 人 の掌 中 に帰 せり と言 ふ を得 べし 。
欧 洲 大 戦 特 に主 と し て露 国革 命 は、 従 来 松花 江 に因 り尼 港 及 哈 府
に仕向けられたる貨物 を転換し て、哈市 より大連 に仕向け るの状態 に陥らしめたり。然れども東支会社は異常なる努力 を以 て自費 を投 一部を回収 せり。
じ て、浦塩港及 エゲ ルシエリド に大埠頭を建設して、以 て輸出 上の 東支鉄道会社航運部は 一九 二三年 (本年) の航運 に於 ては各 四〇 〇馬力 の汽船 九隻、各 一〇〇馬力 の汽船 二隻及全積載 重量 一、三二 四、四〇〇布度 を可能 とす る鋼鉄製荷船三〇隻を就役 せしめあり。 而し て現在東支会社及同航運部 の努力 は特 に商業 に集 中しあり、若 し失れ松花 江航路状況上岩石 の排除、浅瀬 の浚渫等 を実行し、且馬 賊 の危害を防 止し得 るに於 ては、松花 江の航運業は更 に再 び露 国人 の掌 中に恢復 し、真 に東 三省 の豊富な穀倉 たる此雄大 なる流域地方 の支那住民に必要なる航運業 の隆盛 を見 るに至るべし。
四二
次 古沢幸吉
反共産党員 より 在哈白党某将軍 への報告︱
哈爾賓事務所長
労 農 西 伯 利 の近 状
大正十二年 八月二十五日 哈調第 一一九号 ︱
労農西伯利 の近状 目 序
第 三章
ソヴ エート政権 の改造と譲歩
宗教及寺院 に対す る圧迫 人民裁判所
第 四章
第 一、裁判 の四審級 第 二、特別裁判所
第五、懲戒裁判所
第 四、陪 審
員
第 一、積極 的行動
第 六、官 選 検 事
第 三、裁判官 の選挙
第 二、条 約 関 係
第 七、個人資本 の意義増進
対外 政策
第 三、来 るべき日露会議
第 一章
第 四、対 内 政 策
第八、専門家 及無産党 のソヴ エート政権侵入 の端緒 ソヴ エート幼老養育法
第九、移民執政委員会 の設置
西伯利 に於 ける自治行政
第五、高 圧 手 段
第六章
第 五章
第 六、道 徳 頽 廃 第 七、住 民 の共産党 に対する関係
第 二、市有建物 の概況
第 一、住 宅 問 題
第 八、共産党小集団 の改革 世界的宣伝
第 九、無教育 の危機 第 二章
に根 拠を置き、徒 らに感情 に捉 はるるが如き点 なきは大 に見るべき
より然 かあるべきこと勿論 であるが、而 かも其 の所言 は努めて事実
である。輓近労農政府 の施設 ( 少 くも警察行政)辺土 に普く労農露
第三、自治経済企業 ソヴ エート の統計
第四、財 源及財政状態 第 七章
の政策を謳歌 せざるものなき の状態 にあり。人をし て取捨選択 に迷
国 より伝来 する文書情報等は、殆 んど全然其口調を 一にし、現政府
況
第 一、概
ひなきを得ざらしむ。此 の際本篇 の如き反対 の立場より の観察は彼
第 二、各 支部 の事業
此 の対照上好個 の参考資料たるを失はず と思考せら る。依 て全篇を 大正十 二年八月二十 四日
対外 政策
哈爾賓事務所 にて
飜訳し当 所の報告書として提出する次第 であ る。
第 三、統計 の効果 外国資本 の侵入
第 一章
労農露国 の商 工業復興策とか、外国資本 の流入説等労農政府 の諸
古 沢幸 吉
第 四、生産 の標準 に就 て 第 八章 第 一、独逸及澳 太利 第 二、知多 に於 ける外国人 第三、米国 の労働者 国政保安局
第 一、国政保安局 の事業概要
第九章
を想像 させるも のがある。然 るに事実 は之 に反 し財政状態 は日を追
つて険悪 とな つて来 て居 るのである。財政状態の危機はソヴ エト露
新聞 の報道する所 を見 ると、露国 が益復興 の機運 に向 つて居 ること
西亜 の内外政策 に如何程重大なる影響 を与 ヘて居るか知れな い程 で
第 二、赤衛軍中 に於ける国政保安局 の事業 第 四、婦 人 密 偵
ある。昨 年十 二月頃 の情報 に依 ると ﹁労農政権は資本を得 る時迄は
第 三、専門労働者
第六、国政保安局に対す るネ ツプの威力
第 五、村民 に対する監視
各方面 の政策 に対し積極 的行動を中止した﹂とある。
是れが為め ソヴ エト政権は持久策 を取り、国際市場 に於 て将来 の
第七、工業家と学者階級 に対する監視
本篇 は本年 五月末 ノウ ヲニコラ エフスク市西伯利革命 委員会 に潜
のが設けられた。之 は来るべき露支会議或 は日露会議 の矢先、日本
経済政策 に対抗す る為 に、カ ンテルを主脳 とす る特別委員会 なるも
︹KaHTep,〓H.︺
贏 を制すること に決し、其 の見地よりして極東 に於 ては特 に日本 の
入し居 る反共産党員 より、当地白系 の某将軍 に報告 し来 れるもので
に対す る威圧的行動 を執らんとす る労農政府 の魂胆 に外なら ぬ。
序
ある。労農政権 の施政 に対し非難攻撃す る処あるは筆者 の系統 上素
区 租 借 方面 に のみ 限 ら れ て居 る の であ る が、 之 と て も露 国 と し て は
つて 、 日本 人 の期待 す る程 のも の でな い。 日 本 の投 資 と言 つても 漁
各 方 面 の情 報 を綜 合 す る に 、極 東 に於 け る労 農 政 府 の所 謂 積 極 的
であ る。 過激 派 側 は 樺 太駐 屯 軍 の撤 退 を要 求 す る覚 悟 であ るが 、結
幾 分有 利 で あ る が、露 国 の地 方 民 の受 く る利 益 と し ては微 細 な も の
第 一、 積 極 的行 動
行 動 な るも のは支 那 に対 し 、特 に東 支鉄 道 に対 し 実 現 し得 ら るべ き
干渉 と労 農 政府 の公 式 承 認 と の二 つであ ら う 。
局 協 約 の楔 と な るも のは 上述 の如 く 露 支交 渉 の際 に於 け る 日本 の無
も ので あ る。 之 が為 来 るべ き 日露 会 議 の 一条 件 と し て、露 支 両 国 の 国交 に対 し 日本 は干 渉 せず と 言 ふ 一項 目 を 設 く る事 が出 来 様 と思 は
入 る べき を確 信 し て居 る。露 国 は 日本 への代償 とし て東 支 鉄 道 沿 線
労 農 政 府 は 日本 政 府 が何 等 か の隠 れ た る形式 のも と に親 交 の途 に
る 。更 に具 体 的 に言 へば落 し 支 那 が露 支 協 約 に肯 ぜざ る場 合 、赤 衛 軍 は鉄 道 沿 線 に侵 入 し て東 支 鉄道 を占 領 す るに当 り 、 日本 は何 等 の 妨 害 を為 さず と の黙 契 を得 る こと が出 来 よう 。
経 済 的政 治 的 政 策 を実 施 す る に際 し 一大 障 害 と な る も のは 、依 然
支鉄 道 沿 線 に於 け る露 支 両 国 人 の、 コ ンセ ツ シ ヨ ンに関 す る露 支 条
之 は実 現 し得 ら る べ き も のと せ ら れ て居 る が、之 は言 ふ迄 もな く 東
に於 け る日 本 人 に 、露 人 と 同 等 の利 権 を附 与 す る であ らう 。然 し て
と し て彼 の ア ンタ ン ( 条 約 ) であ る。然 し て又 労 農政 府 の存 立 を危
れ て居 る も のは 日本 国 旗 を掲 揚 す る松 、黒 両 江 の航 行 権 と 、浦 潮 要
約 の変 更 を意 味 す る も の であ る。 日露 交 渉 に於 て実 現 不可 能 と せら
第 二、 条 約 関 係
く せ んと す る動 因 は 日、仏 の接 触 であ る 。故 に来 るべ き 日露 条 約 な
塞 の防 備 に関 す る要 項 で あ る。 尼 港 事件 はあ ま り重 大 視 せ ら れず 只
︹ア ン タ ン タ ? ︺
る も のは 重要 な も の であ つて、 之 に依 つて過 激 派 は仏 国 に 一大 打 撃 を与 え て、 独 逸 に対 す る仏 国 の高 圧 的 手段 を緩 和 せん と す る も の で
一般要 求条 件 を助長 す る に過 ぎ な い。 第 四、 対 内 政 策
あ る が、 過 激 派 の心 中 を探 ぐ つて見 れ ば 、英 国 の如 き は ア ンタ ンの 上 よ り見 て重 大 な る国 とは 見 ら れ て居 ら ぬ ので あ る。
と の協 約 を是 非 と も 必要 と す る所 以 は、 此 の協 約 に依 り労農 政 府 は
労 農 政 府 は日露 会 議 開 催 を余 り希 望 し て居 ら ぬ にも 拘 らず 、 日本
な り 、各 派 党 は相 反 目 し て モ スク ワの所 謂 左党 、右 党 の共 産党 は 、
外敵 と の争 闘 終結 を告 げ る に つれ 、労 農 政府 内 部 の抗 争 は益露 骨 と
感 が あ る の であ る が、 此 の感 は外 観 的 のも のであ ると見 ねば な ら ぬ。
労 農 政 府 の政 策 は 国 民 及 政敵 に対 し 、多 少 の人 道 的態 度 に出 て居 る
国 内 の秩 序 安 定 す る に伴 ひ暴 虐 手 段 は漸 次 放棄 せ ら れ る様 にな り、
政 治 的 に利 益 を得 んと す る も の であ つて、 経 済 的 利益 の如 き は毫 も
第 三 、来 る べき 日露 会 議
享 有 す る も のでな いと言 ふ見 解 を有 し て居 る。 ソヴ エト諸 新 聞 は勿
各自 独 特 の術 策 を廻 ぐら し て軋轢 を続 け て居 る。
キ ー 、 ジ ノ ーヴ イ エ フ、 カ ー メネ フ等 の連 中 で、 右 党系 に属 す る も
此 の左 党 系 の頭 目 とも 称 せ ら る る人 は ト ロツ キ ー、 ジ エルジ ン ス
論 、 政府 も又 日露 通 商条 約 は露 国 に何 等 の経 済 的 利益 を齎 す も ので な いと言 ふ見 解 を持 つ て居 る。 実 際露 西 亜 の購 買 力 は 日本 人 が露 国 へ商 品 を 輸 入 し て も其 の代 金 を受 取 る こと の出 来 な い程 に微 弱 であ
之 に加 担 し同 党 存 在 を危 くす る も の であ る と主 張 し 、外 国 資 本 も 亦
な ら ぬと主 張 し、 左 党 は個 人 資 本 の自 由 を許 さず 、共 産 党 の多 く は
せば 、須 らく 工業 と農 業 の復 興 を計 る為 に、 佃 人資 本 を吸 収 せね ば
義 と外 国貿 易 に限 り 其 の見 解 を異 にし 、右 党 は 統治 権 を掌 握 せん と
の は即 、 レー ニ ン、 ス ード ウ イ チ の徒 輩 であ る。此 の二派 は資 本 主
た。
捜 索 以外 に更 に商 業 上 の反 革命 運 動 に対 し ても同 様 の捜 索 を開 始 し
た こと が あ る。 現時 の国 政 保 安 部 は特 別 高 等 委員 会 の為 し た政 治 的
つ て、此 の駅 へ就 縛 者 を輸 送 し た 処 、殆 んど皆 流 行 病 に罹 つて斃 れ
ツ スイ と 云 ふ新 熟 語 が流 行 し た ので あ る。之 は ウ ラ ル の 一駅 名 であ
理機 関 を設 け て 一千人 の反 政 府 党 を捕 縛 し た 。此 処 に於 て更 に ミ ヤ
第六、道 徳 頽 廃
共 産 党 の存在 す る限 り露 国 への侵 入 を許 さな い、露 国 の現 状 を救 は ん と せば 西 欧 諸国 をし て、益 混 乱 の状 態 に陥 らし む る 外 に途 な し と
な らず 一般 無 所 属党 に於 ても 人望 高 く 、彼 は無 所 属 党 の専 門 家 を人
自 党 の勢 力 拡 張 に腐 心 し て居 る 。 レー ニ ンは 近来 単 に共産 党 員 の み
談 に依 れば 、 レー ニ ンとト ロツ キ ーと の関 係 は益 緊 張 の度 を加 へて、
犯 罪人 は 続 出 し て諸 新 聞 は 殆 ん ど其 の記 事 で満 され て居 る。 売 淫 、
し様 もな いと の事 であ る。竊 盗 、収 賄 行為 は厳 重 に取 締 つて居 る が、
れ ては あ るが 、同 委 員 会 の意 見 に依 れば 、之 が防 止 に は何 等 手 の施
を取 つては 居 る が益 盛 にな る許 り であ る 。収 賄 取締 委 員 会 も 設 け ら
す る動 因 は道 徳 の頽 廃 であ る と言 つ て居 る。 収 賄行 為 は随 分防 止策
一共 産党 員 の言 に依 れ ば、 露 西 亜 に於 け る革命 事 業 を破壊 せ んと
民 執政 委 員 会 の次席 に採 用 し た し 、又 全 露 中央 執 行 委 員 会 の委 員 に
酩 酊 、淫 蕩 等 は益 伝 播 し つ つあ る 。
信 ず る も の であ る。 人 民 執政 委 員 会 議 の事 情 に精 通 せ る 一部 人 士 の
に親 友 であ る□ □ □ □ □□ □ □ □ □破 壊 せん とす る動 因 は道 徳 の頽
任 命 す べ き発 議 権 を 以 て居 る□ □ □第 一□ □ □総 て の専 門家 の役 員
住 民 の共 産党 に対 す る関係 は 一見 全 く 無頓 著 の観 あ る も、 仔細 に
第 七 、住 民 の共産 党 に対 す る関係
之 は第 一に レ ー ニ ンが実 際 悪 性 の痲痺 病 に呻吟 し て居 て医 師 も彼 の
廃 であ る と言 つて居 る 。指 揮 す る □□ 党 の短命 な も のと 認 め て居 る。
生 命 の長 くな い こと を断 言 し て居 る か ら であ る 。人 民 最 高 会 議 では
に取 つた高 圧 手 段 は、 住 民 を し て全 然 無 抵抗 に し てし ま つた。 選 挙
研究 す れば 之 は全 然 謬 見 であ つた こと が判 る 。過 激 派 の前 後 五 ケ年
問 題 に せ よ、 示威 運 動 に せよ 、彼 等 は極 め て消 極 的 行動 を取 つて居
政 府 主 脳 者 の勢 力争 は遂 に、 現 今勢 力 を有 す る左党 共 産 党 を し て益 威 力 を逞 しう せし め 、遂 に右 党 を 圧倒 す る様 にな る であ ら う と観 測
る 。総 て の選 挙 は公 開 制 度 を 取 つて居 るか ら コム ヤ チ エイカ (共 産
問 題 の消 息 を語 る最 も有 力 な 一例 を挙 ぐれ ば 、学 生 の共産 党 青 年 会
居 るが 、秘 密 選 挙 を行 ふ時 には 反 共産 党 的 言 動 が旺 盛 であ る 。此 の
党 小集 団 ) が提 出 す る選 挙 人 名 簿 にあ るも の のみ が選 挙 に加 は つ て
最近 の諸新聞 は高圧手段 の高潮したことを報道 して居 る。彼得具
し て居
る 。︹編注、□は︺ 印刷不明
羅土 で学生 の陰謀事件発覚 し、多数 の就縛者と北露 地方 への追放 者
(コム ソ モル) に対す る関 係 であ る 。 一般 に老 人連 の見 解 は多 く 古
第 五、高 圧 手 段
を出し て以来 、中部及西部西伯利亜 に於 けるボリ シエビキ特種 の管
くからの習慣や教育 に捕らはれる傾 があるが、青年 は自由 で時代 に 適応 した意見を持 つて居 る。
之 に依 つて共産党 の信望程度 と各人 の意見 の自由 なことを充分証
救済事業 に従事 した時 には学生団も亦之 に協力したが、共産党青年
る原因 が明白とな つた。と言 ふのは初め共産党青年会 が軍隊及学校
明す るも のである。又会 議 に於 ては共産党青年会と学生と の分立す
スク市 の高等教育機関 の学生 の思想 である。同地 にはト ムスク大学
つた。曾 つてトムスク市に於 ては当時 の革命学生団 に依 りてトム ス
会員 が行政 に干渉す る様にな つてから学生団 は協力を避ける様にな
尚茲 に 一言を要 することは西伯利 に於け る教育界 の中心たるトム と工芸学校とがある。是等高等教育機関 に入学す る事は幾分 、労農
のが組織 せられた事がある。此 の同盟会 の重要な目的は反対党 の学
ク高等教育機関内 に労働階級 (プ ロレタリヤ)学生団同盟会なるも
政府 に対す る忠実振 を発揮する訳 であるにも拘 らず、生徒 の中 には 一人も共産党を謳歌す るも のは無 い。昨年十二月 トムスク市 に於 て 図 るにあつた。□□会長 の言 に拠 れば工芸学校生徒 は政府 に対 し無
と、最 高学校 を共産組織 に改造す ること等 であ つた。
生団と争闘を続くる こと、自由党 の社会的経済的利益 を擁護するこ
︹印刷不明︺
工芸学校上級生打合会 が催された。会議 の目的と政治教育 の発達 を 差別無頓着 の態度 を取 つたと言 ふ。先づ開会前学生 に対し六百枚 の
共産 党 の首 脳 者 は自 党 の組 織 の不完 全 な る こと を自 覚 し 、国 内 に
第 八 、 共産 党 小集 団 の改 革
於 け る コミ ヤ チ エイ カ に多 少 の改 造 を施 し た。 共産 党 機 関 紙 は露 西
尋問書を配布 して彼等 の希望 を報答 せしめた。然 るに学 生は将来 の を期待した質問 に対し、二百 五十人は戯曲 、百五十人は美術を希望
希望 に関する共産党小集団 の尋問を 一笑 に附 して、共産主義 の謳歌
亜 共 産党 大会 に関 し て 左 の如 く 論 じ て居 る。
くは無か つた。就中最も意外 とす るのは社会政治方面を研究した い
あ る﹂ と 。
又 其 の事 業 の内 容 す ら も熟 知 し て居 ら ぬ者 の多 か つた に拠 る も の で
を得 ぬ。其 の主 因 は コミ ヤ チ エイ カな る も の の性 質 を充 分了 解 せず 、
﹁ 前 略 、 コミ ヤチ エイ カ の命 脈 は 漸 次薄 ら ぎ つ つあ るを認 めざ る
すと答 へ、 一部少数 の者は文学、音楽、歴史等を希望するも のもあ
との希 望を有す るか否か の質問 に対し、然 りと答 へた者 は唯 一人限
り、又如何なる方面をも欲 せず、何 の趣味 も持た ぬと答 へた者も尠
であ つたと言 ふ話 であ る。更 に同会議に於 て教育問題 に関 し学生団 が過去五ケ年間 に於 て教育事業 に多大 の経験 を有し て居 ると言 へば、
内 外 を問 はず 凡 て資産 階級 と争 闘 す る こと及 単 純 な る手 段 に依 る食
な つ て居 るが依 然 と し て明白 な るも の であ る。 即 同 団 の使 命 は国 の
る し、 又 所謂 ﹁軍 事 共 産 主義 時 代 ﹂ に於 ても其 の目 的 は多 少 複雑 に
コミ ヤチ エイ カ の革 命 前 に於 け る使 命 に就 ては何 人 も知 悉 し て居
反対者は此 の過去 の経験なるも のは公論 に反す るも のであ つたと主
糧 供 給 の事業 に従 ふ こと な ど で あ つた 。
と共産党青年会 との団 に議論百出し、共産党共鳴者は共産党青年会
張し各自討論 の末、投 票に依 り決を執 つたが、結局共産党青年団 に
然 る に新 経 済 政 策 の実 施 せ ら る る に及 び右 の目 的 を益 複 雑 な も の
迎合するもの百十六名、反対す る者百十五名 、投票を棄権す る者百 二十名 の多数 に達し た。
す る指 示訓 令 に違 背 せ ね ばな ら ぬ状 態 と なり 、 従 つて新 経 済 政 策 は
て経 済機 関 が難 境 に陥 つた ため 、 共 産党 員 は 労働 者 の利 益 擁 護 に関
産 能 力 の向 上 と か 、農 業 振 興 の必 要 と か を感ず る と共 に、 地 方 に於
確 に解 釈 し得 る者 は な い様 にな つた 。共 産 党 の党 員 は 一方 に於 て生
と し 、単 に共 産 党員 の みな らず 、 共産 党 有 力者 さ へも其 の目 的 を 明
シ ム ゴリ キ ー町 第 七 六番 地) へ願 書 を差 出 す べし 。県 財 政 部 長 マツ
支 部 長 の空 席 あ り 、詳 細 な る履 歴 書 添附 の上 県 財 政部 事 務 所 (マク
局 等 に就 職 し居 た る も のを歓 迎 す 。会 計 方及 其 の助手 竝 税 務 監督 局
ず る も のを招 聘 す 。特 に従 前 会 計 検査 院 、国 会 議院 、 税 務 局 、収 税
ノヴ オ ニ コラ エフ スク県 の財 政 部 は ﹁予 算 、会 計 及 租 税 の事 務 に通
拘 らず 、 官 職希 望 者 の募 集 広告 は絶 間 無 く 出 て居 る。 一例 を示 せば
こと を自 覚 し、自 党 の者 を利 用 す る こと が出 来 な い から 、多 く の専
共 産 党 は 自力 で国 家 経 済 を復 興 せ しむ る こと は到 底 不 可能 で あ る
チ、 事 務 係長 ソ ロー ミ ン﹂等 と 云 ふ募 集 広告 が多 く出 て い る。
貧 窮 者 を 一層 窮 地 に導 き 遂 に暗 礁 に乗 り 上 ぐ る こと と な つた。 上 記 の如 き簡 単 な る説 明 に徴 す るも 共 産党 員 は無 理 であ つて、 其
党 大 会 等 では 政治 教 育 の発 達策 を力 説 し て居 る の で あ るが 、 元来 教
し 様 と努 め て居 る 。
門 家 を利 用 し て カー ル ・マル ク ス の深 遠 な学 理 を理 解 し 、之 を応 用
の事 業 は 益 退歩 を示 し て居 る こと が判 かる 。労 農 諸 新 聞 と か 又共 産
育 者 の補 充 と 言 ふ こと は独 り 教 育 上 の立 場 か ら謂 つて も重 大 な意 義
社 会 主 義 ソヴ エト聯 邦 共 和国 の高 等 程 度 の学 校 に、 一般 学 理 上 の自
一九 二 一年 三 月 四 日 の人民 執 政 委 員会 の決 議 の第 一条 の、露 西亜
を有 さ ねば な ら ぬ。商 工業 の発 達 に つれ て無 教 育 な共 産 党 は色 ん な 事 業 に容 喙 す る のは堪 え得 な い処 であ る。 斯 く て コミ ヤ チ エイ カ の
1
マル ク ス の唯 物 史 観 (一週 に 一時 間 宛 三 ケ 月間 )
て居 る。
治 制 度 を 設 く べ き規 定 を 改 正 し て、 左 記 項 目 の 一般的 規 律 を制 定 し
共 産 党 を し て国 政 を 監督 せ し め る こと を 止 め て純 然 たる専 門 的 業 務
資 本 主 義 と プ ロレ タ リ ヤ革 命 ( 資 本 主 義 と其 の特 質一、 階 級 的 争
共産 主 義 運 動 の指 導 者 は総 て の国 家 機能 の上 に立 つて従 来 の如 く
権 力 と か意 義 は漸 次失 せ つ つあ る。
に就 かし め ね ば なら ぬ様 にな つた。 其 の 一例 とし て全 露 中央 執 行 委
労 農露 国 の政 体 と 社会 政 策 (十 月 革命 と其 の原因 、労 農 露 国 の
此 の規 定 は 聴講 者 を し て或 程 度 迄 共産 主 義 崇拝 者 たら し め ん と す
命 、以 上 一週 一時 間 三 ケ 月 間 )
憲 法 、 労農 露 国 の内 政 と 国際 的地 位 、 労 農露 国 の対 内 及 対外 的 使
3
三 ケ 月)
の革 命 と専 制 、 社会 民主 々義 運 動 、 共産 主 義 、 以 上 一週 二 時間 宛
闘 と資 本 主 義 的 社会 、帝 国 主 義 と資 本主 義 の失敗 、 プ ロレタ リ ヤ
2
を立 て た こと であ る。
員 会 が近 来 外交 官 に専 門 家 や其 の他 一般教 育 あ る者 を任 命 す る計 画
右 の方 針 が 何時 実 現 せら る るか は予 言 し 難 いが、 着 々実 現 せ ら る る に於 て は無 智 の猶 太 人 が従 来 の如 く外 国 に於 て露 西 亜 を代 表 す る 様 な こと も必 らず 無 く な る であ ら う と信 ず る。 第 九 、無 教 育 の危 機 教 育者 の欠 乏 は国 政 を掌 る普 通 の官 庁 に も随 分 甚 だ し く 、各 都 市 に於 ては労 力 の提 供 者 の数 に は不 自 由 な か る べし と 想 は れ た る に も
世 界 的 宣伝
意 義 や使命 等 も要 す るに茲 にあ る のであ る。今 赤 色青 年 党 国 際大 会
せら れた 万国 共 産党 大会 や国 際職 業 同 盟会 、 さ ては赤 色 国 際 大会 の
第 二章
であ つた ため でも あ る。 現在 では漸 進 主 義 に依 つて比較 的堅 実 な機
是 が主 な る原 因 は資 本 の払底 に在 る け れど も組 織 其 のも の が不 堅 実
始 め た青 年 労働 者 の利 益 は傷 けら れ、失 職 者 は増 加 し 、青 年 の凡 ゆ
本 が投 下 せら る れば 忽 ち にし て労 働 時間 が延長 せら れ、漸 く 崩 芽 し
に満 ち た堪 え難 い苦 痛 な も のであ る事 を認 め ざ る を得 な い。 一度 資
﹁ 目 下 の資 本 主 義 国 家 に於 け る青 年労 働 者 の地 位 は辛 苦 と悲惨 と
の決 議 を見 る に左 大 要 の如 く であ る 。
る目 的 に出 た も の であ る。
潤 沢 な 資 本 を 以 て速 成的 に世界 大集 団 を組 織 しよ う と した ソヴ エ
関 の組 織 に取 掛 つて居 る。之 が即 青年 会 の組織 であ る。昨 年 十 二月
る政 治 的運 動 は圧 迫 を受 け る の であ る。青 年 の斯 か る物 質 的 政 治 的
ート政 権 、 特 に共 産 党 機関 は従 来 の政 策 を全 然 棄 てる様 にな つた 。
二 日莫 斯 科 に於 て開催 せら れ た第 四 回国 際 共産 党 大 会 議 定書 の要 点
の地 位 は結 局 革命 運 動 を醸 成 せ しむ るも のに外 な ら ぬ。
従 て労 働 階 級 の政 党 の急 先鋒 た る共産 党 が如何 な る共 産主 義 国 家
を見 る に ﹁ 世 界 的 平和 の為 に闘 ひ労 働 政権 樹 立 のた め に努力 せ んと
に於 ても、 革 命 運動 に多 数 の労 働 階 級 の予備 軍 た る青 年 労働 団 を引
す る吾 人 の宿 望 の第 一段 は既 に成 就 せ ら れた の であ る。 共産 党 と云 ふ 一団 に依 り て代 表 す る全 世界 の労働 階級 の革 命的 勢 力 を 、最 理論
入 る る事 を有 利 と し な い者 は な い のであ る 。
青 年 労働 団 が利 益擁 護 の為 争闘 をす れ ば 、赤 色 青年 会 の政治 的 機
的 に実 現 せ ん とす る方 法 、 手段 を撰 び、 又武 装完 備 せ る資 本 階級 と
関 も亦 之 と呼 応 し て争 闘 を開 始 し て似 而非 な る社会 党 や改 革党 に対
争 闘 す る為 に、全 世界 の労 農 国 民 を糾 合 し結 束 せし め る為 、 吾 人 は 此 の革 命 的努 力 を共 産党 以外 の労 働 階 級 にも普 及 せ し め様 と し て諸
抗 す る であ らう 。
而 し て似 而 非 な る社 会 党 や改革 党 は赤 色 革命 青 年 党 の峻 辣 な行 動
種 の方 法 を講 じ て居 る。 世 界 の フ ア シズ ムや軍 閥 主 義 は吾 人 に対す る圧迫 機関 であ る。 万
赤 色 青年 党 の第 三 回国 際 大 会 は全 世 界 に於 け る青年 党 の争 闘方 法
を攻 撃 材料 にす る であ らう 。
を協 議 し た 。青 年会 の使 命 は青 年 の向 上 を 図 り、 労働 者 に実 際的 の
ことは 容 易 の業 で無 い ことを 知 る が故 に、尚 ほ幾多 労 働 階 級 の予備
国共 産 党 中 央委 員 会 は 、資 本 階 級 や資 本 主義 と の争 闘 に贏 を 制 す る
的 精 兵 を 必要 とす る。而 し てプ ロレ タ リア ー の敵 視 す る社 会 融 和改
の主 旨 に適 合 す る様 にせ ね ばな ら ぬと云 ふ に在 る。 此 の点 に於 て 万
を改 善 す る様 に指 導 し て 、赤 色 青年 会 の国 際大 会 に持出 す べき標 語
国 共産 党 と青 年 大 会 と の標 語 は 相 反 す るも ので あ る。従 て赤 色青 年
教 育 を施 し 、彼 等 を 旧式 な社 会 の圧迫 から解 放 し 、彼 等 の生活 状 態
蓋 し彼 等 は革 命 思 想 を最 も多 く抱 き、 似 而非 な る社会 党 と か資 本階
革 党 の旗 下 にあ る多 数 労働 階 級 と の争 闘 にも幾 多 の辛 酸 をも 嘗 め な
級 に屈 伏 者 の少 な い労働 階 級 であ つて、 早晩 来 るべ き世 界 的 革 命 の
機 関 の活 動 は 万国 共 産党 の期 待 と 全然 反 す る こと にな る の であ る。﹂
け れば な ら ぬ 。而 も 全 世界 の労働 階 級 の予後 備 軍 と は即 青 年 であ る。
幕 を開 く べ き貴 重な 分 子 であ るか ら であ る 。 ﹂ 即 今 回莫 斯 科 に 開催
上 述 の事 実 は 強 ち偶 然 の事 では な いの で、 ソヴ エート 政権 の実 施 し て居 る政 策 から見 れば 、 革命 の火 焔 は国 内 に何 か新 し い建 設 の基 礎 を 造 らう と 言 ふ底 意 から し て、幾 分最 初 の色 彩 を変 へて居 る の で
大 僧 正 プ リ ーノ フが ノウ オ ニ コラヰ エフ スク市 へ来 た時 、 寺院 で勃
発 し た騒 乱 を見 た者 の報 道 に拠 ると次 の様 で あ る。
プ リ ノ フは 元高 位 を占 め る白 系 の僧 侶 であ る。 正教 の教 理 に依 れ
リ ノ フ大 僧 正 が教 壇 に立 つや否 や教徒 側 か ら騒 立 て ﹁ 壇 を降 り ろ﹂
ば 修 道士 以 外 の人 々は此 の僧職 に就 く事 の出来 な いも のであ る 。 プ
﹁ボ リ シ エヴ イ キ だ﹂ ﹁ 背 徳 者 だ﹂ ﹁ 自 分 の妻 の下 に行 け﹂ と 云 ふ叫
蓋 し 当局 者 其 の者 も亦 将来 執 ら う と す る具 体 的 の方 針 す ら持 つ て
あ る が、此 の希 望 は今 日迄 具 体的 の表 現 を見 な い のであ る 。
居 ら ぬ のであ る。其 の共産 党 の脳 中 に 画 か れ て居 る夢 想 は 、世 界 を
び声 が起 つた ので あ る。
代 表 者 は、 辛 じ て教 徒 を静 止 し得 て 一場 の演説 を為 す こと が出来 た。
ら れた 。兼 ねて よ り斯 の如 き騒 乱 を 予期 し て居 た ﹁生 け る寺院 ﹂ の
大 僧正 は幾度 か礼 拝 を 続 け んと 試 み たけ れ ども 、教 徒 の叫声 に遮
改 造 し て楽 天 地 に化 せ よう と す る の であ る が、其 の所 謂 ﹁ 楽天地﹂ な るも のが何 であ る か未 だ誰 も知 るも のは無 い。 茲 に到 つて過 激 派 は民 衆 の 一大 反 感 を招 い た ので あ る。 レ ー ニ ン自 身 でさ へ論 じ て曰く ﹁共 産党 の現 状 は当 を得 た も の で は な い﹂ と。 実 際 ボ リ セヴ イ キは ﹁共産 党 の強敵 は無 教 育 其 のも の
記 事 は共 産 党 政府 の人 気 の無 いこと を証 す る も の で あ る。 ﹁生 け る
のは彼 等 が、労 農 政 府 に余 り に忠 実 で あ るか ら だと言 ふ 。斯 の如 き
専 ら 共産 党 の御 用 紙 の論 調 を見 ると 、檀 家 の間 に斯 ん な憤 怒 の起 る
級 であ ると言 つて居 る が、 其 の労 働 階 級 た る や蒙 昧 であ つ て、共 産
寺 院 ﹂ の僧 侶 に対す る乱 暴 な る仕 打 は其 の例 に乏 し く な い。 寺院 の
で あ る﹂ と言 ふ事 を 認識 し て居 る。 又 共産 党 の生 き た資 本 は労 働 階
主 義 の理想 を実 現 す る力 は無 いの であ る 。此 の認識 の結 果 遂 に共 産
僧 侶 会議 を召集 し て正 教 々理 を討 究修 正 す る筈 であ つたけ れ ど も 、
色 々な原 因 で今 日 に至 るも 未 だ開 催 せら れ ぬ 。﹁生 け る 寺 院 ﹂ な る
党 青 年 会 と か、 青 年会 な るも のが生 れ出 て改 革運 動 を起 し て居 る の で あ る が、此 の改革 運 動 は 一朝 一夕 に成功 す るも ので無 く非 常 な 長 期 を要 す る の であ る 。
共産 党 は ﹁ 生 け る寺院 ﹂ を組 織 す ると 共 に各 種 の文 化 的 手段 を以
るも のか想 像 に難 くな い。
も のが共 産 党 で あ る事 を想 へば 、 此 の宗 教 改革 な る も の も亦 如何 な
て、 公然 反 宗教 的 の宣 伝 を行 つて居 る が其 の宣 伝 方法 た るや 、実 に
宗教 及 寺 院 に対す る圧迫
所謂 ﹁ 生 け る寺院 ﹂ の組 織 に関 す る規 定 と か 、変 更 細 則 と か に関
原 始 的 な乱 暴極 つたも の で主 と し て無 智 の階 級 に応 用 し て居 る 。即
第 三章
は未 だ発 布 され て居 ら ぬし此 の種 の改 革 も未 だ法 案 と し て存 す るに
す る詳 し いも のは今 日ま で見 た こと は無 い。 実 の処 は斯 の如 き規 定
過 ぎ な い。 而 も 此 の案 はボ リ シヴ イ キ自 身 の作 つた も ので あ る こと
て乱暴 な 侮 辱的 な示 威 運動 が屡 々催 され る 。
ち 労働 者 集 会所 で催 さ れ る討 論 会 や演 説 会 以外 に信者 に対 し 、極 め
反 宗 教 的 示威 運 動
は疑 ひ無 く 、随 つて住 民 は此 の所謂 ﹁生 け る寺 院 ﹂ の僧侶 を過 激派 と同 一視 し て承認 せな い のみ か厭悪 し て居 る のであ る。過 般 共産 党
一月 九 日莫 斯科 に於 け る コム ソ モ ル発 会 祝 賀 会 の模 様 に就 き、 モ
コム ソ モ ル発 会祝 賀 祭 は非 常 に盛 大 で あ つた と の情 報 が各 地 から
迄 親 密 な る も のと 認 め な か つた知 識 階 級 を重 要 し なけ れば な ら なく
知 識 階 級 を歓 迎 し な い訳 には行 か ぬ様 にな つた 。斯 く て政府 は今 日
新 経済 政 策 は 商 工業 をし て よ り不 具 的 なも のと し、 同 時 に技 術 上
ソヴ エー ト政 権 の改 造 と譲 歩
這 入 つて居 る が、彼 得 具 羅 土市 に於 ては 六 日 の夜 、 カ ン ニヴ ア ル祭
な つた 。商 業 取 引 、貿 易 、 工業 、協 同 組合 等 は政府 をし て右傾 の途
第 四章
るも の の様 であ る。
が催 され多 数 青 年活 働 団 が是 に参 集 した 。彼 市 の各 工場 と か官 衙 か
を辿 ら し め た。 又 複雑 な社会 生活 は 政 府 をし て幾多 の経 験 あ る法 律
ス コフ スキ ー ヤ ・イズ ヴ エ スチ ヤ新 聞 の所 報 を掲 げ て見 よ う。
し た共 産党 青 年 団 員 の仮 装 行列 が先 頭 と な り て、 市 内 を練 り歩 いた
ら ユスポ フ公園 迄 青年 団 の流 れ が続 き 、牧 師 と か 神 様 と か様 々に扮
家 を要 求 せ し め た ので あ る。
督 教 信 者 にあ らざ る、否 、 正 教徒 で な い、 吾 人等 には到 底 了 解 し難
を黙 認 し露 西 亜人 は 之 に反 抗 も せず 、黙 つて迎 ヘたと いふ こと は基
民 が自 由 に信 仰す る宗教 に対 し 斯 の如 き 侮 辱 を加 へても 、政 府 は之
説 や 二輪 伽 を催 し た。 又当 日 の新 聞 は反 宗教 特 別 号 を発 行 した 。住
附 近 へ来 ると演 説 会 を行 ひ、 劇場 や倶 楽 部 の前 へ来 る と反 宗教 的演
が ら町 を練 り歩 いた 。行 列 は 正教 寺 院 、 猶 太教 寺 院 、 回 回教 会 堂 の
を焚 き 、各 宗 教 の神 体 を形 取 れ る藁 人 形 を担 いで革 命歌 を高 唱 し な
政府 は比 較的 慎 重 に事 件 を審 判 せ し め るた め新 に裁 判法 規 を制 定 し
と言 つた様 な 、余 り重 要 で無 い地位 を与 へ得 る のみ であ る。 而 し て
す る事 と し た 。尤 も 此 の法 案 に依 り て養 成 せ ら れた る者 に は准 判事
判 官 養 成 規 則 を設 け 、 そ れ に依 り て労 働 階級 の裁 判 官 な る者 を養 成
ま せ よう と 云 ふ考 へか ら 、人 民 司法 委 員 ﹁ナ ル コム ユー スト﹂ は裁
で あ る こと を認 め、幾 分 なり と も地 方 裁 判所 に労働 階 級 の者 を割 込
な る意 義 は失 はな い。然 れど も政 府 は 労働 階 級 は裁 判 には 全然 無 力
こと は高 等 法 院 は 、 以前 から最 高 の裁 判所 で あ るが今 日 でも亦 重 要
覚 し て、遂 に旧 時 の法 律 家 と妥 協 す る様 にな つた 。尚 一言 を要 す る
政 府 当 局 は ﹁革 命 的道 念 ﹂ な る も のは 信頼 す る に足 ら ぬ こと を自
後 諷 刺 的 礼拝 式 を 挙 行 し た。 行列 に はビ ラや旗 幟 を 満載 せ る貨 物 自
き処 であ る。 市 民 が斯 ん な冷 静 な態 度 を示 し た の は正教 々理 の示 す
動 車 も参 加 し て居 た 。数 千 人 の共 産 党 青 年会 員 及 無 所属 青 年 は篝 火
処 に拠 た も の で、忍 耐 と苦 行 の賜物 に外 な ら ぬ の であ る と皮 肉 つ て
労 働 階 級 の革 命 を擁 護 し国 家 及労 働 者 又 は 其 の合 同 体 の利 益 を保
第 一、裁 判 の四審 級
労農 露 国 裁 判所 構 成 法 案 を 左記 の通 り審 議 し 可決 した 。
第 四 回全露 中央 執 行 季 員会 々議 は 人 民司法 執 政委 員 の提 出 に係 る
人 民裁 判 所
た。
現 今 労 農 政 府 が執 り つ つあ る反 宗 教 政 策 を見 る に宗教 の改 革 、所
居 る。
謂 ﹁生 け る寺 院﹂ な るも のが何 ん な も の であ る か は想像 に難 く な い。
あ る が、 政 府 は主 とし て正教 及 一部 マホ メ ツト教 を重要 視 し て居 る。
何 れ の報 道 を見 て も政 府 は宗 教 に対 し侮 辱 的 態度 を執 つて居 る様 で
﹁生 け る寺 院 ﹂ の改 革 な る も の の骨 子 は儀 式 と教 典 と を廃 す る にあ
但し民選常任判事 一名人民代表陪審員二名を置く。
民選常任判事 一名を置 く。
障する為 に左記 の裁判機関を設く。 一
人民裁判所
二 同 三 県裁判所 県裁判所 には控訴及刑事 の二部を置 く。
イ
労農 社 会 公共 機 関 或 は職 業 又 共 産党 機 関等 に於 て二 ケ年 以 上行
各 ソヴ エート の選 挙権 及被 選 挙権 を有 す る者
政 事務 に経 験 あ る者 、若 は ソヴ エー ト司 法機 関 に於 て三 ケ年 以 上
ロ
第 四 、陪
審
員
民 選 予審 判 事 以 上 の職 にあ り た る者 。
民 選陪 審 員 は ソヴ エート に対 す る選挙 権 及被 選 挙 権 を有 す る労働
一週 に付 き裁 判員 二名 、 予 備判 事 一名 、計 三名 の陪 審員 、 一ケ年 を
階 級 より選 出 し 、毎 年 十 二 月 一日迄 に翌年 の陪 審 員 名 簿 を作 成 し 、
第二、特別裁判所
四 高等法院及附属司法委員会 事件が特 に複雑で審判上専門 の智識 を要 し、共和国 の軍事又は経
要塞或 は赤衛軍 の威力 に危険なりと想はるる犯罪事 運輸 に脅威を与 ふるが如き特 に重大なる犯罪
労 働 者 及 使 用人 に対 し て は陪審 員 の職 に在 る間 労銀 を支 給 し、 農 業
は 一年 間 に六 日以 上裁 判 に参 加す る こと が出 来 ぬ こと にな つて居 る。
民 選 判 事 二名 より 成 る特 別 委員 会 に於 て之 を決定 す。 各 民 選陪 審員
各 郡 ヘの陪 審員 の割 当 は 地方 執 行 委員 会 委 員 一名 、 県 検事 補 一名 、
即 ち 三十 九名 を加 へて計 約 二百 名 の陪審 員 を出 す 。
五十 二週間 とす れ ば百 五 十 六名 、之 に補 欠 員 と し て其 の二割 五 分 、
済 上の紊 乱を誘発するが如き犯罪事件 を審議 する為 に、人民裁判所 軍法会議
程度 の左記特権裁判所 を設く。 一 軍事運輸裁判所
件 を審理す。 二
労働法規を侵害す る犯罪事件を審 理
又 は家 内 工業 に従 事 し 一定 の収 入 を得 つ つあ る者 に対 し ては、 執 行
人民裁判所特別労働会議
事件を審理す。 す るために設けられたるも のにして、民選常任裁判長 一名、常任
よ り 一割 五 分、 農 民 よ り 三割 五分 の割 合 にて行 ふ。県 裁 判 所 の刑 事
委 員 会 より報 酬 を与 ふ。 陪 審員 の割 当 は労 働 階 級 よ り は五 割 、軍 隊
三
判事 二名を以 て組織 し、判事二名 の中 一名は県教育部より、他 の 土地 に関す る係争事件を審理す。
県 裁 判 所 刑 事部 に於 て は予 審 判事 長 と 称 し 、高 等法 院 、 人 民 司法 執
裁 判 所 構 成法 に規 定す る民 選 予審 判 事 は 民選 予 審判 事 と 名付 け 、
部 に対 し ては 民選 陪 審員 名 簿 を作 成 す 。
一名 は県労働部より選出す。 四 土地係争事件審判委員会
労働及防衛会議竝県経済会議 に附属す る中央及地方裁判所 国 家機関 の間 に起 る財産権 に関する争議を審 理す。
五
民選裁判官 は毎年県執行委員会 に於 て選挙し、左記 の条件 に適合
ト 及 県革 命 裁判 所 に代 る べ き県裁 判 所 は 、 一名 の裁 判長 、 二名 の判
官 及 民選 予 審判 事 は地 方執 行 委 員会 よ り報 酬 を受 け る 。県 ソヴ エー
政委 員 会 検 事局 に於 て は ﹁重 要 事件 予 審 判事 ﹂ と 名 付 く。 民選 裁 判
する労農露国 の人民 にして犯罪を犯したることなき者は、男女を問
事 長 心得 、判 士 一名 の常 任裁 判 所 員 よ り成 る 。
第 三、裁 判官 の選挙
はず裁判官 になることが出来 る。
県裁判所 の機能 は県内 の最高裁判機関として下級裁判所 の事務を 監督し、上告 及県革命裁判所 の取扱事務 の第 一審 とし て、所管裁判 第 五、懲戒裁判所
所 の判決 に対す る控訴審を取扱 ふも のとす 。 県裁判所は控訴部と裁判部 とに分たるる外別 に懲戒裁判所な るも のを有 し、県裁判所 の選挙す る三名 の委員 より成り、県裁判所 の管 轄す る各 区裁判所 の事務取扱者 に対する告訴事件を審理し、其 の懲 戒処分 は一説諭二譴責三転勤四左遷 及五免職とす。
議 に提 出 せざ る可 からず 。
右 の決 議 は其 の性 質 上 実 行 し 易 いも ので あ るが 、 一方 よ り見 れば
之 が為 文 化教 育 を受 けな い労 働 階級 の専制 を主 張 す るも ので あ つて、
裁 判 上 の現行 法 令 な るも のは 文 化 に逆 行 し た も の であ る こと を物 語
第 七、 個 人資 本 の意 義 増 進
る も のと謂 は ね ばな ら ぬ。
労農 政府 は各 種 の団 体的 事 業 を奨 励 し社 会 公 共事 業 の勃 興 を助 く
ると共 に 、他 方 に於 て凡 ゆ る手 段 を講 じ て個 人 事業 の発 達 を阻 止 す
る こと に努 め るも 、個 人事 業 は益 発達 し遂 に労 農 政 府 をし て譲 歩 的
態 度 に出 でし め た と謂 ふ許 り でな く 、個 人事 業 は国 有 事 業 よ り も遙
第 六、官 選 検 事
業 に あ つては 、徴 税 と か給 料 の支払 に対 し 又 は労 働 を擁 護 す る上 に
か に緊 張 し た 活動 を為 し 、政 府 側 よ り各 種 の圧 迫 あ る にも拘 らず 成
於 て不 正 の点 が隈 り無 く 多 い。然 る に個 人事 業 にあ り ては斯 の如 き
之は法 規適用上 の 一般監督竝予審判決 の当否を直接監督す るも の
全露中央執行委員会 が訴訟法を次 の如く簡単 に規定し、本年 (一
である。此 の官選検事職な るも のは高等法院、軍法会議、軍事輸送
九二三年) 一月 一日より実施して居 るから、従 つて刑事訴訟法 に多
つあ る。
現 象 は 極 め て稀 であ つて、最 も確 実 な る支払 者 とし て信 用 を博 し つ
績 の上 から 謂 つて国 有 事 業 を 凌 駕 し て居 る 。社 会 公 共 事業 や国 有 事
少変更 を見 ることになるであらう。訴訟法を制定す るに当り裁判所
裁 判上 の特権 を享有 して居 る。
職員 の物資的苦境 を救済する為 、第四回全露 中央執行委員会 は次 の
伯 利 総支 配 人 グ リ ンゴ フ氏 は、 国 立 銀 行支 店長 会議 の模 様 に就 き左
関 、協 同 組 合 機 関 等 各 代 表者 会 議 を開 催 し た が其席 上 、国 立 銀 行 西
本 年 一月 五 日国 立 銀 行 西伯 利 総 本 店 にて西 伯 利 国立 機 関 、 経 済 機
人国執政委員会議は国家 の給与 を受くる裁判所員 の物質的条件
如 く決議 して居 る。 を改善する の義務 を有し、総 ての県執行委員会は現在国家 より給
イ
記 の報告 を な し た。
支 店 長 会 議 で個 人事 業 に対 す る金融 問 題 が討 議 せら れ、頗 る真 面
与 を受け つつある裁判所員 の経費を地方機関 の負担とし、彼等 に 対し物質上 の保障を為 す義務あり。
目 な る討 論 に入 つた が 、其 の要 点 は銀 行 割 引委 員会 に個 人 の得 意 先
を も参 加 せし め決 議権 を与 ふ ると 言 ふ にあ る 。討 論 の末 、遂 に銀 行
経験ある裁判所員を養成す る為 、司法人民執政委員及人民教育 本部 は本年 (一九二三年)中、地方 に法律学校拾ケ所 、莫斯科市
の個 人得 意 先 に決 議 権 を附 与 す る こと に決議 し た の であ る が 、其 の
ロ
に高等法律学校 一ケ所 を開設する法案 を作成し、人国執政委員会
理由 の 一であ る。
於 て国 家機 関 は多 く 国 立銀 行 の極 め て不 確 実 な 取 引 先 であ つた事 も
に、 銀 行 の要 求 を確 実 に覆 行 す る好 顧 客 で あ つた か ら で、 又 一面 に
理 由 と す る処 は個 人資 本 は既 に今 日各 銀 行 の当 座預 金 者 であ る と共
と し て無 所 属 党員 や専 門 家 を も配 置 す る こと を得 と の全 露 中 央執 行
産 党 以外 の者 を据 え る事 を 許容 す る に至 つた。 人 民執 政委 員 の次 官
し 、労 農 政 府 は極 度 の妥 協 を余 儀 な く せ ら れ、 国 政最 高 の位 置 に共
の者 を任 命 す る こと を得 と の人 民執 政 委員 会 会 議 の決 議 は、 更 に 一
委員 会 の決 議 は 、右 の消 息 を 実証 す るも ので あ る。 又外 交 宮 に専 門
今 銀 行割 引 委 員 会 に個 人 預 金 者 を参 加 せし む る決 議 の要 領 を摘 記 す れ ば 次 の様 であ る。 ﹁ 国 立 銀 行 は従 前 の如 く 国 有 工業 及 協 同 組 合
の執 る計 画 と特 質 を語 るも の であ る。 本年 一月 始 全露 中 央 執 行委 員
全 露 中 央 執 行 委員 会 に無 所 属党 員 を 選挙 し た最 近 の例 は、 共産 党
歩 進 ん だ譲歩 手 段 と謂 はね ば 成 ら ぬ。
も 投 資 を断 る こと は な い。 銀行 は国 家 経 済 の中堅 と なり 多 く の預 金
の事 業 に投 資 す る こと を主 要 な目 的 とす る が、個 人商 工業 に対 し て
者 を 吸収 し 、個 人 及個 人事 業 と信 用 取 引 を開 い て、彼 等 を銀 行 に服
ヴ エ ン コを 、委 員 に オ シ ン スキ ー、 ソ コー リ ニ コフ、 ク ト レ ル、 ネ
会 は農 村 経 済援 助委 員 会 の会 長 に カリ ー ニ ンを、会 長 代 理 に ヤゴ ー
右 の内 クト レ ルは帝 政 時 代 の大 蔵 次 官 で あり 、第 三 回及 第 四 回帝
し て居 る。
ー マ ン、 無所 属党 員 とし て フオ ー ミ ン及 スタ ー ロスチ ンを 夫 々任 命
従 せ し め ねば な ら ぬ 。貸 金 利 子 は個 人 に対 す る も のは、 国 営機 関 や 協 同組 合 機 関 に対 す る も のよ り高 率 と せね ば な ら ぬ﹂ 一般 銀 行 の方 針 が右 の如 く変 更 を見 た 為 、 割引 委 員 会 も 次 の如 く
四、 対 外 国 貿易 委 員 会代 表 者
三 、労 農 監 督 部代 表 者
二 、最 高 国 民経 済 会 議 代表 者
一名
一名
一名
一名
一名
其 の他 の大 部 市 にも 夫 々分局 を設置 す る こと にな つて居 る。
莫 斯 科 移 民執 政 委 員 会 な る も の が設 置 せら れ 、 西伯 利 管 理 局 を設 け 、
本 年 一月全 露 中 央 執 行 委員 会 の決 議 に依 り移 民事 業 を管 理 す る為 、
一名
五、 消 費組 合 代 表 者
一名
一、 人 民 財 政執 政 委 員会 代 表 者
組 織 を変 更 し た 。
六 、 工 業 部代 表 者
一名
一脅威 と成 つて来 た か ら 、之 等 の失 職 者 の移 住 を奨 励 す る為 に此 の
高 の制 限 は経 費 の節約 と相 俟 つ て、 失 職 者 の数 漸 次 増 加 し て政 府 の
露 国 の脅 威 た る軍 国 日 本 に接 触 し居 る も、露 国 中央 より遠 隔 の地 に
此 の移 民管 理 機 関 を新 設す る に至 つた原 因 と し て は、極 東 は労 農
第 九 、移 民 執 政委 員 会 の設 置
七 、農 業 部代 表 者
の大 工業 地 にし て置 く 必要 があ ると共 に、 近 時労 農 政 府 の紙 幣 発 行
在 り、動 員 竝 軍 隊 の給 与 困難 であ る所 から 、平 常 極 東 を人 口 の稠 密
国 議 会 に立憲 民主 党 を代 表 し て議 会 に参 加 し た人 であ る。
八 、 取 引所 委 員会 代 表 者
一名
第 八 、専 門 家 及 無 党 派 の ソヴ エー ト政権 侵 入 の端緒
九 、個 人預 金 者 側 代表 者
新 経 済 政策 所 謂 ネ ツ プ発 達 と 共 に知 識 階 級 に対 す る需 要 は 益増 加
懇 願 の末 漸 く鉄 道 附 属 病院 か ら来 診 す る位 のも の であ る。 育 児 院 に
診 断 は 行 は れず 、 重 態 に陥 つた者 があ つて も応 診 す る も のも な く 、
同 室 に収 容 し、 第 三期 の梅 毒 に罹 つた 児童 す らあ つた。 児 童 の健 康
労 農 諸 新 聞 紙 は此 等 の失 職者 を主 とし て北露 及 南 部 東 部 方面 へ移
は薬 局 設 備 は勿 論 石 〓 す ら も無 く 、児 童 は 終始 汚 き着 物 を着 し た る
委 員 会 が設 け ら れ た の であ る。
あ る と謂 は ねば な ら ぬ。
だ良 い方 で、 多 く は床 に寝 て居 る。室 内 は不 衛 生極 つた も ので 入浴
儘 で あ る。 又 毛 布 の数 も少 な く 三 人宛 一寝 台 に臥 床 し て居 る のは 未
殖 せ ん とし て、西 伯 利 及 極 東 への移 民 に反 対 す る の之 は誤 つた考 で
若 し新 聞 が報道 す る が如 く 西 伯 利移 民 を必 要 と せず 、又 は 移 民 数
院
肉 を喰 つた こと が無 いと 言 ふ有様 で あ る。
着 る べき シ ヤツ の無 いと言 ふ状 態 で 、食事 の如 き も 粗末 で 二週 間 も
であ る。 又燃 料 払 底 し て室 内 の温 度 極 め て低 く 履 く べ き靴 は勿 論 、
物 は 四棟共 修 繕 を要 し 、窓 硝 子 は破 壊 せ ら れ、 二重 窓 は取 去 つた儘
ヴ オ ニコラ エ フス ク郡 の育 児 院 を調 査 し た が此 の結 果 、育 児院 の建
小 学 校 程度 や幼 稚 園 程 度 の教 育 も行 は れ て居 ら ぬ。労 農 監 督部 は ノ
し何 等 の手 段 をも講 ぜ ら る る こと 無 く 、多 少 の遊 戯 道 具 が有 る位 で
等 殆 ん ど行 は れ ぬ。教 育 方 面 も又 決 し て良 好 な らず 。 此 の方面 に対
を 四 万 と か 五 万と か に制 限 す るも のと す れ ば、 西 伯利 に如 斯 一大 移
ソヴ エー ト幼 老 養 育 法
民 管 理 局 を設 く る必 要 が無 い筈 であ る 。 第 五章
経 済 的 窮 状 と資 金 の払 底 と は労 農 露 国 の有 ゆ る方 面 に反映 し ﹁総 て は子 供 の為 に﹂ ﹁総 ては吾 々 の後 生 の者 の為 に﹂ と か云 ふ 標 語 や ﹁ 子 供 週 ﹂或 は ﹁ 子 供 デ ー﹂等 は全 く 陰 を 没 し ﹁週 ﹂ と か ﹁ デ ー﹂ と か は真 面 目 な る ﹁労 働 デ ー﹂ か ﹁週 ﹂ と な つて居 る。 政 府 は又 教 育問 題 を左 ま で重 大視 せず 同 時 に又 此 の事 業 も漸 次下 火 と な つて来 た 。同 胞 戦 や飢餓 が 猖獗 を極 め た当 時 には 政 府 と し て
育
ト ム ス ク労農 監 督 部 の報 告 に依 る と癈 兵院 は燃 料 払底 し 、院 内 に
養
通風 の設 備 無 き為 空 気 は欝 結 し悪 臭 を放 ち 、 入浴 の機 会 も少 く 健 康
ら な か つた の であ る 。最 初 此 の種 の問 題 は 一種 の流 行 語 とな り 政府 も 亦 、此 の方 面 に可 成莫 大 な資 金 を消 費 し大 な る注意 を払 つた の で
て食 事 し 、着 換 の衣類 も無 く 食 物 は欠乏 し て各自 軒 頭 に立 ち て 一塊
者 は病 人と 同 居 し 、 医者 は来 診 せず被 育 者 は食 卓 なき 為 寝台 の上 に
幼 児 院 を設 置 し 、 又社 会 学 上 の立場 か ら養 老 院 を設 備 しな け れ ば成
あ るが 、時 日 の経 過 と共 に更 に重 要 な問 題 が頻 発 し 、養 育 事 業 は自
西 伯 利 に於 け る自 治 行 政 (市 自 治 体)
き 影 響 を 及 ぼ し て居 る。 又 労農 政 府 は商 工 業 の復 興 を計 る こと に腐
残 虐 を 敢 てし争 闘 を続 け て来 た ことは 西 伯利 市 自 治 体 の発 達 上 著 し
共 産 自治 の衝 に当 るも のが無 定 見 であ り 、不 用意 で あ り、掠 奪 、
第 六章
の パ ンを請 ふ と云 ふ有 様 で 、同 院 の死 亡率 は三割 に達 し て居 る 。
然 に忘 却 せ ら れ る様 にな つた。 度 々聴 いた話 であ る が労 農 監 督 部 は 養 児 院 を 調 査 し て驚 く べ き 現象 を発 見 し た 。西 伯 利 革 命 委員 会 の官 報 を見 る にイ ルク ー ツ ク労 農 監 督 部 が ル ・ポ フ スキ ー育 児 院 を調 査 し た る に想 像 だ に及 ば な い程驚 く べき 事 実 を発 見 し た 。 これ は郡 保
医術 の援 助 は全 然 無 く 伝 染病 に罹 つた児 童 を隔 離 せず に健 康 者 と
健 部 や郡 国 民教 育 部 の不 注 意 に依 る も の であ る。
の秩 序 を回 復 す る こと が急 務 であ ると 言 ふ こと を自 覚 す る様 に な つ
心 し 、都 市 経 済 を全 く 等 閑 視 し た観 があ る 。 さ れ ど近 来 地 方 自 治 体
居 る。又 土 地 分 割 に就 て も甚 し く住 民 の利 益 を無 視 し た遣 方 をし て
行 委員 会 (市 役 所 ) は個 人家 屋 の割 合 を 一割 と せず し て三割 とし て
各自 治 部 は各 宅 地面 積 の計 算 を異 に し、 例 へばイ ル クー ツ ク の執
部 の事 業 を も 取扱 は んと 主張 す る か と思 へば 、他 の執 行 委 員 会 では
者 が無 い程 で、或 執 行 委 員 会 では自 治 部 の機能 を拡 張 し て、 県保 健
全 然 統 一を 欠 い て居 る。 執 行委 員 会 の為 す べ き事 業 す ら 充 分 に知 る
で あ る。 市 自 治 体 と謂 ふは 名 のみ で西 伯 利 の都 市 は制 度 の上 に於 て
総 数 が再 び市 へ送 還 す る こと にな つて居 る にも拘 ら ず 、其 の儘 握 潰
は 、中 央 政 府 の冷 淡 に帰 す る の で、地 方 か ら 政府 へ提 出 し た家 屋 間
す ら明 瞭 に知 る者 は少 い程 であ る。此 の様 な無 秩 序 を来 た し た原 因
家 屋 の修 繕 等 考 へ居 る 者無 く 、 甚 だ し いのは家 屋 が市 有 であ る や否
自治 部 は其 の管 理 す る市 有 建 物 の保 存 又 は 維持 に冷 淡 であ つて、
第 二 、市 有 建 物 の概 況
之 と反 対 に、 小規 模 の自 治経 済 機 関 を 閉 鎖 し つ つあ る。 又或 執 行 委
にな つて居 て 、未 だ に市 に戻 つ て来 な い程 であ る から 其 の冷 淡 さも
居 る。
た。 中 央 政 府 は 西 伯利 の各 都 市 の衛 生 、消 防 、教 育 資 金 を 供 給 せ な い
員 会 では 従前 よ り の形 式 を尊 重す るも あ り 、他 の県 では 水道 電 気 等
る 市有 廃 止 令 も未 だ実 施 され て居 ら ぬ から 、市 有 化 家 屋 は莫 大 な 数
察 せ ら れ る。 又 一九 二 一年 八 月 八 日及 同 年 十 月 二十 一日 に発 布 し た
為 、各 都 市 は自 治体 の本 来 の目 的 を果 す こと す ら全 く 出 来 な い立 場
の社 会 事 業 を自 治 部 に集 中 す る かと 思 へば 、国 民 経 済 会 議 の管 理部
に達 し、 其 の内 特 別委 員 会 の実 地取 調 べた る も の僅 か に二百 九 十戸
例 へば ノヴ オ ニ コラ エフ ス ク市 の如 き 市有 化家 屋 は 四百 九 十 二戸
に達 し て居 る 。
に移 さう と す る のも あ る。殊 に右 の如 き 現 象 は 一九 一七 年 か ら 一九 二 一年 間 に於 て自 治 化 し た 小事 業 (例 へば 浴場 業 、洗 濯 業 、術 生車 、
に過ぎ ぬ。 パ ルナ ウ ー ルの如 き市 有 化 家屋 三 百 七十 九戸 に対 し 、 取
葬 儀 車 、渡 船 業 等 ) に就 き特 に甚 し い のを見 受 け る。 或自 治 部 で は
では 之 等 の事 業 を民 間 に請 負 は せよ う とす る。
仮 に之 等 の事 業 が損 失 を 招 いて も放 棄 し な いで居 る。 又 他 の自 治 部
調 べ を為 し た る も の僅 か 四十 三戸 、 又 ト ム スク市 にて は市 有 化 家 屋
百 六十 戸 の内 、実 地検 査 を了 し た る も の百 三十 三戸 、 イ ルク ート ス
第 一、 住 宅 問 題 住 宅問 題 は西 伯 利 各都 市 を通 じ て其 の程 度 の大 小 を問 はず 直 ち に
又 一九 二 一年 八月 八 日 の命 令 で建 築 用 地 の貸 下 げ を行 つた が、今
ク に ては 市 有化 家 屋 五百 八十 二戸 に対 し 、実 施 した る も の四百 六 十
日迄 建 築 に著 手 し た者 あ るを聞 か ん。 又市 自 治 体 が率 先 し て建 築 し
二戸 と い ふ割合 で あ る。
積 は全 家 屋 の 一割 と いふ こと にな つて居 る が、 統計 す ら作 つて居 ら
た と言 ふ事 も聞 か ん。 為 に住 宅 用 地 は 益 々狭 隘 を告 げ て居 る。
解 決 せ ね ば な ら ぬ問 題 であ る にも拘 らず 、自 治 部 は 住 民 や労 働 者 を
ぬ のだ が、 市 有 家 屋 ( 主 とし て従前 富 豪 の所 有 に係 る贅 沢 な 家 屋 や
収 容 す る土 地 に就 き 正 確 な統 計 を作 つ て居 ら ぬ。 個 人 家屋 の住 宅 面
別 邸 で あ る) の整 理 さ へも完 全 に行 は れ て居 な い。
いて居 る が、将 来 は必ず 彼 等 に有 利 な 時 期 の再 来 す る こと を確 信 し
を多 数 所 有 し て居 た者 のみ で、 彼 等 は家 屋 に依 つて多 く の損 失 を招
居 る か ら修 繕 も行 届 い て居 る 。尤 も之 等 借家 人 の多 く は 元私 有 家 屋
は 民間 に貸 下 げ た家 屋 で、 之 は個 人 は家 屋 を修 繕 す る義 務 を負 つ て
け ば 、全 然 廃 屋 に帰 す ると言 つて居 る。 然 る に良 好 な 状 態 に あ る の
軍 用 家 屋 や市 有 家 屋 の如 き現 状 の儘手 入 れ せず に全 然放 置 し て置
十 九 戸 の内 貸 下 げ た るも の僅 か に五 戸 し か無 いにも拘 らず 、 市 の当
十 四 戸 の内 貸 下 げ た るも の僅 か に 二戸 、 又同 市 の古着 市 場 の小店 五
屋 多 き に因 るも の であ る 。例 へば イ ル ク ート スク市 に於 て は小 店 九
て多 額 の賄 賂 を取 り 、家 賃 の高 騰 を来 し 、従 つて家 屋 は借 手 無 く空
小 舗 を貸 下 げ て得 る収 入 も甚 だ尠 な い。之 は自 治 都市 の当 局 は 極 め
病 院 の整 理 す らも 為 し得 な いと言 ふ状態 で あ る。 又商 店 とか 市場 、
局 は 契 約期 間 内 に家 賃 の値 上 げ を要 求 し た が、 借家 人 は全 然 之 に応
る。 公 共 施 設 の不 成 績 であ る こと は単 に水道 、電 気 、 下 水等 各 国 に
九 十 一人 に減 じ、 馬 疋 の如 き市 当 局 の私 有 に充 て、全 く使 用 に絶 え
市 では 、資 金 不 足 の為 め消 防 隊 を解 散 し 、 二百 七 十人 の消 防 夫 を百
全 廃 し 、 又 西伯 利 に於 け る行 政 の中 心 地 た る ノヴ オ ニ コラ エフ スク
又 中 央 政府 は消 防 費 の節 減 を禁 じ た にも拘 らず 各 都 市 は消防 隊 を
じな か つた 。
て手 離 さな いで居 る。 第 三 、自 治 経 済企 業
共 通 な 事 業 のみ でな く 、 旧持 主 から徴 発 し た浴 場 、洗 濯業 、葬 儀 社
な い様 に な つて居 る 。郡 庁 所 在 の都 市 に於 ては 此 の現 象 は更 に著 し
自 治 市 の事業 は極 め て不 成績 で あ つた こと を断 言 す る こと が出 来
ク ー ツ ク の屠 獣 検疫 所 の如 き欠 損 続 き と言 ふは 決 し て過 言 でな い。
等 で、 民 間 の請 負 に属 す る事 業 も同 様 であ る。 一例 を挙 げ れば イ ル
く 、 義 勇消 防 隊 は市 有化 さ れ て無 く な つて居 る。
西 伯利 の自 治 市 の予算 を編 成 す る時 は常 に 一定 の欠 損 は見越 し て
第 四、財 源 及 財 政 状 態
又 同 市 の水道 事 業 も 昨春 一ケ月 に十億 以 上 の欠 損 を 生 じ た程 で、其 の他 の事 業 も概 ね 欠損 続 で あ つて 、 ノヴ オ ニ コラー エ フス ク市 に於 て は、 七 ケ所 の揚 水 塔 が あ る が其 の内 、 現 に使 用 中 のも のは三 ケ所
居 つた に も拘 らず 、 一九 二 二年末 に於 ては 彼等 の予期 だ にし な か つ
ク市 は 二 二、 九 七 一百万 留 各 欠 損 を 生 じ て居 る が 、其 の原 因 は 一般
〇〇〇 金 留 、 ト ム スク市 二九 、 五 四 七百 万 留 、 ノヴ オ ニ コラ エフ ス
た 民 欠損 を生 じ て居 る。 一九 二二 年 に於 て はイ ルク ー ツ ク市 五 二七 、
休 業 し て 居 る。 ト ム スク市 には 市営 浴 場 二箇 所 と 民間 に貸 下 げ た浴
又 各 市 の洗 濯 業 も 総 て欠 損 続 であ つて 、或 市 は全然 市営 洗 濯 業 を
し か無 い。
場 六 箇 所 あ る が、 民 間 に貸 下 げ た浴場 は毎 月 五 十 二億 二 百万 留 の利
諸物 価 の高 騰 と経費 節 約 法 を講 ぜず 、又 収 入 上違 算 あり た る に因 る。
圧迫 を加 へた為 、市 の収 入 は 益 々減 ず る因 と な り 、市 の役 員 は増 加
収 入 は極 め て順 調 な らず 国 営 事 業 は納 税 せず 、 且政 府 が徴 税 に際 し
し て其 の負 担 を大 に し た。 併 し 市 の当 局 者 は単 に市 の財 源 が欠 乏 せ
益 を 挙 げ て居 る にも拘 らず 、 市営 のも の は欠 損 を 生 じ て居 ると 言 ふ
殊 に衛 生車 は全 く休 業 の状態 で あ る。 多 く の都 市 は自 治 体 の役 員
有 様 であ る。
す ら 他 よ り傭 入 れ る程 であ る。葬 儀 業 に至 つて は常 に欠 損 で、市 立
失 策 に気 附 か な いで居 る。 又自 治 銀 行 設 立 の法 案 が出 来 ても中 央 政
る こと と 、中 央 政府 の指 導宜 し き を得 な い為 め とし て少 し も自 己 の
か ら 一週 間 に幾 十 万留 と 云 ふ価 格 上 の差 異 を 生 じ たり 又 は公 定 相場
が殆 ん ど事 実 と違 つたも の であ る。 人 を 派 し て実 地 調 査 を為 さな い
る ば か り であ る と 云 ふ。
と市 場 相 場 と の懸 隔 甚 し か つた りす る の で、統 計 事 務 は益 困 難 にな
ソヴ エート の統 計
府 は許 可 を 与 へる こと を 躊躇 し て居 る状 態 であ る。 第 七章
の方 法 とし て居 る け れど も 、其 の統 計 は彼等 の施 設 の生産 的 で あ る
政 府 当 局 は統 計 に重 大 な意 義 を附 し 、 諸種 の現 象 を測 定 す る最 良
得 な い程 脱 線 的 のも の であ る。 行 政機 関 は総 て自 己 の事 務 業 を 吹聴
のも の で、唯 其 の統 計 が 不正 確 な る許 り でなく 、 政府 で さ へ了解 し
前 記 ﹁プ ﹂氏 の意 見 に拠 れ ば ソヴ エート の統 計 な る も のは 泡 沫的
第 三 、統 計 の効 果
や否 やを 説 明 す る資 料 では無 く て、 単 に政府 各 機 関 の事 業 成 績 の み
す るた め 、如 何 にも 能率 を発 揮 し て居 る か の如 く 誇大 に報 告 し 、政
況
を比 較 す る に過ぎ な いも ので あ る。 政 府 は此 の統 計 の為 に は従 来 、
第 一、概
博 士 と か学 士達 の経 験 あ る者 を集 め 、其 の数 三 千 人 に も達 し て居 る。
の統 計 も金 留 を以 てバ ラ ン スし てあ る け れ ども 労 農紙 幣 と か 、商 品
府 は亦 政府 で国 民 に対 し施 政 の成 功 を 示 す事 に努 力 し て居 る。彼 等
執 つて居 る。 労 農 政府 は此 の統 計 部 に常 に緊 急 事項 の調 査 を さ せ て
産 を移 渡 し た るも のと仮 定 し、 又 は西 伯 利 亜 に輸 送 し た蒙 古 ブ リ ヤ
露 国 と極 東 共 和 国 と の貿 易 の如 き は金 留 で表 は し あ るも 、事 実 は資
と か 、 不動 産 と かを金 に換 算 し て表 は し た も の であ る。 例 へば労 農
︹マ マ ︺
又 各 県 の執 行 委 員 会 にも統 計 部 があ つて相 当 に知識 あ る者 が事 務 を
め得 な い。
居 る け れ ど も、 四 囲 の事 情 は同 部 をし て政 府 の要 求 を 充 分 満足 せ し
ら来 た国 民 経済 最 高 会 議附 属 統 計 部 長 ﹁プ﹂ 氏 の言 に拠 る と、 ソヴ
革 命 と 同 胞戦 は全 く 統 計学 者 や経 済 家 を失 つて仕 舞 つた 。欧 露 か
る の であ る 。
ン スの内 に入 れ 、又 全 く無 価値 な 動 産 迄 も 取引 高 の内 に算 入 し て居
コルチ ヤ ツク の所 有 品 た る獣 毛 を欧 露 に発 送 し た も のを も貿 易 バ ラ
引 し た訳 では な い。 又永 ら くヴ エ ルフネ ウ ヂ ン スク に停 滞 し て居 た
ート 地方 の家 畜 を徴 発 し 、之 を貿 易 商 の内 に算 入 し た の で実 際 に取
エー ト の統 計事 務 は全 く悲 観 す る の外 は な い。 過 激 派 が政 権 を握 つ
第 二 、各 支 部 の事 業
て以 来 国 内施 設 を破 壊 し て蒙 つた損害 は 、幾 百 億 留 と 云 ふ驚 く 可 き
可 能 であ る。 此 の統 計機 関 は事 務 の多 忙 な のと制 度 の不 完全 な た め 、
低落 を待 つて前 の未 払 金 を支 払 つて居 る。 右 の外 尚 ソヴ エー ト の統
入 科 目 の中 に入 れ て居 る。 而 し て下 級 国 家 機 関 は労 農 紙 幣 の相 場 の
に流 用 し 、未 払金 と し て処 理 し 最高 行政 機 関 は 此 の未 払 金 を 一般 収
各 機 関 は国 税 、 社 会保 険 、火 災 保 険等 の新 税 を受 け 入 れ て之 を他
突 然 調査 の命 を受 け て も事 務 は順 調 に運 ば な い。 の みな らず 日常 情
計上 に は幾多 の欠 点 があ る。 労農 政 府 は 是 等 の欠 点 を 無 く す る事 に
数 字 を 示 し て居 るが為 、少 数 の人 々で は此 の統 計 を作 る事 は 全 く 不
も情 報 を 提 供 せず 二 ケ月 も遅 れ て臆 測 的 の情 報 を齎 ら し 、而 も それ
報 の提 供 す ら 常 に遅 れ勝 ち であ る 。統 計 部 に附 属 す る諸 機関 は少 し
4 ワ ンデ ル ・チベ ン聯 合 製 銅 工場 及ヴ エツ セ ン冶 金 工業 株 式会 社 5
ヴ オ ク フ商 会 2 フ エ ニク ス独 逸 工 業株 式 会 社 3 レイ ン製 銅 株 式会 社
し なけ れ ば な ら ぬ こと に成 つて居 る。 而 し て本 社 は 独 都 伯林 に、支
会 社 の資 本金 は 三万 スタ ー リ ング で独 墺側 及 露 国 側 は等 分 出 資 と
て居 る。
ヴ エナ墺 太 利製 銅 株 式 会 社 等 で、露 西 亜 側 か ら は労 農 政 府 が参 加 し
努 め て居 るが 、其 の結 果 は共産 党 の為 に決 し て有利 な も の では無 い。
第 四、 生 産 の標 準 に就 て
政 府 は統 計 学 の講 習 所 を 開 かう とし た が 未 だ に実 現 し て居 な い。
政 府 の公 報 は常 に ﹁何 々県 は九 十 % 乃 至 一〇 〇 % の収穫 あ り﹂ 等
準 量 に就 き議 論 百 出 し 、或 者 は収 穫標 準 を定 む る に最 大限 を主 張 し 、
オ ク フ商会 よ り、 五十 万 スタ ー リ ング の信用 貸 を受 け其 の代 償 と し
社 を莫 斯 科 及露 国 の各 大都 市 に設 く る筈 で、 労 農 政 府 は オ ツ ト ・ヴ
と言 ふ様 な 記事 があ る け れ ども 、 国 民 の執 政 官 会 議 に於 ては収 穫 標
実 績 は例 へ半 分 でも可 な りと し 、 他者 は最 少 限 を主 張 し遂 に会 議 は
会 社 の目 的 は 露 西 亜各 ト ラ スト の援 助 を得 て露 国 よ り天 産 品 を輸
て、 労農 政 府 は同 商 会 に露 国 から 註 文 の請 負 権 を 与 へて居 る。
後 説 を採 用 し て、糧 食 税 や 工業 生 産定 量 を最 小 限 度 のも のとし た 。 然 る に此 の最 少 限 の標 準 な るも のが何 程 の程 度 のも の であ る か、次
レナ 河採 金 ト ラ スト の 一九 二 二年 の採 金 高 は 七百 五十 布 度 で標準
の記 事 に依 て証 明 す る事 が出 来 る。
す る に当 り労 働 問 題 を保 障 す ると 云 ふ 一条 件 が附 加 せら れ てあ る。
尚 会 社 創 立 の際 両 国間 に見 解 を 異 にし た主 要 点 は 、会 社 の資 金 を何
出 し 、独 逸 及 墺 太 利 よ り は製 品 を 輸 入す る にあ る 。此 の会 社 を創 立
千 五 百布 度 であ つた。 又 一九 二 二年 の製 鉄 業 の成 績 は標 準 生 産高 の
し た。 労 農 政 府 は主 とし て英 国 の野 心 を煽 る為 に此 の協 約 を公 表 し
処 に保 管 す るか と言 ふ問 題 であ つた が、 結 局独 逸 に保 管 す る事 に決
実 績 は 一〇 〇 % 以 上 にな つて居 る 。然 る に革 命 前 一ケ年 の採 金高 は
八十 % に相 当 す と あ るも 、 革 命前 の産 額 に比 す れば 僅 か に二% 半 に
第 二、 知 多 に於 け る外 国 人
て宣 伝 に努 め て居 る。
し か当 ら な い。 外 国 資 本 の侵 入
第 一、 独 逸 及墺 太 利
第 八章
が 成 立 し 、労 農 政 府 は此 の合 弁 会 社 に貿 易 上 の利 権 を譲 渡 し て居 る 。
逸 工業 家 団体 より 成 る オ ツ ト ・ヴ オク フ会 社 の当 事 者 と の間 に協 約
ら れ、是 を仲 介 と し て英 国 資 本 も 亦侵 入 し つ つあ る。 労農 政 府 と独
す る事 が出 来 る様 にな つた 。是 が為 独 逸 には幾 多 の新 会 社 が設 立 せ
総領 事 館 と密 接 な連 絡 を取 つて居 る。
云 ふ 。知 多 市 へは米 人 ト ー マスな る者 が屡 知 多 に来 り、 哈 爾賓 米 国
府 と米 国 と の接 近 を 図 る為 、 宣 伝 費 と し て莫 大 な資 金 を受 け た と も
会 議 に於 て労 農 政 府 の擁 護 者 であ つた 。或 情 報 に依 る と彼 は知 多 政
全 然 無 根 であ る。 ス ミ ス氏 は労 農 政 府 の親 友 と 認 め ら れ、 事 実 華府
或 る協 定 が出 来 て 二百 万弗 の前 払 を受 け た と 云 ふ こと は調 査 の結 果
曩 に紙 上 に報 道 され た所 に拠 ると 極 東 政権 と米 国 工業 家 と の間 に、
此 の協 約 に基 き ﹁独露 貿 易 株 式会 社﹂ と名 付 く る 一合 弁 会 社 を 創 立
ラ ツパ ロ条 約 に依 つ て独 逸及 墺 太 利 は労 農 政 府 と 共 同 事業 を開 始
す る ので あ るが 、独 逸 側 から 此 の会 社 に加 入 す る 者 は 、 1 オ ツト ・
第 三、 米 国 の労 働 者 昨 年 十 二 月 二十 日 クズ ネ ツ キ ー地 方 のケ メ ロフ スキ ー炭 坑 を、 労
此 の機関 の威力ある行動 や辛辣な処置 に就き簡単 な了解を得 る為、
2右党巣窟
3
一九 一七年以後露国保安 局は幾多 の反 政府的陰謀事件 を発見し之
此 の機関 の成功事とも謂 ふ可 き二三 の例 を挙げ よう。
を処決した。就中 一九 一八年 には1商工業 の中心
働 及 防 衛 会議 の世 話 で米 国 か ら 入露 し た 米 人労 働 者 の手 に渡 し た。 此 の米 人 労 働者 の 一団 は在 米 露 国 共 産 党 の煽 動 に依 り 大 な る期 待 を
一九 一九年 には1戦略 の中心
復興同盟会
2ヤス ロラヴ の暴動
6
3左党社会革
5故国自由擁護同盟会 ロカルト事件。
以 て来 た の であ る が、露 国側 の応 対 振 は彼 等 の期 待 を 全然 裏 切 つて
5 ペテ ルブ ルグ叛逆事件
7徒 党 主 義 と ク ラ ツ ツ キ ー暴 動 事 件 の如 き は其 の
4無政府党 の巣窟
4国民党巣窟
居 る。 彼 等 が 入露 す ると す ぐ所 持 金 全 部 を 取 上 げら れ 、其 の代 り に
右 党 社 会 革 命党
命党 の叛逆事件
︹ク ラー ク の ︺
労 農 紙 幣 を渡 さ れ た。 彼 等 は幾 多 の交 渉 を経 て先 づ クズ ネ ツ キ ー河
右 に掲 げ た事 件 を個 々に説 明 す れば 一層 明 か に国 政 保 安 局 の威 力
主 な るも の であ る。
域 に落 付 く こと に な つた 。目 下 労 農 政 府 は彼 等 に 貸 付 金 を 交 付 し ﹁クズ バ ス自 治 工業 殖 民 地 ﹂ と称 す る 一社 会 を作 ら せ て居 る 。此 の
と 残酷 さ と を知 る こと が出 来 るが 、説 明 の暇 がな いから 茲 に は之 を
殖 民 地 を自 治 と し米 国 式 の採炭 を為 さ しめ 、 実力 を以 て労 働 階級 の 勝 利 を得 せし め るに あ る。労 農 政府 は此 の殖 民 団 と の条 約 を 何時 で
略 し て置 く。
る事 が出 来 る 。過 激 派 が 政権 を掌 握 す るや否 や政 府 は反 革 命 党 を 惧
の事 業 を 通観 す る に、 国 政保 安 局 の事 業 が如 何 に秘 密 に富 む かを 知
一九 一七年 労 農 政府 と成 つて今 日 に至 る迄 の社会 状 態 や政 府 当 局
督 す る。 然 し其 の監 視 法 た る や極 め て注 意深 く行 は れ 、此 の機 関 に
在 の都 市 に於 て は、 住 民 の生活 を監 視 し 政府 に忠 実 な る や否 やを監
虐 手 段 を 執 つた も の であ る。 此 の機 関 の組 織 は最 簡単 で県 又 郡庁 所
胞 戦 と か言 ふ も の が勃 発 す る と、 此 の機 関 は直 ち に之 に報 ひ るに残
のも のと な つて来 た。今 では終 熄 し て居 る が以 前 国内 に暴 動 と か同
現 今 では国 政 保 安 局 の事 業 は多 少残 酷 味 を減 じ て 、可 な り合 法 的
も 廃棄 し て解 散 を命ず る事 を 得 る様 に な つて居 る。
れ て、 国 政保 安 局 設 置 の命 令 を発 し 、 共産 党 員 中 最 も老 巧 な責 任 者
国 政保 安 局 (元 の全 露 特 別 高 等 委員 会 )
を撰 ん で、 此 の機 関 の事 務 に当 らし め た ので あ る。 政 府 は此 の機 関
な つて居 る。保 安 局 の注 意 の的 と な り監 視 を受 け つ つあ る も のは 、
関 係 す る密 偵 が何 人 であ るか 、何 人 も 窺 知 す る こと の出 来 な い事 に
第 九章
に国 内 に於 け る有 ゆ る執 行権 を委 ね た為 、莫 斯 科 や彼 得具 羅 土 の市
多 く先 天 的 に政 府 を信 頼 しな い智 識 階 級 の人 々で あ る。 ﹁ 総 て の政
民 の心 胆 を寒 か ら し め た。 此 の機 関 の統 轄 者 は最 初 から ヂ エルジ ン スキ ー で あ る。彼 は最 有 力 な る 人物 で才 幹 あ る も の の 一人 であ つて、
るか を好 く 物 語 つて居 た。 であ るか ら不 注 意 に放言 し て投 獄 せら る
権 は労 働 階 級 に﹂ と言 ふ此 の標 語 は 、彼 等 の敵 は何 人 で、何 処 に居
る智識 階級 の者 も尠 く は な か つた。 又 政府 は智 識 階級 を信 頼 し な い
彼 の指 揮 す る国 政保 安 局 な るも のは他 の機 関 に比 し、 最 も 活 動 力 を
第 一、 国 政 保安 局 の事 業 概 要
持 つた組 織立 つたも のであ る。
も ので、 政 府 の命 令 と雖 彼 等 の指 命 に依 つ て屡 実 行 せら れ な か つた
党 の信 任 を得 、共 産 党 の為 尽 し て来 た 者 で あ る。 国 政 保安 局 の最 高
の幹 部 には数 人 の智 識 階 級 の共 産 主 義者 が居 る が、彼 等 は永 年 共 産
が為 、 国 政保 安 局 の密 偵 中 に は 一人 の智 識 階 級 も無 い。尤 も保 安 局
没頭 し て居 た か ら でも あ る。然 る に其 の後農 民 が 一九 二 一年 及 二二
委 員 会 の活 動方 面 が主 と し て 地主 階 級 の方 に限 ら れ、 地主 の放 逐 に
のは ソヴ エー ト宣 伝 の反 響 が尠 か つた 為 であ る が、 従前 の特 別 高等
ことを援 助 し て居 る。革 命当 初 農 民 に対 す る監 視極 め て緩 であ つた
国 政 保安 局 は農 民 の監 視 を厳 にし て政府 の発 し た命 令 の徹 底 す る
国 政 保 安 局 は赤 衛 軍 の内 に於 ても 亦 監督 の業 務 を 有 す。 赤 衛 軍 の
動 を惧 る る様 にな つた 為 、国 政 保 安 部 も従 来 の方針 を変 更 し て、社
エー ト運動 を誘 発 せ し め た 。其 結 果 政 府 は再 び社会 革 命 党 の秘密 運
新 経 済 政策 は共 産 共 栄 の傾 向 を薄 弱 な らし め た と同 時 に、反 ソヴ
第 六 、 国 政 保 安局 に対 す る ネ ツプ の威 力
圧 迫 し て今 日 に及 ん だ 。
国 政保 安 局 は農 民 の監 視 に就 き 緊張 し た活動 振 を示 し 次第 に農 民 を
年 に至 り、 ソヴ エー ト政 府 に反 抗 し て暴 動 を起 す 様 にな つて から は 、
幹 部 た るジ エルジ ンス キ ー、 ペテ ル ソ ン、 ラ チ ス等 の勢 力 は絶 大 な
程 で あ る。 現 今 も 此 の機 関 は多 く の密 偵 を派 し て政 治 的 、経 済 的 叛 逆 者 を捕 縛 し ては投 獄 す る こと を専 業 とし て居 る。
内 には 時 と し て多 数 の密 偵 を 入 り込 ま せ 、隊 内 の秘 密 を迅 速 に探 知
会 革 命 党 に対す る監 視 を 厳 にし 、遂 に同党 を解 散 せ し め た事 は保 安
第 二、 赤 衛 軍中 に於 け る国 政保 安 局 の事 業
す る。 彼 等 の密 偵 は極 め て巧 妙 に行 は れ 、 犯 人 が投 獄 し た後 始 め て
新経 済 政 策 は第 一多 数 の工 業家 、学 者 、専 門 家 を 国 家 の事 業 に関
第 七 、 工業 家 と 学 者 階級 に対 す る監 視
局 の大 に得 意 とす る処 であ る。
密偵 の這 入 つて居 た こと を感 知 す る程 のも ので あ る。 第 三 、専 門 労 働 者 国 政保 安 局 の密偵 中 に は専 門 の労働 者 が居 て、 ラ チ ス や ペテ ル ス 等 聯隊 長 の雇 入 れた 多 数 の羅 曲 人 も 混合 し て居 る。 此 の種 の専 門 労
に、個 人資 本 に活動 の余 地 を与 へた のを大 に社会 生 活 を活 気 付 け た。
与 せ し め 、第 二 には国 家 経 済 界 に多少 個 人 資 力 が認 めら れ る と同 時
︹マ マ ︺
働 者 は 乱暴 と残 虐 で名 を 知 ら れ、 身 体 に は華 服 を 着 し居 り、 家 宅 捜
評 的 態 度 を取 ら しめ 、 過 去 の隠 れ た る不満 の情 が漸 次表 面 に表 は れ
と は、 多 数 の国 民 を し て過 去 に於 け る政府 の命令 や処 置 に対 し 、論
し め た ので あ る。 通 商 の自 由 が許 され て生 活 に活気 を帯 ん で来 た こ
然 れど も反 面 に於 て反 ソヴ エート 思 想 を強 め 、 不満 の人 々を 増加 せ
索 や捕 縛 に向 ふ為 自 動 車 を馳 せ る時 は市 民 は恐 怖 の眼 を見 張 る の が 常 であ る 。
近 来 婦 人 密 偵 の数 は著 しく 増加 し た。 之 は男 子 よ りも 活動 が容 易
第 四、 婦 人 密 偵
で 、猜 疑 の眼 を 以 て視 ら れ る事 が少 いか ら 多 く外 国 に派 遣 せ ら れ る。
運動 の指 導 者 は智 識 階 級 に在 り と し て、 近時 大 に此 の階 級 を圧 迫 す
る様 にな つた為 、国 政 保 安 部 は再 び活 動 を開 始 し て、反 ソヴ エート 第 五 、村 民 に対 す る監視
此 の種 の密 偵 に就 て は詳 細 に説 明 す る暇 が無 いか ら略 す る事 に し た。
る様 にな つた。 最 近 欧露 よ り到 着 す る通信 に拠 ると 国 政保 安 局 は活
し た 。就 縛 者 の数 は多 く 牢 獄 に満 ち て ア ル ハンゲ リ スク県 の北 僻 に
動 を始 め 、反 ソヴ エート の 一大 運 動 機 関 を発 見 し幾 多 の人 々を捕 縛
追 放 さ れ つ つあ ると の事 であ る。 爾 来今 日 に至 るも保 安 部 の監 視 の 眼 鋭 く 、 極東 殊 に東 支 鉄 道 沿線 や支 那領 に於 け る 一九 二 〇年 以 来 の
る。 特 に哈 爾賓 に於 け る 政治 方 面 の重要 人物 の経 歴 と か 、行 動 に就
全 露 特 別 高 等委 員 会 の活 動 は可 な り秘密 裡 に 、可 成 の成功 を し て居
て は詳 細 に而 も正 確 に調 査 し て居 る事 は実 に驚 嘆 に値 す る 。 (終 )
四三
哈爾賓事務所長
極 東 に 於 け る採 金 業
大正十二年 十 一月 二十九日 哈調第二七三号 ︹ 欣 五郎︺
極東 に於け る採金業 在 満洲 里陸 軍 大 尉 橋 本氏 よ り の情 報御 参 考 迄 に報 告す 。
は金 鉱 業 に於 て小 金 鉱 所有 者 を減 じ 、大 金 鉱 経営 者 の増 加 を 意味 し、
金 鉱 業 発達 の障 碍
金 鉱 業 の発達 を示 す も のと 云 ふべ し 。
る べか ら ざ り し が、 本 年 七 月 の中 央 の命 令 に依 り 地 下鉱 物 採 掘 に 対
従 来 の採 金 業 者 は 其 の 一デ シヤ ー チ ンに対 し 一〇 〇留 を支 払 はざ
し、 一デ シヤ ー チ ン五 〇 カ ペ クを 支 払 ふ如 く 改 正 せ ら れ 、金 鉱 業 の
(別 紙 ) 十 月 三 十 日 スホ ービ ー氏 は極 東 経 済調 査 会及 極 東 革命 委 員 会 の会
障 碍 は 除去 せ ら れ たり (一般 鉱 物 採 掘 に対 す る支 払 額 は減 少 せ し も
採 掘 後 、 鉱物 の種 類 に依 り他 の諸 税 を 課す べき は勿 論 な り)。
合 に於 て、極 東 に於 け る採 金 業 の状 態 及 其 の将 来 に就 て報 告 せり 。
金 鉱 の面 積 及其 の賃 借
其 の要 旨 次 の如 し 。
は同 地 帯 に於 け る鉱 山 採 掘 の許可 は、 極東 経 済 調 査 会 に於 て許 可 し
は中 央 部 の許 可 を要 し、 種 々手 続 上 に於 て不 便 の点 あ り し も、 目 下
又 従 来 黒 竜 江及 海 岸 に沿 ふ 一〇 〇 露 里 地帯 の鉱 山 を賃 借 す る為 に
四、 〇 七 一デ シヤ ー チ ン にし て、 其 の内 三 八 五金 鉱 、 其 の面 積 三六 、
得 る に至 り 、 大 いに貸 借 者 の不便 を減 少 せ り 。
十 月 一日 調 、極 東 に於 け る金 鉱 は二 、 五 九 二個 、 其 の総 面 積 二 一
〇 五 六 デ シ ヤ ーチ ンは企 業 者 又 は個 人 に賃 貸 し 、残 部 二、 二〇 七鉱 、
金 の 収 獲
面 積 一七 八 、 〇 一五デ シ ヤ ーチ ンは尚 国 家 の手 に あり て、全 金 鉱 の 約 八 三 ・ 一パ ー セ ント に相 当 す。
極 東 鉱 山 局 は 一九 二 三年 度 に於 け る全 極東 金 納 入を 一四 五布 度 一
正確 な る材 料 に依 る極 東 に於 け る金 の収 獲量 左 の如 し 。
六 四個 、即 一八 ・六 パ ー セ ント に し て其 の面 積 は 九、 七 七 九デ シヤ
一フ ントと 予 定 せ し が 、実 際 に於 て十 月 一日 迄 に 一三〇 布度 の納 入
一九 二三 年 一月 一日 より 十 月 一日 に至 る間 に増 加 せし 賃 借金 鉱 は
ー チ ンに し て、 面積 に於 て 二五 パ ー セ ン ト の増 加 を示 せり 。本 数 字
家 へ納 入 せし 金 の他 、 国 家 商 業 機 関 にて購 入 せ し金 も分 析 す べ き を
を 見 た り 。又 此 等金 分 析 所 は 二三 五 布度 を取 扱 へり (金 分 析 所 は国
キ ー会 社 、 黒 竜 に於 け る水 力企 業 及 米 国 ビ ンタ の経営 す る小 企 業 を
済 的 組 織 を以 て後 貝加 爾 の数金 鉱 を経 営 し あ る ル ス コ ・ブ リ タ ン ス
極 東 に於 け る金 採 掘 業 は バ ルグ ヂ ン スキ ー密 林 に於 け る チ カ ン経
べ き金 の収 獲 は、約 二 三 五布 度 二九 フ ントと 予 想 せ ら れ、 其 の内 沿
金 分析 所 の資 料 よ り判 断 す る に、 本年 度 に於 て正式 に登 録 せ ら る
料 又 は金 銭 に て買 入 る る形 式 ) の形 式 を 採用 し あり 。 従 て目 下 の如
ア ンパ ロプ ロムイ ツ シ ユレ ン ニツ ク (採 金労 働 者 の採 掘 せ し金 を食
者 の群 に過 ぎず 。 従 て大 部 の賃 借 者 は直 接 の企 業 者 の形式 を取 らず
除 け ば他 は殆 ん ど露 支 組 合 、請 負 者 、 小賃 借 者 及 組 織 不完 全 の採金
︹B〓HT ︺a
以 て其 の額 大 な り)。
二 フ ント な ら ん。
す べき 広 汎 な る機 関 を編 成 せざ る可 か らず 。 目 下 の状 況 に於 て極 東
(企 業 者 自身 が自 己 の労 働 者 よ り金 を買 入 るる機 関 ) より 金 を購 買
状 況 右 の如 く な るを 以 て国 家 とし て は各 企 業 者 の ア ン パ ロ機 関
金 採 掘 業発 達 に関 す る問題
者 の腕 に依 らざ る可 か らず 。
く 資 金 欠 乏 の際 に於 て採 金 業 の発達 を催 さん と せば 、 先 づ採 金 労働
貝 加 爾 及後 貝 加 爾 一七 〇布 度 一七 フ ント 、黒 竜 及 沿 黒竜 六五 布度 一
然 れど も実 際 の金 の収 獲 は尚 以上 にし て其 の数 字 は 、金 鉱 に従 事 す る労 働 者 の数 を以 て計 算 す る を得 べし 。 現在 登 録 せ ら れ あ る金 採
対 し 、沿 貝 加爾 及後 貝 加 爾 に於 て 三〇 パ ー セ ント、 黒 竜 及沿 海 州 に
者 或 は不 正規 掠 奪 者 ﹂ の数 を含 まず 。 本 盗 取 者 の数 は 登録 労 働 者 に
商 業 部 及 鉱 山 コー ペ ラ チ ー フは其 の第 一歩 に入 り あ る に過 ぎず 。又
掘 労 働 者 の数 は 一二、 四 〇 一人 にし て、本 数 字 内 には 所謂 ﹁金 盗 取
於 て 五〇 パ ー セ ント に達 せ り 。金 採 掘 労 働 者 の 一年間 に於 け る労 働
極 東 金 鉱 業 の為 に は金鉱 業 の大 部 分 を占 めあ る小企 業 家 及 経 済的 組
組 合︺
日 数 を 二 五〇 日 と し、 一人 一日 の平 均 採 掘 量 を〇 ・五 ゾ ロト ニツ ク
を発 達 せし め た資 金 を 得 るに従 ひ、機 械 的 企 業 に移 らざ るべ か らず 。
而 し て目 下 の処 国 家 と し て は スタ ラテ ー リ ス キー に依 る国営 企 業
業
と す る とき は 、本 年 に於 け る極 東 金 採 掘 量 は 正 に四〇 〇 布度 以上 な
織 にあ る企 業 の発 達 に依 らざ る べか らず 。
︹ 協
り 。此 の内 国 家 の手 に 入 るも のは 二 五〇 布度 に過 ぎ ず し て残余 は、 密 輸出 に依 り支 那方 面 に流 出 す 。其 の大 な る原因 は金 鉱 地 に於 け る 国 家 の金 買 入 の金 に対 す る買 値 の低 廉 な る に依 る 。従 つて極 東 商 業
︹cTapaTe〓b ︺cK〓〓
部 は国 家 に対 し 、金 採 収 高 の四 〇 パ ー セ ント 強 を納 入し 得 るに過 ぎ ず。
金採掘労働者 の性質 極東 に於 け る金採 掘 労 働 者 の大 部 は スタ ラ テリ スキ ー (普 通労 働 者 の如 く 一定 時 間労 働 す る者 にあ らず し て、 自 己 の希 望 に依 り自 己 の欲 す る丈 採 掘 す る も の) な り 。
二 、発
一、 事
電
務
所
所
三 、機 関 車 組 立 工場
七、 機 械 工 場
六 、汽 鑵 工 場
九 、鍛 冶 工 場
験
場
一〇 、車 輪 工 場 一一、実
九 、 〇 四〇 〃
〃
一〇 七 、 五 五 五平 方 サ ージ エン
哈 爾 賓 機 械 工場 は左 の各 部 に分 離 す 。
台 に上 れ り 。
東 支鉄 道 哈爾 賓 工場 概 況
関東軍参謀部調
秘 大正十二年六月二十 二日附
四四
庶調情第 二九 一号 東支鉄道哈爾賓工場概 況
四 、客 車 工 場
東支鉄道主要機械 工場は本鉄道 の中心地 たる哈爾賓市 に存在す。 機械 工場 の建設は 一九〇三年 に開始 し 一九〇七年後半 に完成せり。
九〇台
五 、貨 車 工 場
根本修理機関車 八〇輛
哈爾賓機械 工場 の 一ケ年事業目録左 の如 し
工場 は松花 江岸 に位置し複線を以 て哈爾賓停車場と連絡す。
根本修理客車
四〇〇 〃
八 、鋳 鉄 工 場
大修理貨車
輪 転材料 の普通修理及車輛 の定 期検査 は機関庫附属 工場 に於 て行 はる。
一二、製 材 工 場
一九 一六年以降哈爾賓機械 工場 に於 ては東支鉄道用機関車及車輛 の修理 のみならず、対独開戦時中 は露 国政府 より米国 に註文 し海路
哈 爾 賓 大 工場 の構 内 面 積 同 上 建 物 面積
浦塩 に到着したるデ ーカポド機関車 の組 立 に従事 せり。而 して 一九 一六年 より 一九二〇年 に至るデ ーカポド機関車組立数 は七百九十四
四 三〇八台
工場内に敷設する軌条延長数は五十露里 にし て転轍所百四十四箇 機械 設備左 の如し。
所あり。 一、 一、六〇〇馬力原動力装置 八五七 ・五平方 哩
二、 一乃至四馬力 の伝導力 を有す る電気発動機 三、蒸気暖房送暖面積
従 業 員 数
〃
一ケ月 平 均
況
一九 二 二年度 の作 業 状 況 左 の如 し。
る も のと す 。
概
日 傭従 業 員 数
支 那 人従 業 員 平 均率
二五 七 人
六 三%
二 、 八 一四 人
事 務 員 の 一ケ月 平 均 数
二九 人
九 六人
根 本修 理完 成 機 関車 数
三九 台
六 七台
一〇 〇輛
四 〇 〇輛
一三 ・ 一五哥
褐色 炭 の消 費 量 は九 ・二斤 、電 力 一時 間 一キ ロワ ツト の価格
間 一キ ロワ ツト 三 、 六〇 〇 カ ロリ ー の熱 量 を起 す 。
一九 二 二年 度 の供 給 電 力 は 二 、八 三 五 、 一〇 〇 キ ロワ ツト 。 一時
発電所状況
事 務 部 職 員 一人 に附 属 す る職 工及 労働 者 の 一ケ 月平 均
二 二人
一二七 人
技 術 部員 (技 師 及技 手 等 ) の 一ケ月 平 均数
五 一四台
四、各 種 機 械
技 術 部 職員 一人 に付 属 す る職 工及労 働 者 の 一ケ月 平 均 人員
一
五、容積 一分間 に六 一九立方呎 を発す る瓦斯装置 六、電気鍛接 ( 接合)装置 現在哈爾賓大工場 に於 ては左 の輪転材料 の修理を為す。 露 里を走行したる客車用機関車 の根本修理
一、 一八〇、〇〇〇露里を走行したる貨車用機関車及 二四〇、〇〇〇
露里を走行 したる客車用機関車 の小修理
二、約三〇、〇〇〇露 里を走行した る貨車用機関車及四〇、〇〇〇 三、転覆等に因 り破損 したる機関車 の臨時修 理 四、八年間使用客車 の根本修 理
小 修 理機 関 車 数
機 械 組 立 工場 状 況
六、 一年使用後 の客車 の定期検査
五、根本修理後 四年を経過したる客車 の根本修理 七、三年使用後 の貨車 の定期検査
三 三台 貨 車 工場 状 況
其 他 の修 理
機関車 の根本修理 は六十日間 を以 て完成す。
三年 使 用後 の定 期 検 査 実施 車 数
修理車数
三年 使 用後 の冷 蔵 車 数 同
二、 二九 二輛
八、廃頽期 に入りし貨車及転覆等 にて破損 したる貨車 の大修理 輪転材料 の修理作業 は各特別に編成 されし鑑定費 に依り行 はれ其 の都度之を定む。 修 理作業費は作業 の進捗割合 に制限 せず ロシヤヘツセン主義 に因
冬 期用 油 運 送 車供 給 数
一〇 四輛
九 、 〇 九八 〃
一三 一、 四 四八 布度
一五 、 四 三〇 〃
鋳 鉄 数 量
鋳 鉄 工場 状 況
〃
鋼 鉄 〃
バビ ツト ( 銅 、 ア ン チ モ ニ及 錫 の合 金 )九 、 九 九 六〃
銅
七、 一四 一〃
七、 六 七 六〃
四 四、 〇 九 一布 度
鍛鋼鉄〃
四、 七 八九 〃
鍛 鉄 数 量
鍛 冶 工場 状 況
延 鉄 数 量
一、〇〇〇 、〇〇〇 立 方 呎
軸 及 延 鉄 等 よ り鋼 鉄 製 造 前
製 材 数 量
製 材 工場 状 況
及
鉄
一〇 五 個
二 、 一九 一個
二 、 四 二九 個
一二九 個
鉄
電 気 (応 用 ) 鎔接 工場 状 況
一、鋼
廃物利用改鋳
二 、鋳 三 、銅 計
電 気 応 用 鎔 接数 量 ( 従 前 は 一層高 価 を投 じ て鎔 接 し た るも のを廃 し て此 の方 法 を 採 り し も の) 七 四 八個 、尚 電気 応 用 鎔 接 に基 き節 約
此 外電 気 応 用 鎔接 法 を利 用 し 機 関車 の分 解 を 為 さず し て現使 用機
し た る価 格 は 一三 三 、〇〇〇 留 に上 る。
関 車 の修 理 を完 成 し た る数 は 二九 台 に し て蒸 気 汽鑵 の鎔 接 は 二 一個
な り。
四五
大 正 十 二年 四 月 二十 七 日 東 清鉄 道 疑 獄
東 清 鉄 道疑 獄
ペ キ ン ・デ リ ー ・ニ ユー ス
近屡 々聞 知 す る所 に依 れ ば、 長 官 オ スト ロウ モフ氏 の人格 及 其 の絶
る所 に非 るも 、 オ スト ロウ モフ氏 に関 し ては 全 く事 実 に反 す る報 道
事実 通 り に賞 讃 す る な ら ば如 何 な る 入を 賞 讃 す る も吾 人 の意 とす
き は ﹁北満 旅 行 記 ﹂ と 題 す る記 事 を連 載 し て同 氏 を大 い に賞 讃 せり 。
倫 の精 力 等 は 大 い に賞 讃 せら れ つ つあ り。 二 月 の北 京 天津 時 報 の如
論 ず べ き重 大 問 題 な る べし 。 該 鉄道 は支 那 が 一八 九 六年 露 西 亜 に対
あり 。故 に敢 て批 評 を試 み ん とす るも のな り 。
東 清 鉄 道 の基 礎 を徹 底 的 に解 決す る こと は 今 次 の露 支 会 議 に於 て
し て其 の敷 設 を 許可 せ しも のな る が現 在 は 、 北京 政府 露 亜 銀 行 間 に
抑 々東 清 鉄 道 は露 亜 銀 行 を譲 受 人 と指 定 し たる露 西 亜 と 支 那 と の
らず。
の条 約 及 現在 の経 営 方 に関す る 一九 二 〇年 の条 約 よ り始 め ざ る べ か
東清 鉄道 を真 に論 ぜ んと せ ば先 づ 該鉄 道 敷 設 に関 す る 一八 九 六年
締 結 せ ら れ た る 一九 二〇 年 の条 約 に依 り て運 転 され つ つあ り。 而 し て昨年 のワ シ ント ン会 議 に於 て列強 は暗 々裡 に該 条約 を承 諾 し 、支 那 に 対 し て該 鉄 道 の受 託 権 を 与 へた り。 一九 二〇 年 の条約 は 、該 鉄 道 庁 の瓦 解 よ り生ず る 諸種 の事 情 に供
る所 謂 鉄 道附 属 地 を無 償 又 は頗 る安 価 に提 供 し、 且 つ其 他 各 種特 権 、
共 同 事 業 にし て 、支 那 はそ の出 資 の代 り と し て鉄道 敷 設 の為 に要 す
へん が た め締 結 せ ら れ た るも のに し て、 支 那 に対 し て該 会 社 株 券 半 数 の所有 権 、 及 び沿線 地方 の統 治権 を認 む る と同時 に或 る種 の支 配
東 清 鉄 道 は か く支 那 が譲 歩 せし を 以 て敷 設 さ れ た るも のに し て、
沿 線 地帯 の治 安 を維 持 す る為 に約 一箇 師 団 の人員 を 使 用 せ り 。
は該 鉄 道 に使 用 す る物 品 免 税 の特権 を与 へた り。 当 時 支那 は該 鉄 道
例 へば 該 鉄道 に移 送 せ ら る る物 資 の輸 出 入税 三分 の 一減 の特 権 、 又
権 を 与 へた る も のな り 。然 れ共 厳密 に言 はば 該 支 配 権 は未 だ以 つて 支 那 の正当 に把 持 す る に至 ら ざ る所 也 。 今 や露 支 会 議 開 始 に際 し て支 那 は ヨツ フ エに対 抗 せし む る ため 王 正 廷 を 選 任 せ り 。 ヨツ フ エは病 気 快癒 と共 に帰 国 す るな ら ん。 而 し て該 鉄 道 の現状 を公 表 す る こと は支 那 の為 に喜 ぶ べき こと な り。 最
支 那 は最 後 に該鉄 道 の所 有 者 た る べ し と の了解 あ りし を 以 て、 其 の
住 宅 を給 与 せら る る を以 てな り 。
六 三 〇金 ル ーブ ル中 、支 那 人 は 八 十 九 人即 一% 以 下 にし て、其 の年
鉄 道 部 の比 は実 に大 に し て社 員 九 、 八 七六 人 、全 年 俸 七 、 一七〇 、
に於 て該 鉄 道 を買 収 す る こと を 得 る こと、 八 十年 後 に於 て該 鉄 道 を
敷 設 を露 国 に承諾 せ しな り。 一八 九 六年 条約 には支 那 が三 十 六 年後
此 の数 字 の明 示 せ る如 く 支 那 人 使 用 の費 用 は露 西亜 人 に比 し て安
俸 一八 三、 五 四 〇金 ルーブ ルな り 。
又 一八 九 六年 条約 に依 れば 該 鉄 道会 社 々長 選 任権 を支 那 に与 へ、
無 償 に て還 附 を受 く べ き こと を規 定 せ ら れた り 。
一八九 六 年 条約 には支 那 の訓 令 を適 当 に実 行 す べ き こと を 明 言 せ
節減 せ ら れ居 る。該 鉄 道 警 察 の 一九 二 一年 の予 算 は 一、〇〇〇 、六
社 が支 那 人 のみ を使 用 せ る部 局 は 警察 のみな り 。其 の経 費 は相 当 に
北 京天 津 時 報 は更 に該 鉄 道 警 察 の費 用 を評 せ り 。実 際 に於 て該 会
価 な り 。此 の点 に関 し て鉄 道 財 政 の損 失 を支 那 人 に負 担 せし む る は
り 。勿 論 此 の条 文 の裏 面 の意 味 は 該会 社 の財 政 状態 を監 視 す る にあ
〇 〇 金 ルーブ ル にし て 、 オ スト ロウ モ フ氏 の配 下 に あ る見 張 人 に対
公 平 な らず 。
り て 、配 当 金 と し て分 配 す る利 益 金 以外 の剰 余 の利 益 を、 支 那 と し
し ては 六〇 〇 、〇〇〇 金 ルーブ ル予算 にし て全 部 合算 す れば 二 百 万
一九 二〇 年 条約 は該 会 社 に於 ては支 那 人及 露 西亜 人 を公 平 に使 用 す
て該鉄 道 の負 債償 還 に充 つるも のと し 、又 該 鉄道 が支 那 の有 に帰 す
る こと を 明 ら か に規 定 せ り。
る と き軌 道 に破損 な か ら しめ ん が為 、 そ の運 転 を監 視 す る目 的 も あ
金 ル ーブ ル以 上 に相 当 せ り。 然 れ共 前 会 計年 度 には該 鉄 道 警察 の予
は 、例 へば 該 予算 中 に見 張 人 給 与 及 若 干 の見 張 人 の任 務 を更 に負 担
算 は約 一百 五十 万 金 ルーブ ル に削 減 せ ら れ、 更 にそ の重 要 な る相 違
り た り し な り。 北 京 天 津 時報 の記 事 に依 れば 、東 清 鉄 道 の支 那側 社 員 の過 多 な る
道 会 社 は 五〇 〇 、〇〇〇 金 ル ーブ ル以 上 を節約 せ るな り 。露 西 亜 の
せ る数 百 人 の警察 官 の給 与 を包 含 せ る ことな り 。換 言 す れ ば東 清 鉄
こと を批 難 す れ ど 、此 の点 に関 し ては寧 ろ支 那 側 よ り も露 西 亜 側 の
二年 前 は 二三 、 六〇 〇 人を 有 し 現 今 は 一九 、 八 七 六 人 を包 容 す る
経 営 を批 難 す べ き な り 。
の多 額 に上 れり 。露 西 亜 政 府 が 全 く 瓦解 せ る 一九 一七年 より 一九 一
経 営 中 に は露 国 警察 及 び見 張 人 の費 用 は平 均 年額 一千 万 金 ルーブ ル
八年 間 に於 ても 該会 社 は年 七百 万 金 ルー ブ ルを 消費 せ り。 当時 、該
し 。其 の中 支 那 人 社員 は比 較 的 少 数 にし て、高 級社 員 合 計 一五 六 人
鉄 道 沿線 は最 も 混乱 の状 態 にあ り て、竊 盗 、 強 盗 、殺 人 等 は問 題 と
該 会 社 は恐 ら く 全 世界 に於 て最 多 数 の社 員 を 有 す る鉄 道 会 社 な るべ
の中 支 那 人 は三 十 六 人 に し て全 年 俸 、住 宅 料 を 合算 し て 一四五 、 八
あ り 、其 の俸 給 を合 算 す れば 六 六 七 、九 七〇 金 ルーブ ルな る が、 此
せら れ ざ り しな り 。
り幾 倍 か渾 沌 た る当 時 の状 況 を 想 起 す る なら ん 。
一九 一七 年 よ り 一九 二〇 年 間 に東 清 鉄 道 を 旅 行 せ る人 々は 現今 よ
六 〇 金 ルーブ ルな り 。即 ち 支 那 人 の員 数 は露 西 亜 人 の五分 の 一にし
一以 上 の比 とな る。何 と な れば 露 西 亜 人 は住 宅 料 を受 けざ る代 り に
て、 其俸 給 は六 分 の 一な る が両 国 人 の給 与を 精 確 に比 較 す れば 六 対
ロウ モ フが仕 立 し 特別 列 車 に乗 じ て 、 シ ヤ ンペ ンを抜 き な が ら彼 の
﹁ 北 満 旅 行 記 ﹂ の記 者 は オ スト ロウ モ フが十 万 弗 を投 じ て建 築 せ
に来 り てそ の新 邸 宅 建 築 の法 外 な る概算 表 を提出 し承 諾 せ ん こと を
て オ スト ロウ モフは 重 役 にそ の責 任 を転 嫁 せ んと し、 最 初 重 役会 議
迫 せ る際 か か る公 金 の浪 費 は恥 ず べき こと な りと言 へり。 こ こに於
以 て オ スト ロウ モフ の名誉 を保 持 せり 。時 に 工事 は既 に着 手 せ ら れ
迫 れり 。支 那 側 重 役 は露 西 亜側 に説 得 せ ら れ止 む な く承 諾 を 与 え 、
る彼 の自 邸 に関 し ては 巧 に之 れ を弁 護 せ り 。恐 ら く 該 記者 は オ スト
の曰く 、 重 役 会議 に於 て邸 宅 の建 築 を決定 し た るも のに し て、 社 長
べ し よ り以 上 の説 明 を要 す るも のな り。
此 処 に更 に 一問 題 起 れり 。 そ は オ スト ロウ モ フ の邸 宅 に つき て述
居 り、 建築 材 料 も既 に該 敷 地 に運 搬 せら れ居 たり 。
語 りし 所 を無 邪気 にも 繰 返 し て書 き し も のに過 ぎ ざ る べ し 。該 記 者
の幽邃 な る趣 味 は其 の邸 宅 の敷 地 に小 公 園 を設 け 、 天産 物 の標 本 を
人 々に開 放 す る目 的 な るべ し と 。 こは明 か に社 長 を弁護 せ る も のな
集 め、 特 に北 満 の樹 木 を 成長 せ しめ 、 此 の国 の貿 易 に興味 を有 す る
東 清 鉄 道会 社 長 は オ スト ロウ モ フに対 し て ウ スリ ー鉄 道 会 社 よ り
六〇 、〇〇〇 弗 を以 て購 入 せ る多 量 の軌道 に関 し 説 明 を求 めた り 。
た る も の にし て 一般 に驚 異 す る所 は、 何故 にオ スト ロウ モフが自 身
ハ ルピ ン在 住 者 は恐 ら く オ スト ロウ モ フが か か る趣 味 の所 有 者 な
り。
そ の取 引 の衝 に当 り て 六〇 、〇〇〇 弗 を節 約 せざ り し か に在 り 、然
ン市 民 一般 の興 味 の中 心 と な れ り。 該 取引 は第 三 者 を通 じ てな さ れ
社長 の邸 宅 は全 く別 問 題 な るべ し 。 一般 に ハルピ ン在 住 者 の語 る所
も ウ スリ ー鉄 道 会 社 が軌 道 売 却 を発 表 し た る は彼 の知 る所 にし て、
該 金 額 はウ スリ ー鉄 道 会 社 の請求 以上 に当 れ り。 而 し て こは ハル ピ
に拠 れ ば 、 オ スト ロウ モフは ハル ピン第 一と称 せら る る現 在 の邸 宅
る こと を知 ら ざ る べ し。 此 の事 に関 し鉄 道 関係 者 、重 役 連 に質 問 せ
よ り も更 に堂 々た る邸 宅 を 欲 せ り と のこと な り 。 オ スト ロウ モ フの
の衝 に当 ら し め 、両 鉄 道 会 社 の通 信 が日 々頻 繁 な る事 も彼 の熟 知 せ
又東 清 鉄 道 会 社 も浦 塩 駐 在 の代表 を設 置 し て 、 ウ スリー 鉄 道 本 社 と
ん か 、彼 等 は 皆 余 の話 を 喜 び て傾 聴 せり 。彼 等 に取 り ては植 物 園 と
ハル ピ ンに来 りし時 、重 役 の邸宅 以外 の邸 宅 は如 何 な る邸 宅 も彼 の
な る方 針 を採 る に際 し 、常 に彼 等 は無 智 にも こ れを 防害 せ りと 言へ
﹁北 満 旅行 記 ﹂ の記 者 は 支 那 人側 重 役 を 攻撃 し該 会社 に於 て有 用
んば重 大 事 件 は 如何 な る事 も な し得 ざ るも のな り。
そ の行 動 に関 し て社 長 及重 役 に対 し て責 任 あ り、 且 つそ の承 諾 な く
該 取 引 は社 長 及重 役 の不 知 の中 に行 は れ た る も の にし て 、長 官 は
る所 也 。
選 択 に委 せた り 。彼 は露 国 守備 隊 司 令 官 ソ モノ ロツ フ少 将 の邸 宅 を 選 び た り。 該 邸宅 は約 二千 四 百 六十 坪 の庭 園 を巡 らせ る広 大善 美 の
修 理 に巨 額 の金 を投 じ た り。
邸 宅 な り。 ソ モ ノ ロツ フ少 将 は彼 の為 め に立 退 き 、彼 は 又 該 邸宅 の
オ スト ロウ モ フは 又、 一九 二 一年 に焼 失 せ し 工芸 会 館 の敷 地 に新
り 。特 に大 豆 の混 合 保 管 は注 意 を惹 き た るも のにし て記 者 の言 は、
邸 宅 を構 へた り。該 工事 は 一般 重 役 の知 ら ざ り し所 にし て、 工芸 聯
を惹 く に至 り た るも のにし て、 ステ イヴ ンズ 氏 は目 下 会 社 の財 政 切
合 会 々長 ジ ヨン ・ステ イヴ ンズ 氏 の告 発 に依 り て始 め て 一般 の注 意
彼 等 を し て了解 せし め て而 し て承 認 せ し む る迄 に総 て の好 機 を 逸 し
支 那 側 がか か る計 画 の利 益 を 考 ふる能 力 なく し て反 対 せし を 以 て 、
価 格 に等 し き こと。 而 し て該 所 有 物 の評価 は 、倉 庫 及鉄 道 両 会
三 、該 鉄 道 会 社 に於 て受 取 る べ き株 金 額 は其 の提 供 せ る所 有 物 の
二 、発 起 人 の出 資 額
側 の重 役 がオ スト ロウ モ フ及 び其 の同 僚 の提 出 せる契 約 を、 次 の如
ト ロウ モフ の希望 に従 ひ て行動 せ ん と せ るも の の如 く 、 支那 側 の議
取額 を明 瞭 に決定 せ ん こと を主 張 せ るな り 。露 西 亜 側 の重役 は オ ス
支 那 側 の将 来 の誤 解 や詐欺 を防 止 せ ん が為 め 、両 者 の出 資 額 及 受
社 よ り の代 表者 の公 平 な る評 価 に よ る こと。
た りと 。 好 機 を逸 し た る こと は 事 実 な り 。然 れ共著 者 の言 へる所 の
き 理 由 の下 に反 対 せる は事 実 な り 。彼 等 の提 出 せ る契 約 に よ れば会
論 に強 硬 に反 対 せ り 。而 し て彼 等 は該 鉄 道 会社 が提 供 す べ き所 有 物
遅 滞 の理 由 は全 く 事 実 に非 ず 。 東 清鉄 道 会 社 の社録 によ れば 、 支那
そ の十 二 を選 び て該停 車 場 の建 築 物 の待 避 線 、 土 地 を提 供 し 、 更 ら
の価 格 は明 示 す る も 、倉 庫 会社 の支 払 ふべ き金 額 は明 記 の要 無 しと
社 が該 事 業 を分 担 す る た め、 東 清 鉄道 全 沿線 の重要 な る停 車 場 よ り
に浦 塩 港 に於 け る最 も 重要 な る多 く の倉 庫 、 埠 頭 、船 等 を提 供 す る
の所 有 物 を 公 平 に評 価 せ んとす る支 那 側 の要 求 も露 国 側 は拒 絶 せり。
主 張 せ り。 又 其 の株 金 額 を 決定 す る根 拠 と な さ ん がた め 、鉄 道 会 社
か の真 の理 由 は実 に此 処 にあ り 。然 も ペネ ル氏 は此 の否 認 せ る こと
支 那 側 が オ スト ロウ モフ によ る該 倉 庫 会 社 の計 画 を何 故 に否 認 せる
こと と せ り 。会 社 が提 供 す べ き 此 等所 有 物 の数量 、容 積 、 所 在 地 は
分 の 一を受 く る こと を規 定 せり 。然 れ共 会 社 の受 く べ き株 が時 価幾
明 瞭 に提 示 し制 限 さ れ た り。 此 等 に対 し て会 社 が該 倉 庫 会 社 株 の三
何 な る か 、 又該 倉 庫会 社 の資 本 金 が幾 何 な るか を明 示 せず 、尚 先方
該 倉 庫 会 社 に於 て月 俸 二 、〇〇〇 弗 を受 く る 一紳 士 は前 記 契 約 の
の明 なり 。 常識 な り。 皆 以 つて会 社 の利 益 を擁 護 せん が た めな り 。
を 以 て妨 害 と 言 へり。 吾 人 の考 ふ る所 に依 れ ば そ は慎 重 な り。 先 見
斯 の如 き条 件 の下 に該 倉 庫 会 社 が最 後 に即 ち該 契 約 調 印後 、 六〇
の出 資 額 も 不明 な り き。
〇 、〇〇〇 弗 を以 てそ の資 本 金 と なす と せば 、該 鉄 道 会 社 の受 取 る
此 の事 件 に関 し て其 の真 相 を語 るは 最 早吾 人 の嫌悪 す る所 な り 。
﹁ 北 満 旅 行 記 ﹂ の記 者 が此 の点 に関 し ては多 言 を弄 す べ く、 又 該 鉄
協 議 中 約 一年間 、 オ ス ト ロウ モ フの邸 宅 に滞 在 せ りと の こと な り 。
有 物 の価 値 を 二、 五〇 〇 、〇〇〇 弗 とな し、而 し て現 在 来 れ る通 知
道 の運 転 状 態 を知 れ るも のは、 誰 も事 の真 相 を熟 知 せ る を以 て最 早
べ き株 金 額 は、 全 額 の三分 の 一と規 定 し あ るを 以 て 二〇 〇 、〇〇〇
に依 り て考 ふ る に、発 起 人 の見 積 れ る資 本 金 は この額 に達 せず とな
弗 な る べ し 。支 那側 の重 役 のな せ る予 算 は該 鉄道 会 社 の提 供 せ る所
せ り。
材 料 と し て故 意 か非 ず か記 事 を書 く こと な り。
(高島 )
事 、又 は彼 等 が特 別 列 車 に乗 つて該 鉄道 を旅 行 せ る時 得 た るも のを
に 一方 よ り来 れ る報 道 や 、宴 会 の席 上 にて鉄 道 会 社員 よ り語 ら れ し
述 ぶ る必 要 な か る べし 。 只吾 人 の遺 憾 と す る所 は 或 る種 の記 者 が単
ここ に於 て支 那側 の重 役 は該 契 約 が次 の三項 を明 瞭 に規定 す べき こと を主 張 せり 。即 ち 一、該 倉 庫 会 社 の資 本 金 額
四六
秘
関東軍参謀部
し て其 の翌 九年 に始 め て我国 人 著 手 に依 り準 備 を 為 し 、哈 埠 の市 政
志 に依 り幾多 の困 難 を 排 除 し て電 業 権 利 を 回収 し た る も のと す 。而
八年 に時 の督 軍 鮑 中 将 及浜 江道 尹 董 士 恩等 の後 援 の許 に、 豪 商 徐 鵬
出 せ る額 のみ に ても 百 二 、三 十 万 元 の巨 額 に上 れ り と 云 ふ。其 の用
天 の間 を奔 走 し て金策 を廻 ら さ ざ る を得 ず 。 吉 林永 衡 官 銀 号 よ り借
本 は莫 大 な れば 独 力 にて は支 持 さ れ得 る も の に非 ず 。 即 ち吉 林、 奉
講 ぜら れ た るも のとす 。徐 は 知 名 の豪 商 な る も電 気 事 業 に要 す る資
此 の期 間 内 に支 出 し た る各 種 の金 銭 は 総 て徐 氏 の手 に依 り方 法 を
結 ば れ た る が、 今 や既 に 一年半 の日子 を 費 し た り。
契 約 文 を取 交 は す こと とし 、浜 江道 尹 張 寿増 に依 り主 と し て契 約 を
哈 爾 賓 電 業 公 司 の現 況
大 正 十 二年 九 月十 日 ( 庶 調 情 第 五 九 一号) 哈爾 賓 電 業 公司 の現 況
権 を掌 握 す る参 事 会 と 契約 を為 し、 徐 氏 の手 に て完 成 す る こと と な
途 は保 証 金 と し て百 万 円 の金 紙 幣 を用 ひ た る が、 此 は建 築 請負 人 に
哈 埠 の電 業 は元 来 日 本 人 に依 り著 手 され た るも のな り し が、 民 国
り しも のとす 。
築 会 社 の引受 く る こと と な り た るも 、該 会 社 と徐 と の間 に締 結 し た
見 した れば破 約 し て、 更 に米 国 桑 港 の パク マ ンリ ント ン ( 訳名)建
欧 米 に於 け る電 気 事 業 従 事員 の給 与 を参 酌 し て支 給 し居 る故 、 自然
上 げ社 員 を 居住 せ し め居 るが、 俸 給 等 も事 業 の性 質 が新 式 な るた め、
額 は 二十 七 万 円 に上 れ り 。公 司 一切 の事 務 を処 理 す るた め家 屋 を借
金 の欠 乏 せる為 、 工事 を 半途 に し て中 止 し た る が現 に、交 付 済 の金
は家屋 九 万 円 の支 出 な り 。該 公 司 の新 築 せ る 工場等 の建 物 は曩 に資
る契 約 には 、政 治 的 の意 味 を含 有 す るを発 見 し、 斯 く て は哈 埠 電 業
対 す る保 証 金様 の性 質 な れ ば参 事 会 にて保 管 さ れ居 れ り、 其 の他 に
を創 設 す る根 本 趣 旨 と 符 合 せ ぬ と て再 び華 盛 公 司 に交 渉 し た るも 、
の数 中 に計 上 し居 れ り。 此 の外 に利 払 十 万元 を なし 居 れ り。 更 に建
高 額 に上 り此 の数 年 間 に六 十余 万円 を 支出 し た り。最 も交 際 費 は其
是 に於 て徐 氏 は米 商 華 盛貿 易 公 司 天 津支 配 人と 該電 気 事 業 建 設 の
代 金 授 受 の条 件 に就 て折 合 つか ぬ 、事 業 の進 行 上 多 大 の支 障 を免 れ
契 約 を 訂 結 し た り。続 いて 工事 費 交 付 の条 件 に付 て折 合 難 き点 を 発
ざ れば 更 に転 じ て、 パ ク マ ンリ ン ト ン会社 と前 議 を協 定 し て別 に、
会 社 の七十 五 万 円 な る が、是 は契 約 に基 き 毎月 廿 五 万 円 を交 付 し 、
の み。 以 上 の支 出 合 計 は約 弐 百 万円 にし て 、更 に不 足 な る は対 建 築
築 会 社 に支 払 ふ べき 百 万 円 の内 、交 付済 は 四分 の 一な る 二十 五 万 円
し 、契 約 に依 り損 失 賠償 を要 求 せ ら る る に至 ら ん か、 官 銀 号 の蒙 る
ても該 公司 の保 証 に立 て居 る関 係 も あ り、 工 事材 料 金 の交 付 を遅 延
に該 公司 に対 し て百 万 円 の資 金 を投 入し 、更 に米 国 建 築会 社 に対 し
な らむ 。 又 行 は ざ れば 大 問 題 な り。 何 と な れ ば永 衡 官 銀 号 の如 き既
若 し事 茲 に至 らん か 日本 人 は機 乗ず べ しと て再 び経 営 引 受 を なす
三 ケ 月 に て完 了 の筈 な る に拘 らず 期 間 は既 に終 了 せ る に、 此 の建 築
べし 。事 業 が 日本 への手 に帰 せ んか数 百 万円 を募 集 す るは 咄嗟 の間
るべ く 公 司 は遂 に投 出 す の外 なき に至 らむ 。
ず ﹂ と て奔 走 の結 果某 氏 に泣 付 き 、張 作 霖 に援 助 を求 めし に張 氏 の
のみ。 豊 富 な る資 金 と 精練 せ る技 術 を以 て公 司 に臨 ま ん か、其 の時
影 響 は甚 大 な る のみ な らず 、 将 来何 人 も足 を 裏 ん で公 司 に関係 せざ
意 見 にて は徐 は富豪 な る も 一商 人 のみ、 電 気 の知 識 な け れ ば前 途 を
各 国 は 如何 に我 を愛 す と も援 助 の方法 な か るべ く 、北 満 に於 け る電
材料 費 の七十 五 万 円 を交 付 せざ れ ば会 社 に対 し損 害 を賠 償 せざ る べ
疑 は る る 、加 入 し て財 類 を招 く を 願 はず 、 公 司 の不足 金 額 は張 道 尹
気 事 業 は 日本 人 の拡 張 す る儘 に任 す外 なき に至 る べ し。
か らず 。会 社 は契 約 を楯 と し て交 付 を迫 り、徐 氏 は ﹁無 い袖 は振 れ
に依 て援 助す べき も のな り 、他 に良 法 な し と て受 付 けざ りし と 。徐
︹マ マ︺
は更 に某 人 の進言 を納 れ、 東 三 省 銀行 長 劉 海泉 を 公司 の総 裁 に推 選 し 、 劉 も 承諾 す るや張 作 霖 は直 ち に十 万 円 の出 資 を引 受 け 、吉 林 の 永 衡 官 銀 号 も十 万 円 、其 他 孫 、 呉 両 督軍 も中 国 交 通及 他 の銀 行団 も 応 分 の引 受 け を為 し た れば 、 一気 に七十 五 万 円 を募 集 し得 た り 。払 込完 了 を俟 ち て建 築 会社 に交 付 し 、直 に継 続起 工 せ しむ る筈 に て、 目 下 の予定 に ては電 燈部 は明 春 営 業 を開 始 し得 べ く 、電 車 は 明秋 を
只該 電 業 公 司 の創 立者 は徐 鵬 志 な る も既 に劉海 泉 を総 裁 と し て事
俟 て確 実運 転 を開 始 す る筈 なり と 云 ふ。
業 を支 持 す る こと と な り し に就 ては徐 は脱 退 し ても 不可 な き訳 な る が市 政参 事 会 は、多 年 の複 雑 な る事業 な る に徐 氏去 らば 事 情 に精 通 す る も のなく 支障 を来 さ ん と の理 由 に て脱 退 に反 対 し居 れり 。 然 れ ど も参 事 会 には公 司 を 監 視 す る権 限 あ る も 、内 部 の組織 異 動 に関 し て は容喙 の権 なし と の説有 力 な れば 、参 事 会 の主 張 は恐 らく 効 力 な から ん。要 す る に徐 去 り劉 来 るべ く 而 し て幾 多 の整 理 を行 ふ
四七
蒙 古 の現 状
蒙 古 の現 状
関 東軍 参 謀 部 (二九 五 ) ( 大 正十 二年 六 月 七 日)
五月 二十 一日 ノ ーウ オ スチ ・ジ ーズ ニ社 記 者 が露 蒙 国境 に駐 在す
問
し得ず して自身 の旧特権 を喪失せるを憤慨 しある少数 の階級も無
蒙古 の根本的改革 の状況竝之 に対す る住民 の感情如何。
き には非 るなり。
蒙古 の根本的改革 は其 の木質 に於 て二大改革 あり、即ち第 一は
世襲権力 の廃止 (之蓋 し少数者 の不満とするもの) にして第 二は
答
現 下 に於 け る蒙古 国 政 権 の構 造 如何 。
る蒙 古 官 吏 グ リ イ ク シ ング と対 談 の要 旨 問
宗教 と国家と分離 せしめ たる事是なり。而 して第二 の改革 は何等
現下蒙古人 の宗教観念竝分離後 の感情 及 一般国家 的生活 の改造
の論難 も反対も喚起 せざりしなり。
蒙 古 政府 は国 民議 会 の選 定 せる も のにし て国家 の統 治 に任 し あ り、而 し て政 府 員 と し て選 定 され し者 の任 期 は普 通 三年 にし て要
答
多数 の住民は依然とし て宗教心 に富 み、活仏 の権力及宗教上に
如何。
問
答
す れ ば 五年 迄 延長 す る こと を 得 、政 府 の指令 は総 て活 仏 (ボ グ ド ゲ ゲ ン) の署 名 (朱 書 花 押 ) を 以 て有 効 と す 。若 し活 仏 にし て政 府 の決 議 に裁 可 を否 認 す る場 合 は政 府 は再裁 可 を奏 請 す る か 又は
問 蒙 古政府 の財政現状 、国家 の財源、国税、関税等 の状況如何 。
於け る活仏 の権威 は無限 にして此点 に於 ては何等 の変化も無しと
最 近 二年 間 に於 け る外 蒙 人 の心 理 状 態如 何 。
閣員 会 議 に於 て 三度 審 議 可決 し た る場 合 は活 仏 の裁 可 の如 何 を問
外蒙 人 は最 近 に於 ては 一般 に社会 観念 を有 す る に至 り多 く の住
言 ひ得べし。
問
はず 効 力 を有 し実 施 し 得 る も のと せり 。
答
に対して頗 る苛税を課 するの已むなき窮況 に陥 り約 三百万弗 を徴
答 蒙 古政府 の財政は昨年度 に於 て最危機 に瀕 し当時 は住民 の動産
集 せり。然 るに其後 に至 り政府は経済上 の堅実策 を発見し漸次緩
民 は現 下 の政 治組 織 に満 足 の意 を表 し あり 、 而 し て国 民議 会 に支 柱 を置 く政 府 は 一般 に住 民 の信 望 を担 へあ り 。勿 論 旧時 代 を忘 却
和 す る に至 れ り。 現 今 国 家 収 入 の主 要 財源 は輸 出 入 税 にし て本 年 度 に於 ては 国税 の徴 収 を 要 せざ る状 況 な る を以 て昨 年 度 国 民 の創 痍は癒 るも のと思 惟 し 得 ら る。 政 府 は正 貨準 備 を為 し あ る を 以 て近 き 将来 国 家 発 行 の信 用 券 ( 紙 幣 ) を流 通 せ しむ る計 画 な るを以 て蒙 古 の財 政 機 関 は倍 々堅
蒙 古 政 府 の外 国 人 に対 す る利 権 の譲 与 及 之 よ り得 る税 金 は 国家
確 のも のと な る べし 。
政 府 は 蒙 古 に於 て営 業 せん と す る外 国 資本 家 に対 し ては大 に歓
収 入 の財 源 の 一部 と見做 す に足 る も のな り や。
問
答
答
問 答
問
迎 し つ つあ る も の にし て現 今 我 が領 土 に於 て活 動 し つつあ る外 国
答
内 国 商業 、依 然 と し て外 国 人 (支 那 人 、露 国 人 、米 国 人、 英 国
人 ) の独 占 と 云 ひ得 るも 蒙 古 人購 買 組 合 あ り て旺 に活動 し、 到 る
処 に其 の支 店或 は出 張 所 あ り 、政 府 は 此 の組 合 に特 権 ( 減税)を
蒙 古 政 府 の教 育 施 設 竝 将来 の計 画 如何 。
与 へあ るを 以 て其 の売 価 は市 場 よ り 一層低 廉 な り。
庫 倫 には 学 士院 あ り て外 国教 科 書 を 翻 訳 し蒙 古 児 童 用教 科 書 の
編 成 中 な り 。今 や教 員 養 成 所 を開 設 し 大 に教 育 の普 及 を計 り つ つ
あ り て到 る処 に小 学 校 の設置 あ り 。庫倫 に蒙 古 国 民劇 場 あ り て劇
に関 す る研究 を為 し つ つあ り。 之 を要 す る に蒙 古 の文化 事 業 は 漸
軍 事 上 に於 け る教 育状 況如 何 。
次 僻陬 の地迄 普 及 す る に至 る べし 。
蒙 古 士 官 を養 成 す る所 謂 士官 学 校 に於 ては已 に数 回 の卒 業 生 を
出 だ し兵 卒 の教 育 に従 事 し あ り 、而 し て士官 学 校 の教 官 とし ては
人 は殆 んど露 国 人 にし て (ツ エ ント ロサ ユーズ 、 ロ マジ ン、 ワ シ
露 国 将 校 ブ リ ヤ ー ト族 、 カ ルム イ ク族出 身 将 校 な るが 近 き将 来 は
ーリ エフ等 の皮 革 工場 あ り) 政府 の過 般 彼等 に対し ては 可成 的減 税 特 権 を 附 与 す る法 律 案 を制 定 せ る (主 と し て輸 出 税 全 除) が該
問
現 在 庫 倫 には 二新 聞 の発刊 あ り て其 の 一は小 規 模 の露 字 新 聞 、
蒙 古 新 聞界 の状 況 及露 国 人及 外 国 人 と の連 絡 関 係如 何 。
此等 教 官 は 全 部蒙 古 士 官 に改 革 さ れ る筈 な り。
案 は 一般 に気 受 良 き 状 況 あ り 。
答
モ ンゴ ー ル鉱 山 の事 業 復 活 に関 す る米 蒙 交 渉 は殆 んど 円満 に解
り た る が両 該事 業 の純 益 中 蒙 古 国庫 の収 入と な る べき 率 問題 は今
決 し 、蒙 古 政府 は該 鉱 山 使 用 機 械 の輸 入税 賦課 権 を得 る こと と な
印 刷 職 業 も 無 く実 に貧 弱 見 る に足 らざ るも のな り。 さ れ ば住 民 間
他 の 一は 蒙 古字 新 聞 (召 集 ﹁ウ ー リ ヤ﹂ と 称す ) あ る も経 験 あ る
蒙 古 政 府 の許 可 し あ る外 国 貿 易状 態 如何 。
尚未解決とす。 問
答
人 は外 国 人 に対 し て は平 等 にし て何 れ の国 人 を問 はず 親 密 な り 。
露 国 人 は蒙 古 に於 て は他 外 国 に比 し何 等 の優 先 権 も な く我 蒙 古
す る や。
蒙 古 に於 け る露 国 人 の権 利 竝他 外 国 人 に比 し如 何 な る特 権 を 有
に は事 実 未 だ新 聞 無 しと 言 ふ べき な り 。 問
外 国 と の通商 協 約 な るも のは未 だ独 り露 国 あ る の みな る も 、露
国 内 商 況 如何 。
品 は依 然 と し て皮 革 にし て是 蓋 し蒙 古 の対外 貿 易 の主 要 原 子 とす 。
等 は支 那 商 品 を利 用す る の已 む な き状 況 に在 り 、蒙 古 の外国 輸 出
国商 品 は高 価 にし て蒙 古 人 の不 利 を蒙 る こと尠 から ざ るを 以 て彼
答
問
問
答
問 答
問
答
問 答
露 国 領 事 官憲 と協 約 せん とす る貴 官 の問 題 は如 何 な る も のな る
予 の主 要 課 題 を為 す も のは露 国 と の親善 関 係 を倍 々発 展 せ しむ
や。
るに在 り て露 国 人 の入蒙 許 可等 の事 務 監 督 を為 す に在 り 。而 し て 従 来 は露 蒙 官 憲 間 に は何 等 の紛 糾事 件 も無 く 且 つ裁 判 上 の問 題 も
国境 に は到 る処蒙 古 税 関 あ り や 、又 其 本 務 如何
共 同 を 以 て解 決 し来 れ るも のな り。
蒙古 国 境 には 九 ケ所 に税 関 あ り て庫 倫 に は其 の中 央署 所 在 す 。 而 し て其 の本 務 は輸 出 入税 の徴 収 に あ り て他 に何 等 の業 務 を 有 せ
蒙 古 の対外 政 策 に関 す る問 題 に尚 一あ り、 そは即 ち蒙 古 を 恢復
ず 。 蓋 し蒙 古 に於 ては未 だ蒙 廷 工業 の如 き 皆 無 な る を以 てな り 。
此 の問 題 に対 し 蒙 古 政府 は南 方 国境 に は出 兵 し あ り と雖 従 来 何
せ んとす る支 那 政府 の傾 向 に対 し 、蒙 古 政 府 の意嚮 如 何 。
万 一支 那 に し て断 乎 た る行 動 に出 ん か 、蒙 古 も勿 論 武装 的 衝 突 の
等 の意嚮 も無 く 至 つ て平然 と し て寧 ろ被 動 的 にあ り 、而 し て若 し
覚 悟 な り 。何 とな れ ば 我外 蒙 自 治 の喪 失 は何 人 も 快 とす る者 非 る
何 等 か露 字 新 聞或 は 外事 新 聞 に報 道 し たき冀 望 な き や
を以 て な り。
予 は 以 上貴 下 の問 に答 へし外 別 段 の附 言 も冀望 も有 せざ るも 只 一言 し た き は目 下 外蒙 政府 部 内 に於 て顧 問 或 は教 官等 に採 用 し あ る外 国 人 は蒙 古 国 家 機 関 の漸 次 堅 固 と な る に随 ひ 全 然解 傭 し、 自 国 民 を 登 用 し たき希 望 な り。 我 等 は 已 に多 く を学 び た れ ば多 く を 自 決 し得 。要 す る に蒙 古恢 復 の建 物 は 我等 自 ら の手 を 以 て全 然 建 設 し たき冀 望 に し て是 蓋 し 現下 の内 部 大懸 案 の 一と す る も のな り 。
緒
言
目
四八
次
欧 米 人経 営 文化 事業 調 査報 告
大 正 十 三 年 八 月 二十 五 日
鞍 山 地 方事 務 所 長
管 内 及附 近 に於 け る欧米 人文 化 事 業 調 査報 告
本 管 内 背 後 地 現状 調 査 の 一部 と し て、欧 米 人 の文 化 的活 動 状 況 を
明 知 し置 き度 宿 望 を持 つて居 ま し た が、去 る 七月 会 社 派遣 の上 海 東
現状 調 査
亜 同文 書 院 学 生 二名 を実 習 生 と し て御 配 当 を得 ま し た ので、 両 人 に
走路 (調査範囲) 新 教 の部
依 嘱 し て沿 線 及附 近 の現 況 を 調 査 せ しめ し処 、別 紙 の通復 命 し来 ま
第 一章
察
考
天主 教 の部
第 二章
第三章
し た 。気 候 日 子 等 の関 係 上 、 予 定 区域 金 部 を踏 査 せし む る暇 なく 、
従 つて遺 憾 の点 は あ り ます が 、踏 査 域 内 の現 況 は略 知 悉 さ れま す 。
民族性 に基く不振 の原因
A
一、 一般 観 察
本 件 は従 来 と ても 二 、 三調 査 せ る も のあ る も物 足 ら ぬ感 あ り、 本報
料 た る も のと 思 わ れ ます によ り 、未 完 成 な る も、 茲 に印刷 し て御高
告 の如 く 実 況 を 明確 に し得 た も のは少 く 、会 社 将 来 の施 設 に参 考資
B 国情 に基く不振 の原因 二、宣教師 の態度
清 田忠 夫 二名 に依 嘱 し て、 遼陽 以南 沿 線 及其 附 近 各 地 に於 け る欧米
本 調 査 は本 年 暑 中 休 暇 を 利 用 し、 上 海東 亜 同 文 書 院 学生 下 林 厚 之 、
閲 に供 しま す 。
三、 一般人 の観念 論
四、事業 の特長 結
鞍地第二 一五 一号
人 の文化事業を調査せしめたる報告書 なり。
〃
十三日
十 二 日
名
陽
山︱ 遼 遼
荘︱ 営
陽
口
営
口
( 滞
在)
〃
〃
〃
〃
〃
二十 五日
二十 四日
二十 三 日
二十 二日
二十 一日
二十 日
五 湖嘴 ︱ 瓦房 店
復
永
州︱ 五湖 嘴
寧 ︱復
態 岳城︱ 永
営
瓦 房 店
州
寧
発後 着後
一( 滞
二 五
在)
七月 十 九 日
〃
二十 六日
瓦 房 店 ︱ 大 石橋
清 田 忠夫
備
考
清 田忠夫
実習生下 林 厚 之
発着時刻
在)
大石橋より博洛 舗 へ調査往復
在)
滞在調査
(滞
発前 九 着後 一〇 発前 七 着後 五
調査往復
在 ) 営 口より田庄台
〃
二十 七 日
大石橋︱ ( 滞 (博 洛舗 )
営 口︱ (田庄 台 ) ( 滞
〃
二十 八 日
池
口︱ 熊 岳 城
〃
実習生下 林 厚 之
四 五
平︱湯
発前 七 着後十 一 発前 六 着後 七 発前 七 着後 三 発前 六 着後 七 発前 六 着後 八
発後 着後
大石橋︱蓋 平 蓋
二十 九日 三 十 日
〃 〃
在)
途中大沙嶺調査
池
湯
湯
一日
三十 一日
八 月
析木城︱海
(滞
池︱析木城
途中三台子、徐 八家子調査
二 日
海
在) 所午後調査
発前 着後 発前 着後 〃
三 日
城
途中溝家寨調査
〃
(滞
城
途中耿庄子調査
大 石 橋
七 五 途中八又溝調査 六 三 午後七時汽車 に 在) て大石橋 へ 午前地方区事務 四 日
発前 十 一 着 後 九 途中三台子調査
〃
〃
( 滞
鞍山地方事務所管内及背後地 に於 ける欧米 人文化事業調査報告書 満鉄 派遣
大正十三年八月九日
〃 十 四 日
地
上海東亜同文書院学生
日
〃
十五日
牛
前 七 遼 陽︱ 小北河 発 着後 六 発前 六 小 北 河︱ 劉 二堡 着後 五 発前 七 劉 二堡︱鞍 山 着 後 六 発前 一〇 鞍 山︱ 騰 鰲 堡 着 後 五 発前 六 騰 鰲 堡︱ 牛 荘 着後 六
鞍
調査施行 日程表
月
〃 十 六 日
七 月 十 一日
〃 十 七 日 十 八 日
〃 〃
八 月 五 日
発 正午 着後 二 日程終了
調査に於 て調査 の結果 を明 にし、第 三章 に余等 の観察を略記 し、最
後 に結論 とし て、之 が現在及将来を考察 せむとす。
小 北 河
大 沙嶺
遼
鞍
陽
山
天主堂
基督教 会
福音堂 ( 基督教会)
天主堂
基督教会 天主堂
大石橋︱鞍 山
劉 二 堡
天主堂
(以 上 二十 六 日 間 )
し以 て支那 民族 を し て西北 文 化 の恩 恵 に浴 せ しめ む と努 力 す る こと
近泰西各国 の宗教団体は各国政府 の援助 を以て支那 に基督教を弘通
徐八家 子
基督教会 天主堂
走路 (調査範囲)
既 に久 し く 、内 地 到 る所 教 会 の設 あ り 。山 間 僻 地 にも 宏大 な る殿 堂
溝 家寨
基督教会
( 岳家屯)天主堂
天主堂 基督教会
第 一章
を営 み 、高 壮 な る十 字 架 を掲 げ幾 千 百 の外 人等 は非 常 な る困 難 と闘
騰 鰲 堡
基督教会
言
ひ つ文 化 の普 及 発 展 に懸命 の力 を致 し つ つあ る は、 世 人 の等 しく 感
耿 庄 子
天主堂
緒
歎 す る所 であ る。 然 も 其 の努 力 に対 し ては 説 をな す も の、或 は純 宗
天主堂
[ 方]
支那 には支那 の文化あり、燦然 たる不滅 の文明 がある。然 るに輓
教 的 立 場 に立 つも のと な し 、或 は国 家 政 策 の 一部 な り と し て、 従 て
牛
口
三台 子
基督教会
(接官 堡)基督教会
(茨楡〓)基督教会
其 の結 果 に就 ても 、 或 る も のは以 て支 那新 文化 の根 源 た ら む と論 し、
営
荘
り て其 の判 断 を異 に し観 察 を 別 にす る の現 状 であ る。
或 る も のは無 用 の努 力 な り と し帰 一す る所 なく 、 観 察 者 の立場 に よ
復
基督教会
基督教会 瓦房 店
天主堂
(陽関天主堂)
基督教会 大石 橋
天主堂
天主堂
此等 外 国 人 の文化 事 業 調 査 の為旅 行 を試 み、 日 を閲 す る こと 二 十 五
博 洛 舗
基督教会
天主堂
日 、今 其 の視 る所 に従 つて結 果 を報 告 せむ と す 。只 余 等 の此 の行 は
平
州
日程 の関 係 上 背後 地 を主 と し た る為 、沿 線 の都 市 に就 て は、 旧 調 査
池
天主堂
熊 岳 城
の材 料 に よ るを余 儀 なく せら れ た る も の 二、 三 あ る の外 、 更 に背後
湯
蓋
基督教会
余 等 今夏 、命 を受 け て鞍 山 地 方事 務 所 管 内 及其 の背 後 地 に於 け る、
地 に就 て も、 実 地踏 査 を許 さざ り し個 所 に就 ては 、隣 接 地 に於 け る
城
基督教会
天主堂
調 査 又 は旧 調 査 の材 料 に よ りた るも のあ り し こと を附 記 し、 以 下 報
海
告書 と し て第 一章 、走 路 に於 て其 の調査 範 囲 を 示 し 、第 二章 、 現 状
鞍
綜 合するも、管内外国人 の文化的方面 の活動は可成り根底を有 し、
山
備 考
とを乞う。 新 教 の部
別
東 三省基督教会設 立学校 区
男子高級小学校 女子高級 小学校 男子初級 小学校 女子初級 小学校 男 女 合 同 生徒数二十五人以下 のもの 生徒数 二十五人以上のも の 完 全な る学校 不完 全な る学校 男子教 員総 数 女子教員 総 数 中学を卒業 せざ る男教員 中学を卒業 せざ る女教員
遼
陽
奉
天 省
( 遼陽) に就て得 たる遼海管内 の統計なれば其 の旨留意 せら れむ こ
部 に二個 の統計表 を附し たるも、実地調査 の統計 にあらず、総本部
多 しとし、中流 以上 のも のは其 の四割 に及ばないであらう。新教の
し て約六割 乃至七割 に及ぶべく、社会的地位 より言 へば下層階級を
るを得るならむ。之を統 計的に見 れば、其 の信者 の大部分は農 民に
信者 の総数 も約 一万 に達 すべく附属学校 の学生数も亦約九百を数 ふ
上記 の地 に於 て調査 したることを示す。
一、列記地名の下部 に括弧を附 して示したるものは、踏査不能 の為
ものを示す。
二、基督教会とは新教 によるも のにし て、天主堂 とは天主教 による 三、此 の外尚三台 子天主堂 (小北河 より三十里)、遼 中 県 教 会 ( 県 より十里)、後養子天主堂 (牛荘より五十里)、滾子泡天主堂 (営
城)〓力馬天主堂 ( 遼 中県城より二十里)、三台子 天主 堂 (立 山 口より五十里)、万福庄天主教堂 ( 湯池 より六十里)、塔峪溝 (湯 池より十五里)、岫巌教会 (海城 より百 五十里)、大弧山教会 (岫 巌より百四十里)、荘河教会 (大弧山より百 二十里)等 の教 会 に
現 状調 査
就 て調査 の機 会を得ざ ること遺憾とす。 第二章
本章 に記載す る所 は、実地調査による現状 の報告 にし て、第 一章 走路中 に記載せる個所 に就 て調査せるも の、只布教者 と信者と の関 にして、他教徒 が其 の布教者を見るが如きも のにあらずし て、真 に
係と言 ふが如 き項目 は調査困難なるも、 一般 に其 の関係 は甚く良好
のも、 一見好 々爺風 の人物多くさして学徳高しと言 ふ種類 の人物は
尊崇信服 せる ことは特筆す べき ことに属せん。中国 人伝教者なるも 少かりしことは特長 なりしと信ず。其 の他各教会 に就ても自己 の教 会を、或 は誇張せむとし、或 は調査 の真意 を誤解し て蔭蔽 せんとし、 事実 の真相を偽りたるも のも少くなか つた。然し乍ら之等 の事実 を
年齢 四十歳以上男教員 年齢 四十歳以上女教員 年齢 四十歳 以下男教員 年齢 四十歳以下女教員 免状 を有せざ る教員 男 学 生総 数 女 学 生総 数 教 内 学 生 教 外 学 生 収 入 学 資
人
金
文 墨
馬 蝦 忱
母会款
此 の調 査 は主 と し て、遼 陽 島 田好 氏 の調 査 に拠 る。
伝 廉
河 堡
工 銭 資 銭
長老会、遼海教区伝道会支出入費 表 会 尚 景
道
支 中 □
︹不 明︺
城 劉 広 志 王 存
遼 二 堡
海 劉
子
大 安 平 陳 延 魁 騰 鰲 堡 金 殿 文 ( 接 官 堡) 沙 達
耿 庄 子 白 喝 崗 黄 堡 姜 枇 倫 小 北 河 姜 文 英
本地款
東 山 堡 姜 河 〓 呉
〓 泉
王 化 鐸
茨 楡 〓 尚 文 朗 溝 子 沿 劉 義
立
一千八百八十八年
遼陽愛蘭合同自由教会 沿革 設
論 ﹂﹁ 満蒙全書﹂等 に記載しあれば参照せ ら れた し。之等 の
(註) 其 の他 の事 に附 きては、﹁ 支那 に於ける外国人 の文 化 事業
現状 宗
者
派
二千元 (一年)献金及英国よりの補助金なりと
約 五百名 男 子多 し
長老会
調査以上に調査するは困難なりとす。 信
用 集 会 日
英国人五名
毎日曜 日及大祝 日
す。
費
布 教 者
中国伝道人数名 牧師其他教会従事員 の現況
此 の地を中心とせる地方 の本部 とし て、各所 に礼拝堂又 は福音
堂 を設け巡 回布教 をなし つつあ り。
この事た るや抽象的 の事 に属し、 一概 に論ず能はざるも吾人の
布教者 と信者と の関係
見 る所 にては、多く の宣教師 の支那人に対する態度 は恩威並び
に金銭、衣服等 の相談 に応 じ、従 つて信教者 は勿論 一般未信者
行 われる、時 に威厳を示す事 あり、時 には彼等貧しき者 のため と雖宣教師を非難す るも のなし、而して外人 の支人 に対す る態
考
文育学堂なるもの附設せられ本校 の予備校なり、小学校程度な
備 りとす
沿革
師
一〇〇
英人 二 華人三
遼陽教会附属才育女学校 現状 教
四
て此 の現象は遼陽 のみならず 一般各地方 に於 て見 るを得 る事 に
度 は頗 る熱心 にして多く の支那人 の尊崇を集 め つつあり、而し 属し、従 つて繁 を避く るために以下此 の欄 を空 しくする事 ある
徒
一千八百七十 八年設立
も特筆 せる外は此 の欄 と略同様也 。
生
其 の他参考事項
高等女学校程度
度
程
七五名
英人 一 中国人四
時
課
間
程
教 科目
奨学状態
不明
四ケ年卒業
普通女学校教科目
特筆 に値す るものなし
一般経費教会負担、授業料として五元
教育部審定教 科書
四
卒業 者 の数及現在
用
生徒 数 中等程度
費
教 科 書
学 級 数
城内東北隅 にあり相当 に広き敷 地を有 し、殿堂又大なり。 遼陽教会附属文徳中学校
学級 数 教育部審定教科書
公設学校と の関係不明
沿革 光緒 三十 一年 一月
程
一般経費は教会負担、学用品自弁
師
教科 書
特筆 に値す るものなし 城内 六道街 (城 の東北隅)
用
沿革
現状 教
費
度
奨学状態
英語並 に支那文学其 の他中等課目 四ケ年 卒業
遼陽基督教施療 医院
教 科目
不明
一九〇〇年義和 団事件被害を蒙 る。布教 の
目
傍ら慈善的施療 をなす。
一八九〇年設立
間
組織
課
不明
時
卒業者 の数 及現状 公設学校 と の関係
男子部
診療、手術部 入院室 に分 つ
試験部
一年約 一万人を診療す。
女子部 (仁母院) 外人部 現在主任者 英 人 黄大夫 ( 支那名) 無料 食費 のみ (入院患者)銀二角
支那側 には好感 を有 せらる。 費用
みるが如き事 なし。
音堂 にあ てたため、狭隘 にして中国伝教師又積極的に発展を試
教
二十余名
中国人 一名
四年以前 に開設
小北河福音堂附属学校 沿革
生徒 数
師
現状
初級
度
程
教育部審定教科書
派
子五十名 約 八十名男 女子三十名 農 民三分 の二を占 む 一年 に附 百六十元 この内教友寄附四十元
度 によりて以上 の如き差異を生ず 。 四ケ年
教科目並に福音
特筆すべき ものなし 普通小学
奨学状態 教科 目
一日六時間
課
間
沿革 約 三十年以前に開設す。
茨楡〓基督教会
也 外観内容ともに貧弱なり。
備考 本学堂 は福音堂を使用 し、日曜日は即ち礼拝堂となるもの
連絡 関係なし
公設学校 と の関係
卒業者僅 に三名家庭 にあり。
卒業者 の数及現状
時
程
一年 一人七、八、九元にして児童家庭 の富 の程
教 科書
宗 用
者
︺
用
費
以来中国人伝教師 一人を置き、自 ら教務
約 三十年以前設立
信
長老会
費 毎 日曜日及大祝 日
ず。
及 び事務を取扱 はしめ て今に及 ぶも未 だ発展 せりと云ふを得
小北河福音堂 沿革
現状
集 会 日 外人 牧 師 中国伝教 師 一名
布 教 者
外人牧師は遼陽教会より毎年 二回来り布教す、中国伝教 師は常
牧師其 の他教会従事員 の現況 住し て布教す
︹
布教者と信者と の関係
位 置 は 町 の略 中 央 にあ り て良 好 な る も 、 一般 民 家 を利 用 し て福
其 の他 参 考 事項
現状 宗
派 男子三 余名 十女子余 二名 十 合計 五十余名
長老会 教 科目
奨学状態
国文、算 術、修身、縫術、図画、手 工、体操 、
特筆す可き事なし
時
課
間
程
六時間
四年卒業
唱歌、書法、福音
者 一年 七、八、十元
沿革
三十年 以前 に開設す 光緒二十年代
劉二堡教会
治療機関なし
連絡 なし 長 老会設立 上級学校 に連絡す
公設学校と の関係
卒業者は少数 にして金部家庭 にあり。
卒業者 の数及現状
伝教師 の薪水 一年 百二、三十元、長老会 より支
農 民多 し
信 用
毎日曜日及 び大祝 日
費
集 会 日 英人牧師
給す 布教 者 中国伝教師 一名 牧師其 の他教会従事員 の現況 英人牧師 一年 二回遼陽教会 に来 る 中国人伝教師 一名常住して布教す
︺
布教者 と信者と の関係 ︹
其 の他参考事項 なし
一年三百元
用
毎 日曜 日其他教会大祭 日
現状 宗 派 長老 派 男子約 六十名 信 者 女子約 四十名 合計百名 農業多く 三分 の二を占む 費
外国人
茨楡〓教会附設女子小学堂 沿革 約 四、五年前 に開校す。
集 会 日
布教者 と信者と の関係
支 人伝教師常住し て布教 に従事す
英人牧師遼陽より 一年 二回来 る
牧 師其他教会従事員現 況
中国伝教師 一名
一名
布 教 者
二十 一名
中国 人 一名
師
生徒 数
現状 教 一 初級
度
程
学 級 数
一年 四元、授業料として徴収す
教育部認定教科書 用
教 科書 費
長老会 男子約 五十名 女子約 五十名 計約百名 皆農地
沿革 約 二十年前 現状 宗 派
一年 五百元
例の如し 者
毎日曜日及大祭日
其他参考事項 信
用
︺
︹
費
英国人 一名 牧師其他教会 従事員 の現況
中国伝教師 一名
布教 者
集会 日
八年前 中国 人 一名
劉 二堡教会附設貞徳女校 沿革 師 四十名
現状 教 生徒 数
英人牧師 一名は遼陽 より 一年 二回来り布教す
一
中国人伝教師は騰鰲堡をも受持 つ
学 級 数 教育 部審定教科書
初級
度
程 毎年三百元 授業料 一人 一年 四元
間
程 六時間
四年卒業
沿革
生 徒数
教
約 四十名
中国人教師二名
約十年以前開校
教育部審定教科書
初級 毎年授業料 三元
度
特記すべきものなし
程 費
課
間
程
毎 日六時間
四年卒業
用 奨学状態
国文、算術、修身、綴文、書法、裁縫 、図画、
時
手 工、体操 、唱歌、福音
教 科 目
教 科書
師
現状
接官堡教会附 設小学堂
教科 書 費 なし
用
奨 学状態 課
教 科目 時
現今卒業生 は十七名 にして、大部分は高級小学 に進めり
卒業者 の数及現状
三分 の二は未信者子弟なり
公設学校 とは連絡なく、教会附属 の各上級学校 とに連絡あり
公設学校と の関係 備考
治療機関なし 接官堡教会
卒 業生の数 及現状 卒業者 の数は極め て僅 少にして大部分 の卒業生は家庭 にあり 公設学校とは別 に連絡関係 なく、教会附属 の学校 に連絡す
公設学校と の関係 備 考 本校は男女共学なり 騰鰲堡教会 長老会 計二十 三、四名
一度義和団事件 に毀たる
派 一年五百元
男六 十 子人女子 八 七名 、
二十五年 以前 に開設す
現状 宗 者
沿革 信 用 一名
中国人伝教師 一名
英人牧師
毎日曜日及大祭 日
信者寄附 百元内外
費 集 会 日 布 教者 牧 師其他教会従事員 の現況
牧師とし ては英人遼陽 より 一年 二回来 る。尚中国人伝教師 一名 常住し て布教 に従事す。
︹
︺
︺
布教者と信 者との関係
︹
其他参考事項
十五年前設立
騰鰲堡教会附属崇貞女校 沿革
現状 教
師
中国女教師二名
度
級
初級
二
五十人
学
生徒 数 程
授業料として毎年三元
教育部認定教科書 なし
間
程
毎 日六時間
四年卒業
用
費
国文、算 術、修身、図画、手工、綴文、書法 、
教 科 書 奨学状態
課
縫術、体操、唱歌
教 科 目
時
卒業す るもの少く途中退学して、家庭 の人とな る者多 し
卒業者 の数及現状 公設学校と の関係
三十名 は信者 の子弟なりとす
教 会附属 の学校 にのみ連絡あり 備考
十戸三十人、男子三分 の二を占む、商人最も多
長老会
二十 二年前 に設立し 一回家屋 の移転をなせり
耿庄子教会 派
沿革
者
毎 日曜日及教会規程 の大祭 日
一年五百元
く農民之 に次ぐ
信
用
現状 宗
費
集 会 日
布教 者
外国牧師 一名 中国伝教師 一名
高級
国文 算術
高級二年
徳育 珠術
体操
手工 図画
公民地理 歴 史 理科
六時間
初級四年
福音 程
英文
間
唱歌 課
牧師其他教会従事員 の現況 牧師英国人は遼陽教会 より 一年 一回来 る、中国 人伝教師は常住 時
師
中国女教師二名
数年前より開設す 現状 教
沿革
耿庄子産科女学校
基督教立諸学校と連絡関係あれど、 一般公設学校とは関係なし
公設学校 との関係
少し
卒業者三十余名を有す、多 く家庭 にあり、上級学校 に進むも の
卒業者 の数及現状
し て布教す
︺
布教者と信者と の関係 ︹
教会 の事業 の発展は稍見 る可きも のあり、土地在住民 の信用を
其他参 考事項 ︹マ マ︺
受け毎年運動会等を開催 し、其 の費 用は信者 のみならず 一般X 商家よりの寄附金 に仰ぐ 耿庄子教会附属小学校
二
産科初歩 初 級小学 より入学す るを得
沿革 約 十年前設立
学 級 数
主として産科初歩、生理、看護嬰児、葯物
特記 す可きも のなし
用
度
程
計四名
不明
女子 一名
男 子三名
教 科 書
師
男子七十 五名 九十人 女 子 十 五名
費
奨学状態
二年 卒業
現状 教
生徒数 四
程
教 科 目
一人 一年十元
初高 両級
程
教育部審定教科書
課
度
学 級 数 教 科書
一年 授業料十元
一日三時間
用
費
間
実習 三時間
時
卒業生 八人 を有す、現今如何なる方面 に於 て如何 に活動し つつ
卒業者 の数 及現状
特筆す可 きものなし のみ)図画 手 工 綴 文 書法 福音
体操
奨学状態
珠術 裁縫 (女子
初級
国文 算 術 修身
教 科目
唱歌
しかも、設備 の見 る可きなければ、卒業 生の智識 の程度 も推し
ありやに付きては詳細不明な るも、高級小学程度 の学校にして
の発 展を望 み得可き点を見出す能 はざりき。
な る建築をなせるに反して、民家を利用し而も荒廃 せり。将来
牛荘教 会附属 小学校 ( 華英小学校) 師
中国男教師 三名
沿革 約 二十年前開設 現状 教
初高 両級
一二〇余人
教育部審定教科書
三 程
授業料初級五元 高級十元
生徒 数
教 科 書
特記す可きも のなし
最年長者二十 一歳
て知 る可く大 なる期待をなすを得ず。
在学者最年少者十七歳
連絡なし
公設学校と の関係 備考 牛 荘教会
費
度
長 老会
奨学状態
初級高級共 に普通 小学課目
学 級 数
百二十余 名 男女略同数
初級 四年 高 級二年
光緒二十六年開設
農 民最 も多 し
程
教 科 目
毎 日六時間
卒業者 の数 は二百名位 にし て上級学校入学者数不明なり
卒業者 の数及現状
用
一年 五、六百元
課
間
沿革 派 者
信 者 の寄附金多し
時
宗 信 用 外国牧師
現状
費 布教 者 中国伝教師 外 人牧師 は遼陽より 一年数 回来 る
布教者及其他教会従山 事員 の現況
連絡関係なし
公設学校 との関係
咸豊九年 開設 派
長老会
尚本欄 につきては営 口地方区事務所調査を参考せられたし 現状 宗
沿革
営 口長老会
中国伝教師 一名は在住 して布教 す
︺
布教者 と信者と の関係 ︹
其 他参 考 事 項 牛 荘 は遼 河流 域 の 一商 業 地 にし て 、商 況 稍 活溌 、人 口も 相当 の 数 に上 れ ど も 、基 督 教 会 は 振 わざ る事 甚 だ し く 、天 主 教 が宏 壮
一年五干元 英本国本部より出資
管内受洗 者 奨学状態
費
教 科 書
特記事項 なし
不明
歴史 算術
大部分 は教育部審定教科書
者 毎日曜日及大祝 日
一千 一百 九十 五人
信 用
用
集 会 日
国文 作文 書法
費
聖経
不明
六時間
理科 の八科目
教 科 目 間
英国人宣教師 一名
時
布教 者 支那 人伝教師十四名
公設学校 との関係
卒業者 の数及現在
牧師其他教会従事員 の現 況 四十年、同教管区管内 の熊岳城、蓋 平、大石橋等 に出張し巡回
民国十 三年開校
中国女教師三名 六十七名
師 生徒 数
高等女学校程度
四
教育部審定教科書
学 級 数
現状 教
沿革
営 口長老会附属女学校
英人牧師は Rev.J.Cars on と称し支那に来 り営 口に住す る事 布教 をなす
︺
布教者 と信者と の関係 ︹
営 口教会 に付きて尚 ほ記す可 き事項決して少 しと せず 、然 れと
其 他参考事項 も既 に調査しあれば之 を省略 せり
程
度 教 科書
授業料
一年四元 特記事項なし
営 口長老会附属小学校
費
用 奨学状態
一日六時 間
六年卒 業
教 をなす を目的とす。現在 の校舎 は不完全なるを似 て更 に完
程
沿革 西暦 一千九百十三年設立、中国人子弟 に初等教育 を施 し且布
課
普通女学校科目 に福音 を加 ふ 英 人校長 一人
教 科 目
師
備せる校舎及び設備 をなす計画 あり 現状 牧
間
公設学校 との関係
卒業者なし
卒業者 の数及現状
時 八十名
中国人教師三名 生徒 数
初高両級
三 度
学級 数 程
英文
し読 方 、文 法 、 尺 牘 等 を教 ふ
H os pita l )
尚 英 文夜 学 な る も の附 設 せら れ、 六十 名 位 の男子 生 徒 を 有
専 門学 校 には連 絡 あ り 備考
( The Newch uang Mi s sion
営 口普 済 病院
施 療 部 (The I ri sh Mi s si on Hos pia t l )
一八 九 七 (光 緒 二七年 )営 利 の傍 貧 民 に施 療
営 口旧市 街 豊 済門 街
入 来
院
一万六千八百 三十人
五百 二十五人
患者数 (一九二二年) 外
男子九
長老会
三十余年前設立 (一千八百 九十年代)
復州教 会 派
沿革
者
十名女計 子百 六五十名
信
現状 宗
毎年約五百元
沿革
費
派
︺
長老会
一千 八百九十九年設立 現状 宗
沿革
湯池教 会
今年 に信者となりたるもの六人ありたる由
其他参考事項
︹
布教者と信者との関係
中国伝教 師は常住
牧師とし ては営 口より毎年 一回来 る
牧師其他教会従事員現況
全部営口より支給
Dr.C.C.Dal y毛太夫 ( 支 那名 )
毎 日曜日及大祝 日
農民多し
設 立 者 Dr.U.Phi l i p( 名誉院長)
用
現在 主 任 者
外国人 一
旧患者
中国伝教 師 一
集 会 日
一、愛 蘭 伝道 会 より補 助 年 一百 六 十磅
現 在 旧 の如 く活 動 す
国 送 金 中 止 の為 収 容 力減 少
口在 住 人 の寄 附 二、〇〇〇 元 な り し が 一時 戦 争 後本
布 教 者
入
用
一九 一 一年 ま で本 国 教会 よ り毎 年 二、〇〇〇 元 、営
費
収
二 、 地 方 在住 外 国 人 、支 那 人 の寄附
三十 三仙
五仙
三 、診 療 患 者 及 入 院者 よ り徴 収 す る費 用 年経費 ( 墨銀)
奉 票 十仙
二十 三仙
新患者
一等 奉 票
一九 二 二年 七 千九 百 六十 二元 五 二仙 診 療 代
二等 支 払 能 力 者 も 任意
入院 ( 食 費 のみ)
貧 困者 無 料
費
信 用
者
毎日曜日及大祭 日
毎年三百元
四十七名 女子は十名 内外
集 会 日 外国人牧師
農業多し
布 教 者 中国伝教 師 牧師其他教会従事員 の現況
ス コツトラ ンド長老会
設立年 月日不明
︹
︺
布教者と信者と の関係
北街 に福音講堂 を設 け説教をなし、附設 の青年倶楽部あり、尚
其他参考事項
海城 には復臨教会 派 の説教所あり 海城三育学堂
六十五
英国人婦 人及中国人二
師
教
二
用
教 科 目
二ケ年
寄宿舎費 月五元
普 通小学教科目
高級小学
程
度 費
程
課
間
六時間
時
卒業者 の数及現状 不明 連絡 あり
公設学校 との関係
懇請 により再建せ るも のなるも現在不振不完全 なるも のなり
本学校 は教会と直接 の関係なく、 一時廃絶せるものを支那人の
参考事項
月謝 五元
生徒 数
現状
約八百名
学 級 数
沿革 約 三十年前設立
派 約八百元
教 育部審定教科書
英人牧 師は 一年数回営 口より来 る
︺
者
︺
宗 用
毎日曜 日及大祝日
教 科 書
中国人牧 師は常往す
︹
布教者と信者 と の関係
其他参考事項 ︹
沿革 信
海城 教会 現状 費
外人 一名
寄附金
布教 者
支人伝教師 二名
集 会 日
︺
牧師其他教会従事員 の現況 ︹
沿革
信
宗
者
派
男十 子七十 名名 女子計 八 百五十名内外
設立光緒八年 長老会
大石橋教会 現状
毎日曜日及大祝日
約四百元
農民多し 費 英人牧師 一名
用
集 会 日
一年 四元
用
︺
長老会
一日六時間
四年卒業
費 程
普通小学教科目 福音を加 ふ
課 間
教 科 目 時
︺
卒業者 の数及現状 ︹
︹
公設学校 との関係
約 八十名
中国伝教師 一名
布教 者
派
宣統 三年設立
沿革
者
蓋平教 会
牧師 は 一年 二、三回営口より巡回し て布教す
信
現状 宗
牧 師其他布教者 の現状 中国伝道師は常住す
毎 日曜 日及大祝日
農民三十七 名商名 人四十五
布教者と信者と の関係
英人 一
︺
集 会 日
︹
︹
其他参考事項
︹
︺
︺
布教者と信者との関係
支人伝教師 は常住す
英人は営 口より 一ケ月 二、三回来 る
牧師其他教会従事員 の現況
支人 一
布 教 者
其他参考事項 他 一般地方 に比し稍見 る可き会堂を有し勢力あり 大石橋教会附属学校 二 女児約 三十名
師
沿革 約 十年前設立
二
現状 教 生徒 数
教育部審定教科書 初級小学校
学級 数 度
教 科書 程
民国三年 設立
瓦房店路徳教会 宗 者
派
沿革
用
路徳会 男 子 二十 名 農民 十九名 計二十数名 商 人二、三名 女 子 二 、 三名 百元内外、信者は富 の程度にて差 あるも 一年 五、
現伏 信
毎日曜日及大祝 日
費 集 会 日 外人 一 支人伝教師 一
六元内外 を寄附 布教 者 牧師其他教会従事員 の現況 牧 師は旅順 より 一年約 四回来りて布教す 中国 人伝教人は常住す
︺
布教者と信者 との関係 ︹
布 教者
英人牧師 中国人伝教師 一
英人、支人両牧師共在住 して布教 す
牧師其他教会従事員 の現況
︹
︺
布教者と信者 と の関係 其他参考事項
敷地内三棟 の家屋あり、以 て礼拝 堂及布教者 の住宅 に充 つ 熊岳城長老会附属女学校 中国人女教師 一 一
女生徒 二十名
師
沿革 約 十年前設立 生徒 数
現状 教
学 級 数
初級小学
其他参考事項
程
度
礼拝堂 とは別個 の所 に 一個 の教堂 を設け福音を毎日曜 日に講義
不明
四ケ年卒業
教会 より六〇元
教育部審定教科書
程
月謝月 二元
間
用
教 科 書
課
費
す
一千八百九十年代設立
時
特筆す可き事 なし
長老会
現状は隆盛と云ふ可からず、卒業者 の如きも途中退学者多く不
修身、算術 、国文、唱歌 、体操、綴文、書法等 約 二百名
明なり。
奨学状態
派
三百五十元内外
教 科 目
沿革 宗 者
毎日曜日及大祝日
熊岳城教会 現状 信
用
卒業 者 の数及現状
費
農業多し 集 会 日
女学校と称するも小学校程度にして、公設学校 とは連絡 なし
公設学校 との関係
天主教 の部
者
派 一千二百名
天主教ド ミニコ派 約 三千元
宗
毎 日曜日及大祝日
信
二十五年前設立
遼陽天主堂 沿革 現状 費
用
集会 日 布教 者 仏人神父 一名 (寿神父)
牧師其他教会従事員 の現況 中国人教父 三名
︺
布教 者と信者 との関係 ︹
其他参考事項 当天主教附属育嬰 堂あり て孤児約百五十名 あり。仏人童貞女之 が教育 に当 る 尚伝教所なるもあり、聖 書 の講義を目的 とす
派
天主教 ドミ ニコ派
四十年以前設立
大沙嶺天主堂 沿革 現状 宗
布 教 者
集 会 日
費
信 用
者
中国伝教師
仏人宣教師
一名
毎 日曜 日及大祝 日
約 一千八百元
二名
約 七百名 女子多し、殆 ど全農なり
仏人宣教師及中国伝教師は共 に在住して熱心に布教 に従事 す
牧師其他教会従事員 の現況
︹
︺
布教者 と信者と の関係 其他参考事項
相当 の敷 地を有し礼拝堂又稍大建築物 にし て附近 に其 の比 を見 ず
信
現状 宗
用
者
派
毎 日曜 日及大祭 日
百元
五十人 全農
天主教
光緒 三十三年開設
徐八家 天主教出張所
費
沿革
集 会 日
外国人 一名
中国人伝教師 一名
布 教 者
布教者及教会従事員 の現況
宣教師 ( 神父)は毎年 一回遼陽より来 る、中国伝教師 一名 は常 住す
︺
︺
布教者と信者 との関係 ︹
︹
其他参考事項
溝家寨天主堂
集会 日
費
信
宗 用
者
派
外国人
毎 日曜日及大祝日
天主教 旧ドミ ニコ派 子五分 の三 三百人 全農男 女子五分 の二 一千元 奉天より送付し来る
沿革 約 十五年 以前設立 現状
布教 者 中国伝教師 一名 牧師其他教会 従事員 の現況
牧師として仏人遼陽より毎年 七、八回来 る中国伝教師は常住す
︹
︺
︺
布教者 と信者と の関係
︹
其他参考事項
溝家寨天主堂附属女学校 師
十 二人
中国女教師 一名
沿革 約十年前設立 現状 教
生 徒 数
度
学級 数 程 用
教 科書 費
一
程
教 科 目
毎日四時間
年限なし
福音 のみ
該当記事なし
課
間
奨学状態
時
卒業者 の数及現状
本校は名 は女学校たりと雖、女子 に福音を講義するを以 て
二十有余名 の卒業者あり、卒業後 の活動振わざるが如し 備考
者
派
三百余名男女略同数 農多 し
天主教
一八九〇年代設立
三等 四角
目的となし、従 つて程度、教科目等 の諸欄を空しくせり
宗
牛荘天主堂 沿革
信
二等五角
現状
二千元 信者 は 一等 一元
毎 日曜日及大祝 日
四等三角等毎年富 の程 度に応 じ寄附 をなす 仏国宣教師二
用 集 会 日
費
布 教 者
中国伝道師 一 牧師其他教会従事員 の現況
布教者は宣教師、中国伝道師共に在住し て教化 に務む
︹
︺
布教者と信者と の関 係
用
学 級数
生 徒数
教育部審定教科書
初級
授業料初等 一年四元
二
二十余人
中国女教師
費
度
師
四、五年前設立
牛荘天主堂附属同化女学校 沿革
後養 子にも 一支会あり、小学校を有 し生徒約七十名 あり詳細 不
程
特筆す可き事なし
現状 教
明。又滾子泡 にも天主堂 あり、牛 荘 の南 五十里なり、小学堂 を
教 科 書
神父不在 にて詳細 に付問訊す るを得ざ りき。尚西北方四十里 の
其他参考事項
附 設するものの如きも詳細 不明なり
奨学状態
普通教育科目 に福音を加 ふ
高等六元
四、五年以前設立
牛荘天主堂附属同化学校
教 科 目
現状 教
初級 四年 高級 二年 六時間
高級
中国人三名
課 時
沿革 七十余名男生徒
師
生徒 数 三
︺
沿革
信
宗
者
派
二十年前開校
牛 荘 よ り来 る、 尚 随時 寄 附 あ り
毎 日 曜 日及 大 祝 日
五 十元
天主教 男 子二十余名 合計約五十名 全部農民 女子三十余名
現状
三台子天主教 ( 海 城 の西 二十里)
連絡あるも進 で入学す るも のは僅少なり
公設学校 との連絡
︹
卒業者 の数及現状
程 間
学 級 数 教育部審定教科書
初級 及高級
度
教科 書
授業料 初級六元 高級 十元
程
特筆 に値 するも のなし
用
費
高級二年
国立小学課程 に福音を加 ふ 初級四年
奨学状態 程
教科 目 課
︺
卒業者 の数及現状 ︹
費
公設学校と の関係 連絡ありて公設学校 へ入学するを得 るも実際 に於ては入学す る
集 会 日
用
もの甚だ少し
布教 者
仏国宣教師 中国伝教師
︹
派
天主教
︺
沿革
営 口天主堂 現状 宗
五千元
営 口市内 に八百名 を有す
牧師及教会従事員 の現況 牧師は 一年 四、五回牛荘 より来 る
者
一八七三年 設立
中国伝教師は常住す
用
毎 日曜日及大祝 日
信
仏国宣教師二
費
︺
集 会 日
中国伝教師四
布 教 者
布教者と信者との関係 ︹
其 他参考事項 当教会 には講堂 を設け奉教人子弟 に要 理を説く。中国伝教師主 として此 の任に当 る
尚本教会 は Si s t erと呼ぶ修道女八名あり
牧師其他教会従事員 の現況
宗 者
派
牛荘 より来る 約百元
七、八十名 男子多く農 業多 し
天主教
三十年前 に開設
児 約 百 三十 名 を収容 す 、戦 前 は 可 な り の資 金 を本 国 教会 よ り仰
岳家屯天主教会
信 用
ぎ 維 持 し た るも 、戦 後 本 国 より の送 金 少 く 、加 ふ る に フ ラ ンの
営 口天 主 堂附 属 小 学 校
す 。 之 等 教 化任 務 には修 道 女 之 に当 る。
を な す 。尚 養 老 院 あ り 、三 十 名 の窮乏 せ る老 人 、廃 疾 者 を収 容
大 体 二三歳 よ り 二十歳 位 迄 を収容 し宗 教 、 教育 、 結 婚 の世 話 等
本 天 主堂 に は営 口天主 堂 育 嬰堂 と称 す る孤 児院 を附 設 す 。孤 女
其 他 参 考事 項
︺
費
毎 日曜 日及大祝 日
相 場 関係 上 、資 金 欠 乏 し甚 し き 経営 困 難 に陥 れ り。
︹
沿革
集会 日
仏国宣教師
布教者と信者 との関係
現状
布教 者
中国伝教師 一 牧師其他教会従事員 の現 況 仏国宣教師は牛荘より 一年四、五回来 る中国伝教師は常住す
︺
布教者と信者と の関係 ︹
其他参考事項
中国伝教師は常住す
蓋平より宣教師 一年 に数 回来る
牧師及教会 従事員 の現況
男子二 仏人宣教師 一 中国人女子 一
師
教
沿革 光緒 二十五年設立 現状
者
派
毎年四十元
費用 の著 しく少額 なるは、経営費 のみにして伝教師 の薪水
其他参考事項 ︹
現状
沿革
集会 日
費
信
宗
用
者
派
仏 国宣教師 ( 常 住せず)
毎 日曜 日及大祝 日
七十三人
天主旧教
光緒四年設立
百六十元 (一年)
︹
︺
布教者 と信者と の関係
中国伝教師 は常住す
仏 国宣教師は 一年数 回営 口より来 り布教す
布教師及教会従事員 の現況
中国伝教師 一
布 教者
博洛舗 天主教会
如し
等を含 まざるなり、其他必要なる費用は信者の寄附 に仰ぐ が
備考
︺
近年入教者 なし
布教者と信者との関係
四
男子生徒六〇 女子生徒四〇 普通小学校 程度
生 徒 数
教育部審定 教科書
学 級 数 程
度
教 科 書 天主教会負担
用
初級 四年 高級 二年
費
毎 日六時間
特記す るも のなし
程
普通小学校 課目
間
奨学状態 課
教 科 目 時
︺
卒業者 の数及現状 ︹
︺
公設学校 との関係 ︹
復州天主教会 現状 宗 用
天主旧教
信
三十余年前設立
費
毎日曜日及大祭 日
沿革
集 会 日
外国人宣教師 中国人伝教師 一
農三十余人 五、六十人 女子多し商 三十余人 信者 の寄附
布 教 者
其他参考事項 普通 の民家 を教堂 に利用改造せるも のなり
費
信
宗 用
者
派
外国宣教師
毎 日曜日及大祝日
約百元
八十人 男女略同数 全農なり
天主教
民国八年開設 (博洛舗 の分所 なり)
〓家屯天主教会 沿革
集 会 日 中国女講道人 一人
布 教者
集 会 日
仏国宣教師
毎 日曜 日及大祝日
中国婦人伝教師 一
布 教 者
牧 師及其他教会従事員 の現況 中国伝教師 は常住す
仏国宣教師営 口より 一年数回来り布教す
︹
︺
︺
布教者と信者 との関係
︹
其他参考事項
一千八百六十年代設立
沿革
天主 旧教
陽関天主堂
仏国宣教師は 一年数回営 口より来 る
二百余人
牧師其他教会従事員 の現況
派
全部 にて 一千元位
者 用
信 費
外国宣教師
毎 日曜日及大祝日
︹
︺
布教師 と信者 との関係
中国伝教師 は常住す
外国 宣教師 は営 口より 一年数回来 り布教す
牧師其 他教会従事員 の現況
中国伝教師 一
布教 者
現状 宗
派
奉 天 より 送 り来 る
集 会 日
中国女講道人は常住す
︺
︺
布教者 と信者との関係 ︹
︹
其他参考事項
蓋平天主堂
者
約 五百 元
天主教 農業 三十五 約 八十余名 男女略同数商 業 四十五
沿革 約 二十五年前開設 信
用
現状 宗
費
費用千元は過大にすぐと思考し得 るも、 こゝには伝教師 の言を 其 の儘誌したり。 海城天主堂
者
派 一年八百元
四百名
天主旧教
沿革 光緒 二十七年設立 現状 宗 用 毎 日曜 日及大祝 日
信
仏国宣教師 一
費 集 会 日 中国宣教師 一
布 教 者
仏国宣教師及中国伝教師共 に在住 して布教 に従事す
牧師其他教会従事員 の現況
︹
︺
︺
布教者と信者と の関係 其他参考事項 ︹
大石橋天主教会
用
者
天主旧教 男子九十名 百七十名 女 子八十名 五百元
派
信
沿革 光緒 二十七年
費
毎 日曜 日及大祝 日
現状 宗
集 会 日
布教 者
外国宣教師 中国宣教師 一
仏 人宣 教師営 口より 一ケ月数回来 り布教す、中国宣教師 は常住
牧師 其他教会従事員 の現況 す
︺
︺
布教者と信 者との関係 ︹
︹
其他参考事項
教
男生徒 三〇 女生徒約十名 全部信者
中国婦人 二
一九 一五年頃設立
大石橋天主堂附属小学校 沿革
生徒 数
師
現状
二 初級
度
学級 数 程
経費 一年約八百元
不明
特筆す る事なし
教 科書 費
用 奨学状態
年限不定
不明 程
不明
教 科 目 課
間
不明
時
公設学校 と の関係
卒 業者 の数 及現状 連 絡関係 なし
熊岳天主教会
備考
本 会 は全 く 外 人 に対 し て布 教す る目的 な るを 以 て支那 人 に
附
関 せず 只参 考 のた め に掲 ぐ 。
天主教
一、 以 上 は本 回旅 行 せ る範 囲内 のも のを摘 記 せ る に過 ぎざ るを 以 て、
記
派 不明
百五、六十名内外 農民多し
沿革 道光十八年初 めて宣教師来り、咸豊九年教会堂開設 現状 宗 者
︺
老
察 一般 観 察
教 会 に関 係 な き を除 け ば 全部 教 会 附設 又 は教会 関 係 の事 業 であ る。
る を特 長 と し 、海 城 々内 の三育 学 校 が宗 教 的色 彩 を帯 ぶ るも 、直 接
調 査区 域 内 に於 け る外 国 人 の文 化事 業 は、殆 ど宗教 的 色 彩 を帯 ぶ
(第 一)
第 三章
一、本 表 記 載 の中 、空 欄 は特 記 す べ き事 項 な き を示 す 。
し為 、宣 教 師 又 は伝 教 師 の言 を其 の儘 記 載 し た るも の少 からず
一、費 用 内 容 等 に関 し ては疑 は しき も の多 き も、 短時 日 の調 査 なり
他 に尚 多 数 の教 会 あ る こと に注 意 せ ら れた し。
用 毎 日曜日及大祭日
信
仏国宣教師
費 布教 者
集 会 日 中国伝教師 一 牧師其他教会従事員 の現況 仏国宣教師は毎年三、四回奉天より来 る、中国伝教師は在住す
︹
布教 者と信者と の関係
︺
教 の手 段 と 見 る べく 布 教 の方 便 たり と言 ふも過 言 にあ らざ る べし 。
︹
其他参考事項
而 し て其 の監督 は総 本 部 に於 け る外国 人 によ つて為 さ ると雖 も、 其
此 点 よ り観 察 す れば 区 域 内外 外 国 人 の文 化 事業 と称 す る も、 一の布
Eng landM i s si on
宗
派
長 老会
三 十余 年 前 開 校
ら れ、 外 人 は当 該 居 住 地 に常 住 し て年 二回 又 は三 回出 張 し て 、之 が
注 意 を要 す 。区 域 内 のも のは遼 陽 及営 口 の二本 部 に よ り統轄 管 理 せ
Chur ch Of
営 口安 甘 会 (St .Ni c hol asChur ch)
沿革
監督 指 導 を な し、 遠隔 指 揮 に任 す る の現 状 を以 てせば 、 漸次 実 際 上
実 務 は殆 ど 地 方所 住 の支 那 人 当 務 者 に よ つて行 わ れ つ つあ る こと は
現状
英 本国 教 会出 資
の権 利 が地 方教 会 当務 者 た る支 那 人伝 教 者 の手 に移 り つつあ る こと
営 口在 住 外 人約 四十 名
を忘 れ る こと は出 来 な い。 之 等 非常 な る努 力 を 以 て続 け ら れ つつあ
者
毎 日曜 日 及大 祝 日
用
外 国人
信
集 会 日
費
布 教 者
る布 教 及 教育 等 の事業 も、 実 地 に就 て観 察 す れば 、其 の現 状 が意 外
B、 国 情 に基 く不 振 の原 因
其 民 族 の保 守 的 特性 に鑑 れば 又怪 む に足 りな い こと であ る。
教 育 の効 果 とを否 認 せ んと す るも ので はな い、只 現 在 の状況 は可 成
然 し 之等 外 面 上 の観 察 を 以 て、 内 に確 固 たる潜 勢 力 を 有 す る信 仰 と
甚 だ遅 々と し て 、其 の大半 は近年 入教 者 皆 無 な る こと を 訴 え て居 る。
学 生 の数 は毫 も増 加 の傾 向 な く 、信 者 及 求 道者 の数 も増 加 の度合 は
よ り 、公 設 学 校 を撰 ば ん とす る事 此原 因 を為 す も のと観 察 せ ら るべ
在 地 には殆 ど 小学 校 設 立 せ ら れた る結 果 、 教会 附 属 の学 校 に入 らん
即 ち支 那 初 等 教育 が漸 次進 歩 の傾 向 あり 、学 校 増 設 せ られ 、教 会 所
な き の みな らず 、中 には減 少 の結果 廃 止 せ る も のも あ り て、之 等 は
と し て経 営 し つ つあ る教会 附 設 の小 学 校 の如 き は 、生 徒 増加 の傾 向
つ つあ る、学 校 教 育 の不振 を 意 味す るも のであ つて、 即 ち教 育 事業
国 情 に基 く 不振 の原 因 と 称 す べき も のは、 主 と し て外 人等 の企 て
に貧 乏 であ り 、不 振 であ ると 言 ふ事 実 に驚 か さ れ る。 二十 年 或 は 三
不 振 であ る と いう事 実 に就 て、 其 の観 察 を示 さ ん とす る に過 ぎ な い。
し。
十 年 の努 力 の結 果 と し て は、意 外 に思 う 程外 観 不 振 を極 め て いる 。
其 点 に就 て は種 々 の原 因 を 数 へ得 ると信 ず るも 、第 一に民族 性 に基
宗 教 の本 体 は限 り な き愛 と熱 であ る 。此 の熱 と愛 の存 す る所 に 入
( 第 二) 宣 教 師 の態 度
け る原 因 と 、第 二 に国 情 に起因 す るも のとは 大 別 し得 べく之 を更 に
A 、民 族 性 に基 く 不振 の原 因
細 論 す れば
道 的 博 愛 の観 念 は発 生す る。 我 々は 従 来屡 々在支 宣 教 師等 の行動 を
此信 頼 の誤 な か りし こと を確 む る を得 た 。宣 教 師 の態 度 は例 外 な く
支 那 人 が布教 の当初 に於 て、信 者 と な つた大 な る動 機 は、 一の民
人道 愛 に燃 ゆ る宗 教 心 の発 露 であ る 。彼等 は只 神 の道 の為 に、愛 の
ど も、 信 ず る こと は 出来 な か つた 。今 回 の調 査旅 行 に依 つて益 々、
教 を奉 じ て立 つ平 和 の戦 士 であ る 、其 間何 等 の野 心 もな いと信 ず べ
目 し て、 国家 的 陰 謀 の先 駆 者 た り と論 ず る が如 き議 論 を聞 いたけ れ
ざ る今 日 に於 て は、 新 な る信 者 を 得 る こと は甚 だ困 難 であ る。 金銭
質 的恩 恵 を受 く る こと少 く、 更 に教会 費 の負 担 を も為 さざ るべ か ら
き充 分 の根 拠 が あ る。何 等 文 明 の恩 沢 も 及 ば な い僻 地 に二 十年 、 或
れ て、自 己 の利 益 を保 護 せ んと す る 一時 的方 便 の信 者 な り。 今 や物
を 給 与 し衣 服 を恵 与 し 、 又官 憲 の圧迫 に対 し て絶 好 の避難 所 と し て 、
族 性 に基 て功利 的 性質 のも のが多 か つた 。宣 教 師 の特 権 の下 にかく
宣 教 師 を尊 崇 し た時 代 に於 ては 、 保守 的 な支 那 人も 中 産 階級 以 下 の
は 三十 年 間 、 只管 に神 の道 を説 いて終 止 す る布 教 者 た る外 人等 に、
せ る も の に外 な らな い。然 し斯 く言 ふ こと は 、決 し て之 等 外 人 が本
侵略 の手 先 た る名 を冠 す る こと は 、其 後 に進 む資 本家 の活 動 と混 合
国 政府 と全 然 無関 係 な り と称 す る意 味 では な い。 其 の布 教 資 金及 居
る こと少 き今 日 に於 て、 この特 性 が逆 に働 いた とし ても 、敢 て不思 議 とす る に足 ら な い。 其 の二 は保 守的 観 念 に基 く も の であ つて、保
住往 来 に就 て、彼 等 は本国 政 府 に負 ふ所 、 必ず 甚 少 ではな いと信 ず
も のは、 喜 ん で入教 す る も の が多 か つた。然 し乍 ら 物質 的 に恵 ま る
へ) を棄 て て、新 らし き信 仰 に入 る こと は 、大 発 奮 であ る。 此 点 は
守 的 の支 那 人 は自 己 の旧 来 の信 仰 ( 仮令迷信的 のも のた りと は言
るけ れ ども 、布 教 者 等 は之 に直接 の関 係 は な い。 我 々は之 等 外国 人
に各 小 部 分 に分 属 し て事 業 の発展 に努 力 し つ つあ り。 例 へば 旧教 の
及営 口 の本 部 を中 心 と し て、其 指 揮 監 督 下 に統 制 せ ら る る の外 、更
く 、其 第 一は各 教 会 の統 一と各 教 派 間 の連 絡 であ る。 各 教会 は遼陽
主 堂 、滾 子 泡 天主 堂 、 三台 子 天 主堂 、岳 家 屯天 主 堂等 あり 。蓋 平 天
営 口本 部 下 に牛 荘 教会 あ り、 其牛 荘 天 主 堂 の下 には 、更 に後 養 子 天
から ざ る こと を面 語 視 察 の間 に確 め て意 を強 ふす る に至 つた。 一般 人 の観 念
等 が決 し て野 心 の包 蔵 者 にあら ざ る こと 、 従 て世 間 の臆 測 の信ず べ
(第 三 ) 外 国 人 の文 化事 業 即 ち 其 の布 教 及 教育 、 施 療機 関 に対 す る 一般 支
排 斥 した こと は歴史 上甚 だ少 く皆 無 と称 す るも 尚 不可 では な い。 現
り之 は彼等 の民 族性 に基 く 一視 同 仁 の観 念 に発 し た も の であ つて、
し て は、彼 等 は何 等 差 別 的 の観 念 を 有 し な い こと を明 にし た。 固 よ
教 者 た るも のは 甚 少 で あ るけ れ ども 基督 教 、 其 のも の及 其信 徒 に対
は んとす る に過 ぎざ る が故 に、 支 那 人 に対 し て も何等 特 異 の感 情 を
ては福 音 の 一課 を 小学 校 課程 の中 に加 へて、基 督 教 式 人格 養成 を行
を強制 す る に反 し 、 一も 外語 の教 育 を施 さず 、只 特 別 な るも のとし
ざ るな り。 其 の二 は小学 校 教 育 にし て、 日本 の公 学堂 教 育 が 日本 語
教 育 に就 て互 に他 を排擠 す る が如 き弊 風 は殆 ど之 を 認 む る こと能 は
landMi s si on) の組 織 あ り て、各 派互 に連絡 し相 提携 し て、布 教 及
も亦 大 いに見 るべ きも のあ り。 所 謂 中 国 内 地 会 ( TheChinaIn −
在 に於 ても 、基 督 教 が入 教 心 を誘 惑 す る程 に功 利 心 を刺 激 す る こと
惹 起 し な い。 又 従 つて信 仰者 た る こと を要求 せず 、信 教 者 な る が故
主 堂 の下 に尚 此 の如 き 分会 あ る こと更 に多 し。 更 に各 教 派間 の連 絡
は な いと し て も、彼 等 は殆 ど無 関 心 に之 に対し て居 る。 特 定 の個 人
那 人 の感想 に就 ては、 機 会 を得 る毎 に、之 を観察 す る こと を怠 ら な
が基 督 教 の信 者 たり 、或 は其 学校 の学 生 た る こと に就 て、 彼等 は羨
に月 謝 を低 廉 にす る が如 き学 校 も甚 だ少 い こと は之 等事 業 の特 長 と
か つた。此 等 の結 果 を総 合 す れば 前 述 の如 く 、支 那 人 にし て新 に信
む と も蔑 ると もし な い。隣 人 と し て何等 特 別 の取 扱 を為 さな い こと
三分 の二 は不 信 教 者 の子 弟 な る場 合 が多 い こと に注 意 を要 す 。
す べく 、在 学 生 も信 者 の子弟 と不 信 者 の比 は 不信 者 遙 に多 く 、其 の
論
は特 筆 に値 す る こと であ らう 。而 し て 一面 に彼 等 は 新教 と旧 教 に関
結
し ては、 意 外 に判 然 たる智 識 を有 し て い る。新 教 々会 は之 を基 督 教 会 又 は耶 蘇 教 会 と呼 び、 旧教 会 は之 を天 主 堂 と称 し、前 者 は英 国 人 又 は米 国 人 によ り 、後 者 は仏 国 人 によ り主 宰 せ ら れ つ つあ るが如 き
満 洲 は由 来 満 洲 民族 発 祥 の地 に し て、満 民 族 は古 来 特有 の文 字 を
有 し、 低 かり し と雖 ど も固有 の文 明 を有 し て居 た。 然 るに清 朝 一度
事 実 は 、文 盲 の農 夫 と 雖 も之 を 明 にし て居 る。之 等 は長 き不 断 の宣 教 師 等 の努 力 の結 果 と観 る べき であ らう 。
出 で て中 原 を略 し、北 京 に都 し て 四億 の民衆 に号令 す るに到 るや、
力 と同 化 力 を有 す る中原 の文 明 に同 化 包容 せら れ 、更 に其辛 亥 革命
其 文化 は被 征服 者 た る 民族 の文 明 、即 ち漢 民 族 の有 す る無限 の包容
(第 四 ) 事 業 の特 長 此 所 に事 業 の特 長 と称 す るも 、南 満洲 調 査 区域 内 に於 け る事 業 の 特 長 の意 味 にあ らず 、全 支 那 に於 け る も のと 共 通 な るも のと見 るべ
こと を得 な い。此 の現 状 を 以 て せば、 満 洲 に於 け る文 化 の趨 向 及 外
は漢 民族 の占 む る所 謂 満 民族 の生 け る文 化 の如 き は片鱗 だ に認 む る
か に残存 せ る其文 明 も全 く 光 を失 し 、今 日 に於 て は満 洲 人 口 の九割
に会 し て 二百 六十 余 年 の夢 亡 ぶ るや 、満 洲 族 又起 つな く、 同 時 に僅
事 業 の顕 在 の根 底 に就 ては 、 日本 のそ れ に比 し遙 に根 底 あ り信 念 あ
る に於 ては 、其 力大 い に見 る べき も のあ るを信 ず 。 余輩 は 外 人文 化
業 即 ち 専 門教 育 、施 療 のみ な らず 一般 治 療 機 関 の拡張 等 に力 を用 ふ
在 の如 く 国 民性 の上 に立脚 し て、 総 て の階 級 に恩 恵 を及 す意 味 の事
野 心 を 包 蔵す る所 なく 、終 始 宗 教 的 人道 愛 の根 底 の上 に立 ち て、 現
︹マ マ︺
国 文 化 の影 響 を考 察 せ んと す るも 、何 等 満 洲特 異 の事情 を考 慮 す る
経 営 、 文 化施 設 、教 育 機 関 の如 きは 、多 々改善 の余 地 あ るべ き を思
る も のと し て、 大 いに挙 ぐ べ き も のあ ると 信 じ 、日 本 の満 鉄 沿線 の
き であ る。 思 ふ に中 原 の文 明 た るや 、黄 河 の畔 に成 長 し土 地 と 共 に
必要 は な い。 全支 那 に共 通 のも のと同 様 の立場 に於 て之 を考 ふ るべ
無 交 代 の文 明 にし て、 基 本質 に於 て偉 大 な る同 化 力 を有 す。 古 来 時
を も留 めざ る に至 つた こと は、 明 な る歴 史 的事 実 であ る。国 を建 つ
け れど も、 やが て其 大 同 化力 に溶 融 せ ら れ吸収 せ られ て、其 の痕 跡
な る小 学 初等 教 育 と し ては 、支 那 現在 のも のと甲 乙 を論 ず べ からず 。
現 し得 べき も 、其 の教 旨 は著 しく 支 那化 し 、教 育 の成 果 の如 き も単
多 大 の期 待 を繋 ぐ べ からず 、布 教 に於 け る信 者数 の増加 は 、或 は実
以 上 を 総合 す るに、 外 国 人文 化事 業 の将 来 は 、中 国文 明 の本 質 上
わざ る を得 な い。之 等 に就 て は稿 を新 にし て論 ず る の時 あ るべ し。
る こと 五千 載 、朝 を更 ふ ること 二十 四 、夷 狄蛮 戎 交 々入 つて中 原 を
に外 国文 明 の侵 入 に よ つ て、 一時 的混 乱 を来 し た こと は屡 々有 つた
略 す るも 、彼等 は 日な らず し て中 原 の文 明 を信 奉 す る に至 れ るは 、
の実 際 に 基 き 以上 の予 測 を 以 て結 論 と なす 。
に至 る べき も のと考 へざ る を得 ず 。被 命 区 域内 の旅行 を終 り 、調 査
将 来 益 々廃 止 の運命 に逢着 し て、単 に専 門教 育 に のみ生 命 を見 出 す
漢 民 族 文 明 の偉 大 な る特 長 であ る。輓 近支 那 に及 した る外国 文 明 の 影 響 を視 んと す る も、 此 の中 国 文 明 の大 同 化力 と大 包 容 力 とを 除 外 す る こと は不 可能 であ る。今 南 満 洲 一帯 に於 け る、 外 国 人 の文 化 事
此 の前 提 に従 つて外 入 の文 化 事 業 を考 察 す る に、 現 状維 持 の傾 向
業 を観察 検 討 せん とす るも 亦之 の前提 を離 るる ことは出 来 な い。
及 漸 次 実権 が支 那 人 の手 に移 ら んとす る こと は 、従 つ て地方 教 会 が 財 政 的 に独 立 せ ん とす る状 態 をも 容易 に説 明 せ ら るべ く 、之 が将 来 に就 ては此 の傾 向 は益 々増 加 し て、 一般 的 文化 の向 上 と共 に外 人文 化 事 業 は布 教 の如 き信 仰 の問 題 は 別 と し て、初 等 教 育 の如 きは 到底 存 続 発 展 の見 込 な か る べく漸 く 現 状維 持 の程度 に留 るべ き形 勢 と 見 る も不可 な から ん 。然 し 乍 ら外 国 人 の文 化 事業 の本 体 が多 く の場 合 、
付
録
一、 一九 二三 年現 在 中 国 政 治 派閥 表
二、 一九 二 六年 現 在 中 国政 治 派 閥表
一九 二 三 北京政府閣僚表 一九 二 四
高
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海 通 范 源
任︺薛篤弼代理 恵 ︹就 セズ
顧 維
交 育 王 寵
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教 法
外
司
編 者略 歴 伊 藤 武 雄 〈い と う ・た け お〉1895年 愛 知 県 に 生 れ る。 元 満 鉄 調 査 部.中 国 研 究所 理 事 。1984年 死 去 。著 書 『黄 竜 と 東 風 』(1964,国 際 日本 協 会)『 満 鉄 に生 きて 』(1964,勁 草 書 房)『 わ れ らの 生 涯 の な か の中 国 』(共 著,1983,み 書 房)ほ か 。
すず
荻原 極 〈おぎわ ら ・きわむ〉1910年 群馬県に 生れる。 元満鉄哈爾賓鉄道局。松 岡洋右伝記編纂事務所。著 書 『松 岡洋右伝』(講談社,1974)。 藤 井 満 洲 男 〈ふ じい ・ますお 〉1909年 長春に 生れる。元 満鉄調査部。1958年 まで中国 に在留.弁 護士.著 書 『中国 共産党五十年略史』(東方書店,1972)。
現代史資料31 満
鉄
1
伊 藤武雄 荻 原 極 藤井満洲男 解説
1966年 5月20日 1986年 7月 5 日
第 1刷 発 行 第 5刷 発 行
発行者 北野民夫 発行 所 株 式 会 社 みす ず書 房 〒113東 京 都 文 京 区本 郷 3丁 目17-15 電 話814-0131(営
業)815-9181(本
社)振 替 東 京0-195132
本 文 印刷 所 精 興 社 扉 ・口絵 ・函 印刷 所 栗 田 印刷 製 本 所 鈴 木 製本 所
〓1966MisuzuShobo
PrintedinJapan 落丁 ・乱丁本 はお取替 えいた します